興南新聞1943年2月
序號 | 標題 |
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01 | 廿三億四千餘萬圓 十八年度追加預算頭條新聞 【東京發同盟】三十一日の眾議院豫算總會に於ける賀屋藏相の追加豫算說明要旨は次の通り 昭和十七年度歲入歲出總豫算追加第一號に計上した金額は歲入一億四千七百餘萬圓 歲出四億六千六百餘萬圓 で差引歲入不足額、三億一千九百餘萬圓は豫算實行上の歲入超過額を以て支辨する計畫である、歲入追加額は經常部一億一千二百餘萬圓、臨時部三千五百萬餘圓であり、歲出追加額の內譯は 經常部 六千餘萬圓 臨時部 四億◯六百餘萬圓 でその重要なる事項を擧げれば內務省所管=警察費連帶支辨金の增加一千九百餘萬圓 災害、土木費補助の增加 一千五百餘萬圓 大藏省所管 臨時□□□□□會計繰入の增加□□□□□□□□□□□百餘萬圓(以下內容破損)金額に加へれば昭和十七年度豫算は 歲入 八十九億八千四百餘萬圓 歲出 九十三億一千七百餘萬圓 となる、昭和十八年度歲入歲出總豫算追加第一號に計上した金額は歲入歲出共に二十三億四千五百餘萬圓で 歲入追加額は 經常部 十五億二千百餘萬圓 臨時部 八億二千四百餘萬圓 である、右歲入中主なるものは 租稅收入增加 十億七百餘萬圓 專賣局益金增加 四億四千六百餘萬圓 金屬製品拂下、木竹拂下金の增加 一千三百餘萬圓 燃料局益金の增加 八千九百餘萬圓 公債金收入の增加 七億八千三百餘萬圓 等である、右の歲入追加額を本豫算に於ける歲入額に加へれば□□十三億四千(以下內容破損)九百餘萬圓の增加となってゐる、歲出追加額の內譯は 經常部 六千餘萬圓 臨時部 二十二億八千四百餘萬圓 であってその重要なる事項は內務省所管地方分與稅分與金、特別會計繰入の增加、 三千二百餘萬圓災害土木費補助の增加 二千萬圓 大藏省所管、為替交易調製特別會計へ繰入 四億一千餘萬圓 臨時軍事費特別會計へ繰入れの增加 十四億五千四百餘萬圓 被害鹽田復舊に要する經費 一千三百餘萬圓 農林省所管 風害等應急及び復舊施設に關する經費一千三百餘萬圓、木材緊急對策施設に關する經費一千二百餘萬圓 商工省所管 產業設備□□□□□償金の增加□□□□□□□□鐵鋼原料の補□□□□□□費の增加三千五百(以下內容破損) □□省所管 □□船雇船料調整費補助に要する經費の增加、一千二百餘萬圓、機帆船積石炭輸送獎勵に要する經費一千三百餘萬圓 厚生省所管 生產增強勤勞緊急對策に關する經費二千百餘萬圓 大東亞省所管 北支那開發株式會社補給金六百餘萬圓等時局下何れも緊急追加計上を必要とするもののみである右の追加豫算額を既に提出してゐる本豫算に加へれば昭和十八年度歲入歲出總豫算額は□□歲出ともに百二十三億四千百萬餘圓となり昭和十七年度豫算額に比し歲入に於て三十三億五千六百餘萬圓歲出に於て三十億二千三百餘萬圓の增加となる、 以上によって昭和十八年度歲出豫算に於て臨事軍事費特別會計への繰入として計上した金額は一般會計に於て本豫算計上の分二十七億八千五百萬圓、追第一號計上の分十四億五千四百餘萬圓、計四十二億三千九百萬圓、各特別會計に於て本豫算計上の分四億八千三百餘萬圓、特第一號計上の分九千六百餘萬圓計五億七千九百餘萬圓 で各前年度豫算計上の合計額に比し一般會計において十六億千五百餘萬圓特別會計において六千四百餘萬圓、合計十六億八千餘萬圓の增加となる。又昭和十八年度における歲出豫算の財源たる公債の發行豫定額は本豫算及び追加豫算を通じ一般會計においては二十二億七千二百餘萬圓、特別會計においては十億五千餘萬圓で總計三十三億二千三百餘萬圓に達する從ってこれを前年度における發行豫定額二十三億九千五百餘萬圓に比較すれば九億二千七百餘萬圓の增加となる。大東亞戰爭に依り帝國が大陸及び南方の作戰地域において沒收又は管理下に收めた敵產は相當巨額に上る現狀であってこれが運營を圖り以て戰力の增強等に役立たしむることは時局下喫緊の要務であるのでこれが統一運營のためには特別の資金を置き又その歲入歲出はこれを一般會計と區分經理することを適當と認め特殊財產資金特別會計を設置することとしたのである、本會計の歲入豫定額は五億九千九百餘萬圓歲出豫定額は一千六百餘萬圓で差引五億八千三百餘萬圓の歲入超過であるが右歲入歲出豫定額は概ね今後一ケ年間における資金の運用に伴ふ收入、保管金の運用に伴ふ收入等を歲入に又特殊財產の管理に要する經費、一時借入金の利子として國債整理基金特別會計に繰入るべき金額等を歲出に計上したのである |
02 | □□□□軍戰況を說明 けふ東條陸相と島田海相 |
03 | 今週中愈よ最高潮 |
04 | 「絕對的勝利の日」 十周年記念日ヒ總統宣言 |
05 | 歲入內譯 |
06 | 敵產の一元的運營 特殊財產資金豫算案を提出 |
07 | 凡ゆる困難を克服 勇戰する獨軍部隊 |
08 | 豫算外國庫の負擔內容 |
09 | 秘密會に入る(豫算總會) |
10 | 最後の勝利を確信 ゲーリング元帥演說 |
11 | 東部戰線の戰況 |
12 | 樞軸軍北阿で□□ |
13 | チユニジヤ反樞軸軍司令官 モントゴメリ任命 |
14 | けふの兩院 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | □□□□の溫床 □□□□の特異な存在 □□空爆下の桂林、韶關 |
02 | 韶關 移動自在の韶關 |
03 | 齋藤總務長官 きのふより議會に出席 |
04 | □長官報告 |
05 | マライ半島攻略 昨日輝く一週年記念 |
06 | 科學技術審議會 三十日第一回總會 |
07 | 港灣荷役增強 基隆神社で祈願祭 |
08 | 總會兩則 |
09 | 兩廣派の地盤 |
10 | 全機能を發揮 東條首相の挨拶 |
11 | 優秀な國民子弟 興亞育英金庫溫い救ひの手 |
12 | 圖像:敗戰米國の表情 |
13 | 慰問素人演藝會盛況 |
14 | 東條さんを氣遣ふ學童 首相官邸に可憐な激勵□ |
15 | 本年初の彈丸切手 けふから一齊に賣出 |
16 | 皇民塾を活用 國語習得の入門として |
17 | 防空基本訓練 臺北桔梗クラブで |
18 | 山形公使以下館員を軟禁 チリー政府 |
19 | 新竹郡下衛生模範部落審查 |
20 | ソ聯中央アジアに大地震 |
21 | ホツケー選手權大會 |
22 | 訃文:樋口雅枝 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 誓って增產完遂 穀倉北斗郡の名譽にかけて 篤農關係者打合 |
02 | 臺中神社奉祝行事 市民の熱誠裡に閉幕 |
03 | 座談會の第二次會! 陣頭指揮論から婦人大評定へ 高雄市奉公壯年團 |
04 | 慰問音樂會 |
05 | 故西垣伍長の岡山街葬 卅日嚴肅に執行 |
06 | 皇軍に蔬菜献納 頭分街民の赤誠 |
07 | 新豐郡產組の貯蓄強化運動 |
08 | 適格者は叫ぶ 新化街志願兵講演會 |
09 | 二千餘圓募集 新竹郡日婦提出 |
10 | 善化街貯蓄講演會 |
11 | 大溪奉壯團總常會 |
12 | 田植は引受けた 脂粉生活を拋つて婦人皆勞へ 變る高雄の田園風景 |
13 | 皇民鍊成研究會 羽鳥堂市長も列席 |
14 | 大溪の補助貨回收好成績 |
15 | 竹南壯丁の劍道寒稽古 |
16 | 竹南郡產婆會 |
17 | 兵隊さんから模型住宅 東園校の兒童たち大喜び |
18 | 醬油配給打合會 |
19 | “生活科學”講演 婦人層を對象に熱辯 |
20 | 苦苓脚保甲民赤誠の献金 |
21 | 比島人に似てる 馴染む原住民の評に 勇士も返答に當惑 |
22 | 臺中生活科學展 初日から觀覽者殺到 |
23 | 土地改良ダム 仁德庄で起工式 |
24 | 防毒救護講習會 |
25 | 彰化銀行總會 |
26 | 蠶種製造所開所式 竹東街上公館で擧行 |
27 | 嘉義市復興建築信組總會 |
28 | 香奠を献金 增永氏の赤誠 |
29 | 基隆の映画 |
30 | 臺南州消費米配給組合 |
31 | 人事 |
32 | 地方多より |
33 | 今日の映画演藝 |
34 | 訃文:賴和 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 芝山巖祠合祀者 輝く三十三氏不滅の功績 久木田休助氏 福家一男氏 矢口良忠氏 川原修氏 曾江准氏 新村國元氏 麻生寬一氏 吉村龜松氏 □纈海兵氏 吳永臺氏 佐藤正士氏 東原盈藏氏 平原宗太郎氏 西山茂俊氏 若松武二氏 中村操氏 田村富士雄氏 森田豐得氏 梶本考治氏 稅所清治氏 村上仙八氏 仲嶺正能氏 富里照氏 立石稔氏 岩隈敬造氏 小澤義賢氏 岡部九良男氏 新納時美氏 中谷健一氏 釘丸力氏 鈴木傳之助氏 太田不二雄氏 坂本茂氏 |
02 | 學藝 皆唱運動一考察(下)/名和榮一 |
03 | 愛國百人一首 鑑賞と解說(三)/藤田德太郎 |
04 | 大東亞共通語としての日本語教授の建設 平松譽資事氏の近著 |
05 | ラジオ |
06 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵戰艦二、巡洋艦三擊沈 我が海鷲薄暮奇襲を敢行 レンネル島沖海戰大戰果 |
02 | 我佛印大使府機構を擴大か |
03 | 魚雷相次いで命中 巨艦・大爆音と共に轟沈 |
04 | 圖像:敵機來らば唯一擊と銃把を握る機關銃手 |
05 | 眾院豫算總會 |
06 | 擊沈破敵艦一三二隻 ソロモン海戰以來の戰果 |
07 | 例外許可の權限 關係者共同告示で統一 |
08 | フランス民軍組織 佛政府閣議で決定 |
09 | 敵艦船十一隻擊沈破 伊空軍、護送船團を襲擊 |
10 | 獨軍戰況を公表 |
11 | イタリア軍總司令官更迭 |
12 | 運航實務者を五班に編成 |
13 | 獨海軍最高司令官更迭 |
14 | 一切の努力を戰爭遂行へ ゲツベルス宣傳相演說 |
15 | 獨の決意を披瀝 獨政界の見解表明 |
16 | 北部戰線最高司令官に任令 チモシエンコ元帥 |
17 | 中立各國の立場檢討 カサブランカ會談の一議題 |
18 | 伊國民總動員令を強化 |
19 | 商工經濟の中央機關 近く設置せん |
20 | 生產戰士を激勵 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 薰る芳烈の育英魂 義務教育制施行を目前に 芝山巖祠祭典意義深く執行はる |
02 | 荒鷲を二機献納 臺北市商奉團の計畫 |
03 | 梁井知事が新竹州訪問 |
04 | 佐治專賣局長 管內を初巡視 |
05 | 朱厝崙區開設記念式 |
06 | 荷役力五割增強 港都けふから決戰構へ |
07 | 皇奉基隆市支會二月常會 |
08 | 傷痍軍人會分會 近く臺北市に設立 |
09 | ヨイ子供部隊の赤誠献金品 軍司令部 海軍武官府 |
10 | 圖像:芝山巖祠祭典 |
11 | 無線通信士養成講習終了 |
12 | 保姆さん一役 補助貨回收に |
13 | 迷宮入の名畫 所有者に戻る |
14 | パスカルの遺稿 十萬フランで競賣 |
15 | 增產臺灣 米 |
16 | 金山畫劇挺身隊結成式 |
17 | 保護委員千三百名 辭令交付式日程決る |
18 | 昨年の四倍に上る 新竹州下の志願兵數 |
19 | 二水信組總代會 |
20 | ストラヂヴアリの作品發見 |
21 | 人造血液の發明 科學の國、ドイツに凱歌 |
22 | 代用牛乳を完成 液體玄米を企業化 似田貝小子家門氏談 |
23 | 債券當籤番號發表 |
24 | 防諜俘虜映畫試寫會 |
25 | 人事・消息 |
26 | 今夜の放送 |
27 | 興南詩苑漢詩 七十書感二首/石衡 黃賛鈞、次韻景南詞兄龍峒閒居/高肇藩、雨日/小維摩、初霽/小維摩 |
28 | 商況(一日前場) |
29 | 興南案內報社消息 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 占領地の物心總力 戰爭完遂へ結集!! 南方陸軍軍政基本事項(上)頭條新聞 【東京發同盟】大東亞戰爭開戰以來ここに一年二個月、南方占領地における軍政は占領地の物心總力を戰爭完遂へ結集すること最大眼目とし治安の回復、重要國防資源の急速な取得及び作戰軍の現地自活の強化を目的として強力に施行されて來たが現地軍官民の絕大な努力と國內からの支援とにより着着その實效を擧げ所期以上の進展を示してゐる、今回陸軍では南方軍政運營の基本事項及びその現況につき左の如くこれを明かにした 第一軍政の基本事項 一、軍政機構 軍政は統帥行為の一部であってこれが實行の責任は軍にある、從ってこれが運營も指揮統帥の系統に從って行はるべきものであるが一面國務と密接不離な關係を持つものであるからその基本的事項はこれを大本營政府連絡會議の議によって決定しまた經濟處理の企畫又び統制等については大東亞省の連絡委員會を通じ關係各廳と密に連絡決定する等能く軍政に國家の總意を反映せしむる如く措置せられてゐる、現地の軍政機構であるが南方各地域は各各その特性を有し且つその統治要領も地域により差異があるので各地の軍政機構も亦各各特色を持たしてゐる概括的にこれを述れば比島及びビルマでは原住民による行政府をわが指揮下に運用し他地域では軍自から行政に任ずるの方式により機構が定められてゐる、各軍には軍政實施の衝に當る軍政監部が設けられその本部はところにより多少の差異があるが概ね總務、內務、司法、產業、財務、交通、敵產管理の各部に分れ恰も內地における各省の如き中央行政機關として活動し地方行政機關としてはジャワの大部マライ、スマトラ、ボルネオ各州、市に司政長官以下を配し比島及びビルマは各州市の行政は行政府に管轄せしめある故にこれが指導のため各各數個所に軍政支部を置きまたジャワのジョクジャ及びソロの二州並にビルマのシャン諸州の如きはわが指導下に從來の土侯を以て地方行政の衝に當らしてゐる、 右に述べた軍政機構の要員であるがこれにはなるべく軍人を減少し各省の官吏及び民間有能者を充當して統治成績の向上に努めてゐるしかしながら占領地は將來においても一部に敵の反攻を豫測しなければならないので作戰軍と軍政とは緊密一體でなければならないのみでなく作戰軍日常の健兵壯馬の策も軍政と不可分の關係を持つので軍政機關中所要の位置には武官を充當してゐる次第である 大東亞省と軍政の關係であるが本質的には大東亞省設置により軍政は何等變化はない、しかし前にも申述べた如く軍政と國務とは密接不可分の關係があるから軍政に國務より協力を必要とする部面、卽ち占領地外の大東亞地域(內地を含む)と關聯ある事項、將來に備ふる調查、研究、準備等尠くないのでこれらは大東亞省で大東亞を一環して處理に當るを適當とするのである、從って南方經濟の企畫調整等は大東亞省の連絡委員會によりこれを審議しまた南方要員の鍊成に當る興南鍊成院も大東亞省の所管となってゐる 二、軍政指導要領 現に軍政を運營するため根本としてゐる指導要領中主要なる事項を述れば次の如くである (一)統治の實施に當りては特に風俗習慣の尊重に留意す、卽ち統治は物心兩面の把握ありてはじめて全きを期し得るのであって軍政の目的たる治安の確保も重要國防資源の急速取得も住民の心からなる協力を得てはじめて實現し得べくこれがため注意を加へてゐる諸點は在來の習慣の尊重を以て第一としてゐる、その地の歷史及び民族性を研究することなく徒らに多くの法令を制定しまたは土地に合せざる風習等を強要する等の民心離反の原因をなすことを嚴に戒めてゐる、故に軍政實施に當りては在來の風俗習慣はこれを充分に尊重し不必要なる容喙改正等はこれを避けしめてゐる、就中宗敎は原住民の心底に深く浸透したの信仰心亦極めて旺盛なるに鑑み在來の宗教は統治に妨げない限りこれを保護するの方針によりまた信仰に基く風習は努めてこれを尊重し以て人心の安定、民心の把握に資してゐる第二は土侯の取扱ひであるがこれ亦社會的宗敎的また場所によりては政治的の地位を有してゐたものであってこれが取扱ひには特に慎重を期し徒らに日本人的優越感を振翳して土侯を輕蔑し或は土侯の私生活に細部の干涉を加へるが如きはこれを避けてゐる第三は日本人の自重であるが從來の例によると異民族に對する個人的不當の行動が政策全般を打壞し民心を惡化せしめたことが尠くないので直接異民族に接すべき軍政要員進出邦人は特に日本人たるの矜持を保持せしむる如く指導を加へてゐる (二)極力殘存統治機構を利用し不必要且つ速急な改變を避け統治の圓滑化を期すると共になるべく多くの原住民を活用して最少限の日本人を以て統治の目的を達成すべく着意してゐる (三)民族指導は治下諸民族に對して大東亞戰爭の真意義を徹底せしめ以て同甘苦各各その能力に應じ欣然わが施策に協力せしむることを主眼とし、原住民に對しては當面徒らに觀念的主義を鼓吹し或は形式的文化の普及を避け帝國に對する信倚感を助長せしむることを方針として指導し、華僑に對しては各地域の特性に基きわれに協力同調し來る者に對してはその經濟的活動も相應にこれを認むる方針であり、インド人に對しても帝國は英領インドに對し攻擊を加へるもインド人を敵とするに非ずして英米の武力を破碎するの真意を明かにし、敵國人に對しては勿論斷乎たる態度を以てこれに臨みあるもわれに心服し來る者にして技術者等はその能力を發揮せしめてゐる、樞軸諸國との關係ますます緊密を加ふの秋これら諸國民のわが占領地に在留する者に對してはなし得る限りの便宜を圖ってゐることは勿論である (四)軍政の實施に當りては徒らなる劃一的方策を排して良く各地域の戰爭遂行上における地位產業經濟上の能力及び民度などにつきその特異性を詳かにし特に各地域に對し帝國が何を求めんとするかを明らかにして施策の宜しきを得るに努めてゐる (五)經濟開發において特に留意してゐるのはまづ極力現地の人的物的資源を活用してなるべく國內の負擔を輕減しながら開發目的の達成を圖るを以て第一とし次に開發能率の發揮を所期して十分民間業者の組織及び經驗を活用して生產の向上を圖ることこれがために徒らなる觀念的統一企業體の結成は避けてゐる、然しながらこれら擔當指定業者に對してはその權益を與へたものでもなく又既成事實として將來必らずこれを附與するものでもないことは明示せられてゐる而してこれら擔當指定業者もこの國家の方針に從ひ南方開發擔當の光榮を認識して挺身努力してゐるのである、南方經濟において問題となるのは各種特產資源であるがこれは徒らに消極減產を行はず綜合的開發利用の方途を開く方針にて進めてゐるのである (六)敵產處理については南方にある莫大なる敵產をもって帝國の戰爭遂行力の劃期躍進を圖る如く適切なる施策が講ぜられてゐる從って前項でも述べた如くこれら敵產が戰後私人の得權化するが如きことなきは勿論全國民が均霑し得る如く特別の工夫が考究されつつある (七)海上輸送力の重要性は茲に贅言を要しない南方經營でも決定的要素とも稱し得べく南方各地においても海上輸送力增強のため用ふべき方策は餘すところなく利用する如く努力中である (八)財政金融、速かに財政の自立を圖って軍政費は勿論のこと將來は國防に要する經費も應能負擔する如く努力してゐる 第二軍政の現狀 以上述べた如き機構と要領とによって軍政を實施中であるが各地域とも概ね順調に發足し且要員の進出、機構の整備に伴ひ既に本格的統治の段階に達してゐる今各部門每にその現狀を述べれば次の如くである 一、治安 治安に關してはマライの一部に少數匪賊の蠢動を見、比島は數千の島嶼より成立ってゐるために交通不便なるよりして一般に他地域に比し稍稍不良ではあるがその他は極めて良好であって治下諸民族は悉く皇軍の威武に悅服し民心は極めて安定してゐる、又比島にありても現地各部隊各機關の連續不斷の討伐と宣撫工作とが功を奏し治安は逐次良好に向ひつつあるは喜ばしい然しながら戰爭の進展と共に民生は逐次逼迫し來るは當然であって且つ敵の反攻をも豫期するを要するので治安維持の困難性は寧ろ今後にありとの心構へをもって現況に油斷することなくこれが對策に遺憾なきを期してゐる 二、行政 各地域の戡定に伴ひ軍政による統治を開始したが初期に於ては軍政機關未だ整備せられなかったため一部においては作戰部隊をもって統治に任じたるところあるも逐次軍政要員の現地到着に伴ひ本格的軍政に推移し現在においては各地域とも概ね統治は浸透し銳意軍政目的の達成に邁進中である、而してその行政の運營方法においては各地域に應じその特性があるからその概況を左に述べることとする (一)比島、比島は從來の統治形態等にも鑑み行政は比島人をして行はしめ軍はその大網、重要事項につき指揮命令するの方式に依り軍政目的を達成せんことを期してゐる卽ち周知の如くバルガスを長官として昭和十七年一月三十三日比島人を以て概ね戰前の形態に則り行政府を組織せしめ軍政監部の一部機關として直接比人を對象とする行政の實施に當らしめてゐる地方行政に關しては戰前の四十九州十市を編合して四十六州八市としこれ又比島人に依る州知事以下を配置し行政府の管轄下に行政實施に任ぜしめてゐる軍政監部は前述行政府を監督する外バキオ、マニラ、レガスピー、セプ、ダバオに支部を置き司政長官以下を配し行政府地方廳の指導に任ぜしめてゐる (二)ビルマ、ビルマ又比島と概ね同樣の方式に依り軍の指揮下昨年八月一日バーモ氏を長官として行政府を組織せしめシヤン諸州及びカレンニ州を除く他地域の行政に任ぜしめてゐる地方行政としては州にビルマ人の知事を置きこれに當らしめシャン諸州及びカレンニ州は行政の管轄下に入ることなく軍政監部よりシャン州政廳を分派し該地區の軍政を實施しつつあるも土侯の行政權を認めて下部行政に任ぜしめてゐるビルマ人の皇軍に對する協力は作戰開始以來誠に熱烈なるものあり從って軍政よく滲透し治安又甚だ良好なるはビルマの戰爭現段階におけるその重要性に鑑み特に心強き次第である (三)マライ、スマトラ、マライ及びスマトラは比島及びビルマと異り全行政を軍自ら實施し中央行政は軍政監部これを擔任し地方行政のためには昭南特別市及びマライ十州スマトラ十州に市長及び州長官(司長政官)以下を配置してゐる勿論行政機構內には充分原住民を採用し縣以下悉く原住民に任するの形態をとって最少限の人員にて統治目的の達成を期するが行政府を運用する比島及びビルマの方式とは大なる相違がある土侯に關してはマライにおいてはその社會的名譽特に宗敎上の權威を保持せしめ民心指導に當らしめスマトラにおいては州長官指揮下に地方行政に參與せしめてゐる、マライ人口の四割を占むる華僑も占領當初嚴格なる態度を以て臨みたるを以て爾後においてはわが慰撫に服し目下においてはわが施策に協力しある情況である (四)ジャワ、ジャワの行政はマライ及びスマトラと略同樣の方式に依り軍政監部より十七州及びバタビヤ特別市に州長官及び市長としての司政長官其他を配しあり、然しながら特に差異があるのはソロ及びジョクジヤの二土侯州であって兩州は從來の土侯をそのまま州行政の責任者となし政務指導部を以てその指導監督に任じてゐる、ジャワにおける蘭人は約二十萬(內五萬純粹の蘭人)であってそれは一部主要なるものを禁監し他は逐次居住制限を行ひつつあるが石油、鐵道等の技術者主要研究所の研究者等が軍政施行に利用し得るものはこれが活用を圖ってゐる (五)北ボルネオ、行政は概ねマライ及びスマトラと同樣にして五州に區分し統治しあり但し北ボルネオは由來他地域と異り華僑政治的勢力大にして縣長は殆んどこれが占むる所であるから一部軍政要員を增加し縣長は日本人を以て代らしむる如く處置してゐる 三、邦人進出狀況 南方諸地域に進出する大和民族は治下諸民族に對する指導的使命を負荷すべきものであって從來の如き移、植民的觀念を以て律するを廢してゐる、しかして共榮圈の核心である日滿支の建設事業特に重要國防產業要員及び兵員の所要數も逐次增加し實際問題として現下多數の邦人を方南に進出せしむることは至難である、一方開戰以來國民の南方進出熱の昂揚は誠に喜ぶべき現象であって轉廢業者の進出希望者も多いのであるが上述の如き狀況に鑑み悉くを南方に進出せしむることは出來ない、素より轉廢業者中內地の重要產業要員たり得ざるものであって軍政實施及び產業開發に必要なる人員を進出せしむることは現地のためにもまた國內問題としても適當なるを以て現地において真に必要にして且つ成功可能なる職業、人員等を調查中である、次に既往滿洲及び支那の經首に鑑み進出邦人に對しては真に原住民の指導者たる資格と矜持を保有せしむる如くますます指導に注意を加へ不良なる者に斷乎送還するの處置を取り現在まで若干名の被送還者を見てゐる、なほ既住邦人はこれを優先渡航せしむる如く國策決定せられ逐次その復舊を見つつあって特に既往の經驗を活して軍政と在住民との媒體的役割に遺憾なからしむる如く活動せしめてゐる、しかして昨年十二月末までに進出したる邦人數は(軍機關軍政機關が大部)要員並に經濟開發要員各各約六、七千名、再渡航者約三千人である |
02 | 眾議院豫算總會 小川鄉太郎氏の質問 |
03 | 重要產業の運營 產業人の創意を十分尊重 首相答辯 貴院本會議 |
04 | 定期敘位 |
05 | 國民の忠誠に信賴 眾議院本會議東條首相答辯 |
06 | けふの兩院 |
07 | チリー内閣重大危機 |
08 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 レンネル島沖海戰の大戰果社說 一 一月二十九、三十の兩日に亘るソロモン群島レンネル島沖海戰の輝かしき大戰果が大本營發表によつて明らかにされた。帝國海軍航空部隊の晝夜を別たざる猛攻强襲によつて、瞬く間に戰艦二隻、巡洋艦三隻を擊沈した外、戰艦一隻巡洋艦一隻を中破せしめ、戰闘機三機を撃墜したと云ふ痛烈まる大戰果で、洵に決戰第二年の新春劈頭を飾るに相應しい皇軍の偉大なる贈物である。時恰かも一億國民の決意も新たに必勝の信念固き第八十一議會のさ中へ贈られた此の大戰果は、愈よ益益一億國民の志氣を昂め米英擊滅總進軍への胸を高鳴らせる底のもので、我ら國民は今更の如く勇猛果敢なる帝國海軍の活躍に對して感謝感激措くところを知らない 二 大東亞戰の緒戰に於て脆くも一敗地に塗れた米英は、大東亞地域から全面的敗退を餘儀なくされたが、豐富な物的資源に恃んで猛然反攻を叫び、旣に昨秋來蠢動を續けて來た米國の攻擊企圖も再三に止まらない。其の都度こと每に帝國海軍の捕捉せん滅する破目に陷つたことは尚吾人の記憶に新たなところである。今回のレンネル島沖海戰も勿論ソロモン群島を中心とする米國の執拗な反擊的蠢動の連續であるが敵の反擊盲動は又もや破碎せられたのである。斯くして昨年八月以降卽ち第一次ソロモン海戰以來今次のレンネル島沖海戰までの間に、敵米國は南太平洋水域に於て、戰艦十隻、空母八隻巡洋艦四十隻、驅逐艦三十六隻を始め、合計實に百三十二隻の艦船を擊沈破され、九百七機以上の飛行機を擊墜破されたわけである。 三 然しながら敵の反攻企圖、反擊的蠢動はこれにて完全に挫折したのではないこと言を俟たないであらう。今後とも更に手を換へ品を變へて盲動を續けるであらうことは覺悟すべきである。ソロモン群島を中心とする南太平洋水域の死闘は恐らく今後益益白熱化するに相違ない。それ故に我らはこれまでの戰果に醉うてはならない。しかも勝つて兜の緒を締めるだけではない、敵米英をして城下の誓をさせるまでは、一喜一憂することなく總力擧げて只管戰力增强に努めることが肝要である。武力戰は忠勇なる我が皇軍に任せばよい、銃後の我らは一にも戰力增强、二にも戰力增强に全力を盡すことが大切である。決戰第二年を迎へ、戰爭の本格的段階に入つて、我らは銃後の任務を十二分に果されねばならぬ秋が來たのである。戰果一擧る度每に幾多の殉忠報國の勇士を仰ぐ。一億國民の內誰か米英擊滅の征戰完遂に挺身せざるものあらんや。 |
02 | 紀元節の御祝宴 畏し本年も行はせられぬ |
03 | 結束を紊す言動は斷乎・嚴重に取締る 首相率直に決意表明 |
04 | 敵の出擊企圖破碎 レンネル島沖海戰の意義 |
05 | 食糧戰必勝對策 決議案として提出 |
06 | 全議員から感謝の拍手 きのふ嶋田海相の戰果發表に |
07 | レンネル島沖海戰を說明(海相) |
08 | 長谷川總督 四日より高雄州下を視察 |
09 | 桔梗俱樂部の第九回鍊成會 昨日開會式擧行 |
10 | 遂に五十萬を突破 上昇一路の志願兵熱 |
11 | 島都の第二回身體檢查 四日間で五千餘名に上る |
12 | 芝山巖祠祭典奉納武道大會 |
13 | “國語臺灣建設”の美談 上奎府日婦會員等の匿れた努力 |
14 | 島都の定期種痘 五日から各派出所單位に實施 |
15 | 海軍恤兵金にボント三千圓 一匿名氏の赤誠 |
16 | 鄉軍宜蘭市分會總會 |
17 | 故樋口參謀長夫人告別式 昨日しめやかに執行はる |
18 | マカツサルと電話開通 南方諸地域□最初の聲の連絡 |
19 | 皇奉宜蘭市支會の常會 |
20 | 全島珠算大會 二月七日公會堂で開く |
21 | 南鄉氏に醫博 |
22 | 輕音樂協會初發表會盛況 |
23 | 人事・消息報社消息 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 指導者層率先垂範 知事を陣頭に幹部を動員 奉公運動推進目標を指示 |
02 | 熱烈な意見開陳 奉公壯年團地域別協議會 きのふ臺中で開催 |
03 | 優良班長も表彰 嘉義市支會が紀元節に |
04 | 潮州街分會常會 |
05 | 故ボツトル君 臺東街葬 嚴肅に執行 |
06 | 故蔡軍屬外 三君の墓碑 竣工式擧行 |
07 | 愛國蓖麻集團栽培 |
08 | 區會設置要望 屏東市昭和町の有志らが起つ |
09 | 三十學級增認可 嘉義郡、義教に萬全 |
10 | 彰化市議に江口氏 |
11 | 青柳總務課長 屏東市郡を巡視 |
12 | 入學願書は 早く出して下さい |
13 | 埤頭庄が第一位 北斗郡の養豚競技會 |
14 | 屏東市長新庄披露 |
15 | 婦人の覺悟 日婦新竹州支部傳達申合事項 |
16 | 大高雄“足”の對策 交通委員會を設置 積極的調查に乘出す |
17 | 梁井知事來中 義捐金お禮に各方面に挨拶 |
18 | 輸送戰を鬪ひ拔く 神前に誓つて直ちに作業開始 高雄荷役強調週間開始 |
19 | 船員を犒ふ 高雄で後援會結成 |
20 | 員林健兒の意氣 森田知事臨場のもとに 晴れの青年團查閱 |
21 | 高砂族青年團查閱 |
22 | 山櫻滿開 溫泉鄉井上に |
23 | 青年の心構へ 斗六郡で座談會 |
24 | 一年忌に献金 |
25 | 春日國民校の後援會發會式 |
26 | 建艦献金に拍車 新竹市一心會の赤誠 |
27 | 赤誠の献金 二月一日軍司令部取扱 國防献金 恤兵金 献金 |
28 | 總額六十五萬圓 新竹州農會の豫算 |
29 | 補助貨供出へ 皇奉花蓮港支部一役 ホークを献納 |
30 | 相撲指導會 花蓮港で開催 |
31 | 桃園信組總會 |
32 | 敵性音樂締出し 花蓮港のカフヱー 飲食店業者申合せ |
33 | 舊正月廢止へ |
34 | 社告/興南新聞社報社消息 |
35 | 高雄秋競馬 六日から開始 |
36 | 苑裡建築總會 |
37 | 賴和氏逝去 |
38 | 人事報社消息 |
39 | 地方多より |
40 | 第六期決算報告/南亞製粉株式會社 |
41 | 第二十回決算公告/株式會社臺北永樂座 |
42 | 今日の映画演藝 |
43 | 基隆の映画 |
44 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 纖維品價格政策 府で漸定措置を考究 |
02 | 船員の夜業手當 近く增額に決定 |
03 | 本島配給機構再編成 府の要綱粗案決定 |
04 | 百萬擔確保を目標(上) セレベスの棉花增產計畫 東印度棉作の沿革 小林農園の業績 在來種の品種、品質 生產額と輸出高 百萬ピクル計畫成る |
05 | 臺灣鐵工所擴張 近く倍額增資を斷行 |
06 | 前月の簡保低調 一般の協力要望 |
07 | 臺灣鐵工所配當九分 |
08 | 信組貯金激增(昨年十一月末) 二億千七百六十萬圓 貸附金割に增加せず |
09 | 各地の總會 嘉義自動車總會 潮州信組總會 臺灣鑛泉總會 彰化市燃料共販創立總會 彰化貸自動車會社認可さる 屏東信組總會 |
10 | 臺灣澱粉配給組合通常總會 |
11 | 臺灣茶の生產對策 二割程度の制限に決定 |
12 | 臺南州消費米配給組合解散 |
13 | 新消費米配給組合創立 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況(一日後場) |
16 | 島內株仲值表 |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(881)/黃得時;碇政彌 |
序號 | 標題 |
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01 | 陸鷲、南支各地を猛爆 連日縱橫の奮鬪を繰返す 最近一週間の活躍狀況 |
02 | 政府提出八十八法案 全部委員附託となる |
03 | 戸塚中將補さる 海軍練習聯合航空總隊司令官に |
04 | レ島沖海戰の大捷 全國民齊しく感激 |
05 | 國政指導、生產增強 山崎氏の質問三項 |
06 | 獨軍一月中に 五十二萬噸擊沈 |
07 | 圖像:嚴寒の北洋を制壓する我が艦隊 |
08 | チヤーチル トルコ訪問 |
09 | 七國大統領と會見 |
10 | 中、佛國交調整近し 國府承認、租界返還せん |
11 | ソロモン敵陣地爆擊 |
12 | 樞軸軍一齊に猛攻 チユニジヤ北、中部で |
13 | 我發表の儘をアンカラ放送 |
14 | 胸のすくやうな 我が海鷲の大勝 獨紙、レ島沖海戰絕讚 |
15 | 南部戰線戰況 |
16 | 我戰果に驚嘆 スヱーデン各紙 |
17 | 日本空襲の時、方法 言明の限りではない ノツクス例によりまた豪語 |
18 | 獨機甲部隊の戰果 |
19 | 淒絕・ス市の死鬪 |
20 | 獨軍、陣地固守 |
21 | 東部戰線の一般戰況 |
22 | 伊軍戰鬪機隊の戰果 |
23 | 敵機また來襲 蘭貢を盲爆 |
24 | 在印米英機 卅機を擊墜 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 壽ぐ紀元の佳節 島都の奉祝行事決定 |
02 | 健民薰育の功勞者 譽れの子寶家庭全島で二七二組 十一日の佳節に表彰 |
03 | 教育勅語傳達式 白河、富興兩國民校に |
04 | 巢立つ無線通信士 第四回講習生修了式擧行 |
05 | 築く”防空必勝陣“ 新竹市で防毒並救護講習會開催 |
06 | 英國の物資不足 當局、對策に必死の努力 |
07 | “國語家庭”に優先入學 新竹中の優遇方針決定 |
08 | 新學制と皇民鍊成(中) 學園の決戰體制なる |
09 | 州教育會評議員會 |
10 | 增產臺灣 鹽 |
11 | ジエノアの大寺院破壞 |
12 | 總額三十八萬餘圓 一月中の島民赤誠の献金品 軍司令部 海軍武官府 |
13 | 大戰果に感謝 軍司令部一日取扱献金 |
14 | 内地から求人する手續 總務局勞政課發表 |
15 | 愛唱歌に百人一首 一流音樂家が奉仕作曲 |
16 | 高雄市の適格者全部出揃ふ |
17 | 夫婦アパート 本年島都□九十六戶建 |
18 | 印度の牢獄を解放せよ アメリカで反英示威□進 |
19 | 興南詩苑漢詩 壽洪元煌先生還曆敬次原玉四首/周定山 |
20 | 敵性マネキン人形の一掃 北署調查に乘出 |
21 | 人事・消息 |
22 | 煙幕 自家用人力車 |
23 | 今夜の放送 |
24 | 商況(二日前場) |
25 | 興南案內報社消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 各種資源の開發概況(中) 南方陸軍軍政の基本事項頭條新聞 四、經濟開發【東京發同盟】皇軍力闘の戰果として敵の破壞を免かれたる生產施設尠からざるに加へて神速なる軍政の浸透により工場事業場等の復舊は戰前の豫想に比し遙かに迅速良好であつて石油、鑛山等の重要國防資源に於て特に順調である、然れども之等豐富なる資源も戰爭遂行力となす為には內地に輸送する事を要するのであつて一面に於ては船腹增強に努め他面に於ては國防上緊要なる資源輸送に船腹を成る可く多く利用せしめ得る如く圖つてゐる而してこれ等經濟開發に從事しつつあるは戰前現地に在住した者、若しくは政府よりの指定により新たに企業を命ぜられた者であつて一般に夫夫各軍政監部の指令を遵守し軍と一體となり現下の重大時局を認識して誠心國策に邁進し僻地の鑛山開發等は間間戰闘直後の敗殘兵又は兇賊等の襲擊を受けた事もあつたが克くこれに屈せず奮闘してゐるの狀況は誠に感謝に堪へない以下各種資源に就きその開發の概況を述ぶれば次の通りである (一)石油油田占領部隊(軍隊及び徵用員より成る)は第一線部隊と共に敵前上陸を敢行して夫夫處命施設及び地域を占領し特に南スマトラに對しては二月中旬落下傘部隊の敢闘によりパレンバン製油所を占領せし後採油隊の主力は地上第一線部隊に痕隨してパレンバン附近に上陸し爾後引續き奧地に進入した斯くて各地域とも三月既に所在油田及び製油所を完全に占據して直ちに復舊に着手し着着その効を收め敵側の大なる破壞に拘はらず九月末には現地從業員の殆んど全部を復歸せしめ諸施設は現在既に戰前に於ける全施設の約◯◯パーセントを復舊し更に今後に於ける所用資材の順調且つ潤澤なる供給あれば昭和十八年度末に於ては全施設の百パーセント、產油額は戰前の全年產量を超ゆるに至るも餘り遠き將來に非ざるを豫想せらるる程度の好況にあるは誠に同慶に堪へない、而して石油開發は軍が直營し南方管理廠を以て全地域の復舊、採油、製油を擔當せしめてゐる。 (二)鑛物資原南方占領地に於て帝國の期待する鑛物資源はボーキサイド、銅、鉛、錫マンガン、クローム、タングステン等を主としこれ等鑛山中には若干破壞せられたるものあるも既に大部の企業擔當者現地に到着し着着開發の成果を擧げつつあつて、これ等資源に關しても既に大部は船腹の增加に伴ひ帝國所望量の取得は概ね可能なる狀況にある、ボーキサイドはビンタン島及び馬來半島ジヨホル州を重要生產地とするも之が復舊は急速に進展し既に戰前產出量の域を越へ本年度においても帝國所望量を賄ひ得る狀況であつて輸送に關しても礦物生產の喫緊性に鑑み努力中である。前述せる石油の取得とボーキサイドの確保は帝國航空戰力增強のため確固たる基礎を得たるものと云ふべく真に心強き次第である鐵鑛についても既に開發は相當程度の進捗を見つつあり、昭和十八年度においては輸送これを許さば約◯◯萬瓲の取得が可能である、銅鑛は比島においてはマンカヤン銅山を主とし其他ヒツクスバー、アンチケ等を開發、而してマンカヤンの破壞は相當大なりしため還送開始の時期に若干の遲延を見たが擔當業者の決死的努力及び附近金山施設の轉用などにより十月より出鑛を開始した銅に關してはビルマ、ボードウイン鑛山も着目せられてゐるが本鑛山は鉛、亞鉛を主とし銅、ニツケル、コバルトをも含有する鑛石を產し鉛亞鉛は戰前程度の生產量に達する曉においては資源上のみより論ずれば帝國の所望を充足し銅に關しても比島と相俟つて帝國は海路最も遠隔の地然もビルマの奧地にあるを以て輸送上難點がある、從つて本鑛山は發電施設の破壞相當大であつたので目下銳意これが復舊に努力中にして、近くこれが一部の完成を見んとし二月より一部の操業を開始する豫定である、由來東亞の地はタングステンの世界における獨占的產地であつて占領地にあつてはビルマのタボイ及びマウチ鑛山を確保し支那における取得量と合し概ね帝國の所望量を滿し得る狀況であるこれに反して帝國の南域確保により敵國はタングステン取得の途を遮斷せられその精神的打擊大なるものがあるは想察に難くないのであるマホイ及びバンカ島における錫の世界的產出量については周知のことに屬し精鍊所も占領直後より創業を開始したから帝國所望量の充足は勿論可能である (三)農業資源農林資源に關しては南方地域は真に世界の寶庫とも稱すべくゴムを始めチーク材、コプラ、パーム油、キニーネ、マニラ麻、砂糖などの生產量は莫大であつて交流可能なるにおいては勿論東亞圈內の需要を滿して餘ある、而して前にも述べた通りこれら特產資源は消極減產の處置を採ることなく生產力の維持に力め將來世界における帝國の經濟的優位確保に資せしめんとしてゐる、而してこれがためには樞軸國に對する供給は勿論新用途の開拓に關しても銳意努力中である、ゴムに關してはカンリン轉換は現地に於いて既に實用の域に達し又潤滑油生產も既に實用化せんとするの狀況にある。砂糖にありても比島及びジヤワに於ける糖業は大東亞の現需要に比し著るしく過剩であるが減產等の方法によることなくこれを活用して刻下の急需たる航空燃料の原料たるブタノール及び自動車用燃料アルコール等の製造原料に充當を企圖してゐるので比島に於いては甘蔗用耕作地の一部を棉作等へ轉換してゐるが將來豫定(プタノール)設備の完成したる曉に於いては砂糖の需要は寧ろ却つて增產を必要とするにあらずやと考へてゐるコブラ、パーム油キニーネ等もその重要性に鑑み既に開發或は集荷擔當者を進出せしめ更に原住民をも十分に活用之が開發に努力中である大東亞に於ける不足資源たる棉花に關しては速やかに南方に於て培養を計るため、差當り繰棉數百萬ピクルの出廻りを確保する事を目標としヒリツピン及びビルマ、ジヤワ北ボルネオ等の地域を撰び增產實行中である。 (四)食糧南方地域に於ける軍需、民需の食糧對策はすべて現地自活に徹底し內地よりの追送を絕無ならしめる方針の下に實施してゐる、之がため不足品は現地相互間の交流を行ひ或は增產を圖り或は又代用品の利用に努め現地に於て取得困難なる主資源材料等のみ一部は差向き追送を實施し着着その成果を收め需給狀況は順調に進展してゐる、而してマライに於ける米は從來より約三分の二不足であるが極力輸入の節減に務むるため畠作の增產を圖ると共に消費の規正を徹底し更に不足する分をビルマ、泰、ジヤワより輸入する計畫にて進んでゐる、スマトラに於ける米は從來より約十分の一不足であるが之は雜穀の增產消費規正に徹すると共に若干ジヤワより輸入する計畫であるジヤワ米及び雜穀(玉蜀黍、カツサバなど)共輸出餘力であり之が餘力は他の不足地區に輸出する計畫である。 ビルマに於ける米の輸出餘力は莫大であつてマライ地區等に移出する他餘力は現地に於て貯藏するの他之が用途に關し研究中である、フイリツピンに於ける米は若干不足であるが蓬萊米の生產は極めて良結果を收めつつあるので消費規正と相俟ち近き將來に於ては自給自足の域に達せしめうるものとみられる |
02 | 眾院本會議 石油專賣交易營團兩法案を上程 レンネル島沖戰果に祝電 |
03 | 我が國府援助策 漸次具體化への一途 |
04 | 作戰、國務の調和 陸相兼攝の機微 中島氏の質問東條首相の答辯 眾院豫算總會 |
05 | 統帥の機微な關係 直に國務の上に反映さす 首相答辯 |
06 | 物價の足取り堅實(商相答辯) |
07 | 英土會談の內容 |
08 | チ首相の訪土 英情報省發表 |
09 | けふの兩院 |
10 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 本島自作農創設の絕好機會社說 一 戰時下の本島に課せられたる一大使命は米穀を中心とする食糧の增產であるが現狀の如く本島總耕地の約六割が小作地であり、且つ零細農の多き事が稍もすれば增產の障害を來し却つて減產の情勢を釀成しつつあるは蔽ふべからざる。事實である殊に近年來天候不順及び農作物價格關係で農業經營が兎角採算難に陷り加ふるに一般勞力不足に基く勞銀の騰貴を背景として小作地返還を中心とする小作爭議の頻發を惹起するが如き憂ふべき事態を生じたるは主として小作零細農が多數存在してゐる事を看過してはならない。今アーサーヤングの言を借りる迄もなく自作農が小作農に比して土地を愛護し其生產力を維持培養する上に多大な長所を有し從つて多少農業採算が困難に陷つてもよく之に堪へ得るのみならず又容易に離村するが如き問題が起り得ない事は明かである。されば自作農の創設維持は早くも農地制度解決の中樞政策として其の必要を認められ之に依つて農家が單に農業經濟を裕かにする許りでなく、自己所有地を耕作する事に依つて其の業を樂しみながら安定せる生活を為し以て平和にして健全な農村を實現する事が出來るのである。 二 前記理由の下に內地に於ては政府が昭和十二年度に至り更に自作農創設事業の飛躍的進展を期するため新たに昭和十二年以降二十五ケ年を一期とし每年簡保積立金及び預金部資金各二千萬圓、計四千萬圓、二十五年間の總額十億圓の資金を融通し小作地の七分の一强に當る約四十一萬七千町步の自作農創設維持を圖る擴張計畫を樹てたのである。從來の自作農創設に基く低資貸附は預金部及び簡易保險局から道府縣に對して行ひ道府縣は又之を市町村に貸附け市町村が主體となつて自作農の創設維持事業に當つて來た。然るにかかる融資方法では官廳の意志に束縛され農家の創意を發揮する餘地は極めて少なかつた。そこで今後は勸銀、產組、中央金庫等の旣存農業機關を活用して此の方面に對する融資事業に積極的に乘出さしめ之と個個と農家と連繋せしめる事となつた。從來預金部資金に就ては年三分二厘で放出してゐたから之を其の儘にし、簡保積立金に依る融資に就ては年四分厘分で放出してゐたから政府は一分に相當する補助金を交付して利子の均衡を圖つて來た。從つて今後も勸銀、產組、中金等に對し道府縣經由と同程度の利子補助は必要である事勿論である。 三 上記內地に於ける自作農創設維持事業に對し本島に於ては小作地の割合が多いにも拘はらず從來殆ど閑却されてゐる事は本島農政の一大缺陷と言ひ得るであらう。唯自作農を創設を為さんするには若し土地の價格が甚だしく高い時機であれば其の高い土地を買入れた自作農に對して融資金償還の支障を來す虞れなしとしない。從來內地に於ける自作農創設維持事業が兎角不振であつたのは高地價格に依る支障が最も多かつたからである。幸に本島に於ては兩三年來土地最高價格の制定、農作物價格の抑壓、小作料の低下、稅金の加重等の原因に作用されて島內耕地の價格は勿論場所に依つて異なるが、小作料と共に平均約二割乃至二割五分方の低落を來したにも拘はらず尚買手が至つて少ない狀態となつた然し土地買入の採算から言へば大地主は兎も角小地主ならば決して不利な投資物件ではないから之が取りも直さず自作農創設の絕好時機ではないかと思はれるかくの如く自作農創設事業は農地制度改革の中樞として皇國農村の建設と共に最近漸く一般の注意を惹いて來たが、之を大規模に斷行するには國家の財政負擔も少なくないから、今日之を積極的に實施するにはいくたの困難もあらうが、本島としては先づ產組を中心として部分的に行はしめ督府に於て適切な諸助成策を講ずべきが拙速ではあるが最も近道であらうと考へられる。 |
02 | 敢鬪する”國境の眼” 雪海の中に民族の息吹き 儼たり北邊の鎮護 |
03 | 赤土食つて首狩り 慄悍な海ダイヤ族 |
04 | 肉彈に次ぐ肉彈 一粒の米を”お護り”に |
05 | 磐石、關東軍の偉容 劃期的報道演習閉幕 |
06 | 躍進の氣分橫溢 東部巡視佐治專賣局長談 |
07 | “生めよ殖やせよ” 戰時結婚の斡旋優遇に對し 皇奉で具體案作成 |
08 | 花蓮港廳下の石灰を開發 |
09 | 大戰果發表の度每 各職域で萬歲三唱 皇奉中央本部の部長會議で内部的申合せ |
10 | 稻荷神社節分祭 |
11 | 劇團文藝部員 劇協で指導講習會 |
12 | 田中高級參謀 村上校を視察 |
13 | 防諜、時局映畫試寫會盛況 |
14 | 臺南醬油配給組合の打合會 |
15 | 文部省の事務打合せ會 |
16 | 本社事務員募集報社消息 |
17 | “雀の巢”狩り 高雄の奉壯團員 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | お山の教學刷新 花蓮港廳先づ五校に六ヶ年制 |
02 | 防空協議會開催 市長郡守等を集めて |
03 | 卑南池の埋立て 美田五十甲步が浮ぶ |
04 | 燃ゆる献金熱 數字が示す新竹市民の赤誠 |
05 | 圖像:員林郡聯合青年團查閱 |
06 | 學徒防空奉公團結成打合 |
07 | 森田知事上北 |
08 | 嘉義商議所表彰式 |
09 | 街庄豫算查定會 |
10 | 日婦支會長會議 |
11 | 屏東師範附屬校體鍊會 |
12 | 海岸地帶の防風林 木麻黃の實績から適木主義へ 臺南州完成を急ぐ |
13 | 各地信組總會 彰化 龍崎 大寮 |
14 | 下淡水溪實地視察團出發 |
15 | 第一種青年訓練 あすより第一期實施 |
16 | 夏季蔬菜增產に 花蓮港市乘出す |
17 | 澎湖在鄉勤報青年隊點呼 |
18 | 開南商業強步大會 |
19 | 銃後奉公に挺身 竹東愛國看護團入團式 |
20 | 慰問袋二千個 嘉義市二月分 |
21 | 竹南郡街庄協議會日割 |
22 | 臺中美術展覽會 十一日より豪華な幕開き |
23 | 適正施肥試驗 實績に基いて增產計畫 |
24 | 警察武道爭霸戰 |
25 | 各種組合の整理統合 高雄州商工組聯の態度慎重 |
26 | 佐治專賣局長 東部初巡視 |
27 | 銃後は元氣です 應召警官に慰問寫真 |
28 | 人命救助者に警察賞 |
29 | 清水溪自然ダム 宮木知事が近く實地踏查 |
30 | 赤誠の献金品 軍司令部 國防献金 恤兵金 献品 臺北陸軍病院扱 |
31 | 鳳山郡麵類工業組合 |
32 | 食糧品雜貨商組合總會 |
33 | 竹東街貯蓄推進懇談會 |
34 | 流腦御用心! 器具類は可成り消毒すること |
35 | 盜賊と格鬪の末逮捕 |
36 | 人事報社消息 |
37 | 地方多より |
38 | 第十四回決算公告/株式會社興南新聞社 |
39 | 第七十五期決算公告/株式會社彰化銀行 |
40 | 第六回決算公告/福德炭鑛株式會社 |
41 | 今日の映画演藝 |
42 | 基隆の映画 |
43 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 信託法の島內施行 近く中央に稟議せん |
02 | 農業團體法案 政府が委員會で說明 |
03 | 百萬擔確保を目標(下) セレベスの棉花增產計畫 本年度試作狀況 將來性への考察 |
04 | 米穀配給の重複 恒久的防止策を講ず |
05 | 芭蕉、鳳梨の減段 近く全島協議會で決定 |
06 | キヤツサバ粉の規格 全島一本に統一 |
07 | 客船及機帆船の傭船料近く公定 |
08 | 大成火災增配 利益金百六十五萬餘圓 |
09 | コークス配給統制 州と實施方法協議 |
10 | 近く祈年祭を執行 |
11 | セレベス内地間の送金為替取扱を開始 |
12 | 商銀人事異動 |
13 | 昨年バナナ輸移出 百十一萬九千籠に上る |
14 | 送金手續を簡易化 香港、廣東、海南島間で |
15 | 女子實務講習 臺北商議で設置 |
16 | 經濟手帳 日本港運業會 商工組合金融の實相 |
17 | 照明燈 |
18 | 商況(二日後場) |
19 | 北濱雜觀 |
20 | ラジオ |
21 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 各種資源の開發概況(下) 南方陸軍軍政の基本事項 交通 財政金融 軍政會計 通貨 金融機關 現地自活 |
02 | 現地最高指揮官に謝電 貴院本會議レンネル島沖の大戰果 |
03 | 戰爭目的に雲泥の差 東條首相重ねて闡明 |
04 | 圖像:寒波と戰ふドツク作業 |
05 | 食糧需給の均衡に努力 眾院豫算總會で井野農相答辯 |
06 | 木材の生產增強方策 |
07 | 損害隱し、體裁繕ふ レ島沖海戰、米海軍公報 |
08 | 太平洋の脅威重大 米紙レンネル島沖海戰論調 |
09 | 三日の兩院 |
10 | 最後の一彈まで射盡す ス市北部地區に勇戰する獨軍 |
11 | 獨軍司令部の戰況發表 |
12 | ドネツ地區の獨軍陣地強化 |
13 | ス市北部地區 獨軍連絡杜絕 |
14 | ス市南部の獨軍連絡絕ゆ |
15 | トルコは參戰の要求を受けず 土國サ情報部長言明 |
16 | 米英の外交的重壓 英土會談獨消息通の見解 |
17 | 獨大使トルコ外相と會談 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 職業能力を檢定 國民校終了者八千名に對し 臺大力丸教授が一役 |
02 | 佛印に光る彫塑家 滯在半世紀・石川浩洋翁 |
03 | 相撲優勝旗授與 長谷川總督、鈴木君に |
04 | 島都豫算千三百萬 廿四日頃市會に附議 |
05 | 永山海軍大尉英靈凱旋 |
06 | 新學制と皇民鍊成(下) 學園の決戰體制なる |
07 | 蜜柑を献納 軍司令部、武官府へ |
08 | 基隆華僑公會總會開催 |
09 | ヴイシーの變遷 |
10 | 養豚養鷄の獎勵 基隆郡積極的に乘出す |
11 | 增產臺灣 鶩 |
12 | “一日戰死”御奉公 島都奉壯、建國祭に決行 |
13 | ローマに數學者大會 |
14 | 稻江の哥イ達 卅一名打揃つて志願 |
15 | 體鍊科項目講習會 |
16 | 勇士療養の無憂鄉 風光明媚、ドリアンの林 |
17 | 大口献金が續續 大戰果に感激して |
18 | 興南詩苑漢詩 喜和景南君龍峒閒居/林述三、景南君以龍峒閑居佳作索和次韻/蔡說劍、次韻/俗了人、黃景南君以龍峒閒居詩見寄次韻/謝雪漁、次景南詞友閑居瑤韻/王竹修 |
19 | 貯蓄運動に拍車 基隆奉壯團の活躍奏効 |
20 | 宮前消防詰所 六日に開所式 |
21 | 煙幕 公共精神 |
22 | 今夜の放送 |
23 | 商況(三日前場) |
24 | 興南案內報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 超快速の審議振り 議會第一の峠を越す頭條新聞 【東京發同盟】再開議會七日にして兩院共夫夫八十八件の政府提出法案の具體審議に入り貴族院は三日の本會議で早くも兵役法中改正法律案以下七法案を可決、眾議院に送附快速審議振りを顯現し丸山鶴吉氏、大河內輝耕子兩氏を以て政府の施政方針演說に對する代表質問を終了した、四日は兩院共愈愈細目審議に拍車を加へ貴族院午前十時より恩給法六委員會を開き審議を行ふ、一方眾議院は午前十時より豫算總會を續行、木領信治郎氏の質問を皮切りに八氏が質議を行ひ同時に臨時利得稅以下市制を除く十委員會を一齊に開會する、かくて貴眾兩院共第一の峠を越した譯で委員會を中心とする實質的審議に入るわけである、 |
02 | 健康保險を急速擴充 眾議院豫算總會 |
03 | 圖像:眾議院豫算總會東條首相の答辯 |
04 | 國民所得五百億圓(藏相答ふ) |
05 | 暴戾な邦人取扱ひ 丸山氏米英の非道剔抉 貴院本會議 |
06 | チヤーチル葡國訪問か |
07 | けふの兩院 |
08 | 所得稅率比較 わが國と交戰各國 |
09 | 推薦候補制を持續(首相答辯) |
10 | 春來らば猛攻開始 ヒ總統自信の戰術 獨軍 今後 |
11 | アダナ會談の詳報 土國政府公報を發表 |
12 | 和平反共建國の三角旗取除く 國府政府令發表 |
13 | 大阪帝大總長發令 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 生產力擴充と船舶問題社說 一 大東亞圈の自給自足體制の確立が當面の急務たる以上、交通施設整備の最重點の一つが生產擴充の遂行に在ることは當然のことである。而して今日生產擴充の絕對隘路が船舶の不足にあることは周知の通りである。勿論生產擴充の遂行を阻害する原因は二、三に止まらない。技術上の問題、勞務の問題等も伏在するが、何と云つても最大の障害は海上輸送力の不足である。これが為海運の國家管理を斷行し、計畫輸送を行つて特定の重要物資を優先輸送するとか、港灣に於ける荷役作業を改善して船舶の運航能率を昂上する等、色色方策を講じては居るが、此等は何れも消極的の船腹增强策に過ぎない。根本は一噸でも多く船を造る積極策を促進することが肝要である。運航能率の昂上は固より必要ではあるが、元來陸上輸送とは異り、天候その他の條件に支配される場合が多いから、これに過大な期待を持つことは困難である。結局船腹量の絕對值を增すことが今後の生產擴充遂行上焦眉の急務である 二 今昭和十二年に於ける大東亞配船狀態の調查に依れば、大東亞を中心として運用せられた各國の汽船の總噸數は約一千五百萬噸で、その中日本船は約三百廿萬噸卽ち全體の二◯%程度であつた。昭和十六年初頭に於ては日本船が多少增加すると同時に、第三國船が東亞の海面から相當引き上げられた為、我船舶の全體に對する比率は三八%程度に上つて居た。右の數字が明かに示す通り、大東亞を中心とする海運は第三國船に壓倒的に依存してゐて、我が海運は極めて微力であつた事實は遺憾ながら之を認めざるを得ない。然らばこれだけの船舶に依つて幾何の物資が輸送されて居たかを大雜把に推算すると、大東亞圈內各地相互間のみで一年間約一億五千萬噸と推定される。その他帆船、機帆船等に依つて輸送された沿岸物資は數千萬瓲に達するであらうが、一應これらを除いて考へた場合、前記一億五千萬噸の物資の輸送の為には最少限一千萬噸程度の船腹は必要である。今後日滿支を中心として鑛工業の生產力を數倍に擴充せんと欲するならば、先づ以て保有船腹量を飛躍的に增加しなければならない。 三 從來各國の船舶は世界を市場として自由に荷物を求めて移動し得たから、第三國船に依存することも出來たのであるが、今後は最早斯かる自由貿易主義時代の觀念を一掃しなければならなくなつた。大東亞圈の鞏固な自給自足體制を確立する為には、その原料及製品の生產より配給を經て消費に至るまでの全過程が飽くまで計畫的に行はるべきで、從つてこれを輸送すべき船舶を第三國に期待するが如きは根本的に謬りである。產業經濟の自給自足は輸送力の自給自足より始まる。卽ち大東亞圈內の移動物資を凡て引き受ける船舶量を共榮圈內に保有することは最少限度の必要條件であつて、更に進んで戰後に備へ、共榮圈外第三國との間の物資交流に要する船舶をも考慮すべきである。旣に敵米國はその尨大な工業生產力にものを云はせて船舶の大量生產に着手しその目標は年產八百萬噸以上に達する樣子であつて、一面樞軸國の海上攻撃に對抗すると共に、他面反樞軸國側の兵器廠たるの使命を果さうと躍起になつてゐる。斯うなると船舶は單なる輸送施設ではなく、純然たる軍事施設であつて大東亞の盟主たる我國はその保有船腹を急速に增加することは共榮圈確立の必須的條件である。 |
02 | 貨物中心へ大轉換 緊急物資の輸送完遂を期し 戰時型の車輛を設計 |
03 | 圖像:東條首相の比島獨立再確言に歡喜湧く比島 |
04 | 低い現地人の衛生觀念(下)スマトラ醫學を聽く座談會 現地人の衛生觀念 スマトラの病氣 泣かされる感激 南方の衛生法 |
05 | 敵國在留の同胞に 積極的救恤の手を 貴院本會議で丸山氏政府に要望 |
06 | 高砂義勇隊の勇奮 現地軍參謀長が激賞 |
07 | “探る南海の幸”(一) 府水產試驗所訪問記 |
08 | 待遇改善に努力 後藤總領事語る |
09 | 圖像:海軍へ大口献金 |
10 | 貯蓄推進を協議 昨日皇奉婦人委員會で |
11 | 男一匹南が舞臺 八紘會、從軍希望者募集 |
12 | 女青指導者鍊成會 昨日國精研修所で開會式擧行 |
13 | 赤誠の「慰問パンフレツト」 薙刀道部員献納 |
14 | 三星庄軍事教練入所式 |
15 | 訃文:賴胚 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 國語普及へ總進軍 新竹州指導部落設定 |
02 | 勅語謄本傳達 大和外八國民學校に |
03 | 教學に完璧陣 臺中州大增級斷行 |
04 | 古式ゆかしき 新化神社の立柱上棟祭 |
05 | 殖林報國に邁進 新竹州週間中に苗木配布 |
06 | 新竹州穀粉工業組合總會 |
07 | 新莊郡の志願兵 人口率で行けば州下の首位 |
08 | 鈴木知事七日入山 |
09 | 硬貨回收と貯蓄 斗六郡八日より強調週間 |
10 | 田植ゑ推進督勵へ 森田知事ら八日より地方行脚 |
11 | 圖像:陳省長、林柏生氏等童子軍大露營地檢閱 |
12 | 新竹州水飴製造業組合總會 |
13 | 示せ・赤誠を貯蓄で 臺南市は今一息の所 |
14 | 米穀增產に 甘蔗收穫を急ぐ |
15 | 子寶家庭を表彰 高雄州下から二十一家庭 |
16 | 表彰に輝く 川畑巡查 |
17 | 集集街桔俱常會 |
18 | 高雄州民にお禮 梁井臺北州知事高雄訪問 |
19 | お山に產婆 双生兒はお目出度 |
20 | 真摯な質疑續出 彰化市奉壯團職域別懇談會 |
21 | 赤誠の献金品 軍司令部 國防献金 恤兵金 献品 |
22 | 濱崎警察部長 恒春郡初巡視 屏東郡巡視 |
23 | 屏東郡巡視 |
24 | 麻豆街部落會 あす公會堂で開催 |
25 | 地方多より |
26 | 煙草值上利益を國防献金 |
27 | 臺南州公醫會議 九、十日に開く |
28 | 本社事務員募集報社消息 |
29 | 第四期末貸借對照表/興亞信託株式會社 |
30 | 今日の映画演藝 |
31 | 基隆の映画 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 農作物增產を企圖 土地改良法近く制定 |
02 | 集荷配給の統制 臺南州農業實行組合を整備強化 |
03 | 問題の倉庫統制 統制の觀點と方向 倉庫業の新課題 統制の觀點と方向 統制方式の問題 |
04 | 食糧等の增產確保 六日農林課長會議で協議 |
05 | 臺灣製材組合 |
06 | バス賃率の改訂 五等級に分けて實施 |
07 | 小麥委託團を設置 製粉組合新品種普及に邁進 |
08 | 燃料增產に邁進 糖聯で關係者協議 |
09 | 海南製糖配當八分 |
10 | 熔鑛爐建設資材打合會 |
11 | 朝日製糖配當五分 |
12 | 臺北州自動車用品商組合總會 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況(三日後場) |
15 | 北濱雜觀 |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(882)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 白熱の建設論議展開 けふの會議豫算總會と委員會に重點 |
02 | 印度本然の姿に還元 豫算總會東條首相答辯 |
03 | ス新任獨大使 信任狀を奉呈 |
04 | 戰時議會の任務/清澤冽 |
05 | 狹隘町村の合併 完全な體制を研究中 |
06 | 伊アルブス部隊參謀長戰死 |
07 | 統制會社令制定 商相の答辯 |
08 | 圖像:晝間強襲を決行せんとする海軍航空隊 |
09 | 市町村吏員優遇 既に具體案出來る |
10 | 帝國海軍を絕讚 伊紙、論文を揭ぐ |
11 | 獨今後の潛水艦作戰 愈よ熾烈の度を加ふ デ元帥の最高司令官任命で |
12 | 蔣介石桑港着 |
13 | 活潑な清鄉工作 浙江省餘姚鹽場に |
14 | 獨第六軍の奮戰 眾寡敵せず、ス市陷落 |
15 | チヤーチル埃國王と要談 |
16 | 國府第四次の最高國防會議 |
17 | カサブランカ會談 ル大統領不評を辯明 |
18 | 戰鬪停止發表 |
19 | ハ元帥以下全將兵 |
20 | 獨國民決意強固 大戰の一斷面、敗北と認めず |
21 | ス市放棄に 獨國民三日間服喪 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | “極天護皇基”奉納 安藤軍司令官の揮毫 |
02 | 必勝の信念を固む 新竹の建國祭行事 |
03 | 林銃十郎大將薨去 千駄ケ谷の自宅で |
04 | 祭粢料傳達式 基隆市會議室で擧行 |
05 | 汽車を止める羊の群 羊毛國、濠洲の牧畜 最も多いメリノ種 羊毛の輸出狀況 肉太りの濠洲人 一人當り食肉量 |
06 | 林大將の餘榮 |
07 | 科學陣の凱歌 屋內線にアルミ |
08 | 五千三百名に上る 十三日から人物身體檢查 新竹市志願兵 |
09 | 貯蓄宣傳ビラ 各庭配布 |
10 | 奥地に避難する モロツコ住民 |
11 | 國防と女子青年 鍊成中の女子青年國防訓練指導者に 藤岡兵務部長講演 |
12 | 傷痍軍人分會の發會式 |
13 | 郭其才氏献金 |
14 | 石炭 |
15 | 白銀蹴つて熱鬪 神宮スキー大會開幕 |
16 | 司法の陣頭指揮 喜ばしい傾向 稻田法務部長視察談 |
17 | 模範の從軍會員 紀元節に皇奉本部で表彰 |
18 | 昴る宜蘭市硬貨供出熱 三日迄三萬七千餘個に上る |
19 | 新竹郡道路補修工事品評會 六日に褒賞授與式 |
20 | 興南詩苑漢詩 次黃石衡先生七十書感瑤韻/無逸 張希舜、次黃石衡先生七十書感瑤韻 其二/無逸 張希舜、潤波芸兄招飲掬翠薐席次卽事 四首/小維摩 |
21 | 羅東郡皇奉女子青年訓練 六日より實施 |
22 | 食糧難に喘ぐ カルカツタ |
23 | 人事・消息 |
24 | 商況(四日前場) |
25 | 興南案內報社消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | ソロモン群島方面我海鷲の大戰果 敵巡一轟沈、一隻小破 飛行機卅三機を擊墜頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(四日十六時) 一、帝國海軍航空部隊は二月一日ソロモン群島イカベル島南方に機動中の敵海上部隊を捕捉攻擊し又ニユージヨージヤ島方面において挑戰し來れる有力なる敵航空機群と交戰これに多大の損害を與へたり、我が方の戰果損害左及びの如し 戰果巡洋艦一隻轟沈、巡洋艦一隻小破、飛行機三十三機擊墜(內大型爆擊機四) 我が方の損害自爆及び未歸還十機 二、帝國海軍潜水艦は一月二十三日及び同三十一が、日フエニツクス諸島カントン島の敵軍事施設及び在泊艦に砲擊を加へたり |
02 | 敢然と彈幕に突入 敵巡、火柱上げて轟沈 |
03 | 國民の忠誠心に信賴 眾院豫算總會東條首相答辯 |
04 | 何等領土的野心なし 印度を本然の姿に返す 首相明示 |
05 | 興同總裁に水野氏 |
06 | 老河口を爆擊 |
07 | 支那は我我の兄弟 尻叩く場合、頭撫でる場合あり 首相答辯 |
08 | 一般質疑八日で打切る |
09 | 行政特例法の性格 森山局長具體的事例を明示 |
10 | 南方の敵產は 全公債の裏付 田中局長答辯 |
11 | けふの兩院 |
12 | 戰力增強と官紀の振肅 決議案として提出せん |
13 | 耕地の交換分合 實施を見る豫定 |
14 | ノツクスの苦しい答辯 |
15 | 英艦隊ジ港を出港か |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 彼我の戰爭目的について社說 一 今次大東亞戰爭は、世界新秩序建設を繞る帝國日本の皇道主義とアングロサクソンの標榜する自由主義、民主主義との一大決戰であることは、今更贅言を要しないが、東條首相は三日の議會において帝國の戰爭目的が畏くも宣戰の大詔に明示されてゐる如く、萬邦をして各各その所を得せしめ兆民をして悉くその堵に安んぜしめること之れが肇國以來の大理想であつて、この聖なる目的のために今日まで總ゆる努力を拂つてきたのである、斯る正義人道に立脚せるわが戰爭目的は、英米の如き他民族を差別扱ひし他國の犠牲において自國の繁榮を追求せんとする傳統的野望——口には平和人道を唱へ實質において暴戾飽くなき方途を重ねてゐるのと比較する時正に雲泥の差異だと喝破し、從つて今度の戰爭によつて米國の領土を取るが如き考へはない、しかし戰ひであるから彼等が抵抗すれば何處までも叩きつけてゆくのに躊躇しないんだと帝國の聖戰目的を重ねて闡明し、戰敗國の癖に厚顏不遜にも最後の世界改造の具體的計畫を憶面もなく發表せる米英の謀略宣傳を完膚なきまでに破碎し去つたのである 二 もともと亞米利加は初めから傲慢な成金的な氣持で、自己を誇大に妄想し、日本を侮りかかつてゐたので是が非でも起たねばならぬと言ふやうな戰爭目的はないのである、それが真珠灣の一擊を喰つて以來リメムバー・パール・ハーバー(真珠灣を銘記せよ)とか民主主義のためにとか逆恨的に戰爭が我が不信なる武力行使によるなどと言つた輕薄にして獨善的な考へで、戰爭目標に戶迷ふてゐる國民の戰爭熱を煽り輿論統一に狂奔し出したのである、明確な戰爭目標がない點においては英國も同じであるが、この民主主義の名において行はれる米國の帝國主義的世界政策は、民主主義が米國民の精神であり、またその宗教的信仰であり、且つまたその社會統一の原理である點から考へて、國民的政策としての意義と根據と輿論的支持を持つてゐるものと見ねばならぬのであるが、前記の戰爭スローガンが遂ひに「生存競爭」と代り、米國は喰ふか喰はれるかの戰ひをしてゐるんだと國民の敵愾心を煽るため、アメリカ戰爭指導者が取りつつある現實の行動は、全米國民の支持を受けるデモクラシーを裏切るまでに悲劇を生んだのである 三 米國民はコロンプスが米大陸を發見した十月十二日をデモクラシー誕生の記念日として意義づけてゐるが、この日米國民に對するル大統領の贈物が民主主義體制の放棄であつたことは寔に皮肉であつた、卽ちル大統領は昨年のこの日の爐邊閑話で「米國が對日戰を遂行するためには民主主義の體制を放棄して强力なる全體主義を必要とする」旨を放送し、同じく十一月休戰記念日にアーリントン國立墓地無名戰士墓前に參詣したとき誓つた民主主義の擁護を弊履の如くかなぐり捨てたのである、また十月十六日にパール國務次官補が合眾國は中立國の領土を攻略する意志は毛頭ないとの言明にも不拘、翌日には米國軍隊が中立國のリベリア共和國の首都モロンヴイアに上陸、近くは佛領亞弗利加を侵犯し且つ我が國に好意的である之又嚴正中立を表明せる南米のチリーに對し强壓をもつて參戰せしめたなど米國の誇號せる民主主義とは資本攻勢による暴戻飽くなき米帝國主義の世界制霸のカモフラージに過ぎぬことを露呈しつつあるのである斯の如き米國の傳統的な野望に比すれば人類のため戰ふ正義日本の戰爭理念は本質的に異なるものであつて、東條首相の闡明は米英の野望を世界から一掃せんとする銃後一億の決意を新たにしたに外ならない |
02 | 南方防疫に鐵壁 中央現地一體となつて建設 罹病率僅か○.一% |
03 | 長谷川總督 視察のため高雄へ向ふ |
04 | 特殊殺菌防腐法 世界最良の藥品創製に精進(下) 府水產試驗所訪問記 |
05 | 譽は高し勤勞章 艦船兵器造修の模範三氏 高木司令長官から表彰 |
06 | 典型的古武士 故林大將の橫顏 |
07 | カントン島を砲擊 敵水上機母艦に大損害 我鐵鯨活躍 |
08 | “黃金の木”比島椰子 加工業として將來有望 |
09 | 勅使、御使を御差遣 |
10 | 喪儀は七日 |
11 | 遂に十萬を突破 臺北州下の志願兵數 |
12 | 銀銅貨を紙幣に換へて献金 |
13 | 意義深い節分祭 きのふ稻荷神社で執行 |
14 | 科學の日米對戰 けふ黑い太陽に挑む |
15 | 九十二年目の太陽 |
16 | 鶯歌石行のハイキング |
17 | 物淒い島民献金熱 大戰果發表の度每武官府へ殺到 |
18 | 好きな酒と煙草廢めて 爺さんと孫の献金美談 |
19 | スキー競技 |
20 | 米人造ゴム生產計畫不進捗 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 固めよ・鐵石の決意 花蓮港皇奉會啟發宣傳に乘出す |
02 | 竹東愛國看護團 第一期講習會を開催 |
03 | 花蓮港桔俱防空訓練 |
04 | 嘉義市の豫算 二百十萬八千餘圓に上る けふ會議室で内示會 |
05 | 新生香港は微笑む 白衣天使周さんの現地便り |
06 | 臺灣航空協會花蓮港支部 きのふ晴れの結成式 |
07 | 苗代改善に馬力 竹南郡督勵班を組織 |
08 | 高砂從軍記念會 十一日新竹神社で結成式 |
09 | 宮木知事新豐郡で皇奉運動激勵 |
10 | 新竹州生活相談所 面談と通信相談のの二本建に成案 |
11 | 花蓮港奉壯團地域別協議會 |
12 | 金屬回收美談二つ |
13 | 臺南州教護聯盟 四月から活動を開始 |
14 | 戰捷下の紀元節 臺南市奉祝行事決定 |
15 | 屏東市は奉納武道大會開催 |
16 | 雀の巢討伐隊 |
17 | 十一萬突破の態勢 目覺しいお山の進出ぶり 臺中州下の志願兵 |
18 | 青年團優良分團 嘉義郡、紀元の佳節に表彰 |
19 | 學徒防空隊組織 國土防衛に若人も一役 |
20 | 赤誠の献金品 軍司令部(四日扱) 國防献金 恤兵金 |
21 | 桑田美信氏轉任 |
22 | 圖像:涼しさうな比島美人 |
23 | 開發の要痛感 電源の調查團歸高 |
24 | 新化郡甘蔗作增收 |
25 | 鶩卵受精競技會 |
26 | 新竹州警察部異動 |
27 | バルブ聯合會長早川重雄氏就任 |
28 | 陣頭指揮座談會 |
29 | 臺中特殊防諜組合總會 |
30 | 人事報社消息 |
31 | 地方多より報社消息 |
32 | 今日の映画演藝 |
33 | 基隆の映画 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 木造船建造助成金 初回分八十五萬圓を交付 |
02 | 戰時公債發行額 事變以來三百二十八億餘萬圓 |
03 | 喘ぐ米國の戰時經濟 インフレと其の對策 |
04 | 港灣荷役連絡中央委員會設置 |
05 | 國有林木炭生產 明年度計畫一億三千萬斤 |
06 | 普通船員養成所 本島人子弟を歡迎 |
07 | 大成火災總會 來る廿六日開催 |
08 | 比島の電氣事業 水力運轉で成績優良 松尾臺電理事語る |
09 | 水產諸施策を指示 けふ水產課長會議開催 |
10 | 基隆港灣地區の特殊米、月に百七十七石 |
11 | 臺灣貿易會 十日に創立總會 |
12 | 農機具懇談會 來る八日に開催 |
13 | 高雄一期米の植付 一月末で五割終了 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況(四日後場) |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(883)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國民の赤誠に訴ふ 強權は出來るだけ避けたい 東條首相の答辯 |
02 | 圖像:北部ルソン島に於ける建設を視察中の田中軍司令官 |
03 | 大東亞建設工作 偉大な成功を收む スターマー新獨大使語る |
04 | 國際展望 カサブランカ會談 大東亞新秩序の重大布石 |
05 | チツタゴンを爆擊 |
06 | 圖像:翼下に憩ふひととき |
07 | 敵の損害我三倍半 南太平洋の連續決戰 |
08 | 有價證券取引所設立方針 |
09 | 獨英の空中戰激化 米空軍も參加盲動 |
10 | 戰局今や消耗戰階段 ルーズヴエルト洩す |
11 | 孤軍奮鬪、籠城二ケ月(ス市獨軍) |
12 | 英機、獨北部に來□ |
13 | 英東海岸のサ港を爆擊 |
14 | 土政府緊急閣議 |
15 | 米國輸送船員の荷役拒絕 大問題化す |
16 | 赤軍上陸に失敗 イヴオロシースク北方沿岸で |
17 | 獨軍猛然と反擊 |
18 | 赤軍喪失戰車六千六百餘 |
19 | 赤軍機八百十機を擊墜破 獨軍一月中の戰果 |
20 | 鐵軌統制會の機構改革 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 出たぞ“覆面の太陽” 神秘な一瞬にレンズの射擊 待機半載觀測部隊に凱歌 |
02 | 祭粢料の傳達式 兵事部で嚴かに擧行 |
03 | 立返る“太古の冷寂” 鷄も威勢よく時を告ぐ |
04 | “お米の出來榮えは” 長谷川總督增產戰士を激勵 |
05 | 南進學徒研究會 近日中に設立の運び |
06 | 增產臺灣 魚 |
07 | 南方へ調查團派遣 臺北帝大から二十數名 |
08 | 花蓮港に青年學校設置 |
09 | 州下一齊搜查 |
10 | 青年學校設置事務打合會 |
11 | “彈丸の一發に” 茶商共販から献金 |
12 | 臺北市に配給課 愈よ六日から店開き |
13 | 市民大眾遠足と運動會 |
14 | 紀元の佳節に畫劇街頭表演 |
15 | 志願兵熱最高調 港都昨年度受付を突破 |
16 | 臺北學生射擊大會 |
17 | 地域別奉壯協議會 各州廳の開催日程決る |
18 | 青年の意氣昂揚 花蓮港廳下在鄉青年隊查閱 |
19 | 煙幕 不要住宅の解放 |
20 | 防空強化打合會 |
21 | 增產へ增產へ 池南附近の遊閑地六十甲 樋口郡守の英斷で美田化 |
22 | 今夜の放送 |
23 | 北三女音樂會 遺家族を招待 |
24 | 商況(五日前場) |
25 | 興南案內報社消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 運命の年を乘り切る 國政、行政特令法運用、官紀等 首相、重ねて所信明示頭條新聞 【東京發同盟】東條首相は五日の眾議院に於ける戰時行政特令法委員會に於て喜多壯一郎(石川)吉田賢一(兵庫)兩氏の質問に答へ左の如く國政運用、行政特令法の運用、官紀振肅等の諸藥について重ねてその所信を明示した 一、國務の處理は現行制度の適切なる運用で行ふのが中心である只本年は國家の運命を決する大切な年である、この年を乘り切るには生優しい方法では駄目だ、よつて生產增強に關しここにこう云ふ方法を確立してこの年を乘り切る態勢を整へたのである、今後も今迄の制度を中心としてやつて行くには變りない 一、日本に於ける內閣總理大臣の地位は 陛下の御信任を受け 陛下の御光りの下にあるのであつて歐米の獨裁者とは本質的に異なる、今回の措置により總理大臣の權限強化と云つても條交に明示されてある如く陛下の命を承けて行ふのであつて獨裁主義等とは根本的に異なる 一、生產增強の要諦は民間の盛り上る創意を活潑に發揮せしめるにあり國家管理の如きは日本の國體に合はぬと考へる 一、國政の運用には今後とも國民の忠誠心に訴へて行く、國民は戰爭目的を遂行すべくぐんぐん進んでゐると私は確信する、國民の自らなる奮起こそ戰勝獲得の要諦である一、行政職權特令にある指示權とは總理大臣が各省大臣に對し必要な指示を積極的に行ふことを意味し各省大臣はこれに服從し實行する義務がある、指示權の行使は慎重に行い各省大臣、民間の創意等を十分取入れた上で行使することとし決して濫用はしない一、臨時生產增強委員會は現在十分活用してゐるこの委員會は直接の私の幕僚機關で今後とも活用して行く 一、民間の智能を動員する方法は考慮中である 一、官吏の責務は愈愈重大である官紀の振作はこの上とも努力する |
02 | 内閣官制改正せぬ |
03 | 財政の前途不安なし 豫算總會賀屋藏相の答辯 |
04 | 樞軸結盟固し 外交提携微動もない |
05 | 一擧十二案件を可決 貴院より眾院に廻附 |
06 | 現在の經營形態で 犠牲產業は最少限度に留む 鈴木總裁言明 |
07 | 樞軸國最後の勝利 |
08 | 臨時軍事費を即刻可決送附 眾院の態度決定 |
09 | 決議案廿日過上程 戰力の增強に擧國態勢を顯現 |
10 | 眾議院に六分科會を設置 |
11 | 木材會社を編制替 農相、豫算總會で言明 |
12 | 二月末日を以て 全議案成立さす 貴院、諸般の對策講ず |
13 | けふの兩院 |
14 | 專門學校入學者 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 港灣荷役の增強期間社說 一 戰時生產力增强促進の根幹たる船舶稼業能率增進運動に呼應して本島でも二月一日より三月末迄の二ケ月間を特に“戰時港灣荷役力緊急增强期間”と銘打つて荷役能率の五割增强を圖ることになつた此期間中には基隆、高雄兩港に於て船舶運營會、船會社及運送業者等三者協力の下に荷役作業が推進されると共に軍、官、民より成る現地連絡委員會を以て所期の目的完遂に邁進することとなり一應打つべき手は略略濟んでゐるといつてよい。しかし前記增强期間の設定は荷役能率の一對策に過ぎないものでこの他荷役苦力の確保、艀曳船等施設の整備擴充、船車連絡等直接、間接の諸對策を伴はない限り目的の十分なる達成が不可能なること改めて申す迄もない。而も荷役增强は右期間のみならず今後とも長く持續する必要がある以上前記の諸對策は速急に講ぜられ期間中に於ける實踐實績と計畫とを絕えず比較對照して改善、强化されることが急務であることも多言を要しない所である。 二 旣に先般遞信部主催の全島打合會で前記諸對策が協議されその中出入港に於ける稅關手續の全面的簡素化が此程斷行された等その他も近く具體化することになつたのは極めて時宜を得たものといヘる。由來船舶の一航海日數は航海日數と港內碇泊日數とが半半を占めてゐる關係上船舶稼行率の增强は船舶運航並に港灣荷役兩方面の能率化によつて企圖する外はなく往往にして豫定をこえた碇泊日を航海日數の短縮によつてカバーしてゐたものである。卽ち港灣荷役力の低下を船舶運航の能率化によつて克服したのであるが大東亞戰以降に於ける情勢變化に伴ひ航海日數がむしろ延長させられるに至つた為船舶稼行率の向上は一に港灣荷役力を增强し碇泊日數を可及的短縮することにかかつてゐる。謂はば港灣荷役力の增强が計畫造船の遂行と共に海上輸送路上のネツクとも見られうるもので茲に增强期間設定の重要意義が存するわけである、とすれば此際港灣運送業の統制、運營が一應再檢討されて然るべきであらう。 三 周知の如く港灣荷役の總力發揮を目ざして一昨年來港灣運送業者の綜合統制機關たる港灣運送業會が組織され一應の機能を果して來たのである。內地に於ける一港一社主義と異り運送業會が個別業者に自由競牛的餘地を殘してその創意、工夫を十分働かしてゐる點で、極めて特異性を有し過渡的組織として誠に妥當であつた。しかし大東亞戰以降に於ける情勢變化により現在の機構では艀曳船、苦力等の綜合利用に支障があるのではなからうか。卽ちステベー關係の保持□低責任比率主義による荷役引受等は運送業會の中核をなす丈に諸施設の完全なる綜合利用を阻んでゐるが此際一元的會社による獨占的運營は避くべきも團員の完全なるプール制は大いに考慮する必要がある。荷役苦力の確保も同樣であつてその低賃銀は改訂する必要あるとしても尚苦力頭の介在が相當に問題されてよいのではないか。彼等の介在が苦力達の手取りを減少せしめてゐるか否かは別としても荷役機械化を阻む大きな力であるとすれば此際かかる封建的殘滓を一刻も早く拂試すべきであらう。 |
02 | 勝ち拔く為めには 增產が絕對に必要 長谷川總督篤農家等を激勵 |
03 | 臺灣護國神社誌 異彩放つ感激の御石献納 いよいよ編纂着手 |
04 | 阿公店溪の貯水ダムを視察 |
05 | 奉壯團の進む道 溫い言葉で淳淳說く |
06 | 戰力充實が第一 產業戰士に犒ひの言葉 |
07 | 一億以上を目標に 首相、人口增加を強調 |
08 | 感謝、歡喜の坩堝化 ビルマ建國聲明記念行事第一日 |
09 | 圖像:ビルマにて炎暑と鬪ふ勇士 |
10 | 島民の皆働運動へ 來る常會に申合せ |
11 | 明治神宮外苑聖德記念繪畫館壁畫 府博物館に陳列 |
12 | 現はる世紀のコロナ 絶好の條件に精魂打込む觀測班 |
13 | 畫家の一日入營 誓ふ明日への彩管報國 |
14 | 民眾の先頭に立て 新竹州で指導陣容整備要綱作成 各官衙長等に呼掛く |
15 | 皇奉支分會生活係長の鍊成 三日間草山で |
16 | 市民の協力切望 友田配給課長の抱負 |
17 | 勞務員幹部の鍊成會開會式 |
18 | 來れ拓南戰士 四月訓練生募集 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 農業の高度化 新竹州部落計畫農業指導設置 農會で成案を急ぐ |
02 | 適格者出盡した 花蓮港市の志願兵 |
03 | 竹南街の陣頭指揮懇談會 |
04 | 勅語奉戴式 中壢街白川校 |
05 | 奉壯團協議會 新竹州は六日より |
06 | 集めたり七萬餘枚 硬貨回收にヨリ子供達が 部落から部落へと家庭訪問 |
07 | “窄い門”に朗報 高雄州下六割の增募 |
08 | 圖像:嚴寒を衝いて關東軍○○航空隊荒鷲地上整備員の勞苦 |
09 | 高雄第二高女 湊校に假住居 |
10 | 熱意と規律で貫け 和美に於ける皇奉團體查閱に 森田支部長激勵訓示 |
11 | 雜婚と混血(一) 代表的民族比島人 |
12 | 高雄市の豫算 六百餘萬圓に上る |
13 | 嘉義の建國祭奉祝行事決る |
14 | 父の武勳に憧れて 宿願の看護婦に合格 |
15 | 英・蘭・佛の政策 |
16 | 安坑部落民の道路開鑿奉仕 |
17 | 大甲郡奉公團體を查閱 |
18 | 二年後に倍の生產 臺南州養魚に馬力 |
19 | 煙草空函代金軍援に寄附 |
20 | 幸運の一萬圓 古向南氏國債に當籤 |
21 | 新竹生活科學展 來る廿一日より開幕 |
22 | 奉公音樂團 近く發會式の運び |
23 | 家政女研究會 |
24 | 神田屏東市長巡視 |
25 | 井手課長巡視 |
26 | 花蓮郡民の赤誠 美事に貯蓄を完遂 |
27 | 北斗郡のマ病防遏優良部落 |
28 | 人事報社消息 |
29 | 地方多より |
30 | 新高都市開發創立委員會 |
31 | 今日の映画演藝 |
32 | 基隆の映画 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 木材の增產運動{內地} 十一日から本格的に展開 |
02 | 運航能率增進に 機帆船使用料を分割拂に決定 |
03 | 國民貯蓄功績者懇談會 勝拔き子供貯金(一) 貯蓄思想涵養の最上法 |
04 | 農機具販賣經路 各機關手數料の内容 |
05 | 配給機構再編成 商政課で粗案檢討 |
06 | 讚へよう增產の功 臺南州農作競技會晴の褒賞式 |
07 | 郵便年金激增 目標額に近く達成 |
08 | 砂糖滯貨漸增 既に五百廿萬擔を突破 |
09 | 產聯への貯金 五千二百萬圓に上る |
10 | 副見總長 七日夜行で南下 |
11 | 林府金融課長近く上京 |
12 | 照明燈 |
13 | 商況(五日後場) |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(884)/黃得時;碇政彌 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 在支敵空軍擊滅戰果 昨年九月以來八十四機 |
02 | 大東亞金融の新理念 賀屋藏相、豫算總會で闡明 |
03 | 滿國皇帝陛下に懇篤な祝電 ヒトラー總統 |
04 | 圖像:敵必殺に○○を飛び出す我が海鷲 |
05 | 大東亞の要員鍊成要綱發表 |
06 | 增稅と國民の覺悟/山田文雄 |
07 | 現職の儘勅任官になれる 地方の奏任部長 |
08 | 大東亞要員鍊成綱要 要領 |
09 | 南太平洋方面の我が海鷲の活躍 米海軍省も確認發表 |
10 | 宣傳戰、思想戰が重大 奥村情報局次長答辯 豫算總會 |
11 | 反樞軸軍を擊退 チユニジア戰線 |
12 | レ島沖海戰を米記者が報道 米海軍省頰被り |
13 | 獨ソ兩軍死鬪展開 |
14 | 重慶總掛りの對米泣訴 宛ら「重慶政權の米國移轉」 |
15 | 獨ア中將戰死 |
16 | 蔣介石の訪米 物貰はんがため |
17 | チヤーチル 葡首相と會見か |
18 | 伊內閣改造發表 |
19 | 軍需生產省を設置 イタリア内閣 |
20 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 譽の遺兒代表決定 近く晴の上京の途に |
02 | 重慶の外力依存 英京、米京に於る策動 歸國 重慶 效果 數量 悲境 摩擦 |
03 | 木造船戰士を激勵 長谷川總督視察第二日 |
04 | 壽ぐ紀元の佳節 港都の奉祝行事決る |
05 | 中等教員の優遇案 本年中に決定(橋田文相答辯) |
06 | 學生射擊大會延期 |
07 | 業態別の職業訓練 臺北市で具體案準備 |
08 | 圖像:長谷川總督高雄州下視察 |
09 | 高潮一途の志願熱 新竹州下十萬に迫る |
10 | 健康保險を普及 全國町村に組合設立 |
11 | 增產臺灣 豚 |
12 | 日鑛金瓜石鑛業所員の鍊成 |
13 | 增えた理科志願者 臺大豫科、高校募集締切り |
14 | 床屋さんの一日戰死奉公 總收入五百圓を陸海軍に献金 |
15 | 新竹州公醫會 けふ州會議室で |
16 | 參加校決る 米英擊滅祈願參拜行軍競走大會 |
17 | ヴエネズエラの食糧不足 |
18 | 人事・消息 |
19 | 今夜の放送 |
20 | 興南詩苑漢詩 謹和景南君龍峒閒居瑤韻/楊嘯霞、次景南牕兄閒居瑤韻/三峽 拱北生、景南君見示龍峒閒居詩武韻/李嘯距、苦寒三首/小維摩 |
21 | 商況(六日前場) |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 志願兵の成績良好 速かに徵兵制實施したい 眾議院委員會齋藤長官答辯頭條新聞 【東京發同盟】六日午前の眾議院赤字委員會に於て南鐵太郎氏(兵庫)の質問に對し齋藤臺灣總管府總務長官は臺灣の民心、經濟現狀につき說明したが答辯中主なるもの左の如し 一、大東亞戰下臺灣の民心は全く安定し忠良なる臣民になり切らうとする熱意が總ゆる部面に反映してゐる(例へば志願兵制度、義勇奉公隊の如き) 一、本島人志願兵の訓練成績は極めて良好であり入營後の成績をも考へ軍の方針を徵し速かに朝鮮同樣徵兵制度實施に向つて邁進したい(寫真は齋藤總務長官) |
02 | 石油完全に自給自足 今後何等の不安なし |
03 | 儲備券と軍票の比率現狀を維持 青木大東亞相言明 |
04 | 天皇陛下御祝電御發送 滿洲國皇帝陛下に |
05 | 一寸刻みに敵を包圍 西南太平洋戰線の實相 上陸 此奴 兵隊 |
06 | 陸鷲、渦陽を銃爆擊 |
07 | 建造中米空母 ホーネツト命名 |
08 | 戰時行政職權特例の運用 |
09 | 眾議院豫算總會 |
10 | “軍需造船供木運動” 紀元節から四月末まで全國的に展開 |
11 | 參戰記念日制定{毎月九日} 國府、戰時意識の昂揚を圖る |
12 | 本訓導の再教育 待遇改善の具體方法 |
13 | けふ豫算總會開く |
14 | 戰時特令法案 電氣事業にも一部適用 |
15 | 米はしどろもどろ レ島沖海戰に關し |
16 | 英首相一行 トリボリ訪問 |
17 | 首相の獨裁強化 內閣の青年化 伊內閣改造の二特徵 |
18 | 獨軍の戰果 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 本島農業團體統合と自主性社說 一 農林省では去る十八日農業團體法案を眾議院に提出したが、本法案に關しては農村多年の懸案であり、且つ刻下に於ける食糧增產の緊急性に對應する全面的機構整備であるから、遠からず成立する事は明かである。其の法案の內容は從來の各團體を一本に統合して市町村農業會及び道府縣農業會にしながら其の上部組織は中央農業會(指導)全國農業經濟會(事業)中央金庫(金融)の三本建にしてゐるから所謂三頭一身ともいふべき機構になつてゐる。然しながら、農業團體の統合は決して低級な諸團體の合同でなく、其の目指すところは客觀的情勢の急轉回に伴ひ緊迫化せる事態に卽應せる戰時體制の確立と國民經濟の全分野に亘る計畫經濟貫徹のため農業諸團體を整備統合し以て國家的綜合計畫に基く食糧其の重要農產物の生產責任團體として其の創意及び能力の發揮に遺憾なからしめんとする基本方針を實現しなければならない。卽ち新團體は多分に農業統制會の性格を有し出來る丈其の責任と創意を發揮し得る自主性を持たなければならない。 二 本島に於ても目下殖產局に於て內地と呼應して目下頻りに農業團體統合の原案を練りつつあるが、聞くところに依れば農務課では農會を中心とする一本建の案に對し商政課では產組系統を別建とする二本建の案で對立してゐるとの事である。此の問題に關して吾人の見るところでは新團體が現在の農會や畜產會の如く單に官廳の附屬機關たる現狀に甘んずる樣では決して新團體として上記の責任を充分果す事が出來ないから、今後とも多大な期待を望む事が出來ないであらう。從つて若し新團體が行政官廳の補助機關たる性格から脫却する事が出來れば須らく產組系統をも統合して一本建にすべきである。勿論新團體が自主性を有するといつても飽くまで官廳と表裏一體となつて官廳の指示せる農業政策の實行機關たらしめなければならないが、從來の如く單に官廳の補助機關に終る樣では更に一つの官廳が增加するだけで真に其の責任と創意を發揮する事が出來ない筈である 三 ところが農務課の傳統的行方としては農會や畜產會等の如く飽く迄も官廳の附屬補助機關でなければ事が出來ないと考へられてゐる模樣であるから、若し此の成見を打破する事が出來なければ旣に或る程度まで自主化せる產組系統を吸收合併する事は却つて農業生產力の阻害となる虞れがある。卽ち新團體に自主性がなければ寧ろ產組系統を前建にし金融以外に米穀の蒐集及び肥料(飼料を含む)の配給等に專念せしむるべきである。それ故將來新團體が獨立獨步して雄雄しく再出發する際に於て始めて產組系統を包含すべきである。要するに近く誕生せんとする臺灣農業會の性格が果して自主性があるか何うかといふ事は本島に於ける農業團體統合の核心であり、若し此の問題を解決するにあらざればいくら旣成の機構を整備統合したところで、到底國家の要求する食糧增產の推進中樞力たる事が出來ないであらう。此の間題に對し百尺竿頭一步を進める必要があるから此の際特に關係當局の慎重な考慮を促さんとする者で□。 |
02 | 大元帥陛下には 海軍式御軍裝御改正 |
03 | 臺灣文化最高の榮譽 第一回受賞者決定 紀元の佳節に授賞式 |
04 | 正條密植を視察 “働く乙女”に激勵の言葉 長谷川總督東港郡下へ |
05 | 審查概要 |
06 | 安藤臺灣軍司令官 高雄○○工場を視察 |
07 | 輝やく紀元の佳節 島都の奉祝行事決る |
08 | 受賞に輝く人人 日本傳統美を追求 西川滿氏談 皆樣激勵の賜物 張夫人語る |
09 | 農村を視察 日程を終へ昨日夜行で歸北 |
10 | 本島音樂界の功勞者 一條慎三郎氏 |
11 | 五十四萬七千餘名 五日迄の志願者累計 |
12 | 羅東郡米穀商奉團の結成式 |
13 | 接見を受けた榮の增產戰士 篤農家 製炭業 篤漁家 |
14 | “短歌道”に邁進 樋詰正治氏談 |
15 | 皆働運動、硬貨回收を放送 |
16 | 全島珠算競技會 けふ市公會堂で開催 |
17 | 大日本傷痍軍人會 臺北市分會の發會式 |
18 | 南方行軍屬募集 |
19 | 家庭用防空待避所 住宅營團型考案さる |
20 | 學位論文制廢止 星一氏が學界に一石 |
21 | 消防組宮前詰所落成式 |
22 | 婦人會の幹部 二月下旬に鍊成會 |
23 | 黃及時氏 三菱天津支店長代理に |
24 | 本社人事異動報社消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | “人間と眼鏡”一體化 アムール國境最前線に ○○監視哨を訪ふ |
02 | 增產は推肥で 花蓮郡の理想堆肥舍視察で 廣谷廳長農民を激勵 |
03 | 適期栽培を勵行 海山郡田植強調週間實施 |
04 | 建國祭騎道會 臺南畜產主催 |
05 | 花蓮港の多子家庭 |
06 | 奉壯團運營協議會 十六團幹部新竹に集ふ |
07 | 商業奉公團新竹州支部 十九日結成式を擧行 |
08 | 譽の遺家族弔問 |
09 | 船車直接連絡に マイグローブ水路の改修を急ぐ |
10 | 蔬菜を献納 |
11 | 職場はモンペで女事務員が申合 |
12 | 屏東市紙芝居挺身隊編成替 |
13 | 補助貨回收に 萬里國民校の兒童一役 |
14 | 二林街防衛團體鍊會 |
15 | 虎尾郡の道路鋪裝 |
16 | 國語教育研究會 新竹州十九日に開催 |
17 | 花蓮港市の豫算 查定終へて近く内示會 |
18 | 淡水華僑公會總會 |
19 | 嘉義郡畫劇挺身隊結成 |
20 | 新高郡青年道場地鎮祭 |
21 | 深山の腦丁感激献金 |
22 | 純血乙女達に 十一日感謝狀授與 |
23 | 時代遲れの町名 高雄市改稱に乘出す |
24 | 龍崎庄常會 |
25 | 田植に女子挺身隊 |
26 | 屏東市の菓子製造業者合同 |
27 | 有益な意見續出 臺南市指導者座談會 |
28 | 高雄肥料配給所地鎮祭 |
29 | 鄉軍彰化郡分會模擬召集 |
30 | 屏東郡街庄協議會日割 |
31 | 北門郡の日割 |
32 | 潮州郡警察課一齊搜查 |
33 | 赤誠の献金品 軍司令部(五日扱) 國防献金 恤兵金 献品 |
34 | 彰化郡道路協會評議員會 |
35 | 地方多より 基隆 大溪 龍潭 關西 竹南報社消息 |
36 | 今日の映画演藝 |
37 | 基隆の映画 |
38 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 專業農家耕地面積 一戶當り一町七・八反に擴大 井野農相答辯 |
02 | 鮮魚類の增產確保 府で諸施策を決定 |
03 | 製鐵用石灰石 府で搬出用資材を檢討 |
04 | 國民貯蓄功績者懇談會 貯蓄實績の調查(二) 慎重考慮の要あり |
05 | 煙草耕地減反の要なし 木內專賣局長官答辯 |
06 | 樟腦殘木屑のパルプ化 專賣局工場近く操業 |
07 | 農林課長會議 |
08 | 新高都市開發會社 創立準備打合會 |
09 | 經濟手帖 麥、薯類の增產と食糧問題 自由圓と特別圓 |
10 | 高雄港灣勞務者の特配米決定 |
11 | カーポンプラツクの配給統制 中央と協議、近く實施 |
12 | 副見交通局總長 新高築港視察 |
13 | 帽子の泰國進出に朗報 泰國國民服裝規定制定 |
14 | 造船用の鋲釘 基隆で製造會社を計畫 |
15 | 照明燈 |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(885)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | けふ十四回大詔奉戴日頭條新聞 詔書 天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有眾ニ示ス朕茲ニ米國及英國ニ對シテ戰ヲ宣ス朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司ハ勵精職務ヲ奉行シ朕カ眾庶ハ各各其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ 抑抑東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ丕顯ナル皇祖考丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ朕カ拳拳措カサル所而シテ列國トノ交誼ヲ篤クシ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト為ス所ナリ 今ヤ不幸ニシテ米英兩國ト釁端ヲ開クニ至ル洵ニ巳ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ中華民國政府曩ニ帝國ノ真意ヲ解セス濫ニ事ヲ構へテ東亞ノ平和ヲ攪亂シ遂ニ帝國ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有餘ヲ經タリ幸ニ國民政府更新スルアリ帝國ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提攜スルニ至レルモ重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ兄弟尚未タ牆ニ相鬩クヲ悛メス米英兩國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制霸ノ非望ヲ逞ウセムトス剩へ與國ヲ誘ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ增強シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ與へ遂ニ經濟斷交ヲ敢テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ 朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ回復セシメムトシ隱忍久シキニ彌リタルモ彼ハ毫モ交讓ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ益益經濟上軍事上ノ脅威ヲ增大シ以テ我ヲ屈從セシメトス斯ノ如クニシテ推移セムカ東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ歸シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ朕ハ汝有眾ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス 御名御璽 昭和十六年十二月八日 各國務大臣副署 |
02 | 臺灣の徵兵制度 出來るだけ早急に實施へ 那須局長、軍部の意向表明 |
03 | 臺灣島民の南方進出 豫算總會、齋藤總務長官答辯 |
04 | 米軍、コンゴーに到着 |
05 | ガ島米軍陣地爆擊 |
06 | 國際展望 ス市の悲劇 奢る英米 アダナ會談 |
07 | 眾院の議會役員會 |
08 | 圖像:眾議院豫算總會 |
09 | 決戰議會の快速調 大體今月の末を以て議了し 自然休會に入り得る見込 |
10 | 我が船腹の保有量 戰爭勃發當時と大差はなし 重要物資輸送に從事 |
11 | 寺島遞相答辯要旨 |
12 | 通貨、物價、物資に亘る 帝國の誠意の措置 國府側、衷心より謝意を表明 |
13 | 儲備券不安なし 周國府財政部長談 |
14 | 獨軍發表戰況 |
15 | 潛水艦の脅威增大の一途 米海軍委員長警告 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 悽絕な死鬪の連續 我陸軍部隊の奮戰記 南太平洋方面 濠洲兵と戰ふ ジヤングル戰 敵機の來襲 夜營と糧食 輸送の苦心 高砂義勇隊の活躍 單身機銃を分捕る 一本の煙草 |
02 | 銀蛇映ゆ北斗七星 凍結の滿ソ國境に立つ |
03 | 長谷川總督計畫造船工場を視察 |
04 | 出せ・一億の底力 けふ第十四回大詔奉戴日 |
05 | 肉彈で見事擊退 ○○基地、敵の上陸企圖破る |
06 | “しつかり頑張るんだぞ” 並河君一門から出た若櫻を激勵 |
07 | 軍馬慰問部隊 一月下旬の受付氏名 |
08 | 林大將の大日本興亞同盟葬 |
09 | 多彩な記念行事 花蓮港桔俱結成一周年に |
10 | 全島珠算競技大會 昨日島都公會堂で開く |
11 | 全部員の救急訓練實施 |
12 | 本社整理部長林阿丙氏報社消息 |
13 | 北三女音樂會 |
14 | 大越高雄州總務部長急逝 |
15 | 大島東臺灣新報新竹支局長母堂 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 安藤軍司令官揮毫 二十七年間の恩給献金した 中村老の赤誠に感激 |
02 | 兄は日露戰の勇士 一家擧つて奏る軍國調 高雄神社の田植祭 |
03 | 學園決戰體制全し 重視される人の問題 寧ろ遲きに失する觀 改正された諸點 新制學霸 結局人の問題 |
04 | 中壢街二月常會 |
05 | 國語常用百%へ 十一日より常用強調週間 |
06 | 彰化市豫算 第二次內示會 |
07 | 鄉軍嘉義市聯合分會 きのふ晴れの結成式 |
08 | 新化街の常會 |
09 | 父に會へる喜び 譽の遺兒川崎融君 |
10 | 餞けを献金 |
11 | 深耕が絕對條件 增產“虎の卷”第一頁 |
12 | 高雄水道擴張工事進捗 |
13 | 勇士に家族の元氣な寫真を |
14 | バス券發賣所標籤設置要望 |
15 | 敵性レコード 高雄署嚴重取締る |
16 | 臺南州異動 |
17 | 鹽糖線に急行車 田中、二林間は一時間 |
18 | 高雄秋競馬成績 |
19 | 地方多より |
20 | 今日の映画演藝 |
21 | 基隆の映画 |
22 | 訃文:大越隆三 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 学藝 軍神の父と語る 日本の表情/打木村治 |
02 | 懷しい思ひ出/林國風 |
03 | 北回歸線 價值世界の奪還 近代的迷妄を打破 |
04 | 愛國百人一首 鑑賞と解說(四)/藤田德太郎 |
05 | 圖像:四月九日の記錄(天覽に輝く聖戰美術展)/向井潤吉 |
06 | 隨筆 墓/西山かが代 |
07 | 噫北原白秋先生/平島嶺雪 |
08 | 歷史上の玄米食/有本邦太郎 |
09 | 教育相談 成績の惡い子 |
10 | 幼兒期の榮養/砂田惠一 |
11 | フランス便り |
12 | ラジオ |
序號 | 標題 |
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01 | 南太平洋戰略態勢 我が海軍絕對優位 更に敵の反攻擊碎へ 海軍航空勢力が 現在樞軸潛水艦 |
02 | ダーウインを爆擊 ニユーギニア島一部を襲う |
03 | 臺灣青少年と南方 豫算總會に於ける齋藤長官の答辯 |
04 | 圖像:波浪を蹴つて航行する我が潛水戰隊 |
05 | 大詔奉戴日の兩院 |
06 | 獨の社會生活一變 全く嚴肅な戰時態勢の一色 「戰ふ生活」「働く生活」のみ存在 |
07 | 國家性の自覺 銀行合同の方針賀屋藏相答辯 豫算總會 |
08 | 交易營團の活動分野 將來南方にも及ぼす |
09 | 全くの亂戰狀態 獨軍の反攻愈よ熾烈 |
10 | 赤軍の攻擊擊退 |
11 | 獨潛水艦の活躍 |
12 | 生產增強挺進協力會結成 今月末迄に發會式 |
13 | 製糸業の大同團結 機構確立要綱を中心に |
14 | 英國の罷業 英商務省發表 |
15 | ジロー最高主權者となる |
16 | 樞軸軍一重要陣地を奪取 |
17 | 歐洲派遣米司令官にア中將を任命 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 備へあれば憂なし 防空促進強化の一大運動 廿日より全島に展開 |
02 | 島都の大詔奉戴日 參拜市民の群陸續 |
03 | 勇士が作る爆笑彈 國境に唄ふ樂團部隊 |
04 | 新竹州指定國語普及研究會 來る廿七日に開催 |
05 | 奉壯團の一日戰死 建國祭記念軍機献納運動を實施 |
06 | 中國參戰一個月(上) 重慶愈よ窮地に立つ 東亞情勢の新展開 重慶の動搖 抗戰理論の無力化 |
07 | 港都奉壯團の新團員入團式 あす市會議室で |
08 | 赤誠の皇軍慰問行 日婦會員けふの佳き日に愈よ開始 |
09 | 大東亞講習所の入所式 |
10 | 羅東街保甲役員會議 |
11 | 奉戴日の献金 早朝から陸海軍に殺到 |
12 | 遺家族慰問に演劇大會開催 新竹州青少年團 |
13 | 農山漁村に健全娛樂 各地域で藝能競演會開催 |
14 | 增產臺灣 豚皮 |
15 | 部落會長研究大會 |
16 | 山地に鳩麥栽培 新竹州警察部の新試み |
17 | 羅東街本田植付強調週間 |
18 | 慰問袋を献納 大和町銃後會 |
19 | 市內國民校卒業式日割 |
20 | 大谷東本願寺前法主逝去 |
21 | 臺北州辭令 |
22 | 今夜の放送 |
23 | 商況(八日前場) |
24 | 興南詩苑漢詩 題梅鶴貞壽圖/春潮、題蟠桃壽母圖/春潮、題陳逢源君雨窓墨滴/國江南鳴、題陳逢源君雨窓墨滴 二/國江南鳴 |
25 | 興南案內報社消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 酒井兵團に感狀 浙贛作戰に輝く武勳頭條新聞 【東京發同盟】昨年中旬支那大陸に展開された浙贛作戰において酒井兵團長の遺骨を捧持し未曾有の豪雨下天嶮に據る頑敵を包圍壓縮して徹底的に擊滅した酒井兵團、同配屬部隊に對してはさきに同方面軍司令官より感狀が授與せられたがこの程畏くも上聞に達せられた旨八日陸軍省より發表された 陸軍省發表(二月八日)浙贛作戰において偉勳を建てたる酒井兵團同配屬部隊に對しさきに軍司令官より感狀を授與せられしが今般畏くも上聞に達せられたり 感狀酒井兵團同配屬部隊 右は昭和十七年五月中旬浙贛作戰の開始せらるるや陸軍中將酒井直次指揮の下に一擧蘭谿前面に進出し更に天嶮に據る頑敵を擊滅して五月二十七日金蘭陣地線の鎖鑰たる蘭谿を攻略せり兵團長蘭谿城頭に壯烈なる戰死を遂げるや全兵團その遺骨を捧持して敵を急追し六月三日衢州附近一帶の既設陣地の縱深を一擧に突破し神速に烏溪海岸に進出せり時遇遇大雷雨あり濁流刻刻として增水するを見るや斷乎夜暗激流を渡涉敵の退路を遮斷し衢州附近敵殲滅の根基を形成せり、爾後未曾有の豪雨氾濫を冐し特火點陣地帶を急襲しつつ包圍圈を壓縮六月七日遂に衢州城を攻略し敵の大部隊を殲滅して偉大なる戰果を奏せり 右の行動は兵團長の統率に基く鐵石の團結と熾烈なる攻擊精神並びに機宜に適せる決心とに依り軍の作戰目的達成に至大の貢献を至せるものにしてその武功抜群なり 仍て茲に感狀を授與す 昭和十七年七月七日 軍司令官 |
02 | 總額二百七十億圓 臨時軍事費追加案提出 |
03 | 七百四十一億圓 臨時軍事費累計額 |
04 | 主稅局長、轉廢業に付說明 |
05 | 財源の內譯 |
06 | けふ本會議で可決 |
07 | 南方建設に雄大な民間航空路が必要 寺島遞相答ふ |
08 | 酒井兵團戰鬪經過 抗州南方の敵陣突破 蘭谿攻略戰 衢州城攻略 |
09 | 法案十餘件を可決 昨日の貴族院本會議 |
10 | 榮譽に感泣 酒井未亡人語る |
11 | 重點的に生產增強 作戰の要求に應じて 首相の答辯 |
12 | 敵產一千餘件を正式に國府に移管 情報局より發表 |
13 | 移管敵產の内容 |
14 | けふの兩院 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 壽ぐ“紀元の佳節” 午前九時國民奉祝時間 |
02 | 血で綴る激鬪日記 南海で戰ふ驅逐艦勇士 |
03 | 可及的に實現さす 新育英資金制度に文相が太鼓判 |
04 | 鄉軍宜蘭市分會の總會 |
05 | 愈よ“あす”が締切り 譽れの志願兵募集 |
06 | 大隈侯も微笑む 小山松壽翁語る |
07 | 宜蘭高女の慰問學藝會 |
08 | 鶴嘴戰士曉の鍊成 十二日金瓜石鑛山にて |
09 | 遺家族に見舞金贈呈 |
10 | 第三種訓練 宜蘭と羅東 |
11 | 人跡未踏の處女地 冬の五大連池を探る |
12 | 圖像:「この邊をぶち拔いた」敵機を待つ我が勇士 |
13 | 真劍な“自產自給” 勇士廢品更生共進會 |
14 | 歌舞伎を招き慰問會開催 |
15 | “プラウ帆船”に我が世の春 皇軍指導下に南海を縱橫に活躍 |
16 | 鴨綠江節北へ進む |
17 | 遞信講習生募集 |
18 | 民族興亡の流れ アムール河岸に立つ |
19 | 前線に慰問文を |
20 | 聲の宣傳戰に活躍 公正日本を叫ぶ英婦人 佛國 世界 放送 |
21 | 守護神“防人神社” 起工して一週間で竣工 |
22 | 新興代用品展 十二日から嘉義市で開く |
23 | 美しい人情美談 方委に絡る救護 |
24 | 車掌チヤーチル君 |
25 | 海軍見習工員候補者等募集 |
26 | 海軍工員養成所生徒見習工員募集 試驗期日並場所決定 |
27 | 大越高雄州總務部長告別式 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 全力擧げて增產へ 新竹州農林主任會議開催 |
02 | 共同耕作で增產 花蓮港廳第一期作から實施 |
03 | 澎湖神社に大燈籠 きのふの奉戴日に奉献式 |
04 | “生活の立直しへ” 大橋國民學校長元特設勞奉團長渡邊正氏放送 |
05 | 川崎兵事部長遺族を弔問 |
06 | 中等學校の設立 北斗郡有志者凝議 |
07 | 推進員協議會 |
08 | 圖像:ヒンズー教主神テイプツサム祭 |
09 | 花蓮港市華僑記念大會 |
10 | 國語普及強調週間實施打合 |
11 | 志願兵の締切迫る 臺南州は十三萬突破 |
12 | 雜婚と混血(二) 輕卒な結論は禁物 |
13 | 臺中州の志願者 |
14 | 皇奉推進座談會 臺南支部十二日催す |
15 | 父も喜ぶでせう 譽れの遺兒高橋君 |
16 | 適期植付總進軍 海山郡田植強調週間實施 |
17 | 薪炭林造成を獎勵 臺中州十ヶ年に二萬甲 |
18 | 國語不解者調查 竹南街の國語運動熾烈 |
19 | 大詔奉戴日献金 軍司令部扱 國防彈丸献金 恤兵金 海軍武官府扱 國防献金 恤兵献金 恤兵品 |
20 | 共學兒童を銓衡 |
21 | 赤誠の献金品 軍司令部(八日扱) 國防献金 恤兵金 |
22 | 新高郡米穀增產打合會 |
23 | 經濟警察事務研究會 |
24 | 新竹州旅館業組合近く結成 |
25 | 佐治專賣局長 屏東支部巡視 |
26 | 表彰金を恤兵献金 |
27 | 頭分南國民學校校舍工事入札 |
28 | 第三回決算公告/株式會社榮信商行 |
29 | 旗山郡街庄協議會日割 |
30 | 地方多より |
31 | 今日の映画演藝 |
32 | 基隆の映画 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 纖維製品の機構整備に則應 府の價格引下方針決定 最終價格の平均引下率七分 |
02 | 耕地交換を法制化 井野農相議會で答辯 |
03 | 國民貯蓄功績者懇談會 國貯完結者に赤紙(三) 積極的貯蓄案を開陳 |
04 | 日傭勞賃の改訂 けふ賃金委員會で檢討 |
05 | 暫定措置として 查定價格により販賣 |
06 | 比島產業調查團 須田殖產局長歸臺 |
07 | 芭蕉、鳳梨の減段 實地調查の上再考慮 |
08 | 生蚵組合總會 |
09 | 糠油事業を確立 昨日食糧局で協議 |
10 | 臺灣精米會社設立 來る十二日に創立總會 |
11 | 蕎麥五千甲栽培 北部二州の裏作に |
12 | 水產團體法案を審議 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況(八日後場) |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(886)/黃得時;碇政彌 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臨時軍事費追加案 眾議院本會議で可決 |
02 | 貯蓄で賄つて行く 關翼贊會經濟部長談 |
03 | 圖像:南支掃蕩戰 |
04 | 五重要產業の整理統合を行ふ 岸商相、委員會で答辯 |
05 | 金額數十億元に達す 新敵產一千餘件を中國に移管 |
06 | 祭粢料と記章傳達式 |
07 | 效率主義による 企業整備を行ふ 椎名商工次官言明 |
08 | 我好意に深謝(國府發表) |
09 | 北大西洋で十五隻擊沈 獨潛水艦活躍 |
10 | 翼贊會と翼政會の緊密な連繫を期待 東條首相と一問一答 |
11 | 國民の盛上る力を戰力增強に活用 東條首相、鈴木總裁答辯 首相言明 鈴木企畫院總裁言明 |
12 | 桂林、衡陽を猛爆 陸鷲大詔奉戴日期して |
13 | 指導者會議を開く ドイツ國總動員方策を協議 |
14 | 反樞軸軍各地で敗退(北阿) |
15 | 反樞軸同盟に參加 ブラジル政府 |
16 | 敵の“非人道”を衝く 被抑留歸朝者懇談會 |
17 | 又も新戰果 大西洋の獨潛水艦 |
18 | 華北政務委員會長 王揖唐氏辭任、後任朱深氏 |
19 | 朱深氏略歷 |
20 | 六機を擊墜破 敵機ラングーン盲爆 |
21 | 伊海軍の戰果 |
22 | グルー戰意を煽るに躍起 無傷の日本 強大國日本 日本の大計畫 日本の長期戰計畫 妥協平和なし |
序號 | 標題 |
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01 | さうだこの意氣で 孫の志願書、婆さんが出す み民われ・茲に在り |
02 | 造船の促進現狀 副見交通局總長視察 |
03 | 圖像:畫家の一日入營 |
04 | 傷痍軍人會基隆市分會結成 |
05 | 港都の荷役增強 第一回委員會を開催 |
06 | 荷役增強獎勵金 近く議會通過の見込 |
07 | 北にガツチリ右足 擧げた左足南方の敵を蹴る 部隊長の語る“北鎮氣魄” |
08 | 續く建艦費献納部隊 |
09 | 臺灣從軍記念會 基隆市支會の發會式 |
10 | 教育功勞者 三十名、紀元節に表彰 |
11 | 暴戾英機蘭貢病院を盲爆 |
12 | 硬貨回收意義を履違へるな |
13 | 華僑子弟も起つ 志願兵へ三兄弟が志願 |
14 | 臺比の產業協力 今後ますます重要性を加ふ 須田殖產局長比島の視察談 |
15 | 戰死者遺族を藤村市長弔問 |
16 | 山地振興協議會 新竹州、十二日に開く |
17 | 基隆協和建築信組總會 |
18 | “ハイ、建艦献金” 港都の女給さん、募集に一役 |
19 | 勤報入所を嘆願 身不具な青年が |
20 | 感激の日に献金 化粧代を節約して |
21 | 童心の赤誠 小遣を貯へて献金 |
22 | 慰問團は贅澤だ 戰友同志で勵まう |
23 | 興南詩苑漢詩 春興 晴園春滿梅樹花開願策吟鞭共尋疏影以詩代柬專候光臨/晴園主人、喜王少壽先生過存/蔡說劍、次韵酬說劍弟/王少濤、除夕飲遜庭哥宅/王少濤、次王少濤先生韵/蔡舜廷、次韵酬王少濤先生/蔡說劍、次韵呈王少濤先生/林佩芬 |
24 | 新起町區國語報國所 |
25 | 人事・消息報社消息 |
26 | 今夜の放送 |
27 | 商況(九日前場) |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ニ島、ソ群島各要線に戰略的根據設定完了 目的達成、我部隊他に轉進頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(二月九日十九時) 一、南太平洋方面帝國陸海軍部隊は昨年夏以來有力なる一部をして遠く挺進せしめ敵の強靱なる反攻を牽制破碎しつつ其の掩護下にニユーギニア島及びソロモン群島の各要線に戰略的根據を設定中の所、既に概ねこれを完了し茲に新作戰遂行の基礎を確立せり 二、右掩護部隊としてニユーギニア島のブチ附近に挺進せる部隊は寡兵克く敵の執拗なる反撃を撃攘しつつありしが其の任務を終了せしに依り一月下旬陣地を撤し他に進せしめられたり 同じく掩護部隊としてソロモン群島のガダルカナル島に作戰中の部隊は昨年八月以降引續き上陸せる優勢なる敵軍を同島の一角に壓迫し激戰敢闘克く敵戰力を擊碎しつつありしが真の目的を達成せるに依り二月上旬同島を撤し他に轉進せしめられたり 我は眾敵に強壓を加へ之を慴伏せしめたる結果兩方面とも掩護部隊の轉進は極めて整齊確實に行はれたり 三、現在までに判明せる戰果及び我軍の損害は既に發表せるものを除き左の如し (一)敵に與へたる損害、人員二萬五千以上、飛行機擊墜破二百三十機以上、火砲破壞三十門以上戰車破壞炎上二十五臺以上 (二)我方の損害人員戰死及び戰病死一萬六千七百三十四名、飛行機自爆及び未歸還百三十九機 |
02 | 絕對不敗の態勢成る 筆舌に盡せぬ我が將兵苦鬪の連續 |
03 | 明年度の國民貯蓄 二百七十億を下らぬ 決戰生產、決戰生活、決戰財政 賀屋藏相說明 歲入財源 公債金及 特別會計 雜收入 歲出財源 國民貯蓄 |
04 | 印緬國境某地を爆擊 |
05 | 駐滿中國大使に 陳濟成氏任命 |
06 | 敵輸送船團を爆碎 陸鷲、長江上流に出擊 |
07 | 桂林、柳州、零陵空襲 陸鷲、昨日午前午後二回に亘り |
08 | 臨軍費を即決可決 昨日の眾議院本會議 |
09 | 敵船一隻を擊沈 濠洲の東岸に於いて |
10 | 要衝安康に巨彈 |
11 | 貴院けふ即決可決 臨時軍事費豫算を |
12 | 第二次追加豫算 歲出の內譯 |
13 | 十八年度豫算 十三日可決送附 眾院の取扱方針決定 |
14 | 治外法權撤廢と租界還附實施へ きのふ委員任命さる |
15 | 中國側の委員 |
16 | けふの兩院 |
17 | 敵產管理委員會を新設 國府行政委員會に |
18 | 米陸軍省の死傷發表 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 徵兵制と南方進出へ驀進社說 一 第二回志願兵の募集は愈よ本日を以て締切ることとなつたが、六百萬島民の榮譽を双肩に荷つて、御民われの感激に燃え盛る若人の志願が日を遂うて激增の一途を辿るは真に喜ばしい限りである。今日までに判明しただけでも志願者數累計は、昨年の四十二萬を遙かに突破して、まさに六十萬に肉迫せんとする好成績を示して居り、大東亞戰下戰ふ皇民の逞しい姿を如實に反映して同慶に堪えぬものがある。殊に今回は專ら適格者の應募に依つて、質的に一段の飛躍を遂げ、本島青年の赤誠あふるる國民的自覺と敢意挺身の熾烈な昂揚を見たるは洵に心强き一大躍進であつて、六百萬島民に昭示せられた大道は早くも軌道に乘つたと云ふべく、輝く明日の希望實現の日もさう遠い將來のことではないであらう。 二 七日の眾議院總會に於て、山本粂吉議員から、臺灣に徵兵制度を一日も早く施行すべし、との質問に對する政府要員の答辯は、いづれも榮ある明日の希望を懷かせるものがあつた。卽ち那須兵務局長からは、本島人就中青年が多數南方に進出し軍に協力して聲價を擧げてゐることに對してはこれを尊重して居り、又志願兵の實施狀況は施行以來非常な好成績のやうに承知して居るが、懲兵制度の實施については單も之を諒承して、志願兵制度の成績を睨み合せて出來る丈早く實施したい、と軍の意向を明瞭に表明せられたのである。斯くして我らは齋藤總督府總務長官の云はれる如く、臺灣に於ける徵兵制度實施の見込みは充分にあり從つて今後益益全島民を擧げて皇民鍊成に努め、以て徵兵制の實施に遺憾なからしむるやう萬全の努力を續けて、榮ある明日の希望を速かに實現しなければならぬのである。 三 皇民鍊成から志願兵へ、更に徵兵制の實施へと躍進する島民の前には、南方進出の大道が開かれてゐるのである。卽ち前出の山本議員が、日本人になり切つた本島民を南方に出して占領地民族の指導者たらしめ、以て島民に遺憾なく夢と希望とを與へしめよ、との要望に應へて、齋藤總務長官は之に全幅的賛意を表し、斯る方針の下に今後逐次其の夢の實現性を持たせて實現せしめたいと答辯せられたことは真に赤誠燃ゆる島民大眾の意を强うする所以でなければならない。以上を要するに、島民多年の宿望が、輝かしき希望の明日が、島民の鍊成努力によつて速かにその實現の日來らんとしてゐることを銘記せねばならない。換言すれば、兵役法の施行にせよ、南方への進出にせよ、其れは一に我ら島民の鍊成努力の如何に懸つてゐることを夢忘れてはならぬのである。志願兵への挺身或は戰力の增强等各方面に負荷せられた我らの任務使命を完遂してこそ、明日の輝かしき榮冠を戴くことが出來るのである |
02 | 二百七十億の軍費 一億の努力で完遂しませう |
03 | 職場の龜鑑・八十名 紀元の佳節に勤勞顯功章授與 |
04 | 脈打つ“皇軍精神” 國境に見る神兵の像 |
05 | 豐穰生產增強を祈願 十七日の祈年祭全島一齊に擧行 |
06 | 臺灣文化賞記念の夕 十二日公會堂で開催 |
07 | 產業青年の訓練 廿二日から海洋訓練所で開催 |
08 | 軍馬慰問部隊 第五部隊三十一日より七日迄の受付 |
09 | 皇奉本部定例部長會議 |
10 | 二億三千萬圓突破 支那事變より昨年末までの陸軍に對する赤誠献金 |
11 | 宜蘭署各保甲の恤兵献金 |
12 | 蘭陽地方の遺家族慰問 有田陸相代理 |
13 | 副見交通總長 昨日明糖を視察 |
14 | 虛弱青年を鍛ふ 全國千三百餘個所の修鍊所設置 |
15 | 增產臺灣 木材 |
16 | 宜蘭市國語家庭認定式 |
17 | 生產をしつつ鍊成 日鑛金瓜石產奉團鍊成會始る |
18 | 下地巡查に表彰狀 |
19 | 臺灣吟詠同志會發會式 十一日警察會館で |
20 | 電力消費規正けふから解除 |
21 | 嘉義支局移轉/興南新聞嘉義支局報社消息 |
22 | 今後他の工場にもやらしたい 關川主事語る |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 廢止十六、統合三十 新竹州の團體統合要綱決定 |
02 | 南投神社竣成 地久の佳節に御遷座祭 |
03 | 學園決戰體制全し(下) 重視される人の問題 超重點主義の實施 |
04 | 竹南郡の賞賜物件傳達式 來る十五日擧行 |
05 | 胸に秘めて七年 今ぞ報ひん厚き恩義 嘉義に咲く感恩美談 |
06 | 省吾は丈夫になった “靖國の父に報告する”と待佗ぶ 譽れの遺兒淺間君 |
07 | 陸海軍へ献金 |
08 | 皆勤者表彰 花蓮港警察課 |
09 | 老も若も國語一色 臺南州の常用四部落 |
10 | 古都の名蹟 赤崁樓改修 |
11 | 社長、工場長懇談 けふ新竹市を皮切に開催 |
12 | 蘇澳奉壯團一周年記念式 |
13 | 青年第一種訓練 |
14 | 囹圄から改悛の一書 恩人坂田警務課長宛に |
15 | 屏東畫劇挺身隊 けふ結成式 |
16 | 新竹州農會 十三日總會開催 |
17 | 貯蓄は濟んだか 花蓮港市、市民の協力要望 |
18 | 防空強化運動 花蓮港けふより實施 |
19 | 新化郡の多子家庭 |
20 | 大詔奉戴日献金 國防献金 恤兵金 |
21 | 人事 |
22 | 地方多より |
23 | 今日の映画演藝 |
24 | 基隆の映画 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 原料減少と低步留で 第二回產糖豫想減少 分蜜糖千七百五十三萬擔 |
02 | 石油專賣實施で 專賣局に燃料課新設 |
03 | 國民貯蓄功績者懇談會 戰時生活の設計(四) 一億人總體の責任 |
04 | 島都金融緩慢(一月中) 銀行等預金著しく增加 |
05 | 本島貿易の決戰體制化 貿易統制令施行規則公布 |
06 | 東邦金屬製□ 專務と常務□新任 |
07 | 比島の電源を是非開發したい 增田臺電社長視察談 |
08 | 超重點產業に工作機械を追加 商相答辯 |
09 | コークス價格公定 |
10 | 臺電總會は廿五日 舊株一株に新株一株を割當 |
11 | 商況(八日後場) |
12 | 照明燈 |
13 | ラジオ |
14 | 水滸傳(887)/黃得時;碇政彌 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臨軍費追加豫算成立 僅か三日間で貴眾兩院通過 |
02 | 内外地法制上の問題 森山長官の答辯 |
03 | 山下、岡部、藤江三大將發令 |
04 | 圖像:轟轟出發點に着き離陸に移らんとする海軍新銳爆擊機 |
05 | 定期、溯及敘勳 |
06 | 南太平洋方面の戰況 眾院豫算總會で報告 |
07 | 米、新聞用紙を削滅 |
08 | 舞鶴海兵團長 田中少將補さる |
09 | 米國の利己的私慾 戰爭目的の矛盾暴露 |
10 | 帝國政府の回教徒對策 谷外相言明 |
11 | 敵機の暴虐な盲爆 在蘭貢の印度人憤激 |
12 | 國民徵用法案 米兩院に提出 |
13 | クースクで激戰 九日の戰況獨軍當局の發表 |
14 | 戰□刻刻に重大化 ハリコフ、クールスク方面 |
15 | 空母ヨ號沈沒の狀況 サツチ少佐、米誌に寄稿 |
16 | 重慶當局狼狽 我が荒鷲の猛襲に |
17 | 華北政務委員長 朱深氏を起用 王揖唐氏の勇退で |
18 | 勞働力補給に 米、躍起の狂奔 |
19 | 羅□郡各種功勞者の表彰式 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 志願兵へ最後の突進 締切日を目指して 俄然殺到する島都 |
02 | 病床を蹴つて志願 締切日、熱血青年起つ |
03 | 保護委員、役員任命 臺北州の辭令交附式 |
04 | 勳章傳達式 基隆で擧行 |
05 | 中國參戰一個月(中) 目覺しい國府の改善 主權完整着着進む 決戰政府體制の確立 一元統制への英斷 |
06 | 適格青年殺到 最終日の基隆市郡 |
07 | 五穀豐穰を祈願 新竹州の祈年祭 |
08 | 佳節に鄉軍大會 銃後國民の志氣昂揚 |
09 | 擧げよ保護の實効 長谷川總督告辭 |
10 | 助成費を寄附 |
11 | 齋藤會長祝辭 |
12 | 產業戰士の龜鑑 あす州會議室で表彰式擧行 |
13 | 貯蓄に掉尾の突擊 二三○億完遂郵便貯金強調週間 あすから全國に展開 |
14 | 增產臺灣 甘藷 |
15 | 軍官聯絡會議 府貴賓室で開催 |
16 | 藤岡報道部長 あす基隆へ |
17 | 臺灣からも出品 帝都で開かれる大東亞資源館に |
18 | 國語認定家庭の證書授與式 十二日市正廳で |
19 | 島都の證書交付式 |
20 | 大戰果に感謝 陸海軍に献金部隊陸續 |
21 | 防諜功勞者 北署で表彰 |
22 | 全部で六五二 州下の國語家庭認定數 |
23 | 新開紙献金 基隆のヨイ子供 |
24 | 奉祝畫劇表演 一日戰死に協力 |
25 | 勇士慰問國民校聯合學藝會 十四日双葉校で |
26 | 人事・消息 |
27 | 興南詩苑漢詩 重過新莊訪黃淵源丈/高肇藩、初冬家姉重渡鷺門/高肇藩、林君題雁招余夜宿其家卽事/王少濤、曉起示林題雁君/王少濤、癸未立春日書感併呈可軒吟兄/瀨川陽一 |
28 | 今夜の放送 |
29 | 商況(十日前場) |
30 | 興南案內報社消息 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 戰捷に輝く紀元節 けふ天皇陛下御親祭頭條新聞 【東京發同盟】悠久茲に紀元二千六百三年、大東亞戰爭下再び迎へる今日十一日の紀元の佳節に當り畏くも宮中におかせられては 天皇陛下御親祭の下に嚴かなる紀元節祭の御儀を執り行はせられる、この朝三殿には三條掌典長以下奉仕して御儀が進めさせられ畏くも 天皇陛下には午前十時御束帶黃櫨染御袍を召させられて賢所に出御、御玉串を御手に御拜禮、御告文を奏せられ皇靈殿、神殿にも御同樣の御儀を行はせられて入御、次いで皇后陛下の御代拜を萬里小路女官、 皇太后陛下の御代拜を清閑寺事務官が奉仕、各皇族殿下の御拜禮、參列諸員の拜禮あつて御儀を終へさせられる、尚暮迫る頃より御神樂の御儀があり 天皇陛下には午後五時再び皇靈殿に出御、御拜禮、次いで諸員奉仕して御神樂は次次に奏せられて神慮を慰め奉り深更に及んで終へさせられる、この日大和橿原神宮には勅使室町公藤掌典が參向、御儀を執り行はせられるが宮中御恒例の御賀宴は時局を思召めされて本年も昨年と御同樣御取止め遊ばされると承はる、尚この日午前九時から午後四時まで有資格者に參賀を差許される |
02 | 敵巡二、驅艦一轟擊沈 魚雷艇十、飛機八六を屠る イサベル島沖海戰大戰果 |
03 | 轉進作戰と關聯の擊滅戰 |
04 | 大東亞戰爭第三回死歿者の論功行賞 海軍關係 |
05 | 我統帥上の英斷 南太平洋方面の戰況報告 |
06 | メラウケ爆擊 |
07 | 征戰完遂に總力發揮 長谷川總督談話 |
08 | 貴族院本會議 |
09 | 老河口、徽州等を爆擊 |
10 | 眾院豫算總會 |
11 | 租稅の自然增收內譯 |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 紀元の佳節を迎へて社說 一 一億國民が大御稜威の下、總力を擧げて大東亞戰爭第二年の決戰に勇往邁進しつつあるの秋、茲に皇紀二千六百三年の榮ある紀元の佳節を迎へ、謹んで寶祚の無窮と竹の園生の彌榮を壽ぎ奉るは、皇民の無上の光榮であると共に、限りなき感激と歡喜を覺ゆる次第である。洵に世界無比の尊き國體を戴き、鴻大なる皇恩の下、光輝ある二千六百年の歷史に育まれた日本國民たるの榮譽と有難さは、ここにひとしほ意義深く我ら國民の心を打ち、聖代に生を享けたる喜びの犇犇と胸に迫まるを禁じ得ないことであらう。同時に米英擊滅の征戰愈よ本格的段階に突入し、必勝態勢下に全國民擧げて驀進しつつあるの秋、大東亞共榮圈建設といふ崇高な世界史的大事業を完遂せんとする帝國の使命愈よ重きを加ふ、感激新たに一段の緊張を覺える次第である。 二 伏して惟みるに、建國悠久二千六百三年、上は萬世一系の聖天子鴻大無邊の畏き御仁慈を以て蒼生を撫育し給ひ、下は萬民忠誠を一にして皇運を扶翼し奉り、一君萬民、生生不息、國難を經る每に國威いよいよ伸長、强大を見たるは、實に金甌無缺、宇內に冠絕するわが國體への國民的信仰に基くものであつて洵に感激に堪えない。顧れば明治維新回天の偉業は、日本國內に於ける一種の解放運動であつた。而して滿洲事變を以て火蓋が切られ、四年半に亘る支那事變を經た今次の大東亞戰爭こそは、英米人の東亞をして亞細亞人の亞細亞たらしむる一大解放戰であつて、これ實に神武創業の皇謨であり、八紘を以て宇となす肇國の大理想顯現の一大聖戰なのである。 三 大東亞戰正に第二年目に入り、緒戰の赫赫たる大勝利によつて、南方諸地域が我が占領下に着着と共榮圈新秩序を建設しつつあるは洵に慶祝に堪えない。今更に忠勇なる皇軍將兵の御勞苦を偲び、就中陣歿した幾多護國の英靈に對しては、真に感激の思ひを新たにする次第である。だが戰爭はこれから愈よ本格的段階に入るのであり執拗な敵米英の反擊攻勢に對する決戰の連續が、緒戰の大勝利に拘らず寸時と雖も我らの油斷を許さないものがある。敵米英を徹底的に擊滅せずんば、大東亞共榮圈建設の大業は完遂出來ない。征戰完遂のためには真に臥薪嘗膽、さらに不退轉の決意を以て奉公の誠を新たにするところがあらねばならない。茲に本日の佳節を壽ぐと共に、征戰に奮闘努力、尊き興亞の礎石となつた英靈に對し滿腔の感謝を捧げ皇軍將兵の武運長久を祈る。 |
02 | けふは紀元の佳節 社會事業に大御心 優良團體に御獎勵金御下賜 |
03 | 敵巡洋艦を擊沈 西太平洋方面で壯烈な戰死 功三旭二に輝く崎山海軍少將 |
04 | 肉彈突擊を敢行 殊勳甲の田中海軍大佐 |
05 | “建國の夕”盛況 ゆふべ公會堂で開催 |
06 | 高砂族に戶籍制度 佳節を卜し戶口規則一部改正 山內警務局長語る |
07 | 恐懼感激に堪えぬ 長谷川總督謹話 |
08 | 筆頭は十四人 譽れの子寶部隊二六九家庭 けふの佳節に表彰 |
09 | 教育御獎勵資金 榮の教育研究論文入選者 |
10 | 神社行軍參拜 打て米・英若人も起つ |
11 | 御內帑金御下賜 全國九百四十團體に |
12 | 二萬四千三百八名 島都の志願兵總數(十日締切) |
13 | 六勇士の合同葬 あす青山齋場に於て |
14 | 社會教育功勞者 紀元の佳節に表彰式 |
15 | 香奠返し献金 |
16 | 班員赤誠の結晶 軍司令部に感激献金 |
17 | 優良青年團 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 譽高し一世の師表 有栖川宮記念厚生資金拜受の光榮に輝く明石校長 |
02 | 恩賜の義足拜受 辱さに櫻井伍長感泣 |
03 | 一家から三勇士 模範軍國家庭櫻井家 |
04 | 子寶十四人家庭(一)近鄰羨望の的 員林萬年の許松柏氏 |
05 | 若人熱誠の結晶 高雄州の志願兵十萬二千餘名 嘉義市の志願者 |
06 | 嘉義市會 十七、八日開催 |
07 | 森田臺中州知事 農村を督勵行脚 |
08 | 臺南州公醫打合會第二日 |
09 | 副見交通局總長 新高築港を視察して歸北 |
10 | 新化郡の推進員 指名式に次いで常會 |
11 | 司法保護委員辭令交付式 |
12 | 保護委員例會 |
13 | 征けぬ身は增產で奉公 |
14 | 日婦彰化市支會會旗入魂式 |
15 | 健脚に物言はせて 嘉義市團空前の記錄を樹立 臺南州青年團強步大會 |
16 | 新竹市青年愛馬奉公隊 あす晴れの結成式 |
17 | 沙港青年團の蔬菜豐作 |
18 | 島都國語家庭發表 |
19 | 潮州郡女子青年第三種訓練 |
20 | 道路の面目一新 桃園郡下の舖裝成る |
21 | 部落研究會 嘉義郡十七日に |
22 | 高砂族角力大會 花蓮港廳廿一日に開く |
23 | 頭分街時局講演會 |
24 | 蔬菜卓上品評會 高雄市きのふ褒賞授與式 |
25 | 甲當に十萬斤 |
26 | 遺家族慰安素人演藝會 |
27 | 鹿場廻りの絕景 畫報にして世に紹介 |
28 | 臺中州美術展 入賞者及入選者 |
29 | “青年の夕” |
30 | 進步の跡顯著 委員の審查評 |
31 | 七星郡內湖庄助役及會計役發令 |
32 | 岩切檢察官急逝 |
33 | 人事 |
34 | 地方多より |
35 | 今日の映画演藝 |
36 | 基隆の映画 |
37 | 第二十一回決算公告 |
38 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 十八年度督府の追加豫算 總額六千八百三十四萬圓 |
02 | 計畫造船を強化 木造船、漁船を助成 |
03 | 高級燃料へ切替 專賣工場、明年より操業 |
04 | 重要肥料助成金 七百九十七萬餘圓 |
05 | 食糧增產確保に 農地等管理令を強化 |
06 | 臺電總會附議議案 |
07 | 臺灣貿易會の發足 きのふ發會式擧行 |
08 | 勸銀新竹支店 來る四、五月頃開設 |
09 | 防風林の完成へ 臺南州關係者集めて打合 |
10 | 島內洋灰販賣機構 內地と呼應して近く根本改革 |
11 | 飼料輸移入一元化 |
12 | 貿易會の事業 三部六課に分掌 |
13 | セメント統制會 本島設置說は事實無根 |
14 | 興業信託役員會 基隆に支店新設 |
15 | 臺灣種苗協會創立總會 |
16 | 照明燈 |
17 | 商況(十日後場) |
18 | ラジオ |
19 | 水滸傳(888)/黃得時;碇政彌 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 紀元節祭の御儀 いとも嚴かに執行はせらる頭條新聞 【東京發同盟】燦たる御稜威の下皇軍の威武四海に揮ふ大東亞戰爭下茲に再び迎へる紀元の佳節に方り畏くも宮中におかせられては 天皇陛下御親祭の下に紀元節祭の御儀をいとも嚴かに執行はせられたこの日早旦より宮中三殿においては三條掌典長以下奉仕して御祭儀を進めさせられ高松宮殿下を始め奉り御在京の各皇族殿下にも御參列、東條首相を始め文武顯官等參列諸員も參着、出御を御待ち申上ぐる裡畏くも 天皇陛下には御束帶黃櫨染御袍の御姿も神神しく午前十時賢所に出御、內陣の御拜座に進ませられ御玉串を御手に恭恭しく御拜禮、玉音いとも嚴かに御告文を奏せられた次で皇后陛下の御代拜を萬里小路女官が奉仕、 皇太后陛下の御代拜を清閑寺事務官が夫夫奉仕し、 各皇族殿下の御拜禮、參列諸員の拜禮あつて御儀を滯りなく終へさせられ引續き皇靈殿神殿にても御同樣御儀を執行はせられた斯くて夕闇迫る頃より御神樂の御儀が進められ畏くも 天皇陛下には午後五時再び皇靈殿に出御、御拜禮あらせられ淨闇こむる神域をこめて終夜御神樂は次次に奏せられて神靈を慰さめ奉つた尚この日畏き邊りにおかせられては大和橿原神宮に勅使として室町公藤掌典を參向奉幣せしめられたが紀元の佳節を壽がせ給ふ御賀宴は昨年と御同樣あらせられず午前九時から午後四時まで有資格者の參賀を差許された |
02 | 敵遺棄屍體廿六萬餘 支那派遣軍の綜合戰果(十七年度) |
03 | 敵戰意喪失を反映 俘虜の全體數は增加 |
04 | 突擊隊長の本領發揮 相澤、上林兩少尉に感狀 |
05 | 吉田司令長官 漢口方面を巡視 |
06 | 議會役員會 |
07 | 相互の理解を深む 日ブ友好文化協定調印 |
08 | 兩少尉の戰鬪經過 相澤少尉戰鬪經過 上林少尉戰鬪經過 |
09 | 軍隊の辛苦と功績 南太平洋方面の戰況報告 三、軍隊の辛苦と功績 二、斯る困苦 四、この勇戰 五、タイムス 前線銃後 その偽造 |
10 | 今月末で議了せん 兩院の審議愈よ快調 |
11 | ロストフ攻防戰白熱化 |
12 | 獨軍レ市を砲擊 |
13 | 依然頰被り主義 ノツクス「新公報なし」と |
14 | けふの兩院 |
15 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 悠久二千六百三年 戰捷に輝く建國祭 米英擊滅へ一段の決意 式辭 決議 宣言 |
02 | 御真影奉拜式 府で嚴かに執行はる |
03 | 傷痍軍人會總裁に朝香宮殿下御就任 きのふ奉戴式擧行 |
04 | 聖壽無窮を奉祝 陸海軍の紀元節式典 軍司令部 臺灣憲兵隊司令部 臺北憲兵隊本部 臺北憲兵分隊 臺北陸軍兵事部 海軍武官府 |
05 | 締めて六十萬餘人 第二回の志願兵總數 |
06 | 南方青年の意氣 大東亞戰下に遺憾なく發揮 山內警務局長語る |
07 | 勅諭勅語を奉讀 島都鄉軍各聯合分會 |
08 | 斷乎米英を叩潰せ 三十六萬市民よ奮起せよ 島都壯年團一日戰死 |
09 | 宜蘭市の紀元節式典 |
10 | 團員の懇談會 |
11 | 文化戰士殊勳甲 第一回臺灣文化賞の授與式 昨日皇奉本部で擧行 |
12 | 職域奉公の龜鑑 臺北州各種表彰式擧行 |
13 | 太平町第三區青年團表彰式 |
14 | 文化水準昂揚へ 長谷川總裁の告辭 |
15 | 山本事務總長の式辭 |
16 | 韋駄天走りに走る 神社參拜行軍大會 |
17 | 奉祝武道大會盛況 |
18 | 臺中州美術展 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 勝ち拔く決意新た 嚴かな各地の建國祭 新竹 臺中 嘉義 臺南 高雄 花蓮港 澎湖 新化郡の奉祝 |
02 | 勳記功記傳達式 第五部隊で擧行 |
03 | 兩神社紀元節祭 |
04 | 十三萬四千名突破 熱誠溢る臺北州の志願兵 |
05 | 昨年の三倍 臺中州十二萬一千餘名 |
06 | 臺南州十四萬突破 |
07 | 功勞者表彰 |
08 | 花蓮港廳下は一萬四千 |
09 | 花蓮港高女の音樂會 |
10 | 從軍記念會 新竹支部晴の結成式 |
11 | 鬪ふ銃後の姿 カメラに收めて前線へ |
12 | 硬貨回收好成績 新化郡奉公班の活躍 |
13 | 意氣天を衝く 勇名馳せた高砂義勇團員參加 健脚繪卷・屏東高雄驛傳繼走 |
14 | 聚和茶行献金報社消息 |
15 | 斗六郡硬貨回收 |
16 | 銃後奉公の範 從軍記念會員表彰 |
17 | 鳳山華僑公會總會 |
18 | 養豚報國へ 內門庄增殖共進會 |
19 | 粉骨して奉公 能高郡支會各團查閱 |
20 | 大戰果に感激献金 きのふ一日で一萬九千餘圓 軍司令部 海軍武官府 |
21 | 佳節の赤誠献金 軍司令部 海軍武官府 |
22 | 防空強化運動 屏東市十日から開始 |
23 | 中壢水利評議會 |
24 | 新高支會各團體の查閱 |
25 | 輸血奉仕者 陸軍病院で表彰 |
26 | 中壢郡多子家庭の表彰 |
27 | マラリア退治に蚊草 新化郡で栽植獎勵 |
28 | 產組役員指名 |
29 | 皆勤者表彰 屏東警察署 |
30 | 黃麻栽培講習會 |
31 | 旗山郡華僑公會總會 |
32 | 本月末に百廿萬圓 基隆郡の貯蓄 |
33 | 新化虎眼治療所存績を要望 |
34 | 旗山消防地鎮祭變更 |
35 | 鳳山郡に流腦 一般の注意要望 |
36 | 火事で老婆燒死 |
37 | 地方多より |
38 | 基隆の映画 |
39 | 今日の映画演藝 |
40 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 学藝 俳句の大東亞性/王碧蕉 |
02 | 戰時下の獨逸女/山岸重孝 |
03 | 圖像:チンジヨンの戰(天覽に輝く聖戰美術展)/高光一也 |
04 | 暖日讀書/林精鏐 |
05 | 北回歸線 下から上へ 理想的國□儀禮 |
06 | 劇評 阿里山(双葉會の公演)/呂赫若 |
07 | 圖像:零下四十度の小鳥飼ひ |
08 | 地方通信 |
09 | ラジオ |
10 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ソロモン群島米陣地を爆擊 |
02 | 敵艦船損害一四五隻 ソロモン海域半年の綜合戰果 |
03 | ビルマ獨立を語る 三つの氣持から 反英抗爭百年續く 日緬印代表の自由討論會 |
04 | 日本人と共通性が多い 協定生みの親蜂谷外事部長に ブルガリアの事情を聽く |
05 | 米政府近く戰況公報か |
06 | トルコを繞る 歐洲情勢微妙 |
07 | 飛行機七百三台を喪失(反樞軸軍) |
08 | 締結の經緯 |
09 | インド政界に旋風 ガンヂー翁斷食開始 |
10 | 明年度豫算案 けふ眾院本會議で可決 |
11 | 無條件釋放要求 全印度民眾蹶然起つ |
12 | 獨軍熾烈な反擊(東部戰線) |
13 | ガ翁の斷食に 英政府、手を燒く |
14 | 武器彈藥缺乏に 重慶悲鳴を擧ぐ |
15 | 赤軍戰車三百五十七臺擊破 |
16 | 東部戰線戰況 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺南州下が第一位 志願兵總數六○一、一四七名 昨年より十八萬增加 |
02 | 質的に格段の向上 樋口軍參謀長語る |
03 | 聖恩獄窓に洽し 二百十七名假出所 |
04 | 中國參戰一個月(下) 對日協力着着具現 國府施策の四目標 治安の確立 民生の安定 生產の增強 |
05 | 防空の必勝態勢 有田大佐基隆で講演 |
06 | 日本の歷史を讚美 きのふの伯林各紙で |
07 | 恩師に辭世の歌 感狀に輝く相澤中尉 |
08 | 馬新臺北總領事 けさ長谷川總督を訪問 |
09 | 圖像:献金樽舁いで街頭を練り步く臺北奉公壯年團員の一日戰死 |
10 | 親子二代の精忠 浙贛作戰の殊勳上林道中尉 |
11 | 稻田法務部長 新竹臺中視察へ |
12 | 堀田行刑課長南下 |
13 | 文藝報國講演會 戸川、丹羽、庄司の三氏を迎へ 全島各地で開催 |
14 | 戰場精神に徹せ 影井中尉・放送要旨 |
15 | 赤誠献金續續 十一日も軍司令部に殺到 |
16 | 生產戰士の龜鑑 八十名に勤勞顯功章 |
17 | 文化映畫筋書募集 |
18 | 國語家庭證書 けふ證書傳達式 |
19 | 市バス値上附議 臺北市豫算內示會 |
20 | 貯蓄へ貯蓄へ 十六日から講演會 |
21 | 教護聯盟理事會 |
22 | 今夜の放送 |
23 | 興南詩苑漢詩 颶風/肇藩 高士穆 |
24 | 商況(十二日前場) |
25 | 興南案內報社消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵船舶六隻を擊沈 我鐵鯨、濠洲東岸で頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表十二日十六時 帝國海軍潜水艦は一月中旬より二月上旬までに濠洲東岸に於いて船舶六隻五萬四千噸を擊沈せり 【リスボン十一日發同盟】メルボルン來電、西南太本洋反樞軸軍司令部は反樞軸輸送船一隻が濠洲東岸沖で日本潜水艦により擊沈されたが乘組員は全部救助され濠洲東岸の某港に到着した旨十一日發表した |
02 | 米、濠連絡危機に瀕す 我が鐵鯨と海鷲の猛活躍で |
03 | 各豫算案を可決原案通り 眾議院豫算總會全く終了 |
04 | 眾議院本會議 |
05 | 兩院の快速審議 |
06 | 桂林柳州兩飛行場爆碎 敵の四據點にも巨彈 |
07 | 我陸鷲縱橫の猛躍 在支米空軍一機も挑戰せず |
08 | 貴院藏相演說 十五日本會議で |
09 | 新竹州市長郡守署長會議 |
10 | けふの兩院 |
11 | 審議中心貴院へ移行 重要法案一齊に殺到 |
12 | 四百七十四億一千萬圓 十八年度の歲出豫算純計額 |
13 | 敵米英、速決に焦慮 戰爭の長期化を恐る |
14 | 勞務配置轉換策 持永勤勞局長の表明 |
15 | 米の船舶難深刻化 |
16 | 世界制霸の野望 米、戰後基地獲得を夢見る |
17 | 奧村每日社長一行寄臺 昨日空路上海へ |
18 | 重要經費の所管別 |
19 | 商工經濟會の中央機關を考慮 岸商相答辯 |
20 | 生活賃金制確立へ 國民生活に一新紀元 |
21 | チヤーチル 下院で報告 |
22 | 赤軍の豫備兵力枯渴(英紙報道) |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 徵兵制の急施を望む社說 一 第二次臺灣志願兵の募集は去る十日を以て締切つたが、警務局發表の通り實に六十萬を突破する驚異的數字を示した。第一次は千名募集に對し四十二萬餘名の應募者があつたが、今回は年齡其の他の制限を附したに拘らず、前回を遙かに上廻つて斯くの如く澎湃たる記錄を樹立したことは、大東亞戰下南方青年の意氣を如實に示すもので洵に心强い現象と斷ぜざるを得ない。臺灣が志願兵の熱意を燃え上らせてゐるとき、朝鮮に於ては早くもそれを卒業して全鮮歡呼の裡、來年八月一日を以て待望の徵兵制度に突入することとなり今期議會に「兵役法中改正法律案」及び「共通法中改正法律案」の二法律案が提出されてゐる、これが審議に伴つて臺灣に於ても徵兵制度を實施してはどうかといふ意見が擡頭、去る六日の眾議院赤字委員會及び豫算總會に於て、議員側の質問に對し政府委員たる齋藤總務長官並に陸軍省那須兵務局長は、それぞれ志願兵入營後の成績に徵し出來るだけ早く實施したいとの意向を闡明するところがあつた。 二 「出來るだけ早く」とか「速かに」といふ答辯が果して何時であるかは、勿論知る由もないが、參考の為朝鮮の辿つた經過を見るに朝鮮に志願兵制度が創始されたのは昭和十三年で、第一回募集四百名に對し應募二千九百四十六名、十四年度は六百名に對し一萬二千五百四十八名、十五年は三千名に對し八萬四千四百四十一名、十六年は同じく三千名に對し十四萬四千六百卅四名、十七年は四千五百名に對し廿五萬十三名、本十八年六千名に對し廿六萬名突破の數字を示した。また入營後の成績も極めて優秀で、戰場に於て幾多の武勳を輝かし旣に靖國の神と祀られた者もあるほどである。而して臺灣に於ては朝鮮に後ること四年にして志願兵制度の施行を見たが“朝鮮に敗けてなるものか”といふ熱意が逬つて遙かに朝鮮を引離して、每回異常の應募者を見てゐることは前述の通りである。また訓練所に於ける成績絕對に朝鮮の後塵を拜するものではなかつた。入營又は戰場に臨んだ場合に於ても同樣であらうことは我等の信じて疑はないところである。 三 思ふに朝鮮臺灣に於ける徵兵制度の施行は、丘員充足を目的とするものではなく、主として皇民としての資質鍊成を第一義としてゐる。この意味からいへば國語習熟の點からいつても、文化普及の點から見ても、臺灣は朝鮮より寧ろ一日の長あるは有識者の一致する見解である。たまたま志願兵や徵兵制度に於て朝鮮が一步先んじたが決して負けてはならない。臺灣に於ける第一回第二回の募集成績は、本島青年の熱烈燃ゆる赤誠を遺憾なく發揮したものと言つてよい、問題は入營後の成績よりも寧ろ志願兵に洩れた大部分の適令青年を、如何にして入營に差支なきまでに叩き上げるかといふ點が徵兵制度實施の時期を決定するポイントである。何となれば四十萬六十萬からの粒選りの青年に對し更に訓練所で磨きをかけて、その成績が惡からう筈はないからである。當局はこの邊にも適當の手を打つて、一日も早く制度實現に邁進されたい。 |
02 | 木造船建造に大御心 檣用材十本を御下賜 |
03 | 陸士へ二名合格 榮光に輝く森本、蘇兩君 本島人として最初 |
04 | 一視同仁の現れ 藤岡軍報道部長談 |
05 | 運輸通信業務職員に敘勳 |
06 | 寔に恐懼感激 寺島遞相謹んで語る |
07 | 性質極めて磊落 蘇文秀君の恩師語る |
08 | 軍人一點張り 父が語る蘇少年の生ひ立ち |
09 | 四年間も級長 元氣な森本憲一郎君 |
10 | 臺灣文化賞記念の夕 昨夜市公會堂で盛況 |
11 | 校長の激勵が動機 臺南二中出身の森本君 |
12 | 宜蘭郡正條密植競技會 |
13 | 島民の熱誠を集結 海軍への献金三百五十萬圓 |
14 | 時局の再認識 竹内中佐桔俱に講演 |
15 | 藤岡軍兵務部長 皇奉名譽訓練部長に就任 |
16 | 國旗の揭旗日 新たに三日を追加 |
17 | 全力盡して職域に奉公 菊池訓練部參事感想を語る |
18 | 偲ぶ海の聖將 “東鄉會”けふ發起人會 |
19 | 日婦臺灣本部 皇奉の外廓團體として新發足 |
20 | 佳き日に補助貨回收に奉仕 日婦下奎府町第一分會 |
21 | 市バスの値上げ 昨日豫算內示會で諒解 |
22 | 鄉軍東第一分會の行軍演習 |
23 | 彈丸の一發に 奉壯團一日戰死の活躍に感激 中學生が申合せ献金 |
24 | 雜品物價專門委員會 |
25 | 作家懇談會 |
26 | 詳細に事情調查の上で善處 滿尾鐵道部長談 |
27 | 武井光三氏に醫博 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 昨年の四倍強 新竹州の志願兵十萬二千餘名 |
02 | 國民的感激の現れ 志願兵募集の好成績に 明知市長喜びを語る |
03 | 神社献木運動 嘉義市當局市民に呼かく |
04 | 子寶十四人家庭(二)子供中心の生活 成長を樂しむ陳陸氏 |
05 | 志願兵體格檢查 新竹市はけふより一週間 |
06 | 猴硐構內社 鎮座祭を擧行 |
07 | 適格青年出盡した蘭陽三郡 |
08 | 新莊郡街庄協議會日割 |
09 | 各地の紀元節 鶯歌 三峽 龍潭 |
10 | 新竹女音樂舞踊會 |
11 | 重點主義に編成 花蓮港市の豫算案なる |
12 | 鬪ふ產業戰士 きのふ晴れの表彰式 |
13 | 奉公の決意新たに 新竹州支部結成式高砂族從軍記念會 |
14 | 基隆防諜聯盟總會 |
15 | 臺南桔俱が田植ゑ奉仕 働く者のみが味へる 粒粒辛苦の愉悅感 |
16 | 國語で通せ臺灣の玄關 基隆市役所が常用強化に馬力 |
17 | 育英に二十六年 教育功勞者中條氏 |
18 | 圖像:曉に待機の海鷲 |
19 | 劃期的施策を決定 新竹州の山地振興協議會 |
20 | 羅東米穀組献金 |
21 | 軍艦献金募集 中師鍊成報國團街頭に立つ |
22 | 每月半日分の給料を献金 新竹自動車運輸 |
23 | 赤誠の献金品 軍司令部(十二日) 國防献金 恤兵金 献品 |
24 | 新化郡華僑公會硬貨回收に協力 |
25 | 員林江原氏献金 |
26 | 岩切檢察官告別式 |
27 | 煙草屋の盜難 |
28 | 人事報社消息 |
29 | 地方多より |
30 | 今日の映画演藝 |
31 | 基隆の映画 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 企業整備更に前進 政府萬全策を考究 商相答辯 |
02 | 本島企業整備積極化 職業補導所等設置 |
03 | 纖維工業の南方進出 目下中央で研究中 |
04 | 國民貯蓄功績者懇談會 歡樂街の繁昌(五) 國民貯蓄に大影響 |
05 | 貿易會部課長決定 |
06 | 農業團體統合案 殖產局で急ぎ決定 |
07 | 本島機帆船運賃 內地に呼應して改訂か |
08 | 華南銀行總會 廿六日に開催 |
09 | 計畫造船を促進 造船資材會社近く強化 |
10 | 電氣工事合同案 指定店を繞つて暗躍 |
11 | 臺灣精米創立總會 社長は加藤博一氏 |
12 | 花蓮港アルミ工場 近く全能力で操業開始 |
13 | 東亞經濟懇談會 十五日に幹事會 |
14 | デリス根等の移出入 統制規則實施で一元化 |
15 | 照明燈 |
16 | 商況(十二日後場) |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(889)/黃得時;碇政彌 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 豫算案眾院を通過 けふ本會議で全會一致可決 |
02 | 現地機構を整備強化 交易營團の分團を設けず 外地交易調整 |
03 | 轉廢業者の指導 |
04 | 町内會隣組の整備 翼贊會成案を上申 |
05 | 勞務行政權限の統制會への委讓 |
06 | 赤軍一日間の損害 |
07 | 國民通信上の防諜 敵米英の情報反攻を擊滅せよ |
08 | 圖像:嚴寒の山西前線に活躍する皇軍勇士(上) |
09 | 貴院豫算總會 十五日に開會 |
10 | メラウケ西方基地猛爆 |
11 | 萊蕪、新泰縣の共匪 國民政府陣營に歸順 |
12 | 反英の騷擾再燃 ガ翁の斷食大反響 |
13 | 米英一流の媚態外交 重慶の泣訴に空手形 |
14 | 笑止・英首相の演說 獨政府筋、見解を表明 |
15 | 樞軸軍連絡成る チユニジヤ確保の態勢 |
16 | ガンヂー翁の即時釋放要求 |
17 | 印度政廳の暴擧 不法射擊、死者九百餘名 |
18 | 中國在勤海軍武官更迭 |
19 | 米、勞力不足豫定地域を指定 |
20 | ソ聯占領地區新統治令發布 共產機構を撤廢 |
21 | 日ブ友好關係益益緊密 |
22 | 新竹州保護委員辭令交付式 |
23 | 防諜映畫上映 |
24 | 奧信一中將逝去 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 總額千三百餘萬圓 決戰第二年の島都豫算 歲入增減調 新規竝增額計上事業 |
02 | 筋骨隆隆の逞しさ 新竹市志願兵の體格檢查始る |
03 | 來れ育英の青年 臨時教員養成講習會 三月十五日から開く |
04 | 從軍記念會基隆市支會 昨日結成式擧行 |
05 | マライ戰鬪回顧(上) ジヨホール水道渡過以後 |
06 | 山地授產擔當者 十五日から講習會開催 |
07 | 防衛團幹部の室內待避訓練 |
08 | 高砂族に福音 六年教育制愈よ新學期より實施 |
09 | 現地船員養成所開所式 |
10 | 南進商會献金 |
11 | 續く慰問部隊 |
12 | 窓枠に咲く氷花 國境前線江戶ツ子部隊の座談會 |
13 | 臺灣住宅營團評議員會 鐵道ホテルで |
14 | 七星山七峰廻り |
15 | 興南詩苑漢詩 少奇將乘飛機往菲律賓作馬尼拉新聞之漢文編輯主任詩以送之/林灌園、輓振生翁玉世伯二首/補莊 |
16 | 松島氏献金 |
17 | 子を持つ親に注意 |
18 | 狂犬病豫防注射を實施 |
19 | 今夜の放送 |
20 | 商況(十三日前場) |
21 | 興南案內報社消息 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | レンネル島沖海戰詳報 見事に敵艦胴腹に命中 薄暮を利用、敵の虛を衝く頭條新聞 【東京發同盟】◯◯基地にて十三日高原海軍報道班員發 健氣にもソロモン群島に反擊を企てて出動した米國主力艦隊もわが海鷲必殺の雷撃の前には所詮敵ではなかつた、戰艦、巡洋艦驅逐艦からなる敵大艦隊は一月二十九、三十兩日のレンネル島沖における慘めな敗北に敢なくも算を亂して遁走し去つたのである帝國海軍部隊の輝しい傳統の雷擊はハワイ、マライ沖、珊瑚海、ソロモン海、南太平洋の海戰についでここに又敵戰艦、甲巡各二隻を太平洋の底に叩き込んで更に新しき勝利の一頁を加へたのだ、レンネル島沖海戰に擧つた榮ある海鷲の凱歌である、而もこの海戰の行はれた海面こそは昨秋帝國戰艦が最後を飾つた附近、今こそ、その復仇が海軍航空部隊の手によつて成し遂げられたのだ、又この攻擊の第一に敢行された薄暮雷擊は開戰以來始めてのことであつたが果敢無比のわが海鷲はあらゆる困難を克服してこれに成功、大東亞戰爭史上にこれ又新しき記錄を殘したのである、現地の航空部隊にあつて得た同海戰の詳報は次の通りである 南太平洋に連日嚴重な警戒の目を光らせてゐるわが索敵機が敵主力部隊を發見したのは二十九日朝であつた、敵は大部隊をもつてソロモン群島南端サンクリストベル島の南方沖合を北上中である「敵主力部隊見ゆ」の第一報が直ちに打電された前後左右に驅逐艦を配して嚴重に警戒しつつ戰艦三隻を先頭に甲巡三隻更に乙巡數隻、米軍得意の輪型陣が洋上に白い航跡を殘して進航してゐる索敵機はその狀況を刻刻打電した、この報を受けた基地には一齊に緊張の空氣が漲つた、待望の好餌來る、今こそ日頃の腕にものを言はせて敵艦を太平洋の海底深く擊沈する時が來たのだ全員は敵艦隊の行動を固唾を飲んで注意すると共に出擊命令を今や遲しと待ち構へた これを知つてか知らずか敵主力部隊は一路北西へと航行を續けてゐる、觸接機は勇躍現場を目指して飛び立つた、やがて◯◯時◯◯分基地に雷擊命令が傳へられた「雷擊だぞ」凄愴の氣が基地全體に蔽ひ搭乘員達には決死の色が溢れた、天候に支障なし、準備に拔かりなし、プロペラは即刻快調を奏で始めた「成功を祈る」力強い部隊長の言葉に送られてN少佐の率ひる一隊、H少佐の率ひる一隊と相次いで砂煙を殘して基地を發した敵艦を狙ふ魚雷は薄氣味惡く光つて各機の腹に抱かれてゐた時に◯◯分薄暮を利して敵の虛を衝きこれを擊滅しようと言ふ策である、ソロモン海上空を驀らに進む雷擊隊がまつ果さなければならぬことは敵艦隊の捕捉であつた、觸接機から刻刻敵の位置が報ぜられては來るが廣い洋上にその敵艦をうまく摑むことは頗ぶる至難の業と言はねばならない、而も所在豫想點に到達する豫想時刻は夕刻である、敵發見は更に至難の業と思はなければならぬその困難を豫想しつつ海鷲の編隊は堂堂と進んで行つた、赤道附近の明るい太陽はだんだんと西に傾き始めて雷擊機が豫想點に近づいた頃には赤い夕陽となつた、熱帶の夕燒けは短かい海面を金色に照したと思ふと間もなく薄暮であつた、編隊は豫想點を南に迂回してガダルカナル島の南西方に橫はる◯◯島に向つた、◯◯島附近から天候は曇りとなり雲は百米位まで垂れ下つてゐた、その上薄い夕靄が海面を蔽つてゐて視界は頗る狹かつた、雷擊隊は高度を下げてその雲の下に出ると針路を北に取つて敵の發見に努めた暮色は愈愈迫つて視界は益益狹くなつて來た この時を逃したらば或ひは敵艦を取り逃してしまうかも知れない、全機は目を皿の樣にして海上を見守つた暗い海面をすぐ下に見ながら編隊は只、ひたすらに敵發見を念じつつ豫想點に向つて進んだそして指揮官機から觸接機にて「○○時○分攻撃の豫定」と報告されたその一刹那であつた何と言ふ天佑が、暗い海上に數條の航跡が微かに水脈の樣に尾を引いてゐるのが認められた「ゐた」「敵艦だ」M中尉が双眼鏡を當てて航跡を辿ると遙か彼方に黑點が認められたそして大きく翼を振つてその發見を知らせようと努めただが殆んどこれと同時に指揮官機もその航跡を發見して直ちに編隊はその航跡を左下に認めながら進む針路を取り高度はどんどん下げられた、夜の帳は寸前に來てゐる薄い航跡は進むに從つてその白さを增して來た その白い航跡の向ふぼつと黑い影が浮んだ「居たぞ」各機は敵發見の感激に打震へると共に攻撃の態勢に移つた日没後約○○の○○時○○分であつた、ほんとうに微かな薄明が西の方に殘つてゐたそして雷擊隊の背後には暗雲があつた、之こそ又とない絕好の攻擊態勢である、敵はまだ自分の末期が直前にあるのと感知しないのか全然防禦砲火を射出して來ない、素早くこの好機を捉へN大尉の一隊はぐつと右へ旋回して主力艦目かけて猛然と突込んで行つた高度○○米、雷擊機は驅逐艦の上を乘越えて進んだ、しかもまだ敵は擊つて來なかつた敵の一番艦をこの隊は目標にした、全速を擧げて進む敵戰艦の艦首に近づいた時必中の魚雷は續續と發射され、敵艦に向つて走つて行つた、その時敵は漸く一齊に防空砲火の砲門を開いた、既に暗夜に變じかけた海上一面に赤い火花が散つた、或る勇士はこれを兩國の花火に□へ或る勇士はまるで「アイス・キヤンデー」が飛んで來るようだつたと言つてゐるN大尉の機の魚雷は見事に敵艦の胴腹に命中した續いで○發の魚雷命中である、N大尉の隊に前後してN少佐、J中尉等の隊も敵艦列に突つ込んで更にO中尉の隊も、N少佐隊の目標は敵の一番艦と二番艦である、驅逐艦から、巡洋艦からそして戰艦から擊出す防禦砲火が味方に取つて逆にいい目標になつた、それを縫つて進むと眼前に黑い小山の樣な戰艦が現はれた、腹の底から振り絞るやうな聲で“發射用意”“擊て”“魚雷發射”見よ、○本の魚雷が小氣味良くも二番艦を貫き敵艦はぱつと火の手を擧げたではないかO中尉の隊はその二番艦とそれに從ふ三番艦の敵甲巡を目標に擇んだ、手練の魚雷は正しく甲巡にも命中したと見る間に甲巡は艦首を上に上げると暗黑の海に沈んで行つたのであつた 各機は任務を終はると熾烈な防禦砲火の中を突拔けて避退した、文字通り艦橋すれずれに敵艦の上を飛越えると更に敵の艦列があつた、そしてその次に又驅逐艦が控へてゐる、その上攻擊前に味方を利した薄明は敵艦列を橫切つて避退する雷擊隊に取つて逆に不利な狀態となつた、敵はこの時とばかり集中砲火を浴せかけた、M二飛曹はその一彈を受けて頭部を粉碎壯烈な機上戰死を遂げた、またN少佐は臂部に痺れるような痛さを感じた、一彈が電信機を貫き更に坐席を貫いて少佐の臂部を傷づけたのであつた、敵の防禦砲火の網の中を潜り抜けて各機が避退を終つた頃既に全く夜の幕が下り切つてゐた、その闇の中をこの編隊に續いてH少佐の一隊が殺倒して行つた、敵艦の炎上を目當てたこの一隊は突込んだ、燃え上る敵の二番艦に魚雷が集中された、指揮官機は猛然と突擊したが必中を期したためか思ひ切つて敵前に反轉して雷擊をやり直した、そして魚雷を投下したその瞬間であつた敵の一彈が命中して機はばつと火を吐いた、最早これまでと覺悟したH少佐機は敵艦橋に悲壯な體當りを喰はして壯烈な自爆を遂げたのであつた、この猛攻を受けて敵二番艦も一溜りもなかつた、 全艦火達磨となりながら遂に海底の藻屑と化してしまつたのである、かくて○○時○分から○○時○分に亘る○時○分の息もつかせぬ海鷲の果敢な攻擊は終つたのである攻擊終了の報を得た基地では夜間着陸に萬全の準備をして雷擊機隊の掃投を待つた空一面降るような星であるが月のない闇夜である、途中惡天候に出逢ふものなら一大事である、無事に歸投を望む部隊長や○○長の心痛は一通りではなかつた、幾度か無電の連絡狀況を確める○○長の聲が聞えた、だが平素の猛訓練に物を言はせた海鷲の夜間攻法は見事であつた、島影もさだかに判らぬ闇の中を續續と基地に戻つて來た、星かと見違ふ機尾燈の光が基地上空に見えた、着陸のために僅かな燈火が飛行場に點ぜられると爆音も誇らしげに相次いで着陸した、これも訓練の賜物かその着陸には少しの危な氣もなかつた、指揮所に歸つて乘員は黑板に自分の機の番號を書いてその歸投を告げた、やがて傷いたN少佐を前に全員が整列、部隊長に報告が行はれたが指揮官の聲は淡淡としてこれが今生死境を往來した人の聲とは思はれなかつた、指揮官機からN少佐を傷づけた敵彈が發見されそれは細長い鋼鐵の彈であつた、若し一寸でもこれが外れてゐたら大變なことになつてゐたらうが當り所が良かつた、誰が少佐の尻が敵彈を撥ね返したと笑ひ小佐も「今度は年貢の納め時だと思つた」と述懷したがこれも生きて還ればこその朗話である、この攻擊のわが犧牲はH少佐機を含めて○機であつた 翌三十日早朝から出動して索敵機が發見したのはちりちりばらばらになつて遁走した敵が殘した一隻の傷づいた敵戰艦とこれを曳行する巡洋艦とであつた、前日基地の關係から殘念ながら攻擊に間に合はず手具脛引いて○○基地に待機中の航空部隊に雷擊命令が發せられた、勇躍鵬翼を連ねて雷擊隊が現場に向つた、そしてガダルカナル島南方をグラマン戰闘機に護られて速力四、五浬で油を曳いて南下する敵艦を捕捉した、これあるを覺悟して備へた激しい敵の防禦砲火を潜り敵機と猛烈な空戰を交えながら○○時○分雷撃隊は突擊を敢行した、手負ひの戰艦は右に傾斜しつつ全艦猛火に包まれつつ沈没した、また巡洋艦も同樣全艦火と化して艦尾から浸水して海底に消え去つた、しかもこれを掩護したグラマン戰闘機も空戰によつて三機擊墜しまさに前夜の攻撃の止めを刺し南海に輝かしい勝利の記錄を打樹てたがこの日未歸還機は○機を數へ前日と合せて十機がこの戰果の蔭に犠牲となつたのである |
02 | 觀測斥候氣魄の殊勳 樹上の坐禪三晝夜 大任を果し、我勇士達引揚ぐ 星野中尉 飛行機場片隅 五名の勇士 身動き一つ |
03 | 敵艦船廿六隻擊沈破 飛機二百三十七機を葬る |
04 | 臺灣、朝鮮に設置 交易營團の分團を |
05 | 敵艦船擊沈破合計百八十一隻 |
06 | 悽愴苛烈な連續血戰 |
07 | 眾議院本會議 |
08 | 會社工場の轉勤簡易化 |
09 | けふ兩院共休み |
10 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 大東亞交通と臺灣の使命社說 一 大東亞交通政策は如何に構想さるべきかは昭和十七年七月一日の大東亞審議會に於て旣に審議されその答申に係る大東亞交通基本政策に依れば「大陸と海洋と島嶼により構成せられたる大東亞圈を開拓し、皇國を核心としてこれが有機的結合を圖り、國防力を充實すると共に、物資の交流を確保し、產業の建設を促進せしめ、もつて大東亞戰爭を完遂し、大東亞の根基を强化し、進んで世界新秩序建設に於ける皇國の主動的地位を確立するを主眼とする」とその基本方針が明瞭に宣言されてゐる。要するに大東亞の盟主たる我國を中心に八紘を一宇とする肇國の大精神に基き、大東亞諸民族の生存發展と世界新秩序の確立を目的として政治上、軍事上、經濟上その他凡ゆる觀點よりして、大東亞圈內に於ける交通の意義を明確に把握し、交通施設の綜合的有機的整備擴充とその綜合的統制運營とを圖ると共に、他方交通行政機構の整備統合を期することが今日指導國たる我國に課せられた國家的課題である。 二 然らばこの大東亞交通理念に基き、臺灣は如何なる使命を課せられてゐるか。又之に對して如何なる施設をなすべきかは刻下臺灣の重大課題であらねばならぬ。先づ臺灣の地理的位置について見れば、本島は略略大東亞共榮圈の中心的地點にあり、日本本土と南方地域との中間に位し、南支と比律賓とは一衣帶水の位置を占め、更に海南島、佛印、泰國、東印度、マライ、ビルマ等に對しては放射中樞的關係に置かれてゐる。この地理的條件は必然的に日本本土と南方地域とを連結する海空交通及び通信の中繼基地たらしめざるを得ないのである。殊に南方建設が多く船舶に依存する現下の實情に於て、臺灣の南方交通線上に於る地位は極めて重大なものとなるのである。從つて從來主として內臺間交通を樞軸としての交通政策を一擲して新たに對南方交通上の中繼基地としての使命に邁進しなければならない。この重大使命を果す為には昭和十六年十月廿八日に開かれた「臨時臺灣經濟審議會」に於て、旣に對南方交通を考慮に入れて樹立された本島の「交通施設擴充方策」は依然基本方針として將來の進むべき方向を示し、大東亞交通政策に照應し、速かなる擴充を圖るべきである。 三 元來臺灣の交通施設は產業の驚異的發達に比し、その整備が非常に遲れてゐる。況んや大東亞交通政策上の對南方基地たらんとしてゐる現狀より見るとき、從來よりも一層大なる視野のもとに、その擴充を圖らねばならない、審議會の決定された交通施設擴充方策の基本方針として次のやうな諸項目が擧げられてゐる 一、交通の綜合一貫性に鑑みて、各交通機關の有機的連繋の確保海陸輸送能力の增强を目標とせる統合的整備擴充を圖ること 二、內臺間交通施設の擴□、改善、强化を行ひ、經濟的文化的紐帶の强化を圖ること三、南方圈に對する交通路の一環たる臺灣に相應しき施設をなすこと 四、臺灣に於ける交通諸施設の能力に人的、物的、技術的彈力性を保たしめ、餘力を以て南方圈交通建設工作に協力し得るが如く準備すること 以上諸項目の意圖する所は極めて明白であつて、臺灣の基地的使命を果する為には本島の鐵道、自動車道路、海運、港灣などの施設が過少であり、且つこれら諸部門の協調が不十分であつて施設の擴充と統制とを必要とするのである。殊に臺灣は南方諸地域と日本とを結ぶルートの結目に當つてゐるが故に、これら諸民族に對し日本の政治的意圖を傳へ、その經濟的協力を促進し、或は文化の浸透に資すべき放送事業、電氣通信、航空、海運などの施設を速かに整備すべきである。就中海運と港灣擴充は本島工業化促進の前提的要件であることを知らなければならぬ |
02 | 新嘉坡陷落一周年 “敗れたる將軍”ヒースの敗戰回顧錄現はる 敗戰より見て將來への考察 |
03 | 目指す譽の志願兵 海外籍民からも多數應募 |
04 | 圖像:海外籍民の志願兵 |
05 | 日本軍戰勝の豫想 秘密と奇襲 機動性の卓越 協同精神 兵力の運用 士氣 指揮能力の優秀性 |
06 | 偲ぶ“聖將の偉勳” 東鄉會臺灣本部發起人會 |
07 | 二十五萬圓の增 宜蘭市の本年度豫算 |
08 | 蘭陽一市三郡金融懇談會 |
09 | 慰問袋の調製法 偕行社で協議會開催 |
10 | 羅東郡砂糖小賣商組合 |
11 | 保甲制度に則り 下部組織を確立 全島華僑大會に附議 |
12 | 木炭增產好成績 二月末優良府縣表彰 |
13 | 日婦宮前區分會鍊成會 |
14 | 宜蘭市二期米供出打合會 |
15 | 最高初級賃錢 適用期間を短縮 |
16 | 山内警務局長歸任 |
17 | 池内高等法院長十六日來中 |
18 | 羅東奉壯の懇談會 |
19 | 早川保安課長彰化視察 |
20 | 學校人事異動 |
21 | 倉田百三氏逝去 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 生產強化の豫算 新竹州農會總會で可決 |
02 | 卓見を聽く 新竹市奉壯團陣頭指揮懇談會 |
03 | 傷痍軍人會總會 |
04 | 新竹州下市街庄協議會日割 |
05 | 子寶十四人家庭(三)食事は三卓の賑さ 隔年毎に生んだ十四人 |
06 | 竹南郡の志願兵 去年の四倍餘 |
07 | 兵隊さん滿悅 明治校兒童の演藝に破顏 |
08 | 山の神秘にメス パイワン族の歷史 探究に民俗調查團潮州郡へ |
09 | 中壢郡第一種青年訓練終了 |
10 | 時局認識啟發宣傳に 花蓮港皇奉支部宣傳委員蹶起 |
11 | 教育報國の誓ひ 中壢街教育大會で決議 |
12 | 適齡兒童殺到 嘉義郡收容に腐心 |
13 | 烏山頭で攻防戰 臺南州青年學校の野外演習 |
14 | 屏東孔子祭 |
15 | 今度も買はう 第七回貯蓄債券近く發賣 |
16 | 防毒講習會 |
17 | 必勝實踐五項目 北斗街奉壯團懇談會で申合 |
18 | 食糧增產打合會 |
19 | 鄉土の特產品 代用品展に續續お目見得 |
20 | 圖像:ビルマ國建設の感激に沸く蘭貢 |
21 | 女の相談相手 女方委近く實現 |
22 | 花蓮港工業落成式 |
23 | 荷役力發揮に 更に連絡委員會設置 |
24 | 高雄司法保護委員辭令交附式 |
25 | 拓南窯業芒埔工場落成式 |
26 | 頭分農事講習會終了 |
27 | 赤誠の献金品 軍司令部(十三日扱) 國防献金 恤兵金 献品 |
28 | 竹南郡下の畫劇挺身隊結成 |
29 | 彰化市鄉軍記念射擊會 |
30 | 屏東市南分會の射擊會 |
31 | 人事報社消息 |
32 | 地方多より |
33 | 第三回決算公告/集大產業株式會社 |
34 | 今日の映画演藝 |
35 | 基隆の映画 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 農林業團體統合 殖產局案一本建に決定 月末には府案で解決せん |
02 | 木材、木炭の增產事情 豐岡府山林課長放送要旨 島內の木材生產消費狀況 木材需要の增大 木材統制の斷行 木炭の需要增加 政府の施策 |
03 | 森林資源の確保 府で部分林制を考慮 |
04 | 機帆船運航能率增進策 獎勵金制度を設定 |
05 | 主要食糧增產確保委員會設置 |
06 | 臺灣有價證券 第一回定時總會 |
07 | 補助硬貨回收高 四百卅萬枚、金額廿八萬七千圓 |
08 | 三和高雄支店長更迭 |
09 | 臺電理事增員 增谷悠氏を起用せん |
10 | 重要鑛物增產令 本法檢討の上改正 |
11 | 農林業團體統合協議近く開催 |
12 | 照明燈 |
13 | 商況(十二日後場) |
14 | 北濱雜觀 |
15 | 島內株仲值表 |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(889)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大東亞鐵壁の布陣 十億一丸・米英を擊滅頭條新聞 【東京發同盟】大東亞戰第一年にして我が神速果敢な作戰は南方諸地域を其の手に收め、各要地には有力な作戰據點が整備され、一方尨大な戰爭資源の確保と相俟つて南方諸民族の我國への協力はめざましいものがあり、ここに我が大東亞全域に亘る政戰兩略の鐵壁の態勢は確立されるに至つた、敵米英は我鐵桶の布陣に對し其の物資と工業力に物を言はせて敗勢挽回に汲汲とし、ビルマにニユーギニヤにソロモンに執拗な反撃に出て居り、特に本年こそは大東亞戰總決戰の年である、かかる狀勢に對應し我戰力を飛躍的に增強せしめる事は現下の至上命令であつて、之が完遂と並行して確保した南方諸地域をして政治、經濟其他各分野に亘り、我が戰爭目的に積極的に協力せしめる事が要請せられる尨大な戰爭資源も十億の民族も戰爭遂行の一點に其のすべてが集中されてこそ、其所に大東亞共榮圈建設の理想實現の意義があるのである、此の見地からする我共榮圈施策、就中 南方施策の展開に對しては甚大なる期待がかけられてゐる、之を先づ議會に於ける東條首相の言明に見よう、即ち東條首相は去る一月二十八日の議會再開劈頭其の施政演說に於て、「マライ、スマトラ、ジヤワ、ボルネオ、セレベス等に於ては皇軍の指導下に治安は全く回復し住民は喜んで業に服して居り、帝國は原住民年來の要望に應へ其の安住の地たらしめん事を期して、着着成果を上げて居る」と述べた、而して注目すべき事は東條首相は去る七十九議會で中外に闡明したビルマ、比島の獨立問題に付同演說中で「ヒルマでは治安は既に回復しバーモ長官を中心としビルマ人は擧げて現地皇軍に協力して大東亞建設に資せんとして居る、帝國はおそくとも本年中にはビルマの獨立を認める」と言明した事である之は十億の民族を解放する事に依つて 大東亞に新秩序を建設せんとする帝國の真意を事實を以て明示すると共にビルマの政治其他各般に亘る我國への協力が僅か一箇年の間に格段の進展を見た事を物語るもので大東亞共榮圈確立に一段階を劃するものとして其の意義は蓋し重大である、又比島に對しては其の獨立の時期が成可く速かに到來せん事を期待するとしてこれ又先の聲明を重ねて闡明した此の一環の事實は敵米英が常に口にする似非人道正義とは根本的に異り、帝國の大東亞建設の熱意が如何なるものであるかを世界に明示したものと云ふべく、中立國其他に與へる影響は蓋し大なるものがある、一方佛印、タイの關係を見るに佛印は米英の佛領北亞不法侵入以來各分野に亘る對日協力態度は頓に積極化し去る一月二十日の日、佛印決濟式に關する交換公文の締結、續いて同二十五日の日佛印經濟協定本年度實行取極め妥結等は日佛印の緊密關係を如實に物語るものであり、泰國については開戰以來の全面的協力關係は大戰の發展に伴つて微動だもせず 戰時經濟の協定に引續き過般文化協定を結ぶ等泰國は擧げて大戰を日本と共に戰ひ拔く決意に燃えてゐる、飜つて日、滿、支三國の一體關係は大東亞戰爭勃發と共に一段と強化され北方の護りとして或は又我が後方兵站基地としての役割を餘す所なく果しつつあつたが去る一月九日の國民政府の參戰に依り日華關係は劃期的新段階に入り我國は之に應ヘ先の日華基本條約に基づき租界還付、治外法權撤廢を斷行する事となり現にその具體策を審議する委員も任命され又在華敵產の國府移管を斷行、之等は相俟つて國民政府政治力強化に大なる貢献をなす事が期待される、斯くして日本の誠意の支那四億民眾への浸透は今回の國府參戰を通じて大東亞民族を打つて一丸とする米英擊滅、新秩序建設への大進軍に發展せんとしてゐる |
02 | 緬印國境英軍陣地を爆擊 我荒鷲、十三日二回に亘り |
03 | 又メラウケに巨彈 |
04 | 重要法案の成立へ 貴院で最後的仕上げ |
05 | 連日英本土猛爆 獨空軍兵力急激に強化 |
06 | 週間國際展望 樞軸必勝の決戰態勢 南太平洋戰線の新展開 ドイツの國內總動員 イタリア内閣改造 |
07 | 開封領事館 四月一日開館 白井領事北京着 |
08 | 滿洲鐵鋼の對日供給 武部總務長官談 |
09 | 十八年度國民貯蓄二百七十億圓 獎勵委員會で正式に決定 |
10 | 東部國境方面の戰局 英印當局の發表 |
11 | アジア民眾の解放に インド民眾鬪はん 新嘉坡陷落一周年、ボース氏談 |
12 | 圖像:日本、ブルガリア文化協定調印式 |
13 | 外務辭令 |
14 | 勤勞行政の簡捷化 三勅令の施行規則を改正 |
15 | 敵機四機を擊墜 小癪ビルマに來襲 |
16 | ルーズヴエルトの手前味噌 |
17 | 蔣系敵匪を討伐 山東南部、戰果擴大中 |
18 | 米英兩國の商船隊勢力 |
19 | ハリコフ地區 獨軍、總反擊を展開 |
20 | けふの兩院 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 輝しき未來建設へ 新嘉坡陷落一周年大達昭南市長語る |
02 | 皇軍の獅子奮迅振 新嘉坡島攻擊最前線部隊長市川少佐回顧談 陣地 奇妙 我方 萬歲 |
03 | 臺灣俘虜收容所見學記 我が皇軍を絕讚 米英俘虜たちの述懷 |
04 | 學徒の射擊大會 昨日三張犁で開かる |
05 | 高木馬公警備府司令長官 荷役狀況を視察、激勵 |
06 | 志願兵訓練所生を慰問 畫劇挺身隊城南分隊 |
07 | 繰展ぐ人馬一體の妙技 臺大報國學友會の騎道大會 |
08 | 公正な取扱に感謝 ヤングと一問一答 |
09 | 迷妄醒めやらぬパーシバル 豪語には既に空虛な響き |
10 | 陣頭指揮精神の昂揚へ 新竹市奉壯團主催、懇談會を開催 |
11 | 田中前訓練部長歡迎會 桔梗主催、きのふ北二女で |
12 | 港都國民校聯合慰問學藝會 |
13 | 防空打合會 |
14 | 榮町の晝火事 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 戰鬪と建設の一年 反日の牙城一轉、帝國南進の基地 脈打つ新生大昭南の息吹 南進基地「昭南」 けふ新嘉坡陷落一周年 住民の協力 華僑 |
02 | 氾濫する日本語 闊步する原住民の喜び |
03 | 圖像:昭南島に今ぞ輝く感激の日章旗 |
04 | おおこの平和な姿 建設昭南への再入城記 |
05 | 昭南の日本語普及 複雜な言語系統 超滿員の日語校 まづ日本精神を 「日本語一ケ年の成果」 |
06 | 二林街防衛團體鍊會 |
07 | 中寮山強步大會 |
08 | 今日の映画演藝 |
09 | 基隆の映画 |
10 | 訃文:佐野悌之進 |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 武勳東亞に輝やく 護國英靈の慰靈祭 |
02 | 日の丸辨當腰に 森田知事、新高郡で米作指揮 |
03 | 團の活動狀況報告 北斗郡の皇奉團體查閱 |
04 | 奉公理念の透徹 皇奉臺南支部本年度の事業 |
05 | 子寶十四人家庭(四) 三峽街の陳家を訪ねて 苦心の中にも誇り 病氣一つせぬ健康部隊 |
06 | 屏東市第三種空訓 |
07 | 埔里街常會研究會 |
08 | 鄉土藝術の異色 影繪、人形芝居再登場 |
09 | 突擊に繼ぐ突擊 壯烈な拂曉戰展開 臺南州青年校野外演習閉幕 |
10 | 高雄港の給水船愈よ實現 |
11 | 臺中美術展出品者座談會 |
12 | 村田員林郡守 管內初巡視 |
13 | 生產魂を磨く 勸業關係職員鍊成會 |
14 | 增產澎湖島 大田廳長が激勵巡視 |
15 | 新高郡防空講習會 |
16 | 嘉義郡畫劇挺身隊結成式 |
17 | 鳳山の結成式 |
18 | 員林郡養豚增殖 馬匹飼養競技授賞式 |
19 | 嘉義郡製菓統制會社總會 |
20 | 臺南州視學學校長異動 |
21 | 國民學校經營研究會 |
22 | 合同パイン佐野氏 |
23 | 人事報社消息 |
24 | 地方多より |
25 | ラジオ |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國府軍事力強化へ 第二次全國軍事會議を召集 全國將領一堂に會す |
02 | 樞軸軍不敗の態勢 チユニジヤ戰線降雪 |
03 | 獨軍の形勢好轉 ハリコフ、極度の緊張 |
04 | 圖像:○○基地に待機の海鷲 |
05 | 大戰果擧げて 伊潛水艦歸還 |
06 | 貴院本會議上程 三月二、三日頃か 十八年度總豫算案 |
07 | 最近の經濟政策加田哲二 |
08 | 獨軍ロ、ヴ兩市を組織的撤收 |
09 | 秩序整然たり 獨軍撤收の狀況 |
10 | 兩軍血みどろの攻防戰 |
11 | 獨軍發表戰況 |
12 | 赤軍無謀な作戰 獨軍の好餌となる |
13 | 新生の一途を驀進 朗色と慶び溢る昭南市 |
14 | 圖像:不斷の討伐行は續く |
15 | 十三日の戰況 |
16 | 蜂谷外事部長等が出席 第二回南支經濟會議に |
17 | 獨潛艦の脅威增大 米英の死命を制す |
18 | 無智を表明 ルーズヴエルトの演說 |
19 | タイ國人民會議長特別緊急議會召集 |
20 | ガ翁即時解放要請 印度各派代表緊急會議 |
21 | 國民校一校新設 花蓮港市義教實施に備へ |
22 | 花女音樂會 |
23 | ガンヂー翁容態惡化か |
24 | 大東材木商行献金 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | パレンバン攻略一周年 航空史上に燦たり 空の神兵語る○○中佐 |
02 | 戰鬪員に劣らぬ苦心 昭南海軍部隊建設一年 |
03 | お山の子寶家庭 花蓮港廳で表彰を計畫 |
04 | 忠靈に捧ぐ掛軸 安藤軍司令官奉納の揮毫 けふ奉告祭を擧行 |
05 | 官吏側の奉公運動 愈よ本格的に展開 府課長懇話會で挺進を申合せ |
06 | 基隆市支會の班長連絡會議 |
07 | 山木基隆稅關長來新 |
08 | 授產擔當者 講習會開始 |
09 | 督府定例局部長會議 |
10 | 推進員指名式 今夜市民講堂で |
11 | 吳丕廷氏献金 |
12 | “日米開戰の前夜” 野村前駐米大使近く來臺 全島各地で巡廻講演 |
13 | 作れ!鐵の力 初の國民體力向上修鍊會 三月全島一齊に開催 |
14 | 戰力增強に拍車 地域別に懇談會開催 |
15 | 赤誠の献金部隊 新嘉坡陷落一周年記念日に 續續軍司令部に殺到 |
16 | 米增產へ驀ら!!水利臺北州支部發足 |
17 | “敗れた將軍” 愈よ十五日から上映 |
18 | 煙幕 觀劇の態度 |
19 | 今夜の放送 |
20 | 人事・消息報社消息 |
21 | 商況(十五日前場) |
22 | 興南案內報社消息 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 水雷戰隊に初の感狀 敵艦七隻を擊沈破 バリ島攻略戰に偉功頭條新聞 【東京發同盟】日清、日露兩役以來傳統脈脈として誇る帝國海軍水雷戰隊の輝く戰史に更に一頁を記錄した昨年二月十九日より二十日にかけてのバリ島沖ロンボク海峽夜戰に於て豪勢よく米蘭聯合の大艦隊を向ふに三時間餘に亘り激闘勇戰、忽ち敵驅逐艦四隻を擊沈同巡洋艦一隻を擊破遁走せしめバリ島攻略作戰に多大の寄與をなせる第◯◯驅逐隊に對しに水雷戰隊初の感狀が授與せられ今回畏くも上聞に達せられた旨十五日海軍省より次の通り公表されたが第◯◯驅逐隊の武勳は啻に敵艦七隻擊沈破に止まらず二月十九日早朝より敵機の猛烈なる爆擊下にバリ島に上陸せる陸海軍部隊護衛の任務を完遂したる點、夜戰後被彈のため航行不能に陷りたる驅逐艦○○を執拗に來襲せる敵機を擊退しつつ曳航して二十日基地に歸投せる點等然もこの間實に三十餘時間誠に帝國海軍水雷戰隊の新面目を遺憾なく發揮したものと云ふべきである 海軍省公表(二月十五日十五時) 昭和十七年二月十九日ロンボク海峽に於いて敵巡洋艦、驅逐艦數隻と遭遇するや寡勢克く勇戰して驅逐艦四隻撃沈、巡洋艦二隻、驅逐艦一隻を擊破せる第○○驅逐艦に對し聯合艦隊司令長官より左の通り感狀を授與せられ右の旨上聞に達せられたり 感狀 第○○驅逐隊 昭和十七年二月十九日バリ島急襲攻略作戰に際し同日夜半ロンボク海峽に於いて我が上陸を阻止せんとして來襲せる敵巡洋艦二隻及驅逐艦五隻以上と遭遇するや寡勢克く勇戰忽ち敵驅逐艦四隻を擊沈し同巡洋艦二隻及驅逐艦一隻を擊破遁走せしめたるのみならず爾後この戰闘において損傷を受けたる僚艦を曳航、翌晝間における敵機の猛爆を冒してこれを味方泊地に移し遂に救出の目的を達したるはその武勳顯著なりと認む 仍て茲に感狀を授與す 昭和十七年十二月八日 聯合艦隊司令長官山本五十六 |
02 | 寡勢克く大敵を屠る |
03 | 敵側反目の種種相 奧村情報局次長暴露 |
04 | 北亞の戰況 |
05 | 貴院豫算總會 |
06 | 貴院の先議法案 全部眾議院に送附 |
07 | ソロモン上空で大空中戰 敵空軍六機を擊墜 |
08 | 既に敵を吞むの慨 沙市、南昌方面より新作戰 |
09 | 府縣別に官民懇談會を開く |
10 | 戰時行政職權特例 あす首相の答辯注目さる |
11 | 航空乘員の養成 寺島遞相、萬全を期す |
12 | 全市慶祝の一色 新嘉坡陷落一周年の昭南 |
13 | けふの兩院 |
14 | 蔣介石渡米の主要任務 |
15 | 赤軍の狙ひ失敗 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 島民皆働運動の一考察社說 一 決戰連續の長期戰を闘ひ取る為は生產力の飛躍的增强が重大なる要請となつてゐる今頃その原動力たる勞働力の確保而も量的にのみならず質的にもその高度發揚が問題化して來たことは周知の如くである。その結果所謂奉仕活動としての國民皆働と勤勞精神の昂揚とを合せ狙ふ為さきに政府では「生產增强勤勞緊急對策」を決定、國民徵用制度並に勞務管理の刷新强化、國民勤勞の重點的配置の强化徹底卽ち勤勞者の重點的配置轉換國民勤勞報國際制度の擴充强化、中小工業者の重要生產への轉換、女子勞務動員の强化等についてそれぞれの措置を講ずることになつた。端的に謂へば老幼勞働に堪えない者及び家庭を離れ得ざる主婦等を除いては凡ての國民をして國家の必要とする勤勞に就かしめることを企圖するもので時局の並並ならぬことが窺はれ益益必勝信念を强くせざるを得ないのである。されは國民皆働運動は政府の施策を俟つ迄もなく下から盛り上るものとして展開されることこそ望ましいものといはねばならない。 二 旣に本島では皇民奉公會の提唱の下に島民皆働運動が漸く展開されようとしてゐるが、本島に於ける就業の特殊事情より見て同運動は最も時宜を得たものといふべきである。しかし運動が極めて廣範圍に亘つて關聯をもつてゐる丈にその積極にして効果的なる展開には何よりも先づ本島民の就業狀態ひいては無業者の數と實態とを明瞭にしそれぞれの對策を講ずることが必要でありさもなくば抽象的なものに終る惧れがないでもない本島の政治經濟的事情により無業者の全人口に占める率が內地のそれよりも高いことは統計の示す如く極めて明瞭であつて而もその大部分が本島人であつて見れば皆働運動が結局本島人を主要對象とすることになるのは當然の歸結であるといつてよい。改めていふ迄もなく無業者は老幼、婦女子の如きものと適當なる職業に就けないものとに大別されようが此際運動は後者の完全就業の實現と前者より能力者を抽出し所要職業への配置を狙ふものでなければならない。 三 されば皆働運動は實は採用運動と表裏一體をなすものであつてみ民我れ働かんとする者と働かせんとする者とが皇國民奉仕精神を以て合一することが急務であらう。而も統制經濟の强化に伴ふ物資配給部門に於ける剩員と一方時局產業方面に於ける人員不足とが更に激化されんとする情勢の下では兩運動展開の素地は十分固められたものといふべく從つて人員不足の反面就業不能の存しある事態は此際大いに究明し速かなる對策を講ずる必要がある。むしろ實情としては實質的餘剩人員が不足人員を遙かに超過してゐる現情では島內充足の他に島外充足も十分考慮しなければならないであらう。從つて飽く迄下から盛り上るものとして皆働運動が望ましいとは言へ此際勞務統制を司る勞政當局の謂はば無業者一掃計畫が伴はない限り運動は單なる掛聲に終る外はい。而も皇民奉公會が組織上督府と表裏一體をなしてゐる以上奉公運動たる皆働運動が勞政當局の適當なる施策を伴隨することはむしろ當然であるといはねばならない。 |
02 | 青年學校振興運動 陸軍記念日より一週間 全島一齊に展開 |
03 | 青年學校會議開催 三月十二日島都で開催 |
04 | 南方基地守護神 昭南神社の鎮座祭 |
05 | 圖像:昭南神社の鎮座祭 |
06 | 赤誠の奉公切手 献金額八千餘圓に及ぶ |
07 | 慰問袋に就ての希望 臺灣軍經理部當局談 |
08 | 淨財を集めて献金 |
09 | 司法保護委員辭令交付式 |
10 | 洋上の鬪魂烈烈 武器なき海の勇者日本船員 窪田海軍報道班員手記 眠られぬ船長 荷役の辛苦 錨を上げる少年船員 汗と油の機關員 對空戰鬪の訓練 船舶の耳「通信士」 |
11 | 奉公運動の尖兵 島都推進員の指名式 |
12 | 圖像:山下パーシバル兩司令官會見記念室の入口と思ひ出の記錄 |
13 | 淡水魚の增產へ 新竹州で關係者が懇談 |
14 | 陸海軍に赤誠献金 島都奉壯の献金樽 |
15 | “來れ南進の若人” 海洋訓練隊生を募集 |
16 | 働くものに福音 農山村へ酒の特配 |
17 | 羅東郡食糧品商組合の總會 |
18 | 株式會社羅東會館 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 擧って果せ貯蓄を推進に奉壯團蹶起 |
02 | 新竹生活相談所 文化班常會で細目打合 |
03 | 市長郡守署長會議 |
04 | 賞賜物件傳達式 |
05 | 六原道場視察記一 |
06 | 竹東街奉壯團常會 |
07 | 大高雄の面目躍如 六百萬圓に上る新年度豫算 きのふ內示會開かる |
08 | 國民學校研究會 臺南市きのふ開催 |
09 | お山から硬貨供出 |
10 | 臺南市葬 十九日に執行 |
11 | 正條密植・堆肥增施 宮木知識を先頭に推進督勵へ |
12 | 興亞農道の草分け 盟邦獨逸からも訓練生 |
13 | 農民に深い感銘 森田知事の能高郡行脚 |
14 | 臺南市會 廿六日に開く |
15 | 皇奉推進打合 |
16 | 住宅難の緩和に 市營アパート增築 |
17 | 新竹州畜產會豫算 |
18 | 意外の利益を献金 |
19 | 大義明分は明か 長男の死は一私事だ ソ社が誇る軍國の父 |
20 | 羅東材木商行 |
21 | 圖像:働く昭和の女性 |
22 | 真摯な質疑應答 北港奉壯團地域別協議會 |
23 | 船員後援會晴れの結成式 |
24 | 員林郡防空講習會 |
25 | 嘉義の代用品展 |
26 | 中山產業部長田植ゑ視察 |
27 | 赤誠の献金品 軍司令部(十五日扱) 國防献金 恤兵金 献品 |
28 | 彰化黃氏銀女史 |
29 | 地方多より |
30 | 木造建公會堂 嘉義市に竣成 |
31 | 第五回決算公告/株式會社永樂質舖 |
32 | 第十一回決算公告/臺灣石粉株式會社 |
33 | 今日の映画演藝 |
34 | 基隆の映画 |
35 | 訃文:楊黃氏銀 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 明年度貯蓄目標額(臺灣) 近く貯蓄協議會で決定 |
02 | 一期米增產督勵 愈よ高雄臺南より開始 |
03 | 臺銀總會 來月一日開催 |
04 | 國民貯蓄功績者懇談會 貯蓄增強の方途(六) 積極的部面を開拓せよ |
05 | 甘藷の製簽步留 臺農種は斷然最高位 |
06 | 船荷證券空輸決定 |
07 | ヂーゼル修理工場を買收 局營バス四月より直營 |
08 | 石綿の生產確保 略略計畫通りに進捗 |
09 | コークス配給統制 愈よ二十日より實施 |
10 | 臺拓增資株の第二回拂込徵收 |
11 | 經濟手帖 外貨債の現狀 日銀の金融操作 |
12 | 照明燈 |
13 | 商況(十五日後場) |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(891)/黃得時;碇政彌 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國府の軍事會議 各種提案を討議審查 |
02 | 友邦と同生共死 汪軍事委員長強調 |
03 | 官廳割據主義の打破 首相の權限強化策なる 生產隘路打開の積極面 閣僚平等主義打破 セクシヨナリズム解消へ |
04 | 言論の指導問題 眾院で掉尾の活況 |
05 | 輸出入數量の決定を急ぐ 日佛印交涉進捗 |
06 | 町村の財政實情を調查 |
07 | ハルピンに領事館開設 デンマーク國 |
08 | 敵重爆機を擊墜 マンダレー西方で搭乘員捕虜 |
09 | 米空軍の損害確認米海軍省 |
10 | 英船千四百萬噸擊沈 獨軍歐戰開始以來 |
11 | 圖像:わが陸鷲柳州郊外敵軍用列車爆擊 |
12 | 樞軸軍北阿で大攻勢 |
13 | 東部戰線激戰展開 |
14 | ブラジル軍 チユニジア派遣か |
15 | 陸軍軍需輸送統制部令 きのふ公布實施、人事も發表 |
16 | ハリコフ地區 白兵戰展開 |
17 | トルコ抱込み 米ソ兩國蹶起 |
18 | 佛戰艦リ號 紐育に到着 |
19 | ガ翁即時釋放を要求 アザツト國民會議派議長 |
20 | 戰線三分の二を短縮 東部戰況に付き獨軍當局說明 |
21 | 市町村議員選舉方法改正の意向 |
22 | ガンヂー翁容態惡化 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 畏き聖旨を奉體し 決然生產の增強へ あす祈年祭を執行 |
02 | 時ぞ今、叩潰せ米英 上海で民眾示威運動 |
03 | 高級燃料の製造 東條首相兩社長に感謝狀 |
04 | 南太平洋戰座談會(上) 硝煙下のおけさ踊 日本刀が恐い濠洲兵 敵を刺し戰車分捕り 敵機爆擊下で演藝會 |
05 | 基隆神社祈年祭 供進使梁井知事が參向 |
06 | 官民の融合一體 奉壯あす懇談會開催 |
07 | 講演と視察日程 野村大使、近く來臺 |
08 | 臺大へ學術研究費補助 |
09 | 軍馬慰問 |
10 | 物價調整協議會 十八日新竹州會議室で |
11 | 晴れの卒業式 中等學校の日割 |
12 | 文學報國講演會 戸川、丹羽、庄司の三作家 近く東京を出發 |
13 | 南方事務擔當者 第二回講習會開催 |
14 | 圖像:シ港プラカンマチ砲臺に揭げられた白旗 |
15 | 新竹州下產組功勞者を表彰 |
16 | 通信手段大革新 “はがき電報”近く實現 |
17 | 海軍の鄉軍に 兵事課からの注意 |
18 | 新劇俳優の再鍊成 |
19 | 興南詩苑漢詩 祝戰捷新年/松本巖、壬午除夕二首/黃谿荃、譯俳句五首/林不二郎 |
20 | 石炭增產目標の突破は確實 |
21 | 煙幕 觀劇の訓練 |
22 | 今夜の放送 |
23 | 商況(十六日前場) |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 第八十九軍(蘇淮地區)に鐵槌 我作戰に國府軍新銳參加頭條新聞 【上海十六日發同盟】中支軍發表(二月十六日十六時)軍は蘇淮地區に孤立殘存せる敵第八十九軍主力に對し十三日拂曉より攻勢を開始し所在にこれを擊滅中なり、本作戰には國府軍の有力新銳部隊參加しあり 【蘇淮前線十七日發同盟】蘇淮地區に蟠踞せる敵第八十九軍顧錫九隷下約二萬の殲滅を期して待機中のわが精銳諸部隊は突如十三日拂曉斷乎殲滅の火蓋を切つた。即ちわが有力な精銳部隊は航空部隊の密接な協力の下に江北大運河及び寶應東南方、興化南方の各地區より行動を開始し十三日上岡鎮西北方において約三百の敵を忽ち擊破引續き所在の敵を驅逐しつつ鳳谷村、車橋鎮附近に分散せる第八十九軍主力根據地に向ひ急進擊中で敵はわが軍の包圍態勢に早くも動搖のきざしを示してゐる又一方有力な國府軍も敵の退路を遮斷すべく◯◯方面より一齊に進擊を開始してゐる |
02 | 百里洲を完全占領 壯烈なる夜間攻擊を敢行 |
03 | 敵主陣地を粉碎 第九戰區深く進撃中の我精銳 |
04 | 李鍵公殿下御歸還 赫赫の武勳を建てさせられ |
05 | 「質すべき」以上に建設的審議要望 議會報告(一) |
06 | 武漢周邊の肅清 果敢な遊匪擊滅開始 |
07 | 第六戰區深く突入 |
08 | 圖像:勇躍母艦を離れんとする海鷲 |
09 | 貴院豫算總會 |
10 | 不適當町村長 任期中の解職 內相、規定運用方針明示 |
11 | 一躍二百六市となる見込み 四月一日現在で |
12 | 國民所得五百億圓 人的物的方法を睨み合せて算定 |
13 | 國民貯蓄の目標額 二百七十億圓正式に決定 |
14 | 眾議院本會議 |
15 | 暴虐、米潛艦の行為 無抵抗のマライ人五百餘名鏖殺し |
16 | 兩院の急速審議 |
17 | 新中等學校令 東京府、市準備成る |
18 | 機械計畫生產 實施要領を決定通牒 |
19 | 南支經濟會議 十九日から五日間 |
20 | けふの兩院 |
21 | 米、軍事基地獲得に躍起 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 官吏層の奮起と課長懇話會社說 一 最近總督府の文書、情報、會計各課長及び交通、專賣兩局總務課長らの肝煎りで課長懇話會が結成された。聞くところによれば、當□の計畫では有志のみを以て組織する筈であつたが、結局府內及び交通、專賣兩局の全課長を網羅した强力なものとなり、名實ともに相應しい課長懇話會として誕生を見たのである。每月二回宛會合することになつてゐるが、之を組織した趣旨は、從來案外にも全體的接觸の機會少き全課長官の意志の疏通を圖り、行政事務のより一層の緊密圓滑化を期すると共に、皇民奉公運動に呼應して、官吏側の勇猛果敢なる實踐運動を推進せんとするところに在る模樣で、旣に第一回の會合を催して實踐事項を申合せて居り、督府局部長らの全幅的賛同と支持を得て活潑なる展開を見んとするに至つた。 二 第一回懇話會の申合事項を見るに、第一に奉公壯年の真摯正當なる運動に對し之を支持協力すること、第二は民間會社團體等より藝者女給等の侍べる酒席に招待を受けたる場合は原則として之を辭解退すること、第三には經濟情報を一層活用し經濟統制の適正を圖ること、第四は行政簡素化に伴ふ過剩員は各課長協力して之を引受けること等の四項目である。前二項は臺民奉公運動への挺身であり、後二項は吏道の實踐としていづれも至極當を得た實踐事項と云はねばならない。從つて今更といつた如き感を與へないでもないが、しかし少くとも總督府を背負つて立つ中堅官吏層が、明確なる申合によつて本格的實踐へ挺身せんとする、勇猛果敢なる態勢を整へた意味に於て劃期的であり、全島官吏層に一大シヨツクを與ふるものと見られる。 三 督府課長懇話會の結成は如上の意味に於て洵に大なる役割を荷ふものであり、一面官吏層の皇民奉公運動への挺身或は吏道の新體制を推進する中核體的意義も期待せられるのである。旣に局部長らの全面的賛同支持を得てゐるのに徵すれば、只に中堅層のみならず、寧ろ督府官吏層の一體的實踐展開こそ目途でなければならないが、これが活潑なる動きを見んがためには、懇話會を通じて中堅各課長の勇猛果敢なる挺身推進が必須だと云ふべきであらう。而してこの事は全島各地方廳の官吏層についても同樣のことが云へるのである。否寧ろ地方廳に於てこそ、課長懇話會の組織が必要であり、奉公運動への挺身、吏道の刷新を果敢に實踐せられたいのである。茲に於て全島各州廳の新進氣銳なる若手官吏層の奮起を切に希望してやまない。 |
02 | 五穀豐穰を御祈願 宮中御恒例の祈年の御儀 |
03 | 臺灣神社の祈年祭 幣帛供進使として長谷川總督參向 |
04 | 明治神宮で祈願祭 翼贊會中央本部で擧行 |
05 | 造船戰士を激勵 島崎警備府參謀長 きのふ高雄を視察 |
06 | 十八年度徵兵檢查 臺北兵事區管下實施日割決る |
07 | 圖像:米英擊滅全島華僑大會 |
08 | 地租納期迫る 宜蘭市當局早期完納に乘り出す |
09 | 貯蓄、供米へ邁進 三月奉戴日の徹底事項 |
10 | 滿堂熱鐵の一丸 日華提携誓つて米英擊滅 全島華僑大會開催 宣言決議文 汪主席へ打電文 主なる提案事項 新前兩總領事の歡送迎會 |
11 | 圖像:日華兒童交歡音樂大會 |
12 | 羅東水利組合献金 |
13 | 貯蓄完遂を強調 銃後奉公講演會第一日 |
14 | 宜蘭市日婦幹部鍊成會 |
15 | 新十七錢郵便切手を發行 來る廿一日から |
16 | 南方雄飛に備へて 臺灣學徒南進研究會を設置 三月に晴れの發會式 |
17 | 全島水產連絡會議 廿六、七兩日基隆市で開催 |
18 | 農村方面の慰安 本年度は更に一層努力 井野農相言明 |
19 | 戰時食食堂を開設 山本事務總長、部長會議で報告 |
20 | 街頭で献金募集に奉仕 仲よしの子供隣組本社に寄託報社消息 |
21 | 拓南農業戰士訓練所 第二期生三百名を募集 |
22 | 軍屬を募集 臺灣軍副官邸 |
23 | 密殖挿秧競技會 |
24 | 人事・消息報社消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 健實財政を誇る 臺南市の豫算案決定 |
02 | 五穀の豐穰祈る 嘉義神社で祈年祭 阿緱神社の祈年祭 中壢の新年祭 |
03 | 六原道場視察記二 短期鍊成の效果狙ふ 多角經營に畜產、酪農 東京支局白根生 |
04 | 街庄の豫算總額 花蓮港廳下は百八十餘萬圓 |
05 | 高雄市の綠化 |
06 | 義教に備へて 新竹市花園町に一校新設 |
07 | 八里庄奉壯團結成式 |
08 | 協議會日割 |
09 | 路行く人の献金 ここにも敵愾心燃ゆ |
10 | 鳳山郡警察課召集 |
11 | 印度田菁を獎勵 |
12 | 建艦献金陸續 鹽埕町第二區會の二千圓を筆頭に |
13 | 新竹市債償還抽籤 |
14 | 木炭增產に拍車 花蓮港廳廿日より出荷強調週間 |
15 | 奉公運動の殊勳甲 職に倒れた呂氏の靈前に 橫山市長から感謝狀 |
16 | 次高の雲景 近く展示會開催 |
17 | お米は有難い 粗末せずに大に作るのだ 純真な學童の作文拔萃 |
18 | 肉豚增殖に力瘤 高雄州畜產會豫算計上 |
19 | 實踐部を新設 淡水街奉壯團常會で決定 |
20 | 南投華僑公會總會 |
21 | 嘉義軟式野球 廿日より四日間 |
22 | 日本的氣候に 近く日本式お正月 田中氏のマライ便り |
23 | 社告/興南新聞社報社消息 |
24 | 地方多より |
25 | 今日の映画演藝 |
26 | 基隆の映画 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 糖聯內部機構改革 統制會的性格に接近 本部理事會、支部幹事制を廢止 |
02 | コークス配給統制 督府の統制要綱發表 二十日實施 |
03 | 業者の協力を要望 石渡鑛務課長語る |
04 | 國民貯蓄功績者懇談會 貯蓄增強の奏效(七) 漫畫式は遙かに早道 |
05 | 農耕地の潰廢 極力防止を要望 |
06 | 海上貨物運賃 現行通り据置き |
07 | アセチレン瓦斯發生爐 小型漁船取付に助成金 |
08 | 南興公司南方進出 二百萬圓に增資 |
09 | 配給組合員五名に決定 |
10 | 臺灣貿易振興會社 |
11 | 各機帆船に海圖及水路誌を備付 |
12 | 照明燈 |
13 | 商況(十六日後場) |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(892)/黃得時;碇政彌 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇軍快速の追擊戰 隨所に敵陣地を擊碎 |
02 | 敵百六十一師殲滅戰 |
03 | 十億民族の結盟 國府全國軍事會議河邊總參謀長挨拶 |
04 | 決戰財政早く確立 決戰生產、生活が肝要 會議報告(二) |
05 | 連日血みどろの戰ひ 息詰るアリユーシヤン ○○大佐談 |
06 | 赤軍の企圖粉碎 イルメン湖東南方で |
07 | ハリコフから獨軍撤收開始 |
08 | 赤軍戰車を擊滅 |
09 | 激烈な市街戰 |
10 | 自由の概念/室伏高信 |
11 | 圖像:南太平洋上攻擊に向ふ海鷲の勇姿 |
12 | 北中支の棉花增產に努力 岸商相議會で答辯 |
13 | 俄仕込みの米兵 スウエーデン紙で嘲笑 |
14 | ガ翁容態更に惡化 |
15 | 要衝ガフサ占領 北阿戰線の樞軸軍 |
16 | レーニン胸像受難 |
17 | ブラジル政府 アフリカ派兵か |
18 | 六十二億萬弗 米一月中の戰費 |
19 | 米國の對重慶物資輸送減少 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 天皇陛下御親拜 けふ祈年祭の御儀 |
02 | 五穀豐穰を祈願 幣帛供進使長谷川總督參向 臺灣神社の祈年祭 |
04 | 新竹神社の祈年祭 |
06 | 基隆神社の祈年祭 |
03 | 圖像:臺灣神社の祈年祭 |
05 | 續く參拜市民の群 生產增強に真摯な誓ひ |
07 | 瑞芳神社の祈年祭 |
08 | 鈴木第二回高砂義勇隊長 名譽の戰死遂ぐ |
09 | 南太平洋戰座談會(下) 勇敢な高砂義勇隊 米機の盲爆を嘲ける笑ひ鳥 激戰の蔭に陸海の交驩協調 皇軍になついた現地住民達 問題にならぬ空中戰 一寸五分の猛毒「天蛇」 美しい南太平洋の海と空 |
10 | 香港行き內地在住乘船客に吿ぐ |
11 | “大いに努力する樣” 森本、蘇兩君の陸士合格に就て 上條副官感想を語る |
12 | ビルマ獨立を語る 日緬印代表自由討論會(下) |
13 | 女青幹部の鍊成 廿五日より三角埔修練所で |
14 | 本社寄託献金報社消息 |
15 | 青年學校四校新設 松山、大宮、日新、老松に内定 |
16 | 軍屬募集締切り日變更 |
17 | 今夜の放送 |
18 | 旅館料金打合會 |
19 | 商況(十七日前場) |
20 | 興南詩苑漢詩 網溪觀菊賦呈嘯霞先生/魏潤菴、招友賞梅/晴園主人、同級會開於竹東賦呈諸芸友/施江西 |
21 | 興南案內報社消息 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 南方海軍軍政の現狀 中央、現地緊密な連繫(上) 所期以上の實績擧ぐ頭條新聞 【東京發同盟】我が南方占領地軍政は大東亞戰爭完邃、現地作戰軍の要求充足と國防必需物資の急速開發とを第一義として陸海軍當局は關係各方面で中央、現地など緊密なる連繫の下に各占領地域とも軍政施行以來着着所期以上の實績を擧げてをり陸軍軍政の方針現狀などについては去る一日陸軍當局より明示されたが十六日海軍當局より海軍軍事の方針機構、現狀につき次の如く詳細に明示された 第一 軍政の方針 占領地軍政は地域實情に應じ各各方式形態などを異にしてゐるが實施の根本方針は統治上將又資源開發上統一處理するの要あること勿論なるを以て陸海軍は中央において十分緊密に連繫し尚大東亞省との關係においても苟くも齟齬を來さざるよう極めて緊密に連絡調整して實施の完璧を期してゐる卽ち占領地處理並びに統治上の重要事項は大本營政府連絡會議によって決定せられ又經濟開發に關しても、主重要事項は悉く中央において陸海軍及び關係各□より成るの連絡委員會を通じて決定せられ實施はこれに基き夫夫の擔任に應じて處理せられてゐるのである、現地にありても陸海軍軍政機關の間には各般に亘り折衝調整すべき事項は多多たり、例へば南方地域の物資偏在に基く地域間物資交流の問題、特□資源處理の問題乃至は輸送、交通、通信、郵政の問題などがそれであるがこれらは全般として統治開發上相互に關聯交涉を有するを以て夫夫の機關を通じ大局的觀點よりその都度相互に緊密なる連絡調整を行ひ圓滑に實行を進めてをり陸海軍は中央、現地を通じ作戰は固よりのこと軍政に關しても真に同心一體の點を擧げてをるのである、占領地軍政實施の根本方針としては先づ以て大東亞戰爭完遂を第一要件とし速かに治安を回復し重要國防資源の急速開發を期するとともに作戰軍自治の途を確保するを緊要とするは云ふまでもない、從って統治開發各般の施策又悉くこの根本方針に基いて按劃實施せられてをる、今その主なるものを擧げて見ると概ね次の通りである (一)統治に當っては軍政機關は統治の根本を把握して成るべく殘存統治機構の利用を圖り土侯、原住民官吏及び民間長老などの中誠意あり信望ある者を極力活用して運營の圓滑適切を期してゐる、同時に從來の社會組織、宗敎、民族的慣行などはこれを尊重してなるべく干涉を避け特に日本人の劃一的な方策を濫りに強要するが如きことは嚴にこれを慎しみ以て民心の把握安定に努めてゐる (二)主要國防資源の獲得開發に關しては急速これが實績を擧ぐることを第一義とし民間業者の能力及び經驗を最大限に發揮せしめんことを期してゐる、これがため大部分の事業は業種規模などに應じ夫夫中央において指定せる適格者に委託經營せしめることとし特種のものは軍直營とし又は國營として委託經營せしむるものもあるが何れにしても速かに戰爭遂行の要求に應ぜしむることを以て主眼とする、從って委託經營によるものと雖も當該擔當指定業者に對し權益を與へたものでもなく又いはゆる既成事實として將來を決定的に約束されたものでもないが要するに現下戰爭遂行上の急需に應じて占領地建設開發を期する上において重大なる國家的責任を負ひ南方第一線における積極的活動を期待されてゐるものであって速かに實績を擧げることこそ現下の喫緊事といふべきである、尚原住民の經濟生活に對しては大東亞戰爭完遂のため不可避とする若干の困難はこれを忍ばしむるの外ないが作戰軍の自治及び國防資源の獲得に支障を來さざる限り極力戰爭による影響を救濟し所要限度の生活維持に努むるとともに全般の施策により原住民をして大東亞戰爭の真の意義を徹底せしめ以て皇軍に信倚する如く指導してゐる (三)交通輸送就中物資の輸送に關しては最善の努力を以てこれが增強を期するものとし港灣施設の完成は固より造船、特に木造船の急速促進を圖ってゐる (四)文敎對策としては既存宗敎その他個有の信仰乃至は社會的慣行を通じて民眾敎化を圖るの外速かに原住民の學校を復舊充實し技術敎育の普及進行を期し同時に日本語及び日本文化の普及を圖り彼等をして速かに我方に對し全幅協力せしむる如く措置する方針である、一方又進出邦人の指導も統治上極めて重視しなければならない、卽ち邦人をして指導民族としての確固たる自覺と必要なる素養を備へしめ大和民族の一員としてよく原住民を統率指導せしむるに足る如き者たらしめねばならぬ、これがため渡航者の嚴選に努むると共に現地における善導に關しても終始努力を續けてゐる (五)敵產處理についても戰爭完遂を目途として十全にこれを活用し當面の戰力增強に資する如く處理すべきでありこれに關し私人の特權を設定するが如きことなきは勿論である (六)通貨は從來の現地通貨と外貨標示軍票とを併用する但し速かに軍票に代るべき通貨を使用する方針である、 大體以上の如き根本方針に基き陸海軍及び關係各廳緊密なる連絡の下に戰爭目的完遂に應ずる如く統治しつつあり、 第二 軍政機構 海軍における軍政は當該方面艦隊司令長官をもって現地最高責任者としその隸下に民政府總監を置き專ら民政を擔當せしめられてゐる民政府には官房の外に總務、財務產業、交通土木、衞生及び法務の六局を置き地方機構としては民政府の下に民政部を置き民政部長官をして總監に隸して夫夫管轄地域の民政に任ぜしめられてゐる、尚各民政部管下所要の地には民政部支部が既に設置せられ更に州知事以下の地方行政機構も目下整備中にして民政の地方浸透に努力しあり民政府及び民政部は開設後、日尚淺きも總監以下非常の意氣込みをもって任務達成に努め戰爭遂行の要求に照しつつ緩急を圖って着着實績を擧げてゐる、 ニューギニアにおいては以上と別にニューギニア民政府が設けられ總監以下職員は本年初頭既に現地に進出してゐる、この民政府の組織は他の民政府と異りニューギニア急速開拓を第一義として官房、開拓局、衞生局及び調查局を置き人選もこれに適應せしむる如く努めてをり尚ニューギニアは未開の處女地であり資源においても有望であるので民政府に對し、有力なる調查探險隊を附し困難を排して急速調查を行ふ如く計畫してゐる |
02 | 車橋鎮を完全に攻略 國府軍も同時に突入 |
03 | 鳳谷村を占領 |
04 | 敗敵追擊高安に迫る |
05 | 日華協同作戰の成果發揮 |
06 | 遁走の敵舟艇群を痛爆 |
07 | 宜蘭神社の祈年祭 |
08 | 臺灣徵兵制實施 志願兵の成果に俟つ 木村陸軍次官答辯 |
09 | 各省長官としての職權に對する指示 行政職權特例東條首相答辯 |
10 | 貴族院本會議 |
11 | タイ、佛印に對して 獨立と主權を尊重 |
12 | 戰時行政特例法案 けふ本會議に緊急上程 |
13 | 貴院豫算總會 |
14 | 米海軍損害公表 レンネル島沖海戰 |
15 | けふの兩院 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 島內炭坑統合愈よ急務社說 一 戰爭下に於ける石炭增產の必要性は旣に中央政府に於て鋼鐵、造船、アルミ、航空機等と共に超重點產業と認られてゐるから、島內に於ても此の線に沿ふて石炭生產力の增强に向つて邁進しなければならない事は言を俟たない。唯島內に於る石炭の供給は今のところ需要を超過し之を輸移出する場合は船腹問題の關係はあるが、島內の需要も工業化の進展と共に逐年增加し、殊に今後製鐵業を開始する場合には一時に巨額の需要を新たに喚起するのみならず、優良炭□あれば各方面の需要絕えざるにつき現狀の儘で推移すれば近く石炭供給不足の事態を惹起するであらう事は明かである。されば督府としては今後の石炭增產政策に關して各種の施策を怠らざるやう切望に堪へない次第である。 二 ところが石炭增產を圖る上に現在最も制約を受けてゐる事は資材の供給がとかく不圓滑な點である。然し現在の如く島內中小炭坑□各所に於て濫堀してゐる狀態では資材を合理的に配給する事が出來ない許りでなく、且つ有無相通する事も極めて困難なのであるから、單に資材活用の面から見ても此の際事業單位を合併統合して經營の合理化を圖る事が目下の急務でなければならない。尚各炭坑所有鑛區の整理、輸送搬出系統の改善の面から見ても相當資材節約の餘地がある事は明かである。其の上督府としては今後更に補助政策を强化する事になつてゐるが、現在の如く經營單位多く原價計算もなかなか正確に行はれない狀態では到底合理化に之を遂行する事が出來ないであらう。 三 上來述べたる如く本島炭坑の合併統合は最早遷延を許さざる事態となつたが、此問題は今日の如く切でない兩三年前から吾人は本欄に於て二、三回之を提唱したにも拘はらず遂に當局の容れるところとならなかつた事は誠に遺憾に堪へない。これ迄は當局に於て主として配給面の改善を行つて來たが、本島の如く石炭の供給不足なきところでは寧ろ其の根本たる生產の合理化を圖る事こそ最も必要であり、配給面の改善はそれ程痛切の問題でないと思はれるのである。それ故島內中小炭坑の合併統合問題は將來增產の素地を作り、且つ資材節約の緊急對策からして多少拙速であつても一日も早く之を斷行すべき事を重ねて强調せざるを得ない。 |
02 | 國家意識の昂揚と生產の增強に重點 青壯年鍊成方針確立 |
03 | 學校教練刷新強化 文部當局方針を闡明 |
04 | 帝都の祈年祭 |
05 | 圖像:奉公壯年團幹部と府課長懇談會 |
06 | 羅東郡下の街庄協議會 |
07 | 宜蘭市食糧增產座談會 |
08 | 奉壯臺南州支部の懇談會 |
09 | 海軍採用考究中 朝鮮の同胞に對して |
10 | 日本武士道を讚へ 待遇の厚きに感謝 英艦生殘りの俘虜達 |
11 | 鑛山戰士の鍊成 效果忽ち現はる |
12 | 官民の一體化へ 奉壯幹部と府課長懇談會 |
13 | 見敵必殺の意氣 臺灣憲兵隊司令部劍術試合に 石田司令官陣頭指揮 |
14 | 宜蘭献金二則 |
15 | 地下資源の開發 凡ゆる努力を傾注 |
16 | 平賀東大總長に男爵 特に親任官の待遇を賜ふ |
17 | 本邦造船界の權威 |
18 | 内地受驗生に推薦制 愈よ今春から實施 |
19 | ゆふべ逝去 享年六十六 |
20 | 寺澤部長事務取扱 |
21 | 學校の卒業者 使用限制令を改正 |
22 | 古切手を繞る殺人事件 |
23 | 人事・消息 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 豐かに稔れ高砂に 神にぞ祈る年ごひ祭 臺中 臺南 高雄 花蓮港 海山郡の祈年祭 大溪街豫算內示會 |
02 | 田園整理五千甲 食糧增產の第一線へ |
03 | 優良部落審查 新竹州三月一日より開始 |
04 | 擧島增產へ傾倒 作れ明日の十噸より今日の一噸 祈年祭當日松野皇奉參事放送 農業者のみ 激戰が展開 戰力の增強 食糧增產に 肥效北學肥料 郡下農民が |
05 | 各地街庄協議會 |
06 | 青年團幹部鍊成 廿四日より西屯道場で |
07 | 勇士の心を心に 閣下も社長さんも土の戰士 鳥松道場で指導者鍊成會 |
08 | 日用品配給に 臺中市新考案實施 |
09 | 防空の完璧へ 嘉義市二十日より強化期間 |
10 | 海山郡小運搬業組合結成 |
11 | お洒落討伐はわれらの手で 高雄市桔俱要所で邀擊 |
12 | 名曲鑑賞の夕 |
13 | 產業奉公團研究會 けふ臺中日糖工場で開く |
14 | 砂糖初穗祭 |
15 | 臺東郡下の日割 |
16 | 鳳山郡畫劇挺身隊結成 |
17 | 新化郡巡廻映畫 |
18 | 市長郡守署長會議 |
19 | 赤誠の献金品 軍司令部(十六日扱) 國防献金 恤兵金 献品 |
20 | 人事 |
21 | 地方多より |
22 | 今日の映画演藝 |
23 | 基隆の映画 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 一般民需物動計畫 督府漸定案各課に發表 |
02 | 木材の增伐斷行 府の實施要綱近く決定 |
03 | 製糖用の石灰石 採掘高八萬五千瓲 |
04 | 食糧增產策の重點 甘藷反當收穫八百貫へ |
05 | 臺灣水產會總會起債等を附議 |
06 | 郵貯目標額突破 貯金切手二百萬圓追加發行 |
07 | 高雄州青果組合 共同計算方法を改正 |
08 | 家禽類生產總數 七百九十三萬餘羽 十六年度 |
09 | 車輛製作圓滑化 私鐵車輛打合會開く |
10 | 臺灣窒素火藥 年末頃工場完全せん |
11 | 全島地理係長會議 |
12 | 照明燈 |
13 | 商況(十七日後場) |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(893)/黃得時;碇政彌 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 南方海軍軍政の現狀 中央、現地緊密な連繫(下) 所期以上の實績擧ぐ 第三軍政の現狀 當地の概況 一般民情 經開濟發 財政通貨近況 文化關係は 以上の外ガム 以上各般に |
02 | 無國籍人の居住營業制限 上海方面陸海軍布告 |
03 | 一機機機海へ叩込む 特異性ある我が高射砲隊 |
04 | 圖像:嚴寒の北洋を制壓する我が艦隊 |
05 | 米機二臺喪失 ソロモン水域で |
06 | 惡路ひた押しに進擊 高安指呼の間に望む |
07 | 百里洲の掃蕩戰果 |
08 | 在學年限縮短案 樞府本會議で可決 |
09 | 質屋の利子は高い 議員代辯に現はれた民の聲 |
10 | 頑迷な印度政廳 政局の危機を招く |
11 | 農業水產團體法案の修正意見 |
12 | 金鑛業を整理 津田金屬局長言明 |
13 | 樞軸軍戰果擴大 チユニジヤ中部地區 |
14 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 無敵海軍育ての親 大學教育にも不滅の巨步 伍堂氏平賀博士を偲ぶ |
02 | 金錢の訴訟沙汰 都會よりも田舍の方が多い 戰時下の法院風景 兄弟三人の献金 |
03 | 造艦に心血を注ぐ 卓拔な創意と工夫で |
04 | 敬神觀念を昂揚 篤行者四氏を表彰 |
05 | 一も船だ二も船だ 梁井知事造船戰士を激勵 |
06 | 公債を消化せよ 最後の勝利を得る道 |
07 | 學園の乙女と懇□ 桔梗俱樂部座談會 |
08 | 物價調整協議會 新竹州會議室で開く |
09 | 圖像:レイリツピンルネタ公園に於ける紀元節行事 |
10 | 一個一發で ラジオ放送に感激して 無名氏から硬貨提出 |
11 | 臺北帝大理農學部 四月に分離講座も增設 |
12 | 和波中將來新 中學校で講演 |
13 | 華僑が献金 皇軍に感謝して |
14 | 往診料へ加算は認めぬ 醫師の自家用自動車賃 |
15 | 每月六圓献金 支那事變以來 |
16 | 臺中市通常市會 廿六、七兩日に開催 |
17 | 申請期間一月繰上 工場、鑛山の學校卒業者雇入 |
18 | 馬公海軍工員を募集 |
19 | 前線勇士から禮狀 |
20 | 軍要員募集 臺灣軍兵務部で |
21 | ブラジル兵暴動 北阿派遣は一時延期 |
22 | 軍報道部元谷屬が興行統制會社入り |
23 | 興南詩苑漢詩 嘯霞兄請觀菊詩次韻謹答/傅鶴亭、白竹/翕庵 |
24 | 米海軍大型輸送船多數を建造 |
25 | 靴屋の自肅要望 |
26 | 白鷄山へ |
27 | 人事・消息報社消息 |
28 | 今夜の放送 |
29 | 商況(十八日前場) |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵八十一機を擊墜破 ソロモン、西南太平洋とアリユーシヤン方面で頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(二月十八日十七時) 一、ソロモン群島方面 二月十日以降同十五日迄の航空戰に於て帝國海軍航空部隊の空戰並に陸海軍地上部隊の砲火に依り敵機六十四機擊墜、一機擊破せり此の間我が方の損害、飛行機二機、軍事施設の損害輕微なり 二、西南太平洋方面 二月一日以降同十五日迄の航空戰に於て帝國海軍航空部隊の空戰並に地上部隊の砲火に依り敵機四機撃墜、五機擊破せり此の間我が方の損害なし 三、アリユーシヤン方面 二月五日以降同十五日迄の航空戰に於て帝國海軍航空部隊の空戰並に陸海軍地上部隊の砲火に依り敵機五機擊墜、二機擊破せり此の間我が方の損害なし |
02 | 敵擊滅航空戰は續く 南北三方赫赫の戰果 ソロモン群島方面 西南太平洋方面 アリユーシヤン方面 |
03 | 行政特例は便法(首相答辯) 昨日の貴院豫算總會 |
04 | 壯烈な一大殲滅戰 敵陳誠麾下を捕捉し |
05 | 敵團長王永盛捕はる |
06 | 文科、理科の割合は 理七、文三を理想とす 文相答辯 |
07 | 何應欽莫斯科入りか |
08 | 愈よ包圍圈を壓縮 敵第八十九軍に對し |
09 | 通商破壞戰の展望(上) 大本營富永少佐放送 通商破壞戰の意義 通商破壞戰の展望 前大戰と今次大戰 |
10 | 重慶に大衝擊 |
11 | 殘敵五千を完封 我軍逕口鎮に肉薄 |
12 | 北支軍一月中の蔣共軍討伐戰果 |
13 | 眾議院本會議 |
14 | 木造船所の集約新設狀況 |
15 | 經濟事犯罰則の不均衡を是正 |
16 | 退却の印度兵を機關銃で猛掃射 殘忍英軍の督戰振り |
17 | 米軍に一萬名の損害を與ふ |
18 | 秦司政長官退官 |
19 | けふの兩院 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 生產增強策と首相權限強化社說 一 近代總力戰が生產戰の一面をもつことは今更云ふまでもないこと□ある。それは近代戰が巨大な消耗戰たることから來る自明のことである。生產に從事する人の數を戰線に奮闘する兵の數に比較して見れば、近代總力戰に於ける生產戰の意義がはつきりと分つて來る。第一次歐洲戰爭に於ては前線に活躍する兵百人の兵器、彈藥、兵糧、戎服その他一切の裝備を製造するのに、工業の從業者は二百八十八人要ると云はれたのであるが、第二次大戰下に於てはその後の絕大なる兵器の進步、裝備の發達のためにどう少く見積つても先づ五百人は要ると云はれ、それに輸送人員をも加へればもつと尨大な數に上るであらうことは容易に想像し得られることである。近代總力戰に於ける軍需產業の動員は軍動員に比して、それ程規模が擴大されてゐるのである。だから銃後の生產戰が停頓することは前線の武力戰が停頓することを意味し、銃後からの補給が續くことが前線の活躍を保障する所以である。 二 殊に大東亞戰爭は決戰に次ぐ決戰の深刻なる消耗戰の樣相を呈しもはや從來の姑息なる對策を以てしては到底これに堪え得ない狀態となつてゐる。かう云ふ嚴しい現實に對處する為、政府は旣に各般の施策を擧げて戰力增强の一點に結集し、重要軍需物資の飛躍的增產に邁進してゐるが、今議會に提出されてゐる「戰時行政特例法案」並に「戰時行政職權特令」は戰力增强に關する行政を最高の効率に於て最も重點的且つ迅速に運營せんとするものである。卽ち前者は特定の個人並に法人を各種法規の制約より特例的に解放して、生產の最高能率を發揮せしむるに遺憾なからんことを期したものであり、後者は鐵鋼、石炭、造船、輕金屬、飛行機等の生產擴充のため必要なる指示を首相より關係各省大臣に對してなし得る權限を與へ、もつて超重點政策の實績を擧げんことを意圖したものである。正しく戰力增强のための非常立法であり、刻下の決戰的長期戰段階に卽應すべき頗る適切な對策と云ふべきである。 三 首相の權限强化は憲法上種種の議論あるが、深刻なる戰局の推移は刻一刻苛烈な現實の要請として戰爭經濟の急速果敢なる編成替を希求してゐる。超重點生產がこの緊追せる決戰設備の生產增强策として唯一絕對の策であることはもはや國民の常識であるが、その超重點主義の斷行の為には原料、資材、勞働力、動力、輸送力等を總べて超重點的に活用する必要があり、卽ち之を一人の統裁下に置く必要がある。我國に於ては首相指示といふ形を以てこの問題を解決せんとしてゐるのである。首相の權限强化による現行官僚統制を是正し、經濟關係官廳の割據主義を打破し、勞務、資材、動力、輸送の重點的配給を行つて生產增强を阻害するこれら三つの隘路を真つ正面から打破せんとして居り、これが實施の効果は極めて注目すべきものがるあ□ |
02 | 吏道刷新、奉公運動に全島中堅官吏挺進 近く本格的展開へ |
03 | 本島に“保健所法” 近く施行の豫定 |
04 | 比島棉花增產の結實 |
05 | 決死南海の輸送船團 敵空襲と潛襲突破無事に揚陸完了 護衛艦は 我砲火を 艦上から 頻頻たる 敵潛水艦 |
06 | 小額債券にも買上制度 氏家國民貯蓄局長が言明 |
07 | お山の愛國婆さんの献金 |
08 | 我無敵荒鷲の生命 配合燃料の劃期的發明完成 京大新宮助教授の手で |
09 | 目指す二百七十億 日婦新たに各支部に尖兵を配置 |
10 | 馬事思想普及へ 花蓮港廳で騎乘會創設 |
11 | 西村文教局長 高雄を視察 |
12 | 白衣勇士慰問會 |
13 | 愈四月に開所の運び 臺大南方文化、資源科學兩研究所 |
14 | 羅東郡下各街庄の道路審查 |
15 | 馬中國總領事 陸軍病院を慰問 |
16 | 佛印にも日本文化會館 本年夏頃までに開館の運び |
17 | 戰力增強に結集 三峽街の皇奉地域別懇談會で 梁井支部長が激勵 |
18 | 外洋性の海の珍魚“飜車魚” 基隆港內で格鬪の上御用 |
19 | “兵隊さん・有難う” ヨイ子供の感激文二つ |
20 | 壯丁團員の龜鑑を表彰 |
21 | 鄉軍壽山分會の射擊會 |
22 | 蘭陽一市三郡の插秧競技會 あす壯二で開催 |
23 | 川端公園青年道場の上棟式 |
24 | 千田嘉平男逝去 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 綜合的增產へ 高雄州農會周到な計畫 |
02 | 青年の意氣潑刺 三重埔青年團向陽分團訓練 |
03 | 羅東神社の祈年祭 |
04 | 六原道場視察記三 |
05 | 道路開鑿の華 宜明箸君の隊葬しめやかに執行 |
06 | 三社一體の增產調 高雄州に全島唯一の高砂族共同耕作隊 |
07 | 衣食住座談會 |
08 | 司法保護委員 臺南州きのふ辭令交附式 |
09 | 苦難を突破せよ 臺中州奉壯幹部鍊成終了式で 森田支部長訓示 |
10 | 青年と共に住み 共に働き、共に食す |
11 | こよなき健民道場 絕景相續く鹿場廻り |
12 | 赤誠の献金品 軍司令部(十七日扱) 國防献金 恤兵金 献品 同(十八日扱) 國防献金 恤兵金 献品 |
13 | 慰問寫真帳 彰化市近く發送 |
14 | 常會運營視察報告 時間勵行と實踐指導未だし |
15 | 我が子に勵まされて 女訓導高橋さん切磋琢磨 |
16 | 防空研究會 |
17 | 屏東市豫算案 近く議員に內示 |
18 | 紅毛埤ダム工事を急ぐ |
19 | 東勢郡に凱歌 肉彈相搏高砂族青年角力大會 |
20 | 草木灰貯藏所竣工 |
21 | 地方多より |
22 | 第三期決算公告/新高物產株式會社 |
23 | 今日の映画演藝 |
24 | 基隆の映画 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 島內會社新投資額 昨年七千六百六十萬圓 前年に比し倍額以上增加 |
02 | 農林業團體統合 各局の提案を審議 |
03 | 豆粕補助金の一部 雜穀配給組合で負擔 |
04 | 農業團體の統合 愈よ新政策として登場 |
05 | 臺北商議所、女子實務講習所を設置 |
06 | 國有地處分方針 豫約賣渡に重點を置く |
07 | 優良鮫皮增產獎勵 不漁で成績上らず |
08 | 新化郡農專學校組合第一回組合會 |
09 | 木造船用材に 優先配給の措置 |
10 | 農業移民所有地 單獨出願に變更 |
11 | 明年度木材增產目標 業者に增產量を割當 |
12 | 經濟手帖 投資信託の現狀 米穀供出目標決る |
13 | 川添金辰商事專務代表取締役に選任 |
14 | 籾穀灰組合移轉 |
15 | 商況(十八日後場) |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(894)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ロメル軍快進擊 中部チユニジヤ制壓 |
02 | 反樞軸軍三要衝を失ふ |
03 | スチムソンも率直に敗戰自認 |
04 | 反樞軸軍司令部の發表 |
05 | ロンドン憂慮 英第一軍の退却に |
06 | 樞軸軍有利に進展 |
07 | 圖像:巨砲の手入をしつつ洋上警戒任務に就く海の勇士 |
08 | 英下院で政府攻擊運動 |
09 | 貴族院本會議 |
10 | 陸戰隊鐵壁の護り 南方最大の港昭南に |
11 | 法曹議員聯盟を組織 |
12 | 通商破壞戰の展望(下) 大本營富永少佐放送 米英海運の現狀 樞軸側の潛水艦戰 敵側の通商破壞戰對策 |
13 | 商工組合中央會の會員施行期、猶豫期間等 |
14 | 選擧は至公至平で 官憲中心の推薦制は不適當 |
15 | 赤軍攻擊を擊退 西コーカサス、クバンで |
16 | 獨軍、整然とハリコフ撤收 |
17 | ゲ宣傳相の演說 ドイツ國民熱狂 ポルシェヴイズム打倒を決意 |
18 | 撤收の獨軍 猛反擊を展開 |
19 | 赤軍攻勢衰ふ |
20 | 產組明年度の活動要綱決定 町村產業組合の為すべき事項 系統機關の為すべき事項 |
21 | 東部戰線首腦ヒ總統と會見 |
22 | ガ翁即時釋放を要求 |
23 | 濠洲の金產額激減 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 決戰下・產組報國へ 記念日實施行事決る |
02 | 米軍需生產の矛盾 計畫に由由しき障碍 生產指數上昇 生產の困難性 生產低下の四原因 ゴム問題 金屬問題 鋼□及び屑鐵問題 配給機構の缺陷 勞働力問題 農業の窮境 |
03 | お山の乙女に救護指導 花蓮港廳で看護助手講習會開催 |
04 | 貯蓄增大旬間表彰規程 |
05 | 東洋平和の黎明 忘れられないシ港陷落の感激 鈴木中將少國民に放送 |
06 | 青年學校長打合會 |
07 | 圖像:比島棉花增產の結實 |
08 | 配給綜合通帳制 從來の六種類を一冊に 臺北市四月から實施 |
09 | 蘇淮作戰 |
10 | 公私立藥專を官立に 藥事法案委員會で厚相答辯 |
11 | 南勢角山行 |
12 | 國語教育研究會 けふ新竹市新興校で |
13 | 興南詩苑漢詩 網溪觀菊賦似主人二首/黃石衡、敬次梅樵先生秋日書感瑤韵四首/德賢 |
14 | 體協支部野球部長會議 十八年度の野球試合日割決る |
15 | 白衣勇士慰問 畫劇挺身隊城南分隊 |
16 | 齋藤警察部長 北署を初巡視 |
17 | 報道部屬に內越六郎氏 |
18 | 今夜の放送 |
19 | 商況(十九日前場) |
20 | 興南案內報社消息 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 三飛行隊に輝く感狀 敵機動大部隊を擊退頭條新聞 【東京發同盟】大東亞戰爭劈頭におけるハワイの一撃に太平洋艦隊を全滅されたアメリカはその後昨年二月頃空母を基艦とする機動部隊の反擊によつて太平洋の頹勢を挽回せんものと必死の蠢動を展開しはじめこの機動部隊は二月一日マーシヤル郡島同二十日ソロモン郡島東方海上、同二十四日大鳥島等に執拗に出撃、その都度わが猛擊に擊退されたが就中二十日ソロモン群島東方海上において擊退された敵機動部隊は大型空母三隻、大型巡洋艦二隻、驅逐艦九隻等より成る有力なものでわがビスマーク群島或はカロリン群島を奇襲せんとせるものの如く逸早くこれを發見、長時間よく觸接しつつ正確なる敵情報吿をなし遂に消息を斷つた坂井海軍中尉指揮の○○海軍航空隊飛行艇、松江海軍飛行兵曹長指揮の水上偵察機及び敵機動部隊見えの報に勇躍出動、悽絕な體當り戰法等により敵に大損害を與へこれを敗退せしめその企圖を破碎せる伊藤海軍少佐指揮の第◯◯航空隊飛行機隊に對し曩に山本聯合艦隊司令長官より感狀を授與せられ今回畏くも上聞に達せられた、奇しくも一周年の前日たる十九日海軍省より次の如く發表された 海軍省公表(二月十九日十五時) 昭和十七年二月二十日ソロモン群島東方海上に於て有力なる米機動部隊を發見捕捉し果敢なる反擊に依つて之を擊退せる伊藤海軍少佐指揮の第◯◯航空隊飛行機隊、坂井海軍中尉指揮の○○海軍航空隊飛行艇並に松江海軍飛行兵曹長指揮の水上偵察機に對し聯合艦隊司令長官より左の通り感狀を授與せられ右の旨上聞に達せられたり 感狀 伊藤海軍少佐の指揮せる 第○○航空飛行機隊 坂井海軍中尉の指揮せる ○○海軍航空隊飛行艇 松江海軍飛行兵曹長の 指揮せる水上偵察機 昭和十七年二月二十日ソロモン群島東方海面に敵米國の有力なる機動部隊出現するや適切なる索敵に依り早朝に之を捕捉して爾後優勢なる敵戰鬪機群と熾烈なる防禦砲火を排し或は攻撃に或は觸接に勇戰奮鬪各各其の任を竭し寡兵克く敵に多大の損害を與へ其の企圖を完全に破摧したるは武勳顯著なるものと認む仍つて茲に感狀を授與す 昭和十七年十月十六日 聯合艦隊司令長官 山本五十六 |
02 | 田家坊、泥巴坨を占領 敵主陣地周家臺に突入 |
03 | 三萬の敵潰滅寸前 長江北岸の退路遮斷 |
04 | 敵の牙城阜寧を攻略 |
05 | 高安は風前の燈火 |
06 | 派遣軍週間戰況 |
07 | 體當り戰法で敵艦に突入 |
08 | 行政の透徹に努力 貴院豫算總會東條首相答辯 |
09 | 重慶狼狽の色濃厚 大攻勢の序幕だと兢兢 |
10 | 南通北方地區の戰果 |
11 | 陸鷲も協力 |
12 | 貴院永年勤續議員四氏表彰 |
13 | 斷乎重慶打倒に邁進 青木大東亞相答ふ |
14 | けふの兩院 |
15 | 現下の思想戰對策 佐藤軍務局長闡明 佐藤軍務局長 戰爭 日米 我我 |
16 | 戰力增強決議案 諸法案議了後に上程 |
17 | 成立法案は遂次發動 |
18 | ソ聯紙報道 レ島沖海戰の我が大戰果を |
19 | 開戰以來の米兵員の損害 |
20 | チヤーチル惡性風邪 |
21 | ガンヂー翁衰弱加はる |
22 | 印度騷擾の死傷者四千餘 |
23 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 機帆船の建造と運航統制社說 一 造船問題が戰力增强の隘路であることは大東亞共榮圈がその地政治學上海洋に媒介され船舶を唯一の輸送機關とする限り不可避的な現象であることは改めて言ふ迄もない。從つて右の隘路を克服するには速急船腹の擴充を圖るべきことは多言を要らないところであつて鐵鋼資材に制約される鐵鋼船は別としても此際簡易な設備を以て大量急速に建造し得る木造船增强こそその捷徑であることは自明の理である。かかる見地に基き海務院では大東亞戰勃發以前より旣に本造船の戰時標準型を制定すると共に造船企業の合同を勸奬して能率の向上を圖つて來た。一方木造船部卽ち機帆船の運航についても一元的運航統制會社を實務者として統制を行はしめる等造船、運航兩方面より船腹の擴充に極力努めて□□のである。が決戰第二年を迎へるに當り更に木造船の飛躍的建□□目途として先月二十日の閣議で「木造船建造緊急方策要綱」を決定、十八年度以降より實施されることは周知の如くである。 二 のみならず從來鐵鋼船のみに對して行はれて來た買受資金の低利融通も本年より木造船にも適用されることになつたのは木造船の增强こそ船腹擴充の捷徑であるからに外ならない。かく木造船の增强と其運航統制とは建造に於て短時日、運航に於て危險分散といふ機帆船の特徵を十分活用し大東亞戰に照應する獨自の海運體制を確立する點で期待されるところが多い飜つて本島に於ける海運情勢を見るに沿岸輸送力が昨今極めて窮屈になつて來た為速急海岸輸送力の增强を圖るべく督府の厚き助成策の下に木造船建造が雄雄しく進められ文字通り全島民をあげて造船報國に邁進してゐる次第である。かやうにして豫定通り計畫造船の竣工、就航を見た曉には沿岸輸送力が相當に增大され陸上鐵道輸送の幅輳緩和に資するところが大きい。重要物資の輸送圓滑化が期待されること言をまたない。 三 多數の機帆船が旣得に運航され其まま海上輸送力の增强に役立つ為には其經營方法が當を得たものであるべきことは言ふ迄もない。卽ち機帆船が運航技術の特殊的なる事、船價保險の不利なる等に於てその經營型態には多分に現代化されざる要素をもつてゐる為現代的經營方法をとれる南日本汽船にとつては幾多の經營經濟的諸問題が殘されてゐるわけである。而も十餘に上る小機帆船業者と相提携して全機帆船の運航能率化を圖るには運賃の調整、航路の重複是正といふ大きな問題が控へてゐる。旣に運航統制會社案に代るものとして機帆船報國會が組織され上記問題の他燃料確保に就ても研究をとげ遂次自治的に解決せんとすることになつた。しかし右諸問題の完全解決を圖るには實は事業それ自體を統合することが必要となり結局報國會がより强力なる統一體に移行することが要請される。卽ち一元的運航統制體制が確立される必要を見るわけであつて海事當局がこの點十分の見透しをつけて善處されんことを要望する。 |
02 | 野村前駐米大使 視察に昨日空路來臺 |
03 | 一億一丸となれ 完勝の彼岸へ漕げ日本丸 野村大將着臺第一聲 |
04 | 圖像:野村大將來臺 |
05 | 百萬の敵の只中に 笑顏で降りる男魂 語る落下傘部隊の活躍 |
06 | 總督官邸で招待宴 島內視察日程 |
07 | 感狀に輝く諸勇士 部下犧牲の賜物 伊藤中佐未亡人語る |
08 | 臺灣の協力方策 漸次大東亞の各地域に波及 蜂谷府外事部長歸臺談 |
09 | 奉公運動に全面協力 奉壯團加入、集會開催など 中堅官吏の實踐方法決定 |
10 | 三兄弟とも軍人 松江由五郎少尉の一家 |
11 | 長谷川大將の感化 光榮の坂井登大尉 |
12 | 稅務官吏の登龍門 府稅務官吏講習生募集 |
13 | 官立專門學校入學志願者 |
14 | 營繕工事戰時體制 二十二日周知懇談會 |
15 | “食糧有限會社” 宜蘭郡で立案中 |
16 | 斷乎戰力の增強へ 林口庄で地域別懇談會 |
17 | 平賀博士に授旭日大綬章 |
18 | 宜蘭郡各庄協議會日割決る |
19 | 人事・消息 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新竹州商業奉公團 きのふ晴れの結成式 |
02 | 大園庄奉壯團改組指名式 |
03 | 英靈弔ふ臺南市葬 市民哀悼裡に嚴修さる |
04 | 六原道場視察記四 日本精神涵養が主 訓練指導に數數の苦心 東京支局白根生 |
05 | 秀水庄協議會 |
06 | 譽れの若櫻銓衡 嘉義市先づ三百名選拔 |
07 | 西村文教局長展東巡視 |
08 | 極力經費を節約 高雄州各街庄の豫算方針 |
09 | 產組役員決定 |
10 | 山の國語常用者 來る廿七日に賞狀を授與 |
11 | 山地教育六ヶ年制 臺中州下に七ヶ所實施 |
12 | 工業化學會 臺灣支部常會開催 |
13 | 三灣庄協議會 |
14 | 理想映畫館建設 花蓮港市の筑紫を再建 |
15 | 司法保護委員に辭令交付 きのふ州商工獎勵館で |
16 | 農乘馬鍛鍊所 六結に敷地物色 |
17 | 新竹市の種痘 來月一日から施行 |
18 | 高雄市で獎勵 隣組養鷄 |
19 | 一錢献金申合せ |
20 | 山か鯨か 竹南で巨鯨漁獲 |
21 | 高砂從軍會臺中州支部結成式 |
22 | 水里青年團查閱 |
23 | 羅東街防空協議會 |
24 | 常會研究會 |
25 | 桃園專賣品小賣人組合國演會 |
26 | 赤誠の献金品 軍司令部(十九日扱) 國防献金 恤兵金 献品 海軍武官府(十八日扱) 國防献金 恤兵献金 |
27 | 人事報社消息 |
28 | 地方多より |
29 | 今日の映画演藝 |
30 | 基隆の映画 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 南方地域との經濟提携 東亞經濟懇談會臺灣委員會で劃策 |
02 | 工業戰士を表彰 工業報國作業能率增進を圖る |
03 | 商工經濟會は下から盛上る力を尊重 |
04 | 乾パイン氣受良好 冬物原料の半分で製造 |
05 | 佛印石油問題と各種政策の登場 大戰勃發による輸入杜絕 國防態勢確立目指す佛印石油政策 ガス利用の進展 アルコールの登場 炭化水素の用途 國產のマスウト代用品 代用潤滑油 |
06 | 新年度の硫安入荷 情勢好轉・相當數量確保 |
07 | 茶統制會社長內定 |
08 | 日傭賃金改訂率 近く地方廳に通牒 |
09 | 新營關子嶺間 石灰石搬出のため私鐵增敷 |
10 | 伸鐵、鑌の打合會 |
11 | 高江理事官近く退官 |
12 | 倉庫滯貨對策 近く最後案決定 |
13 | 週間經濟の展望 決戰財政確立す 國民貯蓄目標二百七十億圓 增產第一主義の價格政策 企業整備の方向 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況(十九日後場) |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(895)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 蔣共軍を完全掃滅 蘇淮作戰の意義重大 |
02 | アトラス山麓に到達 ロメル軍敗敵を急追 |
03 | 反樞軸軍の損害甚大 |
04 | 樞軸軍ピシヨンスペイトラ占領 |
05 | 佛派遣軍撤收 |
06 | 圖像:ハリケーン戰鬪機の殘骸 |
07 | 南支經濟會議の日程決る |
08 | 日本獨自の製鐵法 頗る成績が良い 井上技術院總裁會議で答辯 |
09 | 米海軍追加豫算案可決 |
10 | 府縣ブロツクの弊害殆んどない 井野農相答ふ |
11 | 赤軍の攻撃を阻止 ドン河口地區で激戰 |
12 | 圖像:陸鷲の鍊成 |
13 | 戰爭死亡傷害保險法案 管理局長說明 |
14 | 民意を尊重 商工經濟會の役員銓衡 |
15 | オリヨール地區の戰局緊迫 |
16 | 業種別一元統制(統制組合) |
17 | 有價證券の財產稅設けず |
18 | 木炭生產八億貫 井出山林局長言明 |
19 | 船舶使用料並びに 支拂條件改正案成る |
20 | 鑛業法の改正必要 |
21 | ガ翁擁護民眾大會 近くビルマ印度獨立聯盟主催 |
22 | ガ翁の即時釋放 超黨會議、決議案を採擇 |
23 | 印度政府の態度に 英國政界頗る不滿 |
24 | 衰弱加はる ガ翁容態發表 |
25 | 米驅逐艦の沈沒狀況判明 |
26 | 個人年收の最高限問題 ル大統領の要求容れられず |
27 | 臺灣協會午餐會 小林會長が就任挨拶 |
28 | けふの兩院 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 青年學校の職員制 愈よ四月から實施 |
02 | 磊落な聲で質問 “科學する”野村前駐米大使 けふ兩研究所へ |
03 | 賞賜物件傳達式 けふ新竹市で擧行 |
04 | 在外邦人子弟教育協會結成 |
05 | 參事制と參與制 保護事業の萬全を期するため 地方有力者を網羅 |
06 | 圖像:レンネル島沖海戰にて我軍の擊沈した米甲巡シカゴ號 |
07 | 增產獎勵に重點 臺北州農會總會廿四日開く |
08 | 從軍記念會の幹部鍊成會 廿二日から馬場町で開催 |
09 | 今議會と戰費調達(上) 臨時費二百七十億 |
10 | 後藤保安課長 け□空路上京 |
11 | 圖像:野村前大使熱帶研究所へ |
12 | 產業道路の開鑿 基隆商議部會で討議 |
13 | 教員不足に萬全 本島で自給自足を圖る |
14 | 增える“働く婦人” 皇奉の生活相談所から見た けふこの頃の世相 |
15 | 新食菌生物發見 |
16 | マ病防遏腕比べ 臺中署成績發表 |
17 | 慰問文と古襷 日婦臺北市支會が献納 |
18 | チツプ二圓以內 勘定外勝手に客から受取らぬ カフヱーの自肅申合 |
19 | 昇格方を陳情 新竹市憲兵分駐所 |
20 | 鯨見たさに飛んだ災難 |
21 | 豫算總額二千二百萬圓 臺北州畜產會廿四日開く |
22 | 港都の逞しい姿 豫算四十六萬增額 |
23 | 興南詩苑漢詩 冒雨觀菊似網溪主人三首/文訪、少奇同社乘飛機赴菲律賓主馬尼拉報漢文筆政不及面別詩以送之/鶴亭、春日偶成四首/南都 |
24 | 川端青年道場上棟式 |
25 | 人事・消息報社消息 |
26 | 今夜の放送 |
27 | 商況(二十日前場) |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵艦船三隻を擊沈 海鷲ソロモン群島に進撃頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(二十日十五時) 帝國海軍航空部隊は二月十七日ソロモン群島サン・クリストバル島東方において敵輸送船團を攻擊し驅逐艦二隻及び大型輸送船一隻を擊沈せり、この間我が方三機を失へり |
02 | 敵大輸送船團を發見 我が海鷲勇躍猛攻また猛攻 戰鬪經過 戰略根據に わが海鷲の |
03 | 新四軍隨所に潰滅 皇軍精銳楔入進擊を續行 |
04 | 圖像:蘇淮作戰 |
05 | 敵投降者續出 |
06 | 南方の施策順調(首相答辯) 昨日の貴院豫算總會 |
07 | 守島駐ソ公使入京 |
08 | サン・クリストバル島 |
09 | 陸鷲縱橫の大活躍 |
10 | 重慶軍擊碎の大作戰 敵蠢動の機先を制す |
11 | 農業、水產業團體法案 附帶決議で眾院通過 |
12 | 昌邑縣警備隊出擊 |
13 | いざ敵機襲來の場合 軍警兩機關の關係 鄉軍、學生に課せられた大使命 那須局長答辯 |
14 | 敵潛水艦に逆襲 我が海員魂を發揮 |
15 | 汪主席、皇軍に金二萬圓贈呈 蘇淮肅清を謝す |
16 | 眾議院本會議 |
17 | 議會第五週に入る 十一法案を通過成立 |
18 | けふ兩院休み |
19 | 軍港地帶の防空 近接地域の都市計畫完璧 |
20 | 東京人絹解散決定 |
21 | 小癪・セ島に來襲 敵機無茶苦茶の盲爆 俘虜收容所に命中彈 |
22 | 海軍司政長官に鶴友彥氏 |
23 | 勤勞顯功章の授與範圍 五大產業に限らず |
24 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 國府和平軍の初陣に寄す社說 一 春まだ淺き蘇淮地區に、皇軍は韓德勤麾下の敵第八十九軍を殲滅すべく、雄渾なる作戰を開始したが、大本營は本作戰に國府軍有力新銳部隊の參加しあるを報じ、注目を引いた。その後の戰況によればこれら國府和平軍は意氣軒昂、蘇淮地席の惡路を克服し、人馬泥塗れになつて敵主力の前衞重要據點たる車橋鎭を皇軍と協力して猛攻、頑强なる抵抗を排して突撃を敢行、遂に完全にこれを攻略して初陣の凱歌を擧げたと報ぜられる。先般、國府が米英に對し宣戰を布告するや、米英は故意にこれが効果を過少評價し齒牙にもかけないやうな態度を示したが、日支の關係は之によつて「同生共死」の間柄に飛躍したのみならず、百年の侵犯により支那を生殖民地たらしめてゐた彼等並にその走狗たる重慶の面上にはつきりと「敵」の烙印を押し、重慶抗戰の理論的根據を全く喪失せしむるに至つたことは意義洵に重大であるといはねばならない。さきに山東に於ける抗日勢力の中心であつた魯蘇戰區軍の第四師長吳化文上將がその麾下四萬を率ゐて國府に來り投じたことなども參戰の意義を重付けるものといふべく、更に今回の國府和平軍の皇軍協力はいよいよこれが實踐に入つたもので、その戰果と共に同慶に堪へない。 二 然して國府和平軍の機構と其實力を一瞥するに、中央に最高國防會議を設置し、軍事委員長は汪主席が自ら之を兼任し、從來支那軍の癌であつた個人或は地方軍閥釀成の轍を踏まず、新しい「國軍」の創造に銳意邁進してゐる。編練總監葉蓬上將の下に南京警備師團及び獨立第十四旅團を基礎とし、第一方面軍あり、蘇北行營麾下に治安總署あり、その兵力は大凡三十萬といはれる。補助兵力としては上海特別市保安隊を初め江蘇、安徽、湖北の各省にそれぞれ保安隊の編成を終つた外空軍、海軍また日本のよき指導と援助の下に逞しく育成されつつある。量的には重慶の三百萬に對し十分の一に過ぎないが、重慶が物資と兵員充足に惱んでゐるに反し、國府では中央軍官學校に於て昭和十四年以來新銳なる中堅將校が養成せられ、また軍士指導團に於て一死報國に燃ゆる下士官がぞくぞく養成され、近代組織と近代裝備を誇つて國府和平軍は日日强化され、士氣も亦潑刺と昂揚しつつある。 三 友邦滿洲には旣に徵兵制が實施されその國軍は皇軍の信頼すべき「戰友」として國境守備に、匪賊討伐に、幾多赫赫の武勳を揮してゐることは周知の通りである。今又面目を一新した國府和平軍がいよいよ起つて皇軍に協力するまでに成長したことは祝福に堪へない。歐洲、北阿方面の戰況を見るにつけ、また大東亞一大決戰の戰雲漠漠たるとき、共榮圈諸民族は尠くも皇軍の足手まとひとならざる程度にまで鍊成され國防の一端を荷ふやうにありたい。それは然し當分可能性はあるまいが、國府和平軍がますます育成强化されその建軍精神に筋金が入つた曉こそ重慶は坂道に石を轉がすが如く一落千文、崩壞し去ること必定で、ここに初めて大東亞建設の中核をなす支那問題の處理も自ら解決さるべく、われ等はこの意味で國府和平軍の前途に多大の期待をかけるものである。 |
02 | 南海に咲く“海軍魂” 味方機の全滅救ふ犧牲戰法 逆に三機擊墜の戰果 |
03 | 二百三十億必成へ 掉尾の努力に一億進軍 職域別協議會の開催 宗教團體の動員 記念貯蓄の必行 |
04 | 三師範を昇格 他は豫科として存續する 本島師範の學制改革 |
05 | “私の見た米國” 野村大將今夜講演 |
06 | 來れ・制服の乙女 今春巢立つ北一高女生と桔梗俱樂部員和やかな懇談 |
07 | 主なる實施要綱 |
08 | 香港總督部設置記念式典 |
09 | 海鷲・中壢郡婦人號 無敵海軍に捧ぐ赤誠の結晶 廿八日新竹女で命名式 |
10 | 決意に漲る鬪魂 戰力增強地域別懇談會第三日 |
11 | 街庄長人選の革新 綜合行政の權限擴大に伴ひ 總務長官通牒を發す |
12 | 鬪ふ東條さんに 南の一原住民から激勵文 |
13 | 戶別勸獎に主力 戰時國貯動員本部幹事會開かる |
14 | 米の生產は從來通 一千萬石の確保で 滯京中の奥田食糧局長語る |
15 | 農報挺身隊員の腕比べ 蘭陽一市三郡插秧競技會 |
16 | 浮魚漁業が有望 安原技師に南方水產事情を聽く |
17 | 乙女らが針の奉仕部隊で被服の修繕 |
18 | 白衣の勇士慰安演藝會 |
19 | 譽れの遺族に雛人形を贈る 軍援花蓮港市支會 |
20 | 南友會献金 |
21 | 羅東街協議會 |
22 | 島都大橋國民校の火事 |
23 | 授業に萬遺憾なき對策を 渡邊校長語る |
24 | 臺灣出版文化株式會社創立總會 |
25 | 人事・消息報社消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 武勳の赭顏輝せて 第四回勞奉團晴れの歸還 |
02 | 上村團長は語る |
03 | 良い體驗でした 臺中州隊小隊長廖新泉君談(大屯郡出身) |
04 | 貯蓄と建艦献金 三月の常會申合事項 |
05 | 神社の御營造に お山の社眾淨汗奉仕 |
06 | 敵英の學說を擊摧 ヂフテリヤ病原菌 研究に擧る日本醫學の凱歌 |
07 | 各地街庄協議會 |
08 | 彰化市議月例會 |
09 | 赤誠献金三ツ |
10 | 市長郡守署長會議 |
11 | 國民の前列に立て 高雄州奉壯團地域別協議會で 山本事務總長が激勵 |
12 | 社會教育打合會 |
13 | 青年體力修鍊會 新竹州初の試み |
14 | 新竹市會 來る廿五日開催 |
15 | 屏東郡壯丁團檢閱 |
16 | 二千餘萬圓に上る 新竹州畜產會の豫算 |
17 | 斗六郡國民道場開場式 |
18 | 青年の龜鑑・宜明著君 臨終に秘める數數の美談 |
19 | 荷役力の增強 持久的能率が肝要だ 谷本出張所長の抱負を聽く |
20 | 新化街の田植競技會 |
21 | 組合市郡對抗庭球 |
22 | 赤誠の献金品 軍司令部(二十日扱) 國防献金 恤兵金 献品 海軍武官府(十九日扱) 國防献金 恤兵献金 建艦献金 金屬献金 |
23 | 竹南道路品評會 審查終へて近く褒賞式 |
24 | 彰化市「國語の家」認定書交付式 |
25 | 日婦新竹州支部生活座談會 |
26 | 腐敗薩摩藷で 耕牛二頭中毒 |
27 | 窃盜詐欺漢檢擧 新莊郡警察課で |
28 | 地方多より |
29 | 第六期決算公告/慶珍醬油株式會社 |
30 | 訃文:林錦順 |
31 | 今日の映画演藝 |
32 | 基隆の映画 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 鐵鋼需要に對處 圈內需給恒久對策を樹立 岸商相答辯 |
02 | 鑛產物の生產增強 生產費の引下が必要 商相答辯 |
03 | 電氣工事業の統制 指定業者の銓衡に着手 |
04 | マライの食糧增產 臺灣等の側面的援助で進捗 各州の食糧增產近況 |
05 | 帝國鑛發改組の意志なし |
06 | 日銀下半期の業績 剩餘金六千萬圓を突破 |
07 | 一月中の會社認許可四件 |
08 | 局營バスの車體檢查 州廳より局鐵に移管 |
09 | 大甲、達見に鐵道敷設事務所を設置 |
10 | 鐵工業統制會の統制規程 府で審議近く認可 |
11 | 本期赤糖處分案 圓プロツクへ輸出開始 |
12 | 經濟手帖 外貨債の根本的處理 |
13 | 小作現情調查に 小作關係官會議開催 |
14 | 屏東懇話會 |
15 | 照明燈 |
16 | 商況(二十日前場) |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(896)/黃得時;碇政彌 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 敵四ケ師完全に潰滅 第六戰區の戰果莫大頭條新聞 【漢口二十一日發同盟】中支軍發表(二月二十一日十時) 軍は二月十七日、十八兩日に亘り沙市東南方揚子江畔において第六戰區の敵四ケ師を完全に包圍し潰滅せり 【湖北◯◯前線二十一日發同盟】揚子江北岸一帶に壓迫され水上機動部隊に退路を遮斷されて大混亂に陷つた敵第百十八師殘敵に二千に對し十七、十八の兩日に亘り凄絕なる殲滅戰を展開したわが精銳部隊の本日までに判明せる戰果次の如し 敵遺棄屍體一五◯◯、俘虜四◯◯、鹵獲品、輕機四五、迫擊砲四、小銃七◯◯、その他軍需品多數 |
02 | 徹底的包圍殲滅戰 第六戰區作戰意義現地報道班長談 |
03 | 八十九軍主力を殲滅 |
04 | 敗敵を舊黃河口に急追 |
05 | 圖像:極寒の上空で射擊訓練の若鷲 |
06 | メラウケ港灣爆擊 |
07 | 法案最後の仕上げへ 來月三、四日頃から自然休會 所謂決戰行政 他方貴族院は |
08 | 駐ソ土大使歸任 |
09 | 米戰時生產局の内部的相剋 |
10 | 樞軸軍の戰果擴大 チユニジヤ中部地區 |
11 | 英インド軍の泣言 |
12 | 獨軍猛反擊開始 オリヨール地區戰局 |
13 | ロストフ西方の戰況 獨軍に有利 |
14 | 國府側に大反響 租界還付と治外法權の撤廢 |
15 | ガ翁危篤狀態 ボンベイ州政廳發表 |
16 | 渡米の宋美齡を繞る アメリカの猿芝居 |
17 | 米新聞記者の死傷多數 |
18 | 北阿戰の將來を深刻に憂慮 反樞軸國陣營 |
19 | 一年前の朝野の驚愕 濠洲放送ダ市爆擊を回想 |
20 | けふの兩院 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 勝つて勝つて勝拔け 安價な勝利を夢見るな 野村大將敵米の野望を抉る |
02 | 米英擊滅の大獅子吼 人類平和攪亂者 本社速記 敵米の世界政策 今夕 達成 熱意 前線 一番 戰爭 東洋 世界 輸送 樞軸 戰爭 一角 濠洲 立派 蘭印 通過 |
03 | 國語の純化は必要 貴院豫算總會橋田文相答辯 |
04 | 圖像:島都に於ける野村大將の演說 |
05 | 食用鹽は出來るだけ 內地自給を圖る 木内專賣長官答ふ |
06 | 生活科學展 昨日から新竹で開催 |
07 | 松井七夫中將逝去 |
08 | 日米交涉の經過 戰爭責任敵米にあり |
09 | 臺北市米配組合總會 |
10 | 大橋國民學校の對策 |
11 | 港都の衛生狀態向上 |
12 | 公告/臺灣電力株式會社 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 總決戰に勝て 臺北帝大を視察した野村大將 若き學徒を激勵 |
02 | 三峽神社御造營諸準催なる |
03 | 六原道場視察記五 |
04 | “よく集めたね” 博物館その他を視察 |
05 | 一市三郡の奉壯團 きのふ臺南市で協議會 |
06 | 南投神社御鎮座祭奉祝打合 |
07 | 勤農生活の權化 模範村に鍛へる農民魂 東京支局白根生 |
08 | 各地街庄協議會 |
09 | 終生忘られぬ感激 勞奉團員の體驗發表 |
10 | 女子青年を派遣 内地の農業魂を學ばしむ |
11 | 鄉土の指導者に 北斗郡實踐報國青年隊組織 |
12 | 文山郡女子青年幹部鍊成會 |
13 | 彰化華僑公會定期總會 |
14 | 屏東華僑の總會 |
15 | 幼稚な比島の養魚 臺灣の技術を待望 副島技師の土產話 |
16 | 上奎府町國報所第一回演習會 |
17 | 能高郡教化大會 國語普及常用を諮問 |
18 | 旗山水防組合評議會 |
19 | 竹東街遺家族慰安演藝會 |
20 | 彰化女慰安舞踊會 |
21 | 地方多より |
22 | 今日の映画演藝 |
23 | 基隆の映画 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | “國史概說”の意義 穩健中正の史觀 內容の重點/志田延義 |
02 | 学藝 |
03 | 圖像:神兵奮戰之圖(聖戰美術展)/中山巍 |
04 | 思想體制の確立 生活と思想との一致 指導者層の垂範に 俟つ/肥後和男 |
05 | 簡素美の實踐/杉野芳子 |
06 | 北回歸線 勤勞と藝能文化 傳統を無視するな |
07 | 蛙と蠍に鋭いメス 北京大學研究室覗記 |
08 | 女の鬪ひ/阿部静枝 |
09 | 海外豆通信 ナポレオンの皮外套 |
10 | 新着普通圖書 臺灣總督府圖書館 |
11 | 昭南セレター(一) 伊原宇三郎と畫 |
12 | ラジオ |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵三機を擊墜 陸鷲アラカンで活躍 |
02 | 英政局の危機深刻 印度情勢をめぐり |
03 | ガ翁の安泰を祈願 インド各地で式典擧行 |
04 | チヤーチル病む 政界の危機も傳はる |
05 | 日本と米國/平貞藏 |
06 | チヤーチルへの決議案要旨 |
07 | ガ翁の衰弱甚し |
08 | 頑迷な印度政廳 責任論を棄てず |
09 | 週間國際展望 重慶の狂奔 |
10 | 圖像:蘇淮作戰 |
11 | 印度總督の三百代言 各派會議英首相に打電 |
12 | 英紙、印度政策を非難 |
13 | 樞軸軍破竹の進擊 反樞軸軍を國境外に壓迫 |
14 | 中立政策を闡明 トルコ首相議會で |
15 | 永年勤續者を表彰 けふ貴族院本會議 |
16 | パタワを占領(樞軸軍) |
17 | 米機擊墜發表 |
18 | 農山漁村に鹽を增配 |
19 | 獨軍司令部發表 |
20 | 米の軍需生產不振 上院で非難 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 二萬の團員を結集 戰時貯蓄實踐強調運動へ 島都青年團が蹶起 指導要領 實施事項 實施上の注意 |
02 | 敵の弱點を恃むな 軍備に狂奔する米國の實相 野村前駐米大使講演(續き) |
03 | 從軍記念會幹部 けふから鍊成開始 |
04 | 白衣勇士慰問 |
05 | 共學の學校割當 近日中に通知 |
06 | 臺北州教育會 總會と慰靈祭を執行 |
07 | 完勝の彼岸へ總進軍 一億火の玉で當れ |
08 | 第五部隊へ軍馬慰問 |
09 | 應答は簡潔に 臺北市會明日開催 |
10 | 海の荒鷲一機を献納 煙草値上による利益金 |
11 | 彈丸切手抽籤 幸運の當選番號 |
12 | 青年教育に馬力 基隆市多額の豫算計上 |
13 | 助けられたり助けたり 花蓮港に咲く內臺一如の隣組トンカラリ風景 |
14 | 農村中堅青年を鍛ふ 玉里郡で鍊成會 |
15 | 野村大將南下 けふ中南部の視察へ |
16 | 農業團體法案 運用上の諸問題 市町村長兼任を妨げぬ |
17 | 保健衛生に萬全 愛國子女看護團結成 |
18 | 重巡シカゴ最期の模樣 |
19 | 淨財三十圓を建艦費に |
20 | お山の文化住宅! 玉里郡タピラ社に建つ |
21 | 興南詩苑漢詩 網溪主人嘯露先生以詩來招觀菊適有俗務之擾、未能趨往一覩爲悵、因敬次元韻却寄/莊幼岳、同級會席上敬和江西兄佳作並呈諸芸友/蕭玉衡 |
22 | 配給事務一元化 基隆市役所の親心 |
23 | 人事・消息 |
24 | 商況(廿二日前場) |
25 | 興南案內報社消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 廣州灣佛國租借地に 帝國陸海軍進駐完了 佛國政府諒解の下に頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(二月二十二日十七時) 帝國陸海軍部隊は佛國政府の諒解の下に二月二十一日廣州灣佛國租借地に進駐せり 【東京發同盟】佛領印度支那聯邦の一部である廣州灣租借地に對しては今まで帝國陸軍の派遣が行はれてゐなかつた所、最近敵國特に重慶側の同地に對する動きが顯著となつたので帝國陸海軍はこれが企圖を未然に防止するため佛印の共同防衛に關する日佛間協定に基き佛國側の完全な諒解の下に敵の機先を制し進駐を行つた即ち二月十六日拂曉陸海空軍緊密な協同の下に雷州半島雷州縣城東側に奇襲上陸を敢行、膝を没する千五百米餘りの淺瀨地帶を突破、同日十時三十分雷州縣城を抜き引續き敗敵を擊壞、二十一日十四時廣州灣租借地に進駐を完了、該地及びその附近を確保した、今次の進駐は英米兩國の佛港マダガスカル島不法占領と全く事情を異にし佛國側との完全な諒解の下に行はれたもので佛印軍と緊密な協力の下に同地の防衛に任じてゐる。右の旨二十二日大本營より發表された |
02 | 雷州縣城を攻略 據點遂溪を完全占領 |
03 | 寸金橋に到達 |
04 | 超人的の快速進擊 |
05 | 陸海軍統帥部を御慰勞 御陪食を仰付けらる |
06 | 貴族院豫算總會 |
07 | 佛租借地は 佛印聯邦一地區 |
08 | 一貫の興亞運動 安藤副總裁の言明 |
09 | 企畫院辭令 |
10 | 高安粉碎の態勢 敵算を亂して潰走 |
11 | ニユーギニア爆擊 |
12 | ガ翁を繞る印度の危局 記者團と會見堀第三部長語る |
13 | 廣州灣は全く平穩 日、佛印緊密な友好 |
14 | 日、智外交官待遇取決め |
15 | 共榮圈內の保健(厚相答辯) |
16 | 主要金山は一時中止 必要な時に開發出來る樣に 金問題、岸商相の言明 |
17 | 炭礦業にも國家補償考究 |
18 | ブラジル兵力五萬派遣決定 |
19 | 安い纖維品の供給に努力 西川局長の答辯 |
20 | 米最大の潛水艦 ア號擊沈を自認發表 |
21 | けふの兩院 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 臺灣演劇の一考察社說 一 決戰下演劇、演藝に對する對策は東條首相の談話の如く健全娛樂は必ずしも抑壓せず寧ろ積極的に活用し國民士氣の昂揚を圖るべきである。決戰下の國民生活に潤ひを持たせ殊に擧國生產增强に邁進してゐる現下、働く人に慰安を與へて明日の勤勞の力を再生產する為めの娛樂、健全な演劇の必要なこと喋喋するまでもないことである。臺灣在來の演劇は殆んど宗教と密接な關係をもつ年中行事に伴ふ芝居で、お祭ある每に藝人を雇つて來て村の室地、町の角で一般に公開して來た。勿論都市には劇場があつて歌劇、京劇を公演してゐたが、一般大眾とは緣遠くどつちかと云ふと有閑者の道樂といふ部類で、演劇界にとつて支配的、決定的なものではなかつた。大眾に最も親まれるものは何と云つても辻芝居で、因習と云ふかそれがずつと永く續いてその間何等の進步もなく向上もなかつた。 二 演劇は勿論その土地の人の生活にぴつたり合つて最もよく理解し、樂む鄉土藝術性のものでなければならぬが、そうかと云つて文化の向上が停止されてよい理は更にない。東亞の歷史を根底から變革する大東亞戰爭の序幕、支那事變が勃發して以來、擧國感奮の坩堝と化し、凡てが自肅を建前とする結果、臺灣の演劇も凡ゆる角度から再吟味され健全性、皇民鍊成の點等等から檢討され、暫らくは產みの惱をつづけて來たが、當局の指導と業界の步み寄りに依り新劇が出來上り現在各地で巡演してゐる。この新劇は演技は勿論のこと、舞臺裝置、背景、照明等總て內地の新劇に比べて程度こそ低いが大體その儘採用し、俳優も青年で國語を解するものが多數を占めしかも樂しませつつ時局の要求に副ひ、演劇內容は防諜劇あり、國民性の陶冶、風俗の改良等を織込んであり、過渡期的形態として色色批判檢討を要する點はあるが往く往くは藝術性の問題、鄉土色の問題等尚研究の餘地が多い。內容上のことは專門家の仕事に任せ今はその現狀を一瞥して檢討して見よう。 三 所謂新劇團は現在臺灣に四十餘團あり、これらが宗教上の行事とは没交涉に全島各地の劇場を統制會社の配給に依る日割で交代して開演する仕組みである。劇團は甲級、乙級、丙級の三部類に分けて木戶賃の高低、大小劇場の割當等大體圓滑に運轉して居り、入場料も二十五錢乃至五十錢の間といふ大眾向きのもので觀客を吸收してゐる。劇團は個人の經營か數人の合資によるもので、規模小さく一團の俳優の人數は平均五十人內外であるが、問題はこれらの俳優の質的向上である。奉公會の指導により素人方面に於いてさへも盛んに演劇挺身隊が結成され、青年劇も見るべきものあつて文字通り演劇報國を展開してゐる現今、全島を巡演し大眾に接觸してゐる玄人俳優こそ最も影響力をもち、彼等こそ考慮檢討を要する對象ではなからうか、殊に彼等の生活を考へ教養を高めることを中心にして考へるべきである。要するに決戰下の國民生活に健全な演劇は建設的役割を有し就中その人的要素、俳優の質向上を圖ることが肝要である。 |
02 | 本島民の鍊成全し “御民われ”に生くこの成果 議會で齋藤長官答辯 |
03 | 真心罩める慰問袋 日婦各支會より續續軍司令部へ |
04 | 昭南のフオード工場更生 |
05 | 督府定例局部長會議 |
06 | 大東亞戰錄音史出來上る 陸軍記念日に發表會 |
07 | 來れ!熱血男子 陸軍少年兵募集發表 檢查場 學科試驗の程度及試驗科目 其の他 陸軍兵器學校 陸軍少年戰車兵學校 東京陸軍航空學校 |
08 | 神祇會役員會 きのふ公會堂で |
09 | 野村大將 きのふ高雄へ |
10 | 漂流の陸兵を救助 我が潛水艦の決死作業 救助作業 下士官が 陸兵を見 |
11 | 樋口軍參謀長 けふ夜行で南下 |
12 | 基督教の大同團結 廿五日彰化市で南北兩派が大評定 |
13 | 貯蓄の懇談會 本島側の婦人に呼掛く |
14 | 稻江、萬華方面から 續續大口の應募 島都聯合商奉團の軍用機献納 |
15 | 乙女等の和やかな集ひ 桔梗部員と近く巢立つ北三女生 |
16 | 前線の勇士から感謝文 桔梗部員の慰問に感激して |
17 | 職場戰士の鍊成 昨日州廳中庭で入所式 |
18 | 臺大豫科受驗者の注意 |
19 | 少年少女を配置 警察署の窓口事務に |
20 | 高雄海軍共濟組合病院の看護婦募集 |
21 | 宜蘭水利組合評議會 |
22 | 人事 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 野村さんは大恩人 あの日の感激を胸に里氏 高雄驛で劇的對面 |
02 | 奉公の尖兵たれ 奉壯嘉義地區協議會 |
03 | 垂範して導け強權は避たし 山本總長、權力附與論に答ふ |
04 | “サヨンの鐘”撮影見聞記 待機の撮影隊(一) 滿を持する李香蘭さん |
05 | 頑健な體格ばかり 臺南市志願兵を銓衡 |
06 | 木炭は重要物資 廣谷廳長炭燒き戰士を激勵 |
07 | お嫁に行くなら 巢立つ高雄女の希望調べ |
08 | 屏東地區協議會 |
09 | 國民兒童視閱 臺南市廿七日忠靈塔廣場で |
10 | 三年一日も缺かさず 兵隊さんへ慰問新聞 |
11 | 斗六郡保正會議 |
12 | 水裡坑の會議 |
13 | 三重埔青年團 定期訓練大會開催 |
14 | 市長郡守會議 |
15 | 補助貨回收 花蓮郡廳下の首位 |
16 | 屏東市桔俱座談會 |
17 | 西鶯部落實績發表會 |
18 | 新竹產組聯合會支所主任打合せ |
19 | 赤誠の献金品 |
20 | 瑞芳街常會 |
21 | 人事 |
22 | 地方多より |
23 | 貯蓄講演 |
24 | 今日の映画演藝 |
25 | 基隆の映画 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 水產團體の統合 殖產局案決定、審議室に廻付 |
02 | 貯蓄機關別の資金吸收目標決定 |
03 | 内地事務所を廢合 臺灣青果新情勢に即應 |
04 | 重要資材等を節減 建築物の戰時體制を要望 府營繕課より基準發表 |
05 | 有機合成增資 新株式全部帝人で引受 |
06 | 貯金切手當籤番號 |
07 | 戰時型車輛近く出現 東局鐵工作課長土產談 |
08 | 蓬萊醬油合同總會 |
09 | 一期作米の植付 高雄州既に九割終了 |
10 | 照明燈 |
11 | 商況(廿二日後場) |
12 | ラジオ |
13 | 建築物取締緩和 |
14 | 水滸傳(897)/黃得時;碇政彌 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 胸を浸す泥海を突破 五日間、惡路百五十粁を強行 雷州半島奇襲上陸の詳報 泥濘の海を衝く |
02 | 日、佛印同一の戰線 佛印側誠意の協力 皇軍進駐 |
03 | 脅威から救はる ビカイユ官房長語る |
04 | 圖像:敗敵を急追する我が○○砲隊 |
05 | 内務省の六法案 來月十日頃に成立か |
06 | 赤軍戰車擊破 |
07 | 英勞働黨出身閣僚が密議 |
08 | 敵艦船十五隻擊沈 獨潛艦、大西洋地中海で |
09 | ミルン灣ブナ爆擊 |
10 | 國際聯盟脫退十周年 松本外務次官當時を語る |
11 | 伊空軍の活躍 |
12 | 滿洲建國の經驗者を活用 南方占領地開發に |
13 | 比島獨立の實現へ 州知事會議で軍政監、ヴ長官訓示 軍政監訓示 ヴアルカス長官訓示 |
14 | ガンヂー翁危篤 |
15 | 經濟會を中心に 企業整備を促進 |
16 | ニユージヨージア島の爆擊 米海軍省企つ |
17 | 金利政策 山際局長の言明 |
18 | ガ翁釋放決議 ボ州の各縣知事 |
19 | 印度穩健派も憤激 英政府の冷血的態度に |
20 | 印度總督に打電 英國共產黨要求 |
21 | 政廳、會議派に責任を轉嫁 |
22 | 頑固印度總督讓步の色なし |
23 | 獨軍の猛攻擊に 赤軍の戰力低下 |
24 | 兩軍激戰を展開 ロストフ西方地區で |
25 | ルーズヴエルト乘り出すか 印度問題調停に |
26 | ハル長官否定 |
27 | デリー停車場で大爆彈事件 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 神社に祈願參拜 開會劈頭前線將兵に感謝電 翼贊臺北市會開幕 |
02 | 敵米の野望を衝く 野村大將高雄で講演 |
03 | 高雄神社に參拜 講演後市內各方面視察 |
04 | 豫算編成の大要(上) 藤村臺北市長の演述 職員の待遇改善 市行政下部組織の強化 國民教育と實業補習教育の振興 社會教育 軍事援護事業 住宅經營 食糧の需給竝轉廢業者指導對策 保健施設 |
05 | 皇軍感謝電報 |
06 | 奉壯團員傍聽 基隆市會あす開く |
07 | 圖像:臺北市會開幕 |
08 | 守れ・我等の大空 皇奉、防空壁新聞配布 |
09 | 海洋青少年養成所入所式 來月二日に擧行 |
10 | 献金二則 |
11 | 產組の戰時體制確立へ 新竹支部で產組長會議開催 |
12 | 鄉軍の決意新た 鄉軍本部參與會議に出席した 軍兵務部西中佐語る |
13 | 米兵八百餘名溺死 北大西洋で輸送船二隻沈沒 |
14 | 本島の學制改革 實業專修校令近く公布 |
15 | 敵米に物資難の嵐 |
16 | 地下資源は無盡藏 鈴木知事兩郡下の採掘狀況視察 |
17 | 必需品に割當制 米國民の窮乏化愈深刻 |
18 | 乙女純情の慰問 白衣の勇士を招き 花嫁學校で慰問演藝 |
19 | 南方諸地域への教育工作部隊 三月下旬現地へ出發 |
20 | 臺灣農機具總會 |
21 | 人事・消息 |
22 | 興南詩苑漢詩 賦呈郭老師/守愚、壽洪元煌先生六秩/德賢、晴園觀梅二首/小維摩、送別神田郡守榮任屏東市長/員林 鐵骨生 |
23 | 今晩の放送 |
24 | 商況(廿三日前場) |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵驅艦轟沈一、大破一 海鷲エスピリツ・サント島を夜間攻擊頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(二十三日十七時)帝國海軍航空部隊二月二十一日長驅ニユー・ヘブライヅ諸島エスピリツ・サント島の在泊艦艇及び軍事施設に夜間攻擊を加へ敵驅逐艦一隻を轟沈、一隻に大火災を生ぜしめ、陸上施設にも損害を與へたり、我方被害なし |
02 | 前後四回同島を攻擊 |
03 | 空中戰益益熾烈化 |
04 | 敵側の發表 |
05 | 敵潛艦ア號の擊沈模樣 |
06 | 我軍艦、廣州灣入港 陸海兩指揮官感激の握手 |
07 | 重慶軍への一大天譴 今次の諸作戰岩崎派遣軍報道部長談 支那派遣軍報道部長談 |
08 | 貴院豫算總會 |
09 | 定例閣議 |
10 | 商工經濟會頭の人選は慎重 |
11 | 英政府ガ翁身殺し 奥村情報局次長談 |
12 | 我真意を知らしむ 回教對策谷外相答辯 |
13 | 貴族院豫算總會 |
14 | 敗敵を奇襲殲滅 |
15 | 在支治外法權撤廢 フランス情報省發表 |
16 | 國府宣傳部發表 |
17 | けふの兩院 |
18 | 外國租界の回收 全部目的を達成 |
19 | 印度派遣英軍三機喪失發表 |
20 | 廣州灣租借地措置から除外 |
21 | 實質的に國府承認 |
22 | 敵機蘭貢の僧院を盲爆 |
23 | 敵一機を擊墜 |
24 | テベツサ防衛に狂奔 反樞軸軍が |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 農業團體統合の理念と課題社說 一 目下督府に於ていろいろと構想せられつつある本島農業團體の原案は未だ決定されるに至つてゐないが、先づ何んのために農業團體の統合が必要であるかといふ事を明確にしなければならない。事變前內地に於て提唱せられたる農業團體の統合理由は先づ餘り團體が多過ぎると農民の負擔が重過ぎるとか、指導の不一致とか、人的物的浪費とか、又は團體間の相剋摩擦とか、さういつた農業團體合理化の方面に重點を置いた事は明かである。然るに大東亞戰爭下の農業團體の統合は決して低調な機械的な統合でなく、世界情勢の急轉回に伴ひ緊迫化せる事態に卽應せる戰時體制の確立と國民經濟の全分野に亘る計畫經濟貫徹のため國家的綜合計畫に基く食糧其の重要農產物の生產責任團體として其他創意及び能力の發揮に遺憾なからしめんとする新性格のものでなければならない。換言すれば新農業團體の性格は多分に農業統制會的ものである事を要請せられてゐるのである。從つて本島に於ける農業團體の統合も此の線に沿はなければ何等劃期的意義なく、各關係者に於ても徒らに自己の縄張のみを考ふるべきでなく、須らく農業生產力擴張といふ國家の至上命令に從ふべきであると考へられる。 二 然るに食糧局の一部に於ては自己の管轄下にある各州廳米穀納入組合が統合される事を飽く迄防ぐためにあらゆる試案を練つてゐるとの事である。從來各州米穀納入組合の惡評は旣に嚴ふべからざる事實であり、かかる中間機關を介在せしめるために却つて米穀增產の障害となつてゐる事は識者の齊しく認めるところである。今や食糧局に於ても何等法的根據なき米穀納入組合を其の儘續せしめる事が出來なくなつた事を觀念し、何か法的根據のある團體に改變すべくいろいろと苦心してゐるとの事である。先づ頭に浮んで來る問題は島內に於て食糧營團を設置せんとする事である。然し食糧營團の目的や性格に對しては湯河食糧管理局長官が「食糧經濟」一月號にて述べてゐる通り「其の眼目とするところは政府の樹てた食糧配給計畫に基いて主要食糧の配給を為す事にあり、卽ち政府が食糧管理を實施するに當つて主要食糧の配給の部面については直接關與する事を避け食糧營團をして其の實行に當らしめんとするにある」といはれた。從つて假令本島に食糧營團を設置しても米穀蒐集の部面は他の團體に於て之を取扱ふ事は寧ろ當然であり、營團は單に其の配給の部面を為せばいい譯である。ところが現在の食糧局が各種食糧の配給にもいろいろと關與してゐるから、若し營團を設置されば現在の食糧局の存在を全く無くしなくても著しく其の機構を縮小すべきは明かである。 三 尚最近食糧局の一部に於ては籾摺と蒐荷とを分離して各州廳別の食糧公社を作つて滿洲國の真似をしようとしてゐるとの事である。其の根據とするところは籾摺業を工業と認め之を農業團體に屬すべきでないといふにある、元來籾摺は米作農の延長であり、內地では凡て農民で自家籾摺を行つてゐるのみならず、農業倉庫をも農業の部面として之を業務としてゐるのである。之恰かも落花生生產者が自ら落花生の殻を割つて落花生仁として販賣するのと同一過程なのである蓋し籾摺業者の生產費の八割は籾購入費であり、從來の籾摺業者は工業といふよりも寧ろ商業として相場の高低に依る利益を獲得しようとする商業的性格を有するものである。今農業團體で蒐集した籾を更に食糧公社に渡して籾摺させる事は徒らに屋上に屋を重ねる許りでなく、農民に對する中間搾取の餘地を與へる事となる。かくては到底米穀增產を齎らす事が出來ない事は明かであるから、此の問題に關しては關係當局がどこまでも從來のセクシヨナリズムを一掃し以て國家目的の下に最も合理的であり且つ綜合的有機的本島中樞農業團體を確立すべき事を强調せざるを得ない。 |
02 | 靖國臨時大祭勅許 護國の英靈約二萬柱を合祀 |
03 | 一發の銃聲もなく 雷州半島無血上陸 陸海緊密なる作戰で |
04 | 豫算編成の大要(下) 藤村臺北市長の演述 防衛施設 土木及都市計畫事業 總選舉事務 市營乘合自動車事業 水道事業 印刷事業 |
05 | 飛沫浴びて挺身 掃海艇隊の奮鬪 |
06 | 特產物移入組合 東京で全國總會開催 |
07 | 默默と勵む鐵道兵(廣東) |
08 | 悠悠租借地に入る 神速縱斷の兵團長 |
09 | 米英擊滅へ總進軍 三月常會の申合事項 |
10 | 重慶特務工作據點 性格完全に一掃さる |
11 | 入場者三萬名 臺南の新興代用品展 |
12 | 宜蘭郡食糧雜貨商組合結成 |
13 | 護國英靈へ感謝文 在北部隊及び白衣勇士を慰問 臺北市會第一日(續き) |
14 | 蘭陽乘合の新線路許可 |
15 | “阿片戰爭”試寫會 |
16 | 英靈に對する 感謝決議文 |
17 | 二月廿一日から發賣十七錢切手 |
18 | 羅東郡女子訓練閉會式 |
19 | 羅東郡水防の評議員會 |
20 | 陸軍記念日のポスター完成 |
21 | 南師臨時教員講習會修了式 |
22 | 嘉義郡國講所研究會 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 青年學校增設 臺中州新たに廿四校 |
02 | 廳勢隆替の鍵 澎湖島綠化に官民邁進 |
03 | “サヨンの鐘”撮影見聞記 役者も樂ぢゃない(二) 撮り直す仔豚追ひ |
04 | 熱演に終始 高雄州青年劇大會 |
05 | 綜合配給制實施 嘉義市の適正配給案なる |
06 | 建艦献金頓に殺到 野村大將の講演に市民感激 |
07 | 青年劇脚本入選發表 |
08 | 時局宣傳好成績 部落民の認識未だし |
09 | お薩新竹に入荷 一兩日中に市民に頒賣 |
10 | 葬式規格三ツ 民雄信組が率先垂範 |
11 | 納稅報國の赤誠燃ゆ 頼母しい臺南州民の協力ぶり |
12 | 樋口郡守田植督勵へ |
13 | 淡水郡の硬貨回收 |
14 | 二宮先生應召 玉里國民學校から |
15 | 新竹州防諜宣傳講演會 |
16 | 馬匹檢查好成績 |
17 | 新莊郡香花生產組合專務芳山榮道 |
18 | 出產率は全島一 誇る臺南州の保健施設 |
19 | 賞金を國防献金 |
20 | 中壢街協議會 |
21 | 有為な青年を惜む 溫情溢るる諸方刑事 |
22 | 赤誠の献金品 |
23 | 地方多より |
24 | 今日の映画演藝 |
25 | 基隆の映画 |
26 | 訃文:里中淑喜 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 漁船の標準型制定 臺灣側の意見を斟酌 |
02 | 蘭陽復興債券 產聯で二百十二萬圓發行 |
03 | 送船木材の確保 目下交通局で講究中 |
04 | 木造船時代の現出 建造促進に關する對策 木船建造の優位性 船型の簡易化により大量生產へ 木船に開かれた低利融資の途 木船保險制度確立の意義 注目すべき有力船主の木造船進出 |
05 | 灌溉工業近く完成 鳳山方面の看天田を改善三萬甲 |
06 | 移民指導官打合會 來月中旬に開催 |
07 | 產組重要科目十六年末 事業方面の減少目立つ |
08 | 熱地農業技術員 鍊成打合せ會 |
09 | 預金貸付とも收縮 一月の銀行金融緩慢 |
10 | 向日葵の栽培 大いに獎勵の要あり 府高澤技師談 |
11 | 針葉樹の增產 府生產業者と懇談 |
12 | 經濟手帳 經濟團體の再編成 |
13 | 間接稅の說明懇談會を開催 |
14 | 商況(廿二日後場) |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(898)/黃得時;碇政彌 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 劃期的增稅案成立 貴院本會議で可決 |
02 | 扶助の範圍を擴大 軍人に後顧の憂なからしむ |
03 | 超重點產協會設立 趣意書、規約草案を決定 |
04 | 佛國內の占領 地區劃定線撤去 |
05 | 廣州灣の共同防衛 現地協定調印終る |
06 | 圖像:海鷲出擊に奏でる尺八の雅味 |
07 | 米、英の微妙な對立 感情疎外の諸原因 |
08 | モレスビーを爆擊 |
09 | 六階の建物立並ぶ 皇軍進駐の赤坎現狀 |
10 | 佛政府賢明の決斷 租界返還堀第三部長談話 |
11 | 米の主力艦 アイオワ號就役 |
12 | セレベス島で 機帆船建造開始 |
13 | 千八百萬人に上る 赤軍東部戰線の損害 |
14 | 東部戰線戰況 |
15 | 赤軍の攻勢を阻止 獨軍當局樂觀的見解を述ぶ |
16 | 荒鷲の輸送船攻擊を發表 |
17 | タラ南郊で激戰(北阿) |
18 | 捕虜四千餘名 チユニジヤ中部作戰の樞軸軍綜合戰果 |
19 | 赤軍機九十九を擊墜破 |
20 | ガ翁依然危險狀態 |
21 | 印度各派會議議事打切り |
22 | 蠶糸製造會社の設立準備 |
23 | 獨潛水艦新戰果 |
24 | 伊紙ガ翁讚美 |
25 | 重慶空襲警報 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 雄渾な奉公運動 都會地よりも農村が活潑 山本事務總長全島奉壯視察談 |
02 | 歷史館を參觀 野村大將、臺南市へ |
03 | “鍬の勇士”の赤誠 授與された金を献金 |
04 | 賞金を國防献金に |
05 | 圖像:蘇淮作戰 |
06 | 日婦瀧田主事近く上京 |
07 | 華僑達も協力 明朗氣溢るる廣州灣 |
08 | 悽愴・三十八對二 船團を護り拔く崇高な海鷲魂 血で描く報告書 水柱 蒼空 弱敵 直後 高度 |
09 | 決戰基隆市會 けふ會議堂で開催 |
10 | 交通一齊訓練 新竹州來月十日に實施 |
11 | 在北部隊、白衣勇士 市議代表が懇ろに慰問 |
12 | 島嶼八十から成る ニユー・ヘブライヅ諸島 |
13 | 國民校用教科書 新學年まで間に合ふ |
14 | 圖像:野村大將講演 |
15 | エスピリツサント島 |
16 | 臺北州畜產會 第七回通常總會開催 |
17 | 興南詩苑漢詩 輓張國珍君令萱堂彭孺人/臺北 劉篁村、輓張國珍詞兄令萱堂仙逝/高雄 陳春霖、家姉渡厦送之基津三首/肇藩、紅頭嶼曉泊/王養源 |
18 | 高校の入試期日 例年より二週間早い |
19 | モンペ姿で執務 市役所事務員も實行申合 |
20 | 彰化市砂糖小賣商組合で |
21 | 民防諜完し 印刻屋さん表彰さる |
22 | 人事・消息 |
23 | 今晩の放送 |
24 | 商況(廿四日前場) |
25 | 興南案內報社消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 東部インドテンスキヤ飛行場群襲擊 我陸鷲戰爆連合の大編隊 重慶、印度空の中繼地猛爆頭條新聞 【◯◯基地二十四日發同盟】重慶とインドを結ぶ空の連絡地點たる東部インドテンスキヤ飛行場群は昨年十月下旬陸軍航空部隊の大擧急襲に地上にあつた飛行機と共にその飛行場施設を粉碎されたが最近又もや重慶への中繼地點として敵空軍が同飛行場群を使用しつつあることを確めたので陸軍航空部隊は二十三日戰爆連合の大編隊を以てテンスキヤ飛行場群を襲ひ地上にあつた大型十五機を火網に捕捉その大部に大損害を與へ少くともその四機を完全に炎上又燃料庫らしきもの一を炎上せしめ其他二ケ所より火災を惹起せるを確認した當日敵機の挑戰し來るものなくわが方全機無事歸還した、 |
02 | アツサム州北部を爆擊 |
03 | 敵軍約二萬を包圍 揚子江と漢水の三角地帶で |
04 | 圖像:クリークを跳ひ越え敵に肉迫する○○部隊勇士 |
05 | 沔陽地區は豐穰肥沃の地 |
06 | 蘇淮殘敵風前の燈火 |
07 | 楊子江下流地區 一月中の我戰果 |
08 | 百卅二億の總豫算 來月二日貴院を通過成立 |
09 | けふ八法案成立 |
10 | 百子橋、柳家集を連續爆碎 |
11 | 無修正原案承認の建前 市制改正外四件 |
12 | 梁山を爆擊 |
13 | 中國の食糧の自給自足達成へ 青木大東亞相答辯 |
14 | 中國と完全な協力 日華新關係對處の我が方針 |
15 | 冀東共匪討伐 |
16 | 法案卅件成立 兩院を通計して |
17 | 商工經濟會の具體的な事業 |
18 | 素材物動から製品物動へ移す 戰時企畫廣範圍に實施 |
19 | ミルン灣敵陣地爆擊 |
20 | 貴族院豫算總會 |
21 | 中共と重慶對立 對米借款問題を繞り |
22 | 熱烈・增產を說く 臺北州農會の總會 |
23 | 野村大將 高木司令長官と會談 |
24 | 南方各地の棉花栽培順調 |
25 | 佛艦隊獲得を米、交渉の旨言明 |
26 | ドネツ地區の獨軍の戰果 |
27 | 陸軍司政長官發令 |
28 | 佛の南京領事館 總領事館に昇格 |
29 | けふの兩院 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 軍人援護事業の實踐強化社說 一 支那事變から大東亞戰爭にかけて、赫赫たる大戰果を見るにつけ勿論御稜威の然らしむるところとは云ひながら、第一線將兵の勇戰奮闘の賜であることが、感謝の念と共に我らの胸を打つのである。敢然起つて國難の克服に當り、大東亞新秩序建設の偉業完遂に敢為挺身する皇軍將兵の活動は、洵に崇高なものがあり銃後國民にとつて文字通り感謝感激の的であらねばならない。殊に懸軍萬里、或は北の護りに或は南の進擊へ、晝夜を別たず惡戰苦闘せられつつある皇軍將兵の勞苦は想像に絕するものがあり、就中輝く大戰果の蔭に陣歿した幾多の諸勇士を思へば戰爭はあくまで勝ち抜かねばならず、而して第一線將兵をして後顧の憂ひなからしめるやう我らは銃後の護りを更に一層固めねばならぬと覺悟を新たにする次第である。 二 銃後の護りと一口に云つても、戰事完遂のための戰力增强や職域奉公も等しく其れであるが、ここでは寧ろ出征軍人をして後顧の憂ひなからしめんが為の軍人援護事業の實踐强化について數言を費ひしたいものである。と云ふのは、最近米英擊滅の決戰また決戰に對處する必勝態勢の整備强化が强調され、銃後は擧げて戰力增强の一點に集中するの餘り、動もすれば出征軍人援護の方面に關心の弛緩を來たしてゐるやに見受けられるからである。勿論戰力增强は戰爭に勝ち拔く為には絕對的な要請であるが、しかし戰力增强に於ける人的要素の大部分は、出征軍人の家族或は遺族であるのに鑑みれば、軍人援護事業の實踐强化は、決して忽せに出來ないのみならず、戰力增强の面と共に大いに强調されねばならぬと思ふのである。 三 出征軍人或は軍夫、勞務奉公、高砂義勇隊等の家族又は遺族に對する援護事業の實踐については、勿論從來とも官民の協力によつて相當の業績を擧げてゐるが、之が實踐强化を强調するの所以は、從來に見る如き通り一遍の形式的なことではなくして、あくまで誠心のこもつた實質的な不斷に行はれる實踐の强化を喚起したいからである。物質的な援護は勿論であるが、更に精神的な援護に對してより一層の熱誠と工夫を要望したいのである。このことは特に軍人援護關係諸團體に期待して止まないのであるが、遺家族の援護は決して惠與ではなくして銃後の義務であるが故に、杓子定規で煩はしき手續に阻害せられてはならず又求めて來るを俟つことなく進んで往きて溫き援護の誠をつくすことに於てこそ、軍人援護事業の完璧が期せられるのであり、同時に始めて出征軍人をして後顧の憂ひならしむる所以と云ふべきであらう。 |
02 | “擊ちてし止まぬ” 陸軍記念日の前後を期して 全國に戰役昂揚行事 |
03 | 臺北市會第二日 真摯熱烈な意見開陳 |
04 | “歷史の都”臺南へ 野村大將宮古座で獅子吼 |
05 | 臺灣奉公醫師團 國民醫療法施行で發展的解消 |
06 | 運送業者を激勵 高木司令長官基隆初巡視 |
07 | 働く幸福感で一杯 職域奉公の手本小使を廿四年 臺北憲兵分隊の生字引藤原さん |
08 | 活氣のある處だ 花蓮港巡視の感想談 |
09 | 退隊式を擧行 廿八日勤報隊臺北訓練所で |
10 | 決戰下女性の活躍 國防修鍊講習會に出席した佐佐木少佐談 意義 將來 直接 戰爭 |
11 | 白衣勇士慰問演藝會 遞信部職員主催で |
12 | “皇軍慰問”を可決 基隆翼贊市會閉幕 |
13 | 敵性音樂一掃へ 皇奉本部で關係者懇談 |
14 | 菓子製造業者統合 各庄單位に製菓會社を設立 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 增產へ廳民總進軍 花蓮港に皆勞增產報國運動 |
02 | “勝拔く貯金”組合 婦人達の熱意で好成績 |
03 | 廿八日を完遂日に 溪州庄民擧げて貯蓄に邁進 |
04 | 貯蓄映畫の夕 |
05 | 各地街庄協議會 |
06 | “サヨンの鐘”撮影見聞記 サヨンの足に豆(三) 悲鳴擧げた李香蘭さん |
07 | 花蓮港廳教學打合 |
08 | 煙草ぢゃ勿體ない 麗しき師弟愛に薫る國防献金 |
09 | 大屯郡青年團 二十七日に查閱 |
10 | 奉公運動に挺身 桔俱幹部鍊成會修了式 |
11 | 養鷄養兔品評會 |
12 | 豐原街國語常用聯盟創立總會 |
13 | 赤誠の献金品 軍司令部(廿四日扱) 國防献金 恤兵金 献品 海軍武官府(二十二日扱) 國防献金 建艦献金 恤兵献金 |
14 | 市民の赤誠披瀝 高雄市の納稅成績上上 |
15 | 造船戰士慰問 |
16 | 臺中州警察部異動 |
17 | 不正米穀配給係にお灸 |
18 | 龍潭庄地租完納 |
19 | 馬公に大火事 |
20 | 人事 |
21 | 地方多より |
22 | 今日の映画演藝 |
23 | 基隆の映画 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 木炭の生產增強へ 明年度計畫近く樹立 |
02 | 臺電の資金計畫 政府保證社債四千萬圓を發行 |
03 | 指定店を決定 各地電氣工事業者に對し |
04 | 比島經濟の育成 愈よ新階段へ進展 米國の比島農業政策の破綻 新生比島に適しき產業再編成 今年の肥料事情 |
05 | 入鹿山技師歸臺 |
06 | 米と甘藷に重點 食糧增產方策決定 |
07 | 砂糖マークの廢止 減量の責任問題で實行難 |
08 | 臺灣機帆船海運報國會近く結成 |
09 | 商工經濟會の機構 市街地信組の加入は未決定 |
10 | 最近の經濟問題 特例の意義かさねて闡明 臨軍貿易は含まず 新取引所の問題點明確化 |
11 | 食糧局人事異動 |
12 | 機械工業建設計畫 鐵工業統制會と打合 |
13 | 十八年第二期砂糖配給計畫 配給委員會に諮問 |
14 | 木材協會役員改選 |
15 | 照明燈 |
16 | 商況(廿四日後場) |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(899)/黃得時;碇政彌 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 議會の審議峠越す 兩院共七日以後自然休會へ 有事即應態勢で待機 |
02 | 抑留同胞救濟決議案提出 |
03 | 重慶政權の泣き言 フランス政府の英斷に |
04 | 泣面に蜂の重慶 我が廣州灣進駐に狼狽 |
05 | 勤勞根本法來議會に提出 |
06 | 圖像:堂堂車橋鎮入城のわが○○部隊 |
07 | ガ島米軍飛行場爆擊 |
08 | ルーズヴエルトの囈言/匝瑳胤次 |
09 | 我荒鷲万縣を爆擊 |
10 | 飯田最高指揮官見舞金を贈呈 |
11 | 赤軍第四機械化 新銳部隊全滅 |
12 | 獨軍戰況公報 |
13 | エ島米陣地爆擊 米海軍省確認發表 |
14 | 商船建造豫算案 米下院で可決 |
15 | タラ地區で睨合ひ 樞軸軍掃蕩戰に主力 |
16 | リトヴイノフ近く召還か 米、ソ摩擦を示唆 |
17 | 敵艦十七隻を擊沈 獨潛艦、大西洋方面で |
18 | 反樞軸軍は兵力二萬喪失 チユニジヤ中部 |
19 | 印度人女性數名英下院に押しかく |
20 | チヤーチル依然病臥 |
21 | ガ翁の斷食を徒勞に終らすな 獨立聯盟ビルマ委員會放送 |
22 | 于學忠統帥力喪失 山東省戰略價值なし |
23 | 我荒鷲の技倆 米航空司令官舌を卷く |
24 | シユぺー號の浚渫船沈沒 |
25 | ガ翁釋放要求 英下院に提出 |
26 | 印度各派會議の要請を峻拒 チヤーチルが |
27 | ガ翁の經過稍稍良好 |
28 | ガ翁釋放反對 イ英外相機關紙 |
29 | 若干持ち直す |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 米英擊滅大講演會 陸軍記念日を飾る行事 けふから全國で開催 |
02 | 殉職產業人慰靈祭 來る四月十一日執行 |
03 | 圖像:○○島を護る我が陸戰隊の勇士 |
04 | 綴る“彷徨の過去” 和平陣營に參加した韓高陞の手記 |
05 | 白衣勇士慰問 |
06 | 教授の陣容整ふ 五學科・十六講座に別れ 臺大工學部十月□ら授業開始 |
07 | 健民奉公講座 三月中の放送者 |
08 | 妊產婦保護に萬全 厚相言明近く母子保健報國會結成 |
09 | 野村大將 烏山頭視察後臺中へ |
10 | 北三女卒業式 |
11 | “日本民族の前進” 南方關係事務擔當者講習會で 軍報道部竹内中佐講演 |
12 | 圖像:海鷲と犬 |
13 | 新竹市通常市會 劈頭に皇軍感謝文可決 |
14 | 女子の體力檢定 武井厚生次官言明十八年度から實施 |
15 | 橋子頭部落會館 四月工事に着手 |
16 | 全島水產連絡會議 明日より兩日間基隆水產館で |
17 | 新臺灣音樂研究試演會 來る三月下旬島都で開催 |
18 | 多大な成果收む 從軍記念會幹部鍊成會終了式 |
19 | 凍死の治療法發見 |
20 | ブラジルにマラリヤ流行 |
21 | 木炭自給生產へ 港都市民の惱み解消 |
22 | マ病撲滅へ 防遏手集めて講習會 |
23 | 興南詩苑漢詩 擁爐吟/翕庵、擁爐吟/春潮、擁爐吟/覺齋 |
24 | 配給事務一元化 基隆の配給機構整備 |
25 | 人事・消息 |
26 | 今晩の放送 |
27 | 商況(廿五日前場) |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 多年鍛へ拔いた海鷲魂 見事に敵戰艦を擊沈 レ島沖海戰第二日實戰記頭條新聞 【東京發同盟】(◯◯基地二十五日北原海軍報道班員發)一月廿九、卅の兩日に亘るレンネル島沖海戰こそ世界最強の海軍國を以て自負する米國の主力艦三隻、巡洋艦四隻を擊沈破して世界海戰史上に不滅の金字塔を打建てた戰艦殲滅戰であつた戰闘はまず二十九日の薄暮に火蓋が切られ我が海鷲雷擊隊は一發必中の魚雷を抱いて厚い積亂雲とスコールを衝いて廣大な洋上に漂ふ黑い一點を探し求めて飛翔◯◯浬、我我の想像し得ない熾烈なる防空砲火を冐し正確無比な雷擊を敢行、忽ち戰艦一、巡洋艦二擊沈、他の戰艦、巡洋艦を猛火に包んだが日沒の為攻撃を中止一日歸還した、翌三十日ソロモン群島レンネル島東方洋上に倉惶として遁走する敵殘存艦隊を捕捉、我が海鷲は此の機を逸せず晝間雷擊により戰艦、巡洋艦各一隻を擊沈、グラマン戰闘機三機擊墜と言ふ我が海軍航空部隊のみが擧げ得る不滅の大戰果に世界を震撼せしめたのであつた、而も本海戰は主力艦に對する攻撃如何の命題に、血のにぢむ積年の猛訓練を以てして始めて答へ得た我が海鷲がハワイ、マレー沖兩海戰以來ここに再度の明答を與へたものであり、本海戰によつてソロモン群島を中心とする南太平洋海域の我が作戰は擴大され、今後アメリカの反擊據點の喪失と共に太平洋方面に於る彼我兩空戰、地上戰の戰局推移に貢献する所極めて大なるものがある、記者は◯◯基地に在つて海軍史に燦として輝くべき此の海戰第二日の三十日晝間、戰闘機隊の援護無くして敢然敵地に突入した海鷲雷擊機隊◯指揮官及び◯◯名の勇士に當時の海空戰の模樣を聞き、ここに海鷲の生生しい實戰記を綴る 一月三十日の早朝である、赤道遙か南の◯◯基地飛行場には搭乘員も地上勤務員も全員待機のまま配置について居た、どの顏を見ても昨二十九日夜の大戰果に氣を良くしてか張り切れんばかりの戰闘意識が顏一ぱいに溢れてゐた、兵舍の一隅で攻擊隊の指揮官達が餘念なく作戰をねつてゐた、レンネル島東方を南下して遁走中の 敵殘存艦隊に如何にして最後の止めを刺すかと言ふ事である、寸刻の躊躇も許されない此の時である、哨戒中の紊敵機から敵艦隊發見の報告が來た、一同は快哉の聲を擧げた、ああ遂に來たのだ、此の日の為に血の滲む訓練を續けて來た皆なのだ、全員整列、出擊命令を下す◯◯司令の眼は決意と緊張でぎらぎら光つてゐる「我が部隊はここに敵の大艦隊を强襲せんとす、皇軍の向ふ所必ず天佑神助あり、海軍の傳統をついで各員の健闘を希む」「はい、征きます、各員其の心中に生も無く死も無く唯一筋に戰艦擊沈に邁進します」司令の訓示に答へる樣に全員の眼差しがこう決心を物語つてゐた、午前○時○分雷撃機隊離陸◯◯司令官、○○司令以下地上勤務員の見送りに無言で答へて飛び立つた、南海特有の分厚い積亂雲とスコールを避けて飛翔○時、青い海原が涯し無く廣がつてゐる、やがて敵艦所在海面に刻一刻と近づいて行く、○○時レンネル島上空を通過、はるか前方敵艦らしい數個の黑點を發見した、 雷撃隊は高度を下げた、機內には期せずして緊張の氣が漲つた、全搭乘員の眼は食入る樣に海上に吸付けられてゐる、三、四分位經つた時だつた、雲霞はるかな前方を五、六浬の速力で南下遁走中の敵主力を發見したおお見えた、戰艦を一番艦にこれを圍ひ込む樣に驅逐艦、巡洋艦が三角陣を作つて航行して居る、警戒航行序列だ、各艦の蹴立てる真白い浪が眼に泌みる、時に◯時◯分、敵グラマン戰闘機六機は右後方より、他の六機は左り前方から僚機に執拗に襲ひ掛つて一撃二擊を加へて來た、指揮官は直ちに突擊に轉じて高度をぐつと下げた、◯時◯◯分、突込めの號令が僚機に傳はる、搭乘員が「征きます」と指揮官を振り返ると隊長は莞爾と之に無言で答へた、今こそ我我の肉體が持つ一個の齒、一枚の爪一本の毛髮までを武器としそして血淚の一滴一滴が逆流し、全身全靈彈丸となつて敵艦に挑み掛つて行くのだ、此の時敵艦は一齊に猛烈な防空砲火を射出した、機の上下左右に隙間も無く高角砲彈が炸烈する 全防空機能を擧げて必死の防戰である、ザーア、ザーア、とスコールの樣な彈幕が行方を遮る、海空一面黃色い硝煙が立ちこめ目も口も開けられぬ樣な中を指揮官機に續いて雷撃隊は敢然海面すれずれに戰艦めがけて突込んだ、其の瞬間戰艦の胴體からマストの二倍程もある水柱が上つた、命中したのだ、續いて中央及び艦尾から巨大な水柱が◯本上つた、他の一隊は戰艦護衛の巡洋艦に襲ひ掛つてゐた、此の時我が二番機が火だるまとなつて自爆したと同時に二番機の放つた魚雷が巡洋艦に命中、巨大な水往が上つた、一瞬艦尾が沈下、上甲板を水が洗つた、真赤な火炎が一條煙幕の樣に帶を引いてゐるのが見へる三番機は被彈して火を發するや直ちに隊列を離れて降下しつつ單機先行して敵艦に雷擊を決行しやうとした、だが 雷擊直前火勢次第に高まつて機首を下げたと思ふと魚雷を抱いたまま巡洋艦目掛けて突入した、之を見て一瞬皆の胸に怒りに近い感情が込上げて來たがそれはすぐに消へて、立派だ、見事な最後だ、と感嘆に變つた、◯時◯◯分壯烈極る雷擊は完了したのだ、高角砲の目の眩む樣な曳光の中で戰艦の水兵が艦上に倒れて居る姿が見へる、顏を覆つて逃げまどふ兵も居る、マストすれすれに敵艦上空を通つて機は大きく旋回して居る、振返ると戰艦に轟然たる爆音が起つた、茶褐色の火炎が立上つて右舷に大きく傾斜して居る、真黑い煙が此の巨大な戰艦を押し包んだかと思ふと一瞬にして巨體は海中に没してしまつた、海上一面に黃褐色の油が煙るやうに擴がり無數の浮流物の漂ふ中に遂驅艦が救助作業にやつて來た、當時の模樣を◯◯少尉は次の如く語る グラマン戰闘機を避けて雷擊進路に入ると戰艦護衛の外側直衛艦が邪魔をして西方を航行して居るので此の重巡の艦首すれすれの所で戰艦目掛け魚雷を發射、當つてくれよと思はず合掌した、一瞬巨大な水柱が戰艦の胴體から上つた、戰艦は當時真直ぐ航行して居たし而も速力は○浬の遲さであつたので我我は日頃習つてゐたままを敢行したのです、發射後 戰艦の艦尾二、三百メートルの所で旋回、驅逐艦と巡洋艦の間をくぐり抜け彈幕を脫すると待つて居ましたとばかりにグラマン機に襲ひ掛けられ海面すれすれを機銃で應戰、やうやく危地を脫した、かくて僚機は彈幕をくぐり抜けたが待ちかまへて居たグラマン機と低空に於て悽愴な空中戰を展開、グラマン戰闘機三機を擊墜、死闘を終へた海鷲は敵彈の為翼に大きな穴を開けられ、或は片舷飛行を行つて陽が落ちてとつぷり暮れた基地に次次と歸還した、ああ多年鍛へ抜いた海軍魂は見事に敵戰艦を擊ち沈めたのだ我が海鷲の果敢なる攻擊精神と崇高な犧牲的精神とは我が海軍の傳統に一段の光彩を加へたのだ、迎へる◯◯司令官は「長途御苦勞」と言つただけ、あとは何も言はない、泣いて居るのだ、大任を果した搭乘員も戰友の手を握りしめる計りだ、全員は燈火の前に整列して晝間の戰場に向つて英靈に感謝の默禱を捧げて居た |
02 | 敵のデマ宣傳を粉碎 ドイツの逞しき力 慎重なる戰爭指導 最近歸朝の坂西中將語る |
03 | 圖像:わが海軍陸戰隊廣州灣に敵前上陸 |
04 | 臺中華僑公會定期總會 |
05 | 米英擊滅の決意 全中國に湧き上る 今井田中兩大佐談 |
06 | 英政府もガ翁釋放を拒否 |
07 | 長驅梁山、萬縣を爆擊 |
08 | 潛伏せる敵を剔抉掃蕩 |
09 | けふの兩院 |
10 | 智、伊外交官交換交涉妥結 |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 國府救國主義の實現 租界回收成功社說 一 今から丁度二十年前民國十三年の冬、神戶高等女學校に於て行つた彼の孫文の有名な大亞細亞主義講演の一節に「日本は正に中國を助けて不平等條約を廢除すべし」と力說した。卽ち「日本は現在東洋で最も强い獨立國家である。また世界列强の一である。若し日本が真に中國が十數ケ國の植民地であることを認識するならば」と云ひ又「若し日本が真に誠意を以て中國と親善せんとするならば、卽ち先づ中國を助けて不平等條約を廢除し、主人たるの地位を奪回せしめ、中國人をして自由の身分を獲得せしめて初めて中國は日本と親善することが出來る」と述べ、東亞に唯一の力ある獨立國たる日本の援助により、始めて支那が歐米の桎梏を脫して自由獨立の民族たり得ることを明かにしたのである。果然二十年後の今日全く孫文の言葉通り、我が日本の實力と誠意ある援助に依つて、不平等條約の撤廢が完全に實現された。これは單に中國の為に慶賀に堪へざる所であるのみならず、中國の發展を希念する帝國に於ても又齊しく欣快とする所である。 二 卽ち大東亞戰爭の勃發に依つて百年の久しきに亘つて東亞侵略を擅ままにして來た米英勢力は我國の實力に依つて完全に東亞の天地から驅逐され、英米租界は逸早く我國に接收せられ、今や旣に中國に移管せられてゐる。而して國府對米英宣戰の一月九日に帝國政府は國府との間に租界の返還、治外法權の撤廢に關する協定を締結し、過般早くもこれが實施に關する細目打合のため日華双方の處理委員會が設置された。續いて同十四日イタリヤも亦租界の返還並に治外法權の撤廢を宣言したが、今回もや佛政府が東亞の局勢と國府の立場を誤解して同樣の英斷に出たことは中國を始め、全東亞人の同慶とする所である。かくて中國が百年來翹望して止まなかつた外國租界の回収は事實上全部その目的を達成したこととなり、而もそれが還都二年に滿たぬ國府の手によつて成就されたことは國府の外交政策の成功を意味するものであると共に、他方その中間に立つて斡旋に並並ならぬ努力を拂ひ、國府援助に一切を傾け盡さんとする帝國の實力と誠意の實踐に負ふ所尠しとしないのである。 三 曾つて孫文は「中國存亡問題」について論じた一節に「日本と中國との關係は存亡、安危二つながら相關連して居る。日本無ければまた中國無く、中國なければまた日本なし、兩國百年の安きを謀るためには必ずその間に聊かの障害をも存せしむべきでない」と喝破してゐる。これは孫文は何なる場合にも日本の力を弱めることは支那の亡國を意味し、日本の力を强めることに依つてのみ、支那は救國し得るとの真事實を强く認識してゐたのである。從つて孫文の創始した三民主義の繼承者たる汪精衞氏は日支和平を信念として蹶起し、一意和平建國に邁進しつつあることは蓋し故なしとしないのである。殊に今次の對米英參戰とわが租界返還、治法撤廢の措置及び伊佛の同調し來れることなどは、孫文の遺教を守る注主席の輝しき救國主義の實現を事實として示し、全く劃期的な歷史的意義を有するものであると共に、重慶に微妙な影響を與へ、その抗戰理由を喪失せしめるものである。 |
02 | 飲まず喰はずの進撃 廣州灣進駐部隊の苦心 距離 皇軍 |
03 | 司法部の戰時體制 或る種の事件に二審制を採用 三特別法愈よ實施 |
04 | 野村大將 官民出迎裡に臺中着 |
05 | 皇國醫道の昂揚へ 醫師會、齒科醫師會の誕生に就き 曾田府衛生課長談 使命を闡明したること 種類 會員 設立 總會 役員 懲戒 異議の申立及裁決の申請 監督 |
06 | “運用の完璧を期せ” 稻田法務部長語る |
07 | 長谷川總督 三月初旬東部臺灣を視察 |
08 | 學制改革は內地即應 實業補修と師範講習科存續 梅谷府學務課長談 |
09 | 戶別勸獎に全力 三億五千萬圓の國民貯蓄 剩す處後一ケ月 |
10 | 婦人魂を鍊磨 日婦支部幹部鍊成會けふ開催 |
11 | バス十二錢に値上 島都市會で原案可決 |
12 | 翼贊振りを發揮 新竹市會盛會裡に終る |
13 | 花蓮港通常市會 |
14 | 指定洩れ電氣業者 對策推進會を結成 |
15 | 臺中一中卒業式 |
16 | 高工第二部入學志願者增加 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 防風林を強化 木麻黃一色を排し適宜に混植 管理機構も改組擴充 |
02 | 責務を果して 勞奉團屏東市隊解隊 |
03 | 燃ゆる建艦献金熱 州民の赤誠に應へ取扱要領協議 |
04 | 各地街庄協議會 |
05 | 嘉義郡の若櫻銓衡 |
06 | 若人の底力を發揮 臺南州優良壯丁團檢閱 |
07 | 屏東郡第三種青年訓練 |
08 | 檢閱官も絶讚 高雄署壯丁團の檢閱 |
09 | 荷役戰士の慰安方委聯盟で考究 |
10 | 遺家族を慰問 嘉義日婦近く感謝運動 |
11 | 燒夷彈防護研究會 |
12 | 鳳山郡の檢閱 |
13 | 三ツ兒部隊と 大きくなつたら 兵隊さんになるよ |
14 | 屏東中初卒業式 來る二日に擧行 |
15 | 商業奉公運動 皇奉新竹州支部打合會 |
16 | 牝馬檢查 新竹州三月十二日より實施 |
17 | 皇奉高雄州支部連絡懇談會 |
18 | 嘉義郡保甲役員鍊成會終る |
19 | 兒童の體質改造 高雄市養護教育を實施 |
20 | 赤誠の献金品 軍司令部(廿五日扱) 國防献金 恤兵金 献品 |
21 | 每月推進協議會 沙山庄推進員垂範に挺身 |
22 | 貯蓄完遂に 淡水街萬全の布陣 |
23 | 增產に拍車 嘉義市強調期間實施 |
24 | 六粁の健步會 |
25 | 岡山郡の產組役員 |
26 | 清水漁業者組合結成式 |
27 | 社告/興南新聞社報社消息 |
28 | 高等科と五城分教場 魚池庄民の熱願叶つて實現 |
29 | 屏潮水利組評議員會 |
30 | 烏溪水防組合評議會 |
31 | 人事報社消息 |
32 | 地方多より |
33 | 今日の映画演藝 |
34 | 基隆の映画 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 明年度貯蓄增加目標額四億圓に決定 貯蓄方法を更に強化 |
02 | 明年度鹽乾魚の配分 鹽乾鰊は四十萬貫に決定 |
03 | 臺電增資案可決 增谷氏を理事候補に |
04 | 拜謁の光榮に沿し職域奉公に竭力(上) 總會に於ける增田臺電社長報告 一般狀況に就て 資金關係に就て |
05 | 來期產糖に對處 糖聯、砂糖袋の確保を考究 |
06 | 一千萬枚を突破 硬貨回收頗る好成績 |
07 | 造船業の合同 速急實施を要望 |
08 | 臺灣清掃具定時總會 |
09 | 小作料納入 現狀維持の方針 農相答辯 |
10 | 私鐵の輸送能率化 社線の共同使用實現 |
11 | 貯蓄推進懇談會 |
12 | 小作現情調查要項 小作關係官會議で協議 |
13 | 高雄州青果組合總會 取扱上諸事項を可決 |
14 | 照明燈 |
15 | 水產團體統合案を審議 |
16 | 商況(廿五日後場) |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(900)/黃得時;碇政彌 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵トーチカに壯烈な夜襲 東西より包圍網を壓縮 |
02 | 次次と敵堅壘を粉碎 朔風衝いて爆擊行同乘記 |
03 | 圖像:雷州半島無血上陸に成功のわが海軍陸戰隊 |
04 | 飽くまで嚴正中立 土國大統領重ねて闡明 |
05 | 南支陸海軍最高指揮官 西營、赤坎兩市を視察 |
06 | 苛烈な鬪爭に從事 立黨祈年祭ヒ總統が布告 |
07 | 市制、町村制改正案 眾院を無修正通過 議會最後の大詰へ |
08 | 生產第一主義の徹底化 議會報告 |
09 | アツサム米軍基地を爆擊 |
10 | 駐米新西蘭公使の言 |
11 | 佛艦隊の叛軍參加事實無根 |
12 | 貯蓄報國の兵隊さん(滿洲) |
13 | 赤軍機六十一臺擊墜 |
14 | 大規模な機甲戰展開 ハリコフ、クールスク中間地區 |
15 | 赤軍の攻勢峠越す |
16 | 先任副官中村大佐 海上某要職に轉出 後任に柳澤大佐發令 柳澤大佐略歷 |
17 | 北阿の樞軸軍 第二期作戰に移る |
18 | 獨軍の奇襲奏効 ミウス河の戰線 |
19 | ガ翁漸く元氣回復 斷食達成可能か |
20 | 赤軍の戰車百四臺擊破 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 虛弱兒童の鍛鍊 各學校に特別學級を設け 草山に養護學校新設 |
02 | “人間野村”の溫情 三十七年前の部下の乞ひを納れ 長榮中學を視察 |
03 | 皇國農村の建設 篤農家前橋真八郎氏談 農村經營 飼料の點 工夫改善 決戰農村 |
04 | 敬神教化優良部落 全島で七ゲ所を表彰 |
05 | 麗し・乙女の純情 鬪ふ海の勇士に慰問文 |
06 | 竹南消防組結成式 |
07 | 伊で續續アパート建築 |
08 | 圖像:ガンヂー翁百態 |
09 | 暴英へ“死の抗議” 聖雄ガンヂー翁斷食史 |
10 | 四年以上も繼續 世界最高の斷食記錄 |
11 | 目指す“水產王國” 全島水產連絡會議開く |
12 | 司法保護實務鍊成會 三月一日から北投如水莊で |
13 | 海軍へ赤誠献金 |
14 | 米國民も驚嘆 日本軍將兵の勇敢さに |
15 | 世界全回教徒が感激 帝國政府の聲明に |
16 | 國民校職業指導協議會 |
17 | 臺南州水產會 きのふ通常總會開催 |
18 | 青年校二十校 新年度臺南州下に新設 |
19 | 西藏記錄映畫 |
20 | 象を開發に使用 戰時獨逸の新しい試み |
21 | 興南詩苑漢詩 春日過社渚尺園新居/覺齋、石衡丈七十書感次韻二首/覺齋、題尺園社渚新居/翕庵 |
22 | 「戰ふ女性、臺北の街」を放送 |
23 | 醫者は多すぎるか? |
24 | 人事・消息 |
25 | 今晩の放送 |
26 | 商況(廿六日前場) |
27 | 興南案內報社消息 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇帝、帝后兩陛下に 記章、記念章御贈進 梅津大使をして奉呈せしむ頭條新聞 【東京發同盟】畏くも天皇陛下には善隣盟邦滿洲國皇帝陛下に支那事變從軍記章を又皇帝、帝后兩陛下に紀元二千六百年祝典記念章を御贈進あらせられる旨二十六日仰せ出された、滿洲國皇帝陛下には日滿一德一心の深い思召から支那事變勃發以來東亞の新秩序建設のため日滿共同防衛に御心を注がせられ又我が曠古の佳年紀元二千六百年に際しては再び御來訪天皇皇后兩陛下に御會見、最高の御儀をもつて我が皇室の彌榮を御慶祝あらせられ神宮に御參拜、惟神の大道を皇帝陛下の御心とせられ宮廷內に建國神廟を御創祀あらせられ皇國を親邦と仰せられたがこの度天皇陛下より支那事變從軍記章を御贈進、同時に皇帝陛下並に御同樣我が佳年を御慶祝遊ばされた帝后陛下に夫夫紀元二千六百年祝典記念章を御贈進、皇國曠古の佳年を善隣の帝室と御共に御記念あらせ給ふは畏き極みである、畏き御沙汰を拜して帝國政府では特に駐滿特命全權大使梅津美治郎大將をして來る三月一日第十一回建國記念日に宮廷において右記章及び記念章を捧呈せしむることになり富永恭次陸軍中將以下九名は同捧呈式に參列を命ぜられたる旨左の如く情報局より發表された 情報局發表畏くも天皇陛下に於かせられては今般滿洲國皇帝陛下へ支那事變從軍記章を、又皇帝、帝后兩陛下に紀元二千六百年祝典記念章を御贈進遊ばさるべき旨仰せ出されたり 依て帝國政府に於ては駐滿特命全權大使陸軍大將梅津美治郎をして右記章を捧呈せしむることとなり左記の者に右式に參列を命ぜられたり 左記 陸軍中將 富永恭次 海軍少將 丸茂邦則 大使館參事官 花輪義敬 總領事男爵 林安 陸軍少將 池田純久 海軍少將 中澤佑 海軍中佐 後藤茂 陸軍中佐 古東要 陸軍中佐 渡邊英海 |
02 | 百子橋を完全占領 敵王勁哉軍司令部所在地 |
03 | 大場鎮を凌ぐ堅壘何のその「王勁哉ライン」の呼稱空し |
04 | 滿國帝制茲に十年 急速の建設、世界驚異の的 經濟、外交、文化の發展概要 |
05 | 虱潰しに敵陣奪取 沔陽南方地區王麾下全滅 |
06 | 情報局發表 |
07 | 判明せる戰果 |
08 | 圖像:灼熱の太陽の下に銃劍術の訓練 |
09 | 法案の成立に拍車 けふ廿三件成立さす |
10 | 日高駐伊大使ら赴任 |
11 | 重光大使北京へ |
12 | 眾議院本會議 |
13 | 在敵國同胞救濟決議案 けふ上程可決 |
14 | 帝國に協力する印度人 敵國人扱ひをせず きのふ正式決定一日より實施 |
15 | 英勞働黨議員 アメリーと論戰 インド問題引提けて |
16 | 米補助艦艇 百萬噸建造可決 |
17 | 日滿支連絡運輸規程 一部改正、四月一日に實施 |
18 | 赤軍司令官を捕虜 |
19 | タラ南方三哩に進出 反樞軸軍を北方に壓迫 |
20 | けふの兩院 |
21 | ルーズヴエルト病む |
22 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 轉廢業對策の性格社說 一 大東亞戰は益益深刻な相貌を呈して來た。この為絕對不敗の態勢を確立すべく配給適正化と勞務動員を目途として中小商工業の再編成が一段と强行されるに至つたが經濟統制の進度が內地より一年乃至二年遲れるを常とする本島に於ても中小商業の再編成が小規模乍ら督府施策の下に明年度より行はれることになつた。しかし同じく再編成にしても內地に於けるそれが配給適正化と勞務動員とを併せ狙つてゐる丈に極めて積極的な性格を帶びてをり政府の肚一つにて割合たやすく行はれうる性質のものである。この點專ら配給適正化をのみ圖る本島の再編成は可及的轉廢業者を出さざるやう考慮する關係上自然消極的ならざるを得ず明年度に於ける所要諸經費が僅か百萬圓に過ぎないのもやむを得ないところであらう。右再編成要綱は目下府商政當局で慎重に立案を進めてゐるがその大凡の目標は配給段階の壓縮並に小賣商の整備組織化を狙ふ所にあると傳へられてゐる 二 前記の如く配給段階の壓縮は中間業者の排除によつて低物價政策に寄與し又小賣商の組織化は配給の適正、圓滑化に資するのみならず組合の整理統合に少からざる拍車をかけることにならう。此意味で中小商業の再編成は綜合物價政策の一面をなすものといへる。しかし小賣商の整備に際しては大體內地の方針に順應するであらうがその際本島の特殊事情と再編成の趣旨とを十分汲み入れる必要あることはいふ迄もない。卽ち內地では實績主義によらず轉業の可能なる者を拔取整理して緊急部門に配置することを原則としてゐるが配給適正化を主たる目途として行はれる本島の再編成は拔取整理原則の他に合同主義を大いに加味してよくはないか。又中間業者の整備に際しても組合主義の下になるベく業者を活用する方式を考慮して然るべきであらう。更に業者が幾多の組合に加入してゐる現狀ではどの組合を共助團體とすべきかも特に考慮を要するところであつてかく見て來ると再編成は內地のそれよりも容易なわざではない。 三 しかしさうは言つても現に一般的に經營困難に陷つてゐる現狀では國民生活の安定化乃至統後島民の思想安全化から見て中小商業の現狀は放任されてよい筈はない。卽ちこの見地からして大規模なる再編成は極めて急を要するものでなければならない。かく見れば明年度に於る督府の轉廢業對策はあまりにも消極にすぎる嫌ひがないでもない勿論島內的に見た場合には轉業餘地がそれ程大でないにしても島外に於る勞務需要度が極めて高いのに鑑みて此際大局に立つて再編成を積極的に取上げてよくはないか、しかし島外勞務充足の為に再編成が取上げられるのには財政上問題があらうが大東亞戰を戰ひ拔く決戰下に於ては最早こだわる必要がないであらう。最近皇民奉公會の提唱の下に島民皆働運動が展開されてゐるが右の如く島外勞務充足を伴はない限り實効を擧げ得るないであらうし轉就業餘地が少ないとみながら運動を展開してゐるとそれ自體矛盾ではないかそれ故に實質的な皆働運動に効果あらしめる角度から中小商業の再編成を取上げて然るべきである |
02 | 無敵海軍に捧げた 國民赤誠の献金品 事變以來二億五千餘萬圓 |
03 | 圖像:皇軍佛租界に進駐 |
04 | 進む以外に道なし 一億一丸、戰つて戰つて勝拔け! 野村大將臺中で熱辯 |
05 | 新高築港を視察 |
06 | 貯蓄完遂に熱心な意見 皇奉本部運營委員會 |
07 | 一般の好評に應へ 一層質的、量的の向上へ 菊池隊長に聽く海洋訓練隊の鍊成 |
08 | 野村大將語る |
09 | 海軍土木工事に協力 早大生春季休暇に汗の奉仕 |
10 | 齋藤總務長官 三月十日頃空路歸任の豫定 |
11 | 後期分の地租官租完納 |
12 | 指導精神の把握へ 日婦全島支部幹部鍊成會第一日 |
13 | 司法陣近く大異動 戰時三特別法の施行により |
14 | 宜蘭市の稅制記念日行事 |
15 | 戰場精神昂揚へ 皇奉支部各地で巡回映畫會 |
16 | 食糧の貯藏配給に萬全 石黑次官言明豫想さるべき事態に對處 |
17 | 貴重な研究發表 全島水產連絡會議第一日 |
18 | 新設本島人青年校 愈よ入校生募集に着手 |
19 | 全島漁業組合の中堅鍊成會 一日より草山で |
20 | 中村上院議員逝去 |
21 | 長光、山野兩少佐來新 |
22 | 榮養、美味、廉價に特色 戰時食食堂、桔俱で献立研究 |
23 | 賀來元總務長官古稀祝賀會 在京本島人有志で |
24 | 各街庄協議會 瑞芳街 平溪庄 |
25 | 小口貨物車數を三割方減少 國鐵一日から實施 |
26 | 適齡兒童の願書 未提出者は早く |
27 | 鐵道部人事異動 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 決戰臺中市會 熟議一日原案を可決 |
02 | 真摯に質疑應答 臺南市會きのふ開催 |
03 | 三月中の行事 皇奉會臺中州支部 |
04 | 南投神社鎮座祭奉祝行事決る |
05 | 決戰生活の推進 豐原奉壯團座談會で申合 |
06 | 裏作で結構實る 馬鈴薯の出來榮え |
07 | 各地街庄協議會 |
08 | 斗六郡の硬貨回收活潑 |
09 | 增產意見續出 高雄州農會通常總會 |
10 | 考古の新資料 マンモスの化石發掘 |
11 | 畜產會總會 |
12 | 圖像:占領下の車橋鎮を守備する我が步哨 |
13 | 臺東郡田植競技會 |
14 | 幼き胸に貴き軍援精神 お山の兒童が粟作り手傳ひ |
15 | 臺中、南投、濁水間 四月一日より直通列車 |
16 | 美事擧州完納 臺中州の地租納入 |
17 | 畜產の飛躍へ 新竹州畜產會總會で豫算可決 |
18 | 鷺洲庄協議會 |
19 | 松山警察部長マ病防遏視察 |
20 | 働いて貯めて國防献金 感心な三坑子國民學校兒童 |
21 | 赤誠の献金品 |
22 | 地域奉壯團協議會 きのふ花蓮港市で開催 |
23 | 步かう景勝賞でつつ 健民十七コースを選定 |
24 | 司法保護委員辭令交附式 |
25 | お山の集團結婚 十一組の花婿花嫁が偕老の契 |
26 | 屏東署壯丁團檢閱 |
27 | 潮州郡の檢閱 |
28 | 水上庄督稅吏員強盜に襲はる |
29 | 地方多より報社消息 |
30 | 第四十八期決算公告/株式會社華南銀行 |
31 | 今日の映画演藝 |
32 | 基隆の映画 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國府の財政健全化 戰時體制への移行順調 石渡國府經濟顧問談 |
02 | 各種建設工事と南方電氣事業(下) 總會に於ける增田臺電社長報告 建設工事に就て 南方電氣事業に就て 電氣製鐵に關して |
03 | 水產團體統合案 他種團體案を綜合的に審議 |
04 | 市バスの經營 能率の發揮に重點 |
05 | 大成火災總會 滿期重役重任 |
06 | 臺灣有機合成 大船に試驗所を創設 |
07 | 南日本汽船無配 |
08 | 貿易事務打合會 貿易統制規則を協議 |
09 | 華南銀行總會 |
10 | 臺灣農機具總會 三宅氏取締役に |
11 | カフイン製造 近く島内で企業化 |
12 | 臺北香花組合總會 |
13 | 南邦建築組合總會 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況(廿六日後場) |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(901)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 劉麾下の匪團殲滅 坂本挺身隊の偉功 |
02 | 赤軍を各個に包圍 ドイツ地區で殲滅戰 |
03 | ソ聯軍危機增大 |
04 | 獨軍ひた押し |
05 | 間歇的砲火の應酬 チユニジヤ戰線戰況 |
06 | 圖像:嚴寒の北洋を征く我艦隊巨砲の除水作業 |
07 | 歐洲連帶の具體化 ゲツベルス獨宣傳相の論文 |
08 | “ガ翁の釋放希望” 張、沈らり印度總督に打電 重慶の矛盾を暴露 |
17 | ガ翁元氣回復 |
19 | ガ翁の健康に深い關心 獨シユ博士言明 |
22 | 會議派領袖獄死 |
09 | オーポロー島に米空軍基地 |
10 | 特殊財產課 支那事務局に新設 |
11 | 敵船八十隻を擊沈 獨潛水艦二月中に |
12 | 伊軍の發表 |
13 | 獨潛艦の新戰果 |
14 | 四炭礦を分離 滿洲炭礦會社から |
15 | 監利、面目を一新 皇軍入城僅か一週間で |
16 | ソ聯の歐洲攪亂 小國亡命政權との間に紛擾 |
18 | 內相の市町村長選任規定 湯澤內相の答辯 |
20 | コリント港に 米、基地建設か |
21 | 反樞軸國の大物遭難か クリツバー、リスボンで墜落 |
23 | 重慶軍の窮狀 胡適、悲鳴を發表 |
24 | 滿炭の分離 滿洲國政府當局談 |
25 | 豐岡茂雲氏 勅任待遇に昇進 豐岡氏喜びを語る |
26 | 臨時製鹽地等管理令等施行規則內容 |
27 | 米國に勞働罷業 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 學童の結合撲滅へ 移動レントゲン間接撮影機 年末頃にはお目見得 |
02 | 納稅報國の顯現 三月一日は稅制記念日 |
03 | 野村大將新竹地方を視察 今夜有樂館で講演 |
04 | 朗らかな笑の人 ガンヂー翁の橫顏 ガンヂー翁の指導者性 諧謔とガンヂー翁 ガンヂー翁と非暴力主義 翁の反文化主義 ガンヂー翁のワルタ生活 |
05 | 慰問文と献金 高校生と桔俱部員の赤誠 |
06 | 建艦費を献納 双溪東國民校職員兒童 |
07 | 支給された旅費全額を献金 一從軍會員から |
08 | 日泰親善佛教大會 帝都築地本願寺で開催 |
09 | 畫劇挺身隊指導者の鍊成會 |
10 | 松岡海軍武官府輔佐官 今夕小國民に“潛水艦の話”放送 |
11 | 戰ふ文學の論陣 戶川貞雄、丹羽文雄、庄司總一の三氏 明晚公會堂で講演 |
12 | 圖像:市民の足カルマタの審查會 |
13 | “護れ譽の兵の家” 授產場と托兒所が近く出來る |
14 | 在敵國同胞の交換 事情の許す限り實施 鈴木公使答辯 |
15 | 隱れた國語普及功勞者 水木タケ子さんを近く表彰 |
16 | 稻江七常設館統合 けふ關係者が打合 |
17 | レキシントン擊沈日記 |
18 | ドイツ軍人の佳話 |
19 | 慰問演藝會開催 蓬萊町區青年團 |
20 | 比島行書留郵便取扱を開始 |
21 | 人事・消息 |
22 | 今晩の放送 |
23 | 興南詩苑漢詩 擁爐吟/林述三、擁爐吟/其美、擁爐吟/痴雲 |
24 | 商況(廿七日前場) |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日米交涉と米英の策謀 敵米、世界制霸を目論む 民意に反して對日戰企圖 來栖大使 講演要旨頭條新聞 【東京發同盟】一昨年十一月急遽空路ワシントンに乘込み野村大使を輔けて最後の一瞬まで世界平和のため善鬪した來栖三郎大使は二十七日大阪中之島公會堂に開催の大政翼賛會主催講演會において午後一時より約一時間餘に亘り「日米交涉と米英の策謀」と題して我が世界平和維持の大義外交に對し米英が如何に老獪且つ不誠意極まる應接をなしたかを餘す所なく剔抉したがこれは日米外交史のみならず世界外交史上極めて重要な資料として記錄さるべきものである、(寫真は來栖大使) 昨年十二月、日米開戰の一周年に當りハル國務長官は新聞記者と稱稱質疑應答を重ねてゐるがその內來栖特使は專ら米國を欺くために來たのかと□ふ質問に對し「この問題は後日更に資料蒐集の上□すべきだ」と答へたと言ふ、又本年一月三日國務省の出版した白書卽ち「平和と戰爭」と題する書物の一節によるとグルー大使は既に一昨年一月二十七日附の報告をもって大規模なる真珠灣發展の可能性があることを本國政府に警告しその後更に同年十一月三日我國の經濟力、財政力を消耗せしめ、日本を崩壞に導くことが出來ると言ふような考へ方に反對し日本政府は「劇的且つ危險なる突然さ」をもって日米戰爭を避け難くするような方策をとることあり得べしと警告したと書いてある、これによって見ると當時は勿論約一年後の今日においても米國政府は私が真面目に交涉を援助する目的をもって飛來して參ったと言ふことを疑ふべき同等の理由をも持って居らなかったのみならずグルー大使の觀測及び結論の當否は別問題として米國政府としても現地にある自國大使の報告によって當時形勢が頗る緊迫し交涉上一步を誤れば遂に取返しのつかぬこととなると言ふことを充分承知してをったことが明かに判る 然らば斯樣な事實を承知してゐた米國が何故にあの最後通牒にも等しい昭和十六年十一月二十六日附のノートを吾吾に手交したが卽ちハル長官自身陸海軍長官に對し交涉は事上終結せり、開戰の用意ありたしと言はざるを得ざるに至ったある公文書を何故吾吾につきつけて參ったかと言ふことは日米開戰の經緯を檢討せんと欲する者に當然起って來る第一の疑問である本來米國は民論の尊重を少くとも表面上政治運營の建前としてゐる國柄である、なるほど一昨年十一月中旬私のワシントンに到着した前後においても日米が開戰したら日本は數ケ月或は數週間の間に潰滅すべしと言ったような議論もあり甚しきに至って上院外交委員會の一員たる身をもって日本との交涉は無用であるから來栖の如きは大西洋中に投込むべしと放言する者すらあったが私は米國政府のやった如く飽くまで我國を壓迫して開戰を餘儀なくせしむると言ふことが米國民眾多數の希望であったとは到底信ずることが出來ない從來兎角ニューヨーク、ワシントン等の新聞論調又は記事等をもって直ちに米國全體の動向と卽斷する傾向があるがワシントン、ニューヨークの動向殊に新聞の論調記事のみによって米國人心の動きを判斷することは出來ない此の觀點に立って私が着米後の極めて短い時間に觀測したところによっても大體シカゴ以西及び南部地方等に於ては日米開戰を欲せざる者も中中尠くなかったと認められた、現に昨年五月十九日前大統領フーヴアーがニューヨークでやった演說の一節に依っても真珠灣襲擊以前に於ては米國民眾の七割五分は戰爭に反對であったと云ふ事である、ここに於て 民□民論の尊重をその團體の基調とする米國が何が故に斯くも多數の國民の意向に反して果狀に等しい公文書をつきつけて我國に戰ひを挑んだかと云ふ第二の疑問が必然的に起って參るこれら第一、第二の疑問に對する解答としては米國が我が國力の過少評價をした、卽ち前に述べたブルー大使の報告等があったにも拘らず當時既に四年以上に亘った日支事變の結果、我國は既にその國力の大部分を消耗してゐるから戰爭になってもなんでも經濟的壓迫さへ加へれば極めて容易に日本を崩滅せしめ又は屈服せしむる事が出來ると考へたと云ふ事もあろう、その他內政方面に於ても他に種種複雜な素因があったらうと思はれるが私はその他に更に國際關係に於て一層根ざすところが深い原因があったと觀測するのであって殊にそのうちの重なるものは近年の國際政局に於ける米、英兩國の協同策謀であったと考へる米、英が歷史的、民族的に切っても切れぬ關係を有する事は今更改めて申す迄もないが、私がここに特に指摘せんと欲するところは一九三八年のミュンヘン協定前後からの米、英の關係である、蓋し時の英國首相チェンバレンはこのミュンヘン協定に依って當時息詰る樣に緊迫しておった歐洲の國際政局を打開し、獨英の關係を一應調節せんとしたのであってその當時ヨーロッパは之に依って戰爭必至の空氣から遁れ出で全くほっと一息、英國民の大多數も歡呼の聲を擧げてこの協定を持ち歸ったチェンバレンを迎えたが、その時分からこのチェンバレンの平和政策に對し真向から反對した者は今日英國の政權を握ってゐるチャーチル、イーデン一派であり、之に強い支持と聲援とを送った者は米國の有力なる一部の輿論であった、當時私は歐洲に居りこの推移を見守って居ったがその時一米國外交官は私に對しこの米國の動向は要するに英、佛等をして對獨戰爭を敢へてせしめんとするものであるが 然し愈愈戰爭になった場合には米國自身は何等英佛を援助すべき實際的な準備を持ってゐないのであると秘かに歎息を洩らしてをった樣な狀況であった、その後歐洲の形勢は引續き惡化したのみならず一九三八年十一月にはパリに於てドイツの一外交官がユダヤ人に殺害されたのが導火線となりドイツに於けるユダヤ人排擊運動が俄然深刻化したのであって之がためユダヤ人勢力が各方面に滲透してゐる米國に於てはドイツ排擊論が益益火の手を擧げ遂に翌年卽ち一九三九年一月の議會敎書に於てルーズベルト大統領は自ら米國に於ける排擊論の陣頭指揮に立つに至った、その後一九三九年九月に歐洲大戰が勃發しドイツ軍がワルソー、パリ等に於て押收した公文書を公表したものに依ると當時ボーランド、フランス等に居た米國使臣その他はしきりに策謀を逞うし之等の國國の對獨強硬論を煽り之を戰爭に狩りたてた消息が明らかにされてゐる、斯の如く米英の合作、否寧ろルーズヴェルト一派とチャーチル等との結合は實はこの當時からその基礎を固めたものと見る事が出來るのであるが、當時の米國は米國一外交官が私に語った通り自ら英佛側に參戰する準備も決意も不充分であり、ただ英佛の結合戰力が大體に於て前大戰通りドイツの進擊を喰止め之を陣地戰卽ち消耗戰に引込み得るであろうから米國は背後にあって英佛の武器庫たり、軍需工場たる役割を勤めれば充分であると云ふ打算の下にその外交上、軍事上の諸工作を計畫したものと見られるがドイツが一度その銳鋒を英佛に向けるやドイツ軍の勢ひは破竹の如く戰前しきりに難攻不落を宣傳せられたマジノ線の鐵壁も一溜りもなく打破られ英佛軍は遂にダンケルクの慘敗を喫し、フランスの存亡は勿論英本國の運命すら頗る危殆に瀕するに至るや米國は愕然として當時その貯藏してゐた武器の殆んど全部をあげて之を英國に與へる樣な措置に出たのであってルーズヴェルトが歐洲戰爭參加を決心したのは實にこの時からであると考へられる 一方英國としては所謂生死の關頭に追ひ詰められ如何なる犠牲を忍んでも遮二無二米國を戰爭に引入れるより他には生きる道がないと云ふ重大な危機に直面しそれ以來米國引込みのためには如何なる手段をも辭せずと云ふ方策に出たものと見られるのであって英國の日米交涉に對する態度も又この遮二無二米國を參戰せしめんとする根本方針から出發してゐると考へられる、 從って英國は自國が歐洲で戰ってゐる間支那その他大東亞の各地における自國の地位權力の擁護に米國を利用せんとする政策以外に飽くまで米國を參戰せしむるためには寧ろ日米開戰を希望したと考へられる、この觀點に立って見ると今回日米交涉に對處した英國の肚の中はよく讀めるのであって一昨年十一月私が東京を出發した前後において當時のシンガポール方面にあったダフクーパーの一派は頻りに對日強硬策を主張し日米を開戰せしめることによって米國を戰爭に引込むことを本國政府に建策してをったと言ふ報道も傳へられてゐたのであって又事實このダフクーパーと共にシンガポールその他南方方面を巡察してゐた一英國人は急遽ロンドンに赴くため私と同一の飛行機にマニラから乘込んで米國に向ったのであるが彼は途中私に對して日米交涉は既に手遲れであると申しホノルル、サンフランシスコ等において新聞記者に對し頻りに 日米交涉の成功を妨害せんとするが如き宣傳に努めたようなこともあったのみならず吾吾の飛行機が故障を起して四十八時間ミソーウェー島に滯留してゐる間にチャーチル首相は日米戰爭開始の場合には英國は一時間內に米國側に參戰すると宣言し一面我國を威嚇すると共に米國內の主戰論に聲援するが如き態度を示したのである、更に私がワシントンに到着した頃には英國は日米交涉に關しては全部米國のなすがままに一任すると言明し英國は日米交涉を纏めることに骨を折るより寧ろ日米開戰によって米國が參戰して來るのを待ってゐるのだと言はんばかりの態度を示したのである、更に又例の昭和十六年十一月二十六日附のノートを愈愈當方に手交するに先立って開かれた所謂ABCD會議卽ち米英濠洲オランダ重慶の各代表者の會議においても英國代表者がこの方針によって會議を導いたことは明かで現に濠洲代表の如きはノート手交の直後において次に來るべき事態の極めて重大なるべきを憂慮しこれが打開策を講ぜんとして奔走し英國側に撥ねつけられた事實を私は正確に承知してゐる この會議において米英の外にオランダ、重慶代表の如きも頻りに強硬論を主張したと傳へられてゐるがこれらは要するに米英の傀儡でどの道米英に追隨する外ないのであって殊に重慶代表の如きは少くとも第一回の會議においては他の代表の後より招致せられ殆んど事後承諾を求められたような事實もあった、以上申述べた如き日米交涉を破局に導く上において英國の策謀が與って容易ならざる力のあったことは明かであるがこれは決して米國が單に英國に引摺られた卽ち米國が英國にのみ踊らせられたと言ふことではないのであってそれよりは寧ろ米國壓英國に取って代って國際政治及び經濟上の指導的地位を占めんとする策謀に出たと見るべき點が多多あるのである、今これを事實について見てもカナダ、濠洲、中南米は何れも相次いで米國のが倒的勢力の下に隸屬するようになりつつあるのであって殊に中南米諸國について見ると第一次歐洲大戰の結果米國に對して多大の債務を負ふこととなりその支拂ふ一部として英國が中南米方面に有してゐた權益を米國に讓ったために前大戰後は米國のラテンアメリカに對する勢力は俄然增大し英國のこの方面に對する勢力とそれだけ後退するに至ったが今次の歐洲戰勃發後においても英國は又復米國に對し多大の債務を負擔するととなりこれが代償として次第に中南米諸國に殘存する英國の權益を失ひつつある 他方中南米諸國としても今次歐洲戰爭開始後彼等の主要產物たる農產品、畜產品の主要販路である歐洲市場の大部分を失ふこととなった結果忽ち經濟上、財政上の苦惱に陷り是亦米國に借款を求めざるを得ざることとなり米國の中南米に對する制壓力はこれによっても亦益益強大となってゐる 更に米國が參戰することとなるや米國はラテン、アメリカに對するの經濟的制壓を利用して中南米諸國をして次次に日獨伊三國に對し或は宣戰を布告せしめ或は國交斷絕せしめこれによって此等諸國に於ける日獨伊三國人の財產を沒收し又は凍結せしめ戰爭諸國に在留し、多年その基礎を築き上げた樞軸國民の主なる者を大量的に追放せしめ若しくは拘禁せしむることによって日獨伊三國の中南米に於ける正當なる權利を一擧にして潰滅せしめんとしつつあるのであって英國資本の追放と合せて中南米を完全に米國制霸の下に置かんとしつつあるのである、これらの諸事實は米國が世界制霸を着着築き上げつつあることを如實に物語るもので更にこれを最近頻りに傳へられつつある北阿問題、印度問題に關し米英間に起りつつある暗鬪摩擦の裏面と結びつけて考へて見ると米國が參戰によって獲得せんと目論見つつあるものが果して何であるかと云ふ事は頗る明白に看取することが出來る米國はかくの如く明らかに世界制霸を目的として戰ひつつあるにも拘らずこれに對する內外の非難を憚って頻りにアングロサクソンの世界制霸云云を否定するに努めつつあるがルーズヴェルト大統領以下各要人は相變らず戰後の目標として 日獨伊の武裝解除國際警察卽ち米英兵力に依る世界の制禦を主張し副大統領ウオーレスの如きは昨年十二月二十八日の演說において戰後日獨の敎育制度にまで干涉しこれを監視すべしと唱へてゐるのであって斯くの如き考へ方が世界制霸でなくて果して何であらうか又米英は其後も盛んに例の「アトランチツク、チャーター」に依る世界經濟解放を唱導してゐるがその口の下からチャーチルは昨年十一月十日「マンションハウス」における演說をもって英帝國主義の擁護「オツタワブロツク」理念の保持を主張これがため米國のウイルキー一派の非難を蒙り延いて米英の間に激しい論爭まで惹起された樣な有樣であり又米國側においても「オツタワブロック」と共に世界經濟の癌と稱すべきその高關稅政策に關しては一指を染めんとする氣色もない抑抑前大戰後米國は國際貸借上債務國から一躍債權國となり世界經濟の圓滿なる運營を圖るべき地位に上ったにも拘らず前大戰後においても相變らず保護政策を固執し外國から受取るべき商品、サーヴィスは高關稅其他の制限方法をもって之を喰止め對外債權の元利は唯金に依ってどしどし取立てると言ふ政策をとった結果一方米國には金貨の山が出來米國自身も遂ひに持餘して空しくこれをケンタッキーの山中に死藏し地方それまで金を中心として動き來った國際經濟組織は結局これがために崩潰し世界を擧げて恐慌のどん底に落し込まれたのであるが米國においては今尚この我儘勝手な經濟政策に就いて大統領始め唯口先だけで改善を演說するばかりでこれを實行する最も手近な方法たるべき自國の關稅政策變更には何等手をつけ樣ともしない實情であるから米英の主張する世界經濟の自由と云ふのは要するに彼等のみ都合の良い自由であるのみならず彼等が我が國に對して行った經濟壓迫卽ち資產凍結とか輸出禁止とか云ふものを今後やらんと云ふ樣な事は一ぺんも云った事はない、要するに相變らず各國の米英に對する經濟依存關係を思ふままに利用して彼等の云ふ事を聞かぬ國に對しては何時でも經濟壓迫を加へ樣と云ふのであって斯樣な身勝手な構想が世界制霸でなくて何んであらうか 米國の戰爭目的は斯くの如く明かに世界制霸の方向に向ってをり有名なるワシントン大統領の離任の際の告別演說から出發した米國の傳統的外交政策とは全く正反對な傾向を示してゐる、既に米國內にもこれに對して密かに不安不信を抱くものも尠くなく米國政府が開戰以來約一年に亘り凡ゆる權力凡ゆる宣傳方法を利用してその戰爭目的を國民に浸透せしめんと努めつつあるに拘はらず、米國輿論調查機關ガロップの取調によると米國民の三割乃至四割は今尚米國の戰爭目的に疑念を持ってゐると云ふ事である又米國の議會方面に於ても戰爭目的を一層明瞭ならしむべしと云ふ議論が屢屢起ってをり、且つ米國政府の世界制霸的政策に對しては大統領の獨裁權擴充に對する構想又は武器貸與法卽ちリースレンド法の運用振調查要求と云ふ樣な形に於て次第に強い反對が起りつつある斯くの如く米國にも種種な內情はあるが然し今日迄のところ米英ともに政府の指導力は益益強化こそすれ何等弱化の跡を示さず兩國政府共に相變らずその經濟力物質力を固持すると共に歐洲、北阿、南太平洋に亘って戰局を一變、彼等が總反擊に出ずべき時期近きにありと宣傳して自國民を引摺り中立國民を惑はしめつつあるのみならず最近のカサブランカ會議の結果として笑止千萬にも樞軸諸國の無條件降伏を公稱しチャーチルの如きは先づ獨伊を屈伏せしめたる上に於ては米英の全力を擧げて日本を擊破すべしと繰返し豪語してゐるのである蓋し彼等が無條件降伏を云為するのは強ち一時的の戱言と聞き流すべきでなく彼等はドイツに對してはベルサイユ條約の對獨條項が手緩るかつたが為にドイツが復興し、大戰が再び起ったのであるから今度こそドイツをして再び起つ能はざらしめ樣と云ふ考へを持ってをり日本に對しては既に我が國の興隆が有色人種一般の覺醒を促がし彼等の植民地搾取を困難ならしめつつあるに鑑み何處迄も日本を倒してその憂を除かうと云ふ考へを持ってゐるのであってその目指す處は實に深刻である 從って我我が米國を倒すか彼等が我れを倒すか二つに一つであって彼我の間に妥協の餘地は全全ないと認めらるるのであるが我我は今後益益全力を傾倒して敵を制壓し一層不敗の態勢を整へ以って東亞十億の民族に不動の信念を植付け且大東亞共榮圈建設に向って一步一步力強き行進を續け遂に如何なる外力を以ってしても到底これを覆滅する事能はざる境地に迄達せしむべきであって、これ以外には征戰目的達成の拔け道も近道もない事を充分覺悟せねばならぬ、又我我の主張する世界の平和を地域別の編制及びその相互協力によって確立せんとする考へ方も米英に於て次第に現はれて參った米國副大統領ウオーレスの如きも昨年十二月二十八日の演說の一節に於て實際問題として地域別主義は國際問題處理上顯著なる價値を有する、例へば歐洲各國は南米の問題につき關心を有するともこれに專念すべきにあらず、それと同時に全米諸國は歐洲の問題に關心を持ってこれに沒頭すべきでない、卽ち純粹な地域關係の問題はこれを當該地域に一任すべきである云為と述べ議論の上に於ては我我の大東亞共榮圈の構想に多少の接近を示してゐるが、然し彼は遂に東亞の問題に言及せず又現實の問題としても西半球に於て地域別資源分割を實行せよと主張する國內の所謂孤立派の人人を極力壓迫してゐるもので米英の表明するところとその實行するところとの間に大なる相違がある事は前大戰後に於けるウイルソンの十四ケ條の行方不明やワシントン會議後に於ける同會議精神の惡用等によって我我はまざまざと見せつけられてゐるから我我は今後益益勇往邁進この大東亞戰爭を勝拔く事によって米英の自惚の根底を打破りよってもって彼等が其不當なる優越感や他民族に對する偏見侮辱から完全に脫却し先ず彼等自身の良心の前に彼等こそ無條件に降伏する迄我我は飽く迄凡てを投げ出して戰はねばならぬのである |
02 | 地上部隊作戰行動を開始 ビルマ派遣軍當局發表 |
03 | 陸海軍司政長官四氏發令 |
04 | 成立法案五十九件 大戰完遂の決意昂揚 |
05 | けふ兩院共休み |
06 | テンスキヤ強襲 |
07 | 峰口を占領 |
08 | 總豫算案可決(貴院豫算總會) |
09 | 眾議院本會議 |
10 | 貴族院本會議 |
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序號 | 標題 |
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01 | 社說 防空と大稻埕の場合社說 一 屢次に亘る防空訓練が島民の認識を昂め、その防空行動を漸次適正ならしめつつあることは喜ばしい。しかし我等の見るところに依れば一般市民中には依然風馬牛の態度をとつてゐるのが多いやうだ甚しきに至つては演習が行はれると「またか」といつた迷惑顏さへ絕無ではない。防空のことは官憲や防衞團員に任せて置けばよいといふほどではなくても、相當冷淡といふか、批判的といふか、さういつた人士も散見する、全く無關心なものも決して稀れではない。寒い夜空に家庭防空班のか弱い婦人達が監視に、消火演習に、血みどろの活動をなしてゐるとき主人公は一杯やりながら燈火の暗いのを嘆じてゐる風景も我等の見聞するところだ。かういつた人達も「いざ」といふ場合になれば敢て人後に落ちるものではないと極り文句を並べる。だがこれで果して實戰の場合に遺憾なきを得るか、どうか。月月金金の皇軍の猛訓練と思ひ合せたら洵に寒心に堪へない 二 防空は市民全體の責任である一部限られたものに任せてよい性質のものとは違ふ。必ず敵機の來襲あるべきは豫想しながら今一息の熱意と努力が足りないのは一は無敵皇軍への信賴の然らしむるところとも思ふが、無限の蒼空には如何に見敵必滅の皇軍でも「絕對の網」は張れない。獨逸の例を見ても開戰以來昭和十六年末まで敵機の來襲六十回。爆彈の投下數九百三十七個、燒夷彈の投下數は實に七千四百九十二個に及んだと田邊平學氏が發表してゐる、この間市民の死者三百十二名、傷者六百十一名で、空襲一回當り平均損害は死者五名のみであつたと同氏はいつてゐる。だが臺北市民が若しそれで多寡を括つたら大變な過誤を犯すことになる。といふのはまづ防空の設備が根本的に違ふからだ先方ではどの家にも例外なしに「應急防護室」が法の命令によつて設置されてゐる。これは地下室の物置や洗濯場を應急的に改造したもので、爆彈の破片や爆風を完全に防止出來るのみならず、直擊彈で建物の上部が崩壞しても生理めにならぬやうに天井を補强してあり、長時間の滯在に堪へ得るといはれる。飜つて島都の實情はどうか。燒夷彈が落ちたら一度に炎上する木造家屋か、或は煉瓦造といつても一枚半積くらゐの脆弱なもので、百キロからの爆彈を食つたら恐らくその爆風にも堪へないではあるまいか 三 こんな家屋に住んでゐて防空に冷淡であるとしたら、その結果はどうであらうか。我等は萬一の場合を恐れる、恐れるが故に市民の防空意識を最大に昂揚し、以て設備の足りないところを補ふの要を痛感する。特に大稻埕繁華街が襲はれた場合の心的、物的の準備の必要を强調したい。心的には第一に空襲に處して一糸亂れざる統制を保つ猛訓練が絕對必要だ、これまで行はれた程度のもので萬全だと信ずるものはあるまい。民心の刺戟を恐れて必要の對策を遠慮する如きは、災害を十倍し百倍する以外の何ものでもない。さらに我等は當局に對し重要な注文を持つそれは東京大震災の場合道路、廣場、樹木等による消火が全消火件數の六○%であつた事實、普通消防は何等の役に立たず、破壞消防が僅かに消火件數の二%を數へたに過ぎない事實を直視せよといふことだ。この點からいへば大稻埕の街には相當思ひきつた廣場や道路の擴張が絕對に要請される。而してその施設は急速を要する。 |
02 | 爪哇攻略作戰に殊勳 兩○○護衛部隊に感狀 |
03 | 真摯な島民の努力 隨所に見られて心強い限り 野村大將の視察感想談 |
04 | 米國の野望を抉る 昨夜新竹市で獅子吼 |
05 | 全島水產連絡會議第二日 |
06 | 敵將王勁哉を捕獲 |
07 | 王勁哉軍全く覆滅 |
08 | 臺北州教育會物故會員慰靈祭 昨日樺山國民校講堂で執行 |
09 | 通常總會開催 |
10 | 兩部隊の戰鬪經過 |
11 | 戶別勸獎の激勵に本部幹事地方廳へ 貯蓄目標額必成に最後の努力 |
12 | 聖域で練る婦人魂 日婦幹部鍊成會第二日 |
13 | 遺棄敵屍四千 判明せる大戰果 |
14 | 文報派遣三作家一行 文藝講演行脚に來臺 |
15 | 故中松三等兵曹の宜蘭市葬 四日公會堂で執行 |
16 | 妊婦に一大福音 手帳制愈よ近く實施 |
17 | 真子臺灣興行統制會社專務比島へ |
18 | 陸軍司政官發令 |
19 | 海軍體操講習會 四日間、北一中で開催 |
20 | 宴會の自肅運動 近く民間側にも呼掛く |
21 | 南方占領地郵便為替 一日に取扱開始 |
22 | 家庭内職希望者に朗報 近く斡旋組合誕生 |
23 | 宜蘭支會常會 一日市公會堂で |
24 | 第二十三回決算公告/大成火災海上保險株式會社 |
25 | 第四十七期決算公告/臺灣電力株式會社 |
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序號 | 標題 |
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01 | 國語で築け大東亞 お山の國語は流暢そのもの 花蓮廳高砂族國演會 |
02 | 國語普及研究會 關係者八百餘名新竹に集ふ |
03 | 洋上の「月月火水木金金」 |
04 | 各地街庄協議會 |
05 | 地租擧州完納 |
06 | 納稅功勞者表彰 花蓮港市の稅制記念日行事 |
07 | 竹南消防組結成式 |
08 | 竹筒貯金を建艦献金 |
09 | 献金を最期の願に 愛國行進曲口吟みつつ逝く 愛國少年黃金滿君 |
10 | 屏東市の貯蓄 割當額の百五十% |
11 | 宛然增產總會 臺中州農會總會開かる |
12 | 常會指導員設置の議 |
13 | 貯蓄推進に 臺南州奉壯團奮起 |
14 | 嘉義市は一月末現在で割當突破 |
15 | 絢爛な敢鬪繪卷 臺南市の少年團查閱 |
16 | 新竹州警察拳銃射擊會 |
17 | “螢の光”消えて “海征かば”に代る卒業式の歌 |
18 | 陳劉氏查某刀自逝去 |
19 | 臺中州畜產會總會 |
20 | 赤誠の献金品 |
21 | 豆債券發賣 |
22 | 地方多より報社消息 |
23 | 今日の映画演藝 |
24 | 基隆の映画 |
25 | 訃文:陳劉氏查媒 |
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序號 | 標題 |
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01 | 督府歲入內容(十八年度) 租稅收入一億五千三百萬圓 |
02 | 豆債券賣出し 三月一日より四月末日迄 |
03 | 局鐵小荷物運賃 日滿支連絡規則改正 四月一日實施 |
04 | 蔬菜類の增產 府、直營採種苗圃設定 |
05 | 十八年度事業計畫を決定 東亞經濟懇談會委員會開催 |
06 | 有價證券會社總會配當五分に決定 |
08 | 興業信託總會 配當五分据置 |
09 | 山本臺銀理事引退 後任中島正氏に内定 |
10 | 經濟手帖 陸運強化の緊急策 |
11 | 照明燈 |
12 | 商況(廿七日後場) |
13 | ラジオ |
14 | 水滸傳(902)/黃得時;碇政彌 |
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