按Enter到主內容區
:::
:::

資料詳目

書刊名

臺灣新民報1939年11月

卷期名稱

第3151號(1939-11-07)

建議引用格式

〈標題名稱〉,《臺灣新民報》第3151號(1939年11月7日),刊別版次。

朝刊第8版
序號 標題
01 季節圖鑑(22) [季節圖鑑(22)]/呂赫若;一木夏連載小說

彩の渦輪(二)

惠美子の下宿を出た麗心は、陳テル子と別れると、急いでタクシーをよんで家に歸った。

母が心配顏に待ってゐた。

「麗心。どこを遊んでゐたの、こんなにおそくまで......」

「いゝのよ。お母さん」

麗心は、外出着のまゝ自分の部屋に駈け込むと、引抽しを開けてアルバムを出しバラバラとめくった。

そして、取上げた一枚の寫真

それは惠美子の持ってゐる寫真と全く同一のものであった。

「やっばりさうだわ」

寫真を持つ手がブルブルと顫へた。

不思議である。世に斯ういふ不思議なことが又とあらうよ。

何時か、父が斯う教へて吳れたことがある。麗心は今それを思ひ出した。

――この寫真はね。お前が二歲の時、お母さんを內地へ旅行に連れていった時の記念撮影だよ。ほら。お母さん和服を着てゐるでせう。――

その父の言葉を、母も頷いて見せたのだ。以來、十數年の間さう思ひ續けて來たのだが。

一體、どちらが本當なのだらうか。

惠美子は、自分□母の寫真だと言ふ。それを裏書するやうに寫真の裏にサインまでしてあるのではないか。

すれば、林雅文は父の林有禮と同一人であるし、自分は惠美子と、母は藤枝と同一人になってしまふ。

しかし、斯ういふことが有り得るのだらうか。寫真。寫真のいたづらか

麗心は、しきりと考へ込んでゐたが、やがて頭を振ると、寫真を持って父の部屋に駈けて行った。

林有禮は何か書きものをしてゐた。彼は娘の足音に振り返った。

「おそいなア。どこを遊んでゐたかね」

「お父さん」

麗心は、それに答へないで真直に父の前まで行った。そして寫真をつき突けて、「この寫真ね。お母さんの內地旅行の記念寫真なの?」

「うん。さうだとも」

有禮は、笑顏で娘に答へた。「さう。さうしたら、この男の人は、お父さんなの?」「うん」

「この女の人は、お母さん?」

「うん」

「この赤ちゃんは私なのね」

「うん。可疑しいことを訊くね何時も話した通りぢゃないか。一體、お前、どうしたんだ?」

「どうもしないけど――」と、しばらく考へて「それ、皆本當なの?」

「本當だともさ、お前、こんなおそく歸ってきて、いきなりそれを訊いてどうするんだ?」

麗心は、考へ込んで默ってゐた。

が、顏をあげると、いきなり言った。

「ねえ。お父さん――」と、寫真を見せて、

「不思議なことがあるのよ」

「不思議なことって、言ってごらん」

「この寫真を持ってゐる方が居るの

「......」

「しかも、その方ね。自分の幼時の寫真で、お父さんはその後臺灣に歸って居ないから、この寫真を賴りに父を探してゐるんですって――」

「その方は誰かね?」聲が顫えてゐた。

「惠美子と言ふの。東京から來た方よ。花田惠美子つて言ふの」

「惠美子――」

有禮の顏は蒼白になった。筆を持った手が顫えてゐる。しばらく呆然としたが、ハッと思ひついたやうに自分の表情を隱すと、故意と呆けた風をした。

さうした父の表情を、麗心は見逃がさなかった。

「ねえ。ねえ、お父さん。その方知ってるでせう?」

「いや。何かの間違ひだらう」

「そんなことないわ。お父さんときっと關係があってよ。ねえ教へてよ。この赤ちゃん、私でないでせう。惠美子さんでせう」

「違ふ。違ふんだよ」

有禮は、言って顏をそむけたその眼には、涙がキラリと光った。

02 動亂の 歐洲を脫出して (四) [逃離動亂的歐洲(四)]/江尻治子海外遊記

靖國丸が岸壁に着くと若杉總領事御夫妻以下溢れるばかりの歡迎を受け、初めて平和の明るみへ出た心地が蘇った樣でした久振りにて土をふみ子供達が朗かにはしゃいで居る顏を見るだけでも嬉しさは胸に溢れ、在留邦人の御案內で紐育見物も出來避難民としては思ひもよらぬ機會を與へられました。果實や野菜の豐富で實のりのよい事は、ドイツから來た私共には嬉しいよりも寧ろ不思議と思はれ、ままりの美味しさに舌鼓を打ちました。「ドイツからのお客さんは何でも喜ぶから御馳走するのに譯はありません」等と笑ひ話にされる程でした。十八日午後多勢の見送りを受けて出帆し船が危險區域を脫出したとの報にほっと一息ついた感で一同は最早あとへは引き歸されぬ一路故國へ邁進するのみで有ると言ふ希望に繋がれて大西洋の航海が續けられました。

四十人ばかりの子供達は每日午前九時より一時間稻沼先生等の御教導により此の長い航海を靖國小學校で勉強し其の御蔭で子供連も規則正しい生活が出來大悅びでした。船中には獨逸語に慣れて日本語は片言しか話せない幼兒達も澤山交って居る事は他處で見られぬ風景でせう。さて常の航海とは異り乘客の中から數名の委員會が選ばれて屢々委員會が開かれ實に統制された海上生活を過し講演會も每日催され各々御專門の立塲から私共の日頃伺ふ事の出來ぬ有益なお話をして戴く事を得て一同感謝致しました。

暑さの中にパナマ運河を通過し十月二日午後四時羅府に寄港し稅關も寛大にて上陸を許可されました。吉田領事を始め在留同胞の歡迎を受け暫らく船內生活を離れ自動車で各地を見物する餘裕を持ち心をこめられたおもてなしにあづかりました。一泊した羅府を最後の寄港地として三日午後抜錨すれば故國日本への一路であります。愛國婦人會より加州米、果實、お花など澤山戴き船客一同感涙にむせびました。船は海上戰區を突破し愈々太平洋を橫斷する私共に取っては歐羅巴の戰雲をよそに荒れ狂ふ海上生活も無事に暮しました。十日には甲板で子供達の唯一の樂しみとする運動が催され、久振りに朗かな笑ひ聲も聞え此の瞬間は何故の旅路で有るかをさへ忘れさせられました。十五日には乘客に依って船長始め船員方に對して心ばかりの謝會が行はれ、又十六日には船の方でお別れの晩餐會をさへ催して戴き有難いと言ふよりも物體ない程でした。

斯くて十月十八日靖國丸は時恰も靖國神社臨時大祭の第一日と言ふ日此の五十三日にわたる航海に終を告げ午前三時橫濱港外に錨を下しました。やがて私共は檢疫も滯りなく濟み九時半、秋晴れに惠まれた埠頭を埋める樣な夥しい人々に迎へられ互に手を取って感激と喜びの涙にくれ時の移るを忘れました。周圍からは萬歲々々の聲が湧き上り喜びと懷しさに見合す家族達はたゞ涙に咽ぶばかりでした。此に乘客一同は歐洲よりの避難者輸送第一着の為に身を捧げて下れた船長始め船員の方々に淡き感謝をつげて二箇月に垂んとする歸航中の住處、踏み馴れた棧橋を下りて故國への第一歩を印しました。

父母をみればなつかし我が背子を

おもへば遠しベルリンの空樫の實の一人たちいでぬ幸くませと

いのるところを君にのこして

03 社會時評(3) 事情の激變 [社會時評(3) 事情的劇變]/中野重治
04 龍骨車 二つの藝談 「改造」十一月號 [龍骨車 兩個藝談 《改造》十一月號]
05 圖像:菜園春色(臺展、推薦) [圖像:菜園春色(台展、推薦)]/郭雪湖
06 烏龍茶 [烏龍茶]
07 圖像:火野氏を圍んで [圖像:圍繞著火野氏]
08 心聲漢詩

鯤島襍詩/六橋 杉溪言長、十月初三自臺北到頂北投途上/六橋 杉溪言長、十六日臺北所見/六橋 杉溪言長、月下美人/六橋 杉溪言長、梓杖 環碧樓主見贈賦謝/六橋 杉溪言長、哭林幼春先生/楊石華、弔黃栽培吟友/葉蘊藍

09 廣告報社消息
第12頁
回頁首