興南新聞1944年3月
序號 | 標題 |
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01 | 皇帝陛下御親祭 滿國建國節祭の御儀 |
02 | 全滿に溢れる慶祝と決意 |
03 | 滿洲國皇帝に祝電 ヒトラー總統 |
04 | ラウレル大統領の祝電 |
05 | 共同の仇敵を擊滅 褚民誼外交部長談 |
06 | 三提督大將に進級 高須、野村、澤本三中將 |
07 | 司令部も二次長制 |
08 | 敗戰隱蔽に汲汲 第一軍潰滅でデマの馬脚現はる |
09 | 海軍聯合卒業式 |
10 | ビルマ奪回、一朝の夢 わが空陸立體包圍環の威力 |
11 | 鼻先きに輸送船 年末年始に四萬噸を屠る 印度洋の我鐵鯨戰記 |
12 | 反轉一夜にして殲滅 わが戰略の妙、敵はただ啞然 |
13 | 二割方增送を實現 海上輸送力の非常動員 |
14 | 獨軍陣地を擴大 イタリア方面の戰況 |
15 | 獨軍鐵壁の防衛陣 反樞軸の上陸を粉碎せん |
16 | 臺灣產業金庫 設立委員會開催 來る六日に創立總會 |
17 | 設立委員長の挨拶 |
18 | 敵の橋頭堡に獨軍が猛砲擊 |
19 | 獨ソの戰況 |
20 | 芬蘭國會重要な協議 |
21 | 英國巡洋艦喪失を認む |
22 | アルゼンチン海相決定 |
23 | 中南米を併吞 飽くなぎ米國の野望 |
24 | ブスコフ攻防戰最高潮 |
25 | 赤軍攻勢を再開 |
26 | 米國務省に抗議を提出 エチフト公使 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 決戰增產の殊勳甲 陳羊氏に榮の總督賞 米穀、甘藷競作會褒賞授與式 |
02 | 國幣小社に御列格 神威彌ます嘉義神社 |
03 | 天恩の鴻大に感激 長谷川總督謹話 |
04 | 神袛崇敬の醇俗を振作 本田嘉義市長謹話 |
05 | 機纖から機械戰士へ轉業 整備を待たずに |
06 | 軍都の賴母しい出產成績 |
07 | 非常な部下思ひ 功三旭四殊勳甲に輝く澤田中佐遺族談 |
08 | 武人最高の榮譽 功四旭六に輝く橫崎少佐遺族談 |
09 | 苦心と努力に敬服 愈粉骨碎身重責完遂へ 齋藤長官式辭 |
10 | 「國民勤勞動員所」と改名 決戰へ職業指導所が再出發 |
11 | 米穀最高收量百廿石 實に驚異的躍進的記錄 松野農務課長談 |
12 | 昂る飛行場献納熱 各區會で資金募集に續續蹶起 |
13 | 臺灣南方語學校創立 四月から生徒募集 |
14 | 共榮圈建設に寄附 臺灣南方協會長齋藤長官語る |
15 | 萬里庄で田植推進講演會 |
16 | 師範新卒業生配置打合會 |
17 | 新竹州下中等校卒業式日割 |
18 | 南北署に拾ふ赤誠献金 |
19 | 決戰服でゆかう 日婦街頭で推進 |
20 | 銘酒「戰力」がお目見得 |
21 | 每月定期的に實施 懇談打合會で申合せ 交通秩序運動 |
22 | 農村婦女を動員 石炭と食糧增產の相剋解消 |
23 | 國寶に八件指定 本年度第二回審議會 |
24 | 基隆驛員獨立中隊查閱 |
25 | 陸軍司政官發令 |
26 | 人事消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 聖戰遂行の尊き人柱 陸軍關係の死歿者論功行賞頭條新聞 【東京發同盟】畏き邊りでは支那事變並に大東亞戰爭に參加し聖戰遂行の尊き人柱となった陸軍將兵に對し一日論功行賞の御沙汰あらせられ同日この旨陸軍省並に賞勳局より夫夫陸軍關係第五十五回支那事變死歿者同十四回、大東亞戰爭死歿者論功行賞として發表された、今回畏くも優渥なる行賞の恩命を拜した者の大部分は山西、河南省境に蟠踞する蔣系第二十四集團軍及び華北一帶に蠢動中の共產軍に對し一大鐵槌を下し遺棄屍、俘虜二萬の大戰果を擧げた十八春太行作戰に或ひは東南支那大陸における抗戰重慶最後の據點たる第三戰區を潰滅せしめ遺棄屍、俘虜實に五萬三千の大戰果を擧げた浙贛作戰に參加し赫赫たる武勳を樹て散華した勇士を始め、南方方面においては第二次バタン攻略作戰を始めニューギニア、ソロモン等西南太平洋方面の作戰に參加し夷狄擊碎に善謀勇戰し遂に護國の鬼と化した勇士等である、その內金鵄勳章叙賜の光榮に浴した者は橫山明少將以下千九百名で內武功特に拔群にして殊勳甲の御優賞を賜った者は昨年三月故障せる愛機一機を以て來襲せる敵十五機を擊退し壯烈ラエ上空の華と散った陸の親鷲澤田真中佐を始めとし總數五十一名の多きに及んでゐる、なほ殊勳甲の恩命に浴したものの內には昨年九月十二日米軍の爆擊機編隊が北千島に來襲した際強固なる敵編隊を崩潰せしめるため敵編隊長機に挺身壯烈なる攻擊を加へ更に前方より壯烈無比な必殺の體當りを敢行し粉碎した敵機と共に占守島東南に玉碎し曩に二階級進級と共に榮えある個人感狀を授與された橫崎二郎少佐もその名を列せられてゐる |
02 | 臺灣關係分 |
03 | 殊勳甲五十一勇士 主なものの戰鬪概要 |
04 | 英印軍第七師團の 主力大半を殲滅 國民軍協力戰果を擧ぐ |
05 | アラカン悲劇再現 殘敵掃蕩戰茲に終る |
06 | 我全軍一丸の敢鬪 穿慣突破作戰に成功 |
07 | インド兵投降多數 國民軍の姿に感動して |
08 | 休日廢止、常時執務 官吏の出張を制限 |
09 | 官廳執務の決戰化 五實行案、閣議で決定 |
10 | 保有物資の 積極的活用 |
11 | 米英反攻の一環崩潰 重慶軍は拱手傍觀 |
12 | 三月中旬全項目實施へ 急速調の決戰非常措置 |
13 | 定例閣議 |
14 | □船舶部隊の勇戰奮鬪 |
15 | 敵廿一機を擊墜破 ラバウル來襲を邀擊 |
16 | ブカ島に來襲 |
17 | ウエワクで二機を屠る |
18 | ヤルート島で二機を擊墜 |
19 | 滿洲建國茲に十二年 盟邦と隆替を共に 征戰完遂に全力傾注 王大使談話 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 好餌を屠れ 航空機增產何より急務社說 一 大本營發表によるマリアナ諸島に於ける大戰果は、今更らの如く精銳比類なき帝國海軍航空部隊の烈烈たる鬪魂と底知れぬ戰力を示して餘りあるものであるが、その反面敵米の反攻の如何に獰猛且つ執拗であるかを物語るものである無謀といはんよりも自暴自棄的作戰として自他共に許したマーシヤル群島への强襲、トラツク諸島への反復空襲後旬日を出でずして空母十數隻、戰艦八隻を基幹とする大機動部隊を以つて今度はマリアナ諸島東方海面に强引な再進攻を企て來つたことは、これを一槪に焦慮の餘りの無謀作戰と評し去ることは許されない。何となれば同方面は我が本土防衞の重要戰略圈にして我が鐵壁の制海、制空權內である。それを知らぬ敵ではない否百も承知の上で敢て大膽にも我が强韌なる鐵壁陣に猪突進行し來つた所以のものは、大體に於て次の諸點と觀るべきではあるまいか 二 卽ち航空母艦十數隻を中心に戰艦八隻を始め多數の護衞艦を配した大機動部隊といへば、これはおそらく敵としても太平洋艦隊の主力を擧げて來たものといふべく、これによつて所在の帝國海上部隊を擊破して更らに轉進、隨所に各個擊破をするか、或は不遜にも帝國聯合艦隊主力に決戰を求め一擧に戰の局を結ばんとの蟷螂の斧を以つて牛車に當るにも等しき野望を懷いて來たとも考へられ、また次には我が本土防衞の重要戰略圈たる南洋諸島を占領することにより、我が第一防衞線を奪取し同時にこれに據つて日本本土攻擊の足場とせんとの企圖に出でたとも思はれ、更らにこれ等南洋諸島から西進し、比島を奪回することによつて我が工業地帶と南方資源地帶との連絡を中斷し、日本の軍需工業を枯渴せしめ、併せて出先所在部隊を孤立させやうとの空想を描いて、大膽な反攻を洋心に試み來つたものとも察せられるのである 三 敵米の太平洋艦隊は、開戰劈頭に於る真珠灣の慘敗を始め、ソロモン海域、珊瑚海その他の海空戰に於て、主力艦に於ても空母に於ても大方は打沈められてゐる筈である。然るに今回の大機動部隊は真珠灣に於て引揚修理せるものもあらうが、その大部分は新建造のものと見ねばならぬ。敵米が戰略的に立直つたといふのも、これを要するに豐富なる資源と尨大なる生產力が物を言つたのであるこれを以て敵米は艦船建造に、飛行機製作に躍起となり短期間に於ける消耗戰を以て日本に決戰を挑み來つたのである。南方戰域に於ける敵機がいくら叩き落されても次から次と來襲するのも、今回の敵大機動部隊の大膽さも悉く消耗と犧牲を公算に入れての上なのである敵が消耗戰で來らば我またこれに應すべし。今度のマリアナ諸島東方海面に對する敵の進攻企圖は我が海軍航空部隊によつて擊破されたが、若し我が方に更らに多くの航空機があつたなら我が制空、制海權內に飛び込んで來たこの好餌を悉く屠り去り得たに相違ないといふことを我我銃後一億は强く深く銘記せねばならぬ |
02 | 決戰へ生活總切替 理窟を拔きに實踐しませう |
03 | “指導層の垂範を” 山本事務總長から特にお願ひ |
04 | 臺北州の實施項目 |
05 | 納稅戰に勝拔け けふは稅制記念日 |
06 | 高級な享樂を停止 料理屋やカフヱーは休業 情報局發表五日から實施 |
07 | 花蓮港廳食料管理組合總會 |
08 | 初の陸軍軍醫委託生 臺大何良二君が見事合格 |
09 | “斃れて尚熄まず……” 島都適格青年の訓練美談二つ |
10 | 酒と燐寸の値上げ けふから一齊に實施 |
11 | 大眾食堂を普及 食料品の增配も圖る |
12 | 銃後軍援の美談 鬪ふ軍國の妻を繞る店主の溫情 |
13 | 皇軍慰問に歸鄉 本島出身の舞踊家高洲健氏 |
14 | 皇奉中央本部定例部長會議 |
15 | 日婦の模範會員を表彰 三日花蓮港廳で |
16 | 鐵道部人事異動 |
17 | 麻病(マラリヤ)の一掃へ 臺北州で資料を調查 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 吾こそは海の若櫻 臺南州の海志府銓衡試驗始まる |
02 | 間接稅改正の講演會開く 臺中市、郡に於て |
03 | 遺家族映畫慰安會開く 屏東銃後後援會 |
04 | 散華勇士に續かん 善化青年團又增產に汗鬪 |
05 | 飛行機を送らう 桃園街日婦會員の計畫 |
06 | 軍事之栞 恩賞の制度(一) 戰歿者に對する恩典 |
07 | 高雄州農業會監事任命 |
08 | 献金美談二つ 龍潭庄で |
09 | 青年團運營を協議 屏東郡で研究會開く |
10 | 飲料水に萬全措置 臺南市の諸計畫成る |
11 | 五青年校を增設 新年度から高雄市に |
12 | 戰ふ街庄協議會 |
13 | 學園の決戰態勢 手始めに機甲基礎訓練 |
14 | われらの報國農園 臺中州學徒開墾に聖なる鍬 |
15 | 彰化市內諸學校の卒業式 |
16 | 必勝防空目指し 屏東市の連絡會議終 |
17 | 臺南市四校を新設 |
18 | 彰化旭校富田分教場獨立 |
19 | 鷺洲庄警防團檢閱實施 |
20 | 高雄州總務係長に當木兵衛氏任命 |
21 | 飛行機資金を献金 |
22 | 正條密植競技會 彰化好成績を收めて終了 |
23 | 百姓指導のこつ 增產指導者移動教育始まる |
24 | 臺灣青菓會社總會 |
25 | エツダ夫人スヰスへ |
26 | 增產に挺身協力 員林郡の地主協力會支部創設 |
27 | 彰化市豆腐製造業組合總會 |
28 | 戰ふ增產助役 更に九街庄設置 |
29 | 刑餘者の鍊成 暫定的に戲獅內部落集會所で |
30 | 濠洲で酒の闇 |
31 | 綿製品を配給 戰ふお百姓さんに親心 |
32 | 地方多より |
33 | 訃文:村田秀雄 |
34 | 基隆の映画 |
35 | 新竹の映画 |
36 | 高雄の映画 |
37 | 今日の映画演劇 |
38 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺灣駐在理事室設置 廣汎な統轄權限を委讓して 勸銀、業務の迅速化へ |
02 | 鐵道現業機關長會議本日より開催 |
03 | 四億貯蓄總突擊運動 愈よけふより開始 高橋財務局長協力要望 |
04 | 中耕除草を徹底 二日に關係官會議開催 |
05 | 實業學校卒業者 使用統制範圍を擴大 |
06 | 物價總平均指數 隊前年一割方の微騰 |
07 | 臺灣農業會 設立委員會開く |
08 | 森林資源の重要性 木材增產運動の意義 |
09 | 沿岸曳船操業 |
10 | 有價證券業組合 組合員の違反に嚴罰 總會で決定 |
11 | 大成火災總會 重役十名とも重任 |
12 | 商況(廿九日) |
13 | 文化 日本人の死生觀/滋賀多喜雄 |
14 | 演劇の面白さ(上) 鐘聲劇團の試演會を觀で/簡國賢 |
15 | 興南詩苑漢詩 謹次龍山逸人先生原玉/玉井龍吟、謹次龍山逸人先生原玉 其二/玉井龍吟、謹次龍山逸人先生原玉 其三/玉井龍吟、謹次龍山逸人先生原玉 其四/玉井龍吟 |
16 | ラジオ |
17 | 九龍滯在(二)/龜田惠美子海外遊記 內海をまぢかに控へてゐる故か埃も立たず、清澄な夜の空氣は、潮の香さへほのかにふくんで、室內へ流れ入ってくる。 別室の者が「香港の夜景が見えるわ」と、告げに來たので、其方の室へ行ってみた。 さう、例へて云ふならば、指揮者のタクト一閃、オーケストラの最初の音が、たからかに鳴りひびいた時の、身も心もとけ入るやうなあの快樂を喚び起す遠景であった。 曾て、不夜城を誇った街、そして、たたかひのあと、砲聲の鳴りやんだ最初の夜、灯ひとっ見いだせなかったといふ香港が、再び新生の灯を點しはじめた。 こころよい交響樂が耳にひびいてきたと思ったのも束の間、現實の時が經つと共に、蕭蕭と吹きわたる微風のおとのみで、海面を流れる氣流にチカチカくとまたたくそれ等の灯は、物語りに出てくる狐火のやうな無氣味さでもって迫ってきた。窓からのり出した兩腕、頰に、つめたい風があたった。 九龍上陸第一夜、地球の自轉と共に、このやうな速力をもって、夜がおそひかかってくるのを、身に沁みて切なく感じた事は無かった。 反轉するごとに宙間から奈落へ突きおとされるやうに感じさせる、彈力をもったベッド。時折、異樣な物音を發する街。警笛も鳴らさず、キューンと金屬的な音を響かせて急カーブしては、風のやうに遠のいてゆく自動車の氣配が如何にも生生しい現地の雰圍氣を思はせるのだ。 今にも大地の底から、いきなりガアツと、機關銃の連續音が湧き上ってくるやうな、恐怖を感じる。 別れてきた懷しい人人の顏が、重なり合って腦裡をうづめる。 廈門や汕頭の騒騷しい街並の光景が、次次に折重ってたほれる。 その上を、モンスーンに飜弄されたあの日の、盛り上る大浪が、うなりを生じてのり越えて行った。 或友人の解し兼ねるやうな顏が浮び上ってきた。 ――まあ、何故、そんな遠い所へ行かうと考へついたの?よっぽど、何か深い衝動を受けたあとのやうに―― 私はいま、靜かに應へることが出來る。 ――ええ、あの日の朝、ラヂオでいた西太平洋上に於て…………戰闘狀態に入りといった報道。そして間もなく、米英に對する宣戰の大詔を拜したあの時の感動こそ、私を外地へ驅りたてた最も大きな衝動であったのです、よるも晝も、街を驅けぬけて行った戰車や裝甲車の轟音□□にまれ乍ら、兵隊を見送ったあの□胸がどきどき波うって苦しい位でした。前線へ出動する幾多の兵隊達に、女乍らも後れはとらじ――と、はやり立つ心の赴く儘、私は今迄自分の係ってゐた、消極的な感情問題や生活とすっぱりしたくなったのです。現在、一時でも、今迄の生活から斷ち切られた、新しい生活の出來るのを、とても喜んでゐます―― 眠れないに儘に思ひめぐらすことすべてに、私は涙もろくなった。張りつめてきた氣持が、こんなに早く崩れてゆくのか――と、そのくづれてゆく感情の片片を呆然と追ひ眺めてゐる自分を見出すのであった。 全くやりきれない、と思ふ。四方八方にむかって詫びたい心。崇高なものに對し、ざんげしたい氣持が、かうして、ひとりになった時に、始めてをし寄せてくるのである。 |
18 | 冴返る 嗚呼六千五百の英靈/山本孕江 |
序號 | 標題 |
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01 | 廣州灣の軍正撤廢 廣東省治下に編入 |
02 | 國府の治下に新生 軍政一年間發達の跡 |
03 | “報復措置の序幕” ロンドンの大爆擊は皮切り ゲ宣傳相決意を強調 |
04 | 英空軍の死傷一萬八千名 |
05 | 圖像:鬪ふヒツトラーエーゲントの少年達 |
06 | 赤軍、芬蘭攻勢を企圖 |
07 | 圖像:空に海に儼たる北洋の護り |
08 | 戰局と我必勝體制 戰意昂揚最大の成果/船田中 |
09 | 地方海運局長も 會長知事が兼任 |
10 | 戰爭と青年/阿部仁三 |
11 | 赤軍の新攻勢 |
12 | 赤軍七百六十三機を擊墜 獨軍二月中の戰果 |
13 | 英巡ス號擊沈の詳報 |
14 | イタリア戰況 |
15 | 獨軍新兵器「無人戰車」 ネツツノ橋頭堡に出動 |
16 | ドゴール派 原住民衝突 |
17 | 亞國當局公表 |
18 | 比島新教徒も 政府支持表明 |
19 | 赤軍數次の獨病院船雷擊 |
20 | フイリピン中央銀行法成立 |
21 | 原住民の診療助手を養成 |
22 | 勃戰爭犯罪に嚴罰 |
23 | 在ローマの邦人六名 |
24 | 東西時事 米國の人種偏見 |
25 | 亞國叛亂鎮定 |
26 | 安南の華僑 初の個人献金 |
27 | 興亞國民運動 日滿の懇談會 |
28 | 濠洲畜犬輸入禁止 |
29 | 芬蘭の決意固し |
序號 | 標題 |
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01 | 尊皇精神を振作 嘉義神社國幣小社列格に際し 宮尾臺南知事謹話 |
02 | 蘭貢上空の放れ業 市民看視の中に敵機擊墜 武勳の兩勇士に賞詞 |
03 | 間髮入れず邀擊 絕妙の戰技を發揮 |
04 | 山の戰士敢鬪 |
05 | 昂る半島の献金熱 |
06 | 尊し・傷痍軍人號 臺灣本部赤誠の醵金發送 |
07 | 陸軍病院へ 白衣勇士慰問 |
08 | 一途時艱の突破へ 新軍報道部長國方少將着任談 |
09 | “健民健兵”の母體 臺北州本年度衛生模範部落 近く廿二ケ所表彰 |
10 | 注目すべき三方向 大東亞共榮の巨現に 時事解說 |
11 | 增產戰士の住宅對策 |
12 | 海軍高砂義勇隊 新竹州隊晴れの歸臺 |
13 | 疎開標語當選發表 |
14 | “昭和の清正”出現 廈門市中で猛虎退治 |
15 | 甘藷の立體的稱收 技術改善に臺北州力瘤 |
16 | 大水泳場設置 港都基隆市の計畫 |
17 | 中師講習科合格者 |
18 | 軍司令部に拾ふ献金佳話 |
19 | 中等教員養成が重點 女子專門學校學徒募集始る |
20 | 臺北州弘報委員會 委員委囑三日に開催 |
21 | 戰時女子の使命重大 坂口知事巢立つ一女生を激勵 |
22 | 遺家族慰安會 帝國少女演劇團 |
23 | 人事消息 |
24 | 今晚の放送 |
序號 | 標題 |
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01 | 滿洲國建國節交歡放送 道義大東亞を建設 米英の再侵略を阻止 東條首相放送頭條新聞 【東京發同盟】東條首相は滿州國建國節の一日夜七時二十分より日滿交□放送を行つたがその要旨左の如し 滿洲國皇帝陛下におかせられましては愈々御康寧に涉らせられ衷心より慶祝に堪えない次第でありまず、顧れば滿州建國以來玆に早や十有二年其間國內の治安は確立し民族協和の實舉り順天安民の策は着々として實現せられ產業亦日に日に興隆に向つて來る事は誠に御同慶に堪へない、大東亞戰爭勃發するや滿洲國が我が國と歩を一にし愈々高度國防國家の態勢を整うるとともに內においては食糧增產工業生產の計畫を層一層と進捗せしめ外においては中華民國始め大東亞の各國、歐洲の盟邦との提携を緊密ならしめ以て大東亞戰爭完遂の為め貢献せらるるところ甚大なるものあることは日本國民の感銘措く能はざるところである特に最近における對日協力就中食糧に關する協力は顯著なるものがありこの機會に改めて衷心より感謝の意を表する貪慾飽くなき米英の東亞再侵略を阻止し真に道義に基く大東亞を建設するの途は正にこの大東亞戰爭に勝ち抜くことによつてのみ開かれる、帝國は滿洲國を始め大東亞解放の共同の理想に燃ゆる大東亞の諸國家諸民族の心からなる協力を得てこの大戰爭の窮極の勝利を獲得することを堅く信じてゐる、玆に愈々日滿一德一心の紐帶を彌が上にも強固ならしめんことを期するとゝもに滿洲國の益々隆盛ならんことを祈念する |
02 | 日滿華の固き盟約 飽くまで米英擊滅へ 張總理放送 |
03 | 積極的に對日協力 親邦日本永年の仗義に應ふ 黃興農部大臣の演說 |
04 | 褚外交部長の放送 |
05 | 陸軍の定期異動 |
06 | 大次官と二次長制 海軍人的布陣着着敵前展開 |
07 | 三中將の略歷 |
08 | 六提督の略歷 |
09 | 富永中佐轉出 後任は矢倉少佐 |
10 | 次の大東亞會議 暑い時マニラ、寒い時は新京 汪大使、バ大使語り合ふ |
11 | 滿洲國の興農政策に 敬意と感謝の意表す 黃大臣招待、東條首相の挨拶 |
12 | 圖像:臨時司法長官會同 |
13 | 相共に戰ひ、勝ち拔く 王大使の說 |
14 | 米國軍の損害甚大に上らん 鄉軍會長の警告 |
15 | 速急なる健兵健民 內政部長會議、小泉厚相訓示 |
16 | 獨軍の共匪掃蕩戰果 |
17 | 海軍三校の生徒採用要綱 |
18 | 安慶附近來襲 |
19 | 王大使の挨拶 |
20 | 廣東地區清鄉進む 殘存共匪早くも潰滅 |
21 | 友軍の殲滅を傍觀 ナーフ河畔敵第五師 |
22 | 獨潛艦攻勢を準備 英紙特派員最近の報道 |
23 | 三日間に亘る會議を終る |
24 | 獨海軍二月終の戰果 |
25 | ローラ任命は ソ聯の煙幕戰術 |
26 | 報國債券當簽番號 |
27 | 商況(一日) |
序號 | 標題 |
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01 | 戰力增強の方策 中央實踐協力會議に上程開催は五月上旬頃 |
02 | 十九劇場自發的閉鎖 入場料五圓以上の分は引下げ |
03 | 企業整備に萬全 臺中州、實地調查に着手 |
04 | 花蓮港廳下中等學校志願者 |
05 | 四億貯蓄攻略へ 新竹州下で講演、懇談會開催 |
06 | 臺南市の決戰常會開く |
07 | 續く白衣勇士の慰安部隊 |
08 | 戎衣に武勳勾ふ 海軍高砂義勇隊解散式 |
09 | 眼で見る戰ふ衣食住 決戰生活五日か開く |
10 | 軍援に二千圓 學生服配給組合が寄附 |
11 | お醫者さんの一日入營 決戰生活をみつちりと體得 |
12 | 日本一小きい學校 校長一名、職員一名、兒童二名 本月限り愈よ廢校 |
13 | 馬來婦人もモンペ姿 |
14 | 赤十字看護婦 きのふ高雄州で銓衡試驗 |
15 | 赤誠で倒せ敵米英 二月中の陸海軍献金 |
16 | 貯蓄精神の昂揚 二四○名の推進員を委囑 |
17 | 日曜の休日廢止 本島も中央に即應 |
18 | 臺灣商工經濟會 けふ律令公布 |
19 | 戰鬪機二機と飛行場 嘉義市常會で献納決定 |
20 | 五部隊への軍馬慰問 |
21 | 花中卒業式 |
22 | 勸銀臺灣駐在理事に村井氏 |
23 | 三月常會取扱事項を審議 臺中市支會 |
24 | 皇奉支□三部長 高雄州一日附で任命 |
25 | 高雄州三月中民需肉豚割當 |
26 | 奉公班に頭巾用の綿を寄附 |
27 | ラジオ |
28 | 基隆の映画 |
29 | 新竹の映画 |
30 | 高雄の映画 |
31 | 今日の映画演劇 |
32 | 行旅死亡人廣告 |
33 | 興南案內報社消息 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 非人道的行為こそ 米國軍の戰爭方針 スチムソン公然確言 |
02 | 重慶と米英側驚愕 國府の軍事宣傳團活躍開始 ビルマ方面陸軍當局談發表 |
03 | 海軍報道陣容一段と強化 |
04 | 東部戰線の戰況 ハンメ大佐の報道 |
05 | 內田農商相への期待/我妻東策 |
06 | ナ河の西岸で激戰 |
07 | 果敢な宣傳行ふ ビルマに宣傳團派遣 國民政府宣傳部發表 |
08 | 戰時交通の新構想 拔本的變革の具現へ/島田孝一 |
09 | インド軍備補給に惱む |
10 | 圖像:執拗なる敵機の反攻を阻□軍艦○○ |
11 | 羅馬の聖地爆擊 反樞軸空軍の暴狀 法王廳機關紙指摘 |
12 | 西獨を爆擊 反樞軸空軍十四機喪失を發表 |
13 | 英機、病院船掃射 |
14 | 獨の長距離砲活躍 |
15 | 佛西部海岸で獨英海 |
16 | 米英近く會談 倫敦で開く模樣 |
17 | 英の高壓手段 土國向け武器と民需品輸出禁止 |
18 | 獨宣傳關係官連絡會議 |
19 | セレベス女性 日本女性を研究 |
20 | 米婦人の靴下騷ぎ |
21 | 東西時事 南米の弱點 |
22 | 赤軍攻勢の意圖は政略 |
23 | 一進一退の激鬪 ネツツノ橋頭堡で |
24 | イタリア戰線 米軍の損害 |
25 | 獨空軍二月中の戰果 |
26 | 米二個大隊を殲滅 イタリア戰線戰況 |
27 | 獨に夜間戰鬪機 |
28 | 戰局の前途困難 ノツクス米上院で警告 |
29 | クロアチア兩相 ヒ獨總統と會談 |
30 | 武器貸與法延長を要請 |
31 | 瑞典で新鑛發見 |
32 | 專賣局收納場を農產物貯藏所に開 |
33 | 南米に熱波襲來 |
34 | 獨の擊墜王戰死 |
序號 | 標題 |
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01 | 磐石の必勝生活 從軍紀念會陣頭垂範 |
02 | 高砂族相撲大會 陸軍紀念日植物園で開く |
03 | 遺族を弔問 廣谷市長が |
04 | 特殊奉公班解消 臺灣一家の實を擧ぐベ 事務總長通牒を發す |
05 | 訓練の成果顯現 基隆の適格青年あす查閱 |
06 | 設立を急ぐ 臺北州徵兵對策委員會 |
07 | 軍司令部に献金部隊續く |
08 | “虎退治”武勇談二つ 印緬國境前線の朗かな話題 |
09 | 學窓から職場へ 二中卒業生海軍工員で敢鬪 出陣學徒に續く |
10 | 海鷲に聽く航空決戰(二) 學鷲はみな天晴た 學校教育の刷新を忘む |
11 | 海洋陣地戰の華(二)/挺身船舶兵 |
12 | 一機でも多く早く 臺北工藝美術商、銀器を献納 |
13 | 献金で仇を討つ 決意に燃ゆる新竹市 |
14 | 供米即ち軍需生產/片柳眞吉 |
15 | 內地だより 神崎神社の御寶刀献納 |
16 | 松江城のお堀解放 |
17 | 伏敵號献納運動進捗 |
18 | 人事消息 |
19 | 北一中卒業式 |
20 | 北二中卒業式 |
21 | 戰ふ部落會長の赤誠 飛行機資金を献納 |
22 | 警察事務從事者が鍊成 |
23 | 皇國の女子/志田延義 |
24 | 恟恟たるロンドン市民 |
25 | 第二戰線の副產物 |
26 | 今晚の放送 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 軍旗護衛の大任全ふ 小崎中尉以下十一名に感狀頭條新聞 【東京發同盟】陸軍省發表(昭和十九年三月二日十六時) 昭和十八年三月ラエ輸送作戰時敵機の攻撃により輸送船海沒せるに際し遠藤部隊軍旗を小舟艇に捧持しこれが護衛の任を全うせる陸軍々曹並木三郎以下十名の軍旗兵及び旗護兵並にこれが指揮に當れる陸軍中尉小崎春雄に對し曩に軍司令官より感狀を授與られしが今般畏くも上聞に達せられたり 感狀 遠藤部隊軍旗衛兵及旗護兵 陸軍々曹並木三郎以下十名 小池部隊陸軍中尉小崎春雄 右は「ラエ」輸送作戰に於て敵百數十機の攻撃に依り我輸送船海歿せるの秋小舟艇に遠藤部隊軍旗を捧持し之が護衛の大任を全くせり、即ち三月三日「クレチン」岬沖に於て乘船◯◯丸敵爆撃の為め火災を生じ終に沈没を免れざるに至るや部隊長遠藤大佐は全員退船を命じ旗手近藤中尉をして軍旗を捧持せしめ救命艇に移乘退避したるも爾後幾度に亘る敵機の猛銃撃の為め先づ部隊長次で近藤中尉壯烈なる戰死を遂げ又味方船舶及小舟艇は悉く敵銃爆擊を被りて殆ど沈没し悲狀なる狀景を呈するに至りしが並木軍曹以下軍旗衛兵旗護兵及其の他同部隊の人員は軍旗持の精神愈々固く誓つて之を完遂せん事を期せり小池部隊陸軍中尉小崎春雄は受傷漂流中右救命艇に收容せられありしが軍旗護衛の重責に感奮し救命艇爾後の行動を律し無裝備運動輕快ならざる救命艇を以て悲壯なる機動を開始せり、爾後數日に亘る敵機の攻撃に堪へ食糧缺乏して三月十二日より絕食狀態に陥るも全員一致協力四月二日堅忍三十一日にして遂に「ニューブリテン」島「マーカス」岬西方約十粁に上陸し軍旗棒持の大任を全くせり之御稜威の下並木軍曹以下軍旗衛兵及び軍旗護兵の熱烈不撓の軍旗護衛の精神と小崎中尉の適切なる決心及指導に因り能く千辛萬苦を克服の至高なる軍人精神を發揮せるものにして真に軍人の龜鑑たり 仍て玆に感狀を授與す 昭和十八年四月二十九日 軍司令官 感狀勇士氏名不撓不屈死を越へて軍旗護衛の大任を全うし今回偉功上聞の榮に輝いた小池部隊小崎中尉及び遠藤部隊並木軍曹以下十勇士の氏名は左の通りである 小池部隊陸軍中尉小崎春雄(愛知縣中島郡稻澤町)、陸軍々曹並木三郎(群馬縣多野郡新町)、同伍長松田憲三(前橋市新町)、同兵長田中信夫(群馬縣多野郡萬場町)、同小倉德三(群馬縣勢多郡黑保根村)、同近藤良一(群馬縣群馬郡明治村)、同上等兵安達□次(群馬縣邑樂郡中野村)同峯岸八郎(群馬縣北甘樂郡新屋村)、同神宮義榮(群馬縣碓氷郡安中町)、同田村正太郎、同一等兵高野申八(群馬縣群馬郡澁川町) |
02 | 鬼畜敵機の彈雨下 身を以て軍旗を護る 南海に漂流一ケ月の苦鬪記 |
03 | 米輸送船 インド洋で擊沈 |
04 | 海軍報道部長 粟原大佐に補職發令 |
05 | 悽絕な現實を直視 今こそ日本人本然の姿に還る サイパン敵襲體驗記 |
06 | 海軍作戰に協力 部外者に論功行賞 |
07 | 戰局は刻刻苛烈化 粉碎の道は飛機增產 |
08 | 共同防衛を完遂 わがビルマ方面軍幕僚部へ ビルマインド國民軍幕僚を派遣 |
09 | 國府の經濟顧問に 小倉正恒氏に決定 |
10 | 新政策を推進 小倉氏抱負を語る |
11 | 再び倫敦を猛空爆 不意衝かれて大混亂 |
12 | 米英トルコに 軍需供給停止 |
13 | ソ芬問題無視 獨當局は冷靜 |
14 | ソ、芬和平交涉なし |
15 | 地方機構の頻繁な 變革はこれを避く 全國內政部長會議全日程終る |
16 | 大擧集中爆擊 |
17 | ドイツ軍猛反擊 エストニア國境の戰況 |
18 | 赤軍南部で新攻勢 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 われらは如何にすべきか社說 一 獰猛執拗な暴敵を門前に邀へてわれらは如何にすべきか、最早や遲疑逡巡すべき秋ではない。また拱手傍觀し得る時でもない。一億國民は皆を決してただ暴敵擊滅に突進するのみだ。その道は去る廿五日政府が閣議で決定した「決戰非常措置要綱」にはつきり示めされてゐる。卽ち忍苦一途、精進一年を誓つて、この際平時的觀念に基く一切の享樂を追放し、精神的にも物質的にも必勝進軍の非常態勢を整へ、勤勞に、防空に、輸送の强化に、執務の決戰化にその總力を擧げて、戰力增强へひた向きな精進を續けなければならないわれわれの周圍に些細なりとも無駄はないか。われわれの心理に人知れず住む我慾はないか。今こそ一切の個人的慾望をかなぐり捨てて、必勝戰力の生產戰線に邁進することが前線將士の勞苦に應へる唯一の途である 二 中等學校以上の學生生徒は總べて今後一年常時勤勞、その他の非常任務に出動せしめ得る組織的態勢に置き、必要に應じ隨時活潑なる動員を實施するのである。而して校舍も校庭も職場に轉換する女子挺身隊には命令を待つまでもなく、卽刻加入すべきである。工場防空の强化は言ふまでもなく、戰力增强に直接關係のない一般市民は、どしどし疎開して防空業務に支障あらしめてはならない。生活の簡素化は固より、事配給の改善圓滑化には、業者も消費者も積極的な工夫がなければならぬ。個人的な享樂に昔を追憶する者はないか。輸送力强化は戰力增强の前提である。精進を積むことは官民一致の態勢でなければならないこのどれ一つを取り上げても、決戰態勢確立上必須の要件でないものはない。而もこれらは誰しも異存のない最も身近な、且つ判り切つた實踐目標であり、戰勝への捷徑である。勿論我が臺灣當局に於ても、この線に沿つた非常措置を逐次迅速果敢に取らるることと思はれるが、われらは當局の要請を俟つまでもなく、自ら挺身實踐に卽刻起ち上らなければならぬ。 三 時は恰も國民生活の徹底的な決戰的切替へを目指して、全島一齊に「決戰生活實踐徹底運動」が展開されてゐる最中である「理窟は判つてゐる。併し自分だけは少しでも他より豐かでありたい」といふやうな利己的な傍觀者的な態度を卽刻只今より捨て去らなければならない。航空機增產への途は身近にある。軍需工場ばかりでなく私共の臺所からも飛行機が生れて來るのを知らなければならない。航空機材として鹽からマグネシウムが得られ、鍋類の節約によつてアルミニユームが得られる。而して甘藷、砂糖、トウモロコシから高級燃料が取れ、鹽から燃料の質を良くするエチル液が取れる。全國で着物を一人が一反節約すれば重爆擊機五百臺、一日一時間の節電をすれば、一箇月で千五百臺の戰鬪機、ラヂオ一日に一時間のつけつぱなしを止めると、戰鬪機五百四臺分のアルミがそれぞれ出來る。だからわれわれは一切の生活を決戰的に切替へて、擧つて物資を愛護し節約し、貯蓄に勵み、家庭から飛行機を生み出す努力を致さなければならない。 |
02 | “軍旗の下に必ず 天佑神助あり” 小崎春雄中尉語る |
03 | 軍旗を胸に萬歲奉唱 並木曹長近藤中尉の最期を語る |
04 | 各部落に遊說隊 決戰生活の滲透を期して |
05 | 職業女性の轉業を懇談 督府、皇奉の定例連絡會議で |
06 | 青年團查閱 好成績收む |
07 | 職場青年鍊成を強化 青少年團で要綱決定 |
08 | 神道各教派の 傳道師鍊成會 六日間國精研究所で |
09 | 建國十二年(其の二) 生產增強へ積極果敢な施測 |
10 | 戰時文化運動に活 近く初の戰時思想文化委員會開く |
11 | 血液檢查の課題/佐藤清 |
12 | 宜蘭市葬執行 七日公會堂で |
13 | 時局認識の徹底へ 文山郡、米英擊滅推進隊を結成 |
14 | 國民勤勞動員所の 運營狀況を檢明 一日、監查規程を公布 |
15 | 明確なる認識票 花蓮港市民の携帶要望 |
16 | 訓練の效果顯著 基隆市の適格青年 |
17 | 忌明に献金報社消息 |
18 | 救護技術を向上 花蓮港で競技大會開く |
19 | 海軍武官府で拾ふ献金佳話 |
20 | マラリヤ防遏所 新竹州下五ケ所增設 |
21 | 綾部宜蘭郡守着任 |
22 | 職場への進出著し 屏東高女卒業生 |
23 | 蘭陽高女卒業式 |
24 | 海山郡保正會議開く |
25 | 鐵道部人事異動 |
26 | 人事消息報社消息 |
27 | 警備手當を献金 |
28 | 桔俱を擴大強化 適格者の全員加入目指し |
29 | 國方報道部長 本社を訪問報社消息 |
30 | 企業整備事務擔任者鍊成會終る |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 決戰生活に切換へ 八日、實踐運動を展開 高雄州 |
02 | 徵兵協力部を新設 嘉義奉壯支團の徵兵對策 |
03 | 小さい鍬で敵擊滅 臺中市少年團增產農場開設 |
04 | 集集街方委月例會 |
05 | 全員合格目指し 屏東郡海志を訓練 |
06 | 屏東市奉壯の總會 |
07 | 高砂義勇隊員嘉義歸着 |
08 | 特殊作物の飛躍的增產 臺南州最善の方途を講ず |
09 | 稅制改正趣旨の宣傳 桃園稅務出張所 |
10 | 軍事之栞 恩賞の制度(二) 恩典の一般について |
11 | 敵擊滅に巢立つ學童休日なし 十五日一齊に市長が訓示 |
12 | 組合員の國語演習會開催 板橋街で |
13 | 草屯街葬嚴かに執行 |
14 | 國幣社列格の嘉義神社 きのふ日供祭を執行 |
15 | 戰ふ街庄協議會 |
16 | 從軍記念幹部懇談會 十九日臺南州で |
17 | 米穀增產に新手 除草施肥の共同作業團現はる |
18 | 曾文郡諸農事團體の解散 功勞者を表彰 |
19 | 曾文郡下各學校卒業式 |
20 | 健兵を送る北斗郡 近く二、三部團員を鍊成 |
21 | 赤誠の献金 屏東華僑公會副會長 |
22 | 二百卅二學級增加 新年度の嘉義市內國民校 |
23 | 仇敵擊滅に擧街總近軍 鶯歌街で辯論大會 |
24 | 公務員らを鍊成 臺南州新年度に豫算計上 |
25 | 中壢郡菓子小賣商組合定期總會 |
26 | 散華の英靈に香華料 桃園華僑公會 |
27 | 榮の優良青年團 海豐崙青年團選獎さる |
28 | 煙草耕作優良組を表彰 鳳山郡で |
29 | 地方多より |
30 | 屏東高女に幼稚園 近く開園の見込 |
31 | 新化郡下各學校卒業式日割 |
32 | 基隆の映画 |
33 | 新竹の映画 |
34 | 高雄の映画 |
35 | 今日の映画演劇 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 地域綜合經濟團體 商工經濟會近く發足(上) その性格と使命を觀る |
02 | 二十年期の產糖 督府近く方針決定 |
03 | 鐵道現場所長會議 きのふ鐵道部で開く |
04 | 內地清酒、ビール 明年度移入は四割減 |
05 | 州下重點工場の 工員收容施設 產奉主催で懇談會開催 |
06 | 照明燈 |
07 | 水稻多收穫 競作會審查報告 |
08 | 臺灣肥料配給組合 臺灣農業會に吸收 |
09 | 商況(二日) |
10 | 文化 高級娛樂の停止 自覺しない人達を突止めよ/張文環 |
11 | 演劇の面白さ(中) 鐘聲劇團の試演會を觀で/簡國賢 |
12 | ラジオ |
13 | 日本人の死生觀(中)/滋賀多喜雄 |
14 | この怒り/齋藤勇 |
15 | 興南詩苑漢詩 面會兒子高弘/文訪、輓游見龍社兄/吳醉蓮 |
序號 | 標題 |
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01 | 擊墜破四百七機 陸軍部隊の綜合戰果(二月) |
02 | 魚雷を抱いたまま 艦腹めがけて自爆 トラツク島邀擊戰詳報 |
03 | 東方カロリン群島方面に 敵有力機動部隊あらはる |
04 | 戰時金融金庫總裁に 大野副總裁が昇格 |
05 | 勤勞の緊急方策 重產協議會三意見を建議 |
06 | 反樞軸伊作戰の真意 ネツトウーノに見る敵の謀略/下條雄三 |
07 | 時を失ふな/肥後和男 |
08 | 圖像:印度洋を睨んだ○○海岸我が砲陣 |
09 | 米國政府も 對土輸出禁止か |
10 | 赤軍の攻勢 早くも頓挫 |
11 | コルシカ島を砲擊 獨輕艦隊が |
12 | 米空軍柏林を攻擊 |
13 | 伊艦隊の處分 米英ソで山分け |
14 | 決戰輸出に萬全の措置 具體案作成を急ぐ |
15 | 不斷の肅清續行(大陸戰況) |
16 | 米英會談開催に決定 |
17 | 東部戰線戰況 |
18 | 赤軍バルト突入に必死 |
19 | クリミア攻勢準備に鐵鎚 |
20 | 獨軍の突擊隊 伊戰線で活躍 |
21 | 反樞軸軍の暴狀を非難 法王廳機關紙 |
22 | 增產戰士の健康診斷 |
23 | 花架工場進出 |
24 | 海軍使り放送 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 鬪魂載せて羽搏く 單機、敵の心臟部へ 哨戒に明け暮れの濠北 |
02 | 戰ふ衣食住一堂に あす決戰生活展開幕 |
03 | 發火物を包藏 敵米勞働爭議の實相 |
04 | 戰ふ女“憩ひの家” 獨逸の挺身隊宿泊所 |
05 | 海鷲に聽く航空決戰(三) 食事も就寢も翼の下 言語に絕す前線の勞苦 |
06 | 肉豚の大增殖へ 五分埔に養豚場設置 |
07 | 獨逸總統の官房 十四人世帶で切廻す |
08 | 海洋陣地の華(三)/挺身船舶兵 |
09 | 日曜返上を申合 銀行組合の決戰執務 |
10 | 藤繩が出現 強軔にして重寶 |
11 | 宜蘭郡街庄長打合會 |
12 | 二千圓献金 |
13 | 高校第一次合格者四日發表 |
14 | 基隆信組で物故役職員追悼會 |
15 | 人事消息 |
16 | 今晚の放送 |
17 | 商況(四日) |
18 | 食糧增產の女子 挺身隊には參加しない |
19 | 新竹中卒業生献金 |
20 | 北二女卒業式 |
21 | 英鐵道備品 盜難破壞頻頻 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵潛十一隻擊沈 海軍艦艇陸海荒鷲一、二月中の戰果頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(昭和十九年三月三日十六時) 帝國海軍艦艇並に陸海軍航空部隊は一、二月の兩月中日本近海其他作戰海面に於て敵潜水艦十一隻を擊沈せり |
02 | 渺渺たる海洋に 微かな點を發見 對潛艦部隊の勞苦言語に絕す |
03 | 配屬將校輔佐の指導員養成 |
04 | 金融機關も日曜休日廢止 |
05 | 百倍の敵と交戰 津勃地區で三勇士玉碎 |
06 | スチルウエル 重傷を負ふ フーコンで重慶軍督戰中 |
07 | 兒童への學校給食 空地の徹底的利用 非常措置發表 |
08 | “時”を最高度に活用 鐵道局長會議五島運通相訓示 |
09 | 墜されても墜されても 晝夜を分たぬ來襲 前線基地○○島の激戰記 |
10 | 底知れぬわが戰力 アラカン悲劇の再現で實證 |
11 | ソ聯の提案を拒否か 芬蘭政府が |
12 | 對日攻勢の基地を建設 米造船局長言明 |
13 | 勞務賃銀規定解說 |
14 | 東西時事 重慶の鑫說 |
15 | 獨國民必勝の信念搖がす |
16 | 建築物疎開を促進 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 商工經濟會の發足社說 一 本島商工經濟會は州廳を地區とする州廳商工經濟會と州廳經濟會の上に立つ連絡機關たる臺灣商工經濟會との系統に於て近く設立されることになつたが經濟會は改めて言ふ迄もなく決戰下國民經濟の總力を最大限效率に發揚せしめるべく政府の立案實施せんとする國策の遂行に挺身協力することを以てその指導精神とするものである。從つてそれは自由主義經濟の所產たる商工會議所の如くに專ら商工業の改善向上にのみ努力するわけには行かずむしろ行政官廳と表裏一體をなして產業經濟運營の圓滑なる連絡を圖ることをその主要使命としなければならない。勿論商工會議所とて過去商工業の改善向上を圖ることによつて間接的に國家經濟の進展に貢献はしたけれどもそのままの機構では統制經濟の强化に伴ひ稍稍もすれば經濟國策への協力にかくるところがないでもなかつた。この為に商工會議所の機構改革が取上げられた結果地域綜合經濟團體たる商工經濟會の設立を見るに至つたわけであつて國策に應ずる協力體制たるところに商工經濟會の根本性格があるものと謂はねばならない。しかし經濟會はもともと商工會議所より胚胎されたものである限り會議所の本質的目的たる商工業の改善向上への働きをも當然その目的の一つとしなければならないがと言つてもそれは私經濟的の意味ではなく國民經濟の總力發揮上必要なる產業經濟の改善向上であるべきこと更に論ずる迄もない。ところが產業經濟といつてもその範圍は甚だ廣汎であるのでいくら地域綜合經濟團體だとはいへそこには自ら經濟會の活動すべき分野が限定されなければならず商工經濟會の名稱が示す如くに商工行政が對照とする俠義の產業經濟に限定される他はなからう。商工經濟會令に於て經濟會活動の地盤となる業態を商業、交易業、工業、鑛業、金融業、電氣事業、交通運輸業、土木建築業と規定してゐるのは正にこの故に他ならない。 二 ところで商工經濟會は外延的並に內包的に會議所より著しく擴充されてゐるが之は前記の如く行政官廳と表裏一體的に協力する地域綜合經濟團體たる性格に基くもので外延的に見れば地區が市より州廳に擴大されてゐる。蓋し商工經濟會は地域組織なるが故に地方行政組織を無視するわけには行かず此點は會議所の過去に就て見れば略略理解が出來るであらう。しかし地區が著しく擴大されると州廳經濟會の事業も廣汎に亘るので勢ひ下部組織の整備を必要とするが此場合には地區內の必要なる地に支部を設置しその地區內の生產經濟一般の改善向上を圖らしめる等經濟會の事業の一部を分掌せしめ得る方法がとられてゐる。勿論支部設置の地區は從來の商工會議所の地區たる市のみに限定する必要はなく夫夫の實情を十分に考慮の上適當に決定される他はなからう。內包的にはどうか、經濟會が地域綜合經濟團體たる性格に鑑み律令では個人、法人の外に關係團體の加入をも認めてゐるがこれにより中小企業の統制組織たる商工組合をも傘下に收め得るのみならず產業經濟の總力總揮上必要ありと認められるものを悉く網羅し真の總力發揚に遺憾なき體制が確立されるものといつてよい、而も經濟會は會頭の指導の下に一元的にその事業を遂行する建前をとつてゐるがこの點は會議所とも著しく趣を異にしてをりそれ丈に會頭其他の役員にその人を得るや否やは經濟會の運營に多大なる影響を及ぼすもので役員の任命は殊に慎重でなければならない、役員たるべきもの亦經濟會の使命を十二分に認識し苟しくも會議所時代にまた見られる商業貴族的な氣持を抱くことなきよう戒心すべきである、商工經濟會がよく行政官廳と表裏一體的に國策に協力し得るや否やは會員もさること乍ら一にかかつて役員の適否にあることを經濟會の發足を控へた此際特に强調せざるを得ないのである、 |
02 | さの掉尾の貯蓄戰 四億突破へ總努力 頑張れ・三月中に二ヶ月分を |
03 | 旭日設けて推進 臺北州の總突擊運動 |
04 | 北三中卒業式 |
05 | 南北署に拾ふ献金佳話 |
06 | 輿論指導に萬全 きのふ臺北州弘報委員會 |
07 | 戰時思想文化委員會 規程と委員の顏觸 |
08 | ジヤカルタ原住民の軍隊教練 |
09 | 地域組合の分 基隆市、更に一段の努力へ |
10 | 夢にみる敵機擊墜 國軍飛行隊の雛鷲 滿洲建國十二年(三) |
11 | 病院船の不法射擊 天人俱に許さぬ所業 |
12 | 徵兵制度施行對策 臺北州十五日委員會を結成 |
13 | 陸軍諸學校受驗心得 今度は學科試驗が先き |
14 | 藤田憲兵中尉榮轉 |
15 | 日婦賞狀賞詞傳達式 |
16 | 陸軍兵事部で雇員小使募集 |
17 | 人事消息報社消息 |
18 | 挺身巡回治療班 新竹州の醫者が一役 |
19 | 臺北中學卒業式 |
20 | 臺北州下中學校入學志願者 |
21 | 一人一日七勺 ヨイコドモへの給食決る |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 純真な學童が一役 奉公運動の趣旨徹底に |
02 | お百姓さんに感謝 勞務者らが勞銀の一部を醵出 |
03 | 四億貯蓄の達成 臺中市推進方法を協議 |
04 | 西湖街農業會開廳式 |
05 | 慰勞出張の廢止 高雄州皇奉、官公衙に呼ひかく |
06 | 納稅の優良部落を表彰 潮州管內 |
07 | 入營記念に献金 |
08 | 軍事之栞 恩賞の制度(三) 從軍記章と賜金 |
09 | 婦人層に時局講話會 後龍庄で開く |
10 | 具體的事項を協議 臺南州の企業整備準備□捗 |
11 | 淡中卒業式擧行 |
12 | 曉に奇襲し激勵 高原知事砂利採取の青年達を |
13 | 基督教信者の献金 |
14 | 臺南州各市郡の豫算 初等教育費が第一位 |
15 | 軍關係の志望大部分 嘉中卒業式擧行さる |
16 | 地久節奉祝母の會講話會 彰化市日婦で |
17 | 北斗郡皇奉の新役職員 |
18 | 羽搏く“彰化市號” 皇奉支會常會で可決 |
19 | 感恩蹶起の運動 陸軍記念日に適格青年を動員 |
20 | 種苗を無料配布 高雄州のツヅラノジ增產計畫 |
21 | 彰化の孔子祭典 |
22 | 貯蓄券お目見得 高雄市、主旨の徹底を圖る |
23 | 中壢水利組合評議員會 |
24 | 新生ジヤワの學徒(一) 新ジヤワ學徒の誓 |
25 | 國民鍊成騎道大會開く |
26 | 結婚報國運動に拍車 高雄市皇奉積極的に退盡 |
27 | 闇は銃後の恥 嘉義署取締を強化 |
28 | 潮州街分會の三月常會 |
29 | 雜纖維加工業者組合の臨時總會 彰化市で |
30 | 生產者の販賣可能數量 臺中州主要食糧に對し限度制定 |
31 | 海志家族を招待懇談會 |
32 | 木材、薪炭功勞者を表彰 |
33 | 北港郡扱の國防献金 |
34 | 淡水、三芝兩茶業會社總會 |
35 | 鄉軍武術大會 彰化市民廣場で |
36 | 地方多より |
37 | 全力を盡す 庄司出待事務局長語る |
38 | 楊梅街日婦の國防訓練查閱 |
39 | 川口警察部長 彰化を初巡視 |
40 | 興南案內報社消息 |
41 | 基隆の映画 |
42 | 新竹の映画 |
43 | 高雄の映画 |
44 | 今日の映画演劇 |
45 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 英印七師殲滅戰果 敵遺棄屍七千、俘虜六百頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(昭和十九年三月四日十五時三十分) ブチドン正面における英印軍第七師團殲滅戰の戰果中現在迄に判明せるもの次の如し 遺棄死體約七千(內英人少くも三千)俘虜約六百、鹵獲又は破壞せる兵器、十糎加農及び十五糎榴彈砲二十一門、高射砲六門、迫擊砲三十四門、速射砲三十門、銃器千九百五十挺、戰車四十五輛、自動車六百六十輛、舟艇十七隻、擊墜せる飛行機六十二機、その他兵器彈藥、被服等多數 |
02 | 歸還の五提督に 拜謁仰せつけらる |
03 | 典型的の殲滅戰 引續き殘敵を掃蕩中 |
04 | ラバウル來襲熾烈 一週間に八百七十六機 週間戰況 |
05 | 米英蔣の反攻企圖 完膚なく打ち碎かる |
06 | ヤルート島とポナペ島來襲 |
07 | 圖像:酷寒と戰ひ物資搬送の勇士 |
08 | 高田海軍司政長官 拜謁仰せ付けらる |
09 | マリアナ洋上決戰記 必殺の魚雷を發射 敵艦火達磨に包まる |
10 | 形容を絕す“航空戰” 二月來襲二萬一千餘機に上る |
11 | トングバザー無血占領の戰果 |
12 | 敵早くも內輪揉 |
13 | 日曜休日を返上 全島の郵便局も實施 |
14 | 敵側の發表 アラカン戰況 |
15 | 會議派領袖の收容地を發表 |
16 | 瑞典の出版界 |
17 | 東西時事 ユダヤの祖國 |
18 | 抑留者の狀況滿足 萬國赤十字社上海代表の報告 反樞軸側のデマ宣傳を粉碎 |
19 | 英最重爆彈使用 |
20 | 航空機用戰時型工作機械 試作完了表彰式を擧行 |
21 | 獨軍最新銳の爆擊機を使用 倫敦爆擊に際し |
22 | 外相、外交團を招待 |
序號 | 標題 |
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01 | ビルマ奪回の夢 根底から粉碎爆破 奇襲に輝く勝利の記錄 |
02 | 學校即工場 若人の非常措置 技術員養成所を觀る |
03 | 總督代理戰歿者遺族弔問 |
04 | 國民動員緊急對策 臺北州市郡主任打合會 |
05 | 總額一千四百萬圓 花蓮港廳の貯蓄目標 |
06 | 無敵海軍への感謝献金 |
07 | 英帝國の衰ふる道 對外勢力次第に失墜 |
08 | 土臺を蝕む米國 |
09 | 歸還看護助手團 臺北州、あす結成式 |
10 | 滿洲建國十二年(四) 興農第二建設へ |
11 | 米、慰問文に警告 |
12 | “戰ふ女性”を送る記錄映畫 六日に試寫會 |
13 | 呼ひ物は“竹の家” 決戰生活展けふより開幕 |
14 | 濠洲で焚火嚴禁 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 東勢號を二機 仇敵擊滅に郡民總進軍 |
02 | 必勝戰役を昂揚 臺南州各地で講演會 |
03 | 製腦技術講習會終る |
04 | 義勇隊の忠靈塔 十五日除幕式を執行 |
05 | 氣慨米英を吞む 嘉義で海志の銓衡行はる |
06 | 適格青年曉天動員 臺南州陸軍記念日の□行事 |
07 | 新化街通常協議會終る |
08 | 屏東郡の國民貯蓄打合會 |
09 | 斗六郡下諸學校の卒業式 |
10 | 軍事之栞 恩賞の制度(四) 扶助料と特別賜金 |
11 | 勝ち拔け貯蓄戰も 高雄州の新年度貯蓄額決る |
12 | 官吏が率先垂範 高雄州の決戰生活運動 |
13 | 新生ジヤワの學徒(二) 中學校 |
14 | 新豐郡警察課定期召集 |
15 | 謝恩會費で献金 嘉義中學卒業生の美學 |
16 | 劇“銀の御楯”を上演 師弟を繞る航空報國の實話を 高雄市東園國民校で猛練習 |
17 | 造船用の龍眼樹 臺南州、確保に快速調 |
18 | 竹材製品製造業組合聯合會 設立總會開く |
19 | 沙鹿街長に平田虎男氏任命 |
20 | 貯蓄目標へ突進 地域職業別に懇談會開く |
21 | 屏東の人殺し |
22 | 逞しい運動展開 屏東市の生活決戰實踐 |
23 | 托兒所のお子さんに 玩具や繪本を贈りませう |
24 | 餘剩勞力で戰力增強 高雄市勤勞挺身隊 |
25 | 楊梅街の增產挺身隊插秧開始式 |
26 | 國民貯蓄の時機調查 高雄市で |
27 | 屏東中學の卒業式擧行 |
28 | 地方多より |
29 | 高雄州弘報委員會 七日に發令式擧行 |
30 | 高雄市支會の弘報委員發令 |
31 | 基隆の映画 |
32 | 新竹の映画 |
33 | 高雄の映画 |
34 | 今日の映画演劇 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺銀券の膨脹顯著 貯蓄獎勵の働くべき分野 |
02 | 肥料配給の一元化 食糧增產への寄與期待 |
03 | 貯蓄券愈よ登場 決戰生活展覽會場にて賣出開始 |
04 | 棉花と小麥の調整 |
05 | “土地と努力が第一” 甲當り百二十石の殊勳者を 足立臺大教授が訪問 |
06 | 新化郡消費米配給組合總會 近く解放の豫定 |
07 | 臺灣水產會廿三回總會 |
08 | 國家資金計劃成る 十九年度の運用方針 |
09 | 水產行政の徹底 漁組中堅人物鍊成會開く |
10 | 臺北州香花組合 七日、解散總會 |
11 | 照明燈 |
12 | 島內株仲值表 |
13 | 文化 臺灣研究の意義(中)/田井輝雄 |
14 | 戰地の兄へ/西山かが代 |
15 | 俚謠 皇軍慰問 |
16 | 川柳 決戰生活種種相 |
17 | 興南詩苑漢詩 訪平遠山莊主人家齊學兄/少濤、次郭茂松兄見寄原玉/高文淵、偶作/高文淵、保正辭任感賦/鷺洲 陳上九、保正辭任感賦 二/鷺洲 陳上九 |
18 | ラジオ |
19 | 戰爭と血液型(上)/丸山豊登 |
序號 | 標題 |
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01 | 東久邇宮殿下台臨 陸大專科の卒業式 |
02 | 臺灣決戰非常措置 戰力增強に集中 實施要綱發表さる |
03 | 南部日大校友會名簿整理 |
04 | 國民生活切下の要請/中村三之丞 |
05 | 圖像:東部戰線で活躍する獨軍對戰車砲隊 |
06 | 外廓團體を統合 各知事、廳長に通牒 |
07 | 裏切政權の末路 イタリア艦隊山分けさる |
08 | 第十五機擊墜 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇后陛下の御仁慈 結核豫防事業に畏き思召 |
02 | 小泉厚相謹話 |
03 | 皇室の彌榮祈願 地久節日婦の奉祝行事 |
04 | 決戰下の產業組合 けふ功勞者を表彰 |
05 | “本物より立派だ” 長谷川總裁生活展へ |
06 | 貯蓄增強優勝組合 |
07 | 海洋陣地戰の華(四)/挺身船舶兵 |
08 | 天機並に豫機嫌奉伺 長谷川總督、電報を奉呈 |
09 | 新穀田の田植祭 中壢街齋場で執行はる |
10 | 海鷲に聽く航空決戰(五) 老も女も戰士たれ 一億擧げて七年報國 |
11 | 徹底的に解散 臺北州の既設農業團體 |
12 | 貯蓄增強功勞者 |
13 | 決戰生活の徹底 兒童を通じて家庭へ 高雄州支部で懇談會開催 |
14 | 今月の常會 國方少將が講演 |
15 | 戰ふ日婦の真姿 基隆市各區の查閱 |
16 | 大南公記念祭行事 |
17 | 精勤女工員表彰 |
18 | 基隆市民の血液型檢查 |
19 | 巢立つ“小國民” 島都に八千二百余名 |
20 | 臺北高商合格者 |
21 | 小柳州商工課長のお目出度 |
22 | 人事・消息報社消息 |
23 | 今晚の放送 |
24 | 梅谷總務部長 基隆を初巡視 |
25 | 滅敵士氣を振作 陸軍記念日に曉天動員 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 天皇陛下 海大卒業式に親臨 大本營海軍部に御立寄り頭條新聞 【東京發同盟】大元帥陛下には五日畏くも海軍大學校に行幸あらせられ大東亞戰爭下海軍最高の戰術研鑽を終へた海の精銳の卒業式に親臨、還幸の御途次大本營海軍部に御立寄りあらせられ愈愈悽愴苛烈を極める現戰局下帷幄に參劃する諸員と親しく犒はせ給ふた、大東亞戰下御二度目の行幸であり政務御多端の折柄聖慮の程誠に畏き極みである、この日陛下には蓮沼侍從武官長陪乘松本富相、百武侍從長以下供奉の略式自動車鹵簿にて午前十時二十分宮城御出門、御順路を海軍大學校に行幸、嶋田海相、吉田海軍大學校長以下の奉迎を受けさせられて同十時四十分海大着御、一旦便殿に入御、嶋田海相、吉田海軍大學校長以下に單獨拜謁を仰せつけられ次いで玉步を甲種學生講堂に運ばせ給ひ有資格者に列立拜謁を仰せつけられた後更に卒業式場に臨御あらせられた、畏くも 陛下を咫尺の間に奉拜した大學生一同恐懼感激する裡に晴の卒業式に移り吉田校長から卒業生に對し敎程終了の申渡しが行はれ御下賜品は中村侍從武官から榮ある優等卒業生甲種學生小牧一郎(三重照)吉岡忠一(鳥取縣)、機關學生續平(熊本縣)の三海軍少佐に傳達されて嚴肅なる裡に感激に充ち滿ちた卒業式は終了 陛下には同十一時十五分諸員奉送に同校發御同十一時三十分霞ヶ關の海軍省に着御高松宮殿下を始め奉り嶋田軍令部總長以下諸員の奉迎を受けさせられ大本營海軍部に御立寄りあらせられた嶋田軍令部總長御先導にて便殿に入御高松宮殿下に御對面の御後嶋田軍令部總長の所管事項奏上を御聽取あらせられた斯くて正午御晝餐室に臨御 高松宮殿下にも御臨席、嶋田軍令部總長、永野元帥、及川海軍大將、吉田海大校長以下海軍省軍令部幕僚等四十名に對し有難き御慰勞の思召を以て午餐の御相伴を側せつけられ一同光榮に恐懼し奉る裡に 陛下には午後一時五分諸員奉送「君が代」奏樂裡に同部發御 天機御麗しく宮城に還幸遊ばされた決戰下畏くも 聖駕を迎へ奉った光榮に只管感激全海軍將兵は必勝の決意を更に更に固くしたのであった |
02 | 敵兵站主力を奇襲 單身後方連絡任務を完遂 三谷兵長の奪戰記 |
03 | 敵彈雨飛の中に突入 御旗ケ丘高地を占領 |
04 | 新穀米の田植祭 |
05 | 官廳の執務 閣令として公布 |
06 | 陸軍作戰記錄畫を御巡覽 畏し皇軍の勞苦を偲ばせ給ふ |
07 | ビルマ明年度の 豫算閣議で決定 |
08 | 密林で死鬪二晝夜 敵の退路を押へ陣地を死守 |
09 | 敵十機を擊破炎上 遂川、衡陽に夜間爆擊 |
10 | 英國の恫喝に 土國政界冷靜 |
11 | 精進刻苦の一年誓ふ 國內展望 |
12 | 圖像:イギリス第七師を殲滅殘敵掃蕩中の皇軍 |
13 | ベルリン爆擊 |
14 | ドイツ北部で二十一機擊墜 |
15 | 米四十機喪失を認む |
16 | 英空軍も柏林を盲爆 |
17 | 赤軍の猛攻を粉碎 東部戰線中南部地區の戰況 |
18 | 東部戰線で獨軍善戰 |
19 | 赤軍大部隊を包圍殲滅 |
20 | ローマを無差別盲爆 |
21 | ヨイコドモの赤誠献金 |
22 | 國際展望 |
23 | 米對亞國交を停止 |
24 | 米國務次官言明 |
25 | 獨長距離砲活躍 伊戰線の戰況 |
26 | 總督府人事異動 |
序號 | 標題 |
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01 | けふ地久の佳節 尊くも提き御仁慈の數數に 民一億齊しく感激 |
02 | 戰線越えた恩情の發露 皇軍の情にほろり 麗し道義中國民心を打つ |
03 | 勝利の日まで働き拔くんだ 各大臣陣頭で敢鬪 休日なしの日曜返上第一日 |
04 | 決戰へ擧島總汗鬪 休みなんぞ勿體ない |
05 | 一死以つて報國 島都奉壯の曉天動員 |
06 | 海鷲に聽く航空決戰(四) 銃後よ、奮起せよ 工員科學者の志願へ |
07 | 觀て直ちに役立つ 決戰生活展、物淒い人氣 |
08 | 奉公班に皇民塾 花蓮港市の國民皆用運動 |
09 | 崑崙丸遭難者 追悼法要嚴修 |
10 | 增產の隘路打開 基隆市で農事懇談會 |
11 | 白衣の勇士を心から慰問 花蓮港市音樂奉公團 |
12 | 銅像が應召 新興國民校 |
13 | ラジオ |
14 | 宜蘭市華僑公會定期總會 |
15 | 港都青年訓練查閱 |
16 | 熱烈舌端火を吐く 基隆市の青年辯論大會 |
17 | 婦人の覺悟を促がす 新竹の時事講演會竹內中佐が強調 |
18 | 出征軍人遺家族慰安會 |
19 | 宜蘭で藝能公演會開く |
20 | 貯蓄券の街頭賣出し 班常會で打合 |
21 | 訃文:黃陳氏鳳 |
22 | 興南案內報社消息 |
23 | 基隆の映画 |
24 | 新竹の映画 |
25 | 高雄の映画 |
26 | 今日の映画演劇 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 我戰鬪機隊の至寶 故障機驅つて阿修羅の奮戰 壯烈・故澤田中佐の戰鬪詳報 |
02 | 米洲連帶主義破綻 アルゼンチン承認繞り |
03 | 圖像:ヴアルガス駐日比島大使記者團と會見 |
04 | 大東亞建設の展望 |
05 | 米搭乘員一千名を喪失 柏林、軍事施設被害なし |
06 | 舊波蘭西方で激戰 東部戰線南部の戰況 |
07 | 圖像:歐州空の戰線を壓する獨空軍の勇姿 |
08 | 相次で英を無視 米の措置、英と相談なし |
09 | 戰時議會の回顧/渡邊幾治郎 |
10 | 米機百八を擊墜 べルリン上空侵入に先立ち 獨空軍邀擊、熾烈な空戰 |
11 | 七十九機喪失を自認發表 米空軍司令部 |
12 | 獨大本營發表 |
13 | 獨軍當局言明 |
14 | 航空至上の認識/室伏高信 |
15 | 英國の炭礦 危機に逢着 |
16 | 英軍雷擊機隊 瑞典船を擊沈 |
17 | 生產管理と勤勞管理 |
18 | 本末の顛倒/伏見猛彌 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺灣農業會 けふ設立總會開く 愈よ十二日頃から新發足 |
02 | 食糧、軍需農產物の 一大飛躍的增強へ 齋藤設立委員長挨拶 |
03 | 產業戰士の苦心談 九日公會堂で座談會 |
04 | 防空體制を強化 全島兵事防空課長會議開く |
05 | 第八期入所式 海洋青少年養成所十七日に擧行 |
06 | 基隆信組物故役職員追悼會 |
07 | 新生ジヤワの學徒(三) 家政女學校 |
08 | 野菜配給を語る 今夜座談會を放送 |
09 | 譽れの遺兒廿九名 廿七日護國神社に參拜 |
10 | 鬪魂火と燃ゆるビルマ幹部候補生 |
11 | 料亭保健寮に轉身 |
12 | 長野乙女工場へ |
13 | 飛行場献納資金 各團體より申込陸續 |
14 | ソ聯軍を惱ます 獨の巧妙な地雷戰術 |
15 | 遺族を弔問 松山總務部長 |
16 | 工業新竹州の飛躍へ 重點產業の隘路打開に 特別委員會設置 |
17 | 基隆商議役員會 |
18 | 山口縣で猪退治 |
19 | 決戰生活の推進(上)/榊原平八 |
20 | 演藝慰問會 |
21 | 業者並消費者の 希望意見を聽く 各公設市場で常會を開催 |
22 | 潮州郡の決戰生活實踐運動 |
23 | 競爭率二・三人強 高雄各中等校の入試 |
24 | 南部日大校友會名簿整理 |
25 | 共榮圈短信 セレベス體育振興會發會 |
26 | 日安南女性親善 |
27 | 學童の寄生蟲驅除に乘出す |
28 | 現地民官吏戰時服務規律 |
29 | 商況(七日) |
30 | 望む婦人の蹶起 指導者婦人懇談會開く |
31 | 貯蓄勸獎座談會 けふ臺中信組で |
32 | 產奉組織を打合 彰化市で |
33 | 彰化工科卒業式 |
34 | 潮州郡華僑公會定期總會 |
35 | 今晚の放送 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | わが戰果更に激增 第七師文字通り潰滅頭條新聞 【ビルマ前線○○村川陸軍報道班員發】ブチドン前面に出擊し來った英軍第七師擊滅作戰は去る二月四日のマユ河畔における敵中等貫突破に始ってより僅か二旬、シンセイワ盆地に追ひ詰められた敵殘有主力の包圍潰滅に依て殘敵掃蕩戰に移り「シンセイワの悲劇」現出してゐる現在までに判明した綜合戰果は 遺棄死體七千(內英兵少くとも三千)俘虜六百他にインド國民軍に參加せるインド兵多數鹵獲品、速射砲、迫繫砲十一、重輕機九十六、その他自動小銃、拳銃、彈藥、被服、馬匹等牧擧に遑なく破壞せる十糎加農及び十五糎榴彈砲二十一、迫擊砲二十三、速射砲二十、高射砲六、戰車四十五、自動貨車六百六十、舟艇十七、その他小銃、彈藥多數と云ふ尨大な數に上ったがこれは戰鬪の推移間にわが軍將兵の獲得したもののみにしてこの外遺棄死體、鹵獲品には未だ收容しない物多數あり實際の數は更に尨大な量に達する見込みである、これを昨春のアラカン作戰に比すれば鹵獲品も略相匹適してをり遺棄死體においては優に千八百、俘虜においては八十四を增加してをる、敵はこの何物にも代へ難い敗戰の痛手を隱蔽せんとして盛に悲鳴に近いデマ放送に依りアラカン方面英印軍の勝利宣傳に力めてゐる事實はこの戰果が示す如く第一次「アラカンの悲劇」の英印第十四師團と同樣に第七師は潰滅し去ったのであり僅か二十日間に擧げられた戰果をしては實に驚歎すべきものである、この外未だ確認得ざる敵に與へた有形無形の損害を考へる時第七師團は文字通り潰滅されたものである、敵が如何に物の量を恃んで不逞の野望を遂げんとしてもわが鐵桶の防衞陣は微動だもしないのみか却て自ら日本軍の絕妙な作戰の前に殲滅の運命を喫する事を今こそ思ひ知ったであらう、敵にとって第七師の喪失はビルマ反攻の企圖に終止符を打ったのでその打擊は實に深刻なものがあらう |
02 | シンゼイワの悲劇 敗殘敵掃蕩戰を展開 |
03 | 皇軍獨自の戰略 英週刊雜誌の報道 |
04 | 圖像:戰友の歡迎裡に出擊の陸鷲 |
05 | 武勳赫赫の國民軍 我精銳に劣らぬ勇敢 |
06 | 決死の超低空夜襲 ニ島に戰ふ陸の荒鷲 |
07 | 陸鷲マラワサ進攻 敵十七機を擊墜破 |
08 | 米軍、不滿を表明 |
09 | 米英の意見對立 英國民報道に接し愕然 |
10 | 重慶の行路多難 イギリス紙に論文發表 |
11 | 蓖麻栽培報國運動要綱決る |
12 | 敵、敗戰糊塗に躍起 臆面もなくデマ放送 |
13 | 日滿若人の集ひ 興亞交驩懇談會開く |
14 | UPの專用線を停止 アルゼンチン政府 |
15 | スエズ地方騷擾止まず |
16 | 獨軍戰況公報 |
17 | 赤軍シエペトフカで新攻勢 |
18 | 協和少年行動、隣組を編成 |
19 | 原住民婦人會結成 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 農機具配給一元的の要 農業會で統制すベし社說 島內に於ける農機具の配給は現在臺灣農機具統制會社を中心として臺灣農會、州廳農會、配給組合商人又は產業組合の諸機關を通じて農民へ配給されてゐるが、其の複雜な配給機構と高率な手數料を以て一般農民の負擔を加重してゐるのみならず、トンネルが餘りにも多數であるために農民所要の農機具を迅速適確に配給する事が出來ず、それがために食糧增產の一隘路となつてゐる事は周知の通りである。最近農會と產業組合の合併によつて其の配給方法がいくらか簡素化になるであらうが、此の際思切つて營利的商業機構を排除して公務的性質を帶びたる臺灣農業會で一元的に配給統制をなす事は統制經濟進展の歸着するところでなければならない。現に內地に於ては肥料の配給が從來の農會、產組、商業組合の配給系統を新農業團體たる全國農業經濟會に統一する事となつたのであるから、本島に於ても肥料配給が臺灣農業會一元的統制を為す事となり同時に農機具も同じ系統を以て一元的に統制する事は單に手數料を輕減して農民の負擔を少なくするのみならず、適正迅速に配給の合理化及び簡素化を期する所以であらうと信ずる。依つて臺灣農機具統制會社は製造のみに專心すべきであると共に同社の經營に對しても根本的改革を斷行する事が出來るのである。臺灣農業會の新出發に際して先づ此の問題の解決を提唱せざるを得ない。 |
02 | 社說 貯蓄獎勵と臺銀券回收社說 昨年以來臺銀券の發行高が異常な增加を來した事は蓋し注目を要すべき現象である。卽ち昭和十二年以來每年平均二三千萬圓乃至四千萬圓しか增加しなかつた臺銀券が昨年となつて平均六千萬圓以上の膨脹となり、本年となつてからは一月中の發行高が平均四億千五十六萬四千圓となり、前年一月中の平均二億七千九百九十八萬六千圓に比し一億三千五十七萬八千圓の膨脹となり、卽ち四六%六の增加率を示した。二月廿一日の如きは遂に四億三千萬圓を突破して四億三千十五萬二千圓の新記錄へ躍進し、前年同日の二億九千五十五萬八千圓に比し一億三千九百五十九萬四千圓の增加であり、其の增加率が四八%となつた。尚三月二日の發行高が四億二千六百四十六萬七千圓であり、前年同日の二億八千三百四萬三千圓に比し實に一億四千三百四十二萬四千圓の增加にして其の增加率が五割を越えて五◯%となり注目に値ひすべき狀態となつた。勿論決戰下の豫算大膨脹を背景とする臺銀券の膨脹は日銀券と同樣に別に異とするに走らないが、之を出來るに抑壓するにあらざれば、インフレ昂進の契機とならないとも限らないから此の際貯蓄奬勵によつて其の回收を策する事は刻下の緊急事であらねばならない。銀行券四億三千萬圓を言へば六百五十萬人の島民で頭割れば老少とも平均一人六十六圓の現金を所持する事となり、何う見ても必要以上の金額であり之を壓縮する事が取りも直さず貯蓄增强の最捷徑であらうと思はれる。されば財務及金融當局に於て銀行券死藏の所在をよく調查しそれを突止め其の回收縮壓に對しあらゆる方法を傳ずべき必要ある事を痛感して止まむる者である。 |
03 | 大內山に慶色漲る 決戰下に壽ぐ地九節 |
04 | 今年の「遺兒の日」 全國各都廳府縣の護國神社で 二十七日一齊に開始 |
05 | 總督代理が遺族を弔問 |
06 | 廣谷市長の愛孃も働く 武官府に北一女卒四名勤務 |
07 | 苛烈な戰局に則應 奉公防空群の訓練を強化 |
08 | 宜蘭市瑞穗會 十三日に發會式 |
09 | 馬來婦人勤勞奉仕隊 |
10 | 職場報告 延び行く就業年限 女性先陣の活躍を觀る |
11 | 「遣南會」を結成 歸還看護助手皇奉運動に挺身 |
12 | 四億へ掉尾の總突擊 八日から一週間に宣り 州下で運動展開 |
13 | 必勝防空へ邁進 黑澤府防空課長語る |
14 | 臺北州華僑聯合會定期總會 |
15 | 軍國乙女の健氣さ 高雄第一女卒業生に希望を聽く |
16 | 蘭陽女卒業式 |
17 | 全島師範校第二次生徒募集 |
18 | 治療所助手の技術的講習 |
19 | 二月中諸會社の認許可事項 |
20 | 南投街の春季清潔法日割 |
21 | 共榮圈通信 ラングーンの隣組正式發足 |
22 | 人事・消息報社消息 |
23 | 輿論指導に挺身 臺南州弘報委員會開く |
24 | 先づ自分でよく勉強したい 安武新警官練習所教官談 |
25 | 新竹州下警察官武道鍊成會 十七日武德殿で |
26 | スパイに御用心 敏感な防諜二青年表彰さる |
27 | 宜蘭市內國民校卒業式日割 |
28 | 新化街に商銀出張所新設 十日に開店 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 熱誠の“能高號” 本月末献納の意氣込み |
02 | 彰化市號の献納 奉壯が側面的推進を申合 |
03 | 出征軍人家族の修養慰安會 東勢郡軍援で |
04 | 勤勞精神を昂揚 陸軍記念日を有意義に迎ふ |
05 | 彰化の地主も起つ 地主增產協力會支會を設立 |
06 | 福田產業部長 正條植を督勵 |
07 | 地主增產協力會彰化郡支會 設立總會開く |
08 | 軍事之栞 恩賞の制度(五) 銃後に於ける諸恩典 |
09 | 生また決戰生活 展開に先立ち高雄州體驗談を聽く |
10 | 時局講演會開く 大屯郡各街庄で |
11 | 吳鳳廟を修築 臺南州で改築費を補助 |
12 | 皇室の彌榮を祈り奉る 地久節を迎へて |
13 | これからの奉公運動(一) 積極的に重點的に 高原支部長の新構想 |
14 | 賞賜物件傳達式擧行 臺南市で |
15 | 特設訓練所(第二期) 十日から一齊に再開 |
16 | 彰化市の春季孔子祭典嚴修 |
17 | 銃後女性の敢鬪を發揮 鶯歌街女子插秧競技會開く |
18 | 出征軍人軍屬遺家族慰安の夕 淡水局主催 |
19 | 彰化の陸軍記念日行事 |
20 | 嘉義市職員待望の藷掘り 收穫二萬二千斤? |
21 | 一萬圓の感謝献金 大溪街民赤誠溢る |
22 | 人事報社消息 |
23 | 地方多より |
24 | お役人の檢非違使 高雄州查察員制を實施 |
25 | 龍潭庄分會常會 |
26 | 大溪の時局講演會盛況 |
27 | 臺南師範本科入學許可 |
28 | 彰化商專卒業式 |
29 | 基隆の映画 |
30 | 新竹の映画 |
31 | 高雄の映画 |
32 | 今日の映画演劇 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 臺灣產業金庫設立 總會で出資の引當決定 |
02 | 機械油の有効使用 府當局で對策考究中 |
03 | 貯蓄增強優勝組合 貯金增加實績目覺し |
04 | 新化街主催田植競技會 好成績を收む |
05 | 還付稅と配付稅 |
06 | 木製機と林材界 生產條件緊迫化の打開が急務 |
07 | 安田火災支店長 合田憲爾氏に決定 |
08 | 水利聯合會の 共濟規程改正 |
09 | 經濟手帖 勞働作業衣配給の隘路 |
10 | 事業目論見 |
11 | 戰爭と金屬(上) |
12 | 商況(六日) |
13 | 文化 臺灣研究の意義(下)/田井輝雄 |
14 | 戰爭と血液型(下)/丸山豊登 |
15 | 演劇と大眾性(上)/嘉悅顯雄 |
16 | 興南詩苑漢詩 春郊/灌園、春郊/小魯、春郊/去矜 |
17 | ラジオ |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 皇軍、敵陣地を強襲 英印軍側の戰況公表 |
02 | 二十萬學徒鐵火の 意氣と力量を盡す |
03 | 學徒即戰士 岡部文相語る |
04 | 食糧事情愈よ急迫 米英犧牲下の濠洲 |
05 | 機甲兵力の血戰 ウクライナ西南部で |
06 | 芬蘭軍の戰況公報 |
07 | 獨の新防禦戰法奏効 赤軍は攻擊方向を轉換 |
08 | 獨軍よく反擊 |
09 | 圖像:出擊前敵必殺の訓示を聽く海鷲勇士 |
10 | 今後一ケ年市制 町村合併行はず |
11 | 地中海英艦隊の損害を發表 |
12 | 決戰場に機體と取組む 學徒出身整備士官の體驗記 |
13 | “足らぬ”の辯/相川春喜 |
14 | 英、土の關係微妙 軍事會談決裂の經緯 |
15 | ニミツツ華府訪問 |
16 | 南米の高山征服 |
17 | 反樞軸軍の□兵力移動 |
18 | 米國代表の顏觸 |
19 | 米國軍部高官の瀆職事件 |
20 | 全國農家を組織化 食糧增產に總進展 |
21 | 米機百四十を擊墜 |
22 | へネローブ號の沈沒 |
23 | ビカート教授健在 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 榮譽輝く職場戰士 勤勞顯功章を授與 意義深き大詔奉戴日に |
02 | 生產第一線の範 長谷川總督訓示 |
03 | 榮えある受賞者 輝やく功績の數數 |
04 | あと十五米で貫通 |
05 | 女學校に保育園 |
06 | 決戰非常措置 山本事務總長が放送 |
07 | 海鷲、發動艇を献納 溢るる七星郡民の赤誠 |
08 | 果敢な運動展開 非常措置の追加申合 |
09 | 圖像:勤勞顯功章授與式 |
10 | 決戰生活の實踐 江藤州知事が陣頭指揮 |
11 | 掘出せ刈取れ天與の幸 決戰非常措置と皇國農民道/菅原兵治 |
12 | 紙の彈丸增產 |
13 | 四億貯蓄總突擊 臺北州愈よけふから開始 |
14 | 決戰の空に羽搏け 滑空講習會を開催 |
15 | 石堤築造に敢鬪 新竹市若人の奉仕 |
16 | 近代戰に於る 航空機の位置 |
17 | 決戰に最低生活 陸軍記念日から高雄市で實施 |
18 | 勃で國王哀悼切手 |
19 | 今晚の放送 |
20 | 商況(八日) |
21 | 日婦の國防訓練 島都十日から視閱 |
22 | 燃え上る赤誠 世話役飛行機献金申合せ |
23 | 街頭に献金を募集 |
24 | 高級享樂處置策 新竹州で具體的打合せ |
25 | 任意團體を整備 近く市長郡守に統合案指示 |
26 | 米英擊滅青年辯論大會 |
27 | 基隆青年團員の曉天動員 |
28 | 學童の寄生蟲驅除に乘出す |
29 | 現地民官吏戰時服務規律 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 上聞に達す ギルワ附近戰鬪に偉勳 深く潛入敵砲兵を爆碎 兩隊に感狀光榮の高砂義勇隊四名頭條新聞 【東京發同盟】陸軍省發表(昭和十九年三月七日十六時)昭和十七年末及十八年初頭ニューギニア島ギルワ附近の戰闘に於て敵陣深く潜入し敵砲兵を爆碎し偉勳を樹てたる石田肉薄攻撃班及川口挺身隊に對し曩に軍司令官より感狀を授與せられしが今般畏くも上聞に達せられたり 感狀 犬飼部隊石田肉薄攻撃班 右は昭和十七年十二月南ギルワ附近の防禦戰闘に於て同地南側の敵砲兵他の活動熾烈にして我戰死傷出し戰況逐次急を告ぐるの際選ばれ□同砲兵に對する肉薄攻撃を命ぜらるゝや熱帶瘴癘の地に於ける長時日に亘る給養の粗惡不足の為當時體力著しく衰へ殆ど全員マラリヤ患者たりしに拘らず欣然として任に赴きジャングル地帶を克服して深く敵中に挺身し途中班長石田見習士官壯烈なる戰死を遂け續く辻軍曹亦同時に負傷するも屈せず山本兵長の指揮を以て十二月二十八日夜折柄の□雨と雷鳴とを利用し敵を奇襲し其の二門を完全に破壞し他の二門を二日間に亘り沈默せしめ友軍の士氣を鼓舞作興し其戰闘を容易ならしめたり斯くの如きは困苦缺乏の極に於ても進んで全軍の犠牲となる崇高なる精神の下に班長以下克く一致團結し旺盛な攻撃精神を以て一意任務の貫徹に邁進せるものにして全軍の模範たり 仍て玆に感狀を授與す 昭和十八年二月十一日 軍司令官 感狀 橫山部隊川口挺身隊 右はニューギニア島ギルワ陣地に於て敵砲兵及迫撃砲の射撃日夜熾烈を極め之が為友軍の死傷日々甚大なるの時に當り川口曹長以下六名並に高砂義勇隊枝元源市以下四名進んで敵砲兵の破壞を志願し昭和十八年一月八日深く敵地內に潜入して至嚴なる警戒と危險を冒し一意偵察に努め遂に樹上にのぼりて漸く敵砲兵陣地を發見夜間秘に接近し豪雨を利用して其の二門を爆藥に依りて破壞し尚殘餘爆藥を以て他の一班は更に敵迫撃砲陣地を求めて翌日夜半之を破壞し其の射撃を一時中止せしめ敵後方に絕大なる脅威を興へたり 其の犠牲的精神と決死的勇敢なる行動とは全軍の模範たり 仍て玆に感狀を授與す 昭和十八年二月十一日 軍司令官 |
02 | けふ大詔奉戴日 |
03 | 肉體ひつさげて 敵中奧深く肉薄 石田、川口兩隊の戰鬪經過 |
04 | 敵機揚子江上の船舶攻擊 |
05 | 敵九機を擊墜破 ラバウルへ執拗に來襲 |
06 | 體當りの相手に わが武士道を示す 落下傘で降下見事敵を俘虜 |
07 | 敵前建設着着實現 ラングーン攻略茲に滿二年 |
08 | マユ山系の敵陣痛爆 |
09 | 蘭貢に來襲 |
10 | 佛印カンフアポールを盲爆 |
11 | ポナペ島にも來襲 |
12 | 教學鍊成所長に橋田前文相 |
13 | 英、驅逐艦の喪失を認む |
14 | 東西時事 伊軍の戰果と損害 |
15 | 圖像:東條參謀總長嶋田軍令部總長明治神宮參拜 |
16 | ビルマ國境の戰果更に擴大 |
17 | 隨時勤勞に出動 學徒動員實施要綱 |
18 | 敵機海口に來襲 |
19 | バンコツクに敵機 |
20 | 非常用重要物資を貯藏 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 擧島戰鬪員たれ社說 一 曩に官吏の休日廢止、常時執務を發表した總督府では此度臺灣決戰非常措置實施要綱を決定發表し全島の人と物との凡てを戰力增强に集中する劃期的の非常措置に出づる事とした今回の非常措置は內地に順應して之を決定せるものなることは勿論であるが臺灣の地理的、文化的、經濟的特殊事情を參酌したものであつて臺灣にとりては正に文字通り非常措置であつて、いまこそ六百五十萬島民は勝ち拔くための國家の要請に應へ米英擊滅の日まで凡てを擧げて戰力增强に挺身せねばならないのである、而して今回の臺灣に於ける非常措置要綱十五項目の中特筆すべきは何と云つても國民勤勞體制の刷新、防空體制の强化及び高級享樂の停止である國民勤勞體制の刷新に於ては先づ第一に「南方要員の送出並に軍作業廳、緊要鑛工業及び運輸交通に於ける急激に增大する勞務の需要に卽應してこれが供出を確保するため可及的急速に國民徵用制を實施する」とあるがこれは臺灣が從來南方要員に就て協力し多大の成果を擧げたのに鑑みこれを强化擴大せんとするもので、南方要員の供給は何と云つても臺灣の有する强昧である。この南方要員及びその他の事由による勞力不足或は男子勞務の代替として女子の勤勞體制整備の措置に出でたことは從來女子の勤勞を輕視否蔑視するの風潮ありたる本島としては決戰時とはいへ蓋し大英斷と云はねばならぬ。而してその實施要領として取上げてゐる女子挺身隊の如きは既に內地に於ては各地にその組織を見、本島に於てもその準備ともいふべき女子青年團による各種の挺身隊的組織が試みられてゐたのであるから實施の曉には必らずや好成績を納め得るものとして今より期待出來るのである。 二 防空體制强化に就ては飽くまで臺灣の第一線的地理的條件を充分考慮に容れ防空訓練等も從來のものを根本的に變更し實戰的訓練を行ふの措置に出でた事は敵の無差別爆擊に備ふものであり、また要都市、軍事施設、軍需工場、鐵道等の重要地區及びこれに隣接する地區に重點を置き防空完璧を期すに至つたこと等も決戰體制强化への一大轉換である。次に高級享樂の停止であるが、これは來る十日より實施するといふ緊急措置に出でたが、決戰下餘儀なきといふよりも寧ろ當然のことである。國民大多數が最低生活に甘んじて戰力增强に挺身してゐる時殆んど一部特殊階級によつて獨占せられてゐると斷じても憚ることなき高級享樂が戰前にも增して殷賑を極め一般國民より白眼視されてゐるが如きは銃後の結束を鈍らすのみならず人的物的にも戰力增强に背反する以外の何ものでもなかつたのである。この高級享樂の停止よりこれが經營者、從業者は勿論であるが、附隨的存在たる藝妓屋、藝妓の休業及びカフエーバーの休業及び女給の轉廢業は唐突のことで聊か氣の毒ではあるが、勝拔くためには餘儀なきことである。問題はこれ等の人人の轉廢業に際し當局が親心を充分に發揮し或る意味に於ける社會政策を講ずるにあらざれば他の面に出ずる弊害はその存置によつて生ずる弊害よりも大なることがあるのである。さればこの點に就ては萬遺憾なきを期されんことを望んでやまぬ。何れにしても今回の非常措置は國家の有する凡てを戰力增强に集中するためには當然のことであり六百五十萬島民はこの措置に則り擧島戰鬪員たらねばならぬ |
02 | 荒鷲達の逆慰問に 辷出す“決死の增產” 一本の金鵄に熱血滾る |
03 | 本島決戰非常措置 皇奉運動として強力に實踐展開 部長會議で協議 |
04 | 常會申合を追加 |
05 | 青少年團を曉天動員 路軍記念日に |
06 | 英靈よ、安かれ 宜蘭市葬嚴かに執行 |
07 | 郵貯の目標達成 遞信部で事務打合會 |
08 | 米國民性の弱點(上)/景山哲夫 |
09 | 新竹州工員鍊成鎖入所式 |
10 | 慰問演藝會開催 |
11 | 尊し再起奉公の姿(一) 戰力增強に一役 新たな分野を開拓 |
12 | 全靈を機關車に 戰ふ雙眼勇士田代さん |
13 | 再度のお召待つ おでん屋の小島さん |
14 | 花蓮港高女卒業式 |
15 | 完勝目指して驀進 奉戴日を迎へて決意新た |
16 | 新化、左營に商銀 特別出張所設置 |
17 | 臺北家政女卒業式 |
18 | 海洋陣地の華(五)/挺身船舶兵 |
19 | 米英擊滅青年辯論大會 |
20 | 決戰意識を昂揚 幕間に「臺灣軍の歌」 |
21 | 鄉軍銃劍術大會 陸軍記年日に開催 |
22 | 總督府辭令 |
23 | 厚生省衛生局防空課を新設 |
24 | 內閣辭令 |
25 | 人事・消息 |
26 | 商奉團も總蹶起 日曜全廢閉店時間設定 |
27 | 司法保護座談會 |
28 | 臺北州警察部幹部異動 |
29 | 貯蓄攻略に邁進 花蓮港廳突擊運動を展開 |
30 | 徵兵制準備委員會 新竹州下の發會日程 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 曉天分列行進 陸軍記念日に學徒が戰役昂揚 |
02 | 青年の義氣顯現 記念日に彰化で曉天動員 |
03 | 一擊必殺の意氣 彰化鄉軍武術大會 |
04 | 新莊郡號二機献納 滅敵は今だ擧郡起つ |
05 | 飛行機資金に三千圓 巢立つ臺南二高女生献納 |
06 | 野菜配給實施 嘉義市けふから |
07 | 插秧競技會 板橋街で開く |
08 | 軍事之栞 恩賞の制度(六) 出征者と家庭整理 |
09 | 家庭の蔬萊作りを獎勵 |
10 | 米、藷の綜合配給 臺中州けふから實施 |
11 | 常會の理想的運營 彰化で研究會開催 |
12 | これからの奉公運動(二) 橫の連絡を活潑に 剃刀參謀庄司事務局長 |
13 | 婦人の總蹶起 高雄で指導者層座談會 |
14 | 行政陣に女事務員 高雄州で廿名募集 |
15 | 彰化市奉壯團第三班常會 |
16 | 轉廢業者資產評價 評價委員會の運用方針決定 |
17 | 合歡木の木陰に最前線の日本語學校 |
18 | 一戶に一堆肥舍 增產善化街の意氣込み |
19 | 青年鍊成所を更に三つ 臺南州の國民動員態勢強化 |
20 | 增產青年を鍊る |
21 | 彰化市食糧品雜貨組合總會 |
22 | 敵國伏滅祈禱 |
23 | 地方多より |
24 | 輿論指導強化へ 高雄州支部弘報委員會 |
25 | 甲當り十萬斤 蔬菜品評會褒賞授與式 |
26 | 四億達成へ總努力 竹村郡守自轉車で推進 |
27 | 善化街の種痘 |
28 | 人事・消息 |
29 | 第六期決算公告/株式會社勝芳商行 |
30 | 基隆の映画 |
31 | 新竹の映画 |
32 | 高雄の映画 |
33 | 興南案內報社消息 |
34 | 今日の映画演劇 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 一期作米の增產確保 病害虫驅除と除草徹底化へ 須田農商局長協力を要望 |
02 | 早期發見と 一齊捕殺へ 害虫防除要綱決定 |
03 | 螟虫捕殺競技會計畫 |
04 | 四回除草の勵行 指導督勵要綱實施 要綱內容 |
05 | 貯蓄券の完全消化 消化勸獎實施要綱決定 |
06 | 貯蓄券制度の實施 一般の協力を要望 |
07 | 文化 一步一步の步み 臺陽展十周年に當りて/楊佐三郎 |
08 | 演劇の大眾性/嘉悅顯雄 |
09 | 決戰川柳/劉昌傳 |
10 | 興南詩苑漢詩 春郊/寶書、春郊/雲鵬、春郊/鶴亭、春郊/伯偉、春郊/燕生 |
11 | ラジオ |
12 | 商況(七日) |
13 | 春冷えの燈/王碧蕉 |
14 | 職場への體當 巢立つ戰ふ乙女だちに/林氏淑眞 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | ビルマ反攻空し 敵陣營の亂脈暴露 マウントバツテン指揮能力缺如 |
02 | 祖國解放の戰 希望に輝く國民軍 |
03 | 英の石炭罷業惡化 |
04 | 獨軍、新攻勢を準備 イタリア戰線の戰況 |
05 | 東部戰線戰況 |
06 | 前後七時間餘に亘り 獨、米大空中戰展開 米機八十餘機を擊墜 |
07 | 獨のウ少將逝去 |
08 | ニユージーランド軍師團長重傷 |
09 | 英艦隊の東亞派遣 ア海相、下院で言明 |
10 | 假性近視必ず治る わが海軍醫務當局實驗で美事に實證 |
11 | 圖像:いざ出擊勇躍征途につく陸鷲 |
12 | 日、獨文化の契/石川鍊次 |
13 | 圖像:海軍報道部長更迭 |
14 | 米新潛艦母艦就役 |
15 | 米國民性の弱點(下)/景山哲夫 |
16 | ソ聯は再び和協案一蹴 ソ、波紛爭に關し |
17 | 爆彈の威力 |
18 | 東西時事 宣傳遠征隊 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 戰力增強に協應 勤勞の生產性發揮を目途に 鑛業部門中央部會開く |
02 | あすは陸軍記念日 記念講演會開く 港都基隆市の行事 |
03 | 街頭で貯蓄券賣出奉仕 日婦市支會で會員を派遣 |
04 | 劍道大會を開く 新竹國民學校で |
05 | 各單位團別に曉天常會開く 島都青年團で |
06 | 貯蓄券とは何か(一) |
07 | 敵機模型展 近く新竹で開催 |
08 | 第五部隊へ軍馬慰問は續く |
09 | 日露戰と大東亞戰 凛烈“戰ふ”御一語 天斧一下の御聖斷 |
10 | ○○印度人訓練所 |
11 | 非常措置に即應 奉壯團で推進方途協議のため 全島連絡委員會開催 |
12 | 生活展に異彩 決戰生活繪本を展示 |
13 | 奉公班に新しき活 內臺一體の隣保組織に改組し 下情上通を活潑化 |
14 | 日露の勇士四十年の献金 |
15 | 臺大から三氏に學位授與 |
16 | 施行日割 |
17 | 人事・消息 |
18 | 商況(九日) |
19 | 增產の田植時 中崙で插秧競技 |
20 | 和尚さんの郵便配達 |
21 | 警察事務に女雇 臺北州で募集開始 |
22 | 陸軍病院慰問 |
23 | 島都定期種痘 十四日施行 |
24 | いかなご生產百萬貫 |
25 | 今晚の放送 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵舟艇群を猛擊 帝國海軍水上機隊ブ島海面で奮戰頭條新聞 【南太平洋○○基地八日發同盟】帝國海軍水上機隊は六日夜間ブーゲンビル島西方海面において敵舟艇群を捕捉これに猛擊を加へ大型魚雷艇一隻を擊破した我方被害なし |
02 | カビエン來襲 |
03 | ウオツゼ島とタロアに來襲 |
04 | ケイ諸島來襲 |
05 | 英第七軍の實相 俘虜○○大尉語る |
06 | 敵二機を擊墜 ラングーン附近で |
07 | 米艦艇九百隻 ノツクス豪語 |
08 | 米の追加豫算大削減 |
09 | コロムビア內閣總辭職か |
10 | 樞府定例參集 藤原國務相より戰力增強問題を聽取 |
11 | 有ゆる困苦乘越へて 戰ひ拔く我が將兵 銃後に送るビルマ前線座談會 |
12 | 目標突破あと一息 素晴しい貯蓄の綜合戰果 |
13 | 圖像:敵擊滅に羽搏く海鷲 |
14 | 社說 外廓團體の統合に期待社說 一 總督府ではさきに策定せられた決戰態勢强化方策にもとづき、地方に於ける官廳外廓團體の整理統合を斷行することに決定し、具體的方針を通牒するに至つた。官廳外廓團體の整理統合は、行政運營の決戰化を期する上に必要缺くベからざる措置と云はねばならぬが、今日まで荏苒として放置せられて來たわけは、一にその數が尨大にして併かも便利的な存在たる從來の行きがかりに捉はれた地方廳の優柔不斷に起因するかと思はれる。然しながら今や戰局愈よ苛烈を加へ、決戰行政の全面的切り替へを斷行せられたる今日、雜然錯綜せる外廓團體の舊態依然は許されなくなつたのである。從つて活動に便利なりとする餘り自然に濫立した團體はもとより、特に時勢に便乘して亂設した有象無象の團體等は、夙に速かに整理統合を要するは言を俟たぬところである。督府今回の通牒はこの意味に於て地方廳に對する大きな鞭韃と見て不可なからう。 二 今回指示せられた地方における外廓團體整理統合方針を見るに、原則として督府其他中央に本部を有する系統團體は存置を認め、それ以外の諸團體は、皇民奉公會系統、社會事業系統、學校教育系統、警察系統の四本に整理統合させることになつてゐる、そしてそれ以外の任意團體は、その目的たる事業の性質並に實績に鑑み、真に必要缺くべからざる以外は可及的に之を整理し、必要なるものといへども同一種類のものについては、これを一團體に統合するか又はこれら團體を綜合一元化せる新團體を創設してこれを統合するやう指示せられてゐるのである。而してこの結果殘存する團體は機構の簡素化、人員の縮減、經費の節約等徹底的な運營刷新を斷行することになつて居り、尚また今後は新團體の創設を認めず、凡て既存團體の活用によつて運營させることとしたのである。 三 右に述べたるが如き整理統合方針は大體において頗る當を得たものと云ふべく、若し地方廳にしてこの方針に則り真に勇猛果敢なる措置を講ずるとすれば、濫立の弊に陷つた多數の任意團體は必らずや一掃せられるに至るであらう。要は地方廳の英斷である。由來外廓團體は官廳又は公共團體の補充的意味に於てその存在は活動上頗る便利であり、同時に大多數はいはゆるドル箱として、これが廢合は理論を超越して實際上の必要から簡單に片附けられない問題である。外廓團體の整理統合は理論上つとにその斷行を叫ばれながら、實際問題としては荏苒今日に至るまで放置せられ、いはゆる難事中の難事として遂にその決行を見るに至らない理由はここに存するのである。然しながら今や時局は過去の行きがかりや安逸を貪る便利主義を許さない、須く頭の切り替へによる果敢なる英斷を地方廳に期待するや切なるものがある |
15 | 太平洋戰を語る(ニミツツ) |
16 | ルーズヴエルト ニミツツ會談 |
17 | 會社經理統制令 けふ公布明日より施行 改正の主點 |
18 | 昇給額、手當の改正 |
19 | 州廳有給吏員の 任用範圍を擴大 主事、技師の道を拓く |
20 | 臺灣は四月一日から施行 |
21 | ローマ市を低空から盲爆 |
22 | ベルリン市宣傳びら撒布 正氣を失ふ米空軍 |
23 | 皇國金融人の誓 昨日奉戴日より實行 |
24 | 「預貯金の便宜代拂」 限度引上を決定通牒 大藏省非常場合の對策を強化 |
25 | 擊墜百廿九機 獨軍の戰果擴大 |
26 | 英の石炭罷業惡化 |
27 | イラン內閣總辭職 |
28 | 兜町後場況 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 父祖の偉業に續け 戰勝は斷じてわれにあり 陸軍記念日に就いて國方報道部長放送 |
02 | さあ・立上りませう “政府の非常決意と共に” 昨夜常會山本事務總長講話 |
03 | 尊し再起奉公の姿(二) 材木增產に挺身 隻脚の勇士山本正一さん |
04 | 花蓮港廳團の相撲選手出發 |
05 | 地域組織運營研究會 新竹州下の開催日割 |
06 | 甘藷の大增產へ 花蓮港廳の計畫成る |
07 | 女給も生產職場へ 北署で斡旋に乘出す |
08 | 若人の愛國の雄叫び 宜蘭市の青年辯論大會盛況 |
09 | 戰列目指して續續 山本君の死に感奮した高雄中生蹶起 荒鷲など六十名合格 |
10 | “嗚呼山本勇三君” 至情を單行本、劇に再現 |
11 | 慰問寫真大好評 前線からお禮の手紙殺到 |
12 | 白木原府技師 高等官二等に昇敘 |
13 | 乙種巡查募集 |
14 | 一農家一堆肥舍を目標に 宜蘭郡で大獎勵 |
15 | 故森本司政長官等の合同葬 |
16 | 臺灣醬油工業組合創立總會 |
17 | 救護の完璧へ 嘉義で大規模の演習 |
18 | 航空科に殺到 高雄工業締切つて千名 |
19 | 學徒臨海教育 近く臺南で實施 |
20 | 生活切替を推進 花蓮港廳の日婦懇談會 |
21 | 人事・消息報社消息 |
22 | ラジオ |
23 | 基隆の映画 |
24 | 新竹の映画 |
25 | 高雄の映画 |
26 | 今日の映画演劇 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇軍猛攻を敢行 アラカン方面戰況(敵側發表) |
02 | 新政策成果を收む 谷大使全支視察終る |
03 | 獨の生產保護對策 敵米英の盲爆に備へ |
04 | 軍事の知識 |
05 | 戰局決定的段階へ ノツクス下院で嘯く |
06 | 圖像:中部太平洋に敵を求めて堂堂我が艦隊は征く |
07 | 滿腔の祝意を表す 陸軍記念日ラウレル大統領聲明 |
08 | 決戰非常措置に應へて 疾風に勁草を知る 學徒の真價既に顯現/中島太郎 |
09 | 初のメナド州會 |
10 | 全工場勞働者增加の 五分の四までが女子 米國最近の女子動員狀況 |
11 | 米の政治的暗影と財政 |
12 | 敵機百十二を擊墜 總統大本營發表 |
13 | アルジエー沖で 敵船團を攻擊 獨軍雷擊機隊活躍 |
14 | 反省勇奮/匝瑳胤次 |
15 | ナルヴア橋頭堡を粉碎 |
16 | ソヴエト潛水艦を擊沈 |
17 | 內閣辭令 |
18 | バリーの被害 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 斷じて戰ひ拔く!! 父祖の血繼いて完勝へ驀ら 決戰一色・陸軍記念日 |
02 | 新竹市の陸軍記念日 |
03 | 聖戰完遂を祈願 安藤軍司令官 護國神社參拜 |
04 | 生產戰も肉彈突擊 竹內中佐產業戰士に檄す |
05 | 貯蓄戰士の殊勳甲 臺北州で表彰式擧行 |
06 | 長谷川總督 軍司令官を訪問 記念日の祝辭を述ぶ |
07 | 日露戰と大東亞戰 勝敗は數字にあらず 國民の士氣に最後の鍵 |
08 | 無敵陸軍に感謝 記念日に献金群陸續 |
09 | 航空機建造資金に十萬圓 臺中州下水利組合から献納 |
10 | 北署に拾ふ献金佳話三つ |
11 | 新竹州の傳達式 |
12 | 新區長委囑任命 新區制愈よけふから實施 |
13 | 白衣の勇士を刀匠に養成 |
14 | 權威ある研究發表 蔗棉共作研究懇談會 |
15 | 食糧增產農兵隊を組織 |
16 | 生產職場に挺身 新竹市內料理業者一齊休業 |
17 | 藝術家も疎開 最近靜岡縣に移轉した異色 |
18 | 關廟庄分會 三月分常會 |
19 | 苗栗家政女 二千六百圓献金 |
20 | 七千餘斤のお薩 嘉義市職員の收穫終る |
21 | 附屬病院も 日曜休日返上 |
22 | 基隆市の定期種痘日割 |
23 | 後生課新設に伴ふ異動發令 |
24 | 寫真移動展 |
25 | 人事・消息 |
26 | “壽命が伸びるよ” 宴會無くなる那須總務部長の辯 |
27 | 新竹州下中等校の應募人員 |
28 | 熱誠な献金續く |
29 | 吏に千棟を追加 嘉義郡の堆肥舍建設進む |
30 | 潮州街警防團の非常召集 |
31 | 屏東郡下各國民學校卒業式 |
32 | 部落振興國語普及研究會 北港郡で開催 |
33 | 今晚の放送 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 西阿軍を先制猛攻 壯烈・追擊戰を展開頭條新聞 【ビルマ前線◯◯基地村川陸軍報道班員八日發】ブチドン方面で潰滅した第七師に呼應して二月二日頃からカラダン河左岸を南下、わが側背を衝かんとする西阿軍○千に對し電擊の機を窮ひつつあったわが精銳諸部隊は去る一日日沒を期して突如先制攻擊の火蓋を切り小林部隊は敵の背後を急襲してシユエビエ(キヤクトウ東北十二 粁)にある敵急設飛行場を攻擊二日未明これを占領した小林部隊は更にカラダン河沿ひに南下し○○より行動を起して二日午後サエタビンを急襲占領した○○部隊並に松尾部隊と相呼應して◯◯北方においてカラダン河を渡河プトワギン、アポークワの線に集結中の敵主力に對し猛攻を開始したこの快進擊に依り東北方の退路を斷たれた敵はアポークワ南方から進擊の○○部隊に追捲られて周章狼狽し支離滅裂となってモウドタウ山麓からビー河カラダン河支流沿ひに退却を開始したがわが方は息もつかせずこれを攻擊壯烈な追擊戰を展開中であるキヤクトウは既にわが方において攻略、敵の宣傳はまたも忽ちにして馬脚を露はした |
02 | 長驅敵の退路遮斷 敵大部隊を支へて苦鬪一ケ月 久保挺身隊の奮戰記 |
03 | 北緬のおが四勇士 十倍の重慶兵を走らす |
04 | 大東亞戰爭は將に 日露戰爭の名分繼承 畑總司令官當時を回想語る |
05 | 敵機ラバウルに執拗來襲 |
06 | ギルギル上空で 敵八機を擊墜 |
07 | 臺灣關係の論功行賞 |
08 | 圖像:邀擊に向ふ海鷲 |
09 | 北支方面の綜合戰果 |
10 | 大冶附近に盲爆 |
11 | 終局の妥協解決は 東亞に禍根を殘す 松井大將日露役回顧談 |
12 | 皇軍の砲擊に悲鳴 |
13 | 龍陵西北の敵を擊滅 |
14 | 米英擊滅に挺身 ジヤワ奉公會綱領を決定發表 |
15 | 大鳥島、タロアン島にも敵機襲來 |
16 | カビエンに 三十八機來襲 |
17 | 赤軍大攻勢の 持續は困難か |
18 | マルタ島で 伊艦隊處分 |
19 | 英印軍に新參謀長 |
20 | 肩を叩いて激勵 井原警察部長新竹郡へ |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 輝く陸軍記念日を迎へて社說 一 帝國が興亡の岐路に立ち、國運を賭して戰つた日露戰爭から早くも四十年、恰もけふを以て輝しい第三十九回陸軍記念日を迎へたのである、日露戰爭は言ふまでもなく、當時世界最大の强國帝政ロシヤの東洋侵略に對し、我が國が東洋の平和と獨立保全のため、己むに止まれず敢然起ち上り、御稜威の下、天佑と人の和を以て戰ひ拔いた大戰爭である、この大勝利により、帝國は一躍世界の檜舞臺に押し進み、皇國二千六百年の歷史に一段の光輝を加へたのである、大東亞新秩序の建設はこの日露戰爭の大勝利によつて、その第一步を踏み出し、その後の滿洲事變、支那事變及び今日の大東亞戰爭は皆その連續であり、發展であると考へらるべきである、卽ち日露戰爭は新秩序建設の緖戰であり、大東亞戰爭はその決戰である。 二 今やわれわれはこの大東亞決戰を戰ひ拔かなければ、緒戰の輝やく大勝利も無に歸してしまふ恐れなしとしないのである、これは敵側のカイロ會談の決定に徵して明かである、卽ち彼らは戰後我國からそのあらゆる領土を奪取して、「日本を第三流國に陷れ、再び起つ能はざらしむる」ことを企圖してゐる、勿論敵は如何なる決定をしようと、自由勝手であるが、我我は既に大東亞緖戰の輝やく大戰果に依つて、內に於ては、大東亞各國各民族が相寄り相助け、道義に基いて親和協力の關係をもつて結合し、外に對しては、精强無比の皇軍が大東亞の戰略的據點によつて、磐石の守りを固めてゐるから、彼らの夢は如何に實現困難であるかは、彼らが最もよく知つてゐるであらう、現在敵が物量を特んで、熾烈な反攻を逞しうしてゐる地域は、總べて千古斧鉞のジヤングルか、海拔數米を出でざる不毛の珊瑚礁に過ぎず、敵がかやうな地域の占領に多大の犧牲を顧みず遮二無二に突進を企圖してゐるのは、日本に「時を藉す」を極度に恐れてゐるからである。 三 されば今やわれわれの最も緊急の責務とすべきことは、かかる敵の作戰企圖の裏を掻いて、敵がジヤングルや珊瑚礁に莫大な消耗を反復しつつある間に、この「時」を最も有效に活用し、戰力增强に全力を注ぎ、わが攻勢防禦の期間を出來るだけ短縮すべく、擧國一體、總員戰鬪配置に就いて、最後の大攻勢に轉換して、敵に殲滅的打擊を與へ、彼らの抱いてゐる惡夢を粉碎しなければならない。けふの意義深い陸軍記念日を迎へるに當り、大東亞戰爭は日露戰爭以來の連續的發展の總決算戰であることを自覺し、奮起一番、四十年前に踏み出した大東亞新秩序の第一步を、今日われわれの手で、これを完成させなければならない。 |
02 | 繼ぐ先輩の苦鬪 一路聖戰完遂に邁進 けふは輝く陸軍記念日 |
03 | 活かせ不敗の傳統 地上から米英抹殺 陸軍記念日決意新た |
04 | 無料映寫會開催 けふ島都公會堂で |
05 | □戰即應の態勢 帝都の記念日行事 |
06 | 記念週間の實踐事項 |
07 | 戰ふ將兵の意氣で 增產戰列へ總進發 高級娛樂けふから停止 |
08 | 決戰生活繪本を展示 |
09 | 決戰生活に切替へ 皇民奉公會本部語る |
10 | 脂粉洗って御奉公 妾だちも立派な增產戰士だ 女給藝者に聽く覺悟 |
11 | 日華民の赤誠凝集 廈門で海鷲献納式 |
12 | 荒鷲が振天府を拜觀 |
13 | 日露役の二聖時 |
14 | 非常措置が中心 督府、皇奉の連絡會議 |
15 | 意氣米英を吞む 海山郡の青年辯論大會 |
16 | 宜蘭市の陸軍記念日 |
17 | 陸軍記念日に行軍を實施 鄉軍南投分會 |
18 | 三峽街の辯論大會 |
19 | 鄉軍宜蘭分會市街演習 |
20 | 赤誠の一錢一錢 積つて二千餘圓を献金 |
21 | 時局講演會 |
22 | 宜蘭市で貯蓄講演會 |
23 | 新竹州郡署兵事主任打合會 |
24 | 新竹華僑公會總會 |
25 | 花蓮港家政女學校卒業式 |
26 | 花蓮港二號表 國民校卒業式 |
27 | 興南案內報社消息 |
28 | 基隆の映画 |
29 | 新竹の映画 |
30 | 高雄の映画 |
31 | 今日の映画演劇 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 貯蓄戰士の殊勳甲 優良街庄と組合表彰 |
02 | 臺南市の被表彰者 |
03 | 吾こそは甲種だ 高雄州の陸志銓衡始る |
04 | 輝く陸軍記念日 嘉義公會堂で記念講演 |
05 | 女子技術指導員を設置 臺中州農業會 |
06 | “新莊郡號”の大口醵金續續 |
07 | 甘蔗採取に奉仕 彰化市勸業課員等の汗鬪 |
08 | 軍事之栞 傷痍軍人の保護(一) 物心兩方面からの恩典 |
09 | 一致協力を決議 竹東郡の徵兵制準備委員會 |
10 | 農機具迅速配給 高雄州農業會で對策練る |
11 | けふは“貯蓄日” 四億貯蓄へ總突擊しませう |
12 | これからの奉公運動(三) 民間の協力が第一 表裏一體を說く納須總務部長 |
13 | 農、工が斷然優勢 時局を反映 中等校の入學志願 |
14 | 適格青年に軍教實施 廿日から屏東農專で開始 |
15 | 臺中一中の卒業式 |
16 | 適齡者の體力增強對策 彰化保健指導治療所設く |
17 | 養豚增殖競技會褒賞授與式 屏東市農業會 |
18 | 增產協力兒童 楊君、嘉義郡守から表彰 |
19 | 巢立つ少國民に 十六日屏東市長が訓示 |
20 | 部落改善作業審查終る 屏東郡で |
21 | 料理店等の廢休止措置 嘉義署の方針決る |
22 | 婦人世話人を委囑 軍援屏東郡分會 |
23 | 屏東實踐商業卒業式 |
24 | 地方多より |
25 | 鄉土の防衛全し 高雄で防空醫療救護訓練實施 |
26 | 七萬圓を突破 臺中市民の艦船建造資金 |
27 | 遺家族を懇ろに弔問 兒玉教育課長 |
28 | お山の巡查に農業講習會 |
29 | 高雄州農業會五部長決定 |
30 | 決戰生活婦人座談會 屏東郡日婦主催 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 重要物資營團發足 業務の種類と處理方法(上) 鈴木營團理事と一問一答 |
02 | 今後の稅制改正 |
03 | 商況(九日) |
04 | 州廳經濟會の設立 四月二十日迄に完了 支部は當分設置しない方針 |
05 | 搗精工場の買收 營團で中央委員會開催 |
06 | 臺灣商工會議所 臨時總會で借入金可決 |
07 | 四億貯蓄を推進 高橋局長各地へ激勵 |
08 | 臺灣鐵工所 新株拂込期日決定 |
09 | 決戰文化 元寇を偲ぶ(上)/山上八郎 |
10 | 必勝川柳/楊氏灼華 |
11 | 興南詩苑漢詩 春日謁孔子廟/子惠 林原榮三、老松/子惠 林原榮三、春日游接南宮題壁/詩瓢、春日謁指南宮和詩瓢先生題壁瑤韻/蘇寅、祝倪登玉社兄令郞仁傑君與月雲女士新婚/子珊 福島嘉男 |
12 | ラジオ |
13 | 演劇の大眾性(下)/嘉悅顯雄 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 緊急船員動員強化 昨日閣議で要綱決定 |
02 | 四月一日より實施 |
03 | 東條參謀總長 伊勢神宮參拜 |
04 | 賀陽宮假御殿に伺候 |
05 | 昆明、星條旗飜へる 空からの援蔣基地 |
06 | 敵機群を邀擊して 死鬪!廿一機擊墜 南溟に散つた水雷魂の權化 |
07 | トルコは強硬 言論界、英攻擊の筆陣 |
08 | 圖像:白衣に身をかため嚴たる我が北方の高射砲陣地 |
09 | 新商人道の確定へ 配給圓滑化は同胞愛から/今村武雄 |
10 | 米の要求を一蹴 エール政府斷乎の態度 |
11 | 英の痛手は深刻 イタリア艦隊對ソ讓渡 |
12 | “ゆつくり行かう” 英の炭坑罷業更に擴大 |
13 | 罷業團隊策を協議 |
14 | ラ亞國大統領正式に辭任 |
15 | フアーレル大統領に就任 |
16 | 東西時事 ドイツの戰略地位 |
17 | 比島の非常事態宣言 |
18 | 東部戰線の戰況 |
19 | 獨軍、ウマン市を撤收 西ウクライナ要衝 |
20 | 又ローマ爆擊 |
21 | ベルリン空襲 獨大本營の發表 |
22 | ソ聯空軍編隊 タリン市爆擊 |
23 | イタリア戰況 |
24 | 米また懷柔策 インド人移民入國許可法案提出 |
25 | 米民主黨の分裂を示唆 |
26 | 百十三機の喪失を認む 反樞軸空軍發表 |
27 | 米空軍百九十三機を喪失 |
28 | インド政界 露骨に反英態度 |
29 | カナダ政廳も 對亞國交を停止 |
30 | 米陸海軍損害 スキムソン發表 |
31 | N.A.C.A 米航空學研究所 |
32 | 八塊庄增產係長に中山壽郎氏任命 |
33 | 社告/興南新聞社報社消息 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 更に強力な推進へ 奉壯臺北市團の決戰新陣容 |
02 | 英靈感謝の一日戰死 陸軍記念日の奉壯城西分團 |
03 | 飽迄で綠の下の力持で 神田事務局次長に聽く抱負 |
04 | 飛行場建設資金に八千餘圓 基降郡保甲協會から赤誠の醵出 |
05 | 懷良親王の御城忠を敬慕 八代郡に修鍊道場 |
06 | ビルマ前線鐵壁の征空陣 |
07 | 南署に拾ふ献金佳話二つ |
08 | 貯蓄の陣頭指揮に高橋財務局長が來基 |
09 | 淺草のお寺で貯蓄組合結成 |
10 | 臺北州農業會第一回總會 あす州會議室で |
11 | 部落會運營に「羅針盤」 州指定町區研究發表會あす開く |
12 | 貯蓄券とは何か(二) |
13 | 好評の決戰生活展 愈よあす一日で開幕 |
14 | 滅敵の彈丸切手 けふ一齊に賣出し |
15 | 日露戰と大東亞戰 勝敗の決は判然 天は必ず正義に與す |
16 | 享樂機關轉身 集團的に戰力增強に邁進 |
17 | 基隆市民の血液型檢查終る |
18 | 貯蓄券の街頭賣出 |
19 | 放送塔 ドイツ空軍の「煙幕戰術」 |
20 | 北アメリカの旱魃 |
21 | 爆擊に依る佛國民の死傷者數 |
22 | 今晚の放送 |
23 | 商況 十一日 |
24 | 竹東郡荷車運搬組合の創立總會 |
25 | 學徒の曉天動員 高雄神社で戰捷祈願 |
26 | 臺大豫科入學許可者 |
27 | 共榮圈だより インド人献金 |
28 | ボルネオに興南救國團 |
29 | 人事報社消息 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 聖戰遂行の人柱 陸軍關係の論功行賞頭條新聞 【東京發同盟】畏き邊りては大東亞戰下三度迎る陸軍記念日の十日赫々たる偉勳を樹て遂に大東亞戰爭の途上戰歿せられたる陸軍將兵に對し第十五回大東亞戰爭死歿者論功行賞の御沙汰あらせられこの旨十一日午前零時陸軍省ならびに賞勳局よりそれく發表された今般畏くも優渥なる行賞の光榮に浴した將兵は支那及び南方方面の航空作戰に參加し米空軍に鐵槌を加え赫々たる武勳を樹て或ひは比島敲定作戰に北部ビルマ作戰等に參加し克く皇軍の威武を發揚し遂に聖戰遂行の人柱となれる勇士が大部分であり支那及び滿洲の大陸に活躍した勇士も多數含れてゐるその內特に殊勳甲の優賞を拜したものは、重爆◯隊長として功四旭五を拜した小澤平三少佐以下二十名にして金鵄勳章授賜の恩命に浴したものは功四旭三森下虎雄中佐以下十六名である、殊勳甲の優賞に輝く小澤平三少佐以下十六名の陸鷲は或ひは爆撃機乘員として或ひは偵察機乘員として大東亞全戰域をその翼下に收め遂に大東亞空の御楯として散華したものでありまた三木博大尉以下四名は大陸及び南方戰線に於て赫々たる戰果を收め遂に護國の人柱となった勇士である 殊勲甲中主なる戰歷左の如し 功四旭五小澤平三少佐(千葉)重爆◯隊長としてラングーン攻略戰、バタアン半島及びコレヒドール要塞攻略作戰に參加して赫々たる偉勳を奏し次で中支に轉戰、建甌、玉山、衢州、衡陽、零陵等の各飛行場を攻撃してわが本土を空襲せんとする在米空軍の企圖を完全に挫折せしめ或は地上作戰に協力して敵の後方司令部、後方要衝を攻撃して敵の抗戰企圖を破碎せり、しかるに十七年七月三十日選拔せる少數機を以て衡陽飛行場を夜間空襲し必中彈を浴せた後、敵戰闘機戰□□と交戰してよくその一□□隊戰死す 功西旭六橋正範大尉(東京)、ビルマ航空作戰、ラングーン、バタアン半島、コレドール島攻略戰等に參加の後中支に轉戰、建甌、玉山、衡陽、零陵等を攻略十七年七月三十日衡陽飛行場夜間攻撃の際敵戰闘機數機と交戰その一機を撃墜戰死 功四旭六岩淵芳夫大尉(新潟)マライ、スマトラ、ジャワの各作戰に參加でビルマに轉戰單機遠くカルカッタ或ひはその西南四百キロカルカツタを始めとして東インド各飛行場、油槽群の狀況を明かにして赫々たる武功を重ね昭和十八年三月二十四日東部インドアコーラコミラ飛行場を偵察して基地に歸還せるもまた來襲せる敵機の爆撃を受け戰死す、 功五旭六八木俊雄少尉(静岡)北支、中支、南支の各作戰に參加の後マライ、スマトラ、ジャワ作戰に參加次で支那に轉戰十七年十一月二十三日桂林飛行場□夜間攻撃し敵大型二、小型十數機及飛行場施設を爆碎した後敵戰闘機二機を擊墜戰死す 功四□光三木博大尉(大阪)十五年五月下旬南支における良口會戰に於て◯◯部隊の◯◯◯陣地攻撃に當り中隊長戰死するや自らこれに代り引續き夜間攻撃を敢行以て部隊に主力の敵陣突破を容易ならしめ◯◯◯司令官より輝く感狀を授與せられた 功四旭六植原輔志大尉(岡山)南支の各作戰マライ作戰、ラングーン航空撃滅戰、スマトラの作戰などに參加、ビルマに轉戰するや數次に亘りマグウエ、アキャブ、ラジオなど重要敵飛行場を偵察して貴重なる作戰資料を獲得し航空作戰に絕大なる貢献をなしたがの過勞の為め戰病死 功四旭六北島早已大尉(德島)マライ、スマトラ、ビルマに轉戰して偵察隊偵察者として暫々偉勳あり就中昭和十七年七月下旬インド東北部に於ける□□秘密飛行場テンスキヤた□知し次で又八月二十日ビルマ西北方よりインドに通する作戰略の狀況を偵察し沿線の敵情を明かにするなど該方面作戰に甚大なる貢献をなしたが歸途敵戰闘機二機と遭遇戰死す、 功五旭六宮本太策准尉(大分)十八年一月三十一日二機を以てムンダ飛行場に來襲せる敵戰闘機十六機を邀撃し二機を屠り更に反復果敢なる攻撃を以て遂にその二機を空中接觸墜落せしめた、二月一日ガダルカナル島に進攻敵戰闘機十機と交戰これを擊退して克くその任務を達成して戰死す 功四旭六米田壽雄大尉(熊本)マライ作戰、スマトラ作戰に參加、ビルマに轉するやマグウエー、ミンダン、アキヤブなどの敵飛行場を偵察して貴重なる資料を提示航空作戰に貢献十七年三月二十九日敵戰鬪機の根據ローウィン飛行場偵察中戰死 |
02 | 地租改正勅令 四月一日施行 |
03 | 輸送船の殊勳甲 武功旗に輝く十隻 |
04 | チンヒル方面猛攻 蠢敵の擊滅戰を開始 中部緬印國境 |
05 | ビルマ防衛陣 更に新たな力を加ふ |
06 | 空陸兩面から續攻 |
07 | 敵二機を擊墜 ヤルート島來襲 |
08 | 西阿軍徹底的擊滅 英第五師も戰戰兢兢 |
09 | クワダールを占領 砲聲チン丘陵に轟く |
10 | ラバウル空襲熾烈 我現地部隊如何に戰つてゐるか 歸還報道班員四氏の座談會 |
11 | ケイ諸島來襲 |
12 | 支那派遣軍週間戰況 |
13 | 決戰食糧の增產完璧 薯類、漁類等の加工貯藏 |
14 | 大津少年飛行學校長 築瀨少將補さる |
15 | 燃料機構の簡素化 陸軍官制四勅令施打 |
16 | ム首班に信任狀を捧呈 日高駐伊大使 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 三百六十億目ざし 新たな貯蓄攻略戰 生活切下げ大大的に展開 |
02 | 臺灣關係三名を表彰 輝く陸軍軍事功勞者 |
03 | 青年學校長の鍊成會 |
04 | 中一中高雄在住卒業生大會 |
05 | 罩める滅敵の鬪魂 全島高砂族青年相撲大會 |
06 | 寡默豪毅の武人 武官府新輔佐官小森少佐 |
07 | 松岡少佐は某要職に榮轉 |
08 | 戰時思想文化の昂揚 きのふ委員初會合 |
09 | 島民の士氣振作 山本會長の挨拶要旨 |
10 | 軍事功勞者表彰式 榮えある陸軍記念日に |
11 | 米英擊滅意氣高し 共榮圈の陸軍記念日 |
12 | 島內各地の陸軍記念日 |
13 | 花蓮港市の陸軍記念日 |
14 | 宜蘭陸軍記念日時局講演 |
15 | 鄉軍と青少年團の演習 |
16 | 和蘭女王危く爆死 |
17 | 佳き日の赤誠献金 一日で十三萬二百餘圓 |
18 | 早期植付を激勵 坂口知事、けふ新莊郡へ |
19 | 臺北州乙種巡查募集 |
20 | 伊戰線に外人部隊 |
21 | 遊說隊を繰出す 決戰生活の實踐徹底に |
22 | 未貯蓄者を一掃 島都奉壯が一役買ふ |
23 | 臺北醫專合格者 |
24 | 臺北高校合格者 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 勝ち拔く決意新た 意義深き陸軍記念日を迎べて |
02 | 青年は時代の原動力 學徒曉天動員高原知事が激勵 |
03 | 軍事之栞 傷痍軍人の保護(二) 醫療と職業保護措置 |
04 | 企業整備事務を懇談 十三日屏東會館で |
05 | 劇場で常會開く 彰化市奉壯初の試み |
06 | 貯蓄戰も勝拔かう 臺中州の國民貯蓄割當決る |
07 | 國民貯蓄功勞者表彰 |
08 | 黃春萬軍屬 無言の凱旋 |
09 | 嘉義市で表彰狀傳達 |
10 | “臺中一中號”の献納 各地に滾る卒業生の赤誠 |
11 | これからの奉公運動(四) 語る機會を作れ 島澤國民動員部長 |
12 | 飛行機献金を提出 嘉義商奉の一日賣上高 |
13 | 陸軍記念日 時局講演 |
14 | 醫師の飛行機献金 東勢郡醫師會の赤誠 |
15 | 蓖麻集荷に萬全 嘉義市の實施計畫決る |
16 | 彰化郡下卒業生大會 |
17 | 感謝弔慰金 彰化華僑公會有志 |
18 | 女給さん弗弗と新職場へ |
19 | 大口献金續く 東勢郡民の赤誠 |
20 | 屏東高女の卒業式擧行 |
21 | 彰化市に献金群が續く |
22 | 忽ち賣り切れ 大林街の貯蓄券 |
23 | 桃園郡荷車運搬組合の發足 |
24 | 地方多より |
25 | 增產は堆肥から 新化郡の堆肥舍建設好調 |
26 | 貯蓄券發賣に日婦員が一役 |
27 | 潮州郡の部落改善作業進捗 |
28 | 少國民の献金 西港校の本年卒業生 |
29 | 第三回決算報告/東洋食品工業株式會社 |
30 | 基隆の映画 |
31 | 新竹の映画 |
32 | 高雄の映画 |
33 | 今日の映画演劇 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ロスネグロス島の 敵上陸部隊と激戰 ニ島の戰況と戰果頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(昭和十九年三月十一日十六時三十分) 一、ニューギニア島に於けるその後の戰況次の如し (イ)昨年末フィンシハーヘン附近よりカラサ西北方地區に集結せるわが部隊は爾後殆んど敵の追躡を受くる事なく更にグンビ岬南方を經て三月上旬マダン附近に集結を完了し態勢整理中なり (ロ)グンビ岬附近及びマダン南方地區のわが部隊は優勢なる敵の出擊を擊碎し撤退部隊の收容の任を完うすると共に敵に大なる損害を與へつつあり (ハ)該方面における一月初頭より現在までの戰果次の如し 敵に與へたる損害、人員約四千名(內遺棄屍體千八百)飛行機擊墜破三百八十一機、魚雷艇擊沈破十二隻 わが方の損害、戰死及び戰病死約九百五十名、飛行機八十八機 二、有力なる敵部隊は二月二十九目アドミラルティ諸島中のロスネグロス島に上陸爾後逐次兵力を增強中にして同島のわが部隊及び航空部隊はこれを邀擊し連日激戰中なり |
02 | マダンの友軍と合流 堂堂轉進作戰を完了 |
03 | 連日連夜敵を猛攻 |
04 | 不動のラバウル座談會(二) |
05 | カラダンを占領 敵西亞軍を猛追中 |
06 | ブインに來襲 |
07 | 敵三機を擊墜 マーシヤル諸島來襲 |
08 | ケクワ來襲 |
09 | 安慶に來襲 |
10 | 圖像:陸、海荒鷲の奮戰 |
11 | 國民總蹶起運動展開 政府、贊翼、翼政連絡し |
12 | 地方廳等との連絡緊密化 |
13 | 運動の四基本項目 |
14 | 全國的に展開 後藤事務總長談話 |
15 | 國內の結束強化 前田翼政總務會長談 |
16 | 米英權力を擊滅 光輝ある我傳統保持 米國の反攻をめぐつて井口部長放送 |
17 | 東條參謀總長 伊勢神宮參拜 |
18 | 印刷業者等整備の資產評價基準決定 |
19 | 世紀の宿願成就へ 自由インド假政府婦人部長 ラクシミー女史昭南歸着談 |
20 | 第二回外交團招待午餐會 重光外相の主催 |
21 | 芬蘭を繞る ソ聯の動き |
22 | 桂林を夜間爆擊 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 三百六十億の目標強行達成 貯蓄增強の方策社說 一 三百六十億に上る尨大なる十九年度の國民貯蓄については既に取扱ひ金融機關及び各地域別貯蓄目標額の決定を見、あとは只この巨額な貯蓄を如何なる萬全な方法に依つて强力に推進しその完遂を圖るか、卽ち國民貯蓄增强方策如何にあるのであるが、大藏省では國民貯蓄獎勵委員會の答申案を採擇、十日その內容を發表すると共に通牒を示達した。今回決定發表の貯蓄增强方策要綱は、決戰貯蓄の真義徹底、決戰生活の徹底、貯蓄態勢の決戰化、貯蓄推進機構の整備等等七項目に亘つてゐるが、要するに貯蓄の增强は、國家の總力を戰力の一點に結集せしめる方途であるとの根本方針の下に、國民の戰局現狀の徹底的認識、忍苦耐乏の決戰生活に生き拔くべきことを絕對要請するのが骨子である。而して會社、工場等の職域貯蓄に共同責任制を採用、又法人に對しても個人と同樣簡素な決戰生活を慫慂し法人貯蓄の强化を採り上げてゐる等は新味を出したものとして注目を惹くものである。 二 決戰經濟はこれを經濟循環の立場から見るならば、總ゆる國力を直接戰力化する、卽ち單純再生產、直接生產化することである。航空機の飛躍的生產を中心とする超重點生產、金屬非常回收措置、企業の劃期的大整備等に生產面の單純再生產方式であり、緊急物價對策、價格報獎制度の如きは流通面の單純再生產方式と云はねばならぬ。かくて總ゆる國力を直接戰力化する為めに尨大なる戰費を要し、戰費が國力に喰ひ込み、今まで不動產化され、固定化されて從來流通しなかつた設備、機械、土地、森林等等が資金化され、流動化され浮動購買力を增大せしめるものである、しかも此國富の流通化の量は、決戰經濟が進展すると共に益益增大する傾向にあるものであり、これによる浮動購買力の增大はインフレーシヨンは戰力化を阻むものである故、浮動購買力吸收の問題は、決戰經濟下絕對的の最緊要な課題である。浮動購買力吸收策として租稅と貯蓄が最も有力であり、就中貯蓄が最重要であることは既に周知の如くである。決戰貯蓄の真意義を我らはもつともつと掘り下げて考へ、貯蓄卽ち國家總力の戰力化である真義に徹底せねばならぬ。 三 上述の如く國民貯蓄の狙ひは、浮動購買力を吸收してインフレーシヨンを防止するにある、この意味に於て從來の貯蓄割當主義の方式を再檢討し、浮動購買力の實在するところに貯蓄を强化するといふ原則を末端に至るまで實踐に移すことが最も肝要である。卽ち明年度貯蓄增强方策要綱にもある如く、貯蓄態勢の決戰化の意味に於て時局により收入の增加せる部面に對しては、最も强力に貯蓄の推進を强化し、而してその上に應能貯蓄も徹底せしめ、以て一億國民をして悉く最大限度の貯蓄に實踐せしめなければならぬのである。今や外敵はわが領土に侵攻し真に皇國の隆替を決すべきの秋である一億國民は須らく總ゆる艱苦に耐へ、如何なる犧牲をも忍び勤勞に勵み、節約に務め、決戰生活に透徹して貯蓄の實踐に邁進せねばならね。我が本島に於ても時恰も督府決戰非常措置十五項目が決定し、高級享樂は既に停止を實現し擧島精進の一途を步んでゐる最只中である。長谷川總督がパーマネントの例を擧げて訓示せる如く決して枝葉末節に捉はれてはならず本質的に突進すべき秋である。貯蓄戰も然り、我らは一大決意を新たにし目標達成に邁進せねばならぬ。 |
02 | 女給達の職場替へ 溫い心で迎へる樣に 情報課長談 |
03 | きのふ見事に完成 關門海底隧道第二線 |
04 | 國民動員課を新設 庶務振興兩課を改稱 臺北市十一日より實施 |
05 | 花工卒業式 |
06 | 淡水の決戰生活實踐徹底運動 |
07 | 各庄に一決戰模範部落 花蓮郡で指定直ちに實行へ |
08 | 軍人遺家族鍊成會 |
09 | 敵機模型作品 七名が入賞 |
10 | 電話料金改正 四月一日から實施 |
11 | 鬪ふ女子挺身隊(上) 作業に見る優秀性 今後の軍需產業は女子部隊で |
12 | ジヤワのラミー・エリ蠶 |
13 | 島都の金屬回收 指定場並供出日割決る |
14 | 年末歲入歲出現計 |
15 | 四億貯蓄總突擊運動講演會 宜蘭國民校で開 |
16 | 慰安演藝會盛況 |
17 | 硬貨献納回收に一役 愛國洋裁研究所生 |
18 | 桃園郡警察課異動 |
19 | 雜穀と蔬菜の 劃期的增產へ 翼贊會でも運動推進 |
20 | 藝文第三回公演 けふ晝夜榮座で報社消息 |
21 | 大楠校のヨイ子供飛行機献金報社消息 |
22 | 英國の狡猾ぶり |
23 | 國民貯蓄の必要性を強調 桃園街で |
24 | 料理店等が飲食店に轉向 屏東市で |
25 | 大陸進出者講習會開催 |
26 | 人事・消息報社消息 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 若人の鬪魂を發揮 青年校演習の火蓋切る |
02 | 徵兵の準備對策 けふ第二回協議會開く |
03 | 民國貯蓄で敵を潰せ 高雄州で逞しき運動展開 |
04 | 鶯歌街の教育施設充實 |
05 | 飛ぶ「竹山郡號」二號 苛烈なる航空戰に應へて |
06 | 織る手も鮮かに 民雄で叺織り競技會開く |
07 | 外廓團體を統合 高雄州直ちに着手決定 |
08 | 無駄や贅澤はないか 衣食住の總切望を要望 |
09 | 女子皆働の原動力 臺中州農業會で女子技手採用 |
10 | 嘉義神社御昇格奉告祭準備 |
11 | 港都市民の赤誠 献金部隊怒濤の進擊 |
12 | これからの奉公運動(五) 先づ心と心の結合 下情上通を說く楊生活部長 |
13 | 軍事之栞 傷痍軍人の保護 職業保護の組織 |
14 | 淡水街奉壯の機構改革 |
15 | 經濟運營の決戰化 高雄州皇奉經濟人と懇談 |
16 | 柑橘類栽培を獎勵 新化郡左鎮庄 |
17 | 南師講習科修了式 |
18 | 努力、工夫を盡す 高雄州市街庄吏員堅き決意を誓ふ |
19 | 善化街長 柏木菊治氏任命 |
20 | 女給の進むベき途 高雄市當局懇懇と說く |
21 | それぞれ新職場へと再出發 |
22 | 老群長遂に殉職 強き責任感に市民感激 |
23 | 淡水郡の硬貨回收好成績 |
24 | 臺南州支部事務局長 山本諫氏に委囑 |
25 | 第四回決算公告/建南商事株式會社 |
26 | 人事報社消息 |
27 | 基隆の映画 |
28 | 新竹の映画 |
29 | 高雄の映画 |
30 | 今日の映画演劇 |
31 | 興南案內報社消息 |
32 | 第三回決算公告/穎川拓殖株式會社 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 重要物資營團發足 業務の種類と處理方法(下) 鈴木營團理事と一問一答 |
02 | 砂糖マークの統一 目下協議中、近く斷行 |
03 | 簡保倍加入運動 來月より強力に展開 |
04 | 兔毛皮の完全供出 屠殺等の協力要望 |
05 | 產業部長會議 十六日督府で開催 |
06 | 甘蔗許可事務簡素化 臺灣糖業令規則改正 |
07 | 勤勞顯功章受章者座談會 頑張りが最後の勝利 |
08 | 文化 元冦を偲ぶ(下)/山上八郎 |
09 | 興南詩苑漢詩 寒雨遣意/覺齋、禮耕歸自呂宋見過/覺齋、輓洪夢花社友/尊五、林節母壽頌裁成呈傑卿先生誨正偶賦/詩瓢、眼疾初癒觀書有感/詩瓢 |
10 | 臺灣出版會に望む 新世代に於ける使命/王仁德 |
11 | 第一放送 |
12 | 第二放送 |
13 | 二月抽籤報國債券貯蓄債券當籤番號(其ノ□) |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 緬印國境に頑張る 第一線將兵の勞苦 重大任務に大きな誇り チン丘陵方面英印軍殲滅戰頭條新聞 【中部緬印國境◯◯にて松田陸軍報道班員十二日發】海と大陸の違ひこそあれ、南太平洋と緬印國境は共に大東亞共榮圈の存亡を左右する決戰場だ、玆に陸軍記念日を迎へんとする時突如南部緬印國境チン丘陵方面に侵入し來つた英印軍に對し同方面航空部隊は先制撃滅の火蓋を切ったのであるが將兵は黙々としてその任務の重大さに大きな誇りを以て凡ゆる勞苦と忍耐を重ねつゝ出擊しきれる敵を隨時撃退して最前線を守り大東亞戰史に尊い戰場生活を記錄してきたのである緬印國境に從軍月共に第一線に生活を通した記者は今玆にその一部を綴り、戰線の勞苦を忍ぶよすがとする、 ◯◯はチン丘陵の中でも八千呎の高地である、敵はこの方面よりするビルマ奪回の據點回復に躍起となって反撃を續けてきた◯料の地點にある八千八百呎の高地に性懲りもなく攻撃據點を急設して間斷なく砲擊を續け後方基地から飛行機を飛ばして從前よりも一段とその行動を活潑化するに至り◯門の砲で十分おき位に目標を變へての集中射撃は被害こそなかつたが陣地を守る勇士達を腦ました或る時は道路に或る時は密林に勇士達が設營した小屋と云っても土の穴だがその前に射ち込んできた砲撃が暫く絕へると飛行機の爆音だ、山上すれずれの上空で二度三度旋回する、不審とみれば爆撃と銃撃だその効果はこの次として只爆彈を落し機銃彈を射ち込ことで自己の恐怖心を滿足さしてゐるらしい、この中で勇士達は悠々と待つあるを特む鐵壁の防衛陣についてゐた、熱いビルマでも八千呎の山上は流石に寒い夏の戎衣で陣地を占領した勇士等も此の寒さには驚いた、密林を突破する間も寒かったが、それは夜間のみで攻撃戰の緊張の為か携行毛布一枚と天幕で凌いだが此處では 晝間も寒い砲爆撃を避ける為め深い谷間にゐる關係で谷の濕氣も加はつて身にこたへ止むなく敵が殘した冬衣、冬襦□、毛布などを利用したが長身の敵が使用してゐたものだけに裙は靴が隱れる程長く袖は三四寸の奧に手がある始末、之を着た姿は珍妙なもので俘虜と列ぶと妙な錯覺を起すことがある、急峻を攀じた作戰に 携行食器を喰べ盡した勇士等は之にも困った、勿論後方からは輸送されるが山麓から山頂まで◯◯粁の間は二十度の傾斜り面で登づめの坂だ、道が狹い為め普通の自動貨車は途中◯粁の地點までしか來ぬ、そこからは自分等と共同防衛してくれる皇軍に對し深い協力を寄せるビルマ人、チン人男女が頭上に乘せて運ぶのだが之も書間は敵機がゲリラ的に飛來して田畑に働くビルマ人農夫を見付けても道端の草を喰べる牛を見付けても銃擊を行ふ為め總て夜間が選ばれる陣地近く◯粁の山道は敵陣に面した中腹を行かなければならぬ夜と云へど敵前の通過は禁物だこうした勞苦で運ばれる少量の糧秣は自然主食の米が主となつて副食物は現地で調辨しなければならぬ附近に部落もない山上だ榮養を補給するのは雜草だ、夕刻敵機の危險がないと思ふ時、各隊から二、三名の袋を擔いだ兵隊が「氣を付けて行けよ」と班長の聲に送られて密林を潜って薯蕷を掘り雜草を集める生活に缺くことの出來ない水も亦不便だ、敵も之に惱んでゐたとみえ占領當時は水汲用の罐を付けた儘の馬を鹵獲した、「內地の清水をコップ一杯飲みたい」等支那の戰線でも聞いたが 此處では「飲みたいと云ふのは贅澤だからどんな水でも良い、見るだけで結構です」と云ふそれ程切實に水の便が惡い洗濯は贅澤の極み風呂等思ひもよらず、水汲みに馬を引いて◯粁の夜道を下る兵の肩に戰友から託された水筒が七つ八つぶら下ってゐる馬で運んだ水は部隊の炊事用水筒水となるのだ、之と共に炊爨がまた大變だ、晝間少しの煙でも見えると敵の榴彈砲が集中し敵機が襲ひかゝつてくる、朝は八時(ビルマ時間五時半)に夜が明けるがそれまでに朝食二食分、夜は午後八時半から炊き始めるこうした苦しい生活の中での兵隊は內地を忘れない海の戰線を守る戰友の事を心配してゐる「內地の人は生活に不自由してはゐませんか」「太平洋の戰況はどうですか」「軍需生產の方はどうですか」「農產物の出來高は」等記者の姿を懷しげに勇士達は秘みぐと銃後の戰闘力を太平洋の守りを聞くのだ內地の產業戰士が勝ち抜く為に闘ひ國民總てが緊張した生活を續け太平洋では相踵いで大戰果が舉げられてゐると話すと(やあー大萬歲ですね、そんなに頑張ってゐますか我々もきっと敵を叩きつけて銃後の人達に應へませう)と力強く頷き恐らく銃後の人達へだろう(どうも有難う)と言葉を殘してさも安心したと云ふ姿で立去って行く、銃後の心が前線の戰力に及ぼす影響の大きな事は想像以上だ、飛行機が欲しい船が欲しい、我々の生活が之以上苦しくなったとて必ず敵を滅してみせる、內地の人達よ假令不自由なことがあっても今暫く耐へ凌んで飛行機を船を造って欲しいと語る勇士の眼には聖業の完遂を誓ふ男の涙があった |
02 | 圖像:敵攻擊に向ふビルマ方面の陸鷲 |
03 | 捕捉殲滅の大進軍 |
04 | 各戰線の週間戰況 |
05 | 航空戰必勝の前提 高性能機大增產へ 記者團と會見寺田總務部長談 |
06 | 不動のラバウル座談會(完) |
07 | 兩總督に移讓を考究 臺灣、朝鮮と中央との連絡協議事項 |
08 | 雄渾な追擊戰展開 敵の作戰完全に敗北 |
09 | 來襲敵機擊破 揚子江上の我艦艇 |
10 | 廈門に來襲 敵一機を擊墜 |
11 | 香港に來襲 我方に被害なし |
12 | 皇軍果敢な反擊 米軍のロスネクロス島上陸 反樞軸軍司令部發表 |
13 | グンビ岬地區の 米軍陣地を爆擊 |
14 | 艦艇百一隻擊沈 九月以來、獨潛艦の戰果 |
15 | 驅艦十六擊沈 獨潛艦の戰果 |
16 | 東部戰線戰況 |
17 | 赤機廿機擊墜 |
18 | 英の炭坑罷業愈よ擴大 |
19 | 新竹市支會 婦人鍊成會 |
20 | 花蓮港廳林業組合臨時總會 |
21 | 警官練習所生 新竹市內視察 |
22 | 飛行機建造資金一萬圓献納 淡水、多田榮吉氏 |
23 | 比島の食糧自給完成 飛躍的の增產を期待 |
24 | フロレンス市最初の爆擊 反樞軸空軍が |
25 | 協議會長會議 廿七日に開く |
26 | 督府人事異動 |
27 | 戰役昂揚映畫會並び音樂會盛況 |
28 | 花蓮港廳木材生產組合 設立總會を開く |
序號 | 標題 |
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01 | 平日通りの陣頭總指揮 休日返上第二日曜の總督さん |
02 | 緊急增產の完遂へ 來月から全國的に斷行 廿四時間作業制 |
03 | 皇軍に捧ぐ感謝 陸軍記念日軍司令部扱献金十三萬餘圓 |
04 | 陸海軍に六機献納 東勢郡民前線の叫び應へて |
05 | 增產に真摯な意見 臺北州農業會初總會 |
06 | 鬪ふ女子挺身隊(下) 勤めが教育の延長 望む指導者の時局認識 |
07 | 全島漁業組合中堅人物鍊成講習會 |
08 | 新年度の事業計畫 |
09 | 新島本社記者祖母逝去報社消息 |
10 | ラジオ |
11 | 貴重な體驗發表 町區指導經營研究發表會 |
12 | 入場者約八萬 島都決戰生活展 好評裡に開幕 |
13 | 白衣勇士慰安演藝會 宜蘭市藝能奉公團有志熱演 |
14 | 基隆の映画 |
15 | 新竹の映画 |
16 | 高雄の映画 |
17 | 今日の映画演劇 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇軍○○へ殺到 混亂の敵一萬を挾擊頭條新聞 【ビルマ前線○○基地中島陸軍報道班員十三日發】テイデイム附近における敵英印軍に對しわが包圍態勢なるや附金一帶の谿谷にある敵主力は早くも大混亂に陷り十二日朝來、敵は空軍掩護の下に續續と西北方に退却を開始したトンザン東方の峻嶮を突破して一擧敵の退路遮斷に邁進中の小河、岡本、齋藤、松村、上田、宮內の各部隊は敵が堅固に構へた○○を一擧に攻略し○○へ急進中である一方わが左側を猛進中の入江、末木、中谷の諸部隊はテイデイムを後方に見てこれまた○○へ殺到し周邊において退却中の敵主力約一萬を捕捉しここに東西よりこれを挾擊しわが爆擊隊の協力を得て空陸一體周章する敵英印軍の大殲滅戰は展開され殷殷たる砲聲はチン丘陵の密林を壓して壯烈を極めてゐる 【ビルマ前線○○基地中島陸軍報道班員十三日發】チン丘陵地帶方面英印軍主力擊滅戰は極めて順調に進展し我が巧妙なる奇襲戰況によって同方面敵主力約一萬の大軍は今將に捕捉されんとしてゐる、即ち◯◯附近よりリトンサンに向って西進中の小川、岡本兩部隊は十一日拂曉を期してトンサン東方の八一四三呎、七、九五三呎兩高地の堅陣に對して攻擊を加へ激戰ののち肉彈を以て同日午前九時兩高地を完全に占領し引續き敗敵を急進してトンサン北方に向って敵の退路遮斷のため猛進を續けてゐる、一方左側を進擊中の入江部隊は十日朝◯◯線に進出又末木部隊は所在の敵を擊破し◯◯に進出し又一部はテイデイムの敵主力を包圍態勢下に陷らしむるに至った一方オートホワイト正面の敵は我が猛砲擊によって安全的制壓されケネテー、ピークの敵砲兵陣地は大火災を起してゐる、かくて敵主力は地上よりの包圍攻擊と陸鷲の猛爆擊によって今や潰滅の運命を辿ってゐる |
02 | 敵主力逸脫を焦る |
03 | 所在の敵擊破猛進 |
04 | 西阿軍敗戰糊塗に躍起 |
05 | 我攻勢順調に進展 敵英印軍不安に動搖 |
06 | 笑止英米の感狀 |
07 | 厭戰機運が漲る 遠征重慶軍の實相捕虜中佐語る |
08 | 一億總動員の態勢 鐵壁の堅陣を確立 國內展望 |
09 | 獨軍長距離砲 英南岸を砲擊 |
10 | 米對蔣輸血路の 打通に躍起 |
11 | 燃ゆる鬪魂の結晶 “配置に死ぬ”海鷲の傳統精神 |
12 | 歐洲の上空搖がぬ ドイツの制空權誇示 國際展望 |
13 | 樞軸外交機關の 閉鎖要求を拒否 エールの對米回答內容 |
14 | エールの國民 政府を全的に支持 |
15 | 圖像:薄暮の空を逃亡する敵グラマン三機を追擊する我が戰鬪機 |
16 | 獨軍の反擊熾烈 ハンメル大佐の報道 |
17 | 獨軍の戰況 |
18 | 英國政府發表 |
19 | 米國務省發表 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 都市蔬菜供給の確保策 綜合的對策確立の要社說 一 今議會に於て當局は主要食糧に關する限り基準量を絕對にする事を言明し銃後に於ける最低生活の保障及び生產の增强に缺くべからざる一線である事を明かにしたのである。然しながら魚類及び蔬菜類等の副食物に關しては熱心の質疑應答が行はれたにも拘はらず滿足すべき結果を見るに到らなかつた。政府は目下諸般の改善策を考究中で近く具體化する豫定であると說明した丈である。蓋し食糧問題の對策は單に主要食糧の確保に止まらずして副食物も或る程度まで確保しなければ到底我我の一日所要のカロリー量(普通二千五百カロリー)を充分得る事が出來ない。此の問題は內地の都市丈でなく現在島內の主要都市も言ひ得る事である。最近臺北市に於ては當局の非常な努力で公定相場による蔬菜の供給を開始したが、現在末端配給機構の不備と供給量の不充分と相俟つて市民の要すべき最少數量の供給を為す事が出來ない實情にある。 二 然らば其の對策は如何にすべきかといへば先づ大都市中心への野菜供給圈を確立すべきである。卽ち其の都市に消費する一定數量の蔬菜を附近の農村から供給する方法を講ずべきである。次に地方の出荷團體と密接な連絡を取つて生產供出額の責任性を確立しなければならない。勿論地方長官との間に充分なる諒解の下に其の監督方法をも要請する必要がある。尚供給地の再生產と增產を促すには都市に於ける公定價格に再檢討を加へて或る程度の引上げを斷行すべきである。其の上都市荷受機構の是正と末端配給機構の刷新をも講じなければならない。中にも末端配給機構の整備に關して公共的な配給所の設置を構想すべきであるが、個人企業體の破壞に伴ふ社會的影響をも考慮せねばならないから簡單に實行するには相當困難であらう。元來島內に於ては蔬菜供給數量の不足は斷じてないが季節的供給不足に對する調整方法をも用意して置けば必ずや圓滑化するであらうと信ずる 三 最後に蔬菜類のみに限らず、魚類の配給や食用油脂類の供給をも綜合的により合理的に構想するにあらざれば、島民の最低食生活の萬全を期する事が出來ない筈である。上記諸問題の改善は銃後に於ける增產と生活安定の基本措置であるが、此の問題は單に市當局のみで到底解決する事が出來ない底のものであるから、此の際督府を始め地方官廳や民間の關係者が互に協力して一日も早く根本對策の樹立を熱望して止まない。 |
02 | 育英や生業に重點 軍人援護會の十九年度豫算 總額千五百四十萬圓 |
03 | 增產戰列へ羽搏く 學校工場から工場學校へ |
04 | 基隆商議所の議員總會 十六日に開く |
05 | 貯蓄で築け新東亞 島都四億總突擊講演會 |
06 | “事務補助者”とは 厚生省に應く男子禁止職種 違紀者を斷乎處分 |
07 | 新竹州自動車運輸社長に古木氏 |
08 | 臺北州支部に次長制 國民動員部次長に永山氏委囑 |
09 | 大に頑張る心算 坂田陸軍司政官語る |
10 | 海軍に廿四機献納 廈門日華兩國民の至情 |
11 | 赤誠の鐵屑同屑 壽町區會一同が献納 |
12 | 兵隊さんの下宿代金を献金 |
13 | 農學校生が工員の食糧確保 |
14 | 熱血學徒馳參ぜよ 陸軍特別操縱見習士官を招募 |
15 | 目指す“七洋制霸” 海洋訓練隊あす入隊式 |
16 | 增產戰式を激勵 坂口知事、基隆郡下農村を行脚 |
17 | 食糧生產增強懇談會を開く 基隆市管下農村で |
18 | 兵器增產に寄語 八優良工場を表彰 |
19 | 知事さんの應召 全國で最初・主計軍曹に |
20 | 戰ふ朝鮮官吏の身嗜み |
21 | 女の農業會長 六十歲の女丈夫 |
22 | 第五回無線講習會終了式 |
23 | 消防精神を昂揚 けふ夜間特別訓練を實施 |
24 | 働く女性を推進 宜蘭市に瑞穗會結成 |
25 | 木麻黃も應召 江藤知事官邸に伐採の斧 |
26 | 「業佃一體」を確立 新竹に地主報國隊結成 |
27 | 牧內少尉就任 臺灣憲兵隊司令部副官に |
28 | 學窓から海軍工員に 輝く合格者を鍊成 |
29 | 健民健兵の一翼 島都で結核豫防展 |
30 | 南化庄警防團 藷增產に一役 |
31 | 東京都空閑地 一齊に鍬入れ |
32 | 日婦幹部が婦人常會を視察 南化庄分會 |
33 | 人事報社消息 |
34 | 訃文:津山望(舊名陳望) |
35 | 訃文:劉周氏雪 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日曜每に街の清掃 偉いぞ!東園校のヨイ子供 感心した知事さん曉の激勵 |
02 | 棉花の增產へ 臺中州で獎勵增產方策を協議 |
03 | 適格者の母の指導啟發 高雄州で實踐方策樹立 |
04 | 奉壯嘉義市團 改組に伴ふ陣容決定 |
05 | 臺南州醫師會定期總會 |
06 | 嘉義市の貯蓄券賣切れ |
07 | 大溪街藝能挺身隊公演 |
08 | 軍事之栞 傷痍軍人の保護(四) 軍援事業愈よ徹底化 |
09 | 總力を戰力增強に 高級享樂停止に關し 濱崎警察部長談 |
10 | これからの奉公運動(六) 中心は青少年鍊成 何ものにも捉はれない氣持で濱崎訓練部長 |
11 | 行政事務の決戰化 市長、郡長、署長會議で協議 |
12 | 奉壯連絡委員會開く 屏東市會議室で |
13 | 臺中司法保護委員講習會 |
14 | 水利問題解決さる 臺南州で為灌溉地水源を調查 |
15 | 有事即應の心構 屏東市從軍記念會員の鍊成好成績 |
16 | 增產の乙女達に 皇奉支部決戰服を贈る |
17 | 食糧增產の要諦を講義 善化街で |
18 | マ病防遏賞金を献金 中埔庄三界保甲民 |
19 | 彰化市內中等學校募集締切 |
20 | 許道南翁逝去 |
21 | 津山氏嚴父逝去 |
22 | 地方多より報社消息 |
23 | 訃文:幸田英祐 |
24 | 江藤知事桃園の正條植督勵 |
25 | 臺灣纖維工業 倍額增資に決定 |
26 | 產業戰士の殊勳甲 福興庄謝慶氏 |
27 | 豚窃盜犯を檢擧 |
28 | 膨脹する市勢に對應 道路の整理と給水區域を擴張 |
29 | 鄉軍の武道大會盛況 屏東郡分會 |
30 | 興南案內報社消息 |
31 | 基隆の映画 |
32 | 新竹の映画 |
33 | 高雄の映画 |
34 | 今日の映画演劇 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 中小企業統制組織 商工組合法近く施行(上) 解說 |
02 | 蔬菜の需給圓滑化 栽培面積擴大を計畫 |
03 | 荷役機械の動員 |
04 | 青少年に米增配 臺北市廿一日より實施 |
05 | 臺灣農業會理事等任命 |
06 | 搗精工場等の買收基準 中央委員會で決定 |
07 | 南方セメント 社長常務交迭 |
08 | 商況 十三日 |
09 | 文化 臺灣の演劇と髷物(上)/瀧田貞治 |
10 | 興南詩苑漢詩 漫興/夢周生、出郭/夢周生、寄萊堂/夢周生、病中世事日變感作/南都、病中世事日變感作 其二/南都、病中世事日變感作 其三/南都、病中世事日變感作 其四/南都 |
11 | ラジオ |
12 | 決戰生活展を觀る(上)/新垣宏一 |
13 | 二月抽籤報國債券貯蓄債券當籤番號(其ノ三) |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 武勳青史に燦たり 清水少將以下百六十二將士 殊勳甲の優賞に輝く頭條新聞 【東京發同盟】畏き邊りでは十五日大東亞戰爭に赫赫たる武勳を樹て散華した海軍將士に對し第十五回海軍關係大東亞戰爭死歿者論功行賞の御沙汰あらせられこの旨同日午前零時海軍省並に賞勳局よりそれぞれ發表された今回優渥なる恩命に浴したものは昭和十七年二月より昨年八月に至るまでの間蘭印、北太平洋方面に攻略作戰並にソロモン海戰に參加し勇戰奮鬪遂に護國の人柱となった勇士の一部で內功績拔群にして特に殊勳甲として優賞せられたものは昭和十七年十一月三十日ソロモン群島方面において敵機動部隊に夜戰を決行大巡一隻、驅逐艦三隻に大火災を生せしめ戰捷の端緒を開き聯合艦隊司令長官より感狀を授與された驅逐隊司令清水利夫少將以下百六十二名である殊勳甲の優賞に輝く將士を大別すれば前記清水少將を始め開戰劈頭より驅逐艦長たりし小倉正身大佐など水雷戰隊の乘員五名、潜水艦乘員としては開戰以來潜水艦長として長期間に亘り索敵、哨戒、通商破壞の任に當り數數の偉功を樹て更にソロモン群島方面攻防戰においてはあらゆる困難を冐し敵前輸送作戰に克く重責を完遂した藤井明義少將以下七名、他の百五十將士は悉く海鷲であって、關衞中佐以下將士の大部はハワイ海戰以來の歷戰の勇士である太平洋各方面において敵航空兵力擊滅、屢次の敵機動部隊擊滅戰にまた挺身索敵接觸に善謀勇戰し壯烈なる戰死を遂げたものである 海軍省公表(三月十五日零時) 本日大東亞戰爭海軍戰歿將士に對し論功行賞の御沙汰を拜したり今回恩命に浴したる者は昭和十七年二月より昭和十八年八月までの間に於て勇戰戰歿せる者の一部にして內海軍少將清水利夫以下百六十二名の將士は殊勳甲として優賞せられたり |
02 | 殊勳甲將士の敢鬪史 |
03 | 敵五十二機擊墜 ウエワク地區で邀擊 |
04 | 陸鷲、地上火器の敢鬪 ニ島敵の空中反攻依然熾烈 |
05 | ラバウルに來襲 二日間に百六十機 |
06 | ポナペ島にも來襲 |
07 | 敵魚雷艇四隻屠る 海鷲、ブ島南岸を襲ふ |
08 | 北ビルマで 敵七機を擊墜 |
09 | 敵五大飛行場奇襲 在支米空軍徹底擊滅ヘ |
10 | 引續き桂林に巨彈 |
11 | わが海鷲の神の業 敵艦爆發、敵船轟沈 ボルゲン灣邀擊戰記 |
12 | 圖像:軍旗□捧銃 於緬印戰線○○ |
13 | タロア島に敵機來襲頻り |
14 | わが方優位を保つ 隨時出動作戰を展開 敵のビルマ反攻全く白晝の夢 |
15 | カラダン東北高地を占領 |
16 | トンザン東方高地占領 インド國民軍意氣軒昂 |
17 | トンザン陷落迫る |
18 | インド放送 |
19 | 英國の依然たる 植民地固守企圖 米週刊誌の社說で暴露 |
20 | 閣議決定事項 |
21 | 昨日興亞協力會議を開く |
22 | 軍援への寄附金二則 |
23 | 日本郵船人事異動 |
24 | 簡後通譯戰病死 |
25 | 定例閣議 |
26 | 臺北州警察部異動 |
27 | 海軍志願兵訓練所で所員募集 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 意志と意志との戰社說 一 大東亞戰爭の現段階が如何なる關頭に立つてゐるかは改めて說くまでもないであらう。戰局が深刻苛烈の度を加へれば加へるほど、敵米國の反抗が熾烈化すればするほど、我ら國民は申すまでもなく飽くまで戰ひ拔き勝ち拔く決意と覺悟を固くするばかりである。われらの必勝信念にして搖ぎなくんば、片片たる戰局の變化に一喜一憂する必要は毫もない。必勝信念の堅持は畢竟するに大東亞戰爭の最後の勝利を獲ち取る鍵と云はねばならない。現代の戰爭は國民と國民との戰爭であり、云ひ換へれば意志と意志との戰ひである。從つて最後の勝敗を決定するものは、戰意の有無と强弱であると云つても不可はない、必勝の信念にして動搖を來たし最後の瞬間に戰意を喪失せんが、假令武力戰に於て赫赫たる戰果を擧げて居つても、遂に敗戰の苦杯を喫せざるを得ないであらう。 二 このことは夙に世界戰史の訓へるところであり、真に深く銘記せねばならぬ一事である一例を引けば、第一次歐洲大戰に於けるドイツの敗戰である四年間といふもの國內に寸土たりと雖も敵を近づけしめなかつたドイツが、結果に於て敗戰したのは一體如何なる原因によるものか。人に依り見方によつていろいろの解釋が下されるが主たる原因は、要するに國民の戰意喪失であるとの解釋が最も有力である。恐らくこの見方が一番真實ではないかと考へる。第一次歐洲大戰が世界史始まつて以來の總力戰であり一大消耗戰である為に、四年間の長期戰で交戰各國民ともへとへとになり、殊に獨英兩國の何れが先に手を擧げるかに依つて勝敗が決定される段階に立ち至るや最も困窮せる英國が辛うじて頑張り通したのに反し、ドイツ國民が脆くも手を擧げたので、遂に自ら戰敗國の運命を辿るに至つたのである。 三 第一次歐洲大戰におけるドイツの戰敗はまさに自ら招いたものである。戰ひに勝ちながら戰ひに敗けたドイツの前轍は、必勝信念の動搖と最後の瞬間における戰意の喪失を全世界に訓へたのである。我ら日本國民は斷じて歷史が訓へる前轍を踏んではならない。現代の戰爭は既に第一次歐洲大戰の比及を許さぬ大規模の長期消耗戰である。斯る戰ひを戰ひ拔き勝ち拔くためには、並大抵のことではなく、國民は文字通り臥薪嘗膽の覺悟で居らねばならない。大東亞戰爭を完遂することは實に生きるか亡びるかの分岐點である、拔かねばならぬ所以は茲に存ずる。そのためには必勝信念の堅持滅敵必殺の戰意をますます昂揚しなければならぬ。鐵石の信念と熱火の如き戰意にして確固不拔なりせば、堅耐持久の精神も自らに發揚せられ、斯くして最後の勝利は我に在りと斷言しても何の憚るところはないのである |
02 | 飛行機を・彈丸を! 鐵鯨勇士達も海底から叫ぶ 綴る敵前輸送の勞苦 |
03 | 九江へ一番乘り 殊勳甲に輝く清水少將 |
04 | 海上輸送に殊勳 恩命に輝く藤井少將 |
05 | 迫る社頭對面の日 勳の遺兒廿九名決る |
06 | 未消化貯蓄債券を割當て |
07 | 戰歿勇士合同告別式 けふ西本願寺別院で |
08 | 皇奉中央本部 定例部長會議 |
09 | 一般旅行の制限強化 國鐵の全能力を決戰輸送へ 一日から實施 |
10 | 重要物資輸送に萬全 |
11 | 國民の協力を 五島運通相與る |
12 | 寔に破格の恩命 良子未亡人感激を語る |
13 | 市郡勸業課長會議を開く 新竹州農業會で |
14 | 築く大空の鐵壁陣 督府に防空施設課新設 |
15 | 一億總突擊 |
16 | 學徒動員態勢の徹底 |
17 | 警察官も戰鬪帽 臺北州けふから着用 |
18 | 總額六萬圓に上る 硬貨回收の成績上乘 北署管內 |
19 | 最善を盡す 宮崎宜蘭郡支會事務長語る |
20 | 町の防諜戰士 北工生小助川君を近く表彰 |
21 | 軍國婆さんの赤誠 感謝文添へて百圓献金 |
22 | 乳幼牛飼養管理品評會 |
23 | 人事・消息報社消息 |
24 | 施設課長に早川技師 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 義勇隊員の忠魂碑 けふ大武山で除幕式嚴修 |
02 | 高原知事の碑文 |
03 | 神靈の地、大武山 士族研究家 |
04 | これからの奉公運動 指導者の熱と誠意 國民組織に血を進はせよ日高宣傳班長 |
05 | 阿里山からの献金 一機ても早く送つて下さい |
06 | 企業整備の主旨徹底へ 嘉義で講演會 |
07 | 女學生に決戰生活浸透 各學校で講習會開 |
08 | 賞賜物件傳達式 高雄市で擧行 |
09 | 屏東郡でも傳達式擧行 |
10 | 赭顏に武勳輝く 特設勤勞團員晴の歸還 |
11 | 彰化分會が連勝 鄉軍の武術大會盛況 |
12 | 地主增產協力會支會結成終る けふ支會委員長會議を開催 |
13 | 軍事之栞 國家の秘密(一) 戰時下特に嚴守要望 |
14 | 高原知事歸廳 木材增產戰士激勵を終へて |
15 | 木材生產戰士を激勵 高原知事壽峠に入山 |
16 | 應召家族が献金 |
17 | 死の瞬間まで仲間激勵 愛國少女徒蓉さん青年團葬 |
18 | 能高郡砂糖小賣商組合總會 |
19 | 高雄市產業豫備隊 遊休者らで組織 |
20 | 臺中高農の入學許可者 |
21 | 香奠返に献金 |
22 | 徵兵制實施協力會 屏東市設置準備に着手 |
23 | 時局講演會 白河街分會で |
24 | 地方多より |
25 | 興南案內報社消息 |
26 | 基隆の映画 |
27 | 新竹の映画 |
28 | 高雄の映画 |
29 | 今日の映画演劇 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 中小企業統制組織 商工組合法近く施行(中) |
02 | 物價調整連絡會議 今後の運營強化さる |
03 | 卸小賣整備業種 產業部長會議で協議 |
04 | 甘藷二萬斤 中埔青年團員汗の結晶 |
05 | 臺灣產業金庫理事長以下發令 |
06 | 再編成協力會 十七日に總會 |
07 | 鐵工業統制會 臨時總會開催 |
08 | 戰爭と金屬(下) |
09 | 物價調整連絡協議會 きのふ臺南州廳で開催 |
10 | 日本的給與 制度の確立 |
11 | 食糧營團支部設備買收評價委員會 |
12 | 臺灣パルプ 第三回拂込徵收 |
13 | 商況(十四日) |
14 | 文化 臺灣の演劇と髷物(下)/瀧田貞治 |
15 | 興南詩苑漢詩 甲申春日七秩感賦吟社諸先生哂正並紊和章/倪炳煌、甲申春日七秩感賦吟社諸先生哂正並紊和章 二/倪炳煌、甲申春日七秩感賦吟社諸先生哂正並紊和章 三/倪炳煌、甲申春日七秩感賦吟社諸先生哂正並紊和章 四/倪炳煌、漫興/純青、甲申瀛社花朝記念會兼祝黃純青倪炳煌兩社弟七秩榮壽次炳煌弟韵/謝雪漁 |
16 | ラジオ |
17 | 決戰生活展を觀る(下)/新垣宏一 |
18 | 二月抽籤報國債券貯蓄債券當籤番號(其ノ四) |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 英軍の主力潰亂 皇軍、チン高地を確保頭條新聞 【ヒルマ前線○○基地にて橋本陸軍報道班員發】中部ビルマ國境チン丘陵地帶前面のわが攻擊は引續き順調に進捗わが各部隊の進擊に□って同方面の敵側交通動脈でありタイロルホン街道は今や遮斷の□□に晒されて居りテデイイム、トンザン附近にある英主力は二年前ビルマ作戰から彼等が着のめ着のままで敗退した同じ道再び雪崩れを打って潰走し始めたテイデイムには敵は昨年以來ここに英印軍の主力を置きトンザンと共にカソワ方面への有力な前進基地を形成更に極力敵交通動脈たる街道の擴張に努力する一方インド國民軍の出現以來インド兵の國民軍への參加を惧れて本年初め頃から第一作戰部隊には殆んど英兵をもってこれに當てまた駝馬部隊の外日に多き時は五百乃至六百車輛少なきも二百車輛に上る兵器彈藥、食糧などを輸送しビルマ奪回の重要基地として重要視してゐたがわが方の神速の進擊に依って後方遮斷の危機に頻せることは敵側にとっては病烈な打擊であったカレワ平地進出に依ってアラカン、フーコン方面と呼應ビルマ奪回に資せんとする敵野望はここに全面的に挫折の危機に見舞はれビルマの防禦態勢はここに鐵壁の固きを加へると共にチン高地のわが軍に依る完全確保は地理的にも恰かも地境地帶を南北に縱走する山岳地帶から南部チツタゴンを俯暇し得る極めて有利な態勢を示し殊に南部テツタゴン方面の敵四個師に對してはカラダン河上流地區を進擊する○○部隊の活躍と相俟ち側面より無言の脅威を與へることとなった |
02 | 隨所に敵の先制す 緬印國境戰局の全貌 |
03 | 鐵の防壁を形成 アンダマン、ニコバル兩列島 |
04 | 臺灣商工經濟會令 愈よけふから施行 |
05 | 社說 輸送增強へ挺身せよ社說 一 政府では現下の重大戰局に對處し、國內體制强化の强力なる遂行を圖るため去る二月二十五日の閣議に於て劃期的ともいふべき決戰非常措置要網十五項目を決定、そのうち一、高級享樂の停止一、官廳休日を縮減し常時執務體制を確立の二項目は、既に內外地相呼應して一齊にこれを實施し、一億國民は早くも精進忍苦の生活を通じて一段と戰意の昂揚を圖りつつあるが、その第二彈として一昨十四日の定例閣議に於て非常措置要綱の第八項目たる「重點輸送の强化」に關する件が附議決定され、その方針、要領及び措置が明らかにされた。今度の措置はその方針に示されてゐるが如く戰力增强並に防空疎開に必要なる輸送を强化するため國民戰意を昂揚し旅行の自肅徹底を期すると共に旅行の輸送(通勤及通學を除く)の徹底的制限を實施せんとするもので其實施は內地は四月一日からであるが、外地もこれに準じて措置すべきはいふまでもない 二 運通省の調查によれば陸上輸送の强化は支那事變以來再三行はれ、旅行列車も數度の壓縮によつて其多數は支那事變前の狀態に減少してゐるが旅客數は事變以來激增の一途を辿り昭和十一年を基準一◯◯とすれば十八年には數量指數に於で二五一距里指數に於て二八一に激增してゐるとのことである。かくの如き狀態では重要旅行者並に工員輸送を妨害することは當然である然も十九年度に於ては國民動員の强化に伴ひ勤勞者の移動並に通勤輸送は十八年度に比し倍加する見込みであるとのことであつて見れば今回の措置は一日も一刻も早く實施されねばならぬものであり、早ければ早いほど戰力を增强する所以たり得るのである。この兩三年大都市周邊の汎有る交通機關が乘客の氾濫狀態を示してゐるのは、近郊から都市への通勤者が激增せるためといふよりも寧ろ遊樂、物資買出等の不急不用の旅行者のためであるとのことであるといふが、これだけ廢減されただけでも戰力增强に資するもの實に莫大である。 三 特急、一等車、展望車、寢車、食堂車等の廢減は既に實施されつつあるところであるが、今回の措置に於てはこれを全廢し、急行列車は全廢を目標に差當り半減運轉し、更らに二等車は主線區以外は悉くこれを廢止することとなつた。從來一等車の如きはその乘客の八割までは貴眾兩院議員、上層官吏等の所謂無賃乘車券所持者によつて占められて居り屢屢問題になつてゐたものであるだけにこれを廢止することに決したことは何よりである。無賃乘車證による乘車の制限を强化するとあるが、出來得べくんばその地位、職務の如何に拘らずこれが發行を斷乎全廢するか或は極度に制限することも亦一方法である。要するに今回の措置によつて生じた餘力、能力は擧げて戰力增强に不可缺なる重要物資の輸送、工員の輸送等に振向けられるものであるから一億國民は忍苦精進、絕對協力をせねばならぬのである |
06 | 敗敵追つて進擊 國民軍颯爽と國境へ |
07 | 我軍の進出認む 東南亞細亞軍司令部 |
08 | 投降勸告文を投下 わが荒鷲敵上空で活躍 |
09 | 緬甸奪回作戰完全に失敗 イギリス誌報 |
10 | ハ島上陸敵軍を殲滅 |
11 | ラバワルに百機來襲 |
12 | ヤルート、ミレ 兩島に來襲 |
13 | 海口來襲擊退 |
14 | 圖像:對空監視に寸暇なし |
15 | 米英信するに足らず 重慶、インド民眾に重大影響 緬印國境擊滅戰 |
16 | 國府不正官吏に死刑 |
17 | リ米空軍中佐戰死 |
18 | 反樞軸陣營の破綻暴露 バドリオ政權突如として ソ聯の承認確保を發表 |
19 | へルソンから ドイツ軍撤收 |
20 | ローマ市を反復盲爆擊 市民夥しい犧牲 |
21 | 大藏省顧問に賀屋氏就任 |
22 | 暫時農業要員を指定 一切の徵用から除外 |
23 | ソ聯、南伊赤化工作に乘出すガイダ |
24 | ガイダ氏 爆擊で逝去 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 軍司令部關係英靈合同告別式 きのふ嚴かに執行はる |
02 | 看護助手の豫備訓練 全島五班に分けて實施 |
03 | 献金佳話一束 |
04 | 決戰增產に驀ら 堆肥舍建設競技會開く |
05 | “企業整備”に協力 奉壯團趣旨徹底に努む |
06 | 消費部門に貯續券勸獎 關係業者の懇談打合會開催 |
07 | 物故方面委員の慰靈祭執行 |
08 | 臺南市桔俱の第五回鍊成會 |
09 | 汗の奉仕結實 嘉義市上水道擴張工事成る |
10 | 校門から職場へ 島都巢立つよい子等 |
11 | 私達も防衛戰是 家庭防空群查閱始る |
12 | 繰出す「勞力援兵」 學校長等具體案を打合せ |
13 | 兵事主任會議 臺北州警察部で開く |
14 | 決戰下教育の諸問題(上) 非常即應の態勢確立へ |
15 | 決戰生活浸透へ 各部落に遊說對繰出す |
16 | 新竹州臨時部課長會議 |
17 | 臺灣農業會の各課長等任命 |
18 | 增產隘路を拓く 農器具修繕班を繰出す |
19 | 本社勤續社員表彰式報社消息 |
20 | 藁製背嚢大量生產 |
21 | 人事・消息報社消息 |
22 | ラジオ |
23 | 基隆の映画 |
24 | 新竹の映画 |
25 | 高雄の映画 |
26 | 今日の映画演劇 |
27 | 興南案內報社消息 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 壯烈極まる擊滅戰 英印軍第十七師の主力一萬 我包圍網中で大混亂頭條新聞 【ビルマ前線○○基地にて中島、松田陸軍報道班員十五日發同盟】トンザン附近谿谷の英印軍第十七師團の主力第四十八、六十三兩旅團約一萬の敵は我が奇襲作戰によって退路を完全に遮斷され我が包圍鐵環內にあってこれが空陸一體の壯烈極まる擊滅戰は十四日朝來展開され今や最高潮に達してゐる、即ちトンザン攻略中の小川、森重、上田、宮內、齋藤の諸部隊はトンザン東方の臺地に死物狂ひとなって抵抗する敵を隨所に捕捉、殲滅的打擊を與へ十四日九時齋藤部隊はトンザン北方のトイトムに肉彈戰を以て突入し續いて同南方高地を占領、テイデイム、トンザンの敵の退路を完全遮斷に成功、苛烈極まる殲滅戰を展開トンザンの敵軍事施設は早くも大火災を起して天を焦してゐる、一方入江部隊は十四日朝トンザン西北方二キロ附近のシンゲルに戰車、自動砲、自動貨車を有する敵有力部隊に對して猛攻擊を加へ又末木部隊は北上中の約數百臺の自動車部隊をスウョウ&○○附近において急襲分斷し大混亂に陷らしめ百數十臺の自動貨車を鹵獲した、斯くて包圍網中の敵は右往左往して狂氣の如く反擊を試みてゐるが今や殲滅は時の問題となった、 |
02 | 西阿軍殲滅の運命 |
03 | 敵側の宣傳悲觀的 警戒的色彩を濃化 |
04 | ブチドン北方で激戰 |
05 | 第三回のアラカン悲劇 |
06 | 十日間に卅四機屠る 在支米空軍蠢動を先制粉碎 |
07 | 圖像:伊勢の神宮□拜の應召勇士を激勵する東條參謀總長 |
08 | 六勇士赫赫の戰果 構築中の敵陣地を破壞 |
09 | 松隈、松永兩局長拜謁仰せ付けらる |
10 | 鐵鋼需給調整要綱 機動配給實現を期待 四月一日實施 |
11 | 海軍航空本部異動 |
12 | 兩提督の略歷 |
13 | 北ビルマ戰況 敵側の公報 |
14 | 冀中共軍を討伐 |
15 | 河北省西北共匪掃蕩 |
16 | マウントバツテン スチルウエル會談 反攻計畫の失敗再協議か |
17 | マウントバツテン負傷 |
18 | 正しい輿論指導 島都で情報事務講習會 |
19 | 密集地帶の疎開 皇奉連絡會議で懇談 |
20 | 國體觀念の滲透 思想委員會で方途を討議 |
21 | 獨軍の戰況 |
22 | 通信非常措置は 即時即刻實現へ 遞信局長會議、運通相訓示 |
23 | 英本國、エール間の電話遮斷 |
24 | バーナード・シヨウ 米英を非難 |
25 | 米上院、將兵投票法案を可決 |
26 | ロンドンを大爆擊 開戰以來最も熾烈 |
27 | 廿二、三、四の三日間 議會を再び開く 開院式廿五日の豫定 |
28 | アラビア海で 我潛水艦活躍 |
29 | ダ海峽事實上重要性失ふ |
30 | ルーマニア和平工作否定 |
31 | エール國民首相を支持 |
32 | ドイツ空軍 ナポリ爆擊 |
33 | マライ軍政部長會議 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 重慶の焦燥と印度不安激化 緬印國境の戰果社說 一 アキヤブ地區に於て英印軍第七師が殲滅的打擊を受け、一方カラダン方面よりする西アフリカ軍第八十一師もまた我が猛擊に依り、今や國境附近に壓迫され、全くその反攻企圖を封殺されるに至り、形勢は寧ろ逆轉、我に協力して要衝チツタゴンを目指して勇躍するインド國民軍は絕大な希望と自信を得るに至つた。又北緬フーコン地區に於ては、在印重慶軍が既に莫大な損害を被り、更に今回東部國境チン丘陵で蠢動の出鼻を挫かれて、ここにも我が鐵壁の布陣の前には如何なる蠢動を許さぬと同時に、ビルマ奪回は絕對に不可能であることを事實を以て證明されるに至つたのである。これに依り微妙なるインドの國內情勢を益益不安に陷れると共に、他方米英の奴隸となつて儚なき抗戰を續ける重慶に對し、ビルマ奪回の希望を徹底的に喪失せしむるの結果を招いてゐる。 二 卽ち印度民眾は假りに今度の戰爭に於て反樞軸側が勝つても、多年の宿願たるインド完全獨立は期待出來ないものとの見透を持つてゐる。寶庫インドは英國の弗箱であつて、永久に英國はこれを手放さぬことは第一大戰に於ける英國の空手形に徵して明かであり、又米國もその無限の資源と購買力に野望を燃しつつ、英國と頻りに膏を削つてゐる事實を見て、今次の戰爭にインド人の血を流し、財を傾けることは全く無意義である。これに反し緬印國境に於ける皇軍の米英擊滅戰はアジア民族、引いてはインド民族解放の聖戰である。從つて英米への戰爭協力は意義がないとの考へ方が一般的になつて來た。殊に力强く刺戟を與へたのはインド國民軍の戰線參加である。このためインド兵の戰意喪失は拍車をかけられ、インド兵の國民軍參加の機運は飛躍的に增大しつつある實情にある。一般民眾も食糧飢饉の深刻化と相俟つて、反米英感情をますます尖銳せしめてゐる。 三 他方重慶方面に於では、今次緬印國境の我が擊滅戰に依つてビマ奪回の望みの綱を完全に斷たれて焦燥その極に達してゐる。米國は支那大陸こそは日本本土攻擊を加へる反樞軸國の基地であると頻りに重慶に空世辭を振り撒いてゐるが、その反面重慶を米國の奴隸化すベく汲汲としてゐる。米國は自己の在支空軍强化に狂奔してゐるに拘らず、援蔣物資の如きはその實績が擧がらず、又フーコン地區に於ては既にその犧牲を大きくするのみであり、結局重慶軍の抗戰は米英の犧牲になるのみであることを判然と認識して來たのである。これは雲南遠征軍の如きは米英に不滿をもつて傍觀的態度を取つてゐるのに徵して明かである。 |
02 | 非常措置に即應して 軍事教育を強化 學校教練打合會で協議 |
03 | 不拔の鬪魂を涵ふ 皇奉本部に藝能奉公團創設 |
04 | 婦人の戰鬪配置 日婦十九年度の運營要綱 近く強力に實踐推進 |
05 | 高級享樂その後の停止狀況 |
06 | 增產新竹州を視る現地報告(一) 食糧と地下資源 二大使命完遂に力瘤 |
07 | 慶谷廳長、食糧增產を激勵 |
08 | 古老にものを聽く 繰出す“講古遊說隊” 皇奉臺北州支部 |
09 | 業者や女給と懇談 |
10 | 南方派遣軍屬募集 臺北憲兵分隊で |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 武勳とはに薰る 高砂義勇隊員無言の凱旋 |
02 | 臺中州出身の英靈凱旋 |
03 | 若櫻の分列閱兵式 廿日海志訓練所で擧行 |
04 | 招魂祭を執行 廿一日屏東市で |
05 | 臨機應變の處置 嘉義の救護演習好成績 |
06 | 高橋財務局長來嘉 貯蓄狀況を視察 |
07 | 立派な少國民たれ 山下市長巢立つ學童を激勵 |
08 | 企業整備講習會開 |
09 | 青年訓練の完壁へ 屏東市二校新設を決定 |
10 | 軍事之栞 國家の秘密(二) 機密を護るのは國民の本分 |
11 | 酒井臺南憲兵隊長 屏東憲兵分隊を初巡視 |
12 | 新興雜纖維加工品展示會 臺中州商工獎勵館で |
13 | 空地利用を強化 蔬菜の自給自作を期して |
14 | 臺南州農業會 設立總會終る |
15 | 彰化市の献金群續く |
16 | 徵兵制協力對策 皇奉盛澤山の行事追加 |
17 | 譽の食糧增產戰士 高雄州で優良地主らを表彰 |
18 | 女子增產隊を組織 農村の勤勞體制強化へ |
19 | 故汪敬忠軍屬の關廟庄葬 |
20 | 全島奉壯連絡會議 十九日臺中警察會館で開催 |
21 | 新化專農の卒業式 |
22 | 國民學校の卒業式一束 |
23 | 賃金規則講習會終る 屏東市主催 |
24 | 知事夫人も農村へ 各地のお百姓さんを激勵 |
25 | 高雄市船員後援會役員會 |
26 | 既に目標額突破 嘉義市地域職域兩組合の貯蓄 |
27 | 桃園街地主報國隊 十五日結成式擧行さる |
28 | 增產功勞者田野氏表彰さる 臺南州知事から |
29 | 中一中號献納を打合 彰化卒業生大會 |
30 | 輪番灌溉を強化 臺中州の水稻植付不能地對策 |
31 | 深耕犁を贈る 優良米穀供出者に 電源開發工事戰士より |
32 | 桃園街第一助役後任確定か |
33 | 決戰生活講演並に座談會 |
34 | 企業整備を懇談 屏東市郡產奉團で |
35 | 左鎮庄で貯蓄の懇談會開く |
36 | 人事報社消息 |
37 | 地方多より |
38 | 興南案內報社消息 |
39 | 基隆の映画 |
40 | 新竹の映画 |
41 | 高雄の映画 |
42 | 今日の映画演劇 |
43 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 本島水稻非常措置 都市青少年に水產食糧を增配 府實施策決定 |
02 | 金庫の使命達成へ 中嶋產金理事長就任の辯 |
03 | 石炭統制會社社債 政府の元利保證等決定 |
04 | 農水產課長會議 廿日糖聯で開催 |
05 | 州廳商工經濟會(上) 定款例 |
06 | 昨年度米實收高 六千二百八十八萬石と發表 第二回豫想より增加 |
07 | 銀行預金新記錄へ 二月末、七億圓へ肉迫 |
08 | 造船用材の供出 林務課長會議で協議 |
09 | 中小企業統制組織 商工組合法近く施行(下) |
10 | 商況 十七日 |
11 | 文化 馬と鰻と兵隊(上)/竹村猛 |
12 | 新刊紹介 |
13 | ラジオ |
14 | 職場に咲く花(上) 戰ふ若き女性達に捧ぐ/坂口䙥子 |
15 | 興南詩苑漢詩 瀛社花朝記念會席上口占/黃純青、次韻/雲漁老人、春郊雜感/文訪、後藤新平伯八面觀/鄭文治 |
16 | 二月抽籤報國債券貯蓄債券當籤番號(其ノ五) |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 迪、死の徬徨續く 退路を斷たれて潰亂頭條新聞 【ビルマ前線◯◯基地にて藤尾陸軍報道班員十六日發】千古未踏の樹海密林を突破猛進する皇軍破竹の進擊の前に敵八十一師團主力◯千は今や支離滅裂全くの混亂狀態に陷りわが側背遮斷より逃れんものと先を爭って潰走しつつあるがカラダン、ピー兩河數個の地點において敵側面を抑へた先遣林尾、小林部隊の強行突破に退路を斷たれた敵は今尚各所に死の彷徨を續けて居り既に行動を開始一路進擊を續けつつあるわが主力◯◯部隊は十四日以來空軍の物量投下を唯一の特みに脫出を焦って必死の抵抗を續けるこれ等の殘敵を捕捉擊滅しつつピー河谷を北上敵要衝◯◯に向け急進中である |
02 | 一ケ師全滅の悲劇 將に敵の頭上に見舞はれん |
03 | 隨所に肉薄攻擊 國民軍、皇軍と協力 |
04 | チツタゴンは 獨立發祥の地 |
05 | アキヤブ南方に敵機來襲 |
06 | 非人道の英印軍 退却に際して暴擧 |
07 | カナダの抑留邦人 筆舌に盡せぬ卑劣な待遇を受く |
08 | 米海軍新兵器豫算 |
09 | 廿二日議會を再開 建設的役割を果す |
10 | パルガス大使歡迎晚餐會 |
11 | 新政策は着着實現 谷大使上海で語る |
12 | 梨本宮殿下台臨 果立つ鳳鶵を御閱兵 |
13 | 敵屍山血河を築く 我鐵圈內に死物狂ひの抵抗 |
14 | 敵軍司令部も 頹勢を自認 |
15 | 日滿支連絡運輸の 戰時規定を制定 來る四月一日より實施せん |
16 | 大陸の週間戰況 |
17 | タルノポリの獨軍新作戰 |
18 | 芬蘭毅然たる態度 |
19 | 獨軍戰況發表 |
20 | 東西時事 獨米空中戰術較べ |
21 | 發明創意活用審查を新設 |
22 | 優秀乘組員に表彰狀 |
23 | 米英空軍八十一機を喪失 |
24 | 米弗取締り 重慶政權發表 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 蔬菜供給確保對策決定社說 一 最近に於ける蔬菜出廻の窮屈に夏期蔬菜不足並に特需の增加に鑑みこれが供給確保を圖る為督府では慎重考究の結果今般臨時應急措置として蔬菜栽培の强化を斷行することに決定、その對策を發表した。魚類等と共に蔬菜類の供給確保が副食物として最低限の國民生活の保持に必要かくべからざるものなることは今更事新しく述べる迄もないことで第八十四議會に於て活潑なる質疑應答がなされたのもこの故に他ならない。勿論蔬菜の供給確保については昨年來色色な手が打たれて來てはゐるが今般更に主要消費都市を中心とする自給圈の强化に重點を置いた應急措置がとられるに至つたことは諸般の事情に基く蔬菜の需給不圓滑の深刻化を物語ることでなければならない。このことは今迄とかく消極的かに見える栽培面積の擴大を斷行した事に徵して見ても極めて明白なところであつて臺北、基隆兩市及瑞芳街を目標とするもの六百甲、新竹市を目標とするもの五十甲、臺南市を目標とするもの百甲又高雄市を目標とするもの四百甲といふ風にそれぞれ都市近郊に栽培面積か擴大、確保されることになつた。しかして栽培用地の確保はあく迄主要食糧作物の生產に支障を來さないよう畑地及水田不適地中より適宜選定されることは勿論蔬菜の生產確保、指導及輸送等の便を考慮し成るべく經驗のある部落を中心として集團栽培を行はしめることも新しい試みだとはいへ確かな方法と稱してよからう。栽培されるべき蔬菜の種類は適宜とするも出來るならば栽培容易な大眾向蔬菜を選定すべきである事は現在の蔬菜缺乏の實情に鑑みて至極當然な要求であると謂はねばならない。其他種苗、農藥等の確保並にこれが配給については官廳又は農業會で必要なる措置を講ずる等生產部面に於ける實施方法は先づ行届いたものと言ふて過言ではない。 二 しかし蔬菜が如何程計畫通りに生產されたところでそれが全部目ざす消費都市に出廻はるのでなければ折角の應急措置も畵餅に終はる他はない。卽ち出荷が常に的確でなければならないがこの觀點よりしてその實施方法としてはそれぞれの州に於て季節別、種類別、地域別栽培計畫を樹立し且つ栽培者又はその團體に對し供出數量を指示しうるよう必要なる措置が講ぜられることになつてゐる。かくして生產された蔬菜は直ちに出荷されるとしてもそれが更に消費者にそれぞれ行亘るには現在の配給方法に幾多改善を要する點がないものだらうか、かりに臺北市に例をとつて見るに甲により多く乙により少く蔬菜が配給される現狀は決して健全なものとは言ひ難く從つて都市消費蔬菜の自給圈確保は全般の為であるとは言はれ得ないであらう。改めていふ迄もなく先般實施された臺北市の區域蔬菜販賣制は闇の防止と共に各家庭に最少必要量の配給確保を狙つたものでその趣旨固より妥當であつた、しかしその後時日が經過するにつれて各家庭への蔬菜配給がひどく窮屈となり而も各家庭ともその配給量がまちまちになつたのは勿論蔬菜入荷量の減少によるものであり配給技術のむづかしさによるものであらうが末端配給機關の改善整備と配給方法の改善とによつて解決される餘地が少くないのではなからうか、要するに前記の如き都市自給圈の强化確立は各家庭への蔬菜の均等配分に密接につながつてゐるべきでかかる見地に基く配給方法等への嚴しき再檢討を此際要望する次第である。 |
02 | 國語生活の育成へ(二) 全島的に「國語日」を制定し 強力な實踐運動展開 |
03 | 翼贊布教に萬全 傳道師鍊成會を開催 |
04 | 宜蘭市青年團查閱 |
05 | 宮本花蓮港廳警務課長着任 |
06 | 興亞奉公樂團 宜蘭市で開催 |
07 | 作れ、送れ、擊て ヨイコドモの赤誠献金 |
08 | オヂチヤンに早變り 安住秘書官保育園へ |
09 | 榮の“決戰創意”甲 初の技術院總裁褒賞を授與 |
10 | 增產新竹州を視る現地報告(二) 部落農業團體強化 米の供出も百パーセント |
11 | 須田農商局長宜蘭市へ |
12 | 基隆商議所議員總會開く |
13 | 新しい百圓札 廿日から發行されます |
14 | 柴田義勇隊員慰靈祭 |
15 | 野菜區域制による利益金を献金 |
16 | 節電に全幅の感謝 今後とも協力を要請 電器局長談 |
17 | 非常措置□實踐方策 運營委員會で協議 |
18 | 巢立つ女性 新竹市で壯行會 |
19 | 新治村の增產進軍譜 |
20 | 初の對策委員會 臺北州徵兵制施行に萬全 |
21 | 海洋訓練隊臺南州入隊者 |
22 | 全面的に協力 花蓮港で決戰生活懇談會 |
23 | 臺南州教育課理事官に近藤勝一氏 |
24 | 必勝生活對處懇談會日程 |
25 | 人事報社消息 |
26 | 增產戰是にお禮 各地へ慰問演藝團派遣 |
27 | 山地教育擔當者修了式 |
28 | 新竹州下中等學校志願者 |
29 | 俄然人氣を呼ぶ 一日で六千五百八十七圓 島都の貯蓄券賣出 |
30 | 常會の指導實踐 臺南州で定例連絡會議 |
31 | 訃文:重石義弘 |
32 | 訃文:里澤靜枝 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 海の兄鷲に續かん 飛行練習生に一擧廿七名合格 |
02 | 嘉義郡より六名 |
03 | 鄉軍彰化分會と青年校後援會役員會 |
04 | 學園の勝拔く構へ 中學校の教練を充實強化 |
05 | 市長さんが訓示 卒業式を終へたヨイ子供達に |
06 | 巢立つ學童を激勵 神田市長國民校修了式に訓示 |
07 | 未教育適格青年を訓練 桃園公會堂で |
08 | 勤報大溪訓練所上棟式擧行 |
09 | 第二回訓練實施四月から 高雄市中央訓練所で |
10 | 表彰狀を傳達彰化郡で 產組、貯蓄功勞者に |
11 | よい強い兵隊さんを…… 主婦連に協力を強調 |
12 | 奉公運動の展開狀況を 山本事務局長らが視察 |
13 | 愛林思想涵養へ 臺南州記念植樹運動を實施 |
14 | 臺南市の綠化 本年度は臺町一帶に植樹 |
15 | 淡水演劇奉公會晴の結成式 |
16 | 新生ジヤワの學徒(四) 工業學校 |
17 | 三峽街で貯蓄完遂を懇談 |
18 | 甲種合格目指し 臺南州四月匆匆適格青年を鍊成 |
19 | “一日二食主義” 決戰生活體驗談集まる |
20 | 軍事之栞 軍隊の內務(一) 內務令に對する心構 |
21 | 第一線の聲を聽く 庄司事務局長が區長訪問 |
22 | 觀音庄農業會總代當選者 |
23 | 國講講師養成所修了式 |
24 | 何れも責任額突破 新豐郡の國民貯蓄好調 |
25 | 農政確立へ邁進 臺南州農業會の計畫成る |
26 | 青年校教員臨時養成講習會閉講 |
27 | 嘉義市に献金群殺到 飛行機献納運動展開を前に |
28 | 國民學校卒業式一束 |
29 | 須田農商局長來花 |
30 | 養豚增殖競技會の入賞者に褒賞 屏東市書類で授與 |
31 | 厚生活用品展 廿四日から臺中教化會館で |
32 | 叺製作競技會 廿四日鳳山街で擧行 |
33 | 農業會の指導監督 市街庄と表裏一體たらしむ |
34 | 女子農業挺身隊 けふ臺中市で結成 |
35 | 少國民の納稅標語 |
36 | 葬式費を節約して献金 |
37 | 里澤本社臺中支局長母堂逝去報社消息 |
38 | 地方多より |
39 | 興南案內報社消息 |
40 | 基隆の映画 |
41 | 新竹の映画 |
42 | 高雄の映画 |
43 | 今日の映画演劇 |
44 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 蔬菜の供給確保 都市近郊に自給圈確立 督府の臨時應急對策決定 |
02 | 本年食糧の生產目標 目下農商省で研究中 |
03 | 商工組合の役割と 綜合配給制の確立 |
04 | 臺灣合同鳳梨 新社長常務選任 |
05 | 配當金振込 支拂制度 |
06 | 臺灣纖維製品 荷捌倉庫竣工 |
07 | 石炭聯の囑託 南聰明氏上海へ |
08 | 經濟手帳 協力工場の活用 |
09 | 商況(十七日) |
10 | 州廳商工經濟會(下) 定款例 |
11 | 二月の郵貯激增 前年同期の八割增 |
12 | 文化 馬と鰻と兵隊(下)/竹村猛 |
13 | 悠久への憧憬 臺陽展十周年/陳春德 |
14 | ラジオ |
15 | 職場に咲く花(下) 戰ふ若き女性達に捧ぐ/坂口䙥子 |
16 | 興南詩苑漢詩 寄勗高弘/文訪、敬次蘇育奇先生七十述懷瑤韵/子惠 林原榮三、哭慈母永眠/社寮 瀨川陽一 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | ケネデピーク占領 わが軍決死的突擊敢行頭條新聞 【緬印國境◯◯にて松田、有村陸軍報道班員十八日發】敵第十七師の本據テイデイムの前衞陣地ケネデピークの堅壘は遂に陷ちたわが精銳諸部隊に依って東、南、北の三方面より包圍、ケネデピークの敵は作戰以來わが軍の猛攻に戰意を喪失し後方からの苛烈な督戰で徒らな抗戰を續けてゐたが十六日薄暮より突擊を開始したわが包圍部隊前に脆くも潰え十七日朝四時に至り正面からの◯◯部隊の決死的突擊に依り遂に總崩れとなり八千八百呎の高所よりわれ先にと敗走わが攻擊部隊はこれを追擊してテイデイムヘと進擊を開始した斯くて昨年十一月フオートホワイト占領後わが軍を阻んでゐたチン丘陵地帶唯一の要衝もここに皇軍の□□□しテイデイムの敵本據の潰滅も今や目睫に迫った |
02 | 三方面より包圍猛攻 |
03 | 殲滅戰は今や最高潮 |
04 | 群る敵機に體當り 壯烈!高木、渡邊兩機の自爆 |
05 | 陸鷲シルチア連襲 空中戰で廿一機屠る |
06 | わが基地を窺ふ 敵五機を擊墜破 |
07 | 敵船一支擊沈 |
08 | 連絡本部委員 十七日に決定發表 |
09 | 金屬回收を強化 實施要綱決定さる |
10 | 米軍航空隊の攻擊法 ドイツ空軍省機關雜誌の報道 |
11 | 勤勞即生活を實現 閣議で昂揚方策要綱を決定 |
12 | 勤勞昂揚方策要綱(情報局發表) |
13 | 小畑忠良氏を 事務總長に起用 |
14 | 風雲急を告ぐ 獨ソの南部戰線 |
15 | 四次に亘る猛攻 我荒鷲、衡陽に殺到 |
16 | 米驅逐艦進水 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 女子挺身隊の強制加入 動員の飛躍的強化へ |
02 | 女子挺身隊制度強化方策要綱 |
03 | “一億の戰鬪配置” 厚生省當局と一問一答 |
04 | 教職員の保健確保 結核患者に療養補給金を支給 互助會理事會で決定 |
05 | 滅敵の生產職場へ 巢立つ豆戰士の壯行會 |
06 | 陸士豫科と陸經 願書締切日愈よ迫る |
07 | 增產新竹州を視る現地報告(三) よく働く婦女子 賴母し・決戰農村風景 |
08 | “空地利用”に垂範 總督官邸の庭園、農園に早變り |
09 | 輝く陸士豫科合格者 十日全員無事に入學 |
10 | 赤十字へ寄附 |
11 | 地域組織運營研究會 |
12 | 五月上旬に開く 下情を餘す所なく上通しませう 臺灣一家の總常會 |
13 | 海軍機建造資金に一千余圓 羅東街第廿五部落から醵出 |
14 | 雛鷲に又廿三名 花中、工に快報陸續 |
15 | 增產に大車輪 慶谷廳長が陣頭指揮 |
16 | 臺灣陸軍倉庫の軍屬募集 |
17 | 蔬菜の增產へ 水田作卅甲步を切替へ |
18 | 皇國女子の資質鍊成 島都に修德女學校創設 |
19 | 產業戰士慰問映畫 けふから一週間巡迴 |
20 | 學校の整理斷行 |
21 | 南北署に拾ふ献金佳話 |
22 | 人事報社消息 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 海の若鷲八十三名 港都から一齊に飛ぷ |
02 | 海軍甲種飛行練習生に合格廿二名 屏東健兒の面目躍如 |
03 | 臺中二中から卅七名 |
04 | 黃生軍屬の慰靈祭 |
05 | 臺灣華僑號に献金續續集る 新化郡公會に |
06 | 霧峰庄から一機 前線の叫びに應へ起上る熱誠の庄民 |
07 | 國語常用を推進 お山の人違に「國語常用彈」制度 |
08 | 嘉義市號の建造資金に提出 お藷賣上金を |
09 | 松島檢察官 潮州郡を視察 |
10 | 貯蓄では州下第一位 後龍庄表達さる |
11 | 草屯皇民鍊成協力會發會式 |
12 | 桃園の貯蓄總突擊講演會 あす公會堂で |
13 | “臺灣青年號”に 嘉義團員から八千餘圓醵出 |
14 | 彰化市の健民委員講習會 |
15 | 畜產の飛躍的增強 臺南州新年度から實施 |
16 | 譽れの海志合格者 廿七日から合宿訓練 |
17 | 龍潭農業專修と國民校卒業式 |
18 | 嘉義市支會弘報委員會 卅日に發會式 |
19 | 新生ジヤワの學徒(五) ジヤカルタ醫科大學 |
20 | 訓練に全力傾注 高雄州の徵兵實踐方策 |
21 | “榎坂少年達”の慈父 川島氏、舍監魂に生く |
22 | 軍事之栞 軍隊の內務(二) 人格修養上大きな役割 |
23 | 米供出の殊勳甲 臺中市優良組合表彰さる |
24 | 潮州街濟美會評議員會 |
25 | 增產挺身を誓ふ 女子農業挺身隊晴れの結成式 |
26 | 曾文郡各街庄農業會の創立 總會日割決定 |
27 | 繪畫の街頭一洞展 けふから銀座で |
28 | 各部落で生活決戰化を強調 麻豆街奉壯 |
29 | 新化專修農業生徒募集 |
30 | 徹底事項を決定 臺中州皇奉の運營委員會開く |
31 | 優良者に賞品授與 蓄牛增產競技會開く |
32 | 國語傳習所經營研究會 彰化市主催 |
33 | 臺南州警察部異動 |
34 | 潮州卓球同好會の卓球體練會 |
35 | 楠西庄奉壯の三月分月例會 |
36 | 地方多より |
37 | 基隆の映画 |
38 | 新竹の映画 |
39 | 高雄の映画 |
40 | 今日の映画演劇 |
41 | 興南案內報社消息 |
42 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 營團の給與適正化 愈よ會社經理統制令を適用 長官通達 |
02 | 企業整備への協力 臺灣再編成協力會の事業計畫決定 |
03 | 滿洲國の農地造成 緊急推進機關を設置 |
04 | 經濟手帳 貯蓄政策の重要課題 |
05 | 電力の消費規正 一部改正十八日より實施 |
06 | 家庭用糖の增配 月末迄には實施困難 |
07 | 米の代りにパン 給食設備不足の學校 |
08 | 食糧增產と土地改良 共榮圈內の現狀を觀る |
09 | 海上輸送推進本部 海運總局內に設置 |
10 | 朝鮮の特殊鑛物資源 |
11 | 京大學生工場進駐 |
12 | 商況 十八日 |
13 | 文化 この頃の學生氣質 主として臺大生を中心に/都留長彥 |
14 | 音樂と生產增強(上)/林和引 |
15 | 戰ひの乙女/西山かがよ |
16 | ラジオ |
17 | 決戰と女性の使命(上)/高田登代子 |
18 | 聖戰/秋月豊文 |
19 | 興南詩苑漢詩 五十述懷/莊芳池、五十述懷 其二/莊芳池、五十述懷 其三/莊芳池、五十述懷 其四/莊芳池、春日新竹公園即事/郭茂松、臺北卽事/郭茂松 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 戰局熾烈化の一途 敵包圍陣強化に狂奔頭條新聞 【東京發同盟】一月三十日の敵有力機動部隊のマーシャル諸島強襲に次ぐカロリン、マリアナ各諸島反復空襲に依り中部太平洋方面戰局は俄然緊迫するに至ったが二月二十二、三日にかけてのわが海鷲に依る敵機動部隊邀擊戰以後は同方面戰局には顯着な動きはなく暗雲を孕みつつも表面靜穩な推移が續いてゐる勿論ヤルート、ミレ、タロアなどマーシャル諸島方面のわが基地に對する敵の來襲は引續き問斷なく行はれてゐるとは言へ來襲敵機數は平均十機內外に過ぎずラバウル方面の敵來襲狀況に比すると極めて低調と言はねばならないしかしながら敵のこの方面からする進攻意圖はこれに依って中絕したのでない事は明瞭に察知され得る即ち敵太平洋艦隊司令長官ニミッツはワシントンよりハワイに臨任した際新聞記者團との會見において潜水艦戰の強化を強調してゐるのみではあるがその底意には何等かの攻勢を意圖してゐることが想像され得る一方南太平洋戰局はニューブリテン島及アドミラルテイ諸島を中心に依然苛烈を極めて居り特にラバウルに對しては今尚連日百機に達する敵機群が執拗獰猛な攻擊を反攻してゐる、またニューギニア島を繞る敵機の進攻も日を追ふて熾烈化し在支米空軍による大陸各地に對する敵機の跳梁も著しく頻繁化するに至った斯くて敵は南北中部各太平洋と支那大陸から日本本土を圍繞して尨大な物量を唯一の恃みに強烈な進攻を引續き強化して居り各戰線により一時的強弱はあるとはいへ全般的に見るとその相貌は未だ曾って見ない激しさを示してゐるしかも海洋決戰といひ大陸決戰といひその中心をなすものはあくまで航空機であり航空兵力のもつ重要性は戰局の進展と共に彌ケ上にも加重されるに至ったことを一段と銘記しなければならない |
02 | 敵機の爆擊下に 默默と作業に精進 死してなほ生き護る整備兵魂 |
03 | ジヤワ島の 東端に敵機 |
04 | 生鮮食料の生產確保 集苛配給の適正化 決戰國民の生活確立 |
05 | 豫備役將校候補者の 上にも畏き叡慮賜ふ |
06 | 脈動の態勢に置く 勤勞昂揚方策要綱 |
07 | ブチドン正面で再び激戰 緬印國境の戰局活潑 週間戰況 |
08 | ラバウルへ來襲 依然熾烈執拗を極む |
09 | タロア、ミレ に十三機來襲 |
10 | 赤軍ド河を渡過 ブグ中流で激戰續く |
11 | 退役下士官、兵に 再度奉公の道 |
12 | 獨軍又も新兵器を使用 |
13 | ロンドン爆擊 |
14 | 米、太平洋で 二潛水艦喪失 |
15 | 米英首腦再ひ會か |
16 | 獨軍戰況公表 |
17 | 敵廿九機擊墜 伊戰線の空中戰 |
18 | 米空軍五十三機を喪失 南獨爆擊の損害 |
19 | 屏東市支會事務長に錦織氏 |
20 | 竹南、北斗郡守異動 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 非常措置を實踐 青年鍊成に協力 四月常會申合事項 |
02 | 有事即應の體制 勤勞へ學徒動員 きのふ實施要綱發表 |
03 | 強力な運動展開 臺中で奉壯連絡會議 |
04 | 餘すな“寸土尺地” 島都空地利用要綱決る |
05 | 戰ふ齒科醫師 軍事訓練隊を組織 |
06 | 增產新竹州を視る現地報告(四) 官民國策に協力 大乘的見地から敢鬪 |
07 | 遭難幼年生慰靈祭 北一中で嚴かに執行 |
08 | 敢然增產戰線へ 巢立つ女乙らを途る(新竹) |
09 | 今井恒春郡守奇禍 |
10 | 家庭園藝に大童 花蓮港農學校栽培區域を設定 |
11 | 中村檢察官長 花蓮港に向ふ |
12 | ラジオ |
13 | 基隆の映画 |
14 | 新竹の映画 |
15 | 高雄の映画 |
16 | 今日の映画演劇 |
17 | 興南案內報社消息 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 畏し大元帥陛下親臨 陸軍航空士官學校卒業式頭條新聞 【東京發同盟】陸軍航空士官學校では二十日畏くも 大元帥陛下の行幸を仰ぎ同校生徒並に學生の卒業式を擧行した、この日 大元帥陛下には蓮沼侍從武官長陪乘松平宮相、木戶內府、百武侍從長以下供奉の略式自動車鹵簿にて午前八時五十分宮城御出門同九時十分原宿驛より宮廷列車に召させられ同十一時武藏高荻驛御着安田航空總監、菅原校長以下同校教職學生生徒其他東條兼攝陸相を始め顯官などの奉迎君が代吹奏裡に十一時廿分同校本部に行幸御小憇の御後航空軍司令官 李王殿下に御對面安田航空總監、菅原校長以下に單獨拜謁續いて參校の勅任官及同校奏任官に列立拜謁を賜はり同十一時四十分菅原校長の御先導にて劍術演技場に臨御北村士守大尉の指揮する卒業生徒學生少尉候補者廿八名の劍術を天覽遊ばされた天覧科目は先づ生徒の軍刀對軍刀に始まり續いて學生の軍刀對軍刀、少尉候補者の銃劍對銃劍、銃劍對軍刀と裂帛の氣合も銳く日頃練武の成果を遺憾なく發揮 陛下には龍顏殊の外御麗はしく拜し奉ったと承はる斯くて十五分に亘る演武天覧の御後午後零時五十五分大講堂の講演場に臨御暮譽れの優等生川村勝通生徒(岩手縣出身)の【航空兵の本領】と題する御前講演を約廿分に亘って聞召された御後同一時三十分榮えの卒業式場に親臨卒業證書は菅原校長から各中隊長を經て生徒にまた將校學生代表及滿洲國軍官學校候補生代表にそれぞれ授與され代って恩賜品を坪島侍從武官より優等卒業生に傳達され同一時五十五分嚴肅裡に終了した斯くて陛下には午後二時十分天機殊の外御麗はしく同校發御同二時三十分武藏高荻驛御發車同四時二十分原宿驛御着宮城へ還幸あらせられた、尚譽れの優等卒業者氏名左の通り △生徒 川村勝通(岩手縣出身)若杉是俊(熊本縣出身)星野惣次(東京都八王子市出身)杉光邦雄(佐賀縣出身)清水光雄(大阪府出身)浦田忠久(長崎縣出身)渡邊尚美(香川縣出身)石黑健三(愛知縣出身) △少尉候補者 山下茂一郎曹長(静岡縣出身)原田健二曹長(岡山縣出身)小林武久曹長(山梨縣出身)西村敏一曹長【京都府出身】樋口俊二曹長(岡山縣出身) △特別志願學生 坂本宗幸大尉(大分縣出身) |
02 | 印緬戰域への米軍の補給 |
03 | 皇軍突入の態勢 トンザンの敵總崩れ |
04 | テイデイム市街へ猛砲火 |
05 | 脫出企圖の敵に鉄槌 |
06 | 敵增援部隊を分斷 |
07 | 在支米空軍の編制を變更 |
08 | 我が病院を盲擊 無道暴戾な米英空軍 |
09 | 印度突入が目的 ボース首班獅子吼 |
10 | 東部の戰況 |
11 | 國際展望 中立國壓迫は失敗 米英ソの對立激化 |
12 | 飽くまで戰ひ拔く ドイツ人の偽はらぬ氣持 |
13 | 適宜機會を捉へて 政府の所信を闡明 東條首相の演說改めて行はず |
14 | 食糧確保の決議案 眾院に提出を要望 |
15 | 翼政會院內で役員會 |
16 | 地方議員の任期 更に一個年延長 改正法律案を眾院に提出 |
17 | 京城帝大總長 山家博士昇格 |
18 | 反樞軸空軍 ローマを爆擊 |
19 | ドイツ南部の空中戰 |
20 | 道府縣會議員の改選 明年九月一日 |
21 | カツシノ停車場を占領 反樞軸軍部隊 |
22 | 大嶽同盟社員戰死 |
23 | 內閣辭令(二十日) |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 小麥增產と價格問題社說 食糧增產の一翼として期待されたる臺中州下の二期米裏作の小麥が此の程收穫を了し略四萬石の產額を見た事は未だ豫定生產額に達せざるとは言へ小麥作の前途に對して確かに樂觀すべき現象であらう州當局としては早速蒐荷を濟まし農家に對しては自家用として二割還元せんとしてゐる事は新作物獎勵方法として極めて適當な處置である。本年二期米裏作からは新品種が一層普及される計劃であり農家栽培の熟練と相俟つて更に著しき增產を招來するであうう事は明かでである島內麥粉製造用として現在海南製粉及び朝日製粉の能力から言へば更に數倍の增產を要すべきであり、さうなれば態態內地より原料小麥を移入する必要がなくなりそれ丈船腹の節約戰力の增强となるわけだ。現在島內小麥の買上價格は百斤十四圓十錢であり內地の買上價格百斤十五圓二十錢(二等品)時代に決定した價格であるが、其の內地では米穀の大巾引上げに應じて百斤二十圓に改訂された、現在當局に於ては內地に卽應して價格の改訂を考慮してゐるがなるべく早く決定する必要がある。卽ち小麥の裏作は他の裏作作物に比して決して有利でなく。若し現在の價格を据置いたとすれば來年度の增產に必ずや影響するところ少なくないから、島內食糧確保の見地よりして速かに斷行すべき事を望まざるを得ない。 |
02 | 社說 營團等の經理統制社說 最近本島に於ける產業經濟の決戰態勢を確立するため、臺灣食糧管理令、臺灣農業會令、臺灣重要物產營團令、臺灣產業金庫令等一聯の律令が僅か半ケ年足らずの間に矢繼早に制定せられ、今やこれらの法令に基いて臺灣食糧營團臺灣農業會臺灣重要物產營團臺灣產業金庫等が組織せられいでれも國家の愛請せる戰力增强、食糧增產及び貯蓄獎勵の目的に向つて雄雄しく新出發せんとする事は誠に心强き限りである。これらの團體の理事者は大部分退官者を以つて埋められてゐるが、吾人の懸念とするところは其の經營上、事務處理上放漫に又は非能率に流れる懸念なしとしない。今般長官通達を以て營團理事並に統制會會長(本島に於ては鐵工統制會のみ)に對し會社經理令の適用を受けしむる事となつたのはかかる團體が稍もすれば事業會社との間に其の給與方法に著しき不均衡を生ずる事を防止せんがためであり、寧ろ其の適用の遲きに失する憾みなしとしない。此の問題は農業會や產業金庫に對しても同樣に言へる事である。これらの團體はいづれも重大な使命を荷つてゐる丈效率的に其の事業及び事務を處理し得るや否やは當面の一大課題であり若しもこれに反する場合には戰力增强の支障を來すべきは明かであるから、理事者が折角與へられた使命に對して遺憾なく完遂せられん事を熱望して止まない。 |
03 | 天皇陛下御親祭 宮中春季皇靈祭の御儀 |
04 | “船を一隻でも多く” 基隆港務局で二ヶ月間木造船の 非常增產期間を設定 |
05 | 督府勅任級の異動 臺中州知事に清水氏 |
06 | 全力を盡したい 森田新文教局長語る |
07 | 飽迄謙虛な氣持で 西村新臺北州知事語る |
08 | 身命を捧ぐ覺悟 清水新臺中州知事談 |
09 | 增產推進に功績 坂口知事惜まれて退官 |
10 | 皇國警察魂を體得 廈門警官留學生一行近く離臺 |
11 | “教育鍊成の一環” 決戰下の學徒動員岡部文相が放送 |
12 | 優良警防團を表彰 臺灣關係花蓮港市森氏 |
13 | 夏季蔬菜缺乏の惱み解消 州下栽培面積の大擴張を斷行 |
14 | “海だ男の征く所” 訓練對第五回の入隊式 |
15 | 非常措置即應の 計畫案を打合せ 新竹州下市長郡守會議 |
16 | 新竹州警察部武道大會 |
17 | 白衣勇士に感謝 二月下旬受付の慰問金品 |
18 | 獲物の小鳥千五百餘羽 獵友會臺北支部からの慰問 |
19 | 山內警務局長 昨日空路で歸臺 |
20 | 督府定例局部長會議 |
21 | 宜蘭青年校の查閱好成績 |
22 | 健民運動に拍車 全島主要市街で指導懇談會 |
23 | 決戰生活を推進 從軍記念會主催で座談會開く |
24 | 軍援委員並婦人世話人設置 基隆市で辭令交付 |
25 | 赤誠の献金品 |
26 | 中村大官長來花 |
27 | 飛行場建設資金献納者 臺北市受付の分 |
28 | 第五部隊への軍馬慰問 |
29 | 廈門商業專修卒業式 |
30 | 人事・消息報社消息 |
31 | 訃文:大山宗久(舊名林殿爐) |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 月月金金の訓練結實 海の若櫻月末に巢立つ |
02 | 意氣米英を吞む 海山郡の青年辯論大會既に敵を吞む 鬪魂烈烈海志の閱兵式 |
03 | 追加豫算を可決 臺南州參事會開く |
04 | 高橋財務局長來屏 貯蓄狀視を視察 |
05 | 遺家族の修養會 きのふ嘉義市で開催 |
06 | 外廓團體の統合方針を協議 屏東市で |
07 | 徵兵準備に萬全 桃園郡で委員會開く |
08 | 軍事之栞 軍隊の內務(三) 命令規則の確實履行 |
09 | 開南パナマが献金 |
10 | 新高郡號の献金陸續 |
11 | 海志の豫備訓練 大肚山でみつちりと鍊成 |
12 | 兵への道へ驀ら 海志入所者に豫備訓練 |
13 | 汪軍屬を弔ふ 關廟庄葬執行 |
14 | “さア、水筒の茶だ” 瀕死の重傷を秘し機上で部下を激勵 荒鷲の戰記 |
15 | 明日の健鬪を祈る 雛鷲に嚴かな壯行會 |
16 | 貯蓄等の懇談會 廿七日臺南市會議室で |
17 | 軍人家族修養會開く 鶯歌街で |
18 | 部落視察と研究發表 北港郡で研究會開く |
19 | 勞務需給の圓滑化へ 大甲郡で懇談會開催 |
20 | 中壢實修農業の卒業式 |
21 | 楊梅街富岡國民校開校式 |
22 | 愛國婆さんの鷄卵献金 |
23 | 青果物の闇摘發さる |
24 | 真劍な敢鬪振り 大甲で正條植の腕比べ |
25 | 表彰金を飛行機資金に献金 福山元大園組合長 |
26 | 開南工業所の產業奉公團結團式 |
27 | 神前で赤誠誓ふ 一齊に適格者の宣誓式擧行 |
28 | 實施行事を打合 高雄州の徵兵準備進む |
29 | 關西の婦女子 正條植競技會 |
30 | 地方多より |
31 | 訃文:李禎祥 |
32 | 興南案內報社消息 |
33 | 基隆の映画 |
34 | 新竹の映画 |
35 | 高雄の映画 |
36 | 今日の映画演劇 |
37 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 一期作の植付順調 食糧增產には治水工事が急務 須田局長東部視察談 |
02 | 貯蓄獎勵強力に實施 今後一段の努力を要望 高橋財務局長推進より歸る |
03 | 自動車事業組合 廿五日臨時總會 |
04 | 臺灣農業會 第一回總會 |
05 | 評議員會開催 水利組合聯合會 |
06 | 坑木 |
07 | トロール漁船確保 南日本漁業に近く讓渡 |
08 | 明治火災海上保險支店閉鎖 |
09 | 砂糖卸商組合 臨時及定期總會 |
10 | 島內株仲值表 |
11 | 最近の經濟問題 |
12 | 州廳經濟會の會員 指定除外の業種決定 |
13 | 彈丸切手 當籤番號 |
14 | 商況 二十日 |
15 | 文化 生活と文學(上)/陳火泉 |
16 | 音樂と生產增強(下)/林和引 |
17 | ラジオ |
18 | 決戰と女性の使命(下)/高田登代子 |
19 | 興南詩苑漢詩 依韻壽嘯霞兄古稀/覺齋、暮春感興/覺齋、晴園雜興/黃純青、春晴過承恩門/景南生、敬和炳煌社兄七秩原玉/林清敦 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 緬印國境へ進擊 チンドウイン河渡河頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(昭和十九年三月二十一日十六時) 緬甸方面の我が部隊は印度國民軍と協力してチン丘陵附近の英印軍に對し三月八日攻勢を開始し目下國境附近に於て殲滅戰展開中なり 別に強力なる我が部隊は印度國民軍と共に三月十五日ホマリン附近に於てチンドウイン河を渡河し緬印國境に向ひ進擊中なり |
02 | 據點トンザン陷落 |
03 | 主動攻勢、敵を壓伏 わが神出鬼沒の作戰 |
04 | 日、印軍攻擊を開始 國境を越へデリーへ 假政府聲明 |
05 | 敵側の發表 アラカン戰況 |
06 | 最大の激戰 ニユーテリーのエーピー電報 |
07 | インド突入の態勢 兩軍の對峙線國境より僅か卅粁 |
08 | 英、印兵隨所に衝突 |
09 | デリーへの道開く インドの心臟に拳銃 |
10 | 文字通り瘴癘の地 中部インド國境新戰場 |
11 | 敗敵三個旅を猛攻 カラダン方面大勢決す |
12 | インド民眾總蹶起要請 自由印度假政府聲明 印度獨立最終の戰ひ 我等の陣に參加せよ |
13 | 白螺磯に來襲 敵二機を擊墜 |
14 | 倫敦を報復報擊 |
15 | 獨、東南歐洲の軍事行動強化 |
16 | 獨軍、ウイニツツア市を撤收 |
17 | 獨土通商條約 補足協定締結 |
18 | 米、英の海上封鎖撤廢を要求 |
19 | 定例閣議 |
20 | 閣議決定事項 |
21 | けふの兩院 |
22 | 獨立の時迄全力盡す ラス・ビハリ・ボース氏放送挨拶 |
23 | マーシヤル諸島の 敵の來襲依然頻頻 |
24 | 米機廿四擊墜 |
25 | 米洲議會反ソ決議 |
26 | 中共、重慶に要求 |
27 | 東西時事 享樂追放再論 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 天皇陛下御親祭 嚴かに執行はせらる |
02 | 密林に挑む科學戰 マラリヤの清鄉に挺身の “鎌と顯微鏡”部隊 |
03 | 砂糖の增配決る 近く特別購入券配布 |
04 | 晴れの衛生戰士 看護助手豫備訓練始る |
05 | 少女歌劇を禁止 映畫は一時間四十分以內に 興行界の非常措置 |
06 | 建築の戰爭參與/佐藤武夫 |
07 | 運營方途を協議 奉壯臺北市團連絡委員會 |
08 | 閉鎖劇場の轉活用 |
09 | 生產部門に進出 高雄市で產業挺身隊結成 |
10 | 清水臺中州知事 けふ單身赴任 |
11 | 臺中一中臺北校友會幹事會 |
12 | 獨、肉の增配 |
13 | 有史以來の大虐殺 |
14 | 鍛へる“三り主義” どつしり、すつきり、はりきり 今に羽搏く空の強者 |
15 | 必勝生活對處懇談會 田中情報官を圍んで |
16 | 花蓮港奉公防空群競技大會 |
17 | お山の共同基地 改善優良者を表彰 |
18 | 臺北州醫師會 臺北市支部總會 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 海櫻の氣魄顯現 掉尾を飾る銃劍術大會 |
02 | 期待以上に立派 巢立つ海櫻を 松下海志學務部長語る |
03 | 貯蓄の必要を說く 桃園街の講演會盛況 |
04 | 軍人魂を打込む 屏東で海志の豫備訓練 |
05 | 屏東市銃後後援會評議員會 |
06 | 桃園街第一助役下地正幸氏任命 |
07 | 屏東平野水害豫防組合評議員會 |
08 | 八塊庄で女子田植競技會 |
09 | 地主報國隊誕生 中壢街で結成式擧行 |
10 | 軍事之栞 軍隊の內務(四) 自己の修練が第一 |
11 | 臺南市區青年團相撲大會 |
12 | 遺家族の修養會 廿五日彰化、和美校で開催 |
13 | 忠魂とはに薰る 屏東で招魂祭嚴修 |
14 | 陸軍墓地祭 臺中市で嚴修 |
15 | 英靈を弔ふ屏東市葬 二十七日執行 |
16 | 秘境セレべス縱斷記(上) 奧地の敵前建設を視る海外遊記 【メナドにて富田同盟特派員發】政治、經濟、文化、教育の各方面にわたり、セレベスの敵前建設は素晴しい躍進をつづけてゐる、記者は最近マツカサルからメナドに赴任した多田司政官一行と道をともにし陸路セレベスの屋根として重疊たる天嶮を連ねる中部セレベスの山岳地帶を邦人記者としては最初の涉破縱斷に成功奧地治安狀況と軍政の浸透ぶりを視る機會を得た、以下はその縱斷報告である 舊蘭印の道路 南部セレベスの坦々たる道路をウオトーまで車行し、ここで天嶮征服に必要な食糧、寢具、携帶品を運ぶトラジヤ族の人失六十餘名、馬六頭の輸送隊を編成し、翌朝七時自動車に搖られて標高千五百呎の地點にある◯◯に向ふ、見上ぐればタコレガシユの峻峯を圍繞する山々は近いものは翠然として濃綠の膚をかせ、遠いもは朝霧の下衣を纏つて薄紫の山容を誇つてゐる、車行すること數分でカラエナ川につき當る、南部セレベス五百粁をバスに搖られてここまで來ると舊蘭印時代の道路橋梁の本質が良くわかる、それは蘭人が徹頭徹尾自己本位であり風を切つて疾走するドライブの快適を目的とするスボーツのためにつくられたものだ 道路を作るにも建設費の低廉主義に基いて高原山嶽地帶は最急勾配最急曲線を用ひ資材と技術員を極度に節減する原住民を賦役に驅り出す鋪裝は自動車の走るだけ止めるかうして出來た道路を六七十キロのスピードでぶつ飛ばすのだ原住民は自分達の血と汗の賦役で出來たこの道路の兩側の細ぼそした草の小道を小さくなつて步くことのみが許されてゐた、橋梁は一般に極めてお粗末で幅員精々三米位、自動車の通行を限度として架けられてゐる、本國和蘭を豚のやうに肥滿させるための嘗ての植民地セレベスの道路と橋梁は產業開發のためでもなければ勿論原住民の便利や福祉のためでもなかつたことが瞭り呑み込める 前路を阻む天嶮 ◯◯まで約廿二粁路はは深溪谷を見下す山腹に出る、山間から迸り出る清冽な水は脚下數十丈の谷間を一氣に驅け下り重り簇る大岩にぶつかつて玉と碎け、折柄の陽光を促へて金紫の色に輝いてゐるその美しさは形容し難い正午近く○○に着く、ここは標高千五百呎人口約三百の聚落である、先發人夫によつてわれくの到着が判つてゐたのか車が着くと十歲から二十歲位までの青年團音樂隊が日の丸揭揚された廣場に堵列して笛と竹で出來た手製の吹奏樂器で愛內行進曲を奏でて歡迎して吳れる休憩一時間、愈々天嶮タコレガシユ峠に向ふのだ、荷物搬送の人夫部隊はそれぐ荷を擔ひ音樂隊の「螢の光」に送られて◯◯を出發する赤土の臺地を緩かに登つて二キロも行くと山間の濕地帶に入つた馬上に兩足を踏張つて之を乘切る次は急城だ、左側は急崖人も馬も一步行つては立停り二步行つては立すくむ騎乘組は下馬して步行に移る、道は進むにつれて愈々嶮しさを加へ人も馬も息づかひが荒くなる、ひと登り登ると今度は下りになる、やれ安心と思ふと思ふのも束の間、濕つた岩角や岩罄の下り坂は上るにも增して危ぶないかうなると、杖も用をなさぬ食糧を擔ひ宿營用具を背負い携帶品を運ぶトラヤ人夫も足許ばかりをみつめて進んで行く 猛獸毒蛇の境へ 約六粁の道程に五時間を費して午後六時、宿營地◯◯に着いた、人夫も馬もぐつたりしてゐる、◯○は海拔約三千呎、人家敷軒を數へる山中の小部落である、巡捕を通じて附近の樣子をきくとタコレガジユ越への最高地點まで約七八粁にすぎないが道は依然として急城と泥濘の連續、これから先は長さ七米に及ぶ錦蛇が出たり、鹿と野豚の合の子に似てバビルサと呼ぶ野獸も棲息してゐるが、一番性の惡いのは人間の尿に含まれた鹽分をなめに夜分人里に降るといふ野牛で體は小牛程にすぎないが頭上前向きに直立する角はあの大きな水牛をも斃す獰猛さときいては些さかひやりとさせられる(寫真は密林中の道路開鑿に原住民の協力)(つづく) |
17 | 組合員の負擔輕減 利子の差五十一萬餘圓 |
18 | 關廟庄農業會總代當選者 |
19 | 海の若鷲南一中から五十七名 尾形兄弟打揃つて合格 |
20 | 彰化市に熱誠の献金續く |
21 | 國語不解者を一掃 能高郡で常用推進員委囑 |
22 | 競技から戰技へ 高雄州、滑空等六部を設置 |
23 | 健全娛樂のタべ盛況 竹南唱歌奉公隊 |
24 | 青年校經營研究會 臺南第二青年校で開催 |
25 | コンクリート製家庭用防水桶 希望者に頒布 |
26 | 李禎祥氏逝去 |
27 | 地方多より |
28 | 貯蓄推進を報告 皇奉臺南州支部連絡打合會 |
29 | 新化郡醫藥品小賣商組合創立 |
30 | 聖戰第三年の信念/伏見猛彌 |
31 | 人事報社消息 |
32 | 興南案內報社消息 |
33 | 基隆の映画 |
34 | 新竹の映画 |
35 | 高雄の映画 |
36 | 今日の映画演劇 |
37 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺灣經濟の計畫化 營團の出現と今後/西北勝良 |
02 | 決戰體制と國土計畫 |
03 | 最近の經濟問題 |
04 | 東京海上火災新發足 |
05 | 英の勞働罷業擴大 賃銀植上げ要求堅持 |
06 | 改正會社經理統制令 新に特殊手當を認む |
07 | 木造船と海員/井關貢 |
08 | 臺北貯蓄聯合會發足 國債の消化等に邁進 |
09 | 農工調整 |
10 | 經濟手帳 產業稅制研究會設立の意義 |
11 | 文化 生活と文學(中)/陳火泉 |
12 | 臺灣經濟と農業問題/金子滋男 |
13 | 決戰川柳/楊光城;劉昌傳 |
14 | 興南詩苑漢詩 壽小松天籟翁/石厓、壽嘯霞兄/石厓、壽純青兄次瑤韵/石厓、壽炳煌兄次瑤韵/石厓、女婿從軍/黃純青、添丁報國/黃純青、待車寄春潮/黃純青、倪希昶七秩榮壽次韻賦祝/尊五、倪希昶七秩榮壽次韻賦祝 其二/尊五、倪希昶七秩榮壽次韻賦祝 其三/尊五、倪希昶七秩榮壽次韻賦祝 其四/尊五、甲申元旦/聯滄、春雨/聯滄 |
15 | ラジオ |
16 | 働くよろこび(上) 決戰下の本島人女性/中山ちゑ |
17 | 巢立つ子らを送る/林金莖 |
序號 | 標題 |
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01 | 侍從武官を御差遣 畏し航空兵器生產に大御心頭條新聞 【東京發同盟】 天皇陛下には大東亞戰下軍需生產及軍需技術の上に深き大御心を注がせ給ひ、曩に軍作業廳、監理工場、監督工場等に侍從武官を御差遣遊ばされたが此度苛烈なる現戰局を左右する航空兵器の生產增強に特に聖慮を垂れさせ給ひ關係航空兵器生產工場に對し重ねて侍從武官を御差遣遊ばされる旨御沙汰あらせられた、今回の侍從武官御差遣は御日程等の關係から四月一日より數十工場に御差遣あらせられる趣きに拜するが右につき東條兼攝軍需相は二十二日左の如く謹話した、 軍需相謹話 畏くも 天皇陛下におかせられましては現戰局下航空兵器の生產增強に特に大御心を注がせ給ひ航空兵器生產工場に對し侍從武官御差遣の旨御沙汰あらせられました、御差遣あらせられます工場の光榮はこれに過ぐる事なしと存じます、此度の御差遣は御日程等の關係から一部に限られました次第でござゐますが右の光榮は遍く全國の關係工場に及ぶものと拜察申上ぐる次第であります、戰局は極めて重大で航空機の增產こそその歸趨を決すると言ふも過言ではない、苟くも航空兵器生產に關係する者は總て畏き大御心を奉戴し粉骨碎身、航空兵器の增產に邁進し以て、聖旨に應へ奉らなければならない |
02 | 今こそ滅敵の秋 戰力增強へ總力を打込め 勝利の榮光は輝く 議會で東條首相發言 |
03 | ロンドン爆擊 |
04 | 徵用銓衡を適正化 |
05 | 地方議員法委員會 |
06 | 高松宮殿下台臨 海軍兵學校晴れの卒業式 |
07 | 社說 最後の勝利 擧國勇奮一番社說 一 一世の英雄ナポレオンは「戰爭は最後の五分間」と言つた。緒戰が戰局を或る程度支配することは言ふまでもないが、最後の決勝に於て過誤あるならば一敗地に塗れてしまふことは東西の歷史の明らかに示すところである。戰爭は「最後の五分間」と喝破せるは まさに名將ナポレオンの面目を躍如たらしめてゐるがそのナポレオンが皮肉にもワーテルローに於ける「最後の五分間」を誤り敗軍の將となつて大西洋の孤島に流戰された第一次世界大戰に於ても部逸は連勝連勝、英佛の咽候部に匕首を凝したのであるが國民に最後の五分間に打勝つ戰意がなかつた為めに戰敗國の名を冠せらるるに至つた。まことに「最後の五分間」は戰爭の勝敗を決する重大なる「時」である單り戰爭のみならず最後の締めくくりを完全ならしめねばそれまでの長い間の努力も犠牲も水泡に歸して了ふことが多い巷間の一無名人士が一書を寄せて「空地や街路に植ゑた愛國萞麻は半歲の丹精報ひられて立派に結濱今や收穫期に達したが、往々にしてその收穫を怠ってゐるものがあるため肝腎な實が地上に落ちこぼれてゐる」とあつたが、これなども最後の五分間を誤つてゐる好個の例である。 二 戰局の現段階に鑑み銃後に於ても各般の國民運動が展開されてゐることはまことに喜しく且つ力強きことではあるが、それ等の中には龍頭蛇尾に終るもの尠しとしない。折角遠大な理想と廣大なる機構組織の下に活潑に展開されたものが中途から衰微し有耶無耶に終るといふことはその運營者にして誠意熱意が缺如せるものなることは勿論だがそれを支持支援せねばならぬ國民大眾に責任の大半はあるのである。健忘症や倦怠症には兔角罹り易いものではあるが、今日決戰下に於ては左樣な亡國的症狀は許さるべきものではない。決戰非常措置要綱が發表され、既に實施されてゐるものもあるが、その中享樂面の停止などの如き相當思ひ切った措置が行はれたことは決戰下尤もな措置でありり、當局の英斷及び欣然これに協力した業者從業員に對しては衷心敬意を表するに吝かならざるものである。然しこれ等の停止せるものがただ形を變へ姿を替ヘただけで再現するやうではそれによつて生ずる弊害は、それを行はざる以前にまさるものがあるは必然である。決戰下國民にして喉もと過ぐれば熱さを忘れるやうでは到底勝利の榮冠を贏得ること出來ない。一億國民は忍苦の生活を甘受し「最後の五分間」のために更らに勇奮一番されたいものである |
08 | 敵、殲滅的打擊喫す 慘!チン丘陵の悲劇 |
09 | テイデイム市猛攻 殲滅戰も最後の段階 |
10 | インド突入を確認(敵側) |
11 | インド獨立を支援 東條首相重ねて明示 |
12 | 重大戰局を突破 東條首相決意を闡明 |
13 | 冬季掉尾の攻防戰 獨軍、反擊作戰を續行 |
14 | 獨軍ジユメリンカを撤收 |
15 | ス米國務次官 近く訪ソか |
16 | ヒ總統洪攝政緊急會談遂ぐ |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇后陛下 女子學習院に行啟 晴の卒業式に台臨 |
02 | “戰鬪行動”へ驀進 掉尾を飾つて敵前議會再開 |
03 | 明年度貯蓄目標に 萬全の攻略布陣 島都で準備打合會開く |
04 | 荷役增強に邁進 基隆に協力委員會 |
05 | 森田文教局長 けふ正式着任 |
06 | 新年度運營大綱 日婦主事會議で協議 |
07 | 新竹州支部四月申合事項 |
08 | 決戰服に型なし 體を防ぎ活動に便利なもの 皇奉本部基準を適牒 |
09 | 奉壯團宜蘭市團の曉天參拜 |
10 | 戰時則應の服裝基準 |
11 | 一億一體で進め 自分だけの華かさを考へずに 初登廳の西村知事訓示 |
12 | 內地少年工の發奮 前線から熱烈の要望 |
13 | 故音羽候に特別弔辭 |
14 | 女子教育の振興 權威者集めて懇談 |
15 | 羅東郡の國語塾の審查 |
16 | 陸志最後の銓衡試驗 愈よ廿九日から實施 |
17 | 健民健兵に萬全 主要地で指導懇談會 |
18 | 臺北州支部定例部長參事會 |
19 | “窄き門”へ敢鬪 島都の中等入試始る |
20 | 第廿二回彈丸切手當選番號 |
21 | 結核展 島都で開催中 |
22 | 皇奉新竹州支部運營委員會 |
23 | 臺南州部課長會議延期 |
24 | ラジオ |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 必勝議會けふ終了 決戰施策に重大寄與頭條新聞 【東京發同盟】眾議院は二十三日の本會議で地方議員の任期延長法律案を上程可決、直ちに貴族院に送附、貴族院も同日本會議を開いて、これを上程、眾議院同樣即日委員會審議終了の上可決、斯くて二十四日今議會の最終日を迎へるが眾議院は午前十時から最後の本會議を開き、決算建議、請願等の殘餘案件を上程、可決採擇した後、刻下の最緊急問題たる食糧增產特別建議案を上程、金光庸夫氏(大分)の趣旨辯明あってこれを可決政府に眾議院の總意を通達して全議案を議了する一方貴族院も最終の本會議を開き地方議員任期延長法律案を上程可決成立せしめ更に眾院同樣殘餘案件全部を上程可決採擇し茲に兩院共決戰下必勝議會に課せられたる政府提出豫算案三十三法律案の協賛の重責を果し航空機、食糧增產を中心とする生產力の增強、國民生活の確保、戰意の昂揚等政府施策の完遂に重大寄與をなし必勝議會の全使命を終り愈よ明二十五日閉院式を迎へる事となった |
02 | 地方選擧延期案 眾院委員會、原案を可決 |
03 | 貴院委員會も通過 |
04 | 貴族院本會議 |
05 | 眾議院本會議 |
06 | けふの兩院 |
07 | 皇軍インドに進入 國民軍を支援 敵殲滅戰を續行 |
08 | ブチドンでもわが強力攻勢 敵側公報發表 |
09 | 假政府行政長官に チヤタジー氏任命 |
10 | インド防衛一角崩潰 |
11 | 敵反攻の策源覆滅 米、英、蔣軍の蠢動封殺 ビルマ方面陸軍當局談 |
12 | カバウ谷地の 敵一個師退路を失ふ |
13 | 英印軍恐慌 ア州の各町村に強制自警團組織 |
14 | マウントバツテン狼狽 緬印國境戰局の進展に |
15 | 國民軍新銳隊の閱兵 ボース統帥激勵の辭 |
16 | 隨所に敵捕捉擊滅 敵大軍、チン丘陵の露と消へん |
17 | ブ島東端來襲 |
18 | ヤール島來襲 |
19 | 重慶船を擊沈 |
20 | 中部緬印國境 |
21 | 獨軍ハンガリア着 相互諒解の結果として |
22 | ハンガリア政府公報成文 |
23 | ハンガリアの國內は平靜 |
24 | 敵六機を擊墜破 廿一日ラバウル來襲 |
25 | 敵艦艇に命中彈 カビエン砲擊に應戰 |
26 | 伯林を盲爆 米軍□擊機隊 |
27 | ソ聯、伊軍港を要求 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 晝も夜もなし前線基地 尊し・機人一體の鬪魂錄 悽烈な空中戰 整備員の勞苦 |
02 | 賴む、銃後の生產陣 南方○○島の守り鐵壁 |
03 | 張り切つた氣持で 初登廳の森田文教局長訓示 |
04 | 勤勞觀念昂揚へ 皇奉幹部と桔倶が協議 |
05 | 六萬餘圓を献納 榮町區民醵出の飛行場建設資金 |
06 | 勞務管理者等の鍊成會 |
07 | 柴山督府鍊成課長歸臺談 |
08 | 決戰“生產力の倍加へ” 職域青年鍊成要項成る |
09 | 幹部候補生志願者等の 關係書類に特例 けふ官報で陸軍省令を公布 |
10 | 初の恩賜賞授與 合成護謨の七氏に |
11 | 年度末賞與の 一部を貯蓄に 督府から各官衙長に通牒 |
12 | 督府と皇奉の定例連絡會議 |
13 | 食糧增產に一役 麻豆の青少年團員 |
14 | “少尉任官をも知らずに” 中村曹長壯烈な自爆 |
15 | 定例區長會議 |
16 | 北區古物商組合總會 |
17 | 野菜買出し部隊にお目玉 |
18 | 內地だより 濱名湖の養魚場埋立 |
19 | 新聞配達で學童献金 |
20 | 滿蒙義勇軍父兄會 |
21 | 決戰服講座開く 廿六日市公會堂で |
22 | 宜蘭市農業會通常總代會 |
23 | 母親學校開設 |
24 | 弘前公園を動員 |
25 | 人事・消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 立派な水兵さんだ 海櫻、懷しの吾が家へ |
02 | 沿岸、養殖漁業に重點 高雄州水產會の新豫算 |
03 | 水產物の增產策 責任制と供出制を採用 |
04 | 所得稅の早期完納 彰化郡に復も凱歌 |
05 | 明糖防空群の國防訓練查閱 |
06 | 秘境セレべス縱斷記(中) 山深く皇威洽し海外遊記 【メナド富田同盟特派員發】 山中の日の丸 翌朝六時、隊伍を整へタコレガジユ越への最高處目指して進發する降雨の後のように濕つた山峽の比較的緩かな勾配を馬背に跨つて二キロも進むと、トラジヤヴヱレーの人夫が邦人技術者の指揮を受けた原住民マンドール(親方)と一緒に營々と働いてゐた、西南太平洋方面敵前建設、經濟開發に堂々の進撃を續ける皇國の卓拔な技術と、附近原住民の心からの協力と撓まざる勤勞は此山奧でもと着々と進んでゐるのだ、◯◯を出發した六時間餘りでやつと最高地點に到着、一同初めてほつとした高度三千呎弱、一行の揃ふのを待つて團長司令官の發聲で一同感激の萬歲を三唱した、ここから北側セレベスに屬する◯◯まで二十五キロ、午後一時半峠を下る、依然重複せる山又山が行手を遮つてゐる下つたかと思ふと又上り又上つたかと思ふと又下る、山膚の密林を縫ふあるかなきかの小徑を進む一行の頭上に珍しくも蝶々が二つ舞つてゐる、南緯二度赫々として輝く太陽の中で黃紫縞の可憐な翼をひらひらさせ緩かに舞つてゐた、午後四時過ぎ◯◯といふ部落につく戶數にして四軒餘りそれでも年若い巡捕が一人日本の腕章に正服正帽をつけ附近の治安に任じ、山中の部落民の指導に當つてゐる、巡捕事務所となつてゐるニツパ椰子葺きの堀立小舍の前に飜翻としてひらめく日章旗の莊嚴さ、有難さ恐らく戰前には顧みられなかつたであらうこの寒村にも皇國民政の暖い息が通つて居るのだ、馳け集つた十名餘りの部落民と共に一同打揃ひ、國旗に注目敬禮する、目頭が熱くなる 振返ると越へて來た山々に白雲が群つて、濃い雲が鵬の如くに翼を張つて峯を涉り谷を下つて押寄せて來る、これは雨だと思ふ間もなく沛然たるスコールだ、ままよとばかり雨にうたれながら強行を續ける、道は依然として惡い、篠つく雨に行手は霞んで泥濘はひどくなる、こんな個處で錦蛇や野牛に出合したら大變だ、心ははやる足は遲々として一行の進みは頗る鈍い 七時半漸くにして宿營地◯◯に辿り着く、辿りつくといふ言葉が最も適切に當る疲と困憊で、着いた當座はろくろくロをきく者がない有樣だ、小舍は極めて簡單、雨露を凌ぐだけで恐らくタコレガジユを越える旅人のために建てられたのらしく、附近には人家も無い疲勞と寒氣が相當強いので八時半といふのに板を並べたまゝの床の上に毛布にくるまつて橫になる 山蛭の強襲に悲鳴 翌朝七時一行は◯◯に向ふ、行程二十四キロ、昨夜來の雨で小舍の前から既に泥濘た、滑つて臀餅をつのくはまだしも、まかり間違へば石ころの如くに眼下に泡立ち走る溪流の中に落つこちねばならぬこの邊□——面は長さ三センチ、マツチの軸木みたいな山蛭の巢窟ときいたが、成程泥濘の表面や草の方にゐるわゐるわ、ものの三粁も進んでほつと一休みすると足がむづ痒い、泥だらけになつた靴と脚絆の間の靴下の部分が一面に朱黃色に染つてゐる、よく見ると靴下の上から血を吸つてゐる、靴を脫ぐと靴の中にも侵入してゐる、驚いてナイフをとり出してこすり落す、あちらでもこちらでもこちらでもナイフや木切れでごしごしやつでゐる、◯◯を發つて三時間もすると樹間を透して遙が北方、丘陵に包まれて白く光つてゐるものがある、待望のポツソ湖だ、一同俄かに勇氣づいて喊聲をあげる腰から下と上衣の袖は泥だらけとなつて進むこと三時間、漸く平地に近づき心に餘裕が出來たためか蟬の聲も耳につき、サゴ椰子の茂みも深くなつた、道は次第に良くなり紫煙の立ち昇るのもみえる すつかり日本化の住民 筆舌で表はし得ない苦難の行路、タコレガジユ越への天險を物の見事に征服してわれくは午後二時○○に入つた、トアン日本の御來臨といふので附近學校の兒童が原住民教師に引率され、大きな日の丸の旗を先頭に灼けつく午後の陽もものかは「太平洋行進曲」を歌ひながら四列に整列一行に歡迎の挨拶をする、終ると答禮に立並ん□一同のため「愛國行進曲」や「曉に祈る」を高唱する、下級學年と覺しき兒童の一群はなんとまた「お手々つないで」の童謠だ、團長の答禮が終つて一同大日本帝國萬歲を高らかに三唱する。無性に嬉しくなつて附近から買集めをした菓子を一人々々附近の子供にわけ與へる、テリマカシー(有難う)といつてピヨコピヨコンと頭を下げる、子供は何處でも可愛い、ポソ湖の南岸に着いたのが七時すぎ南國とは思へぬ蕭條たる細雨が煙つてゐた。湖畔にあるパツサングラハム「簡易公營宿舍」に落付く一行の到着をきき傳へてか、附近の住民が雨の中を續々と宿舍の前にやつて來る。そして頭を下げてはまた歸つてゆく、トアン日本に敬意を表して來るのだ、ここは人口約一千のトラジヤの部落で親日の情はみたところ並々ならぬものがある(寫真は作業に原住民も協力) |
07 | 弘報委員會 けふ臺中で |
08 | 兄の死を秘して指導 責任感の強い團員茶花さん |
09 | 建國精神の昂揚/亘理章三郎 |
10 | 麻豆日婦の國防訓練查閱 |
11 | 入所前みつちりと けふから海志の豫備訓練 |
12 | 軍事之栞 軍隊の內務(五) 資質鍊磨の道場 |
13 | 桃園郡警察異動 |
14 | 桃園家政校の志願增加 廿七日から入試 |
15 | 臺中で必勝生 活對處懇談會 |
16 | 鄉軍の義氣軒昂 曾文分會定期總會開く |
17 | 防空思想を昂揚 桃園座 |
18 | 麻豆街農業會創立總會 |
19 | 楊梅街女子救護講習終了式 |
20 | 決戰演劇懇談會開く 廿五日臺南州で |
21 | 中溪湖、埔鹽兩國民校卒業式 |
22 | 龍潭庄徵兵制記念辯論大會 |
23 | 桃園農業校の志願者八百名 |
24 | 興南案內報社消息 |
25 | 基隆の映画 |
26 | 新竹の映画 |
27 | 高雄の映画 |
28 | 今日の映画演劇 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 統制會社整理統合 督府の實施基準決定 |
02 | 蔬菜の確保對策 出荷責任制確立を答辯 |
03 | 食糧確保建議案上程 |
04 | 日糖崙背原野開墾工事竣工 |
05 | 海南產業近く創立 臺拓海南島事業を繼承 |
06 | 臺灣纖維工業 亞麻工場を增設 |
07 | 優良管理者に褒賞 曾文郡耕地防風林組合 |
08 | 農業會長の監督權擴大 |
09 | 經濟手帳 今議會の貯蓄增強新方策 |
10 | 融資指定制と金融市場 |
11 | 商況(廿四日) |
12 | 必勝貯蓄に凱歌 新化街の國民貯蓄好成績 |
13 | 市街地信用組合 取扱心得公布 |
14 | 砂糖の生產對策 近く東京で具體案協議 |
15 | 戰爭と砂糖 |
16 | 文化 生活と文學(下)/陳火泉 |
17 | 興南詩苑漢詩 題鄭成功受降荷人圖/陳清秀、讀南都感作次其原韻/寄廬、讀南都感作次其原韻 其二/寄廬、讀南都感作次其原韻 其三/寄廬、讀南都感作次其原韻 其四/寄廬 |
18 | ラジオ |
19 | 働くよろこび(下) 決戰下の本島人女性/中山ちゑ |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ブ島我部隊奮戰 トロキナ敵陣第一部を奪取 敵一個師團半を攻擊頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(昭和十九年三月二十四日十五時三十分)ブーゲンビル島に於ける我部隊はトロキナ附近の堅固なる半永久陣地に據れる約一個師團半の敵に對して三月上旬攻擊を開始し力戰の後敵陣地の一部を奪取爾後敵の熾烈なる砲爆擊を冐し攻擊續行中なり |
02 | 悽慘壯絕な肉薄攻擊 |
03 | 對峙五□月の戰鬪經過 |
04 | 敵本據タムへ猛進 英印軍の動搖、戰意喪失は瀝然 |
05 | インパールを強襲 |
06 | テイデイムから前進 |
07 | けふ閉院式を擧行 |
08 | 一切の議事を完了 |
09 | 眾議院本會議 |
10 | 貴族院本會議 |
11 | 和衷協贊の實擧ぐ 岡田眾議院議長語る |
12 | 農地賣買、小作契約 地方長官の許可を要す 臨時農地管理令を改正公布 |
13 | 連絡確保に懸命 チン丘陵に戰ふ電鍵部隊 |
14 | 敵緬印國境の危機を憂慮 |
15 | 自己陶醉に眩惑(敵の敗因) |
16 | 我が進出認む 東南アヤ軍當局 |
17 | 國境警備強化 |
18 | ラバウルの敵機執拗 |
19 | 歐洲防衛線と ハンガリアの地位 ドイツ外務當局言明 |
20 | 獨軍の洪國進駐 ブタペスト政界好評 |
21 | 修繕第一主義 船舶補給に鬪し妹尾長官が言明 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | よい子供達も戰ふ 國民學校教育內容に關する 臨時措置要綱決定 |
02 | 長谷川總督 勅使として參向 嘉義神社列格祭に |
03 | 附議事項豫よ決る 定例地方長官打合會 |
04 | 白衣勇士に感謝 臺北陸軍受付の慰問金品 |
05 | 指導員募集 臺北市立青年學校並皇民鍊成所 |
06 | お子樣の學用品 隣組同志で融通し合ひませう |
07 | 清宮樣吳竹寮に御移居 |
08 | 墓地にみる必勝の購へ |
09 | 輕金屬の大增產 一日から突貫作業始る |
10 | 鐵の訓練を見學 青年校の職員志願兵訓練所へ |
11 | 征け、海の若人よ 海軍生徒の志願心得 |
12 | 必勝の信念に燃える献金 建成校のヨイ子供 |
13 | 新竹州國語常用に本腰 |
14 | 新竹州下で寫真移動展 |
15 | 人事報社消息 |
16 | 訃文:林呈禎 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 不急事業を停止 臺灣決戰措置要綱に基き 高雄州實施要綱を發表 |
02 | 献納熱愈よ高潮 「新高郡號」に押寄せる赤誠の郡民 |
03 | 憂國の熱論沸騰 烈烈、壯者を凌ぐ高齡者の 決戰生活座談會開く |
04 | 徵兵制懇談會 林國民動員部長を迎へ |
05 | 增產女子挺身隊幹部鍊成會 廿七日から屏東郡で |
06 | 決戰教學の新型態/伏見猛彌 |
07 | 屏東の徵兵協力會 廿九日創立總會開く |
08 | 譽れの海の若櫻 桃園郡下の合格者 |
09 | 優良造林業者らを表彰 臺南州支部 |
10 | 護國の神を弔ふ 廿九日高雄市葬執行 |
11 | 秘境セレべス縱斷記(下) 諸施設次第に充實海外遊記 【メナドにて富田同盟特派員發】 日本人に似たミナハサ 薄闇みに湖畔に立つと湖水は大きい波頭を立てゝ岸を洗つてゐる、微茫たる暮色の中で際涯はみえぬ原住民の話では日中は風波が荒く丸木舟の走行は困難とのこと、夕食後協議の結果、午前零時岸テンテナまで丸木舟による十時間の強行縱斷を決定、一切の手筈を整へる、睡眠僅かに二時間、直徑一米もあらうかと思はれる丸木舟十隻を傭ひ、各舟に二、三人に二、三人宛身の廻り品と共に分乘して闇夜の湖上に乘出す、午前九時豫定 より一時間早く對岸のテンテナに上陸した、村長と村の有志の案內を受けて瀟洒な官營宿舍に落着いて朝食をとる、何はともあれとぐつすり睡つて起されたのが午後二時、遲い晝食を濟ませ、村の散髮屋を呼んで頭を刈り、鬢剃らせる叮嚀ではあるが切れない剃刀でゴリゴリさか剃りされるので痛くて堪らぬ、兩側の家は床の高いのに變りはないが構造がどことなくこみ入つてどつしりしてゐる、少女もオカツパで清潔た、部落全體が明朗で道を通るものも家の中にゐるものもわれわれをみかけると「コンニチハ」「コンニチハ」と會釋する、テンテナは人口千二百マカツサルでもアンパンでもミナハサ人をみかけたが、テンテナ附近を中心とするミナハサ人は成程日本人によくもこんなに似たものだとつくづく感心した、女は桃色味を帶びた血色の艷かさこそないが、乳白色の皮膚の色も顏つきも內地の女そつくりだ、大抵跣足で步いてゐるが、あれに靴か下駄を履かせ娘に和服でも着せようものなら誰がみても日本人かミナハサ人か言葉以外には判斷出來まい 到るところ親日一色 ポツソ湖を中心とする附近一帶は米の產出が多く知られてゐるが、昨年初に棉花の試作が行はれ相當の成果を收めたので前記出張所員の懸命の努力により、一段と食糧を增產を計ると共に棉花の栽培も積極化してゐる現狀だ、教育施設は上級及び普通公學校の二校があつて、原佐民教師による部落民子弟の公民化教育は目覺ましい實績をみせ、日本を知り日本を學び日本を慕ふ童心は日に日に昂まる一方だと聞いた、さらにテンテナには◯◯商社の依託經營になる農民鍊成所が本年一月設置された、年若い出張所員の精魂打込んだ指導の下に、各部落から選拔された青年二十五名が農業實務に從事する傍ら瑞穗國日本の勤勞思想と高邁な大東亞共榮圈具現の理想を教へられてゐるかくして中部セレベス青少年の皇民資質の鍊成教育は、榮ある產業建設の戰士として美しい花を咲き立派な實を結ぶことであらう、テンテナで一泊、翌日午前自動車でポツソに向ふ、三時間足らずでトミンに臨むポツソの町に着き、ポツソ會館といふ邦人倶樂部に落着くポツソの原住民皇民化はまことに並々ならぬものがあつて、從來オランダ色の濃厚であつたこの町も今ではすつかり知日親日の町となつてゐる、青年團も結成され婦人會も出來てゐる、また昨年十月からは花嫁講習會と銘打つた期間四ケ月の講習會も開かれてゐる、勿論十四、五から二十前後の結婚前の娘ばかりの講習會ではあるが、嘗て內地に簇出した花嫁學校とは一寸違ふ 中村少年の插話 ポツソで忘れることが出來ないのは、中村進といふ日本人を父にインドネシアを母に持つた混血少年の話だ、中村君の父はトミニ灣岸で椰子園を營み比較的豐かな生活をしてゐたが、海波の襲來で一朝にして家屋を傾けて落魄し、昭和十三年妻と子を殘して異郷の地で淋しく逝去した當時ポツソに在住中の邦商鳴海氏は中村少年の伶俐さを愛しみ、自分の店で働かせて母の子の生活の面倒をみてゐた、大東亞戰爭勃發と同時に君の血管には父の血が日本人の血が脈々として流れてゐた、在留邦人が一齊に監禁されたにも拘らず自分を引張つてゆこうとはしないのに業を煮やして「俺は日本人だ、なぜ自分だけを逮捕しないのか、敵國蘭印の地で生活したいとは思はぬ、お母さんは可愛想だが自分も外の日本人同樣監禁してくれ」と自分から堂々監禁を申込み、濠洲に送られて目下彼の地にゐるとの由、この話をポツソの民政部當局の人からきいた時、生死もわからぬ敵の手中に日本人の誇りをかけて自ら飛び込んだこの少年の日本人たるの氣慨と豪膽さに全く胸のすく思ひがした。 中村君よ、一日も早く再びセレベスの土を踏んでくれー日本はセレベスはインドネシアは君の歸りを待つてゐる、逞しい君の氣慨と意氣は必ずセレベスの盛上る力を更に倍加し、大東亞建設を促進してやまないであらう。 ××× 中部セレベスの縱斷涉破を完了してポツソ滯在九日、一行は二月初め海路バリギに進み、トミン灣のウナウナを經由しマカツサル出發以來二十一日目に無事メナドに安着したのであつた(完) |
12 | 軍事之栞 軍隊の內務(六) 皇軍の服務は絕對的 |
13 | 飛行機建造資金を献金 |
14 | 增產戰士を顯彰 各種品評會の表彰式擧行 |
15 | 增產競技會の褒賞授與式 三十日嘉義郡で |
16 | 警察官に稅を講義 |
17 | 營業用米を節減 高雄州四月から實施 |
18 | 麻豆警防團月例會 |
19 | 決戰生活對處懇談會 廿八日臺南で |
20 | 田中情報官の講演會 臺南州會議室で |
21 | 高雄二中開校 募集人員百名 |
22 | 所得稅の早期完納 桃園稅務出張所管內 |
23 | 屏東郡煙草耕作組合總會 |
24 | 員林東國民學校卒業式 |
25 | 農夫米兵を生捕る |
26 | ユダヤ人のスパイ逮捕 |
27 | 林呈禎翁逝去 |
28 | 地方多より |
29 | 基隆の映画 |
30 | 新竹の映画 |
31 | 高雄の映画 |
32 | 今日の映画演劇 |
33 | 興南案內報社消息 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 戰時食糧非常措置 具體的建議案を上程 增產農業者に特別報獎制度確立 |
02 | 甘藷育苗の要點 未だ改善の餘地多し |
03 | 電球工場を建設 本年秋頃に操業開始 |
04 | 日銀副總裁に谷口大藏次官 |
05 | 住宅營團評議員會 勞務者住宅建設に邁進 |
06 | 鑛工關係學校卒業者の 使用認可申請 至急提出せられたし |
07 | 臺北航空ホテル 五日、營業開始 |
08 | 商況(廿四日) |
09 | 最近の經濟問題 |
10 | 甘藷增產の秘訣 苗床面積の擴張が必要 |
11 | 大藏次官に松隈秀雄氏 |
12 | 役牛の增產確保 增殖五ケ年計畫の內容 |
13 | 文化 奉公運動と指導者 特に智識層の任務に就いて(上)/林宗賢 |
14 | 詩 田植/川添新輔 |
15 | 興南詩苑漢詩 題鄭成功受降荷人圖/晴園 黃純青、寄晴園主人並祝七十榮壽/南都 |
16 | 新刊紹介 |
17 | ラジオ |
18 | 俳句の文化性(上)/王碧蕉 |
19 | 「清秋」の自己發見/簡國賢 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇軍戰鬪機の精華 尾崎中和大尉に二階級進級 感狀上聞に達せらる頭條新聞 【東京發同盟】尾崎中和大尉は坂川部隊戰闘飛行中隊長として昨年四月以來在支米空軍の撃滅戰に赫々たる戰果を收め尾崎戰闘中隊の偉名を謳はれたが歷戰八箇月十二月二十七日遼川飛□の攻擊において爆撃隊を掩護其の白晝奇襲攻撃を成功せしめた敵戰闘機二十數機の反撃に會するや率先果敢なる攻撃を如へ敵機數機を撃墜破しわが爆撃機隊の歸還を完了使命を達成したし□かしこの奮戰中大尉の愛機も致命部に敵彈を被り行動の敏速を失ったが僚機に對する敵機の蝟集攻撃を見るや猛然正面より敵機に激突これを救出せるも遂に遂川上空において壯烈無比なる戰死を遂げた、尾崎大尉の壯烈なる戰死は戰爆一體作戰の極致を發揮せるのみならず敢然として部下の急に赴き己を棄てて全權作戰の成果を果したものであり真に皇軍戰闘隊の權化として絕讃されたが今回畏くも大尉の殊勳を嘉せられ特に二階級進級の恩命を賜ると共に感狀上聞に達したる旨二十五日午後二時陸軍省より次の如く發表された陸鷲將稜にして二階級進級の破格の御沙汰を拜したものは曩に軍神加藤建夫少將あり更に昨年九月十二日北千島來襲の敵機に體當りを以て撃墜した橫崎二郎少佐あり合回の尾崎大尉の二階級進級はまさに第三回目のことに屬するが本土空襲を狙ふ在支米空軍の增強されつゝある秋大空に散華した尾崎大尉の殊勳を聞くことは一億國民の制空の決意を昂揚すること極めて大なるものがある 陸軍省發表(昭和十九年三月二十五日十四時) 今般左の通り發令せられたり 陸軍大尉 尾崎中和 □陸軍中佐(寫真は尾崎中佐) 陸軍省發表(昭和十九年三月二十五日十四時) □□十八年四月以來在支戰闘飛行部隊中隊長として各地に轉戰赫々たる偉勳を樹て同年十二月二十七日遂川飛行場攻撃に方り自機生命部に敵彈を被りつゝも僚機の危殆を救ふため敢然敵機に激突遂に壯烈なる戰死を遂げたる陸軍大尉尾崎中和に對し曩に支那派遣軍最高指揮官より感狀を授與せられしが今般畏くも上聞に達せられたり 感狀 坂川部隊中隊長 陸軍大尉尾崎中和 右は昭和十八年四月以來在支戰闘飛行部隊中隊長として重慶昆明及桂林などに對する進攻作戰に將又要地附近の邀擊戰闘に常に進んで至難なる任務に服し克く部下を掌握指導し善謀敢闘赫々たる戰果を收めたり 即ち大尉の統率せる中隊の敵撃墜機數は僅々半歲餘にして五十數機に及び其の內十九機は實に大尉の直接撃墜せる戰果にして特に敵大型機に對する攻撃に至りてほ真に入神の技を有し燗眼克く戰機を捕捉し熾烈なる敵大編隊の彈幕し一戰必勝の肉薄攻能に依り所屬戰隊大型機數の過般數を自ら屠れり同年十二月二十七日正午過遂川飛行場の攻撃に方り大尉は勇躍爆擊部隊の直接掩護に任じ緊密なる協同の下該部隊をして奇襲克く敵大型機多數を捕捉するを得しめたり次で敵戰闘機二十數機の優位なる態勢を以て反撃し來るに會するや大尉は率先果敢なる攻撃に依り其の敵機を擊墜破し敵機のわが爆撃部隊に對する攻撃を完全に擊壞せり前して本奮戰間大尉は搭乘機の致命部に敵彈を被り一時行動の敏速を失ひしも僚機の危殆に頻するを見るや之に胃集攻撃中の敵機に猛然正面より激突を敢行し遂に狀烈なる戰死を遂げたり以上大尉の行動は少稀に見る卓抜たる戰闘技術と積極敢為烈々たる攻撃精神とを以て屢々偉功を奏し殊に其の最後に於ては戰爆一體の極致を發揮せるのみならず己を棄てゝ部下の急に起き敢然として敵機に激突せる真に皇軍戰闘隊の精華を發揮せるものと言ふべく其の武功抜群軍人の龜鑑とするに足る 仍て玆に感狀を授與し之を全軍に佈告す 昭和十九年二月八日 支那派遣軍最高指揮官 畑俊六 |
02 | 大陸航空擊滅戰に挺身 尾崎中佐の俊翼の跡 |
03 | “武門一家” |
04 | 非常な部下思ひ 武勳輝く尾崎中佐 |
05 | 清宮兄弟の戰死發表 |
06 | ロンドン爆擊 |
07 | 第八十四議會閉院式 |
08 | 閉院式勅語 |
09 | 諸方策を協力遂行 議會終了に當り東條首相談 |
10 | 東條首相參內 |
11 | 重光外相參內 |
12 | 閣僚、議員を御慰勞 |
13 | 首相、議員委員一同を招待 |
14 | 退路扼し敗敵猛攻 タムの敵は總崩れ |
15 | インド救出を確信 東條首相聲明に感謝 |
16 | 東部軍司令官藤江大將補され 西部軍司令官下村中將補さる 陸軍異動きのふ發令 |
17 | スバアキアデマを一蹴 |
18 | ア州各地を暴擊 |
19 | 陸鷲の戰果 |
20 | インド國民軍猛進 母國萬歲を叫びつつ |
21 | ヒ獨總統と重要會談遂ぐ バルカン樞軸首腦 |
22 | 建甌飛行場を強襲 |
23 | 第二戰線近し チヤーチル言明 |
24 | 宜蘭市で農村慰問演藝會 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇后陛下の御仁慈 譽の遺兒に御菓子賜ふ |
02 | 小泉厚相謹話 |
03 | 皇恩の忝さに感泣 長谷川總督謹話 |
04 | 斃れて止まん海軍魂 驅逐艦勇士奮戰美談 |
05 | 思想戰に勝ち拔け デマ放送に斷乎鐵槌 |
06 | 貢寮庄葬昨日嚴かに執行 |
07 | 平溪庄葬あす執行 |
08 | 島內六日刊を統合して “臺灣新報”誕生 輿論指導へ新たな構想報社消息 |
09 | 軍援事業振興強化 北投に遺家族慰安所を設置 評議員會に附議 |
10 | 賞賜物件傳達式 |
11 | 四億貯蓄、後一息だ 擧島最後の努力要望 財務局發表 |
12 | 一般の戒心要望 土井州高等課長談 |
13 | 市制の施行及街庄の合併 一ケ年間停止 |
14 | 街庄職員を優遇 共濟制度の範圍擴張 |
15 | 臺灣新報社の主腦部陣容報社消息 |
16 | 基隆市水陸兩署警防團查閱 |
17 | 中口、慶谷兩氏 優遇勅任に昇進 |
18 | 藝能文化研究會第三回公演報社消息 |
19 | 總督府辭令 |
20 | 六社共同聲明報社消息 |
21 | 新使命の達成へ 思想戰の彈丸として 齋藤長官談 |
22 | 匿名女性五人の赤誠 飛行機建造資金百圓を献納 |
23 | 臺灣自動車運送事業組合初臨時總會 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 米穀增產に萬全 高雄州農業會新年度豫算決る |
02 | 皇國農村を建設 增產熱の昂揚に拍車 |
03 | 林產物の積極增產 樹苗を無償配布 |
04 | 高雄州年度末賞與を發表 |
05 | 青年校指導員講習會終了 |
06 | 決戰生活實踐の座談會 日婦潮州街分會 |
07 | 皇奉北港街分會の懇談會 |
08 | 增產に寸土餘すな 豐原郡開墾挺身隊繰出す |
09 | 最大の戰力增強 職務を了解せよ/小川清二 |
10 | 大楠校修了生献金 |
11 | 仁德庄農業會總代決定 |
12 | “斷然頑張ります” 女子青年が生產戰へ挺身 |
13 | 事務の迅速處理 行政係官打合會で協議 |
14 | 嘉義神社御昇格奉告祭 二十八日嚴かに執行 |
15 | セレべスの異色地帶 軍政を謳歌する竹苗樂團 |
16 | 軍事之栞 軍隊の內務(七) 週番勤務と內務衛兵 |
17 | 愛林實踐運動 愛林記念日を中心に展開 |
18 | 嘉義中學の合格者 |
19 | 善化街農業會通常總會 |
20 | 實踐事項を協議 健民指導醫連絡會議開く |
21 | 下營庄農業會創立總會 |
22 | 十分間のストライキ |
23 | ビアニストの前線慰問 |
24 | 巴里の殺人鬼逮捕 |
25 | 獨の小數民族對策 |
26 | 米英カリープ海會談 |
27 | 婦人の決意を促す 臺中の必勝生活懇談會 |
28 | ロケツト爆彈更に改良 |
29 | ガイラニ教授爆死 |
30 | 地方多より |
31 | 基隆の映画 |
32 | 新竹の映画 |
33 | 高雄の映画 |
34 | 今日の映画演劇 |
35 | 興南案內報社消息 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 食糧の國內自給に 米と甘藷を大增產 共同作業品評會要項等決定 |
02 | 米品種の改良に 原種採種田設置を補助 |
03 | 簡保の普及運動 臺灣產奉愈よ乘出す |
04 | 照明燈 |
05 | 甘藷の原種圃 採種圃設置要項 |
06 | 勞力の共同化促進 農業團體品評會開催 |
07 | 倉庫業の整備統制 海陸港灣荷役力を昂揚 |
08 | 島茶の減產計畫 平均四割八分を減少 |
09 | 大西郡守農業戰士を慰問 |
10 | 兜町前場況 |
11 | 島內株仲值表 |
12 | 文化 奉公運動と指導者 特に智識層の任務に就いて(下)/林宗賢 |
13 | 興南詩苑漢詩 題鄭成功受降荷人圖/魏潤庵、甲申古元日/希文 高士穆 |
14 | 「フアウスト全集」の貴重文献 |
15 | ラジオ |
16 | 俳句の文化性(下)/王碧蕉 |
17 | 隨筆 轎に乘る心地/陳春德 |
18 | 「音響學普及版」出版さる |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | タムの包圍完成 敵第廿師潰滅に瀕す頭條新聞 【緬印國境前線星安報道班員二十五日發】トンザン・テイデイム附近において第十七師團全滅の憂目に遭ひ英印軍は今亦カバウ谷地の第二十師をインド國民軍並に之を強力に支援する日本軍のためにモレ、タム附近において十九日完全に包圍され潰滅に瀕してゐる、即ちタムの前衞要衝ウイトックの要塞を十九日突破した戰車、火砲の機甲部隊を有する日印同盟軍の精銳は敵第二十師團の本據タムに向って本街道を北進、タム南方十キロのパンタ附近に戰車濠をめぐらし堅固な陣地を築いて抵抗する敵に對し總攻擊を續けてをりこの方面に於て苛烈な激戰が豫想されるが一方テンデン西方に於て國境線を突破したインド國民軍並にこれを支援する○○、○○の諸部隊はインド領內を深く北進して十七日乃至十九日にはモレの西方約二十キロのジボン附近に於てタムモレからパレルに通ずる二本の道路の橋梁を扼して敵の退路を遮斷し更に又十五日チンドウイン河を渡河した驗打なる日印同盟軍は密林內の間道を西南進を續けて十九日モレの北方二十キロミンタ及そ北方タナンにおいて敵の北方幹線を完全に遮斷しモレ、タムに蟠踞する敵第二十師團の包圍網完成、今やその鐵環をぐいぐい締め上げてをり、哀れ敵第二十師團の運命は風前の燈となり第十七師團同樣その殲滅は時間の問題となった、敵はトンザン、テイデイムの第十七師團に呼應すべくカバウ谷地に英印軍第廿三師團を配置してウュー河を通じてビルマへの反攻を企圖してゐたのであるがその後パレル附近にあった第二十師團と交替せしめその本據をタムに置き雨期に備へて後方道路を鋪裝しさかんに兵力を送ってゐたので○○に於て國民軍に參加せるグルカ兵○○大尉が「チンドウイン河の○○より強力な日印同盟軍の攻擊を豫測しなかったために斯くも簡單に包圍された」と語ってゐる如く敵は全く我が日印同盟軍の神速果敢な奇襲作戰の術中に陷ったものである又同大尉の陳述によればチャンドフボース氏を總帥とするインド國民軍の進擊が最近インド兵の一般に擴まり今まで日本軍に捕はれると非常に□待されると言ふ英□將校の惡宣傳に惑されてゐたこの地方の英印軍は今や內憂外患その極に達し軍幹部は全く焦慮狼狽してゐる、尚第二十師團の師團長は英人ダグラス・ダヴイト。グレッシーで一、八九四年生れ、一、九一四少尉に任官、中尉以後はインドにおいて勤務、中佐時代は參謀、一、九四二年少將になり同年四月より師團長になったもので敵英國陸大の高級科を卒業し尉官級の十字章(金鵄勳章の如きもの)を持つ男である。 |
02 | 我精銳怒濤の進擊 |
03 | 戰局の進展に愕然 敵インパール防衛に必死 |
04 | 熾烈な攻防戰 |
05 | 待望の夢が實現 サハイ書記官長感激談 |
06 | 國內資金調查規則けふ公布 督府財務局金融課發表 |
07 | 停刊の辭報社消息 |
08 | 圖像:決戰の大空へ勇躍出擊の我が戰爆隊 |
09 | 歐洲の政戰兩局 一刻の遲滯許さず 國際展望 |
10 | 航空決戰は依然熾烈 週間戰況 |
11 | 勵文禮部隊の綜合戰果 |
12 | 南部全線で激鬪 |
13 | 爆擊の狀況 獨大本營の發表 |
14 | 東西時事 共喰ひ的謀略戰 |
15 | インパール街道猛追 |
16 | トンザン北方殘敵三千猛攻 |
17 | 敵十一機を擊墜 廿四日ラバウル來襲 |
18 | マーシヤル諸島方面來襲 |
19 | アンダマンに敵三機飛來 |
20 | 米英對立益益激化 |
21 | カツシノ市激戰續く |
22 | 社告/興南新聞社報社消息 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 戰力增強目ざして 食糧の飛躍的增產 臺灣農業會初の通常總會 |
02 | 總力を結集して 國家の要請に應へよ 齋藤會長挨拶 |
03 | けふぞ感激の對面 小さな胸に父の偉勳を抱き 譽の子ら護國神社へ |
04 | 郵便料金を改正 封書七錢一日から實施 |
05 | “立派になったなァ” 見違へる態度に家族びつくり 海櫻懷しの我家へ |
06 | わが社の沿革 言論報國廿五年 終始一貫・本社敢鬪の跡報社消息 |
07 | 賴母し・若櫻の精進 逞しき陸志猛訓練の成果に 參觀指導員大感激 |
08 | 米穀增產に寄與 臺南で用水法競技會 |
09 | 新化郡水利の評議員當選者 |
10 | 南師の合格者 |
11 | 新竹中學合格者 |
12 | ラジオ |
13 | 基隆の映画 |
14 | 新竹の映画 |
15 | 高雄の映画 |
16 | 今日の映画演劇 |
17 | 廣告 |