興南新聞1943年8月
序號 | 標題 |
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01 | 敵機十六を擊墜 在支米空軍を攻擊頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表 (七月三十一日十六時) 我が支那方面航空部隊は引續き在支米空軍の各前進基地を攻擊中にして七月廿六日以降三十日までの狀況次の如し 一、衡陽及び建甌を連日強襲し飛行場停車場並びに附近軍事施設を爆砕これに大損害を與へたり 二、挑戰し來れる敵機と交戰その十六機を墜墜せり、我方の損害自爆四機なり |
02 | 課稅權撤廢案妥結 きのふ南京で調印 條約、附屬協定並に了解事項 |
03 | 情報局發表 |
04 | 國民學校職員の 待遇改善を實施 |
05 | 黑木少尉に感狀 長沙攻擊に武功拔群 |
06 | 敵の企圖一擧に粉碎 |
07 | 國府側の發表 |
08 | ベナベナ爆擊 |
09 | 一意敵擊滅に邁進 海軍志願兵愈よけふ實施 |
10 | 自疆と繁榮を望む 我が谷大使挨拶 |
11 | 皇軍勇戰敵を惱す ムンダ島の米軍焦躁 |
12 | 褚外交部長感謝 |
13 | 中國領域を 日本人に解放 |
14 | 反樞軸空軍 ハンブルク盲爆 |
15 | 獨長距離機の戰果 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 鹽乾魚の集荷 配給一元化社說 一 鹽乾魚の一元的集荷配給統制機關として臺灣鹽乾魚配給統制會社が幾多の紆餘曲折を經て愈よ來月頃に創立される運びになった。大東亞戰勃發前に於て鹽乾魚が年年多額に輸移入され島內水產食糧の補給に少からず寄與したことは周知の如くであるがそれ丈に戰後諸種の事情に基く輸移入杜絕が如何ばかり水產物の供給不足に拍車をかけてゐたかは改めて言ふ迄もない。それ故に內地に於ける鹽乾魚配給機構の一元化に即應して可及的多量の鹽乾魚を獲得すると共に反面島內の集荷配給を一元化するため現存の臺灣水產物輸移入組合を發展的解消せしめて新に配給統制會社を創立するに至ったことは一面無理からぬことだと謂ってよい。之によって從來幾多の矛盾を包藏してゐた組合代行制か解消され會社の運營さへ宜しきを得れば鹽乾魚の大量獲得は間違ひないところであり又配給統制の部面に於ても目下中央と合議中の鹽乾魚配給統制規則による裏付によって圓滑に行くものと思はれる。そして會社へ改組に伴ひ轉廢業のやむなきに至る業者には相當なる救濟の途を考究してゐるだとすればたとヘ臺灣水產統制令に基く臺灣水產物配給統制會社の設立が見透されてゐるとしてもそれなりの使命はもってゐる筈である。勿論水產物の一元的集荷配給機關たる前記水產物配給會社は年內にはむつかしいとしても遲くとも來年初頭には設立される見込であるにも拘はらず色色と面倒な手續をふんで迄殊更に鹽乾魚配給會社を設立する緊急性が果してあったかどうかは甚だ疑問である。この點は會社設立の認可に際し銳どく追求されてゐたものでそれ迄に現存の組合を十分活用する途はなかったであらうか。組合代行制を正當に運用しさへして行けば鹽乾魚の移入はもっと圓滑に行くとは業者の指摘する處であるが殊更に會社に改組したのは將來これを母體に水產物配給統制會社を設立するにあるとすれば致し方はない。只新會社がその設立の趣旨に照して現在最も不足してゐる鹽乾魚の移入確保にあらん限りの努力を拂ふと共に轉廢業者に對し手ぬかりのない措置をとるよう要望する他はない。 |
02 | 社說 諸行事の調整社說 勞力、資材等一切をあげて戰力增強に寄與すべき決戰段階の嚴しい要請に應ずるため今般中央では直接戰力增強に關係のない運動、行事を調整することになり此程調整大綱が決定された。即ち (一)直接戰力增強に關係せぬもの (二)重要軍需物資增強を阻害するもの (三)食糧自給力、輸送力を減じるもの (四)物資資金の集○強化、勤勞動員計畫を阻むもの 等の各項にあてはまるものは緊急にこれを停止、廢止又は極力調整されるし又 (一)多人數の集合を求めること (二)多量の物資を消費すること (三)長期に亘り集會すること (四)重要戰力の增強關係者を濫りに動員すること (五)單に慣例的又は形式的に實施すること 等各項に抵觸するものは許可されないことになった。國力の一切をあげて勝ち拔かねばならない秋尚未だ人集めの○事や形式的な會合があまりにも多く勞力、資材とも濫費してゐる狀態は夙に是正を要望されてゐたもので今般の大○決定はむしろ遲きに失する憾みがないでもない。とはいへ大○に堂く諸○事の調整は今後戰力增強に少からず寄與することは大いに期待してよいわけで大○決定の畫期的意識は失はれてはゐない。只具體的調整に當り角を矯めて牛を殺さざるよう慎重なる考慮が必要であって素より民間の全面的協力に俟ねばならないことは言ふ迄もない |
03 | 敵を散散やつけて 二機が奇蹟的生還 ソロモン雷擊行から |
04 | 國民校職員に光明 劃期的待遇改善決る |
05 | 頑敵の退路を遮斷 軍刀揮つて敵中に猛突入 勳は高し‧黑木少尉 |
06 | 一意教職に挺身 岡部文部大臣語る |
07 | 青年學校指導者鍊成會 |
08 | 五校を六年制に 花蓮港の山地教育所 |
09 | “敵機來らば來れ 意氣沖天、日婦の國防訓練 |
10 | 羅東郡下街庄 別田植競技會 |
11 | 宜蘭市臨時市會 |
12 | 江湖の同情に愬ふ 災害義捐金募集報社消息 |
13 | 翕然湧く隣人愛 義捐金醵出者が殺到報社消息 |
14 | 鐵道技術の改善 本部職員に夏期鍊成 |
15 | 白衣勇士慰問部隊續く |
16 | 本社人事異動報社消息 |
17 | 花蓮港廳下鄉 軍簡閱點呼 |
18 | 第三部隊の軍馬慰問 |
19 | 羅東郡下田植 競技會 |
20 | 馬事思想普及 映畫の夕 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 護國の大任に就け 先輩の足跡ふんで、制度を輝かせ “海志”の實施に石塚參謀長談 |
02 | 御下賜品傳達式 |
03 | 正條密植競技會 |
04 | “父部隊長”から表彰 賞詞を受けた譽れの密林戰士に 武勳讚へる義勇隊歌 |
05 | 神饌田奉告祭 |
06 | 桃園街御遺跡 地記念祭典 |
07 | 米增產に一路邁進 歸臺した森田知事語る |
08 | 歡喜力行の泉わく 農漁村增產戰士慰問會盛況 |
09 | 武勳萬古に薰る 嘉義市葬卅一日執行 |
10 | 愛國女子衛生 看護團結成式 |
11 | 鍛へよ!鍊れよ! 竹南郡の夏季健民實施要綱決る |
12 | 彰化で海軍思想 普及寫真展 |
13 | 季節保育園開く 來れ、子供の“夏の樂園” |
14 | 屏東市會 |
15 | 初代の增產助役 高雄州一齊に發令 |
16 | 士氣天を衝く 澎湖廳の簡閱點呼 |
17 | 繰り出す米供出督勵隊 新莊郡の取り入れ全部終る |
18 | 災害義捐金第一回領收報告(敬稱略)報社消息 |
19 | 力泳!また力泳 競ふ若人の水泳鍊成會 |
20 | ぴしぴしと奉公 皇奉能高郡支會八月の行事 |
21 | 丹誠の慰問袋 |
22 | 板橋街臨時協議會 |
23 | 竹山郡臨時協議會 |
24 | 夏季蔬菜 品評會盛會 |
25 | 地方多より |
26 | 今日の映画演劇 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 重要鑛物增產週間開始 各鑛山とも目標達成に決意 |
02 | 產業能率の向上へ 賃金統制令規則改正 |
03 | 本年二期米こそ 食糧增產に邁進 須田殖產局長放送要旨 |
04 | 再編成協力會 設立準備會員で協議 |
05 | 資金調整省令改正 浮動購買力を貯蓄に轉換 |
06 | 臺灣炭業配 當一割据置 |
07 | 度量衡計量器 特許販賣業者 專賣局で新に指定 |
08 | 食糧政策の前進(下) |
09 | 高雄バナナ減產 配給計畫を變更 |
10 | 料理價格の公定 九月中旬より實施 |
11 | 菓子配給 組合總會 |
12 | 彰化工業振興 研究會開催 |
13 | 照明燈 |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(1025)/黃得時;碇政彌 |
16 | 七月一日抽籤 戰時債券當籤番號表(其ノ三) |
序號 | 標題 |
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01 | ビルマ國茲に誕生 昨日軍政を撤廢 河邊最高指揮官布告頭條新聞 【ラングーン一日發同盟】ビルマの獨立準備はいよく完了したので緬甸方面陸軍最高指揮官河邊正三中將は八月一日を以てビルマの軍政を撤廢すべき旨左の如く布告を發した 布告文昭和十八年八月一日を以て現行政府の施政地域に於ける軍政を撤廢す 緬甸方面陸軍最高指揮官 |
02 | 嚴たる獨立宣言 歷史的建國議會開く |
03 | 獨立を通告 樞軸國並に中立國に |
04 | ビルマ獨力完成へ 大東亞戰完遂に挺身 |
05 | 即日米英に宣戰布告 ビルマ國自身の意志責任で |
06 | バ長官を激勵 河邊最高指揮官 |
07 | 澤田特派大使 ラングーン着 |
08 | 國家代表バ氏就任 新生ビルマ國政治力の中心 |
09 | 日緬恒久の不變關係 同盟條約の歷史的調印式 |
10 | 國府正式承認 |
11 | 死傷者十五萬 戰車七千臺を喪失 七月五日以來赤軍の損害 |
12 | 澤田大使挨拶 |
13 | 東亞の歷史的憲章 同盟條約調印式後澤田大使談話を發表 |
14 | ビルマ大使館創設 駐剳大使澤田氏を任命 |
15 | チアノ伯辭職 |
16 | ムツソリーニ氏に ヒ總統書物を贈る |
17 | 緬甸新內閣閣僚 |
18 | 輝く共同租界回收式 新生中國の主權完整 |
19 | 上海の司法機構 根本的に改革 高等檢察署を新設 |
20 | 學徒機新潟に安着 |
21 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 勳兒に“陸軍の話” よくわかる皇軍の強いわけ 藤岡兵務部長懇ろに諭す |
02 | 新竹御遺跡所 記念祭 |
03 | 鍛へよ決戰の體力 曉暗衝いて“オイチニオイチニ” ラジオ體操の會開始 |
04 | 神饌田田植祭 羅東街北勢で |
05 | 新竹市敵機 模型展閉幕 |
06 | 一人殘らず鍛へ 藤岡訓練部長開會の辭 |
07 | 朝は樂しい競技 晝は植物採取 鍛へる譽れの遺兒 |
08 | 初代海志訓練所長 杉本宇市大佐を任命 |
09 | 宜蘭市のラジオ 體操會 |
10 | 優秀な海軍兵鍊成 杉本海志訓練所長の抱負 |
11 | 訓導にも奏任の道 國民學校職員待遇改善の要點 西村文教局長談 |
12 | 入營の御禮に 桔俱員營內清掃作業奉仕 |
13 | 江湖の同情に愬ふ 災害義捐金募集報社消息 |
14 | 食糧增產に垂範 臺北州農林課職員田植え |
15 | “非常に嬉しい” 祖國ビルマ獨立の報に 喜勇む大田マチ夫人談 |
16 | 手捌き鮮かに 州女事務員も敢鬪 |
17 | 全臺灣社會人 卓球鍊成大會 |
18 | 新商道徹底へ 大溪俊商奉懇談會 |
19 | 大橋町の殺人事件 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | “親子助役”が登場 九塊庄役場で機を並べて 地方行政第一線に挺身 |
02 | 市にも增產委員 高雄州南市の幹部招致協議 |
03 | 海志學科試驗 臺南州一齊に開始 |
04 | 柴田府社會課長 北斗郡視察 |
05 | 光榮の宮殿下賞 再び北一女の下司みさ孃に 全島水泳鍊成大會終る |
06 | 赤誠の献金品 |
07 | 水害狀況視察 歸廳した森田知事 |
08 | 新竹市警防團 講習會終了式 |
09 | 建艦献金十萬圓 新竹市民目標額達成に邁進 |
10 | 青年劇講習會 臺南州下の開催日割 |
11 | 龍潭庄の協議會 |
12 | 大園兩青年團員の美擧 |
13 | 三峽街協議會 |
14 | 青年劇講習會 新竹市で十三日から一週間 |
15 | 少國民の航空熱 嘉義で製作講習會 |
16 | 新莊郡商聯、商 奉役員懇談會 五日に開催 |
17 | 白河瑞穗間の 鐵道線路復活 |
18 | 新竹世話役大會 參會者千餘名の盛況 |
19 | 北斗郡の馬匹檢查 優良管理者を表彰 |
20 | 米增產に騖放飼 一石數鳥鳳山飼育場の大鼓判 |
21 | 海山郡米穀 增產總代會 |
22 | 決戰貯蓄實踐運動 海山郡產組關係者座談會 |
23 | 北斗街藝能挺身隊 處女出演 |
24 | 食糧增產に大童 佐藤中壢郡守農村□督勵行脚 |
25 | 正條密植に勞力奉仕 新坡青年團を州總務部長激勵 |
26 | 集集街協議會 |
27 | 老若男女みな參加しよう 彰化の全島ラヂオ體操 |
28 | 一齊に決戰常會 新莊郡自力更生に驀ら |
29 | 北斗郡銃劍道發會式 |
30 | 新化郡會健 民運動講演會 |
31 | 玉碎勇士に香華料 |
32 | 不要不急は控えよ 婦人向人絹近く配給 |
33 | 日婦新化街分會臨時常會 |
34 | 三郵便局共催 貯蓄懇談會 |
35 | 拓南農業戰士 廿五日採用試驗 |
36 | 慰問演藝會 |
37 | 水泳鍊成會 |
38 | 地方多より |
39 | 今日の映画演劇 |
40 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 文化 鍛鍊の夏と子供 游泳の科學 |
02 | 朝の薔薇/陳氏棗 |
03 | 藝文初公演の反響 演出陣の力、演技員の熱/神川清 |
04 | 芭蕉の旅/暉峻康隆 |
05 | 木登りと 薯作り |
06 | 氷山の話 三十五萬トンもの大きさ 船が近づけば危險 |
07 | 演劇界に望む 愛の劇場 藝文の公演に因みて/宋非我 |
08 | 手藝 學童用モンペと脚絆 忘れず持たせて通學を/柳葉清子 |
09 | 精神の在り方/岡田禎子 |
10 | 家計 貯蓄に重點 餘裕を生出す秘訣 |
11 | 童謠 野つ原/日高紅樁 |
12 | 話題 高砂族 |
13 | 新刊紹介 |
14 | 府圖書館新着書 |
15 | ラジオ |
序號 | 標題 |
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01 | 中央參議院、參與制實施 原地住民を簡拔 原田ジヤワ最高指揮官闡明 |
02 | 全能力を發揮せよ 軍政監部當局談 |
03 | ビルマ生存の戰爭 對英米宣戰布告文 |
04 | 沒收せる敵產全部を ビルマ國に無償贈與 |
05 | ビルマ中央銀行 創設準備進む |
06 | 帝國政府即日承認 政府聲明、東條首相談を發表 |
07 | 情報局發表 |
08 | 嚴肅盛大な獨立式典 |
09 | 東亞保全の責任果す ビルマ國民代表として バーモー總理聲明 |
10 | 道義戰の意義實證 ビルマ誕生租界還附完了阿部翼政總裁談 |
11 | インド民眾を鼓舞 反英鬪爭更に飛躍 |
12 | バドリオ元帥 毅然たる態度 米軍頻りに威嚇放送 |
13 | 駐緬甸大使館 四日に開館 |
14 | 獨大本營發表の戰況 |
15 | 獨軍攻勢熾烈 ドネツ戰線 |
序號 | 標題 |
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01 | 孔雀旗はためいて 蒼生獨立に映ゆ 感激に溢る“ドバマ”の歡呼 |
02 | 反英鬪爭の半生 新生ビルマ國の代表者 バーモ氏の橫顏 |
03 | 嚴たり“北邊鎮護” 黑龍江の悠久な流れに 戰ふ滿州國息吹く |
04 | 罹災民の救濟に 長谷川總督から義捐金 |
05 | 第五次衡陽爆擊同乘記 眼下に空の死鬪 胸のすく我機の手並 |
06 | 皇民たるの幸福 御遺跡地記念祭に當り 林榮初翁感激を語る |
07 | 廈門地區の敵產 日華關係者列席の下に移管式 |
08 | 伜の魂は生きてる 黑木少尉の母堂健氣に語る |
09 | 老も若も總出て 通霄庄の正條密植競技會 |
10 | 施設の完備を誇る 花蓮港鐵道病院開院式 |
11 | 藁蒲團造りに 學徒が淨汗奉仕 |
12 | 白衣勇士慰問 赤誠部隊續く |
13 | 日婦臺北市 支會役員會 |
14 | 蔬菜類は自分で作れ 基隆市民に栽培指導 |
15 | 朴子街警防團 新廳舍落成式 廿八日に擧行 |
16 | 興南詩苑漢詩 遊圓通寺/小維摩、遊圓通寺 其二/小維摩、遊圓通寺 其三/小維摩 |
17 | 全日本草刈 選手權大會 |
18 | 新竹州國民校 教員鍊成會 |
19 | 軍馬を慰問 |
20 | 筑紫館再建 |
21 | 臺灣洋服生地配 給組合創立總會 |
22 | 急げ!結婚 日婦小冊子配布 |
23 | 三輪氏來新 |
24 | 人事消息 |
25 | 今晚の放送 |
26 | 商況(二日前場) |
27 | 興南案內報社消息 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大東亞の結集強化 新秩序建設着着具現 青木大東亞相、中外に闡明頭條新聞 【東京發同盟】青木大東亞相は二日午後七時半東京放送局より「具現されつゝある大東亞新秩序」と題する放送演說を行ひビルマ國が大東亞共榮圈更生の有力な獨立國として建國し即日米英に宣戰、帝國と同盟條約を締結したことは相携へて大戰完遂に邁進すべき第一を確立したものでありこれにより大東亞諸民族の結集が更に強化されたことを強調新ビルマ國の前途を祝福しついで上海共同租界還附置施並びに治外法權課稅權撤廢が中國の自主獨立完整、國府政治力を飛躍的強化するものである旨を述べこれ等の事實が帝國の大東亞新秩序建設の真意義を明らかにする所以なることを堂々中外に闡明した放送要旨左の如し 具現されつゝある 大東亞新秩序 八月一日ビルマがその獨立を宣言し且つ即日米英に對し宣戰したことは米英擊滅のわが陣營を一段強化すると同時に大東亞建設の歷史に輝かしき一頁を加へたものである御承知の如く昨日發表されたビルマの獨立宣言においてビルマはわが帝國に對する無言の感謝を表現すると共に大東亞戰爭は獨りビルマ獨立を左右するのみならず東亞諸民族の運命を決するものであることを強調し物心の總力を舉げて帝國に協力しこの戰爭に勝ち拔かんとする決意を表明してゐるこれはビルマ人の不退轉の覺悟を傳ふると共に東亞の情勢と今次戰爭における帝國の崇高なる戰爭目的がビルマ人に十分に諒解されてゐることを物語るものでわれぐの大いに意を強くするところである蓄し萬邦をして各々その所を得しめ兆民をしてその堵に安んぜしめるのはわが肇國の大精神である、この大精神を髓して東亞積年の禍根を芟除し大東亞の天地に共存共榮を念とする新秩序を建設せんとすることが今次戰爭の目的とするところであるこの 雄渾なる大理想は戰爭の進行と共に着々具現されつゝある、今回のビルマの獨立の如きその顯著なる實例でありこのことたるやもとより御稜威の下皇軍將兵の勇戰奮闘によりビルマの地域から英米の勢力を一掃せることに起因するのであるがこれと共にバー・モウ氏以下の苦心努力が實を結んだものであつてこれによって多年の宿望を達成したビルマ千六百萬民眾の歡喜は想像に餘りある、從つて帝國としても大東亞共榮圈の家族的國家として新たにビルマ國を迎へ衷心喜びに堪へない次第である、帝國は昨日直ちに同國を承認しこれと同盟條約を締結し軍事上政治上經濟上緊密に協力すべきことを約したのである吾々はこの新しき盟邦の前途を祝福すると共にその將來の發展のため總ゆる支援を與ふべきことを玆に表明するものである、又これと同時に他の大東亞諸國並に歐洲の盟邦と相携へ飽くまで米英を擊砕し大東亞建設を完遂し以て世界平和招來に貢献せんとする決意を新たにする次第である、次に中華民國に關しては帝國政は一昨日を以て同國政府との間に 中華民國における日本國民に對する課稅に關する條約を締結したのであるこの條約は本年一月九日中華民國との間に締結した租界還附及び治外法權撤廢等に關する協定に基き治外法權撤廢の第一段階として締結したものであつて中國にある我が邦人が一定條件の下に中國側の國稅、地方稅を納附すべきことを內容とするものである、治外法權については我國も明治の初め以來棄き經驗を嘗め來つた所である中國においても故孫文先生の革命以來新興國民運動の目標が不平等條約の廢棄を基調とする獨立國家の完成にあつたと申して宜しいのである、今や帝國の大乘的措置により不平等條約の典型だる治外法權が一部撤廢を見るに至つたことは中國四億民眾多年の願望を達成せるものであり意義誠に重大なるものがある、又財政上から見ても我が邦人の納稅增加と共に中國側の稅收入の增加することは當然であり今後國民政府の財政的基礎を強化する上にも貢献する所少くないのである、國民政府においては帝國の好意的措置に對え土地解放の問題につき具體的に準備を進める意向を表明してゐるのである、課程權の承認により中華民國在留邦人の負擔が若干增加してもそれやはがて 日華提携による將來の大飛躍への道程なりと考ふべきであり國策の示す所に從ひ在留邦人は思實にその納程義務を履行すべきことを期待する、尚又帝國政府は前述の租界還附及び治外法權撤廢等に關する協定に基き天津を始め八ヶ所の帝國專管租界を國民政府に返還し又北京公使館區域及び廈門共同租界の行政経の回収に同意したのである、關係諸外國も亦我國に做つて大體同一の歩調をとつて來たのである、而して租界の中で最重要性を帶ぶるものは上海の共同租界である、上海の共同租界は實に百年に亘り英米の支那侵略の據點であつた、即ち支那大陸の咽喉たり心臟部たるこの要衝を把握してこれを根據として中國に對する諸般の政治的策動を行ひ又東亞至域に對する經濟的侵略の策源地たらしめ來つたのである、而して國民政府はこの中國最大の經濟都市に對し指をも染むることが出來ず常に中國復興の大障となつてゐたのである、從つて英米としては支那大陸否大東亞に對する野心を放棄せざる限り上海租界は絕對に手放すことが出來なかつたのであ、然るにこの重要なる 上海共同租界も昨日を以で我方の手から綺麗に國民政府に返還の手續をとつたのである、中國國民の歡喜は想像に餘りある次第である、今や上海の共同租界が國民政府の手に回収されたばかりでなくこれと相隣接するフランス租界も數日前既に回收が行はれた、玆に兩租界を中心として大上海は真面目を根底より改め新中國建設の據點として新しく發足することになったがこれは中國の國際的地位の一大躍進を意味するものである、さてビルマの獨立、中國に於る租界返還、課稅權の承認等相繼ぐ事件は何れも帝國の道義外交の現はれであると同時に大東亞新秩序の如何なるものなるかを事實を以て示したものに外ならぬ、萬邦をして各々その所を得しめ兆民をしてその賭に安んぜしむるは帝國不動の國是である、この國是に基き天下に聲明し公約したる所は必ず實行するのである、斯くて大東亞の各國、各民族は崇高なる道義と相互信頼を基調として愈々その結束を強化しつつあるのである、何物も破ることの出來ないこの強固なる結束の下に必勝の信念をもつて米英擊碎大東亞建設に向って一路邁進せんことを期するものである |
02 | 東條首相參內 |
03 | 三笠宮殿下御榮進 陸軍定期異動發令 |
04 | 飽くまで戰ひ拔く 盟主日本の絕大支援を謝す バー‧モウ氏獨立後初の放送 |
05 | 強力な政治機構(上) 新ビルマ前途洋洋 |
06 | ムンダ方面の激鬪 我が地上部隊活躍敵機十三を擊墜 |
07 | 在蘭貢防衛軍の 初の閱兵式擧行 ジユ‧モウ司令官烈烈の訓示 |
08 | 滿洲國も承認 ビルマ國通報 |
09 | 大東亞戰爭完勝へ 租界回收民眾大會汪主席訓示要旨 |
10 | 統制會社經理統制 關係當局の折衝妥結 |
11 | 澤田大使 バー‧モウ氏訪問 |
12 | 定例次官會議 |
13 | 租界返還、國際法に反す 笑止重慶、佛と斷絕の理由 |
14 | 三都市占據は 虛構の宣傳 伊政府正式否定 |
15 | 蔣、主席を兼攝 |
16 | ジヤワの渡日 視察團員決定 |
17 | 總動員審議會 |
18 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 新生ビルマ國 誕生の意義社說 一 半世紀以上の永きに亘る英國の搾取壓制のもとに、塗炭の苦しみを續けて來たビルマは遂に屈辱の歷史に終焉を告げ、行政府組織一周年記念日の八月一日軍政を撒廢され、堂堂全世界に獨立を宣言し、米英に對し宣戰を布告、茲に新生ビルマ國が誕生し力強き第一步を踏み出した。帝國政府は即日同國を承認し、特命全權大使澤田廉三をしてビルマ國內閣總理大臣バー・モウ氏との間に、日緬同盟條約を締結相提携して大東亞戰爭の完遂と大東亞建設に邁進する兩國の不動の體制を確立した。想へば昨年八月一日行政府の組織を見てより滿一年、茲にビルマ國獨立新生の日を迎へるに至ったのは、帝國の誠意ある支援に基くものであることは勿論のことながら、これ實に半世紀餘に亘る英國の搾取下に沈淪せるビルマ民族を、抗英鬪爭に蹶起せしめたバー・モウ氏以下指導者達が、率直に帝國を理解しこれに信頼して民族指導の途を誤らなかった努力が今日の榮光をかちえたのである。大東亞戰爭開始以來僅か一年餘半にして達成せられ誠に御同慶に堪へない次第である 二 新ビルマ國は獨立宣言にもある通り、從來の英米流の功利唯物の思想を全く一掃し、道義を以て其建國の根本精神となし、又東亞共榮圈の一環として大東亞の各國、各民族と共に帝國を中心として、大東亞の共同建設に邁進せん事を誓ひ、又物心兩面に亘る全能力を發揮して帝國と協力し、大東亞戰爭を完遂すべき事を明かにしてゐる。新ビルマ國獨立の意義は炳として日月の如く明白であるが、帝國としても新ビルマ國の建全なる發展のため、あらゆる支援を惜しまぬことは勿論であるがビルマ獨立の榮譽は獨り光輝ある新生ビルマ民族に與へられたのみならず、ことに境を接するインド民眾に對して大なる衝動と希望を與へ、一層の奮起を促がさずにはおかないと信ずる。斯くの如くにしてビルマ獨立の承認は、亞細亞十億の民族に對して強き自覺を與へて敵米英の一切の野望を破碎する決意を固め、この民族的興奮は大東亞の全地域に脈脈と鼓動し、大東亞の建設は茲に一大躍進を示したものと云ふべきである。 三 今やビルマの獨立は既に實現し、帝國の中華民國に對する政策も一新せられ、ビルマ獨立の記念すべき日に上海共同租界の返還の完了を見、中華民國建國以來の懸案たりし完全自主獨立と不平等條約からの解放を果し、又ヒリッピンの獨立も本年中に實現を約束せられ、南方の軍政地域に於る原住民の政治參與も約束せられ、道義に基く大東亞の建設は着着として進みつつあり、米英多年の桎梏より大東亞を解放せんとする大東亞戰爭の目的は逐次達成せられつつあるのである。固より大東亞戰爭の前途にはなほ幾多の困難を覺悟せねばならぬ。併し困難もこれを克服し、如何なる障碍もこれを突破して、御稜威の下必ず究極の戰勝を獲得する所に帝國の輝しい傳統があるのである。一億國民は正に大東亞十億民族の中核となり、飽くまでも戰ひ拔き勝ち拔く決意を新たにすべきである。 |
02 | 待ち續けた“この日” ビルマで一番幸福な女性 バー‧モウ夫人喜びを語る |
03 | “御同慶の至り” 馬臺北總領事語る |
04 | 道義の現れ 容總工會長語る |
05 | 宜蘭市神饌田 田植祭 |
06 | 形式主義の打破へ 局部長會議で長谷川總督強調 |
07 | 蒙古も戰ふ |
08 | 谷口臺北憲兵隊長 某要職に榮轉 |
09 | 甘藷の緊急增產 臺北州の計畫と實施方法 |
10 | 團體の協力要望 水尾農林課長語る |
11 | 官有地や民有地 食糧增產に開墾利用 |
12 | 緬甸幹部候補生 一行三十名が來朝 |
13 | 圖像:戰ふ中國女性 |
14 | 不拔の底力を培養 八月五日國民皆唱大會開催 |
15 | 增產實踐‧身心鍜鍊 近づく八月の常會 |
16 | 森田臺中州知事が來新 |
17 | 學鷲部隊仙臺へ |
18 | 赤誠に續く赤誠 七月中軍司令部扱ひの献金 三十六萬八千餘圓 |
19 | 學鷲仙臺着 |
20 | 長袖切つて奉公 和服も決戰標準型へ |
21 | 青年團長會議 本部側の出席者 |
22 | “大詔奉戴日の歌” ラジオで歌唱指導 |
23 | “南方大系”を編纂 三種委員きのふ發令 |
24 | 報國債券抽籤 當選番號 |
25 | 全島中等弓道鍊成大會 |
26 | 宜蘭米供出懇談會 |
27 | 川崎花蓮港兵事部長榮轉 |
28 | 羅東郡青少年 團編成替へ |
29 | 產組貯蓄運動 新竹州一日より 展開 |
30 | 李爐己氏逝去 |
31 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 增產と戰ふ乙女 新豐郡正條密植競技 |
02 | 働く女性たれ 宮尾知事が激勵 |
03 | 英靈合同告別式 |
04 | 賞賜物件傳達式 |
05 | 神饌田を奉耕 南投桔俱の赤誠 |
06 | 航空思想普及に 先生方が製作講習 |
07 | 海志體格檢查 臺中州下の日割決定 |
08 | 臺中支會常會 運營研究會 |
09 | 慰問部隊を慰問 嘉義陸軍病院の催し |
10 | 五大堰堤を築造 一擧に一萬數千甲步を潤ほす 高雄州健兒の敢鬪譜 |
11 | 銃後の元氣な姿 前線に家族の寫真 |
12 | 模範の“土の戰士” 增產助役六氏の簡拔 |
13 | 新莊信組の 貯蓄強調運動 |
14 | 林口庄產組總會 |
15 | 增產貯蓄映畫 沙山で開かる |
16 | 臺南州視學會議 |
17 | 青年劇講習會 松居、澤木兩氏 を招聘して |
18 | 軍援に垂範 彰化市農務課職員 出征家族の田植に奉仕 |
19 | 甘藷の大增產 曾文郡下の割當決定 |
20 | 日婦嘉義郡支會常會を開催 |
21 | 中堅青年鍊成 入隊式 |
22 | 秘藏の腕環献納 お山の赤誠譜二つ |
23 | 工業彰化の建設 開發懇談會を開催 |
24 | 貯蓄懇談會 新化で開かる |
25 | 婦人標準服講習 |
26 | 新化音樂團 結成式 |
27 | 暴風雨中に敢鬪 模範の警防團員近く表彰 |
28 | 災害義捐金第二回領收報告(敬稱略)報社消息 |
29 | 文山被服講習所開所式 |
30 | 時局認識徹底に 臨時保甲役員會 |
31 | 新高郡木炭 供出好成績 |
32 | 時局活動紙人形 新輕音樂發表會 |
33 | 彰化市參事會 |
34 | 獸肉隣接部 組合連絡打合 |
35 | 大武青年團演 劇奉公團公演 |
36 | 常會運營研究會 |
37 | 忌明に献金 |
38 | 地方多より |
39 | 今日の映画演劇 |
40 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 內外地稻作狀況 平年作程度の收穫豫想 外米依存脫却制を確立 |
02 | 臺南州林業概況(上)/新山清吉 |
03 | 統制團體の統合 配給機構整備と關聯 |
04 | 再編成協力會 けふ實行委員會開催 |
05 | 藷類統制方式 再檢討の要 |
06 | 疊材料等の 配給を統制 |
07 | 內務省尾崎技師來臺 |
08 | 鑛業權と使用權分離 臺灣鑛業規則改正 |
09 | 臺灣青果臨時總會 |
10 | 鳳山麵類組合總會 |
11 | 鳳山菓子小賣商 組合創立總會 |
12 | 貯蓄銀行異動 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況(二日後場) |
15 | 島內株仲值表 |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(1026)/黃得時;碇政彌 |
18 | 七月一日抽籤 戰時債券當籤番號表(其ノ四) |
序號 | 標題 |
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01 | 北支軍發表 十八夏太行作戰 蔣系第廿七軍に鐵槌 |
02 | 徹底的に掃蕩剔抉 空陸の猛擊下に捕捉 |
03 | 陳孝強中將歸順(部下とともに) 新中國建設に挺身を誓ふ |
04 | 汪主席語る 新上海建設方針と 中國の果すべき任務 |
05 | 滿洲國軍異動 |
06 | 統制會社令を制定 總動員審議會で原案を可決 愈よ九月早早實施 |
07 | 嚴乎たる道義國是 ビルマ獨立完成、坪上大使談 |
08 | 獨軍の堅陣搖がず 赤軍の反攻悉く失敗 |
09 | 圖像:北太平洋の波を蹴つて進擊する我が輸送船の對空陣 |
10 | インドネシア全民眾の感激 スカルノ氏と問答 |
11 | 赤軍戰車百四十四臺擊破 |
12 | 獨空軍編隊 バレルモ強襲 |
13 | 在外武官異動 |
14 | 決定的段階に突入 シチリア島の攻防戰 |
15 | 米軍の損害甚大 |
16 | 羅領侵入の米機 大損害受けて退散 |
17 | 英米の意見對立 伊の新內閣に對し |
18 | 米機、土領通過 中立を侵犯 直ちに砲擊さる |
19 | 統制會社の整理 今後相當進捗せん |
20 | フアシスト大學生 義勇隊を解散 |
21 | 農林所管產業 勤勞者を表彰 |
22 | 戰鬪繼續を 伊紙強調 |
23 | 薪炭增產に 萬全の對策 集中的に促進 |
24 | 赤十字通信の便宜 |
序號 | 標題 |
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01 | 國民動員體制強化 戰時食糧增產確保 府の重要方策決る |
02 | 基隆神社で傷痍軍人鍊成會 |
03 | 敵艦船十隻を擊沈破 レンドバ島海戰の大戰果 |
04 | 教職員の待遇改善 先達が語る教壇人の覺悟 |
05 | 日本女性の龜鑑 病を推して防空群指揮 |
06 | 孔雀旗獨立に映ゆ 曠古の式典參觀記 |
07 | 警察史上に燦! 水害に必死の救助美談 |
08 | 圖像:決戰する蒙古の表情 |
09 | 皇軍へ感謝献金 |
10 | 赤誠罩る慰問袋 六月七月は九萬三千百餘個 |
11 | 曉天常會を開く 五日臺北市奉公壯年團で |
12 | 定時敘位 |
13 | 防空施設を點檢 |
14 | 百五十億圓突破 郵貯に輝く新記錄 |
15 | 奉納米完納運動 新莊郡下一圓に展開 |
16 | 學鷲最終航程へ出發 |
17 | 全國草刈選手權大會 |
18 | 花蓮港市本年度簡閱點呼 |
19 | 花蓮港市で 鬪ふ漫畫展 |
20 | 健民修鍊所 一齊に開所 |
21 | 水に鍛へよ 第八回市民水泳大會 |
22 | 羅東郡各街庄 聯合打合會 |
23 | 蔡長庚君歸臺 柔道五段の猛者 |
24 | 興南詩苑漢詩 寄懷松厓二首/小維摩、作畫口占/小維摩、咏雲/小維摩、山居「調風中柳」/幼岳 |
25 | 副官部で南支 行軍屬を募集 |
26 | 人事‧消息報社消息 |
27 | 今晚の放送 |
28 | 商況(三日前場) |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 艦船廿隻擊沈破 敵戰鬪機九機擊墜 レンドバ港攻擊、海鷲の戰果頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(八月三日十五時三十分) 帝國海軍航空部隊八月一日三回に亘りレンドバ港所在敵艦船並に附近の軍事施設を攻撃し左の戰果を得たり 一、擊沉、大型輸送船一隻、中型輸送船四隻、小型輸送船六隻、驅逐艦一隻、上陸用舟艇六隻以上 二、擊破、巡洋艦一隻、上陸用舟艇一隻 三、擊墜、戰鬪機九機 四、炎上、魚雷艇基地棧橋及び港外バウ島物資集積所 本攻擊に於いて我方の損害自爆二機 |
02 | 補給遮斷戰の連續 |
03 | タイ國答禮使一行 きのふ晴れの入京 |
04 | 提携具體策に付懇談 |
05 | 見事七機を擊墜 コ島上空で邀擊 |
06 | 敵魚雷艇を乘切る ベナ附近、我が驅逐艦の殊勳 |
07 | 秋霜烈日假藉せぬ 太行作戰、報道部長談 |
08 | 捕虜せる主要幹部 |
09 | 第二豫備金 支出額決定 |
10 | 立派な藝術家 ウイチツト外相の橫顏 |
11 | 蔣軍の山西地盤 完全に潰滅さる |
12 | 黃河河畔で大殲滅戰 |
13 | 米英空軍の 領空侵犯重視 トルコ政府 |
14 | 剿共建國に邁進 陳中將決意を語る |
15 | 三國同盟變化なし 重光外相に伊新外相通電 |
16 | ウイチツト 外相略歷 |
17 | タイ國答禮使一行の顏觸 |
18 | 伊緊急會議 |
19 | 反樞軸軍總司令 對伊提案內容 |
20 | 定例閣議 |
21 | 大型油槽船を 喪失 英海軍省發表 |
22 | 共同目的を完遂 ビ泰首相ビルマ外相に返電 |
23 | 米軍難局に遭遇 ムンダの攻擊戰 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 藷類增產運動を興せ社說 大東亞戰爭の現階段に於て戰力增強に基く船腹節約の見地よりして內外地に於ける食糧對策は自給制の確立に向って渾身の努力を為さねばならない事は度屢屢政府より言明せられたところである、本年に於ける內外地の稻作狀況は最近の發表によれば平年狀態であるが、今後不測の天候に依って如何なる影響を受けるか解らないので、戰時食糧の一翼として藷類增產の緊急なるを愈愈痛感せられる事となった、されば臺北州では甘藷緊急對策を早くも樹立せられた事は誠に時機に適する處置である、督府に於ても甘藷增產の方策として蔗作及茶園の間作を立案し、地方州廳に對して其の方針を示したが、此の增產方針を地方の津津浦浦まで徹底するには其の增產運動を興す必要がある、其の方策として各街庄の奉公壯年團が推進力の中心として其の一役を買って出る事は最近展開されて來た堆肥增產運動と相俟って極めて必要な事である、殊に堆肥の原料として甘藷の莖や葉などは最も適當なものであるから甘藷の增產と堆肥とを緊密化すべきである、此の外キャッサバ增產の必要あるは本欄に於て屢屢提唱せられたが官廳に於て此の問題に對して頗る低調であるは如何なる理由か知らないが、この方は尨大な山地の利用が可能であり農民の採算さへ合へば獨りで增產し得るものである、此の點は特に臺中州廳の一考を煩はしたい、藷類增產と共に其の蒐荷統制方法も地方に依って異なるが、臺南州下の如きは一定數量の供出量さへあればアトは自由處分の方法も考へられ、此の方策は既に內地に於て試みられてゐるから本島に於ても其の統制方式が餘りに強屈に亘らざるやう或る程度のユトリを附ける必要がある、要するに藷類の增產は米穀增產と相俟って全島に亘る奉公運動を華華しく展開すべき事を強調したいものである。 |
02 | 社說 砂糖配給制に就て社說 最近島內に於ける砂糖自由販賣の議が興り目下中平食糧局長の手で立案せられてゐる事を聞く、全島民としては誰しも賛成を表してゐるが、唯一部の菓子業者は餘り氣乘りしない事を聞いてゐる。砂糖に對する自由販賣は多少消費の增加を齎らすかも知れないが、島內の消費量から見れば微微たるものであり、都市はともかく農村方面に於て或は却って減少しないとも限らない。現在一千百數十萬擔以上の滯貨から見れば今更事務繁雜なる切符制度を生產地に於て行ふ必要が毫もないのである。殊に目下各地とも不完全の倉庫を以で貯藏してゐるが長期貯藏が困難であり、一朝暴風雨に遭へば相當の損害ある事を覺悟しなければならない。それよりも其の貯藏の一部を各家庭に切替える事は如何に必要あるかは言はずして明かである。 尚內地に於ける砂糖不足の對策として內地行船客に對して一人十斤の砂糖を携帶せしむる事を考慮されてゐるが若し砂糖の自由販賣を行へば此の問題は難なく解決し得るのである。唯自由販賣に對する反對理由を強ひて言へば內地では不足してゐる食料品に對して島內では自由に消費し得る事は物動の物資として面白くない丈の話である。然し此の問題は現在の輸送關係を前提としての臨時措置である事と、これに依って船客の內地携帶を一人十斤許す事は間接に內地ヘ潤ほす事にもなるから事情さへ解れば勿論問題はないのである。要するに島內に於ける砂糖自由販賣は臨時措置として何等論難すべき點なく、却って戰時下の國民生活にある餘裕を與へた感じが生せしめるのであるから、今更躊躇ぜずして斷行すべき事を望まざるを得ない。 |
03 | 勤報青年隊を強化 鍊成期間を六ケ月に延長し 臺北、臺中關山に第二訓練所新設 |
04 | 海志第三次銓衡 臺北州の實施日割 |
05 | 御下賜金傳達式 浦戶丸遭難者御救恤 |
06 | 鄉土防衛の完璧へ 新竹州全島に魁けて 防空訓練所を設置 警防技能を鍊磨 井原新竹州警察部長談 |
07 | “海軍の話”に感激 勳兒、影井中尉の講話傾聽 |
08 | 優良奉公班を調查 |
09 | 不精の盃拋つて 紅燈の巷からあつさり轉向 目覺めた女給さん 增產の第一線に挺身 |
10 | 皇奉本部定例 部長會議 |
11 | 教員講習會 |
12 | 聞くも賴母しい 竹南郡の水害救助美談 |
13 | 激流に決死の索道架設 苑裡庄王保正の滅私敢鬪 |
14 | 食糧增產實踐 八月臨時常會の申合 |
15 | 鍛鍊に務ませう 花蓮港市常會開かる |
16 | 北署柔劔道 夏鍊成場 |
17 | 海の文學と 美術街頭展 |
18 | 全國一周の壯擧成る 學鷲悠悠羽田に着陸 |
19 | 順安國民學校水泳鍊成會 |
20 | 宜蘭市民擧つて 田植へ |
21 | 新式劎法採用 新竹州警察部 夏季武道講習 |
22 | 優良な學習ノート 當局監視の下に學生に遍く配給 |
23 | どなたにも出來る 速成野菜二つ つまみなと大根もやし |
24 | 羅東のラジオ體操の會 |
25 | 會社銀行員等 の武道稽古會 南投武德會主催で |
26 | 彰化露店役員會 |
27 | 羅東郡保育員 保姆の鍊成會 |
28 | 西亞の英軍驢馬を徵發 |
29 | 訃文:早川岩松 |
30 | 人事‧消息 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 食糧增產に知事諭告 決戰高雄州の萬全策 |
02 | 今度は“副勸業課長” 增產助役で好評を博した高雄州 屏東市に新設決定 |
03 | 農事實行組合の陣容強化 |
04 | 戰歿者遺族を弔問 總督代理坂口知事が |
05 | 日婦臺南市支會の八月常會 |
06 | 青年團振興座談會開催日割 |
07 | 復興に青年動員 臺中州の水害對策 |
08 | 決戰衣生活簡 素化講演會 |
09 | 貯蓄增強方策 產聯臺南州支部で打合 |
10 | 一萬四千圓突破 嘉義日婦の米英擊滅貯蓄 |
11 | 少年團指導者志氣昂揚へ 關子嶺紅葉山道場で講習會 |
12 | 畜產講習會 |
13 | 再度硬貨回收 彰化日婦支會 |
14 | 下士官候補者任命に感激 高砂族勇士の便り |
15 | 鶯歌街青年團 の改組成る |
16 | 總督水害救助 見舞金傳達式 知事公室で擧行 |
17 | 產組を督勵 貯蓄達成目指して |
18 | 田植應援隊の敢鬪 必勝の信念を增產に示して |
19 | 二期作植付を推進 模範農家張進興氏外二名を表彰 |
20 | 木材の心配無用 檜がどんどん出る |
21 | 草鞋がけで陣頭指導 增產市長神田さん |
22 | 竹東街協議會 |
23 | 青年團懇談會 |
24 | 產組を整理統合 高雄州で計畫準備中 |
25 | 二宮先生應召 屏東郡下國民學校銅像献納 |
26 | 篤農家を表彰 東港郡で調查を開始 |
27 | 桔俱鍊成會 十日から大肚山で |
28 | 國語指導者鍊成 |
29 | 助教講習會 |
30 | 國民學校職員 體操講習會 |
31 | 增產、貯蓄宣傳に一役 大溪街畫劇挺身隊大童の活躍 |
32 | 切干藷供出の成績上乘 官民一丸の敢鬪酬ひられて |
33 | 故黃清埕氏 夫婦追悼會 |
34 | 關廟の青年劇 |
35 | 桃園日婦 赤誠募金 |
36 | 農事懇談會 |
37 | 災害義捐金第三回領收報告(敬稱略)報社消息 |
38 | 臺南州警察部異動 |
39 | 人事報社消息 |
40 | 地方多より |
41 | 今日の映画演劇 |
42 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 石炭の一元的運營統制 臺灣石炭營團(假稱)を設立 きのふ律令案について協議 |
02 | 稻作狀況豐作疑なし 一億一丸協力の結晶 |
03 | 港灣荷役勞銀 低下防止策を考究 |
04 | 企業整備懇談會 (上)質疑應答の內容 |
05 | 來期產糖豫想(第一回調查) 一千七百卅二萬餘擔 |
06 | 南日本汽船增資內認可 |
07 | 食糧配給公正化 監察指導制度決定 |
08 | 再編成協力會 愈よ十一日に創立 |
09 | 海南、朝日兩 製粉配給据置 |
10 | 新營テツクス設立 |
11 | フルフラール工場 昨日落成式擧行 |
12 | 彰化郡密植競技 |
13 | 臺南州林業概況(下)/新山清吉 |
14 | 米穀增產督勵に 殖產局長五日南下より |
15 | 信託業法施行に對處 臺灣諸稅令を改正 |
16 | 經濟手帖 |
17 | 照明燈 |
18 | 商況(三日後場) |
19 | ラジオ |
20 | 水滸傳(1027)/黃得時;碇政彌 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵舟艇群を爆碎 陸鷲、黃河上空に殺到 |
02 | 敵百機を邀擊擊退 ソロモン前衛基地で |
03 | レ島米軍陣地猛擊 二日わが荒鷲部隊が |
04 | 外交方針を討議 ビルマ第二回の閣議 |
05 | 帝國政府の英斷 |
06 | 緬甸國誕生に贈る 祝福と激勵の言葉 |
07 | 鐵鋼統制會、商工省 首腦部との懇談會 |
08 | ドイツ軍戰果擴大 東部戰線の戰況 |
09 | 飽くまで交戰繼續 伊國民の決意固し |
10 | スイーチ驛の 熾烈な爭奪戰 |
11 | 赤機二百廿七擊墜 |
12 | 圖像:輝く戰果を擧げ基地に歸還の陸鷲(南太平洋〇〇基地にて)陸軍省檢閱濟 |
13 | 大東亞鐵石の結束 歐洲新秩序建設をも援助推進 イタリア政局の推移に重大關心 |
14 | シ島總攻擊開始 チヤーチル下院で豪語 |
15 | 反樞軸軍苦戰 |
16 | 純忠至誠、努力一貫 東條首相、幼年學校で訓辭 |
17 | 赤軍オ市郊外 進出を公表 |
18 | 三國密接な聯繫 重光外相獨伊大使協議 |
19 | 盟邦に忠誠 伊政府當局意向を表明 |
20 | ルーズヴエルトの 對伊休戰條件 |
21 | 米機の盲爆 羅國政府の發表 |
22 | 通商破壞戰 獨軍の戰果 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 決戰防空への布陣 州防空課に專任警視配置 山內警務局長歸臺談 |
02 | “女師魂”の鍊磨へ “日本の母”育む重任を擔ふて 高女女教師鍊成會 |
03 | 日米血戰繰り展ぐ ニユーギニア戰線の戰略的意義 |
04 | 譽の遺兒を鍊成 新竹州南寮海水浴場で |
05 | 伜の御奉公 思ふて 父の死を秘す |
06 | 警察官の龜鑑 故早川保安課長に 輝く警察功勞章 |
07 | 學鷲御苦勞さま 慰勞會で貴重な體驗發表 |
08 | 要養護兒童 九日から草山 で鍊成 |
09 | 學徒の勤勞動員(二) 訓練は三十日以內が原則/小林澄兄 |
10 | 軍馬慰問 |
11 | ビルマ防衛軍 新生ビルマの表情(1) |
12 | ヨイ子供に 合宿訓練 |
13 | 國家義勇軍に 改編したフアシスト民軍 |
14 | 故佐久間總督 廿九回忌法要 |
15 | 飛沫擧げて力泳 海洋團體水鍊大會 |
16 | 南方衛生要員 近く入隊鍊成 |
17 | 基隆郡勸業課 新廳舍へ引越し |
18 | 放送塔 |
19 | 煙草の香り保存 獨逸のミ大學で研究 |
20 | 興南詩苑漢詩 先嚴秉圭癸未百歳陰壽祭告紀賦六首/炳煌 倪希昶、銀座步月/臺南 高燦□ |
21 | ドイツの青少年保護 |
22 | カイザーの人氣 |
23 | 效き目のない 爆擊戰 |
24 | アルゼンチン 炭坑大爆發 |
25 | 人事‧消息報社消息 |
26 | 今晚の放送 |
27 | 商況(四日前場) |
28 | 興南案內報社消息 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵前進據點を粉碎 サラモア南方の敵を 背後から急襲攻擊頭條新聞 【ニューギニア前線○○にて四日阿藤陸軍報導班員發】南太平洋方面に於る敵の總反攻は日を遂って激化し空陸海に亘って苛烈なる死闘を續行されてゐるがニューギニア戰線では去る七月三十日米軍のナツンウ灣上陸以來敵はわが據點○○奪取を目ざして前進を企てその內多數の戰車を擁する有力部隊はサラモア南方○粁に進出こゝに堅固なる五段構への陣地を構築して執拗なる攻撃を企圖するに至った依つて我軍は迂回奇襲に依つて一舉に此敵前進據點を粉砕するに決し和久隊、太田中尉など募兵○○名のわが枝隊は廿九日早朝行動を開始し敵陣の最後端を衝くべくジャングル地帶を突破して大迂回を試みたが同日十七時遂に隱密裡に敵陣地の左翼背後に進出するに成功した一擊必殺の闘志に燃え立つ全員は電光の如く敵背後から急襲攻擊を敢行するや虛を突かれた敵陣は周章狼狽忽ち大混亂に陷つたがわが兵力寡少を見るや俄然戰車を繰出して必死の抵抗を試みこゝに敵陣內に彼我悽愴なる白兵戰が展開されるに至つたが士氣いよく舉るわが精銳は銃劍を揮つて突入分けても和久大尉は率先陣頭に立つて敵陣深く斬込み白刃を揮つて忽ち二名を斬り伏せた後自ら手榴彈をもって敵の陣地を次々と奪取した彈丸盡くるや敵の手榴彈を奪つて鬼神の如く奪戰又太田中尉も敢然と肉彈戰に飛び込み敵兵と隨所に格闘を演じて敵を壓倒するなど敢闘三十分遂に敵の誇つだ五段溝への堅陣はわが手に歸し敵は多數の遺棄死體を殘して潰走するに至ったのであるこの急襲で敵の戰車十二輛自動小銃十五挺自動短銃十三挺手榴彈五○小銃彈、五○○發其他多數を鹵獲したがわが方も亦戰死三、戰傷一四の尊い犧牲を出した、 |
02 | 國家の要請に應へよ 學校教員待遇改善岡部文相放送 |
03 | ア國に經濟壓迫 米政府經濟斷交の暴擧に出る |
04 | 石渡國府經濟 顧問歸朝 要務打合せ |
05 | 依然獨自の 政策を踏襲 ア國駐日武官語る |
06 | 重慶に重大打擊 ビルマの獨立を重視 |
07 | 新秩序建設にある ビルマ外相が聲明 |
08 | 海南島の殘敵掃蕩 |
09 | 圖像:獨立式に向ふバーモー博士とその家族(自邸玄關で) |
10 | 相互尊重が基調 ビルマ外相と一問一答 |
11 | 英二十二機 喪失發表 |
12 | 興亞總本部の 審議員委囑 |
13 | 一對十の戰果に應へ 優秀な成果を擧げよ 首相、三菱飛行機工場で訓話 |
14 | 感謝と慶祝の挨拶 東條首相、バ首相喜び合ふ |
15 | 自力で窮局を打開 伊の外交政策ステフアニ社報道 |
16 | バ首相謝電に 大東亞相返電 |
17 | ルーマニア油田空襲 完全に大失敗に歸す 總統大本營三日發表の戰況 |
18 | 駐緬大使館開館式 |
19 | 上海公署機構 人事を決定 |
20 | 伊軍七月中の 地中海の戰果 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 當面の二大課題社說 一 現下の島民に與へられた當面の重要課題は、思ふに國民動員體制の強化と食糧增產の確保であらねばならぬ。大東亞戰爭完遂に必要なる戰力增強の中でも特にこの二つの命題は我ら島民の自覺と赤誠による完璧なる實踐を要請せられてゐることと云ふべきであらう。このことは既に總督府に於ける昭和十八年度乃至十九年度の重要方策として先議決定せられ、豫算や資材の準備完了次等直ちに實施に移すべく、これが具體化について更に慎重なる研究を進めてゐる模樣であるが、我ら島民に於ても、當面のこの二大課題に對して正しき認識を持ち確乎たる心構へを以てこれが實施に備へなければならぬと思ふ。勿論督府の重要方策の內容については抽象的に大綱を示したる總務長官談の外にはこれを詳らかにし得ないが、しかし本質的な核心については凡そ推察に難くないであらうし、全島民の心構を要請するに充分なるものがあらう 二 國民動員體制の擴充強化については、銃前銃後を問はず凡そ戰力增強に必要なる一切の人的要素の總動員體制增強に他ならないが、只本島に課せられた命題として我ら島民が自覺すべきことは單に銃後の生產戰士として挺身するだけでなく銃前、更に銃前の第一線戰士として盡忠報國の誠をつくすことでなければならない換言すれば御民われの感激ひとしほ深き米英擊滅の聖戰に、全島民こぞって銃執って挺身し得るの榮譽に浴することでなければならぬのである、勿論我ら島民には、既に譽れの陸海軍特別志願兵制度が布かれ、或は勞務奉公團其他に於て幾多熱血青年に對し直接間接聖戰に參加するの機會を與へられて、彌が上に六百萬島民の感激を高鳴らせてゐるが、しかし島民の皇國民として最大の願望は、一日も早く速かに徵兵制度實施の恩命に浴することなのである、斯くして國民動員體制を強化することは本島民の赤誠によって徵兵制實施へ向って邁進することであらねばならぬ 三 次に食糧增產の確保であるが、これは農業臺灣に課せられた當然の使命として今更多言を要しないことである。戰力增強の基本的要件として食糧を確保すべきは既に常識になって居り、從って增產についても自明のこととして何人も先刻御承知の筈である。唯しかしながら食糧增產は農民の精神と熱意と努力如何により、或は工夫創意の有無によって左右されるものであることを島民は省みなければならぬ。勿論農民指導者增產指導者に對しても同樣のことが云はれるのであるが、凄愴苛烈な決戰下に國家的要請として課せられたこの命題を完遂するためには如上の點について官民共にもっともっと檢討を加へ研究を行ひ、而して新しい工夫創意を活かさねばならぬ。要は增產即奉公の赤誠と努力を傾注することであり新しい工夫創意を用ひることであるが、更に一步を進めて云へば、己のためでも誰のためでもない、凡て御國のために增產するのだと云ふ心構へがあってこそ始めて國家要請に副ふことが出來るのである。 |
02 | 下情の吸收に懸命 船頭さん親子と溫問答 東條首相名古屋視察 |
03 | “行學一體”を實現 增產に青少年學徒蹶起 |
04 | 空襲時の負傷 如何に治療するか |
05 | 思想戰の前衛 宣傳協力委員會開催 |
06 | 救護美談が續く 決戰下、賴母しい敢鬪譜 |
07 | 無敵皇軍を慰問 齋藤總務長官南方へ |
08 | □□□□□ 肥舍を建設 |
09 | 海の若櫻銓衡 蘭陽一市三郡で |
10 | 大の男も顏負け 女青、米穀增產に挺身 |
11 | 無敵皇軍に感謝 七月中の献金廿四萬八千圓 海軍武官府の取扱 |
12 | □□□□□ に落花生栽培 |
13 | 增產戰士腕比べ 羅東郡下の田植競技會に 梁井知事が臨場 |
14 | 港都市民の赤誠 續續集る感謝献金 |
15 | 町名改正、市バス 花蓮港市懇談會に附議 |
16 | 新竹市一心會總會 |
17 | □□□□□ 龜鑑を表彰 |
18 | 宜蘭信組上棟式 |
19 | 娘一人に婿八人 高雄市營住宅申込殺到 |
20 | 雛鷲目指して グライダー操縱鍊成會 |
21 | 優秀農業技術 研究者を表彰 |
22 | 決戰貯蓄打合會 |
23 | 身元不明の溺死者 |
24 | 基隆福德町のボヤ |
25 | 七日から體格檢查 高雄州海志銓衡 |
26 | 濠洲わが空襲に戰く |
27 | □□□□□ 收穫豫想 |
28 | 訃文:陳琳 |
29 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 護れ!吾等の鄉土 講習事項の浸透狀況を實地查察 |
02 | 國語常用に拍車 推進員等が街頭に進出 |
03 | 臺中州臨時部課長會議 |
04 | 彰化鄉軍の 簡閱點呼 |
05 | 恩賜の御紋菓に感激 光榮の黃陸軍軍屬嚴父談 |
06 | 森田知事來彰 被害地を視察 |
07 | 海鷲の採用試驗 敵米英首都の一番乘り目指して |
08 | 彰化工業開發 委員役員委囑 |
09 | 篤農家を表彰 青木部長の田植推進行脚 |
10 | お山の粟大豐收 アラバ社は歡喜の一色 |
11 | 能高郡支會正條密植競技會 |
12 | 增產奉公班設置 各農事實行組合から委員起用 |
13 | 竹南街密植 勵行週間 |
14 | 稅務事務實習 |
15 | 堤防に木麻黃 臺中州の一石二鳥策 |
16 | 青年團振興懇談會 臺南州二會場の開催日時決る |
17 | 增產の作戰本部に 市街庄の陣容を強化 |
18 | 健民委員を設置 各奉公班に男女各一名 |
19 | 彰化郡下事務監查 |
20 | 區總代に指導目標 斗六郡で總代會を開く |
21 | 插秧競技會 五日鶯歌街で |
22 | 半島人が献金 |
23 | 健民指導醫設置 嘉義支會で委囑 |
24 | 大溪農業挺身隊が田植 |
25 | 增產戰士を慰安 音樂慰安劇大會を開く |
26 | 老人層を啟發 中埔庄で定例座談會 |
27 | 擔ふ決戰の重責 增產助役早くも田圃へ |
28 | 赤誠の献金品 |
29 | 甘藷增產打合 |
30 | 街頭貯蓄宣傳 |
31 | 慶弔はこの程度で 皇奉嘉義市支會で基準設定 |
32 | 皇奉後龍庄分會の八月常會 |
33 | 大溪街常會 |
34 | 增產へ增產へ 羅東日婦田植で敢鬪 |
35 | 陳瑞鳳本社桃園出 張所主任嚴父逝去報社消息 |
36 | 災害に敢鬪した 大甲奉壯團慰問 |
37 | 地方多より |
38 | 今日の映画演劇 |
39 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 佛印の黃麻栽培 本年度の收穫好成績 |
02 | 薪炭の價格調整 生產者價格を引上ぐ |
03 | 企業整備懇談會 (中)質疑應答の內容 |
04 | 清水溪ダムの調查 企劃院からも近く來臺 |
05 | 電化羅東工場 カーバイトを製造 |
06 | 專賣小賣人組合 全島中央會設立か |
07 | 洋服生地の配給 組合業務規程決定 |
08 | ロープ代用の竹篾 各社で從來通り集荷 |
09 | 雄大な土地改良 劃期的米收の構想 |
10 | 砂糖は全くの素人 田口鹽糖社長來臺談 |
11 | 生活必需品の配給 督府で是正策研究中 |
12 | 商銀人事異動 |
13 | 米糠油料價格指定 |
14 | 造船材確保の為 伊藤部長新竹へ |
15 | 照明燈 |
16 | 經濟手帖 |
17 | 商況(四日後場) |
18 | ラジオ |
19 | 水滸傳(1028)/黃得時;碇政彌 |
20 | 七月一日抽籤 戰時債券當籤番號表(其ノ五) |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 肥料の適期配給 應急對策中特に緊要 貴院食糧調查委員會提示 |
02 | 軍部當局も列席 各地方協議會の成果期待さる |
03 | 圖像:零陵攻擊に向ふ我が新銳機 |
04 | 關東地方行政協議會 |
05 | 比島民に呼掛く カリバピ副總裁 |
06 | 非農家の積極動員 農村勞力不足の隘路打開に 顯著な實効を收む |
07 | 潑剌たる振興を期待 (下)緬甸經濟建設の構想 |
08 | 東條首相歸京 |
09 | 緬甸初代駐日大使 財務相モン氏に內定 |
10 | 駐華獨大使 信任狀捧呈 |
11 | 赤軍數個部隊を 一兵餘さず殲滅 東部戰線で獨軍猛烈な反擊 |
12 | 泰外相各方面を 歷訪挨拶 |
13 | 圖像:見敵必殺炎熱と鬪ふ南太平洋前線の監視哨(日野特派員撮影陸軍省檢閱濟) |
14 | 赤軍オリヨール 市內に進出 |
15 | 淒慘な白兵戰展開 赤軍も苦戰を認む |
16 | 米英の要請を一蹴 トルコ政府 |
17 | “アラブ聯盟”結成 イラク首相、英大使に通牒 |
18 | 赤軍戰力に致命的痛手 |
19 | 赤軍戰車七百三十臺を破壞 |
20 | 比島電報取扱地 二ケ所追加 |
21 | 獨軍戰況發表 |
22 | 劣勢な兵力で 克く敵軍を阻止 伊軍シ島戰況を公表 |
23 | 工場事業場の調查報告 整理簡素化一部を決定 |
24 | 綿スフ紡績業の 整備要領を通牒 |
25 | 重要政策協議 けふ伊太利政府 |
26 | 法王廳で 重要協議 羅馬在駐樞機官 |
序號 | 標題 |
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01 | 意氣敵米英を吞む 兵の道は銃後の道に通ず 島都奉壯の曉天常會 |
02 | 結核の豫防撲滅 健民修鍊所を開設 |
03 | 健康優良校 譽れの兩校表彰 |
04 | 賞賜物件傳達式 |
05 | 尖兵として驀進 新に鍊成部を設置 |
06 | 健全な家風樹立 女子の戰時體制決る |
07 | 圖像:和服姿で記念撮影のバー‧モウ首相一家 |
08 | 羅東郡神饌田 田植祭 |
09 | 芥川賞受賞者 石塚氏の「纏足の頃」に決定 |
10 | 膝を交へて懇談 桔梗部員を地方に派遣 |
11 | 佛租界回收の意義 大上海一元的支配完璧 |
12 | “決戰臺灣”の 映畫筋書募集 |
13 | 放送塔 |
14 | 水兵さんの姿 を胸に受驗 新竹市の海志 |
15 | 安田翁再び行脚 航空機議員號資金募集と 移動生活相談を開設 |
16 | 驛辨は四十錢 に值上り |
17 | 彩管に結ぶ親善 心と心が觸れ合ふ民族協和 楊、郭兩畫伯歸臺 |
18 | 生產戰と道德/室伏高信 |
19 | 圖像:重要鑛物非常增產強調期間ポスター |
20 | 安くなる靴の修繕 暴利取締規則改正で |
21 | 農機具講演會 |
22 | 花蓮郡第二國 民兵簡閱點呼 |
23 | 日映殉職三氏 合同社葬嚴修 |
24 | 國語家庭大會 廿一日公會堂で開催 |
25 | 興南詩苑漢詩 芸樓夢與余將相見未及晤而醒恐非佳朕書以見告郤寄二十二韵兼似叔宣上將時芸樓在南京叔宣上將幕聞其畫境日進/文訪 |
26 | 人事‧消息 |
27 | 今晚の放送 |
28 | 商況(五日前場) |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵廿五機を擊墜 ムンダ上空で空中戰頭條新聞 【東京同盟至急報】大本營發表(八月五日十五時三十分) 帝國海軍航空部隊は八月四日ムンダ上空において敵戰闘機約七十機と交戰しその二十五機を撃墜せり、我方損害四機 |
02 | 艦船二百八十屠る 敵機擊墜破三千機 ソロモン激鬪一ケ年の樣相 |
03 | ムンダ空戰 敵は逃げるに汲汲 われに倍の多數擁し |
04 | 圖像:自動車も通れぬ惡路に泥と汗に真黑になつてリヤカーで食 糧彈藥を運搬する勇士達(ニユーギニア戰線日野特派員撮影陸軍省檢閱濟) |
05 | 泰國は總力を集中 大東亞戰爭完勝へ 滯京中のウ外相聲明 |
06 | 敵船團強襲を敢行 レ島、ニ島方面水雷戰隊同乘記 |
07 | 中國復興記念日 八月一日に決定 |
08 | 農林省發表 植物油脂製造業 整備要領を通牒 |
09 | 日本國民決意固し 充分の兵力を國內に持つてゐる 泰國外相と一問一答 |
10 | 決戰完勝鄉軍大會 來る八日一齊に擧行 |
11 | 東條首相宛てに 張總理祝電寄す ビルマ國獨立に際し |
12 | 東條首相滯京 |
13 | バレルモ港を 獨空軍が強襲 |
14 | シ島の獨軍 カタニア徵收 |
15 | 赤軍戰車百廿三臺を擊破 |
16 | 四統制會の統 制規定認可 |
17 | トルコ外相 獨大使と會談 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 全戰局を左右する補給決戰社說 一 去る六月三十日、敵がレンドバ島に上陸以來、旣に一箇月餘り、ソロモン群島からニューギニア東南部に亘る南太平洋戰線には晝夜を分だず、苛烈凄槍な激戰が續いてゐる。この間屢次に亘る大本營發表は敵の反攻に痛烈な反擊を浴せる皇軍の勇戰を傳へ、遙か南溟の決戰場裡に、大君の御楯として身を鴻毛の輕きに死鬪する皇軍將兵に對し、吾らは感謝の默禱を捧げなければならない。今や南太平洋戰線の海と空と陸に展開する戰鬪こそは、近代に於ける綜合決戰としての立體戰鬪をこの一點に凝結したもので、まさに戰史未曾有の激鬪である。そこには敵味方兩國の戰力がそれぞれの補給力を總動員して傾けつくされ、雌雄を決せんとする凄愴なる格鬪が演せられてゐる。勿論、戰線は廣大にして南太平洋戰線は一局地に過ぎないが、勘くなくとも、この戰線は日米決戰の今日の主戰場として重視されねばならぬ。 二 この決戰場は地圖を案ずるまでもなく、日米共に本國を遙かに遠く離れた位置にあり、彼我共に戰史に曾って見ざる大補給線を維持しつつ、戰はなければならないのである。而も戰爭の樣相は尨大な消耗を伴ふため、これを補給し得る唯一のものは完備せる本國の生產設備を動員しなければならない。これが今次の戰爭が從來の戰爭と全く趣を異にしてゐる點である。從って敵の輸送補給線を破壞する事は補直接にその戰力を低下させる事であり、戰局の全運命を左右し得る事になるのである。南太平洋に於ける激戰こそ、日米兩軍の補給輸送線の確保とこれが破壞の戰爭である。而もこれこそ、本國の生產戰の強弱につながってゐる事を看過してはならない。 三 崇高な道義と燃えさかる正義を抱いて、戰ひ拔くわが神兵の精神力は、今までの赫赫たる戰果に於て實證するが如く、敵の物質力を壓倒して來た。併しながら如何に強烈な精神力も、一定の物質力を必要とし、また敵の物質力の增大に應ずる相對的限度の物資力を絕對に必要とするのである。巨大な消耗戰と化せる現戰局に於て、特に然りである、百機、二百機の大編隊を以て來襲する敵の航空戰力、あとからから上陸を強行する敵補給の執拗さは、これを正面から正視しなければならない。「戰爭終結戰の開始」などと思ひ上りも甚しい言解を吐く敵の反攻を、木葉微塵に粉碎するのは今である。第一線勇士の烈烈たる精神と卓拔なる技倆に對し、統後は物資の增強を以て應へなければならない。大和魂の發するところ、戰力增強の達せられぬ筈はない。前線と銃後の精神力の相結ぶところ、敵擊滅の戰鬪力は生れて來るのである。最後の勝利を獲得する基礎は、實に茲にあるのである。 |
02 | 兩陛下の御仁慈 本島暴風雨被害を聞召され 畏し御內帑金御下賜 |
03 | 聖旨を奉戴して 長谷川總督謹話 |
04 | 真如親王の御遺德 奉讚事業愈よ具體化 |
05 | 緬甸の文化を語る(一) 復興建設の熱意に燃ゆ |
06 | 御禮電報奉呈 |
07 | 地方長官に聖旨傳達 總務長官名で通牒 |
08 | 皇奉花蓮港廳 支部懇談會 |
09 | 蘭陽青年團 幹部座談會 |
10 | 長谷川總督 十一日高雄へ |
11 | 蓖麻管理に ヨイ子供一役 |
12 | 東部の強みは電力 努力次第で幾らでも伸びる 山縣司令長官語る |
13 | 石炭を出さう 新竹州關係者凝議 |
14 | 島都の國民皆唱大會 朗らかに明るく 歌へや歌へ聽眾も |
15 | 詳さに視察して 三日花蓮港から歸任 |
16 | けふは海の兒だ 褌一枚で地引網“ヨイショヨイショ” 勳兒淡水で鍛へる |
17 | 急行乘客制限 けふから實施 |
18 | 米供出督勵 |
19 | 全島紙芝居競演會 明七日から臺北で開く |
20 | 麗はし譽の兒 拾つた金を國防 献金 |
21 | 七洋の制霸へ 乙女達も蹶起鍊成 |
22 | 昭和十八年の蘭陽 |
23 | 小國民皆泳大會 |
24 | 鈴木中將逝去 |
25 | 木材の搬出促進 伊藤遞信部長、藤村知事を訪問 |
26 | 籾集荷打合 |
27 | 內地人軍屬募集 |
28 | 食糧增產打合せ |
29 | 三輪氏高雄視察 |
30 | 宜蘭信組上棟式 |
31 | 人事‧消息報社消息 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 高雄州知事の告諭 七日頃發せん 本島としては嚆矢 |
02 | 今度は林業增產へ 高雄州で篤志家を中核體として |
03 | 國旗接揚運動 嘉義市奉壯團が乘出す |
04 | 楠梓庄一部の 高雄市域編入 十月一日實現の見込 |
05 | 模範部落目指し 柚子林茶本部落宣誓式 |
06 | ああ治安の龜鑑 故早川氏警察葬嚴修 |
07 | 嘉義市青少年團の役員近く任命 |
08 | 增產助役慰問 知事代理總務部長が |
09 | 新婚者を優遇 アパートを提供 |
10 | 皇奉霧峰庄分會役員委囑 |
11 | 純島產の木造漁船 臺南運河で晴の進水式 |
12 | 仙境‧富士溫泉 林臺中醫院外科醫長が折紙 |
13 | 敵機模型防空展 臺中市初日から大入滿員 |
14 | 高雄‧左營を結ぶ 來年度大直線の道路構築 |
15 | 後龍庄の街昇格 加村郡守一行出北して陳情 |
16 | 彰化郡密植競技 |
17 | 香港海員養成所を視る |
18 | 決戰の蓖麻だ 嘉義市增產へ驀ら |
19 | 堆肥造成に馬力 麻豆街埤頭保聯會で大童 |
20 | 貯蓄推進策 產組主務者が協議 |
21 | 昂まる貯蓄熱 四ケ月間で四十萬圓突破 |
22 | 溫い隣保の真心 霧峰庄で多額の義捐金 |
23 | 戰力增強は健康から 內埔麻病防遏所大童の活躍 |
24 | ゴルフ場の更生 農業實習道場に轉向 |
25 | “決戰增產の實踐” 新化街總常會で申合せ |
26 | 赤誠の献金品 |
27 | 新化郡警察課土用稽古 |
28 | 演劇指導者 鍊成會終了 |
29 | 次代を擔ふ男女青年群 曾文郡で鍊成指導に懸命 |
30 | 新莊郡で經濟相談所開設 一般地方民の利用方を歡迎 |
31 | 人事報社消息 |
32 | 地方多より |
33 | 新化街區總代會 |
34 | 屏東郡の八月職員定例常會 |
35 | 今日の映画演劇 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 主要食糧配給業務 きのふ監察指導要綱を發表 |
02 | 木船保險法實施 來月一日より業務開始 |
03 | 企業整備懇談會 (下)質疑應答の內容 |
04 | 化學工業統制會 本島側加入會社八社 |
05 | 佛印の黃麻增產 臺南製麻愈愈工場設置 |
06 | 糖業原價計算準則 近く府令を以て實施 |
07 | 臺灣產業金庫 設立要綱案協議 |
08 | ジヤワのチーク 需要增加に頗る好望 |
09 | 木原監督課長歸臺 |
10 | 一期標準米決定 |
11 | 臺灣商工經濟會 府で律令を立案中 |
12 | 臺南州新豐郡菓子 工業所臨時役員會 |
13 | 照明燈 |
14 | 八月債券 當籤番號 |
15 | 商況(五日後場) |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(1029)/黃得時;碇政彌 |
18 | 七月一日抽籤 戰時債券當籤番號表(其ノ六) |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 笑止‧米艦隊同志討ち キスカ東南濃霧中で 周章狼狽、醜態を演ず |
02 | 獨軍陣地改善成功 東部戰線、ハ大佐報道 |
03 | 戰線縮小に成功 獨軍、オ市を計畫撤收 |
04 | 赤軍反擊盡く失敗 總統大本營の公表 |
05 | 圖像:東條首相名古屋魚市場早朝の電擊視察 |
06 | レ島米軍基地猛爆 五日朝わが荒鷲奮戰 |
07 | 蒙疆の金融物價 對策進捗、大成果收む |
08 | 國際展望 |
09 | オリヨール市 ドイツ軍撤收 |
10 | 獨戰車師團長戰死 |
11 | 圖像:海軍新銳攻擊機堂堂南太平洋を壓す三枝海軍報道班員撮影、海軍省許可濟第一〇一號 |
12 | 獨軍攻防力旺盛 整備した陣形に於て |
13 | 軍紀は至つて嚴正 各宗教、各種族、各階級一切平等 印度青年中央訓練所訪問の記 |
14 | 獨も緬甸國を承認 |
15 | 「特產管理部」 三井信託で新設 |
16 | 嵐に立つ アメリカ農業 |
17 | 獨空軍の戰果 |
18 | スチムソン悲鳴 在支米空軍基地猛擊で |
19 | 黑海水域の戰果 樞軸艦隊作戰開始から |
20 | カタニア撤收 英作戰の裏を搔く |
21 | 對日、獨總反攻を呼號 反樞軸樂觀材料を過大評價 |
22 | 徹する力/肥後和男 |
23 | 伊國王、ナポリ 市民に見舞金 |
24 | イタリア政府 閣議を開催 |
25 | 太平洋會議 チヤーチル司會 |
26 | 伊軍、バルカン 撤收は虛報 |
27 | 駐ソ外交團 近く莫斯科歸還 |
28 | 英空母フ號 シ島沖で大破 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 勤報隊強化の魁 訓練所長會議に引續き 指導員助手を鍊成 |
02 | 宗教と道德 緬甸の文化を語る (二)佛教が建設の推進力 |
03 | 青少年團役員打合會 |
04 | 藷の增產に一役 戰ふ臺北州下の學徒 |
05 | 訓練所職員募集 |
06 | 皇軍魂を體得 青年學校長の鍊成入營に 新竹州から廿二名參加 |
07 | 營內にお藷を作る 基隆の乙女らが奉仕 |
08 | 日、タイ學生の 交驩座談會開催 |
09 | 東海地區行政協議會 |
10 | 熾烈な反英思想 ビルマ獨立運動の回顧 |
11 | 廣谷市長常會視察 |
12 | 苧麻の增產を獎勵 宜蘭市積極的に指導 |
13 | 居眠り通帳に 眼ざまし運動 |
14 | 臺灣から四代表 大東亞文學者大會に送る |
15 | アデイバデイの意義 |
16 | 瀧川國民學校 が清掃奉仕 |
17 | 溫泉時局に甦る 廣汎な泉熱の利用 |
18 | 十六日は月蝕 東亞圈で望見出來る |
19 | 新生ビルマの表情(2) 子寶 |
20 | 戰爭下の北極圈 援ソ輸送路として重視 |
21 | 小粗坑溪遡行 |
22 | 大暖尖 |
23 | 興南詩苑漢詩 古寺/郭越菴、謹賀許丙先生令長郞與楊天賦先生令媛聯婚四首/王瘦鶴、輓南投故醫師謝斌先生/承郁 |
24 | 近づく臺北春競馬 |
25 | 人事‧消息 |
26 | 今晚の放送 |
27 | 商況(六日前場) |
28 | 興南案內報社消息 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 生產、補給の決戰 變轉‧太平洋戰の相貌 ソロモン海戰一年頭條新聞 【東京發同盟】 補給決戰―生產決戰巡洋艦十四隻、驅逐艦十一隻、潜水艦三隻、輸送船十一隻擊沈破、飛行機五十八機擊墜の大戰果を舉げた第一次ソロモン海戰が戰はれてから一年我々は今なほ南太洋に於て決戰に次ぐ決戰を續けてゐる、しかして南太平洋の決戰は一線より一線へと鉾を交へる度にその樣相も變化し現實は最も深刻悽鎗なる補給決戰―生產決戰の段階にある事は注目しなければならない、今日の輸送補給戰は單に敵商船の行動を不可能にする事を目標にした從來の戰爭樣式とは異り更に積極的に敵の經濟力生產力を破壞するにある換言すれば敵の輸送補給線を破壞することによって直ちにその交戰を擊滅する事にある、これこそ今次の戰爭の特色であつてこの瞬間ソロモン群島ニューヂョーヂア島の一角に於て戰はれつゝある日米の激闘はこれを端的に示してをり國民に文字通り總力戰を強制しつゝある 敵戰術の變轉戰爭の本質が輸送補給戰であるがこれを戰術の面より見れば戰局は大體次の三期に分けられこの間に於て米海軍の戰術は刻々變化してゐる事が看取される、第一期―第一次ソロモン海戰(八月七日―九日)よりルンガ沖夜戰(十一月三十日)まで、第二期―レンネル島沖每戰(一月廿九日―三十日)よりルンガ沖航空戰(六月十六日)まで、第三期―米軍レンドバ島上陸(六月三十日)より現在まで、元來米海軍は大艦巨砲主義を傳統的に海軍計畫の基本方針として來た各艦種についても常に太平洋の怒濤を制壓して西太平洋の進攻作戰に耐へし得る大艦を建造して來たのである、しかるにこの大艦巨砲主義は開戰劈頭ハワイ軍港に於て甚大なる打擊を蒙り太洋艦隊の主力艦陣容は無力となった、この敗戰から米海軍は航空兵力の強大なる威力を確認した事である、帝國海軍航空部隊の驚異的電擊作戰により敵米海軍も頹勢挽回の戰術として大主力艦主義を一擲して航空母艦の急速整備、航空兵力の擴充に全努力を傾倒するに至つた、かくして挑んだのが第一次ソロモン海戰(八月七日―九日)を皮切りに第二次ソロモン海戰(八月二十四日)南太平洋海戰(十月二十六日)第三次ソロモン海戰(十一月十二日―十四日)ルンガ沖夜戰(十一月三十日)であつた、五海戰を通じて米海軍がとつた戰術は航空母艦を中心とする有力な移動兵力「艦隊」による決戰である、最もこの戰法は珊瑚海海戰(五月六日)の頃から實施してゐたけれども特に第一次ソロモン海戰頃から強力に實施されたのである、しかしながら米海軍はこれ等の海戰に於て戰艦七隻、航空母艦六隻、巡洋艦三十二隻、驅逐艦二十五隻、潜水艦三隻、輸送船十五隻、艦型未詳一隻を繋沈破、飛行機三百三十一機以上を擊墜破された、即ち珊瑚海海戰で喪失したサラトガに次いでヨークタウン、エンタープライズ、ホーネット等の虎の子の航空母艦群が撃沈破され爾後の航空母艦中心作戰遂行に重大な支障を招來するに至つた。つまり第一期の航空母艦中心移動兵力の決戰は失敗したのであるこれに續くレンネル島沖海戰(一月二十九日―三十日)イサベル島沖海戰(二月一日―七日)、フロリダ島沖海戰(四月七日)ルンガ沖航空戰(六月十六日)の第二期に於ては航空母艦中心主義を放棄して基地航空隊を中心とし然もいはゆる「圈外作戰」をもつて反攻して來た事は特筆しなければならない。要するにわが基地航空隊の行動圈外にある各基地を強化しこれに兵器及び戰爭物資を補給して逐次決戰準備を整ヘニューカレドニアからニューヘプライズ、ガダルカナルへと漸進的に補給線を固めつゝ進出して來た。大體米海軍の傳統的な方針として基地は艦隊に從屬すべきもの、更に言へば基地そのものの共同移動兵○たる艦隊があつ てこそ有力であるとしてゐた。然し基地航空隊主義は基地そのものに航空兵力を配して強力にせんとするものであり、これが「沈まぬ航空母艦」と言はれる、帝國海軍航空隊は最初から航空母艦も或ひは沈まさる母艦「基地」も巧みに驅使して自在の活躍をしてゐるが米海軍は遲れ馳せながら 「基地航空隊」を強行してゐる基地を強力に維持するためには強○な輸送補給線を維持しなければならないのであつて南太平洋決戰の現實はこの一點に集中されてゐるが、この間における米海軍の損失は戰艦三隻、巡洋艦七隻、驅逐艦二隻、魚雷艇十隻、輸送船二十一隻擊沈破され飛行機百六十機擊隊破された。特にフロリダ島沖海戰、ルンガ沖航空戰では多數の輸送船を喪失してゐるが、このことは米海軍が如何に熾烈に補給を維持しようとしてゐるかを物語るものである。彼我の航空基地が次第に近接するに至り航空決戰の相貌も更に獰猛なるものとなりつゝあるが特徵的な空戰としてはシヨートランド島空戰(六月五日)ルッセル島空戰六月七日、第二次ルッセル島空戰(六月十二日)が舉げられた、これらの空戰においては彼我百機以上の戰闘機が入り亂れて巴戰を展開し殊に我が海鷲戰闘機群は敵戰鬪機群が上空において待ち構へてゐる真只中に全機突入して挑戰する戰法をもつて百七十機を擊墜した、この突擊戰法は特記さるべきものがある、斯くの如く每度尨大な犧牲を出しつつも敵米國は必死に補給線を維持することに努め去る六月三十日にはソロモン群島レンドバ島に上陸作戰を開始しついで七月七日にはニュージヨージア島にも上陸を敢行した、これは敵が補給戰に於いてかなりの自信を得た事を示唆するもので敵は愈々同方面の我が基地に附接して兵力を揚陸ししかも續々增援せんとした結果クラ灣夜戰(七月四日―五日)コロンバンガラ島沖夜戰(七月十二日)となり我が水雷戰隊の猛攻に依り巡洋艦六隻、大型驅逐艦一隻、特務艦一隻、艦型未詳一隻擊沉破されたしかしながら總てを量に依つて解決せんとする米國は尚執拗に同方面への補給戰を續けたが一日にはレンドバ港に於いて我が海鷲の爆擊に依り巡洋艦一隻、大型輸送船一隻、中型輸送船四隻、小型輸送船六隻、驅逐艦一隻上陸用舟艇七隻以上を擊沈破、戰闘機九機を撃墜され其の他魚雷艇基地物資集積所等が炎上された、これが戰局第三期の樣相である、 至近で對抗する基地地圖を案じるまでもなく現在日米が決戰に踵ぐ決戰を繰り返してゐる南太平洋戰は相方共に本國から遥かに遠く隔絕した海域で夫々輸送補給を維持しなければならない、然も同方面の制海權制空權は未だ何れの手中にも握られてゐない戰略布陣を見れば米軍はガダルカナル島より東部ニューギニア南岸のポートモレスビー濠洲の北端ポートダーワインを繋ぐ戰略三角形を占めその上にミルン灣の「ラビ」或ひは「ボナ」「メラウケ」等を前進基地としておりこれに對し我が陣容は今戰ひつゝあるニユー ヂョーヂア島の「ムンダ」コロンバンガラ島、ショウトランド島「ブーゲンヴイル」島の「ゴイン」を結び更に背後基地としてニュープリテンの「ラバウール」「スルミ」「カビエン」を占め東部ニューギニアに於てはバボアラフラ海に於てはアル諸島のドボ ケイ諸島のトアール、タニンバル諸島タムラキ等に有名なる基地を占め、彼我の基地布陣はがつちりと至近離で對抗してゐる、これ等の基地を強力に維持するものは只々補給あるのみである事は既說の通りであるが全體的に見て濠洲はアメリカのこの方面に於ける消耗を補給し得る能力がない事は明らかであるが帝國とても世界有數の資源地帶を近接して獲得してゐるとは云へ未だ生產施設が完備してゐない現狀であつて豊富なる資源は悉く我が本國の施設によつて始めて戰爭物資になるのである、かくの如き現實が今次戰爭をして物資の補給はすべて本國の生產力に俟つ事にしてゐるのであるがこれを更に根本的に云へば戰爭の規模が著しく發展しその消耗の度合も天文學的なものとなりつゝあるのが今次の戰爭の特徵で從つてこの尨大な消耗を補給し得る生產能力は何れも本國の施設に依存しなければならなくなつてゐる事を見のがす事は出來ない、假令如何なる果の戰線の補給るすべて本國の生產設備が引き受けなければならないのであるこの意味から戰局の樣相は輸送補給戰生產戰と言ひ得るこれが南太平洋決戰一ヶ年を經過した現實である |
02 | 決死‧敵司令部に突入 大野挺身隊の豪膽ぶり |
03 | 國家政策の基調は 人民の福祉にあり ラ氏比島建國の理想を語る |
04 | タイ國興隆を冀ふ ウ外相歡迎晚餐會青木大東亞相挨拶 |
05 | 米軍中佐を逮捕 南部ルソン游擊隊總司令 |
06 | 定例閣議 |
07 | 伊政府の閣議決定事項 |
08 | 在佛印日本文化會館 設立準備急速に進捗 |
09 | 伊潛艦ジ港に突入 敵船三隻を擊沈 |
10 | スターリン 前線を視察 |
11 | 藤村州知事 竹東郡下へ |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 戰爭經濟の 深化と營團社說 一 戰力增強を目ざす本島戰時經濟の深刻化は最近商工營團並に石炭營團等の設立を促がす程に前進して來たことは注目に値する。いふ迄もなく營團は強力なる國家事業の代行機關であり資本と經營とが完全に分離せる法人であって各種の國策會社或は統制會よりも更に一步進んだ組織であることは周知の如くである。事實貿易統制會より交易營團への移行に見るが如く營團は經濟行為を行ひ得ざる統制會の根本的缺陷を除去すべく案出された組織として內地では幾多の營團が設立され一時統制會が營團かが論議される程であった。しかし營團が強力な國家事業代行機關である丈に決戰經濟に要請されるものではあってもそれには自らの分野があることは論議される迄もなく明白な事實である。前記臺灣商工營團並に石炭營團の設立が企圖されてゐるのも營團の本質上妥當であるよりはむしろ避け得られないものと謂はねばならない。 二 ところで商工營團は戰爭遂行に必要な凡ゆる物資の貯藏、管理、利用を一元的に統制更に中小企業再編成に伴ふ未働遊休設備の買上げ、保存、利用及斡旋等を圖るもので謂はば重要物資管理營團並に產業設備營團の機能を併せ有するものである。かかる綜合的機關の設置は本島交易統制に基き臺灣貿易會が設立された結果重要物資管理の必要を見るに至って問題にされ出したが戰力增強を目ざす未働遊休設備の非常回收を近くに控へて愈よ督府で取上げるに至ったものでその具體案が如何に決定されようともその設置は最早徒らなる遷延を許さんないであらう。而も商工營團の設置がその當然の結果として關係統制會社の整備統合をも招來するものとすればその實現の早からんことを要望せざるを得ない。 三 國家が要請する石炭の增產を圖るべく一元的運營統制機關として臺灣石炭營團の設立が進められつつあることは確かに商工營團以上に注目をひいてゐる。即ち石炭增產のため中小炭鑛の整備統合が論議されてゐる折柄石炭營團が一面企業整備の中核機關として機能するやう目論まれてゐることは右整備統合に對する督府の方針を表示するものであるといってよい。從來中小炭鑛の整備統合が言ふべくして行はれ難いのは強力にして資力大なる機關の缺如に由るものだとすれば石炭營團設立の意義極めて大なるものがある。而も營團は一面大會社を統制し生產機構の強化を行ふが如き統制會的機能をも有してゐる點では營團並に統制會のそれぞれの長所を兼備する最も具體的方式と評して差支へあるまい。況して製鐵用粘結性石炭の開發に營團が直接當るとすればいよいよ以て營團の設立が必要となって來るがその具體的構想がどうなるかはしばらく注視するほかはない。 |
02 | 烈烈たる負けじ魂 猛火の中にも泰然 良き死に場所を得た大野廣志中尉 |
03 | 豫定採掘量を突破 鶴嘴戰士の敢鬪譜 |
04 | 明日の日本航空 皆さんが背負ふ 森本所長懇懇と遺兒に說く |
05 | 山野憲兵少佐轉任 後任に高宮廣治少佐 |
06 | 爆彈の狙ひかた その方法と照準は? |
07 | 除幕式を待つ傑僧ウイサラの銅像 |
08 | 愉快に仕事をした 榮轉の山野少佐語る |
09 | 救急看護講習會を開催 |
10 | 宜蘭郡食糧品雜 貨商組合懇談會 |
11 | 東京、大阪に 支部設置 臺灣新聞會 |
12 | 罹災者に溫い心 臺灣軍將兵から見舞金 |
13 | 戰鬪帽に星章や 錨章の僭用嚴禁 臺灣憲兵隊司令部當局談 |
14 | 甘藷の大增產 蔗作の間作を利用 |
15 | “臺灣は天國だよ” 來臺の池崎代議士語る |
16 | 全島で講演行脚 九日臺北市で獅子吼 |
17 | 握る手綱に親心 學徒奉公隊馬事講習 |
18 | コレラが發生 高雄州鳳山郡下に |
19 | 退職校長を軍 援主事に採用 |
20 | 高雄市に侵入 防遏に萬全の對策 |
21 | 偲ぶ“六氏先生” 八日に芝山巖史蹟探訪會 |
22 | コレラ豫防心得 みんなよく守りませう |
23 | 擧州撲滅に 大童 |
24 | 死者既に三十名 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 一路復興に邁進 有り難き御下賜金を拜して 森田臺中州知事謹話 |
02 | 災害地復舊對策 |
03 | “海は我等の友だ” 海志に示す琉球青年の赤誠 |
04 | 征かる海の護り 高雄州海志最後の銓衡試驗 |
05 | 殉職警察官慰靈祭 玉井國民校で嚴修 |
06 | 埔里街常會 |
07 | 慰靈祭執行 十三日集集で |
08 | 硬貨回收好成績 屏東市民の赤誠 |
09 | 官吏を增產前線へ 高雄州で近く動員令 |
10 | 埔里青年團 長打合會 |
11 | 決戰學徒の使命 諸訓練に付奉公隊各係主任打合 |
12 | 見よ此の數字! 畜產目標增產頭數を突破 |
13 | 水泳で鍛へる 中壢郡警察課員 |
14 | 商報、勤報兩隊を組織 商奉嘉義市支會で近く結團式 |
15 | 市民皆唱の夕 けふ臺南で開く |
16 | 馬事訓練指 導者講習會 |
17 | 新民會青少年團夏季野營訓練 |
18 | 通霄保聯役員會 |
19 | 農事實行組合長鍊成會 |
20 | 機甲訓練指導 者講習會 |
21 | 決戰蓖麻の大增產 嘉義郡で多收競作 |
22 | 美しい童心愛 災害地に慰問文と慰問金 |
23 | 常會の活潑な展開へ 彰化支會で實地視察 |
24 | 道士を再教育 潮州郡の葬儀改善 |
25 | 建艦献金四萬圓 臺南州下商奉團の赤誠 |
26 | 災害義捐金第四回領收報告(敬稱略)報社消息 |
27 | 青年團運營 懇談會 |
28 | “熱と誠”で當れ 新化郡の常會推進 |
29 | 埔里銃後後 援會評議員會 |
30 | 讚えよ、荷役戰士の物護 零れ肥料が見事增產に貢獻 |
31 | 訓練部を新設 皇奉嘉義市支會の強化 |
32 | 地方多より |
33 | 青年團國民校 兒童相撲大會 |
34 | 今日の映画演劇 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 督府南方要員鍊成所 けふ訓令を以て設置 |
02 | 豫算編成方針と 其の統制大綱決定 |
03 | 中部災害地復舊資材 鐵道運賃五割引決定 |
04 | 米糠油粕は農村へ 還元量を八割に增加 |
05 | 專賣勞務者の鍊成 勤勞管理委員會で方法協議 |
06 | 品質本位の等級に改正 高雄州木炭檢查 |
07 | 米多收穫競爭 彰化郡各街庄乘出す |
08 | 企畫院藤芳東條 兩技師近く來臺 |
09 | 二期作肥料を配給 |
10 | 戰力增強と地方廳 地方行政を刷新強化 |
11 | 戰爭經濟下の產業組合 |
12 | 家族に一人一株 非農家にも水稻を植付 |
13 | バナナ廢耕を督勵 |
14 | 洋服生地配給 組合役員決定 |
15 | 照明燈 |
16 | 商況(六日後場) |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(1030)/黃得時;碇政彌 |
序號 | 標題 |
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01 | ニ島敵陣を猛爆 水上機隊大活躍 |
02 | ビルマ新防衛軍司令官と一問一答 愛國的軍隊を作る 日本の軍人精神を體得 |
03 | 高松宮御殿に伺候 ウイチツト外相挨拶言上 |
04 | タイ國ウ外相に賜謁 |
05 | 自作農創設を推進 關係法規を夫夫改正 |
06 | 圖像:ソロモン群島方面において我驅逐艦に真二 つにされたアメリカ魚雷艇 |
07 | 米の建艦計畫を衝く |
08 | 選ばれた土の戰士 晴れの中訓入所式 |
09 | スロヴアキアも緬甸承認 |
10 | 第二回協議會長會議 來る十七日東京に召集 |
11 | 血で獨立を獲得! チヤンドラ‧ボース氏迎へて 蘭貢で印度人大會 |
12 | スイス英政府に回答通牒 亡命政客の入國 |
13 | 赤軍七萬を捕虜 獨軍一ケ月間の戰果 |
14 | ゴ驛爭奪戰を展開(獨ソ) |
15 | 獨潛水艦活躍 |
16 | ジ港を襲ふ 伊軍の戰況公報 |
17 | 學徒の夏期鍛鍊/伏見猛彌 |
18 | みつちり鍛へて 臺大生湖口から歸北 |
19 | 圖像:陸鷲在支米空軍據點の衡陽飛行場を 猛爆(支那派遣軍報道部提供陸軍省檢閱濟 |
20 | 獨軍七月五日 以降の戰果 |
21 | 米國造船高 |
22 | 瓦斯の一般民需 消費規正を強化 |
23 | 翼讚會辭令 |
24 | 香港との間に 電信為替開始 |
25 | 配給座談會 瑞芳で開く |
26 | 國講專任講師 講習會開く |
27 | 新竹州部課長 懇談會 |
28 | 花蓮港漫畫展終幕 |
29 | 遞信部異動 |
序號 | 標題 |
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01 | 父の勳身に泌みて 元氣一杯で鍊成終へた遺兒 一路母待つわが家へ |
02 | 決戰の敵空目指し 若き學徒續續起つ 陸軍特別操縱見習士官に熱血湧く |
03 | 沈勇!豪毅の人 敵機群に突入二機擊ち落す 個入賞詞に輝く小倉准尉 |
04 | 圖像:遺兒の鍊成終る |
05 | 身も心も清らかに 勳兒の綴る感想文 |
06 | 責任の強い子 母が語る井島伍長 |
07 | 視學委員十名發令 目指す督學の完璧陣 |
08 | 宗教と道德(3) 緬甸の文化を語る 胎動する諸問題の檢討 |
09 | 新竹市參事會 |
10 | 誇る海國男子 八日に學童皆泳大會 |
11 | 日婦羅東街分會協議會 |
12 | 熱演に滿場感銘 第二回全島畫劇競演會 |
13 | 梁井知事常會視察 |
14 | 青年團の訓練強化 先づ指導幹部が鍊成 |
15 | 鮮やかな手捌 中和庄女子挺身隊の 正條密植競技 |
16 | 新竹州知事に 江藤昌之氏 藤村氏は司政長官へ |
17 | 臺北勸信 |
18 | 興南詩苑漢詩 題可軒圓山新宅/嘯庵、次韻/可軒、雨後偕嘯庵過可軒先生新宅/黃景南、次韻/可軒 |
19 | 鹿場大山を開發 調查隊一行が入山踏查 |
20 | 田植に青年團 團員が協力 |
21 | 土曜音樂會 |
22 | 今晚の放送 |
23 | 商況(七日前場) |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 來襲の敵八機擊墜 イサベル島で邀擊頭條新聞 【南太平洋○○基地七日發同盟】ムンダ基地を繞る彼我の攻防戰を目前に控へ日夜わが鐵壁の護りも固いイサベル島に對して敵は八月六日晝間またぐポーイングP一七、コンソリデーテツドB二四ノース・アメリカンB二五カーチスP四二グラマン戰鬪機など合計百二十七機の戰爆大編隊をもつて來襲したがわが地上部隊は果敢にこれと交戰その八機を擊墜し他を悉く南方に墜退したわが方の損害は輕微であつた |
02 | 獨立達成疑ひない ボース氏の獅子吼 |
03 | けふ大詔奉戴日 詔書 |
04 | 谷萩部長講演 日本の興廢、東亞の存亡 正に此の一戰にあり 大攻勢を準備、敵を各個擊破 |
05 | 在鄉軍人の心構へ 井上鄉軍會長放送決意の昂揚希求 |
06 | 蹶然武力抗爭に起つ ボース氏滿滿たる自信 |
07 | 印度反英抗爭 一周年行事 ボース氏指令 |
08 | 赤軍損害五十八萬 |
09 | ビ地區攻防戰 激化 |
10 | 火と燃える熱情を 大獅子吼に托す 緬甸で大活躍のボース氏 |
11 | 伯林市民一部 疎散を斷行 |
12 | リ獨外相と 伊外相協議 ローマに於いて |
13 | ヴアンデグリツプ 第一陸海軍司令官 |
14 | スターリン抱込に躍起 米英兩國が |
15 | フアシスト黨の資金を凍結 |
16 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 生產、補給の 決戰に集中 ソロモン激鬪一年社說 一 敗戰に喘ぐ敵アメリカが窮餘の局面打開に乘出しソロモン群島の南端ツラギ海峽附近へ輸送船園を護衞した米英大聯合艦隊が出擊し、我が占領下にあるツラギ及びガダルカナルを奪回せんと、無謀なる反擊を試みるのに對し、我方は直ちに之を邀激して所謂第一次ソロモン海戰の口火を切ったのは、昨年の八月七日である。その後幾多の海戰航空戰がソロモン群島を繞る地域に繰返へされつつ今や一周年を迎へたのである。その間主なる海戰、航空戰だけでも第一次第二次ソロモン海戰、南太平洋海戰、第三次ソロモン海戰から最近のクラ灣夜戰、コロンバンガラ島沖夜戰等實に十餘回に亘る激戰が行はれ而して我方が收めた戰果は敵戰艦、空母、巡洋艦、驅逐艦等の艦艇擊沈百五十隻、擊破五十隻、船舶擊沈六十隻撃破二十隻、敵飛行機の擊墜破に至っては實に三千機に達してゐる。然し我方に於ても損害を出して居り凄愴苛烈なる決戰の樣相を如實に物語ってゐる。 二 ソロモン水域の決戰は今日まで大體四つの段階に分けて見ることが出來る。即ち第一段階は、昨年八月七日の第一次ソロモン海戰から十一月三十日のルンガ沖海戰に至る敵殘存艦隊と、わが艦隊との華やかな艦隊決戰、第二段階は、十二月末かう本年二月初旬のガダルカナル轉進までの彼我基地前進作戰の展開、第三段階は轉進以後六月三十日のレンドバ作戰直前の所謂航空決戰に依る敵の反攻作戰、第四段階は六月末の敵上陸作戰以降即ちンロモン戰局中、最も悽愴苛烈を極める基地爭奪戰に入り、敵は大兵力を繰出し我が最前線基地ムンダと指呼の間にあるレンドバ島に上陸し、更にニュージヨージア島にも上陸を敢行し、茲に同方面の現況は大東亞戰爭開始以來、最大の反攻作戰として注目されるに至ったのである。要するに第一次ソロモン海戰以來この一箇年間の戰局を概觀すれば、敵は艦艇中心の作戰を一擲して沈まない航空母艦、即ち陸上基地を有する基地航空隊の整備に全力を注ぎ、航空機による決戰を挑むに至ったのを見るならば、我等は敵の戰意の並並ならぬ執拗さを知るであらう。ソロモン戰域の勝利こそ、大東亞戰爭の歸趨を決すと言っても過言ではないのである。 三 わが海鷲部隊は、最初から航空母艦も或ひは沈まぬ母艦、即ち基地も巧みに驅使して自由自在の活躍をなしてゐるが、敵米海軍は遲れ馳せながら〝基地航空隊″作戰を強行せんとしてゐる。併し基地を強力に維持するには、強力な輸送補給線の維持を必要とするものであって、南太平洋決戰の現實はこの一點に集中されてゐる。しかも南太平洋戰線は、我方と敵双方共に本國から遙かに遠く隔絕した海域で、夫夫本國から輸送補給を維持しなければならず、至近距離に布陣對抗してゐる基地を強力に維持するものは、只只補給あるのみである。帝國は世界有數の資源地帶を近接して獲得してゐるとは云へ、未だ生產施設が完備してゐない現狀であって、豐富なる資源は悉く我が本國の施設によって始めて戰爭物資になるのである。即ち戰爭の規模が著しく發展し、消耗の度合が尨大な數に上るのが今次戰爭の特徵で、この尨大な消耗を補給し得る生產能力は、何れも本國の施設に依存せねばならぬことを銘記すべきである。ソロモン激鬪一箇年を回顧し我等一億國民はあらゆる分野に於ける生產增強の決意を更に更にに強固にせねばならぬ。 |
02 | 培へ‧決戰の底力 增產と心身鍊磨に擧島邁進 けふは大詔奉戴日 |
03 | 農民の增產熱昂揚に 新聞記者の督勵隊を組織 |
04 | 輕裝で真劍鍊磨 戰ひ拔く吏員の意氣高らか |
05 | 松嶺御露營記念祭 |
06 | 鄉軍壯丁の游泳訓練を見る やれば必ず泳げる 軍律の下上達めきめき |
07 | 日本警察道修鍊に ジヤワ人警察官來北 |
08 | 羅東街の奉戴日 |
09 | 愛國蓖麻 增產運動 |
10 | 海外同胞婦人の誓ひ 私達は日本婦人 誓つて皇國婦道實踐 |
11 | 常會の實際見學 新竹師範生皇奉精神體得へ |
12 | 硬貨回收好成績 |
13 | 新生ビルマの表情 寺小屋 |
14 | 江藤氏拔擢 異動評 |
15 | 長谷川總督 きのふ競馬を觀覽 |
16 | 第二回 大東亞文學者大會 二十五日から大東亞會館で開く |
17 | 熱演に歡眾恍惚 全島畫劇競演會閉幕 |
18 | 第二國民育ての糧 教科書の製作進捗 |
19 | 挨拶狀は“葉書”で 二枚折や卷紙は廢止 |
20 | 木製水道管現はる 水壓、耐久試驗に美事な成績 |
21 | 淚を忍んで働く 島都で模範女給を表彰 |
22 | 宜蘭郡職員 田植推進へ |
23 | 陸軍機献納 命名式延期 |
24 | 宜蘭市移動展 |
25 | 轉業收益を献金 港町陳天生氏 |
26 | 南部旅行は見合せよ コレラに御用心 |
27 | 臺北春競馬 第一日成績 |
28 | 人事‧消息 |
29 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | ほほ立派なものだ 山縣高雄警備府司令官 海志試驗場を視察 |
02 | 配給に查察制 全島に魁け高雄州實施 |
03 | 查察員制度要綱 坂口高雄州知事語る |
04 | 弔ふお山の勇士 十四日に屏東郡葬執行 |
05 | 島澤產業部長談 大戰果に應へて 蓖麻を作りませう |
06 | 海志體格檢查 臺南州北部一市 五郡 |
07 | 國民校職員體 鍊科體操講習 |
08 | 擧州蓖麻の栽培へ 臺中州市街庄へ通牒 |
09 | 赤誠の献金品 |
10 | 逞し‧增產の熱意 鶯歌街の挿秧競技會 |
11 | 働く農民に特配 山上庄常會で論議集中 |
12 | 愛國產婆さんの敢鬪 餘暇に硬貨回收運動に懸命 |
13 | 慰問袋を調製 通霄常會申合せ |
14 | “藝文”第二回 研究生を募集 |
15 | 山本總長講演 九日屏東會館で |
16 | 學生の校外生活指導 臺南州教護聯盟で協議 |
17 | 桔俱の懇談會 臺南嘉義の開催日程 |
18 | 植付狀況を視察 須田殖產局長が來屏 |
19 | 集集街郡坑 部落總常會 |
20 | 訓令を出す 食糧の增產に |
21 | 鶯歌奉壯團の協力振り 街五青年團の訓練を引受く |
22 | 青年體力檢查 龍潭庄で實施 |
23 | 貯蓄懇談會 |
24 | 貯蓄の完遂へ 龍潭產組で大童 |
25 | 大いに鍛へよ! 夏季心身鍛練要項指示 |
26 | 嘉義音樂奉公團 きのふ結成式擧行 |
27 | 蔓延の兆候 高雄州のコレラ |
28 | 隣接臺南市 にも豫防陣 市から注意喚起 |
29 | 市民心掛事項 |
30 | 日婦通霄庄分會八月總常會開催日割 |
31 | 今日の映画演劇 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 交通事業法施行に即應 自動車組合近く改組 |
02 | 臺灣食糧營團案 愈愈具體的に構想 |
03 | 船舶の回轉率增進 運營會改組實務者の集約化 |
04 | 鐵工業生產分野劃定 統制會委員會で協議 |
05 | 再編成協力會 會長以下會員を內定 |
06 | 廢物煙草吸殼より ニコチンと染料を抽出 |
07 | ジヤワの生活物資 荒荒增產に邁進 |
08 | 三峽橋梁の復舊 石炭會社乘出す |
09 | 來期各社別 產糖豫想高 |
10 | 農林省異動 |
11 | 荷役增強獎勵金 港灣運送業會に下付 |
12 | 經濟手帖 |
13 | 照明燈 |
14 | 島內株仲值表 |
15 | ラジオ |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 耐乏生活に徹底 戰勝の鍵近きにあり頭條新聞 【東京發同盟】物質力を唯一の恃みとする敵米英は戰爭經濟體制の整備を契機として東に西に總反攻を呼號し東亞の戰局も南太平洋を主戰場として益々悽愴苛烈を加へつゝある空軍艦艇、戰車、火器、電氣等優秀大量の裝備を以って始めて敵は本格的反攻を開始しつゝありこれに對し凡てを大君に歸一する忠誠勇武なる皇軍將士は瘴癘なる戰線に總ゆる艱苦缺乏に耐へれ常に寡勢を以って量を誇る敵に斷乎擊碎の鐵槌を下しつゝある戰 局決定に最も多大の要素を空軍兵力に置いてわれは數的劣勢を以つてしながら常に四倍を下らない損害を敵に與へつゝある事は世界周知の事實である精神力に於いて、戰闘氣魄に於いて敵を壓倒する皇軍將士に對し敵に桔抗しこれを凌駕する裝備を與へこれを量的に增大し得れば將に“鬼に金棒”であり銃後生產人の責務は一隻の船一臺の航空機、一發の糧丸をより早くより多量に生產しこれを前線に送り屆けることにある銃後も戰場、國內を凡で一大兵器廠化する事が前線に應へる銃後の當然の責務でなければならず戰局の急に對應して展開されつゝある戰力增強、企業整備の狙ひも實にこの點に存する國內にある人を設備を資材を悉く戰力增強の一點に集中し生產諸要素に一つの遊休物もなからしめ物的戰力に於いても敵を壓倒し特に生產諸條件に於いて最る有利な航空機生產に於いて敵米國に追ひつき追ひ越す旺盛な氣魄を一億國民の一人一人が強く深めねばならぬ戰力物資の生產、增強の急務は今更言を要せぬところであるが物的戰力の飛躍的增強を左右する最後の鍵は簡素なる戰時國民の生活の確立と國民の決戰生活態度に存する一億國民の一人一人が戰局の一張一弛にびくともしない逞しい戰爭感覺を身につけ戰時耐乏生活に積極性を求めこれに打ち勝つ事が戰爭への唯一無二の路線である斯くて耐乏生活の中に勝つための光明を認めこれを徹底する事は戰力增強に直接に繋りこれと緊密なる表裏一體關係に立つ事を深く銘記せねばならぬ、手近な日常生活に於ける物資の愛護節約が如何に直接戰力增強に貢献するか例へば食糧增產、消費規正に食糧の國內自給體制を確立し外米依存を完全に脫却したとするこの結果外米六百萬石を運ぶ船腹を以 ってポーキサイドを運びアルミニユームを增產すればこれを以って航空機二萬五千機を生產しムンダに於いて敵の空襲を粉砕し得るのである父衣料切符の一割に當る絹の消費を節約すれば八十九萬四千の落下傘を生產又同じ一割に當る綿を節約すれば軍服二百萬着を生產し直接物的戰力の增強に資する計畫となる斯くてわれわれの日常生活に於ける物資愛護、消費節約は既に一個人一家庭の私經濟的利害を遠く超越して直接國家の戰力と連繫し本時に於ける物資節約の消極的性格は今日に於いては戰力增強に寄與する積極的性格に轉換する從つて官民を通じて戰時耐乏生活の徹底確立は國民生活指導の中心課題として取り上げられ過般の第四回中央協力會議に於いても熱心な論議が重ねられたところである、然も耐乏生活を“士魂”を以つて貫く事が強く要請された一億の一人一人が士魂に徹するとき戰意は期せずして昂揚し逞しい戰爭感覺が生活實踐を通じて培養せられる“勝利の鍵は近きに在る”われくの生活自體が戰力の源泉でありわれわれの闘志戰爭感覺こそ戰力の源動力である常在戰場の精神をわれくの生活實踐に生かし前戰の勇士と相携へて光榮ある耐乏生活に打ち勝つ、こゝに戰ふ一億の榮譽があるガタルカナル島上陸を發端とする敵反攻の一周年を迎へるに當り軍人に下し給へる五箇條の勅諭の一、軍人は質素を旨とすべしの精神を戰ふ國民の最も適切なる生活指導理念としてわれわれは改めて深く銘記すべきであらう |
02 | 東インドの敵空軍 我が荒鷲の前には物の數でない 親鷲〇〇部隊長引例して語る |
03 | 國民總力戰の形 獨、敵側の盲爆に備ふ |
04 | 戰爭手段の人道化 萬國赤十字社聯盟交戰各國に要請 |
05 | 國內展望 既定方策を強力推進 |
06 | 獨立の基礎を確立 比島憲法起草を急ぐ |
07 | 愛國の血に燃ゆる 情熱の國イタリア 吉浦駐伊大使館書記官語る |
08 | 不斷の肅清を續行(山西) |
09 | 英米ソ三巨頭 會談か |
10 | 本格的段階に突入 東部戰線の夏季戰 |
11 | 援ソ補給路の 輸送順調 米ス少將言明 |
12 | 赤軍ハリコフ 外廓陣地攻擊 |
13 | 獨軍戰況公表 |
14 | 戰時狀態を 伊全土に擴張 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | けふ公告あす實施 衣料簡素化徹底へ 纖維製品製造制限規則改正 |
02 | 必勝擧島總襷!! 奉戴日迎へ決意新た |
03 | 勝ち拔く力の基 常會に武井厚生次官放送 |
04 | 圖像:山縣警備府司令長官 海志銓衡會場を視察 |
05 | 青年團桔俱と懇談 |
06 | 鄉軍武道大會 十五日宜蘭で開く |
07 | 官溪祠例祭 |
08 | 製造製限規則改正 |
09 | 長谷川總督の 高雄視察中止 |
10 | 婆さんも參加 羅東で救急法實習 |
11 | 翼の決戰へ遲れる陸の學鷲 あと一日で締切る 申込は電報でも結構 陸軍兵務局兵備課長友森大佐談 |
12 | 針の手に鍬を 日婦、遊休地を拓く |
13 | 小國民皆泳の日 |
14 | 飛沫あげて敢鬪 全臺灣長距離水泳大會 |
15 | 臺灣新聞會 初の委員會 |
16 | 地方長官に通牒 簡素化の經過措置 |
17 | 躍る若鮎 新記錄を七つ 島都學童皆泳大會 |
18 | 火花散らす指頭戰 全島電信競技會 |
19 | ジヤワ警察官 留學生一行來臺 |
20 | 不心得の市民 市長が諭す |
21 | 放送塔 |
22 | 臺北春競馬 第二日成績 |
23 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 州內が急に朗らか 配給查察制度各界の感想を叩く |
02 | 彰化市の大詔 奉戴日行事 |
03 | 文山郡下部落會青年團の 一元的活動に就て 皇奉文山郡支會長津田健治氏放送 |
04 | 安田翁足の献金 |
05 | 培はれる敢鬪精神 青少年相撲鍊成大會 |
06 | 郡守も鍬を手に 桃園郡幹部、增產に垂範 |
07 | 推進員に真の奉公魂を 臺中州支部で鍊成會開く |
08 | 臺南商工會議所事務所移轉 |
09 | 貯蓄宣傳街頭 移動展 各市郡開催日割 |
10 | 誓つて實踐へ 津田郡守、部落會長に諭す |
11 | 忌明に寄附 |
12 | 鹿港臺灣製鹽出張 所產奉團結成式 |
13 | 擧郡笑つて增產 切干藷の供出成績百% |
14 | 診察時間設定 臺南市醫師會支部 |
15 | 譽れの若櫻還る 鄉土に聽く感激談 |
16 | 勞務動態調查事務打合 |
17 | 勝て、貯蓄戰にも 竹南街海口部落で大推進運動 |
18 | 新進氣銳揃ひ 桃園郡下保甲 役員一部發表 |
19 | 皇民體操講習會 |
20 | 彰化同志信組 評定委員會 |
21 | ヨイ子供が增產に一役 稻を喰ふ害虫驅除に懸命 |
22 | “示す地元の誇り” 海志に意氣込む右沖青年 |
23 | 臨時資金調整法 周知徹底懇談會 |
24 | 執務態度も決戰型で 庶務、勸業兩課の職員を鍊成 |
25 | 食用赤甘蔗の 植付けを撤退 |
26 | 百姓さんの辛苦體得へ 大溪郡八月常會の申合せ |
27 | 部落會長等の鍊成 |
28 | 龍潭庄八月常會 |
29 | 春日校同窓會 |
30 | 米英擊滅まで頑張らう 產組決戰貯蓄實踐打合會 |
31 | 旅館飲食營業 場等一齊檢查 |
32 | 赤十字社員の大增加へ 保甲會議で協議 |
33 | 斗六郡下醫師 互助會發會式 |
34 | 高雄のコレラ |
35 | 陳本社桃園支所 主任嚴父告別式報社消息 |
36 | 臺中州警察部異動 |
37 | 今日の映画演劇 |
38 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 一粒の麥は死なず 「民烽」から「厚生」への思出/王井泉 |
02 | 圖像:虎(日華親善美術展)/王嵐叔 |
03 | 羽搏く孔雀の國 ビルマの建國を祝福す/豊田三郎 |
04 | ビルマは獨立した/山本和夫 |
05 | 食用雜草を語る/篠原德之助 |
06 | 美術談片 繪を觀る心/藍蔭鼎 |
07 | 水と音樂/中根宏 |
08 | 菊(日華親善美術展)/周鵬飛 |
09 | 被服生活の意義/吳氏娟娟 |
10 | “ナア光吉よ”/西山かがよ |
11 | いのちの祭典/林清城 |
12 | 返らぬ日/黃一夢 |
13 | 生活と文化 都會人よ眼を開け |
14 | 文化消息 |
15 | ラジオ |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 印度獨立運動を支援 國民運動代表者大會開かる 宣言‧激勵通電を決議 |
02 | 興亞の意氣を示す 大好評の轉業開拓團 |
03 | 國際展望 混亂から起ち上る 伊政府の態度明確 |
04 | 大擧レンドバ島爆擊 |
05 | 東部戰線重大化 |
06 | 圖像:泰國外相來朝 |
07 | 艦船十數隻擊沈破 獨空軍シ島で活躍 |
08 | 敵三機を擊墜 米空軍中隊長以下を俘虜 |
09 | 產報青年隊長 全國會議開催 |
10 | 總統大本營の戰果發表 |
11 | ソ機一千二百 餘機を擊墜 獨空軍七月戰果 |
12 | 大バリト河探險隊 貴重な調查終へて歸る |
13 | 米戰爭畫家戰死 |
14 | 第一回國府官民懇談會 |
15 | 樞軸軍激戰の後 新陣地に撤收 |
16 | 反樞軸空軍 伊本土を爆擊 |
17 | 米旅客船ク號 沈沒判明 |
18 | シチリア戰鬪 稍稍減退 |
19 | カナダの兵器 食糧生產狀況 |
20 | 對伊和平條件 提出事實なし イーデン言明 |
21 | 敵貨物船一隻を擊沈 |
22 | 敵產移管式 漢口軍連絡部で |
23 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 掘れ掘れ黑ダイヤ あすの十噸よりけふの一噸 意氣軒昂鶴嘴戰士總常會 |
02 | 勤働が獨立の基盤 比島更生逞しい進軍譜 |
03 | 青年團長打合 十三日市民講堂で |
04 | 我が海鷲に擊墜された 敵米四發重爆機の殘骸 |
05 | 迫る郡下の奉公防空群查閱 竹南街で猛訓練 |
06 | 英國學徒航空兵 |
07 | 水害狀況を視察 長谷川總督、十三日南下 |
08 | 獨逸の買溜重罰 |
09 | 郡守が陣頭 指揮 七星郡下の田植に |
10 | 堆肥舍を增設 花蓮港廳一躍廿倍に |
11 | 暗い島に兢兢たる敵兵 米濠兵たち携帶の熱帶地心得 |
12 | 藤村前知事 辭任の挨拶 |
13 | 池崎代議士講演 今夕公會堂で |
14 | 片假名を採用 佛印南方面無線に |
15 | 競馬場荒らし檢擧 |
16 | 次代を背負ふ子ら 暑氣を吹つ飛ばして鐵の鍛へ 草山林間學校けふ始る |
17 | 新竹州下若者の敢鬪譜 銀幕に收めて紹介 |
18 | 新生ビルマ表情 家庭工業 |
19 | 田植に主婦が白襷 梁井知事海山郡下を視察 |
20 | 決戰衣生活 各界の感想を聽く |
21 | 抽籤新馬の 申込を受理 |
22 | 食糧切符竊盜者は 最重罰 |
23 | 興南詩苑漢詩 接嵩嶽兒從軍海外家書喜作三首/呂仙石、聽琴二首/聯滄、甘雨二首/聯滄 |
24 | 比島の不逞華 僑一味處斷 |
25 | 米國有閑婦人、衣服統制で悲鳴 |
26 | 英國のガラクタ飛行機 |
27 | 大東亞辭令 |
28 | 人事‧消息 |
29 | 今晚の放送 |
30 | 興南案內報社消息 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 西南太平洋に激戰相踵ぐ 艦船一五、敵機廿屠る 八月六日海鷲驅逐隊の戰果頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(八月九日十五時) 一、帝國海軍驅逐隊は八月六日夜ユロンバンカラ島の西方海面に於て飛行機並に魚雷艇と協同せる敵水雷戰隊と交戰し驅逐艦一隻を撃沈せり、右戰闘に於て我が方も亦驅逐艦一隻沈没、他の一隻大破せり 二、帝國海軍戰闘機隊は八月六日ショートランド島に來襲せる敵戰闘機十六機を邀擊し其十五機を擊墜せり、右空戰に於る我が方の損害一機 三、帝國海軍航空部隊は八月六日レンドバ港を攻擊し左の戰果を得たり擊沉、中型輸送船二隻、小型輸送船二隻、上陸用舟艇約八隻 撃破、中型輸送船一隻、海上トラック一隻 擊墜戰鬪機五機以上 右攻擊に際し我が方未歸還一機 |
02 | 敵の補給に大打擊 ムンダ中心の殲滅戰 |
03 | ダツチハーバー強襲に偉功 第〇〇機動部隊に感狀 |
04 | 近藤大將、野村中將 軍事參議官に親補 |
05 | 兩提督の略歷 |
06 | 敵機の行動を完封 |
07 | 麥の增產に重點 作付目標を二百萬町步に擴張 增產獎勵協議會席上山崎農相訓示 |
08 | 代表者會議宣言 吸血鬼暴英を屠れ 印度民眾起て 速かに國民車と握手せよ 全日本國民は諸君を支援 |
09 | 獨立達成に協力 代表者會議で決議 |
10 | 日、泰提携緊密化へ ウ外相招待東條首相挨拶 |
11 | 澤田新ビルマ大使の 信任狀捧呈式を擧行 |
12 | 全面的大巾壓縮 纖維製品の種類、規格 |
13 | 畑總司令官 華北、蒙疆を視察 |
14 | 陸海軍司政官 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 臺灣貿易統制 機關の簡素化 重複機關整備の要社說 一 現在本島に於ける貿易統制機關は本年春初より臺灣貿易會の組織に基き同會を中心として其の下部機關として臺灣石炭會社以外十一組織體によって統制せられて來たが、臺灣貿易會を始めとして其の下部組織たる統制團體も多くは單なるトンネル機關であるため、貿易業者としては二重の手數料を徵收されるのみならず、事務の重複繁雜を極め稍もすれば却って貿易の圓滑なる遂行を阻害される虞れさへ生じてゐるから今や各方面より其の改革簡素化を要望されて來たのである。殊に臺灣貿易會は內地に於ける交易營團の誕生と相呼應して組織されたものであり、其設立と共に單なるトンネル機關たる下部組織體を整理するにあらざれば徒らに屋上に屋を架する事になるは明かである。周知の如く內地では交易營團設立の趣旨に基きて目下其の下部機關を整備し所謂單なるトンネル機關及二重統制機關を廢止せんとするに至ったのであるから、地域狹少なる本島に於ては最早現狀の儘に放置する譯には行かなくなった。 二 然らば本島貿易統制機關の簡素化を圖るには如何にすべきかといへば、先づ臺灣貿易會を發展的に解消して統制會社令に基く統制會社を組織し、單なるトンネル機關たる下部組識體を吸收統合し以て貿易統制と貿易事業をも並行し得べき組織に編成替すべきである。即ち臺灣茶輪移出統制會社とか、臺灣罐詰共販會社とか、臺灣砂糖貿易組合とか、臺灣貿易振興會社等の如きトンネル機關を吸收合併し、直接貿易業者と聯繫して其の機構を強大化すれば始めて本島に於ける計畫貿易を遺憾なく遂行する事が出來るからである。尤も現在臺灣貿易會の如く殆ど貿易に關するエスキパートを採用せざる素人の寄合世帶では到底責任を以て共榮圈に於ける物資の交流を遺憾なく處理し得ざるは明かである 三 いづれにしても現在の如き重複機關存立の根據がなくなった事を物語るものである。何んとなれば從來トンネル會社を設立した前階段に於ては貿易の數量と價格とを統制する必要より生じたるものであり、現階段に於ては凡て國家の計畫の下に物資の數量と價格を決定せねばならないから最早單なるトンネル會社として客觀的に存立し得なくなった事を銘記すべきである、尚現在の貿易業者も更に備整して其の數を減らし以て直接貿易統制團體と連繫し得る素地を作る必要があり、此の問題は一般企業整備の際に當然考慮されなければならないであらう。 |
02 | 生產戰にも勝ち拔け 武力、思想戰は我が絕對勝利 池崎代議士必勝の道を說く |
03 | 暗い島に兢兢たる敵兵(下) 米濠兵たち携帶の熱帶地心得 |
04 | 應徵士に魂の贈物 譽れの象徵「應徵士徽章」決る |
05 | 島民の懇ろな慰問に感謝 梅澤船長、お禮に皇奉本部訪問 |
06 | 吉野庄忠靈塔 十五日招魂祭 |
07 | 豐作を讚ふ 吉野庄で樂しい盆踊り |
08 | 花蓮港廳海志 銓衡試驗 |
09 | 小泉厚相 諸君の若い力に期待 健民修鍊所生を激勵 |
10 | 農村へ送る援兵 推肥積込に學徒青年團らを動員 |
11 | 增產指導打合 |
12 | 街庄事務研究會 |
13 | 醫者の職業能力 十五日まで補充申告 |
14 | 作れ‧蓖麻と 一粒でも多く |
15 | 新に招待出品制 秋を飾る文展の全構想發展 |
16 | 一人三本以上 羅東の蓖麻作 |
17 | 龍潭庄空地 共同耕作 |
18 | 常會で紙芝居表演 |
19 | 新規格買ひに應ずる 裁斷して販賣 |
20 | 買漁は必要ない |
21 | 青果物優良出荷團體 十二日に初の表彰式 |
22 | 國語塾開所式 |
23 | 本社記者募集報社消息 |
24 | 人事‧消息報社消息 |
25 | 訃文:張沛 |
26 | 訃文:吳阿城 |
27 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 山奧で炭燒き實習 臺中高農生汗の敢鬪 |
02 | 生活相談所主事に 阿部勝三郎氏就任 |
03 | 增產街道へ驀ら 中埔青年團で五甲步を開墾 |
04 | 善化青年團 奉戴日に献金 |
05 | 貯蓄に拍車 通宵信組が督勵 |
06 | 玉碎勇士に 弔慰金 白樺音樂團 |
07 | 鬪ふ奉公班員激勵 山本總長常會を奇襲 |
08 | 水上競技大會 十五日龍潭埤で |
09 | 目標額を早やくも突破 擧郡決戰貯蓄に必死の努力 |
10 | 鄉軍の士氣軒昂 能高郡分會簡閱點呼 |
11 | 教壇から大空へ 教へ兒達の決議で荒鷲を志願 |
12 | 市長さんが田植 增產に陣頭指導 非農家動員の宜蘭 |
13 | 稅務專務打合せ |
14 | 國防訓練大會 新化郡豫選會 |
15 | 復舊にいそしむ 青年團を激勵 須田殖產局長臺中へ |
16 | 新竹州警察水 泳講習會終る |
17 | 市民の認識深む 臺中の敵機模型展終る |
18 | 決戰鬪魂の昂揚へ 從軍會員の一日鍊成會を開く |
19 | 戰力增強安全週間 淚ぐまし‧この努力 事故者殆んど皆無の好成績 |
20 | 景尾同窓會献金 |
21 | 三重埔に咲く 國語普及美談 |
22 | 施能達氏献金 |
23 | 增產戰士に 紙芝居慰問 |
24 | コレラ防遏に萬全策 各郡署檢疫委員支部 |
25 | 林內圳の決潰箇所復舊 地方民の逞しい總力結集で |
26 | 赤誠の献金品 |
27 | 屏東に侵入 豫防に全力 |
28 | 新豐郡菓子工業所臨時總會 |
29 | 災害義捐金第五回領收報告(敬稱略)報社消息 |
30 | 幼稚園母の會 |
31 | 新化郡警察課異動 |
32 | 張玉振氏嚴父逝去 |
33 | 吳租洲氏嚴父逝去 |
34 | 地方多より報社消息 |
35 | 今日の映画演劇 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 企業整備に萬全策 政府買收代金の特殊決濟取扱要綱決定 |
02 | 商工經濟會の任務 企業整備に協力が必要 |
03 | 離職者に生活援護金供給 產報「特別勤勞動員本部」の任務 |
04 | 船內荷役機關綜合活用 基隆運送業者で近く實施 |
05 | 乙種海運貨物仲立業 臺灣でも近く公認 |
06 | 內地バナナ價格引下 督府で緊急對策考究 |
07 | 食糧增產に拍車 土地改良令草案成る |
08 | 甘藷の病虫害退治法 |
09 | 臺南州二期作 經過良好 |
10 | 尾崎技師來嘉 |
11 | 最近の經濟問題 |
12 | 興業信託 一分增配 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況(十日前後場) |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(1031)/黃得時;碇政彌 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | レンドバ港猛擊 海鷲、放膽豪快な作戰 |
02 | 綿糸と綿布買上げ 國府最高國防會議で決定 |
03 | 我方も萬全の支援 邦人各位率先躬行範を垂れよ 谷大使、談話を發表 |
04 | バー‧モウ代表に 有難い御沙汰傳達 |
05 | 大東亞週間展望 ビルマ國の生誕 政治參與にジヤワ住民歡喜 |
06 | 日緬相互理解の外交 彈力性ある情誼關係 澤田大使と一問一答 |
07 | 圖像:ウイチツト泰國外相、嶋田海相(左)訪問 |
08 | 刻刻決定的段階へ 東部戰線愈よ激化 |
09 | 中支物價暴騰を抑壓 囤積行為絕滅へ |
10 | 赤軍の損害は甚大 ハ大佐九日の報道 |
11 | クバン橋頭で 赤軍新攻勢 |
12 | 東部戰線戰況 |
13 | 赤軍戰車三百五十二臺擊破 |
14 | 新中國の建設進展 歸寧の畑總司令官談 |
15 | 獨、伊兩外相の會見 戰局に重大な意義 |
16 | 應徵士服務紀律 けふ公布即日實施 |
17 | 樞軸空軍の戰果 シチリア作戰に於て |
18 | シチリア島戰況 |
19 | ヒ總統中心に 重要協議 獨軍政の首腦が |
20 | インド國內の 食糧不足深刻 |
21 | 商報中央本部長 土居民を起用 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 青少年團振興策 臺北州を皮切りに懇談會 |
02 | 長谷川總督 水害地視察日程 |
03 | 新竹防空訓練所 十二日初の入所式擧行 |
04 | 少年團指導者鍊成 |
05 | 內地は決戰一色 廈門に歸任した赤堀總領事語る |
06 | 戰ふ學徒 藷作奉仕 揮ふ鍬に精魂罩めて 食糧增產で米英擊滅 |
07 | 鍛へる譽の勳兒 南寮ケ濱で樂しい日課 |
08 | 本島の諸行事調整 內地と步調合せて實施 |
09 | お山の衛生向上に 公醫を集めて講習 |
10 | 交通整理にも一役 學徒の敢鬪は續く |
11 | 躍る黑潮に挑んで 學徒奉公隊海洋訓練 |
12 | 廈門から二青年 海軍志願兵志願 |
13 | 關廟庄常會 |
14 | 殉職船員初の公葬 京都東本願寺で嚴修 |
15 | 科學的訓練/志田延義 |
16 | 廢物を賣つて献金 軍司令部で拾つた献金美談 |
17 | 健兒の意氣物淒く 三兄弟揃つての優秀成績 海志銓衡係官も感嘆 |
18 | コレラ撲滅戰へ 臺大醫學生急遽南下 |
19 | 獨逸の木材增產 |
20 | 勝ち拔くこと/平貞藏 |
21 | 國民校修了者の使用 申込期限一ヶ月繰上 |
22 | 司法部異動 犬飼判官退職 |
23 | 人事‧消息 |
24 | 興南詩苑漢詩 秋日中商教諭枝光文男先生携眷來遊萊園喜作/香宇 蔡柏樑、次韻/莊幼岳、診眼有作四首/嘉義 聯滄 |
25 | 今晚の放送 |
26 | 商況(十日前場) |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵船損害一千五百餘隻 本年初頭より七月末まで 樞軸軍の大戰果頭條新聞 【ベルリン九日發同盟】獨軍當局は本年春頃からドイツ潜水艦の反樞軸通商破壞戰の戰果發表を差控へる方針に出で獨當局のこの沈黙に乘じで反樞軸側は最近對潜水艦戰において決定的勝利を得だかの如く頻りに宣傳してゐたが獨軍當局は九日に至り突然本年初頭から七月末までに至る七ケ月間における獨潜水艦の舉げた大戰果の內容を發表、具體的事實をもって反樞軸側のデマ宣傳を粉砕した、即ち九日獨軍筋の發表によれば獨潜水 艦はこの七ケ月間に大西洋、地中海の各水域は勿論遠く南阿水域或はインド洋にまで出擊して敵商船擊沉四百八十六隻、トン數合計三百十萬トン(總トン)を擊沈したがその他損害を與へたもの或は空軍による戰果に日本及びイタリア軍の戰果を加へれば敵に與へた損害は一千五百隻トン數合計八百三十九萬トンに上り反樞軸の新造隻數を遙かに突破してゐる、敵商船隊に與へた損害內容次の通り 一、獨潜水艦が七ケ月間に整沈した敵商船の內譯次の通り 北氷洋水域一五隻、八四、三五○トン、地中海水域五十九隻三六九、三五◯トン、大西洋水域二四一隻、一、五一五、○○○トン、西アフリカ水域五五隻、四○一、一五◯トン、南アフリカ水域九隻五六○○○トン、米國近海六三隻、四◯九、○○○トン、インド洋水域四四隻、二四五、○○○トン、合計四八六隻、三、一○○○○○トン 一、獨潜水艦はこの外輸送帆船十三隻を擊沈、更に商船七十九隻に魚雷を命中させて大損傷を與へてゐる 以上は獨潜水艦隊の舉げた戰果だが日獨伊三國軍がこの期間に擊沈した敵商船は約八百四十隻、トン數五百萬トン、又魚雷乃至爆撃により損傷を與へたものは約六百六十隻、三百三十三萬トンと推定され斯くで敵商船隊の受けた損害は實に一千五百十八隻、八百三十九萬三千トンに達するものと見られる、敵側の發表によれば同期間に建造した船舶は一千四十六隻、そのトン數は七百九十萬トンと言はれるが敵側の發表數字をそのまゝに受取っても反樞軸側の船舶喪失數は新建造數を遥かに突破してゐることが明かとなる |
02 | 有難き御沙汰 を傳達 バ國家代表に |
03 | 圖像:(上海電話)爆擊に向ふ我が陸鷲編隊 |
04 | 平北游擊隊を包圍 徹底的殲滅戰を開始 |
05 | 敵屍三千餘に上る 中支軍七月の戰果 |
06 | 一割五分の增送 七月分の輸送實績 |
07 | 東京都の議員選舉 九月十三日に實施 |
08 | 伊政變の經緯 樞軸筋の報告を綜合 |
09 | 米軍殆んど精神病患者 西南太平洋戰線米軍醫の報告 |
10 | 簡素嚴肅に執行 內務當局談發表 |
11 | 投票開始時間 一時間繰上げ |
12 | 我空軍の優秀さ 在支米空軍が戰慄 |
13 | 劃期的な社長徵用 愈よ近く實施せん |
14 | 選擧有權者數 |
15 | 選擧肅正委員發令 |
16 | 翼政會の申合 |
17 | 各界の協力要望 綿糸布の買上に付き 汪院長我援助に感謝 |
18 | バドリオ內閣 新內相辭職 |
19 | 前ソ聯極東軍 司令官戰死 |
20 | 世界戰局の 說明を聽取 全閣僚參集して |
21 | タイ國外相一行 土浦霞ケ浦を視察 |
22 | 伊軍戰況發表 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 全島民擧つて コレラ撲滅へ社說 一 高雄州下に侵入したコレラ病は恐るべき勢で蔓延の兆候を示し、事態を憂慮せらるるに至った。去る四日、鳳山郡下の海岸部落たる大林埔に真性コレラ患者を發見して以來、僅僅四五日の間に郡下の各街庄から更に高雄市、東港郡下萬丹庄、新園庄へと蔓延し、當局の必死の防遏陣にも拘らず、次第に猖獗を極めて、屏東市、旗山郡にも侵入するに至った。傳染經路は未だ明確に發表されて居らないが、恐らく高雄港の嚴重なる檢疫防禦網を潜って侵入したものであらうことは殆んど疑ひがない。今日までの患者發生數を見るに早くも二百名を突破して居り、死亡率も相當に高く、しかも今後尚蔓延の情勢が見えてゐるので時局柄洵に遺憾この上ない。今や大東亞戰爭は決戰段階に入り、國民擧げて戰力增強に邁進してゐるとき、斯くの如き事態は一日も早く速かに終熄せしむべく、官民一致協力して防遏の完壁を期せねばならぬ。 二 思ふに、本島は大東亞共榮圈の基地として南方諸地域或は南支各方面と密接な關係にあり、特に海上の要衝として航路の據點であるため、各種傳染病の侵入發生を受け易い地位にあることは多言を要しない。從って本島としては斯くの如き事態の發生に備へ、不斷に細心の注意と鐵壁の防禦陣を布かねばならず、また實際にもこれを實施して參った。お蔭でこれまでのところ、幸ひにして何らの惡疫流行を見ずに濟んだのである。偶偶今回のコレラ發生は、いまだ高雄州だけに止まってゐるとは云へ、相當なる勢で蔓延してゐるのに徵し、洵に遺憾千萬と云はねばならず、他州に蔓延しないまでも高雄州下の如き特殊施設であり戰力增產に至大なる貢献をなしてゐる處では真に寒心に堪えぬものがあるのである。萬が一にも之等に傳播するが如きことあらんか、真に國家に對して申譯けがないこととなるであらう。 三 斯くしてコレラ病撲滅のために全島民は擧って起ち上らねばならぬ。コレラの跳梁は敵軍の空襲よりも恐ろしい、その慘禍より甚大であることを思はねばならぬ。從ってコレラ魔の撲滅防遏は獨り當局にのみ任せて足れりとしてはならない。全島民の理解ある全幅の協力があってこそ完壁を期し得るのである。今や悽愴苛烈な決戰下、戰力增強の一點に全國民の總力を結集させてゐる秋、農業臺灣に負荷せられたる使命は重大である。この重大使命とは增產に他ならず、全島民は增產を全ふすることによって國家の要請に應へなければならぬ。從ってその間に若し困難と支障があるとすれば斷乎としてこれを克服せねばならぬ。コレラはまさに一大強敵である。茲に於てコレラの撲滅は最早一刻一秒を爭ふことと云はねばならない。全島民は擧って豫防上の注意を嚴守するは勿論、不急不要の旅行は取止め、集會或は催物等も見合せ、豫防注射その他一段の注意と努力を拂はねばならぬのである。 |
02 | 戰力增強へ總蹶起 本部を樞軸に訓練體制樹立 青年團長會議で懇談 |
03 | 職場を通して滅敵 一切を擧げて戰力の增強へ 西村副團長の挨拶 |
04 | 本島地方總選擧延期 來年九月一日に執行 |
05 | 圖像:孔雀莊の留日ビルマ學生宮城遙拜 後列左端がバーモ首相御曹子ザリモ君 |
06 | 戰勝は增產から 新竹州で實施大綱を決定 |
07 | 中天高く紅蓮の焰 見る見る五ケ所に大火災 フナフチ島爆擊同乘記 |
08 | 海軍志願兵に期待 石塚高雄警備府參謀長談 |
09 | 各方面へ新任の挨拶 |
10 | 昔からの美風 “袖切つて角ためず” 岸商工大臣の辯 |
11 | 圖像:在タイ印度同胞の歡迎大會に臨み熱辯を振ふボース氏 |
12 | 滿蒙義勇軍へ 赤誠慰問袋 |
13 | 日本は磐石不動 アメリカ恐るるに足らず 池崎代議士港都で獅子吼 |
14 | 續く白衣勇士慰問部隊 |
15 | 五部隊への軍馬慰問 |
16 | 音樂で市民の 情緒陶冶 |
17 | 戰時下だ、納稅は早目に |
18 | 女給さんの赤誠献金 |
19 | 私立專門學校 協會を設立 |
20 | 新竹州青果組合の評議員會 |
21 | 三星庄國講 講師講習會 |
22 | 人事‧消息報社消息 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | コレラ防遏に對し 州民の協力を望む 濱崎高雄州警察部長談 |
02 | 全員荒鷲を志願 中學校滑空訓練終る |
03 | 航空智識普及へ 安藤滑空士等指導の下に 臺中二中で滑空訓練 |
04 | 大甲郡で鬪ふ 產組人の常會 每月十日に開く |
05 | 青少年團長 指名式 |
06 | 慰安映畫會盛況 |
07 | 一粒でも餘計に 婦女子增產部隊の敢鬪 |
08 | 彰化臺電支店生產 增強缺動防止運動 |
09 | 玉咲ツヅラフジ大豐收 罩めるお山の兄弟の生產魂 |
10 | 決戰貯蓄街頭移動展 あすから彰化市で開く |
11 | ラジオ體操隨感(一)/小林準一 |
12 | 硬貨回收にヨイ子供が一役 |
13 | 皇奉運動の真締 山本總長屏東で大熱辯 |
14 | 彰化市內の時局巡廻映畫 |
15 | 增產戰に勝拔け 農事實行組合長打合會開く |
16 | 職場で實地見習 嘉義家政女の決戰鍊成 |
17 | 逞し!興亞の健兒 青年團長代表が語る熱烈な體驗 |
18 | 木炭の非常搬出に挺身 東勢郡警防團汗の敢鬪 |
19 | 大楠公、二宮翁銅像應召 埔里北國民校で献納奉告祭 |
20 | 來れ“藝文”戰士 第二回研究生募集 |
21 | 目指すは敵米英の首都 舊都に繰り展ぐ學徒の滑空訓練 |
22 | 注意が第一 コレラ愈よ蔓延 |
23 | 漏れなく注射受けよ 防遏陣續續來高 |
24 | 屏東市又一名發生 |
25 | 臺中州豫防對策 |
26 | 屏東市外六郡の 海志體格檢查 賴母しい軍國風景展開 |
27 | 劍道講習會 |
28 | 赤誠の献金品 |
29 | 產業戰士慰安 の巡回映畫會 廿日鹿港街で |
30 | 鷺洲庄の體力檢查 |
31 | 長興庄に流腦 |
32 | 人事報社消息 |
33 | 地方多より報社消息 |
34 | 今日の映画演劇 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 青果物價格引下(內地) 本島產青果物も追隨 バナナのみ中央と折衝中 |
02 | 車輛の島內自給 鐵道部で具體策を考究 |
03 | 七月末島都金融 預金貸出とも膨脹 |
04 | 物資の自給を目指す 泰國の經濟事情 |
05 | 臺灣商議所 常議員會 |
06 | 食糧增產確立に 灣糖も極力援助 |
07 | 臺電總會 廿五日東京で開催 |
08 | ガス新消費規正に 商工省化學局と一問一答 |
09 | 混合飼料の價格 けふ官報で改訂 |
10 | 行政簡素化と統制會改善/小島精一 |
11 | 食糧增產に應召 嘉義ゴルフ場開墾に決定 藷作りに青年團奉仕 |
12 | 風水害對策 租稅を減免猶豫 關係府令けふ公布 |
13 | 照明燈 |
14 | 經濟手帖 |
15 | 商況(十日後場) |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(1032)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 我地上部隊猛反擊 コ島來襲の敵機を擊退 |
02 | 在支米空軍必滅の 態勢を益益強化 敵も戰備の建直しに躍起 |
03 | 圖像:堂堂鵬翼を連ね建甌爆擊行の陸鷲 |
04 | 獨伊の利害關係 完全に一致 シユミツト博士言明 |
05 | 國府軍の精強ぶり 武漢周邊で遺憾なく發揮 |
06 | 米の戰時財政を衝く |
07 | 圖像:南太平洋を征く海鷲の勇姿 |
08 | 伊內相更迭 |
09 | 決戰食糧對策要綱 翼政近く政府に申達 |
10 | 勤勞青少年の鍊成道場 國立公園の候補地決定 |
11 | 米軍首腦部 重要協議 |
12 | 大擧レンドバ島連爆 |
13 | ハリコフ大攻防戰 一兩日中に大勢決せん |
14 | 空前の機動戰 オリヨール西方で |
15 | 獨軍戰況發表 |
16 | 九億貫を目標 漁業の生產計畫 |
17 | 翼贊會東京 支部事務局長 並川氏を起用 |
18 | スモレンスク 奪回を嚴命 スターリンが |
19 | 赤機百十九臺擊墜 |
20 | 赤軍を擊退 |
21 | 綿糸布の買上要綱(國府) |
22 | 獨軍の消耗戰術 着着効果を發揮 |
23 | 獨立への氣勢を擧げん 反英抗爭一周年記念大會 十五日昭南で盛大に開く |
24 | 內務省異動 |
25 | 空爆だけで獨逸を 倒す事は不可能だ 米戰時情報局總裁言明 |
26 | 土木復興者 を設置 ビルマ政府 |
27 | ソヴイエト代表 會談に參加せず ルーズヴエルト言明 |
28 | 英、加會談內容 |
29 | 日發電總裁に 新井氏を起用 |
30 | チヤーチル ケベツクに到着 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | さァ、大空の制霸だ 陸軍特別操縱見習士官へ 學徒の淒い志願熱 |
02 | 罹災者に見舞金 山縣警備府司令長官から |
03 | 神職鍊成講習會 九月草山で開く |
04 | 滅敵の鬪魂橫溢 齋藤警察部長歸臺談 |
05 | 圖像:和平陣營參加の第二七軍豫備 第八師長陣孝強將軍記者團と 會見 |
06 | 勞奉隊員遺族 宅を弔問 荒川郡守が |
07 | 日本人の體格美 背は低いが體は強い |
08 | 十月一日から 家計調查實施 府統計課で記入者募集 |
09 | 決戰增產へ拍車 篤農家を集合常會 |
10 | 校庭に見事な水田 花蓮港家政校 |
11 | 圖像:密林地帶を踏み越へて敵陣に肉薄す我勇士 |
12 | 藷栽培始耕式延期 |
13 | 例外配給を取締る 出版物は一切“日配”へ |
14 | “臺灣も內地即應” 日配臺灣支店語る |
15 | “南方大系”編纂 十三日に初の打合會 |
16 | 麗しい農村風景 基隆郡刈取に大童 |
17 | 南方軍軍屬要員募集 |
18 | 南方行軍屬 募集 |
19 | 旺盛な生產魂 鬪ふ女產業戰士の美談 |
20 | 職域奉公戰士 第四期生を募集 |
21 | 興南詩苑漢詩 酬嘯霞同年索和蝸牛詩/晴園 黃純青 |
22 | 慰問に卵を献納 岩佐千代さんの美擧 |
23 | 人事‧消息 |
24 | 今晚の放送 |
25 | 商況(十一日前場) |
26 | 興南案內報社消息 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵要衝突入の態勢 平北敵共軍の殲滅戰頭條新聞 【蒙彊東部前線○○十一日發同盟】平北の山岳地帶に敵共產軍を包圍猛進中の我が精銳諸部隊は十一日拂曉早くも敵の牙城○○を指呼の間に収める地點に到達我が包圍網を逸脫せんとする敵を隨所に殲滅してゐる即ち南方より進擊しつゝある部隊は下水泉西方に於て堅固なる陣地によつて抵抗する約百五十の敵と遭遇これに空陸一體の猛攻整を浴びせて西方に潰走せしめ北方迂廻部隊及び東方正面部隊と共に敵要衝○○突入の態勢を整へた一方外部包圍部隊は各要路を悉くおさへて敵の退路を完全に遮斷した |
02 | 壯烈な山岳戰展開 わが各部隊の戰鬪狀況 |
03 | 整備兵魂を發揮 死しても持ち場を離れない 五勇士壯烈な戰死 |
04 | 東條首相參內 |
05 | クラ灣夜戰の激鬪 我が重砲陣の大偉勳 |
06 | 圖像:徹霄エンヂンの修理に敢鬪する整備員の勞苦 南太平洋〇〇基地にて寺尾海軍報道班員撮影、海軍省許可濟第一〇一號 |
07 | 不撓不屈戰爭を繼續 伊太利政府反樞軸を論駁 |
08 | 學徒勤勞協力 事情を調查 文部省五地域に 委員を派遣視察 |
09 | 良質金屬類大量回收 回收令を公布施行 |
10 | ハリコフ攻防戰 一進一退の大白兵戰 |
11 | 太平洋新反攻作戰協議 マツカーサー‧ハルゼーらが |
12 | 赤軍戰車三百四十八臺擊破 |
13 | 會社機密費抑制 基準を設け、內容を精查 |
14 | 獨、黑海艦隊に 特別感狀 |
15 | ウ泰國外相 東條首相訪問 |
16 | スタビアを 英艦隊が砲擊 |
17 | チヤーチルの隨員氏名 |
18 | ミラノ盲爆 |
19 | 帝國鑛發社長重任 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 生活戰も亦 戰局を左右社說 一 近代總力戰の極致は「生活戰」と云ふことに盡きる。總力戰たる近代戰はいやでも應でも、國民の生活と云ふところまで突き拔いて來る。この生活戰の勝敗もまた近代戰を左右するものである。之は銃後に居る吾吾の何にもまして心すべき重要事である。生活戰は總力戰の遂行と云ふことから、必然的に起って來る國民生活上の變化に、いちはやく順應し、新しい戰時生活に切りかへて戰爭が何年續かうと絕對に搖がぬ生活精神を確立するにある。この生活戰的努力を怠るときは結局總力戰の敗者とならざるを得ない。而も武力戰が激化すればする程、生活戰も益益本格化されて來るのである。現段階に於ける凄烈なる決戰樣相は更にまた、より高度の生活決戰を要求するものである。生活決戰と新生活の建設は、國民生活の殆んど全面を對象とするものである。單に物的な衣と食と住とのみでなくそれらの綜合としての生活力も對象となるのである。衣生活と食生活と住生活と、而して生活意力とを總力戰遂行に適應せしめることが生活戰に勝っための生活建設の要諦である 二 物的戰力の飛躍的增強を左右する最後の鍵は、簡素なる戰時國民の生活の確立と國民の決戰生活態度に存する。一億國民の一人一人が戰局の一張一弛にびくともしない逞しい戰爭感覺を身につけ、戰時耐乏生活に積極性を求め、これに打ち克つ事が戰勝への唯一無二の路線である。手近な日常生活に於ける物資愛護、消費節約が如何に直接戰力增強に貢献するか、同盟通信の調查によれば「食糧增產、消費規正によって食糧の國內自給體制を確立し、外米依存を完全に脫脚したとする。その結果外米六百萬石を運ぶ船腹を以てボーキサイドを運び、アルミニュームを增產すれば、これを以て航空機二萬五千機を生產しムンダの敵襲を粉碎し得る。又衣料切符の一割に當る絹の消費を節約すれば、八十九萬四千の落下傘を生產、又同じ一割に當る綿を節約すれば、軍服二百萬着を生產し、直接物的戰力の增強に資することとなる」この儼然たる事實に吾吾は目を向けなければならない 三 斯くて物的戰力增強は獨り增產のみならず、われわれの日常生活に於ける物資愛護、消費節約からでも戰力增強に寄與し得ることを深く銘記しなければならない。卽ちわれわれの生活自體が戰力の源泉であり、われわれの戰爭意識こそ、戰力の原動力である。武力戰の戰士は戰線の兵士であるが、生活戰の戰士はまさしく銃後一切の國民である。一人一人の國民が事務を取るものも、生產に從ふものも、男も女も老ひも若きも、等しくその日その日の生活に戰ひ續けてゐるのだとの強い意識を以て、自分の生活の周圍を見直し、一切を戰爭意識の上から反省し、建直し、自らの職域に勵み續けなければならない。そこにこそ生活戰の勝利は輝くのであり、總力戰を勝ち拔く要諦は存するのである |
02 | 必勝へ全商業人起つ 企業整備と決戰配給體制 具體的實踐要綱決る |
03 | 二十日全島大會 各地で一齊に開く |
04 | 北海に漂流九時間 燃ゆる七生報國の鬪志で描く 海鷲奇蹟の生還記 |
05 | 圖像:全島商奉支部長會議 |
06 | 真摯な意見發表 花蓮港廳の青年團振興懇談會 |
07 | 芝山巖精神尋ねて 井原先生の遺骨發掘 けふ士林街舊街で |
08 | 宜蘭の懇談會 |
09 | 臺北州の增產助役 月末頃に發令の運び |
10 | 臺灣防衛警報規定 (上)內地に即應して改正 |
11 | 新竹州は十三十四兩日開催 |
12 | 花蓮港廳海志 第二次銓衡試驗 |
13 | 身は蛇に傷いても 燃ゆる滅敵の男心 海軍豫備學生受驗に中平君健鬪 |
14 | 增產だ、三毛作やらう 宜蘭市の農民達奮起 |
15 | 肉豚增殖に驀進 新竹州あすから共勵會開く |
16 | なるほどの名案 豚が電車を動かす“隣組養豚” |
17 | 新生ビルマの表情 隣組の防火群 |
18 | 國防護身道 指導講習會 |
19 | 憲兵隊司令部 高橋軍醫大尉榮轉 |
20 | 臺中州下の田植進捗 |
21 | 鈴木商奉團本部主導 |
22 | 果樹園を食糧 增產へ轉作 |
23 | 人事‧消息報社消息 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 鄉土防衛の完璧陣 日婦嘉義市新營區班の國訓查察 |
02 | 單位青年團の結成終る 十五日神社外苑で晴の結成式 |
03 | 賞金を献金 增產戰士の美擧 |
04 | 恒春郡勸業課長 近く發令 |
05 | 戰歿者遺族への 御下賜品傳達式 |
06 | ラジオ體操隨感(二)/小林準一 |
07 | 高雄州菓子工業 組合役員指名さる |
08 | 叩込む皇國農民魂 農事實行組合指導者の鍊成會 |
09 | 青年團振興懇談 きのふ臺中で開催 |
10 | 必勝增產、明朗配給 知事の英斷、愈よ着手 |
11 | 坂口知事來屏 海志身體檢查視察 |
12 | 金屬類回收を強化 |
13 | 逞し‧報國の赤誠 臺中市產組貯蓄強調期間好成績 |
14 | 藷作に淨汗奉仕 |
15 | 雛鷲を指導養成 高雄市で滑空指導者講習 |
16 | ヨイ子供の指導者 教壇戰士の身分待遇是正 |
17 | 海志身體檢查終る |
18 | 池崎代議士 けふ臺中で講演 |
19 | 體力檢查延期 |
20 | 池崎代議士 あす彰化で講演 |
21 | 覺えよ敵機の標識 防空展臺南で開催 |
22 | 行軍、水泳の實地指導 商業專修、工科兩校で實施 |
23 | 十五日嘉義市で |
24 | 增產の汗の敢鬪 彰化女職員生徒總動員で |
25 | 遺家が慰問 青年劇盛況 |
26 | 國民皆勞鼓吹 田植に非農家動員 |
27 | 擧郡道路愛護 竹南郡愈よ乘出す |
28 | 遭難者慰靈祭 十八日日糖北港製糖所で執行 |
29 | 警民協力美談 十六小女の六感で犯人捕る |
30 | 彰化商業庶民信用組合 |
31 | 青年團分隊長 合宿鍊成 |
32 | 炭燒場の粉炭でタドン 竹南郡、お山で製造を獎勵 |
33 | 決戰貯蓄を增強 潮州郡で推進委員會 |
34 | 赤誠の献金品 |
35 | 貯蓄目標額の達成近し 竹南信組役職員督勵に大童 |
36 | 國防訓練大會 廿五日に仁德國民校で開く |
37 | 增產と貯蓄の 映畫を上映 |
38 | 防遏委員を設置 コレラ對策に萬全 |
39 | 臺南市萬全の 豫防陣 |
40 | 意氣天を衝く 鄉軍の簡閱點呼 |
41 | 玉碎勇士に弔慰金 |
42 | 疑似一名發生 |
43 | 麗し‧人命救助 近く當局表彰 |
44 | 人事 |
45 | 地方多より報社消息 |
46 | 今日の映画演劇 |
47 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 中小商工業再編成 協力會創立 |
02 | 蓖麻增產栽培法 (上)犬飼技師放送要旨 |
03 | 再編成協力會 本年度事業計畫 |
04 | 木材劃期的增產 棲蘭山等新開發 |
05 | 薪炭增產運動 全森聯、積極的に協力 |
06 | 產聯貯金激增 七千萬圓突破 |
07 | 塗料需要調查 廿日迄組合提出 |
08 | 汗奉仕隊活躍 現地鍬凱歌高 |
09 | 經濟手帖 |
10 | 須田殖產局長 |
11 | 伊藤遞信部長 蘇澳造船視察 |
12 | 照明燈 |
13 | 商況(十一日後場) |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(1033)/黃得時;碇政彌 |
序號 | 標題 |
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01 | 上海經營輪廓成る 大陸決戰態勢進展 汪主席來滬の大成果 |
02 | 圖像:南海の空に敵機を求めて出擊する隼戰鬪隊 (海軍省檢閱濟) |
03 | 新領土六州の接收 日、泰兩國間で協議 タイ國宣傳局次長ラ氏言明 |
04 | インド民眾 一齊に怠業 |
05 | 米英會談 ソ聯との關係微妙 ス議長不參加に失望 |
06 | 小癪、米機數機 北千島に來襲 我鐵壁防空陣忽ち擊退 |
07 | 英國二度の危機 樞軸潛水艦の活躍で |
08 | 赤軍の進出を完封 東部戰線愈よ彈力性增す |
09 | 獨軍の反擊熾烈 ハリコフ戰線大戰車戰 |
10 | 赤軍增援を急派 プリヤンスク攻勢に |
11 | 依然“打算的結婚” 米英、ソ聯の關係に焦慮 |
12 | シチリア島戰況 |
13 | 米、新型機製作 |
14 | 反樞軸軍は未だ何等 決定的戰果擧げ得ず |
15 | 損傷英巡洋艦 ジ港に到着 |
16 | 激烈な防禦戰(伊軍公表) |
17 | チヤーチル 加閣僚と會見 |
18 | シ島に續續 豫備軍增派 反樞軸損害補填 |
19 | 獨、羅海空軍の戰果 |
20 | 帝國教育會の使命/伏見猛彌 |
21 | 共同の作戰を 計畫か |
22 | 伊の三艦改名 |
23 | 土政府、抑留米 飛行士を釋放 |
24 | 太平洋軍事會議開かる |
25 | スチルウエル ストラトメーヤーと會談 |
26 | 園遊會に出席 タイ國外相一行 |
27 | ウエルズ米國 務次官辭職か |
28 | 表彰式を擧行 青果物出荷成績 優良團體、個人に |
29 | 貴院南方戰線 に慰問團派遣 |
30 | 地方部長異動發令 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 教壇から大空へ 陸鷲へ四訓導起つ |
02 | 賞賜物件傳達式 市正廳で嚴肅に擧行 |
03 | 國民皆兵を織込む ヨイ子供の修身の御本 十八日教科書調查會を開く |
04 | 本島の技術擧げて協力 南方へ調查員派遣 山口府調查課長近く上京折衝 |
05 | 海志試驗に 吳青年赤誠披瀝 |
06 | 臺灣防衛警報規定 (下)內地に即應して改正 |
07 | ゴルフ場で藷作り 學徒奉公隊第二陣健鬪 |
08 | 基隆市桔俱も 藷作り奉仕 |
09 | 鐵道部の豫防陣 コレラ流行地發着の乘客は 注射證明書携帯のこと |
10 | 防衛の技能修鍊 新竹州防空訓練所入所式 |
11 | 海南島の財閥 吳啟軒氏來臺 |
12 | 遺家族慰問 舞踊演藝會 |
13 | お山の人口增殖 當局積極的乘出 |
14 | 井原先生眠る古井戶 當時可愛いがられた十八の少年 何清海翁の追憶談 |
15 | 勢ふ學徒の熱誠 山地開拓に乘り出す |
16 | 白衣勇士慰問者が陸續 |
17 | 基隆市食糧 增產打合せ |
18 | 軍馬慰問 |
19 | 菊元、タイへ進出 臺灣仕出紙類を一手輸出 |
20 | 池崎代議士 新竹市で講演 |
21 | 軍屬募集要項 一部變更 |
22 | 軍援寄附者 |
23 | 興南詩苑漢詩 訪新竹鶴山書室賦呈主人 魏來生先生賢昆仲/林子惠、呈種竹齋主人林子惠先生/魏來生、和來生先生見贈瑤韻/林子惠 |
24 | 人事‧消息報社消息 |
25 | 今晚の放送 |
26 | 商況(十二日前場) |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 米機(八機)北千島に飛來 我陸鷲、直ちに邀擊 敵機三機を擊墜す頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(八月十二日十六時三十分)八月十二日朝米國機コンメソリデーテットB二四、五機及びボーイングB一七、三機北千島に飛來せり我が陸軍航空部隊は直ちにこれを邀擊しその三機を撃墜せり我方一機未だ歸還せず |
02 | 北千島鐵壁の防空 敵機倉皇として逃走 |
03 | 民防空の昂揚要請 |
04 | 于軍主力に大打擊 |
05 | 佐野中將以下 卅二將官參內 |
06 | 河北省、七月中 の綜合戰果 |
07 | 山東外三省の 綜合戰果 |
08 | 一擊二隻を血祭り シ島上陸の大船團を發見 我が鐵鯨の殊勳 |
09 | 內閣顧問と 政府懇談會 |
10 | 絹糸紡績業の 整備要項通牒 |
11 | 南太平洋 我海鷲、不斷の索敵 十日を中心に大戰果を齎す |
12 | 日、獨、伊共同會談 重光外相と獨伊兩大使隔意なき意見交換 |
13 | 三國の關係緊密化 日獨伊會談の結果 |
14 | 大破の敵艦船 ジ港へ入港 |
15 | 佛印在住の同胞に 期待が頗る大きい ボース氏サイゴンに勇姿 |
16 | 米英會談中心題目 敵の第三戰線展開 木葉微塵に粉碎せん |
17 | 討英の氣勢擧ぐ 在佛印の印度人大會 |
18 | 織物加工業の 整備を推進 日本染色組合聯合會 |
19 | ピブン首相を訪問 ボース總裁 |
20 | 昭南に歸着 |
21 | 會談中心は西歐作戰 對ソ關係にも苦慮 |
22 | スターリン議長 米英大使會見か |
23 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 商工業再編成と協力會社說 一 支那事變勃發後に於ける國防國家建設の要請に基き本島に於ても重要物資の生產增強と共に重要生產資材及生活必需物資の適正配給を目標に主として□□□□□の段階を中心とする配給機構の整備が行はれ來ったことは周知の如くであってその結果何何統制會社がその數四十八の多きに上ったことは顯著な事實である。そしてその時その時の要請に基いて設立されたこれら統制會社の整理統合が斷行される時間もなく大東亞戰勃發後に於ける決戰體制確立の必要上商業並に工業兩部面に於ける機構の根本的建直しが緊急化し中小商工業の再編成が切實の課題として提起されるに至ったのである。即ち工業部面に於ては中小工場の整理統合を斷行し合理的効率的な生產體制を確立すると共に商業部面では小賣段階に對する合理的配給網の整備と適限經營を目標とする企業の整理統合を敢行する必要に迫られたものでかかる情勢に鑑み督府に於ては種種調查の結果前途の見透しをつけて本年度豫算に所要實用を計上し愈よ積極的にこれが斷行に乘り出すに至った。 二 しかし中小商工業といってもその業種業態並に機構は多種多樣且複雜多岐なる實情にあるためこれが再編成に際してはその實情を極め官民一體となって目的達成に協力する他なきことはいふ迄もないとであって官廳の外廓機關としでて官民一體の國策協力機關であり再編成の推進的活動體である中小商工業再編成協力會が中央並に地方にそれぞれ設置されることは至極妥當であるといってよい。既に臺灣協力會は去る十二日に華華しく創立され、州廳協力會も遠からず設立されるであらうがしかし協カ會が內地の再編成協議會と異って機構的には大いに民意の暢達を可能ならしめてゐるのみならず更に要請をもしてゐるのであるから會それ自體の運營如何は國策遂行上影響するところ少くない。より具體的に謂へば會の委員が果して業界の實情に精通してゐるか否か又精通してゐるとしても勇敢に而も熱意を以て實情をありのままに開陳しうるか否かによって再編成の適否が決定されるわけである。從って大物主義に基く會委員の選定は實情精通の點でかくるところありやしないか。しかし過ぎ去りしことは致し方ないとしてせめて州廳協力會丈でもこの點十分に善處しむしろ再編成の對象とされる關係業者を可及的活用することを要望しい。 三 抑抑中小商工業再編成は結果的に一部の轉廢業者を出すことになってゐるがこれが善後措置に手ぬかりがないとはいへ尚祖先傳來の生業を放棄する點で業者の苦衷が察せられる。しかし勝ち拔くための再編成であるが故に業者の徒らなる未練さは一顧だに値ひしないには違ひないが尚その方法に於てかくるところがあれば再編成を澁滯せしめる虞れなしとしない。協力會が大いに民意を暢達せしめる機關であって見れば會委員は少くとも整理業者の心理を以て事に當ることが肝要でなければならない業者の生殺權を握る協力會の運營はこの意味で全業者より注視の的となり、最大なる關心をよせられてゐる。協力會創立總會に於て長谷川總督が「本會關係者各位は宜しくその設立の趣旨を體得し豐富なる知識と經驗とを活用し誠心誠意至公至平以て業者の滅私的熱意に應へ企業整備の完遂を圖れ」と要望してゐるのも事の本質上單なる一場の告辭でないことを銘記すべきである。 |
02 | 飛行場に續く道は 敵米英を滅ぼす道 國土防衛逞しい建設譜 |
03 | ジヤワ警察官留學生臺灣神社へ |
04 | 六千萬點を突破 衣料切符献納運動 |
05 | 戰ふ獨逸の學徒 小國民も總動員體制 |
06 | 鮭鱒の值上げ決定 |
07 | 世界一の警察道 心眼を開いて學べ ジヤワ派遣警察官第一回入所式 |
08 | 變貌する盤谷/大屋久壽雄 |
09 | 新生ビルマの銃後 |
10 | 蘭陽地方軍援 事務研究會 |
11 | 醫藥品(賣藥除外)製造業 十二日整備要項を發表 |
12 | 若林兵長が 名譽の戰死 |
13 | 重要藥品を確保 木村藥務課長語る |
14 | 宜蘭市で納稅 主旨宣傳 |
15 | 馬公に男子中等學校 關係者出府して設置陳情 |
16 | 補修用布とミシン針出廻る |
17 | 高雄州下への旅行制限 コレラ豫防に協力を望む |
18 | 國講幼兒部 指導者講習會 |
19 | 南方睨んで黑潮に挑戰 |
20 | 指導醫連絡會議 |
21 | 死藏衣服を更 生しませう 島都で講習會 |
22 | 勇士慰安映畫 と舞踊の會 十四日彰化市で |
23 | 高雄州人事異動 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 賴母し‧擧州の赤誠 貯蓄目標額見事突破 |
02 | ぐんぐん殖える貯蓄 戰ふ鳳山街民の熱誠 |
03 | 貯金增加高 百八十二萬餘圓 |
04 | 決戰貯蓄へ 旗山信組一役 |
05 | 海志試驗終る 森田知事若人を激勵 |
06 | ラジオ體操隨感(三)/小林準一 |
07 | 住宅難の解消に乘出す 嘉義市復興建組で四十戶新築 |
08 | 夏憧れの大空に挑む 學徒等滑空訓練始る |
09 | 楠田氏州議に |
10 | 池崎市講演 十七日は高雄 十八日屏東で |
11 | 傷痍勇士鍊成會 州國民道場で |
12 | 鍛へる皇奉尖兵 彰化市奉壯團鍊成會 |
13 | 北川道路課長 埔里を視察 |
14 | 嘉義郡土地改良 組合の評議員會 |
15 | 夏に鍛へる勳兒 三日間關子嶺で開く |
16 | 十六日に開催 大溪街龍潭庄 水上競技大會 |
17 | 前線に慰問人形 發送に先立ち展覽會開催 |
18 | 馬來のパイ罐工場 |
19 | 增產街道へ驀ら 海山郡民擧げて決戰敢鬪 |
20 | 埔里街長重任 |
21 | 一般金屬類 の回收調查 |
22 | コレラ防遏虎の卷 撲滅體驗者瀧澤翁語る |
23 | 雛の雌雄鑑別 孵化業組合で競技會 |
24 | 綠のトンネル 鳳山郡の並木次次に完成 |
25 | 嘉義郡の陸上競技 |
26 | 檢問所を設く 罹病地域の出入り制限 |
27 | 音樂奉公團 北港郡支會で結成 |
28 | 區長打合會 |
29 | 納稅報國顯現 完納續く斗六街第三區 |
30 | 全員皆出席 戰ふ斗六街第九區部落常會 |
31 | 赤誠の献金品 |
32 | 日婦國防訓練 指導者鍊成會 |
33 | 彰化市畫劇第三期 八月表演日割決定 |
34 | 臺灣青果總會 |
35 | 警察官吏の瀆職 |
36 | 垣茂氏屍體發見 |
37 | 地方多より |
38 | 今日の映画演劇 |
39 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 甘藷の一大增產 來年度四十億斤に決定 |
02 | 棲蘭山開發計畫 督府關係課で協議 |
03 | 蓖麻增產と栽培法 (下)犬飼技師放送要旨 |
04 | 商工經濟會令制定 會議所側意見を申達 |
05 | 新設增資とも激增 本島上半期の事業界依然活躍 |
06 | 來期赤糖豫想高 三十四萬三千餘擔 |
07 | 阿片座談會 專賣局で開催 |
08 | 臺北州醬油配給 組合總會終了 |
09 | 小型鋼船の統制 (上)造船協議會の改組と目的 |
10 | 七月中の會社設立許可 |
11 | 中小商業者の決戰態勢 |
12 | 鹽の沿岸輸送強化 担當會社の設立考究 |
13 | 鐵工業統制會長 柳川悌氏に決定 |
14 | 雜穀配給規則 暫定的に近く實施 |
15 | 照明燈 |
16 | 商況(十二日後場) |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(1034)/黃得時;碇政彌 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵魚雷艇群粉碎 我が水上機隊が鐵槌 |
02 | ビルマ兩種族の 統合和解に成功 代表者が膝を交へて懇談 |
03 | 圖像:サンクリストバル島南方で我が潛水艦の攻 擊を受け爆雷を投射しつつ防禦に狂奔する アメリカ直衛驅逐艦と沈み行くサンフラン シスコ型(左端)松添畫伯筆(海軍省許可濟第一〇一號) |
04 | 太平洋の反攻作戰 ル、チ會談で檢討か |
05 | 抗戰重慶の動脈 西北公路を發く/堤紫海 |
06 | 圖像:ウイチツト泰國外相記者團 と會見(帝國ホテル) |
07 | 英本土を猛爆 |
08 | 山西省の綜合戰果(七月) |
09 | ヴエネチア宮 博物館に生變る |
10 | 空の制壓/室伏高信 |
11 | 米英會談の狙ひ所 |
12 | 反樞軍オ岬への 上陸企圖を擊碎 |
13 | 夏季攻勢の關ケ原 ハリコフの攻防戰 |
14 | 大規模な立體戰 |
15 | ル、チ會談開始か |
16 | 東部戰線戰況 |
17 | 反樞軸陣營の 現實暴露 ス議長の不參加 |
18 | 電力消費規正要綱 |
19 | スターリン 米、英大使と會見 |
20 | シチリア島戰況 |
21 | ウクライナ 奪回に躍起 |
22 | 赤軍十萬を喪ふ ラドガ湖地區で |
23 | 總統大本營の戰況發表 |
24 | 伊軍戰況公表 |
25 | 東京都議員の選擧 翼贊會の方針 |
序號 | 標題 |
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01 | 遺烈を永へに顯彰 臺北市忠靈塔建設 けふ初の委員會開催 |
02 | 大安十二甲に建立 |
03 | 全市民が淨汗奉仕 十六日嚴かに起工式 |
04 | 決戰洋上を征く(一) |
05 | 勤勞奉仕作業 區長會議開催 |
06 | 須田殖產局長 大溪中壢兩郡下へ |
07 | 長谷川總督南下 大安溪水害視察へ |
08 | 日南へ向ふ 堤防決潰現場を視察 |
09 | 日本小兒科學 會臺灣地方會 |
10 | 奉壯團の新構想 現幹部と舊幹部が懇談 |
11 | 乘合バスの塗飾 藤鼠、藍鼠、國防の三色に限定 |
12 | 在臺內地人の戶籍 屆出上の注意いろいろ |
13 | 交通整理に一役 中等學生、盛夏に鍛ふ |
14 | コレラ防遏に 港都が大童 |
15 | カフエ富士の美擧 |
16 | 海南島の更生發展に 本島の協力に俟つ 寄臺した笠原總領事語る |
17 | 若人の總力凝集 新竹州で青年團振興懇談會 |
18 | 該當者は進んで受けよ 青年の體力檢查につき府衛生當局語る |
19 | 產駒品評會開催 馬匹增強普及に |
20 | 情緒陶冶の昂揚 新臺灣音樂研究會生る |
21 | ジヤワ派遣警察官 けふ各方面に挨拶廻り報社消息 |
22 | 組立家屋が出現 獨空襲下の建築對策 |
23 | 北署管內防空群 真田署長が查閱 |
24 | 土曜音樂會 |
25 | “日本必ず勝つ” 池崎代議士臺中で大熱辯 |
26 | 石梯嶺內双溪へ |
27 | 德高嶺へ |
28 | 興南詩苑漢詩 白雲莊雜詠(二)/小維摩、題友人新居/南窓、夜歸故鄉喜作/南窓、雨後無聊接昌弘兒高又合格詩以示之/國江泉源 |
29 | 人事‧消息 |
30 | 今晚の放送 |
31 | 商況(十三日前場) |
32 | 興南案內報社消息 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 在支米空軍釜中の魚 各地の敵剿滅戰熾烈 週間戰況頭條新聞 【南京十三日發同盟】支那派遣軍週間戰況「八月十三日發表」我が軍の各地に亘る敵剿滅戰は熾烈を加へつゝある、即ち魯西地區潜入を密かに企圖した于學忠麾下の第百十一、第百十四の兩師に對し其の機先を制して先月二十七日一齊に攻擊を開始した我が軍は既に三十日迄に敵第百十一師團長劉韓公大佐を始め捕擄敵屍實に一千餘の赫々たる戰果を収め引續き微山湖附近に殘敵掃蕩中である又蒙彊、河北、熱河省境一帶に蟠踞蠢動しつゝあつた平西軍區殘存遊擊部隊に對し十日突如行動を起し一日既に敵の退路を完全に遮斷刻々包圍鐵環を壓縮敵の赤化工作據點再建の企圖を粉砕すると共にその徹底殲滅を期してゐる、在支米空軍は今次我が先制作戰に依り致命的打擊を受けその創痍の回復に汲々としつゝ尚も執拗に反攻の持續を企画してゐる模樣であるが我が航空部隊鐵壁の布陣の前には恰も釜中の魚たるに過ぎないであらう |
02 | 緊急財政措置爼上へ 第二回協議會會長會議十七日開催す |
03 | 圖像:在支米空軍擊滅へ、わが陸鷲の奮鬪出發を前に 作戰を練る勇士達〇〇基地にて井上特派員撮影、海軍報道部檢閱濟、陸軍省檢閱濟 |
04 | 獨立比島の建設へ 米兵マニラ入城の屈辱記念日 齋藤軍報道部長講演 |
05 | 定例閣議 |
06 | 敵船六隻を擊沈 獨潛艦大西洋、地中海で |
07 | シ島北岸の 上陸作戰失敗 樞軸軍の反擊で |
08 | マライ經濟第二の 躍進段階に突入 |
09 | 夏季戰熾烈さ增す 東部戰線獨軍當局言明 |
10 | 英本土空襲 |
11 | ソ聯戰車三百八十臺を擊破 |
12 | 赤軍機九十一擊墜 |
13 | 大阪警備府 參謀長 山口大佐補さる |
14 | 廣島、熊本商空經濟會會頭 |
15 | 特命行政考查制を新設 先づ九州地方官廳に實施 |
16 | 事變から共榮へ/戸澤鐵彦 |
17 | ビルマの作戰困難 米週刊誌記者の論文 |
18 | 敵米機の新標識 翼の星章の色彩變る |
19 | 比島憲法起草 委員會を招集 ラウレル委員長 |
20 | 米英會談にソ聯代表不參加 タス通信社報道 |
21 | 殘つた中立國 |
22 | チヤーチル 莫斯科、重慶訪問か |
23 | 佛印の政治中心 南部佛印に移行 芳澤大使西貢に本據を置く |
24 | 內鮮滿華國民運動 諸團體懇談會を開催 |
25 | 米空軍ボン市 盲爆 |
26 | ベルリン空襲 損害極めて輕微 |
27 | 反樞軸空軍又 ローマを盲爆 |
28 | 駐ソ外交團モスクワへ 先發隊一行到着 |
29 | 各新聞社特派員も モスクワへ |
30 | 薪炭の增產に 學徒勤勞動員 文部省より通牒 |
31 | 米國の人的資源不足激化 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 打算的結婚の ル、チ米英會談 對ソ關係に苦慮社說 一 チャーチルは戰時運輸相、參謀總長等を帶同して十日カナダのケベックに到着したが、カナダ政廳の發表によれば彼は直ちにキング首相と會見し、英、加兩國間の會談を開始したが、次いでにルーズヴェルトの會談並にワシントンに於ける米英兩國統合參謀本部との作戰會談に出席する豫定とのことである。會談の眼目は歐洲攻勢計畫を促進し、近く獨軍に決戰を挑む作戰を練るにあることが豫想されるが、これにはソ聯との關係調整が必要で、スターリン議長の出席が最も望ましかったであらう。また今次會談を計畫するに當って米英兩國政府が、ソヴェト政府に猛烈に働きかけたことは間違ひない事實で、チャーチルのケベック到着報道發表直前、ロイター電報の如きは「今度の會談は作戰問題よりも政治上の諸問題が一層重視されるだらうから、會談にはスターリン議長が出席するだらう」と報道したのは、この間の消息を物語ってゐる。併しルーズヴェルトが、ホワイトハウスに於ける定例會見で言明した通り、スターリン議長は會談に出席しない。今度の會談は特にソ聯との政治關係、作戰協定が主要議題であるべきだけに、ス議長の不出席によって會談が骨拔きになり、米英兩國の言論界が露骨に失望の色を示してゐる 二 同床異夢の寄合世帶の反樞軸陣營は、常に相互の關係調整問題に苦慮を續けてゐるが、殊にプラウダ紙が即時第二戰線の結成を要求した結果、反樞軸陣營は特にソ聯との關係に於いて、作戰上政治上極めて重大なる決定を下す必要に當面するに至った。米英兩國の新聞界は一齊に「ソ聯との完全且つ隔意なき意見の交換」の必要を力說し、ヘラルド紙の如きは特に政治問題について、米英とソ聯との間に協力が出來てゐない事を非難し「ソ聯との間に完全な了解を實現する事が出來なければ、將來に禍根を蒔き、本當の戰爭が反樞軸陣營內に勃發するであらう」と論じてゐる程である。既にカサブランカ會談に於いても、更に前回のワシントン會談に於いてもまた、今回の會談に際しても米英躍起の抱込み工作に拘はらず、現實主義者のス議長は容易に御輿を上げず、米英の失望蓋し至大であったらう。スターリン議長不參加の理由の一つとして消息筋では「米英兩國代表は今度の會談で必ず反攻作戰を論議するだらうが、ソ聯は太平洋作戰には飽くまで超然たる態度を堅持してゐる」事情を擧げてゐる。要するにス議長は會談に參加せず、米英兩國にソ聯との「打算的結婚」が依然として水臭い間柄であることは蔽ひ難い事實である 三 ル、チ會談の脆弱性は上述の如くであるが會談の中心題目として我等の特に注目すべきものに(一)歐洲爆擊の繼續により歐洲戰線に於ける所期の目的を收め得るや否やの檢討(一)對日反擊の強化策の二つがある。米英は歐洲爆擊を以て第三戰線の結成なりと豪語し、政戰兩略遂行の手段として暴虐、殘忍な無差別爆擊を強行し、飛行機並に乘員の莫大な損害にもめげずその攻擊圈を擴大しつつ盲爆の手を加重し、第三戰線の展開に依る歐洲制覇の一大野心を實施しつつある。米英會談に於いて歐洲爆擊問題が檢討されるであらうが、樞軸國民は既に爆撃に對する反撥決意牢固にして萬全の措置が出來てゐる筈である。敵米英は同じ筆法を以て我が本土爆擊を狙ふであらう。在支米空軍の蠢動、南方の島嶼基地の作戰、北方基地の建設等の事實はこの魂膽を明白に示唆してゐる。國土防衞は固より我が陸海軍の精銳によって完璧陣が布かれてゐるが、我等國民としては、民防空の措置につき間然する所のない「待つある」の體制を確立せねばならぬ。米英會談の脆弱性を暴露すると共に敵の盲爆を反撥し、民眾に對する敵の第三戰線の展開を木葉微塵に粉碎するのみである。 |
02 | 增產へ必死の敢鬪 長谷川總督の視察を迎へて 罹災民復興建設に驀ら |
03 | 皇恩に感奮せよ 日南で罹災民を激勵 |
04 | 木造船造船所一日入所記 進水船へ“賴む”の合掌 造船戰士に報ひあれ |
05 | 北滿の畜產眼覺まし |
06 | 燃ゆる復興の意氣 視察の長谷川總督感銘 |
07 | 青年の活躍ぶり 森田知事から報告 |
08 | 警察道は世界一 今に日本の偉大さが判つた ジヤワ警察留學生語る |
09 | 鐵道復舊工事 を具さに視察 |
10 | 臺北南華僑公會總會 |
11 | 上衣なし申合 花蓮港奉壯團で |
12 | 繃帶法はもう一人前 學校養護婦の看護講習會 |
13 | 皇國醫魂の發揚へ 臺南州皮切りに全島齒科醫講習會 |
14 | 青年學校長 鍊成會延期 |
15 | 新竹市學校防空 研究會開く |
16 | 陸上戰技鍊成大會豫選會 十五日に開く |
17 | 敵國在留同胞への 通信締切二十五日迄延期 |
18 | 常會運營實地研究會 |
19 | 大橋齒科醫師會長南下 |
20 | 市民練步大會 愈よあす決行 |
21 | 戸稅早期完納 |
22 | 青物出荷打合 |
23 | 新竹市のコレラ豫防 |
24 | 藝文研究生 募集締切迫る報社消息 |
25 | 空襲時の幼兒 精神安定對策 |
26 | 羅東水利組評議員會 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 國語常用の推進 臺南市十七日から開始 |
02 | 非常事態に備へ 男女青年團員の動員訓練 |
03 | ラジオ體操隨感(四)/小林準一 |
04 | 奉壯團指導者鍊成 |
05 | 敵機模型防空展 けふから臺南で開く |
06 | 植付ける女農魂 農業勤勞報國挺身隊強化に |
07 | 玉碎勇士へ弔慰金 |
08 | 日婦新富班の 國防訓練查閱 |
09 | 石原教官以下 職員廿名着任 訓練所開設準備に |
10 | 活躍振りに淚あり 增產助役慰問から歸へりて島澤產業部長談 |
11 | 目標額を突破 嘉義十組合の貯蓄運動 |
12 | 明知市長が增產に垂範 宜蘭中生徒藷作りに敢鬪 |
13 | 道路復舊工事に 保甲民汗の出役奉仕 |
14 | 鍜へるヨイ子供 里港庄道場でエー‧オー |
15 | 學校職員の陸 上戰技鍊成會 |
16 | 一千圓を献金 ヨイ子供の廢品回 收小遣錢節約で |
17 | 斗六青果物共同配給所 |
18 | 豫防委員を設置 高雄のコレラ防遏 |
19 | 交通制限の區域一部を擴張 |
20 | 指導第一線へ 屏東青少年團指導者 鍊成講習會終る |
21 | 災害義捐金第六回領收報告報社消息 |
22 | 新患を見ず 屏東のコレラ |
23 | 外來者の澎湖 渡航者を禁止 |
24 | 日婦查閱 |
25 | みんな笑顏で供出 羅東郡で懇談會を開く |
26 | 遮斷區民に 溫い思ひやり |
27 | 豫防注射を實施 |
28 | 斗六郡下の豫防陣 |
29 | 通霄苗中生徒 勤勞奉仕作業 |
30 | 臺南州國民 學校長異動 |
31 | 時局活動紙芝居と 新輕音樂發表會 |
32 | 地方多より |
33 | 今日の映画演劇 |
34 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 官有地を利用して 食糧增產へ開放せん |
02 | 木造船の戰時型 資材節約で三種類に限定 |
03 | 荷役賃等を協定 基隆地區運送業會で |
04 | 自作農創定の方策 產組の更生貯金制を採用 |
05 | 洋傘の島內供給 本年度內に十二萬本 |
06 | 災害地の植付に 警防、青年團員汗の敢鬪 |
07 | 推肥を作らう 臺東廳で獎勵に懸命 |
08 | ラムネ組合 聯合會設立 |
09 | 嘉南大圳も近く 水利組合に組織變更 |
10 | 佐治專賣局長 金瓜石視察 |
11 | 楠梓仙溪の防 砂堰堤を築造 |
12 | 船舶食糧品の確保 官廳と業者側懇談 |
13 | 最近の經濟展望 |
14 | 木炭の出荷增強 近く增強週間實施せん |
15 | 照明燈 |
16 | 小型鋼船の統制(下) 造船協議會の改組と目的 |
17 | 經濟手帖 |
18 | 商況(十三日後場) |
19 | ラジオ |
20 | 水滸傳(1035)/黃得時;碇政彌 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 矢繼早の掃蕩剔抉 游擊隊の本據碾子溝を急襲 共產軍山險の洞窟內に逃竄 |
02 | イラワヂ河を護る 海の勇士の挺身活躍 |
03 | 圖像:チヤンドラ、ボース氏熱辯を揮ふ |
04 | 來襲敵機八機の中 五機は北海の藻屑 十二日の北千島來襲その後判明 |
05 | 獨空軍活躍 |
06 | 北支蔣系軍の崩壞 |
07 | 足踏狀態續く ブリヤンスクの赤軍 |
08 | 印度の征く所/匝瑳胤次 |
09 | 赤軍、損害に焦慮 ハリコフ攻防戰頂點 |
10 | 米英軍の損害甚大 シチリア島の戰況 |
11 | ランダツツオ攻防戰 |
12 | 赤軍攻勢開始 レニングラード地區で |
13 | 伊軍公表戰況 |
14 | 米爆擊機ガスタンクに衝突 |
15 | 暴虐、婦女子掃射 米機ローマ盲爆の暴狀 |
16 | 駐加ソ聯公使 駐英大使へ |
17 | 歷史的建築物破壞 英空軍のミラノ盲爆 |
18 | マライ、スマトラ 視察團一行來朝 |
19 | 重慶の農產新製品 珍案迷發明さまざま |
20 | 臺東廳體育擔當者鍊成會 |
21 | 邦人被害なし |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 諸君の任務は大きい 立派な工員になつて働け 長谷川總督少年工を激勵 |
02 | 圖像:長谷川總督水害地視察 |
03 | 海運戰爭の現段階 敵の樂觀宣傳を暴く/小林高記 |
04 | 高等農林を視察 長谷川總督、日程終へて歸北 |
05 | 軍官民と午餐 |
06 | 基隆桔俱の 藷作り鍊成 |
07 | 奉壯團の飛躍的推進 總務、企畫實踐、情報部を設け いよいよ強力に運動展開 |
08 | 汐止街警察慰靈祭 |
09 | 陸上戰技鍊成大會豫選會 十五日に開く |
10 | 配給の膝詰懇談 基隆市關係者を網羅して開く |
11 | 日本精神滲透 米國思想を締め出した 新生比島のけふこの頃 |
12 | 基隆市物故 職員慰靈祭 |
13 | 模範防空群の查閱 臺北市十六日から實施 |
14 | 決戰洋上を征く(三) |
15 | 興南詩苑漢詩 立秋後頓涼蕭颯之之感襲人廢卷出行江郊忘暮/文訪、讀史雜詩六首(續)/莊幼岳 |
16 | 曾文郡下女子 青年團鍊成會 |
17 | 水災救助表彰金 を海軍恤兵金へ |
18 | 愛國吟詠大會 |
19 | 人事‧消息 |
20 | 今晚の放送 |
21 | 商況(十四日前場) |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵機卅四機擊墜 ブーゲンビル島で來襲敵機と交戰頭條新聞 【東京同盟至急報】大本營發表(八月十四日十五時)帝國海軍航空部隊は八月十二日ブーゲンビル島ブインに來襲せる敵機五十五機と交戰しその三十四機を撃墜せり、右空戰におけるわが方の損害未歸還一機の外地上において若干の損害あり |
02 | 彼我攻防の激鬪 慘烈の一途を辿る |
03 | 圖像:ビルマ訪問のチヤンドラ‧ボース氏、バー‧ モウ首相と會見 |
04 | 米誌報道 米軍絕望的の苦戰 南太平洋上のニ島で |
05 | 共產軍四千潰走 我〇〇部隊が猛襲 |
06 | コマンド部隊の正體 我が八幡船を真似た奇襲部隊 |
07 | 支那航空戰線の現實を凝視 不斷の備へが必要 |
08 | 興亞總本部 參與を設置 |
09 | ゲツベルス獨宣傳相強調 終局の勝利を確信 恐怖爆擊に斷乎報復 |
10 | ビルマ獨立を祝福 米洲唯一の中立國アルゼンチンが |
11 | 日本證券定例 支所長會議 |
12 | 割り切れない 米英ソの關係 |
13 | タスの聲明 米紙大反響 |
14 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 東亞民族大 同團結の秋社說 一 歐洲戰爭を含む大東亞戰爭の現段階は益益激烈深刻な樣相を極めてゐるが、帝國としては既に東亞共榮圈內に於ける南方地域の大部分を席捲し、今や絕對不敗の戰略的地位を確保する事となった。然し敗戰に敗戰を重ねる米英陣營は未だ東亞制覇の夢が醒めずしてその尨大な生產力を恃んで執拗な反攻に狂奔し刻刻所謂決戰階段に入ったのである。此の間帝國は此の大東亞戰爭の意義を顯現するために既に中華民國の獨立を完成せしめ、引續いてビルマ及びフィリッピンの獨立を援助しつつあるは一に帝國の道義的精神の發揚に依るものといはなければならない。かくしてこの大東亞戰爭は最近國民政府及びビルマの參戰を始めチャンドラ・ボース氏の印度獨立運動に拍車を掛けられて其の性格が米英の搾取支配に對する東亞民族の共同防衞の一大轉回を來したのである。 二 蓋し米英陣營の東亞制覇は既に三百年來の歷史を有し、長い間東亞民族に對する壓制は各民族の等しく體驗し來れるところである。從って真に東亞民族の自主解放を圖るのは此の大東亞戰爭を措いて絕好の機會が與へられてゐないのである。孫文氏が半生心血を濺いで叫ばれた支那に對する不平等條約の撤廢も帝國の實力なくては到底達し得られざるは支那の民眾るよく之を知ってゐる筈である。唯惜むべくは重慶側が未だ抗戰の惡夢から醒めずして徒らに米英の頤使に甘んずるは此の世界史的大轉換期の潮流と現實を認識せざるドンキホーテである然し最近石原莞爾氏の主宰せる東亞建設聯盟の建設要綱(昭和十八年版)に於て「然しながら此處に銘記すべきは日華相爭ふ限り東亞の天地より完全に米英の勢力を驅逐する事は至難なる事である逆に日滿華の固き結合成立したならば米英は固より世界を相手として戰ふも恐れる所はない。吾吾は米英擊碎先決戰の意義を十分認めつつも、現階段に於て太平洋中心とする我が武力の敵戰力に對する限界を考ふる時支那事變の一日も速かなる終結こそ我が國防力の飛躍的增強を意味するものであり、事變處理は勝利の源泉として今次戰爭遂行過程に於ける依然たる最高課題の一なる事を思はざるを得ないと率直に喝破したるは吟味を要すべき點がないではない。」 三 上述の如く東亞復興の曙光が着着望見されつつある今日に於て重慶側が依然誤れる行動を持續するは東亞に對する憎むべく反逆行為であるから、此の際重慶側も翻然大東亞戰爭の真意に徹し一日も早く東亞民族の共同意識に目醒めて其の過ちを悔悟すべきである。かくの如く大東亞戰爭は決して帝國のための戰爭でなく東亞復興の陣痛として東亞十億の民族が悉く大同團體して一層共同防衞の責任を充分に果さなければならない。帝國としては今後益益東亞諸民族との團結を固めるためあらゆる施策を斷行し以て物心とも八紘一宇の天職を發揮せられつつ此の大戰爭の必勝に總進軍すべきである。 |
02 | 割當數量以外は 自由處分を許す 芋類統制規則を緩和 |
03 | 價格も近く改訂 |
04 | 滿洲開拓農地の 配分面積を決定 |
05 | 圖像:中部地方視察の長谷川總督 |
06 | 滿洲建國の礎石 忠靈廟の合祀祭へ遺兒部隊を派遣 |
07 | 尊い體驗を發表 交通整理協力の學徒達 |
08 | 宜蘭市籾蒐 荷強調週間 |
09 | “臺灣はよい處” 印南花蓮港兵事部長談 |
10 | セレベスの奇習異俗 豐年祈るビスー踊り/毛利素女 |
11 | 航空事業の擴張 航空法施行規則改正に就て日高航空課長談 |
12 | 母の資格と就業/伊那部敬子 |
13 | 同甘共苦の實踐 在臺華僑風水害義捐金募集 |
14 | 圖像:ビルマの新しい國旗 |
15 | 出版查定を強化 通常割當審議會を設置 |
16 | 新臺灣音樂研究會 きのふ晴れの新發足 |
17 | 體力檢查視察 梁井知事、齋藤 警察部長 |
18 | 臺北南華僑公會總會 |
19 | 馬總領事の 訓示要旨 |
20 | 厚生音樂會 十六日永樂校で公演 |
21 | 遺家族慰問 演藝會 |
22 | 乙種勤務巡查募集 |
23 | 臺北春競馬 第三日目成績 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 諸工業の誘致促進 州工業協議會を設置 |
02 | 甘藷の一大增產へ 農業州臺南の名譽にかけて |
03 | 藷增產に一役 戰ふ高雄州下の學徒 |
04 | 皇國農民道を愈實地に 農村女青指導者鍊成會終る |
05 | 桔梗俱樂部員 鍊成會修了式 |
06 | 市場納稅組合員の協力奏効 |
07 | 農村生活に活 時局講演と畫劇實演好成績 |
08 | 皇奉嘉義市支會の機構強化 新設部部長等決る |
09 | 見事、この運營振り 參與、奉公委員が實地に見た 高雄州支部優良四十九奉公班 |
10 | 女子青年の生活改善座談會 けふ臺南市で |
11 | 臺南州警察部定期召集 |
12 | 本格的講習へ 嘉義保甲婦女團の副業獎勵 |
13 | 玉碎將兵に香華料 |
14 | 貯蓄決戰に完勝 北斗郡產組人の奮鬪酬ひられ |
15 | 警防團員相撲鍊成大會 |
16 | 日婦歸仁庄分會 の國訓豫備訓練 |
17 | 燃ゆる愛國心 物淒い高雄州の國民貯蓄 目標額を遙かに突破 |
18 | 日標額達成に 近い好成績 龍崎庄の決戰貯蓄 |
19 | 働く農村婦女子を鍛ふ 近く屏東市圖南莊で座談會 |
20 | 增產指導陣 の強化成る |
21 | 田植に日婦會員汗の敢鬪 |
22 | 皆勤者を表彰 蘭陽バス缺 勤防止運動 |
23 | 赤誠の献金品 |
24 | ゴルフ場を開墾 遊休土地を總動員 |
25 | 財產分配で口論 實兄と兄嫁殺害 |
26 | 彰化市、郡鄉軍の簡閱點呼 |
27 | コレラ防遏に協力 高雄の露店自發的に休業 |
28 | 陰性と判明 一同愁眉を開く |
29 | 交通遮斷區域への出入心得 當局で嚴守要望 |
30 | 大同鐵工所技術養成所合格者 |
31 | 地方多より |
32 | 今日の映画演劇 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 疊材料の蒐荷配給 督府の統制要綱決定 |
02 | 本島煙草の南方進出 現狀維持の方針 |
03 | 機動的勞務配置と 國家的產業豫備隊 |
04 | 酸素の飛躍的增產 官民の具體策決定 |
05 | 預金の公的性格反映 銀行の預金種目激增 |
06 | 最近の經濟問題 |
07 | 須田殖產局長 臺北州下を視察 |
08 | 十九廿年期蔗作の植付 八月上旬で約三割濟 |
09 | 廢品買收價格引上 更生物資會社の利潤縮少 |
10 | 企業整備資金 委員會を設置 |
11 | 新煙草“黑潮” 專賣局で近く製造 |
12 | 經濟手帖 |
13 | 照明燈 |
14 | 島內株仲值表 |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(1035)/黃得時;碇政彌 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 敵船三隻を擊沈 敵飛行場を炎上、敵六機擊墜 ルンガ、レンドバの敵機掃蕩 海鷲奮戰頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(八月十五日十五時) 帝國海軍航空部隊は八月十三日ルンガ方面攻擊及びレンドパ方面敵機掃蕩を實施し左の戰果を得たり 一、ルンガ方面攻擊攻擊機隊は夜闇に乘じ所在の敵輸送船團を襲ひ大型輸送船三隻を撃沈すると共に一部を以つて飛行場を襲ひ其の一ケ所を爆砕一ケ所を炎上せしむ 二、レンドバ方面敵機掃蕩戰闘機隊はムンダ上空に於いて敵戰闘機十機を捕捉し其の六機を撃墜せり右作戰に於ける我が方の損害未歸還一機 |
02 | 敵補給線に大鐵槌 ソロモン方面海鷲縱橫無盡の活躍 |
03 | 補給戰絕對必勝へ 一億蹶起、戰力を增強 大東亞戰爭と海軍栗原課長初の公開演說 |
04 | スペイン沖で 一大海空戰展開 |
05 | 大島駐獨大使 戰爭完遂強調 |
06 | 赤軍の進出を阻止 獨、ソ必死の大攻防戰 |
07 | タイ國閣議 |
08 | 日滿華興亞大會準備整ふ |
09 | 反英抗爭記念大會 昭南インド獨立聯盟決意新た |
10 | 赤軍戰車喪失 九千臺を突破 六週間の戰鬪で |
11 | 敵攻擊企圖を粉碎 シチリア島の戰況 |
12 | 新興國ビルマを祝福 インド獨立に關し決議 |
13 | 英、保有船舶の 四分ノ三喪失 |
14 | ローマを非武裝都市に カトリック教の中心地 |
15 | 各國に通告 |
16 | ローマ盲爆の繼續 敵側、決意を仄めかす |
17 | 軍事機關なし 獨當局の言明 |
18 | ル、チ會談公表 會談場所は嚴秘 |
19 | 例の手前味噌 對樞軸潛水艦 でル、チ共同聲明 |
20 | 伊文化宣傳相更迭 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | これも作戰の一つ 硝煙の間に食料を自ら作る 朔北の我が自活部隊 |
02 | 進んで實踐しよう 新竹州の決戰生活要綱 |
03 | 南海に鬪ふ輸送戰士の座談會 船乘はやめられぬ 米應潰滅迄は斷じて |
04 | 吉野庄忠靈塔招魂祭 |
05 | 日本の姿に憧れて マライ、スマトラ視察團入京 |
06 | 米英擊滅に銃劍道具の增產 |
07 | 工業州の實現へ 江藤新竹州知事の着任第一聲 |
08 | 民意を尊重して 增產に邁進せよ 州職員に初訓示 |
09 | 花蓮港鄉軍銃劍術大會 |
10 | 鄉軍東部聯合會 分會武道大會 |
11 | 步いた步いた老も若きも 市民總親合の鍊步大會 |
12 | 出征中に博士 平山軍醫の研究成る |
13 | 印南花蓮港兵 事部長着任 |
14 | 新竹州事務監查 二十五日市を皮切りに實施 |
15 | 增產へ決戰布陣 賴母し農村協力美談 |
16 | 草刈り奉仕作業 鳥海花蓮港市長を先頭に |
17 | 羅東郡世話役鍊成 |
18 | 中平食糧局長 花蓮港視察 |
19 | 塵芥を堆肥 に活用 |
20 | 人事‧消息 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 鐵の團結誓ふ若人 青年團晴れの結成式 |
02 | 硬貨回收好成績 賴母しい屏東市民の供出熱 |
03 | 臺東街の國民體力檢查 廿日より實施 |
04 | 增產推進行脚 山岸廳長以下幹部出動して |
05 | 笹の實も葉も食糧 飛彈高原に學徒熱鬪譜 |
06 | 山內警務部長 十七日に高雄へ |
07 | 兄弟三人とも甲種合格 海志州銓衡試驗に見事轡並べて |
08 | 臺東廳青少年團振興懇談會 十三日公會堂で |
09 | 遙かに目標額突破 貯蓄に示す鬪ふ港都市民の赤誠 |
10 | 產組人等必死の努力 彰化市の決戰貯蓄好成績 |
11 | 奉壯團鍊成會延期 |
12 | 鬪ふ商業人の會 廿日州下一齊に開く |
13 | 臺中市鄉軍簡 閱點呼好成績 |
14 | 敵機模型防空展盛況 これが憎い敵機だ 護らう‧我らの大空を |
15 | 鄉軍會員献金 |
16 | 勇士達大滿悅 慰安映畫と舞踊會感況 |
17 | 女子勸農講習 並鍊成會終る |
18 | 米增產の推進へ 實行委員委囑辭令交付式 |
19 | 五島校長陣頭に立ち 宜蘭中生徒除草に熱汗奉仕 |
20 | 彰化臺電支店缺勤 防止運動行事日割 |
21 | 斗六街管內の 體力檢查日割 |
22 | 若櫻の入所を送る 同期生達の壯行會 |
23 | “物を言ふ多年の經驗” 雛性別鑑定競技會開かる |
24 | 陸海軍機資金献納 |
25 | 赤誠の献金品 |
26 | 彰化商工庶民信組 信用評定委員會 |
27 | 納期の十日前に 早くも殆ど完納 賴母し斗六街民の赤誠 |
28 | 屏東市の各信組の決戰貯蓄 |
29 | 池崎氏大熱辯 十三日夜彰化で |
30 | 深坑庄部落會長鍊成會 |
31 | 公園の池も增產に一役 屏東市で養魚を計畫 |
32 | 產業奉公團勤勞奉公隊編成 |
33 | 姬アサリの食用“待つた” コレラ菌を持つて步く疑ひ濃厚 |
34 | 防遏臨時常會 全市民一丸となり |
35 | 臺南州產業部異動 |
36 | 教員の待遇改善/伏見猛彌 |
37 | 鐵壁の防遏陣 一齊に豫防注射 |
38 | 地方多より |
39 | 今日の映画演劇 |
40 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 文藝時評 文化戰線の大收穫 「臺灣文學」秋季號を讀んで/吳新榮 |
02 | 編輯者の立場から 全知識人の總意を結集/植田富士太郎 |
03 | 南支畫行/楊佐三郎;郭雪湖 |
04 | 圖像:會話(海南島風物畫展)/今井繁三郎 |
05 | 思ひ出の處女作(一) 茨の道は續く/張文環 |
06 | 食用雜草を語る (下)/篠原柏庭 |
07 | 生活と文化 高い漢籍 |
08 | 作家の反省 濱田隼雄氏に與ふ/辻義雄 |
09 | けふの日に/王昶雄 |
10 | 文化消息報社消息 |
11 | ラジオ |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 畏し重工業に大御心 豐田日鐵社長を召させられ 御進講を聞召さる |
02 | ボース總裁の演說要旨 ニユーデリー總督官邸屋上に 印度國旗を飜へす |
03 | 圖像:南太平洋を制壓する海鷲大編隊寺尾海軍報道班員撮影、 海軍省許可濟第一〇一號 |
04 | 豐田大將謹話 |
05 | 在ビルマ印度人 民眾大會を開催 |
06 | 在比印人鐵の決意 マニラ市の反英抗爭大會盛況 |
07 | 國內展望 引付けて擊ち叩く 南海、わが內線作戰の妙味發揮 |
08 | 國際展望 英米ソ躊躇し合ふ ル、チ米英會談ス議長不參加既に希望薄し |
09 | 米海軍、喪失軍艦を 頰冠り小出し發表 |
10 | 敵船卅二隻擊沈破 獨雷擊隊の大戰果 |
11 | 赤軍に甚大な損害 東部戰線ハ大佐の報道 |
12 | 總統大本營の特別公報 |
13 | ボルネオ島に 小癪‧敵初空襲 七機來襲、直ちに擊退 |
14 | シチリア島戰況 獨軍當局の言明 |
15 | 敵側の發表 |
16 | ローマ非武裝化 イタリア政府言明 |
17 | 非武裝化を米英協議か |
18 | 伊軍戰況公報 |
19 | イーデン英國外相 ル、チ會談參加の說 モスクワを訪問する前に |
20 | 英、重慶新協定を結ぶ |
21 | チヤーチル ル大統領會談 ハイド‧パークで |
22 | チヤーチル ケべツクに歸還 |
23 | 又ミラノ盲爆 古代建築物大損害 |
24 | ラウレル長官 狙擊比人に極刑 |
25 | 大統領強がる |
26 | 內務異動 |
27 | 米、水上勤務に女子徵用 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺北市忠靈塔起工式 けふ大安の淨域で執行 |
02 | 亡き戰友への手向 鄉軍、先陣の赤誠奉仕 |
03 | 印南兵事部長 花蓮港に着任 |
04 | 三浦氏の美擧 |
05 | 國民徵用援護會 愈愈強力に發足す |
06 | 新舊知事 事務引繼 |
07 | 決戰に備へる鍊武 臺灣鄉軍聯合支部武術大會 廿三日臺南で開催 |
08 | 基隆市の青年體力檢查 |
09 | 詩吟劍舞大會 |
10 | 本島婦人を鍊成 城西各國民學校を會場 |
11 | 少年運動視察に ビルマから遙遙來朝 |
12 | 奉壯團役員會 大眾に溶け込み 真摯果敢な進發 |
13 | 忌明献金 |
14 | 暴虐の手は伸びる 米國の對ア經濟攻勢 |
15 | 朗らか豐年踊り 吉野庄男女老若總出で |
16 | 豆腐配給 |
17 | 貯蓄戰に凱歌揚る 基隆市の簡保早くも目標額突破 |
18 | 銃後婦人の模範 廣谷市長から表彰 |
19 | 昔の衣生活 |
20 | 江湖の同情に愬ふ 災害義捐金募集報社消息 |
21 | 獨「電氣砲」の威力 |
22 | コレラ豫防 臺北州萬全の對策 |
23 | 新竹州接客業者 に豫防注射 |
24 | 人事‧消息報社消息 |
25 | 興南詩苑漢詩 酬答林熊祥 三首/吳鳴皐、讀陳逢源著雨窓墨滴/吳鳴皐、戶外夜坐/吳鳴皐、無題/吳鳴皐、早起/吳鳴皐 |
26 | 臺北春競馬 第四日目成績 |
27 | 今晚の放送 |
28 | 商況(十五日前場) |
29 | 興南案內報社消息 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 五提督宮中に參內頭條新聞 【東京發同盟】今般第一線に輝く武勲を樹てゝ歸還した近藤信竹海軍大將、原清、武田盛治兩海軍中將、友成佐市郎、白岩萬隆兩海軍少將の五提督は十六日朝相次いで宮中に參內畏くも 天皇陛下には午前九時三十分表御座所に出御まづ近藤大將は恭々しく御前に參進嶋田海相、永野軍令部總長侍立の上在任中の軍狀を長さに奏上 陛下には親しく御嘉賞の御言葉を賜ひ厚くその勞を犒はせられた續いて原中將も軍狀を奏上終って武田中將、友成、 白石兩少將にも親しく拜謁を仰付けられて天機麗しく入御近藤大將、原中將は更に御內義に參進 皇后陛下に拝謁仰付けられて恐懼御前を退下した一同は引續き南溜ノ間において祝酒を拜受御殊遇の程に感激しつゝ宮中を退下した、尚畏き邊りではこの日御慰勞の思召をもつて近藤大將、原中將に御紋付木杯一組並びに金一封を友成、白石兩少將には御紋付木杯一組を夫々下賜あらせられ |
02 | 北濠の策源地猛爆 多大の戰果を收む |
03 | マラリア防遏に全力注ぐ 南方の衛生戰神林軍醫中將談 |
04 | 行政協議會長會議 けふ首相官邸で開く |
05 | 中央への稟議事項 各協議會長より具申 |
06 | 百十四師の首腦部 全部微山湖畔の露と消ゆ |
07 | 皇軍へ感謝決議 日滿華興亞團體大會 |
08 | 圖像:山なす波浪を衝いて出擊せんとする北洋艦隊鈴木特派員撮影海軍省 許可濟第一〇一號 |
09 | 教育の改善復興 磯谷香港總督強調 |
10 | 都市の非武裝化 條約問題の權威者松平課長談 |
11 | 定期敘勳の 光榮者 |
12 | 佛印在住印度人 獨立運動民眾大會開かる |
13 | 翼壯報道主任會議 |
14 | ローマ中立化 承認に反對 英各紙の論調 |
15 | ハリコフで 大市街戰 |
16 | 英本土を爆擊 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 敵の空襲必至 備へはよいか社說 一 西南太平洋水域に於て連日のやうに悽愴苛烈な決戰が繼續されてゐることは一般周知の通りである殊にソロモン群島に於ける血戰は一大消耗戰であり補給戰であるだけに、文字通り喰ふか喰はれるかといふ深刻苛烈な樣相を示し、大東亞戰爭が緒戰の域から脫して愈愈本格的決戰段階に突入したことを物語ってゐる。栗原大佐の言を借りて云へば、恰かも東西の兩橫綱が土俵上に真向から四つに組んでゐる形、これが太平洋戰局の今日の姿に他ならぬのである。而してこの死闘血戰の樣相を直視するとき、其處に寸時の休みもない航空決戰の連續が大なる特色をなしてゐることが認められよう。大規模の航空血戰の深刻苛烈な實相は殆んど每日の新聞に報道せられて餘すところがなく、その一端を想像するだに慓然たるものがあるが今や積極熾烈化したアメリカの反攻就中その空軍による反擊態勢に對し改めて認識を深めねばならぬ 二 緒戰の慘敗から漸く立直ったアメリカが現下のソロモン群島、ニュウギニヤ方面に、全力を擧げて所謂飛石づたひに有利な戰略態勢を獲得すべく熾烈な反攻を續けてゐることは改めて說明を要しないが、敵の戰法は要するに陸上基地を索め、數を恃む空軍によって隨時大東亞の外周を衝き、大東亞要地の爆擊延いては帝國本土を空襲するにあるは略想像に難くないことである。勿論現在の戰略態勢は我に不敗の態勢が確立して居り、敵の反攻に對しては隨時隨所にこれを邀擊し擊破するだけの鞏固な設備があるが、唯西は印緬國境から南は大東亞海諸島、北はアリユーシャンに至る長大なる大東亞外周に對し、いつ何處を衝いて來るか、大いに警戒を要すると共に、在支米空軍の帝國本土空襲に對する耽耽たる虎視もまた絕對に輕視を許されぬのである、緒戰の慘敗を挽回すべく今や對日總反攻を呼號する敵米英の日本本土空襲はもはや決して一笑に附し得ざるものがあることを改めて覺悟せねばならぬ。 三 現代の戰爭は消耗戰であり從って生產戰であるから敵國の銃後生產機構を破壞し生產活動を阻害し國民の思想を攪亂して以て戰力の低下を圖らんがためには手段を選ばぬのである。敵米英の常套手段は即ち航空機による大規模の奇襲攻擊なのである。これは最近の歐洲戰線に於て米英空軍が獨本土の重要生產地たるハンブルグ、エッセン又は伊太利の首都ローマ其他に對し大規模の空襲を繰り返してゐる一事に徵しても明らかなことである。而して對日總反攻の呼號も先般の本土北千島方面に對する米機來襲によって現實化したものと見なければならず、この點に對する警戒は今後一瞬も怠ってはならなくなった。しかしながら我我は徒らに敵米の大空襲を恐れるのではない。來るを恐れず備へなきを憂ふるだけである。戰力增強は一刻と雖も遲延を許されない。生產活動は一瞬と雖も停止してはならない。だが敵空襲に對して果して充分なる備へありや否や何人も自分の身の廻りを顧みて真劍に考慮せねばならぬ喫緊事である |
02 | 產業人初の御進講 豐田社長聖恩に感泣 |
03 | 郵便局へ長蛇の列 片手に銃、片手に貯金通帳 前線將兵の貯蓄戰 |
04 | 傷痍軍人も起つ 遺家族も戰力增強に一役 十月三日から軍援強化運動 |
05 | 圖像:長蛇の列をなして野戰郵便局へ押しかく貯蓄部隊 |
06 | 譽れの店を守る 健氣な軍國叔母さん |
07 | 險惡な難路を克服 奧日光で輜重演習 |
08 | 注意を要する通信 戰時下の手紙や電報 |
09 | 新竹市民の赤誠 開戰以來献金總額七萬餘圓 |
10 | 衣料統制の課題 今後どうなるか |
11 | 臺灣製材商 奉團結成式 |
12 | 月光踏んで突進 流汗淋漓大自然に挑む |
13 | 決戰下防空の完璧 南北兩署で防空群查閱 |
14 | 祝へ“海の志願兵” 厚生音樂の夕大盛況 |
15 | 執務時間を延長 花蓮港廳午後四時まで |
16 | 印南花蓮港兵事部 長着任の辭 |
17 | 訃文:恒茂真一(曾人潛) |
18 | 訃文:吳採 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 復舊作業頓に進む 州下青年の沒我的挺身振に 罹災民目に感激の淚 |
02 | 決戰に總力を發揮 每月職域常會開催 |
03 | 勳章傳達式 |
04 | 集集街慰靈祭 |
05 | 決戰これで行かう |
06 | 故吉野巡查慰靈祭 |
07 | 增產に挺身垂範 秋山郡守以下幹部が決戰姿で |
08 | 青年學校教育強化 臺南州で指導者講習會 |
09 | 皇奉運動に反省と檢討 州下各支分會職員の鍊成會 |
10 | 戰力の增強に 臺南で產奉幹部鍊成 |
11 | 池崎代議士 臺南市で大熱辯 |
12 | 嘉義市講演會盛況 |
13 | 虎尾街桔俱 十九日に結成式 |
14 | 納稅督勵に 市職員馬力 |
15 | 藷作りにヨイ 子供達が一役 |
16 | 霧峰庄第二部落會婦人常會 |
17 | 龍虎相搏つ熱戰 警防團の劍道、相撲大會 |
18 | 賴母しい通霄 產組決戰貯蓄 |
19 | 街民總タスキで 踊らう!明日も增產だ |
20 | 硬貨献金美談 |
21 | 化粧品代を節約 日婦新市庄分會戰鬪機資金献納 |
22 | 防遏の鐵桶陣 接客業者に豫防注射 |
23 | 魚釣は止めて貰ひたい コレラ防遏に市民の協力要望 |
24 | 豫防上のビラ配布 |
25 | 交通遮斷區域內の納稅延期 |
26 | 防空展延期 |
27 | 新竹州北五郡 鄉軍の鍊成會 |
28 | 北港郡音樂奉 公團結成式 |
29 | 賞金を献金 |
30 | 皇民塾講師鍊成會 |
31 | 嘉義醬油工業 臨時總會 |
32 | 何藏枝氏真心の義捐金 |
33 | 放送塔 |
34 | 故恒茂氏告別式 |
35 | 吳射言氏嚴父逝去 |
36 | 人事 |
37 | 地方多より報社消息 |
38 | 今日の映画演劇 |
39 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 內地芭蕉の價格引下 督府、農林省と折衝中 |
02 | 曙の新意匠決定 |
03 | 經濟手帖 |
04 | 南方地域の輕工業 着着設備增強に努力 |
05 | 產聯梅原 理事退任 |
06 | 臺銀異動 |
07 | 海上輸送力の增強 機帆船統制の刷新強化 |
08 | 照明燈 |
09 | 商況(十六日後場) |
10 | ラジオ |
11 | 水滸傳(1037)/黃得時;碇政彌 |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 四十四機血祭り フアブバ飛行場を攻擊 |
02 | 荒鷲ワウを連續爆擊 |
03 | 獨ソ攻防戰の重點 ブリヤンスクに移る |
04 | 赤軍の損害莫大 次の作戰遂行に影響 |
05 | 大東亞展望 デリー進擊への 新なる實踐局面 各地在留のインド人奮起 |
06 | 圖像:夕燒に晒する南太平洋〇〇基地にて愛機を點檢する整備員 三枝海軍報道班員撮影(海軍省許可濟第一〇一號) |
07 | 最近の中國民族資本の動向(上) |
08 | 四萬三千餘機を擊墜 東部戰線獨軍開戰以來の戰果 |
09 | 東部戰線で 獨空軍活動 |
10 | 物價が殺人的昂騰 長期戰に惱む重慶の窮狀 |
11 | 鉛管、鉛板整備要綱 |
12 | 減摩合金業の整備 |
13 | 佐藤大使等 モスクワ着 |
14 | 一進一退の戰鬪 シ島戰局決定的段階に達せん |
15 | 興亞團體會合 第二日 |
16 | タオルミナに 英軍が進出 |
17 | ローマ市外に 軍關係を移轉 |
18 | シチリア島戰況 |
19 | 伊軍戰況公表 |
20 | 霧煙放射器 獨軍の新兵器 |
21 | ローマ市長に 見舞金贈呈 |
22 | ミラノ市被害甚大 |
23 | ポーツマスを爆擊 |
24 | ポ軍港各所に火災 |
25 | 大破輸送船 ジ港ヘ入港 |
26 | 獨機護送船團を攻擊 |
27 | 英七月中損失機數 |
28 | 米英作戰會議 |
29 | ハル、イーデン モスクワ訪問か |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 儼たり‧南方鎮護 軍司令部創立廿五年 |
02 | 安藤軍司令官以下 忠靈塔に奉仕作業 司令部創立記念日に |
03 | 增產に篤農家起用 基隆市で十氏を委員に依囑 |
04 | 夏休みを返上 花中盛夏に鍜ふ |
05 | 新竹州下視學 打合會 |
06 | 文學者大會 臺灣代表入京 |
07 | 國民學校の先生 整備學校に三日入隊 |
08 | 大艦巨砲主義から 空軍機動力中心へ 敗戰米の戰略轉換 |
09 | ドイツの女醫增加 |
10 | 勞務指導者鍊成 十八日から金山で開く |
11 | 新生ビルマの產業 |
12 | 花蓮港コレラ 防遏に萬全 |
13 | 鐵窓から增產戰線 鶴嘴戰士として金瓜石で敢鬪 あす結團式擧行 |
14 | 體位著しく向上 村上行刑課長巡閱談 |
15 | 千古の處女林拓く 鹿場大山へ近く斧鉞 |
16 | 臺北州注文服商組合 |
17 | ネグロ黑人傳 道教會會長に |
18 | 濠洲の闇取引 さまざま |
19 | 椰子油、パーム油 榮養價バーターに匹敵 |
20 | 決戰商業人の氣魄 二十日午前九時を期して 一齊に商奉會大會 |
21 | 水害義捐金募集 臺中で音樂と舞踊の會 |
22 | 舊ユーゴ攝政パウル重態 |
23 | 興南詩苑漢詩 七夕豪雨二首/嘉義 聯滄、送友出征二首/嘉義 聯滄、輓林清文同庚三首/千葉萼生、譯俳句二首/林不二郎 |
24 | 新竹市で畫劇講習會 |
25 | 人事‧消息 |
26 | “お臺所”即“戰場” 必勝生活へ指導員派遣 |
27 | 「アメリカ戰爭經濟批判」刊行 |
28 | 今晚の放送 |
29 | 商況(十七日前場) |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵輸送船團を猛擊 海鷲、ベ島方面を強襲 反復攻擊大戰果擧ぐ頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(十七日十六時四十五分) 帝國海軍航空部隊は八月十三日以來ガダルカナル島方面より西進せる敵輸送船團及護衛艦艇の行動に關し警戒中の後十四日夜來ベララベラ島方面に進出の兆見えたるを以て十五日早朝よりこれに對し反復攻撃を實施し左の戰果を得たり 一、第一次攻撃機隊はベララベラ島南岸附近に於て敵戰闘機約五十機に護られつゝ接岸中の敵輸送船團に對し攻擊を敢行し大型輸送船一隻を轟沈、大中型輸送船三隻を炎上戰闘機十三機を擊墜せり 二、第二次攻撃機隊は右輸送船團を再度攻擊し敵戰闘機の抵抗を排除しつつ大型輸送船二隻、上陸用舟艇一隻を擊沈、大型輸送船一隻、大型驅逐艦一隻、海上トラック一隻に夫々至近彈、上陸用舟艇約十隻に銃擊を加へ敵戰闘機十一機を撃墜せり 三、第三次攻撃機隊は敵戰闘機、交戰しつゝ、揚陸點附近を攻擊し巡洋艦一隻に至近彈一發、陸上二箇所を炎上、敵戰闘機四機を撃墜せり 四、第四次攻擊隊はシンボ島南方十浬及ビロア南東十五浬の海面に於て敵輸送船團を攻擊し大型驅逐艦一隻を撃沈、驅逐艦一隻を擊破せり 五、敵の後續輸送船團の攻撃に向へる別動攻撃機隊は八月十五日夜半ガッカイ島東方十浬の海上に於て敵輸送船團を發見雷撃により大型巡洋艦一隻を轟沈大型輸送船一隻、輕巡洋艦又は大型驅逐艦一隻を撃沈せる外巡洋艦、驅逐艦各一隻に夫々魚雷一本を命中せしめたり 六、右各攻撃に於る我が方の損害、自爆未歸還を合せ十七機 |
02 | 定例閣議 |
03 | 田代中佐講演 敵艦船五八隻屠る 敵機擊墜破八五三機に上る ニ島を繞る一ケ月半の戰況 |
04 | 敵べ島進出に鐵槌 第二次反攻出鼻挫く |
05 | 赤軍戰車百九十三臺擊破 |
06 | キリウイナ島爆擊 |
07 | 閣議決定 食糧自給力增強へ 第二次增產對策要綱 |
08 | 敵機擊墜廿八機 敵艦船擊沈八隻 擊破炎上、至近彈魚雷命中と銃擊艦船廿隻 ベララベラ島わが綜合戰果 |
09 | ベララベラ島とは |
10 | 人機一體の猛攻擊 敵の心膽寒からしむ |
11 | 米巡洋艦擊沈 獨潛艦シ島北岸で |
12 | ミラノ市は 廢墟と化す |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 印度獨立運動 愈よ燃え盛る社說 一 獨立を戰ひ取る為に印度國民軍を編成し、臨時政府を樹立し終ったインド獨立聯盟總裁スバス・チャンドラ・ボース氏は、先月廿五日昭南を出發、ビルマ、タイ國、佛印を歷訪中であったが、去る十一日昭南に歸着した。この間ボース氏はバーモー、ビルマ首相、ピブン、タイ首相と會見、又我がビルマ方面最高指揮官とも懇談を遂げ、更に各地在留インド人に對しては、討英の熱辯を揮ってその奮起を促した。今回の視察を契機としてインド獨立討英抗爭はデリー進擊への新たなる實踐局面に到達し、十五日の反英抗爭一周年記念大會に於て、其最高潮に達しいよいよ尖銳化するに至った。特にボース氏親らビルマの獨立式典に參列し、この盛儀に於て第一に日本帝國の實力によって、東亞の解放が現實に行はれてゐることを感得し、第二にビルマが曾つてインドの一部分であった關係上、その獨立は恰もインドの一部分が獨立した樣な喜びを味ひ、第三にビルマの獨立はインド獨立への直接の援助の道を開いたものだとの確信を抱かしめたのである。 二 而も我がビルマ方面最高指揮官との會見により、ビルマ戰線に於けるインド武力抗爭の現實的條件を明確に把握し、インド國民軍の討英攻擊の具體的構想が究明されたのである。而してバーモー首相との會見によって、ビルマはその隣接國インドの獨立に對しては總ゆる援助を與へることに意見の一致を見、ピブン首相との會談により、タイ國は絕對的支持を與へることを約したのである。從ってビルマ並にタイ國在住全インド人のデリー總進軍態勢は益益整備され、獨立運動を單なる運動の埒內より獨立戰爭的性格にまで昂揚された。かくてインド國民軍の擴充強化、人的物的資源動員の整備、更に臨時政府樹立□□ふ全東亞在住インド人の團結高度化等一連の既定方針は的確に具現され、インド獨立運動は武力抗爭の實踐的段階に入るものを期待されてゐる。 三 英官憲はビルマの獨立と印度國民軍の編成を印度國民にひた隱しに隱してゐるが、到底隱し□はせるものではない。英國は旣に文官リンリスゴーの代りに、武將ウェーベルを印度總督に任命した頃から、印度の維持については大に自信を喪って居たが、今次のビルマの獨立と印度國民軍の火と燃ゆる闘志に對しては、恐らく戰慄を覺えたであらう。勿論この印度を放棄することは、英帝國の崩壞を意味するのであるから、最後の斷末魔までも握り通さうとすることは疑ひを容れない。併しながら彼が印度防衞の唯一の恃みとする印度軍は、ボース氏に率ゐられてゐる印度國民軍の進擊を見た時、豫てよりの印度獨立に對する意思疎通が、その儘同志打ちの醜態を演ずるとは、恐らく豫想されぬ所であらう。その點ボース氏は確信を以て「一度び我我がインド國內に入るならば、同胞は直ちに起ち上るであらう」と述べた。茲に印度防衞は內外より崩れ去り、英米軍は到底この大勢を克服し得ないであらう。而して印度獨立の烽火はいよいよ燃え盛るであらう。 |
02 | 食糧自給自足確保 對策の成否國民の努力に存す 協議會長會議、首相特に發言 |
03 | 學界擧げて軍援 援護から戰力の增強へ 全國大學教授蹶起 |
04 | 總力戰理論究明 “軍事保護學會”の使命 |
05 | 圖像:千古の雪と戰ひつつ基地建設に汗だくの皇軍勇士(陸軍省檢閱濟) |
06 | 松岡軍曹の 遺族を弔問 百瀨陸相代理 |
07 | 背後から敵哨剿滅 豪膽な田中挺身隊 |
08 | セレベスの建設戰 (上)必成を誓ふ座談會 |
09 | 勤報隊入隊式 |
10 | 月明に征く 陸鷲勇士の自作歌 |
11 | 軍關係都市の施設整備 萬全期して委員會設置 |
12 | 蓖麻作り奉公班 須田殖產局長が世話役 |
13 | 健民指導醫 連絡會議 |
14 | 感謝の誠捧げて 北一女‧赤誠の慰問文 海軍武官府に發送依賴 |
15 | 新生ジヤワの首都 ジヤカルタ市制施行一周年 |
16 | 相撲鍊成會始る 八卦よい青年團幹部 |
17 | 東部の食糧增產 まだまだ餘地がある 中平食糧局長語る |
18 | 大日本青少年 團班旗を制定 |
19 | 煙草耕作許可證交付式 |
20 | 鹿港信組 出張所設置 |
21 | 國民歌皆唱指導 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | バナナ園が美田化 郡守、勸業課長の燃ゆる增產魂に感動 百姓隣組が逞しい申合せ |
02 | 奮起せよ興亞の若人 青少年團振興懇談會開かる |
03 | 高雄市賞賜 物件傳達式 |
04 | 日本海員魂發揮 ガ島二ケ月餘の勇戰 池田豐一〇〇船長代理手記 |
05 | 士魂の昂揚へ 學校教員の劍道講習會 |
06 | 賞賜物件傳達式 |
07 | 青少年團結成 打合せ |
08 | 國語振起日 國語を使ひませう 推進班が大擧街頭宣傳に進出 |
09 | 學徒奉公隊を 坂口知事激勵 |
10 | 真田檢察官長 新化郡を定期巡視 |
11 | 市郡に奉壯團結成 地域別協議會も開く |
12 | 熱汗增產譜其一 兵器の卷(上) |
13 | 薪統制要綱 打合 |
14 | 方面委員月例會 |
15 | 港灣倉庫を建設 廿一日に地鎮祭擧行 |
16 | 歌唱奉仕隊を結成 決戰州民の士氣鼓舞に |
17 | 敵模型機八種 防空思想の普及に 國民學校へ配布 |
18 | 新化街皇民塾 講師鍊成會 |
19 | 須田殖產局長 米作增產督 勵に竹南へ |
20 | 深坑庄警防團員の行軍鍊成 |
21 | 經濟犯一掃へ 鹿港で連絡會議 |
22 | 武道土用稽古 |
23 | 臺中市から見舞金五百圓 |
24 | 常會の運營を指導 大溪街で奉公班指導部を設置 |
25 | 藁叺、繩の增產へ 新化郡で業者を集めて協議 |
26 | 油斷は大敵 市民の注意が肝要 |
27 | 體操講習會 彰化で開かる |
28 | 推進員が鍊成 昨日から大肚山で |
29 | 女子援護助手募集 |
30 | 石碇國民校同窓會 |
31 | 會食は絕對に 止めたがよい 高雄のコレラ禍 |
32 | 屏東市にも 又□名發生 |
33 | 楠梓信組長に塚本氏 |
34 | 人事報社消息 |
35 | 地方多より報社消息 |
36 | 今日の映画演劇 |
37 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 食糧自給態勢強化 第二次食糧增產對策要綱決定 |
02 | セメント增產措置 二十日議會で打合 |
03 | 綿糸布強制買上 上海經濟把握の試金石 |
04 | ドイツ勞働力の 決戰體制確立 |
05 | 戰力增強に關し 陸海當局、協議會會長と懇談 |
06 | 一期米の出廻りで 臺銀券又も新記錄へ |
07 | 臺銀總會 來月一日東京で |
08 | 勞務者移動防止措置 鐵工業統制會勞務委員會で協議 |
09 | 福岡、蘇州、蕪湖に 臺銀出張所を設置 |
10 | 水產物輸移出入組合解散 |
11 | 內地の小賣業者 (上)どの樣に轉業したか |
12 | 自動車配給會社 本島に設立を要望 |
13 | 照明燈 |
14 | 獨逸東方占領地域 の農業復興狀況 |
15 | 經濟手帖 |
16 | 商況(十七日後場) |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(1038)/黃得時;碇政彌 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | べ島方面 敵兵力を連續爆擊 わが海鷲引續き猛躍 |
02 | 敵機の蠢動を封ず 南太平洋來襲敵機を擊退 |
03 | 平北敗殘敵匪追擊 隨所に殲滅戰を展開 |
04 | ニ島の補給は空輸 米軍作戰順調でない ガ島の特派員實情を報道 |
05 | 濛濛砂漠をあげて勇躍出動せんとする海軍航空部隊 |
06 | ボース總裁 昭南に歸着 |
07 | 黃河河畔匪團掃蕩 河南省〇〇部隊戰果 |
08 | 豫算總額三億圓前後 食糧の飛躍增產期す |
09 | 最近の中國民族資本の動向(下) |
10 | 芳澤大使 サイゴン歸着 |
11 | 超人的な戰果 シ島反樞軸軍大損害 總統大本營の發表 |
12 | シ島戰局の一段落 ス通信社、事實を確認 |
13 | トリノ市爆擊 |
14 | 樞軸軍の勇戰 |
15 | 活潑な意見を開陳 第二回協議會長會議日程終る |
16 | シチリア島から獨軍撤收 |
17 | 參事官會議開く |
18 | メツシナの軍事施設破壞 |
19 | 最後まで踏留つた フーべ戰車大將 |
20 | ハリコフ大攻防戰 獨軍果敢な猛反擊 |
21 | 赤軍に大打擊 |
22 | 裝備一切を 伊本に土引揚 |
23 | シチリア戰況發表 |
24 | 赤軍戰車二百六十以上喪失 |
25 | 戰局は若干膠着狀態 赤軍、ドンバス新攻勢策す |
26 | 伊軍戰況公報 |
27 | 伊、緊急閣議 |
28 | 重慶政權 米英に要求 ケペツク會談 |
29 | 米英、非武裝化 を認めぬ模樣 |
30 | ハル長官出席 ケペツク會談へ |
31 | 木炭用空俵と 古繩を回收 |
32 | 行政查察成果 近く發表 |
33 | マライ、スマトラ 使節團動靜 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 私達から着始めよう 婦人標準服着用運動 日婦、愈よ全島的に開始 |
02 | 要療養者の處置 九月各州で管理醫連絡會議 |
03 | 朝香宮妃殿下御慶事 |
04 | “工作機械について” 大河內理研所長御進講 |
05 | カガヤン河域の新興產業 |
06 | 日滿華興亞會合終了 |
07 | 初等地歷教科書 二、三號表も文部省編纂を使用 教科書調查會で採擇 |
08 | 臺北憲兵隊に汗の奉仕 四高女の乙女らが |
09 | 大楠公、二宮翁 仲よく應召 各校で壯行會 |
10 | 拓南工業戰士 訓練所修了式 |
11 | 決戰の氣魄漲る 文學者大會準備進捗 |
12 | 列強を驚かせた 塘沽新港の建設進捗 |
13 | 鶴嘴執って增產へ 囹圄の人“增產報國隊”結成 |
14 | 苦境の同胞に精神の糧 敵國在留同胞慰問書籍を募集 |
15 | 工作講習會 けふから開催 |
16 | 藤村前新竹州州事 市內挨拶廻り |
17 | 茶園も轉換 食糧增產に一役 |
18 | 一日から酒なし日 關東大震災廿年記念 |
19 | 仙洞廣場の整地 基隆市青年團が動員奉仕 |
20 | 日、タイ交涉史 正式國交は家康時代から |
21 | 明朗配給週間 二十一日から實施 |
22 | 興南詩苑漢詩 杜鵑/洪元煌、和石衡宗兄七十書感/晴園 黃純青、歸省車中口占/李逸鶴、次韻送逸鶴弟歸省稻江/蔡說劍 |
23 | 教員檢定試驗延期 |
24 | タイ國宣傳局長ら 歸國の途に就く |
25 | タオル配給 二十日から |
26 | 浴衣地、晒配給 |
27 | 人事‧消息 |
28 | 今晚の放送 |
29 | 商況(十八日前場) |
30 | 興南案內報社消息 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 光榮を深く身に體し 機械生產增強に挺身 大河內子謹話頭條新聞 【東京發同盟】畏くも 天皇陸下におかせられては十八大河內正敏子を宮中に召させられ「工作機械について」と題する御進講を御熱心に聞召されたが聖慮こ感激して宮中を退出した大河內子は左の如く謹話すると共に機械關係五統制會の連絡機關たる社團法人機械工業協議會を通じ全機械業者にこの光榮を傳達して感奮挺身を促した。 大河內子謹話 畏き邊りより機械工業、特に工作機械に關して委細御進講を申上ぐる樣にとの思召を拜しましたので本日私は恐懼感激謹みて宮中へ參內現下の實情につき詳細言上致しました所種々有難き御下問を賜はりました撤慮の程寔に畏き極みであります今般右の如き特別の思召を拜しましたることは實に機械工業に從事するものすべてにとりまして寔に身に餘る光榮でありまして只々感淚に咽ぶ次第であります、船舶、航空機を始めあらゆる增產の基礎をなすものは機械特に工作機械であると存じますが從來の繁用工作機械を清算して戰時型の戰用工作機械に根本的な轉換をすることが增產促進の要諦であると信ずるもので極端なる戰用化の結果生產品の切替へに當つて動きのとれぬ事態の生ずることを懸念して今向繁用工作機を作つてゐるのであればこれこそ利潤追及の觀念であると言はなければならない私共と致しましては今日の光榮を深く身に體して感奮興起、あらゆる增產の根幹をなす機械の生產增強に一段と挺身し戰力の強化を期して粉骨砕身しもつて聖慮の萬分の一に報ひ奉らむことを固く心に期する次第であります |
02 | 食糧增產具體的實施案 各協議會長の責任で作成 行政方式の初試み |
03 | 皇軍の熾烈な抵抗 米朝野戰局を悲觀 |
04 | 圖像:ニユーギニヤ戰線で食糧增產 |
05 | 植物油脂業の企業整備 地方の實情に即して處理 |
06 | 太平洋作戰遂行の 困難と缺點を指摘 米誌、悲觀的見解を表明 |
07 | ムンダ敵陣を爆擊 海鷲、地上作戰に協力 |
08 | ブルームを猛擊 |
09 | 敵機二機擊墜破 小癪‧バリクパパン來襲 |
10 | 樞府本會議 |
11 | 斷乎米英を覆滅 興亞團體會合宣言 |
12 | 厚生省委員の定例會合 |
13 | 人絹スフ業の整備 |
14 | 課稅に全面的協力 中南支公館長會議 |
15 | 歐洲戰局は深刻化 |
16 | 今後の地中海作戰 |
17 | 反樞軸軍戰略大綱決定 ケペツク會談で對ソ關係調整 |
18 | 米新空母ワ號進水 |
19 | シ島撤收の意義 |
20 | ルーズヴエルト ケべツク到着 米、英會談開く |
21 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 バララベラ 島の大戰果社說 一 去る六月三十日早朝巡洋艦、驅逐艦並に有力なる直衞艦の掩護を配した十數隻の輸送船團百數十隻の海上トラック、上陸用舟艇より成る敵有力部隊が突然レンドバ島並にニューヂョーヂア島に一部上陸してから後中部ソロモン群島方面の戰局は俄然第二期に入り激烈なる消耗戰が展開された。しかし擊ちてし止まぬの氣慨以て戰奮する帝國將兵の前には敵が量を恃み犧牲と損害とを顧みざる反攻である丈に過去一ヶ月半に蒙った損害は艦艇擊沈二十四隻、商船擊沈破三十四隻、飛行機擊墜七百七十五機、擊破七十八機と極めて莫大なものであった而も第二次南太平洋反攻を呼號する敵は左の如き莫大な損害にも拘はらず去る十四日の夜ブーゲンビル島、ショートランド島と對峙するべララベラ島に進出せんとしたがかねてその動向監視中の我が海軍航空部隊の反覆攻擊を受け大本營發表に見る如き大戰果を擧げ敵反攻の出鼻を碎き今後の作戰遂行に重大なる損害を與へたのである。斯くの如く五次に亘る海鷲の攻擊はいづれも強襲に次ぐ強襲であって敵の作戰に多大なる混亂を與へたことはいふ迄もないがしかしかかる大戰果を以てしても尚同方面の敵を一掃することが出來ずむしろ戰局が擴大されつつあることを忘れてはならない從って前線將兵の盡忠に應へるには此際消耗戰に於て最重要の航空機並に補給線確保のための船舶等を劃期的に增強することが最も緊要であるといはねばならない。固より前記の戰闘に於ける我が航空機の損失は敵側のそれに比して著しく僅少であることは百戰鍊磨の皇軍將兵であって見れば極めて當然なことであるとはいへ尚現在の生產力から見て決して看過されるべきではない。我が一機がよく敵の五、六機に匹敵し得ることはこれ迄幾多の戰闘に於て證明され來ったがその為に航空機の生產力が敵の五、六分の一であってよいといふのではない。少くとも味方、敵とも同數で立向ふ時にのみ始めてよく我が方の真價を發揮しうることに想到すれば敵の生產力に追つくよう遮二無二の生產に一億國民が火の玉となって突進すべく更に決心を固めるべきである |
02 | 社說 食糧自給態勢更に強化社說 食糧自給態勢を強化するため政府では十七日閣議に於て更に第二次食糧增產對策要綱を決定、本年度裏作を中心とする食糧の緊急增產を期することになり第二回地方行政協議會に於て右要綱に關し真摯なる意見の交換が行はれた。食糧の緊急增產はその性質上一つの非常對策であるが故に官民一體平時觀念を一擲し非常の決意と措置を以て同對策の急速なる完遂を圖るべきことはいふ迄もないことで今般の對策要綱も右の趣旨を以て決定されたものに他ならない、既に政府の非常措置については東條首相が同協議會で挨拶せる如く常例を破って多額の補助金支出に決定してゐるがしかしこの事業の達成はあく迄農家自ら挺身これに當って始めて目的が達成されることは改めて首相の言をかりる必要もなからう。要するに農家を中心とし國民の決意と勞力に基礎をおいて補助金を增額しても徒らに濫費に陷り却って生產增強を阻害することがないよう十分注意を要するがこれには地方長官の適切なる指導と努力とに俟つ處大なることも今す更呶呶る迄もない |
03 | 臺灣統治の經驗 どしどし南方建設に活かせ 齋藤長官ジヤカルタで語る |
04 | “兵學一如”の權化 北大生、勤勞場に雄雄しく散華 軍屬の恩命に浴す |
05 | “九十九折”も克服 輜重演習、最後の活躍 |
06 | 圖像:ビルマ國家獨立式典バーモウ國家代表推戴式に於けるバーモウ國家代表の宣誓 |
07 | 第二回支會長懇談會 二十三日皇奉本部で |
08 | 難關を見事突破 やれば何んでもできる |
09 | 寸土尺地でも活用 須田殖產篤農家を激勵 |
10 | 逞しき學徒總進軍 陸軍豫科士官、經理學校豫科生 採用試驗日割決る |
11 | 花蓮港で遺兒 の合宿鍊成會 |
12 | 全島ラジオ體操會 八月末日まで延期 |
13 | 理屈より實踐だ 基隆で食糧增產座談會 |
14 | 職場戰士を鍊成 新竹州九月中旬に開始 |
15 | 國民貯蓄好成績 州下のトップは新竹市 |
16 | 分區長と世話役 城北地區人選に再檢討 |
17 | 督府新採用有資格者 本島出身は梅村、廖兩君 |
18 | 蘭陽地方金融 業者懇談會 |
19 | 蓖麻莖から纖維 國防協會採取に成功 |
20 | 決戰增產へ汗 の集ひ 花女同窓會で |
21 | 少國民文化賞を設定 |
22 | 池崎代議士 花蓮港で講演 |
23 | 烏日庄で鄉軍武道大會 |
24 | 臺灣美術展で 女事務員募集 |
25 | 臺灣紡績工場地鎮祭 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 甘藷の劃期的增產 臺中州の計畫着着進む |
02 | 皇國婦魂體得へ 埔里街桔俱部員鍊成會 |
03 | 勢ふ若人の敢鬪譜 龍潭の水上競技大會 |
04 | お山にも軍國の妻 義勇隊遺族の訪問記 |
05 | 樗木尚典伍長 大陸で散華 |
06 | 坡內坑、六張犁に 產業道路を開鑿 深坑庄區總代會で決議 |
07 | 全班一家の和かさ 皇奉高雄州支部推薦の模範奉公班 |
08 | 農事組合聯合會を設立 |
09 | 東興產奉團結成式 |
10 | “あの運動はよい” 每朝ヨイ子供を集め鍛へる 健民の先生に部隊長感激 |
11 | 擔ふ興亞の重責 臺南州南部一市五郡の青年團振興懇談會 |
12 | 待避壕を作らう 民防空に萬全の備へ |
13 | 空地に蓖麻栽培 |
14 | 入場者四萬突破 敵機模型防空展開幕 |
15 | 白衣の兵隊さんありがたう 園兒部隊が慰問 |
16 | 螟虫驅除に大童 新巷庄保甲民總動員で |
17 | 潮州郡下の蓖麻栽培好成績 |
18 | 兵隊さんに新鮮な鷄卵献納 |
19 | コレラの驅逐へ 全州民の背水的防禦陣要望 |
20 | 油斷するな 屏東から又二名 |
21 | 又も新患發生 旗後との交通禁止 |
22 | 農村慰安の夕 ヨイ子供の熱演 戰士達大喜び |
23 | 臺南市の豫防注射日割 |
24 | 手工鍊成場 晴の開所式 嘉義保甲婦女團 |
25 | 臺中州戰場運 動鍊成大會 廿二日神社外苑で |
26 | 軍用機資金献納 東門區民の赤誠 |
27 | 雜作整理並に 害虫驅除實施 青年團員、學童を 動員して |
28 | 本田嘉義市長 水害見舞に大甲へ |
29 | 員林郡陸上戰 技大會盛況 |
30 | 新高登山者へ 必ず入山許可證を |
31 | 人事報社消息 |
32 | 地方多より報社消息 |
33 | 今日の映画演劇 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 食糧の應急增產 本島も第二次對策案を攻究 |
02 | 木造船の建造促進 計畫建造工程表を作成 |
03 | 木造船用機具 島內自給策進めらる |
04 | 臨時金庫債券 發行條件を發表 |
05 | 最近の經濟展望 |
06 | 鑛山勞務者の優遇 新に鑛士制度を實施 |
07 | 沿岸漁業振興策 漁船の共同操業を獎勵 |
08 | 高雄州甘蔗耕種改 善競技會規定改正 |
09 | 七月中郵貯增加 三百八十二萬餘圓 |
10 | 銀行預金躍進(七月末) 前年に比し一億餘圓も增加 |
11 | 華南銀行總會 監察役重任決定 |
12 | 內地の小賣業者 (下)どの樣に轉業したか |
13 | 臺銀幹部異動 |
14 | 芭蕉の內地價格 小賣十六錢に引下 |
15 | 內外地食糧需給 來月中旬東京で打合 |
16 | 照明燈 |
17 | 商況(十八日後場) |
18 | ラジオ |
19 | 水滸傳(1038)/黃得時;碇政彌 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 決戰台灣の新使命 皇民意識に徹せよ/安藤紀三郎 |
02 | 生產責任制を確立 社長徵用令書を交付 |
03 | 真に日本人特有の 底力を發揮せよ 東條首相訓示要旨 |
04 | 圖像:ビルマの宣戰布告 |
05 | 敵屍七千三百餘 北支軍の綜合戰果(七月) |
06 | 戰意を昂揚 獨宣傳相が強調 |
07 | 食糧增產隊に 鍬の動員 |
08 | 小泉厚相挨拶 生產增強の根本は 社長その人にあり |
09 | 全員一丸國家に奉公 應徵社長、感激と決意を語る |
10 | 事業主代表 應徵宣誓 |
11 | 日本科學に感歎 マライ、スマトラ視察團 |
12 | フアシスト領袖 ドイツに亡命 |
13 | 圖像:出擊前悠悠煙草一服の陸鷲勇士南太平洋〇〇基地春日特派員撮影 |
14 | 食糧增產事業の 補助費を引揚ぐ |
15 | 反樞軸軍損害二萬五千 例に依つて小出に發表 |
16 | 獨軍戰況公表 |
17 | バドリオ元帥 國民に激勵演說 |
18 | 伊軍司令部公表 |
19 | 反樞軸の宣傳 いよいよ低劣化 |
20 | ケべツク會談の題目 |
21 | 學徒起ち上がる/室伏高信 |
22 | ル、チ來週早早 オツタワに赴く |
23 | イーデンケべツク着 |
24 | 司法省議□□開かる |
25 | 內閣辭令 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 精強無類な敢鬪魂 嚴肅な軍紀の下に修練體得 青年學校長ら三部隊で合宿 |
02 | 圖像:青年學校長ら三部隊でけふより合宿鍊成 |
03 | 對米宣傳のコツ 敵情を完膚なきまでに剔る “二世”田崎君の手記 |
04 | 淨地へ一鍬又一鍬 軍司令官も汗みどろで奉仕 忠靈塔豫定地で |
05 | 遺家族の善行者 軍援週間に日婦で表彰 |
06 | 勳兒ら夏の集ひ 廿四日から草山別館で鍛へる |
07 | 新竹州下の五庄 街昇格の實情調查 |
08 | 人的資源を確保 近く保健婦講習會開催 |
09 | 竹東新竹間の鐵道布設 石橋課長が實地調查 |
10 | 新生氣魄が橫溢 土居書記官最近の廣東を語る |
11 | 曾田府衛生課長南下 |
12 | こんなのは如何 持廻り貯金箱の利用 |
13 | 基隆に疑似コレラ 患者は岡山から來た赤ちやん |
14 | 島都の警戒嚴重 接客業者に豫防注射 |
15 | 顏家祖廟解體 |
16 | 紙を節約しよう 皇奉中央本部から 地方支部長へ通達 |
17 | 海水浴や漁撈 など禁止 |
18 | 島都國語家庭會 各戶必ず一人出席 |
19 | 興南詩苑漢詩 張添增君將之大陸賦此以贈/李逸鶴、喜王少濤先生過訪/蔡說劍、次韻/王少濤、次韵/李逸鶴、席上賦呈王少濤先生/李逸鶴、次韵/蔡說劍 |
20 | コレラ媒介の ヒメアサリ |
21 | 海洋青少年養成所修了式 |
22 | 國語督勵挺身隊が活躍 |
23 | 日映臺北支局移轉 |
24 | 臺中州國民校 職員排球大會 |
25 | 人事‧消息 |
26 | 今晚の放送 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日、佛印經濟實行協定 昨日調印、完全に成立頭條新聞 【サイゴン十九日發同盟】日佛印經濟協定に基づく第三年度日佛印經濟實行協定の最終取極たる日本よりの佛印向け輸出物資に關する實行協定は日佛印双方の都合に依り調印延期となつてゐたが十九日十二時十五分(現地時間)サイゴン總督官邸に於いて芳澤大使とドクー總督との間に署名調印が行はれ愈々右協定は成立する事となった、しかして右と同時に或種の日本側よりの輸出物資の佛印への輸入樣式其の他に關する公文交換も行はれたが佛印よりの日本向け輸出物資に關する協定は既に本年一月及び三月の協定に依つて締結せられてゐるので本協定成立に依って玆に本年の第三年度日佛印經濟實行協定は完全に成立を見たわけである、右調印式には日本側は芳澤大使以下田代公使、箕田總領事、渡邊領事、佛印側からはドクー總督以下マルタン經濟局長、ボワサン・ジエ外交局長、オリヨーク官房長が立會つて極めて友好的雰圍氣の裡に調印を了したのであるが右に關し我が大使府及び佛印總督府では夫々次の如きコンミユニケを發表した 大使コンミュニケ 本年八月十九日十二時十五分當地總督官邸に於いて芳澤大使とドクー總督の間に昭和十八年に於ける日本產品の印度支那への輸入に關する協定の署名行はれたり本協定は昭和十六年五月六日東京に於いて署名せられたる「日本國印度支那間關稅制度、貿易及びその決濟の樣式に關する日佛印協定」等十五條の規定に基くものにして右に依り印度支那に於て輸入割當制度の適用ある產品につき日本國が取得すべき本年度割當量を決定且つ割當制度の適用なき產品に關する本年度の印度支那向日本產品の品目及び數量を決定したり、尚右と同時に或種日本產品の印度支那への輸入の樣式その他に關して公文交換行はれたり、因みに本年度に於ける印度支那產品の日本向け輸出に關しては曩に本年一月二十五日の米及び玉蜀黍に關する「サイゴン協定」及び本年三月四日の米、玉蜀黍を除くその他の物資に關する「ハノイ協定」を以て夫々決定せられをり日本大使府は之等經濟協定に依り日本國、印度支那間の經濟關係が強化せられ以て大東亞戰完遂に寄與するところあらん事を冀望して巳まざる次第なり 佛印總督府コンミユニケ 本八月十九日ドクー總督と芳澤大使閣下との間に一九四三年に於ける日本產品の印度支那への輸入に關する協定の署名行はれたり、本協定は一九四一年五月六日の東京協定の規定の適用にして印度支那に輸入せらるべき日本產品の品名及び數量を決定したるものなり、同時に或種日本產品の輸入の樣式に關する公文の交換行はれたり、これ等交書の署名は印度支那よりの日本向輸出に關し本年一月及三月に締結せられたる諸協定を補足し以て日本及び印度支那間の經濟關係の強化の効果を齎らすものな |
02 | 科學技術戰の樣相 強大なる戰力を培養せよ 菅行政本部總務部長強調 |
03 | 我が情誼自ら明か 佛印自給體制目安立つ |
04 | 敵舟艇十五隻を擊沈破 ベララベラ島を反復奇襲 |
05 | 大東亞省當局談 |
06 | 新中國實情を視察 青木大東亞相渡支 |
07 | 英機四十一喪失 |
08 | 日、華提携愈よ強固 青木大東亞相談話 |
09 | 中國の經濟建設 飛躍的に促進 |
10 | 昨夕南京に安着 青木大東亞相一行 |
11 | ビルマ初代駐日大使 テイン‧モン氏を任命 |
12 | 後任財務相に ウ‧セツト氏 |
13 | フランコ統領 近く英大使と會談 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 食糧增產と 農村潤澤化社說 一 食糧自給自足の確保は戰爭完遂の一環として絕對に必要でしかも戰局現段階の推移に鑑み非常に緊急を要するものである。政府が十七日の閣議に於いて第二次食糧增產對策要綱を決定し、本年出來秋後の裏作を中心に一大飛躍的增產を期してゐるのは、時局の要請に應ずる萬全の措置と云はなければならぬ。東條首相も協議會長會議席上特に發言して「官民共に尋常の措置、覺悟を以てしては到底實行し得ざるは明かで、政府も非常な決意と思ひ切った措置を取って農家指導に當らんことを期す、補助金の如きも大幅增額を行ふ方針である。農家としても尋常の經營、尋常の採算の方法によることは出來ないところである」即ち採算を超越しても增產を圖れ、それを補ふ為めに補助金の對策があると云ふ非常な決意が窺はれる。而してこの飛躍的增產の完遂には、國民一層の決意と努力を要し、殊に農家自らの一層の挺身が要請され、所以で、對策要綱にも「農業勞務動員の強化」の項を揭げ農業勞力の確保、農村勞力の他部門への移轉抑制を求めてゐる。我等はこの機會に農村勞力の確保と農業勤勞持續の見地より、農村潤化殊に精神生活の潤澤化、即ち一種の文化運動を考察したいものである 二 由來農業は大地に根ざすもので、永續的勸業を要し、農民の永住に依って始めて增產の使命を果し得るものである。然らば農民が如何にして永住し來り、又これから永住せしむるか、一番根本的方針は一言もってこれを蔽へば即ち農村を國民安住の土地と思はせることそれである。農村に安んじて住む土地と思ふことに依って其處に農村生活が安定し、而して農村文化が萌え出すのである。所謂「皇國農村の確立」の目標も畢竟するに、ここに存するのではなからうか。即ち乾からびてゐない、潤ひのある農村を建設し、其處に農民を安住させ、食糧の大增產を期せんとするものである。勿論皇國農村建設には、農民の經濟生活の合理化を圖らなければならぬ。だがそれは物の一側面で精神生活の潤澤化もこれと同等に必要である。經濟生活合理化と精神生活潤澤化とは、實に車の兩輪の如きものである。帝國は古來から「瑞穗の國」と云はれてゐる。農業に根ざした我國傳來の傳統に富んだ尊いそして麗はしい文化があったのである。只外來文化の攝取に餘りに急にして、この在來文化の培養を幾分輕忽にし、遂にこの傳統的農村文化の發展が阻害されて萎微したのが今日の現狀なのである。農村潤澤化の文化運動を、この見地に立って農村本來の文化を親切に培養し繁茂させたいものである 三 農村潤澤化は、勿論農民の精神生活を潤す一つの文化運動である故、同じく彼等の生活を潤す都會文化を持込むことも結構である。だが農村には彼等の共同生活と、勤勞生活とにより、必然的に發生し育まれた麗しい文化があって、その文化を培養し潤化を圖るのが最も望ましいのではなからうか。試みに農村の年中行事を一瞥すれば分る樣に「正月、盆、春秋彼岸前後の春祭、秋祭」何れも農村の生產活動に根ざしたもので、勤勞して疲勞を生じ、その疲勞を恢復すべく行事があって慰勞され、而して生氣を取戾して新たな勤勞に邁進するといふ樣に行事の時期と內容に於いて「勤勞」と「慰安」の關係が極めて自然的に、且つ巧妙に織り込まれてゐるのを知る。農村文化の重要な一つである農村娛樂指導に取って、最も心すべき點ではなからうか。動く機械に油が必要である如く、疲勞に慰勞が必要で農村に於いては娛樂と云ふよりも慰樂と云ふ方が適切かも知らぬ。今年の「盆」にも本島の農村では、方方に盆踊が催された樣であるが、一村擧って老若男女一心になって一夜を樂しく踊り通す、そしてそれを樂む生活自體が農村文化の潤澤化なのである。村在來のボート競漕も結構、來る秋の收穫後の豐年踊りにも大いに踊り拔いてよいだが農民に直接に呼びかけてそれに走り過ぎることはよくない農村潤澤化を圖り最大增產にいそしまねばならぬ。 |
02 | 畏し高松宮殿下 國民鍊成大會總裁に御就任 |
03 | 決戰の心身を鍊成 神宮大會夏の陣開く |
04 | 純情の針運んで 第三部隊で北一女、二女生徒 赤誠の戎衣修繕奉仕 |
05 | 尊い體驗發表 臺中州の歸還看護助手 |
06 | 戰力增強に貢獻 奧中部長感謝の言葉 |
07 | 應徵徽章は輝やく 晴の社長徵用令書傳達式 |
08 | 勤報青年隊 臺東訓練所 二十四日入隊式 |
09 | 殉職船員の公葬 交通局、執行要領を決定 |
10 | ニユーギニア 宣撫班の敢鬪 |
11 | 國民校助教員 鍊成會終る |
12 | 先住矮人の石器 タロコの秘境から發掘 |
13 | 大した手並みだ 臺南市の草刈競技會 |
14 | 宜蘭市婦人常會 |
15 | 養鷄報國會結成 養鷄家卵供出を決議 |
16 | 臺南州 竹篦集配組合解消 州當局業者の協力要望 |
17 | 水馬訓練の試み 新竹市馬匹普及會 全島に魁けてあす實施 |
18 | 道路復舊に 順安青年團敢鬪 |
19 | 廣範な茶袋の闇 新竹州經濟警察課に摘發さる |
20 | 賞金を献金 朱厝崙日婦分會 三十班 |
21 | 羅東街國語家庭發會式 |
22 | 愛國蓖麻の栽 培に汗の奉仕 臺電彰化支店商奉團 |
23 | 安田臺北市議 新竹州下行脚 |
24 | モンペを着用 料理屋從業員達 が申合せ |
25 | 托鉢献金實行 善光寺御詠歌奉公會 |
26 | 花蓮港便り |
27 | 田口鹽糖社長 中部關係諸方面へ挨拶廻り |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 增產と戰ふ學徒 宮尾知事が視察激勵 |
02 | 增產推進の尖兵 嘉義市で廿七日辭令交付式 |
03 | 桔俱懇談會 昨日臺南で開かる |
04 | 將兵慰問會 つぼみ會を招 聘して |
05 | 鄉軍武術大會 臺中市聯合會で |
06 | 高雄州下中等 校の查閱日割 |
07 | 產組戰士鍊成會 |
08 | 最後の銓衡突破へ 海志に鐵の猛訓練實施 |
09 | 海志合格豫定者に 屏東署で豫備訓練實施 |
10 | 教員對抗劍道 相撲鍊成大會 廿一日臺南市で |
11 | 高雄州の海人草 澎湖島へ初試驗的移植 |
12 | 武術大會開催 廿一日鄉軍臺中州 南部聯合分會で |
13 | 臺中司法委員會地方聯合會 廿一日教化會館で |
14 | 皇國の真髓體得へ 中堅青年層の鍊成實施 |
15 | 熱汗增產譜 兵器の卷(下) |
16 | 硬貨回收好成績 日婦深坑庄分會の敢鬪 |
17 | 市街庄吏員の 虎の卷を配布 高雄州で準備中 |
18 | 給仕さんが 鍊成 |
19 | 纖維製品の 配給懇談會 |
20 | 勞政事務講習會 |
21 | 遂に八萬圓突破 建艦献金に示す赤誠 |
22 | 鬪ふ家庭防空群の猛訓練 頭分街で實施 |
23 | 蓖麻栽培に拍車 皇奉桃園郡支會で臨時常會 |
24 | 池崎代議士 屏東市で大熱辯 |
25 | 軍事之栞 儼たり無敵皇軍 世界戰史に輝く |
26 | 彰化郡の計畫 全郡民を總動員して |
27 | 心強い貯蓄報國 潮州郡下の成績上乘 |
28 | 貯蓄に示す郡民の赤誠 鹿港街目標額の完遂迫る |
29 | 看護助手體驗發表 體力檢查映畫の夕 |
30 | 心強い空の護り 救急處置法全郡に普及 |
31 | 災害義捐金第八回領收報告(敬稱略)報社消息 |
32 | 潮州街四塊厝農實組合の田植競技會 |
33 | 氣を弛めるな コレラ禍一段の警戒肝要 |
34 | 臺南州に侵入 北門郡に疑似 患者二名發生 |
35 | 收容患者真性と決定 |
36 | 人事報社消息 |
37 | 地方多より |
38 | 今日の映画演劇 |
39 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 國債消化に拍車 けふ國債貯金制度實施 一回の預入金額壹圓以上 |
02 | 現下の生產增強と 我國の「技能競鍊」 |
03 | 荷役獎勵勞務補助金 高雄港運會の分配案決定 |
04 | 既墾地改良に重點 農地開發營團の方向轉換 |
05 | 印度の獨立と 大東亞の重工業 |
06 | 報國造船會社(基隆) 設立委員會で細目協議 |
07 | 臺灣土地改良令 目下府當局で考究中 |
08 | 食糧增產の一助に 煙草吸殼の利用要望 |
09 | 水利組合令改正 國家意志による運營企圖 |
10 | 協力會の機構 常任常議委員會で協議 |
11 | 照明燈 |
12 | 商況(十九日後場) |
13 | ラジオ |
14 | 水滸傳(1040)/黃得時;碇政彌 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 藤原氏の御進講御聽取 畏し‧產業界に大御心 |
02 | 日、泰間の條約調印 六州の泰領編入發効 |
03 | 調印式終る けふバンコツクで |
04 | 圖像:輜重隊山岳演習 |
05 | 各州獨立準備 委員會の結成 ラ委員長要請 |
06 | 決戰台灣の新使命 起て島民‧時ぞ今/下村宏 |
07 | 徵用社長んの大使命 國家に對し責任負荷 |
08 | 國力伸張のタイ 一路共榮圈建設に邁進 |
09 | 又我病院船を爆擊 ぶえのすあいれす丸を掃射 敵の暴虐に我將兵激憤 |
10 | オペラの殿堂 スカラ座全壞 |
11 | 佛印の協力緊密化 蓑田總領事語る |
12 | 伊宣傳相記者團と初の會見 |
13 | 東部戰線戰況總統大本營十九日公報 |
14 | ハンブルグの 市民を激讚 ゲ、ドイツ宣傳相 |
15 | 三重要法案可決 十八日の泰國議會 |
16 | 米機五八擊墜 十七日西獨に來襲 |
17 | 赤軍の攻勢失敗 |
18 | “第二戰線”問題で 米英、ソ聯が論爭 |
19 | 赤機二千擊墜 七月五日以降 |
20 | 赤軍戰車三百十七臺を擊破 |
21 | 伊軍發表戰況 |
22 | イーデンと會談に入る |
23 | 政治問題裁斷 |
24 | 「赤い星」で 即時結成要求 |
25 | 透毛、紡毛の企業整備要領 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 決戰商業道へ驀進 全商業人を擧げて奉公一路 商奉大會一齊に開く |
02 | 商奉運動に徹せよ 須田中央本部長挨拶 |
03 | 國家要請に應へ 山本皇奉事務總長祝辭 |
04 | 責務の重大を痛感 加藤臺北憲兵隊長着任 |
05 | 新竹商奉大會 |
06 | 拓南戰士巢立つ 藤岡訓練所長一同を激勵 |
07 | 雛鷲の蔭にこの先生 教へ子を奮起させた 肥後竹東國民學校長 |
08 | 藷の增產第二陣 二十三日から開始 |
09 | 瑞芳街家庭 防空群查閱 |
10 | 臺北州水利聯絡會議 けふ州會議室に開く |
11 | 鄉軍統制劍術大會 |
12 | 前線偲ぶ戰鬪教練 青年學校長入營第二日 |
13 | 桃園街の愛國婆さん 橫山アキさんの篤行稱揚 |
14 | 若林兵長慰靈祭 |
15 | 一同愁眉を展く 基隆のコレラは乳兒下痢症 |
16 | 本社主宰藝文研究會 第二期生入會式擧行報社消息 |
17 | 鄉土出身勇士へ慰問文 竹南郡警察課 |
18 | 海洋訓練隊 あす入隊式 |
19 | 石井氏忠靈塔 建設基金寄附 |
20 | 人事‧消息 |
21 | 今晚の放送 |
22 | 興南詩苑漢詩 文訪先生謂余詩神似樊紹述以其集惠贈賦此奉謝/覺齋、山家招食黍粗/覺齋、溪游遇雨/覺齋 |
23 | 商況(二十日商場) |
24 | 興南案內報社消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 科學振興に大御心 參內の文相恐懼感激謹話頭條新聞 【東京發同盟】岡部文相は二十日午後四時半宮中に參內天皇陛下に拜謁仰付けられて同日の閣議で決定した科學研究の緊急整備方策要綱につき委曲奏上したが種々有難き御下問を賜はり決戰下科學研究振興の上に垂れさせ給ふ 大御心の程に恐懼感激、左の謹話を發表した 文部大臣謹話 聖上陛下には軍國多事の際政務殊に御多端の折柄に拘はりませず本日特に拜謁を賜はり今回決定を見ましたる科學研究の緊急整備方策要綱につき委細奏上申上げたるところ時局下科學研究の振興に對し大御心を垂れさせ給ふ事の一入深き事を拜察し種々有難き御下問まで賜はり洵に恐懼に堪へないところであります。 申すまでもなく大東亞戰爭はいよく苛烈悽愴を極め科學戰たるの樣相を濃化して參つたのでありまして敵米英がその尨大なる資源と生產力とを恃み凡ゆる科學力を動員して必死の反攻を企てゝゐる現狀に對しわが國におきましても科學研究の總力を最高度に發揮せしむることは正に刻下の急務であります。 兹において政府は大學その他科學研究機關における科學に關する學理研究力を最高度に集中發揮せしめ科學の飛躍的向上を圖り戰力の急速增強に資するため科學技術の綜合的なる動員の重要なる一環としてこれら諸機關の體制につき劃期的なる整備をなすことと致したのであります、科學研究に從事せらるゝ人々は勿論國內科學研究の全機能を舉げて科學研究に精進努力を傾注しその精華を發揮するに努め以で大御心に應へ奉り戰爭完遂に邁進せねばならないと存ずる次第であります |
02 | 科學研究緊急整備要綱 きのふ閣議で決定 |
03 | 整備方策要領 機關及び研究者を 計畫的に動員する |
04 | 貴重な敵情を續報 監視艇に輝く感狀 |
05 | 敵艦五隻に至近彈 べ島を晝夜連續襲擊 |
06 | 東亞軍司令部 指揮官決定 |
07 | 定例閣議 |
08 | 綜合的活動を確立 岡部文相方針を闡明 |
09 | 最後まで任務遂行 |
10 | 科學者の挺身望む 清水科學局長と一問一答 |
11 | 增產こそ戰勝の鍵 量の爭霸へ移行する航空機 |
12 | マカツサルに 小癪‧敵機來襲 わが方に被害なし |
13 | タイ國擧げて慶祝 |
14 | 日、泰間領土條約全文 |
15 | 海軍省異動 |
16 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 食糧自給態 勢の諸施策社說 一 政府は去る六月四日の閣議に於て來る十月末迄を期間とする第一次食糧增產應急對策要綱を決定、着着之が實效を收めつつあるが、食糧自給態勢強化の見地よりして去る十七日の定例閣議に於て更に本年度裏作を中心とする第二次食糧增產對策要綱を決定した事は既報の通りである。督府に於ても目下中央と呼應して各種の對策を練られてゐるが、此際本島として是非早急に解決實施を要する二、三の對策を述べたい。先づ米の增產は何んと云っても基本政策であるが、最近甘藷の增產に着目し出した事は頗る喜ばしい。府殖產局の計畫に依れば來年度甘藷四十億片の一大增產に決定し、全島總作付面積廿一萬七千七百甲の內臺南州に七萬三千五百甲、臺中州に五萬甲を占め兩州下に於て甘藷の大半を生產せんとする建前である。之に達成する方法として吾人は曾て本欄に於て嘉南大圳區城內に於て甘藷作を主とする雜作區へ灌漑を斷行すべき事を提唱した嘉義農事試驗支所の成績に徵すれば其效果は大體三、四割の增收を來したので、少なくとも嘉南大圳の區域內に於て此の方法を出來る丈早く實行すべき事を熱望して止まない、臺中州下の甘藷增產は水利の便少なき水田甘蔗作地の撤退を斷行すれば更に耕地擴張の餘地があり此の二つの方策さへ實施すれば本島に於ける甘藷の大增產は必ず期し得られるのである。次に山地に於けるキャッサバの增產に對しては從來當局に於て殆ど顧みられてゐないが綜合食糧增產の見地から是非とも各種施策を為すべき事だと信ずる。 二 尚今回內地に於ける增產對策の內土地の改良を頗る重視し之に對して三億圓の補助金を支出する事となり、本島に於ても、此方面の施策を強化するであらう事は明かである殊に內地に於ては「本事業(土地改良)の實施には努めて地元農業團體の活動を促進し、諸般の手續を簡易ならしめ迅速に事業の進捗を期し得る如く措置する事云云」を要綱として擧げられてゐる本島に於ても當然地元の農業團體の活動に期待せねばならないが、現在のところ本島農業關係の統合が未だ立案中のためそれがため農會や產組あたりの活動がとかくにぶくなった嫌ひがないではない。中にも本島の農會は農民團體の性格よりも州廳の農業政策實行機關であるために自主的創意性が薄く現下要望さるる食糧增產推進機關として稍もすれば農民層より遊離するが如きが狀態にある。されば本島農業團の統合がなるべく早く實現し之を中心として其の創意の下に食糧增產の推進力を增強する必要あるを痛感するものである。今や米英との決戰重大時期が刻刻熾烈を極めてゐるから農業團體の統合に限らず今後戰力增強の諸問題が山積してゐるが、督府としては稍もすれば陷りやすきセクト主義を徹底的に清算し、迅速果敢に戰力增強の諸問題を解決せられたい。取分け未だ農業國の狀態より脫せざりし本島としては食糧の增產策に對して官民とも更に一層の努力を要望して止まない。 |
02 | 軍援に有難き御心 東久邇宮妃殿下御歌御下賜 |
03 | けふ“親切笑顏の日” 明朗配給週間始る |
04 | 聖恩の宏大に感泣 十年でも廿年でも戰ひ拔く覺悟 藤原銀次郎謹話 |
05 | 國家要請に應へよ 商奉團に於ける團員の決意表明 |
06 | 無私無慾で奉仕 能宗奉公團員語る |
07 | 開發戰士に義手 陸軍當局感謝の贈呈 |
08 | いざの時に役立つ 防空體操ができた さあ皆でやりませう |
09 | 村上行刑課長南下 |
10 | 夏だ、泳げ泳げ あす市民鍊成大會 |
11 | 圖像:陣中に閑あり |
12 | 花蓮港の商奉大會 |
13 | 生活物資の配給 基隆で座談會開催 |
14 | 宜蘭郡職員が 蓖麻の植付 |
15 | 保護委員講習會 全島主要都市で開く |
16 | 宜蘭本町國語塾開所式 |
17 | 木村澎湖島憲 兵分隊長 赴任の途次來北 |
18 | 大田軍醫中尉着任 |
19 | 米穀、肥料增產講習會 |
20 | 甲當廿石以上 白鳳豆の試作 成績良好 |
21 | 臺北春競馬 第五日目成績 |
22 | 大崎尖より大崎頭縱走 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 誓ふ商業人の挺身 各地の商奉團大會 |
02 | 青年團を改組強化 臺南市で來月下旬に結成式 |
03 | 八月定例支部 職員連絡打合 廿四日に開く |
04 | 道場落成祝賀體鍊會 全州下山の青年團員が參加 |
05 | 高砂族女子青年指導講習會 |
06 | 體鍊科の指 導方法協議 |
07 | 植付は今が時期 臺東廳蓖麻增產に驀ら |
08 | 神祗講習會、產業 幹部鍊成會終る |
09 | 廿七日に臨時 議員總會開催 嘉義商議所で |
10 | 中平食糧局長 臺東廳下を視察 |
11 | 因果は巡くる水車 三百年前和蘭人が植えた茄冬樹が 木造船の龍骨に應召 |
12 | 物資購買帳の 臨時調查實施 |
13 | 桃園青年訓練所 けふ開所式 |
14 | 日婦例會 |
15 | 玉咲つづら藤栽培獎勵 臺東廳積極指導に乘出す |
16 | 若人の增產敢鬪譜 戰ふ臺南州の學徒 |
17 | 罹災民に見舞金 彰化郡民の同情 |
18 | 遺家族慰安 音樂會盛況 |
19 | 軍事之栞 兵馬の大權(上) 至尊御統帥遊ばさる |
20 | 防遏陣を一層強化 曾田府衛生課長檢疫を指導督勵 |
21 | 學校職員が一役 學童家庭の健康調查に乘出す |
22 | 皆泳運動に一役 辨天地に鍊成道場 |
23 | 潮州郡の防疫陣完璧 |
24 | 警察官吏が早期完納に垂範 |
25 | 防遏戰士慰問 露店協和會から 市、署へ各金一封 |
26 | 列車事故遭難 者の日糖社葬 |
27 | 畫劇挺身隊強化 |
28 | 防疫戰士と激勵 坂口知事防遏第一線へ |
29 | 健民委員銓衡 |
30 | 嘉義貸自動車 合同近し |
31 | 臺南市に逸早く防遏萬全策 豫防注射も繰上げ |
32 | 臺南全州下に防遏網 |
33 | 防遏の鐵壁陣 岡山郡に新患 者の發生皆無 |
34 | 人事報社消息 |
35 | 地方多より報社消息 |
36 | 今日の映画演劇 |
37 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 清水溪ダムの穿鑿 早急に工事着手せん |
02 | 灌溉及工業用水 高雄州で愈よ積極的施設 |
03 | 青果物價格改訂 |
04 | 亞國向採油機械を輸出禁止 |
05 | 英國の食糧問題 勞力の不足依然深刻 |
06 | 蔬菜、果實類の 卸賣販賣價格決定 |
07 | 煙草栽培者に 許可證を下付 |
08 | セマント緊急增產 督府近く對策を實施 |
09 | 海豐に貯金 取扱所開設 屏東信組で |
10 | 企業整備と產報の努力/三輪壽壯 |
11 | 臺灣興業更に擴張 ライスペーパー等の自給を確立 近く新株拂込を徵收 |
12 | 石炭新坑開發助成金 督府の交付方針決定 |
13 | 物資の出廻促進 剩餘金は運搬費に活用 |
14 | 彈丸切手 當籤番號 |
15 | 麻竹の救命道具 遞信部で業者に試作 |
16 | 引込線の資材獲得 高雄關係會社より陳情 |
17 | 經濟手帖 |
18 | 照明燈 |
19 | 商況(二十日後場) |
20 | 水滸傳(1041)/黃得時;碇政彌 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 決戰台灣の新使命 臺灣への再認識/幣原坦 |
02 | 奇襲攻擊に成功 桂林上空で敵五機擊墜 |
03 | 全く沈着豪膽な行動 故障の僚機襲ふ敵機を擊墜 |
04 | 英軍事使節團 訪米 |
05 | ベラ灣潛入の敵艦 わが反復攻擊に遁走 |
06 | 國府要人と歡談 青木大東亞相 |
07 | 渺茫たる海洋に 敵影を探し索む 哨戒機から拾ふ二つの殊勳談 |
08 | 印度派遣米空軍 司令官更迭 |
09 | 敵の神經戰を反擊 獨宣傳相が陣頭指揮 |
10 | ピ首相感謝電 |
11 | 抗戰繼續あるのみ 伊本土砲擊に伊政府悲痛な決意 |
12 | 若き青少年學徒よ 米學生に負けるな 戰線に見る彼らの熾烈な鬪志 |
13 | 日タイ提携を強化 ピ首相、決意を語る |
14 | 研究の重復避けらる 科學研究動員を科學者に聞く |
15 | フランコ統領と會見 英大使ホーア |
16 | 第二戰線を要求 ソ聯を三國會談に好感か |
17 | ソ聯との交涉方針 米英會談、イーテン訪ソか |
18 | 米英ソ三國の 關係を協議か |
19 | ウエルズ 赤都に派遣か |
20 | ケべツク會談を發表 |
21 | ハル、ケべツク着 イーデンと會談 |
22 | ス市戰の再現を圖る 赤軍ハリコフで |
23 | 獨空軍參謀長逝去 |
序號 | 標題 |
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01 | 欣然翼の決戰場へ 山本元帥に續けの鬪魂列烈 小泉少佐海鷲志願者を激讚 |
02 | 夢のやうな魅惑 美しいジヤワの夜市 |
03 | 浮ぶ“三千甲步” 花蓮港廳防風林造成で |
04 | 紙芝居マライ語版 |
05 | 決死の水門閉鎖 丈餘の濁流へ敢然飛び込む 四消防手を近く表彰 |
06 | 五部隊へ軍馬慰問 |
07 | 七洋睨んで起つ 海を制するものは世界を制す 海洋訓練隊けふ第四回入隊式 |
08 | 廢品回收好成績 |
09 | 神宮大會“夏の陣” 繰展ぐ若人の敢鬪譜 |
10 | 不屈不撓を誓ふ 神宮鍊成大會關係者 |
11 | 小作契約更新 新竹廳で業佃協 調週間設置 |
12 | 最後の晚餐無事 ダヴインチの壁畫 |
13 | 國家に捧げた身だ 一家の安泰など考へて居られぬ 若鷲の全快祝献金 |
14 | 柴山社會課長 遺族宅を訪問 |
15 | 花蓮郡の人命救助美談 |
16 | タイ國の“やもり” トツケイ君がお目見え |
17 | 本島新聞記者登錄制 愈よ十月一日から實施 |
18 | 異動屆を怠るな 島都の幽靈人口四千人 |
19 | 白衣勇士への 慰問部隊續く |
20 | 新公園土曜音樂會 |
21 | 早期完納を宣傳 |
22 | 宜蘭で桔梗俱樂部を結成 |
23 | 新竹州下視學 打合會 |
24 | 興南詩苑漢詩 次韵覺齋先生見謝鄙贈樊紹述集/文訪、友人從軍南方詩以壯之/鄭指□、錠兒東渡賦此示之/鄭指□ |
25 | 羅東郡叺供出懇談會 |
26 | 副官部で高 級筆耕募集 |
27 | 工員鍊成所設 立懇談會 |
28 | 人事‧消息 |
29 | 今晚の放送 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 王勁哉を歸順せしむ 總司令龐炳勛誘導 太田騎兵部隊、田中少尉の偉勳 感狀上聞に達す頭條新聞 【東京發同盟】昭和十八年二月中旬より三月にかけて實施された江北殲滅作戰に參加した太田騎兵部隊は青木兵團の先鋒部隊として屢々敵の捕捉殲滅戰に赫々たる戰果を收め友軍の作戰を有利に誘導したが特に二月二十五日洞庭湖北方地區小沙口市に於いて敵師長王勁哉追擊の命を受けるや勇躍長夏河畔を急追する事約廿粁、六家灣北側に於いて師長王勁哉を歸順せしめるに成功同殲滅作戰の目的を完遂した又橫光步兵部隊田中徹雄少尉は十八春太行作戰に際し昭和十八年五月三日勇躍第二十四集團軍司令龐炳勛誘導の命令を受け敢然下士官以下十一名を指揮翌四日深夜雙瑠附近に於いて決死的捜查の結果遂に龐炳勛と邂逅し六日十六時無事河南省新郷に誘導克く敵中を突破してその目的を達した太田騎兵部隊は隊長の卓越せる指揮の下將兵一體克く騎兵の本領を發揮して勇戰奮闘し又田中少尉は豪膽慧敏、熱心沈着にして不屈不撓の精神を發揮し重要任務を遂行せるものにして何れもその武功抜群なるものとして曩に軍司令官より夫々感狀を授與されたが今回 畏くも上聞に達した旨二十一日陸軍省より發表された 陸軍省發表(八月二十一日十六時)中支江北作戰に拔群なる武功を樹て王勁哉を歸順せしめたる太田騎兵部隊及び北支十八春太行作戰に寡兵挺進總司令龐炳勛を誘導せる橫光歩兵部隊陸軍少尉田中徹雄に對し曩に夫々軍司令官より感狀を授與せられしが今般畏くも上聞に達せられたり |
02 | レンドバ空戰一ヶ月 聽くも勇しい近代空戰の姿 親鷲圍み我勇士達語り合ふ |
03 | 我驅逐隊の大戰果 ベラ灣口敵驅艦轟沈一、擊破二 |
04 | 戰史に不滅の金字塔 田中徹雄少尉の武勳 |
05 | 太田騎兵部隊の殊勳 |
06 | 青木大東亞相 國府各部長と懇談 |
07 | 桂林で敵五機擊墜 わが陸鷲大編隊出動 |
08 | 圖像:カレイを手摑みで捕へる北海の基地 |
09 | 日本本土空襲の野望 米蔣合作見果てぬ夢と化す |
10 | 小癪漢口近く來襲 直ちに邀擊、敵三機擊墜 |
11 | 苛烈なムンダ決戰 〇〇部長隊から聽く |
12 | 總督府人事異動 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 戰時生活の平常化と明朗化社說 一 全島商業者奉公大會の開催を機會に、皇民奉公會では唯二十一日より明朗配給週間を實施したが、戰時生活の明朗化を圖る上に頗る時宜を得たる運動と謂ってよからう。改めて申すまでもなく、曠古未曾有の米英擊滅大征戰を敢行してゐる現下に於て、我我の日常生活が窮屈化するとは必然的な趨勢であって、戰爭を遂行する為洵に止むを得ないとである。しかしながら大東亞戰爭が、現下の西南太平洋ソロモン群島方面の凄愴苛烈な決戰が如實に物語ってゐる如く長期に亘る消耗戰であり從って又生產戰であるとすれば、窮屈化せる我我の日常生活はもはや平常的な生活體制でなければならない。換言すれば戰時生活の平常化といふことがはっきり認識されて來るのである。然りとすれば、消費生活部面に於ける不足とか不便とか或は窮屈とかいふ觀念は既に誤まりであり、現在の生活體制こそ真に斯くあらねばならぬ戰時生活だといふとが明瞭となるのである。 二 然らばこの戰時生活の平常化といふことが果して充分に認識されておるかどうか。觀念的には認識があっても、と切實な日常生活に關する問題だけに實際的には未だ充分ならざるものがあるを否定出來ないであらう。例へば物の不足、窮屈を云云する聲が未だ絕えぬところを見ると、如何に平時的觀念から未だ脫脚し得ず戰時生活の平常化に對する認識が缺如してゐるかが判るのである。このことは特に婦人層について其の甚しきを見るのであって、家庭主婦連の一大猛省を促す所以である。現下の時局に鑑みて國家が一體何を要請してゐるか。この大戰爭を戰ひ拔き勝ち拔くためには何を為すべきであるか、恐らく何人もこれを知らざるはないであらう。單に消費生活部面のみについて云へば、其れは取りも直さず戰時生活體制の確立でなければならない。而して戰時生活體制の確立とは何か。要するに一切の平時的觀念から脫却し現下の戰時生活の平常化を明確に認識把握して日常生活の上にこれを具現することに他ならぬのである。 三 さて今回實施せられた明朗配給週間の意圖は、要するにこの戰時生活體制の中を明朗化するに在ることは明らかであるが、特に配給業者と家庭主婦連に呼びかけてゐることは洵に當を得た運動と云はねばならない。戰時生活體制の確立に主要な役割を果す婦人層は恰かも車の兩輪の如く緊密な關係に在り、その協力の如何によって戰時生活體制の成否がわかれるのである。配給業者乃至小商人はもはや利潤のみを追究する昔日の商人ではなくなっておる筈であり、また消費者側も金あるに任せて勝手氣ままに物を費消してよい時代ではなくなったが故に、兩者は共に戰時生活體制の要請に從って相協力すべきであることは論を俟たぬところである。かやうにして兩者が配給明朗化運動の趣旨をよく諒解し相協力してこれを實踐に移すとすれば、戰時生活體制は自ら鞏固となり、一切の不平不滿の聲は雲消霧散從って闇も行列買も自然に跡を絕えて明朗なる我らの生活體制を現出するに至るのである。 |
02 | 部下將兵の手柄だ 感狀に輝やく太田騎兵部隊長談 |
03 | 感謝で一ぱいです 太田中佐夫人は語る |
04 | 高松宮同妃兩殿下 神宮夏季大會に台臨 |
05 | 行賞賜金傳達式 きのふ嘉義中學講堂で擧行 |
06 | 翼政理念の昂揚へ 具體策を政府に上申 |
07 | 水中鍊成譜繰展ぐ 神宮夏季大會愈よ酣 |
08 | 賞賜物件未交付者 左の者は申出よ |
09 | 譽れの軍國一家 田中少尉の嚴父語る |
10 | 中等水泳鍊成大會 九月一日から東門プールで開く |
11 | 神宮大會成績 |
12 | 皇民の信念に燃ゆ 島都の國語家庭大會 |
13 | 武勳競ふ四兄弟 譽高レバラスさんの一家 |
14 | 將兵の勞苦體驗 青年學校長士氣旺盛 |
15 | 彰化、大屯に凱歌 臺中州國民校排球鍊成大會 |
16 | 局鐵海岸線開通 二十三日より各列車の運轉復舊 |
17 | 府人事異動の跡 大山氏の皇奉入りに期待 |
18 | 古巢に歸つた 森田情報部長 |
19 | 不平を言はぬ日 明朗配絡週間第二日 |
20 | 福間府事務官 陸軍司政官へ |
21 | 婚祭の冗費省け 花蓮港市奉壯團 聲明書を發表 |
22 | 生產擴充に 全馬力 塚本產業部長 |
23 | 池崎代議士 花蓮港で講演 |
24 | 臺北春競馬 第六日目成績 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 保護事業連絡會議 昨日教化會館で開く |
02 | 公務員鍊成會 |
03 | 擧郡蓖麻增產へ 竹南郡皇軍の勇戰に應ふ |
04 | 簡保の目標額達成近し 高雄市民の燃える貯蓄額 |
05 | 夏に挑む鐵の訓練 鬪ふ女教員の真摯な姿 |
06 | 嘉義病院近く 竣工の運び |
07 | 皇國商業道に挺身 彰化市商業奉公大會 |
08 | 常設委員の陣容を強化 屏東市で任命替へ發令 |
09 | 鄉軍善化分會員の強行軍 |
10 | 食糧增產に一役 三重埔女青田植を應援 |
11 | 強力なる實踐へ 官衙長決戰體制懇談會開かる |
12 | 貯蓄獎勵懇談會 |
13 | 港灣倉庫地鎮祭 |
14 | 殘す數數の美談 推進員の鍊成終る |
15 | 新裝成れる霧社青年道場 |
16 | 鬪ふ郡民の意氣 新莊郡で勇壯な郡歌制定 |
17 | 軍事之栞 兵馬の大權(下) 至尊御統帥遊ばさる |
18 | 防空講習會 |
19 | 新患者の發生漸減 併し油斷は絕對禁物 |
20 | 全州下に萬全策 北門郡に新患者發生 |
21 | 供出成績百% 歸仁庄の藷增產 |
22 | 防遏戰士激勵 曾田府衛生課長 來屏 |
23 | 庄民の共同作業で 空閑地三甲步に藷を栽培 |
24 | 又疑似一名發生 |
25 | 健全娛樂の夕盛況 |
26 | 發生地の生徒の登校を停止 |
27 | コレラ豫防 講演會開催 |
28 | 看護助手體驗發表 體力檢查映畫の夕 |
29 | 全部落が完納 心強い納稅報國 |
30 | 撲滅宣傳に皇奉職員が一役 |
31 | 國民校職員劍道及角力大會 |
32 | 地方多より |
33 | 今日の映画演劇 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 木炭生產量の確保 生產及出荷強調週間設定 九月一日より實施の要綱決定 |
02 | トンネル會社の 整理と將來の措置 |
03 | 局營バスの線路 臺北新莊間を頭前溪迄延長 |
04 | 國有林野の木炭 山林事務所で生產確保 |
05 | 本島農村への 衣類配給を考慮 |
06 | 全島產組貯金高 二億六千萬圓に肉迫 |
07 | バナナ生產者の 手取金一圓七十九錢 |
08 | 麥粉袋を衣類に 闇取引問題を惹起 |
09 | 街卸資市場業務臺 灣青果で代行 |
10 | 照明燈 |
11 | 商況(廿一日前場) |
12 | 島內株仲值表 |
13 | ラジオ |
14 | 水滸傳(1042)/黃得時;碇政彌 |
序號 | 標題 |
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01 | キスカ島守備部隊 全兵力を無血撤收 既に新任務に就く頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(八月二十二日十二時) キスカ島守備の帝國陸海軍部隊は何等敵の妨害を受くる事なく七月下旬全兵力の撤收を完了し既に新任務に就きあり |
02 | 全く天佑神助 無血撤收作戰の經過 |
03 | 濃霧、酷寒と鬪ふ 一年二ケ月の跡 深澤陸軍報道班員の手記 |
04 | 淒絕一年餘の攻防戰 |
05 | 一兵も損傷せず 將兵一同元氣な顏で還る |
06 | 敵無駄彈の消耗 莫大に上る |
07 | 海軍の決死的行動 |
08 | 圖像:見敵必墜南太平洋の空の護り我が高 射砲隊の勇士 |
09 | “百萬弗の音樂” 遠近の爆音、急降下上昇の唸り キスカ島の思ひ出 |
10 | 無人島に貴重な爆彈 笑止!米海軍省の爆擊日記 |
11 | 米加、上陸を發表 |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 七洋制霸意氣高し 高松總裁宮同妃兩殿下 海洋競技會に台臨 |
02 | 敢鬪精神が旺盛 青年學校長ら軍事講習終る |
03 | 皇軍魂に接觸 太平青年學校長語る |
04 | けふ創意工夫の日 必要なものは必要な場所へ 明朗配給週間第三日 |
05 | 羅東街で奉公班世話役鍊成 |
06 | 木銃の訓練 羅東日婦會長 |
07 | 出でよ“大東亞文學” 文報、優秀作品に授賞 |
08 | 島都青年團幹部 建成校で教練鍊成 |
09 | 宜蘭警察課職員 の水泳講習終る |
10 | 早期完納に 凱歌 |
11 | 新竹市で生活 工藝品座談會 |
12 | 決戰下の奉仕作業 青年の人格轉換に影響が甚大 西村文教局長花蓮港視察談 |
13 | 圖像:第八回島都市民水泳大會きのふ東門プールで |
14 | 興亞寮二ケ所を開設 |
15 | 花蓮郡の献金 熱高調の一途 |
16 | 宜蘭郡職員 が蓖麻栽培 |
17 | 佐野花蓮郡守出北 |
18 | 米英軍の鬼畜 ぶり |
19 | 優秀な航空機乘員 空の決戰場へ送らう 九月常會の申合事項決る |
20 | 死の直前まで執筆 文豪島崎藤村氏逝く |
21 | 燦たり島崎文學 |
22 | 文學者大會各 地代表入京 |
23 | 郵便物取扱始る 米英の抑留邦人宛 |
24 | 無類な情熱作家 臺大島田謹二氏語る |
25 | 府縣對抗水泳 得點順 |
26 | 潑剌!若鮎泳ぐ 第八回市民水泳大會 |
27 | 養護兒童夏期 學園終業式 |
28 | 臺南州下のコレラ患者 真性□□名 |
29 | 臺北春競馬 第七日目成績 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 戰場精神を發揮 臺中州陸上戰技訓練大會 意氣正に天を衝く |
02 | 竹南皇奉青年訓練 頭分公會堂で入所式 |
03 | 模範奉公班實行調查に 皇奉本部四婦人委員來彰 |
04 | 武勳は永へに輝く 高砂族義勇隊名譽の戰死者 |
05 | 美事に百萬圓突破 臺南州の貯蓄奉公目覺し |
06 | 增產は堆肥から 新化郡下強調期間を設定 |
07 | 新化郡の體育鍊成會 |
08 | 夏に挑む鐵の訓練(下) 鬪ふ女教員の真摯な姿 |
09 | 香港製糖廠 |
10 | 水害罹災民に 溫い救助の手 救濟音樂會頗る盛況 |
11 | 注射せぬから罹る 高雄市內にコレラ突入 |
12 | 斗六郡の硬貨 回收好成績 |
13 | 謝禮金を國防献金 |
14 | 增產報國隊を編成 竹南郡各街庄單位に結成 |
15 | 赤誠の献金品 |
16 | コレラ患者臺南に又二名 |
17 | 能高郡の商奉大會 |
18 | 臺南國防訓練大會 無期延期 |
19 | 觀音庄の大會 |
20 | 大溪郡青年團 陸上競技大會 |
21 | 竹南郡の堆肥 植込週間實施 |
22 | 國防訓練實施 大日本婦人會桃園 分會の主催で |
23 | 海軍航空廠工員募集 |
24 | 高雄港灣振興株式會社 |
25 | 地方多より |
26 | 今日の映画演劇 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 學徒荒鷲を讚ふ/安藤正次 |
02 | 文化 誤り易い言葉遣ひ 特に本島人の遣ふ國語に就いて/新垣宏一 |
03 | 編輯者の立場から 內臺總親和の顯現/池田敏雄 |
04 | 思ひ出の處女作(二) 子曰“空空如也”/呂赫若 |
05 | 印度ゴリラの踊り/鈴木亞文 |
06 | 俳句の心/西山代 |
07 | 北投日記/陳春德 |
08 | 圖像:新高の斷崖(日本水彩展)/藍蔭鼎 |
09 | 女性評論 本島女性と勤勞/杜純子 |
10 | 稽古場日誌 九月の聲近づく/曾文博 |
11 | 文化消息 |
12 | ラジオ |
序號 | 標題 |
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01 | 我國の航空機工業 鄉古潔氏が御進講 |
02 | 目覺しい敵前建設 チ―モル島の現狀を見る |
03 | 決戰台灣の新使命 心強い本島女性の努力/木內キヤウ |
04 | 上海の發展に期待 青木大東亞相語る |
05 | 敵損害三萬に上る 支那派遣軍六月中の戰果 |
06 | 製鐵は國內炭で 藤原行政查察談を發表 關係炭山の奮起要望 |
07 | 青木大東亞相動靜 |
08 | 報國農場六十を新設 |
09 | キスカ“幽靈陣地” 上陸の米軍が啞然 |
10 | リトヴイノフ大使召還 ケペツク會談に一大衝擊 |
11 | トルコ政府言論機關を統制 |
12 | 赤軍攻勢漸次弱化の兆 戰局の中心依然ハリコフ周邊 |
13 | 米英會談の內幕 |
14 | 赤軍死傷者三十四萬 昨年一月以降クバン橋頭堡で |
15 | 南方占領地に 敵ゲリラ空襲 |
16 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 捨身奉公へ驀ら 本格的底力の發揮昂揚へ 皇奉第二回支會長會議 |
02 | 銃後の健民に萬全 臺北州下で指導醫連絡會議 |
03 | 策命史を御差遣 平田篤胤翁墓前に |
04 | 圖像:第二回皇奉支會長會議 |
05 | 航空戰と科學技術 (上)/宮城音五郎 |
06 | 青年團運動の飛躍 中央本部で綜合的檢討 |
07 | 奉公運動の尖兵 模範奉公班を推薦 |
08 | 明治神宮參拜 文學者代表一行 |
09 | 農事協同組合設置 增產にこれは名案 |
10 | 鬪魂燃ゆる埔里街防衛團 |
11 | 學徒盛夏に鍛ふ(1) 機甲訓練 |
12 | 社會教化に完璧 廿七日、教育課長會議 |
13 | 市民擧げて協力 港都でコレラ豫防注射 |
14 | コレラの防遏對策 臺南州五項目を決定 |
15 | 海志へ血書志願 |
16 | 打下す精魂の鍬 川端公園內で若人が甘藷栽培 |
17 | 稅務行政の機構 現狀のままで進む |
18 | 花蓮港で海 志銓衡試驗 |
19 | 國土防衛の尖兵 防空訓練所終了式 |
20 | マラリア防遏 優良部落表彰 |
21 | ハンガリアに「人形爆彈」 |
22 | 江藤州知事 新竹市內初巡視 |
23 | 怪しい時計 部分品 |
24 | 同盟通信社の新刊 圖書 |
25 | 興南詩苑漢詩 林俊卿傑卿兩昆仲母堂七秩壽誕兼傑卿君業醫二十五周年招宴賦贈/晴園 黃純青、過晴園賞睡蓮二首題似純青兄/小維摩、余輟學久矣蒙說劍詞長招赴詩會因書所懷奉寄/李哲臣、次李哲臣詞弟惠詩原韵/說劍 |
26 | 人事‧消息報社消息 |
27 | 今晚の放送 |
28 | 商況(廿三日前場) |
29 | 興南案內報社消息 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 神秘的な理外の理 アツツ島勇士の魂魄の加護 キスカ整齊撤收大本營谷萩報道部長は語る頭條新聞 【東京發同盟】北方アリエーシャン列島の最前線のキスカ島の我が守備隊は總ゆる困苦を克服して一ケ年二ケ月に亘つて敵の陸海空大部隊を同方面に牽制し我が東北方面の防備施設強化に多大の餘裕を與へ目的を達成するに至ったので去る七月下旬自主的に整齊撤收した、二十三日午前大本營報道部長谷萩少將はキスカ島守備部隊の撤收については實に神秘的な理外の理とも言ふべき事象がありこれはアツツ島勇士の魂魄が同部隊の行動を護ったと考へるより外になく一億國民は勇士の英靈に感謝しなければならないと次の如くその二、三の事例を語った 其一―七月二十六日キスカ島守備部隊の電波には東方及び西北方より相接近しつつある二つの鐵塊群を感じた、と俄然濃霧の中に般々たる砲擊が少くとも數十發以上轟き渡った、砲聲と共に電波に感じてゐた件の鐵塊は逐次消滅して遂に感應がなくなったこれは敵の艦隊が同士討をして夫々致命的な大損害を受けたものであるが當時キスカ島の守備部隊はこの現象を我が艦隊と敵鑑隊が遭遇戰となり兩者とも全滅的死闘を繰返したものだと判斷してゐた然るに後に威風堂々入港した我が艦隊の威容に同守備隊將兵は自らの眼を疑ったのであったが我が艦隊が進入して行く時は同方面を封鎖哨戒し續けてゐた敵は當時一齊に東北方に退避して附近に敵影を見ぬと言ふ狀況であった、之は恐らくアツツ島の魂魄部隊が海上に遊擊して敵を誘ひ敵をして錯覺に陥らせ同士討の悲劇を演じたものと思はれる、神なる英靈に附纆はれた敵艦隊こそ哀れである 其二―キスカ島に我が艦隊が到着したのは七月某日白晝であつた、當時北方特有の濃霧は海上一面に立罩めてゐたが不思議にも海面上高さ五米乃至七米は抉り取りたように綺麗に晴れ波も實に静かであつた、こんな現象は同地方一箇年以上の經驗では全くないことであつた、見透しは利き波靜かなため我が部隊の行動作業は實に迅速整齊そのものであった、これは何れもアツツ島の英靈が協同作戰しつゝある結果であると將兵は信じてある。 其三―このようにして全員乘船を終り堂々と出發したがアツツ島の南方海上を通過する時にアツツ島の勇士が小舟のようなものに乘つて日の丸の旗を打振り見送りに來て又遥かアツツ島上から萬歲の聲を聞いた者は見た者が同部隊將兵に多數あり撤收部隊將兵は再びアツツ島を奪回し守備隊があるものと信じてゐたものである 其四―七月下旬からはキスカ島には日本將兵は固より軍用犬軍用鳩等撤收して全くの無人島であるが米軍は撤收部隊に代り上陸した魂魄部隊と約三週間戰闘を交へてゐたのである米の公表によれば爆擊百六回、砲擊十五回と言つてゐるが如何に多くの彈藥を空發したかが判る、米の公表によれば八月四日、八日、十日等に反擊を受けたと言つてゐるが我將兵は一人おゐないのに全く不思議である、殊に面白いのは損害を受けて不時着した敵機もあると言ってゐることである、近時南太方面で戰闘した將兵の手記が發表されてゐるがガダルカナル島でもアツツ島でも日本軍將兵の英靈に取憑かれ同僚を殺傷し或は日夜脅かされて遂に自殺した者も多數あり夜每に起る神秘的な出來事に米兵は安眠を妨げられ推病力が低下してゐる時にマラリヤ等に罹り苦しんでゐると傳へ日本將兵の英靈眠る島の守備は「真つ平だ」とばかり暴動を起した所もあると言ふ (寫真は谷萩報道部長) |
02 | 連續の苦鬪一年餘 擊米北進の尊い記錄 白衣の七勇士交交キスカを回顧 |
03 | 圖像:新任務につけるキスカ守備隊の勇士 |
04 | 戰ふ勇士勞多く責任重大 思ひ出のキスカ從軍 |
05 | 上陸企圖の敵遁走(コ島) 我陸上部隊、敵船二隻を擊沈 |
06 | 敵六機擊墜破 マイコール來襲 |
07 | ビロア米陣地猛爆 敵船五隻擊沈破、敵機十四擊墜 |
08 | 國際展望 刻刻動く世界情勢 |
09 | 在支米空軍 小出しに損害發表 |
10 | 青木大東亞相 國策會社首腦と會見 |
11 | 上海財界首腦 と個別的會見 |
12 | タイ國深甚な感謝 日、泰兩首相電報交換 |
13 | 反樞軸軍空母 ジ港に待機 |
14 | 第二回行政查察の使命完了 |
15 | 米空軍の損害莫大 |
16 | ソ聯の抗議の現はれ リトヴイノフの更迭 |
17 | 反樞軸陣營の 對立が表面化 |
18 | 纖維雜品染色 加工業整備要領 きのふ商工省通牒 |
19 | 英政界に大衝動 |
20 | ケペツクの ユーピー電 |
21 | 夏季增產增強 期間の成果 三省間の報告 懇談會を開催 |
22 | 印支派遣米 空軍司令官 |
23 | 敵產處理現狀 の報告を聽取 南京大使館で |
24 | ハリコフ撤退 獨軍秩序整然と |
25 | 米、商船八千隻の 建造計畫を發表 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 我が科學陣の 動員體制成る社說 一 現在の戰爭の樣相が科學技術戰の極致を呈してゐることは今更贅言を要しない。敵米英がその尨大な生產力と資源を擁して、あらゆる科學力を動員し、必死の反攻を企ててゐるに對し、われに於ても敵に打ち勝ち、これを徹底的に屈服させる為には、生產の增強を圖ると共に、科學研究の總力を最高度に發揮することが急務中の急務である。勿論、我國に於ける科學者は過去に於ても、優秀なる能力を以て、種種有名な發明發見をなし、又夫夫の分野に於て、直接間接に軍需產業などの方面に多大な貢献をなして來たことは否定出來ないが、未だ綜合的に科學研究の總力を結集するの體制が整備されてゐるとは言へない。即ち科學の研究に於ては、頗るばらばらであって、各各優秀なる研究者たちがそれぞれの立場に於て、それぞれの研究をしてゐるが、誰が何處でどう云ふ研究をしてゐるかと云ふことは、お互に知る人ぞ知るではあるが、國家も知らなければ、これを綜合的に知るやうな手段も殆んど講ぜられてゐなかった。 二 從って或る一人の科學者が或る研究をやって失敗した。どうしてもさう云ふ方法では出來ないと云ふことを知りながら、連絡がないために、それをまた別の人が他の所で同じやうなことをやり、金を使ってやってゐる。結局失敗に終るが、失敗すれば、恥であるから默って人に言はぬ。言はないからまた他の人がやって同じやうな失敗を繰り返すことになる。ここにもまた尨大な資材と貴重な時間を浪費し、最も合理的な科學研究が最も非合理的な一面を露出してゐる。そこで同じ樣な失敗を繰返さない樣に、全體を統一し、綜合して行く樣な機關が必要となって來るのである。又國家としても一人のやってゐることで、他の人の研究の助けになることがあればそれをお互に知らせ合ってやった方が非常に合理的で、それによってどれほど技術の發達に貢献するか分らない。協同して仕事をすることは、今日の樣に技術や科學が非常に高度に發達し、而しも段段に複雜になって來るにつれて、非常に大事な事柄として考へなければならない。 三 茲に於て政府は科學に關する學術研究力を最高度に結集發揮するため、豫て科學技術の動員に關する綜合的根本策を練りつつあったが、その重要な一環として、大學その他の科學研究機關の體制を整備することとなり文部省を中心に具體案を調整中の所、二十日の閣議にその成案として科學研究の緊急整備方策要綱を決定した。その具體的措置として特別部會と連絡委員會を設置し、研究機關と研究者を計畫的に動員して、科學の飛躍的向上を圖ることとなった。而して科學研究從事者を優先的に配當し、要員の確保を圖ると共に、その待遇の改善を考慮することとなった。また必要資材及び研究費については、優先的に確保すると共に、これが重點的配分を行ふなど必要な措置を講ずることとなった。些か遲きに失した嫌ひがないでもないが、これから科學の振興に全力を注ぎ、敵の科學技術に對して、我方も優秀な科學技術を以て、これを壓倒しなければならない。 |
02 | 武勳萬古に輝く 大東亞戰爭戰歿者 二十六日に合同告別式 |
03 | より多くの仕事を 確實に實行したい 柳川臺灣鐵工業統制會會長着任談 |
04 | 身に餘る光榮 鄉古氏謹語 |
05 | セレベス建設戰(下) 必成を誓ふ座談會 |
06 | 總督府定例局部長會議 |
07 | 譽れの遺兒 鍊成會 |
08 | 臺北市區會長會議 |
09 | 奉公運動の推進は 結局指導者の問題 皇奉支會長懇談會の中心話題 |
10 | 惡虐非道の米英空軍の盲爆と鬪ふ伊太利市民 |
11 | 婦人の健鬪を見る 皇奉派遣の生活部婦人委員 近く中南部へ行脚 |
12 | 豪毅磊落な人 竹馬の友佐藤氏が語る 田中少尉の橫顏 |
13 | 光と熱に惠まれた 臺灣農民は幸福 池崎代議士の感想談 |
14 | 行列買ひせぬ日 明朗配給週間第四日 |
15 | 西村文教局長 臺東勤報青年隊 入所式に臨席 |
16 | 生活物資配給 整備要綱討議 |
17 | 巡回映畫 |
18 | 人事‧消息報社消息 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇軍の真髓體得へ 中等校教員達六日間入營訓練 |
02 | 昂まる必勝の信念 鄉軍臺中州南部聯合分會武術大會 |
03 | 印南兵事部長 初巡視を兼ね遺家族を弔問 |
04 | 匿名篤志家義捐金 |
05 | 池崎代議士 が大熱辯 廿日臺東で |
06 | 日赤新社員の 募集好成績 |
07 | 市の昇格愈間近か 楠梓彌陀兩庄一部の編入實現に 岡山街頓に活氣付く |
08 | 楠梓庄一部の高雄市編入 殘存部分も結局他庄へ編入か |
09 | 臺中州臨時州會 罹災地に慰問委員派遣決定 |
10 | 奉壯團員蓖麻 栽培に奉仕 |
11 | 學徒の增產協力に感激 錢目視學官の內地視察談 |
12 | 三重埔奉公防 空群の猛訓練 |
13 | 茶殼を献納 日婦嘉義郡支會 |
14 | 近く街に昇格か 時局下に躍動する土庫庄 |
15 | 紙の節約を強調 三項目揭げ全州民に呼掛く |
16 | 臺電彰化支店相撲大會 |
17 | 軍事之栞 無敵陸軍の組織 作戰計畫の府‧參謀本部 |
18 | 必勝增產に驀進 三峽街で臨時常會開催 |
19 | 廿五日に郡常會 郡勢振興策を打合協議 |
20 | 桃園信組臨時總會 |
21 | 全郡完納の凱歌 賴母しい納稅報國の赤誠 |
22 | 彰化郡にも凱歌 |
23 | 諸官衙等給仕 の鍊成會終る |
24 | 目指す健民健兵 臺東廳で指導醫連絡會議開く |
25 | 敵機模型、防空展 高雄、馬公兩地開催延期 |
26 | 彰化署土用稽古 |
27 | 東興工業產奉團結成式 |
28 | 新患の發生皆無 防遏陣晝夜兼行の活躍酬ひられ |
29 | 貯蓄宣傳移動展 州下各市郡の開催日割 |
30 | 新患又數名發生 |
31 | 市バス、渡船の 運行を制限 |
32 | 玉里郡の打合會 |
33 | 忌明に献金 |
34 | 銅鑼庄下各部 落も全部完納 |
35 | 赤誠の献金品 |
36 | 桃園水利組合の役員會 |
37 | 果物氷類の販賣を禁止 |
38 | 貯蓄宣傳の 街頭移動展 廿四日龍潭庄で |
39 | 綠區區長に中野氏 |
40 | 人事報社消息 |
41 | 地方多より |
42 | 今日の映画演劇 |
43 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 勤勞力の機動活用 親子工場間の勞務者派遣を認可 厚生省の措置要領決定 |
02 | 南方の諸物資開發 纖維自給等着着具體化 |
03 | 石油副生品の需給 督府の統制要綱決定 |
04 | 鐵礦石の輸入確保 製鐵原料荷受組合結成 |
05 | 地方普通低利資金 本島割當額三百萬圓 |
06 | 風水害復舊資金 勸銀より貸出開始 |
07 | 米は主食物に非ず (上)我國往事の主要食物 |
08 | 中平食糧局長 視察終へ歸北 |
09 | 印度食糧配給制實施 ベンゴール州で餓死續出 |
10 | 臺銀券發行高 三億四千萬圓に肉迫 |
11 | 造船工の賃銀制 內臺人別の協定賃等決定 |
12 | 經濟手帳 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況(廿三日後場) |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(1043)/黃得時;碇政彌 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 濠洲兩飛行場急襲 海鷲奮戰敵蠢動に鐵槌 |
02 | 佛印の協力強化へ 歸京中の栗山大使語る |
03 | 獨軍の「獨樂戰術」 巧みに赤軍を消耗さす |
04 | 圖像:勇躍出發隊長に挨拶する陸鷲勇士支那〇〇基地にて井上特派員撮影陸軍省檢閱濟 |
05 | ポルタワで大反擊か 獨軍豫備兵力を集結 |
06 | 決戰台灣の新使命 頑張る國民が勝つ/市川房枝 |
07 | 香港の貿易活動 飛躍的に活潑化 |
08 | 赤軍戰車一萬五百卅臺擊破 七月五日以來 |
09 | ハリコフの撤收成功 ドイツ軍が隱密裡に |
10 | 赤軍戰車四百九臺を擊破 |
11 | ハリコフ廢墟と化す |
12 | 圖像:青木大東亞相、汪主席に謁見 |
13 | ソ聯情報局發表 |
14 | インド各地の街上 連日數百名行き斃れ 食糧の不足極めて深刻化 |
15 | 獨軍發表戰況 |
16 | 兩戰線戰略決定か ケペツク會談最終段階 |
17 | ジ港の英艦隊地中海へ |
18 | 東亞の反攻を協議か ルーズヴエルト、宋子文會談 |
19 | 十六萬噸擊沈破 ビぜルタ夜襲二回で |
20 | 反樞軸艦船の擊沈破 七十二萬七千噸 獨軍八月中の戰果 |
21 | ス駐ソ米大使 近く辭任歸國 |
22 | スペインに 強硬要求か 英大使、フ將軍會談 |
23 | 倫敦爆擊 |
24 | 米國に失業者の洪水 大戰終了せば千二百萬とならん |
25 | 對華方針說明 青木大東亞相 日華軍官民に |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敢鬪精神に燃ゆ 鄉軍の簡閱點呼を終へて 有田臺北兵事部長語る |
02 | 皆仲よく暮さう 靖國の兒等夏の集ひ |
03 | 國講所用教科書 近く配本の運び |
04 | 現地當事者の座談會(1) 擧った言葉の凱歌 比島を蔽ふ日本語熱 |
05 | 篤農家と座談 江藤知事の市內 初巡視 |
06 | ジヤワ青年團 訓練大會 ジヤカルタ市で開く |
07 | 航空戰と科學技術 (下)/宮城音五郎 |
08 | 勤報入隊式 |
09 | 決戰若人心の糧 “臺灣青年讀本”發行 |
10 | 基隆港灣の整備擴充 市議有志近く陳情に出府 |
11 | 竹東郡警察課非常召集 |
12 | 英國の人口疎散 |
13 | 植ゑよう愛國蓖麻 臺北市道路綠地帶を開放 |
14 | 學徒盛夏に鍛ふ(2) 馬事訓練 |
15 | 初の文報葬執行 藤村翁を悼む文人の情や切 |
16 | 髮の翼贊決戰型 基隆市も勵行に驀ら |
17 | 興南詩苑漢詩 送澤民妹倩之西貢建設/文訪、送南方派遣醫友四首/陳聯滄、過可軒兄挹翠齋新居/可亭 |
18 | 晴れの日を樂しみに 新竹州の海志合格者合宿訓練 |
19 | ハ市の物品交換所 |
20 | 人事‧消息報社消息 |
21 | 今晚の放送 |
22 | 商況(廿四日前場) |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 敵の戰死九千餘名 捕虜、歸順六萬八千に上る 大陸七月中の戰果頭條新聞 【南京二十四日發同盟】支那派遣軍報道部發表(八月二十四日) 一、支那派遣軍の七月中に於ける綜合戰果左の如し、 交回數一七六四、交戰敵兵力二五一六六七、重慶軍死者九四六七、捕擄及歸順六八五六三、主要鹵獲品、各種火砲二四、同彈藥六四六一、重輕機一八七、同彈藥一七五八六四、小銃四八七◯、同彈藥一六六七一◯、拳銃七◯三、同彈藥四六六三、擲彈筒五九、同彈藥一四一、手榴彈九二◯◯、銃劍、刀、槍類七二五、其の他通信機材、火藥、馬匹、被服等多數、我が方損害三三九、 二、陸軍航空部の活躍、 再支米空軍蠢動の企圖を察知せる陸軍筋空部隊は機先を制して敵空軍の戰力を擊碎しその反抗企圖をつ鎖しつゝあり、即ち建甌、衡陽、零陵、寶慶、芷江、桂林の各飛行場を反復攻擊してこれを爆碎その使用を拘束すると共に擊墜四十七機の戰果を收めたる外十八夏太行作戰その他地上部隊の作戰に密接に協力せり、我が方の損害自爆十二、 |
02 | 獨巡洋艦トール號 大戰果を擧げ日本に安着 |
03 | 日獨海洋を越へて 力強い結合を示す |
04 | 急速戰力化を要望 企業整備概要と將來の方針 佐藤戰備課長語る |
05 | 敵船擊沈拿捕八隻 總噸數十萬噸に上る |
06 | 本島州知事格上げ 閣議で正式に決定 |
07 | “空と地との白兵戰” キスカ島の對空砲火陣M大尉の手記 |
08 | 獨側も發表 |
09 | 樞軸鐵桶の防空陣 來襲戰機を大量擊墜 |
10 | ダーウィン爆擊 |
11 | タイ國軍事視察團 きのふ晴れの入京 |
12 | ベルリン爆擊 敵五十九機喪失 |
13 | 伊前下院議長 リスポンに向ふ |
14 | 青木大東亞相北京着 |
15 | 敵廿二機擊墜 伊軍當局發表 |
16 | ス駐日獨大使 重光外相と懇談 |
17 | 第二豫備金支出 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 決戰現段階 を直視せよ 米兵の再認識社說 西南太平洋ソロモン群島方面の血戰も愈よ悽愴苛烈なる樣相を呈し來り世界戰局もまた樂觀を許さざるものがある。固より起伏あるべき戰況に一喜一憂する必要はないがしかし決戰現段階の實相を直視し勝ち拔くことに萬遺憾なきを期すべきは改めて言ふ迄もなからう。皇民奉公會が九月常會の申合事項として「優秀なる航空機乘員を多數送出しませう」との一項を決定し奉公班常會を通じて全島民に呼びかけ大空への關心を喚起するに至ったのも正しく空の決戰段階に照應するものに他ならない。勿論アツツ島の血淚から山本元帥に續けと熾烈なる戰意に充ちて若き學徒の大空への志願が激增して來たとはいへ尚增產を急がれてゐる航空機の數に追つくべくもない。 しかし「人生は二十年なり」との氣慨以て大空に志願する若き世代の敵愾心を以てしては常會の呼びかけをまつ迄もなく優秀なる航空機乘員が續續現はれて來ること必定である。とは國民學校等で行ってゐる模型飛行機の訓練等も活用し單なる玩具的な考へ方を止めること或は國民全般が航空機に對する科學知識を蓄へてをくことは究極に於て空の長期戰に勝ち拔く一つの鍵であるのに想ひ到る時九月常會の申合は時宜を得たものといってよい。それにつけて茲で強調したいことは物心に亘り敵米の實相を直視し真に有効適切なる方策及び行動をとることである。 由來敵米英は全く個人主義、自由主義の國でありその國民は己れ一身の利益と安全とのみを追ふて國家國民全體の為に献身するが如きことなく從ってその軍隊も我軍の如きとは全く異り到底苛烈なる戰爭を事とし得ないものとされてゐる。即ち生產力はともかく戰鬪精神に於ては極めて低劣であるとされてゐる。事實開戰以來隨所にそれが暴露されてゐるがしかし最近では米學生群の空軍志願と共にそれが一變しあの米國獨立當時の開拓者的精神の下に執拗なる反擊を試みてゐる。 即ち現地報道班員が傳へる如く「敵米兵はガダルカナル島反攻以來極めて戰意旺盛で戰死する場合でも日本勇士が「天皇陛下萬歲」と叫んで死んで行くようにムンダ戰場では「ノーホールドアップ」と叫んで死んで行くように變って來た。これは彼等が生きて再びアメリカには歸らずあく迄日本と戰って死ぬことを端的に物語ってゐる」彼等ヤンキー共がかくも熾烈な戰意をもつに至ったのは「ハワイの仇を討て」「真珠灣を忘れるな」と言ふ簡單な事實によってゐるのである。 叙上の如く米兵がその豐富な生產力と熾烈な鬪志とをたのんでしきりに反攻を呼號してゐるにも拘はらず隨所に於て我方により多大なる損害を與へられてゐるがしかし敵側の真相をよく見究めることが此際最も緊急事でなければならない。多數優秀なる航空機の增產は固より鬪志に於て侮り難い尨大なる米學生を擊滅すべく日本の學生生徒の米英擊滅精神の發揮と總蹶起が要望されるのである。「人生は五十年」又は「次代を背負ふ若き青少年」と言ふ言葉は既に過去のものとなった程戰局が只ならぬことを改めて認識すべきである。 |
02 | 每月十六日を定め 職場整頓日を實施 作業能率の向上に |
03 | 誠彥と御命名 朝香宮孚彥王殿下第一王子 |
04 | 戰局決定は航空機 鎬を削る列國の生產狀況 飯島大佐ゆふべ放送 |
05 | 航空機增產に邁進 鄉古會頭重要性を說く |
06 | 皇奉本部の部長會議 |
07 | 池崎代議士警察會館で講演 |
08 | 草山で靜かな一夜 遺兒だち大はしやぎ |
09 | 第一線へ慰問袋 花蓮港の日婦が贈る |
10 | 大石伍長の部隊葬を執行 |
11 | 圖像:靖國遺兒夏の集ひ |
12 | 明朗配給週間第五日目 けふ能率を擧げる日 一擧一動凡て國力增強 |
13 | 鍛へらる破邪の劍 |
14 | 豫備訓練を實施 臺北州の海志推薦者に |
15 | 同文の契りも固し 文學者大會けふ開幕 |
16 | 劈頭に皇軍感謝を決議 |
17 | 江藤新竹州知事 篤農家の意見聽取 |
18 | 花蓮港海軍志願兵銓衡試驗 |
19 | 警防團助成會 を結成 |
20 | 宜蘭郡陶磁器 組合商發會式 |
21 | 羅東郡の兒童模型航空機競技會 |
22 | 生產增強缺勤 防止映畫大會 |
23 | 觀音庄中元祭 |
24 | 人事‧消息報社消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 食糧增產に主眼 臺中州支部九月常會の徹底事項 |
02 | 完納の凱歌擧る 逞しい屏東郡民の納稅報國 |
03 | 青少年團各單位團の國講所 近く開設の運び |
04 | 故堀口中尉 廿七日喪の凱旋 |
05 | 臨時廳協議會 廿六日臺東廳で |
06 | 貯蓄街道を驀進 目標額突破の臺南市 |
07 | 紙芝居巡回上演 |
08 | 海志合格豫定者の訓練終る |
09 | 潮恒街道の並木 木材資源として應召 |
10 | 龍潭庄國講 講師の鍊成 |
11 | 模範の防空群長 妻の死を秘して敢鬪 |
12 | 增產戰線の美談 水稻の害虫驅除に お山の歸還勇士が敢鬪 |
13 | 熱汗增產譜(其三) 造船の巻(上) |
14 | 各戶に屋外待避壕 舊都民防空に鐵桶陣 |
15 | 廿三日に早くも七五% 高雄市の納稅成績著しく向上 |
16 | 日婦深坑庄景尾の婦人常會 |
17 | 玉里警防團消 防組夏季訓練 |
18 | 新化郡商業 奉公團大會 |
19 | 奉公班運營研究會 皇奉彰化市支會で開く |
20 | 皇民鍊成に拍車 奉公班全民國講を繼續開設 |
21 | 海山郡產業 奉公常會 |
22 | 彰化郡警察課定時召集 |
23 | 築く雜草の山 臺東廳民皆働の收穫 |
24 | 災害義捐金第九回領收報告(敬稱略)報社消息 |
25 | 生活工藝座談會 けふ臺中で開く |
26 | 愛國蓖麻の增產へ 彰化市で全市民動員 |
27 | 麗し隣人愛 發患部落に野菜供給 |
28 | 檢問所を增設 未發生地域の侵入防止に |
29 | 接客業者自發的に營業休止 |
30 | 臺東廳總務課勤勞 報國隊の蓖麻栽培 |
31 | 青少年團役員 辭令交附式 |
32 | 通霄の日赤の夕 |
33 | 部落書記鍊成 |
34 | 青年劇講習會 嘉義で開催 |
35 | 地方多より |
36 | 今日の映画演劇 |
37 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 重要產業の增產 官民協議會で着實に實現 |
02 | 生產の隘路究明 石炭統制會懇談會開催 |
03 | 砂糖公價の問題 各省調查團近く來臺調查 |
04 | 產組監查講習會 臺北州下で開催 |
05 | 食糧增產座談會(一) 米、甘藷、甘蔗の 督府の根本方針 |
06 | 企業整備協力 會組織の準備 高雄州で打合會 |
07 | 二期米挿秧期の 生育概して良好 |
08 | 臺灣化成工業 專、常務增員 |
09 | 故ガンニー袋の移出 本日の告示で制限 |
10 | 米は主食物に非す (下)我國往事の主要食物 |
11 | 大豐炭礦公司 會社組織に變更 |
12 | 船內荷役賃率案 基隆、高雄兩業會で檢討 |
13 | 機帆船海運報國會 理事會を開催 |
14 | 產組職員事務鍊成 |
15 | 臺灣磚茶會社 廿八日に創立 |
16 | 經濟手帖 |
17 | 照明燈 |
18 | 商況(廿四日後場) |
19 | ラジオ |
20 | 水滸傳(1044)/黃得時;碇政彌 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 輕金屬工業について 御進講を御聽取 鈴木忠治氏を召され |
02 | 敵高速魚雷艇二隻を擊沈 我が水上機隊活躍 |
03 | けふ帝大總長會議 科學研究動員を協議 |
04 | 圖像:日泰條約調印式 |
05 | 鐵道車輛工場 管理令公布 |
06 | 東條首相參內 |
07 | 大東亞展望 大東亞の結集體制 層一層完成に近づく |
08 | 赤機八十五を擊墜 |
09 | 決戰台灣の新使命 擧島一心、皇謨翼贊 (上)/小林躋造 |
10 | ル、チ共同聲明發表 ケペツク會談終る |
11 | 對日作戰を檢討 ル、チ記者團會見で嘯く |
12 | 英對ソ態度 豹變か |
13 | 在支米空軍 再建に大童 |
14 | 全面的な戰力低下 重慶軍の歸順數激增 |
15 | ハリコフの赤軍 戰鬪不能に陷る 戰車の損害莫大 |
16 | 獨の內相更迭 獨政府から發表 |
17 | 獨軍の赤軍包圍殲滅戰終了 |
18 | 日本軍恐るべし 巧妙な作戰に米朝野驚倒 |
19 | 羅馬非武裝化の 提案內容を發表 |
20 | 全國の產組現況 |
21 | ヒ新內相の敏腕期待さる |
22 | 英本土を爆擊 |
23 | 民間防空を強化 翼政、防空委員會を設置 |
24 | 敵機模型と防空展 三十日から花蓮港で |
25 | 定例閣議 |
26 | 警防團助成會 を結成 |
27 | 工業學校の校長さん 海軍航空隊に入營 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 戰拔け文化の聖戰 決意も固し民族血の交流 文學者大會けふ開幕 |
02 | 晝夜も生死もない 淒烈忍苦の捨生戰術 水雷戰隊の奮戰記 |
03 | 生死を一にして 大東亞文學を創造 天羽情報局總裁祝辭 |
04 | 圖像:西村府文教局長花蓮港勤行報國青年隊視察 |
05 | 敢鬪精神が橫溢 防空群查閱を終へ南北兩署長語る |
06 | 倒れても尚やまぬ 天晴れ少年兵志願の許、呂兩君 試驗官も痛く感激 |
07 | 學徒盛夏に鍛ふ(3) 操縱訓練 |
08 | 米英擊滅に蹶起 在臺華僑子弟青年團を結成 |
09 | 管下初巡視 江藤州知事 |
10 | 十萬圓を寄附 喜壽を迎へて中辻翁 |
11 | 模範防空群の 綜合訓練公開 大正町第十分區第五防空群 |
12 | 胸一杯朝の大氣 靖國勳兒竹子湖へ |
13 | 人命救助の龜鑑 新竹州で關係者を表彰 |
14 | 興南詩苑漢詩 移居東山二篇/吳小魯、次韻小魯同社移居東山二首/傅鶴亭 |
15 | 體練講習終了 |
16 | 人事‧消息報社消息 |
17 | 今晚の放送 |
18 | 從軍者幹部鍊成 |
19 | 戰ふ裂帛氣合 鄉軍武道大會盛況 |
20 | 兵器彈藥の手入 制服姿の淨汗奉仕 |
21 | 商況(廿五日前場) |
22 | 興南案內報社消息 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵損害一萬以上 熾烈化する南太平洋の戰局 米の反攻隨所に擊碎頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(八月二十五日十五時三十分)ニューヂョーヂァ島及びベララベラ島を中心とする南太洋方面の戰局は敵の熾烈なる反攻とこれに對するわが痛烈なる反擊ご相俟って日と共に激化の一途を辿りつゝあり 一、ニューヂョーヂァ島、帝國陸海軍守備部隊は六月三十日以來上陸し來れる敵數萬を寡勢をもつて遊擊し隨所にこれを擊碎して甚大なる打擊を與へ目下ムンダ北方海岸地區 及びバイロコ地帶において激戰中なり、陸上において敵に與へたる損害一萬を下らず 二、ベララベラ島、曩にに上陸を企圖せる敵は帝國海軍航空部隊の反復攻擊に依りその輸送船の多數を失ひ僅かにその一部兵力のピロア上陸に成功せるに過ぎざりしも爾後執 拗に兵力增強に努めつゝあり、帝國陸海軍守備部隊の勇戰奮闘と相俟ち海軍航空部隊並びに海上部隊は敵兵力增強の阻止擊壤に努め兩島附近の上空及び海上において連日畫夜の別なく敵と交戰し、大なる打撃を與へ居れるも敵反攻の勢は侮り難きものあり |
02 | 敵戰鬪機八を擊墜 荒鷲重慶、萬縣に進攻 |
03 | 零陵をも急襲 |
04 | 熾烈火を吐く空中戰 隊長機に同乘重慶進攻に參加 |
05 | 羅馬非武裝化異議なし 米英、法王廳に回答の說 |
06 | 飛機增產へ挺進せよ 我本土爆擊は唯時間の問題 |
07 | 陸鷲會心の大爆擊 重慶、萬縣の軍事施設に巨彈 |
08 | 我荒鷲獨特の技倆 重慶空中戰の模樣 |
09 | 艦船擊沈破廿三隻 ソロモン群島十四日以後のわが綜合戰果 |
10 | 敵船三隻を擊沈破 陸鷲、揚子江を索敵 |
11 | 例の小出發表 在支米空軍が |
12 | 工場地帶に巨彈 敵側も損害を自認 |
13 | 對日戰前途遼遠 ケペツク會談に關聯し 米國陸軍省當局の言明 |
14 | 重慶市民恐慌 |
15 | 共禍徹底根絕 孫殿英將軍の 烈烈たる心情 |
16 | ベルリン來襲 爆彈を投下せず |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 反樞軸陣營の 對立又表面化 米英會談の內幕社說 一 ルーズヴェルトは十七日ケベックに到着し、所謂米英ケベック會談はそれ以來、連日反樞軸陣營の政戰兩略について協議を重ねてゐたが、愈よ會談も最終段階に入った模樣で、二十三日英國代表團のスポークスマンは、ロイター特派員ヴイイアンを招致會談の決定につき事情を洩らしたと傳へられる。ロイター特派員の報道に依れば、反樞軸軍は歐洲においてはフランス北部乃至はベルギー、オランダ兩國並にバルカン半島に上陸作戰を企圖、東亞戰線においては日本軍に對し新たな反攻作戰を決定したとの事である、併し世界の現戰局殊に第二戰線結成を意味する歐洲作戰は、米英ソの基本的政治的了解なくしては絕對に行ひ得ない段階に到達してゐる。從來の會談の如く、一應當面の軍事的協議に依り、政治的な對立面を廻避し糊塗すると云ふことを許さぬ現下の情勢である。第二戰線はソ聯の熾烈な要求で、米英側としても何等かの決定的措置に出なければならぬ破目に陷ってゐる。然るに第二戰線は、強力な獨軍の抵抗を前にしての決死的攻擊である。打算に終始する米英はソ聯との勢力分野の取引なしには大作戰を開始し得ないのである。イーデン、ヴェルズの訪ソが傳へられるのもこの間の消息を物語るものである。 二 ソ聯との政治關係調整に焦慮する米英側に對して、舞臺裏の現實主義者スターリン議長は、飽くまで自國本位の現實政策を維持して居り、夢の如き歐洲戰後經營や東亞戰介入に關する言質を與へることは正面から拒否してゐる。斯くの如くソ聯は米英會談に對し、終始傍觀的態度で臨んでゐるが、第二戰線に關しては始めから猛烈な即時結成要求を米英に突きつけてゐる。赤軍機關紙「赤い星」はソ聯の理解する限り、第二戰線とは獨軍兵力五十乃至六十箇師を東部戰線から引離す事を意味するものだと具體的に第二戰線の規模を規定してゐる。ソ聯にとっては西歐洲への上陸作戰によって、東部戰線から獨軍五、六十箇師團を牽制して貰ふことが焦眉の急務となってゐる。今次會談に於いてもチャーチルとルーズヴェルトとがハイドパークで會見した頃までは、ソ聯の要求を入れて一氣にフランス北部に大規模上陸作戰を敢行すべきか、或はソ聯の要求を無視して漸く辿り着いたシチリア島方面を基地として手堅く攻略の步を進めて行くかの兩論に分れてゐたが、結局ル、チの政治的決裁により、地中海作戰繼續に決定し、米英作戰當局がその具體的作戰を練ったと云ふのが、今次會談の內幕と推察されるのである。 三 上述の如き實情に對するソ聯側の抗議と見るべき事件が突發した、即ちスターリン議長は事前に何等の打合せも遂げず、突然駐米大使リトヴィノフの召還、後任に現米國駐在參事官アンドレフ・グロムイコを任命した旨を廿一日發表したのである、駐英大使マイスキーの召還に續くリトヴィノフの更迭で、米英政界に深刻な衝動を與へ、更迭理由について盛んに暗中模索を續けてゐるが、大體に於いて第二戰線問題に對するソ聯側の抗議の表現と見るべきである。ユーピー特派員の如きも、會談の真最中を選んでスターリンがリトヴィノフ大使を引揚げたことは會談の結果に對し、全面的に不滿な結果と見る外なく、ソ聯今回の措置は會談筋に深刻な衝擊を與へたと述べてゐる程である。又ロンドンタイムス紙もソ聯政府は恐らく種種の臆測が行はれることを充分承知して、今回の措置を斷行したものであらうと論じてゐる要するに今回の事件で反樞軸陣營の對立は、再び表面化するに至り、米英ソ三國間の作戰計畫を調整することは出來ない相談に終るであらう我等は反樞軸陣營のごたごたを認識すると共に、敵米英重慶に對し、擊てし止まむの戰意を昂揚するのみである。 |
02 | 百發百中の大戰果 敵は“航空整備に負けた” 海軍整備科豫備練習生制度の概要 |
03 | 東亞文化顯彰の秋 大東亞文學者大會に於ける 矢萩報道部長の挨拶 |
04 | お山鍊成の殿堂 高砂族霧社青年道場開場式 |
05 | 偉勳萬古に芳し 大東亞戰爭戰歿者合同告別式 前夜祭嚴かに執行 |
06 | 流石は工業の校長 發動機作業に專門的な質問 全國工業學校長の海軍航空隊入營 |
07 | 地軸を搖がす氣合 鄉軍臺北南第一分會猛訓練 |
08 | 街庄處務規則準則廢止 今後地方長官に制定を一任 |
09 | 開墾報國に燃ゆ 府勤報青年隊臺東訓練所開所式 |
10 | 栗原海軍報道 部課長祝辭 |
11 | 木炭增產打合會 |
12 | 日、伊間に新聞 電話を許可 |
13 | 全精魂に傾けよ 西村總裁一同を激勵 |
14 | 西村文教局長 臺東廳を巡視 |
15 | 羅東郡冬山庄では庄 民 |
16 | 明朗配給週間第六日 商店街淨化の日 戰職一途の奉公へ |
17 | 商工業者打合 |
18 | 蓖麻植付徹底週間 |
19 | 害虫驅除にヨイ子供が一役 |
20 | 人事‧消息報社消息 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 天晴れ‧擧州完納 米英擊滅この意氣で |
02 | 早期完納に凱歌 嘉義市民の赤誠 |
03 | 麗はし納稅美談 愛兒の重態秘して推進に敢鬪 |
04 | 勳章傳達式 |
05 | 曹洞宗北斗布教所 の祈願追悼法會 |
06 | 彰化市定例常會 二日に開催變更 |
07 | 派遣選士決る 鄉軍臺中州南部聯合分會 |
08 | 斗六郡下簡閱 點呼好成績 |
09 | 海志最後の試驗 臺南州二十九日から |
10 | 屏東市補助硬貨回收好成績 |
11 | 戰歿軍人軍屬 遺族を弔問 總督、知事代理官が |
12 | 貯蓄、保險座談會 |
13 | 體鍊科の強化へ 國民校擔任教師の講習會始る |
14 | 業態別組合 支會役員會 |
15 | 高砂族中堅女青鍊成會始る |
16 | 一人も遲刻者なし 三重埔青年團の動員訓練 |
17 | 戰時生活の實踐へ 皇奉臺中州支部九月の諸行事 |
18 | 二萬圓を献金 佐佐木紀綱氏 |
19 | 配肥施用督勵 臺中州けふから實施 |
20 | 國債消化百% 逞し、市民の底力 |
21 | 蓖麻增產に督勵隊 知事を總監に三部長が第一線へ |
22 | 強調週間を設定 蓖麻栽培に非農家をも動員 |
23 | 防遏戰士に慰問激勵文陸續 |
24 | 心強い貯蓄熱 屏東郡下の成績 |
25 | 軍事之栞 無敵陸軍の組織 參謀本部の歷史 |
26 | 羅東郡民赤誠献金 |
27 | 黃麻標準品查定會 |
28 | 北門郡のコレラ 猛威を逞しうす |
29 | 防遏戰線視察 宮尾知事第一線職員を激勵 |
30 | 新患三名は陰性 |
31 | 安心して心を弛めるな 完全撲滅は最後の五分間に |
32 | 平素の心掛第一 衛生思想に留意しませう |
33 | 小島技師來彰 |
34 | 嘉義商議所臨時議員總會 |
35 | 献金に感謝狀 |
36 | 丸山隆沃氏逝去 |
37 | 人事‧往來報社消息 |
38 | 地方多より |
39 | 今日の映画演劇 |
40 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 本島勤勞問題の指針(上) 國民教育と事業場との有機的一體化 暉峻博士の勞務視察報告成る |
02 | 內地產蔬菜種子 最高販賣價格指定 |
03 | 建設工事着着進行 (上)比島の成績至極順調 總會に於ける增田臺電社長演述 |
04 | 港灣荷役の變貌 勞務者需給跛行化 |
05 | 日發副總裁更迭 |
06 | 東部荒蕪地の解放 督府で對策考究中 |
07 | 臺電總會終了 宮木、高橋兩氏を 理事候補に選任 |
08 | 臺電理事候補 高橋氏の略歷 |
09 | 照明燈 |
10 | 商況(廿五日後場) |
11 | ラジオ |
12 | 水滸傳(1045)/黃得時;碇政彌 |
13 | 八月一日抽籤 戰時債券當籤番號表(其ノ一) |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 科學研究を御聽取 各帝大總長に晚餐を賜ふ 高松宮殿下頭條新聞 【東京發同盟】高松宮殿下には二十六日科學研究に寄させ給ふ有難き思召より科學研究動員に關し二十五、六の兩日開かれた帝國大學總長會議に出席の各帝大總長並に東京工大學長その他文部省關係官などを午後六時高輪の宮邸に召させられで晩餐を賜ひ大學における科學研究の狀況につき親しく御聽取遊ばされたが一同は光榮に恐懼感激、全學舉げていよく科學研究に努力し思召に應へ奉らんことを期し宮邸を退出した、 文部大臣謹話 本月二十日閣議において決定せられたる科學研究の緊急整備方策要綱實施に關し二十五日及び二十六日の兩日に亘り各帝國大學總長並に東京工業大學長の會議開催に際して平素學術には特に深き御關心を懷かせらるゝ高松宮殿下には二十六日午後六時各總長並に學長を宮邸に召させられわれく文部省關係者もこれに陪するの光榮を擔ひ大學における科學研究の狀況につき親しく御聽取遊ばされ且つ科學研究動員體制につき種々お話を賜はり總長、學長は勿論一同深く感激したしました次第であります、この上は思召の程を拜しまして只々微力を盡して科學研究の事に一層精進し全學舉げてその成果を收むるに渾身の努力を傾倒し以て思召に應へ奉らんことを期した次第であります |
02 | 敵船三、飛機十屠る 萬縣と三斗坪に進攻 わが荒鷲赫赫の戰果 |
03 | 完膚なきまで鐵槌 |
04 | 海外同胞を救恤せよ 丸山氏、國民に呼びかく |
05 | 數數の武勳を樹立 光榮の田邊彌八少佐 |
06 | 敵國在留同胞數 約五十七萬人 |
07 | 一擧敵十機を擊墜 漢口來襲の敵を邀擊 |
08 | 海鷲ムンダを痛爆 敵機九機、舟艇三隻を擊墜沈 |
09 | 北上中の敵巡七隻を雷擊 |
10 | 日歐交涉嚆矢の地 交換地に指定されたゴア |
11 | 奮戰の模樣(川野大尉語る) |
12 | 不落を誇る「空の巨鯨」 一機又一機と黑煙を噴く |
13 | 小癪廣東に も來襲 我に被害なし |
14 | 吳化文軍の大戰果 魯南共匪の擊滅戰で |
15 | 總計七十四萬圓 同胞救恤金應募額 |
16 | ベルリン爆擊 |
17 | 英東南亞細亞司令部新設 最高指揮マ中將任命 |
18 | 遊擊戰法に出るか |
19 | 有數の良港 マルマゴン |
20 | 米陸軍次官ら 西南太平洋視察 |
21 | 東部戰線空前 の大機動戰 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 行政簡捷化と 戰力增強社說 一 大東亞戰爭の現階段は既に決戰の連擊たる樣相を呈してゐるから、之を勝ち拔くには銃後に於て戰力增強の一點に集結せねばならない事は今や國民一般の常識となった。勿論戰力增強の要素たる生產力增強は國民各自の努力に俟たねばならないが一面に於て行政の簡捷化要請の聲が高かったから、東條首相は既に行政の簡素を以て一大方針として推進せられて來たわけである。周知の如く現在何かの緊急事業を計劃せんとするには總て行政の許可、資材の配給、各種の監督を受けねばならないが、若し官廳に於ける手續の複雜化によって許可及認可を得るために時日の遷延を來しては却って戰力增強の支障となるべきは明かである。ところが實際的狀況は官廳組織本來の非能率化やセクト主義等に煩されて折角行政簡素の方針が充分徹底されてゐない模樣である。 二 此の問題は單に官廳だけの問題でなく最近簇出した統制團體が多數相錯綜し中にも單なるトンネル會社の如く屋上に屋を架する嫌ひがあってこれがために官廳の非能率化と共に折角增強可能の生產力が充分發揮し得ない惱みがある。從って現在云為せられつつある增產の隘路は單に資材方面に存するのみでなく、寧ろ官廳及統制團體の複雜なる手續に原因するところも少なくない。最近內地に於て統制會社令の發布によってトンネル會社の全面的整理を企てられてゐるやうであり、近く本島にも施行せんとする意圖も內外地を問はず統制手續の簡素化を期せんがためであるといへよう。敵米英陣營に於ては殊に米國は能率主義を以て知られてゐるからかかる精神が多分に戰力增強に取入れられてゐる事は想像するに難くない、我國に於ては行政各般の簡捷化に對して更に一段二段と工夫を廻らすところがなければならない。 三 既に故人となった武藤山治氏は曾て政治の實業化を唱へられたが、固より政治と實業とは同日を以て論すべからざるも、若し政治も實業の如く其の能率を擧げなければならない面があるとすれば誠に傾聽すべき真理がないではない。平時ならばともかく、今や見戰力增強は現段階に於ける至上命令であり、之を助成すべき行政統制兩方面の簡捷化、能率化の要望が現時程急なる事はない。尚現在本島に於て計畫されたる農業關係の統合及商工營團の創設等の如く客觀的情勢の推移に伴ふ機構改革も早い程、戰力增強と密接の關係があるから、やるべき事は出來るだけ早く實現すべく一層と邁進すべき事を望まざるを得ない。 |
02 | 決戰科學陣の軍神 市原博士、車輛試驗殉職 戰略上に不滅の勳功 |
03 | “特殊緩衝裝置”成功 技術者の真面目發揮 |
04 | 宜蘭市で賞賜 物件傳達式 |
05 | 新文化の創造へ 必勝の信念をペンに活かせ 文學者大會熱烈な演說 |
06 | “戰爭に勝って下さい 一日も早くこの研究を完成して” 市原博士の遺言 |
07 | 輝く行賞の 御沙汰 |
08 | 陸軍技術本部葬は廿八日 |
09 | 市原博士に續け 科學で米英を擊滅 |
10 | 遺骨は廿九 日自宅へ |
11 | 國家の一大損失 木村兵器行政本部長談 |
12 | 獨立緬甸を聲援 印度志士飛入り演說 |
13 | 各地の皇軍を慰問 最上代議士一行來臺 |
14 | 陸軍技師に昇進 |
15 | “夫も本望でせう” 未亡人溫子夫人語る |
16 | 師魂の鍊磨に專心 女教員講習會開幕 |
17 | 大東亞文學賞 正式該當作品なし |
18 | 小さい時から 機械が好き 博士母堂語る |
19 | 皇民鍊成を促進 西村文教局長の訓示 |
20 | 綜合體育大會 三十日帝大競技場で |
21 | 木造船進水式 三十日林兼造船所で |
22 | 宜蘭陸軍病院 へ清掃奉仕 |
23 | 新竹州水產會 臨時總代會 |
24 | 南方俱樂部を結成 |
25 | 文壇に不滅の足跡 藤村翁の本葬 |
26 | 人事‧消息報社消息 |
27 | 訃文:武原喜子 |
28 | 訃文:丸山隆沃(王沃) |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 目指す最後の榮冠 臺中州下海志最後の銓衡試驗日割 |
02 | 師魂の昂揚へ 國民校校長の國精文化講習會 |
03 | 貯蓄に督勵隊 中壢街奉壯團で 大童の協力 |
04 | 青年團改組成る 晴れの結成、閱團式日割 |
05 | 明朗な生活に 生活必需品配給に監查員 |
06 | 國講講師の鍊成會 |
07 | 姙產婦への朗報 諸用品を確實に配給します |
08 | 集集街青年團 役員を委囑 |
09 | 堆肥增產に懸命 新豐郡で強調週間設定 |
10 | 陸海軍に各一機を献納 彰化市商奉團役員會で決議 |
11 | 漁業の內臺一體 高雄漁船員親合會組織 |
12 | 熱汗增產譜其四 造船の卷(下) |
13 | 增產は堆肥から 東石郡で指導督勵に大童 |
14 | 薙刀講習會 |
15 | 一日より開設 龍井郵便局出張所 |
16 | 軍事之栞 軍政の中央機關 陸軍省の組織 |
17 | 臺南州も全部完納 示す決戰州民の底力 |
18 | 屏東市に完納の凱歌 |
19 | 臺中州下產業 人鍊成會終る |
20 | 晝間働く若人に福音 實務講習會壽山學院近く開設 |
21 | 嘉義簡閱點呼 |
22 | 決戰貯蓄街頭 移動展を開く 一日新化街で |
23 | 國防訓練查閱 日婦善化街灣里 區班を指定實施 |
24 | コレラの早急絕滅 防空施設の整備、甘藷の增產等 高雄州支部九月の常會申合せ事項 |
25 | 潮州郡廿四日 に全部完納 |
26 | 注意事項の 嚴守要望 |
27 | 廿三日中に全部早期完納 新化郡民の赤誠 |
28 | 決潰排水溝復 舊作業に奉仕 新莊青年團の敢鬪 |
29 | 衛生施設の完備を勵行 高雄州完全撲滅に最後の努力 |
30 | 嘉義で豫防注射 |
31 | 虱目魚の魚苗 近く比島から大量輸入 |
32 | 臺南州も下火へ 昨日發生の新患僅かに二名 |
33 | 臨時大清潔を實施 |
34 | 鍛ふヨイ子供 羅東國民校の水 泳講習會 |
35 | 武原瑞造母堂 |
36 | 人事往來 |
37 | 地方多より |
38 | 市民の一段 の警戒要望 |
39 | 今日の映画演劇 |
40 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 本島勤勞問題の指針(下) 勞務研究會の創設提唱 暉峻博士の勞務視察報告成る |
02 | 石油副生物の 需給統制要綱發表 |
03 | 建設工事着着進行 (下)比島の成績至極順調 總會に於ける增田臺電社長演述 |
04 | 農村衣服に朗報 綿絲布百五十萬枚確保 |
05 | 船荷の積違ひ 關係當局で是正策講究 |
06 | 商工經濟會設置 基隆市等陳情 |
07 | 船內荷役を增強 荷役機關の相互流通で |
08 | 臺灣纖維製品 三十日に總會 |
09 | 臺灣有價証券 第二回總會 |
10 | セレベスは驀進する(一) |
11 | 國民貯蓄通帳 檢閱を實施 屏東郡で一日から |
12 | 經濟手帳 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況(廿五日後場) |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(1045)/黃得時;碇政彌 |
17 | 八月一日抽籤 戰時債券當籤番號表(其ノ二) |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 荒鷲連日の猛躍 在支米空軍に大痛擊 |
02 | 學徒の教育鍊成に 創意と工夫をせよ 東條首相大學の在り方を說く |
03 | 圖像:深い霧を通して空を睨む機銃隊(大澤海軍報道班員撮影‧海軍省許可濟第一〇一號) |
04 | 赤松陸軍大佐 少將に進級 南方で壯烈な戰死 |
05 | 山中の池の如き冷靜 經濟生活餘裕綽綽 比島視察團代表の日本印象 |
06 | 今後の施策に寄與 帝大總長會議終る |
07 | 不耕作地絕滅へ 男女青少年團の手で |
08 | 土地改良を重點に 本格的の戰時農政 |
09 | 圖像:炎熱下顏も手も油だらけとなり機銃を整備する勇士達 (於南太平洋〇〇基地)三枝報道班員撮影、海軍省許可濟第一〇一號 |
10 | 獨軍は樂觀的見解 東部戰線戰況に關し |
11 | 赤軍相當の苦戰 |
12 | ドンバスに集中 東部戰線戰局の中心 |
13 | アフチルカを 獨軍計畫撤收 |
14 | 赤軍戰車二百五十三臺擊破 |
15 | 獨の圖書損失 三百萬冊 |
16 | 伊軍發表戰況 |
17 | フルガリア國王 ボリス三世重態 |
18 | 一段の協力要望 青木大東亞相北京にて語る |
19 | セイロン島か 東南亞細亞軍 司令部の本據 |
20 | 財務署準則 統一協議會 企畫院で開催 |
21 | 陸海軍省訪問 來朝中のタイ國 軍事視察團一行 |
22 | 畑總司令官歸寧 |
23 | 一齊に罷業 米航空機從業員 |
24 | 鑛山業原價計 算の迅速化 |
25 | 農藥統制會社を創設 |
序號 | 標題 |
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01 | 明治神宮宮司 藤田尚德大將を補任 |
02 | 軍事援護強化と 學徒の戰時動員 全島の教育課長會議で綜合的策進 |
03 | 感謝奉公の念が 戰時生活の要諦 明朗配給週間を終へて友田配給課長談 |
04 | 圖像:ニユーギニア戰線に我が陸軍の進擊 |
05 | “五十六圓貯金” 故山本元帥の名に因んで |
06 | 守る秘密が國護る 防諜に國の眼となれ耳となれ 輕口が機密の出口 |
07 | 圖像:全島教育課長會議開かる |
08 | 南方派遣の要員 臺灣が最適の訓練所 寄臺の高岡代議士談 |
09 | 課稅問題が中心 在支公館長會議に出席した 笠原海南島總領事談 |
10 | 新竹市滑空場 整地終了 |
11 | 在廈日華官民 の水害義捐金 |
12 | 工場戰士の育成 州下四ケ所で講習會 |
13 | 學從盛夏に鍛ふ(5) 滑空訓練 |
14 | 慰問舞踊の會 廿九日公會堂で開催 |
15 | 乙種醫師實地 試驗合格者 |
16 | 父の勳を胸に 靖國の子ら鍊成終る |
17 | 羅東郡除草機講習會 |
18 | 元氣で勉強して下さい ヨイ子供達に畫劇表演 |
19 | “日日の誓”を朗讀 商賣人も亦決戰構へ |
20 | 宜蘭陸軍病院 へ清掃奉仕 |
21 | 農家一戶百本 花蓮港の蓖麻 獎勵 |
22 | 忠靈塔資金に 養老保險金寄附 |
23 | 代議士一行 長谷川總督が招待 |
24 | 紙卷「さくら」「あかつき」 太さを二十六耗に改訂 |
25 | 彈丸切手割增金 來月一日賣出から增額 |
26 | 興南詩苑漢詩 頃聞滬上書肆馳信欲向毓齋購書因以戲贈/覺齋、次小魯兄移居東山二首佳韵/蔡說劍 |
27 | 高雄臨時市會 |
28 | 行政區域編入案を可決確定 岡山街協議會で |
29 | 奉壯團郡支會 結成式を擧行 廿八日彰化郡で |
30 | 赤ちやん用 石鹼を配給 |
31 | 指南宮行 |
32 | 人事‧消息 |
33 | 今晚の放送 |
34 | 商況(廿七日前場) |
35 | 興南案內報社消息 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 石炭鑛業について 御進講を聞召さる 松本健次郎氏を召させられ頭條新聞 【東京發同盟】天皇陛下には二十七日重ねて松木健次郎氏を宮中に召させられ「石炭礦業について」と題する御進講を聞召された陛下にはこの日午前十時表御座所に出御あらせられ側近の松本宮相、本戶內府、百武侍從長、蓮沼武官長等にも陪聽差し許されて松本氏の御進講を終始御熱心に御聽取天機麗はしく入御あらせられたが炎暑の御砌にも拘はらせられず曩には豐田氏を始め各界の代表者を召させられ親しくその御進講を御聽取重ねて松本氏を名させられての御精勵の程は陪聽の側近者も我が戰力增強の上に垂れさせ給ふ大御心の程に恐懼感激申上げてゐる |
02 | 航空擊滅戰に集中 支那派遣軍週間戰況 |
03 | 正史編修を奏上 岡部文相きのふ參內 |
04 | 國內未開發鑛山の 一齊調查を實施 地下資源開發要綱を決定 |
05 | 松本會長謹話 |
06 | 正史編修の計畫 きのふ定例閣議で決定 |
07 | 敵四機擊墜と判明 廿六日の廣東來襲 |
08 | 敵機は進退兩難 出ては打たれ、退いても叩かる |
09 | 敵側、損害を小出し發表 |
10 | 產報勤勞隊を結成 隊員の自由離隊を認めず |
11 | 專門學徒を動員 新鑛床の發見に努む |
12 | 敵機三十七を 擊墜 樞軸空軍の戰果 |
13 | 村田軍政顧問 スマトラを視察 |
14 | アラカン悲劇を再演せん 英海上ゲリラ戰を企圖 |
15 | 赤軍の戰果僅少 莫大な損害を拂つて |
16 | 廈門日本商工會議所會頭 加藤臺銀支店長 |
17 | 赤機五千餘機を擊墜 夏季戰以來 |
18 | 米英共同聲明 發表か |
19 | ヴイナス宮殿全壞 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 宗教對策 不急の問題社說 一 最近臺灣に於ける在家佛教たる龍華、金堂、先天の三派合同を提唱し、新たに齋心宗と稱する新宗派を創立して嘉義に大本山を設置せんとの動きがあり、こと宗派の改廢に關する重大問題であるだけに頗る注目を引いてゐる。傳へられるところによれば嘉義市天龍堂の一部關係者が發起したものの如く、督府文教局の指示指導に基くと稱して先月來全島的に前記三宗派に呼びかけ、既に新宗制及新法式の制定を完成し審議も亦既に通過せりとて、九月匆匆に開宗の運びと聞くが、案外に賛同者が少ないため到底全島的な糾合は困難と見られるとは云へ既成宗教各派の廢合と新宗派の開宗とは本島宗教對策の根本に觸れるものであって、決して輕輕に取扱はるべき性質の問題でないことは今更言を俟たぬところである。況やその動機にもしも不純なものがあり單なる統制風潮に便乘するが如き輕擧でもあるならば嚴に警戒を要するは勿論、その上に督府文教局の指示云云を冒用するに於ては斷乎として取締らねばならぬと思ふ。 二 抑抑右に述べたる龍華、金堂、先天の三宗流はひとしく在家佛教とは云く、夫夫信仰の實體たる宗祖、教義を異にし、長き傳統と各自の齋堂及財產を有するものである。但し家に在りて生業を營み、菩薩の正道を修め、善行を躬行するは同一であり、そのために又自ら自家佛教と異り永らく一般良民の普き信仰を獲得し得た所以であらう。斯くの如きは或る意味に於て恐らく最も皇道大乘佛教の宗旨に適合するものと云ふべく、現代社會に應じて更に普及するものも不可ないことと云へよう。唯しかしながら現下の如き悽愴苛烈な決戰下、文字通り國家國民の總力を擧げて聖戰完遂に邁進してゐる秋各宗派とも須く皇國の道に則り熾烈な國民的自覺の昂揚によって奉公の務めを全うせねばならない茲に於て在家佛教信徒を包擁する各派齋堂の積極的活動を促すべく活潑な指示善導をなすべきは言を俟たぬところであるが、しかしそのためには慎重な研究に基く有効適切な指導方法が講究されねばならない。若し今回の三派統制による新宗派創立に見るが如きほんの一夜漬にしか過ぎない輕佻を以てするとすれば、遂に如上の目的を達成するに困難なるのみならず、却って好ましからざる心理的影響を與ふる惧れすら懸念せらるる次第である。 三 由來宗教對策は頗る微妙にして困難な問題である。本島に於ても數年前に寺廟整理でこの困難に逢着したのを契機として、總督府では改めて綿密な研究調查を行ひ、根本的對策については現在なほ慎重講究中であると聞くが、洵に斯くあらねばならぬ慎重な態度と云ふべきであらう。從って督府の根本的對策が未だ成らざるに早くも根本に觸れるが如き輕輕しき振舞ひは官民ともに慎しまなければならぬと信ずる。勿論根本對策を俟つまでもなく國家の要請或は時代の要求に即應したる有効適切な善導指導は不斷に行はなければならず、この點については文教當局特に臺灣佛教會や臺灣佛教奉公團の活潑な活動が期待せられると共に臺南に於ける佛教護國團の如き力強い自治的活動も亦大いに期待されるのである。若し夫れ根本對策の實施についてさきに述べたる如く事民心の機微に觸れる問題であるのみならず、現實に於いても皇國民精神の熾烈にして併かも科學的新教育を受けたる本島青少年層の生活圈外にある事柄であって見れば、聖戰完遂戰力增強を當面喫緊の焦眉問題とする現下其れは寧ろ第二義第三義的の問題と云ふベく、督府當局がこれを以て不急の問題となす所以も諒察せられるわけである。 |
02 | 輝く大東亞文學賞 晴の第一回受賞者 日滿華各二篇に決定 |
03 | 多大の成果收めて 大東亞文學者大會閉幕 |
04 | 現地當事者苦心座談會(2) 比島蔽ふ日本語熱 頭がよく覺えが早い |
05 | 市原博士の餘榮 畏し幣帛下賜の御沙汰 |
06 | 將兵も感激せん 佐藤軍務局長の挨拶 |
07 | 空の決戰へ巢立つ 献納陸鷲命名式に 荒鷲群が慶祝飛行 |
08 | 藤村司政長官 壯行晚餐會 |
09 | 神ながらの道宣揚に 社寺專任屬配置を指示 |
10 | 羅東郡の貯蓄好成績 |
11 | 戰力增強の一點に 內地では總力擧げて敢鬪してる 森部總務局長歸臺談 |
12 | 海軍特別志願兵豫備訓練 |
13 | 農家の協力者 新竹市增產報國隊を結成 |
14 | 守分、永野兩勇士 遺骨無言の凱旋 |
15 | 戰時災害保護法の運營 萬全期して市街庄を訓練 |
16 | 貯蓄、海事思想展 |
17 | 空襲何ものかは 大正街第十分區第五奉公 防空群の模範訓練 |
18 | 宜蘭郡の生產 增強週間 |
19 | 敵國抑留邦人宛 官製葉書差出上の注意 |
20 | 交換船とゴア人/坂口清 |
21 | 自慢の戰時食 臺中桔俱試食會を開く |
22 | 明日への反省 花蓮港市支會の 追加申合 |
23 | 花蓮港市特殊防護團結成式 |
24 | 大田澎湖廳長コレラ防遏作業視察 |
25 | 慰安映畫會 |
26 | 區常會運營研究會 |
27 | 臺北桔梗クラブ 新會員募集 |
28 | 北二中父兄會 |
29 | 人事‧消息報社消息 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 女屬官、技手が近く登場 臺南州全島に魁けて門戶開放 |
02 | 澎湖の今昔語る會 廳政運營資料に知名の士招いて |
03 | 里港、美濃兩庄の 街昇格近く實現 督府の實地調查終る |
04 | 鄉軍出場選士の合宿訓練を實施 |
05 | 義勇隊員合同慰靈祭 臺中州の日割決定 |
06 | 高額貯蓄割當 決定 |
07 | 高橋中尉散華 赫赫たる武勳遺し |
08 | 休まぬ產業戰士 高雄州產奉で表彰 |
09 | 指導理念把握へ 國民學校長の國精文化講習會 |
10 | 增產推進員 辭令交附式 |
11 | 熱汗增產譜其五 重工業の卷 |
12 | 皇軍の強さに吃驚 お山の爺さん婆さん感激を語る |
13 | 故張慶昌海軍 軍屬遺族弔問 總督知事代理官が |
14 | 勤報臺中第二 訓練所生一行 勇躍工事現場へ出發 |
15 | 彰化市で健民委員講習會を開催 |
16 | 軍事之栞 教育總監部 陸軍教育の中央機關 |
17 | 擧廳完納の凱歌 逞しい澎湖廳民の赤誠 |
18 | 全州民が防諜戰士 決戰下手紙電報書方のビラ配布 |
19 | “伜の仇は儂が擊つ” 夫を是非義勇隊員にと願ふ妻 お山に咲く軍國美談 |
20 | 防空に鐵桶陣 竹南郡で防空群查閱を實施 |
21 | 王育霖君、高文 司法科に合格 |
22 | 防遏戰線に凱歌 コレラ臺南州から姿を消す |
23 | 鹿港漁協組合長 に施水連氏任命 |
24 | コ疫新患なし 高雄署ほつと一息 |
25 | 赤誠の献金品 |
26 | 梅干多量入手 發生區域に配給 |
27 | 役場吏員の惡事 |
28 | 人事往來報社消息 |
29 | 地方多より |
30 | 今日の映画演劇 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 勤勞報國整備進捗 翼贊會勤報運營要領指示 |
02 | セレベスは驀進する(二) |
03 | 食糧增產座談會(二) |
04 | 島產加里鹽現はる けふ販賣價格指定 |
05 | 一期籾の蒐荷 大部分終了 |
06 | 再編成協力共助會の費用 關係團體より寄附金募集 |
07 | 洋傘の規格、價格改正 |
08 | 造船戰士 この鎚に天助宿る |
09 | 育業合資北港工 場產奉國結成式 |
10 | 重要物資非常回收 施行規則中央と合議 |
11 | 照明燈 |
12 | 米穀納入 組合會議 |
13 | 商況(廿七日後場) |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(1047)/黃得時;碇政彌 |
16 | 八月一日抽籤 戰時債券當籤番號表(其ノ三) |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 白晝病院船を爆擊 卑劣米の暴虐行為 ぶえのすあいれす丸船長談 |
02 | 我砲艦、二機を擊墜 白螺磯附近に敵機 |
03 | 香港を盲爆 |
04 | 圖像:南太平洋〇〇戰線を征く自動車部隊 |
05 | 青木大東亞相 王委員長等と懇談 |
06 | 獨佛の巨頭會見 |
07 | 內國旅費規則など改正 |
08 | 獨ソ兩軍死鬪展開 一進一退の激戰續く |
09 | 北氷洋で空戰 ソ機廿六臺擊墜 |
10 | 徵用勤勞の根本理念 應徵士服務規律十則を制定 |
11 | 被抑留同胞の救恤 國民の協力を要望 |
12 | 對ソ關係を檢討 華盛頓で會談 |
13 | オリヨールで 赤軍新攻勢 |
14 | 局地的攻勢 次次に失敗 赤軍作戰に重大蹉跌 |
15 | 英、西に通牒 覺書を提出 |
16 | 重慶に赴く豫定 マウントパッテン |
17 | 圖像:重慶進攻出發を前に作戰を練る陸鷲勇士 |
18 | 生活援護共助金を強化 自主的轉廢業者にも補助 |
19 | 西國政府言明 |
20 | 英米の「月賦承認」 佛解放委員會に對し |
21 | 適正堅實な 支出計畫 轉廢業の共助金 |
22 | ワシントンの戰ひ 大統領選擧戰に絡み 本格的な第二回戰へ |
23 | ウエルズの 辭職は確實 |
24 | 自作農創設の 擴充策を決定 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 作れ堆肥增產の本 非農家も總動員して 擧州草刈運動展開 |
02 | 大東亞建設の礎石 臺北市出身名譽の戰死者 |
03 | 賞賜物件傳達式 三十日基隆で擧行 |
04 | 坊さんも救護隊員に |
05 | 先づ草刈競技 四日北投山麓で開く |
06 | 基隆市は來月 に趣旨講演會 |
07 | 陸軍科學者を送る 市原博士の兵器行政本部葬 青山齋場で嚴肅に執行 |
08 | 金包里殉職 憲兵招魂祭 卅一日に嚴修 |
09 | 一萬五千圓献金 臺北州自動車運輸會社から |
10 | マラリヤ防遏指導 |
11 | “これで軍艦造つて下さい” 子供隣組が鐵屑献納 |
12 | 嚴肅な奉幣の儀 市原博士の遺德を慕ふ 弔問者ひきもきらず |
13 | 守る秘密が國護る(二) 諜報戰に平時戰時の別なし 慎め自慢話と正直話 |
14 | 鄉土食の實行 翼贊會實踐事項に取上ぐ |
15 | 印度の食糧割當 強化 |
16 | 華僑の送金增額 當局‧總公會に資料調查 |
17 | 新裝煙草黑潮 包裏圖案募集 |
18 | 學徒盛夏に鍛ふ(6) 銃劍術訓練 |
19 | 麗し偕老の契り 結婚諸儀も皇奉基準遵守の 松本、中原家の決戰結婚型 |
20 | 教育行事一部中止 教育課長會議で決定 |
21 | 敢鬪精神溢る 南署の防空查閱成績上乘 |
22 | 六つでこの揮毫 神童林振豐ちやん本社來訪報社消息 |
23 | 土曜音樂會 |
24 | 興南詩苑漢詩 殘夏客居偶成寄懷應社諸同人/雲鵬、次韻/虛谷、次韻/笑儂、次韻/渭雄 |
25 | 瀧野氏書記官に昇格 宮本氏は臺電理事へ |
26 | 自動車講習生に 組立修繕を教授 |
27 | 放送塔 |
28 | 人事‧消息 |
29 | 今晚の放送 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | アッツ島勇士に感狀 忠烈孤島に玉碎 北邊の守護神となる頭條新聞 【東京發同盟】氷雪濃霧に閉ざされたアリューシャン最西端アッツ島に我に十倍する敵を邀ヘて死闘する事二旬遂に去る五月二十九日白雪を血に染めて部隊長以下全員壯烈極まる玉碎を遂げた山崎部隊長並びに同部隊の忠烈鬼神を哭かしむる勇戰に對しこの程北東方面最高指揮官より感狀を授與されると共にこの旨今般畏くも上聞に達し山崎部隊長に對しては破格の二階級進級、米川中佐以下將梭九十三名、下士官兵全員に對しては夫々一階級進級の有難き御沙汰あらせられた旨二十八日陸軍省より發表された將官にして二階級進級の恩命に浴した者は曩の軍神加藤少將に次いで山崎中將が二人目であるが今回の山崎部隊長の二階級進級は部隊全員玉碎のため部隊個人々々の戰歷は不明に依り特に全部隊將兵の功績を代表する意味に於ける叡慮の程と洩れ承る、 (寫真は山崎部長) 陸軍省發表(八月二十八日十六時) アッツ島を守備玉碎せる山崎部隊並に隊長陸軍大佐山崎保代に對し曩に同方面陸軍最高指揮官より夫々感狀を授與せられしが今般畏くも上聞に達せられたり 感狀 山崎部隊 右は先づ米川中佐指揮の下鞏固なる團結を結成し有ゆる困苦を克服して孤軍長期に亘りアツツ島の確保に任し次て昭和十八年四月十七日山崎大佐を迎へて同官の指揮下に入り愈々戮力協心一意任務の遂行に邁進せり昭和十八年五月十二日優勢なる敵米軍はアツツ島を奪回すべく海空よりする攻擊を伴ひて上陸反攻を開始す諸隊は豫て期しある所寡兵克く果敢なる攻勢を以て敵の上陸を阻止し特に東部海岸地區に於ては多數の舟艇及部隊を擊滅す次て南部海岸地區を確保困難となるや峻嶮なる山地に據りて敵の攻擊を破碎し武器損耗し糧食缺乏するや岩石を投し殘雪を嚙み愈愈必勝の信念を堅持して激戰血鬪する事約二旬に及へり此の間敵の上陸部隊は日と共に增加し火力就中艦艇及航空機に依る砲爆擊は益益熾烈を加へ一木一草の掩護無き山上、死傷漸く累增し一隊斃れて一壘陷り纔かにアツツ島東北部を確保するに至る玆に於て五月二十九日全員玉碎以て盡忠の一誠を效さんとし行動不能の傷病者は潔く自決し山崎大佐を核心とする百數十名熱鐵の一團は深く敵中に突入して之を潰亂せしめたる後盡く北海の地に散華せり 右は諸隊が至難の戰局に處して堅忍不拔攻擊精神旺盛にして團結鞏固克く尨大なる物質的威力に抗して至高なる精神的威力を發揚し敵に甚大なる損害を與へて其の心膽を奪ひ以て全局の作戰に至大の貢献を為せるものにして其の行動は正に皇軍の精華と謂ふべく武功真に拔群なり 仍て玆に感狀を授與し之を全軍に布告す 昭和十八年七月十四日 北東方面陸軍最高指揮官 感狀 アツツ島守備隊長陸軍大佐山崎保代 右はアッツ島陸軍部隊を指揮し至難なる狀況の下同島の確保に任し率先躬行と至深の溫情とを以て克く鞏固まる團結を固成せり昭和十八年五月十二日敵米軍は極めて優勢なる兵力を以てアツツ島に上陸し海空よりの攻擊と相俟って一擧に同島を奪取すべく我に猛攻を加ふ、大佐は先づ水際に敵を擊滅せんとし寡兵克く各方面よりする攻擊を破碎し次て敵の兵力愈愈增加するや五月十七日以降アツツ島東北部の嶮峻なる地域に據りて極力持久を策し屢屢反撃を加へて敵の攻擊を挫折し陸海空よりする熾烈なる敵火力の下頑敵に對して連日激戰する事約二旬之に甚大なる損害を與へたり、此の間大佐は常に勇猛沈着難局に對處して一兵一彈の增援を望まず毅然として必勝を確信し敵擊滅の一途に邁進す、然れども我が軍の死傷亦漸く累增し遂に健在する者僅かに百數十名となるに至る、玆に於て大佐は殘存兵力を擧げて敵に最後の大鐵槌を加へんと決意し一切を處理して神色自若殘存全員虜囚の辱を受けざるの決意鞏く傷病者盡く自決せるを確認し五月二十九日夜躬ら攻擊隊の先頭に立ちて敵集團部隊深く突進し部下全員と共に碧血を以て殘雪を彩り潔く北海の孤島に玉碎せり 以上の如く山崎大佐は高邁なる武德を備へて部下景仰の中心となり鞏固なる意志を以て職責遂行に邁進し盡忠の至誠に徹して死生の間愈愈冷靜沈着指揮最も的確なり、就中七生滅賊の精神を根基とする決戰場裡最後の行動は以て皇軍指揮官の龜鑑とすべく其の武功真に拔群なり 仍て玆に感狀を授與し之を全軍に布告す 昭和十八年七月十四日 北東方面陸軍最高指揮官 |
02 | 進級の恩命を拜す 山崎部隊長以下戰死將校 |
03 | 敢鬪‧敵の心膽奪ふ 熾烈碧血で殘雪彩る |
04 | ブインで六機擊墜 我方には被害なし |
05 | 玉碎監視隊廿六氏 通信事務官佐藤氏以下 |
06 | 海軍守備隊の玉碎 陸、海渾然一體の突擊 |
07 | 略歷 |
08 | 海軍守備隊長 江本中佐略歷 |
09 | 〇〇少佐談 航海術の權威者 江本中佐生前の風格 |
10 | 父の遺影の前に平伏 山崎中將の遺兒保之君の感激談 |
11 | アツツ忠魂に續け 一億國民鐵石の決意 |
12 | 最後まで動搖せず 富嶽の如き武人魂 |
13 | 英靈に應へよ 富永陸軍次官談 |
14 | 村擧げて感激 山崎部隊長生誕 の地木生村 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 苛烈な爆擊戰の現實を正視 堪へ切る覺悟を確立社說 一 今次世界大戰と第一次歐洲大戰を比べて最も大きな相違は空軍が非常に發達した為め、國內の凡ゆる場所が直接敵の攻擊に晒され、前線と銃後との區別がなくなり、深刻な國民總力戰の形がますます濃厚に現はれてゐることである。殊に歐洲最近に於ける反樞軸空軍の爆擊は軍事施設並に各工場に對する制限をせず、生產に從事する一般市民の住宅をも狙ひなるべく多くの銃後國民を殺傷することを目的にしてゐるので、國民に與へる慘禍は想像以上である。昨年十月のベルリン爆撃以來、反樞軸陣營は「一千機空襲」の合言葉を使ってゐるが、實際に於ては五百乃至七百機が爆擊行に參加してゐると傳へられ、ハンブルグの如きは住宅の七割も損害を受け殆んど廢墟に歸したと傳へられてゐる有樣である。その他ベルリン、ローマ、ナポリ北伊等も相當大規模の爆擊を受けてゐる。 二 而もその爆擊方法は一地方の攻擊に四發重爆擊機五百機から七百機位を集中的に用ひてゐるが、各機に四噸乃至五噸程度の爆彈を搭載出來るので、一回に二千噸以上の爆彈を市民の頭上に降らせるのだからその凄烈さたるや以て想像すベしである。又爆彈も次第に大きくなり、「空中地雷」と稱する三噸半以上の超大型爆彈も各地に投下されてゐる。又萬年筆、懷中電燈、玩具等に偽裝した非人道的な小型爆彈も使用されてゐる。その他燐や油に藥類を詰めて落下後に擴がるやうに作られた二百キロ以上の大型燒夷彈も用ひられ、攻擊を受けた地域は一面火の海となり、文字通り根こそぎ潰滅され、市民を四方から火の海に包まれて皆殺しと云ふ全く殘虐そのものである。これは米國雜誌が嘗つて東京爆擊の方法として發表したのと全く同じであることに吾吾は特に注意しなければならない。 三 敵は歐洲に對する空爆の戰果及びその自信を以て、必ずや我が本土爆擊を開始するものと覺悟しなければならぬ。最近に於ける在支米空軍の蠢動、南方に於ける島嶼基地への推進作戰、北方基地の建設等の事實は敵の魂膽を明白に示唆してゐる。敵米空軍數機は去る十二日我が北千島を爆擊したが、戰局の重點に伴ひ、敵の對日反攻はその範圍と規模を擴大複雜化するは必至である。今次のケベック會談に於て敵側は頻りに「日本軍に對する攻擊作戰」を強調してゐるが勿論敵米英が何について會談しやうと、吾吾は特に氣にする必要はない。只今後敵の行はるべき爆擊は必ずルーマニヤ油田爆擊程度の長距離爆撃にして、然もハンブルグに匹敵すべき大規模爆擊であることを豫期しなければならぬ。この際我我國民は敵の爆擊に對する準備と覺悟を確立しなければならない。即ち民防空の措置につき間斷する所のない「待つあるの體制」を確立し如何なる空爆にも堪へ切る覺悟を今から決めなければならない。 |
02 | 荒ぶ海に決死の連絡 ホルツ灣上武勳永へに薰る ああ玉碎小林隊勇士 |
03 | 聖地へ一鍬又一鍬 三部隊の將士忠靈塔へ淨汗奉仕 |
04 | 日本と同生同死 泰國外務大臣の寄臺談 |
05 | 玉碎の決意固し 水彩畫に偲ぶ勇士の心境 |
06 | 岡田軍屬が 輝やく散華 |
07 | アッツ島の英靈に/火野葦平 |
08 | 奉公袋を活用 國民貯蓄の目的達成に |
09 | アツツ島勇士に捧ぐ 盟邦から感激の詩文 |
10 | 銃後國民への指標 アツツ魂の片鱗を窺ふ 勇士最後の便り |
11 | 柳田伍長名譽 の戰死 |
12 | 日本の決意牢固 ウイチツト外相歸泰談 |
13 | 學徒達も鐵の鍛へ 三部隊で軍事講習 |
14 | 變る米機の標識 赤の枠に水色の星形 |
15 | 北投街葬を執行 |
16 | 新幹事を任命 島都奉壯月例幹部會 |
17 | 皇軍協力の美談 自轉車事故の兵隊さんに 自分の所有車を提供 |
18 | 第二回勞務者 鍊成會 |
19 | 臺大教授四氏任命 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 學園から田圃へ 農實、國民校の農業擔任教師を 各街庄囑託に起用 |
02 | 蓖麻の增產供出 彰化郡で督勵隊組織 |
03 | 賞賜物件傳達式 きのふ市長公室で擧行 |
04 | 奉公班常會に“活” 知事以下各市街庄を推進行脚 |
05 | 藤田上等兵を 弔ふ員林街葬 嚴かに執行はる |
06 | 不退轉の精神を涵養 屏東市で青少年團鍊成會 |
07 | 彰化市葬 七日公會堂で執行 |
08 | 愛兒の死顧み ず職責を完遂 警防團員の美談 |
09 | お山の青年の體力檢查 |
10 | 軍事之栞 陸軍の教育機關 夫夫專門兵科に分つ |
11 | 日當を献金 |
12 | 故黃、何兩特 設奉公團員 無言の凱旋 |
13 | 中堅農村青年 の農事講習會 大溪郡で開く |
14 | 嘉義市參事會 豫算追加可決 |
15 | 知事さんも蓖麻增產戰士 州內全職員が栽培に汗の奉仕 |
16 | 女子青年を鍛ふ 竹南街で第三種訓練所開設 |
17 | 在駐部隊を慰問 最上代議士一行臺中へ |
18 | 嘉義陸軍病院を懇ろに慰問 |
19 | 專管助役の慰問激勵行脚 立川總務部長が |
20 | 彰化市幹部常會 |
21 | 尚武精神の昂揚へ 各市郡で銃劍術振興會を結成 |
22 | 斗六稅務出張所管內完納 |
23 | 硬貨回收に一役 日婦新莊郡支會役員の敢鬪 |
24 | 早く豫防注射を 免除者は特に警戒要す |
25 | 新患の發生皆無 市內遮斷區域近く解除 |
26 | 警防團、家庭防空群の猛訓練 |
27 | 叭增產競技會 |
28 | 約束を履行しない 臺灣交通會社に對して 埔里保甲代表說諭願提出 |
29 | 苗栗郡支會壯 年團長會議 |
30 | 苗栗郡支會 各分會常會 |
31 | 新部員を募集 臺南市桔梗俱樂部 |
32 | 臺南州醫師會 役員會を開催 |
33 | 人事 |
34 | 地方多より |
35 | 今日の映画演劇 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 貝山氏歸臺談 交易營團管理物資 本島の移入量決定 |
02 | 石炭統制會員宣誓 |
03 | 食糧增產座談會(三) 甘蔗作の技術的改善 |
04 | 勤勞管理委員會 專賣局で開催 |
05 | セレベスは驀進する(三) |
06 | 食糧の平面的增產 土地改良の早急完成へ |
07 | 臺灣磚茶創立 社長田川氏に決定 |
08 | 產組人の講習會 十月一日より開催 |
09 | 婦女子水稻除草鍊成會 彰化郡日婦支會を中心に開催 |
10 | 臺灣興業信託總會 配當六分に決定 |
11 | 照明燈 |
12 | 經濟手帖 |
13 | 商況(廿八日前場) |
14 | 島內株仲值表 |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(1047)/黃得時;碇政彌 |
17 | 八月一日抽籤 戰時債券當籤番號表(其ノ四) |
序號 | 標題 |
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01 | 日、華は不離一體 石渡國府顧問縱橫談頭條新聞 【東京發同盟】對華新政策實施に伴具體的施策について中央と打合せのため上京中であった石渡國府經濟最高顧問は去る二十六日の帝國ホテルにおける東亞經濟懇談會との會同を最後に要務を終へ二十九日東京驛發歸任の途についたが出發を前に參戰中國について次の如き縱橫談を試みた、 中國參戰と我が謝華新政策の實施によつて日華の關係は愈々不離一體に深められたがこれは言って見れば想思の愛人同志が晴れて結婚したやうなもので盛上る兩著の氣持が期せずしてそこに一致したのだ、大東亞戰爭以來、中國民眾は支那事變に續く重慶の謂はれなき抗戰が蔣介石の衛星たる買辦財閥群との結託により中國、延いて大東亞を米英金權の前に賣渡さんとする叛逆陰謀である□をはっきりと看破り民心は急角度に國府の傘下に凝集しつつあった中國の對日信賴感が同甘共苦から同生共死に高められ國府が蹶然米英に參戰を宣したのはこうした民心動向必然の歸結であつたがこれを契機とする帝國の在華全租界の還附、法權撤廢等の所謂對華新政策の英斷的措置も亦中國の自主完整、 國府の政治經濟力の伸展、強化を祈念する友情の發露に外ならぬ、この間にはケベツク會談のように、親同志の利害打算から息子や娘に政略結婚を強ひるような駈引は微塵もなかつたのであるこのことは中國民眾に征戰意義を愈々認識せしめると共に汪首席の捨身の建國精進の神隨に觸れしめ中國民眾の感得したものは想像を越えて大きいものがある、由來中國民眾には一見大きいものには負けろ、長いものには卷かれろと言ふ没法子思想があるが反面伸々外柔內剛で一旦決心したことは容易に飜へさん根強さがある、重慶の欺瞞政策の全貌が完全に剝げ落ちた今となって重慶に對する中國民心の反撥は物凄い憎惡となってぶつつけられてゐる、中國の歷史が語つてゐるようにこうして一度民心の反撥を買っては最早最後だ、最近の相踵ぐ抗戰軍隊の崩潰、和平陣營への參加、重慶少壯官僚の南京復歸の實情は何よりもこれを雄辯に物語るものである、內にこうした民心の離脫反撥國共關係の複雜な葛藤、外からは刻々と米英から首枷を締めつけられ重慶は刻々亡命政權の性格を深めてゐる、汪主席は上海租界接收直後上海において「中國は思想を統一し兵站基地たるの責分を固め以て盟邦と共に大東亞戰爭を勝ち抜かん」ことを國民に要請した所謂「上海宣言」を發し帝國の友愛に應へて進むべき國府今後の方略と決意とを闡明した、注主席は同宣言において米英思想に毒せられて祖國を見失へる中國人に對して大東亞の中國人に還り盟邦と 共同の戰列に起でと叫び迷夢醒めないものには誅滅の刃を揮ふも厭はぬと嚴然二捨擇一を迫る一方民生を安定し生產を增強して大東亞戰爭における兵站基地たる中國の至上使命完遂に猛進する決意を述べたが間もなく上海綿糸布強制買上げの劃期的政策を斷行した、永年上海の米英勢力の蔭に巢喰って私腹を肥やし中國を毒して來た眼中祖國なき中國人に對して下された利劍であり同時に祖國への復節を勸告した愛の答でもあった、上海の中國側綿糸布業者の全部がさうであるとは言はぬがその大多數の買辨的財閥群は抗戰重慶の有力なる一環であり源泉であつた、國府がこれに鐵槌を下したのは內政措置であると同時に重慶に對する實に國府南京還都以來の歷史的な直接攻勢の初彈であったと言へる、正に國府の長鞭途に重慶の馬腹に及んだのである、斯く見れば今回の對華新政策の意義の重大さを諒解出來る譯であらう、中國の土着資本の問題でよく論議されるが中國、殊に上海の資本は殆んど物の形に替へられてゐる、總ゆる物資の夥しいストックは優に日華數年の需要に應じ得るだらう、綿糸布の強制買上斷行によつてこれらの物資動員の初彈は放たれその後の報告によれば國府の毅然だる所信遂行態度と我が絕對支持とによって買上業務は順調に進んでをると言ふことだこれら買上綿糸布が 所期の如く運營され中支の低物價實現を誘發し奧地物資流出を誘導することになれば民生は必然安定し延いて生產の增強を招來し汪主席の宣明した大東亞戰爭兵站基地たる參戰中國の使命に向つて一步推し進めることになる次第である、占領地區の治安は皇軍鐵の護りに加へて清鄉工作の成功と重慶軍隊の退嬰傾向と相俟って最近顯著となつてゐる、殊に廣東地區は治安の良化による珠江三角地帶の豐穰な米、農產物がどんく廣東に出廻って民生が安定し北支の懸案も着々解決に向ってゐる、一言にして今國府治下の中國は非常に明るい希望に滿ちてゐると言ふことが出來る、だが大東亞戰爭は益々苛烈深刻の度を增のである、中國參戰、我が對華新政策實施は日華連繋決戰體制の初夜であり波瀾の大東亞戰爭をよく勝ち抜き得ると否かは日華兩當事者否兩國民今後の覺悟と精進との如何にかゝつてゐるのである歸任の上は中國朝野並に在華邦人の健闘勇戰を充分要請する積りだが、この觀點に徹しての惜しみなき國府支援を內地關係者にも要請して巳まぬ所である (寫真は石渡顧問) |
02 | 擊墜七十九機に上る 七月廿三日以來わが陸鷲の戰果 在支米空軍の徹底的擊滅を期す |
03 | 圖像:寒氣と鬪ひながら哨戒を續ける勇士於北洋〇〇基地佐野特派員撮影陸軍省檢閱濟 |
04 | 輝く感狀を傳達 懇ろに山崎部隊長の遺族訪問 |
05 | 日本人此處にあり 非戰鬪員も勇士と共に玉碎 荒木大將の感激談 |
06 | 小癪、長安來襲 米機一機を擊墜 |
07 | 全く用をなさぬ 米空軍の落下傘 粗末な人絹、一人も助からず |
08 | 國民景仰の念昂揚 山崎玉碎部隊に對し |
09 | 國際展望 |
10 | 鎮江の清鄉狀況 視察終へて汪主席談 |
11 | 山崎部隊長遺族 皇恩の宏大無邊に感激 |
12 | 獨潛水艦隊 敵巡二隻を擊沈破 |
13 | 汪主席歸還 |
14 | 米川大佐を偲ぶ 石倉軍醫中尉語る |
15 | 勃國王ボリス三世逝去 |
16 | シメオン殿下 王位を御繼承 |
17 | バ首相演說 獨立國ビルマは 斷乎戰ひ拔く決意 |
18 | 皇軍の公正な爆擊 重慶市民は冷靜 |
19 | 勃國政府發表 |
20 | 敵艦二隻屠る 獨空軍大西洋で |
21 | 全國の稻作順調 端境期の食糧萬全の陣 |
22 | ウエルズ退陣 保守派の勝利 米戰時外交策動搖 |
23 | 既に辭表提出 ウエルズ次官 |
24 | 東部戰線戰況 |
25 | ベルリン來襲 |
26 | 英機六十擊墜 獨空軍と地上砲火 |
27 | 獨當局否定 ソ聯との和平說を |
28 | 久留米市に 造幣工場新設 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新生活の創造へ 簡素、間に合せを旨に近く 決戰新生活運動展開 |
02 | 賞賜物件傳達 蘭陽一市三郡 あす擧行 |
03 | 現在當事者苦心座談會(3) 在留民も一致協力 比島を蔽ふ日本語熱 |
04 | 劍道と畫の達人 ア島玉碎の渡邊中佐を語る佐佐木少佐 |
05 | 夏に挑んで鍛へる 勳兒遊戲に打ち興ず |
06 | 父の仇を討て 烈烈、我が子を勵あす 未亡人エイ子さん |
07 | 忠靈塔建設の奉仕作業 臺北陸軍兵事部職員 |
08 | 一千甲步を開墾 食糧增產に適地調查 |
09 | 一路醫道報國へ 全島齒科醫島都で鍊成會 |
10 | 敢鬪に繼ぐ敢鬪 花蓮港廳戰技鍊成大會 |
11 | 青少年團體 鍊成會 |
12 | 音樂と舞踊の會 遺家族を招待慰安 |
13 | 泰外相邦人記者團と會見 日本との協力 全東亞民族の至上命令 |
14 | 食糧增產に協力 非農家の增產報國隊結成 |
15 | 羅東模型機競翔會 |
16 | 汽罐講習會 |
17 | 花蓮港廳水泳 鍊成大會 |
18 | 戰ふ獨逸の力 ヒトラー‧ユーゲントの活躍 |
19 | 新竹市奉壯團 桔俱と懇談會 |
20 | 山羊の飼育獎勵 花蓮港廳下に先づ二萬頭 |
21 | 花蓮港郵便局の 簡保新加入好成績 |
22 | 蓖麻種子配布 新竹市栽培獎勵 |
23 | 新任臺大四教授の略歷 |
24 | 南方行軍屬 募集 |
25 | 用紙節約運動 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 決戰教育魂を體得 中等校教員の軍事講習會終る |
02 | 嚴正な中に和かさ 尊い體驗を學園で生かしたい 各校代表感想を語る |
03 | 記念式を擧行 臺中桔俱發足一周年 |
04 | 目指す海の護り 臺南州海志最後の銓衡試驗始る |
05 | 皇軍眾議員 慰問團一行 三十日に高雄へ |
06 | 全郡民を動員 害虫驅除に敢鬪 |
07 | 奉戴日を職場 整頓日に設定 臺東廳勸業課で |
08 | 白衣勇士を慰問 彰化郡日婦支會幹部臺中へ |
09 | 集集街皇奉參與委員委囑 |
10 | 鄉軍臺南市東分會總會 |
11 | 苗栗街の硬貨 回收好成績 |
12 | 軍國の家の美擧 |
13 | 捨てる廚芥で養鷄 高雄市で獎勵を開始 |
14 | 農民魂の涵養へ 廳下一齊に鍊成會開催 |
15 | 模範防空群を選定 新莊郡、空の護りに萬全策 |
16 | 彰化郡奉壯團 晴れの結成式 郡會議室で擧行 |
17 | 訓練を終へて近く解隊 興亞勤報旗山第一次訓練生 |
18 | 蓖麻栽培に郡 職員が垂範 |
19 | 鬪ふ婦人防衛戰士 日婦大正區班の國防訓練查察 |
20 | 阻害原因を究明 高雄市で生產增強調查實施 |
21 | 苗栗街日婦分會の國防訓練 |
22 | 市議月例會 |
23 | 全市民の防遏協力奏効 廿六日から新患の發生皆無 |
24 | 昨日から解除 旗後との遮斷 |
25 | 日赤巡回診療 臺南州下の日割 |
26 | 彰化水利組圳頭祭 |
27 | 岡山郡下街庄長の連絡會議 |
28 | 臺東廳の生活工藝品座談會 |
29 | 赤誠の献金品 |
30 | 臺東協同漁業 組合創立總會 |
31 | 人事報社消息 |
32 | 地方多より |
33 | 今日の映画演劇 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 決戰婦人の心構へ(一) 國家防衛の觀念/佐佐木榮三郎 |
02 | 文化 新しき聲/蒲原有明 |
03 | 編輯者の立場から 偉大なる裂帛の雄叫び/小石原勇 |
04 | 默默たる強み アツツ島の忠靈に應へて/阿部靜枝 |
05 | 思ひ出の處女作(三) 蟻一匹の仕事/楊逵 |
06 | 決戰川柳/野狐禪 |
07 | ブリテン島/水島清 |
08 | 白柚吟社句集 |
09 | 文化消息 |
10 | ラジオ |
11 | 八月一日抽籤 戰時債券當籤番號表(其ノ五) |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 主要食糧について 畏し‧御進講御聽取 石黑忠篤氏を召させられ |
02 | 在支米空軍擊滅戰 廿日より廿八日迄荒鷲の綜合戰果 |
03 | 滿洲國の發展祝福 新京着の青木大東亞相談 |
04 | 圖像:陸鷲重慶に進攻戰友の萬歲に送られて勇躍〇〇基地出發 |
05 | 獨空軍ア港奇襲 |
06 | 學徒荒鷲の感激 後進に贈る實戰の體驗 |
07 | 圖像:在支米空軍擊滅へ整備完了、出動命令を待つ我が陸鷲〇〇基地にて井上特派 員撮影、陸軍省檢閱濟 |
08 | 政府首腦を招待 時局に關し懇談 重臣側、招待の返禮の意味で |
09 | 獨潛艦隊の戰果 地中海と北氷洋で |
10 | 西シベリア沿岸 最初の戰果 |
11 | デンマークに戒嚴令を布く |
12 | 獨軍司令官布告 |
13 | 國民の真價/肥後和男 |
14 | 佛傀儡政權を 承認せず ボリヴイア政府 |
15 | 伊軍戰況公表 |
16 | 後藤副總裁談 烈烈盡忠の精神 我等の心肝に徹する大教訓 |
17 | 鬪志と熱情の武人 坂上報道班員、江本中佐を語る |
18 | ボリス三世の葬儀 九月五日に決定 |
19 | 東部戰線の戰況 |
20 | ブルガリア王妃に ヒ總統弔電發す |
21 | 伊軍戰況發表 |
22 | 米、英不安 リ大使召還に |
23 | チアノ元外相 看視網を脫出 |
24 | 蠶糸金融の シ團を結成 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 武勳輝やく山崎中將 北白川宮大妃殿下の こよなき御優遇を忝ふす |
02 | 精神援護を強化 譽れの遺家族鍊成につき 軍援臺灣本部諸行事實施 |
03 | 賞賜物件傳達 中川中尉外五十 七氏に |
04 | 御神刀を奉納 一日護國神社で奉告祭 |
05 | 幼き胸に溢る赤誠 軍司令部へヨイ子供達の 献金品部隊が殺到 |
06 | 基隆郡の傳達式 |
07 | 知事の格上げ 俸給令改正發令 |
08 | 守る秘密が國護る(三) 一億擧って防諜戰士たれ |
09 | 體力檢查成績上乘 曾田府衛生課長語る |
10 | 中國の推進力培養 上海の青年夏期集訓營 |
11 | 陸軍病院慰問 |
12 | 臺北州國民學校 教職員綜合大會 |
13 | 職場整頓週間 十三日から開始 |
14 | 新に電氣科設置 充實する拓南訓練所 |
15 | 體驗を教壇に 女教員鍊成終る |
16 | 農村慰安映畫 四日から巡映 |
17 | 家族の元氣な姿 慰問文織込んで前線へ |
18 | 軍馬慰問 |
19 | 強盜殺人犯逮捕の殊勳者 北署の兩刑事 中村高等檢察官長から表彰 |
20 | 鹿場大山の木材 愈よ臺拓の手で伐採 |
21 | 臺大工學部 校舍上棟式 |
22 | 拓南工業戰士訓練所生徒募集 |
23 | 防空施設の強化 これからの空襲と對策 |
24 | 興南詩苑漢詩 次雲鵬韻/雪峰、次韻/雪峰、贈清風莊院長岡村先生大國手/臺南 杏庵、壽長谷川君弘四十/杏庵 |
25 | 放送塔 |
26 | 今晚の放送 |
27 | 興南案內報社消息 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 苛烈‧航空決戰續く その都度敵に多大の損害頭條新聞 【南太平洋○○基地二十九日發同盟】南太平洋方面においては連日彼我の間に苛烈悽愴なる航空決戰が續けられ敵米空軍の量を恃む反攻振りは輕視すべからざるものがあるがわが方はその都度敵に多大の損害を與へてこれを擊退してゐる即ち八月二十八日午前B二五、P三八より成る敵約四十機がニユーギニヤのハンサに來襲わが戰闘機は直ちに舞上りこれを邀擊してB二五、五機を擊墜わが方の損害頗る輕微である同二十九日午前更に敵はマダン附近にB二五、B一七、P三八計約約四十數機をもつて來襲したがわが防空彈は直ちに高射砲の齊射をもつてB二五、二機を擊墜わが方の損害極めて輕微である又同二十九日午前敵の他の一隊はウェワクに對しB二四P三八より成る五十數機をもつて來襲わが戰闘機はこれを邀撃し猛烈なる空中戰を演じてP三八、三機B二四、六機計九機を撃墜したがこの戰闘においてわが方も未歸還四の尊い犧牲を出した |
02 | 我水雷戰隊の猛威 コ島沖夜戰で遺憾なく發揮 |
03 | 敵擊滅に武勳赫赫 遂に南方、大陸で壯烈な戰死 陸軍關係の論功行賞發表 |
04 | 恩命に輝く勇士遺族 |
05 | 圖像:ドバマ‧シンエイサ黨の宣誓式 |
06 | 共存共榮の實擧ぐ 樞軸國最後の勝利を確信 天羽總裁外人記者と會見 |
07 | 敵機アキヤブに來襲 |
08 | 異つた性格を持つ 世界の三大戰場 歐戰第五年を迎ふ戰爭樣相 |
09 | ニユーヂヨーヂア敵陣地を爆擊 |
10 | 翼贊會辭令 |
11 | 生甘藷の價格 九月一日告示實施 |
12 | 全國營林局事 業部長會議 |
13 | 米新標識採用の 効能を並べる |
14 | 漢口の敵產 中國側へ移管 |
15 | タイ軍事視察團 海軍航空隊視察 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 食糧增產と 農村の教員 農業教員の役割社說 一 食糧自給體制の確立は、戰局の深刻化に伴ふ絕對緊急な課題である、政府も過般土地改良を中心とする萬全の第二次增產對策を決定したが、所期の成果を擧げるには結局右對策の實行に挺身する人人の敢鬪に待たなければならぬ、人あっての物であり、人こそすべての本である。地主の協力が要望され、篤農家を動員し、技術指導機關の整備充實を圖り、働いて働いて働き拔く皇國農民の勤勞が要請される所以である。殊に本島は今や戰爭完遂の一環たる食糧增產の重大使命を□すべく、擧島火の玉となって邁進しなければならぬ秋である。然るに本島農業は內地に比して農業技術低く、從って單位收量も問題にならぬ程低位にある狀態である。農業技術の向上を圖る事こそが本島の食糧增產にとって最も望ましいものであると云はなければならぬ。勿論現在まで既に長足の進步を遂げて來たのであるが、この上の大增產を期するには更に更に技術指導陣の強化を必要とするのである。 二 上述の如き指導陣強化の意味に於いて選拔された篤農家の街庄增產助役就任は至大の意義を有する。從來の技術指導員の如き上からの指揮でなく、同じく農民の仲間で實際經營に即した、しかも篤農家の蔗作田を模範に指導をなす故、指導效果は勿論のこと、農民の增產士氣を鼓舞するところ蓋し大なるものがあるであらう。又技術指導員も增產助役と一體となり、自己の蘊蓄を最大に活用するを得よう。かくて篤農家の增產助役は、增產上大きな役割を演ずるであらうが、農村指導陣の一員として國民學校の教員も、看過してはならぬ存在である。これを活用しなければ人的資材から云って非常に不經濟である。素朴な農村に於いては、國民學校の教員は農村の教化を直接に擔當し、農村文化向上の中核體とも云ふべきものである。而して農村に於いては文化は生產の反面としてのみ價値を有し、生產と文化とは車の兩輪の如きもので生產面と文化面とが一體となって初めて伸びて行くものである。文化指導と云ふ點から云っても、農村に於ける教員の位置が分るわけで、食糧增產のため、これら教員の意識的努力を希望すると共に彼等を制度的に活用する事を提唱したいものである。 三 農村の教員の中の農業實踐學校及び國民學校の農業科擔任教員は農業に關する專門の知識を有し、生徒に農業の知識と實習を授けて居る。固より時局下の食糧增產に少なからざる貢献をなして來たのであるが、今こそこれら農業教員を制度的に活用せねばならぬ時だと思ふのである。增產高雄州が又も全島に魁けて農業實踐學校及國民學校農業科擔任教員を街庄囑託に起用し、劃期的食糧增產の指導陣制度を設けるに決定、差當り州下各農業實踐學校から適當な教育を銓衡の上發令するとのことである。誠に時誼に適した措置で双手を擧げ賛成するものである。食糧增產の中核體とも云ふべきものは、何んと云っても農村の青壯年層である青壯年の中には農業教員の生徒も多いであらう。そこでこれらの師、弟が一丸となって增產にいそしむ、その上青年を通じて家庭との連絡を圖る、と云ふ風に增產のみならず明朗農村の建設にも非常に貢献が多からう。本制度の普及を願って巳ま□次第である |
02 | “神人合一の大偉業” 陸士同期生石田少將の語る 武人山崎部隊長 |
03 | 乃木館の客間に 渡邊中佐の油繪 橫田參謀の思ひ出話 |
04 | 新竹州で賞賜 物件傳達式 |
05 | 榮養補給の徹底 人口增強に翼贊會が上申 |
06 | 放送網擴充に狂奔 重慶の宣傳とその機構/長谷川仁 |
07 | 十四庄の昇格申請 府地方課で慎重審查 |
08 | 防空意識が旺盛 港都優良防空群審查 |
09 | 「アツツ玉碎」 藤田畫伯の力作完成 |
10 | 口で守れ南進臺灣 一言漏れて戰果に響く |
11 | 導水工事 實地調查 |
12 | 鍛へよ健民健兵 臺北州下の指導醫初の連絡會議 |
13 | 高雄のコレラ終熄 しかし尚油斷はならぬ |
14 | 恩給金庫支店移轉 |
15 | 生活合理化展 覽資料畫陳列 |
16 | 島都でコレラ 豫防注射 |
17 | 新竹州警察部 合同訓練 |
18 | 新劇第二回試演會開催 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 女青に修鍊部 移動式教室で實地教育 決戰型の花嫁養成 |
02 | 燒夷彈の消火訓練 臺中市警防團で實施 |
03 | 新高町消費市 場開場奉告祭 |
04 | 新化神社近く完成 二日に鎮座祭の打合會 |
05 | 在駐部隊を慰問 最上代議士一行臺南で |
06 | 接客業者けふから營業許可 |
07 | 彰化市奉壯團 八月の總常會 |
08 | 產糖確保の對策に 州下全面的に規格作業を實施 |
09 | 圖像:交換船帝亞丸(海軍省許可濟第一〇一號) |
10 | 勞務動態調查の徹底へ 昨日臺南市會議室で打合會 |
11 | 垂範協力の實踐 嘉義で團體長懇談 |
12 | 戰時住宅難の 解決方策/嶋田善吉 |
13 | 燃ゆる愛國の至情 口答試問に見る海志試驗 |
14 | 彰化署の定期召集 |
15 | 軍事之栞 軍事最高顧問機關 特務機關について |
16 | 頭份第一種青年 訓練所の修了式 |
17 | お百姓さんの勞を犒ふ 屏東郡で綜合運動場を設置 |
18 | 中小商業再編 成準備懇談會 新化商奉團で開く |
19 | 百八%の好成績 竹山郡下一期籾の蒐荷 |
20 | 人命救助の 九式を表彰 |
21 | 青少年團銃劍道訓 練巡回指導鍊成會 |
22 | 大空に“一億の目” 州下模型航空機飛翔大會を開く |
23 | 訓練強調期間を設定 青年團の各部落別訓練實施 |
24 | 罹災民の鼓舞に 畫劇挺身隊員を派遣 |
25 | 蓖麻增產に督勵隊を編成 |
26 | 勤報第二訓練所入所式 東勢郡サワラヘイで擧行 |
27 | 豚の闇商人捕まる |
28 | 赤誠の献金品 |
29 | 民防空に萬全策 竹南郡で奉公防空群の查閱 |
30 | 一朝有事に備へ 州廳特設防護團猛訓練 |
31 | 遮斷區域住民 に溫い取計ひ |
32 | 地方多より |
33 | 今日の映画演劇 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 航空機工場の行政查察 查察使に藤原氏、九月中に實施 |
02 | 農業團體の統合 その後着着具體化 |
03 | 纖維製品の獲得 本年上半期の實績 |
04 | 食糧增產座談會(四) 南方米作と 臺灣技術の協力限度 |
05 | 汐止農倉不正 管理米を隱匿 |
06 | 關東配電社長 平澤要氏に決定 |
07 | セレベスは驀進する(四) |
08 | 濠洲の人的資源 |
09 | 損害再保險機構 再整備の機運成熟 |
10 | 基隆港の施設擴充 同市代表が當局に陳情 |
11 | 第五回珠算能力 檢定試驗施行 |
12 | 臺灣有價證券 一分を增配 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況(三十日後場) |
15 | ラジオ |
16 | 八月一日抽籤 戰時債券當籤番號表(其ノ六) |