興南新聞1943年6月
序號 | 標題 |
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01 | 困難下に餘裕綽綽 古武士の面影躍如 山崎部隊長書翰 |
02 | 行ひ全し玉碎殉忠 今や一億にも烈烈の鬪魂 シドニー港奇襲一周年井出大將語る |
03 | 圖像:□□□□□東條首相(於首相官邸) |
04 | 愈よ大海戰切迫が 英大艦隊ジ港に待機 |
05 | ドイツの決戰體制 |
06 | 國內展望 敵愾心は猛然爆發 |
07 | 英快速艇五隻 を擊沈 ダンケルク沖海戰 |
08 | 陸軍航空通信學校卒業式 |
09 | 重慶に空襲警報 |
10 | 颯爽たるクンロン自警團 |
11 | 米國の食指を排擊 マルチニツク島總督言明 |
12 | クバン橋頭堡の 爭奪戰に終始 赤軍の損害甚大 |
13 | 國際展望 注目!ソ聯の動向 |
14 | 地中海で大活躍 イタリヤ空軍が |
15 | 獨軍戰況公報 |
16 | 歐洲上陸不能 爆擊□後方攪亂 |
17 | □傀儡政權と □□□□□ |
序號 | 標題 |
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01 | □□□□空必成 □□□□して邁進 □□□□常會申合事項 |
02 | 基隆神社大祭 三日嚴かに執行はる |
03 | 海洋國日本を語る 艦隊指揮の精神(三) “敵に勝つ”に盡きる 小林躋造大將、大平同盟編輯局長對談 |
04 | 山本元帥の遺影 參拜者引きも切らず |
05 | 御遺蹟地記念祭典 |
06 | 頂双溪御舍營所記念祭 |
07 | 產業戰線殊勳甲 新竹州で勤勞賞授與式 |
08 | 局部長會議 |
09 | 特殊用毛布 該當者に特配 |
10 | “海の繪卷”を展開 基隆短艇競漕大會 |
11 | 圖像:山內警務局長遺家族慰問 |
12 | 齋藤總務長官 近く空路上京 |
13 | 米英擊滅に燃ゆる 高砂族を慰問激勵 山內警務局長東勢へ |
14 | 勤續者表彰 けふ鐵道部で |
15 | 慰安演藝會を開催 |
16 | □□□□□ |
17 | 部隊で針の奉仕 女學院乙女らの赤誠 |
18 | 中元贈答、斷乎廢止 皇奉本部で運動展開 |
19 | 建艦に二萬圓 日婦が募集した献金 けふ武官府に手續 |
20 | 六月から八時出勤 官廳の夏季執務時間 |
21 | 鄉軍新竹市東分會總會 |
22 | 羅東衛生組合總會 |
23 | 同盟通信社新著二種を發行 |
24 | 今晚の放送 |
25 | 興南案內報社消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵二十機を擊墜破 チツタゴン飛行場を攻擊頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(五月三十一日十五時) 帝國陸軍航空部隊は五月二十九日チツタゴン飛行場を攻撃し、敵戰闘機二十數機と交戰、其の十四機を擊墜せる外、地上に在りし六機を炎上又は擊破し附屬設備數箇所を爆碎炎上せしめたり、我が方一機未だ歸還せず |
02 | 反樞軸軍司令部の發表 |
03 | 敵機集中の機を摑む 緬甸方面、陸鷲の巧妙な作戰 |
04 | 北洋の守り微動せず ア島の忠魂に應へ最善盡せ |
05 | 烈烈‧武人の面目躍如たり 山崎部隊長の遺書 |
06 | 富永陸軍次官談 山崎大佐の心境に 只頭が下るばかり |
07 | 崇高悲壯なる決意 我將兵の魂を真劍に活かせ 深澤陸軍報道班員の手記 |
08 | ア島守備隊の敢鬪を 靖國の英靈に奉告 東條陸相、嶋田海相が參拜し |
09 | 老も若きも感奮興起 部隊長以下の英靈に默禱 |
10 | 必ず忠魂に應ふ 翼壯緊急常會開く |
11 | 圖像:新比島派遣軍最高指揮官黑田中將着任 |
12 | 敵軍三箇師を殲滅 第六戰區堅壘を次次に粉碎 |
13 | 堅陣木橋谿を占領 |
14 | 臨澧初空襲 |
15 | 山崎部隊長の溫容 松島海軍報道班員談 |
16 | 改正法けふ實施 地方行政能率化へ 萬全期し、內務省訓令 |
17 | イタリア政府 生產省新設 |
18 | レーヌの住宅 街を爆擊 反樞軸空軍が |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 基本方向の 再認識社說 一 今次の大東亞戰爭によつて南方基地たる臺灣の地位は明確にせられたといつてよいが、同時に大東亞共榮圈建設に負荷する南方協力の使命を遺憾なく發揮すべき機會に惠まれたことも更めて贅言を要しないであらう。現實においても動かざる航室母艦として今次戰爭に果した臺灣の寄與は蓋し大なるものがありまた譽れの軍夫として或は建設の戰士としてつくした本島青年の貢献も少なからぬものがあると云つてよからう。斯くの如く南方基地臺灣の地位使命は、大東亞戰爭を契機としてまさに宿命づけられたといつて過言ではなく其實力に對しても一般的によく承認せられてゐる通りである。ここにおいて南進基地としての南方協力に運命づけられる臺灣の南方的性格が規定されるのであるが、しかもこれは臺灣の基本的性格の一面たるに過ぎないことは云ふまでもないであらう。他の一面は臺灣統治の根本方針たる皇民完成換言すれば內地化から來る內地的性格であることは殆んど說明を要しないことである、このやうに臺灣の基本的性格が楯の兩面の如く片や內地に根を下ろし、片や南方に枝葉を伸張せしめんとする二重性格を有するところに、現在および將來に對する臺灣の向ふべき道を決定する重大意義が存するわけである。このことはもはや議論の餘地がないまでに、政治施策の日程に上り現實に着着遂行されつつあることは周知の通りである。 二 臺灣の二重性格の併行推進は、本來の基本的性格の必然的要請であるとは云へ、更には世に謂ふ第二の沖縄化を防止すると云ふ積極的對策として考へる向きが多いことは注目すべきである、この考方は臺灣を愛し臺灣の大を期待するものの均しく關心すべきであることは云ふまでもないが唯この考方を推し進めて行く結果、南方的性格の一面にのみ重點を置いて動もすれば南方諸地域と同列の下に臺灣の發展を求めんとする錯誤に陷りがちなのを戒心せねばならぬのである、いはゆる第二の沖縄化を憂慮するものが陷いる斯る一面觀は有體にいへば本末顛倒と迄は行かなくとも些か論理の飛躍に墮する感を免れ得ぬであらう。何となれば臺灣に課せられた基本的要請は完全なる皇民鍊成であり全き內地化にあらねばならぬ、大東亞共榮圈に對する帝國の一環としてのみ臺灣の發展は期し得られるのである、從つて本來的に二重性格を有する臺灣としては基本的には內地的性格の完成を第一義に置かねばならぬ南方的性格の推進は二次にこれと併行するとき、始めて大なる成果を期し得られると同時に、逆に內地的性格の完成をも促進するに至るのである、以上を換言すれば、要するに臺灣自體の實力を涵養し全島民の努力を傾けることが先決問題でなければならぬ、臺灣に實力があり努力が續けられるとき、第二の沖繩化は杞憂するに足らぬことであらう 三 如上の理念に基き、臺灣の二重性格を併行推進せしむれば、臺灣の前途は蓋し洋洋たるものがあらう。これをしも振古未曾有のこの重大時局に便乘し、事事に南方に結びつけて大を圖らんとして脚下を忘れ、為に臺灣自體の完成卽ち內地化を後退遲延せしむるが如きことがあつてはならぬのである。幸ひにして臺灣統治五十年の輝かしき業績は、帝國の飛躍的發展に伴ひて着着美はしき實を結びつつ、內地化に向つて逞ましい行進を見るに至つたことは同慶に堪えないところである。同時に今次戰爭に當りては、臺灣の南方的性格が大いに活用せられ、本島が有する人的物的の總力を擧げて南方協力に挺身し得るは、真に六百萬島民の本懷これに過ぐるものはないであらう。今や帝國の一環としてまさに大東亞共榮圈建設の中心基地たるべく島を擧げて總努力中である。六百萬島民の總力を結集して皇民奉公運動を實踐し、大甲溪開發を中心とする工業化の實現を企圖する、南方協力の挺身に人的物的の準備態勢も整つてゐる。期くして臺灣の二重性格は併行して力强き推進を展開しつつある。しかもこれが推進の原動力たる臺灣の實力と島民の總努力の增强は基本的要件であらねばならぬ。この原動力の涵養强化が實に臺灣の明日を決定するものなのである。 |
02 | 陸鷲教育に大御心 東京陸軍少年飛行兵學校に 畏し侍從武官御差遣 |
03 | 譽れの志願兵合格者 軍旗の下‧榮光輝やく 若櫻一千三十名發表 |
04 | まづ體力の鍊成を 石川訓練所長語る |
05 | 感激に勇み立つ 若櫻の決意を聽く 兩親も喜ばん 臺北林震英君 |
06 | 一命を捧げる 積りだ 柯萬得君語る |
07 | 一門の榮譽 東靖盛君の父談 |
08 | 無口な青年だ 蘇德成君を語る 碧紅さん |
09 | 感激で胸一杯 瀨川順男君 |
10 | 東伏見宮妃殿下 更に福井縣下を御巡展 |
11 | 潛水艦模型 學習院に寄贈 |
12 | 建鑑献金 |
13 | 造形文化の振興へ 臺灣生活文化振興會創立總會 |
14 | 志願兵入所心得 |
15 | 霧社に遺族を弔問 山內局長崎嶇の山路を跋涉 |
16 | 鬪ふ漫畫展 |
17 | 海洋訓練隊特種訓練を實施 |
18 | 滅敵必勝へ邁進 奉壯團重ねて決意指令 |
19 | 力走また力走!御遺跡地巡り繼走大會 |
20 | 皇民體操講習會 きのふ臺北二女で終了式 |
21 | 宜蘭道路愛護會評議員會 |
22 | 人事‧消息報社消息 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 譽れの志願兵合格者(上) |
02 | 增產で仇を討つ 臺南州の全產業戰士蹶起 國葬日から運動開始 |
03 | 國防指導講習會 |
04 | 決戰生活の栞 高雄で懇談會開催 |
05 | 遺つた子供たちは 立派な日本人に育てる タツバスウカンさん健氣に語る |
06 | 軍用鳩體力檢查 |
07 | 高雄州教護聯盟 いよいよ組織に着手 |
08 | 白衣の天使慰勞會 |
09 | 明日の決戰に 中等學校長會議で 坂口知事が訓示 |
10 | 彰化市民の熱誠 |
11 | 鳳山郡の獎勵米種 |
12 | この赤誠 |
13 | 感激の献金 |
14 | 仇を討たせて下さい お山に燃ゆる敵愾心 |
15 | 奉贊會の役員會 |
16 | 荒波を慕つて 竹南街三千五百名海軍志願 |
17 | 軍艦旗の下に 能高郡庶務課全員志願 |
18 | “僕達もやるぞ” 小供むきの國土防衛事務 |
19 | 從軍記章授與 |
20 | “教壇を死守せん” 屏東郡教育者大會で誓ふ |
21 | 藤村知事大溪郡を巡視 |
22 | 感激文を發送 臺南州臨時州會 |
23 | 鳳山教育者大會 |
24 | 堆肥舍に補助金 |
25 | 纖筆も凛凛し 本社臺南支局に 感激の献金報社消息 |
26 | 怨は深しアッツ島 愛國少年續續献金 |
27 | 臺南州學校長異動 |
28 | 干木瓜問題 業者ら注意 |
29 | 警防團查閱 |
30 | 臺中州警察異動 |
31 | 地方多より |
32 | 今日の映画演劇 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 島內製機器統制 鐵工業統制會に移讓 |
02 | 臺拓南方現地機構強化 主要事務所を支店に昇格 |
03 | 戰力增強座談會(完) 「戰士」の自覺を徹底せよ |
04 | 高塚、栗原兩氏 專賣局で表彰 |
05 | 雜纖維の輸移出 統制組合の直營に決定 |
06 | 彈丸切手賣出 |
07 | 雜穀製粉組合 昨日總會で新加入者を承認 |
08 | 比島糖業の 新性格と體制 |
09 | 平年作より稍優る 農業試驗所最近の調查 |
10 | 農產物增產資金 產聯より積極的に貸出す |
11 | 淡水魚を養殖 高雄水利組合の所有埤池活用 |
12 | 酒空壜の回收 專賣局積極的に乘出す |
13 | 株式利廻騰貴 平均五分三厘八毛 |
14 | 殖產局追加豫算 きのふ打合をとぐ |
15 | 照明燈 |
16 | 商況(卅一日後場) |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(976)/黃得時;碇政彌 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵の出鼻を挫く チツタゴン猛爆戰果 |
02 | 刻下の要請に即應 自治の真髓顯現へ 地方制度改正、安藤內相談話 |
03 | 不滅の皇軍魂を前に 一億生產突擊に邁進せよ!! 山田翼壯副團長血淚の放送 |
04 | 主要都市に 考查役新設 |
05 | 敵二千五百の包圍殲滅戰 |
06 | 早くも金針集突入 敵司令部の所在地 |
07 | 圖像:明日の突擊に炎天下で敢鬪する整備員(南太平洋○○基地にて)寺尺海軍報道班 員撮影海軍許可濟第一○一號) |
08 | 翼壯運動の徹底へ 事務局長會議と翼壯團長會議 |
09 | 石門、慈利を空襲 |
10 | 皇軍の敢鬪精神 アツツ島守備部隊を ドイツの各紙が絕讚 |
11 | 海軍異動 |
12 | 完全な失敗 反樞軸食糧會議 |
13 | 宜昌附近の敵を壓縮 西北方の山岳地帶に |
14 | 英雄的守備隊 大和魂を發揮 伊に多大の感銘 |
15 | 日、獨、伊強固な團結 反樞軸の兩面作戰不能 |
16 | アツツ島の戰鬪熾烈 米海軍省も公報發表 |
17 | 獨伊傷病將士を激勵 ム伊首相が慰問 |
18 | 赤軍總崩れの狀態 クバン河口地區で |
19 | エジプト政府 ソ聯を承認 |
20 | 獨空軍活躍 |
21 | 佛艦隊は老朽艦揃ひ 獨海軍省筋見解を表明 |
22 | 推進連絡班を設置 翼贊運動の浸透へ |
23 | ア港の佛艦隊 反樞軸軍參加か |
24 | 第二回技能競鍊表彰式 產報の主催で |
25 | 米炭鑛夫の要求 再び暗礁に乘上ぐ |
26 | 大政翼贊會 興亞總本部人事 |
27 | 石油增產獎勵 金交附を實施 |
28 | 內地產大豆の 公價大幅引上 |
29 | 養成所を擴充 國鐵從業員を整催 |
30 | 林森死去 重慶政權の主席 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 勤勉誠實な武人 山崎部隊長の橫顏 |
02 | 澳底御上陸記念碑 竣工奉告祭執り行はる |
03 | 双溪御遺跡所記念祭 |
04 | 譽れの志願兵合格者(下) |
05 | 瑞芳御舍營記念祭 |
06 | 勤勞人最高の榮譽 產業三十三戰士に輝く勤勞章 臺北州第一回授與式 |
07 | 本望の戰死です 山崎部隊長夫人健氣に語る |
08 | 各地で遙弔式擧行 山本元帥國葬日の行事 |
09 | 留學生連絡部 市內在住父兄と懇談會 |
10 | ア島勇士に捧ぐ 銃後一億の赤誠 |
11 | 新竹州保健組合聯合會新發足 |
12 | 苗栗郡鍊成道場を建設 |
13 | 四億圓の貯蓄戰 四日日婦で打合せ |
14 | 教壇から海兵へ 大山分教場の六先生連名嘆願 |
15 | 拓南農業戰 士豫備訓練 |
16 | 咲き綻ぶ連枝の櫻 羨し兄弟揃っての合格 |
17 | “宿願”を達した インテリ合格者新木君 |
18 | 心は軍國の妻 喜び語る黃雲彰君の許婚 |
19 | 城北日婦彈丸切手 消化に一役 |
20 | 一萬圓の幸運者は誰? 戰時報國債券の當籤番號 |
21 | 西村局長上京 |
22 | 素晴らしいなあ 上から見た地上の景色 空翔ける學童の感想 |
23 | 斷乎米英を叩潰せ 鄉軍島都聯合分會が宣誓 |
24 | 働け若人たちよ 基隆市青年增產 勤勞總動員を實施 |
25 | 敵性マネキン 人形追放 |
26 | 陸軍看護婦募集 |
27 | 慰問部隊續く |
28 | 基隆地區港灣運送業會總會 |
29 | 今晚の放送 |
30 | 訃文:河合貞子 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敢然敵集團に突入 アツツ島守備隊最後の血戰 谷萩報道部長談頭條新聞 【東京發同盟至急報】谷萩大本營陸軍報道部長は一日アツツ島守備隊最後の血戰につき左の樣に語つた 敵側の情報を綜合するに我がアツツ島守備隊はその決意の如く五月二十九日夜半マサツカル峠附近にありし敵集團部隊に突入これを潰走せしめた其他の敵戰線もために大混亂に陷つた模樣である |
02 | 敵主力部隊を潰走 我突擊部隊斬つて斬捲る |
03 | 久邇宮德彦王殿下 海軍少尉に御任官 |
04 | 熾烈な敵愾心昂揚 翼贊全國支部事務局長會議 |
05 | 豪膽にして細心 高崎聯隊時代の山崎部隊長 |
06 | この仇斷じて討つ 後藤副總裁挨拶で誓ふ |
07 | 決戰的性格を貫徹 企業整備の重點、特徵 |
08 | 企業整備の要綱 きのふ閣議で決定 |
09 | 全力戰力增強に活用 決戰體制確立方策 |
10 | 後任は原田中將 ジヤワ最高指揮官更迭 |
11 | 會議の中心議題 |
12 | 鈴木總裁談 劃期的な企業整備 議會後急速に展開 |
13 | 府縣會議員選舉延期 熾烈な戰局の推移に鑑みて |
14 | 翼政政務調查會 活潑な活動展開 |
15 | 鹽業罹災補償金 交附規則公布 |
16 | 定例閣議 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 米英を職場で 擊滅 ア島の忠魂に應ふ社說 一 北方の神兵山崎部隊長を始めとする二千數百名のアツツ島守備部隊は真に孤軍奮闘二旬に亘る米軍重圍の內に壯烈無比なる皇軍魂をもつて玉碎した。「心身一切の力を盡し從容として悠久の大義に生くることを悅び」「生きて虜囚の辱を受けず死して罪禍の汚名を殘すこと勿れ」の戰陣訓はその儘この部隊の上にイキイキと躍動し顯現されてゐる。嗚呼何たる崇高、何たる壯烈、如何なる言葉をもつてしてもこの崇嚴なる戰闘を表現することは出來ないであらう。アツツ島に上陸以來まる一年、困難なる北洋の自然條件下不斷の敵空襲を浴びつつ、あらゆる惡條件と戰ひ寡兵をもつて十倍に達する裝備優秀の敵に對抗二旬に亘る敢闘の後一兵も餘さず、全軍アツツ島死守の人柱となつた。この報に接し、一億國民は痛憤の拳を固く握り締め、仇敵擊滅「擊ちてし已まむ」の決意を更に固めた。真に今年は決戰の年であり、南太洋に於て山本聯合艦隊司令長官の戰死を聞き、今また北洋アツツ島に皇軍二千の玉碎を見た。固より一大痛恨事であるが、これにより我が南北鐵壁の防塞は微動だにするものではない。更に大戰過程に於け る一局所の起伏は大東亞決戰下われわれの旣に覺悟しあるものである。これに一喜一憂することは戰ふ一億國民の取らぬところである山本精神を體しアツツ島守備隊の忠魂を繼承し、決戰最後の大目標達成のため總力を集中、一億火の玉となつて御奉公の最善を盡すことが吾吾の唯一最大の責任である。 |
02 | 社說 米價の改訂に 感謝增產せよ社說 決戰食糧增產對策の一環として政府は五月廿五日の閣議に於て、外地に於ける昭和十八年產米價對策要綱を決定、本島に於ては第二期米作より實質上の政府買入價格を現行石當り三十五圓五十五錢を十圓引上げ、四十五圓五十五錢に消費價格は石當り現行三十三圓五十五錢を二圓八十錢引上げて三十六圓三十五錢とすると共に、生產者の自家保有米を除いたものに對し、從來の獎勵金石當り二圓の外に新たに補給金石當り七圓二十錢を交附することに決定、去る廿九日の米管委員會に諮つて原案通りに答申されたので、愈よ二期作米から十圓の大幅引上げを見ることとなつた。而して過渡的措置として第一期作米についても臨時に從來の獎勵金の外に、石當り四圓二十錢の獎勵金を交附することとなり、その供出促進を計ることとした。右の如く今度の米價對策は總督府、農家、消費者の三位一體による戰時體制を强化した點に十二分の意義がある。これに依り農家の生產意慾を刺戟すると共に、消費者に對して又節米に一層の協力を要請し、決戰食糧確保に多大の効果を齎らすことは當然であらう消費者にとつて五人家族では月額一圓足らずの負擔增しである。一般物價に比べて米の値上りは隨分樂な方である。戰ふ國民としてさしたる苦痛ではないと考へられる。勿論農家はこの際總督府の心遣ひに感謝して大いに生產增强に勵まなければならない。殊に戰局は深刻な樣相を呈して來てゐる。山本元帥の純忠精神を繼承しアツツ島の忠魂に應ふるには只增產あるのみである。 |
03 | 活かせ、玉碎の鬪魂 山本元帥の國葬直後に 島民大會を開催 |
04 | 齋藤本部長の 日程一部變更 |
05 | 縣社嘉義神社 近く國幣小社に御昇格 |
06 | 陸軍航空整備學校に 畏し山縣侍從武官を御差遣 |
07 | 皇太子殿下 海軍航空隊を御見學 |
08 | 圖像:義勇隊遺族弔問 |
09 | 山崎部隊長留守宅 陸相、次官代理が訪問 |
10 | 故山本元帥 正寢移柩の儀 きのふ嚴かに執行 |
11 | “夏は半ズボンで” 官吏の着用も默認 |
12 | 自給自足に挺身する兵隊さん |
13 | “よく働いて吳れた” 現地から總務長官宛に感謝狀 譽れ高し看護助手 |
14 | 國民服喪の心得 在所で遙拜式擧行 |
15 | 英靈にこたえむ 文學奉公會原稿料の献納運動 |
16 | 元帥に白象特等勳章贈與 |
17 | 銃後援護に溫い手 市街庄單位に婦人委員を設置 |
18 | “お山も戰ってゐる” 遺家族の慰問終へ西中佐が語る |
19 | 島都に赤痢猖獗 食物は特に御注意 |
20 | 皇奉基隆市支會常會 |
21 | 飲むな、飲ますな 未成年者に酒と煙草 |
22 | 青年學校の官制 本月末頃に公布か |
23 | 基隆市民の健民遠足大會 |
24 | 臺北市艋舺信用組合 |
25 | 野菜を買ふ時 必ず消毒濟のものを |
26 | 歌へよもろ共に “大詔奉戴日の歌”作曲入選發表 |
27 | 羅東郡から陸志六名合格 |
28 | 新竹州健民部落を審查 |
29 | 花蓮郡決戰奉仕隊を結成 |
30 | 鐵道部人事異動 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 一意君國に報ず 本島青年のために頑張る 烈烈決意語る若櫻 |
02 | 本紙配達員捕へて 貪つて見る嘉義の青年報社消息 |
03 | 一家一門の光榮 若櫻合格の感激談 |
04 | 活きた兵器 軍用犬に就いて(三)/林宗賢 |
05 | 合格して安心した 臺中合格者の喜び |
06 | 勳功永へに芳し 故范、福永、邱三君の竹東街葬 |
07 | 澎湖廳臨時協議會 |
08 | 臺南市警防團 あす臨時檢閱 |
09 | 堆肥積んで增產 花壇庄積んだぞ甲當三萬五百斤 |
10 | 荒鷲志望者に 匿名組合から獎學金 |
11 | 前期で十三名 成績よい嘉義郡 |
12 | 旭青年學校 晴れの開校式 |
13 | 潮州商擧團結成 |
14 | 豐原街強步大會 奉壯團の肝煎りで成績良好 |
15 | 街頭献金好成績 |
16 | 近く豫備訓練 勇む臺南州の志願兵 |
17 | 參與委員會 |
18 | “海の防人たらん” 烏日庄警防團全員志願 |
19 | 桃園女子奉公隊 救急事務に備ふ |
20 | 國語化運動 |
21 | 枋寮青年團の美擧 志願兵農家の稻刈を應援 |
22 | 麻豆街庄長會議 |
23 | 綴方の神童 全國作文展に 今度は“馬”で入賞 |
24 | 霧峰のよい子供 許登龍君の“貯蓄献金” |
25 | 赤誠の献金品 |
26 | 巡廻保健婦を 置いて健民運動 |
27 | 河合氏夫人逝去 |
28 | 地方多より報社消息 |
29 | 今日の映画演劇 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 金屬類の回收強化 督府に資源回收本部設置 部長には府總務局長を充當 |
02 | 飼料配給方針決定 牛、馬、豚に重點配給 |
03 | 專賣傭人表彰式 |
04 | 總動員事務協議會 けふ商政關係事項を審議 |
05 | 水產業團體解說(上) |
06 | 臺拓定時總會 三十日公會堂で開催 |
07 | 四億貯蓄達成に 全島婦人運動を展開 |
08 | 對滿鐵の事務簡素化 現地機關に一部移讓 |
09 | 鐵道局別實行豫算 全國鐵道局長會議で決定 |
10 | 清水溪の天然ダム 看天田灌溉を計畫 |
11 | 有馬賴寧來臺 南日本漁業統制 近く設立委員會 |
12 | 乾木瓜の移出 殖產局で近く禁止 |
13 | 船用品の配給確保 配給統制會社成立 |
14 | 自給肥料の增產 學童たちも一役買ふ |
15 | 地區配給組合 臺灣青果で買收完了 |
16 | 交易營團 役員決定 |
17 | 松林煙草課長 煙草會議に出席 |
18 | 經濟手帳 |
19 | 照明燈 |
20 | 商況(一日前場) |
21 | ラジオ |
22 | 水滸傳(977)/黃得時;碇政彌 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臨時議會召集詔書 |
02 | 三大目標を目指し 一大國民運動展開 翼政會一億の總蹶起を促す |
03 | 圖像:揚子江啟開作戰敵前上陸直前○○部隊長の訓辭 (鈴木特派員撮影海軍許可濟第一○一號) |
04 | 土肥原賢二大將 國葬陸海軍儀仗兵諸兵指揮官に任命 |
05 | 日傭勞務層を組織化 けふ大日本勞務報國會を結成 |
06 | 事實は枉げられぬ 米、遂に兜を脫ぐ |
07 | 國土の非常活用 食糧增產運動を展開 |
08 | 政府案の審議 態度を決定 眾議院調查會 |
09 | 一機一機と擊落す チツタゴン空中戰の模樣 |
10 | 重慶のインフレ 極度に深刻化 |
11 | 敵五機を擊墜 空中ゲリラ戰を粉碎 |
12 | 一千七百機擊墜破 獨空軍五月中の戰果 |
13 | 獨軍夏季攻勢に對し 赤軍の防壁の一角崩壞 |
14 | 我が軍と交戰 反樞軸軍チンドウィンで |
15 | 翼政會の 常任總務會 |
16 | 日商會議所解散 任意團體として設立 |
17 | 商工當局言明 |
18 | 英國の勞働黨 保守黨と對立 郵務從業者組合の要求繞り |
19 | 伊陸軍首腦部異動 |
20 | 濠空相の泣訴 |
21 | 米海軍の陣容 頻繁に更迭 |
22 | 米炭坑夫罷業を再開 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 偉勳輝く山本元帥 四日に有難き賜誄の儀 五日は愈よ國葬日 |
02 | 基隆神社例大祭 今夜床しき宵祭り |
03 | 基隆郡街庄長會議 |
04 | 「米の島」ジャワ |
05 | 各自在所で遙拜式 首相の玉串奉奠時刻に |
06 | 慰勞金を恤兵献金 |
07 | 全島地方議員選擧 中央に準じて延期 |
08 | 生產戰士の敢鬪譜(上) “名刀正宗”の切味 科學より技術の鍛鍊 |
09 | 詩吟基本講習會終講式 |
10 | 農林商工水產 臺北州で打合會開催 |
11 | 肩をたたいて激勵 戰ふ模範部落の模範常會に感激 齋藤本部長けふ岡山郡へ |
12 | ジヤワに働く女性(一) |
13 | 軍援銃援への寄附者 |
14 | 玉碎精神に徹せよ 奉壯本部趣意書發表 |
15 | 赤誠の建艦献金 |
16 | 賴母し‧島民の底力 敵米英に見せてやりたい 赤誠滾る献金熱 |
17 | 勇士遭難慰靈祭 |
18 | 遺家族に授產 城西技藝指導所竣工 |
19 | 陸軍倉庫で 軍屬を募集 |
20 | 女も增產に挺身 基隆郡に勤勞報國隊 |
21 | 興南詩苑漢詩 祝海軍特別志願兵制度施行/謝汝銓 |
22 | 合宿訓練實施 鄉軍花蓮港聯 合分會 |
23 | 參與奉公委員會 新竹州支部で開催 |
24 | 米英擊滅の 建艦献金 |
25 | 花蓮港廳下街庄長會議 |
26 | 訃文:張志 |
27 | ヨイコドモの献金 |
28 | 今晚の放送 |
29 | 興南案內報社消息 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 海大卒業式に臨幸 大本營海軍部にも行幸頭條新聞 【東京發同盟】大元帥陛下には二日海軍大學校に行幸畏くも敵必滅に勇戰奮闘する無敵海軍の第一線に巢立つ鳳雛の卒業式に親臨なほ還幸の御途次大本營海軍部にも行幸あらせられ決戰下帷幄の機務に參劃、夙夜精勵する大本營將星等を親しく犒らはせられた、海軍大學校、大本營海軍部への行幸は去る昭和十五年四月以來大東亞戰爭下初の御事にで海軍の上に寄せさせ給ふ聖慮の程は寔に畏き極みであるが 陛下の臨幸を仰ぎ奉つた海軍大學校卒業生は大□の下決死奉公の固き決意を誓ひ奉つたこの日 陛下には海軍式御軍裝に大勳位功一級金鵄勳章各副章を御佩用、蓮沼侍從武官長陪乘申上げ松本宮相、百武侍從長、榮木行幸主務官その他側近等供奉の略式自動車鹵簿にて午前九時五十分宮城御出門御順路を品川區上大崎の海軍大學校に行幸あらせられた、嶋田海相、及川校長以下職員の奉迎を受けさせられ及川校長の御先導で便殿に入御、參校の親任官、勅奏任官等に拜謁仰付けられた御後甲種學生講堂內に設けられた御前講演場に玉步を運ばせられ約三十分間に亘り優等卒業學生山口史郎、與倉三四三兩海軍少佐の講演を親しく御聽取遊ばされ續いて甲種、機關兩學生卒業式場に臨御あらせられた、 天皇陛下親臨の下に及川校長から卒業生一同に對し教程終了の申渡しが行はれ恩賜の軍刀は山口史郎、島田航一兩海軍少佐、恩賜の時計は與倉三四三海軍少佐の各優等卒業學生に中村侍從武官からそれぞれ傳達された、かくて 陛下には便殿にて御少憩の御後、同十一時三十分諸員奉送裡に同校發御、同十一時四十五分大本營海軍部に御着、永野軍令部總長以下各將星の奉迎を受けさせられ永野軍令部總長の御先導にて便殿に入御高松宮殿下と御對顏、海軍省軍令部の親、勅、奏任官に單獨並に列立拜謁仰付けられ終つて永野軍令部總長、嶋田海相からの所管事項奏上を御聽取あらせられた後午後零時四十分晝餐室に入御 高松宮殿下を始め奉り永野軍令部總長、嶋田海相、加藤、鹽澤兩軍事參議官、及川海大校長、海軍省、軍令部主要職員幕僚等約四十名に御慰勞の思召を以て午餐の御相伴を仰付けられた、かくて 陛下には諸員奉送「君が代」吹奏裡に同一時四十五分大本營海軍部發御、天機御麗しく宮城に還幸あらせられた |
02 | 判明せる我が戰果 江南作戰目的達成 敵軍十二萬に大打擊 |
03 | 蔣介石ライン崩壞 敵第六戰區に決定的大鐵槌 |
04 | 圖像:明け行く○○基地に鵬翼を休める海鷲 |
05 | 壯烈‧岡野機の自爆 岡野中尉の實家に宛て山本部隊長切切の手紙 |
06 | 英東南部爆擊 |
07 | 重慶側周章狼狽 防衛策を鳩首協議 |
08 | 沒落過程の重慶軍 末路的現狀を遺憾なく露呈 |
09 | 長江下江作戰成功 敵船五十餘隻を拿捕 |
10 | 成功までの蔭の勳 ○○部隊長らの話を聞く |
11 | 陸軍水上部隊の偉功 |
12 | 支部事務局長會議第二日 燃え上る敵愾心を 戰力增強に結集 |
13 | 議案の事前審查 十二日より開始 |
14 | 國葬日一日分 の俸給を献納 國鐵奉公會員が |
15 | 翼壯團長會議 けふから二日間 |
16 | 小泉厚相挨拶 勞報創立總會で |
17 | 吉田初代會長 抱負を語る |
18 | 市長推薦命令 內務省、三市に對し |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 統制會社と 商工組合社說 一 支那事變後に於ける經濟統制の强化に伴つて生產並に配給兩部門に幾多の統制會社が設立されてゐることは周知の通りである。一體私企業の存在が尚許容されてゐる。統制經濟の下では國家目的に副ふべく生產或は配給の綜合的統制を行ふものとしてそれぞれ統制會社が設立されるに至つた事は十分肯かれることであつて內地に於ける組合統制が尚幾多の缺陷を內包してゐるが故に漸次會社統制に移行するに至つたのも必然的な傾向だと謂はねばならない。しかし中小商工業が極めて大なる分野を占めてゐる現狀では組合統制が必要な丈會社統制へ移行するとはいへ尚組合統制が全然無力であるとは言へない。勿論組合が從來通り組合員の利益增進のみを圖るのでなしに國家目的に副ふべくそれぞれ再編の上統制會的方法による統制を實行するのでなければその存在價値を有し得ないことはいふ迄もなからう。去る第八十一議會で商工組合法が通過されたのも要するに從來の組合を右の線に沿ふべく改組せしめるに外ならない。 二 我が國の產業統制方式が統制會統制會社、組合統制の三本建を以て確立された事はこれ迄の統制經濟による成果だとして夙に日本式統制方式だと指摘されてゐたものである。卽ち統制會は指導者原理による重要產業の統制機構であり統制會社はそれ以外の生產、配給統制機構で經濟事業を營む點では統制會の短所を補强し又組合統制は專ら中小工業の統制機構として統制會社と協力して行くやうに三者が有機的に連繋し統制經濟を圓滑に運營して行く處に前記方式の特長が見られる。日本經濟の一環たる臺灣經濟も勿論前述と略略同樣の方式の下に統制が行はれて來たことはいふ迄もない。しかし本島の特殊事情よりして配給部門に統制會社が多く設立されてゐることは過渡期としてやむを得ないことであるが尚必要以上に設立され幾多の弊害を露呈してゐることは周知の通りである。それ故に統制經濟を正しき方向に進ましめるには右三者の分野を劃定する必要があるがこれは正に行政當局の大なる努力に俟たなければならないであらう。 三 先づ統制會について見るに本島工業化の現狀に鑑みる時單獨統制會が設立される程重要產業が存してゐないことは極めて明白な事實である。しかし統制會社についてはこの點著しく趣を異にし從來商業並に工業組合法が施行されてゐなかつた為に統制會社が必要以上に設立されてをり而も便乘的動機により設立された結果經理上、事務上幾多の矛盾をかもしてゐることは常に指摘されてゐる所である。卽ち組合を中心として統制を行つても差支へないものが組合法による法的裏付がないために殊更統制會社が設立される傾向がないでもなかつた。しかし中小商工業が大部分を占めてゐる臺灣經濟の現段階では近く商工組合法の施行を契機に組合統制が一般的な方式として取上げられなければならないことは極めて明白なことであつて統制會社の組合への改組を必要とする部面も少からずあるに相違なからう。卽ち商工組合統制の基底の上に會社統制更に統制會統制のピラミツト型の產業統制方式が形成されるわけで統制會社の濫りなる設立も或は又その諸幣害も右方式の確立を以て始めて阻止されるものといつてよい。 |
02 | 完勝の陣痛に耐へよ 總べてを米英擊滅の一點に 山本皇奉總長島民に呼掛く |
03 | 山縣侍從武官を 宇都宮飛行學校に御差遣 |
04 | 久邇宮朝融王殿下 山本元帥の靈前に御拜禮 |
05 | 圖像:山內警務局長高砂族遺族慰問 |
06 | 譽れの若櫻! 感激んと喜を語る合格者 |
07 | 一層の御奉公を 齋藤本部長造船戰士を激勵 |
08 | 日比谷齋場 七分通り完成 |
09 | 島崎警備參謀長 馬公高女を巡視 |
10 | 青少年の軍隊諸 學校志願者續出 |
11 | 職場で米英擊滅 國葬日から增產週間 |
12 | 高雄の役割重大 常會で本部長強調 |
13 | 赫赫の武勳讚へて お山の遺族を激勵 |
14 | 三十三遺族を慰問 山內警務局長臺中で |
15 | 光榮の三十三遺族 |
16 | 羅東日婦國防訓練 |
17 | 戰ふ婦人の意見 日婦臺北市支會役員會 |
18 | 婦人の“國防訓練” 日婦主催の講習會 |
19 | 惡虐ル、チを屠れ 奉壯團各地に演說會開く |
20 | 氣持よく働かう 杉原產業戰士を慰問 |
21 | 御馬の十三語 馬政局で正式決定 |
22 | 文教事務連絡打合會 |
23 | 忍んで貰ふ外ない 住宅難の原因は資材難 |
24 | 中南支旅行者へ 基隆稅關より御注意 |
25 | 馬頭觀音竣成 |
26 | 宜蘭市六月常會 |
27 | 臺南の學徒 體驗飛行 六日に決行 |
28 | 臺拓人事異動 |
29 | 基隆の健民運動週間 |
30 | 霧社修練道場 七月に開場 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | これぞ警防の龜鑑 愛兒二人の死を秘して活躍 模範の團員表彰 |
02 | 國土防衛の範 父の死を秘して敢鬪 |
03 | 推肥增產視察 森田知事大村庄へ |
04 | 戰歿勇士慰靈祭 きのふ嚴かに執行 |
05 | 鳳山街警防團 新廳舍見事落成 |
06 | 學童に體驗飛行 あす臺中で實施 |
07 | 國民學校長會議 |
08 | 尊い體驗活かせ 從軍會支會長會議で 森田知事が激勵 |
09 | 白衣天使歡迎會 |
10 | 離島苦救濟へ 大田廳長の視察談 |
11 | 警防團查閱二つ |
12 | 玉碎勇士遺族に 嘉義市民から弔慰金 |
13 | 稻江洋裁落成 |
14 | 勞務奉公隊員に 嘉義商奉で慰問袋作製 |
15 | 參與奉公委員會 |
16 | 一戶一口加入 嘉義の簡保運動開始 |
17 | 輝く陸志合格者 四君に感激談を聽く |
18 | 勸業主任 監視員會議 |
19 | 全產業人が蹶起 各地で勤勞精神昂揚 |
20 | 目標は百萬餘石 新竹州下の米穀增產 |
21 | 赤誠の献金品 |
22 | 一日の給料献金 |
23 | 賣上高の五分献金 嘉義商奉團の赤誠譜 |
24 | 米英降服まで 譽れの勤勞章に輝く 大川氏の感激談 |
25 | 屏東市民の赤誠 建艦献金一萬八千圓 |
26 | 防火映畫上映 |
27 | 商業報國を實踐 臺南商奉團鍊成目標 |
28 | 增產の大敵 野鼠を退治 |
29 | 犯人檢擧協力 者表彰 |
30 | 高雄州辭令 |
31 | 張志氏逝去 |
32 | 地方多より |
33 | 今日の映画演劇 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 食糧增產へ邁進 本島糖業政策再檢討 砂糖需要量並に水田撤退を協議 |
02 | 清水溪の天然ダム 府內に調查委員會設置 |
03 | 食糧法令を改廢 關係法規打合會を開催 |
04 | 水產業團體解說(下) |
05 | 戶稅打合會 |
06 | 漁業社長の兼任 未だ決定してゐない 有馬帝水社長來臺談 |
07 | 營業實態調查 屏東商議で着手 |
08 | 短期取引は 八月末まで繼續 |
09 | 本島人船員養成 遞信部で關心を喚起 |
10 | 鐵鑛統制會の(上) 本年度事業計畫 |
11 | 中小工業を振興 臺南商議主催で懇談 |
12 | 債券賣却者僅少 實施の推移大體良好 |
13 | 新竹二期米の增產 各種積極施策を協議 |
14 | 照明燈 |
15 | 水稻灌溉を徹底 嘉南大圳區域內で |
16 | 商況(二日前場) |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(978)/黃得時;碇政彌 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 重慶軍常に大損害 皇軍の果敢な進攻に |
02 | 華盛頓會談後の 反樞軸側の方策 米英兩國言論界の動向 |
03 | 樞軸潛艦の猛躍續く 英海相の大見榮樂觀論に過ぎぬ |
04 | 海軍○○部隊、比島工員養成所 |
05 | 敵船七十六隻擊沈 ドイツ海空軍五月中に |
06 | イタリア潛艦 雷擊機の戰果 |
07 | 翼壯、興亞運動 而を更に擴大 |
08 | 戰力增強が喫緊 翼贊會事務局長會議安藤內相挨拶 |
09 | アルジエー會議 決裂危機に瀕す |
10 | 益益激化の一途 米國東部炭田の罷業 |
11 | 東部戰線で激戰 ドイツ軍壓倒的戰果 |
12 | 議會運營專門委員會 翼政設置に意見一致 |
13 | 機動戰を展開 中部戰線赤軍浮足立つ |
14 | 米英勢力の軋轢 インド各方面に顯著 |
15 | ローマ法王難詰 反樞軸軍の盲爆に |
16 | 歐洲の爆擊戰激化 |
17 | 反樞軸軍の パ島攻擊失敗 |
18 | 翼政調查員の 調查報告會 |
19 | 罷業參加者 五十三萬餘人 |
20 | 鐵道部人事異動 |
21 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 盡忠へお山も必死 國家觀念、全社眾に澎湃 高砂族遺問を終へ山內警務局長語る |
02 | 基隆神社例大祭 幣帛供進使梁井知事が參向 けさ嚴かに執行はる |
03 | 圖像:ジヤカルタ原住民の漁業 |
04 | “大東亞戰爭終る迄 もう絕對に禁酒だ” 山內局長の張切り振り |
05 | 偉勳千載に輝く 譽れの戰死者發表 |
06 | 神社前で奉告祭 新竹州の陸志合格者 |
07 | 生產戰士の敢鬪譜(下) 皆勞から能率向上へ 明日の十噸より今日の一噸 |
08 | 圖像:山內警務局長遺族慰問 |
09 | 大學院に關す る協議會 |
10 | 國葬日に曉天動員 米英擊滅の敵愾心燃ゆる 島都奉公壯年團 |
11 | 酒なしで營業(午後八時まで) 國葬當日の歡樂鄉 |
12 | 故山本元帥靈位 有位勳者が拜禮 |
13 | 昂まる敵愾心 献金者軍司令部に殺到 |
14 | 玉碎英靈に捧ぐ 赤誠感謝の香華料 續續と軍司令部へ |
15 | 學校もまた戰場 島都國民學校長會議 |
16 | 遊戲機に規格 厚生省指導に乘出す |
17 | 健齒運動 六月四日一齊に展開 |
18 | 惡質文房具征伐 取締當局愈よ乘出す |
19 | 興南詩苑漢詩 任官言志/高文淵 |
20 | 男子專門學校 代表者會議 |
21 | 慰問運動會開催 |
22 | 今晚の放送 |
23 | 商況(三日前場) |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 實踐方針を指示 全國翼壯團長會議開かる頭條新聞 【東京發同盟】翼壯運動本年度の實踐方針を指示徹底すべき全國翼壯團長會議は翼賛會全國支部事務局長會議の後を受けて三、四の兩日翼賛會本部に開かれたが第一日たる三日は午前七時關家愛媛縣團長、大橋京都府團長、鈴木本部幹事の三氏が明治神宮へ、宇都宮、佐賀縣團長、吉澤廣澤縣團長、緒方本部幹事の三氏が靖國神社へ夫夫代拜を行つた後、八時開會式を舉行、產報、海報等關係團體臺灣皇民奉公會、青島翼壯、青島翼壯蒙疆日本人興亞協力會等外地團體も出席して嚴肅なる國民義禮の後同二十分開議、後藤翼賛會副總裁兼翼壯團長より挨拶を行つて翼壯運動の基本精神を闡明、全團長の奮起を要望、續いて山田中央本部長より詳細具體的なる指示があり九時三十分より翼賛會支部事務局長も列席して大本營海軍報道部高瀨中佐の戰局の「現段階と見透し」と題する特別口演を聽いた、斯くて午前の日程を終つた一同は正午首相官邸に參集、東條翼賛會總裁の訓示があつて午後二時會議場に戻り五時まで本部指示事項に關し、說明並に質疑應答を行つて開議、夜は午後七時より九時まで地區別懇談會九州部會が開かれる 午後の會議 【東京發同盟】全國翼壯團長會議第一日の午後は二時開會本部指示並びに質疑應答が行はれたが本部指示事項中注目すべき點は 一、財政を確立するため團費制度を再確認、從來大體一圓を準則とした基本團費を年額三圓に增額尚運營上必要の場合は上級團長の認可を得て附加團費を徵收しうる事とし經費關係から運動が制扼せられる弊を避け運動の活潑化を圖つたこと 一、七月一日より八月末日まで全國的新團員吸收運動を展開特に智識層團員の獲得を重視したこと 一、團と產報との連繋方法を確定產業勞働問題乃至生產增强援護活動を中心とする各級組織間との連絡懇談會、青少年工補導協議會及び各地區における共同補導員に翼壯幹部の參加就任、產報青年隊運營協議會への參加等を決定したこと 一、供米運動に引續く團活動として農業報國精神の昂揚、消費者側の戰爭生活徹底、一年を通ずる基礎的農村食糧對策確立を綜合問題として取り上げたこと 一、民情把握、下情上通を目的とする報道組織を確立する 一、翼壯運動は興亞運動の根基たることを確認少なくとも國內における興亞運動の中樞は翼壯たるべき原則的諒解を確立すること 一、團訓練制度の整備 等である尚郡團本部の確立、郡市區町村團と翼賛會支部との緊密化農業增產運動、生產增强援護運動決戰生活確立運動等諸般の問題は既定方針に則り益益強化促進するが翼賛會が決定した食糧非常增產運動、勤勞報國隊整備運動、戰爭生活實踐運動等はこれを團の具體的事情に即して重點的に實効を期することとなつた、斯くて午後五時第一日を終つた翼壯は午後七時より本部及び九州地區團長のみの地區別懇談會を行ひたる後同九時散會した |
02 | 精銳實踐主義(後藤團長訓示) |
03 | 參戰體制を確立 ビルマ軍政一年の輝しい業績 大迫政務局長語る |
04 | ミルン灣を爆擊 我が荒鷲の大編隊が |
05 | 圖像:事實は柱げられぬ米、遂に兜を脫ぐ |
06 | 自らの鍊磨に力め 世の先驅たらんとす 翼壯團員の心構と活動方針 |
07 | 揚陸戰に數數の戰果 初の「武功章」に輝く○○丸 |
08 | 事務總長に丸山氏 期待される獨自の手腕 |
09 | 誠意傾けて働く 丸山新事務總長の所感 |
10 | 丸山氏略歷 |
11 | 東條首相 地方幹部を激勵 |
12 | 河北の共軍を掃蕩 |
13 | 重光外相 首相と懇談 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 臨時議會召集 その運營と使命社說 一 政府は廿八日の閣議に於いて第八十二臨時議會(十五日に召集、會期三日間)の召集奏請を決定し召集の詔書は二日公布された。召集の目的は時局下特に緊急を要する綜合食糧增產對策と戰力の飛躍的增強を目指す企業整備再編成を圖る為めの關係豫算案、法律案の協賛を求むると共にこの機會に國策途行に關する帝國の所信を中外に闡明するにあり、提出案件は豫算案として米價引上げに關するもの食糧緊急增產に關するもの、企業整備に關するもの三件、法律案として右に關する公債法案と特別會計法案、國民更生金庫中改正法律案、企業整備資金措置に關する法律案の四件になつてゐる即ち今議會は食糧增產と企業整備といふ現下の二大重要課題の解決を眼目として居り兩者とも戰時國民生活に至大の關係を有する重要案件である。之等諸案件の成立を機にわが擧國決戰體制は更に鐵壁の固きを加へるに至るべく今議會の成果と今後の新展開に多大の期待を寄せられてゐる。 二 決戰相次ぐこの深刻な時局下に國民の士氣を皷舞しその政治意慾を發揚せしめんことを期した政府の議會召集は真に賢明な措置である。東條內閣は組閣以來一年有半その間第七十九、八十一の兩通常議會、第七十七、七十八、八十と三の臨時議會と既に五度の議會を送って今回は第六回目の議會である。通常議會を短縮する一方必要ある度に短期の臨時議會をその都度召集して議會運營の高率化と國民の士氣昂揚を維持發展せしめ並びにこれ等の議會を通じ大戰完遂に對する政府の所信を中外に闡明する舞臺とする事、これが現內閣の決戰下議會運營の方針である。米英を中心とする敵國陣營の妄動に對して悠悠まらぬ帝國が大東亞共榮圈の盟主として更に一段と具體化された大東亞建設の構想を東條首相の口を通じ議會壇上に堂堂と闡明することは全世界注視の的であると同時に今議會は後藤副總裁の國務相就任を改造の仕上げとして面目を一新した內閣改造後の初舞臺であり又翼政會改組後の初の議會でもあり名實ともに政治一體體制の威容を顯示するであらう。 三 議會の中心課題たる企業整備は各關係當局に於て成案を急いだ結果一日の定例閣議に附議決定したその根本方針は(一)未だ戰力化せられざるものの積極的緊急戰力化(二)重要產業部面に於ける更に高度の能率的整備強化の二點である。戰力增強の基調である鐵鋼石炭、輕金屬、船舶、航空機の超重點五大產業の飛躍的增強に邁進する為めには不急產業方面の根本的整備再編成が不可缺の要請であった。政府はこれが積極的或ひは消極的に國民の各層に及ぼす影響を考慮し慎重に案を練ってゐたが今や愈よ斷行すべき時期に到達したのである。不急產業と言ってもいづれも國民生活と密接な關係を有しその整備再編成はそのまま國民生活の整備再編成であり國民の最低生活即ち戰爭生活を痛切に要請されるのである。南方最前線に於ける山本元師の壯烈な戰死、アツツ島に於ける山崎部隊長以下わが勇士の敢闘玉碎により國民の敵愾心が猛然爆發したこの時の議會召集は特に意義深く國民はこの敵愾心を持續し臥薪嘗膽戰爭生活に耐へ拔かなければならぬ。 |
02 | 遺烈萬古に薰る けふ畏くも賜誄の儀 |
03 | 鄉黨の譽を昂めよ 諸君に課せる國家の期待は大 臺灣學生の會で長谷川總督訓示 |
04 | 帝國水難救濟會 有功章等御授與式 |
05 | 貯蓄は戰ひの彈丸 大に働いて大に溜めませう 齋藤本部長、模範部落を激勵 |
06 | 滿足感はまだ早い 東港郡の皇奉指導者に訓辭 |
07 | 山本元帥顯頌 記念事業打合 |
08 | 國葬日の服裝要項 皇奉臺北市支會から通達 |
09 | 創作心を培ふ 青少年製作品展 |
10 | 米英擊滅だ貯へよ 追加申合に決戰貯蓄 |
11 | 今ぞ南海へ初船出 新生の若き現地海員 |
12 | 健實貯蓄を強化 新竹州關係者打合 |
13 | 奉公運動の尖兵 壯年團に期待甚大 |
14 | 臺北市聯合商奉團主催 軍用飛行機献納寄付者 |
15 | 素晴しい白鳳豆 花蓮港廳から登場 |
16 | 瑞芳街奉壯團献金 |
17 | 羅東街奉公委員會 |
18 | 蝸牛驅除週間 |
19 | 宜蘭市役所 四時迄執務 |
20 | 前田醫院献金 |
21 | 艋舺信組廿五周年記念式 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 浮覆地を拓く 興亞訓練所を組織 |
02 | 世界と日本と長岡 人一倍愛鄉心に強い山本元帥 遠い親類の山城さん語る |
03 | 國葬日に曉天動員 |
04 | 教育魂を發揮 高雄州教育者大會 來る十九日開催 |
05 | 若櫻の喜び 廖炎坤君感激談 |
06 | 廖大炎君合格 |
07 | 旗山郡合格者 |
08 | 竹山郡の合格者 |
09 | 硬貨を回收 竹山郡乘出す |
10 | 續け山本元帥に 臺南商奉團の週間行事 |
11 | 必勝貯蓄で仇討 二十萬組合員起つ |
12 | 教育事務打合 臺南で開催 |
13 | 共同收穫視察 坂口知事旗山へ |
14 | 事務敏捷化に 嘉義市役員が鍊成 |
15 | 白衣勇士慰問 日婦旗山分會 |
16 | 貯蓄一一四% 州下一岡山郡の成績 |
17 | 彰化鄉軍模擬召集 |
18 | 玉碎精神運動 彰化奉壯團行事 |
19 | 働く女性を養成 臺中州下四ケ所に勸農農場 |
20 | 皆勞の徹底へ 臺南の參與奉公委員會 |
21 | 和樂の夕 |
22 | 遺家族慰安會 龍潭で開かる |
23 | 防空常識涵養に 燒夷彈効力判定表配布 |
24 | 皇民體操講習 七日から開催 |
25 | 臺南市警防團 初の臨時檢閱 |
26 | 炭燒戰士を激勵 膝を交へて增產懇談 |
27 | どうも御苦勞さま 日婦幹部が修練所訪問 |
28 | 農務打合會 屏東郡で開催 |
29 | 赤誠の献金品 |
30 | 彰化市區長會議 |
31 | 大樹庄貯蓄運動 |
32 | 木村企劃課長來嘉 |
33 | 灌溉合理化に努力 |
34 | 霧峰奉壯團の月例會 |
35 | 賞金を献金 |
36 | 彰化郡警察 課非常召集 |
37 | 遺族を弔問 |
38 | 配給事務座談會 |
39 | 農民にウドン慰問 |
40 | 漫畫傑作品展 十二日から彰化で |
41 | 臺中專賣小賣 人聯合會總會 |
42 | 斗六郡砂糖小賣商組合 |
43 | 人事報社消息 |
44 | 地方多より |
45 | 今日の映画演劇 |
46 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 物動、勞務等を協議 全島關係官會議開く |
02 | 臺鐵輸送力の強化 來る七月にダイヤ改正 |
03 | 高雄米の初檢收 成績極めて良好 |
04 | 決戰下の農業政策(上) 熱と努力が增產の鍵/助川啓四郎 |
05 | 興基產業創立 社長は立川滄海 |
06 | 通帳式國債購入制 預入金額は一圓以上 |
07 | 東亞海運人事移動 酒寄支店長榮轉 |
08 | 臺灣鐵工所增資 木造船建造等で繁忙 |
09 | 工場の安全管理(下)/蒲生俊文 |
10 | 高砂ビール會社 ビルマに酒罎工場新設 |
11 | ジヤワの稻刈風景 喜んで働く原住民 |
12 | 經濟手帳 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況(三日後場) |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(979)/黃得時;碇政彌 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 決戰下に相應しい 政治的氣勢を擧ぐ 翼政會通常總會開かる |
02 | 精確な施策を立案 國政の運行に寄與 金光政務調查會長の挨拶 |
03 | 圖像:事實は柱げられぬ、米遂に兜を脫ぐ |
04 | ニユーギニア爆擊 |
05 | 翼壯訓練計畫 |
06 | 綜合的運營を確立 市長會議で新實踐要綱決定 |
07 | 佛傀儡政權の 危機漸く免る |
08 | 治安、救濟事業を推進 比島に中央治安委員會設立 |
09 | 戰時生活必需 品目を選定 都市百四十一、農村百廿一 |
10 | 商業道德を實踐 餘力を擧げて勤勞奉仕に挺身 東條首相商報會代表者に說く |
11 | 伊軍、敵三機 を擊墜 |
12 | 炭坑夫の態度強硬 事態ますます紛糾 ル大統領とルイスの一騎討 |
13 | 一千機の大編隊 クールスクを猛爆擊 |
14 | クバン橋頭堡の 爭奪戰依然繼續 |
15 | 赤都の西北方で 獨軍が大攻勢 |
16 | 伊國南部を盲爆擊 反樞軸國後方攪亂を企圖 |
17 | 勤勞報國隊に筋金 常時の組織を確立 |
18 | ルーズヴエルト 復業を命令 |
19 | 獨軍戰況發表 |
20 | 米軍恐怖の的(皇軍攻擊精神) |
21 | 總計五一四、九九三名 開戰以來の英軍損害 |
22 | 英の損害隱蔽を暴露(獨軍伊紙) |
23 | 七十九機擊墜 獨軍東部戰線で |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 殺到する弔問手紙 故元帥邸に山なす 米英擊滅敵愾心昂る |
02 | 金馬倫山の忠靈塔 總經費樣式決る |
03 | 墓所の築裝完成 けふ修祓式を執行 |
04 | 米內葬儀委員長葬場下檢分 |
05 | 國葬の模樣 日比谷公園から 中繼放送 |
06 | 北ボルネオの視察記(上) 進む“建設の巨步” 皇恩、全島を光被海外遊記 【クチン發同盟】所謂舊英領北ボルネオサラワク王國及びブルネイは皇軍の上陸以來ボルネオ方面陸軍軍政當局によつて統治され、いまや猫の子一匹としてわれに馴化せざるなき實績を收めてゐる、しかも軍政實施の目標はあくまで治安の確立、國防資源の獲得、軍の現地自活の三點に重點を置きあらゆる惡條件を克服して成果おさめてゐる、記者は北ボルネオを視察し決戰下に着々建設の巨步を進める實狀を目撃して頗る意を強うした以下はその視察記である △サンダカン 東海州のサングカンは戰前からタワオとともに日本人によく知られた都である 英國北ボルネオ會社はこゝに政廳を置き、わが定期航路の寄港地であつたが、昭和十七年一月二十三日皇軍はこの地に上陸占領し、監禁中の邦人を救助したのであるいまサンダカン、パハラ島を柔らかく抱くやうにし、その背後の丘陵には濃綠の樹木と赤屋根の家屋をもつた平和な海岸都市の面貌を取りもどしてゐる、バハラ島にはレプラ患者の隔離所があるが、島の東部の斷崖はボルネオには珍しい斷層を露出し、宋畫を見る思ひがする、しかもパハラ島あるが故にサンダカンは良港の素質をたかめてゐるのである、記者は一日「風下の國」著者キース夫人の舊邸を訪れた前庭からサンダカン灣を見下す眺望はすぼらしい原住民の住む下町を脚下に、この英國の一森林官夫妻は尊大な生活をこゝでつゞけてゐたのであらう、キース邸にかぎらず白人の舊邸は地の□を占めてゐる熱帶の退屈な日常を最大限の贅澤な物資で補ひ、原住民と全く隔離した白人の個人主義的臭味をぷんく發散した「酒とダンスと社交の家」の多くはいまはその効用價值を換へてサンダカンの町に美觀をそへてゐるのである、われくの宿舍にあてられた兵站旅館もその一つでサンダカン、ホテルと呼ばれてゐる街は南方圈によくあるように支那人の商店が多く、半時間も步くと一巡出來る、在留邦人の和服姿もちらほらし軍政要員の制服を見なれてゐる目に浴衣は懷しいものである 東海州長官は外交官出身の威隈部種樹氏である同氏を筆頭とする軍政要員の手で軍政は大體從來の慣習のもとに施行されてゐるが、軍政實施目標の三大要件は決戰下の要請に從つて逞ましく遂行されつつある、 サンダカンの役割は先づ製材である、無限の天然林を伐探し、これを製材する設備は英國時代 NBT等の會社によつて起されてゐたので、應急修理の上現在すでに戰前に劣らぬ生產力を發揮してゐる。豐富且つ堅牢な木材に惠まれたこの地で木造船がどしく造られ既に○○隻の進水をみてゐる サンダカンにはその他東洋一を誇るマツチ工場がある、北ボルネオには珍しい生產都市といふべきだろう、木材は內地でラワン材と稱し一尺四方何十圓と貴重品扱ひにされてゐる、北ボルネオには赤ゼラヤ、白ヒラヤ等が到る處にあり木材は內地と全く標準が違ひますよと森林の權威タワオ產業木材部の石橋勉氏が感嘆の聲を放つた程である 水道、道路、港灣、電氣、病院學校等市民生活に必要な設備はゼツセルトンとゝもにサンダカンは豫想以上發達してゐる、支那名の「山打根」はいまわが方に「山打關」と命名され、新しく性格づけられてゐる、北ボルネオ便覽によるとサンダカン(九三四年版)市の人口一三、七二三人のうち支那人は一◯、九六二人である、昭和十七年十月現在の東海各縣人口、面積は次の如くである 入口面積(平方哩) 東海州 九◯、五九一 一四、四六五 (內譯) サンダカン縣 四◯、七八三 五、六七◯ タワオ縣 一五、三五四 三、一九六 ラハダト縣 一八、四七六 四、一三三 ベルラン縣 一五、九七八 二、四六六 在留邦人は勞働者六四五名、一般一、八九五名である、 △ラハダト 北ボルネオ東海岸には戰前から諸所に日本人が散在してゐた、粒々辛苦大東亞戰爭によつてはじめて日のめを見たかうした邦人達の開拓ぶりをラハダトをふり出しに紹介する ラハダト縣には現在二十三名の邦人がゐる、昭和十七年一月三十日皇軍の無血進駐によつてラハダトは英國の羈絆を脫したのである、自動車でジヤングルの中をゆくこと三十分でセガマに出る、造船にはジヤバから邦人の手によつて移植したフエラリヤ(球根に窒素を含有する植物)が繁茂し、土地の肥沃を物語つてゐる、闊然とひらけた平野に出る ジヤングルの林に聳立する大建築物、これぞ英國の洒落者を喜ばした葉卷で有名なダーベルタバコ會社の工場である、敷地二千坪の煙草發酵工場は現在籾の貯藏庫に替つてゐる優良種煙草のみ保存の方針である、また同地における煙草の葉栽培は轉じて黃麻、マニラ麻、苧麻、その他野菜類の試作園となし、その殘部は米作地に指定され、器用な邦人の手で經營されてゐる、戰前ラハダト地方の邦人企業地は麻園一ケ所、敵はこゝでもセガマ煙草園を除き大部分を破壞し去つたが、復舊修理して昨年十月初旬から敵產農園を邦人の努力で開發し、陸稻のほか黃麻、苧麻の五ケ年栽培計畫を實施、既に食糧はラハダト縣では自給自足の域に達してゐる、かつては北ボルネオ屈指の輸出港といはれたラハダトも英蘭關係の不調からサンダカン、タワオ、ゼツセルトンにおされて衰微の一途をたどつてゐたが、撓まぬ在留邦人の活動によつてこの地一帶の物產を送り出す港としてもむかしの繁榮をとりもどすことであらら |
07 | 敵の謀略悉く擊碎 防諜陣完璧、假裝スパイ御用 南支部の想定演習 |
08 | 圖像:齋藤中央本部長、皇奉運動視察 |
09 | 打合會を開催 齋藤長官上京に先立ち |
10 | 有馬賴寧伯來新 |
11 | 基隆市御遺蹟地祭典 |
12 | 梁井知事義勇隊遺族を弔問 |
13 | 四億の必勝貯蓄に 三百萬の婦人動員 日婦本部で懇談會 |
14 | 簡素美、剛健美、精神美 日常生活に實現しませう |
15 | 國語基隆市建設 奉公班每に國語塾 |
16 | あす新竹州下へ 山內警務局長遺族慰問 |
17 | 內地留學生保護者懇談會 |
18 | 新竹市女教員 座談會 |
19 | 門外不出の書 ニユーニギア探險報告 南方資料館で邦譯着手 |
20 | 商報全國大會 殉職者慰靈祭も執行 |
21 | “空の神兵”巡廻映畫大好評 |
22 | 大東亞佛教青年大會 七月東京市で開催 |
23 | 基隆市專賣品小賣組合 |
24 | 鶴嘴戰士に化粧石鹼を特配 |
25 | 燐寸賣捌人組合が献金 |
26 | 幼兒轢かる |
27 | 勤勞文化賞 作品を募集 |
28 | 今晚の放送 |
29 | 商況(四日前場) |
30 | 興南案內報社消息 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 食糧自給體制確立へ 增產應急對策要綱決定頭條新聞 【東京發同盟】決戰食糧の自給體制はすでに政府において恒久的萬全の措置を屢次に亘って講じ來つたところであるがこの際戰局の現段階に對處して食糧確保自給の緊要性に鑑み去る五月二十一日の閣議において山崎農相の「緊急食糧對策」を急速に具體化すべきことを決定、この閣議決定に基いて農林省を中心に企畫院、大東亞省、文部省等の關係政府當局も參劃して具體策を立案中であつたがいよく成案を得たので四日の定例閣議に「食糧增產應急對策要綱」を附議こゝに藷類、蕎麥、粟大豆、稗、玉蜀黍その他の雜穀を對象とする當面の食糧增產一大國民運動展開の方針を決定した、これに先立ち農林省においてはすでに早手廻しにこれに對する必要なる準備据置を講じ勞力對策種苗の確保、肥料對策等詳細に亘る活動方針を地方廳に示し積極的活動を喚起すると共に一方翼替會、翼壯會を中心とする一大國民運動にまで發展せしめつゝある、今回の緊急對策は大體本年十月までの本米穀年度における食糧增強を狙ったもので從來遂行し來つた米作、その他の主要食糧に關する增產運動は今後と雖も飽くまでこれを推進せしめることは勿論である、緊急對策の實施方策を要約すれば 一、全國畑五萬町歩、水田五千町歩に上る不耕作田畑を積極的に活用しこれに對しては水稻をはじめ蕎麥、栗、大豆、稗、玉蜀黍等の雜穀又は南瓜等各地方に適した食糧農作物の植付を行ふがこれが種子の購入費等に對しては謝禮金、作付面積に對する獎勵金等の交付をなす 一、甘藷、馬鈴薯等藷類については本年度目標甘薯十七億餘萬貫、馬鈴薯約七億七千餘萬貫の完遂を目指し技術改良を行つて增產を圖る外これが貯臓加工について特段の施策を行ふ、例へば藷米、切干し等の設備に對してある程度の助成金を交附する、又價格に彈力性を附與すると共に配給統制機構についても檢討を加へ統制品とそれ以外のものとを區別し地方的にその活用を圖る 一、增產に要する努力については極力地方的に活用し輸送力の混亂を來たさぬ如く力めると共に學生、生徒の計畫的動員を行ひこれに對する旅費その他につき國家から助成する、 一、肥料についても極力自給肥料の增產に努力し又施肥方法に於いても全層施肥の徹底に努力する、 一、內地に於ける增產に呼應して滿州國內に於ける開拓手續豫定地の內未墾地のまゝ放擲してあるものを日滿提携して活用を圖る、 一、水產物については溜池、湖沼河川等の所謂內水面を利用して鯉、鮒、泥鰌等の淡水魚增殖を圖る海洋漁業についても□、鰯等大眾向き魚類の孵化放流を行ふと共に遭難漁船、漁業者に對しても適當なる措置を講ずる 以上の如くであるがこれらの措置に對する助成金額についても急速に決定することになつてゐる、 農林省發表 ▲食糧增產應急對策要綱 國民生活確保の絕對的要請に應じ速かに食糧自體給制確立を期しこれが達成に寄興し得べき凡ゆる方途を講ずるの要緊切なるものあるところこの際米、麥、藷類等主要食糧農產物並びに水產物の增產に關する既定計畫のほか左記應急對策を實施せんとす ▲食糧農產物增產對策 一、不耕作地の解消及び雜穀等の增產に關する措置當面の稻作に萬全を期し栽植密度の增加、窒素肥料の全層施肥除草、必要回數の勵行等に力め生產目標の達成を圖ると共にこの際特に左の措置を講ぜんとす (一)不耕作田の解消を目途とし町村農會、部落農業團體等をして共同耕作等の方法に依り水稻の作付を完遂すること (二)耕作廢止、畑は勿論伐木跡地、河川敷荒地、工場建築豫定その他凡ゆる休閑地を動員し各方面の勞力を動員して蕎麥、粟、大豆、稗、玉蜀黍等の雜穀又は南瓜等各地方に適したる食農作物の作付を行ふと共に果樹園、桑園、瓜類その他の作付地につき地方の實情に應じ大豆の周圍作又は間作を行ひ又輪作方法の改善に依り蕎麥等の作付に力むること (三)北海道における食糧生產の確保についてはその特殊事情に鑑みこの際差當り不耕作地の發生を防止するため必要なる措置を講ずること 二、藷類增產に關する措置 藷類は增產の餘地最も大にしてその主要食糧化を強化促進するは食糧政策上特に緊要適切なるを以つて既定方針により優良種普及の施設を實施するほか左の措置を講ぜんとす (一)藷類增產に關しこの際品種栽培、貯藏、加工等に亘り急速に技術の改善を推進し民間經驗者の優秀なる技能の活用に力め適切なる技術の普及を期すること (二)藷類の主要食糧としての活用を徹底せしむるためその加工に關し格段の措置を講じ廉價優良なる加工製品の生產を圖ること (三)藷類の價格及びその統制機構に檢討を加えこれが增產を確保すると共に實情に即し敏速圓滑なる配給を期し得る如く急速に所要の改訂を行ふ 三、勞力補給に關する措置 所要勞力については地許勞力の活用に努むると共に概ね左の措置によりこれが補給をなさんとす (一)農村の附近都市特に地方の町等より青少年一般市町民等の努力を大政翼賛會諸團體を中心とする自發的の國民運動として適當なる勤勞報國隊等を動員して地許農村の要請に應ぜしむること (二)一般學徒、就中農學校生徒の動員は極力これを實施するものとし專門學校以上の學徒についても積極的にこれを行ふこと (三)地方の實情に即し農村青少年等を以て食糧增產隊を編成し隨時隨所と出動して農耕又は開墾に從事せしむること、なほ農村國民學校兒童の就勞につき更に適切なる措置を講ずること 四、その他 (一)肥料に關する措置、販賣肥料特に無機質肥料の供給確保に遺憾なからしむるため必要なる各般の方途を講ずるは勿論自給肥料の改良增產並に施肥の改善に關する從來の施設を推進し特に綠肥作物種子の確保、都市屎尿の農村配給の強化、農業用石灰及び石灰石粉末の供給確保等に必要なる措置を講ずること (二)自給飼料に關する措置、自給飼料の增產に關する既定計畫の完遂に努むる外各種藥、類、甘藷蔓その他莖葉等の利用を徹底するためサイロの普及施設を確保すると共に未利用資源の活用及び草類利用等に關し必要なる措置を講ずること (三)郷土色運動に關する措置、各地方にはそれぐその土地の生產事情に即し尊重すべき固有郷土食存するもの少なかなざるを以て大政翼賛會等を中心とし郷土食の存續復活を目途とする運動が地方事情に即し自發的に展開せらるゝ如く適當なる方途を講ずること (四)滿洲國における應急增產に關する措置、滿洲國內における日本內地人開拓地の未墾地を急速に開發して食糧の應急增產を圖る為滿州の協力を得て適當なる措置を講ずることなほ土地改良を擴充すると共に裏作の普及改良を圖り農地の生產力を增強するため別途に必要なる施策を講ずること ▲水產物增產對策 (一)增殖に關する措置、一、溜地湖沼、河川等における未利用水面における鯉、鮒、泥鰌等の孵化放流施設等を擴充し淡水魚の增產を圖ること (二)大眾向き海產の各魚類の孵化放流施設を擴充すると共に未利用淺海面の開發により海草類の增產を圖ること、なほ無動力漁船の操業促進の方途を講ずること 二、遭難漁船に關する措置 時局による漁船遭難の場合において遭難漁業者及び遭難漁船に對する施設及び一定水域に出漁する漁船の出漁獎勵等の施設を急速に實施することゝ本要綱に基く政府の助成につき適切なる豫算的措置を講ずること 備考 一、主要食糧の自給強化施策の展開に關聯し特に左の事項を考慮するものとす (一)農業技術者及び指導者の技術動員制を強化すること (二)主要食糧農產物の種苗に關する國の施設を整備すること (三)不要不急作物の生產抑制その他作付統制の徹底を期すると共に不耕作地の解消及び空閑地の利用等に關し要すれば法令にする措置を講ずること (四)農耕地の他用途への轉換はこの際特に抑制すると共に農業者の徵用及び他部門への轉出については格段の注意を拂ふこと 二、主要食糧の自給力強化については外地においてもその實情に應じ概ね本要綱に準じ措置すること |
02 | 山本精神の真髓 無言のまま 全海軍の行動の中に生く |
03 | 張總理の放送 元帥の貴重なる死 官民益益感奮興起 |
04 | 山本元帥に捧ぐ ルーマニア海軍の讚辭 |
05 | “戰ひ拔く”の一語 翼政總會‧阿部總裁演說 |
06 | 翼政通常總會東條首相挨拶 決戰下政治力結集 戰力增強に一層の御協力 |
07 | 國民皆戰の先驅 翼贊の大道に殉ぜん 翼壯團長會議、堂堂決意を闡明 |
08 | 公債發行法案要綱 臺灣米穀增產確保獎勵金等の財源 |
09 | 定例閣議 |
10 | 提出七法律案の件名 |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 故山本元帥の 魂を繼がむ社說 一 故元帥海軍大將正三位大勳位功一級山本聯合艦隊司令長官の榮ある國葬は、全國民服喪のもとにけふ東京日比谷公園においていと嚴かに執り行はれる。嗚呼、今は亡き故山本元帥の芳魂けふぞ千載に薰るべく、武勳遺烈はまさに萬代に傳へられることであらう、我ら一億國民は齊しく衷心からなる哀悼の誠を捧げると共に巨人山本五十六元帥の追慕に堪えず今更の如く惻惻として迫る限りなき哀惜の念を禁じ得ない次第である。大東亞戰爭勃發以來、光輝あるわが無敵海軍の聯合艦隊司令長官として世界戰史空前の偉業を樹てられた故山本元帥の挺身奮戰遂に水潰く屍と壯然散華したるは洵に世界に誇る帝國皇軍傳統の精髄を發揮せられたものといふべく青史に不滅の名を垂れるは申すまでもない、その忠魂は永遠に軍民のひとしく仰ぐところはその遺烈はまさに萬代に亘り日本國民の血管に脈脈として流れることであらう。 二 故山本元帥は明治三十七年海軍兵學校を卒業以來海軍に奉ずること四十年の長きに亘るが、その間海軍少尉候補生として日本海海戰に奮戰し重傷を受けて初陣の功を建てたことは餘りにも有名な話である。次いで第一次世界大戰及び數次の事變に參加し赫赫たる武勳を擧げたが茲に特筆大書すべきことは航空戰隊司令官として特に海軍航空の重要性に着眼し銳意その建設に努力せられ、その後更に海軍航空本部長の要職に就くに及んで遂に今日の帝國海軍航空を確立せられたことである。支那事變以來、特に今次大東亞戰爭に當り帝國海軍航空力の偉大なる功績を讚へるときに故山本元帥の殊勳を忘れることは出來ない。斯くして昭和十四年聯合艦隊司令長官に親補せられた故山本元帥は支那事變に參加し重慶政權に對し陸海協同の妙智と實力を發揮してこれを支那奧地に蟄伏せしめ、更に今日にそなへ實力の鍊成強化と必勝對策の樹立に心血を注かれ今次の大東亞戰に臨まれたのである。 三 昭和十六年十二月八日、米英擊滅の宣戰大詔を拜するや、故山本元帥が率いる帝國海軍の電光石火、奇策縱橫の獅子奮迅ぶりは、尚我ら一億國民の腦裡に生生と刻み込まれてゐることである。その後に於ける南太平洋、東太平洋、印度洋に展開された雄渾壯絕な大作戰と史上空前の大戰果については殆んど改めて說明を要するまい。唯我ら國民は、斯る大作戰、大戰果はもとより御稜威の然らしむるところであるが、また聯合艦隊の雄渾周到なる作戰と全軍統率の全きを得たる故山本元帥の武勳を讃えずにはゐられないと同時に千古不滅と申すべく帝國の青史に燦然たる光輝を放つ故山本元帥を偲ぶとき、更に我ら國民は敵米英に對する一層の憤激に燃え立たせられるものである。我らは一年有半常に全軍の陣頭に起って忠誠勇武雄渾なる作戰を指揮しつつ、遂に壯烈南海の空に神となられた故山本元帥の崇高なる威容と忠烈なる最後を偲ぶとき、擊ちてし止まぬの烈烈たる決意は一段と我らの胸に燃え盛って來るのである。敵米英擊滅へ、大東亞戰爭完遂へと邁進することこそ元帥の忠魂を活かす所以といはねばらぬ。 |
02 | 名將けふぞ神鎮る 一億國民の痛憤哀悼の裡に 國葬嚴かに執行はる |
03 | 靈前に誄宣讀 勅使德大寺侍從を 水交社に御差遣 |
04 | 畏き令旨を賜ふ 帝國水難救濟會の通常總會に 伏見總裁宮殿下台臨 |
05 | 司政官の語るセレベル 民政の滲透目覺し(上) 原住民喜色に溢る |
06 | 生前の勳功御嘉賞 きのふ嚴かに賜誄の儀 |
07 | 德彥王殿下 臣籍に御降下 きのふ朝見の儀 |
08 | 平和境コタラジヤ |
09 | 各戶弔旗を揭げて 六百萬島民心から哀悼 |
10 | “兵への道”修めて 志願兵第一回後期生愈よ巢立つ |
11 | 元帥の遺影に額く 感謝の參拜者引きも切らず |
12 | 故元帥を慕ひて 九軍神の遺族國葬參列 |
13 | きのふ國葬 豫行 |
14 | 羅東街奉壯團常會 |
15 | 堆肥增產推進 佐野花蓮郡守が行脚 |
16 | 稻刈應援隊を 派遣 宜蘭市の收穫 |
17 | 言論報國會 初の總會 |
18 | “齒と健康”標語入選發表 |
19 | 新竹州の留學生保護者會 |
20 | 簡易保險の 夏季施設 |
21 | 花蓮郡道路協會總會 |
22 | 商奉團花蓮港廳支部結成 |
23 | 人事消息報社消息 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 生產確保に萬全(上) 嘉南大圳十五日から通水 |
02 | 淡水溪港の築港 いよいよ調查に着手 |
03 | 昔は立派な港 戎克船盛んに出入 |
04 | 皇民體操實演會 |
05 | 高雄出身の若櫻 十一日に歸鄉 |
06 | 我等は御國の防壁 六人兄弟揃つて志願 |
07 | 濱崎警察部長 高砂族を慰問 |
08 | 新化街日婦の 決戰常會 |
09 | 戰場意識昂揚 幕間で講演 |
10 | 鈴樹君志願 |
11 | 戰死は良人の本望 泉本上等兵の夫人語る |
12 | 畫劇挺身隊 指導者鍊成 |
13 | “仇は必ず討つ” 玉碎勇士の靈前に捧ぐ赤心 |
14 | 麻豆の奉公運動 |
15 | 愛國蓖麻稔る 嘉義で蒐收開始 |
16 | 若櫻の壯行會 高雄州十九日に開く |
17 | 白沙庄葬 |
18 | 國葬の日から 必勝貯蓄 |
19 | 貯蓄、防空、切干藷の供出 皇奉臺南州支部六月の申合事項 |
20 | 淡水海水浴場 ひらく |
21 | 蓬萊米の親 故末永氏の胸像除幕 |
22 | 若櫻の豫備訓練 臺中州は十日から |
23 | アツツ島の 英靈に捧ぐ |
24 | 二林街の献金 |
25 | 赤誠の献金品 |
26 | 貯蓄達成方策 皇奉臺中州支部八日打合 |
27 | 上瀧檢察官長 鳳山郡を巡視 |
28 | 北港街の献金 |
29 | 彰化街長に 田中氏任命 |
30 | “戰力增強週間” 皇奉臺南州支部奮起す |
31 | 北港街の 「勿體ない」運動 |
32 | “豫防と早期診斷” 傳染病除けに下村課長語る |
33 | 齒牙優良兒 選獎式を擧行 |
34 | 警防團查閱 |
35 | 愛孃の死を秘し 蘇分團長職責を遂行 |
36 | 興亞女性を鍊磨 滿州へ女子青年團派遣 |
37 | 進め甘藷の增產 大田廳長陣頭で指導 |
38 | 勤勞戰士の表彰 |
39 | 警防團檢閱 |
40 | 地方多より報社消息 |
41 | 今日の映画演劇 |
42 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 畑地改良積極化 島內改良面積割當決定 |
02 | 海事課機構擴充 庶務係を新設 |
03 | 決戰下の農業政策(下) 熱と努力が增產の鍵/助川啓四郎 |
04 | 山林の時局資源 松脂の採取仕方 |
05 | 廣瀨商船參與 近く離臺 |
06 | 米英擊滅決戰貯蓄 近く實踐運動を展開 |
07 | 臺中鋲螺釘會社設立 |
08 | 遞信部人事異動 |
09 | 鐵鋼の增產を確保 砂鐵緊急增產對策決定 |
10 | 輕金屬統制會 本年度事業計畫 |
11 | 計畫輸送を強化 鐵道事務所設置されん |
12 | 經濟手帖 |
13 | 炭田開發の鐵道敷設 滿尾部長現地視察へ |
14 | 商況(四日後場) |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(980)/黃得時;碇政彌 |
序號 | 標題 |
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01 | 元帥の英靈神鎮る 莊嚴な國葬執行 日比谷原頭を望んで一億默禱捧ぐ |
02 | 靈車肅肅日比谷葬場へ 柩前祭の儀 |
03 | 靈車發引の儀 |
04 | 靈車葬場に到着 |
05 | 六法律案要綱決る 企業整備資金措置等 |
06 | 各地の佛租界返還 新生中國の明朗都市に出發 |
07 | 戰時經濟秩序を維持 企業整備資金など賀屋藏相の談話 |
08 | 圖像:全國翼贊會事務局長會議(翼贊會本部に於て) |
09 | 人こそ決定的要素 末次大將の挨拶(翼壯團長會議) |
10 | 緬甸獨立準備進む ビルマ軍政監部談話 |
11 | 議會に臨む準備整ふ 政府翼政會ともに |
12 | 內閣、各省委員 當分職務を繼續 |
13 | アルゼンチンに革命 國防相ラミレス將軍の指揮 |
14 | ラ革命軍司令部 要求を提出 |
15 | 戰時衣生活簡素化 強力な國民運動展開 |
16 | ラ亞國大統領 避難 |
17 | ルーズヴエルト 炭坑夫に復業命令 |
18 | 米英ソ三國 會談開催か |
19 | 道府縣會議員 任期延長法案 |
20 | 佐藤大使モスクワへ |
序號 | 標題 |
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01 | 痛恨‧誓つて米英擊滅 六百萬島民心から哀悼 英魂神鎮まる國葬日 |
02 | 島民敬虔な默禱 各地哀悼の遙拜式 |
03 | 遺影の前に誓ふ 禮拜者早朝から陸續 |
04 | 臺北桔俱 遺影禮拜 |
05 | 東久邇宮妃殿下 宮城縣下を具に御視察 |
06 | 北ボルネオの視察記(下) モステン開發に 邦人拓士血の苦鬪海外遊記 【クチン十八日發同盟】ブラジル開拓民や滿洲移民團の壯途の華やかさに比し餘りにもさびしくこつそり出て行つた移民達のことを知る人は少いであらう、皇軍のボルネオ進軍によつてこの人たちの血のにじむ南方開拓の苦心が酬ひられたとき彼らは泣いて「み民わ れ」の感激にひたつたのである、モステンはかうした人たちの苦闘によつて開發されたのである 昭和十五年の中頃から終りにかけて、北ボルネオのカロンパン河に沿ふて陸行する異樣な風□の日本人をこの邊の原住民は幾度かみたものである、これよりさき、わが外務、拓務兩省ではタワオ在留邦人に內命を發し邦人移民の開拓地選定を委囑してゐたが、賢明なタワオ在留邦人はカロンパン河流域が火山灰地帶で將來有望であることを見抜き、タワオ殖產組合員らによる道なきジヤングルの探險が始められた、大東亞戰開戰直後英國官憲によつて濠洲に連行され交換船で再びタワオに歸つて來た在留廿七年の小杉佐喜藏さん【五六】=滋賀縣出身=は次のやうに語つてゐる 拓務省の求めによつて當時タワオ殖產組合員であつた私は一人の日本人及びいやがる苦力七人を無理に頼んで、カロンパン河流域の火山灰地帶を彷徨しました、この附近にはマンダレナ、マリヤ等の舊火山が聳え、地味は確かに肥沃です、何に沿つて陸行すること三日間途上野豚や猿の群、氣味惡い鳴聲をたてる巨鳥に出逢つたりして四日目、前方に忽然海が見えたときの嬉しさ、これが現在のモステン港で背後の土地は開拓地として稀ににみる豐穰地であると申告したのです ××× 昭和十六年三月、タワオ日產農園で現地訓練をうけた拓務省開拓民六十九家族の一群がモステンに到着した、同地はマラリヤ蚊の溫床地である、開拓はまづ清掃からはじめられたが英人の壓迫は苛烈を極めた、一家族二十五エーカーの土地を與へられ、漸くマニラ麻が成長しはじめた頃「これからは日本人の作つたマニラ麻をどしどしまきあげることが出來るぞ」と太鼓腹のジヨンブルがとらぬ狸の皮算用で喜んでゐるとき大東亞戰爭は勃發した、六十九家族の邦人は婦女子に至るまで全部サンダカン灣內のバハラ島に收容された、ラハダトでもさうだつたが、こゝモスチンでもせっかく開拓した麻園やその他の諸施設は苦力によつて荒された、これらの背後には英國の魔手が操つてゐたことはいふまでもない ××× 昭和十七年一月卅日、待ちに待つた皇軍はモステンを占領し間もなくバハラ島に監禁されてゐた忍從の拓土達は晴ればれとモスチンに歸つたのである、顧れば永い苦節の生活であつた 午下りの太陽が覆ひのないモスチン港の直上から照りつけるのに在留邦人らは帽子を手にもつて直立してわれくを迎へてくれた、何時間も待つのであらう、着くもの、迎へるもの全く日本人同志の水入らずの對面であつた、長い視察の間に邦人だけの出迎へをうけたのはモステンのみといつてよかつた、それだけにワツアと歡聲をあげたい嬉しさであつた、 ボルネオ東海岸の一隅赤道近くのしかも交通不便の一角によくぞ頑張つてくれるといふ感謝の念は、さらに胸中に深まつていつた港から農園まで六哩、狹軌鐵道がジ ヤングルを切り拓いて敷かれてゐる他國にありながら邦人によつてなされたこれまた尊い業績の一つであるわれくを乘せたトロツコ列車はモステイ農園に向つたまるでお伽話にありさうな原住民が雨傘代用に使ふといふ野放圖に延び切つた大山芋や、バナナの實にそつくりのマニラ麻の林、はては熱帶の樹木が聳立し繁茂するジヤングル地帶をまはりくねつて行進した玩具のやうな東京製のデイゼル機關車は時々喘ぎながら止つた、ピイツピイツと汽笛が鳴る、お內儀さんにおぶさつた子供、國民學校の兒童、日本の子供々々、がボルネオにもこんなに日本の子供がゐたのかと記者は目をまるくした モステン國民學校の正面に額が揭げてある 一、我等は日本人なり 一、我等は國民學校兒童なり 一、我等は 天皇陛下の御為に生れ 一、我等は 天皇陛下の御為に練磨し 一、我等は 天皇陛下の御為に死せん 九十一名の兒童は右の教訓によつて鎌磨されてゐるのである ××× モステン農園の概略—昭和十八年現在自營者六十九家族、男二百十名、女百七十六名、計三百八十六名、臺灣拓殖より送つた臺灣移民の殖產組合五家族男十一名、女十一名、計二十二名、日產農林工業駐在員男十四名、家族二十五名、計三十九名、合計四百四十七名の邦人がゐる。現地人使用人はマライ人、支那人四百七十三名、農園面積は總面積五、三八二、英段二◯分、植栽面積一、七二八英段、生產面積二四三英段、共榮地麻訓練園、麻種苗育生地道路軌道、二三一英段◯五分、未開墾地三、六三◯英段十五分、生產八十俵その施設の主なるものは國民學校、病院から鐵工場、物品配給所まで備はり、マニラ麻生產に副ふよう至れり盡せりの觀がある、なほモステン農園創設以來死亡四名、うち病死一名といふ好成績で、如何に衛生施設に努力が拂はれてゐるかがうかがはれよう、又中には七十四歲の老婆も钁鑠として日を送つてゐるほか、青年團、在鄉軍人分會等を結成し勤勞の餘暇若人達は銃劍術に教練に戰爭完遂のため邁進してゐる【大本營許可濟】 |
07 | 圖像:山本元帥國葬遙拜式 |
08 | 決死的決意を闡明 臺北市奉壯團曉天常會 |
09 | 國葬に際し東條首相談話 滿身魂膽の名將 元帥の精神に生きん |
10 | 決戰型の電話體制 業務を再編成簡素化 |
11 | 燃ゆる復仇の烽火 武官府に献金群殺到 |
12 | 村上行刑課長巡視 |
13 | 圖像:完成近き山本元帥の墓所(多摩墓地) |
14 | 兒童に敵愾心 武勳偲ぶ資料展に 岡本大佐が臨席訓話 |
15 | 海兵血書志願 |
16 | 基隆海洋青少年 養成所入所式 |
17 | 敬虔な默禱捧ぐ 基隆市の國葬日 |
18 | 增產で復仇戰 新竹州民一齊に蹶起 |
19 | 興南詩苑漢詩 山本元帥閣下挽詞二章/林熊祥、謹輓山本元帥閣下/黃純青 |
20 | 人事消息 |
21 | 今晚の放送 |
22 | 商況(五日後場) |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 投降十萬を數ふ 華北情勢大城戶部隊長語る頭條新聞 【北京四日發同盟】北支軍大城戶部隊長は四日午後三時公館において北京新聞通信記者團と會見、帝國の對華處理根本方針に基いて野戰軍の本領を發揮しつつある北支軍の本年初頭以來の戰果並に現下華北の諸情勢につき大要左の如き談話を行つた 一、北支軍現下の態勢と今春以來の戰果、軍は本年初頭以來帝國の對支處理根本方針に基いて野戰軍としての陣容の整備と武力の發揮に專念して來たが軍は今や完全に野戰軍の本領を發揮して重慶陣營に對する重慶を強化し又中國共產黨軍の剿滅に邁進し以て軍本然の任務に徹しつつある、今次對支政策の轉換を機として茲數ケ月間における軍の戰力が一段の威力を加へつつあることを我等は斷言して憚らない、而して又この威力の及ぶ所各方面に多大の成果を收め大東亞戰爭の戰果に寄與しつつあることは今春初頭以來の戰果が如實にこれを物語つてゐる、即本年一月以降四月までに軍が收めたる戰果は交戰回數六○四二回(內共產軍四三五六回)交戰敵兵力延數八九八三八五(共產軍四四七五二九)覆滅施設一○三三(共產軍七二○)遺棄屍體四二一五二(共產軍一八八三六)捕虜三四七四六(共產軍一四九一九)鹵獲品、迫撃砲一○九(共產軍六九)重機五三(共產軍二)、輕機六四一(共產軍七六小銃二八○六六(共產軍九○四三)で昨年及び一昨年の戰果に比べて捕虜鹵獲品は飛躍的數字を示し又歸順投降件數及びその人員に至つては昨年一月以降四月までの七三九件、人員三一六四七に比し本年は件數にして約五百件人員にして約十萬を數へるに及んでゐる、斯くの如く件數の減少に比して人員の增加せる事實は從來の局部的散在的投降が今や集團的地域的のものに擴大しつつつある傾向を示し昭和十四年における遺棄死體百に對する捕虜の百分率八、九が昭和十五年において一四・○となり更に十六年四五、○十七年六五・○十八年八二・○と飛躍的に增加しつつあるのは敵側戰意戰力の低下、我方の鐵槌これに加へ國府政治力の滲透度を如實に物語るものである要するに軍の威力は正に強大になりつつあり苟しくも我に刄向ふものに對してはその重慶軍なると共產軍たるとを問はず凱袖一觸飽くまでこれを粉碎せずんばやまぬ牢固たる決意を有するものである 二、中國の參戰と日本の對華方針華北における一部人士の中には日本の對華新政策の真意を諒解し得ず「日本が大陸から後退する」等と帝國の意真を曲解した者さへあつたが帝國の公正にして崇高なる道義精神は逐次一般に諒解され兩國の真の協力關係を各方面に看取し得るに至つた今や完全に米英の走狗となり果てたる蔣介石及びその一黨が未だ迷妄から醒めずして東亞の反逆兒に墜したることは自業自得としても蔣介石の監視下にある具眼の士が新中國建設の陣營に參加することを欲するならば我等は衷心からこれを歡迎するに吝かではないのである、 三、華北の使命と當面の重要問題、大東亞戰爭の進展に伴ひ兵站基地華北の使命は益益加重されつつある、即ち華北をして新中國の一翼たらしむると共に真に日華兩國の物心兩面に亘る協力の理想鄉たらしめることが我等に與へられた崇高なる責務と信ずる、これが實現を期するは先づ日華双方互ひに手を握り合ひ相互の立場を理解してこれに同情をもつて相倚り相助けて長短相補ひ心と心の繋がりを強固ならしめつつ真の協力關係を結成し日華共同の戰爭遂行に資すベき建設開發しなければならぬこの建設開發は單に征戰の直接寄與に止らず中國永遠の福祉を增進する重大意義を持つものである、然しながらこの華北建設を阻害するものに中國共產黨がある、中共は獨り華北のみならず中國全體の發展を阻害し全民眾の福祉を蹂躙せんとする民眾の敵である、軍は華北建設の癌たるこれら中共の徹底的剿滅を期し現に各地において峻烈なる大小幾多の剿滅戰を敢行してゐるが皇軍精銳に敵し難いことを熟知してゐる中共は所謂政治七分、軍事三分の原則により民眾に對し欺瞞宣傳と武力による脅追と魔藥的政治施策とによつて民眾獲得の他下工作に狂奔してゐる、茲において華北の剿共態勢の確立とこれが活潑なる活動は正に刻下の急務である、固より北支軍の銳鋒の向ふ所中共軍の武力潰滅は易易たるものであるが中共の潰滅は武力だけでは不充分である、中國側の新政治力が武力に附隨して赤化村に滲透することに至大の關心をもつものである、北支軍の實力を以てすれば中共軍の擊滅も極めて易易たるものであるからと聞いたらば一擧に擊滅されることは勿論である、 四、我が陣營の必勝態勢、北支軍は充實せる戰力を以て華北を磐石不動の地位に置き治安回復と健全なる建設を推進支援するものであるが固よりその本領は野戰攻城にあるのである、絕大なる戰力を今後如何なる方向に持ち得べきか研究してゐるので重慶軍若し希望とあらば一大鐵槌を下してこれを崩壞に導く事も敢へて辭さない、又若し重慶側にして鉾を棄てて我我と同調せんとするならば相携へて東亞民族共同の敵中共軍を徹底撃滅するも惜しまないものである |
02 | 畏し‧廢朝仰出さる 御軫悼の終日を過させ給ふ |
03 | 四月中の主要作戰(大陸戰線) |
04 | 芳烈萬古照輝 名將永久眠就給 |
05 | 河南省北部を猛爆 |
06 | 青史に不滅の偉業 嶋田海相元帥の遺勳を偲ぶ |
07 | 權舍祭、墓所祭の儀 けふ嚴かに執行はる |
08 | 各地の國葬遙拜式 |
09 | 常に戰場にある心 米內大將國民の奮起を要望 |
10 | 圖像:堂堂太平洋を鵬翼下に壓する海鷲(三枝海軍報道班員撮影海軍省許可濟一○一號) |
11 | 谷駐華大使 きのふ空路で歸朝 |
12 | 靈前に恩惠を感謝 九軍神遺族も參列 |
13 | チヤーチル 倫敦に歸着 |
14 | ア國革命の背後 米國の魔手が動く |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 食糧增產の 諸緊急對策社說 一 今般農林省より發表されたる食糧增產應急對策要綱は決戰食糧自給體制を確立せんがためであり、之に依って外米依存の舊觀念を打破して內外地及滿洲國を一體とする具體的綜合食糧實施方策を提示されたのである。勿論かかる諸具體策は大部分其の儘本島にも適用し得る事項であり、中にも不耕作地解消の一項は本島に於ても小作人の返却地及製糖會社瞨耕地の解約に依って生じた事も少なくない樣であり、且つ甘蔗刈取後の土地を直ちに利用する方法を講ずれば島內現有土地の活用を為す餘地が少なくない事を知らなければならない。此の問題は各關係者及業佃關係團體の努力に依って充分に其の目的に達し得られる事と信ずる次に藷類の配給機構に檢討を加ヘ之が增產を確保すると共に實情に即し敏速圓滑なる配給を期し得る如く急速に所要の改訂を行ふ一項も其の儘本島にも適用すべきである。 二 尚主要食糧たる米の增產は單に價格問題の解決丈では決して完璧だとはいへずこれに依って農民の熱意を高め得るは明かであるが、更に進んで水利施設の擴充と共に既設水路の補修に遺憾なく為さなければならない。最近資材難のため水路補修用のセメント其の他の物資が充分に供給されてゐないが、食糧自給の重大國策から見て今後當然重點的配給を為さなければならない。此の點が關係當局の一考を煩はしたい。更に進んで蔗作の水田撤退、茶園の藷作への轉換等本島食糧增產施策として未だいくたうつべき手が殘されてゐる。最後に藷增產に基く藷混食を獎勵しこれに依って供出米の增加を圖る施策も極めて有効適切な方法であらう。中にも南部農民は從來藷混食の風があり、かかる方策の強化に依って供出米の增加を圖り得るは明かである。最後に述ベたきは本島に於ける食糧增產諸施策も農林省の如く各種要綱を決定し其の要綱に基いて官民とも其の增產施策を推進すれば其の效果たるや必ずや見るべきものがあらう。此の點に關して本島官民とも決戰食糧增產の重大性に鑑み一層の熱意と創意を發揮し以て本島農業の戰時體制確立を急激に促進すべき事を望まざるを得ない。 |
02 | 各殿下が御拜禮 特別の思召しをもつて |
03 | 英靈神鎮まるの日 “一億誓つて山本精神を發揮” 米英擊滅決意彌堅し |
04 | 二百七十億圓貯蓄 國葬日から早くも開始 |
05 | 夏季上着を廢止 大藏省の決戰體制 |
06 | 高砂義勇隊の勇名 全國津津浦浦に轟く 山內警務局長新竹州下遺族弔問 |
07 | 次官當時に對面 參列の令妹感激を語る |
08 | 花蓮港市の遙弔式 |
09 | 桔梗日婦會員 街頭献金募集 |
10 | 護國神社に石燈籠 全島の鄉軍が献納 |
11 | 產業戰士を激勵 梁井知事五工場を視察 |
12 | 教育刷新大評定 七月上旬全島學校長會議 |
13 | 敢鬪精神が橫溢 山本事務總長語る |
14 | 商報指導者鍊成 理論と實際兩面から |
15 | 赤誠の建艦献金 臺中州員林東國民校 |
16 | 軍用鳩通信訓練 臺北嘉義間成績審查 |
17 | 遺族記章傳達 |
18 | 傷痍軍人修養座談會 |
19 | 基隆協和會街頭献金募集 |
20 | 海志主旨徹底の夕 |
21 | 陸志合格者 豫備訓練 |
22 | 基隆港灣擴充懇談會 |
23 | 桔梗十四回鍊成會終了 |
24 | 基隆郡教育總會 |
25 | 香奠返しに献金報社消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 誓つて元帥に續く 決意新た各地の國葬日 |
02 | 生產確保に萬全(下) 嘉南大圳十五日から通水 |
03 | 殉難者慰靈祭 古坑草嶺の現場で嚴修 |
04 | 中壢街葬 七日嚴かに執行 |
05 | 聞きしに勝る天惠 草嶺ダムは是非活用したい 宮尾知事實地を視察 |
06 | 農民魂を鍛鍊 高雄の農事訓練近く開始 |
07 | 荖濃溪植林の 實地踏查 |
08 | 戰ふ農民激勵 森田知事一行新高郡へ |
09 | 徹底した奉公運動 結婚費金九十圓 披露宴一轉茶話會に變る 決戰生活のお手本 |
10 | 赤誠の献金品 |
11 | 理窟拔きで實行 明朗な龍崎庄常會 |
12 | 兔を飼ひませう 臺中市で獎勵金付獎勵 |
13 | 分會總務部長鍊成 |
14 | 按摩從軍志願 羅榮恩君の赤誠 |
15 | 喜び語る志願兵 |
16 | 斗六奉壯團常會 |
17 | 營舍も自分の手で 北斗郡實踐報國青年隊 |
18 | 草屯街から 六名合格 |
19 | 必勝貯蓄打合 北斗郡で開催 |
20 | 白河庄常會 |
21 | 斷乎仇を討つ 關西庄奉壯團の 團旗授與奉告式 |
22 | 聾啞者に福音 須崎教諭の業績 |
23 | 祭典を廢止し 擧街國民貯蓄 |
24 | 三ケ月で二萬頭 高雄州の肉豚增值 素晴らしい好成績 |
25 | 病虫害防除講習會 |
26 | 官田庄奉公委員會 |
27 | 本社取次依囑報社消息 |
28 | 地方多より報社消息 |
29 | 畫劇講習會 六日臺南で開く |
30 | 今日の映画演劇 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 陸運統制の強化 本島小運送の統合斷行 |
02 | 石炭對策成る 消費の合理化を織込む |
03 | 米穀增產を推進 指導獎勵費割當決定 |
04 | 米の供給と問題點 新農相の政治力に期待 |
05 | 藷增產の重要性 愈愈出荷輸送に力瘤 |
06 | 檜油の重點配給 近く生產、配給統治斷行 |
07 | 基隆郡の生產增強週間 |
08 | 臺灣電化擴張 近く末拂込を全部徵收 |
09 | 臺銀人事異動 |
10 | 債券當籤番號 |
11 | 照明燈 |
12 | 經濟手帖 |
13 | 島內株仲值表 |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(981)/黃得時;碇政彌 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 對議會準備進む 運營に一段の刷新 議會機能の高率發揮頭條新聞 【東京發同盟】第八十二回臨時議會は愈愈來る十五日を以て招集される、今次臨時議會招集の目的は戰力增強の緊急施策たる企業整備、戰時食糧對策等に關する豫算案並びに法律案を提出議會の協賛を求めるとともに帝國の國策遂行に關する確固不拔の所信を中外に闡明せんとするものである。依つて政府並びに議會の運營を擔當する翼政會では對議會準備に萬全を期して居り、政府は去る一日及び四日の閣議に於て企業整備要綱、企業整備資金措置法外六法案要綱並びに食糧增產緊急對策要綱を決定したが、更に之が成文化を急ぎ逐次閣議に上程、十一日の閣議で一切を決定する手筈である。地方議會側では政府提出議案の決定を俟つて貴族院は九日から眾議院は十二日から夫夫事前審查會を開催して活潑なる審議を行ふ事となつて居り、又翼政會の政調でも各機關を動員する筈で既に企業整備特別委員會では大藏、商工、農林、厚生、鐵道、企畫院の各事務當局を招いて夫夫所管の說明を聽取したが更に、七日は岸商相(午前十時)賀屋藏相(同十一時)鈴木企劃院總裁(午後二時半)山崎農相(同三時半)九日は小泉厚相(午後一時)八田鐵相(同三時)を何れも本部に招き 政府側の明確なる說明を聽取態度決定に資する方針である。又議會の戰時的運營方法については今回眾議院內に設置される事となつた議會の戰時運營に關する專問委員會及び新設の翼政會眾議院部に於て研究工夫を遂げ慣行の議會特設機關(議會總務、同監事、議案審查)も可及的簡素の仕組とし人材を適宜配置して強力化を圖る建前で今週中に決定する筈である。斯して政府並びに翼政の對議會準備は今週を期して本格的に整備されるが只會期が三日間の短期で今次提案の持つ重要性から云つても之が運營には一段の刷新と工夫を加へ議會機能の高率發揮が要請されてゐる。このため十五日の招集日は兩院共成立手續きを簡素化し部屬、議席並びに各部の部長及び理事も前第八十一通常議會通り踏襲、即日成立を告げるが十六日の開院式終了後本格的議事に入り、貴眾兩院共本會議を開き 東條首相の施政方針演說に續き陸海兩相の戰況報告が行はれ之に對し兩院共山本元帥の戰死、アツツ島の玉碎を含めて深厚なる感謝決議案を上程、全會一致を以て可決する。而かも眾議院は右感謝議事に引續き直ちに政府諸案を上程、提案理由の說明を求め之を委員附託とするを始め出來れば豫算總會をも同日中に開會し審議の進捗を圖りたい意向である。更に今次議會に於ては施政方針演說は東條首相のみとし外務、大藏兩相の外交、財政方針演說は行はれず之をすべて首相演說に吸收する建前を取る、之は帝國議會開設以來の異例で之に依つて東條內閣の施策は內外政を通じて一元的に首相演說に織り込まれ中外に對してその所信と決意は嘗つてなき強力性を以て闡明される筈である。斯くて第八十二臨時議會は現下喫緊焦眉の戰力增強、國民總動員態勢確立の二大課題を中心とする重要成果と合せて戰爭政治が今次議會を轉機として更に飛躍的前進を見るものと期待されてゐる |
02 | 榮子恒中將歸順(部下二萬を率ゐて) 舊東北系陣營に衝擊 |
03 | 侍從武官を御差遣 陸軍航空の各學校に |
04 | 國府軍の幹部に任命 |
05 | 榮中將に軍刀 一振を贈る ○○部隊長より |
06 | 圖像:東條首相、商報勤勞奉仕隊員に訓示 激勵(於首相官邸) |
07 | 國際展望 |
08 | 和平通電 救國の真諦把握 |
09 | 友邦日本の真意明白 榮中將和平參加の聲明 |
10 | 石炭確保運動 の表彰式 |
11 | 生產增強の一點 翼贊翼壯運動の基調 |
12 | 非軍事施設の 爆擊停止を提唱 スペイン、中立的立場で |
13 | スチアを空襲 米國空軍編隊 |
14 | 拓殖青少年の 結核豫防對策 |
15 | アルゼンチン革命詳報 |
16 | 革命の原因 米國中南米通指摘 |
17 | 新政權の首腦 |
18 | 北阿で數次の 軍事會議 チヤーチル滯在中 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | アッツ島激戰十八晝夜 訣別の無電“健鬪祈る” 壯烈‧突擊して全軍玉碎 |
02 | 歛葬後一日權舍祭 引續き墓所祭行はる |
03 | 技術欄(2) 各種工具類の燒入及び 燒戾方法の實際に就て/壇の原生 |
04 | 毎日正午必勝祈念 新竹八十萬州民を擧げて 戰力增強に鐵火の一丸 |
05 | 羅東街役場の吏員ら志願 |
06 | 合格の喜び 羅東の兩君語る |
07 | 圖像:アッツ櫻 |
08 | 州下の志願兵 淡水で豫備訓練開始 |
09 | 警防團に慰問金 |
10 | 高砂修練生激勵 二日間に亘る弔問を終へて 山內警務局長歸北 |
11 | 廈門の遙拜式 至誠會員が献金募集 |
12 | 羅東献金募集 近く献金手續 |
13 | 認識不足を一掃 山下南署長市民の注意喚起 |
14 | 世話役が鍊成 好成績を擧ぐ |
15 | 防空群長打合 羅東で開かる |
16 | 近く鎌入れ 吉野の稻作 |
17 | 羅東街部落會長常會 |
18 | 全產業人蹶起 增產で米英擊滅 |
19 | 時の記念日 宜蘭市の行事 |
20 | 日婦會員、建艦献金募集 |
21 | 職域音樂指導者鍊成終了式 |
22 | 無線電信電話の規則改正 七日公布實施 |
23 | 嘉義市壯年團入團式 |
24 | 彰化郡鄉軍 幹部講習會 |
25 | 不合格絹織物 一般に販賣さす |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 公休返上して增產 鬱勃たる敵愾心に燃ゆる 生產職場の決戰風景 |
02 | 勤勞章授與式 高雄州あす擧行 |
03 | 復仇心に燃え盛る 山本元帥神鎮る國葬日 |
04 | 活きた兵器 空の飛脚軍用鳩/劉守濱 |
05 | 花蓮港廳では九日 |
06 | 新化街總常會 |
07 | 二宮先生銅像 献納奉告祭 |
08 | 古鐵代金献納 東港郡民の赤誠 |
09 | 加來少將を偲ふ 熊本縣人會の追悼會 |
10 | 圖像:ジヤワに働く女性 |
11 | 屏東市奉壯團 曉天動員 |
12 | 鄉土出身の若櫻慰問 虎尾郡の有志が |
13 | 決戰教育の完璧へ 彰化郡學校長會議 |
14 | 新生廈門の姿/一記者海外遊記 △昭和十三年五月十日、皇軍の廈門上陸以來新生廈門の輝やかしき歷史の第一頁は繰り擴げられた。爾來五ヶ年の歲月の中にかっては抗日の據點として將又南洋華僑と祖國支那を結ぶ南華隨一の要衝としての廈門は今や皇軍の庇護と日華兩國各機關の真摯なる協力によって和平建國、新中國建設の重要な楔としての役割を演じつゝ明朗なる進展譜を奏してゐる。 △昨年末興亞院廈門連絡部の發展的解消と共に大東亞省廈門連絡部が設置され赤堀氏が大東亞省參事官兼總領事として赴任されて以來同氏の多年行政官界に於ける、警察、教育、內務、行政各方面の經驗がこゝに指導的方針となり建設的意見となって着々として現實を見各機關を通じて橫の連絡、縱の連絡となって新生廈門の建設に邁進しつゝあることは何人も御承知の通りである △從來廈門には興亞院連絡部、日本總領事館、廈門特別市政府等々の諸機關があって事務連絡上幾分不圓滑の點なきにしもあらずであったが、赤堀總領事着任以來、日本側諸機關の連絡愈よ緊密となり更に特別市政府に對する真摯なる協力が日々顯著の効果を發揮し廈門に於ける政治に經濟に或は文化の各部面に日華兩國機關の協力體制が一段と強化されるに至った △每週火曜日に開かれる總領事館の部課長懇談會は始められて間もないが、從來の部課限りで決定され、處理された嫌ひのある對立的幣風を一掃し、意見の交換と協議によって重要政務が完全に處理され橫の連絡と縱の連絡が結ばれて玆に公明正大明朗活潑なる廈門政治に對し、在留廈門一萬二千の邦人の安心は勿論、廿萬華人に安居樂業を與へるものとして歡迎されてゐる △每土曜日に開かれる赤堀總領事と廈門新聞人との懇談會は之又上意下達下意上通をねらふ、總領事の御期待に副ふかどうか知らぬが岩本同盟、笹原臺日、邱臺灣、高松日報、郭興南の各支局長、現地全閩日高、華南林の兩記者者及筆者一同の所謂口八丁手八丁のやかましやとして敬遠されさうな連中が此の日天下御免の言ひ教臺とばかりに聞いた儘、思った儘の意見にも建設的或は指導的なものであることを聞き流してはならないと思ふ、又一同の者は新生廈門の建設に對する上意の下達に協力挺身することを惜しまぬ面々であることを確信するものである |
15 | 籾集荷區域の矛盾 收穫を前に是正を要望 |
16 | 國語常用運動 始政記念日期して實施 |
17 | 譽の若櫻を激勵 豫備訓練を前に高橋署長から |
18 | 債券の濫賣を慎め 銀行買上制度の趣旨に徹せよ |
19 | 必勝增產の鍵 埔鹽庄の堆肥成績良好 |
20 | 夏季蔬菜を獎勵 |
21 | 能高郡街庄 役員鍊成會 |
22 | 海兵志願に 熱血迸る |
23 | 路竹郵便局開局式 |
24 | 釋迦生誕を祝ふ 盛んなビルマのニヤンエ祭 |
25 | 油虫、蠅驅除 |
26 | 幅員四十米の 水防道路建設 旗山水防組工事を急ぐ |
27 | 人事報社消息 |
28 | 新莊街日婦 献金募集 |
29 | 內地在學生保護者會 |
30 | 地方多より |
31 | 今日の映画演劇 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 学芸 漢詩、漢文學部會の發足/田邊耕一郎 |
02 | ガラス繪の魅力/陳春德 |
03 | 獨逸の演劇政策 |
04 | 短歌 噫呼忠烈アツツ島守備隊/仲津定義 |
05 | 教育實話 鉛筆/西山かがよ |
06 | 生活と文化 |
07 | 戰爭と美術/肥後和男 |
08 | 圖像:溫泉風景(ガラス繪)臺陽展/陳春德 |
09 | 白柚吟社句集 |
10 | 家庭の明るさ 主婦に求める/古谷綱武 |
11 | 料理 つばめの速さ |
12 | 樂しい食生活/吳氏娟 |
13 | 港は煙る/王登山 |
14 | 園藝讀本 |
15 | 豆外信 |
16 | 小知識 |
17 | 文化消息 |
18 | ラジオ |
序號 | 標題 |
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01 | 久邇宮德彥王殿下 龍田の家名を賜はる |
02 | 畏し‧龍田伯爵に 午餐の御陪食仰付けらる |
03 | 獨空軍活潑な攻勢 クバン地區赤軍また大損害 |
04 | 圖像:新竹州高砂族慰問の山內警務局長 |
05 | ゴーリキー市猛爆 赤軍軍需工場を破壞 |
06 | 國內展望 鐵火の意思昂揚 一億國民一齊に蹶起 |
07 | 御家名の御由來 |
08 | 英本土爆擊 ドイツ軍筋發表 |
09 | 山本元帥の遺骨 鄉里長岡市へ凱旋 |
10 | 圖像:翼政會員總會、阿部總裁の 挨拶(於大東亞會館) |
11 | 獨機イ市空襲 |
12 | イギリス政府 重要協議 |
13 | 伊軍戰況公報 |
14 | 濠洲國內軋轢熾烈 八月の總選擧を繞り |
15 | 日本軍の脅威 を強調 エ濠洲外相が |
16 | 獨軍需生產の躍進 シ、ゲ兩相の獅子吼 |
17 | 婦人總蹶起運動 日婦二千萬會員を總動員 |
18 | 佐藤駐ソ大使 モ委員と會見 |
19 | 米國石炭業の 損害一千萬噸 |
20 | 樞軸陣營に協力せよ ラバウル佛首相が放送 |
21 | 反樞軸機四機擊墜 |
22 | シチリア島の 農工從業員雇用 |
23 | 大統領と軍の 正面衝突 ア國革命原因 |
24 | カ大統領辭任 |
25 | 新內閣組織で 亞國革命完了 在留邦人は無事 |
26 | 奏任待遇警部 消防士の服制改正 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 脈打つ“玉碎精神” 歷史は薰る‧武士道の華 樋口臺灣軍參謀長談 |
02 | 巢立つ譽れの若櫻 皇軍への感激胸に けふぞ晴れの修了式 |
03 | 臣民の重責を果せ 長谷川總督訓示 |
04 | 國家の負託に應よ 安藤軍司令祝辭 |
05 | 真の訓練これから 石川訓練所長の誨告 |
06 | 一意君國に報ず 修了生の決意を聽く |
07 | 特別賜金證書 交附式 |
08 | 傷痍記章傳達 |
09 | 圖像:陸軍志願兵修了式 |
10 | 今度は“生活學校” 決戰生活の指導に 桔梗俱樂部第二の快打 |
11 | 鬪ふ生產戰線へ 藤村知事視察激勵 |
12 | 齋藤皇奉本部長 あす新竹州下視察 |
13 | 基隆郡兒童相撲大會 |
14 | 海洋訓練隊員激勵 皇奉の幹部ら基隆へ |
15 | 常會指導に 知事ら宜蘭へ |
16 | 臺北市臨時市會 來る十日召集 |
17 | 職域音樂指導者鍊成終了式 |
18 | 興南詩苑漢詩 梅夏游下橋子訪寶樹堂主人/王竹修、梅夏游下橋子訪寶樹堂主人/李逸鶴、梅夏游下橋子訪寶樹堂主人/張德豐、梅夏游下橋子訪寶樹堂主人/何坤茂、回答/謝金生 |
19 | 簡保加入者 慰安の夕 |
20 | 日婦臺灣本部 結成一周年記念 |
21 | 臺銀新竹桃園兩支店の回收硬貨 |
22 | 彰化郡鄉軍 幹部講習會 |
23 | 健齒優良兒表彰 |
24 | 葬儀費節約して寄附 |
25 | 東勢郡に傷害沙汰 |
26 | 今晚の放送 |
27 | 商況(七日後場) |
28 | 興南案內報社消息 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 優渥な御言葉賜ふ 軍需生產に大御心 陸海兩相謹話頭條新聞 【東京發同盟】畏くも 天皇陛下におかせられては大東亞戰爭下軍需品生產並に軍事技術の緊要性に特に大御心を注がせ給ひ去る二月初旬から關東地方を始め大阪、廣島、北九州、山陰、北陸各地方における陸海軍作業廳、軍管理工場、軍監督工場その他重要軍需工場等に對し侍從武官を御差遣遊ばされ米英撃滅のため增產に邁進する產業戰士達の活動狀況等について具さに觀察せしめられたが此のほど右御豫定の全般を終へさせられたので七日十時三十分東條、嶋田陸海兩大臣は御禮言上のため參內、種種優渥なる御言葉を拜し恐懼感激して御前を退下した、拜謁後東條、嶋田兩陸海軍大臣は次の如く謹話した、 陸海軍大臣謹話 畏くも 天皇陛下におかせられましては曩に大東亞戰爭下軍需品生產並に軍事技術の緊要性に特に大御心を注がせられ、陸海軍作業廳及び管理工場その他重要軍需工場等に對し侍從武官御差遣の御沙汰を拜しました次第でありますがこの程右御日程も滯りなく終へさせられました御差遣あらせられました作業廳、工場等の光榮はこれにすぐるものなきものと存じますがこの度の御差遣は御日程等の關係に依り一部に限られた次第でございまして右の光榮は普ねく全陸海軍作業廳及び關係工場等に及ぶものと拜察申しあぐるものであります、 尚この度兩大臣に對し優渥なる御言葉を賜はりましたことは重ね重ねの光榮でございまして洵に恐懼感激のほかございませぬ、 戰局愈愈重大なる秋苟しくも軍需品生產及び軍事技術に携はる者はすべて畏き大御心を奉體し生產增強並に軍事技術の向上に一層の奮勵努力をなし以つて聖旨に應へ奉らなければなりませぬ |
02 | 敵廿五機擊墜破 シヨウトランド島 來襲を邀擊 |
03 | 見事敵の企圖粉碎 海軍魂の真髓を發揮 |
04 | けふは大詔奉戴日 詔書 |
05 | 死して尚報告行ふ 「終り」の言葉と共に倒る 魂に生きる○○大尉 |
06 | 祖河附近の敵を猛攻 |
07 | 糸日谷部隊に感狀 第二次の長沙作戰拔群の偉功 |
08 | 敢然隊長機を援護 淚ぐましい荒鷲陣中美談 宮丸隊長九死に一生 |
09 | ニユーギニア爆擊 |
10 | 翼政事前審查を開始 |
11 | 取引員制度の刷新方策 |
12 | 糸日谷部隊長略歷 |
13 | 佛印に聯邦 議會を設置 原住民代表增加 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 奉公班の精神 と機能に就て社說 一 今日の奉公班組織は內地に於ける往時の五人組制度、或は本島從來の保甲制度と同じく、その根底にはその小さい組織範圍內の共同的實踐及び連帶的責任の結晶が包藏され、更にそれは魔汎な國民共同體組織の一單位としての意義と機能とが附與されてゐる。例へば今日に於てはこの奉公班及び部落常會に對しては、戰時の國民生活に必要なる物資配給機構の一單位として、防空活動、衛生活動の一單位として、納稅及び貯蓄活動の一單位として、應召及び戰死者の遺家族援護活動の一單位として、防犯防諜活動等の諸機能が附與され、且つその意義に應じた高度の活動をすべく指導されてゐる。大局から見れば現下の奉公班が國家の政治、經濟、產業、警察等の活動に對する重要な補足機關となってゐる奉公班組織がかかる高度の意義と機能を附與されたことは、我國と社會が急角度に利益社會的なものを清算して、共同社會的理念に向って轉換しつつあることを意味するものである。 二 利益社會的理念の支配してゐる自由主義社會に於ては、國民は誰でもその隣人がどんな商賣してゐるか、どんな顏をしてゐるかと云ふ樣なことは全く知らずに過すことが出來たし、特に都市生活に於てはさうしたことを知らないで過せることが一つの誇りとされたのである。併し最早都市生活に於ても、かうした個人主義は許されなくなった。隣りの家長が一命を捨てて國家の為に戰死し、その遺家族が悲しんで居るとき、その隣りのものが低調卑俗なレコードなぞをかけて笑ひ興ずると云ふ樣な不謹慎は許されなくなった。奉公班精神はまさに國民全體が同じ運命を分ち合ふではないかと云ふ國民的感情なのである。買溜を防止する為に奉公班を通じて物資を配給するのも、單に經濟政策觀點からのみ見るべきではない。それは國家の運命をかけた大戰爭のために起った物資不足の苦痛は國民一同で平等に分け合ふと云ふ國民的感情の尊い發露である。遺家族に對する奉公班及び常會の勤勞奉仕も戰時下の社會治安を守るための防犯防諜の活動も、全國民が一丸となって銃後を守り、社會生活を圓滑に運行させ、そして出來るだけ國家の力を分散することなく、專ら戰爭目的遂行に注入して貰ふと云ふ積極的な國民感情から發したものである。 三 勿論奉公班の運用の技術的側面については、未だ種種の議論があり得るであろうが、奉公班組織の本旨は飽くまで國民がそれによって戰爭目的完遂の國內的負擔を平等に擔當してゐること、大戰爭完遂に一致協力して邁進してゐること、利益社會的觀念と體制を清算して、國民共同體建設に伴ふ連帶責任制と相互扶助制が樹立されつつあることを自覺且つ認識すると共に、同時にそれを通じてこの自覺と認識を實踐する母體たるところにある。勿論かかる高度の奉公班精神は單なる住居地域を基礎とした隣保組織のみではなく、個人の衣食住の資財獲得の源泉地たる各職場、即ち會社、工場、學校、諸團體の一切の內部組織にまで浸透して行かなければならないのである。從來自由主義時代に育った人は往往にして自分の生活のみを考へ、他の人を押しのけて自分だけが社會的に所謂立身出世をし、個人的幸福さへ摑めばいいと云ふ主義であった。併しこれからの新しい人はかうした精神は完全に清算してゆかねばならぬ。個人的な欲望と名譽心の充足を圖る前に、人は先づ自分の思考と態度が、果して自分の所屬する組織體或はその構成員全體に對して協同的であるかどうか、連帶的であるかどうか、言ひ換へれば奉公班精神に依って貫らぬかれてゐるかどうかを十分反省する習慣を養はねばならぬ。 |
02 | 聖上に拜謁の光榮 六百萬島民に頒つ 離京を前に長谷川總督談 |
03 | 伸び行く滅敵決意 學窓から大空へ 帝都の海軍大學生海軍航空隊訓練 |
04 | 大へんな部下思ひ 感狀に輝く糸日谷少佐 |
05 | 米英擊滅に驀進 決戰國民大會愈よ開幕 |
06 | けふ大詔奉戴日 承詔必謹、米英擊滅 遂げよう貯蓄、固めよう防空陣 |
07 | 山本元帥の戰死 童心にどう響いたか |
08 | 圖像:釋迦誕生を祝ふ |
09 | 花蓮港廳市郡 教育課長會議 |
10 | 合同慰靈祭執行 きのふ中山記念堂 |
11 | 中央參與奉公委員會 七月初旬頃に開催延期 |
12 | 多數職員家 族を表彰 |
13 | 一萬七千圓を献金 用達株式會社 |
14 | 雜巾百枚を献納 日婦會員が三部隊に |
15 | 海軍豫備學生 十八年愈よ募集開始 |
16 | 征戰完遂に集中 花蓮港、參與奉公委員會 |
17 | “態度が真劍だ!” 州下產業戰士の激勵を終へ 藤村州知事語る |
18 | 惡疫流行の時だ 基隆市一般の注意喚起 |
19 | “頑張る覺悟” 靖國對面の 遺族語る |
20 | 高砂族義勇隊 員を慰問激勵 |
21 | 宜蘭市臨時市會 |
22 | タツキリ奉 公隊員献金 |
23 | 宜蘭郡下學童角力大會 |
24 | “海行かば”の特別試寫會 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 突込め!米英擊滅だ 山本元帥、玉碎勇士に續かん 十日高雄で市民大會 |
02 | 一萬圓の賞金は誰に 米の多作收穫調查開始 |
03 | 鄉軍總會と查閱 |
04 | 賞賜物件傳達 |
05 | 優良奉公班表彰 皇奉高雄支部二周年 |
06 | 建國の熱意に燃ゆ ビルマ少年訓練所生活 |
07 | 學校の增設要望 林市議市民の聲を上通 |
08 | 有馬賴寧伯 臺南を視察 |
09 | 防空用水漕 一週間に一度換へませう |
10 | 米英擊滅大 園庄講演會 |
11 | 答申は具體的に 參與奉公委員會で 島澤經濟部長要望 |
12 | 決戰教育を確立 臺中州中等學校長會議十日開催 |
13 | 參與奉公委員會議 |
14 | 美濃青年學校 輝く開校式 |
15 | 國民道場で訓練 臺南州の志願兵 |
16 | 東勢の共同收穫 |
17 | 學童の防空 臺中州で研究會開始 |
18 | 增產、貯蓄、國語普及 始政記念日に張切る臺東廳 |
19 | 豐原郡の共同收穫 |
20 | もんぺで御奉公 集集桔梗俱樂部固く覺悟 |
21 | こぞつて海軍志願 北門郡役所太田君らたつ |
22 | 天理教信徒が 赤誠奉仕 |
23 | 慰問袋には 目錄を二通添へて下さい |
24 | 地方多より |
25 | 今日の映画演劇 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 鄉土食運動で 決戰食糧の確保へ |
02 | 農議同盟調查會 各部門委員長を決定 |
03 | 南方の資源開發 ○○司政長官と一問一答 |
04 | 南海興業增配 近く未拂込全部徵收 |
05 | 比島石炭の配給 石炭會社を擔當者に指定 |
06 | 日滿支交通懇談會 廿五日東京で開催 |
07 | 石炭確保運動 好成績を收む 卅二鑛區表彰さる |
08 | 田代技師談 砂糖、パルプの供給 北中支は本島に依存 |
09 | 最近の經濟問題 |
10 | 南方セメント拂込 來春匆匆工場完成せん |
11 | 食糧增產の諸施策 各方面とも再檢討を要望 |
12 | 船用品配給會社 資本金五十萬元に決定 |
13 | 食料品雜貨商の整備 彰化市の百十七店を四十店に |
14 | 照明燈 |
15 | 肥料自給と增產 樋口郡守以下陣頭に立つ |
16 | 商況(七日後場) |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(982)/黃得時;碇政彌 |
序號 | 標題 |
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01 | 日獨決濟方式確立 正金と獨東亞銀行間で 正式に協定調印 |
02 | 日獨緊密化に寄與 柏木正金頭取語る |
03 | 國債の割當方法 當局案を決定發表 |
04 | 大東亞週間展望 逞しい建設步調 |
05 | 圖像:海の金鵄「武功章」に輝く○○丸 |
06 | 不歸順の蔣軍に鐵槌(山東西部) |
07 | 少年保護に萬全 全國少年審判所長會同 |
08 | チリー內閣 總辭職 |
09 | 敵船八十五萬噸擊沈 樞軸軍五月中の戰果 |
10 | 反樞軸機千四百機を擊墜 地中海戰域で |
11 | 獨軍の爆擊熾烈化 赤軍の反擊次第に低下 |
12 | 新フランス 軍編制 |
13 | 當面中立を維持 アルゼンチン新政權 民心の安定に努む |
14 | ゴ市焦熱地獄化 |
15 | 反樞軸支持に 閣僚一齊に反對 |
16 | 印度支那に混合 聯邦參議會設置 |
17 | ア國新大統領 ロ將軍辭任 後任ラ將軍に委讓 |
18 | ア國內閣顏觸 軍人を以て補充 |
19 | 敵空軍のゲリラ蠢動 |
20 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | “滅敵街路”を驀進 隣同志がつちり組んで けふ大詔奉戴日 |
02 | 奉戴日每に考へよ 國家は何を要求してうゐるか 齋藤本部長桃園郡民を激勵 |
03 | 模範部落を視察 桃園發苗栗に向ふ |
04 | 新竹驛で奉壯團員激勵 |
05 | 長岡市で納骨式 元帥の英靈神鎮まる |
06 | 長谷川總督 歸任を延期 |
07 | 北ボルネオ視察記(下) 山で鯨を生捕る タワオに新生の息吹海外遊記 【クチン十九日發同盟】 △タワオ シラム山連峰は青く透明に起伏し、燕巢で知られてゐるマタイ山が山賊の住む山塞のやうに南海の殘光に照り映えてゐるわれくの船のまはりを悠々と海龜の群が泳いでゆく、誰かゞ浦島太郎の傳說とこの海龜とを結びつけ、こゝにまた共榮圈民族の血のつながりがあるなどと冗談をいふたが、全く龍宮に參ずる龜としては申し分のない光澤をもつてゐる早瀨のやうな波のうねりに何事かと皆が眼を向けるとそれは鰯群を追ふ鯨であつた、魚群の上には必ず鳥群が亂舞してゐた、かうした情景に鯨が一枚加つたことは「これは吉兆ですよと」水先案內人が語つたように、この邊でも珍らしいさうだ 鯨といへばもう一つ「タワオの山で鯨を生捕りにした話」がある、タワオ河を河口から二三哩上つた所にある 邦人經營の椰子園そこがこの珍話の舞臺である 昨年二月十三日のことだつた、經營者が見廻つてゐると椰子の傍にのたうち廻る怪物がゐる水牛にしてはどうもおかしいので近づいてみると珍しくもとんだところに鯨がのし上げして羅千になつてゐる 滿潮を待つてタワオ河に追ひやり漸く町まで流していつて生捕りにした、隨分大きなもので在留邦人の家ごとに配つてもまだ喰ひ切れない、折柄駐屯中の兵隊さんに差上ると大喜びである、そのときも在留邦人たちは「これは何かの吉兆だよ」と大いに期待したものだが、果して三日もたゝぬうちにシンガポール陷落の快報に接した 南氷洋から魚群を追つこの巨大な動物ははるぐ北ボルネオの山に登つて來たのであらうか、「何にしても珍らしいことです」とタワオ開拓の一人としていまなほ活躍をつゞけてゐる日產農林の前田常務はいさゝか船旅に倦き氣味のわれくに珍らしい話題を提供するのであつた 明ければタワオである、設備次第では一萬トン級の船を橫付け出來る 天然の良港そのタワオはいまや新生の息吹きに潑刺と躍動し、いかにも日本人町らしい落着きさへもみせてゐる 日本人が開拓したこの町は一躍北ボルネオの寵兒になつた感じである、並々ならぬ軍政要員の努力によつて軍政は滲透し在留邦人の自己犧牲が極めて自然に行は建設は快速調に進捗してゐる タワオは北四十分と四度五分の間にある、純熱帶地方に屬してゐるが平均溫度は八十一度乃至八十二度で日常生活に苦痛を伴ふやうなことはない、たゞ十月から三月までの雨期には溫度は極めて高く週日を出でずして錆が出る始末である タワオ縣は總面積七、六四九平方キロ、總人口一八、四三八、即ち人口密度は一平方粁二・四人に當り、面積では福岡縣の約一倍半でありながら、 人口は同縣の約百五十七分の一にすぎない、人口の少い北ボルネオ中でも極めて稀薄な地帶に屬し原住民すら敢て利用しようとしなかつたのだが、それを邦人が開拓した結果、この成果を得るに至つたのである、タワオ縣の人口表(昭和十八年一月調查)によると大和民族男二五九、女一九八、小兒三◯六計七六三、臺灣人男五九、女二一、小兒四六、計一二六、邦人八八九、華僑二、九六五、印度人、マニラ人、アラビヤ人、トルコ人等五、三八九人、その他現住民二◯四、總人口九、四四七となつてゐる、これによると邦人は少ないように考へられるが多年にわたる邦人の南方進出の基地として巨額の資本と人材をもつて築きあげた邦人商社の經濟活動の基礎はまことに牢固たるものがある、即ち年產◯百萬圓に達してゐるタワオの生產額の殆んど全部が邦人によつて占められ、華僑及び原住民等の現地人はすべて邦人業者に依存して 生活してゐる その產業は殆んど農林關係の原始產業部門にかぎられてゐるが、しかもこの生產物にはマニラ麻、ラヲイツクス、ジートゴム、コプラダマール、木材等國防必需物資に屬するものが多く、北ボルネオの優秀な生產地として他の追隨を許さぬ盛況ぶりである タワオ日本人會の調查による邦人發展の概況は次の如くである タワオ附近は四、五十年前までは千古斧龯を入れぬ處女林で蔽はれて、僅かにタワオの河口に土民部落があるに過ぎなかつた、所屬にしても英領か蘭領か明らかでなかつたが、西歷一九◯◯年の初め炭鑛の發見と木材伐採事業の 開始等に伴ひ漸く町らしいものになつた、邦人がタワオ開拓に乘り出したのは、皇紀二千五百六十三年明治三十六年のごろ增田幸一郎氏が◯◯會を創立してタワオ對岸のセバテイク島から木材を伐り出したのが嚆矢である 日露戰爭の結果增田氏は退陣、その後暫く邦人活動の見るべきものはなかつたが大正二年、林學士後藤房治郎が北ボルネオ政府の招聘でタワオに來往、森林調查に着手し二ケ年滯在したのが契機となつて後藤氏の使用人その邦人數名がタワオに踏みとまり大正四、五年ごろ現在のタワオ市キナブタン區に日本人村建設を出願、認可を得て椰子栽培に着手した、これが邦人個人經營農園である、その頃は內地では南洋發展熱の勃興期で、故人になつた、林謙治郎、窪田所米氏等が現在の日產農林工業タワオ產業を起す 土台を築いた、その他邦人の個人的に來るものが多く處女燒き拂ひの火焰は連日天を焦したといはれ遂に歐米人も「ジヤバニース、セツルメント」といつて舌を捲いたのである 大正五年、帝國軍艦新高、利根、明石、對島等がタワオに來航のほか新渡戶博士以下の觀光團等の來訪があり、次いで六年臺灣總督府では水產試驗船を特派しタワオ近海の漁業を調查した、故林謙治郎氏はこの機をとらへて南洋開發組合を組織し農事試驗場及び病院を創立、同組合に漁業部を設けて發動漁船を新造し活動をはじめた、しかし大正九年の財界パニツクの影響で邦人關係の諸事業は頓挫を來し個人農園の多くは止むなきに至つたが、大正十五年末外務省試植移民の入植、ボルネオ水產業員の將來等が 端緒となつてタワオは大阪商船の寄港地に指定され、再び邦人發展の繼續をみたのである昭和九年末タワオ附近の邦人約五百名は十二年六月には約七百名になつた、その農園租借面積二萬六千英段から三萬二千英段に增加した 生產品、ゴム、コプラ、鰹節、 罐詰、マニラ麻、木材等の海陸物產は每月約四千トン內地及びシンガポール、北米、カナタ方面へ輸出され、また內地から雜貨、油類等タワオ在留邦人によつて輸入されるものは約四百五十トンに達し、タワオ港は英領ボルネオにおいて唯一の本邦商品の集散地となつたタワオ邦人發展史のうち特筆してよいことは他の南洋地域で行はれた 華僑の對日ボイコツトがタワオでは何事もなかつたことである、しかし帝國と米、英間とに「好ましからざる空氣」が釀成されてからは經濟的政治的に壓迫の手が差延べられてゐるやさき、大東亞戰爭が勃發、頑強な男子二百四名は開戰と同時に敵によつて濠洲に拉致抑留(被抑留者中百十名は昭和十七年十一月五日タワオに歸還三名死亡、九名濠洲殘留)されたが昭和十七年一月廿四日皇軍はタワオに上陸し軍政實施されて在留邦人は主客轉倒、我が世の春を迎へたのである、いまやタワオから英米色は完全に一拭され建設に精進する在留邦人の意氣はいやが上にも高い |
08 | 野村、清本兩氏 遺族に弔慰金 |
09 | 圖像:齋藤本部長新竹州下視察 |
10 | 梁井知事の親心 紙芝居サヨンの鐘を携へて リヨヘン社を慰問 |
11 | 梁井知事、高 砂鐵工所視察 |
12 | 會員百萬を突破 日婦臺灣本部發足一週年 多彩な記念行事 |
13 | 常會開催を督勵 奉壯團、街頭に進出 |
14 | 新刊書籍の豫約制 七月廿一日から實施 |
15 | 中國留學生一行來臺 日本警察道を勉強 |
16 | 玉碎勇士に 捧ぐ赤誠献金 一船員の妻から |
17 | 團體讀書を獎勵 山中府圖書館長語る |
18 | 海志の主旨宣傳 皇奉本部で打合會 |
19 | ポンと一萬圓 三十年勤續の店員に贈る 麗しい主從愛 |
20 | 通話輻輳の緩和 無裝荷ケーブル設置 |
21 | 中村不折翁逝去 |
22 | 興南詩苑漢詩 王錫麒君廣東歸臺賦似君乃新竹故王友竹先生文孫也/李學樵、王錫麒君廣東歸臺賦似君乃新竹故王友竹先生文孫也 二/李學樵、新竹王錫麒君與廣東甘玉珍女士結婚索詩並申賀意/李學樵、新竹王錫麒君與廣東甘玉珍女士結婚索詩並申賀意 三/李學樵 |
23 | 今晚の放送 |
24 | 商況(八日前場) |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 東部印度で百三機 江南作戰に於て卅九機粉碎 陸鷲一ケ月の戰果頭條新聞 【東京同盟至急報】大本營發表(六月八日十五時三十分) 一、今次江南作戰に於て地上部隊に協力中なる支那方面帝國陸軍航空部隊は六月六日までに敵飛行機に對し次の損害を與へた、 撃墜十七機、地上に於て炎上二十二機、同期間に於けるわが方の損害自爆四機なり 三、緬甸方面帝國陸軍航空部隊は引續き東部インドに對する進攻作戰實施中にして五月一日より六月五日まで敵飛行機に與へたる損害次の如し擊墜六十三機地上に於て擊破又は炎上四十機、同期間に於けるわが方の損害、自爆又は未だ歸還せざるもの九機、大破二十四機なり |
02 | 有力な敵基地奇襲 米英蔣の心膽を寒からしむ |
03 | 梁山と恩施を強襲 敵機二十數機を擊攘 |
04 | 大混亂を呈す |
05 | 事前審查の日割 |
06 | 日、獨直接の決濟 新構想の新機構で |
07 | 重慶にも空襲 警報發令 |
08 | 圖像:山本元帥の國葬 |
09 | 法案合計八件 |
10 | 野戰軍の真價發揮 北支軍五月中の主要作戰 |
11 | 內閣、各省委員 當分の間任期を延長 |
12 | 決戰國民總常會開催 七月十四日から四日間 |
13 | 定例閣議 |
14 | 衡陽、邵陽、芷江を襲ふ 龍溪にも翼を延ばす |
15 | 道府縣議員の 任期延長案成文化 |
16 | 太平洋反攻作戰協議 米太平洋岸の某所で |
17 | 貴眾兩院 現有勢力 |
18 | 地中海戰局迫る 英國各紙頻りに報道 |
19 | 伊軍、英軍を擊退 伊領ラ島上陸を企圖 |
20 | 交易營團法の 施行規則公布 |
21 | 河南省五月中の綜合戰果 |
22 | ラ氏狙擊負傷 比島行政府內 務部長官 |
23 | 入院加療中 經過頗る良好 |
24 | 東條首相 見舞電報發す 比島要人感激 |
25 | ラ氏の略歷 |
26 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 企業整備と 中小企業社說 一 決戰的樣相を更に濃化し來った現下戰局の大勢に鑑み政府はさきに決戰體制確立方策を決定しその一環として戰力增強の為新なる構想の下に企業整備を積極的に取上げることとなった。而して右企業整備は (一)未だ戰力化せられざるものの積極的緊急戰力化 (二)重要產業部面に於ける更に高度の能率的整備強化 を狙ふ所に真に決戰段階にふさはしい徹底的なものとして注目され政府の重大決意が窺はれるのである。從って來る臨時議會の中心議題が企業整備にある事はいふ迄もないところであって既に政府では企業整備促進の為財政的措置として企業整備資金措置法要綱を決定議會に提出されることになった。業者の自治的整備のみにまたずして政府の一定方針の下に企業整備が強力に推し進められる以上整備に伴ふ國家の補償は避け難いところであるが同時に整備に伴ふ資金の移動を最少限度に止めようとする為右要綱が決定されたのは當然な措置だと謂はねばならない。 二 而して前記せる企業整備がそれぞれの特殊事情を織込んで外地にも齊しく實施されることはいふまでもないことで既に本島では具體的措置を進めてゐる。その中企業整備に伴ふ金屬類及未働遊休設備の回收活用並に重要資源の有効利用に關する事項を掌る為先般督府に資源回收本部が設置され又右回收に對する政府の補償金として所要經費が追加豫算に計上される等萬全なる對策が講究されてゐる。卽ち企業整備促進の態勢が略略固められてゐると言ってよいがしかし自給自足體制への確立を目ざす臺灣經濟の現段階に卽應するよう整備方針が決定されるのでなければ企業整備は意外なる打擊を當へざるを得ないであらう。從って企業整備が從來よりもはるかに大規模でなければゐなないことはやむを得ないとしても上述せる本島の特殊事情をよく勘案すべきことは改めて論ずる迄もない 三 周知の如く本年度に入り中外商工業の整備統合が小規模乍ら本島にも實施されることになったがその狙ひは固より配給機構の整備とか或は生產能率の向上とかにあって可及的小範園に止めようといふのが督府の方針であった。しかし此度の企業整備方針が戰力の基本的要素たる鐵鋼の畫期的增強を圖る為末働遊休設備の回收を目途とする點より見て中小工業の整備はより一層積極的に推し進められる事が必要となって來る追加豫算に計上された補償金も主として中小工業を對象にしてゐるものといってよい。しかるに最近著しく振興され來った中小工業は臺灣の自產自給に少からざる寄與をなしてゐるのみならずこれが企業整備による遊休設備の回收數量も左程期待出來ないのがその實狀である。が故にむしろ育成すべき中小工業を此際漫然と整備することは大局的に見て決して戰力增強にはならない。むしろ或る程度砂糖を減產せしめることによって製糖工場を一部閉鎖することが食糧增產はさておき遊休設備の回收にどれ程寄與するかは極めて明白なことである。かかる觀點に基き企業整備が斷行されるのが最も合理的ではなからうか。 |
02 | 各功勞者に賜謁 北白川宮故永久王妃殿下 埼玉縣下を御視察 |
03 | 勤勞を國に捧げよ 大詔胸に將兵の心を心として 齋藤本部長苗栗街の指導者激勵 |
04 | 諸英靈を弔ふ マルン分室の招魂祭 |
05 | ○○部隊長體驗を語る 生死一如の絕對境 アッツ島の玉碎精神 |
06 | 皇民意識愈よ昂揚 成果を讚へる車中談 |
07 | 圖像:齋藤皇奉本部長 苗栗郡下を查察 |
08 | 日泰協力の象徵 山田長政の記念碑建立 |
09 | 今は實踐時代だ ラジオ常會の夕富田氏放送 |
10 | 貯蓄完遂へ驀進 勸業課長會議で推進策凝議 |
11 | 青年團の查閱 桃園郡は十六日から |
12 | 玉碎に感激して ア島將兵への香華料 献納者軍司令部に殺到 |
13 | 熱帶醫專の敷地決定 谷口理事官が實地檢分 |
14 | 若櫻晴れの歸鄉 花蓮港廳出身は十日 |
15 | 增產現場を 激勵 森政勸業課長 |
16 | 新商道の確立へ 花蓮港廳商奉團結成 |
17 | 神社境內清掃 羅東の奉戴日 |
18 | 基隆桔梗クラブ 愈よ十四日に結成式 |
19 | 基隆市皇奉會參與委員會 |
20 | ル、チ葬送講演會 |
21 | 山の遺族慰問 田中府警務課長 |
22 | 謝再枝君 海兵志願 |
23 | 土田同盟理事母堂 |
24 | 人事消息報社消息 |
25 | 訃文:林祖謙 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 頑張れ‧職場は戰場 臺南州の勤勞章授與式で 宮尾知事增產戰士激勵 |
02 | 丸尾二等兵曹 けふ無言の凱旋 |
03 | 增產と防風林(上)/新山清吉 |
04 | 總額四千六百圓 嘉義商奉團の献金提出 |
05 | 滾る海軍志願熱 員林郡から五百名 |
06 | 龍潭庄役場の吏員 全員海軍の志願手續 |
07 | 高雄州の表彰式 |
08 | 員林郡街庄長會議 |
09 | 經濟部長打合 臺中支部で開催 |
10 | 青年修鍊道場 龍潭庄建設に着手 |
11 | 彰化郡奉公委員會 |
12 | 新生廈門の姿海外遊記 △廈門在留邦人一萬二千の商權の運營保護進展を劃する日本商工會議所の昭和十八年度第一回總會は二十五日午後二時より會議所會議室に於て開催されたが古澤會頭旅行不在の為め陳副會頭代って議長席につき議事を進め左記事項を議決同三時頃閉會した、出席議員二十四名(四名缺席) 一、昭和十七年度事業報告承認の件 二、同經營費收支決算承認の件 三、同貸借對照表財產目錄承認の件 四、昭和十八年度豫算承認の件 五、同賦課金徵收に關する件 六、議員辭任に關する件 △右議案中昭和十年度收入豫算五萬五千圓にして前年度に比し二萬五百餘圓の增加を示して居り課金に於ては二萬餘圓の增加を示してゐるので二、三議員より質問應答の後、事務當局の積極的活動を希望する意見の開陳あったが結局副會頭の古澤會頭歸廈後當局と打合の上一般と事務局を強化會務の積極的推進をなす決意ありとの表明に議員一同滿足、議案通過を見たり △五月二十七日の光輝ある我が海軍記念日を期して海軍側主催にて廈門公園に於て軍官民各界合同の運動會を開催することが決定發表されるや市內の日華各會社、諸團體は勿論のこと有志個人に至る迄も運動會費用の一助にと献金を申出る者續出し係官をして嬉しい悲鳴を擧げさせてゐる、こゝに海外同胞の協力一致の美しい精神の發露があることを窺ふことが出來る △廈門至誠會では結成第二年目に入って執務機關の強化を計り一層至誠奉公の誠を盡し、國策遂行に協力挺身すべく先般來各市委員並に幹事會に於て種々案を作成審議中であったが二十六日午後四時同會々議室に於て第三回幹事會を召集し、新年度事業案並に豫算案を決定した、その豫算案を見るに昨年に比し非常な膨張を示して居るが、右は專任理事並に事務局員を增したことゝ飛行機献納基金が尚計上されてある關係である即ち經常部收入一七三、九四三、二一元、臨時收入一六七、四○○○○元となって居る △事業計畫中前年度より繰越繼續事業としての飛行機献納基金募集が一番緊急を要するものであるので右重要案の決定により今後新會長陳長福氏指揮の下に目覺しい活動が展開され第二部邦人の自覺ある協力が自發的に發揮されるものと今から期待されてゐる。吾等の至誠會献納機が廈門の空の上を飛ぶ日の近からんことを切望してやまぬものである |
13 | 桔俱幹部の鍊成 十四日から大肚山道場で |
14 | 彰化の產業人蹶起運動 事業場に生產增強激勵班 |
15 | ジヤワ留學生訓練所 |
16 | 奉戴日貯金提出 |
17 | 常會運營の道 屏東で研究會開催 |
18 | 野菜を植えよう 嘉義で一坪農園獎勵 |
19 | 廣谷君談 |
20 | 貯蓄達成に全力 南投街で座談會開催 |
21 | 部落常會に 古城郡守陣頭指揮 |
22 | 新化商奉團献金 |
23 | 屏東畫劇挺身隊 あす競演會 |
24 | 國民貯蓄に 內埔庄萬全の策 |
25 | 決戰意識昂揚 屏東奉壯團で |
26 | 油虫撲滅當籤者 |
27 | 敵米英擊滅講演會 |
28 | 淡水郡兒童相撲大會 |
29 | 赤誠の献金品 |
30 | 臺南州自動車 產奉團結成 |
31 | 廣瀨屏東中校長 |
32 | 林祖謙氏逝去 |
33 | 人事報社消息 |
34 | 地方多より |
35 | 今日の映画演劇 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 石炭增產に拍車 買取價格愈よ引上げ 一月一日に遡つて實施さる |
02 | 生產材の自家消費 配給統制規則で禁止 |
03 | 統制會の新動向 實態把握に重點 |
04 | 雜穀類の大增產 不耕作地を極力活用 |
05 | 企業整備 研究懇談會 |
06 | 浮覆地等を美田化 新園庄の灌溉水路完成 |
07 | 土地改良を續行 高雄州で食糧增產に拍車 |
08 | 木造漁船の計畫建造 |
09 | 木造船の大量生產 造船事業の統合斷行 |
10 | 農業團體統合案 近く督府案決定されん |
11 | 企業整備を促進 督府、逐次措置を講究 |
12 | 簡保で業績順調 五月中は五萬三百件の增加 |
13 | 籾の逆送を指摘 二林庄の集荷區域問題 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況(八日後場) |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(983)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 氾水に痛烈な爆擊 六日、我が陸の荒鷲が |
02 | ルツセル島を襲擊 |
03 | 赤軍に殲滅的打擊 ミ河突破企圖を粉碎 |
04 | 赤軍廿五ケ師を剿滅 クバン橋頭堡地區で |
05 | 圖像:湖北戰線豪雨に增水せる漢洋河の急流を突破、漁 洋關に迫る我が精銳 |
06 | 殲滅戰の經緯 ク橋頭堡確保の意義 |
07 | 寢言にも猛訓練 武人岩村中尉の精神 |
08 | 樞軸軍一週間の戰果 |
09 | ニユーギニア風物便り |
10 | 獨機ゴ市爆擊 ソ聯側も發表 |
11 | ソ聯戰車工業に 致命的な大打擊 前後三回のゴ市猛爆で |
12 | 圖像:軍旗を捧持して獅子口山(漁洋關東方二十五粁)の峻險を征く皇軍(湖北戰線) |
13 | 石炭一千百萬 噸の損害 米國の炭坑罷業 |
14 | 中立政策を堅持 トルコ國民共和黨大會イ大統領演說 |
15 | ア國は依然中立 新大統領ラ將軍聲明 |
16 | 損害三萬七千 英軍北阿に於て |
17 | 地中海の戰局熟す 反樞軸軍蠢動活潑 |
18 | 獨機、堂堂晝間奇襲 チユニジア米基地を |
19 | 抽象的手前味噌 チヤーチル歸還報告 |
20 | 伊軍戰況公表 |
21 | 內閣顧問に松本氏 五大產業部門代表揃ふ |
22 | 英軍の上陸企圖挫折 地中海の孤島、伊軍敵を全滅 |
23 | 米空軍の獨立 近く發表か |
24 | 在支米空軍 北部佛印空襲 損害は輕微 |
25 | 總裁井坂孝氏 日本證券取引所 首腦部人事內定 |
26 | 井坂氏らの略歷 |
27 | アルゼンチン 新內閣顏觸れ |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 全產業人總蹶起 復仇の生產倍加運動 |
02 | 州民一家國語常用 始政記念日期して強調運動 |
03 | 元帥の遺德偲ぶ 鄉里長岡市の慰靈祭 |
04 | 正眼構へて進む 水天萬里“戰鬪のない戰鬪” 輸送船團護衛海軍小艦艇の勞苦 |
05 | 常會の運營を指導 梁井州知事宜蘭で |
06 | 全國特殊燈管講習會 橫濱、神戶兩市で開く |
07 | 郡守市長會議 新竹州あす開く |
08 | 日鐵副社長 小島氏が昇格 |
09 | 臺北市日婦北聯合分會總會 |
10 | 商奉團幹部鍊成會 |
11 | 賞與の國債支給 督府から標準通牒 |
12 | “たて網”や“づぼ網” 伸び行く南海の漁業 |
13 | 蚊帳の中で活躍する通信隊 |
14 | 顏氏白衣勇士慰問 |
15 | 臺灣醫師會總會 |
16 | 片手切りは認めぬ 實戰に即して柔劍道規定改革 |
17 | 生ものは喰ふな 市民の自重を要望 |
18 | 夏の心得十ヶ條 惡役防遏に基隆市大童 |
19 | 婦人は標準服で行かう 六大都市で順次講習展覽會 |
20 | 乙種醫師試驗 七月廿日から 四日間 |
21 | 作柄は如何に 七堵庄管內の米作を調查 |
22 | 中等柔劍道大會組合せ |
23 | 防諜紙芝居 入選作發表 |
24 | 興南詩苑漢詩 鼎山亭席上賦似聲濤詞兄/吳紉秋、次紉秋詞兄韻/劉聲濤、盛夏有作/陳雲汀、盛夏有作 其二/陳雲汀、盛夏有作 其三/陳雲汀 |
25 | 人事‧消息報社消息 |
26 | 今晚の放送 |
27 | 商況(九日前場) |
28 | 興南案內報社消息 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 久邇宮朝融王殿下 陸少飛行兵學校へ御成り 雛鷲たち恐懼感激頭條新聞 【東京發同盟】 畏くも久邇宮朝融王殿下には海軍◯◯聯合航空隊司令官として海の雛鷲育成、その他重要御軍務に御精勵し給うが御職務に關係深き陸軍少年飛行兵教育に特別御關心を寄せさせ給ひ九日立川の東京陸軍少年飛行兵學校へ御官職の御資格を以つて御成りあらせられ親しく同校教育の實況を御覽遊ばされた、大東亞戰爭下皇軍の赫赫たる戰果のうちに陸海軍航空部隊の武威は燦として輝きその重要性は萬人の齊しく認めるところであり從つて少年飛行兵の養成はその特殊性に鑑み特に喫緊事となつて來てゐるが殿下が尊き御身をもつて海軍航空部隊はもとより陸軍少年飛行兵養成にも思召しを垂れさせらるるのは畏き極みである、台臨の光榮に輝く陸の雛鷲達の感激は一入深く殿下の御前に平素の訓練振りをあますところなく潑刺たる元氣で御覧に供したのであつた この日殿下には海軍少將の御軍服にて森、龜田兩海軍大佐以下四名を御帶同午前十時少年飛行兵學校御着、喇叭君が代吹奏裡に校長高田少將以下學校幹部、生徒一同の御出迎えをうけさせられ學校附水島大佐の御先導にて貴賓室に入らせられ貴賓室にて高田校長の學校一般に關する說明を御聽取ののち午前十時五十五分から先づ中央校庭朝禮臺上に於いて長瀨中尉の指揮する生徒◯◯名の航室體操を約卅五分に亘り御覧あらせられた、この體操は同校創始にかかる獨特のもので各種體操の長所をとり航空兵としての身體を創る上に必要な動作を合理的に組合せたものでその基本體操の律動美と飛鳥の如く空中にて轉回する應用體操の爽快な躍動美に殿下には至極御滿足の御模樣に拜された、體操御覧ののち炊事場食堂等を御覽、午後一時からは本年四月入校の生徒◯◯名に對する藤井教授擔當普通學「國語」の學習振りを約十分間御覽遊ばされついで佐藤隊の舍內を御巡視、更に午後一時廿四分から約十分間校庭に於いて神田中尉の指揮する劍道の基本動作試合、同一時三十六分から第二學課講堂にて山際隊生徒の適性檢查實施を御覽あらせられた、最後に午後二時四分から約十五分間練兵場に於いて十河中尉指揮のもとに十河隊生徒◯◯名の手榴彈投擲に依る壯烈な各個戰闘教練を御熱心に御覽遊ばされた、斯くて殆んど數刻の御休みもなき御豫定にも拘はらず些かの御勞れの御樣子もなく午後二時三十分高田校長以下全校御見送り申し上げる裡を御歸還の途につかせられた久邇宮朝融王殿下このたび御成りの光榮に浴した東京陸軍少年飛行兵學校校長高田利貞少將は次の如く謹話した、 曩に五月三十日には畏くも侍從武官御差遣のことあり今日は海軍◯◯聯合航空隊司令官として海の少年飛行兵を御育み遊ばされる久邇宮朝融王殿下の台臨を仰ぎ洵に恐懼感激に堪へません、本職以下學校全員愈愈職務に勉勵、粉骨碎身以つて宸襟を安じ奉らんことを期する次第であります |
02 | 決戰國民大會 熱血滾り心腸赤熱す 仇敵米英を屠れ 一億鐵火の總進軍 |
03 | 誓つて米英を擊碎 決戰國民大會宣言 |
04 | 長驅建瓶を強襲 |
05 | 一億一心戰力增強 下村氏の演說要旨 |
06 | 通信兵の本領發揮 十九勇士に賞詞授與 |
07 | 寡兵克く大敵擊退 |
08 | 敵四十九機を擊墜 海鷲、ルツセル島進擊 |
09 | 敵基地へ猛然斬込む 我方も必死、敵もまた必死 |
10 | 定期敘勳 |
11 | 樞府定例本會議 |
12 | チヤーチルの演說 |
13 | ノツクスの言明 |
14 | 忰はよくやつてくれた 寺島兵長の父語る |
15 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 熱烈な指導者 精神社說 一 本島の奉公運動は外形のみでなくシンから巨大な歩みを續けてゐる。これは第一線で大眾を導く指導者の熱意と努力の賜である。新竹州を殿りに西部各州の奉公運動狀況の查察日程を滞りなく終へて八日歸北した齋藤皇奉本部長はこれをほめ讚へて歸途車中で「到る處よくやってゐる、大眾を引きずるための手段と工夫をこらし各各生きた方法を考へてゐることは良い行き方だ、よい部落があちこちにあって賴りになりさうな處ばかりで賴母しい、これが元になって周園のものがだんだんよくなって行くと信ずる、結局奉公班といふものがしっかりせば部落もよくなって行くのだ、兎に角第一線で大眾と共に働いてゐる人人の熱意に對し大に感謝してゐる、一口に言へば皇民の意識まさに擧れりと云ふところです」と語ってゐる。皇民奉公運動の純化と強化は本島に於ける最重要な課題で本運動の純乎、潑溂たる具體的展開こそは時局の要請に應へる所以のもので、而して之れが推進の如何は一つにかかってよき指導者を得るか否かによって決定されると斷言しても過言ではない。 二 決戰下の今日われわれは將兵の心を心とし銃後常在戰場の氣持で勤勞報國に邁進せねばならぬ。日日の決戰生活に相應しい行き方で進み國に報ずる努力を重ねて行くことが奉公運動の本旨である。決戰生活の確立と云ひ、生塞增強といひ、貯蓄の完遂と云ひ、何れも奉公運動の重點を占めるものである。政治、經濟、文化等凡ゆる分野を擧げて「臣道實踐」をなし國民の全活動を戰勝の一點に集中せねばならない。奉公運動に於ける指導者の立場の決定的な重要さは齋藤本部長の喝破せる通りで今日到る處の農村に於いて幾多の真劍な指導者を見出してゐることは本島にとり心強い限りと云はなければならぬ。殊に本島は食糧增產運動を最大に推進すべき立場にあり農村に良き指導者を得るか否かは非常に重大な問題である。農家の素朴さ、誠實さ、勤勉さは食糧增產上の底力であるが一面には傳統に執着し保守的である、諸施策が圓滑に行はれるためにはよき指導者の挺身が要請される、增產運動にしても米穀供出にしても、最優良の部落には必ず良い指導者が存在してゐる、農村の人人を私心なき誠意と熱情を以て總力の形に結集せしめることは指導者の任務である 三 翼贊壯年團長會議の席上に於いて末次大將は指導者精神を昂揚する意味に於いて「人間は九分九厘迄は凡人なり大眾も壯年團員も均しく凡人である、自ら耐へ得るか否かを先づ考へてみよ、自らはろくな事をせずして一般大眾に強ひるとせばその將來は知るべきのみ、人情に外れた事をしてはならぬ、人心の機微を察せずして何の成否があらん」と說いた。以て他山の石とすべきではなからうか。指導者と、いふ言葉から來る觀念は兎に角號令をかける人であるとの印象を與へ勝ちであるが、實踐上の真の指導は躬ら實踐して進むべき方向に向って大眾を引きづつて行く實行家、努力家でなければならぬ。又指導者の性格は上からといふ國家目的の真個たる把握と下からといふ新事態に即應せんとする努力との結合體でなくてはならぬ。工場に、農村に、或は奉公班に隣組同志、近所同志お互ひが手を結び合って足らざるところを補ひ合って行くのが即ち奉公運動の旗印である。內も外も今日ほど指導者を熾烈に要求する時はなくまた指導者精神が現在ほど國民に痛切に要求される時はない。 |
02 | 婦人の健鬪台覽 東久邇宮妃殿下 福島縣に御成り |
03 | 六百萬焰と燃ゆ この恨、この仇斷じて討て 島民大會十二日に開催 |
04 | 北白川大妃殿下 西村文教局長に賜謁 |
05 | 圖像:山本元帥分骨鄉土へ(於上野驛) |
06 | 眾議院にお孃さん部隊奉仕 |
07 | 二十年來の友人 ラ內務部長官の狙擊に對し 天羽情報部長語る |
08 | 長驅恩施を爆擊 岩村中尉機、壯烈な自爆 |
09 | 南方圈の體育(1) 昭南の卷 東亞的敢鬪精神 各分野に昂揚さる |
10 | 更生の息吹脈動 バリ島、夢から現實へ |
11 | 中元贈答を廢止 宜蘭で強調週間 |
12 | 危險狀態を脫す |
13 | 役場の職員全 員海志志願 |
14 | 宜蘭で防諜 映畫を上演 |
15 | この一分この一秒 敵米英の擊滅に捧げませう けふ時の記念日 |
16 | 警防團幹部講習會 |
17 | 日本精神の真髓 歡喜力行で體得 張切る勤報青年隊 |
18 | 「海ゆかば」の 特別試寫會 |
19 | “元氣で歌はう” 新公園で歌唱を指導 |
20 | 決戰醫療“夏の陣” 地域別に隣保組織を結成 お醫者さんも戰ふ |
21 | 岡本綺堂賞を設定 |
22 | 一期作米稻刈 奉仕報國隊を結成 |
23 | 方面委員事務打合會 |
24 | 戰ふ產業戰士 に勤勞章授與 |
25 | 保正留置さる |
26 | 人事‧消息報社消息 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ああ昭和の小楠公 綴るこの一死報國の精忠 荒鷲南の空に散る |
02 | 飛行機の兄ちやん 母が語る少年の俤 |
03 | 御下賜品傳達式 |
04 | 增產と防風林(下)/新山清吉 |
05 | 飛んだ飛んだ僕らの飛行機 臺中州國民校對抗飛翔競技 |
06 | 有田兵事部長 が防空講演 |
07 | 戰力增強祈願 日婦旗山支會常會 |
08 | 貯蓄必成打合 屏東郡で開催 |
09 | 理山事務打合 |
10 | 青少年團の 各區結成式 |
11 | 中等學校長會議 きのふ臺中で開かる |
12 | 國語の家表彰 始政記念日高雄で |
13 | 參與奉公委員會 |
14 | 大甲街庄長會議 |
15 | 映畫で燒夷彈講習會 すんでから實地に演習 |
16 | 授產講習所 開所式を擧行 |
17 | 奉公班指導 協力打合 |
18 | 宿敵擊滅に起つ 彰化市警防團郭分團全員志願 |
19 | 電車設立を促進 高雄商議各方面に陳情書提出 |
20 | 子供二人を第一線に 軍國の家吉岡氏の感激 |
21 | 一日戰死の赤誠 屏東市役所全職員 一日の俸給を献金 |
22 | 農務主任打合 |
23 | 一市四郡に皇民體操 屏東で講習會を開催 |
24 | 耕地防風林 造成に北斗郡乘出す |
25 | 赤誠の献金品 |
26 | 內地在學生連絡部保護者會 |
27 | 遙かに割當突破 貯蓄總進軍の潮州郡 |
28 | 常會運營實地研究會 |
29 | 白沙庄長に 呂築氏任命 |
30 | 畫劇挺身隊鍊成終る 今後の活躍に期待 |
31 | 北港郡警防 分團長會議 |
32 | 豐岡山林課長 虎尾郡を視察 |
33 | 臺中春競馬 十九日から開催 |
34 | 藝能奉公會 二十九日發會式 |
35 | 團體對抗庭球 |
36 | 本社取次所主 木村君母堂逝去報社消息 |
37 | 地方多より |
38 | 訃文:柯吳氏輕 |
39 | 今日の映画演劇 |
40 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 電源建設の資材 大部分豫定通り入手 田端臺電副社長歸臺談 |
02 | 竹東迄の鐵道敷設 カラバイ炭開發が先決問題 滿尾鐵道部長視察談 |
03 | 臺北州醬油會社 指定工場を決定 |
04 | 金融統制會と 其の事業の育成強化 |
05 | 本島糖業の轉換策 新種三○一六號の普及が急務 |
06 | 臺灣製樽創立 社長本山文平氏 |
07 | 決戰生產態勢の確立 |
08 | 航空ホテル會社 近く資本五十萬圓で設立 |
09 | 苧麻等の增產打合會 |
10 | 照明燈 |
11 | 經濟手帖 |
12 | 商況(九日後場) |
13 | ラジオ |
14 | 水滸傳(984)/黃得時;碇政彌 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 三中將、七少將の 陸軍異動發表さる 佐野中將防衛總參謀長に |
02 | 難局突破に邁進 兩院積極的協力の態勢 |
03 | 運營の圓滑を期す 貴族院方針を決定 |
04 | 學生の氣風を刷新 全國官公私大學長會議 |
05 | 岡部文相全國大學長參內 |
06 | 決戰國民大會 けふ大阪で開く |
07 | 育英制度準備 協議會を設置 |
08 | 圖像:明日の出擊に鵬翼を休める海鷲○○基地の夕暮 |
09 | 東京都制案要綱 樞府通過近く公布 |
10 | 審議室を創設 情報局の機構を強化 |
11 | 百四十一機(ソ機)を擊墜 東部戰線の制空權爭奪激化 |
12 | 伊海軍の綜合戰果 參戰以來三ケ年間 |
13 | 中立諸國の動向 |
14 | ア國の中立に失望 米英兩國慎重な態度 |
15 | 獨總統大本營 戰果を發表 |
16 | 七月一日より實施 |
17 | 伊軍戰況發表 |
18 | 石炭戰士を表彰 |
19 | 歐洲上陸作戰の 宣傳に躍起 |
20 | 來襲の英水雷艇を擊退 |
21 | 佛、智利通商關係を斷絕 |
22 | 慎重な銓衡 日本證券の首腦 部陣容內定まで |
23 | 爆擊効果皆無 北部佛印で蠢動の米空軍 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 傳統の婦道を顯揚 日婦臺灣本部發足一週年 けふ輝やく記念式 |
02 | 決戰下使命重大 齋藤皇奉本部長祝辭 |
03 | 圖像:日婦臺灣本部結成一周年記念式典 |
04 | 總蹶起運動視察 福澤產業部長各工場へ |
05 | 無限の寶庫は開く 今日のセレベス島(上) |
06 | 支部長會議に 兩氏が出席 |
07 | 西、陳兩氏の新竹市葬 |
08 | 海軍志願兵近く募集 けふ打合會を開催 |
09 | 圖像:海軍豫備學生募集ポスター |
10 | 小島勇士遙弔式 |
11 | 統治上の影響甚大 山內警務局長訓示 |
12 | 甘藷の自給自足 新竹州市長郡守會議 |
13 | 參與奉公委員會 基隆市支會で開催 |
14 | 乘出す“七洋制霸” 米英擊滅の霸氣を孕んで 木造船の進水式 |
15 | 圖像:全島兵事防空課長會議 |
16 | 廣谷支會長 常會を視察 |
17 | 海洋雄飛の意氣 一擧に五百名志願 |
18 | 海洋青少年養成所入所式 |
19 | 日赤社員增募打合 |
20 | 賞金を献金 模範の警防團長 |
21 | 花卉、蔬菜苗を配布 |
22 | 產組事務研究會 |
23 | 露店据賣組合 高雄で統合整理 |
24 | 理髮業者の赤誠 |
25 | クルベー祭 |
26 | 菁桐坑行 |
27 | トンロク山行 |
28 | 不埒者嚴罰 |
29 | 人事消息報社消息 |
30 | 今晚の放送 |
31 | 商況(十日前場) |
序號 | 標題 |
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01 | 最新銳兵器を天覽 畏き大御心に一同恐懼感激頭條新聞 【東京發同盟】畏くも天皇陛下におかせられては大東亞戰爭下特に我が科學兵器軍需生產の上に畏き大御心を寄せさせ給ひさきに侍從武官を全國の軍作業所、工場に御差遣具さにその實況を巡察せしめられその復命を聽召され我國兵器陣の赫赫たる進展振りに痛く御滿悅あらせられると承はるが十日御乘馬御運動の御砌り宮城內舊本丸跡馬場主馬寮廣場に臨御あらせられ我が皇軍技術陣の粹を優ぐる電波に依る防空兵器、高射砲高射機關砲等の最新銳兵器を親しく天覽あらせられ完璧を誇るわが軍防空陣に御感一入深く拜されたと承はる特に民間において研究製造に直接努力せる關係者をも召させられ親しく陪列差許され軍關係者はもとより一同は畏き聖慮のほどを拜し奉り恐懼感激益益研究に努力邁進大御心に副ひ奉らんことを誓つたのであつた 天皇陛下にはこの日陸軍御軍裝にて御愛馬「初雪」に召させられ蓮沼侍從武官長、甘露寺侍從次長等を從へきせられて內苑門御發午後二時宮城內舊本丸跡馬場に臨御御陪覽の高松宮三笠宮東久邇宮竹田宮各殿下、李□公を始め奉り東條兼攝陸相、木村陸軍兵器行政本部長、小池同技術部長を始め陸軍省、陸軍兵器行政本部各關係陸軍技術研究所關係者、住友通信工業、東京芝浦電氣、日本精工、富士電氣各製造株式會社關係者並びに陪觀の松平宮相、木戶內府以下側近奉仕者等の奉迎を受けさせられて御愛馬より下御先づ木村、小池兩中將より總括的の御說明を親しく聞召された御後陳列された電波に依る警戒機及び標定機の實驗を關係技術研究所長の御說明にて天覧あらせられた次で主馬寮廣場に御愛馬を進めさせられ再び下御、同廣場に陳列の野戰高射砲及び要地高射砲各一門、高射機關砲一組、算定具及び電氣照準具各一組等を關係研究所長の御說明にて順次御熱心に天覽あらせられ、種種御詳細なる御下問もあらせられ御感深くわたらせられた由に承はる斯くて 陛下には一時間餘に亘る御巡覽を終へさせられて同三時五分同所御發天機御麗はしく還御あらせられた |
02 | 重大責務を痛感 木村行政本部長謹話 |
03 | 我地上火器に依り 二八一機を擊墜破 南太平洋方面で |
04 | 火器部隊の大戰果 |
05 | 片肺生還の海鷲魂 愛機受彈八十餘ケ所 |
06 | 內閣辭令 |
07 | 日に三機以上擊墜破 |
08 | 敵機擊墜破の地點 |
09 | 地點別の戰果 |
10 | 國府の戰時文化宣傳政策 |
11 | 麗しい武人の殊勳 不確實とて敵機擊墜を報告せず 荒鷲の昆明爆擊の隱れた美談 |
12 | 圖像:江南作戰において敵航空基地に進攻する我が陸鷲(陸軍省提供) |
13 | 議會の戰時運營 眾議院、萬全を期す |
14 | 冀西作戰の戰果 わが部隊と中國側武裝團體 |
15 | 榮臻、張學銘氏 軍事委員會委員に |
16 | 憲兵も直屬に ピブン元帥の 地位を強化 |
17 | マツカーサー カーチン協議 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 臺灣糖業政 策の一轉機社說 一 從來臺灣糖業の取りつつある目標は單に國內自給のみに止まらずして進んで爪哇糖と競爭して東洋市場卽ち支那市場の制壓にある。殊に對外貿易の振興を最大國策とし國內に於て米穀供給の過剩なりし日支事變前の時代に於ては勢ひ臺灣糖業政策の強化を國策として推進せられて來た事は故なしとしない。ところが大東亞戰爭を契機として南洋一帶の地域占據し、且つ決戰體制下の現階段に於てはかかる客觀的事情が既に一變したのである。卽ち世界最適の糖業地たる爪哇を始めビルマ、比島等の糖業地が既に東亞共榮圈の構成分子として編入され、且つ戰時食糧自給政策が至上命令として要請せられてゐる今日、本島に於ける糖業政策も當然一轉機に直面せざるを得ない 二 此處に於て先づ第一に指摘したい事は現在爪哇及び比島に於ける砂糖滯貨が其の數量に於て日本內地の需要量の約三個年分に當る巨量に上ってゐる事である。勿論現在では船腹關係で內地へは輸送されざるため現地に於て酒精及高級燃料の原料に充當されてゐるが、今後內地及び支那市場の需要が專ら臺灣糖に依存する必要がなくなった事は否まれない。其の上臺灣糖も現在一千三百萬擔以上の滯貨があるから、今や本島に於ては砂糖增產よりも刻下最も必要とする食糧確保に對して其の優位を讓らざるを得ざるは明かである。卽ち戰爭中は砂糖よりも食糧の增產がより緊急事項であり、戰後に於ては南方地域と睨合せて本島に於ける砂糖生產に制約を加へなければならないから、臺灣糖業が此の新情勢に卽應して編制替すべき必要に迫られたのである。 三 然しながら上記の國策的要求の一大轉換が地方に於ける本島官民に尚徹底浸透してゐないため依然米糖二元主義を堅持しどちらもつかざる態度を持續してゐる嫌ひがないではない。勿論其のよって來るところは臺灣米移出管理前後に於ける理念の殘滓が未だ腦裏にこびりついてゐるのではなからうかと考へられる。それ故現下の決戰段階に於ける食糧政策は內外地を一元化とする自給制確立を殊更痛感せられてゐるから此の際米、藷其の他の食糧品生產增強の前提として水田蔗作の撤退、バナナ、茶園等の轉作、肥料の重點的配給一聯の政策を更に推進すべきであり又推進せねばならくなったのである。此の見地よりして本島最大產業たる臺灣糖業の再編制に關し今や勇敢に斷行すべき必要なる事を銘記すべきである。 |
02 | 朝香宮孚彥王殿下 宇都宮飛行學校に御入學 |
03 | 本多中佐以下に賜謁 |
04 | 安田航空總監謹話 |
05 | 加藤校長謹話 |
06 | 師風昂揚に努めよ 決戰下大學生の責務は重大 大學長會議で岡部文相訓示 |
07 | 一生一代の御奉公 日婦臺灣本部發足一周年 長谷川本部長式辭 |
08 | 勝算我れにあり 藤岡兵務部長が講演 |
09 | 決意新たに邁進 本部理事西中佐語る |
10 | 赤誠國恩に報ひん 神前で誓合ふ新竹健兒 |
11 | 譽れの志願兵 懷しの我が家路へ |
12 | 戰時災害者に對する 戶稅減免猶餘案 臨時市會を通過 |
13 | 皇軍感謝電文 |
14 | 議論より實行だ 太平三區の常會で 廣谷市長力說 |
15 | 力丸教授講演 |
16 | 敵の魔手を完封 謀略演習好成績裡に閉幕 |
17 | 刑餘者の保護道場 臺中農業輔導所竣工 |
18 | 宜蘭市會 |
19 | 奉仕の感激傳ふ 陳、松本兩孃母校で體驗發表 |
20 | 戰ふ花蓮港日婦 十四日支會長會議 |
21 | 羅東街短艇競漕大會 |
22 | 山の遺族に弔慰金 田中府警務課長墾ろに慰問 |
23 | 憲兵隊司令部 友利准尉除隊 |
24 | 知事の陣頭指 揮に感激して 奉公班が献金 |
25 | 人事消息報社消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | きつと喜ばれる 前線に慰問袋と銃後お便り 臺南桔梗一周年記念 |
02 | 篤農家を優遇 皇奉臺中州支部參與委員會 |
03 | 賞賜物件傳達式 拜受の遺族感泣 |
04 | 技術欄(3) 各種工具類の燒入及び 燒戻方法の實際に就て/壇の原生 |
05 | 賴母し愛馬風景 第一次審查の中間報告 |
06 | 嘉義出身若櫻 半年振りに歸鄉 |
07 | 兩軍屬の中壢街葬 しめやかに執行 |
08 | 一人一車献納 瑞芳二坑の敢鬪譜 |
09 | 決戰の北港郡 部落振興と國語普及計畫 |
10 | 新莊青少年團 十七日結成式 |
11 | 玉碎精神に感奮興起 少年航空兵志願 竹山郡下から百十五名 |
12 | 感心な善化校兒童 小遣錢献金を申合 |
13 | 日婦彰化郡支會 理事會を開催 |
14 | 常會推進を強調 臺南州支部各支會總務部長 |
15 | 郡民を總鍊成 戰力增強の屏東郡 |
16 | 一千四百名志願 里港庄全青年起つ |
17 | 內埔庄役場吏員全員志願 |
18 | 志願兵に合格 莊水金君の感激 |
19 | 歐君の喜び |
20 | バナナ周年栽培 高雄州乘り出す |
21 | 必ず目標額突破 潮州郡の貯蓄打合 |
22 | 臺南州教育會總會 |
23 | 國語常用徹底へ 澎湖廳支部で座談會開催 |
24 | 田中米穀課長 彰化郡を視察 |
25 | 推肥增產推進會創立 增產に邁進する旗山郡 |
26 | 時間勵行申合 嘉義の時の記念日 |
27 | 彰化市月例會 |
28 | 鬪ふ漫畫展 廿一日から臺南で |
29 | 日新町一區青年團入團式 |
30 | 故廣瀨屏東中 學校長學校葬 |
31 | 地方多より |
32 | 訃文:增澤深治 |
33 | 今日の映画演劇 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 全國產組代表者會 山崎農相臨席の下に開催 |
02 | 臺灣貿易會強化 近く調整品目を擴大 |
03 | 預金部の資金構成 十七年度の實績を見る |
04 | 食糧增產諸施設 豫算千八百餘萬圓を計上 |
05 | 合併銀行の 支店網を整備 |
06 | 基隆港木造船 あす進水式擧行 |
07 | 南日本漁業會社 愈よ本格的設立へ |
08 | 二期作で取戻す 嘉義郡の米作增產打合 |
09 | スレートの需給調整 近く配給統制を實施 |
10 | 新しい軍需金屬 マグネシウムの性質と用途/原田三夫 |
11 | バナナをどつさり 高雄州から北送 |
12 | 電氣事業功勞者 昨日表彰式を擧行 |
13 | 牛乳の共販制 臺中州一日から實施 |
14 | 臺銀人事異動 |
15 | 家腐業組合業務連絡打合會 |
16 | 照明燈 |
17 | 經濟手帖 |
18 | 商況(十日後場) |
19 | ラジオ |
20 | 水滸傳(985)/黃得時;碇政彌 |
序號 | 標題 |
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01 | 東部戰線嵐の前夜 獨空軍の活躍熾烈化 |
02 | 獨機ヤ市を猛爆 投下爆彈五百噸燒夷彈十萬個 ソ聯軍需生產大打擊 |
03 | 圖像:南太平洋上を堂堂進航の海鷲 |
04 | ソ聯舟艇猛爆 |
05 | 獨伊、ア國新政權を承認 |
06 | 南米諸國も承認 米國の牽制を退けて |
07 | 赤軍戰車四百 三十三臺擊破 |
08 | 米、喪失艦艇の 代艦建造に大童 |
09 | 全國に千三百個所の 健民修鍊所開設 結核防止の修鍊實施 |
10 | 華北の治安態勢 一段の飛躍示す 治安と行政組織の一體化成る |
11 | 異動各將星の略歷 |
12 | 新政權承認を條件に 外交政策轉換強要か アルゼンチンと米英の態度 |
13 | 汎アラビヤ 聯盟結成企劃 エジプト首相 |
14 | 兵力百萬喪失せん 歐洲上陸作戰は至難 |
15 | 圖像:谷駐華大使歸朝(福岡空港にて) |
16 | 外米依存心を去れ 食糧增產官民懇談會 |
17 | 對英報復大空襲 獨空軍近く決行せん |
18 | 米の炭坑爭議 賃金交涉で又復暗礁 |
19 | 日本の實情を 審さに見たい 緬甸視察團一行の談 |
20 | 米、內務長官の 強硬言明 炭工夫に大反響 |
21 | 銃後日本人の 奧床しさ 視察團一行感歎 |
22 | 英軍の降伏勸告一蹴 パンテラリア島伊守備隊 |
23 | 英機五ケ月間 の喪失總數 八百七十四機 |
24 | イタリアの 戰爭目的 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 逞し本島青年の躍進 石田臺灣憲兵隊司令官語る |
02 | 內臺一體で勝拔け 南方占領地視察の途次 寄臺した松井元臺灣軍司令官談 |
03 | 南方圈の體育(2) ジヤワの卷 開放された競技 澎湃たる健民運動 |
04 | 心眼で戰車組立て 戰ふ產業人の增產魂 |
05 | 發明考案改良 臺灣關係功勞者 |
06 | 荒鷲は“母”が育つ 航空婦人會米英擊滅大會 |
07 | 陸軍通信の權威 外立岩治中將散華 |
08 | 圖像:學生一日入隊 |
09 | 海志募集打合に 臺北州の郡守署長會同 |
10 | 新竹州の打合會 |
11 | 視學會議 |
12 | お山の建艦献金 タイヤフ社赤誠の百十五圓 |
13 | 決戰型馬事訓練 學徒馬事指導要綱を制定 |
14 | 圖像:寄臺した松井大將 |
15 | エ博士の新戰車 今夏の活躍期待さる |
16 | 本間將軍の歌 比島人が作曲 |
17 | 譽れの志願兵 懷しの我が家路へ |
18 | 建艦献金一千圓 臺中州下水利組職員が醵出 |
19 | 鹿港海水浴場 きのふから開始 |
20 | 基隆市石鹼配給 |
21 | 興南詩苑漢詩 暢庵先生惠贈燉煌秘籍留眞賦呈/文訪 |
22 | 臺北市豆腐商奉團鍊成會 |
23 | お百姓さん に酒を特配 |
24 | 海軍志願兵制 標語募集 |
25 | 基隆桔俱結成延期 |
26 | 人事‧消息報社消息 |
27 | 今晚の放送 |
28 | 商況(十一日前場) |
29 | 興南案內報社消息 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 南方各地に轉戰 敵機擊墜破三四五機に上る 河原飛行部隊の偉勳頭條新聞 【東京發同盟】昨年十月十四日海南島附近にて軍務遂行中散華した河原利明陸軍中將は昭和十六年十二月八日宣戰の大詔下るや勇躍現地第一線部隊長として麾下の陸鷲部隊を率ゐて比島航空殲滅戰に出陣、開戰劈頭の渡洋爆擊を決行して皇軍の比島勘定作戰に先制必勝の態勢を確立、爾後在比米空軍を殲滅してわが比島勘定を容易ならしめ次でビルマに轉戰常に皇軍第一線地上部隊と密接に協力してビルマ攻略作戰に赫赫たる偉勳を樹てた、開戰以來ビルマ勘定まで同部隊の擊墜破せる敵機總計は實に三百四十五機に上り特に新銳爆擊機を驅つて全戰線に活躍した隸下本多部隊は武功拔群なりとして昨年六月十五日ビルマ方面陸軍航空部隊最高指揮官より榮えの感狀を授與されてゐる河原飛行部隊の戰闘經過を辿ると一昨年十二月八日開戰と共に長驅渡洋爆擊以て比島を急襲ツゲガラオ飛行場並にパギオの軍事施設に對し劈頭の巨彈を浴せ次でわが上陸部隊の泊地掩護に任じ更にクラークフイールドカバナツアン、パギオ、デルカルノン、イラガン、等の各飛行場を連爆敵機六十餘機を擊破して敵空軍の主力を殲滅した、その間同二十二日、リンガエン灣、二十四日のラモン灣における友軍後續部隊の奇襲上陸を掩護し又二十九日には早くもコレヒドール島要塞に第一擊を加へてゐる、かくて比島戡定作戰についてビルマ戰線に轉進し先づモールメン攻略戰に協力し各要衝に屢屢鐵槌を加へ三月八日のラングーン占領までに進攻延回數二十七回、敵機八十七擊墜破の外敵地上部隊、車輛群、倉庫、燃料彈藥庫、小型船舶群を爆碎する等大戰果を擧げ在緬英空軍を完全に慴伏せしめた、更に五月十八日以後は雲南省境方面にまで鵬翼を伸ばして在支米義勇飛行隊を奧地に逃避せしめてゐる、まことに大東亞戰緒戰において皇軍が先制能く大東亞の軍事據點を確保してわが必勝不敗の態勢を確立し得たのは故河原部隊長指揮の陸鷲部隊に負ふところが多い |
02 | 河原中將外七氏 十四日に合同葬執行 |
03 | 工場就業時間制限を撤廢 勅令案閣議で決定 |
04 | 國內態勢の完璧期す 政府、翼政、翼贊連絡懇談會 |
05 | 在支米空軍司令 官重慶に歸着 |
06 | 實學教育の徹底 國防鍊成を強化 學徒動員計畫の目標 |
07 | 政治と人事/津久井龍雄 |
08 | 工場法戰時特例 勅令案を決定 |
09 | 圖像:我が爆擊に濛煙を吐く米空母 |
10 | 大陸週間戰況 集團的投降が增加 わが武威と仁慈の滲透を証明 |
11 | 敵七十九軍を粉碎 |
12 | 黃河南北地區の戰果 |
13 | 山西省內の戰果 |
14 | 木材供出の 調查報告會 農相官邸で開かる |
15 | 八法案の成文化終る |
16 | 國民更生金庫法中 改正法律案要綱 |
17 | 帝國、一兩日中に ア國を承認せん |
18 | 定例閣議 |
19 | 伊參戰三周年 記念日を祝賀 |
20 | 又もゴ市を大空襲 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 米英擊滅の 島民大會社說 一 中央の米英擊滅大會に呼應して島都臺北市では皇民奉公會主催の下に本日午後四時より市公會堂に於て島民大會を開催することとなった。決戰下六百萬島民の結集を更に固め敵米英擊滅の烈烈たる決意を新たに全力を擧げて大東亞戰爭完遂に突進する宣言決議を行ふことになってゐるが我ら島民は本日の國民大會に際し愈よ以て時局の重大性を體認し必死敢闘完勝への決意と覺悟を固めなければならぬ。顧みるに聖戰既に1年有餘、幾多皇軍將兵は七生報國を誓って君國に殉じられた、また無敵聯合艦隊を率いて振武を宇內に輝かせた山本元師は自ら陣頭指揮に起って壯烈なる機上戰死を遂げられた更に近くはアッツ島守備の將兵が寡兵よく敵大軍を邀擊遂に玉碎せられた。斯の如き血戰の苛烈、皇軍將兵の忠勇を思ふとき誰か痛憤の心腸ために赤熱せざるものがあらうか。 二 飜って戰局を見るに文字通り苛烈な血戰の連續であり、まさに喰ふか喰はれるか、帝國興亡の岐れる重大關頭に立ってゐることを思はなければならぬ、勿論征師以來皇軍の戰果燦として青史を壓し大東亞建設の偉業着着とその緒についたことは今更申すまでもないことであるが、しかし敵米英の反抗も又愈愈熾烈にして戰局の緊迫日を追って急を告ぐるものあることを深く認識せねばならぬのである、前線における皇軍將兵の言語に絕する真摯敢闘ぶり、鬼神をも哭かしむる血戰血闘ぶりは如實にこれを物語って餘りがあり、また一方においては敗戰を糊塗せんとして帝國の本土空襲を企圖する敵米の耽耽たる虎視蠢動に徵しても自ら明らかなことである、斯くの如く戰局の緊迫せる現下においては寸刻と雖も絕對に油斷を許されず、全く喰ふか喰はれるか、生き拔くか亡び行くかの分岐點に我我は置かれてゐるのであり從って我我は徹底的に敵米英を擊滅し終らずんば自ら亡び行くことを銘記せねばならない 三 茲において、一億國民擧げて盡忠報國の赤誠を結集、最後の勝利へ邁進すべき秋が到來したのである。今こそ我ら國民は一切を擧げて君國に捧げ陛下に歸一し奉らねばならない。幾多護國の忠魂英靈の前に我らは敵愾の心魂と殉國の烈情をつくす義務があらねばならぬのである。就中惠まれたる臺灣に生を亨けた島民大眾は、大いなる御稜威の下、有難い安樂な生活に馴れて、兎もすれば緊迫感を失ひがちなのを省み、緊褌一番更に奮起するところがなければならない。斯くして我らは戰局の現段階を直視し、六百萬の總力を凝集して益益熱血不動の覺悟を鞏め、山本元帥並に幾多忠烈なる護國の神の遺業を繼承して誓って米英を擊碎し聖戰目的の完遂を期せねばならぬ。蓋し我らの一切を擧げて戰力の增強に傾注し萬難を突破して斷じて仇敵米英を徹底的に屠りることに他ならぬのである。 |
02 | 神國日本の御稜威 眼の邊りに顯現 殊勳の三勇士漂流記 |
03 | 人間“山本元帥” 逸話に偲ぶ遺德 |
04 | 安藤軍司令官訪問 |
05 | 大東亞戰と臺灣の會 十七、廿二の兩日京阪で開催 呂、上野兩君從軍體驗談 |
06 | 米英擊滅の烽火 けふ島民大會開催 |
07 | 基隆の造船所 一元的統制近く具體化 |
08 | 戰鬪機献納運動 日本通運產業報國會 |
09 | 宜蘭市參與奉公委員會 |
10 | 羅東街米穀增產打合會 |
11 | 三萬圓を突破 露店組合員 の家族貯蓄 |
12 | 宜蘭市役人 全職員鍊成 |
13 | 宜蘭市國語家庭座談會 |
14 | 蘭陽地方傷痍 軍人の懇談會 |
15 | 水道竣工式延期 |
16 | 赤ちゃん用タオル來月賣出 |
17 | 東港奉公委員會 |
18 | 例年にない豐作 遺家族米穀增產 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 內臺一如の珠玉篇 散華した勇士に捧げた赤誠で結ぶ 麗しや親類交誼の誓約 |
02 | 納稅殊勳者を表彰 早期完納四年の臺中州 |
03 | 警防團幹部に 國土防衛講習 |
04 | 燃ゆる敵愾心 屏東郡民の建艦献金 五千三百圓突破 |
05 | 颯爽たる姿 高雄州下の志願兵歸る |
06 | 東勢郡街庄長會議 |
07 | 玉碎勇士に香料 |
08 | 新化街商奉團常會 |
09 | 全生活を戰力增強に 皇奉高雄州支部參與委員會 |
10 | 歸還式を擧行 |
11 | 圖像:戰ふ女性の新職場 |
12 | 臺南市の若櫻 元氣一杯で歸鄉 |
13 | 一日一語普及 旗山郡の國語生活運動 |
14 | 稻田花蓮港 廳長初巡視 |
15 | 鳳山郡警察課定期召集 |
16 | 一枚でも死藏するな 竹山郡の硬貨回收運動 |
17 | 竹山街講演會 十五十六兩日に |
18 | デング熱豫防對策 ボーフラが湧かない樣に |
19 | 自作農を創設 增產完遂へ |
20 | 東勢郵便局 いよいよ新築に着手 |
21 | 旗山郡農務打合 |
22 | 世話役鍊成會 潮洲郡で開催 |
23 | 部落共勵會 東勢で開かる |
24 | 國講講師鍊成會 |
25 | 赤誠の献金品 |
26 | 郡守が陣頭に 鳳山郡の增產 |
27 | 新莊郡學童 相撲大會 |
28 | 屏東畫劇挺身隊競演會盛況 |
29 | 簡保加入の 戶別勸誘 |
30 | 臺南州勸業課長異動 |
31 | 上田雄太郎氏逝去 |
32 | 地方多より |
33 | 今日の映画演劇 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 開拓農民の入植 日本側の促進を要望 五十子滿國開拓總局長語る |
02 | 虱目魚の大增殖 當局魚苗確保に腐心 |
03 | 特殊柑橘類の栽培 本年より計畫を縮少 |
04 | 浮動資金の證券化 設備買收代金等の吸收措置 |
05 | 高江理事官上京 |
06 | 生產材の現在高調查 |
07 | 臺灣石炭新支店長 |
08 | 經濟手帳 |
09 | 木材の持續增產へ 當局より資材等を特配 |
10 | 最近の經濟問題 |
11 | 照明燈 |
12 | 商況(十一日後場) |
13 | ラジオ |
14 | 水滸傳(986)/黃得時;碇政彌 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 敵十三機擊墜破 陸鷲衡陽に進擊 |
02 | 米空軍の蠢動を粉碎 |
03 | 翼壯運動細目を協議 全國本部長協議會を開く |
04 | 東條首相參內 |
05 | 圖像:敵陣觀測○○部隊勇士陸軍省檢閱濟 |
06 | 日泰通信約定に調印 兩國政府共同聲明 |
07 | カナ文字電取扱ふ 日、滿、支、タイ諸國間 |
08 | 思想戰大學を開く 言論報國會積極的活動 |
09 | 支那派遣軍 報道部長更迭 |
10 | 航空局第二部長に 服部少將發令 |
11 | ソ聯米英に 協調態度 |
12 | 愛馬よ立派に働け 前線に活躍の軍馬を偲ぶ前飼主 細かい心やりが滲む |
13 | 日本人の偉大さを痛感 泰國參謀次長占領地視察談 |
14 | ビルマ視察團入京 |
15 | 米空軍北部 佛印に來襲 |
16 | マルタ空襲 |
17 | 獨潛水艦敵船 九隻を擊沈 |
18 | 蔣軍心臟部に匕首 我が江南作戰の大戰果 |
19 | 戰略中心の空襲戰 東部戰線刻下の重點 |
20 | 米、飛行船の 利用を考慮 |
21 | 政界の肅清と 共產主義排擊 ア國新政府の主要任務 |
22 | 敵機五百餘を擊墜 獨軍、五月中に |
23 | ゴ市の大工場全く破壞 獨空軍の第五次大爆擊 |
24 | 米、新政權承認 |
25 | 日本政府が承認 アルゼンチン政府發表 |
26 | フランス解放 委員會行詰る |
27 | 米上院武器貸與豫算案可決 |
28 | ア國新政府を 承認 各國、相ついて |
29 | 太平洋の反攻作戰開始 濠洲の輿論が鶴首待望 |
30 | 木造船保險法 けふ公布十五日より實施 |
31 | 米の勞働罷業 禁止案下院通過 |
32 | 米勞働者激昂 內務長官の罰金聲明に |
33 | 炭鑛罷業 再開の形勢 |
34 | 米物價政策の建直し |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 一切の言擧を排し 何事も實行第一 長谷川總督歸任談 |
02 | 東亞建設の礎石 名譽の戰死者發表 |
03 | 皇土建設功勞者 始政記念日に臺北州で表彰 |
04 | 南方圈の體育(3) タイ國の卷 國家意識を昂揚 戰爭への體育動員 |
05 | 藝能挺身隊大會 始政記念日、新竹市で |
06 | 國民皆勞の道場 臺北州勤勞訓練所近く開所 |
07 | “新聞の切拔”を献納 |
08 | 遺家族慰安會を開催 |
09 | 局部長會議 南方大系を編纂 委員會設置に着手 |
10 | 軍人援護會 顧問副會長決る |
11 | 松井大將特別講演 島民大會に臨席 |
12 | 人命救助の高 橋君を表彰 |
13 | 國土防護の龜鑑 余米金氏に金一封 |
14 | 新竹州勞務供給業者懇談會 |
15 | 刷新意見が續出 官公立大學長會議(第二日) |
16 | 報國農園三百ケ所開墾 |
17 | 米穀增產の“鍵” 十四日より堆肥審查會 |
18 | 第五回學童相撲大會 |
19 | 魚介類の防腐 鐵本氏、劃期的計畫 |
20 | 興南詩苑漢詩 祝特別海軍志願兵制度實施/桃園 許慶同、恭弔山本五十六元帥閣下/瀨川蓮一 |
21 | 新竹州徵兵檢查 十五日より開始 |
22 | 皇民體操講習會 |
23 | 遭難兩遺族に 弔慰金を贈る |
24 | 今晚の放送 |
25 | 商況(十二日前場) |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | ニユーギニア血戰記 爆藥を抱いて突入 工兵部隊廿九勇士敵重砲陣地を粉碎頭條新聞 ID:044550620 ニューギニア血戰記 爆藥を抱いて突入 工兵部隊廿九勇士敵重砲陣地を粉碎 【東京發同盟】ニューギニア前人未踏のジャングル地帶に酷熱瘴癘を冒して辛酸勞苦の限りを盡し、友軍の危急を救ふため敵重砲陣地に爆藥を抱いて人彈一體となりて突入し、敵の主力砲兵陣地を木葉微塵に粉碎した我工兵部隊石田義雄見習士官以下二十九勇士のニューギニア血戰記が◯◯前線基地より陸軍報道班員に依ってもたらされた、われわれは我が將兵が死を超越して心身一切の力を盡くす殉忠の至誠をさきにアツツ島守備部隊の玉碎に見たのであるが、このニューギニア肉迫攻擊班の死闘の中に再びこの殉忠の至誠を見て唯々頭が下るばかりである |
02 | 高雄警備府司令長官 山縣中將親補さる 前任高木中將は軍令部出仕 |
03 | “實踐第一で勝拔く” 新司令長官山縣中將語る |
04 | 吳鎮參謀長に大西少將 |
05 | 兩提督略歷 |
06 | 議會提出の豫算案 十四日に閣議決定 |
07 | 長谷川總督を訪問 志願兵訓練所を視察 寄臺第二日の松井大將 |
08 | ア國新政府承認 わが外務省より發表 |
09 | 日、泰電信新制度 きのふ業務協定に調印 |
10 | 內閣辭令 |
11 | 反樞軸車 パ島占領 |
12 | 伊軍司令部確認 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 決戰生活に 徹せよ社說 一 大東亞戰局は最近益益深刻な相樣を呈して來た。南方の空に山本元師の壯烈な戰死を聞き、北のアツツ島に皇軍二千の玉碎を見た。この二つの儼然たる事實の前に、われわれは決して生優しい敵と戰ってゐるのではないとの認識に徹底し、戰爭完遂の決意を、更に更に強固にしなければならぬ。今次世界戰爭は「生き殘る為の戰爭」であり一億國民は今こそ「喰ふか喰はれるか」「殺すか殺されるか」の戰爭觀に徹し、征戰の大詔に明示された戰爭目的を明確に把握すべきである。作戰の遂行は之を精銳無比の我が陸海の精銳に信賴しわれわれ國民は生產力增強と國民戰時生活の徹底に只管運身の努力を傾注しなければならない殊に國民戰時生活の確立を圖ることは、戰力增強に國家總力を集中すべき刻下緊急の要請である。今日の國民生活は未だに決戰生活と云へない所を多分に殘してゐる。もっともっと引締める必要がある 二 そこで政府は本年度の生活必需物資動員計畫に於て、物資の面より國民の決戰生活確立を痛切に要請してゐる。主要食糧及び日用工業製品等については、現基準量を確保維持せんとする方針を明示してゐるが、衣料生活については、極力その簡素化を期すと要請してゐる。右計畫に依って國民は出來るだけ生活の切下げを實踐し、ここ一、二年一枚の着物も作らない生活を覺悟しなくてはならない。鈴木企劃院總裁はこのことを次の樣に言ってゐる「本計劃の圓滑なる遂行は、一に懸って國民各位が戰爭の勝利を唯一の指標とする決戰生活そのものの內にあると言っても過言ではない。如何なる試練をもこれに打ち勝つ強靱な戰時生活を營まれて、國民一人の、また一家族の日常生活の上に勝利の基礎を強靱ならしむることに努められたい」と強調してゐる。 三 戰時生活確立の重要なる一環として、國民衣生活の徹底的簡素化を圖る為に政府は去る四日の定例閣議に於て「戰時衣生活簡素化實施要綱」を決定發表され、大日本婦人會その他關係諸團體と緊密に連繫、強力なる國民運動を展開することとなった。その先陣を承った大日本婦人服協會が急速な全國的普及の序曲として、六大都市で順次に標準服の應用型の展覽會並に實演會を開いて後全國的な指導者講習會に移らうとしてゐる。現在全國の婦人が退死藏する衣裳概算二百億圓と見られ若し一人一人が新調を見合せ、この退死藏衣料を年に一割宛小刻みに使へば、今後二十年間戰爭が續いたとしても、現在の所持品で充分間に合ふと云ふので、同協會では標準服仕立には極力手持品の活用を獎勵してゐる、氣候の暑い本島に於ては服裝の簡素化は、尚相當工夫の餘地があり、退死藏品の更生にしても本島の實情に即した型を考案して大大的に島民運動を起すべきではないか |
02 | 保育所に御內帑金 千四百二十二施設が拜受の光榮 畏し皇后陛下の御仁慈 |
03 | 燃ゆる滅敵の烽火 熱血滾る七生報國の誓ひ 忠魂に應ふ臺灣國民大會 |
04 | 睨む“南溟と北邊” 必勝へ擧島總進軍 |
05 | 圖像:米英擊滅國民大會(圓內は長谷川總督の萬歲奉唱) |
06 | 東亞淨化の聖戰だ 臺灣の最大使命は食糧增產 松井大將熱辯を揮ふ |
07 | 滑り出す“臺灣一號” 港都木造船進水式 |
08 | 一人一合の蓖麻 新竹州の學童が生產申合 |
09 | 婦人は全部聽け! 海軍志願兵趣旨講演會 |
10 | 赤痢に用心せよ 防遏に就き臺北州談話發表 |
11 | 工業學校の設置 新竹州實現に邁進 |
12 | 松井大將 明日臺南へ |
13 | 人事‧消息 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 農業補導所落成 昨日晴れの開所式擧行 |
02 | 活きた軍援教育 各市郡に模範校指定 |
03 | 擧庄赤誠献金 宿敵擊滅に燃ゆる民雄 |
04 | 學校長會議 嘉義で開かる |
05 | 滾る海軍志願熱 臺中州の打合 |
06 | 高雄州の打合 |
07 | 四十四名志願 武陵青少年校生徒 |
08 | 羅東郡の若人起つ |
09 | 連名で海軍志願 星岡國民校の教員 |
10 | 海志に備へ 郡守署長打合 |
11 | 千名を突破 北斗郡青年の熱血 |
12 | 竹東郡警察課 本島人職員志願 |
13 | 澎湖廳志願兵 豫備訓練 |
14 | 郡庄連絡會議 事務の迅速化に |
15 | 大規模の造林運動 高雄州積極的に展開 |
16 | ああ護國の華 武勳の兩軍屬散る |
17 | 農務打合會 臺南州で開く |
18 | 桃園織物產 奉團結成式 |
19 | 商奉團指導者鍊成 |
20 | 敵の謀略粉碎 新莊郡の防諜演習 |
21 | 日赤社員增募打合 |
22 | 戰ふ增產戰士表彰 贈り物に半ズボン |
23 | 郡民羨望の的 歸鄉志願兵の堂堂たる態度 |
24 | 斗六郡出身歸屬 |
25 | 肥料試驗田設置 農家の肥効體得に |
26 | 屏東市郡出身 の若櫻歸還 |
27 | 北門郡養兔組合 創立總會を開催 |
28 | 優良納稅組合 始政記念日臺南で表彰 |
29 | 商業報國の範 各業態別に選拔表彰 |
30 | 赤誠の献金品 |
31 | 遺族を弔問 |
32 | 龍潭に海洋訓練道場 百餘甲の大池を活用し |
33 | 皇奉支會主事顏合せ |
34 | 正條密植競技 各實行組合から出場 |
35 | 職域音樂指導者鍊成終る |
36 | 藁叺製造講習會 |
37 | 商奉團幹部鍊成 |
38 | 赤誠の献金 |
39 | 屏東市青少年團 各單位團結成式 |
40 | 玉碎精神に應へ 合源製紙献金 |
41 | 社會事業事務擔當者打合 |
42 | お薩を配給 |
43 | 曾文製菓組合總會 |
44 | 嘉義專賣人の赤誠 |
45 | 對抗庭球 |
46 | 地方多より |
47 | 今日の映画演劇 |
48 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 滿洲國の金融體制 各機關の分野を劃定 |
02 | パイン酒の釀造 愈よ八月頃から着手 |
03 | 南邦林業好轉 事業漸次軏道に乘る |
04 | 業態別金融統制會 機能發揮の諸課題 |
05 | 臺灣姜黃組合發足 |
06 | 郵便局珠算大會開催 |
07 | 比島に製紙事業 臺灣パルプ近く開始 |
08 | 臺北生藥配 給組合總會 |
09 | 無蓋貨車の積付 鐵道部改善法を講究 |
10 | 最近の經濟問題 |
11 | バナナの自由販賣 來る十五日より實施 |
12 | 一期籾の早期出荷 臺中州積極的に督勵 |
13 | 統制令の主旨徹底 あす小作官會議開催 |
14 | 臺拓、製鐵業進出 佛印鐵鑛石を利用 |
15 | 經濟手帖 |
16 | 島內株仲值表 |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(987)/黃得時;碇政彌 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 歷史的臨時議會 いよいよ明日開く頭條新聞 【東京發同盟】第八十二臨時議は明十五日をもつて召集される、今次議會は戰局の決戰段階に對處し戰力の飛躍的增強を促進すべく企業整備、戰時食糧增產對策等喫緊焦眉の法律案並びに之に伴ふ豫算案を提案して議會の協賛を求めると共に此機會に國策遂行に關する帝國の所信を中外に闡明し合せて一億國民をかつて米英撃滅に貫進する總進軍體制を整備すべき真に歷史的重大意義を有する議會である、而して政府は既に議會に提出すべき企業整備資金措置法案外七件計八件を閣議決定、首相の施政方針演說草稿並びに豫算案は十四日午前十時から臨時閣議を開いて正式決定一切の議會準備を完了する手筈であり又議會側も政府に呼應し翼政會政務調查會を中心とし貴族院は去る九日眾議院は同十二日から調查會各部會を開催、短期議會の效率化を期して活潑なる事前審議を續けてゐる、他方議會の運營については貴族院は各派交涉會によるが眾議院は簡素強力化を主眼した院內機關を特設、議員協議會と共に萬全を期する建前で翼政會では十四日午後二時から本部で代議士會を開催阿部總裁、前田總務長、金光政調會長から討議會基本態度、運營方針を闡明嚮ふところを指示することとなつてゐる又十五日の召集日及び十六日の開院式當日の議事順序については眾議院は去る十二日の議員協議會で決定し貴族院は十五日午前各派交涉會を開いて決定する豫定である、斯くて十五日は兩院とも午前九時參集、直ちに成立集會を行ひ議席、部屬及び各部の部長理事は前第八十一通常議會より踏襲することとし即日成立を告げこの旨政府に通告、十六日は開院式終了直後兩院とも本會議を開き首相の施政方針演說を迎へる豫定で、まづ貴族院は同日午後二時頃開會、劈頭首相の演說についで陸海兩相の戰況報告が行はれこれに對し皇軍に對する感謝、敬弔の決議案を上程、全會一致可決して散會するが眾議院は四時頃本會議を開き貴族院同樣首相演說、戰況報告、感謝、敬弔決議の議決についで直ちに日程に入り政府提出案を順次上程、提案理由の說明あつて委員附託とし同夜中に豫算委員會を始め政府提出法律案八件を三つの特別委員會に附記してこれを開會、委員長、理事を互選するが貴族院の審議を配慮して道府縣會議等の任期延長に關する法律案及び昭和十七年度法律第三號中改正法律案(陸、海軍會計法改正)の二件は即決的審議をもつて同夜中に仕上げ貴族院に送附し短期議會の要請に應へる意氣込みである、尚この間兩院は開院式に賜るべき勅語奉答文の議事及び眾議院は全委員長、各常任委員長の選舉を行ふこととなつてゐる、斯くて眾議院は十六、十七の兩日に亘り本格的審議を進め十七日中に一切の政府案を議了、貴族院に送附、貴族院は十七日前記二件、十八日は眾議院送附の重要案件に審議の主力を集中會期の延長を見ることなく議了せんとする態勢であり眾議院は特に決戰時局に對して生產力增強、米英擊滅に寄せる一億の總意を議會に反映せしめ議會を通じて擧國總進軍態勢を全世界に顯現すべく一億敢闘實踐に關する決議案を上程し全會一致可決することに決して居り議會開設以來の異例たる東條首相のみ施政方針演說による帝國所信の强力的闡明と相俟つて議會側の協力且つ建設的審議、運營によつて所期の成果を擧げ歷史的使命を完遂し得ることが期待されてゐる |
02 | 國內戰線の強化必要 野村前大使が強調 |
03 | 決戰議會に臨む決意 翼政重鎮三氏に聞く |
04 | 蔣系二個師を殲滅 巴山山系山中に包圍 |
05 | 圖像:ニユーギニア密林を敵陣に肉迫する機關銃 隊(日野特派員撮影)陸軍省檢閱濟 |
06 | 議會運營機構 翼政會案成る |
07 | 眾議院準備成る |
08 | 聯合部會開催 企業整備に關し |
09 | 責任の重大痛感 山縣新司令長官着任 |
10 | 軍官民戮力に感銘 高木中將離任の辭 |
11 | 擊沈破艦船三十隻 獨空軍パ島沖の戰果 |
12 | 初の顏合せ 育英制度準備 協議會 |
13 | 「地中海障壁」の背後に 樞軸精銳部隊が待機 |
14 | 獨側戰況發表 |
15 | 上陸用舟艇 多數に巨彈 獨空軍ス港空襲 |
16 | 反樞軸空軍 獨本土を爆擊 |
17 | 米の穀物減收 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 久邇宮朝融王妃殿下 千葉縣下を御巡覽遊ばされ 御元氣で御歸還 |
02 | この仇この恨みを 貯蓄の彈丸で討て 二百七十億總進軍始る |
03 | 圖像:木造船“臺灣第一號”輝やく進水式(基隆要塞司令部檢閱濟) |
04 | 梨本宮守正王殿下 神宮月例祭に御奉仕 |
05 | 貯蓄指導に殉職 天晴れ、永山君の最期 |
06 | 皇威全島に洽し ナツナ島探險隊歸還 |
07 | 臺灣神社に歸還奉告參拜 長谷川總督 |
08 | 松井石根大將 ゆふべ高雄で講演 |
09 | “擧島至誠の一丸” 呂、上野兩君東京で語る |
10 | 本島の皇奉運動 愈よ本格的階段へ 山本事務總長歸臺談 |
11 | 豆力士の肉彈戰 州下學童相撲大會 |
12 | 龍虎相搏つ熱戰 全島中等柔劍道大會 |
13 | 國語辭典漢和辭典 十五種を選んで各學校に配給 本月から直に實施 |
14 | 羅東街の防諜訓練 |
15 | 翼に滅敵の意氣 若き學徒今ぞ天翔ける |
16 | 劃一主義を避く 大學總長會議終る |
17 | 皇軍を絕對信倚 王五美氏マニラ華僑を語る |
18 | 宜蘭市國語週間實施 |
19 | 瑞穗青年團海 志へ全員志願 |
20 | 花蓮港廳三村合同青年大會 |
21 | 日婦羅東街分會救急法講習 |
22 | 花蓮港廳の勤續者 |
23 | 簡保座談會 |
24 | 日婦宜蘭町分會役員委囑 |
25 | 羅東郡洋雜貨組合 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ビルマの現地便り 變つた木の葉料理 食糧の豐富には吃驚り |
02 | 勝たう‧貯蓄決戰 鳳山郡で萬全の布陣 |
03 | 兩英靈を弔ふ 新竹市葬嚴に執行 |
04 | 麻豆街葬 |
05 | 技術欄(4) 各種工具類の燒入及び 燒戻方法の實際に就て/壇の原生 |
06 | 日婦國防訓練 臺南支部で三百餘名參加 |
07 | 暴利ではない 六圓のレモンが八十圓 但し滿洲まで持つて行くこと |
08 | 幕間米英擊滅講演 |
09 | 中小工業振興座談會 |
10 | 竹山郡の硬貨 回收好成績 |
11 | 訓練所入りを控へ 桃園郡出身の若櫻張切る |
12 | 各團體で壯行會 |
13 | 志願兵の訓練 感想を聽く 大溪郡の歡迎會 |
14 | 健民部落建設に 逞しい推進指導 |
15 | 海軍○○部比島工員養成所 |
16 | 中壢郡保甲役員 郡民の要望に應へ郡で嚴選 |
17 | 臺中州の志願兵 あすから豫備訓練 |
18 | 松浦氏と懇談會 |
19 | 東港郡農事實行組合長會議 |
20 | 臺南州畫劇競演會 |
21 | 新化司法保護委員總會 |
22 | 模範會員表彰 鄉軍臺南西分會 |
23 | 賴母しい商人道 豚肉を自肅的に值下げ |
24 | 鹿港藝能奉公團 十六日結成 |
25 | 萬里庄畫劇挺身隊の結成式 |
26 | 堆肥の增施運動 旗山郡綿密な計畫樹立 |
27 | 新竹實業徒弟養成所 來月に開所の意氣込み |
28 | 地方多より |
29 | 桃園郡料理屋 組合新發足 |
30 | 今日の映画演劇 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ドイツ兵士の讀書熱 前線に出張書店 |
02 | 大東亞の言語/魚返善雄 |
03 | 玉碎精神を胸に/窪川稻子 |
04 | 芋戰爭完遂へ 戰ふ內原訓練所を訪ねて |
05 | 圖像:立てる男(第五回文展特選)/林勘五郎 |
06 | 服裝新考(1) モンペと褲/池田敏雄 |
07 | 戰爭と子供/森脇要 |
08 | 山屋の風/謝恕里 |
09 | 衣生活の簡素化/石井政一 |
10 | 生活と文化 |
11 | 文化消息 |
12 | 新着普通圖書 |
13 | ラジオ |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 政府の決戰施策 けふ臨時閣議で最後決定 兩院事前審查も終る |
02 | 南方の通貨體制 着着と整備進む 南發近く二個所に支金庫設置 |
03 | 皇軍ビルマ邊境を宣輔行 |
04 | 新比島指導者を再教育 |
05 | 洪國防相更迭 |
06 | 滿國皇帝陛下に 同光大勳章捧呈 陳駐滿中國大使參進 |
07 | 朝野要人にも 勳章傳達 |
08 | 國際展望 絕えず動く世界情勢 |
09 | 多大の成果を收む 第一回行政查察完了 |
10 | 米潛水艦二隻 行方不明 |
11 | 英機廿四機を喪失 |
12 | ペナン港の治安を護る水上警察 |
13 | 熾烈な陣地爭奪戰 獨ソ中南部緊迫化 |
14 | 獨機エ市を大爆擊 |
15 | 反樞軸船團に 大爆擊を敢行 |
16 | 來襲の米機 十五機擊墜 |
17 | 獨總統大本營 戰況を公表 |
18 | ラ島の抗戰 を停止 伊軍戰況發表 |
19 | 舊軍官學校を 國府に移管 |
20 | 入京第三日の 緬甸視察團 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 來れ!適格青年 玉碎勇士に應へむ 海志講演會全島で開催 |
02 | 五體赤銅色に光る 臺北州下の若櫻豫備訓練を終へ けふ閱兵分列式 |
03 | 臺北市で壯行會 |
04 | 齋藤總務長官 臨時議會出席の為め上京 |
05 | 熱血若人よ起て 基隆郡で海志講演會 |
06 | 國語普及強調講演會 |
07 | 南方圈の體育(4) 佛印の卷 體育で佛印再建 脆弱性全く一掃さる |
08 | 銃後後援會で壯行會 |
09 | 海軍志願兵募 集打合 |
10 | 圖像:豫備訓練終へた臺北州の若櫻 |
11 | 聽け、一億の敵愾心 ルーズベルト、チヤーチル葬送演說會 全島各地で開催 |
12 | 勤勞訓練生基 隆市隊出發 |
13 | 東勢マツチ工場の地鎮祭 |
14 | 日本文化を讚賞 緬甸訪日視察團入京 |
15 | 肩を叩いて激勵 藤村知事配給所を奇襲 |
16 | 麗し美談中の美談 息子を捧げた孤獨の老媼に寄せる 皇軍勇士の人情美 |
17 | 嘉義市長室竣工 |
18 | 比島視察團一行 けふ憧れの帝都入り |
19 | 洋服一着五千元 防空壕內で二萬人が窒息死 重慶脫出青年の話 |
20 | 松田一道師 |
21 | 岡本氏、デユ局長と握手 |
22 | 鑛山專門學校 新竹市に設置を要望 |
23 | シンガポール 總攻擊試寫會 |
24 | 築く“廢品の山” 港都奉壯團が回收 |
25 | 興南詩苑漢詩 惆悵詞爲亡妻邱氏作小引/蘇育奇、惆悵詞爲亡妻邱氏作小引 其二/蘇育奇、惆悵詞爲亡妻邱氏作小引 其三/蘇育奇、惆悵詞爲亡妻邱氏作小引 其四/蘇育奇、遊滿鮮及內地都門乍歸書感二首/蘇育奇 |
26 | 今晚の放送 |
27 | 商況(十四日前場) |
28 | 興南案內報社消息 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 總力を一點に凝集 議會けふ即日成立 會期三日歷史的使命完遂へ頭條新聞 【東京發同盟】戰局の織烈化と沸り立つ國民決戰意識の真只中に劃期的な企業整備を斷行し國家總力を戰爭完遂の一點に凝集せんとする第八十二臨時議會は內外注視の內に愈愈十五日召集され兩院とも午前九時本議場に參集、直ちに既定の成立手續を進め議席、部屬及び各部の部長、理事は第八十一議會通り踏襲、即日成立その政府並に各委員に通告、開院式を迎へることとなつた、而して政府提出法律案に對し貴族院は九日より眾議院は十二日より夫夫院內に調查各部會を開催、活潑な事前審查を遂げ短期議會運營のため全般の檢討を終り又議會運營の中樞機關たる翼政會では早くより政務調查會を總動員して政府に對する協力體制確立に萬全を期して來たが十四日の翼政代議士會において必勝決戰議會運營の基本態度及び議案取扱規定を決定、院內役員の指名を了し翼賛議會の本領發揮に邁進することとなつた、斯くて過般の內閣改造により政治力を一段と強化した政府、機構改革、役員更新した翼政、盛上る決戰意識の三位一體間然する所なき體制下に皇國憲政史上未曾有の意義深き第八十二臨時議會は僅か三日の會期中にその歷史的使命完遂が期待されるに至つた |
02 | 總額六億二千萬圓 一般會計の追加豫算 |
03 | 又も卅三機を擊墜 海鷲ル島上空に殺到 |
04 | 熾烈な空中戰展開ル島空襲詳報 |
05 | 翼政代議士會開く |
06 | 翼政の五總務 |
07 | 翼政の議會役員 代議士會で指名發表 |
08 | 貴院事前審查を完了 |
09 | 內務省所管と大藏省所管 |
10 | 約十八億圓を要求 商工省關係企業整備 |
11 | 米海軍省發表 損害をひたかくし |
12 | 厚生省の所管 |
13 | 役員會申合せ |
14 | 最大十六億圓の 自己資金を動員 更生金庫增資、企業整備に萬全策 |
15 | 阿部總裁挨拶 戰ひ拔く決議實行 新しく中外に示す |
16 | 農林省所管 四億九千百卅餘萬圓 |
17 | 貴院各派交涉會 |
18 | 各特別會計の內容 臺灣の分、總額四千三百餘萬圓 |
19 | 敵二萬を完全擊碎 大門土地中心に包圍 |
20 | 臨時閣議 三豫算案決定 |
21 | 二百十八億六千餘萬圓 十八年度公債發行總額 |
22 | 召集日の兩院 |
23 | 比島內務長官 容態良好 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 米英擊滅國民 大會の收穫社說 一 擊ちてし止まむの灼熱せる心腸を更に大きく爆發させようとする六百五十萬島民の「米英擊滅國民大會」は皇民奉公會主催の下に十二日臺北市公會堂に於て開催され擧島一致仇敵米英を屠らんとする鐵石の決意を更に固めたとは時節柄、意義深いものがある而も大東亞戰が愈よ生產力戰の樣相を呈するに至ったのに鑑み右大會席上に於て(一)軍需資材及食糧增產の為の島民總蹶起(一)全臺灣住民の勞力總動員(一)戰爭生活への總切替決行等戰力增強を目ざす島民實踐事項が滿場一致を以て決議されたことは誠に當然であるとはいへ之が完遂には尚幾多反省すべき點がないだらうか。山本元帥の壯烈なる戰死とアツツ島に於ける山崎部隊二千餘名の陸軍將兵の鬼神をも哭かしめる壯烈なる玉碎との嚴しい現實に直面しては右實踐事項は是が非でも完遂されるベきことは言ふ迄もないがこれには島民各自の深い自己反省と督府に於ける適切なる措置とを必要とすることもこれ亦論ずる迄もなからう。 二 特に國民大會に引續き行はれた松井石根大將の特別講演は圖らずも大會決議の實踐事項が島民の神明に誓って完遂すべき事項なることを裏付け聽眾に多大なる感銘を與へて熱鐵不動の覺悟を更に固めしめずには置かなった。即ち「我南方北方西方の護りは大體に於て年を經て益益堅く大東亞戰爭の完遂に國を擧げて努力をなしつつあるが何分我が日本の國力殊に生產力に至っては未だ十分とは云へはい。殊に最近敵味方とも潜水艦による戰爭が著しく激しくなってゐるので折角皇軍の努力によって南洋方面で獲得した所の物資などを自由に日本內地にもって來ることが困難である戰力の增強が決戰を左右する唯一の鍵とも見られる昨今の情勢に鑑み軍需資材の增產に島民の總蹶起を要請することは誠に當然であるといってよからう 三 のみならず「先年南洋方面から澤山の米を輸送して來たのであるが戰爭の現狀に特に潜水艦のく動等によって今後却却容易でなるなって今年日本內地ではもう南洋方面からのお米だけは一粒も貰はずに日本內地で賄って行かうと言ふ一億國民が覺悟を堅めた次第であり今後も臺灣の一層の御援助を仰がねばならない」と同大將が述べられたやうに臺灣米に對する內地の依存度が外米の輸入見合せにより著しく高められてゐる此際本島の食糧增產が如何なる意義をもつかは略略理解出來るものといふべきである。全臺灣住民の勞力總動員と戰爭生活への總切替決行はとりも直さず叙上の如く戰力增強のための體制を整へんとするにあるがその為には督府の施策について再檢討を加へられるべき部面も少くなからう。一例を言へば食糧增產とはいひつつも工場設置のために農耕地が惜みもなく潰廢されるが如きは農工調整の點より見て大いに再檢討が加へられて然るべきではなからうか |
02 | 北白川宮大妃殿下 山形縣下を御巡視 |
03 | 南溟の敵陣に突擊 米濠兵站線を荒し廻る 無敵潛水艦の奮戰記 |
04 | 空の諸英靈弔ふ 航空本部合同葬嚴修 |
05 | 港の重要性失はず 基隆港擴充懇談會 |
06 | 自給自足を目指すジヤワの麻袋製產 |
07 | 產奉勤勞訓練所 きのふ臺北州中庭で入所式 |
08 | “增產臺灣”殊勳甲 七奉公團と三十六功勞者を 皇民奉公會が表彰 |
09 | 食糧增產を強調 松井大將臺南で熱辯 |
10 | 髀肉の歎唧つお山 密林の猛者も偶然ではない 巡視を終へた梁井知事語る |
11 | 基隆船員養成所 十九日開所式 |
12 | 銃後の真心捧ぐ 白衣勇士慰問に數數の赤誠 |
13 | 新臺灣音樂 研究會 十七、八日演奏會 |
14 | 救助表彰金を献金 |
15 | 人事‧消息報社消息 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 高雄神社に參拜 山縣警備府司令長官 要塞司令部、州廳を訪問 |
02 | 鄉軍の猛訓練 |
03 | 收穫に援軍 臺中州學徒隊を繰出す |
04 | 任意に青年團動員 |
05 | 國語常用振起日 始政記念日から臺南で實施 |
06 | 英國の食糧難 いよいよ深刻化 |
07 | 松井大將講演 けふ臺中で開く |
08 | 共同作業班設置 臺南州共同收穫の實施方法 |
09 | 銃後生活の龜鑑 記念日に臺中州で表彰 |
10 | 勇士の喝采を浴びる |
11 | 連絡保護者會 |
12 | 藝能慰問行 高雄の同志ら入山 |
13 | 鯛よりも鮫だ 深海鮫の肝臟から重油 朗報に業者ら大喜び |
14 | 齒科醫師會總會 |
15 | 血を以て救ふ 宜蘭醫院の美談 |
16 | 嘉義奉壯團 總會 |
17 | 擧廳藷の大增產 推進班を組織して |
18 | 赤誠の献金品 |
19 | 青年隊鍊成會 |
20 | もう一息で百% 高雄州下の養豚熱 |
21 | 模範の人曾氏 嘉義の佳話の主 |
22 | 野鼠の皮登場 一匹十五錢で買收 |
23 | 感謝講演會日割 |
24 | 桔梗俱樂部の鍊成 |
25 | 注射中絕命 |
26 | 人事報社消息 |
27 | 地方多より |
28 | 今日の映画演劇 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 圈內の煙草生產強化 臺灣への期待は甚大 佐治專賣局長歸臺談 |
02 | 造船と修繕を區分 統制會の職制改革 |
03 | 鈴木專務談 交易運營統制は 機構より人の問題 |
04 | 臺灣貿易會會員 五組合を追加指定 |
05 | 清水溪天然 堰堤調查 |
06 | 交易營團發足 內外地事務打合 |
07 | 赤糖の生產高 卅二萬二千擔內外 |
08 | 調查委員會を開催 清水溪ダムに關し |
09 | 石炭統制會事業 生產準備掘進に重點 |
10 | 島內銀行勘定(五月末) 預金貸附とも收縮 |
11 | 經濟手帳 |
12 | 企業合同指定事業 あす官報を以て告示 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況(十四日後場) |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(988)/黃得時;碇政彌 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 貴、眾兩院茲に成立 あす貴族院で開院式 |
02 | 眾議院の各委員長 役員會で候補者決定 |
03 | 皇軍將兵に對する 感謝敬弔決議案 あす眾議院に上程 |
04 | 制空權繞る歐洲の死鬪 空の決戰段階へ |
05 | 貴族院院內 各派交涉會 |
06 | 六十億を突破せん 企業整備經費 大部分は豫算外國庫負擔契約 |
07 | 圖像:ベンガル灣頭守りは固し我が勇士(鄉田特派員撮影 陸軍省檢閱濟) |
08 | 海軍省人事局長 三戶壽少將補さる |
09 | 添田敬一郎氏 眾院奉答文起 草委員長 |
10 | 議會運營調查會 眾議院に創設す |
11 | 國民勤勞訓練所 新たに一ケ所增設 |
12 | 戰時泰國の國內體制 日、泰協力強化など ピ首相、記者團に答ふ |
13 | 赤軍の反擊悉く擊退 |
14 | 東條首相と感激の會見 ビルマ訪日視察團一行 |
15 | 伊全國民蹶起 一段と敢鬪の決意固む |
16 | ソ聯精油工場猛爆 |
17 | ゴ、サの兩市を 獨空軍が強襲 |
18 | 伊國內戰爭態勢強化 フ黨幹部會ム首相に要求 |
19 | 反樞軸機四十一機を擊墜 總統大本營發表 |
20 | 敵機七機擊墜 獨潛艦の戰果 |
21 | 米廿六機喪失 |
22 | 產報の組織を 積極的に活用 企業整備に伴ひ |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 必勝翼贊を誓ふ 決戰議會に臨む議員達 明治神宮に祈念參拜 |
02 | 議事堂準備成る 決戰議會色漂ふ |
03 | バルン社献穀田 拔穗祭 |
04 | 令旨奉戴式 |
05 | 北ボルネオ視察記(上) 邦人のバンギ―島 異鄉生活五十三年の老媼海外遊記 △バンギー島 【クチン十一日西川特派員發】ボルネオ東海岸からフイリツピン群島へは非常に近い、地圖を擴げて見てもホロ、スル、タウイタウイ、シブツ、ハングタラン島及びパラワン島などフイリツピン諸島とボルネオの間は海峽一つ渡ればすぐにも行けさうに見える。タワオ、シヤミルそしてサンダカン間を航行中、我々は點々たる無人島を右舷に見る、それがホロ群島であり、いかにも南洋の島らしい名前のタウイタウイ島であることを知つたのである。無人島かと思つた島に遠く炊煙らしいものを認めてそこに人の住むことを知りスルー族の海の生活を想像するのであつた。しかし近くを航行してその島を眺めると、それは極めて平和さうな原住民の部落があるだけで、獵奇的なものは何一つ認められなかつた。年中暑い氣候と時々見舞ふ大スコールを除くと瀨戶內海そつくりである。滿潮によつて姿を沒する珊瑚礁の頂上に椰子が一本ニユーツと生へてゐる。ほか見渡す限り茫洋たる大海原も航行した。荒いと聞かされてゐたボルネオ東部の海上は極めて平穩で危險を豫想される何物も認められなかつた。バンギー島に向ふ海上には珊瑚礁が多い、英國は海面の要所々々に浮標を建てて航路標識にしてゐた、サンダカンからバンギー港まで十數時間夕陽に照り映えた美しい小島を右手に我々は夜九時バンギーに着いた。バンギーは日本人の島である、戰前サンダカン、シンガポール間の定期航路で往來した英米の船客はバンギーに飜る日章旗を眺め「あれは何だ」といふ顏つきで船客同志が島を指さすのがよく見られたといふシヤミル島が鰹節で名を舉げれば、バンギー島では鰹の罐詰を遠く米國にまで輸出してゐたのである。バンギー島はどうして邦人島として開拓されたか……昭和十三年初めボルネオ水產の折田一二氏等の骨折で英國から租借し、工事に着手、昭和十四年一月から魚類の罐詰、鰹節生產に乘り出したのである。戰前男、女子供合せて二百五名が魚撈に從事し罐詰年五萬箱を生產してゐたところ、大東亞戰爭勃發と共にこゝの邦人達はボフオード及びメンバクトに全部監禁されてしまつたが今では百十四名の男女子供が復歸してゐるが殆んど沖繩縣出身で占め現地人をたつた三名使つてゐるだけである △クダツ港 潜つてよし打つてよしのなつかしい沖繩漁師の捕魚ぶりを見てバンギー島を後にした、南方屈指の高峯キナバル山が見える海を進んでクダツ港に投錨した、埠頭では全く思ひもよらぬ邦人老媼の出迎へを受けて驚いた。これは渡邊くきさん(七三)=長崎天草郡出身=と云ひ、クダツから遠く離れたピンガンピンガンといふ寂しいところにこのお婆さんは支那人の細君として五十三年間ゐたのである、いや、今もなほたゞ一人住んでゐるが日本人が來ると聞いて懷しさのあまり泊りがけでやつてきたのであるクダツはコプラ、ダマールゴム、玉蜀黍の集散地であり畜產養鷄の盛んな土地である、陸稻田は一萬八千エーカーに達し米作の自給自足を行つてゐる戰前年五、六十萬個の鷄卵をシンガポールに輸出してゐたが、今はすつかり杜絕したため現地人は轉業を望んでゐるがここでは幸にも水田の擴張バカヲ樹皮の授取など今では人手が幾らあつても足りないのだ、在 留邦人は只一人、後は軍政要員で縣知事代理を警察署長が兼ぬてゐたが、この人達は內地を出て真直ぐにこのクダツに到着してともかくもクダツをここまで育てて來たもので、まさに頭が下る、その奮闘ぶりである、クダツ縣の總人口三萬一千のうちズスン族一萬七千支那人六千のほか標悍で昔海賊を働いてゐたオビヤン族がゐる、ズスン農民は舊英領時代支那人農民に氣兼ねをして小さくなつてゐたが、我が軍政が布かれてからは堂々と支那人の田の隣りで耕作してゐる坦々たるアスフアルト道路の切れるところに忽然と水田が現はれた、これは當局が大いに氣合を入れて開發したスコアテ水田で戰前五百エーカー位であつたものが今では約三倍の一千四百エーカーになつてゐる、この邊の農家は內地の農家とよく似てゐて庭で鷄がコツ、コツ、コツと鳴きながら餌をあさつてゐるなど、いかにものんびりした風景であつたマルズ灣を深く航行し、ランコンの細流を遡るとランコンエステートがある、河からゴム園迄は水牛車に乘り二哩ほど行くのであるが日中の太陽は文字通り燒けつくやうに暑い、ランコン農園は一千七百エーカー、山口といふ邦人が家族と共に管理してゐた、ランコン河の流域には無數のパカオ樹があるこれをブルネイル(マライ人)が元氣よく伐り倒す實演をみせて吳れたがかうして剝いだ樹皮はカツチに生產されるのである、マルズ灣は滿潮と干潮の差のはげしいところだが特に引潮は見事なもので、ランコンから下つた我々の船が折柄の夕陽をあびて沖合遠く投錨し、翌朝になつて見ると我々が本船を捨てた海は一面に砂地になつてゐた(寫真は邦人の島バンギー島) |
06 | 偲ぶ比島の激戰! “臺灣の會”出席の呂、上野兩君 當時の最高指揮官本間將軍を訪問 |
07 | 臺北市皆働協會 |
08 | 暑さに負けるな よく働いてよく眠れ |
09 | 臺北市の國語 家庭 新に二一九認定 |
10 | 羅東郡の國語家庭 |
11 | 模範部落會長表彰 皇奉新竹州支部結成二周年 |
12 | 巢立つ昭南海員養成所生徒 |
13 | 商奉團幹部 草山で鍊成 |
14 | 陸軍病床に奉仕 赤誠溢る日婦城西聯分會 |
15 | 牢固たる決意 警務局長代理の弔問に 大湖郡下全山感激 |
16 | 空の防人を慰問 興行統制會社が地圖献納 |
17 | 鑛山專門學校 全員設置に贊成 實行委員四名を擧ぐ |
18 | 海志事務打合會 |
19 | “いざ”と云ふ場合 基隆米挺身隊訓練 |
20 | 市郡視學會議 |
21 | 內湖ハイク |
22 | 感謝の香華料 軍司令部に献納者陸續 |
23 | 興南詩苑漢詩 哀悼安珠島守備軍山崎部隊/謝汝銓、哀悼安珠島守備軍山崎部隊/平山聯滄、自嘲/大甲 葦航、自嘲 其二/大甲 葦航、自嘲 其三/大甲 葦航 |
24 | 日婦城東聯合分會總會 |
25 | 國民學校長 事務打合會 |
26 | 冬山庄マラリア 蚊撲滅好成績 |
27 | 高雄州和牛飼養 競技會審查日割 |
28 | 遞信部異動 |
29 | 今晚の放送 |
30 | 商況(十五日前場) |
31 | 興南案內報社消息 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 企業整備、戰時金融の 運營に深き大御心 賀屋藏相感激して謹話頭條新聞 【東京發同盟】賀屋藏相は十四日午後四時三十分宮中に參內天皇陛下に拜謁仰せつけられ第八十二臨時議會に提出すべき追加豫算案並に企業整備資金措置法案につき奏上申上げた際畏くも 天皇陛下には企業整備に伴ふ轉廢業者の生活及び轉業に關する措置又戰時金融の運營、公債の消化その他資金金融部面に支障なきやの二點につき特に御言葉を拜したので賀屋藏相は謹んで奉答の上恐懼して御前を退下し十五日午後一時次の如き謹話を行つた 賀屋藏相謹話 第八十二回帝國議會に提出すべき追加豫算案並に企業整備資金措置法案について昨日參內奏上申上げました際畏くも企業整備に伴ふ轉廢業者の生活及び轉業に關する措置及戰時金融の運營、公債の消化その他資金金融部面に支障なきやの二點につき特に御言葉を拜したのであります、前段の御言葉につきましては生活援護轉廢業者關係諸施設につき必要なる措置をとることと致し追加豫算案にも所要の金額を計上致しある旨又後段の御言葉につきましては公債の消化、その他戰時金融の運營上重要なる貯蓄の增強につきましては一億國民の協力により順調に參つてをりまするが今後尚企業整備に關する部面につきましては資金措置案により又一般的には國民貯蓄の一層の增強並に產業資金使用部面において一層効率發揮に努め以て物資勞力の戰力集中に遺憾なきを期したき旨奉答申上げました次第であります、企業整備に關し國民の生活に及ぼす影響、又戰時金融の運營等に亘り深く大御心にかけさせられますることを拜しまして恐懼して御前を退下した次第であります |
02 | 必勝完戰の施策 けふ東條首相闡明 |
03 | 總計六十億圓見當 豫算外契約の諸件 |
04 | 武功輝く九將星參內 |
05 | 久邇宮朝融王殿下 三重航空隊御視察 |
06 | お百姓さんにも 勤勞顯功章授與 改正勅令案閣議で正式決定 |
07 | けふ開院式を執行 |
08 | 議事運營方針を決定 眾院役員會 |
09 | 極力生產性を發揮 鑛物增產期間實施要綱を決定 |
10 | 十七日より 本格的審議 貴族院で決定 |
11 | 授與範圍を擴大 海の記念日に初表彰式 |
12 | 議會提出三豫算案決定 |
13 | 敢然日本に協力 比島訪日視察團聲明 |
14 | けふ議會を傍聽 比島、緬甸訪日視察團 |
15 | 施政演說の質問を省略 |
16 | けふの兩院 |
17 | 陸海軍司政官發令 |
18 | 國民更生金庫業務內容 |
19 | 一行打揃つて 東條首相訪問 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 食糧增產と農 村娛樂指導社說 一 食糧增產は決戰下の本島に與へられた最重要な課題であると共に最大の使命である。擧島この一點に集中邁進しなければならぬ。而してこの重大使命を完遂する為めには、耕地の擴張とか水利施設の完備を圖ることは勿論先決要件であるが、結局增產に從事するものは農村の農民である。御國のために働いて働いて働き拔く皇國農民の勤勞が要請される所以で、人的要素こそは食糧增產の最後と云っても過言ではない。勤勞農民を農村に確保する、殊に働く少壯中堅層の確保は絕對に必要で、しかも彼等の時局認識を深化させ、增產農村を維持發展させんとする熱烈な意欲を昂揚せしむべきであるが、それには彼等をして農村を安住の地と定め、農村生活の使命を感得せしむべきである。この為めには農村經濟生活の安定化と、農村精神生活の潤澤化が要求されるのであるが、その間農村の娛樂は甚だ重大な役割を演ずることは今更喋喋を要しない。皇民奉公會が夙に紙芝居、演劇挺身隊等を組織し農村娛樂に力を注ぎ、既に多大の成果を擧げてゐる。真に增產農村にとり誠に喜ばしき限りである。 二 齋藤皇奉本部長は過般の西部各州の奉公運動狀況查察の際、臺南州下で或る夜民眾踊を興味深く眺め、あとで奉公職員に對し含蓄ある激勵の言葉を與へたが、全日程を終へて歸途の車中、なほほめ讚ヘて「臺南で見た一例であるが、男女老若が一緒になって踊ってゐるといふことは良い行き方ですね、內地でも農村娛樂として盆踊りが復活されてゐる樣に踊りといふものは良い。少くとも從來の割據的な獨善的な生活が改められ、苦樂を俱にするといふ美しい精神が生れて來るものである。臺南でやった踊りは面白い行き方だと思ふ、要するに各地の實情に則して、創意と工夫とをこらして奉公運動をもっと盛り上げて行かれ度いものである」と云ってゐる。農村の娛樂問題にとり何と示唆に富んだ一つの方向を示したものではなからうか。即ち農村娛樂を通じて農村文化の潤澤化を圖り、而して之れに依って奉公運動を盛り上げて行く、否娛樂運動そのものが奉公運動であること、娛樂の內容は男女老若が一緒になって苦樂を倶にする、即ち農村生活協同體の精神に合致するものたるべきこと、又各地の實情に則して創意工夫すべきもので、機械的な劃一主義を戒ましめたものと云はなければならぬ 三 元來娛樂なるものは、一見極めて迂遠なる閑事實の如く、悠長至極にして時局下の國民の實生活には緣遠いものの樣に感ぜられるものであるが、悠長で呑氣な伸びやかな沒我的氣分に滿ちた生活表現が、その特長であり長所である。之れに依って明日への活動源泉が養はれ、國民の元氣が持續されるものである。娛樂の指導性、藝術性は固より大事であるが、享受者の興味に訴へることが先決條件で、勿論漸を追ふて大眾の趣味性を高めて行かなければならぬが、差當り農村の增產戰士に本當の愉悅を感じさせ、特に青壯年の心を捉へる娛樂でなければならぬ。機械的な劃一主義は最も忌むべきで、齋藤本部長の喝破せる如く、各地の實情に即して工夫すべきで、畵劇に適する村には畵劇を、演劇に適する村に演劇を、民眾踊りよし、文化映畵も結構である。勿論奉公會が指導し推進して行くべきであるが、農村文化に關係深い學校教員、役場吏員、地方有識者等の協力が絕對に必要である。食糧增產の絕對的要請に關聯せしめて、農村娛樂指導に對し新に關心を深めるよう要望して已まぬものである。 |
02 | 始政記念日は無休 決戰下緊張裡に迎ふ |
03 | 色も生地も自由 型さへ合つて居ればよい 國民服制式に特例 |
04 | 竹田宮恒德王妃殿下 きのふ御分娩、女王御誕生 |
05 | 鐵壁の銃後を建設 四億貯蓄達成の簡易保險へ 六百萬島民總加入 |
06 | 南方圈の體育(5) 比島の卷 民族意識の昂揚 戰ひ拔く體力創造 |
07 | 若櫻憧れの入所 二十一日と決定 |
08 | 海軍志願兵打合會 |
09 | 作れ‧臺中は穀倉 松井大將熱辯を揮ふ |
10 | 前線部隊の水泳練習 |
11 | 若櫻を激勵 臺南から臺中へ |
12 | 海志の趣旨徹底 島都で婦人鍊成會開催 |
13 | 高專籠球大會開催 |
14 | 花蓮港廳國語の家を認定 |
15 | 若人よ起て時ぞ今 青年文化常會全島の青年に飛檄 |
16 | 四十萬圓を突破 商奉の飛行機献納金 |
17 | 宜蘭市、節婦善行者を表彰 |
18 | これこそ貧者の一燈 港都の“軍國爺さん” |
19 | 體力章檢定實施 若人よ、進んで受けよ |
20 | 花蓮港で表彰式 |
21 | 全市を國語一色 島都普及強調に大童 |
22 | 當る彈丸切手 飛ぶ樣に賣れる |
23 | シンガポール 總攻擊試寫會 |
24 | 感心な車夫さんが表彰さる |
25 | 訃文:鄭玉妹 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 擧つて海の兵へ! 高雄州で講演會座談會開催 |
02 | 趣旨徹底に常會を開催 |
03 | 臺中州下の若櫻 あす合宿訓練開始 |
04 | 晴れの壯途 |
05 | 彰化の壯行會 |
06 | 屏東の壯行會 |
07 | 賞賜物件傳達式 |
08 | 新臺灣音樂運動前史(一)/水野謹吾 |
09 | 偲ぶは第一線 橋田君快癒 |
10 | 滅敵市民大會 けふ高雄で開催 |
11 | ル、チ葬送講演會 |
12 | 目指すは仇敵擊滅 龍潭農專生百一名蹶起す |
13 | 商奉團幹部鍊成 優良商店を表彰 |
14 | 徵兵檢查 |
15 | 譽れの軍國の家 鄉黨羨望の的福山四兄弟 |
16 | 天晴れ北門健兒 |
17 | 青少年團指導打合 |
18 | 保護委員打合 十八日臺南で開催 |
19 | 故河原中將遙弔式 |
20 | 浮洲七里の大植林 一萬餘甲步の魚塭造成も計畫 |
21 | 勝拔け貯蓄戰 桃園街委員を擧げて驀進 |
22 | 教頭打合會 |
23 | 來れ軍艦旗の下に 淡水郡志願熱に備ふ |
24 | 鹿港藝能奉公會發會式 |
25 | 志願日は近づく 新莊郡海軍志願に萬全 |
26 | 赤誠の献金品 |
27 | 地方多より報社消息 |
28 | 今日の映画演劇 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 企業合同指定事業 法人、臨時利得稅輕減 |
02 | 特殊柑橘類の栽培 州廳の新植面積決定 |
03 | 鑛山統制會の計畫 再檢討すべき增產方策 |
04 | 自作農創設に乘出す 農村信組愈よ積極化 |
05 | 玉蜀黍の增植 學校空閑地を利用(嘉義) |
06 | 木造船員の養成 基隆普通船員養成所近く開所 |
07 | 第四回蔗棉耕種 改善競作會を開催 |
08 | 米、濠洲の經濟動搖 |
09 | 化學工業統制會 加入問題を協議 |
10 | 比島より魚苗輸入 虱目魚の養殖を振興 |
11 | 臺灣畜產會 上海に駐在所設置 |
12 | 高澤府技師臺灣畜產入り內定 |
13 | 經濟手帳 |
14 | 金屬工業統制會 舊體制拂拭を要請 |
15 | 照明燈 |
16 | 商況(十五日後場) |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(988)/黃得時;碇政彌 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 聖上の親臨を仰ぎ 嚴かに開院式擧行 |
02 | 優渥なる勅語賜ふ |
03 | 議員の意氣を反映 眾院本會議に總員出席 |
04 | 圖像:假名文字に結ぶ共榮圈 |
05 | 眾院審議方針決定 |
06 | 「十億圓」に增額 為替交易調整特別會計 |
07 | 大東亞展望 舊東北軍崩壞の一途 重慶孤城落日の悲運 |
08 | 勤勞緊急對策の 具體化一應完成 國民徵用令外四勅令の改正成る |
09 | 大東亞建設方策の 具體的全貌を表明 重大意義をもつ施政演說 |
10 | 特別委員會 |
11 | 李境基游擊隊司令 部下と國府陣營に參加 |
12 | 陳光輝營長 投降、國府陣營に參加 |
13 | 英米駐葡公使 葡首相と會談 |
14 | 「能率賃金」方式を採用 賃金統制令の改正案を決定 |
15 | 米國五月中の戰費 |
16 | 鑛業統制法要綱 滿洲國政府で決定 |
17 | 轉廢業者を 鍊成訓練を施す |
18 | 獨空軍大活躍(地中海で) |
19 | トルコ首相と 會談 英地中海艦隊司令 |
20 | 獨軍戰況發表 |
21 | 獨空軍サ市を連爆 |
22 | 亞國正式承認 四十ケ國 |
23 | ソ聯外交使臣 階級制度制定 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 奏任判任待遇職員 近日中本官組替へ 浮び上る九百十名 |
02 | 勤勞顯功章を表彰 始政記念日光榮の四氏に |
03 | 皇土建設功勞者 臺北州始政記念日に表彰 |
04 | 北ボルネオの視察記(中) 紅い屋根、濃紺の海 資源豐富なビンコール海外遊記 【クチン西川特派員發】 ゼツセルトン ガヤ島をかゝえてゐるゼツセルトンの町の赤屋根と濃紺の海、マライ、カンボン等々の點景は久しぶりに接する都會的色彩であつた、「汽車のある町」全ボルネオにたつた一つだけゼツセルトンを起點とし旅客列車が南に足つてゐるのである、ゼツセルトンは西海州州廳の所在地である 主要產物はゴム、米、雜穀、畜產は北ボルネオ一で水牛、牛、馬、豚、羊などである、米は州內自給自足を行ひ、野菜類の見事なことも西北ボルネオ一である、州內人口二十萬六千の中ドウスン族は九萬二、三千人を占め從順で農工業に從事してゐる、回教徒は三萬一千人、從來英國は回教徒工作に手を燒いてゐたようであるが、今は專ら指導階級的存在として現地人の下意上達機關に利用されてゐるゼツセルトン市の學校教育は日本語の教授と實業教育に 重點が置かれてゐる、華僑の反日氣運は戰前までは旺盛であつたが、軍政下マライ、ジヤワ、香港方面から家族を呼び寄せたいとの願が每日數件あるのをみでも彼等の考へ方がすつかり變つて來てゐると言へやう尤もゼツセルトン市自體が彼等にとつて非常に住み易い町であるともいへるが現地人が每朝八時半から日章旗の下で君ケ代を齊唱し、ラジオ體操を行つてゐる風景は內地の隣組のようでまことに朗らかである、州廳では各戶に通告する事項があればこの會場に集つた時に傳達することにしてゐる。 皇軍は昭和十七年一月八日ゼツセルトン附近に無血上陸し、諸機關を接收したため水道、電氣などの公共設備は完全であり、鋪裝道路も奧地八十五哩まで發達し無鋪裝七十哩、小道四百哩の 發達をみてゐるがこれら道路の發達も亦北ボルネオ一である、風浪を避けるガヤ島を控へその港灣には七千トン級船舶を橫づけにし得る設備を有してゐる、一九◯◯年に開通した鐵道がゼツセルトンーメララツプーボフオードーウエストン間百十六哩を繼いでゐる、そのほかキリスト教の北ボルネオ總本山ともいふべきペナンパンがゼツセルトンにあり、英國はここを文化の中心と目してゐたのである、病院、產院、養老院などの市民的機關もなかなか整備されてゐた キナバル高原の坦々たるアスフアルト道路を疾走しゼツセルトン市から二十哩、タムパルリイを經て豐かな水田風景を窓外に見ながらトラワン河畔に着いた 河原に咲くカポツクの花は美しく、キナバル山は飽くまで高いトラワン河を渡つてテンギランに着く、テンギラン郡は支那人郡長によつて軍政施行され一人の日本人もゐない、バジヨウ族、イラヌン族などが出て來た、ここの原住民バジヨウイラヌンは乘馬が巧く、百五十頭以上の馬に跨つた彼等の一群は手に手に槍を持ち、動くたびにカランカランと鈴の音がして如何にも勇壯の氣が滿ちてゐた 彼等は手藝品、特に手編籠、タルバン織物などを競つて我々に見せてくれるのであつた、沿道千木を頂上に戴いたバジヤウ族の住家を見ながらトワランを經てビナバンに着く、こゝでドウスン族の豪族の家を見る、トンヤンプン家(プン旦那の家)と云はれ一九四二年建てた茅葺の家である竹敷の土間に入ると大きな水甕が數個あるこの水甕の數によつて彼等の貧富の度が判るのである、如何にも南洋の有幅な 農家と云つた感じがする、家人は皇軍の產業開發精神に應じて麻繩製造を行つてゐた、一體にこの邊りの家も內地の農村で見受けられると同じやうな雰圍氣を持つてゐて何か我々と共通なものが強く感じられるのであつた、アピの町に不思議なものが一つある、それはカーメル派の修道院で、十二年前スペインの婦人七名が當時のゼツセルトンにやつて來て開墓したものである、そのうち二名は死亡し現存者の最年長者は七十歲である、今支那八七、ズスン族一、フイリツピン人一、ユーラシアン六これに前記のスペイン人を加へた處女達が米をとぎ小魚を煮てタピオカを造り戰爭を知らない生活をしてゐるのである △東海縣鐵道沿線 アピ(ゼツセルトン)を後にして石炭の代りに豐富な薪を積込んだ列車に乘つた、列車は純然たる客車で內地の二等位ひに相當しようか。英國は數多くあるゴム園のために特にこの鐵道を敷いたのだと聞く、なかくの快適なスピードでこの沿線では水牛と白鷺の風景が目立つてゐた。間もなくババールに着く、郡役所々在地で陶器工場、精米工場がある、メンバクトを過ぎてからは猿もゐないジヤングルの中を行くボオフオートを過ぎる頃から絕壁とバダス河の急流に沿つて汽車は喘ぎながら進み崕の木の枝が列車の窓に飛込むような危い個所を行く折しもパダス河は大出水で途中山崩れのため徒步連絡して郡役所所在地テノムロに着き支那人經營の落花生油工場を見學した、再び列車に乘込み鐵道の終點メラツプに着いた、鐵道終點から自動車で卅哩のケニンからは縣廳の所在地、海拔一千呎、ドウスン、ムルツト兩族の多い一寸した部落である元代議士の山崎軍 政要員等少數の人がこんな僻陬の地で 活動するのを見ると全く頭が下る、舊英時代英人役人は支那人官吏に頭が上らなかつといふが皇軍に對しては微塵も此ような點は見受けられないとのことである、ここは山間地帶でありながら農產物は豐富であり、三ケ年開墜計畫によつて水田二千ニーカー陸田一千エーカーが既に開墾植付けられてゐる、高燥の地であるだけに野菜、果實なども美味で、特にトマトは見事なものがあつた其他畜產及び地下資源も有望で舊英時代鐵が採掘された形蹟もあり期待されてゐる、教育施設においても我々が想像してゐたより良く原住民の公民學校九支那人學校七がある、こんな平和境もあるが、衛生狀態は頗る惡く、全縣民マラリヤの保菌者と云つてもよいとのことである、縣當局ではこれが對策として便所設置の獎勵を行つた結果最近では傳染病漸次少くなつてきたといふ、 同夜ドウスン、ムルソト兩族の踊りをみた、土間に竹を敷き上から紐を垂れてこの紐を飛上つて捕へる跳躍競技などすこぶる味なものであつた その翌朝、ケニンガウの草原はしつとり朝露に濡れて、小農が三々伍々草を嚙んでゐた吾々は乘馬で◯◯飛行場及びビンゴール高原を橫斷して次の部落に向ふその行程往復十二哩小馬は汗一つかゝず元氣に往復した、さすが熱帶の馬だけあつて暑さには實に強い、ビンゴール平原の彼方に到着すると、馬に跨つたドウスン族、ムルツト族の男たちが手に手に槍を持ち我々を出迎へた、小馬は彼等の最大の財產であり、至るところに共同の牧場があつた、ビンゴールの開發は農業に林業に真に洋々るた前途を有してゐるようであつた(寫真はドウスン族の正裝) |
05 | 基隆郡の記念日行事 |
06 | 齋藤總務長官 きのふ空路東京着 |
07 | 譽の遺族弔問 日婦の理事役員 |
08 | 飽くまでも決戰型 運動競技に日本的性格 |
09 | 皇民體操第二回講習會 |
10 | 松井大將來新 市內を視察講演 |
11 | お山は黃金の波 バヌン社の拔穗祭に 梁井知事が臨席 |
12 | 藥專の設置運動 全島生藥組合員が蹶起 |
13 | 夏休に蓖麻栽培 一人一合の割合の献納 |
14 | 防諜ポスター 二萬枚配布 |
15 | 通學生保護者會 |
16 | 決戰の陣頭に起て 勝利の鍵、少年兵の双肩に |
17 | 被服修理に 乙女らが奉仕 |
18 | “國語の家”新認定 臺北州下四七六家庭 |
19 | 基隆の國語の家 |
20 | これだけは御注意 香港で乘繼の船客 |
21 | 拓南農業戰士 入所前に合宿猛訓練 |
22 | 第二國民兵身體檢查 |
23 | 新商道に驀進 島都商奉團幹部鍊成終る |
24 | ル、チを葬れ 基隆で講演會 |
25 | 飛行機資金四十萬圓 あす臺北市商奉團から献納 |
26 | 第二回熱帶醫學會總會 |
27 | 應召の軍馬に 飼主から喜びの手紙 |
28 | 興南詩苑漢詩 六一自述/□煌、挹翠齋春望二首/述三、自嘲二首(續前)/葦航、自嘲二首(續前) 其五/葦航 |
29 | 來れ海の子 海洋訓練隊で 生徒募集開始 |
30 | 中野氏個展 十九日からホテルで |
31 | 忌明に寄附 |
32 | 人事‧消息 |
33 | 今晚の放送 |
34 | 興南案內報社消息 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 比島には本年中に 獨立の榮譽を與ふ その他には政治參與を實現 東條首相演說頭條新聞 【東京發同盟】東條首相は第八十二臨時議會劈頭十六日午後二時より開會された貴族院本會議、同四時より開會された眾議院本會議において施政演說を行ひ帝國政府の所信を堂堂中外に闡明大東亞戰爭の苛烈深刻なる現段階より說き起し大東亞建設の現狀と共榮圈內諸國家諸民族の動向並びにこれに對する帝國の新施策の全貌を大膽率直に宣示し政府は一億國民の陣頭に挺身し全力を盡して一路征戰完勝に突進せんと烈烈たる決意を表明した、首相は先づ山本元帥の壯烈なる戰死、アツツ島における皇軍の悲壯なる玉碎に深厚なる哀悼の意を表し忠勇義烈なる將兵の英靈に應へる道は唯米英擊碎の一路にありと斷じ一億國民が忠烈なる傳統の真價を發揮すべき秋はまさに到來したと切に全國民の奮起を要望次で演說の核心に入り開戰以來一年有半戰略的必勝體制の上に建設せられつつある新しき大東亞の現況とこれに對する帝國の施策の全貌を明示し圈內諸國家諸民族共榮の大方針を大膽率直に宣言した即ち (一)滿洲國の交誼は真に間然する所なく帝國は益益その真意に應へその健全なる發達に力を致す (一)中華民國に對しては今後進んで日華間の條約に根本的な改訂を加へ皇國の協力體制に更に一步を進める (一)タイ國については軍事經濟文化等各方面に亘り一段の協力を行ひ更に同國民多年の宿望にも鑑み同國の發展のため新たなる協力をなすべき用意がある (一)ビルマの獨立準備が日ならずして完了することを深く期待する (一)比島には本年中に獨立の榮譽を與へる (一)マライ、スマトラ、ジヤワ、ボルネオ、セレベス等に對しては夫夫の民度に應じ本年中には原住民、インドネシア民眾の政治參與に關する措置を遂次とり就中ジヤワに對しては能ふ限り速かにこれを實現せしめる (一)佛印に對しては日佛議定書の精神に基きいよいよ緊密な提携と圖る 斯くて開戰以來屢次闡明せられ大東亞建設の基本方策は着着具現せられ大東亞十億の民はわが肇國の大理想に基き今や輝しき黎明を迎へるに至つた、次で首相は獨立インド完成のためあらゆる手段を盡す決意ありと重ねて言明した後歐洲における獨伊始め盟邦諸國の友好關係、戰爭遂行に對する帝國の確信を披瀝し一轉して敵國米英の手段を選ばず至る所平和を攪亂し與國を犧牲にして自國の安逸を貪ぼる暴虐非道なる行動を痛擊次で內政問題に轉じこのことも官民一途の決戰體制を強化し擧國戰力增強の一點に國家總力を集中せんと強調今回の企業整備食糧增產、更に府縣會議員の任期延長も悉く戰力增強に寄與し戰勝の一途に邁進せんとする所以なることを指摘した今回の首相演說は大東亞新建設基本方策の闡明を始めとして內治外政の兩面に亘り決戰に對處する政府の重大決意を披瀝したもので真にわが國議會史を飾る歷史的施政演說と言ふべく一億國民は今こそ皇國民たるの自覺に徹し益益戰意を強固にし一路征戰完勝に邁進しなければならぬ(以下演說內容) 大東亞戰爭勃發以來まさに一年有半皇軍將兵は御稜威の下廣大なる戰域を占領確保しいよいよ敵を斃し瘴癘と戰ひ寒暑を冒し風浪に抗しあらゆる困難を克服して戰果を加へてゐる、しかしてこの戰果を擧ぐるために幾多の勇士は大君の御楯として戰場の華と散り護國の神となられてゐる、殊に山本聯合艦隊司令長官の南方最前線に於る壯烈なる戰死、また山崎部隊長以下將兵のアツツ島における悲壯なる玉碎は強くわれ等國民の胸を打つたのである、悠久の大義に生き壯烈鬼神を哭かしむる幾多忠勇義烈の將兵の最期に思ひを致し日本國民たるもの唯一人としてこれ等勇士に續かんと蹶起せざるものはない、敵を擊滅せずんば止まざるの覺悟をいよいよ新たにせざるものはないのである、これ等の勇士ありまたこれ等勇士に續くものあればこそ大東亞戰爭は必ず勝つ、私はここに諸君と共に山本元帥を始め忠勇なる戰歿將兵の偉大なる勳功を偲び哀悼の誠を捧ぐると共に只管米英擊碎の一路に邁進しもつて勇士の忠靈に應へんことを誓ふ次第である、今や御稜威の下大東亞における帝國の戰略的必勝の體制は日に日に強化せられ大東亞における巨大なる資源は急速に戰力化せられてゐる、大東亞におけるこの體制はまさに米英の死命を制するものであり米英は今更ながらその進展の急速なるに愕然とし極力これを阻止妨害せんことを期し唯一の恃みとする物質力の全力を擧げしかも手段を選ばず更にあらゆる策謀を巡らして頻りに反攻の決意を示すに至つた、しかしながら斯くの如きは帝國の當然豫期して居つた所である、皇軍は敵のこの反攻の機を捉らへ隨時隨所にこれを擊碎するは固より更に敵屈服の手段を進めてゐる、現に 皇軍は支那方面において印緬國境方面において將又太平洋の各方面に亘り雄渾なる作戰を展開し更に敵に對し益益深刻なる打擊を加へんとしてゐる、斯くして戰局はいよいよ重大を加へ反復する戰闘は益益苛烈悽愴の度を加へるに至つた、大東亞における必勝の體制に起ち一億國民が國難の加はる每にいよいよ燃へ上る必勝の信念をもつて忠烈なる傳統の國民性の真價を發揮するの秋はまさに到來したのである以上の情勢に對處し私は國民諸君と共に敵米英の內に秘めたる深刻なる苦惱を見逃す事なくいよいよ必勝の確信の下に飽くまでも全力を盡して米英屈服の最後の日迄意志と意志との戰ひを戰ひ拔き勝ち拔いて以て聖慮を安んじ奉らんことを期する次第である現下大東亞の動向を大觀するに諸國家諸民族の帝國に對する信賴大東亞戰爭完遂に對する真摯にして自發的なる協力は日に月にその力を加へてゐる、私は最近中華民國、滿洲國及び比島を訪問し親しく現地の實相に觸れ要路の人人とも隔意なき懇談を遂ぐる機會を得愈愈この確信を強くした申す迄もなく大東亞を米、英の多年の桎梏より永久に解放しその本然の姿に歸らしめんとするは帝國不動の大方針である、帝國の施策はこの大方針に則り終始一貫して今日に及んでゐる 大東亞戰爭勃發以來の二年有半、今や大東亞十億の民眾は我が真意を諒解し日本の大東亞戰爭完勝なくして大東亞の解放なく、新しき大東亞の建設なくして大東亞民眾の福祉なしとする確信が澎湃として起りつつあることは大東亞のため同慶に堪へない、以上の如き情勢に對處し帝國としては諸國家、諸民族の誠意と協力とに應へ、この際更に新たなる施策に出ることを必要と考へてゐる、今その主要なるものにつき政府の所信を卒直に述べれば滿洲國については同國は帝國を見るに親邦を以てし畏くも皇帝陛下御自ら率先御垂範遊ばされ國民上下一致帝國に對する物心兩方面の協力真に大なるものがあり兩國の交誼は真に間然するところがない、帝國としては益益その真意に應ヘその健全なる發達に愈愈力を効さんとしてゐる、中華民國は汪主席以下官民共に今や必帝國の誠意ある態度に心から共鳴し日華共同宣言の精神の下に目下相携へて着着として共同の目的に邁進しつつある、百年の久しきに亘り米英の世界制霸の野望に塗炭の苦しみを重ねて來た中國は今やその羈絆を脫し自疆の道を講じ完全なる自主獨立の國家として帝國と相共に新しき大東亞建設にその大いなる實力を發揮せんとしてゐる 斯くて中國民眾多年の宿望たる中國人の中國の理想は將に達成せられつつある、最近龐炳勳、孫殿英榮子恒等の將軍を始めとして幾多の人士が踵を接して重慶政權の傘下を離れ汪主席と行動を共にするに至つたことも中國更生の當然の歸趨を如實に示すものである、この秋に當り帝國はこの中國の興隆を心より祝福すると共に今後愈愈これを支援するの決意を深くし進んで日華間の條約に根本的なる改訂を加へ兩國の協力の體制に更に一步を進めんとするものである、タイ國は同國が多年米英との複雜機微なる關係を一擲し敢然帝國と行を共にしピプン首相統卒の下に幾多の困難障碍を克服しつつ一路大東亞戰爭完遂に邁進してゐる、帝國は同國との提携を今後愈愈密にし同國の軍事、經濟、文化等各方面に亘り更に一段の協力を効さんことを深く期し更に同國民多年の宿望に鑑み同國の發展ための新たなる協力をなすの用意あることを茲に表明する、ビルマは去る五月バーモ長官を帝都に迎へて帝國の決意を傳へた、而して既に五月八日獨立準備委員會を結成せられ着着として獨立準備の進捗しつつあることは慶祝の至りである、日ならずしてその準備も完了し歷史的光榮の日速かなることを強く期待する 比島はバルガス長官以下要路の人人が身を挺して比島再建と大東亞戰爭完遂協力のために努力し一般民眾も亦逐次帝國の真意を諒解し積極的に協力しつつある、比島獨立に關する帝國の態度は屢次の聲明により既に明かであるが帝國はこの際更に一步を進めて本年中に比島に獨立の榮譽を與へんとするものなることをここに中外に闡明する、曾て米國の不信なる支配の下に空しく獨立の幻影を追ふてゐた比島民眾は大東亞戰爭勃發以來未だ二ケ年にも滿たざるに早くもここに多年の宿望を達せんとしてゐるのである、尚マライ、スマトラ、ジヤワ、ボルネオ、セレベス等の原住民は皇軍の軍政下に營營として協力の度を增大しつつある、即ち戰爭下においても常に彼等は現地皇軍の心からなる指導に依り從來の精神的壓迫より解放せられ現に教育其他各種の文化的恩惠に浴し未だ曾つてなき希望に滿てる生活を營んでゐる、帝國はこの際更に進んで、原住民の念願に基き夫夫の民度に應じて本年中には原住民の政治參與に關する措置を遂次とつて參る所存である、就中ジヤワについてはその民度に鑑み民眾の輿望に應へて能ふ限り速かにこれが實現を期せんとするものである、佛印當局は複雜なる情勢の下に善慮してゐるが帝國は共同防衛に關する日佛議定書の精神に基き佛印とのいよいよ緊密なる提携を圖らんとするものである、以上の如くにして萬邦をして各各その所を得しめ兆民をして悉くその堵に安んぜしむるわが肇國の大理想は着着として大東亞の天地に具現せられ多年米英の飽くなき搾取に惱める東亞の民眾に輝しき黎明は來つたのである 斯くして大東亞の諸國家、諸民族が逞しき發展をなしつつあるに比較しインドが尚英國の苛酷なる彈壓の下に獨立完成のため大いなる苦しみを嘗めつつあることに對し私は衷心より同情の意を表すると共に憤りを感ずるまた帝國はインド民眾の敵たる米英の勢力をインドより驅逐し真に獨立インドの完成のためあらゆる手段を盡すべき牢固たる決意をもつてゐる、しかして澎湃たるインド民眾の熱望は必ずや實現せられ米英勢力は驅逐せられインドの自由と繁榮との齎される日の遠からざることを信じ且つ其一日も速かならんことを期待す、飜つて歐洲の形勢を見るに獨伊を始め盟邦諸國は帝國との結束いよいよ固く一路最後の勝利に向つて邁進してゐる、今日までに築き上げたる必勝の地位と不動の指導力との下に行はるる獨伊等歐洲盟邦諸國の雄渾なる戰爭遂行に對し私は其成功を確信する、帝國としては今後ともいよいよ緊密なる連繫支援の下に相共に飽くまでも米英を撃碎せんことを誓ふものである、今や敵米英は目的のためには手段を選ばず至る所平和を攪亂し隨所に禍亂を擴大し中立國を戰火に捲き込まんと狂奔してゐる、彼等の他國を誘つて共に戰ふや自らは直接の參加を避けて他國をその矢面に立てしかも戰ひ一度利あらざればこれを弊履の知く捨てて顧みず曾つての宣言、約束の如きは唯一片の反古として葬り去つてゐる、さきには小國のためにその獨立擁護を叫び今や掌を反して大國のためその專制支配を唱へその間何等の操守なく專ら他國の機牲において自國の安逸を貪ぼりしかも恬として恥ない この暴虐無殘なる行動に對しては神人倶に赦さざる所である、尚これ等の策謀にも拘はらず中立を堅持しつつある國國に對し私はここに深く敬意を表する次第である、しかし帝國とこれ等の國國とは極めて友好なる關係を持續してゐるのであつて今後も一層親密ならんことを斷念するものである今や內外の情勢、寔に重大である、此重大なる情勢下において一億國民は擧げて國民たるの本分を完ふすべく戰意を新たにしてゐるのである、戰場の將兵の心を心とし全力を盡して、一路征戰必勝に突進する意圖を新にしてゐるのである、此の秋に當り政府は一億國民の陣頭に挺身し此の新にせる誓を必ず實踐に移さん事を期するものである、作戰に必勝し建設に必成し以つて此の大戰爭を完遂する為には政府は國の內外を問はず如何なる妨害も如何なる障碍も斷斷乎として之を突破、克服せんとするものである、幸ひ生產の現況は國民の熱意と努力とに依り昨年末より著しく改善增強の跡を示してゐるが政府は此の上とも官民一致決戰體制を強化し國を擧げて更に戰力增強の一路に集中せんとするものである、今次の企業整備は決戰下更に直接戰力の急速增強のため從來の企業整備の趣旨を擴充し產業の各分野に亘り、徹底的なる整備を行ひ、國民の悉くをして戰力に寄與せしめんとするもので之が圓滑なる遂行を期する為には國民全般の協力を絕對必要とする、國民は充分政府の意のある處を諒知し一日も早く整備を完了し適材適所各自の能力を遺憾なく發揮し得る如く、積極的に協力せられん事を願つて止まない、 固より一億國民は貯蓄の增強に、消費の節約に努力してゐるが更に此の際浮動購買力の抑制、國家經濟秩序の維持等に付き、此の上とも一層の努力を傾注せられたい、又戰時國民生活の確保に必要なる食糧に付いては、政府として萬全の措置を講じてゐるが、戰爭の現段階に於ては、常に凡ゆる事態を考慮し食糧の自給自足の為格段の力を致さなければならない、政府は此の趣旨に基き、米麥類のみならず、甘藷、馬鈴薯も劃期的の增產を圖る事によつて決戰下の食糧に關し更に盤石の態勢を整へん事を期する所存である、尚政府は此の上とも敏速果斷なる行政の運營を圖ると共に戰爭遂行に直接關係なきものは悉く之を中止、又は廢止し官民共に全力を擧げて生產に動員し以つて戰爭の一途に邁進せん事を期してゐる |
02 | 陸相戰況報告 我が戰略態勢確保 アツツ島一年の苦鬪全戰局に大貢献 |
03 | 眾議院勅語奉答文 |
04 | 龐炳勳上將 岡村最高指揮官を訪問 |
05 | 社告/興南新聞社報社消息 |
06 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 輝く始政 記念日社說 一 本島始政ここに四十有九年、本日光輝ある第四十八回記念日を迎へたるは、苛烈なる決戰下ひとしほ意義深きものあり、六百五十萬島民の感激に堪えないところである。謹んで皇室の彌榮を祈念し奉り皇國の隆運を祝福すると共に、大東亞戰爭完遂の決意と覺悟を新たにする次第である。顧れば始政ここに四十有九年、畏くも一視同仁、內臺一如の御聖旨を奉戴して歷代の總督以下官民の一致協力、拮据經營の偉大なる成果として遂に瘴煙蠻雨、化外難治の地をして今日に見る如き文明開化の樂土たらしむるに至りたるは、洵に感慨深きものがあり、改隷當時に比較すれば正に隔世の感がするのである。今や面目を一新せる本島は、文字通り文運日に開け產業月に進んで既に百般の文物制度備はり、皇化邊陬に霑うて、皇國日本の有力なる一環に向上して來たのである。我らは往時を偲び今日の盛大を見るにつけて、今更に廣大無邊の皇恩に感泣し、また歷代總督始め官民先人の御勞苦に對し衷心から敬意と感謝を捧げるものである 二 臺灣統治五十年は思へば長い歷史であった。本島を皇國日本の文化水準にまで引上げんとする念念刻苦の施政であった。同時に完全な皇民への途を孜孜勉勵する島民努力の歷史でもあった。これら官民の惓まず撓まざる刻苦勉勵の努力が漸く見事な實を結ぶべく、近年來着着と開花しつつあることは、洵に同慶に堪えないところである。殊に支那事變を契機とし大東亞戰爭を見るに及んで、島民大眾の熾烈な皇民精神の昂揚、就中愛國の至情に燃ゆる青年層の蹶起挺身は、驅って銃前銃後に幾多の熱誠なる敢闘譜を繰り展げしめるに至ったのである斯くして長谷川總督を家長に戴く臺灣一家の逞ましい皇民奉公運動は全島民を打って一丸たらしめ、六百五十萬總進軍の頭上には榮譽に輝く陸海軍特別志願兵の恩典が下り、更に待望久しき義務教育制の施行、內地延長主義の促進等等、躍進臺灣の今日は全く更に飛躍的一大進步發展を遂げるに至ったのである、洵に長谷川總督統治下、茲數年における臺灣の飛躍的進展は瞠目に値ひするものがあり、過去を顧みて感激の念を禁じ得ないものがあるのである。 三 本島に生を享けたるもの、今日の盛大を目の邊りに、誰が克く聖恩の有難さ、聖慮の畏さに感泣せざるものがあるだらうか今日の光榮、今日の幸福に感奮興起せずに居られるものは恐らく絕無であらう。亞細亞の興亡を決する曠古の大聖戰下、本島に負荷せられたる使命は極めて重大化して來た。帝國中核圈並南方圈の各各の一環として政治的、經濟的、產業的に負荷する重大使命の完遂に對し、皇國が臺灣に期待するところ洵に大なるものがある今日、全島民は今こそ改隷以來久しきに亘って銳意培養蓄積して參った物心兩方面の資源と技術經驗とを綜合的に最大限に活用せねばならぬ而して聖業完遂の為には銃前と銃後とを問はず、また男女老若の別なく一切を擧げて君國に捧げ、湧き出づる必勝の信念を堅持し、燃ゆるが如き戰意を昂揚せしめなければならない。斯くして六百五十萬島民は真に打って一丸、燃ゆる火の玉となって本島に負荷せられたる使命達成に挺身し、忠誠なる皇民奉公の途を邁進して以て皇恩の萬一に應へ奉らねばならぬのである |
02 | 曠古の聖業を完遂 全島民總力戰の戰士たれ 始政記念日に際し長谷川總督談 |
03 | 決戰下の始政記念日 偲ぶ先人の偉業 擧島決戰街道驀進 |
04 | 必勝の戰略態勢確立 海軍將兵の士氣益よ旺盛 嶋田海相戰況報告 |
05 | 臺北州納稅表彰 けふ會議室で擧行 |
06 | 皇恩の廣大に感泣 一切の議論を排して戰力增強に挺身 齋藤皇奉本部長談 |
07 | 宜蘭市奉公參與委員會 |
08 | 警察事務打合會 きのふ府正廳で開催 |
09 | 一億一心戰ひ拔け 松井大將新竹で熱辯 |
10 | 本社主催“藝文”の稽古場 第一劇場四階に移る報社消息 |
11 | 遊技時間制限 新竹州警察部 から通達 |
12 | 夫婦仲よく献金 結婚費用を節約して |
13 | 花蓮港市臨時市會 |
14 | 貯蓄打合 |
15 | 喜びの臺北市 新國語家庭 |
16 | 基隆の“國語の家” |
17 | 今日の映画演劇 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 始政茲に四十九年 決意を新たに奉公/森田俊介 |
02 | 必勝へ總進軍/稻田穰 |
03 | 聽け米英この叫び 高雄の滅擊市民大會 |
04 | 御下賜品傳達式 |
05 | 賞與は國債で 嘉義市の支給 |
06 | 海軍志願兵制 徹底講演會 臺南州下の日割決る |
07 | 嘉義で打合會 |
08 | 決戰生活指導部落 高雄州下九ケ所指定 |
09 | 米英擊滅大會 臺南州下旬に開く |
10 | 農民の覺悟 芳澤氏が放送 |
11 | 優良部落會 奉公班表彰 |
12 | 嘉義のル、チ 葬送講演會 |
13 | 正條密植に限る 甲當千六百餘斤の增收に 七十の老農斷然轉向 |
14 | 蔬菜現地品評 褒賞授與式 |
15 | 墾ろに弔問 |
16 | 元帥の跡を慕つて 澎湖廳內の赤誠青年起つ |
17 | 海で敵を擊ちたい お山の青年海の兵を志願 |
18 | 貨物路線の變更 高雄港の交通網に當局の斷 |
19 | 異彩放つ紅一點 高雄州の職域奉公表彰 |
20 | 壯途を祝ふ |
21 | 立川總務部長 墾遺族弔問 |
22 | 連署海軍志願 役場學校組合職員起つ |
23 | 結婚獎勵に 月下氷人懇談 |
24 | 遺族の稻刈應援 萬斗六青年團員の篤行 |
25 | 若櫻豫備訓練終る |
26 | 防空情報適正化 高雄署から市民へ |
27 | 常會運營研究會 あす西屯國民校で開く |
28 | 國防訓練講習會 |
29 | 玉碎勇士の遺族 に捧ぐ感謝の現れ |
30 | 地方多より |
31 | 海軍志願 受付に備ふ |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 佛印の製鐵事業 近く具體的計畫を樹立 |
02 | 租稅完納功勞者 けふ各州廳で表彰 |
03 | 日用品を提供する 南方輕工業の現狀 |
04 | 會社の解散を防止 企業整備法案に新措置 |
05 | 專賣局技術協議會委員會開催 |
06 | 食糧公社案は 未だ決定しない 森部總務局長語る |
07 | 水田に淡水魚養殖 南支より鮒の魚苗を輸入 |
08 | タイ國金融統制令發布 |
09 | 副見交通總長 事務打合に南下 |
10 | 海南島鐵鑛原石 督府の補償方針決定 |
11 | 臺北勸業信組 十周年記念事業 |
12 | 照明燈 |
13 | 商況(十六日後場) |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(989)/黃得時;碇政彌 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 總理の聲明に深謝 比島の全資源を日本に提供 バルガス長官聲明 |
02 | 貴族院勅語奉答文 |
03 | 圖像:臺灣神社の始政記念日寫真參拜の長谷川總督 |
04 | 重ねて勅語を賜ふ 貴眾兩院に對し |
05 | 綜合的企業整備(太田氏の質問) けふの眾院豫算總會 |
06 | 獨、伊各界に大反響 東條首相演說非常な人氣 |
07 | 貴族院本會議 |
08 | 眾院豫算總會 の質問者 |
09 | 善意の惡攻を戒心 始政記念式で長谷川總督訓示 |
10 | 緬、比獨立の再確言 黎明を告げる歷史的この一瞬に 傍聽の兩視察團感激 |
11 | 豫算各案を說明 藏相、豫算總會劈頭に |
12 | ニユーギニア爆擊 |
13 | ガダルカナル島爆擊 |
14 | 獨空軍の攻勢 パンテラリア島猛爆 |
15 | 獨軍べ地區總反擊 赤軍作戰失敗を機に |
16 | 米潛水艦八隻 喪失を發表 |
17 | 經濟關係罰則の 改正統一を調查 |
18 | 外地選擧延長 臺灣朝鮮の措置 |
19 | 佛印總督にキニーネ贈與 |
20 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 海軍特別志願兵募集 集へ軍艦旗の下 七月一日から受付開始 |
02 | 海軍兵志願者訓練所訓練生募集要項 |
03 | 輝く始政記念日 誓つて征戰完遂 嚴かな始政記念祭 |
04 | 記念式を擧行 |
05 | 州の記念式 功勞者を表彰 |
06 | 新竹の記念日行事 |
07 | 圖像:戰ふ增產戰士表彰 |
08 | 斷じて增產完遂 海軍港廳二期作割當決る |
09 | 羅東郡二期米作 面積割當打合會 |
10 | 增產臺灣の殊勳甲 職場挺身の範四氏表彰 |
11 | 全島勤勞者の垂範 長谷川總督熱烈な激勵 |
12 | 島都商業の人赤誠 荒鷲四機陸海軍に献納 |
13 | 示す職場の赤誠 堂堂市中を行進 |
14 | 米英徹底擊滅へ 花蓮港市廿四日に國民大會 |
15 | 生擴の前衛部隊 皇奉本部で卅六氏表彰 |
16 | 花蓮港軍援 事務打合せ |
17 | 玉里米穀會社 |
18 | 圖像:臺北市聯合商奉團の献金 |
19 | 燃ゆる敢鬪譜 海洋訓練隊第一回 臨海訓練查閱 |
20 | 市立城北圖書館 佳日に晴れの開館式 |
21 | 興南案內報社消息 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 政府提出全議案 眾院本會議で可決頭條新聞 【東京發同盟】十七日の眾議院本會議は午後八時五十分開會、岡田議長より勅語奉答書を奉呈したところ天皇陛下には重ねて優渥なる勅語を賜つた旨を報告總員起立裡に勅語を奉讀終つて豫算總會で可決した 一、昭和十八年度歲入歲出總豫算追加案(第一號) 一、昭和十八年度各特別會計歲入歲出豫算追加案(特第一發) 一、豫算外國庫の負擔となるべき契約を為すを要するの件(追第一號) の豫算案三件を一括緊急上程小川委員長報告通り原案可決續いて委員會で可決せる 一、朝鮮食糧管理特別會計法案(政府提出) 一、朝鮮における米穀の生產を確保する為補給金及企業の整備に要する經費の財源に充つる為公債發行に關する法律案(同上) 一、臺灣における米穀の生產を確保する為補給金の財源に充つる為公債發行に關する法律案(同上) の三件を一括上程高橋委員長の報告通り可決次に 一、企業整備資金措置法案(政府提出) 一、昭和十八年法律第九號中改正法律案(昭和十八年度一般會計歲出の財源に充つる為公債發行に關する件)(同上) 一、國民更生金庫法中改正法律案(同上) の企業整備關係法案三件を一括緊急上程木暮委員長の報告あつて討論を省略原案通り可決これにて政府提出議案全部を原案通り可決直ちに貴族院に送附した次ぎに故平川松太郎(神奈川)加藤俊夫(廣島)兩代議士の追悼演說があり引續き赤尾敏氏(東京)に對する懲罰動議が提出され右動議成立懲罰委員に附することとし午後九時五十四分散會 |
02 | 豫算總會 企業整備の促進と 購買力防止に萬全 |
03 | 皇民精神の發揚へ 始政記念日長谷川總督放送 |
04 | 戰力增強の一點に集中 企業整備根本方針岸商相詳細に說明 |
05 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 大東亞諸民族 本然の姿へ 首相施政演說 の歷史的意識社說 一 內外環視の裡に東條首相は第八十二臨時議會劈頭に於て劃期的な施政方針演說を行ひ、帝國政府の所信を堂堂と中外に闡明した。首相は先づ大東亞戰爭の苛烈深刻なる現段階より說き起し、切切全國民の奮起を要望、演說の核心に入るに及んで「大東亞を米英の桎梏より永久に解放し、その本然の姿に歸らしめんとするは帝國不動の大方針である、大東亞戰爭勃發以來の一年有半、今や大東亞十億の民眾は我が真意を誤解し、日本の大東亞戰爭完勝なくして大東亞の解放なく、新しき大東亞の建設なくして大東亞民眾の福祉なしとする確信が澎湃として起りつつある」と大東亞建設の根本方針と共榮圈內諸國家諸民族の動向を述べ、帝國政府としては大東亞諸民族の誠意と協力に應へて、上述の大方針に則り、一段と具體化された諸施策の全貌を簡明卒直に宣言し、大東亞諸民族に多大の感銘を與へた。 二 即ち滿、華、タイの三國に對しては彼等多年の宿望に鑑み、その發展のため各方面に亘り積極的援助を惜まない旨を言明し、就中中國に對しては今後進んで日華間の條約に根本的な改訂を加へ、兩國の協力體制を更に一步を進める用意ある旨を表明、頗る注目されてゐる。而して既に本年中に獨立の榮譽を許容されてゐるビルマに對しては、その獨立準備の速かなる完了を期待してゐる、比島には本年中に獨立の榮譽を與へる。マライ、スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベス等に對しては夫夫の民度に應じ、本年中には原住民、インドネシア民眾の政治參與に關する措置を逐次とり、就中ジャワに對しては能ふ限り速かにこれを實現せしめる旨をはっきりと宣言した。これに依り彼等に新生の喜びと希望を與へ、その感激は想像に餘るものがあらう。最後に佛印に對しては日佛議定書の精神に基き、いよいよ緊密な提携を圖ることとなってゐる。 三 斯くて開戰以來屢屢闡明せられて來た我が大東亞建設の基本方策「萬邦をして各各その所を得しめ、兆民をして悉く其堵に安んぜしむる」我が肇國の大理想は、着着として大東亞の天地に具現せられ、多年米英の飽くなき搾取に惱める東亞十億の民族は、今や本然の姿に還って、輝しき黎明を迎へるに至った。大東亞戰爭を完遂せんとする帝國の真意は上述の如く大東亞諸民族の解放とその安寧と幸幅とを確保し、明朗にして希望に滿ちた共榮圈を建設しやうと云ふ高い道義觀を基調とするものであって、アングロサクソン帝國主義の如き領土的野望は寸毫もないことは、今次の宣言に依って明かに示されてゐる。從って敵米英の如く自己の野望を遂げんが為に、手段を選ばず、到る處に平和を攪亂し、與國を犠牲に供して自國の安逸を貪ぼるが如き暴虐非道な行動を敢へてするのと根本的に事情を異にしてゐる。だから東亞諸民族はこの點をよく認識し、東亞本然の真姿還元を楔機として、東洋人としての感激を彌が上に昂め、共同目的の完遂に蹶然と奮起すべきである。 |
02 | 久邇宮妃知子女王殿下 茨城縣下を親しく御視察 |
03 | 夏の帝都に繰展ぐ 決戰臺灣の真姿 大東亞戰爭と臺灣の會盛大に開催 |
04 | 河村臺灣新聞 會長挨拶 |
05 | 皇太后陛下 御下賜懷中時計 大宮御所で拜受 |
06 | 增產は“この骨”で 被表彰者達に聽く貴き體驗談 |
07 | 輝く敢鬪の跡 顯功章四氏の功績 |
08 | 賞賜物件傳達式 |
09 | 兵庫縣に御成り 梨木宮妃、李鍵公妃兩殿下 |
10 | 全日本の為に働け 凡ゆる蘊蓄を傾倒して驀進 小林前總督の講演 |
11 | 圖像:勤勞顯功章に輝く四氏 |
12 | 所命必謹、一死奉公 高砂族義勇隊の奮戰に對し 最高指揮官から賞詞 |
13 | 松井石根大將 安藤軍司令官が招待 |
14 | 始政記念日祝賀 臺灣協會で午餐會 |
15 | 志願兵の素質 石川所長宮前校で講演 |
16 | 基隆でル、チ葬送講演會 |
17 | 今日の映画演劇 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 必勝へ擧島總進軍 始政の佳節迎へて決意新た |
02 | 決戰下の模範戰士 各種の功勞者表彰 臺中州の納稅 功勞者 |
03 | 高雄州の功勞者表彰 |
04 | 澎湖廳の表彰 |
05 | 勤續者表彰 |
06 | 逞しき壯丁群 南部の徵兵檢查 |
07 | 嘉義奉壯團 總會 |
08 | 新臺灣音樂運動前史(二)/水野謹吾 |
09 | 高雄市國語家庭 認定章交付式 |
10 | 今だ青年よ立て 青年團單位に講演會 |
11 | 續續と連署志願 |
12 | 銃後婦人の龜鑑 美談クラス社に咲く |
13 | 藝能報國に挺身 臺南藝能奉公會誕生 |
14 | ジヤワ二世の兄弟 揃つて徵兵檢查に合格 |
15 | 中等學校相撲大會 二中再び榮冠を獲得 |
16 | 玉碎勇士遺族に 臺中州全職員から弔靈金 |
17 | 援護精神の昂揚 |
18 | 葬儀の改善へ 事業一切を讓り受け 博愛會で經營 |
19 | 臺中市學童相撲大會 |
20 | 遠乘會開催 臺南畜產會 |
21 | 嘉義商議選擧 人名簿縱覽さす |
22 | 臺南州異動 |
23 | 人事‧往來報社消息 |
24 | 地方多より |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 陶磁器配給統制 督府の統制要綱決定 |
02 | 郵便貯金好調 五月、二百餘萬圓を增加 |
03 | 鋼管、厚板、鋼索 あす需給狀況を調查 |
04 | 國民食の攝り方 分量は成年期に最も多い/有元石太郎 |
05 | 小運送統合は必至 滿尾鐵道部長語る |
06 | 船舶運航能率の向上 副食物の配給を要望 |
07 | 臺中州一期米 愈愈廿日に初檢收 |
08 | 農家の供米運動 改善の餘地がある 農相、委員會で答辯 |
09 | 高雄一期米の收穫 八割以上を終了 |
10 | 五月中會社認許可件數 |
11 | 畦畔整理、餘水はけ構築に 宮尾知事が陣頭指揮 |
12 | 工場、事業場へ 「勤勞小隊」の援兵 |
13 | 徹底的に害虫防除 農業臺中州增產に萬全策 |
14 | 糖聯有森氏昇任 |
15 | 林田技手退官 |
16 | 山產物販賣統制 |
17 | 照明燈 |
18 | 商況(十七日前場) |
19 | 夏季砂糖增配 七、八、九月も實施 |
20 | ラジオ |
21 | 水滸傳(990)/黃得時;碇政彌 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 全議案可決成立 けふ中全日程を終る |
02 | 一億敢鬪決議を上程 短期決戰議會の掉尾を飾る |
03 | 圖像:來朝した比島訪日視察團一行 |
04 | 貴族院會議 |
05 | 實踐方法を協議 |
06 | 平等互惠の關係で 善隣の協力を確立 重光外相率直に表明 |
07 | 獨立準備委員編成 比島派遣軍が命ず |
08 | 重光外相の 見解を支持 ドイツ政府筋 |
09 | 肥料、農機具を確保 戰ふ農民の要望に應ふ |
10 | 緬甸、比島の獨立 タイ國率先承認 駐日タイ大使決意を語る |
11 | 政治參與は望外の幸福 セレベス四百萬島民感激 |
12 | 資金移動總額 四十七億に達す 谷口大藏次官の答辯 |
13 | バルガス氏 東條首相に感謝電 |
14 | 首相演說に 全幅の信賴 伊外務省の見解 |
15 | 東亞民族の團結 一段固きを加ふ 汪行政院長の談話 |
16 | 中國の謝意表明 蔡大使首相訪問 |
17 | 本年度中に實施 第一種部門の整備 |
18 | 佛印總督の感謝電 |
19 | 纖維工業の整備方針 |
20 | 赤尾敏氏 翼政會除名 |
21 | 第二、第三の敵影に怯ゆ 疑心暗鬼のノツクス軍擴強調 |
22 | 衣生活尚緊縮の 餘地を殘す 鈴木總裁端的に指摘 |
23 | 水產物を確保 山崎農相答辯 |
24 | 東部全戰線に 決戰の氣分橫溢 |
25 | ジ軍港に艦船 七十餘隻集結 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇族王公族殿下 傷痍軍人に御仁慈 |
02 | 滿堂熱鐵の一丸 大東亞戰爭と臺灣の會で 呂、上野兩君が熱辯 |
03 | 呂芳齡君講演 皇民精神を把握 軍の凡る勞務を通じ |
04 | 圖像:本間將君訪問の呂、上野兩君 |
05 | 旬日で八萬圓突破 在廈門本島居留民赤誠の飛行機献金 |
06 | 若櫻の首途を祝ふ 今夜公會堂で壯行會 |
07 | 廿四日に入所式 |
08 | 上野君講演 貴き體驗を活用 皇民鍊成に只管驀進 |
09 | 始政記念日 基隆市で表 彰式擧行 |
10 | うだる暑さだ 傳染病に用心せよ |
11 | 海志主旨徹底 講演會 |
12 | 海軍志願兵へ 廿一日基隆で講演會 |
13 | 榮光燦と輝やく 本島人初の海軍少尉 臺南高工出身の嘉山君 |
14 | 陸軍少年兵の 募集締切迫る |
15 | 水兵さん大好き 父が語る少年の生立ち |
16 | 興南詩苑漢詩 弔山本元帥海軍大將/陳藻芬、消夏行/覺齋、憶少年/瀬川陽一 |
17 | 奧田國土局長 蘭陽地方視察 |
18 | 香奠返しに献金報社消息 |
19 | 人事‧消息 |
20 | 今晚の放送 |
21 | 興南案內報社消息 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵艦船九隻擊沈破 飛行機卅二機以上を擊墜 ルンガ沖航空戰の大戰果頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(六月十八日十五時三十分)帝國海軍航空部隊は六月十六日戰爆連合の大編隊を以てガダルカナル島ルンガ沖敵輸送船團を強襲せり本日迄に判明せる戰果左の如し 輸送船大型四隻撃沈、同中型二隻撃沈、同小型一隻撃沈、同大型一隻中破、驅逐艦一隻擊沈、飛行機三十二機以上擊墜 我が方の損害未歸還二十機 註本戰闘をルンガ沖航空戰を呼稱す |
02 | 敢鬪大精神を發揚 暴戾非道の敵米英を擊摧 一億蹶起案を可決 |
03 | 國務大臣、兩院議員に けふ拜謁仰付けある |
04 | 永井氏辯明 全國民真に一心一體 一億敢鬪、米英を擊滅 |
05 | けふ閉院式 |
06 | 陸軍司政官 |
07 | 航空戰の名 始めて冠せらる |
08 | 首相決意闡明 斷じて米英を擊碎 一億の陣頭に立ち全力盡す |
09 | 輸送船五萬三千噸屠る |
10 | 貴院本會議 全法案、豫算案可決 短期決戰議會幕閉づ |
11 | 敵補給線に大損害 |
12 | 米英擊碎一億敢鬪決議 |
13 | 眾議院本會議 |
14 | 御精勵に感謝 岡田議長挨拶 |
15 | 敵七十六機を擊墜 獨空軍が攻勢 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 藷類の重要 性と增產策社說 一 大東亞戰爭の決勝階段に於て食糧增產が如何に緊急であるかは今回の臨時議會に於て企業整備問題と共に二大對策として取上げられたる一事を見ても解るのである。即ち現階段に於て船腹節約の見地よりして最早外米依存政策を一擲せねばならず、それには內外地を一體とする自給政策を確立する外なく、其の對策として米穀生產者價格の引上げが其の一つの現はれであると看取する事が出來る。本島としても戰力增強の一大施策として食糧の增產にある事は既に此の欄に於て、繰返し繰返し強調して來たところである。勿論食糧增產の內主要食糧の米穀に重點を置くべきであるが、綜合的食糧對策の見地よりして此の際藷類の重要性が著しく再認識されるに至った。即ち藷類は單に食糧以外に或は飼料として或は澱粉の原料として缺くべからざるものである許りでなく酒精や造酒や又は高級燃料の原料として行くところ可ならざるなき重要物資なのである、されば督府に於ても最近島內農產物重要性の順位として米の次に置き遂に甘蔗の上位となった事は故なしとしない。 二 然らば藷類の增產を圖るには如何にすべきかといへば、勿論品種及び耕作の改良等技術方面に賴る事少なくないが先づ栽培面積の擴大が其の主なる要素であるは言を俟たない。中にも臺中州下に於ては地味、水利等の關係で甘藷の甲當收量を增大する事は比較的容易のやうである現に彰化の篤農李鵬儀氏の如きは甲當平均十萬斤の收量を擧げて居り、一般農家に於ても平均五萬斤見當の收量を易易として擧げる事が出來るのである、元來食糧としての甘藷は普通三斤乃至三斤半が籾の一斤に當るから甲當平均五萬斤の收量あれば籾一萬五六千斤の食糧に相當するわけである。ところが臺中州下に於ても水田の籾甲當收量が平均五千斤內外であるから、水利の足らざるところはもっと甘藷の栽培に重點を置かねばならない事は明かである、目下問題とされてゐる水田甘蔗作の全面撤退は其の難點が水利の不足であるが、若し米作の代りに甘藷作にすれば此の問題は難なく解決し得る、更に進んで藷と米との輪作をも考慮すべきである。卽ち二期米の收穫直前に藷の糊仔を作り其の藷が來年の四月頃に收穫すれば優に甲當五萬斤は取れる其の後田菁を栽培し而して二期米作をすれば從來に比し少なくとも二三割の增收が期し得られる許りでなく藷蔓に依る堆肥の製造藷を飼料とする豚の增產と關聯して考へれば米のみに賴る食糧問題の解決に對しては數步の前進であるといはねばならない 三 もう一つ重要な問題はキャッサバの增產である。キャッサバは澱粉又はキャッサバ粉の原料として或は飼料として或は酒精の原料として藷と殆ど同一効果を有する食糧及び工業原料である。而も其の栽培地は島內殆ど無盡藏ともいふべき山地であるから、他の重要農產物と相剋を生ずるやうな虞れはない。ところが近年來其の栽培面積が臺中州下に於ては一時の盛況に比し約五分の一の一千餘甲に縮少された事は全くキャッサバの價格が百斤三圓內外から一圓八十八錢に引下げられたためである。若し其の價格を三圓內外に復舊する事が出來れば現在の十倍に相當する增產は易易たるものであるとの事である食糧の量を增やす見地よりして藷類に對する現在の低物價政策は此の際再檢討を加ふべきである。上記の如く戰時食糧問題の對策としての藷類の增產が極めて重要であるから當局に於て幸に其の諸施策を推進すると共に、其の混食を獎勵すれば本島米の內地移出が相當增大の餘地があり、それ丈內地に對する臺灣の盡すべき一つの天職を全ふし得るであらう事を信じて疑はない。 |
02 | 必勝生活の實踐へ 貯蓄、皆働生產を申合事項に 二十五日全島一齊に婦人常會 |
03 | 北ボルネオの視察(下) 透徹する皇道政治 ブルネイ王國の水上生活海外遊記 【クチン西川同盟特派員發】ボオフオートは北ボルネオ中でも氣溫最も高く、降雨量が最大であると云はれてゐるが、又最良の健康として知られてゐる、少しばかりの降雨でも…………といつても內地の雨とは比較にならないスコールではあるが…………この町はたちまち水浸しになつてしまふ、しかし健康地であるがため施設は良く、如何にも南國らしい明るい建物の町である、ボオフオート縣廳はラプアンにあり、この縣の產業は米ゴム、サゴ澱粉が主なもので、特にサゴ澱粉は戰前から主要產地でゼツセルトンからシンガポール向輸出してゐた、ボオフオート縣の人口は約三萬五千うち邦人は僅かに十四名である、その他學校十二、病院二となつてゐる △ムアラ、フルネイ ムアラはブルネイ縣ムアラ支廳の所在地といふより無煙炭に次ぐ良質の石炭を產出することで有名であるブルネイ、ムアラ◯◯哩の大道路は、この程 完成し輸送上期待される所が多い、ブルネイは舊英時代の所謂ブルネイ王國で同じマライ人にしても彼等はブルネイマライと自稱してゐるくらいだ、マライ半島の王族に隨つてブルネイにやつて來たと彼等は信じこれは又惑る程度史實の上にも證明されてゐる、いかにも王家の血を繼いだように上品な顏つきのマライ人が多いのが目立つ、服裝など赤、黃、紫の原色を取入れたものを使ひ一種の雅びやかさを現はしてゐる、ブルネイは舊王都らしい風格を持つてゐるといつてよいであらう、ブルネイの特色の一つとして水上生活者は一萬三千人で「大館は陸にあり、酒屋は水の上に」といふのがブルネイの町の構成である、ブルネイの水上生活は一千年の歷史をもち當時王宮も水の上にあつたといはれる、名產の銀細工を賣る有名な老鋪なども水の上にあつた、その翌日ブルネイ勤勞奉仕隊農園を見た、每日曜日早朝各戶から一人づつ出て共同農作を行ふ仕組となつてゐるものだつた、次いで水源地になつてゐる名勝ブルネイ瀧に行く、二段構へ十丈ばかり水量の豐富な瀧で瀧壺はブールになつてゐる、ブルネイ國民學校(公民學校と改稱)を見る、生徒達の日語會話、籠造り、裁縫、手工圖畫など大したものであつた、器用な生徒は魚網を編み、女生徒は刺繡に長じてゐるのもいかにも南の國ブルネイマライ人らしい サルタンが第一、第二兩大臣を帶同して縣廳で我々と會見した、黃色の上衣、綠色の洋袴に黃金色のサロンを卷き黃色の帶を締めて黃金の短劍を差してゐる、頭にはターバンを卷き後頭部を僧侶のように丸く剃つてゐる、八宇髭を生やし卅歲前後だといふのに老人のように色艶が惡く、皮膚は青白く生氣がない、眼鏡をかけチヨコレート色の短靴を穿いてゐるのが何か滑稽なような氣がした △ミリ ブルネイからミリに行く、担々たる道路、それからジヤングルの山坂を疾走、そして南支那海の浪洗ふ海岸疾驅は實に素晴しい、アスフアルトより固いを砂濱を四十哩のスピードで飛ばすのである、至る所の河川には大型門橋があり自動車に乘つたまゝ渡河出來る大規模な設備もある ミリ州廳ではセリヤブルネイ間○○哩の道路開鑿に着手し近く完成をみることになつてゐる、又本年一月以降公民學校の統合に着手し第一にマライ公民學校、第二に支那人公民學校の順でこれを設置、各公民學校では日本語教育を一週八時間の義務修得となつてゐる特にマライ公民學校においては勤勞的精神の涵養に努め子供達に勤勞奉仕の精神を扶植してゐる、又教員の日本語講習會を常置し州廳要員が教へ、每月日本語教程の修了試驗を實施してゐる、產業方面では 石油はもとよりカツチダマール、木材及び真鑄、銅、鐵屑の回收增產に努め造船所では良質の木材による木造船建造にフルスピードをかけてゐる、また食糧問題では本年度は昨年度より米作二割增產に拍車をかける一方代用食薩摩芋、玉蜀黍のほか豚、鶏等の家畜獎勵を行つてゐる、戰前同期の歲入百卅萬圓の中、七十萬圓は石油から賄はれてゐたが更に大東壓戰爭勃發後僅か一年餘で歲入◯◯萬圓の增加をみてゐるのは偉とすべきであらう △最後のコース ビンズルに着いてランチで上陸した、ビンゾルはシブ州ビンヅル縣廳の所在地である、人口一萬一千八百五十四人、メラノ種族、マライ回教徒、ダイヤ族が多い、こゝの牛乳は良質で小さい町ではあるが水道の設備があつた、カボツクゴムなどが產業の主なるものである北ボルネオ生活廿年の和泉少佐が縣知事で、老骨を捧げての奮闘ぶりには皆頭が下つた、かくて北ボルネオ巡歷卅三日間、記者は軍政要員の身を粉にしての精勵により皇道政治は洽く北ボルネオの隅々にまで滲透してゐることをこの眼で見、この耳で聽き日本人としての有難さを痛感したのであつた |
04 | 銃後女性總進軍の 日婦全國支部長會議 |
05 | 決戰申合せ三ヶ條 |
06 | 奧田國土局長 蘭陽初巡視 |
07 | いざ征け皇國男兒 島都の若櫻壯行會 |
08 | 新竹州下の徵兵檢查 |
09 | 花蓮港市議員懇談會 |
10 | 一日で二十二名 若人の陸軍諸學校志願 |
11 | 徹底的に叩潰す 曾つて監禁された岡田君 徵兵檢查に合格 |
12 | “よく噛む”飯の旨さ 噛まざることは自然への反逆 大橋博士談話發表 |
13 | 一死報國へ 入所を前に 加東君語る |
14 | 參內記帳の場合 國民服乙號着用も認む |
15 | 廢めよ中元贈答 常會通じて趣旨徹底 |
16 | 奉壯團臨時幹部會 |
17 | 稻田廳長山の 遺族を弔問 |
18 | 健民の夕 廿日公會堂で |
19 | 林則徐の大印版 臺南文献特別展に陳列 |
20 | 大口の感謝献金 |
21 | 臺電の白衣勇士招待慰安會 |
22 | ル、チ葬送講演 |
23 | 山なす慰問雜誌 花蓮港軍援の募集好成績 |
24 | 日婦基隆市支會分會長會議 |
25 | 大梁火曜氏の 學位論文通過 |
26 | 籾集荷打合 |
27 | 花蓮港女夏季登山訓練を計畫 |
28 | ニュース映畫を定期上映 |
29 | 羅東街端艇競漕 |
30 | 礦嘴山行 |
31 | 鷺山ハイク |
32 | 華僑の赤誠 |
33 | 斗六參與委員會 |
34 | 人事‧消息 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 必勝貯蓄に奉公袋 嘉義郡支會に注文殺到 |
02 | 受付に萬全の布陣 海志に備へる嘉義市 |
03 | 銃後奮起の姿 ぐんぐん殖える献金 |
04 | 從軍記章傳達 |
05 | 關廟の壯行會 |
06 | 輝く始政記念日 各地の奉拜祝賀表彰式 |
07 | 四億貯蓄攻略に 臺南で婦人懇談會 |
08 | 板橋街葬 |
09 | 麻豆街葬 |
10 | 國語を使ひませう 各團體が街頭に推進 |
11 | 皆泳指導者鍊成會 |
12 | 總督表彰を傳達 |
13 | 花蓮港の始政記念日行事 |
14 | 母の死秘して任務完遂 模範警防團員魏君表彰 |
15 | 空の防人に 感謝金募集 |
16 | 結婚獎勵懇談會 |
17 | 體驗を生活に 桔俱幹部鍊成終了 |
18 | 新臺灣音樂運動前史(三)/水野謹吾 |
19 | 花蓮港國語家庭會總會 |
20 | 桃園日婦の赤誠 |
21 | 國語生活運動 屏東奉壯團街頭に乘出す |
22 | 宜蘭で善行者 表彰式 |
23 | 鹿港藝奉團發表會 |
24 | 鹿港“藝奉”發足 |
25 | 中原贈答お斷り |
26 | 國語郡建設に驀進 |
27 | 街頭建艦献金 |
28 | 優良部落會 奉公班表彰 |
29 | 新莊郡あげて 志願熱に備ふ |
30 | 世話役鍊成會 |
31 | 育兒相談開始 吉井百貨店で |
32 | 內湖庄の國語の家新認定 |
33 | 木瓜植えて養豚 |
34 | 五十鈴館を買收 高雄船員休養所に |
35 | 督勵で貯蓄者殺到 |
36 | 地方多より報社消息 |
37 | 基隆郡下國語の家懇談會 |
38 | 訃文:鶴田吉藏 |
39 | 今日の映画演劇 |
40 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 纖維製品の需給圓滑化 府配給統制要綱發表 |
02 | 企業整備委員會の 主要質疑應答內容 |
03 | 內地への土產砂糖 督府で目下檢討中 |
04 | 遞信官吏養成所設置 伊藤遞信部長語 |
05 | 信託施行規則 府令案を審議中 |
06 | 米、堆肥增產競技會 褒賞授與式擧行 |
07 | 局バス 時局に對處して 七月にダイヤを改正 |
08 | パルプ聯合會 理事會開催 |
09 | 作付面積と作柄の調查 |
10 | 照明燈 |
11 | 商況(十八日前後場) |
12 | 國民勤勞訓練所 中部及九州に新設 |
13 | ラジオ |
14 | 水滸傳(991)/黃得時;碇政彌 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 嚴かに閉院式擧行 けふ貴族院に於いて |
02 | 全議案無修正成立 最高度の審議能力 |
03 | 東條首相以下に 列立拜謁を賜ふ |
04 | 臨時議會の劃期的成果 大東亞總進軍體制 必勝完戰の國內體制確立 |
05 | ニユーギニア空襲 モレスビーをも襲ふ |
06 | 圖像:開院式に於ける閣僚の記念撮影 |
07 | ガ島米基地爆擊 |
08 | 谷駐華大使歸任 |
09 | 獨軍戰況發表 |
10 | “全東亞民族を激勵” 東條首相演說、バーモ長官語る |
11 | 夏季進攻目的達す 支那派遣軍週間戰況 |
12 | 滯獨中のボース氏來朝 近く南方に赴き獨立運動に挺身 インド國內の同志に呼びかく |
13 | 印度總督更迭 後任はウエーヴエル |
14 | 敗軍の將ウエーヴエル 印度難局打開全く絕望 |
15 | 米陸軍新豫算 七百一五億弗 |
16 | 若人よ海へ |
17 | 興南案內報社消息 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 全島民よ來り聽け 來る二十一日から各市郡で 海軍志願兵講演會 |
02 | 體力章檢定會 二十一日川端で開く |
03 | 眉宇に真劍な氣魄 馬來の日本留學生 |
04 | 趣旨を家庭に滲透 父兄に呼びかく講演會 |
05 | 島都の講演會 |
06 | 新竹州下の日程 |
07 | 海鷲座談會(上) 血戰に次ぐ血戰 戰雲低迷の南太平洋に 我等は斯く戰へり |
08 | 一路光榮の獨立へ 全比島カリバピ大會 |
09 | 圖像:被服軍靴工場に働く比島の人人 |
10 | 奉公の機到來 曾青年血書志願 |
11 | 積極協力を決議 |
12 | 退官四氏を 總督が招待 |
13 | 一億國民蹶起の秋 米英擊碎敢鬪の決意を聞く |
14 | 大政翼贊會事務總長丸山鶴吉氏 |
15 | 在鄉軍人會長井上幾太郎 |
16 | 一期米納入打合 |
17 | 慶應大學塾長小泉信三氏 |
18 | 感激の弔慰金 臺中州職員が献納 |
19 | 國語常用に拍車 基隆市愈よ挺身隊結成 |
20 | 決戰吏道に垂範 臺北州のお役人が自發的に 午后四時迄勤務申合 |
21 | 殉職警官遺族に 驀然集まる弔慰金 |
22 | 土曜音樂會 |
23 | 私財一萬圓醵出 赤十字社事業資金に 新店庄の吳烏棕氏寄附 |
24 | 養殖業者に朗報 |
25 | 科學する學徒 北師生今夜公會堂で月面觀測 |
26 | 參與委員會で 熱烈な答申 |
27 | 興南詩苑漢詩 恭輓山本元帥閣下/苗栗 范慕淹、弔山崎大佐暨玉碎神軍/苗栗 范慕淹、端陽節前四日、梅樵先生間余抱恙、自彰至南到舍視疾、一見故人、病癒大半、先生出示感舊之作、欲解余愁、因依原韵艸成一律呈之/寄盧主人、午節感賦/寄盧主人 |
28 | 詹通欽氏の美擧 |
29 | 黃金の田圃を行く 基隆郡下の稔りは上上 |
30 | 南支行き軍屬募集 |
31 | 國語突擊隊 |
32 | 新化街庄長會議 |
33 | 國語常用座談會 |
34 | 人事‧消息報社消息 |
35 | 今晚の放送 |
36 | 商況(十九日前後場) |
37 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 米英兩國の敗北 印度解放を確信 ボース氏聲明書頭條新聞 【東京發同盟】東方よりインド獨立運動に乘込むべく突如來朝したインド獨立運動の指導替チヤンドラ・ボース氏は十九日午後二時帝國ホテルにおける內外記者團との會見に先立ち左の如き長文のステートメンを發し現狀打開をその戰爭目的とする樞軸國家は同時にインド三億八千八百萬民眾の獨立運動を支援するものなりとしてこれに感謝しわれわれがこの絕好の機會を外してはインド民眾積年の願望たる獨立を實現することが永久に不可能なりと斷じ米英の敗北、英帝國の分解は同時にインド民眾の必然の目的であり樞軸國家とのこの共同目的を達成しインド解放を獲得するためにわれわれも亦蹶起してインド民眾の鮮血流すことを避けるものではないと烈烈の決意を表明し世界戰局より見て樞軸國の最後の勝利、英國の分解、インド獨立の達成を確言堂堂の所信を披瀝した尚特に亞細亞民族の一人として蔣介石に與へた深刻なる批判、日印關係の現勢並びに將來に對する見解は別段の趣きを添へるものがあつたボース氏は十九日午後二時帝國ホテルにおける內外記者團との會見に當り劈頭次の如きステートメンを發表し來朝の目的、今後の獨立運動の決意等を次の如く表明した 多年私はインド及びビルマの英國の刑務所を住家としてゐたのであるが今日インドの刑務所において無為に日を送らずに日本の真只中に居つて諸君の前にこうして立つてゐるといふことは今私の祖國に澎湃として捲き起つてゐる新しい運動の象徵であります、私は二年餘り前に家を捨て祖國を離れましたのは全く同胞の意志に基いたのでありますが私が日本に來たことも亦同胞の意志に準據してゐるのであります、前回の世界大戰におきまして私共インドの指導者達は老獪なる英國の政治家のために瞞されたのであります、私共は二十年餘り前に決して再び彼等に瞞されないと誓つたのはそのためであります、二十年餘りに亘りましてインドにおける私共の世代は自由のために苦闘し今正に到來した時期を、即ちインド人に取つては自由の黎明とも申すべき時期を千秋の思ひで待つてゐたのであります、斯くの如きは今後更に百年間絕對に再び到來しないことを充分承知してゐるが故に私共は出來る限りこの機會を活用する決心を固めたのであります諸君、諸君は英國自由と民主主義のために戰爭してゐるといふことを層層聞かれたことと思ひます、しかしながら口に自由と民主主義とを唱へながら人類の五分の一を代表するインド人に對し自由と民主主義を拒んでゐる、譜強國は自由の要求に對しては偉脅殘虐を加へ武裝してゐない男女並に子供の屠殺等を以てする諸強國に對してわれわれインド人がどう考へてゐるかは諸君も想像が出來ると思ふ 英國の帝國主義はインドに對しては道義の頹廢と文化の破滅と經濟的貧困と政治的奴隷化とを意味するに外なりません、以上の實情においてインド人が遂に英國の桎梏を斷つべく嚴肅に決意したことに何の不思議がありませう、現在の世界戰爭はインド人の眼から見れば現狀を維持せんとする力と現狀を覆へそうと決意してゐる力との抗爭に外なりません、右抗爭においてインド人が變更を主張し、換言すれば新秩序を主張する諸國に共鳴してゐることを果して何人が非難することが出來ませうか、殊にこれらの諸國が自由に對するわれわれの要求を支持する場合においてインド人の共感が更に深まつて熱烈な支持に變るのは寧ろ當然でありませう、米英兩國の宣傳の如何に強辯しようともインド人の壓倒的大多數が樞軸三國の勝利を希望してをりますことは私が斷言して憚らないところであります、樞軸三國の勝利は米英兩國帝國主義の敗北であり英帝國の解體であり失はれたるインドの自由の復活を意味するのであります、樞軸三國はインド永遠の仇敵に對し戰ひを宣することによつてインド人の闘爭に最大の援助を與へました、更に樞軸三國はインド人に對し單に同情を表明しただけでなく積極的な支持と援助とを與へたのでありましてこの點についてインド人は何時までも感謝の念を抱くでありませう しかしながら自由の為にわれわれ自身の鮮血で以て代償を拂ふのがわれわれの義務であります犠牲と努力とによつて贏ち得た自由こそわれわれ自身の力で保全することが出來るでありませら從つて共同の仇敵に對する戰ひにはわれわれも亦活潑に參劃しなければならないことを痛感するのであります敵が刀を拔いた以上刀を以て戰はねばなりません非軍事、不服從運動は武力抗爭に發展しなければならないのでありますインド民眾が大規模な銃火の洗禮を受けた時はじめて自由を獲得る資格を與へられるのであります二年餘り前にインドを立ち去りまして以來私は全世界到る所を旅行したのでありますがその結果極めて客觀的に世界の情勢を檢討出來るようになりました、私は又日獨伊三國の內情についても些か學ぶところがあつたのであります勿論樞軸三國の前途に橫たはる諸困難に眼を蔽ふとするものではありませんが同時に三國の力の源泉を熟知してゐるのであります從つて歐洲にせよ大平洋にせよ第二戰線を結成するといふような宣傳や歐洲に對する上陸作戰とか印緬國境における反攻とかいふような公言には一顧も與へないのであります今回の世界戰爭においては前大戰と全く異つて時が米英兩國に味方してゐないことは世界周知の事實でありますチヤーチル君すら過般ワシントンにおいてこの事實を公然承知するの已むなきに至つたのであります、世界戰爭の戰局を具さに研究した結果如何に戰爭が長引こうとも結果は只一つ、即ち樞軸三國並にその盟邦の絕對的勝利以外にはあり得ないといふことを私は百パーセント確信してゐるのであります、次に諸君が當然關心を抱いてをられると思ふことはインド人が日本人をどう考へてゐるかといふことであろうと思ひます日本これは十九世紀においてアジア大陸を席卷した侵略の潮に對し最初に起つて敢然これを阻止したアジアの諸國であります一九◯五年ロシアに對する日本軍の勝利こそは二十世紀におけるアジア復興の出發點でありインド人は日本人自身に負けない位熱狂して日本の勝利を謳歌したのであります 強國日本の存在は現在においても過去におけると同樣アジア復興のための歷史的必要でありますなるほど一九三七年支那事變が始まりましてから日本に關するインド輿論の動向が相當變つて來たのは事實でありますが大東亞戰爭が始まりますと同時に事態は根本的な變化を遂げたのであります今日日本はわれわれの敵と戰つてゐるのであります、これに反して重慶政權は米英兩國の味方であり更に蔣介石はビルマ並びインドに對する英國の支配に對し全面的な支持を與へてゐるのであります、普通のインド人は觀念的な問題に興味を求めません、彼は只一つインドの政治的、經濟的解放を念願としてゐるだけであります、隨つて何人であらうともインドの獨立に同情し支持する人は自動的にインドの知己となりインドの盟邦となるのであります、最後に大事なことは日本政府が支那に對し新政策を取るに決定したことであります、この新事實に當面してインド人は何故蔣介石が日本政府と名譽ある諒解を遂げようとしないのか、何故米英兩國の手先となつて働いてゐるかを煩悶してゐるのであります インドと日本とは過去において約二千年に亘る深い文化の絆によつて結ばれてゐるのであります、近世においては英國はインドを支配したために以上の文化的關係が阻害されたのでありますが一度インドが自由となれば兩國の文化的關係は更に復活し一層強化されるでありませう、加ふるに日本が獨立のためのインドの闘爭に對し從來活潑な支援と援助を與へ將來においても支援を惜しまぬでありませうから一度インド人が自分の家の主人公となり自國の運命を決定出來ることとなれば恩義に厚い人が日本との緊密な政治的經濟的合作を熱烈に歡迎するであらうことは自然の夢であります、この點について東條首相が一昨年三月以來なされたインドに關する數數の聲明、更に六月十六日の帝國議會において首相が繰返された聲明はインド人に深い感銘を與へ大いにインド獨立運動を助けたと云ふ事を茲に附言しなければなりません、日本國內の情勢については無限の自信と戰局に對する確信の氣分とか橫溢してゐることが一見何人に明瞭な所であります、山本元帥の精神は老若男女を問はず日本國民の總べてに行き渡つて居ります經濟情勢特に食糧についても事態は極めて滿足すべきものあり而も情勢は日を逐ふて好轉するでありませう工業生產も滿足すべき情態と思ひますが反樞軸軍が他少ともこの方面で進出する樣なことがあつても充分これに桔抗し且つ凌駕する見地から工業生產は一段と增強されるでありませう最後に人的資源については無限の豫備力が殘されてをり必要が起れば何時でも以上の勞働力を動員出來ることが苟しくも國のある人間ならば明瞭に看取出來る所であります、以上の諸理由によつて私は究極における米英兩國の敗北、英帝國の分解並びに三億八千八百萬の私の同胞の解放を絕對に確信して疑はないものである |
02 | 獨立は印度自身の 努力と犧牲で獲得 抗英の焰燃やすボ氏 |
03 | 時來れば武力抵抗 ボース氏牢固たる決意を語る |
04 | “鐵は赤い時に鍜ふべし” ビハリ‧ボース氏も東京に歸る |
05 | 圖像:決戰議會の傍聽席に在るチャンドラ‧ボース氏 |
06 | 情熱と鬪魂の人 印度風雲兒ボース氏 |
07 | ボース氏 印度へ放送 |
08 | 議會傍聽席で 感激するボ氏 |
09 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 決戰臨時議 會の閉會社說 一 決戰下全世界の視聽を集めて開會された今次第八十二議會は米英擊滅、大東亞建設の根幹たる企業整備主要食糧增產等時局緊急なる豫算案三件、法律案八件に對し真摯なる檢討を加へた結果稀に見る快速審議を以て全豫算案並に法案を政府原案通りに可決し茲に前後三日間に亘る短期決戰議會の幕を閉ぢたことは決戰下に於ける議員諸公の翼賛振りを遺憾なく發揮したものといってよい。特に眾議院は苛烈悽愴なる戰局の新段階に對處し一億國民の盛上る烈烈たる敢闘の總意を議會を通じて全世界に顯現するため米英擊碎一億敢闘決議案を本會議に上程提案代表者より「米英擊碎に邁進し聖慮を安んじ奉るべき」との擧國的決意を披瀝宣明すると共に全亞細亞民族の蹶起を促がすべきを強調し滿場總起立の裡に可決されたことは今次臨時議會の掉尾を飾るに最もふさはしいもので一億國民はこの際各職域に於て渾然一體勃勃たる敢闘精神の發揚に覺悟を更に固めなければならない。 二 今次議會は言ふ迄もなくその三大眼目たる戰力增強のための廣汎なる企業整備、農水產物のための綜合食糧應急對策の確立、決戰體制確立方策に卽應する道府縣會議員の任期延長に論議を集中したのであるが議會劈頭に於ける東條首相の演說は中華民國を始めビルマ、比島等大東亞共榮圈建設の基度に對する帝國の決戰施策を闡明し敵米英の世界制覇の野望を遺憾なく破碎したものとして劃期的議會たる印象を深くしたのである。かかる大東亞共榮圈建設の基底に對する帝國の決戰施策を內に裏付けるものとして前記の如き戰力增強のための企業整備、食糧政策等が真摯に取上げられたわけで豫算總會、各特別委員會に於ける質疑應答により略略その輪廓を窺ひ知るのである。即ち戰時國民生活の確保に必要なる食糧については凡ゆる事態を考慮しその自給自足に格段の努力を必要とするに鑑みて米麥類のみならず甘藷、馬鈴薯等の劃期的增產の諸措置が講ぜられるに至った。 三 殊に直接戰力の增強に寄與する今次の企業整備は從來の企業整備の趣旨を擴充し產業の各分野に亘り徹底的なる整備を行ひ國民をして悉く戰力に寄與せしめんとするものでこれが圓滑なる遂行を期するため政府としても萬全なる措置を講じてゐるわけである。即ち今次の整備は岸商相が說明した如く單に原材料の逼迫による消極的な整備ではなく、その性格は極めて積極的であって整備の對策も平和產業のみに止まらず整備の極めて大きな重點を重要產業部門においてをり、他から轉用された設備、勞力等を最も有効に活用するために重要工業部門の內容、技術、組織について根本的な刷新を加へることに大きな狙ひを置いてゐる。のみならずその一環として統制會社の整備、轉廢業共助金等にも十分なる措置がとられてゐる等政府の決意が遺憾なく表明されてゐるそれ故に一億國民は充分政府の意を察し徒らなる感傷にとらはれることなく企業整備の速かなる完了に積極的に協力することが緊要でなければならない |
02 | 四億貯蓄總進軍 何が何んでも誓つて達成 あすから貯蓄期間開始 |
03 | 進め百卅萬州民 貯蓄で米英を擊滅 |
04 | 臺灣從軍記念會 市街庄の幹部集めて鍊成 |
05 | 圖像:月下のベンガル灣頭儼たる我布哨鄉田特派員撮影 (陸軍省檢閱濟) |
06 | 花蓮郡學事會議 |
07 | 花蓮港臨時市會 全部原案通り可決 |
08 | 日本世界觀と 思想對策委員 顏觸夫夫決定 |
09 | 身體の引締る思ひ 齋藤長官の感想談 |
10 | 一生忘れられぬ 宮城奉拜の感激 呂、上野兩君東京で語る |
11 | 鎌入れに學徒部隊 |
12 | 三部隊演藝慰問 勇士達が大喜び |
13 | ムシ齒講演會 |
14 | 米英擊滅一億敢鬪 民族的一大決心を凝集して 夏季健民運動展開 |
15 | 二師生徒が 天體を觀測 |
16 | 海志へ一齊蹶起 警防團員百七名揃つて |
17 | 增える時局關心 島都の易斷所を通じて見た けふこの頃の世相 |
18 | 遊休勞力を活用 貯蓄動員本部で協議 |
19 | 簡保健康相談所 全島に七ケ所を設置 |
20 | 組合職員揃つて海志志願 |
21 | 花蓮港廳下若櫻出發 |
22 | 匿名で赤誠献金 感心な七十婆さん |
23 | 簡保健康相談所長會議 |
24 | 海志主旨徹底 講演會 |
25 | 新竹マツチ工場地鎮祭 |
26 | 勤皇烈士顯彰 中央鍊成會 |
27 | 東亞造船米崙 の工場地鎮祭 |
28 | 宜蘭署保甲會議 |
29 | 彰化市民の赤誠献金 |
30 | 若櫻壯行祈願祭 |
31 | 臺南市桔俱 第三回鍊成終了 |
32 | 遞信部異動 |
33 | 人事‧消息 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 內臺融合の明朗譜 ダバオ引上げ者に寄せるこの人情美 麗しき“篤行”知事から表彰 |
02 | 征かう海國男兒だ 各地で“海志”講演會 臺中の講演會 |
03 | 嘉義の講演會 |
04 | 彰化海志講演會 |
05 | 集集の健兒 全員志願を表明 |
06 | 全員志願を決議 新莊郡健兒起つ |
07 | 日婦高雄支會 班長打合 |
08 | 新臺灣音樂運動前史(四)/水野謹吾 |
09 | “しつかり頑張る” 決意示す若櫻壯行會 高雄州壯行會 |
10 | 竹南街の壯行會 |
11 | 教育報國に挺進 高雄州教育者大會 |
12 | 常會運營の實際 西屯で研究會開催 |
13 | 犯罪の絕滅を期し 臺南司法保護委員會 |
14 | 大楠公が應召 高雄市國民學校の銅像供出 |
15 | 軍援の完璧へ 分區長を世話係に |
16 | 滅敵の雄叫び 潮州街の國民大會 |
17 | 國語の臺南一家 羽鳥家長陣頭に起つ 臺南の振起運動 |
18 | 關西青年學校 晴れの開校式 |
19 | 方委書記打合 |
20 | 警防團幹部講習 |
21 | 竹東街桔梗俱樂部 記念日に晴の結成 |
22 | 赤誠の献金品 |
23 | 內地在學生 父兄懇談會 |
24 | 崎頂海水浴場大祓式 |
25 | 不毛地を美田化 屏東農業、浮覆地を拓く |
26 | 人事‧往來報社消息 |
27 | 地方多より |
28 | 羅東街短艇 競漕決勝戰 |
29 | 今日の映画演劇 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ジヤワ糖の再建 糖業公團を設立 |
02 | 督府の追加豫算 原案通り可決 |
03 | 菓子統制要綱決定 高雄州で八月一日より實施 |
04 | 戰ふ農家の動向 專業減、兼業增の實態(內地) |
05 | バナナ三割減收 |
06 | 蘇花間の緊急貨物 局營貨物自動車で運搬 |
07 | 嘉義商工會議所 あす總會を開催 |
08 | 獨逸の低物價策 單一價格制實施の目的 |
09 | お百姓さん協力 嘉義郡の切干藷供出好成績 |
10 | 肉豚多數入荷 近く食膳を賑はす |
11 | 經濟手帳 |
12 | 照明燈 |
13 | 商況(十九日) |
14 | 島內株仲值表 |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(992)/黃得時;碇政彌 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 總蹶起敢鬪實踐 盛り上る戰意昂揚 今議會の偉大な足跡頭條新聞 【東京發同盟】一、期待する今後の國內政治動向 大東亞戰爭勃發して既に一年有半戰局の新段階に對應して必勝完戰の戰力の飛躍的增強を期すべき第八十二臨時議會は去る十五日召集されたが會期僅か三日間の內に企業整備、食糧增產等刻下焦眉の決戰新施策遂行に必要な法律案八件及びそれに伴ふ豫算案三件を悉く議了成立せしめると共に東條首相自から全世界に對し東亞共榮圈建設に對する帝國の理想と之が完遂の方途を明示する等正に歷史的な感激を以て十九日全く終幕をつげた大東亞戰以來「戰ふ議會」も回を重ねる每に苛烈凄愴なる戰局の樣相を反映してやうやく戰時色は刻刻緊張の度を加えて來る事は當然ながら今次臨時議會こそは決戰議會と云はれた前第八十一通常議會の後を受けて實に超決戰議會とも稱すべくその意義に於て議會に負荷された使命に於て頗る大なるものがあつた、畏くも開院式に賜つた御勅語に於て 「今ヤ時局洵ニ重大ナリ宜シク億兆一心全力ヲ蓋シテ敵國ノ非望ヲ破碎スヘシ」 と御垂示あらせられた事は洵に恐懼の極みであると同時に以て一億國民の心とし又決意とするところでなくてはならない、一年有半に亘る戰局の現勢と樣相が如何に深刻かつ重大であるかに就ては十六日の貴眾兩院本會議席上東條首相兼攝陸相、嶋田海相によつて詳細に說明された通りで陸相のアツツ島勇士の玉碎、海相の山本元帥戰死の報告の際決戰議場が真に息詰る樣な緊迫感と感激を示した事もさこそと肯かけるこれに對し兩院共感謝敬弔決議案を上程滿場一致前線の隅隅まで、在天の英靈にとどけとばかり萬雷の如き感謝の拍手を以て可決したのであつた、眾議院は更に盛り上る國民の戰意を昂揚し率先垂範米英擊滅の決意を新たにするため「米英擊碎一億敢闘決議案」を十八日最終日の本會議に上程永井柳太郎氏が烈烈熱火の趣旨辯明を行ひ全會一致之を可決東條首相亦政府の不退轉の決意を披瀝して軍官民を打つて一丸とする總蹶起敢闘實踐態勢を全世界に示した事は今議會最大の收穫であるばかりでなく、今後日本の「戰ふ政治」の根本的方向を示すものと特筆されねばならぬ、即ち擧國的政治力の結集體として決戰政治推進の使命に任ずる翼政會は確かに東條內閣の四月改造、翼政機構の四月改組によつて格段の強力性を加へ其統制力は極めて牢固たるものとなつた、大東亞戰の「行道」が既に明瞭に決定づけられてゐる如く決戰政治を推進する翼政會の行方も舊套的な曖昧さ、消極性を許容し得ない所に來てゐる即ち今回の翼政會は政府を積極的に支持しこれに協力すると云ふお題目の羅列でなく政府と國民の間の強き靱帶となつて勝つためには政府と共同責任をも分擔すると云ふ氣魄と決意とを必要とされておりこの點國內態勢はもう一段の前進を必要とする事を暗示したものである、このために翼政會の再強化と國民運動の中核體たる大政翼賛會との組織上の融合の問題が生じて來る、政府、翼政、翼賛會の三位一體を更に推進せしめ國民の熱烈なる戰意を背景に苛烈深刻なる戰局を如何にして乘り切り如何にして戰時施策の實施に協力すべきか、この點に議會後早急に進發さる可き政府の決戰新施策の遂行と翼賛會の全國的運動展開と相俟つて翼政會の一億敢闘實踐運動の成果は多大の期待をもたれる所以である。 二、議會の歷史的收穫 今次の議會に於ける首相の演說は先例を破り外交及び財政方針演說はすべて首相の演說に織り込み中外に對する宣言の方式で行はれたものであり、其內容の充實せる、その表現の大膽率直なる誠にかつてない強力なる帝國所信の闡明で歷史的大東亞宣言とも稱す可き迫力を持つものであつた首相はこの演說に於て大東亞建設に對する帝國の雄渾なる方法を闡明し特に「日華條約の根本的改訂、タイ國への協力強化、ビルマ獨立の實現促進比島の年內獨立確約、南方諸地域原住民の政治參與實現、中立國との友交關係堅持、インドから米英勢力驅逐」を指摘強調して大東亞戰爭の道義的意義と性格並にこれが完遂を期する帝國の斷乎たる所信を示したがこれは重光外相の十七日の眾議院豫算總會に於ける太田正孝氏の質問に答えたアジア解放の理念と構想と共に外交の正しい在り方と帝國の世界政策の歷史的必然性を明らかにしたもので正に歷史的記錄と稱すべくこれにより國民は戰爭目的を愈愈明らかにしてその嚮ふ所を知り一層奮起したであらう、一方今議會の中心課題であつた企業整備と食糧增產に就ては審議方式も色色考究され、とも角も短期間ではあつたが議會側の積極的協力に基き從來の議會に比し數倍の審議能力を擧げ何れも原案通り可決成立せしめた、かくて今次企業整備の基底たる根本的措置問題その深き特に國民生活面への現實的の影響度等についてはいささか突込みも不足し政府の返答も必ずしも完璧とは云えぬものを殘した點がないでもなかつたがその全貌、輪廓と共に原則的の基準、實施の心構えは議員の熱心な資疑と政府の率直な答辯を通じて明確にされ國民をして政府を信賴せしめこの決戰施策に心から協力せしめる確信をいだいてゐるに至つたことは特筆すべき收穫であり成果であつたと云はねばならぬ、議會側が三日間の短期間にも拘らず審議の効率化を實現し豫期以上の實績を擧げた事は決戰議會としてむしろ當然であるがその裏には議事の運營に議員の操作にあたり果斷な制新と技術的の工夫が加えられた事を見遁してはならない、即ち今次議會の運營に就ては首相の施政演說に對しては兩院共質問を省くなど從來の方式を全く脫却した方法がとられたがこの事は運營技術如何によつてはいくらでも效率的になし得ることを現實に示したもので常置委員會の設置等今後の議會運營に極めて重要なる示唆を與えたものと稱すべきで來るべき通常議會に於ては更に高度の戰時的運營による刷新と工夫が早くも要講豫定されるに至つてゐる又貴族院も隨時眾議院の議會機關と連絡をとり眾議院の運營、議事の進捗に呼應して貴族院の議事運營を推進した事は事實でその意味で貴族院の運營も質的には大きな變化を示しつつある事が認められる、緊追せる時局はあらゆるものを變革せずにはいかない現狀維持の牙城の如く云はれた議會も今は全く面目を一新して時局の先頭に立たうとしてゐるのである、この點第八十二臨時議會は非常時日本の集注的表現として偉大なる足跡を殘したものと云ふべきである |
02 | 我が國に深い憧憬 ボース氏渡日の決意 |
03 | 圖像:ニユーギニヤ島〇〇基地にて出擊を待つ海軍水上機隊 |
04 | 英人教授を蹴飛ばす 大學時代のボース氏同校生ガ氏語る |
05 | 國際展望 大東亞建設の宣言 國際的大反響を呼ぶ |
06 | ニ島ベナベナ爆擊 |
07 | 獨立運動の新局面 ボース氏來朝、獨紙論評 |
08 | 急速實施に移す 閉會に際し東條首相談 |
09 | 政治的重大事件 ボース氏着京、伊紙論ず |
10 | 漸次大作戰に轉換 東部戰線、三主要戰區を中心に |
11 | 獨軍戰況公表 |
12 | 印度の反英激化 ウエーヴエル總督就任 民眾を武力壓迫の企圖 |
13 | 老朽のウエーヴエル 敗將オーヒンレツク |
14 | 獨空軍、倫敦を空襲 |
15 | 米國の軍需生產減退 陸軍次官バターソン言明 |
16 | 米の欺瞞發表 又馬脚を露はす ルンガ沖航空戰に關し |
17 | 英國東亞軍司令 部を設置 |
18 | 加奈陀油田開發に 米國陸軍乘出す |
19 | シリア反樞軸軍 軍事地帶を設く |
20 | 米巡洋艦進水 |
21 | 米の生存者 桑港に到着 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 仇なす米英の空へ 先輩海鷲に續く學徒一萬人 筆頭は早大の千五百 |
02 | バヌン献穀畑 きのふ嚴肅な拔穗祭 |
03 | 海鷲座談會(下) 快絕爽絕な爆擊行 一氣に三十七機を擊墜 |
04 | 感激に胸は躍る 譽れの若櫻けふ入所 |
05 | 海輸報國に燃ゆ 若き船員晴の入所式 |
06 | 餘興の運動會 |
07 | 訪日近き比島留日學生訓練所 |
08 | 若櫻晴の壯途へ |
09 | お山初の盛事 奉耕者の感激 |
10 | 曾田府衛生課長長談 經驗を南方に活せ 本島醫師の本領發揮は今 |
11 | 宜蘭市の海軍 志願兵講演會 あす公會堂で |
12 | 畫劇街頭公演 |
13 | 缺かぬ慰問の花 白衣勇士に捧ぐ 梅英さんの赤誠 |
14 | 印度軍の反英機運 食糧不安と共に濃化 |
15 | 鍛へよ決戰の體力 賑かな島都「健民の夕」 |
16 | 農實組合品評會 七月一日から審查開始 |
17 | 被徵用者事前訓練所 昨日一齊に訓練開始 |
18 | 常會申合事項 |
19 | 宜蘭市ル、チ葬送講演會 |
20 | 米國の炭坑爭議 再び罷業に入る |
21 | 中壢郡國語の家聯盟會 |
22 | 湯巡查志願 |
23 | 宜蘭專賣支局管內專 賣品 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 航空兵に戰車兵に 山本元帥玉碎勇士に續く若き熱血の奔流 高雄州下の學徒續續志願 |
02 | 歡呼に送られて 入所する若櫻出發 |
03 | 新臺灣音樂運動前史(完)/水野謹吾 |
04 | 葬れ鬼畜米英 彰化のル、チ葬送講演會 |
05 | 娛樂室を献納 嘉義市郡の赤誠結實 |
06 | 屏東の講演 |
07 | 一擧に七百名志願 感激に湧き立つ大村庄 |
08 | 先輩の體驗を聽く 臺東廳志願兵座談會 |
09 | 臺東郡畜產打合 |
10 | 鄉軍未召集兵に軍事教練 |
11 | 武裝卅キロ踏破 嘉義の壯丁猛訓練 |
12 | 燃ゆる敢鬪の熱技 全島中等學校陸上戰技大會 きのふ臺中で開催 |
13 | 未教育兵訓練 好成績裡に終了 |
14 | 淡水の講演會 |
15 | 決戰下の師道昂揚 臺南市教育會總會 |
16 | 汪敬忠君散る 南方戰線で |
17 | 四十七組が國語競演 後龍の認定證書授與式 |
18 | 納稅の優良郡 築地彰化郡守語る |
19 | 鶯歌の國語運動 |
20 | 經濟警察連絡會議 |
21 | 稻刈に援軍 炎天下の奉仕 |
22 | 拓南農業戰士 豫備訓練終る |
23 | 顯功章に輝く 武原內湖庄長 |
24 | 功勞者を表彰 臺東廳の記念日 |
25 | 臺東廳總務課 報國隊結成式 |
26 | 鶯歌街市場落成 |
27 | 新莊の講演會 |
28 | 地方多より報社消息 |
29 | 今日の映画演劇 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 学芸 女流作家の眼で觀た 南方の女性を語る |
02 | 琉球‧東京‧臺灣/松居桃樓 |
03 | 服裝新考(2) 褲の問題/立石鐵臣 |
04 | 淡水句會 於三秀闇 |
05 | 風の日/原勝 |
06 | 文化消息 |
07 | ラジオ |
08 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 吳鎮長官、南雲中將 佐鎮長官、小松中將 海軍異動けふ公表 |
02 | 畏し‧御陪食を賜ふ 飯田中將外各將星に |
03 | 圖像:精銳無比の鵬翼陣を連ねて堂堂爆擊行の我 が海鷲寺尾海軍報道班員撮影、海軍許可濟第一○一號 |
04 | 日本に全幅の協力 東條首相演說にピ泰國首相謝電 |
05 | 定例次官會議 |
06 | 東條首相參內 |
07 | ブナの敵陣地爆擊 又ベナベナにも巨彈 |
08 | ダーウインを大擧爆擊 |
09 | 新比島を擔ふ人人(上) |
10 | ボース氏を語る 遂に來るべき所へ來た 高岡大輔代議士談 |
11 | 愛國の熱情から來朝 元外務次官大橋忠一氏談 |
12 | 人氣の元は人間的魅力 日本郵船社長寺井久信氏談 |
13 | 印度青年層崇敬の的 元印度カルカツタ大學教授木村日紀氏談 |
14 | 總統大本營 布告を發表 |
15 | 赤軍の損失二千萬 獨ソ戰二年の回顧 |
16 | 戰鬪の規模擴大 東部戰線空軍活動熾烈 |
17 | 獨機エ市空襲 |
18 | 米ア州沿岸に 空襲情報發す 笑止‧自國機を敵機と間違ふ |
19 | 佛解放委員會 決裂に瀕す |
20 | 米人將官任命か 東亞戰線最高指揮官に |
21 | 翼贊會關東地區協議會 |
22 | 米の野心滿滿 西亞に對して |
23 | 臨時租稅措置法 改正命令案要綱 |
24 | 米自動車工場 勞動者の罷業 |
25 | 彰化時局講演會 |
26 | 潮州郡乳製品小賣商組 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | おお憧れの營門だ けふぞ潛る感激に血は逸る 志願兵晴れの入所 |
02 | 輝やく我が潛水艦の活躍 敵機敵艦ものかは 護衛よそに敵船襲擊 |
03 | どよめく曉の萬歲 島都若櫻晴の首途 |
04 | 起て青年‧時ぞ今 海の志願兵募集迫る |
05 | 陸軍病院に捧ぐ赤誠 |
06 | 警防團員鍊成 |
07 | 圖像:志願兵晴れの入所 |
08 | 島民皆泳運動の魁 全島の指導者鍊成 |
09 | 五百名連判志願 萬里庄の青年蹶起 |
10 | 軍馬慰問 |
11 | 奉公の決意も新た 皇奉臺北州支部結成二周年 |
12 | 藤岡兵務部長 視察に來新 |
13 | 鶴嘴戰士を激勵 梁井知事金瓜石へ |
14 | 基隆商議所役員會 |
15 | あす議員總會 |
16 | 產業人總蹶起運動視察座談會 |
17 | 將兵の勞苦胸に 街頭で集めた献金 太平町三區青年團が献納 |
18 | 若き船員の搖籃 普通船員養成所の由來 |
19 | 菊池中佐 今夜放送 |
20 | 魚池の講演會 |
21 | 赤誠の慰問袋 日婦基隆市支會献納 |
22 | 遺家族慰問演藝會 |
23 | 勞働局の決定 撤廢を要請 |
24 | 同業組合總會 |
25 | 鈴木住宅營團理事長來新 |
26 | 人事‧消息 |
27 | 興南詩苑漢詩 謝說劍先生惠贈隸書二首/集集 黃雪樵、還曆述懷二首/許百鑄 |
28 | 今晚の放送 |
29 | 商況(廿一日前後場) |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 永野、寺內、杉山三大將に 元帥の稱號賜ふ 多年の武勳を嘉せらる頭條新聞 【東京發同盟至急報】米英撃滅、大東亞建設を目指して雄渾無比なる作戰が大東亞に展開せられつつある秋畏くも 大元帥陛下には軍令部總長永野修身海軍大將、南方々面陸軍最高指揮官寺內壽一陸軍大將、參謀總長杉山元陸軍大將の赫々たる多年の武勳を嘉せられ今般右三大將を夫々元帥府に列せられ特に元帥の稱號を賜ふ旨仰出され二十一日午後三時宮中において 天皇陛下親臨の下東條首相侍立申上げ寺內大將を除く永野、杉山兩大將に對し元帥府に列するの儀を執行はせられ同日午後四時情報局より左の如く發表された 情報局發表 (二十一日午後四時) 畏き邊りにおかせられては永野海軍大將、寺內、杉山兩陸軍大將の多年の武勳を嘉せられ本日それぐ元帥府に列せられ特に元帥の稱號を賜ふ旨仰出されたり 內閣辭令(二十一日) |
02 | 磐石不動の鐵壁陣 |
03 | 紀子と御命名 恒德王殿下第二王女 |
04 | 海軍も鐵桶の陣容 |
05 | 圖像:六月十四日首相官邸に於ける東條首相とチヤンド ラ‧ボース氏との會見(中央ボース氏) |
06 | 三元帥略歷 |
07 | 五五三の比率破碎 海軍最長老永野元帥 |
08 | ワウ(ニユーギニア)敵陣地爆擊 |
09 | 父子二代の元帥 名將寺內元帥の面目 |
10 | 圓熟した德の人 功績大なる杉山元帥 |
11 | 各提督略歷 |
12 | 肚の大きな人物 安東中將、永野元帥を語る |
13 | 武人最高の榮譽 軍事上最高の顧問府 |
14 | 人造石油事業 の近狀 帝燃定時總會 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 迂迴ながら 基礎的 決戰下の教育 と造林事業社說 一 臺灣の山は事實は禿山である、表面青草が蔽ってゐるに過ぎない――とは內地から視察に來た某權威者の談である。いく分誇張に過ぐるとはいへ、斷じて然らずと抗議も出來ない。なる程太平山、八仙山、木瓜山等の一帶は、稀有壯麗なる林相を保ち、さらに中央山脈の山山には千古斧鉞を入れぬジヤングルもあるにはあるが、さういった一部の例外と土砂扞止、水源涵養その他の保安林を除けば、本島總面積の三分の二を占むる山地の大部分は概して荒廢の狀態に置かれ、赤ちやけた山肌を露出してゐるところも尠くない。單り山地ばかりでなく內地でよく見受くる鎮守の森とか、街道筋の並木とか舊家周邊の老櫸といった樹木も殆んど見當らない、いはば臺灣全體が禿げてゐるともいへるだろうその昔、臺灣を望見した葡萄牙人が「イラーフヲルモサ」と驚嘆した時代までは山も平地も、蔚然たる大森林で覆はれてゐたに相違ないが、その後至るところ濫伐相次ぎ羽毛をむしり取った鷄のやうに裸地になってしまったものと思はれる。幸に領臺後當局懸命の林政、宜しきを制して年と共に林地林相の革新と發達を見つつあるは喜びに堪へない 二 大戰下、木材、木炭等の林產物は最も重用なる資源の一として脚光を浴びて來た殊に木造船の急が叫び出されてからは日光の杉並木や國立公園の樹木までも伐採止むなしといふ聲が高まりつつある、臺灣に於てもこれまで顧みられなかった雜木に對する需要また頓に增大したので督府でも施業計畫の一部を變更し濶葉樹林の增伐を認むるに至ったことは機宜の處置たるを失はない。しかしながらここで大に注意を要するのは木材增產が邦家焦眉の急務である一面に於て森林が國土保安上如何に重要な地位にあるかを忘れ去ってはならないといふことである、何時の時代に於ても破壞には建設、伐採には造林が伴はなければならぬ。森林を濫伐したことによって滅び去った國は歷史上一、二にして止まらない、敵アメリカも戰前物慾に眩惑して無暴なる森林の伐採を強行し、中部地方のみでも二百四十萬平方キロに及ぶ廣漠たる裸地を造ってしまった、その結果はどうであったか、大自然の痛烈なる反噬を以て酬ひられつつある、卽ち米大陸は最近氣象の一大異變を來し大洪水、颱風、寒波、熱波が相次いで暴れ出しのそ都度慘憺たる被害を蒙ってゐる、 アメリカは今、沙漠となりつつある、米大陸の沙漠化現象は相當な速度を以て進行し、その面積はすでに全獨逸の耕地面積に等しい、向後百年にしてアメリカは滅んでしまふだらう と獨逸のフリードが「世界經濟の轉換」中に論じてゐる彼に從へば今次大戰が百年もつづけば、精強無比なる皇軍の鐵槌を待つまでもなく、米本國は沙漠となり、ヤンキー共は地球上から消えてなくなる運命に置かれてゐるわけである 三 もちろん、アメリカと雖も手を拱いてその沙漠化を傍觀してゐるはづはない、テネシー谿谷やボルダーダム等の大工事を起して躍起になってこれが阻止につとめてゐることも周知の通りである、この一例から見ても如何に森林が氣象を緩和し治山、治水、國土保安の役割を果してゐるかを深く深く省察すべきである、名にし負ふ朝鮮の禿山も當局多年の努力により今日ではすっかり綠化し山容を革めてゐる、臺灣に於てもますます愛林の美風を長養し、造林育成、無立木山地の一掃を圖る外、林產物拂下等の場合に於ては、必ず跡地造林を行はしむる嚴重な條件を附すべきであらう。之を要するに、造林は教育と同樣、至って地味で食ふか食はれるかの決戰下では一見迂遠のやうにさへ見ゆるが、事實は大東亞建設の基礎たるを銘記しなければならない。 |
02 | 皇后陛下 戰ふ農村を台覽 きのふ七生村に行啟 |
03 | 海軍志願兵講演會 海國男兒茲に在り 今ぞ七つの海睨んで蹶起 御民われの感激新た |
04 | 圖像:海軍志願兵大講演會二十一日島都公會堂で |
05 | 征け七洋制霸へ 斯くて皇軍の真髓を把握 影井中尉大熱演 |
06 | “白線浪人”を擊滅 官立大學入試大改正 |
07 | そのままで突進 山本事務總長獅子吼 |
08 | 遣泰佛教使節團出發 |
09 | 本島青年よ起て 菊池中佐ゆふべ放送 |
10 | 第二回臺灣の會 けふ大阪市で開く |
11 | 決戰“衣生活”確立 新調見合せ、短袂の實行へ 褲も活動服に更生 |
12 | 基隆市の講演會 數千の聽眾意氣軒昂 |
13 | 青年學校指導講習會 |
14 | 肥後奉壯團長勇退 後任は古山春司郎氏 |
15 | “熱と力”で邁進 觀念論抽象論で終るな 古山新團長語る |
16 | 宜蘭市銃劍道振興會の發會式 |
17 | これで米英を擊で 太平校生が赤誠献金 |
18 | その人を得た 山本臺灣奉壯團 副團長語る |
19 | 萬般の資料蒐集 南方資料館愈よ擴大強化 |
20 | 電話の特別開通 きのふから受付開始 |
21 | 年一萬五千圓 イソガン村で 貯蓄申合 |
22 | 宜蘭支局專賣品小賣人組合聯合會 |
23 | 宗教音樂協會發足 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 行かう海軍志願兵 若人の熱血沸らす臺南の講演會盛況 |
02 | 臺中の講演會 |
03 | 工業高雄の前提 明年鳳山河改修に着手 |
04 | 仇討ちの彈丸だ 滅敵に起つお山の增產譜 |
05 | 皇奉支部連絡會議 |
06 | 增產の凱歌高らか 逞しきマライ原住民の |
07 | 大川和夫君 護國の華と散る |
08 | 夏休を增產に 空閑地を利用して野菜栽培 |
09 | 晴れの壯途 |
10 | 體力章檢定 七月四日臺南で |
11 | 農務主任打合 |
12 | 戰ふ漫畫展臺南で開く |
13 | 海國男兒の熱誠 東港郡夏全青年團員起つ |
14 | 憧れの大洋へ 東勢街警防團員起つ |
15 | 國語功勞者表彰 |
16 | 嘉義商議總會 |
17 | 債券賣上好成績 |
18 | 寸土も遊ばすな 學校の實習地花園を動員 |
19 | 鍊成道場落成 臺中州警察後援會 |
20 | 員林郡を筆頭に 硬貨回收良成績 |
21 | 嘉義郡甘藷增產 一億六千萬斤目指して |
22 | 亞麻の增產へ 嘉義郡各庄に割當 |
23 | 感謝講演會盛會 |
24 | “一億皆兵”の覺悟 嘉義ル、チ送葬講演會 |
25 | 清水街の國語化運動 |
26 | 港灣行政一元化 二宮高雄稅關長語る |
27 | 三角藺の統制 |
28 | 赤誠の献金品 |
29 | 臺中春競馬 |
30 | 屏東貸地貸家組合總會 |
31 | 地方多より |
32 | 今日の映画演劇 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 戰力增強に邁進 安全生產強調週間 愈よ七月十日より實施 |
02 | 戰ふ農家の動向(下) 專業減、兼業增の實態 |
03 | 食糧增產に拍車 督府の各種施策決定 |
04 | 安全週間實施結果 臺灣產業奉公會で考察 |
05 | 聯銀及び中銀に 九千萬圓の借款供與 |
06 | 罐詰類價格改正 |
07 | 醫藥品の島內自給 壹百萬圓の會社を計畫 |
08 | 最近の經濟問題 |
09 | 彈丸切手當籤番號 |
10 | 高級燃料製造 單行勅令を稟申 |
11 | 商工株式會社創立 |
12 | 照明燈 |
13 | 商況(十九日) |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(993)/黃得時;碇政彌 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 獨立に妥協はない 自由獲得まで前進あるのみ ボ氏祖國に呼びかく |
02 | 大東亞展望 東亞十億民眾蹶起 東條首相の「宣言」に呼應 |
03 | 圖像:陸鷲戰爆連合大編隊ドハザリ飛行場(チツタゴン南方百キロ)を急襲現地航空部隊提供、陸軍省檢閱濟 |
04 | 肥料の重點產業化 農相、業者達の意見を聽く |
05 | 北支軍の綜合戰果(五月中) |
06 | 中野正剛氏翼 政會を脫會 |
07 | 山西兩偽縣長 和平陣營に參加 |
08 | 基隆桔俱結成式 |
09 | 淡淡たる風格 岸本市長、寺內元帥を語る |
10 | 同期生の誇り 杉山元帥を語る香椎中將 |
11 | 新比島を擔ふ人人(中) |
12 | 定例閣議 |
13 | 一萬八千機を擊墜 獨伊軍開戰以來の大戰果 |
14 | 獨機ヤ市を猛爆 |
15 | 米の炭坑罷業再開 真珠灣以來の最大危機 |
16 | スイスに燒夷彈 反樞軸軍の暴擧に憤激 |
17 | フオード工場に飛火 能率半減の打擊 |
18 | 石油專賣法 戰時特例を制定 |
19 | パルチザン 掃蕩戰 モンテネグロ東方 |
20 | 商工省辭令 |
21 | 翼贊會辭令 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇后陛下 七生村へ行啟 畏し一キロの田舍道へ 御步を進めさせ給ふ |
02 | 御懿旨を奉體し 食糧增產を誓ふ 安藤內務大臣謹話 |
03 | 圖像:鹵獲敵戰車上にて萬歲を叫ぶ皇軍勇士 |
04 | 萬斛の聖汗結實 御萱場奉仕隊下山 |
05 | 驛辨は急直行列車に重點 |
06 | 溫泉修鍊道場 準備着着進む |
07 | 必勝へ增產の總襷 職場戰士に敢鬪を聽く |
08 | 畏き御下問を賜ふ 拓務省訓練所台覽 |
09 | 征け黑潮を蹴つて 海志の講演會今夜島都で呼掛ぐ |
10 | 比島獨立民眾大會 |
11 | 擧國草刈り運動 翼贊の七月徹底事項 |
12 | “求真”へ鐵の鍛へ 大學總長以下三十七學徒 五部隊で鍊成會 |
13 | 日本女性の床しさ 決戰型結髮六種のもつ意味 |
14 | 工場の健康保持 新竹州產奉、管下に通牒 |
15 | 續く“軍用機献納” 南大城洋行ボンと二萬圓 |
16 | トルコに強震 ア町九割灰燼 |
17 | 林業戰士を激勵 福澤產業部長一行歸北 |
18 | 書記官に昇格 桑山專賣局事 務官 |
19 | 水利功勞者表彰 けふ新竹支部で |
20 | 壯丁體力檢查 期日變更する |
21 | 興南詩苑漢詩 寄懷翕庵/小維摩、書懷/小維摩、東齒母校血脇校長先生年逾古稀隱退推薦奧村先生爲其後任賦詩以誌/無逸 張希舜、老友賴金聲先生七十榮壽招宴賦詩誌喜/無逸 張希舜 |
22 | 銃劍道振興會發會式 |
23 | 忌明に献金報社消息 |
24 | 人事‧消息 |
25 | 今晚の放送 |
26 | 興南案內報社消息 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ニユーギニア戰線 米英擊滅の足跡 皇軍勇士勇戰奮鬥の實相頭條新聞 【南太平洋戰線◯◯基地佐藤、山田同盟特派員發】世界の暗黑の地ニユーギニヤは今皇軍勇士の勇戰奮闘する熾烈なる戰場と化して連日悽愴極まりない血の戰ひに色彩られてゐる。泥濘膝を没する廣漠たる濕地帶は無限に擴がり連日のスコールと灼つく炎熱、それに止むことのないマラリヤの猖獗に皇軍將兵の勞苦は極まりないこの瘴癘言語に絕するニユーギニヤ戰線に轉戰すること一年有半各處に激闘空しく病魔に冒されて今○○基地に歸還療養再起の日を期しつつある矢澤部隊長に勇戰奮闘する皇軍將士の米、英撃滅の足跡を聞き悽愴苛烈なるニユーギニヤ戰線の實相を銃後に報告する 曉天を衝いて○○部隊の精銳がニユーギニヤに敵前上陸を敢行したのは昨年○月○日であつた沛然と降りしきる連日のスコールと灼けつく炎熱を冒して前進、○日の戰闘に於いて敵大隊長K・E・Y中佐を捕虜としたのを始め敵大隊長三名を戰死せしめて敗敵を急追敵の糧秣を獲つて補給しつつ○○に大擊滅戰を展開したのは○月○日だつた。晝猶暗い密林に續く泥濘濕地の路なき路の進擊は山奧に入るにつれて愈愈困難を加へた。標高一○○○米八十度の傾斜を持つ○○高地に敵を急追する○○部隊の勞苦は將に言語に絕するものがあつた。一寸先も見えぬ真黑闇に三發の山砲を合圖に展開された大夜襲戰は峻嶮にこだまして壯烈を極め敵前三十米に迫つての大殲滅戰だ、手榴彈、機關銃の炸裂する音も凄まじく、崩れたつた米陣地は夜明け四時を期して左側背に廻つた友軍の退路遮斷に依つて完全に全滅○○高地奪取は一夜にして○○部隊に依つて成功した。次いで○月○日部隊は標高○千米にある竹藪の陣地に銳鋒を進めて突入遂にこの峻嶮は壯烈なる激鬪數次にして○○部隊の脚下に踏みつけられたのであつた。勇士の士氣は將に天を衝くの概があつたが、此處は雨降りしきつて凍える程の寒さ、常に濕氣が多くマツチはつかず水は麓へ降らねば得られず天幕に天水を受けて飯盒炊爨をせねばならなかつた、米はだんだん少くなつてゐた。この頃から敵飛行機の銃爆擊は熾烈となり、頑強な抵抗が始まつてきた。われの一發に對して敵は六○發以上を以つて來襲する、彈丸は凄い徹底擊滅の戰意に 燃ゆる烈烈たる氣魄は斯うした敵彈の數位ひにびくともするものではなかつた。○○、○○の諸陣地警備の新たな任務を帶びて海岸地帶へと向つたのは○月○○日だつた。激しく反抗に出て來る敵正面を衝くべく更に反轉して第一線へと向つたのは○月○○日既に食糧もそう多くはなかつた再び泥濘の、山嶽を踏破する○○部隊を待ち受けてゐたものは執拗極まる敵飛行機の銃爆擊だつたが斯うした苦戰にもめげず○月○日迄第一線陣地の防禦を完うして更にクムシ河の左岸に沿ふて前進する將兵は數次の激闘に消耗した僅少の部隊であつた衣服は破れ破れた軍靴は殆んど跣足と變りなく勇士の大分部が水虫にやられて腐肉が痛ましく覗いてゐた每日續く濕地帶の行軍が無慘にも皮膚の肉を喰ひ破つたのであつたこのクムシ河は幅約百五十米の中洲があり更に二百八十米を渡らねば對岸に着けず水深は二米以上然も流速は二十五乃至三十米の困難極まる難處の對岸差して元氣な者は裸になつて對岸に泳いだ、病人はすべて筏を造つてそれで下流に下る事にしたが、敵ボーイングはこの筏にすら執拗な銃擊を加へて來るのだつたそれでなくても餘りの急流に岩に激突して筏が破れるものもあり將に味方にとつては難處だつた、部隊はこの河口に集結するのである軍旗は旗手有田豐彥少尉が奉持し天幕に包んでしつかりと□に卷付けて此の難處を敵機の目を避けつつ無事對岸に渡り着いたのだつた斯うした勞苦の行軍を續け目的地に着いたのは○月○日であつた此處では依然として敵の砲擊が激しく相も變らぬ糧秣の補給難が密林の中に造られてあつたしかも軍旗奉安の陣地は直徑二○○米にも足らぬ小陣地で持てる兵器は輕機小銃のみ 兵一人擔當する正面は○○米の廣範圍に亘つた、敵機は絕えず哨戒して砲兵陣地と連絡して着彈を教へるので命中彈は多くなり遂にはジヤングルの稍が皆吹き飛んで青天井となつた雨が降ると濕地のため壕に入ると腰までつかり飯盒で水を吸出しながら戰ふ有樣でこのため殆んどが大腸炎に罹り血便に惱まされる苦しさであつた、小癪にも敵は宣傳ビラを撒いてクリスマスを期して陣地を攻略すると豪語したのはこの頃で前夜から猛烈な砲擊を浴せて來た、だがこの豪語の裏を搔いて日本軍の決行したのは○○日敵砲兵陣地に潜入肉薄した破壞攻擊班の壯擧であつた、けふからあすかと待ち構へを○○日夜突如地軸を搖がす大音響が起り敵砲兵陣地は天空に吹き飛んだのである、石田見習士官を班長に二十名の挺身攻擊隊が敵砲兵陣地攻擊のため秘かに友軍陣地を出發したのは○○日午後五時だつた、二十名を四班に分け工兵三名、步兵二名の五名編制である、そして選ばれた中には川手梁三一等兵(廣島□世羅郡東大田村)があつた、誰を選ぶかと思ひ迷つてゐた○○隊長の眼の前で飯盒炊爨に、谷間に降りる川手一等兵の姿が映つたそうだ彼ならきつとやる、そこで○○隊長は川手一等兵を呼止めた、「おい川手、お前大砲を取つて來い」といふと「はい參ります」と無雜作に答へた「家に兄弟は何名あるか」「六名であります」「家の方は心配ないのか」「兩親とも國を出る時お國のため死ぬことは覺悟してをります」「そうかそれでは一つ賴む」この間僅か三分 こうして決死隊はは決つた、「ここに金鵄が三本あるからこれをやる、二本は今やるが後の一本は成功して歸つて來てからやる」こう言つて○○隊長は二本の煙草を與へた、川手一等兵は喜んで戰友と喫んでゐた、鬱蒼たるジヤングルを遮二無二突進してわが爆藥の威力に物言はせて敵砲四門の內三門を爆破、附近にあつた幕舍を炎上せしめた驚いて逃げ迷ふ敵兵を銃劍で突き殺して友軍陣地に揚揚と歸つて來た川手一等兵は「隊長殿、お約束の物を戴きたいのであります」そう言つて○○隊長から殘りの一本を貰つた川手一等兵はその金鵄を二十人もの戰友達と一服づつ廻はして喫んだ、この砲兵陣地攻擊にひるんだ敵は二十數臺の戰車を繰出して反攻に出て來たがジヤングルと濕地帶で身動き出來ぬところに肉薄、戰車の天蓋を撥ね上げて手榴彈をぶち込んで十八臺の戰車を潰滅した兵隊もあつた又、橋井勝軍曹(廣島縣比婆郡)を長として多元義美上等兵井上靜矢一等兵塚本虎男一等兵(廣島縣比婆郡)の四名の無線班が保線工事に從事中百二十餘名の敵に包圍され二十米に迫る敵を相手に手榴彈を以て交戰一晝夜の間この敵と對峠遂にこれを撃退せしめるといふ奮戰もあつたこうした血戰の間にも敵は全兵力を集中しつつ猛攻を加へて來た敵はわれに十倍する數を誇りしかも頻繁に新手を交替するのである、しかも食糧とては玄米に似た無花果の實らしいのを食ふだけだつた、食糧不足は直ちにマラリヤを引き起し連日のスコールと濕地帶に起き臥す惡條件は大腸炎で苦しむばかりだ俄する者は一日何人となく出て來た、軍旗の御稜威により現陣地を死守すべし○○部隊からこう電報があり 敵前數十米を挾んで彼我の攻防戰はいよいよ悽烈を極めるばかりだつた 一、○○部隊軍旗は部隊と共に最後まで戰闘をして戴きます決して御心配なく部隊將兵一同士氣旺盛軍の目的完遂を折ります 二、將兵一同全滅するも靈魂は米英に飛び皇軍戰勝のために奮闘致します ○○隊長は味方陣地指揮官小岩井光美少佐と共に最後の決意を固めてから案文を認めた、壕の中には細い蠟燭の光が搖れてゐた、一步外に出れば敵砲彈は唸りを生じて四邊を壓するばかり、壕の中に居るものは村瀨少佐、林憲男大尉の四名だつた、この日は○月○日の夜、壕の中には軍旗を安置して蠟燭の火を圍んで○○にゐる○○部隊長宛の電文を協議したのである、われわれの氣持を率直に申上げようこれが誰もの一致した氣持ちだつた、そして○日これを部隊長に打電したそして打つた後は光風霽月の氣持ちで形容の出來ぬ清清しさであつた、死を決した後の明るさ「死を覺悟する程朗らかなるものはない」誰言ふとなく言ふと「アハハハハハ」と朗らかな笑ひ聲が起る「どうです久し振りに月を仰ぎながら喰べるのもいいですなあ」と○○隊長が答へた、壕から出た四人は車座になつて乏しい最後の食事を攝つたのだつた、○日の夕方「○○部隊から返電が來た○○部隊の壯烈なる決心に關する電文を受けて誠に感激に堪へぬ、しかし現陣地は將來の軍の作戰に關し重大なる意義を有するものでよく○○隊と緊密なる連絡の上慎重に行動せよ」だが○○隊とは連絡したいがどうしても出來ない、僅か○名で○○米に及ぶ 敵正面を受持つてゐたところへ手榴彈を持つた六十名の敵が深さ一米、幅十米の河を突破して突つ込んで來たのである、晝頃だつた小岩井少佐以下は「最早これまで」と軍旗を擴げてガソリン□を橫に置き自決の決意を固めた、村瀨少佐、○○隊長、林大尉はこの時一瞬異樣な環界の底にゐた靜かな時が流れた、つと立ち上つた○○隊長樣子を見るべく○○發の小銃彈と手に持てるだけの手榴彈を持つて邀擊すべく出て行つたひよろひよろと腰のたたない友軍の僅かな兵がしかもしつかりと銃を構へ銃身も燒けよと撃つてゐた、天佑か神助か、敵は第一線陣地を突破しながら第二線陣地を目前にしてその儘河を渡つて後退したのだつた、翌れば○日、○○の○○部隊長から下士官一、兵一の決死の傳令が敵中を突破してやつて來た、途中の大河を泳ぎ濕地を渡つてやつて來た傳令兵の全身はずぶ濡れたがセロフアン紙に包んだ藁生紙にはしつかと次にようにかかれてゐた 一、○隊はクムシ河口の線に轉進を命ぜらる 二、貴隊は○日の二時以降現陣地以南の地區よりクムシ河に向け轉進すべし 三、○は主力は現陣地以北地區に向け轉進す この決死の傳令によつて○○部隊はいよいよクムシ河に向つて轉進することになつた、敵兵ひしひしと取り圍む陣地を切り抜けつつ夜も晝も步き通しで腰までつかる濕地帶を通り抜けて來た斥候の苦心は 今軍旗の轉進と○○部隊の轉進を指示して重任を果した二名の斥候は只感激の喜びで泣き濡れるばかりだつた、十一時半にこの命令は次のように各隊に傳達された 一、敵は有力なる砲兵力を以て連日わが陣地を猛攻中なり、○隊はクムシ河口の線に向ひ轉進を命ぜらる 二、部隊は本日夜暗を利用してクムシの河口に轉進せんとす 三、各隊は二十一時極力企圖を秘匿しつつ現陣地を撤し部隊本部附近道路前に集合すべし、轉進開始の時期は別命なき限り○○時とす そして轉進準備は着着進められた。先づ軍旗護衛隊が新編制された。小岩井少佐以下○○名、次で四名の部隊長が命ぜられた。はしめに小岩井少佐、少佐が斃れた場合は村瀨少佐、次は林大尉と敵重圍下を突破する至難の轉進に四人の部隊長が決定されたのである。旗手も有田少尉から森田中尉、垣井少尉、上部少尉と假令敵彈に斃れても次から次へとリレー式に軍旗を奉じて目的地に達しようと周到綿密な計畫が樹てられたのである。夕方から猛烈な雨になつた。轉進時間は刻を迫つて來る。午後○時になつた。轉進は開始された。深い闇に閉さされた所定の位置に各隊は整然と集合した。雨はますます猛威を揮ひ彼も誰も全身びつしよりと濡れて立つてゐる。みるみる內に大洪水となり次第に水量を增して來る、だが、この豪雨こそ軍旗の大御稜威であつた。敵は幕舍の山に雨を避けてひつそりと靜まり轉進に氣がつかない。靜かに行軍は開された。だが音を立てるなと言つて水の中だ、じやぼしやぽと音がする。 一足一足に氣を配りながら磁石を真面に向けて間道を西へ西へと行進したのであつた、約二時間は經つたと思つた頃突如今出て來たばかりの友軍陣地から機關銃の銃聲が聞へて來た、それこそは友軍の轉進を掩護するための最後まで殘つて敵陣と對峙、注意をひきつけようとの○○名の戰友だつたこの戰友達は全部傷つき病に斃れた兵隊だつた、僅か○名で敵大部隊を引受け軍旗の安全のため喜んで死のうと誓い合つた盡忠の勇士だつたのである、その銃聲を後にしながら斷腸の思ひで、何も語らず轉進部隊は前へ前へと進んで行つた、そして銃聲はずつと思ひ出したように聞へて來た、安全地帶である自動車道路に出たのは○○の朝方だつた、それから腰までつかる濕地帶と密林の中を銃を杖に行軍すること十日間、海岸の○○に到着したのは○○日の夕闇迫る五時頃だつた、そして無事に軍旗は到着したのである、軍旗の安否にのみ生きてゐた將兵はこの時只敵中を突破して來た軍旗の御稜威に涙したのであつた |
02 | 臨時議會の成果(一) |
03 | 圖像:元帥府に列せられた三將星 |
04 | 國民の信賴に背くな 決戰政治推進、法律實施に關し 東條首相、閣議劈頭に特に發言 |
05 | モロヘ、ムボ空襲 |
06 | 諮議の初會合 天羽總裁司會で |
07 | 江南戰線の大戰果 皇軍、反轉攻勢に出づ |
08 | 印度聽眾に感銘 ボース氏烈烈の放送 |
09 | 全刈制度を採用 產米實收高調查に |
10 | 臺灣關係法律公布 |
11 | 壓延鋼材委員會を設置 現物取得を確保 |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 印度獨立運動 の新局面社說 一 盟邦ドイツに滯在中の印度獨立運動の大立物スバス・チャンドラ・ボース氏は宿望のインド獨立を推進達成する目的を以て豫ねてより帝國訪問を熱望してゐたが遂に機會を得て最近忽然として帝都に到着去る十四日には東條首相、重光外相、統帥部首腦者並びに關係各方面と會見を遂げ獨立實現の為重要懇談を遂げた。米英の壓制搾取から東亞諸民族を解放し帝國指導の下に平等互惠善隣の協力關係を樹立する即ち大東亞共榮圈を建設するのが我が國の戰爭目的である。既に雄渾たる大東亞戰爭の展開により十億の民眾は帝國と共に一路戰爭目的達成に邁進せんとして居り東亞の諸民族は今や日を逐うて本然の姿に立ち還りつつある。現に今次臨時議會劈頭、東條首相の口を通じてビルマ、比島は本年中の獨立を約束されインドネシア民眾また本年中に政治參與の許容を確約されてゐる。この現情勢を前にして、英國の搾取と壓制の苦境に呻吟する印度四億民眾が決然蹶起せざるを得ようか。聖雄ガンヂー翁に次ぐインド獨立運動最大の指導者ボース氏今回の來朝はインドの自由解放運動に劃期的な意義を有するものである。 二 東條首相は大東亞戰爭開始以來累次の議會演說に於いてインド獨立を待望しこれを積極的に援助せんとする帝國の斷乎たる決意を述べた。今次議會の歷史的宣言に於いても重ねて言及し 大東亞諸國家諸民族が逞しき發展をなしつつあるに比較しインドが尚英國の苛酷なる彈壓の下に獨立完成のため大いなる苦しみを嘗めつつあることに對し衷心より同情の意を表すると共に憤りを感ずる、帝國はインド民眾の敵米英勢力を印度より驅逐し真に獨立インド完成のためあらゆる手段を盡すべき牢固たる決意を有する 帝國の切切たる同情と斷乎たる決意を披瀝した。當日眾議院傍聽席に居でぢつと首相を見詰めて演說を傾聽してゐたボース氏、無限の共感をその目その耳で體得して終生忘れ得ぬ感激の一瞬であったらう。ボース氏は十九日長文の聲明書を發表し來朝の目的、今後の決意を表明したが劈頭「私は多年インド、ビルマの英國の刑務所を住家としてゐたが今日刑務所において無為に日を送らずに日本の真只中に居て諸君の前にこうして立ってゐるといふことは今私の祖國に澎湃として捲き起ってゐる新運動の象徵である」と斷し來朝の重大意義を示した。 三 米英を擊滅する現在の世界戰爭は獨立インド實現にとり絕好の機會でこの機會を逃してはインドの獨立は絕對に不可能である。ボ一ス氏もこの點を強調し烈烈の聲明書を發して次の如き諸點を指摘した。即ち英國の帝國主義はインドに對しては道義の頹廢、文化の破滅、經濟的貧困、政治的奴隷化を意味する外なし、強國日本の存在はアジア復興のための歷史的必然である。今回の世界戰爭は究極に於いて樞軸國の勝利に歸し、米英兩國の敗北、失はれたるインドの自由の復活を意味する。インドの自由は樞軸國特に日本の積極的支援の下にインド自身の努力と犠牲によってかち得られるものである。インド民眾は無抵抗主義に止ってゐない、時が來れば必ず無抵抗を一擲して武力抵抗を展開する。即ち時來れば全印度が武力抵抗に出るといふボース氏の牢固たる決意を示したもので印度の獨立運動正に新局面に突入したのである。ボース氏は近く南方に赴き獨立運動の第一線に挺身して國內の同志に呼びかけガンヂー翁、ネ一ル氏並びにインド四億の民眾と共に果敢な反英抗爭を展開するであらう。帝國もあらゆる手段を盡して援助すべくボース氏を中心に獨立運動はすさましい進展を示さんとして居りインド獨立の前夜將に來れりの感が深い |
02 | 陸軍教育に大御心 畏し千葉戰車學校に 侍從武官を御差遣 |
03 | 愛兒を海で鍛へよ 海軍志願兵制度趣旨講演會 昨夜島都五ヶ所で開く |
04 | 戰鬪演習を供覽 千葉陸軍步兵學校で |
05 | 宜蘭市の講演 |
06 | 山西開發の現狀 無盡藏の地下資源 石炭は全東亞の半分 |
07 | 我等が蹶起の秋 報國推進隊員全員志願を決議 |
08 | 圖像:皇后陛下東京府下落川子女青年團の田植作業台覽 |
09 | 興亞造形文化展 華族會館で內示會 |
10 | 花蓮港臨時廳會 二十八日に招集 |
11 | 宜蘭市區會長會議 |
12 | 奉公運動の尖兵 臺北市推進員指名式 |
13 | 基隆商議所總會 |
14 | 新臺灣の息吹き 大東亞戰爭と臺灣の會ゆふべ大阪で開催 |
15 | 商奉團長鍊成會 |
16 | 輝やく貯蓄功績者 大藏大臣から表彰 |
17 | 時局教育を徹底 新竹州國民學校長會議で指示 |
18 | 一層の御支援を 石原關西臺灣學會長挨拶 |
19 | 農試設置を陳情 蘭陽兩州議近く出北 |
20 | 空襲に備へませう 區や職場の臨時常會開催 |
21 | 彈丸切手當籤 番號發表 |
22 | 人事‧消息報社消息 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 白衣に契る愛の花 武勳の勇士に捧ぐ純情乙女の一念 麗し內臺結婚の明朗篇 |
02 | 海洋は青年の舞臺 高雄の講演會盛況 |
03 | 全員志願を誓ふ 高雄市役所本島人職員三百名起つ |
04 | 學科に萬全の準備 お山の青年に講習會 |
05 | 玉碎勇士に感謝 高雄で弔慰金募集 |
06 | 皇奉臺中州支部常會 |
07 | 嘉義の講演會 けふ公會堂で |
08 | 臺南臨時市會 原案を可決 |
09 | 戰ふ優良奉公班 高雄州支部結成二周年に表彰 |
10 | 昂る献金然 嘉義郡民の赤誠 |
11 | 中壢日婦の 奉祝行事 |
12 | これは素晴しい 豚公大擧北上 |
13 | 高雄州自治 研究會 |
14 | 玉碎勇士の 靈前に捧ぐ |
15 | ムシ齒講演會 |
16 | 中一中會準備委員會 |
17 | 警察事務打合 きのふ臺南で開催 |
18 | 熱帶醫專敷地決定 高雄商業の隣に |
19 | 彰化季節保育園 |
20 | 若人の體位向上に 各市街で“青年厚生の夕” |
21 | 本年度第一回 專檢合格者 |
22 | “働き口が欲しい” 相談所にみる市民皆勞 |
23 | 戰力增強へ驀ら ル、チ送葬講演會で決議 |
24 | 薪炭と魚の寶庫 百二十萬圓で八ケ年繼續事業 |
25 | 旗山郡の增產推進 |
26 | 斗六街の講演日割 |
27 | 新竹高女の山登り |
28 | 人事報社消息 |
29 | 地方多より |
30 | 今日の映画演劇 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 自給肥料の大增產 十ケ年計畫着着進む |
02 | 航空保安行政統合 航空課等に權限移管 |
03 | 堆肥積込運動 高雄州下一齊に實施 |
04 | 發足する交易營團 解決を要する諸問題 |
05 | 學園の增產 研究會で打合 |
06 | 重點產業を指揮する人人(一) 造船統制會長 斯波孝四郎氏 |
07 | 米英銃後の惱み深化 |
08 | 鐵鋼業の皆働運動 七月一日より展開(內地) |
09 | 賞與金等の支給で 臺銀券三億千七百萬圓へ |
10 | 自動車業法改正に即應 鐵道部監督課に增員 |
11 | カーボンブラツクの增產對策 古天然ガス井戶を補修 |
12 | 水產食糧增產に拍車 桃園郡漁業組合の新計畫 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況(十九日) |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(994)/黃得時;碇政彌 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ガ島米軍陣地爆擊 わが荒鷲數回に亘り |
02 | 夏季決戰緊迫の兆 第三年目の東部戰線 |
03 | 全く豫斷を許さぬ 獨軍どの方面に動くか |
04 | 改正勅令案要綱 日本證券取引所 來月一日業務を開始 |
05 | 局地的の攻防戰 東部戰線變化なし |
06 | 第二戰線を要求 ソヴエト情報局の聲明 |
07 | 一億敢鬪實踐運動 翼政實施要綱を決定 |
08 | 圖像:敵陣擊滅に愛機の整備(南太平洋○○基地) |
09 | 米國內政の大難關 第二戰線問題、異常な反響の樣子 |
10 | 經濟通信放送 七月一日より廢止 |
11 | 反樞軸軍損害甚大 西部戰線の航空決戰 |
12 | 獨ソ戰二ケ年回顧 |
13 | ボース氏の對獨伊放送 獨立を戰ひ取らん 樞軸盟邦の勝利と併行して |
14 | ビゼルタ港の 敵艦船團強襲 ドイツ重爆擊機隊が |
15 | 反樞軸の爆擊効果なし 伊本土とシ島守備堅固 |
16 | 反樞軸空軍七 十一機喪失 二十二時間で |
17 | ロンドン空襲 |
18 | ボース氏講演 翼政會本部で |
19 | 眾院調查委員會初顏合せ |
20 | 中野正剛氏の 脫會屆を受理 |
21 | 米政府、鑛山 統制を強化 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 產業人の熱意燃やして 一路生產道へ驀ら 臺灣產奉團運營懇談 |
02 | 照宮成子內親王殿下 御婦德を磨かせらる |
03 | 皇室の御安泰祈願 皇太后陛下御誕辰奉祝行事 |
04 | 蘇へる比島 文化の實情 東洋精神に歸へる 日常生活信條五ヶ條 |
05 | 學徒よ擧つて起て 北高商を皮切りに出身將校が獅子吼 |
06 | 感激に勇み立つ 文山郡の適格青年 |
07 | 稻荷神社大祭廿五日執行 |
08 | 志願手續を指導 基隆郡守陣頭に立つ |
09 | 山なす蓖麻の實 島都市民の赤誠結晶 |
10 | 挺身奉公を誓ふ 皇奉新竹州支部發足二周年 |
11 | 山口外事部調查 課長新竹視察 |
12 | 圖像:必勝增產の鍵(產業奉公團懇談會) |
13 | 初の俸給献金 女學校出の乙女が |
14 | 黑人迫害の大暴動 自由平等を稱へる米國の假面暴露 |
15 | 日婦制服改正 |
16 | 原因は迫害 |
17 | 圖像:島都市民の赤誠 |
18 | 試作から本作 ジヤワの大麥增產に本腰 |
19 | 新舊奉壯團 長送迎式 |
20 | 全島珠算競技 廿七日臺北で開催 |
21 | 新竹中香華料献納 |
22 | 恤兵献金一千圓 |
23 | 北署直轄の 保正が献金 |
24 | 松浦建三氏 臺中で講演 |
25 | 東亞造船地鎮祭 終つて艀“花荷二三號”進水式 |
26 | 勤報青年隊員 林光輝君殉職 |
27 | 表彰感謝献金 |
28 | 豚の闇に鐵鎚 |
29 | 赤誠献金を本社に寄託報社消息 |
30 | 教育映畫上映 |
31 | 對抗野球中止 |
32 | 壁新聞募集 |
33 | 人事‧消息 |
34 | 國語運動座談會 |
35 | 今晚の放送 |
36 | 商況(廿三日) |
37 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 我政界の協力要望 獨立運動の真相を說く ボ氏翼政會で熱辯頭條新聞 【東京發同盟】滯京中のインド獨立運動の志士スバス・チヤンドラ・ボース氏は二十三日午後一時より翼政會第一會議室に阿部總裁以下翼政會委員約四百名を前に「祖國インド」と題し意義深い講演を行つた、講演會は先づ永井柳太郎氏のボース氏紹介とその奮闘を祈る旨の挨拶に始まり拍手に迎へられてボース氏登壇約二時間に亘つて暴虐英國の桎梏の下に苦惱するインドの實相、獨立運動の真義と今後の發展等につき說明我が政界の理解を求めたのであるがインド獨立への燃ゆるが如き情熱を傾けた烈烈の辯論は一同に深い感銘を與へた講演要旨左の通り 英國はロに立派なことを唱へながら例の一流の狡猾なる手段に依つて逐次全インドを今日の樣な狀態に陷れたのである英國が若し狡猾なる手段を用ひず直接に正面からインドを征服したならば全インド民眾の斷乎たる反撃を招いたのであるが英國一流の手段に依り漸次その裏面からインドを搾取するとめふ狡猾なる方法に依つて今日の地位を掠奪したのである最初英はベンガルを征服したとき當時のベンガルの王は亡ぼされたのであるがそれに代り直ちに傀儡政府を設け表面は總ての政治はインド人に直接行はせるかの如き印象を與へその裏面に於て總ゆるものを英が獲得したのである一七七七年から一八五七年の約一○○年間はこの樣な方法を續けインド民眾に對しては英は決してインドの政治に干涉してゐないインド人の手に依つてインドの政治を行つてゐるとゆふ印象を與へながらその裏面に於ては政府の財政收入をすつかり一手に握るとゆふ方策を行つてゐた又その他經濟上の利權を握るとゆふ方策に出でてゐたのである英國はこの樣な方法でインド民眾をカモフラジユしてゐたがインド民眾は次第に英國の狡猾な手段を感知して參り一八五七年の大革命戰爭が起つたこの戰爭に於てインドは勇敢に戰つたが終局に於て破れその結果それまでデリーに存在してゐたインド政府及びインド王は存在を許されなくなり茲に始めて英國政府とゆふものが表面に出現英國がインドの三分二を領有し他の三分一はそれをインド王族の統治に委すことにしたのである而もその三分一も實際は真實のインドの王族の統治ではないが表面インドの王族に統治を委してをいてインドを分轄して治めてゆくとゆふ政策を採つた、斯の如くインドを分轄して治めるとゆふことはインド全體の民族運動の回避、民族の非團結といふ唯一の手段として英國はその政策を十九世紀の末期まで續けて參つたのである、其戰爭の後三十年といふものは英國は總ゆる彈壓總ゆる殘虐を行つて人民には絕對に武器を持たせずその他總ゆる慘酷な手段を用ひ人民を壓迫してきた、同時に王族若しくは英國に忠誠なる親英分子から軍隊をうけて今日まで英國がインドを統治して參つたのである、革命戰爭後(一八五七年後)英國は全インド民眾を完全に武裝解除して絕對に武器を持たせなかつた。 十九世紀の末期には南阿戰爭が起り彼の少數民族であるホーア民族が勇敢に獨立運動の為に戰つたが之がインドに大きな刺戟を與へ之に引續いて日露戰爭が起り日本の勝利はインド人に極めて深刻な反響を與ヘインドの民眾は從來の宣傳言論戰に依つて國民運動をやるといふ穩健な手段ではいかぬどうしても武力を持つとが必要であると考へるに至つた之に動かされて國民議會派の指導者は經濟上のボイコツト反英武器として採つたが青年層はなほも滿足せず更に強い力強い手段を採らなければならぬそれには海外の事情を研究しなければならぬと主張し青年は世界各地に參り當時世界の大帝國であつたロシアを如何にして日本が倒したのか日本は如何なる國であるかといふことを研究する為に日本に參つたものも多かつたその他一部青年は佛國、スイスに參り革命がどうして成功してゐるか又は爆彈武器の製造法使用法を研究した、ベンガル州は最初に英國の統治に入つたところであるが目醒めた青年がインドに歸つて來て秘密組織を行ひ爆彈或は革命武器を作ることを青年に秘密に教へその他ベンガルにその革命の震源地を置いたのである結局一八五七年の革命戰爭後三つの運動が行はれたことになる、即ち穩健派によつて主張された言論戰若くは宣傳戰による反英連動それに次いで過激な方法は英國商品のボイコツトでありもう一つは所謂青年層の運動である、これは世界各地に參つて爆彈、その他革命に要する武器の製造、使用と言ふことを教育する青年層がこれを行使して力をもつて革命を行ふと言ふ方法が行はれるに至つたのである。青年にとつては斯くの如く絕好の機會であつたに拘はらず好機會を捉へるとが出來ず幾千と言ふ青少年は牢獄に投ぜられ長い間監禁されてしまつた第一次世界戰當時の指導者は遺憾ながら英國の巧みな言に惑はされ「戰後に自主權を與へる」と言ふ英國の空手形を額面通りに信じ遂に英國から瞞され英國に對して戰爭遂行に全面的協力を致したのである、戰後に英國がインドに與へた新憲法は實に不滿足なものであるのみならず實質においては從來よりも尚一層嚴とインドを彈壓しインドを搾取すると言ふ精神のものであつた 斯くしてガンジーを始め全インド民眾は大いに憤慨して從來な穩健な態度を擲つて斷然英國と戰ふと言ふことになつた、戰後に英國が約束を破つたので全反英空氣を言ふものは擴つたのである、これに對して英國は非常な彈壓を以て臨み彼等の多くは虐殺された、そして全インドが悉く彈壓されインドは如何なる將來を持つか全く暗黑に迷つてゐる時ガンジー翁が起上つて不服從運動が開始されたのである、ガンジー翁が主張されたことは假令戰はずとも全國民が統一した統制の下に英國政府に協力しない、英國の命令に從はない、法律は守らないと言ふ方法で假令武器を以て爭はなくても全インドの行政機能を停止する英國を困感させると言ふ方法がこの不服從運動であるこのガンジー翁の指導と言ふものは全國民に非常な共鳴を與へた、全國民は宣傳や言論戰の合法的な爭ひでは効果がなく又ボイコツト等の反抗運動を充分な効果がないと言ふ際この運動がガンジー翁により唱へられるやその共鳴は大したものであつた、英國人はインドの大眾は無智であると言ふが私はこれは非常に誤つてゐる、なるほどインドの大眾と言ふものは文字的には無智であるがガンジー翁の國民運動が全國に漲つた結果政治的には彼等は十分目醒めてをり國民運動が全國に強い根を持つてゐるのである私はインドを旅行して彼等が學問的には無智であるが政治的には實に驚くべく目醒めてゐることは私自ら驚いた位である國民議會運動と言ふものは再編成されここに國民議會派の中に二つの流れが出て來た、一つは青年により代表されるのであつて不服從運動では決して獨立と言ふものは獲得されるものではない 獨立運動と言ふものは戰ひによつてのみ獲得し得られるものであると言ふ信念を持つ一つの流れともう一つの流れはガンジー翁の不服從運動と言ふものを無條件に支持して行くと言ふ二つの流れが出來、今日に至つたのである、ガンジー翁を支持してゐる九十九パーセントの人人は現在においては非暴力不服從運動は時宜に適した方法であるとして支持してゐるが彼等の心の中ではこの非暴力と言ふことを一時的の方法としては最善の方法であるがこれは一時的の方法であつて永久の方法としてはこれでは獨立は獲得出來ないと信じてゐる、一、九二◯年以來全國民はガンジー翁の下に集つたのであるがその心の中には非暴力によつては本當自由は獲得出來ない、必ず力を用ひてインドの自由のために戰ひ得る所の機會が來ることを信じて來たのでインドの青年は前大戰で千載一遇の機會を逸したが次の機會にはインドの獨立のために戰はねばならぬ、そのために充分の用意をして置かなければならぬと言ふことで努力して參つたのである第二次歐洲大戰に次いで大東亞戰爭が起つたためこれらの青年は二十年間待つた機會が來た、インドの獨立を獲得しなければならぬと決意しインドの知識層、青年層が蹶起したのである、この青年層の思想が全國に漲り農民階級、勞働者階級までもこれが千載一遇の機會であると痛感してゐるのである、ヨーロツパ及び東亞の大戰爭勃發以來非暴力では獨立は獲得出來ない戰によつてのみ獨立は贏ち得ると言ふ思想が有力になりつつあり遂にはインドの大多數を占めるに至ることを私は確信してゐる、これは私自身がガンジー翁に親しく面會しこう言ふことを申した、英國は戰爭で窮地に陷れば陷る程最後の寶であるインドを最後まで握らうと言ふ考へを起す、英國はこの戰爭で多くの領土と言ふものを失ひつつあるから最後の寶としてインドは、放さないことになる、英國に讓步し接近して來ると考へることは誤りであることを私はガンジー翁に建言した、ガンジー翁は自治權を獲得することを目標としてゐるが自治權も英國は與へるものではない、その理由は英國は英帝國の存立を守るためにこの戰爭を行つてゐるためである、世界至る所領土を失ふとも最後のインドのみは取つて置かなければならぬ、他に失ふ所をインドから得ることにより補ふ決心をしてゐる、その意味においてインドと妥協し自治權を與へることはない、我我の政策はこの戰爭の機會に闘爭をもつて自由を獲得せんとするものである、それにはこの際英國の敵と相協力して獨立の實現を期さんとするものである、そしてこの主旨はインド民眾によく諒解されてゐる、今やインド國內においては總ゆる反英運動が行はれてゐる、日本政府が我我に總ゆる援助を惜しまぬと言ふことを聞きインド獨立運動が必ずや成功するものなることを確信する、我我は總ゆる力を結集して獨立を圖る所存である、獨立には血を流さなければならぬ、總ゆる犧牲は固より覺悟で犠牲あつてこそ獨立後の安全が期待される、東條首相のインド民眾に對する宣言は特に民眾の共鳴を喚んでゐる、インドには今日多く親日分子がゐるが中には一部の反樞軸思想を懷いてゐる人もある英國はこれらの事實を握つて巧妙な宣傳を行つてゐるが日本は斯くの如き宣傳に乘ぜられることなくインド民眾の解放に積極的に努力して戴きたい |
02 | 協贊した諸施策の 實現に責任を負ふ 翼政會議員鄉土で實參親踐 |
03 | 英との妥協は屈服 吾吾の手で獨立を戰ひ取る ビハリ‧ボース氏聲明 |
04 | 千載一遇の好機 バーモ長官ボース氏に祝電 |
05 | 初代東京都長官 大達茂雄氏に內定 |
06 | 佛解放委員會の妥協案 |
07 | 情報局參與 十氏に決定發令さる |
08 | 條約改訂に付懇談 谷大使、汪主席と會見 |
09 | 相互に感謝し合ふ 東條、ピブン兩首相書翰往來 |
10 | 遞信辭令 |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 キヤツサバ 增產の必要 食糧對策の一翼社說 一 目下戰力增強の重點が鐵、アルミ、石炭、飛行機、造船の五大產業と決定されたが、同時に銃後に於て食糧增產問題が殆ど之と異ならざる重要性を有する事は爭へない。若し萬一にも食糧最低消費量が確保されないならば五大產業の生產增強も期待出來ない事となる 然し一口に食糧といっても主要食糧たる米麥に限らず、甘藷の如き代用食をも綜合的に增產の要あるは絮說する迄もないから、島內としても米、甘藷を以て最重要作物と決定された所以である。ところが限りある耕地を以て食糧增產の目的に達するにはいろいろ農業の編制替を斷行せねばならず、それが現在本島に於て解決を求められてゐる一大課題である。又土地の利用方法に工風を廻らし如何に高度に為し得る事も考慮すべき問題である。例へば裏作とか、輪作とか、さういった方面に對して未だ開拓すべき餘地が殘されてゐる。尚最近蔗作の間作として甘藷を植付すべしとの問題を取上げられて居り、現在十六七萬甲に亘る蔗園に對して若し半分丈でも間作すれば假令蔗作に對して多少の惡影響あるも綜合食糧增產の大乘的見地よりして其の效果が決して少なくないであらう事は明かである。とにかく本島の如く熱と光に惠まれてゐるところではやり樣に依っては食糧產增の餘地が尚多分に殘されてゐると思はれるから、此の點に對しては切に官民一體の研究と協力を望まざるを得ない。 二 此の外キャッサバ增產の要ある事を重ねて強調したい。周知の如くキャッサバは其の用途に於て殆ど甘藷と異ならざるものであり、澱粉の原料とすれば甘藷より其の步留が優れてゐる許りでなく、若しキャッサバ粉にすれば麥粉の代用となり得る事は最近漸く一般の注意を惹いたところである。即ちキャッサバを澱粉の原料にすれば、二三%しか取れないが、若しキャッサバ粉にすれば三三%も取れるとの事であるから約五割も增產出來るわけである。之を以て素麺、パン、菓子等の原料に充當し得るからキャッサバの增產は小麥と異ならざる効用があり、且つ小麥增產に比して頗るたやすく其の目的に達せられる事と信ずる。更にキャッサバの栽培は主として山地であり、其の適地は現在殆ど無盡藏であるから他の重要作物と相剋を生ずる虞れがない。臺中州下の如きは現在一千甲內外しか栽培されてゐないが、一時は四五千甲に上った事がある。減產の原因はキァッサバ百斤三圓內外の時價を一圓八十八錢の公定に引下げられたためである。若し採算さへ引合へば島內の山地五百甲まで擴大する見込がある。而してキャッサバ二年生の甲當收量が約五萬斤であり、一年生にしても其の半分は取れるさうであるから、今後綜合食糧問題及び飼料(澱粉粕)問題解決の一翼となり得る要するに島內に於けるキャッサバ增產は現下に於ける食糧對策の一方策として當局に於ては從來の放任作物より重點作物として再認識し以て其の增產策に努力すべき事を熱望して止まない。 |
02 | 伏見宮妃殿下 奈良縣を御巡察 戰ふ女性を御激勵 |
03 | 臺北州下が第一位 海軍に寄せる島民赤誠献金 十七年度百五十七萬圓 |
04 | 圖像:二萬石の巨大な海洋筏芝蒲着(陸軍省檢閱濟) |
05 | 遙かに責任額突破 筆頭は基隆郡下の二四二% 臺北州の國民貯蓄 |
06 | 侍從武官御差遣 陸軍野戰砲兵、防空兩校に |
07 | 盡忠へ若人よ起て 海を制するもの世界を制す 海志講演會意氣軒昂 |
08 | 宜蘭市區長會議 |
09 | 山本魂に續く赤誠献金 |
10 | 花蓮港廳下 助教講習會 |
11 | 榮光今や燦と輝く 志願兵けふ晴の入所式 |
12 | 時の話題 印度國民會議派 |
13 | 緬印國境戰線にみる英軍敗退の姿態 |
14 | 決戰陣頭に立て 花蓮港廳下、街庄長懇談會 |
15 | 新竹市の講演會 |
16 | 羅東の講演會 |
17 | 海志主旨徹底 青年大會 |
18 | 新竹州下街庄吏員鍊成會 |
19 | 大學高專は十日以內 中等、國民校は昨年と同樣 戰ふ夏休近づく |
20 | 航空ホテル建設 資本金六十萬圓に決定 |
21 | 南方のヨイ子供 “周遊日本”等を贈る |
22 | 海に因む展覽會を開催 |
23 | 宜蘭一期籾 集荷打合會 |
24 | 羅東街庭球爭霸戰 |
25 | 工業座談會 あす臺南で開く |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 先鷲に續いて起つ “臺南州婦人會號”二機 海志募集と同時に献納運動を開始 |
02 | ああ密林の戰士 賞詞に輝く義勇隊戰死 |
03 | 彰化の講演會 |
04 | 活潑な產奉展開へ 臺南で產奉團長會議 |
05 | 旗山の講演會 多大なる成果 |
06 | 勳章傳達式擧行 |
07 | 肉豚優秀固定種 臺中州大增產に乘出す |
08 | 屏東日婦の 奉祝行事 |
09 | 健民指導區設置 高雄州で無醫村一掃 |
10 | 起てよ臺灣青年 嘉義の海軍志願兵講演會 滿場の青年に多大の感銘 |
11 | 螟虫殲滅競技 苗栗郡學生兒童の增產行事 |
12 | 皇民塾で 國語不解者一掃 |
13 | 簡保一口加入 嘉義局素晴しい成績 |
14 | 講演會で全員志願 |
15 | 商業報國に挺進 臺中商奉指導者鍊成終る |
16 | 街の有志蹶起 海志講演に乘出す |
17 | 赤誠の慰問袋 嘉義から二千三百餘圓 |
18 | 前線に慰問人形 丹誠のひと針ひと針こめた 戰ふ遺家族達の心盡し |
19 | 滅敵市民大會 廿七日臺南で開催 |
20 | 海志募集打合 あす高雄州で |
21 | 濁流から一命を救ふ 萩原、溫兩君の美擧 |
22 | 北斗郡競作田の朗報 甲當五十一石餘の籾實收 |
23 | 憧れの的海へ 竹南郡本島人巡查起つ |
24 | 皇奉と表裏一體 臺中州の部課長會議 廣めて全體會議に |
25 | 皇恩の光被に感泣 華僑二世勞務奉公隊志願 |
26 | 滅敵の貯蓄戰 日婦嘉義支部で臨時常會 |
27 | 人事‧往來報社消息 |
28 | 地方多より |
29 | 赤誠の献金品 |
30 | 今日の映画演劇 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 明年度肥料割當決定 石灰窒素を急速擴充 府松野農務課長談 |
02 | 社債新規發行額(第二回半期) 七億七千萬圓と決定 |
03 | 企業整備の前途 全生產力の戰力化 |
04 | 勞務確保に獎勵金 港灣荷役の情勢變化 |
05 | 臺北州米穀納入組合通常總會 |
06 | 家育飼料價格決定 |
07 | 重點產業を指揮する人人(二) 川崎重工社長 鑄谷正輔氏 |
08 | 獨逸の戰時農產獎勵 |
09 | 農工調整懇談會 七月三日糖聯で開催 |
10 | 空壜の回收方針 專賣局で決定 |
11 | 轉廢業對策に 產報の活躍期待 |
12 | 豚コレラの撲滅 保菌豚は加工して利用 |
13 | 第十八回戰時金融債券發行 |
14 | 奧田局長上京 |
15 | 照明燈 |
16 | 商況(廿三日前場) |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(995)/黃得時;碇政彌 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ホーン島(濠洲北端)攻擊 敵軍事施設を炎上 |
02 | 農業團體の首腦部 山崎農相人選を急ぐ |
03 | 圖像:衡陽零陵攻擊任務を與へられ勇躍するう陸鷲 (於○○基地)(陸軍省檢閱濟) |
04 | 共產地區の肅清に 赫赫の戰果を收む 澤井憲兵隊に賞詞を授與 |
05 | タイ國革命記念祭 |
06 | 臨時議會の成果(二) |
07 | 時局評論 官民俱に深省要す/平貞藏 |
08 | 日滿經濟懇談會 けふ新京で開かる |
09 | 赤軍大兵力を集結 戰局の重點キーロフ地區へ |
10 | 獨軍戰況公表 |
11 | 伊軍戰況公表 |
12 | 航空決戰愈よ白熱化 反樞軸軍重爆百三十五喪失 |
13 | 龐炳勳將軍汪主席に謁見 |
14 | カーチン一票の差で助かる 不信任案否決 |
15 | 內務省休閑地を貸付 |
16 | 東亞戰域に反樞軸軍の 最高司令部を新設か |
17 | 次期肥料配給割當を決定 |
18 | 土軍事使節 ベルリンへ |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 志願兵晴れの入所式 勅論胸に一死奉公 若櫻五百意氣高らか |
02 | 生死を超脫して 誠の道に透徹せよ 石川訓練所長の訓示 |
03 | 只管“兵の道”修鍊 入所以來の日課 |
04 | 圖像:志願兵第二回前期生入所式 |
05 | 志願兵熱熾烈化 基隆郡九千名が起つ |
06 | 全島國旗揭揚 あす皇太后陛下御誕辰 |
07 | 國寶九十一件 新たに指定さる |
08 | “軍隊精神”を體得 大學高專教授四日間入營 |
09 | 今夜宵祭り 稻荷神社大祭 |
10 | 科學、非科學の調和 如何にして教育するか 長谷川總督の訓示 |
11 | 圖像:大學高專教授職員の四日入營 |
12 | “國語の本”講習會 |
13 | 職業の再編成 新竹に轉換指導所設置 |
14 | 戰ふ婦人の總蹶起 明晚一齊に常會開催 |
15 | 職場に戰士激勵 梁井知事八堵、基隆へ |
16 | 千三百名抑留 デトロイトの暴動 |
17 | 除草奉仕作業 臺北第三高女生が |
18 | 金瓜石の 鑛山を視察 |
19 | 興南詩苑漢詩 夏夜露坐寄蕭上將叔宣/文訪、次韻壽洪元煌先生花甲四首/蔡說劍 |
20 | 敵性音盤三千枚 島都市民自發的供出 |
21 | 東眼山登山 |
22 | 桃園臺地へ |
23 | 翫具共販會社 設立を打合 |
24 | 癩病一掃に臺南州大童 |
25 | 鐵道辭令 |
26 | 人事‧消息 |
27 | 今晚の放送 |
28 | 商況(廿四日前場) |
29 | 興南案內報社消息 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 激鬪は逐日苛烈へ 南海の大空で我荒鷲猛活躍 總力を擧げよ我航空機の優位を頭條新聞 【東京發同盟】太平洋を戰場とする決戰は日々深刻の度を加へつつある敵は緒戰においてそのいはゆる「對日包圍鐵環」を寸斷せられ太平洋艦隊主力をその根據地に覆滅せしめられたが生產量を恃みとし執拗活潑なる反攻を開始した苛烈なる戰は先づソロモン群島に起りニユーギニア東端に移り北洋アリユーシヤンに現はれたが殊にわが本土中樞地と敵の本據ハワイを中心とする等距離戰がビスマルク群島東方海面に於いて相交叉することを思へば彼我の激闘が同方面に生ずるは極めて當然である、しかも敵は無限の軍需品倉庫とも言ふべき濠洲を戰場の近距離に持ち夥しき新銳機と兵員、兵器資材を手近かの戰場に注入しつつある帝國陸海軍航空部隊は日夜を分たずこれを猛襲しその激闘は日を逐ふて苛烈さを深め殊に最近において彼我の戰闘機の大群が南海の空を蔽ふて大空中戰を展開するまでに至つてゐる從來ソロモン群島方面に行はれた航空擊滅戰は爆擊機或は雷擊機に戰闘機隊が隨伴しこれを邀擊する敵戰闘機と空中戰を交へてゐたのであるが現在にあつては戰闘機の大群が總力を擧げて一擧にその雌雄を決し 敵基地上空の制空權を把握せんとする深刻なる擊滅戰の樣相を呈するに至つた、しかも一方この戰場は彼我ともにその中樞部より極めて遠隔の地點なるをもつて補給路は長大となり從つて補給路破壞が同方面の戰力維持に至大なる意義を持つ斯くて帝國海軍航空部隊は敵米國の補給部隊蠢動すると知るや必ず機を失せずこれを急襲、近くはルンガ沖航空戰に於て兵員兵器資材を滿載せる敵輸送船七隻及び驅逐艦一隻を擊沈大型輸送船一隻を中破せるを始めとし或はニユーギニヤのミルン灣にガダルカナル島周邊に續續敵輸送船を海底に居り續けつつあるが敵は船舶、飛行機の量を恃む敵の戰力は斷じて輕視し得ざるものがある。しかも今次戰爭において始めて現はれたる唯一の新兵器とも言ふべき電波探知機をもつてすれば暗夜、荒天と雖も艦船、航空機の所在を適確に指摘出來得るに至り新兵器の誕生は更に航空戰並びに補給路破壞戰を熾烈ならしめてゐる。帝國 陸海軍航空部隊の精神力及び實力の卓越飛行機性能の優越は敵最新銳戰闘機たるグラマン或はロツキードP三八を常に大量に擊墜しつつある事實に徵するまでもなく明かであるが現在における同方面の優位を堅持するためには尚多數の新銳機を更に注入し優秀なる搭乘員、整備員を相次で送らねばならぬ敵の反攻の執拗なるは今更例示するに及ばぬが敵は一步一步その基地を獲得して戰略的布石の擴充に努めると共に空母を中心とする新艦艇の建造に狂奔その非望を遂げんとしつつある一臺の飛行機、一人の搭乘員をも多く銃後は前線に送り出さねばならぬ同時に科學者、技術者はその智囊を傾けて航空機性能の優位維持を圖るはもとより各種新兵器の發明及び改良に今こそ總力を擧ぐべき重大時期と言はねばならぬ |
02 | 汪主席談 蔣の搾取、民眾反感 自壞期せず、重慶を崩潰さす |
03 | 圖像:ソロモンの敵基地爆擊に向ふ海鷲 三枝海軍報道班員撮影海軍省許可濟第一○一號 |
04 | “首相聲明感謝中央大會” ジヤワ在住各民族數千名參集して |
05 | 深刻な論爭行はる 歐洲第一主義と太平洋第一主義 |
06 | ニ島ムギを強襲 |
07 | 敵二萬餘完全掃蕩 西隴海線前班後附近で |
08 | 重光外相に 勳章を贈呈 ヒ獨總統から |
09 | 對華新政策の中核 “日華基本條約の根本的改正” 谷大使歸任により準備進捗 |
10 | 政府內閣顧問の恒例懇談會 |
11 | 芳澤大使西貢着 |
12 | 爆擊機損害甚大 チヤーチル攻勢續かぬ |
13 | 電信の機能發揮 省令改正自發的規正へ |
14 | 龐、孫兩氏追加 軍事委員會委員に |
15 | 新興泰國の意氣 革命記念日のバンコツク |
16 | 上海共同租借還附 谷大使、褚部長、陳市長會談 |
17 | 總動員審議會 二十九日開く |
18 | スペイン政府 緊急閣議 |
19 | 齋藤總務長官 食糧事情說明 翼政會本部で |
20 | 赤軍の陣容と 新首腦部顏觸 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 第二回前期生 志願兵に與ふ社說 譽れの若櫻、第二回前期生の志願兵志願者諸君は昨二十四日、晴れの訓練所入りを了へて、愈よ向ふ六ヶ月間、立派な皇軍たるの基礎訓練を受けることとなった。志願者諸君の本懷は云ふも更なり父兄諸氏の喜びもまた察するに餘りがあらう。六百五十萬島民もひとしく欣びを以て諸君の榮ある前途を祝福し、來るべき活躍に對して深甚なる期待をかけてゐる次第である。顧みるに長年待望の陸軍特別志願兵制度實施を迎へて、諸君の血は湧き肉は躍って、果然全島的に幾多の感激譜を奏れられ、數多くの挺身敢闘ぶりを繰り展げられた。思ひ出すさへ今だに新たな感激を覺えるものである又諸君のみならず全島民もこの至上最高の榮譽を仰いで文字通り、みたみわれの感激と有難さに老いも若きも均しく感泣したのである。斯くして愛國の至誠にきほひ立ち、みたみわれの感激に奪然蹶起した青年諸君の挺身ぶりは、逞ましい勢ひを示して第一回よりは第二回と、質的にも量的にも素晴らしい向上を見せた、げに今回目出度く訓練所入りをした前期生諸君は實に六十萬青年の選良といふ名譽と重き責務を荷ふるに至った次第である。陸軍に次いで更に海軍の志願兵制も布かれ、愈よ來月一日から受付を開始することとなった。榮譽に輝く本島青年の前途は洋洋たるものありと云はねばならず、これが先縱となるべき志願兵諸君の任務は洵に重且大なるものがあらう。時局についてはもはや說明を要しない。志願兵諸君に希望するところは只二つ。山本元師の戰死、アツツ島の玉碎に顯現されたる陸軍魂を心身につけよ、而して以て本島青年大眾の先導たらんことを―。 |
02 | 社說 善意の惡政を戒しむ心社說 去る十七日の本島始政記念日の意義深き日に、長谷川總督は前例を破って一場の力強い訓示を與へ決戰下官吏の心構へを說いて特に善意の惡政を深く戒しめられた。長谷川總督が訓す善意の惡政戒心論は、その言たるや簡にして潔、率直に說き得て頗る妙なるものあり、聞くものをして多大の示唆と感銘を覺えしめた模樣である。 長谷川總督が動かざる航空母艦の提督として蒞任以來、曠古未曾有のこの大聖戰を戰ひ拔き勝ち拔くためにはどうしたらよいか、といふことに對して機會ある度每に全島民に說かれる言葉は、「各各の立場立場に於て最善を盡すことだ」と。洵に平平凡凡たる訓示であって、尖端的な浮薄な最大級の形容詞に馴れた耳には或は陳腐と聞えたかも知れない。しかしながら時局の苛烈化に伴ふて真摯に大東亞戰爭を戰ひ拔き勝ち拔くために思ひを致すものは、長谷川總督の此平凡な言葉が洵に噛みしめればしめるほど味ひの出る至言といはねばならないであらう。善意の惡政を戒しめる總督訓示も又要するに官吏の立場に於ける最善の努力を要望したとに他ならない。善意の惡政とは、普通の惡政といふ倫理的な觀念とは異るものであるここで云ふ意味は專ら強力なら統制經濟下、權力の增大に伴ふ一面に於て當然有るべき行政運營上の創意工夫と圓滑にして敏速なる處理が澁滯を來たした場合に云はれる言葉である。從ってこれは行政運營上の心構へと技術上の問題であり、官吏の見識と努力の問題なのである。大聖戰下國內體制の一切を擧げて強力な統制下におかれることは必然であり官廳の極力が增大することも必然である。しかしながら國家が強力な統制を行ひ官廳に權力を附與することは一に戰爭完遂のためであらねばならない。從ってこの國家的要請に副ひながら、結果において若しも之と逆の或は不充分なる成果を擧げたとすれば、其處に直ちに善意の惡政を見るに至るのである。國家的要請の十分なる達成は今日ほど焦眉の急務なるはあるまい。一切を擧げて戰力增強に傾注させねばならぬ秋は他にないのである。長谷川總督が喝破する善意の惡政を戒しむ心、決戰下官吏の座右の銘として心して更に一段の努力を切望して止まぬものがある |
03 | 畏し工兵學校に 山縣侍從武官に御差遣 |
04 | 聖慮の深遠に 只只恐懼感激 山田教育總監謹話 |
05 | 一億民熱鐵の玉 決戰生產、決戰生活に 積極的國民運動展開 |
06 | 勉強はぜひ日本で バーモ長官令息近く渡日 |
07 | これぞ憎い敵機 監視隊員苦心製作の模型機 近く全島に展覽 |
08 | 緊褌一番貯蓄へ 去年に勝る成績目差して |
09 | 基隆華僑公會献金 |
10 | 健民運動十二月 各部落に指導醫を置く |
11 | 崇高な記念碑建つ 麗し轉業美談の白眉篇 |
12 | ジヤワ青年團發足 |
13 | 花蓮港市民大會 米英擊滅あるのみ 敵愾心に市民總立ち |
14 | 擧つて志願せん 適格青年感激の決意 |
15 | 地上から屠去れ ル、チ葬送講演會 |
16 | 將兵と起居を俱に 教授連營內の第一夜を送る |
17 | 總督府人事異動 府社會課長に柴山氏 |
18 | 圖像:四高女奉仕作業 |
19 | 蘭陽叺總會 |
20 | 山脚信組總會 |
21 | 宜蘭海軍志願兵趣旨講演會 |
22 | 明朗に働かう 井原新竹州警察 部長 |
23 | 御奉公の道は 何處でも同じ 堀前社會課長談 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | けふ癩の豫防日 曾田府衛生課長語る |
02 | “山の青年よ海へ” 各辯士が熱辯を揮ふ |
03 | “共同の敵を滅せ” 臺南華僑公會の絕叫 |
04 | 住宅街を建設 戲獅甲に六百六十戶 |
05 | 銅像が應召 大楠公も二宮尊德翁も 米英擊滅に參加 |
06 | 沙山の洪媽鴛君 勳樹てて戰病死 |
07 | 國講講師鍊成 高雄州各市郡で |
08 | 能高部落會長合宿鍊成會 |
09 | 竹山郡の硬貨回收 |
10 | 徵兵檢查實施 一日から嘉義で |
11 | 新化講演會 多大な効果 |
12 | 真夏の奉公運動 皇奉臺南州支部七月の行事 |
13 | 港灣行政一元化 どうすればよいか |
14 | 汗膏で働き拔かう 皇奉臺中州支部七月の行事 |
15 | 街頭國語運動 奉壯團、桔梗俱樂部員ら出動 |
16 | 國語運動の尖兵 自宅を開放して自ら講師となる 隱れた功勞者董振財氏表彰 |
17 | 彰化臨時市會 二十九日開催 |
18 | 俸給は献金と貯蓄へ 義勇隊員家族の美擧 |
19 | 赤誠の献金品 |
20 | 增產實踐者表彰 |
21 | 嘉義市職員鍊成 各課長が所管事務講話 |
22 | チユウ公を大量殲滅 |
23 | なんでも來い 臺南日婦の國防訓練 |
24 | 分會總務部長鍊成會 |
25 | 災害保護講演會 |
26 | 轢死者判明 |
27 | 屏東講演會盛會 |
28 | 不埒な泥棒送局 |
29 | 地方多より |
30 | 今日の映画演劇 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 小運送業の統合 各方面の意見を打診 整備統合方式に示唆多し |
02 | 好調に開發進む 躍進南ボルネオ |
03 | 重點產業を指揮する人人(三) 石炭統制會長 松本健次郎氏 |
04 | 能率造船を促進 本年度より角型を採用 |
05 | 簡易保險診療所 七月より診療開始 |
06 | 獨逸の食糧配給 一時的な肉類割當削減 |
07 | 本年一期產米 略昨年と同樣 |
08 | 肥料輸送陣強化 稻作の成育を助成 |
09 | 內地中等學校卒業生 雇入れる場合の注意 |
10 | 經濟手帖 |
11 | 石綿スレート 取扱要綱決定 |
12 | 照明燈 |
13 | 商況(廿四日前場) |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(996)/黃得時;碇政彌 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日華の協力前進 基本條約の根本的改訂速かな實現期待 |
02 | 圖像:バルガス比島行政長官放送 |
03 | 臨時議會の成果(三) |
04 | 將に決戰開始態勢 東部全戰線嵐の前 |
05 | 議會運營調查委員會初會合 |
06 | 當面の財政と金融 企業整備資金など 來阪の谷口次官談 |
07 | 對日、對華への 食糧輸送增大 青柳糧政司長の說明 |
08 | 時局評論 吾國民の海外發展性/山田文雄 |
09 | 圖像:ソ聯陣地攻擊に向ふ獨機 |
10 | 濠政界極度の緊張 議會の解散を要請 |
11 | 日本證券取引所 舊取引所株主の出資總額 一億五千二百六十二萬圓 |
12 | 緊急食糧增產 隊幹部を訓練 蕎麥增產目指し |
13 | 既設建物を利用 勞務者配置轉換先の 住宅問題の解決策に |
14 | 開拓民入植確保方策 日滿農政研究會總會で決定 |
15 | 一株當り乘換價格 |
16 | 取引所の役員 |
17 | 渡邊昭伯當選 |
18 | 出版會顧問 安井氏外五氏決定 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 七月常會申合事項 海軍特別志願兵に 立派な青年を出しませう |
02 | 皇室御安泰を祈願 皇太后陛下の御誕辰を迎へ奉り 日婦の幹部赤誠奉仕 |
03 | 天機並御機嫌奉伺電 長谷川總督から奉呈 |
04 | 宮川氏の追想談 米英の策謀も空し タイ國民革命成つて十一年 |
05 | 古襷を献納 基隆日婦の赤誠 |
06 | 稻荷神社大祭 廣谷幣帛供進使參向 |
07 | 圖像:日婦の奉祝行事 |
08 | 地方待遇官吏に朗報 資格向上、恩給支給 廿四日關係勅令公布さる |
09 | 天然記念物指定 |
10 | 送らう一機又一機 臺灣醫師會献納を決議 |
11 | 臺北市教育會總會 |
12 | 實戰宛らの訓練見學 教授の營內生活第二日 |
13 | 軍艦旗の下へ 羅東の海志講演會盛況 |
14 | 譽の志願兵が 初の在鄉軍人會入會 |
15 | 羅東神社奉納野球 |
16 | 新竹州防空主任會議 |
17 | 癩は絕やせる 患者は情で隔離しませう |
18 | 青少年體力檢查 廿四日管理醫講習會 |
19 | 東京府で武道館を建設 |
20 | 全力で御奉公 柴山府社會課長 榮轉の辭 |
21 | 花よりもお藷 ヨイ子供達增產に一役 |
22 | お山の勇士 譽れの戰死 |
23 | 中等蹴球大會 七月三、四日開く |
24 | 長男百日忌に献金報社消息 |
25 | 牛乳配給組合を結成 市內業者を打つて一丸に |
26 | 第三回土曜音樂會 |
27 | トルコ軍事使 節團伯林着 ヒ總統の招請で |
28 | 興南詩苑漢詩 海軍志願兵制決定感賦/石厓林佛國 臺北、山本元帥輓詞二首/石厓林佛國 臺北 |
29 | 運送業者に感謝狀 |
30 | 人事‧消息 |
31 | 今晚の放送 |
32 | 興南案內報社消息 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 教育に有難き大御心 岡部文相參內所管事項奏上頭條新聞 【東京發同盟】岡部文相は二十五日午後一時半宮中に參內天皇陛下に拜謁仰せつけられ今回閣議決定をみた學徒戰時動員體制要綱に對し委曲奏上種種御下問に奉答して御前を退下した、文相は時局下教育に對し有難き大御心を垂れさせ給ふこと一入深きことを拜察、恐懼感激して左の如き談話を發表した △大臣謹話聖上陛下には軍國多事の今日にも拘りませず日夜政務に御精勵遊ばされますことは誠に畏き極みであります、本日特に拜謁を賜り今回決定をみましたる學徒戰時動員體制確立要綱につき委細奏上申上げたるところ種種有難い御下問まで賜り時局下教育に對し大御心を垂れさせ給ふことの一入深き事を拜察し誠に恐懼に堪へないところであります、申すまでもなく國の總力を擧げて大東亞戰爭完遂に邁進してをります今日我が國の學徒が學窓にあつて學業の研鑽に勵みうることはこれひとへに有難き大御心によるところでありまして學徒は勿論國民の齊しく感激措く能はざるところであります、今やまた學徒は盡忠報國の赤誠に燃え戰力增強への協力に向つて感奮興起してをります、本官はこの熱意を教育の上に生かし時局の要望に即應する態勢を整へ戰時下の教育鍊成の全きを期するとともに學徒がよくその重大なる責務を自覺し愈愈その本領とする研學修養に勵み盡忠の精神を傾けて御奉公を盡し行學一體の實を修めて大御心に應へ奉らんことを望んで已まない次第であります |
02 | 學徒戰時動員要綱 國土防衛に動員 有事即應體制を確立 |
03 | 久邇宮朝融王殿下 大分海軍航空隊御視察 |
04 | 動員と統轄指導に 適當な機關を設置 |
05 | 官民職分の明確化 統制會に勞務關係の權限委讓 |
06 | 海軍司政官發令 |
07 | 全國青少年學徒を 食糧增產に動員 |
08 | 日本と共に前進 革命記念日ピブン首相熱辯 |
09 | 定例閣議 |
10 | 更生して一ケ年半 中繼港「香港」の建設 惡條件克服して進展 |
11 | 西歐空の攻防戰 不斷の決戰樣相呈す |
12 | 日滿支交通懇談會 |
13 | ギルバートに敵機來襲 地上砲火で二機を擊墜 |
14 | 米陸軍の損害 六萬三千餘名 |
15 | 石炭統制會の 評議員會 |
16 | 湯澤氏研究會入り |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 生產能率と 厚生施設社說 一 生產の三つの要素、即ち土地、資本と共に重要な意義を持つものは勞働である。この三要素は產業によって輕重の差はあるが、その何れを缺いても生產を期することは出來ない。特に勞働についてはさうであって、生產物はこれによって或は性能を變じ、或は數量を增減することが極めて明瞭に認められる。各種の產業によって特に如何なる種類の勞働を要求するかは相違するが、この勞働力を構成するものは精神力、體力、技術力の三要素である。だから生產能力の高い真の勞働力は、常にこの三つの要素即ち精神力、體力、技術力の合成したものにのみ期待することが出來る。この三要素が調和的に結合した勞働力は、大東亞戰を勝ち拔く為めの勞働力として、最も基本的な、最も重要な、根本的な原動力と見ることが出來る。 二 かかる勞働力を長期に培養し、增強し、確保する道は果して何であらうか。これが茲に於て取扱はうとする厚生施設であって、勞働力の構成要素である精神力、體力技術力を保全、增強、確保するものである。これには五つの種類即ち教養、經濟、保健、體育、慰樂の諸方面に分けて考察することが出來る。先づ教養は如何な場合でも、人間を完成して行く最善の方法であるが、とりわけ近代に於ける多くの機械を使用する產業上の進步は、多くはその從事する勞働者の教養の高まった結果にあると見られる。即ち教養に依って作業が精確緻密となり、職場に於ける責任觀念が高められ、生產の質並に量が共に向上された例は一一枚擧するに暇がない。經濟施設に於ては、工場で行ふ低利貸付金のために高利貸の毒牙を免れてゐるものが多い。不時の失費の場合、この施設は誠に福音である。住宅、共同購買所、冠婚葬祭についての配慮等は心から事業場に對する感謝の念を起させ、身を粉にしても忠實な勞働をしようとする氣持を起させる。保健施設は更に結果は直接的である。保健施設が完備された為に目に見えて疾病が減じてゐる工場が幾らもある、その他體育施設、慰樂施設を通じて精神の明朗化、作業の敏速化に役立つことは云ふまでもない。 三 要するに厚生施設は勞働力のためには砂漠に於けるオアシスと同樣な機能をもってゐる。消耗した勞働力の泉となって、新しい給源を與へ、疲勞した勞働力に對して、これを休養、慰樂する樂園となって、更に明日に備へさせる大きな力を持ってゐる。一日中赤熱した熔鑛爐の側にあっても、社宅に於ける家族團欒によって、これを全く休養して新しいエネルギーを得ることが出來、真暗な地下作業をした後でも、自分の好きな映畵演劇を見るとすっかり癒やされる。若しただ營營として働くだけで、そこに厚生施設のない工場を見たらどうであらうか。笑ひのない勞働生活、喜びのない工場生活の後には何が來るであらうか。そこには疾病、災害、缺勤、不良化退職、感情上の衝突等が次次に待ってゐるといってよい。適正にしてよく注意の行き屆いた科學性をもった厚生施設のみがよくこれを豫防し、矯正し、善導して行くことが出來る。戰力增強が絕對的要請となってゐる刻下、吾人は特に各事業場に於ける厚生施設の充實を強調せざるを得ない |
02 | 皇太后陛下 御機嫌御麗しく 御誕辰を迎へさせらる |
03 | 擧る戰果續く貯蓄 必勝目ざして總襷 昨夜一齊に婦人常會 |
04 | 川端町廿九分區第百十九班 割當額の三倍以上 米英擊滅、私達の手で |
05 | 圖像:人馬一體の妙技見學 |
06 | 一家揃つて草刈 自給肥料增產大進軍 |
07 | 學徒動員體制確立 指導者に聽く喜び |
08 | 賞與の二割を貯蓄 空閑地を利用して野菜を栽培 宮前町七分區第四班の申合せ |
09 | 圖像:決戰貯蓄婦人總常會 |
10 | 海志主旨徹底 家長會議 |
11 | 保險領收金千圓を献金 |
12 | 水產思想普 及講演會 |
13 | 見敵必殺の氣魄 銃劍道振興會發會式 |
14 | 豐田溪口附近 畑地美田化 |
15 | 物資配給圓滑化 各郡で座談會開催 |
16 | 黑白兩人種の對立 デトロイト暴動の真相 |
17 | 海志感謝建艦献金 |
18 | 農村へ救援軍 學生奉公隊總出動 |
19 | 婦女子、奉公班も一役 |
20 | 兒童の家庭教育 もつと留意致しませう |
21 | 乾電池配給 |
22 | 道路開鑿礎石 林光輝君の青 年隊葬 |
23 | 人事‧消息 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 遺烈萬古に薰る 戰歿勇士の慰靈祭 |
02 | 專任書記を配置 農事實行組合に |
03 | 講演會開催 |
04 | 嘉義の奉祝 日婦役員陸軍病院を慰問 |
05 | 勤勞報國隊の課題/武政太郎 |
06 | 海志手續に萬全 臺中州で豫備身體檢查 |
07 | 決戰場海は招く 白櫻會の助演で白熱的盛會 |
08 | 賞與物件傳達式 |
09 | 我らは海の子だ 潮州講演會で全員志願 |
10 | 商奉團長打合會 |
11 | 鈴木理事來高 |
12 | 區運營研究會 三日臺中で開く |
13 | 勤勞青年に“學會” 私立夜間中學の暫定措置 |
14 | 海に敵を擊たん 一大獅子吼に竹山男兒蹶起 |
15 | 工業振興の道 池田所長を圍んで懇談 |
16 | 有志らが起つ 高雄で海志講演 |
17 | 來る二十九日 北港國民大會 |
18 | 海志受付は迫る 屏東支會の行事 |
19 | 娛樂室献納式 四日に變更 |
20 | 未曾有‧繭の大豐產 潮州、屏東兩郡下高砂族の 增產滅敵の敢鬪結晶 |
21 | 來り聽け講演會 |
22 | 決戰教育に邁進 嘉義市教育會總會 |
23 | ボーナス卅日支給 |
24 | 地元から二名參加 無軌道電車設立委員 |
25 | 優良奉公班表彰 |
26 | 徵兵檢查 |
27 | 龍潭黃明秀君 大東亞戰に散華 |
28 | 潮州に稅務出張所 一日開廳式を擧行 |
29 | 家政校常會 |
30 | 國講師養成終了 |
31 | 裁縫室荒し就縛 |
32 | 家禽どろ就縛 |
33 | 玉碎精神に 感謝國防献金 |
34 | 玉碎勇士の 英靈に捧ぐ |
35 | 臺中春競馬第三日の成績 |
36 | 地方多より |
37 | 今日の映画演劇 |
38 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 統制會の責任體制強化 勤勞行政の職權一部委讓 |
02 | 皇國農村確立の急務 農業經濟の戰時的展開/我妻東策 |
03 | 小運送業統合と 生活必需品側の意見 |
04 | 笈の輸入確保に 臺灣笈輸入組合結成 |
05 | 重點產業を指導する人人(四) 航空工業會頭 鄉古潔氏 |
06 | 中平食糧局長 來月歸臺の豫定 |
07 | 林產物の賣渡價格 督府の查定基準決定 |
08 | 特定郵便局增設 郵便事務の增加に對處 |
09 | 經濟手帖 |
10 | 新臺灣農業會は 殖產、食糧兩局の共管 |
11 | 照明燈 |
12 | 商況(廿五日前場) |
13 | ラジオ |
14 | 水滸傳(997)/黃得時;碇政彌 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 獨立準備委員會 比島方面最高指揮官認可 速かな準備を下命 |
02 | 逞しい活動を展開 |
03 | 印度の獨立運動に 最大の協力をなす バーモ長官と一問一答 |
04 | “空の要塞”に體當り 小田機喰ひついて放さず 海中に叩き落す |
05 | 共同租界回收後の 上海特別市の形體 |
06 | イタリア國民に告ぐ ジエンテーレ上院議員熱辯 |
07 | ヒマラヤ山脈 橫斷で空輸 英の援蔣物資 |
08 | 米濠軍の內幕 空を飛ばない空軍 海に出ない海軍 一濠軍中尉の皮肉な手記 |
09 | 原住民の足、丸木舟 |
10 | 中部戰線で白兵戰 |
11 | マカツサルに 敵機來襲 |
12 | 反樞軸軍歐洲の 破壞を企圖 獨新聞長官が指摘 |
13 | 炭坑爭議の舞臺 一轉して議會へ ルーズヴエルト最大の危機に直面 |
14 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 無敵皇軍の精華 安藤軍司令官の激勵に感激 教授入營第三日目 |
02 | 米濠軍惡虐行為 歸順武裝警官が語る |
03 | 圖像:第五部隊で激勵を受く教授達 |
04 | 西村文教局長語る 帝大工業部長 近く正式に發表 |
05 | 戰ふ太平山視察記 大東亞建てる柱だ 巨木眠むる大古の神秘境に (上)挑む林業戰士の姿 |
06 | 日糖臺灣支社 社員一萬圓献金 |
07 | 米英小敵蚊は大敵 自然と戰ふ監視哨 |
08 | 結核豫防の徹底へ 全島で講演と映畫 |
09 | 逞しい決戰姿 基隆で壯丁體力檢查 |
10 | 守る“若櫻の家” 隣組しつかり組んで |
11 | 午後四時迄延長 臺北市役所勤務時間 |
12 | 木造船建造にボルネオ材 |
13 | ゴム屑から潤滑油 岡雅技師の苦心成功 |
14 | 炎天下、師道研鑽 先生方も亦戰ふ |
15 | 戰ふ港都の女性 桔俱廿八日晴の結成式 |
16 | 港都の豆腐 來月から配給制 |
17 | 日章旗に寄書 新竹奉壯で廢止を提唱 |
18 | 鍛ふ“產業戰士” 勤勞訓練所廿八日開所式 |
19 | 興南詩苑漢詩 祝海軍特別志願制度施行/櫻痴 莊玉坡、恭輓山本元帥/櫻痴 莊玉坡、敬吊珠島守備山崎部隊/櫻痴 莊玉坡、文淵生榮任高雄法院書記/黃景南、小立/黃景南 |
20 | 島都の徵兵檢查 卅日から公會堂で施行 |
21 | 船員能力者の 申告 七月一日實施 |
22 | 警防團の慰勞献金 |
23 | 人事‧消息報社消息 |
24 | 今晚の放送 |
25 | 商況(廿六日前場) |
26 | 興南案內報社消息 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 二十七機を擊墜 ソロモン郡島方面地上部隊の戰果頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(六月二十六日十五時三十分) ソロモン群島方面帝國陸海軍地上部隊は六月二十日、二十一日、二十三日、二十五日來襲せる敵延機數二百九機と交戰し、其の二十七機を擊墜せり |
02 | 我地上部隊の猛威 地域、機種並びに戰果別 |
03 | 首相聲名の大影響 獨立三原則達成に努力邁進 比島要人と一問一答 |
04 | 國民全體の課題 企業整備、岸商相講演 |
05 | 國府最高國防會議を開催 |
06 | 圖像:基地に歸つて椰子の實に喉をうるほし乍ら今日の戰果を語 り合ふ海鷲達(寺尾海軍報道班員撮影、海軍省許可濟第一○一號) |
07 | 只管實行の段階 日華關係處理谷大使語る |
08 | 新比島建設に挺身 代表者招宴、黑田最高指揮官挨拶 |
09 | 臨時閣議 |
10 | 中央指導本部設置 學徒動員の機動化へ |
11 | 全機關係要求に應ず 比島行政府の發表 |
12 | 正確無比の爆擊 海鷲ダーウイン強襲結果判明 |
13 | 翼政會要望 內閣委員、各省委員 運用に大刷新を加ふ |
14 | 輸送船護送に 反樞軸軍苦慮 戰艦空母も動員 |
15 | 獨立準備委員會の初會合 |
16 | 西歐の航空決戰苛烈 反樞軸空軍素質低下 |
17 | ルーズヴエルト 罷業彈壓案を拒否 |
18 | 米上院再び同案を可決 |
19 | 日佛印文化 會館の創設 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 小運送統合 の問題點社說 (一) 陸上荷役の改善強化を目ざす小運送業統合は目下鐵道當局に於て慎重攻究中であるが今次の統合は滿尾鐵道部長が言明せる如く「あく迄業者の自發的意志にまつのみで強權を以てどうこうするやうなとはしない」ものと思はれる。右の言明で業者が一應安堵したには違ひないがしかし統合が如何ように行はれるかの當局方針が發表されない限り尚安閑として居れないし一方荷主及び利用者側では行き過ぎのないやうにと多大なる關心を以て成行を注視してゐる。それのみでなく五大運送會社はそれぞれ港灣運送業をも經營してゐる關係上陸上小運送の統合は自らその統合にも波及し兼ねなし實情にあり為に幾多の難問題に逢着してゐるかの如くである。即ち南進基地としての本島の重要使命に鑑みる時海陸綜合輸送力わけても海運輸送力の增強は急務中の急務たることは今更諜諜する迄もなからう陸上小運送の統合も又港灣運送業の統合も共に叙上の如き要請に基き行はれるものたる以上何人も異論のあらう筈はないが問題は統合方式が果して適切であるか否かに存するものと謂はなければならない。 (二) 改めて言ふ迄もなく小運送統合の趣旨は能率の向上とコストの低下とに置かれてゐる。從って統合の方式も十分右の趣旨に合致する為には當代ばやりの劃一主義に陷入らずに業界の實態に即應する必要あることは謂ふ迄もない。周知の如く小運送業は所謂サーヴィスを本位とするものでありその能率如何は全くサーヴィスの善惡に左右される他はない。先年群少小運送業者が一驛一店主義の下に大同團結したのも業界の健全なる發展を期しサーヴィスの改善を圖るにあった。而も都市には地方合同運送會社の他に五大運送會社の出店が存在する等所謂運送業者の競合によってサーヴィスがよく發揮されてゐるが最近それが更に整備統合されるとになると慎重に考慮する必要があらう。殊に地方合同會社と五大運送會社とにはそれぞれの特色があるが此際各自の特色を十分發揮させるように整備統合を進めて行くのが最も効果的ではなからうか。 (三) いふ迄もなく地方合同會社は地方的貨物を取扱對象とし地方中小商人を顧客とするものである。從って小運送業が更に統合されたところで一驛一店はどうしても必要であるから今次の統合はむしろ都市合同運送會社の再合同を行ひ完全なる一驛一店を實現し益益その機能を發揮するやう指導監督することが最も妥當ではないかと思はれる。しかし五大運送會社になるとこの點少し趣を異にしてゐるものでその取扱貨物が重要物資であり而も船積迄一貫にやってゐる等大荷主と船會社とはそれぞれ縱に結び付けられてゐる。從って小運送業統合の目標が正しく重要物資の輸送完遂にあるとは言へこの為に五大運送會社が合同しひいては全陸上小運送業が一元的に合同すベしとは少しく論理的に飛躍してゐるのではないか業界の實態に則應する限り地方合同會社は現狀を以て益益その使命達成に專念せしめる他なきは既述せる如くである問題は五大運送會社であるがその合同が結局日通の制覇をもたらすか否かは別として合同の結果所期の目的を達成しうるかは甚だ懸念されてゐるところである。しかし重要物資の輸送完遂を期するには勿論現狀を以て滿足するわけには行かず別に何らかの措置を講ずることが必要であるがそれは何も一元的合同に限らず五社のプール計算制を採用し少しでも小運送能率を高めることが當面の急務ではなからうか |
02 | 密林に山刀閃めく ニユーギニア戰線で戰ふ 高砂義勇隊の心意氣 |
03 | 光榮の糸繰り奉仕者 二十六日宮內省から發表 |
04 | ボルネオ奧地視察隊壯途へ |
05 | 美事任務果して 白衣天使晴れの歸還 |
06 | 羅東郡の赤誠献金 |
07 | 教育報國に邁進 臺北市教育會總會 |
08 | 空襲時の必勝體制 公共代避所を增設 代避所の增強要綱 |
09 | 草むる屍、水漬く屍 遺骨なき英靈の凱旋につき 陸海軍當局談話發表 |
10 | 我ぞ大洋の決戰へ 若き海軍諸學校志願者 北一中で身體檢查 |
11 | 聽け愛國の熱辯 高橋大將全島の講演日程 |
12 | 稻田廳長山の 遺族弔問へ |
13 | 建築隊魂を發揮 カンパル河の架橋成る |
14 | 賞與はないものと 物淒い貯蓄總進軍 |
15 | 急行列車の乘客 愈よ七月一日から割當制 |
16 | 赤誠の香華料 山の兄弟が献納 |
17 | 宜蘭商議所 三十日議員總會 |
18 | 宜蘭旭校保護者會 |
19 | 日大臺灣北部 支會役員會 |
20 | 住宅營團地鎮祭 |
21 | 丹羽文雄氏陳謝 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 若き血潮は滾る 感銘深む各地海志講演會 |
02 | 增產へ七生報國 悲しき食糧戰士の白眉篇 淚そそる林君の青年團葬 |
03 | 臺中神社大祓式 |
04 | 皇室の彌榮奉祝 屏東日婦の赤誠 |
05 | 鳳山の奉祝 |
06 | 桃園の奉祝 |
07 | 國語運動の施策 常用家庭懇談會開催 |
08 | 遺家族慰問 |
09 | 中商生の赤誠 玉碎勇士に香華料 |
10 | 常會指導に 總務部長乘出す |
11 | 美し總親和總努力 優良奉公班百二十班を表彰 皇奉高雄支部結成二周年 |
12 | 優良奉公班 屏東支會で表彰傳達 |
13 | 奉壯團幹事會 |
14 | お野菜の援軍 屏東から高雄へどつさり |
15 | 確約された榮譽の日 比島獨立感謝民眾大會 |
16 | 青年團の運營 臺中で單位役員總會 |
17 | 助教師夏季講習 |
18 | 家計を締めて戰ふ 荒鷲献納に臺中の日婦蹶起 |
19 | 庄民に國語試驗 國語後龍庄の建設へ |
20 | 故波多野巡查部長遙弔式 |
21 | 感激の献金 |
22 | 健齒保持者 花蓮港で表彰 |
23 | 臺南桔梗俱樂部 けふ結成一周年記念式擧行 |
24 | 用水法推進班を組織 增產に郡守が陣頭指揮 |
25 | 留學生保護者總會 |
26 | 赤誠の献金品 |
27 | 共同收穫の元祖 豐原郡へ見學者殺到 |
28 | 出征家族に 稻刈り奉仕 |
29 | 清水出張所 事務を開始 |
30 | 新商道へ驀進 商奉幹部が鍊成 |
31 | 決戰の衣生活 內埔店で簡素化講習 |
32 | 北門郡藁叺 製造考查會 |
33 | 松浦氏を圍み 商業懇談會 |
34 | 日婦彰化分會臨時總會 |
35 | 「戰時特例」とは |
36 | 地方多より |
37 | 今日の映画演劇 |
38 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 十九廿年期蔗作認可面積 十四萬九千甲に決定 |
02 | 私鐵の買收 二鐵道國鐵に編入 |
03 | 寄港船舶の食糧品 優先的配給を要望さる |
04 | 南方經濟政策への提言/氣賀健三 |
05 | 地方財政稅制 調查懇談會 內相官邸で開催 |
06 | 來期畑作甘蔗價格 目下府當局で檢討中 |
07 | 花蓮港專賣品小賣人組合總會 |
08 | 最近の經濟問題 |
09 | 重點產業を指揮する人人(五) 中島社長 中島喜代一 |
10 | 水稻作面積減少 水利施設の不行屆で |
11 | 屏東市勞務調整會打合 |
12 | 臺北州米納入組合總會 |
13 | 日滿經濟懇談會終る |
14 | 企業整備令等公布 |
15 | 罐詰共販總會 |
16 | 靴商組合總會 |
17 | 滿尾部長 東部視察 |
18 | 大成火災 機構改革 |
19 | 蔗作改良講演會 來七日で嘉義開催 |
20 | 照明燈 |
21 | 島內株仲值表 |
22 | ラジオ |
23 | 水滸傳(998)/黃得時;碇政彌 |
序號 | 標題 |
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01 | 國內體制の決戰化 全國に戰力增強の實踐陣 七月下旬に展開せん頭條新聞 【東京發同盟】大東亞戰爭勃發して一年有半當面せる苛烈悽愴なる決戰の新段階に對處して戰力の飛躍的增強を推進確保すべき企業整備、食糧增產等焦眉の諸重要施策は過般の第八十二議會に提案され議會側の真摯な審議に依つて悉く議了、成立を見たが政府は之れ等決戰新施策を提げて一億國民の陣頭に立ち愈愈時局突破米、英擊碎完戰必勝の決意を新にして戰爭完遂に邁進する事となつた、而して政府は其の第一着手として劃期的な企業整備資金措置法を始め關係法律は豫算の交附準備を進捗完了せしめ可及的速かに之を實施に移し其の目途とする戰力增強の速かなる實効を期する事に決してをり、更に此の機會に戰力增強の基磐として國內諸體制の決戰化を促進すべく行政的措置についても根本的手法を意圖し之が實現のため諸般の準備を講じつつある、他方政府の諸施策に即應して翼政會に於いても去る臨時議會で全會一致を以つて可決した米、英擊碎、一億敢闘決議の趣旨に則り一億國民の先頭に立つて敢闘實踐運動を挺身展開すべく着着實行準備を進め七旬の農繁期境を期し全國的戰力增強の實踐陣を布く事となつてをり更に七月中旬には國民總常會たる翼賛會中央協力會議の開催もあり斯くて政府の決戰諸施策の進發、政府、翼政會の緊密關係一段の精進、翼政會、翼賛會一體の一億敢闘實踐運動の展開等を樞軸として一億鐵火の戰意は愈愈昂揚されここに國內諸體制は飛躍的な刷新強化を顯現し不敗の戰略體制に應へ擧國總蹶起の必勝完戰體制が確立されるものと期待されるに至つた |
02 | 決戰生產、決戰生活 一億總常會、この二點に集中 |
03 | 六月に五百機喪失 米英空軍の損害累增 |
04 | 防空戰の成功 獨軍事記者の報道 |
05 | 內閣、各省委員の 運用に新機軸 |
06 | けふ臨時閣議 |
07 | ソロモン米軍基地を攻擊 |
08 | “空の要塞”廿五機を擊墜 |
09 | 蛇蠍と副ひ寢する 大仙人掌のジヤングルに過す 南太平洋基地の一日 |
10 | ゴム帆船の建造に成功 交易物資滿載、南海を走らん |
11 | 獨立に一路邁進 在緬インド人大氣焰 |
12 | 東條聲明に感謝 在比島印度人蹶起 |
13 | イタリア上陸 企圖の兆候 |
14 | 英國大狼狽 ボース氏來朝に |
15 | 米國內の矛盾爆發 罷業彈壓法を繞つて對立深刻 |
16 | 依然前哨戰續く 東部戰線の戰局 |
17 | 罷業彈壓法に挑戰 米炭坑夫復業指令に服せず |
18 | 獨軍戰況公表 |
19 | 樂觀論の表面に 浮ぶ米國罷業 ルの政治力崩壞と獨斷するな |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 久邇宮大妃殿下 佐賀縣下御視察 戰ふ女性を御激勵 |
02 | 赤十字の腕章鮮か 部隊長の表彰狀を土產に 看護助手元氣で歸還 |
03 | けふ輝く解隊式 ゆふべ座談會を開催 |
04 | 圖像:看護助手晴れの歸還 |
05 | 全國に汗の奉仕 滿州開拓青少年義勇隊 |
06 | 出張豫審を行ひ 大作見榮式を一擲 文展も決戰體制へ |
07 | 感激で胸が一杯 懷しい思出の數數 |
08 | 管制一如の精神 |
09 | 交通博物館誕生 皇國日本の氣宇發揮 |
10 | 貴き體驗を教壇へ 教授連四日入營終る |
11 | 圖像:教授入營の最終日 |
12 | 紀律情味渾然一體 受講者に聽く感想 |
13 | 水戶學精神を 中心に鍊成會 |
14 | 眼前に“皇軍魂” 杜聰明博士の感激談 |
15 | 敵機必墜の確信 全彈ほとんど命中の好成績 空軍對空射擊競技會 |
16 | 皇軍精神を把握 下川醫專教授語る |
17 | 甘藷移植の恩人 井戶公の遺德を顯彰 |
18 | ビルマ訪日視 察團一行 文報と座談會 |
19 | 宮前町に火事 |
20 | 石黑信一信氏逝去 |
21 | 漂ふ黃金の波 蘭陽地方早くも 稻刈 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 怒濤なす滅敵の奔流 必勝誓ふ臺南の國民大會 |
02 | 滿堂決意に燃ゆ 各地の海志講演會 |
03 | 旗山の奉祝 多子家庭表彰 |
04 | 技術欄(5) 各種工具燒入作業と 燒入後の磨き方 |
05 | 銅門神社例祭 奉納相撲で賑ふ |
06 | 收穫の援軍に 決戰奉仕隊を繰出す |
07 | 寄宿して鍛鍊 高雄州下實業補習學校生 |
08 | 彰化の健兒起つ 市職員と和美組合職員志願 |
09 | 從軍支會起つ 受付に萬全の策 |
10 | 皆泳指導者鍊成會 |
11 | 有志が協力 畫劇挺身隊一役 |
12 | 身に泌る粒粒辛苦 繰り出す稻刈の援軍部隊 學徒奉公團の働く喜び |
13 | 計畫的農業生產 先づ九部落を指定して着手 全島に魁けて新竹州實施 |
14 | 皇國の商人魂 高雄州商奉團鍊成終る |
15 | 最善を盡す 松村教育課長談 |
16 | 真摯敢鬪の一年 臺南桔俱結成記念日行事 |
17 | 士氣愈よ旺盛 屏東鄉軍で武術大會 |
18 | 果物も農產だ 微笑むお百姓 |
19 | 斗六街協議會 |
20 | 競馬場利用 高雄の農業訓練 |
21 | 七月の肉豚割當 |
22 | 實業補習學校長會議 |
23 | 交通戰士表彰 |
24 | 滅敵の意氣沖天 臺東のル、チ葬送講演 |
25 | 米英擊滅大會 一日麻豆で |
26 | 婦人常會視察激勵 |
27 | 畫劇競演會 |
28 | 國防訓練講習 |
29 | 新埔の米英擊滅講演會 |
30 | 土俵開き |
31 | 北斗纖維製品 配給會社創立 |
32 | 中壢郡菓子小賣商組合結成 |
33 | 地方多より報社消息 |
34 | 今日の映画演劇 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 南方建設と映畫工作/歸山教正 |
02 | 梅田章氏の近著 繪解と愛國百人一首/齋藤勇 |
03 | 圖像:國寶藥師如來(宮崎縣爪生村王樂寺) |
04 | お藷は米の母/川原瑞源 |
05 | 山崎精神に徹せよ/山高しげり |
06 | 服裝新考(3) 半袴、開襟シヤツ/黃啓瑞 |
07 | 復仇(陸軍省献納詩) 高砂義勇隊に捧ぐ/李國民 |
08 | 圖像:嶋を後に(海洋展)/藍蔭鼎 |
09 | 雛の巢/西山かが代 |
10 | 新臺灣音樂 更に一段の努力を/天の十 |
11 | 詩 |
12 | 歌 |
13 | 豆外信 |
14 | ラジオ |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ルツセル島急襲 軍事施設、飛行場を爆擊 |
02 | 決戰生活を實踐 一流財界人が蹶起 |
03 | 斷乎擊碎あるのみ イタリア國民の士氣天を衝く ガイダ氏重ねて強調 |
04 | 國內週間展望 只迅速敢為に實踐 |
05 | 鄉土の友我等に續け 夏季歸鄉少年航空兵講演會 |
06 | 臨時閣議開催 |
07 | 第二戰線を熱望 駐墨ソ聯初代大使言明 |
08 | 緬甸訪日視察 團歸國の途へ |
09 | 北阿の米軍 シリアに移動 |
10 | 艦船十五隻擊沈破 獨空軍、敵護送船團を襲擊 |
11 | 圖像:日滿經濟懇談會(寫真は中西常務理事の挨拶) |
12 | 伊軍の戰果 過去一週間 |
13 | 不斷の航空決戰 東部戰線獨空軍縱橫に活躍 |
14 | 歐洲の要塞 益益強固 |
15 | 食糧行政機構設置せよ フーバー元大統領の辯 |
16 | ルの獨裁敗北 伊政界の見解 |
17 | 舊重慶系四銀行 更生に決定 |
18 | 獨軍戰況發表 |
19 | 米英擊滅貯蓄 基隆郡下街庄別座談會 |
20 | ツァブセ港 を爆擊 |
21 | 獨和蘭占領地長官急逝 |
22 | 第一級清酒味淋 の審查成績良好 |
23 | 胚芽の價格を改定 |
24 | 米學生勉強せず |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 神社に歸還參拜 總督府前で晴れの解隊式 看護助手懷しの我家へ |
02 | 亡き戰友の冥福 讀經に籠めて祈念 |
03 | 圖像:看護助手の解隊式けさ總督府玄關前で擧行 |
04 | 兵器資金に十萬圓 臺灣醫師會役員會で献納決定 |
05 | ドイツの衣料決戰 體制 |
06 | 高橋大將あす來臺 島內の視察講演日程 |
07 | 戰ふ太平山視察記 熟睡が唯一の慰安 寒來暑往、續く不屈の鬪魂 (下)深山に奏る建設譜 |
08 | 圖像:任務重し |
09 | 征け軍艦旗の下 新竹州下で海志講演會 |
10 | 二重埔國民校受閱 |
11 | 大東亞佛教青年大會 本島から六氏が出席 |
12 | 鳴らぬ鐘の嘆き |
13 | 增產へ“魂の鍊磨” 勤勞訓練所けふ新發足 |
14 | 國語運動の尖兵 專任推進員を任命 |
15 | 來れ!若鷲 募集締切迫る |
16 | 羅東郡地下足袋 配給組合總會 |
17 | 英國の氣球スペインに墜落 |
18 | 島都國民校職員鍊成體育會 |
19 | 輕快な防暑服裝 內地での着用を認む |
20 | ロシヤ人形英國へ |
21 | 血液の無料檢查 東京市で初の試み |
22 | 旅にブレーキ 東鐵旅行調整を實施 |
23 | 興南詩苑漢詩 恭祝小松吉久翁喜壽/謝雪漁、憶題阿里山/小維摩、憶題阿里山 其二/小維摩 |
24 | 人事‧消息報社消息 |
25 | 今晚の放送 |
26 | 商況(廿八日前場) |
27 | 興南案內報社消息 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 地方行政協議會設置 地方官廳をあげて渾然一體 府縣割據の弊を防除頭條新聞 【東京發同盟至急報】情報局發表(二十八日午後五時三十分) △地方行政刷新強化に關する件 現下地方行政の重要性に鑑み府縣割據の弊を防除し關係都廳府縣間の行政の綜合連絡調整を圖り更に進んで特別地方行政官廳の所管行政にも亘り各種施策の綜合的運營を具現し以て各種地方官廳をあげて渾然一體となり戰時地方行政の振作に邁進する體制を整へんとする、その要綱左の如し 「地方行政刷新強化方案要綱」 一、地方別に地方行政協議會を左の如く設置する事 (一)設置すべき地方 「北海地方」北海道、樺太 「東北地方」青森縣、岩手縣、宮城縣、秋田縣、山形縣、福島縣」 「關東地方」茨城縣、栃木縣、群馬縣、埼玉縣、千葉縣、東京府、神奈川縣、山梨縣、警視廳」 「東海地方」岐阜縣、靜岡縣、愛知縣、三重縣」 「北陸地方」新潟縣、富山縣、石川縣、福井縣、長野縣 「近畿地方」滋賀縣、京都府、大阪府、兵庫縣、奈良縣、和歌山縣」 「中國地方」鳥取縣、島根縣、岡山縣、廣島縣、山口縣 「四國地方」德島縣、香川縣、愛媛縣、高知縣」 「九州地方」福岡縣、佐賀縣、長崎縣、熊本縣、大分縣、宮崎縣、鹿兒島縣、沖繩縣 (二)組織協議會は會長一人及び委員若干人を以てこれを組織す、會長は內閣總理大臣の指定する地方長官を以てこれに充つ委員は會長たるものを除くの外當該地方內の地方長官、財務局長、稅關長、地方專賣局長、營林局長、鑛山監督局長、工務官事務所長地方燃料局長、海務局長、遞信局長、鐵道局長及び勞務官事務所長を以つてこれに充つ (註)地方の事情により本文の地方特別の官廳の長若干を缺き又は他の地方特別官廳の長を加ふることあるべし (三)權限地方行政の綜合連絡調整に任ずるものとす (四)運營(イ)本協議會の運營についてはその迅速適正を期し得よう議事規則等を作るものとす(ロ)本協議會の庶務は會長たる地方長官所屬の地方廳に於てこれを行ふ 二、戰時行政職權特例に左の如き改正を加ふる事 協議會の長たる地方長官は關係地域內における各種行政の綜合連絡調整を圖るため必要あるときは關係地方長官に對し必要なる指示をなし及び特別地方行政官廳の行政に關しては所管大臣に對し當該特別地方官廳に對し必要なる指示をなすべき事を求むる事を得 三、指定都廳府縣に特別の職員を增置する事 協議會の會長たる地方長官所屬の都廳府縣に參事官(假稱、勅任官)專任一人を置き知事の命を受け當該協議會の關係地域內における各種行政の綜合連絡調整に關する事務を掌らしむ (註)參事官は地方行政協議會の事務統理に當らしむ |
02 | 谷萩部長口演 新作戰の準備完了 制空權大勢を決す |
03 | 近く全國一齊實施 只管戰力增強に邁進 |
04 | 九地區の府縣別 |
05 | 國際展望 米國內の摩擦深刻 |
06 | 產業經濟界 大なる期待 |
07 | 金融界滿腔の贊意 明石帝國銀行會長談 |
08 | 全國を九群に分つ 新機構を實質上具現 |
09 | 食糧增產に寄與大 千石產組中央會頭談 |
10 | 臨時閣議 |
11 | 日本證券取引所發足 けふ施行規則を公布 |
12 | 內閣及び各省委員內定 |
13 | 訪泰佛教使節團 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 學徒戰時動員 學園の決戰體制社說 一 學徒戰時動員體制確立要綱は廿五日の閣議決定を經て發表された。これは苛烈悽愴を極める決戰の現段階に於いて燃え上る全國全學徒の戰力增強邁進の決意に對し政府が具體的指示方向を與へ、計畫施設を整備しもって時局下學徒の動員體制を確立した實に劃期的な大事業である。即ち決戰即應の體制を整備、學業、訓練、勤勞を一貫し綜合的教育鍊成の體形の下に學徒の心身鍛鍊の完全を期する為めの根本法を制定したものであると云ふべきである。文部省の發表に依れば(一)有時即應體制の確立として、學校報國團を國土防衞に動員し得るように整備すること、中等學校三年以上の男子に對し戰技訓練を徹底せしめること、學徒に對し特技の適性登錄制を確立すること、防空補助員とすること、女子に對しては特に戰時救護に從事せしめること等を要請し又(二)勤勞動員強化の方面として學徒動員の分野を食糧增產、國防施設建設、緊急物資生產、輸送力增強等に對して重點的に集中し各部面に對する勞力、時間の一貫的方針を確立した點を重視すべきである。 二 この劃期的廣汎なる同要綱を如何なる方法を以て運營するかが今後の懸案であるが先づ具體的對策として文部省の機構を改革從來體育局勤勞課の所管事項であった學生勤勞動員に關しこれを極度に擴大強化する代りに文、陸、海、厚農、商、企畫院の關係係官を網羅した中央指導本部(勅令による)を設置しこの學徒動員機動化の適切な計畫、十全な運營を期することになって居り旬日中に同本部の實現を見るであらう。又二十萬學徒の戰技特技訓練に對しては文部當局はこれが豫算を要求すべく準備して居り取敢へず學校の指導者及び選拔された學生を中央に集め或は陸軍飛行學校に戰車學校に短期間入校せしめ歸校の上當該校の技術指導者たらしめる方法が具體的に考慮されてゐる。又最後にかく尨大なる動員が實施されれば必然的に學力の低下を來たすのではないかと云ふ學力低下論に對しては文部當局は慎重これが運用に乘出すことになって居り、動員と學業研鑽を併行、休祭日の利用、修鍊の活用、學校種類程度と作業種目を勘案し萬遺漏なきを期してゐる故、學力低下論は一片の杞憂に終るであらう 三 學徒の動員と學業の研鑽を分離して考へてはならぬ、兩者の一元化の為め大に腕を揮ふべきである。今や動員と學業の二元の間で洞ヶ峠を極め込んでゐることは絕對に許さぬ時局である。學徒動員は飽くまで學問研鑽の學徒の本分を忘却せず、かりそめにも勞務提供の如き傾向を嚴戒しなければならぬ。而して學校教職員たる者は率先垂範學徒と一體となり本動員の真精神を發揚すべきで形式に流れるとなく、その實績を重視し所謂お祭騷ぎにならぬ樣最大の注意を要する。殊に本島に於いては食糧增產が最大の使命である故、この見地に立脚してこの學徒動員の完全な措置を確立しなければならぬ。全島各農村に分布してゐる國民學校の既設の農園、必要可能なる校庭等の利用による增產は勿論高等科、初等科、高學年の男子、女子を大いに活用すべきである。殊に學校の教員は各街庄の技術指導員と聯繫を密にし增產指導に最善を盡さなければならぬ。要するにこの學徒戰時動員は正に我が擧國總動員態勢を完璧ならしめたもので謂はば文教維新の序幕であり一千餘萬の學徒の使命は愈よ重且つ大となったのである |
02 | 決戰下の學徒鍊成 內地に倣つて強化したい 西村文教局長歸臺談 |
03 | 強く美しく朗かに 基隆市桔梗クラブ結成式 |
04 | 圖像:タイ國軍の精銳 |
05 | 今年も豐作 收穫にヨイ子供が手傳 |
06 | 山縣司令長官 皇民奉公會顧問に委囑 |
07 | 宜蘭市常會 あす公會堂で |
08 | 至誠奉公に邁進 決戰下の廈門至誠會 |
09 | 無格社の整備 神祗院豫算を計上 |
10 | 東京都の誕生語る狹間氏 陣痛將に半世紀 惱は都長官の選任法 |
11 | 貯めた硬貨を献金 |
12 | 征戰完遂の外なし 米英の人種的優越感粉碎に アジア人排擊移民法を回顧鶴見氏の感想 |
13 | 海軍志願兵へ 六千の若人が志願待機 |
14 | 羅東郡事務打合會 |
15 | 來れ!若鷲 募集締切迫る |
16 | 白衣奉仕の至誠 米島さんに輝く表彰狀 |
17 | 婦人經濟決戰標語入選發表 |
18 | 花蓮港廳廳會 全議案を可決して閉幕 |
19 | 決戰貯蓄推進に一役 勸業信組十周年記念に 城北地區座談會開催 |
20 | 實業團に凱歌 羅東郡野球大會 |
21 | 人事‧消息報社消息 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 青年蹶起の時は今 大溪郡の適格青年奮起 |
02 | 日本男兒の榮譽 斗六の海志講演會深い感激 |
03 | 鐵石の誓ひ 彰化市役所の若人ら起つ |
04 | 起て、海は招く |
05 | ぐんぐん殖える收穫量 臺中州の競作田今年も有望 |
06 | 集集の講演會に 青年の決意固し |
07 | 勤勉と鍛鍊の夏 嘉義郡國民校の夏休計畫 |
08 | 體育會盛會 |
09 | 圖像:共榮圈のヨイ子供へ日本紹介を贈る(寫真は繪本) |
10 | 司法講習會 |
11 | 虱目魚夏の食膳に登場 南部の魚塭、魚撈を開始 |
12 | 蓖麻栽培を獎勵 嘉義實行組合乘出す |
13 | ビルマの宗教生活 嚴格な戒律烈烈な信仰 |
14 | 戰ふ日婦 全國支部の報告 |
15 | 畫劇競演會 |
16 | 新鮮で值段は公定 虱目魚の集荷と配給に萬全 |
17 | 兵器献金を決議 皇奉臺東廳支部總會 |
18 | 生食用鳳梨は一日から ハワイ種も日に五千斤供給 |
19 | 烈士濱田彌兵衛翁 三百十五周年忌祭 |
20 | 子寶家庭の表彰 |
21 | 國語報國に邁進 臺南市國語家庭會結成 |
22 | 不急用品の交換 皇奉臺中市支會で案を練る |
23 | “新莊日婦部隊”の敢鬪 三日間の仕事を一日で完了 |
24 | “實物教材生きる” 大楠公、二宮先生銅像の應召 |
25 | 乙女ら稻刈を手傳ふ 百姓たち笑面で歡迎 |
26 | 潮州優良奉公班 |
27 | 戰時災害保護法講 話並に打合會 |
28 | 地方多より |
29 | 今日の映画演劇 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 特殊鋼配給統制 要綱改正、七月より實施 |
02 | 夏物パイン生產配給計畫 五萬七千餘噸に改訂 |
03 | 炭坑統合座談會 保續增產が急務(一) 現狀の儘では樂觀許さず |
04 | 天岩課長談 本島商企業整備 既定方針で進める |
05 | 大野理事官歸臺 |
06 | 重點產業を指揮する人人(六) 日本輕金屬常務 上島清藏氏 |
07 | 纖維食糧を增產 ジヤワ最近の經濟 |
08 | 農產物增產 の綜合監察 |
09 | 造船報國會を 會社組織に改組強化 |
10 | 小南澳に苧麻作 本年中二百甲を集團栽培 |
11 | バナナの撤退で 來年一期米增產確實 |
12 | 造船組合を結成 內地產組造船資材の確保を企圖 |
13 | 自活經濟の確立へ 比島の逞ましい前進 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況(廿八日後場) |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(999)/黃得時;碇政彌 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵機四十四機擊墜破 荒鷲ダーウイン、ワウ攻擊 |
02 | 敵戰鬪力全く潰滅 |
03 | 熾烈な機動戰展開 赤軍、中部戰線に兵力を集結 獨軍、萬全の對應措置を整備 |
04 | 好餌を索めて勇躍前線に出擊する海鷲 |
05 | デーヴイス 辭表を提出 ルーズヴエルトの食糧政策に反對 |
06 | 企業整備資金措置法 施行令案の要綱 七月十五日に實施 |
07 | 宋美齡は 倫敦訪問せず |
08 | 適切な措置 寺井郵船社長談 |
09 | 大行政區域制 新機構の齎す福音 防空、增產と配給、教育の 戰時生活面からの考察 |
10 | 大東亞展望 同生共死の態を完成 |
11 | 獨軍長距離砲 ド海峽を砲擊 |
12 | “暴英打倒に邁進” 「日本國民への挨拶」と題し ボース氏初の國內放送 |
13 | 藤山日商會頭語る |
14 | 圖像:比島獨立準備委員任命式 |
15 | イランに暴動蜂起 全面的の內亂に發展 |
16 | 搭乘員の損害累加 反樞軸空軍の爆擊繼續不能 |
17 | 米軍黑人部隊 英憲兵隊衝突 英國西部某市で |
18 | ユーゴ―砲艦引 揚げ |
19 | 伯國勞働者賃金引上げ |
20 | 譽の看護助手 臺中州隊歸還 |
序號 | 標題 |
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01 | 嚴かな大祓式 あす各神社で擧行 |
02 | 大祓の由來 清純潔白な心境に |
03 | 臺大工學部十月開講 規程認可七月十日募集開始 |
04 | 傷痍軍人幹部鍊成會 |
05 | 圖像:兒童の慰問畫に喜ぶ海鷲勇士寺尾海軍報道班員撮影(海軍 省許可濟第一○一號) |
06 | 高橋三吉大將 一日夜公會堂で講演 |
07 | 陸軍病院へ 赤誠の慰問 |
08 | 中堅吏員を鍊成 新竹州來る四日から三日間 |
09 | 休廢業勤勞力の 速かなる戰力化 產報會協力要綱を決定 |
10 | 比島地方建設譜(上) 眠れる資源を開發 木綿代用のアバカ織物 |
11 | 商業挺身員 四十名選んで鍊成 |
12 | 新莊郡民赤誠の建艦献金 |
13 | 醫藥品、衛生材料調查 七月一日午前零時を期して實施 |
14 | 譽の家を弔問 日婦本支部、支會役員が |
15 | 發明を積極助成 國家要請の發明題目を發表 |
16 | 宗教翼贊の道 全島牧師の鍊成會に 山本事務總長激勵 |
17 | 米國の食糧危機 昨年に比し二割の減收 |
18 | 興南詩苑漢詩 祝小松吉久翁喜壽/平山聯滄、祝小松吉久先生喜壽/謝尊五、祝小松吉久先生喜壽/陳清秀、祝小松吉久先生喜壽/林夢梅 |
19 | 人事‧消息報社消息 |
20 | 今晚の放送 |
21 | 商況(廿九日前場) |
22 | 興南案內報社消息 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ガダルカナル島血戰記 おのれッ、ヤンキー奴 日本刀の斬れ味を見い 南の神兵斬り捲る頭條新聞 【東京發同盟】大東亞戰爭はいよいよ苛烈なる決戰の段階に入り前線におけるわが將兵はあらゆる惡條件を克服して敵の執拗なる反攻に對し勇猛果敢なる奮戰を續け米英擊滅に邁進しつつあるがここに昭和十七年十月ガダルカナル島北岸タサワロングに敵前上陸を敢行したわが古宮部隊將兵殊に那須、古宮兩部隊長の奮戰の模樣が森川陸軍報道班員に依つて齎らされた 同部隊はルンガ河地帶にある敵の飛行場を叩き潰すため優勢なる敵と交戰し且つ人跡未踏の密林地帶にマラリヤに冒され激しい下痢に罹る等筆舌に盡し難き瘴癘地獄と戰ひ克く頑敵を擊碎し皇軍の威武を發揮した、特に那須、古宮兩部隊長は敵の有力部隊の包圍下に晒されながら日夜孤軍奮闘を續けるわが軍の士氣と團結をいよいよ強烈ならしめつつあつたが遂に那須部隊長は激しいマラリヤのため陣中に斃れるや殘つた古宮部隊長は軍旗を捧じて將兵と共に敵群中に斬込みその使命を全ふして日本武士道の精華を遺憾なく發揮したものでその壯烈鬼神をも哭かしむる勇戰奮闘振りはアツツ島におけるわが勇士の玉碎振にも劣らぬものがある 陸軍報道班員森川賢司 入跡未踏密生してゐる大木が亭亭と天を衝き大蛇の樣な太い蔓が幹から枝へ枝から地上へはい廻り名も知らぬ寄生木が縱橫にからみつき針の樣な銳い刺をもつた荊が隙間もなく地上をのた打つてゐる此密林地帶は千古の謎を秘め、なんとなく神秘的な空氣が靜寂な中を漂つてゐた、前も後も左も右も大木と大木、蔓と蔓に蔽はれて薄暗く、見上ぐれば一點の青空さへ見へない物凄さと言はうか恐しさと言はうか無言の大自然がひたひたと全身を襲ふて思はず肌をあわただしめる、更に又地上には巨大な木の根が章魚の足の樣に八方に擴がり無氣味なことは夥しかつた、晝尚暗いこの大密林地帶に前進してゐるのはわが陸の精銳古宮部隊であつた、曾つては陸軍士官學校の教官として多くの青年將校を訓育し一方劍道の達人としてその偉名を謳はれた部隊長古宮大佐は二十何貫の堂堂たる巨軀を陣頭に進め磁石と地圖、空中寫真とを睨み合せて方角を定め自ら指揮をとつてゐた、昭和十七年十月○日拂曉古宮部隊はガダルカナル島北岸タサワロングヘ敵前強行上陸を敢行するやルンガ河下流地帶にある敵の飛行場を叩き潰すため道なき密林地帶を切開き敵の背後に迫りつつあつたのだ日本軍の上陸を極度に恐れた敵は拂曉時から薄暮時にかけて間斷なく 飛行機を飛ばし艦艇と協力して海岸線一帶を嚴重警戒してゐた、當時の敵狀はルンガ河の西クマ高地からヒヨウ高地にかけて堅固なる陣地を構築し掩蓋銃座を作り散兵壕を掘り幾重もの鐵條網を張り繞らし更に彼等の主要陣地は飛行場の東、北流する中川の左岸に沿ふて飛行場を包圍する樣に構築されてゐた、砲兵陣地は飛行場の北側、海岸に沿ふて占領し高射砲陣地はヒヨウ高地の東部と西海岸附近にあるらしかつた敵は刻刻と兵力を增し器材を揚陸し密林地帶や椰子林を燒拂ひ陣地構築に狂奔してゐた、こうして彼等は近代科學兵器の多數に依存し火力發揚に全力を傾注し豐富なる彈藥の使用に依つてわが軍の攻撃力を破碎せんと企圖してゐるらしく思はれた、又敵はわが軍の揚陸や糧秣彈藥の揚陸を極度に恐れグラマンP三九等の戰闘機をもつて海岸線を飛び廻り揚陸地と思はれる個所には盲彈の雨を降らせ少しても怪しいと思はれる密林地帶にも惜氣なく爆彈を叩きつけた敵飛行場附近はガーグル少將の指揮する海兵隊で警備してゐたが最近日一日の陸兵が上陸しその兵力二萬五千と言はれてゐた、古宮部隊は今この大敵をアウステン山の峻嶮を迂回し背後より突入擊滅せんと進擊を續けてゐるのであつた時には 部隊長自ら斧を揮つて太い蔓を切り鎌をとつて荊を刈り取り道を切開いてゐた、夜の密林地帶は一寸先も見られない敵機に發見される恐れがあるので燈りは全然つけられない、兵隊達は一列縱隊となり前の兵隊の背嚢を摑み木の幹に蹉き或は□地へ轉んで泥まみれになつて進んだ時は南海の雨季である白い雲が密林地帶を風の樣な早さで包む天地を覆ヘした樣な物凄い□大□雨が暴風雨を思はせる音を立てて密林地帶を叩きつけた泥水は忽ち河となつて滔滔と地上を流れ而もこの大豪雨は一日二、三回必ず襲つて來た、部隊長始め將兵達の軍服は上陸以來かわいたことがない、何時もびしよ濡れでズボンの膝邊りは荊のために殆んど破れ半ズボンの樣になつてゐる「日本の軍人だつ、東北健兒だつ、こなことにへこたれるなあ」部隊長は自ら部下を激勵し相變らず陣頭に立つて荊の道を切開いた、顏や手足は傷だらけになりそこから血潮が吹出してゐる、部隊長のこの苦闘振りを目擊してゐる部下達は幾度となく後退を追つたが「大丈夫ぢや、心配するな」と豪快に笑つて相變らず密林と戰ひ續けてゐた、十月◯日部隊は漸く勇川の邊りに達した、いよいよ敵の真正面である、背後を漸く部隊の行動を敵に察知されては上陸以來 不眠不休の苦心も水泡になると考へた部隊長は中隊長勝股大尉を呼んで地點を示し前面の高地占領を命じた、勝股大尉は部下と共に地圖を唯一の賴りとし密林地帶を通り苦心の結果、草原高地を占領しそれぞれ兵を配置して警戒に任じてゐた、暫らくすると杖をもつた部隊長が單身ひよつこりこの陣地に姿を現はした「勝股大尉この高地はちよつとおかしいぞ」部隊長の頭では圖上の草原高地を占領すれば敵の陣地を一望の下に見下せるものとのみ思つてゐたのに前も左右も草原の高地が起伏して青空以外に何も見へなかつた「勝股大殿やはりここは違ふぞ」暫らく地圖を見つめてゐた部隊長はこう言つて大尉を振返つた」前面のたの高地ぢやよ一緒に來て見い「部隊長殿勝股が參ります、部隊長殿は大切なお體、大尉は自分の見當違ひを深く悔ゆると共に部隊長を煩はすことは慚愧に堪へなかつた「なんのわしは將校斥候ぢやよ」と愉快さうに大きく笑ふと大尉を從へ密林の谷へ下り、又登つて目的の草原高地へ出た「ここじや、ここじや」この高地から見れば敵の陣地は一望の下に開けてゐた、殆んど波狀の丘陵地帶で山頂は草原となりマタニカウ河ルンガ河はその間を帶の樣に北流してゐた、振返れば勇川の邊りも眼下にありわが陣地まで手にとる樣に見へた「のう勝股大尉この高地さへ抑ヘれば」部隊長は滿足さうに笑ひ「尚あの高地も一つ」と 右手の草原高地を指した、再び部隊長は草を搔き分け磁石と地圖を賴りに第二の目的高地へ進んだ、後に從つてゐる勝股大尉はありがたいやらもつたいないやらで幾度も喉をならしこの部隊長の生きた教訓をしつかと頭の中へ叩き込んだこの二つの高地は九○三九九○の高地と稱し其後味方の作戰に非常に有利な地點となつたのである、○日、部隊は勇川上流に集結した、いよいよ部隊は戰闘隊形をとつてアウステン山の背後を廻り一擧に敵陣へ突入するのだ、その夕刻部隊長は幹部以下中隊長達を集めた、 部隊はいよいよ明拂曉を期し戰闘隊形をとつて前進する、各隊はそれぞれ任務を自覺し勇往邁進せよ誓つて先輩が輝かした部隊の歷史を穢してはならぬ東北健兒の本領を充分に發揮すべし最後の乾杯としてとつて置きのウヰスキーの栓が拔かれた濕氣の多い地面に木の葉等を布いて一同車座になつて水筒の蓋を手にとつた今日の部隊長は鬚を美しく剃つて若返つてゐる相變らずいつもの溫顏であつた「あ、鬚か、俺はいつ戰死しても心殘りのない樣に鬚を剃つたのぢやよ無精鬚をはやしたみにくい面を戰地にさらしたくないし地獄へ行つて閻魔大王の前に立つても幅を利かす樣にのう」と部隊長はつやつした 頰から顎を撫で廻し「これで十歲位は若返つたろう」と一同を笑はせ自分も亦可笑しさうにからからと笑つた「それから俺のない後はここにゐる渡邊中佐が部隊長代理である」傍らでちびりちびりウヰスキーをなめてゐた渡邊中佐の肩を叩いた部隊長がなんの屈託もなく愉快さうに話してゐる一言一句が中隊長の頭に胸にきりきりとしみ込みの臉がかつかつと熱してゐた「みんな神妙な顏をしてゐるぢやないか、どうだわしの隱藝こんぴら船船をこのジヤングルの中で踊ろうか、アハハハハ」古宮大佐は既に死を決してゐるが一方敵兵を呑んでかかつてゐた明けて翌日、戰闘行動を開始した、長蛇の如き部隊は部隊長を先頭に高橋工兵部隊が未だ完了してゐない山道をアウステン山の背後に向つて意氣揚揚進撃を續けた「古宮部隊長は、折柄部隊へ追ひついたのは杖を右手に摑み左手を野村副官の肩かけた那須部隊長であつた「部隊長殿は先頭に立つて居られます」「さうかみんなも御苦勞千萬ぢや、しつかり頑張つて吳れよ」と兵隊達に犒ひの言葉を投げて走る樣に先頭へ進んだ、那須部隊長は鉢卷をきりりつと結んでゐたが顏は真赤に目の中は生氣なく濁り熱つぽい顏の樣に見受けられた 當時那須少將は、惡性マラリヤに冒され四十度以上の高熱が續き體は極度に衰弱してゐただが古宮部隊前進の報告を受けるや責任感の旺盛な少將の頭に「人間は死生を超越して任務に邁進せよ」と言ふ座右の銘がぐつと浮び上つて來だ「俺は古宮と共に前線に立つ」副官や軍醫はその無謀を磁力止めたが少將は頑として應じなかつた 不肖那須弓雄陛下より部隊指揮を一任されてゐる最後の斃れるまで指揮をとるのがわしの任務である 少將は割れるほど痛み出す頭に鉢卷をなし高熱と疲勞にふらつく體を一本の杖で支ヘ野村副官の肩を借りて部隊の後を追ふたのであつた。元來少將は世の中の粹も甘いも嚼み分けた典型的武人肌の人で文學、詩歌等も玄人を凌いでゐた「おのこ我れ防人となる甲斐ぞあれ東半球の果に死ぬれば」これは少將がガ島へ上陸して敢闘の後自己の心境を現はした歌であるがこの歌が結局少將辭世の歌となつてしまつたのだ、又少將の容貌は魁偉で一見恐しい樣であつたが人一倍涙もろく部下思ひだつた、もつとも少將の頭を惱まし日夜心いためたことは部下部隊に戰死者、マラリヤ患者下痢患者の續出したことである「陛下の赤子を多く失ひ奉つた、その罪萬死に當る」少將は暇さへあれば 遙かに宮城を伏し拜み不德の罪をお詫びしてゐた、何時も少將の頭にまつわりついて離れないのは去る九月敵陣深く突入し敵の心膽を寒からしめて華華しく散つた將士の英靈のことであつた、九月○日の未明敵飛行場の遙か東タイボ岬ヘ突如敵前强行上陸を敢行した部下部隊青葉部隊は海岸傳ひに敵陣地へ進擊し八日の拂曉にはレンゴへ到着した、いよいよ敵陣間近である部隊は密林や椰子林の中へ潜り込み東と南から敵陣へ突入する作戰をとつに、將兵の意氣將に天□衝く、山と河との合言葉で十二日夜半を期し一齊突擊を敢行し敵を殲滅するのだ、六日目には◯◯部隊と出會ひ糧秣を一日分を貰ひ受け山口部隊長から前進する地形、敵狀等詳細な注意を與へられた、翌日、明夜こそ白兵戰をもつて敵を撃滅すると、兵隊達は銃や劍を磨き衛生兵等は固い木を切つて手頃の槍を作つてゐた、八日目の夜半突擊命令が下つた、雨雲の樣な黑い塊になつた各隊は天をひつくり返す樣な喚聲と共に東南にある敵の第一線を突破した、慌てた敵はこの地點に全兵力を集中し追擊砲、機關銃を間斷なく擊出し防戰に努めた、敵の飛行機は頭上を飛び廻り時折照明彈を落して地上を真晝の樣にし爆彈を目茶苦茶に投下した「おのれつ、ヤンキー奴」「日本刀の斬れ味を見よ」 將兵は血達磨ととなつて奮戰し猛烈なる敵の銃砲彈を冒して第一線を突破した、敵の銃砲火は十字火となつて飛んで來る方の將兵はばたばたと斃れて行く、この激戰中或中隊長の如きは部下二十七名を提げ迂回して敵の幕舍を奇襲し百何十名近くの米兵を斬り殺し或は突き殺して壯烈鬼神も哭く戰死を遂げてゐる、進擊路はアウステン山の南麓重壘たる峻嶮をやや直線に切開いたもので胸つく樣な坂を蔓にすがつて登り又千仞の谷底へ藤蔓を傳つて猿の樣に下りて行く、何しろ言語に絕する惡路であつた、ましてや時は雨季、午後になると盆をくつがへした樣な土砂降りである何處までも續く泥濘の道、將兵は雨にたたかれ泥にまみれひた向きに進擊から進撃を續けた、那須少將と古宮大佐はひしよ濡れになつて先頭を進み方角を定め密林を切開いてゐた、◯日、漸くルンガ河上流に達したが濁流滔滔として無氣味な渦を卷いてゐた、「閣下無理をなすつてはいけません」大佐は時折少將の顏を覗き込みその無謀なるを諫止すると共に後退して療養に努める樣切に進言したが「古宮、部下の苦痛を思へ、部下の苦痛を思へば」そんな時には大粒の涙が頰に光つてゐたルンガ河の濁流も 少將自ら先頭を切り胸まで浸つて進んだのである、少將の頰はげつそり焦けて目は日一日と生氣を失つて來る、それでも相變らず鉢卷をし杖にすがり副官の肩を借りて古宮大佐と共に方角を定め密林地帶を切開きながら進んでゐた、少將のこの痛痛しい姿を目擊し斃れて後やむの神神しい姿を眼の邊り見た兵隊達は「閣下でさへもあの樣な御苦勞をなされてゐる、俺達なんかなんだつこれしき」互ひに勵まし合ひ元氣づけあつてゐた、斯くて五日後の拂曉敵に察知されず飛行場の南端六百米のジヤングル地點へ到着したのである「今夜の二十二時を期して敵陣地へ突入する」と決し、兵隊達を一時休養せしめ又病魔に襲はれた兵隊達を護送せしめることにしたジヤングルの夜は來た、その夜雨雲が低く雲足が早い、一寸先も見へない真の闇、古宮部隊長は自ら磁石をもつて先頭を進み兵隊達は一列縱隊となつて續いたいよいよ敵陣に近づいた時、大スコールが下界を押し流す樣に降つて來た、好機逸すべからず「突撃つ」の命令一下、部隊長自ら軍刀を閃かして敵の第一線へ飛び込んだこの思ひがけぬ奇襲に慌てふためいた敵は追擊砲陣地の砲口を一齊に開いて目茶苦茶に擊出した、砲彈は前後左右に炸裂し泥と石塊は雨と共に降りしきる味方はばたりばたりと斃れて行くらしい「軍旗と共にしねつ」聯隊旗手 犬塚少尉は大聲で叫びながら部隊長に續いた「軍旗と共に、軍旗と共に」兵隊達は真暗な中で聲を賴りに殆んど手探りで續いたのである「あつ」犬塚少尉は一聲叫んで泥へのめつた直樣駈寄つた大野少尉に「軍旗を捧持し軍旗と共に死ぬつ」と叫び續けた、兵隊達は戰友の屍を乘越へて進擊する雨は激しくなるに從つて敵彈いよいよ猛烈だ「軍旗暫らくは後退せよ」部隊長は砲煙彈雨の中で叫んだ「軍旗はここまで進んで居ります士氣昂揚の上からも後退することは絕對出來ません」と大野少尉は敢然と進擊を續けたのであるだがしかし敵の盲彈と暗さのため連絡は切れてしまつた、雨は晴れた、敵は第二線と百米位の距離にある、死角を利用した古宮大佐は吉井少佐以下を集めて軍旗を拜し終りて「詔書」古宮部隊長の口から嚴かな言葉が流れると居並ぶ將兵の襟を正させ身を緊張裡にこはばらせた 天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有眾ニ示ス 朕茲ニ米國及英國ニ對シテ戰ヲ宣ス朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ 音吐朗朗と奉唱し部下をして決死の覺悟を促がきしめた 部隊長は敵中にあつても大丈夫ぢや、お前達は軍旗を捧じて那須閣下の下へ歸つて吳れと勸めたが誰一人歸らうとはしない、遂に命令を以て指命し拂曉 再び第一線を突破し味方陣地迄後退せしめた、殘るは古宮大佐以下僅かに○○名、てうど古宮部隊長が敵陣へ突擊した時那須少將の病狀は惡化し眼は眩み手足の自由さへも失つてゐた、明け方近くか、敵陣地方面の猛烈なる銃砲聲に意識を取戻した少將は暫く耳を傾けてゐたがむつくと半身を起し「古宮はどうしたツ」「大佐殿は昨夜から今朝方にかけて敵陣地へ突入いたしました」「突入したか、部隊全員が一丸となつて突入したか」「それが暗きの為進絡が斷つてしまつたのであります」副官は申譯ないように答へた、「連絡が斷つた、連絡が斷つた、副官、ウヰスキーを吳れ」少將はウヰスキーをぐつと飲み乾すとすつくと立上り「いよいよ靖國の社へ行く時が來た」と杖と軍刀を兩手に杖つき「本部は前進せよ」、夜は白白と明けて來る敵の第一線近くまで進んだ少將は眼尻を吊上げ齒を喰ひしばつてじつと敵陣を睨んでゐた、銃砲響は烈しい、「敵中へ入つた古宮は苦境に陷つてゐる、全力を擧げて救出しなければならぬ」少將の瘦せこけた頰には二線が朝露のように光つてゐた、敵彈は前後左右に炸裂する、「閣下危險であります、暫く掩壕にお入りになりましては」副官は切に勸めたが 少將は首を橫に振つて應じなかつた、四邊の部下はばたばたと斃れて行く、その度每に少將の顏は曇りゆがんだのである、突如、敵の一彈が少將と野村副官との中間に炸裂し土砂は濛濛と立上つた「ウム」“閣下ツ”副官はじめ將校連中が駈け寄つて抱き起した「なんともない、なんともない」と平氣で言つてはゐるものの破片創を受けた左足からはどしどしと真赤な血を噴き出し黑い地上をどす赤く彩つてゐた“閣下ツ”、古宮部隊報告ツ“轉るように駈け込んで來たのは勝股大尉であつた、左顏面を負傷したらしく血潮は顏から胸にかけて流れてゐた「古宮部隊」少將はすつくと立ち”軍旗は、軍旗はどうしたツ“と息苦しいほど激しく突つ込んで來た、「捧持して只今到着いたしました」「そうか、そうか古宮大佐は」「ますます士氣旺盛孤軍奮闘を續けてをられます」「部下は何名か」「○○名と思ひました」「ウム」古宮をこの儘敵中に置くことは斷じて出來ない、將兵も少くなく苦勞も多く疲勞も激しからう、古宮よ暫く頑張つてをり那須自身が手兵をひつさげて必ず救出に行くぞ「勝股大尉、報告に來る、そうそう御苦勞ぢやがもう一つ骨折つて貰ひたい、それは那須が今宵殘りの部隊を纏めて敵陣へ突つ込むといふことと左翼にある 廣安部隊をして古宮部隊を救出せしむるようこの二つを本部へ連絡して貰ひたいのぢや」「はいツ」「賴むぞツ、急げよ」「はいツ」大尉は橫ツ飛びにジヤングル地帶へ飛込むと少將はどつと尻餅をついた、相當に苦しいらしく肩で息してゐるし時時齒をきりぎりと嚙みしめてゐた、敵味方の擊ち交ふ銃砲聲はもの凄い程猛烈だ、目眩ひするような痛さと苦しさをじつと堪へて大尉はジヤングル內の小路を走り續けた、負傷者は續續と後送されてゐる、衛生兵は勿論兵員さヘ不足なので輕傷者は重傷者をいたはり或ひは杖に縋りてよろめきながら、或ひはゐざりながら、這ひながら默默として下つてゐた暗さは暗し、雨は激しく橫毆りに叩きつける敵の迫擊砲彈は恰も小銃彈の如く飛散してゐる幾回となく突擊を敢行し、漸く第一線を突破した續く兵は何名か少しも解らない「突擊だ突擊だ!」突然大尉の足許から呻く樣な聲が洩れた「誰だ」「突擊だ」答は同じ突擊の聲であつた不審に思つた大尉は近づいて顏を透して見た、隊の越智政夫伍長である、「越智伍長」大尉は呼んだが、彼の耳へは入らぬらしく鐵條網の線に縋つて躪り這ひながら突擊だ突擊だと叫んでゐる 迫撃砲彈で胸から足にかけて致命傷を負ふてゐた彼は殆んど失神狀態で痛さと苦しさに唸りながらも「突擊だ」突擊だと叫び續けてゐたのである、大尉は真赤に燒け爛れた鐵砲を舌み込んだ時の樣な苦痛を受けた、「中隊長だ、勝股大尉だ」彼は意識朦朧としてゐる伍長の耳許で叫んだ、伍長には言葉が通じたのかどうか「中隊長殿の處へ行こう突擊だ突擊だ」聲は次第に細くかすれてくる「中隊長殿」大尉は足許から呼び止められた、昨夜の夜襲の際左足貫通、骨折して步行困難な西牧三郎兵長であつた、彼は躄の樣にずりながら後方へ下つてゐた「おお西牧兵長か」「隊長殿申譯ありません」「戰は之からだ後方で充分傷の手當をせい俺は今重大な命を受けて急いでゐるのだ、何れ又會はうぞ」、「中隊長殿待つて下さい、自分は夜襲の際握り飯一つと乾パン一袋戴きましたが、握り飯は途中で落してしまつたのですが、乾パンは少し殘つてゐます今自分は後方へ下るので必要ありませんから隊長殿へ差上げます、之を喰べて元氣を付け憎ひ米兵をやつつけて下さい」西牧兵長は大切そうに仕舞つてゐた袋を大尉へ渡した、袋の中には小型乾パンが四つ入つてゐた、大尉はいじらしい部下の心情に泣けた、何かしら涙の枯れる程泣いてみたかつた、大切にしてゐたたつた四粒の乾パンを與へて米英擊滅せよと依賴する兵隊の氣持「必ず必ず仇は取つてやる」泣きながら大尉は走り續けた、勝股大尉の連絡によつて部隊の左翼にある廣安部隊が那須少將の指揮下に入り明拂曉を期して一擧に突擊を決行することになつた、此の日は少將には永い日であつた殘りの將兵を引下げて雌雄を決する少將の顏には快心の笑が浮んだ夕刻より銃砲聲は猛烈である、少將には又マラリヤが發熱してきた、身體は燒爛れる樣に熱く頭は氣狂になる程痛かつた、少將は軍醫を呼んで注射をさせ再び副官の肩を借りて最前線に立つたのである、眼は霞んで何も見えない、身體は崩れる樣なだるさだ、 其の拂曉前少將の命令は廣安部隊へ飛んだ、味方の喊聲が轟く、少將は手許部隊へ突擊前進の命を下すと自ら高熱と疲勞と負傷の身體に鞭ち軍刀を引拔いて陣頭に立つた「古宮よ救援に行くぞ」敵は我が攻擊を豫想し刻刻と科學兵器を增加し準備を整へてゐたので、時來れりとばかり猛烈な反撃に出て來た「糞ツ、鶴ケ岡健兒だ、一步でも退くな、傳統を誇る軍旗の下で死ぬツ」敵の砲彈は少將の前方で炸裂し四邊一面蒙蒙たる土煙につつまれた「無念だツ」少將の悲痛な叫び聲を土煙の中に聞いた、そのころ本隊より一時交代の命令がきた、人事不省に陷つた少將を二◯◯メートル後方まで運び應急手當を施した、「古宮はどうした、古宮はどうした廣安部隊は」多くの部下を失ひ上は陛下に對し奉り下は國民に對して申譯がない「弓雄の不德の罪萬死に當る」と譫語を言ひながら十一時聖壽の萬歲を三唱して壯烈極まりなき戰死を遂げた、少將の心配の種であつた古宮部隊はどうしたか敵の第二線を突破し第三線との中間近くに古宮大佐以下◯◯名は敵に包圍されながら日夜奮闘をつづけてゐた、彈藥は少なくなる、糧食は夜襲の際の握り飯一個と乾パン一袋をもつてゐただけだ、丁度その夜部隊長と殆んど同時に別方面から敵の第一線を突破したのは鹽川中尉の指揮する○○名であつた、暗夜のたつ連絡は杜絕へ中尉は部隊長を極力探し廻つたが見當らず「部隊の突擊不成功であらう」と信じ切つた中尉は自ら軍刀を振つて敵陣へ斬り込み胸部に貫通銃創をうけて壯烈なる戰死を遂げた 斯くて敵の中におるのは古宮大佐以下◯◯名のみとなつたのである、其日も過ぎ翌日も暮れ更に次の日をその次の日も銃砲聲の中で夜になつた、四日間一食も口に入らぬ、水筒の水は一滴もなく咽喉はからからにかはいてゐた「此ままでは餓死を待つのみだ、潔く敵の中へ斬り込んで日本武士道の最後の散り際をヤンキー共に示してやれツ」覺悟した部隊長はその夜は敵彈をに車座になつて最後の會談をなし拂曉を待つて故國の空を伏し拜み聖壽萬歲を三唱した「那須閣下、古宮はただいまから敵陣へ突擊いたします」“突擊ツ”の命令一下天地も響く喊聲とともに第三陣地斬込んだ追擊砲、手榴彈の作裂が蒙蒙たる土煙を揚げその間を大佐の軍刀はキラリキラリと閃いたどの位血を吸ふたかその光りは鈍い、突擊喊聲は銳い、日本軍の強さを始めて米兵も感じたらう、壯烈鬼神も哭かしむる勇戰奮闘ぶりであつた、敵機は威壓するやうに頭上を飛び廻つてゐる |
02 | ダーウインを爆擊 |
03 | 施策の綜合的運營 渾然一體の實擧ぐ 地方行政協議會東條首相談 |
04 | 轉用協議會を設置 |
05 | 中央協力議會議長 小林躋造大將を起用 |
06 | 協議會の性格 安藤內相語る |
07 | 阿部中將陣歿 |
08 | 白鳥敏夫氏も 翼政會を脫退 |
09 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 錯綜せる石炭 礦區整理の要 當局の斷行を希望社說 一 大東亞戰爭下の現階段として課せられたる問題はいふ迄もなく戰力增強を齎らすべき重點產業の生產擴充である。其の內工業の原動力として將又原料として重視せられてゐる石炭の增產に對して內地に於て現在如何に血の出るやうな苦闘をしてゐるかは新聞紙を通して略其の一端を窺る事が出來やう。本島に於ては船腹の關係で今のところ多少の滯貨を生じてゐるが、島內各種工業の勃發に依る需要增加と最近の生產情況等を綜合して考慮すれば近く低給不足の兆が貯炭漸減の一指標を以て明かに指摘されてゐるところである。況んや島內製鐵事業が具體的に計畫せられ來春頃から愈愈操業を開始せられんとしてゐるから、此處に原料炭の需要が加はり、而も此の原料炭は一定の品質を揃へる必要あるため今直ちに其の生產確保增強計畫を樹立するにあらざれば或は意外な喰違ひを生じないとも限らない。されば本島石炭界の現狀に對して資材節約を中心として之を如何に打開すべきかは目下最も緊急な課題であらうと信ずる。 二 次に本島の炭坑は周知の如く炭層狹く而も地層の變化甚だしき上に、いくたの小礦區が雜多な形で隣合ってゐるため經濟的に合理的に採堀する事が出來ない現狀である。資材の豐富な時代であれば或る程度までは放任し得るが、現下の如く資材の供給がとかく不圓滑な重大時期に於て何かの對策を講ずるにあらざれば現在の生產力さヘ維持する事が出來なくなったのである、其の打開策として目下炭礦統合問題が提唱されてゐるが、之を具體的に取上げるには尚慎重に考慮せねばならないいくたの問題がある。吾人も本欄に於て生產を真先に主張したが、此の問題を解決する前に先づ隣合ってゐる錯綜せる礦區を整理して合理的探堀に支障を起さしめざるやう臨時措置を斷行せねばならなくなったのである。 三 此の問題を具體的にいへば現在採堀の炭脈が隣合の礦區にぶつかる場合、又は新規計畫を樹てる時何うしても隣接礦區を入れなければ經濟的に探堀出來ない場合、輸送の關係等と睨合はして考慮して之に對して早急に解決の道を與へる事が最も簡單に增產を促がす一方法ではなからうか。尚之に關聯して現在出願中のもの及び休眠礦區を知何に整理すべきかといふ事を先づ着手して資材節約に基く增產の隘路を切開くべきでなからうか。決戰下の現段階に於て最早往日の權利思想を尊重する必要なく此の際鑛務當局に於て現在施行せる重要鑛物增產令に基いて其の寶刀を拔いで整理統合を促進すれば直ちに解決し得る問題なのである。勿論かかる斷行を為す前に買收資金の問題を始めとして正確な調查を為し何人も正當だと認められるだけの用意がなければならない。產他人の礦區利用に依る斤先料問題も當局に於て裁定せねばならないが、之も稼行者の採算を頭に入れて妥當なところを決めなければならない。要するに石炭の增產は國家の至上命令となってゐるから、先づ不合理な礦區の整理斷行を要望せられる事、今日より切なるものはない。敢て當局の善處斷行を望まざるを得ない |
02 | 皇太后陛下 各癩療養所に 野菜の種子を御下賜 |
03 | 用意は出來たか 海軍志願兵あす募集開始 |
04 | 早くも願書の用意 天晴れ!三兄弟が揃つて蹶起 張切る臺北魁挺身隊 |
05 | 今だ‧起て海國男兒 山本事務總長が放送 |
06 | 前線偲んで猛鬪 臺北高校の軍教查閱 |
07 | 包種茶製法 講習會 |
08 | 講座數は三十一 臺大工學部の陣容 |
09 | 來れ“工學戰士” 本年度四十名募集 |
10 | 四億貯蓄攻略戰 勸信主催で座談會開催 |
11 | 郵便物、電報取扱に 新たな戰時措置 新省令七月一日から實施 |
12 | “衣”も實情即應 皇奉部長會議で評議 |
13 | 橫田軍參謀 臺銀で特別講演 |
14 | 新竹市桔俱員の鍊成會 |
15 | 海軍感謝献金 |
16 | 訃文:陳詹黃蜜 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 真の運動これから 鄉土愛に立脚して奉公 皇奉澎湖大田支部長の談 |
02 | 男なりせば海の兵たらむ 武田孃感淚に咽んで熱辯 |
03 | 勳章傳達式 |
04 | ジヤワの建設戰 警防團と民眾結集運動 |
05 | 一人殘らず起て 花蓮港廳下の講演會 |
06 | 海の兵隊さんに よい子供の慰問袋 |
07 | 豪華な番組に 勇士たち拍手 |
08 | 彰化市支會常會 |
09 | 清流滔滔七十甲を灌溉 ウライ第一、二圳ひらく |
10 | 自分らの手で建つ 高砂青年合宿道場で汗の奉仕 |
11 | 乙女らの稻刈り |
12 | 教頭研修會 |
13 | 筆を棄て鍬をとる 技術家連の增產推進策 鍛鍊道場開いて百姓體驗 |
14 | 社會教育の打合せ |
15 | 若者に遲れまい 宜蘭奉壯團頑張る |
16 | 禍轉じてこの福音 清水溪天然貯水池の開發案 |
17 | 決戰國民の恥 物品飲食稅の脫稅は嚴罰 吉田臺中州稅務課長談 |
18 | 救急講習會 |
19 | 葬儀は規約通り |
20 | 警防團を強化 |
21 | 赤誠の献金品 |
22 | 地方多より |
23 | 今日の映画演劇 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 石渡課長談 隣接鑛區の整理 強權發動には金融措置が必要 |
02 | ゴム底地下足袋の重點配給 配給統制要綱一部改正 |
03 | 炭坑統合座談會 礦區錯綜の弊害(二) 速かに除去策を講すべし |
04 | 石灰窒素を增產 臺灣電化、年內擴張完成せん |
05 | 古地下足袋の回收 新に要綱を制定 |
06 | 新巷飴等の規格と價格 一部改訂けふ告示即日實施 |
07 | 大東亞的性格に移行(一) ジヤワ經濟建設の現狀 |
08 | 木炭最高價格公定 |
09 | 食糧增產に邁進 嘉南平野の美田化進む |
10 | 臺北州 青果物配給機構 七月より整備改善 |
11 | 商況(廿九日後場) |
12 | 興南食品工場 愈愈來月中に竣工 |
13 | 照明燈 |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(1000)/黃得時;碇政彌 |