興南新聞1943年5月
序號 | 標題 |
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01 | 于學忠八方塞がり 敵魯蘇戰區紊亂甚し |
02 | 樞軸軍、陣地を擴大 チユニジアの戰況 |
03 | 我若荒鷲猛躍 |
04 | 大擧爆擊を敢行 チ戰線の樞軸空軍 |
05 | 蘇淮地區のわが戰果 |
06 | 英第一軍後退 |
07 | 圖像:□□□□出發の愛機の整備 |
08 | 滿鐵の劃期的職制改正 決戰輸送の新情勢に即應し |
09 | 米陸軍長官の戰局談 |
10 | フアシスト黨 全面的改組 新顏觸れ決定 |
11 | 新歐洲建設の理想 リ獨外相特に強調 |
12 | わが病院船を雷擊 惡虐無道の敵潛水艦 |
13 | 大村總裁談 |
14 | 米英は人類の敵 八ツ裂きも尚足らぬ 看護婦長ら憤激して語る |
15 | 獨、英輕艦□□□□ ブ□ |
16 | 赤軍に大損害 獨空軍各方面で活躍 |
17 | ソ、ポ兩國紛爭 英躍起の工作も無效 |
18 | 赤機三百五十七機を擊墜 |
19 | 青木大東亞相 昭南に歸着 |
20 | 國籍不明機 瑞典に投彈 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | □□先人の偉勳 建功神社例大祭執行 |
02 | 勅使參向に映ゆ 靖國神社例大祭第二日 |
03 | 皇恩に應へ奉らん 文化勳章に輝く榮の七氏の感激談 |
04 | 學習院全學生 靖國神社參拜 |
05 | 護國神社に參拜 臺北憲兵分隊全職員が |
06 | 晴れの壯途を前に 看護助手あす集合 |
07 | 玉手陸軍司政長官遺骨歸還 |
08 | 心は逸る現地へ 看護助手新竹班出發 |
09 | 健民運動の第一步 先づ卑近な實行から 日婦州支部から申合事項指令 |
10 | 戰力增強の一點に 戰時學徒體育訓練決定 |
11 | 郡單位に一元化 新竹州の衛生行政劃期的強化へ |
12 | 健民□□□□□ |
13 | 青年團員等 澳底御上陸 |
14 | “米英踏み潰せ” 基隆の街の擊滅戰 |
15 | 荷役戰士献金 |
16 | 六歲の天才兒 國民校三年讀本を讀みこなす |
17 | 團□□□□□ |
18 | 衛生功勞者表彰 全國で二團體、個人七名 |
19 | 國語不解者を 徹底的に一切 港都で國講所增說 |
20 | 宜蘭市道路愛 護會創立總會 |
21 | 善化街青年校 あす開校式擧行 |
22 | 人事‧消息報社消息 |
23 | 今晚の放送 |
24 | 商況(三十日前場) |
25 | 興南案內報社消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 物資交通動員同時に策定 企畫院總裁の說明頭條新聞 【東京發同盟】政府は曩に劃期的に戰時產業行政の一元化並びに緊急物價對策の確立を以て戰力增強の要請に對處し更に過般の內閣改造を以て決戰段階に即應する國內態勢の整備強化を斷行するととも物的戰力增強の根幹をなす本年度國家計畫の策定に關し企書院を中心に陸海軍、各省緊密なる運繋の下に銳意萬全の計畫樹立を準備してゐたが愈々その第一着手として三十日の定例閣議に「昭和十八年度物資動員計畫」並びに「昭和十八年度交通動員計畫」と附議、鈴木企畫院總裁より詳細說明を行つた後これを正式決定し同日午後四時情報局より左の企畫院總裁談を以て發表した、而して昨年度における物動計畫は四月二十四日交運動員計畫は六月十二日夫々決定發表をみてゐるに對し本年度においては物資動員と交通動員との緊密不可分の一體關係に鑑み兩計畫が同時に策定をみたことが注目されるが生產擴充計畫、資金動員計畫など爾餘の各國家計畫も又今後引續き迅速果敢に策定の手續を終了し、決戰連續の現段階に對處して萬遺憾なき綜合國家計畫の急速なる確立をみることが期待されでゐる △情報局發表 昭和十八年度物資動員計畫 鈴木企畫院總裁談 昭和十八年度物資動員計書は戰局進展の現段階に鑑みこれを勇猛果敢に突破すべき年度なるによりその內容構成並に物的戰力の增強など動員の性格において益々決戰體制の強化を期することになり企畫院において關係官らと真摯緊密なる協力のもとに周到なる思索と檢討を銳意これが速かなる完了に努力中であつたが各省特に陸海軍との完全なる協力によりここにその設定を了し本日の閣議においてこれが決定を見、皇國興隆のため物的戰力を一層確固不抜なる基礎の上に運營して參ることとなつたのである、今次計画は海陸輸送を一貫とする輸送の計畫とこれに基く供給力の計畫並に戰局の決定的勝利を把握すべき軍備の增強確保のため配當計畫及びこれら諸計畫の運用を確保すべき液體燃料の民需查定なるものは綿密に計畫編成し以て大東亞を含む皇國の總力發揮に遺憾なきと期し立業せられ特に先記の諸點に關し特別の考慮を加へたのである (一)敵の反攻を徹底的に破碎し皇國の勝利を決定的ならしむるに國家總力增強の一點に集約しこれが全能發揮に努め以て物的戰力においては鐵鋼、石炭、輕金屬、造船、航空機などの劃期的な增產を確保することを目標としこれがため國民戰時生活を確保しつゝ本目標の達成を期するを以て國家施策並に物動運營上の最高目標としてゐる從つて右に關聯する產業整備についでもこれが速急なる具現を期してゐるのである (二)戰局の進展に即應するため物的戰力の維持增強に對し計畫上早期萬全の處置を講ずることとし輸送計畫の實施確保、計畫供給力の確保に對する特段なる考慮をなすこととした (三)計畫の編成は十七年度と同樣各四半期實施計書を同時に策定し圓滑なる計畫の運營と不可避的最小限度の修正を行ふことに努むることとした 右の如くにして物的戰力の增強については萬般の手段を盡しあらゆる供給源を織込み軍備上緊要なるものは相當の增強を見たのであるがその內の成分においては昭和十八年度における戰局の決定的段階を突破すべ皇國の環境に應ずる物資動員の性格に鑑み直接戰爭に關係なみ需要部門は異常なる壓縮をうけることとなることは當然である然し乍ら大東亞を含む皇國の總力戰の真諦に徹底し我が國國民戰時生活の確保な固より進んで大東亞諸民族の生活についても漸次特段の注意を沸ひこれらに對する萬全なる調整措置に關しては實行上爾他諸般の政策と戰局の推移とに照應し遺憾なきを期せんとしてゐるのである、これを要するに戰局の連續的決戰段階を皇國に決定的に有利ならしむるに必要なる戰力確保のためには物資動員計畫の適正とその圓滑なる實施とを絕對に必要とするのであつて之は真に舉國一體の努力を傾注して始めて出來るわけである、國民各位は昭和十八年度は戰局突破上極めて重大なる軍なることを深思して米英撃滅のため夫々戰域を通じ最善の努力を致されんことを切望して巳まない 昭和十八年度交通動員計畫 △鈴木企畫院總裁談 昭和十八年度交通動員計畫は連續的決戰段階における戰爭完遂のため作戰と補給力の調和を企圖し特に陸海軍と緊密なる連繋並びに關係各省との周密なる打合せを遂け本日の閣議においてこれが決定を見るに至つた、本年度交通動員計畫は戰局の推移に對處し軍事上の要請を滿足せしめるとともに不拔の戰力を培ふことを意圖し輸送及び通信の充足發揮を期することを主眼として施策策定せられたのである、即ち 一、一先づ第一に交通力の整備運用に當つては機に投ずる作戰の遂行に萬遺憾なきを期せしめることとした 二、大東亞資源の戰力化を擴大強化するため交通動員計畫と物資動員計畫との有機的結合を圖り交通動員計畫において動員せられたる輸送力をして本日同時の閣議決定せられた物資動員計畫供給力の基底たらしめた、 三、輸送力、現狀に照して益々海陸輸送の真に一體的な運用を必要とするのでこれがため施設並に運營の兩面に亘り特に戰時性格を膿化しこれが果敢なる實踐を□變したのであつて特に (イ)鋼船及木船の飛躍的建造 (ロ)陸運轉移の強化 (ハ)港灣荷役力の增強 は昭和十八年度においては交通動員上汎有の障害を克服して斷じて遂行すべき三大要目として國家の勢力を市に集中することとした 四、重要物資の動態を適確に把握しこれが適時適所において取得活用せらるることは戰力增強上特に必要とするところでこれがため生產と輸送力との連繫を更に強化することとした 五、本年度においては戰時輸送の要請に基いて從來の輸送機關又は經路を相當變更することとしたのでこれに即應して關係港灣及びこれに連接する陸運の強化特に意を用ひることとした 六、船舶及び車輛の建造、航空路の擴充通信施設などの整備に當つては戰時性格を基調として常に戰爭目的の遂行に合致せしめることとした これを要するに大東亞戰爭は益々海上輸送戰の樣相を深刻ならしめてをり從つて輸送力の增強は真に皇國永遠の勝利を決定すべき重大要素である、ここにおいて交通動員計畫の焦點特に海上輸送力を核心とする海陸輸送力の綜合的增強に存すべきは當然の歸結であつてこれが實施のためには直接これに從事するものは固より國民各位も戰局の現段階と戰力增強上における輸送力發揮の重大性に深く思を致さ國家の總力を傾注して本交通動員の完遂に協力されんことを切望する次第である |
02 | 谷萩報道部長講演 「必死必成」の道突進 雄渾無比の新作戰を準備 |
03 | 東姚集一角に突入 最後の殲滅戰を續行 |
04 | 戰局相應の機動性 物動計畫の決戰的性格 |
05 | 海上輸送力に重點 計畫策定上の主要點 |
06 | 長崎海底電信線の 陸揚げ權を回收 通信自主權を完全に確立 |
07 | 對蔣援助強化に狂奔 スチルウエル、チエンノート |
08 | 米新銳主力艦 二隻が參加 ガ島沖海戰 |
09 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 在野精神の傳統と醇化社說 一 曾ては自由主義の華かなりし時政權が在野黨として時の政府卽ち內閣を攻撃し又は政權間の私闘が猛烈に行はれた事は、僅か十年前の出來事として今尚吾人の腦裏に鮮かに殘されたところである。然るに其のひと皮剝いだ中身には濃厚な政權への慾望が存し、假に反對の言動を取つたに過ぎない。これ等の所謂在野黨の活動に依つて如何に卑劣な行為が橫行され、金錢問題や獵官運動等の金錢慾、政權慾を繞つて如何にいくたのスキヤンダルが續出したかは知る人ぞ知るところである。かかる精神を以て假りにも在野精神と稱するならば實に真の在野精神を冒瀆するものであり、かくの如き言動こそいはば卑屈なる奴隷的精神の現はれしかないのである。幸に滿洲事變以來日本精神の高揚につれてこれら唾棄すべき奴隷的精神が自由主義の揚棄と共に漸次消滅せられつつあるが、此の時に當り吾人は真の在野精神の傳統を尋ね、其の高揚醇化の必要に對して聊か闡明せんとするものである。 真の在野精神とは單に野にあるとか、官にあるとかの形式を以て、律し得べきでなく、官にあつても在野精神を堅持するものあり野にあつても之を缺如するものもある。又在野精神とは決して官僚や權力に反抗する精神でなく、常に毅然たる信條を堅持して其の言動に真實と良心とを缺かない事をいふのである。古來の志士仁人は少なくとも此の精神の體得者であり、吉田松陰氏の如き、福澤謙吉氏の如きは其の著例であつて、其の中心の信念に日本精神の神髓が貫通してゐるのである。現代の日本は官僚萬能だといはれるが、其の反面に國民の心中に官僚を盲拜し、必要以上の阿附追從をした心情を潜んでゐないか、官僚內閣を罵倒した政黨人が其の內閣の政務次官、參與官たらん事を狂奔した心事が其の現はれではなからうか 二 之に反し古來一流の大人物にして所謂在野精神に徹せざるものはない。西鄉南洲氏の如きは維新の功臣であり、位は人臣を極めたが、而も彼に取つては陸軍大將を榮位と思はず故山に歸臥して田夫野人と談笑する事を樂しみにしてゐた。かかる西鄉氏の心事こそ在野精神の典型であるといへよう。勿論始めから誰にも相手にされないものが徒らに大言壯語したところで決して在野精神とはいへないが苟くも心ある人士であれば高潔な在野精神の强調は現在でも絕對に必要なものである。殊に言論文章に關係あるものの中には正しき意味の批判精神が橫溢しなければならず、かかる精神こそ在野精神に外ならないのである。政府として言論人に協力を求める意義と必要を認めないものはないが、所謂御用的言辭以外に何等取るべきものがなければ、何うして國運の劃期的興隆に參與する事が出來ようか、卑屈な言論人の附和迎合を可とする文筆に依つて何うして不朽の盛事を顯現せしめる事が出來ようか。 勿論目下我國が現在未曾有の大戰爭を展開し所謂國運を賭してゐる決戰時期であるから、言論人は勿論の事、一般の國民も在野精神を發揮するに深甚なる思慮と用意がなければならない。卽ち在野精神の醇化こそ今後再確立しなければならないであらう、然し今や大東亞共榮圈に八紘為宇の精神を光被せんとする現階段に於て一つの時代を劃せんとする文化の建設は文字通り心血を濺げずして決して安易に為□遂げられるものではない。そこに在來の舊觀念を一掃し、真に東亞十億の民眾の心を摑むには利害關係者の一顰一笑を顧慮しては絕對に新秩序が建設され得ないであらう。此の階段に於て官民とも我國に於ける正しき在野精神の傳統に思を致し、其の高揚と醇化に對して一段と其の心田を開眼すると共に其の技術に於ても一段と工夫し以て此の曠古の聖業に翼賛すべき事を望まざるを得ない。 |
02 | 作れ體力‧興亞の力 若く明るく逞しく 健民運動一齊に開く |
03 | 皇國永遠の繁榮へ 齋藤總務長官語る |
04 | 皇后陛下令旨 |
05 | 健民強兵の途斯界の威權に聽く 鍊れよ不斷の精進(一)/小林準一 |
06 | 圖像:台灣人口の量の問題 |
07 | 健民運動功勞者 全島から七名表彰 |
08 | 本社主催藝能文化研究會 ゆふべ輝く發會式報社消息 |
09 | 心身は大君の御楯 健民運動‧三大眼目決定 |
10 | 武勳燦と輝やく 基隆忠靈殿の例祭 |
11 | 建功神社奉納催物 |
12 | 一匹五百五十圓 基隆で大鱶を捕獲 |
13 | 米英機擊墜の為の彈丸切手 けふから賣出 |
14 | “僕だちの天下” 五日にコドモ大會開催 |
15 | “心と體”の鍊磨へ 勤勞訓練所を新設 |
16 | 島都生活相談所 愈よけふから店開き |
17 | 宜蘭市燃料配給組合の總會 |
18 | 青年團相撲訓練大會 |
19 | 人事報社消息 |
20 | 訃文:趙有金 |
21 | 訃文:佐井基男 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 鄉土の防衛は磐石 實力を警防日に培ふ |
02 | 圖像:南太平洋〇〇爆擊行の海鷲部隊 |
03 | 指導者の為めに(一) 皇奉運動への 反省と前望/佐野治夫 |
04 | 重責を擔ふて 花蓮港廳初の警防團長會議 |
05 | 屏東市五月常會 |
06 | 入選乳幼兒 |
07 | 見渡す黃金の穗波 樂しや!!一週間後の鎌入れ |
08 | さあ貯蓄だ! 推進員第一線に挺身 |
09 | 開山神社例祭 |
10 | 赤誠の献金品 |
11 | 中等校長打合 |
12 | 援護‧山野に遍し 到る處麗しい軍援風景 |
13 | 有難い御言葉拜して 譽れの遺兒壽一君感泣 |
14 | 志願兵銓衡試驗 高雄州あすから實施 |
15 | 亞麻競作受賞式 |
16 | 建艦献金しませう 五月常會の申合四つ |
17 | 花蓮郡商奉支會結成式 |
18 | 物淒い繁殖ぶり 養兔獎勵の成果上上 |
19 | 防風林造成推進 青木產業部長等近く出動 |
20 | 臺中州種苗商組會總會紛糾 |
21 | 一路白衣奉仕へ 譽の看護助手上北 |
22 | 早朝のラジオ體操 桃園に繰展ぐ健民繪卷 |
23 | 理事本位の配給法 組合員是正を懇願 |
24 | 區域別收穫制度 高雄州米納組愈よ斷行 |
25 | 消息 |
26 | 地方多より |
27 | 今日の映画演劇 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 物資、交通動員計畫 定例閣議で正式決定 |
02 | 滿鐵機構大改正 輸送力強化を企圖 |
03 | 社債特別引受額 本年度四億二千八百萬圓 |
04 | 最近の經濟問題 |
05 | 芭蕉の出廻促進 長官より高雄州知事へ通牒 |
06 | 臺灣土地建物 九分に增配可決 |
07 | 鐵橋架設問題 高雄港灣協會で審議 |
08 | 戰時下臺鐵の變貌 (下)計畫輸送更に強化 |
09 | 船員の保健策 當局で計畫を樹立中 |
10 | 南邦ゴム總會 |
11 | ゼニスパイプ 配當九分に据置 |
12 | 大甲溪開發事業 來月五日に起工式擧行 |
13 | 照明燈 |
14 | 臺銀人事異動 |
15 | 商況(三十日後場) |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(952)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 四十六機を擊墜爆破 雲南米空軍を奇襲 |
02 | 掉尾を飾る大戰果 趙少將以下將校十數名捕虜 |
03 | 東姚集を完全占領 |
04 | 支那派遣軍週間戰況 國府軍我に協力健鬪 |
05 | 全く無抵抗で突入 マンダレー陷落一周年 鈴木中尉當時の思ひ出話 |
06 | 奪火鎮攻略戰最高潮 |
07 | 圖像:天長節觀兵式御寫真は大元帥陛下御閱兵(代代木 練兵場にて謹寫) |
08 | 卅日夜半から罷業 ル大統領の勸告無視 |
09 | 住民希望に燃える 臨淇活氣を取戻す |
10 | クバン河口で激戰 |
11 | 米の護衛空母進水 |
12 | 罷業參加人員增加の形勢 |
13 | 國庫現計 |
14 | 米の炭坑爭議 ますます惡化 |
15 | 堅實な建設行はる 南支軍最高指揮官廣州灣視察 |
16 | 獨軍戰況發表 |
17 | ヒトラー總統 佛首相と要談 |
18 | 谷大使十日頃赴任 |
19 | 武藤弘報處長退官 |
20 | 人的資源提供を檢討 ラヴアル佛首相言明 |
21 | 駐英ソ聯大使 近く歸國 |
22 | 英バルト海に機雷敷設 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 撃ちてし止まむ力 健民に擧島總進軍 繰展ぐ各地の明朗譜 |
02 | 新竹の行事 |
03 | 武勳青史に燦たり 名譽の戰死者發表 |
04 | 大東亞戰下の華僑 問題の所在と對策 |
05 | 掛聲勇ましく 基隆のラジオ體操 |
06 | 譽れの健民功勞者 皇奉本部で八氏表彰 |
07 | 永遠の若さ強さを 長谷川總裁の告辭 |
08 | 幾轉戰大陸の華と散る 運動家永戶榮次兵長 |
09 | 齋藤總務長官 けふ空路上京 |
10 | 前線を偲ぶ熱技 第五部隊創立記念式典 |
11 | 臺北州の表彰式 |
12 | 大甲溪發電起工式 長谷川總督が臨場 |
13 | 壽青年校開校式 |
14 | 接客業者に健民講演 |
15 | 勤報隊入隊式 |
16 | 郡庶務隊長異動 |
17 | 明朗漫畫入賞者決定 七日から第一回展 |
18 | 島都學徒相撲大會 |
19 | 國語臺北州へ拍車 今年から二回の認定 |
20 | インド政廳の 頑迷を非難 米言論界一齊に |
21 | 赤十字の下に彈痕 ウラル丸血染めの入港 |
22 | 鍛へる府職員 玄關前廣場で イチニ、イチニ |
23 | 赤誠の慰問部隊 けふも陸軍病院に陸續 |
24 | 興南詩苑漢詩 哭賴懶雲畏友/周定山、哭賴懶雲畏友 二/周定山、哭賴懶雲畏友 三/周定山、哭賴懶雲畏友 四/周定山 |
25 | “献金と慰問袋” あす永野中佐が放送 |
26 | 人事‧消息報社消息 |
27 | 今晚の放送 |
28 | 商況(一日前場) |
29 | 興南案內報社消息 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 蔣系軍、共軍を擊碎 山西河南省境と察哈兩河北省境我綜合戰果頭條新聞 (東京發同盟)大本營發表(五月一日十五時)帝國陸軍部隊は山西河南省境に蟠踞せる蔣系第二十四集團軍約八萬及山西、察哈爾河北省境に蠢動中の共產軍約一萬五千に對し四月中旬より作戰を開始し隨所に敵を擊碎しつつある四月二十八日迄に判明せる綜合戰果次の如し 一、敵に與へたる損害、遺棄死體約五千、俘虜新編第五軍長孫殿英以下約七千六百主なる鹵獲品各種火砲十九門、重輕機關銃約二百挺、小銃約四千挺 二、我が方の損害、戰死九十六名 |
02 | 抗日の夢、砂上樓閣 重慶陣營日一日と去勢さる |
03 | 戰果 靈壽、平山兩縣を包圍 |
04 | 阿南、今村兩中將 陸軍大將に榮進 陸軍航空首腦部の異動發令 |
05 | 親補式執行はせらる 土肥原新東部軍司令官 兼軍事參議官に對し |
06 | 略歷 |
07 | 太行作戰北上 部隊の戰果 |
08 | 敵輸送船二隻擊沈 我鐵鯨神出鬼沒の猛威 |
09 | 西南太平洋敵司令部の發表 |
10 | 敵高級幹部の俘虜 孫殿英の外主なるもの |
11 | 雲南西飛行場奇襲敵廿二機擊墜 |
12 | 在地全敵機を擊碎(空襲詳報) |
13 | 陸軍大將陣の充實 |
14 | 陸、海軍司政長官發令 |
15 | 陸軍司政官發令 |
16 | 在支米空軍に痛棒 |
17 | 陸軍航空首腦部 強力無比の陣容 |
18 | 海軍の補職發令 |
19 | 重慶駐屯、米軍司令部の發表 |
20 | 金華地區行政國府に移管 |
21 | 注目されるジ港の動き |
22 | 對重慶物資輸送見込なし |
23 | スターリンと會見企圖か ルーズヴエルト |
24 | 青木大臣昭南發 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 本島在來文化の再認識社說 一 大東亞建設に寄與する為に本島は今や各方面より再檢討を加へられつつあるが、文化面に於ても漸次その價値を再檢討されることとなり、これまで一部人士の間に於てのみ關心をもたれてゐた在來の文化は、先般民藝品蒐集のため來臺した柳宗悅氏によつて、新たなる價值を發見され、一般人士に於ても今更の如く在來の文化を再認識する氣運が釀成されつつある。音樂文化は旣に府外事部の依囑で曩に來臺した興亞文化研究會常務理事桝源次郎氏に依つて一應の現地調查を終り、南方音樂文化政策の樹立に寄與すべく着着研究を進められて居る。宗教方面では宮本府宗教調查官の手に依つて各方面の實地調查が行はれてゐる。演劇方面も在來の布袋戱(人形芝居)皮猿戱(蔭繪芝居)傀儡戱(アヤ繰人形芝居)等が數回の試演に依つてその驚嘆すべき技術が認められ、一部では內容の改良を施して旣に公演を許されてゐる。かかる機運に際し、本島在來文化の識者とも云ふべき金關臺大教授、大倉府營繕課長、宮本府宗教調查官諸氏が本島文化の向上並に保存を圖り、島民の生活を豐潤ならしめる為官民合同研究會を設立すべく目下準備を進めてゐる。これは在來文化が絕滅の一步手前にこれら識者の手に依つて保存と向上が圖られ、技術方面では之を實生活に取入れると同時に產業化して大東亞建設に寄與し、併せて本島民の生活を豐潤ならしむれば誠に喜ばしき限りであると云はなければならない 二 勿論吾人と雖も本島在來の文化を無條件に讃美執着しやうとは思はない。從來アジア文化の本質的缺陷たる停滯性を本島在來の文化にも帶びてゐるとを率直に認めなければならない。卽ち十年一日の如く舊殼を墨守し、其間に何ら工夫進步の跡が認められないのは事實である。と云つて古いが故に、或は進步向上がない故に、徒らに之を忌み嫌ひ、排斥絕滅を圖るのも決して妥當な措置とは考へられない。何となれば新東亞文化の建設は決して無からの創造ではあり得ない。それは神の創造ではなく現實の人間による創造であり、吾吾が與へられた現實的諸條件に於て、歷史的現實的課題に卽して創造しなければならないからである。卽ち全く新しいものを從來の文化とは全く無關係に創作することではなく、從來東亞に存する文化を基礎にして批判的に發展的に止揚創造することでなければならない 三 この點本島在來の文化は何れも東亞に特有の文化であり、技術であることに着目しなければならない。米英的勢力を東亞から驅逐しその文化をも拂拭しなければならない今日、我が東亞の先人が殘して吳れた貴重な遺產を無雜作に放棄しては如何なる新東亞交化が建設され得るであらうか。在來文化の進步向上がな□□□吾吾の工夫と研究が足りないからである。今こそ吾吾は舊殼を破つて、從來の文化と技術を活用し、現代生活に印應する樣に工夫と創意を廻らさなければならない。又指導官廳に於ても從來の偏狹的な態度を棄て徒らに抑制することのみを能としてはなるまい。島民の盛り上る創意をも汲み取るべきである。大東亞建設の基本的精神たる八紘一宇は東亞十億の民族を抱擁し得る大精神でなければならない。而もそれは同時に大東亞を一色に塗り潰すが如き超越的な一色文化を創造するものではなくして、各地各民族の工夫と創意を啓培し、個性豐かな綜合的文化として建設しなければならない。 |
02 | 國防と生產增強に 青年校を刷新強化 全國主任會議開かる |
03 | 皇奉本部で令旨奉讀式 |
04 | 健民強兵の途斯界の權威に聽く(二) 體鍊の卷(上) 體操すれば若返る 除け‧ちぢみとこはばり/宇佐見守 |
05 | 陸運に新しい記錄 輸送史に輝く第一頁 |
06 | 圖像:台灣に於ける人口の自然增加率 |
07 | “海の勇士”を慰問 廈門で船員感謝運動 |
08 | 高砂義勇隊を慰問 |
09 | 慰問繪葉書 誠心こめて献納 |
10 | 御遺蹟地繼走大會出場選手豫選會 |
11 | 慰問袋に內地をしのぶ兵隊さん |
12 | 上昇一路の献金熱 陸海軍に赤誠を披露 |
13 | 真摯な意見續出 皇奉州下支會(主事)打合會 |
14 | 春の都大路截つて 葦駄天走りに走る 奉納繼走大會盛況 |
15 | 所期の成果を擧ぐ 決戰下の荷役力增強 |
16 | 人的資源を確保 港都の健民運動 |
17 | 純情‧制服の處女 新聞の切拔を献納 |
18 | 武德祭 十六日に開催 |
19 | 青少年團運營役員會 |
20 | 宣傳美術奉公 團結成一周年 |
21 | 債券當籤番號 |
22 | 宜蘭市旭青年校 |
23 | 勸銀新竹支店開設 |
24 | 人事‧消息報社消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 森田知事語る 工業開發の大方途 企業促進に開發係を設置 |
02 | 健民功勞者を表彰 健民運動週間の第一日 |
03 | 祭粢料傳達式 |
04 | 指導者の為めに(二) 皇奉運動への 反省と前望/佐野治夫 |
05 | 女子勸農道場 臺中州下に五箇所建つ |
06 | 食糧品管理組合 きのふ創立總會 |
07 | 郵便ポストに赤襷 |
08 | 竹東道路を擴張 躍進新竹市の第一計畫 |
09 | 府勤報青年隊 瀧見訓練所で入所式 |
10 | 健民衛生展 |
11 | 皇奉指導者懇談會 |
12 | 熾烈な增產意慾 溪州信組總會で建設的意見 |
13 | 興亞十人塾生 廣田、謝兩君選ばる |
14 | 適切な提案ばかり 勸業課長の增產協議 |
15 | 大溪街警防團 初の查閱 |
16 | 稻の低刈を實行 藁の二割增產を目論んで |
17 | 青年學校開校 |
18 | 水田蔗作の撤退 竹山郡の割當皆無 |
19 | 農報女子挺身隊 近く各庄單位に結成 |
20 | 西田上等兵 北港街葬 |
21 | 宮崎曹長 無言凱旋 |
22 | 鷄卵を献納 頭份街民の赤誠 |
23 | 赤誠の献金品 |
24 | 彰化市五月常會 |
25 | 竹北農倉代議員會 |
26 | 樹林口水道竣工式 |
27 | 神祇會高雄州支部結成式 |
28 | 種牡豚牡牛檢查 |
29 | 五月分の民需肉豚割當 |
30 | 人事報社消息 |
31 | 地方多より |
32 | 今日の映画演劇 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 石油の最重點配給 專賣令愈よけふ公布 |
02 | 專賣局に燃料課新設 石油、無水酒精を掌管 |
03 | 港灣問題の性格 |
04 | 小賣業者整備の新段階 歸農對策の積極化を要請 |
05 | 明糖の本期產糖 三百七十八萬六千擔 |
06 | 機帆船の運航統制 剩餘船の遠洋就航を企圖 |
07 | 內臺航路に萬全 保安打合會近く開催 |
08 | 外貨債處理法 本島にも施行 |
09 | 臺電臨時總會 增株新株拂込完了 |
10 | 照明燈 |
11 | 兜町前場況 |
12 | ラジオ |
13 | 水滸傳(952)/黃得時;碇政彌 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 奪火鎮を完全占領 敵屍一千を下らず頭條新聞 【南部大行◯◯前線一日發同盟】敵第二十七軍最後の牙城奪火鎭は去る二十九日拂曉我が北進の鶴見吉村、御峯及び南進中の村川、鷹村、笠原の諸部隊の猛攻に複廓陣地を奪取され第二十七軍は最後の運命が迫りつつあつたが三十日夕刻我軍は遂に奪火鎭を完全に占領した、敗殘兵の一部は部落內より嶮路を攀ぢて遁走せんとしたが我が挾擊部隊に依つて全く殲滅され遺棄屍體は一千を下らず鹵獲兵器も莫大な數にのぼつてゐる |
02 | 抗戰に絕緣狀 孫殿英「廿四軍に告ぐる書」 |
03 | 米空軍の無為無策 空陸の我春季大攻勢 重慶勢力に重大龜裂 |
04 | ドンベイク確保奮戰記 戰車分捕って敵を逆攻 我將兵の勇猛さに反轉逃走 |
05 | 劃期的に前進せん 翼政改組の方向明確 |
06 | チユニジア戰線 |
07 | 緬甸來襲の敵機擊墜 |
08 | 米國のゴム饑饉は深刻 |
09 | 太平洋戰局に 米國輿論傾く |
10 | 樞軸同盟軍活躍 東部戰線の戰況 |
11 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 神靈の加護に感謝 靖國大祭終へて豐田大將謹話 |
02 | 米國に“罷業の嵐” 石炭生產殆んど停止 參加者既に五十萬突破 |
03 | 罷業炭坑を接收 |
04 | 事態一段と惡化 ル大統領の強權發動に |
05 | 梨本宮守正王殿下 四、五日武德祭に台臨 |
06 | 健民強兵の途斯界の權威に聽く(三) 體鍊の卷(下) 體操は疲勞を癒す 注意すべき二つの病氣/宇佐見守 |
07 | ル大統領即時 復業を要請 |
08 | 本島玄關の防衛 張切る基隆水上警防團 |
09 | 圖像:出生率を更に高めませう |
10 | 全勞働者に波及 ル大統領、悲鳴を擧ぐ |
11 | 決戰下步け步け 新竹で一萬人健步大會 |
12 | 臺灣の献金と恤兵 大東亞戰爭勃發以來頓に昂揚 永野高級副官放送 |
13 | 基隆警防團講習會 |
14 | 必勝の“增產鐵壁” 六月一日から安全強調週間 |
15 | 鯉幟に心はづむ 島都の子供大會盛況 |
16 | 飛沫あげて敢鬪 美の祭典島都水上大會 |
17 | 警防團廳支部 近く花蓮港に結成 |
18 | 頭圍信組總會 |
19 | 宜蘭市旭青年校開校式 |
20 | 奉納排球大會 きのふ北一女で |
21 | 優良部落選獎狀傳達式 |
22 | 新竹州理蕃史 近く編纂著手 |
23 | 旭川引退披露興行 |
24 | 羅東第二明治青年學校 |
25 | 七堵信組總會 |
26 | 蘭陽乘合バス |
27 | スペインに寶船 |
28 | 訃文:葉山水連 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | “ほほ立派なものだ” 高雄州志願兵最後の銓衡 優秀さに臨席官舌を卷く |
02 | 建艦献金の奔流 戰ふ高雄市民の赤誠發揮 遂に五萬四千圓突破 |
03 | 殉職憲兵慰靈祭 集集で嚴肅に執行 |
04 | 御菓子御歌傳達式 |
05 | 招魂祭 |
06 | 教育報國宣誓式 |
07 | 決戰生活實踐へ 皇奉高雄州支部の本年度の推進對策 |
08 | 圖像:山西前線 |
09 | 屏東の健民行事 |
10 | 目標額突破へ 新莊郡の貯蓄戰 |
11 | 高雄州干バナナ製造業者 報告書を提出せよ |
12 | 中壢の行事 |
13 | 擧街貯蓄進軍 竹南で懇談講演會開催 |
14 | 新高都市建設 知事公室で連絡會議 |
15 | 本島出身の若鷲 武勳の松岡軍曹散る |
16 | 清水街臨時協議會 |
17 | 那須總務部長 鳳山を初巡視 |
18 | 護れ子寶を 臺中で母の會開く |
19 | 奉醫新高郡 支部發會式 |
20 | 醫師會大甲郡 支部結團式 |
21 | 畜產事務打合 |
22 | 油桐と山茶花 東勢郡で大增植 |
23 | 新化青年學校 晴れの開校式 |
24 | 立體的人形紙芝居 彰化林君の獨創好評 |
25 | 勇敢な育年表彰 |
26 | 繰出す健民部隊 花蓮港廳職員の強行軍 |
27 | 商榮會模範 庄員を表彰 |
28 | 臺南春競馬八日から開始 |
29 | 葉水連氏逝去 |
30 | 人事報社消息 |
31 | 地方多より |
32 | 今日の映画演劇 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 圖像:碧霞(第九回臺陽展)/陳春德 |
02 | 必勝生活と科學/熊澤雅雄 |
03 | 舞臺裏から見た 青年文化常會/竹內治 |
04 | 生活と文化 醫者は醫者でも |
05 | 臺陽展を觀て 魂と腕の鍊磨の連續/呂赫若 |
06 | 圖像:陣中スケツチ慰問袋に萬歲を叫ぶ兵隊さん |
07 | むかしの歌(下)/葉秋苑 |
08 | 臺陽展會員 合宿夜話/陳春德;林林之助 |
09 | 臺灣演劇の作今 桃園双葉會のことなど/林博秋 |
10 | 義務教育を讚へる本島教育の回顧(下)/劉煥文 |
11 | 文化消息 |
12 | ラジオ |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 御陪食仰付けらる 法相以下を御慰勞 |
02 | 敵二萬鐵環下に包圍 八路軍を一擧殲滅せん |
03 | 笑止‧敵の間拔け振り 雲南爆擊と空中戰の狀況 |
04 | 圖像:青木大東亞相昭南視察 |
05 | 喫緊な司法問題に 全面的協議を行ふ 司法長官會同開かる |
06 | 國際展望 反樞軸國の摩擦激化 |
07 | 國內展望 內外の重要施策 現實に逞しく動く |
08 | 米英の野蠻行為 天人俱に赦さず ペタン主席痛烈に非難 |
09 | 佛西海岸空襲 |
10 | 岩村法相訓示 經濟犯を的確に處理 |
11 | 大シリア國を建設 トランスヨルダン王聲明 |
12 | 獨軍力戰敢鬪 クバン地區の赤軍消耗甚大 |
13 | 國鐵總收入實績 合計十四億二千餘萬圓 |
14 | 獨ソ各地戰況 |
15 | 赤色の脅威認識 パリ歸還の佛首相談 |
16 | 佛領マ島と斷交 ノ米海軍長官言明 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 五月常會申合事項 出せ少年航空兵 擧島建艦費献納運動 |
02 | 擧州戰力の增強へ 地方長官會議に出席した梁井知事の感銘 |
03 | 殉難軍人招魂祭 五日双溪公園で執行 |
04 | 道義日本の真意に感謝 |
05 | 共同訓化の徹底 學徒體育訓練を實施 |
06 | 藤村知事初巡視 |
07 | お母さんの譽れ 優良、健康兒部隊六百五名 五日表彰式を擧ぐ |
08 | 同期四人目の大將 統率の大器、阿南大將 |
09 | 陸軍部內の逸材 今村大將、同期初の榮進 |
10 | 花甲同慶の日 汪主席還曆を迎へ新中國の喜び |
11 | 昭南文化建設の近況 社會事業と更生の卷(上) |
12 | 飛んだ戀物語 |
13 | 兵の道へ只管精進 最後的銓衡を前に若人緊張 新竹州志願兵豫備訓練 |
14 | 首狩り蠻族の國 ワー州にも新東亞の曙 |
15 | 大相撲夏場所 九日蓋明け、新番附發表 |
16 | 簡保の一億新加入 全國的に運動展開 |
17 | 專賣局人事異動 燃料課新設に伴ひ |
18 | 興南詩苑漢詩 晴園觀梅次主人韻/陳定國、晴園觀梅次主人韻/倪炳煌、憶題阿里山四首/小維摩、休閒/晴園 黃純青 |
19 | 北港郡增產計畫 關係者が熟議打合 |
20 | 集集方委月例會 |
21 | 人事‧消息報社消息 |
22 | 今晚の放送 |
23 | 商況(三日前場) |
24 | 興南案內報社消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵船三隻を擊沈 戰鬪機廿一機血祭りに上ぐ 我が海軍の大戰果頭條新聞 【東京發同盟】大本營發表(五月三日十六時) 一、帝國海軍潜水艦は四月下旬更に南西太平洋方面に於いて油槽船(一萬二千噸級)一隻を撃沈したる外五月に入り左の戰果を收めたり擊沈、運送船:(一萬二千噸級)一隻貨物船(八千噸級)一隻 二、帝國海軍航空部隊は五月二日ポートダーウインを攻撃し敵軍事施設地區に甚大なる損害を與へた外敵戰闘機二十一機を擊墜せり我が方損害なし |
02 | 我鐵鯨、海鷲の殊勳 西南太平洋敵の機先を制す |
03 | 畏し‧優渥な御下問 各司法長官恐懼感激 |
04 | 國民動員、電力動員 生擴の三計畫決定 殘餘三計畫も近く設定せん |
05 | ダーウィン猛爆 反樞軸軍司令部發表 |
06 | ケニーの悲鳴 對濠援助の急務 を說く |
07 | 真に時局即應の 果敢な檢察遂行へ 司法長官會同松阪檢事總長訓示 |
08 | タイ國ブラタボン 領事館開館 |
09 | 米新銳二隻誕生 |
10 | 圖像:沈みゆく敵輸送船 |
11 | 八路軍に殲滅の巨彈 唐縣北方爆擊陸鷲同乘の記 |
12 | 唐河渡河、敵を急追 冀中軍全く支離滅裂 |
13 | 包圍網完成 |
14 | 石油專賣法 七月一日實施 燃料局官制も施行 |
15 | 伊軍戰況發表 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 決戰下の健民運動社說 一 皇國民永遠の繁榮と決戰下の人的資源增强を圖る健民運動は一日から十日迄の十日間を「健民運動强調期間」として全國一齊に展開されてゐる決戰下の今日總てを戰力增强に集中すべきで戰力增强の基底は人的資源にあり、國民の量的增加と質的向上を圖ることは、目下喫緊の最大要務で健民の一大國民運動の展開は至大な意義を有するものである。しかも從來の單なる健康を保持增進すると云ふ小乘的なものでなく如上の要請に應ずる積極的なものでなければならぬ。厚生省では心身鍊成の徹底を期するため 一、己が心身は大君の御楯なるベきものなれば日常自ら進んで體力氣力の增强に真摯なる努力を致すは國民各自の義務たるべきこと 二、如何なる艱苦缺乏にも堪へ勇往邁進する士的生活態度を鍊成すべきこと 三、第一線に或は銃後の御奉公を完遂し得る剛健なる心身の鍊成を信ずべきこと の三つの眼目の鍊成訓を揚げて一億國民に呼びかけてゐるが時局下心身鍊成の義務たる自覺に透徹すべきである。 二 本島に於いても之に呼應し府衞生課と奉公會連絡の下に健民運動を全島に展開し本期間中の運動目標として一、出生增加と結婚の獎勵、二、乳幼兒及母性の保護、三島民心身の鍊成四、結核性病及マラリヤの撲滅の四項目に重點を置き地方の實狀に卽したる實踐運動の徹底を期してゐるが其何れも現下の本島に於る人口增加と健民强兵の基礎を為すもので一時も等閑にする事の出來ない問題である。殊に南方建設に、工業化の促進等に尨大なる人的資源を期待されてゐる本島に於いては人的資源の量的增加を圖ることが最も必要で、幸ひ本島の出產率は千分の四十に上り世界の第一位に指を屈する程であるが、乳幼兒の死亡率が非常に高く、本島に於ける總死亡中五歲未滿のものがその五割を突破してゐる實情で人口の增加が出生率に伴はず誠に嘆かはしい限りである。原因として勿論保健施設の不十分が擧げられるがそれよりも母親として育兒に對する注意或は心構の缺如、卽ち本島人女性の衞生思想の缺如がその大半の責任であると云はねばならぬ。本島人女性の自覺向上こそ最も望ましいものである。 三 島民心身の鍊成、結核、性病、マラリアの撲滅、何れも健康臺灣建設の不可陳な條件で殊に本島特殊の熱帶病マラリアは當局積年の努力が報ひられて死亡率も昔日に比し約五分の一に減少したが原虫保有者及び患者は之れに比例して低下せず、市街地には殆んどないが農漁山村にはなほ多數の患者を有する狀態で戰時食糧增產の重要使命を荷ふ彼等の作業能率を低下すること夥しくマラリア根絕に向つてもつともつと努力しなければならぬ、要するに健康臺灣建設の基礎四項目の達成に擧島邁進すべきで殊に農漁山村には疾病の治療に關し迷信的要素が多分に存在し童乩、道士、賣卜者等が今日なほ彼等の間に入り込んで居る實情にあり、迷信媒介者の取締を嚴重にすると共に無醫村の克服に最善を盡すべきである「健民運動强調期間」は十日間であるが健民運動は固より線香火花式に終るべきでなくこれを契機として島民生活の科學化、衞生思想の徹底等を長期に亘り各個人の自覺は勿論衞生當局醫療機關等が打つて一丸となつて健康臺灣に建設し以つて□の健民運動に有終の美をなさしめたいものである。 |
02 | 好餌!敵の大船團 一瞬‧海底の藻屑に ミルン灣爆擊血戰記 |
03 | 神社前で結成式 臺南市奉公防空群 |
04 | 健民強兵の途斯界の權威に聽く(四) 母性保護卷上 死亡率低減の鍵 未然に防げ姙婦障碍 臺大教授真柄氏談 |
05 | 團旗樹立奉告祭 臺南奉壯、神社前で |
06 | 圖像:死亡率を極力低下させませう |
07 | 鍛ふ“不動の氣魄” 皇民體操、制定打合會 |
08 | 先輩に負けるな 近く出發する看護助手を 山內警務局長激勵 |
09 | 斷乎米英を擊滅 高砂族義勇隊員名譽の戰死に 全山敵愾心に燃ゆ |
10 | 父兄達の感激談 |
11 | 天人俱に容さぬ 地球上から敵米を抹殺せよ うらる丸船長語る |
12 | 奉公藥劑師會の 講演と映畫の夕 |
13 | 河口の浚渫に奉仕作業 |
14 | ル大統領が泣訴 罷業炭坑を賺したり嚇したり |
15 | 島津軍醫部長今夕放送 |
16 | 商奉鶯歌分會 店舖整頓競勵 |
17 | 和協案提出か |
18 | 臨終の床に愛國行進曲高唱 |
19 | 住宅營團評議員會 |
20 | 蘭陽乘合總會 |
21 | 人事‧消息 |
22 | 訃文:陳杜氏連 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 硬貨回收この通り 臺銀支店に貨幣の山 |
02 | 堆肥增產週間 花蓮港市きのふから實施 |
03 | “老年組も是非……” 生れ代つて御奉公したいんだが 燃え盛るお山の熱誠 |
04 | 指導者の為めに(三) 皇奉運動への 反省と前望/佐野治夫 |
05 | 模範堆肥舍獎勵 |
06 | 熱意昂し前線の貯蓄戰 |
07 | 稅金が上つても いや、實は遊興は二割減です |
08 | 健民思想宣傳に 畫劇を廳長に巡演 |
09 | 高雄に健民地帶 東京の隅田川畔をその儘 |
10 | 集集街五月常會 |
11 | 感激と喜の献金 健民功勞者李鍊緣氏 |
12 | 高雄の工業用水 九曲堂から導水計畫 |
13 | 話は國語で通さう 臺中州で常用週間實施 |
14 | 薪炭林增植打合 |
15 | 勞力の調節策 勸業課長會議で研究 |
16 | 助役さん講習 先づ“地方職員の實務”に就て |
17 | 赤誠の献金品 |
18 | 佐野花蓮郡守初巡視 |
19 | 健民運動第三日 |
20 | 新高郡の健民運動 |
21 | 殺人 |
22 | 地方多より報社消息 |
23 | 今日の映画演劇 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 本島の電源開發 年內に續續竣工 臺電‧二百萬キロ建設に邁進 |
02 | 臺灣鹽乾魚配給會社 創立委員九社を指名 |
03 | 島產鹽煮干品 價格近く追加指定 |
04 | 債券の買收制度 今後の消化促進 |
05 | 養魚の飼料に 戰穀の栽培を發見 |
06 | 廣東中繼貿易 今後內地より直接供給 |
07 | 勞務管理に萬全策 暉峻博士を中心に事業家懇談會開催 |
08 | 臺灣自轉車組合總會 |
09 | 東臺灣電力に改稱 |
10 | 肉豚增殖に力瘤 新化郡、街庄別に推進區劃設定 |
11 | 佛印の寶庫 ボロヴエン高原 |
12 | 海南島の專賣品 將來は極めて有望 佐治局長視察談 |
13 | 臺北近郊バス會社 第二回株主總會 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況(三日後場) |
16 | 島內株仲值表 |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(954)/黃得時;碇政彌 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | コレヒドール攻擊回顧 我が軍決死の猛攻 一擧‧米鬼の堅壘粉碎 |
02 | 二大要目を揭ぐ 生擴計畫の根本方針 |
03 | 獨軍の攻勢熾烈化 クバン河口地區戰況 |
04 | 電力供給配當の兩面 直接戰爭資源と國民生活確保 |
05 | 尨大な國民動員數 需要面から供給計畫を設定 國民動員の決戰性格 |
06 | 敵船六十三隻擊沈 獨海軍四月中の戰果 |
07 | 艦艇擊沈廿一隻 |
08 | 司法長官會同 第二日 |
09 | ソ聯ゲ‧ぺ‧ウの仕業 ポーランド將校虐殺事件 調查委員會報告發表 |
10 | 米、マルチニツク斷交 獨、その不手際を嘲笑 |
11 | チユニジア戰況 |
12 | ニユーヨークに空襲警報 |
13 | 英、潛艦擊沈發表 |
14 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 燃える敵軍事施設 被彈五十數ケ所受けて歸還 ラビ港爆擊同乘記 |
02 | 圖像:椰子林をぬいて進擊する陸戰隊 |
03 | 石炭增產陣は磐石 鶴嘴握る手に燃える“鬪魂” 敵國人に送りたい礦山に咲く美談 |
04 | 長谷川總督南下 大甲溪開發事業 起工式臨席のため |
05 | 昭南文化建設の近況 衛生醫療、體育の卷(中) |
06 | 農業勞働移動統制規程 馬の移動統制の要點 |
07 | 圖像:ビルマの得度式 |
08 | 青年凌ぐ元氣 汪主席還曆の春 |
09 | 健民強調座談會 あす基隆で開く |
10 | 優良齒牙兒表彰 |
11 | ルイス即時復業を命令 ル大統領、賃金值上同意か |
12 | 堆肥の殊勳者 七堵で廿餘名表彰 |
13 | 道路開鑿に挺進 新竹州勤報隊發つ |
14 | 仕入高の一步を國防献金 |
15 | 鬪ふ明い銃後の漫畫展 十日より市公會堂で開催 |
16 | 興南詩苑漢詩 次元煌先生六十感懷原韻四首/幼岳、輓杜世平同社二首/黃景南 |
17 | 軍援寄附者 |
18 | 表彰金を献納 |
19 | 女教員座談會 |
20 | 商業實踐講習所生募集 |
21 | ルイス‧內務長官と會談 |
22 | 人事‧消息報社消息 |
23 | 今晚の放送 |
24 | 商況(四日前場) |
25 | 興南案內報社消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 隨所に敵を捕捉殲滅 敵匪我包圍に大狽狼頭條新聞 【京漢沿線◯◯前線四日發同盟】敵冀西軍區覆滅中の我が軍は泥濘惡路を物ともせず士氣ますます軒昂、敵殲滅を期して一路驀進し續けてゐる即ち阿部部隊は二日大嶺後(完縣西北十五粁)において黃中軍區系第十八團約三百の敵と遭遇雨中に壯烈な戰闘を交えてこれを潰走せしめ進藤部隊は大岸(唐縣北方二十粁)南方において敵四百を捕捉猛攻を加へて敵屍五十の戰果を擧げ山口部隊も亦夜來の雨を衝いて石赤(唐縣北方)に突入した、一方東北方より進擊中の大江部隊は二日北清醒附近において有力なる敵匪團と激戰を交え敵屍八十、捕虜二十を得、引續き殘敵掃蕩中である、なほ捕虜の供述その他を綜合するに冀中軍區司令呂正操及び同政治委員程子華は早くも軍區を放棄逃亡した模樣であるが冀西冀中兩匪團の大部分はわが包圍圈內にあつて逐次便衣化し大狼狽を極めてゐると言はれる。 【京漢線沿線前線四日發同盟】○○方面より怒濤の如く南下北部太行の嶮嶺を一氣に突破して敵第三軍分區に強力な楔を打込んだ中川野村兩部隊は各所に敵の兵器廠を覆滅しつつひた押しの進擊を續けてゐたが遂に三日敵軍分區司令部所在地市家庄において西方より同部落に突入せる植田部隊との連絡成りここに南北兩部隊は感激の握手を交はし更に殘敵擊滅に最後の猛進を開始した |
02 | 我が科學的剔抉に 共軍の弱體を暴露 |
03 | 賀屋藏相參內 |
04 | 皇帝陛下巡狩 |
05 | 圖像:后里毘盧禪寺に於ける長谷川總督(上)后里牧場の總督(下) |
06 | 初の行政查察使! 鈴木國務相勅命せらる |
07 | 奪火鎮攻略の戰果 |
08 | 戰時勞働政策の破綻 米炭礦爭議の影響深刻 |
09 | 米英沒落の弔鐘 コレヒドール最後の日 |
10 | 重光外相 逐次外交團と接見 |
11 | 東條首相 司法長官會議 出席者を招待 |
12 | 陸軍司政官 |
13 | 空中戰の慘敗を承認(敵側) 世界一の戰鬪機も空しく敗退 |
14 | 要塞戰の形を取る チユニジアの戰局 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 勞務對策の要諦社說 一 督府の招聘に基き此程來臺した日本勞働科學研究所長暉峻博士は人の知る如く我が國勞働醫學の權威者であつて此般の來臺は島內重要工場を勞働醫學の專問的見地より具さに視察しその得たる結論を督府に報告して今後の勞務對策に寄與せしめのとするにある勞働科學研究所が創設されてより勞務對策に少からざる貢献をなして來た事は今更くどくどしく述べる迄もないが督府が遲時き乍ら此點に着目して博士を招聘し今後の勞務對策に萬全を期するに至つたことは生產增强が嚴しく要請されてゐる折柄誠に適宜の措置であるといつてよい。旣に生產增强を目ざす產業奉公運動が先般產業奉公會の結成を見て再發足してゐる今日更に博士の報告に基き劃期的勞務對策が樹立されんとしてゐることはこの方面に於ける諸施策が殆んど講ぜられてゐない丈に今後の動きは、正に注目に値する。かかる意味で博士の來臺を機緣として今後とも勞働科學研究所と緊密な連絡をとりその研究成果を絕えず勞務對策に活用することが必要ではなからうか。 二 しかしそれにつけて痛感されることは現在の勞務行政機構が極めて貧弱であつて果して期待される程萬全なる勞務對策が樹立され得るか何かは疑はしい。現在の勞務行政機構は專ら要員供出に奔命されてゐる結果生產部面に於ける勞務行政がほんの片手間で行はれる外はないがかかる缺陷を補ふべく勞政機構を擴大することが緊要でなければならない。生產增强が所要勞務者の確保もさること乍ら生產能率の向上といふ質的問題にも强く左右されてゐる今日官民共にこの方面に大なる關心を拂つて然るべきであつて勞務機構の擴大もかかる見地に基いて行はれる外はない。それはともかくとして暉峻博士が二週間に亘る觀察の結果得たる結論を事業家懇談會で全島關係者に披瀝勞し務管理に幾多の示唆を與へてゐるが博士の卓見を真摯に實踐に移すならば今後の生產增强は期して俟つべきものがあらうかと思はれこの點本島事業家の實務は極めて重大であると言はなければならない。 三 博士は臺灣に於ける工業化が正しく大東亞共榮圈の建設に際會してゐる關係上全體的に營利主義が一掃されてゐると指摘し事業場は品物を作るのみでなく皇民的資性を鍛き上げる處なりとして事業經營者の自覺を促してゐる。そして本島人勞働者も真面目且從順に働いてゐるのでこれに技術的鍊成を加へれば稀に見る立派な勞務者になると樂觀して工業勞務の多望なる將來を痛感してゐるが正しく臺灣工業化は勞務者に關する限り惠まれてゐるものといつてよい。結局のところ生產增强を圖る為の勤勞精神の昂揚は一に事業場を皇民的鍊成の坩堝と見る新な事業觀に立脚する正しい勞務管理に發足するものでなくてはならない。從つて本島勞務者の移動現象を懇切なる指導者にかけてゐる結果だと指摘してゐることは全面的ではないにしても根本を衝いたものと言つてよく今後の移動對策に示唆する處少くなからう。要するに營利主義に基くのでなくして事業場を皇民的資性の鍊成所と見るべき處に勞務對策の要諦が存することを□すべきである。 |
02 | 梨本總裁宮殿下 きのふ武德祭と演武會に台臨 畏き令旨を賜ふ |
03 | 一億民草の赤心 昨年の國民貯蓄成績優秀 賀屋藏相謹んで奏上 |
04 | 毘盧禪寺を視察 長谷川總督、豐原へ |
05 | 圖像:興亞の大空に鯉幟(けふ五月の節句) |
06 | 梁井州知事 五日羅東郡へ |
07 | 今こそ增產の秋 長谷川總督篤農家引見 |
08 | 健民強兵の途斯界の權威に聽く(五) 姙婦保護の卷(中) 瞬間に失ふ卅萬人 恐るべし‧黴毒による早產死產 臺大教授真柄氏談 |
09 | 彩管報國に邁進 美術奉公會‧けふ結成 |
10 | 質的量的の向上へ 征戰完遂には強兵が絕對必要 島津軍醫部長放送 |
11 | 橫山大觀畫伯 美術報國會會長に推さる |
12 | 汪主席還曆の日 國を擧げて花甲同慶 |
13 | 尚武精神を昂揚 五月風孕んで碧空に緋鯉泳ぐ けふ床しい五月節句 |
14 | 廣東で記念式典 |
15 | 日本婦道の鍊磨 桔俱第十回鍊成會 |
16 | 合格率四〇% 港都の優良乳幼兒 |
17 | 東條首相から汪主席に祝電 |
18 | 臺陽展入場料 一部を献金報社消息 |
19 | 海洋訓練隊の 生活を放送 |
20 | 臺中の“母の會” 安住秘書官熱辯を揮ふ |
21 | 皇奉定例部長會議 |
22 | 最低生活を普及 高雄奉壯で常會開催 |
23 | 基隆市の區常會を視察 |
24 | 皇奉本部辭令 |
25 | 港都の献金美談 |
26 | 繼走大會出場選手豫選 |
27 | 羅東郡堆肥傳習會 |
28 | 堆肥增產の督勵指導 |
29 | 羅東で防諜講演會 |
30 | 日比電報取扱擴張 |
31 | 陸軍司政長官發令 |
32 | 人事‧消息 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 強かれ興亞の優良兒 けふ輝やかく選獎式 |
02 | 父はお酒嫌ひで 母は何れも健康體 優良兒の家庭調べ |
03 | 彰化市の優良兒 |
04 | 賞賜物件傳達式 |
05 | 總體的によくなった 志願兵銓衡を終へた石川訓練所長談 |
06 | 擊ちてし止まむ 米兵七名を薙ぎ倒した高野君 再度義勇隊員を志願 |
07 | 松岡軍曹遙弔式 澎湖廳光玄寺で嚴修 |
08 | 圖像:前線の端午の節句方向指示器とともに自製の鯉幟〇〇基地に揚る |
09 | 高雄州勸業課長會議 |
10 | 待望の體驗飛行 上級生兒童を對象に試乘會 |
11 | 双溪庄奉壯團 團旗奉戴式 |
12 | 簡保新加入運動 花蓮港郵便局員を總動員 |
13 | 奉公班指導を強化 常會には指導員派遣 |
14 | 警防團幹部打合 |
15 | 教育振興座談會 |
16 | 司法保護委員會議 |
17 | 奉公の意氣躍如 南化庄總常會を覗く |
18 | 少年の憬れ若鷲 馮潤登君美事に合格 |
19 | 男女青少年奉公隊 臺中市各區、町班每に組織 |
20 | 興亞十人塾新入生 廣田、巫兩青年鄉關を出つ |
21 | 火事の見物は 御遠慮相成度し 嘉義市一般の協力要望 |
22 | 大切な自給肥料 增產運動實施要綱なる |
23 | 木炭生產意見交換 |
24 | 夏蔬菜の惱み 解消の日近し |
25 | 新竹州材木商同業者組合總會 |
26 | 衣料品懇談會 |
27 | 鳳山郡學童 相撲大會 |
28 | 測量師の寄禍 |
29 | 廣東稅務出張所 |
30 | 陳韋貞氏の母堂 |
31 | 地方多より |
32 | 今日の映画演劇 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 信託法施行決定 銀行監督上の分野更に折衝 林金融課長歸臺談 |
02 | 南日本漁業統制會社 愈よ設立命令發せらる |
03 | 新生ジヤワの農園 栽培企業管理公團の活躍 |
04 | 日糖の本期產糖 五百七十四萬八千擔 |
05 | 澱粉の原料獲得 價格改訂の外なし |
06 | 住宅營團評議員會延期 |
07 | 交易協議會 設置要綱決定 |
08 | 役牛の農耕確保 屠殺禁止の要あらん |
09 | 航空事業積極化 滑空訓練場等設置 |
10 | 姜黃配給要綱決定 生產より配給迄統制 |
11 | 全島物價事務連絡協議會 各州廳の提案出揃ふ |
12 | コークス轉廢業者に 禁業補償金を交附 |
13 | 臺灣ガラ組合役員更迭 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況(四日後場) |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(955)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 果敢な剔抉戰續行 陵川地區で彷徨する敗敵捕捉 |
02 | 東亞資源を活用 商工省に協議會設置 |
03 | 圖像:第二十四集團軍殲滅戰に出擊する戰車隊斥候 (陸軍省檢閱濟) |
04 | 司法長官會同 第三日 |
05 | 希望に滿ちる比島民 けふコ島敵前上陸一周年 |
06 | 米、コンクリート製 曳船建造計畫失敗 |
07 | 謝祖元氏を起用 駐日大使館公使に |
08 | 宋美齡、華府訪問 |
09 | 西國國家主義の 優位性を強調 フ將軍ウ市で演說 |
10 | 內閣顧問の役割 |
11 | 米飛行機增產六千機 |
12 | ポ政權の態度強硬 英米ソ三國交涉難局に逢着 |
13 | 圖像:第二十四集團殲滅作戰 |
14 | 効果確實な農業技術の 徹底せる導入を圖る 食糧の數量的確保に全力 |
15 | 殘留波蘭人の 即時解放を要求 波亡命政權の治安相 |
16 | 解決を慫慂 ルーズヴエルト |
17 | インフレ防止の マヂノ線崩壞へ 賃銀增額要求全米に波及 |
18 | 敵放送員の ふるつた言分 |
19 | ポ亡命政權の 改組を要求 ソ聯の態度依然強硬 |
20 | 無辜の民眾機銃掃射 北部佛印に米機數機來襲 |
21 | 不法占據は 米の常套手段 フランス政府意向表明 |
22 | 全島の刑務官 近く異動を斷行 |
23 | 米炭坑勞働者 勞働條件變更 |
24 | 濠外相米に 救援を要請 |
25 | マツール撤收を發表 |
26 | チユニジア戰線 小康狀態に入る |
27 | 英駐ソ大使 モロトフを訪問 |
28 | 獨軍ク市撤收を發表 |
29 | 赤軍機四千を擊墜 獨四ケ月の戰果 |
30 | 西部來襲の英機十三を擊墜 |
31 | デトロイト戰車 工場罷業開始 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺灣工業化の原動力 大甲溪の大電源 いよいよ開發に着手 |
02 | 晴れの起工式擧行 明治の現場で盛大に |
03 | 國家的要請に應ふ 長谷川總督の告辭 |
04 | 皇帝陛下 白衣勇士を御慰問 |
05 | 負荷の使命重大 增田臺電社長祝辭 |
06 | けふは子供の日 お母さんの手柄 島都乳幼兒選獎式 |
07 | 圖像:島都乳幼兒選獎式 |
08 | 五‧五青年節の意義 汪主席談話を發表 |
09 | 光る双兒の入選 張フル子さんの喜び |
10 | 事業完遂に全力 奧田國土局長式辭 |
11 | 陸軍學校少年兵 應募年齡十四歲に引下げ |
12 | 白衣勇士に菖蒲 遺族にお菓子料を贈る |
13 | 學童相撲大會 |
14 | 健民の夕明晚公會堂で |
15 | 基隆の選獎式 |
16 | 森田知事祝辭 |
17 | 僧侶や學生を動員 貯蓄の目標達成に |
18 | 硬貨回收の手數料献金 |
19 | 豫備訓練開始 新竹州の志願兵 |
20 | 勤續者を表彰 基隆市で |
21 | 慰問演藝會好評 |
22 | 興南詩苑漢詩 讀伍子胥列傳四首/幼岳、題增田元次先生墓石/幼岳、贈內二首/高花村 |
23 | 鐵製衣類入れ献納 臺銀から軍司令部に |
24 | 婦人に育兒智識 杜生活部長が指導 |
25 | 建築取締打合 十日から臺北で開く |
26 | 賞金を献金 模範青年周君 |
27 | 不埒者嚴罰 南署で一掃 |
28 | 寄附二つ |
29 | 今晚の放送 |
30 | 商況(五日前場) |
31 | 興南案內報社消息 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 滿州國皇帝陛下 水豐發電所を御視察頭條新聞 【京城發同盟】滿洲國皇帝陛下には五日安東を御發京義線平北鐵道御經由にて水豐發電所を御巡視遊ばされたが總督府情報課では同日午後八時次の如く發表した ◇情報課發表 滿洲國皇帝陛下には五月五日水豐發電所御視察あらせられたり 【水豐發同盟】陽春の風薫る安東地方を御巡視あらせられる 滿洲國皇帝陛下には五日聖戰下の產業に深く垂れさせ給ふ畏き聖慮から小磯朝鮮總督、板垣朝鮮軍司令官、後藤鎭海警備府司令長官等朝鮮側の接伴員恐懼して奉迎申上げる裡を山紫水明の朝滿國境に巨姿を誇る世紀の水豐ダムに親しく御臨あらせられ水力發電事業の全貌を具に御巡覽遊ばされた、此日皇帝陛下には陸軍御軍裝も稟稟しく日滿最高勳章を御佩用熙宮內府大臣吉岡帝室御用掛吉侍從武官長金待衛處長、張國務總理、武部總務長官等を扈從申上げ小原巡視主務官の御先導にて午前六時廿分御泊所を御發同廿五分安東驛に御到着奉迎の小磯朝鮮總督、板垣朝鮮軍司令官、後藤鎭海警備府司令長官等にそれぞれ御握手を賜ひ御召列車に御乘車同三十分安東驛御發水豐に向はせられた、御機嫌殊の外御麗しく御召列車中小磯總督の言上する沿道御說明を御熱心に御聽取あらせられ窓外を橫切る風景を親しく御賞覽次で久保田水電社長の言上する發電所工程を一一御熱心に聞召されて午後零時五分鴨綠江水電會社重役、同建設所長、○○部隊長等の奉迎裡に發電所臨時乘降場に御着、宮內府大臣以下隨員並びに張國務總理、小磯總督、板垣軍司令官、武部總務長官、後藤鎮海警備府司令長官、丹下總督府警務局長以下扈從申上げ躍進する西北鮮及び南滿重工業地帶の心臓部とも言ふべき湖上の配電盤室から順次配電室、出力○萬キロワツトと言ふ世界に誇る水車室へと御成り久保田社長の御說明を御興深げに御聽取遊ばされ次で變壓所に向はせられ機械室を御巡覽、轟轟たる電動の唸りも逞しい第二號變壓機前にては暫し御徒步を止めさせられ久保田社長の御說明を御熱心に聞召させられた斯くて皇帝陛下には再び御步を臨時乘降場に進めさせられ同四十五分御召列車にて乘降場御發ダム背後地帶の山山を迂回して午後一時十八分堰堤上部線臨時乘降場に御着堰堤御展望所に成らせられ久保田水電社長の發電所概要の御說明にて御感殊の外深く七十萬トンのセメントを延した雄大なる堰堤並びに人造湖として世界第二番目の湖面を御賞覽あらせられたが御巡覧を終ヘさせられた 皇帝陛下には聊かの御疲れの御模樣も拜されず午後一時五十三分堤堰上部線臨時乘降場御發安東へ御歸還あらせられた |
02 | 第廿四集團軍潰滅 今次太行作戰の展望 |
03 | “青少年奮起の秋” 「端午の佳節と陸軍生徒」那須兵務局長放送 |
04 | 宮內府發表 |
05 | 冀中軍殲滅戰大詰へ 切斷して各個を擊破 |
06 | “日本軍の攻擊再開” 獨紙、谷萩部長の口演を揭載論ず |
07 | 圖像:大甲溪開發事業起工式告辭を讀む長谷川總督 |
08 | 重光外相 在京各大使と意見交換 |
09 | 全外交團との 接見あす終了 |
10 | 在支米空軍增強問題 歸米の在支兩司令官 米軍首腦部と打合す |
11 | デーヴイスを 莫斯科派遣か ソ、波紛爭、米は依然對ソ媚態 |
12 | 李仙州麾下 殲滅戰戰果 |
13 | 佛印政廳の 夏季南部移轉 |
14 | アンドリユース 中將墜落即死 |
15 | 鑛業勤勞管理 の刷新施策 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 石炭とコークス政策の確立社說 一 島內石炭は目下內外の需要激增を控へ、殊に戰時下に於ける不時の所要量を供給するため今や强力な增產策を確立せねばならなくなつた。唯大東亞戰爭開始前後の船腹難の影響で一時滯貨を生じたため恰かも本島石炭は過剩してゐるかの錯覺を與へられたが、それでも其の滯貨は漸次減少し此の儘で推移すれば本年の秋頃より相當急迫せる事態を生ずるかも知れない然るに一方に於て資材の供給がとかく充分に期待する事が出來ない現狀にあるから、此の問題を克服するには先づ群小炭坑の整備統合を出來る丈早く斷行し以て重點主義に資材を配給すると共に旣稼行炭坑の出炭能力を出來る丈高めるより外はないのである。聞くところによれば府鑛務課では旣に現在の各種斤先契約の報告を命じ以て企業整備の參考資料たらんとしてゐるが、此の問題は最早徒らに調查に時日を費やすべきでない。殊に今後石炭の價格政策に對して更に補償金等の强化を圖らねばならない階段にあるから、これを圓滑に遂行するには群小炭坑の合併が其の先決問題でなければならない 二 次に考ふべき問題はコークス政策の確立である。現在のコークス製造は大部分自己炭坑の出炭を以て山元で製造してゐるが、其の品質及び規格が不統一であるため今後需要激增を豫想されたる工業用コークスを萬全に供給する準備が未だ整つてゐない。現在のところ臺灣石炭會社からは量の供給を抑へる事が出來ても其の規格を決定し、更に價格を以て其の生產費を充分に補償する事が出來ないのである。然るにコークスの用途は工業の種類に依つて異なり例へば製鐵用及びアルミ用のものに各各時殊なコークスを要求するが、それを製造するには原料石炭の品質をよく分析し且つ異質石炭の混入に依つてそれぞれの用途に充當し得るやうに改良せねばならないが、現在のコークス價格では到底引合ふべくもない事は明かである。從つて今後コークス生產に對しては須らく其の計畫性を樹立しどこの製造所に於て何ういふ種類のものを生產すべきかを決定せねばならない。これに應じて其の價格を決定しそれぞれの用途に振向け以てコークスの特長を生かすべきである。今や本島コークスは原料炭として重要な役割を演ずべき前夜にあるから、當局としては石炭政策の確立と共にコークス政策も之と並行して確立する必要に迫られてゐる事を再認識すべきである。 |
02 | 天覽馬術の繪卷 尚武の大內山を飾る |
03 | 地方文化を昂揚 翼贊會機構整備に着手 |
04 | 子供は興亞の寶 權威者參集して座談會 |
05 | 生產擴充の源泉 大甲溪開事業起工式に於ける 安藤軍司令官祝辭 |
06 | 健民強兵の途斯界の權威に聽く(六) 高めよ育兒智識(上) 母乳が何よりの營養/村上勝美 |
07 | 長谷川總督一行 視察を終へゆふべ歸北 |
08 | 送附のお茶 在米同胞に配布 |
09 | 彩管報國に總結集 美術奉公會、新發足 |
10 | 圖像:同じ時に生れた1000人(男) いくつの歲に何人死ぬでせうか! |
11 | 豆力士が敢鬪 張出し夏場所 相撲開始 |
12 | 貴き體驗を披瀝 基隆で健民座談會 |
13 | 健民と防空申合 八日全島一齊に常會 |
14 | 日大に農學部新設 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 食糧戰も必勝態勢 農作物の增產策なる |
02 | 全庄一家の古坑庄 指導推進員も吃驚り |
03 | ビルマ見聞(一)/張棟蘭海外遊記 一、佛塔 ビルマは泰國と同樣、佛教の溫床地であり、非常に盛んであることは誰でも知つて居る事で今更紹介する必要もないが、實際その地を蹈んだ時、想像以上であるのに驚かされた。船團で北上しメルギーにいつた時、はた又、タボイ川を遡つた時、岡の上、山の頂き、或は森の葉蔭には白い塔があつちにもこつちにも見えた。始めは燈臺が船の目じるしかと思つたが、それは後で皆お寺の塔であると云ふことが分つた。實際ビルマは何處へいつても苟も人が住んで居る以上、白い塔、金の塔が見える。町の真中にも人里離れた山の上にも。ずつと後でイラワデイ河の支流ラングーン河に沿ふて首都ラングーンへいつた時でも先づ左側の田圃の真中に金塔が光つてゐるのが目につく、そして双眼鏡を借りて前方を見ると霞の間に金が方々に旭日を浴びて光つてゐるのが見えた。さすがに佛教の國であると云ふ印象を更に深からしめたのである。 殊にビルマの中部、イラワデイ河の河岸にある舊都ペガンには、頹れたるもの、或は頹れかかりたるものを合せれば佛塔は百萬以上もあると云はれてゐる。どの通りにもどの巷にも、家の前にも後にも塔がずつと立つてゐて、或る歐洲の旅行家の旅行記にも、ペガンの町にはどの寸土にも佛塔が立つてゐると書いてある ビルマ人の話によるとお釋迦樣のお言葉の中に佛塔を佛と思へと云ふのがあるから信心の深い彼等はお寺や塔の建立には少しも錢を惜まない。勿論他の佛に對する行事に使ふ錢も然りである。それで一寸とした町になると燦然と金が聳えてゐるがそれらの金塔は本當の金箔をつかつて張つたものは少なくない。殊にビルマの佛寺の大本山であるラングーンのシエダゴン塔に塗り付けた金は莫大なもので指で押せばへつ込む程に厚く塗り付けてあると云はれてゐる それではその塔の中には一體何が入つてるだらうかと誰でも一應は考へるだらうと思ふ。その好奇心でお寺へ參つた時に僧侶に聞いて見た、その中にはお骨でも納めてあるかと思つたが全然さうではなく、つまりその寺の寶庫で金銀や寶物を置いてあるのである 二、シエーダゴン塔 ラングーンの市內及びその近郊には數多の塔があるが中でも町の真中にあるスエーデン塔と町の北側の小高い所にあるシエーダゴン塔は最も有名である。 波止場で小鳥車(ガリー)を傭つて東北の方へ半時間走らせばシエーダゴン塔に着く、一帶は喧噪なる市內から少し離れてゐて、左に風光明媚なるローヤル湖を控へ、何とはなしに寺院の雰圍氣たる森嚴な所がある。そしてさすがにビルマの大本山だけに年中朝から晩まで香煙が絕えない。 私が此處にお詣りしたのは九月の末で曉の鳥は目が醒めたばかりと見えて梢に囀つてゐた。もう山門の前の珈琲店は夙に店を開いたと見え、芳しい珈琲の湯氣が立つてゐた。山門に步を運ぶと花賣りの婆さんがやつて來て「パツナジマ タツバー」(註、履物を此處に置きなさい)と如何にも親切に話しかけて來た。といふのはその婆さんは客の履物を預つてそして花を賣るのである。ビルマばかりではなく、マライのモスクに參詣する時でも、また印度人の寺にお參りする時でも、參詣者は必ず履物を脫がなければならぬのである。現地人の信仰を尊重する意味から飯田閣下も自ら靴を脫がれて率先垂範されたさうである、 靴を脫いで階段を上ること百段以上もあらう。一つの長廊下を通つて行く。天井には彫刻あり繪畫あり、兩側には佛像や花や書籍を賣る店が數十軒並んでゐる。 階段を登り盡きると大金塔が燦然と立つてゐる、四方に拜殿があり、拜殿と拜殿との間に幾十の小金塔が恰も大金塔を衛つてゐるかの樣に立つてゐる。右から大佛塔を一周すると周りの建物の彫刻、拜殿や塔の美は實に鮮かなものである。 中庭には淺草觀音の樣鳩鴆が一杯居て、日本と同じく參詣者は豆を買つて鳩にやると見えて子供が豆を持つて來るし。鳩もついて來る。さすがに大本山である、その雄大さ、異國的建築美に打たれたしばし拜殿の前に額いて階段を下りた。(寫真は佛塔) |
04 | 竹南郡警防團查閱 |
05 | 市民の情操陶冶 臺南市に奉公音樂團結成の議 |
06 | 貯米倉庫建設獎勵 |
07 | けふの榮譽知るや 興亞の兒は天真瀾漫 |
08 | 國民歌皆唱の會 |
09 | 硬貨回收の陰に 織込んだ數數の美談 |
10 | 秋山新莊郡守 常會推進 |
11 | 皇奉團體查閱 |
12 | 早起で三割增產 楠西庄總常會で申合せ |
13 | 舞び上つた飛魚 初漁から漁民ホクホク |
14 | 農耕の功を讚へて 增產戰士に輝やく表彰 |
15 | 竹南郡道路品評會授賞式 |
16 | 頭分街五月常會 |
17 | 赤誠の献金品 |
18 | 武德殿祭 |
19 | 防諜兩學生表彰 |
20 | 表賞金を献金 |
21 | 地方多より |
22 | 今日の映画演劇 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 砂糖公價の改訂 中央で研究、折衝中 |
02 | 南日本漁業の 設立命令內容 |
03 | 食糧供出と增產 供出米既に九割突破 |
04 | 新高港灣作業會社 二百萬圓で設立に決定 |
05 | 物價調整を協議 高雄の連絡協議會で |
06 | 斤先契約內容を調查 島內炭坑統合の前提 |
07 | 廢品統制會社總會 |
08 | 時局性豐かな 纖維粉末の用途 |
09 | 臨海バスの大型化 七、八月頃局營で實現 |
10 | 臺灣自轉車組合役員全部改選 |
11 | 生麥酒供給所 市內に數個所を設置 平山臺北支局長語る |
12 | 遞信の種種施設 內外地出席者で會議 伊藤遞信部長歸臺談 |
13 | 勸銀新竹支店開設 農耕資金供給に重點 |
14 | 松野課長上京 肥料會議に出席 |
15 | 照明燈 |
16 | 商況(五日後場) |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(956)/黃得時;碇政彌 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | マニラ到着 東條首相比島訪問 新建設を鼓舞激勵し 協力推進を陣頭指揮 |
02 | 首相演講 獨立の榮冠獲得せよ 大日本帝國誓つて米英擊碎 再び東亞に足を觸れさせぬ |
03 | 敵艦群目蒐けて突入 珊瑚海海戰を回顧 |
04 | 情報局發表 |
05 | 比島派遣軍發表 |
06 | 初日の日程終る |
07 | 米司令官代理輕傷 |
08 | 比島空前の民眾大會 感激の坩堝、ルネタ公園 |
09 | 比島民深甚な感謝 バルガス長官聲明 |
10 | 圖像:酷熱の南海上、日夜訓練を重ねる海の強者 |
11 | ようこそ東條首相 市民日の丸を打振ふ |
12 | “コ島攻略を偲ぶ” 本間將軍を圍んで「わたし會」誕生 |
13 | 最後の勝利確信 ム伊首相、民眾を激勵 |
14 | メ州軍需工場 に大爆發起る |
15 | 三頭會談を企圖 ルーズヴエルトが |
16 | マ島資源に關し協定成立 米政府の發表 |
17 | 濠洲金屬工罷業 |
18 | 米政府、炭坑夫組合の 賃銀增額要求に讓步 ルーズヴエルトの大敗北 |
19 | ガソリン節約 に率先垂範 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 殖せよ興亞の子寶 姙產婦に育兒の虎の卷傳授 市內各所で講習會 |
02 | 街頭に“健民”宣傳 颯爽‧銀輪部隊市中行進 |
03 | 義烈燦と輝やく 双溪庄で殉難憲兵慰靈祭 |
04 | 圖像:大甲溪開發事業起工式 |
05 | 船員を優遇 汽車賃を半額に |
06 | 譽れの衛生校 基隆の双葉表彰 |
07 | 基隆水上署の 健民運動行事 |
08 | 結核撲滅へ總進軍 療養所長會議開く |
09 | 插角尖行 |
10 | “職場は戰場だ” 青年工に敢鬪精神 |
11 | 昭南文化建設の近況 教育普及と宗教の卷(下) |
12 | 宜蘭市乳幼兒 選獎表彰式 |
13 | 世界に誇る文化の殿堂 日泰文化會館建設に着手 |
14 | 圖像:街頭に“健民”宣傳 |
15 | 彈丸切手買ひませう 奉戴日建功神社で賣出す |
16 | 皇軍に捧ぐ感謝 職場を守る妲さん達の赤誠 |
17 | 慰問雜誌五萬餘冊 圖書館協會から献納 |
18 | 頭圍河口開鑿工事 |
19 | 二部に分けて活躍 張切る島都生活相談所 |
20 | 繼走大會出場選手豫選會 |
21 | 決戰下の商業道 勞務者を集め鍊成 |
22 | 春季大清潔 十三日から施行 |
23 | 身をもつて體驗 青年學校長が鍛鍊 |
24 | 興南詩苑漢詩 春夕話舊(時香林自東臺戾止)/翕庵、春遊竹城/謝少漁、次韻/張國珍 |
25 | 廣東伊太利總領事 臺南を視察 |
26 | 女教員モンぺを着用 |
27 | 今晚の放送 |
28 | 興南案內報社消息 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 本來の姿に目覺めよ 東條首相談話を發表頭條新聞 【マニラ六日發同盟】比島訪問中の東條首相は六日午前十時五十五分バルガス比島行政長官と懇談後左の如き談話を發表した △東條內閣總理大臣兼陸軍大臣談 余が今回當地を訪れたるは新しき比島建設の實情を親しく視察すると共に日比兩民族が渾然一體となりて大東亞戰爭の完遂に邁進し新秩序の建設に献身しある勞苦を犒らひ且つ要路の人人と隔意なき懇談を遂げんが為である、而して余は比島官民が協力日本軍と相提携して新比島建設のため渾身の努力を傾注せられ着着目覺しき成果を擧げつつある實情を目擊し深き感銘に打たれたのである、就中バルガス長官はじめ各行政長官などが良く大局を明察せられて一切の毀譽と危險を顧ることなく新比島建設に挺身せられたるその識見と勇氣とに對しては大東亞興隆のために將又比島本然の發展のために慶賀に堪へないものである、そもそも今次戰爭の目的は多年東亞の天地に盤踞し東亞の諸民族を犠牲として非望を逞しうせる米英蘭を屈服しその勢力を排除し以つて大東亞の諸民族が各各その所を得ると共に道義に立脚する新秩序を建設するにある、飜へつて米國の比島を領有した經緯を見るに全く比島民眾を欺きその意志に反してこの地を獲得したるのみならず、全然比島民の真の幸福を顧慮せず只管に比島を基地として東亞の侵略を策謀し、物質的文化を以つて比島民眾を幻惑し、東洋個有の精神を麻痺せしめんと圖りたるに過ぎないのであつた、從つて物質萬能の文化はこれを固持するも真の國家の創設と發展とに缺く可からざる質實剛健進取の氣魄を消磨せしめ、又徒らに空虛なる獨立の美名のみを以つて巧みに操るも、毫も比島の經濟的自立を圖るところなく、その獨立の時期も口實を構えて徒らに遷延せしめておつたのである即ち比島民族の自覺と發展とを恐れ、比島をもつて自國の植民地化し東亞侵略の根據たらしめたのであつた比島と日本とは住古既に密接なる交通、通商關係を有し、更に民族的にも思想的にも互ひに相近似して東洋的特性を具有しておりその地的近接關係と相俟つてこの兩民族が互ひに提携協力して東亞の發展を圖ることは極めて自然なことであるにかかはらず、米國はその天與の事實を無視して頻りに無實の中傷を試みて兩者の離隔を策し東亞諸民族互ひに相爭はしめんとしたのである、誠に惡辣なる政策の連續であつた、しかるに戰火を一度開くや忽ちにして米、英の東亞の根據地は悉く覆滅せられ、皇軍の威武は廣く太平洋印度洋を壓してゐるのである、既に我我は必勝不敗の態勢を完成して更に進んで彼等の戰意を徹底的に擊碎せんとしてゐるのである、この秋に當り日滿華の結束は愈愈固く、タイ國は既に我と盟約して參戰し佛印又進んで我に協力を惜しまず、又ビルマに於ては力強き指導者バーモ長官の下、我と緊密を保ち、其獨立は將に成らんとし、その他南方各地の民眾は悉く我が理解ある道義に基く施策の下に本然の姿に返り今や大東亞の諸國家諸民族は各各そのところに應じ擧つて明朗新鮮なる新しき大東亞の建設に邁進してゐる、他方歐洲方面に於ては獨伊その他の盟邦諸國は愈愈我等と協力を緊密にし來る可き大攻勢を準備しつつあるのである即ち洋の東西に於て米英打倒の大進軍は着着その巨步を進めつつあるのである、予はここに多年に亘り米英蘭の物質的並びに精神的桎梏の下に呻吟して來たれるも今や彼等の羈絆より脫し、本來の使命に目醒たる大東亞十億の諸民族と相携へ相信じ飽迄も戰爭の完勝を期し東亞多年の禍根を芟除して以つて諸民族本來の國家を建設し東洋永遠の平和の確立を所期するものなることを改めて宣言するものである、しかして比島に於ては全民眾が更に帝國の真意と比島の使命とを再認識しこの聖戰參與の光榮と責任とを感銘し全比島人が渾然一體となり比島獨立の日の一日も速かに實現せられんことを期待するものである |
02 | 最善の協力を盡す 比島民眾大會決議文 |
03 | 比島獨立の時期 民眾の帝國への信賴度に依る 東條首相の挨拶 |
04 | 光輝の目的に邁進 バ長官挨拶 |
05 | バ長官感謝辭 日本の勝利こそ 我比島民の解放 |
06 | 第三軍分區瀕死の形相 敵各所に我が好餌となる |
07 | 皇軍傷病兵を首相が慰問 |
08 | 帝國への協力 一段熾烈となる 東條首相訪比の反響 |
09 | 比島民を鼓舞激勵 首相の訪比意義重大 |
10 | 椰子油工場を視察 |
11 | 原住民の協力態勢 完全に確立さる 青木大東亞相のジヤワ視察談 |
12 | 太行作戰戰果 |
13 | バルガス長官 首相を訪問 |
14 | 中共葉劍英 蔣と會見 |
15 | 英機三十六臺を擊墜 獨西部に來襲 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇后陛下 日赤總會に行啟 有難き令旨を賜ふ |
02 | “人間戰車”の驀進 言擧げ一つせぬ多忙な日日 東條さん信念に生く |
03 | 閑院總裁宮殿下台臨 日赤有功章御授與式 |
04 | 圖像:平和蘇るコレヒドール島の漁夫 |
05 | 祖國日本へ第一聲 肇國以來の一大快心事 |
06 | 健民強兵の途斯界の權威に聽く(七) 健康の土臺を作れ 幼兒期を丈夫に育てるには 臺大助教授村上勝美氏談 幼兒保護の卷(下) |
07 | 基隆少年劍道大會 |
08 | 表彰金を献納 |
09 | 御下問の感激談 梁井知事災害民に傳達 |
10 | 比島に立つ金字塔 コ島陷落一周年 |
11 | 宜蘭で蹴疊球試合大會 |
12 | “齒と健康”の標語募集 |
13 | 偲ぶ“この一戰” 廿七日は海軍紀念日 |
14 | 健民の夕 鐵の魂、石の體 四十萬市民に呼掛く |
15 | 遺家族慰安映畫會 |
16 | 肩の襷も鮮かに 繼走競技會開催 健民運動の掉尾を飾る |
17 | “海の戰士”に感謝 廈門赤堀總領事 |
18 | 食糧增產の一助 農繁期の國民皆働運動 近く全國的に展開 |
19 | 鬪ふ婦人と貯蓄 三ケ所で座談會開催 |
20 | 列車に轢死さる |
21 | 雙溪青年校開校式 |
22 | 臺中州男子中等武道大會 |
23 | 大崎頭より直潭山へ |
24 | 人事‧消息報社消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 鍬の苦心談を聽く 異口同音に堆肥を絕讚 |
02 | 自給肥料褒賞授與 積上げた堆肥の山 農民の勞苦酬ひらる |
03 | 奉公委員參與會 二十日まで各支會で開く |
04 | 新莊郡の肥料增產計畫 三回の強調週間設定 |
05 | ビルマ見聞(二)/張棟蘭海外遊記 三、ポンヂチヨン ポンデ、チヨンの直譯的意味は僧侶學校と云ふのであるが彼等ビルマ人は寺小屋式の學校を言ふ事もあるし、又お寺を全體を云ふ場合もある。そして最後に、もう一つの意味はお葬式の時の式場や會葬者の休憩場として使用する建物を指す。 ポンヂ、チヨンの建物の樣式は特長があつてビルマに脚を踏み込んだ外國の人には佛塔と共に特に目に着くものである。 此の樣な建物は佛塔の傍にある事もあるし、また佛塔なしに此の建物だけずらりと列んでゐるのもある、遠くから眺めると森の間に、檳榔樹の葉蔭に、赤白の色彩鮮かな三角が幾重にも疊み重なつてゐる此の建築樣式は、私に一種異樣な感を與へた。泰で見た佛寺とは違つて非常に角度の多い感がしたポンヂ、チヨンの元來の意味は學校であるから昔からビルマの兒童教育は此の寺小屋で僧侶の手によつてなされたのである。もとより程度の非常に低いもので大體四年間修了である。今日では主に貧民の兒童教育を擔當してゐるが、途中一年間で止めようが二年間で止めようが兒童やその父兄達の勝手である。勿論机や椅子があるのではなく兒童は床の上に胡坐をかいて讀み書きを習ふのである。或る時僧侶達が高僧のパリ語の講義を聞いてゐるのを窺いて見た。高僧は机に向つて端正な姿勢で講義をして居るのに他の僧侶達は寢そべつてゐた。案內者に何故そんなだらしない姿勢で先生の講義を聞いてゐるのかとたづねたらそれが長者に對する禮であると答へた。所變ればこんなにも違ふものかなと思つた。 然しこの寺小屋教育はビルマ官語の普及に與つて力あるものである(寫真はポンヂ、チヨン) |
06 | 豐作の為めに 堆肥推進班が實地指導 |
07 | 圖像:チヤーチルの泣き面 |
08 | 各地乳幼兒選獎式 |
09 | 警防團查閱 |
10 | 擊ちてし止まむ 下營庄の赤誠常會を覗く |
11 | 赤誠の献金品 |
12 | 農村樂しや! 早場米愈よ鎌入 |
13 | 八卦よい殘つた 肉彈飛び交ふ學童角力 |
14 | 節句の健民相撲 |
15 | 農務主任會議 |
16 | 值段は下つたが 茶業者は一陽來復期して |
17 | 臺中州商奉團長 大肚山道場で鍊成 |
18 | 頭分街母性 指導講習會 |
19 | 決戰生活は 先づ丸刈り |
20 | 健民演劇 |
21 | 部落會長鍊成 |
22 | 彰化市は秀水道場で |
23 | 人事 |
24 | 地方多より |
25 | 今日の映画演劇 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 内地の精糖工場 全部廢止に決定 內海糖聯臺灣支店長土產談 |
02 | 內臺間の航海に萬全 昨日七つの對策を決定 |
03 | 剝皮の巧拙に重點 苧麻纖維の格付改訂 府松野農務課長談 |
04 | 茶の生產と配給 卓越せる藥學的價值 |
05 | 南日本漁業の設立委員 あす選出方法を協議 |
06 | 共同住宅を計畫 住宅營團評議員會で決議 |
07 | 春茶著しく不況 最近天津高で強反撥 |
08 | 島產機器の受註查定 鐵工業統制會に移讓 |
09 | 重要なるゴム資源 ジヤワのガタバルチヤ |
10 | 蔗園の生育順調 高雄州下來期豐作か |
11 | 新竹州種苗業組合役員決定 |
12 | 二期作の金肥割當 來る十日の會議で決定 |
13 | 臺北近郊バス會社 第二回株主總會 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況(六日前後場) |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(957)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 自覺的協力段階へ 東條首相の訪比に感奮 |
02 | コ島を望んで默禱 陷落一周年を迎へた東條首相 |
03 | 圖像:南方の空に活躍する水上機基地 |
04 | 比島民破格の名譽 比島の要人達語る |
05 | 東亞共榮圈建設に 献身的努力を捧ぐ 新任駐日大使蔡培氏の抱負 |
06 | 浮動資金化を防止 次官會議で申合せ |
07 | 比島官民を招待 |
08 | 山崎農相談 農業勞務の對策 全責任で遂行に當る |
09 | マユ山脈の兩側で 活潑な哨戒活動 |
10 | 伊コルヴエツト艦 英潛水艦を擊沈 |
11 | 弗インフレの危機 |
12 | クバン橋頭堡で激戰 |
13 | 江西省政府を 九江に設置 初代省長鄧祖禹氏 |
14 | ビゼルタ方面の 樞軸軍反擊熾烈 |
15 | ルーズヴエルト スターリンの前に膝を屈す |
16 | 英佛海峽で 獨英海戰 |
17 | 敵船十六隻擊沈 獨潛艦、北大西洋で |
18 | 司法長官會同 終る |
19 | 積載量を引上ぐ 國鐵輸送量增強を圖る |
20 | 米對ソ關係 改善に狂奔 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 戰力增強に結集 青少年團十八年度の訓練 皇奉で役員會開く |
02 | 職場の青年が 綴る感激と決意 兩提督に慰問文の山 |
03 | 圖像:青少年團役員會 |
04 | 東條さんは優しい小父さん 日本のみなさんは羨しいな マニラ小學校兒童が語る首相 |
05 | 青少年團の鍊成 (上)十八年度の事業計畫 |
06 | 兵隊さんが喜ぶぞ 赤誠の慰問袋一萬五千集る |
07 | 生擴、食糧調查に 內務省委員近く來臺 |
08 | 總督代理が遺族を弔問 |
09 | 憧れの練習船で勇ましく初船出 |
10 | 軍馬慰問 |
11 | さて今度は誰かね 臺北州の代表優良兒審查 |
12 | 前線銃後の紐帶 お禮に元氣一杯の姿 戰地から硝煙匂ふ寫真 |
13 | マ病殲滅に衛生日 けふ總動員どぶ清掃 |
14 | 畫劇挺身隊の鍊成 |
15 | 戰ふ漫畫展開く |
16 | 興南詩苑漢詩 腹疾偶成/文訪、從軍健兒/鐸菴、從軍健兒/松林峰雄、從軍健兒/子襄、從軍健兒/子瀾、宿潛廬呈主人/說劍、白雲莊什詠二首/少濤 |
17 | 鷄卵慰問部隊 けふも陸軍病院に陸續 |
18 | 青年學校開校式 十一日一齊に擧行 |
19 | 動物學者 サウタ氏逝去 |
20 | 車輛等施設の戰時規格 鐵道省の實施順調 |
21 | 島北產婆會總會 |
22 | 人事‧消息報社消息 |
23 | 商況(七日前場) |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | けふは大詔奉戴日頭條新聞 詔書 天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有眾ニ示ス朕茲ニ米國及英國ニ對シテ戰ヲ宣ス朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司ハ勵精職務ヲ奉行シ朕カ眾庶ハ各各其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ舉ケテ征戰ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ 抑抑東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ丕顯ナル皇祖考丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ朕カ拳拳措カサル所而シテ列國トノ交誼ヲ篤クシ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト為ス所ナリ 今ヤ不幸ニシテ米英兩國ト釁端ヲ開クニ至ル洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ中華民國政府曩ニ帝國ノ真意ヲ解セス濫ニ事ヲ構へテ東亞ノ平和ヲ攪亂シ遂ニ帝國ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有餘ヲ經タリ幸ニ國民政府更新スルアリ帝國ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提攜スルニ至レルモ重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ兄弟尚未タ牆ニ相鬩クヲ悛メス米英兩國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制霸ノ非望ヲ逞ウセムトス剩ヘ與國ヲ誘ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ增強シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ與へ遂ニ經濟斷交ヲ敢テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ回復セシメムトシ隱忍久シキニ彌リタルモ彼ハ毫モ交讓ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ益益經濟上軍事上ノ脅威ヲ增大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス斯ノ如クニシテ推移セムカ東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ歸シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事旣ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ朕ハ汝有眾ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス 御名御璽 昭和十六年十二月八日 各國務大臣副署 |
02 | 詔書 |
03 | 共軍一萬三千を攻擊 山西の掃蕩戰を續行 |
04 | 壯烈‧八路軍殲滅戰 共產軍の政治力破碎 |
05 | 珊瑚海海戰に大戰果 感狀上聞に達す 戰史に輝く兩部隊の武勳 |
06 | 敵一機を擊墜 ラングンに飛來 |
07 | 積極的に協力す 東條首相と會見バ長官は語る |
08 | 記者團と會見 米本土爆擊成算あり 安田總監、抱負を披瀝 |
09 | 包圍陣を漸次壓縮 赤色勢力潰滅の寸前 |
10 | 兩部隊の奮戰概況 |
11 | 東條首相 助成金を送る |
12 | 要衝黎城、水峪村と 西井鎮、麻田鎮奪取 |
13 | 反樞軸商船 五隻を擊沈 |
14 | 包圍鐵環完成 |
15 | 各部隊の戰果 |
16 | 米軍イ島を 不法占據か |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 比島民を鼓舞激勵 東條首相の訪比社說 一 東亞に於ける敵米英最後の據點コレヒドール陷落一周年記念日を迎へて感激に湧く五日、東條首相は大東亞の重要なる一環たる比島を訪問、首都マニラに到着した大東亞戰爭の決戰段階に處し政戰兩略の最高指導に挺身してゐる東條首相は、去る三月南京を訪問、日華共同作戰の重要打合せを遂げ、次で四月一日に新京を訪問、日滿關係の强化に劃期的貢献をなしたが今回更に比島を訪問、南方占領地へ總理兼陸相として初の一步を印したことは、大東亞戰爭の完遂上極めて重大な意義を有するものである。曩にビルマ行政長官バーモー氏の來訪あり、又目下行はれつつある青木大東亞相の南方各地歷訪等を併せ考へると、大東亞各民族が共同の戰爭目的の完遂に邁進しつつ、更に大東亞共榮圈の建設を逞しく前進せしめつつあることを示すものであつて、戰爭目的を異にし反間苦肉の醜爭を事としてゐる反樞軸各國領袖の如きとは根本的に事情を異にするのである。 二 東條首相はマニラ市民感謝大會に於て親しく比島民眾に呼びかけた演說の中に「私はさきに第八十一帝國議會に於て帝國政府を代表し、比島が更に衷心より協力の實を擧ぐるに於てはなるべく速かなる時機に於て獨立せしむべきことを重ねて闡明したのであるが、今度當地に參つて諸君が新比島建設に邁進せられつつある實相に觸れ帝國に對する協力や熱意に接して、ここにさきの聲明信念を益益固くするものである」と述べた。このことは第七十九帝國議會に於ける比島獨立許容聲明、第八十一帝國議會の右聲明再確認、次で今回現地實相に觸れた結果、民眾の熱意を認めて獨立許容聲明を三たび確認したことであつて、比島獨立は更に一步前進を見せるに至つたのである。首相は最後に「比島民眾が更に積極的に大東亞戰爭の完遂に協力し、一日も速かに獨立の榮冠を獲得するとを期待する」と結んで、比島民眾の心底に深い感銘を與へたのである。 三 かくの如く大東亞戰事を完遂せんとする帝國の真意は、大東亞各民族の解放とその安寧と幸福とを確保し、明朗にして希望に滿ちた共榮圈を建設しやうと云ふ高い道義觀を基調とするものであつて、アングロサクソン帝國主義の如き領土的野望は寸毫もない。帝國は曩に中華民國に對し治外法權を撤廢し租界を返還し、又ビルマに對しては本年內に獨立を認むべきことを聲明したのは我が道義觀の顯現に外ならないのである。東條首相がこの度比島獨立期待聲明を發したのも全く同樣の理念からである。この際全比島民眾が一日も速かに獨立する十分な資格を得るやう、比島軍政監が比島獨立達成への前提條件として要請してゐる比島民自身による治安確立、比島經濟の再編成による自治の確保、對日協力、東亞本然の真姿還元等を目指して積極的に前進し、東洋人としての感激を彌が上に高め、大東亞戰爭への協力と新比島建設への熱意を一段と昂揚すべきであらう。 |
02 | 圖像:皇后陛下五月六日日本赤十字社總會に行啟 |
03 | 振ひ起せ勇猛心 けふは大詔奉戴日 |
04 | 完勝へ總力邁進 日本人たるの矜持を失ふな 東條首相、在留邦人に說く |
05 | 青少年團の鍊成 十八年度の事業計畫 |
06 | 比島婦人も協力 バルガス女史の挨拶 |
07 | 班禪喇嘛の後繼者發見 |
08 | 勤皇烈士の精神 鍊成によつて體得 |
09 | 真摯な意見續出 青少年團第一回役員會 |
10 | 圖像:東條首相を迎へる比島人兒童 |
11 | 基隆厚生協會 評議員會 |
12 | 學徒の“健民祭典” 奔流する若き血潮を滾らせ 戰力增強に猛進 |
13 | 附屬病院の產院 一般の利用を希望 |
14 | 一日で八萬餘圓 コレヒドール陷落一周年を迎へ 島民の赤誠献金 |
15 | 獎學資金制を設置 頭圍信組で |
16 | 勝利が絕對必要 山田新翼壯本部長談 |
17 | 健民資料展示會 島都各市場で開催 |
18 | 東支那海戰歿職員追悼會 |
19 | “第二號機白鷺” けふグライダー命名式 |
20 | 五指山登山 |
21 | 基隆健民遠足大會 |
22 | 青木大東亞相 マカツサル發 |
23 | 演劇挺身隊臺南州巡演日程 |
24 | 基隆港灣會總會 |
25 | 梁井州知事 基隆常會を視察 |
26 | 基隆市香川縣人會總會 |
27 | 人事‧消息報社消息 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 耕せば不毛地なし タツキリ溪下流百甲步を水田化 |
02 | 學徒の防空協力 關係者編成要項を打合 |
03 | 馬公街商奉團結成式 |
04 | “高砂族報國號” コ島攻略の感激新たに献納運動 |
05 | 陸軍技術候補生志願者心得 |
06 | 新市庄常會指導 |
07 | 戰術の實施演習 鄉軍將校、十八尖山で攻防戰 |
08 | 僕が作った飛行機 飛翔大會で飛ばすぞ |
09 | 甘蔗間作にお薩 鹽糖花蓮港製糖所五百甲步提供 |
10 | 奉壯團懇談會 |
11 | 嘉義市奉公委員會 |
12 | 圖像:ほほえましい銃後の風景 |
13 | ハイヒールは非健康的だ 斷然廢めませう |
14 | 土壤研究の結果は 澁谷博士の學說返咲き |
15 | 衣服更生の新工夫 日婦新竹州支部講習會開く |
16 | 郡民激勵しつつ 藤村知事桃園郡巡視 |
17 | 捨てられぬ草木灰 近く蒐集運動展開 |
18 | 地方開發の動脈 樟湖、外湖道路竣工式 |
19 | 若人羨望の的 譽の若鷲に李春初君合格 |
20 | 決戰婦道鍊磨に お歷歷が一席の講義 |
21 | 產業奉公會(嘉義市支部) きのふ晴れの結成式 |
22 | 溪湖街健民講演會 |
23 | 鹿港兒童遊園地竣工 |
24 | 赤誠の献金品 |
25 | 一路迷信打破へ 地理師等との懇談日程 |
26 | 學童の必勝意識 昂揚に市郡視學會議 |
27 | 李仔山ハイク |
28 | 鳳山郡街庄長會議 |
29 | 人事報社消息 |
30 | 地方多より |
31 | 訃文:ハンス、サウテル |
32 | 今日の映画演劇 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 十七年度貯蓄實績 市街地信用組合成績最も良好 |
02 | 商工經濟會の設立 臺灣は律令を制定せん |
03 | 鐵、石炭に於ける 補助金政策の現狀 |
04 | 高雄州の早場米 買上量廿五萬石見當 |
05 | 島內供給に重點 本年バナナの配給方針 |
06 | アルミ增產の動向 ビツキコークスに重點 |
07 | 樟樹の造林地 想思樹造林に轉換 |
08 | バナナ島內配給 本月廿七萬七千餘籠 |
09 | 經濟手帖 |
10 | 照明燈 |
11 | 商況(七日後場) |
12 | ラジオ |
13 | 水滸傳(958)/黃得時;碇政彌 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 福岡歸着 東條首相歸途寄臺 總督軍司令官と要談 |
02 | 涉縣の堅陣に肉迫 |
03 | 重慶の抗戰前途絕望 |
04 | 谷特命全權大使參內 |
05 | 圖像:東條首相寄臺 |
06 | 週間の戰況 |
07 | 師長劉伯承 |
08 | 北阿戰況決定段階へ |
09 | 蒙疆中部地區 共軍擊滅戰果 |
10 | 晉冀豫邊區軍 省境當面の敵 |
11 | 敵砲艇を捕捉殲滅 マユ河支流で〇〇工兵隊の殊勳 |
12 | 伊軍の發表 |
13 | ヴイシンスキー聲明 シ獨情報部長が解剖 |
14 | 北阿の樞軸軍 新陣地に撤收 |
15 | 樞軸軍依然 陣地を死守 |
16 | 總統大本營發表 |
17 | ソ、波關係再惡化 米國政府筋呆然自失 |
18 | 亡命政權は讓步せぬ 獨外務省筋意向表明 |
19 | シ波政權首相 英外相と協議 |
20 | デ中將を任命 歐洲派遣米軍の總司令官に |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 誓つて米英撃滅 奉戴日迎へて決意新た |
02 | 詔書奉讀式を擧行 |
03 | 臺北州下の優良兒 譽れの五十名決定 |
04 | 弔慰金を献納 若鷲を失つて軍國の父から 飛行機建造資金に |
05 | 長谷川總督漫畫展へ |
06 | 常會を視察 梁井支部長らが |
07 | 團旗と共に挺身 島都奉壯團團旗奉戴式 建功神社で嚴かに擧行 |
08 | 共榮圈確立に協力 經濟的政治的性格全く一變 在比華僑二十萬 |
09 | 有田兵事部長あす基隆へ |
10 | 健民に拍車 姐さん達が運動會 |
11 | 筆頭は五十三組 模範の月下氷人表彰 |
12 | 戰ふ州民の底力發揮 新竹州の國民貯蓄百廿七パーセント |
13 | 熱意あるものを 基隆桔梗結成に着手 |
14 | 晉冀豫邊區の鐵資源調查 作戰軍に從軍し |
15 | 薰風截つて力走 颯爽‧三線道路繼走大會 |
16 | 翼壯副團長に 山田氏を起用 |
17 | 堆肥增產督勵 福澤產業部長 七堵萬里へ |
18 | 米、英兩國政府 新聞で危機回避を策す |
19 | 廣州灣に佛印 大使府出張所 日、佛印緊密化促進 |
20 | 興南詩苑漢詩 憶炳煌之金陵/郭茂松、送金盛弟東渡/郭茂松、周德三芸兄囑題吳漫沙君沙秧之鐘書後/郭茂松、寄呈子惠先生/郭茂松、無題/蕭郎 |
21 | マカツサルに 特別公學校 原住民指導者育成 |
22 | 煙草を特配 勞務者に限つて |
23 | 大相撲夏場所 初日の取組 |
24 | 飛び葛が開花 |
25 | 今晚の放送 |
26 | 商況(八日前場) |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵機擊墜破一四三機 緬甸陸鷲四月の綜合戰果頭條新聞 【ラングーン八日發同盟】五月八日ビルマ派遣軍發表、我が航空部隊は引續き東部インド敵航空基地を攻擊中にしてビルマ領內に來襲せる敵機の邀擊を含み四月中の綜合戰果次の如し 一、敵に與へたる損害、撃墜四十一機、地上擊破及び炎上八十九機、地上火器による擊墜十三機、軍事施設爆碎炎上二十一ケ所、船舶擊沈又は擊破一千噸級七隻、五百噸級十隻、 二、我方の損害喪失七機 |
02 | 要衝安鄉を攻略 湖南全線に亘り進擊 |
03 | 二度目の總理來臺 東條首相着北後の動靜 |
04 | 安鄉に感激の入城式 |
05 | 招待晚餐會に臨む 總督、軍司令官の主催 |
06 | 沁源周邊で 敵主力を包圍 |
07 | 常德指呼の間に臨む |
08 | 麻田鎮を完全占領(山西) |
09 | 敵將彭、劉、山中を徬徨 共軍內部數數の苦悶 |
10 | 福岡にて首相談話 大東亞の建設進捗 我が前途洋洋たり |
11 | 贛州を急襲 |
12 | 敗敵を急追又急追 敵四萬風前の燈火 |
13 | 荒鷲も協力猛爆 |
14 | 訪比の歷史的使命達成 |
15 | 輝しい建國第一步 ビルマ獨立準備委員會發足 |
16 | 涉縣盆地を圍む 鐵環全く成る 最後の鐵槌を下さん |
17 | 東條首相一行 大阪に到着 |
18 | チユニジア戰線 既に使命を終る |
19 | 委員の顏觸れ |
20 | 獨軍の發表 |
21 | 伊軍の發表 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 大甲溪開發事業發足す社說 一 本島產業經濟に一新紀元をもたらすべき大甲溪開發事業は、去る五日滯りなく起工の式典を擧げ、愈よ本格的に工事を進めるととなつた。大東亞戰爭の現段階に於て南方基地たる臺灣に課せられた戰力增强の使命を達成する根幹とし、また本島國防產業の飛躍的振興の推進力として、優秀豐富なる電力と工業用水を供給し併せて灌溉治水にも利用せしめんとする大甲溪開發事業の將來性は洵に計り知るべからざるものがあり、國家的要請に應へ大東亞戰爭完遂に寄與貢献するところ蓋し甚大なるものがあらう。臺灣工業化の聲は旣に久しいものがあるが大東亞戰爭を契機として現實に豐富なる南方資源を擁する今日、南方基地臺灣の工業化は實に國家的に負荷せられたる當然の使命と云はねばならぬ。長谷川總督の劃期的事業たる大甲溪の開發は、斯くして本島國防產業の中核として將又其の原動力として國家的一大施設と云つても過言ではないのである。 二 大甲溪開發事業は其の規模の雄大にして計畫の精緻なる洵に驚嘆に値ひするものがあり、我國に於ても他に類例なき世界的大土木工事と云はれてゐる。周知の如く大甲溪は本島の中央部臺中州の沃野を東西に貫流して新高港附近に注ぐ大河で、中央山脈系たる南湖大山其他海拔三千米を突破する峻峰に源を發し、延長百三十八粁、流域面積千二百平方粁を擁し、その流域は降雨量に富み常に相當の流量を保有して、併かも天然の地形による落差は千餘米に及び、電源の開發に絕好の條件を具へてゐるのである。電源の開發は卽ち大甲溪流水の緩急勾配の分界點たる達見に高堰堤を築造して上流一帶の緩流を一大貯水池となし、各季月に於て不均齊なる流量を貯溜調整して、中流激湍の急勾配を折返し利用し發電計畫をなすものである。而して更に下流地域に於ける洪水を調節し併せて灌漑用水の確保、新高港附近に於ける工業用水の供給等、國土計畫上に洵に偉大なる効果を擧げることになつてゐる。 三 本工事は昭和十七年度より九ケ年を以て竣工を期してゐるが、第一期工事は十七年度以降四ケ年の繼續事業として輸送設備と工事準備を完成せしめ更に二十年度以降五ケ年間堰堤本工事を實施完成する豫定になつてゐる。而してこの間總督府からは計一億圓の巨費を堰堤工事に投じ、臺電に於ては二億數千萬圓を以て天冷、豐原第一、第二、明治、烏來、達見六發電所建設並に輸送施設を完成することになつてゐるが、本工事並に之に附帶する鐵道、道路等諸般の事業一切は擧げて臺電に請負はしめることになつてゐる。以上が大甲溪開發事業の概要であるが、茲に本工事の世界的大工事たる、所以のものは、實に北米のホールダーダムにも匹敵する達見本堰堤の雄大さであり而して常時出力數○萬キロを得る素晴らしい優秀豐富なる電源に在るのである。斯くして本工事完成の曉には、新高港工業都市に結び、本島工業發展の偉大なる推進力として果す役割は蓋し絕大なるものがあらう。世界的大事業たる本工事の完成の一日も早く速かな□んことを念願して止まぬ次第である。 |
02 | 勝ち拔くため戰ふ 臺灣の姿が嬉しい 草山に寬ぐ東條首相談 |
03 | 增產狀況を質問 本島民情に多大な關心 |
04 | 白衣勇士を慰問 |
05 | 圖像:寄臺した東條首相 |
06 | “感激に堪へず” 坂口高雄州知事語る |
07 | 徹底した臺灣認識 軍參謀橫田中佐語る |
08 | 木造船に供木の範 長谷川總督庭木を提供 |
09 | 六時半に起床 |
10 | 造船報國に邁進 副見交通局總長感激談 |
11 | 羅東神社構內清掃奉仕 |
12 | 健民運動の白眉 けふ繰展ぐ體鍊繪卷 |
13 | 羅東座復興落成式 |
14 | トツプが軍人さん 月收は八十圓から百圓まで 現代娘の語る“理想の良人” |
15 | 南溟に不朽の勳功 加藤軍神一周忌近づく |
16 | “軍用機羅東號” 常會で献納を申合す |
17 | 從業員運動會 |
18 | 國際觀光局の 宣傳資料案 |
19 | 物淒い赤誠献金 島民の底力を發揮 |
20 | 臺灣化成會社 十五日に總會 |
21 | 濠洲の不安 愈よ募る |
22 | ソ聯の發表に英政府驚愕 |
23 | 理髮組合員の競技 |
24 | 乳製品配給組合員強步大會 |
25 | 訃文:木村蓮 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 東鄉元帥の遺墨 寫真で國民校に頒布 |
02 | 合格せねば歸れぬ 熱血青年林塗君の墾願に 石川訓練所長感激 |
03 | 會眾激勵に感奮 藤村知事を圍んでの懇談會 |
04 | 健民強兵の途斯界の權威に聽く(七) 強い抵抗力を作れ 結核豫防の積極的方法 幼兒保護の卷(四)/佐藤敏 |
05 | 海山郡產組總會日割 |
06 | 健民演劇好評 |
07 | 圖像:南太平洋に活躍する海軍航空隊 |
08 | 瑞芳街奉壯團 團旗奉戴式 |
09 | 潮州皇奉團體查閱 |
10 | 奧田國士局長視察 |
11 | ビルマ見聞(三)/張棟蘭海外遊記 四、佛像 海遠く離れてゐる外國で同鄉の人に逢ふと縱令知らなくとも親しみを感ずるのは勿論であるが、故國と同じ樣な風物に接した時にもました懷しきを覺え抱くものである。 ビルマに來た時、兵隊さんたちは盛んにビルマの女たちの圓顏な所は日本人そつくりで、親しみ易い所があると云ふ。私はビルマ語を少し勉強した所が言葉の排列の順序は日本語と全く同じなのに驚き且つ興味を感じた。然し何と云つても莞爾と微笑みさうに見える佛像程、我々に親しみと懷しさを抱かせるものはなからう。實際香の煙芳しく立ち上る佛像の前に立つた時異邦に居る感じは全然しなかつたのである。 唯私には佛像に對する知識はなく日本に於ても此の方の見聞は狹ひ為め多くは知らないが、ビルマには大きな佛の立像がぽつねんと立つてゐるかと思ふと山腹には途方もない巨大な寢佛が寢たべつてゐるのが見受けられる。また寺院の中にも大理石の立派な寢佛が硝子箱の中にをさまつてゐるのもある蓮の花の上に脚を組んで端然と坐つてゐる姿に慣れた私共には奇異に思はれた。然し一日中床の上にごろくしてゐるビルマ人にはそれが如何にも自然であるやうに思はれてそれ以上探究もせずに過した。處が下半身は橫になりながら上半身はちやんと坐つてゐる姿はいくら贔負目に考へても自然な恰好とは思はれず變な氣がした。さう云ふ色々な變つた佛像はあるけれども、日緬が固く結ばれる樣になるには此の豐かな佛像の笑顏も一役となるのではなからうか。 五、僧侶 ビルマの名物は、「塔(パゴダ)に坊主に烏だ」と何時の間にか、誰からとはなしに私共の間に決めてしまつた。後で何かの書き物を讀んだら矢張り同樣な事が書かれてゐた。見る處萬人同じやうなものである 最初に書いた樣にビルマは何處へ行つてもパゴダが見える。僧侶も何處へ行つても出逢ふ、烏は、日本では深山幽谷にでなければ見られないがビルマでは、あべこべに烏が飛んで居れば町は近いといふ事が分る。どんな町にも首都のラングーンの市內にも群なして飛び廻る、そして人を喰つた樣な顏をして勝手に餌を求めて來る。 烏程多くはなかろうが欝金の衣を纏つた僧侶も每日街頭に群をなして步いてゐるのが見受けられる。マンダレーの町には二萬人以上も居るそうである。僧侶がこの樣に多いのは理由がないでもない。彼等ビルマ人は梵天の子孫としての強い誇を持つてゐて男と生れた以上、一度は僧侶にならなければ羽振りがきかぬと云ふ有樣である。 男の子は七つ以上になると親は適當な時期を選擇して少なくとも七日間はお寺へ送る。これ等の子供が修業につく時には家のものは皆彼等のために祝福するのである。或晚土地の青年三四人と散策してゐたら町の一角に大皷の音に合はして笛の音が聞えて來た、幾らか低調なゆるやかな樂の音に引かれて行つて見ると、二三人の女の子が冠をつけ兎の尻尾のやうなものをつけて踊つてゐた。その家の子供が明日は修道院へ入るので家族や親戚の者が集まつてその前途を祝つてゐるのださうである。それで翌日またその家へ行つて見ると大きな座敷に高僧が佛壇の前の上座に座り一族郎黨は集つて莊嚴に式舉げてゐた。式後一族のものは附近の者に御馳走をしたり配つたりして大騷ぎをした。 かやうにしてビルマの男子は唯一最上の出世の道である僧侶の門に旅立つのである。(完) |
12 | 竹東郡保健組合 六日公會堂で創立總會 |
13 | 商工經濟會の設置 新竹商議所準備に着手 |
14 | 大溪郡の創立總會 |
15 | 郡を擧げて堆肥 十七日から增產週間 |
16 | 三灣庄民強步會 |
17 | 下檢查官長 北斗郡巡視 |
18 | 產組功勞者表彰 感激の大詔奉戴日卜して |
19 | 恨みの暴行 蔡氏難を避く |
20 | 赤誠の献金品 |
21 | 地方多より |
22 | 工業振興策の 論文懸賞募集 |
23 | 今日の映画演劇 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 蒙銀に一億圓信用供與 きのふ日銀で調印 |
02 | 島內自給を目指す 比島の肥料對策 |
03 | 蒙銀の基礎堅實 |
04 | 兩行間契約要項 |
05 | 南日本漁業設立委員內定 委員長に有馬帝水社長 |
06 | 最近の經濟問題 |
07 | 自作農創設に 更生貯金制を開始 信聯、必要資金を融通 |
08 | 本期分蜜產糖高 千七百萬担見當か |
09 | 大成火災海上 成績引續き良好 |
10 | 食糧增產に協力 臺北州茶業轉換計畫進む |
11 | 照明燈 |
12 | 島內株仲值表 |
13 | ラジオ |
14 | 水滸傳(959)/黃得時;碇政彌 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 洞庭湖北岸 本據肖家灣を占領 敵首腦部を捕虜とす頭條新聞 【湖南前線九日發同盟】洞庭湖北岸に作戰中の我が軍は九日正午敵第六十七軍の本據肖家灣(安京南方二四キロ)を占領六十七軍軍長余念慈ほか首腦部を捕虜とした模樣である 【湖南前線九日發同盟】洞庭湖北岸に敵第二十九集團軍の大殲滅戰を展開中のわが精銳諸部隊は折からの沛然たる豪雨を衝いて敗敵を急迫、九日正午安郷南方において肖家灣、汀家洲、三仙湖を結ぶ巧妙な三角包圍鐵環を完成、敵四萬の剔決戰の火蓋を切つた、即ち安鄉攻略後敵を急追して白埠口に進出した○○部隊は有力な舟艇部隊の協力の下に藕池運河支流を更に南下、敵第七十七、第百六十一兩師の敗敵二千を洞庭湖の西方に壓迫しつつ九日正午過ぎ第六十七軍司令部所在地たる肖家灣を奪取逃げ惑ふ第六十七軍長以下首腦部を捕虜とした模樣である、一方華陽南方の南山の天嶮を突破猛進する◯◯部隊は大乘寺に據る暫編第五師主力を擊破して九日一氣に南縣東南方八粁の鳥咀に進出、三仙湖方面に總退却を開始した敵を急追中である、他方安郷西南方に迂回敵退路を遮斷した、藕池運河西方進擊部隊は八日深更安鄉南方地區において敗走の敵七十七師と遭遇激戰の後これに潰滅的打擊を與へ山砲四門を鹵獲、更に銳鋒を◯◯に轉じて敵を剔抉中である |
02 | 南縣突破敗敵を急追 |
03 | 第三軍分區最後迫る |
04 | 滿洲國皇帝陛下 還宮あらせらる |
05 | 獨立の大業に邁進 バーモ委員長演說 |
06 | 熙宮內府大臣謹話 |
07 | 晉冀魯邊區の實情 |
08 | 圖像:燃える敵部落に突入せんとする我が勇士 |
09 | 獨立準備へ第一步 歡喜感激の首都蘭貢 |
10 | 大東亞省辭令 |
11 | 舟艇五百隻を猛爆 敵脫出企圖を粉碎 |
12 | 涉縣を完全占領 |
13 | 捕虜唐蔣文 廿三師生主力の 內情を暴露 |
14 | 敵艦船十四隻擊沈 大西洋出擊の獨潛艦 |
15 | チユニジアは 第二義的戰場 |
16 | 「冀西作戰」と呼稱 |
17 | 印度に良き指標 インド獨立聯盟支部長談 |
18 | 伊軍新陣地へ |
19 | 小癪‧廣東に來襲 米空軍鬼畜の暴虐性發揮 良民を對象に盲爆 |
20 | イタリア國民 新たな決意 |
21 | 米第二軍團司令官更迭 |
22 | 在支米軍の蠻行 和平地區民眾忿怒の極 |
23 | 倉皇遁走し去る 廣東市盲爆の詳細 |
24 | 日本向けに特別放送 |
25 | 東條首相歸京 |
26 | 青木大東亞相ダバオ着 |
27 | 敵驅逐艦一隻に直擊彈 |
28 | 司政官發令 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 無人島に不時着 三日三晩飲まず食はず 二海鷲奇蹟の生還 |
02 | 逞し‧興隆日本の姿 健民運動の掉尾を飾る繪卷 撥剌‧臺灣體操大會 |
03 | 圖像:躍る律動美臺灣體操大會(寫真は保健體操) |
04 | 護國神社新祭神 花蓮港から五柱合祀 |
05 | 憲兵創立記念日 功績顯著な者を表彰 |
06 | 御養蠶に奉仕 光榮の臨時助手決定 |
07 | 若鷲に溫い援護 麗しい奉公班の申合 |
08 | “仲仲よくやつてゐる” 梁井知事港都常會を視察 |
09 | 鐵傘下の熱鬧 大相撲夏場所の初日 |
10 | 二日目取組 |
11 | 新臺灣音樂試聽會 |
12 | 廢品を回收 賣却した金で献金 |
13 | 心身鍛鍊の總進軍 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 健康臺灣の縮圖 蚊蠅の巢窟を衝く 市內徹底清掃を勵行 |
02 | 鍛へる警察官 彰化署派出所對抗角力 |
03 | 繰展ぐ健民繪卷 我らは斯く鍛へり |
04 | 奏でる健民譜 |
05 | 債券出張賣出し 好成績に鑑み今後も續行 |
06 | 貯蓄督勵 |
07 | 教員體育會 |
08 | 團旗の下決意新た 臺南市奉壯團團旗授與奉告式 |
09 | 奧田國土局長 臺南市を視察 |
10 | 新部員を迎へて 決戰婦道の鍊磨に精進 |
11 | 教員健民行軍 |
12 | 健民ハイク |
13 | 淡水街奉壯團 團旗奉戴式 |
14 | 國語常用推進隊 新隊員迎へて初總會 |
15 | 高雄市會 あす臨時會開く |
16 | 北港郡の警防團 查閱日割 |
17 | 奮つて結婚せよ 促進獎勵に委員會開催 |
18 | 赤誠の献金品 |
19 | 司法訓練會 |
20 | 屏東市露店協和會體鍊會 |
21 | 農務打合會 |
22 | 新高郡司法保護委員會結成式 |
23 | 馬公女開校式 |
24 | 澎湖桔俱員鍊成會終る |
25 | 黃軍屬散る |
26 | 慰問舞踊會 |
27 | 防犯紙芝居脚本入選決定 |
28 | 南投街に火事 |
29 | 龍華會灌佛法要 |
30 | 人事 |
31 | 地方多より報社消息 |
32 | 今日の映画演劇 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 戰時文化の步み/淺井太郎 |
02 | 書籍の保存法 虫害除去と曝書の場合/相馬賢一 |
03 | 圖像:駱夫人(第九回臺陽展)/蒲添生 |
04 | “喜ばしい旗擧げ”/鄭安 |
05 | 婦人說苑 九段を仰ぐこころ/石島菊枝 |
06 | 印度の宗教と言語 |
07 | 圖像:方氏の家(臺南二人展)/園角太郎 |
08 | 糞リアリズムと 偽ロマンチシズム/世外民 |
09 | 文昌閣(臺南二人展)/方昭然 |
10 | 生活と文化 |
11 | 文學隨感 小說“合家平安”を中心に/林精鏐 |
12 | 豆外信 |
13 | 新刊紹介 |
14 | 文化消息 |
15 | ラジオ |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵四萬の最後迫る 洞庭湖北部作戰最後段階に突入 |
02 | 新政策の具體化へ 谷新駐華大使赴任 |
03 | 東條首相參內 |
04 | 國際展望 |
05 | 東部戰線活潑化 天候回復と土地乾燥で |
06 | 羅國兵士家族に 十萬レイ寄附 筒井公使から |
07 | 圖像:重光外相、スターマー獨大使を接見(於外相官邸) |
08 | ルーズヴエルトと 背後の黑幕的人物 |
09 | 赤軍の反擊挫折 |
10 | 獨空軍が猛躍 クバン地區の戰況 |
11 | ソ聯、波政權を否認 チヤーチル露都訪問か |
12 | 赤機九十二擊墜 |
13 | 獨軍の言明 依然陣地を死守 チユニジアの戰況 |
14 | 北氷洋、地中海で 病院船盲爆頻頻 反樞軸空軍の暴虐振り |
15 | 樞軸軍勇敢な防戰 |
16 | 伊、嚴重抗議 米機の病院船 盲爆に對し |
17 | 伊軍の發表 |
18 | 總統大本營發表 |
19 | ル大統領の 親書を携行 特使デーヴイズ |
20 | アメリカ國民 反ソ感情濃厚 |
21 | 米機墜落 |
22 | 香港ドルの使用を禁止 |
23 | 印度政廳人事 政界極めて冷淡 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 教學に畏し大御心 師範學校長に破格の拜謁 |
02 | 匪躬の誠を効さん 岡部文相の謹話 |
03 | 御養蠶始の御儀 嚴かに執行はせらる |
04 | 圖像:キヤビデ軍港の復興/イリネオミランタ |
05 | 師範學校長會議 岡部文相が訓示 |
06 | 基隆惠比壽祭 |
07 | 書籍拂底に 獨の新對策 |
08 | 大空に羽搏く若人 航空第二陣を擴充強化 |
09 | 敵機空中で降伏 我荒鷲の體當り戰法 |
10 | 陸軍病院慰問 |
11 | 增產戰士督勵 堆肥增產週間開始に 梁井知事が陣頭指揮 |
12 | 相互態勢が完備 翼贊會と翼壯會 |
13 | 思ひ切り肥後和男 |
14 | 戰歿者遺族を慰問 |
15 | 貯蓄推進の尖兵 基隆郡で委員任命 |
16 | 街の米英擊滅戰 敵性レコード續續供出 |
17 | 商奉運動に拍車 島都選拔きの中堅 草山で鍊成開催 |
18 | 不忍池の蓮を食用に |
19 | 診療所を設置 新竹州の健民強兵 |
20 | あすからお豆腐配給 |
21 | 基隆水產同窓會 |
22 | “どうぞ鐵砲丸に” 愛國婆さん家賃献納 |
23 | 溺れる學生救助 南署矢島部長の手柄 |
24 | 米穀の供出狀況 翼政で調查報告會 |
25 | 興南詩苑漢詩 謹次施梅樵先生書感原玉 四首錄三/廖柏峰、陳母宗太孺人七秩榮壽/林夢梅 |
26 | 夏場所二日目 |
27 | 三日目取組 |
28 | 米國珍□師團 |
29 | 基隆市自轉車小賣組合 |
30 | 基隆市光町區衛生組合 |
31 | 今晚の放送 |
32 | 商況(十日前場) |
33 | 興南案內報社消息 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | ブチドンに突入占領 マユ河上流に進攻頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(五月十七日十七時三十分) 帝國陸軍部隊は五月八日十九時マユ河上流ブチドンに突入激戰の後之を占領目下殘敵掃蕩中なり |
02 | 敵英軍の蠢動を撲滅 |
03 | 圖像:洞庭湖北岸デルタ地帶の蘆原の中より猛擊する陸戰隊の勇士(海軍省許可濟第一〇一號) |
04 | アラカン作戰 の敗因 英印派遣軍發表 |
05 | 天然の要害を逆用 安鄉作戰部隊幕僚長談 |
06 | 敵三千を襲擊 潰滅的打擊を與ふ |
07 | 米本土を衝くもの 大空を壓する航空部隊 來れ!憬れの若鷲へ |
08 | 南縣に入城 |
09 | 徬徨の敵二千を猛攻 我進擊部隊歷史的握手 |
10 | 敵舟艇群を猛爆 |
11 | 敵は全く呆然自失 水上機動部隊の奇襲 |
12 | 洞庭湖の退路遮斷 |
13 | 陵川周邊の戰果 |
14 | 俘虜、歸順が著增 揚子江下流の清鄉工作 |
15 | 重光外相 東條首相と要談 |
16 | 徹底的に掃蕩續行 涉縣一帶の作戰進捗 |
17 | 法王廳使節と接見 重光外相が |
18 | 赤區の諸要衝確保 |
19 | 敵潛艦のゲリラ蠢動 北海道幌別を砲擊 |
20 | ガラス一枚も 破損せず 北部軍防衛參謀語る |
21 | 防衛を一段強化 ゲリラ的蠢動を完封 |
22 | 青木大東亞相 マニラに到着 |
23 | トンキン州に 敵機來襲 |
24 | 敵の損害莫大 |
25 | ダーウイン爆擊 |
26 | 第四十軍長 馬法吾爆死 |
27 | 大東亞省辭令 |
28 | 外務異動 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 海洋漁業の統制社說 一 本島海洋漁業の新體制は昨年七月に公布された臺灣水產統制令によつてその具體的構想、內容等が明かにされてゐる通り海洋漁業を營む業者の中主要なる者を打つて一丸として南日本漁業統制會社(資本金五千萬圓)を設立し漁業の計畫生產に當らしめると共に一方水產物の集荷配給については臺灣水產物配給統制會社(資本金一千萬圓)を設立し水產物の計畫的なる圓滑配給を行はしめんとするにある。その中漁業統制會社は中央の細目的取極めを終へて此程漸く設立命令が發せられ豫定より遲れて設立の運びとなつたが海洋漁業が本島水產業の六◯%を占める程の重要性をもつに鑑み今後に於ける統制會社の使命は極めて重大であると謂はなければならない。周知の如く本島海洋漁業が殆んど內地資本の手に掌握されてゐる關係上企業統合は自ら內地に於ける漁業統制と相關的に行はれる外はないがその為常に內地の統制事情に制約されて豫定通りにうまく行かなかつたのも蓋しやむを得ないことであらう。 二 しかし曲りなりにもこれで海洋漁業新體制の確立がその緒についたことは最少の資材及び努力を以て可能な限り水產物の增產を圖らんとする計畫生產を斷行し得るに至つた點で誠に慶賀にたへない所である。抑抑水產食糧の增產は戰時下水產政策の究極な目標をなすものであつて國民の健康を保持する上に於て米增產に劣らぬ程の重要性をもつてゐることは今更論ずる迄もない。所謂水產新體制の確立卽ち海洋漁業に於ては企業統合、沿岸漁業に於ては漁業團體の統合によるそれぞれの新體制確立が政府の緊急食糧對策として取上げられたのも右の趣旨に外ならないのである。しかし尚深まり行く資材、燃料並に漁船等の不足を克服して迄水產食糧を確保することはその為にこそ海洋漁業の一元的運營機關が設立されることになつたとはいへ仲仲容易なことではない。從つて海洋漁業が六◯%以上の分野を占めてゐる本島の如きは統制會社の設立を以て直ちに水產物が增產されるものとは斷定出來ない。 三 ましてや南方地域の水產開發については當然臺灣の知識、經驗等を活用する外はないとは言へども前記の統制會社には未だ十分なる能力があるとは思はれない。それ故に將來のことは別として統制會社は差當り緻密なる計畫の下に臺灣近海の漁撈に專心し漁獲高の漸減傾向の喰止めにあらん限りの努力を拂ふべきであらう。その為には會社の組織、運營等については過去に於ける統制會社の缺陷をも十分に檢討し右の生產態勢に沿ふやう慎重に考慮する必要がある。さもなければ漁業統制が單なる資本的獨占に墮し終つて却つて減產傾向を助長するやうなことがあつては近き將來に設立される臺灣水產物配給統制會社の存在價値をも著しく削減し結局海洋漁業新體制の意義を没却し去ることになる虞れがないでもない。かかる觀點からしても新會社の役員は可及的業者中より進出し天降り人事を嚴に慎まなければならないであらう。要するに統制會社が設立される都度に恰かも退官者の養老院か又は官廳親近者の生活保護機關かの如き從來のやり方は漁業統制會社にあつては水生物確保の大使命を遂行する上に少からざる支障を來すことを篤と考慮に入るべきである言はねばならない。 |
02 | 堅き信念を保持し 皇國日本の認識へ 師範學校長會議岡部文相の訓示 |
03 | 皇太子殿下 東京高等商船を御見學 |
04 | 生產增強總進軍 產報報告の實踐事例 |
05 | 新部隊長が着任 官民多數の出迎裡に |
06 | 心強い軍官民一體 〇〇部隊長離任の辭 |
07 | 新竹州教育教化振興座談會 |
08 | 敢鬪魂を銀幕に 高砂族義勇隊の活躍 |
09 | 各局關係協議要項 |
10 | 圖像:東條首相マニラ訪問 |
11 | 粘り強く持續せよ 健民運動はこれからだ |
12 | 圖像:世界に一本しかない飛蔓 |
13 | 產金から產銅へ 鶴嘴戰士の移行式 |
14 | 全職員の清掃奉仕 |
15 | 增產に擧州奮鬪 懇談會を終へ藤村新竹州知事談 |
16 | 堆肥增產の全面的督勵 |
17 | 債券消化に協力 臺北市奉公壯年團員 |
18 | 適齡者の若人よ どしどし結婚しなさい |
19 | 神祗會臺灣本部通常總會 |
20 | 大詔奉戴日の歌 一般から作曲募集 |
21 | 種牡牛の檢查開始 |
22 | 慰勞金を國防献金 |
23 | 入賞金を國防献金 |
24 | 花蓮港結婚相談所移轉 |
25 | 二日目勝負 |
26 | “漫畫展”好評 裡に閉幕 |
27 | 港都野球爭霸戰 |
28 | 臺北州陶器荒物硝子器商 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 一段の切磋琢磨を 若櫻銓衡を終へた石川訓練所長談 |
02 | 鬪ふ增產戰士を褒賞 先進地を凌駕 亞麻作の進步目覺し |
03 | 新化郡の農事 品評會受賞者 |
04 | グライダー白鷲 八日嚴かな命名式 |
05 | 宮尾知事の視察談 先づ水利の開拓 臺南州の實力洋洋たり |
06 | 建築取締りを緩和 高雄州の戰時體制臨時基準 |
07 | 野菜行商を廢止 出荷配給の圓滑期して |
08 | 皇民塾を強化 嘉義市七月から再開 |
09 | 戰時教育を確立 臺南州中等校長會議 |
10 | 彰化商議理事補充 |
11 | 鹿港街兒童遊園地開園式 |
12 | 人類の敵、伜の仇 米英擊滅に從軍を嘆願 |
13 | 廿餘尺の大鮫 岡山郡海岸一帶に回游 |
14 | 彰化市皇奉 全體會議 |
15 | 潮州郡指導者鍊成會 |
16 | 新莊青年學校 八日晴れの開校式 |
17 | 潮州醫師會開會式 |
18 | 俟つあるを恃む 濱崎警察部長の傳へる內地の決戰態勢 |
19 | 大詔奉戴日記念日献金 |
20 | 新莊街の健民強步 |
21 | 藤村知事竹東郡初巡視 |
22 | 桃園街奉壯團 團旗奉戴式 |
23 | 三重埔國民學校 保護者會總會 |
24 | 地方多より |
25 | 今日の映画演劇 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺灣炭更に南進 本年度は二割增產に決定 |
02 | 建築新體制の確立 戰時下建築基準を協議 |
03 | 低物價維持策と 生產增強との調整 |
04 | 重要鑛物生產實績 いづれも目標額を突破 |
05 | 二期米作付割當 十五日に農林課長會議 |
06 | 定額、積立兩貯金制 遞信部で六月より實施 |
07 | 島都銀行勘定(四月末) 預金激增、貸附減少 |
08 | 北支開發協議會 會長津島總裁に決定 |
09 | 夏期蔬菜對策協議 |
10 | 本年一期稻作 草丈劣るも概して良好 |
11 | 一期米作調查 |
12 | 硬貨回收額增加 遂に二千萬枚を突破 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況(十日後場) |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(960)/黃得時;碇政彌 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國家資金計畫と 生活必需物資計畫 きのふ閣議決定、鈴木總裁談頭條新聞 【東京發同盟】昭和十八年度國家資金動員計畫並びに生活必需物資動員計畫閣議決定に伴ふ鈴木企畫院總裁談左の如し 昭和十八年度國家資金計畫について、本日閣議決定を見た昭和十八年度國家資金計畫は戰爭の現段階の要請に即應してわが國經濟國力の動員戰力化を資金面より綜合的に把握計畫化すると共に計畫達成上萬全の施策をなし戰爭完遂に遺憾なからしむることを目途として策定されたものである、從來の資金統制計畫は資金のいはゆる金融市場的蓄積とその配分を中心とした謂はば局部的計畫であつたが本年度よりは貯蓄の源泉たる國民所得まで逆上り戰時國民經濟の實體に基き國家資力を概算しその財政產業及び國民消費の三者に對する配分關係を計畫化することとなり真の國家資金計畫としての實體を具備するに至つたのである、本計畫策定の基本方針は左の通りである 一、計畫の方式は曩に決定を見た財政金融基本方策要綱における國家資金動員計畫の方式に則ること 二、昭和十八年度の國家資力は物資動員計畫、生產擴充計畫、國民動員計畫その他の國家諸計畫における計畫目標を綜合したいはば戰爭完遂の要請に應へる最高度の經濟活動の發揮を豫定してこれを概定する、 三、國家資力は作戰遂行及び戰力急速增強のための所要と戰時國民生活保持のための所要との關係を考應し物資動員計畫、生活必需物資動員計畫等と照應せしめつつ財政及び產業のために動員すべき資金額と國民消費資金額とに配分する、而して右の動員資金はこれを租稅等の財政收入、大東亞各域より動員する資金及び國民貯蓄等に完全に充足せしめることとしたのである、 四、動員資金の財政及び產業又は對外投資に對する配分は一に戰爭遂行の見地より相互に有機的均衡を考慮して決定することとし尚諸般の情勢の變化に即應するため相當額の調整準備金を留保した、 本計畫は前述の通り資金の面からするわが國力動員の綜合的計畫であり戰爭完遂のため官民共にあらゆる努力を傾注してその達成を圖らねばならぬのであるが特に (一)財政並びに產業資金の充足は根本において國家資力の飛躍的增強に俟つものであるから緊要物資の增產強行並びに遊休設備の轉換活用につき各方面における果敢なる實行を要するのである、 (二)又國民の所得は戰時生產の飛躍的增强に比例して當然著增するのであるがこれは擧げて戰爭遂行のための財政及び產業の所□に捧げ消費のための支出は真の戰時生活を保持するためのものに限らねばならぬのである從つて國民貯蓄の意義は全資金計畫の基礎として一層の重大性を加へ貯蓄即戰力實現とも言ふべく曩に決定せる國民貯蓄增加目標二百七十億圓はこれを最低限度として極力增強を圖らねばならぬ、殊に各種補助金の公布產業整備等に伴ふ收入は完全に貯蓄に動員されねばならぬ三產業資金は適正なる所要に對しその充足を確保するものであるがこれが効率的使用は即ち資材勞務についても乏しきをもつて大きを生產する所以であり戰時下企業經理の指導につき各般の工夫を凝らす必要があるのであるが特に企業者の自發的協力による經理の適正化、資金効率の向上に俟つものが大い (四)大東亞各域のわが國に對する寄與は建設のの進展に伴ひ財政產業を通じ飛躍的增大を示して居り各域の協力態勢が着着確立しつつあることは心強き限りであるが更にこれを增進すると共にこれを即時且つ有効に戰力化することに努めねばならぬ斯くて政府においては所要の施策を強力に實施することとしたのであるが國民各位においても右の國家資金計畫完遂の重要性と政府の國民に對する期待とを十分に理解して各各の責務遂行を通じ本計畫の達成に協力せらるることを切望してやまぬ次第である、 ▲昭和十八年度生活必需物資動員計畫について 昭和十八年度生活必需物資動員計畫は茲にその設定を了し本日の閣議において決定を見た、本年度計畫は大東亞戰爭完遂のため益益強靱なる國民生活の基底を確保する方針で策定したのであるが前年度計畫の實施經過並に本年度の情勢に鑑み今次計畫において特に考慮を加へた主な點は次の通りである (一)主要食糧品、主要家庭燃料品及び纖維製品はその性質並に需給の趨向に鑑み夫夫これが需給につき力めて計畫の綜合化を圖つたこと (二)生活必需物資の中工場製品は力めて製品の需給計畫を作成せること (三)生活必需物資の需給の特質に鑑みこれが計畫は力めて集荷配給の統制的把握に重點を置き以て需給の適確を期せる こと等である、以上本年度生活必需物資動員計畫は昨年度に比し一層これが適確を期したのであるが本計畫實施に當つて政府は綜合的なる主要食糧の現行配給基準量は飽くまでこれを確保せんとする所存である、從つて東亞全域を通ずる本年度米事情に鑑み生麥、薯類千麵、大豆或は玉蜀黍等の各種の食糧を綜合して主要食糧としその結果これら米以外の配給量を相當增加することと致したのであるこのことは主要食糧の持久力強化と直接戰力の增強上必然的現象であつて政府はこの現象に對處して事態の進展に伴ふ各般の事情を考察し適時の適策に違算なきを期するものである、尚本計畫の遂行に當つては特に左の諸點に留意するものである (一)主要食糧については日滿支を通ずる食糧事情を注視しつつ相互交流の圓滑適正を圖ること (二)生活必需物資の生產の計畫化を強化し品質及び規格の適正を期すると共に不要不急品の生產はこれを壓縮すること (三)米穀その他の主要食糧の供出計畫は銳意これが完遂を期すること 尚主要食糧綜合需給計畫は輸送、資材、努力及び配給等につきこれが實施上特段の考慮を拂ひ以てその圓滑なる遂行を期すること (四)生活必需物資の集荷及び配給の統制機構はこれが整正を圖りその機能の適正を期すること (五)生活必需物資の供給を確保する為め資材、勞力及び原材料の確保を圖ると共にこれに對應しその緊要度に應じ產業の整備に力むこと (六)生活必需物資の集荷及び配給と輸送計畫との關係を周密ならしむること (七)生活必需物資の民需配當に當つては國民生活の刷新、及び生產增強に資する如く措置すること (八)國民衣生活の簡素化を圖ること 等である、國民戰時生活の確保は戰爭完遂の根基をなすものであり政府は總ゆる努力を効す所存であるが本計畫の圓滑なる遂行は一にかかつて國民各位の戰爭の勝利を唯一の指標とする決戰生活そのものの中にあると言つて過言でない宜しく國民各位は勝利の光明を目指して如何なる試練をもこれに打勝つ強靱なる戰時生活を營まれて國民一人の又一家庭の日常生活の上に勝利の基礎を強靱ならしむることに力められたいのである |
02 | 決戰生活の確保へ 確固たる方針と熱意を反映 |
03 | 經濟總力の戰力化 綜合的に資金面把握 |
04 | 陸鷲大擧長沙空襲 |
05 | 圖像:白雲を翼下に出擊する我が陸鷲の雄姿 |
06 | 洞庭湖畔の戰果 |
07 | モンドウ(南方六里)に肉薄 マユ半島方面敵一兵も餘さず |
08 | 蒙疆地區の綜合戰果 |
09 | ミルン灣夜間爆擊 |
10 | 定例閣議 |
11 | 新召(包頭東南)を包圍攻擊 |
12 | 閣議決定事項 |
13 | 太行作戰の我戰果 |
14 | 計畫の綜合化、精密化 國民貯蓄必成が絕對的條件 |
15 | 青木大臣の動靜 |
16 | 翼政會機構の改組 政界の決戰體制確立 |
17 | 定期敘勳並びに 遡及敘勳の御沙汰 |
18 | バンドン到着 坪上大使の動靜 |
19 | 歐洲侵略は困難 ガイダ主筆の論評 |
20 | 米空軍またも トンキン盲爆 |
21 | 八日の廣東盲爆 米空軍公報發表 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 反樞軸陣營內の混亂社說 一 同床異夢、複雜怪奇なる反樞軸陣營の寄合世帶は、遂にソ、波紛爭を繞る內部對立によつて重大危局にまでもつれて終つた。所謂ポーランド問題は、一亡命政權の浮沈と云ふか如き小問題にあらず、ポーランドを救ふと云ふ名目の下 に英係がドイツに宣戰し、今次歐戰爭直接の導火線となつたのを回顧すれば、十分諒解される樣に問題は極めて重大であり、そこでイーデン外相の訪米等英躍起の彌縫工作に依つて小局面で喰止め得るかの如く宣傳に努め殊にロンドンタイムス、ニユーヨークタイムス兩紙特派員に對して行つたといふスターリンの「ソ、ポ兩國の善隣關係希望」聲明を米、英は鬼の首でも取つた樣に書きたててゐるが、然らばソ、波關係はしかく友好的であるか、國境問題、カチンの森に於けるポーランド將校の集團虛殺に續いて、七日ヴイシンスキーは波軍編制に關する兩國間の交涉經緯を暴露したのに對し、亡命政權外相が之に反撃を加へた結果、ソ波紛爭は全く調停絕望に陷り、米英は結局自己保身の為めにクレムリンの主張を全的交持、亡命政權を全然否認する外なし破目に陷り問題はギリギリの處まで重大化した 二 ルーズヴエルトは、元駐日米大使デーヴイスを特使としてモスクワに派遣し、同特使はリトヴイノフと相前後して訪露するが、その目的は米英ソ三頭會談の企圖にあることは外電一致の報道である。スターリン首相が果してこの三頭會談を受諾するか否かは別として、何故にルーズヴエルトが三顧の禮をとり、膝を屈してまでスターリン首相に會見を求めざるを得ないだらうか、勿論根本的に相違する米英の戰爭目的を調整せんとする米國必死の努力の表現に外ならぬが、當面の具體的問題として、ソ波問題の解決を圖ること以外に、漸く具體化せんとしつつある第二戰線展開を中心とする利害關係の調整も、ソ波問題に增して重要目的であると解される。卽ち北阿戰局の現狀、東部戰線に於ける來るべき獨軍の大攻勢、歐洲戰重點主義に對する重慶、濠洲等の不滿抑壓等現下の諸情勢によつて米英、ソ聯に取つて第二戰線の展開は必至の勢ひであるが、然らば何處に第二戰線を展開すべきか、波蘭問題で旣に最大の相剋を露呈してゐる今日、第二戰線はその展開の條件、場所においてソ、波問題以上に深刻な對立を惹起するもので、三者夫夫能ふ限り自己の有利を圖らんとすることは火を見るより明かである。 三 第二戰線展開を繞る米英對ソ聯の勢力分野の決定が、果して可能であるか否か問題である、すでにソ聯側が米英のバルカンに上陸作戰を行ふことについて、露骨な反對を表明してゐることを以てしても問題の更に錯雜して行くことを示唆するものである。スターリン首相は飽くまでも現實主義者である。出來るだけ自己の力を蓄積して將來のヘゲモニーを獲得せんとするものである。同時にルーズヴエルトもチヤーチルもソ聯に對する態度は、全く同じでありソ聯の勢力擡頭が米英の資本主義體制に如何に大き脅威であるかを熟知してゐる。問題は兩陣營の世界政策の根本的相違である以上、兩者の間隙は益益深刻するこそあれ、決して一掃され得べきものにあらず米英、ソ三頭會談の企圖もとらぬ狸の皮算用に頻するものであらう。とは云へ米英が從來彼等の唱道し來つた主義方針を、或る程度變つてまでスターリン首相と會談せんと決意するに至つた事は、彼等が自己陣營の强化のためには面目も體裁も捨てて團結しようとして來た為めである點を輕視してはならぬ。彼等陣營の混亂を暴くと共に單なる空騷ぎや、强引な自己滿足に陷ることのない樣に戒心し問題の推移を注視すべきである |
02 | 乳兒保護の完璧へ 御內帑金の下賜を拜し小泉厚相謹話 |
03 | 軍事訓練要項 培ふ堅忍不拔の魂 皇國青年の本領發揮へ |
04 | 有難き思召 地方長官に傳達 |
05 | “米と砂糖は折衝中” 齋藤總務長官歸任談 |
06 | 圖像:太行山脈前線より |
07 | 訪日學生準備訓練所入所 |
08 | 大東亞建設の礎石 名譽の戰死者發表 |
09 | 持久力の養成へ 體育指導計畫決る |
10 | 輝く奉公賞を授與 模範的優良隣組に |
11 | うだる酷熱を克服 颯爽‧開襟シヤツに半ズボン 四拍子揃つて展開 |
12 | 埠頭の無用な送迎 今後嚴重に取締る |
13 | 新臺灣音樂試演會 |
14 | 警防團員の龜艦 重態の妻を外に勤務 |
15 | 島都三青年校 ゆふべ一齊に開校式 |
16 | ヨイコドモ達の献金 |
17 | 國民貯蓄大會 新竹州下一齊に開催 |
18 | 分擔額を突破 郵便貯金頗る快調 |
19 | 武德祭と演武大會 十五日に開催 |
20 | 漁船に木炭瓦斯を使用 |
21 | 基隆市自轉車 小賣商組合總會 |
22 | 三日目勝負 |
23 | 修了歌と送別歌入賞發表 |
24 | 自轉車泥棒を逮捕 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 鬪ふ學員の熱誠! “海鷲學校號”献納に勤儉日設定 |
02 | 加藤少將を弔ふ 模型機追悼飛翔會 |
03 | 憎い鬼畜米英だ 是非私に討たせて下さい |
04 | お山の金屬回收 |
05 | 坂本君の南方便り |
06 | 羽島市長遺族弔問 |
07 | 征け南へ‧鍬執つて 拓南農業戰士を銓衡 |
08 | 愛馬慰問作品 兒童の純真な結晶ばかり |
09 | 天才兒の後日譚し |
10 | 體育大會 |
11 | 高雄市會 |
12 | 勇士に心の糧 花蓮港女から慰問文 |
13 | 臺南市銃後會評議員會 |
14 | 長興庄協議會 |
15 | 警防團打合會 |
16 | 幽邃な健勝地 辨天池はよいところ |
17 | 東勢街第四部落 土俵開き |
18 | 花蓮港廳青少年團 皇奉の傘下に近く結成 |
19 | 臺東街奉公委員會 |
20 | 大宮青年學校 |
21 | 竹山桔俱慰問 演藝猛練習 |
22 | 田中街健民相撲 |
23 | 東勢街の部落競勵會 第四部落を皮切りに開會 |
24 | 鶯歌街奉壯團 團旗奉戴式 |
25 | 曾文郡米穀共販組總會 |
26 | 部落運營研究會 優良幹部を集めて鍊成 |
27 | 赤誠の献金品 |
28 | 古布利用の足袋製作講習會 |
29 | 臺南競馬(第二日) |
30 | 人事報社消息 |
31 | 地方多より |
32 | 今日の映画演劇 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺銀券引續き膨脹 死藏吸收の要起らん |
02 | 四億貯蓄の達成へ 貯蓄獎勵主務課長會議開く |
03 | 國民貯蓄懇談會 機關別貯蓄目標達成を協議 |
04 | 商銀人事異動 |
05 | 交易營團法解說(一) |
06 | 吉良技師退官 |
07 | 敵性通貨を一掃 廣東、汕頭地區でも實施 |
08 | 茶館の整備統合 目下自治的に協議中 |
09 | 有效な決濟制度講究 澁澤日銀副總裁視察談 |
10 | バナナ愈よ出廻る 臺北市は日に八百籠 |
11 | 圖像:木材の增產 |
12 | 農業增產政策と 佛印の黃麻栽培 |
13 | 臺陽鑛業增產 總會は來る廿八日 |
14 | 郵貯一億圓近く實現 遞信部、記念大會を開催 |
15 | 高井常務退任 後任は渡邊三郎氏 |
16 | 貸物車輛の入換 組成驛で改善を研究 |
17 | 高雄製鐵正式認可 |
18 | 臺灣商密工業設立 映寫機製造を計劃 |
19 | 照明燈 |
20 | 商況(十日後場) |
21 | ラジオ |
22 | 水滸傳(961)/黃得時;碇政彌 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 海軍特別志願兵制度 臺灣、朝鮮同時に實施 本年度中豫備訓練開始 |
02 | 皇民鍊成の大飛躍 長谷川總督の談話 |
03 | 皇民の成果を示す秋 高木警備府司令長官談 |
04 | 制度の精神に徹せよ 安藤臺灣軍司令官談 |
05 | 王揖唐氏參內 |
06 | 秋永少將は 現地某要職へ 計畫經濟に功績大 |
07 | けふの動靜 |
08 | 東洋民族血の繫り どの地域も戰爭完遂に最大努力 南方旅行中の印象青木大東亞相談 |
09 | 濠洲、ニユーギニア爆擊 |
10 | ル、チ第一次會談 ホワイト‧ハウス發表 |
11 | ス議長は不參加か |
12 | 南方協力に萬全 南方委員會初の幹事會 |
13 | 企畫院第一部長更迭 |
14 | 妥協のない勝利へ フランコ將軍の和平提唱獨當局の意向 |
15 | 平和を考へる 事あり得ない シ博士の言明 |
16 | ポルシエヴイズム脅威強調 伊各紙が指摘 |
17 | 示唆を拒絕 イーデン言明 |
18 | 東部戰線の戰況 |
19 | 行政查察實施 八日間に亘り |
20 | 中國軍事視察 團歸國 |
21 | 總統大本營の戰況發表 |
22 | ロストフ、バタイスク爆擊 |
23 | 伊軍の發表 |
24 | ドミニカ島に 英軍が上陸 |
25 | 表面の理由は治安維持 |
26 | 英驅逐艦擊沈さる |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 擧島歡喜に湧く 世紀の快報に雀躍 |
02 | 歷史的の共同聲明 緊張と感激の一瞬 |
03 | 榮光燦たり‧海軍志願兵制度實施 |
04 | 高雄警備府、臺灣總督府共同聲明 |
05 | 無敵海軍の生立ち 一擊必殺の猛訓練(一) 合言葉月月火水木金金 |
06 | 祝賀式と旗行列 あす全島一齊に擧行 |
07 | 齋藤長官が放送 制度實施の快報に接して |
08 | 喜び溢るる新竹 |
09 | 制度實施の感激 出せ!よき志願兵 中村鄉軍海軍部長談 |
10 | 全島民の喜び 桂式穀氏語る |
11 | 正に世紀の感激 辜振甫氏語る |
12 | 東京都制 七月一日實施す |
13 | 結核治癒に快報 ワクチンBCGの質的向上に成功 結核豫防陣營飛躍的に強化 |
14 | 興南詩苑漢詩 白雲莊雜咏六首/少濤、晴園觀梅四首/吳恨五 |
15 | 德島縣民の赤誠 海軍へ二百餘萬圓献金 |
16 | 喜びに擧る萬歲 青年は決意に燃ゆ |
17 | 人命救助の矢島巡查部長 市長から表彰 |
18 | 五日目取組 |
19 | 今晚の放送 |
20 | 商況(十二日前場) |
21 | 興南案內報社消息 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵屍千六百に上る ブチドン正面の大戰果頭條新聞 【ラングーン十二日發同盟】緬印國境インデン附近において敵英印軍の主力を撃滅したわが精銳は引續き敗敵を追つて北進、網の目の如きクリークと人の通はぬジヤングルを克服して八日マユ河畔敵の要衝ブチドンを占領し敵が呼號するビルマ奪回の企圖を完全に粉碎したがわが至妙なる作戰と萬難を物ともせぬ不撓不屈の猛追擊の前に恐怖と狼狽の敵は支離滅烈の醜狀を露呈し國境附近は目下大混亂を極めてゐるが四月十六日以降五月十日までの間に判明したプチドン正面のみの戰果でも次の如き數に上つてゐる 遺棄死體一六○○以上、俘虜一○、倒屍馬三○○鹵獲品、戰車及び索引車二○(擱坐せるものを含む)大小火砲四二門自動貨車一八二輛、小銃二六八擲彈筒五、自動小銃四六、輕機四九、ガソリンその他多數 なほ本戰闘間敵飛行機一機を地上火器にて撃墜、敵砲艇一を擊沈、一を大破した、かくしてビルマルート再開を目指し躍起となつた鳴物入りの所謂大攻勢もわが皇軍の前には鎧袖一觸徒らにアラカン山脈の猛獸の好餌に供せられるといふ結果に終りわが精銳は更にインドの空を睨んで意氣軒昂たるものがある |
02 | 印度進擊態勢整ふ 獨軍筋、わがビルマ作戰を讚ふ |
03 | 勝ち拔くまで生き拔く |
04 | 十六日間も南海に漂流 飢と疲れを克服、奇蹟の生還 |
05 | 昔日の面影なし ビルマルートの現狀 |
06 | ベンガル州英軍基地襲ふ |
07 | 濠洲北部を空襲 |
08 | 荒鷲メラウケ爆擊 |
09 | 朝鮮同胞も榮譽に輝く 愛國の至誠天に通す 小磯朝鮮總督語る |
10 | 圖像:敵陣を前に戰略を練る〇〇部隊長と幕僚 |
11 | 德山市、常德に巨彈 |
12 | 翼政會陣容を強化 新役員、理事指名さる |
13 | 西藏公路開設 |
14 | 戰ふ日本の姿を認識 ビルマ視察團先發隊蘭貢出發 |
15 | ワシントン會談の議題 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 重なる感激 海軍志願兵社說 一 本島同胞にも海軍特別志願兵制度が施かれることとなつた。さきに陸軍特別志願兵制の實施があり、今また此の譽れの恩典に浴す、六百萬島民は只只歡喜と感激に胸迫まり感慨無量といふ外はない。改隷五十年、島民も今や陸海相携へて醜の御楯となるの光榮を荷ふ、洵に大東亞戰下これに過ぎる喜びはなくこれに優る感激はないのである。帝國臣民として至上最高のこの榮譽に對し、全島民が津津浦浦に至るまで歡喜と感激の萬歲の聲を以て之に應へてゐる有樣は洵に聖代の一大慶びと云はねばならない。殊に御民われの光榮と感激に打ちふるへる青年諸君の本懷もまた察するに餘りあるものがあらう。大東亞戰下、南進基地として一大飛躍を遂げた臺灣の重要性に鑑み、凡そ物と人の一切を擧げて國家のお役にたたせねばならぬ秋畏くも一視同仁の大御心に依り本制度が布かれたるは、洵に恐懼感激の極みであり、六百萬島民は今更ながら皇恩の廣大無邊に只只感泣するばかりである。 二 想起すれば昭和十六年の夏、本島統治史上に一大轉機を劃したる陸軍特別志願兵制實施の快報に接した島民の歡喜感激は今尚吾人の記憶に新たなものがあらう。ひと度訓練所入所者の募集を開始するや、忽ち何十萬といふ多數の志願者が殺到し、第二年目は第一年目よりも更に一段の增加を見たと云ふ事實は、島內に於ける皇民鍊成の徹底と國家意識の向上並に島民の時局認識の徹底と愛國心の昂揚を雄辯に物語るものである斯。くして陸軍特別志願兵制の實施を見て以來、海軍に對しても同樣の制度の實現を翹望し、海軍の兵役に就くことを希求する島民の熱意は次第に熾烈の度を加へ來つたのであるが、今回遂に全島民の希望が達成せられ、芽出度く至上の榮譽た擔はんとするに至つたことは、六百萬島民の此の上なき幸幅と申さねばならない。今日の光榮に歡びを倍加し、けふの名譽に感激を新たにする全島民は、御民われの有難さにひとしほ深き感銘を禁じ得ないであらう。 三 今や大東亞戰爭は說に決戰段階に入り、真に帝國軍の隆替を決すべき重大時局に到ち至つた。斯る情勢下に於て新たに本制度の實施を見たことは、南方諸地域の擴大と共に南方に對する制海の重關として本島の有する特殊使命達成に鑑みひとしほ意義深きものあり、ここに精强無敵なる帝國海軍の一員たり得る本島青年は、まさに感奮興起海國男子たるの本分を發揮しなければならない。唯しかしながら茲に忘れてならないことは本制度の實施は陸軍特別志願兵制と相俟つて皇國民たるの資質練成に對する一大拍車たらしむることである。兵員の補充と云つた如きは直接の目的ではない。あくまで皇民練成が目的なのである。從つて島民をして陸海軍の一員に列せしめ、崇高なる國家防護の大任に就かしめるのも、名譽共に榮譽ある皇國臣民たるの實を備へしめんとするからであり、斯くして皇民練成の一大飛躍に資せんとすることに他ならぬのである。全島民はよくこの趣旨に稽へ、真に皇軍の一員として恥しからぬ資質の練成に努め以て皇恩の萬一に應へ奉らると共に一日も早く兵役法實施の速かならんことを念願してやまね次第である |
02 | 歡喜全島に爆發 讚へ海軍特別志願兵制度 けふ一齊に祝賀式 |
03 | 島都の感謝祝賀式 |
04 | 繰出す“學徒五萬” 軍艦旗先頭に旗行列 |
05 | 各宮妃殿下が台覽 日赤の救護演習 |
06 | 蘭陽地方の喜び |
07 | 長谷川總督 事務打合に近く上京 |
08 | “海軍魂”を昂揚 港都感激一入深し |
09 | 男子の本懷 朱盛淇氏談 |
10 | 全島地方長官會議 けふより府正廳で開催 |
11 | 大東亞佛教總會成立 |
12 | 報道報國に邁進 臺灣新聞會の發會式 |
13 | 男子最高の榮譽 希望輝く本島青年に期待 齋藤總務長官放送 |
14 | 日高部隊へ奉仕作業 |
15 | 感激の献金群 武官府に續續殺到 |
16 | 推進員制を堅持 山本總長‧局部長會議に報告 |
17 | 戰ふ本島の實相 愈よ文化映畫に再現 |
18 | 故玉手司政長官の告別式 |
19 | 臺北幼稚園双葉會總會 |
20 | 百粁團體行軍鍊成大會 卅日に延期 |
21 | 夏場所雜觀 |
22 | 四日目勝負 |
23 | 羅東郡砂糖商組合の献金 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 帝國海軍萬萬歲! 海軍特別志願兵制度實施 重なる榮譽に感激 |
02 | 高木司令長官に 市民有志が感謝の言葉 |
03 | 磨け‧海軍魂! 東園校で東鄉會結成 |
04 | 海國男兒よ起て! 海軍志願兵制度實施に就て 山本皇奉事務總長談 |
05 | 訓練時期は過ぎた 空襲必至の心構へを固めよ 防空體制強化に就新竹署長語る |
06 | 密林の兵舍 |
07 | 率先榮譽を擔へ 高雄州知事坂口主稅 |
08 | 若櫻銓衡試驗 |
09 | 市長郡守署長會議 |
10 | 和美青年校 |
11 | 大安溪岸の開墾 絕好の青年勤勞鍛鍊 |
12 | 花蓮港市奉公委員會 |
13 | 堆肥積込強調週間 藤村知事を先頭に推進行脚 |
14 | 日婦防空指導者講習會 |
15 | 嘉義市警防團 廿一日に查閱 |
16 | 肥料增產垂範者 推進班が現地で表彰 |
17 | 赤誠の献金品 |
18 | 迷信打破懇談會 |
19 | 健民運動の實績檢討 |
20 | 人事報社消息 |
21 | 地方多より |
22 | 今日の映画演劇 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 夏期蔬菜の確保 督府の對策要項決定 家庭園藝の普及徹底に主力 |
02 | 交易營團法解說(二) |
03 | 總督供出の造船用材 交通總長、業者に傳達 |
04 | 農林中央金庫が 中金の發展的解消で設立 |
05 | 松野農務課長談 |
06 | 鐵道部長歸臺談 本年度の鐵道資材 豫算遂行上支障なし |
07 | 地區青果配給組合 青果會社の直營に移行 |
08 | 決戰體制確立と 重點產業の整備 |
09 | 航空乘員を養成 高等科卒業程度を募集 |
10 | 高雄の春競馬好調 馬券稅引下の影响で |
11 | 照明燈 |
12 | 商況(十二日後場) |
13 | ラジオ |
14 | 水滸傳(962)/黃得時;碇政彌 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 超重點生產に集中 自給體制確立に特別の工夫 長谷川總督訓示 |
02 | 決戰第二年に對處 本島地方長官會議開かる 真摯な意見を開陳 |
03 | 圖像:全島地方長官會議 |
04 | 全國內政部長會議 十七日より開く |
05 | 熾烈‧敵に機銃掃射 柳の擬裝、頭隱して尻かくさず 洞庭湖空の戰記 |
06 | 冀西作戰の大戰果 |
07 | 青木大東亞相〇〇へ |
08 | 磯谷香港總督 近海諸島を視察 |
09 | 軍需物資輸送 雀の淚程度 新西藏公路の價值僅少 |
10 | 印度を救ふものは 印度人の積極的意志 米婦人記者の視察報告 |
11 | 重慶の苦惱深刻 民意の安定に空宣傳に狂奔 |
12 | 英、米深刻な對立 通商航空路の問題で |
13 | 樞軸戰鬪機の好餌 敵の「空の要塞」 |
14 | 蝟陣地を構築 樞軸軍依然英雄的抗戰 |
15 | ウルガイ政府 佛と國交斷絕 |
16 | 最後まで抗戰 獨軍事消息筋の見解 |
17 | 反樞軸作戰の動向 |
18 | ウエーヴエル 英帝に拜謁 |
19 | ベネシユ大統領 ワシントン着 |
20 | アトリーの 戰況報告 |
21 | フイリツプス 印度情勢報告 |
22 | 赤軍隨所に 局地的攻勢 |
23 | 米に領土讓渡 協定を可決 バナマ議會 |
24 | 獨機、英本土を爆擊 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ひるがへる海軍旗 喜びに溢るる島都市民 早朝から感謝參拜の群 |
02 | 早くも志願問合せ 賴母し熱血青年の赤誠 |
03 | 參拜市民續續 歡喜一色港の基隆 |
04 | 祭粢料傳達式 あす市正廳で擧行 |
05 | 無敵海軍の生立ち 海に生き海に榮ゆ(二) 誇りは高し‧海軍日本 |
06 | 感謝祝賀行事 都合により あすに延期 |
07 | 北投社例祭 |
08 | 軍用木材供出 蘭陽林業信組で |
09 | 御遺跡地巡り繼走大會 御上陸記念日三十一日に決行 |
10 | 調理技術者養成 一般から志願者募集 |
11 | 圖像:夏季用國民服決定 |
12 | 劃期的成果を收む 師範學校長會議終る |
13 | 全國師範學校 東條首相が官邸に招待 |
14 | 新竹市で傷痍軍人座談會 |
15 | 少年產業戰士 けふから補導週間開始 |
16 | 武井厚生次官が放送 |
17 | 貯水池を構築 隣組が力を協せて |
18 | 勤勞青少年教育懇談會 |
19 | 一元的機構に 東京都制變革要點 |
20 | 佛領土盲爆による損害 |
21 | チユニジアの原住民を彈壓 反樞軸軍が |
22 | ロメル元師の健康快方へ |
23 | 皇軍の脅威に 濠洲が戰慄 |
24 | 共產黨の管理下に置く ソ聯全軍需工業 |
25 | 興南詩苑漢詩 移居當時庭畔植梅一株今春盛開覩物思遷悵然有感/顏補莊、次文芳韻/虛谷、次少白韻/釋斌宗、斌宗上人講經有感/竹修、次韻/斌宗 |
26 | 杭州藍衣社 本據を襲ふ |
27 | 警防團幹部打合 |
28 | 理事官級異動 十二日附で發令 |
29 | 鹽糖重役會 |
30 | 百粁強步 |
31 | 今晚の放送 |
32 | 商況(十三日前場) |
33 | 興南案內報社消息 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵の反攻企圖畫餅 蔣の威令地を拂ふ 敵側各戰區の內情頭條新聞 【南京十二日發同盟四月中旬山西、河南省境に繰展げられた我が十八春太行作戰により重慶軍は潰滅的打擊を蒙り蔣介石の反攻企圖は全く畫餅に歸し皇軍の果敢な作戰に對し重慶軍の反攻は全く掛聲に過ぎず蔣の威令地を拂ひ皇軍の進撃の前に為す所なき窮狀が白日の下に晒された、即ち今次皇軍の作戰開始より重慶軍潰滅に至るまでの敵側各戰區の內請は次の如くである 一、二十四集團軍司令龐炳勛は皇軍の攻擊切迫を察知するや第一戰區司令長官蔣鼎文に急を告げ河防部隊の李仙州軍に策應して皇軍の後方交通路破壞を要求すると共に空軍の出動方を要請した、これに對應し蔣介石は河防部隊に牽制出擊を指令し同部隊は皇軍の作戰開始後五回に亘り黃河渡河を企て却つて潰滅的打擊を受けた又李仙州軍も北上を企てたが皇軍の猛攻を支へ切れず潰走中である。 一、第一戰區司令長官蔣鼎文は第三集團軍司令孫相萱、第三十九集團軍司令高樹勳を命じて皇軍を牽制せしめんとしたが實際はゲリラ戰術は徒らに投降兵を增加せしめてゐる 一、一方第二戰區司令長官閻錫山は皇軍の封鎖線を突破せんとしたが我が鐵壁の堅陣を抜き得ず僅かに小規模の妨害を行つたに過ぎない 一、第十五集團軍何柱國は挺進部隊を以て津浦線、隴海線の日本軍輸送連絡を妨害せんと試みたが却つて皇軍のため捕虜を出すに至つた |
02 | 王揖唐氏等四氏に 勳章贈與の御沙汰 |
03 | 歐洲大要塞を完成 北阿戰局獨伊の堅陣堀第三部長放送 |
04 | 重慶焦躁甚し 廿九集團軍地域喪失で |
05 | 第六戰區打擊 |
06 | 王氏謹話 |
07 | 圖像:太行山脈の險路を兵馬一體の進擊(陸軍省檢閱濟) |
08 | 貴院連絡委員會を存置 |
09 | 依然歐洲重點主義 太平洋戰線幾分檢討加へられん 今次華盛頓會談ロイター放送 |
10 | 金光氏が兼任 翼贊會調查會長 |
11 | 陸鷲、常德城を強襲 |
12 | 皇軍の入城を歡迎 安鄉市民は朗らか |
13 | ル、チ會談續く 軍代表も會議 |
14 | 會談經過遂一蔣に報告 ロイター報道 |
15 | 重慶成行重視 宋に牽制を指令 |
16 | ニユーギニア方面 激烈な戰鬪展開中 反樞軸軍司令部十二日の發表 |
17 | 獨重爆擊機隊 ジジエリ爆擊 |
18 | 太平洋の反攻に 多大の困難あり 軍事專門家數點を指摘 |
19 | 全國の黨幹部更迭を斷行 ファツシスト黨 |
20 | 重慶內部の對立 事態は益益紛糾せん |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 臺灣農業團體 統合の二方向 早急決定を要望社說 一 豫てより原案を構想して來た臺灣農業團體の結合問題は旣に各種の議論が盡された形であるから、府殖產局農務課では目下原案を作製してゐるとの事である。勿論府農務課案は單に殖產局の原案であつて未だ總督府の原案とまで決定されてゐないし、其の內容も今のところ知る由がない。然し刻下の新情勢に卽應して考へ得られる方策は凡そ二つの行方以外にあり得ない筈である。第一は全然內地と一同一の行方である。いふ迄もなく內地案が決定される迄はいくたの議論を闘つて來たが、其の骨子とするところは全國農業經濟會及び中央農業會の外に農林中央金庫の三本をそれぞれ別建とし、其の下部組織として道府縣農業會「地方農業會」及び市町村農業會の三段階となつてゐる而して指導機關たる中央農業會には現在の帝國農會產業組合中央會、帝國畜產會、全國農業組合聯合會、茶業組合中央會の五指導機關が吸收統合され、經濟事業團體たる全國農業經濟會は現在の全購販聯を中心とし、之に帝農販賣斡旋部、其の他中央機關の經濟部門が吸收される。尚現在の產業組合中央金庫は之を改組して從來の農業及び漁業金融の外新たに林業金融をも開始する農林中央金庫となる。此の外產業組合法に依つて設置されたる市街地信用組合、都市購買組合等は今回の統合外に置かれたが、其の內市街地信用組合については別に市街地信用組合法案を成立して今後中小商工業者及び勤勞者其他都市に於ける一般庶民金融機關たらしめる事となつた。かくの如く今回決定された內地農業團體の統合は一身三頭の統制機構に創り出さうとしてゐるが、之が果して旨く所期の目的に達し得るか否かは今後の運用に俟たなければならない。 二 蓋し農業團體統合の目指すところは戰時經濟の現階段に卽應する國家的計畫に基く食糧其の他の重要農產物の生產責任團體として其の創意と能力を充分發揮するにあるから、臺灣に於ても此の方針に沿ふて構想すべきは、言を俟たない。從つて若し內地案の行方を採用するならば、先づ中央に臺灣農業會及び臺灣產業金庫の二本建となし、臺灣農業會は現在の農會、畜產會、產業組合、青果同業組合、鳳梨同業組合、茶業組合、業佃會、米穀納入組合を統合して指導と經濟事業團體を一元化すべきであらう。さうなれば現在の市街地信用組合若くは市街地に於て信用を中樞とする產業組合、其の他の購買組合、販賣組合、及び建築組合業は當然新農業團體より分離すべきであらう。依つて臺灣產業金庫は內地の農林中央金庫と同一機能を發揮せしめる事とならう。卽ち內地の三本建に對し二本建の案であり、臺灣の地域から見て內地の如く三本建する必要なきは多言を要しない。唯臺灣農業會の下部組織として州廳農業會及び市街庄農業會の三段階にすべきであつて郡單位の團體は之を必要としない事を强調したい。尚現在の州廳農會及び畜產會は殆ど州廳の附屬機關であり、臺總農會及び臺灣畜產會は殖產局の附屬機關であるから、若し臺灣農業會が依然現在の農會と畜產會と同一性格を有するならば到底計畫化せし農業生產力の增强に對して充分に責任を分擔して之を强力に推進する事が出來ないであらう。されば新農業團體は飽く迄も官廳と表裏一體でありながら其の事務上の處理は獨立自主の性格を與へなければならない。若し此の點を缺けば寧ろ次記の第二方策を提唱したい。 三 周知の如く臺灣に於ける產業組合は官廳の獎勵に依つて長足の發達を來したが、比較的に自主性高く、殊に組織的訓練も可成よく行はれて來たから、若し官治化せし臺灣農業會を以て產業組合の組織を全部吸收するとせば却つて自主化せし產業組合の長所を没却せしめられる虞れなしとしない。曾ては農會經營の農業倉庫が多くは失敗に歸し、遂に產業組合に買收された歷史もあつたから、臺灣農業會の最も恐れる事は官僚化の一點である。それ故若し臺灣の實情に卽せんとするならば現在の產業組合系統を別建とし、農村組合は信用組合以外に其の事業の主力を農業倉庫を中心とする米穀の蒐集及び肥料並に飼料の配給に力を注ぎ、更に進んで自作農創設に努力すべきである。これらの事業はいづれも巨額の資金を要するのであるから、金融を背景とする產業組合として最も合理的に經營し得る筈である。唯各州廳の米穀納入組合の獨立問題は今のところ最も根據薄弱であり、殊に現狀の儘では到底各方面の非難が免かれないから、第一の案であれば臺灣農業會へ、第二の案ならば當然產業組合及び其の聯合會へ吸收統合すべきは言を俟たない。上來述べて來た二つの方策は現在に於て考へ得られる農業團體統合案であつて恐らく總督府案も此の範圍を著しく超脫する事が出來ないであろうが、問題は農業生產力推進中樞團體の確立であるから、今後最早時日の遷延を許さず、一日も早く決定せられん事を望まざるを得ない。 |
02 | 揚子江に河底隧道 南船北馬を結ぶ一大動脈 滑出す“興亞列車” |
03 | 戰力增強に寄與 五大產業協力會開催 |
04 | これが戰ふ海軍魂(一) 發しては萬朶の櫻 死しては“七洋護國の神” 橫鎮歷戰勇士の報告 |
05 | 每月一萬五千個 白衣の勇士に卵を献納 |
06 | 比島に七兒誕生 惜しや!全部死亡 |
07 | 全島地方長官會議(第一日午後) 各局指示要項續行 |
08 | 圖像:湖南戰線 |
09 | 永年の宿望達成 基隆海軍武官府岡本大佐語る |
10 | 學士院賞授與式 東條首相らが祝辭 |
11 | 白衣勇士を慰問 續く赤誠島民群 |
12 | 醫師會事務所移轉 |
13 | 光榮の授賞者 |
14 | 五部隊へ赤誠の軍馬慰問 |
15 | 無敵海軍へ感謝の献金 |
16 | 披露宴費用を 節約して献金 |
17 | 官民の理解に感謝 小生氏着京 |
18 | 蘭陽乘合總會 |
19 | 羅東畫劇挺身隊鍊成會 |
20 | 羅東郡教化聯合會總會 |
21 | 蘭陽地方教育事務打合會 |
22 | 鹽干魚配給打合會 |
23 | 人事‧消息 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 聖代に生る榮譽 花蓮港市に漲るこの感激談 |
02 | 若人の血は滾る 興亞勤報隊連袂嘆願 |
03 | 榮譽に盡ぬ感激 赤誠の献金部隊殺到 |
04 | 郡民赤誠の結晶 員林郡に築ぐ硬貨の山 |
05 | 感謝參拜者陸續 |
06 | 人一倍の喜び 頂茄萣海洋青少年團の創設者山本氏 |
07 | 家庭副業指導所 內職組合を發展解消して組織 |
08 | これは又何と!內地にみる敵機增產 敵擊滅に戰ふ實體模型飛行機 |
09 | 彰化郡歌決定 作曲振付の上近く發表會 |
10 | 堆肥だ、堆肥を作れ 臺中州督勵本部を設置 |
11 | 佐野郡守堆肥增產視察 |
12 | 神道鍊成會 |
13 | 話す前に考へよ 流言蜚語は敵に味方 |
14 | 肉豚增產に拍車 飼養者に特配增加を陳情 |
15 | 武陵青年學校入學式 |
16 | 姙婦保護の新組織 新莊街に“姙婦會”誕生 |
17 | 鄉軍總會 |
18 | 青年訓練 |
19 | 臺南市奉公音樂團 愈よ結成準備を急ぐ |
20 | 桃園街奉公委員會 |
21 | 屏東郡街庄長會議 |
22 | 本社宜蘭取次人更迭報社消息 |
23 | 地方多より |
24 | 今日の映画演劇 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 海上輸送に挺身 南海に活躍の木造船 |
02 | 郵便貯金現在高 一億圓に今一息 |
03 | 食用油、石鹼の自給へ 臺灣花王有機正式認可 |
04 | 四月中の郵貯 三百五十一萬圓を增加 |
05 | 交易營團法解說(三) |
06 | 上海麬の輸入數量 船腹割當で增加確實 |
07 | 工業鹽の積出し 高雄港をも活用 |
08 | 薪炭林の造成に 青年團員が勤勞奉仕 |
09 | 臺東製糖暴騰 合併成立で卅圓高 |
10 | 石油專賣の實施 十八日打合會で協議 |
11 | 內地米價改訂と 今後の諸課題 |
12 | パイン酒の製造 專賣局で困難視 |
13 | 統制會社勅令案要綱 商工省より督府に照會 |
14 | 水稻の多收競作會 高雄州で審查を開始 |
15 | 木造船用材の搬出 交通局で諸施設強化 |
16 | 四月中の會社 認、許可八件 |
17 | 照明燈 |
18 | 商況(十三日後場) |
19 | ラジオ |
20 | 水滸傳(963)/黃得時;碇政彌 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 帝國に絕對信賴し 新生の意氣高らか 寄臺した青木大東亞相語る |
02 | 戰爭完遂に挺身 記者團會見王揖唐氏語る |
03 | 王揖唐氏參內 畏し‧謁見仰付けらる |
04 | 東部戰線戰機熟す 獨軍部隊、攻勢を開始 |
05 | 圖像:白衣の勇士慰問の大東亞相代理今井少將 |
06 | 王揖唐氏歡迎午餐會開催 |
07 | 總統大本營の戰況發表 |
08 | 新農業保險制施行 施行令施行規則の要旨 |
09 | 戰力增強と(上) 最近の勤勞對策 |
10 | 王揖唐氏の動靜 |
11 | 米國小出しに 損害を發表 フロリダ島沖海戰に關し |
12 | 英雄的抗戰停止 北阿獨伊軍、彈藥盡きて |
13 | 圖像:王揖唐氏來朝(福岡に於いて) |
14 | 伊、捲土重來を期す |
15 | 伊國民絕讚 メツセ將軍の降伏勸告拒否 |
16 | 對立調整が議題 獨會談を問題にせぬ |
17 | 伊軍の發表 |
18 | 新中國大使蔡培氏入京 |
19 | 定例閣議 |
20 | 黑田氏選任 上海工部局市參 事會員に |
21 | 西南太平洋反樞軸首腦 協議を終了 |
22 | 英卅四機喪失 |
23 | 英空軍省の發表 |
24 | 國共相剋深刻 中共黨員の脫黨事件を繞り |
25 | 敵側敗戰の辯 緬印國境の全面 崩潰に對し |
26 | 行政查察第二日目 |
27 | 勞働者四十萬 佛から獨に送る |
28 | 米、英、加秘密議定書交涉中 |
29 | 立作太郎法博逝去 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 讚へよ無敵海軍 重なる喜びに決意は新た 輝く海軍記念日行事 |
02 | 地方長官會議第二日 戰力增強の一點に 熱烈な意見を開陳 |
03 | 無敵海軍の生立ち 浮べる護國の城(三) 帝國海軍七十年史 |
04 | 宮內省皇宮警 察部武道大會 |
05 | 祭粢料傳達式 光榮の遺族ら感激 |
06 | 圖像:青木大東亞相寄臺 |
07 | 青木大東亞相寄臺 南方視察を終へて歸京の途次 |
08 | 臺灣の協力の成果 招待晚餐會で青木大臣強調 |
09 | 防空施設強化へ 參事會長市長署長訪問 |
10 | 感謝献金續續 基隆市民の赤誠 |
11 | 軍馬資源確保 山崎農相が要請 |
12 | 科學の總動員(下) 發明報國の徹底期し |
13 | 白衣勇士を慰問 |
14 | 全國保護監察所長會同 |
15 | 六羽以上は十斤 家禽飼料近く配給 |
16 | 馬鈴薯改良種 “農林一號”愈愈生まる |
17 | 羅東郡聯合保護會總會 |
18 | 基隆奉壯團常會 |
19 | 興南詩苑漢詩 遊南雜詩 過諸羅吊吳鳳/莊幼岳、驛頭遇雨/莊幼岳、寧南道中/莊幼岳、奉和傅鶴亭先生小立原韵/莊幼岳、奉和傅鶴亭先生小立原韵/高氏春梅 |
20 | 放送團員募集 |
21 | ローマ法王廳の動向 |
22 | ドイツの戰時藝術 |
23 | 今晚の放送 |
24 | 商況(十四日前場) |
25 | 興南案內報社消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 第十集團軍に鐵槌 敵五萬、我鐵環に收む頭條新聞 【湖南前線十四日發同盟】敵第二十九集團軍四個師を洞庭湖畔に殲滅した中支軍精銳部隊は十二日突如新行動を開始洞庭湖方面より北上する○○精銳諸部隊と揚子江方面より南下する新銳兵團の水漏さぬ協力作戰に依り十四日正午すでに澧縣が、北側地區に西濟(公安西方四十粁)孟稽寺(澧縣東方十三粁)大扁湖(公安北方二十粁)を結ぶ大包圍網を完成敵第百十八、第四十三、第百二十一、新編第二十三、第五十五の五個師五萬に對する大殲滅戰を展開中である 【湖南○○前線十四日發同盟】岳州、安鄉、枝江を結ぶ洞庭湖北岸の大山嶽地帶に陣する重慶前衛集團軍たる司令代理孫連仲麾下の第六戰區に對するわが夏季進攻作戰は去る五日の第二十九集團軍に對する洞庭湖畔殲滅戰を皮切りに十二日には第十集團軍の本據たる□縣、津市北側の湖北、湖南兩省境地帶に、五個師五萬を完全にわが包圍鐵環に收め壯烈なる第二期殲滅戰を展開、戰機は今や最高潮に達してゐる重慶軍當局は今次夏季進攻作戰の矢表に立つた第二十九、第十兩集團軍に對しては多大の期待をかけ兩軍又重慶の前衛軍をもつて自認してゐたのであるが今次洞庭湖畔殲滅戰によつてまづ第二十九集團軍が潰滅され更に今回第十集團軍が包圍殲滅の悲運に逢着するに至り重慶側の周章狼狽振りは察するに餘りあらう、更に今次夏季進攻作戰が江南一帶に齎らす影響としては 一、枝江縣と洞庭湖間の物資の交流 二、重慶進攻路の短縮 三、湖北、湖南省境の米倉地帶における和平地區の強化 等の諸點が擧げられ敗戰重慶を極度に震憾せしめてゐる |
02 | 澧縣、津市を猛攻 國府軍も作戰に參加 |
03 | 孟稽寺を占領北進 |
04 | 小癪にも米軍部隊 アツツ島に上陸 我軍邀擊目下激戰中 |
05 | 敵逐次兵力を推進 濃霧に乘じて上陸 |
06 | モレスビーを猛爆 |
07 | 敵全滅の日を待つ |
08 | 「夏季進攻作 戰」と呼稱 |
09 | 民防空の完璧期す 我本土空襲の方途四コース |
10 | 敵兵逃亡續出 |
11 | 政略的効果を狙ふ 敵慘めな犧牲必至 |
12 | 圖像:堂堂安鄉に入城の皇軍(陸軍省檢閱濟) |
13 | ナウル島の新生姿 大東亞民族の誇りと希望に燃ゆ |
14 | 再び躍進的段階へ 谷新駐華大使着任 |
15 | 各地の原住民 日本に心服 青木大東亞相福岡着 |
16 | 連日連夜會議 ルーズヴエルトとチヤーチル |
17 | 大東亞辭令 |
18 | 米、新空母進水 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 軍需重點生產 自給體制確立 長谷川總督訓示社說 一 總督府は曩に大東亞戰爭第二年の對處方策として、防空態勢の整備强化、重要防空物資と主要食糧の生產增强、輸送力の確保、島民決戰態勢の强化の四つの基準項目を決定し、茲一兩年を目標に直接戰力の增强に資すべく、官民の總力を集中すると云ふ超重點主義の下に事務と事業の決戰的轉換を行ふの決意を明かにしたが、この度更に之が滲透と徹底を圖る為に十八年度初の全島地方長官會議を召集し十三日府正廳に於て開催された。同席上に於て長谷川總督は約二十分間に亘る重大訓示をなし、聖戰完遂の要諦は國民熱鐵の團結とその志氣の昂揚にありと斷じ、島民は大東亞戰爭の性格と時局の決戰的重大性を認識し、戰時下最低限度の生活に甘じ斷乎として長期戰を勝ち拔く氣魄を堅持しなければならぬ旨を强調した 二 戰力增强問題に及んで「現下の戰局に於て最も多く消耗せらるる航空機及び艦船の生產を增强することが刻下の急務であり、政府は特に鐵鋼、石炭、輕金屬、航空機、船舶の五產業を超重點產業として凡ゆる施策をこれら五產業の生產增强に集中する」旨を指摘し、「本島に於きましても之に呼應ずることが當然でありますので本府に於ても鐵鋼增產、アルミニユム及びマグネシウムの緊急增產、木造船の計畫造船等に付き着着具體的措置を講じ、又航空關係では桐材の供出、高級液體燃料の增產等」に邁進し、更に「本島の特殊事情としてセメント、電力及び銅鑛の增產も右の五產業と略同樣優先的措置を講じつつある」旨を言明、決戰の現段階に對處して、軍需重點生產に集中し、本島として重要工業の急速なる實現を期してるのである。而して旣存の工業については資材の効率利用、規格の統一、勞務管理の合理化、技術の向上等に依り生產の昂揚を圖り、不急低能率工業の整理統合を圖ることとなつてゐる 三 只「戰局の推移に伴ひ、海上輸送が益益逼迫せんとする情勢あるベきを思ふ時、本島の凡ゆる施設を內地依存體制の儘に放置することは本島生產力の維持增强並に島民生活の確保上憂慮すべき事態を招來しないとも限らないので、內地よりの物資補給力が現在以上に減退した場合に於ても、依然として我國の戰力增强に寄與すると共に島民生活の根底に動搖を與ふることなきを期し、且つ船舶の節減をも併せて考慮したる上、必要なる生活必需物資及び重要產業用資材に付て、自給自足の體制を整備しなければならない」と四面環海の本島に於て自給自足體制の確立は刻下の急務なる所以を說き官民一致更に特別の工夫を廻らさなければならない旨を强調した。國民生活確保の基礎問題たる衣食住について考察するに、勿論食糧問題については全然心配する必要はないが、母國の食糧確保に協力しなければならない關係上、あらゆる障害を克服しても米穀、甘藷の增產に集中しなければならない。衣の問題は從來殆んど內地に依存して居たが今後は出來るだけ纖維作物の增產を圖り、內地の遊休設備を活用し輕工業の誘致に努力しなければならない。又住の主要資材たる林業に關しては、輸移入材に期待し得ない今日、本島森林資源の集約的利用を圖らなければならない。その他島內水產物の需給狀況が必ずしも樂觀を許さない現狀にあるので、特に沿岸漁業及び養殖業方面に飛躍的增產を工夫する必要がある。 |
02 | 日本的世界觀確立 青少年教養科指導要項 |
03 | 三內親王殿下 濟寧館武道大會に御成 |
04 | “決戰體育”を樹立 地方事務官の打合會 |
05 | 圖像:湖南戰線 |
06 | 地方長官會議終る 食糧、勞力問題を懇談 |
07 | これが戰ふ海軍魂(二) 索敵潛航の蔭の努力 吳鎮に咲く潛水艦魂 |
08 | 學士院會員等に 畏し午餐を賜はる |
09 | 產みも產んだり 夫婦二人で二十人を設く 全國一子福家庭 |
10 | 稻刈で結婚見會ひ 稔るジヤワの農繁期 |
11 | 兵隊さんに卵慰問 |
12 | 日章旗押立て原住民の漁業 |
13 | 高雄山地の美談 儂の死を戰地の伜に報らせるな |
14 | 濟寧館武道大會第一日 |
15 | “醫博厚相”教壇へ 小泉さん東大で厚生講義 |
16 | 野草も食膳に 工研で卅種類を選定 |
17 | 佛印現代美術展を開催 |
18 | 人事‧消息報社消息 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 基地に墓碑建てて 心殘りなき健鬪に米英縮む 本島出身の荒鷲ここに在り |
02 | 臺中州談話發表 稻は情愛で耕せ 米農者一段の奮起望む |
03 | 祭粢料傳達式 |
04 | 神技に等しい早業 素晴し‧月月金金訓練の成果 海軍〇〇艇便乘記 |
05 | 和美青年學校開校式 |
06 | 譽の海軍志願兵へ 嘉義市役所職員の申合 |
07 | 司法事務講習會 |
08 | 關廟庄堆肥增產推進 |
09 | 赤誠の慰問袋調製 |
10 | 男子至上の榮譽 海軍志願兵制度實施に方りて稻田廳長談 |
11 | 大溪街奉公參與委員會 |
12 | 勇士に精神の糧 嘉義市書籍献納運動 |
13 | 保甲民汗の奉仕 |
14 | 月眉の遊閑地 美田化の計畫を進む |
15 | 國語不解者一掃 未教育青年を全部講習所へ |
16 | 防犯功勞者表彰 |
17 | 赤誠の献金品 |
18 | 人事報社消息 |
19 | 地方多より |
20 | 今日の映画演劇 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 島產鹽乾魚の配給統制 督府で統制規則を制定 |
02 | 電氣工事整備統合 業者より當局に陳情 |
03 | 夏季蔬菜增產策 試作園設置と積極獎勵 |
04 | 石炭の增產對策 各方面とも着着實施 |
05 | 過燐酸石灰增產 臺灣肥料高雄工場操業 |
06 | 中平食糧局長 歸任延期 |
07 | 華僑の手にある 佛印鹽業の現況 |
08 | 農機具を更生 高雄州農會で巡回修理 |
09 | 商銀人事異動 |
10 | 煙草の增產 |
11 | 機械油の確保に 鮫油抽出を企業化 |
12 | 鐵道部人事異動 |
13 | 粉炭使用を強化 |
14 | 產組特別講習會 六月十四日より東京で開催 |
15 | 照明燈 |
16 | 商況(十四日後場) |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(964)/黃得時;碇政彌 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 敵屍約一萬三千 洞庭湖畔の進攻戰果 |
02 | 痛烈な剔抉戰續行 山岳地帶に遁入の敵を包圍 |
03 | 週間戰況 日華提携の實擧ぐ 國府軍も我に協力 |
04 | 獨ソの戰力比較 |
05 | 深刻な不安 重慶治下の民眾 |
06 | 原住民の協力で食料の自給自足 |
07 | 獨當局指摘 東部戰線の補助 北阿戰線の特長と意義 |
08 | 鎧袖一觸擊退せん 敵歐洲に來たらば |
09 | 伊軍戰況公表 |
10 | アツツ島の戰況 米海軍省、我大本營發表を確認 |
11 | 飽くまで中立維持 トルコ政府の外交方針 |
12 | 貴重な時を獲得 チユニジア戰の經過 |
13 | 頭山翁等訪問 王揖唐氏の動靜 |
14 | 大決戰期迫る クバン河口地區 |
15 | 獨軍戰局公報 |
16 | 青木大東亞相歸京 |
17 | 大西洋橫斷の 新航空路開設 米航空會社出願 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 奉公運動大展開へ 第三年の新方途 全島支部長會議開く |
02 | 無敵海軍の生立ち(四) 明治天皇の御偉業 帝國海軍の大飛躍 |
03 | 支部長の熱意が第一 齋藤本部長要諦を說く |
04 | 敵陣目がけて銃爆擊 未踏の新戰地荒鷲同乘記 |
05 | 獨の對戰車圓盤狀爆彈性能 |
06 | 新ヴイタミン發見 |
07 | 都紀名加命の御墓 神崎の古墳近く御改葬 |
08 | 海軍思想普及に 記念講演と映畫 |
09 | 青年に“皇民體操” 全島で講習會開催 |
10 | 法律第四十八號 十五日附を以つて公布 |
11 | 貯蓄の推進隊 基隆郡で百餘名任命 |
12 | 市バス列車出現 考へた考へた一石二鳥の名案 連結運轉近く開始 |
13 | 玉咲つづら藤増產 職員集めて講習會 |
14 | 英紙ヒトラー總統を賞讚 |
15 | 農作物は全滅 米國中部地方の洪水 |
16 | 抗日軍政大學の 後日物語 |
17 | 新家庭の建設 獨身警官に呼びかく |
18 | 新笑演舞隊慰問興行 |
19 | 興南詩苑漢詩 遊南雜詩 過諸羅吊吳鳳/莊幼岳、驛頭遇雨/莊幼岳、寧南道中/莊幼岳、奉和傅鶴亭先生小立原韵/莊岳幼、奉和傅鶴亭先生小立原韵/高氏春梅 |
20 | 戰ふドイツ科學 |
21 | 人事‧消息 |
22 | 今晚の放送 |
23 | 商況(十五日前場) |
24 | 興南案內報社消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵機卅八を擊墜 ルツセル島上空空戰海鷲戰果擧がる頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營表(十五日十六時) 一、帝國海軍航空部隊は五月十一日ニユーギニヤ、メラウケ同月十四日ガダルカナル島の敵軍事施設を攻撃し之に甚大なる損害を與へたり 二、帝國海軍航空部隊は五月十三日ルツセル島上空空戰に於て敵戰闘機三十八機を擊墜せり、我が方の損害未歸還二機 |
02 | 米國海軍省十四日の發表 |
03 | ミルン灣、オロ灣爆擊 |
04 | 海鷲の神技を發揮 卅八對二、將に廿倍近い戰果 |
05 | 青木大東亞相 拜謁仰付けらる |
06 | 青木大東亞相 首相を訪問 |
07 | 英、印軍離間對立 印度兵、我に集團投降 |
08 | 首相の大東亞大臣 事務管理解任 |
09 | 帝國と渾然一體青木大東亞大臣談 南方各地域、精神的經濟的に |
10 | 敵要衝公安を占領 |
11 | 夏季進攻作戰高潮 |
12 | 王纘緒軍に 殲滅的打擊 |
13 | 英軍不信の念增大 印度民心、極度に動搖 |
14 | 感激の入城 |
15 | 歸順將校も呼應 わが作戰に協力 |
16 | 熾烈な剔抉戰展開 我が南北の連繫成る |
17 | 海軍艦政本部 會計部長更迭 為本小將補さる |
18 | 二五三二機擊墜 獨軍二月以來の戰果 |
19 | 重慶軍戰力低下甚し わが陸鷲、舟艇機動隊活躍 |
20 | 米、英の意見が對立 戰力分散に落着くのが關の山か 今次ワシントン會談、消息筋觀測 |
21 | 在華公館長の動き活潑化 谷大使來寧繞り |
22 | 谷大使、館員に初訓示 |
23 | 商工辭令 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 沿岸漁業の振興と團體統合社說 一 資材、燃料並に勞力等の不足により海洋漁業が全般的に不振の狀態にあるが本島に於ては水產業の約七◯%を占める斯業の現況は水產物の需給に大なる異變を來し水產政策の轉換を要請されてゐる。支那事變前豐富な資材等を以て漁業が自由放任的に行はれ得た當時にあつては本島海洋漁業の振興が水產政策の唯一の目標であり幾多獎勵乃至補助策がとられたことは極めて當然な成行であつた。しかし叙上の如く情勢の一變に伴ひ資材等の入手が極めて窮屈になつた今日資材等をあまり必要としない沿岸漁業に漸次重點をおくに至るべきことは論を俟たない所であつて旣に督府に於ては沿岸漁業並に養殖業の振興へと漸次水產政策を轉換することになつたのである。由來沿岸漁業が極めて不振であつたのは固より地勢的にしからしめたものではあるが易きにつかんとする水產政策にも一半の責任があることを見逃すことは出來ない。卽ち海洋漁業が比較的容易に振興され得たからに外ならないのである。 二 しかし遲蒔き乍ら水產食糧の增產を目ざして沿岸漁業並に養殖業の振興が督府の力强き補成策の下に愈よ劃期的に行はれるに至つたことは海洋漁業の持續的增產を目途とする一元的運營會社の設立と共に本島漁業新體制の確立がその緒についたものと言つてよからう周知の如く本島漁業新體制は內地に於けると同樣に海洋並に沿岸の二本建をとつてゐるが海洋漁業は近く南日本漁業統制會社並に臺灣水產物配給統制會社の設立等により新たな體制が出來上るとになつてをり殘る問題は沿岸漁業新體制が如何なる構想の下に確立されるかにある。抑抑沿岸漁業は零細にして多數の而も技術的にも經濟的にも種種雜多なる相互に分離しがたい業態をもつ企業體より成つてゐる關係上資本家的企業たる海洋漁業の如く一元的會社による統制は極めて困難である為政府では漁業團體の統合を以て沿岸漁業の新體制を確立せんとする方針に決定されてゐる。 三 本島に於ても中央の方針に則り水產團體の統合については一應の案を得てゐるが中央金融機關の問題で農業團體の統合と並行的に進行されることになつてゐる、しかし水產團體の統合は漁業組合、州廳水產會、臺灣水產會と系統的に一本になつてゐる關係上農業團體の統合程に問題はなくむしろ水產團體法による法的裏付により今後の指導方針を强化するとが出來る卽ち本島の實情に基き臺灣水產業會、州廳水產業會、漁業會並に製造業會に從來の系統的組織が改變されるがしかし督府の原案によれば州廳水產業會が內地の府縣水產業會に比して極めて無力な存在となつてゐる點は尚檢討される餘地があらう、經濟行為の事業に關する限り中央團體と地方團體とは相互に輕視する傾があることは免れないが臺灣水產業會を一方的に强化する為州廳水產業會の存在が殆んど無視されてゐるやうではむしろ州廳水產業會の代りに臺灣水產業會の支部を州廳に設置する方が妥當ではなからうか。さすれば屋上屋のそしりを免れるのみならず今後の漁業計畫化を圖る上に真に一元的機構が確立されるわけである。水產團體の統合が從つて律令を以てする□なきことは當然の歸結でなければならない |
02 | 一億民擧げて慶祝 盛厚王殿下と照宮內親王殿下 御結婚の儀勅許あらせらる |
03 | 三陛下頗る御滿悅 竹の園生の御彌榮 |
04 | 圖像:兩宮樣の御寫真 |
05 | これが戰ふ海軍魂(三) 舞鶴勇士の座談會 “君の代”魂で歌ふ 漂流海上の決戰調 |
06 | 兩陛下に御對面 盛厚王殿下が御禮言上 |
07 | 皇太子殿下行啟 清寧館の武道大會 |
08 | 伏見宮殿下台臨 海軍聯合卒業式に |
09 | 皇太后陛下に御禮言上 照宮樣が |
10 | 戰術演習に御參加 御學友と馬首を連ねて |
11 | 盛厚王殿下 陸大で最高戰術御研鑽 |
12 | 海軍志願兵制實施 けふ島都で感謝式 |
13 | 餞別金を献金 |
14 | 成子內親王殿下 御成績極めて御優秀 |
15 | 新莊郡露店組合が献金 |
16 | 內地行私用航空便 あすから取扱開始 不急の向こうは控へて下さい |
17 | 宮內大臣謹話 |
18 | 山岡刀自と辰巳夫人謹話 |
19 | 搖ぎなき陣容 臺灣青少年團役員決る |
20 | 故阿部氏夫人 引續き側近の 御用を奉仕 |
21 | 創立五周年の記念献金 |
22 | 夏場所けふから再開 |
23 | 木村氏夫人遙弔式 |
24 | 訃文:東條寶子 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 學生は須らく海へ 口を揃へて海洋訓練を力說 軍事講習中の教授艇上座談會 |
02 | 忝し絕大の御信倚 屏東市本島人職員蹶起 |
03 | 光榮に挺身せよ 森田臺中州知事談 |
04 | 臺中の八青年手續依賴 |
05 | 臺中高等農林 新築工事に着手 |
06 | 炭燒戰士を激勵 |
07 | 臺灣畜產の產奉團誕生 |
08 | お手手つないで 日比のヨイ子供合宿 |
09 | 高雄州民の赤誠 建艦献金運動に披瀝 |
10 | 早くも大量志願 建艦費献納‧記念貯蓄など 高雄の若人決意に燃ゆ |
11 | 司法保護委員會 |
12 | 好修青年校開校式 |
13 | お山の感激一入 “海の兵”となつて米英擊滅 |
14 | 巡廻畫劇日割 |
15 | 全機關を總動員 花蓮港廳貯蓄に邁進 |
16 | 明るく親切に 臺南商奉親切週間開始 |
17 | 奉壯團長會議 |
18 | 志願兵を慰問 高雄の一行出發 |
19 | 嘉義で金屬回收 |
20 | 郡守署長會議 |
21 | 堆肥增產の推進 知事らが陣頭に起つ |
22 | 中等武道大會 |
23 | 戰時生活指導講習會 |
24 | 僻地に增產 戰士を慰問 |
25 | 戰場精神昂揚映畫好評 |
26 | 竹山街奉公委員會 |
27 | 板橋產組總代會 |
28 | 棉作講習入所式 |
29 | 人事報社消息 |
30 | 地方多より |
31 | 今日の映画演劇 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 籾の買収標準 全島一本に整理せん 各州產業部長會議終了 |
02 | 茶館整備方針決定 住宅難の緩和にも協力 |
03 | 必勝の決戰施策 地方長官會議の成果 |
04 | 二期米等作付割當 昨日農林課長會議開催 |
05 | 島內債券買收制度 趣旨の徹底に關し 水津理事長語る |
06 | 簡易保險加入運動 六月より強調期間を設定 |
07 | 高雄製鐵株式 戰時金庫で半 分引受內定 |
08 | 新式工場の產糖 千七百四萬三千擔見當 |
09 | 四月中金融繁忙 預金貸付とも新記錄 |
10 | 瑞芳金山餘剩資材 具體的に轉用を打合 |
11 | 交易營團法解說(四) |
12 | 臺灣石炭會社 第四回定時總會 |
13 | 南日本漁業會社 社長に有馬賴寧氏か |
14 | 臺灣金物會社總會 |
15 | 照明燈 |
16 | 島內株仲值表 |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(965)/黃得時;碇政彌 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 鐵環陣を刻刻壓縮 所在の赤色組織覆滅 太行山脈戰頭條新聞 【山西前線○○十六日發同盟】赤色抗日陣營に最後の鐵槌を下すべく峨峨たる北部太行山脈の峻嶮に十五日包圍網を完成したわが精銳諸部隊は所在の赤色組織を覆滅しつつその鐵環陣を刻刻壓縮してゐるが十六日正午までの戰況は左の如くである。 省境附近より北進中の石井、印南、酒井、田村、青柳、一の瀨、福井の諸部隊は去る十三日峻極關附近に進出、同地區一帶の敵を悉く粉碎、十五日までに敵遺棄死體八二、捕虜一二、小銃一七、同彈二一二拳銃四、手榴彈一○、銃劍三○の戰果を貯めて猛進擊を續行、これに呼應して北方より進擊の山本、喜多の兩部隊は十四日午後昔陽東南方にお いて第百二十九師所屬の平漢遊擊隊の一部を潰滅更にその東方十五粁場江村で約百の敵を潰走せしめ捕虜二五、小銃九、同彈藥一五○、軍馬二○の戰果を收めて更に南下又○○部隊は東方より、大坪部隊は西方よりそれぞれ進擊、分散敗走の敵を隨所に擊碎しつつある、一方小林、齊藤、原子、植田、清水、土居安田並に中國剿共軍の諸部隊は引續き黎城、蟠立鎮、洪水鎮附近の掃蕩戰を續行、十三日より十五日までに敵遺棄死體四六、捕虜四○、鹵獲品輕機二、小銃一三、拳銃一一その他彈藥多數等の外赤色工場を徹底的に覆滅する戰果を收めた 【山西前線十六日發同盟】今次十八春太行作戰の火蓋を切るわが精銳諸部隊は野戰軍の真價を遺憾なく發揮し旬日にして蔣軍を粉碎次でその銳鋒を華北の癌である共產第十八集團軍司令部及び劉伯承麾下百二十九師の剔抉殲滅に向け麥田鎮、涉縣等の敵據點を蹂躙したが引續き峻極關北方の山岳重疊たる山中に蟄伏する敵に對し新たに巧妙なる包圍網を完成喘へぐ赤匪に容赦なく鐵槌を下してゐるが現地軍では十六日十二時左の如き當局談を公表した 軍は更に太行作戰地域を□大し昨十五日より石太線以南の地區において新敵を攻撃中なり |
02 | 御差遣の侍從武官 愛知縣海軍工廠を實施 |
03 | 湖南戰線は最高潮 長沙、常德への進攻態勢成る |
04 | 敵師長王嚴 便衣にて遁走 |
05 | 圖像:南の海にて活躍する我が艦艇(佐鎮の部) |
06 | 敵潛艦見事に擊沈 護送任務の我が荒鷲 |
07 | 國際展望 |
08 | 反樞軸國頻りに劃策 |
09 | 北上進擊部隊の戰果(湖南戰線) |
10 | 敗殘兵二千を猛攻 |
11 | 集結中の敵を爆擊 |
12 | 近來稀な大爆擊 十四日モレスビー空襲 |
13 | 創意工夫なくては 戰爭には勝ち得ない 鈴木查察使產業戰士を獎勵 |
14 | 翼政改組後 初の理事會 |
15 | 谷新駐華大使 けふ國書捧呈 |
16 | 赤軍陣地に突入 獨軍再びレ市を脅威 |
17 | 米の露骨な野望 重慶軍の隸屬を要求 |
18 | 重慶の苦悶深まる ワシントン會談に泣訴牽制 |
19 | 赤機百五十喪失 |
20 | 英軍駐屯地を襲ふ イランに大規模な騷擾勃發 |
21 | 獨機英本土爆擊 |
22 | 會議を續行 反樞軸首腦が |
23 | ル、チ會談 未だ序の口 |
24 | 來襲の米英機 百十二機擊落 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 讚へよ‧海軍特別志願兵制 |
02 | どよめく怒濤の感激 擧島繰展ぐ祝賀繪卷 |
03 | 忠誠を誓ふ感謝式 |
04 | 示せ南海健兒の氣魄 長谷川總裁の告辭 |
05 | 感謝電文 |
06 | 一意奉公の至誠へ 樋口臺灣軍參謀長激勵の辭 |
07 | 快哉叫ぶお山 喜びは今や絕頂 |
08 | 轟く萬歲の歡呼 ゆらぐ人の波‧旗の海 |
09 | 半島人の赤誠 神社に參拜後お禮挨拶 |
10 | 圖像:萬歲萬歲島都の旗行列 |
11 | 基隆の慶祝 |
12 | 制海が“最後の勝利” 記念講演會で菊池海軍中佐熱辯 |
13 | 羅東街協議會 |
14 | 浴場で短艇競漕 基隆の海軍記念日行事 |
15 | 商奉運動に拍車 第一回鍊成終る |
16 | 羅東郡男女 青年團總會 |
17 | 國民詩朗讀運動講習會 |
18 | 新竹の感激 |
19 | 一匹で三千斤 利澤簡で大鱶を捕獲 |
20 | 餞別金を献金 |
21 | 花蓮港の祝賀 |
22 | 大相撲第五日目開場 一番出世披露を擧行 |
23 | 宜蘭市清潔日割 |
24 | 宜蘭の祝賀式 |
25 | 記念献金 |
26 | 五日目勝負 |
27 | 六日目取組 |
28 | 一坪農園に 九條葱獎勵 |
29 | 兒童作文募集 郵貯一億達成 記念に |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 田代中佐の放送 寸分の假借なく 戰爭は日夜續く 默つて戰ひ無心で勝つ |
02 | 轟く萬歲‧湧く歡呼 若人の血潮は躍る 各地の海軍志願兵制祝賀 |
03 | 月月火水木金金 示す不撓の海軍魂 |
04 | 逞しい優秀青年 臺中州下の志願兵銓衡終る |
05 | 愈よ豫備訓練 高雄の陸軍志願兵 |
06 | 一擧に七名志願 |
07 | 二十八名志願 本島人警察官が |
08 | お山の青年 一五八名が志願 |
09 | 大宮青年學校開校式 |
10 | 部落會長鍊成 彰化郡青年道場で |
11 | 溪湖青年校開校式 |
12 | 血書の志願見事達成 純情の乙女看護助手へ |
13 | 南投郡の硬貨回收好成績 |
14 | 赤誠の献金品 |
15 | 堆肥增產を推進 各部落で講演會 |
16 | 彰化家政女新校舍地鎮祭 |
17 | 遺家族慰安大會 廿二日に變更 |
18 | 立體畫劇試演會 |
19 | 地方多より |
20 | 今日の映画演劇 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 圖像:母子(第九回臺陽展)/李石樵 |
02 | 南方の風土病 種類は少ない、罹る機會は多い/石井信太郎 |
03 | 文藝時言 文學奉公會その他/楊雲萍 |
04 | 辻小說 阿片戰爭の繪本/楊逵 |
05 | 嗚呼!黃清呈夫婦/呂赫若 |
06 | 生活と文化 |
07 | 世氏への公開狀/葉石濤 |
08 | 港都の夏/王碧蕉 |
09 | 桃園を訪ねて/海老原耕水 |
10 | 佳人の死/張冬芳 |
11 | 佳里白柚吟社句集 |
12 | 豆外信 |
13 | 時局の言葉 |
14 | 新刊紹介 |
15 | ラジオ |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 暴虐敵毒ガス使用 我が方寡兵よく陣地確保 アツツの戰況谷萩報道部長談 |
02 | 地方制度改正の 趣旨、運營を闡明 全國內政部長會議開かる |
03 | 自治の新精神尊重 安藤內相の訓示要旨 |
04 | 圖像:堂堂南太平洋上の快翔する海鷲の雄姿 |
05 | 谷新駐華大使 信任狀を捧呈 |
06 | 國內展望 |
07 | 「生殘るための戰爭」 生產の軸強韌にせよ |
08 | 資源調查が目的 ボルネオ奧地視察隊出發 |
09 | 商工省金屬局の 分課規定を改正 |
10 | 刑務所長會同 |
11 | 三個師團を擊破 クバン地區の主動權獨の掌中 |
12 | 英東部を空襲 |
13 | 潛水艦九十五隻擊沈 開戰以來の伊軍戰果 |
14 | 中立を再闡明 トルコ外相が |
15 | 獨逸空軍の 活躍熾烈化 |
16 | 貴院在滿皇軍慰問團 けふ東京出發 |
17 | 獨大本營公表 |
18 | 世界戰局愈よ長期化 米軍事記者の悲觀的見解 |
19 | チユニジア國王の 王位を褫奪 佛魁儡政權主席 |
20 | 市民偵察飛行隊を組織 米國各州に |
21 | 米海軍豫算繞る 首腦達の證言 |
22 | 萬全の準備整ふ 伊陸海空軍三次官戰況報告 |
23 | 米海軍豫算 二百九十四億 |
24 | 上旬までの稻作 生育良好、病害虫なし |
25 | 米英機を擊墜 |
26 | 大擧英本土 南部を襲擊 |
27 | 重慶側一種の ヂエスチユア 于斌の主張演說 |
28 | 重慶側猛運動 ワシントン會談 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 他を犧牲にしても 戰力增強が第一だ 長谷川總督上京談 |
02 | 大國王神御尊體 謹刻して軍政廳に奉安 |
03 | 無敵海軍の生立ち(五) 不拔の“訓練精神” 遂に七つの海を制霸 |
04 | 行け!軍旗の下へ 適格青年に呼びかける 島都記念講演會 |
05 | 全島の奉公運動 齋藤本部長が視察 |
06 | 新竹市の講演會 |
07 | 陸志銓衡試驗 張切る譽の若櫻 |
08 | 定例局部長會議 |
09 | 憧れの海軍志願 武官府へ一番乘り |
10 | 文藝、繪畫街頭展 輝く海軍記念日に |
11 | 爪哇特有の蠟染綆紗 |
12 | 誓ひ堅し同生共死 日華兩勇士打ち重つて散る 湖北南部作戰の激鬪 |
13 | 校舍敷地の奉仕作業 |
14 | “幽靈の都”紐育 昔日の繁華いづこに |
15 | 港都の献金 美談四則 |
16 | 水道用水の節約 市當局市民に協力要望 |
17 | 建艦献金箱胸に 基隆協和會員街頭進出 |
18 | 伊の病院船八隻 反樞軸軍に擊沈さる |
19 | 照國に黑星 四橫綱の一角崩壞 |
20 | 手拭で結ふ感激 增產戰士から感謝文の山 |
21 | 興南詩苑漢詩 贈別李春木君勇退/丁酉山、贈別李春木君勇退 其二/丁酉山、贈別李春木君勇退 其三/丁酉山、贈別李春木君勇退 其四/丁酉山、贈別李春木君勇退 其五/丁酉山 |
22 | 七日目取組 |
23 | 青葉青年學校 晴れの開校式 |
24 | 今晚の放送 |
25 | 商況(十七日前場) |
26 | 興南案內報社消息 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 龐將軍國府に參加 部下七萬餘を率ひて頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(五月十七日十七時) 北支那唯一の蔣介石直系軍として河南、山西省境に抗戰を繼續しありし第二十四集團軍軍長上將龐炳勳は今般その部下七萬餘(孫殿英軍を含む)を率ゐ蔣政權より離脫し國民政府に合體し大東亞新秩序建設に邁進するに至れり |
02 | 抗日陣營動搖甚し 兩將軍の歸順、殘敵に大衝動 |
03 | 兩將軍通電 南京新政權を擁護 友邦信賴、米英打倒へ |
04 | 重慶軍戰力低下 國府の躍進に反比例して |
05 | 抗戰から和平へ 老骨に再び花を咲かせよう 龐炳勳將軍の覺悟 |
06 | 時局の認識が根底 進んで歸順するものは欣然迎ふ 北支軍報道部長談話 |
07 | 國府側の發表 |
08 | 龐炳勳氏略歷 |
09 | 圖像:太行作戰 |
10 | 冀察戰區完全潰滅 集團軍長の歸順龐將軍が最初 |
11 | ニ島とガ島を爆擊 米空軍と空中戰展開 |
12 | 和平陣營參加の 主なる將領 |
13 | 野獸の本性を暴露 目的の為に手段を選ばぬ敵米 |
14 | 米軍當局言明を避く |
15 | 鈴木行政查察使 荷役勞務省を激勵 |
16 | 蟄伏の敵を剔抉 |
17 | 東條首相 刑務所長を招待 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 華盛頓會談 重慶政權の苦悶社說 一 北阿戰線の獨伊軍は、六箇月間の敢闘の後遂に彈丸、食糧盡きて十三日、獨總統大本營並に伊軍司令部の抗戰停止命令によつて戰鬪を停止した、チユニジア六箇月の防衞戰により、樞軸側はその間に貴重なる時間を得て歐洲大陸の防備を固め、南佛よりイタリア、バルカンに到る長大なる線、いはゆる歐洲大要塞線を構築、歐洲に鐵桶の護りを造るを得て作戰目的の大半を達成した。然れども獨伊軍のアフリカ撤退は戰局の一段階であり、今後樞軸軍は同戰線に對する困難な補給の負擔から解放されて、夏季攻勢に全戰力を東部戰線のソ聯軍擊破に集中するを得るが、他面英米の北阿海岸基地使用を得せしめ、今後の英米の第二戰線結成の動向には警戒を要するものがある。卽ち彼チヤーチルは此北阿戰線の一段落と時を同じうして、十一日多數專門委員を帶同してワシントンに到着、第五回目のチヤーチル、ルーズヴエルト會談を開いてゐるのは、戰局の現段階に照應するものと見るべきであらう 二 今次ワシントン會談には、イギリス側から印度派遣軍總司令ウエーヴエル、參謀長ブルツク等陸海空軍首腦の大掛りな隨員が參加して居り、その協議內容は軍政兩略に亘るものと考へられるが、宋子文エヴアツト濠外相も出發を延期太平洋戰線强化を泣訴する筋書になつて居り、會談の議題に關しては種種取沙汰されてゐるが、大體(一)次期作戰問題(一)ソ、ポーランド斷交以來の對ソ關係調整(一)カサブランカ方式に對する再檢討の諸問題が取上げられるものと見られてゐる。今次會談の成行きに多大の不安と焦慮を以て見護つてゐるのは、何と云つても米、英の走狗重慶政權である。チヤーチルのワシントン到着以來、宋子文はルーズベルトを訪問し、チヤーチルとも會見する等躍起になつてゐるが、ル、チ會談に關係ある事は自ら明かであり、宋子文はこの機會にカサブランカ方式の變更乃至修正を米當局に要請したものに違ひなく、米英會談の進行と共に重慶側のかかる要求は更にその度を加へて行くであらう 三 一方最近敗戰挽回に汲汲たる敵米國は、ソロモン群島、アリユーシヤン列島其他各方面に蠢動しつつあり、必ずしもカサブランカ會談の決定に執着せず、出來得れば對日反攻に出でんとの氣配を示して居り、又チヤーチルの隨員中にウエーヴエル等印度派遣軍首腦が加はつてゐる事から見ても、今回の會談に太洋作戰が討議されることは明らかである。然れども諸般の情勢は必ずしも、重慶の希望を滿足せしむるものにあらず、今次ル、チ會談がチユニジヤ作戰の一段落と共に、次の獨伊に對する作戰協議を主要目的とすることは自ら明らかで、敵米英が急に太平洋第一主義に出るものとは思はれず又我が鐵桶の布陣は米軍の反攻企圖を挫折せしめるに充分であることは彼等もよく知つてゐる所であり、ここに彼等の苦惱が存在するのであり、太平洋作戰が議題に上つてカサブランカ方式に幾分の修正が加へられるのが關の山であらう。けれどもチユニジア作戰の終了した結果反樞軸側の海軍力にある程度の餘裕を生じ、敵海米英が之を利用して印度洋方面、或は太平洋方面に蠢動するであらうことは想像に難くないところである故、我我は米英今後の蠢動に對しては充分の警戒を怠つてはならぬ |
02 | 龐將軍大悟の日 洞窟內に遠來の友迎へて 壯‧田中少尉の決死行 |
03 | 皇后陛下 大宮御所に行啟 |
04 | これが戰ふ海軍魂(四) 傳統の偉大さ語る大湊勇士 裝藥抱へて海中へ 一瞬閃めく滅私精神 |
05 | 島民の志氣愈旺盛 長谷川總督の着京第一聲 |
06 | 總督福岡安着 少憩の後直ちに東上 |
07 | 總督訓示傳達 |
08 | 藤村知事の 竹南郡視察 |
09 | 復舊建設目覺し 共榮圈內の通信略完成 |
10 | 熱血は愈よ滾る 島都の海軍志願兵講演會 |
11 | 全山醜の御楯へ “み民われ”決意固し |
12 | 赤誠献金十三萬圓 煙草販賣業者が醵出 |
13 | 滿場の勇士爆笑 “新笑演舞隊”公會堂で熱演 |
14 | 六日目勝負 |
15 | 皇奉の活潑化へ 時局即應の行事實施 |
16 | 新竹州警察部異動 |
17 | 畫劇講習會 |
18 | 理山史編纂 調查係長に東海林氏を起用 |
19 | 花蓮郡奉公委員會 |
20 | 驛擴張、急行 停車を要望 |
21 | 羅東郡の清潔 |
22 | 海洋美術展に入選 |
23 | 全國壯丁皆泳 必成訓練 |
24 | 人事‧消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 屏東の健兒ら起つ 譽れの海軍志願兵目指し 警防團全員志願決議 |
02 | 建艦献金募集 大武青年團千歲分隊 |
03 | 志願者續出 通宵の健兒 |
04 | 海軍志願兵制謳歌 各地の慶祝繪卷 |
05 | 教育道に挺進 新化郡教育研究會 |
06 | 推肥增產に督勵班 食糧增產に桃園郡驀ら |
07 | 大溪藝能挺身隊 晴れの結成式擧ぐ |
08 | 上下一心一體たれ 增產の秘訣茲にあり |
09 | 防空懇談會 |
10 | 志願兵を慰問 |
11 | ポストが應召 彰化局管內木製に |
12 | 模範防空壕 桃園郡で構築 |
13 | 結核療法講習 |
14 | 桃園郡下警防團の查閱 |
15 | 二十年の晝酒 さらりと止めて 米英擊滅造船大工敢鬪 |
16 | 模範防空群表彰 きのふ臺中警察署で |
17 | 敵の謀略封鎖 臺南で防諜壁新聞募集 |
18 | 皇民塾講師講習 |
19 | 燃料報國運動優良者表彰式 |
20 | 畜產打合 |
21 | 市民の士氣昂揚 臺南で記念講演 |
22 | 左鎮庄奉公委員會 |
23 | 中和產組總代會 |
24 | 桃園國語の家 五十二名認定 |
25 | 感激を献金に 嘉義市民が續續と |
26 | 防空施設強化 嘉義で貯水槽增設 |
27 | 嘉義市民の赤誠 慰問雜誌千餘冊集る |
28 | 野鼠の殲滅戰 殊勳のワン公表彰 |
29 | 葬費を節約献金 |
30 | 派遣看護助手 臺中を出發 |
31 | 啞女毆打事件 |
32 | 帽子編み講習 |
33 | 耕地防風林を視察 |
34 | ひらめが出廻る |
35 | 適正配給打合 |
36 | 臺南春競馬 第三日の成績 |
37 | 人事報社消息 |
38 | 地方多より |
39 | 今日の映画演劇 |
40 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 二期米の生產目標 五百廿萬餘石に決定 殖產局作付割當會議終了 |
02 | 郵貯遂に一億圓突破 銃後貯蓄戰へ島民總進軍 |
03 | 商工組合法解說(一) |
04 | 日本交易協會設立 昨日創立總會を開催 |
05 | 簡保契約減少 申込書不足の為 |
06 | 郵便主任會議 昨日遞信部で開催 |
07 | 鹽糖の產糖高 二百六十七萬餘擔 |
08 | 第二四半期 輸送協議會 |
09 | 蘇澳造船事業開始式 |
10 | 經濟手帖 |
11 | 砂糖滯貨減少 最高千百十六擔 |
12 | 照明燈 |
13 | 商況(十七日後場) |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(966)/黃得時;碇政彌 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 當然の心境の變化 蔣軍の大部分を搖がさん 龐孫兩將軍の歸順谷萩報道部長談 |
02 | 圖像:南方視察を終へて歸國した青木大東 亞相(福岡にて) |
03 | カサブランカ方式の 全面修正を主張 ボ記者、米紙上に所見開陳 |
04 | 龐將軍の決意 記者團と一問一答 |
05 | 剿共戰愈よ最高潮 北部太行山脈判明の戰果 |
06 | 對華新方針具現へ 谷新大使決意の披瀝 |
07 | 晉察冀掃蕩戰 わが綜合戰果 |
08 | 抗戰の迷夢 日に日に崩壞 鮑將軍の談話 |
09 | 佛租界返還 細目取極ね式終了 |
10 | 治外法權の撤廢 近く完全實現せん |
11 | 獨空軍の攻勢熾烈 東部戰線各地で活躍 |
12 | レニングラード 砲擊戰の詳細 |
13 | 反樞軸側の虛偽な報道 レ市攻擊に關し |
14 | 反樞軸空軍また 伊南部、シ島盲爆 偽裝爆彈を多數撒布 |
15 | 英本土を爆擊 ロンドンに火災起る |
16 | 赤機六九三擊墜破 |
17 | インド新たに 課稅制度採用 |
18 | 英軍ゼ島占領 |
19 | 王揖唐氏關西へ |
20 | 通信現業局長會議 |
21 | ジ勞働組合長 態度強硬 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 女子も檢定の對象 男子には新たに“水泳”を追加 體力章檢定要綱通牒 |
02 | 適齡者は受けよ 西村文教局長語る |
03 | 無敵海軍の生立ち(六)五‧五‧三比率で育む 信條は只一つ米英打倒 |
04 | 翼贊勉強に來た 後藤さんも居るので心強い 入京した山本總長談 |
05 | 必勝の精神昂揚 決戰下の海軍記念日行事決る |
06 | 市長、郡守署長會議 劈頭總督訓示を傳達 |
07 | 皇奉新竹支部參與委員會 |
08 | 內務省委員一行南下 |
09 | 交通量を調查 市民の協力要望 |
10 | 美術文化の新態勢 指導兩團體けふ誕生 |
11 | 圖像:椰子の葉茂る〇〇基地にて出動待機の我が水上機(南太平洋〇〇基地にて) |
12 | 漫畫展の献金 繪葉書賣上金共に献納 |
13 | 罷業再開は必至 十八日夜半で停止期限滿了 米政府の努力空し |
14 | あすから基隆で開く |
15 | 人より一倍働く それが戰爭に勝つ要締 |
16 | 解決の兆なし 米國の炭礦爭議 |
17 | 舞鶴市を設置 |
18 | 臺灣協和會結成 在住半島人集ふ |
19 | 八日目取組 |
20 | 全勝力士僅か五名 |
21 | 嗜好食品行商組合献金 |
22 | 蚊帳蠅帳配給 |
23 | 今晚の放送 |
24 | 興南案內報社消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 據點モンドウ占領 敵機擊墜破五五二、船舶三九 アラカン方面五月十日までわが綜合大戰果頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(五月十八日十六時) 一、帝國陸軍部隊は五月十四日十四時印緬國境ナーフ河畔の敵據點モンドウを占領し、爾後の作戰準備中なり 二、昨年十二月下旬アラカン方面の作戰開始以來五月十日迄に收めたる綜合戰果次の如し 1、遺棄死體六、四一四(我軍にて收容埋葬せるもののみ) 2、俘虜五七四(內英國兵相當數あり) 3、撃墜せる敵飛行機三二七機(中地上火器によるもの一一八機)擊破炎上せしめたる敵飛行機二二五機 4、各種火砲二◯七門 5、重輕機四五九挺 6、小銃、拳銃四八九七挺 7、戰車裝甲車八三輛 8、自動貨車二五五輛 9、撃沈破せる船舶三九隻(內一千噸級十六隻)其他彈藥、糧秣、被服器材等多數 三、本作戰に於ける我が損害は戰死七一四名、戰傷一三六四名、飛行機四八機なり |
02 | 敵反攻據點悉く覆滅 アラカンの夢、ビルマ奪還 |
03 | 堂堂と無血の入城 |
04 | 大東亞重要資源の 急速なる戰力化 交易、藥品配給兩計畫決定 |
05 | ラ佛首相演說 |
06 | 敵死傷三萬に上る 敗因は印度兵の非協力態度 |
07 | 日本の援助で獨立達成 投降のインド兵と一問一答 |
08 | モレスビー爆擊 |
09 | 定例閣議 |
10 | 反樞軸軍司令部の發表 |
11 | 我將兵の意氣軒昂 米英空軍の弱體振りを暴露 |
12 | 谷萩報道部長談で 米の希望觀測粉碎 |
13 | 北阿、食糧不足に當面 |
14 | 米國の輿論不安 アツツ島情報の貧困 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 米穀納入組合等の課稅問題社說 一 決戰體制確立の刻下に於て國家財政が大部分公債に依存するより外なきは誠に已むを得ざるところであるが、苟くも擔稅能力があり且つ國民生活に脅威を與へざる限りに於て出來る丈稅收入の增加を圖る事はこれ又決戰租稅政策の至上命令でなければならない。殊に充分に擔稅能力を有するものから若し課稅せざる場合は必ずや濫費を生じ恐るべきインフレーシヨンの一契機となるであらう事はこれ又經濟上の常識である。ところが本島に於ては最近經濟統制の必要から組織された各種統制團體は多 くは法人格を有せざる民法上の任意組合であるが為課稅の對象となる事が出來ず勢ひ出資組合員に對して其の持分の收益額に相當する所得課稅を取らざるを得ざる狀態にある。然るに臺灣雜纖維集荷配給統制組合の如く其の收入は總て組合員から手數料を徵收したものであり、且つ將來解散しても其の出資金等を組合員に拂戻せざる事を約束した特異な團體であるが、若し其の利益の保留金に對して課稅する場合は組合員は二重三重の負擔を課せられる事となる。かかる特殊組合を監督官廳が組織させる際に殆ど稅金の面から考慮せざるものの如きは誠に遺憾に堪へない。此の點に關して早急に何かの形で、其の是正改革を要望せられてゐる事は故なしとしない 二 次に各州廳米穀納入組合組合員は從來の籾摺業及農倉經營の產業組合であるが、僅かな信認金以外に出資金といふものがなく、これも何等法人格なき民法上の任意組合でありながら其の事業純益が全島を通じて年三百萬圓以上の巨額に上つてゐる。勿論尨大な經費を差引いた純益であるが、今のところ尚課稅の對象になつてゐない模樣である卽ち其の剩餘金は組合員に分配すべき性質のものでなく且つ組合員に對する課稅の標準を決める事が出來ないが、かかる呑舟の魚を逸しては決戰下の財政政策を確立する所以でないと信ずる。大體當局が各種統制團體を組織する際には出來るだけ安易な方法を取つて來た結果、民法上の任意組合を以て重大な商行為を為さしめてゐるから、かくの如く課稅上の疑義を生ぜざるを得なくなつたのである。最近組織された臺灣貿易會の如きも出資金なき任意組合でありながら本島對外貿易の大部分を經由させ然し一五%の委託手數料を徵收しながら何等法人格を持たざるため將來必ずや上記の如き課稅問題を生ずるに違ひない。これらの組合はいづれも巨額の收入があり就中各州廳米穀納入組合が最も擔稅能力を有し、且つ巨額の稅金を課し得る對象であると思はれるから、稅務當局に於て一日も早く此の問題を合理的に解決すべき事を提唱せざるを得ない。 |
02 | 皇后陛下 慈惠會に行啟 關係者恐懼感激 |
03 | 南方作戰と建設に 本島民が參加協力 長谷川總督東京で語る |
04 | 興亞運動再出發 新に中樞機構を設置 |
05 | 海鷲搖籃の聖地へ(一) |
06 | 土埔航空隊 “一擊必殺”の鬪魂 大空睨んで羽搏く |
07 | 二百餘戶近く完成 分讓、貸住宅豫約募集 |
08 | ジヤカルタのヨイ子供 |
09 | 興亞同盟發展的解散 |
10 | 醫藥品需給確保 愈よ本格的計畫へ |
11 | 赤ちやん用石鹼 來月から全國に特配 |
12 | 內臺航路安全策 熊岡氏調查に來臺 |
13 | 七日目勝負 |
14 | 鳥海市長、堆肥增產陣頭指揮 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 志願手續と献金殺到 “海の兵”に嘉義の青年蹶起 |
02 | 建艦献金募集 屏東の日婦街頭へ |
03 | 垂範の決意を披瀝 奉壯團臺中州支部結成一周年記念式 |
04 | 護國神社祭 嘉義の行事 |
05 | 勅語奉讀式擧行 記念日の廿二日に |
06 | 各地の慶祝 |
07 | 市郡視學會議 |
08 | 一層の努力望む 知事團長打合會で挨拶 |
09 | 大溪の競技會 |
10 | 白衣の天使出發 |
11 | 海運戰士慰問に 素晴しい計畫 高雄船員後援會で |
12 | 大溪青年學校開校式 |
13 | 南方棉作技術者養成講習 |
14 | 觀音の野球戰 |
15 | 比島現地報告(一) 棉作に自信ついた農民達 |
16 | 奉公團體查閱打合 |
17 | 決戰に擧郡挺進 農閑期を利用して農民指導 桃園郡の必勝體制 |
18 | 堆肥增產に馬力 |
19 | 南進の尖兵養成 嘉義特赦勤勞團近く結成 |
20 | 高雄出身の志願兵元氣一杯 慰問の有志ら語る |
21 | “臺灣一家で” 市長郡守署長會議で 坂口知事熱烈の訓示 |
22 | 國語新莊郡の建設 國語塾七五〇個所新設 |
23 | 共同收穫團結成 屏東市初の試み |
24 | 卅分で全員集合 いざの時に備へる 屏東市職員の非常召集 |
25 | 誓って忠誠披瀝 海軍志願兵制に感激して 嘉義の州市議から感謝狀 |
26 | 郡區司法保護委員會 彰化郡で結成式擧行 |
27 | 幹部指揮力強化 中等學校長が鍊成 |
28 | 北斗青年學校 晴れの開校式 |
29 | チフス豫防注射 |
30 | 慰安舞踊會 |
31 | 赤誠の献金品 |
32 | 立川宗孝氏告別會 |
33 | 地方多より |
34 | 訃文:立川宗孝 |
35 | 今日の映画演劇 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 石油專賣實施要綱 全島關係官會議で打合 專賣、殖產兩局の共管に決定 |
02 | 關東州滿洲國及 中華民國の輸入稅減免 |
03 | 商工組合法解說(二) |
04 | 戰時生產に重點 屋上屋の統制機關改革 |
05 | 中小商工業再編成 近く府內協議會で打合 |
06 | 廢品統制會社 初配當六分を可決 |
07 | 增產の障害芟除 市長郡守會議で諮問 |
08 | 綿紡織機の南方移駐計畫 正式決定、業者に內示 |
09 | 鐵工業統制會總會 |
10 | 臺北商議所 臨時總會 |
11 | 鑛業規則の 全面的整備 |
12 | 地區青果配給組合 臺灣青果が近く買收 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況(十八日) |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(967)/黃得時;碇政彌 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 暴虐‧我病院船攻擊 七隻、九回に及ぶ 本年初頭より四月末まで |
02 | 敵據點を次次覆滅 太行軍區の共軍掃蕩 |
03 | 重慶側一大動搖 龐、孫兩將軍の和平通電に |
04 | 華北の重慶勢力 深刻な不安 |
05 | 貴院食糧事情 調查委員會 |
06 | 北阿戰の損失二十二萬 アトリ英下院で發表 |
07 | 資源の開發促進 民生安定を圖る 交易計畫の決戰的性格 |
08 | 反樞軸食糧會議開く |
09 | 非軍事施設を連日盲爆 反樞軸空軍の高價な攻勢 |
10 | 人事の交流を斷行 翼政、翼贊會の一體關係強化 |
11 | 洞庭湖周邊の戰果 重慶を焦慮せしむ |
12 | 圖像:弛みなき支那方面艦隊の猛訓練寫真は敵前上陸演習の陸戰隊 |
13 | 地方廳の機能發揮 內政部長會議第二日東條首相挨拶 |
14 | ドネツ中流渡河の 赤軍部隊を殲滅 |
15 | 兩軍の兵力移動顯著 赤軍モスクワ南方に集結 |
16 | 大攻勢即時開始 米民主黨上院議員要求 |
17 | 獨軍戰況發表 |
18 | 伊、諾上陸作戰を敢行 樞軸軍の兵力分散を圖るか |
19 | 佛租借還附の 細目取極內容 |
20 | 宋子文きのふ ル大統領訪問 |
21 | 反樞軸陣營の 神經戰を一笑 ガイダ主筆が |
22 | 反樞軸機二十七機を擊墜 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 民眾の幸福を圖る 日本の共榮圈經濟政策に對し バルガス長官感謝 |
02 | 憧れの大洋へ 海軍志願兵殺到 |
03 | 無敵海軍の生立ち(六) 怒濤蹴って七洋制霸 今ぞ起つ“海の若櫻” |
04 | 護國神社に献燈 |
05 | 臺北州下奉公運動 齋藤本部長が視察 |
06 | 第一線の熱意反映 市長郡守署長會議 |
07 | 追加豫算を審議 臺北州臨時州會召集 |
08 | 貯蓄昂揚の臨時常會開催 |
09 | 花蓮港支會參與奉公委員會 |
10 | 圖像:共產第十八集團軍殲滅作戰 |
11 | 偲ぶ“圖南の先驅” マニラ市に菅沼會館 |
12 | 婦人はモンペ服を |
13 | 海洋思想を普及 島民皆泳運動の展開に先立ち まづ指導者を鍊成 |
14 | 港都に瓦斯 商議所で復活を立案 |
15 | 就職の斡旋、研究 島都に皆働協會設置 |
16 | 增產に一役 可憐な制服の處女 |
17 | 海洋青少年養成所修了式 |
18 | 空の護りに萬全 港都で國防訓練講習會 |
19 | 新竹學徒奉公團幹部鍊成會 |
20 | 蘇澳造船株式會社 |
21 | 全社眾の名譽 高砂族義勇隊遺語る |
22 | 花蓮港高女 十粁マラソン |
23 | 醬油工廠宜蘭 指定誘致運動 |
24 | 新竹市豚肉配給方法變る |
25 | 九日目取組 |
26 | 新高山、勝名乘り |
27 | 今晚の放送 |
28 | 商況(十九日前場) |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 建甌飛行場を襲ふ 軍事施設を猛爆粉碎頭條新聞 【◯◯基地十九日發同盟】我が荒鷲部隊は十九日絕好の爆擊日和に惠まれ大擧在支米空軍最前線基地たる建甌飛行場を空襲、又もや多大の戰果を收めた、即ちこの日我が新銳爆擊機編隊は○時◯◯基地を進發堂堂の隊翼陣を張つて建甌飛行場に進攻し熾烈なる敵對空砲火を冐しつつ敵飛行場に敢然急降下爆擊を加へ修理中の滑走路に全彈を命中せしめこれを木葉微塵に粉碎した後更に機首を轉じて市外軍事施設を爆碎炎上せしめ全機無事歸還した、建甌飛行場は在支米空軍が對日空襲の最前線基地として豫ねてより整備擴充に努めてゐたが去る四日並に八日の二回に亘る我が荒鷲の猛爆によつてその軍事施設滑走路等は悉く潰滅するに至つたので敵はその後更に滑走路の修理復舊に狂奔しつつあつたものであるが今回の爆擊により同飛行場は又もや完全に使用不可能に陷るに至つた |
02 | 常德第三次の爆擊 |
03 | 暴虐敵米英の蠻行 度重なる我が病院船攻擊 敵の卑劣、堀部長銳く剔抉 |
04 | 圖像:南太平洋を制壓する我が海鷲の大編隊 |
05 | 帝國政府嚴重抗議 スイス政府を通じて |
06 | 皇軍の奮戰を絕讚 米國軍の企圖脆く潰え去らん アツツ島の戰況獨紙の見透し |
07 | 不眠不休の夜行軍 湖南作戰從軍の記 |
08 | 上陸の經緯を 繰返すに止む 米海軍省公表を發表 |
09 | 敵の意識的殘虐 擊滅で酬ひるのみ |
10 | 徐州攻略の記念日 勝ち拔く決意を新に |
11 | 蔣軍五十萬を擊破 笹路部隊長は語る |
12 | 貴院研究會の會合 |
13 | 建設工作が進捗 坪上大使の南方視察談 |
14 | 米英擊滅に邁進 成吉思汗の生誕日 德王、決意を披瀝す |
15 | 內政部長會議最終日 |
16 | イーデン報告 下院秘密會で |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 龐孫兩將軍の和平參加社說 一 北支唯一の蔣介石直系軍として河南、山西省境に反抗を續けてゐた第二十四集團軍軍長龐炳勳並に新編第五軍軍長孫殿英兩將軍が飜然抗日の迷夢から醒めて重慶政權を離脫し、欣然として和平陣營に參加したことは、新中國のため延いては大東亞全體のため洵に慶賀に堪えないところである。支那事變以來集團軍軍長の國府陣營參加は龐將軍を以て嚆矢とされるが、旣に意義なき抗戰を放棄して和平陣營に參加した重慶軍の將領も決して少なくはない。未だ抗日の迷夢醒めざる重慶側に一大衝動を與へ、蔣系軍に一大反省の絕好の機會を與へたものと云つてよからう。今や大東亞共榮圈建設のため一方に米英擊滅の征戰を進めつつ一方に重慶陣營の剿滅を敢行しつつある秋、重慶軍有力將領の覺醒による國府參加はまさに抗戰陣營の著しき戰力低下を來さしめ國府の躍進强化と共に愈よ建設工作の活潑なる展開を促進するに至るであらう。 二 今次の龐、孫兩將軍の歸順によつて明らかなる如く、蔣政權の抗日が如何に無意義で矛盾に滿ちたものであるかが益益暴露せらるるに至つた。帝國が支那事變から今次の大東亞戰爭に至るまでの經過を一瞥しただけでも判る通り帝國の目的はあくまで大東亞をして本然の姿に還らしめ共存共榮の新秩序を建設せんとするところに在つた。然るに大東亞を永久に半殖民地化し以て搾取を慾しいままにせんとする米英勢力は必然的にあらゆる惡辣な妨害を策するに至つた。斯くして支那事變は勃發し、大東亞戰爭にまで發展するに至つたのである。大東亞戰爭の敢行によつて帝國の崇高なる戰爭目的はより一層明確にせられ、しかも現實に大東亞諸地域に於て興亞聖業の逞ましき建設が着着と美はしき實を結びつくある現況に對しては、如何に頑迷なる重慶陣營といへども真に憂國の具眼の士の眼を蔽ひ去ることは出來ないであらう。茲に龐將軍其他有力なる重慶軍將領の蹶然として米英の傀儡でしかない蔣政權を離脫せしめた所以が存すると思はれる。 三 龐、孫兩將軍の今次の行動はその和平通電に見る如く、宇內の大勢を達觀し民意の趨向を推察した結果として、和平陣營に參加するに非されば東亞安定の道なく、共匪を剿滅するに非ざれば和平を促進するの術なしとの認識を新たに而して國府を絕對擁護し友邦日本を絕對信賴して米英を打倒し大東亞共存共榮の道を達成せんとの固き信念に基くものである。これはとりも直さず同生共死の一體的觀念にまで高められた日支兩國の關係と國府政治力の充實强化並に治下民眾の更生を目の邊りに見て、抗戰救國を唯一の看板とする重慶側の政策的矛盾を自覺し、今や抗戰名目を消滅したるのみならず完全なる米英の傀儡化して遂に東亞の反逆兒に墮した蔣政權に對する東亞人當然の反撥に他ならぬのである。斯くして覺醒せる重慶軍將領をして抗戰救國の矛盾を自覺せしめ、救國の道は抗戰以外に存するそれは和平救國でなければならぬことを叫ばしめるに至つたことは、明らかに重慶陣營の思想的混亂を露呈すると共に東亞人としての自覺に立還る者の漸く多きを示唆するものであつて、蔣系軍反省の一大好機到來と云ふべきであらう。 |
02 | 國民敢鬪の實況台覽 畏し皇后陛下都下に行啟 |
03 | 皇軍の一兵として 日夜鍊磨に精進 その後の陸軍志願兵 |
04 | 繰展ぐ“敢鬪精神” 眉宇に一死奉公の決意 |
05 | 若櫻と一問一答 今ぞ知る“沒我精神” 嚴格の中に溢るる優しさ |
06 | 微笑しい內臺一如 指導教官らも感嘆 |
07 | 軍需生產に有難き思召 東條陸相謹話 |
08 | 小泉厚相謹話 |
09 | 安藤內相謹話 |
10 | 黃麻作面積確保 花蓮港廳の割當決る |
11 | 佛印の輕工業有望 木下大使府顧問寄臺 |
12 | 圖像:その後の若櫻 |
13 | 八日目の勝負 |
14 | 好調續ける松浦瀉 |
15 | 酒值上げ差益を献金 |
16 | 戰時災害保護法運營懇談 |
17 | 人事‧消息報社消息 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 至誠迸る萬華鏡 志願宣誓‧兄弟志願など 軍艦旗に集ふこの熱血 |
02 | 起て若人‧時ぞ今 全員志願に講演に赤誠披瀝 屏東市民感謝大會 |
03 | 高木司令長官に 海軍志願兵制御禮挨拶 |
04 | 圖像:立體畫劇活動紙人形芝居 |
05 | 收穫に應援團 勤勞精神の體得に |
06 | 迷信を一掃 皇奉彰化市支會業者と懇談 |
07 | 沸ぎるお山の赤誠 “海の兵”へ續續と嘆願 |
08 | 農務主任打合 |
09 | 警防團檢閱 |
10 | 木炭增產推進へ 臺南州で激勵慰問 |
11 | 中壢の慶祝 |
12 | 志願兵慰問 |
13 | 援護會評議員會 |
14 | 旗山の慶祝 |
15 | 藝能奉公會 臺南で結成打合 |
16 | 澎湖島からお魚 臺中州へ月三萬斤 |
17 | 鄉軍馬公分會總會 |
18 | 市長郡守署長 會議終る |
19 | 志願者全員合宿 高雄州下の志願兵 |
20 | 臺南乘合バス 臺南關廟間 增發を要望 |
21 | 商奉豐原郡支部 晴れの發會式を擧行 |
22 | 開校式二つ |
23 | 農產物檢查所 潮州郡に設置 |
24 | 臺東街の海軍 志願兵制祝賀 |
25 | 皇奉新化街 參與委員會 |
26 | 貯水池を建設 土掘りに青年團奉仕 |
27 | 赤誠の献金品 |
28 | 路竹に郵便局 地方の要望實現 |
29 | 謎の夜盲症 調查研究に葉山氏來臺 |
30 | 潮州分會參與委員會 |
31 | 商工業組合豐原郡支會總會 |
32 | 歐洲映畫界の近況 |
33 | 慰安會開催變更 |
34 | 水里國民學校保護者會總會 |
35 | 飛込み自殺 |
36 | 競馬延期 |
37 | 地方多より |
38 | 今日の映画演劇 |
39 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 四億圓貯蓄達成に 各種實施方策を協議 昨日全島主務課長會議終了 |
02 | 商工組合法解說(三) |
03 | 金融機關別の 增加目標決定 |
04 | 本期新式工場產糖 千七百三萬三千擔 前期より百三萬三千擔減少 |
05 | 灣糖の產糖實績 四百四十九萬二千擔 平均步留一二%三八 |
06 | 十億圓突破記念行事 六月下旬全島的に實施 |
07 | 籾蒐集會議 高雄商工獎勵館で |
08 | 臺東製糖增產 廿六萬四千擔に上る |
09 | 清酒、麥酒の移入 割當數量略決定 桑山酒課長歸臺談 |
10 | 土地收用規則改正 國防產業用地に適用 |
11 | 乾電池工場竣工 |
12 | 照明燈 |
13 | 經濟手帖 |
14 | 商況(十九日) |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(968)/黃得時;碇政彌 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 目覺しい進捗振り 中、西ボルネオの建設 |
02 | 米機、又病院船襲ふ 白晝公然な暴虐行為 |
03 | 朝鮮は北門の基地 徵兵制度は未だ準備時代 小磯總督の入京談 |
04 | 圖像:ビルマ防衛軍前線に活躍 |
05 | 歐洲上陸は困難 反樞軸軍神經戰に躍起 |
06 | 赤軍の攻勢を擊退 イジユーム地區で |
07 | 獨軍突擊隊 果敢な強襲 |
08 | 太平洋反攻論 チ議員演說、米紙報道 |
09 | ニユーギニア爆擊 |
10 | 敵機擊墜一萬機に達す 開戰以來、獨空軍高射砲隊の戰果 |
11 | 獨潛艦の戰果 |
12 | 反樞軸十三機喪失 |
13 | ドイツ空軍 英各地を爆擊 |
14 | 倫敦、長時間空襲 |
15 | 來襲敵機を擊墜 小癪‧湖南前線に飛來 |
16 | 吉田司令長官 上海に歸着 |
17 | チ、ポ兩國間の 同盟交涉中止 |
18 | 日本軍の脅威を指摘 ス英自由黨議員論ず |
19 | 行政查察 第一回の日程終る |
20 | 上海、漢口間 直通電語完成 |
21 | 十一歲の少年まで動員 蔣介石正に公敵 |
22 | ブとも國交斷つ チリー政府發表 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 護國神社の合祀祭 重久中佐以下三百八十三柱 廿二日嚴かに執行 |
02 | 親鷲が眠りし海ぞ この空は命にかけて護通さん 加藤軍神散つて一年 |
03 | 加藤軍神を偲ぶ部下座談會 部下思ひの部隊長(一) 安間隊長とは影と形の間柄 |
04 | 廈門の邦人雀躍 海軍志願兵制の快報に |
05 | 回收故銅鐵を献納 北投街民の赤誠 |
06 | 同胞の訓練道場 廈門武德館地鎮祭 |
07 | 軍馬慰問 |
08 | 必ず頑張ります 決意堅し‧譽の看護助手 |
09 | 宜蘭畫劇挺身隊講習會 |
10 | 石川訓練所長滿足げに語る 甲種合格七〇% 新竹健兒の熱誠躍如 |
11 | 兵への豫備訓練 好成果收めて終了式 |
12 | 無敵海軍の敢鬪 「海軍戰記」愈よ公開 |
13 | 除草の手傳ひ お山の麗しい軍援風景 |
14 | 逞しい皇民體操 主事達を通じて普及へ |
15 | 大學も內申書重視 大學高校連絡會議決定 |
16 | 護國神社遙拜 臺南市の行事 |
17 | 聽眾に深き感銘 海軍志願兵講演會 |
18 | 至高の警防精神 愛兒の危篤秘して訓練へ |
19 | 陸軍少年學校生徒募集 年齡引下げ、締切り期日延期 |
20 | 基隆市ガス事業復活の打合 |
21 | 十日目取組 |
22 | 棉花增產へ 甘藷の間作でも結構 |
23 | 青少年團打合會 |
24 | 人事‧消息報社消息 |
25 | 今晚の放送 |
26 | 商況(二十日前場) |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 長驅梁山を猛爆 全機凱歌奏しつつ歸還頭條新聞 【◯◯基地二十日發同盟】在支米空軍の擊滅を期し連日全支那を壓して鵬翼を張る我が航究部隊の精銳は二十日早朝戰爆連合の大編隊を以て長驅四川省梁山に對し本年最初の攻撃を敢行多大の戰果を收めて全機無事歸還したこの日朝靄立ち罩める◯◯基地を大擧進發した荒鷲群は四川省特有の密雲と峻嶮を突破して◯時目指す梁山上空へ進入した、我が曉の奇襲に狼狽した敵防禦砲火は全砲門を開いて咆哮し來つたが各編隊は悠悠飛行場及び市街の中樞軍事施設に對し夫夫所定の目標に必中の巨彈を浴びせ全彈を命中、數十個所を爆破炎上せしめ徹底的にこれを破壞した敵機は我が進攻に怖え逸早く遁走し我に挑戰するものなく全機凱歌を奏しつつ悠悠基地へ歸還したのであつた |
02 | 我荒鷲建甌を連爆 |
03 | 敵を隨所に殲滅 再建を企つ魯蘇戰區に鐵槌 |
04 | 徹底的打擊受く 敵第十集團軍の五個師 |
05 | 米空軍の盲爆 廣東出身の要人非難 |
06 | 言動を律する基準 戰爭完遂に副ふや否やに置く 日本新聞會評議員會天羽情報局總裁挨拶 |
07 | オロ灣を爆擊 |
08 | 獨英の空爆激化 |
09 | 圖像:谷大使汪主席を訪問 |
10 | 明日の決戰に即應 國民鍛鍊要項決る |
11 | 清鄉事務處を新設 |
12 | 殘敵を粉碎戰果擴大 北部太行山脈一帶を掃蕩 |
13 | 罎詰製品の 新公價を告示 |
14 | チヤーチル演說 米國上下院合同會議で |
15 | 北阿佛叛軍 ガリト島占領 |
16 | 日本本土の空襲 效果を收め得ず 週刊誌タイムが指摘 |
17 | 米政界は失望 |
18 | ソ聯も重視せず |
19 | カトリツク教を理解 原田公使記者團に語る |
20 | 國際政局前途 トルコ重大關心 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 共同社會の理念に就て社說 一 ドイツの社會學者テンニイスは人間社會を二つの根本的な型に區別してゐる。彼に從へばアリストテレス以來の學說の通り、人間は社會的動物であり、社會生活を營むことなくして、その生活を維持して行くことは凡そ不可能であるが、人間の社會生活には血緣、土地、傳統、歷史、信念等を紐帶として成立せる共同社會と相互の利益を中心として成立せる利益社會の二つの根本的な型がある。共同社會は人間生活にとつては極めて原初的なものであつて、家族、村落共同體、宗教的結社等がこれに屬し、利益社會は近代になつて發達したものであり、その典型的なのは營利會社、法人、組合、政治團結等であると云ふのである。この分類については、勿論一部の社會學者の間で反對の議論がないわけではない。それは共同社會と利益社會の境界線がしかく明瞭に引けないと云ふことと、利益社會に於ても人間の共同の形式は存在してゐると云ふのである。 二 併しかかる社會學上の專門的問題は暫らく別問題として、彼の会ふ共同社會と利益社會の理念を現在我國の全體的動向と照し合せすれば、そこには極めて多くの示唆的な意味が盛られてゐることを發見することが出來る。卽ち結論を先きに云ふならば、現在我國に於て澎湃として湧き起つてゐる國內新體制運動の最も重要な思想的支柱の一つは、利益社會の揚棄と共同社會の理念の具體化であると云ふことが出來る。共同社會は人間生活にとつて最も原始的にして且つ基本的なものである。同一の血で結ばれた家族、相互扶助制を維持して居た原始村落共同體、宗教的祭神並に同一種族の觀念を紐帶とする原始的種族社會は明かに共同社會の範疇に屬する。併し歷史の進展と共に先づ種族共同社會が亡び、村落共同體が失はれ、僅かに古代から殘る共同社會としては家族制度のみとなつた。而してこれらの共同社會の衰滅にとつて變つたのは利益社會である。特に近代に於て自由主義と個人主義を基調とする資本主義が發達するに及んで、人間生活は全く利益社會的觀念に支配され、且つ塗り潰されて了つた。利益社會の根本的觀念は個人の利益第一主義のところにある。人は自己の利益のあるところに於て結合し、その利益の失はれた時は分離する。卽ち人と人の關係は單なるその個人的な利益に依つて結ばれるのである。 三 この利益は現代に於ては金錢によつて代表される。人はその利益の象徵として金錢を追求する。人と人の紐帶が金錢となつた時、人は打算的となり、人間關係を算盤ではぢき、それを數字の多少に還元するのである。人間が人間を商品と同樣に取扱ふのである。かくて人人は國家社會の全體を忘却し自己の生活と運命については計算するが、自分の屬する社會、國家のことについては次第に考慮を忘れて了つた。甚しきは國家が生死の關頭に立つて、必死の戰爭をしてゐるとき、その戰爭を種にして所謂時局を利用して自己一身の利益を圖らうとする輩まで出現するに至つた。茲に於て曾つての種族共同社會、村落共同體、或は家族制度の根幹をなしてゐる理念と機構、卽ち飢ゑる時には凡てのものが均しく飢ゑ、榮える時には凡てのものが均しく榮える、所謂「同甘共苦」の理念と機構が國民的規模に於て再確立されなければならない。これが國民組織の再編成、或は國內新體制確立の要請となつて現はれて來たのである。だから國內新體制の確立、或は臺灣一家の建設は從來の利益社會的理念と組織を揚棄し、共同社會的理念と機構を再建し、我國特殊な歷史と傳統を生かした日本的な國民共同體の確立にあることは明かである |
02 | 本島統治に大御心 志願兵等につき畏き御下問 長谷川總督が委屈奏上 |
03 | 忠魂永へ安かれ 六百萬島民擧げて恭敬感謝 護國神社あす合祀祭 |
04 | 海鷲搖籃の聖地へ(二) 獅子奮迅の大活躍 續く“大空への思慕” |
05 | 御陪食仰付らる 臺灣、朝鮮兩總督に |
06 | 地域名の呼稱 逐次東亞本來の名稱へ |
07 | 利益金一萬圓を献納 |
08 | 圖像:齋藤本部長奉公運動を視察 |
09 | 奉公運動の第一線 國民服戰鬪帽の姿も颯爽と 齋藤本部長が視察 |
10 | 培ふ“不敗の態勢” 國防訓練大會十月九、十日に實施 |
11 | “凡ての人が隣同志” 青潭部落で溫い訓示 |
12 | 「至急」外の電報(內臺間) 二十日から取扱を中止 |
13 | 九日目勝負 |
14 | 訃文:林呂滄 |
15 | 臺南競馬 二十九日から |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 高雄に無軌道電車 電鐵會社設立に着手 |
02 | 本島交通界の 新紀元を劃す |
03 | 四柱合祀 合祀祭に擧市感謝 |
04 | 全市を海一色に 臺南の記念日行事 |
05 | 盛上る奉公熱 高雄支部で團體查閱 |
06 | 偲ぶ“此一戰” 嘉義の海軍記念日行事 |
07 | 二期米の增產 臺中州で割當協議 |
08 | 內務省委員 嘉義を視察 |
09 | 三萬の青年蹶起 誓つて海の兵を志願 |
10 | 警察忠魂碑祭 |
11 | 警防團長會議 高雄で開かる |
12 | 貯蓄戰で米英擊滅 大林庄の婦人貯蓄奉公 |
13 | 皇奉嘉義市支會委員會 |
14 | 先づ必勝祈願 臺中州市長郡守署長會議 |
15 | 玉井奉公委員會 |
16 | 大溪郡愛國女子看護結成 |
17 | 遺家族慰安會 |
18 | 篤農家に知事賞 青木產業部長 增產戰士を激勵 |
19 | 共同收穫團結成 屏東郡下一齊に |
20 | 收穫團指導に 郡が應援協力 |
21 | 比島現地報告(二) 東條首相迎へた市民の群 |
22 | 戰力增強打合 坡心信組で開く |
23 | 敢鬪する增產戰士の姿 樋口鳳山郡守視察談 |
24 | 玉里奉壯團 幹部打合せ |
25 | 善化奉公委員會 |
26 | 埔里北青年校 開校式を擧行 |
27 | 赤誠の献金品 |
28 | 嘉義醬油工業統制株式會社 |
29 | 献金 |
30 | 人事報社消息 |
31 | 地方多より |
32 | 今日の映画演劇 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 沿岸漁業並に養殖業 督府の振興對策決定 |
02 | 臺灣茶の轉換策 臺北州案提出さる |
03 | 商工組合法解說(四) |
04 | 戰時貯蓄債券 一億七千餘萬圓を發行 |
05 | 海底高壓送電線 明石海峽橫斷を計畫 |
06 | つづら藤の增產へ 督府の五ケ年計畫決定 |
07 | 臺灣產組聯合會 廿八日に總代會開催 |
08 | 生糸檢查を改正 等級整理新設で簡素化 |
09 | 照明燈 |
10 | 蘭陽地方に苧麻作 臺北州で積極的獎勵 |
11 | 認可申請中 南日本汽船會社 壹千萬圓を增資 |
12 | 商況(二十日) |
13 | ラジオ |
14 | 水滸傳(969)/黃得時;碇政彌 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | ガ島米陣地を猛爆 オロ灣に進攻粉碎 |
02 | 遞信事業の殊勳甲 遞信協會で表彰式 |
03 | 蔡駐日大使 信任狀捧呈 |
04 | 海戰樣相の變遷史(一) 武器の發達に從ひ 戰ひの樣式も變る/井上繼松 |
05 | 死傷者捕虜卅七萬 北阿反樞軸軍の損害 |
06 | 米英の相剋深刻 チヤーチル、米輿論緩和に大童 |
07 | 敵船二隻擊沈 伊軍司令部發表 |
08 | 圖像:湖南を征く皇軍精銳(陸軍省檢閱濟) |
09 | 反樞軸軍の 困難を暴露 チヤーチルの演說 |
10 | カナダ國防相 ワシントンへ |
11 | 「ドクー港」築港に着手 ハイフォン港に代る良港 |
12 | 問題に解答せず チヤーチルの演說 米政界不滿を表明 |
13 | 四頭會談を空賴み |
14 | 大政翼贊運動を 一段と強化擴充 內鮮滿連絡懇談會 |
15 | 戰機漸く熟す 獨ソ兩軍とも頻りに移動 |
16 | 太平洋軍事會議開かる |
17 | 東部全線活潑化 |
18 | 獨軍戰況發表 |
19 | 米海軍豫算 下院通過 |
20 | 英伊傷病兵の 交換を行ふ |
21 | 圖書館協會總會 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 胸に我が子我が夫 護國神社の合祀祭を前に 譽の遺族續續上北 |
02 | 護國神社へ石燈籠 臺灣軍將兵赤誠の献納 |
03 | 市バス臨時運轉 |
04 | 加藤軍神を偲ぶ部下座談會(二) 一路皇軍の礎石に 船團掩護へ決死の飛行 |
05 | “海の勇士”を志願 |
06 | 市民の健康增進 派出所每に囑託醫 |
07 | 總督代理が遺家族慰問 |
08 | 中等學生夏服 割當決る |
09 | 鷄卵二百個を献納 |
10 | 未成年者は御法度 禁酒禁煙運動近く開始 |
11 | 北支軍陣歿者 合同慰靈祭 |
12 | 必勝氣魄を培養 皇民體操の實演會 |
13 | 男も女も輕裝で 空襲に全市民備へよ |
14 | 第一線へ慰問袋を送付 |
15 | 廈門建設の礎石 戰歿勇士慰靈祭執行 |
16 | 高雄市橋仔頭右 沖間の道路竣工 |
17 | 臺灣協會午餐會 長谷川總督も出席 |
18 | 熱血全身に湧上る 目指すは甲種合格 陸志身體檢查始る |
19 | 義勇隊を志願 山の若人、六君が血判 |
20 | 第十二回彈丸切手抽籤 |
21 | 本年度簡閱點呼 全島の實施日割決る |
22 | 港都豆力士相撲大會 |
23 | 興南詩苑漢詩 小園初春家慈手植萬年青著花頗繁喜作/肇藩 高樹木、晴園觀梅次韻/高肇藩、立春後二日星社侶漫興/高肇藩、挹翠齋春望星社月例會作/高肇藩 |
24 | 今晚の放送 |
25 | 商況(廿一日前場) |
26 | 興南案內報社消息 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 山本聯合艦隊司令長官 壯烈な戰死を遂ぐ 後任に古賀大將親補頭條新聞 【東京發同盟至急報】山本聯合艦隊司令長官は南方最前線において全般作戰の指導中飛行機上に於いて壯烈なる戰死を遂げ後任には古賀峯一大將が親補されたる旨廿一日午後三時大本營より發表された 大本營發表(昭和十八年五月廿一日十五時) 聯合艦隊司令長官海軍大將山本五十六は今年四月前線において全般作戰指導中、敵と交戰飛行機上にて壯烈なる戰死を遂げたり 後任には海軍大將古賀峯一が親補せられ、既に聯合艦隊の指揮を執りつつあり |
02 | 武人最高の榮譽 山本大將に元帥の稱號を賜ひ 特に國葬を賜はる |
03 | 激戰最前線に進出 身を以て陣頭に立つ 矢野少將聲淚共に下る放送 山本元帥を偲びて |
04 | 橫鎮司令長官に 豐田大將親補せらる |
05 | 全海軍は憤然蹶起 愈よ凜烈の戰意昂揚 |
06 | 三笠宮家から御使 榮譽の元帥邸弔問客相次ぐ |
07 | 嶋田海相談話 山本元帥不滅の武勳 帝國海軍敵擊滅の決意固し |
08 | 國葬は國家の儀式 戰死して國葬は山本元帥が最初 |
09 | 大勳位功一級 內閣より發表さる |
10 | 山本元帥の遺骨 水交社に安置 |
11 | 元帥の陣頭指揮 海鷲出發前の基地風景 |
12 | 守屋少將戰病死 中將に進級發令 |
13 | 故元帥山本大將略歷 |
14 | 輝く元帥の恩命 臣下で十七人目 |
15 | 眾院、弔意の緊急協議 |
16 | 翼贊政治會 弔意を決議 |
17 | 古賀司令長官の略歷 |
18 | 豐田大將略歷 |
19 | 吉田司令長官 感慨無量 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 木材組合と當局の態度社說 一 此程臺灣建築協會の總會席上に於て福間府山林課事務官は現下の木材需給の概要について說述し木材消費者の協力を要望してゐるが木材統制に關し幾多改善さるべき點が指摘されてゐる折柄反響を呼び起してゐる。最近軍需に生擴用に木材の需要が頓に增大して來たにも拘はらず從來年年多量に上る島外材の移入杜絕により本島に於る木材の需給が極めて均衡を失してゐることは周知の如くである。これが為に臺灣木材配給組合を中心とする重點的配給統制が斷行されたわけであるが配給統制の主要對象たる特殊用材が所期に反して組合の取扱より除外されたとはいへ配給統制が全然無意義ではないこと言ふ迄もない。從つて木材の配給統制について疑問を持ち不平を抱く者があるならば福間氏の言へる如く「自由主義的資本主義經濟に戀戀たる女女しき愚痴か然らずんば正視しても見えざる明盲と謂ふべき」であらう。しかしその疑問なり不平なりが果して配給統制の趣旨に對するものなるか又は運用それ自體に對するものなるかはこの場合大いに究明する必要があると謂はなければならない。 二 事實木材の配給統制についてはその必要性を認め乍らもその運用について多大なる疑問をもつものが少くない。卽ち木材組合が莫大な利益を收め役員は統制會社一般に特有の浪費を重ねてゐるに反し個人業者が木材統制實施以來殆んど開店休業であるといふ不調和な現狀を見せつけられては訝がるのも別段不思議ではなからう。福間氏がいみじくも「木材販賣商は木材組合に仕事を奪はれたと憤慨する樣を見聞する所である」と言ふたがこれを以て業者の過去に戀戀たる女女しき愚痴か或は又正規しても見えざる明盲とのみ斷定し去るわけにも行くまい。況んや「全體主義統制經濟下に於ける落伍者と謂ふの外なく一面亦氣の毒な存在でもある」とは論斷しがたいもので組合役員の一部が不當に好地位に置かれてゐる現狀から見て府當局としてはかかる業者の不平を大いに檢討しその是非を明かにした上で善處すべきであることは言ふ迄もない。 三 更に統制木材の一部について適正價格を考慮中であると福間氏が言つてゐるがしかし木材組合が最早一種のトンネル式營利機關となり終つた今日木材の價格改訂は徒らにその中間手數料の手取を增大せしめるのみで生產增强とは何等の係りがないこと極めて明白な事實である。それ故に適正價格はむしろ組合手數料の低減によつてこれを實現せしめることが低物價政策のみならず木材配給統制の趣旨にも合致するものと言つてよからう。要するに統制經濟の强化に伴つて業種別に統制會社なり團體なりが設立されることは避け難い趨勢であるとはいへそれ丈に之が運營には一段の注意を拂ひ、かりそめにも世間の指彈を受けるが如きことがあつてはならない。にも拘はらず統制團體一般に通有する現象ではあるが組合の經理が極めてルーズに放任されてゐる現狀は組合が法的指定機關である丈に此際峻嚴なる再檢討を加へ當局の一層なる監督を要望せざるを得ない。木材組合が現狀のままで木材會社に發展的解消をとげるとするならば迷惑を蒙むるもの獨り木材業者のみではなからう。 |
02 | 陸航士卒業生に 列立奉拜の榮を賜ふ |
03 | 英靈入御の時間に 島民各在所で感謝の祈念 けふ護國神社合祀祭 |
04 | 遺族を墾るに弔問 西村、石井兩總督代理 |
05 | 長谷川總督 東條首相を官邸に訪問 |
06 | 逞しい鬪魂の權化 (一)元帥山本五十六 |
07 | 忝し破格の光榮 安田航空總監謹話 |
08 | 新竹州下の新祭神 |
09 | 遺族、參拜者の輸送計畫 |
10 | 有難き御下問拜し 恐懼感激に堪へず 司法官會同に列席した池內法長謹話 |
11 | 產組赤誠の献納機 來る廿九日献納命名式 |
12 | 圖像:南太平洋を制壓する海鷲大編隊 |
13 | 皇奉職員連絡會 |
14 | 宜蘭神社復舊造營 奉贊會發起人會 |
15 | モンペ姿も勇し 新竹市防空家庭群查閱 |
16 | 市長、郡守會議 花蓮港廳きのふ開く |
17 | 追加豫算を可決 臺北州臨時州會閉幕 |
18 | 國講所を增設 花蓮郡國語普及に馬力 |
19 | 新竹臨時州會 二十五日開く |
20 | 頭圍庄青年の臨戰訓練 |
21 | 青少年團の結成 五月一杯に終了する建前 皇奉支部主事會議 |
22 | 柴山警察部長が お山の遺族弔問 |
23 | 鬪ふ漫畫展 二十八日から新竹市で |
24 | 羅東街警防打合會 |
25 | 演劇脚本募集 |
26 | 今後は電車時代 發起人杉山氏語る |
27 | 臺灣電氣交通株式會社 內地側發起人 |
28 | 羅東郡教育總會 |
29 | 堆肥審查會 |
30 | みたみ體操講習會 |
31 | 十日目勝負 |
32 | 訃文:增澤深治 |
33 | 人事‧消息報社消息 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 收穫も百姓隣組だ 乙女らも脂粉を一擲して 農村一家の共同鎌入れ |
02 | 輝く不滅の武勳 高砂義勇隊員戰死者發表 |
03 | 遙拜式を擧行 臺南市で嚴かに |
04 | 賞賜物件傳達 |
05 | 五月に刈入れるセレベスの稻 |
06 | 順調な收穫 |
07 | 搖がぬ防空陣 嘉義の警防團檢閱 |
08 | 總督訓示傳達 |
09 | 遺族を弔問 本田嘉義市長 |
10 | 永康庄警防團查閱式 |
11 | 海軍へ!海軍へ! 續續と手續き提出 |
12 | 連判狀で志願 海の兵に嘉義の青年躍起 |
13 | 實業補習學校長會議 |
14 | 勇壯な短艇競漕 偉勳偲ぶ盛り澤山な行事 高雄の海軍記念日 |
15 | 全員合格目指し 高雄州志願兵合同訓練 |
16 | けふは水利記念日 增產には先づ水源 臺南で座談會開催 |
17 | 郡下で第一位 溪湖街の硬貨回收 |
18 | 楠西奉公委員會 |
19 | 南青年學校 晴れの開校式 |
20 | 鳥松奉北團 結成式を擧ぐ |
21 | 燃ゆる奉公熱 屏東式の團體查閱 |
22 | 工業誘致の對策 彰化市議と商議懇談會 |
23 | 恩給を全部建艦献金 燃ゆる江川氏の愛國熱 |
24 | 屏東實踐女開校 |
25 | 水利の愛護へ 新化郡の記念日行事 |
26 | 鳳山特設郵便局 盛んな開局式擧行 |
27 | 寶青年學校 開校式を擧行 |
28 | 決戰生活には 先づ迷信打破 業者に轉業促す |
29 | 堆肥の模範街 臺南から視察團 |
30 | 遺族が献金 |
31 | 國民學校新設 模範部落五里林に |
32 | 葬儀費を儉約献金 |
33 | 映畫隣組記 彰化で上映 |
34 | 匿名献金 |
35 | 人事報社消息 |
36 | 新商道確立に 商奉團幹部鍊成 |
37 | 地方多より |
38 | 今日の映画演劇 |
39 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 食糧の增產確保 政府の增產對策案決定 |
02 | 本年度バナナ生產豫想 三百六十一萬二千餘斤 |
03 | 臺灣木材組合 第一期の業績不良 |
04 | 米穀生產高調查 臺北州の新要綱決定 |
05 | 畜產馬畜事業實行計畫 全島關係官會議で協議 |
06 | 工作機械の型式 商工省で選出限定 |
07 | 堆肥增產好成績 |
08 | 生產割當打合せ 臺南州で勸業課長會議 |
09 | トマトの增產(高雄州) 甲當最高十二萬九千斤 |
10 | 簡保新加入運動打合會 |
11 | 臺灣貿易振 興株主總會 |
12 | 經濟手帖 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況(廿一日) |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(970)/黃得時;碇政彌 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 皇軍果敢なる反擊 我が將兵意氣軒昂 アツツ島戰況谷萩報道部長談 |
02 | 張國務總理談 山本元帥を悼む 世界に比類ない提督 英魂永く日本海軍の上に有り |
03 | 皇帝陛下 御親電發せらる |
04 | 蔡新中國大使 信任狀を捧呈 |
05 | 俊敏な近代的名將 山本大將不滅の偉勳 我が無敵海軍の誇り |
06 | 華北民眾の哀悼 朱深委員長談話 |
07 | “國民徵用援護會” 發會式を擧行新發足 |
08 | 伊海軍の弔電 |
09 | スエーデン國民感激 |
10 | 圖像:同生共死大東亞保衛の旗印の下敢然 皇軍に協力する國府軍 |
11 | 桑港の放送 東京放送を發表 |
12 | 軍縮會議當時の 元帥の俤を偲ぶ 財部彪大將は語る |
13 | 引續き役員會 |
14 | 公安山野殲滅戰終る わが機動戰の成功 |
15 | 夏季決戰の前兆 獨、ソ熾烈な砲擊戰 |
16 | 援護會の事業 道府縣支部の事業內容 |
17 | 共同租界行政權を還附 デンマーク政府 |
18 | 擊墜の赤軍機 總數三萬九千 |
19 | 米軍陣地を爆擊 ニユーギニア島北部 |
20 | 獨空軍活躍 |
21 | 內鮮滿連絡 懇談會閉會 |
22 | アフリカ戰線 伊軍の戰果 |
23 | 當初チヤーチルの親友 「時將軍」に見捨てらる イタリア政府筋意象表明 |
24 | 日本怖るべし 米新聞經營者の辯 |
25 | 翼贊會宣傳部長 小楠正雄氏任命 |
26 | 在重慶米空軍 一機喪失を發表 |
27 | 金光氏に委囑 翼政調查會長に |
28 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 偲ぶ山本元帥の俤 皇國の典型的武仁 長谷川總督語る |
02 | 儼たり‧帝國海軍 武官府菊池中佐語る |
03 | 御上陸記念碑 擴張工事愈よ竣工 |
04 | 元帥の遺骨 あす喪の凱旋 |
05 | 曠古の盛儀にも 艦上から護る帝都の空 至誠盡忠故元帥の秘話 |
06 | 英魂永へに薰る 烈烈たる銃後一億追慕の情 |
07 | 海鷲搖籃の聖地へ 捷報は鍛鍊の鞭(完) 米本土空襲に胸躍る |
08 | 加藤軍神の一周忌 生家で內輪の法要營む |
09 | 國語常用に拍車 バス、市場に推進奉仕員配置 |
10 | 敢鬪の第一線へ 齋藤本部長の查察日程 |
11 | 一笑よく春風を生ずるの人 |
12 | 岩瀨大尉嚴父談 |
13 | 元帥の令姉談 |
14 | 義勇觀念強い方 恩師安藤清八氏談 |
15 | 未亡人實弟談 |
16 | よい叔父さん 伊藤淑子さん語る |
17 | 使命達成に邁進 廈門至誠奉公會總會 |
18 | 赤誠の鷄献納 桃園郡から每月二百羽 |
19 | 團員倍加運動 基隆奉壯團決議 |
20 | 目覺めた女給さん あつさり洋裁屋さんに轉向 |
21 | 飼料の增產へ |
22 | 豪華な海洋繪卷 海の文學と美術街頭展 |
23 | 桑田商田献金 |
24 | 澎湖廳街庄長 學校長會議 |
25 | 十二日目取組 |
26 | 今晚の放送 |
27 | 商況(廿二日前場) |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 全海軍今や一丸 古賀新司令長官のもとに 復仇の炬火燃やす頭條新聞 【東京發同盟】山本元帥南方最前線に於いて全般作戰指導中敵と交戰機上に於いて壯烈なる戰死を遂げたとの大本營發表は一億國民を痛歎せしめたると共に今更の如く同元帥の赫赫たる武勳を偲び戰ひの樣相が愈愈悽愴なものになりつつあることを悟らせたがもとより帝國海軍の決戰陣容には微塵の動搖もなく後任聯合艦隊司令長官には古賀峯一大將、橫須賀鎮守府司令長官には豐田副武大將が直ちに親補された、巨星山本元帥の戰死は一大痛恨事ではあるが元帥の敢闘精神は帝國海軍の新たなる傳統を培ひ脈脈として全將兵の血液の中に奔騰してゐるのである、而して帝國海軍の傳統的鍊成訓練は個人の知識、能力を獨立させたものとはせずむしろこれを相互に交換し研究せしめ海軍全體を一丸として練磨し常に全海軍一集團として能力を發揮し得る如く鍛鍊してゐるのであつて山本元帥は勿論であるが帝國海軍には更に幾多の戰略戰術家を有しておりこれら個人の戰略或ひは戰術は多數の者の研究犧牲の結果が累積してゐることを見逃がし得ないのである、いまや大東亞戰の戰線は北方アリユーシヤンから東太平洋に南太平洋に印度洋に更に遠く南阿に迄擴大しこれら各戰線に於いて全將兵は傳統的日本海軍精神に立脚し山本元帥の敢闘精神を鑑として連日敵擊滅のため激闘を續けつつある、敵米英は今回の元帥戰死に當り凡ゆる逆宣傳を以つて酬ひるであらうが我我の決意は故元帥の壯烈なる戰死を契機とし愈愈鐵火の如く復仇の炬火を燃やさなければならない最近に於ける外電を綜合すれば敵米英は大なる生產力を呼稱しつつ我を壓倒せんと企ててゐるが南方諸地域を喪失せる敵側は永遠に現在の生產速度を維持する事は不可能であり逆に我方に於いては補給路を確保し着着南方各地域の建設を進捗せしめてゐる、更に又卓越せる精神力と盡忠に燃ゆる豐富なる人員を動員し飽く迄も米英を擊滅せずんば止まずの決意を以つて敢闘してゐる、米國が最近航空兵力擴充のため動員せる學生群がその量に反し質的には著しく低下しつつあるに對比し雲泥の差と云はざるを得ない、戰局はいまや深刻であり重大である、然し帝國海軍は山本元帥が築き上げた緒戰以來の大戰果、不敗の鐵陣を基礎にし新聯合艦隊司令長官古賀峯一大將の統率のもとに一糸亂れざる體制にある、聖將東郷元帥その他の先輩の精神は山本元帥に傳へられいま又この遺烈は新たに古賀新司令長官以下第一線將兵の上に傳へられて全海軍いまや一丸愈愈稟烈の志氣を昂揚し本格的決戰に臨みつつあるのである |
02 | 三陛下痛く御軫悼 山本元帥邸に勅使、御使御差遣 |
03 | 圖像:皇國の興廢を擔つて航空母艦決戰洋上へ |
04 | 一億國民も感奮興起 元帥と共にあれ その夜の電波に聽く |
05 | 青史に不滅の偉勳 ブチドンモンドウ攻略の決戰記 |
06 | 敵軍五個師を潰滅 公安西方地區で |
07 | 猛烈な反擊を續行 アツツ島の我守備隊 |
08 | 葬儀委員長は米內大將 副委員長、委員等も發令さる |
09 | 海軍に“一日献納” 全國產業戰士猛然と起つ |
10 | 米內大將は 最適任者 |
11 | 昆明飛行場を爆擊 |
12 | 米陸軍豫算 七百廿億弗 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 山本司令長官壯烈な戰死 一億國民哀悼戰意を昂揚社說 一 わが無敵海軍の聯合艦隊司令長官として、世界戰史空前の偉業を建て、遂に米英必滅の楔を打込んだ海軍大將山本五十六提督は、去る四月南方の最前線に於いて全般の作戰指導中、敵と交戰飛行機上にて壯烈な戰死を遂げられた。嗚呼!我等の提督今や護國の御楯と神鎭まる。一億國民遙かな太平洋の戰線を偲び、唯頭を低く垂れて聲も無し。全國津津浦浦に言ひ知れぬ悲しみと激しい敵愾心を沸き上らせるのであつた。畏くも天皇陛下におかせられては、山本聯合艦隊司令長官多年の偉功を嘉せられて、大勲位功一級に叙せられ、元帥府に列せられ、特に元帥の稱號を賜ひ、正三位に叙せられ薨去に就き特に國葬を賜ふ旨仰せ出された。最前線指揮中、壯烈な戰死を遂げて國葬を賜はつたのは、今回の山本元帥を以て嚆矢とし寔に武人最高の榮譽と申すべきである。 二 惟ふに昭和十六年十二月八日、米英に對する宣戰の大詔を拜するや、帝國海軍は電光石火、ハワイマライ沖海戰に依り、敵米英の太平洋上の艦隊主力を覆滅し、一瞬にしてその海軍力比率を逆轉せしめ、爾後疾風迅雷、隨時隨所に頑敵を粉碎、太平洋、インド洋等に雄渾なる大作戰を敢行し、赫赫たる大戰果を擧げたのである。斯くて一年有半にして帝國は、四周に必勝の據點を築き、絕對優勢な戰略態勢を確立し得たことは、偏へに御稜威の然らしむる所であるが同時に陸軍と緊密なる協同の下に聯合艦隊の周到綿密なる作戰と艦隊統率の全きを得て克くその實力を發揮し得た結果であり、山本元帥の武勳は正に萬代不朽と云ふベきである。「私は常に艦隊の最先發の旗艦艦橋にあつて指揮する、これが我が海軍の傳統なのだ」と陣頭指揮の決意を述べ、出陣に當つては「本官と生死を共にせよ」と部下に教へる元帥であつた。南方の空の最前線、自ら育み育てた航空機上に壯烈散華した元帥の靈は、今安らかに憩ひそしてその薰る勳は、永へに海軍將兵と一億國民の胸に脈脈と生き續けるのである。 三 今や戰局は、愈よ重大にして真に皇國の興廢を決する秋、山本元帥の戰死はもとより大なる痛恨事であるが、山本元帥の戰死に伴ひ後任には古賀峯一大將が聯合艦隊司令長官に親補せられ、同時に橫須賀鎭守府司令長官には豐田副武大將が補せられた旨、大本營並びに海軍省から夫夫發表せられ、本格的決戰段階に對處し必勝不敗の陣容には、聊かの心配もないのである。卽ち山本元帥戰死の報に接し、全軍將兵は真に痛恨哀惜の情を禁じ得ぬが、然しこれによつて帝國海軍は微動だもするものにあらず、山本元帥の烈烈たる敢闘精神を鏡とし、憤然蹶起、熱火の如き敵愾心と凜烈の戰意を昂揚しつつ、敵米英擊滅に一路邁進せんことを深く期してゐるのである。戰ひの前途なほ多難、吾等一億國民は皇軍と共に「擊てし止まむ」米英撃滅の日まで山本元帥の壯烈崇高なる精神を今後に生かすべく進しなければならぬ。 |
02 | 聖域劍潭の杜に 忠魂今ぞ神鎮まる 護國神社ゆうべ合祀祭 |
03 | 逞しい鬪魂の權化 (二)元帥山本五十六 |
04 | 誓つて米英擊滅 擧島深謝のひと時 |
05 | 感激に咽ぶ遺族達 |
06 | 坂口成行氏 |
07 | “元帥の志に報ひよ” 阿部翼政會總裁語る |
08 | “優しい弟でした” 實姉かづ刀自語る |
09 | 圖像:護國神社合祀祭 |
10 | 宜蘭市の海軍記念日行事 |
11 | 在鄉青年隊員 心身兩面に亘つて猛訓練 |
12 | 偉勳仰いで決意 “元帥の英靈と共に行かう” 元帥の鄉土の悲憤 |
13 | 海軍省へ弔問客 早朝から引きも切らず |
14 | 國葬費九萬五千圓 |
15 | 戰死者の遺族を弔問 |
16 | 少年保護司會創立總會 |
17 | 守屋中將葬儀 東京青山齋場で嚴修 |
18 | 堆肥增產を督勵 梁井知事近く宜蘭へ |
19 | 十一日目取組 |
20 | 炭坑爭議惡化 |
21 | 青葉、龍王無期出場停止 |
22 | 休止炭坑十五 |
23 | 彈丸切手 當籤番號 |
24 | 人事‧消息報社消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 燦‧敵前上陸の偉勳 決死の高砂義勇隊高雄州隊に 最高指揮官から賞詞 |
02 | 水利功勞者 臺中州で四十九名表彰 |
03 | 嘉義の表彰式 |
04 | 水上競技で偲ぶ 屏東の海軍記念日 |
05 | 馬公街協議會 原案通り可決 |
06 | 模擬動員召集 三十日彰化で |
07 | 優良部落研究會 大肚山道場で開く |
08 | 內職の模範地視察 |
09 | 收穫推進を 坂口知事視察 |
10 | 並ぶ堆肥の山‧山 豐作待つ鶯歌街 |
11 | 堆肥增產に 草屯で實地指導 |
12 | ボンタインのバツサル、マラム(夜の市) |
13 | 全團志願手續 海の兵に嘉義青年の赤誠 |
14 | 竹東郡參與 奉公委員會 |
15 | 剌身生水は危い 赤痢はやる時節です |
16 | 競ふ健民部落 主婦會を開催 |
17 | 蠅、油虫殲滅戰 臺南で懸賞驅除 |
18 | 學徒の鍊成刷新 高雄州中等學校長會議 |
19 | 常會の指導に 支部長以下乘出す |
20 | 街庄長會議 |
21 | 大規模の養兔 北門郡で組合と工場計畫 |
22 | 鐵の訓練終て 勤報隊あす解隊 |
23 | 屏東實踐女開校式 |
24 | 稻刈應援團 申込み續出 |
25 | 青年よ起つ 斗六で講演會 |
26 | 頭圍庄精米 組合新築落成 |
27 | 遺家族慰問音樂會盛況 |
28 | 國民貯蓄大會 |
29 | 參與奉公委員會 |
30 | 從軍會支會長會議 |
31 | 名間青年校開校 |
32 | 警防團檢閱 |
33 | 國講研究會 |
34 | 草屯街參與 奉公委員會 |
35 | 小賣人組合總會 |
36 | 斗六街市場仲賣人組合 |
37 | 故多賀淳吉氏慰靈祭 |
38 | 關西庄警防團檢閱 |
39 | 切干藷供出講演會 |
40 | 地方多より |
41 | 今日の映画演劇 |
42 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 木造船の大量建造 各運航會社續續設立(內地) |
02 | 勤勞精神を昂揚 勞務者表彰要領決定 |
03 | 麥類供出割當に 道府縣經濟部長會議 |
04 | 商工組合法解說(完) |
05 | 新高港灣荷役會社 各社への株割當決定 |
06 | 臺銀券新記錄へ 發行高三億八百卅七萬圓 |
07 | 臺灣貿易振興總會 |
08 | 專賣技術協議會 來る二十五日發會式 |
09 | ジヤワの農村 新共同體制を確立 |
10 | 列車蓄電池の規格 內外地鐵道とも統一 |
11 | 移入陶磁器の確保 製品查定會設置 |
12 | 合同鳳梨 八分据置 |
13 | 木造船の建造促進 計畫造船協議會で方策講究 |
14 | 本年の水稻競作會 高雄州より審查開始 |
15 | 大阪商船異動 廣瀨支店長轉出 |
16 | 照明燈 |
17 | 商況(廿二日) |
18 | 島內株仲值表 |
19 | ラジオ |
20 | 水滸傳(971)/黃得時;碇政彌 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 十八春太行作戰終了 赫赫たる戰果を收む頭條新聞 【山西前線◯◯二十三日發同盟】山西、河北、河南省境一帶の蔣共兩軍を包圍殲滅すべく去る四月二十日猛攻の火蓋を切つた十八春太行作戰は旬日にして蔣系軍第二十四集團軍八萬二千を潰滅更に五月六日より共產軍第十八集團軍司令部及び劉伯承集團軍に對し大包圍作戰を敢行石太線以南地區の共產軍を徹底的に擊碎赫赫たる戰果を收めて五月二十二日終了したが右につき現地軍は二十三日左の如く公表した △現地軍公表(五月二十三日十二時)軍は茲に十八春太行作戰を終了せり、軍の諸隊は六旬に亘る作戰にも拘はらず士氣愈愈軒昂、將來益益その本然の任務たる作戰警備の重責を全うせんことを期しあり、若しそれ中共黨軍又は蔣系軍にして再び蠢動を敢てするものあらんか、軍は隨所に膺懲の鐵槌を加ふべし、一般市民はよく軍の威武及び中國側行政機關の施策に信倚し將來些かも敵側の策謀宣傳に乘ぜられざらんことを望む作戰開以來の主要綜合戰果(隣接軍の分を含む)左記の如し尚龎炳勳將軍が七萬の舊部下將兵を提げ和平陣營に參加せる事實は特筆大書すべきものと言ふべし 敵遺棄死體八○七七、俘虜一一九二八、鹵獲品山砲六、迫擊砲一六、重機四七、輕機三三七、擲彈筒九三、自動短銃二一、小銃五七七◯、拳銃三七五、其他彈藥類器材、馬匹等多數 |
02 | 畏し三陛下 山本邸に御使御差遣 |
03 | 汪院長から弔電 山本元帥壯烈な戰死を悔み |
04 | 圖像:時遂に來た必滅を期し今正に離艦せんとす |
05 | 宜都を完全占領 皇軍に協力の國府軍の精銳 |
06 | 安鄉と南縣 全く面目一新 |
07 | 敵機を擊墜 洞庭湖北岸で |
08 | 獨伊軍事協定 四周年記念日の祝賀 |
09 | 壯烈果敢な夜襲戰 ブチドン前面敵防衛線崩潰 |
10 | 歐亞併重を強調 重慶側、華府で暗躍 |
11 | 初の將僚會議開く 新發足の廿四集團軍 |
12 | 祝電を交換 |
13 | 敵產一部で 民間に移管 |
14 | 東部戰線激突近し 兩軍武器補給に必死 |
15 | 今年の大決戰 各方面の注目を惹く |
16 | 獨ソ激烈な 空中戰展開 |
17 | 〇〇部隊長挨拶 |
18 | 共產主義絕滅まで戰ふ 國際共產黨解散に關し 獨外務省、見解を表明 |
19 | 陸軍司政官 |
20 | 公使異動 |
21 | ル大統領書簡の內容 ス議長に四ケ條要求 |
22 | 國際共產黨 解散を提議 |
23 | 保有船舶の四分の一喪失 宣戰以來の伯國 |
24 | 海軍司政官 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 秩父宮妃殿下 靜岡縣下御巡歷 戰ふ女性を御激勵 |
02 | 芳魂千載に輝く 幣帛供進使齋藤長官が參向 護國神社きのふ例大祭 |
03 | 伏見宮博明殿下 國技館へ御成り遊ばさる |
04 | 圖像:護國神社例大祭 |
05 | 曉闇ついて參拜 劍潭の杜に續く人波 |
06 | “坊やの玉石見て お父さんきつと大喜び” 感激の遺族親子語る |
07 | 逞しい鬪魂の權化 (下)元帥山本五十六 |
08 | 南海に數數の偉勳 山本元帥帝都に喪の凱旋 |
09 | 嚴かな英靈安置式 水交社で嚴かに執行 |
10 | “赤十字”の色鮮か 白衣天使けふ島都に歸還 |
11 | 元氣よく働いた 賀來芳子さん語る |
12 | 感激深い御通夜 |
13 | 新竹臨時市會 二十六日に召集 |
14 | 花蓮港で感謝祈念 |
15 | 郵貯一萬圓達成記念映畫會 |
16 | 十二日目勝負 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 萬感湧く心の赤十字 數數の淚ぐましい思ひ出を現地に殘して 第一回看護助手晴れの歸還 |
02 | よい體驗でした 白衣天使は交交語る |
03 | 桃園苗栗兩神社 縣社昇格の熱望昂る |
04 | 海軍思想を昂揚 松尾中尉を聘して講演 |
05 | 溪湖街の海軍志願兵講演會 |
06 | 敢鬪四隣に聞ゆ 誇りは高し員林郡民 |
07 | 圖像:寫真護國神社參拜の女學生群 |
08 | 貯蓄決戰の構へ 嘉義日婦貯蓄陣容を強化 |
09 | 中嶋財務局長 臺中州巡視 |
10 | 貯蓄と增產 六月常會の申合事項 |
11 | 嘉義郡水利組記念式 |
12 | 先づ蚊を撲滅せ 兩權威デング熱退治策を語る |
13 | 瑞芳國民校落成式 |
14 | 親切運動を續く 臺南州商奉團の指導目標 |
15 | 竹東街葬 |
16 | 青少年音樂舞踊大會 勇士遺家族を慰安 |
17 | 米英擊滅講演會 |
18 | 商奉指導者鍊成 |
19 | 新竹州下市長 郡守署長會議 |
20 | モンペ姿の葬式 風俗改善に林氏垂範 |
21 | 市民の赤誠披瀝 建艦献金巨額に上る |
22 | 赤誠の献金品 |
23 | 東邦金屬工場 近く製造開始 |
24 | 探る南海の幸 激濤を蹴つて挺身 |
25 | 潮州郡街庄長會議 |
26 | 地方多より |
27 | 今日の映画演劇 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 圖像:踊る鮫島ゆり子(白櫻會だより)/鄭安 |
02 | 井蛙囈言 良き文章‧惡しき文章/吳新榮 |
03 | 學者の博覽強記 金關博士の「胡人の匂ひ」を讀む/神田喜一郎 |
04 | 隨筆 水鬼と河童/碇政彌 |
05 | 朗讀文學の在り方 |
06 | 批評家に寄せて/雲嶺 |
07 | 辻小說 對話/坂口零子 |
08 | 圖像:獅子舞(三十周年記念日本水彩展)/藍蔭鼎 |
09 | 石田三成と王安石/王昶雄 |
10 | 昭南の雨/大山昌武 |
11 | 小さな砂丘/林精鏐 |
12 | 日常科學 |
13 | 豆外信 |
14 | 文化消息 |
15 | ラジオ |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | チツタゴン急襲 敵三十四機を擊墜破 |
02 | 加藤軍神の弔合戰 見事な大戰果に凱歌高らか |
03 | 畏し‧御陪食を賜ふ 長谷川、小磯兩總督に |
04 | 英米會談の真相 不徹底極まる二正面作戰へ チヤーチル澁澁承認 |
05 | 全敵機を血祭りに 英印空軍の反攻企圖を擊碎 |
06 | コ、チ兩飛行場急襲 擊墜破卅八の大戰果 |
07 | 米の太平洋反攻論 輿論として看過せず強固結果を要す |
08 | 敵側も發表 |
09 | ル、チ會談事實上終了 會談結果、漠然公表せん |
10 | 救國、和平と剿共 和平剿共長官大會龐、孫兩將軍講演 |
11 | 圖像:アラカン戰線〇〇河を征く |
12 | 農繁期勤報隊 鐵道運賃割引 |
13 | 東部戰線の戰況 惡天候で進捗せず |
14 | 獨軍攻勢 |
15 | ソ聯一流の宣傳 國際共產黨の解散 |
16 | スターリン 米特使を招待 |
17 | 米、新空母進水 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日本海海戰之回顧 敵艦隊死の航進(上) 當時の少尉長谷川總督/長谷川清 |
02 | “誓て元帥に續かん” 目頭押へる、モンペの若い女性 水交社に一般弔問の列 |
03 | 列立拜謁の光榮 高等、專門學校長の感激 |
04 | 圖像:看護助手晴れの歸還 |
05 | 烈烈の鬪魂を綴る 山本元帥絕筆の書翰 |
06 | 市街庄常會推進 來月臺南州に展開 |
07 | 島都に感激の歸還 看護助手總督府前で解散 |
08 | 思ひ出の體驗談 公會堂で座談會開催 |
09 | 全島警察部長會議 來月十五日から開く |
10 | 軍神加藤少將 本願寺で一週忌法要 |
11 | 米管委員會 廿九日府正廳で |
12 | 軍馬慰問 |
13 | 柴山警察部長 遺族を弔問 |
14 | 即座の献金 |
15 | 鷄卵の慰問 |
16 | 培ふ、熱烈の氣魄 卅日に記念祝賀相撲大會 |
17 | ヨイコドモに 消ゴムを贈る |
18 | 羅東郡薪炭類 出荷販賣組各 |
19 | 羅東兒童角力大會 |
20 | 斷乎米英擊滅 花蓮港の記念日行事 |
21 | 今度はゴム勞働者罷業 |
22 | 基隆市役所部屋替へ |
23 | 米のゴム勞働者 一齊に罷業 |
24 | 康德八年度の 歲入歲出總決算 |
25 | 東京市電市バス料金改正 |
26 | 興南詩苑漢詩 春日漫興二首/肇藩 高士穆、春日漫興二首 其二/肇藩 高士穆、暮春郊遊/肇藩 高士穆、懷家姉鷺門/肇藩 高士穆 |
27 | “豪快で親切” 實弟三橋孝中尉語る |
28 | 中台商事株主總會 |
29 | 十四日目取組 |
30 | 人事‧消息報社消息 |
31 | 今晚の放送 |
32 | 商況(廿四日) |
33 | 興南案內報社消息 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵艦七隻を擊沈破 アリユーシヤン海鷲、鐵鯨の戰果頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(二十四日十六時)一、帝國海軍航空部隊は五月二十三日アツツ島附近に於て敵巡洋艦一隻を擊破、驅逐艦一隻を擊沈、他の一隻に火災を生ぜしめたり 我が方損害なし 二、帝國海軍潜水部隊は五月十二日以後アリユーシヤン方面に行動中の敵艦艇攻擊を續行、本日迄に敵戰艦一隻、巡洋艦一隻を大破し艦型未詳のもの二隻を中破せしめたり |
02 | 反攻の出鼻を叩く |
03 | 又も我が病院船 バイカル丸に銃擊 鬼畜行為斷じて許さじ |
04 | アルプス越に匹敵 難行軍魔のアラカン進擊 |
05 | 國葬委員會初會合 |
06 | 圖像:最前線に於ける山本元帥(海軍省提供) |
07 | モレスビーを空襲 |
08 | 定期次官會議 |
09 | 淒烈!「勝利の記錄」 マユ山系突破に絕言の辛酸 肉彈で敵兵突き殺す |
10 | 決戰勤勞態勢を確立 六勅令の改廢總動員審議會で可決 |
11 | 國家性を明確に 國民徵用令の改正 |
12 | 文化交流を促進 蔡大使着任の抱負 |
13 | 「能率賃金」の統制方式採用 |
14 | 漁洋關を完全占領 |
15 | 米、重慶の御機嫌とり 支那移民排斥法撤廢案で |
16 | 衡陽建甌急襲 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 茶業團體經費整理の要社說 一 本島の茶業は大東亞戰爭勃發までは輸出品の寵兒として頗る重視せられて來たが、昨年來船腹關係で豫定の數量を積出す事が出來な□ため現在頗る多量の滯貨を生じてゐる狀況である。ところが本年中の移出數量は更に制限せられる事となり、假に豫定通り積出してもやつと舊茶を捌く程度にして本年度の新茶は大部分島內に殘存せざるを得ず、これがために茶園の再編成を企圖せられてゐる次第である。茶舘に於てはいづれも移しき滯貨を抱く上に過般來施行せれたる物品稅三割の賦課は全部輸出先に轉嫁する事が出來ず其の一部分を負擔せねばならないから、一時圓プロツク輸出景氣で相當活氣を呈せられた兩三年に比べて遂に深刻なる現實に當面せざるを得なくなつた。これがため茶舘整備の議が起り目下茶商公會を中心として其の原案を構想せられてゐる事は周知の事實なのである 二 かくの如く本島茶業の現狀は茶農、茶商とも戰爭の影響を受けて所謂受難期に入つたのであるから此の際出來る丈早く斯界の整備を斷行し、將來伸びんがために一時屈しなければならない必要に當面する事となつた。ところが一方に於て最近各種統制團體の出現に依つて本島茶業に課せられたる各種負擔が益益加はつてゐるので此際なるべく其の輕減を圖り以て今後の不況に堪へる丈の用意をしなければならない中にも臺灣茶輸出統制會社が臺灣貿易會の新發足に依つて其の機能が全く承繼されたる形となつたのであるから、之を此の儘存續せしむべきか何うかは旣に俎上に上つてゐる問題となつた。勿論該社當事者としては解散される事を恐れて或は茶農より粗製茶を買入れ之を茶舘に製造を委託するとか、又は茶舘を合同して一つの輸移出會社に編制替するとか、いろいろの案を練つてゐるやうであるが、果して實現の可能性あるか、何うか疑問なきを得ない。 三 現在茶舘の負擔してゐる各種團體の經費內容を調查すれば、臺灣貿易會では一般物品と同樣に一、五%の委託手數料を徵收する外に臺灣茶輸移出統制會社では北支向三%滿關向二%、內地向一%の同一手數料を徵收し、之を以て臺灣茶輸移出會社丈で一ケ年約四十萬圓の經費を賄つてゐるのである尚茶商公會も本年度からは檢查手數料を百斤に付十錢から四倍增の四十錢に引上げ、組合費として百斤に付二十五錢から五十錢に引上げる事となつた。之に依つて同商會一ケ年の經費も十四萬圓に膨脹しこれらの經費が輸移出數量激減の茶商に賦課する事となつたので、之が勢ひ茶農に轉嫁するであらう事は明かである。殊に最近の茶價は昨年に比し約四割も低落し、茶農、茶商とも容易ならぬ事態に當面してゐるから、此の際これらの團體からは出來る丈早く不要のものを整理して經費の輕減を圖り以て本島の茶業をして此の不況時期を切拔け得るやう大乘的立場で其の合理化を策すべき事を熱望して 止まない。 |
02 | 朝香總裁宮殿下 四十三氏に拜謁賜ふ |
03 | 小さな包みの遺骨 軍刀に結んで入城 ブチドンに描く敢鬪譜 |
04 | 圖像:故山本元帥帝都に無言の凱旋 |
05 | 齋藤中央本部長 皇奉運動視察に南下 |
06 | 東鄉會臺灣本部 海軍記念日に發會式 |
07 | 御宿營記念祭を執行 |
08 | 逞しい鬪魂の權化 (四)元帥山本五十六 |
09 | “山本元帥に續け” 翼壯‧全團員が宣誓 |
10 | 弔問客二萬餘名 故元帥の武勳を慕ふで |
11 | 元帥の肖像製作 日本美報の初事業 |
12 | 出でよ“銃後戰記” 影井中尉試寫會で絕叫 |
13 | けふ懷しの故鄉へ 看護助手研修所で一夜 |
14 | 宮前青年團の遺家族慰安會 |
15 | 十三日目勝負 |
16 | 堆肥の陣頭指揮 梁井知事蘭陽地方へ |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 仇を增產で討つ! 山本提督戰死の公報に憤然と起つ 高雄の生產戰士の覺悟 |
02 | 荖濃溪岸の植林に 興亞勤報青年隊が奉仕 |
03 | 水利功勞者表彰 彰化水利組合會議室で |
04 | 勅語奉讀 |
05 | 看護助手座談會 白衣奉仕の思ひ出(一) 一口の藥にも真心 仕事は真劍でした |
06 | 彰化市の海軍記念日行事 |
07 | 高雄市商奉團結成 |
08 | 決戰推進指標三つ 士氣、防空、切干藷の供出 |
09 | 嘉義市の追加行事 |
10 | 臺東廳郡守會議 |
11 | 活きた兵器 軍用犬に就いて(一)/林宗賢 |
12 | 價格表示を勵行 暴利には斷乎鐵槌 |
13 | 後龍庄警防團 全員志願申合 |
14 | 嘉義郡の會議 |
15 | 養殖業者に朗報 鳥松魚苗孵化所近く着手 |
16 | 國民學校長會議 |
17 | 竹村新化郡守 警防視察 |
18 | 裏作に飼料栽培 潮州郡九、五〇〇甲を目論む |
19 | 夏季蔬菜增產 臺中州乘り出す |
20 | 體力章檢定打合 |
21 | 野鼠の殲滅戰 百萬匹必殺の態勢 |
22 | 鷄飼料配給 |
23 | 轉廢業策打合 基隆商議所乘出す |
24 | 旅館“東邦の家” |
25 | 講演會 |
26 | 彰化市拓南商事株式會社 |
27 | 人事報社消息 |
28 | 地方多より |
29 | 今日の映画演劇 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 顏欽賢氏談 鑛區の整理統合 臺灣炭業界の緊急問題 |
02 | 茶況依然閑散 料花のみ頗る割高 |
03 | 蓖麻を增產せよ 栽培運動近く強化 |
04 | 物品販賣業統制法 滿州國で廿四日に施行 |
05 | 甘藷の增產好調 甲當最高十三萬四千斤 |
06 | 茶統制會社總會 利益金卅萬餘圓 |
07 | 芭蕉、鳳梨の作付轉換に 督府で補助金を計上 |
08 | 勞務者に住宅を供給 戰時住宅協議會要綱決定 |
09 | 最近の經濟問題 |
10 | 照明燈 |
11 | 商況(廿四日後場) |
12 | 巷談義 |
13 | ラジオ |
14 | 水滸傳(972)/黃得時;碇政彌 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | アツツ島米軍を猛爆 荒鷲敵艦艇をも攻擊 |
02 | 敵損害三萬を越ゆ 北支軍の綜合戰果(四月) |
03 | 共軍の肅清に重點 |
04 | ゲリラ的蠢動の 雲南敵軍を粉碎 |
05 | ア國大統領へ御祝電 |
06 | 女子代替による 男子就業を禁制 勞務調整令の改正骨子 |
07 | 本島米價閣議で決定 今夕情報局より發表 |
08 | 男禁制の職種 |
09 | 冀東共產軍の 殲滅戰を開始 |
10 | 對于學忠軍の 討伐戰果 |
11 | 赤軍の喪失三千萬人 |
12 | 早くも暗礁へ 反樞軸食糧會議 |
13 | 工場就業時間 制限令を廢止 現下の緊急事態に對處 |
14 | 夏季攻勢の準備 獨軍着着大軍を集結 |
15 | 圖像:敵前五十米拔刀して迫る我が皇軍勇士(洞庭湖戰)(陸軍省檢閱濟) |
16 | 獨軍戰況公表 |
17 | 教育翼贊を確立 帝國教育會を擴大強化 |
18 | 船員職業能力 申告令を改正 |
19 | 戰果擧げ得ず 赤軍ゲリラ部隊跳梁 |
20 | 依然歐洲重點主義か けふ共同公報で發表せん |
21 | 國際共產黨解散 重慶政界に一大衝動 |
22 | 國際共產黨の解體 獨外交通信ソ聯の糊塗を論難 |
23 | 反對派彈壓に 躍起 埃及傀儡政權 |
24 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 全市を海一色に 若人の武裝行進や旗行列など 豪華‧島都の記念日行事 |
02 | 決戰下の教壇へ 教員檢定試驗發表 |
03 | 奉壯團員を激勵 齋藤本部長臺南を視察 |
04 | 日本海海戰之回顧 泰然自若‧東鄉元帥 萬古不朽の大勝利/長谷川清 |
05 | 產業戰士の登龍門 工業學力檢定試驗施行 |
06 | 谷口憲兵隊長 新竹分駐所視察 |
07 | 奉壯團員倍加 基隆で入團式擧行 |
08 | 血書して志願 海軍志願兵に 熱血の青年起つ |
09 | これぞ防衛の範 模範防空二少年 要塞司令官から見舞金 |
10 | 全產業人が總蹶起 職場報國の大運動展開 |
11 | 見よこの責任觀 父の死秘して任務遂行 |
12 | 基隆に消防署 來年四月に新設 |
13 | 宜蘭で記念講演會 廿七日の海軍記念日に |
14 | 美擧に感激 匿名氏から金一封 |
15 | 稻作付面積申告 正確にお願ひします |
16 | 戰ふ吏員の鬪魂 夏季執務時間短縮返上 |
17 | 新竹市參與奉公委員會 |
18 | 新竹州下を視察 中島財務局長 |
19 | 白衣勇士慰問 基隆水利組合 |
20 | 宜蘭神社復舊徒造營發起人會 |
21 | 基隆郡で海志講演會 |
22 | 鷄卵を大量献納 老松町飼料配給組合の赤誠 |
23 | 手製の草履を献納 東門町婦人會員の赤誠 |
24 | 新劇試演會 卅一日於榮座 |
25 | 建艦献金を募集 島都國語家庭會員 |
26 | 十四日目雜觀 |
27 | 千秋樂取組 |
28 | 今晚の放送 |
29 | 商況(廿五日前場) |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 岳州、沙市水路開く 沿岸の殘敵完全掃蕩頭條新聞 【上海二十五日發同盟】中支艦隊報道部廿五日十四時發表、帝國海軍部隊は四月十五日以降陸軍部隊の緊密なる協力の下に宜昌航路啓開作戰を繼續しつつありしところ五月二十四日までに岳州、沙市間百七十七哩の水路を迅速且つ輕微の犧牲をもつて啓開これを確保せる外左の戰果を收めたり 機雷處分數一八六個、地雷處分數二七個、機雷一四六個、機銃十三挺、小銃九七五挺、各種彈藥一三五發、この間におけるわが方の損害僅かに沈没小型舟艇一隻、戰死三名、戰傷九名なり 【◯◯艦上にて二十五日發同盟】昨年五月陸軍部隊の浙贛作戰に呼應して展開された蟠陽に作戰以來◯◯に待機し滿を持して長江を睥睨してゐた帝國海軍揚子江部隊は突如四月十五日拂曉行動を開始午前六時二十分岳州西北◯◯キロの長江西岸磨盤洲と樓西灣の中間地區に陸戰隊の奇襲敵前上陸決行に依つて啓開作戰の火蓋を切つた續いて八時軍艦◯隻を基幹とする◯◯隻の艦隊は威風堂堂揚子江を壓して進攻を開始し午後二時北岸熊家洲(上流十四海里)に陸戰隊を揚陸せしめ南岸部隊は陸軍◯◯快速部隊の緊密なる協力の下に決河の勢ひをもつて進擊、茲に南北兩岸相呼應して隨所に敵を捕捉掃蕩しつつ江沿ひに進擊、陸海協同の荒鷲を大擧出動し地上並びに攻城部隊を掩護し空陸江一體となつて中揚子江の啓開進攻作戰を展開した、無數の機雷原と防禦線の見えざる敵と戰ひながら進撃遡江する艦隊の困難は言語に絕するものがあつたが啓開隊は勇猛沈着に機雷原に突入、巧妙確實なる掃擊作業を決行して次次にこれを排除し艦隊の進擊を迅速ならしめた即ち十五日午後五時主力は黃公廟に進出、南岸部隊と最初の感激の握手を交したが翌十六日變動激しい 大陸の氣候は四月と云ふに凍る樣な冷氣に雨さえ伴ふ中を各勇士は必死の行動を續けつつ鐵(上流約廿三海里)に進出、啓開隊は尚上流への啓開を續行○○艇一隻はジヤンク○隻を索續しつつ掃海を決行中同日午前十時五十分不幸觸雷、初の尊き犠牲となつたのであつたこの尊き犠牲に一層闘魂を燃やした各艇の勇士達は折からの豪雨を冐して決死の掃海を敢行○○個の機雷處分に成功、遂にこの機雷原を突破、十七日桃家埠、十九日吳家庄、二十日芝林頭を一氣に制壓、同日夕暗の中を更に進擊大馬洲附近まで進出、長江北岸の要衝監利を指呼の間に望んで午後八時二十五分投錨した、一方陸戰隊は連日の雨に泥海と化した沿岸沼澤地帶を攻城部隊と並進し敗敵の掃蕩を續行しつつ同日再び攻城部隊と再會各勇士達は泥まみれとなつて前進した、二十一日は行動開始以來始めての日本晴れ勇士達は運日苦闘の疲勞も吹き飛ばし早朝より勇躍出動、同日夕刻には監利前面まで六十海里に亘る中揚子江の啓開を完了翌二十三日 旗艦○○を中に○○隻に上る艦隊は堂堂監利に入港、軍艦旗を飜へしつつ監利駐屯の陸軍部隊との歷史的連繫は完成された、斯くして行動開始より僅僅九日間にして劃期的な中揚子江上流六十海里の處女緊路を啓開確保し翌二十四日監新上流五海里塔市驛附近において防材及び機雷堰を發見したわが掃海隊は決死爆破作業に成功、二十七日には暴風雨を衝いて調弘口上流において機雷○個の爆破を決行二十八日午後一時調弘口(石首——下流四十海里)において南岸より敵の狙撃を受けたが機を移つさず陸海協同の南部部隊は翌二十九日早曉これを捕捉七・七粍機銃◯挺その他多數の戰果を擧げてこれを殲滅した更に急進擊を續行し三十日盆子口(石首下流)において敵の倉庫を發見これを破壞すると共に小銃◯◯挺、手榴彈多數を鹵獲した、一方江上部隊は五月一日石首城外東嶽山山麓において沈船數隻及び防材を爆破排除し三日遂に長江南岸の要衝石首縣城沖に堂堂艦隊主力は入港、掃海隊は更に上流二海里まで完全掃海を完了し茲に作戰開始以外十八日間の短時日をもつて中揚子江百二十七海里に亘る處女水路の啓開なりこれと共に沿岸の殘敵は完全に掃蕩され江南敵第六戰區奧深く猛進擊を續行中の中支軍精銳部隊への一大兵站線の打開に成功したのであつた |
02 | 海軍最高指揮官 〇〇部隊長と會見 |
03 | 谷萩報道部長演講要旨 米英恐るに足らず 但し侮る可からず |
04 | 作戰の經過と經緯 沙市港內旗艦〇〇にて中支艦隊幕僚の談話 |
05 | 濠洲西海岸を爆擊 わが荒鷲が夜間襲ふ |
06 | 本島米價大綱決る 內容は委員會諮問の上發表 鮮米、石當り十二圓引上げ(生產者價格) |
07 | 米機を邀擊擊墜 小癪‧江南戰線に飛來 |
08 | 長陽縣城に日章旗 敵第八十六軍の本據 |
09 | “重慶軍の潰滅まで” 第一線を視察畑總司令官語る |
10 | 廈門鼓浪嶼共同租界 行政權の回收全部實施さる |
11 | 生徒募集締切六月十日まで 海軍の諸學校 |
12 | 定期閣議 |
13 | 育英制度創立 準備協議會設置 |
14 | 交易營團人事 總裁、副總裁決る |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 皇奉第三年の心構へ社說 一 皇民奉公運動は第三年目に入つたが、果して全島隈なく好く浸透してゐるかどうか、如實にこれを視るため本部長たる齋藤總務長官は、全島各地に親しく駒を進めたのであるが、我ら島民もこの際靜かに過去を省み、今後に對處する真摯な心構へを持たねばならない思ふにこんにち皇民奉公運動についてこれを知らぬものは恐らく絕無と云へるであらう。しかしながら觀念的にこれを知ると否とは實のところ本質的に決定的なことではない。本運動が皇民運動卽ち國民運動であり、實踐運動であるからには、大切なことは認識に非らずして實踐にあらねばならない。その實踐といふことも歸するところ皇民としての實踐に他ならないが、本運動の要請するところは特に本島の實情に卽した實踐、換言すれば本運動の推進實踐にあると云はねばならない。卽ち臺灣一家の確立による高度國防國家態勢の强化へ、軍官民を打つて一丸とし六百萬島民相率いてひたむきに突進實踐することが本運動の要請なのである。 二 斯くして本運動が果してよく浸透してゐるかどうかといふことは今日に於てはもはやこれを良く識るや否やに係はるのではなく、一によくこれを實踐してゐるや否やに懸つてゐると云はねばならない。勿論本運動に對する認識なくして本運動のよき實踐は期し得らるべくもないが、過去二ケ年間の運動展開によつてこの點に關する限りはもはや危惧の念を差しはさむ餘地がないやうに考へられるのである、今日に於ては寧ろこれをよく識るものにして返つてよくこれを實踐せざるの憂ひをこそ問題としなければならぬのである。一の國民實踐運動を展開する場合に逢着する最大の惱みは大眾がついで來ないことである。大眾がそつぽを向くとき、其運動は空廻りするばかりで運動の成果は擧らな い。ここに於て大眾を引張る力、大眾を動かして行く力が必要となるのである。この力は決して權力ではない、魅力でなければならぬのである。この魅力を造ることが根本問題と云つても敢へて過言ではないのである。而してこの魅力の荷ひ手は實に知者、識者、指導者の一群なのである。皇民奉公運動の推進展開についても同樣のことが云へるは贅するまでもない。 三 しかしながら、本運動が發足して以來、豫想以上に逞ましき展開を見たことは大なる誇りである。それは一に島民大眾の國民意識の昂揚、皇民鍊成の良きたまものであるが、同時に臺灣統治五十年の輝かしき成果と云はねばならない中でも本運動生みの親たる長谷川總督並齋藤總務長官の偉大にして親愛なる魅力の然らしむる所以をば率直に認めなければならない。本運動に於ける總督、長官の魅力は、それだけで六百萬島民の心を把握するに足るものがあつた。このことは直ちに國民運動展開の要諦に觸れるものがあり、本運動の大成に極めて深き示唆を與ふるものである。斯くして本運動の浸透並に實踐的成果の如何は、實に大眾を引率いるべき魅力の荷ひ手卽ち指導者層の双肩に懸つてゐることは明らかであり、今後の努力は正に識つて之を為さざるの徒をなからしむる處にあらねばならぬのである。指導者層の內でも特に官吏側の努力を切望するものであるが、これについては地方の官吏特に支部長たる地方長官の勇猛果敢なる指導誘掖に期待するところ最も大なるものがあるのである。 |
02 | 鬪ふ部落から部落へ 肩叩いて勵ますも和やか 齋藤本部長地方視察 |
03 | 閑院宮邸伺候 長谷川總督御下問に奉答 |
04 | 海洋國日本を語る 元聯合艦隊司令長官と對談 勅諭が教育の根本(一) 生活は心と心の結び |
05 | 國家要請に應へよ 嘉義市奉壯團を激勵 |
06 | 安藤內相と懇談晚餐會 |
07 | 青少年の曉天動員 海軍記念日に實施 |
08 | 青少年よ海鷲へ! 海軍省で雛鷲募集 |
09 | 新竹州臨時州會 翼贊ぶり發揮して閉幕 |
10 | 皇奉本部定例部長會議 |
11 | 弔問者が陸續 山本元帥無言の凱旋第三日 |
12 | 遺族を弔問 山內總督代理 |
13 | 關西、竹東道路 近く工事に着手 |
14 | 內務省委員一行 花蓮港視察 |
15 | 托鉢献金 |
16 | 基隆海水浴場 廿七日から開場 |
17 | 鐵道部異動 |
18 | 十四日目勝負 |
19 | 訃文:陳吳市 |
20 | 齒科醫師會 第一回總會 |
21 | 壽校體鍊會 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 物淒い建艦献金熱 仇討に燃える高雄州民 |
02 | “大阪辯に閉口した” 重い使命果した白衣の天使 懷しのわが家へ |
03 | 義勇隊員に採用して下さい お山の青年安村君は叫ぶ |
04 | 白衣奉仕の思ひ出 勇士に信賴されて (二)なによりも嬉しい |
05 | 敢鬪精神を昂揚 臺南の海軍記念日行事 |
06 | “貯蓄戰”にも勝拔く 日婦嘉義市支會の敢鬪ぶり |
07 | 皇奉彰化市支會全體會議 |
08 | 活きた兵器 軍用犬に就いて(二)/林宗賢 |
09 | 貯蓄で擊滅戰 嘉義郡日婦が申合せ |
10 | 暑さを排して驀進 皇奉臺中州支部六月の行事 |
11 | 我こそ海に征かん 黃君ら三百六十名蹶起志願 |
12 | 美談綴る隣組葬 散華した勇士の嚴父に 奉公班が麗しい心盡し |
13 | 志願兵慰問 嘉義の有志上北 |
14 | 國語化五年計畫 岡山街皇奉分會の前進ぶり |
15 | 目指す大空へ 國民校模型機みごとに飛ぶ |
16 | 戰時生活懇談會 婦人各界の代表を招き 廿九日臺南で開く |
17 | 優良水利組合 臺中州で表彰 |
18 | 地方多より |
19 | 人事 |
20 | 今日の映画演劇 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 青果物の配給機構 督府の改善整備要項決定 臺灣青果に集荷配給一元化 |
02 | 戰力增強座談會(一) 勤勞觀念の徹底が必要 |
03 | 藤田殖產局長代理談 |
04 | 專賣局 技術協議會設置 參與、委員、幹事決定 |
05 | 日本一の大海洋筏 石炭運搬にも成功(內地) |
06 | 工場の安全管理(上)/蒲生俊文 |
07 | 糖業の強化を企圖 臺南州、十九廿年期の實行計畫 |
08 | 工業鹽の海上輸送 近く具體的に決定 |
09 | 肉豚增產に新機軸 コレラ無菌部落設置(高雄州) |
10 | 臺灣鐵工業統制會 第一回通常總會 |
11 | 生藥中央配給 組合定期總會 |
12 | 中島理事 島內視察 |
13 | 勤勞報國協力令改正 義務者の年齡引上 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況(廿五日後場) |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(973)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 後藤氏國務大臣に けふ親任式御擧行 |
02 | 國民的の支柱完整 |
03 | 鵬雛感激の巢立ち 陸航士の卒業式擧行 |
04 | 有價證券の取引改善 清算化、投機化を阻止 |
05 | 後藤國務大臣の略歷 |
06 | 圖像:大空に布陣した水上戰鬪機部隊(鈴木海軍報道班員撮影海軍省許可濟第一〇一號) |
07 | 投資取引を本位に 新取引方法の主要點 |
08 | 國際展望 米英今後の動向 ル、チ會談の內容檢討 |
09 | バンコツク着 滿華泰駐日武官一行が |
10 | 殘敵指揮官ら投降 ビサヤ全地區明朗化 |
11 | 長陽縣城は 西江流域の要害 |
12 | ニユーヘブライズ米軍陣地爆擊 ガダルカナル島に巨彈 |
13 | 取引員制度の 整備刷新 |
14 | 敵機四十擊墜 獨軍、ルール地方で |
15 | アクロンの罷業增大 |
16 | 一擧大幅の引上げ 鮮米價格對策を回顧 |
17 | 東部戰線の主動性 ドイツ軍の手に歸す |
18 | 米、ソ武器援助 第三期交涉中 |
19 | 米は依然頰冠り アツツの戰況に關し |
20 | 優秀徵用工員の 初の表彰式擧行 陸軍兵器行政本部で |
21 | 文相を會長に 育英制度創設準備委員會 |
22 | 諸君の責務重大 木村本部長の訓示 |
23 | 三特別委員長と 各省別委員會長 阿部總裁より指名 |
24 | 伊空軍長驅 ス港を空襲 |
25 | 全國專門學校長會議 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國葬は六月五日 奇しくも東鄉元帥と同日 |
02 | 臺灣の米價引上げ 糖價に無頓着に決定の方針 廿九日に調查委員會 |
03 | 港の海軍記念日 海一色の祝賀行事 |
04 | 賞賜物件傳達 井野曹長以下諸勇士に |
05 | 皇國興廢の一戰!決戰下に偲ぶ大勝利 |
06 | 御神刀を奉納 基隆專賣報國會 |
07 | 圖像:齋藤本部長臺南州視察 |
08 | Z一旒 待つあるを恃む |
09 | 齋藤本部長歸北 あす更に臺中州下へ |
10 | 青年團の動員 |
11 | 戰意昂揚に 島都奉壯團曉天動員 |
12 | 東鄉會臺灣本部に 軍艦旗一旒下渡し けふ武官府で嚴かに擧式 |
13 | 戎克貿易港開設 菅野氏新竹市會で提唱 |
14 | 軍官民連絡會議 |
15 | 村橋體協主事語る 神宮國民鍊成大會 意氣昂揚を目的に實施 |
16 | 新たに勅任官六名 官吏優遇けふ發表 |
17 | 海軍記念日献金 武官府整理に大童 |
18 | 映畫實施狀況 竹內中佐が視察 |
19 | 故山本元帥の 寫真奉安式 けふ武官府で擧行 |
20 | 遺族宅を弔問 廣谷市長が |
21 | 留學生指導に 連絡部參與が打合 |
22 | 物故職員慰靈祭 |
23 | 美しき同僚愛! 李副班長訓練中負傷す |
24 | 海は呼ぶ呼ぶ 基隆海水浴場開き修祓式 |
25 | 奉公參與委員會 |
26 | 興南詩苑漢詩 謝源吳齒科醫院主(臺中市)為作 義齒/傅鶴亭、海軍志願兵制決定感賦/林名金、讀詩偶感/郭茂松 |
27 | 產婆實地試驗合格者 |
28 | 基隆港灣運送業會總會 |
29 | 千秋樂雜觀 |
30 | 興亞國民運動 新機構人事決定 |
31 | 伊、港灣等に 特殊機雷敷設 |
32 | 脫走犯逮捕 兩刑事表彰 |
33 | 今晚の放送 |
34 | 商況(廿六日前場) |
35 | 興南案內報社消息 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵潛水艦十七隻と 船舶十三隻を擊沈 南太平洋帝國海軍の戰果頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(五月廿六日十七時) 一、帝國海軍部隊が五月五日以後同廿四日迄に撃沈せる敵船舶左の如し (一)潜水艦に依るもの、油槽船二隻(三萬噸)貨物船六隻(五萬七千噸)運送船一隻(一萬五千噸) (二)飛行機に依るもの、運送船四隻(九千四百噸)計十三隻十一萬千四百噸 二、帝國海軍部隊は四月一日より五月二十日迄に敵潜水艦を十七隻擊沈せり |
02 | 大東亞戰以來 敵艦艇五〇五撃沈破 飛機四千八百餘機を屠る 我海軍の築く金字塔 |
03 | 大戰果の蔭に尊き犧牲 果なき索敵の潛航 默默と尊い忍苦の死鬪 鐵鯨勇士の心境 |
04 | 海鷲の活躍に米側驚愕(アツツ島) |
05 | 戰鬪の主動性把持 淒烈!南海に擊滅戰續く |
06 | 只大戰果に感嘆 小林躋造大將語る |
07 | 圖像:鬪志滿滿、決戰を挑まんとする主力艦隊 白井茂海軍特設寫真班員撮影(海軍省許可濟第一〇一號) |
08 | 海陸の歷史的握手 沙市沖合に仰ぐ軍艦旗 |
09 | 日、佛印經濟實行協定 佛印側に具體案手交 |
10 | 眾議院議院協議會を開催 |
11 | 後藤國務相 首相と懇談 |
12 | 赤軍ゲリラ隊を掃蕩 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 大東亞決戰下の海軍記念日社說 一 大東亞戰爭の決戰期に於てけふ第三十八回海軍記念日を迎へたことは、一入意義深く感ずるものである。日本海海戰は云ふまでもなく、明治卅八年五月廿七、八兩日に亘つて我が聯合艦隊が露國バルチツク艦隊を朝鮮海峽に邀擊し、空前の大戰果を擧げた光輝ある歷史的海戰である。爾來この日を以て「海軍記念日」と定められ、每年國民の記憶を新にして來たのである。殊に今年は本島同胞に對しても、海軍特別志願兵制度を實施することを決定された意義深き年である。本島は四面環海、水や海に接する機會が非常に多いにも拘らず、從來本島人の間では水や海に對して餘り親まない風習があつた。併し今後の大東亞建設を考ヘるとき、吾吾はどうしても海に生き、海と闘ひ、海を克服しなければならない。卽ち海を克服し得てこそ、大東亞に建設され得るのである。この意義深き記念日を迎へて、吾吾は海に對する認識を改め、從来の風習を一掃しなければならない。 二 今やZ信號は再び太平洋に擧り皇國の興廢は正に太平洋にありと云はなければならない。我が無敵海軍は宏壯雄大な作戰を以て太平洋は勿論、遠く印度洋まで制壓し、飽くまで頑敵米英を徹底的に殲滅し盡さずんば已まざる堅き決意と燃ゆるが如き必勝の信念を堅持し、日夜勇戰奮闘し續けてゐる。開戰以來赫赫たる大戰果は元より御稜威の然らしむるところであるが、我海軍が日本海海戰以來必勝の信念を以て猛訓練を重ねて來た賜物である。特に我が海軍の傳統である「敵を倒すまでは死なぬ」と云ふ精神が「見敵必殺」の信念となり、更に「求敵必滅」にまで進展し、この敢闘精神を以て戰ひ拔くにあることは申すまでもない。この偉大なる尊き精神があつてこそ、世界に冠絕せる皇國海軍として世界から仰がれ、畏敬せられるのである。 三 併し大東亞戰爭は決戰に次ぐ決戰を以て戰ひ續けられ、次第に深刻な樣相を呈して來てゐる。打ち續く連敗によつて本格的攻力を失つた敵米は、現在企圖し得る唯一の方法として、對日空襲を頻りに目論んでゐる。その實現の最大の可能性を特に在支空軍による反擊に見出さんとしつつあるのである。殊に最近ワシントン會談に於て、カサブランカ樣式の變更乃至は部分的修正が頻りに報ぜられてゐるが、之は戰爭の客觀情勢の變化によるものであると共に、一面米國內の輿論の動向が對日反攻卽時實行に向つて擡頭して來たことに注目すべきである。世界戰局の現段階から見て、今後たとひ主力は依然歐洲に注がれるとしても、對日作戰に次第に重點が置かれるであらうことは明らかである。最近西南太平洋方面のみならず、アリユーシヤン方面に於ても敵米海軍が益益活動の度を加へて來たことは、この間の事情を雄辯に物語るものである。茲に於て吾吾は三十八年前の興國の偉業を想起し、海の勇士に武運の長久を祈り、英靈に默禱を捧げ更に一段の決意と結束を堅くし、萬全の準備を整へて敵の動向を警戒しなければならない。 |
02 | 東伏見宮妃殿下 富山縣下御歷巡 增產女性を御視察 |
03 | けふぞ海軍記念日 固めよ必勝の意氣 島都は海一色の祝賀行事 |
04 | 東久邇宮妃殿下 總裁奉戴一周年記念日を卜し 日婦會員貯蓄總進軍 |
05 | 青少年よ海を知れ 諸君は海國日本男兒だ! 高雄警備府司令長官高木中將談 |
06 | 映畫「海行かば」を公開 |
07 | 伊藤武官ら特別講演 |
08 | 故山本元帥遺影 武官府構內に安置 |
09 | 圖像:故山本元帥遺墨 |
10 | “斷乎勝ち拔け” 伊藤少將ゆふべ放送 |
11 | 聖將東鄉元帥遺墨 |
12 | より愉しい豐年踊りに 齋藤本部長奉公役職員を激勵 |
13 | 山岸臺東廳長 勅任待遇發令 |
14 | 花蓮港廳下水泳大會 |
15 | 健全娛樂に指針 青年劇指導者鍊成會 |
16 | 訃文:王日炎 |
17 | 今日の映画演劇 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 街は海軍一色 高雄で海軍圖畫窓飾 |
02 | 兵隊さん有難う 嘉義で感謝週間開始 |
03 | 一日一錢百日献金 米英擊滅に臺南全州民蹶起 赤誠の結晶百四十五萬圓 |
04 | 勳章傳達式擧行 |
05 | 作れ推肥だ堆肥だ 森田知事以下陣頭指揮 |
06 | 擧郡一體で驀進 宜蘭郡の推肥增產 |
07 | 笑止千萬、敵の狼狽 夜襲と感違つて敵味方を砲擊 日露戰老勇士の回顧談 |
08 | 高雄奉壯團の曉天動員 |
09 | 流石は優良部落 視察者一同舌を卷く |
10 | 白衣の天使解隊 懷しのわが家へ |
11 | 體驗を教壇に 白衣の天使が教員を志願 |
12 | 全社の若眾志願 憧れの海の兵へ |
13 | 手近な材料で副業 自力更生の嘉義市新富區會 齋藤本部會が激勵 |
14 | 街庄長會議 |
15 | 國民貯蓄打合 |
16 | 輝く海軍記念日 けふ臺東街の盛大な行事 |
17 | 西瓜を滿載して 臺中、臺南兩陸軍病院を慰問 |
18 | ぐんぐん飛ぶ軍用鳩 枋寮、彰化間2時49分27秒 |
19 | 中壢の海軍記念日 |
20 | 大空へ高く遠く 飛ぶぞ彰化郡國民校模型機 |
21 | 臺灣海務協會 昨日通常總會 |
22 | 臺灣鼻續工業組合 |
23 | 本社文選主任王日炎氏報社消息 |
24 | 陳吳氏市 |
25 | 地方多より |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 糖業政策の再檢討 糖價問題は今後更に研究 |
02 | 一期籾の格付標準 特上籾を新に設定 |
03 | 籾等の最高賣渡價格 近く官報で告示 |
04 | 臺灣石炭總會 配當年六分に据置 |
05 | 戰力增強座談會(二) 厚生施設を擴充せよ |
06 | 畜產會社總會 |
07 | 公田の石灰石採取 一元的開發會社設立か |
08 | 雜穀製粉組合 近く總會開催 |
09 | 本島化學工業 統制會への加入未決 |
10 | 臺灣林業合資會社 木炭增產を目ざす |
11 | 經濟手帳 |
12 | 工場の安全管理(上)/蒲生俊文 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況(廿六日後場) |
15 | ラジオ |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 海軍記念日に論功行賞 柳本少將に功二級 殊勳甲七十五名 |
02 | 青木大東亞相外人記者に語る 生產機構全く回復 各地間の交易も活潑 南方諸地域の逞しい建設 |
03 | 溫情溢るる慈父 前線に於ける山本元帥 |
04 | 苛烈な歐洲爆擊戰 |
05 | 圖像:新聯合艦隊司令長官古賀峰一海軍大將寫真は支那方面艦隊司令長官當時出雲艦上にて(海軍省許可濟第一〇一號) |
06 | 純忠愛國の詩人 平泉教授金盛大尉を語る |
07 | オランダ沖合 獨英戰鬪經過 |
08 | 武勳七つ海を壓す 恩賞に輝く海の勇士達 |
09 | 東鄉元帥の精神 日本海軍に生る CBS特派員米國民に警告 |
10 | 反樞軸軍一月以降 六九九機喪失 |
11 | 日本海軍の 偉大さに驚嘆 フランス朝野擧げて |
12 | 興亞總本部規定 |
13 | 反樞軸評定終る ル、チ成果を語る |
14 | 統理は水野氏 部局長も發令 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 圖像:記念日の旗行列と街頭行進 |
02 | 決戰下偲ぶ“此一戰” |
03 | 米英擊滅決意新た 天氣清朗なれども浪高し けふ輝く海軍記念日 |
04 | 輝く海軍記念日祭 けさ護國神社で執行 |
05 | 決戰銃後に絕叫 伊藤武官らが獅子吼 |
06 | 新竹市の海軍記念日 |
07 | 記念日の橫須賀軍港 |
08 | 即座に志願 熱血の二青年 |
09 | 步武堂堂の大行進 戰ふ若人意氣高らか |
10 | 山本元帥に續け 島都奉壯團の曉天動員 |
11 | 血書して志願 開南商業生 |
12 | 山本元帥の遺影 參拜者が續續殺到 |
13 | 花蓮港高女の 大詔奉戴貯金 |
14 | 一意御奉公 豐岡課長語る |
15 | 海の文學と美術 街頭に絢爛の繪卷 |
16 | 爆發する建艦献金 筆頭が七十二萬餘圓 |
17 | 臺南州民の赤誠 |
18 | 建艦献金申合 新竹の奉壯團 |
19 | 一萬圓献金 新竹州自動車 |
20 | 桑田氏軍援に寄附 |
21 | 佳日の献金 爆發の頂點へ |
22 | 高砂族遺族弔問 山內警務局長卅日南下 |
23 | 街頭の献金募集 日婦會員の敢鬪譜 |
24 | 失明勇士へ“心眼” 軍援に贈る結婚佳話 |
25 | 海軍映寫會開催 |
26 | 宜蘭郡街庄長會議 |
27 | 今晚の放送 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 海の敵は海で擊滅 空の敵は空で破碎 矢野少將放送頭條新聞 【東京發同盟】輝く第三十八回海軍記念日の二十七日夜大本營海軍報道部長矢野英雄海軍少將は午後七時半から約二十分に亘り「決戰下海軍記念日を迎へて」と題して東京放送局から全國に放送を行つた、矢野少將は山本元帥が長官の身を以て親しく空の第一線に出撃したることによつても現下の航空決戰が如何に熾烈であるかが窺ひ知ることが出來る、「空よりの敵は空において破碎すべく海より來る敵は海において擊滅すべし」と勝拔く決戰に全國民が益益戰意を昂揚して打つて一丸とする必勝信念の下に米英必滅の一途に邁進せんことを強調した(寫真は矢野報道部長) 決戰下海軍記念日を迎へて日本海海戰において東鄉元帥麾下の帝國海軍が能く曠古の大捷を博したる所以は實に大御稜威を戴きましたる東鄉元帥以下全將兵が盡忠報國の赤誠と敵撃滅の一心に燃え唯水漬く屍と奮戰したからである、大東亞戰爭においても帝國海軍の將兵は傳統的精神を以て日夜奮戰してをるが遂に聯合艦隊司令長官山本元帥の崇高なる戰死となつたのである、元帥の戰死は「指揮官先頭」「求敵必殺」なる帝國海軍の光輝ある傳統が粹然としてそこに鐘つたものであり大東亞戰爭における「Z」旗である、元帥は開戰劈頭全軍に對し 各員粉骨碎身その任務を完ふせよ と訓示せられた、日本海の潮風に三笠の牆頭高く飜つたあの「Z」旗がロシヤの東亞侵略を一撃の下に粉碎したる如く山本元帥が身を以て南太平洋の大空に揚げられたる「Z」が不日米英の世界制霸の野望を悉く擊碎することは斷じて疑ひを容れないのである 世界戰局の現段階は正に今年こそは決戰の年であることを痛切に感ぜしむるのであつて帝國は濁伊と強固なる紐帶の下に結束して敵米英に對し國家、民族の興盛を賭しその總力をこの一戰に傾け屍山血河の激戰を繰返へしてゐるのである、先づ太平洋戰局においては今春以來日夜間斷なく熾烈なる航空決戰が展開されてゐるのであつて山本元帥が長官の重きを以て親しく空の第一線に出陣、作戰全般の指揮を取られたこの一事を以てしてもこの航空決戰が如何に熾烈を極め、山本元帥の最前線出馬を見るに至る程重要視せられる所以は緒職の大敗より漸く立ち直りたるアメリカがおれに決戰を求めて完づ太平洋上における必要なる基地の獲得に乘出したる結果である 既に北アリユーシヤン方面においては去る十二日アメリカ軍の一部兵力は有力なる水上艦艇及び航空部隊の掩護下にアツツ島に上陸し現に同島にあるわが軍は寡兵よくこれを邀撃し肉彈相搏つ激闘を交へてゐる、これより先同島に對するアメリカ空軍の爆擊は今春三月頃より漸く熾烈となり同月中には延機數百八十七機、四月中には八百六機上陸作戰直前の五月上旬には實に「五百五十九機」に達した、今次の米軍のアツツ島上陸はその真意は北方よりする 帝國本土進攻の企圖あることを實證してゐるものであつて一瞬の油斷を許さざるものがある、一方南太平洋水域においても彼我の航空戰は依然として苛烈を極めてをつて三月中の來襲は百七十八回、延機數千九百二十一機、四月は百九十二回、千七百四十機に達し五月に入るや上旬のみで五十九回五百九十八機に及ぶ狀況である、而してこの方面に對するアメリカの反撃は勿論わが占領地域の奪回を企圖せるものであると共に逐次その航空基地を前進せしめて海上兵力、陸上兵力の推進と相俟つて帝國本土攻撃を企圖してゐることは一點疑ふ餘地なきところである、大統領ルーズヴエルトは「日本に攻め上る道は一つではない」と豪語して反樞軸陣營の士氣を鼓舞する一方ガダルカナル島及びニユーギニヤ島東部の前進基地の增勢に努め航空機による反攻を執拗に反覆してゐるこれに對し帝國海軍は陸軍部隊と協力し航空部隊、海上部隊地上部隊相呼應して猛擊を加へ 敵の基地を擊碎その補給線の遮斷に不斷の脅威を與へ着着戰果を擧げてゐるのである、又アメリカは支那本土よりする帝國本土空襲の企圖をもつて虎視耽耽その機會を狙ひ在支米空軍の擴充整備に狂奔すると共に在印度米英軍によつてビルマを奪回しビルマルートを再開せんと焦慮してゐるが帝國陸軍の奪回戰により米英軍がアラカンの一戰に殘敗を喫した結果遂に重慶輸血路奪回に成功を見なかつたのであるが然しながらこれをもつて在支米空軍の蠢動、又は米英印度軍の抗戰企圖を輕視するが如きは嚴に慎しむべきである、これを要するにわが占領地周域における各決戰場の實相は陸海軍の緊密なる協同による制空制海權と諸要地域の確保とを中心に激戰を展開してゐるのであるがこの制空、制海權と諸要地域の確保は戰局を決定する重大なる要件に外ならぬ、即ちこの決戰こそ太平洋戰局の歸趨を決定するのみならず大東亞戰爭ひいては世界戰局の將來を決定するものである、次に歐洲戰局に目を轉ずると東部戰線においては獨ソ兩軍は滿を持して放たず 北阿チユニジアにおいては獨伊兩軍の奮戰功を奏せざりしも兩軍の八箇月に亘る奮戰はよく歐洲を一大要塞と化せしめ獨伊兩國民の戰意は反つて益益昂揚し戰爭目的達成に邁進せんとする決意愈愈固くその團結は一段と強化しつつある實情にある、獨英空軍の爆擊應酬は最近再び熾烈となり又獨海軍の對米英交通破壞戰は依然として米英に深刻なる脅威を與へつつある、斯くの如き東亞及び歐洲の戰局に對して米國は今年度の飛行機生產を陸海軍機合計十二萬五千機を目標として製作を急ぎ既に月產七千機に達せりと豪語する有樣である、その傍ら全國の學生を總動員し搭乘員の飛躍的增強を企圖して海軍飛行機操縱員のみでも今年度三萬人の養成を計畫、實施しつつある、一方艦艇の護送狀況においては昭和十五年成立した第三次ヴインソン案及び大西太平兩洋海軍建艦計畫、開戰後成立した第一次、第二次第三次建艦計畫案等合計八百七隻、三百三十九萬噸の建造計畫が全能力を擧げて遂行されつつあり既にその內相當數のものは就役戰場に出現してゐる船舶の建造においても亦今年度 一千萬噸完成を目標にその工を急ぎつつある、アメリカが斯くの如く航空兵力、海上兵力及び船舶の增強に狂奔しつつある所以は數的優勢をもつてわれを壓倒せんと企圖してゐるからである、空よりの敵は空において破碎すべく海より來る敵は海において擊滅すべし、帝國としてもこれに備へて航空兵力、海上兵力並びに船舶な增強しつつあり國民が心血を注いでつくり擧げた各種の新銳機は續續出擊し新銳戰艦始め有力なる新艦艇も堂堂の英姿を洋上に浮べてゐるのである然しながら敵も亦前述の如き懸命の增勢に努めてゐるのであるが故にわが方も亦これに對抵抗する必要がある、これがため生產戰においても一段の蹶起を要するのである、日露戰爭當時われらの先輩は臥薪嘗膽十年の辛苦艱難を克服しその總力を敵擊滅の一點に集中せられたればこそ曠古の大捷を博するを得たのである、顧みてわれら現在の教訓とし、只前進あるのみである、必勝の信念な堅持して邁進するあるのみである、古賀峯一大將は聯合艦隊司令長官の大命を拜するや麾下全軍に對し山本元帥始め幾多在天の英靈と共に仇敵必殺もつて護國の大任を全うせんと堅き決意を表明せられ聯合艦隊の士氣益益昂まり新司令官統率の下に一致團結飽くまで敵を撃滅し誓つて聖明に應へ奉らんことを深く期してゐるのである、戰局重大なる時光輝ある海軍記念日を迎へ帝國海軍は全國民諸君と共に敵撃滅の一途に邁進せんことを誓ふ次第である、 |
02 | 千古不滅の海軍魂 武人の龜鑑故柳本少將の最期 |
03 | 揚子江を敵前渡河 敵江防軍三萬を猛攻 |
04 | Z旗仰いだ感激 國の要求に應へよ 臺中州下を視察齋藤本部長激勵 |
05 | 伊勢神宮に參拜 嶋田海相全海軍を代表 |
06 | 東鄉會臺灣本部 島都で盛大な發會式 |
07 | 陸軍論功 臺灣關係 |
08 | 定例次官會議 |
09 | チヤーチル當惑 記者團との應答に |
10 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 本島米價引上と諸課題社說 一 政府は戰時生活必需物資に對し生產所要量確保のため適正なる生產者價格を保證するため、去る四月二十日本年度內地產米の引上げを斷行した。其の要領は政府の實質上の買上價格卽ち生產者價格を石當り六十二圓五十錢とし、從來の四十九圓から値上り十三圓五十錢となる。之を基準として政府の標準買入價格は三圓引上げの石當り四十七圓とし、石當り五圓の在來の獎勵金の外新たに十圓五十錢の補給金を交付し、政府からの賣渡價格を石當り三圓引上げて四十六圓としたのである、此の措置によつて自作農及小作農が政府に供出する米については十三圓五十錢の引上げが行はれ、小作農の小作米については補給金十圓五十錢だけの引上げ、地主が政府に賣渡す販賣米については三圓の引上げが行はれたわけである。之と相呼應して五月廿五日の定期閣議に於て臺鮮米の價格引上げを附議可決し朝鮮米については本年度產米から米穀生產費其の他の經濟事情を參酌して生產者價格を石當り十二圓引上げ、政府の買入價格を三圓引上ぐると共に生產者には在來の獎勵金三圓の外補給金九圓を交付する事となつた、卽ち內地米の補給金石當十圓五十錢に對し九圓との差あるのみでアトは全部內地と同樣なのである。臺灣米に關しては旣に引上げの程度等の內容を決定したが、之を更に五月廿九日の臺灣米穀移出管理委員會に諮問する必要上其の發表を延ばしてゐるが、相當大幅の引上げを見るであらう事は明かである。 二 今回內地米價引上げの事情に關しては自家勞働報酬の見積りについて從來は其の地方の普通の日傭勞賃を以てしたが、今回は工場、鑛山の勞賃と均衝を保たしむべく其の單價の引上げを行ひ、且つ自給肥料の評價は從來其の中に含まれる肥料成分を以て基準としたのを今回其の生產に要したる勞力基準として行ふやうに改められたとの事である。其の上從來の基準生產費はいはゆる中庸生產費を用したが、今回は全農家戶數の七、八割までを包含する生產費を基準とする事となつた。かくの如く今回生產者價格引上げの目標は、今日農業生產に於て其の勞働所得の國民的均衡化にある事は明かであり、之に依つて米作農家に對する國家的要求の絕大な事を證するのであるから、今後此の感激に依つて異常なる生產上の熱意を生む事こそ望ましい。尚米價引上げと共に甘蔗價格の引上げも近く發表されるであらう、此の新價格系統を中軸として本島に於ては本年二期米から引上げる事となつたので、一期米の供出問題に關して今や其の萬全策を講じてゐるが、此の際責めて各州廳の米穀納入組合が其利益金を全部吐出して農民の手取を幾分なりとも增加し以て此政策に全面的協力を强調せざるを得ないさうなれば農民に及ぼす心理的影響も少なくないであろうし、農民も必ずや滅私奉公の精神を座興するであらうと信ずるものである |
02 | 島都海軍記念日の夕 決戰の連續だ! 伊藤海軍武官熱辯 |
03 | 皇太子殿下に 軍艦の模型を献上 |
04 | 海軍に盡きぬ感謝 海軍武官府は献金群で雑沓 |
05 | 基隆市の講演會 |
06 | あっ學校が見える! 憎い米英を空爆して見たいなあ 島都の學童體驗飛行 |
07 | 街は繪のようだ 小國民の飛行感想 |
08 | 宜蘭市の講演會 |
09 | 意氣愈よ軒昂 基隆の記念日祝賀 |
10 | 圖像:海軍記念日學徒の武裝行進 |
11 | 優遇勅任官任命評(一) |
12 | 國葬諸儀式日割 きのふ墓所地鎮祭の儀 |
13 | 起て‧元帥に續け 奉壯團聲明書發表 |
14 | 慰問演藝 |
15 | 航空思想の昂揚に 航空青少年隊を復活 |
16 | 國葬司祭長 嚴澤大將被仰付 |
17 | 烈烈の鬪魂披瀝 鄉軍臺北市聯合分會の老勇士武官府訪問 |
18 | 太平町三區青年團の献金募集 |
19 | 羅東日婦慰問袋調製 |
20 | 玉手司政長官遺族寄附 |
21 | 紙芝居公演 臺北畫劇挺身隊 |
22 | 記念講演會 |
23 | 基隆市の 交通事故 |
24 | 人事‧消息報社消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 決戰に擧島總進軍 海軍記念日迎へて意氣愈よ軒昂 |
02 | 歷史の勝利を祝賀 記念日の高雄警備府 |
03 | 擊つ燒く沈める この目で見た日本海海戰/鹽澤喜代 |
04 | 感激の献金群殺到 迸る臺南市民の赤誠 |
05 | 學校防諜聯盟 記念日高雄で結成 |
06 | 商工座談會 |
07 | 圖像:山本元帥の遺墨 |
08 | 從軍の思ひ出 海の老勇士が集ふ |
09 | 前線から國防献金 優しい兵隊の心に 係員たち恐縮して感激 |
10 | 一日で七千圓 忠誠披瀝の高雄 |
11 | 海軍記念日 講演會盛會 |
12 | 建艦献金募集 舞踊の夕 |
13 | ひろがる建艦献金運動 彰化市の半島人たつ |
14 | 華僑の献金 |
15 | 青少年感謝大會 霧峰庄の建艦献金運動 |
16 | 八里ケ濱浴場開き |
17 | 收穫應援團を歡迎 倉澤助役草鞋がけで督勵 |
18 | 米英擊滅の意氣 燃ゆる若人の律動美 |
19 | 斗六郡民の赤誠 一日一錢積つて十一萬六千餘圓 |
20 | 模範農事組合を視察 |
21 | 硬貨回收成績 |
22 | 臺南州出身看護助手歸還 |
23 | 臺中州自動車運輸會社總會 |
24 | 地方多より |
25 | 今日の映画演劇 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 金融機關の貯蓄目標額 けふ金融懇談會で指示 |
02 | 生藥の輸移入 中配組合の計畫決定 |
03 | 戰力增強座談會(三) 生產行政を一文化せよ |
04 | 關仔嶺石灰石採掘 東洋、產業經營に着目 |
05 | 今年こそ更に增產 鐵鋼統制會で渡邊理事長報告 |
06 | 產組聯合會 昨日役員會開催 |
07 | 勤勞の繪卷を展開 食糧營團、增產に乘出す |
08 | 農林省局長異動 |
09 | 運材夫に米增配 交通局より交涉 |
10 | 勤勞顯彰を行ふ 工場、鑛山の種別 |
11 | 商工經濟會の設置 督府立案に着手 |
12 | 本年一期蓬萊 來月二日に初檢收 |
13 | 中平局長歸臺 |
14 | 木村課長來臺 |
15 | 照明燈 |
16 | 商況(廿七日前場) |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(974)/黃得時;碇政彌 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | チツタゴン飛行場‧完全破壞 敵側隱し切れず發表 |
02 | 米英擊滅の決意新た 南方現地の感激と建設の實相 海軍記念日、マカツサルと通話 |
03 | 天皇陛下に對し奉り ヒ獨總統親電を送る |
04 | 第二次特攻隊十勇士の恩賞 遺族の感激一入深し |
05 | ヒ總統から 勳章を贈與 故山本元帥に |
06 | 圖像:一發必中雷擊機部隊(海軍航空部撮影、海軍省許可濟第一〇一號) |
07 | 苦悶の歐洲中立國 複雜微妙な動き檢討 |
08 | 臨時議會を召集 六月十五日召集、會期三日間 |
09 | 米英擊滅請願大會 帝都翼壯の主催で |
10 | 改正市制町村制 六月一日より實施 |
11 | 赫赫たる武勳 恩命に浴した帆足中尉 |
12 | 壯烈‧早川機自爆 江南戰野に偉勳赫赫 |
13 | 赤軍の攻擊失敗 レ市戰線で砲火應酬 |
14 | 英快速艇擊沈 |
15 | 反樞軸作戰會議 アーリー秘書公表 |
16 | 勞働罷業頻發 米國全土に擴がる |
17 | ル宛の書翰手交 ス議長が米特使に |
18 | 反樞軸船舶は 戰前の約六割 |
19 | ベルー在住の 日獨人の財產沒收 |
20 | 赤機廿を擊爆 ノ地區で大空中戰 |
21 | ゴム勞働爭議 ルーズヴエルト の威嚇に屈伏 |
22 | 定例次官會議 |
23 | 海洋筏成功 マカツサルでも |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 全產業人蹶起して 仇敵擊滅に邁進 國葬日から運動開始 |
02 | 賞賜物件傳達 有田兵事部長から各遺族に |
03 | 無敵海軍を讚ふ 共榮圈各地の海軍記念日 |
04 | 盡忠の血潮は躍る 決戰に巢立つ若鷲 |
05 | 保甲民赤誠の結晶 飛行機献金百四十五萬餘萬 軍司令官廣崎係官も感激 |
06 | 圖像:男だ荒波の彼方へ(海軍志願兵募集ポスター) |
07 | 海鷲一機献納 豐榮水利組合長 海軍武官府に手續 |
08 | 南進學徒の搖籃 “臺灣學徒南進研究會”近く結成式 |
09 | 優遇勅任官任命評(二) |
10 | 美談を綴る献金 記念日の基隆四千圓 |
11 | 花蓮港廳商工事務打合會 |
12 | 南方研究の殿堂 海軍占領地域の綜合研究所設置 |
13 | 全員志願を決議 岡本大佐熱辯に感奮して |
14 | 適格青年志願 福德區青年團員 |
15 | 新竹市區長打合 |
16 | 日本に生る感激 歸還看護助手も献金 |
17 | 基隆炭礦の 從業員献金 |
18 | 田中府警務課長 新竹を視察 |
19 | 全島刑事養成 講習會 あす晴の修了式 |
20 | 速達、小包取扱を制限 |
21 | 白衣勇士慰問 |
22 | 臺灣學生騎道大會 |
23 | 和服用生地 卅一日から配給 |
24 | 防諜ポスター 募集締切延期 |
25 | 人事‧消息 |
26 | 今晚の放送 |
27 | 商況(廿八日前場) |
28 | 興南案內報社消息 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 帝國、所信を闡明 決戰必勝へ十全の對策頭條新聞 【東京發同盟】政府は大東亞戰爭勃發以來一年有半、日と共に濃化しつつある決戰的樣相に對應して內においては五大超重點產業の急速なる完整を中心とする決戰體制の確立を維持する一方外においては滿華タイ諸國との協力關係の緊密化を始めビルマ、比島その他共榮圈內軍政地域の建設を促進する等銳意萬般の諸施策を講じ來つたが今回更に戰爭資材の急速且つ飛躍的なる增產を達成するため國內生產機構の決戰體制に伴ふ各種企業の應急的整備を行ふに決し過般來企畫院を中心として商工、農林、大藏その他關係各省間においてこれが具體案の作成を急ぎつつあつた所この程漸く成案を得るに至つた、よつて政府は同案の實施上必要とされる關係法律案並に豫算案に對する帝國議會の協賛を求めるため臨時議會を六月十五日に召集、三日間の會期を以て審議を求める事となり二十八日の定例閣議において東條首相よりその趣旨を諮り所要の手續を決定し時にこの旨情報局より發表された、今回召集された臨時議會は昭和十六年十一月十六日大東亞戰爭直前の緊迫せる國際情勢に對處する臨軍事費追加支出のため召集された第七十七臨時議會を始め同年十二月十六日大東亞戰爭開始に伴ふ臨時軍事費追加支出のための第七十八臨時議會及び昭和十七年五月二十七日大東亞戰爭下計畫造船の實施確保を圖る經費支出のための第八十臨時議會と共に東條內閣によつて召集される四回目の臨時議會であり第七十九、第八十一兩通常議會を加へれば六回目の議會であるが今回の臨時議會の特異性は過般作成を見た十八年度八大國家計畫の圓滑なる實施特に鐵、石炭、航空機、船舶、輕金屬の五大超重點產業の增產確保のためには直接戰力增强に關係少き企業施設をこれら重點產業に振向けて廣汎な生產機構の決戰體制への編成替を行はんとせる點と決戰下國民主食の確保を期さんとする點にあり既往五回に亘れる議會を通じて整備され來つた我が決戰必勝の體制は茲に十全の固きを加へることとなつた、尚政府は今回の臨時議會において國策遂行に關する帝國の所信を中外に闡明することとなつたが右政府の所信闡明は戰局の現段階に鑑み頗る重視せられる |
02 | 翼政會萬全の對策 臨時議會の重要性に鑑み |
03 | 緊要產業へ全力注入 |
04 | 圖像:轟然四海を壓する砲擊 |
05 | 外地物動計畫の完遂 內務省で連絡委員會 |
06 | 勤勞根本法を制定 準備委員會を設置 |
07 | 臨時議會の中心課題 |
08 | 緊急食糧對策の 追加豫算を提出 |
09 | 旺盛な鬪魂を示す 南太平洋の我陸鷲 |
10 | 皇國勤勞體制を確立 翼贊會で報國隊整備要綱決定 |
11 | 定例閣議 |
12 | 兩臺山、羅家埧を攻略 |
13 | 造船資材、成品の 優先輸送を確保 鐵道省令を一部改正 |
14 | 鐵環內の敵猛爆 |
15 | 赤軍を粉碎(クバン地區) 總統大本營の發表 |
16 | 廈門共同租界 解散式 |
17 | 米代將ポーター 參謀次長に任命 |
18 | 伊軍戰果發表 |
19 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 敵側海空軍の 擊滅破碎へ 我海軍決意牢固社說 一 帝國と獨伊とが東西通じて不敗の地位確立に成功し、東は大東亞の共榮圈を、西は歐洲新秩序の基盤を防衞する實力を發揮してゐるのに對し、敵側は一應世界の各地に布陣し、大東亞共榮圈の防衞線と歐洲新秩序の防衞線との外壁を烏合の大勢をたのみとしてとり卷いてゐるのが世界戰局の現段階である。殊に今年こそは決戰の年であり、敵アメリカは緒戰の大敗より漸く立ち直りわれに決戰を求め先づ太平洋上に於る基地の獲得に乘出してゐる現狀である。「輝く海軍記念日」の夜、大本營海重報道部長矢野英雄少將は全國に放送し、山本元帥が身を以て南太平洋の大空に揚げられた「Z」旗が不日米英の世界制霸の野望を悉く擊碎することを斷じて疑はぬと喝破し、東亞の戰局をアリユーシヤン、南太平洋水域、在支米空軍の蠢動、在印度米英重の抗戰企圖の各決戰場の實相を剔扶し皇軍の堅き決意と信念を如實に示現した。 二 敵米は北アリユーシヤン方面では去る十二日米軍の一部兵力を有力なる艦艇、航空部隊の掩護下にアツツ島に上陸し現に皇軍が寡兵克くこれを邀擊し激闘を交へてゐる。米軍今次のアツツ島上陸は北方よりする帝國本土進攻の企圖あることを實證し一瞬の油斷をも許さぬ。又南太平洋に於いても彼我の航空戰は連續し苛烈を極めて居り、五月上旬のみで來襲五十九回、延機數五百九十八機に及ぶ狀況である。この方面に對する敵米の反撃は勿論わが占領地域の奪回を企圖してゐることは一點疑ふ餘地もないところである。一方アメリカは支那本土よりする帝國本土空襲を企圖しその機會を狙つて在支米空軍の擴充整備に狂奔すると共に在印米英重はビルマ奪回を夢み、我が陸軍猛攻の前にアラカンに於いて殘敗を喫したが併しこれを以て敵の反擊企圖を輕視する如きは固より不可である。これら各戰場の敵の蠢動に對し帝國陸、海軍は緊密なる協同の下に制空、制海權と諸要地域の確保とを中心に激闘を續けてゐるのであつてこの決戰こそ太平洋戰局の歸趨を決定するのみならず大東亞戰爭全局ひいては世界戰局の將來を決定するものである。 三 東亞と歐洲の戰局に對し敵米鬼は今年度の飛行機生產を陸海軍機合計十二萬五千機を目標に月產すでに七千機に達すると豪語してゐる。建艦も合計八百七隻、三百三十九萬噸の建造計畫を遂行しつつあり、船舶の建造も又今年度一千萬噸完成を目標に工事を急ぎつつある。米が斯くの如く航空兵力、海上兵力及び船舶の增强に强奔し數的優勢を以てわれを壓倒せんと企つ、然れども我が無敵海軍は開戰以來ハワイ攻擊、マレー沖海戰等を始め屢次の海戰で敵艦艇五百五隻を擊沈破し、飛行機四千八百餘機を屠ると云ふ赫赫の大戰果を擧げ、常に戰闘の主動性を把握し敵反攻を擊碎すると共に米後方補給路遮斷に善戰奮闘を續けて居る卽ち空よりの敵は空で破碎し、海より來る敵は海に於いて擊滅すべく奮戰を繼續してゐるのである。 又帝國としても敵米に備へて航空兵力、海上兵力、船舶を增强しつつあり各種の新銳機は續續出擊し新銳戰艦始め新艦艇も堂堂英姿を洋上に浮べてゐる。要は敵の懸命の增勢に對抗しわが方も生產戰に一段の蹶起を要し總力を戰力增强の一點に集中せば曠古の大捷われにあり、只前進あるのみである。 |
02 | 日本海軍が大黑柱 樞軸國戰捷の核心を支ふ 記念日の獨紙論調 |
03 | 久邇宮殿下御成記念祭 |
04 | 圖像:出擊する戰鬪機群を激勵出發を見送る山本元帥(南方〇〇基地にて)淺井海軍報道班員撮影海軍省許可濟、第一〇一號 |
05 | “生產戰線にても 米英を擊滅せよ” 齋藤本部長熱烈の訓示 |
06 | 輸送決戰に挺身 船員援護會を設立 |
07 | 國葬當日の官廳 平常通りに事務を執る |
08 | 宜蘭神社復舊 御造營奉贊會設立總會 |
09 | 山本元帥を偲ぶ座談會 |
10 | 賴母し銃後の赤誠 日婦會員“建艦献金”街頭募集 一日で一萬圓突破 |
11 | 商奉指導者合宿鍊成會 |
12 | 締めて十一萬餘圓 臺中州民の建艦献金 |
13 | 半日で二十萬圓 海軍省への赤誠献金 |
14 | 白衣勇士慰問 落合畫伯の遺作献納 |
15 | 船客“七つ道具” これだけは是非必要 |
16 | 總督代理軍人遺族弔問 |
17 | 蘇澳郡木炭出荷組合の總會 |
18 | 〝見識を廣めた〞 看護助手月英さん語る |
19 | 興基產業株式會社創立 |
20 | 臺北州青年劇 指導者鍊成會 きのふ修了式 |
21 | 羅東街奉壯の街頭行進 |
22 | 羅東農聯創立總會 |
23 | 全島公設產婆鍊成會 |
24 | 臺中州下青少年團長會議 |
25 | 宜蘭市教育總會 |
26 | 感心な警防團員 |
27 | 工場員感激の赤誠献金報社消息 |
28 | 花蓮港廳林業組合通常總會 |
29 | 疊商副組合長摘發さる |
30 | 西村早大教授逝去 |
31 | 人事消息報社消息 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 燦たり海軍記念日 打寄せる各地の祝賀繪卷 |
02 | 決戰服裝で奉公 皇奉高雄州支部の申合せ |
03 | 警防團の範 病床の妻子を殘して敢鬪 |
04 | 仇討に全山燃ゆ 慰問に社業決意披瀝 |
05 | 街庄長會議 |
06 | 職業輔導打合 |
07 | 日赤社員增加打合 |
08 | 海のつはものたらん 奉公青年隊員五十四名志願 |
09 | 彰化市奉壯團曉天動員 |
10 | 天晴れ愛國少年 浸透する敵擊滅の意氣 |
11 | 貯蓄奉公に驀進 大甲郡やつたぞ百七十% |
12 | 商業人の鍊成 |
13 | うんと堆肥を積め 福田產業部長草屯を巡視 |
14 | 嘉義市民の赤誠 記念日の献金六千圓 |
15 | 講演會盛況 |
16 | 巡查さんが表彰金を献金 |
17 | 一念迸つて献金 鶯歌鑛業奉公會員の美擧 |
18 | 若人の意氣天を衝く 輝く日の學徒奉公隊記念式 |
19 | これで米英を擊て 北京の楊克培氏からも献金 |
20 | 無名有志者 赤誠の献金 |
21 | 續けこの傾向 嘉義花街の自肅振り |
22 | 現場で篤農表彰 農村推進の青木產業部長 |
23 | 嘉義市の海軍記念日献金 |
24 | 陶磁器價格說明會 |
25 | 硬貨回收成績 |
26 | 街頭献金集募 瑞芳奉壯團 |
27 | 三峽學徒相撲大會 |
28 | 大林庄警防團檢閱 |
29 | 開演施療好評 高雄州方委の新規事業 |
30 | 防諜漫畫募集 |
31 | 快癒が一番嬉しい 看護助手に體驗を聽く |
32 | 地方多より報社消息 |
33 | 今日の映画演劇 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 內外地一體となつて 食糧自給を圖れ 川崎內務省委員視察談 |
02 | 戰力增強座談會(四) 共同作業を普遍化せよ |
03 | 臺灣產組聯合會 第一回通常總代會終了 |
04 | 貯蓄優勝組合表彰 |
05 | 海南島鐵鑛石の價格 督府で決定方針を協議 |
06 | 臺灣茶統制會社 利益金處分決定 |
07 | 二期米作付面積決定 蓬萊種植付を獎勵(臺南州) |
08 | 鐵道軌道統制會 本年度事業計畫決定 |
09 | 高雄州下肉豚增產好調 |
10 | 高雄工業用水道 來月竣工式擧行 |
11 | 全國產組代表者會 來月十日中央會で開催 |
12 | 高雄、屏東タクシー合同 |
13 | 臺陽鑛業總會 四分配當案可決 |
14 | 本年度製絲資金 貸出協定利率決定 |
15 | 臺灣畜產興業總會 |
16 | 臺中州一期作米 近く愈よ出始まる |
17 | 看天田に灌溉の便 高雄水利組合の新事業 |
18 | 最近の經濟問題 |
19 | 商況(廿七日後場) |
20 | ラジオ |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 菅原中將けふ參內 具さに軍狀を奏上 |
02 | 日本軍と協力して 敢然比島を防衛 比島要人に精神的更生を聽く |
03 | 天皇陛下ヒ總統に御返電 |
04 | 圖像:襲擊をうけた我病院船ばいかる丸 |
05 | 重要法案七件を提出 食糧對策企業整備が二大眼目 |
06 | 決戰勤勞體制確立 (上)徵用の國家性條文化 全員一意戰力增強へ |
07 | 團體旅客を調整 國策重點輸送を強化 |
08 | 谷大使言明 課稅權の移讓も 近き將來に實行 |
09 | 臨時議會は 十七回目 |
10 | 支那派遣軍の週間戰況 國府軍の活躍目立つ |
11 | 敢然濁流に身を躍らす 渡河點偵察勇敢な二斥候兵 |
12 | 中央協力會議を召集 七月初旬乃至中旬頃 |
13 | 日佛印交涉 我が方の提案に 原則的贊意表す |
14 | 復興する力強い姿 モルツケ群島の近況 |
15 | 米國輿論不滿 ワシントンの軍事會議 |
16 | 勞務配置轉換に 當局萬全の對策 |
17 | クバン河口で 空前の戰車戰 赤軍ハリコフ敗戰の二の舞か |
18 | 我海軍へ祝辭 伊海軍次官が |
19 | 陸軍航空整備 學校修業式 |
20 | 敵一機を擊墜 小癪江南に出擊 |
21 | 米戰時動員局設置 |
序號 | 標題 |
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01 | 石當り十圓引上げ 二期米の買入れから實施 米管委員會で決定 |
02 | 海洋國日本を語る 佐久間精神に生る(二) 無敵潛水艦の猛訓練 高橋大將、大平同盟編輯局長對談 |
03 | 祭粢料傳達式擧行 拜受の遺族ら感泣 |
04 | 增產推進が目的 消費者の負擔增は極力回避 齋藤總務長官語る |
05 | 澎湃たる献金熱 この赤誠、この感激、この敵愾心 “海鷲”資金献納陸續 |
06 | 防空群長を實地指導 |
07 | 生產戰の“殊勳甲” 臺北州で三十三名表彰 |
08 | 眠る古襷を回收 基隆日婦のよい思ひ付 |
09 | 明朗鼓浪嶼の出發 歷史的行政權引繼署名式 |
10 | 勤畜產業戰士表彰 |
11 | 府經濟警察課長に鈴木氏任命 |
12 | 募集發表待切れず 新竹健兒が大擧嘆願 |
13 | 鄉軍の相撲大會 あす川端で開催 |
14 | 荒鷲への誓ひ 若き血沸らせて航空兵志願 |
15 | 決戰生活推進に “戰爭生活協力會”設立 |
16 | 新劇試演會 |
17 | 炭坑爭議は依然解決困難 |
18 | 住宅上棟式 |
19 | 宋進英氏辯護士開業 |
20 | 鐵道部人事異動 |
21 | 人事‧消息報社消息 |
22 | 今晚の放送 |
序號 | 標題 |
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01 | 的野片岡兩部隊感狀 第二次長沙作戰に參加 不滅の勳功を殘す頭條新聞 【東京發同盟】昭和十六年中に展開された第二次長沙作戰に高橋部隊の中核として重要任務を遂行した的野歩兵部隊同配屬部隊及び補給などの任務を完了し、高橋部隊の戰力發揚を遺憾なからしめた片岡輜重兵部隊、同配屬部隊に對してはさきに同方面軍司令官よりそれぐ感狀が授與されたがこの程その偉勳は畏くも上聞に達せられた旨二十九日陸軍省より發表された 陸軍省發表(五月二十九日十六時) 第二次長沙作戰に於て武功抜群なりし的野歩兵部隊、同配屬部隊及片岡輜軍兵部隊、同配屬部隊に對し曩に軍司令官よりそれぐ感狀を授與せられしが今般畏くも上聞に達せられたり 感狀 的野歩兵部隊同配屬部隊 右は陸軍大佐的野憲三郎の指揮に屬して昭和十六年第二次長沙作戰に參加し常に高橋部隊の中核となりて數次に亘り重要且困難なる任務を遂行し且眾敵を擊摧して多大の戰果を收めたり即ち十二月二十七日部隊は他部隊に先んじ刻々增水中なりし汨水の寒流を強行渡河し堅固なる敵陣地を突破して神速に同河左岸地區に地歩を進め次で二十九日敵第九十九師の頑強なる抵抗を破摧し大娘橋東側の要地に進出せり同日夜長沙に向ふ追撃命令を受くるや絕大なる機動力を發揮し三十一日□陽河畔に達し一部を以て左岸の要地を占領せり 敵第十軍は堅固な縱深陣地に據り長沙を固守せんとし高橋部隊は一月一日より連日連夜之に對し攻撃を續行す部隊はその左翼隊となり肉薄攻撃に依り逐次敵據點を覆滅し且數十回に亘る敵の逆襲を擊退して四日又舊城南門東西の線に進出せりその間大隊長以下多數の幹部を失ひ彈藥缺乏疲勞其の種に達せる志氣益々旺盛克く困難なる攻撃を敢行し長沙一角の占領を完ふせり 又高橋部隊の反轉に際しては之が妨害を企圖せる敵第五十九師主力を長沙東南方地區に撃破し東山附近に於て敵第三十二師を撃退して渡河庵護に任じ高橋部隊爾後の反轉を容易ならしめたり 次で牌樓舗北方地に於て新編第十三師の一部を撃破して包圍を蒙れる輜重隊と連絡し十日麻石附近に於て敵第九十九師の一個團を奇襲潰滅せしめ更に十四日錢塘沖附近に於て敵第百四十師主力を潰走せしめたり 右は戰歷赫々たる軍旗の下剛毅なる隊長を核心とし鞏固なる團結を成し難局に處して不撓不屈益々旺盛なる攻撃精神と平素鍊成の成果とを遺憾なく發揮せる結果にして其の武功真に抜群なり 仍て玆に感狀を授與す 昭和十七年四月二十九日 軍司令官 感狀 片岡輜重兵部隊同配屬部隊 右は陸軍大佐片岡幸作の指揮に屬して昭和十六年第二次長沙作戰に參加し常に眾敵の妨害を排して補給及患者後送の任を完うし高橋部隊をして戰力發揚に遺憾なからしめたり 即ち高橋部隊主力に後れて集中せる片岡部隊は十二月二十七日岳州を出發し同日既に汨水左岸地區に進出中なりし高橋部隊主力に追及するため降雪惡路を冒し增水せる新牆河及汩水越へ晝夜兼行三十日朝新開市に於て高橋部隊に追及し補給を為すと共に患者を收容し別に彈藥中隊を先進せしめ以て高橋部隊の長沙に向ふ追擊發起に支障なからしめたり次で部隊主力は卅一日新市に還り患者の處理及補充を終へ長沙附近に向び追及中片岡部隊長は右先進部隊の一部が曩に新開市附近に於て眾敵の重圍に陷り彈藥を地下に埋めて敵を離脫せるを知り同地附近の掃蕩を敢行し全彈藥二十六駄分を收容保全せり 次で四日又牌樓舗北方地區に達し有力なる敵部隊と遭遇するや夜襲を敢行して突破を企圖したるもの敵兵力益々優勢となり新編第十三師第十五師及第四十一師の三個師に達し遂に前進を阻止せらるゝに至るや四周の敵に對し態勢を整へ連日連夜頻次の攻撃を破摧し之に甚大なる打撃を與ふると共に馬匹及積載品を保全し七日長沙より反轉し來れる高橋部隊の近接に伴ひ遂に敵を撃退して補給の任を完うせり 爾後反轉同部隊の執拗なる妨害を巧みに排撃して多數患者の護送に任じ福臨舗附近より高橋部隊に先行し獨力機敏に敵中患者の兵站地轉送を完うし爾後更に軍需品の補充補給を為すなど遺憾なく其の任務を遂行せり 部隊が獨力克く危地を突進し後方部隊の任務を完うし得たるは平素に於ける訓練適切にして片岡部隊長の積極果敢なる指揮統率の下將兵一致團結必勝の信念と旺盛なる責任觀念とを以て任務を遂行せる結果にして洵に後方部隊の龜鑑と調ふぺく其の武功真に拔群なり 仍て玆に感狀を授與す 昭和十七年四月二十九日 軍司令官 |
02 | 興亞の勇士に恩賞 金鵄勳章拜受者九百七名 |
03 | 大勳位蘭花大 綬章を御贈與 故山本元帥に |
04 | 圖像:伊勢神宮に參拜の嶋田海相(內宮にて) |
05 | 陸鷲、恩施(宜昌西方)を空襲 飛行場軍事施設に巨彈 |
06 | 梁山第三次爆擊 |
07 | 光榮に輝く兩部隊 |
08 | 部隊傳統の榮譽 的野憲三郎大佐談 |
09 | 地下の戰友も喜ぶ 片岡部隊勇士の感激 |
10 | 圖像:矢野少將の放送 |
11 | 黑田重德中將親補 比島派遣軍最高指揮官に |
12 | 黑田中將略歷 |
13 | 典型的な九州男兒 片岡大佐の同期生談 |
14 | 最後の勝利に邁進 黑田最高指揮官聲明 |
15 | 太平洋の基地保有を放言 米の野望英國內に反響 |
16 | 米の基地掠奪(獨紙暴露) |
17 | 新安完全占領 常德の敵に大脅威 |
18 | 兩部隊長略歷 |
19 | 單機、敵機四を擊墜 南太平洋戰線陸鷲の武者振り |
20 | 伊軍發表戰況 |
21 | 故山本元帥に 弔詞 眾議院恭しく |
22 | わが戰力着着培養 民一億の決意も新た |
23 | 貴族院の弔詞 山本元帥の靈前に |
24 | 故山本元帥の 御通夜をなす 眾議院を動員 |
25 | 翼政會の新評議員 |
26 | ダーウイン爆擊 |
27 | 眾議院世話人更新 |
28 | 簡易生命保險 積立金運用委員會 |
29 | 私立學校制度の刷新へ 當局積極的意圖 |
30 | 西亞原住民の 反感愈よ露骨 反樞軸軍に對し |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 水產團體統合の特殊性社說 一 沿岸漁業の計畫的增產を圖る為水產會と漁業組合併立の如き指導事業兩團體の分立機構を一元的に統合整備する目的の下に水產團體法が制定されたことは周知の如くである。旣に內地では同法に基き市町村單位の漁業會、府縣水產業會並に製造業會、その上に全國中央水產會と一本建の系統組織に整備統合されるべく具體案が進められつつあるが一方本島に於ても先般府當局案が決定され農業團體統合案と同時に審議決定されることになつた。しかし沿岸漁業が內地に於ける程に發達してゐない本島では漁業組織もそれ程に發達してゐず水產團體としては漁業組合規則に基く漁業組合、水產會法に基く州廳水產會臺灣水產會が現存してゐるのみでその間系統的なつながりがないとはいへ運營方針としてはあく迄一元化を建前として水產會の指導の下に漁業組合が漁業發達に關する共同施設と經濟事業とを行つて來たものである。 二 而も臺灣水產會はその後必要に基き指導事業の他に水難漁船並に船員救濟の兩事業にも乘り出してゐるので指導、經濟事業の一元化を目ざす水產團體の統合は內地程に意氣をもたないことが一應謂はれうるのである。しかし從來の指導方針を法的に裏付ける點で團體法に基く團體統合は依然必要とされるのに鑑み府當局では本島の特殊事情に照し團體法に左記の通り特例を訪けることとして一應原案を決定するに至つた譯である (一)中央水產業會に信用事業を營なましめること。 (二)本島業界の規模に鑑み物又は資金の供給に關する施設及貯金の受入に關する施設は中央水產業會の事業に集結し州廳水產業會の事業より右事業種目を除外すること (三)漁業會製造業會を除き州廳水產業會中央水產業會はその會員の販賣する物の加工、保藏、運搬又は販賣に關する施設を除外すること。 以上督府の原案に據れば漁業會と中央水產業會とが著しく强化されるに反し州廳水產業會が極めて力弱い存在となつてゐる 三 しかしよくこれを檢討して見るに內地の一縣に匹敵するかしないかの規模しかもない沿岸漁等の現狀に徵すれば生產部面に接する漁業會と府縣水產業會に相當する臺灣水產業會を殊更に强化したところで强ち不當だとも思はれない見方によれば州廳水產業會の代りに臺灣水產業會の州廳支部を設置する方が妥當だとも考へられ事實又一應の案として提起もされてゐた。しかし沿岸漁業の本質上地方廳を中心に指導を行つて行くことこそ最も實際的であるところから結局指導事業のみに專念せしめるベく州廳水產業會が設置されることになつたもので統合方針としては最も妥當であるといつてよい。しかし農業團體の統合に伴ひ設置される產業金庫並にそれと臺灣產業會との結び付が判明される迄水產團體統合も漸くは停頓を餘儀なくされてゐるが沿岸漁業の振興が急がれてゐる今日農業團體統合の行惱みで水產團體の統合迄が遷延されてよい筈はない。それ故に農業團體の統合を速かに斷行するやるう改めて督府の一考を要望せざを得ない |
02 | 皇太子殿下 養正館に行啟 館內の施設を御見學 |
03 | 若鷲の育成に盡瘁 大東亞戰史に燦たる一頁 恩賞に輝く岡部大佐 |
04 | 双翼に“荒鷲の魂” 獅子奮迅の別府大尉 |
05 | 東伏見宮妃殿下 きのふ御離縣遊ばさる |
06 | 壯烈鬼神も哭く 光榮の松井正七軍曹 |
07 | 齋場の整備進捗 國葬あと七日に迫る |
08 | 數倍の敵兵を潰滅 山本少尉縱橫無盡な活躍 |
09 | 彩管で戰鬪を實寫 一流畫家第一線へ |
10 | 一家一門の名譽 矢野中尉母堂語る |
11 | 出でよ“陸軍少年兵” 斷乎敵米英に勝ち拔け |
12 | 全職員が丸刈 節約金を國防献金 |
13 | 婦人層の總蹶起 國民貯蓄の目標達成に |
14 | 美術家も亦戰ふ 各氏の感激と抱負 |
15 | 俘虜收容所視察 赤十字駐日代表らが |
16 | 朱厝崙住宅 一日に上棟式 |
17 | 主婦に御注意 中毒して四名が死亡 |
18 | 港都で“海の祭典” 短艇競漕大會を開催 |
19 | 社會事業助成會に寄附 |
20 | モンペ着用を申合す 新竹市の女給 |
21 | 海水浴場に 無料休憩所 |
22 | 內閣辭令 |
23 | 樂生園に國旗 揭揚臺を寄贈 |
24 | 電報受付開始 トラカン、テンバサル |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 米英擊滅の聖鍬!! 增產街道を驀進する農民 宮尾知事らが激勵 |
02 | 自給肥料は銃後の彈丸 各所で增產を說く |
03 | 新穀感謝奉告祭 |
04 | 斬つたり十三人 ジヤングル戰士の武勇談 高雄出身義勇隊前線の便り |
05 | 屋根に屆く堆肥 虎尾郡の決戰農民表彰 |
06 | 髣髴する“此一戰” 老勇士圍む座談會 |
07 | お山に咲く この軍援美談 |
08 | 燃ゆる若人の熱血 續續と海の兵志願 |
09 | 故岡村兵長 深坑庄葬 |
10 | “海征かば”の赤心 竹南松林輝明君ら志願 |
11 | 鍊成塾查閱 |
12 | 防空群を強化 男女を打つて一丸に |
13 | 埔里街記念講演會 |
14 | 八七‧六〇%に飛躍 嘉義郡下の就學率 |
15 | 青少年藝能發表會 |
16 | 成績は優秀 嘉義出身の若櫻 |
17 | 事業打合參與會 |
18 | 銃後の女性として働く 大溪出身の看護助手は語る |
19 | 增產打合 |
20 | 建設的意見續出 中壢郡の奉公委員會 |
21 | 彰化支會常會 |
22 | 割當額を突破 淡水街の國民貯蓄一四二% |
23 | 大溪街協議會 |
24 | 草屯の献金 |
25 | 虎眼施療好評 |
26 | 助役さんも志願 海の兵に頭分街役場職員起つ |
27 | 壯年團旗に對する宣誓式 |
28 | 豐原大甲間バス事故 |
29 | 適格青年に講演 |
30 | 野菜、鷄卵を献納 |
31 | 野鼠驅除 |
32 | 赤痢患者發生 |
33 | 地方多より |
34 | 今日の映画演劇 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 粘結性炭田の開發 鐵道建設問題表面化 |
02 | 米穀問題座談會 法曹奉公團主催で討議 |
03 | 趣旨の徹底を期す 債券買取實施に關し |
04 | 一期米獎勵金增額 けふ府令で特例公布 |
05 | 戰力增強座談會(五) 米穀依存主義を脫却 |
06 | 士林街農事組合聯合會結成 |
07 | 一期籾等の價格 今日の官報で告示 |
08 | 海事行政機構強化 海事課に總務係新設 |
09 | 農事實行組合長會議 |
10 | 臺銀人事異動 |
11 | 專賣技術協議會 第一回參與會 |
12 | 賞與の債券支給額 大藏省から實施要綱通牒 |
13 | 經濟手帳 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況(廿九日前場) |
16 | 島內株仲值表 |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(975)/黃得時;碇政彌 |
序號 | 標題 |
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01 | 身心一切の力盡し 悠久の大義に生る 谷萩陸軍報道部長が放送頭條新聞 【東京發同盟】アツツ島攻撃の敵米軍の極めて優勢なる部隊を敵に廻し血戰二旬に亘つて善戰健闘を續けたわがアツツ島守備部隊は山崎部隊長以下將兵悉く極めて困難なる狀況下において敢闘日本精神の神髓を餘すところなく發揮して遂に玉碎その壯烈なる最期は誠に鬼神をも哭かしむるものがあるが谷荻大本營陸軍報道部長は三十日十九時より同日のアツツ島戰況發表に關する大本營發表のラジオ報道についてわが同島守備部隊の壯烈果敢なる奮戰狀況に關し「アツツ島の血戰について」と題し放送を行ひ山崎部隊長以下わが將兵が常に御勅諭の御精神をよく體すると共に「生きて虜囚の辱を受けず死して罪鍋の汚名を殘す勿れ」とわが戰陣訓の教へをその儘に從容として悠久の大義に就いて護國の魂魄と化し正に山崎部隊長が只の一度も一兵の增援、一發の彈藥の補給を求めず然も兵馬倥傯の間に過誤なきを期するため敵の編制裝備、戰法及び本殿闘における貴重なる作戰記錄を逐一報告した後二十九日夜闇を期し敵の主力集團を求めて最後の突擊を敢行一兵と雖ども殘る間は寸土も敵に渡さずと最後まで奮戰した模樣を詳さに述べこれは全く日本武士道精神の極致を遺憾なく發揮したものでわれわれ全國民は今後益益仇敵擊ちてし止まむの誓ひを新たにすべきである旨を強調した アツツ島の血戰について アツツ島守備のわが部隊は敵と血戰二旬遂に悉く玉碎しましたその壯烈なる最期は誠に鬼神をも哭かしむるものがあり皇軍の真髓を發揮して餘すところがないのでありますそれは大楠公の湊川における戰闘を彷彿させるものであります、アツツ島に上陸した米軍は約一個師團二萬でありまして戰車及び優秀なる火力をもつて裝備され山地及び霧中の戰闘には相當の訓練を受けてゐるものと思はれます、そして有力なる艦隊及び空軍の掩護下にありましたこれに對しわが方は山崎保代陸軍大佐の指揮する火砲數門を有する約二千名の寡勢でありました、五月十二日敵米軍は主力をもつて南岸、各一部をもつて東並びに北岸に上陸して來たのでありますがわが部隊はまづ東岸部隊を水際に殲滅しついで各方面前哨部隊を撤して同島東北角の旣設陣地に據り爾後の戰闘を繼續したのであります敵は陸海空より熾烈なる砲爆擊を反覆しこれに膚接して地上よりの猛攻を繰返してゐたのでありますがわれわれは好機を捕捉しては攻勢に出でその都度これに大打擊を與へて擊退しつつありました、五月二十七日頃には敵は漸く陣地直前に肉薄しここに銃劍及び手榴彈等による白兵戰が展開されるに至りました、こう言ふ慘憺悲壯なる狀況下にありながら山崎部隊長は只の一度でも一兵の增援も要求したことがない又一發の彈藥の補給をも願はない、 その烈烈の意氣必死の覺悟には誰しも感佩してゐたのであります、然も兵馬倥傯の間過誤なきを保し難き、死も目前に迫り且つ通信亦斷絕の恐れあるをもつて機を逸せず取敢へず觀察せる事項を報告すと前書して敵の編制、裝備、本戰闘における教訓將來の作戰上貴重な記錄を逐次詳細に報告して來て居ります、その心情は佐久間艇長が沈没せる艦中において死し直前まで日本潜水艦の將來を思ひ後に續くもののため筆を取つた心鏡にも比すべくその忠誠心の强烈なる責任感の旺盛なる涙なくしては讀めないものがありましたその綽綽たる餘裕に至つては既に生死を超越した聖人の面影すら認められるのであります、斯くの如くして速に連夜善戰健闘しわが部隊は終始士氣極めて旺盛意氣天を衝くの概がありましたが死傷は續出し八日頃には生存者既に百數十名になりました、然も敵は續續として新銳部隊を補充特に物質的威力は益益加はつてまゐりました、ここにおいて山崎大佐は狀況の推移を達觀し最後の決心を取りました、それは強敵に對し最後の攻撃命令を下し皇軍の神隨を發揮せん、と言ふのであります、 即ち二十九日夜闇敵主力集團を求めて最後の攻擊を敢行せんとしたのであります、これに基く一切の處置は迅速に取られたのであります、傷病者にして參加し得ざるものは攻擊に先だち悉く枕を並べて自決し魂魄、戰友と共に敵中に突入を祈念したのであります、山崎大佐は處置完了を事細かに上司に報告し「外に策なきにあらざるも萬一を僥倖し武人の名を汚すベきにあらずと覺悟し部下一同をニツコリとして共に死に邁く」旨を述べ此報告が最後でありました、其後アツツ島の電信所は呼べと永久に答へることなかつたのであります、此最後の攻撃が如何に物凄きものであつたかは想像にかたくないのであります、守備せる全員悉く玉碎し斯くてアツツ島は皇軍の真隨發揮の精緻として永遠に歷史の上に記されることになりました、五月二十七日米國のニユース解說者フレーザー・ハントはアツツ島攻略の困難を指摘して、アメリカ海兵隊中將タルコムは「日本兵は實に頑強であり決死的で勇敢な闘士である、ことに困難な狀勢下においてこの特質を發揮する」と述べたがこのことは太平洋の各戰線で旣に實證されてゐる、 今や日本軍はアツツ島においても恐るべき勇敢さをもつて戰つてゐると思はれる、西南太平洋戰線から歸還した兵士の話によると或場所で日本軍は最後の一人になるまで武器を取つて猛烈に交戰したと言ふこれによつて見ればアメリカ軍がアツツ島の日本軍と對抗し又はこれを制壓する事が如何に困難であるかが判るであらうと述べて居りました「勝利かしからずんば死」を求むる精強世界無比なる皇軍の真面目は敵米軍の心膽を寒からしめたことは明確であります、觀じ來ればアツツ島守備部隊はわが陸軍において既往の經驗に鑑み常に戰陣において勅諭を體してこれが服行の完璧を期せむがため具體的行動の依據を示し合せて皇軍道義の昂揚を圖らんとした戰陣訓をその儘實踐したものであります、本訓その一、第五協同において「諸兵心を一にして己の任務に邁進すると共に全軍戰捷の為欣然として没我協力の精神を發揮すべし」と教へ 攻擊精神において□防禦又克く攻勢の銳氣を包藏し、必らず主動の地位を確保せよ陣地は死すとも敵に委すること勿れ」と訓じ本訓その二、第七、死生觀について「身心一切の力を盡し、從容として悠久の大義に生くることを悅びとすべし」と示し又第八、名を惜しむにおいて「生きて虜囚の辱を受けず死して罪禍の汚名を殘すこと勿れ」と戒められてある、その悉くがこの部隊の上に躍動顯現されてゐるのであります、嗚呼何たる崇嚴何たる壯烈でありませう、守備部隊將兵は其最後の攻擊決行前に皇居を遙拜、大元帥陛下の萬歲を奉唱神國日本の天壤無窮と大東亞戰爭の必勝とそして後に續くものとを信じて心殘りなく笑つて大義に就いたのであります、私は謹みて合掌し仇敵□ちてし止まむの誓ひを新たにするものであります |
02 | 皇軍の真髓發揮 アツツ島の我軍最後まで血戰 |
03 | 勇戰奮鬪の經過 |
04 | 圖像:在りし日の東鄉元帥(海軍省所藏海軍省許可濟第一〇一號) |
05 | 傷病兵殘らず自決 忠魂となって總攻擊に參加 |
06 | 山崎大佐の略歷 |
07 | スペイン艦隊 マ島に向ふ |
08 | 救恤基金を比島民に送る 東條首相が |
09 | 各職場で米英擊滅 一億の敵愾心猛烈爆發 |
10 | 敵六千餘機 を擊墜 伊軍參戰以來 |
11 | 敢鬪精神を承繼 增產で敵を擊滅 |
12 | 敵據點片岩を包圍 方軍五個師を總攻擊 |
13 | 昭南島を視察 滿華泰武官一行 |
14 | 揚子江啟開の苦心 掃海作業の生生しい體驗を聞く |
15 | 英二港を爆擊 |
16 | 真の東洋人に立還る アキノカリバビ副總裁演說 |
17 | 報復爆擊覺悟せよ 英空軍の對獨無差別爆擊に ドイツ紙一齊に論難 |
18 | 內閣辭令 |
19 | 赤軍の損害莫大 |
20 | スタンドレー辭意表明 自己の地位無視を憤慨 |
21 | 東部全戰線に緊張感漲る |
22 | イラン兩種族反亂 |
序號 | 標題 |
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01 | 鬪魂燃ゆる献納機 “臺灣產業組合號”晴の命名式 |
02 | 全滿忠靈塔大祭 三十日一齊に執行 |
03 | 圖像:產業組合號献納命名式 |
04 | 敵の空に舞はん 國葬日期して少年飛行兵應募運動 |
05 | 東鄉元帥頌德祭 第九回目の命日迎へて |
06 | 熱血青年陳君 海兵血書志願 |
07 | 元帥の武勳慕ひて 弔問者水交社に詰掛く |
08 | 凛たる音聲に 在りし日の面影を偲ぶ |
09 | 花蓮港市の 建艦献金 |
10 | 技術攔 生產の最重要手段 「技術の欄」創設に就て/佐藤生 |
11 | 滅私健鬪の手本 鄉土防衛に咲く數數の美談 |
12 | 鍛へ、鍛へ鐵の力 健脚百粁を踏破 奉納團體行軍鍊成會 |
13 | 花蓮港廳支部 奉公委員會 |
14 | 拓南戰士豫備訓練 |
15 | 學生騎道大會 人馬一體の妙計發揮 |
16 | 御遺跡地巡り 青年團繼走大會 |
17 | 南寮海水浴場 あす開場 |
18 | 鳳林郡の未墾地 三千甲美田化の計畫 |
19 | 亡き戰友と對面 朝鮮の傷痍勇士一行 九段靖國神社參拜 |
20 | 海軍記念日祝賀相撲大會 鄉軍臺北市聯合分會主催 |
21 | 大學高專水泳大會 |
22 | 頭圍信組職員ハイク |
23 | 四結國民校復舊地鎮祭 |
24 | 國語で話しませう |
25 | 山一證券會社新に組織 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 產業戰士の殊勳甲 十二氏に輝く勤勞顯功章 |
02 | 工業臺南を建設 關係者が會合打合 |
03 | 義捐金交附式 羅東街で擧行 |
04 | 陸戰隊が市中行進 燦たり馬公の記念日 |
05 | 圖像:馬公の海軍記念日 |
06 | 宜蘭市教育會總會 |
07 | 明朗高雄に 不正販賣取締につき 三宅經濟主任談 |
08 | 養鷄者激增 |
09 | 兩義勇隊員散る 全山仇討ちに燃ゆ |
10 | 野菜造りませう 高雄市三百甲に擴張 |
11 | 奔流する建艦献金 皇奉高雄支會取扱七萬四千圓突破 |
12 | 山本元帥に續く 脈脈打つこの忠誠 |
13 | 臺南學寮竣工 落成式を擧行 |
14 | 能高郡警察課定期召集 |
15 | 能高郡街庄長會議 |
16 | 不正配給發覺 楊溪湖街助役引致 |
17 | 礁溪校保護者會 |
18 | 記念日に四百人 海兵志願に後龍庄湧く |
19 | 全員志願を誓ふ 金山の青年蹶起 |
20 | 龍潭庄協議會 |
21 | 中元の贈答全廢 臺南州で強調週間 |
22 | 新樣式の彈丸切手 六月一日から賣出し |
23 | 新豐郡校長會議 |
24 | 畜牛飼育を獎勵 高雄州下の高砂族に |
25 | 畫劇講習會 嘉義で開く |
26 | 集集の若人志願 |
27 | 赤誠の献金品 |
28 | 宜蘭市道路愛護會 |
29 | 地方多より |
30 | 今日の映画演劇 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 圖像:海をみる(文展彫塑集)/三好直 |
02 | 戰爭と天文學/村上忠敬 |
03 | 文藝時言 技術に就いて/佐藤錦城 |
04 | 大自然の幕開く 宗教藝術としての科學/賀川豊彥 |
05 | 僕の體驗飛行/朱坤炎 |
06 | 月に語る/林金莖 |
07 | 臺灣の季と俳句/王碧蕉 |
08 | 園藝讀本 臺所の廢物で追肥の作り方 |
09 | 生活と文化 畫家の南方第二回派遣 |
10 | 衛生 虫齒の絕滅 |
11 | 豆外信 |
12 | 文化消息 |
13 | 新刊紹介 |
14 | ラジオ |