興南新聞1943年4月
序號 | 標題 |
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01 | 米英の對立激化 堀第三部長痛烈に指摘頭條新聞 【東京發同盟】堀情報局第三部長は三十一日午後七時半「最近の國際情勢米英陣營の內部抗爭」と題して大要左の如き放送を行ひ米英の對立表面化を痛烈に指摘した放送要旨左の如し 今度の大戰における英國の戰爭目的は世界舊秩序を維持し英帝國版圖の保全を圖ることにあり首相チヤーチルは一昨年大西洋憲章の出來た直後に同憲章は元來歐洲諸民族に適用せらるべきもので英帝國內の自治制度の問題と何等關係がないと言明し英帝國內の各種被壓迫民族は依然英帝國搾取の下に苦惱を續けねばならぬことを明かにしたのみならず昨年四億のインド民眾が起つてその獨立を求むるや日頃主張する自由獨立等の言葉を忘れたかの如く無數のインド志士を殺戮投獄し歷史上稀に見る大彈壓をもつてこれに應へ自ら大西洋憲章の條項を蹂躙し去つたまた大東亞戰爭に依り東亞における英帝國の前哨地域が瞬く間に崩潰するのを見た英帝國輿論は露骨にその帝國主義的意識を暴露した世界人類は既に英國の侵略主義だけで十分なる禍ひを受けてをるのであるが今度はこれに加へて 更に露骨な一層野望の大きな米國の世界制霸政策に直面しなければならぬことになつてゐる米國政府は大東亞戰爭勃發直後英國と共同して弱小國と亡命政權二十數國を結合しいわゆる反樞軸國家が聯合を作りしかも巧みに自國の軍需品生產力にものを言はせその指導權を完全に掌握し世界制霸の野望を遂げるべく努力を續けてゐるのであつてその眼中英帝國の保全等と言ふことがないことは勿論英帝國の分裂崩潰こそは却つて英國の遺產を狙ふその政策に一致するものである、斯る醜惡なる米英の內部抗爭に拘はらず米國政府の世界制霸の野望は其後も着着進められてゐるのであつてルーズヴエルトは本年一月七日の議會への教書に於て「約百五十萬に及ぶ陸海空軍の米國軍が米洲以外に於て現に活動中である」と述べて居り一月十九日米國軍事評論家ハンソン・ボールドウインがニユーヨーク、□イムスに發表した所に依ると「米國軍の駐屯してゐる地域は全世界に亘り尠くとも六十五の國乃至主要島嶼に及んでゐる」とのことである即ち既に米大陸に於で米國政府はアルゼンチン一國を除く中南米諸國を完全に自家藥罐中のものとし殆んどアメリカが勝手に軍隊を派遣し軍用基地を使用し物資を開拓し米の霸權は搖ぎなきまでに確立せられてゐるこれも英國の對中米野心に對する痛手であるまたアフリカ方面においても北阿上陸作戰を企圖して英國政府の希望を無視して米國將軍アイゼンハウアーを總司令官として任命し英政府も不承不承ながら之を認めざるを得なかつたのであるがアイゼンハウアーが勝手にダルラン、ジローを起用するや米英の間に新たな紛爭を引起し今もつて判然と解決するに至つてゐない米國の野心は唯北アフリカにのみ止まらず更に佛領西アフリカのダカールからチヤド湖地方に及ぶ地帶コンゴ、スーダン、エクリア方面にまで及びこれ等の地方に續續米兵を送り大西洋からインド洋に出るいわゆるアフリカルートの確保に努めてゐる外ナタール會談においてブラジル政府と氣脈を合せアフリカ海岸地方の長期租借を計畫し着着裏面工作を續けてゐるのであつてこれまた英國の極めて不快とする所である しかも米國が英帝國版圖自體を狙つての活動もまた顯著なのであつてさきに英國が驅逐艦五十隻と交換に米國に貸與した米大陸附近の軍事基地は別としてもカナダは昨今益益米洲ブロツクの一員としての色彩を濃厚にして來て居るし濠洲、ニユージーランド等は擧げてその國訪を米に一任し米の保護領化せざるを得なくなつて居りハワイからニユーギニヤに至るまでの英領諸島中日本の占領したもの以外は悉く米軍の自由使用に任せてゐる實情である、更に英國の寶庫インドに對しては米は援蔣を口實として陸軍、空軍を送つてゐる外頻りに經濟的進出を圖り更にイラン、イラクに對しても米國は援蔣ルート防衛の名目で派兵しその勢力の扶植に努めてゐる其他一見米の利害と緣の遠いように思はれるシリア、パレスタインの如きアラビヤ方面やエジプト方面の英の勢力範圍內にも軍を送ると同時に政治的經濟的進出を策してゐるのであるこれ等一聯の米の世界進出はもとより英政府には頭痛の種であつて英國政府としてはその成行を憂慮してゐるのであるさりとて敗戰に惱む英政府としてはここで米國政府に見離されては立つ瀨がなくなるものであるから涙を呑んで暫らく我慢してゐるに過ぎないのである、上上の英國側の態度に氣をよくした米國はいよいよその帝國主義的野心を露骨に表示して來て戰後の平和維持を名とする海空軍根據地獲得論で高唱するに至つたのである即ち本年二月十七日に米上院屬領委員長タイテイングは上院において「米國の貸與法援助の代償として英は西半球における英領島嶼の基地を米國に讓渡すべきである」と論じ またノツクス海軍長官は下院において太平洋に存ずる一聯の海軍基地を將來確保維持することは戰後において日本素制のため不可缺であると述べ米國が現在租借中の大西、太平兩洋の戰略基地を永久的に獲得する意圖のあることを表明したのである一方米輿論中には更に露骨な態度を例へばハーバード大學名譽教授ハートの如きニユーヨークタイムスにおいて「ソ聯がシベリアを通じカナダを窺ふ危險を避けるため平和的な方法に依りカナダを併合すべし」と唱へたり二月二十八日のウオールストリート、ヂヤーナルが「カナダを併合して北極の空を抑へ濠洲も米の航空勢力圍內に入れるべきである」と論じて居りまた二月十七日のメールの報ずる所に依ると米國某上院議員は「英帝國の大きさと分布は世界平和の脅威であるから英國は世界平和のために其一部を放棄すべきである」と極言する等米國の傍若無人の態度は益益止まる所を知らぬ狀況に至つたのである、斯くの如く米英が植民地問題につき論爭を續けてゐる一方歐洲第二戰線問題ソ聯最後の國境問題等に關し米英とソ聯との間及び米英兩國の間に意見並びに主張の軒格を來して來てゐる最近の論爭等は本年二月廿三日の赤軍二十五周年記念日におけるスターリン首相の布告中「赤軍はドイツ侵入軍と抗戰廿箇月この間歐羅巴に第二戰線の創設なく獨力戰爭の全重壓を荷ひ來つた」と述べて居りまた米英側が北阿戰線は第二戰線的効果ありと宣傳してゐるのに對しソ聯邦新聞紙は獨軍が西部より引抜かれて東部戰線に新たに增强されたと主張してゐるのであるがこれは何れも第二戰線及び援ソ物資供給問題に關する米英の怠慢に對する不滿を率直に述べたものと見ることが出來る、この樣なソ聯の態度に對し駐ソ米國大使スタンドレーは三月八日の記者會見において「ソ聯は米國の對ソ援助にも拘はらず自力にて戰爭を遂行しつつありとの印象をわざと國の內外に與へやうと欲してゐる」と放言したためソ聯との關係惡化を恐る、英國側の批判を招き一時のそ召喚說すら流布せらるるに至つたのである 何れにしても援ソ物資の不充分と米英「空手形」即ち一九四二年に歐洲大陸に第二戰線を作るとの約束は英米ソ關係の癌であつて歐洲に第二戰線を設けないのは、米英がソ聯の疲弊するのを狙つた誤略に基くものでありとの不幸さへ生じてゐるのである斯樣に米英が對ソ問題、英植民地問題、英海軍基地問題、米國のアフリカ、西方亞細亞インド方面への進出問題を繞つて暗闘を續けてゐる外戰略問題、最高統帥部設置問題、戰後の經濟指導權問題、航空權の把握問題等を繞つて深刻な意見の對立があるのであつてイーデン英外相自身が三月十二日から卅日まで半月以上にも亘つてワシントンに滯在したのも前述の對ソ問題を始めこれ等の懸案につき米國政府の意向打診に努めるためであつたと想像せられるのであるがこれ等の問題はその何れの一つをとつても安價な妥協に終るか、しからずんば戰後に持越さるべき性質のものばかりである、わが樞軸陣營が日獨伊を中核として渾然一體その理想を同じくしその政策を一にしてその戰略を密にしてより公正にしてより道義ある世界新秩序の再建に邁進する姿とを對比すれば米英陣營の相剋と內爭の醜態、殊に霄壞の差ありと言はなければならぬもとより敵側もこれ等問題の大部分が戰後の問題であることを熟知してゐるのでこれ等の闘爭が激化する度每に「一切は戰捷のために」とのその冷靜さを取戻すだけの頭腦はもつてゐるのである從つてこれ等の問題を原因として米英陣營が敗戰の途上において直ちに瓦解分裂する等と思つて居らないことは申までもない |
02 | “故國から寶船” 海の勇士を喜ばす食糧滿載 |
03 | 樞密院本會議 |
04 | 圖像:日本航空部隊の爆擊をうけて炎上するダツチハーバの石油タンク |
05 | 酒とビール けふ一齊に增稅實施 |
06 | 湖南、雲南基地を猛爆 |
07 | 土木建築の規格化 工作物築造統制規則けふ公布 |
08 | 冷仙州團長歸順 部下三百餘名率ひて |
09 | 國府駐日大使更迭 後任蔡培氏を起用 |
10 | 滿州首腦部大異動 |
11 | 國府建設に偉功 日滿獨伊關係者に贈勳 |
12 | 運營の適正に努む |
13 | スペイン在華治外法權撤廢 |
14 | 教學局部長 堀池氏に法令 |
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序號 | 標題 |
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01 | 社說 消費稅等の增徵、けふ實施社說 本格的決戰の段階に入つた大東亞戰爭に對處して消費の抑制、購買力の吸收を圖ると共に國庫收入を增加し戰時財政を强化する為今般間接稅を中心とする增稅が斷行されその中物品稅、入場稅、遊興飲食稅等大東亞戰特別稅は旣に三月一日より實施されたが、殘りの消費稅等の增稅もよ本一日より實施されることになつた。今次增稅は固より內地側順應の趣旨の下に行はれたものの臺灣の特殊事情をも加味して課稅すべき對象、免稅點稅率等に就て十分考慮が拂はれたもので先づ妥當であるといつてよい。而して今次增稅の中最も特色あるものとしては特別行為稅の創設であるが擔稅力の所在を確的に狙つて課稅をし奢侈的行為を抑制する意味に於て當を得たものである。臨時租稅措置令の改正も今後に於ける產業再編成其他に伴ふ企業の整備統合に備へたもので右改正に基く課稅の免除乃至輕減の期間が例へ十八年の一ケ年間に限定されてゐるとはいへ企業の整備統合に多大なる拍車を加へるものと見られ今後も必要に應じては更に期間の延長を見ることにならう輸移出免稅停止等も大東亞戰勃發後に於ける貿易情勢の變化に照應したもので至極尤もなことであるが只砂糖、茶等圓域向輸出品を擁してゐる本島では差當り少からざる影響を蒙るであろうが此際內國稅免除の停止から來る負擔によく堪え得る為には極力生產、販賣兩方面の合理化を圖ることが急務であると云ふべきである。 |
02 | 森林を愛護せよ社說 「平素森林から受けた有形、無形の恩惠を感謝し所謂報本反始の心を以て森林を愛護し植林を盛にして山林の恩惠に應へよ」といふ趣旨の下に制定された日本の愛林日は來る四日を以て恰かも十周年を迎へることになつたが本島では臺灣山林會及地方林業團體が主體となつて全島的に愛林運動を展開し種種の催しを行ふことになつた平常稍稍もすれば看過され勝ちである「森林の恩惠」への感謝の念を呼び起す意味に於て大東亞戰下に迎へる本愛林は極めて意義深い日であると謂はねばならない。「森林の恩惠」が極めて多方面に施されてゐることは改めていふ迄もない所であつて政府が一定の計畫に基いて森林事業を營んでゐるのもこの故に外ならない。卽ち臺灣に於ては國土保安は勿論の事木材の自產自給を圖る為督府の施策案に基いて國有林の適當なる植伐計畫が樹立され森林愛護に深い關心が拂はれてゐるのである。しかし大東亞戰勃發後に於る木材の需要增加に到處する為督府では明年度より愈よ木材の臨時增伐を斷行する事になつたがこの時に際し森林に對する理解は更に深められ愛護の念が一段と昂揚される事が緊要であらう。森林愛護の念は只に消極的に森林を大事にするのみでなく植林行為として實踐的に現はれて來るのでなければ無意味であることいふ迄もない。されば愛林運動は自ら植林運動を隨伴して來るもので山林團體の主唱もさうこと乍ら島民各自が森林に對する深い理解を以て森林造成、とりわけ民林造植に一段の協力を致すことが當面の急務でなければならない |
03 | 圖像:目指す四億圓 |
04 | 擧島.貯蓄に總進軍 全生活を戰爭目的へ |
05 | 督府奏任級大異動 優遇官吏の發令は遲れる模樣 |
06 | 忠烈.萬古に薰る 吳鎮主催合同海軍葬儀 |
07 | 米英擊滅の彈丸切手 けふ一日から一齊賣出し |
08 | 臺北州下の警防團 各市街庄に四十三團設置認可 齋藤警察部長談話發表 |
09 | 皇奉生活相談所 けふから臺北市に移管 |
10 | 一路戰力增強へ 臺灣產業奉公會結成式齋藤本部長訓示 |
11 | 真摯な決意開陳 有識青壯年鍊成後の感想 |
12 | 四日は“愛林日” 全島で多彩な行事 |
13 | 青年團指導經營實績研究發表會 昨夜市公會堂で開かる |
14 | 日向會總會 |
15 | 最善を盡したい 立川新臺中總務部長談 |
16 | 舊い經驗を活用 福田新臺中州產業部長談 |
17 | 人事.消息報社消息 |
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序號 | 標題 |
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01 | 決戰下の婦人指導 日婦臺灣本部の運營要綱決定 |
02 | 本島教育の回顧 一ヶ個月步いて十人 後藤編修官か語る生徒募集難 |
03 | 必勝生活の確立へ 長谷川臺灣本部長談 |
04 | 工業育成に努力 宮尾臺南州知事の着任第一聲 |
05 | 防空鐵壁陣を築く 臺南市奉公放空群設置 |
06 | 丸尾二曹散華 |
07 | 郵船臺南出張所設置 |
08 | 彰化郡煙草耕作組合總會 |
09 | 木造船進水式 |
10 | 愛馬思想童心に泌む 田中國民校軍馬を献納 |
11 | 蔬菜の栽培に 高砂族所有の竹籔伐採 |
12 | 新教員辭令交付式 |
13 | 花蓮港廳國民 學校長異動 |
14 | 新竹州異動 |
15 | 警防團結團式 新竹市公園で擧行 |
16 | 各市郡に勞務係 花蓮港廳下愈よ事務開始 |
17 | 臺北州警察異動 |
18 | 稻田花蓮港廳長四日卦任 |
19 | 張有土翁逝去 |
20 | 地方多より |
21 | 訃文:張有土 |
22 | 訃文:游天會 |
23 | 今日の映画演劇 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 消費稅等の激增 愈よけふより實施 |
02 | 水稻多收穫競(上) 作會審查報告 |
03 | 漁業會社への出資 舊日本水產の陸上施設、問題化 |
04 | 萬太發電所竣工 |
05 | 臺灣罐詰協會 總會で定款變更 |
06 | 法人納稅積立金 經過的輕減措置決定 |
07 | 臺灣產業奉公會結成 評議員會で事務局規程等決定 |
08 | 日本拓殖 配當五分 |
09 | パイン植付面積 三千甲步を減反 |
10 | 本島製機帆船 構造極めて牢固 副見總長談 |
11 | 船員の優遇 鐵道賃は五割引 |
12 | 臺中州山產商組合 聯合會總會 |
13 | 水田堆肥增施 強調週間實施 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況(三十日前後場) |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(929)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 又も桂林を空襲 軍事施設に巨彈の雨 |
02 | 荒鷲オロ灣を連爆 |
03 | 敵船九十萬噸擊沈 獨潛艦三月中の戰果 |
04 | 赤軍總ゆる攻擊放棄 東部戰線大變化なし |
05 | 赤軍の損害甚大 |
06 | バ長官一行 神宮參拜 |
07 | 還都三周年記念 參戰救國の逞しき前進 大本營陸軍報道部長谷萩少將 |
08 | チユニジア戰況 |
09 | ロメル軍の撤收成功 |
10 | 隆隆發展の模範省 還都三周年の廣東省 |
11 | 海空共同護衛のもと南海も波濤を蹴つて輸送船は征く |
12 | 戰爭完遂に献身 蔡國府新駐日大使談 |
13 | 定員制更に延長せず 簡素化新官界名實ともに現出 |
14 | 印度政局行詰り ガンヂー翁を繞り 和協派とも物別れ |
15 | 生鮮食料品價格對策 三十日の閣議で要綱決定 |
16 | 英明年度の 歲出豫算額 六十二億五千萬磅 |
17 | 預金部資金總額 十八年度末二百五十億圓 |
18 | 陸軍司政長官 |
19 | ベンガル州危機 州知事行政權を掌握 |
20 | 優遇令による勅任官 內務省關係十四名發令 |
21 | 橫須賀市市域擴張 |
22 | 無線課を增置 航空局第二部に |
23 | 米、ソの對立 民間に波及 |
24 | 反樞軸國食糧會議 廿七日米國で開催 |
25 | 伊、ブ國境劃 定交涉成立 |
26 | 米、太平洋軍事 會議を開催 |
27 | リトヴイノフハルを訪問 |
28 | 米所得稅源泉 課稅法案否決 |
29 | 機構改革斷行 在上海帝國大使館事務所 |
30 | 開封、大同、唐山、三領事館人事異動 |
31 | 反樞軸國際會議に ソ聯代表を派遣 |
32 | 內地樺太間の 別配達郵便廢止 |
33 | 大東亞省人事 |
序號 | 標題 |
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01 | 粉骨碎身御奉公 警備府の高雄移轉に際り 高木司令長官語る |
02 | 治安戰士よ安かれ 臺北州警察招魂祭 |
03 | 基隆市警防團結成式 |
04 | 臺灣教育五十年本社主催座談會 素晴しい躍進振り (一)改隸當時に比べ隔世の感報社消息 |
05 | 基隆市郵便貯蓄座談會 |
06 | 藤村前市長 お別れの挨拶 |
07 | 行け南の新天地 鍬の戰士けふ入所式 |
08 | 宜蘭市警防團 けふ晴の結成式 |
09 | 七洋雄飛の氣魄 海洋訓練隊入隊式 |
10 | 臺北州既製品實績審查 |
11 | 陸海軍に二萬圓を献金 畜產興業會社 |
12 | 日本武士道の精華 十勇士讚ふ在留盟邦人 |
13 | 新竹市警防團 けふ盛大な結團式 |
14 | ケフカラ一年生 希望に胸を躍らすヨイコドモ部隊 |
15 | 宜蘭郡道路 協會總代會 |
16 | 愉快に働いた 林前新竹州產業部長語る |
17 | 開催を見合す諸競技 |
18 | 植林報國に邁進 臺北州の愛林日行事 |
19 | 今月ラジオ常會 增田委員が詔書奉讀 |
20 | 臺北州郡視學 國民校長異動 |
21 | 金庫のねらひ と實際發行 |
22 | 興南詩苑漢詩 讀吳梅村詩集/芳春、題桃花扇二首/芳春、題桃花扇二首 其二/芳春、過桂子山五妃墓/芳春 |
23 | 中等學校長異動 |
24 | 人事 |
25 | 今晚の放送 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 待望の義務教育制茲に實施 皇化今や全島に洽し 瘴癘蠻雨の地.一變して文化の巷 燦たり本島教育五十年史 |
02 | 學制變遷の跡 |
03 | お山も六年制 高砂族教育の今昔 |
04 | 皇民鍊成に重點 社會教育の大展開 |
05 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 鬪ふ國の產業轉換 一路產業總動員 列國經濟戰の諸樣相 |
02 | 乾坤一擲、工業動員 獨逸の決意愈愈堅し |
03 | 自給自足生產 農から工へ伊の轉換 |
04 | 圖像:泥濘を進擊する獨軍 |
05 | 領臺前の教育 鄭氏時代と清領時代 |
06 | 圖像:大洋に活躍する獨雷擊機 |
07 | 戰時切替に大混亂 米の不用意.生產に崇る |
08 | 無休でも軍備不足 青息吐息の英國 |
09 | 平時から軍需一點張り 覆面脫いだソ聯の國防工業 |
序號 | 標題 |
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01 | 久邇宮朝融王殿下 第○○聯合航空隊司令官に御轉補頭條新聞 【東京發同盟】海軍省公表(四月一日十二時)本日左の通り發令せられたり 海軍少將 朝融王 補第◯◯聯合航空隊司令官 海軍大佐 神岡重雄 補鹿兒島海軍航空隊司令 久邇宮朝融王殿下 殿下には御齡四十三歲大正十年兵學校御卒業同十一年少尉に御任官昭和七年少佐、同十二年中佐、同十四年十一月大佐昨年十一月一日少將に御進級遊ばされたのであるがこの間陸奧分隊長、軍令部第五課、同第一課長から八雲、長門の兩砲術長として第一線洋上訓練に當らせられ聖戰第一年の昭和十二年十一月十三日白茆口の敵前上陸に際しては軍令部員の御資格を以て海陸協同作戰に御從事同十三年十二月橫濱航空隊副長を經させられ同十四年十月◯◯聯合航空隊幕僚として中支の第一線に御出征、赫赫たる御武勳を樹てさせられ翌十五年七月八雲艦長に同十五年十一月木更津航空隊司令に御榮轉、「空の宮樣」として御活躍遊ばされたが大東亞戰爭勃發するや昨年三月◯◯基地航空隊司令として第一線に御出動比島方面海軍航空隊指揮官としてコレヒドール島、バタアン島攻擊に御參加あらせられ昨年十月二十七日八ケ月に亘る前線の御任務を果たさせられて內地に晴れの御歸還を遊ばされこの度第◯◯聯合航空隊司令官の御重任につかせられたのである 神岡重雄大佐 本年四十九歲、高田市出身、大正六年兵學校卒、同七年少尉に任官、十年砲術學校普通科卒、昭和五年長鯨砲術長その後球磨、妙高等の乘組を經て昭和十年佐鎭人事部員同十一年中佐十三年鬼怒副長橫鎭勤務を經て昭和十六年十月大佐に進級十八年佐世保鎭守府出仕となり今日に至る |
02 | 久邇少將宮殿下御着任 |
03 | 練習聯合航空總隊司令官 戶塚道太郎海軍中將謹話 |
04 | 少年飛行兵 學校長決定 |
05 | 敵基地に攻擊集中 東部印度の大戰果 |
06 | 敵六十一機を擊墜破 |
07 | 圖像:ルソン島南北縱貫鐵道完成 |
08 | “對華新政策の展開” 重光駐華大使打合の為歸京 |
09 | 躍進的發展に慶祝 東條首相、滿國を訪問 |
10 | トング上空に 敵一機現はる 體當りで擊墜 |
11 | 樺太廳部長發令 |
12 | 首相一行に 御贈勳御贈品 |
13 | 厚生省辭令 |
14 | 日滿華の紐帶強化 訪滿の意義頗る重大 |
15 | 全面的協力に感謝(首相談話) |
16 | 建國以來始めての訪問 |
17 | 新中央政治委 員決定 國民政府發表 |
18 | 親孝行がしたい 離任の徐良氏語る |
19 | 敵船九十三萬噸を擊沈(獨軍) |
20 | チユニジア北部戰線戰況 |
21 | 佛印資源調查團 任務を終了して解散 |
22 | 米ソの內面的 抗爭表面化 |
23 | 社告/興南新聞社報社消息 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 國府主催回復 名實共に獨立國家社說 一 中國建國史上永遠に記錄さるベきわが專管租界、北京公使舘區域、鼓浪嶼共同租界の返還は、豫ねての約束通り還都三周年記念日に實施され、國民政府多年の熱願である主權回復が實現、名實共に獨立國家となり帝國と同生共死の血盟固く、大東亞戰爭の戰友國として巨步を踏み出した。汪主席はこの意義深き還都三周年を迎へるに當り「全國民に告ぐるの書」を發し、日本と相携へて大東亞戰完遂の一途に邁進するのみと激勵した、汪主席は先づ大東亞戰爭は東亞民族の總力戰であり、米英侵略の魔手より脫却する為めには、東亞の盟主日本と渾然一體となり東洋本來の道義精神「人の和」に依つて十億の人々が集結し、同心同德の力を以て功利主義、利身利得の米英と相對するならば必勝は疑ひないと說いてゐる。而して若しこの戰爭に失敗するならば、全東亞民族はアフリカ、濠洲、西阿の民族と同一運命に陷ることになると斷じ、日本は最前線に立ち中國は後方よりこれに從ひ、一切の心力、物力をささげて協同奮闘すべきであると强調した烈烈!中國の復興と、東亞保衞の熱情旣に敵米英を呑むの概がある 二 一方日華新關係に卽應して、兩國經濟提携を一段と緊密化すべく、帝國政府は在支事業關係者の參集を求め、二十九日首相官邸に日華經濟提携に關する懇談會が開催された。席上東條首相は「日華經濟關係については、帝國政府は從來の諸施策に對しこの機會に新たに所要の檢討を加へ、公正且つ合理的なる調整を行はんとする決意を有してゐる。今日は權益とか又は特權の牙城に立籠つて仕事をすると言ふことでなしに、中國國民と伍し彼等と提携して共存共榮の立場において、經濟的發展を圖るべき時期に立ち至つてゐる、どうか各位の協力を切望して已まぬ」と民間の理解を求めた。又青木大東亞相も「中國に於ける最大の競爭者米英勢力が完全に拂拭され、また國民政府及び中國人が全面的信賴協力の態度に出てゐる今日、對抗觀念であるとか、國際權益思想とかはこれを一擲し、この際國策の線に沿つて頭を切換へることが最も大切で、各位におかれて特に指導鞭韃を願ふ」と要請した。國民政府政治力强化、日華鐵石の契りにとり何たる誠意に滿ちた言葉であらう。 三 迷夢に躍る重慶を傀儡とし、定狗とする敵米英は、今や大東亞から遠く追放されたが、固より反攻の野望を捨て得ず、對日反攻の基地と云ふ意味に於いて以前にも增して重慶勢力下の奧地に强くかぢりつかざるを得なくなつた。ルーズヴエルトは宋美齡と共同の記者會見に於いて「日本に對する攻擊は支那に於いて重大決戰を行ふべきである。卽ち支那大陸より日本本國を攻撃することとならう」と語つてゐる。これは勿論援蔣を「哀訴する重慶へのお世辭の媚態外交であるが、同時に、敵米の對日反攻が重慶を據點とせざるを得なくなつた戰略的苦境を暴露する以外の何物でもない、國民政府の參戰、わが對支政策の大乘的轉換は、重慶側に對しその抗戰目的を失はしめるものである、汪主席も特にこの點を强調し「吾人は重慶の桎梏下にある多數の同胞を忘却し得ぬ、必ずや彼等を解放し彼等をして吾人と共に起ち上らせよう、但し彼等が自己を主張してさうならなければ、吾人はこれを米英の走狗と認め打倒米英と共に彼等に對しても同樣の態度を堅持せねばならぬ」と決意を披瀝したが日華鐵石の血盟にとり慶びこれに過ぎるものはない。 |
02 | 高雄に警備府新設 馬公は要港のみ存置 海軍省公表 |
03 | 晴れの移轉式擧行 昨日新裝成れる廳舍で |
04 | 圖像:臺北北警防團結團式 |
05 | 今後一層の協力を 高木司令長官語る |
06 | 國防上一大威力 坂口高雄州知事語る |
07 | 高木司令長官 歡送裡に馬公出發 |
08 | 譽の增產戰士 賞金一部を献金 |
09 | 航空醫學の犧牲者 藤田軍醫大尉、西崎軍醫中尉殉職 東條首相から表彰狀 |
10 | 研究に大なる成果 |
11 | 島都の防衛に挺身 南北兩警防團結團式 |
12 | 港都警防團常備消防本部新發足 |
13 | 白衣奉仕の鍊磨へ 島都の看護助手鍊成所入り |
14 | 藝能祭記念演劇大會 きのふ市公會堂で盛況 |
15 | 看護助手講習會の入所式 |
16 | 一意御奉公へ 本田新嘉義市長談 |
17 | 中等學校長異動發令 |
18 | 戰時下の住宅 一戶當り二十四坪 |
19 | 暖暖の藝能競演會熱演 杜生活部長臨席 |
20 | 女青鍊成會終る |
21 | 羅東街助役に中川氏就任 |
22 | 債券當籤番號 |
23 | 南方開拓の鍬の戰士入所式 |
24 | 臺灣唯一の 文化映畫館 昨日より開館 |
25 | 人事.消息報社消息 |
26 | 訃文:白鐘清 |
27 | 訃文:陳葆和 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 鄉土の防衛陣確立 各地の警防團結成式 |
02 | 不杇の功績殘し 消防組防衛團壯丁團解散式 |
03 | 高雄は歡喜一色 要港と警備府設置で |
04 | 本島教育の回顧 全く感慨無量だ 折井先生が語る草分け時代 |
05 | 本島治安の礎! 殉職警察官招魂祭執行 |
06 | 新化郡の愛馬日 行事 |
07 | 新莊郡是を確立した人 退官を惜まれる北島前郡守 |
08 | お山の献金 |
09 | 憧憬の校門だ 幼き胸に希望は輝やく 花蓮港中等校入學式 |
10 | 乳幼兒に石鹼 ネルを特配 |
11 | 坊やは健かに育つ “安心して働いて下さい”と 神に祈るお山の軍國妻 |
12 | 新化郡商奉團 去る三十日結成 |
13 | 南方の開拓戰士 熱帶農業技術員入所式 |
14 | 旗山郡教職員異動 |
15 | 駑馬に鞭打たん 土光新總務部長決意を語る |
16 | 臺南州異動 |
17 | 私立淡水中合格者 |
18 | 人事報社消息 |
19 | 地方多より |
20 | 今日の映画演劇 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | マグネシヤの確保 砂糖、パルプの消息に 關東州、北中支當局と折衝 |
02 | 電氣工事の統制 昨日臺電に正式指命 |
03 | 州下產組長會議 勤續者表彰式を擧行 |
04 | 漁業會社の設立 愈よ目近に迫る |
05 | 水稻多收穫競(下) 作會審查報告 |
06 | 日本海洋漁業 臺灣營業所設置 |
07 | 工藝技術の保存に 日本工藝會府縣に支部設置 |
08 | 中壢郡業佃會總會 |
09 | 港灣荷役補助金 獎勵金と共に交付 |
10 | 酒類級別と價格 委員會決定一日告示 |
11 | 落花生販賣價格 約二圓の採算割れ |
12 | 水產團體法と(上) 漁業今後の動向 |
13 | 港灣荷役增強週間 意想外の好成績で終了 |
14 | 愛林運動の展開 植林に島民の協力を要望 |
15 | 土地改良組合 |
16 | 自給肥料に拍車 高雄州各市郡に增產後援會 |
17 | 働き申斐ある場所 那須高雄州總務部長談 |
18 | 照明燈 |
19 | 商況(一日後場) |
20 | ラジオ |
21 | 水滸傳(930)/黃得時;碇政彌 |
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序號 | 標題 |
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01 | 來滿の東條首相 皇帝陛下に接見 |
02 | 懷しの國都で 感激の第一夜 |
03 | 獨軍猛反擊を開始 チモシエンコ攻勢全く挫折 |
04 | 赤軍の包圍環崩壞 クバンド流地區獨軍の反擊成功 |
05 | 獨軍戰況發表 |
06 | 圖像:新生中國還都三周年記念式典 |
07 | 靖國合祀の遺族 臨時列車七十本運行 |
08 | 國府還都三周年(下) 指導者に抱負を聽く |
09 | 赤軍戰車六千四百臺破壞 獨軍一月以降の戰果 |
10 | 總力戰完遂へ 伊國民士氣昂揚 |
11 | 圖像:雲南前線ジャングル地帶を進擊する荻島勇部隊勇士 |
12 | 鳴神島來襲の 米機を擊墜 |
13 | 開封領事館の開館式 |
14 | 擊沈敵船百八十萬噸 九割までは英國船 獨潛艦戰果 |
15 | イーデン、カナ ダ首相と會見 |
16 | 情報局審議室の構成陣容 民間からも登用 |
17 | 獨軍前線報道 チユニジアの戰況 |
18 | スチムソンの戰況談 |
19 | 修練は學徒の本分 國士教育に轉換する高等學校 |
20 | 佛の義勇軍 前線に出動 |
21 | 太平洋前線に增援派遣要請 反樞軸指導官會議 |
22 | 人馬一如の御奉公 “愛馬の日”の新目標 |
23 | ド、ジ兩派の 結束を希望 イーデン語る |
24 | 驛手、線路工 手の待遇改善 |
25 | ロツテルダム爆擊 |
26 | 食用鰊の最高 販賣價格改正 |
27 | 翼贊會辭令 |
28 | 高校專門校長發令 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | “全力擧げて頑張れ” 基隆造船所視察の長谷川總督 造船戰士を力強く激勵 |
02 | 誓って“醜の御楯”に 憧れの入營迫る譽れの若櫻 臺灣神社に祈願參拜 |
03 | 臺灣教育五十年本社主催座談會(二) 新公園一帶は野原 淋しい當時の臺北城內報社消息 |
04 | 祈願祭と講演會 あす橿原神宮で催す |
05 | 轉業戰士に激勵狀を贈る |
06 | 鄉軍團體講習會 けふから高商で開催 |
07 | 日婦臺北市支會役員會 けふ市會議室で |
08 | 迸る島民の赤誠 三月中の献金七十四萬圓 |
09 | 古銀貨を献納 九十三歲の愛國婆 さん本社に寄託報社消息 |
10 | “決戰期の女性” 木內女史が講演 |
11 | 山を綠で塗り潰せ 全國學校林の造成一齊に開始 |
12 | 皇國婦道の確立へ 會員の善行者、優良貯蓄組合を 日婦臺灣本部で表彰 |
13 | “節煙氣構へ”に赤誠號 昂まる銘柄整理要望の聲 |
14 | 法務部人事異動 |
15 | 官民の保護事業後援に感謝 堀田判官語る |
16 | 島都チフス 豫防注射 五日から實施 |
17 | 州文書課長に 遠山泉氏就任 |
18 | 岩田興亞學院院長來新 |
19 | 戰勝祈願市民 遠足 |
20 | 消防署開廳式 五日に擧行 |
21 | 興南詩苑漢詩 與同社春日游雙溪箕園/覺齋、題箕園似許君劍亭/小維摩、遊箕園呈劍亭詞兄用小維摩韵/臺中 蔡說劍、再題箕園示主人/小維摩 |
22 | 日本小兒科學會臺灣地方會 |
23 | 詩吟劍舞大會 |
24 | 軍艦岩行 |
25 | 人事.消息報社消息 |
26 | 今晚の放送 |
27 | 商況(二日前場) |
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序號 | 標題 |
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01 | 淒壯鬼神をも哭かしむ 稻垣部隊と決死の傳令 ガ島血戰記頭條新聞 ID:043850580 凄壯鬼神をも哭かしむ 稻垣部隊と決死の傳令 ガ島血戰記 【東京發同盟】帝國陸軍航空部隊は南太平制空權の獲得と補給の確立に狂奔する敵米空軍との間に今尚連日に亘り熾烈な航空決戰を續けてゐるが去る二月行はれた轉進作戰の掩護部隊として昨年十一月五日ガ島に強行進撃し優勢なる敵軍を相手に死闘の限りを盡した稻垣部隊の悽慘鬼神を哭かしむる血戰の模樣を陸軍報道班員は左の如く傳へて來た 【南太平洋前線◯◯基地にて陸軍報道班員森川賢司發】 (一)雨低く垂れて 四邊は真闇海は黑い油を溶かしたようにドロリと澱んでゐる、凄い程恐しい暗闇と死のやうに靜寂なガダルカナル島北岸タサワロングの海岸へ突如現はれた真黑な塊があるこれは米撃滅のため萬里の波濤を蹴立てて敵前強行上陸を敢行した陸の精銳稻垣隊である時は昭和十七年十一月五日拂曉前のことであつた、部隊の任務は速かにルンガ河上流アウステン山北麓最前線の最右翼に陣地を布き時機來らば一擧に敵の背後を衝くと言ふ重大なものであつた、南海の夜が明けた、遙か東方からは彼我交戰してゐるであらう、銃砲撃は殷々として絕間もなく遠雷のやうに轟き渡つてゐる、爆音が大空一ばいに響き渡ると暴虐無比なる敵の飛行機は二機、三機と密林上すれすれに飛廻り怪しいと見える箇所には五、六發の爆彈を連續的に投下しその他の箇所は機關銃で盲滅法に掃射した、密林內は砲煙がのた打ち廻り大木は物凄い大音響と共にぶつ倒れ部隊は幾度となく爆風を被り土砂を浴び或時は匍匐し爆彈と機銃彈の間を縫ひながら磁石を唯一の頼りとして東へ東へ進撃した、この邊の密林地帶は人跡未踏、千古の大森林で二十米以上の大木が亭々と天を衝きそれに直徑五糎から十糎以上もある藤の蔓や寄生木が無數に絡みつき恰かも簾を張ったやうになり通行殆んど不可能と言ふ狀態であつた、仰げば遙か上方に枝葉が茂り僅かの青空さへも見へない地上には曲りくねった大木の根が大蛇のやうな不氣味な姿を現はし三抱へも四抱へもある大木は敵の盲爆のために倒れ至る所に橫はつてゐた、部隊はこのやうな晝尚暗い密林地帶を切り開き切り開き進んだが行程は遲々として捗らない、敵機は間斷なく頭上を唸り續け海上からは艦砲で網の目のやうに密林地帶へ射ち込んで來る「なんのこれしき、日本男兒だぞ」部隊長稻垣少佐の激勵の言葉に兵隊達は勇氣百倍、一致協力してこの盲爆下を晝夜兼行殆んど文字通りの苦難を嘗めて進撃し漸くコカンホナの東方二粁を起點としてアウステン山の背後を通る丸山道へ辿り着いた、この丸山道は我が高橋工兵部隊が十月十三日から二十一日まで約一週間不眠不休總ゆる困難と戰つて四十二粁の密林地帶を切り開いた道である、それだけに道とは名のみで杣道よりももっとひどい道であつた、時はてうどが島の雨季、每日午後になれば篠つくような豪雨があり丸山道は何處までも續く泥濘の道である然も重疊たる峻嶮を一直線に切り開いた道なので時には蔓に縋つて斷崕を攀ぢ登り時には藤蔓を唯一の頼りとして千仞の谷底へ下って行く、糧秣、彈藥を背負ひ銃を肩にしてこの難路を行軍する兵隊達の苦勞は言語に絕するものがあつた アウステン山の南麓を迂回して北麓に現はれた部隊の陣地や飛行場を一望の下に展望し得る絕好な密林地帶に陣地を布いた、敵は當時アウステン山以西、海岸浴ひにのみ全主力を注ぎ有り餘る機械力を總動員して海陸空一體となって我に對抗してゐた時なので稻坦部隊がアウテン山の嶮岨を越えて後側方に陣を構築し機の熟するのを待つてゐる等と言ふことは彼は夢にも知らなかったしい、部隊の前方にある第一展望點から見下せばルンガ河は南から北へ帶のやうに流れその河を挾んで東飛行場西飛行場がありその周圍の小丘には堅固なる砲臺を築き道路は四方八方に通じて兵員、糧食、彈藥等を滿載した自動車は水の派れるやうに走つてゐた、飛行機は每日十機、二十機と着陸し又味方を爆擊に行く飛行機の數さへはつきりと讀み取られた、部隊の陣地は敵の空爆もなく艦砲射撃受けなかつたので兵隊達は每日刻々と增加されて行く敵の兵器と兵員を見詰め無念の齒嚙みをしながら突撃命令を今か今かと待つてゐた、部隊長は全員を集め「我が部隊は最右翼にあつて敵の背後を衝く最も重要な位置にある、下命次第我が部隊は敵の背後に突入すること勿論であるが或は狀況によつて敵の全兵力を引きつけ本隊の攻撃前進を容易ならしめなければならぬ時もあらう、敵の兵力を過少視することは兵家の最も慎むべきことであるがさりとて恐れる必要もない、見よ、敵の飛行場附近には野砲、山砲が山積し飛行機は每日十機、二十機と着陸してゐる米兵は弱い、だが彼等は多敷の兵器を持つて我に對抗するだらう、我々には大和魂があると言つて素裸のまゝで彼等の精銳なる兵器にぶつ突かることは不可能事である、今は幸ひなことに我々が此處にゐると言ふことを察知してゐない、我々はこの機會を利用して堅固な陣地を構築しなければならぬ、部隊長は命令する、全員で陣地を造れつ」と命令した、兵隊達はその日から全力を擧げて陣地の構築に努力したのである (二)突撃の命令も敵を牽制する命令も未だ來ない、正面部隊の戰闘は每日猛烈に展開し囂々たる銃砲聲は天地もひつくり返るやうだ、兵隊達はいらいらし出し銃を持つて立つたり坐ったりして敵陣地を睨んでゐる、部隊の難事は糧秣、彈藥の補給であつた、輸送機關も輸送道路も完備しないこの最前線は總て兵隊達の肩を借りて補給しなければならなかつた、彈藥糧秣の交附所は數里離れたサワロングにある、數里と言へば簡單あるがその間丸山道の峻嶮あり、密林地帶あり、又敵の空爆艦砲射撃圈內を通過しなければならぬと言ふ命がけの仕事であつたこの危險を冒して莫大な犠牲を拂つた補給も決して滿足なものではなかつた、部隊長稻垣の顏に黑い影が日增しに翳して來た部隊全員を救ふたには淚を飲んで決死の輸送隊を組織しなければならなかつたのである、この決死的な兵隊達が目的地のタサワロングなり、エスペランスなりへ到着しても持ち歸つて來る糧秣は極く僅少で兵隊一人一日分の米は一合足らずに粉味噌一つのみと言ふ悲慘な有樣であつた、殊に甚しいのは十日から十四日まで一粒の米もなく折角意氣込んで行つた兵隊達もすですでと每日歸つて來た、兵隊達は密林地帶を駈け廻って食糧を搜したがこの島にはバナナ、パパイヤと言ふやうな果物は一つもなくただ海岸地帶に僅かに椰子林があるに過ぎなかった、從つて兵達は色を見、香ひを嗅ぎ味を味はつて凡そ毒でないと見當をつけた木の葉や草、或は根等殆んど食糧になった、この食糧不足と相俟つて濕氣が多く氣候不順瘴癘の土地なのでマラリヤ、榮養失調、脚氣、下痢等の患者が續出した、兵隊達は四十度以上の高熱を冒して脚氣や下痢をひた隱して糧秣受領の使役を志願し多くの戰友達のためとふらふらしながら出かけたのである、「俺達は欲しくない、みんなで分けてくれ」、上官は部下へ、部下は上官へ、一つの椰子の實を讓り合つてゐる美しい狀景は各所に見られた、部隊長はいつも瞼を濕ほしい影で目頭を人知れず拭いてゐた、十二月に入ってから敵の將校斥候が附近密林地帶に出没し始めたので彼等にこの陣地を發見されてはこの後の味方作戰に支障を來すと考へ「敵の斥候を見つけ次第撃滅せよ」と命じて味方からも將校斥候を派遣した、敵の斥候が密林地帶を進む時は先づ前方へ發砲し何等の手應へなしと見届けると二、三百米前進し更にそこで發砲して進んで行く、從つて我が斥候は彼等の位置を知り尚進む方向さへ知ることが出來たので來る斥候も來る斥候も總て全滅することが出來たのである、こうした積極的な最善の方法をとつてゐたので稻垣部隊の陣地は敵に發見されなかった、その頃から敵の飛行場には刻々と飛行機が增加し自動車道路には銃砲、迫撃砲が濛々たる砂煙を上げて西へ西へと運ばれてゐる、その數肉眼でも二百、三百と數へられた、敵の陣地は愈々機械力をもつて強化されマタニナウ河を挾んで彼我猛烈なる戰闘狀態に入ったらしく砲撃は間斷なく轟き飛行機の爆音は大空に擴がつた、稻垣部隊には未だ攻撃前進命令が來ない、兵隊達は氣が氣でなかつた、稻垣少佐は健氣な部下のために幾度泣かされたか知れなかつた時顏と顏とを合せてゐるとそのいぢらしい姿のために胸の熱い塊が咽喉へこみ上げそれが瞼の裏へジインと滲み部下の前も憚らず大粒の淚がボロボロと流れ落ち (三)敵は稻垣部隊の陣地をどうして嗅ぎつけたものか昭和十八年一月二日の拂曉から多數の兵力と迫撃砲とをもつて包圍體形に進んで來た、敵の飛行機は地上部隊と協力し無數の爆彈と迫撃砲彈で稻垣部隊の陣地を叩きつけた敵の砲聲は瞬時の休みもない「部隊は一丸となってこの陣地を死守せよつ、一歩も退くなつ」部隊長の悲痛な命令は傳令の口から各陣地へ傳へられた、病ひに倒れてゐた兵も匍ひながら銃を取り土煙を頭から浴びて勇敢に戰つた、敵は盲滅法に砲彈を浴せつつ一方我が陣地を中央に鐵條網を張り廻らし遠卷きの包圍陣を布いてしまつた、そのうち彼等はトーチカを築き始め我を袋の鼠として持久作戰をとったのである、敵の砲彈は一分間何百發となく炸裂しさしもの密林も忽ち草原と變りはては陣地其ものがむき出しになって敵前に姿を現はした、糧食は愈々缺乏した兵隊達は敵彈を潜って附近の草の葉や蔓の葉を取って來てそれを喰ひながら戰ひ續けた敵は鐵條網をグングンと狹めトーチカを中へ中へと築いて來る、兵力は刻々と增加してその數千數百、稻垣部隊は完全包圍されたので友軍との連絡も出來なければ狀況報告することも出來ない、敵も持久戰に入ったので食糧に困ったらしく時折飛行機で糧食を投下し補給してゐた投下された糧食が鐵條網內に落ちた時等は敵味方入亂れて奪ひ合ひの光景さへも演じた、その後敵は兵隊は勿論糧秣、彈藥、兵器並に陣地構築の器材をどんどん送つて來た彼等は相變らずジワリジワリと包圍陣を狹めて來る、味方の彈藥は次第に殘り少くなり食糧とする木の芽、草の根も附近にはなく遂には蟻の巢さへ嚙つたのである、敵の包圍陣は益々接近する、頑張り通すこと約二週間、一月十四日になつて砲撃は一時止んだ、降伏勸告の日本語の放送が散兵壕の隅々まで流れてきそれと同時に降伏勸告文が陣地附近一面にばら撒かれた、「ヤンキーめ、なんの寢言をぬかしやがるんだい、手前等とな、俺達の心は置場所が違ふわい、面を洗って出直してきやがれつ、馬鹿野郎つ」 兵隊達は次々と壕から首を出してがなり立てた、だが大聲をあげると腹の皮が背中へひつつき、ビビン響いて痛かった、「身體はどうぢや」部隊長は戰ふ兵隊の一人々々を見廻つて靜かに肩を叩き激勵してゐた、筆舌に表はし得ない總ゆる困苦を征服し敢然として銃を取り戰ひ續けてゐる兵隊達の神々しい姿、「正に神た、生きだ神樣だ」部隊長は思はず頭を下げてゐた一月二十二日彈藥殆んど缺乏した、敵は益々增加する一方だが味方は日一日と減つて今では二百足らずになつてしまった、稻垣少佐は佐藤中尉、堀中尉、村瀬中尉の各隊長と機闘銃隊長の園田大尉とを集めて最後の處置を相談した、「このままでは餓死を待つのみであります、この際潔く敵の本陣へ斬り込んで華々しく斬り死致しませう」、各隊長の意見は斬り死と一致した、然し部隊長としては我が子同樣な部下をみすみす斬り死にさせたくなかった「今夜半を期して部隊は全滅しよう」、悲壯な決心を固めた稻垣少佐は重要書類を全部燒き棄て一同を集為「我が稻垣部隊は昭和十八年一月廿二日夜半全滅を堵して敵の本陣へ突撃を敢行する」兵隊達が待ちに待った突撃命令が今發せられた、緊張の色が一同の顏に全身にサツと流れる、既に覺悟の色である、部隊長には兵隊達の顏を見ることが堪らなく苦しかつた、動もすれば目頭が熱して來て四邊は霞がかかつたように呆やけて來る、やがて宮城を遙拜し續いて園田大尉の指揮で「海行かば」の歌が嚴かに南海の天地を遙ぶつた終つて聖壽の萬歲を三唱し、この世の別れに水筒の水を分け合って飲み干した、部隊長となって南海の孤島において戰死するのも前世からの因縁であらう、みんな帝國軍人として華々しく笑って死んでくれる、靖國の杜で舊交を溫めることにしよう、少佐は心の中でこう叫びながら幾度も幾度もゴクリゴクリと生唾を飲み込んだ、敵は我軍の合唱や萬歲三唱に驚き慌てて熾んに迫撃砲彈、手榴彈を射ち込んで來た、我軍は沈默を守つてゐる、それだけに敵は薄氣味惡く感じたのであらう、銃砲撃は間斷なく轟き砲彈は炸裂し土煙は濛々と立つて四邊は薄暗くさへなって來た (四)「貝沼軍曹以下十二名は傳令として敵陣地を突破し本部に至り敵情並に部隊の行動狀況を具さに報告すべし」、部隊長に呼び出された貝沼善代治郎軍曹以下十二名は部隊長の意外な命令に驚くと共に互ひに顏見合せて呆れたような表情をした、貝沼としては今宵の突撃に先頭を切って突込めと言ふ命令を期待して來たのであつた、從つて傳令は不平であつた、「部隊長殿、貝沼を是非今宵の突撃に參加させて下さい」、「貝沼軍曹」、少佐の溫顏には微笑が浮び目は真劍なこの賴母しい部下の顏に注がれた「貝沼軍曹、お前の氣持は部隊長にはよく判るぞ、だが、今度の傳令は最も重大な傳令である、その傳令の任務達成如何は部隊の死活問題であるのだ、お前達の戰友二百名の働きを活かす最も重大なる任務である」部隊長は懇悃と傳令任務の重大性を說明した、「部隊長殿、よく判りました、貝沼以下十二名どんなことがあっても必ず必ず」貝沼は右手の甲で目を橫毆りに拭った「引受けてくれるか、感謝する、戰陣の中でお前達に何も與へるものがない、部隊長最後の言葉を與へよう、死あつて生あるを知れ、と言ふ一言である、死あつて生あるを知れ」、貝沼軍曹以下十二名は部隊長の言葉を靜かに繰返し繰返ししつかと心の中へ叩き込んだ、そして之が部隊長と最後の別れであるかと思ふと部隊長の溫顏の特長が貝沼達の頭へ一つ一つきりで突き刺されるやうに突き刺さって來る、兩頰はシツトリ濡れてゐた「任務は重いぞ、空腹であらう、疲勞もしてゐるだらう、だが戰友達のためだ、しつかり賴むぞ」部隊長は一人一人の手を固く握つて激勵した、部隊長殿と一しよに死ねぬのが殘念な、人一倍淚もろい貝沼軍曹は手放しでボロボロ淚をこぼした、その夜は月もなく金砂をばら撒いたやうな星夜である、敵は相變らず猛烈な迫撃砲彈、手榴彈を浴せかけて來た、我軍は一彈も應戰せずじつと機の熟するのを待つてゐる、しばらく射ち續けた敵は今度は降伏勸告の放送を行ひ更に朗かな合唱や歌等を放送して來た、機は熟し時は來た 「突撃に突込めつ」部隊長の命令一下部下全員火の玉となつて咽喉もはり裂けるばかりの喚聲と共に真正面の敵へ突込んだ、疲勞も空腹もなんのその、ここが命の捨て所と將兵が献身一致捨身の肉彈で突入したのである「集合場所は勇川河谿の壕中各個躍進だ」この喚聲と砲煙彈雨の真只中一方の血路を開いた貝沼軍曹以下十二名は各個に豫ねて案內知つてゐる丸山道へ密林地帶は突つ走つた背後では物凄い味方の喚聲と炸裂する迫撃砲彈手榴彈の響きがゴーゴーに耳へ突き刺さる不氣味な唸りを擧げた彈丸は何回となく耳先を掠めた突破された敵陣からはめちゃくちゃに射つてゐる密林のの中に鼻をつままれても判らぬ程の真の闇である、貝沼は或時は轉び或時は躓き血みどろになって夜の密林と戰ひ勇川の河谿壕の中へ飛び込んだが誰も來てゐないそのうち一人飛び込み二人飛び込み三人目が飛び込む、あとはばつたりと杜絕えてしまつた、夜が明け晝になっても四人以外の姿は見えなかった、「十二人の內此處まで安着したのはたつた四人か」貝沼は淋しそうに呟いた、部下の三人とは高木弘上等兵、加藤良雄上等兵と丹羽幼三衛生兵長である、「分隊長殿、八名は途中で敵彈のためやられたのではないでせうか」半信半疑砲彈炸裂する合間々々に首を出して見廻したがそれぞと思はれる人影さへ見えなかった敵の飛行機は絕えず頭上を飛廻り機銃掃射を浴せかけてゐた、夜が來た、暗い夜である、俺達「四人の肩には重大な任務を擔ふてゐる決して敵彈等に斃れるな、死あつて生を知れだ」四人は闇の中を海岸道路へ向つて歩いてゐた、敵が新設したらしい自動車道路が見事左に十本以上の蜿蜒と闇の中へ消えてゐる、「ハテナ」貝沼達は傍らの窪地に身を伏せ暗を透して邊りを見廻すと幾十となく重砲が列をなしてゐた、これは敵の重砲陣地だ、引返した貝沼は四人を二手に分け高木上等兵、貝沼軍曹と丹羽兵長を夫々一組とし一は左の密林地帶を、一は海岸に沿ふてタサワロングに向ひ敵陣を突破することにした、「では充分注意して行け、任務は重いぞ」、四人は互ひに手を握り合ひ暗闇の中を左と右へれた (五)海は濁った灰色に光り闇を透せば海岸の白砂と波打際がはつきりと見え歩哨らしい敵兵の姿が微かに浮び上つてゐる、「丹羽陸地は危險だ、海の中を行かう」貝沼を丹羽の耳へ囁くと丹羽をその場へ伏せ右手に短劍を拔き取り腹這ひになつて歩哨へ近づいて行つた、歩哨は銃を肩からぶら下げ口笛吹きながらダンスのような足取りで砂地をさくさく音を立てて歩いてゐた、貝沼の短劍術は部隊でも彼の右に出る者がなく彼に短劍を握らせれば百擊百中小銃以上の自信を持つてゐた、「ヤヤ」低いが殺氣の罩つた貝沼の氣合と共に右手の短劍が稻妻のようにキラリと煌いた、「ガアツ」、蛙を踏み潰した時のやう異樣な音を擧げて黑い影は大きく砂上へ橫倒しに倒れた、「丹羽、海へ入れ」、丹羽を海へ飛込むと首だけ出して海岸沿ひに西へ西へと泳ぎ出した、海岸近くは珊瑚礁が多く時々足を擦り剝ぎ或は躓き或は深みへ轉がり込んだりしたので丹羽は四人の樣子を窺つて再び海岸附近の窪地へ飛込んでホッと一息をついてゐた所が豈圖らんやその窪地は敵の高射砲陣地で歩哨はその周圍を暢氣そうに警戒してゐた、「しまった、敵陣地だつた」、見つけられたら最後、 先手を打つて敵を仆してやれ、貝沼の右手に再び短劍が光った、「丹羽、俺の姿を見失ふな、行先はジヤングルだぞ」、靜かに注意を與へるとやもりのようにピタリと地上にへばりつき歩哨の近づくのを待つた、敵の歩哨が近づくや「エツ」、ブスリ、鈍い音と共に「グウツ」と斷末魔の悲鳴を擧げ倒れる瞬間銃の引金を引いた、彈丸が貝沼の肩先を掠つて後にゐた丹羽の左大腿部へグワツとめり込んだ、「アツ」「丹羽やられたかつ」貝沼は咄嗟に丹羽の身體を輕々しく引つ擔ぐと左側の密林地帶へ走った、彼は多くの亂れた足音と騷ぎ聲を背後で聞いた、真暗な密林內の窪地へ丹羽を橫にし手探りで貝沼は應急手當をした、丹羽はグツと齒を喰ひ絞って痛さを耐えてゐるらしく時折齒ぎしりをしてゐた、夜が明けると貝沼は血の氣のない顏をした丹羽を引つ擔いで密林の中を歩き廻つたが行く先々が敵陣地で結局同じ道を堂々めぐりをしてゐた二日過ぎ三日經つて密林內を脫し得ない夜になると貝沼は敵の陣地へ潜り込みパンやミルク、罐詰等を奪って來ては二人の食糧に充ててゐた、丹羽の傷口は化膿し出し身體もめつきりと弱つて來た「分隊長殿、水がほしい」貝沼は罐詰の空罐を持つて氣輕に立上り小川の方へ雜草を搔き分け水汲みに出かけた、その後姿に手を合せた丹羽は「分隊長殿、色々御親切有難うござゐました、一日も早く任務達成の日を蔭ながら祈って居りますと心で叫び肌身離さぬ短刀を引き拔きじつと刃先を見つめ左手で首の動脈を撫で廻したのち遙かに故國の方に向かつて端座し、「天皇陛下萬藏」と呼ぶと同時にくさりつと突刺した「丹羽水を持つて來たぞ」と水を汲んで來た貝沼が丹羽の傍へ近づいた「丹羽つー貴樣は」水を入れた空罐をおつぽり出すと丹羽の身體に手をかけて搖つた、どす黑い血が地上をのたうつてゐた「丹羽、馬鹿野郎つ」貝沼は丹羽の死體を抱く乍ら淚と鼻汗が一緒くたになつて貝沼の顏を皺だらけにさせた 自決して任務を果させようとする丹羽のいじらしい戰友愛が貝沼の胸を銳いメスで剔り取る樣な痛さと苦しさを與へた、貝沼はたまらなかった「丹羽貴樣の仇は俺が討つてやるぞ」、丹羽の死體を埋め終つた貝沼は短劍の束も挫けよと振りしめた、彼の眼は恐ろしい程殺氣に燃え全身の血は復讐のため沸々とたぎり立つた、日が暮れると彼は單身敵の中へもぐり込んだ、空には雨雲低く垂れて星の影さへ見へない真の闇である貝沼の眼は夜目にも怪しい程凄く光った、彼は黑い影を見付けると宮守のやうに地上へへばりついて近付き「やつ」と突刺した、グーの音も出させぬ貝沼の手練の一突である、彼は自分の行手に於て巡察將校を見つければ巡察將校を、歩哨を見付ければ歩哨を、兵隊を見付ければ兵隊を手當り次第に突殺しその都度「丹羽見てゐたか」と叫んだ「ヤンキーなんて弱いものさ」時には機關銃座に飛込んで三人、四人と突殺し彼等の食糧を奪い機關銃を叩こはして來た、彼は幾度歩哨線を突破したか判らない彼等は默つてゆつくり通過すると誰何も何もしなかつた、誰何された時は無言の儘ゆったりと歩哨の傍に近付き眼と鼻とを突き合せた時彼の短劍は銀蛇の樣に躍ったのである、部隊を出發してから十一日間、その間敵を刺殺する事十有六人、二月三日三時頃漸くタサワロングへ到着した、そこには友軍の矢野部隊が敵と睨み合ひ、猛攻の中に儼然としてゐたしかし貝沼の本隊はエスペランスへ轉進したとのことで流石豪氣の貝沼も力が拔けた樣にがつかりした、エスペランス迄十里近くある今迄の疲勞で全身の節々にうづき腰を下せば忽ち深い眠に落ちる程である、よし最後に友軍部隊の復讐に、彼は今來た道を引返し再び敵の陣內入り込んだ、彼は一つの幕□に入った、八人の兵隊達は呑氣そうに口をあけ鼾をかいて泥の樣に眠こけてゐる「畜生」彼は先づ端の兵隊の橫腹をさつと突剌した、グーと奇妙な音をあげてうなつたが誰一人氣がつかない、□を擧げさせずに刺殺す方法は、彼は咄嗟に口から突刺して見た、これはウンともうならなかったので七人共口から突刺して鏖殺にし彼等の背囊の中味を全部奪取りそれを背負つて再び友軍陣地へ悠々と引揚げて來た 二十四人をたたき殺した事に依って貝沼の溜飮は幾分下つた樣な氣がした、一方高木上等兵と加藤上等兵は密林の中へ潜込だが鼻をつままれても判らぬ樣な密林の中はどうしても歩けなかつた、彼等は日中密林內に潜み夜になると這出し大膽にも自動車道を五米の間隔を置いて歩いた、その間歩哨□にさしかかることがあつたが幸にも一度の誰何をも受けず悠々と通過した、敵の歩哨は背後から來るもの總てを味方と思つてゐるらしい、時折懷中電燈を明滅させて歩いて來る巡察將校を見掛けた、發見された時は百年目である、彼等は要心を重ね百米位自動車道を歩けば次の百米位を椰子林か密林の中を歩いた、そして漸くボハ河まで辿りついた、ボハ河附近は敵の迫撃砲陣地らしくずらりと放列を布き闇を透せば點々と人影が見へる、相當嚴重な警戒網らしい、これはいけない、そこから二里は河沿に山へ入り密林地帶へ飛込んだ、幸にも電話線が手に觸れた、天佑だ、この□を傳はつて行けばきつと味方の陣地に行けるかもしれない、喜び勇んだ二人はこの線を唯一の便りとして茨の中蔓の間を通り幾度か躓き轉んで一つの平坦地へ現はれた、道路上に一つの黑い歩□の影が見へる「あつしまつた敵の陣地だった」「ええままよ度□を決めて今迄の式で突破してやれ」高木は先づ悠々と歩哨の前を通過し續いてまた加藤が通過しようとした時突如誰何された、加藤ははつとし胸は早鐘の樣に高鳴つた、彼は少しも英語は判らない、それかと云つて何とが返事しなければ撃たれてしまふ、彼の頭は渦卷の樣にくるくる廻った「オーライ」咄嗟に口から張出した加藤の聲である、不審に思つた歩哨は再び誰何した「オーライ」彼は無我夢中だった突然その瞬間加藤はポーンと橫飛びに□ふ樣に密林目懸けて走り續けた、盲撃の銃聲は響く「加藤道路は危險だ、苦勞してもジャングルの中を歩かう」二人は道なき密林を切開き西へ進み二月四日貝沼より一日遲れてタサワロングヘ到着した「分隊長殿も無事に着いたらしい」二人は友軍から貝沼の話を聞いてほつと安堵の撫下し何かしら重大任務を果した樣な氣輕さを感じた、この決死時な傳令に依って稻垣部隊の勇敢なる行動が本隊へ報告された「死あつて生死あるを知れ」稻垣部隊長のこの哲學的教訓が貝沼軍曹や高木、加藤上等兵の羅針板となったことは勿論である |
02 | 敵十八機を擊墜破 東部印度緬甸領內我陸鷲の戰果 |
03 | 十六對零の凱歌 敵搭乘兵四名を捕虜 |
04 | 衡陽、零陵に巨彈の雨 |
05 | 和かな歡迎晚餐會 張國務總理主催 |
06 | 芳澤特派大使 來る五日歸任 |
07 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 炭坑統合と 鑛業法改正社說 一 本島に於ける石炭業は努力及資材の不足を克服するために之を統合するにあらざれば今や現在の生產力さへ維持する事が困難となつて來たから、刻下の急務としては速かにブロツク別に統合した上に重點主義的稼行をしなければならない。之に伴つてかかる統合を為す法的背景があれば問題は比較的圓滑に運ばれるわけであり、幸に今議會に於て成立した鑛業關係法規中重要鑛物增產法改正法律は最も重要なものであるから之を速かに本島に施行すべきであると考へられる。卽ち同法の要點を列記すれば(一)鑛業着手の許可制(二)開發出願制限制、(三)使用權設置の三項である。第一の鑛業着手許可制は從來の總花的稼行を抑制して重點的稼行を決行せんとする所にある。現在の如き努力及資材の供給充分ならざる現階段に於て誠に已を得ざる現狀である。次に第二の出願制限制は勿論有象無象の出願を抑へんとするものであり、從來は單に先願しさへすれば直ちに先願權を獲得し得るがため現在の如く各鑛區區域の亂雜を招來したのであるから、今後再びかかる弊に陷らざるやう之を制限する事が眼目なのである。 二 第三の使用權設定は本法改正中最も重要な意義を持つもので、これは最近宣傳されたる資本と經營との分離の一形態といへよう。卽ち鑛區所有者卽ち鑛業權者から其の鑛區開發の權利を分離する。これは從來本島に於て盛んに行はれてゐる委託經營斤先掘等の事實に法的根據を與へんとするものである。法文を見ると第十七條の二「鑛物權は本法の定むる所に從ひ之に使用權を設定する事を得」同三「使用權者は使用鑛區に於て鑛物を採据し及之を取得する權利を有す」其の他使用權の移轉消滅について多くの規定が設けられてゐる現在本島に於ては休眠鑛區が少くないが此の中に有望なものがある而も其の鑛業權者が開發者として不適當な場合は之を他に一定期間使用權者として高率開發に行ひ得る。又鑛區の整理分合は鑛業權者が使用權者の承諾を得て行ひ得る事になつてゐる。若し能率的稼行を徹底せんとすれば鑛業の强制的讓渡にまで行くべきであり、使用權設定も其の理念として其の方向を狙つてゐるのである。 三 上述の如く此の改正法律は內地に於ける鑛業開發の重點主義化を促進するために臨時措置として施行せられたのであり、本島の現狀から見れば其の儘施行しても差支へないと思はれるから督府に於てもそれ相應の考慮をしてゐるに違ひない。殊に本島炭坑の狀態も旣に殖產局鑛務課に於ても着着調查を進められてゐるとの事であるが刻下の大東亞戰爭の決戰時期に卽應して速かに斷行すべきである。現に島內諸セメント工場を始め製鐵其の他の大小工場が續續と建設せられ近く完成しつつあるのであるから、石炭の需要增加を見越して優良炭や原料炭の增產を中心として本島石炭業の再編成の必要が愈愈緊急化したからである尚新坑開發に伴ふ輸送問題も鐵道當局等と連絡して前以て適切な方策を施す必要もあらう。要するに本島の石炭業界は最早現狀の儘推移を許さざる事態になりつつあるから、當局に於て重點主義の開發强化に向つて强力に再出發せられん事を望まざるを得ない。 |
02 | 金鵄八紘に輝く 仰ぐ橿原、ひれ伏す御民 けふ神武天皇祭 |
03 | 御真影拜受十周年 全國各市町村教員會でけふ記念式擧行 |
04 | 賜金御下賜の光榮 銃後敢鬪の六團體に |
05 | 圖像:造船所視察中の長谷川總督一行 |
06 | 梨本總裁宮殿下 四日の植樹祭に台臨 |
07 | 國際學友會日本語學校開校式 |
08 | 在臺の半島人 所在を明かに |
09 | 基隆の工業方面 長谷川總督が視察 |
10 | “住”の生活簡素化 工作物築造統制施行 |
11 | 大日本映畫 教育會設立 十日に發會式 |
12 | 臺灣神經の第一線 督府東京出張所、事務所に昇格 川口所長抱負を語る |
13 | 八千餘圓に上る 基隆市民の赤誠献金 |
14 | 荷役に五十六年 異彩.宇多翁の過半生 |
15 | 藝能文化の建設に 來れ!熱情の青年 藝能文化研究會員募集報社消息 |
16 | 南方文化工作の魁 松居桃樓氏語る |
17 | 轉業者が續出 賴母しい紅燈の巷 |
18 | 情と淚の“同甘共苦” 島都宮前町の奉公班に咲く 內華人の共助美談 |
19 | 遞信部異動 |
20 | 皇奉基隆市支會の主事に清住氏 |
21 | 新設新竹市 實業夜學會 四日に詮衡試驗 |
22 | 武德祭 十日に執行 |
23 | 人事消息 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 宛ら若鷲の搖籃 高雄商がら航空兵三名合格 |
02 | 初の警防團長會議 五日新竹州會議室に開く |
03 | 東石郡部落品評會 去る三十一日褒賞授與式 |
04 | 各地警防團結成式 |
05 | 父並に母を憶ふ 翕然孝子に集まる 大和撫子の級友愛 |
06 | 彰化警察組招魂祭 |
07 | 警察事務功勞者表彰 |
08 | 雲南の騰越城 |
09 | 物言かぬ戰士慰問 高雄日婦茶殼献納運動 |
10 | 二月に勝る成績 新竹州三月の硬貨回收 |
11 | 臺中州澱粉屑米 加工業組合總會 |
12 | 青年學校指導者 新竹州二十二日より鍊成 |
13 | 赤誠の四萬七千餘圓 高雄市民の建艦献金 |
14 | 農村青年を鍊成 花蓮港廳農試で六名選拔 |
15 | 赤誠の献金品 |
16 | 臺南市區長發令 |
17 | 臺南州學校長異動 |
18 | 裏作の糊仔甘薯 花蓮港廳獎勵計劃を樹つ |
19 | 榮轉者の抱負 光榮の至り 海軍司政官に榮轉の佐藤氏談 |
20 | 青少年の保護 臺中市關係者招いて協議 |
21 | 堆肥增產稱へて 曾文郡褒賞式擧行 |
22 | 築港に努力 立川臺中州總務部長 |
23 | 葬儀改善徹底へ 嘉義市四月常會で申合 |
24 | 愉快に働いた 樋口前花蓮郡守 |
25 | 臺南州消費米配給組合事務所 |
26 | 國講所專任講師 養成講習會 |
27 | 人事報社消息 |
28 | 地方多より |
29 | 新刊紹介 |
30 | 今日の映画演藝 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 鑛業規則の改正へ 鑛務課に臨時法令整備係新設 |
02 | 荷役力平均十割增 高雄港增強期間の成績 |
03 | 七大銀行の業績昨年下期 純益の上昂漸次鈍化 |
04 | 自給肥料の增產 高雄州で各種施策を決定 |
05 | 簡保、年金の還元額 昨年度は三百餘萬圓の減少 |
06 | 農產物罐詰檢查規定 臺灣罐詰協會で決定 |
07 | 最近の經濟問題 |
08 | 米穀輸送組合 愈よ業務開始 |
09 | 照明燈 |
10 | 商況(二日後場) |
11 | ラジオ |
12 | 水滸傳(931)/黃得時;碇政彌 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵四十七機を擊墜 海鷲ソロモン群島に進擊頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(三日十四時)帝國海軍航空部隊は四月一日ソロモン群島ルツセル島方面に進擊、敵戰闘機群を捕捉し其の四十七機を撃墜せり我方の損害自爆及未歸還九機 |
02 | 空中戰四時間に及ぶ |
03 | 敵の策謀を完封 西中尉のフーコン地方宣撫大成功 |
04 | 國際展望 |
05 | 印緬國境空中 戰で四機擊墜 |
06 | フーコン地方の全貌 |
07 | 揚子江下流の掃蕩戰況 |
08 | 冬季反攻終了 ソ聯情報局發表 |
09 | 伊海軍首腦更迭 |
10 | 圖像:まさに飛翔せんとする海軍○○機 |
11 | 最後の勝利を確信 張總理、東條首相の來訪に深謝 |
12 | ケレス線撤收 北阿の獨伊軍 |
13 | 英戰車部隊陣地に突入 チユニジアの樞軸機甲部隊 |
14 | 北阿のロメル軍 鮮やかに戰線短縮 |
15 | チユニジア戰線戰況 |
16 | 獨勃會談 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 神武天皇祭の御儀 畏し聖上が御親祭 |
02 | 譽れの軍事功勞者 昨日臺北陸軍兵事部で晴の表彰式 |
03 | 中日文化協會 全國大會終る |
04 | 臺灣教育五十年本社主催座談會(三) モーニング姿で入學 全島一を誇る當時の大稻埕公學校報社消息 |
05 | 和やかな一時 東條首相、張總理を電擊訪問 |
06 | 戰病歿警察 職員招魂祭 昨日執行はる |
07 | 熱烈、この赤誠 五部隊で清掃奉仕 |
08 | 大東亞醫學者大會 十七、八兩日東京で開催 |
09 | 新設高雄警備 府移轉披露宴 十日新廳舍で |
10 | 高雄に警備府新設 |
11 | 七日は「愛馬の日」 勞はり.感謝し.深く識らう 全島で多彩な行事 |
12 | 早くも百萬圓突破 三月末までの硬貨回收金額 更に一段の奮起を |
13 | 椰子油の高度利用 工試の畑博士に凱歌 |
14 | 無明庵を傷痍軍人に開放 傷痍軍人臺北分會で實現要望 幹部會 |
15 | 島內兩港灣へ 視察團を派遣 基隆商工會議所 |
16 | 加納翁五年 祭演武大會 |
17 | 劉郁芬上將逝去 |
18 | 人事消息報社消息 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | けふは愛林日 臺中で愛林祈願祭 神社外苑で奉仕植樹 |
02 | 澎湖島警察官 招魂祭 |
03 | 賜金傳達式 澎湖廳で嚴肅に擧行 |
04 | 大眾遙拜式 きのふ臺南で擧行 |
05 | 防衛の鐵壁陣 各地警防團結團式 |
06 | 豐原の招魂祭 |
07 | 必勝增產陣 花蓮郡の計畫成る |
08 | 新高の招魂祭 |
09 | 集集街常會 |
10 | 愛國蓖麻結實 農事實行組合を單位に 臺南州の供出進軍譜 |
11 | 產奉支部結成式 |
12 | 彰化市“愛馬の日” |
13 | 熱地農業技術員入所式 |
14 | 加俸增加感謝挨拶 |
15 | 木內女史講演 八日臺南で |
16 | 薪炭林の大增殖 臺南州で責任割當 |
17 | 國防資材確保へ けふの愛林日を迎へて 松岡臺灣木材營業部長談 |
18 | 殖林は官民共營で 平戶臺灣製材副組合長談 |
19 | 圖像:新生中國還都三周年記念式典 |
20 | 馬主會が復活 臺灣馬事振興會誕生 |
21 | 兵事係移管 市から花蓮港署に |
22 | 嘉義市新舊市長歡送迎會 |
23 | 天幕教室で勉強 高雄のヨイ子供たち |
24 | 映畫挺身隊 講習會 |
25 | 人事報社消息 |
26 | 地方多より |
27 | 私立淡水女合格者 |
28 | 今日の映画演藝 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 文化 義務教育の施行を祝ふ 公學校の思ひで/張文環;陳春德 |
02 | 大肚山に於ける女子鍊成會 終了式に臨みて/坂本信道 |
03 | 一年生/呂赫若;李石樵 |
04 | 義務教育施行の 新學年を迎へて/柯氏絹子 |
05 | 生活と文化 |
06 | 圖像:朝の庭園(府展畫展)/佐佐木福四郎 |
07 | 文化消息 |
08 | ラジオ |
09 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 東條首相福岡歸着 途中京城に立寄る |
02 | 十年間の躍進は 實に世界の驚異 東條首相談話を發表 |
03 | 人的航空戰力增強 航空醫學會六日に發會式 |
04 | 圖像:雪の高黎貢山脈を右に見て進擊する皇軍 |
05 | 日滿華の關係強化 訪滿の意義頗る大 |
06 | 獨軍の大攻勢切迫 東部戰線西南地區 |
07 | 獨軍戰況發表 |
08 | 敵機損失一二六七 獨軍三月中の戰果 |
09 | 陸軍少年通信 兵開校記念式 |
10 | 朝鮮首腦部と會見 |
11 | 連續躍動體制を確立 翼壯團懸案を一掃 |
12 | 敵船九十二萬噸屠る(獨軍三日戰果) |
13 | 米上院農議團 ル大統領に宣戰 農村法案を繞つて |
14 | 伊軍戰況發表 |
15 | 南部で激戰展開 チユニジア戰線 |
16 | 不時の出費に 還金方途開く 報國債券買取制を實施 |
17 | 反樞軸軍の攻擊鈍化(北阿戰線) |
18 | ハーレー米西亞特 使エルサレム到着 |
19 | 對獨協調を促進 ラヴアル佛首相談 |
20 | 佛敗戰首腦を軟禁 獨政府當局談 |
21 | 反樞軸食糧會議を開催 米、招請狀を發す |
22 | 英本土南岸を 低空奇襲 |
23 | フ伊上院外交 委員長逝去 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 殉國の一念に燃ゆ 新生中國の偉大なる救世主 汪主席三年の足跡 |
02 | 賞賜物件傳達式 |
03 | 臺灣教育五十年本社主催座談會(四) 公學校教育の大轉換期 國民精神涵養の隈本學務部長時代報社消息 |
04 | 十名以上子寶家庭 七日に輝く表彰式 |
05 | 御上陸記念碑 擴張工事修袚式 |
06 | 消防署開所式無期延期 |
07 | 臺北市兵事事務 南北兩署に夫夫移管 |
08 | 決戰下、義氣軒昂 鄉軍聯合分會大會 |
09 | 鄉軍團體長講習 盛會裡に閉會式 |
10 | 基隆商議の役 員會 |
11 | 心身鍊成に邁進 藤岡兵務部長語る |
12 | 定例局部長會議 |
13 | 陸軍病院へ 赤誠慰問 |
14 | 馬公警防團 晴れの結團式擧行 |
15 | 皇奉基隆市支會四月常會 |
16 | 圖像:奈良の鹿群に興ずるバーモ長官 |
17 | 在基の半島人 建艦献金募集 |
18 | 接客業者にチフス豫防注射 |
19 | 窄き門を突破 高砂族、醫專にゴールイン |
20 | 興南詩苑漢詩 病後遣懷奉寄又訪先生(因病中叨蒙寫信存問/可軒、次韻奉答可軒病後遣懷/文訪、癡雲代鷺村柬招吟集於双溪箕園賦此酬之/翕庵、於梅林書屋遇可軒因贈/翕庵、次翕庵兄韻/可軒 |
21 | 平溪庄の內緣妻殺し |
22 | 靜修女學校合格者 |
23 | 人事.消息報社消息 |
24 | 今晚の放送 |
25 | 商況(五日前場) |
26 | 興南案內報社消息 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 五十一將星に對し 畏し.御陪食賜はる頭條新聞 【東京發同盟】畏くも天皇陸下には五日東久邇防衛總司令官宮賀陽名古屋師團長宮殿下を始め奉り軍司令官、師團長等二十九名を宮中に召させられ午前十時表御座所において親しく拜謁仰せつけられ一同は恐懼一旦御前を退下したが天皇陛下には正午豐明殿に出御あらせられ朝香大將宮殿下東久邇大將宫殿下賀陽師團長宮殿下にも御臨席松平宮相、百武侍從長、蓮沼侍從武官長等側近者にも陪席を差許され杉山參謀總長以下軍首腦部、軍司令官、師團長等五十一名の各將星に對し御慰勞の思召を以て午餐の御陪食を仰せつけられた、御宴の御後千種ノ間において一同に御茶を賜ひ御和やかなる裡に種種御歡談を賜ひ天機麗しく入御、一同は御殊遇の程に感激しつつ同二時過ぎ恐懼宮中を退出した |
02 | 我大編隊麗水急襲 福建省建甌を爆擊 |
03 | 雲南省西南一帶を襲ふ |
04 | 王尚志軍に大鐵槌 山東省東部蔣軍全く潰滅 |
05 | 敵二千を捕捉殲滅 歸德東南李石橋で |
06 | 圖像:アラカン山脈を越えて印度爆擊に向ふ我が陸鷲 |
07 | 蘇淮地區三月中の綜合戰果 |
08 | 荒鷲、重慶を大空襲 |
09 | 密林フーコン地帶 印緬北部國境從軍記 |
10 | 印度又もや一觸即發 新ビルマ建設の逞しい大躍進 反英運動に多大の刺戟を與ふ |
11 | 絕對不敗の鐵壁形成 獨伊の全歐要塞化完了 |
12 | 沙面特別署撤廢 廣東市に編入さる |
13 | 濠洲兵三千名戰死 ニユーギニアで |
14 | 比島物價對策 委員會を設置 |
15 | 米、不急不要事業 從業者轉業を發表 |
16 | 洪伊首腦の意見完全一致 カレー首相の羅馬訪問成果 |
17 | ガ島の航空戰で 米機六機を喪失 米國海軍省の發表 |
18 | 赤軍、イラン原住民衝突 リ地方で數ケ村燒拂ふ |
19 | スミス少將海軍輸 送司令官に就任 |
20 | イランの情勢 再び惡化の兆 |
21 | 日高大使カルス着 |
22 | 米空母カモツト |
23 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 鬼神も哭く ガ島血戰記社說 一 三日朝刊の新聞紙上に發表せられた森川陸軍報道班員のガダルカナル島血戰記は讀者も旣に讀んだことであらう。もし未だ讀まぬでゐる者があるとすれば必らずや熟讀してほしいと思ふ。何故ならば擊ちてし止まむ米英擊滅の征戰に死闘の限りをつくしてゐる皇軍の崇高なる姿が如實に現はれてゐるからである。死闘と云ふ言葉は觀念的には誰しも知つてゐるが、戰場に臨んだことのない者には恐らく實感を伴はぬことと思ふ。ガダルカナル島血戰記に於て具さに傳へられた我が稻垣部隊の凄慘鬼神を哭かしむる血戰の模樣は洵に文字通り死闘の限りを盡した皇軍の氣高い姿を彷彿せしめるものがあり、我ら銃後國民の胸を心底から動かさずにはおかない。森川報道班員の真執な筆によつて傳へられた稻垣部隊の尊い死闘記錄を讀むもの、誰か蕭然として襟を正さぬ者があらうか。我らは今更に皇軍將兵の忠勇義烈一死報國の赤誠を心から感激すると共に、鬼畜にも等しき敵米英擊滅への決意と覺悟を新たにし銃後任務の完遂へ更に一大勇猛心を振ひ起たせられる思ひを痛感するものである 二 大東亞戰爭勃發して以來、我が皇軍の收めたる戰果は世界戰史を空うするほど目覺ましいものがあつたが、之に反し敵米英の敗戰は餘りにも慘めなものであつた。斯くして敗戰を糊塗せんとする敵米は豐富な資源を恃んで反攻の蠢動を續けて來たのであるが、その都度ソロモン群島を中心とする數次の海戰に於て無慘にも帝國海空軍の好餌たるのみに終つたことは周知の通りである。それにも拘らずガダルカナル島の一角に辛うじて基地を求めるや笑止千萬にも南太平洋制空權の獲得を夢想し併せて補給の確立にやつきとなつて狂奔する有樣で、そのために帝國陸海軍航空部隊はこれら蠢動の敵米空軍との間に今尚連日に亘り、熾烈な航空決戰を續けてゐることも一般承知の如くである。敵米の執拗なる攻勢蠢動を完封せんとする帝國皇軍の擊ちてし止まむ血戰死闘記は斯くして綴られて行く。森川報道班員に依つて報ぜられたガダルカナル島の稻垣部隊の死闘記は其の內の一つに過ぎない。しかしながら稻垣部隊の凄壯鬼神をも哭かしむる血戰記錄は、今尚連日に亘り敵米擊滅の決戰に奮闘せらるる我が皇軍の勞苦を偲ばしめるに充分足るものがあらう。 三 開戰旣に二年、緒戰の赫赫たる大捷利に次ぐに輝く大戰果、兎もすれば安全に馴れる銃後國民は前線將士の勞苦を忘れがちなものである。だが稻垣部隊のガ島血戰記を讀む者は、文字通りその血戰死闘ぶりに對して感涙を禁じ得ないであらう。米擊滅のため萬里の波濤を蹶り立てて敵前强行上陸を敢行すれば忽ち人跡未踏の密林の中雨と降る暴虐敵米の爆彈機銃彈の間を縫ひながら磁石を賴りに密林地帶を切り開き開き進軍する將兵の苦勞はまだまだ想像が出來る。彈藥糧秣の補給立たず、木の葉や草の根を食つて飢をしのぐ內にやがて敵兵の完全なる包圍の下、彈藥は殘り少なとなり食糧と恃む木の芽草の根も盡き果てて遂に蟻の巢まで嚙つて二週間も頑張り通した一事に至つては、想像に絕するものがあり真に涙なくしてよまれないであらう。その上に全滅を堵して敵陣に突撃する稻垣部隊の凄壯な氣高き姿、敵陣を突破し戰友の屍を乘り越え敵兵二十四人を叩き切つて傳令の使命を果した貝沼軍曹らの死闘は、まさに死生を超越した神の境地と云はねばならない、擊ちてし止まぬ皇軍の斯る大いなる精神と逞ましい力があつてこそ敵米英は擊滅されて行くのだ。何と凄壯偉大なる戰場精神であらう。銃後國民よ、前線將兵の心を以て心とせよ。鬼畜米英擊滅のためならば、臥薪嘗膽遂に何物ぞ、石に嚙りついてでもやり遂げずんば止まぬではないか。 |
02 | “防空警報”を改正 九日以後の發令に實施 |
03 | 新生スマトラの姿 各民族の代表に聽く |
04 | 全國都市健民報國大會 きのふ高松市で開く |
05 | 賞賜物件傳達式 きのふ軍司令部で擧行 |
06 | マライスマトラ回教徒大會 兩日間昭南市で開かる |
07 | 宮尾臺南知事 地方長官會議 出席の為上京 |
08 | 廣谷臺北市長 けふ初登廳 |
09 | 羅東街警防團結成式 |
10 | 文學遺蹟を顯彰 國民精神作興の一助に |
11 | 昭南のヨイ子供達 |
12 | 映畫「ハワイ.マレー沖海戰」 山村各地で上映 |
13 | 三百萬バルトの 原子核研究設置 九大で九月迄に完成 |
14 | “母性保護”に乘出す 新竹州下各市街庄で指導講演會 |
15 | 學徒も挺身奉仕 新竹州の國有林增殖 |
16 | 臺大出、田中君 興南鍊成院第二部に合格 |
17 | 玉手陸軍司政 長官逝去 |
18 | 南興公司增資 報告總會 專任社長に高橋氏 |
19 | 宜蘭精米株式會社臨時總會 |
20 | 街協手當を献金 |
21 | 人事.消息報社消息 |
22 | 訃文:牧原忠介 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 女の手で百六頭 高雄州肉豚增產の殊勳甲は 里港庄の秀子さん |
02 | 四月の肉豚割當 高雄州九千餘頭に決定 |
03 | 優良兒選獎會 嘉義市十一日に豫選會 |
04 | 各地の警防團結成式 |
05 | 兔を飼へ 高雄州民 養兔報國に熱中 |
06 | 北寮派出所構內大麻奉安所竣成 |
07 | 陋習打破すべし 臺南州皇奉支會改善打合會 |
08 | 斗六法院出張所 移廳式 |
09 | 大溪街四月常會 |
10 | 昭和國民學校上棟式 |
11 | 東部開發に邁進 稻田花蓮港廳長抱負を語る |
12 | 稻田廳長着任 |
13 | 新舊廳長 歡送迎會 |
14 | 婦女の相談相手 嘉義市の女方委發令 |
15 | 奉公班の努力結實 三月の硬貨回收躍增 |
16 | 高雄中の譽れ 赤星君若鷲に合格 |
17 | 赤誠の献金品 |
18 | 愛林興隆祈願祭 花蓮港廳の愛林日 |
19 | 產業奉公團臺南市支部結成式 |
20 | 育兒の生きた教育 嘉義市家政女に育兒教室設置 |
21 | 臺中州警察異動 |
22 | 人事報社消息 |
23 | 地方多より |
24 | 今日の映画演藝 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 官業勤勞者を顯彰 督府功勞者表彰規程、公布 |
02 | 小作料收受狀況 臺南州で報告を徵收 |
03 | 產業再編成の根幹 比島糖業の新性格 |
04 | 勞務管理に寄與 暉竣博士近く來臺 |
05 | 木造船建造等を協議 海務局長會議開く |
06 | 勸業銀行異動 丸谷氏は新竹支店長に榮轉 |
07 | 新化郡農事組評議員會 |
08 | 臺拓の木材增產策 目標數量の達成に萬全 |
09 | 最近の經濟問題 |
10 | 近く適正に改訂 仔豚と肉豚との價格差 |
11 | 鹽糖產糖豫想 第一回より廿萬擔增 |
12 | 軌道運輸會社創立 社長に和田廣氏 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況(五日後場) |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(932)/黃得時;碇政彌 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 滿洲國皇帝陛下 軍司令官官邸に御臨 |
02 | 樞軸軍赫赫の戰果 廿九日から四月四日の一週間 |
03 | 樞軸軍が敢然逆襲 チユニジアの戰況 |
04 | 東條首相參內 滿洲國訪問に關し委曲奏上 |
05 | 首相昨夜歸京 |
06 | 井野農相 米實收高の 實情を奏上 |
07 | 圖像:南海の敵地爆擊に出動の海鷲 |
08 | 重慶市民に對し 即使退去を命令 違反者は配給切符沒收 |
09 | 有證委員會初會議 諮問事項と田中局長の說明 |
10 | 總會は一先づ打切る |
11 | 訪ソ使節團派遣か 米國內には反對者多し |
12 | “樞軸國の武裝解除實施” 笑はせるイーデンの夢物語 |
13 | イーデン歸英 |
14 | ソ聯の要求 元駐ソ米大使 デーヴイス談 |
15 | 獨軍發表戰況 |
16 | ク河口地區で激戰 獨軍は戰略地點を悉く確保 |
17 | 赤軍基地を爆擊 |
18 | イラン東部地區 大暴動が勃發す 駐屯赤軍現地へ |
19 | 印度に未曾有 の食糧饑饉 ストライキ勃發 |
20 | 印度に對する 米の貸與狀況 |
21 | 太平洋戰を中心に 米のハースト紙力說 |
22 | ルーズヴエルト政權 隨所に末期病狀暴露 |
23 | カルカツタに 示威運動 |
24 | ウエルズ次官 倫敦訪問か |
25 | 反樞軸空軍 バリー爆擊 |
26 | 潛水艦對戰に匙を拋ぐ 反樞軸軍四苦八苦の態 |
27 | 米國の海運統制計畫 第二戰線展開準備か |
28 | スペイン政府緊急閣議 |
29 | 破損三百萬棟 補償一億磅 イギリスの損害 |
30 | 比島科學局を 全面的に擴充 新機構で再出發 |
31 | 勃、ア兩國國境 劃定協定調印 五日調印を了す |
32 | 日滿支鐵道 資材懇談會 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 久彌宮德彥王殿下 けふ晴れの御成年式 |
02 | 勞かれ.無言の戰士 晝は市內行進、夜は盛大な“夕” あす島都の「愛馬の日」 |
03 | 武勳千歲に輝く 山口土橋兩部隊戰歿者發表 |
04 | 臺灣教育五十年本社主催座談會(五) 臺灣開發の先驅者 當時の學校教員、警察官の苦鬪報社消息 |
05 | ○○島の陣中閑(南太平洋) |
06 | 日婦で慰問奉仕 |
07 | 臺大理農學部分離 理學部長に青木文一郎教授 農學部長に三宅捷教授決定 |
08 | 一切を戰力增強に 事務は親切に、丁寧に、迅速に 初登廳の廣谷市長訓示 |
09 | 町の發明家を激勵 第二次獎勵費を交付 |
10 | 大詔奉戴日に 彈丸切手發賣 建功神社境內て |
11 | あす日、獨婦人代表放送 日婦臺灣本部で多數聽取要望 |
12 | 山西の山の陣地より |
13 | 國民體力の檢查 一人も洩れなく届出でる樣 臺北市衛生課談話發表 |
14 | 豐漁祈願祭執行 十三日の水產日に基隆郡で |
15 | 國語普及座談會 十日新竹庶民信組で |
16 | 五月日本に派遣 ジヤワで留學制度實施 |
17 | 甘薯增產に馬力 基隆郡の一石二鳥策 |
18 | 興南詩苑漢詩 弔張蘭興先生二首/陳金龍 |
19 | 森部局長と 梁井知事上京 |
20 | 基隆郡國民 貯蓄打合會 あす郡會議室で |
21 | 成蹊女學園で 生徒募集 |
22 | 今晚の放送 |
23 | 商況(六日前場) |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 天皇陛下に拜謁 地方長官會議日程決まる頭條新聞 【東京發同盟】政府は去る八十一議會に直接戰力增強に必須不可缺な各種法律案を提出通過成立を見たがこれら諸法律の趣旨を行政末端機關に浸透徹底せしめ以つてこれが適切有効な運營を期するため來る十二日より四日間恒例の地方長官會議を開催する事となつたが六日內務省より左の如く長官會議の日程が發表された、長官會議第一日の十二日は午前九時十分坂北海道長官以下三府四十三縣知事、吉永警視總監、小河樺太長官、朝鮮忠清南道、金羅北道、江原道、咸鏡南道の各道知事、臺灣臺北州、新竹州、臺南州知事及び柳井關東州長官等が打揃つて參內、天皇陛下に拜謁仰付けられ午前後に亘つて具さに地方事情を奏上、正午は特に優渥なる思召しを以つて一同に御陪食を賜はる御豫定と承る、又これより曩、午前八時半一同首相官邸に參集、同日參內拜謁の光榮に浴する地方長官の外加藤憲兵司令官、新貝朝鮮總督府司政局長森部臺灣總督府總務局長等も出席、東條首相より約三十分間に亘る重要訓示が行はれる第二日の十三日は午前八時內務省第一會議室に開催、先づ外務省及び大東亞省關係會議に入り同九時半より文部省、同十一時より司法省各關係會議を開催午後一時より大藏省、次いで二時より四時半迄內務省關係會議を開く、第三日の十四日は午前八時內務省に開會、直ちに商工省關係會議、同十時半遞信省次いで十一時半鐵道省各關係會議を開き正午休憩一時より厚生省同三時より農林省關係會議を開き同五時半散會、最終の十五日は午前八時首相官邸に開催順次に企畫院陸軍省及び海軍省各關係會議を開催後引續き懇談會に入り全閣僚出席の裡に活潑なる意見の交換が行はれる、尚十三日午後の內務關係會議終了後大政翼賛會關係事項に付き打合せが行はれる豫定である斯くて四日間に亘る地方長官會議は先例少い短期間ではあるが戰時下緊迫せる情勢にあつて當面の緊急課題たる生產增強及び國內諸體制の整備確立に議題の重點を思考して真摯熱烈なる討議が豫想されその成果は大いに注目される |
02 | 敵船十隻を擊沈破 飛行機擊墜廿機、擊破十八機 東部印度空爆、四日間の戰果 |
03 | 全く敵勢を慴伏さす |
04 | 久彌宮德彥王殿下 勳一等敍勳の御沙汰 |
05 | 斷じて隙を見せぬ 本土を護る監視艇の勞苦 |
06 | 十九機を擊墜 ア市來襲の英米機 |
07 | 藕池口北方の戰果 |
08 | ボリヴイア政府 對樞軸國宣戰か |
09 | 麗水を連續的爆擊 對日空襲の夢再び畫餅に歸す |
10 | 對日空襲の整備を急ぐ 在支米空軍最近增強に狂奔 |
11 | 圖像:嚴寒の北洋を征く我が艦隊甲板の結氷○○艦にて |
12 | 戰爭空襲保險料大幅引下げ 保險金額二千以下のものは 無制限に支拂ふことに決定 |
13 | 來週ワシントンで 太平洋軍事會議 |
14 | 六千六百石を突破 昭和十七年度の米實收高 |
15 | 狙擊師團一個師を殲滅 獨軍、東部戰線の戰果 |
16 | 惡條件下正に 驚異的な收穫量 |
17 | 赤軍の攻擊 失敗に終る クバン河口地區 |
18 | 國民手帳制度 滿國も實施せん |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 日滿華の紐帶 強化 首相訪滿の意義社說 東條首相は曩に中華民國を訪問注主席の日本訪問に對する答禮と中國の參戰に敬意を表し、併せて國府要路と共同戰爭完遂の方策につき隔意なき懇談を遂げたが、今回更に帝國と不可分一體の關係にある盟邦滿洲國を訪れ、皇帝陛下の御機嫌を奉同し、同國の過去十ケ年間に於ける飛躍的發展を祝福し、且つ大東亞戰勃發以來寄せられつつある全面的協力に謝意を表すると共に、滿洲國首腦部と親しく懇談を遂げた。現職の日本總理大臣の訪華、訪滿は日華日滿國交史上始めてのことであつて、東方道義を宣揚する大東亞諸民族共榮の久遠の規範と言ふべきで、劃期的意義を有するものである。これに依り滿華兩國の對日寄與、戰力增强の力强い工作は更に拍車を掛けられ、火の玉となつて燃え上るであらう。斯くて日滿華三國の紐帶が名實共に固く結合せられ、更に一步を進めて三國の大東亞戰爭完遂の協同目的達成に對する決意を一層確固不動たらしめるに至つたことを中外に闡明するものとして、極めて重大な意義を有するものである。 |
02 | 社說 「愛馬の日」の新目標 人馬一如御奉公社說 「物言はぬ戰士」の武勳を讃へると共に一般國民の愛馬精神の振興を計る為、けふは「愛馬の日」として全國的に各種の行事が展開されることとなつたが、此日は恰る、明治天皇が日清、日露の兩戰役に依り產馬改良の必要なることに就き痛く聖慮を惱ませられ、明治三十七年時の元老に對し、馬匹の改良を企圖する旨御沙汰あり、且つ藤波主馬頭に調查の勅令を降し給へる尊き記念日で、昭和十四年より新にこの日を「愛馬の日」と定め、今日はその第五回目を迎へた譯である。馬は今次聖戰に皇軍將兵と共に默默と苦闘し、赫赫たる戰果を擧げて來たことは一般承知の通りであるが、平時又銃後にあつては農耕に從ひ、交通運輸にたづさはり、或は近代スポーツに伍し國民心身の鍛鍊に寄與するところ多大なるものであつて、國防上產業上必要缺く可からさる重要資源である。從來この日は國民が馬に感謝を捧げ、溫き保護を與へる日として强調されて來たが、本年度からは馬が國民生活に如何に役立ち、重要な使命を有するかの徹底に指標を置く方針が決定し、本島では皇民奉公會、臺灣畜產會、大日本婦人會等が中心となり六百萬島民に馬事思想の普及と愛馬心の涵養に努めることとなつた馬事關係者は決戰下更に馬の增產、利用鍛鍊、機動等に積極的に協力し、馬事を通じて一億一心、人馬一如の決戰體制强化に御奉公しなければならない。 |
03 | バタアン攻略一周年 今ぞ知る“白魔の正體” 比島兵も惡夢から醒む |
04 | 本島青年斯く叫ぶ 志願兵制から徵兵制へ 在京留學生座談會 |
05 | 圖像:大詔奉戴日に島都を練り步く志願兵の行進 |
06 | 馬事改良に六十年 小格重輓馬「日本釧路種」完成 軍馬の父、神八三郎翁 |
07 | 愛馬愛國、心は一つ けふ輝く“愛馬の日” |
08 | 粉身碎骨努めたい 奧中部隊長着任の辭 |
09 | 鄉軍の參與會議 きのふ軍司令部で開催 |
10 | 精銳主催で進む 加藤新高開發社長語る |
11 | 第五部隊馬術演習 けふ高商グランドで |
12 | 基隆商業專修の合格者 |
13 | 故玉手氏の遙弔式 |
14 | “印度資源論” 小生氏釋出版 |
15 | 人事消息報社消息 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 一杯飲む前に貯蓄 溪口庄奉壯團の妙案 |
02 | 增產新化郡の誇 總督賞に輝く陳羽氏を 喜ぶ築地郡守語る |
03 | 賞賜物件傳達式 |
04 | 時局認識考察 高雄州在鄉勤報 青年隊成績優良 |
05 | 螟虫は鴨の好餌 食糧增產に鴨活用 |
06 | 澎湖の愛林日 |
07 | 澎湖桔俱クラブ 去る四月結成式擧行 |
08 | 害虫驅除に 土屋農林課長 陣頭指揮へ |
09 | ありがたうよお馬 兒童の愛馬作文拔萃 |
10 | 臺南幼駒育成所 水上庄現場で嚴肅な地鎮祭 |
11 | 長興庄の建艦献金 |
12 | 新竹桔俱員 救急法講習 |
13 | 征け.鍊成道場へ 花蓮港廳青年豫備訓練 |
14 | 增產優賞旗 交付式 海山郡五日擧行 |
15 | 淚で父の飜意促す お山の從軍美談一つ |
16 | お山の正條密植 駐在警官夫人が指導 |
17 | 嘉義市の國講師 十三日講習開始 |
18 | 本田嘉義市長着任 |
19 | 質實剛健の人 加藤參事赴任 |
20 | 新竹州の造林 後龍庄を皮切りに植付着手 |
21 | 神祇會臺南州支部總會 |
22 | 高雄州興亞勤行 青年隊入所式 |
23 | 喜びの合格者 |
24 | 木內女史講演 七日嘉義市で |
25 | 屏東市の警防團 六日結團式擧行さる |
26 | 魚池庄の結成式 |
27 | 赤誠の献金品 |
28 | 朝日青年校入學式 |
29 | 臺中州纖維織物 加工業組合總會 |
30 | 赤誠の献金品 |
31 | 畜產振興に全力 新化郡畜產助成會の事業計畫 |
32 | 義母を毒殺 |
33 | 人事報社消息 |
34 | 地方多より |
35 | 今日の映画演藝 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 葉煙草賠償價格 十八年期より引上 |
02 | 佐治專賣局長談 賠償價格の改正 品質の向上に力瘤 |
03 | 證券市場を認可 清算取引は東京大阪のみ |
04 | 遞信施策に萬全 伊藤遞信部長語る |
05 | 南方自給體制進捗 各地棉花增產の實情 |
06 | 臺灣罐詰協會 會長等役員決定 |
07 | 昨年產米實收高 六千六百七十七萬五千八百餘石 |
08 | 新法律の全貌(一) |
09 | 都市の蛋白給願 淡水魚の飼養は急務 |
10 | 債券買收制度 本島にも來月より實施 |
11 | 薪炭林造成に邁進 臺南州の具體策決定 |
12 | 伊藤遞信部長上京 |
13 | 經濟手帖 |
14 | 武田藥品增資 苗栗に製藥工場建設 |
15 | 生活物資の綜合配給 |
16 | 照明燈 |
17 | 商況(六日後場) |
18 | ラジオ |
19 | 水滸傳(933)/黃得時;碇政彌 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 文化再建緒に就く 德川比島軍政顧問談 |
02 | バタアン攻略戰の回顧 敵に有利な樹海(上) 彈量に物言はす我爆擊効果 當時の部隊長座談會 |
03 | 獨潛艦の戰果增大 大西洋糧道將に兩斷 |
04 | ガ翁再び斷食か 政廳の白書公表に激昂 |
05 | 勝利への道/室伏高信 |
06 | 樞軸潛水艦の 活躍事態重大 ノツクス悲鳴を擧ぐ |
07 | 我爆擊を發表 印度敵軍司令部 |
08 | 陸軍司政長官發令 |
09 | 新西蘭豪華船ア號沈沒 |
10 | 米新型航母ア號進水 |
11 | 東亞反攻企圖は無謀 クイムス歐洲重點主義を強調 |
12 | 圖像:雲南方面作戰 |
13 | ドネツ河渡河點を奪取 獨本格的攻勢準備全く終る |
14 | クバン河口地區 獨ル軍が決定的勝利 |
15 | 米陸軍省デ市に 監督局を設く |
16 | 敵米艦艇十隻進水 |
17 | チユニジア戰況 |
18 | 敵船十三隻を擊沈破 伊空軍チユニジア近海で |
19 | 伊空軍地中海の戰果 |
20 | 米の造船狀況 |
21 | アントワープの 被害甚大 全市怨嗟の聲に滿つ |
22 | 米海軍省の 損害發表 |
23 | 英盲爆に依る 和蘭人の犧牲 |
24 | ホ號生存者 機關長談 |
25 | パリ盲爆死傷者三百六名 |
26 | 米國側依然 損害を隱蔽 |
27 | カナダ中心の空路を建設 英、米□□對抗 |
28 | 好富情報部長逝去 |
序號 | 標題 |
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01 | 君には命、馬には情 食はせよ、飲ませよ、我より先に けふ輝く“愛馬の日” |
02 | 颯爽.市中を行進 五部隊の愛馬行事 |
03 | 臺灣教育五十年本社主催座談會(六) 北にサヨン、南にスボン 麗し本島教育美談の双璧報社消息 |
04 | 圖像:島都愛馬の大行進 |
05 | 愛馬思想を鼓吹 御馳走に人蔘三籠 |
06 | 軍馬慰問に 日婦の幹部が奉仕 |
07 | 新竹の「愛馬の日」 |
08 | 衛生事務擔當者事務打合會 |
09 | “子寶翼贊”の凱歌 島都十一の優良多子家庭に 輝く表彰狀授與式 |
10 | 誠實本位が秘訣 清水氏喜びを語る |
11 | 全島國講教科書完成 近く教員會から發行 |
12 | 忌明に献金 |
13 | 木塚副官榮轉 後任は石川熊一少佐 |
14 | 藝能文化の建設に 來れ!熱情の青年 藝能文化研究會員募集報社消息 |
15 | 正しい藝能運動は 世の中を明るくす 西村文教局長語る |
16 | 敵機來らば來れよ 我に磐石の鐵壁陣あり |
17 | 桔俱俱樂部中央部 運營の聯絡統一を目指して 十一日各代表が參集打合 |
18 | “楠氏一族”上映 奉公會滿二周年祝典劇に 十七、八日榮座で |
19 | 興南詩苑漢詩 携聊息廬所寄茶與家兄/覺齋、得覺齋携聊息廬所寄茶至/翕庵 |
20 | 騎道大會開催 十一日武德殿で |
21 | 副見、黃兩婦人委員が放送 |
22 | 人事.消息 |
23 | 今晚の放送 |
24 | 商況(七日前場) |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | けふは大詔奉戴日 詔書頭條新聞 詔書 天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有眾ニ示ス朕茲ニ米國及英國ニ對シテ戰ヲ宣ス朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司ハ勵精職務ヲ奉行シ朕カ眾庶ハ各各其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ 抑抑東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ丕顯ナル皇祖考丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ朕カ拳拳措カサル所而シテ列國トノ交誼ヲ篤クシ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト為ス所ナリ 今ヤ不幸ニシテ米英兩國ト釁端ヲ開クニ至ル洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ中華民國政府曩ニ帝國ノ真意ヲ解セス濫ニ事ヲ構へテ東亞ノ平和攪亂シ逐ニ帝國ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有餘ヲ經タリ幸ニ國民政府更新スルアリ帝國ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提攜スルニ至レルモ重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ兄弟尚未タ牆ニ相鬩クヲ悛メス米英兩國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制霸ノ非望ヲ逞ウセムトス剩へ與國ヲ誘ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ增強シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ與へ遂ニ經濟斷交ヲ敢テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ回復セシメムトシ隱忍久シキニ彌リタルモ彼ハ毫モ交讓ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ益益經濟上軍事上ノ脅威ヲ增大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス斯ノ如クニシテ推移セムカ東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ歸シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事旣ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衛ノ為蠍然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ朕ハ汝有眾ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス 御名御璽 昭和十六年十二月八日 各國務大臣副署 |
02 | 輸送船團直衛を完遂 感狀上聞に達す 陸鷲岡本部隊ニ島作戰に協力 |
03 | 陸軍省發表 |
04 | 感狀 岡本飛行部隊 |
05 | 連日淒愴な空中戰 わが陸鷲敢鬪の跡を回顧 |
06 | ボリヴイア政府對樞軸宣戰布告 |
07 | けふ陳特使らに 畏し.謁見を賜ふ |
08 | 勳章を御贈與 陳、禇、周の三氏に |
09 | 陸軍省を訪問 |
10 | 陳特派大使の訪日 國府外交宣傳兩部發表 |
11 | きのふ晴れの入京 官民多數の出迎受けて |
12 | 訪日の途に就く |
13 | 東條首相訪問 |
14 | 陳特使の日程 |
15 | 御國に參じ感慨無量 今回の來訪につき陳特派大使談話 |
16 | 國府陸軍首腦異動 總參謀長に鮑上將 |
17 | 二月中の綜合戰果 支那派遣軍報道部發表 |
18 | 英艦隊突如 ジ港を出港 |
19 | 軍管理物件の 國府正式返還 |
20 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 統制機關の經濟違反社說 一 統制經濟運營の根幹をなす統制會社乃至團體の經濟違反に對し取締當局より再三嚴重なる警告が發せられてゐる今回○○會社の違反事件が摘發され目下當局に於て取調が進められてをり事の真相は發表ある迄これを詳かにし得ないが仄聞するに今般の統制違反は從來のに比して惡質であり喰ふか喰はれるかの決戰期に直面してゐる此際かかる事件は前線に奮戰してゐる將兵に對して誠に申譯がなくその罪正に萬死に値すると謂ふべきである。過去檢擧され來つた統制機關の違反事件といひ又今般の事件といひ事公的團體に關するだけに我我はこれを看過することなくそのよつて來る由因を此際篤と檢討し速かに排除することが急務でなければならない。 二 かつて本欄に於て指摘した如く抑抑かかる統制違反は根本的には統制機關當事者に尚こぴりついて ゐる飽くことなき利益追求心に災はされたものであつてこの限りに於ては問題は時局精神の把握如何にかかはるものといへる。しかし問題はしかく簡單に片付けられ得るものではなく實は本島統制經濟が內包せる矛盾の必然的現はれと見るべき處に幾多考へさせられる事實がひそんでゐるのである。それは又統制經濟と官吏の問題についても峻嚴なる反省が要請されてゐるわけである。改めて言ふ迄もなく私企業の存在が尚許容されてゐる統制經濟下に於ては經濟統制の强化に伴つて生產、配給各部門に亘り統制團體を中心とする統制が漸次擴大されることは避けられない處であらう。卽ち統制經濟運營の根幹として統制團體が存在する以上團體の役員等關係者は人格高潔、滅私奉公の人人でなければならないことは更に論ずる迄もないにも拘はらず過去かかる團體の違反事件が少からず摘發されたのはそも如何なる原因に基くものであらうか。 三 吾人はこの點につき統制經濟の內に統制團體がもつ役割を前記のものと見ず恰も自己の利益追求機關としか見てゐない處にすべてが胚胎してゐるものと斷言して憚らない。統制機關が多く官廳親近者の所謂便乘的動機によつて組織されるその過程を見れば此ことは自ら明白となつて來るわけでかかる動機により組織された統制機關が後日色色な違反事件を惹起することはむしろ見えすいてゐると言ふべきである。而も統制機關を中心とする策動によつて甚しきは職を失ひ泣寢入りする業者が多數に上つてゐるとはあまりにも知られずに闇に葬り去られてゐるかのやうである。この結果統制機關が計らずも業者怨嗟の的となるのは止むを得ないことであるがこれには統制官廳にも一半の責任があることを指摘しない譯には行かない。實情にうといと言へばそれ迄だが統制に當る官吏があまりにも便乘的業者に乘ぜられ易い缺陷が多い。それ故に決戰下に於ける統制經濟の歪められた樣相を矯正するには此際統制官廳が所謂官廳親近者を十二分に警戒し統制團體に對して嚴正、果敢なる再檢討を加へ指導、監督に萬全を期すべきであらう。 |
02 | 勤皇書籍.街頭を席捲 培ふ國家の底力 決戰下讀書界の變貌 |
03 | 圖像:愛馬行事 |
04 | “その日その日が愛馬の日” 決戰下馬の役割いよいよ重大 鈴木軍獸醫部長放送 |
05 | 軍馬慰問群殺到 |
06 | バタアン戰の軍馬 愛馬偲び福永中佐語る |
07 | “全く部下のお蔭” 感狀に輝く岡本部隊長夫人語る |
08 | ○○部隊長着任 澎湖神社に正式參拜 |
09 | 各位の協力要望 ○○大佐着任の辭 |
10 | 空襲に豫告なし 市民の覺悟はよいか |
11 | “一層の御奮勵を” 某要職に榮轉の藤村海軍大佐談 |
12 | 比島內の為 替取扱銀行 臺銀、正金に指定 |
13 | 映畫陸軍航空戰記 十日に試寫會開催 |
14 | 愛馬に一億の親心 昨夜公會堂で盛大な夕 |
15 | 白紙で臨む 大串羅東郡守の着任第一聲 |
16 | 運用方法を轉換 簡保、郵便年金の積立金 |
17 | “貯蓄達成”を凝議 昨日皇奉生活部で懇話會 |
18 | 羅東畫劇挺 身隊の演出 |
19 | 產業奉公會宜蘭支部結成式 |
20 | 遂に解消の運命 問題の大學野球リーグ戰 |
21 | 羅東郡區總代部落 會長連絡打合 |
22 | 臺北帝大辭令 |
23 | 人事.消息報社消息 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 決戰だ!貯蓄だ! 四億圓貯蓄完遂は島民の務め 新竹州獎勵要綱決定 |
02 | 並木植ゑ奉仕 花蓮港市青年の愛林作業 |
03 | 希望は一つ若櫻へ 花蓮港廳の志願兵詮衡試驗 |
04 | 森林を愛護しませう/新山清吉 |
05 | 國語常用普及運動 新竹州十六日より展開 |
06 | 石門庄役場 茶業組合事務所に移轉 |
07 | 金銀紙製造を廢止 豐原街の業者自發的申合 |
08 | 建設に勵む比島の人人 |
09 | 戰捷下の愛馬日 讚へよ勳、劬はれお馬 各地とも愛馬行事一色 |
10 | 彰化郡產組總代會日割 |
11 | 農村一家の顯現 “共同作業班”を組織 |
12 | 新莊郡の硬貨回收 |
13 | 三割增產は可能 臺中州下灌溉排水 施設どしどし完成 |
14 | 赤誠の献金品 |
15 | 小作料納入狀況報告 高雄州七日付州令で公布 |
16 | 信ずるな寔ら しい留言 |
17 | 嘉義市の復舊工事 本年度は市營造物に集中 |
18 | 人事報社消息 |
19 | 地方多より報社消息 |
20 | 新化街總常會 |
21 | 今日の映画演藝 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 簡易保險積立金の運用 公共事業資金融通は遞信省 生擴資金は預金部で供給 |
02 | 乾蔬菜の移除統制 統制品目追加指定 |
03 | 中支重工業の動向 轉換期に直面す |
04 | 十三日は水產記念日 當日は鮮魚を特配 |
05 | 高雄港灣會社 來る十五日に創立總會 |
06 | 企業許可指定事業 工業七、商業一を追加 |
07 | 七割增收 陸稻にも蓬萊種 戰ふ農事試驗場に凱歌 |
08 | 破損農機具の 修理三千餘臺 |
09 | バナナ生產目標 三百廿五萬籠に制限せん |
10 | 島產帽子價格決定 |
11 | 滿尾鐵道部長 高雄方面に出張 |
12 | 商況(七日後場) |
13 | ラジオ |
14 | 水滸傳(934)/黃得時;碇政彌 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 陳特派大使に對し 畏し.謁見を賜はる |
02 | 周佛海副院長訪滿 滿洲國政府の發表 |
03 | 協力問題に關し懇談 外交部、宣傳部の共同發表 |
04 | 參謀次長更迭 後任は秦彥三郎中將 |
05 | ガ島に食糧彈藥送る 豪膽大規模な海上舟艇機動戰 西藤准尉に苦心談聞く |
06 | 山東半島の殲滅戰 三月中の綜合戰果 |
07 | 米遊休紡績機械を南米へ讓渡 |
08 | 米の國務司法商務三省豫算可決 |
09 | 敵船十四隻擊沈 獨逸潛艦の新戰果 |
10 | 市場攪亂者は 嚴重に處斷 國府、命令を發す |
11 | “標準農村設定要綱” 農村計畫委員會農村部會で案を可決答申 |
12 | 擊沈敵船乘組員 南阿某港に到着 |
13 | 獨潛艦の活躍熾烈 英の戰力を擊碎せん |
14 | 圖像:○○島奇襲攻擊の戰果を報告する海鷲勇士 |
15 | 參戰下國府の 建軍工作進展 今次首腦の更迭意義重大 |
16 | 鐵獅子米原戰車隊の 創立記念式典擧行 宿敵米英擊滅の誓を新たに |
17 | 獨軍突如大攻勢 チユニジア地區で激戰 |
18 | チユニジア戰況 |
19 | 獨軍筋の言明 |
20 | 米は愈よ近く 訪ソ使節派遣 懷柔策に懸命 |
21 | 獨潛艦戰果發表 |
22 | 伊軍の發表 |
23 | 對美媚態呈示 ボ政府參戰の經緯 |
24 | 佛裏切政權の 和協工作頓挫 ド.ゴールの佛亞 訪問阻止さる |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 宿敵米英擊滅に 擧島總力を結集 奉戴日迎へて覺悟新た |
02 | 米英精神の一掃に 全文化團體を動員 八、九兩日間大會開催 |
03 | 詔書捧讀式 |
04 | 神社に祈願參拜 港都各官衙の職員 |
05 | 臺灣教育五十年本社主催座談會(六) 世界の範.本島國語教育 南方共榮圈に活用したい報社消息 |
06 | 州下水利組合員の赤誠 陸海軍に献納機金と恤兵金献納 |
07 | 本省に人事事務連絡員派遣 長山屬近く赴任 |
08 | 圖像:南方便り |
09 | 吉原屬に決定 府人事課人事主任 |
10 | 梅本氏立候補 新竹州第二區 州議補缺選擧 |
11 | 臺灣軍將兵一同の 献納燈籠地鎮祭 護國神社で嚴かに執行 |
12 | 虛弱兒學級を編制 體位向上に種種特別なる處置 島都の劃期的新試み |
13 | 二期作に備へて 新竹州で自給肥料の大增產へ |
14 | 日本國內の英人俘虜は 寢室の割當十分で清潔 ジ英陸相が書面回答で陳述 |
15 | キニーネ不足に惱む米英 爪哇戡定の重大意義 |
16 | 東伏見邦英伯 天臺宗座主に就任 五月中頃に傳燈式執行 |
17 | 四十七回創立記念式 十二日臺北陸軍病院で |
18 | 巡回映畫大會 全島鐵道沿線部落民慰安に |
19 | 港都の「花祭」 |
20 | 野球庭球等廢止 臺高で敵性競技を一掃 |
21 | 後任龍潭庄長に宮內氏 |
22 | 臺銀幹部異動 |
23 | タイピスト募集 臺灣軍副官部で |
24 | 人事.消息報社消息 |
25 | 今晚の放送 |
26 | 商況(八日前場) |
27 | 興南詩苑漢詩 哭賴懶雲詞兄/南都、殘花/南都、次景南龍峒閒居原韻/灌園、立春三日漫興四首/仰山 |
28 | 興南案內報社消息 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 畏し.午餐の御催し 陳特使ら御殊遇に感激頭條新聞 【東京發同盟】戰ふ中國の決意も固く中國參戰以來のわが支援協力に謝意を表するため七日來朝した中華民國國民政府特派大使陳公博氏は隨員外交部駐滬辦事處長孫理甫、宣傳部參事黄菩生、上海特別市參事沈觀準、立法院秘書林基の四氏と共に八日宮中に參內畏くも天皇陛下に謁見仰付けられ次で午參の御催しあり御殊遇の程に恐懼しつつ宮中を退出した、この日光榮の陳特派大使はモーニングに威儀を正し勳一等旭日大綬章略章を佩用駐日特命全權大使徐良氏を同伴、隨員一行と共に大東亞省差廻しの自動車に分乘して午前十一時四十分宿舍帝國ホテルを出發、二重橋正門より宮中に參內した。一行は御車寄等に參着、出迎への水野式部官の誘引にて恐懼鳳凰ノ間に參進すれば畏くも、天皇陛下には正午鳳凰ノ間に出御あらせられ徐良大使の御紹介にて先づ陳公博大使に謁見仰付けられ親しく御握手を賜はつた。陳特派大使は來朝の御挨拶を言上恭恭しく敬意を表し奉れは、陛下には清水御用掛が通譯を奉仕して親しく御言葉を賜はり篤くその勞を犒らはせられた。次で陳特派大使の御紹介にて順次隨員四名にも親しく謁見仰付けられ天機麗はしく入御あらせられた、かくて天皇陛下には午後零時三十分再び豐明殿に出御、陳特派大使一行を召させられ御宴殿には東久邇大將宮殿下にも御臨席、東條首相、谷外相、青木大東亞相等の外松本宮相、百武侍從長、蓮沼武官長等側近奉仕者も召され午餐の御催しあり御和やかなつちに御宴を進めさせられ終つて牡丹ノ間において一同にお茶を賜はつて種種御歡談の後天機麗はしく入御あらせられ陳特派大使一行は御殊遇の程に感激しつつ午後二時過ぎ宮中を退出、宿舍帝國ホテルに歸還した |
02 | 無上の光榮 陳特派大使謹話 |
03 | 大東亞相と懇談 |
04 | 陳特使歡迎晚餐會 |
05 | 平沼、有田、永井諸氏に挨拶 |
06 | 英印軍を捕捉擊滅(マユ河畔に) 緬甸方面最高指導官河邊正三中將 |
07 | 敵の企圖を全く粉碎 |
08 | 歸還陸海將星參內 |
09 | マユ山頂へ猛進 |
10 | 一兵も殘さず擊滅 |
11 | 谷萩報道部長談 印度兵最先頭に 英兵督戰的役割を演ず |
12 | ベンガル州を襲ふ モンドウに巨彈を投下 |
13 | 又チツタゴン爆擊 |
14 | 對日反攻基地を連爆 零陵、衡陽、建甌を擊碎 |
15 | 文武兩道の達人 本間中將、河邊將軍を語る |
16 | 國府財政經濟の 再編成に好個の規範 周佛海氏訪滿の意義重大 |
17 | 米海軍省豫算 二百五十五億弗 |
18 | 敵も敗退發表 |
19 | 機略縱橫の將軍 河邊中將の手腕期待さる |
20 | ソ聯樺太北端 に牧場開設 |
21 | ギリシヤ新內閣成立 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 內地の產米高 豫想通り豐作 一層本島米增產へ社說 一 昨年度內地產米實收高は農林省の發表によれば六千六百七十七萬五千八百餘石にして前年度の實收高に比し二割一分二厘增加、前五箇年平均實收高に比して五分三厘の增加を示し決戰下生產惡條件の克服と云ふ見地よりして正に驚異的收穫量と云はねばならない。しかも作付面積が前年より減少して反當り收穫量が前年の一石七斗三升一合に對し三石一斗と、三斗六升九合からの增收を示現し單位面積當り收量の增加の一通りの成功を獲得して食糧の絕對的確保にとり大いに我等の意を强うしたと云ふべきである。然れども一方我が食糧自給圈たる內外地を綜合して見ると、本島二期米實收高は四百三十五萬九千石、前年に比して十五萬石の增收を示してゐるが、內地食糧の衞生的地位にある朝鮮米はその實收高千五百六十八萬七千一石、平年作に比して相當の減收を見て居り、決して內地の豐作に醉ふべきではない、殊に本島は年年相當大量の米を內地に供給し決戰下帝國の國民食糧問題に多大の貢献をなしてゐる今日本島米の一大增產は國家の絕對的要請で農業者は勿論のこと關係官民が渾然一體となつて增產に挺進すべく決意を新たにすべきである。 二 米の增產上作付面積は固より最大限に擴張すべきで可能的範圍內に於いて耕地を捻出すべきであるが本島は氣候風土其他の關係で單位面積當り收量が內地に比し非常に低位にあり、年二回の收量でやつと略內地の一作に及ぶと云ふ實狀でなほ增收を圖るべき餘地多多あり、單位面積の收量增加を圖ることこそが本島米增產上の一大課題である。然らば增產の理想的目標は如何、換言すればどれ位單位面積の增收を圖ることが出來るかこの可能的標準を示すものとし□先達の臺灣農會主催の多收穫競作會に於る受賞者の成績を一瞥すれば▲水稻一甲步當り玄米(兩期作通算)一等一◯八・◯八石、二等一◯六・九○石、三等一◯二・九九石、同九九・九九石、同八八・七九石になつて居り、三點が美事に總督賞の目標たる百石を突破して居る。これは固より當局指導の徹底と篤農家の献身的努力の結晶であるが、採算を超越した園藝的な耕作方法で一般には尚緣遠い話でありながら、少くても受賞者と同じ條件の下に於いては同等の增收を圖ることが出來ると云ふ一つの示唆に富んだ增產の可能性を意味し極めて注目に値ひする。 三 由來農業は他の產業に比してその發達非常に遲く農村に引籠つて農耕にいそしむ農民は極めて保守的で因習、傳統を重んずる氣風に富む、幾ら指導當局が品種、苗代、深耕、正條密植、施肥の改良等等叫んでも效果は比較的に薄いもので百の說法より一の實行に限る、出品田と云ふ實地の標本を見せその良好な成績を示して刺激を與ヘ以て耕作法に想到せしむるのが最も効果的である。この意味に於いて多收穫競作會は中央のみに止まらず、總ゆる單位農村に設くべきもので而して下から盛り上がる樣にすべきではながらうか、卽ち庄長賞、郡守賞、知事賞、總督賞と云ふ風に組織的系統的にすべきである。又各單位農村每にそこの最優秀篤農家と指導技術者の結合を動員して最善を盡さしむベきである又篤農家、地主も此際自己の役割に徹底した自覺を持たなければならぬ。天晴れ總督賞の榮冠を獲得した彰化郡の陳羽氏の體驗談も篤農家の使命自覺を示唆してゐる。「業主たる者が從來の如く小作料の徵收のみにて終始すべきに非ず自ら田圃に立つて業主として小作人に對し或は區總代として部落の人人に卒先垂範し相携へて農民としての御奉公を為すべきである」云云。全島の篤農家、地主以て他山の石とすべきではなからうか。 |
02 | 防空警報の傳達 二十五日から改正事實 敵襲へ鐵壁の備へ |
03 | 藤村海軍大佐 馬公發新任地へ |
04 | 朝香總裁宮殿下 軍人援護會多額寄附者に 畏し午餐を賜る |
05 | 優渥な聖恩に浴す 陸軍關係の論功行賞 |
06 | 敵中に友軍を救ふ 殊勳甲に輝く澤田大尉 |
07 | 噫.不死身の英雄 紅顏將校吉田中尉 |
08 | 父子二代御奉公 責任感強い中西軍曹 |
09 | 奉公班の再編成 新竹州各市會に通達 |
10 | 訓練期間を倍加 勤報青年隊擴充強化 |
11 | 物云はぬ戰士を慰問 |
12 | 圖像:殉職產業戰士慰靈祭記念日 |
13 | 行啟記念日に 名果献上 高雄州からサボジユラ |
14 | 戰力增強に精進 西村文教局長語る |
15 | 強兵健民の大運動 五月一日から十日まで全國一齊に展開 |
16 | 米機盲爆の實相 全日本の文學者が一齊に執筆 四月十八日を期し |
17 | 文報本年度初總會 |
18 | 中央健民運動 協議會を開催 |
19 | 奉戴日に献金群 一日で二十四萬圓 |
20 | 硬貨二十五萬枚 日婦城北聯合分會が回收 |
21 | 黃純青氏 今夕放送 |
22 | 好富大使館總 領事館合同葬 |
23 | 深川放送協會 常任理事辭任 後任に佐佐波氏 |
24 | 產奉宜蘭市 支部發會式 |
25 | 高雄春競馬 十七日から開催 |
26 | 那須高雄州總務部長が着任 |
27 | 人事.消息報社消息 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 增產の實地指導 新竹州各市郡に模範田を設置 |
02 | 守れ興亞の子寶 子供の日に因んて乳幼兒愛護思想喚起 |
03 | 皇奉運動指導者 十五日より懇談會開催 |
04 | 必勝生活はよいか 日本婦人の力を示す時は今 副見皇奉婦人委員放送 |
05 | 選獎準備を急ぐ |
06 | 豐漁を祈願 十三日の水產日 |
07 | 古澤曾文郡守 管內巡視日程 |
08 | 擊ちてし止まむ 花蓮港鄉軍大詔奉讀式 |
09 | 血書の念願叶つて 田中君晴れの義勇隊員 |
10 | 臺南商奉團 廿日委員會 |
11 | 生活刷新を斷行 皇奉高雄州支部本年度の事業 |
12 | 第二年は實踐の年 建設一年の跡顧みて 花蓮港桔俱員に決意を聽く座談會 |
13 | 圖像:敵機來襲に必中彈をこめる○○砲隊員 |
14 | 澎湖の愛馬日 |
15 | 高雄の臨港鐵道 早急架設を陳情 港灣協會 |
16 | “婦人の決戰生活” 木內女史の熱辯に聽眾感動 |
17 | 十三日花蓮 港市で講演 |
18 | サボジユラ鈴成り 果物王國高雄州は豐作 |
19 | 兒童皆泳目指し 國民學校教員水泳研究會開催 |
20 | 田植ゑ推進に 青木產業部長陣頭に立つ |
21 | 澎湖は綠りの島 太田廳長各地で植木指導 |
22 | 大詔奉戴日献金 |
23 | 人事報社消息 |
24 | 地方多より |
25 | 今日の映画演藝 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 中小商工業再編成協力會共助會 設置要綱決定、近く發表 |
02 | 木炭、薪の生產確保 原木供出運動近く展開 |
03 | 生產戰の現地報告 (上)鐵增產の新紀錄 |
04 | 昨年帽子輸移出 二百五十八萬八千餘個 植物、纖維物著しく增加 |
05 | 鮮魚の特配 一戶當り百匁 |
06 | 棉作五百廿二萬斤 臺南州下の割當決定 |
07 | 重要鑛物の增產隘路克服 近く官民懇談會で協議 |
08 | 新法律の全貌(二) |
09 | 玉葱の島內割當量 近く配給統制協議會で決定 |
10 | 製糖終了 |
11 | 臺南州の蔗作割當 水田撤退で二千百餘甲步の滅 |
12 | 最近の經濟問題 |
13 | 經濟手帖 |
14 | 莿桐庄堆肥增 產品評會 |
15 | 商況(八日後場) |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(935)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵主力孤立化(ドンベーグ) わが精銳の士氣軒昂 |
02 | 優勢な火器に對抗 皇軍肉彈突擊で擊退 |
03 | 太平洋戰局の 重要性を指摘 カーチン濠洲首相 |
04 | バタアン攻略戰の回顧 要塞攻擊に尊い教訓 當時の部隊長座談會 |
05 | 反樞軸 紙報道 太平洋の反攻困難 |
06 | 白晝の暴虐行為! 又も我病院船を不法爆擊 |
07 | ム首相訪獨か |
08 | ハルの訪英を要請 |
09 | 太平洋反攻を企圖か ワシントン會議タイムスの報道 |
10 | 濠洲の不滿逐日激化 米、濠泥仕合ひを演ず |
11 | スイスも在支特權放棄 |
12 | 不滅の武勳に輝く 飯田祥二郎中將の功績 |
13 | 獨在外使臣の大異動計畫 |
14 | 諸國の同調を切望 在支特權放棄堀第三部長談 |
15 | チユニジアの 伊太利人 義勇軍を編制 |
16 | 歡談に花咲かす 陳特使、平沼、有田、永井諸氏訪問 |
17 | 圖像:○○機銃隊の活躍 |
18 | 兩共同租界行政權放棄 フランス政府國府に通告 |
19 | 英本土を粉碎せん 獨空軍の報復爆擊を覺悟せよ 英の盲爆、獨當局言明 |
20 | 印度和協派の要求拒否 英國內でアメリー攻擊表面化 |
21 | 罹災者一萬 七千名 ア市盲爆の被害 |
22 | 太平洋方面の戰鬪で 米將官廿六名を失ふ |
23 | 翼壯道府縣の 團役員の改任 |
24 | 獨軍戰況發表 |
25 | 伊英重傷俘虜交換 |
26 | 米軍の裏かく 樞軸軍撤收作戰 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 奉公會發足 二周年記念 完勝へ一段の奉公 六百萬民ガツチリ組んで 十九日にラジオ常會開催 |
02 | 未教育青少年の鍊成へ 戰力の增強に歸一せしめる四ケ年計畫 國講教育刷新強化策成る |
03 | 賞賜物件傳達式 |
04 | 臺灣教育五十年本社主催座談會(七) 日本語南進の方策 活かせ.本島の體驗と研究報社消息 |
05 | 戰鬪體制を取れ 有時即應、いさ鎌倉に備へよ 平和的服裝も一掃 |
06 | 靖國臨時大祭 けふ委員打合會開催 |
07 | 陸軍技術部見習士官招募 |
08 | 簡素と剛健と明朗 全國的運動を展開 |
09 | 馬の增產に力瘤 受胎率六○%を目指し |
10 | 土地の占有、所有權 近く高砂族にも付與 |
11 | 知つたか日本の底力 參入つたか鬼畜米英 |
12 | 職場へ明るい慰安 皇奉臺北州支部藝能競演會 あす綜合的審查 |
13 | 義教に感激して献金 |
14 | 武德祭延期 |
15 | 興南詩苑漢詩 晴園觀梅賦呈純青先生/仰山、祝清秀詞兄貴昆仲令萱堂林太孺人古稀榮壽/仰山、森山善正君(舊名杜家齊)新居造訪紀賦/倪炳煌 |
16 | 文報臺灣支部 結成 |
17 | 風害の義捐金 公會堂建設資金に充當 |
18 | 新竹州下視學打合會 |
19 | 日婦會員の赤誠献金 |
20 | 危い、港都に 真性流腦 |
21 | 私立臺北中合格者 |
22 | 人事.消息 |
23 | 今晚の放送 |
24 | 商況(九日前場) |
25 | 興南案內報社消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | フロリダ島沖海戰 敵艦船十二隻を擊沈 擊墜卅七機、輸送船三大小破頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(四月九日十五時)帝國海軍航空部隊は四月七日大擧ソロモン群島フロリダ島方面の敵艦船を強襲せり戰果及我が方の損害左の如し 戰果擊沈巡洋艦一隻、驅逐艦一隻、輸送船十隻 大破輸送船二隻、小破輸送船一隻、擊墜三十七機 我が方の損害自爆六機 註本海戰をフロリダ島沖海戰と呼稱す |
02 | フロリダ島 沖海戰詳報 敵大船團一瞬に覆滅 基地維持に大打擊を與へ 軍艦擊沈に匹敵の大戰果 |
03 | 皇軍獨特の機動力 困難な地形アラカン |
04 | 米、大損害を自認 |
05 | 定例閣議 |
06 | 緬甸國創業を支援 河邊最高指導官談 |
07 | 金鑛業整備の方針 勞務對策發表さる |
08 | 商工大藏共同當局談 |
09 | 金買上制度は 從來通り存續 |
10 | 金鑛業者と打合せ |
11 | フロリダ島 ガ島北方にあり |
12 | “ビルマの勉強は これからだよ” 河邊指揮官記者團と初會見 |
13 | 牙城マユ山脈に突入 ジヤングルと泥濘を克服 |
14 | アコーラ飛行場爆擊 |
15 | 周特派大使着滿 第一日の日程を終る |
16 | 英印軍の戰意低劣 重慶軍動きを見せず |
17 | 桂林を空襲 |
18 | 陳特使の動靜 |
19 | 陳特使、首相と懇談 |
20 | 社債等登錄法 近日中に公布實施 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 貿易會の 發足と課題社說 一 日支事變以來本島に於ける對外貿易は種種な變遷を來し其の統制關係法規も極めて複雜多岐となつた。卽ち昭和十五年九月府令第二十六號を以て「關東州、滿洲及支那に對する貿易の調整に關する件」昭和十六年二月府令第卅三號を以て泰、佛印に對する「南洋貿易調整規則」更に輸出入貿易に關する總動員體制を確立すべく昭和十六年九月「貿易統制令施行規則」を公布施行して來た。然るに大東亞戰爭後の共榮圈自給自足體制を確立すべく圈內に於ける物資の交流を一層迅速的確ならしむるため此等貿易法規の統一簡易化を圖る必要に迫られ中央の方針に順應し、且つ本島の特殊事情を考慮し本年二月十日の府令を以て貿易統制令施行規則の全面的改正を加へられ上記兩府令の廢止と共に愈よ臺灣貿易會を誕生することとなつた。卽ち臺灣貿易會は今議會に提出成立した交易營團の趣旨に卽應して政府の交易計畫實行に協力すべく其の統制並調整機關として重大な使命を負擔せられたのである。 今回の施行規則改正と共に從來の滿關支貿易の調整機關たる臺灣東亞貿易組合聯合會及南洋貿易(佛印、泰)の調整機關たる南洋貿易聯合組合(別に活動せず)は遂に發展的解消となり此處に於て本島は輸出入地域別統制を撤廢して臺灣總督の指定した會員別品種別の統制調整機能を臺灣貿易會に附與する事となつた。而して臺灣貿易會の組織體として臺灣石炭、 臺灣青果、臺灣貿易振興、臺灣罐詰共販、臺灣茶輸移出統制の諸會社及臺灣砂糖貿易組合等の十一會員に指定され、業者は總て品種別に左記會員を經て臺灣貿易會に手續して始めて輸出入の業務が遂行し得る事となつた。 二 上述の如く臺灣貿易會は中央に於ける交易營團の趣旨を取入れて設立したが、交易營團は資本金三億圓の內政府出資二億五千萬圓、民間出資五千萬圓であり旣に資本に於て强大な背景があり、加ふるに人的要素として三井物產及三菱商事より數百名の交易事務のエキスパートを起用してゐるから臺灣貿易會も此の二點を先づ充實すべきではないかと思はれる。就中現在の如き自由團體では課稅其他の點にいくたの不便があるから、內地の如く臺灣交易營團に改組するのが最も理想のやうであるが此の問題は果して中央政府の諒解を得られるか何らかは疑問なきを得ない。次に朝鮮の如く朝鮮貿易振興會社の一本建にするのも一つの方法であらうし、或は商工組合法に基づく統制組合に改組する方法もあらうから、いづれにしても臺灣貿易會は更に其の機構の强化を圖ると共に資本の充實方法も考慮する必要があらう。 尚臺灣貿易會は本島と南方地域を含む圓プロツクとの間に於ける物價の差格に對して中央の定めたる一定の調整料を徵取し、又は差損金を支拂ふ場合には總て大藏省の管轄にかかる為替交易調整特別會計の收支に包含され一錢一厘たりとも使用する事が出來なくなつたから臺灣貿易會としては其の經費を賄ふには手數料か又は會員よりの分賦金を徵收するより外なく若し手數料を徵收する場合は其下部組織たる會員との間に手數料を二重取する事となり、業者の負擔が著しく重くなり却つて貿易の進展に支障なしとはいへまい、從つて此の際是非とも改革せねばならない事は單なるトンネル機關たる臺灣茶輸移出統制會社や臺灣罐詰共販會社等を解散させるか、又は順次吸收合併する事が最も合理的方法であらうと考へられる、今や新發足せんとする臺灣貿易會は若しこれらの諸課題をよく解決して雄雄しく再出發すれば將來は本島に於ける貿易統制整制機關として臺灣を中心とする物資合流を促進し南方地域の建設に寄與する事も少なくないであらうと期待する者である。 |
02 | 前線銃後一體化 軍人援護精神昂揚運動 二十三日から展開 |
03 | “一段の御奮勵を” 某要職榮轉の石川少佐談 |
04 | 貯蓄必達を申合せ 新竹州の目標設定週間一齊に臨時常會 |
05 | 齋藤總務長官 十日高雄へ |
06 | 圖像:伊皇帝日本寫真資料展に御成り |
07 | 決戰生活の服裝 井原州高等課長談 |
08 | 米英精神の爆碎へ 藝術報國大會開かる |
09 | 真摯な發言續出 |
10 | 防空の必勝態勢 港都で市民に注意喚起 |
11 | 陸軍經理部見習 士官志願者心得 |
12 | 酒類の一齊値上げ 專賣局發表けふから實施 |
13 | 蘭陽金融懇談會 |
14 | 購買力の吸收へ 佐治專賣局長語る |
15 | 督府定例局部長會議 |
16 | 軍援會本部に 貳千圓寄附 長與山鐘氏から |
17 | 紙芝居挺身隊の白衣勇士慰問公演會 |
18 | “決戰下の生活 と明日の婦人” 木內女史高雄で 熱辯 |
19 | 共同作業畑 收入を献金 |
20 | 人事.消息報社消息 |
21 | 訃文:李鄭氏琴 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 重要作物に全力 肥料も重點的に適正配給 新竹州農林主任の增產會議 |
02 | 逞しい增產實踐 創意功夫に各職場とも真劍 皇奉高雄州支部に集つた中間報告 |
03 | 刻下の急務少年保護 新竹州聯合保護會長藤村知事語る |
04 | 模範警防團員 |
05 | 決戰師魂の鍊成 臺南州の新訓導講習 |
06 | 斗六青年學校 來月匆匆開校 |
07 | 秋山新莊郡守 鷺洲庄初巡視 |
08 | 遺家族懇談會 軍援支部、街庄銃援共同主催 |
09 | 鹿場廻り寫真展 十二日中壢郡で |
10 | 林業戰士に知事賞 僻地での健鬪に酬ひん |
11 | 第二年は實踐の年 花蓮港桔俱員に決意を聽く座談會 |
12 | 屏東佛教會の花祭り |
13 | 新高郡民の赤誠献金 |
14 | 花蓮港家禽配給 組合總會 |
15 | 乳兒健康審查會 臺南市十八日に實施 |
16 | 保甲婦女團の手柄 硬貨回收に驚異的成績 |
17 | 新稅令說明會 |
18 | 高雄州職員 輪讀鍊成會 |
19 | 健民部落審查規程決定 愈よ五月中に第一回審查實施 |
20 | 屏東郡產婆會座談會 |
21 | 喜びの合格者 |
22 | 高雄州の稻 穗が出初めてる |
23 | 龍潭庄長更迭 |
24 | 地方多より |
25 | 今日の映画演藝 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 中金の貸附利子 四月一日より引下實施 |
02 | 菓子類の公價改正 島產、移入品の價格を調整 |
03 | 戰時經濟の基調 食糧自給態勢の確立 |
04 | 生產戰の現地報告 (下)出炭目標を突破 |
05 | 興亞園會社設立 演劇及道場等を經營 |
06 | 臺鐵の使命完遂へ けふより列車安全週間實施 |
07 | 新法律の全貌(三) |
08 | 新式工場產糖實績 三月末迄千三百七十四萬擔 |
09 | 航空郵便取扱 遞信部で具體策考究 |
10 | 經濟手帖 |
11 | 稻刈小鐮を製造 中壢で會社を設立 |
12 | 照明燈 |
13 | 商況(九日後場) |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(936)/黃得時;碇政彌 |
序號 | 標題 |
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01 | 英印第六旅團を殲滅 ガ旅團長を俘虜とす |
02 | チツタゴンを猛爆 敵機九機を爆破炎上 |
03 | 日、滿、華堅く結合 周訪滿特使、聲明を發表 |
04 | 重慶制壓を緩めぬ 覺醒を促す努力をも忘れず 周大使と一問一答 |
05 | 圖像:印度爆擊に向ふ陸鷲 |
06 | 緬甸奪回水泡に歸す 佐佐木中佐放送敵側の模樣剔抉 |
07 | 伊、土經濟協定 |
08 | 行敢り當體 敵編隊長機を擊墜 陸鷲石井中尉に賞詞 |
09 | 新中國の發展具現 陳特使招待晚餐會東條首相挨拶 |
10 | 我二通信兵壯烈な戰死 授信器を耳に鉛筆を握つたまま |
11 | セブ上陸一周年 嚴肅な記念式擧行 |
12 | ドイツ空軍を增強 前線地域に基地建設 |
13 | 陣地強化に主力 東部戰線は泥水の沼澤 |
14 | 各地區の戰況 |
15 | 獨軍發表戰況 |
16 | チユニジアの戰況 |
17 | 海鷲の活躍を絕讚 フ島沖海戰獨紙大大的報道 |
18 | シドニー沖仲仕鎮撫に徵兵令適用 |
19 | 黃河南北地區 三月中の綜合戰果 |
20 | 米又頰被り フロリダ沖海戰 損害の一部發表 |
21 | 米軍需工場に罷業 |
22 | 米、物價凍結 令を公布 |
23 | ラヴアル佛首相 就任一周年 |
24 | 反樞軸空軍 和、白を盲爆 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 我等に萬全の用意 敵機よ!來らば來れ |
02 | 警察官座右の銘に 愛國百人一首集解 |
03 | 藝術界の殊勳甲 榮の受賞者六氏決定 |
04 | 陸軍科學戰士を表彰 引續き技術研究會開催 |
05 | 聖恩に唯唯感激 恩賞に輝やく故林、黃兩軍屬遺族談 |
06 | 臺灣の奉公運動 內外地羨望の的 武田皇奉東京駐在員談 |
07 | 徵用漁船戰死 者招魂祭執行 十三日基隆市で |
08 | 教科書島內で印刷 愈よ來年度から實施 |
09 | 建功神社奉納體育大會 各種競技の開催要綱 |
10 | 兵隊と現住民慰安演藝現地版 |
11 | 敵國在留同胞犧牲者慰靈祭 |
12 | 解散殘金を献納 |
13 | 復活の民間航空 共榮圈建設工作要務者に優先 一般利用遠慮されたし |
14 | 五氏に獎勵金 十四回日本農會大會 |
15 | 貯蓄必成を期し 各信組に推進員配置 |
16 | 諸車輛を調查 配給事務上必要のため |
17 | 英人の苛酷な督戰 印度兵全く戰意なし 憤懣を訴へる捕虜達の感想 |
18 | 軍援市分會寄附者 |
19 | 海軍生徒(兵學校、機關學校及經理學校)募集 |
20 | 騎道大會延期 |
21 | 日映教育會發會式 |
22 | 刑務所長會議 十一日に開く |
23 | 全島桔俱俱樂部員打合會 十六、七、八日に延期 |
24 | 「ことぶき」發行 國精研修所機關紙 |
25 | 人事.消息報社消息 |
26 | 今晚の放送 |
27 | 商況(十日前場) |
28 | 興南案內報社消息 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 皇軍印緬國境に到達 アキヤブ奪還の夢破る頭條新聞 【ハノイ九日發同盟】當地に達したロイター印緬前線特派員の報道に依れば印緬國境ドンベイク北方の英印軍はマユ半島において日本軍のために孤立に陷つた旨確認し日本軍は既に印緬國境へ二十哩の地點まで到達してゐると報じてゐる 【東京發同盟】マユ河畔に於ける英印軍大包圍殲滅戰後の戰闘態勢はマユ山脈とベンガル灣の中間の海岸道に沿ふ地區に移動、特にドンベイク北方約十粁のインデンを中心とする周邊地區は激烈な戰闘の渦の中心となりここに於て我が方は敵の第六旅團の主力を包圍したが八日朝に至りこれを包圍殲滅旅長、准將ガベンデイシユを俘虜とした即ちマユ河畔の包圍殲滅戰から辛くも逃れた敗敵はマユ山系の中に入り込み退路を求めて所在に彷徨、ある時は峻嶮な山中に於てある時はジヤングルの中に於て不意に遭遇戰闘を演じ我が部隊はこの山中を或は東に或は西に逐次複雜なる戰況を展開虱潰しに敗敵を掃蕩してゐるが戰闘の態勢は海岸道に沿ふ地區に移動した、曩にマユ半島ドンベイク及びラチヤング方面からアキヤブを窺はんとして我が小兵力の部隊の果敢な肉彈攻撃に阻止された敵第六旅團はインデン周邊地區に於て我が部隊の主力に包圍された去る五日からこの包圍圈は次第に壓縮され敵は死物狂ひの頑強な抵抗を試みたが八日朝に至り遂に殲滅の運命に立至り旅長ガンデイツシユを始め多數が敢へなくも我が方の俘虜となり死傷も莫大に上つたかくてアキヤプ奪回の夢の尖端に躍つた最強を誇る第六旅も三箇月餘にして哀れを止める最後を迎へたのである我が部隊は引續き到る所に局地的包圍圈を構成殘敵を擊滅中である、この海岸地區に於ける彼我の戰闘は極めて激烈である敵は後方を脅かされ乍ら海岸道を一步一步退却頑強な抵抗を行つてゐるインデン方面では野砲重砲の砲列を敷きマユ山脈から降りてくる我が部隊を喰止めるため猛烈な射擊をなし又我が包圍鐵環を脫出せんと足騷く敵は重砲の急射爆擊の後戰車を伴ひ突擊して來るが我が方はその都度これを撃退してゐる然も包圍環の壓縮と共に何れが敵か味方か分らぬ狀態も現出されてゐる |
02 | 反攻企圖を放棄か |
03 | 反樞軸軍最後據點失ふ 獨軍當局の見解 |
04 | 御陪食仰付らる 十二日各地方長官を召され |
05 | 山東省北部の戰果 |
06 | 建國隊も協力 |
07 | 定期敘勳 |
08 | 周特使、帝宮に參進 |
09 | 周特使の歡迎宴 張國務總理の挨拶 |
10 | 戰爭に負るならば 中國の滅亡を意味 陳特派大使と一問一答 |
11 | 荒鷲、安徽、江西を空襲 |
12 | ジ軍港を增強 |
13 | 周訪滿使節 國務院を訪問 |
14 | 滿華兩國の 躍進を住 周特使、李大臣を訪問 |
15 | 米英新兵器を使用 |
16 | 日華兩國真に兄弟 陳特派大使の放送 |
17 | 圖像:軍旗を捧持して雲南前線を征く○○部隊 |
18 | 南太平洋の戰局 再び重大化せん ユピ放送 |
19 | 褚外交部長も來朝 興亞醫學大會出席に |
20 | 米國の遠吠え |
21 | 陳特使離京の挨拶 |
22 | 厚生辭令 |
23 | 翼贊會辭令 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 軍人援護精神の昂揚と實踐社說 一 來る二十三日から七日間に亘り軍人援護精神昂揚運動が全島的に實施されるが、喰ふか喰はれるかと云ふ大東亞戰爭の決戰的段階に直面して、官民とも改めて軍人援護事業を反省すべきであらう。支那事變始まつて以來、軍人援護については精神的にも實踐的にも相當なる業績を擧げて來たことは疑ふべくもないが、唯皇軍の連戰連勝に次ぐに赫赫たる大戰果を前にしては動もすれば戰捷に醉ふ民心の弛緩に伴つて、軍人援護精神がつい觀念的に流れ援護事業そのものも兎角疎かにされがちな嫌ひがあるのを否定出來ない。又形式的な單なる物質上の援護だけでは真の軍人援護にならない。國民的情熱に燃えた誠心から逬り出るもの而して感謝と感激の念を以て不斷に實踐せられる援護でなければ真の軍人援護にならぬのである。 二 このことにしては、特に軍人援護諸團體の積格的な活動を期待して止まないものがある。一般にこれまでの官廳乃至諸團體の弊としては、それが所謂お役所式である事である。萬事法規と前例に縛られ、杓子定規で事務を進めることの煩瑣は、時に堪えられぬ位である。軍人援護に關する限りは斯る煩瑣を一掃したいものである。いな、實際の取扱ひに當つては杓子定規や事務的なにほひさへ打消してほしいものである。由來日本國民の性格は義理人情に富み禮節を尚ふ潔癖性を有してゐる。斯くの如き潔癖性に對しては、情味のない通り一片の形式的な、しかも煩瑣で事務的な取扱ひは絕對に禁物と云はねばならぬ。精神の罩もらない物資的援助はなきに等しくそれを受けることさへ決して潔しとしない。軍人援護事業の實踐に當つては特に如上の要諦に鑑みて宜しく細心の注意と工夫を以て之を積極化せねばならない。 三 しかしながら軍人援護事業は官廳乃至諸團體のみに任すべきことでないことは云ふまでもない。いな真の軍人援護は銃後國民全體が實踐すべき重要任務と云はねばならない。皇國のため身命を拋つて征戰萬里、文字通り木の芽草の根を嚙つてまで惡戰苦闘せられてゐる前線勇士を思へば、安居樂業してゐる銃後國民は如何に感謝しても感謝し足りないものがあらう。だから銃後國民にして、大御心を奉戴し遠く前線將兵の奮闘勞苦を偲ぶものあらば、軍人援護の精神は自らに澎湃として昂まり、各種の援護事業に自ら感謝感激の一端を披瀝せずには居られないであらう。しかも聖戰の目的を貫徹するまで皇軍の奮闘は繼續するのであり、從つて軍人援護事業は不斷に行はれなければならない。軍人援護は必らずしも物質的方面のみに限らず又その多寡にも依らない、要は精神である。誠心から出た慰問の辭一つだけでもどんなにか遺家族を元氣づけることであらう。感謝する氣持、いたわる心持が先立つ援護こそ真の軍人援護である。 |
02 | 祭粢料を御下賜 殉職產業人慰靈祭に |
03 | 齋藤報道 部長語る 進む建設の巨步 米軍の比島再來は痴人の夢 バタアン攻略一周年 |
04 | 高雄警備府 軍官民多數參列の下に 晴れの開廳披露 |
05 | 臺灣教育五十年本社主催座談會(八) 本島の南方圈協力 國家的立場から必要報社消息 |
06 | 小西機壯烈な自爆 戰果の蔭に尊い犧牲 |
07 | “坊やお父さんだよ” ビルマ戰線に活躍の荒鷲勇士 銀幕で感激の對面 |
08 | 譽の體育優良校 學校衛生總會で表彰 |
09 | 出でよ“少年航空兵” 試寫會で佐佐木少佐が絕叫 |
10 | 簡素生活の實踐 日婦本部で意見交換 |
11 | 司法保護關係者打合會 |
12 | 物云はぬ戰士に溫い慰問 |
13 | 石積堆肥舍建 設を獎勵 |
14 | 臺北辯護士會總會 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 賴もしい限りだ 志願者は逞しい青年ばかり 臺中州の若櫻銓衡終る |
02 | 部落專任指導員 斗六郡全島に魁けて設置 |
03 | 水產思想を昂揚 臺南州の水產記念日行事決る |
04 | 建功神社献納體育大會 各種競技の開催要綱 |
05 | 米穀增產講習會 臺南州あすより各地に開催 |
06 | 臺中州米穀納配組合總會 |
07 | 皇奉指導者座談會 十三日臺南州會議室で |
08 | 彰化商議月例會 |
09 | 水田百餘甲が欠伸 食糧增產に背馳する 埔里製糖所の仕打ち |
10 | 高雄魚市會社重役會 |
11 | 高雄興亞會館 地鎮祭執行 |
12 | 豚肉五十斤特配 但し肉豚增產者に限る |
13 | 高雄の漁業有掛 稀有の大鮪漁で活氣 |
14 | 熱誠溢るこの實績 屏東郡の貯蓄、割當の一一四% |
15 | お馬に御馳走 北斗郡の愛馬日 |
16 | 溝口臺中專賣支局長巡視 |
17 | 冠婚葬祭の基準 臺南州皇奉關係者凝議 |
18 | 他人樣の豚を 密屠殺して闇 |
19 | 新竹州警察部異動 |
20 | 赤誠の献金品 |
21 | 高雄州の醬油 製造業者統合 きのふ方法協議 |
22 | 臺灣商業學院合格者 |
23 | 消息 |
24 | 人事報社消息 |
25 | 地方多より |
26 | 今日の映画演藝 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 本島の金鑛業整備 臺陽瑞芳鑛山を縮少 餘剩資材、勞力金瓜石へ轉用 須田局長談 |
02 | 銅の劃期的增產へ 督府、萬全策を考究 |
03 | 統計の客體を 世帶に變更 農林水產調查規則を制定 |
04 | 新生ジヤワの農園 栽培企業管理公團の活躍 |
05 | 昨年度簡易保險躍進 金額一億四千餘萬圓 |
06 | 南發金庫へ 政府第二回出資 |
07 | 內地移入木材 船腹の最高度利用で獲得 |
08 | 長野氏汕頭へ轉出 |
09 | 新法律の全貌(四) |
10 | 本年度夏物パイン 生產.割當計畫決定 總生產量四萬五千七百瓲 |
11 | 臺電臨時總會 來月一日に開催 |
12 | 金鑛業整備方針 資材、勞力を緊急鑛山へ |
13 | 休廢止鑛山に 金融的措置を講究 |
14 | 產金事業の整備に 損失補償一億圓を支出 |
15 | 臺拓八仙山鐵道 臺灣交通線に乘入 |
16 | 鑛業にも原價 計算要綱設定 |
17 | 星野水產課長 最後打合に上京 |
18 | 臺拓人事移動 喜多氏を秘書課長に |
19 | 照明燈 |
20 | 兜町前場況 |
21 | 島內株仲值表 |
22 | ラジオ |
序號 | 標題 |
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01 | バタアン攻略一周年 比島獨立近きにあり 真劍に苦鬪を續けよ 田中最高指揮官祝辭要旨頭條新聞 【マニラ十一日發同盟】あれから早くも一年米東亞軍の據點バタアン半島攻略に不朽の武勳を留めた輝かしい四月十一日の記念日が廻つて來た、この一周年記念日を迎へて比島では全島戶每に日の丸の旗を揭げて敬虔なる心持で過ぐる日の皇軍の奮闘を偲び戰歿將士に新たなる感謝の誠を捧げると共に心から神兵皇軍の戰勝を祝し更に大東亞建設の誓ひを新たにしたのであつた、マニラではこの日各部隊の記念祭を始め午前九時からは比島行政府ヴアルガス長官以下全職員參列の下にルネタ公園におい盛大なる記念式典が催され劈頭田中最高指揮官立つて左の如き祝辭を述べればこれに對しヴアルガス行政長官は感謝演說を行つた、(寫真は田中最高指揮官) |
02 | 暗黑蠻島から寶島へ 皇軍舊蘭領ニユーギニヤ進駐 早くも一周年を迎ふ |
03 | ニユーギニア島こそ 西南太平洋の第一線 ○○基地に上陸第一步を印す |
04 | 遁走第一の敵空軍 東部印度防衛、動搖の兆歷然 空中戰は常に我一方的勝利 |
05 | 圖像:印緬國境戰線 |
06 | 今週の我二大戰果 南太平洋の決戰深甚化せん 油斷は禁物、敵反攻空の正面 |
07 | ベンガル州を空襲 チツタゴンを連爆 |
08 | 反樞軸空母 チ戰線に參加 |
09 | 敵と屢屢衝突擊退 日、泰共同作戰軍發表 |
10 | 英、イラク借款協定 |
11 | 小癪.米機廣州灣來襲 暴虐、住宅區域を機銃掃射 多數の安南人を殺傷 |
12 | 宣戰を通告 ボリヴイア外相 |
13 | 反樞軸同盟に 伯國、正式調印 |
14 | 耐火煉瓦需給 協議會を設置 |
15 | 米國東岸水域に 獨潛艦が再出現 春季攻勢開始と同時に |
16 | 政戰兩略の準備を進む 反樞軸軍、歐洲反攻に備ふ |
17 | 印度人彈壓は續く |
18 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 聖上玉體安穩御修法 きのふ延曆寺で結願 |
02 | 御坤德を景仰 きのふ昭憲皇太后祭 |
03 | 增產に奉公運動に “擧州皆鬪”で總進軍 地方長官會議を前に梁井知事語る |
04 | 印緬國境前線座談會(1) 羽搏く孔雀の群 天下の奇境.“怒山山脈” |
05 | 戰ふ“職場の礎石” 殉職產業戰士二百十六柱 第一回慰靈祭執行 |
06 | 聖德太子法要 千三百二十二年御忌 |
07 | 各長官の現地報告 |
08 | 日本的工法を確立 戰時土木に新な凱歌 |
09 | 高砂族智的鍊成 新竹州で短期講習會 |
10 | マカツサル師範學校 |
11 | 慶應に斷髮令 鬪ふ學園の決戰體制 |
12 | 島都の花まつり きのふ賑やかに開催 |
13 | 移動演劇班を組織 皇民奉公會臺北州支部の新事業 競演會入賞も決定 |
14 | 國語普及座談會 |
15 | 奉公運動の尖兵 李梅樹氏語る |
16 | 稻田花蓮港廳長初巡視 |
17 | 皇奉發足兩周年 新竹州支部の記念行事 |
18 | 甲當り四百斤 新竹州の棉作增產 |
19 | 稻田花蓮港廳長披露宴 |
20 | 羅東郡下獸肉 組合創立總會 |
21 | 石川少佐、司令 部副官に榮轉 |
22 | 宜蘭地方の金 融座談會 |
23 | 生地を萬引 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 民林增殖を獎勵 臺中州の實施要綱決定 |
02 | 赤ちやんの天下 母に抱かれて健康比べ |
03 | 臺南市桔梗クラブ 五月から第三回鍊成會 |
04 | 勳章勳記傳達式 十日屏東郡會議室で擧行 |
05 | 絕海に祖國を護る 大洋に敵を索めて(一) 監視艇同乘體驗記 |
06 | 曾文郡の乳幼兒選獎日割 |
07 | 僕らの手頃な仕事 高雄州の兒童蓖麻蠶飼育に熱中 |
08 | 二英靈無言の凱旋 |
09 | 高雄水陸兩 署定期召集 |
10 | 肥料增施打合 |
11 | 工場防空查閱 新竹州けふより實施 |
12 | 彰化郡の貯蓄 郡民一丸の熱誠で完遂 |
13 | 平均一四一%強 森潮州郡守の陣頭指揮奏効 |
14 | 沈澱銅採取に鍛ふ 基隆郡の中堅青年 |
15 | 屏東市百%強 |
16 | 優良部落幹部鍊成 二十四日より大肚山道場で |
17 | 南のたより(一) 夢の島ボルネオ |
18 | 南方の珍植物! お山への異質に成功 |
19 | 少年保護精神喚起 高雄州、兒童を通じて趣旨徹底 |
20 | 木瓜干瓢は如何が 南國の香りも高く嘉義に擡頭 |
21 | 稗拔き、螟虫驅除 屏東郡擧げて增產實踐 |
22 | 赤誠の献金品 |
23 | 鮮魚特配 あすの水產日に |
24 | 臺電彰化支店 工業振興研究會 |
25 | 彈丸切手が飛ぶ 日婦の協力で賣行良好 |
26 | 地方多より |
27 | 今日の映画演藝 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 文化 藝文の發足に寄す 奉公運動の原動力たれ 青年の献身的熱議を望む/山本眞平 |
02 | 靜物(五○F) 文展畫集 名作紹介 制作の喜び/張翩翩 |
03 | 演劇文化の昂揚/辜振甫 |
04 | 輝く誕生を讚ふ/張星建 |
05 | 祝へ義務教育/柯世明 |
06 | 小說批評の貧困 臺灣文學春季號を中心に/巫永福 |
07 | 生活と文化 |
08 | 義務教育制を祝賀する公學校の思ひ出/王金海;鄭安 |
09 | 圖像:お友達/林氏郁靑 |
10 | 藝能文化の建設に 來れ!熱情の青年 藝能文化研究會員募集報社消息 |
11 | 詩集春の花たば |
12 | 豆外信 |
13 | 家庭手帖 |
14 | ラジオ |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 畏し.民情を御下問 各地方長官恐懼奉答 |
02 | 地方長官會議第一日 |
03 | 敵船三、敵機卅六屠る 印緬國境東部印度陸鷲の大戰果 |
04 | ヒ總統、ム首相會見 總ゆる分野、意見一致 |
05 | 戰力增強、勝利の鍵 地方長官會議東條首相の訓示 |
06 | 同光勳章の授勳者發表 |
07 | 共同の目的再確認 會談は友好雰圍氣裡に終始 |
08 | 兩國首腦部を帶同 四日間、晝夜兼行の重大會談 |
09 | 英機、西獨を空襲 |
10 | 濠洲軍の損害 戰死二千餘、負傷三千八百 ニユーギニア陸上戰で |
11 | ニユージーランド 國防相の談 |
12 | ビ總統五十四回の誕辰 決戰下に相應しい祝賀の數數 |
13 | 圖像:北部印緬國境戰線 |
14 | 四十四機擊墜破 樞軸空軍一週間の戰果 |
15 | シドニー港の 沖仲仕の罷業 |
16 | 東部戰線戰況 獨軍當局の言明 |
17 | 反樞軸食糧會議延期さる |
18 | 反樞軸軍の強襲擊退 チユニジアの樞軸軍 |
19 | 七十一億一千二百萬弗 米國三月中の戰費 |
20 | 周訪滿特使 忠靈廟に參拜 |
21 | 英快速艇隊を擊退 獨哨戒艇隊、近海で活躍 |
22 | 國府軍事委員會 陸軍部次長更迭 |
23 | 大藏省辭令 |
24 | 紐育株式市場 全く恐慌狀態 |
25 | 廣谷臺北市長 初度巡視日程 |
26 | 映畫“空の神兵”に綜合賞 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 白衣の勇士に捧ぐ 輸血部隊を表彰 競技で賑ふ陸軍病院記念式 |
02 | 圖像:陸軍病院創立記念式 |
03 | 印緬國境前線座談會(2) 剽悍カチン族の協力 象も泣く險難の新戰場 |
04 | あすは水產デー 各地で豐漁祈願祭 |
05 | 白衣勇士を慰問 陳大使陸軍病院へ |
06 | 臺北消防署の晴れの開廳式 あす同署前廣場で |
07 | 強かれ.興亞の子寶 島都「子供の日」の行事 |
08 | 增產は堆肥から 臺北州自給肥料增產週間 二十五日から開始 |
09 | 日本農學會の研究發表 |
10 | 軍歌調街頭に氾濫 影を潛む“頹廢的米英音樂” 賴母し.決戰下風景 |
11 | 圖像:夜間出擊 |
12 | 敵性洋畫を驅逐 北署で先づ歡樂境から開始 |
13 | 甲當り三萬斤 臺北州農會の自給肥料獎勵 |
14 | 富田總務部長 十三日基隆市を初巡視 |
15 | 宜蘭郡漁業 組合の總會 |
16 | 興南詩苑漢詩 晴園觀梅次韻/陳廷植、晴園觀梅次韻/張希舜 |
17 | 人事.消息報社消息 |
18 | 今晚の放送 |
19 | 商況(十二日前場) |
20 | 興南案內報社消息 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 聖慮の畏さに感泣 各長官、御下問に恐懼奉答頭條新聞 【東京發同盟】地方長官會議第一日、十二日の午後も午前に引續き二時過ぎより各地方長官は畏くも天皇陛下に拜謁仰付けられ管下各地方事情につき具さに奏上畏き御下問に恐懼奉答したが內外地長官、午前午後の奏上を通じて五十六名中五十一名が赤子等の日常生活の節節まで及ぶ有難き御下問を拜し聖慮の畏さに感泣、各長官は恐奉答したが松村東京府知事に對して決戰體制確立の現下、傳統の家業を捨てて時局方面に挺身しつつある轉廢業者の上を思召されその實情に關し御仁慈深き御下問を賜はり、吉永警視總監に對しては帝都の治安に關し御下問あらせられたのをはじめ、御下問は 一、麥作狀況 一、孤島に挺身する民草の日常生活 一、木材供出後の後仕末 一、勞務者と健康問題 一、軍人援護狀況 一、貯蓄獎勵 一、食糧問題 等各般に及び雪澤愛知縣知事は軍需生產增強につき奏上、全縣只管生產增強に真摯なる努力を續けて居りますと申上げれば「それに附隨する食糧增產はどうか」と有難き御下問あり並川滋賀縣知事は「米の生產供出と湖面低下問題」を宮村廣島佐佐木山口兩縣知事は交交昨年八月縣下を襲つた風水害の復舊狀況と造船事業について、又橋本岡山縣知事は「臨海工業地帶の生產現狀」小管香川縣知事は製鹽業に蒸氣利用真空式等の機械製鹽法を加味して好成績を收めてゐる現狀福本愛媛縣知事に漁業並に銅鑼山を、沖野高知縣は林產、本間幅岡、山田長崎兩縣知事は製鐵、石炭、造船事業、田中佐賀、橫溝熊本兩縣知事はそれぞれ縣下の農業と勞働力の問題を、伊藤大分縣知事、長船宮崎縣知事は木材供出、木造船工業、又木造船工業に關しては廣瀨和歌山縣知事も目下逞しく進軍しつつある縣下の事情を具さに奏上「木材を伐り出した後の始末はよいか」と畏き御軫念を拜し恐懼「萬遺漏なきを期して居ります」旨奉答した、申すも畏き極みは沖縄、長崎縣下、北海道等の離れ島で增產に挺身してゐる赤子等に垂れさせ給ふた大御心で三長官は恐懼感激誓つて宸襟を安じ奉るべき交交奉答、更に坂北海道長官は農林、水產、地下資源、船腹問題につき具さに奏上小河樺太長官は國境警備の警察官の現狀を宇都宮青森、鈴木岩手、加藤宮城、岩村秋田の各縣知事は往年の冷害地を克復して農、林業、木炭供出に邁進してゐる趣を奏上すれば「軍人遺家族の援護施設に遺漏なきか」と有難を御下問を拜し齋藤山形縣知事には「滿洲開拓民の狀況はどうか」との御下問あり荒木福島縣知事は石炭、電力の模樣桑園整理につき奏上、更に辻山茨城川村千葉櫻井栃木、村田群馬、大津埼玉の關東各縣知事よりそれぞれ農產漁村、工業、米麥作狀況につき奏上「防空監視哨の狀況は」「青少年勞務者の調整は」「國民貯蓄獎勵の近況は」等決戰下一億赤子の日常生活を微細な點まで大御心を垂れさせ給ふ有難き御下問あらせられ殊に朝鮮、臺灣の外地長官に對しても「食糧は相當窮屈ではないか」「國語普及の現況はどうか」「旱水害等の對策は出來てゐるか」等各地方に應じて畏き御下問を賜はり瀨戶咸鏡南道知事に對しては「昨年の鰯の漁獲狀況」について御下問を賜はり外地事情に關し深き御軫念の程を指して何れも恐懼奉答申し上げ各長官は聖慮の深きに只只感泣國民と共に一死以て君恩に報じ奉ることを誓ひ奉つたのであつた |
02 | 地方長官を御慰勞 午餐の御陪食を仰せつけらる |
03 | 國語普及狀況を御下問 本島三知事謹話 |
04 | 地方長官會議 第二日日程 |
05 | 各長官、明治神宮 靖國神社に參拜 |
06 | 所在の殘敵掃蕩 西北部印緬國境、雲南省境で |
07 | 敵據點を次次に覆滅 ビルマ奪回の夢消ゆ |
08 | 敗將ガベンデイツシユ死亡 |
09 | 陸鷲連日戰果を擴大 |
10 | 遞信局長會議 |
11 | 鬼畜の如き殘虐性 爆擊を受けた病院船うらる丸 痛ましい姿で入港 |
12 | オロ灣を爆擊 |
13 | 交易營團法施行 |
14 | 獨伊首腦會談の意義 |
15 | 米、艦船六隻進水發表 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 太平洋戰局の現段階社說 一 最近米國では太本洋の戰局に關して連續的に重要會議が行はれてゐるが、その內容の詳細一切は發表されてゐない。太平洋戰局の現段階並に反樞軸陣營に於ける諸般の事情を考へる時、これらの會議を通じて敵の企圖するものは大體次の諸點にあると考へられる。卽ち南太平洋に於ける相次ぐ敗戰に全く面目を失墜した敵米國が春の到來と共に何とか頹勢を挽回し、あはよくば日本本土爆擊の機會を得んと躍起になつてゐる。又カサプランカ會談で本年度作戰の重點が歐洲に置かるとの決定に驚愕した重慶、ニユージランド、濠洲などの憤懣に米國が如何に板挾みとなつてゐるかを示してゐる。或は何事にも主動性を取りたがる米國民が歐洲第一主義の決定に不滿を抱き、米國は獨自の立場を取るべしとの銳い非難の聲に、大統領改選を明年に控へたルーズヴエルトがこれを無視出來ない等が明かに看取されるのである。 二 殊に我が海鷲部隊が曩にニユーギニア島のオロ灣を大擧空襲したのに引續き、七日白晝有力な編隊を以てフロリダ島のツラギ港を空襲して、赫赫たる戰果を收め、米國の朝野に甚大な衝撃を與へたこどは否定出來ない事實である。ユーピー放送では早やくも太平洋戰局が再び重大化するに至つたことを認め「太平洋戰線に於ける小康狀態はここに終りを告げ、過去數日間兩軍の活動を徵すれば、愈よ大規模の戰闘が開始される形勢である」と述べ、オロ灣とフロリダ島への放膽なる進擊作戰は日本軍の攻勢防禦の現れであると解釋してゐる。而して米陸軍長官ステムソンは八日の新聞會見に於てアジア大陸戰線と西南太本洋戰線に於ける日本空軍兵力が增大するに至つた傾向があると述べてゐるが、同時に米軍も同方面の空軍兵力を增强し、今後更に增强する方針だと述べてゐる 三 以上スチムソンの言明はワシントン軍事會議の結果に基くものと解されるが、右會議に出席した四代表は旣に西南太平洋反樞軸軍司令部に歸任、會議の結果をマツカーサーに報告すると同時に運日會議を重ねてゐるので、たとへ兩度に亘る我が大空襲に依つて敵の基地維持に甚大な打撃を與へたとは云へ、敵は尚執拗に反攻を企圖することは過去の經驗に徵して明かである。かく現代戰の特徵は陸上戰闘に續く海上補給戰、海上補給戰を繞る海上決戰、而して以上三つの戰闘を左右する航空戰、これら四つのものが相互に絡み合つて深刻に戰はされてゐることを遺憾なく示してゐる。これに依り現代戰が如何に苛烈なる消耗戰であるかを知るのであつて、益益量と量との決戰としての樣相を一段と濃化してゐる。我我銃後國民たるものはその滅私の精神に於て、その激しい闘魂に於て、またその卓拔せる技能に於て、世界に冠たる皇軍將兵に對し、更に鬼に金棒とも云ふべき「量」を泉の如く盡くることなく無限に送り出すことこそ我國內戰線最大任務であることを自覺し一意增產に邁進しなければ、ならない |
02 | 忠烈南海に薰る 鬼神も顏掩ふ沸沸たる鬪魂 噫.ガ島に散る三勇士 |
03 | 淒烈“ガ島の西住” マタニカウ河畔真紅に染めて 敵彈下を強行渡河 |
04 | 敵前百米に突進 茂木軍曹遺書と共に散華 |
05 | 敵陣潰ゆ血の操縱 不屈不撓の田村軍曹 |
06 | 二掌典を御差遣 靖國春の臨時大祭に |
07 | 臺灣關係三氏の學位授與 |
08 | 圖像:攻略一周年のバタアン半島 |
09 | 富田總務部長 蘭陽へ初巡視 |
10 | 海員魂の面目躍如 洋上に繰展ぐ敢鬪譜 |
11 | 敵機來るとも |
12 | 六百萬島民の合唱 歌へや“米英擊滅の歌” |
13 | “臺灣はよい處” 辻木憲兵少尉着任談 |
14 | 作家に皇軍の奮鬪を聽く |
15 | 畫壇の新人を糾合 美術家報國挺身隊近く發足 |
16 | 隣組の文化運動 翼贊會で推進懇談會 |
17 | 軍人援護運動 東京市日婦會員の活躍 |
18 | 宜蘭市戶稅 事務打合會 |
19 | 須田殖產局長が放送 |
20 | 臺拓人事異動 |
21 | 人事.消息報社消息 |
22 | 訃文:岡村貞子 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 空襲恐るに足らず 沈着、勇敢に構へよ 皇奉花蓮港廳支部近く態勢訓練を實施 |
02 | 南のたより(二) 民族的ほこり高き インドネシヤ |
03 | 絕海に祖國を護る 心緩さじ大和垣人 (二)監視艇同乘體驗記 |
04 | 築け.國語新竹市 市長を隊長に常用督勵挺身隊結成 |
05 | 花蓮港廳勤報青年隊 きのふより豫備訓練 |
06 | 農村の堆肥舍 五分以上の耕作者は皆建て 高雄州大大的に獎勵 |
07 | 新化郡警察課召集 |
08 | 竹東紙芝居講習會 |
09 | 圖像:皇軍の恩惠に浴し精神病患者更生 |
10 | 市民の底力を發□ 嘉義市の貯蓄□ |
11 | 割當を待つ□ 物淒い屏□ |
12 | 茶業者打合會 |
13 | □レグホン □三百二十八卵 |
14 | □ 年に二千四百名を目標に |
15 | 豐漁の喜びを頒つ 高雄州、魚を特配 |
16 | 鳥松州民道場奉仕作業 州產業部を殿りに閉幕 |
17 | 犯罪なき社會建設 臺南州防犯宣傳隊組織 |
18 | 臺中市皇奉會事務所移轉 |
19 | 彰化商議異動 |
20 | 放課後に稗拔き 大寮國民校兒童增產に一役 |
21 | 赤誠の献金品 |
22 | 東和商奉團結成式 |
23 | 事業計畫の協議 皇奉臺中州支部創立記念日 |
24 | 農村使命達成へ 新化郡農組數多の事業計畫 |
25 | 帽聯評議員會開催 |
26 | 規格外の菓子饀 有毒な富貴豆で暴る |
27 | 北斗郡華僑 公會總會 |
28 | 岡村貞子女史逝去 |
29 | 人事報社消息 |
30 | 地方多より報社消息 |
31 | 今日の映画演藝 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 金、石炭鑛業の整備 戰力增強と高度計畫化へ |
02 | 食糧の最少限度 萬難を排して確保 中平食糧局長抱負を語る |
03 | 現下の企業形態 形よりも能率增進へ |
04 | 屑ゴム配給統制 廢品會社を中心に實施 |
05 | 轉廢業者共助會の構成に 全島商工業組合を調查 |
06 | 昨年度郵便年金 新規增加二千四百餘件 |
07 | 價格政策の新展開 二重價格制を強化(內地) |
08 | 重要鑛物增產令 鑛務課で改正を急ぐ |
09 | 小麥の初買上 數量二萬石の豫想 |
10 | 日銀局部長會議 十五日より開催 |
11 | 照明燈 |
12 | 商況(十二日後場) |
13 | 煙草混入香料 專賣局で研究會開催 |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(937)/黃得時;碇政彌 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 印度東部を爆擊 |
02 | 具體的協議に入る 地方長官會議第二日 |
03 | 大東亞食糧對策 中農協力會で決定 |
04 | 遞信局長に 拜謁を賜る |
05 | 羅口鎮の敵を擊滅 |
06 | 圖像:拂曉ついて進擊する象部隊 |
07 | 歐洲本土上陸 作戰論 英國に擡頭 |
08 | 全國財務局長會議 |
09 | 米英深刻な對立 國際通貨改革案を繞り |
10 | 決戰段階に入る チユニジア方面戰況 |
11 | 英艦一隻擊沈 |
12 | 周訪滿特使 豐滿ダム視察 |
13 | 米航空知識 涵養に大童 |
14 | 米國仕込みの 支那人飛行士 既に實戰に參加 |
15 | 獨軍發表戰況 |
16 | 惡虐非道の行為 魚雷攻擊を受けた病院船 マニラ丸軍醫憤然と語る |
17 | 伊軍戰果發表 |
18 | 英國の財政狀態 今後愈よ窮屈 英藏相下院で報告 |
19 | 三千萬噸を喪失(米英商船) |
20 | インド騷擾 被害發表 |
21 | 獨潛艦の戰果 |
22 | 東部戰線戰況 |
23 | オロ灣爆擊の 被害を發表 反樞軸軍司令部 |
24 | 反樞軸空軍盲爆の 損害極めて甚大 |
25 | 鐵鯨濠洲沖で活躍 |
26 | 第一次の整備 に着手 吳服商以下十種 |
27 | 英機九十一機喪失 |
28 | デ將軍の放送 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 市憲一條‧火の用心 守れ島都、戰は續く 臺北消防署開廳式 |
02 | 荒鷲奮戰記 (1) “配置に死ぬ”大精神 一將一兵血脈を貫く |
03 | 臺灣を中心に發展 南支方面司法事務を視察して 齋藤臺北地方法院長語る |
04 | 新竹市優良兒の選獎會 |
05 | 圖像:臺北消防署開廳式 |
06 | 長谷川總督南支へ 二局長帶同、空路出發 |
07 | 港都在住半島 人の赤誠献金 |
08 | 拓け!海の幸 基隆市水產日行事 |
09 | 少年保護思想 普及講演會 |
10 | 大植林に學徒一役 トツプ切つて三高女生苗床除草 臺北州の五ケ年計畫 |
11 | 大漁豐漁を祈願 臺北州の水產日行事 |
12 | 貯蓄必勝の年 目標達成に日婦が座談會 |
13 | 本島獨特の民藝品 世界に類例を見ない 柳宗悅氏の蒐集談 |
14 | 廣谷市長就任披露 |
15 | 百餘點を蒐集 十六七日公會堂で展覽會 |
16 | 北海道の不毛地 若人が增產確保に挺身 |
17 | 青少年團皇奉移管 本月中に完了の豫定 |
18 | 宜蘭市に常設委員會設置 |
19 | 少年產業戰士 來月に補導週間實施 |
20 | 興南詩苑漢詩 獲顏魯公眞蹟墨拓長卷敬贈池田清總監閣下賦呈/莊櫻痴、莊櫻痴社弟在海南唱設壽蘇會組織壽蘇吟社貽書相告喜爲之賦/謝雪漁、春夕話舊/覺齋、挹翠齋春望/覺齋 |
21 | 中日文化協會 日本代表歸京 |
22 | 日婦宜蘭市分會婦人講演會 |
23 | 西、葡に寒波襲來 |
24 | 人事.消息報社消息 |
25 | 今晚の放送 |
26 | 商況(十三日前場) |
27 | 興南案內報社消息 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵四十九機を擊墜 敵船、軍事施設に大損害與ふ オロ灣、モレスビーに進擊頭條新聞 【東京同盟至急報】大本營發表(四月十三日十六時三十分) 一、帝國海軍航空部隊は四月十一日ニユーギニヤオロ灣方面の敵艦船及航空機群を攻撃し輸送船三隻、驅逐艦一隻を擊沈、戰闘機二十一機を撃墜、小艦艇數隻に相當の損害を與へたり、我が方の損害自爆及未歸還六機 二、帝國海軍航空部隊は四月十二日ポート・モレスビーの敵飛行場及船舶を攻擊せり、戰果及我が方の損害左の如し 戰果擊沈輸送船一隻、擊墜二十八機地上擊破大型機數機、小型機十數機地上爆破軍事施設數ケ所、擊碎兵舍二十數棟 我が方の損害自爆五機 |
02 | 敵の補給路に痛擊 オロ灣、モレスビーで航空擊滅戰展開 |
03 | 歸還十一將星に 畏し.拜謁仰付けらる |
04 | 國民生活の安定と 防空體制の整備へ 內相の訓示 |
05 | 法相訓示の要旨 |
06 | 濠洲徵兵年齡引下 |
07 | 山東省肅清の戰果 |
08 | 轟然と巨彈の嵐 市街モクモクと白煙を上ぐ メラウケ爆擊同乘記 |
09 | 猛烈な爆擊 桑港の放送 |
10 | 反樞軸軍司令部の發表 |
11 | 定例閣議 |
12 | 地方專賣局長會議 |
13 | 率直なる施策闡明 地方長官會議第二日 |
14 | 外地事情を說明 森部府總務局長が |
15 | 翼贊會富面の 具體的諸問題 後藤總長言明す |
16 | 遞信局長會議 第二日 |
17 | 大塚工博急逝 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 獨、伊兩巨頭の 重要會談 樞軸陣營結束堅し社說 一 ヒ獨總統とム伊首相の兩巨頭は、四月七日から十日まで、四日間に亘り重要會談を遂げた。これは過般のリ獨外相のローマ訪問に續くデ獨海軍最高司令官、空軍總司令ゲ元帥の相次ぐ訪伊に依る兩國の外交並に海軍、空軍の協力についての重要協議の繼續で、獨伊兩國の今後採るべき重大方針の下相談を遂げた上の發展であり、畵龍點睛と見るべきものである。出席者の顏觸れは、兩國の首腦部を網羅し、ドイツ側からはゲ空相、リ外相、カ幕僚長、デ海軍司令長官、ツ陸軍參謀總長等が參加し、伊國側からはア參謀總長、パ外務次官その他伊外務省の代表、參謀本部代表が參加してゐる。會談は兩巨頭の首腦會談、外交政治會談、兩國軍首腦の軍事會談が極めて活潑且つ多角的に續行された。而して協議の內容は廣汎に亘り、戰爭の協同遂行に關聯する一切の問題は勿論のこと、全般的政情を檢討し、一切の分野に於いて採擇さるべき施策に關し、完全に意見の一致を見たのである。 二 反樞軸陣營は、樞軸の戰爭遂行に關し、種種の流言を捏造し流布してゐるが、要するに彼等は前大戰の夢を追ふてゐるに過ぎず、端的に獨伊の今後採るべき方針に焦慮してゐる事を物語る以外の何物でもない。四日間に亘る晝夜兼行の微底的檢討の結果、樞軸は飽くまでも歐亞兩大陸を脅威する總ゆる將來の危險が完全に取除かれるまで、濁伊兩國の協力を全面的に活用する決意を更めて表明し、歐洲文明の擁護「共同の利益の基礎の上に自由な發展と協力を確保する」歐洲諸國民の權利、卽ち「歐洲全體主義の建設」といふ共同の目的が再確認された。歐洲戰爭旣に三年有半、 樞軸各國に於いては、全面的動員が着着進捗してゐるが、今回の會談で樞軸の經濟力並に戰力の餘力を擧げての完全動員に拍車をかけ、長期戰を戰ひ拔く獨、伊の必勝態勢確立の前進を意味するものである。我が東條首相の訪華、訪滿、陳公博特派大使の來朝、 周佛海特使の訪滿等等日、滿、華の紐帶の一層の强固を齋らし、我が緬甸國境の新作戰に依る英印軍の殲滅、バーモ長官の來朝に依るビルマ獨立への前進、大東亞十億民族鐵石の結束に照應し、東西を通じての新秩序建設の一大飛躍を齎らさずにおかぬであらう。 三 飜つて敵米英の陣營を見れば、英國の戰爭目的は世界舊秩序を維持し、英帝國版圖の保全を圖ることにあり、米國は、米國の軍需生產力にものを言はせて、戰爭の指導權を掌握し、世界制霸の野望を遂げるべく努力してゐるのであつて、英帝國の保全など固よりその眼中になく、否寧ろ英帝國の分裂崩潰こそ、却つて英國の遺產を狙ふ政策に叶ふわけで、一應共同戰線を張つて世界戰爭の頹勢挽回に躍起となつて居るが、一皮むけば全くのバラバラ、夫夫自分勝手な夢を描き、所謂「同床異夢」の寄合世帶である、然れども敵側も「一切は戰捷のために」とその冷靜さを取戻すだけの頭腦は持つて居り、これらの相剋によつてアングロサクソンの陣營が、直ちに崩壞分裂することは勿論なく、虎視眈眈反攻の機を狙つてゐるのであつて、我等は日、濁、伊を中心とする樞軸陣營の强固結束の下に「擊てし止まむ」烈烈胸に燃え、鬱勃として肚の底にたぎる敵愾心を持ち、獸獸自己の職域に挺身する決意を新たにすべきである。 |
02 | 一箇月で二百萬圓 南海の神兵貯蓄戰にも大戰果 |
03 | 增產、貯蓄、健民 勝つて勝つて勝ち拔け 五月常會徹底事項 |
04 | 故森下翁の餘榮 |
05 | 新學制實施に際し 邁遺憾なき措置を 地方長官會議橋田文相訓示要旨 |
06 | 第二回臺灣體操大會 島都新公園で五月九日に開く |
07 | 綠肥の一大增產へ 臺北州三年計畫案成る |
08 | 圖像:バタアン半島攻略一周年記念式典 |
09 | 皇奉本部定例部長會議 |
10 | “現住民は實に純真” 南方で活躍した乙女部隊一行 歸國に途次高雄寄港 |
11 | 準備着着進む 靖國神社臨時大祭迫る |
12 | 藝能學會創立總會 |
13 | 軍援精神昂揚 臺南州下二市一街で講演會 |
14 | 詩吟劍舞大會 今夜市公會堂で |
15 | 陸軍衛生部見習士官志願者心得(上) |
16 | 傷痍軍人會州 支部評議員會 |
17 | 港都で拾つた 赤誠献金美談 |
18 | 苧麻剝皮發動機取扱講習會 |
19 | 奉納中等校 銃劍道大會 開催要項決る |
20 | 臺中州華僑聯合會定期總會 |
21 | 蘭陽バス會社に新車入荷 |
22 | 人事.消息報社消息 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 沃野續く大安溪岸 堤防二つで四百餘甲步浮ぶ 增產卓蘭庄は動く |
02 | 拓く、南海の寶庫 決戰の營養は海の幸で攝れ 各地の水產記念日 |
03 | 絕海に祖國を護る 水に浮べて水が缺乏 監視艇同乘體驗記(三) |
04 | 愈よ貯蓄實踐だ 花蓮港廳下の割當決定 |
05 | 豚を飼ふなら今だ 一頭に油廿五斤特配 |
06 | 木內女史講演 |
07 | 大學生奇特の慰靈金 |
08 | 鮮魚で白衣 勇士を慰問 |
09 | 商業奉公團屏東支會結成式 |
10 | 南のたより(三) 噓言へぬ夢の生活 ボルネオ人は正直 |
11 | 除草に精魂打込んで |
12 | 給仕君の決戰態勢 |
13 | 興亞の少年護れ 臺南州趣旨宣傳に大童 |
14 | 赤誠の献金品 |
15 | 蔗作撤退打合 |
16 | 公定賃金懇談會 |
17 | 新化家政女 |
18 | キングレコード 富士音盤と改稱 |
19 | 立川宗孝氏逝去 |
20 | 人事報社消息 |
21 | 地方多より |
22 | 基隆の映画 |
23 | 今日の映画演藝 |
24 | 訃文:立川宗孝 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 十七年度の國民貯蓄 遂に二百三十數億を突破 |
02 | 郵貯及信組貯金 夫夫目標額を凌駕 |
03 | 副業へ積極的進出 灣糖の經營愈多角化 |
04 | 水產食糧の增產(上) 水產記念日に須田殖產局長放送 |
05 | 築造統制の強化 工作物築造統制規則制定 |
06 | 臺鐵收入好調 昨年度四千七千百餘萬圓 |
07 | 三月中の資 金調整發表 |
08 | 氷糖、金平糖を製造 砂糖滯貨の消化策 |
09 | 滿尾鐵道 部長上京 |
10 | 經濟手帖 |
11 | 東洋メリヤス總會 |
12 | 照明燈 |
13 | 商況(十三日後場) |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(938)/黃得時;碇政彌 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵船卅九隻を擊沈 獨潛艦四月上旬の戰果 |
02 | レニングラード砲擊 赤軍、鐵道線路を放棄 |
03 | 赤軍機卅九機を擊墜破 |
04 | 第二戰線の結成困難 チユニジア作戰延遲 |
05 | 圖像:地方長官會議 |
06 | 英、空襲被害發表 |
07 | 泰軍、侵入敵軍擊退 チヤンロウ東方で |
08 | 行政と國民運動の 表裏一體關係確認 安藤翼贊會副總裁挨拶の要旨 |
09 | 國際展望 |
10 | 地方長官會議第三日 |
11 | 內務省關係の指示事項 |
12 | 斷乎抗爭する ルーズヴエルトの 四期出馬に反對 |
13 | 國內纖維產業對策 提出意見書の骨子 |
14 | “夢から醒めた形 八十パーセントは投降の用意” 投降印度兵と一問一答 |
15 | ソ聯空軍の プロシヤ爆擊 |
16 | 東亞を除く戰域の 英空軍の損失數 七千四百七十六機 |
17 | インド民眾蜂起 會議派員數百名逮捕 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 築く必勝の金剛座 盛上る州民の忠誠を誓ふ 皇奉二周年臺北州支部行事 |
02 | 戰爭科學戰士を表彰 第二回陸軍技術研究會も開かる |
03 | 行啟記念日御沙汰書捧讀式 |
04 | 荒鷲奮戰記 (2) 燃える海鷲の鬪魂 索敵誘導の後に壯烈な自爆 |
05 | 宜蘭市で區を 整備強化 |
06 | 皇軍の神經第一線 來れ陸軍少年通信兵學校へ |
07 | 皇國美術觀確立へ 日本美術報國會近く誕生 |
08 | 日滿華若人血盟の誓 三國最高當局に發送 |
09 | 敵機來るとも(二) |
10 | 藝能文化の建設に 來れ.熱情の青年 藝能文化研究會員募集締切迫る報社消息 |
11 | “煙草は室內だけで” 港都奉壯團常會で申合せ |
12 | 開業產婆の特別講習會 |
13 | 統制團體の違反事件 慎重成行を監視 臺灣法曹奉公團聲明書を發表 |
14 | 陸軍衛生部見習士官志願者心得(中) |
15 | 葬儀費を節約して献金 |
16 | “步け團體”の合作 群小登山團體を統合して 體協の一部門に |
17 | 氷需要者に朗報 羅東配給所の工場復舊成る |
18 | 臺北市職員異動 |
19 | 人事.消息 |
20 | 興南詩苑漢詩 春晚書感/文訪、贈別張國威先生還京/謝尊五、贈別張國威先生還京/陳清秀 |
21 | 流腦患者更に一名發生 |
22 | 今晚の放送 |
23 | 商況(十四日前場) |
24 | 興南案內報社消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 我鐵鯨に初の感狀 嚴重な警戒網突破 敵空母ヨ號を擊沈頭條新聞 【東京發同盟】雄渾豪壯なる昨年六月の東太平洋作戰はミツドウエー強襲、アリユーシヤン急襲等赫赫の戰果を收めて敵の心膽を寒からしめたが六月七日のミツドウエー強襲、アリユーシヤン急襲等の外各戰に於て我が猛攻に損傷を被り曳航中の米空母ヨークタウン型一隻を捕捉、嚴重なる警戒網を突破してこれを擊沈した伊號第◯◯潜水艦の殊勳に對し曩に山本聯合艦隊司令長官より大東亞戰爭以來潜水艦として初の感狀を授與せられ今般畏くもこれが上聞に達せられた旨十四日海軍省より次の如く公表された 海軍省公表(四月十四日十五時) 昭和十七年六月七日ミツドウエー海戰に於て損傷を被り曳航中の敵航空母艦一隻を捕捉嚴重なる警戒網を冐して之を撃沈せしめたる伊號第◯◯潜水艦に對し聯合艦隊司令長官より左の如き感狀を授けられ右の旨上聞に達せられたり 感狀 伊號第◯◯潜水艦 昭和十七年六月七日ミツドウエー海戰に於て同島北方に損傷、被曳航中の敵大型航空母艦一隻を捕捉し至嚴なる警戒網を突破し克く之を擊沈せるは爾後の作戰に寄與せる所大にして其の功績顯著なりと認む 仍て茲に感狀を授與す 昭和十七年十二月八日 聯合艦隊司令長官 山本五十六 |
02 | 敵機四六五擊墜破 船舶擊沈破卅四隻 アキヤブ北方地區我陸軍の大戰果 |
03 | 英印軍の潰滅狀況 |
04 | 敵機擊墜破經過表 |
05 | 國民の組織が完全 バ長官歸還感想談 |
06 | 三度も敵艦底を潛る 苦心の空母襲擊手記 |
07 | 至近距離に肉薄 必殺の魚雷を打込む |
08 | 決戰施策に集中 終始緊張裡に義討 |
09 | 建甌を急襲 |
10 | 遞信局長會議 最終日 |
11 | 岸商相訓示 物價の循環的騰貴 極力これを避く |
12 | 質疑應答 |
13 | 能率向上に努力 八田鐵相の說示 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 中小商工業の再編成 協力會、共助會について社說 一 統制經濟の運營に支障なかしめるやう中小企業の整理、統合による配給機構の整備と生產力擴充とを圖る為今般督府に於てはその推進機關として中小商工業再編成協力會、その表裏一體的機關として轉廢業者共助會を設置することに決定、本日設置に關する要綱が發表された。協力會並に共助會は中央及州廳別に設置されるが協力會が單なる諮問機關ではなく更に企業整備の實行機關でもある處に內地に於ける協議會よりも强力なものであり又共助會は商工業者全體の相互扶助の精神に立脚してゐる點で本島獨自の組織だといへよう。內地に於ける企業整備は官廳指導の下に關係業種組合が中心となつてすべてを處理してゐるに反し本島では組合制度が任意的で確立されてゐない現狀より官廳の外廓團體たる協力會並に共助會が中心となつて企業整備を推進して行くことは當然の行き方であると謂はなければならい。茲に卽ち中小商工業再編成の特異性が存するわけである。 二 かかる特異性は根本的には本島經濟が企業整理による餘剩人員を他方面で十分收容し得る程に戰時的變貌をとげてゐないのに基くものであつて內地に於いて緊急產業への勞務供出の要請に基き企業の整理が積極的に進められてゐるのに比して勢ひ消極的にならざるを得ないのである。茲に本島中小商工業の再編成に關し幾多考慮を拂ふべき問題が伏在してゐる譯である。先第一には前述の如き本島の特殊性に鑑み中小商工業の再編成に際しては可及的轉廢業者を出さざるやうな方法をとること。卽ち具體的に謂へば再編成は真に止むを得ざる範圍に止め而も企業の整理は原則として企業合同の方式をとることが必要であらねばならない。企業合同の方式は督府の援護施設が尚不十分の現在に於ては轉廢業者並にこれに伴ふ雇傭員の轉職者を最少限度に止め得る點で最も理想的であると言つてよい。過去配給機構の整備に企業合同の方式が如何に寄與する所多かつたかは人の知る處であらう。 三 第二には止むなく轉廢業者となつたものの生活安定に對し十分考慮を拂ふべきこと。本島の中小商工業再編成が客觀情勢上消極的にならざるを得ないことは前述の通りであるがそれは再編成の範圍を最少限度に止めることを意味するもので轉廢業者に對する考慮が消極的であつてもよいわけではないこの點から見れば同業者共助の中營業補償共助金の問題並に政府援護施設の中轉廢業者の營業用資產の處分問題等に就て更に考慮が拂はれて然るべきであらう。第三には更に重要なことであるが轉廢業者並にその雇傭員の就業見透しが立つてゐるか如何である。督府の一應の計畫によれば本年度中に於ける商業轉廢業者は業主及雇傭員を合して約二萬人と抑へてゐるが本島に於ける勞務需給狀況より見てこれが再配置は仲仲容易な業ではない。この點督府に於ても旣に對策が一應決定されてゐる筈であるが此際業者が安心して再編成に協力し得るやうその對策を明かにする必要はなからうか。 |
02 | 全智全能を傾けて 必勝へ科學總動員 科學技術者會席上佐藤陸軍軍務局長口演 |
03 | 續く彈丸、貯蓄の力 日婦本部で座談會 |
04 | 獨自の研究を發表 陸軍技術研究會總會 |
05 | 皇國勤勞觀を確立 國民生活の全般に共同生產性 小泉厚相の訓示要旨 |
06 | 決戰科學の殊勳甲 技術有功賞受賞者談 |
07 | 大稻埕に博物館分館 市民の決戰生活指導に |
08 | 出でよ少年航空兵 近代戰を背負もの |
09 | 米英擊滅海鷲勇士 |
10 | 定例軍官聯絡會議 昨日督府貴賓室で開催 |
11 | 空地利用と貯蓄 翼贊會五月の實踐事項 |
12 | 少年少女は國の寶 摘むな培へ刑餘の双葉 臺北州の保護行事 |
13 | 日婦宜蘭支會の時局講演會 |
14 | 裁判所構成法等の打合會 |
15 | 東洋文學會 けふ臺大で開く |
16 | 詩吟劍舞大會 盛況 |
17 | 工藝展と講 演會取止め |
18 | 第七回決算公告/東洋メリヤス株式會社 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 今年も蓄へ拔かう 高が五百六萬圓! |
02 | 增產の素.堆肥作れ 臺南州各市郡に生產量を割當 |
03 | 藁一本も冗にせぬ 農村の廢物利用撤底 |
04 | 東部ジヤワの旅 奈良を思はせる(一) 古都モジヨケルト海外遊記 【ジヤカルタ十二日香中同盟特派員發】新生ジヤワの逞しい成長振りを視察するため、さきに西部中部ジヤワを巡視した岡崎軍政監はこのほど軍政監部各部長等を帶同、ジヤカルタを出發、スラバヤ州ジヨンバンを振出しに東部ジヤワ六州を踏破し、建設調高らかな民情をくまなく視察、各州長官初め軍政要員、邦人產業開發戰士、或は原住民市長、縣長、郡長を引見して軍政進展への努力を感謝するとゝもに、大東亞戰爭の明日への準備と必勝の心構へを說き、不可能を可能とする創意と熱意とを以て更に一段の努力を傾注、刻下の緊急なる各方面の要請に應へるやう 鼓舞激勵したがこの全行程約二千粁、一週間に亘る巡視に隨行をゆるされた記者は、山間僻村の家々にまで揭げられた日章旗、心をこめた椰子の葉のアーチ、沿道を埋め盡して迎へる住民の心からなる萬歲の歡呼に強く胸を打たれると共に、軍政の力強い滲透に驚いたが原住民達は「米の出來はどうか」「學校はどうか」「病氣は無いか」と溫情あふるる軍政監の質問に感謝と誓ひの言葉を述べ相共に大東亞戰完遂のため一層の努力を固く誓ひ合つでゐた、而も通り行く道は奇しくも一年前クラガンに敵前上陸を敢行してスラバヤ目指して破竹の進撃を續けた○○部隊進撃の路ばかりである、沿道處々に勇士の墓標が立つており、一年後の今日の輝かしきジヤワの姿と晴れやかな住民歡呼のどよめきとを、地下に眠る英靈に對するこよなき餞と念じつゝ、英靈の安らかなる冥福を記者は心から祈つた、以下ジヤワ 寶庫、東部ジヤワ一週間の旅の跡を辿つて見やう ブランタス河沿岸平原を行く ほとぐ夜の白むとともに左手にジヤワの名峰メラピーが山頂からかすかに噴煙を吐いてゐるのが見える、昨夜ジヤカルタのガンビル停車場を發つた軍政監一行の列車は早や東部ジヤワに入らんとしてゐるのだ、未だ醒めやらぬ王城の地スラカルタを過ぎ、ジヤワ第一の大河ソロ河を渡り、長い裾野を思切り延ばしたラウ山の麓を大きく迂回しながら、遠くスラバヤまで續く沿岸を列車は一路東へ進んでゐる。所々にカポツク、椰子林、竹林を見る外は數百粁に亘つて廣ろくとした水田許りである雨期乾期の判然として東部ジヤワでは每年十一、十二月から一月にかけて雨期に入るのを待つて植付に入るが、今適度の陽光と豐富な雨水に惠まれた稻田は一面青毛氈を敷いた樣に續いてゐる マデウン、ケデリ州境高地のチークとアカシヤの林を拔けてケデリ州のケルトソノを過ぎると列車はジヤワ第二の大河ブランタス河を渡りスラバヤ州に入る 雨期に入つたブランタス河は濁流を滿々と湛へながらゆるやかに東流し、沿岸に展けるブランタス平原を行くことしばし、スラバヤ州ジヨンバンに到着したこゝで自動車に乘りかへ東部ジヤワ二千餘粁の視察が始まつたジヨンバンはスラバヤ州西部の要地で附近一帶は米、砂糖、大豆の產地で有名である、公園の綠濃い驛前廣場にはスラマツト、ダータンいらつしやいと書かれたアーチが造られ驛から縣廳までの沿道は日の丸の旗を振る原住民の歡呼のどよめきが續く縣廳は何處も同じ樣で門を入ると神樂殿の樣に西方を開放した廣い講堂のやうな公室があり、こゝで公式の會見が行はれるが 公室の一角にはガメラン(樂器)が用意され軍政監一行が入るとこれを奏でて歡迎の意を表した、背後は縣長の住家、前面は決つた樣にアロンアロン(廣場)があり行事やフツトボール大會等が行はれる樣に美しい芝生が出來上つてゐる、セツシヨン縣長以下廳員、郡長等の出迎へをうけて軍政監は公室の正面にニコヤカに着席、挨拶がすむと軍政監は米の出來はどうか、生產は順調に進んでゐるが、などと優しく問ひかけられた、縣長は感激に滿ちた面持で縣內事情を報告、感謝の言葉を述べた ジヨンバンを後にして一行は合歡木の並木路を昔の王城の地モデヨケルトへ向ふ、プランタス河に沿ふ坦々たるアスフアルト道路の兩側にならぶ民家の前には家中の人が總出で出迎へ、小さな街の入口には附近から集つた數百人の住民が靜かに頭べをたれて軍政をを迎へてゐる どの家にも日の丸を揭げ或は門に椰子の葉のアーチを飾りにするなど村民總出の歡迎がとめどなく續き、軍政監も殆んど舉手の手を降す間もない程である、殊に目につく青少年達の日本式最敬禮で「起立」「禮」の號令もあざやかである、日本語と日本式各種訓練が次第に行渡つて行く姿をみて、記者は晴れぐとしたものを強く感じたのである、和蘭時代にかゝる情景が何處にみられたであらうか 豐に延びた水田、身の丈程ものびた甘蔗畑のはてしなく續くジヨバン平原を東へ、古き街モデヨケルトへ入る、その昔十三世紀の末期より十五世紀後半に至るまで東部ジヤワに榮へたモジヨパイト王朝時代、前のツマベル王朝の末期まで二百有餘年に亘る君主權の歷史が續いたが第四世ハヤムヴイル王に至つて王朝の武威は國外に擴まりマライにまで及ぶ未曾有の大王朝が實現しジヤワ封建期の黃金時代を現出したのである。現在も殘つてゐるモジヨパイトなる街は、此處から約八十粁上流のケデリーと並んで王侯の所在地として 繁榮した歷史の地で、此附近ブランタス河流域は數百年の永きに亘つて東印度文化の中心地となり十五世紀に回教の侵入に遭ひモジヨパイト王朝の滅亡するまでジヤワ古代文化はこゝに於て絢爛たる花を咲かせたのである。今は僅か人口二萬餘、その昔の面影を偲ぶよすがもないが、思ひなしか奈良の樣な感がないでもない。肥沃なる平原に圍まれたこの町は一見して住民生活の富裕さを知り得る。此處から更に東へ四十キロのスラバヤまで、ブランタス河に沿ふ路には綠濃いアツサム(合歡の木)の並木が續き、自動車は綠のトンネルの下を快く走る、 正午頃スラバヤ市へ入る。ジヤワ第二の大都會ジヤワのみならず全東印の商業貿易の中心地であり特に昔からジヤワ糖の大集散地である、戰前は邦人ジヤワ進出の根據地で吾が銀行、商社の支店出張所多數存在し、又邦人經營のホテルもあり特にこのスフバヤ及びその附近には邦人雜貨商が多く相當の勢力をなして居た、現在北區(ノールド)及南區(サイド)の二區に別れ、北區は所謂下町で殷盛なる商業地區で銀行、會社問屋、商店などの大部分は此の地區に集中して居る、南區は主として住宅區域である、政治都市ジヤカルタに對して商工業都市スラバヤの繁忙さは戰前のそれを凌ぐとさへ思はれる、州廳、縣廳、國民學校等を視察して市立日本語學校をみる、◯◯部隊の下士官六名が先生となつて一般の生徒州廳關係官史など二百餘名に日本語を熱心に教へてゐるキビくとした教へ方、これも建設の新しい面だと心強く感じた |
05 | 集めた籾の一粒 卵となつた白衣勇士慰問へ |
06 | 馬長亮總領事 嘉義市訪問 |
07 | 產業奉公會 佳里街分會結成 |
08 | 北門郡商奉團 十三日結成さる |
09 | 馬產の積極獎勵 蕃殖育成知識を指導 |
10 | 立川總務部長 彰化巡視 |
11 | 決戰生活座談會 皇奉臺南州支部で案を練る |
12 | 山本事務總長樟湖山道路視察 |
13 | 皇奉運動二周年 花蓮港支部多彩な行事實施 |
14 | 南のたより(四) 收穫の三割は鼠の糧 悠暢なダイヤ族 |
15 | 交通報國に邁進 佐藤局バス所長實踐重範 |
16 | 產奉會懇談會開催 |
17 | 木下、杉山兩課長巡視 |
18 | 定置漁業を獎勵 恒春郡下の漁業更生に馬力 |
19 | 若鷲の榮冠獲得 西螺出身の重光宏彥君 |
20 | 門外不出の藝能 お山の人金鵄館で公開 |
21 | 屏農女子部開設式 |
22 | 潮州養兔組合 |
23 | 優良部落指導計畫要項 皇奉臺中州支部決定 |
24 | 企業再編成打合 |
25 | 醫博黃文苑氏 文陶博士の令弟 |
26 | 赤誠の献金品 |
27 | 地方多より |
28 | 今日の映画演藝 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 中小商工業再編成協力會、共助會 督府の設立要綱發表 |
02 | 水產食糧の增產(下) 水產記念日に須田殖產局長放送 |
03 | 赤糖製造高 二十萬擔を突破 |
04 | 郵貯目標額を突破 十七年度增加額二千四百卅四萬圓 |
05 | 比島の棉花栽培 關係者を集めて協議 |
06 | 桑山酒課長 打合に上京 |
07 | 新高郡荷役倉庫 會社設立打合會 |
08 | 臺銀人事異動 |
09 | 臺灣協力會、共助會 月末頃に發會式擧行 |
10 | 照明燈 |
11 | 商況(十四日後場) |
12 | ラジオ |
13 | 水滸傳(939)/黃得時;碇政彌 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大擧ミルン灣爆擊 資材に大損害與ふ |
02 | 反樞軸陣營を震撼 モレスビーの大爆擊 |
03 | 陸續滑走路に巨彈 建甌爆擊行の體驗記 |
04 | 稅關事務會議 出現者に拜謁 |
05 | 朝香宮孚彥王殿下 陸軍航空總監部に御轉補 |
06 | 杉山海將中將 艦政本部長に轉輔 |
07 | 重點は戰力の增強 東條首相、財務局長らに訓示 |
08 | チユニジア 戰線戰況 |
09 | 皇國農村を確立 井野農相が強調 |
10 | 協力生產性を昂揚 日商會議、所關係方面に建議 |
11 | 日本の至烈な熱誠 中國の自強を激勵 陳訪日特派大使離京の辭 |
12 | 印度騷擾事件 |
13 | 不屈の戰爭を繼續 獨、羅兩巨頭會談 |
14 | 陳特使歸着 |
15 | 伊軍戰況發表 |
16 | 獨ソ戰局の重點 レ市南方地區とドネツ中流 |
17 | 獨ソ北部戰況 |
18 | 總統大本營の戰況發表 |
19 | 「空の要塞」二 機喪失 |
20 | 英國最大の 潛水母艦沈沒 |
21 | 大東亞省異動 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | この日この時が戰ひだ 衣 職場通ひにモンペ 決戰美で“脂粉追放” |
02 | 食 一粒も粗末にすな 營養價百%研究次第で |
03 | 住 生產人の憩ひ場 料理屋やカフヱを解放して 市民住宅に改造 |
04 | 面目いほど命中 怒濤狂ふ南太平洋の凱歌 敵潛水艦ア號擊沈記 |
05 | 宜蘭市で御沙汰書奉讀式 |
06 | “薪炭は引受けた” 基隆郡山地に開拓の鍬 |
07 | 圖像:戰ふ銃後の姿 |
08 | 準備萬端が整ふ 靖國春の臨時大祭 |
09 | 軍用機献納打合 基隆水利組合評議員會 |
10 | 砂糖値上利 益金を献金 |
11 | 陸軍衛生部見習士官志願者心得(下) |
12 | 廣谷臺北市長 市內を初巡視 |
13 | 羅東郡部落會長鍊成會 |
14 | 基隆水產學校生徒募集 |
15 | どうぞ貧しいお方へ 床しや乙女の思ひやり |
16 | 陳少年の赤誠 蓄めたお小遣 を献金 |
17 | 興南詩苑漢詩 贈別張國威先生返京/黃振裕、次晴園主人瑤韵/陳清秀、祝陳君清秀賢昆仲令堂古稀榮壽/春潮、春日游箕園四首/春潮 |
18 | 人事.消息 |
19 | 今晚の放送 |
20 | 商況(十五日前場) |
21 | 興南案內報社消息 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 非為非行の戰時處理 那須兵務局長決意を表明し 地方長官の奮起、協力を要望頭條新聞 【東京發同盟】那須兵務局長は十五日の首相官邸における地方長官會議席上において左の如く「非違非行の戰時的處理の徹底について」と題して講演を行ひ 一、今日國內は既に戰場化してをり戰爭完遂上有害なる事象に對しては斷乎としてこれを排除する果斷なる措置を採るべきこと 一、武力戰の活潑化に伴ひ軍の精強を要するは今日より大なるはない。この秋において軍の存立を危くせしめんとする反軍思想、軍民離間策動等の利敵行為並に軍に便乘して私慾を滿足せしめんとするが如き行為に關しては一段とその取締りを強化する國內一部階層中に尚牢固として殘つてゐる自由主義、個人主義思想は斷乎として排除しなければならぬ として軍の戰爭遂行に對する障碍芟除に對する決意を表明すると同時にこれが徹底に各地方長官の奮起と協力を要望した、要旨左の如し 戰爭遂行上有害なる事象に對しては烈烈たる戰時意識の下斷乎たる取締り、迅速徹底せる事犯の處理等總て戰時即應の措置に遺憾なきを期すること必要にしてこれがためには徒らに過去の判例或は從來の墮性に捉はれることなく真に重大なる時局の要請に應へ又今後の情勢は內地と雖も戰場化し或は對敵行動をなすべき部分を生ずることあるの趨向に鑑み時期及び地域的にも從來の觀念を根本的に轉換して戰爭完遂即應を第一義として決速、果斷なる措置を必要と考へる、飜つて軍の精強を要すること今日より大なるはない、故にこれが存立を危くし或はこれを弱めんとするが如き策謀特に內部崩壞を期待し又は反軍思想を釀成せんとする策動に對しては斷乎として嚴重なる處理を願ふ所である、又時局に便乘して軍を利用し私慾を滿足せしめようとする非違非行が近時增加の傾向にありこれに對しては戰爭完遂のため更に一段とその取締りの強化をお願ひいたしたい |
02 | 軍當局の要望事項 防空、徵、召集、青年學徒訓練等 |
03 | 歸還の四提督參內 畏し.拜謁仰付けらる |
04 | マユ山脈敵中突破 九三八高地の頂上を征服 |
05 | ミルン灣の大爆擊 |
06 | 決戰諸施策鮮明!! 長官會議、多大の成果 |
07 | 四日間の日程終了 最終日の長官會議 |
08 | 英印軍の脆い敗退 英朝野への影響甚大 |
09 | 全國稅關長會議 賀屋藏相決意を促す |
10 | 在留邦人無事 チリーの地震 外務省當局談 |
11 | 米國海軍省 出鱈目な發表 マツカーサー、ノツクス對立 |
12 | 杉山中將と 岩本少將略歷 |
13 | スイス新聞界 大大的に論評 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 產組の現狀と 共の大閉策社說 一 本島に於ける產業組合最近の動向は今春聯合會の設立を以て一大展開を期待せられてゐるが、實狀より見れば信用組合の聯合事業以外に殆ど見るべきものなく、其の然る所以は事業部の方は目下各種の制約を受けてゐるから殆ど手の出しやうがない有樣である。各單位組合にしても米穀納入事務は各州廳米穀納入組合の下請となり、肥料購買は夙に農會の統制を受けてゐるのであるから事業方面に於ては旣に行詰つてゐるともいへよう。今のところ產業組合として最も活潑に行つてゐる部面は信用組合事務であつて、中にも國民貯蓄の獎勵に多大な協力を為しつつあるは周知の通りである。尚單一購買組合も各種物資の統制强化と共に今や其の驥足を伸ばすべき分野が著しく狹められつつある現狀にある。此處に於て產業組合が新生面を打開し以て刻下に於ける農業生產力の增强を圖るには如何にすべきかとの問題が當然起つて來るのである 二 此の時に當り督府當局に於て各種農業團體統合問題が目下いろいろと立案されてゐるから、現在の產業組合を如何に變革さるべきかとの問題も當然農業團體統合の一大課題であらねばならない。此等の問題に關しては吾人は旣に此の欄に於て屢屢强調した通り米穀納入及び肥料配給を以て產業組合の事業部門の主要事務として之を確立するにあらざれば農村協同體としての產業組合の使命を充分に盡す事が出來なくなつたのである。又かかる事業を經營し得るために始めて聯合會の必要が生れるのである。極言すれば產業組合が現狀の盡では何んのために聯合會を設立したかといふ疑問も起るのであるから此の問題に關しては篤と關係官廳の一考を煩はしたいものである。 三 然しながら產業組合は現在の狀態に於ても為すべき分野が全然ないではない。中にも自作農創設事業は內地に於て旣に國本農村の基本政策として取上げられ政府も昭和十八年度より二十五箇年間に互り旣懇地百五十萬町步(現在小作料地の半分)未懇地五十萬町步合計二百萬町步の自作農を創設し實現の曉には內地全耕地の七割以上が自作農となるわけである。政府は此の計畫に七十二億圓の尨大な資金を豫定し先づ昭和十八年に於ては五萬四千町步の自作農地化のために一億八千萬圓の資金が繰出される筈である。勿論本島に於て自作農維持創設を為すには督府の力に依らざれば到底大規模に行はれないが、產業組合としても小規模ながら部分的に之を斷行すべきではないかと思はれる 四 更に進んで考慮すべき問題は農村に於ける醫療組合の創設だ。殊に本島の如く無醫村の少なくない現在に於て國民保健上醫療組合の必要あるは言を俟たないが、昭和十五年末に於て病院の經營が僅か八ケ所しかなく、內地に於ける產業組合の施設に比較すれば大に遜色あるは明かである。此の部門は特に農村組合の奮起を望まざるを得ない。唯一の購買組合は物資の配給が强力に統制されてゐる今日戰時下に於て活動の餘地が狹められつつあるは誠に已を得ないであらう。要するに今後島內產業組合としては農業團體統合に依つて其の活を入れ以て雄雄しく再出發すべき事を待望すると共に自作農創設醫療組合の經營に向つて出來る丈努力すべき事を提唱せざるを得ない |
02 | 聖恩を欣幸す奉る 國民奉祝の時間は午前八時 天長節奉祝實施要項 |
03 | 皇民奉公運動發足二周年 十九日を奉公祭に 全島一齊に記念常會 |
04 | 實業教育助成金 けふ行啟記念日を卜して 優良校八校に交付 |
05 | 夢枕にも敵の銃聲 黃河吹き卷く河畔の防人 |
06 | 佐久間艦長慰靈祭 |
07 | 奉壯團大會十九日に開催 團旗授與式をも擧行 |
08 | 石田少將、中村大官長を 皇奉運營委員に 十七日に委員會開催 |
09 | 春と共に鍊成の若人達 |
10 | 陸軍志願兵訓練所を慰問 葉山臺南挺身隊長 |
11 | 敵米英擊滅に 島民を指導 石田委員抱負を語る |
12 | 責務を全ふせん 中村委員抱負を語る |
13 | 軍司令部で拾つた献金佳話 |
14 | 購入砂糖の 差益を献金 臺北州醬油工業組合 |
15 | 郵便業務運行の 非常災害時措置 昨日遞信省から發表 |
16 | 木內キヤウ女史が放送 十七日と十九日 |
17 | 日婦本部主催で座談會開催 |
18 | 防空映畫上映 十九日公會堂で |
19 | 宜蘭郡商奉團結成 |
20 | 宜蘭市保護 記念日行事 |
21 | 宜蘭市防諜座談會 |
22 | 皇奉本部人事異動發令 |
23 | 青年校義務制實施 準備事務職員募集 |
24 | 人事.消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 誓って國語市を完成 新竹市常用督勵挺身隊結成式 |
02 | 國語家庭激增 新竹州十九日に認定證交付 |
03 | 產業戰士への憧れ 巢立つ兒童の意氣軒昂 |
04 | ところ變れば品變る雲南前線風景 |
05 | 東部ジヤワの旅 猛威揮ふソロ河 淡水にチークの植材海外遊記 先生の話によると最近目立つことは第一に智識層を形成してゐるハーフカスト達(混血 兒)の日本語熱で從來比較的日本語に對して冷淡だつた彼等の目覺めたことは西歐除崇拜熱の強かつた彼等が漸次東洋的なものを取戻すと共に大東亞を、日本を知らうとする欲望の昂つて來た現れである、第二には第一期の日本語學習者は日常會話に滿足せず、高等日本語學習に進んでゐるが、屢々文法的には說明困難な文章を持出され喜しい悲鳴をあげてゐる、學校視察を終へて一行はスラバヤ工業地帶へ向ひ麥酒、石鹼、機械製紙、硝子、織物紡績、ジヤワの 工業の中心地を視察する、スラバヤ港と共に可なり大きな戰火の洗禮を受けた工業地帶も、わが建設部隊の活躍に依つて着々復舊し、工業都市スラバヤの目覺しい增產進軍は開始されたのである、戰前ビール、サイダー壜など島內需要の約半ばを供給してゐた邦人經營の◯◯硝子工場では一昨年末淚をのんで引揚げたが今では◯◯氏が捲土重來の意氣込で◯◯名の原住民を指揮してゐる、ジヤワの農業用機械製作を土臺に發達した◯◯機械工場も日本工業の指導下に逞しい建設の火花を散らしてゐる チータの森ボチヨネゴロへ 午前九時スラバヤを發ち、スラバヤ州北部から、ボジヨネゴロへかけて展げるソロ河沿岸平原を西行する、平原遙か左手に連なる山が朝靄にかすんで冷風が氣持良く頰を撫でるジヤワ第一のイカンバンデン(魚の名)の養魚地帶に入るこのバンデンは高級魚に屬しオランダ、支那人などが好んで喰してゐた全島の養魚池面積七萬五千へクタールのうち大部分はスラバヤの南北海岸地帶に造られてゐるがそれがちようど植付前の田圃のやうにはてしなく續いてゐる、養魚池が盡きるとグリツセの丘陵地帶へさしかゝる、ジヤワには珍らしいサボテンが此處彼處にみえる中に左手に墓地が續く古い苔むした墓の處々に支那人のものらしい大きい墓がありその下の窪地にはインドネシアの棒を一本差し込んだだけの墓も見受けられた、今から凡そ五百年前東印度の島々には回教徒の勢力が澎湃として押しよせジヤンガラ(今のスラバヤ)附近にも多數の回教徒が來た、今日でも多數教徒の墓が殘つてゐるが、その碑銘からみると既に一四一九年にはこのグリツセ附近に回教商人の居たことが判る、丘陵を降りボジヨネゴロ州の西端まで廣大なソロ河平原の真中を快速力で西へ走る、松の木に似たカリヤナやアツサムの並木が氣持良い途をつくり、廣い田の中では水牛がのどかに草をはみ、急がしい農民達さへ田圃の中から靜かに頭をさげて一行に挨拶してゐた ラモンガンを過ぎる頃から住民の歡迎は熱烈そのものである、一年前スラバヤへ、スラバヤへと破竹の進軍を續けた皇軍の威容をみたこの附近住民の皇軍に對する信頼には一段と強いものが感ぜられるボジヨネゴロ州へ入つてババツト附近に來ると「堀少佐勇戰戰死の地」「北村部隊戰蹟地」など、未だ木の香も新しい墓標に一年前の激戰が偲ばれる、ボジヨネゴロを突破した北村部隊はババツド附近に於て初めて敵の有力なる機械化部隊と遭遇、一大激戰を展開したのである 正午萬歲の嵐を浴びてボジヨネゴロ市に入る。ポジヨネゴロ市は人口二萬三千、州人口は約百八十萬で米、煙草、タピオカ、玉蜀黍の外チーク材の多量に產する地である然しパテー州からボジヨネゴロ州へかけての東部ジヤワの北半一帶は石炭質土壤でジヤワの中でも瘦地に屬する地方であると言はれるこの惠まれざる土質の上にソロ河は每年雨期に入ると屢々氾濫し、一夜のうちに數萬町步の水田が一面海の樣になつてしまひ、その被害高は每年百數十萬圓に上り、住民の殆んどが農民であるのにジヤワに於ては珍らしく年に他州から米、玉蜀黍を移入し、又住民の生活も低く、マ□リア、癩病等の疾病も可□り多い州である、このソロ河の氾濫に對して和蘭政府は約五十年前一八九三年五千萬盾の豫算を以つて種々改修工事を始め、そのうちにはソロ河の中途から分水して真直ぐに北へジヤワ海に注ぐ運河を造る計畫もあつた位の大規模のものであつたが、結局この河の氾濫を防止することが出來ず約千九百萬盾を費消した後この計畫を中止してしまつたのである爾來五十年間、年々多少の治水費を計上してゐたが、遂に今日に至るまで洪水を阻止し得なかった然らば和蘭はボジヨネゴロ及びパテー州を全く放棄したかと言ふと、そうでは無かつた樣である、それはパテー、スマラン、ボジヨネゴロマテウン、ケデリー各州々境に見事に植林された約八十萬町步と推定される地域に分布するチーク林を見れば分る、每年ジヤワの水害は雨期の豪雨にも依るが、最も大きな原因はジヤワの耕地が殆んどその極點に近い高地まで開發され雨水を吸收する餘力が無くなつたからであると言はれてゐる、從つて和蘭は殘り少いジヤワの森林面積を最大限に利用するため、營林事業には約八十年以前から意を注いでゐた、この最大限の利用とは即ち森林の維持に依つて水源の涵養、出水防止の目的を達すると同時に森林から最も多くの利潤を舉げることである。この為に選ばれたのがチーク植林で他面護謨、規那、アカシヤ、ガタパルチが選ばれたのであるチークは石灰質土壤を好むことは植林にとつてもつけの幸ひであつた、和蘭はこれ以前ジヤワの瘦地たるスマラン、ケデリスラバヤを結ぶ線以北の東部ジヤワに昔から分布してゐたチークに着目百餘年以前、東印度會社時代よりチーク經營を始めてゐたのであるが、このチーク事業は一切官營で當初は強制栽培制度を實施し原住民理事官は所定數量を一定の場所に上納する義務があり、伐採運搬は賦役勞働規定により原住民に負擔せしめてゐた、又伐採と共に栽植には非常な努力を拂ひ約八十年前から年に約一萬町步乃至一萬五千町步を植付けると共に、伐採は總面積の約一割見當に止めてゐた、植付後八十年以上經たなければ用材として役立たないチークこそは以來寶庫ジヤワの資源の五指を屈する中の一になつた、ジヤワの鐵道各驛に山のやうに積まれてあるチークの木片の山は機關車の燃料となつてゐるが、これは有用部分を取り去つた殘りの部分で大部分は木造船建造に缺くべからざる用材であり大東亞の戰力增強の重要資源の一として浮び上つてきたのである |
06 | 献金美談二話 |
07 | 割當量の完遂に 堆肥推進會を設置 |
08 | 彰化鄉軍射擊會 |
09 | 皇奉發足二周年 高雄州支部の記念行事 |
10 | 飼料の確保に エンシレーチを普及 |
11 | 南のたより(五) 安樂な生活に メツカ巡リが希望の凡て |
12 | 中壢街警防團 初の查閱 |
13 | 鳳山郡警察課召集 |
14 | 阿里山の櫻 月末あたりが滿開 |
15 | 屏東市職員常會 |
16 | 物淒い鶩飼養熱 嘉義市露店商人も乘出す |
17 | 員林郡硬貨回收懇談會 |
18 | 待望の豆粕 輸送に戎克船が一役 |
19 | 鳳山畫劇挺身隊 |
20 | 虱目魚魚苗 恒春郡沿岸を襲ふ |
21 | 地方多より報社消息 |
22 | 訃文:林陳氏娥 |
23 | 今日の映画演劇 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 十八年度木炭需給計畫 農林課長會議で打合 |
02 | 樟樹造林地 木炭增產の為再檢討 |
03 | 新高港造船會社 けふ交通局で設立打合 |
04 | 南方農業の開拓 臺北州で農業鍊成生を募集 |
05 | 企業整備愈よ推進 金、石炭鑛業整備の意義 |
06 | 玉葱割當量(五―九月) 臺灣は三十八萬貫 |
07 | 高雄港灣振興會社 きのふ創立總會開催 |
08 | 最近の經濟問題 |
09 | 小麥の初檢收 總數百五十袋 |
10 | 綠肥播きを慫恿 季節遲れの水田に |
11 | 製糖終了 |
12 | 臺灣帽の南方進出 ポスターを配布 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況(十五日後場) |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(940)/黃得時;碇政彌 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 英艦船五隻擊沈數隻擊破 獨快速艇隊の戰果 |
02 | 獨空軍ム港を急襲 赤軍機の損害甚大 |
03 | 赤軍の企圖封殺 クバン地區で激戰 |
04 | 英本土を猛爆 軍需工場に大火災 |
05 | 圖像:雲南前線大平街北西の殘敵に猛爆擊の我が軍 |
06 | 反樞軸軍地中海 空軍司令部創設 |
07 | 英廿三機喪失 |
08 | 獨國會廿日開催 ヒ總統獅子吼せん |
09 | 米の窮境を暴露 頻頻たる太平洋戰局の軍事會議 |
10 | 米、濠の同志討ち 空軍增強問題を繞り |
11 | 反樞軸空軍 白耳義盲爆 |
12 | 佛傀儡政權の合作案 |
13 | 物價對策閣議決定 生產增強對策の核心 |
14 | 大日本青少年團中 國慶祝使節團歸京 |
15 | 中立國聯盟 西國政府が提唱 |
16 | 印度の不安募る 交通罷業、暴動が頹發 食糧不足も愈よ深刻 |
17 | チユニジアの戰況 |
18 | 印度武器工場に暴動勃發 |
19 | セラト岬への 英軍の上陸失敗 |
20 | 伊商船隊猛躍 チ戰線の補給に 全力を盡す |
21 | 「空の要塞」二 機喪失 |
22 | 米國の食糧狀 況益益惡化 |
23 | 更に強固な團結 樞軸會談の意義重大 |
24 | 第二回陸軍技術研究會(第二日) |
25 | 樺太醫專校長に 越智北大名譽教授 |
26 | 保安拘置並に 思想矯正制度 滿洲國で實施 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | けふは行啟記念日 廣大無邊の聖恩に應へ奉り 本島民草の決意新た |
02 | 天機並御機嫌 奉伺電報奉呈 長谷川總督から |
03 | 御沙汰書奉讀式 府正廳で嚴かに擧行 |
04 | 平均十二頭を生む 優秀な海南島豚登場 |
05 | “將來は有望だ” 飼育研究功勞者蒔田技師語る |
06 | 東亞醫學會代表續續入京 |
07 | 有功者を表彰 水難救濟會あす總會開催 |
08 | 決戰下軍教の指導 配屬將校會同開く 安藤軍司令官が訓示 |
09 | “外出の際はモンペで” 日婦本部、各支部に通牒 |
10 | 正しく伸せ興亞の子寶 新竹の保護紀念日 司法陣講演に街頭進出 |
11 | 敵機來るとも(四) |
12 | 皇奉役員聯絡會議 |
13 | 圖像:臺灣奉公狀年團團旗制定 |
14 | 決戰移動展開催日程決る |
15 | 港都でお豆腐が配給制に |
16 | 滿洲に女青團派遣 拓土內助の勤勞奉仕に |
17 | 柳氏蒐集の 民藝品展開く けふから公會堂で |
18 | 一億の底力示現 預金增加百億圓突破 |
19 | “楠氏一族”發表 十七日から榮座で |
20 | 露店にも適用 從業員の傭ひ入れに許可制 料理屋等取締規則改正 |
21 | 戰勝祈願市民遠足 來る十八日に實施 |
22 | 雀の巢を追放 純日本婦人型の檢討に 新竹の理髮業者打合 |
23 | 興南詩苑漢詩 春日遊箕園/可軒、書感/元煌、少奇君受大每新聞社所聘遠到南洋主麻尼拉漢字新聞首途時未及遠送後以詩壯之/元煌 |
24 | 戰地行軍屬 募集 |
25 | 今晚の放送 |
26 | 商況(十六日前場) |
27 | 興南案內報社消息 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵機擊墜破五十餘 敵船十一隻屠る 海鷲ラビ急襲、輸送船團猛攻頭條新聞 【東京發同盟】南太平洋方面に於ける帝國海軍航空部隊の活躍は敵前進基地攻撃或ひは補給路攪亂等に愈愈猛威を加へつつあるが十四日我が戰爆聯合の大編隊はニユーギニヤ東端の敵補給重要基地ミルン灣に入港した敵大輸送船團及びラビ飛行場を猛襲兵員、兵器、資材等滿載の敵大型、中型輸送船十一隻を一舉に擊沈、船團を全滅せしめると共に狼狽して舞上つた敵戰闘機と熾烈な空中戰を交へ忽ち四十四機を撃墜の赫赫たる大戰果を擧げ敵のニユーギニヤに對する補給增強企圖を撃碎した旨十六日大本營より次の如く發表された 【東京發同盟至急報】大本營發表(四月十六日十六時) 帝國海軍航空部隊は四月十四日敵輸送船團のニユーギニヤミルン灣來着を偵察し大擧之に攻撃を加へ更に他の部隊はラビ飛行場を急襲し左の戰果を收めたり 擊沈、輸送船四隻 大破炎上後沈沒、輸送船七隻 擊破、小艦艇數隻 擊墜、四十四機 地上擊破、十數機 爆破炎上、軍事施設五箇所 この間に於ける我方の損害、自爆五機 |
02 | 敵補給戰に大打擊 反擊企圖を逐日封壓 |
03 | 價格報獎制を創設 決戰物價政策確立さる |
04 | 敵側の發表 |
05 | 重臣懇談會開かる |
06 | 青木大東亞相 南支、南方各地へ出張 |
07 | 紅蓮の焰空に沖す |
08 | 創意と工夫を刺戟 價格報獎制の性格 |
09 | 現況を見て來る 青木大東亞相語る |
10 | 東條首相臨時に 事務を管理 官制第九條による |
11 | 重大危機に直面 濠洲の泣き言さまざま |
12 | 陸軍技術研究會第三日 |
13 | 興南鍊成院の入院式擧行 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 全國地方長官會議の成果社說 一 前後四日間に亘る決戰下の全國地方長官會議は十五日に滯りなく終了を告げた。會議第一日たる十二日には各地方長官が宮中に參內しくも天皇陛下に拜謁仰せ付けられ、各管下地方實情につき具さに奏上御下問の光榮に浴したが、本島から會議に參列した梁井臺北、藤村新竹、宮尾臺南の三州知事もこの光榮に浴し、畏れ多くも天皇陛下におかせられては本島民草に畏き聖慮を垂れさせ給ひ、三州知事の管內狀況奏上をいとも御熱心に御聽取の御後、國語の普及狀況或は本島青年の軍に對する協力狀況或は風害の復興狀況に關し夫夫御下問を賜るなど大御心の有難さに六百萬島民は唯唯感泣するばかりである。重ねて畏き聖慮を拜し全島民は愈益益決戰下の御奉公に全力を傾注致し、以て聖慮の萬分の一にも應へ奉らねばならない。 二 さて今回の地方長官會議を通じ特に注目すべきは、戰力增强と國內態勢整備が大東亞戰爭を完遂する上に如何に絕對的要請であるかといふ事である。會議の劈頭に行はれた東條首相の訓示に、この曠古の大戰爭に於てわが勝利を決定的のものたらしむるには蓋し今後の一年間における戰力の增强如何がその鍵をなしてゐる今後の一年こそは正に帝國の隆替を決すべき重大なる年だ、と喝破せられてゐる通り、戰力增强こそは何をおいても絕對的に强化確保すべき重大要件と云はねばならない。過般の帝國議會を通過成立したる豫算も法律もすべて戰力の增强に目標を置いてゐるのであつて、從つて之が施行に當つては戰力增强の一點に全力を集中し適正なる運營に挺進すべきは多言を要しないことである。 三 第一線行政の衝に當る地方長官が戰力增强を目標とし、政府の意を體して區區たる準繩に捉はれず適時適應の處置によつて生產增强を指導し國內態勢を整備すべきことを要請せられるは、畢竟するに各地方長官の大いなる創意と敏速果敢なる實踐挺進を期待せらるることに他ならない。決戰諸施策の浸透徹底は洵に地方長官の第一線に於ける活動如何に懸つてゐると云つても過言ではないのである。今回の地方長官會議に於て、斯くの如き決戰下地方行政の進むべき方途が明確にせられたことは一大成果と云ふべく、各地方長官の今後の活躍が大いに期待せらるる所以である。とは云へ全國民も共に奮起して之に協力しなければ成果を擧げられない。全國民が擧つて決戰に對處する政府の決意と施策の根本を理解徹底せしめ、終始戰爭完遂に挺身協力する熱烈なる氣魄と果敢なる實踐が伴はねばならぬのである。 |
02 | 蝕む童心に溫い情 全島民親の氣持で けふ少年保護記念日 |
03 | 導け.正しい健かに 齋藤總務長官語る |
04 | 淒愴極む“血の應戰” (上)ガ島に輝やく砲兵魂 |
05 | 圖像:臨時大祭を待つ靖國神社 |
06 | 子供は興亞の寶 中村高等法院檢察官長談 |
07 | 生產の增強こそ 國家の至上命令 地方長官會議を終へて森部、藤村兩氏語る |
08 | 奉公運動の新展開 全島支部主事打合會 |
09 | 親の愛情で導け 母の會、各夫人が懇談 |
10 | 每年二百甲步宛 學徒の造林計畫決る |
11 | 體育の決戰態勢 男女中等野球、庭球大會等 今後開催を見合す |
12 | 靖國神社大祭銀行休業 |
13 | 宜蘭市區長會議 |
14 | 宜蘭消防組と 壯丁團解散式 |
15 | 木內キヤウ女史 臺銀講堂で講演 |
16 | 防諜映畫“開戰前夜”試寫 |
17 | 人事.消息報社消息 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 話はどうぞ國語で 國語一色の新竹市 |
02 | 祭粢料傳達式 |
03 | 東部ジヤワの旅 ジヤワ富士見つつ (三)沃野千里を走る海外遊記 【ジヤカルタ十四日香中同盟特派員發】和蘭の植民地政策は個々の技術的な施策の點においては學ぶべき幾多の例はあるが小面にくい程用意周到な準備と末梢部分に至るまで施された設備、驚くべ、き緻密なそしてねばり強い研究、小國民に似つかはしからぬ相當遠大な計畫等、搾取するためには徹底的に搾取し得るだけの施設がなされて來たのである。そしてその結果生れたものがジヤワの道路、道路標識、橋梁であり、堰堤、灌漑設備であり、庶民銀行、村落銀行、官營質屋、パツサル市場であり、組織的には原住民行政、原住民裁判の存在であり、封建的な村落組織、デサポリシー(村落の顏役で警察權を有す)の存續である スラバヤ州廣古經濟部長は自動車の中で「ジヤワを如何にすべきかは考へる前にジヤワは如何にして斯くなつたかを知るべきだと私は最近感じてゐる」と前提しながら次のやうに語つた 東部ジヤワ各地には至る處玉蜀黍が栽培されてゐるが、和蘭は永い間の經驗からジヤワ各地の氣候風土に應じて種々の品種を栽培させてゐる、最近スラバヤの或地方では玉蜀黍の實が一つしかついてゐないのでさつそく西部から多實性の品種を取寄せやうとしたところ結局これは良くないことが判明した即ち西部では輪作その他の關係で栽培期間が四ケ月あり、スラバヤ附近では二ケ月しか無いので結局短期間に一個の大きい實を取る品種を撰んだのだつた又ジヤワの稻は穗先の部分だけ刈り取つてゐるが之は日本のやうに根元から切取ると土壤が直接強烈な太陽の直射を受け有機質が蒸發して了ふのでこれを避けるためでもう一つはこれを植付け前に田へ鋤き込んで肥料としてゐたので何百年もの間無肥料でやつて來たのである、唯むやみに稻藳を切り取つて俵や藳繩を造つたり內地の優良品種を持つて來ればすぐ二倍も三倍も穫れると簡單に考へることはいけないと思ふ、よしんば二倍三倍穫れたとしても二三年後には田はやせて來て收穫がうんと減る心配もありこの點將來は肥料を用ひなければならぬやうになるかも知れないのである、これは一農產物の例だが凡ゆることも一應檢討すべきであると思ふ と話はなかなか盡きない 東部の要衝マデウン州へ 自動車は何時しかボジヨネゴロ、パラー州境のソロ河に掛けられた橋を渡りチエゾの町へ入る、昨年三月一日未明クラガンに上陸した部隊の主力は、オランダ軍の爆破と放火、掠奪等によつて破壞されたこの街へ早くも二日の晝過ぎに突入したのだ、州境の橋は當時東部方面の破壞修理に大活躍をやつた◯◯部隊の手によつて完全に架橋されてゐる、◯◯を視察ののちマデウン州ナウイまで約百粁、丘陵から丘陵へ、低地のボジヨネゴロからマデウン州境の高地まで一定り、鋪裝されてゐるせいか、連夜の雨も知らぬ氣に路面は乾き上り、灰のやうに輕い塵は蒙々たる白煙をまき上げ車內は真白になつて了ふ、あたりは植付けも終り生々と尺餘に延びた青田が水平線の彼方まで續き、行手の高地には新しい使命を待ちわびるかの如く新綠のチーク林が強い太陽に照り映て無限に續いてゐる、一年前同じやうに濛々たる白塵を蹴立てゝ同じ路をチエツプから一氣にナウイへ突進した皇軍勇士は燒けつくやうな戰車の中で 初めて「寶庫なるかなジヤワ」の感に打たれ決死の眉宇の下に思はず快心の笑をもらしたであらう、チーク林も拔けて降り坂になるとすぐマデウン州のナウイへ入る、和蘭は一九四◯年今次歐洲大戰が始まるや在ジヤワ獨逸人二八六名を此處に拘禁、更に大東亞戰勃發とともに邦人一六二名も收容されてゐたが、昨年三月五日皇軍進駐前に獨逸人、日本人拘禁者は何處へか移送されてゐたのであつた、ナウイはマデウン河がソロ河へ注ぎ込む合流點にある街でマデウンより稍高地にあり折しも雨期に入つたせいか、あたりの綠も一段と濃く、名も知らぬ鳥が無數に飛び心地よい微風はサラくと椰子の葉先をゆるがし、音もなく靜かに冷たい茶をはこんで來る麗しい原住民子女のもてなしも知らず、記者はボンヤリとして小鳥のさへずりを聽いてゐた、軍政監の溫容な姿に接して全くうちとけた原住民縣長等の話の中に時には靜かな笑ひも混つた團樂の一刻はあたりの麗しい景色を更にのどかなものとしてゐる、マデウン州へ入ると土壤はボズヨネゴロと打つて變つて肥沃となり、住民の衣裳もやや良くなり、思ひなしか顏も明るい、再び皇軍進擊路のあとを追ふやうにマデウン市へ向ふ、マデウン州の人口約二百二十六餘萬一平方粁當り人口三四一人、州廳所在地マデウン市の人口は約四萬五千である、州內有數の農產地で米、玉蜀黍、落花生などの外砂糖、椰子油の生產も多く、東部ジヤワの珈琲產地は大體マデウン州から東へ延びてゐる、ジヤワを東西に真中から二分するとバンドン市は西半分の中心にあり、マデウン市は東半分の中心にあるマデウンにはジヤワ唯一の鐵道工場がある、ジヤワの鐵道は我國より數年早く英國の指導下に始めて敷設され今日では東印度領內の總延長七千四百粁のうちジヤワには五千四百粁が集中してゐる軌幅は二、三會社のものを除けば凡て我國と同じ三呎六吋の狹軌である、英國は一八一四年ナポレオンが失腳し、ウイーン會議の結果、一八一六年東印度を和蘭の手に還付し、その後英國は蘭印を政治的にも經濟的にも從屬せしめるためあらゆる努力をんなし來つたが、この蘭印鐵道の軌幅決定にも英國の手が延びてゐたものと思はれる 人口稠密なケデー州へ 夜來の豪雨にぬぐはれてマデウンの山野は全く爽快な朝ほらけである、南の方遠く白雲悠々と漂ひ、時に雲の切れ間から、やはらかなマニユタン、ロンボツクの山容が澄み渡つた青空に浮び、長い山麓一帶には朝露にぬれた椰子林が朝陽にくつきりと葉蔭を現はし、涼い朝風を切つて東へ進む自動車の兩側は見渡す限りの沃野千里、小氣味良い程手入れされた田畑が續く、ジヤワ全島は手入れされた公園でさへある、坦々たる鋪裝路、その兩側二、三米は美しい芝生を造り、整然と美しい赤白青の道路標識が少しの嫌味もなく建てられ勤勉なジヤワ農民に依つて箱庭の樣に手入れされた田畑と村落、然も旅人を慰めるが如くジヤワの脊梁地帶は美しい山々が連り自動車で走りつゝ一つのジヤワ富士を見送れば又次には富士形火山が我々を迎へる、椰子の葉さへなければ富士を見ながら行く東海道の連續であるケデリー州境に近づくと又ロンボツク山群とパンダン山の山合高地帶に入り未だ昨夜の雨にぬれたチーク林に入る、州境を過ぎると下り坂となり再びブランタス河に沿ふ大平原地帶が前方に展ける、稻穗はボジヨネゴロに比して遙かに大きく延び土地の肥沃さを思はせる、ナンヂユウ縣廳視察のゝちケデリーに向ふ、右手には未だ麓だけみせてロンボツク山群は朝靄に包まれて見えない此あたりの裾野地帶は椰子林が一段と多くなつて來るこゝからケデリーにかけて有名な椰子油の產地であるケデリー市に至る間の農家の家々の周圍には皆高さ一米半位の白土壁を造り日本の武家屋敷を思はせる |
04 | 不平や愚痴は敵 臺南州で勿體ない運動 |
05 | 佳き日に紀念植樹 花蓮港の行啟記念日 |
06 | 馬總領事來高 |
07 | 青年團長會議 |
08 | 彰化郡を巡視 福田州產業部長 |
09 | 南のたより 整然たる集團生活 煙草代は生活費の筆頭 (6) |
10 | 赤誠の献金品 |
11 | 奉公團體の查閱 屏東市を皮切りに實施 |
12 | 桃園の青物を島都へ 關係者を集めて出荷斡旋座談會 |
13 | 奉公壯年團旗 捧持に松川團長北上 |
14 | 決意は割當以上 臺中市常會で貯蓄打合 |
15 | 蓖麻の供出 生徒、兒童が真先に |
16 | 竹南保甲會館 落成記念映畫 |
17 | 彰化市畜產組合 |
18 | 竹南郡土木協會總會 |
19 | 高雄競馬 けふ再開 |
20 | 彰化遺家族援產 講習會入所式 |
21 | 苗栗中學院合格者 |
22 | 白晝の強盜逮捕に殊勳 |
23 | 林溪圳氏の祖母 |
24 | 地方多より |
25 | 今日の映画演劇 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 銀行預金增加額(三月末) 一億千萬圓を突破 貯蓄獎勵の效果現はる |
02 | 農業團體統合 豫定通り進捗 松野農務課長談 |
03 | 內地の食糧事情 中平局長より說明 |
04 | 銅增產に完全策 きのふ官民懇談會で協議 |
05 | 臺電增資 報告總會 |
06 | 南日本漁業設立委員長の人選 殖產局長が上京、中央と打合 |
07 | 全國珠算振興聯盟 日商を中心に結成 |
08 | 畜產振興の打合 新化郡の關係者會同 |
09 | 經濟手帖 |
10 | 照明燈 |
11 | 商況(十六日後場) |
12 | ラジオ |
13 | 水滸傳(942)/黃得時;碇政彌 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 東亞一體化に拍車 大東亞相の南方出張に期待 |
02 | 米空軍の損害甚大 新銳機續續擊墜さる |
03 | 對日攻勢に米英焦る |
04 | 價格面の金鵄勳章 企業に對する國家的報獎 |
05 | 財界は擧げて歡迎 |
06 | 主導性、獨軍の手中 クバン河口、依然激戰 |
07 | 中國青少年團 |
08 | 歐洲大西洋沿岸の防衛線成る 反樞軸軍の企圖完封 |
09 | チユニジア決戰開始 樞軸軍の裝備優秀 |
10 | 反樞軸軍を擊退 北阿の戰局再び緊迫 |
11 | 伊、地中海方面に 戰鬪態勢を整備 |
12 | 太平洋の戰況を重視 米國議會方面 |
13 | ソ聯のゲ.ペ.ヴ 波蘭將校を虐殺 事態は果然重大化 |
14 | 無力な反樞軸陣營 英軍のビルマ敗退に 重慶政府筋か呆れる |
15 | 勤勞者への物資配給 商業者の協力方策決定 |
16 | 英蔣間に泥試合 印緬國境の敗戰を繞つて |
17 | 舊英租界沙面 廣東市に編入 |
18 | 靖國の遺族に 東京名物特配 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 今ぞ若者大空へ 伸ばせ國力!!必勝の翼 本年度の滑空訓練 |
02 | 北白川宮家に伺候 滯京中の四地方長官 |
03 | 賞賜物件傳達式 けふ遞信部で擧行 |
04 | 母と子.二にして一 木內女史の放送要旨 |
05 | 配屬將校會同(第二日) 安藤軍司令官が訓話 |
06 | 實戰即應の訓練 州下十五ケ所で實施 |
07 | 島都國報指導員 あす辭令交付式擧行 |
08 | 臺北市の奉公祭 賑やかは行事決る |
09 | 建築にも決戰型 戰拔くための物資節約 |
10 | 玄米食の炊き 方を指導 |
11 | 軍援精神を昂揚 新竹州多彩な行事 |
12 | 基隆市支會 |
13 | 前年に優る成績 新竹市の國民貯蓄 |
14 | お母さんの腕比べ 島都で“桃太郎探し” |
15 | 青年團長打合會 二十日島都公會堂で |
16 | 自給肥料增產へ 奉壯團臺北州支部 |
17 | 臺銀人事異動 |
18 | 厚生音樂會 試聽會盛況 |
19 | 臺灣電化が無 敵海軍に献金 |
20 | 基隆の國語普及爺さん逝去 |
21 | 今晚の放送 |
22 | 興南詩苑漢詩 自衛/晴園 黃純青、春夕話舊/高肇藩、春夕話舊/述三、春夕話舊/可軒 |
23 | 商況(十七日前場) |
24 | 訃文:李心婦 |
25 | 興南案內報社消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 物質力、精神力の激鬪 マユ河渡河よりインデン殲滅 ○○部隊大奮戰の記頭條新聞 【ペンガル灣岸インデン東方○○高地にて十七日同盟特派員發】チズエの殲滅戰終了後マユ河を渡河してマユ山脈中央部を突破ベンガル灣岸に達した○○部隊はインデンに於て寡兵よくマユ半島南部の敵退路を完全に切斷し同地附近に於て敵が精銳を誇る英兵のみで編制された第二師團第六旅團を殲滅し更にマユ半島南部から北方へ向け退却して來た英印混成第四十七旅團主力を封鎖線に引つかけてこれを殆んど殲滅する等赫赫たる大戰果を擧げた、このインデン附近の戰闘は敵が火砲、航空機、裝甲車、自動貨車等あらゆる機械力を綜合的に活用して猛烈に挑戰し來つたに對し我は自動車は固より馬もなく、彈藥、糧秣水も乏しい惡條件の下に必勝の精神力で戰つた實に物質力と精神力との激闘であり、○○部隊長は敵砲彈に負傷の身を以て終始敢然陣頭に立つて將兵を指揮し、糧食、水、彈藥の不足を物ともせず、凄絕な戰闘を重ね、將兵また勇戰奮闘よく皇軍の新面目を發揮して英印軍擊滅の輝く金字塔を打樹てたのであつた以下は同部隊のマユ河よりインデンの殲滅に至るまでの奮戰記である ○○部隊は三月十六、七兩日マユ河東岸ヌドン正面の敵第十四師團第百二十三旅團の前力をチズエ附近に於て捕捉殲滅し更に西方に轉進してマユ半島方面の敵を捕捉擊滅すべく先づ三月○○日夜半主力は一擧にマユ河を奇襲渡河し、マユ半島に進出した、同部隊は翌○○日先づ主力を以てマユ山麓のイワジツトを占領一部は○○附近に集結し、○○部隊はアテトナンラ附近の敵を攻撃して二十七日午前八時同地西側高地を占領した、この附近の戰闘に於て第一線の戰闘を指揮してゐた○○參謀は敵迫擊砲破片を二回に亘り受け壯烈な戰死を遂げた、主力はマユ山脈を越えてベンガル灣岸の敵要衝インデン方面へ進攻して敵の主力を捕捉擊滅すべく三月二十八日より行動を開始し○○部隊をしてアテトナンラを經て九七九高地の北側の鞍部道を山脈西側のイワジツト方面に前進せしめ、○○部隊をしてアテトナンラ及び九三八高地を經てマユ山脈西麓のキンギヤン西北方一キロの二五◯閉鎖曲線地に進出せしめ、○○部隊をして九三八高地を經て、八四高地に急進出せしめると共に○○部隊は九三八高地より ベンガル灣岸を指呼の間に望む一八四高地に向つて進出しインデン方面の敵に對し攻撃を準備した、この頃我が砲兵隊も九三八高地を攀登つて砲を分解搬送しインド洋を眼下に望見しつつインデンの敵を砲撃してこれに相當の損害を與へた、斯くて○○部隊は四月二日朝再び行動を開始しキンギヤン附近に於て急擊殲滅し、更に○○部隊は二○八高地を經て二五一高地を砲攻しインデン北方一キロのクリークの線に進出し主力は二○八高地附近に集結一部を以て北方の敵に對せしめ、神武天皇祭の四月三日を期して一擧に海岸道路をインデン西北方の要點馬蹄型高地の敵を夜襲すべく零時十五分將兵一同闇の中で軍旗を奉拜し「神武完勝」の決意も固く行動を開始し折柄の暗夜と轟くインド洋の怒濤の音に紛れて企圖を完全に秘匿しつつ進擊し一部の敵を擊破、更に南進してインデン西北方一キロ附近に差しかかるや折柄宿營中の敵裝甲車部隊を發見白刄を揮つてこれを急襲殲滅したが、この戰闘に 率先陣頭に立つて奮戰中の久保田中尉及び松岡中尉は敵の手榴彈により壯烈な戰死を遂げた、かくして三日午前五時部隊は遂にインデン北方の要衝馬蹄型高地を完全に占領確保した、これと同時に○○部隊はインデン北方のクリーク北側ジヤングル內に進出し○○部隊はインデン東方の高地に向け前進の態勢にあつたかくしてインデンの敵は完全に北方への退路を遮斷されたため最後の足搔きに必死となり、絕對優勢な砲兵力を恃んで馬蹄型高地目がけて猛烈な集中射撃を浴せ來り、このため全山砲煙に包まれた、この時高橋中尉は敵迫擊砲彈の破片を浴びて重傷を負ひ、軍旗を拜して天皇陛下萬歲を絕叫しつつ從容として散華した、然し軍旗の下全將兵の士氣愈よ揮ひ、飽くまで敵擊滅の意氣に燃え立つた。敵は同日十九時に至り極めて熾烈な砲兵の掩護射撃の下に同高地を奪取すべく五百の兵力をもつて我が陣地を逆襲して來た 我が部隊は直ちにこれに應戰、部隊長自ら拔刀して第一線を指揮し遂に一部は白兵戰に移つて手榴彈は我が陣地に炸裂し凄愴な激闘を演じたが遂に二十時半この敵を完全に撃退した、山麓に累累と橫たはる敵の遺棄死體は悉く英國兵の死體ばかりで敵は英國兵のみの部隊をもつて真劍に戰つてゐることが頷けた、敵は執拗にも二十二時再び逆襲して來たが我方はこれを至近距離に引つけて擊碎した、我が將兵にはこの間唯一滴の水もなく附近に水流れはあれども鹽水で飲むことが出來ず木の葉や笹の葉に宿る朝露をすすつて僅かに唇を漏らし猛烈な咽喉の乾きに苦しみつつも不眠不休斷乎として同高地を死守死闘したのであつた、その後○○部隊は更に態勢を整へてインデン附近の敵を擊滅すべく準備中五日敵は突如として全銃砲火力の集中射擊と發煙彈による彈幕の展張をもつてインデンより北方に向けて必死の奪回を企圖したが我方は優勢な全火力をもつてこれに殲滅的大打擊を與へてその企圖完全に挫折せしめた。時に十七時三十分、○○部隊は引續き同夜このインデンの敵に對し○○部隊をもつて東方地區より主力をもつて馬蹄型高地の方向より軍旗を捧じて夜襲を敢行、途中敵の警戒部隊の一部を擊碎六日六時三十分一擧に海岸道路 インデン部落の南端及びその東北高地並に一二七高地を夫夫占領確保斯くて完全に敵の退路遮斷に成功した。折しも朝霧漸く霽れんとし累累たる敵屍を踏み越えて更に封鎖線の強化を圖りつつあつた最南方より退却して來たドンベイク方面最高指揮官敵第二師團第六旅團長ガベンデイツシユは副官ストラチヤン大尉を帶同し部下の英人多數を率ゐてわれに投降し來り○○部隊長と會見をなし所持してゐた小型羅針盤を記念品に差出して我が軍門に降つた。その際俄然敵は十時三十分頃より全砲火力を集中し十七の裝甲車及び航空機掩護の下に我が封鎖線を突破せんと突進して來たので直ちに敵の猛烈な砲擊下に軍旗の下寡兵よく全力を擧げて善戰激闘しつつ英陸兵の精銳を選つた第六旅團主力に殲滅的打撃を與へた、この戰闘は正に激戰中の激戰で彼我相亂れて隨所に白兵戰を演じ銃砲聲は殷殷とベンガル灣に轟き壯絕を極めインデン部落は砲彈のため大火炎を起しこれが敵の彈藥集積所に引火して淒愴な爆發を起し彈藥は炸裂し赤、青、橙色等色とりどりの照明彈まで四方八方に飛び爆發音の連續は更に凄愴なる度を加へ隨所に 彼我の混戰亂鬪が展開され棚橋部隊長亦陣頭に立つて奮戰中左頸に先づ砲彈破片創を受け續いて右上腰部に貫通銃創を受けたが豪勇な同部隊長はなほ毅然として指揮を續けた、斯くて四時間に亘り激闘の末敵第六旅團を全く殲滅したのである、この戰闘中敵將ガベンデイツシユは英軍砲兵が放つた砲彈を受け遂にその場で戰死し綠色の參謀肩章及び王冠の徽章のついた肩章、銀制の腕輪等がその附近に飛散、哀れを止めた敵砲兵陣地は彼我の識別もなく盲砲火を集中したためその砲彈により倒れた英兵が相當數に上つたのは皮肉であるこの激戰にも拘はらず陣頭に軍旗を捧持する安田少尉は身に擦り傷一つ負はなかつたのは正に天祐神助の力であらう斯くて夕陽漸くベンガル灣の水平線に没せんとする頃砲兵も鬨の音も全く鎮まり靜寂に返つた、戰場には英兵の擾擾たる死體の外全く敵影を見なくなつた、一方「第六旅團インデン附近で全滅」の情報がマユ半島東南部の第一陣にある英印混成の第四十七旅團主力に一度傳はるや俄然同旅團は收拾のつかぬ大混亂に陷り指運官以下全軍全く支離滅裂となり北方に先を競つて退却しインデンの一帶に強靱な網を張る我が封鎖線に二百或は三百と群をなして次次に捕捉され斯くて第四十七旅團も殆んど大部分が殲滅されてしまつた、○○部隊は寡兵よく三千六百乃至四千の英印軍を殲滅すると言ふ大偉勳を樹てたのであつた、斯くて○○部隊はマユ半島東南部ドンペイク方面より敵を追擊して北上した○○部隊と八日午後インデンで握手し茲にマユ半島南部の敵を全く殲滅一蹴した |
02 | 敵部隊の蠢動粉碎 蘇淮地區三月中の戰果 |
03 | 井野農相參內 |
04 | 孫將軍麾下の戰果 和平陣營參加して早くも一年 |
05 | 在敵國同胞の狀況 在米、加の分一應調查完成 |
06 | 圖像:山頂の敵陣へ將に突擊せんとするわが將兵 |
07 | 波蘭將校虐殺事件 亡命政權の國防相聲明 |
08 | 在ソ聯波蘭人 約兩百萬人 |
09 | 南方諸地方の電報取扱開始 |
10 | 陸軍技術研究會最終日 |
11 | 緬甸の獨立本年中 ジ聯盟の任務重大 黨首バーモ氏新年劈頭の演說 |
12 | 鬼畜英兵の仕大ち 印度兵虐待、一層苛酷 |
13 | 大擧倫敦を空襲 |
14 | 英五十五機喪失 |
15 | 米、基地を建設 鳴神島に接近し |
16 | 高校經營の諸問題 校長會議の主な問答 |
17 | 高速度國道調 查委員會設置 |
18 | 陸軍司政長官發令 |
19 | 高等學校長會議 |
20 | 兩區國報所開所式 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 非違非行の 戰時的處斷社說 一 前線の皇軍將兵が喰ふか喰はれるかの死闘を續けてゐる秋、銃後國內にあつては一部時局を解せさるもの、或は時局に便乘して軍を利用し、私利私慾を圖らんとするもの等が絕無ではない。茲に於て十五日の全國地方長官會議に於て特に那須兵務局長から「非違非行の戰時的處斷の徹底について」の重要な發言がありこれらの者に對し嚴重な警告を發した。その發言要旨は大體次の通りである。卽ち 一、今日國內は旣に戰場化して居り、戰爭完遂上有害なる事象に對しては斷乎としてこれを排除する果斷なる措置を採るべきと一、武力戰の活潑化に伴ひ、軍の精强を要すること今日より大なるはない秋、これが存立を危くし或はこれを弱めんとするが如き反軍思想、軍民離間策動等に對し嚴重なる處理を取ること一、又戰時に便乘して軍を利用し私慾を滿足せしめんとする非違非行に對し、一段とその取締りを强化すること 等の三點にあるが、要するに國內一部階層中に尚牢固として殘つてゐる自由主義、個人主義思想を斷乎として排除し軍の戰爭遂行に對する障礙芟除の決意を表明すると同時に、これが徹底に各地方長官の奪起と協力を要望したのである 二 最近敵米國軍首腦部では頻りに空軍兵力の增大を誇示し、春の到來と共に我が本土の爆撃の機会を得んと躍起になつてゐる現在太平洋で敵米國が行つてゐる基本作戰としては、結局日本空軍擊破日本艦隊制壓、日本本土空襲と云ふ三段階を採ることが略確實と認られるが最近頻りに重慶に對して物質的援助を行ひ、飛行機を送つて空中からの對日ゲリラ戰を企圖してゐる。大陸にある在支米空軍は曩に在印米空軍から獨立して第十四航空隊を創設し、着着增强しつつありと傳へられてゐるから、今後の情勢は我國內と雖も戰場化し、或は對敵行動をなすべき部分の生じ得べきあることを覺悟しなければならない。この秋に當り戰爭遂行上有害なる事象に對しては烈烈たる戰時意識の下に斷乎たる取締、迅速徹底せる事犯の處理等戰時卽應の措置に遺憾なきを期することの必要なることは今更贅言を要しないことである。 三 特に武力戰の活潑化しつつある現下に於て、國防の重責を荷つてゐる軍の存立及び精强を害する反軍思想或は軍民離間の策動等は一種の利敵行為にして斷じて許し得ないことは言ふまでもない。且つ又時局に便乘して軍を利用し私腹を肥やす輩は最も唾棄すべき非國民的行為として排擊しなければならない。統制組合の暴利追求、國策會社の經濟違反、統制會社の貪慾等は一種の銃後經濟攪亂行為として斷乎として鐵槌を下さなければならない。又官紀の嚴正なるベきことは時の如何を問はず、今更言を俟たない所である。戰時下に於て官吏の職責は殊に重大であり國民の信賴を得るを要すること今日より大なるはない。然るに官吏の中に利慾に迷ひ、操守を忘れて官紀を案し、ために法網に觸るる者をも見ることは嚴に戒めなければならない。その他闇取引、買溜品質低下等の橫行も戰時意識の昂揚に依る絕滅を期すると共に、その取締りを强化しなければならない |
02 | 護れ我等の勇士の家 軍援精神強調週間廿三日より全島に展開 |
03 | 朝香總裁宮殿下 軍援後援會發起人に午餐を賜る |
04 | 勤報青年隊第一次入隊式 廿一日に擧行 |
05 | 帝國水難救濟會 第一次有功賞御授與式 |
06 | 軍援を強化促進 財界の後援會設立 |
07 | 宜蘭市國民貯蓄打合會 |
08 | 二等有功賞受 賞者に賜餐 |
09 | 宜蘭市區會長會議 |
10 | 忘れるな.けふの日 憎むべき敵米機の殘虐振り 國民に油斷はないか |
11 | 殘す無言の遺言 尊い犧牲小島君の一周忌 |
12 | 臺大に學術研 究調查費補助 學術振興會より |
13 | 遺族に“靖國繪卷” 二十八畫伯が揮毫 |
14 | 祝典劇盛況 皇奉發足二周年記念行事 |
15 | 木內女史の視察談を聽く 日婦本部主催で座談會開催 |
16 | 皇奉定例 運營委員會 第三日の諸方針に付 各委員真摯な意見開陳 |
17 | 御成町青年團入團式 |
18 | 臺所學校をも開設 生活相談所近く店開き |
19 | 尊い體驗を披瀝 托南工商戰士鍊成感想發表會 |
20 | 少年保護記念日式典 司法省構內警務協會で擧行 |
21 | 島都の“記念の夕” |
22 | 基隆郡華僑總會 |
23 | 陸軍軍醫候補生志願者心得 |
24 | 北貸地貸屋 組合總代會 |
25 | 海軍守衛募集 |
26 | 人事.消息 |
27 | 街葬謹告:吳岳喜 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ジヤワの農民道場 |
02 | 東部ジヤワの旅 歷史の街ケデリ (四)マラン州は健康地海外遊記 ケデリ州の人口は二百八十萬、一平方粁當り人口、マ デウンより多く三百四十九人を數へ日本の百八十一人ジヤワ島の平均三百十八人から見ると恐ろしく人口稠密であり、ケデリ市に入る手前から莊園農家相繼ぎ竹垣石垣の切れ間もなく、何れを眺めても數坪の叢林もない、丘も野も寸土も餘さず墾され人も車馬もたくまなく續き、數町にパツサル(市場)里餘にして町、數里にして市街地が續く人口稠密なジヤワの典型的な景色である ケボリ市は僅か人口約五萬の小都市だが古き歷史の街である、元が宋を亡して大陸に霸權を確立した十三世紀は、ジヤワではヒングー系の王朝がケボリを都とし、東部ジヤワことにこのブランタス河流域は群島文化の中心であつた然るに元のフビライは自己の勢威隆々として上るやジヤワ王自ら渡支して恭順の意を表せんことを要求このため使節孟琪をジヤワに送つた時のツマべル王朝の最後の王ケルタナガラ王はその態度無禮なりとし侮辱を與へて追返した、ここに於てかねて南洋經略の志のあつたフビライは鷹懲のためジヤワ遠征を行ふことになつたが元は實力をジヤワ以外の南方諸國に示威すると共に當時既にジヤワに活躍してゐた多數の支那人を直接支配下に置かんとその野望を逞うしたのである 至元二十九年即ち弘安の役後十一年目、西暦一二九二年十二月福建、江西、湖廣三省の兵約二萬、船舶約一千隻は泉州を出發途中南支那海の激しい風浪に惱まされながら印度支那から南下しサイゴンの南のコンドル島附近カリマタ海峽を經て翌年二月ジヤワ海のカリモン群島を經て、本隊はフランタスの河口(今のスラバヤ)附近から上陸、附近の水陸の要點パチカンに入つた、また他の步、騎兵の主力もスラバヤ州の北海岸のツーバンに上陸南下してパチカンに合したこれより先元使に侮辱を加へたジヤワの王ケルタナガラはその後間もなく叛逆者ジヤカトンに殺害され、ジヤカトンは自ら國王となつてケデリに據つてゐた、然し殺されたケルタナガラ王の婿ラーデンヴイジヤヤが復仇をなすべく、一度ジヤカトンを攻めたが成功せず退いてケデリの約八十粁下流にあるマジヤパイト(今のモジヨケルト附近)に築城して時機を待つて居た元軍はこの情勢も知らずジヤワに上陸したのである、ブランタス河口附近の緒戰に大いにジヤワ軍を破り力を得た元軍は更に奧地に進まんとした時ララーデン・ヴイジヤヤはジヤワの「地圖」などを引出物として携へ降伏し來り、仇敵ジヤカトンを討つに元軍の救ひを求めた、この降伏は全くの計略でヴイジヤヤを信じた元軍は共にマジヤパイトに向ひ、マジヤパイト附近でジヤカトンの軍を撃退し、更に進擊してダ八(今のケデリ附近)を攻略すべくブランタス溯航部隊を真中に東西に軍を並行させ乍ら南下し、ヴイジヤヤ軍もその後に從つた、かくて三月十九日ダハに到着し、ジヤカトン王は兵十萬を以て抗戰し日沒まで大激戰を續けたが遂に敗れブランタス河に落ちて死するもの數萬に上るジヤカトン王は降伏して了つた ラーデン・ヴイジヤヤは功に依り領土を再び獲得し、彼はその返禮として公女二人をフビライに貢ずることを申出た、そこで元軍の將兵二名は兵二百を從へてケデリのヴイジヤヤの居城に赴いた、頃は良しと見て取つたヴイジヤヤは城內に於て元の使者及び護衛兵を殺害すると共に叛旗をひるがへして元軍の退路を遮斷して猛烈な攻撃を加へ、元軍は敵に包圍されて策す術もなく退却に退却をかさね、敗走三百里ののち漸くブランタス河に逃れ、三千餘名の死者を殘し壯圖空しく支那へ歸つたのであるかくしてヴイジヤヤは元軍を放逐して後ヂリ地方にマヂヤパイト王國を建設し十五世紀回教の侵入するまでジヤワ初め東印度に君臨する王國の祖となつたのである 景勝の地マラン州へ 數多い日程に、ケデリ縣廳での晝食もそこそこにマラン州ヘケデリ附近は昨年十一月上旬連日の豪雨のためブランタス河が氾濫し水害を被つたが、今は全く水も退き二度目に植付けた稻も勢よくのびてゐる、當時軍政監は多額の救恤金を送り多數の日本人、原住民看護婦、救護班を送つたことは記憶にも新しい、附近住民の軍政監への感謝の心は軍政監歡迎の歡呼の嵐となつてとめどもなく續く、行く事約一時間ケデリ、マラン州境を過ぎると道は次第に急坂の上りとなり、椰子、カボツク等は次第に消えチーク、合歡の木、竹林その他巨大な雜木林が鬱蒼と繁つて山地の冷氣が次第に加り、決つた樣に今にもスコールが來さうな空模樣になる、左側にはマラン、アルジユノ、右手にはカウイ、ブタクの連峰がそびえる、山谷を縫つてマランへ出る近道の山道である 峠に近づくとジヤワには珍らしい岩山が多く所々に巨岩切つて道がつけられ、山中至る所滔々と、瀑布が落ち、清冽な流れが自動車路の下に岩をかんで奔流してゐるフト見ると路邊にチークの板に大きく「下箱根」と書かれてゐる、故國の山河を思はせるこの邊りの風光に歡喜した皇軍勇士が名付けたのだ峠近く上箱根を過ぎる頃から道は更に難路となる、時に皇軍勇士の乘つた自動車に出會ふ、冷涼なこのあたりの氣候を利用して原住民に造らせてゐる野菜を取りに行くのであらう途中の小さい町バツーは海拔約千米の避暑地で遙か下に濃霧に包まれたマラン平原の彼方漠々たる雨雲の中にモホマルー、ブローモの連峰がかすかに山容を現してゐる急坂を下ると共に次第に明るくなり珈琲樹が多くなる甲府盆地を更に大きくした樣な雄大なマラン高原盆地へ入る、マラン高原は西のバンドンと並んでジヤワ有數の景勝の地であり島內第一の健康地でもある、マラン地方の氣溫は人間の健康に最も良いと云はれ、西のバンドンの樣に雨が多くて氣溫に變化のないのに比して多少の四季の變化がある、マラン市は海拔五百米、マラン高原の略中央に立し、人口十八萬五千スラバヤに次ぐ東部ジヤワ有數の大都市である、マラン州は年產三百八十萬石に上る米を始め、茶砂糖、煙草、規那、落花生、玉蜀黍など肥沃な土壤と適度の氣溫に惠まれて農產物の生產は島內の首位を占める市內は綠濃い奇麗な街で、美しい芝生に圍まれたマラン市運動場では真白な制服の男女學生の合同體操が行はれ、伸び行くジヤワ青少年の樂しい姿をみたが中でも勇壯な棒倒しなどは戰前に見られなかつた競技で、日本式訓練に依つて逞しく育ち行くジヤワ青年の賴もしい明日の時代を象徵するかの樣だ、沛然と降り來つた雨もものかは日の丸の旗を振つて迎へる市民の歡呼の中を拔けて宿舍トレテスへ進む、マラン高原を取圍む峰には早や暮のスコールが來て煙霧に包まれてみえない、雨に煙る前面のカポツク林の上に蜃氣樓の樣に富士山が浮び上る、左肩に蓬萊山の樣なコブもある、雨多い初夏の山中湖畔を行くのと少しも變らぬ、秀峰アルヂユノの山麓である、この山の麓を廻りとなりのウヨリラン山の山腹、海拔千米の高地にあるトレテスまで一氣に急坂を上る、此處はスラバヤ、マラン方面の和蘭人別莊の多かつた所で、朝晴れの時にはマラン高原一帶を眺め得るホテル・トレテス、今は清澄園と名付けられたホテルに一泊する |
03 | 健民部落審查 新竹郡を皮切りに實施 |
04 | 南のたより 愚民政策の犧牲 ボルネオの教育は重大問題 (7) |
05 | 民族共榮の把握に 大東亞醫道を確立 東亞醫學會總會開幕 |
06 | 漁業者大歡び 漁獲燃油を特配 |
07 | 強い青年を作る 青年特別訓練所を創設 |
08 | 大埔庄養豚獎勵に乘出す |
09 | 赤誠の献金品 |
10 | □次ぐ憎い鼠 滅せずんば已まず |
11 | 馬匹育成講習會 各市郡に亘つて開く |
12 | 臺南州異動 |
13 | 人事報社消息 |
14 | 地方多より |
15 | 今日の映画演劇 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺灣貿易會愈よ強化 六月より手數料徵收 |
02 | 興銀機構改革 融資機能愈愈增大 |
03 | 農試參與制度 近く訓令公布實施 |
04 | 預金貸付とも收縮 三月末島都銀行勘定 |
05 | 十七年度專賣收入實績 豫算より千百萬圓減少 |
06 | 製糖終了 |
07 | 照明燈 |
08 | 農會豫算近く認可 總額一億千六百餘萬圓 |
09 | 小型を主とした 木造戰時標準船/南谷裕三 |
10 | 島內株仲値表 |
11 | ラジオ |
12 | 水滸傳(943)/黃得時;碇政彌 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敢然敵艦に立向ふ 豪膽な○○工兵隊 マユ河渡河戰頭條新聞 【マユ半島前線○○にて藤原同盟特派員發】アキヤブ北方地區に於ける今次英印軍擊滅作戰は金と暇に委せて備へた優秀な敵の裝備との戰ひであつたが同時に緩漫の差激しい大河からクリークへ更に峻嶮な山と起伏の複雜な丘陵と濕地の多い草原を織りなす自然の防砦との戰ひの連續であつた特に作戰地域の中心には河口廣さ六粁上流でも二粁の幅を持つマユ河が橫たはつて第一線と後方との連絡は全く舟艇に賴る外なかつた然も地形に通ずる敵は晝は戰闘機が絕へず現れて哨戒し夜はマユ河の下流の各所では我が方のため封鎖されて脫出不可能となつた敵砲艦が小癪にも捨身になつて我が工兵隊の舟艇輸送水路の防害をしたこのためマユ河河上及びアキヤブ附近の河口で屢屢彼我の間に痛烈な砲擊戰が交へられその都度我が○○工兵隊はその勇猛振りを發揮して敵の心膽を寒からしめた、去る一月二十五日拂曉のこと我が○○艇數隻が航行中敵砲艦二隻と暗闇の中遭遇したが敵は艦砲を備へてゐる豪膽な○○工兵はこれに敢然と立向つた敵艦は裝備の優勢を恃んで我が○○艇の周圍をぐるぐる廻つては舷舷相摩し互に顏と顏とが識別出來る程の近距離で壯烈な砲撃戰を開始した我よりも舷側の高さ三倍もある敵艦と渡り合ひその內一艘は一旦基地に引返して悠悠と彈丸を積んで再び馳せつけ對岸の機銃陣地と協力して敵艦に大損害を與へて遂にこれを擊退したその勇壯な士氣はその昔和冠が小舟に乘つて敵の大型船舶に躍り込んで戰つた以上の豪膽振りであつた更にマユ河上流では脫出不能となつた敵艦數隻は我が渡河點附近に夜な夜な現れ闇を利用して河上に發動機を止めて潜伏し我が舟艇の音響を賴りにその進む位置を測定して砲擊を加へるので我が部隊は附近各所に砲兵陣地を置いて警戒してゐた所三月三十日拂曉ミンキユン島上流のマユ河とシヤンマバンク河との合流點に敵砲艦一隻が現れたので我が○○砲陣地がこれに猛砲擊を加へ見事に轟沈、敵の乘組員は悉く溺死してしまつた次いで去る四月六日夜にもミンキユン島の下流を我が○○艇が航行中復復敵砲艦と遭遇、暗夜に火花の散る砲擊戰の後遂にこれを撃沈我が○○工兵隊に歡聲が舉つた陸軍部隊が斯くの如く河から河へと舟戰を織込んで進擊したのは古今東西を通じ稀に見る作戰で今次作戰を容易ならしめた○○工兵隊の功績は特筆せねばならない |
02 | インデンの殲滅戰 一旦手を擧げた敵 尚も脫出を企圖 無殘!敵將、味方の砲彈に仆る |
03 | 實利で印度人を誘込む 捕虜シ大尉印度軍內情を語る |
04 | 銃後貯蓄戰の大戰果(二百卅億達成) 我國民士氣の旺盛 經濟力の強靱性を發揮 |
05 | 圖像:參內の陳特派大使 |
06 | 日本民族の神徒姿 緬甸宣傳局長の訪日印象 |
07 | 日本の新攻勢を恐る 瑞典各紙のロンドン電報 |
08 | けふ警察 部長會議 防空の強化で粉碎 敵の空襲企圖に對處 |
09 | 東京爆擊詳細 米遂に發表せず |
10 | 孫良城將軍放送 新中國を救ふ道 和平の一途あるのみ |
11 | 新戰鬪準備整ふ 獨軍攻勢の時機を待つ |
12 | 華北に絕大の期待 陳特使北京で語る |
13 | 南京に歸着 |
14 | チユニジア戰は困難 ア反樞軸軍司令部指摘 |
15 | 獨外交官大異動 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 奉公運動發足茲に二年 全島を決戰一色化 けふから三度目の勝負へ |
02 | “實踐第一”で猛突進 齋藤中央本部長談 |
03 | 輝く行啟記念日 太平洋で、旗行列を擧行 |
04 | 軍司令官を訪問 長谷川總督、廣東に到着 |
05 | 神鎮まる靖國へ 遺族達が續續上京 |
06 | 花蓮港廳軍援 強調行事 |
07 | 純日本音樂で 遺家族慰安 |
08 | 勃出版界も非常時 |
09 | 戰ふ“銃後の便り” 第一線の兵隊さんに贈る |
10 | 羅東で紙芝居競演會 |
11 | 肥滿型漸次減少 賴母し.島都の赤ちやん |
12 | 銘記せよ.この暴虐 鬼畜にも劣る敵米の非人道 高千穗丸遭難血淚記 |
13 | 最後迄船橋で指揮 悲壯!!天晴れな船長 |
14 | 羅東消防組 防衛團解散式 |
15 | 鹵獲米軍機の展示會 立川飛行場で |
16 | 七、八歲の子供を救助 國持俊夫氏 |
17 | “國語常用”を率先垂範 |
18 | 高千穗丸の遭難者 けふ港都で慰靈祭 |
19 | 獨の製造禁止令 |
20 | 子供三名遭難 杉山訓子さん |
21 | 軍人精神の權化 まづ婦女子を救助 |
22 | 風雨激浪と鬪ふ 死力を盡して挺身 |
23 | 赤ん坊の奇蹟生還 生後僅か五、六ケ月を經過 救助の早大生溺死 |
24 | 海軍に感謝感激 乾パンを皆に分ける |
25 | 船員名簿を確保 殊勳甲の有田事務員 |
26 | おおこの母性愛 死んだ子供にツヤシを |
27 | 皆を勵ます 健氣な少女 入江ユキ子さん談 |
28 | 託された子供と共に溺死 |
29 | 人事 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 賴まし皇國の子寶 泣き聲も米英擊滅の雄叫び 乳兒晴れの審查會 |
02 | 天晴れこの警察魂 死の一步手前に責任を完遂 高千穗丸生還者の感激 |
03 | 東部ジヤワの旅 ブスキ州の棉花(五) 五ケ年計畫で增產栽培海外遊記 【ジヤカルタ十五日香中同盟特派員發】彩雲光茫たる曉の陽光を浴びて眼前に誇らしげにそそり立つアルゲヂユノ山、遠く朝雲の上にロンボクの山々眼下にはマラン高原のなだらかな綠の起伏が遠くかすんで水平線の彼方に迄續き、名も知らぬ高原の樹々には無數の小鳥が轉り、肌寒い冷風が靜にそよぐ、輕井澤のやうなトレテスの朝の氣を十二分に滿喫して、マヅラ海に臨むパスルアンまで一氣に下る水田の區切りに針葉樹のやうなカポツクが繪のやうに並ぶ既に見事に實つた稻穗晴々とした農民の顏、マラン高原から以東は東部ジヤワでも一層雨期乾期判然とし、マラン州では棉花及び苧麻のため附近山地の玉蜀黍畑や空閑地三萬町步を選定、苧麻は殆んど植付けを終り、棉花植付けの準備も全くなつてゐる、やがてパスルアンへ入る、今は人口二萬の忘れられたやうな小商港都市だが街の歷史は古く十六世紀の昔東部ジヤワにおいてスラバヤと繁榮を競つたこともある、ジヤワの三大試驗場の一つである砂糖試驗場、パスルアン◯◯工場などがある、縣廳訪問ののち北海岸沿ひにプロボリンゴへ向ふ、愈よこれからジヤワ極東部視察に入る、海岸原一帶の水田の背後に甘蔗畑と椰子林が目立つて多くなり、左手海岸にはマングローブ樹林が海面にのしかゝるやうに繁茂してゐる、トブテスから降りたせいかとても暑い、小一時間にしてマドラ海の真珠と謳はれるプロボリンゴへ入る、小さいが整然と落付いた並木の奇麗な街である、このあたりの棉作指導のため大活躍をやつてゐる○○農林の人々が縣廳に一行を迎へてゐる 自動車はマングローブの葉越しに爽かなマドラ海峽の潮風を浴びながら東へ二時間ばかりブスキの町から海岸を離れ南へ入りブスキ州の首都ボンドウオソへ向ふ、右手にジヤワには少ない峻嶮な山容のアルゴプーロ山が鬱蒼たる森林に包まれて聳えてゐる、戰前デツトボールといふ和蘭人が八、九年以前からこの山頂附近の平地に鹿を放ち每年オランダ人の金持連中が鹿狩をやつてゐたが、今は鹿狩をやる人もなく、どしく繁殖し最近二萬頭位もゐると推定されてゐる晝頃ボンドウオソへ到着した、市の人口二萬二千、小じんまりした標高僅か二百五十米だが比較的涼しい處である、ブスキ州は人口約二百二十萬だが北半分はマヅラ人が多く約八十萬人を算する米、砂糖、玉蜀黍の外に島內第一の珈啡及び煙草の產地でマラン州と並んで島內有數の農產地わけても南部のジヨンベル縣及びバテユアンギ縣平原の米は西のチヤンデユール米と並んでジヤワの最優良米である、然し將來最も大きな期待をかけられてゐるのはマラン州及びこのブスキ州の棉花增產である共榮圈棉花栽培五ケ年計畫の有力なる一環としてジヤワの棉花栽培が今現地の大なる問題として登場してきた、特にジヤワの現住民の生活は食及び住が極めて容易なため衣に對する慾望は非常に旺盛なものがある、特に南方諸地域の住民の中でもジヤワ人は比較的高度の生活を營みこの結果サロン、パジユー(上着)タタン(下着)等種々の衣料の外にジヤワ更紗の如き世界的衣料工藝の發達がある、しかも戰前ジヤワの經濟はゴム、規那、茶、煙草、珈琲、カポツク等第四億圓に上る輸出農產物によつて維持されて來たのであるが この尨大な輸出農產物の活用及び適當の處理とこれに代るべき對共榮圈輸出農產物の生產は新生ジヤワの大きな使命である、然もそれは共榮圈經濟確立に永續的必要不可缺なしかも年々多量に要求されるものでなければならぬ、その條件を全く具備したものが棉花である、これこそジヤワ產業再生のために殘された道でもあらう、適度の乾期と雨量、適當の溫度、肥沃なる土壤と無限の勞働力、然も治安は完璧であり住民の棉花栽培の意欲は極めて熾烈である、かくてジヤワ棉作準備は驚くべき速度で進み、當初選定されたマラン、ブスキ兩州約◯萬町步の外に現地住民は續々適地を進言して來る有樣で、最近陸續到着しつゝある種子により三、四月頃までには豫定計畫數量を植付けることになつてゐるその外スラバヤからの沿道到る處の水田の周圍に蓖麻の植付けられてゐるのを見るがこれはブスキに限らず殆んどジヤワ全島に亘つて各州競つて◯◯噸づゝの生產目標を樹てゝ着々植付けを行ひ、好成績を舉げてゐる、記者はこのヒマ增產の餘りにも良く徹底してゐるのに驚いたのであるが此處にもジヤワの新生振りをみるやうな氣がしたのである ジヤワの村落組織 和蘭の巧妙な搾取=舊蘭印時代には原住民の最高地方行政官たるレへントなるものが和蘭政府に代つて直接原住民に對して行政を行つて來たが、この原住民理事州のもとに村長に至るまでの下部行政組織があつた、總督の命令は本部中部西部の三省へ更に省から分省へ、更に原住民理事州、郡、分郡、村落へと傳達されるが一度村長の處に入つた命令は驚くべき速さで村內に傳達され、徹底するのである住民の九割近くまでが文盲だといはれるジヤワにおいて上意下達が迅速且徹底して行はれて來たのは村落組織を和蘭が巧妙に利用して來たからである、內地の隣組より或る意味からいへば遙かに進步したものがジヤワにおいて數百年以前から行はれて來たのである、我々はジヤワを正しく知るためには村落組織とデサボリシー(村長)とを知らなければならないのであるジヤワの社會組織は有名なデサと連帶する村落共同體がその單位をなしてゐる此デサは村人の家々とそれに附屬した土地とから成る、この附屬地の(屋敷地)周りは垣をめぐらしバナナ椰子、パパイヤ等の果樹や野菜を栽培する更に多少づゝの乾田を有してカツサバ、玉蜀黍、芋類を造り、村落の周圍は廣い水田となり、米、大豆、落花生、煙草などが栽培されこの水田は牧場狩獵地とゝもに殆んど凡ては村落共同體に屬してゐるしかし乍ら村民各自への割當が決つてをり事實上それは世襲的私有財產の如く扱はれてゐる、但し東部ジヤワでは水田の個人の私有が行はれこの場合は能力に應じて土地が割られたのである、村民の村落共同體に對して負ふ義務はその身分によつて異り、その身分は次の四種に別られる 一、水田所有者でこの中には屋敷地を有するもの有しないものがある 二、屋敷地のみを有して水田を有しない者 三、家だけを持ち水田も屋敷地も有しない者 四、他家寄食するとか、住宅も土地も借りて生活する者 の四階級があり、第一の者は地租所得稅の支拂ひの外に村落に對して一週一回の村の夜警、村の灌漑水路、道路の管理、生垣の修築や庭園の管理或は年三回他村への文書配達や村の學校への寄附、村長のための勞役奉仕等大なる義務を負ふのである、この義務は第二の階級の者は輕減され第三のものは一週一度の夜警のみとなり第四のものは何らの義務も負擔しないのである、從つて永い間に住民は寧ろ負擔が公平になるといふ單純な理由から土地共有の方を好むやうになつた、今より約百年前和蘭が一八三二年から約三十五年間彼の有名な強制栽培法施行に當つて眼を付けたのがこゝである、即ち當時和蘭本國の財政は危機に瀕し折角英國から東印度を返却して貰つたものの單なる個人的農業と原住民の自用勞働のみでは本國の危機を救ふ見込みがないので時の總督フアン、テンボツシユの案出したのが強制栽培法で原住民の所有地の少くとも五分の一を政府の管理下に還き其處に歐州向け輸出農產物を作り原住民に苛酷な勞働を強制して產額を強大せしめやうとした、そしてその場合ボツシユはジヤワの慣習に口を藉りてこの政策を正當化せんとしたのである即ちジヤワの慣習上、土地所有者はジヤワの主催者であり、それは土地生產物の一定量の上納と年一定回數の勞働奉仕をなすことを條件として原住民に土地を使用させる、而してその主權者は和蘭政府であるが故にこれを原住民に強制する權利があると稱し各村について耕地の數パーセントを強制栽培地に指定するとともに原住民に多大の義務を背負はせたこれがため村落共有地を多く有する地方では始め義務負擔公平上から歡迎したが、後で氣のついた時には住民は既に餓死線上に追込まれてゐたのである、かくて土地を所有することは大なる苦痛となり速に共有地へ變更することを望むやうになり、和蘭はこれによつて益々廣大な面積を甘蔗栽培に當るとともに和蘭は直ちにこれを國有地となしたのである、かくて前記四階級のうち(一)(二)に屬するものは沒落し(三)及び(四)の貧困階級のみ殘り傳統的な社會的特色は失はれ、原住民の經濟生活は一變し、その經濟觀念は全く破壞されたのである |
04 | 賞賜物件傳達式 |
05 | 熊谷伍長慰靈祭 |
06 | 誇りな父にも 審查場に文官服の姿 |
07 | 國語報國講演大會 指導員二千餘名公會堂に集ふ |
08 | 馬匹蕃殖講習會 |
09 | 豫想以上の發展 本田嘉義市長の披露挨拶 |
10 | 彰化市の乳兒審查會 |
11 | 臺中厚生信組總會 |
12 | 青年學校の開校 曙を皮切りに擧行 |
13 | 臺南郵便局女子 從業員慰問演藝 |
14 | 南のたより 開發されてる爪哇 山の中腹までが田圃 (8) |
15 | 戰爭文學を昂揚 高雄市の文人は動く |
16 | 新化郡米穀 增產講習會 |
17 | 東港街商奉團 晴れの結團式 |
18 | 青年學校生徒 ラツバ講習會 |
19 | 高雄二女合格者 |
20 | 高雄競馬成績 |
21 | 不心得青年送局 |
22 | 地方多より |
23 | 今日の映画演劇 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 文化 先ごろ戶川 臺灣への愛/庄司總一 |
02 | 港の夕食/西山かがよ |
03 | 辻詩 建艦/梶浦正之 |
04 | 生活と文化 風流人とは? |
05 | 榮光の日/陳千武 |
06 | 圖像:洋蘭(臺陽展出品近作)/李石樵 |
07 | 義務教育の施行を祝ふ恩師の思ひで/吳新榮 |
08 | 豆外信 |
09 | 文化消息 |
10 | ラジオ |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ガ島、シヨ島爆擊 米軍に死傷損害與ふ |
02 | 敵の謀略を防遏 防空態勢を強化 警察部長會議 |
03 | 斷乎たる戰を貫徹 洪國攝政、ヒ總統と會談 |
04 | 在外邦人子弟教育協會 岡部子を會長に創立 |
05 | 國際展望 樞軸の政戰兩略全し |
06 | 反樞軸潛水艦 中立國船擊沈 |
07 | 米大統領候補 オ州知事出馬 |
08 | 敗戰に狂ふ米機の 殘虐鬼畜の行為 再び我病院船を襲擊 |
09 | 實情調查を要請(ソ聯虐殺) 波蘭亡命政權、萬國赤十字社に |
10 | 罪狀信じ得ない 波亡命政府決議を採擇 |
11 | 圖像:明日の總攻擊に備へ愛機の手入 |
12 | 佛領西印度總督 依然ヴイシー政府支持 |
13 | 米基督教會 ソ聯を痛擊 |
14 | 英機百機以上の大損害 獨防空陣鐵壁の守り |
15 | 米軍の死傷四千五百餘 アイゼンハウアーの發表 |
16 | 佛叛軍を擊散 六十三名捕虜 |
17 | 伊軍司令部發表 |
18 | クバン地區で 激戰 |
19 | 赤軍陣地に反復爆擊 |
20 | 英水雷艇を四隻擊沈破 |
21 | 國民會議派 二百名釋放 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 奉公壯年團結成一周年 進む“時代の尖兵” 神社前で團旗授與式 |
02 | “先憂後樂”で挺身 團旗下總力を集結 齋藤本部團長訓示 |
03 | 冷靜沈着が第一 遭難時の船客心得 |
04 | 思想戰の鬪士たれ 齋藤本部團長訓示 |
05 | 港都奉壯あす團旗授與式 |
06 | 熱烈な意見續出 公會堂で團長會同 |
07 | 圖像:奉公壯年團結成一周年 |
08 | 征戰完遂に集結 躍進州市の奉公運動 |
09 | 臺灣神社に參拜 皇奉中央本部幹部職員 |
10 | 基隆の記念式行事 |
11 | 肇國の理想顯現 三年目へ一段の猛進 |
12 | 港都の“金太郎” 熊に打ち克つ者は誰か |
13 | 泳ぎ廻って婦女救助 一軍人の犧牲的行為 |
14 | 共榮圈言論協力 新聞社長會議(第一日) |
15 | 臺北市防衛團 發展的解散式を擧行 |
16 | 陸軍の好意に感謝 生還した林君の感激 |
17 | 慰安演藝會開催 |
18 | 司法官會同 出席者決定 |
19 | 多大の効果收む 桔俱代表鍊成會終る |
20 | 人事.消息報社消息 |
21 | 今晚の放送 |
22 | 港都で防空映畫會 |
23 | 續く慰問部隊 |
24 | 興南案內報社消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | “隆替を決する年 治安の確保に萬全を期せよ” 警察部長招待、東條首相挨拶頭條新聞 【東京發同盟】東條首相は十九日正午全國警察部長を官邸に招待して午餐會を開催種種懇談を遂げたが席上首相は左の如き要員の挨拶を行つた。 曠古の大戰爭の真只中における帝國の國內政策は一切を擧げて戰に勝抜くことに集中せるることは申すまでもない、この秋に當り治安確保の重責を双肩に擔ふ諸君において特に考慮を要することは一億國民があくまでも必勝の信念を堅持、強靭なる闘心を以て而も明朗なる雰圍氣の裡に戰拔くことである、これがためには官吏殊に警察官吏たる者は常に溫かき親切心思遣りとを以て國民に接するとともに身を持するに嚴にして以て國民の儀表とならねばならぬのである、かくしてこそ國民の忠誠心は愈愈昂揚せられ總ゆる艱苦に堪へ總ゆる不自由を忍んで戰拔かんとする國民の結束は益益強化せられ戰力の增強に十分の期待を持つことが出來るのである尚防空に關し一言したいと存ずるが敵米英においても必死の反攻を試みることは當然でこれを擊碎して愈愈國民をして必勝の信念を固めしめんがためには國內警備の重責を負ふる諸君において總ゆる準備と計畫とを整へこれが訓練に萬全を期せられたい、申すまでもなく今後の一年間は正に帝國の隆替を決すべき重大な年である、どうか諸君はこの重大時局に對處し常に天皇陛下の官吏であるといふ自覺の下に細心の注意と果敢なる實行力とを以て適時適切而も機敏なる處置に出で以て戰時下治安の確保に又國民士氣の昂揚に萬遺憾なからしむることを切望して已まぬ次第である |
02 | 惡質經濟犯剿滅へ(內相訓示) |
03 | 決戰金融機構發揮へ 全國金融統制會初の通常總會 |
04 | 藤井軍曹に賞詞 悠悠敵二機を屠る |
05 | 為替業務の簡素化 內國決濟、日銀に集中 |
06 | 第一日の日程終る けふ地方事務の聽取 |
07 | 結成日銀總裁談 |
08 | 北支軍三月中の戰果 |
09 | 同業一體の精神(谷口次官談話) |
10 | 日、滿、華結束固し 周特使決意を表明 |
11 | 周特使北京着 訪滿の使命達成 |
12 | 在支米機一機を擊墜 小癪、北部佛印に來襲 |
13 | ソ聯婦人部隊 を組織 |
14 | 航空母艦から 昨年の東京空襲の米國飛行機 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 緊急物價對策 と其前提條件社說 一 大東亞戰爭の決戰的段階に對應、戰力の增强を圖るべく政府では今般新なる構想の下に緊急物價對策を策定、此程閣議決定を見るに至つた。右緊急物價對策の最も特徵的なものは從來の二重價格制を强化すると共に價格報奬制を創設したことにあるのであつて現行低物價政策は依然としてこれを堅持する處に政府の確固たる態度が窺はれるのである。卽ち國家の要請に基き計畫生產を遂行すべき緊要物資並に戰時生活必需物資にして真劍に國家の要望に應へんとするものに對しては適正なる生產者價格を保障すると共に更に特定物資の增產をなしたるものには特別の報獎的措置を講ずる等價格面よりする生產障碍を排除するのみならず進んで生產增强の促進に努めるもので多年の懸案である「低物價と生產增强」の矛盾性が克服される點で正に劃期的であるといふべきである。 二 大東亞戰爭の深刻なる情勢に對處し五重點產業を中心とする戰力物資の急速なる增產を圖る為め生產行政の一元化、資材、勞力等生產諸要素の集中動員が要請されてゐるに鑑み今議會で戰時行政特例法並びに戰時行政職權特例等の成立を見るに至つたが今回更に緊急物價對策の決定によつて茲に重要物資の劃期的增產態勢が備へられたものといつてよく今後は專らかかる態勢の下に於て官民協力、一路增產に邁進する外はないのである。實際政府の低物價政策に對しては從來からも「低物價と生產增强」の矛盾性の觀點から幾多の批判が加へられてゐた。卽ち單純なる價格引上論が一部事業家により主張されてゐたものであるが右の意見が極めて偏頗的であることはいふ迄もないこと乍ら一方利潤を全然無視して增產に邁進せよとの精神論一點張りもこれ又極端であるといふべきである。されば資本主義的生產機構が尚存在してゐる以上適正利潤をも度外視して增產が出來る筈はないのであるから政府の價格政策は正にこの兩者の中間をとつて中庸を行くことが必要であるが今回決定を見た緊急物價對策はかかる意味で極めて妥當にして時宜を得たものといふの外はない。 三 飜つて本島に於ても決戰第二年に對處すべく督府に於ては諸緊急物資の劃期的增產を圖る事となり旣に本年度物動計畫では右緊急物資の增產に所要なる資材を綜合的見地に基いて確保する等それぞれの施策を進めてゐるが今般又中央に卽應して價格面より增產を促進する為緊急物價對策を策定中であるがしかし本島としては右對策の實施を見るには幾多の前提條件を必要とすることいふ迄もない緊急物價對策の核心をなす二重價格制並に價格報奬制は共に嚴密なる原價計算制を必要とする關係上各部門別に原價計算準則を速かに制定する必要があらうし又勞務管理の不完全なる現狀では生產能率を高め得ないのであるからよしんば價格報奬制が實施されてゐたところで實効をもち得ないであらう。又內地に比していくらかましではあるが複雜な產業行政を一元化する為に必要な措置がとられてよいのではあるまいか。要するに緊急物價對策は現段階の價格政策として極めて必要なものであるとはいへ本島には尚前記の如く綜合的對策なくして期待通りの實効を收め得ないことを此際篤と銘記すべきである。 |
02 | 頑張れ敵も真劍だ 面目一新!!榮光輝く臺灣 記念常會に長谷川總裁放送 |
03 | 春の一夜を和かに 飛出す珍藝も決戰調 記念常會 |
04 | 悲憤と決意新た 高千穗丸殉難者慰靈祭嚴かに執行 |
05 | 熱烈火を吐く 奉壯團長會同の綜合意見 |
06 | 有事即應態勢へ 強化に州下奉壯團推進 |
07 | 東亞鐵道電氣技術協議會 四日間鐵道省主催で開く |
08 | 宜蘭消防組の解散式 |
09 | 鐵の體に興亞の魂 端午節句を中心に健民運動實施 |
10 | 圖像:御成町第十四奉公班の記念常會 |
11 | 貯蓄達成の一翼 簡保一億新加入運動五月に展開 |
12 | 宜蘭市防衛團解散式 |
13 | “體育實踐”に主眼 日體會の決戰態勢 |
14 | 海行かばを合唱 日本人ここに在り |
15 | 帆の代用にシヤツ オーバはまづ子供に |
16 | 瑞芳街防衛團並 壯丁團の解散式 |
17 | 臺北北保甲聯合壯丁團 きのふ發展的解散式擧行 |
18 | 講演と放送 木內キヤウ女史 |
19 | 「開戰の前夜」 臺劇で試寫會 |
20 | 三千浬を征服 僅か廿五噸の漁船で |
21 | 詩吟基本講習會 |
22 | 御成町青年團 新團員入團式 |
23 | 陸軍看護婦募集 |
24 | 瑞芳信組總會 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | み民の感激に起つ 台覧授業の榮に浴した兒童 國語常用に固き誓ひ |
02 | 行啟仰いで廿年 記念碑あす除幕式 |
03 | 花蓮港廳の增產譜 |
04 | 東部ジヤワの旅 皇威全島に洽し(六) ブロモの曉景は世界一海外遊記 【ジヤカルタにて十五日香中同盟特派員發】村には村長がをり原住民の選舉によつて選 ばれるが任期は終身となつてゐる、これも原住民理事官等と同じく村での個人的勢力者である警察權を有し農業牧畜の助成、村有財產の管理などの外、地租その他公課の徵收をなすからそこに稅金の上前をはねる企ても行はれることもあり課稅も次第に重くなる傾向もあつた位である、而も和蘭は巧妙にも原住民理事官の勢力を強化してその下にあるデサを直接彼に接觸せしめず夫々の村長の下に一個の共同體的存在として殘し、この村落組織及び憎習に官憲の不必要な干涉を禁じ、原住民社會を數百年來變らぬ住民の衣服の如くに外見はそのまゝしてゐるが、實際は既にそれは假面の社會でしかなくなつてゐるのである、かくして村長は和蘭の意のまゝに搾取の命令を出し續け、彼の權力は村民の總意によつたものではなく和蘭の力によつて得られたものであり表面上依然として昔の如き村長の地位にはあるが、既に和蘭政府の役人と化して了ひ彼らは自己保身のため村の利益のためより和蘭の利益のために働かなければならなかつたのである、かくするうちに皇軍のジヤワ進駐となり軍政の施行となつたが、わが軍政當局は原住民官吏の再登用を發表、縣長(昔の原住民理事官)郡長、村長を殆んど全部をそのまゝ留任せしめた、今沿道に歡呼して我々を迎へる原住民の間に混つて殆んど一二町每に日章旗の入つた腕章をつけて立つてゐる村長達は何を考へてゐるだらうか、我が軍政のジヤワ指導精神はその根本において和蘭のそれとは全く違つてゐるのである、ジヤワ軍政の真に妙味ある運營はジヤワの細胞組織體たる村落、その長たる村長を如何に教え如何に導くかにかゝつてゐるといつても過言でない、かくして今や我が軍政當局の間に新しき使命觀に立脚した村長の新しい任務が慎重に研究されてゐる所以が自ら判然とするのである 記者がいろくな問題に想ひめぐらすうちに自動車はブスキ州西部の要衝ジヨンベルへ入つてゐる、大きなコンクリート造りの葉煙草貯藏庫と精米所が眼につく、この附近四期層の火山地帶で土質軟かく煙草の栽培に適し島內第一の煙草の產地であるが、此處の煙草も輸出用の葉卷用煙草で、今共榮圈向紙卷煙草ヴアーヂニア種の栽培が慎重に研究されてゐる、此處からバニユアンギまでは有名なバニユアンギ米で知られた優良米の產地で、四十有餘ケ所の精米所の中には數百萬圓の資本を有する支那人精米所もある所だ翌二十九日午前九時ジヨンベルを出發、朝風を切つて東へ、ジヤワの最東部の街バニユアンギへ向ふやがてジヤワの最東部インジエン山群の山麓高地アンドレ山の山腹へ差しかかるさすがにジヤワの最東部だけに峠附近は豹や虎も時に出沒するといふ太古の大自然そのまゝの原始林が續き斧龯を知らざる暗黑は密林に蔽はれたラウノ山の豪快な山容林、のしかゝるやうに、原始林の彼方に悠然と聳えてゐる重疊たる山岳地常の山中で默々と道路を修繕してゐる四五人の土工と年老いた樵夫一人が、靜かに頭をたれ、奧山の浮世離れた茅屋にも心を込めた日章旗がはためいて一家總出の歡迎である、純情そのものゝ愛すべきジヤワ原住民の真の姿をみるとともに、六千浬の遠き南海の涯にまで洽き 大御稜威の下軍政の力強い滲透をしみぐと感じるのである峠を下りかける景色は明るく展け延々涯しない大珈琲樹林が綠陰樹アカシヤの下に續き、更にしも手はバニユアンギ米で有名な水田地帶となり椰子林が多くなる頃バニユアンギの町へ入る此處はバリー海峽を隔てゝ景勝の島バリー島を指呼の間に望むジヤワ最東端の町で海邊のマングローブに臨まれた夢の島バリが繪のやうに浮んでゐる、太古そのまゝのやうな帆船も浮ぶ靜かな港を視察ののち自動車はもと來た道を再びジヨンべルに戻り隱かな南の音を聽きながら此處に第二夜を過した ジヤワの上高地トサリへ 朝早くジヨンベルの街を西へ出るジヨンベル平原に展開する大水田地帶を一路西へ走る、島內有數の米產地だけに灌漑設備の良いのが目立ち美しく士手盛りされた河は運河としか思はれない、優良米の產地に附き物の奇麗な水、冷涼な空氣、美しいアツサムの並木と處處色付いた稻穗の彼方に青々と繁る椰子林、ジヤワ全島は五千萬原住民によつて手入れされた公園である、前面に珍らしくプロモ火山ガピーン(バナナ)の葉の向ふにやはらかな山容を浮かべてゐるプロボリンゴの手前でレチエス製紙工場をみる、これはバンドン近くのパタダラン製紙工場の姉妹工場で原料は無限にある稻藳である兩工場とも優良米產地の中心にあるのも面白い、プロボリンゴから一昨日通つた道を西へ、ジヤワ第一の避暑地トサリへ向ふ、霧が深くたれこめた山をくねりく急坂を上ること小一時間、一面濛々たる霧に前の自動車も見えない山頂近い道の兩側は一帶の針葉樹林となり、霧深い奧日光に遊ぶの感がある、山頂近くホテルがありブロモ火山を背後にして前にブタ、アルヂユノの連峰が聳え右手にはマヅラ海をへだてて遠くマヅラ島を望み得る景勝冷涼の地である、日本人支配人の心盡しの日本酒と水たきに久し振りに內地の冬の香を味ふ、このトサリ附近から奧ブロモ、スメル山にかけての山中には約三、四萬に上るヒンヅー教徒が住んでゐる、十五世紀の前半遂に回教徒の侵入によつてマジヤパイト王朝も滅亡し、最後まで回教に歸依することを拒んだヒンヅー教徒はこの山中に一部を殘しバリー島に逃れたのである、もとより佛跡と思はれるものは一つもない寺院すらもないのである、回教の壓迫に恐れて何物をも建築する術もなかつたのか家屋の中にも佛壇すらなく各村落の裏山などに少しばかりの石を積み上げてある そこを禮拜臺として密かに禮拜してゐたのかも知れない、激しい、宗教闘爭の最中に一群の佛教徒は此地テンゲル山中に安住の地を求め來り五百年間奧山の原始林の外界と全く離れて孤立した集團部落を造つてゐたのである、然し近年は下方からの開發も進むこのあたりに入り込んで來たマヅ人と交り混然として來たが更に奧地では今だに純然たるヒンヅー教徒のみの村落が存在してゐる「ブロモ火山に昇つて見た曉天の景色は世界一です」とホテルの支配人はいふ太古の昔から今に至るまで絕へ間なく噴煙を吐き續けるブロモ山は自然境トツサリに或る神秘的なものを感じさせる、その昔この附近の住民はブロモの靜かなるを祈り每年ジヤワ曆の七月十四日ブロモ祭りを行ひ生贄として村の美少年と美少女二人を選びブロモの噴火口に投じ入れて御山の安靜を祈つたと博へられてゐるが現在でもブロモ祭りを行ひ今は美少年美少女を形どつた人形を投じてゐる幽境トツサリの傳說はまだまた數多くあることであらう 敵降服の地シドアルジヨへ 山を下りパスルアンに引返し、パスルアン◯◯工場を視察し再びマラン、スラバヤを北上してシドアルヂヨ縣に入つた、この縣長の家こそ一年前の三月八日朝皇軍破竹の進撃の前に施す術もなく敵は遂に白旗を揭げ來り◯◯部隊長と敵東部方面蘭印軍司令官イリへン少將との劇的會見が行はれ、遂に無件降伏を申入れた歷史的の場所である三月一日未明末だ明けやらぬクラガン海岸の曉闇を衝いて敢然として敵前上陸を敢行した皇軍精銳は疾風迅雷の如き進撃を續け二日の晝過ぎ早くも◯◯地帶の中心チエツブを拔き、北海岸に沿ふて東進するものと豫期してゐた敵の意表を衝いて主力部隊は猛然南下を斷行、五日早くもナウイに入つて抑留日本人を救出、敵守備隊を武裝解除し、同日マデウンを拔いた先鋒部隊は同日夜ナンジユク附近において敵の有力部隊と遭遇激戰の後これを擊破、たちまちケルトノへ殺到したが、ブランタス河の鐵橋は既に破壞されてゐたこの時の徹底的破壞戰術を見てとつた、快速部隊の一部は敵と競走しながらブランタス河に沿ふて急南下を敢行してケデリに入り餘りに早い進撃の前に未だ破壞し得なかつたケデリ市東方のブランタス河鐵橋を確保した、かくして主力部隊はブランタス河に成功、疾風枯葉を捲く快進撃を續行先鋒部隊は六日朝にはモヂヨケルト附近に進出、六日夕方には主力部隊は既にシドアルヂヨに殺到、翌七日晝には部隊本部もシドアルヂヨに進出したのである、上陸以來僅か六日間、三百粁を一氣に突破した猛進撃の前に敵は施す術もなかつたのである、しかも敵の防備は北海岸方面がマヅラ海方面に向いたため皇軍の進撃路は全くその裏を行つた形で、シドアルヂヨの手前ポロン附近の敵要塞陣地は悉く東方乃至北方へ向ふのに皇軍は全く豫想せざる南方からこれを衝いたのである、かくして敵將イリへンは幕僚を從へてマランより來りシドアルヂヨ縣長室で會見を申入れ◯部隊長と縣長宅の一隅に對座した、イリヘンは先づ「停戰を申入れたい」と口を切つたに對し◯◯部隊長は嚴然と言渡した「停戰協定とは何か、停戰とは戰に勝つたといふのか負けたといふのか」イリンは續いて「私は軍を停戰させる權限はあるが、それ以上は和蘭本國の訓令が必要である」と自己の權限と理論を楯に取つてなかくに降伏を申出ない「貴官は東部ジヤワにおいて軍事的總指揮權を有してゐるではないか、我々は今此處で法理論を云々するものではない、日本軍はジヤワ攻略を目的としてゐる、降伏するか否かを前提とする以外、會談を續行する必要はない」この銳い一言に對してイリヘン少將は返す言葉もなかつた、かくして東部蘭印軍は遂に無條件降伏をしたのである早や夕暗迫る頃シドアルヂヨ縣廳を出てスラバヤへ向ふ、遠く水平線の彼方にまで續くブランタス大平原の青海原も五彩の雲海の彼方に沈み真紅の太陽を浴びて黃金色に彩どられ椰子の葉蔭げに夕靄が漂ひ夕暮を惜しむが如く無數の小鳥が合歡の並木に一しきり囀り飛んでゐる、一年前の同じ夕暮時この同じ路を皇軍勇士は凱歌を奏しつつスラバヤへスラバヤへと進んだのだ、あれから早や一年夢のやうに過ぎた僅か一年の間に、打續く黃金色の水田、椰の葉、アツサムの並木は今も昔も變らぬが今や路傍の一草一木に至る迄新しいアジアの息吹きと希望が滿ち滿ちてゐる逞しく健かなジヤワーケ年の成長を地下の英靈はニコヤかに見つめてゐることであらう、アジアの寶庫ジヤワの穀倉東部ジヤワの繁榮を祈りつつ、東部ジヤワ一週間の旅を終り自動車は靜かにスラバヤの街へすべり込んでゐる(完) |
05 | 皇奉の精華發揮へ 創立二周年迎へて決意新に 各地で記念式擧行 |
06 | 二兒を抱へて健鬪 軍國の妻久美さん |
07 | 司法保護委員 連絡打合 |
08 | 密植の生きた標本 驚く勿れ收穫は普通植の倍 |
09 | 炭燒きと同甘共苦 增產推進隊近く入山 |
10 | 南のたより 頭で物を運ぶ バリ島は族人必至の處 (9) |
11 | 神祇會臺南州支部總會 |
12 | 建設的意見續出 決戰生活は磐石!! |
13 | 赤誠の献金品 |
14 | 夏の蔬菜對策に 市民の一坪園藝獎勵 |
15 | 新莊青年團 藝能發表會 |
16 | 全市國語一色 意義深い國語の日 |
17 | 宮崎、池田兩義勇隊員散華 |
18 | 彰化郡街庄 臨時協議會 |
19 | さア行かう貯蓄だ 完全消化策は出來た |
20 | 員林に協議會 |
21 | 嘉義市紙小賣商 組合創立總會 |
22 | 地方多より |
23 | 第二回決算公告/東洋食品工業株式會社 |
24 | 今日の映画演劇 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 綜合食糧增產策に 高雄州下水田蔗作更に一部撤退 |
02 | 新高港の開港に對處 港灣諸施設に萬全策 副見總長談 |
03 | 最近の經濟問題 |
04 | 信用並兼營組合十七年一月末 貯金及事業分量激增 |
05 | 製糖終了 |
06 | 產業組合の現況(內地) 農民の自發的協力で貯金著增 |
07 | 船員保險及優遇 けふ遞信部で打合會 |
08 | 蔬菜類增產に 空閑地利用を獎勵 |
09 | 海綿鐵工爐 七月に三基竣工 |
10 | 經濟手帖 |
11 | 照明燈 |
12 | 商況(十九日) |
13 | ラジオ |
14 | 水滸傳(944)/黃得時;碇政彌 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 重慶空襲百十三回(六ケ年間) 敵軍事施設の破壞 一萬千百八十個所 |
02 | 重慶の迷想諭す 鮑將軍長文の通電 |
03 | ヒ總統の人と業績 誕辰前夜ゲ宣傳相絕讚 |
04 | 資金の効率的發揮 集中決濟制の骨子 |
05 | 日銀を通ずる 內國為替決濟 |
06 | 米の商船建造費 |
07 | 日、佛印の紐帶強化 相次ぐ交涉の妥結で |
08 | 久遠の獨乙のために 勇敢不敢の戰士たれ ヒ總統の誕辰、ゲ元帥布告 |
09 | 反樞軸軍の世界作戰 サリヴアン各紙上で論ず |
10 | 印度群小土侯國を合併 英の無能無策を暴露 |
11 | 圖像:雲南前線大平街附近にて攻擊する我が勇士 |
12 | チ戰線決戰期迫る 空軍は兩軍とも活潑な動き |
13 | 獨、土通商協定更新 アンカラで正式調印 |
14 | 未曾有の大激戰 クバン河口地區で |
15 | 兩國代表の公報 |
16 | 樞軸大型補助艦 ブラジル沿岸で活躍 |
17 | バ駐土獨大使 ベルリンへ |
18 | 獨大本營發表 |
19 | 敵機八機擊墜 獨空軍の戰果 |
20 | 警察部長會議 第二日 |
21 | 蘇、波關係破局的段階へ |
22 | シルア駐屯英軍 司令部移轉が |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 靖國臨時大祭迫る 參拜遺族で賑ふ社頭 |
02 | 遺族陸續入京 |
03 | 參事、參與制を設く 保護事業運營の完璧に |
04 | 戰ふ模範部落訪問記 擧村增產に驀進(一) 決戰一色.躍進菁寮部落 |
05 | 鬪ふ婦人の龜鑑 日婦で市內在住四名を表彰 |
06 | 新竹州第一回 警防團長會議 あす州會議室で |
07 | お山の警察職 員を再教育 新竹州で計畫 |
08 | 新學制の實施に萬全 中等校教務主任講習會開催く |
09 | 子の死を秘めて征途へ 新竹州下のお山に咲く軍國美談 |
10 | 本年度の事業方針 日體會の機構整備成る |
11 | 建功神社奉納 子供相撲大會 |
12 | 真摯な意見吐露 臺北市支會奉公委員會 |
13 | 遣兒達の優しい姉さんに 廿五日に桔俱部員で招待會 |
14 | 皇民修練に驀ら 呂宋で戰ふ同胞達 |
15 | 救護看護法講習會 |
16 | 敵性音盤を供 出しませう |
17 | 拓南戰士養成 講習生募集 |
18 | 立派な軍人の態度 高千穗丸船客の生存者吉田たか子さんの感激談 |
19 | 興南詩苑漢詩 晴郊/覺齋、春思四首/元煌、春遊箕園瑤韻/箕園主人 |
20 | 陸軍軍醫候補生志願者心得(下) |
21 | 人事.消息 |
22 | 今晚の放送 |
23 | 商況(二十日) |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 東條內閣改造を斷行 昨夜親任式御執行頭條新聞 【東京發同盟】東條首相は豫ねて新たなる戰局並びに客觀情勢に對應すると共に內戰力增強を第一義とする强力政治の浸透を期すベく去る第八十一決戰議會閉會後より種種構想を鍊りつつあつたが國際情勢に即應する外交施策の確立と生產增強を中核とする國內態勢を一段と強化するためここに內閣の一部改造を決意し二十日午後九時半宮中に參內天皇陛下に拜謁仰付られ閣僚更迭に關し奏請し奉つた、よつて同十時半より重光葵外務、安藤內務、山崎農林、大麻國務、東條兼攝文部の各大臣並びに天羽情報局總裁の親任式が宮中において執行はせられ同十一時情報局より別項の如く發表された 天皇陛下には二十日午後十時半鳳凰ノ間に出御、東條首相侍立の下に重光外相安藤內相、山崎農相、大麻國務相の親任式を執行はせられ各大臣に對し親任の勅語を賜ひ首相より夫夫官記を傳達した、尚東條兼攝文相の親任式も同時に執行はせられた 特命全權大使從三位勳一等 重光葵 任外務大臣 國務大臣陸軍中將從三位勳一等功五級 安藤紀三郎 任內務大臣 內閣總理大臣兼陸軍大臣正三位勳一等功二級陸軍大將 東條英機 兼任文部大臣 從三位勳一等山崎達之輔 任農林大臣 正五位勳三等 大麻唯男 任國務大臣 從三位勳一等 天羽英二 任內閣情報局總裁 外務大臣兼情報局總裁 谷正之 依願免本官並兼官 內務大臣 湯澤三千男 文部大臣 橋田邦彥 農林大臣 井野碩哉 依願免官(各通) |
02 | 內政の飛躍的充實 外交活動を更に強化 |
03 | 重光新外務大臣略歷 |
04 | 山崎新農林大臣略歷 |
05 | 大麻新國務大臣略歷 |
06 | 天羽新情報局總裁略歷 |
07 | 內務三役辭表提出 |
08 | 印緬國境戰局 典型的な殲滅戰 有利な戰略的態勢獲得 |
09 | 赤軍百六機喪失 |
10 | 一擧十三萬五千錢引上 十八年產米の政府買入價格 本島も之に即應米價を改訂 |
11 | 船舶運航率を增強 關稅法戰時特例制定 |
12 | 米重巡カンべラ |
13 | 五人家族月額一圓の負擔 適正生產者價格を保證 |
14 | 亡命政府ナチ派と斷定 ソ聯虐殺事件大詰へ |
15 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 決戰下青少年の補導社說 一 青少年は次の時代を背負ふ國の寶である共に又現代をも背負つてゐる大切な人人である。皇國の隆替を決する大決戰下の今日或ひは勤勞の戰線に動員されて生產增强に挺身し、或ひは少年航空兵、少年戰車隊、少年通信兵となり皇軍に伍して奮戰赫赫の戰功を樹てる。などを考へれば如何にこの重大時局に彼らが大きな負荷を果してゐるかが分る。然るに戰爭は青少年の犯罪を增やす、青少年は不良化の傾向を辿る、我國に於いても犯罪累增の趨勢を示し、本島も夥しい犯罪者を出してゐる真に遺憾此の上もないことである。最近六ケ年間禁錮以上の刑に處せられ新竹少年刑務所に收容された少年のみでも昭和十二年は二八一名、十三年三七三名、十四年二七六名、十五年三四六名、十六年三六◯名、十七年二八八名となつて居り其他罰金刑のもの、檢察局に於いて起訴猶豫處分を受けたもの等を通計すれば每年莫大な數に上り、しかも傳播力の强い點を考慮すれば時局下之が對策を講ずることは切實な焦眉の要務と云はねばならぬ。 二 然らば青少年不良化の原因は何か戰時下特に累加する理由は如何、物質文化の暗い半面の影響家庭の監督の不行届きは勿論見逃してはならぬ原因であるが今日の如き大戰下に於ける社會生活環境の激變は彼らの未熟な心身を刺戟しその不良化が助長せられることは交戰各國の免れ得ざる事實であり、時局下少年工の都會流入、收入の激增による浪費等はその原因の最たるもので、不良化の責任は純真な彼等の側にあると云ふより寧ろ青少年の生活を取卷いてそれを規定してゐる彼等の生活環境卽ち家庭、社會にあると云はねばならぬ。青少年を正しく健かに育て上げることは家庭の父母としての責務であるとともに國家社會の責務であり不良青少年の補導扶育、又不良化を未然に防止することは決戰下の重要課題である。しかし青少年保護は少數の保護機關のみの活動ではその目的を達成し得ず各方面の人士からの全面的協力が必要であり各自の家庭を明朗ならしめ環境を浄化し父母兄弟の真實の愛情が最も必要であることは多言を要しないところである 三 青少年の不良化を防止し積極的に善導する為め大日本產業報國では先きに政府で決定せる「勤勞青少年補導緊急對策要綱」に基いて十九日第一回產報中央本部勤勞青少年補導協議會を開催先づ關係各團體が密接に協議して青少年補導の一元化を期し「協議會」の運營に當ること、而して協議會は年二回に亘つて開く、差當り第二回目は來る五月下旬か六月上旬に開催することを決定、產報側からも「勤勞青少年共同補導設置要綱」を提出種種意見が交されたが、同要綱に依ると、同府縣產業報國會長は(地方長官)はその產報支部內の役職員、補導協議會員管內の工場指導者、補導員及び翼壯、日婦、青年學校關係者等から共同補導員を選びこの補導員をして勤勞青少年の住宅、寮、工場、公園、盛り場附近等において直接補導に當らせる補導に當つては不良化の防止と云ふ消極的な考へ方を捨てて防止は勿論善良な勤勞青少年を一層積極的に善い方へ補導する樣に力めることになつてゐる以て青少年保護の熱誠が窺はれて嬉しいではながらうか、本島に於いてもつともつと青少年補導に積極的になることを切望して已まぬ |
02 | 米機の帝都盲爆 沈默する鬼畜敵米に代つて 谷萩陸軍報道部長真相を發表 |
03 | する鬼畜敵米に代つて 谷萩陸軍報道部長真相を發表 |
04 | 敵機よ來らば來れ 一機も生還を許さぬゾ |
05 | 全比の鐵道が完通 沿線の住民.歡喜に湧立つ |
06 | “兵の家”へ心の合掌 島都奉壯遺家族を訪問 |
07 | 臺灣文學、美術奉公會 皇奉の傘下に近く結成 |
08 | ビルマの幼年學校 |
09 | 進む“ジヤワ再建” 原住民も總力を結集 |
10 | 島民の赤誠を集結 地方から献金殺到 |
11 | 十一機、將兵九十七名參加 東京空襲の元兇、口を辷らす |
12 | 臺北市青年團長會議 |
13 | 漫畫家の登龍門 移動展覽會愈よ迫る |
14 | 第十一回彈丸 切手當選番號 |
15 | ヨイコドモの 古釘献納 |
16 | 和氣教授にウ山極賞授與 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 適地適作で增產 土性調查終へて農民啟蒙へ |
02 | 前人氣に恥ぬ妙技 盛況だった藝能祭典 |
03 | 恩給を貯蓄に 國家の殊遇に報ひん |
04 | ガ島の食物戰記(一) 食へる物は食った 現地補給で戰力發揮 |
05 | 高雄藝能奉公團 雄雄しく誕生 |
06 | 戴いちゃ濟まぬ お山の產婆お禮献金 |
07 | 人情部長老人に溫い手 |
08 | 竹東街警防團查閱 |
09 | 大田澎湖廳長 吉貝島初巡視 |
10 | 志願兵を犒ふ 羽鳥市長一行訓練所を訪問 |
11 | 輝く團旗を迎へて 神前に決意を誓ふ |
12 | 新化街長左鎮庄長發令 |
13 | 健民運動に拍車 新竹州警察部實施要綱を決定 |
14 | 皇奉運動二周年 各地とも記念式擧行 |
15 | 經濟警察聯絡會 |
16 | 南のたより 享樂は思ひの外 バリ島原住民は純朴勤勉 (10) |
17 | 擧郡貯蓄總進軍 兒玉新豐郡守を先頭に |
18 | 馬公女合格者 |
19 | 優良業者の保護 經濟警察協議會に諮問 |
20 | 鼠驅除に推進班 徹底殲滅遠からず |
21 | 軍司令部(二十日級) |
22 | 地方多より |
23 | 今日の映画演劇 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 製鋼業者の損失 買取價格で補償 |
02 | 感謝袋を贈呈 食糧增產の農村へ |
03 | 最近の經濟問題 |
04 | 重點的輸送を徹底 山下運營會支部長歸臺談 |
05 | 鹽乾魚の一元的配給統制 臺灣鹽乾魚配給會社を成立 |
06 | 經濟手帖 |
07 | 臺灣パルプ聯 東京支部を設置 |
08 | 臺灣金融協議會 通常總會を開催 |
09 | 夏秋蔬菜供給策 |
10 | 內地產、鹽乾魚介類 十七年度の入荷量激減 |
11 | 日本證券取引所 設立委員卅八名任命 |
12 | 適正價格で買上 債券賣却必要者のため |
13 | 臺灣皮革會社總會 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況(二十日後場) |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(945)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 不退轉の決意を表明 政府、翼政の關係緊密化 |
02 | 內閣強化と各國反響 決戰體制更に強化(滿國反響) |
03 | 對華施策に期待(新中國) |
04 | 圖像:曉を衝いて哨戒任務に出動 |
05 | 佛印の觀測 軍政兩略の新展開 |
06 | 一切の敵性蠢動を 徹底的に剔抉封殺 畑總司令官の華北視察談 |
07 | 赤軍機の喪失 |
08 | 感謝して增產せよ 產組副會頭千石氏談 |
09 | 中共の陰謀を暴露 郝光、和平陣營に參加 |
10 | 華北建設を推進(華北) |
11 | 本島も改訂を攻究 本年二期米より實施 |
12 | 朝鮮も順應 米價引上げ |
13 | 皇國農村の建設 六億五千萬圓の財政負擔 |
14 | チユニジアの 戰況有利 總統大本營發表 |
15 | 久振りに父母に 孝行を盡したい 徐前大使歸國の心境 |
16 | 勇敢な獨哨戒艇乘組員 手榴彈で英艦隊を擊退 |
17 | 警察部長會議 終る |
18 | 双方の意見一致 ヒ總統、諾威首相と會談 |
19 | 英紙報道 印緬國境の全貌 |
20 | 英飛機製作相 悲觀的見解 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 畏し教學に大御心 全國の帝大總長を御慰勞 御陪食仰付けらる |
02 | 躍進獨逸を表象 ヒ總統五十四回の誕辰 |
03 | 戰ふ模範部落(二)訪問記 總親和總努力の範 他の追隨を許さぬ貢旗部落 臺中州の卷 |
04 | 奉公運動への協力 總務長官局部長會議で要請 |
05 | 圖像:長谷川臺灣總督陳省長を訪問 |
06 | 白敷海軍囑託の警察葬 |
07 | 勤行報國青年隊 擴充後、初の入所式 |
08 | 自給肥料を販賣 |
09 | 傷癒軍人に感謝 內臺船賃五割引き |
10 | 富田總務部長 羅東郡初巡視 |
11 | 羅東街消防組 防衛團解散式 |
12 | 旅客輸送を壓縮 集團は二ヶ月前に申込 |
13 | 警防團員の龜鑑 私情捨てて空の守りに |
14 | 產奉基隆郡 支會初總會 |
15 | 浮ぶ水田百甲步 大坪の埤圳に科學メス |
16 | 集團生活を實施 在支米英敵國人に |
17 | 勇躍壯途に上る 山の若人母の死を秘す |
18 | 一坪菜園の利用 市民に葱苗を配布 |
19 | “戰ふ心”で援護 島都分會映畫會を開催 |
20 | 銀幕で時局認 識 州下の巡回日割 |
21 | 來れ健脚の若人 青年團員長距離競走大會 |
22 | 興南詩苑漢詩 謹祝陳府姨母大人七秩榮壽/劔亭 許寶亭、羅山再晤蕭嘯濤詞兄/蔡說劍、敬次說劍詞兄佳韵/蕭嘯濤、贈內/臺南 高花村 |
23 | 健民運動打合 |
24 | 自給肥料增產週間を實施 |
25 | 宜蘭市向陽信組 |
26 | 今晚の放送 |
27 | 商況(廿一日) |
28 | 興南案內報社消息 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 山口中將に功一級 海軍關係論功行賞頭條新聞 【東京發同盟】畏き邊りでは靖國神社臨時大祭を前に二十二日第九大東亞戰爭死歿者行賞(海軍第四回)第六十六回支那事變死歿者行賞(海軍第卅回)並に第五十五回支那事變生存者行賞(海軍第十八回)各論功行賞の御沙汰あらせられ同日午前零時海軍省並に賞勳局より夫々公表された、 今回恩命に浴した勇士は死歿者は一昨年十二月八日帝國が蹶然として戰を宣して以來殉忠の至誠と卓越せる術力を以て敢然出撃太平洋インド洋、支那大陸などの各方面に奮戰昨年八月までに不滅の武勳を殘して散華せる將兵の一部及び支那事變の空中戰、陸上戰闘に偉勳を奏せる兵などである、抜群の勳とゝもに壯烈極まる戰死を遂げ殊勳甲として優賞せられたる勇士は山口多聞中將など六十六名の多敷に上るが特旨により大東亞戰爭開始以來初の功一級金鵄勳章を賜つた山口多聞中將は◯◯航空戰隊司令官としてハワイ海戰に參加敵米艦隊主力を撃摧したる後ウェーキ島攻略作戰、ポートダーウインを攻撃、ジャワ攻撃に偉勳を樹てインド洋に出撃、英空母ハーミスなどを撃沈したる後更に東太平洋方面作戰に參加熾烈極まる攻撃を敢行しつゝ艦長加來止男少將とともに從容艦と運命を共にしたのである、加來少將また武勳抜群により功二級金鵄勲章の恩命に浴してゐる、一方生存者關係においては事變地勤務の軍屬を主とし一部內地勤務者も含まれてゐる △海軍省公表 (四月二十二日) 本日支那事變及び大東亞戰爭に從事せる海軍將士に對し論功行賞の御沙汰をしたり、今回恩命に浴したる者は支那事變の空中戰及び陸上戰闘などにおいて偉勳を奏せる者並びに大東亞戰爭開始以來昨年八月に至る間において太平洋、インド洋、支那大陸等の各方面において勇戰々死せる將兵の一部にして殊勳甲として優賞せられたる者は六十六名なり內特旨により山口中將は功一級金鵄勳章、加來少將は功二級金鵄勳章を賜りたり △臺灣關係 (支那事變) 旭八賜金 雇員 陳延龍 高雄州 同 同 同 曾成業 臺北市 白色同 同 陳羅塘 新竹市 瑞八同 人夫 丁 來 臺南州 同 同 同 陳萬來 同 旭八同 雇員 陳杏全 同 同 同 同 吳發有 新竹州 同 同 同 蕭坤錄 臺中州 瑞八同 同 黃來富 同 旭八同 軍夫 賴煥麟 臺中市 賜 金 雇員 黄阿見 臺中州 同 囑託 徐光耀 同 |
02 | 山口、加來兩將軍の略歷 |
03 | 巨翼不滅の羽搏き 山口中將空中戰に數數の武勳 |
04 | 殊勳各將士の戰歷 |
05 | 加來少將の戰歷 |
06 | 安藤新內相 副總裁留任 |
07 | 重光新外相 就任の感想 日、華關係最重要の時 外交政策は變らない |
08 | 國民の環境を整ふ 治安の第一要件安藤內相の抱負 |
09 | 大東亞外交陣 近く廣汎な入替へか |
10 | 大陸政策の權威 重光新外相に期待 |
11 | 退陣の四氏 數數の功績殘す |
12 | 圖像:草原を征く皇軍於雲南前線 |
13 | 非武力の戰果擧げねばならない 天羽新情報局總裁の心構へ |
14 | 各相の事務引繼 新舊農相 |
15 | 新舊情報局總裁 |
16 | 新內相初登廳 |
17 | 翼政會機構改革か 內閣改造に呼應して |
18 | 東條文相初登廳 全廳員一同に訓示 |
19 | またオロ灣を爆擊 |
20 | 英印兵國境へ潰走 |
21 | マユ河英艦艇殲滅 |
22 | 江北の我が戰果 |
23 | 獨、英大空海戰 大西洋水域に於て |
24 | チユニジア戰況活潑化 |
25 | 奧村情報局次長辭表提出 |
26 | 悉く不時着か墜落 昨年の東京空襲米陸軍省の公報 |
27 | ホ號から飛び出す |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 產米買上價格 引上と本島社說 一 今般政府では戰力增强の緊急要請に對應するため去る十六日の閣議に於て緊急物價對策を決定、價格調整補給金制度並に價格報奬制度の活用に依り現行物質水準を堅持しつつ緊急物資の非常增產を圖る事となつたが、これが適用物資として先づ決戰下に於て最も緊急とする米穀につき十八年度產米から右補給金交付並價格改訂を行ふ事に決定した。而して農林省で決定した具體的方法として(一)實質上政府買上價格を從來の石當り四十九圓より一擧十三圓五十錢引上げ六十二圓五十錢(一俵二十五圓)となり(二)右に伴ひ標準買入價格を石當り三圓引上げ四十七圓となり生產者に對する生產獎勵金は從來の石當り五圓の外新たに十圓五十錢の補給金を交付し(三)標準賣渡價格は石當り三圓引上げて四十六圓となる。卽ち生產者に對しては石當り十三圓五十錢引上げながら地主に對しては石當り三圓の引上げしかなく、一般消費者も石當り三國引上げられたから、今後五人家族月額平均一圓の負擔しかないわけである。かくの如く政府は一方に於て農村に於ける米價引上げの要望に答へると共に戰時下に於ける國民生活をも充分に考慮して所謂二重價格政策を强化する事を斷行したのである尚情報局の發表に依れば米穀の實質上の政府買上價格引上げは今後特別なる狀況變化なき限り之を為さざる事、農家收入の增加は力めて貯蓄に振向ける事、米價の引上げに伴ひ給與、賃銀の增額を為さざる事とし、其の他惡循環の發生防止につき充分な對策を講ずる事等の方針を明かにした事は誠に當然な施策であるは言を俟たない。 二 かくの如く內地米に對する價格改訂に卽應して略同じ經濟狀態に置かれたる臺灣、朝鮮に對しても近く現行の米價を改訂する事となつたから、本島に於ては近く米管委員會を開催して本年二期米の買上價格から實施する由である。勿論本島に於ても內地と同樣に二重價格制を强化して一層農民に對する補給金の引上げを斷行するであらうが、此の際食糧局として之に附隨して取るべき政策は現在の各州廳の米穀納入組合の剩餘金を全廢さすべく籾の買上價格を適正化すべき事と一般消費者への配給價格に對してはなるべく中間費用を節約して各地に於る配給團體の利潤を一層壓縮すべきである。卽ち政府が折角莫大な國費を支出して米作生產者の收入を增加せしめてゐる今日米穀納入組合に於て多額な剩餘金を生ずるが如きは此際如何なる口實を問はず之を絕滅すべきであると共に米穀配給團體に於ても一定の配給手數料以上の利潤を貪らんとする事も到底許されなくなつた。最後に本島に於る米價は甘蔗、甘藷、小麥、落花生等の價格の標準となつてゐるから米價を動かせば同一事情下にある此等農作物の價格改訂も當然行はるであらうが此等の價格を改訂するにはよく農村の實情を調查し、所謂綜合的物質整理政策の立場から出來る丈適正化するやう充分に檢討を加ふべきである、要するに今般の米價改訂は一偏に現階段に於ける米穀增產の重大性に鑑み斷行せられたのであるから本島官民ともよく政府の意の存するところをよく得して益益增產の努力に邁進せられん事を切望して止まない。 |
02 | 盡忠の精神を振起 國民奉祝の時間は午前八時 壽ぎ奉る天長の佳節 |
03 | 今宵嚴かな招魂式 英靈神祀る靖國春の臨時大祭 |
04 | 大御心に恐懼感激 東條兼攝文相謹話 |
05 | 皇后陛下 獨大使夫妻に謁見仰付らる |
06 | 大祭式次第決る |
07 | 比島の棉作好成績 |
08 | 遺族を墾ろに慰勞 豐田大祭委員長受付、宿舍を歷訪 |
09 | 臺灣の遺族部隊 きのふ元氣で入京 |
10 | 歡びの新大臣邸 新發足早期の電擊訪問記 |
11 | 柔道南進(比島、ジヤワ) |
12 | 社會教育事業 擔當者打合會 |
13 | 大東亞戰爭以來二人目 功一級金鵄勳章に輝く山口中將 |
14 | “本當に勿禮ない” 故加來少將夫人感激談 |
15 | 舊城驛に急行 列車が停車 一日より實施 |
16 | 廣野臺灣鐵鋼 統制會長逝去 |
17 | 高等法院の強化へ 覆審部を三部に檢察官一名補充 |
18 | 誠に有難いこと 故岡田少將夫人感激談 |
19 | 夫は寡默な人 故川口少將遺族感激談 |
20 | 臺中市奉壯團 新團員入團式 あす市民館で |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 必勝態勢を確立 每月一日を“警防日”に |
02 | 新穀奉納の光榮 新竹州民赤誠の奉仕 |
03 | 高雄水利組に勤む 二同窓生の欣び 肩身が廣くなるよ 竹馬の友が時めく大臣さん |
04 | 華僑の樂業に滿悅 親切な指導と保護は有難い 馬總領事語る |
05 | ガ島の食物戰記(二) 氣味惡い蜥蜴刺身 籐の滴る水で炊爨 |
06 | 天長節祝賀會 |
07 | 軍援精神昂揚運動 臺南市の實施行事 |
08 | 高等科も窄い門 一街庄に一校設置の議 |
09 | 圖像:滿洲婦人防護團の猛訓練 |
10 | 市郡勸業課長會議 |
11 | 團旗を仰いて 挺身奉公の決意を新にす |
12 | 堆肥部落 |
13 | 上水道竣工式 |
14 | 木炭增產座談會 |
15 | 決戰意識の昂揚へ 花蓮港廳皇奉運動の重點 |
16 | 白河乳兒選獎會 |
17 | 戰力增強に集中 皇奉臺中州支部の十八年度事業計畫 |
18 | 赤誠の献金品 |
19 | “御苦勞さんでした” 敢鬪する荷役戰士表彰 |
20 | 新豐郡菓子 工業所總會 |
21 | 海野軍曹ら 名譽の戰死 |
22 | 張軍屬無言の凱旋 |
23 | 綠肥增殖品評會 出品農實組合六三五に上る |
24 | 乳幼兒選獎會 |
25 | 鹿場廻り寫真展 |
26 | 本社取次人通信員異動報社消息 |
27 | 人事 |
28 | 地方多より |
29 | 第七期末貸借對照表/株式會社民報商事社 |
30 | 今日の映画演劇 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 物價對策の諸負擔 公債發行の外なし 當面諸要務に關し中島財務局長語る |
02 | 木材生產者の 自家消費を制止 統制規則の運用に關し豐岡山林課長語る |
03 | 棉花增產計畫成る 共榮圈內各地に於て |
04 | 食糧增產に挺身 興亞勤報隊來月勢揃ひ |
05 | 山崎農相經歷 |
06 | 薪炭資源の確保 花蓮港廳十ケ年計畫成る |
07 | 故空壜の回收強化 配給統制規則を公布 |
08 | 精練工場近く操業 臺灣紡績の第一工程 |
09 | 運賃プール制 嘉義組合聯合會で計畫 |
10 | 目標達成に 造林報國週間設定 |
11 | 布板組合創立總會 |
12 | 照明燈 |
13 | 經濟手帖 |
14 | 商況(廿一日後場) |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(946)/黃得時;碇政彌 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 青木ドクー會談 協力強化に意見一致 |
02 | けふサイゴン出發 |
03 | 西貢を視察 |
04 | 日、佛印關係更に躍進 會談の重大意義 |
05 | 政府、翼政關係前進 山崎、大麻兩氏に期待 |
06 | 擧國總力を結集 獨紙の我內閣改造評 |
07 | 重光外相登場 英國政府重視 |
08 | 安藤內相專任せん 翼贊會は後藤氏昇格 |
09 | 翼贊運動に新しい息吹 |
10 | 決意を更に闡明 わが內閣改造、泰國歡迎 |
11 | ハノイの動靜(大東亞相一行) |
12 | 圖像:青木大東亞相寄臺 |
13 | 香港、廣東着 |
14 | 赤軍防衛線を突破 クバン地區、獨軍優勢 |
15 | 激鬪は續く |
16 | 原料資源で歐洲援助 新任日高駐伊大使は語る |
17 | 大東亞戰協力に邁進 陳特使訪日の感想 |
18 | 卅一機を喪失 チ戰線反樞軸空軍 |
19 | 反樞軸國の船舶 千二百萬噸喪失 一九四二年內で |
20 | 翼政民情委員會 五月一日再開に決定 |
21 | 陸軍司政長官 |
22 | 經濟主務部長 事務打合會 |
23 | これから青年の時代だ 奧村情報局次長退陣の辭 |
24 | パリ盲爆の損害 |
25 | フイリツプス 近く米に歸還 |
26 | 帝大總長會議 |
27 | 東亞醫學會 總會閉幕 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大御心に全將兵感泣 第一線に侍從武官御差遣 |
02 | 應へよ.前線の勞苦 軍援精神昂揚週間愈よあすから展開 |
03 | 英靈の佛前に花束 國民校兒童代表譽れの家を歷訪 |
04 | 護れ!兵の家 日婦支會の週間奉仕行事 |
05 | 荷役戰士を表彰 けふ遞信部で擧式 |
06 | 賞賜物件傳達式 |
07 | 戰ふ模範部落(三)訪問記 貧民部落.一躍州下一 人の和で築く埔子第三部落 新竹州の卷 |
08 | 中央市場仲買人の赤誠献金 |
09 | 新竹州視學 事務研究會 |
10 | 圖像:長谷川總督海口視察 |
11 | 青木大東亞相寄臺 十六日南方視察の途次 |
12 | “仕事の話は止めやう” 記者團にアツサリ話題をそらす |
13 | 四千圓を献金 北露店組合役員會で決議 |
14 | “賴母しい限りだ” 增田臺電社長が禮讚を一席 |
15 | 上戶黨に差等特配 酒類の配給計畫決る |
16 | 鹵獲品海軍省へ 靖國神社境內に出陳 |
17 | 廿五日に搬入 臺陽展愈廿八日に閉幕 |
18 | 飯田實雄氏個展 |
19 | 姙婦用白ネル 配給開始 |
20 | 興南詩苑漢詩 春日雜興/夢周、春日雜興 其二/夢周、春日雜興 其三/夢周、春日雜興 其四/夢周 |
21 | 南支軍に映寫機を献納 臺灣公論社から |
22 | 直潭山行 |
23 | 平和鄉に立戾る 戰火の跡なきセブ市 |
24 | 人事.消息報社消息 |
25 | 今晚の放送 |
26 | 商況(廿二日前場) |
27 | 訃文:倪蔣懷 |
28 | 興南案內報社消息 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 山口、加來兩提督 在りし日の面影 その偉業、その人となり頭條新聞 【東京發同盟】特旨優賞の恩命に浴した山口多聞中將、加來止男少將の不朽の勳こそは我等國民の永ヘに忘るべからざるものであるが一昨年十二月八日真珠灣急襲に際して山口中將は第◯◯航空戰隊司令官として艦長加來少將麾下の海鷲をして一擧にオフア島目掛けて進發せしめ敵米國艦隊主力潰滅の功を樹てた爾來同提督の率ひる戰隊はウエーキ島にアンボンにアラフラ海に更に遠く印度洋に迄出撃して敵基地及び艦艇を潰滅させた後昨年六月東太平洋方面の作戰に挺身彼我兩軍決戰の間にあつて果敢なる反覆攻撃を敢行敵空母一隻擊沈他の一隻を撃破し大巡を又擊沈し敵機百五十機以上を擊墜戰果はしきりに擧つたが自艦も亦敵機多數の攻撃を受けその乘艦は沈没に瀕した中將は總員を他艦に無事移乘せしめた後艦長加來少將と共に逆卷く波間に從容と散華したのである當時部下であつた◯◯參謀山口中將の同期生である航空本部總務部長大西少將、加來少將の同期生航空技術廠田中大佐兩提督の人となりとその偉業を交交次の樣に語つたがこの談話こそ提督在りし日の面影を一躍國民の前に彷彿たらしめて餘りあるものがある、 ◇世紀の大戰の先陣、壯擧直前山口中將凜烈の訓示 ◯◯參謀談 私は昭和十五年五月より昨年四月迄の約二ケ年直接參謀として山口中將の薰陶を受けたのでありますその間重慶に對する徹底的空襲とか大東亞戰直前の猛烈な艦隊訓練とか非常な重大時期に、故中將がある時は最高指揮官としてある時は一武將として作戰の指導、術力の練成等に精魂を傾けて苦心奮闘されたことは今尚心に銘じてゐる所であります何を申しましても故中將最大の功績はハワイ攻擊であります大空襲決行前◯◯士官室に準士官以上を集めちれ左の要旨の訓示がありました 「暴戻劣なる敵米國海軍は既に密かに策する所がある遂に今大命によつて我我は開戰劈頭ハワイを急襲するの光榮ある命を戴いた思へば三十年酷暑嚴寒を凌ぎ強風怒濤を冐し日夜練武に力めたは一に今日の御奉公を果さんがためであり今その秋は來たのである宿敵米英を洋上に見え我が一撃によつて神國の光威を示しこの世紀の大戰爭の先陣を勤めるのは實に武門の本懷これに過ぐるものはない訓練は既に成り準備既に整ふ人事を盡くし臣道の限りを擧げ今や物も人も不足はないこの誠忠とこの海軍力を提げて戰ふ以上天下何事かならざらんであるさあれ今次大戰の容易ならぬものなることは申すまでもない且つ又我の前途に寒風怒濤敵の阻止反擊等幾多困難なる障害あるは勿論なるも天は名なき戰ひに組せず天祐必ず我にあるを確信するものであります茲に杯を擧げて遙かに聖壽萬歲を三唱すると共に豫め成功を祝し諸官の武運長久を祈る」 滿座寂として聲なく凄愴の氣は室に漲つて天皇陛下萬歲の聲が湧き起つたのであります次いで故中將の發言により一同の感激は決死隊の軍歌に爆發した、歌ひ乍ら唯も涙がとめどもなく流れくる戰はずして敵を呑むの慨ありとはこの場合の光景を云ふのでありませう私生死一如國難に殉せんとする皇軍の本質を見て感激に身の震ふのを禁じ得なかつたハワイ急襲の後同故中將の滿足は思ひに餘りあり時に散華した部下の英靈に對する哀惜の情を二首に寄せ冥福を祈られた御姿が眼前に彷彿します 惜しまれて花と散りにし丈夫の功は高し南の空 常夏の島の綠と諸共に譽は朽ちず末の世までも ◇非凡の名將山口中將 海軍航空技術廠 大西少將談 山口司令官の戰死を耳にした時私は一時大艦數隻を喪失した以上の損失であるとも考へた然し大楠公の忠魂は湊川に死せるも百世千歲の後迄も無數の楠子を生みその忠誠その一志は不斷に國民精神の神泉となり來つてゐる。今日に思ひを及ぼし山口司令官も將に楠公の大遺風を汲み曠古の現大戰に當つてその大精神を顯現されたものであり我が海軍の上に絕對無限の叱咜と指揮をなされたものと拜察される司令官の崇高なる最後は改めて語らぬが特に敬服される點は敵の大軍に近逼徹底的にこれを撃破した決斷と攻擊精神の壯烈な事である最後の戰闘中は終日莞爾として平常通り艦橋に立ち全艦員の死活を泰然とその一軀一魂に擔ひ部下は又嬉嬉として死地に驅つた事實は直に統率の最善崇美の極と考へる山口司令官は大東亞戰爭勃發劈頭のハワイ攻擊より引續き行はれた各作戰に常に空母、航空部隊の中堅を率いて偉功を奏されたが、これ等は單に外面に現れた事實のみで同司令官は常に積極的な作戰を献策籌謀に參畫された蔭の功績も亦大であつた嘗て對支作戰次いで大東亞戰爭について航空部隊指揮官として近代戰を體驗したが山口中將は純真で常に明鏡止水の心境に在り習や惰性に捉はれることなく事物の現實を直視して明敏な判斷を下す能力を有してゐた而も勇敢積極的であつたが決して猪武者ではなく事をなされんとする時は非常に慎重で熟慮を重ねるが一度決心するや槌子でも動かず所信を斷行すると云ふ質の人であり言動には葉隱れ精神の色彩が極めて濃厚であつたがこれは鍋島當である母堂の教化に負ふ所が相當多いとも思はれるこの精神に加ヘて體力の向上には大いに努力を拂つてゐた昭和十五年の夏漢口で起居を共にしてゐた當時早朝起床、直ちにプールで水泳しついで縄跳びを百回やる、晝間餘暇を見出しては乘馬をやると云ふ調子で積極的の性格故武術運動に於てもやらぬものは殆んどない有樣で何かも負けじ魂と努力の結果一通り上手の域迄達してゐた最後の奮戰に現れた彼の闘爭精神とはかくの如くに永年鍛へられた體力と不撓不屈の魂によるものが多かつたと思はれるけれども強い許りではなくその半面酒を嗜む時よく飲みよく興じ然も亂れることなく時に月下「荒城の月」の等を吟する等人をも樂しましめる溫雅な廣さと春風の如き情操をも兼ぬ備へてゐたことは今は思ひ出として忘れ得ない回顧すればその崇高なる最後偉大なる功績軍人の典型たる人格などから考へ合せて古くは大楠公、又近くは東郷元師、乃木大將にも比すべきであると私は堅く信ずる次第である、要するに山口中將は非凡なる名將でありその最後は既に神であり私共とは遙かにかけ離れた崇高なる存在となられてゐた、私はかくの如き崇高偉大なる中將を親友と呼び得たことを無上の光榮と感じ遺訓に副ひたいと思つてゐる ◇海軍航空發達に盡瘁感狀四度の加來少將 海軍大佐田中保郎氏談 故加來少將の御祖先は大分縣加來庄に代代武士の道にいそしまれた由緒ある家柄であると伺つてゐる八代中學四年を終了して明治四十四年九月我等は共に兵學校に入校し相携へて切磋琢磨以て盡忠報國を誓つたのである、海軍生活三十二年間明敏なる機略と不動の信念とを以て時に兵學教官としては幾多有為の人材を訓育し帷幄に參じては籌劃その宜しきを得、指運官としては烈烈たる氣魄と卓越せる統卒とを以て任務を達成し國家に貢献するところ顯著であつた、特に故少將は海軍航空の發達に盡瘁され支那事變で平素育成した部下を率ゐて中南支の攻略作戰に武勳を擧げ支那方面艦隊司令長官から感狀を授けられること實に四度に及んでゐる、大東亞戰爭勃發するや劈頭ハワイ急襲をした後轉戰久しきに及んだが遂に東太平洋上に護國の鬼と化せられた、誠に惜んでも足りぬ心地がする、この樣な武人を我等の級から出したことに對し非常に誇りを感じてゐる加來は兵學校入校以來正義感強く己れを持すること秋霜の如く內に涙もろく情深い性格を持つてゐた、從つて部下はその感を彼の為に死をも辭せぬ覺悟を持たせられた、又家にあつては母堂に對して他所の目もうるはしい至孝の子で奧樣や御子さんに對しては誠に優しいでありお父樣であつたと思ふ、私達は加來に去られて寂しく感ぜられるが加來の戰死は必づ大楠公や軍神廣瀨中佐の如く一生報國の念願に燃えてゐることと確信する |
02 | 副總統、後藤氏昇格 政府、翼贊會愈よ緊密 |
03 | 徐良前大使に 畏し、勳章御贈與 |
04 | 青木運動に識見豐富 後藤新副總裁の橫顏 |
05 | 內務次官唐澤氏 警保局長に町村氏 警視廳監に薄田氏 |
06 | 情報局次長 村田知事を起用 |
07 | 各氏の略歷 唐澤新次官 |
08 | 町村新局長 |
09 | 薄田新總監 |
10 | 村田新次長 |
11 | 後藤新副總裁は語る |
12 | 青木大臣泰國入り 第一日の日程を終る |
13 | 情報局新陣容整ふ |
14 | 空母ホ號から 昨年の日本本土空襲 米陸軍省發表の內容 |
15 | 欣快に堪えぬ 重光新外相就任、禇氏談 |
16 | 大東亞省辭令 |
17 | 矛盾撞着に充滿 我が本土空襲失敗の上塗り 哀れ、米軍當局の姿 |
18 | 米機損害廿五 米陸軍省の發表 |
19 | 內閣改造重視 米の政界筋 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 靖國神社 臨時大祭 軍人精神昂揚に 擧島邁進せよ社說 一 大東亞戰下に三たび迎へる意義深き靖國神社春の臨時大祭は、軍事參議官豐田海軍大將を大祭委員長として昨二十二日の招魂式に次いで本二十三日から一週間、九段の淨域に於て嚴かに執り行はれる。殉國の英靈一萬九千九百八十七柱の新たに神鎭まる今次の盛儀には全國から四萬餘の遺族が參列し今はなきわが父、わが子、わが兄弟との晴れの對面に感激の胸をふるはせてゐるが、思へば支那事變勃發以來大東亞新秩序の建設に尊き礎石と散つた諸英靈の忠誠は永遠に讃へられるべく、その赫赫たる武勳は永久に傳へられるべきであらう。一死報國の誠を盡し捧げた護國の英靈の新たに神鎭まるに當り我ら一億國民は、推推感謝感激の念ひとしほ深く、遙かに諸英靈の冥福を祈るばかりであり、また聖戰目的貫徹の決意と覺悟を更に更にに固くするばかりである 二 顧みるに、支那事變から大東亞戰爭にかけて、帝國が幾多の忠勇無双なる血と生命を失つたことは惜みて餘りあることは申すまでもなく帝國皇軍の赫赫たる戰捷の蔭にかくれた殉國諸英靈の武勳こそ千載に傳へられるべく、その勇猛果敢なる活躍は正に鬼神を哭かしめ敵米英支の心膽を寒からしめた底のものであつた。尊き犠牲とは云へ、それは洵に大東亞共榮圈確立の貴重な礎石であり、薰り高き護國の花であつた。これら殉國の英靈が靖國の神と鎮まるを拜するにつけて鬼畜にも等しい憎き敵米英の擊滅にむらむらと起る敵愾心を禁じ得ない。しかしながら大東亞新秩序の建設は米英を擊滅せずんば出來ぬとだ、しかも敵米英の執拗なる蠢動は絕對に油斷を許されない、敵米英の徹底的な擊滅はむしろ今後の決戰に在ると云はねばならない。一億國民は更に更に決意と覺悟を新たにすべき秋が來たと云はねばならぬ 三 恰かも靖國神社春の臨時大祭と時を同じうして、軍人援護精神昂揚週間が實施される。護國の神を拜するとき常に偲ばれるは前線將兵の奮闘勞苦であらう。皇國のため延いては大東亞共榮圈確立のため獅子奮闘を續けてゐる第一線將兵の苦勞は、洵に想像以上であり言語に絕するものがある。彼のガダルカナル島死闘記を讀んだ者は誰しも其の勞苦の一端に觸れて慄然たる思ひをしたことであろう。斯くの如き將兵の御勞苦に對し、銃後國民は全く感謝の言葉を知らない位である。所詮憎きは敵米英、擊ちてし止まぬの氣概は一億國民を驅り立てて戰力の增强へひたむきに推し進めるであらう。と同時に銃後と前線との一體化が確立されねばならぬのである。軍人精神の昂揚はこの前線後一體化の基本である。更に軍人援護精神の昂揚はその實踐である。戰力の增强と援護精神の昂揚とは斯くして銃後國民に與へられたる義務であり戰爭完遂への協力なのである。而して戰力を增强し軍人援護に遺憾なきを得たとき始めて靖國の神に對しても或は前線將兵の御勞苦に對しても應へることが出來るのだ云はねばならぬ。 |
02 | 烏羽玉の淨闇裡に 聖なる御羽車浮ぶ 四萬の遺族只管感泣 |
03 | 清祓並本殿奉告祭 |
04 | 宮樣方も一一割當 砂糖や鹽の御日當品 宮尾知事、感激して語る |
05 | 遺族席を訪問 陸海相打揃つて |
06 | 圖像:臺灣遺族部隊入京(於東京驛) |
07 | 作れ體力、興亞の力 令旨奉讀、功勞者表彰等 多彩な行事決る 一日から健民期間 |
08 | 遺族神苑に集ふ 血の記錄に新な感激 |
09 | 尊い誇りを新たに 陸海兩相、豐田委員長遺族に挨拶 |
10 | けふ大祭第一日 遺族達が昇殿參拜 |
11 | 本島に在來文化 官民合同研究會を設置して 向上發展を圖る |
12 | 警報傳達の改正 廿五日から實施 試驗吹鳴は都合で取止め |
13 | “南の防人”として 一層の挺身を誓ふ 臺灣の遺族達嗚咽 |
14 | 健民展覽會 各市街庄單位で開く |
15 | 晴の出發を待つ 看護助手鍊成終る |
16 | 某要職に榮轉 副官部甲斐辰馬大尉 |
17 | 宜蘭市防諜 座談會 |
18 | 防諜映畫「開戰前夜」を上映 |
19 | 春季抽籤馬配布希望申込 |
20 | 急行列車、舊城に停車 |
21 | 宜蘭市錦町區會 |
22 | 人事.消息 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 仰ぐ行啟記念碑 感激の裡に除幕式 |
02 | 肉畜の增產確保に 畜產主任會議を招集 |
03 | 護れ譽の遺兒 軍援で幼兒の健康診斷奉仕 |
04 | 大溪街奉壯團の 團旗授與奉告祭 |
05 | 戰爭科學の躍進(一) 銃砲彈藥の進步に 技術者の血と汗を見る |
06 | 大溪皇奉指導者懇談會 |
07 | 明治青年校開校式 |
08 | 高雄消防署 きのふ晴れの開廳式 |
09 | 數多の健民行事 來月一日から賑かに展開 |
10 | 鶯歌防衛團解散式 |
11 | 稻田廳長ドヨン視察 |
12 | 救急法講習 醫師、產婆にも實施 |
13 | 圖像:大盈河谷の隊商路を征く我が勇士 |
14 | 學徒奉公隊長打合 |
15 | 臺南市桔梗クラブ第三回鍊成會 |
16 | 曈は希望に輝いて 給仕君熱辯に感奮 |
17 | 員林農業開校祝賀會 |
18 | 埔鹽庄協議會 |
19 | 良人に替つて嘆願 健げなお山の妻!! |
20 | 彰化郡司法保護 委員會事務打合 |
21 | 臨港鐵道陳情 方法協議 港灣協會理事會 |
22 | 赤誠の献金品 |
23 | 婦人鍊成會 鶯歌街で開催 |
24 | 決戰街道を驀ら 安定庄貯蓄總進軍へ |
25 | 澎湖廳乙巡合格者 |
26 | 倪蔣懷氏逝去 |
27 | 周氏養刀自 |
28 | 人事報社消息 |
29 | 地方多より報社消息 |
30 | 訃文:方錦芳 |
31 | 訃文:張周氏養 |
32 | 今日の映画演劇 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺灣貿易會の強化 けふ府正廳で協議會開催 |
02 | 代用食確保に 干バナナ制限の要あらん |
03 | 臺北市の配給米 籾等の混入を全く一掃 |
04 | 大東亞戰下にあける (上)產業組合の動向 |
05 | 東部電氣の統一 愈愈來月一日より開始 |
06 | 銅山勞務者の確保 福利施設の完備が必要 |
07 | 戰時住宅緊急對策 近く打合會開催 |
08 | 臺南商奉團理事會 |
09 | 商業奉公團臺中州支部 けふ事業計畫打合會 |
10 | 週間經濟の展望 |
11 | 機械油の需給對策 府當局で要綱案を打合 |
12 | 二十四日銀行臨休 |
13 | 人口は五萬以上 都市的型態具備を要す 市制施行詮議內規改訂 |
14 | 勵し合つて貯蓄 每月常會で貯蓄額を報告 |
15 | 自動車運送 組合總會 |
16 | 臺南州米納組合總會 |
17 | 籾の一粒收拾運動 生きた兒童教育として展開 |
18 | 經濟手帖 |
19 | 照明燈 |
20 | 商況(廿二日後場) |
21 | ラジオ |
22 | 水滸傳(947)/黃得時;碇政彌 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇恩ニユーギニアに洽し 御差遣侍從武官を迎へ インドシヤ人感激 |
02 | ニユーギニア爆擊 |
03 | 米國民.青天の霹靂 米政府公表の出鱈目に呆然 |
04 | 御別宴の御催し 徐良氏を犒らはせ給ふ |
05 | 圖像:新舊大臣の事務引繼 |
06 | 米の發表噓八百 米國民の失望甚し |
07 | 內閣辭令 |
08 | 愕然、色を失ふ 化けの皮はがれて ドウリツトル人氣がた落ち |
09 | 一層の協力要望 經濟部長會議席上岸商相訓示 |
10 | 挺身の意氣/肥後和男 |
11 | 興志會員、首相を訪問 東條首相訓話を行ふ |
12 | いよいよ決戰段階へ チユニジア戰線激戰 |
13 | 圖像:四天王寺の大梵鐘愈愈切斷作業始まる |
14 | クバン河口で死鬪 空軍の活躍また猛烈 |
15 | 獨空軍ア市猛爆 造船所、燃料タンク爆破 |
16 | 赤軍三百機喪失 |
17 | 樞軸軍大反擊 北阿北、南部戰線で |
18 | 反樞軸軍に甚大な損害 チユニジア東南部戰線 |
19 | 戰ふ大學の體制 總長會議の刷新要日 |
20 | イラン軍事施設 接受占領 駐イ英司令官布告 |
21 | 獨リビア戰果莫大 |
22 | ステテーン ロストツク爆擊 |
23 | 經濟主務部長 會議第二日 |
24 | 經濟部長會議第三日 |
25 | 國府軍事視察團 訪日の途につく |
26 | “木遣り”も勇しい 海軍林業開發企業隊 |
27 | 帝大總長會議 第二日 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 神鎮まる我が父に 今日ぞ御魂の對面 遺族の感激一入深し |
02 | 建功神社の例祭 奉納催物の開催順序 |
03 | 御楯の蔭に咲く 日本婦道の精華 日婦本部で輝く表彰 |
04 | 基隆市で祭粢料傳達式 |
05 | 戰ふ模範部落(四)訪問記 貯蓄何と百七十% 生產增強に驀ら蔡文部落 高雄州の卷 |
06 | 調查から審議へ 南方委員會擴大強化 |
07 | 光榮の四婦人 決戰下、善行の數數 |
08 | “傷痍軍人の妻” 島都で座談會を開催 |
09 | 南方音樂の樹立 府で蒐集品を陳列 |
10 | 高砂組の超人行動 現地部隊長が絕讚 |
11 | 決戰生活を推進 基隆市で桔俱結成 |
12 | 南北警防團幹部講習會 |
13 | 堆肥造成傳習會 |
14 | 各種運動競技會 警報發令時の處置 |
15 | 木內女史講演 第一劇場と第一高女で |
16 | 基隆で座談會 |
17 | 街頭で献金募集 遺家族懇談會開催 |
18 | 陸軍墓地を清掃 麗し.銃後の乙女達 |
19 | 蘇澳造船會社創立總會 |
20 | 健民映畫、全島巡廻 |
21 | 興南詩苑漢詩 暮春懷友六絕 高肇藩/李嘯庵、黃可軒/李嘯庵、杜仰山/李嘯庵、黃景南/李嘯庵、李石鯨/李嘯庵、李鷺村/李嘯庵、祝安田先生七十七齡壽慶/新藤鍊造 |
22 | 臺北州下視學會議 |
23 | 現地派遣職員募集 |
24 | 副官部で 筆生募集 |
25 | 宜蘭郡薪炭組合 |
26 | 團報を發行 奉壯中央本部 |
27 | 臺灣支局と改稱 |
28 | 富田町で殺人事件 |
29 | 人事.消息 |
30 | 今晚の放送 |
31 | 商況(廿三日前場) |
32 | 興南案內報社消息 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 殊勳甲四十八名 大東亞戰爭死歿者行賞頭條新聞 【東京發同盟】畏き邊りでは大東亞戰爭並に支那事變に赫赫たる偉勳を樹てた陸軍關係將士に對し第十回大東亞戰爭死歿者行賞(陸軍第七回)、第六十七回支那事變死歿者行賞(陸軍關係第四十八回)及び第五十六回支那事變生存者行賞(陸軍第四十二回)の各論功行賞の御沙汰あらせられこの旨二十四日午前零時陸軍省並に賞勳局より夫夫發表された、靖國神社春季大祭を迎へ優渥なる聖恩に遺族の感激亦一入のものがあらう、今回輝く行賞の御沙汰を拜したる勇士は死歿者においては大東亞戰爭勃發以來炎熱酷暑の南方戰線に或は支那大陸の第一線に將又滿洲大陸に活躍し赫赫たる武勳を樹て遂に征戰遂行の人柱となつた護國の勇士が大部分で一部支那事變第二次期間(昭和十五年五月七日より同十六年十二月七日まで)支那大陸において奮戰中名譽の戰死を遂げ又は不幸疫病に斃れた章士が含まれてゐる、その中金鵄勳章を授賜されたものは功四を賜はつた櫻井肇大佐以下實に二千三百七十二名の多きに達してゐる、しかして功績抜群にして特に殊勳甲の御優賞を拜したるものは敵の牙城シンガボール攻略に拔群の武勳を樹てビルマ北方に轉戰し作業隊長として奮戰敵擊砲の集中砲火の中に頑敵を擊退しながら途に壯烈な戰死を遂げた山下晴夫大尉を始め四十八名でこの中には過ぐる昭和十七年二月十四日パレンバン降下作戰に神樂天降るとその勇名を世界に馳せたわが無敵陸軍の華、落下傘部隊の小隊長として手榴彈と拳銃を持つて敢然敵を攻擊、腹部貫通の重傷にも屈せず突擊を敢行しつつ壯烈な戰死を遂げた蒲生清治大尉、獨立隊長としてパレンバン東精油所攻擊に猛火を冐して率先先頭に立つて突擊を敢行し雄雄しくも散華した長谷部正義中尉、單身精油工場事務所を占領せんとして一小隊の敵と遭遇、手榴彈二發を投じて再起不能を知るや自ら拳銃を以て頭部を射ち壯烈護國の鬼と化した鴨志田聖修曹長、或は飛行場より南進する自動車三臺に分乘せる約六十名の敵を攻撃、自動車を顛覆せしめその十五名を捕虜として武裝解除中更に來襲せる輕裝甲車と自動貨車四臺に分乘せる五十名の敵を發見之を邀撃勇戰奮闘能く眾敵擊退の因をなし壯烈鬼神も泣く戰死を遂げた谷口直行菊地喜代治兩曹長、穗登原久登伍長、對島周助兵長、その他阿修羅の如き奮戰をなし部隊本部の危急を救つた權代良二軍曹中隊の攻擊態勢を有利ならしめた山本唯雄曹長、敵戰車に飛び乘り白兵戰に斃れた青木武伍長等パレンバン攻略の勇士も含まれてゐた、また功四 旭六を賜はつた吉水戶大尉は南部 マライ攻略戰に戰車小隊長として參加、嚴堅陣潰亂の端緒を開き第二次の西住戰車長として勇名を馳せた、佐藤東一郎大尉は中部マライ◯◯◯附近戰闘に戰車小隊長として參加、敵の堅陣を突破敵約二ケ旅團を捕捉殲滅の因を樹て敵砲兵陣地を蹂躙中敵十二榴の全彈を受け戰車と共に壯烈なる戰死を遂げたのである、高城幹大尉はマライ、コタバルの敵前上陸の友軍の尊き人柱となつたものである、一方支那事變生存者として優渥なる恩賞を拜したるものは事變勃發以來支那及び滿洲大陸の地においてよくわが皇軍に協力し東亞新秩序の建設に挺身した維新政府日系文官及び中支、蒙彊の各會社の職員でその內叙勳の光榮に浴したるものは中綬を拜受したる藤中辨輔氏以下百八十四名である 大東亞戰歿者殊勳甲 功四旭五大尉山下晴夫(佐賀)功六旭七伍長森源男(長崎)、同同同相良佐久實(同)功四旭五大尉月足昂(福岡)、功五旭六曹長樋口靜雄(同)、同旭七軍曹馬場七平(佐賀)、同同同森尾啓次郎(同)、同同同江越吉次(佐賀)、同旭八兵長福澤勝美(福岡)、功四旭五中尉竹野秀房(同)、功五旭七軍曹永田三郎(福岡市)同旭六准尉原子末吉(青森市)、功四同大尉吉永戶(熊本)、功六旭八伍長折田早苗(宮崎)、功四旭四大尉佐藤東一郎(靜岡)、同旭六同原林之丞(新潟)、同同同增田虎雄(靜岡)、功五青色曹長東堤松太郎(大阪)、同旭七同翁江槙雄(鳥取)功六旭八伍長飯田輝雄(大分)、同同兵長長谷敬一(兵庫)同同伍長岩邊徹夫(福岡)、同同兵長武市瑞穗(高岡市)、功四旭六中尉三井準一(島根)、功六旭七伍長仙田一三(廣島)、同同同力石昌明(三原市)、同同兵長宮本國男(神戶市)、同同同森田春一(島根)、功四旭五大尉蒲生清治(鹿兒島市)、功四旭六中尉長谷部正義(大分)、功五旭七軍曹權代良二(福岡)、同旭六曹長行田佐久司(新潟)同同同山本唯雄(靜岡)同同准尉□屋鐵男(熊本)、同旭七曹長鴨志田耕彥(茨城)、同青色同谷口直行(大阪)同同同菊地喜代治(秋田)同旭七軍曹佐藤大八郎(同)功六旭八兵長對島周助(樺太)同同伍長青木武(旭川市)同同同岩滿昇(鹿兒島)同同同穗登原久登(廣島)同旭七兵長杉浦榮次(愛知)同旭八同增淵輝夫(東京市)功四旭六大尉赤羽昇(群馬)同旭五同高城幹(福岡) 支那事變死歿者殊勳甲 功五旭六准尉南雲正巳(新潟) 關係分 瑞八 曾添旺 臺灣臺南州下營庄 同 高清煌 同 臺南市 本町 同 郭盛水 同 臺南州水林庄 同 黃火描 同 同 將軍庄 同 吳 順 同 同 四湖庄 同 彭華欽 同 同 中埔庄 同 施性財 同 臺南市 田町 同 陳老補 同 同 高砂町 同 張瑞仁 同 同 鹽 埕 同 許望本 同 臺南市 同 楊福財 同 臺南州大宮町 同 李清木 同 同 水鹿庄 同 黃海泉 同 臺南市西門町 同 鄭海龍 同 同 清水町 同 陳添壽 同 同 福住町 同 蘇江水 同 臺南州 鹽埕 同 莊朝輝 同 同 七股庄 同 蘇來映 同 同 佳里街 同 黃用力 同 同 同 同 蘇金鐘 同 同 西港庄 同 劉保宗 同 同 同 同 陳銀調 同 同 同 同 謝榜受 同 同 七股庄 同 陳楊剪 同 同 學甲庄 同 邱萬丁 同 同 學甲庄 同 郭明甫 同 同 學甲庄 同 蔡朝寅 同 同 北門庄 同 徐登春 同 同 同 同 沈 長 同 同 下營庄 同 曾德旺 同 同 同 同 曾茂生 同 同 同 同 姜串規 同 同 同 同 曾清吉 同 同 同 同 邱萬得 同 同 同 同 周萬成 同 同 同 同 林 典 同 同 同 同 楊福來 同 同 同 同 楊茂州 同 同 同 同 郭來發 同 同 同 同 顏金鹿 同 同 下營庄 同 顏聰祈 同 同 同 同 顏竹根 同 同 同 同 顏主忠 同 同 下營庄 同 顏開見 同 同 同 同 黃明傳 同 同 同 同 王水生 同 同 鹽水街 同 陳技財 同 同 坔頭港 同 何非芳 臺灣臺南州柳營庄 同 吳榮宗 同 同 後壁庄 同 蘇 地 同 同 同 同 蘇 庸 同 同 白河庄 同 張天祐 同 同 同 同 林啓祥 同 同 同 同 翁萬潮 同 同 義竹庄 同 賴有利 同 同 水上庄 同 曾泛地 同 同 民雄庄 同 林玉爐 同 同 新港庄 同 許澤森 同 同 同 同 賴老權 同 同 溪口庄 同 簡德掌 同 同 大森庄 同 李仁發 同 同 同 同 周大國 同 同 小梅庄 同 謝自中 同 同 同 同 林圳慶 同 同 同 同 劉通利 同 同 竹崎庄 同 劉鳳山 同 同 香路庄 同 張頂榮 同 同 中埔庄 同 范老振 同 新竹州關西庄 同 陳奇才 同 臺南州番老庄 同 林祿元 同 同 民雄庄 同 林清水 同 同 東石庄 同 盧茂盛 同 同 民雄庄 同 黃安然 同 同 太保庄 同 洪水能 同 同 同 同 黃金川 同 同 北港街 同 許輝煌 同 同 同 同 許塗犇 同 同 同 同 蔡然修 同 同 同 同 李丁寅 同 同 元長庄 同 李仲杞 同 同 同 同 吳萬春 同 臺南州元長庄 同 吳 株 同 同 同 同 吳招明 同 同 四湖庄 同 林 專 同 同 同 同 吳天樣 同 同 同 同 角 配 同 同 口湖庄 同 曾俊生 同 同 同 同 陳進江 同 同 水林庄 同 李媽株 同 同 水林庄 同 張炳坤 同 同 虎尾街 同 林阿長 同 同 同 同 鐘學而 同 同 西螺街 同 張金臺 同 同 二崙庄 同 王 兜 同 同 土庫庄 同 楊 錭 同 同 同 同 賴昆壽 同 同 斗六街 同 呂丁獅 同 同 古坑庄 同 王威遜 同 同 同 同 黃復成 同 同 斗南街 同 沈金童 同 同 同 同 林朝春 同 同 莿桐庄 旭八 林清江 同 臺南市永樂町 |
02 | 文部大臣に岡部子 親任式執行はせらる |
03 | 東條內閣面目一新 |
04 | 勝利を爭ふのみ 生產と防衛に萬全を盡せ 谷萩報道部長口演 |
05 | 派遣軍週間戰況 |
06 | 敵據點臨淇に突入 敵約八萬の殲滅迫る |
07 | 黃河北岸の蔣系軍 我警備圈內に孤立化 |
08 | 海軍司政官發令 |
09 | 敵側の企圖粉碎 |
10 | 皇國の精神を 教學の上に實現 岡部新文相の初巡示 |
11 | 岡部子の政治的手腕に期待 |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 畏し勅使を御差遣 靖國臨時大祭第一日 |
02 | 不拔の戰力增強へ 皇民奉公會の統制下に 臺灣青少年團新發足 |
03 | 任意修養團體から “綜合修練”團體へ 齋藤總務長官語る |
04 | 圖像:靖國神社招魂祭 |
05 | 通信に防諜の心構 遞信部警務局奉公班に廻覧板 |
06 | 臺灣青少年團の組織 |
07 | 次代皇國民を鍊成 征戰完遂に目的集中 齋藤總監談 |
08 | 國民運動に拍車 團長山本真平氏語る |
09 | 乙女の赤心を和歌に 鍊成を終へた看護助手達が献進 |
10 | 戰車と共に散華 双眼鏡を手にしたまま 殊勳の勇士佐藤大尉 |
11 | 皇恩に唯感激 恩賞に輝く竹野中尉遺族談 |
12 | 叶ふ日頃の念願 黑澤機長の嚴父大角邸弔問 |
13 | 橋田前文相に 東大名譽教授 |
14 | 東京府軍援協議會 |
15 | 目指す四億貯蓄 皇奉婦委會主催で座談會 |
16 | 常會の指導に 皇奉で櫻井氏を招聘 |
17 | 故廣野中將の 竭したる功績 |
18 | 人事.消息報社消息 |
19 | 訃文:廣野太吉 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 讚へる先人の勳功 建功神社の例大祭に就いて |
02 | 感謝を援護で示す 各地の軍援週間初日 |
03 | 武勳南海に輝やく 高砂族義勇隊名譽の戰死者發表 |
04 | 一家の譽れてす 五郎君の遺族交交語る |
05 | 兄はよく戰つた 肉親が語る五郎君の最期 |
06 | 戰爭科學の躍進(二) 銃砲彈藥の進步に 技術者の血と汗を見る |
07 | 真新罩めての慰問 嘉義日婦支會總動員で |
08 | 早寢早起を勵行 五月常會の申合せ |
09 | 遺族を弔問 |
10 | 新竹市學校長會議 |
11 | 林軍屬竹南に 無言の凱旋 |
12 | 竹南奉壯團團旗授與式 |
13 | 殉職三警官に 基隆武澤氏から香奠 |
14 | 比島、日滿華間一般電報 廿五日より取扱を開始 |
15 | 虎井島は明朗な處 巡視の大田艦長滿悅 |
16 | 農事品評會褒賞式 |
17 | 蔬菜類出荷業者團體を結成 |
18 | 素晴しお山の藝能 觀眾、妙計に陶醉 |
19 | 向陽信組總會 |
20 | 宜蘭商議所主事に黃阿在氏 |
21 | お山の指導者 山地警察官を鍊成 |
22 | 高雄醫專の敷地 梅谷府學務課長が視察 |
23 | 人事報社消息 |
24 | 農事諸競技會授賞式 |
25 | 蒲鉾魚丸製造組合創立總會 |
26 | 地方多より |
27 | 第三期決算公告/朝日醬油株式會社 |
28 | 今日の映画演劇 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 稻作肥培管理に 今一段の努力を望む 臺中州農林課談話を發表 |
02 | “曙”の製造近く開始 專賣局臺北工場で |
03 | 大東亞戰下にあける (下)產業組合の動向 |
04 | 州下醬油工業會社創立 社長は櫻井貞次郎 |
05 | 食鳥の目減問題で 臺中州畜產會で協議 |
06 | 中平食糧局長 近く上京 |
07 | 稅務講習會 合格者決定 |
08 | 卷取式簡單包裝機購入 |
09 | 煙草專賣史出版 |
10 | 產業奉公團臺中支部打合會 |
11 | 經濟手帖 |
12 | 照明燈 |
13 | 商況(廿三日後場) |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(948)/黃得時;碇政彌 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 兩陛下英靈に御拜 一瞬.一億の民草默禱頭條新聞 【東京發同盟】護國の軍神一萬九千九百八十七柱を祀る靖國神社臨時大祭第二日の二十四日畏くも 天皇皇后兩陛下には同神社に行幸啓あらせられ新祭神を始め護國の英靈に親しく御拜あらせられ參列の遺族はもとより一億國民は齊しく大御心の畏きに恐懼感激申上げた、今日ぞわが肉身の前に畏くも天皇皇后兩陛下が御親拜あらせ給ふ光榮に胸とどろかす四萬遺族は早朝より各入口より參着、淨域の玉砂利に跪座して早くも聖駕の着御を御待ち申上げたが、午前十時御先着の高松宮殿下を始め奉り各皇族方には本殿前の御 席に御着席遊ばされ中門內拜殿前には旣に東條首相、島田海相を始め各閣僚、文武顯官、豐田大祭委員長以下在京陸海軍、各官衙、學校、東部軍各部隊の各代表など奉迎の位置に肅然として着席鹵簿を御待ち申上げた。畏くも天皇陛下には御軍裝にて百武侍從長陪乘、松本宮相、蓮沼侍從武官長、犬丸行幸主務官以下供奉の略式自動車鹵簿にて午前十時宮城御出門、御順路を靖國神社に行幸あらせられた 君が代の軍樂が神域に流れ御道筋の兩側を埋める遺族の胸に響く、この時午前十時十分叡慮畏くも境內に差しかかる頃既に御徐行遊ばされ深く頭を垂れて奉迎した遺族がぢかに仰ぎ奉る時咫尺の間聖駕は靜靜と進御あらせられる、感激の淚に拜す、龍顏の唯尊く輝かしく恐懼奉迎申上げる裡に鹵簿は中門內に進御 高松宮殿下を始め奉り 各皇族殿下、東條首相、島田海相、豐田大祭委員長以下文武顯官等の奉迎をうけさせ給ひ拜殿前に着御、櫻田大祭委員長の御先簿、東條陸相、島田海相扈從申上げ祓所に進ませられ御手洗、御修祓の御後鈴木宮司御先導申上げ本殿內御拜座に着かせ給ひ御玉串を畏くも御手に取らせられて親しく新祭神を始め護國の英靈に御拜あらせられた、この時午前十時十五分森嚴の氣淨域に滿ち滿ち參列の顯官を始め四萬遺族等肅然として拜禮、全國津津浦浦一億民草も一齊に護國の英靈に默禱を捧げたやがて 陛下には御拜終へさせられ拜殿前で再び鹵簿を整へさせられて同二十分陸軍軍樂隊の君が代奏樂、諸員奉送裡に遺族に御會釋を賜ひつつ靖國神社發御還幸あらせられた、次で皇后陛下には純白の御洋裝にて保科女官長陪乘、廣幡皇后宮大夫、小出行啓主務官以下供奉の略式自動車鹵簿にて午前十時三十五分宮城御出門、遺族席の前では特に御徐行遊ばされて御會釋を賜ひつつ拜殿前に着御豐田大祭委員長の御先導にて祓所に進ませ給ひ御手洗、御修祓の御後鈴木宮司御先導申上げ本殿內御拜座に着かせ給ひ畏くも玉串を御手に取らせられて親しく御拜あらせられた、御拜を終へさせられた 陛下には同五十五分諸員奉送裡に靖國神社を發御宮城に還啓あらせられたが參列遺族は兩陛下を間近に拜す光榮に唯唯感銘一入深く御親拜は滯りなく終つた |
02 | 從容.艦と共に沈む わが海軍攻擊精神の權化 山口、加來兩提督の最期平出大佐放送 平出大佐放送 |
03 | 平出大佐放送要旨 |
04 | 圖像:護國神社に參拜 |
05 | クロアチアと ユーゴーを承認 |
06 | 青木、ピブン會談 ヴ外相とも懇談遂ぐ |
07 | 敵重爆を捕捉猛攻 南太平洋で海鷲連日活躍 |
08 | 浙贛鐵道開通 |
09 | 林縣を完成に占領 敵首腦、包圍圈內で右往左往 |
10 | 孫殿英軍長投降 |
11 | 綜合戰果 |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 英靈鎮まる靖國に 畏し聖上が御親拜 聖なる一瞬.全國默禱 |
02 | 龍顏を咫尺に拜す 四萬の遺族、感淚滂沱 |
03 | 到る處日章旗翩飜 賴母し、臺灣の協力の成果 南支視察を終へて長谷川總督歸臺 |
04 | 物淒い“臺灣協力” 山內警務局長語る |
05 | 臺灣神社、護國神社參拜 飛行場から直ちに |
06 | 聖恩の宏大に感泣 |
07 | 蠶糸功勞者表彰式 畏くも閑院總裁宮殿下が台臨 有難き令旨を賜ふ |
08 | 忠魂に捧ぐ赤誠 六百萬島民感謝の一丸 |
09 | 圖像:名譽の家に赤誠捧ぐ |
10 | 武運長久を祈願 安藤軍司令官護國神社に參拜 |
11 | 遺族を懇ろに弔問 腕章鮮か島都奉壯の赤誠 |
12 | 新竹神社で感謝祈願祭 |
13 | 海岸で地曳網 軍人家族を招待 |
14 | 鍛ふ體に興亞の魂 功勞者表彰と競走會 臺北州の健民期間 |
15 | “名譽の家”に額く ヨイコドモ花束携へて |
16 | 軍援強調講演第一劇場で |
17 | 臺北帝大工學部 科目四、學生數八十 安藤總長談 |
18 | 人的資源の確保 量的にも質的にも |
19 | 新京忠靈塔參拜 |
20 | 本能的な野獸性 “英國銃後より戰線への便り”に 遺憾なく發揮 |
21 | 日清從軍會 本年度總會 |
22 | 島都城北防衛團解團式 |
23 | ル大統領の息子擲らる |
24 | 全支司法檢 察領事會議 四日から三日間 |
25 | 故廣野大吉氏の遙弔式 |
26 | 興南案內報社消息 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 一家一門無上の光榮 行賞に輝く遺族の感激談 |
02 | 英靈に赤誠の感謝 嘉義で遙拜式擧行 |
03 | 決戰生活の指標 廢品更生展開く |
04 | 賞賜物件傳達式 |
05 | 現地の惡疫撲滅に萬全の施設 |
06 | 志願兵を激勵 ヨイ子供達から慰問文 |
07 | 慰問演藝會 |
08 | 慰安會を開催 高雄州下の日割 |
09 | 敵擊滅の意氣 素晴らし硬貨回收の成績 |
10 | 增產は堆肥から 甲當り三萬斤を目標に 新化郡乘出す |
11 | 培ふ不拔の鬪魂 皇奉臺中支部五月の事行 |
12 | 警防分團長會議 |
13 | 炭燒戰士を激勵 竹村新化郡守山奧へ |
14 | 殊勳甲とは勿體ない 落下傘小隊長蒲生大尉遺族感激談 |
15 | 南部マライの西住 吉水大尉壯烈な戰死 |
16 | 戰勝一點に集結 模範部落建設の尖兵 大肚山道場で鍊成 |
17 | 埔里家政女 晴れの開校式擧行 |
18 | 奉壯團員入團式 |
19 | 高雄工業化の前提 工業用水道愈よ成る |
20 | 國講所を刷新 不解者一掃へ |
21 | 業態別組合 新豐支會總會 |
22 | 林邊橋完竣 地方民達大喜び |
23 | 增產褒賞授與式 |
24 | 彰化市特殊防護團 あす訓練を實施 |
25 | 米增產講習會 |
26 | 臺中州藥業組合聯合會 |
27 | 貯蓄講演會 |
28 | 南崁信組總會 |
29 | 斗六郡鼠退治 十日間に四萬匹 |
30 | 頭分國民學校 作法室落成 |
31 | 團旗奉戴日 東國民校で |
32 | 鳳山郡下國民 學校相撲大會 |
33 | 福興信組總會 |
34 | 地方多より |
35 | 今日の映画演劇 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 必勝生活を語る座談會 出席者 |
02 | 全國民に要求される 衣食住への創意と工夫 |
03 | 圖像:嘉義公園(第九回臺陽展出品)/陳澄波 |
04 | 生活と文化/小林洋 |
05 | 阿Qといふ男(一)/世外民 |
06 | 辻詩 私は拜んだ/加藤介春 |
07 | 散文詩 地上の星座/劉亞典 |
08 | 義務教育を讚へる窄き門の思ひで/黃啓瑞 |
09 | 佳里白柚吟社句集 題、花白柚、春灯 入學、若草 |
10 | 文化消息 |
11 | ラジオ |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 同光大勳章を奉呈 禇特派大使けふ參內頭條新聞 【東京發同盟】畏くも天皇陛下には曩に中華民國國民政府主席汪精衛氏に對し大勳位菊花大綬章を御贈進あらせられたが、今回國民政府より天皇陛下に對し奉り同國最高勳章たる同光大勳章を贈進申上げる事になり目下來朝中の同國外交部部長褚民誼氏は特派大使として隨員、特命全權公使張超、外交部亞洲司長薛逢元氏並之外交部秘書徐義宗氏を隨へ二十六日宮中に參內天皇陛下に謁見仰付けられ同勳章を奉呈申上げる事になつた、この日褚特派大使は坊城式部官の迎引を受けて午前十時十五分宿舍帝國ホテルを出發、宮內省差廻しの自動車にて隨員一行と共に宮中に參內徐良大使と共に鳳凰の間に參進畏くも、天皇陛下には親しく褚特派大使に謁見仰付けられ褚特派大使は恭恭しく御前に參進同光大勳章並に汪主席よりの親□を奉呈申上げる次いで天皇陸下には張超氏等隨員一行にも順次謁見仰付けられて入御、褚特派大使一行は恐懼御前を退下同十一時過ぎ宮中を退下する豫定である |
02 | 大敵一萬殲滅迫る わが精銳捕捉猛擊 |
03 | 大部隊の投降必至 敵將續續投降又は捕虜となる |
04 | 敵二千を潰亂 死物狂ひの反擊 |
05 | 長期戰も我に有利 戰捷三要素より檢討 谷萩報道部長談 |
06 | 西蓮寺部隊の戰果 |
07 | 低空銃擊を加ふ 一萬の大敵右往左往 臨淇爆擊同行乘記 |
08 | 果敢.決戰政治を推進 政府、翼政、翼贊三位一體化 |
09 | 敵全く支離滅裂 |
10 | 皇軍に捧げよ感謝 奉壯團主催の軍援昂揚講演會 |
11 | 公如庸少將を捕虜 |
12 | 共同方途に意見一致 青木、タイ首腦部會談 |
13 | 依然激戰續く チユニジアの戰況 |
14 | 獨軍戰況公報 |
15 | 北師機構改正 |
16 | 水利組合長並 役職員再鍊成 |
17 | 建功神社奉 納卓球大會 蓬萊國民校で |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 寺澤挺進隊の決死行 寡兵、敵重砲陣地を爆破 |
02 | 第二第四群遺族昇殿參拜 靖國臨時大祭第三日 |
03 | 戰ふ模範部落(五)訪問記 全島一の早期完納 傳統一變.お山の安通部落 花蓮港の卷 |
04 | 大御心に應へ奉らん 藤村新竹州知事感激談 |
05 | 遺兒達に樂しい一日 島都桔梗部員が招待 |
06 | 尊い體驗談批瀝 傷兵勇士の妻にもの聽く會 |
07 | 令旨奉讀式擧行 廿七日市民講堂で |
08 | 釣友會の白衣勇士慰問 |
09 | 遺兒に社頭對面の感激聽く |
10 | 兩神社に參拜 東亞海運基隆出 張所の銀輪部隊 |
11 | 永樂町の火事 |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 鍛へ興亞の體力 健民運動近く實施 |
02 | 援護の完璧期して 相談役に女指導員配置 |
03 | 林產戰士の表彰 殊勳甲には數多の副賞 |
04 | 國語家庭認定書交付式 |
05 | 戰爭科學の躍進(三) 光學兵器、無線の進步 生產方式また飛躍す |
06 | 鳥松州民道場 九月に開場の豫定 |
07 | 製糖步留向上 |
08 | 自給肥料 增產打合 |
09 | 警察官強行軍 |
10 | サルタンの子息も整備員に |
11 | 宜蘭市の移動展 |
12 | 乳兒選獎會 |
13 | 黑鮪漁活況 水揚高三六三本に上る |
14 | 宜蘭市果實蔬菜類出荷組合 |
15 | 燒夷彈防護講習會 |
16 | 福間事務官視察 |
17 | 敢然溺兒を救助 健氣な婦人の行為 |
18 | 臺灣荖葉、檳榔 組合創立總會 |
19 | 田圃除草に鍛ふ 彰化郡の婦人鍊成會 |
20 | 馬鳴山取扱所の廢止見合せ 秀水信組總代會 |
21 | 林溫如氏逝去 |
22 | 人事 |
23 | 地方多より |
24 | 訃文:林溫如 |
25 | 訃文:羅碧玉 |
26 | 今日の映画演劇 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 文化 全島民に要求される 必勝生活の確立 帝都權威者の座談會に聽く |
02 | はつなつ/王碧蕉 |
03 | 阿Qといふ男(二)/世外民 |
04 | 演劇運動への一念 “楠氏一族”の公演を終へて/張柏齡 |
05 | 辻詩 くろがねの御ふね/福田正夫 |
06 | 圖像:姉妹(臺展畫集)/鄭安 |
07 | ビルマのことわざ |
08 | 豆外信 |
09 | 文化.消息 |
10 | ラジオ |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 天皇陛下に謁見 禇特使、同光大勳章を奉呈 |
02 | 國民政府に御禮電 |
03 | 敵四機を擊墜破 陸鷲零陵(湖南)に進擊 |
04 | 建甌飛行場を爆擊 |
05 | 行惱む援蔣路線 重慶の窮狀加速度に昂まる |
06 | 圖像:佐藤侍從武官ニユーギニア實視 |
07 | ブナ米陣地を空襲 |
08 | 國際展望 米の魔手頻りに動く |
09 | 犯罪に應報は附き物 米人飛行士の處刑獨紙、米の論理を一笑 |
10 | 侯游擊校隊長 捕虜となる |
11 | 重點且つ即効主義 決戰即應の國土計畫 |
12 | 圖像:磯谷香港總督と懇談の青木大東亞相 |
13 | 當然の措置 伊紙我が處斷を支持 |
14 | 大物を起用せん 後任駐華大使慎重に銓衡中 |
15 | 稅關執務時間變更 |
16 | 反樞軸避難民 會議失敗に終る |
17 | 暴虐.野戰病院等に 計畫攻擊を繰返す 西南太平洋、敵空軍のゲリラ蠢動 |
18 | 米軍撤退を要求 アイルランド共和軍 |
19 | チユニジア戰 戰車二百卅を喪失 反樞軸軍の總攻擊空し |
20 | 獨軍戰況公報 |
21 | 米空母レ號を擊沈(獨潛水艦) |
22 | 作戰の主導權 依然獨軍が掌握 赤軍ノ市南方で局地的攻勢 |
23 | 南阿聯邦政府の 印度人迫害運動 |
24 | 米レ中將負傷 |
25 | 印度人土地所 有禁止法案 全印度に衝擊 |
26 | 印度政廳緊急令の無効宣告 |
27 | インド人會代表 南阿首相に要請 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 執る筆も決戰構へ 臺灣文學、美術兩奉公會 近く晴れの結成式 |
02 | “傳統婦道”を顯揚 征戰へ一段の寄與 日婦臺北州支部理事會 |
03 | 思想戰に擧州一丸 民間の有力者を混へて 北署で防諜座談會 |
04 | 靖國神社に御成 孝宮和子內親王殿下 |
05 | 殊勳の寺澤挺進隊 諸勇士の家庭に聽く感激談 |
06 | 兄弟で武勳を競ふ 寺澤挺進隊長母堂談 |
07 | 日下部中尉 副官部へ |
08 | 神祗會臺灣本部總會 |
09 | 軍需工業が悲鳴 米セ工場の同盟罷業 |
10 | 軍事援護最高調へ 繰展ぐ銃後の熱誠譜 一高女生遺兒を慰問 |
11 | 基隆商議所 議員總會 |
12 | 遺家族と傷痍 軍人に金一封 |
13 | 一家一門の名譽 加藤京一伍長嚴父談 |
14 | 村の模範農家 高橋兵長の留守宅 |
15 | 建設途上のマライ 砂田陸軍軍政顧問の土產話 |
16 | 白衣勇士慰問演藝 |
17 | 米穀增產の捷徑 自給肥料の確保から |
18 | 七堵方面の出征 軍人遺家族慰問 |
19 | 大陸進出者 講習會開催 |
20 | 佛教も征戰協力 七月初旬に青年大會 |
21 | 軍國婆さんで有名 木下正光上等兵の母堂 |
22 | 杭州、金華間の鐵道 復舊完成双方より處女列車進發 |
23 | 譽れの軍國家庭 古田上等兵の實姉談 |
24 | ウインザー飛 行機工場罷業 |
25 | 肉豚、畜牛增產打合 |
26 | 按摩料も丸公 業者に料金表 |
27 | “營團のねらひと實際”發刊 |
28 | 印度回教聯盟年次大會 |
29 | 臺電人事異動 |
30 | 今晚の放送 |
31 | 興南詩苑漢詩 謹次洪元煌先生還曆書感原四首/廖柏峰、謹次洪元煌先生還曆書感原四首 二/廖柏峰、謹次洪元煌先生還曆書感原四首 三/廖柏峰、謹次洪元煌先生還曆書感原四首 四/廖柏峰 |
32 | 商況(廿六日前場) |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 河北殘存の蔣系軍 完全殲滅時間の問題頭條新聞 【山西南部太行前線二十六日發同盟】普冀豫省境の第二十四集團軍約八萬二千の撃滅作戰は行動開始以來僅か一週間にして臨淇盆地を中心に我が各精銳は敵を隨所に包圍し鐵環を壓縮して二十六日拂曉來敵殲滅の猛擊を開始し河北殘存蔣系軍の擊滅作戰が愈愈最終段階に到達した、この間我が現地軍並に隣接部隊は新編第五軍軍長孫殿英を始め第二十四師長午瑞亭、第四十軍遊撃技隊長侯如庸を投降せしめる等赫赫の戰果を擧げ戰況は極めて有利に進展してゐる一方第二十四集團軍は我が猛進に次ぐ猛進に食糧補給の暇もなく飢餓狀態に陷り敵兵中には餓死者續出しこれ以上の抗戰は最早全く不可能視される窮狀に陷つてゐるこれがため二十六日拂曉を期して展開された我が最後の猛攻と相俟つて敵大部隊の完全殲滅は時間の問題となつた |
02 | 殲滅戰最終段階へ |
03 | 恐懼感激の至り 禇特派大使謹話 |
04 | 防戰の餘地なし 捕虜孫中佐の敗戰談 |
05 | 米、濠南進路を脅す 神出鬼沒わが鐵鯨の猛威 |
06 | 大東亞辭令 |
07 | 圖像:畏し天皇陛下靖國の英靈に御親拜 |
08 | 同生共死の進擊 中國戰士我が作戰に協力 |
09 | 太行作戰の綜合戰果 |
10 | 第四十軍掃蕩戰 判明せるわが戰果 |
11 | 捕虜と投降者激增 國府參戰を契機に |
12 | 敵第廿四集團 擊滅戰の戰果 |
13 | 昭南の活氣橫溢 青木大東亞相語る |
14 | 三物資赫赫の增產 岸商相より增產感謝狀を授與 |
15 | 青木大臣一行 昭南に到着 |
16 | 蘭貢市內を視察 バ長官らと會談 |
17 | 油斷ならぬ今後の 米國空母陣の增強 |
18 | 緬甸行政府に 金一萬圓寄贈 罹災者見舞金に |
19 | 大藏辭令 |
20 | 朱子銘將軍部下を率ひて 和平陣營に參加 山東中部の敵大動搖 |
21 | 回教徒聯盟、強硬決議 印度人土地所有禁止法反對 |
22 | 政府、內閣顧問會議 |
23 | 新京特別市制 十周年記念 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 稅關手續の簡素化社說 一 戰時下最も緊要とされてゐる船舶運航効率及港灣荷役力の增强を圖る為政府では去る第八十一議會を通過した戰時行政特別法及許可認可等臨時借置法に基き關稅法戰時特例を制定、稅關の執務時間及臨時開廳の特例に關する勅令と共に近くこれを公布、五月一日より實施することになつた右關稅法戰時特例は戰時中の臨時措置として關稅法の規定に實質的改正を加ヘ稅關手續の劃期的簡捷化を圖る趣旨の下に制定されたものであるが戰時行政特例法の最初の發動たる點に於て大いに注目されてよいのである。從來に於ける稅關手續の煩雜さが如何ばかり港灣荷役の澁滯さを通して船舶運航効率の低下に作用してゐたかは改めて絮說する迄もない處であつて今般戰時行政特例法の最初の發動として右特例が制定されたのも極めて當然なことと謂はねばならない。さきに行政職權特例等に基き港灣行政の綜合運營に關する應急措置が決定されたのも全く同一事情に基くからに外ならない。 二 港灣行政の綜合運營に關する應急措置は周知の如く總理大臣は當面の生產擴充上重要なる港灣を指定し當該關係地方長官をして中央各所管長官よりの訓令に基き地方各港廳關係官廳に對して必要なる指示權の行使を可能ならしめ以て港灣行政の綜合調整を圖るにあるが關稅法戰時特例はあく迄縱に部分行政の簡素化を斷行せんとするものである。卽ち港灣行政の橫斷的綜合運營は各種行政の縱斷的簡素化を伴はない限り真に實効を收め得るものではなくかかる點に鑑みれば稅關行政以外の港護行政にも簡素化が要請されるわけであるとはいへ港灣行政の中稅關手續の複雜さが比較的港廳荷役に强く作用しゐる現狀では稅關手續の簡素化こそ最も望ましいものと言つてよく今般の措置はかかる意義をもつものと解すべきである。港灣行政の綜合運營といひ或は又稅關手續の簡素化といひこれらは何れも應急乃至臨時措置ではあるといヘ港灣行政の一元化たる究極の目標へ一步前進した點で注目に値するわけである。 三 飜つて本島を見るに港灣行政は勿論のこと稅關手續とて極めて煩雜であり平和時の狀態を脫し切れないされば先般荷役增强週間の實施に際してその簡素化が强く要請された結果督府では前記戰時特例の實施を見る迄の便法として去る一月に行政措置による稅關手續の全面的簡素化を斷行したのであるが右戰時特例の島內施行により愈よ法的根據を附與され更に强化されるわけであるしかし稅關手續の簡素化は前記の如く港灣行政の一元化と並時的に行はれてこそ意義あるものなるが故に卽ち二者は內面的に結びつけられてゐるが為に港灣行政の綜合運營乃至一元化は何等かの形で、早急實現されて來なければならない。督府に於ても內地に卽應して近く具體的措置を講ずるものと傳へられてゐるが旣に右の問題は以て前からも論議され具體的な試案まで出來てゐることであるからして此際港灣行政の綜合運營を一擧斷行することは割合容易なことであるといつてよい。 |
02 | 豪膽、敵中に着陸 修理後、審かに敵狀を視察 林業部隊長機、悠悠と歸還 |
03 | 海軍科學の殊勳甲 昨日晴れの表彰式擧行 |
04 | “尚武剛健”を昂揚 武德祭演武會四、五兩日に擧行 |
05 | あす感激の昇殿參拜 譽れの臺灣遺族部隊 |
06 | 大祭第四日 |
07 | 鵬翼に“不屈の鬪魂” 黑煙濛濛として全島を敵ふ バタアン航空戰記 |
08 | 宜蘭市の天長節奉祝行事 |
09 | 一石二鳥の“野外常會” 新竹州支部で五月より開催 |
10 | 賞賜物件傳達式 |
11 | 慰安映畫會盛況 |
12 | 前線で悠悠大發明 効果百%“航路角補助指針器” 砲手永山上等兵の手柄 |
13 | 督府定例局部長會議 |
14 | 部落會幹部鍊成會終る |
15 | “御國の寶を健かに” 赤ちやんの體力檢查を改正強化 |
16 | 感激に胸膨ませて 勳の遺兒元氣で歸臺 |
17 | 新竹州の建艦献金に 一匿名者本社に金一封寄託報社消息 |
18 | 圖像:防諜座談會 |
19 | 自給肥料增產懇談會開く |
20 | 榮の入選者發表 けふ下見會開く |
21 | 有力者と懇談 藤村知事の型破り初度巡視 |
22 | 薪炭生產組合總會 |
23 | 除毒方法に凱歌 菓子の原料、富貴豆登場 |
24 | 時局映畫盛況 |
25 | 獸肉營業組合總會 |
26 | 科學研究費の割當決る |
27 | “決戰下の婦人” 木內キヤウ女史 北一女で講演 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新竹市の區劃計畫 人口三十萬目標に樹立 |
02 | 貴重な石炭だ! 各團體の指導がお零れ蒐集運動 |
03 | 溪湖街協議會 |
04 | 英靈追悼法要 花蓮港女講堂で嚴修 |
05 | 戰爭科學の躍進(五) 醫學、藥劑研究の驚異 糧食の考察亦日本獨自 |
06 | 赤誠の念願叶って お山に初の白衣天使 |
07 | 州事業に慎重態度 先づ部課長會議で檢討 |
08 | 宮尾知事巡視日程 |
09 | 社會教育書記打合會 |
10 | 溫軍屬の 芎林庄葬 |
11 | 優良部隊幹部 鍊成會終る |
12 | 奉公街道を驀ら 五月の常會指導街庄 |
13 | お薩を作れ! 數數の獎勵法を案出 |
14 | 農產集荷打合 |
15 | 高雄市水道擴張竣工式 |
16 | 廢品ルーズベルトとチヤーチル |
17 | 一萬人健步大會 二日の日曜日に敢行 |
18 | 健康な體を鍛へよ 五月常會の申合五つ |
19 | 梅樹盜伐者 |
20 | 高雄の健民行事 |
21 | 赤誠の献金品 |
22 | 木炭增產懇談會 |
23 | 產業奉公會嘉義市支會 役員銓衡終へて成立 |
24 | 增產彰化郡 郡民は斯く鬪へり |
25 | 消息 |
26 | 地方多より報社消息 |
27 | 今日の映画演劇 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 十七年度國民貯蓄增加額 三億五千百十八萬圓に上る 見事に目標額を突破 |
02 | 水產統制近く實現 須田局長打合に上京 |
03 | 日本蠶糸製造會社 創立、社長に片倉氏 |
04 | 中國の戰時經濟(上) 生產增強を中心に展開 |
05 | 臺灣皮革總會 配當年三分 |
06 | 蔗作の水田撤退 臺中州で割當會議開催 |
07 | 製糖終了 |
08 | 臺灣貿易會再發足 北、中、南支等に支部設置 手數料率一分五厘に決定 |
09 | 勞務管理懇談會 暉峻博士を中心に開く |
10 | 現下の食糧事情 |
11 | 甘蔗及砂糖價格 米價改訂に伴ひ對策講究 |
12 | 臺中州材木商同業者組合總會 |
13 | 砂糖滯貨漸減せん 最高千三百萬擔突破 |
14 | 臺中州麥類 配給組總會 |
15 | 經濟手帖 |
16 | 照明燈 |
17 | 商況(廿六日後場) |
18 | ラジオ |
19 | 水滸傳(489)/黃得時;碇政彌 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 戰力增強に集中 決戰中の全島地方長官會議 來月十三、四兩日開く |
02 | 赤軍反攻脆く退敗 獨空軍の攻勢熾烈 |
03 | 圖像:印緬國境インデン前線 |
04 | 米國二機擊墜 |
05 | チユニジアの戰況 |
06 | 獨軍發表戰況 |
07 | 日本の脅威強調 ゲルー前駐日大使 |
08 | アフリカの決戰場 チユニジア地方 |
09 | ソ、波外交關係斷絕 ソ聯政府の通牒要旨 |
10 | 兩國破局に至る迄 寄合世帶の醜態暴露 |
11 | 日本は餘裕綽綽 國府軍事視察團入京談 |
12 | 火焰高く噴上る 米空母擊沈の狀況 |
13 | 青木大臣の南方訪問 各現地に感激を與ふ |
14 | 在昭南記者團と會見 |
15 | 國家至上の要請 產業報國の誠を致せ 三物資增產完遂慰勞會、商相挨拶 |
16 | 亡命波蘭政權 緊急閣議 |
17 | 米戰車工場の 罷業惡化 |
18 | 皇國農村確立の促進へ 農村總務室設置 |
19 | 定例閣議 |
20 | フイリツブス 華盛頓へ |
21 | 軍隊工場占領 を斷行か ルーズヴエルト 罷業鎮壓に苦慮 |
22 | 赤軍士氣昂揚 生產增強を激勵 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 各皇、王、公族妃殿下 皇后陛下の御內旨を奉じて 女性の活動振御視察 |
02 | 閑院總裁宮殿下台臨 日赤五日に有功章御授與式擧行 |
03 | 戰ふ模範部落(六)訪問記 不屈の農民魂に生く 苦鬪に凱歌.譽れの山脚部落 臺北州の卷(完) |
04 | 天長節奉祝式典 新公園で嚴肅に擧行 |
05 | 圖像:皇后陛下靖國神社に御拜 |
06 | 基隆神社天長節祭 |
07 | 皇軍の親切に感謝 ビルマ○○基地の空軍捕虜座談會 |
08 | 軍援昂揚講演 あす公會堂で |
09 | 燃える防衛の意氣 新竹署防衛團初查閱 |
10 | 赤誠の慰問品 臺北陸軍病院の受付 |
11 | 御禮金を寄贈 高千穗丸遭難當時の殊勳者謝君 |
12 | 軍馬慰問部隊 |
13 | 團旗の奉戴式 天長の佳節に擧行 |
14 | 貯蓄戰も同生共死 私達にもさせて下さいと在臺華僑赤誠披瀝 |
15 | 桔俱第十回鍊成新部員募集 |
16 | 鹿港信組總會 |
17 | 木內女史講演 城南技藝所で |
18 | 基隆郡下の幹線四道路 愈よ本年度に擴張工事着手 |
19 | 區裁判所廳舍の更生 地元の公共、公用に夫夫提供 |
20 | 防諜紙芝居 脚本を募集 |
21 | 建功神社奉納競技會開會式延期 |
22 | 產婆學說合格者 |
23 | 高雄競馬第六日の成績 |
24 | 興南詩苑漢詩 芳山懷古四首/山本柳塘、暮春懷友補作二絕 林述三/李嘯庵、暮春懷友補作二絕 楊嘯霞/李嘯庵、小病口占/李嘯庵、詩癖/李嘯庵 |
25 | 今晚の放送 |
26 | 商況(廿七日前場) |
27 | 興南案內報社消息 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵第二十四集團に 潰滅的打擊を與ふ 現地軍戰果を公表頭條新聞 【普豫省境前線◯◯二十七日發同盟】山西、河南省省境各地に敵第二十四集團軍を殲滅しつつあるわが現地軍並びに隣接諸部隊は二十四日に至り遂に第二十四集團主力を臨淇周邊地區に捕捉擊滅せしめて赫赫たる大戰果を擧げ引續き敗敵掃蕩中であるが現地軍では二十七日午後三時次の如く中間戰果を公表した 現地軍公表 現地軍は旣報の如く隣接軍と協同して去る廿三日敵第二十四集團軍主力を山西省外臨淇周邊地區に捕捉包圍し二十四日に至りこれに潰滅的大打擊を與へたり爾後軍は引續き敗殘彷徨する敵を河南山西省境山地內に急追し所所に擊滅すると共に敵根據施設を覆滅し該作戰の效果を徹底的ならしめつつあり二十六日夕までに判明せる主要戰果は敵遺棄屍體約三千捕虜約七千外に鹵獲品多數に達せり、尚本日までの敵捕虜並びに戰死者中將官級は軍長孫殿英以下十名の多きに上り華北における蔣系軍の潰滅を如實に物語るものと言ふべし |
02 | 我包圍猛攻に總崩れ 孫殿英投降の模樣內村准尉語る |
03 | 重點生產を敢行 日經聯の總會岸、賀屋兩相講演 |
04 | 山西作戰最終段階に入る 蔣鼎文「第二の衛立煌」に轉落 |
05 | 李仙州部隊三千 完全に粉碎さる |
06 | 累計七百三十億圓 事變以來の國民貯蓄 |
07 | 杉山上等兵 の豪膽振り 單身絕壁を攀登る 味方の危機を救ふ |
08 | 青木大東亞相 部隊長と懇談 |
09 | 反樞軸陣營の對立暴露 太平洋作戰に關する論爭 |
10 | 大東亞相の動靜 |
11 | 三菱重工業總會 |
12 | 「重慶國際突擊隊」 逃亡外人の仕末に窮して組織 |
13 | 地方部長級の異動 |
14 | 厚生省關係人事 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 長期戰に有利 生產と防衛 が最大任務社說 一 敵側抗戰力の正體が米國で、英國、重慶ともに米國に依存して戰爭を繼續してゐるに過ぎぬが、然らば米國の生產力は如何、敵を知り己を知るの見地から大本營陸軍報道部長谷萩少將は、之れに檢討を加へその脆弱性を揚抉した、卽ち米國の生產力はルーズヴエルトの教書によれば、一九四三年は飛行機十二萬五千臺、戰車七萬五千臺、高射砲三萬五千門、船舶二、三◯◯萬噸となつてゐる、併しこれは單に目標であつて實際はその六割を出來れば上上である、先づ我が南方地域占領に依り今までこれらの地域に依存してゐたゴムは全然米國に流入せず、その他鐵、錫、アルミニユーム、水銀、雲母等の鑛物資源に大缺乏を告げ、しかる所要の勞力就中熟練工の不足に惱み人的資源も充分ならず、早くも人の問題で行詰りを呈してゐることが想像される、また米國で出來た兵器を英國、重慶、ソ聯に運ぶのは船であるがこれも樞軸側潜水艦に依り擊沈されるものは月平均百萬噸、やがては擊沈量が米英の造船量を超過することとならう。米國の生產力が戰力として現はれるには長い歲月を要し、長期戰に於いても我に有利なることが判る。 二 敵米英は、緒戰以來今日まで戰場に於ける、我が武力の如何に强靱そのものであるかを痛切に體驗してゐる。深山、溪谷、密林の間に酷熱、濕潤、惡疫猖獗の中に寡兵克く頑敵を封殺し而も長きに亘して發揮せる我が武者張りには敵も恐怖、戰慄を禁じ得なかつたのである卽ち米國輿論はかかる强敵日本と戰ふとは不可能であると悲鳴を擧げたのである。從つて敵は擊破し難き第一線で力づくで奮戰に努むるよりも、寧ろ銃後を攻撃するのを有利とし、彼等が近き大陸の基地より又は航續力ある飛行機で、洋上の基地から我が本土を空襲しようと企て、又ゲリら的蠢動に依り敗戰を糊塗せんと焦り、惡虐非道の限りを盡してゐるのである、米軍が南方戰場で我重傷兵を戰車を以て轢殺し、白晝國際に基く標識ある病院船を再三爆擊する暴狀は、天人俱に許し難き鬼畜の行為である。彼等のこの性根を叩き直す以外に世界平和の道なく、我等はこの觀點に立ちたぎる擊滅精神を彌が上に昂揚すべきである 三 谷萩少將の喝破せる如く、この世界大戰爭は莫大な兵器の消耗を伴ひ、しかも日に月に進步した新しいものを短時間に多量製造しなければ、第一線の戰力に影響するのである。卽ち生產者が戰闘の推進者であり、戰爭の端養者である所以で、生產は物と人との總乘積就中人の問題は重要で人の問題は結局魂の問題にかかるのであるから、今次の戰爭に於いては精銳なる軍隊以上に鍛鍊されたる國民を要するわけで、銃後國民は「國士防衞」と「生產增强」に最善を盡さねばならぬ。目下ビルマ、ニユギニア、ソロモンの戰線では飛行機を最も必要としてゐる。我我が國內で米麥等を增產し、或は玄米食の勵行、又は代用食の併用等に依つて節米を實行し、外米依存から脫却すればそれだけ多くの飛行機が出來、第一線の戰力となるのである。殊にわが臺灣は一層米、甘藷等食糧の增產に精進すべきである征戰は前途尚遼遠にして多難我等は行住坐臥常に如上の谷萩少將の口演要旨を念頭におき、一人の怠慢、一日の徒食もなく決死奉公を盡すべきである。 |
02 | 竹の園生の彌榮 一億民擧つて壽ぎ奉る 天長佳節午前八時島民奉祝時間 |
03 | 畏き內皆を奉じ 粉身碎骨を誓ふ 安藤內務大臣謹話 |
04 | 恐懼感激の至り 相川實踐局長謹話 |
05 | マニラの隣組結成大會 |
06 | 白衣勇士を御慰問 東久邇宮妃聰子內親王殿下 第三病院に台臨 |
07 | 救濟委員會を設立 敵國在留邦人家族に |
08 | 只管恐懼感激 水野日婦副會長 謹話 |
09 | 膝を交へて懇談 藤村知事.州治を聽取 |
10 | 令旨奉讀式を擧行 きのふ島都公會堂で |
11 | 軍用機資金献金 煙草値上の利益金 |
12 | 南海の空に繰展ぐ 本島青年の敢鬪譜 御民われの感激新た |
13 | 二宮尊德先生も南進 ジヤカルタのヨイ子供に教調 |
14 | 靖國へ空から參拜 無敵陸鷲の大編隊 |
15 | 六日間の諸神 儀無事終了 |
16 | 南の備へは磐石 濱崎高雄州警察部長談 |
17 | 錦上に花を添ふ 健民運動.體協の行事 |
18 | 警察青年校入學式 |
19 | 田中畫伯の作品鑑賞展 |
20 | 皇奉臺中市支會常會 |
21 | 人命救助の報酬 無敵海軍へ赤誠献金 |
22 | ドウリツトル 這這の態でカルカツタ到着 |
23 | 義勇軍晴れの 渡滿壯行式 |
24 | 皇奉本部定例部長會議 |
25 | 臺中州で軍事 援護會講演會 |
26 | 宜蘭醫院增築竣工 |
27 | 物資輸送懇談會 |
28 | 羅東郡で慰安會を開催 |
29 | 蓬萊糖業會社 |
30 | 人事往來 |
31 | 訃文:曾仁超 |
32 | 訃文:廣野太吉 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 譽の高砂義勇隊員 吳鎮特別陸戰隊司令から表彰 |
02 | 父さんと固い約束 大きくなつたら仇を打ちます 譽れの遺兒の感激談 |
03 | 作れ、頑丈な體 健民週間行事いろいろ |
04 | 鬪ふ譽れの遺家族 魂、技術の修練道場 花崗山の授產場訪ねて |
05 | “銃後の便り” 花蓮港警務課 近く發表 |
06 | 宮尾知事巡視 |
07 | 州民は健鬪してる 增產貯蓄とも逞しい努力 福田產業部長談 |
08 | 兵志願者 豫備訓練 |
09 | 員林街協議會 |
10 | 屏東市藝能祭 |
11 | 學園の決戰體制 教育關係者凝議決定 |
12 | 家庭に眠る資源 奉公班動員して回收 |
13 | 竹南街奉壯團 團旗拜受式 |
14 | 35萬頭 今一息のところ 促進に生豚增殖競技會 |
15 | 彰化の街頭移動展 |
16 | 赤誠の献金品 |
17 | 產組實務競技會 |
18 | 親身も及ばぬ看護に 病める誓の家族は安か |
19 | 築地郡守 譽の家慰問 |
20 | 焚船施設一元化 |
21 | 植林奉仕に樂しい一日 播付けた銀合歌の種子十餘石 |
22 | 北港博愛醫院總會 |
23 | 木炭小賣人 組合總會 |
24 | 責務は重大だ 佐藤バス所長病推して敢鬪 |
25 | 齒科醫師會員林 郡支部結成式 |
26 | 糞尿殺菌施設工事地鎮祭 |
27 | 永靖信用購買販賣利用組合 |
28 | 高雄競馬第七日成績 |
29 | 地方多より報社消息 |
30 | 第六期決算公告/屏東交通株式會社 |
31 | 今日の映画演劇 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 米價改訂に伴ふ糖業對策 齋藤長官を中心に協議 |
02 | 事務の簡素化に 勞務調整令施行規則改正 |
03 | 統制手數料徵收規程 五月一日より愈よ實施 臺灣貿易會 |
04 | 中國の戰時經濟(下) 生產增強を中心に展開 |
05 | 簡保の加入運動 本年度も更に積極的展開 |
06 | 航空協會第一回理事會 |
07 | 臺銀券又も新記錄 三億三百卅八萬圓に躍進 |
08 | 臺灣金融協議會 第一回通常總會開催 |
09 | 島內產組貯金(三月十五日現在) 二億四千萬圓に肉迫 |
10 | 各社の產糖實績(三月末迄) 平均步留一一%六八 |
11 | 艀船能率の向上 荷役委員會で擴充促進策 |
12 | 去年に劣らぬお薩 ここにも擊ちてし止まむ農民魂 |
13 | 帽子檢查事務打合會 |
14 | トラツク組 合通常總會 |
15 | 市街地信組 規模は農村の四倍 |
16 | 蠶糸增產殊勳甲 四千八百餘名を表彰 |
17 | 中平食糧局長 空路にて上京 |
18 | 照明燈 |
19 | 商況(廿七日後場) |
20 | ラジオ |
21 | 水滸傳(950)/黃得時;碇政彌 |
序號 | 標題 |
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01 | フナフチ島を攻擊 ソロモン方面強襲 我海鷲活躍 |
02 | エリス群島を占領 米の發表に英啞然 |
03 | 英領エリス諸島の概貌 |
04 | 東條首相參內 |
05 | 葉將軍謁見仰付らる |
06 | セメント工業 の整備進む |
07 | 圖像:チズエの戰跡を視察するビルマ方面陸軍最高指 揮官河邊中將 |
08 | 總攻擊失敗に歸す 反樞軸軍作戰計劃變更を企圖 |
09 | 民族對策と食糧確保/平貞藏 |
10 | 米新航空母進水 |
11 | 米バナマ政府に 權益の一部移讓 |
12 | 隨所に反擊展開 樞軸軍頑強に抵抗 |
13 | 總ての野心を破壞 同盟國「鐵の塊」を構成 日高駐伊大使の着任の辭 |
14 | 圖像:獨潛水艦に擊沈された米航空母艦レーンジヤー號 |
15 | 赤軍新陣地に撤退 レ市地區に強力な楔 |
16 | 伊軍の發表 |
17 | 米海運局長官 船舶增產を揚言 |
18 | チユニジア 作戰の特徵 |
19 | 反樞軸陣營大狼狽 ソ聯、亡命波政權と關係斷絕 |
20 | 寄合世帶の缺陷 遺憾なく暴露 英彌縫策に苦慮 |
21 | 赤軍機十七を擊墜 |
22 | 若人を凌ぐ元氣 日清從軍會員の老勇士 臺灣神社に戰勝祈願 |
23 | 豐田委員長 病める遺族を慰問 |
24 | 英米紙、斷交を重視 |
25 | 亡命ポ政權に 內閣改造要求 英國政府が |
26 | シコルスキー 英首相と協議 |
27 | 慰問演藝會開催 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 物淒い慰問袋献納 前線銃後熱鐵の一丸 |
02 | 築く必勝の防諜陣 官廳、會社、有力者が會合 南署で座談會開催 |
03 | 圖像:日清從軍會員臺灣神社參拜 |
04 | 眼下に巨彈の嵐 見る見る內に白煙濛濛 メラウケの爆擊同乘記 |
05 | 熱帶醫學會例會 |
06 | 戰ふ模範部落 あす天長の佳節に表彰 |
07 | 日本留學生 ジヤワて銓衡試驗 |
08 | 港都華僑壯年 團結成式 |
09 | 暴英百年の垢を落すビルマの水祭り |
10 | 皇國の傳統を顯現 文學奉公會あす結成 |
11 | 臺灣美術奉公會 發會式は五月五日 |
12 | “體と魂”の鍊磨へ 佳節に銃劍術試合 |
13 | “海の勇士”慰安場 港都に船員宿泊所 |
14 | 鷄卵一千個を献納 |
15 | 姙婦無料診療 健民運動に協力 |
16 | 基隆で野球爭霸戰 |
17 | 興南詩苑漢詩 春日陪梓舟、雲滄兩詞兄遊箕園並貽劍亭吟兄正可/詩瓢、題箕園壁兼似劍亭詞兄一粲/小維摩、春興/黃景南、敬次景南兄龍峒閒居原玉/王養源、次韻和景南龍峒閒居/莊幼岳 |
18 | 基隆名物の豚祭廢止 |
19 | 奉壯團講演取止め |
20 | 今晚の放送 |
21 | 商況(廿八日前場) |
22 | 興南案內報社消息 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 圖像:奉祝聖壽萬歲 |
02 | ガ島血戰の實相○○中佐語る 皇軍の盡忠精強(上) 天長の佳節銃後に贈る國民必讀の記錄頭條新聞 【東京發同盟】酷熱瘴癘の南太平洋最前線ガダルカナル島に挺進せる皇軍精銳が去る二月上旬戰略的轉進を完了するまで數ケ月の間連日連夜の敵空爆と絕間ない銃砲火の洗禮を浴びせられ襲ひ來る雨とマラリヤに惱みつつ剩へ糧食彈藥の缺乏に耐えて千古未踏のジヤングル地帶に展開した死闘の狀況は既に「決死の傳令貝沼軍曹」「寺澤、中澤挺身隊」等報道班員の手記によつて銃後に傳へられ多大の感銘を與へたが更に今其真相がガ島第一線にあつて直接この悽愴な作戰を實行し先程內地に歸還した○○中佐により二十八日陸軍省記者會において語られ銃後に新たた感激の渦を喚び起したのである、敵と三十米の距離に相對峙する塹壕內の將兵が昨年十二月畏くも聖上陛下戰勝御祈願のため伊勢神宮に御親拜あらせられたとの報道を壕から壕へ口傳へに傳へ聞いて感泣する狀景、砲彈の炸烈する最中にも每朝缺かすことなく軍人勅諭を高らかに奉唱する骨と皮ばかりに瘦せ細つた兵の姿、身は飢えつつも第一線の戰友に食べさせたい一心から輸送の途中米俵を背に絕命した兵の狀景等その語られた一齣一齣は皇軍將兵の世界に冠絕する盡忠精强ぷりを餘す所なく傳へ涙なくしては讀めぬものであり然もその疲勞困憊の兵隊が只管銃後の樣子を氣遣ひ、その安泰を知らされて「我我は死んでもいい」と喜ぶ心情に至つては正に銃後國民の肝に銘ずべき所であつて真に日常生活の不平不滿等一語でも言へる筋合でないことが判るのである、これは大東亞戰下再び壽ぐ天長の佳節に當り陸軍當局が銃後に贈る國民必讀の記錄である |
03 | 駐華大使の後任 谷前外相を起用 |
04 | 親任式を御擧行 |
05 | けふは天長の佳節 聖恩邊土に洽し 長谷川臺灣總督謹話 |
06 | 御稜成を讚へ奉る 安藤臺灣軍司令官謹話 |
07 | 固く忠誠誓ひ奉る 皇奉中央本部長齋藤樹 |
08 | 初の行政查察使 鈴木國務相を任命 |
09 | 樞密顧問官に 平生釟三郎氏 |
10 | 青木大東亞相 最高指揮官訪問 |
11 | 昭南を出發 |
12 | タチンに着く |
13 | 禇民誼氏歸國 |
14 | ヴアルヤム銃殺 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 天長の佳節 を迎奉りて社說 一 皇威八紘に洽く、大東亞建設の步武堂堂と四海を壓する世紀の黎明輝く裡に、民一億は本二十九日畏くも第四十二回の芽出度き天長の佳節を迎へ奉る。米英擊滅の大東亞戰下、大御稜威の終として八紘に光被し聖恩邊土に洽く、國威隆隆として全世界に顯揚されつ つある秋、謹みて聖壽の彌榮を壽ぎ奉ることは、決戰下御民われらにとり洵に無上の光榮であり、無限の喜びと感激を覺める次第である。顧れば聖戰すでに七年に及ぶが、陛下におかせられては、軍國の御機務益益御繁忙に渡らせられるも、玉體彌彌御健かに萬機を御總攬遊ばされ、痛く帝國の隆替を御軫念遊ばさる。洩れ承るだに畏きを極みで、一億民草の真に恐懼感激に堪えないところである。今や我が肇國の大理想八紘一宇の具現、大東亞共榮圈の建設は着着進捗し、神威洽く行き亘る大東亞十億の民もまたけふの佳き日に浴して、大東亞共榮の黎明に歡喜し、御稜威をたたへ奉つてゐることと信ずる。 二 本年の天長節は、本島の赤子にとり更に一段と感激の深いものがある。と申すのは、今上陸下なほ攝政宮殿下におはします大正十二年畏くも本島へ行啓あらせられてより早くも滿二十年を迎へたことである。當時殿下を奉迎申上げた國民は、今やいづれも社會中堅層として決戰下の臣道實踐に邁進しつつあるのである。更に近くは陸軍特別志願兵制度實施の恩典を垂れさせ給ひ、又災害に際りては屢次御內帑金を御下賜遊ばされ、昨年十一月には、畏くも戶田恃從を本島に御差遣遊ばされ、優渥なる聖旨を傳達せしめられ、決戰下の島內實情を視察せしめらるるなど聖慮の廣大無邊只只感泣の外はないのである。謹んで拜察するに、陛下には御政務御軍務共に御心勞を極めさせらるるにも拘はらせられず、本島民草の上にも深き御軫念を注がせ給ふ至仁至愛の乾德聖慮のほど、洵に畏き極みで、御民われの光榮と有難さに六百萬島民は只只恐懼感激の念を新たにするばかりである。 三 今や皇威八紘に洽く皇恩四海を遍照し、全國民擧つて皇室の御仁慈御恩澤に感泣して深く盡忠奉公の誠を以て聖戰完遂に邁進してゐる現狀は、正に聖代の感激云ふべきである。しかしながら敵米英の必死の反抗阻害は期せねばならず、前途尚千障萬難あるを覺悟しなければならぬ秋、特に大東亞戰爭以來飛躍的に加重せられた本島の使命は、益益その重要性を深めたが、我らはこの聖代の感激を以てこの光榮ある任務完遂に愈よ渾身の力を效さねばならない。卽ち御民われの感激と熱誠を以て、或は譽れの醜の御楯となり、或は建設戰士として、將又國內の產業戰士として、米英擊滅の第一線に挺身し或は聖戰完遂の戰力增强に邁進することが皇恩の萬一に報い奉る所以である。本日の佳節に當り、全島六百萬島民と共に遙かに東方を拜し皇室の彌榮を祝し奉ると共に聖壽の萬歲を壽ぎ奉り、愈よ決戰下の覺悟を新たに皇謨を翼賛し奉る全島民の忠誠を固く誓ひ奉る次第である。 |
02 | 戰勝に輝く天長節 聖壽萬歲を奉頌 完勝に擧島一路邁進 |
03 | 天機愈よ御麗しく 玉體彌上にも御健勝 |
04 | 三殿で天長節祭 |
05 | 宏遠の聖旨に感激 恩赦概況に關して岩村法相謹話 |
06 | 令旨奉戴記念日 結核豫防會で講演會 |
07 | 靖國神社參拜 中國國軍視察團 |
08 | 社頭對面の感激新た 遺兒達を圍む座談會 |
09 | 新生マライの建設 良妻賢母の教育から |
10 | 皇國の底力顯現 賴母しい軍援週間の銃後點描 |
11 | 山野百粁團體行軍鍊成大會 來月廿三日に決行 |
12 | 桔梗運動變化なし 女子隊の基幹として責務加重 青少年團の皇奉移管 |
13 | 防諜座談會 |
14 | 參拜遺族を優遇 交通局で割當取扱實施 |
15 | 一生懸命頑張る 常會指導者櫻井氏の抱負 |
16 | 興亞十八塾の塾生 新竹州から二名銓衡 |
17 | 軍援臺灣本部に金百圓寄附 北一女報國校友會 |
18 | 堆肥製造競技會の賞金献納 江子翠保甲聯合會 |
19 | 人事.消息 |
20 | 訃文:黃謙 |
21 | 今日の映画演劇 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 天長の佳節を奉祝/森田俊介 |
02 | 健民生活の指導 保健組合聯合會乘り出す |
03 | 真摯な創意を凝集 廢品更生品展入賞者 |
04 | 團旗の下に誓ふ 花蓮港市奉壯團團旗拜受式 |
05 | 圖像:戰線に活躍する軍用犬は傳令のみでなく傳書鳩や銃彈まで運ぶ |
06 | 遺家族懇談會 |
07 | 雜穀栽植獎勵 優良種子を無料配付 |
08 | 配給合理化 豆腐から試む |
09 | 同胞の仇討つべし 敵愾心山谷に滿つ |
10 | 四億貯蓄へ邁進! 目標貫徹目指して州民總たち |
11 | 夕社の專一君 決意を語る 鬼畜米英討つて 叔父の靈を慰めん |
12 | 鬪ふ林業增產戰士 きのふ晴れの表彰式 |
13 | 海山郡の 時局講演會 |
14 | 木灰蒐集運動 嘉義市貯藏溜を設置 |
15 | 司法講習會 |
16 | 婦人水稻除草鍊成會 |
17 | 民眾指導には 情理を盡せよ 生活部會議に於る知事の挨拶 |
18 | 市立商工專修の 州移管正式決定 |
19 | 畫劇講習會 |
20 | 佐藤巡察部長の 警察葬 |
21 | 澎湖廳貴賓館落成式 |
22 | 馬公―通梁間 定期乘合自動車運轉 |
23 | 歷史館再開 |
24 | 北港朝天宮 媽祖春祭 |
25 | 宮尾知事 新任披露 |
26 | 葬祭の豚肉 特配まつた |
27 | 露店協和會總會 |
28 | 地方多より |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺灣產業を再編成 各種法令の制定着着と進捗 |
02 | 臺鐵の輸送狀況 輸送距離著しく延長 |
03 | 州廳物資統制協議會 來月六日高雄で開催 |
04 | 戰時下臺鐵の變貌 (上)計畫輸送更に強化 |
05 | 佛印の戰時體制 各部面に亘つて強化 |
06 | 臺灣貿易振興 幹部社員發令 |
07 | パインの汁より 造酒原料を製造 合同鳳梨近く企業化 |
08 | 臺灣青果會社 市場出張所を設置 |
09 | 本島油脂工業 統制會不加入に決定 |
10 | 米等に硫安を增配 |
11 | 基隆にドツク建造 交通局の計畫事業 |
12 | 新竹州種苗業組合 あす創立總會 |
13 | 星野水產課長 打合を終へて歸臺 |
14 | 臺灣青果會社 四市場業務を代行 |
15 | 照明燈 |
16 | 商況(廿八日後場) |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(951)/黃得時;碇政彌 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 圖像:大本營親臨の大元帥陛下 |
02 | 大元帥陛下親臨 代代木原頭で天長節觀兵式擧行頭條新聞 【東京發同盟】大御稜威燦として大東亞の空を光被する佳辰、聖壽の無窮を壽ぎ奉る天長節觀兵式は二十九日畏くも 大元帥陛下の親臨を仰ぎ奉り若葉薰る代代木原頭に於ていと壯大嚴肅に擧行された、諸兵指揮官中村孝太郎大將の下在京部隊精銳數萬と戰車數百臺、機械化部隊の粹を網羅、大空には安倍定中將指揮の數百臺に上る新銳飛行部隊が參加して無敵皇軍の威容を中外に顯示したのである、空を蔽ひ地を壓する皇軍の威容を眼の邊りにした十數萬の陪覽者は齊しく感激の涙に咽び儼たる皇軍の雄姿に無限の信賴を高め聖壽の萬歲を心の底から奉唱したのであつた 大元帥陛下にはこの日午後一時三十五分陸軍御軍裝に大勳位副章、功一級金鵄勳章副章御佩用蓮沼侍從武官長、松平宮相、百武侍從長、木戶內府以下側近並に淺野行幸主務官供奉の略式自動車鹵簿にて宮城御出門、御順路を代代木原頭に行幸、同一時五十七嚠喨と鳴り響く「君が代」の中を御先着の高松宮殿下を始め奉り各皇族方、東條首相兼陸相以下列立の文武顯官の奉迎を受けさせられて式場に臨御、同二時二分御愛馬「初雪」に召させられ諸兵指揮官中村孝太郎大將各皇族殿下、東條首相、杉山參謀總長以下各將星、外國武官等を從へさせられ東部第四部隊佐野莊兵衞曹長の捧持する燦然と輝く天皇旗を先頭に尾形侍從武官御先導申上げ蕭蕭と廣い式場に進ませられ莊重なる君が代の喇叭、捧げ銃の劍光燦たる中を擧手の體を賜ひつつ各部隊精銳を約二十分間に亘り御閱兵、同時二十三分御馬上の御英姿も颯爽と玉座に立たせ給へば諸兵指揮官中村孝太郎大將の軍刀一閃、茲に豪壯なる分列式は開始された、代代木原頭に響き渡る軍樂隊の「扶桑の曲」に步武堂堂と大地を蹴立てて御前を進みに進む陛下には畏くも一一擧手の禮を賜ふ、大東亞の戰線に無敵皇軍を進め給ふ 大元帥陛下の大御姿愈愈神神しく仰ぎ拜す諸兵の感激は茲に極まり張り裂けんばかりの號令は相踵いで頭右の各隊が我を忘れて御馬前を行進する、步兵部隊に續くは精銳戰車部隊、地軸も裂けんばかり轟轟と無限軌道を鳴らしそれに續いて士官學校自動車砲兵隊始め巨砲群、新銳機械化兵器群が大地鳴らして驀進、次いで野砲、騎兵各部隊の堂堂たる行進、軍樂隊の奏樂が快速調に變つて更に軍國の躍動する壯大な繪卷が繰展げられた、午後二時五十分頃式場遙かの大空を截つて安倍定中將の指揮す新銳機八百機の飛行部隊が爆音を式場上空に轟かせ豪華堂堂たる空の分列式を展開、茲に空陸一體皇軍の精華を顯揚して同三時四十三分分列式は終了、同五十分 大元帥陛下には天機愈愈麗しく軍樂隊の奏する中諸員奉送裡に宮城に還幸遊ばされた |
03 | 必勝の軍國繪卷 陪覧者の感激深まる |
04 | 產報會長に 平生氏留任 |
05 | 鮮かな航空奇襲戰 敵輸送船團を屠る フロリダ島沖海戰詳報 |
06 | 東姚集を完全占領 天長節の佳節を期して猛攻 |
07 | 奪火鎮總攻擊 |
08 | 近藤信竹中將 海軍大將に親任 |
09 | 近藤大尉略歷 |
10 | 第九十二軍殲滅の綜合戰果 |
11 | 米新買入價格の特徵點 |
12 | 小癪蘭貢來襲 敵機三機を擊墜 |
13 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 宮中の天長節祭 大山內に瑞氣滿ち溢る |
02 | 聖壽の無窮壽ぎ奉る 罩める一億民草の感激 |
03 | 御真影奉拜式 府正廳で嚴かに擧行 |
04 | 在北軍部の拜賀式 |
05 | 各地の奉祝行事 |
06 | 文化戰線に挺進 臺灣文學奉公會晴れの新發足へ |
07 | 聖恩獄窓に洽し 模範囚二百六名を釋放 |
08 | 奉祝式典取止め |
09 | 團旗奉戴式延期 |
10 | 文化人最高の榮譽 七氏に文化勳章受賜の御沙汰 |
11 | 皇奉中央參與奉公委員更新 新委囑參與は五、奉公委員は一八 |
12 | 宜蘭市の健民週間行事 |
13 | 輝やく功績と略歷 |
14 | 晴れの授與式擧行 |
15 | 銃劍道指導に邁進 鄉軍南聯合分會.晴の結成式擧行 |
16 | 臺灣遺族部隊 昨夕刻から自由行動に |
17 | 臺陽展授賞者 |
18 | ラツカー類需 要者に急告 |
19 | 明治青年學校 晴の開校式擧行 |
20 | 花蓮港市の興亞桃太郎探し |
21 | 債券買上制度 六月に延期 |
22 | 北署の超スピード捕物 |
23 | 新竹州警察部異動 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ガ島血戰の實相○○中佐語る 死しても國民の安泰祈願(下) 第一線將兵士氣旺盛 |
02 | 謹みて東方を奉拜 島民擧げて佳節奉祝 |
03 | 赤誠の輸血奉仕者 陸軍病院から感謝狀 |
04 | 鍛える現地住民の少年工具 |
05 | 喜ばれた慰問人形 純情の高雄淑德女學校の乙女に 前線からお禮の寄書 |
06 | 譽も高き優良部落 建設功勞者と共に表彰 |
07 | 健民思想を昂揚 竹南郡、多彩な行事實施 |
08 | 優良十六部落 天長の佳節に輝く表彰 |
09 | 意氣軒昂たり 桃園街警防團查閱 |
10 | 鍬の戰士表彰 |
11 | 花蓮港廳警防團結成 |
12 | 龍潭庄奉壯團 團旗奉戴式 |
13 | 衣服講習會 |
14 | 高雄州異動 |
15 | 三重埔のボヤ |
16 | 南興洋行專務 曾仁超氏社葬 |
17 | 第四回決算公告/株式會社廣福洋行 |
18 | 人事報社消息 |
19 | 地方多より |
20 | 今日の映画演劇 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 文化 精神的文化の美しさ/武者小路實篤 |
02 | 臺陽展合評 |
03 | 圖像:母子鳥(臺陽展賞)/許眺川 |
04 | 阿Qといふ男(三)/世外民 |
05 | 生活と文化 配給の合理化 |
06 | むかしの歌(上)/葉秋苑 |
07 | 圖像:子供(臺陽展)/玉岡久昉 |
08 | 義務教育を讚へる本島教育の回顧(上)/劉煥文 |
09 | 演劇運動への一念 (下)/張柏齡 |
10 | ラジオ |
11 | 廣告 |