興南新聞1942年12月
序號 | 標題 |
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01 | 興亞國民大會開く けふ三國締盟二周年記念日 |
02 | □完遂の日まで □土滿州國大使の祝辭 |
03 | □午餐會開催 谷外相、青木大東亞相 徐、王兩大使と歡談 |
04 | イギリス空軍 瑞西上空通過 |
05 | 圖像:白雲を下方に○○米の高度を勇躍インドの敵飛行場爆擊に 向ふ我が陸鷲隊の堂堂たる雄姿 |
06 | 慘憺たる敗戰を傳ふ 第一次ソロモン海戰に關する タイムス紙軍事記者の視察記 |
07 | 岡村最高指揮官 前線を視察 |
08 | 空軍の不足に 聯合軍側惱む |
09 | 樞軸空軍連日猛躍 チユニジア本格的攻防戰へ |
10 | ポルトガル 海軍力を整備 |
11 | 日本帝國の指導に 滿幅の信賴と感謝 ヴアルガス長官論文 |
12 | 赤軍を包圍殲滅 兩軍依然必死の攻防戰 |
13 | 獨軍防衛線を強化 赤軍の冬季反□ |
14 | インド洋□ 獨潛水□ |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | □献金 □周年に □の華僑赤誠披瀝 |
02 | 勤報新竹州隊出發 |
03 | 戰爭一周年の記念行事 日婦新竹州支部幹部會で決定 |
04 | □い急速の建設(一) 南方からの現地報告 |
05 | 第七回彈丸切手 一日から賣出し |
06 | 更に一段の緊張へ 局部長會議で齋藤長官が激勵 |
07 | 一年前の蘭印政府 ことごとに同胞壓迫 蓮見事務官の追想して語る |
08 | 州廳職員と家族合同運動會 |
09 | “立派に御奉公出來る樣” 只管祈る健氣な軍國の父 |
10 | 戰ふ國民に慰安 “一億皆唱運動”明年度から屏開 |
11 | 日本側が快勝 日獨交驩送球國際試合 |
12 | 兵制實施記念講演會 一日夜市公會堂で開催 |
13 | 恒例軟式庭球選手權大會 新春嘉義球場で |
14 | 住宅難打開に 市で住宅調查表配布 |
15 | 吹奏樂演奏會 今夜市公會堂で |
16 | 風災遭難者□ 十二日合同□ |
17 | 目標達成□ 新竹市高額□ |
18 | ラジオ泥棒檢擧 |
19 | 人事消息 |
20 | 興南詩苑漢詩 報歲歌六首/晴園 黃純青、小野墨堂先生悼亡詩書後□韻四首/禮耕 |
21 | 煙幕 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 陸大卒業式に行幸 還幸の御途次陸軍報道部にお立寄り頭條新聞 【東京發同盟】 大元帥陛下には三十日青山北町の陸軍大學校に行幸、大東亞戰下皇軍の中堅として研鑽を終へた陸軍少佐渡邊博氏以下の同校卒業式に親臨あらせられ還幸の御途次大本營陸軍報道部にお立寄遊ばされた、この日 陛下には陸軍御軍裝に大勳位並びに功一級各副章を御佩用遊ばされ蓮沼侍從武官長陪乘松本宮相、百武侍從長以下供奉の略式自動車鹵簿にて午前九時宮城御出門、同九時十五分同校に着御、陸軍大學校長岡部直三郎中將の御先導にて諸員奉迎裡に便殿に入御、御先着の 朝香宮鳩彥王殿下 東久邇宮稔彥王殿下 竹田宮恒德王殿下 朝香宮孚彥王殿下に御對顏遊ばされた次で參校勅任官以上並びに學校職員に對し謁を賜ひ終つて講堂に臨御、兵學教官寺垣少將、同青木大佐統裁による卒業學生の戰術を天覽遊ばされ御休憩の御後同十一時二十五分卒業證書授與式場に親臨遊ばされ優等學生六名に對し夫々恩賜の軍刀を下賜あらせられて入御、御小憩の御後午前十一時五十分諸員奉送裡に同校發御、同十二時大本營陸軍部に着御、國歌奏樂諸官奉迎裡に杉山參謀總長の御先導にて便殿に入御あらせられ杉山參謀總長に單獨拜謁仰せつけられ次で拜謁場に臨御、大本營陸軍報道部長谷萩那華雄大佐以下大本營陸軍部及び參謀本部の主要職員ら諸官に對し列立拜謁仰せつけられた、かくて 陛下には侍從御先導申上げて一旦便殿に入御御小憩の御後同十二時十五分食堂に臨御 三笠宮殿下を始め奉り 朝香宮、同若宮、東久邇宮 竹田宮各殿下、李鍝公並びに東條陸相、杉山參謀總長、土肥原航空總監、西尾軍事參議官、岡部陸大校長、木村陸軍次官、田邊參謀次長以下大本營陸軍部關係將官及び各課長陸大兵學校教官らに慰勞の思召しを以て午餐の御相伴仰せつけられ午後一時十五分同部發御諸官奉送、君が代奉奏裡に天機麗しく還幸あらせられた、尚この日光榮の軍刀拜受に輝いた陸大優等卒業生は次の六名である、 陸軍少佐渡邊博(熊本縣)、陸軍少佐松永真一郎(東京市)、陸軍大尉板梶金次郎(高知縣)、陸軍大尉田中俊資(兵庫縣)、陸軍大尉酒井正美(長野縣)、陸軍大尉中村龍平(滋賀縣) |
02 | 相携へて使命達成へ 三國條約記念東條首相放送演說 |
03 | 日伊協會總會 高松總裁宮同妃兩殿下台臨 |
04 | 崇高な精神を發揮 青木大東亞相祝辭 |
05 | 皇軍將兵に 深厚なる感謝 感謝決議文 |
06 | ツーロン脫走 佛潛艦は二隻 |
07 | 道義アジア建設(林總裁の挨拶) |
08 | 盟約精神を新たに 谷外相の祝辭要旨 |
09 | 米英打倒に邁進 徐中華民國大使祝辭 |
10 | 圖像:出動を前に作戰を練る陸鷲勇士 |
11 | 共同の威力を示す 張滿國總理交驩放送 |
12 | 報道機能刷新要綱 きのふ定例次官會議で決定 |
13 | 滿、華兩國への祝電 |
14 | 米國の侵略に 斷乎戰ひ拔く ア伊宣傳相強調 |
15 | 定例次官會議 |
16 | 獨軍鐵桶の強韌 赤軍の冬季作戰に對し |
17 | 海洋訓練隊 山本總長が查閱 |
18 | 本格的戰鬪行はる 北阿戰況 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 米價引上げと 生產增強問題社說 一 廿七日の米管委員會に於て來年度一期米から蓬萊米一石當り八十一錢、在來米は一圓二錢、丸糯九十五錢、長糯一圓二錢とそれぞれ買上價格を引上げることに決定したが、これは現下米穀生產に於ける幾多の惡條件と國民食糧の自給的確保の重要性が反映したもので、誠に當然の措置であると云はなければならぬ。而して總力資源戰下不可缺の食糧として質より量を重視せられてゐる今日從來存してゐた各地の銘柄を撤廢して蓬萊、在來、丸糯、長糯の四種類を通じて夫夫一本建としたことは蓋し當局の一英斷と推稱するに吝かではない。只茲に注意すべきことは米價引上げと生產增强との關係であるが、內地に於ては米價の引上げに依つて增加資金は直接農村に流入し、生產增强に對する刺戟□となるが、本島に於ては必ずしも然らず、中間に介在する幾多の機關を通じて必ずしも額面通りに農村へ流入するとは限らないのである。吾吾は次の事實を檢討すれば直ちに分ることである。 二 政府は昨年第二期作米から一石當り獎勵金二圓、買入價格一圓、合計三圓の大幅引上を斷行したが、二圓の獎勵金は農村の購買力の吸收策の必要から之を通帳振替制その他の方法に依り、貯蓄せしむ手段を講じてゐるので、折角農村に流入した資金が信組の預貯金として再び農村外へ逆流せしむることとなり、結局農村の增產に對する多少の心理的效果はあつても實質上餘り增產を促進することにはならなかつたのである。これは本年度の實收高と十六年度の實收高とを比較すれば直に首肯の出來ることである(勿論天候その他にも原因してゐるが)而して他の一圓の買入價格の引上は必ずしも額面通り農民の手に入らなかつたことは納入組合の尨大な剩餘金に徵して明かなことである。今具體的な一例を擧げれば、臺中州米穀納入配給組合は昨年六月一日より本年六月一日までの過去一ケ年間に、籾收納方面では九十五萬六千二百十二圓の剩餘金を擧げ、精白米配給部面の方では二十一萬四千二百九十圓の業績を收め、合計百十七萬五百二圓の剩餘金を得てゐるが同期間同州下に對する米穀獎勵金交付額は百二十四萬九千八百圓で、略略相匹敵する巨大な金額を示してゐる 三 その他の諸州に於ても略略大同小異の實情にあつて、是に依つて之を觀れば、政府は如何に生產獎勵資金を交付しても、或は米價を引上げても、その資金が信組を通じて逆流したり、或は納入組合に依つて集積されては、實際上の生產增强にはならないのである。これらの資金が農民の手を通じて土地の改良、牛馬等の家畜の購入、災害の防除その他農業の再生產に役立ち得る目的の為め農地に對して投下せしむることに依つて始めて生產增强の效果を收め得ることは贅言を要しない。この點を忘れた如何なる對策も效果は甚だ薄いものである。殊に納入組合に依つて集積された尨大な剩餘金は、決して組合の努力に依つて儲けたものではなく、籾價の不適正なる決定に依つて自然的に滯積したものである。從つてこの剩餘金の性質は現下の生產實情から見て、農業再生產資金の大部分を包含してゐるのみならず、農家の生活資金の一部さへ包含してゐるとも見られるのである。これは最近に於ける生活資金、經營資金の缺乏が如實にこれを示してゐる。今や戰爭完遂の第一要件とも云ふべき國民食糧の自給的確保は愈よその重要性を加重されて來た。為政當局は米價再度の引上を楔機として從來生產增强を阻害した諸原因をも併せて除去し、以て農民生活の安定、農業再生產の確保等生產增强に實效を收め得る樣果敢に施策を斷行すべきである。 |
02 | 強力活潑な國民運動 大東亞戰爭第一周年を迎へ 奉公會、基本要綱を發表 |
03 | 滿洲國皇帝陛下 御質素な御日常の御生活 |
04 | 東臺灣を視察 戶田侍從・篤農家を激勵 |
05 | 臺北桔梗俱樂部 多彩な記念行事決る |
06 | 戰場精神の昂揚へ 盛大な“記念式”開催 |
07 | 尊に“淨汗”の體驗 軍司令部の男女職員 |
08 | 各大臣を歷訪 滯京中の長谷川總督 |
09 | 橫濱港內の商船に火災發生 |
10 | 大東亞文藝講演會 明晚島都公會堂で |
11 | “火に用心”せよ けふ防火宣傳日 |
12 | 臺灣吹奏奉公團初演奏 |
13 | 府新採用有資格者 指導教養を實施 |
14 | 手輓ガソリンポンブ指導者の講習會 |
15 | 人事消息報社消息 |
16 | 港都奢侈品認定會開催 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 銃後防火の完璧へ 防火日運動に際し山內警務局長談 |
02 | 警察七分室を廢止 關西、南庄、通霄、卓蘭分室は存置 新竹州の行政簡素化 |
03 | 譽の志願兵から朗報 |
04 | 果敢な夜襲戰展開 新竹州の學徒奉公隊聯合演習 |
05 | 戰跡に立ちて(五) |
06 | 監視員に感謝 嘉義市防空強化運動を實施 |
07 | ラジオ體操するビルマの娘さん達 |
08 | 兵制發布七十周年 |
09 | 消防避難を演習 竹南郡の防火デー行事 |
10 | 道路開鑿に高砂族奉仕 |
11 | 壯丁團合唱隊 指導者を選拔して音樂講習 |
12 | 竹山部落競勵會 |
13 | 健氣な山の主婦 慰問金を献納 |
14 | 繁忙期輸送對策 運送協會荷役合理化案を協議 |
15 | 彰化の防火宣傳 |
16 | 花蓮郡馬耕競技會 |
17 | 森田知事上北 |
18 | 南方出荷の試み 青果同業組合試驗費を計上 |
19 | 屏東中學查閱 |
20 | 臺中州美術展 搬入は來年二月七日まで |
21 | 一萬圓の賞金 に當りそうだ |
22 | 紙芝居挺身隊結成式 |
23 | 奉壯團會議 |
24 | 彰化遺家族授產所地鎮祭市 |
25 | 棉作技術員巢立つ 近く憧れの南方へ |
26 | 臺中秋競馬 最終日成績 |
27 | 警察部企畫室開室式 |
28 | 社告/興南新聞社報社消息 |
29 | 地方多より |
30 | 今日の映画 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 電力料金は全國最低 電氣供給規程改正に當り 增田臺電社長要點を發表 |
02 | 本島の稻作面積 平均一戶當一甲一分 |
03 | 會社の企業合同 租稅上臨時措置を講す |
04 | 砂糖發送數量制限 |
05 | 砂糖配給事務 本日より食糧局で取扱 |
06 | 木炭の輸送圓滑に 鐵道部協力態勢を整ふ |
07 | 乾バナナの滯貨輸送を陳情 |
08 | 臺灣貿易振興總會 |
09 | 日糖支社大異動 |
10 | 本年掉尾の彈丸切手賣出 來る十五日迄 |
11 | 戰爭保險施行規則改正の審議開始 |
12 | 役牛物價委員會 |
13 | 南海興業配當六分 |
14 | 南方洋灰工業總會 |
15 | 役興炭礦配當九分 |
16 | 壓榨開始 |
17 | 照明燈 |
18 | 商況 三十日 後場 |
19 | 水滸傳(835)/黃得時;碇政彌 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 陸海軍異動發令 片桐中將軍事參議官に |
02 | 必勝信念の實踐/蠟山政道 |
03 | 建設の熱意に燃ゆ (上)明朗新比島の橫顏 |
04 | 飽くまで重點主義 大藏豫算省議を開始 |
05 | 北邊鐵壁の護り(上) |
06 | 赤軍の連絡遮斷 獨軍着着戰果を收む |
07 | 北阿の戰線激戰化 樞軸空軍各方面に活躍 |
08 | 米英艦船の打擊甚大 獨軍司令部特別發表 |
09 | 北阿の戰況 獨軍司令部發表 |
10 | ビセルタ軍港附近で激戰 |
11 | 獨軍司令部發表 |
12 | 伊軍司令部戰況公表 |
13 | ツーロン脫出の二潛艦 アルジエー着 |
14 | バルセロナ入港の佛潛艦武裝解除 |
15 | レユニオン島の佛軍 抵抗停止か |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 船の中に“鐵條網” 扉や窓まで嚴重な電氣仕掛け 佐田氏抑留生活を語る |
02 | 巢立つ“拓南戰士” 山本事務總長が查閱 |
03 | 米英打倒に總進軍 靖國社頭で國民大會 |
04 | 北邊鎮護の一翼 激浪と鬪ふ水產戰士 |
05 | 戰果寫真移動展 あすから州下で開催 |
06 | 森井臺北憲兵分隊長 內地某要職に榮轉 |
07 | 揃つて“現役兵”へ 志願兵達湖口から臺北へ復歸 入營迄鄉許さる |
08 | 六百萬の家族會議 あす中央參與奉公委員會 |
09 | 第九回報國債券抽籤發表 |
10 | “靖國の舞”の講習會 |
11 | 基隆市十二月の市常會 |
12 | 無敵海軍への感謝 武官府の取扱十一月中献金三萬三千餘圓 |
13 | 油斷大敵・火の用心 戰時下初の防火日 |
14 | “敢鬪魂”を發揮 新竹州學徒演習終る |
15 | 新竹市の防火日行事 |
16 | 思想戰完遂講演 大東亞戰爭一周年迎へ 州下各地で開催 |
17 | 市長、遺族を慰問 |
18 | 戰時生產增強運動 勞務協力會の實施方策 |
19 | 時局を辨へぬ洋品店(基隆) |
20 | 宜蘭精米會社總會 |
21 | 司法保護實務鍊成會 けふ公會堂で開講式 |
22 | 興南詩苑漢詩 入冬集星社諸友聯句/文訪、壽林母唐太孺人/吳靜閣、壽林母唐太孺人/可軒、祝高華袞先生古稀/吳靜閣 |
23 | 人事消息 |
24 | 今夜の放送 |
25 | 商況 一日 前場 |
26 | 興南案內報社消息 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 商工組合法案要綱 きのふの閣議で決定頭條新聞 【東京發同盟】政府は去る二十七日の閣議で決定を留保してゐた商工組合法案の要綱を一日の閣議に上程、岸商相及び星野書記官長から說明があつて異議なくこれを決定した、斯くて政府が今議會に提出を目途として成案を急いだ法律案五十七件は去月二十日の閣議で十八件、二十四日三十二件、二十七日二件と今回決定の一件を合せ五十三件の要綱が決定しこれに租稅法規の改正等に關する法律案要綱が近く決定發表されるので合計五十四件の法律案議會提出が最後的に決定した。よつて政府は當初の豫定に從ひ來る二十二日閣議で法律案の成文を決定することとなつたのでこれが準備を急ぎ各省にして成案を作成すべき法律案は來る八日までに內閣に提出することを一日の閣議で申合せた 【東京發同盟】商工組合法案の議會提出は一日の定例閣議で決定したがその要綱案は左の如くである商工組合法案要綱案 第一、本法により設立する團體は統制組合、施設組合及び商工組合中央會とすること 第二、目的及び事業統制組合は商業工業又は鑛業に關する統制事業及び統制のためにする經濟事業を施設組合は組合員の事業に關する共同施設を行ひ商工組合中央會は統制組合及び施設組合の指導連絡事業を行ふものとすること 第三、組織 一、統制組合は地區內において當該事業を行ふもの及びその團體等をもつてこれを組織すること 二、施設組合は當該事業を行ふものをもつてこれを組織すること 三、商工組合中央會は統制組合、施設組合その他のものを以てこれを組織すること 四、統制組合は當然加入とし施設組合及び商工組合中央會は任意加入とすること、 第四、經理、統制組合は經費及び出資の兩制度を併せ採り得るものとし施設組合は出資團體とし商工組合中央會は會費團體とすること 第五、機關 一、統制組合及び商工組合中央會の役員は總會においてこれを選任し行政官廳の認可を受くること、但し統制會の會員たる統制組合については統制會長の任命制度を採ること 二、施設組合の役員は總會に於てこれを選任すること 三、統制組合、施設組合及び商工組合中央會に議決機關として總會又はこれに代るべき總代會を置くこと 第六、監督、行政官廳は各團體に對し事業等の施行命令、役員の解任、解散等の命令その他必要なる指導監督を行ふこと、 第七、その他 本法施行に關し必要なる罰則の規定及び既存諸團體を本法による團體とするに必要なる規程等を設くること 二、本法制定に伴ひ關係諸法令の必要なる改正をなすこと、 |
02 | 公共性の強い統治團體設置 商、工、鑛各業者を一元的に網羅 |
03 | モレスビー夜間爆擊 |
04 | 鐵壁の護り(中) |
05 | 恒久的建設の段階 新生比島見聞記(二) |
06 | 圓滑且つ敏活な 出先機關の運營へ 重光大使、記者團と會見語る |
07 | 奉任待遇訓導 千二百名發令 |
08 | 行政事務簡素化(產業經濟に關し) 政府、翼政會案を採用 |
09 | 外務省に二機關新設 戰時調查室と在敵國居留民關係事務室 |
10 | 重複競合、共管事務整理 採擇率が最も低位 |
11 | 中央食糧協力會 急速に設立準備に着手 |
12 | 泰國中央銀行 十日に正式開業 |
13 | 獨濳艦猛威を振ふ 十一月中百五十七隻を擊沈 |
14 | 赤軍機二千以上擊墜 獨陸軍の對空防備完璧 |
15 | 赤軍の戰車 千念四臺を擊破 |
16 | 日、泰文化協定 けふ樞府本會議で可決 |
17 | 總力戰學會 きのふ發會式 |
18 | 敵國在留同胞對策委員會 協議會を開く |
19 | 力盡きて降伏 フランス萬歲叫び |
20 | 南十字星 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 昂揚せよ戰場精神社說 一 開戰一周年記念日を楔機として展開される新國民運動の强力活潑なる實踐を圖り、全島一丸の決意を新たに聖戰完遂を誓ひ合ふ臺灣一家の總常會たる皇民奉公會第三回中央參與、奉公委員會は今二日督府正廳で開催される、顧みるに皇民奉公運動の發足された當時、三大實踐目標として一、男女青年の訓練二、生產擴充の產業奉公運動三、臺灣一家の銃後生活體制の確立が示されて以來、之に基いて本島は官民擧げて聖戰貫徹體制を整へて來たのである、然るに大東亞戰の緖戰に慘敗せる米英は漸く懊惱焦慮の域を脫し開戰前の侮日不遜の態度から日本恐るべしの宣傳をなし、對日敵愾心を煽り、長期抗戰の態勢を整へ氣ながに樞軸側の疲弊を待たんとする作戰に出てゐるのである、武力戰においては我が無敵皇軍が嚴然と存在する限り、われらは絕對の信賴を寄せ絕對の勝利を信ずるものであるが、只一つ問題とするところは總力戰に勝ち拔くための銃後戰線の整備である 二 聖戰完遂への强力なる再發を足する開戰一周年に臨んで、われらの態度はかやうな前提において深思三省するところがあらねばならぬのである、われらの心構へは戰勝の明朗さを基調として烈烈たる敵愾の士氣を橫溢せしめ、必勝不敗の信念と堅忍持久の鬪魂とをもつて聖戰完勝、建設必成に向つて六百萬總進軍の確固たる態勢が要請されるのである今回の中央參與奉公委員會の議案も、この見地に立つて重點を一、必勝信念の堅持二、戰時國民生活の安定に置き、盛り上る島民の聲を聽くため前者においては皇道精神の顯揚、生產の增强、勤勞新體制の確立、國民防空、國民防諜の強化、後者にあつては配給消費の合理化、生活の簡素化、戰時貯蓄の勵行等に關し具體的にして實際的な意見を諮問することになつてゐる。また會議運營に當つては議案の內容に就き適當なる項目を選び答申せしめるなど簡潔重點主義を旨としてゐるので必らずや各代表から深き蘊蓄と內容豐かな建議が行はれるものと期待せられる、 三 然かもけふの家族會議を前に開戰一周年を卜して實踐される皇民奉公運動の第二次展開としての一大島民運動の基本要綱が一日發表され、必勝の氣充つるであらう今日の總常會に熱血併しる論戰の展開を見ることとなつたが、新島民運動は戰場精神の昂揚、生產增强の決行ならびに戰爭生活實踐の徹底の三項目を重點に六大實踐目標を揭げてゐるので、奉公行動の實踐を推進する全島民の使命は愈愈加重されたものと云ふべく茲において島民の代表である參與、奉公委員はけふの會議に臨むに當り慎重にして進取、周到にして果斷の態度をもち、答申の心境においても國家歸一の下見榮や自我を捨てて從來の如き形容詞澤山の長講談から脫して真摯烈烈たる建設的なる意見を開陳し、本部當局また會議員個個の意見を真劍に檢討し決戰體制整備の上に適切なるものは之を督府に上申し、上意下情の見事な交流をもつて島民常會を活かすべきである |
02 | 聖戰完遂に邁進 兵制實施記念講演有田兵事部長が獅子吼 |
03 | 拜謁の光榮に感激 歸臺した坂口高雄州知事謹話 |
04 | 災害復興狀況を視察 戶田侍從宜蘭に到着 |
05 | 白衣勇士慰問に生花を献納 |
06 | 補助硬貨の應召 進んで供出しませう |
07 | 圖像:兵制實施記念講演會 |
08 | 總督さんにお土產 興亞十人塾生代表が訪問して |
09 | 戶田侍從東部臺灣視察 |
10 | 隱れた教育美談 中辻老に綠水會から感謝狀 |
11 | 適齡者の皆入學へ 基隆市募集要項を發表 |
12 | 献金附記切手 八日から全島一齊に賣出し |
13 | 無敵海軍に二千圓献金 中壢郡奉公醫師團分團の赤誠 |
14 | 映畫“ハワイ、マレー沖海戰” 近く大世界館で試寫會開催 |
15 | 中國映畫女優 紫羅蓮一行寄臺報社消息 |
16 | 模範堆肥增產挺身隊を組織 |
17 | 宜蘭精米株式會社役員會 |
18 | 滿洲國通信社創立十周年 |
19 | 港都マラリヤ 防遏に萬全を期せよ |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 防火の完璧陣 消防、防火思想の昂揚に 多彩な防火デー行事 |
02 | 郡署に銀輸部隊 演習の好成績に鑑み設置 |
03 | 淡水街青年訓練終了 |
04 | 屏東農業查閱 |
05 | 皇軍の奮戰偲ぶ 大東亞戰寫真移動展 |
06 | 澎湖廳從軍記念會支部結成式 |
07 | 增產市街庄を表彰 臺中州來春二月上旬に擧行 |
08 | 竹東郡高額貯蓄組合結成式 |
09 | 產倉協會總會 |
10 | 裏作の陣頭指導 臺中州農林課增產に馬力 |
11 | 戰跡に立ちて |
12 | 建石憲兵分遣隊長謝禮金を寄附 |
13 | 施肥量の確保に 新化郡堆肥增產に大童 |
14 | 米英擊滅國民大會 八日新竹國民校校庭で |
15 | 巡查部長の意見を聽取 |
16 | 新化郡青年鍊成 |
17 | 國語聞いて 盡きぬ嬉しさ |
18 | 婚祭諸儀の世話役 各市街庄に生活刷新委員會設置 |
19 | 北埔國民校體育會 |
20 | 高雄州教員養成 |
21 | 赤誠の献金品 |
22 | 增產と感謝 臺南市の一周年記念催し |
23 | 愛國女子看護團 第二回講習會 |
24 | 食糧愛護の機智 鹿港街埔尾農事組合 職員擧つて落ち籾を蒐集 |
25 | 高雄市高額貯蓄組合 |
26 | 勤報青年隊歸へる |
27 | 竹東郡保正會議 |
28 | 能高郡從軍記念會 |
29 | 消費割當會議 |
30 | 惡德タクシー 業者にお灸 |
31 | 地方多より |
32 | 今日の映画 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新高都市開發會社計畫 長官、民間の協力を要望 きのふ官民設立懇談會開催 |
02 | 南方經濟の建設(一) ビルマ產業の復興 |
03 | 荷役一貫作業案 高雄運送業會で斷行 |
04 | 冬の燃料確保に(內地) 木炭の第二次增強期間を實施 |
05 | 乾バナナ輸送停止 |
06 | 代用品展覽會開催 來る一月中旬公會堂で |
07 | 乾パイン販賣 三井外三社に委託 |
08 | 赤糖第二回豫想 五萬減の四十萬擔 |
09 | 相思樹皮供出打合 |
10 | 纖維製品配給會社 十日に創立總會 |
11 | 產組聯合會 新事務所に移轉 |
12 | 澎湖信組職員修練會 |
13 | 豐岡山林課長 山林事務所初巡視 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況 一日 後場 |
16 | ラヂオ |
17 | 水滸傳(836)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 百三萬五千餘噸擊沈 獨軍十一月の戰果開戰以來の新記錄 |
02 | 聯合軍躍起の反抗を擊破 |
03 | 獨逸空軍の活躍 いよいよ熾烈化 北阿の戰況 |
04 | 獨軍戰況發表 |
05 | 戶田侍從金瓜石へ 鬪ふ增產戰士を視察 |
06 | 全山感激に湧く |
07 | 圖像:花蓮港視察の戶田侍從 |
08 | 東部戰線依然 熾烈な攻防戰 |
09 | ヴオルガ河畔で 獨ソ大戰車戰展開 |
10 | 空母ワスプの最期 搭乘者の目擊談 |
11 | 生產增強が急務/山田文雄 |
12 | 意志の團結を以て 最後の勝利を獲得 バーモ長官決意を披瀝 |
13 | 北邊鐵壁の護り(下) |
14 | 同和奉公會 中央協議會 |
15 | 連雲港の施設擴張 きのふ盛大な起工式 |
16 | 小川少將總力戰研究所入り |
17 | 華僑送金の復活 關係當局と折衝諒解 林濟川氏近ぐ歸任 |
18 | 伊北部諸都市 住民待避開始 |
19 | 樞軸軍最後の勝利を確信 ゲツベルス宣傳相演說 |
20 | 戰爭を呪ふ 南米諸國民 |
21 | 佛艦隊最後の日 |
22 | 時局講演大會 臺北州下の日程 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 中央參與奉公委員會 六百萬民の總意結集 征戰完遂の覺悟新た |
02 | 全島の總力を擧げ 最善盡して御奉公 長谷川總裁の告辭 |
03 | 圖像:中央參與奉公委員會 |
04 | 表彰傳達式 鄉軍基隆聯合分會 |
05 | 御歌と御紋菓の傳達式 |
06 | 軍人援護總進軍 米英擊滅へ力強い協力 |
07 | 前線に慰問袋 日婦臺中市支會が作製 |
08 | 一路國策の遂行へ 齋藤總務長官の口演 |
09 | 戰機を逸するな 生產擴充は長期戰を戰ひ拔く必須の要件 伊藤海軍武官の口演 |
10 | 熱烈な意見を開陳 |
11 | 從軍會臺北市支會 七日市民講堂で擧行 |
12 | 戰艦建造費献金 海軍武官府に殺到 |
13 | 犯罪なき島都建設 十五日から防犯週間開始 |
14 | 事變以來每月献金 感謝狀四時數回に上る 美談の主倪蔣懷氏 |
15 | 興南詩苑漢詩 林俊卿傑卿二孝子令慈唐孺人苦節行/楊嘯霞 |
16 | 森井少佐本社訪問報社消息 |
17 | 人事消息 |
18 | 記念展覽會開催 五日から稻江媽祖宮で |
19 | 經濟違反撲滅へ 島都商奉團が打合 |
20 | 商業道講演會 九日から開催 |
21 | 講習會開催 市川女史を招聘 |
22 | 戰歿勇士の遺族を慰問 |
23 | 煙幕 |
24 | 今夜の放送 |
25 | 興南案內報社消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 比島全群島敗殘兵を剿滅 八月以降十月まで三箇月の我綜合戰果頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本管發表(十二月二日午後六時三十分) 比島方面帝國陸軍部隊は曩に全群島を攻略したる後向僻陬部邊の山地などに據り蠢動しありし米比敗殘兵に對し引續き討伐を行ひつつありしが旣にその大部分を剿滅せり 去る八月以降十月に至る三箇月間の綜合戰果中主なるもの左の如し 一、敵の遺棄死體、三九四五 二、俘虜、二九一八 三、鹵獲品、機關砲三三門、重輕機七一挺、自動小銃一◯五挺その他銃器七四五八挺、各種彈藥約百萬發自動車四十四臺 |
02 | マレー作戰の回顧 英軍斯くて敗れたり 敵將パーシヴアルの手記 |
03 | 世界最大新型輸送機を使用 獨增援隊を送る |
04 | 圖像:椰子林を驅て報告に行く搭乘員 |
05 | 慘憺たる英の敗北 我勝因は大和魂の攻擊精神 手記の內興味ある諸點檢討 |
06 | 佛艦隊最後の日 |
07 | 山東の剿共作戰 着着戰果を擴大中 |
08 | 南十字星 |
09 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 商業奉公運動の再檢討社說 一 商業奉公精神の昂揚、企業整備に對する協力、商業決戰體制等の巨大目標に向つて、商業奉公運動が皇民奉公會を推進中核體として發足したのは、本年四月であつたが、爾來各商業組合を單位とする單位奉公團其上に立つ聯合奉公團が次次に結成され形態上一應の整備を見るに至つた、右に鑑み統一ある行動目標を示して、一糸亂れざる清新活潑なる本運動の展開を推進する為、更に八月には商業奉公團中央本部並に地方機構が設置され商業奉公團の系統的組織化を圖る一方、中央本部の本年度事業計畫が決定され、商業奉公運動の實踐的階段を迎へたのである。中央本部で決定された事業計畫は、前記の三大目標に則應し精神昂揚は勿論のこと、企業整備への協力の他南方進出、商業厚生運動等內地に於ける商業報國運動と略略同一の狙ひをもつもので大槪妥當であることは當時本欄に於て指摘し實質上各地商工會議所の指導下に立つ商業奉公運動に對してはその活潑なる展開を期待して來たのである 二 ところが本運動が展開されてゐる最中に、最も忌はしい事實である配給統制團體の統制違反が摘發されたが、これに鑑み、臺北市聯合商業奉公團では急遽理事會を開催の上、今更の如く自肅申合せを決議し遺憾の意を表した。商業奉公運動に多大の期待をかけてゐるだけに、かかる事實に直面しては運動の低調さが痛感されて仕樣がない。本運動の本格的展開が日尚淺いことにもよろうが、その根本的缺陷として次のことを擧げないわけには行かないであらう。先づ第一には商奉運動は建前は皇民奉公運動の一翼であつても、實質上商工會議所の指導下にあるのが現狀である。もともと會議所が商奉運動をリードするに至つた動機の一つとしては、これにより商業組合を再びその傘下に收めて失はれんとする自己の存在價値を主張せんが為であつた。それにしても、これにより何かの積極的意義が齎されるならば別段問題はなかつたのであるが會議所の起死回生の手段でしかなかつた商奉運動が過去活潑に展開される筈はなかつたのである。 三 第二には、商奉運動は內地の商報運動と同樣に新商業道德の確立企業整備に對する協力等を目標にしてはゐるが、本島の經濟的特殊事情からして差當りその為すべきことは、初期に於ける商報運動の如く專ら新商業道德の確立に努むべき筈であつたのに、それが殆んど無視されて來た。恰も企業整備が一般的に行はなければ、商奉運動を積極的に展開する必要がないかの如く運動の重點をはき違へた觀がある。正に本島の特殊事情の故に、新商業道德の確立こそ何より先決問題であることは、今迄に發生した統制違反の事實に徵して極めて明かであつてそれが商奉運動の第一期工作ともいつてよいのである、卽ち精神的の第一期工作を完全に仕上げた上で、來るべき企業整備に對する協力たる第二期工作に入るのが、商奉運動の正當なるコースであるといはなければならない、前記の如き實情に鑑み今後本運動の活潑なる展開を圖るには、それを皇民奉公運動の一翼たる本來の姿に引戾すことが緊要であつて、それには運動を會議所のみの指導に委ねず、奉公會の陣頭指導を必要とすることいふ迄もない |
02 | 日鑛金瓜石鑛山を視察 精鍊所、坑內等を隈なく巡覽 |
03 | 示す全島民の赤心 大東亞戰爭完遂決議を可決 本島一家の總常會終る |
04 | 感謝電報 |
05 | 東條首相、廣島へ 軍事產業を電擊視察 |
06 | 圖像:天覽に輝く聖戰繪畫 香港島最後の總攻擊圖/山口蓬春 |
07 | 宜蘭市に完納の凱歌擧る |
08 | 文學の國策協力へ 大東亞文藝講演會聽眾に多大の感銘 |
09 | 總額十四萬餘圓突破 十一月中軍司令部取扱の献金 |
10 | 十二月の常會 今月の限り四日に開く |
11 | 大東亞戰爭一週年記念展 八日から開く |
12 | 兵制實施記念講演會 今夜高校講堂で開催 |
13 | 宜蘭消防組の防火宣傳行事 |
14 | 大湖とセトバン間に 自動車道路開鑿 地方民の汗の奉仕で近く着手 |
15 | 鄉軍宜蘭郡分會第二回總會 |
16 | 海洋訓練隊員の美談 |
17 | 新興亞會學院を解放 共榮圈各地青年指導者に |
18 | 彰化商工業視察團來宜 |
19 | 人事消息 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 比島戰線從軍一ケ年 陣中の慈父本間將軍 內田囑託の手記 |
02 | 防火思想を昂揚 各地の防火デー |
03 | 銃後の犯罪を一掃 臺南州十日より防犯週間實施 |
04 | 圖像:第一回民眾運動會 |
05 | 森田知事上京 |
06 | 嘉義郡高額貯蓄組合 |
07 | 屏東市鄉軍查閱 |
08 | 北斗街青年團查閱 |
09 | 嚴肅な英靈慰靈祭 きのふ臺中市齋場で執行 |
10 | 屏東師範查閱 |
11 | 大東亞戰一周年 基隆市の記念行事 |
12 | 戰場精神で垂範 臺南市奉壯團座談會で強調 |
13 | 兒童の啟培指導 國民學校に就いて調查 |
14 | 標準堆肥舍獎勵 各農家に一棟を目標に |
15 | 臺灣、琉球の音樂 文化研究所の手で研究 |
16 | 兒童を通じて 軍援精神昂揚 視學會議で協議 |
17 | 赤誠の献金品 |
18 | 花蓮港市民強步大會 來廿日に決行 |
19 | 坊さん鍊成會 |
20 | 鐵製停留場立扎も應召 |
21 | 彰化市壯丁團幹部鍊成會 |
22 | 農民の工夫を聽く 嘉義郡篤農家懇談會を開く |
23 | 食糧局異動 |
24 | 地方多より |
25 | 今日の映画 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 專賣局官署長會議 指示、注意事項を諮問 |
02 | 漁船燃料不足の克服 カーバイト發生爐を利用 |
03 | 南方經濟の建設 (下)ビルマの復興 |
04 | 貿易為替管理規則 為替事務の移管に伴ひ立案中 |
05 | 古麻袋の回收に 新取扱會社近く設立 |
06 | 壓榨開始 |
07 | 定額電燈料及電球交換 |
08 | 郵便年金激增 普及宣傳の效現はる |
09 | 配給制確立に 纖維製品の仕入實績調查 |
10 | 照明燈 |
11 | 商況 二日 後場 |
12 | ラヂオ |
13 | 水滸傳(837)/黃得時;碇政彌 |
14 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 新生比島建設に拍車 徹底的肅清を終る |
02 | 一般住民をも殺戮 鬼畜に等しい敗殘兵 |
03 | 資源開拓戰士の逞しい氣魄に敬服(三) 新生比島見聞記 |
04 | 圖像:我が無敵空母・重大任務を果して正に母艦に着艦せんとする搭載機 |
05 | 真に模範的な戰鬪 酒井中將當時を偲びつつ語る 香港攻略戰 |
06 | 只徹底的に戰ふのみ ム伊首相の大獅子吼 |
07 | ソロモン海戰と米國 田代中佐の放送要旨 |
08 | 赤軍の反攻挫折 獨軍攻勢の第二期へ |
09 | 東條首相 廣島を出發 |
10 | 樞軸空陸の活躍 |
11 | 獨軍司令部戰況發表 |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 基隆を具さに視察 戶田侍從けふ歸北 |
02 | 彈痕の街“昭南市” 名も知らぬ一木一草が物語る 無敵皇軍の奮戰振り |
03 | 圖像:日本の兵隊さんとお友達 |
04 | 滿ソ國境を行く(二) 神神し・哨兵の姿 空界の神・決意を語る海外遊記 △神々しい哨兵の姿 白皚たる曠野になだらかな雪のうねりのみが地平線の彼方まで擴がり、ソ聯兵の姿など肉眼では到底認められないたゞ雪の波間に點々と黑點が不氣味に露出してゐるこれがソ聯の第一線陣地だ、ソ聯側國境の街◯◯が不氣味な靜寂の中に黑々と眠りたゞ一つの屋上に飜つてゐる赤旗のみが目にしみる燈火管制を續けて螢ほどの微光さえ漏らさない暗黑の街である、先刻から吹いてゐた朔風が働く吹き驀り鐵條網や電話線が物凄い唸りをたて出した空はあくまで晴れ渡り、午後の太陽は真赤に照り映えてゐるが、白砂糖のやうな光澤をした粉雪を吹き上げて猛烈な吹雪となつた、「風を背にしないと凍傷にやられるぞ」と後方から若い○長がどなつてゐる、防寒外套の毛皮がまたたく間に氷柱になる、防寒靴を通して刺すやうに寒氣が足先から身體全體に感じはじめた、しかし「北邊の防人」はこの暴威の中に儼然と立ち續け、神々しきまでに尊い姿である △曠野に力強い言葉 ○長に誘はれて石と煉瓦を積み上げた穴倉のやうな小屋に入る、小さな室ではあるがこゝが防人たちの事務室、食堂兼寢室である 日本では雪と風が同時に來なければ吹雪にならないのですが、ここでは地上の雪を吹き上げるので、風さえあれば直ぐに吹雪です、ひどくなると、さし伸した自分の指先さえ見えなくなります と下士官は語つてゐた、この吹雪の國境線を中にはさんで僅か◯◯○米しか離れてゐないソ聯の街と滿洲國側の街とはあたかも陰と陽、明と闇ほどの差違がある、ソ聯側の◯◯◯の街は暗黑の靜寂に眠り滿洲國側◯◯の街は美しく灯がついてゐる、單調な雪の海原に立つてゐるソ聯兵はこの街の灯を羨ましく眺めてゐることであらう心の隅までしみ入るやうな月が早や曠野の中空にかゝり、幾分凪いだ吹雪を通じて赤い灯の街またゝく美しい街が見える、記者は「北邊の防人」たちが最後にいつた力強い言葉「北の護りは誓つて果す」との一言を幾度も繰り返しながら遙かアリユーシヤン列島の孤島を護る勇士に、そしてまた南海の勇士達に如何にしてこの言葉を傳へたらよいかと考へながら白雪の曠野をとぼくと步いた △國境を壓する掛聲 第一線各部隊ではどこでも消燈前と起床直後「よいしよ、よいしよ」と乾布摩擦醴操の逞ましい掛聲が國境を壓してゐる、監視哨勤務の兵隊さんもこうして常にたゞ一度の決死奉公を誓つて嚴しい鍛鍊を續け、強靭な意志をもつて酷寒零下數十度の大地に立つてゐるのだ、一方こうした緊張の中にあつて默々と自動車の整備に當る兵隊さんもある、彼等の苦勞は到底想像出來ない、いざ出動といふとき酷寒の中では素早くエンジンが始動しないのでつねで始度出來る狀態にしておかねばならぬ、萬物を銅よりも固く凍らせる寒氣の下で、不便な防寒具をつけての整調作業は筆舌に盡しがたい努力と技術を要する △決意語る空界の碑 ◯◯郊外の小高い丘に一基の石碑が立つてゐる碑表には「空界の碑」と刻まれてゐる、一死必勝の信念の下に明け暮れしてゐる◯◯部隊の勇士一同が髮を埋めて、國境警備の礎たらんと誓つた悲壯な記念碑で「肉體はよし亡ぶとも魂はあくまでこの地に殘す」といふ斷乎たる決意を示すものである、また監視哨の入口にも小さい石碑が立つてゐる、刻まれた文字は「義は萬岳より重く、死は鴻毛よりも輕し」とあるこの碑を背にして兵隊さん達は肅然と前方を睨んでゐるのだあの監視哨に一匹の俐巧さうな犬がゐた、過日隣國から辿りついた一人の男を發見して大手柄を樹てたところで、この大は時々のこのことつい近くにあるソ聯の街に查證なしで遊びに出かけるそうだ、或る時女性の下着のやうなものを失敬して來て兵隊さんを爆笑させたといふが、何も慰安のないこの一線では唯一のマスコツトになつてゐる △祖國の香りをまつ勇士 前線はすべてが美談である、彼等の祖國愛と友情と責任感は明朗にしかも感激を以て強く結ばれてゐる、一人の凍傷患者が出ても全員が治療に當る、輸送部隊の自動車が濕地に墜落しても、零下數十度の寒風猛る中を兵隊さん達は手袋を脫いで氷の中に飛び込み、總がかりで引揚作業に挺身する、◯◯の周邊には雪に蔽はれた山々が美しく波打つてゐる、何の娛樂もない村だが春ともなれば燦爛たる百花の競艷場となる、前線の勇士達にとつてはここの靜かな山や花が唯一の樂しみだ「何が一番嬉しいか」と第一線の兵士たちに問へば答は何處でもきまつて「遙か內地の香りをつたへてくる慰問袋と便りである」と連絡路の中間にある◯◯監視哨に每日頻りと電話がかゝる、バス運行の有無を尋ねてくるのだ、「バスが通つたぞ」といふ返事に將兵達の騷ぎは大變なものだ、慰問袋や手紙が屆くからだ △感激して假舞臺 峰をわたる風と狼の遠吠えしか聞えない前線に一年に何度が慰問團がやつて來る、ある慰問團が慰問を終べて一部落を通過する時、そこに二三十名の兵士達が警備についてゐるのを發見した、眼のあたりにみる苦勞の樣に慰問團は早速その場で假舞臺をつくつた、兵隊さんも感喜してこれを手傳つた、僅か三十分間だが、慰問團は一生懸命踊り拔いた、兵士達は喜びの餘り聲も出さずに逞ましい握りこぶしで眼をこすつた、踊り子もついつられて泣きぬれたといふ (完) |
05 | 嚴肅にして多彩 開戰一周年島都記念行事 |
06 | 英靈追弔會 七日西本願寺で執行 |
07 | 交通安全の確保 十四日から州下一齊に訓練 |
08 | 模範常會を視察 後進常會の啟發指導に |
09 | 文報短歌都會 初總長會を開催 |
10 | 竹內中佐歸任 |
11 | 興南詩苑漢詩 見嘉禾兒之遺物愴然而作/小維摩、聞次孫尙義哭愴然偶題/小維摩 |
12 | 勸報在鄉青年隊點呼日程 |
13 | 甘藷の慰問 臺大文政學生 |
14 | 續く慰問部隊 |
15 | サントニーの無料配付 |
16 | 人事消息 |
17 | 煙幕 |
18 | 今夜の放送 |
19 | 商況 三日 前場 |
20 | 興南案內報社消息 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ルンガ沖夜戰の大戰果 敵戰艦 以下四隻を擊沈 敵有力部隊強襲を敢行頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(三日午後五時十五分) 一、帝國水雷戰隊は十一月三十日夜間ガダルカナル島ルンガ沖の敵有力部隊に對し強襲を敢行せり其戰果左の如し 戰艦一隻撃沈、オーガスタ型巡洋艦一隻轟沈、驅逐艦二隻擊沈、驅遂艦二隻火災 一、我が方の損害 驅逐艦一隻沈沒【註】本夜戰をルンガ沖夜戰と呼稱す |
02 | 帝國海軍の獨壇場 戰史に輝く水雷夜戰 |
03 | 對敵現地放送の體驗 比島戰線より歸朝松內陸軍報道班員語る |
04 | 轟沈米甲巡才型 排水量九千五百萬噸 |
05 | ルンガは ガ島北岸にあり |
06 | 矢野新報道部長の處女發聲 |
07 | 敵艦船擊沈破百廿五隻 敵機の擊隊破八百五十機 |
08 | 水雷戰隊の敢鬪ぶり 吉田中將感激を語る |
09 | 華北公館長會議 |
10 | 佐世保鎮守府參謀長更迭 緒方少將補さる |
11 | 一日五隻半以上擊沈 米國造船力の約倍位 |
12 | 反樞軸國商船 八百八十五萬噸擊沈 獨軍過去一年間の戰果 |
13 | 新歐洲の展望 ゲツペルス宣傳相論文 |
14 | 文治各省豫算 查定を終了 |
15 | 東條首相歸京 |
16 | 南十字星 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 籾買上價格 統一の必要社說 一 來年一期米の買上價格に關しては既に去る十一月二十八日開催の第十回米管委員會に於て蓬萊米百斤三十四錢(石當り八十一錢)在來米百斤四十三錢(石當り一圓二錢)丸糯米百斤四十一錢(石當り九十五錢)長糯米百斤四十三錢(石當り一圓二錢)とそれぞれ値上げした事は周知の通りである。而して値上げの理由は生產者が累積する惡條件と鬪ひながら只管增產に邁進しつつある事に酬ゆるためであると發表したが、畢竟生產費高に對する補償を為し以て益益增產を促進せんとする政策から斷行せられた事であつて、時節柄誠に適切な處置であらう。殊に米穀の質よりも量を重んずる今日に於て各地別の銘柄を統一して一本となつた事は確かに一大英斷であると斷ぜざるを得ない。卽ち從來は專ら米穀の商品價値を高めるため品質のよき銘柄に對して一定の上鞘を附けて優遇して來たが、現在では最早左樣な必要がなくなり同じ臺南州下に於て上米と然らざるものとを區別するよりも量の增收にのみ努力する方がどれ丈時宜に適する許りでなく且つ取扱上の簡素化をも齎らすからである。 二 然しながらいくら米價を値上げし且つ銘柄を統一してもそれが全面的に農民の懷に反映しなければ折角の意圖に對して充分に其の效果を生ずる事が出來ない恐れがある。卽ち本島の農民は從來玄米の形で賣却するのでなく凡て籾の形で賣却してゐるのであるから米價の値上げ及び銘柄の統一が直ちに農民の收入增加とならない事がある。此の處に於て此の中間に立つてゐる各州廳米穀納入組合經營の合理化を圖ると共に籾の買上價格を公正化すべきである。去る二日開催された皇民奉公會の中央參與奉公委員會に於て地方代表者からはかかる要望を述べられてゐるが如きは決して一個人丈の考へでなく全く地方農民の聲であるから、當局に於ては速かに此の問題を解決する事が直接間接米穀增產に及ぼす影響が決して少なくない事を此處で特筆したいものである。 三 周知の如く現在各州廳の米穀納入組合に於て籾を買上げてゐる等級標準はマチマチであり或る州に於て二等籾と見做されたる等級が他の州で三等となつてゐるが如く少しも統一方針なきは明かである。殊に籾の買上價格が玄米價格に比し著しく割安であるため營利團體でない納入組合がいづれも莫大な剩餘金を擧げてゐるが如きは真先に改善しなければならないが今回の玄米銘柄統一を機會として食糧局に於て籾買上げ價格の統一及び適正化を圖るべきであると信ずる。卽ち籾から玄米を製造する步留を決定し玄米から籾の價格を逆算すると共に全島に亘る籾價格の統一を制定する事が目下の急務でなければならない。更に進んで現在の米穀納入事業を產組系統に統一する事も當然考へなければならないが、此の問題は近く臺中市に於て開催する產組長會議の中心問題となるであらうと傳へられてゐる。吾人は米穀增產を以て本島の一大國策協力であると痛感する者であるが故に籾價格の統一及び其の適正化を斷行すべき事を此の際强調せざるを得ない。 |
02 | 皇后陛下の御仁慈 橫須賀海軍病院を御慰問 |
03 | 唯唯恐懼の至り 嶋田海軍大臣謹話 |
04 | 大東亞戰一周年記念講演 陸軍側の講師決定 |
05 | 非常なる緊張振り 長官會議から歸臺した梁井知事語る |
06 | 樋口參謀長 明日午後八時に記念放送 |
07 | 圖像:金瓜石視察の戶田侍從 |
08 | 島都の記念展 三箇所で開催 |
09 | 新竹市の遠乘會 四日間馬匹普及會の主催で |
10 | 藤岡兵部部長 中南部より歸北 |
11 | 大東亞戰爭と南方華僑 對日協力に轉向 覺醒するマレー華僑 |
12 | 奇特な無名氏の献金美談 |
13 | 必勝信念の涵養へ 兵制實施記念講演盛況 |
14 | 真摯な意見を吐露 皇奉新竹州支部參與奉公委員會 |
15 | 長期戰だ!心構へは出來てゐるか |
16 | 偲ぶ我無敵海軍の偉勳 「ハワイ、マレー沖海戰」試寫會 |
17 | 衣類の更生品 榮の入選並佳作發表 |
18 | 各家庭の創意と工夫を切望 審查員語る |
19 | 宜蘭市高額貯蓄組合結成式 昨日公會堂で擧行 |
20 | 北華僑公會總會 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 荒鷲保甲號の献納 保正會議で滿場一致決議 苗栗郡民一戶一羽の赤誠 |
02 | 桃園二期米初檢查 |
03 | 花蓮港市の兵制講演會 |
04 | 圖像:○○海軍飛行基地の朝 |
05 | 大溪街分會常會 |
06 | 聖戰完遂に奮迅 花蓮港市の大東亞戰爭一周年記念催し |
07 | 防諜講演會 基隆市九、十兩日に開催 |
08 | 竹東郡第一種青年訓練終る |
09 | 青年動員を實施 八日に臺中全州下の青年を 各部落道場で訓練 |
10 | 滿洲開拓の今昔 二人の開拓の父(二) 百萬戶計畫樹立まで |
11 | 龍潭庄奉公參與委員會 |
12 | 綠野氏古稀献金 |
13 | 瑞芳驛新築 |
14 | 馬公街助役 佐佐木氏就任 |
15 | 彰化市國民校長會議 |
16 | 實踐躬行を望む 十日より方面事業感謝週間 嘉義市・同情袋一萬五千枚作製 |
17 | 進步の跡顯著 屏東郡の第三回役馬競技會 |
18 | 學童武道大會 |
19 | 新竹州の戰爭寫真移動展 |
20 | 國語州の實現近し 完璧を誇る高雄州の普及施設 |
21 | 新坡貯蓄組合 |
22 | 傷痍軍人會 嘉義市班改組 |
23 | 大溪街奉公委員會 |
24 | 防犯自警を強化 賭博犯掃滅を期する 高雄署防犯週間 |
25 | 斗六郡第三種空訓 |
26 | 日本アルミ新竹州で工員募集 |
27 | 譽の家族を招待 |
28 | 基隆郡瑞芳街菓子製造業者 |
29 | 基隆市元町一ノ二商議郭瑞麟氏 |
30 | 宮川氏の祖母逝去 |
31 | 地方多より |
32 | 今日の映画 |
33 | 訃文:呂陳氏市 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 計畫造船着着建造 埠頭倉庫の整理が必要 高雄視察後の副見總長語る |
02 | 經濟會議所設置 臺灣は會議所法を適用か |
03 | 南方經濟の建設(三) マレー、スマトラの復興振り |
04 | 國家と業者の機關 廣野鐵鋼統制會長高雄で語る |
05 | 本年の黃麻作 植付減少ながら豐收 |
06 | 正月用餅米 一人當一瓩に決定 |
07 | 澁谷、菅藤兩氏の講演會 |
08 | 耐火プラスター 近く工業會社で採掘 |
09 | 戰爭保險の補助金下附 けふ施行規則一部改正 |
10 | 最近の經濟問題 |
11 | 炭鑛資材倉庫建設 けふ地鎮祭擧行 |
12 | 先月の簡保低調 |
13 | 最近の肥料事情 未だ潤澤の供給望まれない |
14 | 臺銀人事異動 |
15 | 臺銀券愈よ膨脹 年末三億圓突破せん |
16 | 照明燈 |
17 | 商況 三日 後場 |
18 | ラヂオ |
19 | 水滸傳(838)/黃得時;碇政彌 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 二年目も勝拔くぞ 開戰一周年記念行事 全國一齊に繰り展ぐ |
02 | 樞軸軍優勢を保持 チユニス、ビゼルタ中間で激戰 |
03 | 圖像:洪澤湖周邊の新四軍討伐に協力する陸鷲の雄姿 |
04 | 日本記者團と特別會見 ム伊首相、戰捷を祝賀 大東亞戰爭一周年記念日 |
05 | 船員とその家族に 溫い手を差伸べよ 松木海務院長官全國に向け放送 |
06 | 前米陸軍次官輕傷 |
07 | 上陸作戰の艦船損害發表 英米相呼應して |
08 | 帝國の共榮圈指導 中立國筋、關心を集中 |
09 | 獨軍、タブルバ奪取 チユニス西方で激戰 |
10 | 熾烈な空中戰 |
11 | 樞軸軍反擊 |
12 | 海戰史上比類なき業績 ルンガ沖夜戰イタリア各紙絕讚 |
13 | 獨軍發表戰況 |
14 | 敗殘赤軍を包圍殲滅 獨軍の攻勢猛威揮ふ |
15 | 赤軍戰力漸次低下 |
16 | ノ米海軍長官 紐育で演說 |
17 | 英巡洋艦一隻 地中海で雷擊受け沈沒 |
18 | 英驅逐艦沈沒 |
19 | 鮮銀總裁後任 田中氏起用せん |
20 | 司政會議設置 佛舊非佔領地帶に |
21 | 外務辭令 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語講習生を激勵 戶田侍從、市內各所を視察 |
02 | 新竹神社の御列格 來月下旬に嚴そかな奉告祭 擧州奉祝繪卷を展開 |
03 | 鄉軍有功章 光榮の小林氏に 兵事部で傳達式 |
04 | 船員の勞苦に感謝 三日間港都で多彩の行事 |
05 | 圖像:戶田侍郎島都を視察 |
06 | 思想戰完遂に 基隆で家長會議 |
07 | 想ひ出す“あの日” 郵船社員竹井氏感激を語る |
08 | 常會運營を指導 竹中支會長以下關係者乘出す |
09 | 大東亞戰爭と南方華僑(二) 全面的對日協力へ ジヤワ華僑、總會籌備委員會設立 |
10 | 青年學校生の聯合演習 兩日間北投街附近で壯烈に展開 |
11 | 記念講演會開催 奉壯團城北分團主催で |
12 | 圖像:鹵獲兵器の修理 |
13 | 瞼の父母尋ねて 十七の少年單身で渡臺 |
14 | 閣議決定次第 樞府御諮詢へ 文教刷新諸勅令案 |
15 | 金瓜石鑛山產奉 指導者の鍊成會 |
16 | 產婆講習會 十一日から基隆で |
17 | 興南詩苑漢詩 五十生日感作/南都、五十生日感作 其二/南都、五十生日感作 其三/南都、五十生日感作 其四/南都 |
18 | 基隆市の方面感謝週間 |
19 | 寫真移動展 六日龍山寺廟等で開催 |
20 | 古亭町第一區運動會 |
21 | 今夜の放送 |
22 | 商況 四日 前場 |
23 | 興南案內報社消息 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 決戰生活これでよいか “必勝の道”はただ一つ 國家に捧げよ、身も心も |
02 | 圖像:銃後決戰の姿(一) 增產の秋/藍蔭鼎 |
03 | 赤誠の献金品 |
04 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大東亞戰一周年を迎へて 蔣政權を徹底的擊滅 支那派遣軍當局不退轉の決意を披瀝頭條新聞 【東京四日發同盟】帝國が蔣介石政權擊滅の征戰に從事してより早くも五年有半、支那派遣軍將兵の意氣は愈愈天を衝くの慨があるがここに大東亞戰爭一周年を迎えるに當り、支那派遣軍當局は四日左記要旨の當局談を發表、重慶擊滅並びに大東亞戰爭完遂に對する不退轉の決意と覺悟とを披瀝した 支那派遣軍當局談(十二月四日) ◇一、大東亞戰爭と支那戰線 惟ふに大東亞新秩序建設の大旆を揚げて帝國が蔣介石政權擊滅の征戰に從事して以來ここに五年有半支那事變は大東亞戰爭へと必然的發展過程を辿って逐次全東亞の禍根たる米英勢力を擊滅し、八紘一宇の大理想具現はここに飛躍的前進を遂げつつある、欺くの如く東亞を回る世界情勢は偉大なる轉換期に直面してゐるが、重慶政權は依然としてこの歷史的事實に目覺めず米英と共に東亞民族の共敵と化し重慶政權の擊滅また不可缺の要素でありここに大東亞戰爭に於ける支那戰線の地位は明確に規定されるのである ◇二、派遣軍一箇年の作戰成果 大東亞戰爭以來一箇年間における支那戰線の主要作戰は中支における浙贛作戰を始め北支南支並びに蒙疆の各域に亘り五十回を數へその戰果を要約すれば左の如くである(香港攻略戰を含まず) イ 交戰回數は約二萬五千回であって一箇月平均二千回卽ち一日平均七十回弱の戰鬪が行はれてゐる ロ 交戰敵兵力は約三百六十萬であって恰も重慶軍兵力三百萬、中共軍及び遊擊隊六十萬を加へた數字に相等し在支敵軍總兵力三百六十萬を一人殘ず殲滅せしめたことと同じである ハ 敵遺棄死體は總數約二十八萬捕虜約十二萬三千を數へるが前者に對する後者の比率は四十四パーセントとなる、これを前二年と比較するに昭和十五年度は十二パーセント同十六年度は二十九パーセントを示し捕虜が逐年增加の傾向にあることは敵軍戰意の低下を物語ってゐる ニ 右の敵遺棄死體並びに捕虜以外の敵兵力損耗について過去の比率を基礎として推算すれば戰傷二十八萬、逃亡三十萬、その他解除、老衰、淘汰六十萬に達し大東亞戰勃發後一箇年の敵兵力消耗數は百五十八萬三千に達する、卽ち在支敵軍總兵力の四十四パーセントを直接若しくは間接に擊滅したことになる ホ 鹵獲兵器も敵軍平均裝備を基準として算定すれば、迫擊砲五十ケ師分、小銃四十八ケ師分、輕機十八ケ師分、重機十一ケ師分を一年間に鹵獲した 重慶の動向 ◇一、要旨 緒戰に於ける米英の慘敗によって客觀的諸情勢は從來以上に不利となり、我が軍よりする不斷の武力的、壓迫、援蔣補給路線喪失に伴ふ抗戰資料の窮乏民心の抗戰前途に對する懷疑の濃化等により、その抗戰態勢は未曾有の危局に逢着した、ここに於て重慶政權は一方に於ては出來得る限り現戰線を保持し、兵力を溫存すると共に他方奧地開發を主體とする長期持久、自力抗戰體制への轉換を急ぎつつある故に情勢の好轉を待って米英の攻勢發動に便乘せんとする意志はあっても嘗て米英の虛勢を誤斷し、その甘言を盲信したために潰滅の悲運に陷った滇緬戰線の苦杯は重慶としては忘却し得ざるところであり、從って今後重慶對米英間に於て豫想せられるのは相互に自軍の溫存を圖りつつ對日戰に勝って作戰の目的を充足せんとする狡猾なる術策の應酬であって真に興味ある問題である ◇二、在支米空軍について 在支米軍の增強工作は逐次進捗し重慶政權は地上反抗の無氣力を糊塗せんがためこれが活躍に多大の期待を寄せてゐるが過般來北中南支の我が占據地域に對して數次のゲリラ的空襲が行はれた、これに對し我が在支航空部隊は移動する敵空軍基地を求めて反復強襲を加へ或は敵機を邀擊してこれに痛打を與へつつある、 ◇三、奧地開發と自力抗戰態勢の確立について 重慶は本年國家總動員法の確立に銳意努力を傾注するとともにいはゆる西北工作を活潑に展開せしめ逐次同方面に黨軍を移駐せしめて軍事力を強化するとともに中央政治力の滲透を圖り西北ルート擴充と產業開發とに對する各般の準備を進めつつある、これは明かに西北における共產勢力の發展を防遏し中央勢力を扶植擴大せんとする重慶政權の動向を示すものでこれら工作のため米國の野望に基く桎梏が益益加重せらるべきことは否定し得ないところである、 ◇四、國共關係について、 國共關係は重慶政權內外に對する政治情勢と米國などの索制により兩者最高指揮者間の空氣は表面において平穩なるかの如き狀態を持續しつつあるしかし一日國共關係の妥協的均衡に破綻を生ぜんか、從來に見ざる深刻なる鬪爭を展開するに至ることは必然である ◇五、國民政府の戰爭協力態勢並びに協力決戰態勢の確立 帝國の大東亞戰爭完遂に當り國民政府は自ら進んで後方任務を分擔せんと先づ新國民運動を提唱し、中華民眾に勇猛精進克苦耐勞の精神を強調して、その心構へを明示した、更に清鄉工作を推進してその地域江蘇省から浙江省に擴大せられ工作開始以來一年半に近い今日總面積は二千七百九十八平方粁包括人口七百四十九萬二千四百七十七人に達したまた國民政府還都以來和平反共建國の旗の下に集ひ來る重慶軍は年年增加の傾向を示し再建國府軍は物心兩面に亘り實質的威容を加へつつある更に十月軍事機構の一大改革を斷行し軍令軍政の統一と統率力の強化を期したことは國府軍側が軍と協力して和平建國の治安確保に任じ、更に重慶軍擊滅の重大任務をも擔當せんとするものである ◇六、重慶政權徹底擊滅へ 今や重慶政權に對する我が方の態勢は北は蒙疆より北中南支を貫き佛印、タイ、ビルマに至る蜿蜒四千粁(東京――ミッドウェー間の距離に匹敵す)の重慶包圍陣を完成し、戰略要點の悉くを掌握した派遣軍は愈愈不退轉の決意を固め全力を盡して重慶政權擊滅に挺身し、以って大東亞戰爭の完遂を期せんとするものである |
02 | 戰場精神に透徹せよ 安藤副總裁國民に呼びかく |
03 | 感謝の赤誠披瀝 挺身奉公する船員達に對して |
04 | 資源の開發に突進 (上)北ボルネオの現況 |
05 | 圖像:我が無敵空母 |
06 | 支那派遣軍の週間戰況 |
07 | 師範中等教育刷新勅令案 きのふ閣議で決定 |
08 | 商工省酒精部で プタノール製造 |
09 | 放送機能の飛躍 放送協會主務官廳決定 |
10 | 南十字星 |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 戶田侍從の視察終る社說 一 大東亞戰下に於ける銃後臺灣總努力の實相を具さに視察せしめらる有難き思召を以て、さきに畏き邊りより御差遣遊ばされた戶田侍從は、着臺以來前後二週間に亘り、全島に亘り具さに視察を遂げ全日程を滯りなく了へられたことは島民一同の深く感激に堪えないところである。殊に戶田侍從は全行程とも非常なる强行軍であるにも拘らず殆んど休みなしで文字通り山間僻地をも隈なく訪れて熱心に視察し、且つ又到るところの產業戰士或は篤農家或は青年達を引見して懇篤なる激勵の辭を與へるなど洵に感激に堪えないものがある。隨行の督府殖產局長の談に依れば、每日晚餐を執られるのが大抵午後十時頃になるといふ熱心さに對しては全く頭の下るものがあるのである。 島民は今回の戶田侍從御差遣の畏き大御心に對し奉り、今更の如くに感泣措く能はざるところであるが殊に戶田侍從視察の結果がそのまま畏れ多くも天聽に達せらるるは拜察するだに恐懼感激に堪えない次第であつて島民は茲に愈協心戮力、國防國家體制の確立に邁進し以て此の鴻大無邊の聖慮の萬分の一にも應へ奉らねばならぬのである。 |
02 | 社說 大東亞戰一周年記念の意義社說 愈よ本日から大東亞戰爭開戰一周年紀念行事が全國的に繰り展げられる。想ひ起せば昨年本月八日ハワイ真珠灣に正義の一擊を加へてより早くも一年、御稜威の下皇軍將兵の殉忠報國、真摯敢鬪によつてアジアの天地から米英勢力を完全に驅逐し、太平洋全海域に赫赫たる大戰果を收め、現にまた擧げつつあるは、真に感激に堪えないものがある。我らは開戰一周年を迎へるに當り謹んで殉國の諸英靈に深甚なる感謝の誠を捧げなければならない。 さて、開戰一周年の各種記念行事を展開するに當り、我らは如何なる心構へを以て之を迎へるべきであらうか。先づ第一にお祭り騷ぎではないことを深く認識せねばならない。なるほど過去一年に收めた赫赫たる大戰果は正に全世界を驚倒させるに足るものがあり、米英をして回復し難き痛手を負はしめたことは蔽ふべからざる事實である點からすれば、緒戰の大勝利を祝ふべく或はお祭り騷ぎが許されるかも知れない。だが其れはあくまで緒戰であり、本格的戰爭は今後に在り、而して完全に米英を擊滅粉碎せずんば止まざる最後の勝利をこそ、我らは求めてゐるが故に其れは許されぬのである。何となれば米英は斷じて侮るべき對手ではないからである。彼の豐富な物質の力は徒らに輕視するを許さないものがある。父子相傳の百年戰爭を戰ひ拔かんとする我らは、だから緖戰の大戰果に醉うてはならない。勿論敵米英の尨大な物質力、執拗な反抗に對しては、我に十分の備へがあることは贅言を俟たないが、問題は一に我ら國民の志氣であり銃後の體制であることを更に認識する必要があるのである。 この故に一周年記念日を迎へるに當り、我らは先づ第一に大東亞戰爭の真意義を更に銘記せねばならぬ。皇國の興廢を此一戰に賭したる所以を深く考へねばならぬのである。萬が一、皇國が此の一戰に敗れたる場面を想像するとき、何人かよくこの想像に堪え得るものがあらうか。必勝の信念、換言すれば敵米英の死命を制せずんば絕對に戰ひを止めぬといふ不屈の敢鬪精神を我らは茲に新に振起すべきなのだ、今日では最早銃前銃後の區別はなくなつた所謂銃後の鍬執る氣持は第一線の銃執る心持と全然異らなくなつた。我らが增產に努め、物資を節約し、或は貯蓄を行ひ或は私生活を引き締めることは、いづれも戰爭生活當然の義務と云はねばならない。大東亞戰の真意義に徹し必勝の信念に燃え立つ者ならば戰爭生活の實踐は自らに推進するものである。開戰一周年記念諸行事はまさに右に述べたる如く我らに反省を求め、聖戰完遂への新たなる決意と覺悟とを喚起せんとすることに他ならないのである。 |
03 | 皇后陛下の御仁慈 畏し白衣勇士を御慰問 |
04 | 脚下を省みて自肅 大東亞戰爭一週年記念行事 愈よけふから開始 |
05 | 天覽の榮に浴す 陸海軍への献納畫 |
06 | 奉公運動を激勵 戶田侍從中央本部視察 |
07 | 記念講演會に關する懇談會 |
08 | 南方經營を懇談 長谷川總督・首相を訪問 |
09 | 寫真移動展開催 七、八兩日基隆市で |
10 | 陸軍病院へ蜜柑慰問 |
11 | 商工省指定洋傘 年末に一部出廻る |
12 | 二千六百六十字 標準漢字閣議で決定 |
13 | “民防空”の確立へ 兵事防空行政の警察移管に就て 山內警務局長語る |
14 | 記念演劇大會 あす榮座にて開く |
15 | 皇奉宜蘭支會強化 |
16 | 愛國百人一首 普及徹底方法を協議 |
17 | 羅東水防事務監察 |
18 | 產婆合格者 |
19 | 人事消息 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 必勝信念の實踐 これぞ聖戰完遂唯一の途 十二月ラジオ常會山本事務總長放送 |
02 | 賞賜物件傳達式 きのふ彰化市會議室で擧行 |
03 | 新化街大麻頒布式 |
04 | 米英擊滅一周年 感激を新に奮酗迅 |
05 | 八十萬州民の感謝 新竹州十日に英靈合同慰靈祭 |
06 | 淡水中學查閱 |
07 | 青壯年層から保正任命 |
08 | 擧州增產へ突進 新竹州の具體案成る |
09 | 臺南州臨時州會 來る七日に開催 |
10 | 海邊を教壇に 若き學徒の海洋精神昂揚 |
11 | 彰化日婦赤誠の慰問袋 |
12 | 麻豆街十二月申合事項 |
13 | 皆兵精神を昂揚 竹東街の兵制講演會 |
14 | 赤誠の献金品 |
15 | 相思樹皮供出打合 |
16 | 信組監事講習會 |
17 | 自樺隊音樂團 六日初舞臺 |
18 | 地方多より |
19 | 今日の映画 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 全島產組長協議會 けふ愈よ臺中で開催 米榖集荷問題等十八件を附議 |
02 | 企業許可令指定事業 新に十八業を追加指定 鈴木課長談 |
03 | 臺灣乾燥果實移入組合總會 |
04 | 乾芭蕉の處理策 全島打合會で決定 |
05 | 恒春郡サイザル統制組合設立 |
06 | 壓榨開始 |
07 | 港灣勞力の確保 勞頭制活用の意見擡頭 |
08 | 物資の海上輸送順位 運營會、府に決定方依賴 |
09 | 督府農務課の事務分掌決定 |
10 | 商況 四日 後場 |
11 | ラヂオ |
12 | 水滸傳(839)/黃得時;碇政彌 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 五度も雷擊に遭ふ 海國日本の船員魂を發露 殊勳伏見丸の奮戰記 |
02 | 船中で開戰を豫感 蘭印最後の引揚船で歸つた 蓮見事務官一年前を追想 |
03 | 資源開發に突進 (下)北ボルネオの現況 |
04 | 輸送戰士を慰問激勵 後藤事務總長驛頭視察 |
05 | 圖像:比島戡定作戰に活躍する我が○○部隊勇士 |
06 | 神武の精神を確立 國民鍊成の新方針 |
07 | 東亞民族に新文化 伊文相、日本記者團と會見 |
08 | 反樞軸軍頗る苦戰 北阿の兩軍激戰續く |
09 | 白雪鮮血に染まる 東部戰線隨所に肉彈戰展開 |
10 | 佛政府閣議を開く |
11 | 米政府の虛偽報道 全國民の不滿爆發 |
12 | 反樞軸聯合軍 佛領西阿へ進攻 |
13 | 偽瞞的宣傳 政策を非難 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 早くも皇軍の一兵 懷しい訓練の數數を殘して 志願兵島都に歸る |
02 | 船客運賃の值上げ 十日から全航路に實施 |
03 | 軍人援護の完璧 軍事保護院記念行事 |
04 | 新竹州警察部 課長の打合會 |
05 | 船と共に生死 船員感謝週間開始 |
06 | 基隆市高額貯蓄組合結成 |
07 | 奉壯主催記念移動展 軍官民が 多數來場 |
08 | 海軍献納機命名式 けふ東京歌舞伎座で |
09 | 從軍記念會結成 通知漏も出席 |
10 | 戰艦建造費へ 林兼商店陸海軍に献金 |
11 | 興南詩苑漢詩 和嘯霞詞兄瑤韻/小維摩 |
12 | 戰利品と俘虜 菊元百貨店で寫真展 |
13 | 全島厚生事業大會 十七、八日新竹市で開く |
14 | 臺灣音樂研究會を開催 今夜明菓三階で |
15 | 必勝貯蓄組合 六日協和會館で |
16 | 家政女學校長の座談會 |
17 | 彰化市商議 一行が來基 |
18 | 日婦基隆市 旭區分會結成 |
19 | 宜蘭郡の堆肥增產週間 |
20 | 月眉山行 |
21 | 人事消息 |
22 | 今夜の放送 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 戰爭生活確立の日 滯貨一掃運動を開始 海の輸送戰士に感謝を捧ぐ 頭條新聞 【東京發同盟】さあ二年目も勝ち拔くぞの固き決意と□ひの下に追り來る大東亞戰爭開戰一周年記念日を迎へてあの日の感激と大戰果に應へていよく必勝の信念を新たにし戰果に驕るとなく戰場精神に徹し生產增強と戰爭生活の實踐に向ひ一億總進軍の巨步を踏出したが此國民運動を推進させる大政翼賛會主宰の多彩な記念行事の數々が五日から全國一齊に繰展げられた。この日早朝から「重點輸送滯貨協力一掃運動」は一個の小荷物に至るまで滯らせることなく戰ふ輸送陣を更に完璧ならしめようと翼壯、商報、各學校報國團等の各團體が出動して戰時重要物資や生活必需品の輸送配達に挺身して「戰爭生活確立の日」のために真摯敢闘尊い汗の奉仕を續けた又之と呼應して行はれた「船員感謝援護運動」も海の輸送戰士の總元締、海報と翼賛會が協力して全國的に展開、各地關係港灣都市の官廳、學校、町內會、日婦等の各團體では戰歿、殉職船員英靈の追悼、傷病船員の病氣回復祈願の外慰問激勵等が行はれ感謝の誠を捧げるが交通機關、映畫館、劇場、浴場、理髮店等でも特に船員を慰安優待したこの外「世界歷史革る日」を記念する催物の先陣を承つて帝都でも思出も新たなる感激一色の催物が「大詔奉戴大東亞小國民大會」に「戰場精神昂揚大音樂會」に又「映畫報國米英擊滅展」等に展開され老ひも若きも男も女もすべて戰場精神の士氣を彌が上にも昂揚させたのだつた此日から全國各映畫館、劇場、演藝場等の觀客も齊しく各館主劇場支配人の指揮で國民儀禮に敬虔な必勝祈願を罩めた斯くて開戰記念日を中心に前半七日までの戰爭生活確立のための記念行事に引續き後半の七日から十一日までの三日間は戰爭第二年へ突入する發足期間として戰力強化運動が展開される |
02 | 斷乎米英を打倒 一億決意を新たに 谷外相放送 |
03 | モレスビー爆擊行 空の鬪爭十箇月を回顧 |
04 | 臨時閣議開催 |
05 | 防空必勝態勢を固む 九日から十一日まで三日間 全國に防空強化運動を展開 |
06 | 汪主席烈烈の至情 中國の立場を闡明 |
07 | 米英の慘虐性暴露 東京入城を夢見る |
08 | ギリシヤ船擊沈 |
09 | 南十字星 |
10 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 國家總力戰の諸特質に就て社說 一 現代に於ける戰爭の通念は國家總力戰である。武力戰を以て戰爭の如くに考へたのは過去の事に屬するのであつて、現在では國家の全力を傾注して戰ふのが戰爭である。武力を特定の戰場へ集中して雌雄を決する樣なことは近代戰の一面であつて、その全面ではない卽ち戰ひは國家の全機構が對象ともなれば、手段ともなるのであつて、ここにこそ近代戰の獨自性が存するのである。換言すれば武力のみではなく、他の諸手段卽ち外交とか、內政攪亂とか、經濟とか、厚生とか、思想とか。宣傳とか、科學とか、高度のスパイ政策等の諸手段を通じて巧妙に戰はされて居り、就中一國の軍需生產能力の如何が戰爭の勝敗を決するとまで云はれる程になつて來た。そして極めて廣汎に及ぶそれら攻防の對象と手段が如何に巧みに有機的連繫を以て用ゐられ、結局の勝利に導くかがその特質であり、斯くて國家總力戰こそがその實體となつて來つた。勿論この故にとて武力が輕視されてゐるなどと云ふことは絕對にない。一面に於て武力は量的に益益尨大なる整備を必要とすると同時に、質的に愈よ尖銳化されて來た。之と共に戰ひに於ける諸手段の使用が高度化するに連れて、武力そのものの行使が非常に厚みを有して來たことである。 二 更に國家總力戰はそれと全く不可分の關聯の下に、國民相互間の戰ひになつて來てゐる。從來武力戰鬪員のみが戰爭をするとか、他の者はそれを支援するなどと云ふ考へ方は今日では著しく時代錯誤的になりつつある。逐次に戰鬪員と非戰鬪員間の區別を無くして來てゐる。戰爭は武力戰に於ける勝利を重大な條件とすることは申すまでもないが、單なる武力的勝利だけでは真の勝利になるかどうか決まらない。手近な支那事變を見ても、真に支那全國民の戰鬪意志を挫折せしめて仕舞はなければ、究極の勝利にまで到達することは出來ない。或場合には武力を戰場の方へ集中させて置いて、その間に所謂銃後の方を襲擊するといつた手段が用ゐられないとも限らない。或時は經濟的に窮迫をさせることもあらうし、或はデマ宣傳を以て攪亂することもあらうし、又は內政を崩壞に導くこともあるであらう。これらの一つ一つに國民全體が堪へて行かなければ、結局の勝利を獲得することにはならない。だから總力戰では國民の一人一人が何らかの意味に於て戰鬪員である。寧ろ國民の各自が總力的意味に於て武裝しなければ、所謂國防國家の體制にはなり得ぬのである。 三 併し總力戰の實質的問題としては武力戰と經濟戰に重點がある。從つてこの間の連繋には特に重大なものが存する。この點に關しては今現に軍需問題が如何に大きな戰爭上の役割を演じてゐるかに留意すれば明かである。勿論總力戰はさうした實質面の外に大きく文化面を有してゐるが、究級の實力問題はこの兩面に存するのである大東亞戰爭は武力戰でありつつもその底に於ては米英の經濟封鎖を以て我國をその消耗に誘導し、斯くて敗北を喫せしめんとすることは明かである。從つてこの戰爭はその底に於て經濟戰爭たる意味が深刻に包含されてゐる。勿論支那事變そのものにしても、蔣政權及ぴ背後から支援をしてゐた米英はその消耗を以て直接の對象としてゐた。殊に大東亞戰爭の幕が切つて落されてから、その企圖の規模は更に大となつて來た。それだけに經濟戰爭の自覺と云ふものが現在又は今後の我國に取つて如何に大切な性質を有するか量り知れぬものがある。だから國民の一人一人が實戰に參加してゐるのだと云ふ認識、國民の各自がその職域に死力を盡すと云ふ精神、それが戰爭完遂の重要な要素であり、戰爭勝敗の鍵を握るものであることをとくと銘記しなければならない。 |
02 | 戶田侍從昨日離臺 全島の視察を終へて |
03 | 最後まで戰ひ拔け “全島民決意と認識を新たに” 樋口參謀長の放送 |
04 | 佐倉神社鎮座祭 昨日嚴かに執行はる |
05 | 戰場精神を生活に實踐 從軍記念會員近く鍊成實施 |
06 | 兩軍必死の攻防戰 青年校聯合演習閉幕 |
07 | 豆選士の敢鬪 學童武道大會開かる 軍司令官來場 |
08 | 藤岡兵務部長 演習狀況視察 |
09 | 壯烈な遭遇戰 花蓮港廳下學徒の聯合演習 |
10 | 大東亞戰爭一周年記念講演會 けふ午後一時公會堂で |
11 | “國民の覺悟”強調 宜蘭市の記念講演盛況 |
12 | 第七回軍用犬展 けふ島都新公園廣場で |
13 | 圖像:青年校の聯合演習 |
14 | 奉公運動に關する座談會 宜蘭市郡で開催 |
15 | 壯丁團查閱 並に體鍊會 |
16 | 記念寫真移動展 花蓮港支部の開催日割 |
17 | 護國神社圓山間に臨時バス 八日の記念日に |
18 | 消訪組第五部詰所の落成式 |
19 | 音樂大演奏會 七日市公會堂で |
20 | 市川女史講演 花女外二箇所で |
21 | 產金道路竣工 十一日に開通式 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 若人の意氣を發揮 嘉義市聯青團の查閱 |
02 | 冬の燃料確保 島澤產業部長炭燒き督勵へ |
03 | 勳章傳達式 |
04 | 米英擊滅一周年 決意新な諸行事 |
05 | 米の供出を圓滑に 臺中州各地に督勵隊派遣 |
06 | 大麻頒布式 |
07 | 地方民の生活巡回相談へ |
08 | 模型航空機製造 販賣指定に就て 日高航空課長談 |
09 | 歲末同情金寄附 |
10 | 坂口知事農村視察 |
11 | 消防組檢閱式 |
12 | 竹東郡高額貯蓄組合結成式 |
13 | 增產の重責擔ふて 默默產業戰士仁德庄で力比べ |
14 | 業態別組合幹部鍊成會終る |
15 | 麻豆街埤頭部民の堆肥造成 |
16 | 敵機の見分け方 吉井デバートで模型機陳列 |
17 | 姙產婦保健に挺身 臺中州奉公助產婦會結成さる |
18 | 屏東郡第一種青訓終了式 |
19 | 屋代海軍囑託の新化街葬 |
20 | 岩切訓導 譽の戰死 |
21 | 貧寒者に溫い手 市民から慈善袋を募る |
22 | 南方傷勢鍊成所に改稱 高雄の 貿易實務者養成所 |
23 | 新化街部落會常會 |
24 | 嘉義市紙芝居挺身隊街頭で公演 |
25 | 紙芝居での宣傳效果百% |
26 | 相思樹皮供出打合 |
27 | 臺中州保甲道場 けふ上棟式を擧行 |
28 | 苧麻增產講話 |
29 | 嘉義奉壯團臨時總會 |
30 | 生活部長打合會 |
31 | 國民詩講習會 |
32 | 埔里街水尾國民學校運動會 |
33 | 彰化郡線西庄に火災 |
34 | 雜纖維加工組合 役員指名さる |
35 | 今日の映画 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 產業報國に邁進 諸提案を原案通り可決 第一回全島產組長協議會終了 |
02 | 皇軍への感謝決議 |
03 | 南方經濟の建設(四) 比島自活經濟と資源開發 |
04 | 指定工場外の乾芭蕉 輸移出不許可に決定 |
05 | 王子製紙社長勇退 會長に副社長昇格 |
06 | 雜貨船積機構確立 新に船機委員會を設置 |
07 | 臺灣貿易會設置 近日中に內閣と合議 |
08 | 商況 五日 前場 |
09 | ラヂオ |
10 | 水滸傳(840)/黃得時;碇政彌 |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大東亞の尊き人柱 海軍關係第二回論功行賞頭條新聞 【東京發同盟】畏き邊りでは大東亞戰爭勃發一周年の記念すべき日を明日に控へた七日大東亞戰爭死歿者海軍關係第二回論功行賞の御沙汰あらせられ同日午前零時海軍省並に賞勳局より發表された、今回恩命に浴した者は今次開戰劈頭より本年五月中旬に至るまでの間に西太平洋の各方面に善謀勇戰、散華せる將兵の一部でその內內田正二海軍豫備大尉以下二十三名の勇士はその功績拔群なるを嘉せられ殊勳甲として優賞せられた、內田大尉は掃海艇長として比島方面の作戰に從事し敵の防備嚴重なる重要水路啓發の任に當り敵彈雨飛の中を數次に亘り勇敢に機雷原に突入し敵前强行掃海中壯烈なる戰死を遂げたもので又同じく優賞の光榮に浴した山田飛行特務少尉、二瓶二等飛行兵曹はダバオ灣口哨戒中敵爆擊機隊の來襲を發見し空中戰鬪に所謂下駄履きの水上偵察機を以て敢然單機これに突入し一機を擊墜し他の一機に甚大なる損傷を與へて擊退克くその任務を果したるも敵彈のため機上に壯烈なる戰死を遂げたものである、その外米航空兵力擊滅戰に不滅の偉勳を樹て護國の華と散つた勇士が優賞者の大部分を占めこれらの海鷲は主として比島空軍擊滅戰の途上散華したものである、卽ち開戰前米はその優勢なる航空兵力を比島方面に集中し我が本土空襲を呼號しをつたに拘はらず我が海軍航空部隊蹶然起つや第一日(十二月八日)には擊墜二十五、擊破百十を第二日十日には擊墜五十一擊破五十三等開戰一週間にして擊墜破總數三百五十機に達し早くもその大部分を潰滅し去り本土空襲は愚か一衣帶水の臺灣に對してすら何等為す所なからしめたる赫々たる偉業は彼の真珠灣の强襲、マレー沖海戰と共に今次戰爭の歸趨を決したるものと言ふべくこの輝しき我が海軍航空部隊の戰果の陰にはこれら幾多の尊き人柱あることを吾人は固く銘記し益々大東亞戰爭完勝に遺憾なきを期し以てこの大戰果に對へねばならぬ 海軍省公表 (七日午前零時) 本日海軍戰歿將士の一部に對し論功行賞の優渥なる御沙汰を拜したり、今回恩命に浴したる者は今次戰爭開戰頭始より本年五月中旬に至るまでの間において西太平洋海空方面に勇戰散華せる將兵海軍豫備大尉內田正二以下二十三名の殊勳甲として優賞せられたる者を含み特に內田豫備大尉は豫備士官として初の殊勳甲の榮譽に與りたるものなり |
02 | 四十隻の敵大船團に必中彈 我陸鷲印緬國境近海に出擊 |
03 | 大東亞の建設計畫 先づ經濟に重點置く 青木大東亞放送 |
04 | 久松侍從歸京 きのふ歸京直ちに參內 |
05 | 共通の目的達成へ 大島駐獨大使語る |
06 | 勝利の大道を驀進 坪上駐タイ大使談 |
07 | 安藤軍司令官が 劍道大會を觀覽 |
08 | 朝鮮にも義務教育 全半島歡喜に沸立つ |
09 | 比島再見奉仕團を結成 |
10 | 山東等蔣共軍掃蕩 ○○部隊一年の輝く綜合大戰果 |
11 | 海軍訓練視察 首相以下閣僚來橫 |
12 | 兩國の共感を強化 ム伊首相、邦人記者團と會見 |
13 | タ、ヂ兩市を奪還 北阿の樞軸軍有利 |
14 | 赤軍の冬季 反攻は失敗 獨軍當局指摘 |
15 | 死者四萬五千 ソ聯反攻の損害 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 賀陽宮邦壽王殿下 御成年式を擧げさせらる |
02 | 死は前方より來る されど征かん必死にあり 功四旭六に輝く內田豫備大尉 |
03 | 獅子奮迅の活躍 殊勳甲の山田少尉 |
04 | 圖像:青年學校綜合訓練 |
05 | 二年目も勝拔くぞ 島都で記念大講演會 |
06 | 奉壯“黎明の集會” 明朝六時を期して |
07 | 比島初空襲に參加 手塚海軍飛行兵曹長 |
08 | 記念展大盛況 六日の入場者二萬突破 |
09 | 物云はぬ戰士熱眼 第七回軍用犬展開かる |
10 | 百戰鍊磨の鬪魂 小島一之一飛曹 |
11 | 壯烈な拂曉戰展開 青年學校生演習閉幕 |
12 | “國民皆兵”を上演 記念演劇大會盛況 |
13 | 新竹市の記念講演會 |
14 | 臺灣法曹奉公團 あす結成式を擧行 |
15 | 敵機を蹴散らす 二瓶二等飛行兵曹 |
16 | 臺北州異動 |
17 | 軍司令部で拾つた献金美談 |
18 | 木炭增產に拍車 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | あす大詔奉戴一周年 あの日の感激新に 各地で嚴肅な行事 |
02 | 祭粢料傳達 故李軍屬遺族に |
03 | 慰問に戰果日誌 高雄大和校ヨイ子供の切拔き帖 近く前線へ發送 |
04 | 清風莊開所式 十四日に擧行 |
05 | 銃劍道振興會 彰化分會結成 |
06 | 常會運營の實際 清水で研究會開催 |
07 | “勝ち拔く生活” 市川女史臺中で講演 |
08 | 圖像:銃後決戰の姿(二) 米英擊滅へ/藍蔭鼎 |
09 | 日本美術の粹 複寫して展覽 |
10 | 銃後援護の龜鑑 父を御國に捧げた健氣な少女に 前線から每月送金 |
11 | 開戰一周年 各地の行事 |
12 | 結成式變更 |
13 | 未來の良妻賢母へ 修了式に甲斐甲斐し炊出訓練 桔梗俱樂部八回鍊成終る |
14 | 中壢若草會 晴れの結成式 |
15 | 增產の腕比べ 海山郡深耕競技會 |
16 | 壯烈・拂曉戰展開 燃ゆる若人の意氣を昂揚し 花蓮港廳下の學徒演習閉幕 |
17 | 慰問大演藝會 十一日屏東で開催 |
18 | 從軍會結成 嘉義は十六日に |
19 | 彰化の火事 |
20 | 人事報社消息 |
21 | 今日の映画 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 学芸 日本は世界の太陽 開戰一周年を迎へアジアの民に/秋山謙藏 |
02 | 愛國百人一首(二) 日本文學報國會選 |
03 | 大東亞戰爭/長崎浩 |
04 | 北回歸線 文化の強弱性 生活水準との繫り |
05 | 地方通信 |
06 | ラヂオ |
07 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 忠勇無比の將兵に 一億の盡きぬ感謝 「軍人援護強化運動」を展開 |
02 | 太平洋艦隊の戰鬪力を喪失 米真珠灣の損害發表 |
03 | 我等の敵と盟友の姿 |
04 | 府總務局に參與委員設置 官民の連絡を緊密化 |
05 | 皇奉海洋訓練隊修了式 |
06 | 徹底的に粉碎せん 印緬國境で蠢動せば |
07 | 圖像:我が無敵空母(其三) |
08 | 獨ソ兩軍作戰の相違點 |
09 | 議案の迅速成立へ 貴院、九日に會合協議 |
10 | 英軍落下傘部隊 三百餘名捕虜 |
11 | 北阿の戰況 獨軍司令部發表 |
12 | 英國に與ふる公開狀 |
13 | 米潛艦の殘虐非道 漁船○○丸某乘組員の報告 |
14 | 日本空軍の攻擊は 確かにすばらしい 捕虜米機搭乘員の心境 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 賀陽宮邦壽王殿下 御成年式を行はせらる |
02 | 護國神社で感謝祭 在北各部隊も多數參列 遺族着席は早目に |
03 | 黎明の神社參拜 志願兵・明朝六時を期し |
04 | 傷痍軍人に金一封贈呈 |
05 | “海軍魂”を發揮 功五旭七の早坂空曹 |
06 | 繰返す石器生活 前ハワイ總領事喜多長雄氏の真珠灣空襲回顧談 |
07 | 當歲馬を買上ぐ |
08 | 一周年記念展 あすから開幕 |
09 | “海の人”よ、有難う 基隆船員感謝會盛況 |
10 | 戰歿者合同告別式 十日第三部隊で執行 |
11 | 聖戰完遂講演會 島都十八ケ所で開催 |
12 | 陸海軍へ感謝献金 官民代表軍當局を訪問 |
13 | 感激の記念献金 |
14 | 地下資源が豐富 將來を期待されるスマトラ 川村司政長官語る |
15 | 債券の街頭賣出し |
16 | 婦人層に聽く 島都奉仕で懇談會開催 |
17 | 年末鐵道荷物 一部託送を制限 |
18 | “廿一歲”の學士樣 潑刺たる建設戰へ |
19 | 一周年を迎へて 新竹市の記念行事 |
20 | 正月用物資を特配 |
21 | 興南詩苑漢詩 秋日遊龍山寺/肇藩 高士穆、秋過北投/肇藩 高士穆、鶯歌樟樹莊秋日/肇藩 高士穆、綠野純青二老過訪桃園寓廬賦似/謝雪漁、過桃園訪雪漁翁聯句三首/謝雪漁 |
22 | 人事消息 |
23 | 煙幕 |
24 | 今夜の放送 |
25 | 商況 七日 前場 |
26 | 興南案內報社消息 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 御精勵の御日常 畏し・聖業完遂を深く御軫念 一億蒼生恐懼感奮頭條新聞 【東京發同盟】再び巡り來た世紀の日十二月八日、畏くも 天皇陛下には過ぐる昭和十二年七月支那事變勃發以來、日夜事變の推移に深き叡慮をかけさせ給ひ、前線より歸還の將軍を召させられては屢々第一線の軍狀を具さに聽召される等、軍務御精勵の程は拜するだに畏き極みであるが、昭和十六年十二月八日、我が帝國の興廢を此の一戰に賭する大東亞戰爭の勃發を見るや畏くも宣戰布告の大詔を渙發あらせられ一億蒼生の向ふベき嚴たる大方針を昭示遊ばされたのであつた、思ひ起す一億感奮のあの日八日早曉、南本洋水域に於て我が皇軍と米英軍との間に干戈が交えられ午前二時四十分過ぎ霜凍る大內山の玉砂利を踏んで東鄉外相が急遽參內するや、畏くも 陛下には深夜にも拘らせられず直ちに拜謁仰せつけられ、冷氣一入滲み渡る表御座所に於て一時間餘に亘つて奏上を聽召されまた刻々として入る西太平洋の戰況を側近より聞召されて御寢の御時間もあらせられず午前十時十五分緊張の氣漲る樞密院本會議に親臨あらせられあの歷史的な帝國の方針を御諮詢あらせられたのであつた、續いて同九日 天皇陛下には宮中三殿に臨時大祭を御親祭あらせられ 皇祖神祇の大前に宣戰の事を御親告、聖業完遂を親しく御祈念あらせられたが、宣戰御親告の宮中臨時大祭の御儀は日清、日露の兩戰役に續き大正三年八月前世界大戰以來の御事にて皇國の興廢を賭する今次大東亞戰爭を御軫念遊ばされる 聖慮の程に一億民草は同じく恐懼感奮盡忠奉公の赤心に徹して必勝敢闘の誓ひを新たにしたのであつた、開戰劈頭ハワイ方面の大戰果にはいたく御滿悅あらせられ十日、山本聯合艦隊司令長官に對し、畏くる御嘉賞の勅語を賜ひ、續いてマレー沖海戰の偉勳にも優渥なる勅語を賜ひ、前線將兵の士氣は益々舉つた、かくて昭和十七年の新春を迎へ、畏くも 天皇陛下には玉體愈々御健かに日夜萬機を御統裁あらせられたが、新春の御祝膳には野戰料理を聞召され、前線將兵の上を親しく御偲び遊ばされ、また前線視察のために侍從武官を御差遣、去る七月には霞ケ浦海軍航空隊に次で八月には宇都宮陸軍飛行場に行幸、去る二月紀元節御親祭の御砌りには特に御辭別を以つて輝く戰果を皇祖神祇に御親告戰捷を御祈念あらせられ給つたと拜承するが、十一月二日には明治節祭に先き立ち、畏くも 皇后陛下と御同列にて明治神宮に御拜、戰爭完遂を御祈念あらせられる等、大御心の程、拜するだに恐懼の極みである 御稜威の下 今や大東亞の天地は我が皇軍の威武の下にあり、御民われ生けるしるしありの感激も一入に一億蒼生は 聖業翼賛の決意を深く誓ひまつるのである |
02 | けふぞ八日・東亞の再建 詔書 |
03 | 戰史に輝く金字塔 帝國陸軍一年の戰果 |
04 | 羅東郡高額貯蓄組合結成式 |
05 | 帝國海軍一年の戰果 |
06 | 國內是戰場の精神 全國嚴肅多彩な記念行事 |
07 | 皇國隆替の分岐戰 長谷川總督語る |
08 | 國民大會帝都中央大會 けふ靖國神社で開く |
09 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 けふの感激を活かせよ社說 一 世界の歷史に燦然たる記錄として大書さるべき昨年十二月八日、大□の下皇軍が米英擊滅の大東亞戰爭に奮然起つてから茲に滿一年、けふはその記念日である大詔を拜したあの感激を新たに一億國民は聖戰完遂の決意を更に固めなければならない、思へば正義の皇軍が蹶然起つて敵亞米利加の頭上に一擊を喰はした布哇真珠灣頭の凱歌以來、盡忠烈烈たるわが將兵は炎熱酷暑の下に辛酸萬苦を嘗めつつ能く見敵必殺の劍を揮ひ陸に、海に、空に赫赫たる大戰果を收めたのである、銘記すべき記念日を迎へわれら國民は第一線の將兵に限りなき感謝と敬意をささげ、戰果の犧牲となつて散華した忠魂に對し心からなる冥福を祈ると共に層一層銃後責務の重大性を自覺しなければならない。 二 今八日より過去一年における戰勝の歡びを基調とし、“國內是戰場”の精神を發揮すべき各種新國民運動が展開されるが、就中戰力强化の生產戰、經濟戰が現段階の最も緊急事業として一億の總努力を要請されてゐる。亞米利加は其富と大資源を恃み一九四四年までには巨大なる軍備を完成して反攻に出ると豪語してゐる、然し敵の戰力が尨大と言つても相對的なものである、吾吾も戰力を增加すればそれだけアメリカの戰力は低下するわけであつて、決して絕對的のものではない、要は國民の精神一つ、心構へ一つである、その精神、その心構へとは何か、日本は不滅の神國である、その上に世界無比の無敵皇軍が嚴然と存してゐる、吾吾は武力戰に關する限り絕對の信賴を持してゐるが、經濟戰、思想戰に關しても石に嚙りついても勝ち拔くと言ふ烈烈たる愛國の丹心を鐵火と燃して增產に、貯蓄に、總ゆる銃後活動に奔流せしめなければならない 三 この必勝不退轉の決意、沸沸として湧き立つ戰場精神を間斷なく堅持し以て長期戰を戰ひ拔かねばならない、長期戰だからゆつくり腰を落ちつけて山登りの如く憩ひながら行くと考へるのは既に感激が痲痺したものに外ならない、南太平洋における一連の海戰は孰れも近代兵器科學の粹を蒐めて史上未曾有の決戰なのである、その樣相、規模において凄愴を極める血戰である、デモクラシーと自由の家元であつたアメリカもいよいよ立ち上つて決戰の態勢を强化してゐる、一億國民も緊褌一番あらゆる國力を集中して以て經濟戰、生產戰に總進軍しなければならない、再び迎へる大詔渙發の感激を生活の上に活かしてこそ大東亞戰爭一周年記念日の意義がある |
02 | 圖像:燦たり・海南を壓する軍旗 |
03 | 新しき東亞・今年も建設 大詔を胸に、進め一億 けふ開戰一周年記念日 |
04 | 擧島鐵石の一丸 緒戰の域から本格的階段へ 安藤臺灣軍司令官談 |
05 | 敵米英を斷乎擊碎 凡ゆる困苦障害を克服せよ 高木馬公警備府司令長官談 |
06 | 總額四百廿九萬餘圓 開戰一年、島民赤誠の献金品 |
07 | 戰歿者の追弔法要 總督代理、軍司令官參列の下に 昨日嚴かに執行はる |
08 | 家政女生徒が汗の奉仕 樋口參謀長等の官舍を清掃 |
09 | 慰問映畫會 |
10 | 鍛へる皇軍將兵 昨日第三部隊で記念體育大會 |
11 | 記念音樂大演奏會盛況 |
12 | 兵學校教育の重要性強調 海軍武官府松岡大尉が放送 |
13 | サイレンを吹鳴 午前十一時五十九分に |
14 | 從軍記念會臺北支會 きのふ晴れの結成式擧行 |
15 | 北華僑公會總會 |
16 | 街の防諜戰士 新竹警察署で表彰 |
17 | 八日より實施 鮮魚配給切符制に |
18 | 貨物列車市バスと衝突 |
19 | 人事 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 開戰一周年記念特輯 真摯烈烈共榮圈各國の協力姿 世界震駭の電擊放送 あの日の大平部隊長、平出課長特輯 |
02 | 對日協力態勢成る 大東亞戰爭と國民政府特輯 |
03 | 圖像:大東亞現勢圖特輯 |
04 | 奴隸から自由へ ヴアルガス長官手記特輯 |
05 | 大業の一端を擔ふ ピブン泰首相聲明特輯 |
06 | アジアは一つ バーモ長官と一問一答特輯 |
07 | 廣告特輯 |
序號 | 標題 |
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01 | 必勝へ擧島白襷增の產卷 增產へ力一杯精一杯 明るい東亞・われ等が建設 一鍬一槌長期の固め特輯 |
02 | 圖像:銃後決戰の姿(三) 決戰の旋盤/藍蔭鼎特輯 |
03 | 利潤から奉仕へ 統制經濟と經濟道德 府商政課長田中國一氏談特輯 |
04 | お山も“豐年滿作” 勤勞に不毛の地なし特輯 |
05 | 我が家の戰爭生活(一) 各方面の實踐に聽く特輯 |
06 | 廣告特輯 |
序號 | 標題 |
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01 | 必勝へ擧島白襷皇民奉公の卷 鐵石の總力を結集 聖戰完遂に一路總進軍 盛り上る敢鬪振り特輯 |
02 | 皇國精神を鍊成 皇民奉公運動の重點特輯 |
03 | 新臺灣文化の創建 將來の活躍に期待特輯 |
04 | 經濟國策に順應 公益優先、職域奉公特輯 |
05 | 決戰生活建設へ 實踐指導に力瘤特輯 |
06 | 勝ち拔く士氣昂揚 運動の理念滲透へ特輯 |
07 | 敵米敗戰の記錄(米誌より)特輯 |
08 | 張り切る造船戰士 職場挺身・木造船工場訪問記特輯 |
09 | 廣告特輯 |
序號 | 標題 |
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01 | 前線の勇戰に應へよ開戰一年 遺烈永へに芳し 鄉土女性達の敬虔な感激談特輯 大東亞戰爭勃発するやハワイ真珠灣の奧深く特殊潜航艇を驅つて突入、敵艦を破損して劈頭の大殊勲に輝やく九軍神-當時一億國民は狀絕極まりない軍神の偉業に悉く感激の涙に咽んだ、爾來一年陸に海に空に皇軍將兵の奮戰は大東亞共榮圈に戰略態勢の完成をめざして長期戰を戰ひぬく準備を整へつつあるここにわれわれは光榮ある開戰一周年を記念するに當つて雲烟遙かの真珠灣に散華した九重神への欽仰を新たにすると共に、その一年祭を迎へる鄉土の感銘に耳を傾けねばならぬ、永劫不滅の偉勲を樹てた軍神の日本精神は、軍神を生んだ鄉土の人人を如何に感化したか、殊に日本の母たり、母たらんとする女性達を如何に導いたか、いま九軍神の一年祭に際して鄉土女性達の敬虔な奉告を聞くことにしやう |
02 | “岩佐軍神の心で” 無言の感化を日常に特輯 軍神岩佐中佐を生んだ群馬縣前橋市川原はいふまでもなく、日本國中津津浦浦の女性達を感銘させたのは軍神の母堂の無言の教訓ぶりであつた、あの時以來岩佐家を訪ねて軍神の遺族の聲咳に接し第二の國民の生きた訓話にしようと各團體の代表が絕えず同家の藁葺の家を訪れたが前橋地方の女性たちに與へた感激は當然最も深刻なものであつた、軍神岩佐中佐こそ私達の誇りであり、從つて私達の長期戰對應の構へは斷じて他の人人に劣つてはならぬといふ 氣魄が近隣一帶に充ち滿ちた、左に日婦前橋支部長鈴木たま女史の語る鄉土婦人の決意を掲げよう 昨年十二月八日軍神岩佐中佐が特別攻撃隊を率ゐて真珠灣に乘込み敵艦を破催してその身は八軍神と共に壯烈無比の戰死を遂げられたといふ發表があつた時のあの感激、それと同時に思ひ出すのは岩佐中佐を育てたお母さんのあの質朴な姿でありました、中佐があの大任務を達成した無双の勇魂と崇高な人格を作りあげたのはあの寡默のお母さんなのであります、その無言の教訓を中佐が實踐したのです私共はこのお母さんの心を心とし進んで行かねばなりません私は女性の會合のある每に岩佐中佐の烈々たる 闘魂を說きそのお母さんの無言の偉大なる感化力を話してゐるのです。最近女性の會合に出てその影響といふのがそれによる女性の自覺と申しますのか、勤勞奉仕をする場合でも防空訓練をやる場合でも岩佐軍神の心でやりませうと實踐躬行の精神を發揮してゐることはその感化力の如何に大きいかを如實に物語るものであります、私共女性はこの軍神を產んだお母さんのやうな良妻賢母をどしどしつくり出して行きたいと念願してゐる次第で御座います(寫真は鈴木たまさん) |
03 | 學生鞄に若櫻の歌 古野少佐の鄉土の變貌特輯 あれから一年、國民讀仰の的となつた軍神古野少佐の鄉土の變貌こそ「偉大なる軍神の感化」である「少佐の名譽は決して汚しません」と誓ひも固く立ち上つて銃後に輝く模範村となりおほせた「軍神の村」の氣高い覺悟の中でか弱い女性達のひたむきな職域奉公の姿は雄雄しくもたのもしい限りである、筑紫山脈の北、豐かに擴つた遠賀平野は今收穫の最中で刈り取られた 黃金の山が見渡す限り續いてゐる中を少佐の鄉里福岡縣遠賀村虫生津に着く、そしてこの村の中堅婦人として純朴な村人の尊敬を一身に集めてゐる、軍神の叔母さん古野ユキ(四二)訓導に軍神の母梭淺木國民學校で會つた、古野先生はうつむき勝ちに物靜かな調子で語る 一に忠、二に忠、三に忠、吾人の一生ただ忠あるのみ、「君のため何か惜しまん若櫻散つて甲斐ある命なりせば」軍神の辭世はこの村ではそのまま生きた教訓です、軍神を生んで以來村の主婦達の子供をしつける合言葉は古野少佐のやうになれといふことになりました この村の婦人達は何處へ行つてもあの「若櫻」の歌に取り卷かれ虫生津の名の 喧傳されるさ中に身を置いては何時もこの無上の鄉土の誇りに感激「村の名譽を傷けまいぞ」と覺悟を新にするのである、かうして軍神の魂は烈烈として全村を掩つてゐる、我我は今美しい自然、床しい人情、軍神の夢を育てたこの村に今沸沸とたぎり立つ報恩の進軍譜を聞くことが出來るのだ 古野の家名を辱しめないやうに村の名譽を汚さぬ樣やうに……私は今この氣持で一杯です、私の務めは第二の軍神等三の軍神を育て上げることだと思つて居ります、一生懸命で……軍神の靈を生すためにも…… 裏つづきの本家に育つた在りし日の軍神のよき叔母さんであつただけに軍神を想ふ情最も篤い訓導のこの 純朴な飾り氣のない言葉はどんな痛烈な言葉よりも人を打つ汽車の中で見る荷物にも學生さんの負つたカバンにも若櫻の歌が書いてありますし何墟へ行つてもこの村の噂を聞かされます私達は何時も何時も軍神の魂に鞭打たれてゐるやうなものです、あれから村の婦人の考へ方はまるで變つてしまひました、これがどんな實を結ぶか永い永い間にはきっと偉大な第二第三の軍神が生れることでございませう 去る十月全國でたつた二人の農業功勞者として農林大臣賞を受けた烈婦石松トモさん(六二)もこの環境の中から生れて來たのだつた、女の身で敢然牛馬耕をする婦人の姿が何んの變哲もなく見受けられるやうになったのもこの村だ「一生懸命働いて職域奉公の誠をいたすことこそ、あの子の靈を慰める道です」といふ 軍神の母堂の心をこの村の婦人全部が自分の心としてゐるのである、かくして軍神は今もなほ鄉土の人の胸に生きてゐるのだ、全國一を誇る一戶當り反別一町五反を持つて雄雄しく食糧增產に邁進する遠賀村……再び次代の軍神を生む譽れの村の婦人の覺悟こそ銃後日本の華である(寫真古野ユキさん、下關要塞司令部許可濟) |
04 | 橫山少年團結成 遺德偲ぶ鹿兒島の人人特輯 日婦鹿兒島支部長熊野金江さんの話 美しい二千六百年一貫の國史、この國史の大きな節節ともいふべき國家的事件には不思議な位に三州人の方方の活躍される舞臺が展開されましたそれも內治外交の何れか國家皇室と結びついた重大な時だけなのです、真珠灣の特別攻擊隊もその通り、この輝く鄉土史を思ひます時その鄉土史の構成にかくれた力として婦人そのものを考へぬわけにはいけません、橫山少佐の立派さは鹿兒島人の傳統的な立派さの典型です、同樣に少佐の母堂の立派さは鹿兒島婦人の傳統的な立派さです橫山少佐の町內會では橫山少年團を構成し故少佐の遺德をしのび決戰下國家の御役に立つやう朝夕勵んでゐますが誠によろこばしいことです婦人も亦昔からつづく鹿兒島獨自の教育を生かし橫山少佐の鄉土たる誇りをいよいよ顯揚したいと考へます(寫真は熊野金江さん) |
05 | 修身齊家奉公の實踐 薰る廣尾大尉の遺德特輯 軍神廣尾彰大尉大尉が葉がくれ抄の四誓願を身をもつて實踐してから一年經つた、故大尉の遺影の前に國民的感謝の誠を捧げ、大東亞戰爭の必勝を祈念する敬虔な弔問者は日とともに後を絕たず「忠晃院釋義彰」の位牌の前には稱名香煙の絕ゆる暇とてもない「これほどまでに人樣に敬慕されるやうな大きな働きをしてくれたとは思ひませんので、初めは何の用意もなく大變な混雜でした」と 謙遜しながら父君練吉氏が弔問者名簿を見せてくれる軍神の偉勲を慕ひ、軍神の餘香にあやかりたいと希ふ若い陸海軍人や孫の行末のためにと襷を掛けさせて參拜する老人などもある、殊に「直接軍神の遺影に接し、また 軍神を育て上げたお母さんの體験談が聞きたい」とわが子の將來に思ひを馳せ、子供づれで訪問する真劍な母親の姿が最近目立つて增加つぎの軍神育成に逞ましい母性の伸張を見ることが出來る「女の參拝者の中には佛前に泣き伏したなりでお顏もお上げなさらず、泣きはらした目を拭きながら私共には御挨拶も忘れておかへりになる方もあり、子供さんの成績を心配するお母さま方や女性の團體の方方は御參拝の際、きつて何か一言お話し下さいと申されるのにはお恥かしくて弱つて居ります」と慎み深く語る母堂かつさんは大尉の 祭祀を怠らず、詰めかける弔問客に厭な顏もみせず一一丁寧に應接し、乞れれば育兒の體驗や故大尉のおもかげなどを物語つてゐる、しかも、かつさんは軍事援護相談所の三養基郡擔任婦人指導員としてある每に郡內各村を廻り淋しく 留守を守る軍人遺家族の相談相手となり心からの慰さめと役となつて種種面倒をみてやつてをり「お慰めせねばならない人に却つて慰められてゐる」と家族一同から尊敬の的となつてゐる、胎兒のうちから“強く正しく”と念じ菅公の如く直かれ、廣瀬中佐の如く勇敢なれと導き育てた母堂の訓育は父君練吉氏の「家名を汚さぬやう」との一語とともに少年の魂に凝集してあの日の素地をなしたものとして、女性の力、母の感化の偉大さに人人は胸をうたれ母としての若き女の 鍊成に、或は國民學校、女子青年學校の生きた教材として取上げられ母堂の體驗言行はそのまま梭訓として日夜反復訓育の資に供され、第二の軍神創造に、第二の軍神の母の育成に全縣を舉げて邁進してゐる、軍神とその母かつさんについて日婦佐賀縣支部長豐增一女さんは語る 大日本婦人會は「修身齊家奉公」を第一義として出発しましたが、廣尾大尉のお母さまが「正しく、強く」の胎教を 實踐され菅公や廣瀬中佐を指標として、わが子の教育にあたられ學校の成績の一點にも細心の心を配りその成長を樂しまれ、大尉が御出發の際は「お國のために死ぬのなら母は喜んで送ります」と雄雄しく送り出されたことなど、一般の家庭ではなかなか出來かねることで、やがてはこの母の心を體した大尉が「百難の後こそ光明はあれ」の 清明なお氣持をもつて真珠灣の奧ふかく全身盡忠の魁となつて散華されたのだと信じますこのお母さまの一言一行はそのまま修身齊家奉公の精神に適ったものです、戰爭はどんなに永くなっても必らず勝たねばなりません、この秋に當り次代の國家を背負ふ國民の母となるべき全日本女性はこの尊い母堂のお心を心とし、自らの言行をふかく內省して、日本婦道の鍊成に心懸けるべきだと存じます(寫真は豐富增一女さん) |
06 | “將來は軍人に” 勇む橫山少尉の鄉里の子等特輯 けさも墓前に五、六人の村の女の人が土にうづくまるやうに頷いてゐる、墓は一つ止めぬまでに掃き清められ香煙は初冬の風に靜かにゆらいでゐる、雪を戴く靈峯大山を遙かに望む鳥取縣東伯郡古布庄村上法萬の在、加勢蛇川の畔に鬱蒼たる古木に圍れた軍神橫山薰範少尉の墓であるあの日以來一年がめぐつてくるけふまで每日每日村の人は軍神の墓に頷くことを忘れないそして村の婦人達は誰も彼もが軍神の優しい墓守となつて清掃し花を供へ香を焚くことを大東亞戰爭以來淨い日課にしてゐる、だがこればかりでない、日日野良に立つ軍神の母堂しなさん(六四)の周圍には必ず勤勞する女性の姿がある、特には女學生服の可愛い姿が 軍神の母を喜ばせるかと思へばモンペの婦人會會員が甲斐甲斐しく母堂の手助けをしてゐるその老いたる母はこの八月來神經痛で右足を痛め立居に不自由なのにもかかはらず世の溫情に馴れることなくせつせと野良仕事に勵んでゐる、「働くことが百姓の仕事で天から授かつた業ですけ、一日も休むことはなりません」と村の誰彼にもさう答へる、この母が生んだ軍神の盡忠のあとを偲び鄉土の婦人の間にはいつか知らぬ間に強い力が湧いてきたあの母のやうな母に、そして軍神のやうな毅い子供を生み育てることが自分達にも出來るのだと土に埋れてゐた女性達に日本の母の覺悟が豁然と生れて來た、かうした氣持が一つになつて去る四月村の大日本婦人會支部では全會員が集つて軍神の母を讚へる會を結成したのだつた、山陰特有の粘り強さを持つ彼女達は元來が 勤勉だつた、しかし軍神が出て以來といふものは働く姿にも生生とした力がこもった、杉山村長は「軍神の知らせを聞いたときみなはつと緊張し默つて野良に出て働いた」と當時のことを述懷してゐる、また童心の中には橫山少尉の像が強く強く燒きつけられた試みに村の子達に「大きくなったら何になる」と訊ねれば「軍神ですけ」と即座にはつきり答へる、以下はその鄉土の婦人達が軍神の靈前に語る感銘の言葉―― 生田壽子さん(三五-古布庄國民學校訓導、古布庄婦人會副會長) 村の女性として軍神を出したことはこの上ない感激です、一體農村の女性はただ仕事に追はれるばかりのみじめなもので、何をしても唯黙黙と働いてゐるが取柄でしたそれ丈に女性としての 美風も惡風もありました、しかしこの戰爭以來ことに軍神がこの村から出たことは何といひませうか人知れず心強く自分達はただの田舍の女でない、もつともつと強い子を生む日本の女性である事を強く感じました 川崎秀子さん(三五-農業、同村婦人會會員) 私共が村を步いてもまた働いてゐても何か力強い氣がします、それに軍神のお母樣を見るとほんとに頭が下ります、あのお年で每日働いていらっしゃる姿は神神しい氣がします私達がやりますからと申しますと「いえ、それでは薰範に濟まない」と云はれて仕事の手をお休めになりません、私達に無言の訓へを示され私達がどのように勵まされるか知れません 橫山まつのさん(四七-農業、同村婦人會上法萬支部長) 軍神の友だちである私の息子もお國に捧げたので一入深く 感激しました、私の口から申すのも變ですが軍神を出したことはその蔭にお母さんの力があることを忘れてはなりません身體が強く責任觀念が深く、困苦缺乏に堪へ得る子を育てるのは女の仕事です、子のある私共でも每日軍神の話が出軍神が中心となります、この村の主婦達はみな軍神にあやかりたいと思つてゐます 定常道子(四一—古布庄國民學校訓導、同村婦人會幹部) 學校の子供たちは軍神の家の前では必ず禮をします、別にこちちから云ひつけたわけではありませんのに、また子供たち同志で何か惡戲でもすると軍神に叱られるといつて止めてします、しみじみ軍神の感化といものが偉大であることを感じます |
07 | 責任感を植付る 佐佐木少尉の鄉土の熱意特輯 佐佐木少尉の鄉土石見國國府村を訪へば今增產の總決算で男も女も諸の取入れに忙しい寸暇を割いて左の人人が軍神の鄉土女性に與へた影響と覺悟の程を話してくれた △佐佐木八重子さん(二三-女子青年團副團長、村役場書記) 私は佐佐木さんとは一、二度會つた位で詳しい人となりは知りませんが無口でおとなしい人だつたと記憶してゐます いよいよ御出征なると決つて歸られた時でも何時もと變らず冗談などをおつしやつて落着き拂つてゐられたさうです佐佐木さんを生んだお母さんも隨分隨分お偉い方だつたらうと思ひますが生れ落ちたばかりのものを海兵團に入團させるまでお育てになつた叔父さんの佐佐木梅一さんや叔母さんのヤスさんの育て方が 普通の育て方でなかつたものと思ひます、軍神となられた人を見るに大多數の方は草深い田舍で育つたやうです、私共は佐佐木軍神をお育てになつたヤスさんのお教へを受けて如何なる苦しみにも耐へるだけの肚の据つた責任感の強い立派な子供を養育して第二第三の軍神を送り出すやう努めたいと思つてゐます、なほこの村も今まで相當名譽の戰死者を出しましたがこんなことぐらいに怯まず最後の凱歌を見るまでは石に嚙ついても軍神にはぢないだけの銃後の女としての職域奉公に邁進したい覺悟でございます △伊都絹子さん(廿二歲、隣保館保姆、婦人會指導者) 佐佐木さんがお手柄をたてられてからは海軍志願の方もずつと增へたと聞いております、また出征軍人の方や 徵用された多數のお方からの御手紙も澤山戴きますがそれらの悉くが“軍神に恥ぢないだけの立派な働をたてたいから銃後の守りをよろしく頼む”といふ意味のことが書かれてあります鄉土をはなれたこれらの人人にとつて軍神といふ二字が如何に大きく響き鄉土の人の肩身を廣くしてゐるか想像されます銃後の私共もこの誇りを何時までも忘れることなく日日の行の上に強く反映させて行かなければならぬと思ひます、私は幸ひ次代の國民を相手に每日を樂しく送らせて戴いてをりますが強い子供を育てるにはどうしても強く、正しく責任感といふものを植ゑつけることが肝要で、そのためには現在の母の再教育をする必要があるから軍神の母と日本の母の方にお願ひして直接その御指導を仰ぐことがよいと考へます(寫真は〇佐佐木八重子さん〇伊都絹子さん) |
08 | 上田兵曹長の魂 廣島市母子寮に生く特輯 御國に良人を捧げた五人の「譽れの妻」とその「譽れの子」十人を中心に良人を聖戰にいま送り出してゐる十二人の妻とその子十六人早くから一家の柱を亡くした薄倖な九人の母とその子十五人の大家族が一つ屋根の下にしつかりと結びつき、健氣にも雄雄しく生き抜いてゐる尊い姿、廣島市鶴見町の母子寮の人達がそれである この母子寮は廣島社會事業婦人會の經營になり、副會長の三宅イスミさん(五四)が昭和四年の創設以來寮長を勤めて來たもので、三宅さんは陸軍中佐であつた夫を亡くして以來、恩給暮しが勿體ないと進んで方面委員などを引受けて不幸な人人のよき相談相手となつてきた篤實な婦人である、その 努力が酬ひられて昨年五月十三日には母子寮に 朝香宮鳩彦王殿下の御成りを、また本年五月卅十日には畏くも侍從御差遣の光榮に浴することができたその三宅さんは、(軍神)上田兵曹長の生家(廣島縣山縣郡川追村)を、同縣人の誇りと感謝の念に燃えながら訪問の機を得ず、恨事としてゐたが、漸く念願叶つて錦秋の十一月十一日に訪問することができ、その感激をつぎのように述べた 軍神の遺影に禮拜したのち母堂さく子樣と親しく言葉を交しました、襟元の破れを繼ぎあてた紺絣に黑いモンペを着けられた素朴なお身裝農林婦人として食糧增產に老齡の夫を授けられる勤勞精神愛兒を軍神にまで仕上げた誇りは微塵も現はされず、軍國の母として當然のことだと書は言はぬばかりに、あくまでも 謙讓なお態度に新たなる敬慕の感が湧きあがるのをどうする術もありませんでした軍神の幼かりし頃の、或ひは海軍軍人と成られてからの思ひ出話などを聽かせて頂いたあとで、母子寮の樣子を語り五人の譽れの妻、十人の遺兒の身の上に話が及ぶと、さく子母堂の瞳は見る見る潤んできていく度も頷かれるのでした私はこの時ほど胸をうたれたことはありません、御子息のことを語られる時は涙一滴お見せにならなかつたのに寮の遺兒のためにその母のために泣いて下さるとは……この母なればこそ愛兒を忠烈無比の軍神に育てることができたのだと私はしみじみ感じました胸のふさがる數數の想ひを抱いて寮に歸つた私はその夜一室に寮の人達に集つて頂き、その日の感激を率直に 披露しました、みんな泣きました、そして覺悟を新たにしました、母として、女性として、軍神を育成し、老夫を援け撈はり、勤勞增產に勵んで居られる軍神の母の心を己が心として全日本の女性がそれぞれの立場において困苦に耐え育児に、增產にひたむきな步みを續けて行けば大東亞戰爭が幾十年つづけられようとも必らず最後勝利を獲得することができます(寫真は三宅イスミさん) |
09 | 遺志を繼ぐ子 片山兵曹長を教材に特輯 御兩親樣二十四年の御慈愛を今思ひ浮べつつペンを取りました(中略)義雄は元氣で軍人の本分を成し遂げて御國のために先陣のと散ります、人間一度は必ず死するもの、殆に場所得たる義雄は幸福です、この配置に付き得る身體に育てて下さいました御兩親樣に厚く御禮申上げます(以下略)―― この遺書こそ軍神片山兵曹長が兩親へ宛てて認めた遺書の原文である、あれから一年、軍神の鄉土岡山縣では「軍神片山兵曹長」のすべてを物語る崇高にして偉大なるこの遺書はそのまま百三十萬縣民の生きた教材として教場で、また一般家庭での教訓となつてゐるがわけても未來の皇軍たるべき子供を持つ 婦人に與へた感化力はまた入で軍“神の如くなれかし”と祈り育てる母の心こそ切なるものがある、今兵曹長の出生地である岡山縣赤磐郡五城村矢知の軍神の墓地には每日婦人團體の參拝が引きも切れず續いてゐる、兵曹長の一年祭を前に教壇生活二十八年、同縣初等科女子教育の元老である女子師範附屬訓導、縣視學委員中村君代先生に語つて貰ふ 私達婦人が最も深く打たれてをりますのは兵曹長の遺書の中の一節に「この配置に付き得る身 體に育てて下さいました御兩親樣に厚く御禮上げます」とあるこの一事でございます 兩親に對するこの 感謝の氣持こそ私共母として又日本婦道の上からも常に求めてやまない崇高なものであります、つまり兵曹長の場合を御想像申上げますと自分はほんとうに國家のため上御一人のため死ぬことが出來るのだ、何といふ喜び、軍人としてこれ以上の幸福はない、するとこの幸福は二十四歲の今日まで愛し育て下すつた御兩親のおかげだといふのであの遺書が自然に氣持のまま書かれたのだと御想像申上げてをりますがこれ位尊い氣持はございますまい、私共母として又教育者としての婦人のつとめは兵曹長のような素甘な元氣なしかも落付いた子供を育て上げなければならないことです。私共はいつも子供に教へるのですが片山兵曹長は皆さんと同じやうな子供だったのです、或は皆さんよりはお家が貧しかつたかも知れません、然しお母さんのお言付けや先生のおつしやることには一度もそむいたことはなかつたのですといつて子供時代のお話をするのですが兒童もよくわかつてくれます、今後は學校教育は勿論ですが家庭教育に最も力を入れて兵曹長の遺志を繼ぐ第二の軍神を育成するため一生懸命努力するのが婦人のつとめと思ひます(寫真は中村君代さん) |
10 | 清さんが軍神に 稻垣兵曹長緣りの柿の木特輯 九軍神の一人稻垣兵長が最後の歸省の日。柿の木の下で親友によそながら別れを告げ「太平洋は斷じて僕等が守る」と誓つた鄉里の其の柿の木は今年も軍神を象徵するやうに真赤な木守り實が一ツ殘つてゐる、一年前と何一ツ變らない鄉里三重縣川合村の外貌である、しかし軍神が敵艦を擊破して散つた華華しさの反面、鄉里の人人の胸をうつたものは「清さんが軍神になつた」といふ偉人を身近に感じた驚きであつた、この偉勲に應へる日本の母の覺悟と強靱性を日婦三重縣支部顧問、津市副部長草川よし女史(六八)は次の如く語るのであつた 純日本婦人に還れ、これはよく言はれる言葉ですがもつと具體的にいへばこれは克苦忍耐の□性に還れと言ふことだと思ひます 軍神とか偉人とかいふ人が全部困苦に耐へる立派な日本の母から生れてゐることを私達は先づ考へなければなりません軍神のお母さんにお目にかかりまして感じましたことは一見平凡なうちに底知れぬ日本婦人共通の強靱性を藏してゐられることです明治廿九年頃から日清戰爭には勝つたが三國干渉に悲憤の涙をのみ、今に見るといふので日本婦人に還れといふ聲が高くなり私達は克苦忍耐の教育を受けて來ました、丁度その時代の母から生れた人達が今戰つてゐられるのです、だから強いのだと云つても誤りではないと思ひます今二千六百年、年經た大樹は未曾有の大嵐に遭遇してあるのでありまして男の方は全部枝となり葉となつて一枝、一葉も奪はれてはならないと懸命なのですから私達表で現れない根はしつかりとこの大樹を押さへて微動もさせてはならぬ秋だと存じます(寫真は草川よしさん) |
11 | 婦人の決意と覺悟 大東亞戰爭一周年を迎へて特輯 大東亞戰一周年を迎へて、此の戰ひを勝ち抜くために一億國民の意氣一入揚るとき、畏くも宣戰の大詔渙發せられしあの日の感激と、新らたなる決意を女流諸名士に訊く |
12 | “各持場で最善を” 吉岡彌生特輯 昨年十二月八日の朝、突然私の伜が慌しく私の寢室に入って參りました。「お母樣!とうとう戰爭が始まりましたよ。」平生、孫を本位に「おばあさま」と呼びならはしてゐる伜が思はずしらず突嗟に「お母樣」と申しました事は、伜の本心が非常な衝動をうけた證據であると思ひます。實際、伜の面上には一種悲壯な異常な緊張が漂ふてゐたのであります。それをきくなり、私自身もがばと起上りざま、暫くは只茫然となす所をしらなかつたのであります。暫くして落付いた私の心にまづ思ひ浮んだ事は、先頃獨逸ポーランド戰爭の後、アメリカの婦人が非戰同盟を結成した一事でありました。折角二十歲迄大きくした息子を戰爭に出すのは御免だと、團體行動によつて 參戰を阻止しようとする婦人連をもつてゐる米國、殊に婦人の力が中中馬鹿にならない米國であるから、日本が宣戰しても、すぐに屈服して了ふだろうと、私はその當座思つて居りました。所がその情報を聞くに及んで、私のこの認識が誤つてゐた事を覺りました。米國民は老若男女を舉げて對日抗戰意識の昂揚に之つとめてゐるといふ事を知りました。生活の豪奢と享樂を人生の第一義としてゐた樣な米國婦人が敵性國家の生產した絹靴下をいち早く斥け、長期戰を期して制服に身を固め、戰時下の勤務に孜孜としていそしんでゐるといふ話をきく時、又交換船で米國から歸國した人人が銀座街頭の情景をみて、之でよいのかこんな味の足りない事でよいのかと嘆息されたといふ事をきく時、私は米國の 現狀と照し合せて不安の念を拭い去る事が出來ません。今度の戰爭は從來の戰爭と大分趣がちがひます。長期戰とはいひ腰をおちつけてゆつくりやればよいといふやうな悠暢なものではありません。敵の機先を制し、しかも刻刻と凄絕そのもののやうな鬪いを連續してゆかねばならないのであります。男子は續續と應召しますその後を引うけて女子は凡ゆる產業面、文化面に挺身、決して男子に劣らないだけの能率をあげてゆかなければ、立派に銃後を守つてゐるとはいはれないのでありますそれについて痛感します事は、女子一般教養の低い事であります從來一般に男子の側よりも女子を等劣視し女子の側に於ても卑屈になつてゐたのは、長い間の 傳統によるのでありませうが、今日この時、我我は日本の重大な使命を思ひ我我日本民族の內部に於ても徹底的な建直しをやらねばならないと思ひます。我我一億國民の思を致す處は實に我が日本の興廢のみならず、大東亞、ひいては世界の真の平和の確立にある事を思つて、日本婦人はまづ日本國民の一員として能ふる限りの力を盡すといふ意味で、各各その持場場場で、その才能に應じた教養を前線將士に劣らぬ程の真劍さで鍊成されん事を切望してやまぬ次第であります。 |
13 | 香港で聞いた開戰の報せ 大嶽康子特輯 丁度昭和十六年十二月七日の夕方部隊長と庶務主任より、部隊全員に對して訓話がありました。それは世界の狀勢と、日米間の事態增增急な事を告げられたのです。英國東洋の前進據點、香港の鼻先に居た私達は、一層覺悟を新にして、その夜は誰からともなく全員が、燈火管制の中でおそくまでかかつて身邊一切の整理をしたのでした。その次の朝でした。病室へ馳けこんで來た班長が、「聞きましたか、米英に宣戰布告されたのです!」と云はれて、餘りにもその期の到來の急な事に、思はず「ほんとですか?」と聞きかへしてしまひましたが、「遂に戰ふのだ?」と私は腹の底から繰返さずにはゐられませんでした。 病室の二階の擴聲器の前に集つた患者の群に混つた私達は、矢繼早やに報ぜられる、我が軍勝利のニユースに胸をわなわなかせながらも「さあ、こうしては居られない、退院させて貰ふのだ!」とはやり立つ患者を制するのに一生けんめいでした |
14 | 戰ひ拔く覺悟 倉永菊千代特輯 畏くも宣戰の大詔を渙發せられ一億國民が片時も忘れる事の出來ない感激の日は早くも流れて茲に一周年を迎へ只だ只だ感慨無量ですあの十二月八日、突如ラジオの臨時ニユースに息を殺して聞き入り愈愈始まつたと知つた瞬間は全身が緊張させられました。 昭和十二年支那事變勃發以來攻めれば陥し戰へば勝つ連戰連勝の聲に國民は只陶醉の心地でしたが、此の米英の戰鬪開始は、大いに兜の緒を締めるに役立ちました海には日本海海戰の樣子を偲び、陸には更に近き十二年八月上海敵前上陸敢行の為將兵の方方の征途に就かれる樣子が昨日の樣に刻明に思ひ出されました。丁度あの時は先遣部隊としての門出で實に物物しい出發でごさいました。 畏れ多い事ながら軍旗を奉じての御出門暗い中に將兵の方方は皆大君の為お國の為一身を捧げた實に緊張と嚴肅そのもの、勝つて歸るぞと云ふ固い決意こそは神の子の樣なお姿でありました。見送る私は胸に溢れる涙と共にどうか將兵の方方お一人のお戰死、お戰傷のなき樣、又再びこの姿でこの營門をお潜り下さいます樣にと雄雄しきお姿を見送りながら拝んだ事を回顧いたしました。 支那事變來の米英の態度に對し正義に立つ日本女性として歯軋をしながら拳を握って勝ち抜かねばならぬと心に誓ふと共に、軍國の母として、妻として今こそ起ち上がらねばならぬ時でございます。過去の海戰の目覺ましい戰果の陰には幾多の尊い犠牲と傷つかれ病におかされた勇士のある事を思つて益益協力し戰果に安んずる事なく何處までも戰ひ抜かねばならないと覺悟いたしました(筆者は陸軍少將故倉永部隊長未亡人) |
15 | かがやく國のてぶり 井出ひろ子特輯 昨年十二月八日の朝日米開戰のニユースをラジオと新聞の號外で知つた時、誰もが感じたやうに私も「やつたなア」と心で叫びました。胸の中が何ともいへない激しい感動でたぎるやうでした。夫と老母と三人でお互ひに顏を見合せながら同じ感激に物も言へず「うまく行きますやうに」と皇軍の戰勝を神かけて心に祈りました。僅かの瞬間でしたが色色のことが走馬燈のやうに私の腦裡に去來いたしましたがその中には十ケ月程前サヨナラ御氣嫌ようと御見送りしてニユーヨークへ行かれた友人の顏や、私の在米當時から永年海外で同じ苦樂を共にして親しく交つた在米同胞の人達の顏が相交錯して映るのでした。ラヂオで詔勅を拜して家內中が涙の額を見合せました。胸が一つぱいで言葉もありませんでした。真珠灣の奇襲に成功したといふ大快報を聞いた時、胸のすく思ひがしました 「ルーズヴエルト」はどんな顏をしてゐるかしらとそんなことも考へたのでした。それからもう一年の歲月が流れて、わが皇軍のたとへやうのない大戰果の連續の頁を深い深い感謝と感激の心で繰り擴げます時、こうして今日の記念日を平和なわが家の軒下で迎へる日人としての幸福を三箇月か六ケ月で日本を叩き潰せると言つてゐた敵國のアメリカ人に見せてやり度い氣がします。 先日發表された愛國百人一首のなかに かきくらす亞米利加入に天つ日の かがやく國のてぶり見せばやといふ藤田東湖先生の傑作がありました。私は此名作にかりて今の私の心持を表はしたいと存じます。(筆者は醫學博士) |
序號 | 標題 |
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01 | 本格的戰爭の新發足日 民族興亡を賭す決戰 “建設を續く”平出大佐放送 |
02 | 異國で迎へた十二月八日の 感激を追懷して/貝山好美 |
03 | 汐止南國民校の献金 古鐵回收等で得たる一千圓を |
04 | 新竹署管下の保正會議 |
05 | 日婦各分會 結成式日割 |
06 | 今日の映画 |
07 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 南方圈と臺銀の協力 大東亞戰爭一周年に當り 水津頭取語る |
02 | 鐵工業聯合組合 けふ創立總會 |
03 | 本島信組貯金躍進 高雄信用第一位を占む |
04 | 食糧統制強化せん 遠藤企畫課長語る |
05 | 臺灣水利組合聯合會 本日官報で設立を告示 |
06 | 南方經濟の建設(五) 比島自活經濟と資源開發 |
07 | 產組功勞者 十五氏を表彰 |
08 | 木炭生產の增強 殖產局長等陣頭督勵 |
09 | 本年掉尾の賣出し 債券總額四百五十萬圓 |
10 | 照明燈 |
11 | 商況 七日 後場 |
12 | ラヂオ |
13 | 水滸傳(841)/黃得時;碇政彌 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 感激新たに決意新た 宮城前に覺悟を誓ふ 沈默の祈禱、歷史的雄叫び |
02 | 建設戰正にけふから 全面總力戰の跡を回顧 |
03 | 臺灣神社で祈願祭 誓ふ必勝の義氣新た |
04 | 感奮興起せよ 齋藤中央本部長感話 |
05 | 米新造戰艦ニ號進水 |
06 | 支那戰線の重要性 陸軍の綜合戰果により明瞭 |
07 | 支那方面海軍部隊 一ケ年の綜合戰果 |
08 | あの日の感激を胸に 第二年へ力強い發足 |
09 | 献穀田打合會 |
10 | 首、海相必勝を祈願 明治神宮へ參拜者陸續 |
11 | 支那戰線の解決こそ 大東亞戰推進の主軸 畑支那派遣軍總司令官談 |
12 | “油斷こそ真の大敵” 臺灣憲兵隊司令官石田少將談 |
13 | 日の丸辨當で 前線の勞苦偲ぶ |
14 | 鶴友彥氏 某要職に榮轉 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 擧島邁進!決戰第二年へ “あの日”の感激新たに けふ踏み出す世紀の巨步 |
02 | 赤誠罩める感謝祭 護國神社大前で嚴かに執行 |
03 | 嚴かな詔書奉讀式 |
04 | 基隆の祈願祭 |
05 | 本島官民の赤誠 陸海軍に慰問金献納 |
06 | 感激の献金群 軍司令部、武官府に殺到 |
07 | 熱烈・鐵石の誓ひ! 全島奉壯團の曉天動員 |
08 | 燃ゆる若櫻の決意 神社參拜後市中行進 |
09 | 學徒等が大行進 新竹市の記念行事 |
10 | 新竹州の堆肥 增產強調週間 知事以下が督勵 |
11 | 記念の奉仕作業 學徒奉公隊が軍部方面で |
12 | 拓南工業戰士訓練所生 けふ本社に來訪報社消息 |
13 | 藍氏作品入選 大東亞戰美術展に |
14 | 人事消息 |
15 | 今夜の放送 |
16 | 興南詩苑漢詩 大東亞戰一週年歌四章/文訪、雜草/靖海、觀菊花展覽會三首/高肇藩 |
17 | 商況 八日 前場 |
18 | 興南案內報社消息 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 愈よ決戰期突入 職場即戰場に徹せよ 東條首相講演頭條新聞 【東京發同盟】東條首相は大東亞戰爭一周年八日午後二時より、靖國神社社頭に於て開催された記念國民大會中央大會席上左の如き講演だ行ひ大戰第一年の赫々たる戰果を回顧し愈々決戰期に突入せる第二年に處し、敵擊滅の國民決意の下、國民の一人一人が職場即ち戰場の意識に滲透し、今後の決戰に即應する戰力の增強を要望、深き感銘を與へた、首相講演要旨左の如し(寫真は東條首相) 戰略的經濟的必勝の基礎確立 國民諸君、畏も米英に對する宣戰の大詔を拜したのは昨年の本月本日である只管世界平和の維持と人類の慘禍の防止とを顧念して隱忍と自重との最大限を重ねた帝國が決然起つたのは正に一年前の本日である、帝國の隆昌、東亞の興廢正に此の一戰にありと一億國民が必勝の信念の下一切を捧げて國に報ひ國に殉ぜんことを誓つたのは實に本日であつた此意義深き本日、護國の英靈の鎮まる靖國神社大前に大東亞戰爭一周年記念國民大會の開催せらるるに當りこゝに所懷を申述ぶる機會を得たことは誠に感慨無量なるものがある、顧れば此一年間我々一億同胞は只管聖旨を奉戴して戰つて參つた皇軍は開戰劈頭ハワイ、マレーに所在の米英艦隊の主力を屠ると共に海陸重共同作戰の妙を遺憾なく發揮して香港の攻略を始めフイリツピンに蘭領インドに將又ビルマに疾風枯葉を卷くの猛進擊を續け大東亞の全域に亘つて皇軍の威力を發揮して參つた、銃後國民又よく戰時生活の苦難に打克ち協力一致各々其職域を通じて義勇奉公の實を舉げて參つた、しかして大東亞共榮圈建設の巨步も又作戰の進展に策應して活潑に進められ、香港マレーは固よりビルマ、舊蘭領インド、フイリツピンに於ては現に米英蘭の桎梏下より解放せられたる住民は 皇恩に浴しつゝ嬉々として建設に協力し、著々としてその成果を舉げてゐる今の帝國は過去一年間に於て戰略的にも將又經濟的にも必勝の基礎を確立し更にこれを擴充強化しつゝ米英屈伏の最後の日まで飽く迄るも戰ひ拔き勝ち拔かんとしてゐる 世界の歷史において未だ嘗てその比を見ざるこの大戰果は偏に御稜威の下忠誠勇武なる皇軍將兵の善謀勇戰の賜物である、又皇軍將兵をして後顧の憂なく常に縱橫の作戰を行はしめたる一億國民諸君の涙ぐましき努力の結果に外ならない、私はこの機會において皇軍將兵に對し且又國民諸君に對し厚く感謝の意を表する然してこの間護國の礎となられた英靈に對しては謹んで敬弔の誠を捧ぐるとともに傷病將兵諸君の再起御奉公の日の一日も速かならんことを祈るものである飜つて獨伊など歐洲盟邦諸國は大東亞戰爭勃發以來益々帝國と緊密なる提携の下に各方面において敢闘着々として戰果を舉げ殊に海上交通破壞戰においては敵に莫大なる損害を與ヘ以て帝國と同甘共苦の決意を以てこの難局に對處してゐる、然してタイ國は開戰に際しその舉措を誤たず爾來帝國との攻守の盟愈々固く遺憾なくその力を發揮しつつあつたがかくして今や東西相策應し大東亞の各國家各住民相結束して共同の敵米英を擊滅すべき曠古の世界的大戰爭はその本格的段階に入つた 國民の頭の轉換こそ必須 こゝにおいてか帝國は御稜威の下戰爭第一年において獲得せる大戰果を基礎とし盟邦諸國と力を協せ愈々必勝の信念を以て飽くまでも米英擊滅の攻勢を續けんとするものである況や米英がその物質力を恃んで執拗なる反抗に出づるにおいてはこれ正に我の乘ずべき處隨時隨所に敵を捕捉して徹底的にこれを殲滅せんとしてゐる、既にその端緒はソロモン方面の現狀においてこれを見出すことが出來る、然して帝國はこの雄渾なる作戰の要求に即應し得る如く內にあつてはあらゆる力を總動員して戰力の飛躍的增強を圖らんとしてゐる、この時に當り戰前米英などの豐庫たりし南方諸地域の重要資源は開戰後僅かに半歲を出でずしてその搾取より解放せられこれらの地域はその本然の姿に歸り大東 亞防衛のため偉大なる戰力の基礎たらんとしてゐる、敵は南方にその戰用物資を失ひ我々は日滿華物資に新たにこれを加へた、然してこの最も惠まれたる條件を活用しこれを現實の戰力として發揮せしめ以て前線將兵をして縱橫に活躍せしむるや否やは一に懸つて我々國民の双肩にある、かく觀じ來る時我々一億國民の責務は決して生優しいものではない、最早や戰場を前線のみに限る時代ではなくなつた。今や國民の一人一人が各々その持場に於て振ふ一つの槌も一つの鍬も直ちに前線の戰力に影響しつゝある。諸君が每日々々の生活に於ける一舉一動が明日と云はず今日唯今前線の戰闘力を左右してゐると稱するも過言ではない、かくして諸君の工場は勝たんがための第一線の補給省であり、諸君の農場は勝たんがための一億國民の兵站部であり、總て諸君の職域は勝たんがための戰場なのである。この時に及んでなほ平時の考へが幾分でも殘存してゐるが如きことあらんか、この國內の戰場に於ける責任を果すことは到底出來ない。國民諸君凡そ非常の時には非常の處置が必要である。それには先づ平時の考へ方から脫却して戰時の頭になり切らなければならない。この頭の轉換こそ戰時下の一億民に求めらるる根本的條件であり、これによつて初めてこの戰ひを勝ち拔く創意も生れ工夫も生じ不可能を可能とすることが出來る。しかしてこの大戰爭の真只中に於て我々の忘れてならないことは、我の苦しむところは同じく又敵の苦しむところである、と云ふことである。由來戰爭は意思と意思との戰ひである。最後の瞬間までよく頑張通す者にして初めて勝利の榮冠を勝ち得る、今や帝國も幾多の困難に逢着してゐるが、先に南方重要資源について述べた如く戰前我に對し米英等の恃みとせる經濟封鎖の武器は今や却て逆用せらるゝところとなつた、この一事を以つてするも敵の直面せる艱難の如何に大なるかは察するに餘りある、即ち我も敵も甚大なる困難と戰ひつゝあるが、異る所は敵は絕望の淵に喘ぐ苦しみであり我は前途に光明を持つ產みの苦しみを經驗してゐることである 今日の決戰に即應戰力增強 次ぎに私の屢々強調する通り今次の戰爭の大なる消耗を伴ふ相次ぐ決戰の連鎖であり勢ひこれに勝ち拔く第一要件は先づ當面の決戰を勝ち拔くことである、こゝに於てか、戰力增強の第一目標は差し追つた決戰に即應せしむるにある、正に一刻は千金にも代へ難い、どうか國民諸君明日の作戰否今日の作戰の要求に即應し得る樣戰力を增強して戴きたい、惟ふにこの戰爭は是が非でも勝たなければならない、勝利を得るに非ずんば十億の大東亞の住民が待ちに待つたる新しき大東亞の建設は一片の夢となる、ここ靖國に神と鎮まる英靈の烈々たる志また遂に報いらるるところがなくなる、さればこそ我々は如何なる困難も如何なる障害も斷々乎としてこれを突破し以てこの一戰を徹底的に勝拔かんとしてゐる、今や徒らなる議論や批判を事とすべき時ではない、又口先や掛聲ばかりではこの戰爭に勝ち拔くことは斷じて出來ない、全國民が一人殘らずこの有する全智全能を傾け盡し各自の持場々々をしつかりと守り默々として努力に努力を重ねなければならない不肖私もこの身命を捧げて更に固き決意と更に強き實行とを以て諸君の陣頭に立つて奉公の誠を致し只々宸襟を安んじ奉らんことを念願致するのである、ここには既に第一線において命を的に敢闘せられた歸還勇士諸君も多數見えてゐるこれらの諸君こそ先づ前線において體驗せる攻擊精神を以つて宜しく率先國民の核心となつて國難突破に挺身せらるべき人である今や新しき世界は將に創造せられんとし帝國は大東亞地域における指導の中核たる責任の下に大飛躍をなしつつある、願はくば國民諸君は大きく變轉しつつある、この宇內の趨勢を達觀ししかもその重大なる時期に於て生を帝國臣民として受けたる喜に感激し、更に旺盛なる戰爭意識の下に今日唯今直ちに諸君のその身體その精神の總てを舉げて皇軍戰力充實強化のため生產力の擴充へ戰時生活の徹底へ火の玉となつて邁進せられんことを切にく希望して巳まない、本日こゝに宣戰一周年を迎へ重ねて盟邦諸國の帝國に寄せられたる絕大なる御協力に對し感謝の意を表すると共に今後更に緊密なる提携の下に相倚り相扶け飽くまでも共同の目的達成のため戰ひ拔かんことを期するものである、しかしてまた私は今日までの國民諸君の御努力と御協力とに感謝すると同時にこの意義深き記念日に當り國民諸君と共に當時の感激を更に新たにし以て大東亞戰爭第二年の逞ましき發足を誓ふ次第である |
02 | 長期戰の新しい樣相 谷荻報道部長講演 |
03 | 圖像:島都の感謝祭 |
04 | 日獨伊は一身同體 奧村情報局次長獨記者に答ふ |
05 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 勞務行政機構の擴充強化社說 一 大東亞戰勃發して茲に一年、その間前線にあつては赫赫たる戰果が收められると共に、銃後に於ては必勝を期して政治經濟的不敗體制が確立されつつある。誠にこの一年間は南進兵站基地たる臺灣にとつても、政治經濟的に幾多の變遷を齎らし、その相貌を一變せしめたのである。政治的には凡ゆる分野に亘つて皇民奉公運動が本格的に展開され來つたが、わけても經濟的には文字通り曾てなき多忙性と多樣性とを呈したのである。卽ち食糧增產は勿論のこと、國防工業を始めとする諸工業が、或は生產能力を擴充され、或は新設される等、戰力增强の為の工業化が着着と進められると共に、商業部門に於ては配給圓滑を期して、小範圍乍ら配給機構整備が漸次行はれて來たのである。しかし叙上の變貌過程を回顧すれば、尚資材齒關係で所期の目的が達せられないもの、或は今後に問題解決を持越すものも少くないので、今や經濟統制が更に前進せんとする戰爭第二年を迎へるに當つて官民共に深く省察する所がなければならない。 二 ところで生產增强の基本的要素である勞働力が、最近極めて需給不圓滑の狀態にあることは周知の如くであるが、この勞働力の確保乃至處理に當る勞務行政機構は實のところ本島に於ては最も整備されてゐないのである。今次戰爭に入つてから、本島勞働力の需要度が急に高まつたことは、前線への勞務動員と重要工業部門への再配置を以て容易に理解出來やう。誠に勞働力の動員乃至處理は單に工業化の中心問題たるに止まらずして、實に今後の配給機構整備とも密接な關係をもつもので、戰爭第二年を迎へる臺灣經濟の謂はば中核的課題であるといはなければならない。しかし右の如き重大課題に堪へ得る為には、現在極めて貧弱な狀態にある勞務行政機構を速急に擴充强化することが、何より急務であるといつてよい。わけてもそれは各種勞務對策を樹立する中央行政機關の整備擴充を必要とするのである。機構的制約によるとは云へ、積極的な勞務重點的配置を行ひ得ず、精精統制法規に基き移動防止に專念する外ないのは決して中央機關の正常な姿ではない 三 周知の如く內地に比して凡そ一年間遲れるを常とする本島の經濟統制も、戰爭第二年より更に强化されんとしてゐるが、その端的な現はれは督府の積極的方策の下に、配給機構の再編成が本格的に行はれようとしてゐることである。機構再編成に際しての中心問題は、捻出される剩員を如何に再配置するかにあるはいふ迄もないが、この點に關し再編成の立案に當る府商政課が、極めて漠然とした樂觀的見解をもつに反し、勞政課ではむしろこれを過少評價する等、その間多少の喰違ひがないでもない。が、このことは督府それ自體の轉業策卽ち勞務動員策の貧困さを物語るもので、宜しく勞務行政當局の確たる動員對策の上に機構再編成案がたてられるべきであつた。ところが前述の如く移動防止を一步も出でざる勞務行政の現狀では、所詮それは無理な要求であつた。しかし工業化を指向する臺灣經濟は、今後更に勞動力の需要を增して來る筈であり、勞務の重點的配置も一段と重要となつて來る情勢の下では、勞務行政機構の擴充强化は最早不可避的であると云ふべきである。 |
02 | さあ、今日から二年目だ 戰ひは長期・敵は必死 腹帶締直して突進め |
03 | “不退轉の決意”昂揚 島都の開戰記念大會 |
04 | 圖像:島都新公園廣場の記念大會 |
05 | 臺灣法曹奉公團 きのふ晴れの結成式 |
06 | 童心にもこの赤誠 感激の日に目白押の献金群 |
07 | 誓つて米英を擊滅 決戰的長期戰に擧島打克て 長谷川總裁の告辭 |
08 | 安藤車司令官 俘虜情報展へ |
09 | 軍司令官が激勵 お山の赤誠献金部隊に |
10 | 齋藤長官、報國債券購入 |
11 | 戰爭生活に徹せ 藤村支會長の挨拶 |
12 | 防空施設を強化 敵の企圖する空襲に備へよ 永野高級副官談 |
13 | 戰時下女性の姿 桔梗部員の活躍 |
14 | 總督府出張所の記念式 |
15 | バスケツトに 銅貨一杯 英子サンの献金 |
16 | 南華僑公會の記念式 |
17 | 藤倉工業等陸軍省より表彰 |
18 | 市葬謹告:矢口良忠等人 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 滿國基本國策大綱 國務院會議で決定發表 |
02 | 陸海軍へ各五萬圓 萬丹李崢嶸氏感激の國防献金 |
03 | 第二年への進軍 農民の辛苦報ひらる |
04 | 感激と決意を胸に 聖彈第二年へ獅子奮迅 各地の世紀の記念日行事 |
05 | 花蓮港廳日婦 街頭で献金募集 |
06 | 胸に感激・口に國語 けふを期して國語報國推進運動 國語廳花蓮港建設へ |
07 | 吃音もすらすら 國語習得の微笑しい副收穫 |
08 | 米英徹底擊滅へ 竹東街の時局講演會 |
09 | 花蓮港市高額貯蓄組合誕生 |
10 | 落穗を拾つて献金 新莊東國民校のヨイ子供達 |
11 | 崇聖會節婦を表彰 林唐氏富刀自に匾額贈呈 |
12 | 更生品、慰問袋展示會 臺南市桔俱十二日より開催 |
13 | 鄉軍宜蘭郡分會の總會 |
14 | 苧麻栽培の懇談會 |
15 | 紙芝居で白衣勇士慰問 |
16 | 貧困者に施米 |
17 | 開戰一周年 記念講演會 |
18 | 優良防衛團員表彰 |
19 | 旗山郡龍肚國民學校 |
20 | 地方多より |
21 | 今日の映画 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 勤勞、節約、貯蓄は 米英擊滅の彈丸なり 賀屋藏相放送要旨 |
02 | 臺灣鐵工業聯合組合 昨日創立・組合長に小川闇 |
03 | 臺北指定魚市場 仲買人組合創立 |
04 | 南方經濟の建設(六) 佛領印度支那の變貌 |
05 | 會議所の業績を檢討 經濟會議所の地域決定に資す |
06 | 交通報國に邁進 合同後着着成果を擧ぐ 嘉義乘合自動車會社 |
07 | 局營バス新線開設 |
08 | 水利組合聯合會 綜合的利用計畫を樹立 大田土木課長談 |
09 | 大東殖產總會 社長は辜振甫氏に |
10 | 北部米標準查定會 |
11 | 臺銀人事異動 |
12 | 照明燈 |
13 | 商況 八日 後場 |
14 | ラヂオ |
15 | 水滸傳(842)/黃得時;碇政彌 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 一億國民戒心せよ 米第二年の新攻勢 どう展開するか |
02 | 圖像:新銳我が艨艟の威容 |
03 | 兄弟相携へて協力 日泰倆首相の交換放送 |
04 | 米、空母建造に躍起 空襲と潛水艦の活動 現有勢力檢討 |
05 | 防空監視哨を表彰 |
06 | 親愛の感情で結合 ゲ獨宣傳相邦人記者團を引見 |
07 | 不敗の態勢確立 チユニス方面の樞軸車 |
08 | 今こそ宿望 達成の好機 印度志士ボ氏故國へ放送 |
09 | ○○部隊の綜合戰果(山西十一ケ月間) |
10 | 五萬八千餘名 米陸海軍兵員の損害 |
11 | 沈默の一日 米國の記念行事 |
12 | リ印度總督 任期を延長 |
13 | 英の食糧不足 前大戰より惡化 |
14 | マツール附近で大戰車戰 樞軸車に有利 |
15 | 獨逸潛水艦 英艦セ號擊沈 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 目指す七洋雄飛へ 海洋訓練隊けふ晴の修了式 |
02 | 諸英靈の市葬 十二日新公園で執行 |
03 | 傷痍軍人記章傳達式を擧行 けふ基隆市で |
04 | 地底の增產戰士 炭鑛防問記 寒氣と暗さを克服(一) 鬪ふ坑夫の挺身振り |
05 | 滿洲國の國民訓 日昨全國一齊に發表 |
06 | 木材輸送にジヤンク 陸軍の活用研究に凱歌 |
07 | 藤岡兵務部長 教練查閱の為め南下 |
08 | 傷痍軍人講座 會員の聽講希望 |
09 | 增產に總進軍 勸業課長會議で具體案決る |
10 | 白衣の勇士 感謝慰問隊殺到 |
11 | 白衣の勇士達に 樂しい一時を! 藝能慰問團基隆で開催 |
12 | 制服の乙女部隊 被服補修作業に奉仕 |
13 | 日の丸が翩翻 共榮圈各地の記念日 |
14 | 全島國語演習會 あす市公會堂で開く |
15 | 真心罩めた慰問金品 北三女から武官府に献納 |
16 | 戰艦建造費を献納 武官府に赤誠群陸續 |
17 | 疊表替に關する 指導取締事項 經濟警察課、各部署に通達 |
18 | 赤誠の慰問文 愛國女子奉公隊員から献納 |
19 | 俘虜監視員を募集 軍司令部で |
20 | 興南詩苑漢詩 大溪角板山道中/文訪、似夢周學兄/小維摩 |
21 | 邦文タイピストを募集 臺北憲兵分隊 |
22 | 人事 |
23 | 煙幕 |
24 | 今夜の放送 |
25 | 商況 九日 前場 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 百戰必勝の信念堅持 長期持久戰の體制を整ふ 阿部總裁放送頭條新聞 【東京發同盟】翼賛政治會では大東亞戰一周年記念日を中心に翼賛會と連繫の下に國民運動を展開本格的戰爭に入つた大戰第二年に處する國民の決意と覺悟を要請した阿部總裁は翼賛會を代表して九日午後七時半からエーケーのマイクを通じて「大東亞戰爭勝敗の訣」と題し左の如き放送を行ひ必勝の信念の下に不敗の體制を確立することが今日全國民に課せられた重大なる責任である旨強調した、(寫真は阿部總裁) |
02 | 圖像:旗艦長官室に於る山本司令長官 |
03 | 實戰即應の防空 上田局長國民に萬全の準備要望 |
04 | 獨、ソ大遭遇戰 |
05 | 新四軍を肅清討伐 田二河を完全に占領 |
06 | 第三次魯東作戰 判名せる綜合戰果 |
07 | ツ港佛艦廿隻健在 獨軍の掌中に歸す 地中海の海上權樞軸軍へ |
08 | 南方地名の改正 「マライ」「北ボルネオ」「南ボルネオ」「ジヤカルタ」の四箇所呼稱決定 |
09 | 勤勞青年教育の充實 文部省、全國地方長官宛に通牒 |
10 | 監視哨代表に 東條首相訓示 |
11 | 北阿戰の歸趨 空軍が重大な要素 |
12 | 全島檢察官長會議 十一、二日高等法院で |
13 | 健康保險法の改正 けふ公布四月一日に實施 |
14 | 南十字星 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 石炭增產政策の再出發社說 一 長期戰下に於ける必需資源たる石炭の增產が如何に緊急であるかは此處で喋喋する迄もないが、本島では大東亞戰爭前後に於ける船腹の拂底に基く石炭一時の滯貨に捉はれてとかく石炭增產熱が低下しつつあるは爭ふべからざる事實であり、これがために豫定生產高から見て相當の減少を來してある狀態となつた。然るに最近比島及び日發への供給を開始するに及び貯炭高が最高五十萬瓲から三十數萬瓲に減少し、既に優良炭不足の聲を聞くのみならず將來各方面の需要增を豫想すれば此の儘で行けば遂に憂ふべき事態に立ち至らないとも限らない。此處に於て當局に於ては速かに石炭業者に活を入れ新たなる熱情の下に增產に邁進をすべくあらゆる施策を遂行せねばならないと痛感するものである 二 元來石炭業は他の產業と違つて深掘すればする程生產費が高くなる割に出炭高が却つて減少する特質があり從つて舊來の出產量を維持し且つ其の增加を圖るには常に新坑開鑿に依る投資を誘發せざるべからざる產業である。其の上往往にして落盤したり、又は瓦斯爆發のため意外な危險に曝されてゐるので其の投資に對し一定の利潤を持續せしめなければならない。殊に公定價格下の今日に於て補助金なり又は價格關係を以て稍もすれば昂上せる生產費と調節するにあらざれば增產どころか却つて減產の憂ひさへ生ずるのである。本島の現狀は既にかくの如き階段に到達したのではないかと思はれる此處に於て更に石炭增產政策の再出發を要望されてゐるわけである 三 唯石炭增產策を遂行するには現在の如き群小炭鑛が多數亂立せる狀態ではなかなか圓滑に行はれ得る事が困難であらう吾人は數年前より中小石炭業者の合併を提唱して來たが未だ之を實現するに至らざるは誠に遺憾に堪えない。尚內地の如く現在の優良炭と裾物の價格の開きをモツト擴大すべき事である。周知の如く本島に於ける滯貨の大部分は裾物であり、優良炭はとかく不足を訴へられつつある今日、モツト優良炭を優遇して其の增產を促進しなければならない此の問題ならば合併問題の如き繁雜のものでなく當局の腹一つで卽行し得るものであるから善を急がなければならない。更に考ふべきは臺灣石炭會社からの販賣價格の二重制である。卽ち石炭價格の引上げは原則として避けなければならないが、或る產業の如きは多少高い石炭を消費しても其の生產する商品の生產費に及ぼす影響が至極輕微なものである。之に反して瓦斯業の如く直ちに全面的影響を受けるものもある。從つて販賣價格を一本にせずして二重に決定する事も考へられる。さうなければ臺灣石炭會社の買上價格も或る程度まで調節し得るのである。 四 上述の如く當局として本島石炭增產のためにはいくた打つべき手はあるが、これ迄は極めて低調である事は內地の如き石炭不足の事情に促がされないためであらうが近き將來を見透しすれば此の儘では遂に內地と同一轍を踏まないとも限らない。吾人は本島の石炭增產が愈よ急務なるを認むると共に永く現狀の儘に放任すべからざる事態を現出しつつあるので此の際速かに妥當適切な對策を講ぜられん事を望まざるを得ない。 |
02 | 若人待望の志願兵 第二次募集昨日發表 |
03 | 皆兵精神の實踐へ 山內情報委員部次長談 |
04 | “農村新年”の詠進 四萬首を越える見込 |
05 | 大漁豐漁の勝鬨 日比一體が生むこの成果 要は理論より實踐 |
06 | 圖像:大東亞戰爭一周年記念國民大會 |
07 | 擔へ!最高の榮譽 藤岡軍報道部長談 |
08 | 臺灣で大にやる 內地に於る活躍な面を吸收して 西村文教局長談 |
09 | 空の護りに鐵壁陣 島都の第三種空訓 |
10 | 在臺華僑が赤誠献金 |
11 | 文化の扉科學で開け 研究戰士廿名の最優秀者に 輝く記念章授與 |
12 | 講演と映畫の夕開催 |
13 | 口頭試問と內申 明年度の中等入試 |
14 | 定期敍勳 |
15 | 學務課理事官に谷口氏 |
16 | 特殊防衛團等の分列式 けふ總督府前で實施 |
17 | 軍司令部に赤誠献金 臺北三高女生 |
18 | 記念寫真展 入場者六萬人 |
19 | 奉壯、債券報國を實踐 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 增產に耕地防風林 新竹州更に千甲步增植 |
02 | 戰場精神愈よ昂揚 桃園郡の一周年記念日 |
03 | □”五ケ條 □團プリント配布 |
04 | 警官の士氣昂揚 屏東郡署野外演習 |
05 | 歲末同情週間 同情袋を募る |
06 | 日本魂の教育 忠臣烈士の遺蹟を集めて 高雄中日本室を設置 |
07 | 開南商生徒汗の奉仕作業 |
08 | 臺南市民の赤誠 八日の献金高一萬圓突破 |
09 | 報恩感謝の實踐へ 臺中市、方委主催で數多の行事 |
10 | 三重埔青年團 恤兵献金募集 |
11 | 甘蔗括約用竹篾 ブロカーの暴利で 北斗郡下の生產鈍る |
12 | 臺中市奉公壯年團 |
13 | 新莊郡警察 壯丁非常召集 |
14 | 不急費を極力壓縮 臺南州の豫算案查定 |
15 | 海山郡壯丁團檢閱 |
16 | 若人の元氣潑刺 北斗郡の青少年團查閱 |
17 | 大東亞戰一周年記念献金品 |
18 | 臺南州職員體鍊會 |
19 | 感激の献金譜 |
20 | 人事 |
21 | 地方多より |
22 | 今日の映画 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 貿易為替管理規則 審議を終へて近く公布 |
02 | □乾芭蕉の處理 □高雄州の對策決定 |
03 | 石炭の圓滑輸送に 十五日懇談會開催 |
04 | 南方經濟の建設(七) 佛領印度支那の變貌 |
05 | 危險品の荷造簡單化 |
06 | 最近五ケ年間の 小作調停狀況 |
07 | 今川石炭社長渡比 |
08 | 內豚增產に光彩 二ケ月で一萬六千頭增加 |
09 | 臺南自動車工業株式會社 |
10 | 照明燈 |
11 | 外國為替業務 臺銀ニユーギニア 島外一ケ所で開始 |
12 | 內地醬油 價格改訂 |
13 | 壓榨開始 |
14 | 商況 九日 後場 |
15 | ラヂオ |
16 | 水滸傳(843)/黃得時;碇政彌 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 比島の敗殘敵匪に 最後の鐵槌を下す 陸海協力の殲滅戰 |
02 | 國策研究の綜合機關 “調查研究聯盟”誕生 |
03 | 東條首相の挨拶 |
04 | 圖像:大東亞戰爭一周年記念撮影 |
05 | 一進一退の攻防戰 北阿戰線樞軸空軍猛躍 |
06 | 苦悶の英國 |
07 | 敵船十六隻を擊沈 獨潛水艦の新戰果 |
08 | 鐵壁の島都防空陣 第三種防空訓練を終へて 堂堂分列式を擧行 |
09 | 戰時生產力の增強 日商、關係官廳に建議 |
10 | 吹雪荒れ狂ふ曠野に 獨、ソ白兵戰を展開 獨軍、全線に續續增援軍を送る |
11 | 多數の部落を 獨軍が奪還 |
12 | ル大統領の特務機關長 タンジールで暗躍 |
13 | 部落會、町內會と會長の表彰式擧行 |
14 | 米一ケ年戰費 四百六十億弗 |
15 | 英國の戰費 一日二千萬磅 |
16 | 貴族院調查會 申合せをなす |
17 | 鮎川滿業總裁 勇退に決定 後任高碕氏昇格 |
18 | 防空監視所員慰問 |
19 | 新竹州の人事異動 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 武勳萬古に薰る 戰歿勇士の合同慰靈祭 けふ第三部隊で嚴修 |
02 | 地底の增產戰士 炭鑛防問記 不可能を可能に 總常會の翌日めきめきと擧る (二)十五割の生產だ |
03 | 感激して顏を蔽ふ 軍司令官・遺族を激勵 |
04 | 國語臺灣の縮圖 榮譽を双肩に豆戰士が舌比べ 全島國語演習會盛況 |
05 | 圖像:戰歿勇士合同慰靈祭 |
06 | 握手して激勵 興亞十人塾の臺灣代表 僕等の總督を訪問 |
07 | 錦戶陸軍兵長 基隆に無言の凱旋 |
08 | 國語は國體の精華 長谷川總督の告辭 |
09 | 新文化の創建へ 大東亞文藝講演會と詩講習會 全島主要都市で開催 |
10 | 年末賞與の一部 國債又は貯蓄債券で |
11 | 興南詩苑漢詩 壽林君俊卿傑卿母唐太夫人七秩/覺齋、壽林君俊卿傑卿母唐太夫人七秩/李鸞村、中秋宴月於緝熙齋/李鸞村、謝綠野老友瞶鯛/謝雪漁 |
12 | 軍援への寄附者 |
13 | 今夜の放送 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 一般會計總豫算案 きのふ閣議で本極り頭條新聞 【東京發同盟】明十八年度總豫算案については政府は去る七月十七日の閣議で豫算編成方針及重要事項豫算統制大綱を決定し政府施策の重點を聖戰完勝と大東亞建設の目標に集中して財政經濟の合理的運營により戰時國民生活を確保しつつ國家總力の有効なる動員活用を圖ることとしこれに必要なる總豫算の編成に着手したが次いで十月二十三日の閣議にて明年度優先的に豫算化に努むべき重要國策二十九件を決定、これに基いて大藏省を中心に各省豫算の編成に當つた結果一般會計豫算案の原案を得たので十日午前九時より豫算閣議を開き賀屋藏相より說明があつて慎重審議の結果原案通り可決、茲に一般會計總豫算案の本極りを見た、斯くて政府は軍事費豫算を含む各特別會計豫算案の立案作成をも急ぎ一方さきに決定せる法律案要綱五十三件も來る二十二日の閣議で成文決定の運びで茲に今議會に臨む政府の準備は著しく進捗した尚總豫算案の內容は十日夕刻大藏大臣談話と共に政府から發表される |
02 | 圖像:○○基地に待機する海鷲の勇姿 |
03 | 能ふ限り節約勵行 賀屋藏相談話を發表 |
04 | 比島上陸一周年 十日にアパリ、ヴイガン占領 攻略最初の日章旗を飜へす |
05 | けふ日獨伊の軍事同盟一周年 東條首相獨伊記者と共同會見 |
06 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 待望の志願兵第二次募集社說 一 十八年度に於ける陸軍特別志願兵志願者訓練所生徒の募集が十日附を以て發表せられ、愈愈明春一月十日を期して募集を開始することとなつた。顧れば昨年六月二十日、榮譽は燦として輝く志願兵制度の實施決定を仰いでより早くも一年半、時恰かも意義深き大東亞戰爭一周年記念日を迎へて、本島青年の待望に應へんとする今回の第二次募集發表はまさに六百萬島民の感謝感激を新たに喚起するものがある。思へば志願兵制は島民多年の待望であり、青年諸君の渴望であつた。本島統治の終局の目標が要するに完全なる皇國民の練成に在り、醜の御楯となるべき忠良なる島民を造成するに在るは言を俟たない。志願兵制の實はまさに此の目標に到達するの一步手前に他ならぬのである。而して最後の目標たる完全なる皇國民たるの資格は、まさに本制度を通じてのみ速かに得られ與へられるものと云はねばならない。島民を擧げて志願兵への挺身推進に突入せねばならぬ所以はここに在るのである。 二 改めて申すまでもなく、皇軍の一員に列せられ得ることは國民最高の榮譽である。大元帥陛下の股肱として直接國家干城の任につき、醜の御楯となり得ることは、獨り本人にとつて絕對至高の國民的榮譽たるのみではない、同時に全家、全族、また鄉黨の無上の光榮でもあるのである本島にこの志願兵制度を實施せられた宏遠無窮なる一視同仁の有難き聖慮に對し奉りては我ら島民は唯唯感泣するばかりであるが、特に本制度によりただに本島青年をして軍人として直接國家守護の大任に負荷するの榮譽を與へたるのみならず之によつて六百萬島民に對し實に皇國民たるの大道を指向せられたところに重大意義が存するのであつて、ひとしほ我らの感激を深うするものと云はねばならない。從つて本制度を通じて顯現する島民の挺身如何は直ちに本島の皇民鍊成、國民の熱誠を如實に反映するものであることを我らは深く認識せねばならぬ。 三 本年度の第一次募集に際しては、その志願兵者數は實に四十二萬五千九百二十一名に上り、募集人員の優に四百二十六倍にも達したことは吾人の記憶に尚新たなものがあるが、これは全く戰時六百萬島民の忠誠を如實に顯理したものとして、まさに斯くあるべきこととは云へ、洵に御同慶に堪えない次第である、その赤誠溢ふるる志願者中から嚴選されて光樂の入所を許された前期生五百餘名は早くも六ケ月間の訓練を終了し、皇軍の一員として充分なる資質の鍊成を遂げて近く退所するまでに至つたが、彼らは天晴れ醜の御楯として或は戰時下本島皇民生活の推進者、指導者として大いに其の使命完遂を期待せられてゐる、而して後期生も引續き訓練所に入所練磨を行ふことになつてゐるが、六百萬島民は既に過去一年の立派な成績を擧げて皇國民たるの名を恥かしめず、來年に於ける第二次の志願兵挺身に對してもより一段の忠誠を披瀝して以て一日も早く島民皆兵の恩典に浴せられるやう擧島邁進すべきではなからうか。 |
02 | 無裝備で敵潛艦擊攘 北洋に擧る日本船員魂の凱歌 |
03 | 林榮初翁の善行に感激 一老兵から清掃の箒料を贈る 新竹市御遺跡地を繞ぐる佳話 |
04 | 圖像:比島兵の宣誓式 |
05 | “島民よ!奮起せよ 戰爭はこれからだ” 伊藤海軍武官力強く呼掛く |
06 | 神社に奉告祭 基隆商報七十八分團 |
07 | “皇國農村”の確立へ 決定三項目の概要 |
08 | 全島國演會 榮の入選者 十二名に賞狀 |
09 | “決戰生活”を強調 藤村市長と早川參與の對談を放送 |
10 | 赤誠の慰問部隊 臺北陸軍病院十日受付の分 |
11 | 蘭陽地方の復興に 麗はし・前線から義捐金 本島出身の八軍屬本社に寄託報社消息 |
12 | 前線慰問に漫畫繪葉書 皇奉本部から陸海軍に奉納 |
13 | 新竹州義勇隊原遺族を弔問 陸相代理佐佐木少佐が |
14 | 血書の感謝献金 軍司令部で拾つた佳話 |
15 | 喘息患者に福音 臺大澤田教授研究の新藥成功 |
16 | 竹內中佐令妹の御目出度 |
17 | 築く堆肥の山・山 宜蘭市增產競技會入賞者決る |
18 | 臺大から衛生調查隊 近くニユーギニヤ島に派遣 |
19 | 產婆講習會 基隆で開催 |
20 | 援護會に開催 |
21 | 賭博常習犯を一掃 |
22 | 南方行き筆生小使等を募集 臺灣軍副官部 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 護國英魂慰靈祭 きのふ新竹市で執行 |
02 | 若人の血は滾る 早くの志願準備に着手 |
03 | 吳鳳廟例祭 |
04 | 高雄州の豫算案 時局重點主義で查定 |
05 | 賴もし・防空戰士 きのふ坂口知事が視閱 |
06 | 水產製造講習會 |
07 | 嘉義市の防空強化運動 |
08 | 農村に樂しい映畫 平鎮庄を皮切りに巡演 |
09 | 三峽街民の赤誠 |
10 | 圖像:銃後決戰の姿(四) 炭燒き戰士/藍蔭鼎 |
11 | 圖南の壯志胸に 熱地農業技術生入所訓練 |
12 | 我が家の戰爭生活(三) 各方面の實踐に聽く |
13 | 防空事務移管式 橫田警察部長激勵の訓示 |
14 | カーバイト發生爐 使用獎勵講演 |
15 | 勞務事務打合會 |
16 | 優良防空群表彰 屏東市の防空強化運動 |
17 | 大東亞戰一周年記念献金品 |
18 | 米種改良に敢鬪二十年 科學動員協會賞に輝やく 臺中農試の藪龜さん |
19 | 日曜日を清掃日に 新竹市保甲民實行を申合 |
20 | 高雄市淑德高女 |
21 | 結婚調度品を節約して献金 |
22 | 陸軍病院の清掃奉仕 彰化市の若人臺中へ慰問行軍 |
23 | 中島教授十五日 臺南で農政講演 |
24 | 詐欺漢呂萬直 きのふ送局 |
25 | 地方多より |
26 | 今日の映画 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | コークス配給統制 中間販賣業者を排除 來年二月より實施に決定 |
02 | 木炭生產の確保へ 臺南州出荷強調週間を實施 |
03 | 纖維製品配給統制會社創立 社長に重田榮治氏 |
04 | 南方經濟の建設(八) 爪哇製糖工場の復活 |
05 | 電解場工業增資 重役陣も改造強化 |
06 | 二期籾買收標準 臺北州納入組合で決定 |
07 | 水利組合聯合會の陣容 會長は齋藤國土局長事務取扱 |
08 | 硫黃採取の應急策 德記硫黃礦の經營を指定 |
09 | 港灣荷役の強化促進 |
10 | 小型機帆船の自由移讓近く禁止 |
11 | 臺拓新社有地 贌耕契約開始 |
12 | 臺北州聯合商奉團 けふ結成式を擧行 |
13 | 高雄州木炭蒐配組合 きのふ創立總會 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況 十日 後場 |
16 | ラヂオ |
17 | 水滸傳(844)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | アジア民族解放の總進軍に參加せよ バーモ長官印度に呼びかく |
02 | 高松宮殿下台臨 日獨伊軍事同盟一周年 嚴肅盛大な記念交驩會 |
03 | 南方資源は着着戰力化 首相と獨伊記者團の應答 |
04 | 佛政府當局 ド將軍ら逮捕 |
05 | 科學技術研究戰士顯影大會 |
06 | 大東亞不落の要塞 日本魂に躍動、セレター軍港 |
07 | 農保改正案預算 二千二百四萬五千圓 |
08 | 十五日から事前審議 翼政會、政府施策に協力 |
09 | 海軍人事局長更迭 後任中澤上將補職さる |
10 | 全戰線「火と鋼鐵の壁」 中部戰線で獨ソ兩軍死鬪 |
11 | 商工省豫算 |
12 | 物も智慧も精力も 戰力增強に動員 岸商相の送放要旨 |
13 | 戰線一時膠著か 北阿に猛烈な降雨 |
14 | 獨佛關係一層緊密化か ペタン元帥、ラヴアル首相 駐屯獨總司令官と會見 |
15 | 基隆市方委打合會 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 親蘭色・完全に拂拭 建設の息吹も高らかに 皇威洽し香料群島 |
02 | 全島檢查官長會議 司法保護事業法を中心に けふ高等法院で開催 |
03 | 大東亞戰勝記念碑 十三日除幕式擧行 |
04 | 新竹州郡守市長會議開催 |
05 | 地底の增產戰士 炭鑛防問記 資材節約に集約採炭(三) 日夜苦鬪する鶴嘴戰士に 送りたい慰安と娛樂 |
06 | 圖像:カムボヂヤの水祭リ |
07 | 島都の一大動脈 大正街四條から朱厝崙新道路 十一日起工式を擧行 |
08 | 嚴たり港都 空の護り |
09 | 拓南工業戰士 十四日第一回修了式擧行 |
10 | 勤報新竹州隊 あす花蓮港へ |
11 | お山の增產協議 十七日から打合會開催 |
12 | 正しい防毒知識 指導者を集めて講習 |
13 | 鈴木臺北憲兵分隊長着任 |
14 | 初等國語と修身 國講用教科書決定 |
15 | 興南詩苑漢詩 四十初度値歸鄉五秋書懷四首/補莊、“醉覺”/黃景南 |
16 | 澎湖、臺南憲兵分隊長着北 |
17 | 樋口參謀長の講演を放送 |
18 | “作業教化が主” 滿州國の刑務所 |
19 | 本年度の門松 最高三圓最低二圓 |
20 | 遞信部異動 |
21 | 人事消息 |
22 | 煙幕 |
23 | 今夜の放送 |
24 | 商況 十一日 前場 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 畏し偉勳上聞に達す ジヤワ作戰に武功拔群 坂口兵團、東海林部隊に感狀頭條新聞 【東京發同盟】ジャワにおける敵の無件降伏に重大な素因を作つた殊勳の坂口兵團及東海林部隊に對してはさきに今村蘭印方面陸軍最高指揮官より夫々感狀を授興されたが畏くも上聞に達した旨十一日陸軍省から發表された 陸軍省發表(十二月十一日十六時) 爪哇方面の攻略作戰に武功拔群なりし坂口兵團、同配矚部隊並に東海林部隊、同配屬部隊、同區處部隊に對し曩に同方面陸軍最高指揮官より夫々感狀を授與せられたが今般畏くも上聞に達せられたり 感狀 坂口兵團、同配屬部隊 右は軍の先驅となり懸軍長驅比島及び蘭領ボルネオに轉戰し敵前上陸を敢行すること五回、善戰常に機を失せず頑敵を破り要衝を拔き東印度諸島全般の攻略作戰を有利ならしめたり(寫真は坂口部隊長) 爪哇に對する軍主力の作戰に當りては兵團はクラガン附近に上陸したる後最も神速に中部爪哇の各地を突破し上陸後週日にして挺身チラチヤツプを占領し爪哇における敵全軍の退路を遮斷して之に致命的衝動を與へ敵軍の無條件降伏に重大なる素因を作りたり右の武功は真に抜群なり、玆に感狀を附與して之を全軍に布告す 昭和十七年三月二十一日 蘭印方面陸軍最高指揮官 今村均 感狀 東海林部隊 同配屬部隊、同區處部隊 右は昭和十七年三月一日エレタン附近に敵前上陸し數次に亘り空陸よりする敵の執拗なる攻撃を破摧し長驅同日正午旣にカリヂヤチ飛行場一帶を占領し以て我が制空權の獲得を可能ならしむると共にバタビヤ、バンドン間の連絡を遮斷し次いで五日午後遠藤飛行部隊と協同の下にバンドン要塞の一角を突破し以て敵の全面的降伏に重大なる素因を興へたり(寫真は東海林部隊長) 右の行動は作戰膽略最も機宜に適せるものにして其の武功は拔群なり 茲に感狀を附與して全軍に布告す 昭和十七年三月二十一日 蘭印方面陸軍最高指揮官 今村均 |
02 | 如何なる障碍をも粉碎 日獨伊三國民固く手を組む 三國軍事同盟一周年記念日谷外相放送 |
03 | 敵全軍の連絡遮斷 坂口兵團の戰鬪經過 |
04 | 樞軸軍は要衝 タバルカ占領 |
05 | 日、獨、伊三國首腦 メツセージを交換 |
06 | 三國必勝を確信 記念晚餐會席上谷外相挨拶 |
07 | 勝利の大道を驀進 オツト讀大使答辭 |
08 | 貴院、政府の說明を聽取 豫算案に對し |
09 | 伊軍將兵の損害發表 |
10 | 六大都市宛生鮮食料品小包 年末年始の取扱を停止 |
11 | 南十字星 |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 決戰第二年に對處する道社說 一 皇軍連戰連勝の中に大東亞戰爭一周年は過ぎた。この一ケ年に於ける皇軍完勝の結果、敵に與へた物資消耗は陸軍部隊に依つて敵機二千七十七機擊墜破、艦船百四隻擊沈破、海軍部隊に於ては戰艦十一隻の擊沈破を加へて總計四百十七の艦艇が擊沈破され、船舶四百十六隻、二百廿四萬噸も合せ海中に屠られ、更に飛行機三千七百九十八機を喪失せしめた。併しながら反樞軸國側の決戰主力として緖戰の狼狽から漸く覺めたアメリカは今夏以來決然と立ち上り、乾坤一擲國外に大軍を派遣し、ソロモン群島を中心とする南大本洋に大反抗を行ひ、北西阿に攻勢を續けつつあり、然も開戰一周年記念日の七日を「沈默の日」としその前日たる六日は一年前の真珠灣敗戰の真相を發表するなど、これを以て國民の敵愾心を煽り、第二年を復讐に燃える大規模な反攻を展開せんと企圖しあること歷然たるものがある。茲に於て大東亞戰爭第二年を迎へた我我としては將來の情勢展開について嚴戒しなければならない。 二 殊に敵の尨大な消耗に對し、我が方の尊い犧牲も尠くないのである。敵米英は其尨大なる資源と生產力にものを云はせて、消耗戰による連續決戰を挑み、ソロモン海戰に於て屢次の攻擊を續行しつつある。谷萩陸軍報道部長が此長期戰の新しい樣相を障碍マラソン競爭と比喩したのはこの敵の戰爭指導原理を別の面から評したものである。開戰以來多數の艦艇を竣工せしめ、飛行機の月產五千臺、一ケ月造船八十四萬噸に成功したと豪語する敵米國の生產戰に對し、如何なる戰略を以て當らんとするか。これが第二年に處する我國當面の課題である。勿論米國如何に尨大なる生產力を保有すると雖も常に我先制作戰に頭を打たれ、その戰力の重點集中に事缺く事實を以てすれば、長鞭にして逆に馬腹が及ばず、何ら懸念する必要はないが我が廣汎熾烈なる作戰要求を充當し、これに不斷の戰力を注入するは云ふまでもなく第二年に處する我我國民の唯一の責務である 三 東條首相はこの點を特に强調し「最早や戰場も前線にのみ限る時代ではなく、國民一人一人が各各その持場に於て振ふ一つの槌も一つのペンも直に前線の戰力に影響する」と述べ「今日の作戰の要求に卽應し得る樣戰力を增强されたい」と國民の真劍なる協力を要求した。谷萩部長は「全國民が死の一步手前まで至らざれば勝利の彼岸に到達することは出來ない」と言明し、國民生死を賭しての決戰覺悟を要請し、特に「明日の決戰に破れたならば如何に數年後に增產を圖るとも本格的決戰には勝ち得ぬ」となし、決戰期に處する國民今日の增產を要求したのである今や一億銃後國民の責務は今日の決戰に對し、一艦一機一發のより多き補給を續け、第一線將兵をして後顧の憂なからしむることである。國內卽ち戰場の意義は抽象的なる戰爭意識の昂揚を狙つたものでなく、國家興亡の岐路に立つ決戰第二年に處する國民その日、その生き方を示したものであり、生活卽ち戰爭の真義に徹しつつ生產力增强に協力を捧ぐべきである |
02 | 若人よいざ行かん 陸軍特別志願兵の募集要項 府兵事防空課解說 |
03 | 只只皇恩に感泣 感狀に輝く兩部隊長の留守宅 |
04 | 皇軍の勞苦に感謝 島都學徒群汗の奉仕 |
05 | 新商業道に邁進 臺北州商奉團晴れの結成式擧行 |
06 | 決議文を可決 式後に商奉團大會開催 |
07 | 風害救護に挺身 皇奉本部で三十四氏表彰 |
08 | 一等車等の連結廢止 年末年始の旅客輸送對策決る |
09 | 銃後島民の赤誠 |
10 | 知事以下が陣頭指揮へ 臺北州木炭生產出荷強調週間 |
11 | 物淒い賣れ行き 拓南農業、工業戰士好評 |
12 | 宣傳隊を繰出す 南署の交通安全週間行事 |
13 | “臺灣一家”前線へ 陸海軍に“明るい銃後”三千部 |
14 | バリトン歌手 林鶴年氏演出 藤原義江劇團の公演に |
15 | 各地開催日割 大東亞文藝講演會 |
16 | 軍屬募集 |
17 | 人事消息 |
18 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 未教育青年の訓練 第一回に四百名を選拔して實施 高雄州興亞報勤隊を組織 |
02 | 高雄勤報青年隊 昨夜臺北へ出發 |
03 | 國語常用を促進 皇奉臺中支部強化研究會開催 |
04 | 御歌を傳達 嘉義郡守から かほるさんに |
05 | 勳章傳達式 |
06 | 我が家の戰爭生活(四) 各方面の實踐に聽く |
07 | 大麻頒布式 臺南市昨日擧行 |
08 | 屏東市の頒布式 |
09 | 國民學校教育研究會 先生達千餘名屏東に集ふ |
10 | 新崙大麻奉 齋殿例祭 |
11 | 防空功勞者表彰 霧峰庄防衛團 |
12 | 後壁郵便局開局式 |
13 | 彰化郡皇奉支會懇談會 |
14 | 店仕舞ひぢやない 金屬製看板どしどし取換へ |
15 | 犯罪の撲滅へ 花蓮港廳十五日より 防犯週間を實施 |
16 | 李廷秀君の淡水街葬 |
17 | 皇奉高雄支部參與委員會 二十二日開催 |
18 | 臺中近郊を戰場に 中等學徒が聯合演習 |
19 | 戰爭生活指導講演 |
20 | 疊、襖の修繕 臺中署、家主を招いて打合會 |
21 | 產業戰士の献金 |
22 | 曾文溪水防組合 來る十六日創立總會 |
23 | 大東亞戰一周年記念献金品 軍司令部扱 |
24 | 鄉軍新高郡 分會射擊會 |
25 | 屏東商工會議所では渡邊會頭 |
26 | 市川女史の講演日程 |
27 | 東港郡警察召集 |
28 | 生活科學展 |
29 | 花蓮港廳異動 |
30 | 宮本日報社長逝去 |
31 | 彰化の火事 公共浴場燒く |
32 | 地方多より |
33 | 今日の映画 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 全國經濟部長會議 增產配給關係に重點 |
02 | 臺灣棉花社長 山田拍採氏專任 |
03 | 山林事務所長會議 林務の圓滑運用を協議 |
04 | 昭和家畜會社 家畜罐詰に製造 |
05 | 最近の經濟問題 |
06 | 物價調整連絡協議會 愈よ十八、九日に開催 |
07 | 柑橘類輸出減少 大部分島內消費へ廻す |
08 | 木炭增產を促進 十五日から出荷強調週間實施 |
09 | 島都銀行預金(十一月末) 二億五千萬圓を突破 |
10 | 產組聯貯金 四千萬圓に上る |
11 | 照明燈 |
12 | 商況 十一日 後場 |
13 | ラヂオ |
14 | 水滸傳(845)/黃得時;碇政彌 |
15 | 新興工業紹介 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 必勝第二年對處の 本島地方長官會議 十八日開催に決定 |
02 | 共榮圈の物價政策 價格形成中央委員會二方策案を決定 |
03 | 圖像:第三次ソロモン海戰における敵戰艦擊沈實寫圖 |
04 | 國民總力戰思想の 急速な普及徹底へ 翼贊會結論を政府に上申 |
05 | 伊國皇帝陛下 御親電を送らる 帝國の參戰一周年に際し |
06 | 農山漁村の重大役割 井野農相の放送要旨 |
07 | ヒ獨總統にも メツセージ送らせらる |
08 | 壯烈な立體機動戰 ス市全線、獨軍が猛攻 |
09 | 赤軍を遮斷包圍 獨軍鐵環を形成掃蕩 |
10 | ソ聯情報局發表 |
11 | 赤軍戰車破壞數 |
12 | 大量の新將官 赤軍の大異動で |
13 | “賣國政府を倒せ” テヘランに食糧暴動 |
14 | チユニジア戰況 |
15 | 樞軸戰車集團 突如猛擊開始 |
16 | 英の悲觀放送 作戰の困難指摘 |
17 | スマトラ橫斷 鐵道計畫實施 |
18 | 食糧國防團中央防諜委員會 十六日に發會式 |
19 | 貴族院調查會 豫算□聽取日割 |
20 | 米大型巡洋艦 サ號大損傷 ソロモン海戰で |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 有難き御下問賜る 聖恩、本島民草の上に洽し 長谷川總督昨日離京 |
02 | 燃ゆる島民の赤誠 開戰一年記念週間献金總額 十三萬二千圓を突破 |
03 | 圖像:東海林部隊激戰地を視る |
04 | 人情佳話の珠玉篇 一老兵から贈られた箒料に感激 清貧の榮初翁献金 |
05 | 敬神生活指導座談會を開催 |
06 | 記念講演會開催 島都奉壯團結成一周年に 竹內、白水兩中佐が講演 |
07 | 若人鍊成の繪卷 臺北州青年大會愈よあす開催 |
08 | 決戰生活これでよいか 遊興飲食稅激增 |
09 | 產業戰士を慰問 臺灣興行統制會社各地で映畫を上映 |
10 | 講演に感激して献金 臺北州農會農民訓練所生が 武官府に戰艦建造費献金 |
11 | 航洋船員後援會 基隆で結成に決定 |
12 | 臺北州防犯週間 廿一日から一齊に實施 全州下に注意書十萬枚を配布 |
13 | 市長郡守會議 けふ州會議室で開かる |
14 | 遺家族の献金佳話 |
15 | 國民學校に映畫機常置 情操教育を豐かに |
16 | 日婦高砂分會結成式 |
17 | 基隆の交禮會 |
18 | 優良防衛從事員 市で六十八名表彰 |
19 | マ病の絕滅へ 港都で打合會開催 |
20 | 興南詩苑漢詩 和嘯霞詞兄瑤/小維摩、弔張國珍令萱堂彭太孺人/高華袞 |
21 | 產組監事の指導講習會開催 產組臺北州支部で |
22 | 人事消息 |
23 | 煙幕 |
24 | 新年漢詩徵募/興南新聞社報社消息 |
25 | 今夜の放送 |
26 | 商況 十二日 前場 |
27 | 興南案內報社消息 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 一擧敵十九機を屠る 海鷲ソロモン群島上空で活躍頭條新聞 【東京發同盟】○○基地にて十二日北原海軍報道班員發わが無敵海航空部隊は世界海戰史上に不滅の金字塔を打建てた十月二十六日の南太平洋海戰以來ソロモン群島を中心とする南太平洋全海域に亘り敵殘存艦隊並びに航空兵力擊滅を期しこれが大殲滅戰を展開したが去る十一月十一日わが戰爆連合の大編隊は南海特有のスコールと積亂雲を衝いて飛翔ソロモン群島○○島の猛烈な防空砲火の真只中に突込み正確無比の爆擊を敢行敵大型小型飛行機二十餘機を炎上輸送船一隻に命中彈を浴びせ、他方戰鬪機隊は攻擊隊を掩護しつゝ敵戰鬪機二十七機擊墜の大戰果を擧げた續いて十二日晝には我戰鬪機隊は雷擊機隊を掩護襲ひかゝる敵グラマン戰鬪機P三九、P四◯等二十餘機と白晝堂々の空戰を展開その十九機を擊墜一方雷擊機隊は敵艦隊上に殺到甲級巡洋艦一隻、乙巡一隻をそれ〲轟沈輸送船三隻炎上せしめると言ふ驚異的大戰果を擧げわが艦艇部隊の同夜の夜襲戰並びに爾後の海戰に依る大戰果と相俟つてわが海軍のみがなし得る偉勳を堂々樹立したのであつた記者は今○○基地にあつてこの殊勳の戰鬪機部隊○○指揮官を始め○○名の勇士等と親しく當時の海空戰の模樣を語合ひわが海鷲の生々しい實戰記を綴る 十一月十二日の未明であるわが○○飛行基地にサンタクルーズ島南方に有力なる敵機動部隊が針路をソロモン群島にとつてゐるとの報吿が入つた敵は性懲りもなくわが術中に陷つて來たのだ直ちに出發用意の命令は八方に飛んだ斯くて午前○時○分雷擊機隊の出發に續いて戰鬪機隊も離陸大編隊は轟々たる爆音を南海の朝空に響せながら一路南方目指して飛び立つたソロモン群島一帶は厚い積亂雲に蔽はれてゐるこの中を縫つて飛翔すること○時間わが編隊は○○島上空に鵬翼を現はした敵艦上空に肉薄し掛つたのだこの時正十二時前方に敵船團の一部を發見したと思つた瞬間遙か下方でばつ〱と白煙が散亂した敵の防空砲火だと見る間に敵グラマン戰鬪機其他が僚機の下方に六機編隊右前方に三機五機と挑んで來た、敵は第一次ソロモン海戰以來馴染み深いグラマン戰鬪機とP三九、P四◯だ全部で廿四、五機指揮官機が前方に左旋回したと見るやわが○番機はグラマン一機に先づ一擊を喰はし、他の敵二、三番機に機銃掃射を喰はすと二番機の翼根に命中したのかぱつと火を吐き次の一擊で敵機は空中分解して落ちて行つた。僚機は見事な編隊で至る所で大空中戰を展開してゐるわが◯番機が左方に急旋回したかと思つた瞬間又も敵の二機が火を吐きながら落ちて行く落下傘を開いて降下して行く敵兵の姿も見られた遮風板を射ち拔かれてがくりと首を垂れたまゝ機體諸共落ちて行く敵機もあつた。P三九、P四◯型と違つてグラマン戰鬪機も仲々優秀であるが所詮わが戰鬪機陣とは問題にならない從つてわれとの巴戰を極度に嫌つて高々度戰法や雲間に隱れてゐて奇襲戰法でやつて來る。僚機は敵の術を知り巧みにこれを捉らへて一擊を喰はしては直ぐ雷擊機隊の掩護につく大空中戰は斯くて二十五分續きグラマンP三九、P四◯の型等敵機擊墜十九機の大戰果を擧げた この間雷擊機隊も戰鬪機隊の掩護の下に猛烈な防空砲火を衝いて正確な雷擊を敢行した。その頃敵防空砲火は益々物凄く彈幕は厚い壁の樣に中空に沸き上つて來る敵艦の主砲、副砲も一齊に砲擊を開始して來た然しわが雷擊機隊は鮮かな編隊のまゝ敵艦目掛けて突き進み雷擊針路に入ると見るや高度をぐつと下げて○○米の低空で突込んだこの瞬間早くも先頭を切つてゐた敵甲級巡洋艦の胴體からマストの二、三倍もある水柱がさつと上り猛煙を吹き上げた神技とも思はれる間髮の轟沈であつたこの時○番機の兩翼を大きく振つた最後の袂別だと思つた瞬間火達麿となつて敵乙巡の胴體目掛けて自爆した何たる壯絕さだ、これと殆んど同時に僚機の放つた魚雷はこの敵乙巡の胴體に命中二、三百米もの水柱が上つた◯番機が左翼を上げて右下方に旋回するとそのまゝ一文字に敵驅逐艦の甲板目掛けて突込んで行つた實に立派な最期であつたこの間敵の輸送船團も次々に火熖に包まれて行くわが戰鬪機隊は雷擊機隊掩護の傍ら急降下しながら機銃掃射に移つた敵乙巡の甲板では顏を蔽つて斃れて行く敵兵も見へる黑煙に包まれながら大きく傾斜した敵船もある海上一面油と浮流物が漂ふ中を逃げ惑ふ敵輸送船もゐる斯くてこの日も思ふ存分敢鬪したわが海鷲群は歸路の惡天候を克服して基地に歸還したのである |
02 | 建國功勞者に行賞の御沙汰 滿國政府より發表 |
03 | 圖像:我が無敵空母(その四) |
04 | マチーバ號 擊沈を發表 |
05 | 翼贊生產體制を確立 十五日に官民經濟懇談會 |
06 | 滿國內開拓民第二期五ケ年計畫 |
07 | 洪澤湖北岸の敵急襲 |
08 | 山東半島の共匪掃蕩 |
09 | けふ南京陷落の日 脇坂少將の追懷談 |
10 | 紫金山の激戰に 敵主力全く潰滅 當時追想、感概無量の中島中將 |
11 | “民情窓口相談” 處理事件約九十%の好成績 十五日に一先づ受付を休止 |
12 | 翼政會翼贊會一體化の要望 眾議院各分野に擡頭 |
13 | 翼政會の政治力強化 有志議員より阿部總裁に進言 |
14 | 夏季攻勢以來の大戰果 東部戰線獨軍大規模の包圍戰 |
15 | 戰局の現狀 獨軍當局見解を表明 |
16 | 航空科學技術の飛躍的發展向上 技術院所管の豫算決定 |
17 | 獨佛關係の現狀 獨外務省態度を闡明 |
18 | 船舶中間檢查時期を延長 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 前線の銃後愛社說 一 戰ひが決戰段階の第二年目に入つた今日、われわれ國民にとつて勝ち拔くための最も緊切なることは、戰力增强の生產戰に一億誓つて努力しなければならないことにあるは言ふまでもない、開戰一周年記念日を新しき出發點として全島民が銃後是戰場の精神を堅めた折りも折り、南方派遣軍某部隊に所屬せる本島出身の八軍屬が第一線で本紙の蘭陽地方暴風雨罹災者に對する義捐金募集の記事を見て銃後罹災者を思ふ一心から各自の給與を割き金二十圓を醵出して復興資金の一部にと本社宛送金して來た十一日附本紙報道は單なる前線と銃後を結ぶ美談として見過すべきではなく「締切後でもあり又僅少ではあるが何卒何かの足しにでもなれば幸甚に存じます尚一日も早く復興せられんことをお祈り致します」と前線の辛酸勞苦も忘れて、只管銃後安かれと念ずるその切切たる情にわれら島民は自ら省みて頭の下るを覺ゆる 二 元來第一線にあるわが皇軍將兵は激戰の後とか航海の合間合間とか或ひは一寸した憩ひのときにもすぐ想ひを家鄉に走らせるものであるが、この事は皇軍慰問に往つた人人が第一線を廻つた時、一番多く受けた質問が銃後國內の有樣はどうか、皆んな元氣でやつてゐるか、元氣は衰へて居らぬか、臺灣に颱風が襲つたそうだが被害はどうだつたか等がその總てであつた點から考へても容易に推察されるのであつて、この點銃後島民は吾吾の一舉一動がその儘前線に映るものだと言ふことに深く思ひを致し、忠勇無双の皇軍將兵をして思ふ存分御國の為に働せるために、銃後が一體となり理窟を拔きに困苦缺乏を堪へ忍んで、戰力强化のための生產戰や經濟戰に思想戰に戰爭生活の實踐に國內是戰場の精神を揮つて聖業達成に邁進しなければならない、前線にあるわが皇軍勇士の一番大きな希ひは何かと言ふと心置きなく戰へると云ふことである、從つて擊沈した敵艦が戰艦であり航空母艦であればある程、また擊墜機が多ければ多い程彼等の歡びと滿足はそれだけ大きいのである、これを要するに一身を大君に捧げて生もなく死もなく勝利を摑むことこれだけが唯一つの願ひであり總ての希望なのである 三 喰ふか喰はれるかの今度の大東亞戰爭は第二年目に入るに從つていよいよ決戰の凄愴振りを露呈するものと覺悟せねばならない、この戰ひに勝つためわが皇軍勇士は艦上怒濤と鬪つて索敵の二十四時間勤務に寢食を忘れ、荒鷲は下令を待つて愛機の翼の下に寢て醒めて食事して生きてゐるのである、この激務の連續のなかにも、國內どうぞ安穩なれと祈る一心は折に觸れ場合に應じて、銃後への金品發送となつて現れるのである、銃後において第一線の勇士が何等の不自由もないやう念じ、また前線の勇士は銃後がどうぞ安穩であらせたいと希ふその魂の交流があつてこそ、米英擊滅の聖戰を勝ち拔く第一の要諦でなければならない、然し乍ら敵の主力米は非常に豐富な物資と巨大なる生產力を持つてをり、南太平洋海戰における一連の海戰でわが皇軍に再起不能までに叩かれても次次から飛行機を編隊し艦艇を繰り出して來る如きはその瞭かな證據であつて、寔に侮り難い相手なのである、われら國民を思ふ前線の烈烈たる銃後愛に應へる唯一の方法は前線が兵器彈藥に事缺くことのなきやう銃後一億が擧つて戰力增强の生產戰に死力を盡すところにある |
02 | 適格者は全部應募 臺灣青年の真價を發揮せよ 齋藤中央本部長語る |
03 | 花蓮港廳市長郡守會議 |
04 | 小包郵便物制限 臺灣から六大都市へ |
05 | 物淒い軍援献金 後一息で一億圓突破 |
06 | 英靈に無限の感謝 臺北市葬きのふ嚴かに執行 |
07 | 伊藤海軍武官の講演 第二放送に飜譯 |
08 | 大溪郡青年團查閱 |
09 | 村上直次郎氏 帝國學士院會員に推薦さる |
10 | 書籍雜誌統制強化 來年度第一期用紙は四割削減 配給も優先制採用 |
11 | 戰艦建造費献納 子供部隊武官府に殺到 |
12 | 臺北市思想戰完遂講演會 |
13 | 臺北州風災遭難者 和同慰靈祭を執行 |
14 | 第四種郵便物 南方向取扱開始 |
15 | “教員の家は國語家庭” 新竹市教員大會で促進を決議 |
16 | 賑ふ子供部隊 軍司令部へ屑鐵献納 |
17 | 亡父一周年忌に 陸海軍へ献金 |
18 | 基隆市高砂區 青年團講演會 |
19 | 蘭陽金融懇談會 |
20 | 愈よ實踐運動へ 新竹州日婦あす評議會 |
21 | 港都防諜講演會 |
22 | 大溪郡高額貯蓄組合結成式 |
23 | 臺北臨床座談會 |
24 | 車中で靴を盜ま れた方屆出でよ |
25 | 豫ねて施工中の花蓮港 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 南方開拓の巨鍬 愈よ臺南農試で鍛鍊 |
02 | 增產貯蓄に驀進 旗山郡農民大會で決議 |
03 | 賞賜物件傳達式 |
04 | 我が家の戰爭生活(五) 各方面の實踐に聽く |
05 | 社會事業懇談會 |
06 | 高雄奉醫團懇談會 |
07 | 戰捷記念に献木 潮州神社に捧ぐ郡民の赤誠 |
08 | 淚を唆る“母性愛” 屏東市の慰問演藝上出來 |
09 | 二林街演劇挺身隊好評 |
10 | 兩英靈弔ふ 嘉義市葬 |
11 | 溪湖街の空訓 |
12 | 傷痍軍人會高雄市分會結成 |
13 | 白河都市計畫 關係者百年の大計を凝議 |
14 | 臺中州奉壯團 幹部鍊成終了 |
15 | 共同收穫を謳歌 節約費を献金に醵出 |
16 | 聽眾に深い感銘 高雄の文藝講演會盛況 |
17 | 當時の奮戰を聽く 嘉義市鄉軍歸還軍人を慰勞 |
18 | 大東亞戰一周年記念献金品 |
19 | 桂教授彰化で講演 |
20 | 刑餘者に訓話 鳳山郡の防犯行事 |
21 | 新化北國民校のヨイ子供献金 |
22 | 秀水庄の記念講演會 |
23 | 中商の查閱 |
24 | 高雄市淑德高女では近く |
25 | 空巢泥を檢擧 嘉義署の目光る |
26 | 高雄淑德女阿里山登山 |
27 | 高雄市旗後、平和兩町 |
28 | 臺南市青年團查閱 |
29 | 松村醫院擴張 |
30 | 地方多より |
31 | 今日の映画 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 二期米豫想收穫高 四百五十五萬三千石 前年同期に比較し三十四萬四千石增 |
02 | 統制物資買上成績良好 來る十五日で期限滿了 |
03 | 戰爭經濟體制の確立 翼政會の成案十四日に決定 |
04 | 南方經濟の建設(九) 爪哇各方面の進展 |
05 | 十一月中拂込、設立增資許可事項 |
06 | 漁船燃料の對策 カーバイト發生爐取付に補助金 |
07 | 大日本海事設立 安平で木造船を建造 |
08 | 木炭生產出荷強調週間 須田局長等督勵日程 |
09 | 單寧、木炭確保へ 臺中州出荷推進隊を繰出す |
10 | 十一月郵便貯金 前月に比し二倍增加 |
11 | 管理米輸送組合 近く改組強化せん |
12 | 內地樽酒初入荷 近く市場に賣出 |
13 | 臺南州の強調週間 |
14 | 臺中州砂糖配給協議會開催 |
15 | 壓榨開始 |
16 | 照明燈 |
17 | 東京現物相場 |
18 | ラヂオ |
19 | 水滸傳(846)/黃得時;碇政彌 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 聖上伊勢神宮に御親拜 畏し皇祖の大御前に 皇軍の大戰果を御奉告 至高の御儀を 終へさせられ きのふ宮城に還幸頭條新聞 宮內省發表【東京發同盟】 天皇陛下には去る十二日親しく伊勢の神宮に御拜あらせられたが十三日 午後五時告示をもつて次の如く宮內省より發表された 宮內省告示第二十九號 天皇陛下神宮御參拜の為本月十一日御發輦京都府下並びに三重縣下へ行幸今十三日還幸あらせられたり 昭和十七年十二月十三日 宮內大臣 松平恒雄 |
02 | 大御心を奉體し 各各職域に最大限の努力を 宮內大臣謹話 |
03 | 感奮興起するばかり 東條總理大臣謹話 |
04 | 奉拜の民草感淚に咽ぶ 御三年振りに京都皇宮に御駐輦 |
05 | ソ聯最高會議 議員選擧延期 |
06 | 北支中共軍潰滅へ 我派遣軍赫赫の戰果 |
07 | 圖像:白雲を衝いて爆擊に出動の海鷲の勇姿 |
08 | 敵船四十隻を擊沈 印度洋獨潛艦の戰果 |
09 | 白兵戰を續行 激戰の後赤軍敗退 |
10 | テヘランの米國出先狼狽 |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 海鷲、敵潛艦を擊沈 南海爆擊行の同乘記 |
02 | 大東亞戰勝記念碑 昨日三張犁で晴の除幕式擧行 |
03 | 新生マライの建設(一) |
04 | 青壯年に主攻目標 結核撲滅對策の全貌 |
05 | 經濟戰力增強協力會議 けふ大東亞會館で開く |
06 | 港都商業奉公團結成奉告祭 神社大前で執行 |
07 | 興亞の資源回收 古足袋、ボロも供出せよ 花蓮港廳廢品供出運動 |
08 | 南進第一線の挺身女性 |
09 | 故楊軍屬を弔ふ宜蘭市葬 昨日嚴かに執行 |
10 | 拓南の增產戰士 十六日より新竹農試で鍛鍊 |
11 | 武勳の英靈凱旋 |
12 | 花蓮郡蔗作競技會第一回審查 |
13 | 基隆署保正會議 |
14 | 米の巨船ク號沈沒 最後の脫出者語る |
15 | 結核豫防懇談會を開催 桂教授を迎へて |
16 | 產組が協力に乘り出す 木炭生產供出報國運動に |
17 | 健氣な日比混血孤兒二人 父の遺訓を奉し勉學に勵しむ |
18 | 米崙市場開き |
19 | 胡氏月さんの國語演習を錄音放送 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ボルネオは樂土! 探險映畫の猛獸は放つたもの 船田氏の現地便り |
02 | 善化街大麻頒布式 |
03 | 第二年への進擊 二宮先生晴の應召 |
04 | 善は實行を急げ 項目の羅列よりも實踐が第一 古川參與澎湖廳奉委會で強調 |
05 | 嘉義郡の少年團 月末に民雄庄で野外鍊成 |
06 | 大甲郡馬耕競技會 |
07 | 各地の記念講演 |
08 | 淡水魚の刺身は如何? 水利組合長會議で養魚決議 |
09 | 水道擴張工事遲る 嘉義市會で費用支出を諮る |
10 | 大東亞戰一周年記念献金品 |
11 | 善化街奉壯團誕生 |
12 | 奉公助產婦會彰化市分會 警察署で晴れの結成式 |
13 | 鹿港街での生活相談 |
14 | 善化保甲役員選舉 |
15 | お正月の神酒 各戶に一本宛 |
16 | 文藝座談會 |
17 | 香奠返し献金報社消息 |
18 | 宮本日報 社長告別式 |
19 | 覺悟の投身? |
20 | 地方多より報社消息 |
21 | 今日の映画 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 学芸 大東亞戰一周年/村川堅固 |
02 | 北回歸線 生活と音樂 國民皆唱の意義 |
03 | 愛國百人一首(三) 日本文學報國會選 |
04 | 地方通信 |
05 | ラヂオ |
06 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 一億胸迫り眼潤む 早朝の神苑に民草が額き 斷乎米英擊滅を誓ひ奉る |
02 | 活潑なる意見開陳 中央物價統制協力會議總會 |
03 | 地方經濟行政協議 全國經濟部長會議開く |
04 | 圖像:海鷲索敵から歸へる |
05 | 貴族院調查會の議會對策 |
06 | 週間國際展望 |
07 | グ少將行衛不明 |
08 | カ濠州首相 議會で演說 |
09 | 樞軸軍熾烈な攻勢 チユニジアの戰況 |
10 | サ號高級將校大半は戰死 |
11 | 圖像:ポートモンレスビー爆擊を終へて歸還 |
12 | 完全に失敗 英の第八軍大損害 |
13 | 赤軍の反攻を擊退 ルジヨフ西方の戰況 |
14 | 獨軍司令部 戰況公報發表 |
15 | 獨、佛關係を調整 新軍隊結成は余の任務 ペタン主席の回答內容 |
16 | 獨宣傳相演說 |
17 | 單一政黨樹立に ドリオ派が問題 |
18 | 或種の諒解 ソ、土間成立か |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 民防空の完璧へ 軍司令部に模範防空壕 一般の觀覽に供す |
02 | 生れ出づる樂土 逞ましい復興振り 明朗な東亞人の隣組 昭南篇 |
03 | 優秀な志願兵を 府定例局部長會議席上で 山內警務局長協力を要望 |
04 | 鮮かな短艇操法 海洋訓練生查閱 |
05 | 遺家族慰問會 |
06 | 正義日本を賞讚 抑留外人の感激 |
07 | 交通安全週間始る |
08 | 奉納催物の第一回打合會 あす市會議室で |
09 | 臺北州青年大會 |
10 | 國防訓練場成る 十九日竣工式擧行 |
11 | 警報傳達の迅速適正化へ 新竹州で打合會 |
12 | 健兒の意氣軒昂 基隆壯丁團檢閱 |
13 | 巢立つ“拓南工業戰士” けふ晴の第一回修了式擧行 |
14 | 市民の積極的協力を望む 出水北署警務主任談 |
15 | 結婚費を節約献金報社消息 |
16 | 州兵事防空課長 兩係長發令さる |
17 | ブルガリア紙統制 |
18 | ビウアリツジ結婚 |
19 | 人事消息 |
20 | 煙幕 |
21 | 興南詩苑漢詩 叢慶堂夜興/翕庵、叢慶堂夜興/覺齋、臨風/翕庵、臨風/覺齋 |
22 | 今夜の放送 |
23 | 商況 十四日 前場 |
24 | 興南案內報社消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇室の深き御思召 赤子擧げて恐懼感激頭條新聞 【東京發同盟】畏くも 天皇陛下には去る十二日親しく聖駕を伊勢路に進めさせられ、神宮に御親拜、擬古の征戰下赫々たる我が戰果を御奉告、神恩に御奉謝御身を以て萬民を率ゐさせ給はん 聖慮畏く更に神明の御加護を希はせ給ふたと拜するが宮中に在す 皇后陛下、大宮御所に在す 皇太后陛下には 天皇陛下御親拜の御時刻遙かに神宮に向はせられ恭しく御遙拜 天皇陛下の大御心を御心とせられ、親しく時艱克服、征戰完遂を御祈念あらせ給ふたと 承はる、また 皇太子殿下を始め奉り 各皇子樣方にも當日御意深く御過ごし遊ばされた御由にて皇室の深き思召の程畏き極みである 天皇陛下には有史以來の御盛事御滯りなく十三日還御あらせられ、十四日朝全國民齊しく畏き聖慮を拜し感激措く能はず赤子擧げて恐懼し奉つたがこの朝學習院初等科に於ては朝會に於て川本初等科長より 聖慮に恐懼、心構へを新たにして 大御心に副ひ奉るようにと訓示をなしたが全國各學校に於ても朝會に於て訓示をなし或は神宮並に宮城を遙拜する等聖慮に感激、宸襟を安じ奉らんと新たなる決意を誓ひ奉つた |
02 | 補償金制度を繼續 價格引上は必ずしも生產增強せず 北野部長が言明 |
03 | 杉山海軍中將等に拜謁 |
04 | 從軍記念會宜蘭郡支會結成 |
05 | 新米の供出割當 經濟部長會議で討議 |
06 | 戰爭經濟體制確立 基本物資緊急增產對策 翼政會から政府に進言 |
07 | 石油專賣法案 議會提出に決定 |
08 | 臺灣と密接な關係 長谷川總督、阪神有力者に協力を求む |
09 | 民營機構を適宜に改組 商工省當局談 |
10 | 芳澤大使ド總督 初會談を行ふ |
11 | 在華公館長會議 十八、九兩日南京で開く |
12 | 定例次官會議 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 木炭生產出荷強調週間社說 一 木炭の需要最盛期を控へて、その計畫通りの生產並に出荷を確保する為、木炭生產出荷强調週間が愈よ昨十四日より向ふ一週間全島的に實施された。そして週間中に於ては、督府より殖產局長始め山林課長其他山林關係技師、州廳より知事他林務關係官がそれぞれ推進隊を組織して陣頭指揮する等、一塊一片でも多くの木炭を生產出荷せしめることになつてゐる。いふ迄もなく木炭の用途は事變後著しく廣められ、家庭用燃料よりもむしろ各種鑛工業用或はガソリン、石油等の燃料代用品として重大なる使命を課せられてゐる為、其需要が頓に增大して來てゐるが之に對しては督府に於ても夙にこれが增產の為諸種の施設に對し獎勵金、補助金を交付する等萬全を期して來たのである。その結果島內消費用の他輸移出向として多量の木炭を生產してゐることは周知の如くである、而も輸移出向木炭は、一日島內に需給の異變が生じた場合にはすぐ樣島內消費に振向けられ、一種の調整的役割を演じてゐたものである。 二 ところが本年度に入つては船腹關係から輸移出向木炭の生產が全く休止されることになつた。その上、木炭生產條件の惡化に基いて上半期の生產實績が各地方を通じて低調であるのみならず、奧地生產が多い為に搬出が困難で山元に滯貨するものが多くなつた關係上、既に以前から木炭の需給がひどく不圓滑であつた。而もこれをこのまま放任するに於ては、今冬の需給は憂慮すべき事態に立ち到る虞れが多分にあるところから例年にない强調週間が實施されるに至つたのである右の如き實情にあるので單なる强調週間の實施のみでは、果して如何程の實效を擧げるかは疑問であるしかし木炭の用途が家庭用燃料以外に幾多の重要な用途をもつ事に想到すれば、是が非でも計畫通りの生產並に出荷に努めることが必要であることいふ迄もないわけても輸移出向木炭が內地に於ける木炭の需給圓滑化に貢献するところ大なるに鑑みて今後とも可能な限りその生產を持續する必要があらう。 三 しかしこれには木炭生產の惡條件を克服することが先決問題であることいふ迄もない本週間に際し原木勞務の確保、生活必需品及生產用資材の優先的增配並に優先的輸送等に最も重點を於いてゐることは從來の生產並に出荷の低調さが、主として前記の諸點に遺憾があつたことに由來してゐるのに鑑みれば、略略生產出荷の惡條件を克服したものと云へやう。その上府、州廳及市郡等よりそれぞれ推進隊が陣頭指揮して製炭者及その團體の精神力の昂揚を圖る等、本週間の實施方策は一應揃つてゐるといつてよい。しかし本週間の實施趣旨並に方策は決して一時的なものであつてはならず、週間に於ける實踐を通じて反省、改善され恒久的なものに發展させられなければならない。卽ち週間は旬間、更に期間にと實質上持續延長され生產出荷態勢を確立して年間計畫の生產出荷を實現すべきである。茲に始めて强調週間が一時の申譯行事に終らず實踐的意義をもつことが出來る。かくして配給機構の整備と相俟つて冬期木炭の需給圓滑が期待されるわけである。 |
02 | 聖上の神宮御親拜 一億の民草唯感激 行幸を拜承し辻、龍兩氏謹記 |
03 | 神威の顯揚を通達 東條首相全國の神宮神職に |
04 | 羅東神社奉贊會設立打合會 |
05 | 新生マライの建設(二) |
06 | 御稜威を仰ぎ奉り 忠誠翼贊の誠を誓ふ 安藤翼贊副總裁放送 |
07 | 配給問題を討議 島都奉壯座談會を開催 |
08 | 一家一門の光榮 入佐中佐令兄俊臣氏の感激談 |
09 | 學ぶべき施策多多 西村文教局長內地視察談 |
10 | 謝禮金を國防献金 |
11 | 臺灣製藥創立總會 |
12 | 陸海軍に二千圓献金 |
13 | 人事消息報社消息 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 熱血青年の訓練に 歸鄉志願兵を各市街庄へ 新竹州市長郡守會議で具體方法打合 |
02 | 勤報青年隊第三回入所式 十七日瀧見訓練所で擧行 |
03 | 新竹遺家族用宿舍地鎮祭 |
04 | 彰化寫真移動展 |
05 | 水道工事に關心 嘉義市會で質問集中 |
06 | 殷賑を戾した スマランの現況 |
07 | 戰場氣分を滿喫 臺中女三汴で實彈射擊 |
08 | 銃後の守りは我らの手で 日婦新竹州支部愈よ活動開始 |
09 | 大東亞一周年記念献金品 |
10 | 花蓮郡青年第一種訓練終了 |
11 | 臺中州郡守署長會議 |
12 | 健康報國の仕立所 臺南州立結核療養所清風花開所式 |
13 | 炭燒戰士を慰問 增產推進隊を現場へ |
14 | 奉公は先づ健康から 新竹市民、早起清掃を勵行 |
15 | 文藝講演會 けふ臺中市で |
16 | 供出に示す廳民の熱誠 臺東廳近く回收金屬を展示 |
17 | 鹽の豐收に感謝 先輩者が現務員を慰勞 |
18 | 慰勞金を献金報社消息 |
19 | 彰化食鳥集配所事務打合 |
20 | 鈴木書記官一行來高 |
21 | 淡水郡壯丁團檢閱 |
22 | 新竹州苗栗郡銅鑼庄では來る |
23 | 王天賞氏の嚴父逝去 |
24 | 竹製の「興亞仙人枕」 楊仲鯨氏が考案 |
25 | 人事報社消息 |
26 | 地方多より |
27 | 訃文:陳簡氏阿英 |
28 | 今日の映画 |
29 | 訃文:王振生 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 石油專賣法案要綱 今次議會に提出決定 石油關係者參集の下に府內報談發表 |
02 | 林業指導の完遂 臺灣山林會近く改組 |
03 | 生保契約高(昨年八月) 遂に七億圓を突破 |
04 | 南方經濟の建設(完) 泰國名實共に新生 |
05 | 運輸組合理事 恒吉儔氏に決定 |
06 | 臺灣漬物配給組合 年內に創立 |
07 | 各種新事業に着手 臺灣鐵線引續き擴張 |
08 | 壓榨開始 |
09 | 照明燈 |
10 | 大阪臺果荷受組合 統制組合に統合 |
11 | 運營會支部異動 |
12 | 經濟手帳 |
13 | 商況 二日 後場 |
14 | ラヂオ |
15 | 水滸傳(847)/黃得時;碇政彌 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵船舶廿二隻擊沈破 飛行機十機を屠る 陸鷲チツタゴン港へ進擊 |
02 | 翼贊生產態勢を確立 官民經濟懇談會開かる |
03 | 一切を戰力增強へ 懇談會席上、東條首相の挨拶 |
04 | 英驅逐艦ぺ號沈沒 |
05 | マ島の民政 ド・ゴール派に移管 |
06 | 積極的生產增強方策 經濟聯盟、關係官廳に建議 |
07 | 宛然人鋼鐵の怒濤 東部全線獨軍の猛反擊 |
08 | 舞鶴海兵團長 小海昌福少將着任 |
09 | 英軍の上空侵犯 スイス對策を協議 |
10 | 巢立つ滿洲國軍官學校生徒 |
11 | 獨の勝利へ協調 ラヴアル首相言明 |
12 | 讀佛合作強化案を携行 佛首相近くヒ總統と會見 |
13 | 言論抑壓を非難 米國民、最早新聞を信用せず |
14 | 獨快速艇隊 英船團を攻擊 |
15 | 大部分の問題は 現地で急速處理 栗山駐佛印大使歸任の途へ |
16 | 樞軸軍タ市東南へ進擊 |
17 | キレナイカの戰況 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 山又山の處女林 開拓者の強敵、野象群の來襲 マライの秘境パハン州を探る |
02 | 乙女達の熱誠 鐵屑を回收して献納 |
03 | 培へ心・讀書の鍬で 一月十一日より十七日まで 讀書週間を實施 |
04 | 圖像:神宮參拜の民草 |
05 | 開戰一年記念講演 今夜公會堂で開催 |
06 | 生れ出づる樂土 東亞人の手で更生 治安挺身の中國憲查 香港篇 |
07 | 道は左方・眼は四方 あせる一秒、泣く一生 繰出す島都交通宣傳 |
08 | 平均三ケ月一分 奏盼任以下の年末賞與 |
09 | 宜蘭市堆肥增產審查會 |
10 | 日本文化大觀 歷史篇(上)愈よ完成 |
11 | 必勝への原動力 產業戰士の職域美談 |
12 | 大西東日大每 特派員戰死 |
13 | “通俗電氣講習會” |
14 | 煙幕 |
15 | 興南詩苑漢詩 題餐菊乘槎圖/小維摩、十一月一日訪權園先生於萊園、欲作竟日之清談、豈料事與心違、忽起眩暈、遂至辭歸、其後又蒙以書及遣价存問、感激之餘、遂成三絕、代柬道謝/元煌 |
16 | 今夜の放送 |
17 | 商況 十五日 前場 |
18 | 興南案內報社消息 |
19 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 圖像:天皇陛下神功御親拜 |
02 | 第一次長沙作戰に殊勳 畏し・感狀上聞に達す 光榮の四部隊と下嶋中隊長頭條新聞 【東京發同盟】昨年秋實施された長沙方面第九戰區の敵撃破を目的とする第一次長沙作戰に當り殊勳を樹てた部豐島部隊、同配屬部隊及び神田部隊、同配屬部隊並に重信部隊中隊長下嶋正利中尉に對しては去る二月十一日紀元の佳節をトして同方面軍司令官より夫々感狀を授興せられたがこの默々として大陸の戰野に活躍する勇士の勳功はこの程畏くも上聞に達せられた 豐島部隊、同配屬部隊は二旬に亘つて晝夜を問はず絕大な機動力と攻撃力を發揮敵五個軍に屬する九個師に對し致命的打撃を與へると共に獨力を以て長驅敵の要衝株州を占領したものである また 神田部隊、同配屬部隊は一個月に亘り同樣晝夜を分たず機動、攻撃の兩力を發揮、敵四個軍に屬する六個師に對し致命的打撃を與へ且つ機宜に適する行動により軍の作戰指導を頗る有利ならしめいづれも軍作戰目的達成上顕著な貢献をなしたものである 更に個人感狀に輝く 部信部隊中隊長下嶋正利中尉は旺盛な責任觀念と強固な意志とを以て常に任務の積極的遂行に邁進隨時偉功を奏したもので特にその高邁な德性と戰場における率先勇猛の行動は部下景仰の的となりこのため中隊は鐵石の團結を固め漢水作戰以來數次の作戰に常に偉功を樹て第一次長沙作戰においては屢次殊勳を奏したものである |
03 | 海軍施設本部長 金澤中將補さる |
04 | 敵機四十四機擊墜破 哨戒艇二、輸送船二擊沈 海鷲ニユーギニア、ブナ附近戰果 |
05 | 海鷲十五日間の激鬪 ニユーギニア東方で |
06 | 嶋田海相以下の定期敍位 |
07 | 敵の出鼻を挫く チツタゴン大爆擊で |
08 | 佛印は對日積極協力 ド總督と會見後芳澤大使は語る |
09 | 實際的討議へ 日、佛印明年度經濟實行協定 |
10 | トルコ政府 對ソ聲明か |
11 | 野村大使の退官正式發令 |
12 | 羅東郡煙草賣捌人許可書交付式 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 神宮御親拜の聖慮いと畏し社說 一 大東亞戰第二年の劈頭に當り畏くも天皇陛下におかせられては、去る十二日親しく伊勢に行幸あらせられて神宮に御參拜、皇祖大神の大御前に皇軍勇戰の燦たる戰果を御親吿、更に時艱克服征戰完遂を冀はせられ、神恩を御奉謝、皇祖神靈の御加護を深く御祈念あらせられたと洩れ承はる。洵に有史以來の御盛事と拜承致し、時局を軫念し給ふ大御心を仰ぎ奉つて只只恐懼感激の極みである。畏れ多くも天皇陛下におかせられては、曠古未曾有の大戰下、日夜帷幄の機務に御精勵あらせられると承はるが、開戰まさに第二年を迎へて戰局愈よ重大なるの秋に方り、伊勢路遙けく聖駕を進めさせられて神宮を御親拜、御躬を以て民を帥ひさせ給ふと共に、更に皇祖神靈の御加護を仰がせ給ふ叡慮の畏さ拜察するだに恐れ多い極みで一億國民の感泣措く能はざる處である 二 謹んで惟みるに、國家非常の秋に際り、神宮へ勅使を御差遣遊ばされて御奉吿あらせられ、神助を仰がせ給ふことは古來の御例と洩れ承はるが、今回の如く征戰の途中に於て陛下御躬ら神宮に行幸あらせられ、皇祖大御前に御親拜遊ばされる御事は、全く有史以來未だ嘗つてあらざる御事と拜承する次第である。畏くも敬神崇祖の大御心深く渡らせ給ふ陛下には祭祀を以て至高至重とせられ、祖崇神祇を敬ひ奉らせ給ふ。この度びの神宮御參拜も一つには戰爭一周年陸海空に亘つて振古未曾有の戰果を收めたるはこれ偏に御神恩によるものと奉謝の誠を致させ給ふ聖慮に依らせ給ふと共に現下の難局を克服するに御躬を以て民を帥ひ給はんとの聖旨にて皇祖の大前に齋がせ給ひ、更に速かに征戰の目的を達成し祖崇の御遺業を恢弘し給はんとせらるるにつき皇祖神靈の御加護を冀はせられ給ふた畏き叡慮に出でさせられた御事と拜察し奉り寔に聖慮の有難き今更に身に沁みて畏しとも畏き極みである 三 我ら一億國民は茲に現下時局の如何に重大なるかに思ひ到る共に、全國民相率ゐて大御心を奉體し、更に感奮興起職域奉公に邁進して、以て國力を充實し銃後の護りを全うする覺悟を新たにせねばならぬのである。畏くも宣戰の大詔には我ら民草をば悉く忠誠勇武の眾庶と仰せられて、忝けなくも限りなき御信賴を下し給うたのである。苟も皇恩の敦きを知り大義の重きを辨へ血あり淚ある日本人たる以上、今日この御先例のない神宮御參拜の御盛儀を拜承して、聖慮の畏さ尊さに誰か淚を垂れて陛下の御馬前に殉忠報國の誠を致さざらんものがあるだらうか。皇國の興廢を此一戰にかけたる今次大東亞戰爭の完遂に官民その分を異にし、その所を別にするとも死なば諸共の覺悟を一億國民は新に振起し以て協心戮力、前線將兵の善謀勇戰と相俟つて皇國を富嶽の泰きに置き、宸襟を安んじ奉るの決意を鞏くせねばならぬのである |
02 | 產業經濟代表者に 列立拜謁を賜はる 破格の光榮に一同恐懼感激 |
03 | 賢所御神樂の儀 |
04 | 新生マライの建設(三) |
05 | 光榮の御料馬 新たに「初雪」選ばる |
06 | 第三回南光展 兩日間公會堂で |
07 | 壽ぐ戰捷の元旦 午前九時を國民奉祝時間に設定 |
08 | “一億・捨身の覺悟で” 竹內、白水陸海兩中佐が獅子吼 |
09 | 廳長以下が推進行脚 花蓮港廳の木炭增產週間 |
10 | 鈴木臺北憲兵分隊長 新任挨拶の為昨日本社來訪報社消息 |
11 | 人馬一體の逞しき敢鬪 花蓮港廳馬耕競技會好成績 |
12 | 宜蘭郡深耕競技會 |
13 | 皇奉中央本部 定例部長會議 |
14 | 宜蘭郡高額貯蓄組合結成 |
15 | 本社寄託の赤誠の献金報社消息 |
16 | 謝禮金を國防献金報社消息 |
17 | 臺灣教具株式會社創立總會 |
18 | 臺北統制外皮革集荷組合 |
19 | 人事消息 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 赤誠披瀝して奉祝 新竹神社御列格奉祝計畫進捗 |
02 | 警民一致治安確保に邁進 防範週間實施に際し 柴山新竹州警察部長談 |
03 | 第二年への進擊 働く者の歡び |
04 | 若人の奉仕結晶 東勢郡の開墾事業愈よ完了 きのふ現場で終了式 |
05 | 臺南州市長郡守ら打合 |
06 | 熱地農業技術鍊成所 屏東第九鍛鍊所入所式 |
07 | 皇奉苗栗郡支會 廿一日委員會開催 |
08 | 警察部射擊會 |
09 | 我が家の戰爭生活(五) 各方面の實踐に聽く |
10 | 觀音庄青年團查閱 |
11 | 臺南州澱粉工業組合 |
12 | 竹篾の蒐荷配給 臺南州、應急的に組合を結成 青木產業部長談話發表 |
13 | 大東亞戰一周年記念献金品 |
14 | 民雄庄農修 二年制に |
15 | 新高郡米穀組合では第二回組合定期總會 |
16 | 圖像:大東亞戰爭一周年記念日 |
17 | 新化街助役更迭 |
18 | 義教に備へて 嘉義郡下に二校新設 |
19 | 一心會臨時總會 |
20 | 防衛團員訓練 十六日より竹南郡で實施 |
21 | 竹南郡保正會議 |
22 | 健全娛樂の新しい試み 廿六日苗栗街で青年劇競演 |
23 | 青年劇脚本募集 |
24 | 人事報社消息 |
25 | 地方多より |
26 | 今日の映画 |
27 | 訃文:稻田天來 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 水產業團體統合 臺灣水產業會を設置 目下府當局で銳意考究中 |
02 | 島內郵貯新記錄(十一月末) 八千三百廿五萬圓躍進 |
03 | 中央物價統制會議 諸強化方策を審議 |
04 | 貯蓄增強と郵貯(上) 貯蓄に見る銃後の熱意 |
05 | 臺銀券新記錄へ 最高發行額を超過 |
06 | 全國經濟部長會議 木材等の增產を協議 第二日 |
07 | 高雄州青果同業組合總會 |
08 | 移出向船腹割當 生活必要物資に限定 |
09 | 全島物價調整連絡會議臺中で開催 |
10 | バナナ輸移出高 十月迄百萬籠を突破 |
11 | 中北部の籾蒐荷 極めて順調 |
12 | 疊表の確保 臺北商議所で討議 |
13 | 島產枕木の價格 物價專門委員會で答申 |
14 | 種苗等配給統制 けふ市公會堂で協議 |
15 | 農機具統制會社 愈よ積極的に改革 |
16 | 照明燈 |
17 | 商況 十五日 後場 |
18 | ラヂオ |
19 | 水滸傳(848)/黃得時;碇政彌 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 東亞新時代に即應 日、佛印の新經濟關係樹立 佛印、舊體制の殘滓を清算 |
02 | 日、佛印愈よ密接化 ドクー總督が演說 |
03 | 日泰文化協定御批准書 バンコツクで交換 |
04 | スペイン政府 緊急閣議開催 |
05 | ポルトガルも緊急閣議 |
06 | サンチヤゴ駐在の讀大使に歸國訓令 |
07 | 地方物價統制協力會議強化方策 |
08 | 大破の艦船 ジプラルタルヘ |
09 | 圖像:巢立つ滿洲國軍官學校生徒(二) |
10 | 鷺鷲、桂林を急襲 殘存大型敵機四機を爆碎 |
11 | 獨軍戰果擴大 漸次赤軍を壓迫 |
12 | 宣化、大同兩省を新設 各特殊行政機構を吸收して |
13 | 獨、佛兩國關係 いよいよ新段階へ |
14 | モレスビー猛爆擊 |
15 | 我國及び盟邦の戰歿勇士慰靈祭 皇道會主催、十九日執り行ふ |
16 | 敵性特許權の第四次處分 |
17 | 四千番目の敵機を擊墜 獨軍戰鬪機隊 |
18 | 既に任務終了 なにも言ふことない 退官の野村大使語る |
19 | クーリツジ號沈沒の真相 |
20 | 米の新甲巡 近く進水 |
21 | 英の犯罪者 戰前に加倍 |
22 | 米戰艦ヴアージニア號引揚 |
23 | 經濟戰力增強 協力會議終る |
24 | 皇奉宜蘭市支會參與委員會 十九日に開く |
25 | 佛領西阿總督と軍司令官 國籍剝奪財產沒收 |
26 | 英船タ號引揚 昭南港ドツクで |
27 | 官立の醫專 群馬縣に設置 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 圖像:奉拜の民草 |
02 | “必勝決意”の實行へ 新春初常會の徹底事項決る |
03 | 基隆市大麻頒布始の奉告祭 十八日に執行 |
04 | 南方協力建設座談會 自給自足へ邁進 マライ・スマトラ篇(一) |
05 | 根井警察部長ウライヘ |
06 | 遺族を弔問 竹中基隆市長 |
07 | 白衣勇士を慰問 ヨイ子供部隊續續 |
08 | 長谷川總督 けふ福岡發空路で歸任 |
09 | 「海行かば」を「國民の歌」に 翼贊會各團體に實行方を通達 |
10 | 生れ出ずる樂土 熱血ビルマ防衛軍 逞しい本格的軍隊へ發足を開始 |
11 | 寫真作品審查委員發令 |
12 | 印度の抗爭深刻 寄臺した高岡代議士語る |
13 | 乳牛千頭の大增產 新竹州畜產會の計畫成る |
14 | 無事故の好成績 州下交通安全週間終る |
15 | 南邦交通產奉團の訓練終了 |
16 | 僕らの兵隊さんに 軍司令部にヨイ子供献金 |
17 | 興南詩苑漢詩 晴夕冬郊二首 江郊/文訪、北郊/文訪、俊卿傑卿令母壽詩/翕庵、林節母唐太孺人七秧榮壽/無逸 張希舜、憶幼岳君/星若 |
18 | 繰り展ぐ鮮やかな演技 海洋青少年養成所の訓練查閱 |
19 | 懇談會開催 |
20 | 人事消息 |
21 | 今夜の放送 |
22 | 商況 十六日 前場 |
23 | 興南案內報社消息 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 陸海兩部隊に輝く感狀 寡兵克く敵戰車群を擊碎 チモール島で 神戶步兵中隊、同配屬部隊頭條新聞 【東京發同盟】本年二月チモール島攻略に當り寡兵克く敵の戰車群を撃碎し部隊主力をして敵を捕捉せしめを偉供建てた神戶中隊同配屬部隊に對し旣に五月十日蘭印方面陸軍最高指揮官今村均中將より感狀が授與されたが今回畏くも上聞に達しこの旨十六日陸軍省から發表された 陸軍省發表(十二月十六日十六時) 舊蘭領チモール島攻略作戰に參加し武功拔群なりし神戶步兵中隊に對し曩に同方面陸軍最高指揮官より感狀を授與せられしが今般畏くも上聞に達せられたり 感狀 神戶兵步中隊、同配屬部隊 右は伊藤部隊主力方面右攻撃隊として昭和十七年二月二十日チモール島西南端海岸に敵前上陸し隨所に敵を破催しつつ山嶽密林地帶を強行突破し二十一日デサウ附近に進出してクーパン附近の敵の退路を遮斷し次いで翌二十二日機械化部隊を伴ふ千餘の敵の攻擊を受くるや先づその戰車群の執拗なる反復攻撃を撃碎し逐次に包圍の態勢を以て戰車を先頭に我が陣地內に殺到し來たる敵に對し全線突撃を反復して寡兵克くその陣地を固守し遂に翌二十三日部隊主力をして敵を捕捉するに至らしめたり 右の行動は旺盛なる攻撃精神と必勝の信念を堅持し隊長を核心とせる鞏固なる團結力を遺憾なく發揮せるものにしてその武功は拔群なり 茲に感狀を附與して全軍に布告す 昭和十七年五月十日 蘭印方面陸軍最高指揮官 今村均 |
02 | マーシヤル群島に 出現せる敵を擊退 中井海軍大尉の海鷲派遣隊 |
03 | 神戶中隊戰鬪經過 |
04 | 壯烈なる戰鬪 中井大衛護國の華と散る |
05 | 造船並に海運對策 翼政會關係當局に進言 |
06 | 從軍記念會宜蘭郡分會結成 |
07 | 圖像:攻擊に向ふ海鷲の編隊 |
08 | 在支機關の新機能 來る公館長會議に重光大使說明 |
09 | 有價證券取引所法案 今議會に提出することに決定 |
10 | 三法律案成文化 |
11 | 第廿四回總動員審議會 けふ首相官邸で開く |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 各種統制團體整備の方向社說 一 日支事變以來經濟統制强化の目的の下に簇出せし島內諸統制團體が國際關係の激變就中大東亞戰爭の勃發に依つて經濟情勢が新階段に入るに及んで愈愈前記統制團體整備の必要に迫られたのである。卽ち諸統制團體の內設立當初の事情に變化を生じた為最早存立の根據がなくなつたものもあれば物資の窮窟化及び船腹等の關係で既に在來の經費を負擔する事が出來なくなつたものもある尚統制利潤が多過ぎるため尨大な人件費を支出して消費者又は生產者の負擔になるものもあれば其機構に缺陷があつた為圓滑に物資の配給を為し得ざるものもあつて此の際全面的に再編成するにあらざれば戰時經濟確立にいくたの支障を起す虞れさへ生じてゐるが如き、狀態となつた。されば此の問題に關しては單に關係生產者及び一般消費者丈の問題でなく漸く識者の注目を惹く事となり臺北奉公壯年團に於ても座談會を開催して其の對策を講究し臺北法曹團に於ても近く積極的に具體的調查を開始せんとしてゐる模樣であるから將來何かの形で整備統合し其の合理化を圖る事が目下の急務と認められたからである。 二 然らば其の整備の方向は如何にすべきやといへば大體三種類に分けられる事が出來やう。第一は既に存立根據なき團體に對しては此際思切つて廢止するか或は他の團體に統合するかの方法を取るべきである。第二は統制利潤の過多な團體に對しては出來る丈利潤の合理化を圖ると共に經費の收縮を圖るべきである。第三は統制團體の內配給事務に携はるものにして其の配給がとかく不圓滑な所もあれば其の原因を究明して組織的に或は人的に刷新を加ふべきである。之を改革するには局部的でなく凡て綜合的に立案する必要あるは言を俟たない。吾人は今具體的な例を以て之を闡明する煩を避けたいが要するに物資配給の中間費用を壓縮して低物價政策を維持すると共に人的浪費を節約し、且つ物資の圓滑な合理的配給を為す事は銃後に於ける生活の最低限度を保障し、長期戰の體制を確立する所以であらうと信ずる。此の問題に關しては既に當局に於ていろいろと考慮されてゐるであらうが、問題は相當複雜であり且つ各種の支障もあつてなかなか快刀斷麻を切るが如き改革は困難であらうが決して之を等閑に附すべからざるは明かである。 三 尚此問題の改革は各關係官廳が各各立案しては從來の行懸りで到底明快に斷行し得ない點がないではない。卽ち多くの團體は官廳の指導の下に組識され且つ人的關係も幹部級は大抵官廳の諒解の下に任命したのであるから、今更根本的改革を加へる事は情に於て忍び得ざるものがある。從つてかくの如き問題の改革に關し有識官民を以て委員會を組織し各方面より檢討し最も公平な立場から冷靜に其の整備統合案を練るより外はなからう。今や戰鬪は米英を勝拔くために中小商工業者を整理統合し、更に進んで官廳の簡素化を圖る丈の大英斷を下して來たのであるから、統制團體の整備簡素化を斷行するにあらざれば畵龍點睛を缺く嫌ひなしとしない。それ故關係官民に於て一日も早く此の問題を真劍に取上げ以て其の解決の早からん事を望まざるを得ない。 |
02 | 必勝の態勢を強化 決戰第二年へ驀進 歸任した長谷川總督語る |
03 | 征戰完遂座談會開催 |
04 | 新生マライの建設(四) |
05 | 三度名譽の負傷 光榮の神戶政次隊長 |
06 | 重大時局に對處 着任した田中新高級參謀談 |
07 | 淒絕鬼神も顏掩ふ 遺書をそのまま敵空母に體當り 中井一雄少佐の最期 |
08 | “日本文化を宣揚” 石坂、上田、田中三從軍作家 軍司令部を訪問 |
09 | 龜山一帶を幽雅鄉に 奇花、名菓で飾る美化計畫 |
10 | ムーランルージユで作品發表 若き劇作家林博秋君 |
11 | 淡文湖貯水池 十九日に竣工式 |
12 | 臺灣教具會社創立總會擧行 |
13 | 人事 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇國吏道の昂揚へ 內省の準繩と執務の指針に 新竹州“決戰吏道”制定 |
02 | 功勞者を表彰 第二回厚生事業大會で |
03 | 高砂族國語演習會 きのふウライ教育所 |
04 | 炭燒戰士を激勵 梁井知事ハロ山へ陣頭指揮 |
05 | 俸給の一部を献金 感心な志願兵達 |
06 | 南方の相貌一變 小山代議士の寄臺談 |
07 | 死藏貨幣の山 無智の老媼が藏匿二十年 |
08 | 健康美躍動する 新竹市青年團の查閱 |
09 | 吳阿闊軍屬の冬山庄葬 |
10 | 赤誠の献金品 |
11 | 赤誠の慰問袋 玉里日婦近く發送 |
12 | 新竹市の文藝講演會 |
13 | 桃園新路坑に山火事 |
14 | 地方多より |
15 | 今日の映画 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 農林業團體統合 殖產局臨時整備調查室で檢討 きのふ幹事會開催 |
02 | 島內產パルプ 近く新規格を追加 |
03 | 全國修練農場擴充 北海道外三府縣に新設 |
04 | 官廳ボーナスで 臺銀券千十二萬圓膨脹 |
05 | 季節差別の改正公價實施 農林省出荷を促進 |
06 | 纖維製品の價格改正 州廳查定委員會を活用 |
07 | 化學肥料價格 一トン五圓引上げ |
08 | 部分品の補充に 遊休自動車を解體 |
09 | 無機質肥料助成金 三百八十七萬を交附 |
10 | 照明燈 |
11 | 商況 十六日 |
12 | ラヂオ |
13 | 水滸傳(849)/黃得時;碇政彌 |
14 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 大東亞建設政策の 全面的實行に邁進 大東亞省、連日重要會議 |
02 | 全支公館長會議 けふ南京大使館で開かる |
03 | 上海帝國大使館 事務所の機構 |
04 | 營團的色彩を帶ぶ 證券取引所の性格 |
05 | 米陸軍の現勢 |
06 | 資金動員の適正化 當局談話 |
07 | 森島駐葡公使 信任狀を捧呈 |
08 | スぺイン外相 葡國を訪問 |
09 | 米空軍の脆弱ぶりを暴露 桂林飛行場に殲滅的打擊 |
10 | 圖像:巢立つ滿洲國軍官學校生徒(三) |
11 | 獨軍の冬營陣逐日強化 |
12 | 獨伊經濟合作協定成立 |
13 | 南方建設協力と 戰力增強に重點 地方長官會議あす開催 |
14 | 出資証券の清算市場上場 認可しない方針 |
15 | 緬甸國境嚴戒 英印軍の布告 |
16 | 生產增強委員會 十六日初の定例總會 |
17 | トロペーズ戰線 獨軍の輝く戰果 |
18 | モスクワ西北 獨軍猛攻開始 |
19 | 樞軸空軍依然制空權保持 |
20 | 英第八軍の攻勢挫折 樞軸軍の地雷原に阻まれて |
21 | 鐵道會議開催 來る廿一日に |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 軍援、健民を強化し 不動の國策完遂へ 全島厚生大會開かる |
02 | 圖像:志願兵護國神社に奉告參拜 |
03 | 來れ皇軍の一兵に 日本男子至高の榮譽を荷へ 各地で志願兵講演會 |
04 | 年末年始の休暇 官廳も昨年同樣取止め |
05 | 神社で誓詞奉讀 島都奉壯結成一周年 |
06 | 今夜記念大會開催 |
07 | 慰問演藝會 臺北市公會堂で |
08 | 献金佳話 武官府で拾ふ |
09 | 乏しい文化施設 港都に擧る建設の意氣 |
10 | お賽錢を献金 三芝庄の福成宮 |
11 | 基隆商議所の企劃部會 |
12 | 防諜映畫大會 市內四ケ所で |
13 | 羅東郡思想戰講演會 |
14 | 赤誠の慰問袋 玉里日婦近く發送 |
15 | 防犯講演映畫大會 |
16 | 部落運營論文入選發表 |
17 | 統制外皮革集荷組合が創立總會 |
18 | 興南詩苑漢詩 大東亞戰爭大詔渙發一周年感賦/晴園 黃純青、敬步洪元煌先生瑤韵五首/嘯雲、哭施君吉祥/周定山 |
19 | 羅東郡保正會議 |
20 | 人事消息 |
21 | 煙幕 |
22 | 今夜の放送 |
23 | 興南案內報社消息 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大元帥陛下親臨 陸士卒業式擧行さる頭條新聞 【東京發同盟】陸軍士官校第五十六期生卒業式は十七日 大元帥陛下の親臨を仰ぎ奉り神奈川縣相模原相武台の同校で舉行されたこの日 陛下には陸軍御軍裝に大勳位、功一級金鵄勳章各副章御佩用、蓮沼侍從武官長陪乘、松平宮相以下側近供奉の略式自動車鹵簿にて午前八時五十五分宮城御出門、同九時十五分宮廷列車に召させられ原宿驛御發同十時四十分原町田驛御着沿道に堵列する民草の奉拜を受けさせられつつ自動車鹵簿にて同十一時相模原觀兵式場に着御、教育總監山田乙三大將、東條陸相、學校長牛島滿中將以下諸員の奉迎を受けさせられ便殿に入御、御先着の朝香宮孚彥王殿下に御對面、山田教育總監、牛島校長以下教育總監部及び機甲本部の勅任官外參校の有資格者に單獨拜謁を仰付けられた御後、御愛馬初雪に召させられ同十一時五分尾形侍從武官の御先簿にて式場を御一巡、參列の步、工、砲、機甲、輜重各生徒隊を順次御閱兵あらせられた、終つて 陛下には玉座に着御、嚴然と立たせ給へば諸兵指揮官生徒隊長額田坦少將の軍刀一閃軍樂隊の行進曲冷氣に冴え臼井隊を先頭に一隊又一隊、龍顏を仰いで勇壯なる分列行進は開始された、やがて軍樂隊の行進曲吹奏る速步調に轉じて機械化部隊、猛牛戰車部隊は轟々と大地を搖がせつゝ御馬前を疾驅する 陛下にはその間一々御舉手の禮を賜ひ誠に畏き極みである、斯くて卒業生晴れの觀兵式は終り 陛下には同十一時五十七分諸員奉送裡に觀兵式場發御略式自動車鹵簿にて陸軍士官學校に臨御便殿に入御山田教育總監侍立し牛島校長より□類を奉呈御晝餐を召させられ午後零時五十分便殿出御牛島校長の御先導にて講演場に臨御あらせられ約二十分に亘り優等卒業生田淵十一候補生の「第一線指揮官の態度と軍隊の團結について」と題する講演を聽召され一旦便殿にて御休憩遊ばされ同一時二十分證書授與式場の玉座に着御あらせられた、牛島校長より卒業生總代に卒業證書を授與山縣侍從武官より優等卒業の士官候補生十六名に恩賜品を傳達同一時五十分式を終了した、かくて 陛下には再び便殿にて御少憩の御後同二時諸員奉送裡に天機御麗はしく同校發御同二時二十分原町田驛御發車同三時四十五分原宿驛御着車にて還幸あらせられた、なほ同校では引續いて第十期滿洲國生徒第三十期中華民國生徒の卒業式を舉行優等卒業生滿洲國生徒三名中華民國生徒一名に對して陸軍大臣賞を授與した |
02 | 特許發明、出版事業等 三勅令案要綱を可決 總動員審議會總會開かる |
03 | 優等卒業生十六名 光榮の恩賜品を拜受 |
04 | 臨時製鹽地等の管理 |
05 | 出版事業の再編成 強力なる統制機關日本出版會設置 勅令案骨子 |
06 | 圖像:鵬翼南海の空を壓し海鷲堂堂爆擊行 |
07 | 全支公使、總領事 初の會議第一日 |
08 | 三勅令案要綱解說 |
09 | タイ、佛印關係 緊密の度を加ふ バ泰國宣傳局長發表 |
10 | 第四回農地審議會を開催 |
11 | トロペーズ地區 赤軍を完全殲滅 |
12 | 陸軍司政長官發令 |
13 | 大東亞駐日記者協會 昨日強く發表 |
14 | 特別會計法改正案決定 臺灣關係の分 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 敵の出身を挫く社說 一 既に對日反攻を開始せる米英は南太本洋ソロモン海域に於て決戰を挑み來り、海空陸の兵力を擧げて血塗の反擊を企ててゐるが、西の正面に於てもビルマの奪回を企て米英蔣の三者は頻りに軍事合作に狂奔、空のゲリラ戰を續ける一方、印度東部國境へ兵力の增强を急ぎ、大輸送船團をチツタゴンに入港せしめたが、早くも之を察知した我が陸鷲部隊は五日、十日の二回に亘り、同港を奇襲、兵と武器を滿載せる大船團を補捉大爆擊を敢行、船舶廿一隻以上を擊沈破し、敵飛行機十機の外、陸上軍事施設に多大な損害を與へた。而も敵は猶ほ性懲りもせず、執拗に反攻を企て蠢動を續けてゐるから、ビルマ正面の戰局は決して樂觀を許さないが、勇猛果敢な我が陸鷲は常に敵の機先を制してその反攻企圖を粉碎し、蠢動の餘地をなからしむるものと確信されてゐる。 二 他方南方に於てもニユーギニア島方面の海鷲部隊は晝夜を分たずスタンレー山脈の峻嶮を衝き、或は密林上の積亂雲を冒して幾多の惡條件と苦鬪果敢なる攻擊を續行し、十一月二十四日以來十二月八日まで同島東部ブナ附近に敵機四十四機を擊墜破し、敵哨戒艇二隻及び輸送船二隻擊沈の撓まぬ戰果を擧げた。銃後一億國民は前線にかくも力鬪する陸鷲に、海鷲に、心からなる感謝を捧ぐると共に、南太平洋一帶に或はビルマ方面に續行されつつある苛烈なる戰爭の現段階を深く認識し、一段の決意を固むべきである。殊に敵米國は尨大な軍需生產に狂奔し、頻りに國民の敵愾心を煽つて、大東亞戰爭第二年を復讐に燃える大規模な反攻を展開せんと企圖してゐる。去る八月以來のソロモン群島を中心とする南太本洋に於ける連續決戰は決して單に世上傳へられるが如き濠洲の為め或は米濠連絡線確保の為ではない。實にその企圖する所はソロモン群島を奪還した上ニユーギニアを始め、東印度一連の諸島を奪還北上して比島に迫り之を戰前の對日進攻據點たらしめんとするにある。 三 而もこの基地奪還作戰も窮極する所は我本土の空襲敢行にある。日本本土大空襲こそアメリカの大東亞戰第二年に於ける最大の念願である。同時に又潜水艦によるゲリラ戰をも考へねばならない。近代戰が武力戰と並行して消耗戰であり、生產戰であることを知るならば、濳水艦による通商破壞こそ第一線の武力戰に絕大なる影響を及ぼすのである。而して我國はその生產戰の根源たる資源を南方占領地域と大陸から補給せねばならず、その輸送は船舶による外はないので、この弱點を狙つて敵米國が執拗なる潜水艦によるゲリラ戰を强化し來るべきこと必至である勿論皇軍の戰略態勢は今や確固不動たるものがあるが、統後生產戰を擔當する我我も亦前線の將兵に優るとも劣らぬ決意を以て、敵米英の開戰第二年の企圖に深く思ひを致し、更に强固なる覺悟の下にこの決戰の年に邁進すべきである |
02 | 征戰完遂の祈願祭 全國十一萬餘の神社で執行 |
03 | 全科學戰士を動員 必死の努力精進へ 井上技術院總裁放送 |
04 | 興亞先覺者慰靈祭 昨日翼贊會本部で執行 |
05 | 御下賜の懷中時計 失明傷痍勇士に傳達 |
06 | 新生マライの建設(五) |
07 | 心強い宜蘭市の貯蓄報國陣 債券割當額賣切れ |
08 | 協議事項に入る 全島厚生事業大會第一日 |
09 | 若櫻にこの熱誠 志願兵の美談數數 |
10 | 武官府に海戰圖献納 |
11 | 若人の推進力結集 奉公青少年團近く誕生 |
12 | 率先・挺身を誓ふ 島都奉壯團結成一周年記念大會開かる |
13 | 田中高級參謀 新任挨拶の為昨日本社來訪報社消息 |
14 | 大詔奉戴貯金を申合せ |
15 | 休暇を取止めよ 翼贊會近く通牒を發す 後藤事務總長談 |
16 | 陸海軍に二千圓献金 |
17 | 宜蘭市長助役 各地へ挨拶廻り |
18 | 人事消息 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新竹州の總豫算 健實主義で約六百萬圓に壓縮 歲出の筆頭は義教費 |
02 | 必勝貯蓄を勵行 花蓮港高女一周年記念日から |
03 | 青年に馬術指導 |
04 | 頭分街防衛團を非常召集 |
05 | 臺中市奉壯團 結成一周年 |
06 | 醫藥品衛生材料 生產配給統制に就て (上)山內警務局長談 |
07 | 築地彰化郡守 譽の違家族慰問 |
08 | 開拓の先輩者を慰安 鳳林街上大和宮岡女青で |
09 | 島民皆兵の感激へ 皇奉臺南州支部啟發宣傳に馬力 |
10 | 先輩をお手本に 熱血青年を指導 各市街庄に歸鄉志願兵を配置 |
11 | 長興庄の移動展 |
12 | 設備の優秀を誇る 花蓮港工業校舍愈よ竣工 |
13 | 武勳の入佐中佐へ 禎子さん、邦子さんの級友達が 競つて感激の慰問文 |
14 | 臺中女の實彈射擊 |
15 | 優良部落審查 彰化郡の幹部總掛りて |
16 | 赤土匂ふ產業道路 龜山庄民の献身的奉仕で完成 |
17 | 就寢中の消燈 市民の勵行方を要望 |
18 | 震災犧牲者追悼會 きのふ嘉義東門國民校で執行 |
19 | 臺灣從軍記念會屏東市 |
20 | 藺製カバン講習會 嘉義保甲婦女團で開催 |
21 | 貯蓄打合會 |
22 | 奉公助產婦會 員林支會結成 |
23 | 能高郡青年鍊成道場の建築 |
24 | 曾文郡では菓子配給の圓滑を圖る |
25 | 鳳山郡殺人事件 |
26 | 地方多より |
27 | 今日の映画 |
28 | 貸借對照表/臺灣麻袋株式會社 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 物價調整事務簡素化 州廳委任の物價權限擴大 物價政策漸く軌道に乘る |
02 | 移植馬割當決定 高澤技師東京で協議 |
03 | 大東信託の金錢信託 組合貯蓄の方法と指定 |
04 | 鐵工業統制會 廣野會長上京 |
05 | 大甲溪鐵道工事 委託を協議 |
06 | 貯蓄增強と郵貯(下) 貯蓄に見る銃後の熱意 |
07 | 高雄鐵工業組合 あす臨時總會で改組 |
08 | 日糖步留不良(十一月中) 斗六以外凡て九分臺 |
09 | 新高郡の木炭 出荷強調週間 |
10 | 花蓮港沖荷役 船舶の增備で強化 |
11 | 貿易事務連絡會 あすホテルで開催 |
12 | 照明燈 |
13 | 經濟手帳 |
14 | 商況 十七日 後場 |
15 | ラヂオ |
16 | 水滸傳(850)/黃得時;碇政彌 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 擧島一致感奮興起 必勝第二年に備ふ 決戰型・全島地方長官會議 |
02 | 振作せよ銃後の緊張 戰力增強に總力集中 總督の訓示 |
03 | 赤軍の損害 |
04 | 樞軸軍組織的前進 アルジエリー國境へ |
05 | 英軍の企圖 畫餅に歸す |
06 | 十九から廿五迄の男子全部軍籍 カナダ勞働相言明 |
07 | 本土空襲企圖粉碎 我が陸鷲機先を制して 敵飛行場を大爆擊 |
08 | 空前の大戰車戰 赤軍、算をして後退 |
09 | 獨軍當局發表 |
10 | 戰爭遂行に對し 印度の協力減殺 |
11 | 政治機構改革 ル大統領企圖 |
12 | 總督の權限縮小せよ インド政局打開の先決問題 各派協議會結論に到達 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 擧島年頭必勝祈願 一月常會の申合事項 |
02 | 高木司令長官 新任挨拶の為め來北 |
03 | 賞賜物件傳達式 軍司令部會議室で擧行 |
04 | 大麻頒布式 基隆市で執行 |
05 | 圖像:全島地方長官の神社參拜 |
06 | 山崎巡查の警察葬 |
07 | 中等校の聯合演習 廿三、四兩日に實施 |
08 | 水兵さん御自慢の藝公開 港都の海軍聯合慰安會で |
09 | 市民に正月用糯米等を特配 |
10 | 志願兵募集趣旨の徹底へ 廿三日港都で講演會開催 |
11 | 軍援に真摯な意見 厚生事業大會第二日 |
12 | 圖像:來北した高木司令長官 |
13 | 米のガソリン不足深刻化 紐育等の大都市で極度の節約 |
14 | “補助貨回收協力運動” 翼贊會、實施要領を通達 |
15 | 劃期的な活字統制 新聞以外全部に適用 |
16 | 電報規則改正 明年元旦より實施 |
17 | 若櫻に“戰陣訓” 巢立つ志願兵に 本社から首途祝ふ手帳報社消息 |
18 | 南邦交通產業奉公團訓練終了式 |
19 | 興南詩苑漢詩 閒居/補莊、過北園址訪吳氏別墅四首/補莊、次景南君韻/張瀛洲 |
20 | 人事消息報社消息 |
21 | 煙幕 |
22 | 今夜の放送 |
23 | 商況 十八日 前場 |
24 | 興南案內報社消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 重ねて御嘉尚の御言葉 各外地國民の職域精勵に付き頭條新聞 【東京發同盟】 畏くも 天皇陛下には大東亞戰爭下銃後國民の真攀敢闘の樣を具さ視察あらせられる思召しを以て去る八月中內地各方面に侍從を御差遣あらせられたが更に九月以降朝鮮、臺灣、樺太關東州及び南洋群島の各外地にも內地同樣の思召しを以て侍從を御差遣民情を視察せしめられた、卽ち去る九月十四日には小倉侍從を朝鮮に入江侍從を樺太に夫々御差遣の御沙汰あらせられで十月十五日には德川侍從を關東州に又十一月十六日には戶田侍從を臺灣に久松侍從を南洋に夫々御差遣の御沙汰あらせられたのであつたが是等外地各地に於いても國民は愈々時局の重大性を認識して各自の職域に精勵しつつある樣に深く御滿悅あらせられ十八日東條首相が御召しに依り伺候せるに方り畏くも有難き御の御嘉尚の御言葉を賜はり特に時局の前途は尚多難にして今後愈々一致協力戰爭目的完遂のため邁進すべき旨の優渥なる御言葉を賜はつた、さきに內地各地へ侍從御差遣に際しても決戰下國民の職域精勵につき御嘉尚の御言葉を賜はつたのであるが今回重ねて優渥なる御言葉を賜はり全國民は愈々恐懼感激奉公の誠を誓つて 聖旨に副ひ奉らんことを期したのである右につき東條首相は十八日午後六時左の如く謹話した 情報局發表(午後六時) 東條內閣總理大臣謹話 本十八日午前十一時五十分御召に依り伺候致しましたる際 畏くも 天皇陛下より 先般侍從を朝鮮、臺灣、樺太、關東州、南洋群島の各地に派遣し狀況を視察せしめたが是等の各地に於ても內地同樣皆よく戰時下時局の重大性を認識して各自其の職域に精勵しつゝある趣寔に滿足に思ふ 時局の前途は尚多事多難と思ふ、今後も益々一致協力戰爭目的の完遂に邁進する樣力を效さむ事を望む との優渥なる御言葉を賜はりまして只只恐懼感激に堪へない次第であります茲に謹んで有難き思召しを直ちに主務大臣を通じて夫々傳達致しますると共に私は全國民諸君と相俱に愈々奉公の誠を效し誓つて 聖旨に副ひ奉らん事を深く期する次第であります |
02 | チツタゴン フエンニイ兩飛行場急襲 陸鷲、敵機廿九機を擊墜破 |
03 | 敵の企圖未然に粉碎 |
04 | 華北建設の基礎確立 寧日なき皇軍の活動に依り |
05 | 在支米空軍減少の一途 |
06 | 議會提出法案四件決定 |
07 | 在支米空軍 蠢動を完封 |
08 | 要衝郝穴を攻略 |
09 | 圖像:巢立つ滿洲國軍官學校生徒 |
10 | 敵の空軍再起不能 基地を虱潰しに連爆 |
11 | 大小十七機擊墜破 敵米空軍逼塞するまでの經過 |
12 | 現地軍政首腦會合 在支公館長會議終る |
13 | 貨物自動車の運送業を統合 きのふ閣議で決定 |
14 | 專任內務長官を任命 バーモ長官兼任を解く |
15 | 獨潛艦新戰果 |
16 | 米軍の敗戰を指摘 ウイーク誌 |
17 | 日泰攻守同盟一周年 廿一日、各種祝賀の催し |
18 | 米國戰艦の補充に躍起 |
19 | 翼贊會支部事務局長發令 |
20 | 養蠶組合聯合會 通常總會開かる |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 志願兵前期生を送る社說 一 支那事變が勃發してからこのかた、島民は急速に皇國精神の真髓に徹し、あらゆる角度から戰爭遂行のため國策に全面的協力を惜しまなかつたが就中、陸軍特別志願兵制度に對しその地域と職域を通じて島民が示した熱意と赤誠とは領臺四十八年嘗てなき現象として全く瞠目に値するものであつた。一視同仁の恩澤に感激しながら、皇民資質の研磨に只管これ努めた島民にとつてこの上なき光榮であり光彩また一しほ陸離たるものがあつた志願者總數四十二萬と言ふ數字は、忠誠誓ふ島民の真摯烈烈として負荷の大任に應へる南進臺灣の面目を遺憾なく發揮したものであるがこの中から選ばれた前期生五百餘名は鄉黨の榮譽を擔ひ全島民の期待にそむかず、七月十日入所以來六ケ月間、所長初め教官の指導の下に能く皇軍の一員たる鍊成に默默挺身、所定の學科や術科(操鍊)にいづれも優秀なる成果を收めて、けふ十九日芽出度く晴れの第一回修了式が擧行される、これは獨り巢立つ若櫻の歡びであるのみならず、その家族や鄉黨にとつても無上の喜びであり、全島民にとつても銘記すべき榮えある日として感激新たなるものがなければならない。恰も第二次募集が明春一月十日を期して行はれるので、去る十日附を以てその募集要項が發表され、全島民が重なる聖恩の宏大に感泣してゐるとき、けふ初めて島民皆兵の先驅として前期生を送る、意義また一しほ深いと言ふべく、茲に生みの親であり育ての親である訓練所當局の指導と努力に對し改めて感謝をささげると共に滅私敢鬪をつづけた修了生一同に對しても敬意を表する次第である。 二 既に所屬部隊を明示されたこれら前期生は修了式を終へると翌二十日には、夫夫鄉黨に迎へられて歸宅し現役兵として晴れの入營の日を待つこととなつたが、島民として最高の鍊成を受けた修了生は、身鄉宅に在るとは言へ、國家干城への首途を前にしての大切な身體であることに深く思ひを致し、鄉里是訓練所の精神をもつて一擧一動たりと雖ども眾人の範たるべきことを期することは勿論のこと、進んでは村の適格青年に呼び掛け志願兵制度の主旨を解き、訓練所生活が如何に樂しいであるかを說明し以て鄉黨の適格青年を誘掖指導したならば第二次志願兵熱は第一回に勝るとも劣らない程盛り上つて來るものと期待される。大東亞戰爭も決戰段階の第二年目に入り愈愈必勝不退轉の覺悟と決意を堅めねばならぬとき、島民四十八年の努力の結晶たる前期生五百餘名を護國の柱石として送る、斯く考ふるだけでも歡びが溢れ感激で胸が高鳴るのを覺えるが、然し時局はいよいよ容易ならぬ樣相を露呈しつつあるのであるから本島青年にして適格者たる者は、今こそ全員擧つて志願し以て南進青年の實力と真價を發揮し烈烈たる義勇報國の精神を全的に昂揚すべきであることは申すまでもないが、また銃後一般島民も國民皆兵の聖旨を體し且つ時局の重大性を認識し、進んで同制度の趣旨徹底を期すると共に、適格青年を慫慂激勵一人殘らず應募せしめるやうしたいものである。 |
02 | 巢立つ譽の若櫻 見達へる程利派になつた けふの晴れ修了式 |
03 | 志願兵の座右銘 退所後入營迄の心得 |
04 | 役牛並に牛肉價格 公定來年一月に實施 |
05 | 新生マライの建設(完) |
06 | 後輩に呼掛く 講演會に若櫻も立つ |
07 | 高木馬公警備府司令長官 昨夜軍官民を招待 |
08 | 船客手荷物制限 高雄港にも適用 |
09 | 協議事項を議決 厚生事業大會終る |
10 | 一月常會申合せ 翼贊會、管下に通達 |
11 | 尊皇愛國に徹せ 全國青年學校研究會第二日 東條首相の訓示要旨 |
12 | 樽酒入荷 左黨垂涎の的 |
13 | 陸軍司政官發令 |
14 | 橋本部隊長と岡村大佐來花 |
15 | ヨイコドモの慰問袋献納 |
16 | 特別番組編成 島都のニユース映畫會 |
17 | 航洋船員後援會の結成式 |
18 | 新竹市參事會 |
19 | 宜蘭信組事務所地鎮祭 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 至上の譽を擔はん “み民われ”に生きる感激を胸に 新竹健兒志願兵街道を驀ら |
02 | 生活は切下げ 貯蓄は引上げ 花蓮港市民決意を申合せ |
03 | 竹東郡從軍記念會結成 |
04 | 御下賜品傳達 李軍屬の遺族感泣 |
05 | 醫藥品衛生材料 生產配給統制に就て (下)山內警務局長談 |
06 | 龍潭庄青年團查閱 |
07 | 模型機競翔會 新竹市廿三日に開催 |
08 | 重役が紙芝居 |
09 | 征戰下若人の心身 |
10 | 花蓮港中查閱 |
11 | 通宵庄青年團查閱 |
12 | 大彰化市の建設 あす公會堂で小田原評定 |
13 | 童心火の玉と燃ゆ ソロモン海戰に感奮して “戰艦献金”を申合せ |
14 | 我を沒して訓練せよ 志願兵後期生の豫備訓練に 橫田警察部長激勵 |
15 | 警民協力で防犯 基隆署趣旨徹底に數數の催し |
16 | 屏東市參事會 廿六日に開催 |
17 | 防犯は心掛一つ 隣り組で守らう冬の盜難 |
18 | 砲聲山野を壓す 中等學校の聯合演習 |
19 | 積み上げた堆肥 |
20 | 日月劇團 臺北で興行 |
21 | 青年の體力向上 合格率六三・八七%に上る 臺南市の體力章檢定 |
22 | 三軍屬の銅鑼庄葬 |
23 | 嘉義消防組献金 |
24 | 赤誠の献金品 |
25 | 地方多より報社消息 |
26 | 今日の映画 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺灣證券取引所 愈よ設置の機運熟す 府證券取引所法案を檢討 |
02 | 米麥國營檢查側 來る二十一日より實施 情報局發表 |
03 | 食糧檢查所設置 檢查手數料を全廢 |
04 | 東亞圈內の麻產業 前途は極めて有望 |
05 | 物價調整連絡會 提案を真劍に協議 |
06 | 壽重工の設備で 製鐵事業を計畫 南海興業が中心として |
07 | 新種兩切煙草 專賣局島產業で製造 |
08 | 南部丸糯玄米 標準查定會 |
09 | 照明燈 |
10 | 州廳委任物價 權限けふ告示 |
11 | 商況 十八日 後場 |
12 | ラヂオ |
13 | 水滸傳(851)/黃得時;碇政彌 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 各機關が協力一體 對支方針を強力推進 重光大使談 |
02 | 眾議院の年內議事 議員協議會で決定 |
03 | 日佛印經濟實行協定 本格的交涉に入る |
04 | トルコ大統領 イスタンブール着 |
05 | 果敢な殲滅戰展開 大悟山周邊の新四軍を包圍 |
06 | 現下の經濟的課題/加田哲二 |
07 | チ英首相の渡米說 ル大統領否定 |
08 | モレスビーを強襲 |
09 | 圖像:陸軍士官學校卒業式 |
10 | 獨機英本土空襲 |
11 | 英大型客船 印度洋で沈沒 |
12 | 四本の經路を確立 大陸との連絡運輸路 |
13 | 日傭勞務者の賃金 最高最低標準額を決定 |
14 | 皇軍に絕大の感謝 救助されて歸國する泰首相の甥 キタサンカ君が寄臺 |
15 | 戰時金融金庫法一部改正 |
16 | 雪中壯烈な白兵戰(獨ソ) |
17 | 獨軍の戰果 ゲ空相發表 |
18 | ソ聯情報局發表 |
19 | 隨所で激戰(東部戰線) |
20 | スペイン外相の來訪 ポルトガル各紙大歡迎 |
21 | ビ總統、佛首相の會見 ヴイシー政府筋の情報 |
22 | 囂囂たる非議 ダルラン釋明 |
23 | 赤軍飛行機 一萬二千機喪失 |
24 | 樞軸國との斷交說を否定 チリー外務次官 |
25 | 北署管下壯丁團の檢閱 廿日に實施 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 護國の大任へ巢立つ 鍊磨六ケ月・憧れの現役兵 歷史的志願兵修了式 |
02 | “良兵良民”の範たれ 長谷川總督の訓示 |
03 | 擧げよ優秀な成績 安藤軍司令官祝辭 |
04 | 新竹州出身あす我家へ |
05 | 忠節に專念せよ 石川訓練所長の誨告 |
06 | 歸鄉中の指導方 父兄の協力要望 岡江訓練所部長語る |
07 | 兵事關係功勞者 榮の十氏に表彰狀を傳達 |
08 | 思ひ出の六ケ月 巢立つ若櫻の感想 |
09 | 前線へ慰問袋 軍司令部へ赤誠部隊 |
10 | 建艦費献納群武官府の受付 |
11 | 高木司令長官 着任挨拶を終へて歸任 |
12 | 興南詩苑漢詩 敬次叔父梅公秋日書懷原韻四首/施讓甫 |
13 | 賞金を献金 運轉手の赤誠報社消息 |
14 | 真子氏に表彰狀 ニユース映畫の功勞者 |
15 | 總務局の參與 けふ任命發令 |
16 | 人事消息 |
17 | 今夜の放送 |
18 | 興南案內報社消息 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | コ島攻略の武勳に感狀 一死以て任務を完遂 佐藤部隊、星飛行部隊頭條新聞 【東京發同盟】敵米國東亞侵略の據點比島に於ける堅城バタアン及びコレヒドールを血と鐵を以て覆滅し去り高らかに東洋の凱歌を擧上げた殊勳の部隊──佐藤部隊、同配屬部隊、星飛行部隊同配屬部隊同協力部隊に對しそれぞれ部隊感狀が授與されると共に佐藤部隊中隊長江浪康彥中尉に對し個人感狀が授與され畏くも天聽に達せられた旨十九日陸軍省から發表された、光榮に輝く佐藤部隊はバタアン攻略に偉勳を建てた後五月五日夜半鐵の島コレヒドール要塞に決死の敵前上陸を敢行して戰果を擴張、遂に敵首將をして降伏せしめた、星飛行部隊はバタアン、コレヒドールの上空に縱橫の活躍をなし敵潰滅の因を拓いた又個人感狀の光榮に浴した江浪康彥中尉はコレヒドール要塞に敵前上陸し慘烈な戰闘を沈著に指揮、遂に頑敵を撃退する偉勳を建て敵の二彈を受けて壯烈極まる戰死を遂げた勇猛中隊長である |
02 | 寡兵敵堅壘を粉碎 佐藤部隊同配屬部隊戰鬪經過 |
03 | 連日コ島要塞猛爆 星飛行部隊同配屬部隊 同協力部隊の奮戰經過 |
04 | 文部辭令 |
05 | 爆擊行より歸還の海鷲を迎へる整備員 |
06 | 常に白ら陣頭指揮 あらゆる手段盡して要點確保 江浪中尉奮戰狀況 |
07 | 轉廢業等の諸問題 翼贊會政府に申達 |
08 | 在支米空軍戰意なし ゲリラ戰で局面を糊塗 |
09 | 年內議事日程等決定 眾議院議員協議會で |
10 | 翼政會機構改革 有志代議士會で申合せ |
11 | 反樞軸軍 西領モロツコ方面に集結か |
12 | 新民會の主席 參事會議 |
13 | 洪澤湖方面のわが綜合戰果 |
14 | 重光大使歸朝 事務打合のため |
15 | 直接米政府に武器貸與交涉 インド政廳から |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 地方長官會議の開催社說 一 內外地行政一元化實施後初の地方長官會議が十八日府正廳に於ていとも緊張裡に開かれた。今次の會議は總督訓示にもある如く、大東亞戰爭第二年目に入つての內外情勢に關する認識を明かにし、擧島一致の戰時態勢强化に邁進する覺悟を新たにする趣旨の下に開かれたもので、從つて會議も答申其□從來の形式を廢止して、專ら戰力增强に關する府並に軍部の協力要望に終始したことは極めて當然なことといはねばならない。わけても總督訓示に明示されてゐる戰爭第二年に處すべき督府政治の重點は帝國の一翼として主動的立場を確認された本島の使命達成上むしろ當然のやうにも考へられるであらうが、しかし經濟治安、生產增强、食糧增產、國民貯蓄、皇民奉公運動等過去の實績より見て一層の努力を要すべき事項或は戰爭第二年を迎へて特に力を致すべき兵事防空等が力强く强調されてゐることは、擧島一致、不敗の戰時態勢强化に邁進する覺悟を新たにしたものと云ふべきである。 二 內外地行政一元化の結果、臺灣の地位ひいては總督の地位がむしろ確立され强化されもしたことは周知の如くである。事實大東亞省設置に伴ひ臺灣總督の地位が弱化されるとの常識的見方が極めて强く、為に先般總督の上京に關し一種のデマすらとんだやうな有樣であつた。しかし總力を戰爭目的に結集し、萬般の施策を一元的運に用する必要上內地各省の監督を受けることがあつても、他面本島の特殊事情に適應せる施設はあく迄綜合行政に立脚すること、卽ち臺灣統治が一に總督の責任に出づること從來と何ら變りがないことは長谷川總督の再三强調せる如くであつて、今次會議を開催するに至つた趣旨の一半は實にこの點の闡明にあるといふても過言ではない。更にその必然的結果として大局を認識し政府の方針に對してはこれが達成に本島の實情に則した最善の方途を講じて、本島の真價發揮に努めると共に、一方常に綜合的見地に立つて施政の統一保持に配意し、以て本島統治の圓滑なる進展に寄與するが如き統治態度を要望してゐることは今次會議の政治的意義を端的に表明してゐる點で大いに注目してよいわけである。 三 前記の如く總督統治の再確認又は地方長官への統治態度の要望は實は主動的立場に置かれてゐる本島の政治的位置の必然的反映と云ふべきである。このことは自ら民間側のとるべき態度にもあてはまるものであつて、食糧增產にしろ國民貯蓄にしろ、其他各分野に於て島民が本島の實情に則したる最善をつくすことは、これ盡く聖戰完遂の戰力增强に歸一するものに外ならない。されば地方長官會議事於る總督訓示はそのまま島民の協力態度をも示唆してゐるものいつてよいのである。かくして戰爭第二年目の劈頭に開かれた地方長官會議は長谷川總督を中心に官民共右の如き態度で擧島一致、必勝態勢の强化に邁進するの機緣を與へたものとしてその意義極めて深いものがある。わけても政治經濟の一段の强化に伴つて地方行政の衝に當る地方長官の職責は益益重きを加へ來つたのであつて率先躬行、克く民情の實情に稽へ透徹した行政指導方針の下に部下吏僚を指導督勵して地方行政の活潑にして强力なる運營に專念すべきことは極めて明瞭なところである。 |
02 | 部下奮戰の結晶 更に緊褌一番すべき時だ 感狀に輝く佐藤部隊長談 |
03 | 南方協力建設座談會 食糧增產大運動 (二)マライ、スマトラ篇 |
04 | 一萬圓を献金 中山市太郎氏 |
05 | “勿體ないことです” 星部隊長母堂語る |
06 | 參與奉公委員會 皇奉宜蘭支會開く |
07 | 賞與の一部を献金 樹林酒工場從業員の赤誠 |
08 | 美技で觀眾を魅了 國防訓練場の竣工式 |
09 | 臨時局部長會議 |
10 | 抑壓の跡が歷然 和蘭政府・原住民を虐待 |
11 | 世界正義を確立 樞軸必勝の慰靈祭 |
12 | 我が處置に感激 スラカルタ侯が |
13 | 高木司令長官 きのふ臺中へ |
14 | 宜蘭署保正會議 |
15 | 白秋追悼座談會 けふ奉公會中央本部で |
16 | 宜蘭市堆肥增產審查會 |
17 | 高山道路名稱入選發表 |
18 | 石坂氏等を圍む文藝座談會 |
19 | 產業戰士の資質向上へ 勞協會で巡回映畫會開催 |
20 | 深耕競技會 七緒庄で開く |
21 | 定時總會開催 |
22 | 線香工場燒く |
23 | 鑛工業貯蓄組合總會 |
24 | 坂本德新社長逝去 |
25 | 人事消息 |
26 | 街葬謹告:黃增祖 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 志願兵晴の歸鄉 鄉黨の喜びは大したもの! 明早朝に高雄驛着 |
02 | 嘉義市出身者は けふ晝急行で歸る |
03 | 青年の奮起を促す 新竹州下の志願兵講演日程 |
04 | 市長、郡守會議 二十二日高雄州會議室で |
05 | 圖像:緬支國境に於ける敵機來襲に備へ皇軍勇士の對空監視 |
06 | 若櫻にこの赤誠 志願兵美談の數數(二) |
07 | 臺東廳高砂族國語演習會 |
08 | 戰時生活指導講座 |
09 | 一路增產に驀進 木炭王國新竹州の週間 |
10 | 街庄豫算の編成 彰化郡の關係者打合せ |
11 | 拂曉から白兵戰 臺南州下中等校の演習閉幕 |
12 | 戰艦献金を申出 新化郡下の保甲役員 |
13 | 逞まし若人の姿 花蓮港中きのふ查閱 |
14 | 故黃軍屬苗栗街葬 |
15 | 戰爭生活訓十ケ條 臺南市奉壯團自肅運動を推進 |
16 | 新春の野球 |
17 | 牛一萬頭の增殖 後龍庄指導所竣成して本格へ |
18 | 肉彈相搏つ熱戰 嘉義署の壯丁團角力 |
19 | 在漢口籍民の同情 蘭陽の風害に義捐 |
20 | 布製の徽章を回收 來年の使用に |
21 | 彰化郡循環道路 番社—花壇間を開鑿 |
22 | 宜蘭信組事務所地鎮祭 |
23 | 農村慰安演劇 臺南州下の日程決る |
24 | 蘭陽產婆講習會 |
25 | 赤誠の献金品 |
26 | 宜蘭水組の施設工事竣工式 |
27 | 香奠返しに献金報社消息 |
28 | 糯米配給 |
29 | 臺中柔道同志會武道納め |
30 | 彰化市桔梗俱樂部に於ては今般 |
31 | 今日の映画 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺南州下の國土綠化(上)/新山清吉 |
02 | 熱帶に寒地蔬菜 見事!開花に成功 江口博士、十年の苦鬪結實 |
03 | 砲金製ストツプバルプ 吉田鐵工所で試作成功 |
04 | 昨年度農業生產 五億六千五百萬圓 前年に比し二千四百萬圓增加 |
05 | 增產と土への愛/室伏高信 |
06 | 貨物運賃を調整 內地向割引等を廢止 |
07 | 食用油製造を計畫 日本油脂本島へ進出 |
08 | 青果組合聯合會 定款變更決定 |
09 | 賞與支給の國債 斷じて賣出すな |
10 | 代用品展覽會 出品締切は來る廿五日 |
11 | 臺中市米榖組合總會 |
12 | 壓榨開始 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況 十九日 前場 |
15 | ラヂオ |
16 | 水滸傳(852)/黃得時;碇政彌 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日華提携の緊密化へ 汪國府主席再度來訪 きのふ晴れの入京頭條新聞 【東京發同盟】中華民國々民政府主席兼行政院々長汪精衛氏は大東亞戰爭第二年に突入せる帝國の過去に於ける赫々たる戰果に祝意を表し併せて事變以來の日華提携を一段と緊密化するため大東亞戰下初の訪日を企圖し外交部長褚民誼氏以下十數名を帶同、十九日午前十時十分主席機海鶼號外一機に搭乘、南京發同午後二時二十七分福岡空港着、同市に一泊の後二十日午前十時十九分福岡發、同一時五十分羽田空港に安着した、この日羽田空港には徐中華民國大使以下館員の外、東條首相、島田海相、谷外相、青木大東亞相、賀屋藏相、八田鐵相、松本外務次官、山本大東亞次官、平沼騏一郎男、阿部翼政會總裁等官民多數出迎へた外王滿洲國大使の顏も出迎への人垣の中に見える、午後一時四十分西方の空に黑點一つ「只今汪主席御搭乘の海○號が飛行場西方に現はれました」場內放送が行はれると同時に濃綠の胴體に染め出した主席旗も鮮かな海鶼號は悠然と空港上空を一周、見事な滑走姿勢に入つたと見る間に一時五十分待合室前に鵬翼を休め、機上から黑外套に身を包んだ汪主席が氣輕るに滑走路に降立ち、吉岡課長の先導で中途まで出迎へた徐大使と二言三言の挨拶、同大使の紹介で先づ谷外相と固い握手を交した、主席の後には慶祝使節として去る五月來朝以來馴染み深い褚外交部長と財政部長周佛海氏も續く、軍事參議院々長陸軍少將蕭叔萱氏、實業部々長梅思平氏、宣傳部々長林柏生氏等と一緒に同行の石渡財政顧問、軍事顧問松井陸軍中將、寺岡海軍少將も共に地上に降り立つ、二步三步進み出た東條首相、瞬間汪主席の端正な橫顏に微笑が消え嚴肅さが宿るかに見えた、兩國政府首腦の何れからともなく差出す右手は固く結ばれる、續いて嶋田海相、青木大東亞相、八田鐵相、平沼男、阿部大將以下各方面の出迎人の一人々々に握手を交した汪主席とその一行は十數臺の自動車を連ねて京濱國道を一路都心へ、そして汪主席と侍醫の羅廣霖氏は麻布尾町の大東亞迎賓館に、褚外交部々長以下は宿舍帝國ホテルに入つた汪精衛氏は二十一日午後行政院々長の資格を以て首相官邸に東條首相を訪問會見し二十二日は國民政府主席の資格を以て宮中に參入天皇陛下と御會見を行ふ豫定である、尚汪主席の入京に際し二十日午後一時五十分別項の如く情報局發表があつた |
02 | 汪主席の日常生活 即ち同甘共苦の實踐 |
03 | 東庄、劉家庄を占領 山東半島の共軍殲滅戰 |
04 | 米芬關係惡化 傳へらる |
05 | 重光大使も入京 青木谷兩相と鼎坐要談 |
06 | 田中最高指揮官 ルソン中部を視察 |
07 | 日泰同盟一周年 けふ盛大な記念祝賀會 |
08 | 同一戰線に立つ 坪上大使兩國の躍進を回顧 |
09 | 決戰議會召集迫る 政府、翼政會準備を急ぐ |
10 | 眾院事前審議 |
11 | ソ土間友好條約の交涉なし トルコ官邊否定 |
12 | スペイン外相 葡國首相と會談 |
13 | スペイン外向一行訪葡 軍事的に諒解成立せん |
14 | 華北の邦人 翼贊運動開始 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 李王垠殿下御來臺 一週間本島の實情を御視察 十九日空路で御歸還 |
02 | 希望に胸が一杯 數數の懷しい思ひ出を殘し “若櫻”譽の鄉土へ |
03 | 新春の宮中諸儀式 畏き邊りから仰せ出さる |
04 | 圖像:臺北市青年團查閱 |
05 | 若人の意氣沖天 臺北市青年團の查閱 |
06 | 忠勳永へに薰る 基隆の忠魂碑除幕式 |
07 | 壯烈極まる戰死 卅勇士の忠績を探る |
08 | 圖像:譽れの志願兵懷しの鄉土へ |
09 | 花蓮港出身も歸還 |
10 | 臺北州隊解散式 きのふ州廳で擧行 |
11 | 思想警察の龜艦 故與世山部長石碑除幕式 |
12 | 驛頭に歡呼の嵐 基隆出身七氏が歸還 |
13 | 國防力の充實へ 無敵戰艦建造費に寄せる 小國民の赤誠譜 |
14 | 立派な皇軍の一兵 張切る新竹州出身者 |
15 | 罪は一瞬・淚は一生 臺北州けふから防犯週間 |
16 | 自警思想を強化 根井警察部長語る |
17 | 花蓮港で講演會開催 |
18 | 北原白秋追悼座談會 |
19 | 臺北北署壯丁團檢閱 |
20 | 白衣勇士慰問 基隆世界館で |
21 | 橋本部隊長離花 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | お米が三度穫れる 容易く出來る品種の組合せて 高雄州農試に凱歌 |
02 | 陣頭指揮を實踐 新竹州一月常會の申合 |
03 | 父老に迎へられて 志願兵懷しの我が家へ |
04 | 志願兵熱を昂揚 臺中州、廿七日一齊に常會開催 |
05 | 生活科學展 |
06 | 嘉義署壯丁團檢閱 |
07 | 街から乞食一掃 桃園街“厚生寮”廿五日開寮式 |
08 | 慰問雜誌募集 彰化圖書館で |
09 | 桔梗クラブ 鍊成會終る |
10 | 桃園農業查閱 |
11 | 桃園の同情週間 |
12 | 昭南スケッチ 街の乘りもの |
13 | 高雄州の豚肉配給方法改善 來年より實施 |
14 | 桃ノ園に咲く 防犯美談二つ |
15 | 赤誠の献金品 |
16 | 助產婦奉公會 臺中市支會結成式 |
17 | 埔里街青訓修了 |
18 | 北斗郡商奉團 |
19 | 鳳山郡貸地貸家組合創立 |
20 | 地方多より報社消息 |
21 | 今日の映画 |
22 | 訃文:陳吻 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 学芸 海鷲勇士のあけくれ 逞しさの中に溢るる純情 |
02 | 北回歸線 娛樂の使命と效用 現實生活を忘るな |
03 | 愛國百人一首(四) 日本文學報國會選 |
04 | ボリナオ便り |
05 | 科擧と儒教/王昶雄 |
06 | 雜誌回覽 |
07 | ラヂオ |
08 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 日泰攻守同盟一周年 締盟の感激新た バンコツクで盛大な記念行事 |
02 | 亞細亞民族の福祉 ピ首相祝辭と坪上大使答辭 |
03 | 圖像:全支公使總領事會議開かる |
04 | 國民更生金庫損失審查會委員任命 |
05 | 日佛印間の交涉 頗る順調に進抪 芳澤大使近く歸朝現狀報告 |
06 | 週間國際展望 |
07 | 翼政會の強化策 有志代議士會、阿部總裁に申達 |
08 | 南方開發營團設置 東商、關係官廳に建議 |
09 | 勅令公布 |
10 | 獨伊佛巨頭會談 總統大本營より發表 |
11 | 思想戰を推進 言論報國會を結成 |
12 | 獨佛關係新段階へ |
13 | 經濟協力を強化 イべリアブロツク結成 |
14 | ドン河中流地域で激戰 赤軍の大反攻を捕捉殲滅 |
15 | 獨軍有力部隊 チユニス西南へ集結 |
16 | 物價暴騰に重慶政權惱む |
17 | 惡逆無道の盲爆 ラングーン是民憤激 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 聖戰完遂祈願祭 廿四日各神社で執行はる 必勝へ一段の決意 |
02 | 偲び奉る御仁慈 大正天皇祭に方面感謝式典 |
03 | 伊國王も御成り 日本紹介寫真展に |
04 | 圖像:繰出す華僑部隊 |
05 | 日婦基隆市分會長會議 |
06 | 衛生事務擔任者の事務打合 |
07 | 學徒時局講演會 二十四日公會堂で開催 |
08 | 真摯な建設の姿 希望に燃えるビルマ原住民 南方軍政監部談話を發表 |
09 | 南方協力建設座談會 金融機關も進出 (三)マライ、スマトラ篇 |
10 | 日泰佛教交驩 けう戰爭完遂祈念式 |
11 | 犯罪は銃後の恥 心の駒に自警の手綱 防犯週間けふ開始 |
12 | 南北兩署冬防警戒 愈よけふから開始 |
13 | 市議月例會 |
14 | 市長郡守署長會議 |
15 | 昂る感激献金 十二日より十八日まで軍司令部取扱 |
16 | 花蓮港市民強步大會 |
17 | ヨイ子供達に能狂言 けふ公會堂で實演 |
18 | 迸る銃後の赤誠 陸海軍へ感謝献金 |
19 | 加藤義三中尉 士官學校に入學 |
20 | 朱厝崙に人殺し 街の刑事犯人逮捕 |
21 | 人事消息 |
22 | 興南詩苑漢詩 養疴四首/小維摩、爲林映西君令妹靚粧/林述三 |
23 | 煙幕 |
24 | 今夜の放送 |
25 | 商況 廿一日 前場 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 日、泰文化協定發効 批准書交換を終了 きのふ泰國外務省で署名頭條新聞 【バンコツク二十一日同盟】英米文化の羈絆を脫して力強く東洋文化の完成に邁進するタイ國が日本との間に締結した文化協定はタイ國文化史上に一新紀元を劃し軍事經濟兩面に固く結ばれた日、タイ兩國關係に更に新たなる光明を點じだがこの文化協定の御批准書の交換式は意義深い日タイ攻守同盟締結一周年記念日の二十一日午前十一時からタイ國外務省で開催され坪上駐タイ大使とヴイデツト外相との間に御批准書交換署名が滯りなく終了した 【東京發同盟】米英擊攘の征戰に相共に戰ふ盟邦タイ國と帝國との間には旣に同盟條約に依り政治的軍事的且つ經濟的に一體不可分の紐帶が結成されてゐるがこの兩國の緊密關係を更に文化面より一層推進するため兩國當事者間に折衝中であつた日泰文化協定は去る十月二十八日谷外相、デイレツク大使間に署名調印を了し十一月十八日樞密院本會議に附議十二月二日御批准を了したので去る十六日外務省箕輪領事は右御批准書を奉戴して空路バンコツクに向ひ日泰攻守同盟締結一周年記念日の佳き日バンコツクに於て我が坪上大使とタイ國外相ヴイヂツト氏との間に御批准交換が行はれ卽日實施日泰文化の交流に依る大東亞文化交流の基礎が確立された、右につき情報局は二十一日午後三時半次の如く發表した |
02 | 御會見の榮に浴す 汪主席けふ宮中に參入 |
03 | 日、泰搖ぎなき結盟 勝利我が手にあり 攻守同盟一周年東條首相の祝辭 |
04 | 獨爆擊編隊 カイロを爆擊 |
05 | 精神的分野の提携 ヴ外相の挨拶要旨 |
06 | タイ國政府のコンミユニケ |
07 | 圖像:汪行政院院長以下一行羽田飛行場着 |
08 | 文化連絡協議會常設 真に同甘共苦的體制を導入 |
09 | 支那問題處理の重大役割を痛感 重光大使の歸朝談 |
10 | 竹內中佐 志願兵制講演の為今夜南下 |
11 | 佛印側謝罪で圓滿解決 芳澤大使に對する非禮事件 |
12 | 翼贊會、翼政會の地方人事交流 原則的諒解に到達 |
13 | 大澤山地區の敵を捕捉猛攻 |
14 | 佛印總督府のコンミユニケ |
15 | 商工辭令 |
16 | 文部辭令 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 臺灣農業團體統合の實現性社說 一 本島に於て農業團體統合の必要あるは本欄に於て夙に强調して來たから今更喋喋する迄もない事であり、殊に內地に於ては今議會に提出すべく農林省ではいち早くも其の要綱を發表したのであるから此の問題は既に議論の時代でなくなつたのである。それ故殖產局に於ても過般來委員會を組織し目下其の原案を練つてゐるとの事であるから、近く何かの形で其の全貌がハツキリされるであらう。而して內地に於ける新團體の統合範圍は農會、畜產組合、產業組合、養蠶組合、茶業組合等であり、其の上部組織が指導經濟、金融の三本建となる模樣であり、大體豫想されたる原案と殆ど大差なき常識的なものであるといへよう。ところが問題が重大である丈議會中に於て必ずやいくたの議論はあらうが、此の問題の必要性は各方面とも痛感せられてゐるから、今後意外な支障を起さざる限り實現されるであらう事は明かである。 二 然らば本島に於ける農業團體の統合範圍は大體に於て農會、畜產會、產業組合、青果組合、米穀納入組合であり、慾をいへば茶業組合及び業佃會をも網羅して真に强有力な農業中樞團體となりこれに依つて指導、經濟、金融の三部門を有機的に結合せしめ以て刻下の最大急務たる農業生產力の增强、食糧の確保を為さしめんとする事は戰時體制の强化を齎らす所以であると思はれるからである。唯中央團體は一本建にするか又は二本建にするかの問題はあるが、本島の如き猫額大の土地では簡素化の見地から須らく一本建にすべきが妥當であらう。尚其の下部組織としては州廳團體市街庄團體の三階段に系統化し、中央團體から下部組織に對して直接指揮命令する權能を與ふべきである。勿論市街庄團體の下部組織として現在の農事實行組合をも其の傘下に收め以て直接個個の農家に對して其の指導奬勵の徹底を圖るべきである。唯市街地信用組合はかくの如き農業團體から分離して別個の組織に編成替する必要がある。 三 本島に於ける農業團體の統合を為さんとするには大體上記の試案とさう異なる構想はなからうと思はれるが既に現在では各團體間の指導方針不統一、綜合的計畫的指導の缺如、團體間の相剋摩擦、農民負擔の過重を云為せられてゐる以上は一日も早く中央の方針に卽應して、速かに一大改革刷新を斷行すべき絕好の機會であるといへよう。然し吾人の恐れるところは當局が徒らに調查研究を藉口して徒らに遷延される懸念なしとしない。就中各州廳米穀納入組合刷新の要望は今や殆ど全農民の聲であり、此の際產業組合の事業に編入するのも一つの方法であるが更に進んで根本的に農政改善の立場から一大飛躍を為すべきであらう事を强調したい。此の問題に關して殖產當局の間にも急不急の議論があるやうであるが時局は最早かかる悠長な時日を許さない程急迫してゐるから、切に關係當局一段の努力を望まざるを得ない |
02 | “よき趨勢の助長へ” 樋口參謀長志願兵に與ふ |
03 | “日本のよき指導を” 泰國青年達の感激談 |
04 | 令旨の傳達式 愛婦大部廿四日に擧行 |
05 | 祈願祭に奉公班參拜方通知 皇奉本部から |
06 | 南方協力建設座談會(四) 日本精神扶植に努力 マライ、スマトラ篇 |
07 | ビルマ街頭公告漫畫 |
08 | 總督に各局部長から 所管事務を報告 本年最終の局部長會議 |
09 | 藤岡兵務部長 きのふ臺北中の教練を查閱 |
10 | 島民赤誠の感謝 一日より十五日迄武官府取扱の献金 |
11 | 續くヨイ子供 部隊の献金 武官府廿日の受付 |
12 | 貯蓄に一段の努力 三項目の實踐方を皇奉會に進達 國貯動員本部幹事會開く |
13 | 「防犯の夕」盛況 |
14 | 各地の陸軍病院を慰問 林本社專務南下報社消息 |
15 | 玄米食の普及運動 來春早早全國一齊に展開 |
16 | 西村官房人事課長 陸軍司政長官に任命 |
17 | 人事消息報社消息 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇軍の親切に感謝 大金を戴いた時の嬉しさ! 寄臺した泰國學生座談會 |
02 | 規律的生活は愉快 平素腰の力を鍊ることは肝要 新竹州の歸鄉志願兵座談會 |
03 | 第二年への爆擊 油の一滴は血の一滴 |
04 | 兩軍屬の葬儀 |
05 | “兵”志願者の身體檢查 彰化市の實施日程決る |
06 | 心身の鍛鍊に精進 高雄州隊の力強い誓ひ |
07 | 臺中州臨時州會 けふ州會議室で開催 |
08 | 年末年始の虛禮 新竹州日婦廢止を慫慂 |
09 | 新竹市參事會 |
10 | 志願兵講演會 |
11 | 總督の訓示傳達 臺中州市長郡守會議 |
12 | 臺南市日婦班長常會 |
13 | 高雄州臨濟宗教務所明德堂共同主催 |
14 | 新竹市の豫算 二百萬圓程度に壓縮? |
15 | 屏東興農信用販賣購買利用組合 |
16 | 科學搜查陣に凱歌 犯人を指名逮捕 |
17 | 赤誠の献金品 |
18 | 若人の胸は躍る 志願兵を迎へて血書志願 |
19 | 新化郡警察射擊會 |
20 | 地方多より |
21 | 昭南スケッチ 昭南の劇場 |
22 | 今日の映画 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 島內銀行勘定躍進(十一月末) 預金遂に五億圓を突破 |
02 | 農事試驗場長會議 來る廿五日府正廳にて開催 |
03 | 最近の專賣事業 煙草は南方各地へ供給 |
04 | 臺南州下の國土綠化(中)/新山清吉 |
05 | 臺灣貿易會定款等 けふ府商政課で審議 |
06 | 高雄米納組合總會 剩餘金十四萬一千餘圓 轉業補償五十六萬圓 |
07 | トラツクの民需貨物輸送禁止 |
08 | 第二回蔗園調查終了 季節風害の外成育順調 |
09 | 臺中州商工中央會 あす講演會開催 |
10 | 大晦日銀行營業時間午後四日迄延長 |
11 | 壓榨開始 |
12 | 藤田總務課長 重要工場視察 |
13 | 經濟手帖 |
14 | 照明燈 |
15 | 島內株仲值表 |
16 | 商況 廿一日 後場 |
17 | ラヂオ |
18 | 水滸傳(853)/黃得時;碇政彌 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 日、華磐石不動の提携 畏し・汪主席と御會見 堅き御握手を交させ給ふ |
02 | 提携して戰爭完遂 汪院長談話を發表 |
03 | 赤軍の攻勢大損害 徒らに兵員と裝備を消耗 |
04 | 獨軍戰況を公報 |
05 | 東部戰線ドン會戰に集中 |
06 | アルバ公マドリードに向ふ |
07 | 決戰物資增產對策 經濟議員聯盟臨時總會で決定 |
08 | 圖像:揚子江上にて射擊の猛訓練をする揚子江部隊の勇士 |
09 | 我が最高勳章を汪主席に御贈進 |
10 | 東京鑛山監督局長に水谷氏 |
11 | 獨軍攻擊隊出現 ソ聯軍の反攻を粉碎 |
12 | 赤軍飛行機 二百八十七機擊墜 |
13 | 二千名の人的交流 翼政、翼贊の一體化へ |
14 | 翼政實行委員 常任總務と會見 再び有志代議士會を開催 |
15 | グルー又も警告 米國民の戰意を煽る |
16 | 米東部沿岸に 新禁止區設定 |
17 | 貴族院年內の議事運營方針 |
18 | 西、葡協定 細目を協議 |
19 | 第二十五回の鐵道會議 |
20 | 第五回蠶絲委員會 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 起て!適格青年 熱辯滿堂の聽眾の胸を打つ 志願兵講演會開幕 |
02 | 御下賜金傳達式 けふ知事公室で擧行 |
03 | 賞賜物件傳達式を擧行 けふ市正廳で |
04 | マライの婦人達/窪川稻子 |
05 | 水產講習所卒業式 |
06 | 沿道理めた旗の波 汪主席晴れの參入 |
07 | 國民皆兵へ 黑澤兵事防空課長熱辯 |
08 | 恒例新年交禮會 申込廿六日まで |
09 | 海員の勞苦に感謝 基隆航洋船員後援會結成式擧行 |
10 | 日本紙の靴登場 明年早早お目見え |
11 | 市長、郡守會議 けふ州會議室で開く |
12 | 新竹州の市長郡守打合會 |
13 | 鄉軍有功章 拜受感謝報告 公會堂で晚餐會 |
14 | 遺家族に“樂しい一時” 日婦市支會主催慰問演藝會 |
15 | 青果物の販賣 代行行為青果會社に移行 |
16 | 宜蘭市鮮魚介類小賣人組合創立總會 |
17 | 人事消息 |
18 | 煙幕 |
19 | 興南詩苑漢詩 芸樓有書見示九日雅集詩、幷索錄寄往年福州舊作余乃茫然不復省記、書中又言鬢髮日益 增白、每於月明之夜懷余不已代柬黯然/文訪、小春/晴園 黃純青、讀景南君醉覺之什次韻却寄/嘯庵、子惠社弟長令愛鳳凰女士婚定賦贈/謝尊五、林子惠君長令媛鳳凰孃訂盟賦贈/石衡 黃賛鈞 |
20 | 今夜の放送 |
21 | 商況 廿二日 前場 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 我荒鷲カルツタに初見參 深更壯烈な空襲を敢行 敵軍事施設に多大な損害頭條新聞 【○○基地二十二日發同盟】ビルマ奪回の宣傳的作戰を呼號せる敵は數次に亘つてビルマ、タイなどにゲリラ的空襲を反覆し來りこれに對しわが方は無辜の民眾殺傷を恐□て□しく隱忍し來つたが俄然去る二十日深更わが航空部隊は有力部隊をもつてカルカツタ始めインド諸要地に對し壯烈な空襲を敢行し敵軍事施設に多大の損害を與へたこれはわが荒鷲のカルカッタ初の見參であるが右に關する○○基地軍事當局發表次の通り ○○基地にて南方軍發表(二十一日二十二時)わが陸軍航空部隊は昨二十日夜半インド東北部要地を急襲所期の目的を達成し全機無事歸還せり、その戰況並に確認せる戰果左の如し 一、カルカツタを急襲せる部隊は同市近郊飛行場を爆擊し飛行場には七ケ所にその他には各數ケ所に大火災を生ぜしめた 二、チツタゴンを攻擊せる部隊は同地飛行場を急襲し三ケ所に火災を生ぜしめその內一ケ所は燃料庫の大火災と思考せられる 三、本攻擊期間中敵は照空燈の照射なく又高射砲及び戰闘機の挑戰するものなし |
02 | 英印軍當局の發表 |
03 | 暴虐な英軍に報復攻擊 |
04 | 一大軍需生產の都 カルカツタの橫顏 二宮氏談 |
05 | ウエーキ攻略部隊に感狀 田中中佐の特別陸戰隊 |
06 | 開戰十六日で佔領 |
07 | リ總督極度の狼狽 |
08 | 國力增強の具體要綱 翼贊會、政府に上申 |
09 | きのふ閣議で 卅六法案決定 |
10 | 全東亞の為めに 中國の力を增強 林宣傳部長記者團と一問一答 |
11 | 貴院準備態勢 年末年始の休會中 |
12 | 議會提出法律案大部分決定 |
13 | 軍鍊成面を重視 陸軍異動發令さる |
14 | 汪院長廿三日の日程 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 戰場精神の實踐強化へ社說 一 大東亞戰爭第二年を迎へてまさに昭和十七年を送らんとしてゐる。過去一年の赫赫たる大戰果を回顧するにつけ第二年も絕對に勝ち拔かねばならぬ決意を新たにする次第である。否、米英の存する限りあくまで戰ひ拔き最後の勝利を完全に獲得する覺悟を我ら國民は均しく堅持してゐるのである。しかしながらこの大いなる目的を完遂達成するためには、銃後の決戰生活は現在のままで果してよいだらうか。茲に過去一年を省みるとき我ら國民の真摯なる反省を促すものがあるやうに感ぜられる。戰爭には、絕對に勝たねばならぬ、從つて第二年も、否最後まで必勝の信念を持たねばならぬといふことは誰しも斯く思ひ又さう信じてゐるところであるが、之を國民生活の部面に照らして見たとき果して實踐的に之が顯現されてゐるかどうか、茲に我らの三思熟考を要するものがあらうと思ふ。何となれば無敵皇軍の偉大なる戰果に醉ふて民心の尠なからぬ馳緩をきざしてゐるやに感ぜられるからである。 二 勿論、御稜威の下、我が陸海皇軍の勇猛果敢なる奮鬪努力によつて收められた大戰果は、開戰一年にして早くも決定的な勝利の第一頁を記錄し、銃後の安全感を確保すると共に戰局の上にも頗る樂觀的な氣分を釀成したことは、蓋し無理からぬこととも云へるであらう、從つて國民が均しく忠勇なる我が皇軍に對して感謝感激の思ひを致してゐるは洵に當然のことであるが、唯我が皇軍に絕對信賴するの餘り或は天佑神助に信依するの餘りに、戰爭は我に天佑神助の加護あり無敵皇軍の嚴として存する以上、些かの心配もなく必らずや勝利を得るべし、銃後の我らは枕を高うして只勝利の吉報を待てばよい、と云つた如き氣分に流れたとき警戒を要するのである。何となれば其處には既に心の弛緩がほの見え、油斷の間隙が生じてゐるからである。 三 斯くの如きであつては大東亞戰を勝ち拔くことは覺束ない、總力戰の紐帶が破れることは火を睹るよりも明らかである。近代戰の總力戰たる所以は銃前銃後の撤廢であり國を擧げて戰場化するところにある。從つて銃執る者も鍬執らぬ者も一樣なる戰場精神によつて貫かれねばならない。斯くして生產は云ふに及ばず、消費節約も貯蓄も保健も凡そ我らの生活は一樣に戰時生活に再編成され、戰場精神によつて建て直されねばならぬ。このためには單なる時局の認識から飛躍して時局の重大性を感得し、勝つて兜の緖を締めるのではなくて、强敵米英の最後の死命を制するまでは何か何でも勝ち拔くと云ふ必勝の信念を持つことが絕對に必要となる、國民にして真に斯る信念を把握して居れば、安閑として緒戰の勝利に醉ふことは出來ない。我ら何をなすべきか、總力戰體制が要求するところ自ら明らかな筈である。 |
02 | 皇太子殿下御誕辰 けふ第九回を迎へさせらる 御神身共に御健やか |
03 | 訓練すればよくなる 比律賓人は日本人の片腕 三木、火野、澤村三氏座談 |
04 | 圖像:島都志願兵講演會 |
05 | 征戰完遂祈願祭 きのふ明治神宮で執行 |
06 | 終生忘れぬ警察奉公 橫田司政官の感想談 |
07 | 荷へ至高の榮譽 島都の志願兵講演會 |
08 | 戰捷に輝く元旦 祈願、奉祝行事決る |
09 | 壯烈な遭遇戰展開 中等聯合演習けふ火蓋を切る |
10 | 贈答は一切廢止 衣服の新調も見合せまう 臺北市支會實踐事項 |
11 | “防犯の夕”盛況 |
12 | 赤堀廈門總領事寄臺 |
13 | 屏東陸軍病院を慰問 林本社專務報社消息 |
14 | 皇奉臺中州支部正月行事 |
15 | 臺中州立中等學校卒業式 |
16 | 外務辭令 |
17 | 人事消息報社消息 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 香港陷ちて茲に一年 偲ぶ當時の激戰 岩佐少尉の奮戰手記 |
02 | 赭顏を輝かせて 譽れの志願兵屏東驛着 |
03 | 日本の兵隊は強い(二) 長期戰を共に戰ひ拔く決心だ タイ國學生座談會 |
04 | 急れ!若人達よ 輝く軍旗の下に 報道部元谷屬、花蓮港で熱辯 |
05 | 後輩の奮起絕叫 歸鄉志願兵獅子吼 |
06 | 嘉義の講演會 |
07 | 臺中市けふ開催 |
08 | 軍人精神橫溢 鶯歌街青年の軍教好成績 |
09 | 本島青年陸士合格 臺南二中の森本君 |
10 | 赤誠の献金品 |
11 | 獨身警官の結婚獎勵 柴山警察部長が出雲の神 |
12 | 昭南スケッチ 昭南郊外 |
13 | 大窠坑溪架橋起工式 |
14 | 地方多より |
15 | 今日の映画 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 事務改善刷新を諮問 山林事務所長會議開かる |
02 | 勞務者へ米を增配 生產擴充に萬全策 |
03 | 家屋稅調查を協議 稅務課所長會議開催 |
04 | 證券取引所の統制 近年各國共著しく強化 |
05 | 交易營團法を檢討 けふ關係局會議開く |
06 | 壓榨開始 |
07 | 證券取引所設置 臺北商議所提案 |
08 | 官廳奉給支拂で 臺銀券二億七千八百萬圓へ躍進 |
09 | 臺灣產組協會 清算委員會を開催 |
10 | 彈丸切手當籤發表 割增金支拂は一月四日 |
11 | 私鐵施設の共用 第一回協議會で協議 |
12 | 臺南州下の國土綠化(下)/新山清吉 |
13 | 產組聯合會 きのふ役員會 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況 廿二日 後場 |
16 | ラヂオ |
17 | 水滸傳(854)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | いよいよあす召集 決戰第二年の通常議會 |
02 | 言論報國會新發足 けふ設立總會開かる |
03 | 第二豫備金支出決定 |
04 | 圖像:必殺の巨彈を裝置 |
05 | ソ聯の東方移動とその產業の概貌(上) |
06 | 平生氏鐵鋼統制會長辭任 |
07 | 七百餘萬噸擊沈 獨潛水艦十一ケ月の戰果 |
08 | 赤軍戰車喪失 三千九百餘臺 |
09 | 米國船舶不足に惱む |
10 | 軍、政の懸案を檢討 獨伊佛の三國會談意見合致 |
11 | 圖像:米支空軍軍事據點桂林飛行場の全景 |
12 | 文化協定締結の用意 佛印の官邊筋が言明 |
13 | 作戰の根本方針檢討 |
14 | 獨佛關係改善 フランス政府聲明 |
15 | 西葡會談の成果 兩國の見解完全一致 |
16 | ラヴアル首相べ元帥と會見 |
17 | 產組十八年度の活動方策 |
18 | 生產增強を援護 戰時厚生事業整備擴充協議會開かる |
19 | 地方鐵道買收法律案 今議會に提出 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日嗣御子の御誕辰 一億舉げて壽ぎ奉る |
02 | 適格者蹶然起て! 基隆市志願兵講演會 |
03 | 圖像:ビルマの大東亞戰爭一周年記念 |
04 | 事變以來每月献金 篤行者第一次發表さる |
05 | 日佛印間旅客輸送開始 |
06 | 五千圓を突破 港都の歲末同情金 |
07 | 小さな瞳に感激 ヨイコドモの赤誠献金 |
08 | 火野葦平氏放送 今夜六時半AKから |
09 | 舊銀貨を献金 |
10 | 物淒い日本語熱 聲明即實踐の我が軍政 南方協力座談會 比島篇 |
11 | 圖像:バーモ長官の熱辯 |
12 | 賴母しい島都 一件の盜難もなき好成績 防犯週間けふ終る |
13 | 對抗卓球大會 三日新竹で開催 |
14 | 感謝献金募集 双溪庄日婦達が |
15 | 感謝式典を擧行 基隆市の方面感謝日 |
16 | 與太者一味 南署で檢擧 |
17 | 身炳と書類送局 必需品會社の不正事件 取調べ愈よ一段落 |
18 | 犯罪者を特定 名簿に登載 |
19 | 興南詩苑漢詩 晴園早梅/小維摩、早起/小維摩、龍峒閒居/景南 |
20 | 人事消息 |
21 | 煙幕 |
22 | 今夜の放送 |
23 | 商況 廿三日 前場 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 決戰議會けふ召集 征戰完遂に審議集中 透徹せる時局認識公議公論の任務を果す頭條新聞 【東京發同盟】大東亞戰爭第二年に對處決戰議會として內外環視の的たる第八十一回帝國議會はいよくけふ二十四日を迎へ召集される今通常議會の意義と使命を重視する政府並びに翼政會とも既に萬般の準備を講じ戰時議會の真價發揮に遺憾なきを期してをり特に翼政會では召集日に先立ち二十三日本部に代議士總會を開催阿部總裁より對議會基本態度を闡明したが同總裁は「今議會の審議は舉げて現戰時下に於ける國家の最高目標たる征戰完遂の一點に集中すべきは勿論である、然し單なる無方針の政府追從でもなく又一時的の妥協であつてはならぬ、高き國家的見地に立つて匡すぺきは匡し補ふべきは補つて透徹せる時局認議の下に公議公論の府たる任務を果さねばならぬ」旨を強調單に眾議院議員のみならず所屬の貴族院議員に對してもその向ふべき所を示したがいよく本日は貴眾兩院とも何れも午前九時までに全議員登院三分の一以上の定則數に達するを待つて本會議場に參集貴族院は同規則第五條により部屬の抽籤を議長一任とし一旦休憩部長理事の互選結果を報告して成立を告げこの旨眾議院並びに政府に通告して散會、一方眾議院は成立手續に入るに先立ち補缺當選著赤間德壽氏(富山縣第一區選出)を紹介し同規則第十六條による部屬の抽籤を貴族院同樣議長に一任一旦休憩部長、理事の互選の結果を報告して成立、貴族院並びに政府に通告して散會、茲に第八十一議會は成立する、かくて二十六日開院式、翌二十七日、貴眾兩院とも本會議を開き所定の議事に入り陸海軍兩相から戰況の報告あつて後皇軍に對する感謝敬弔決議を行ひ茲に年內の議事を終了、格別のことなき限り一月二十日まで休會とし二十一日の再開日劈頭東條首相、谷外務、賀屋大藏兩相の一般施政演說並びに外交、財政演說を皮切りに本格的議案審議に入る豫定である |
02 | 翼政會勢揃ひ 代議士總會きのふ開催 |
03 | 議會通じて敵と戰ふ 阿部翼政總裁決意を吐露 |
04 | 初空襲から占領迄 わが荒鷲○○隊長の手記と 俘虜米指揮官パ少佐の日記 ウエーキ島攻略一周年 |
05 | 翼贊會辭令 |
06 | 院內四機關を設置 役員を指名發表 |
07 | 有志代議士會 |
08 | ただ一途必勝基礎を強化 首相挨拶 |
09 | 翼政會政調 總會開かる |
10 | 汪院長歡迎晚餐會 東條首相の主催で |
11 | 總力を捧げて 責務分擔の決意 汪院長の答辭要旨 |
12 | 印緬國境封鎖 |
13 | モレスビー爆擊 |
14 | 米麥檢查令公布 |
15 | 汪院長一行 昨日の動靜 |
16 | カルカツタ空襲 伊紙大大的に報道 |
17 | ドン河中流 地區で激戰 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 模範的な新竹州の「吏道訓」社說 一 地方行政の第一線に挺身する官公吏の自己內省の準繩と執務の指針たらしめんが為に、新竹州では軍人の戰陣訓にも比すべき「決戰吏道訓」を制定、皇國吏道の刷新と昂揚を圖ることとなつたが、大東亞戰爭第二年を迎へ、一大決戰を戰ひ取らなければならぬ秋、誠に當然且つ時宜に適した措置であると云はなければならない。近時行政の企畫化綜合化が特に强く叫ばれ、官民の接觸、相互協力、國民の總力集結が一段と要請さるるに及んで、官公吏の一擧一動が敏感に民眾に反映するのみならず、一面其措置が當を得ざる場合は國政を謬ることとなり、延ては國家の進軍を阻害する動因ともなるのである。從つて官公吏に負荷されたる責任たるや、實に重且つ大なるものがあり。斯く觀ずるとき官公吏たるものは、內適正なる着意と構想を練り、事務能率の向上を期すると共に、嚴正なる規律と秩序に服し、外民眾に對し國政の真意を把握せしめ、官民相携へて國運の飛躍的一大轉回に寄與し、奉公の誠を致さなければならない。 二 故に同「吏道訓」は綱領と實踐要項の二部分に分け、前者は官公吏の據るべき皇國吏道の大本を明かにし、後者は官公吏たるものの常時執務の指針を明細に規定してある。殊に實踐要項に於ては執務の基準として立法精神の活用と運用の適正を期し、形式偏重、遲疑逡巡を却け、執務の能率化、行政措置の適確迅速を期してゐる而して積極的責任感を以て、至公至平の態度で行政事務を行ひ、從來の役德根性を戒めてゐる。各部の階調として割據主義を排し、相扶けて企畫の綜合化と政令の一途を圖り、各部上下左右の聯絡融和を强調し、着意と構想については大東亞建設の大局に着意して國家百年の安泰と全體の福祉の為、或は公平なる負擔と均霑普遍の效果を狙つて創意と工夫を加ふべきことを指示してゐる。而して民眾指導の要諦として昔の依らしむべし知らしむべからずは舊時代の遺物なりと斷じ、須らく事態の真相を周知せしめて自發的協力を誘導し、或は率先垂範、懇切周到、指導の完璧を訓してゐる。その他、自己の修養鍊磨、規律と秩序、幹部の心構等について說いて盡さざる所なく、之を行つて勿論誤る筈がないのである。 三 右の如く何れも非常の環境に於ける非常の心構と決意を制した名「吏道訓」であつて正に官公吏たるものの常に服膺すべき金科玉條とも稱し得べきものである官界の新體制も曩に行はれた行政機構の劃期的改革と右の吏道訓に盛られた基準と指針の實踐に依つて始めて確立せられるのである。從つて之を只一州のみの吏道訓としては勿體ない位で、新竹州に依つて率先實踐され、その實を擧げて他州に垂範し、全島官公吏の生きた吏道訓たらしめたいものである。又他の諸州に於ても新竹州制定の吏道訓と僻まずに、更に創意と工夫を加へ、より完全な吏道訓として實踐し、官民一體の實を擧げ、明朗闊達の臺灣一家の建設に邁進すベきである。今や臺灣は最早や南海に於ける米粒大の一孤島ではない。大東亞共榮圈の中心地點にあつて、十億民族環視の裡に置かれてある。吾吾の一擧手一投足は直ちに彼等に微妙な影響を及ぼし、反響を呼ぶものである。故に六百萬島民は官と云はず、民と云はず、從來のケチ臭い官尊民卑の古い思想を清算し、氣宇を大東亞に擴大し、十億民族に範を示す氣概を以て官界新體制のみならず、政治、經濟、文化の各方面に亘つて、機構の再編成と共にその運營精神の革新をも斷行しなければならない。卽ち新しい機構を新しい理念で運營し、名實共に備つた明朗潑刺たる臺灣一家の具體的事實を以て東亞諸民族に垂範し、新秩序の建設指導に資すべきである |
02 | 東久邇宮防衛總司令官殿下 昨日京濱港を御視察 |
03 | 壯烈な遭遇戰展開 砲聲殷殷として山野を壓す 中等校聯合演習開幕 |
04 | 御祝電を奉呈 長谷川總督から |
05 | 南軍が俄然猛進擊 續く兩軍必死の攻防 |
06 | 藤岡兵務部長等熱心に視察 |
07 | 農村建設が第一 日本語は先づ禮儀から 南方協力座談會 比島篇 |
08 | 國策完遂に邁進 松木海務院長官謹話 海務院發表 |
09 | 慰問袋献納式を擧行 全臺市町村長會からの贈物 |
10 | 熱烈な體驗談を發表 若櫻にものを聽く會開かる |
11 | 全國學農聯盟 日の丸餅を献上納 |
12 | 若人に多大な感銘 蘭陽一市二郡の志願兵講演會 |
13 | 明年から三十分延長 全國金融機關の營業時間 |
14 | 圖像:臺北州下中等校聯合演習 |
15 | 野球道具一式等を贈る 白衣勇士慰問に |
16 | 嘉義陸軍病院慰問 林本社專務報社消息 |
17 | 基隆陸軍病院慰問 林本社業務局長報社消息 |
18 | 榮の入選者 「東亞共榮團と高雄港」論文 |
19 | 火野葦平氏を圍む文藝座談會 |
20 | 大戰下に迎へる イタリアのクリスマス |
21 | 臺中州青果同業組合總會 |
22 | 四千圓に上る 高雄市同情週間 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 擔はう男兒の譽れ 適格青年、擧つて志願を決議 臺中の志願兵講演會 |
02 | 征戰完遂祈願祭 けふ開山神社で執行 |
03 | 總督訓示傳達 彰化市職員に |
04 | 中村高等檢察官長臺中巡視 |
05 | 建設的意見を吐露 皇奉高雄州支部參與、委員會 劈頭皇軍感謝電可決 |
06 | 彰化市青年身體檢查日割變更 |
07 | 國語州建設へ驀進 臺中州國語常用研究會を開催 |
08 | 遭難記念碑 きのふ基隆市で除幕式 |
09 | 集集街常會 |
10 | 鶴嘴戰士を守れ 鑛業事故防止研究 發表會、瑞芳に開催 |
11 | 恩賜の年金献納 日露戰の老勇士宮崎氏 |
12 | 彰化市葬 廿八日執行 |
13 | 新莊郡に堆肥の山・山 好成績收めた增產週間 |
14 | 慰問袋を調製 |
15 | 昭南スケッチ マライ人部落 |
16 | 囚人の作業鍊成 花蓮港刑務所の試み |
17 | 新竹州警察部 防空講習會 |
18 | 臺南州下少年團 正月六日に野外演習 |
19 | 桃園郡官舍に果樹栽培 |
20 | 真摯敢鬪の繪卷 曾文郡壯丁團の檢閱相撲 |
21 | 用心せよ火事と盜難 彰化市奉公會市民の注意喚起 |
22 | 赤誠の献金品 |
23 | 臺南州澱粉工業組合總會 |
24 | 豫備訓練を實施 臺南州の志願兵後期生 |
25 | 林園庄蔬菜立毛品評會 廿二日褒賞授與式擧行 |
26 | 地方多より |
27 | 今日の映畫 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 決戰第二年に對處 殖產行政更に重點化 當面諸問題に關し須田殖產局長語る |
02 | 食糧管理局機構改革 內外地一貫政策を推進 |
03 | 貯蓄增強促進に 全國に指導員設置 |
04 | 南支の經濟的據點 (上)香港建設座談會 |
05 | 任意組合を法制化 府商工組合法案を檢討 |
06 | 肥料割當を修正 廿八日に產業部長會議 |
07 | 壓榨開始 |
08 | 奧田局長南下 |
09 | 船荷證券の空輸 內地商議所に協力提案 |
10 | 經濟手帖 |
11 | 照明燈 |
12 | 商況 廿三日 後場 |
13 | ラヂオ |
14 | 水滸傳(856)/黃得時;碇政彌 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 決戰四度目の議會 第八十一議會成立 全議員一丸・戰時體制整ふ |
02 | 貴族院本會議 各部長や理事決定 |
03 | 眾議院成立 |
04 | 眾議院各部の部長と理事 |
05 | 緊張の議事堂 |
06 | 總督訓示傳達室 |
07 | ソ聯の東方移動とその產業の概貌(下) |
08 | 大鳥島警備の苦心 ○○部隊長の報告談 |
09 | 汪院長、近衛公を見舞ふ 感慨深い水入らずの歡談 |
10 | 圖像:大東亞戰爭完遂祈願祭 |
11 | 戰局の前途/匝瑳胤次 |
12 | 樞府定例本會議 |
13 | フランコ將軍 リスボン訪問 カ大統領と會見 |
14 | 獨軍ドン河を渡り 赤軍の陣地を突破 |
15 | 熾烈な攻防戰 |
16 | 赤軍の反擊 悉く失敗 |
17 | 帝國水產統制會社 創立總會開く 初代社長有馬伯 |
18 | けふ結成式擧行 敵國在留同胞對策委員會 |
19 | 北阿の兩軍 決戰準備進む |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 誓つて米英を擊滅 大東亞戰完遂祈願祭 臺灣神社で嚴かに擧行 |
02 | 早曉・果敢な攻防戰 中等校聯合演習終る |
03 | 步武堂堂の分列式 |
04 | 長谷川總督臨場 新發足に備へる桔俱總會 廿七日公會堂で開く |
05 | 嚴かな令旨傳達式 けふ日婦臺灣本部で擧行 |
06 | 新竹神社の祈願祭 |
07 | 蘇澳郡支會の記念移動展 多大な成果收む |
08 | 恤兵献金に一千圓 |
09 | 謝禮金を献金 武官府に旭國民校かる |
10 | 臺北市在住一千元以上献金者を表彰 廿八日軍司令部で擧行 |
11 | 兵隊さんの勞苦偲ぶ献金 軍司令部で拾ふ美談二つ |
12 | 二百圓を献金 市學務課で貰つた謝禮金 |
13 | 基隆市議月例會 |
14 | 學徒の雄叫び 學生時局講演けふ開催 |
15 | 香奠返へした献金 |
16 | 在留本島青年活躍 議會出席のため上京の途次 寄臺した木下顧問談 |
17 | 齋藤長官上京 豫算折衝のため |
18 | 心配は無用だ 荷役苦力の米配給 |
19 | 警察部と南北兩署の武道納 |
20 | 定例區會長會議 |
21 | 菊川課長等炭燒人夫を激勵 |
22 | 拔本的合理化案有力化 在編成下の蠶糸絹業の對策 |
23 | 圖像:中等學校聯合演習第二日 |
24 | 臺灣食品工業會社工場竣工 廿八日に落成式 |
25 | 司法保護事業施行規則 廿五日に公布・一日に施行決定 |
26 | トルコの地震 死傷四千に上る |
27 | 七星山七峰廻り |
28 | 新興フランスの橫顏 |
29 | 興南詩苑漢詩 戲爲詠物四首 萬年筆/文訪、有聲電影/文訪、魔法瓶/文訪、冷房/文訪、臨風/夢周、恭弔王振生翁/鮑樑臣、恭弔王振生翁/蔡清容 |
30 | 海外短信 |
31 | 人事消息報社消息 |
32 | 煙幕 |
33 | 今夜の放送 |
34 | 商況 廿四日 前場 |
35 | 興南案內報社消息 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 悽絕!ルンガ沖血戰全貌 敢然敵戰艦に肉薄強襲 我が水雷戰隊の真髓發揮頭條新聞 【東京發同盟】軍艦◯◯にて淡野海軍報道班員、鏡のやうに冴へかへる○○の灣內にそれは靜かに浮んでゐた一隻、二隻、眼前にそれと見る艦體は南海の波と潮風に洗はれ晒されてすつかり色褪せてゐる歷戰幾月眇たるそれの何處にあの世界驚倒の底力が隱されてゐるだろうかあの砲塔、あの發射管無限の力を祕めて靜かに憩ふこの驅逐艦こそ「ルンガ沖夜戰」の勇者第◯水雷戰隊なのだ、ルンガ沖夜戰それは開戰一周年を控えて帝國海軍が國民に贈つた最大の贈物であると同時に世界海戰史に一大光芒を放つた大戰果であつた、○○月三十日我が大水雷戰隊はルンガ沖において待機せる戰艦、巡洋艦、驅逐艦より成る壓倒的な米艦隊の真唯中に跳込んで戰艦一擊沈、巡洋艦一擊沈、驅逐艦二擊沈、二大破の大戰果を舉げた、由來水雷戰隊が戰艦を擊沈した先蹤は僅かに日清戰爭の威海衞攻擊あるのみであり然も今の海戰が敵の待機せる手許に飛込んで水雷戰隊の真髓を完全に發揮したことを思へばその勝利は如何に讃へても足らないのである、常識的には考へられぬようなこの大戰果、それは歷史的な第一次ソロモン海戰に比して決して劣らぬもので更に連敗の恥を注ぐべく出擊し來つた米海軍及び米國民に與へた衝動に至つては想像に餘りあらう、海戰の經過が如何に悽烈極まりないものであつたかは旗艦に坐乘した○○司令官が第◯艦隊旗艦を訪れるや「いや、悽かつた」と言はれたことによつても窺はれる、この血戰ルンガ沖夜戰において特に我等の感謝と感激措く能はぬものは驅逐艦○○の奮戰である、○○は單身先驅し逸早く敵艦隊を發見敵艦隊の集中砲火の中に孤軍奮鬪敵驅逐艦四隻に大火炎を起さしめ(內二隻沈沒)敵艦隊擊滅の中樞をなし自らは遂に南海の華と散つたのだ、その悽愴なる奮戰は前古に比なく我等は水漬く屍と散つた將兵に無限の感謝を捧げるとともに大東亞戰爭最後の日まで石に嚙りついても頑張らねばならない、曠古の大戰果を記錄した第◯○水雷戰隊も引續き奮戰を續けてゐる、こゝには一周年はない、この言語に絕する奮鬪に應へるに銃後は果して完璧であらうか、以下、沈沒後鱶と敵機の掃射下に○浬の海上を突破した○○艦の○○長から聞いたルンガ沖の血戰の全貌である |
02 | 官吏定員の緊縮方針 きのふ閣議で再確認 |
03 | 白衣の陸海勇士を慰問 汪院長代理褚部長 |
04 | 印度市民續續避難 カルカツタの空襲英當局狼狽 |
05 | 六法律案決る 昨日の繰上閣議で |
06 | 芳澤大使 ド總督と懇談 |
07 | 眾議院全議員 明治神宮、靖國神社に參拜 |
08 | 汪院長招待晚餐會 外相、大東亞相主權 |
09 | 明年度の滿國豫算 |
10 | 內閣辭令 |
11 | 文部辭令 |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 カルカツタ初空襲社說 一 皇軍將兵の奮戰勇武によつて戰果赫赫たる皇紀二千六百二年が將に其の歷史的な幕を閉じようとする廿日夜半、我陸の荒鷲は遙かカルカツタ、チツタゴン等印度東北部要地を初急襲し英國が亞細亞に殘存する唯一の寶庫印度のなかでも虎の子とも恃むこの兩軍事兵站基地に爆彈の雨を降らせ多大の損害を與へて全機悠悠歸還せりとの朗報に接し米英擊滅の決意新たなる一億國民は思はず快哉を叫んだものである、思へば皇軍のビルマ占領を一段階として俄然英印關係は急を吿げ去る八月七日孟買で開かれた國民會議派全印委員會に於て英國勢力の全面的撤退の決議が可決されたのに端を發し、四億印度民族の愛國熱情と惡辣陰險なる英國の抑壓とは遂に正面衝突となり今や印度人は獨立の大斾の下果敢なる反英抗軍を組織的に計畫的にしかも大規模に展開したのである、これには流石の老獪なる英國も一時は狼狽したが然し搾取の甘い夢が忘れられず、之が現狀維持に汲汲として民眾の斷壓に努むる一方、失墜せる昔の權威と力を取戾すため緬甸奪還を呼號頻りにビルマ、泰などにゲリラ的空襲を反覆してきたのである、これに對し我が方は無辜なる印度民眾への殺傷を恐れて久しく隱忍してきたのであるが重なる英國の暴虐非道に對し遂に正義に基く報復の鐵槌を降したのである、然りとは言へ我が方は攻擊に際しては爆擊目標を何處までも軍事施設に限定し作戰上凡ゆる不便を忍んで親愛なるインド民眾に災禍の及ばざるを祈念したことは◯基地南方軍報道部部長談の通りであるがこれと共に將來印度における皇軍の作戰を考慮しインド民眾諸君が一切の軍事施設所在地より遠ざかるべきことを慫慂したことなどは今回の初空襲の意義であると言ふべくインド民眾もインドの獨立運動に期待をかける我が方の斯る勸吿に對し感謝すると共に印度獨立のため進んで協力すべきであらう。 |
02 | 社說 戰ふ第八十一議會召集さる社說 大東亞戰爭完遂に對する一億必勝不退轉の決意を一點に集中する第八十一回帝國議會は全世界の注目裡に昨廿四日召集された、赫赫たる大戰果を基調として二年目をも戰ひ拔く今回の通常議會の意義と使命とに鑑み政府と翼政會では決戰議會の面目を發揮躍如たらしめるため準備萬端整つてこれに臨み二十四日は貴眾兩院とも夫夫部屬の抽籤を議長に一任、理事互選の結果を相互に且つ政府に通吿して茲に聖戰議會が成立し、明二十六日は開院式、翌廿七日には貴眾兩院とも本會議を開き所定の議事に入り陸海軍兩相の戰況報吿あつてのち皇軍に對する感謝敬弔決議を行ひ以て年內の議事を終了、格別の事情なき限り五月二十日まで休會、二十一日より再び年頭を飾る決戰議會が始まるが劈頭東條首相、谷外務、賀屋大藏兩相の一般施政演說並び外交、財政演說を皮切りに愈愈決戰調を漲らして本格的議案審議に移る、今通常議會は去る五月の總選擧後召集された臨時議會の後を受けて實に大東亞戰下二度目の議會であり從つて聖戰二年目の決戰段階に對應すべき翼賛議會として之に對する一億國民の期待はまさに大きいものがある翼政會阿部總裁は對議會基本方針として「今議會の審議は擧げて征戰完遂の一點に集中するが然し單なる無方針の政府追從でもなく又一時的の妥協であつてはならぬ高き國家的見地に立つて匡すべきは匡し補ふべきは補つて透徹せる時局認識の下に公議公論の府たる任務を果さねばならぬ」と强調してゐる如く、貴眾兩院共に一億一心、鐵石の決意を議會に反映せしめ聖戰完遂のため國內是戰場の國民的創意と熱情を議案審議に傾注し、政府また議員の建設的なる意見を施策に取り入れ以て戰ひ拔く一億議會の真價を內外に誇示すべきである。 |
03 | 國民道に再起挺身 司法保護事業法と委員令 一月一日から實施 |
04 | 圖像:第一線將兵奉仕の結晶 |
05 | 新竹臺中兩神社 國幣小社御列格奉告祭期日 御治定遊ばさる |
06 | 武道始會を擧行 |
07 | 遺家族慰安映畫會 |
08 | 修身公民書に採用 真珠灣強襲の九軍神 |
09 | 國民動員實施計畫 關係部局設定方針を協議 |
10 | 若き世代の雄叫び 臺大學生時局講演會 |
11 | 亡き恩師に感謝 汪院長、宮崎家を訪問 |
12 | 在鄉勤報員再訓練 明春早早點呼實施 |
13 | “平和そのものだ” 內田基隆水上署長南支視察談 |
14 | 生徒の登校振り 決戰下の議員登院風景 |
15 | 目標額早期達成 臺北市役所國民貯蓄組合 十四ケ月分を貯蓄 |
16 | “國民皆兵劇”上演 |
17 | 宜蘭郡志願兵 講演會日程 |
18 | お禮金を献金 龍山校のヨイコドモ達 |
19 | 臺中陸軍病院を慰問 林本社專務報社消息 |
20 | 臺灣醫藥配給組合記念献金 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 戰勝祈願祭 各地で嚴肅に擧行 |
02 | 臺中神社御列格奉告祭 愈よ來る二十九日に執行 州民を擧げて奉祝 |
03 | 志願兵の就職 新竹市が親心で世話 |
04 | 三峽街の堆肥增產 |
05 | 臺灣從軍記念會花蓮郡支會 |
06 | 貴重な體驗發表 歸鄉志願兵各地で熱辯 |
07 | 市街庄事務打合會 |
08 | 健鬪する遺家族 來年度の仕事協議 |
09 | 都市計畫臺南地區委員會 |
10 | 牛の增殖改良に 優良種牛を借受けて |
11 | 退屈の泰孃達に 心盡しの振袖人形を贈る |
12 | 內助の功を擧げよ 警察家族常會で柴山部長訓示 |
13 | 養鷄品評會 花蓮港畜產會主催で |
14 | 圖像:北ボルネオ・クチン附近のダイヤ族 |
15 | 彰化市議 補缺任命 |
16 | 臺中農業卒業式 |
17 | 彰化市鄉軍 模擬動員 |
18 | 臺南市奉壯團懇談會 |
19 | 名論、珍案百出! 皇奉高雄支部參與委員會で 坂口支部長州民の心構を說く |
20 | 屏東市の移動展 參觀者延人員一萬餘に上る |
21 | 市郡對抗教員野球 |
22 | 赤誠の献金品 |
23 | 新竹州警察部異動 |
24 | 盜むも盜んだリ 自轉車二十七臺 |
25 | 稀代の詐欺漢 潮州警察課檢擧 |
26 | 犯人を電擊檢擧 |
27 | 泗滄氏母堂逝去 |
28 | 地方多より報社消息 |
29 | 今日の映畫 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 島內現物市場開設 兩三日中當局へ申請 |
02 | 米榖多收穫を審查 來春匆匆發表せん |
03 | 耕地防風林整備へ 廿六日嘉義で打合會 |
04 | 基隆水產講習所 廿六日に卒業式 |
05 | 南支の經濟的據點 (下)香港建設座談會 |
06 | 肥料割當修正 打合會を開催 |
07 | 海輸の能率向上に 港灣荷役を五割增強 |
08 | 年始に淡水線增發 |
09 | 島內銀行も追隨 來月より卅分延長 |
10 | 山林會の強化 臨時總會で可決 |
11 | 新營郡物資配給懇談會 |
12 | 豆粕確保助成金 三百七十萬圓を支出 |
13 | 週間經濟の展望 |
14 | 臺灣食品工業工場 廿八日に落成式 |
15 | 隣保館の食費增額 |
16 | 新坑開發助成金 近く調查の上交付 |
17 | 船員の慰安に 各船會社とも積極畫 |
18 | 照明燈 |
19 | 經濟手帳 |
20 | 商況 廿四日 後場 |
21 | ラヂオ |
22 | 水滸傳(857)/黃得時;碇政彌 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 盟邦日本と同甘共苦 大東亞戰完遂に協力 汪主席、訪日の所感を放送頭條新聞 【東京發同盟】訪日中の國府行政院々長汪精衞氏は二十五日午後七時半から約二十五分間に亘り宿舍大東亞迎賓館より周外交部次長の通譯で「親愛なる日本國民に吿ぐ」と題して今回訪日の所感を放送した 昨年六月皇室より種々有難き御待遇を賜はり又政府要路の方々と誠意を披瀝して懇談する機會を與へられ國民の皆樣よりも懇篤なる友情と熱烈なる期待を寄せられたことは私の終生忘れ得ないところである、その後一年半を經過して再び去る二十二日には 天皇陛下に拜謁致しましたが 天皇陛下より玉音高らかに日華親善及び大東亞建設に關し種々御下問を賜りましたる上世界における最も榮譽ある勳章を贈與せられ衷心感激の至りに堪へない次第である、政府要路の方々におかれても國務多端の際にも拘らず時局に關する重要問題につき種々討論せられ前途に對する無限の光明を與へられたのである、昨年十二月八日友邦日本が大東亞戰爭を開始したと言ふ通報に接した時國民政府は直ちに友邦日本と同甘共苦することを一致決議した、これは卽ち中國が完全に本來の面目を回復して友邦日本と同心協力東亞を復興せんがためであるその後親善の度は日一日と加はるばかりで中國の國父孫文先生の大亞細亞主義は必らずや完全に實現せられ日本の提唱する道義に基く東亞新秩序建設は必らず完全に成功するものと確信してゐる中國は 友邦日本と同甘共苦すべしとの聲明を發表して以來如何にすればこの聲明を實際に實行し得るかについて日夜苦心したここにおいて新國民運動を發起したのであるが新國民運動と言ふのは全中國民をして精神總動員をなさしめて大東亞戰爭に協力せしめんとするものであり又全中國民をして中國の解放は大東亞戰爭に勝つことによつて達成せられ國力と民力を增强して大東亞戰爭に協力しこの戰爭を勝利に導くことの必要なる所以を知らしめるにあるのである、私は斯樣な意義に基いて全國將校をして再訓練を受けしめるために南京に將校訓練團を設置してこれを四期に分ち全國將校は如何に職務が多忙であつても總べて入團せしめ各種必要の軍事課程を講習せしめることとしたが精神訓練は私自ら擔當して居る、現在既に第三期を完了し、只第四期が殘つてゐるのみで斯樣にして全國將校は誰一人として再訓練を受けないものはないことになるのであるこの外各學校の學生生徒及び學校以外の青少年特に勤勞青少年にも同樣再訓練を受けさせ暑中休暇中と雖も熱心に授業を受ける外實地作業をもなさしめ刻苦勞働に堪へ得る習慣を要請致してゐるその成績いかんは別として少くとも國民政府治下の民眾が 大東亞戰爭に協力する意義をよく理解して來たことだけは確かである、各人は皆大東亞主義を信奉するものたらんと欲し友邦日本軍將士及び友邦國民の道づれとなり相共に力を大東亞戰爭に傾倒せんと願望致してゐる然しながら最も遺憾なのは重慶側の態度であつて彼等は今尚覺醒するところなく大東亞戰爭勃發に當つても甘んじて東亞の反逆者となつて米英の陣營に參加し剩へ米英その他と單獨不媾和條約を結び米英と力を合せて日本の大東亞戰爭遂行の戰力を牽制して居るばかりでなく國民政府の大東亞戰爭に協力せんとする決意に對し仇敵視し治安の確立、經濟の交流などの種々の計畫を常に破壞し阻害してゐるのである、私共はこれ等東亞の反逆者に對し真に心を痛めてゐる國民政府としては只東亞の同志的決心と立場を闡明し民眾全體をしてその心の一にして步武を整へしめもつて米英の東亞離間策を打破し同時に東亞反逆者の崩潰を促進せんとするのであると確信してゐる、過去一年の間日本軍將士は忠勇よく東亞保衞の最前線において偉大なる勳功を建て東亞のため無限の光榮を發揮せられた 日本國民は戰爭中においても沈着勇敢に各々その本分を盡し最善の努力を拂はれてゐることは私も敬服措く能はざるところであるが今回日本を訪問し民眾の訓練が愈々促進せられ生產擴充、物資の統制節約が愈々强化せられて連戰連勝の際においても尚斯くの如く勇猛刻苦奮勵の精神が愈々旺盛になりつゝある狀態を親しく見聞致して寔に敬服の外なく無限の感銘を受けたのである明年こそは日本が大東亞戰爭以來次から次へと獲得して來た偉大なる戰果を確保する年であると同時にこの勝利を完遂に導く年であると考へる中國は今日まで疲弊の餘り日本の大東亞戰爭遂行に貢献するところ至つて少なかつたのであるが精神の動員と軍事、經濟の整備とは皆大東亞戰爭に協力すると言ふこの一點に集中されてゐたのである、卽ち精神上においては最近においては進んで 兩國人士の思想交流に努力し東亞民族を團結して東亞の同志たらしめ共同して力を東亞共榮の大事業に致すべく努力してゐる、軍事上の方針としては健全なる軍隊を養成し後方勤務を擔當し友邦日本の將士の後顧の憂ひを輕減しようとすることであつてこれによつて幾分なりとも前線の勞苦を分たんとするのにある、經濟上の方針としては大東亞戰爭の經費を分擔し且つ國民を訓練して刻苦奮勵の精神をもつて生產擴充統制、分配、消費節約に從事せしめ東亞の一分子としての責任を果さんと期してゐるこれを要するに國民政府一同及びその指導下にある民眾は既に一致團結して友邦日本と同心協力、安危を共にし生死を共にせんと決心してゐるのであり東亞民族を同志的團結に至らしめるならば必ずや大東亞戰爭の最後の勝利を獲得し大東亞共榮圈の建設を達成し得るものと深く深く確信してゐるのである |
02 | 圖像:東條首相、汪院長訪問 |
03 | 汪院長一行を招待 陸、海兩相の主催 |
04 | 貴院豫算委員長 |
05 | 具體的問題につき 友好裡に折衝進捗 芳澤、ドクー第二次會談 |
06 | 蘇北地區、治安確立 食糧補給基地として新面目を發揮 |
07 | 留學生を激勵 |
08 | 大鳥島鐵壁の防禦 敵反擊企圖忽ち崩る |
09 | 蔣系匪團に大鐵槌 わが精銳、微山湖西岸に進出 |
10 | 支那派遣軍週間戰況 |
11 | ダルラン暗殺さる 一青年に狙擊されて |
12 | 敵機四機を繫墜 小癪・大鳥島に來襲 |
13 | 滿洲國の決戰體制 施策の具體的な概要 |
14 | 米朝野呆然自失 |
15 | ルーズヴエルト暗然 |
16 | 米英の措置如何 注目・今後の情勢發展 |
17 | 北阿混亂 人心動搖甚し |
18 | ダカール港に米軍上陸か |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大正天皇祭の御儀 宮中皇靈殿で執行はせらる |
02 | 婦道翼贊に邁進 令旨を拜受して樋口日婦副本部談 |
03 | 圖像:早曉の基地を蹴つて將に壯途に就かんとする陸の荒鷲 |
04 | 多彩な奉納催決る 新竹神社御列格奉告祭 |
05 | 新生香港を壽ぐ 昨日攻略一周年記念日 |
06 | 齋藤長官着京 |
07 | 會長正式任命 道府縣醫師會並齒科醫師會 |
08 | 大東亞要員練成要綱 廿四日初委員會で決定 |
09 | 從來の機構を利用 比島人に仕事を與へよ 南方協力座談會 比島篇 |
10 | 記念式典を擧行 島都の“方面感謝日” |
11 | 寂しい降誕 ワシントンの自肅風景 |
12 | 豚の積極的大增殖へ 新竹市の五箇年計畫案成る |
13 | 商議所の組織替へ 臺灣は經濟的分野によるのが必要 木村商議所婦會頭歸臺談 |
14 | “國民皆兵劇”の公演盛況 |
15 | 臺南陸軍病院を慰問 林本社專務報社消息 |
16 | 遺家族慰問映畫大會盛況 |
17 | 青果物販賣の事務引繼終る |
18 | 人事消息 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 來れ若人・時ぞ今 熱辯に滿堂の青年感激 屏東志願兵講演會 |
02 | 印度人部隊に對する 英軍の慘虐ぶり 印度人捕虜の座談會 |
03 | 高雄臨時市會 二十八日に開催 |
04 | 臺南市廳舍 增築工事落成 |
05 | 戰ふ農村の姿 戰捷の新春を飾る寫真展 四日から高雄で開催 |
06 | 方面感謝日 高雄の方委活躍 |
07 | 彰化の交禮會 |
08 | 苗育成を強化 高雄州指導陣を張る |
09 | 昭南スケッチ 昭南の喫茶店 |
10 | 各地の戰勝祈願祭 |
11 | 後龍庄にも指導所 新竹州の和牛增殖 |
12 | 後壁の同情金 |
13 | 強行夜行軍 決戰下花蓮港女の意氣 |
14 | 故兩軍屬玉里郡葬 きのふしめやかに執行 |
15 | 故鍾貴火軍屬三叉庄葬 |
16 | 貯蓄運動に善化奉壯團起つ |
17 | 屏東農業卒業 |
18 | 細民に同情金 |
19 | 職域音樂團 全島に魁け高雄で結成 |
20 | 部落振興研究會 仁德庄で開かる |
21 | 宣傳委員會 けふ臺中で開く |
22 | 闇一掃へ |
23 | 彰化市民強步大會 新春の二日開催 |
24 | 紙芝居挺身隊を結成 皇奉左鎮庄分會で |
25 | 知母義大埤の水源擴張完竣 |
26 | 產組總會日割 |
27 | 空襲時の窓 硝子の處置 彰化市ビラ配布 |
28 | 地方多より |
29 | 今日の映畫 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 学芸 科學する心と子供達/石上玄一郎 |
02 | 圖像:マニラを望む(天覽に輝く聖戰繪卷)/寺內萬治郎 |
03 | 婦人說苑 今年の婦人界/村上秀子 |
04 | 街頭恤兵金募集(一) 純情の感激を綴る 北三高女の感想文 |
05 | マンダマン便リ |
06 | 北回歸線 都會女性と農家 まづ本質を摑め |
07 | 甘藷/西山かがよ |
08 | 議論から實行へ 宮本武之輔氏逝いて一年/笹原巽 |
09 | ラヂオ |
序號 | 標題 |
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01 | 畏し天皇陛下親臨 開院式嚴肅に擧行 優渥なる勅語を賜はる |
02 | 異例の御詔示を拜す 開院式終了後首相重大訓示 |
03 | 友邦國民固有の精神 大飛躍の日本の姿 訪日の感激、林柏生の手記 |
04 | ドゴール近く 華府を訪問 |
05 | 樞軸軍猛攻擊に出づ(北河戰線) |
06 | 勅語奉答文 眾院□起草委員 |
07 | ノースイーストの大西洋橫斷空路 |
08 | 圖像:第八十一帝國議會召集 |
09 | 反樞軸陣營の打擊 ダルラン非業の死 |
10 | 壯烈な肉彈戰展開 ドン河中流地區で |
11 | 憤慨佛人の仕業 ダルラン暗殺の犯人 |
12 | アラギール爭奪戰 |
13 | 裏切分子減る 佛當局筋の意向 |
14 | 精銳部隊を編成 國府軍の建設に努力 |
15 | 東印度物情騷然 わが荒鷲の爆擊で |
16 | 獨伊緊密な物資交流 |
17 | 傀儡政權主席 ジロー有力 |
18 | ル大統領の驚愕を揶揄 ドイツ外務當局 |
19 | 後繼者につき協議 |
20 | 馬術練成會修了 |
21 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 指導者の陣頭指揮 戰時必勝生活の實踐推進に 奉壯團指令を發す |
02 | 御下賜金傳達式 けふ市正廳で擧行 |
03 | 畏し樂山園に御下賜金 けふ知事公室で傳達式擧行 |
04 | 皇軍攻略戰跡廻り 香港潰滅早くも一年 |
05 | 軍援に千圓寄附 |
06 | 夫も滿足してゐるでせう 脇原兵長夫人談 |
07 | 圖像:「右流間」に召される皇太子殿下 |
08 | 病死であるの が何より殘念 呂軍屬母堂談 |
09 | 府外事部機構改革 第一課を調查課に 第二課を管理課に改正 |
10 | 木材增產對策 翼政會の進言 |
11 | 決戰型官廳の陣容 戰爭遂行上最少限度の要員 |
12 | 感激を心に銘じ 資源開發に邁進 歸臺の顏臺陽鑛業社長談 |
13 | 產組功勞者表彰狀傳達式 |
14 | 續く建艦費献納群 武官府廿六日の受付 |
15 | 陸海軍に献金 續く赤誠部隊 |
16 | 故乃木將軍 母堂墓前祭 |
17 | 十七日に開催 臺北州青年大會 |
18 | 建艦資材に回收金屬献納 武官府で拾つた佳話二つ |
19 | 農業傳習所 十周年記念式 |
20 | 慰問演劇の夕 兩日間士林國民校で開催 |
21 | 州下中等實業校卒業式日割 |
22 | 基隆市物故者慰靈祭 |
23 | “年末年始御注意のこと” 港都でビラ散布 |
24 | 六十キロを踏破 新竹中の強步大會 |
25 | 高砂區青年團の研究發表會 |
26 | 興南詩苑漢詩 中秋夜緝熙齋主人招宴賦似/晴園 黃純青、次黃景南君龍峒閒居瑤韻/無逸 張希舜、恭輓王振生翁/李秀瀛、恭輓王振生翁/許君山、恭輓王振生翁/許君山 |
27 | 迎春用御神酒 各戶に一本宛配給 |
28 | 分析鑑定室落成式 |
29 | 林姓追遠堂代議員會 |
30 | 國民學校長異動 |
31 | 人事消息 |
32 | 今夜の放送 |
33 | 商況 廿六日 前場 |
34 | 興南案內報社消息 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 滿堂唯恐懼感激頭條新聞 【東京發同盟】征戰第二春を數日の後に控へた二十六日畏くも 天皇陛下には貴族院に行幸あらせられ同院議場に於いて擧行された第八十一回通常議會の開院式に親臨あらせられた議場を埋める一億の選良及び二階傍聽席に特に拜觀を許された樞軸各國大公使及武官等が肅然と居並ぶ裡 陛下には正十一時正面玉座に着御東條首相恭々しく奉る勅語書を御手に玉音朗々と優渥なる開院の勅語を賜つた勅語の有難さ 聖慮の畏さ滿堂唯恐懼感泣し奉るのみである議場の誰もが深く深く頭を垂れ 聖恩の無邊なるに感激し征戰完遂を誓ひ奉つた 陛下には諸員最敬禮裡に入御御機嬚麗はしく宮城に還幸あらせられた |
02 | 眾議院奉答文 |
03 | 聖旨に答へ奉らん 貴眾兩院議長謹話 |
04 | 眾議院本會議 |
05 | 皇軍に感謝決議 けふ兩院一齊に本會議 |
06 | 眾議院豫算委員長 金光庸夫氏に內定 |
07 | 傭船料改正公定 一月一日より施行 |
08 | 鐵鋼統制會長 豐田氏に決定 |
09 | 敵機廿三機を擊墜破 輸送船一、油槽群等を炎上 東部印度爆擊我陸鷲の大戰果 |
10 | 全彈見ごとに的中 電燈輝くカルッタ市 |
11 | 南方軍發表 |
12 | 圖像:日、泰攻守同盟一週年記念に際し我大使館園遊會に臨んだピブン首相 |
13 | 時局の重大性強調 官吏の心構を說く |
14 | 東條首相訓話內容 |
15 | 軍事目標より遠ざけよ 我軍司令官、印度民眾に勸告 |
16 | 空中戰更に激化せん |
17 | 在印英米軍發表 |
18 | 英印軍の發表 |
19 | 海軍司政長官發令 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 本島物價政策の目標社說 一 本島物價政策が最近著しく進展を見るに至つたので督府では物價調整事務の簡素化を圖る見地から此程州廳委任の物價權限を擴大することになつた。卽ち從來の委任範圍が極めて一部のみに限定されてゐたものを更にその範圍を擴大し、地方廳としての調整事務を體系化するに至つたので、地方業者の受ける利便は極めて甚大であると期待されてゐる。由來價格の公定は高度の普遍的妥當性を有し、物資の圓滑なるを期する必要上、出來る限り中央集權的に行はれるのを基本方針としてゐるが、事務的立場からして、又質的に地方的性質をもつ物品については、島內物價事情にさしたる影響を及ぼさない限り、地方廳で公定するのが最も實情に則してゐるといふ見地に基いて、昨年四月より一部物品の公定を地方廳へ委任することになつた。その結果中央、地方共價格公定が著しく進捗してゐることは周知の如くであるが、今般の委任擴大は今後の價格公定に更に拍車をかけることいふ迄もない。 二 ところで、過去本島に於ける價格公定が、種種困難なる條件の介在にも拘はらず、低物價政策堅持の建前上拙速主義により强行されて來た結果、物價指數がさしたる騰勢を示さなかつたことは、一應物價政策の效果によるものといはねばならない。しかし拙速主義によつて强行されて來た丈に色色矛盾もあり、或はその後の情勢變化によつて改訂さるべきものも少くないのみならず、更に未公定のものも相當あるので物價調整事務は今後更に一層强化される外はない茲で何時も問題になるのは所謂綜合物價對策の樹立である。いふ迄もなく綜合物價對策は、現在最も問題とされてゐる低物價と生產增强との矛盾を克服する唯一の對策であつて、既に政府としての方策が決定されこの方向に沿ふて着着具體化されつつある。しかしこれを本島について見るに過去その餘裕がなかつたことにもよらうが殆んど考慮が拂はれてゐなかつたやうである。 三 しかし過去に於いては公定價格はむしろ低位に決定されてゐた關係上綜合對策にはさしたる考慮を拂はずとも別段問題はなかつたのであるが其後の情勢變化によつて値上げの意味に於ける價格改訂が要望されてゐる現在では事態は著しく變つて來てゐる、いふ迄もなく綜合對策は一口に言へば生產合理化による原價切下、配給合理化による配給費の低下並に消費規正による闇取引の防止等を目ざすものである、從つて現行價格が低きに失する場合でも生產、配給を更に合理化すれば改訂の必要を見なくなり價格間の不均衡もかくして解消されることになる。しかし綜合對策と言つても極めて廣範圍に亘り言ふべくして行ひ難いもので現在の如く物價調整事務が府商政課の專管となつてゐるのでは更に覺束かないのである、慾を言へばもつと綜合的な機關に委ねることが望ましいが現在の機構の下では結局府內關係課を以て連絡打合機關をつくり政府の方針を着着具體化するより外はなからう |
02 | 漁船“壽丸”に感謝狀 故前田大將の搭乘機を發見 見事引揚作業に成功 |
03 | 單艦巨鯨を屠る ○○潛水艦奮戰記 |
04 | 御內帑金御下賜 優良私設社會事業廿三團體に |
05 | 圖像:汪院長、帝大病院に入院中の近衛公訪問 |
06 | 帶狀造林を斷行 新竹州、豫算を計上 |
07 | 英の侵略に終止符 偲ぶ香港最後の日 |
08 | 圖像:日本語の勉強に勉むマライ人 |
09 | 星空を焦す劫火 英國の最後を屠つて一年 木村四郎七氏談 |
10 | 年末年始休暇廢止 皇奉、各支部に通牒 |
11 | 獻艦運動を展開 藝術各界を總動員 |
12 | 學位授與 |
13 | 舊正月を廢止 翼贊會が一般に要望 |
14 | 黑い太陽を繞る日米戰 千載一遇・來春二月五日早朝 |
15 | 新一錢切手 一日から發賣 |
16 | 從軍三通譯の住所知らせよ |
17 | 藤田憲兵隊司令部副官着任 |
18 | 從軍記念會蘇澳郡支會結成 |
19 | 島都奉壯最終幹部會 |
20 | 歲末の島都に強盜 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臨時警官で鍛へる きのふから署、各派出所で勤務 嘉義市の歸鄉志願兵 |
02 | 嘉義陸軍病院娛樂室 一市六郡民の赤誠で起工 |
03 | 忌明献金 |
04 | 適格青年感奮,各地の志願兵講演會 |
05 | 彰化神社の年末年始行事 |
06 | 保甲婦女團に講演 臺南市六日より |
07 | ジヤカルタの興亞祭 |
08 | 圖像:商店飲食店の松飾りに代へて愛國百人一首の額を短冊 |
09 | 男が志願兵なら 妾達は“軍國の母” 高雄市東園女青檄を飛ばす |
10 | 北門郡警察射擊會 |
11 | 土に親しむ教育 臺南州、各家政女に農事學課 |
12 | 屏東市參事會 廿六日に開催 |
13 | 市郡視學會議 |
14 | 青年團經營研究會 |
15 | 赤誠の献金品 |
16 | 武勳輝やく陳通辯長 現地部隊長から表彰 |
17 | 田中、杉山兩軍屬の公葬 |
18 | 比島臺灣同胞の父 挺身活躍する張海騰氏 |
19 | 田中、杉山兩軍屬の公葬 |
20 | 多過ぎる宴會!臺南市奉壯團の座談會 |
21 | 霧峰庄民慰安演藝會 |
22 | 臺中工業卒業 |
23 | 壯丁のお手柄 殺人犯を逮捕 |
24 | 新莊郡の馬耕競技會 |
25 | 屏東市奉壯團 結成一周年 |
26 | 鳳山郡警察課召集 |
27 | 米英擊滅標語 募集を打合せ |
28 | 地方多より |
29 | 今日の映画 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 立體的增產に邁進 農事試驗場長會議開催 |
02 | 精白度を引下げ 明春からお米が黑くなる |
03 | 臺銀券又も膨脹 二億八千七百七十萬圓へ |
04 | 砂糖の生產と其の副產物 |
05 | 後任社長の銓衡 茶統制會社陳情 |
06 | ビルマ糖業の再建 鹽糖三工場とも經營せん |
07 | 公定價格の調整 當局要改訂品目を調查 |
08 | 名間庄消費米配給組合總會 |
09 | 臨時資金調整法 改正の眼目 |
10 | 地方勞務行政機構 整備擴充漸く實現か |
11 | 株式、債券の利廻 十一月いづれも上向く |
12 | 南部消費の木炭 新竹州より極力供出 |
13 | 民有林の木材 組合により配給 |
14 | 乾麵の規格を統一 委託製麵實施要綱決定 |
15 | 照明燈 |
16 | 商況 廿六日 後場 |
17 | ラヂオ |
18 | 水滸傳(858)/黃得時;碇政彌 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇軍への感謝決議案 貴眾兩院本會議で可決頭條新聞 【東京發同盟】二十七日の貴族院本會議は午前十時十四分開會、松平議長廿六日開院式に賜りたる勅語に對する奉答文案を朗讀全會一致これを可決、議事日程に入つて全院委員長の選舉に入り、德川圀順公當選、次で各部に於て常任委員を選舉するため十時四十八分一旦休憩、十一時二十八分再開、松平議長より宮中に參內し勅語奉答文捧呈を致したる所 天皇陛下には貴族院に對し重ねて優渥なる勅語を賜はつた旨報告全員起立裡に松平議長勅語を奉讀、次いで常任委員選舉の結果を報告、陸海兩相の戰況報告に移り東條陸相登壇、畏くる 大元帥陛下には去る十二日聖駕を伊勢路に進ませ給ひ神宮に御親拜、曠古の大戰果を御奉告、皇祖神靈の御加護を御祈念あらせられた、陸軍大臣としては直ちにこの趣きを全軍將兵に傳へ將兵一同は誓つて宸襟を安んじ奉るの固き決意に燃えてゐると冒頭別項の如く南方、大陸、北方の戰況並に占領地軍政の進捗狀態を報告、特にガダルカナル島攻略戰の現狀を說明し異常の感銘を與へ次いで嶋田海相登壇、大東亞戰爭開戰一年にして既に帝國海軍は戰爭遂行上絕對有利なる地步を確立したる點を指摘しインド洋方面、濠洲方面太平洋方面に亘る戰況概要を別項の如く報告、終つて同零時四十分日程を追加し各派共同提案の皇軍に對する感謝並に敬弔決議案を上程德川家正公(火曜)各派を代表し て提案の趣旨を說明して決議文案を朗讀、總員起立裡に全會一致これを可決、これに對し東條兼攝陸相、嶋田海相より夫々謝辭を述ベ直ちに陸海軍全將兵にその由を傳達すると共に英靈に對し奉告する旨を述べ同五十七分散會 |
02 | 重ねて優渥なる勅語 兩院勅語奉答書を捧呈 |
03 | 貴院勅語奉答文 |
04 | 敵を隨所に擊破!嶋田海相の戰況報告 |
05 | 獨潛艦敵船七隻を擊沈 |
06 | 戰局本格的段階へ 東條陸相の戰況報告 |
07 | 靖國神社に陸海兩相參拜 敬弔文を捧呈 |
08 | 貴院豫算委員長 |
09 | 汪主席南京に歸還 |
10 | 敵船十二隻を擊沈破 我が陸鷲、揚子江上で活躍 |
11 | 眾院本會議 |
12 | 眾議院豫算委員 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 前線に聲の彈丸 諄諄、無益の抗戰を說く 宣撫隊員の活躍 |
02 | 圖像:臺北桔梗俱樂部總會 |
03 | 日本婦道を宣揚し 征戰完遂の決意新た 臺北桔梗俱樂部總會 |
04 | 安南現地人放談會 |
05 | 敵艦を一瞬に擊沈 我が潛水艦米沿岸に活躍 |
06 | 乃木將軍母堂墓前祭 |
07 | 山本事務總長講演 |
08 | 宜蘭中に五萬圓寄附決議 |
09 | 東部印度を猛爆 ビルマ民眾遛飲を下ぐ |
10 | 基隆郡下保正會議 |
11 | 臺北開南工業卒業式 |
12 | 羅東會館に感謝狀 |
13 | 花蓮港金屬回收好成績 |
14 | 玉咲づづら藤の大量栽培 |
15 | 宜蘭市の農事講話會開催 |
16 | 公金三萬餘圓を使込む |
17 | 新竹州壯丁團音樂講習會 |
18 | 宜蘭郡警察課射擊大會 |
19 | 人事消息 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新高都市開發會社 創立愈よ本極り 上京奔走中の森田知事歸廳 |
02 | 貯蓄陣愈よ整備 嘉義市地域貯蓄組合續續結成 |
03 | 屏東郡街庄長會議 三十日に開催 |
04 | 必勝生活の年末は? “贈られて迷惑千萬”と 某課長の自肅的述懷 |
05 | 冗費節減滿點! 婚葬基準光る員林郡 |
06 | 集集街方委月例會 |
07 | 高度國防國家建設に邁進 從軍記念會屏東市支會結成式 |
08 | 「職域音樂團」誕生 |
09 | 新莊の方面感謝日 |
10 | 束修を恤兵献金 |
11 | 賞與の一部を献金 坡新庄役場職員の赤誠 |
12 | 奧田米榖局長 嘉義視察 |
13 | 昭和十八年度嘉義市 |
14 | 彰化市奉公青年隊員募集 |
15 | 炭燒きを手傳つて 佳冬農業專修生徒活躍 |
16 | 私設志願兵相談所 蕎麥屋さんの息子郭贊三君 今度も亦引續開設の豫定 |
17 | 北埔庄國語演習會 |
18 | 新化郡華僑公會結成式 |
19 | 押寄す鯔の荒波 高雄市中洲は大漁續き |
20 | 臺北州下に於ける主なる坑木類 |
21 | 中商卒業式 |
22 | 人事報社消息 |
23 | 地方多より報社消息 |
24 | 今日の映画 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 学芸 新世界觀の體認 日本文壇本年度の回顧/森本忠 |
02 | 戰ふ海、ソロモン群島 高原海軍報道班員 |
03 | 圖像:香港ニコルソン附近の激戰/宮本三郎 |
04 | 北回歸線 傳記と傳記作者 不純なものは淘汰 |
05 | 科學教育の價值/佐多直康 |
06 | 圖像:南の民にもお正月近づく |
07 | 子供と研究心/霜田靜志 |
08 | 猛獸遂に銃殺 |
09 | あの日の感激/中谷孝雄 |
10 | ラヂオ |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 雲南驛、飛行場を奇襲 敵機の大半を粉碎 |
02 | 對獎輸血路の中繼地 百%の戰果を擧ぐ |
03 | 大東亞戰完遂を目標 國府、機構の整備に乘出さん |
04 | 眾院議會役員會を開く |
05 | 眾院常任委員長と理事 |
06 | 敵機、バンコツクに來襲 完璧の防空陣に倉皇と遁走 |
07 | 歸還四將星參內 |
08 | 科學技術審議會陣容決定 |
09 | 圖像:比島○○基地より |
10 | 來年度の軍政運用方針 比島軍政監部大塚班長談 |
11 | 臺灣神社の月例祭 |
12 | イラン全國に戒嚴令 |
13 | 科學技術審議會陣容決定を設立 |
14 | 大別山方面に進攻 黃梅、羅田等を占領 |
15 | 獨ソ兩軍の死鬪 一向衰へる氣配なし |
16 | 隨所に白兵戰 赤軍の反攻擊碎さる |
17 | 印度に暴動頻發 |
18 | チユニジア戰線 樞軸軍占領地域を擴大 |
19 | 佛叛逆軍に致命的打擊 北阿の戰況 |
20 | 北阿の戰局重大危機 ハル長官指摘 |
21 | 金丸貞三少尉 壯烈な戰死 |
22 | 滿洲重工總會 |
23 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 献金は全國第三位 前線に見せない島民の赤誠 臺灣軍司令部取扱ひ |
02 | 令旨傳達式 州會議室で擧行 |
03 | 歲旦の必勝祈願 新竹州下の新春行事 |
04 | 竹南郡の志願兵講演會 |
05 | 安南現地人放談會 |
06 | 總督府政納式 けふ府正廳で擧行 |
07 | 基隆市の政納式 |
08 | 幹部級が登廳 判任以下は交替に出動 督府の年末年始 |
09 | 圖像:宮中參入のなめ首相官邸別館を出る汪主席 |
10 | 元旦の神社參拜 北署、交通整理に乘出す |
11 | 總督官邸で年末午餐會 |
12 | 結婚費を節約して献金 |
13 | 國民、將兵を激勵 ゲ獨宣傳相降誕祭の辭 |
14 | 圖像:比島に正月近づく |
15 | 罷りならぬもの 藝妓と酌婦の紋服着飾りと 松の內の晝酒 |
16 | 興南詩苑漢詩 祝林節母唐太孺人七秩榮壽/爾瞻 杜仰山 |
17 | 臺南州下卓球大會開催 |
18 | 人事消息 |
19 | 今夜の放送 |
20 | 商況 廿八日 前場 |
21 | 興南案內報社消息 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵十四機を擊墜! ニユージヨージア島上空で廿數機を邀擊頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(廿八日十七時)帝國海軍戰闘機隊は十二月廿三日ガダルカナル島方面より飛來せる敵二十數機をニユージヨージア島ムンダ上空に邀撃その十四機(內不確實六機)を撃墜せり戰果內容左の如し グラマン戰闘機六機(內不確實二機)カーチス艦上爆撃機七機(內不確實四機)P三八八、一機本航空戰に於ける我が方の損害は自爆又は未歸還二機 |
02 | 敵なほも執拗な反擊 全力を盡せ、我航空戰力擴充 |
03 | 重慶擊滅を強力推進 外人記者團と會見河邊總參謀長談 |
04 | 圖像:院內に於けふ閣僚の記念撮影 |
05 | ニ島とムンダ |
06 | 第一、三井の兩銀行と 三菱、第百兩銀行合併 |
07 | 國際週間展望 |
08 | 路鷲、再び雲南急襲 敵機十一機を擊墜破 |
09 | 痛烈な爆擊全彈命中 雲南驛、飛行場爆擊奮戰談 |
10 | 在支大公使を招致 大東亞省主腦と相互意見交換 |
11 | 食糧必勝態勢確立 強力な精神運動展開 |
12 | 二日間の痛擊で 敵機廿二を爆破 |
13 | 首相の訓話 全國地方廳職員に徹底せしむ |
14 | 黑河對岸のソ聯都市大火 |
15 | 教職員待遇改善實現に邁進 教育振興議員聯盟 |
16 | 鐵工業一齊に原價計算實施 |
17 | 社告/興南新聞社報社消息 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 臺灣證券取引所設立の必要社說 一 大藏省では今回株式市場新體制確立のため愈愈日本有價證券取引所法案を今議會に提出する事となつた。現在の取引所組織は自由主義時代の機構を其の儘踏襲し、取引員の大部分は稍もすれば委託者と相向つて相場を張り所謂吞行為及び小口落に依つて委託者の利益を無視し且つ往往客殺し相場を實現して過度の投機化を助長しつつあるので之を放任すれば經濟界に謂れなき波瀾を捲起す許りでなく且つ公債消化、貯蓄奬勵にも惡影響を及ぼす虞れがあると識者より指摘せられてゐる次第である。然るに戰時中と雖も民間資本を生產擴充資金として動員する必要が依然認められてゐるから、健全な取引及び投資に對して之を制限すべき理由なく、從つて意外な暴騰暴落を防止するが如き所謂公的性質を有する機關に再編成せられる事となつたのである。殊に本年九月を以て各取引所の營業期限が滿期になつたので大藏省としては此の好機を逸せずして永年の懸案を一擧して決行せられた事は確かに一大英斷であると言へよう。 二 かくの如く今回の改革は從來の株式市場政策に確かに一紀元を劃したものであるが、今其の改正要綱を摘記すれば次の通りである。 一、新機關は官民共同出資の法人組織であり、民間出資は現行取引所の資產を評價して出資するが、一般國策會社の如く出資者の議決權を認めざる事 一、從來の理事者は稍もすれば取引員に左右せられる傾きあるので新機關の役員は政府より任命し從つて取引員に對して强く指導する事が出來る事 一、新機關は單に有價證券の賣買市場丈でなく有價證券の發行賣買、保有を行ひ得る事 一、有價證券市場は日本有價證券取引所のみに服定され現行十一取引所は發展的に解消され、東京、大阪等樞要な地域に取引市場を開設するが清算市場は可成制限せられ實物市場は比較的に寬大に認可される模樣である事 一、取引員は從來法人及個人であるが一定以上の資本金を有する法人にのみ取引員として認める事 一、新取引所は法人組織であるが其の配當は數量及制限が加へられ且つ當所株の上場を認めざる事 上記の要綱に依つて知られる如く新取引所は現在の自由取引機關より著しく公的機關的性格を有し中にも取引所は株價調節のため買出動及び賣出動が法的に認められ之に依つて株式の投機化を矯正せんとするが如きは戰時經濟政策運行上極めて適切な對策でありといはねばならない。 三 本島に於ては豫てより證券市場設置の必要が認められ當局に於ても數次中央關係官廳と折衝を重ねたが、未だ承認されるところとならなかつたのは內外情勢の繫迫化に壓されて不念な事業と時期尚早の理由の下に一時停頓の止むなきに至つたのである。然るに今回大藏省の要綱を見れば大體督府が提出せられた原案と大同小異にして將來本島に於て生產擴充の資金を動員せんとする見地からして新機構の取引所を獨自に設置する必要が再認識せられ既に臺灣商工會議所より其の促進に乘出す事となつた。臺灣有價證券組合も有價證券市場設立の前提として近く現物市場の設置を申請する運びとなつたが當局の意向を斟酌すれば多分に許可される可能性がある。殊に新機構の證券市場は地方に於ては現物取引が中心に行はれる方針であると推察され得る事は明かであり臺灣證券取引所も其の線に沿ふて再出發すべきであると共に之を內地の新機構に卽應して一日も早く實現すべき事望まざるを得ない。 |
02 | 年末年始に於ける 臺灣軍鐵桶の備へ 全將兵防衛任務に待機 |
03 | 心強い自發的行動 美談佳話に窺はれる島民の赤心 軍當局に聽く最近の献金群の姿 |
04 | 國語常用に拍車 “見附け次第注意”を勵行 |
05 | 島都奉壯團幹部を激勵 總督が茶話會に招待 |
06 | 督府東京出張所の聯絡會議 每週水曜に開催 |
07 | 婦道翼贊に邁進 新竹州日婦支會長會議の申合 |
08 | 健實にして新鮮 總督府人事異動評 |
09 | 政府、休暇返納を申合せ |
10 | 南方での臺灣活用 中央で大いに納得 森部內務局長歸臺談 |
11 | 島都の決戰歲末風景 門松に示す總督さんの示範 |
12 | 府人事異動 人事課長に根井氏 |
13 | 良書の重點生產 單行本は五割雜誌は四割減 儲け本位を追放 |
14 | 宜蘭郡深耕犁 競技會好成績 |
15 | 率先垂範が第一 根井新人事課長語る |
16 | 荷が勝過ぎる 齋藤臺北州警察部長語る |
17 | 羅東商業奉公團結成式 |
18 | 宜蘭市奉公壯年團總會 |
19 | 空襲時興行中止の入場料處置決定 |
20 | 道路補修竣工 中壢郡で褒賞授與式擧行 |
21 | 鳳林梗俱會員の競步會 |
22 | 警察部人事異動 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 自作農の創設獎勵 土地の買入資金を年賦償還で 秀水信組が特別融資 |
02 | 鳳山郡青年團查閱 |
03 | 大溪街大麻頒布式 |
04 | 青年の熱誠に應へ 出願の世話に完璧陣 |
05 | 臺中州政納式 |
06 | 武勳を永へに讚へん 臺南市忠靈塔昨日嚴かな起工式 |
07 | 郡民道場を建設 桃園郡街庄長打合會で協議 |
08 | 國松氏が當選 臺中州議補缺選 |
09 | 總督訓示を傳達 |
10 | 真摯な意見披瀝 新化郡の奉公委員會 |
11 | 高雄市營バス值上 認可あり次第來年二月より實施 |
12 | 街頭恤兵金募集(二) 純情の感激を綴る 北三高女の感想文 |
13 | 西螺神社御造營資材 榊原虎尾郡守近く上北折衝 |
14 | 白衣勇士慰問 基隆世界館で |
15 | 新化郡紙芝居 挺身隊結成式 |
16 | 陳金盛君の蘆竹庄青年團葬 |
17 | 煙草空函回收 金額を献金 |
18 | 圖像:雪中に赤軍を猛攻するドイツ軍最前線部隊 |
19 | 新莊郡の體鍊會 お役人の意氣いよいよ軒昂 |
20 | 大溪米穀共精共販組合 |
21 | 中師附屬校 兒童を募集 |
22 | 赤誠の献金品 |
23 | 臺中市新富町穎川醫院主 |
24 | 高巡查に懲役 一年半言渡 |
25 | 第六感で殺人犯逮捕 |
26 | 人事報社消息 |
27 | 地方多より |
28 | 今日の映画 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 巨大財閥の動向 血族的封領性の拂拭 |
02 | 肥料は米作に重點 產業部長會議で決定 |
03 | 纖維製品配給統制會社 業務帶行人決定 |
04 | 麻袋有限會社 昨日食糧局で設立 |
05 | 島產新興代用品 二百餘點を展覽 |
06 | 比島の炭坑經營 基隆炭鑛に委任決定 |
07 | 精米會社近く創立 白米納入組合を改組 |
08 | 既製被服工業組合 役員商政課で指名 |
09 | 市聯合商奉團 理事會を開催 |
10 | 水產業團體統合 府水產課で協議 |
11 | 鼻緒工業組合 役員八名決定 |
12 | 海南島の畜產業 臺拓其他で共同經營 |
13 | 取引所株の上場 二月一バイ迄に決定 |
14 | 臺灣經濟視察團 來月上旬に來臺 |
15 | 基隆炭鑛配當八分 |
16 | 日商出張所 支店に昇格 |
17 | 壓榨開始 |
18 | 商況 廿八日 |
19 | ラヂオ |
20 | 水滸傳(859)/黃得時;碇政彌 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 來年こそ大決戰の秋 億兆一心、國力增強へ頭條新聞 【東京發同盟】大東亞戰爭遂行第一年昭和十七年もいよく押詰つて緒戰以來常に銃後を湧き立たせた快速なる電擊作戰は八月のソロモン海戰の勃發以來漸く本格的四つ相撲の戰期に入りソロモン海戰における數度の日米海軍の血戰裡にガダルカナル島上陸陸軍部隊はこの瞬間にも米國軍と對戰有利な地步と基地航空部隊の掩護を恃む敵に對し補給、給養、衛生等本有の惡條件下儼にガダルカナルの攻略を繼續中である、緒戰の慘敗に漸く立直つた敵米英はその尨大なる物資力と第三國利用の慣行手段を盡し虎視眈々われの反擊を狙ひ東本洋の最前線大鳥島に對する空襲をはじめ北方においてはアリユーシヤンの奪回を策し西方に於てはビルマの侵入を圖り更に重慶を支援することによつて大陸を基地とするわが本土空襲を計畫中であり大戰の劈頭瞬時に寸斷されたABCD包圍陣を再編成し斷乎として再度の本格的攻擊を開始せんとしてゐる、この長期消耗戰を完勝するためには是が非でも戰力の飛躍的增強を圖らねばならない、この一年一億國民は深く反省して國力の增強に衷心挺身したか否か、われくはこの年を送り決戰第二年に入るに先立ち猛省三顧しなければならぬ、正に戰ひはこれからである、昭和十八年こそは全戰局の勝敗の決する年である、畏多くも 天皇陛下におかせられては第八十一帝國議會の開院式に當り優渥なる勅語を賜はり特に億兆一心ますく國力を增強し敵國の非望を破碎すべき旨を御詔示あらせられた、赤子齊しく恐懼感激するところである、この感激を以て國力の增強に挺身し緒戰の戰果をその儘第二年において第二の敵包圍陣を粉碎し皇國を泰山の安きに置くことこそ十七年を送り十八年を迎へんとする一億赤子の御奉公であらねばならない、來年こそ日本民族の興隆に係る一大決戰の秋である、赤魂に刻んでこの年を送らう |
02 | わが陸鷲惠州急襲 |
03 | 法律案五件を決定 |
04 | 定例閣議 |
05 | 議案審查會の部長と幹事 |
06 | 翼政會常任總務會を開催 |
07 | 納稅施設法案要綱 昨日閣議に附議決定 |
08 | 厚生行政の施策 委員、視察に基く所見を具申 |
09 | 元旦の定例閣議 卅一日に繰上げ |
10 | 稅務署屬官を增員 |
11 | 圖像:陸、海兩相主催の汪院長招待午餐會 |
12 | 巨大な米の浮船渠 デーヴイー號更生 |
13 | 勸銀等貸付利子 大幅引下げ |
14 | カルカツタ爆擊(廿八日) ベ州東部二要衝も空襲 |
15 | 敵側極度の狼狽 |
16 | 重慶、雲南鐵路 建設に着手 |
17 | 赤軍戰車損失一萬 東部戰線一ケ年間ドイツ軍の戰果 |
18 | ソマリランドを狙ふ米英 |
19 | 英軍とド・ゴール軍 ソマリーランドへ |
20 | 英鐵道組合 罷業決行か |
21 | 陸海兩相演說を 伊紙大大的報道 我陸鷲の印度爆擊を重視 |
22 | 西國海軍に動員下令か |
23 | 西地中海方面で大海戰か |
24 | 三井船舶會社新設 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 重大時局の對處に 軍官民協力一體へ 皇奉本部運營委員會開かる |
02 | 陣頭指揮の好成果 各工場より續續報告書集る |
03 | 御下賜金傳達式 有難き皇恩に罹災民感激 |
04 | 祭粢料等の傳達式 きのふ陸軍兵事部で擧行 |
05 | 島民鍊成に多大な成果 皇奉訓練部本年度の事業概要 |
06 | 大學高專聯合演習 一月下旬兩日間新莊平野に展開 |
07 | 新竹州日婦の一月常會申合事項 |
08 | 暴風被害義捐金 昨日配付方を協議決定報社消息 |
09 | 皇奉本部本年最終部長會議 |
10 | 望安支廳廳舍 落成式を擧行 |
11 | 宜蘭信組に感謝狀並表彰式 產組協會州支會より |
12 | ヨイ子供部隊の献金一束 |
13 | 增產運動に挺身 西港庄奉壯團の敢鬪 |
14 | 島都の決戰歲末風景 增えた貯金者で郵便局大賑ひ |
15 | 松山區民赤誠の金屬類献納 |
16 | 真心を罩めた慰問文等 武官府に家政女から献納 |
17 | 本島人大眾の講座 健民問題奉公運動の趣旨宣傳に 週三回臺灣語で放送 |
18 | 菱谷盛岡市翼壯團長が講演 島都公會堂で |
19 | 大晦日に一部 路線終夜運轉 |
20 | 果物野菜にも割當制 周章てた米市民大掛な買溜 |
21 | 高砂族自助會長會議 けふ新竹信組で |
22 | 全島壯年支部對抗庭球大會 三日嘉義市で |
23 | 坑夫を優遇 張氏經營の炭鑛 |
24 | 臺灣食品工業の士林工場 晴の落成式擧行 |
25 | 魏炳炎陸軍技師が醫博に |
26 | 人事消息報社消息 |
27 | 訃文:李賴氏紅棗 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 米穀增產に貢獻 芒子芒貯水池愈よ竣成 |
02 | 高雄神社年末年始行事 |
03 | 令旨傳達式 高雄日婦支部 |
04 | 圖像:比島陸軍○○基地にて炎天下愛機をいたわる整備員 |
05 | 武勳輝やく英靈 彰化市民哀悼裡に市葬執行 |
06 | 赤誠の献金品 者に褒賞傳達 |
07 | 總督訓示傳達 |
08 | 豪勢な決戰献立 高雄州一月中の民需肉豚配給量 |
09 | 奧田食糧局長 彰化市を視察 |
10 | 嘉義市常會 繰上げ開催 |
11 | 嘉義市奉壯團改組 |
12 | 志願兵講演會 |
13 | 馬公陸海軍出入 業者防諜團結成 |
14 | 臺中州青年校 野外演習 |
15 | 保正部落會長鍊成 嘉義郡新春匆匆に實施 |
16 | 彰化市署の御用納め |
17 | 臺南競馬場障碍コース竣功 |
18 | 大寮庄長發令 |
19 | 沙鹿街會計役更迭 |
20 | 忠靈塔廣場で植樹奉仕 |
21 | 屏東□署武道納□ |
22 | 臺東木造船會社創立 |
23 | 愛國百人一首 高雄女で教へる |
24 | 屏東農業卒業式 |
25 | 高雄州畜產會では秋競馬 |
26 | 臺南市新會議室竣成 |
27 | 熊谷書記を起訴 |
28 | 南進商會李阿福氏夫人逝去 |
29 | 地方多より報社消息 |
30 | 今日の映画 |
31 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 決戰一年の回顧 必勝經濟體制確立 |
02 | 基隆港灣荷役 前月より增強 |
03 | 農林水產團體法案 系統組織の整備を企圖 |
04 | 經濟戰力增強運動展開 全國に臨時物價相談所を設置 |
05 | 農林業團體統合 調查研究漸次進む |
06 | 物價統制協力會議 三特別委員會を設置 |
07 | 島內株仲值表 |
08 | 水滸傳(860)/黃得時;碇政彌 |
09 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 軍事外交の態勢確立 大東亞協同防衛成る頭條新聞 【東京發同盟】大戰勃發前の所謂ABCD包圍陣は開戰劈頭の我が電撃一閃忽ちにして寸斷され殊に大東亞に於けるオランダの潰滅の結果敵は今日ABCに依る第二包圍陣の再編成に躍氣となつてゐるが內線作戰の利を占める我はこの第二包圍陣の各個撃破を進めると共にこの一年間政戰の兩略を盡してその內部構成の強化に努めた、即ち開戰の當日昨年十二月八日日佛印軍事協定を締結すると共にその二十一日には日泰攻守同盟の調印を了し西南亞細亞の後方基地を確立すると同時に滿華兩國の協力態勢を確保し更にソ聯に對しては日ソ中立條約を遵守せしめ大陸後方を泰山の安きに置き主力を傾注して海洋面に對する果敢なる作戰を遂行し所期の目的を貫徹したが以來一箇年本年十二月二十日國民政府主席汪精衛氏の來訪となり中國の大戰協力慮勢は更に一段と前進した、然して更に佛本國の獨伊樞軸接近の事態を大東亞に於ても具現せしむべく佛に對し重印要交涉を進めつゝあつたが芳澤大使は所期の成果を收めて二十九日報告のため歸國し茲に大東亞團結に一新紀元を畫すべき萬端の準備は確立した、斯くて我國を中核とする大東亞聯盟協同體制全く成りこの血盟團の結を以て斷乎として敵の第二包圍線を突破することが明年にかけられた大東亞民族の共同使命とはなつた、飜へつて獨伊の現狀を見れば昨年十二月十一日日獨伊三國協定を調印し最後の勝利の日まで米英を敵として戰ひ拔くべき盟約を交はし共同の戰線を展開して居り獨伊は更に米英の北阿不法侵入に依り佛國との間に新協力態勢を確立し佛國を加へての歐洲共同運命體を擴大して東亞に呼應し樞軸側の軍事外交の大攻勢の進備は斯くして出來上り今嵐を含んづ決戰の昭和十八年を迎へやうとしてゐる、樞軸第一線の連絡もまさに近きにあるべく一億國民は希望多く只管國力の增強に邁進し樞軸共同の敵米英を最後に打倒する日のために緊褌一番この十八年を迎へ戰ひの日に突入しなければならぬ |
02 | 東部印度軍事據點を爆擊 大型船舶二隻に直擊彈 |
03 | 英軍の慘虐な遣口 バーモ長官、樞軸記者團に語る |
04 | 地方の開發は順調 ○○軍政監ビサヤ地區視察談 |
05 | 我電擊の妙に驚く 樞軸記者團の視察印象 |
06 | 重光大使歸任 |
07 | カルカツタから 印度人大擧退避 |
08 | 圖像:日夜奮鬪の空の□ |
09 | 交涉の見透はつく 芳澤大使の歸朝談 |
10 | チユニジア戰線 樞軸側に有利進展 |
11 | 大別山方面の覆滅戰 |
12 | 殘餘の法律案を附議 けふ定例閣議を開く |
13 | 敵船十五隻を擊沈 獨潛水艦、大西洋で猛活躍 |
14 | 迅速な建設工作 樞軸記者團、シヤワの美しさに感歎 |
15 | 米國內に和平論議さる |
16 | 獨軍東部戰線の戰果 |
17 | ソ聯の發表 獨側一笑に附す |
18 | 佛領ソマリーランド侵入 英外務省の發表 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 昭和十七年を送るに當りて社說 一 多難な昭和十七年はまさに暮れようとしてゐる。昭和十七年は文字通り大東亞戰爭の緒戰に終始した。宿敵米英を擊滅し大東亞共榮圈を建設せんとする帝國の乾坤一擲の大決戰が其の緖についた意義深き一年とも云へよう、それはしかし、世界戰史に空前の輝かしき大戰果を收めたる緖戰の第一年ではあつた。開戰一年足らずして大東亞海全地域を占領し、太本洋或は遠く印度洋に至る全海域を制壓したる赫赫たる大戰果は、洵に全世界を驚倒せしめるに足るものがあつた。これはひとへに御稜威の然らしむる所であり、第二に前線將士の決死的奮鬪であり第三に總力戰體制の確立に基くものであることは申すまでもない。殊に我が皇軍將兵の真摯敢鬪に對しては、就中赫赫たる戰果の蔭に陣沒した幾多の護國の英靈に對しては、只只感謝感激の念を新たにするばかりである。 二 然しながら、開戰一周年を迎へて戰爭は漸く緖戰の域を終り、今や愈よ本格的段階に突入しようとしてゐる。このことは最近發表せられた南太本洋海戰や屢次のソロモン海戰の經過に徵しても明らかなる如く、米英は尨大なその物質的生產を恃んで、絕えず反擊的蠢動の機會を狙ひつつあり、而して現に米英擊滅の本格的海戰は尚連日繼續されてゐる事實を看過してはならない。今や敵米英は、或はしきりに生產力の大を誇示し所謂統計の魔術、豫算の天文學的數字によつて日本國民を恫喝せんと試み、或は日本國民の戰爭決意を無闇と稱揚して自國民の敵愾心を煽ると共に日本國民の精神的弛緩を計り、或は隣邦支那國民を使嗾して所謂太本洋第二戰線の形成を煽動し背後より日本を衝かしめんとして凡ゆる謀略を開始してゐる。以て如何に米英が銳意戰力の增勢に努め必死となつて頹勢挽回に躍起となつてゐるかが窺ひ知られよう 三 要するに大東亞戰爭は、今や軍事的にも、政治的にもその戰野を擴大し、愈よその總力戰的樣相を深刻化するに至つた。斯る本格的戰爭段階に入り、我らは只米國の誇示する生產力も或は事實なる場合なきに非らずとして深く之に備へ、敵を弱敵と侮ることなく、しかも夢にこれを怖れることなく此の長期戰を戰ひ拔き、勝ち拔く決意と覺悟を新たにするばかりである。具體的には愈よ益益戰場精神を昂揚し、生產力の擴充卽ち戰力の增强に全力を傾注することであらねばならない。畏くも天皇陛下におかせられては、さきに大東亞戰爭完遂の御祈願のため神宮に御親拜あらせられた。時局重大に鑑み萬民を帥ひさせ給ふ聖慮のほど拜するだに畏き極みである。また先般には畏くも戶田侍從を本島に御差遣遊ばされ、具さに島民總努力の實相を御視察せしめられたことは今尚島民一同の恐懼感激に堪えない處である、昭和十七年をまさに送らんとし大東亞戰爭の本格的段階に入るに當つて、我ら國民は聖慮を安じ奉り皇恩の萬分の一にも報ひ奉るべく愈よ總力を擧げて戰力の增强に努め、銃後生活に戰場精神を貫徹せしめて、以て一路米英擊滅の大東亞戰爭の完遂に邁進せねばならぬ |
02 | 十八年度府豫算 今夜決定のう見込 滯京の中嶋財務局長語る |
03 | 審查規定決定さる 新發足の大日本武德會 |
04 | 令旨傳達式 日婦基隆郡支會で |
05 | 安南現地人放談會(完) 大眾教育の徹底へ 全き協力のため絕對に必要 |
06 | 石田憲兵隊司令官 新春行動日程 |
07 | 後期入所の“若櫻” 十三日から十九日まで豫備訓練實施 |
08 | 英靈の遺族を慰問 |
09 | 各方面から引張凧 巢立府水產講習生 |
10 | 朱厝崙區誕生 |
11 | 鬪ふ島都の歲末風景 暮も正月もない婆さん |
12 | 鍬の戰士を激勵 東條首相・內原訓練所へ |
13 | 南方への熱意反映 各種雜誌の解說記事が激增 |
14 | 南方醫學展覽會 新竹、臺中、彰化で開催 |
15 | 建艦費を献金 亡弟の忌明けに報社消息 |
16 | 陸海軍に一萬圓を献金 田村作太郎氏 |
17 | 人事消息 |
18 | 奉壯講演會盛況 ゆふべ島都公會堂で |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 中壢郡の道路一新 延人員十六萬餘を動員して補修 廿七日褒賞授與式 |
02 | 臺中神社年末年始行事 |
03 | 彰化鄉軍武術大會 |
04 | 令旨傳達式 嘉義郡日婦で |
05 | 桃園郡の新年行事基準 神事は莊重に、人事は簡素に |
06 | 一割四分の增收 豐原郡の共同收穫成績 |
07 | 生活科學展覽會 臺南市正月十日より開催 |
08 | 青年團事務打合 |
09 | 中等選拔野球 六校出場に決定 |
10 | 屏東郡軟式野球 |
11 | 新化郡下製麵業者合同總會 |
12 | 興南カレンダー 本紙月極愛讀者に贈呈報社消息 |
13 | 志願書用紙贈呈 南投信組、志願兵熱に拍車 |
14 | 貧困者は溫い 同情金を交付 |
15 | 新春を飾る臺南秋競馬 障碍コースも成つて 來る三日より開幕 |
16 | 國民劇公演 |
17 | 隘寮部落元旦に國演會を開催 |
18 | 地方多より |
19 | 今日の映画 |
20 | 訃文:李陳氏却 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 五分搗及玄米の最高小賣價格決定 來年一月一日より實施 |
02 | 重點的勞務確保に 府で國民動員計畫を設定 |
03 | 週間經濟の展望 |
04 | 東京火災が東洋火災を合併 |
05 | 巨大銀行の合同 金融機構の整備を促進 |
06 | 臺銀券發行高 三億圓突破困難か |
07 | 船腹效率の引上 淀泊間愈よ短縮 |
08 | ラヂオ |
09 | 廣告 |