興南新聞1942年10月
序號 | 標題 |
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01 | “卿等よ恙無かれ” 獨の基地で帝國潛水艦の 出擊送る歷史的光景 |
02 | 九十五萬噸擊沈(九月) 獨潛艦の活動熾烈化 |
03 | 伏見宮博恭王殿下台臨 橫須賀海軍七校の聯合卒業式 |
04 | 米護送船三隻擊沈 |
05 | 政府、翼贊關係者の發言 |
06 | 圖像:□艦大西洋に活躍する□ |
07 | ス市北部若干地區を占領 中南部の掃蕩終る |
08 | 獨空軍猛爆 |
09 | ソ機九百六十四を□失 九月十五日より廿八日まで |
10 | 六十一のトーチカを奪取 コーカサス戰線 |
11 | 情勢は既に決定的 陣地固着戰から流動戰へ |
12 | 獨軍司令部發表 |
13 | 青壯年國民登錄 十月一日から開始 |
14 | 國府に武器を引渡す |
15 | 二億三千八百萬圓の 運用方針を決定 預金部資金運用委員會議 |
16 | 住宅難の緩和 既存建築物を轉用 灘尾局長言明 |
17 | 勝拔く意氣窺はれる 小笠原北支新民會參事の感想 |
18 | 騷擾狀況 |
19 | マ島ツ港を英軍が占領 |
20 | 米大型爆擊機の生產に大童 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | □に □隊 の手記 |
02 | □擊!! □て斬り捲くる |
03 | □□を裂く猛砲擊 韋駄天進擊に敵呆然自失 |
04 | 新竹市內を視察 總督一行桃園へ向ふ |
05 | 引揚邦人座談會 爆擊で市內無警察 壕を掘つて籠城を覺悟 |
06 | 安藤軍司令官 中南部視察を終へて歸北 |
07 | 偉大なる理蕃史 高砂族挺身報國の日章旗 |
08 | 大祭參列遺族に 待遇乘車證を發行 |
09 | 圖像:新竹巡視の長谷川總督 |
10 | 宜蘭市の金屬回收好成績 |
11 | 林游烏秋氏義捐報社消息 |
12 | 忠靈塔建設費に 全國官吏も寄附金醵出 |
13 | 學生生徒射擊大會 十八日三張犁で開催 |
14 | 新竹州、亞麻の增產に力瘤 |
15 | 防空用貯水槽掃除 デング熱撲滅週間第三日 |
16 | 神社に戰勝祈願 軍援臺北州支部の行事 |
17 | デング熱撲滅實地指導 學徒奉公隊を派遣 |
18 | 軍司令部で 交換手募集 |
19 | 無燈火怪漢 巡查を斬る 五人組搜查中 |
20 | 輝く首相藏相賞 國民貯蓄功勞者に |
21 | 消防組慰靈祭 北投でしめやかに執行 |
22 | 珠包種茶好評 滿洲國から大量渡文 |
23 | 興南詩苑漢詩 八月十四夜得家兄書卽興/覺齋、十五夜翫月/覺齋、十六夜望月/覺齋 |
24 | 木炭生產出□ 推進班を組□ |
25 | 今夜の放送 |
26 | 商況 三十日前場 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國民貯蓄五百億を突破 一億赤誠の累積 銃後の備へは磐石の強固 東條首相放送頭條新聞 【東京發同盟】東條首相は卅日午後六時卅五分AK氏を通じ國民貯蓄增加額五百億圓突 破を記念して左の如き放送を行ひ銃後國民は前線將兵の彈雨下に於ける貯蓄の赤誠に感激し安易なる生活態度を振り捨てゝ一意貯蓄報國の誠を致し貯蓄のを通じ最後の敵米英破碎に努力すべきを強調した 首相放送要旨今や大東亞戰爭遂行の途上に於て忠君愛國の赤誠に燃ゆる國民の協心戮力の成果は外にあつては赫々たる戰果となり內にあつては銃後の痛へを磐石の固きに置き戰時財政濟の隆々たる進展となつてをるのである。國民諸君が支那事變以來滿五箇年に足らざる間に五百億を突破する貯蓄を舉げられた事は實に大戰爭遂行と飛躍的なる生產の擴充とを象徵する一大記念塔であると共に國民諸君が勤險貯蓄を以て奉公の誠を致された赤誠の累積であつて誠に力強き限りである、惟ふにこの大戰爭を戰ひつゝ然も雄大な構想の下に大東亞の建設を押し進めて行く事は、まさに曠古の大事業である、この大事業完遂のためには先づ一億國民の一人々々がその能力を餘す所なく戰力增強の一點に集中して平時に數倍する活動を行ひ大東亞共榮圈內の物資を全面的に活用することが急務である然して大東亞全域に亘つて廣く人力を動員し又圓潰に物資を放出せねばならない而して一方多額の資金が尨大なる購買力となりその儘放置せらるるに於てば物資の蓄積は著しく阻害せられ遂には戰爭遂行の上にも將又國民生活の上にも由々しき混亂を生ずる事となる茲に於て國家が放出致したる莫大な購買力を再び國家に還元致し能ふ限り物資の蓄積を圖りこれを更に生產力の擴充に使用する事が戰爭遂行上絕對に必要となるのである、どうか諸君はこの間の事情をよく認識せられ精銳なる皇軍將兵の庇護の下に各々職域に於て安んじて戰時生產力增強に挺身せらるると共に諸君の有する購買力を自發的に抑制しこれを國家に捧げ以てこのこ上とも國民貯蓄の增強に不斷の努力を傾倒せられ度いのである、曩に報道せられたる第一線皇軍將兵の涙ぐましき貯蓄の勵行は前線に於て身命を君國に捧げながらも如何に思ひを遠く祖國の隆替にはせつゝあるかの一證左である、これ實に全國民の感激措く能はず更に一層の勇猛心を奮起せしめるものである今や國民諸君は前途に必勝の信念を堅持し益々國家總力の充實向上を圖るべく挺身せねばならない茲に一億國民諸君の血と汗の結晶たる戰時國民貯蓄增加額五百億圓突破の成果を祝福すると共に今後愈々盡忠報國の精神を發揮し飽くまでも征戰目的の完遂に向つて邁進するの決意を新たにする次第である(寫真は東條首相) |
02 | 北邊完璧の護り!! 嚴寒鳴神島のこの頃 |
03 | 單なる空言空語 景氣のよい話をする程度が落ち ウイルキー重慶に到着堀部長が指摘 |
04 | 改組後の翼贊會組織 今後の運動方針大要 局部長會議で 後藤總長挨拶 |
05 | 安藤總裁挨拶 |
06 | 翼贊會地方支部 事務局長決定 |
07 | 戰ひ拔き勝ち拔く(嶋填海相放送要旨) |
08 | 圖像:新竹保甲修練所巡視の長谷川總督 |
09 | 主なる質疑應答 地方側と翼贊會本部首腦間に |
10 | 大東亞省の設置 行政簡素化實施 十月中旬とならん |
11 | 青木國務大臣 近く南京へ |
12 | 總常會の成果地方側に周知 翼贊會全國局部長會議開かる |
13 | 大攻勢準備成る 獨のコーカサス作戰進捗 |
14 | 南十字星 |
15 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 七つの海に我軍艦旗飜へる 戰果に應へよ社說 一 多年東亞の平和と秩序を攪亂し來れる米英勢力を一掃する為に、去年十二月八日帝國の米英に對する宣戰の大詔が渙發せられ、帝國は決然と正義の劍をぬくに至つた又盟邦獨伊兩國に於ても直ちに帝國と相呼應し、米國に對して宣戰を布吿、且つ三國間に協同戰爭完遂の為め嚴肅なる協定が締結せられた。かく開戰後數ケ月にして大東亞に於る米英勢力の據點は悉く皇軍の席捲するところとなり、引續き陸に海に空に着着と戰果を擴大しつつある、同時に獨伊軍も又歐洲、北阿及大西洋に於て赫赫たる戰果を擧げ、東西相呼應せる三國の必勝の信念は着着具現立證せられつつある。而も敗色蒼然たる聯合國側に陸にはスターリングラードの陷落に瀕しつつ、然も第二戰線結成の餘力なく、海には艦艇、船舶の擊沈相繼ぎ、極度の焦躁感に追ひ詰められてゐる。かかる折柄我が海の精銳は日獨伊軍事同盟二周年記念日たる廿七日を前にして洋上に於て獨海軍と握手し、極めて緊密なる連絡の下に新なる聯合軍の攻擊を開始したのである。 二 卽ち去る甘五日の大本營發表によつて帝國海軍は世界の二大海軍國たる米英兩國を敵とし太平、インド兩洋に數次の大海戰を敢行、敵の主力を擊滅しつつ尚綽綽たる餘裕を以て兵力の一部を大西洋に轉用、獨作戰區域內に於て新なる攻勢を開始しつつあることを明確ならしむると共に、獨潜水艦も又インド洋に闊步しつつあることを明示し、全地球海面を覆ふ樞軸海軍の緊密なる協同作戰の遂行を大膽率直に世界に表示したのである。これは敵聯合國に取つては既にドイツ潜水艦の猛威に不安甚しき大西洋に、更に百年鍊磨の帝國海軍の精銳が參加したのであるから、その驚倒恐怖さこそと思はれる。さりとは云へ、敵米英兩國も生死の最後の關頭に對し、其數百年來蓄積せる富と力とを傾けて我に戰ひを挑まんとしてゐる。卽ち彼らの經濟力就中その生產力を恃んで强靱にも喰ひ下り、執拗にも反攻せんとする氣構へを示してゐる。蓋し米英のこの氣勢たるや決して輕視すべからざるものがある。 三 茲に於て東條首相は去る廿六日の中央協力會議に於て「戰爭は意志と意志との戰ひである。頑張り合ひの戰ひである。持久力の爭ひである。總力戰たる近代戰爭に於て特に然りである」旨を强調し、一億國民の奮起と鐵石の結束を要望した。これは大東亞戰爭目的完遂上平凡の如くにして、而も最も根本的な絕對要件である。この國內鐵石の結束あつてこそ始めて戰力は倍加せられ、飛躍的なる生產擴充も可能となり、如何なる困難の克服も容易なのである。今や七つの海にわが軍艦旗が飜へり、必ずや日を經ずして敵の恐怖を倍加すべき一大戰果の出現すべきことは銃後國民の信じて疑はない所である。樞軸海軍の密切な協同作戰が既に成り、世界の隅隅に勇戰奮鬪しつつある我が海の精銳の勇姿を仰いで、吾吾銃後國民はどうしてじつとして居られようか。一層結束して戰力の擴充に挺身し、遠く異鄉に活躍さるる皇軍將兵の戰果に應へる所がなければならぬ。 |
02 | 一齊に神宮遙拜 神嘗祭當日、午前十時を期し |
03 | 貯蓄へ必勝の總襷 五百億突破殊勳甲五十五名 首相と藏相から表彰 |
04 | 篤農家に激勵の辭 長谷川總督桃園街を巡視 |
05 | 奉公運動の成果 各方面に遺憾なく現はる 長谷川總督の車中談 |
06 | 鬪ふ滿洲の姿(2) 正に世界の驚異 若き滿洲の躍進振り/一記者 |
07 | 陸軍軍醫學校 丙種學生卒業式 |
08 | 一億熱意を反映 樂滿皇奉參事語る |
09 | 農村へ汗の奉仕 具體案の細目決る |
10 | 宜蘭市木炭配給組合の總會 |
11 | 觀覽者が殺到 展示會、今夜九時迄延刻 |
12 | 簡易保險、郵便年金 本島實施十五周年 |
13 | 封筒の規格制限 愈よけふから實施 |
14 | デング熱撲滅へ 學徒奉公隊が乘出す |
15 | 發達極めて順□ 佐佐波遞信部□ |
16 | 東京新聞誕生 新聞統合一段落 |
17 | 安平築港期成會を組織 |
18 | 人事・消息 |
19 | けふの行事 |
20 | 訃文:陳火 |
21 | 訃文:陳大頭 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 雀一匹も看逃さぬ 看視哨員の精勵ぶり 慰問から歸つた八木保安課長談 |
02 | 方委鍊成會 四日高雄市で開催 |
03 | 皇奉支部役員鍊成會 |
04 | 奉公壯年團臺南州支部 來る十九日に結成式 |
05 | 溪湖街日婦分會結成式 |
06 | 彰化神社祭奉納行事打合 |
07 | 家庭の金屬特別回收 供出品目と一般買收價格 |
08 | 水產の振興に 東港船溜の完成を急ぐ |
09 | 清水溪架橋期成同盟會 けふ結成式 |
10 | 彰化警察署壯丁團相撲 |
11 | 新區長發令 |
12 | 花蓮港市議 商議懇談會 |
13 | 助產報國誓つて 臺南州產婆奉公團誕生 |
14 | 圖像:善坊ノボウフラ退治デング熱ノ卷 |
15 | 紙芝居挺身隊組織 嘉義皇奉會の試み |
16 | 小麥栽培法指導 田村技手迎へて懇談會 |
17 | 奇特な奉仕行為 |
18 | 農民指導行脚へ 坂口知事八日より地方廻り |
19 | ビルマ・シケレ |
20 | 白沙庄常會研究會 |
21 | 竹山─鹿谷間のバス運轉 |
22 | 大東亞資源館に 恒春のサイザル出品 |
23 | 葉炳哲君逝去 |
24 | 北斗郡の金屬回收好成績 |
25 | 油斷罷りならぬ 縞蚊は靜かな水溜りに繁殖 有住衛生課長デング熱撲滅策發表 |
26 | 蘭陽地方暴風雨災害救濟義捐金報社消息 |
27 | 陳火生氏逝去 |
28 | 地方多より報社消息 |
29 | 今日の映畫 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 下半期內地移出炭 改訂物動で多量に決定 島內滯炭一掃されん |
02 | 普通鋼鍛品需給統制 要綱決定、四半期より實施 |
03 | 制定規格の荷造で 試驗輸送を實施中 鐵道部 |
04 | 簡保、年金事業 實施十五年間の回顧 |
05 | 比島產業調查團 企畫部長一行近く渡比 |
06 | 臺南州菓子工業組合創立總會 |
07 | 八回特別報國債券 本日より賣出し |
08 | 臺東砂糖滯貨 關係方面で對策を考究 |
09 | 赤糖生產高割負擔金 一擔十八錢に決定 |
10 | 週間經濟展望 |
11 | 州下林業關係諸團體 臺中州山林會に統合 |
12 | 昨日創立 臺灣鋼材販賣會社 |
13 | 長谷場氏常盤住宅取締役に就任 |
14 | 商況 三十日後場 |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(790)/黃得時;碇政彌 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 華北作戰と建設 國共軍徹底殲滅 敵の政治攻勢を粉碎 安達部隊長談 |
02 | ドイツは勝ち拔く 盟邦日本軍の驚異的戰果 吾吾は世界的大同盟結成 ヒ總統演說 |
03 | 野村大使以下に 午餐の御陪食を賜ふ |
04 | 圖像:王駐日大使特任式 |
05 | ジエツプ上陸 損害甚大 チ英首相發表 |
06 | 對樞軸國交斷絕案 握り潰す方針 アルゼンチン大統領 |
07 | 勞務報國會を設立 勞務者統制方策成る |
08 | 林柏生部長 訪日の途へ |
09 | 米の戰時生產 良と不良の混合 |
10 | ス市北部激戰續く 獨軍約二千門の大砲を繰出す |
11 | 獨軍の發表 |
12 | 圖像:協力會議最終日 |
13 | ツアプセ港 攻擊を開始 |
14 | 猛砲火を集中 |
15 | 獨ソ戰況概觀 |
16 | 定期敍位 |
17 | 嶋田海相軍醫學校慰問 |
18 | ニユージランド 內閣野黨確執 |
19 | 絕大な作戰效果 我が海軍の大西洋進出西國各紙批判 |
20 | 定例次官會議 |
21 | 南方占領地へ 第三種郵便物取扱 |
22 | 貯蓄功勞者懇談會 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 協和會創立十周年 國都で式典を擧行 皇帝陛下勅語を賜る |
02 | 賜はりたる勅語 |
03 | 國策の垂範行動體 梅津關東軍司令官訓示 |
04 | 引揚邦人座談會 無一文になる 勝戰さで皆元氣 |
05 | 長谷川總督 供出銅鐵品展示會へ |
06 | 教育功勞者 三十六氏を表彰 |
07 | 體力章交付 該當者申出よ |
08 | 優良局を表彰 けふ簡保實施十周年記念日 |
09 | 銃後島民の赤誠 九月分の軍司令部、武官府献金品 十萬圓を遙かに突破 |
10 | 慰問演藝大會 猛練習を積んだ藝者女給連 けふ試演會開催 |
11 | 軍援の徹底へ 基隆の強化週間行事 |
12 | 宜蘭市の行事 |
13 | 常設館を統合 文化ニユース映畫館を新設 |
14 | 外地勤務看守 兵務部で募集 |
15 | 法院書記の鍊成 けふから大直で開始 |
16 | 暖房裝置應召 總督府の銅鐵供出 率先して取りはづす |
17 | 汕頭大東亞會館の強化 打合に萩原氏來臺 |
18 | 興南詩苑漢詩 北郊游目聯句、白露後二日詩朋棋侶狂集北投山齋賦此留宿/文訪、次北投林公館主人留宿韻/翕庵、重遊霧峯訪莊幼岳君/臺中 李逸鶴 |
19 | 純白の制服姿凜凜し 廣東警察官巢立つ |
20 | 廈門の警官 留學に來臺 |
21 | 健兒の意氣沖天 新竹青少年團結團式 |
22 | 債券一等當籤番號發表 |
23 | 葬費を節約献金 |
24 | 人事・消息 |
25 | 煙幕 |
26 | 商況 一日前場 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 事變死歿者の行賞頭條新聞 【東京發同盟】畏き邊りでは支那各地で名譽の戰死を遂げ或は戰地內地に於て不幸動沒して護國の人柱となつた軍人軍屬三千四百四名に對し第五十六回支那事變(陸軍第四十一回)死歿者論功行賞の御沙汰あらせらた旨二日賞勳局並びに陸軍省より發表された。今回行賞の恩命に浴した、內地病歿者の中には軍擴部門に敢闘その使命達成に遠進せる各作業廳の工員徵用員等も多數含まれてゐる又今回の行賞者は大半第一次の論功行賞の恩典に浴したもので既に最高勳章を採賜せられ、この度重ねて賜杯賜金の榮を忝つせる者が多い、以上の內で最高勳章授賜者は中綬を賜つた松原謙二郎大佐(東京)で又金鵄勳章叙賜の光榮に浴したものは小坂高義大佐(屬山)以下百三十名である。主なる行賞者は左の通り(佐官以上) 功四 大佐 小坂高義 岡山 賜金 大佐 花谷浩 岡山 中綬 大佐 奧村連茨 德島 賜杯 少佐 小島作五郎 幅岡 小綬 少佐 佐藤盛外吉 富山 賜杯 少佐 小出武雄 長野 同 中佐 花岡好三 和歌山 同 大左 安田一 岡山 瑞三 中佐 內田肇 幅岡 賜杯 少佐 廣瀨綾夫 廣島 同 中佐 清武玄 秋田 同 少佐 沖島定一 北海道 同 中佐 山本亮次朗 新潟 中綬 大左 松原謙二郎 東京 賜杯 中佐 深山定吉 千葉 賜金 大佐 大島佐 東京 賜杯 同 古橋寺三 名古屋 同 同 平井正俊 茨城 同 同 小野正雄 熊本 同 同 加藤捨男 名古屋 賜金 少佐 佐々木兼治 秋田 賜杯 同 湯本喜右門 長野 同 大佐 木村得志 東京 賜金 少佐 萩原貞 鹿兒島 賜杯 少佐 山下幸二 鹿兒島 中綬 大佐 多賀捨吉 北海道 賜金 同 由此義雄 千葉 賜杯 同 石垣良一 和取山 賜金 少佐 船橋滋 鳥取 功四 中佐 富永孝助 福岡 賜杯 少將 增田六男 和歌山 同 大佐 片岡角次 佐賀 同 少佐 船井美 小倉市 同 大佐 山脇茂司部 高知市 同 少佐 狩野惣七郎 東京 同 大佐 青木京 三重 同 同 星榮四郎 空城 同 同 才塚未吉 佐賀 同 小佐 石津傳人 山口 瑞四 中佐 吉富佐次郎 佐賀 賜杯 少佐 古川萬里 宮崎 賜金 同 船津勇 佐賀 同 中佐 谷村昌胤 鹿兒島 賜杯 同 大畠庄市 茨城 |
02 | 經濟戰と思想戰に 一億の身心を結集 谷萩陸軍報道部長力說 |
03 | 敵の牙城阜平に突入 太行山脈の聶軍に鐵槌 |
04 | 急速な整備を進む 商組法施行十周年記念岸商相放送 |
05 | 滿洲國協和會 全國聯合協議會 愈よけふから議事に入る |
06 | 內外地翼贊運動 連絡特別協議會 きのふ翼贊會本部で開かる |
07 | 皇奉運動の概要 樂滿參事詳細に說明 |
08 | ドイツ最高の戰時勳章贈與 杉山參謀總長以下五將星に |
09 | 廈門連絡部長官更迭 |
10 | 印度騷擾益益惡化 躍起の彈壓にも拘らず |
11 | 兒玉秀雄伯 首相を訪問 |
12 | 府細部機構の再編成 長官より各局部長の意見聽取 |
13 | 林柏生氏一行 空路福岡着 |
14 | 地方廳簡素案の實施 十月中旬以降 |
15 | 陸軍辭令 |
16 | 辰巳少將と那須大佐略歷 |
17 | 海軍省の人事異動 |
18 | 南十字星 |
19 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 銃後一體と軍人援護社說 一 宣戰の大詔を拜して茲に十箇月亞細亞復興のために振り翳した我が皇軍精銳正義の劍は緖戰に早くもアメリカを强か叩き英國を薙ぎ倒し蘭印を木葉微塵にしまた重慶を半身不隨に追ひ込んで今や大東亞は大東亞一家の建設に明朗譜を謳歌しつつあるが、この赫赫たる勝鬨の蔭に吾吾は奮戰寧日なき前線將兵の辛酸勞苦を夢寐にも忘れてはならない、苟くも日本男子である以上、固より一身もなく、一家もない、大君のためには爆彈抱いて敵陣に飛び込み護國の華と散つて悔いない勇士ではあるが、然し勇士も人間である限り血河屍山を越え乍らも腦裡を去來するものは家庭のこと銃後の社會のことである、それだけに一億國民としては萬全を期して之等勇士の留守を護り聊たりとも後顧の憂なからしむる責務がある、これが第一線將兵の士氣を彌が上にも鼓舞する所以であつて、軍人家族、遺族ならび傷痍軍人等を援護する所謂軍人援護の必要性もここに存すのである、世界に冠たる無敵軍の背後には、世界に無比完璧の軍人援護がなければならぬ、 二 戰する身に憂は禁物である、木村重成の妻が身をもつて後顧の憂を斷つたことは大和婦道に咲いた有名な史實の一つである、身は鴻毛よりも輕く將兵が必勝の信念に燃えて戰ひ得るのは身後に憂がなくて初めて出來る、勝つも敗けるも銃後の援護に重い使命がかかつてゐることを忘れてはならない、立體戰であり國家總力戰である戰爭が長期化になるにつれて、また援護の務めが度重なるに隨つて、勇士を歡送した時の感激と緊張が麻痺し、遺族への勤勞奉仕も鈍くなり、赫赫たる戰果のお蔭で交戰國としての痛烈悲壯な體驗を嘗めず小銃の音さへ聞かないのを良いことに闇取引、買溜、賣惜みをやつたならば明朗一體であるべき銃後に龜裂を生じることになつて之が前線に與へる影響は甚大なるものがある、米英の如き大國を敵に廻して而かも味ひ得る無事平穩の國民的幸福は總て前線勇士の己を顧みない奮迅死鬪の上に築かれてをることを思ひ、銃後國民は須らく熟慮三省苟しくも譽の家を援護する上に餘す處あつてならず愈愈感謝をもつて軍人援護に萬遺漏なきを期すべきである。 三 元來我が國は家を基調とする一君萬民の血緣國家であり畏くも今上陛下御卽位の勅語には「國を以て家となし民を觀ること子の如し」と仰せられたのである、向ふ三軒兩隣りは齊しく家族でありこの精神に立脚して昔から隣保扶助が行はれてきたのである況んや國家の戰に勇士を出したその家族に對する援護に於てをやである、第一次歐洲大戰に於て獨逸敗戰の原因の一つとして銃後からの悲鳴が數へられてゐる、また日露戰後露軍總司令官クロバトキン將軍も統後がもつと後援をして吳れたならばあんな慘敗を喫しなかつたと述懷してゐる、軍人の援護銃後の强化は大東亞戰下益益重要性を加へられるので今後もつと强力にもつと積極的に行はれねばならぬことは勿論だが、而かもそれは遺族、家族、傷痍軍人等の軍事援護を重點として更に超躍し大東亞共榮圈建設のために、國策遂行のために凡ゆる部門に對して銃後一人一人が國民道に挺身、蹇蹇匪躬の節を盡してこそ銃後一體が期せられるのであつて國策の裏を步いて如何に一家の援護につくしたとて第一線がそれで安心出來ないのである明三日より展開される軍人援護强調週間に當り敢へて全島民の自覺を促す次第である |
02 | 輝く歷史的狀景 帝國潛水艦の獨海軍基地訪問 伯林から感激放送 |
03 | 皇大神宮本殿還御の御儀 嚴肅に執行はせらる |
04 | 勅使を御差遣 靖國神社臨時大祭に |
05 | 鬪ふ滿洲の姿(3) 日本の鐵は引受けた 鑛工業王國、撫順/一記者 |
06 | 朝鮮の徵兵制準備 青年特別鍊成令公布 |
07 | 鎌倉丸香港入港 |
08 | 展示會大賑ひ 長谷川總督も來場 |
09 | けふ座談會開催 |
10 | 宜蘭郡各庄協議會日程 |
11 | 千圓以上の献金者 陸相の感謝狀を傳達 |
12 | 消える“午前午後” 國鐵廿四時間制訓練 |
13 | 國防訓練大會 十、十一兩日臺北市で開催 |
14 | 週四回の猛訓練 軍司令部判任官以下 |
15 | 小林臺大配屬將校が放送 |
16 | 「帝國海軍の威力」 白水參謀講演 |
17 | 記念會員大會 協和會創立十周年 |
18 | 軍馬の慰問 第五部隊へ殺到 |
19 | 南方との郵便物取扱開始 |
20 | 基隆市十月の常會 |
21 | 基隆港灣荷役團體統制 |
22 | 新興國民校體練會 |
23 | 訃文:鄭大明 |
24 | 訃文:雷俊臣 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | お百姓達感奮 巡視の森田知事激勵 |
02 | 十月は母性保護 姙婦、乳幼兒健康相談所開設 |
03 | 屏東郡國演會 |
04 | 北部スマトラを探る(二) ガヨ族の掟は嚴重 血につながる集團生活 |
05 | 草野巡查部長記念碑除幕式 |
06 | 感謝を援護に具現 臺南市の軍援行事 |
07 | 回收金屬檢收 嘉義市は十三日より |
08 | 國土防衛戰士たれ 臺南市防衛團改組式 |
09 | 隨所に美談 南投郡の金屬回收 |
10 | 皇奉會參與鍊成 高雄州支部十八日より實施 |
11 | 勤續職員表彰 高雄市の自治記念日 |
12 | 花蓮港市の表彰式 |
13 | 商業奉公團臺中州支部 きのふ晴れの結成式 |
14 | 體驗を生活に 臺中桔俱幹部鍊成終る |
15 | 斗六登記所新築 |
16 | 善化監視區衛生講話會 |
17 | 臺中州警察武道大會 |
18 | 圖像:善坊ノボウフラ退治デング熱ノ卷 |
19 | 米穀事務所落成式 |
20 | 新莊郡專賣品小賣人組合 |
21 | 山下屏東市長の母堂の葬儀 |
22 | 方面事業の研究 關係者彰化で鍊成會 |
23 | 英靈追悼報恩法會 田尾庄陳羅漢氏の赤誠 |
24 | 遺家族に醬油を贈呈 |
25 | 蘭陽地方暴風雨災害救濟義捐金報社消息 |
26 | 空地に愛國蓖麻 嘉義市常會で申合 |
27 | 國姓庄でバス顛覆 |
28 | 甘藷改善研究會評議員會 |
29 | 赤誠の献金品 |
30 | 新莊郡林口庄茶業株式會社 |
31 | 人事報社消息 |
32 | 地方多より |
33 | 今日の映畫 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 二期玄米小賣價格 從來通り据置に決定 |
02 | 荷揚能率の促進に 勞賃の改訂を考究 |
03 | 水產新體制の確立 具體的折衝を續行 石井殖產局長歸臺談 |
04 | 基隆稅務出張所 地方稅事務取扱開始 |
05 | 南方販路の獲得 盤谷に駐在員を設置 茶輸出會社 |
06 | 石炭增產の基本條件 |
07 | 郵船の諸事務 臺北支店で取扱 |
08 | 內地製電氣機械配給統制 新要綱決定、一日より實施 |
09 | 統制の圓滑を期す 企畫部長談話發表 |
10 | 比島海運組合設置 資材の合理的配給を企圖 |
11 | 乾パイン價格決定 近く統制機關を指定 |
12 | 鐵道の輸送活潑 普通貨車の後連奏効 |
13 | 米穀獎勵金の交付 前月迄四百十二萬圓 |
14 | 彰化郡防風林組合解散 |
15 | 臺銀人事異動 |
16 | 照明燈 |
17 | 商況 一日後場 |
18 | ラジオ |
19 | 水滸傳(790)/黃得時;碇政彌 |
20 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 優渥なる聖旨傳達 尾形侍從武官仙臺陸軍諸學校視察 |
02 | ヴオルガ河岸に突入 赤軍の輸送路を遮斷 |
03 | 獨軍一寸刻みに前進 ス市戰局最後の瞬間に近づく |
04 | 完全に孤立的狀態 |
05 | 圖像:ス市へ猛進擊する獨軍快速部隊 |
06 | コーカサス作戰 獨軍有利に進展 |
07 | ス市爆擊千五百回 |
08 | ソ聯戰車九十八臺破壞 |
09 | スターリン 防衛軍を激勵 |
10 | 對樞軸斷交案 結局實効を發生せず 四つの理由から說明出來る |
11 | 獨軍山岳要塞數ケ所を奪取 コーカサス戰線 |
12 | 北島卓美少將 中將に進級 |
13 | 翼贊壯年團と推進員 急速に統合への氣運 |
14 | 圖像:浪を乘り切つて突進する我が○○艦の勇士 |
15 | 定例閣議 |
16 | 各團體懇談協議會を設置 |
17 | 百一萬餘噸を擊沈 獨軍九月中の通商破壞 |
18 | 米大型輸送機を大量生產 船舶不足緩和に |
19 | 下期石炭增產對策決定 |
20 | 印度獨立聯盟比島支部大會 |
21 | 南方へ“文化戰士” 陸軍で建設要員募集 |
22 | ダカール總督 歐洲人の人口調查を命ず |
23 | プーナでは夜間外出禁止 |
24 | 即時國民政府樹立を認めず ア印度相言明 |
25 | 蔣介石、中共軍 首腦と會見 共黨籠絡に躍起 |
26 | 米インフレ防止案 紛糾を重ねる |
27 | 米インフレ防止妥協案 上院で可決 |
28 | 訪日飛行隊 無事奉天歸還 |
29 | 高雄州干麵工業組合創立 |
30 | 表彰金を國防献金 |
31 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 守れ・興亞の兵の家 軍人援護強調週間 あすから一齊に展開 |
02 | 陸海軍病院を慰問 軍援本部の幹部總動員 |
03 | 歸還傷痍軍人感謝激勵 全國に運動を開始 |
04 | 一時賜金傳達 基隆で擧式 |
05 | 感謝慰問週間 九日から新竹で |
06 | 圖像:南の旭日を浴び體操に心身を練る海の勇士 |
07 | 基隆の金屬類 特別回收 |
08 | 教科書調查會 ヨイ子供の修身、國語、鄉土の視察 府正廳で犒本附議 |
09 | 引揚邦人座談會 人事不省に陷る 熱し切つた貨車に罐づめ |
10 | 傷痍軍人再起 奉公の手記 入選者發表 |
11 | 南方派遣教員 熱地訓練が必要 梅谷學務課長語る |
12 | 泰の秘境をさくる 鰐と孔雀の出現 死の町ターカタンに入る |
13 | 圖像:東條首相海洋筏視察 |
14 | 貯水槽竣工 竣工式を擧行 |
15 | 愛國蓖麻を共同栽培 萬里奉壯團積極的奉仕へ |
16 | 郵貯百十四億突破 激增・鰻昇りの好成績 |
17 | 遺家族洋裁講習會 |
18 | 六萬俵の米死守 マニラを食糧不安から救つた ブ博士献身的協力美談 |
19 | 刑務所製作品品評會 開催に決定 |
20 | 興南詩苑漢詩 北投林公舘奉酬主人留宿三首/春潮、北投林公舘奉酬主人留宿二首/夢周 |
21 | 茶殼の大量献納 各課の給仕を督勵して 市役所から十俵提出 |
22 | 特別配給の調查 |
23 | 七星山行 |
24 | 人事・消息 |
25 | 煙幕 |
26 | 今夜の放送 |
27 | 商況 二日前場 |
28 | 興南案內報社消息 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 壯烈!荒鷲魂の權化 ビルマの敵空軍擊滅に偉勳 吉岡、本多部隊に感狀頭條新聞 【東京發同盟】ビルマ方面航空撃滅戰に偉功を樹てた吉岡飛行部隊山本金吉中尉、吉岡飛行部隊及び本多飛行部隊に對しては曩にビルマ方面陸軍空航部隊最高指揮官から夫夫感狀が授與されたが今回畏くも上聞に達した旨二日陸軍省から發表された今次感狀に輝く山本金吉中尉はミンガラドン飛行場の敵中に突入壯烈な自爆を遂げたが傷いて尚撓まず殪れて後已んだ勇猛なる戰闘ぶりは敵の心膽を寒からしめた荒鷲魂の權化であり吉岡飛行部隊はビルマ航空撃滅戰に當初より參加開戰以來敵機の撃墜破實に百十餘機に及ぶ拔群の荒鷲部隊、又本多飛行部隊は比島攻略に多大の戰果を擧げて後タイ、ビルマに轉戰航空撃滅戰に要地攻撃に各種搜索に活躍比島及びビルマの作戰全局に多大の貢献をなした勇猛部隊である 陸軍省發表【東京發同盟】陸軍省發表十月二日午後四時緬甸航空作戰に武功拔群なりし陸軍中尉山本金吉及び吉岡飛行部隊茲に比島、緬甸の航空作戰に偉勳を樹てたる本多飛行部隊に對し曩に緬甸方面陸軍航空部隊最高指揮官よりそれぞれ感狀を授與せられしが今般畏くも上聞に達せられたり 感狀 吉岡飛行部隊陸軍中尉山本金吉 右は昭和十七年一月二十八日蘭貢飛行場群攻撃に際し編隊長として之に參加し蘭貢附近上空において優勢なる敵戰闘機群と交戰するや進んで難に赴き身を挺して奮戰し幾度か克く中隊長の危急を救援せり 而して乘機敵彈を受けて空中戰闘殆んど不能に陷るや剛氣不屈なる中尉は黑煙を曳きつつも敢然單機低くミンガラドン飛行場に突進し熾烈なる地上銃砲火を冒し在地敵機を索めて反復銃撃を加ふる事實に七回敵爆撃機三機を炎上せしむ、既にして彈丸盡き機も亦遂に火を發するに及び從容機と共に身を敵中に突入して壯烈なる自爆を遂げたり中尉の不屈不撓斃れて尚已まざる氣魄と闘志とは實に我が陸軍戰闘飛行隊精神の發露にして其の武功拔群なり 仍て茲に感狀を授與す 昭和十七年五月十日 緬甸方面陸軍航空部隊最高指揮官 感狀 吉岡飛行部隊 右は大東亞戰爭開始と共に長驅南部佛印に躍進せしが緬甸作戰となるや其の當初より之に參加し爾來終始積極果敢克く勁敵を撃破し航空撃滅戰に至大の貢献を致すと共に各種の重要任務に服して常に赫赫の戰果を擧げ開戰以來其の敵機を確實に撃墜破せるもの實に百十餘機に上り緬甸作戰全局に寄與せる所甚大にして其の武功拔群なり 仍て茲に感狀を授與す 昭和十七年六月十五日 緬甸方面陸軍航空部隊最高指揮官 感狀 本多飛行部隊 右は比島作戰に參加し遠く海洋を越えて進攻し開戰劈頭先づ克く先制急襲の功を收むると共に機を失せず基地を敵前に推進し適時其の航空勢力の擡頭を破摧すると共に地上兵團主力の上陸及び馬尼刺作戰に緊密に協力し又各種搜索に多大の戰果を擧げた次で本年一月下旬泰及び緬甸方面に轉戰するや終始積極果敢航空撃滅戰に或は要地攻撃に或は地上兵團主力の蘭貢及びマンダレ作戰の協力に將又各種搜索に常に赫赫たる戰果を擧げ比島作戰以來其の戰果の主要なるもののみを以ても實に撃墜破敵機百三十撃破せる車輛數八百八十船舶七十に上り比島及び緬甸作戰全局に寄與せる所甚大にして其の武功拔群なり 仍て茲に感狀を授與す 昭和十七年六月十五日 緬甸方面陸軍航空部隊最高指揮官 |
02 | 陸軍省發表 |
03 | 比島、緬甸作戰に協力 本多飛行部隊赫赫の殊勳 |
04 | 鎌倉丸香港出帆延期 |
05 | 圖像:敵基地擊碎に向ふ海軍攻擊機 |
06 | 活潑大規模の掃蕩 支那派遣軍の週間戰況 |
07 | 下期石炭對策決る 九州、山口、常磐炭增產を骨子に |
08 | 情報局發表 |
09 | 增產確保を期す 岸商相談話を發表 |
10 | 吉岡部隊の戰鬪經過 |
11 | 吉岡、本多、山本三氏略歷 |
12 | 敵飛行場に體當り 鬼神も避ける戰鬪魂 個人感狀に輝く 山本中尉の戰鬪經過 |
13 | 日本の強さだ 嚴父仁平氏語る |
14 | 官民の連絡コース 單純化の成案を急ぐ |
15 | 泰、佛印向け鐵銅と代用製品輸出統制 |
16 | 翼贊會支部事務局長發令 |
17 | 南十字星 |
18 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 國民勞務手帳制の實施社說 一 勞務者移動防止の為の法的措置たる國民勞務手帳制が愈愈十二月一日より實施されることとなりその施行規則は先月廿八日附を以て公布された。手帳制は周知の如く指定事業に從事する技術者又は勞務者に對して使用及就業の要件たる勞務手帳が交付され就業中は使用者がこれを保管し從業者自己の都合による勝手な退職及無斷缺勤による解雇の場合にはこれを留置することによつて移動防止を圖らんとするものであつて卽ち三ケ月間の保留の後更に市、郡で九ケ月間保管する等都合一ケ年間は從業者の手に渡されず他職に就業することが出來ないといふ仕組になつてゐる。顧れば支那事變後に於ける勞働者の移動防止策として總動員法に基く關係勅令が矢繼早に公布、施行された等防止の法的規制が漸次强化且つ整備されて來たのであるが尚足らずとして今般その最高形態たる勞務手帳法が施行されることになつたのはいふ迄もなく勞働力の不足に起因するものであるとはいへ手帳法が從來の勅令に比してより多く勞働者に義務を負はしてゐる點に徵すれば勞働者の移動の深度を窺ひ知るのである 二 しかし乍ら上述の如く移動防止を狙ふ手帳制は飽く迄對症療法的であるに過ぎない為それがあつてなきが如くに所期の目的を達成するには移動それ自體を惹起する根本原因を排除することが必要とされその為の綜合勞務對策がなければならないのである。そして移動が勞務者の單なる恣意的な動機に基くといふよりもむしろ賃銀の不齊一や企業內に於ける勞務管理の不徹底によつてより多く惹き起されてゐるのに鑑みれば綜合對策の方向が賃銀統制と勞務管理の强化とを目ざしてゐることは多言を要しない所である。賃銀統制については督府に於ても最大關心を拂ひ既に職工、鐵夫の賃銀公定に引續き關係事業間の賃金の凸凹を是正し適正化せんと努力してゐるが勞務管理については從來の資本家的經營に炎はされた上に本島の特殊的關係で尚寒心すべき狀態にあるといつてよい。勞務管理が從來の如く利潤獲得の勞務處理でなしに健全なる勞働力の保護、育成を中心課題とする限りそれが移動防止のみならず勤勞精神の昂揚をも併せ齎すことは絮說を要しない。 三 全體主義的な勞務管理はしかし乍ら主體的立場にある經營指導者が勞資一體、企業一家といふ意識の下に勤勞者を協力者として理解することなしには行はれ難い性質のものである為指導者の新しい意識の把握が何よりの先決問題であるといはねばならない。勞務管理の程度如何が如何に移動防止に決定的影響を及ぼすかの卑近な例として臺北市內某紡績工場が善き意味での勞務管理に絕えざる關心を拂つてゐる結果使用本島人女工の作業能率が極めてよく女工等が勞働を快適なものとして體得し移動など更にないといふ現狀にある。同工場の經驗から割出して本島人女工は使へるし又使ふべしといふ結論に到達して政府に建策するに至つたのも至極當然のことと謂はねばならない。男工についても同樣にいへるのであるがこのことは勞務給源が益益本島人に依存せざるを得なくなつた今日今後の勞務對策に幾多の示唆を投げかけるものといつてよいのである。一般的にいつて賃銀統制が近く一應の體制を整へることになつたので移動防止は全く勞務管理の程度如何により左右されるものといつてよくこの意味に於て管理を强化することが極めて肝要である |
02 | 皇大神宮本殿還御 淨闇裡に御儀執行はせらる |
03 | 聖上親しく御遙拜 神嘉殿南庭に下御 |
04 | 將兵に勳、家庭に光 忠魂へ“一億感謝の捧銃” 軍援強化運動始る |
05 | 援護へ擧島總進軍 西村文教局長放送要旨 |
06 | 鬪ふ滿洲の姿(4) 物淒い人工大瀑布 巨大な水豐ダム/一記者 |
07 | 臺灣神社の遙拜式 |
08 | 石田憲兵隊司令官 巡視のためけふ南下 |
09 | 圖像:皇大神宮本殿還御遙拜式 |
10 | 軍援事業今昔 豐原股男氏に聽く |
11 | 銅鐵供出座談會 ゆふべ島都公會堂で |
12 | 南方行き郵便物 十月から取扱範圍擴張 |
13 | デング熱防遏 奉公班常會 |
14 | 新竹州市街庄吏員鍊成會 |
15 | 新竹中創立廿周年記念 |
16 | 軍援臺北市分會への寄附 |
17 | 本島優良局員座談會 |
18 | 宜蘭市の金屬特別回收 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 軍人援護の完璧へ 感謝捧ぐ臺中州の行事 |
02 | 遺族章傳達式 |
03 | 斗六稅務出張所 假廳舍で開廳式擧行 |
04 | 嘉義郡下信組 加入率九六% |
05 | 臺中州下の青年學校查閱 五日、明治校を皮切りに實施 |
06 | 彰化青年學校 六、七兩日に查閱 |
07 | 流暢な口調に 聽眾喝采 新化郡の國演會 |
08 | 光榮に輝く清水氏 きのふ御下賜品傳達さる |
09 | 長期戰對應への 施設と訓練に就て上 黑澤兵事防空課長談 |
10 | 屏東市國演會 二十一日に開催 |
11 | 斗六郡國演會盛況 |
12 | 大日本傷痍軍人會 臺中州支部七日に總會 |
13 | 高雄市事務監查 |
14 | 當籤番號を速報 嘉義市奉公會の親心 |
15 | 幸運の廣田氏 報國債券一等に當籤 |
16 | 倍以上は採れるぞ 良好な發育に蔗農北叟笑む |
17 | 北門郡西港信用組合 |
18 | 川底深く埋れた古鐵 奉公班が美事に掘出す |
19 | マニラ麻 |
20 | 圖像:善坊ノボウフラ退治デング熱ノ卷 |
21 | 山の英魂、高村軍屬を弔ふ 五日良久社で慰靈祭執行 |
22 | 板橋街水道擴張工事竣工式 |
23 | 赤誠の献金品 |
24 | 農村女性教育の新天地 屏農專修に女子部を設置 |
25 | 高砂族の神話 傳說、童話を蒐集 |
26 | ニコニコ漫畫展覽會 |
27 | 奉公支部報刊行 花蓮港廳民の激勵に |
28 | 螢雪の功なって 臺南州吏員講習修了 |
29 | 淡水街雷登瀛氏尊父雷俊臣氏 |
30 | 蘭陽地方暴風雨災害救濟義捐金報社消息 |
31 | 斗六郡菓子生產組合創立總會 |
32 | 基督教奉公團 臺中州支部結成式 |
33 | 高雄市大清潔施行日割 |
34 | バス顛覆の犧牲者 |
35 | 地方多より |
36 | 今日の映畫 |
37 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 輸出助長制度撤廢 稅關諸料金の減免廢止 稅關行政の劃期的轉換 |
02 | 島內澱粉の蒐荷 大部分既に終了 |
03 | 水產統制施行規則 來る十日頃に公布か |
04 | 最近の印度經濟 龍田丸船上座談會 |
05 | 魚市場、集荷場を 各地方に增設せん |
06 | 鐵工業統制會設立 愈愈近日中に發令 |
07 | 滿洲特產物組合 大豆粕配給組合に改稱 |
08 | 蘭陽三郡の殘存籾 早急蒐荷を要望 |
09 | 豚公の肥育審查 |
10 | 產聯の貯金三千六百萬圓に肉迫 |
11 | 臺灣商議所 十五日臨時總會 |
12 | 奉天菜果配給組合結成 |
13 | 島內で罌粟栽培 種子採取が目的 |
14 | 一期作用の肥料 丸高は十日より調製に着手 早期配給に完璧陣 |
15 | 週間經濟の展望 |
16 | 九月迄の郵便年金 目標高の九割に接近 |
17 | 經濟手帖 インフレ傾向濃化の米國 |
18 | 照明燈 |
19 | 商況 二日後場 |
20 | ラジオ |
21 | 水滸傳(792)/黃得時;碇政彌 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大東亞各地域の 協力體制完成へ 南京で青木國務相談 |
02 | 淒慘!夜間の戰鬪 ス市、獨軍壓倒的多數 |
03 | 赤軍焦土抗戰 |
04 | 圖像:杉山大將以下六將星へドイツ鷲十字章傳達式 |
05 | 形勢愈よ逼迫 |
06 | 五省の簡素化案 審議を終了 けふも第八回目委員會 |
07 | 燃え上る一億感謝の赤誠 献金額飛躍的の增加 |
08 | 徹底的措置を講ず 石炭確保に萬全期す |
09 | 對策要綱 商工省より發表 |
10 | 長期戰と國內態勢/山田文雄 |
11 | 圖像:獨軍の一躍塹壕を飛越えて進擊する 獨自動自轉車隊 |
12 | 食品局長に 田中啟一氏 |
13 | 人絹、絹統制會の 創立總會開く |
14 | 愛東亞、愛中國、愛日本 中國青少年の心に植えつける 入京の林柏生氏語る |
15 | ボンベイに暴動 ガンヂー翁の誕生日 |
16 | 對日戰第一主義 聯合國間に有力化 第二戰線實現遲延の辯明に |
17 | 親米派巨頭と密議 ウイルキー重慶乘込み |
18 | 米、九月中の船舶建造 百萬九千噸 |
19 | ルーズヴエルト 軍首腦と重要協議 |
20 | インフレ抑制妥協案可決 ル大統領承認か |
21 | 全購販聯本所 支所機構改正 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 久邇宮家彥王 五日臣籍に御降下 |
02 | 家彥王殿下御略歷 |
03 | 英靈に赤誠の祈念 部隊に病院に描く慰問風景 軍援強化運動開始 |
04 | 臺大の行事 |
05 | 勅語奉讀式 府正廳で嚴肅に擧行 |
06 | 基隆の奉讀式 |
07 | 小林大佐放送 多大な感銘を與ふ |
08 | 白衣勇士を慰問 堀理事基隆へ |
09 | 皇軍武運長久祈願祭 あす三神社で執行 |
10 | 古谷上等兵散る 赫赫たる武勳建てて |
11 | 引揚邦人座談會(五) 點呼の後、宮城遙拜 困苦缺乏の貴い教訓 |
12 | 銀幕の我潛艦訪獨 觀眾一同非常に感激 |
13 | 家庭を戶別訪問 基隆の金屬回收に 壯年團推進員が挺身 |
14 | 新穀の感謝週間 新嘗祭を中心に展開 |
15 | 感謝の慰問風景 部隊を慰問 梁井知事らが |
16 | 新竹は援護一色 |
17 | 慰問演藝會 十四日から開始 |
18 | 林本社專務 陸軍病院を慰問報社消息 |
19 | 名譽の家を弔問 島都ヨイ子供らの援護陣 |
20 | 本島から十二名 航空乘員操縱生晴の合格者發表 |
21 | 日高臺灣試驗委員長談 |
22 | 國策映畫“海の豪族”完成 いよいよ近く封切 |
23 | 國語常用に拍車 第一線本島人巡查に 新竹州警察部が新しい試み |
24 | 交換船鎌倉丸 八日橫濱港外着 |
25 | 興南詩苑漢詩 北投林公舘奉酬主人留宿/覺齋、次韻覺齋山墅見酬/文訪、中秋廢遊/林述三、秋夜懷黃景南/臺中 李逸□ |
26 | 大日本體育會 役員の人選近く終了 |
27 | 失明勇士達の奉納音樂演奏 九段軍人會館で |
28 | 人事・消息 |
29 | 今夜の放送 |
30 | 商況 三日前場 |
序號 | 標題 |
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01 | 凡ゆる困苦を克服 勇敢に戰ふ兵の姿 銃後國民はこれでよいか 平出大佐の講演頭條新聞 【東京發同盟】三日午後六時から日比谷公會堂で開催された軍入援護強化運動講演會に於ける海軍報道部平出大佐の講演要旨は左の如くである アメリカが濠洲を足場にして日本に反撃を加へようと言ふことは益益顯著になつて來たル大統領は昨日第二戰線の歐洲方面への結成を思ひ切つて日本を第一の敵とせよと言ふことを最高軍事委員會で述べて居る濠洲に對して敵が考へてゐることは何か、これは英國の聽て滅亡せんことを豫想その遺產の最大なものの相續即ち濠洲を狙つてゐるのであるこれを日本に占領されてしまつたのでは遺產にならぬ彼等は嫌でもこの濠洲を自分のものとして保たなければならぬのである又其處を足場として日本に反撃を計畫して居ることは當然であるソロモンを一回二回に亘つて爭ひ更に其後も爭つてゐる事實は濠洲へ向けられてゐる敵の心持、心構へを何よりもよく說明してゐるソロモンの 其後はどうなつたか詳しいことは申し上げられないが敵は古今に稀なる囮を殘して吳れたこの囮に對して敵は糧食も彈藥も補給しなければならぬし又增援も必要であるこれに對して如何なる輸送船を使ひ如何なる艦隊を以てこれを護衛するか非常に興味ある問題である今日大東亞戰爭が長期戰なりと覺悟してゐるわれわれ國民にとつて敵に勝拔く唯一の方法は敵の戰力を迅速に擊滅することである然るに五千、六千浬の海の彼方に相對峙してゐたのでは却つてその戰爭は迅速には參らぬ出來ることならば味方に近く敵を引寄せてこれを叩きつけることが理想的である囮はこの意味に於いて完全にその機能を發揮するその度にわが方がやることは多多あり或は軍艦を沈め或は航空母艦を海の底に旅行せしめ或は飛行機を射墜或し或は陸上の兵員をだんだんと殲滅して行くと言ふ風な方法がある然しその方法を飾り早くやつては敵が折角與へた囮をゼロにしその後に敵はやつてない囮はなるべく向ふに必要である期間これを利用すべきであるその利用か濟んだ時にはこれを完全に殲滅する茲に武力戰の目標がある航空母艦數隻、輸送船十數隻其他の艦艇十數隻その運命はどうなつたかと言ふことは聽て敵殲滅の擧句軍艦マーチと共にお聽きになるかと思ふ戰爭は常に樂樂と出來るものではない殊に敵が飛行機の根據地を近くに持つて居りわが方が少し遠い所からこれに働らきかけなければならぬ場合寧ろわが方が非常に不利な態勢に立つ而して敵は逸にゐてわれを邀へ 我が方は勞して後敵に遭ふのである、戰ひの難易は自らかう明かであるその間に非常なる苦戰が行はれる真に敵を倒すか、自分が喰はれるか所謂喰ふかと喰はれるかとゆう戰爭は現に繼續中なのである、然し或る時これを撃滅すると數日經つた後には又それが元の通りの飛行機が揃つてをるとゆう狀況である事は流石に敵アメリカの工業力は旺盛であり資源は豐富であるとゆう事を明瞭に示す我が方は何時命令が下るかも知れない故に我我飛行機の操縱者達は常に飛行場に於て翼の下に寢て醒めて食事をして生きてゐるのである、それはいざとゆう場合に決して後れをとらないとゆう日本の「武士」の心構へである。彼等が敵に直接面してゐる場合何も考へる餘裕はなからうと思ふ只一心に敵を撃滅するとゆう事に熱中してゐるが一日一月淡き夕となり艦側暗き浪打つ鑑上に航海を續ける頃ともなれば彼等の想ひは自然に家鄉に向くのであるまいか人の子として又人の親としてそこに向くのは自然の自然であるここに我我銃後の國民としてその想ひに十分應へ得るかとゆう事を一應考へて見る必要がある、又この飛行機の戰ひに日本の方の補給力が少く敵が見えて若し十分な飛行機さへあるならばこれを倒し得るとゆう時に如何に幾念な思ひをするであろうかとゆう事も我我は振り返つて見なければならぬ國家として生產力は十分に發揮されたか、そして戰ふ勇士達が戰ふ道具に事缺かなかつたか、又潜水艦は終始、珊瑚海海面ソロモン海面等に出沒してそこへ襲ひ來る囮に誘はれて來るそれを狙つてゐる彼等は陽の光を見ざる事數十日に及び事は決して稀ではない、たまに根據地に歸り思ふ存分數日間日光浴をする元氣を回復して次の行動の準備を整へて又出かけて行く「鍋を熱湯の中に叩き込んだ、それが潜水艦の實狀だ」と、ある作家は言つたがそうゆう有樣の中に勤務して彼等はこれを苦痛だと思ふだらうと考へるが彼等は口でこれを苦痛だと思ふだらうと考へるが彼等は口でこれを苦痛だとは言はない陽に何日も當らないで、たまには六十數日日光を見なかつた時でも彼等はそれを大した苦痛だとは言はなかつた 只一途にどうか敵に巡り遭ひ度い、その仇に巡り遭はない時の苦痛が最大の苦痛であると、斯ふ言つてゐる、又彼等の何よりの悅びは食物でもなくうまい空氣でもない敵の大きな航空母艦でもやつと見つけてそれを撃沈したその一瞬間の大きな喜びと感激に我我はすべての苦痛を忘れ又これで滿足するのだと言つてゐる又我が水上艦艇は廣い戰闘海面のあちらこちらに必要に應じて配置され戰つてをるそれがある時はソロモン海戰となり或はソロモン夜襲となり或は珊瑚海海戰となつてその戰果を擧げつつある、更に水上艦艇の中には小さい艦艇がある、これは敵の日本本土空襲を警戒してゐる哨戒艇である、洋上はるかに彼等は夜も晝もわれわれ國民が安眠してゐるその頃でも見張りを嚴重に續けて居るのである、それが敵を見出した時警戒警報が鳴るのである、また哨戒に關しては陸海軍の飛行機が協力をいたしわが本土、港を日夜護つてゐる、この小さな哨戒艦艇の如きは敵の大きな勢力にもぶつつかつたならば一溜りなく死ぬのであり捨身の職務である、本土を安泰ならしめんがためにはかくの如き陰の犠牲者が音も立てずに海の上に居るのである、更に小さい艦艇の中には護衛艦艇と言つて日本へ大切な食糧品を運び或は軍需品の材料を運ぶ商船隊を護るものがある、小さな船であるが敵潜水艦に恐れられる爆雷等といふ兵器を持つて居る、これが嚴重に商船を護つて居りこの方法が取られて以來護衛をして居つてしかも敵潜水艦にやられたといふ船は僅か六隻しかないのである、しかしこの護衛してゐる 船の苦心は並大抵のものではない、晝夜の別なく大海の一尺か五寸出て中に僅かゐるを棒を必ず見つけなければならぬ自分の職務が全く出來ないのであるその責任たるや實に並大抵ではない、また彼等が辛苦してゐるものの何處に一般大きな關心があるか、それは銃後で私が南方第一線を廻つた時一番多く受けた質問は日本の中の有樣はどうか、元氣は衰へて居らぬか、元のままの日本がまたは躍進した日本になつてゐるか更に四月十八日の空襲では東京附近は別に變つたことはなかつたこれその質問がその總べてであつた、彼等は非常な關心を以て日本の內地を見て居る、日本の內地が元氣良く進んでゐるといふだけで彼等は安心して戰ふことが出來るのである、この點について皆樣は內地の人人の一擧一動が前線に映るものだといふ位の關心を以て頂きたいと思ふ、彼等はどうかしてありつたけの力を御國のためには立たせたいと念じて居る、例へばある戰ひに出て行つた大型攻撃機がまだ敵を充分攻撃する前に敵の防禦砲火によつて撃ち落された その時重傷を負つた一下士官が特に患絕えんとした最後の瞬間にその友達に賴んだことは自分の家には一人の母がある、自分はまだ手柄を樹てないのに亡くなつて行く、自分の母に逢つて充分手柄を樹てられなかつたことのお詫びを言つて吳れないかといふのである、そして間もなく彼は天皇陛下萬歲を唱へながら最後の息を引取つた、これを聞いた指揮官は自らその母親を訪問した寔に貧しい家であつて障子もない壘も布いてないそして其處には彼の父が長い病に臥して居るけれどもこの勇士は一言も苦しい家の內情については言はなかつた唯一つ自分の手柄が充分でなかつたことを母親にお詫びを言つて吳れと言つて亡くなつたのであるその母親が斯る貧しい中にどうしてそんなに強い心を以て前線にゐる勇士を勵まし得たかと言ふことについては私共寔に心を打たれたのである斯る貧しき中に斯くの如き勇士がどうして生れるがそれは母が偉かつたからである銃後の皆樣の働らきの內に特に私は將來を考へるとお母樣方にしつかりして戴きたいと言ふ事を切にお願ひせざるを得ないこの先日本が如何なる難局に立つかも知れないこれを無事切拔けるにはお母樣方のしつかりした精神であるそれに依つて育てられた立派な勇士である又今日勇士達の非常に氣にかかることがもう一つあるそれは自分達が戰つてゐる相手は飛行機もどんどん來る彈丸もどん來る又船もいくら沈めても次から次へと出來て來るこの情況の下に日本の方は思ふ樣に來ないと言ふこと若しあつたらどうなるか敵を目の前にしながら彼等は勝つべき軍も勝たずにゐなければならぬこれが彼等の心配である今日日本の生產界がどう言ふ情況にあるかこれは知る人で知つてゐる 國民の中に物が足りないとゆう聲が聞えるこれらも前線に逸早く響く事柄である日本に物がないのではない唯適當な時に必要な人の所に入らないとゆうにすぎない前線の勇士はその點について、かなり頭を痛めてをる國內はどうぞ安かれの安穩なれと祈る一心は遂に食糧品まで自分達は不自由しても內地に送らうとゆう氣になるのである銃後に於て第一線の勇士達が何の不自由もない樣念じ又前線の勇士は本國に於ける國民諸君はどうぞして安穩であらせたいと念じその溫い血の交流が勝ち戰さの根本的な理由である、戰さはかかる溫か味に依つて始めて勝ち拔かれる併し乍ら敵は非常に豐富なる物資盛なる工業力とに依つて武力で起ち遲れたその(負け)を經濟生產戰と思想戰とに依つて追ひついてこれを勝ち拔かふと念じてをる今や自分の為めにのみ自由と享樂と願つてゐたアメリカの共和國とゆうものはだんだん消えて、日本を叩くためには總てを犠牲にしようとゆう總力戰的な獨裁國アメリカが生れつつあるのである點は決して油斷は出來ない今や本格的な戰さが始まらうとして敵は刄を研ぎつつあるのであるこの秋に日本の內地に於ては戰さは既に武力戰としてはすんだこれからは建設戰であるとゆう風な氣持になつたのでは前線の將士はどれ程に惜しいか知れない私共の銃後に於ける有樣を見、私がその心そのものを振返つて見るのに日本古來の極めて古い道德である「正直」は果してよく行はれてゐるかまた「明朗」さは缺けては居らないか「親切」といふ大切な德はよく實行されてゐるか、これらのことを考へる必要がある、非常に古い德目であるが現在なほ軍人援護をやろうとしてゐる國民全般の上にその德目が改めて要求されるところはないだらうか、われわれの自分で自分の行ひと心とを比較して見て「正直」「親切」そして「明朗」といふことが缺けてゐたならばどうぞこれを取戻したいものであると念ずるのである |
02 | 伏見總裁宮殿下台臨 海軍協會創立廿五周年記念式 |
03 | 總裁宮殿下令旨 |
04 | 協會の使命重大 東條首相の祝辭 |
05 | 不急不用の物資を 強制的に供出さす 權限を地方長官に委讓 |
06 | 自發的供出を望む 商工省聲明を發す |
07 | 河南省の戰果 |
08 | 前線銃後の繫りこそ 日本の特質強味 東條首相全國へ中繼放送 |
09 | 鎌倉丸四日香港出帆 |
10 | 魯西地區の掃蕩戰 |
11 | マレー軍政三特質 (上)資源開發に確たる見透あり |
12 | 指定生產の銘仙三種 近く市場に登場 |
13 | 南十字星 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 內外地一體化の現階段社說 一 今般大東亞省の設立と共に拓務省が廢止される事となり、從來拓務大臣の統理下にある朝鮮、臺灣總督府、樺太廳は新たに內務大臣の所管となつた。よつて內務省には朝鮮、臺灣、樺太の統理事務を管掌するため管理局を新設し、尚樺太は昭和十八年を期して內地に期待されてゐる。これに依つて內外地行政一元化に對する行政機構の調整は一應完了したが、大東亞戰爭を完遂するためには更に主要國策の一元的遂行を為すため、朝鮮總督及び臺灣總督が內閣各省大臣の監督を受ける事項を嚴格に規定された。卽ち首相を始め大藏、文部、農林、商工、遞信、鐵道の各大臣は統計、貨幣、銀行、關稅專門學校以上の學校、米麥其の他主要食糧、重要工鑛業、貿易、度量衡、郵便、電氣、通信、海運、鐵道、外國為替管理に關する事務についてはそれぞれ朝鮮總督及臺灣總督に對し監督の權限が與へられてゐる。中にも重視すべきは主要食糧、重要工鑛業、交通政策について關係各大臣がそれぞれ外地總督に對し監督を行ひ得る點で、これによつて內外行政の一貫性が確保されるのである。 二 從來朝鮮總督の地位權限は初代伊藤博文統監以來天皇に直隸し上奏御裁可は首相を經る事に規定されてゐる而して朝鮮總督に對する監督指示は拓務省官制にも存せず、强いて監督に近い章句を求めれば「拓務大臣は朝鮮總督に關する事務を統理す」とあるのみで此の點が朝鮮總督の特殊的地位を構成して來た、今回の改革によつて朝鮮總督は臺灣總督と同格に「全然新たに內務大臣の統理を受け更に各省大臣の監督及び指示を受けると共に上奏御裁可に當つては特に內務大臣に由る事」となつた、かくの如きは全く臺灣、朝鮮の外地的性格を否定して內地編入の第一步であり所謂內地延長主義の實現化であり此の點は外地統治政策の一大飛躍であり一面に外地地位の向上であると謂はなければならない。 三 かかる劃期的大改革に對しては先づ三つの理由を擧げる事が出來る、第一は朝鮮及び臺灣に於ける工業化の進展に伴ひ大東亞戰爭下に於ける內外地計劃經濟の必要と戰時主要食糧の內外地綜合需給計劃の一體化が强く要請されたからである、第二は滿洲國の成立によつて朝鮮の地位が內地化し、最近南方地域の占領と共に臺灣の地位も質的轉換を來したからである。第三は臺灣、朝鮮に於ける皇民化運動が漸次結實し既に志願兵制度を實施して頗る好成績を擧げた上に朝鮮は愈愈昭和十九年より徵兵制度を實施する事となり、臺灣も遠からず朝鮮に追隨するであらう事は明かである。かくの如く今や內外地を問はず一億の國民が近く國家的義務を盡す上に於て同一狀態と成りつつある事が內外地一體化の有力な推進力となつたのであるから、從來行はるる外地統治政策より見て當然な歸着であらう。かかる新政策に順應して島內官民とも新たなる心構を以て更に今後の美果を結ばしむべく一層努力せられん事を望まざるを得ない。 |
02 | 國民保健の尖兵 全國六萬の醫者を動員して 工場や漁山村に派遣 |
03 | 軍人援護強化運動 日比谷公會堂で講演 |
04 | 新竹州知事の訓示 |
05 | 戰歿勇士慰靈祭 十五日、新竹公園で執行 |
06 | 鬪ふ滿洲の姿(5) 東洋のウクライナ 輝やかしき將來性/一記者 |
07 | 劃期的二重放送開始 三日から一週間試驗放送 |
08 | 宜蘭郡軍援強調運動 |
09 | 宜蘭市で勅語奉讀式 |
10 | 投票函を設置 經濟事犯の一掃に |
11 | 厚生事業協力會議 十日島都公會堂で開く |
12 | 圖像:冬迫るアリユーシヤン |
13 | 清水松竹監督を圍む座談會 |
14 | 羽搏く“學生鳥人” 訪滿學生機出發式 |
15 | 皇奉基隆支會 事務系統強化 |
16 | 拓南農業訓練所長 皇奉中央本部から發令 |
17 | 海の豪族試寫會日程 |
18 | 前線へ“心の彈丸” 慰問圖書十八萬突破 |
19 | 現地部隊大喜び 本紙の寄贈を受けて報社消息 |
20 | 西村文教局長 中南部巡視日程 |
21 | 海軍工員募集 採用人員は數百名 |
22 | 府展四審查員とも現役 木下畫伯語る |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 軍援に赤心捧げて 完璧を誓ふ各地の行事 |
02 | 臺南神社例祭 奉納行事いろいろ |
03 | 長期戰對應への(下) 施設と訓練に就て 黑澤兵事防空課長談 |
04 | 譽の遺兒勞はるやら 隨所に麗しい軍援風景 |
05 | 屏東市民遙拜式 |
06 | 彰化郡國演會 十月十三日開催 |
07 | 配給事務の改善 妙案あらば上通して下さい |
08 | 白衣勇士慰問演藝會 |
09 | 下部組織運營研究會 皇奉會彰化市支會 |
10 | 史蹟保存委員會 愈よ實地調查に着手 |
11 | 通關事務の簡素化成案 |
12 | 常會の開催勵行 指導が功を奏して |
13 | 圖像:善坊ノボウフラ退治デング熱ノ卷 |
14 | 堆肥增產を強調 花蓮郡週間設定 |
15 | 小遺ひ溜めて慰問袋調製 屏東のヨイ子供 |
16 | 稗拔推進班組織 屏東の農報運動 |
17 | 鈴木獸醫部長 馬匹檢查に北斗郡へ |
18 | 貯金を共稼ぎ! 水里青年團奉仕を申合 |
19 | 宿願達成に邁進 清水溪架橋期成同盟會發會式 |
20 | 感激を鄉里へ 譽の志願兵楊君、北山氏に便り |
21 | 北斗信組に低氣壓? 臨時監查で組合長進退伺ひ |
22 | 蘭陽地方暴風雨災害救濟義捐金報社消息 |
23 | 國語常用宣誓 銅鑼庄壯年團が |
24 | 赤誠の献金品 |
25 | 南投南國民學校運動會 |
26 | 蓖麻增產に馬力 彰化郡奉公班を總動員 |
27 | 溪湖局表彰 簡保實施十五周年記念日に |
28 | 彰化市青年團研究會日延べ |
29 | 瓦斯漏洩して乘客中毒 清水街の椿事 |
30 | 林標鎮翁逝去 |
31 | 人事 |
32 | 地方多より |
33 | 今日の映畫 |
34 | 訃文:林標鎮 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 諸農業團體統合し 臺灣農業會を計畫 下部組織も系統化せん |
02 | 資材の獲得諒解濟 交通人事も近く具體化 滿尾鐵道部長歸臺談 |
03 | 第四、四半卒期內地製機器 申請期限は十五日迄 |
04 | 最近の印度經濟 (下)龍田丸船上座談會 |
05 | 電氣料金の改訂 近く具體化に決定 |
06 | 戰時報國債券賣出 |
07 | 米穀生產獎勵金 生產資金轉用僅か三% |
08 | 農民への拂戾し 出來る丈應ずる方針 |
09 | ビングピア苔を 扁魚飼料に利用 |
10 | 船舶の增配を交涉 菊竹海事課長談 |
11 | 照明燈 |
12 | 島內株仲值表 |
13 | 商況 三日後場 |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(793)/黃得時;碇政彌 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 厚顏無恥ウイルキー 重慶に空手形の提案 吉富情報部長米の魂膽を暴露頭條新聞 【南京四日發同盟】日本大使館吉富情報部長は四日午後六時三十分より二十分間に亘り「重慶訪問中のウイルキー特使に吿ぐ」と題する放送を行つたが重慶懷柔策として中國に於ける治外法權を提案せんとするウイルキーの魂膽を暴露すると共に米の援蔣借款及び武器貸與等の好餌が我が完全なる封鎖に依つて空想となつた現實の事態を明かにしウイルキーの策動を完膚なきまでに粉碎した放送要旨左の通り 今回米國がウイルキー特使として派遣したのは抗戰意識のなくなりつつある國國を親しく訪問してこれを激勵し英米の為めに最後まで戰はせるためである即ち重慶はビルマルートを失ひ外界との交通が殆んど全部遮斷せられたため武器及び軍需品の不足は素より物資缺乏と物價騰貴とに依つて民眾の困窮はその極に達し他方軍隊殊に傍系軍內部に於ては蔣介石が傍系軍を抗日戰の第一線に起たせ一面日本軍を牽制すると共に漸次これら傍系軍を處分して行く方針をとつてゐるので 最近これら軍部內に動搖の兆が見えて來たのである、又在米空軍は八月下旬から九月上旬にかけての我軍の攻撃に依りその大半を失ひ爾來成都、重慶、昆明等の奧地に逃避して一回も和平地區に對し遊撃的爆撃をなすの勇氣を有しないのである、從來インドを經由して重慶に輸送してゐた米國飛行機も英國が北アフリカ戰線に於いて苦戰に陷りその方面にこれ等飛行機を振向けることとなつたために近來は殆んど重慶に對する飛行機供給の跡を斷つに至つた情況である、これ等の事情から重慶側に於いては政府軍、人民が一樣に漸次抗戰意識を失ひ秘かに和平を希望するの風潮を現はして來たのであるこれは英米殊に米國にとつては實に由由しき一大事であつて若し萬一重慶が抗戰をやめることともなれば米國としては日本の軍力を一手に引受けなければならないので如何なる手段に訴へても重慶の和平を喰止める緊急な必要が生じて來たのである、ウイルキーは實に斯る米國の逼迫した必要から派遣されたものであつて換言すれば支那を救ふためではなく米國を支那に依つて救つて貰ふために來たのである、 ウイルキーは斯くの如く重慶を激勵しその戰意を昂揚するのが目的であるから必ずやこれを喜ばすべき何等かの提案をすることと思はれる、私の見る所では先づ第一に支那に於ける治外法權の撤廢を提議するのではないかと考へる、即ちアメリカは從來治外法權として北京、天津に於ける駐兵權と上海共同租界に於ける投資權益と在支米國人に對する領事裁判權などを持つてゐたが既に北京、天津及び上海は日本軍の占領によつて南京國民政府の管轄下に屬し米國の駐兵權も亦その他の權益も悉く破棄されてしまつてゐるのみならず米國の領事裁判權は全然廢止されてゐるのである又重慶に在住する米國人も大部分が外交官であつて國際法上の治外法權の特權を享有してゐるので米國が假令治外法權を徹廢しても何等痛痒を感ずることはない、日本及び國民政府の手によつて完全に喪失したものを麗麗しく勿體つけて 重慶に附與するといふに至つてはこれ程虫のよい話はない果して重慶がこの米國の有名無實な贈物を喜ぶかどうか疑問である、ウイルキーは又對支借款や武器貸與法などを振りかざして重慶を喜ばせるであらうがこれ又米國としては殆んど實害のない提案である、即ちいくら武器を支那に與へるもこれを重慶に送るべき道がないのである從つて如何に米國が重慶に武器を買ふ金を貸し又武器を與へる約束をしても事實の問題としてはこれらの金や武器は依然として米國に殘る譯であつて少しも米國の腹は痛まない斯樣に米國としては自分の懷の痛まない方法で正義人道を看板として支那に對する「同情」と「援助」を押し賣りして大大的にこれを宣傳すると思はれるもし其結果として重慶が飽くまで其國土と人民とを犠牲にし對日抗戰する事になればこれに依つて利益するものは結局英米であり實害をうけるものは支那である、米國が真に支那を愛するならば外ならぬ中國人否全亞細亞人が最も屈辱として痛憤惜く能はざる米國移民法等を改正すべきである、今日直ちにこの不正極まる移民法土地法その他の支那人排斥法を廢止すべきである然るに彼は有名無實な偽人道的提案を為さんとしてゐる、ウイルキーの厚顏無恥又驚くの外ないのである |
02 | 平出大佐の放送 自信滿滿の大戰果發表を約束 獨逸國民多大の感動 |
03 | 圖像:皇軍武運長久祈願祭 |
04 | マレー軍政三特質 (下)食糧必需品對策、教育方針等 |
05 | 國府育成強化方針 何等の變化もなし 上海にて青木國務相語る |
06 | 上海へ向ふ |
07 | 晚餐會を催す 汪主席以下招待 |
08 | 明年も外米確保必要 南方共榮圈地域も積極的協力 |
09 | 大金山莊を占領 東平湖畔共軍を掃蕩 |
10 | 敗走匪軍を捕捉 大行山脈の掃蕩戰 |
11 | ウイルキー 林森を訪問 |
12 | 獨軍、北方高地突入 ス市の最後愈よ切迫 |
13 | 獨軍の發表 |
14 | 伊軍の戰況 |
15 | 農產物の增產へ 對日供給を增大 滿洲國黃興農部大臣說明 |
16 | 宋子文近く倫敦を訪問 顧維鈞重慶へ |
17 | アラスカの重要性 アメリカの識者強調 |
18 | 陸士第卅一期生歡迎會 中國大使館附武官所主催で |
19 | 驚くべき高性能 ドイツの新型爆擊機 |
20 | ロメル元帥と 一問一答を試む 北阿作戰に關して |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 廣大無邊な御仁慈 軍人援護に垂れさせ給ふ 本庄總裁、感激放送 |
02 | 故永久王殿下の御寫真 大妃殿下より德主席に御下賜 |
03 | 御史として蒙疆神社に參拜 立花陸軍中尉 |
04 | 高松總裁宮殿下 發明展覽會に御成 |
05 | 鬪ふ滿洲の姿(6) 廿箇年で百萬戶 滿洲國への入植計畫/一記者 |
06 | 帝都感恩奉仕の日 全市は援護の一色 |
07 | 圖像:護國神社武運長久祈願祭 |
08 | 學童の慰問作文 優秀作七篇を放送 |
09 | 武運長久祈願祭 島都四神社で執行はる |
10 | 朝露踏んで參拜 島都卅五萬市民の赤誠 |
11 | 遺家族慰問映畫會 |
12 | 本田郡守陸軍病院に金一封 |
13 | 勳の子の慰安會 新竹州知事官邸で開催 |
14 | 宜蘭向陽國民學校體育會 |
15 | 飛行機讓渡式 國府空軍の發展を共助 |
16 | 現役兵、補充兵に證書傳達 |
17 | 眉宇に固い決意 訪滿學生機福岡へ |
18 | 軍用犬候補檢查會 きのふ川端公園で開く |
19 | 竹內中佐講話 勞務奉公隊幹部に |
20 | 神宮大會花蓮港出場選手 |
21 | けふ京城に向ふ |
22 | 猴硐橋起工式 |
23 | “臺北孔子祭” 七日に執行 |
24 | 貯蓄報國實踐表を頒布 桃園郡管下に |
25 | 譽の志願兵を慰問 |
26 | 東京大學野球戰 |
27 | 子供の火遊びで火事 |
28 | 人事・消息報社消息 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 戰歿軍人慰靈祭 臺中で嚴かに擧行 終つて遺族を慰問 |
02 | 花蓮港の招魂祭 |
03 | 花蓮港の祈願祭 |
04 | 嘉義陸軍病院を慰問 宮木臺南州知事 |
05 | 報國挺身隊查閱 |
06 | 能高神社例祭 奉納催物決定 |
07 | 彰化神社奉納 秋季野球大會 |
08 | 沙鹿社大祭典 街を擧げて奉祝 |
09 | 怠るな豫防 デング熱撲滅週間を終へて 曾田府衛生課長談 |
10 | 各地軍援第一日 |
11 | 表彰金を献金 名譽の家吉川家 |
12 | 通關手續簡素化 近く高雄で連絡會議 |
13 | 斗六街分會常會 |
14 | 古大砲六門應召 米英擊滅に更生 |
15 | マレー戰記 十五日臺中で上映 |
16 | 集集桔俱慰問演藝會 數數の番組好評を博す |
17 | 遺家族に洋傘を優先配給 |
18 | 文山郡體鍊會 來る十日開催 |
19 | 真摯敢鬪に燃ゆ 臺南州中等學校武道大會 |
20 | 臺中陸軍病院 九日落成式擧行 |
21 | 竹東郡壯丁團檢閱 |
22 | 南投商工協會 役員指名さる |
23 | 保護事業大會 臺南州十四日に開催 |
24 | 先着順に番號札 新店バスの妙案 |
25 | 若人汗の奉仕 保甲道路の補修に 北斗郡青年團砂利採取 |
26 | 調味料に澱粉 鳳山郡で一味檢擧 |
27 | 休閑地を動員 屏東の蓖麻栽培 |
28 | 甘藷增產ポスター配布 |
29 | 陳夏雨氏結婚式 |
30 | 地方多より |
31 | 今日の映畫 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 學藝 愛國詩の方向 (上)/江口隼人 |
02 | 圖像:マレー半島北部サカイ族の舞踊 |
03 | 婦人說苑 買物明朗化/山高しげり |
04 | 俳句の弘通性/王碧蕉 |
05 | 女性と讀書問題 高橋健二氏に聽く |
06 | 農村と健全娛樂/古谷綱武 |
07 | 北回歸線 學問、學者、時世 研究の範圍を擴めよ |
08 | 映畫教育中央 團體結成進捗 |
09 | 新刊紹介 |
10 | ラジオ |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 獨の食糧確保充分 ただ奮戰するのみ ゲーリング元帥演說 |
02 | 林柏生氏に 謁見仰付けらる |
03 | 圖像:ソ聯トーチカを次次に爆碎しつつ進擊する 獨戰車隊 |
04 | 新生中國の海軍育成 我が海軍當局指導下に躍進 廣州要港司令部練兵營視察 |
05 | 「適人計畫」の提唱/清澤冽 |
06 | 圖像:林柏生氏、首相を訪問 |
07 | 協和會全聯第五日 |
08 | 擧國體制の完成へ 中央協力會議の成果 |
09 | 米の侵攻魂膽暴露 ダカールに對して |
10 | 獨增援部隊を空輸 ス市、激烈な市街戰が續く |
11 | 獨軍發表戰況 |
12 | ソ聯の不滿露骨化 第二戰線要求を繞り |
13 | 對ソ援助効なし 即時第二戰線の展開を要求 スタリン議長指摘 |
14 | 獨軍モ地區一部を占領 |
15 | マハサバ黨の運用委員會 |
16 | 米、經濟安定局を新設 食料物價停止も追加 |
17 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 臣籍御降下御允許 家彥王殿下御參內 |
02 | 宇治の家名を賜る 御一家を御創立 |
03 | 鈴木御用掛謹話 |
04 | 軍事援護の功勞者 隣組と奉公會表彰 東條首相寸暇を割いて激勵 |
05 | 軍援強化婦人大會 けふ日比谷公會堂で開かる 總裁東久邇宮妃殿下台臨 |
06 | 遺家族宅を清掃 週間を飾る新竹の生徒部隊 |
07 | 引揚邦人座談會 キヤンプ內で戰捷祈願 日蓮宗の坊さん二人 |
08 | 華僑が感謝寄附 |
09 | 圖像:惡路を進擊する獨輸送部隊 |
10 | 出征家族慰問 井原州高等課長 |
11 | 再起奉公を誓ふ 軍援強化運動第三日を迎へ 傷痍軍人神社に祈願 |
12 | 長谷川總督基隆を視察 |
13 | 商權は邦人の手に 復興バギオを視る |
14 | 臺大學生新聞 今月末に發刊 |
15 | 山地に大植林運動 新竹州愈愈乘り出す |
16 | 局部長會議 |
17 | 一路故國へ 鎌倉丸香港出帆 |
18 | 訪滿學生機 けふ大邱に安着 |
19 | 罹災信組へ 有志信組義捐 |
20 | 基隆の野球戰 |
21 | ドイツの義捐金募集 |
22 | 紐育タクシー不足 |
23 | 不德家主嚴罰 許可前の值上取立罷成らぬ 南署經濟主任談 |
24 | 臺大文政學部 教授補充決定 |
25 | 米國規那不足 |
26 | 人事・消息 |
27 | 興南詩苑漢詩 次落伍生過訪不遇韻二首/灌園、次落伍生原韵四首/灌園、夏日陪灌園小魯其他諸子訪稻香村主人落伍生成四絕句歸後次韻却寄/鶴亭、讀圓圓曲/黃純青 |
28 | 煙幕 |
29 | 今夜の放送 |
30 | 商況 五日前場 |
31 | 興南案內報社消息 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 恐懼感激に堪へぬ 林宣傳部長謹話頭條新聞 【東京發同盟】五日午前十時 天皇陛下に謁見仰せつけられた國民政府宣傳部長林柏生氏は宮中退下後光榮に感激して左の如く謹話を發表した 林宣傳部長謹話 今朝畏くも 天皇陛下に拜謁仰せつけられました 天皇陛下に於かせられましては恐れ多くも東亞の前途並びに我國政府及び國民に關し深く御軫念あらせらるる御樣子を拜察し奉り御聖德の程寔に恐懼感激に堪へない所であります、この度の私の貴國訪問は一は青少年の組織訓練を見學し二は興亞懇談會に出席せんがためであります、連日來東條總理大臣閣下を始め關係各省大臣、興亞院、情報局、大政翼賛會、大日本興亞同盟、大日本青少年團等關係諸方面を歷訪して我國朝野の大東亞戰爭完遂への協力決意と努力を披瀝し且つ新國民運動の中國、日本及び東亞に對する使命を說明致しました東條總理大臣閣下に於かれましては東亞戰爭完遂及び我が中國援助の斷乎たる決意を闡明されました、又要路の諸賢に於かれましても我が國民政府の強化並びに日華兩國の共同前進を念願し然も新國民運動の推進に關する特別なる關心と我國に對する多大の期待を有せられその御同情と御支援とは實に大なるものであるのを知り私として感銘惜く能はざるのみならず又我國朝野の齊しく欣幸とする所であります、今後吾人は更に力を倍加して貴國の御協力に副はんことを期するものであります |
02 | 湯澤內相 首相と懇談 |
03 | 定例次官會議 |
04 | 圖像:ジヤワの防空戰士 |
05 | 油脂統制會の創立總會 |
06 | 國共軍の投降者續出 抗戰力、漸次低下の一途 |
07 | ビルマインド各地を轉轉十ケ月 淺野勝哉氏の抑留放浪記 |
08 | 圖像:不斷の監視をつづける海鷲機上警戒員 |
09 | 青木國務相 きのふ歸京 |
10 | 尾崎元次郎氏 靜岡市長に決定 |
11 | 九月中米國戰費 |
12 | 故國の香り豐か 運動と食餌療法に重點を置く 高原療養所を見る |
13 | 民眾の死者七百廿一名 負傷者一千二百十名 印度獨立運動騷擾の近況 |
14 | ボンベイ騷擾 主謀者廿五名逮捕さる |
15 | ウイルキー 林森と會見 |
16 | 交換船鎌倉丸 九日橫濱へ |
17 | 米、八月中の武器生產高 |
18 | アルゼンチンの 中立態度は不變 山本外務次官が報告 |
19 | 英米のデマ粉碎 ロメル將軍國際記者と會見 |
20 | 南十字星 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 防空即生活の重大性社說 一 防空について、一般の關心と熱心が薄らいであると云はれ、訓練を輕視するものが少なからず存在してゐると云はれてゐるが、若し事實とすれば由由しきことと云はねばならない。これは思ふに、一部島民が大東亞戰爭の將來について、何となく樂觀的な氣分を持つ事に起因すると思はれるが、しかしこれはまさに何らの根據もなく本島が空襲の危險から脫し得たとする非常識から來た惰眠だと云はねばならない。まことに現下の我我は古今未曾有の大戰爭たる大東亞戰の真只中に在り、しかも長期戰となるの公算大なるを思ふとき本島の地理的地位や周圍の情勢に鑑みて、敵機の潜行的奇襲、場合によつては執拗なる空襲は當然に豫想せられる、否豫想せねばならぬのであつて、從つてこれをしも徒らに敵を輕視し、緊張を缺いて油斷を生じ安閑として樂觀的氣分に醉ふことは、嚴に警戒しなければならないと思ふ。 二 斯くの如く、防空は戰時下我ら國民の一日として忘れてはならないことであつて、殊に長期戰となるに從ひますますその然りを覺ゆるのである。去る九月一日の震災紀念日に當り國土防衞に關して國民の緊張を要望する陸軍當局談にある通り、日本本土空襲の三經路中、米國航空母艦からするもの、太本洋上米國陸上基地を出發し支那大陸要地に着陸するものの外、支那大陸皇軍非占領地域を基地とするについては、さきに陸軍の實施した浙贛戰作によつて麗水、金華、衢州、玉山、福州等の基地が次次に擊破されてゐるが衡陽、桂林方面の基地は逐次完成して夜間離着陸の設備も出來上り戰爆連合の新銳機も次第に集結しつつあるのであつて、從つて之等と一衣帶水の本島としては十分に彼の爆擊圈內にあることを夢忘れてはならぬのである。換言すれば、いざといふときは既に到來してゐるのである。島民は斷じて安閑として樂觀してはならない 三 茲に於て、防空訓練が真劍に徹底して居らねばならない。陸海軍が到る處に偉大なる戰果を揭げ全世界を驚嘆させてゐるのは單に物心兩方面の準備に缺くるところがないだけではない、その蔭には、幾多血の出るやうな猛訓練が在つたからである。之と同樣に民防空に於ても教育訓練が最も大切で、加何に防空施設が完備し、防空計畫が立派に出來ても、そこに若し訓練が不充分であつては非常の際の役には立たない。しかも空襲態樣は多種多樣であるが故に、幾度か真劍に色色の場合を豫想して訓練し、その結果計畫や設備の缺陷を是正し、而して腕に覺えをつけ必勝の自信を持たねばならない。一朝有事に對處する確乎不動の精神は斯くして生れて來るのであるだから防空訓練は島民全體が、老若男女を問はず真劍に、いはゆる防空卽生活の意識を以て徹底的に行はれなければならない。斯くして備へあるものは更に訓練の好き成果と相俟つて、最後の勝利者となり得るのである |
02 | 鍛へや“稔りの秋” 和樂の內に活動力を蓄積 一億明るい鍊成へ |
03 | 增える大學の講座 東大に採油、製油科新設 |
04 | 七殿下“忠靈”を御覽 きのふ歌舞伎座へ御成 |
05 | 板についた“敬禮” 親子が競爭で日本語を勉強 面目一新の昭南親島 |
06 | 武運長久祈願祭 八日基隆神社で執行 |
07 | 宜蘭傷病軍人平癒祈願祭 |
08 | “保護精神”を昂揚 來月二日島都で大會開催 |
09 | 圖像:再起奉公を誓ふ |
10 | “海の健兒”來れ 海軍志願兵を募集 |
11 | 積極的意見續出 皇奉初の運營委員會 |
12 | “源泉貯蓄”を獎勵 既存の各種組合を活用 |
13 | 宜蘭慰安映畫會 |
14 | 宜蘭市神樂講習會 |
15 | 軍馬へ御馳走 新竹州民の赤誠振り |
16 | 宜蘭金屬特別回收講演會 |
17 | 平城に安着 訪滿學生鳥人 |
18 | 新竹州司法保護委員總會 |
19 | 皇奉支部主事打合會 |
20 | 宜蘭市農事共同組合長會議 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 逞しき若人の姿 臺中州青年校查閱開始 |
02 | 青年訓練所合同入所式 |
03 | 西村文教局長 臺南州初巡視 |
04 | 飛躍の第一步へ! 南方產業調查委員會を設置 |
05 | 慰問に赤誠披瀝 宮木知事嘉義へ |
06 | 北斗神社例祭 十、十一日に日延 |
07 | 圖像:英國製の衣類を燒却して反英氣勢をあげる印度民眾 |
08 | 員林街奉公班 |
09 | 自然教育の試み 兒童に鉢植えさせて |
10 | 奉公の使命果す 霧峰庄皇奉分會の業績 |
11 | 常會運營研究會 |
12 | 稗拔きを勵行 員林皇奉會の十月中實踐事項 |
13 | 臺南州視學打合 |
14 | 志願兵の慰問へ 高雄市の有力者上北 |
15 | 中等武道大會 |
16 | 臺南州國演會 十三日南門校で開催 |
17 | お山の指導者 高砂族青年を農試で修業さす |
18 | クスクス社 平地に移住 |
19 | 嘉義廟祭典 |
20 | 戰時下の濠洲(一) 國內統一に必死の工作 あくどい對日誹謗に反對の聲 |
21 | 新豐農產諸品評會 褒賞授與式を擧行 |
22 | 堆肥增殖獎勵 彰化郡積極的に乘出す |
23 | 拓南農士訓練所に 教練指導官を派遣 |
24 | 彰化局簡保記念日行事 |
25 | 市郡對抗軟式野球 |
26 | 漫畫講習會 |
27 | 年に三二八箇! 第二九號白色レグホン |
28 | 鳳山街の紳士賭博近く送局 |
29 | 地方多より |
30 | 今日の映畫 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 明年度督府豫算 五億圓內外に膨大 本年度に比し約二割增加 |
02 | 輸出茶買取補償契約 五日附を以て認可 |
03 | 木材檢查實施上の 周知事項に就て 山林課談 |
04 | 蘭陽地方組合 貯金率の增加 梅原理事語る |
05 | 日滿支相互間の 戰時保險近く實施 |
06 | 今後の食糧對策(上) 本年の內地米は增收 |
07 | 統制組合令の制定 中央の方針未決定 |
08 | 農業藥劑配給統制 要綱決定、一日より實施 |
09 | 綿スフ統制會創立 會長、井上清氏を任命 |
10 | 臺灣鍋の配給統制 業者より當局に陳情 |
11 | 經濟手帖 鋼材強化の新法 |
12 | 照明燈 |
13 | 商況 五日後場 |
14 | 黃色種煙草への 栽培轉換を目論む |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(794)/黃得時;碇政彌 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 治安圈を擴大固定(九月中) 北支各方面の肅清作戰 |
02 | 王華北政務委員長 昨日滿國訪問に出發 |
03 | けふ新京に到着 直に宮廷府に參進記帳 |
04 | 南方建設と人物養成/山田文雄 |
05 | 軍援に寄附 |
06 | 戰時生產進捗を誇示 ハ駐米英大使 |
07 | 電報取扱開始 グアム、メナド間 |
08 | 建國十周年を慶祝 友好親善關係を增進 林情報局長談 |
09 | 訪滿學生機 平壤出發 |
10 | 圖像:平和にかへつたバタアン半島 |
11 | 連續爆擊を集中 一日六百乃至一千機を動員 |
12 | ス市慘澹たる狀景 到る處砲彈爆彈の穴 |
13 | 獨軍司令部發表 |
14 | 積極的攻勢に出づ 獨軍三地區から |
15 | 建設軌道に乘る 永田櫻井兩顧問西貢着 |
16 | 米の新□稅案 |
17 | 米新銳潛艦グ號 太平洋で沈沒(米海軍省發表) |
18 | 禁止奢侈品の取扱ひ方 地方長官に通牒 |
19 | 第二代ヨークタウン進水 |
20 | 法令の種類形式 內容の基準 ジヤワ軍政監部布告 |
21 | 青年團女子隊幹部講習會 九日から草山で |
22 | 富田醫學部長 辭任 後任は小田教授 |
23 | “文展”十六日に開幕 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇后陛下の御仁慈 重ねて海軍關係傷痍者に 御手製の繃帶を賜る |
02 | 自由原則討滅の血戰 認識せよ!若き學徒 奧村情報局次長早大で講演 |
03 | 羅東神社祭典 □□十一月三日 |
04 | 圖像:艦上にて活躍する工作兵 |
05 | 訓練中の志願兵 湖口で演習實施 七日より十一月廿五日まで |
06 | 軍援に寄附 |
07 | 故山口宮司記念碑 明治橋畔に建設 |
08 | 引揚邦人座談會 寒い天幕生活 渡邊博士等の献身的看護 |
09 | 宇治家彥伯 明治神宮御參拜 |
10 | 國民勞務手帳 ポスター圖案 入選者發表 |
11 | 新竹州行政簡素化 庶務課長會議で打合 |
12 | 圖像:その名も愛國橋 |
13 | 海外渡航者の注意 携帶手荷物を制限 |
14 | 銃後奉公の誓ひ 今月の常會放送 |
15 | 砂糖の國濠洲の表情 |
16 | 一躍六萬二千人 外苑競技場新裝なる |
17 | 基隆市內各野球團の爭霸戰 |
18 | ガラの圓滑配給 業者を集め協議 |
19 | 興南詩苑漢詩 敬次元煌兄見贈瑤韻四首/小魯、次元煌老弟原韵五首/春盛、壬午中秋夜陪灌園先生菜園觀月/莊幼岳 |
20 | 鴨飼育最高潮 新竹州更に孵化場增設 |
21 | 果實王國加州に凋落の秋 |
22 | 人事・消息報社消息 |
23 | 煙幕 |
24 | 商況 六日前場 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 有難い御下問賜はる 畏し・食糧確保を御軫念 井野農相は謹んで語る頭條新聞 【東京發同盟】井野農相は六日午後二時宮中に參內 天皇陛下に拜謁仰せつけられ本年產米第一回豫想收穫高並にこれを中心とする明年度食糧事情に關し奏上種々御下問に奉答して同二時四十分御前を退下したが右奏上の模樣に關し本省大臣室に於て次の如く謹んで語つた 本年の米作狀況は努力、肥料等の資材不足にも拘らず共同作業の勵行、自給肥料の增產等農民粒々辛苦の結果當初七千萬石に達する見込みであつた所二百十日中國地方の一部を襲つた風水害のため約二百萬石からの被害を蒙りその結果九月二十日現在調查の第一回豫想收穫高に於ては六千七百三十萬石となつた旨奏上致しました所 陛下には痛く御滿悅の御模樣に拜され引續き地方的な特殊生產事情等につき種々詳細な御下問を賜はりましたので謹んで奉答申上げました、戰時下國民生活の必需食糧確保を御軫念あらせられる大御心に恐懼感激して御前を退下して參りました。尚本年は內地米作が豐作であるとは言へ朝鮮、臺灣は天候不良のため豫期の成績を舉げるまでに至らずまた一方大東亞の食糧事情から見ても船腹等の關係上この際出來るだけ外米依存を一擲したい方針を以て進みたい考へであるから今後一層國民諸君の消費規正を強化するの已むなきに至るやも知れぬ從つて內地が豐作だからと言つてこれに醉ふことのないよう特にこの際國民の協力を要請したい |
02 | 增產陣に凱歌擧る 產米豫想六千七百三十餘萬石 |
03 | 戰時陸運の非常態勢 閣議決定、要綱を發表 |
04 | 絕對不敗の輸送陣 餘剩船腹・滿洲、南方に振向く |
05 | 靖國神社秋の臨時大祭 六日の行事日程 遺族受付十二、三、四の三日間 |
06 | 準備奉仕開始 |
07 | 特に關門隧道通過さす 九州から東京に直通 |
08 | 鐵道の方針 可及的速かに措置講ず |
09 | 國策輸送に貢献(八田鐵相の談) |
10 | 旅客輸送、一段抑制 沿岸貨物、陸上輸送に轉移 |
11 | 臺灣從軍記念會 愈よ皇民奉公會に移管決定 內容も擴大強化 |
12 | 陸軍司政長官發令 |
13 | 東京、大阪食糧營團理事長決定 |
14 | 山東蔣系諸部隊 和平陣營に參加 |
15 | 南米諸國の邦人壓迫 帝國政府、嚴重抗議 |
16 | 內閣辭令 |
17 | 支部支會を結成 新竹州で打合開催 |
18 | 鐵道部人事異動 |
19 | 南十字星 |
20 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 知己知彼は完勝への道社說 一 敵を知り、己れを知ることは戰勝への原理である。アメリカが真珠灣以來戰へば必ず慘敗を喫し、敗退を重ねた所以は開戰當時まで自己を誇大に妄想し、日本の實力を輕視した結果の酬ひであると見なければならぬ。併し開戰數ケ月にして、豫期し得なかつた我が日本の實力に慘慘打ちのめされた米國民は、この頃やつと惡夢から醒めた樣に對日認識不足の訂正に努め、日本は經濟的に自壞作用を起すとか、支那事變で國力を消耗し盡してゐるとかの妄想拂拭に躍起となつてゐる事實を、吾吾日本國民は見落してはならない。卽ち彼等が次第に日本の再認識を深めるに從つて、その戰爭氣構えは益益真劍味を帶びて來たのである先月七日のルーズヴエルトの爐邊談話では「今次の戰爭は正に喰ふか喰はれるかの戰ひである」と國民に呼び掛けて居り、又曩に日米交換船で歸國した前駐日米大使グルーは、今日まで三回に亘り「戰ふ日本の樣相」を演說し、言葉の限りを盡して「日本擊ち難し」と述懷し「真劍勝負」の為に起ち上れと米國民に警吿してゐる。かく米國は日本の實力に先づ驚愕し、次いで認識を改め、今や覺悟の決め直しに滿身の努力を傾注してゐる、殊に東亞の事情に通曉してゐるグルーの歸米は、必然的にその對日戰爭方策に相當の變化を齎らす事が豫想されなければならぬ。 二 果せる哉、最近第二戰線並に對日作戰を繞つて聯合國軍事首腦部が戰略を再檢中との報道が頻りに流布され、聯合國作戰首腦間に於てルーズヴエルトの見解たる作戰の重點は太本洋に置かれるべきだとの主張が支配的になつたと報道されてゐる。勿論この種の報道は多分に歐洲第二戰線實現困難に對する辯解の意味も含まれてゐるだらうが、何れにしても對日戰第一主義の主張が漸次聯合國間に有力化して來た事實は吾吾國民として多大な關心を拂はなければならぬことである。殊に戰爭の進行に伴つて、米國は一方に於ては陸海軍の大規模な擴充工作を行ひ、他方に於ては米國の持つ尨大なる工業能力を擧げて軍需生產の為總動員された。ルーズヴエルトは本年一月の豫算教書に於て差當つての軍需生產目標として本年末までに飛行機六萬臺、戰車四萬五千、高射砲二萬、船舶八百萬噸を完成する計畫を發表した、かかる尨大な計畫が果して實現されるか否かは、當時アメリカの專門家の間でさへも大に疑問とされてゐた。而して最近に於ける軍需生產情況に關する各關係當局の言明は、何れも素晴しい進捗振りを見せてゐると誇つてゐる。勿論これら言明は多分に宣傳の意味を持つものであるであらうが、少くとも相當圓滑な進行をなし、アメリカの誇る物の力がこの點に於て愈よその威力を發揮し始めつつあることは、平出大佐の講演に「或る時敵機を擊滅すると數日經つた後には又元通りの飛行機が揃つてゐる」の言明に徵して明かであらう。 三 論勿吾吾には世界無比の精銳があり、二億國民鐵の團結に依つて持つある所、敵の如何なる反攻企圖と雖もこれを粉碎して盡さずばやまぬものであり、少しも恐るるところはないが、敵に反攻の企圖あれば、われにも對應の備へなくてはならない。敵の產業再編成が一大促進を見、軍備擴大が進捗しつつあれば、わが國に於ても一層の生產擴大によつてこれに應じなければならぬのである。故に平出大佐は「今や本格的な戰さが始まらうとして敵は刃を研ぎつつあるこの秋に日本內地に於ては戰さは既に武力戰としてはすんだこれからは建設戰であるといふ風な氣持になつたのでは、前線の將士はどれ程惜しいか知れない」と國民に警吿し、一億國民結束の紐帶である日本古來の德目である「正直」「親切」「明朗』の實踐を要求し、米の戰備に對應して生產擴充に挺身すべきことを强調してゐることは、吾吾國民の常に胸底に銘記して置かなければならないことである。 |
02 | 壯烈無比・巨艦を擊沈 シドニー攻擊の特殊潛航艇 四英靈鎌倉丸で凱旋 |
03 | 四勇士の氏名 |
04 | 莊嚴な船內慰靈祭 同胞八百七十名參列 |
05 | 椿井中尉金子陸軍上等兵 十三日宜蘭市葬 |
06 | 伸び行く 譽の志願兵 一路醜の御楯へ (一)この感激、この決意 |
07 | 敵前の手で海軍葬 日章旗に護られて |
08 | 胸中只奉公の二字 故中馬大尉の信念 |
09 | 一瞬阿修羅の地獄繪 シドニー恐怖のどん底 |
10 | 敬神崇祖に生きよ 十月常會の申合事項 |
11 | 新京に向ふ 訪滿學生鳥人 |
12 | 無事新京に到着 |
13 | 軍援臺北市分會への寄附 |
14 | 英國民の生活窮乏ぶり ロンドン放送局の米國向放送 |
15 | 時局認識を喚起 八日第一劇場で講演會 |
16 | 國防大會の實況 AKから全島に中繼 |
17 | 日映支局開設 |
18 | 人事・消息報社消息 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 豐作を神に感謝 臺南州下一齊に豐年祭擧行 |
02 | 祭典奉納角力大會 廿七、八日の忠靈塔附屬土俵開き |
03 | 東港神社祭典打合 |
04 | 農民懸命な努力で 彰化郡の田圃に黃金の稻 |
05 | 慰問用特輯號 日婦臺南州支部編輯 |
06 | 白衣勇士に御馳走 屏東市桔俱員手製の料理で |
07 | 圖像:燃上るソ聯村落を通過して彈藥輸送に活躍する獨輸送部隊 |
08 | 西村文教局長 臺中州下の視察日程 |
09 | 陸軍病院を訪問 |
10 | 譽の遺家族慰問 |
11 | 共同耕作に凱歌 農實組合の甘蔗が倍の收穫 |
12 | 青年團に新紀元 組織を二本建に改革 |
13 | 殉難者合同慰靈祭 十二日礁溪庄役場で |
14 | 花蓮港廳國語演習會 |
15 | 慰問金に金一封 |
16 | 戰時下の濠洲(二) 軍需品生產に大童 勞働力補給が惱みの種 |
17 | 圖像:マニラ麻 |
18 | 臺中州壯丁團角力 十二日彰化で |
19 | 廳勢推進に本腰 振興會具體案を練る |
20 | お山の感激譜 迸るこの愛國熱情 |
21 | 申出よ・純情乙女七人組 陸相の感謝狀、高雄女に到着 |
22 | 蘭陽地方暴風雨災害救濟義捐金報社消息 |
23 | 神宮大會臺灣代表 團長以下選手決る |
24 | 山地開發に全力 社眾に指導會開催 |
25 | お客接待改善座談會 |
26 | 向陽校體育會 |
27 | 地方多より |
28 | 今日の映畫 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日糖、中央製糖合併 本島へ移轉、高級テツクスを製造 認可申請中 |
02 | 戰時海運管理令 けふ施行規則公布 海事課長談 |
03 | 今後の食糧對策(下) 本年の內地米は增收 |
04 | 本年度自動車輛 四、五割の割當增加 |
05 | 南方の事業擴大 近く各地に事務所設置 加藤臺拓社長歸臺談 |
06 | 農機具修理班 第一隊は今日出發 |
07 | 島內中小工業勃興 內地遊休設備續續移轉 |
08 | 重輕勞の區分改正 十五、六日に打合會 |
09 | 主要食糧組合長 打合會を開催 |
10 | 新產業統制法を制定 滿洲政府けふ勅令を公布 |
11 | 大同鐵工所重役陣改造 新社長林哲生氏 |
12 | 桃園郡鮮魚小賣人組合結成 |
13 | 貨物輸送量增大 噸當り輸送料延長 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況 六日後場 |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(795)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 譽の家を護る日 慰問と感謝を捧げませう あすは大詔奉戴日 |
02 | ミシシツピー型米戰艦を擊沈 大西洋上伊潛艦を殊勳 |
03 | 埃及の反英 カイロ鐵道破壞 |
04 | 獨伊軍が優勢 東地中海方面の情況 |
05 | 勳章を御贈與 滿洲國高官六氏に |
06 | 圖像:○○艦上にて愛機を手入れをする整備の勇士 |
07 | 張國務總理と 感激の握手 王委員晴の國都入り |
08 | 米英首腦當惑の態 スターリンの不滿表明 |
09 | 米英對ソ關係複雜化 |
10 | 米英軍事生產 首腦共同會議 ソ聯を慰撫か |
11 | 旅客輸送の制限 十八年度初頭より本格的實施 國民高度の協力要請 |
12 | 鄭駐泰滿國公使 赴任の途へ |
13 | 米、航空機發動機研究所を設置 |
14 | 殘存赤軍を大猛攻 ス市攻略軍、更に敵陣地奪取 |
15 | 獨潛、黑海に活躍 |
16 | イラク內閣 總辭職決行 |
17 | 英兵俘虜千八百餘名輸送の りすぼん丸沈沒 アメリカ潛水艦の襲擊受けて |
18 | 米潛艦の英俘虜襲擊 千數百名は消息不明 |
19 | ウイルキー 蔣介石會談 |
20 | 駐ソ米大使急遽歸國 米、ソ關係微妙な動き |
21 | 田代氏を起用 翼贊會思想部長 |
22 | ルーズヴエルト 一切言明を拒否 |
23 | 交流人事發令 內務、農林、厚生 |
24 | 大藏省異動 |
25 | 彈丸切手發賣 建功神社境內 |
26 | 英國と戰ふべき秋 在獨ボース氏對印放送 |
27 | マハサバ運用委員會の決議 |
28 | 印度騷擾狀況 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 鍊成と體力向上に 陸上戰技(假稱)登場 陸聯、競技中心主義を清算 |
02 | 遙拜所招魂社建設 中部呂宋日本人會の計畫 |
03 | 圖像:冬迫るアリユーシヤン便り |
04 | 引揚邦人座談會 “よくぞやつた” 自治的キヤンプ生活 |
05 | 國語常用宣誓 記念に献金 |
06 | 遺族に彈丸切手 麗し軍援美談二つ |
07 | 日婦基隆郡支會結成式 |
08 | 保護事業協議會 |
09 | 遺族部隊出發 社頭對面の感激を胸に |
10 | ヱホンニッポン 創刊號にノリモノ一萬部 近く南の第二國民に贈る |
11 | 金屬の特別回收 物資課注意事項を發表 |
12 | 遺族列車に萬全 輸送輻輳見事克服 |
13 | 素人演藝で慰問 十日から基隆市公會堂で |
14 | 死刑宣告に平然 自ら敵中に潛入して挺身宣撫した 親日比島人決死の協力 |
15 | お山に婦道鼓吹 乙女達を集めて鍊成 |
16 | 六原訓練所が最適 視察した樂滿參事語る |
17 | 興南詩苑漢詩 偶□二首/杏庵、逸鶴來□有詩見贈賦此/黃景南、中秋夜西郊步月 四首/補莊 |
18 | 島都の孔子祭 けふ嚴肅に擧行 |
19 | ヂフテリア豫防注射 |
20 | 新竹市秋季大清潔日割 |
21 | 人事・消息 |
22 | 興南案內報社消息 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | けふ第十回大詔奉戴日頭條新聞 詔書 天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ昭に忠誠勇武ナル汝有眾ニ示ス 朕茲ニ米國及英國ニ對シテ戰ヲ宣ス朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司ハ勵精職務ヲ奉行シ朕カ眾庶ハ各々其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ舉ケテ征戰ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ 抑々東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ丕顯ナル 皇祖考丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ朕カ拳々措カサル所而シテ列國トノ交誼ヲ篤クシ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ之赤帝國カ常ニ國交ノ要義ト為ス所ナリ 今ヤ不幸ニシテ米英兩國ト釁端ヲ開クニ至ル洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ中華民國政府曩ニ帝國ノ真意ヲ解セス濫ニ事ヲ構へテ東亞ノ平和ヲ攪亂シ遂ニ帝國ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有餘ヲ經タリ幸ニ國民政府更新スルアリ帝國ハ之下善隣ノ誼ヲ結ヒ相提攜スルニ至レルモ重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ兄弟尚未タ牆ニ相鬩クヲ悛メス米英兩國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制霸ノ非望ヲ逞ウセムトス剩へ與國ヲ誘ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ增強シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ與へ遂ニ經濟斷交ヲ敢テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ回復セシメムトシ隱忍久シキニ彌リタルモ破ハ毫モ交讓ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ益々經濟上軍事上ノ脅威ヲ增大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス斯ノ如クニシテ推移セムカ東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ歸シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國 ハ今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ朕ハ汝有眾ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス 御名御璽 昭和十六年十二月八日 各國務大臣副署 |
02 | ビルマ作戰に武功拔群 畏し・武勳上聞に達す 地上部隊に初の感狀授與 |
03 | 陸軍省發表 |
04 | 感狀 櫻井兵團、同配屬部隊 |
05 | 感狀 渡邊兵團、同配屬部隊 |
06 | 單獨接見の榮賜はる 王委員長一行、帝宮に參入 |
07 | 敵屍一萬六千餘(兩兵團の戰果) |
08 | 兩兵團の戰鬪經過 |
09 | 內務辭令 |
10 | 樞府の審查終る 行政簡素化諸勅令案 |
11 | 樞府本會議 |
12 | 大東亞省官制案 あすから審議を開始 |
13 | 兩兵團長略歷 |
14 | 治安強化運動を展開 華北日華軍官民呼應して |
15 | 國民政府への飛行機讓渡式 |
16 | マレー方面交通、通信 本格的軌道に乘る 現狀と將來、坪田交通部長談 |
17 | 裝甲車の讓渡式 |
18 | ス駐ソ米大使 スターリン訪問 |
19 | 當面の商工問題(神田總務局長語る) |
20 | 攻防戰益益激烈 |
21 | 大工場地帶の突破愈よ困難 |
22 | 商工省所有の 特許技術を活用 各產業統制會を通じて |
23 | 米英ソ三國議定書調印 軍需品資材供給 |
24 | 南十字星 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 大東亞戰爭は之れから 經濟戰思想戰に頑張らう社說 一 昨日本欄で敵を知り己を知ることが戰勝への原理だと說いたが而かもこの原理の下に頑張りあつてこそ勝利我に在りと言ひ得るのである外國に頑張りと云ふ言葉があるか否かは別として、我國ほどこの言葉の使はれる國はない、それは大和民族ほど頑張りの精神に富んでゐる國民はないに外ならないがこの具體的表現が支那事變から大東亞戰爭に至るまでの赫赫たる戰果となつて示されてゐる、立體戰であり國家總力戰である近代戰が凡て必然的な長期化の性格を持つてゐるのに鑑み銃後國民が今次の大東亞戰を勝ち拔くためには戰爭が何年ならうとも最後まで頑張ると云ふ强い心意氣がなければならぬ、殊に米英擊滅の聖戰はその緖戰がわが燦たる勝利に終つたとは言へ寧ろ本格的な戰はこれからである、「今まで米國は本國は本腰でなかつた、之から初めて本當の戰爭らしい氣持で戰爭準備に向かうといふのである、所が日本で戰爭は峠を越した、米國與み易しと反對現象を呈してゐる」とは谷萩陸軍報道部長の言葉であるが寔に慎しむべきことはこう云つた輕薄な氣持である。 二 大東亞戰において敵の反樞軸陣營の中核をなすものは米國である、そのアメリカは傲慢不遜成金的な氣持で自己を誇大に妄想し日本よもや起つまいと侮りかかつたのが、十二月八日の真珠灣以來連戰連敗、徹底的に我が國にやつつけられ、この激しい衝擊に周章狼狽し熾んに國民の戰爭熱を煽り立ててゐるが、肝腎のアメリカ國民に戰爭目標がわからない、明確な戰爭目標がない點においては英國も同じであるが、そのためルーズヴエルト初め白堊館當局では國民の士氣を鼓舞する材料の製造に躍起となり、國民の敵愾心を喚起するため“リメムバー・パール・ハーバー”(真珠灣を忘れるな)を標語にし、“デモクラシーを救ふ”の陳腐なスローガンを揭げて戰爭意識の昂揚に努めてゐるが最近ではこの標語は遂ひに「生存競爭」と代り米國は生きるか死ぬかの生存を賭しての戰ひをしてゐると言ふ風に、戰爭に對する國民の輿論統一に必死の思想戰、經濟戰を開始したのである 三 斯くの如く本格的な戰爭準備のため米國は思想戰、經濟戰に乘り出しその豐富なる物資と殷盛なる工業力を恃んで緖戰の慘敗を輓回せんとしつつあると同時にその尨大な富に依つて軍備の大擴張を圖り日本を第一の敵とし第二戰線の歐洲方面への結成を思ひ切つたものの如くである、米國は昭和十九年末までに陸軍兵力に於て四百萬第一線飛行機が二萬、海軍兵力に於ては艦艇二百六十萬噸、第一線の飛行機が一萬五千機これを完成して大攻勢に轉じ、その間飛行機と潜水艦のゲリラ戰に依つて我が國の國力を多少でも減退させようとの消耗戰略を樹ててをり、其外空中母艦の出現、濠洲ブリスベーンー桑港間一萬二千粁の卅六時間無着陸飛行の成功など頻りに傳へられるが譬へ米國がその富を誇つて如何に蠢動しても、武力戰に關する限り「日本は緖戰の赫赫たる戰果を確保增大することに對しての絕對の確信を有する」と谷萩陸軍報道部長の言明通り、銃後の國民はわが忠烈なる皇軍に信賴し、增產に貯蓄に思想に一億の心を結集以て經濟戰、思想戰に勝ち拔くまで最後まで頑張らねばならぬこと改めて贅言を要しない |
02 | 仰げ勇士・護れ家族 前線へ銃後へ感謝の奔流 けふ第十回大詔奉戴日 |
03 | 全國一齊に慰靈祭 譽れの家を守りませう |
04 | 傷病軍人慰安映畫會 |
05 | 心と心、力と力 しつかり組んで戰はう |
06 | 千田少佐外諸英靈 花蓮港で慰靈祭執行 |
07 | 伸び行く 譽の志願兵 奮起して頑張る(二) 忘られぬ出發の旗の波、歡呼の嵐 |
08 | 白衣勇士魚釣慰安會 |
09 | 新竹市學校美術展 |
10 | 新竹市奉公醫師團懇談會 |
11 | 制服の乙女達 無敵海軍へ慰問文 |
12 | 勳の靖國子ら 花蓮港から五遺族參列 |
13 | 體育鍊磨の新方向 國防訓練大會迫る 人氣を呼ぶ競技種目と方法 |
14 | 宜蘭市旭校體育會 |
15 | 訪滿の學生鳥人 東條首相以下のメツセージ 關係方面に贈呈 |
16 | “靖國の繪卷” 新祭神の遺族に贈る |
17 | “新建設”を發刊 奉公會中央本部で |
18 | 團栗を活用 アルコール等の原料に |
19 | 泰國派遣商業實習生合格者 |
20 | 明年度物資需要調查打合會 |
21 | 傷痍軍人會高雄州支部總會 |
22 | 無料診斷を實施 花蓮港の姙產婦に |
23 | 寺田同盟通信社員逝去 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 援護美談を身で綴る 譽の松岡君に嫁ぐしづ子さん |
02 | 生徒は純真、率直 言動はもう立派な兵隊さんだ 慰問者の見た志願兵 |
03 | 奉納催しを協議 彰化神社祭典を盛大に |
04 | 大溪神社例祭 奉納行事決定 |
05 | 圖像:獨赤十字の水上機 |
06 | 大日本傷痍軍人會 臺中州支部第一回總會 |
07 | 奉公壯年團臺南州支部 十九日に結成式擧行 |
08 | 東港の海邊に鍛ふ 屏東市の青少年團幹部 |
09 | 彰化市の大詔奉戴日行事 |
10 | 川西少佐以下諸英靈 十五日第四部隊で告別式 |
11 | 森村軍屬の臺中市葬 |
12 | 斗六郡下の青年團查閱日程 |
13 | いぢらしい童藝に 勇士ニコニコ! 善化のヨイ子供達陸軍病院を慰問 |
14 | 主婦を消費者代表に 物資配給委員會設置 |
15 | 皇奉大溪街分會の新陣容 |
16 | 常會運營を視察 臺中州支部から三班派遣 |
17 | 國債消化に協力 屏東市青少年團の熱誠 |
18 | 潮洲街國語發表會 |
19 | 黃牛飼育地に 小硫球島を調查研究 |
20 | 埔里街十月常會 |
21 | 中等選拔野球 十日より臺中で |
22 | 大溪街女子 第三種訓練 |
23 | 赤誠の献金品 |
24 | 圖像:軍需工場に働く獨逸乙女 |
25 | 築地彰化郡守 譽の遺族弔問 |
26 | 市內永樂町二丁目永樂ホテル |
27 | 人事報社消息 |
28 | 地方多より |
29 | 今日の映畫 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 農務部を新設か 臺拓內部機構整備を急ぐ |
02 | 家兔の增產報國 翼贊會、要綱を發表 |
03 | 落花生蒐荷不良 價格引下げの影响 |
04 | 籾殼灰の現在及び將來(上) |
05 | 雜穀配給統制規則近く公布 |
06 | 堆肥增產實踐運動 高雄州下で積極的展開 |
07 | 棉作技術員講習會終了式 |
08 | 輸移出バナナ 七月中の價格低落 |
09 | 淡水魚大增殖に 魚苗を對岸より輸入 |
10 | 照明燈 |
11 | 臺拓への木材拂下 近く正式契約を締結 |
12 | 經濟手帖 勞務者の月給制 |
13 | 商況 七日後場 |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(796)/黃得時;碇政彌 |
16 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 岡部直三郎中將 軍事參議官に補す 陸軍異動發令さる |
02 | スターリン聲明 太平洋會議で一言も觸れぬ |
03 | 李紹庚氏並に夫人お召し 午餐の御別宴催させらる |
04 | 圖像:不斷に備へる海の勇士 |
05 | 四大目標を實踐 華北けふから強化運動 |
06 | 米國經濟と我日本/加田哲二 |
07 | 圖像:力強い清鄉の步み |
08 | 香港神社の御造營開始 |
09 | 英爆擊機の損失 一千餘機 本年初頭より九個月間 |
10 | 攻勢の時期到來 ウイルキー嘯く |
11 | 獨軍マルゴベクを占領 |
12 | 獨軍新銳部隊を 輸送機で增強 |
13 | 重慶胡宗南を陝北司令に 中共、賀龍で對抗 |
14 | ウイルキーの 聲明 |
15 | 米首腦部全く困惑 ウイルキーの行き過ぎ |
16 | 米八時間勞働制放棄 |
17 | 駐ソ米大使 ス首相と要談 |
18 | 鄉軍花蓮港分會射擊大會 |
19 | “對支回顧錄”完成 中島真雄氏畢生の事業 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 必勝へ一億總進軍 軍援へ擧る銃後島民の赤誠 感謝捧ぐ島都の奉戴日 |
02 | 前線へ慰問袋の山 けふ日婦本部から發送 |
03 | 軍國の家を表彰 津津浦浦に繰展ぐ軍援風景 |
04 | 詔書奉讀式 |
05 | 歌會始諸役仰付けらる |
06 | 紅唇にたぎらす 祖國愛の熱情 革新印度女性の氣魄 |
07 | ラジオ常會放送 |
08 | 決戰の生活科學展 島都を皮切りに各地で開催 |
09 | 動的鍊成に重點 奉公委員、參與の鍊成 |
10 | 圖像:前線へ慰問袋 |
11 | 基隆の奉戴日 |
12 | 海軍簡閱點呼 十二日樺山校で |
13 | 州下學校教練振作打合 |
14 | これぞ軍國の妻 “夫を前線に出して下さい”と 熱烈燃ゆるこの嘆願 |
15 | 四勇士無言の凱旋 鎌倉丸館山灣に入港 |
16 | 宜蘭消防組上棟式 |
17 | 金屬回收に拍車 基隆の奉壯團、戶別訪問 |
18 | 高校、臺大豫科對抗競技 |
19 | 教員體育大會 新竹州十一日から開催 |
20 | 青年團幹部の合宿訓練 |
21 | 新竹州國演會 二十日新興國民校で |
22 | 今夜の放送 |
23 | 興南詩苑漢詩 中秋日南友會開於魯園並擧廿五周年記念式/南都、中秋前夜大橋踏月/南都、秋日漫興聯句二首/南都、中秋夜西郊步月二首/補莊 |
24 | 糊子甘藷栽培割當面積 花蓮港廳下 |
25 | 商況 八日前場 |
26 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 軍人援護の精神 運動終了後も持續されたし 本庄保護院總裁語る頭條新聞 【東京發同盟】大東亞戰爭完遂の熱意を以て去る三日から全國一齊に展開された軍人援護強化運動は前線將兵の勇戰に應へ銃後一億凡ゆる階層一致協力して輝しい成果の裡に大詔奉戴日の八日を最後として一先づ終了したが軍事保護院總裁本庄繁大將はその活動に感謝すると共に今後益々全國民が援護精神を昂揚するよう八日次の如く語つた 軍人援護強化運動は八日を以て無事終了した、この度の運動は大東亞戰爭勃發以來始めて實施されたものだが皇軍の赫々たる大戰果に呼應して銃後官民一致の軍人援護精神は運動期間を通じ全國都會地と言はず農村と言はず未曾有の熱意を以て昂揚強調せられ、私としては運動實施の目的が充分達成されたものと確信します實例を舉げますと期間中保護院宛てに直接各方面から赤誠溢れる援護資金が寄せられその額は數萬圓に達しましたが中でも隣組や學童達の勤勞奉仕に依つて得た尊い汗の結晶が含まれ、又隣組の主婦達や可憐な學童達が舉つて陸海軍病院或は療養所の勇士又附近の遺家族達に心からの慰問と奉仕を捧げ寔に賴母しく感じました、この銃後の厚い軍人援護の真心は必ずや北に南に大東亞の前線に奮闘しつつある皇軍將兵諸君の挺身報國の軍人精神を彌が上にも振起せしめるに相違ないと思ひます冀くばこの盛上れる軍人援護の精神を運動終了後と雖も常に昂揚を持續されて長期持久の態勢を辿りつつある今次大戰の完遂に努めて戴きたい又軍人の遺族家族及び傷痍軍人の方々も感銘を新たにして更に奮起され再起自立の道を進み家庭を護り固めて 皇室の厚き御仁慈に應へ奉ると共に銃後のこの熱意に副ふべく努めねばならぬ |
02 | “船こそ增產の先陣 生產力の戰、船に歸す” 寺島遞相、戰士達激勵 |
03 | 圖像:獨ソ戰線 |
04 | 豐作でも消費規正を強化 一粒の米でも粗末にするな 石黑次官放送 |
05 | 民主主義の變貌(上) 老巧ルーズヴエルト獨裁の道 |
06 | 石炭確保打合會 岸商相、所信を表明 |
07 | 石油精製業協議會 中旬に創立總會 |
08 | 民眾の一致協力要望 ウ・ラ・ペ部長全ビルマに放送 多大の感銘を與ふ |
09 | 湯澤內相の光榮 支那事變論功行賞で 旭日重光章加授さる |
10 | 歸順式盛大に擧行 膠濟線○○において |
11 | カナダ內閣改組の顏觸 |
12 | 重慶側の不滿爆發 米のウイルキー聲明不關知聲明 |
13 | 十六日臨時休業金融機關、會社等 |
14 | 海運行政の一元化 次官會議で要望 |
15 | 定例次官會議 |
16 | 大東亞省官制案 けふ第一回審查委員會 首相、率直に所信を披瀝 |
17 | 交換船鎌倉丸 けふ橫濱入港 |
18 | 山地監督者事務打合會 |
19 | 南十字星 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 國土計畫と臺灣工業化社說 一 支那事變の勃發とその後一聯の國際情勢の逼迫に基き日滿支を通ずる國防國家態勢の强化を圖る必要から去る昭和十五年に國土計畫設定要綱が決定され爾來それに基き具體的措置が講ぜられつつあつた。誠に國土計畫は其設定趣旨にも明かなる如く國防國家建設の為綜合的見地から產業、人口等を一定の土地に配分し一定の土地に付て積極的な工作を行ふことの計畫及實行であつて日滿支計畫並に中央(日本)計畫はそれそれの地域を對豫として綜合的立場又は日本國家的見地から國土の綜合的利用開發を目標とするものであつた。而も事態が尚支那事變に局限された大東亞戰前にあつては國土計畫は日滿支計畫たると中央計畫たるとを問はず一應適地適業といふ經濟合理主義に立脚してゐたのである。ところが大東亞戰の戰果に伴ひ廣大なる南方地域が新に包含されるに至つて國土計畫は不敗完勝の態勢を整へる必要上外延的に又內包的にも著しく擴充され文字通り東亞的から大東亞的なものに發展せざるを得なくなつて來たのである。 二 外延的な擴りとしてはこれ迄日滿支關係のみに餘りとらはれすぎたのを再檢討し新しく共榮圈に包含された南方地域との關係をも考慮すると共に內包的には大東亞共榮圈が地政學上一大海洋國を構成する關係から多元的自給自足圈の確立を目ざすといつたやうな大東亞的且遠心的國土計畫が要請されてゐたのである。真實のところ廣大な海洋の介在してゐる大東亞共榮圈は萬一の場合に處しても十分圈內相互の物資交流を圓滑に行はれ得るものとは思はれずどうしても可能な限り單位地域を設定し相互に獨立に長期に亘つて作戰し防衞しうる相對的自給自足圈を確立する必要がある、大東亞共榮圈の中核體たる日本がその國土計畫――勿論これは大東亞國土計畫と同時的に決定され相互に他を媒介として成立する關係にあるが――に就て年初來根本的な案を練り差當り「全國十六ケ所開發地域案」「全國六ブロツク國土協議案」を決定し國內の產業、人口等を一定の土地に配分し又は必要なる工作を行はんとするに至つたのは正に前記の要請に基くものでなければならない 三 上述の如く日本中央の國土計畫については既に新な要請に基き根本的な立案に取掛つてゐるわけであるが右の計畫の上に立つ臺灣の國土地方計畫が勢ひ一定の方向を目ざすことになるのはいふ迄もないことであつて兵站基地としての臺灣の相對的自給自足圈の確立がその基本的方向であると言つてよいのである。臺灣工業化は實にかかる要請の端的な現はれであつて工業化の劃期的推進の意義もこれにより始めて把握することが出來るのである。卽ち南支南洋各種の資源を利用する綜合冶金、化學工業、島內資源をを以てする各種化學工業の建設並に內地遊休施設の利用による中小企業の振興等は正しく工業化の基本的方向であるがこれら工業行政を司る機關が近く府工業課として新設されるのも至極當然なことであるといつてよい。しかし乍ら工業化は本島國土地方計畵の基本的環であつても固より交通、動力等諸計畫と有機的な關係をもつものでこれら諸計畫による工業立地の人為的作出によつて工業化が始めて可能になることも多多あるであらう。かく觀じ來れば國土地方計畫の實踐的行政機關として電力課、道路港灣課、土木課を以て近く府國土局が設置されることは本島工業化の推進に貢献するところ極めて多からうと期待されてゐる。 |
02 | 國防訓練大會迫る 總督、軍司令官臨場の下に あす新公園で開會式 |
03 | 技術的成果を期待 南方、東京電波座談會 |
04 | 各地の奉獻米 來月中旬各代表奉持上京 |
05 | 御仁慈鐵窓に及ぶ 七萬一千餘名に恩赦の恩典 滿洲國司法部發表 |
06 | 御下賜品の傳達式 |
07 | 新竹州下巡視 西村文教局長 |
08 | 安藤軍司令官 蘭陽並に東部方面視察 |
09 | 臺展四審查員來臺 |
10 | 學徒訓練の成果は 國家の隆替に掛る 橋田文相大學高專生に訓示 |
11 | 伸び行く 譽の志願兵 淚が出る程嬉しい(三) 待望の銃器を授與されて猛訓練 |
12 | 臺北纖維製品小賣組合總會 |
13 | 軍事思想普及講演 伊藤海軍武官と竹內中佐が 第一劇場で大熱辯 |
14 | 獻納機合同鳳梨號 十一日晴れの命名式擧行 |
15 | 映畫の夕を開催 遺家族を招待して |
16 | 萬華貸座敷組合金屬供出 |
17 | 慰問文に慰問畫 制服の乙女らが献納 |
18 | リヤカーに十臺 金屬を回收して献納 |
19 | 宜蘭市風害殉難者慰靈祭 十一日に執行 |
20 | 高野山臺灣別院昇格式 |
21 | 「海の豪族」試寫會 |
22 | 臺北憲兵隊で 炊事手傳募集 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 今ぞ翼贊報國の秋 戰つて戰つて戰ひ拔け! 常會に山本事務總長放送 |
02 | 刺桐御遺蹟所祭典 |
03 | 武勳東亞に燦たり 川西少佐以下諸英靈慰靈祭 |
04 | 竹東街葬 十六日に執行 |
05 | 各地の神社祭 盛澤山の斗六街奉納行事 |
06 | 鹿港神社例祭 |
07 | 新化神社例祭 |
08 | 軍援趣旨童心に泌む ヨイ子供達が競つて慰問献金 |
09 | 歸還勇士を慰安 嘉義市の軍援行事 |
10 | 農務打合會 |
11 | 麥の裏作を獎勵 花蓮港市栽培を割當 |
12 | 感激を新たに 大詔奉讀式を擧行 |
13 | 花蓮港の奉戴日 |
14 | 西村文教局長彰化巡視 |
15 | 豐原街協近く補缺 |
16 | 晴れの大會控へて 舌の選手猛練習 |
17 | 吉野神社例祭 |
18 | 員林郡國演會 來る十四日開催 |
19 | 早場米の高雄十號 種籾として南方進出 |
20 | 樂しさうな親子 |
21 | 金屬類の供出に 新化郡民赤誠披瀝 |
22 | 屏東市の紙芝居競演會 |
23 | 新化郡壯丁團鍊成會 |
24 | 稻の肥培管理に 兒童、婦女動員して皆勞へ |
25 | 新坡の模範壯丁團長 |
26 | 臺南魁挺身隊 |
27 | 屏東市露店組合統合 |
28 | 新莊神社奉納野球 |
29 | 彰化青年學校查閱 |
30 | 昔の共匪今は建設戰士 救國訓練所を見る |
31 | 臺南州警察部異動 |
32 | 人事報社消息 |
33 | 地方多より |
34 | 今日の映畫 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 專賣局が新竹に 燐寸新工場を建設 臺灣爆竹より機械一切を買收 |
02 | 軸受統制要綱決定 第三・四半期より實施 |
03 | 需要家の協力要望 須田企畫部長談 |
04 | 計畫造船を推進 造船事業法愈よ實施 海事課長談 |
05 | 石井局長ら南下 |
06 | 高雄魚市場九月中鮮魚扱高 |
07 | デリス配給組合 關係者間で設立を劃策 |
08 | 實績讓渡代償金と 轉廢業共助金の課稅 督府より地方廳に方針を通告 纖維製品 |
09 | 高雄の二期米豐作 中旬頃から收穫に着手 |
10 | 株金拂込催告 九月中二件許可 |
11 | 新竹の石灰石採掘 臺灣石灰石鑛業近く設立 |
12 | 貯蓄獎勵を協議 全島主務課長會議開催 |
13 | 商況 八日後場 |
14 | タクシーの合同 鐵道部の方針決定 |
15 | 照明燈 |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(797)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 高橋提督晴の歸還 直ちに參內、具さに軍狀奏上 安場、春日の兩提督も參內 |
02 | 圖像:敢鬪する機關兵 |
03 | すでに目的を達成 ス市主要線獨軍の手に歸す |
04 | 悽慘な市街戰績く ス市攻略、四十六日目 |
05 | 獨軍發表戰況 |
06 | 引揚邦人の悲憤に聽く 蘭印兵の惡虐振り (上)戰ひ拔いた不撓の精神力 |
07 | 國民に新生活強要(中) 老巧ルーズヴエルト獨裁の道 |
08 | 依然激戰を展開 ス市とテリヨク兩戰線 |
09 | 第二戰線の設定 米輿論は頗る氣乘薄 |
10 | 敵幹部大部分を捕捉 舊黃河畔掃蕩戰の意義重大 |
11 | 世界資源の大半 樞軸側に占めらる ハ駐米英大使、一場の演說 |
12 | 強いて樂觀を裝ふ 印度情勢アメリー長廣舌 |
13 | 死傷三千餘名 印度騷擾、ア事務相發表 |
14 | 空母五十萬噸 海軍建造權限附與案 八日、米下院で可決 |
15 | 重慶へ米機を空輸 カラチから |
16 | 新增稅案の審議を開始 アメリカ上院 |
17 | 東株十六日臨休 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | シドニー強襲の華 四勇士無言の凱旋 鎌倉丸橫鎮岸壁着 |
02 | 全市民哀悼裡に 四勇士遺骨橫鎮着 |
03 | 叡慮に唯唯感激 河相公使の挨拶 |
04 | 軍援に寄附 |
05 | 長白山科學踏破記(一) 標高實に一千餘米 坦坦玄武臺の大半原海外遊記 【新京三日發同盟】滿ソ國境に聳立し幾多の傳說に富み稀有な金屬の賦存するといはれる秘境長白山に去る九月一日より三週間にわたり科學のメスをクザリと入れた長白學術調查團の團長滿洲國立中央博物館自然科學部長理學博士遠藤隆次氏は歸京後調查整理の多忙な裡に特に左の手記を寄せた 長白山學術調查團報告 滿洲國立中央博物館自然科學部長理學博士遠藤隆次記 スキモドキで傘代用 八月卅一日新京神社御前で查查團結成、九月一日新京出發、圖們、清津、古州經由にて九月三日惠山鎮着、九月四、五兩日長白において登山準備、九月六日小雨、朝五時起床、長白縣公署庭前において調查團員十三名、指導員二名、案內者二名、獵師一名、警備員十五名、人夫五十七名計九十名から成る調查團を組織嚴肅なる國民儀禮の後、午前八時古州副縣長を始め長白街官民多數の見送りを受け、四臺のトラツクに分乘してそほ降る雨を冐し、意氣天を衝いて出發行くこと十キロ、二十里道溝において韓家溝方面に至る森林鐵道に沿ひ蜿蜒長蛇の列を作つて進む、二十里道溝は鴨綠江の上流に沿ひこの附近における厚さ二百米餘にぶ及玄武岩の一小谷底に橫ける人口二、三百程度の小部落、そこから道を北北西にとる、小河に沿ひ次第に谷を上りはじめ、第一終點において玄武岩臺地上に達する、その間谿流に沿つてスキモドキの群落を見出し、直徑◯・二米に及ぶ葉を折つてそれぐ之を各自雨傘の代用にして進む、玄武臺地上に上れば實に坦々たる大平原上にあるの思ひ、一千米餘りの高地上を前進して居るとは考へられない白樺、落葉松の混合林下にはミヤマオダマキ、ヤナギラン等の點在するを見、はじめて身の高原地にあるを知る、この附近の玄武臺上においてすでに一乃至三ミリ位の直徑を有する白色輕石の夥しき被覆するあり、所によつては厚さ二米に及ぶ部分も目撃されるこの日約十二キロを踏破し第二終點において森林警察隊の丸木小屋に泊る 雄大天然の樹海 九月七日、快晴夕刻大雷雨、第二終點を出發し韓家溝に向ふ、この日坦々たる玄武岩の臺地卓上を進むことゝて地質學的には特記することなきも、涯しなく打續く落葉樹、朝鮮針樅、朝鮮樅、白樺等から成る大天然林の珍奇なる高山植物の數多く散在するにより小林澤の兩特別調查員も多忙なること實に夥しきものあり、これら天然林の樹海の景觀極めてよく、北米イエローストン國立公園の風光に類似しその規模の雄大なること實に形容の外である、この日第二終點より十八キロを踏破し、大雷雨に見舞はれながら韓家溝の森林警察隊の宿舍に飛び込む、この警察隊は本ルートにおいて邦人の在住する最奧の地で二人の警官が常駐して居り、溫き風呂をわかし雨に濡れたる團員を心から歡迎してくれる 變化する皮膚の標紋 カワフトクサリ(蝮)の胎児 【新京六日發同盟】 獐の照燒、ナメ コの吸物 九月八日=晴後曇、一時小雨、韓家溝を出發して道を北西にとり第七終點に進む、午前中鴨綠江の一支流韓家溝河に沿うて昨日と同じ大自然林中の草原をわけて進み午後二時頃鴨綠江と松花江の分水地域に到着する、本地域は滿洲としては極めて珍らしき高層濕原が發達してをりホロムイカンバレの濕原植物多く、又初めてツルコケモモのルビーの如き果實、コロマメノキの漆黑なる甘果を多量に見出し、調查員一同折柄の小雨の物かは雨中大いに活動して口に運び込むため多忙を極む、長白山出發に際して第六終點の西方に聳ゆる紅士山山腹には石炭層が露出して居り詳細なる調查を要すとのことをききし故に、本來ならば鴨綠江に沿うて遡る計畫を變更し、韓家溝より第六終點へと本日の經驗を變更、途中川邊の轉石は勿論岩石の露出には異常な注意を拂つたのであるが、不幸頁岩や砂岩の一かけすらをも目撃しなかつたので紅土山自體は玄武岩臺地上に突出する火成岩であることに疑なく非常に期待して石炭層の調查はこれを打切り夕刻雨に濡れ松花江一支流に源を發する小川に沿うて撫松縣方面に來り、人跡なき第七終點における冬期の木樵小屋に宿營するこの日動物班においてマムシの一種カワフトクサリの胎兒を有するものを捕獲し、解剖して檢せしに胎兒の數十個の皮膚の標紋は親となり發育の途中變化するものなるを知る、第七終點における標高一千七百七十米 九月九日=午前三時頃、大暴風雨終日小雨、雨のため出發を延期し一行第七終點に滯在して各自採集物の整理に當る午後から小降りになりしを利用し同行せし獵師の白系露人アンコフスキーは六十八歲の高齡を物ともせず若き日より鍛へし腕前を見せるはこの時とばかり虎狩りに出る夕刻露營した時に持參した獵物、虎ならずして一匹の獐であつたことは殘念であつたがそれでも夕食には獐の照燒と植物班の採集にかゝるメコナの吸物で大いに舌皷を打つことが出來た 前人未踏森林限界に到達 九月十日——快晴、早朝五時起床東天の白むと同時に晴れ渡りし空の彼方指呼の間に長白山頂一帶の各麗峰はくつきりとその姿を現はし調查員一同を歡喜せしめたこの時映畫班の石村技師はこの壯麗なる長白山の遠望をカメラに收めるために大活躍をする、この日北東方を指す第八終點まで進む、そこで森林鐵道と別れ馬鞍山の鞍部に向つて道なき道を攀ぢ登る、實に此進路は前人未踏の事とて困難を極めること甚だしい二千米にして全く樹木の成長をみざる所謂森林限界に達する馬鞍山に至るまで經由した谷は勿論兩側の丘も殆んど玄武岩から構成されてゐるのであるが、馬鞍山ではじめて長白山と同一岩石たるアルカリ粗面岩の露出をみる、正午馬鞍山に到着する、直線標高一千八百五十米の附近にエゾマツ、テウセンハリモミカラマツ等から純針葉樹とタケカンバからなる闊樹林との境堺線を突破し標高二千百米、二千二百十四米の突兀たる二大岩山を突破して進む程に、午後三時頃よりまたもや小雨に見舞はれた、次第に雨勢強まり前進不可能なりしをもつて、長白山系の最高峯大正峯より西二◯度南の方同峯から直路離六キロ二◯◯の地點にある深き樹林に包まれた水清き一溪谷まで二百餘米の急坂を一氣に下つて幕營する、この谷川は松花江の一支流漫江にあたる(つづく) |
06 | 軍援週間中 基隆の献金 |
07 | 經濟警察事務研究會 |
08 | 帝國鄉軍會長 井上大將來臺 鄉軍支部の狀況視察に |
09 | 金屬製花器献納 內馬場社のお弟子 |
10 | 圖像:大學高專學徒聯合演習 |
11 | 優勝者に總督揮毫の額 國防訓練大會に出場する 各州廳代表島都入り |
12 | 一般の參觀歡迎 大會の式次第決定 |
13 | 蓬萊商事献金 |
14 | 第一種空訓好成績 終了に際し 黑澤府兵事防空課長談 |
15 | 山本司令長官 献納機命名式臨場にあす來北 |
16 | 全島社寺主任打合 あす府正廳で開催 |
17 | 遵法強調週間 來月一日から實施 |
18 | 遺家族を慰問 演劇挺身隊南進座が |
19 | 献金、慰問文殺到 奉戴日の軍司令部、武官府 |
20 | 專賣業者報國會献金 |
21 | 增產街道へ驀ら 各市郡第一線の幹部を集めて 臺北州で講習會開催 |
22 | 新竹二中の設置 西村文教局長の來新を機に 州民代表が陳情 |
23 | 山地監督者事務打合會 |
24 | “五族協和を顯現” 滿洲國建國式典參列の 安達府會計課長語る |
25 | 基隆市國民校 體鍊會日割 |
26 | 興南詩苑漢詩 中秋後九日重遊石壁湖/黃景南、秋日漫興聯句二首/黃景南 |
27 | 廿四時間制採用 各船會社鐵道部に呼應 |
28 | 錄音映畫製作機構 愈よ本島にも施設 |
29 | 南露店商奉團献金 |
30 | 人事・消息 |
31 | 今夜の放送 |
32 | 商況 九日前場 |
33 | 興南案內報社消息 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 陸軍中央機構簡素化 諸勅令公布改正の四要綱頭條新聞 【東京發同盟】陸軍省發表(九日午後四時)今般戰爭遂行特に軍備の擴充整備に遺憾なからしむるため陸軍々政中央機構の簡素強力化、業務の敏速實行等を目的とする陸軍省、陸軍航空本部の編制改正並びに陸軍兵器行政本部の新設等に伴ふ諸勅令の公布を見たりこれが要綱左の如し 一、陸軍省兵器局、技術本部の總務部、第一、乃至第三部並びに陸軍兵器本部を統合して陸軍兵器行政本部を新設す、右に伴ひ舊陸軍兵器廠內にありたる造兵廠、同補給廠及び舊陸軍技術本部內にありたる研究所は各々獨立して兵器行政本部長直屬の官衙となる 二、舊航空廠內にありたる航空本廠及び航空技術研究所の總務部を航空本部に統合す、右に伴ひ舊航空廠內の支廠は各々獨立の航空廠に、航空技術研究所の總務部以外の各部は各々獨立の航空技術研究所となり航空本部長に直屬す、右の外陸軍飛行實驗部を改編して陸軍航空審查部となす 三、兵器行政本部及び航空本部をして強力なる活動を遂行せしむるため陸軍省戰備、工政兩課の業務の一部をこれに委讓したる結果右兩課を統合し戰備課となす 四、燃料の調達及び燃料工業の指導監督は從來燃料の種類に從ひそれく舊兵器局及び 航空本部に於いて實施しありたる所これを廢して陸軍省燃料課に一元化す |
02 | 新設兵器行政本部 事務と實務機關を判然區別 |
03 | 新航空本部の分掌 |
04 | 引揚邦人の悲憤に聽く 焦熱と飢渴の地獄 (下)言語に絕す蘭印濠洲の暴狀 |
05 | 亞國電話通信檢閱制實施 |
06 | 圖像:王委員長晴れの國都入り |
07 | 凡ゆる力を動員 最後の勝利獲得 林柏生氏放送 |
08 | 林柏生氏各方面と懇談 |
09 | 愛知、鳥取兩縣 支部事務局長 |
10 | 大東亞省官制案 樞府初審查委員會開かる |
11 | 不急不用の旅行 進んで抑制されたい 「陸運の非常體制」八田鐵相が放送 |
12 | インド彈壓案討議 英下院、修正案を否決 |
13 | 「船員互助救濟會」 相互救濟方式を採用 |
14 | 獨占領地の農業復興 |
15 | 南十字星 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 島內農業團體統合の新構想社說 一 最近官廳簡素化の實施と共に農業團體も之と呼應して統合の問題が起り農林省に於て既に農業團體法を立案して今第八十一議會に提出せんとする意向を持つてゐる模樣である。周知の如く現在農業關係の團體が多數存在しそれがため農民は多大な負擔を課せられてゐるのみならず、稍もすれば事務の重複、停滯及び團體間の相尅、摩擦を生じ却つて農業の健全な發達を阻害せられてゐる狀態にある。それ故一昨年近衞內閣の時代にもかかる統合問題を生じたが、遂に之を實現するに至らなかつた。然るに刻下の最大急務たる農業生產力の增强、食糧の確保等の見地よりして益益單一强力な農業團體に統合する必要があり、本島に於ても同樣に痛感せられてゐるので、府殖產局に於て目下其の統合案を練つてゐるとの事である。 二 今其の統合の範圍を素描するに先づ現在諸團體の內何を統合すべきかといへば、臺灣農會、臺灣畜產會、臺灣產業組合、臺灣青果同業組合はいづれも農產物の生產蒐集部門を擔當してゐるから第一に頭に浮んで來る。臺灣山林會とか、臺灣水產會とか、水利組合等は特殊な性質を存するから之を除外すべきが至當でよらう。尚鳳梨、茶業の如く生產と加工が開聯性を有する丈一應統合の範圍外に置きたい。新團體の名稱を假に臺灣農業會として上記四團體の外に業佃協調の業務をも包含すべきであらう。かくの如き有力な團體を中央團體、州廳團體、市街庄團體の三階段に系統化し、中央團體から下部團體に對して指揮命令する權能を與へなければならない。勿論中央團體は督府と表意一體でなければならないし、州廳團體等も州廳等と密接な連絡を持たせなければならない事はいふ迄もない。而して此の團體は現在の州廳農會と畜產會の如く殆ど州廳の附屬機關の狀態から脫却して事務上の分離と或る程度迄は生產者團體としての創意と責任とによつて農產物の增產及び蒐集の圓滑化を圖らしめる必要があらう、從つて現在の各州廳米穀納入組合の業務も當然新團體に吸收すべきである。尚農業物及び青果の販賣機關たる臺灣青果と臺灣農產興業の兩社は合併すべきは言を俟たない。 三 以上は島內諸農業團體統合の輪廓を構想したのであるが此の統合に依つて農業團體の事務を簡素化且つ經費の節約を為し得る樣工夫しなければならない。從來本島の農業團體は內地に於ける帝國農會や產組等の上部組織等の如く農林省の外廓として隱然たる勢力を有せず總て官廳の强力な指揮監督の下に發達して來たのであるから、其の統合も督府の決意一つで容易になし得るものである。唯今後獨立團體として雄雄しく誕生するには官廳の指揮監督は益益合理化すべきであると共に獨立團體として新農村建設に熱意を有する識見ある人物を養成しなければならない。場合に依つては官廳に對していくた建設的建策を為し得る丈の人的要素を養成しなければいくら機構を改善しても佛に魂を入れざる事と同然である。要するに吾人は本島農業諸團體統合の必要を時局下に於て益益重要視すると共に敢て上記の試案を提出せんとするものである。 |
02 | “最期は誠に御立派” 四勇士の遺族を前にして 河相公使が劇的報告 |
03 | “思はず頭が下る” |
04 | 新竹神社大祭 盛澤山の奉祝催物 |
05 | けふを記念日に 河相公使の挨拶 |
06 | 遺族感激の出迎へ |
07 | 長谷川總督 農具工場、茶行を視察 |
08 | 伸び行く 譽の志願兵 樂しい訓練所生活 (四)體重がぐんぐん殖える |
09 | 安藤軍司令官 宜蘭から金瓜石へ |
10 | 圖像:「海の豪族」試寫會盛況 |
11 | 逞まし“健民祭典” けふ華華しく開幕 |
12 | 競技時間と會場 |
13 | 早くも戰鬪體勢 張切る合宿の戰士達 |
14 | 待望の二重放送けふ開始 皇民鍊成が第一義 副見交通局總長談 |
15 | 漫畫の街頭移動展 |
16 | 時局認識徹底へ 情報委員部次長談 |
17 | 臺南州タイヤ再製組合總會 |
18 | 人事・消息 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 代辦事務手數料を全廢 高雄稅關、船客に親心 |
02 | 白衣勇士の平癒祈願 軍援強化週間最終日の屏東 |
03 | 賜金傳達式 |
04 | 竹東神社鎮座祭 盛大な奉祝催し決定 |
05 | 日緬看護婦座談會 日本の兵隊さんは親切 手藝、生花のお師匠さん歡迎 |
06 | 坂口知事慰問に來屏 |
07 | 阿緱神社に狛狗奉納 |
08 | 傷痍軍人會高雄州支部總會 |
09 | 伊江一等兵の淡水街葬 |
10 | 結構全島一を誇る 臺中醫院きのふ落成式 |
11 | 海軍在鄉軍人點呼 |
12 | 圖像:文部省主催大學高專學徒聯合演習いよいよ火蓋を切る |
13 | 彰化市國演會 本月末日開催 |
14 | 彰化市桔俱員 第二回鍊成終了 |
15 | 名譽の家を慰問 三上知事代理來嘉 |
16 | 羽鳥市長譽の家庭訪問 |
17 | 肥料の計畫增產に 高雄州、堆肥舍の調查簿を作製 |
18 | 遺家族宅の大掃除お手傳 嘉義壯丁團の美擧 |
19 | 遺家族慰安映寫會 |
20 | 司法保護事業大會 十三日高雄州商工獎勵館で |
21 | 苑裡青年團結成式 |
22 | 屏東市事務監查 |
23 | 下情上通を打合 市郡支會主務者會合 |
24 | 僧侶養成所開所式 |
25 | 母性を保護せよ 高雄の十月の健民講演 |
26 | 健康相談所開設 それぞれの專門醫が奉仕 |
27 | 銅門蘭埤圳を開鑿 |
28 | 塵も積れば山 蓄音器の古針を回收 |
29 | 操り人形を實演 |
30 | 模範防衛團員 |
31 | 蘭陽地方暴風雨災害救濟義捐金報社消息 |
32 | “海の豪族” 十六日稻住館で試寫會 |
33 | 大詔奉戴日献金 |
34 | 蹴球選手挨拶廻り |
35 | 臺南市秋季大清潔 |
36 | 新化市の日割 |
37 | 北港謙源工場に火事 |
38 | 高雄市清水國民學校 |
39 | 全島各州廳對抗軟式野球大會 |
40 | 臺中市唯一の社交機關 |
41 | 人事報社消息 |
42 | 地方多より |
43 | 今日の映畫 |
44 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 來期分蜜糖豫想高 千七百六十九萬餘擔 府特產課より正式に發表 |
02 | 臺灣水產統制令施行 統制事業の範圍決定 |
03 | 國債及債券の 轉賣防止要綱決定 |
04 | 農業金融以外に 住宅建設資金を供給 村井新勸銀支店長語る |
05 | “四ケ月間の棉作 講習會を顧みて” 松野西部棉作指導所長談 |
06 | 靖國神社臨時大祭日各銀行休業 |
07 | 局營バス新車順次到着 |
08 | 籾殼灰の現在及び將來(下) |
09 | 協志商會新社屋へ移轉 |
10 | 米穀納入組合の 法制化は困難か |
11 | 照明燈 |
12 | 商況 九日後場 |
13 | ラジオ |
14 | 水滸傳(798)/黃得時;碇政彌 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 大擧洛陽を猛爆擊 軍事施設を木葉に粉碎 |
02 | 弱少國懷柔の手段 大西洋憲章のカラクリ 好富情報部長談 |
03 | 日滿華興亞團體懇談會 十三日から四日間東京で開く |
04 | 高松宮殿下台臨 中央社會事業協會で記念式 |
05 | 新穀の上納式 十二日から執行はせらる |
06 | 圖像:荒天の怒濤を蹴つて索敵に出動の我が○○艦 |
07 | 臺北南華僑公會記念式 |
08 | ウイルキー 危く命拾ひ |
09 | 舊法幣流通禁止 近く財政部より布告 |
10 | 民意狩立のカラクリ(下) 老巧ルーズヴエルト獨裁の道 |
11 | 巨砲ス市北部に集中 着着破壞戰術を繼續 |
12 | 赤軍夜間爆擊に 練習機を使用 裝備の低下を物語る |
13 | 獨軍カルミク地區進出 ソ聯側も認む |
14 | 蒙疆日本人興亞協力會結成 |
15 | 勇往邁進、克苦耐勞 汪主席、新國民運動同志を激勵 |
16 | 嚴重に處刑 比島の不逞分子を檢擧 |
17 | 英乙巡コ號擊沈さる |
18 | ルーズヴエルト 十二日放送演說 |
19 | 被抑留緬甸邦人 ラングーンに到着 |
20 | 第二戰線への 派遣は御免被る 米下院議長の言明 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 初の國防訓練大會開幕 元氣潑剌・脈打つ鬪魂 若人五百、今ぞ清秋に鍛ふ |
02 | 宣誓 |
03 | 御下賜金の御沙汰 財團法人青島學園に |
04 | 銃後も亦戰場なり 一にも訓練二にも訓練三にも訓練 長谷川總裁の告辭 |
05 | 圖像:國防訓練大會開幕 |
06 | 安藤軍司令官 あす金瓜石から淡水へ |
07 | 滾るお山の感激 總督さんを迎へて |
08 | 修練の成果を發揚 若人の使命今や重大 安藤軍司令官祝辭 |
09 | “明るい銃後” 漫畫移動展大好評 |
10 | 文展十七日から一般公開 |
11 | 臺灣の遺族部隊 第一班晴れの入京 |
12 | 花蓮港廳街庄長懇談會 |
13 | 軍援臺北市分會への寄附 |
14 | 社寺主任打合會 けふ總督府正廳で |
15 | 遺家族慰安會 花蓮港の演劇突進隊が |
16 | 壽ぐ稔りの秋 臺北州下の農業感謝祭 廿六、七日に執行ふ |
17 | 回收金屬展示會 九日基隆市で開催 |
18 | 厚生事業協力會議 けふ島都公會堂で開く |
19 | 興南詩苑漢詩 朗庵郵寄書苑載其所記導入金石學於臺灣之呂西邨先生成轉韵寄之/文訪 |
20 | 双十節の祝典 華僑總公會で擧行 |
21 | 敵國にある人人 十二日から通信できる |
22 | 僧侶鍊成會 |
23 | 魚釣競技大會 白衣の勇士を招き |
24 | 人事・消息 |
25 | 今夜の放送 |
26 | 商況 十日前場 |
序號 | 標題 |
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01 | 吸血鬼英國を追放 緬甸の歷史再出發 ビルマ全民眾日本を信賴せよ バ・モ博士放送頭條新聞 【ラングーン十日發同盟】異常な熱意を以て新ビルマの建設に努力を傾倒しつつあるビルマ中央行政長官パ・モ博士は十日夜ラングーン放送局より「全ビルマの民眾に告ぐ」と題して初の放送演說を行つた今回の放送は行政機關の政策を民眾に徹底せしめ理解と協力を得るため十人の長官全部を動員して來週より每週一回一人づつ各各の關係事業につき講演を放送する魁をなしたものであるバモ博士の演說要旨次の通り 余は曾つて二ケ年の間英國及び英國人のために緘口されてゐたが本夕始めてビルマ全國に呼びかける機會を得て寔に欣快に堪へない余は曾つて幾多の豫言を行つたが今こそ諸君に對しその豫言のすべてが真實となつたことを告げるものである當時は反逆者として呼びかけた余が今やビルマの民眾を信賴して呼びかけるのである、當時と現在との間に幾多の重大事件が發生した、われわれは今や戰爭の真只中にあり過去に於ける如き旁觀者にあらずして國を擧げて戰ふ戰士である、われわれは東亞に於けるアングロサクソンの支配と勢力が急速に破滅した然も彼等の武力が到る所で敗北するのを目撃したビルマの百年に亘る敗北と苦汁は遂に終りを告げたそれはわれ等の救世主日本の手に依つてビルマの征服者どもが敗北し屈服したからである 多年に亘りわれわれの膏血を搾つた英國は日本の威力とこれに對する全ビルマ民眾の積極的支持とに依つてビルマから追放された、斯くてビルマの歷史は再出發したのであるわれわれは以上のことについて日本に深く感謝しなければならぬ今次戰爭の重大性を忘却することは鐵鎖に繋がれるために引戻されることを意味する、大東亞戰爭は東亞を永久に救ふか然らざれば永遠に破滅せしめる戰である、然も之れが故に單にビルマの復興のみならず全亞細亞の存立に關聯するのである真にわれわれの戰でありビルマ自身の存立もこの戰爭に於ける最後の勝利に懸つてゐるのだ、諸君はビルマ中央行政機關を組織してゐる 余並びに其他の指導者を信賴し同時に行政機關の背後にあるビルマを統一しつつある政治組織體を信賴せねばならぬ、われわれは言葉より實行に依つて諸君の信賴を得たわれわれは英國の手から決して生き逃れようとは豫想しなかつたすべてはビルマのために敢行したのであるわれわれは斷じて諸君を落膽せしめることはないであろう、余は茲に諸君の指導者として嚴肅に告げたい、余は日本國民にビルマを信用されたいと要請した如くビルマの民眾に對しても亦日本を信賴せよと要求するこれこそわれわれの共通の安全と繁榮と偉大さの確手たる基礎である余は最後に中央行政機關の政策と諸計畫並びにビルマが世界の新秩序に於いてその所を得るようビルマを政治的に再組織して正しい方向に置くための努力について述べたい周知の如く 行政の全般は二箇月の間に大半再建され復活したこれは英國の焦土戰術がビルマに遺した廢墟と灰燼の中よりなし遂げられたのだ、これこそ間違ひのない事實である、余が玆で言ひたいことのすべては過去三箇月の間に英國政府が三十年或は六十年を費した以上の計畫案をビルマの行政に採用したと言ふことである、これについては今後行はれ各關係長官の放送演說に於いて明かにされるであろう、中央行政機關の政策は單的に言へばビルマに秩序を確立することであるそのための諸方策は完成し幾多の方面に向つて一齊に發足した然しながら直ちにその成果を得んとして拙速を選んではならぬ、われわれは 軍事的重要性を先づ第一義とすべきこと及び新秩序が實際の成果を擧げるまではわれわれにとつて生死の闘爭たる現在の戰爭にあらゆる犠牲を拂つて戰爭に勝たねばならぬ、われ等は英國の支配時代にビルマを頹廢せしめた民主主義的舊秩序のあらゆる穢れを一掃せる新秩序を約束するものである。此政治的新秩序は今やドバマ・シンエサ聯盟となつて具體化して居り、その根本政策こそ「一ツの血、一ツの聲一ツの命令」である。ビルマ民眾は次の三項を銘記せよ 一、われわれの敵アングロサクソンに對抗してこの戰爭に勝たねばならぬ 二、われわれはビルマの新秩序を今直ちに確立すべきである。然らざれば新秩序は實現しないであらう 三、われわれは今直ちに團結ねばならぬ然らればわれわれの幸福は實現しないであろうわれわれはこのすべてを達成せねばならぬ、又達成されるに違ひない、余は諸君にこれを約束するものである(寫真はバ・モ博士) |
02 | “國民總力の結集へ” 安藤副總裁は語る 翼贊會結成茲に二周年 |
03 | 商工省委員の答申 中小商工業整備問題等 |
04 | 百武侍從長ほか 定期敍勳 |
05 | 湯瀨陸軍大佐 少將に進級 上海にて戰病死 |
06 | 鬼畜米潛艦の殘虐 英俘虜を眼前に見ながら發雷 和田少尉、當時の模樣を語る |
07 | 英俘虜九百名 九死に一生 |
08 | 殊勳の我四砲手 六發目魚雷を射ち沈む |
09 | 明年度の豫算編成 重要國策の調整一應終り 今週の閣議より逐次附議 |
10 | 山本警備府司令長官來北 けふ献納機命名式に參列 |
11 | 圖像:見敵必殺、敵機の心臟を狙ふ海鷲上の勇士 |
12 | 沸き返へる南京 大東亞戰下の双十節を迎へて |
13 | 岡村北支軍最高指揮官歸任 前線視察より |
14 | 米英輸送船十二隻を擊沈 獨潛、南阿沿岸で |
15 | 河北中南西部の 九月中綜合戰果 |
16 | 何等の價值もない 在支治外法權撤廢 米英側の見物なしの獨り芝居 米、英の發表 |
17 | 空虛な偽瞞術策 國民政府側冷笑 |
18 | 軍管理七工場返還調印式 |
19 | 南十字星 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 初の國防訓練大會に當りて社說 一 近代の戰爭は或る程度、物資文明、科學文化に支配される結果、動もすれば唯單に機械と機械との戰ひにしか過ぎないかの如き觀念を抱かせるものであるが、しかしこれは一面の真理をしか知らない謬見であつて究局のところはあくまで人間に依存するものであること、戰史の如實に訓ふる通りである。このことは日支事變以來、特に今次の大東亞戰爭の遂行と共に日常われわれの目睹するところであつて、其處に西洋の如何なる物質的科學文明の粹を以てしても遂に我が皇軍の前には一たまりもなく潰滅し去る事實をわれわれは、いやと云ふほど見せつけられてゐる。勿論物質的科學文明、卽ち機械の力を吾人は徒らに輕視し、或は無用だと云ふ意味では決してなく、ただ其れよりも人間の方がより大切であり、最後の死命を制するのもあくまで人間であるといふ真理を强調したいからに他ならない。從つて、一國國民の增强、就中青少年の體位向上、體力增進が叫ばれる所以も實に茲に在るわけである。 二 此の秋に當り、皇民奉公會中央本部主催の下に、國防訓練大會が開かれたことは、洵に時宜に適した企てとして、吾人の双手を擧げて賛同してやまぬところである。第一回の開催だけに企畫の規模が多少更に考慮の餘地がないではないが、ともかくも全島各州廳の若人五百が參加し恰かも清秋絕好の體育日和に、元氣潑刺たる鬪魂躍動せる體育繪卷を繰り展げられたこと、明朗にして潤達真に心强きを覺ゆるものである。殊に今回の國防訓練大會の競技種目は、從來のものと異り總べて實生活に必要缺くべからざるものばかりで、今迄によく見る如き興味本位や競技の為の競技といつた遊び事を極力排したところに特色があり國防訓練たるの所以が存するのである。從つて、本大會は從來學生や青少年團員等に限られてゐた運動競技を一般大眾層のものとすると共に更に運動を體育鍊磨のための競技へといふ新しき方向に轉換せしめんとする處に重大意義を有することを看過してはならない。 三 斯くの如く、國防訓練は從來の個人主義的な何れかと云へば興味本位の一切の遊び事を揚棄した戰時下國民大眾の體位向上、體力增强を目的とする團體的な卽生活的な運動競技であり、究局のところは、國防國家の建設に寄與せんとするものである。我が陸海軍の世界無敵なる所以が實に、一にも訓練、二にも三にも訓練といふ訓練第一の信念が獲ち得た榮冠であることを思ふとき、銃後の我ら國民は真に高度國防國家態勢を確立し、而して皇軍の偉大なる戰力を永久に保持するためには實に新時代を双肩に荷ふべき青少年の體位向上、一般大眾の體力增强への訓練が焦眉の急なるを識らねばならない。訓練の目的が鞏固なる意志の鍛鍊であり、潑刺たる元氣の振作であるは云ふまでもないが、特に之によつて國防國家の要請に副ふ所以であることを銘記せねばならぬのである。本大會は今後も每年開催せられることと豫想されるが、島民大眾に於ても、右述の意義と精神とを明確に把握し、全島民こぞつて本訓練大會の育成强化に努力協力を致すべきであらう |
02 | 鬪ふ若人の熱戰譜 國防訓練大會第一日 |
03 | 力走に繼ぐ力走 高雄團に一着の榮冠 |
04 | 御下賜品傳達 |
05 | 龍攘虎搏の熱戰 長谷川總督、齋藤長官臨場 臺中州團に凱歌 相撲 |
06 | 四十粁を走破 一二着は臺東、花蓮港 繼走 |
07 | 圖像:國防訓練大會第一日 |
08 | 宜農體育大會 |
09 | けふの競技 |
10 | 壓卷は戰場運動 けふ大會第二日 |
11 | 勇士達大喜び 基隆の慰問演藝 |
12 | 洋畫入選發表 |
13 | 皇軍奮戰の姿再現 大祭飾るパノラマ完成 |
14 | 故酒井中將英靈 きのふ無言の凱旋 |
15 | 健民強兵の法典 國民學校體鍊科教授要綱成る |
16 | 大祭準備成る 全國に魁けて臺灣遺族部隊入京 |
17 | けふ宮城遙拜 |
18 | 推進狀況を視察 鈴木支部長一行竹南へ 支會幹部と膝詰め懇談 |
19 | 辨當を持參 支部長率先垂範 |
20 | 矢野臺大教授陞敍 |
21 | 北工が勝つ 中等野球第一日 |
22 | 高校が勝つ 對豫科ラグビー戰 |
23 | 日本軍絕讚 遭難りすばん丸の英俘虜 鬼畜アメリカに痛憤 |
24 | 健全音樂運動 先づ指導者講習會 |
25 | 全島一養兔熱 新竹で既に三萬頭突破 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 我らの志願兵に 美味しい虱目魚 鄉土の魁挺身隊後援會から |
02 | 農村皆勞を視察 坡口知事、草鞋姿で屏東へ |
03 | 在鄉青年隊花蓮港支會結成式 |
04 | 善化街豐年祭 |
05 | 國語常用研究會 |
06 | 清水神社祭 |
07 | 戰時下の濠洲(三) 對米依存漸次濃化 首相カーチンの心境 |
08 | 臺南魁挺身隊 隊歌發表會 |
09 | 高等主任打合會 |
10 | 昂まる女子國語熱 嘉義郡皇民塾推進班を派遣 |
11 | 橫田警察部長上北 |
12 | 歸還勇士慰安會 元臺中愛婦が名殘りの奉仕 |
13 | 役馬競技會 |
14 | 鳳林郡業佃會 十四日結成式 |
15 | 新化郡堆肥品評會 |
16 | 晴の鄉軍武道大會 臺灣代表秋山伍長近く壯途へ |
17 | 懇ろに白衣勇士を慰問 |
18 | 藤田氏と懇談會 |
19 | 森村軍屬を弔ふ 臺中市葬嚴かに執行 |
20 | 事務見習報酬を献金 |
21 | 農民指導行動隊 潮州郡下各街庄に組織 |
22 | 栽培の第一線へ 黃麻技術員愈よ巢立つ |
23 | 臺南州菓子商工業組合 |
24 | 二林壯丁團相撲 |
25 | 翼贊選擧を希む 高雄州議の補缺選擧 |
26 | 彰化市豆腐製造業組合 |
27 | 割當の國債を消化 屏東郡青少年の心意氣 |
28 | 花蓮港中先勝 中等選拔野球 |
29 | 旗山郡野球會 |
30 | 看護婦試驗 出願は廿日まで |
31 | 自轉車泥就縛 |
32 | 旅館「高丸」落成 |
33 | 二十四時制採用 嘉義のバスけふより實施 |
34 | 永樂赤十字病院及び帝大病院 |
35 | 人事報社消息 |
36 | 地方多より |
37 | 今日の映畫 |
38 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 木炭需給の圓滑化 各州需給計畫を再檢討 應急的增產對策を考慮中 |
02 | 來期水田蔗作地 四萬一千八百餘甲步 兩期作二萬六千餘甲 |
03 | 產組指導員研究會 來る十五日臺北で開催 |
04 | 南方棉作技術員 養成講習會修了式を擧行 |
05 | 共榮圈建設に寄與 石井殖產局長の訓辭 |
06 | 基隆商工會議所 副會頭選任方法は不變 |
07 | 稅關鑑定官會議 來る十四日より開催 |
08 | 最近の經濟問題 |
09 | 米國鑛山勞働組合 產業別組織會議を脫退 |
10 | 商銀斗六支店 日銀事務を取扱 |
11 | 纖維品專門委員會 |
12 | 會議所一級議員に 臺灣火藥當選 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況 十日後場 |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(799)/黃得時;碇政彌 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 翼贊會發足二周年 一路實踐へ邁進 「歷史の推進體」を體認頭條新聞 【東京發同盟】行政機構の簡素化に大東亞省の創設に產業界も各業種別重要產業統制會の設立を略略完了する等官民を擧げて聖戰必勝に邁進しつつある秋國民運動の總本部たる大政翼賛會は幾多の苦難曲折を辿つてけふ意義深い結成二個年の記念日を迎へることとなつた翼賛會が第二次近衛內閣の下において內外情勢の異常な緊迫の裡に國內新體制の具現として生誕したのは昭和十五年十月十二日、それから滿二個年を經た今日の日本は世紀の激流に屹立し世界維新の指導者として米英秩序打倒の戰士として大東亞戰爭に臨んでゐるこの間わが國內體制は奔流する荒浪を乘越え打寄せる怒濤を破碎して總ゆる困苦を認びつつ米英撃滅の必勝體制へと一路障碍を突破して來たかそして過去二個年間種種の苦惱に直面しつつも常にその本來のあり方を探求し一億國民運動の指導體たる實を求めて聖戰必勝體制の確立に邁進して來た翼賛會は漸く整備されんとする軌道の上に大東亞戰下初の結成記念日を迎へたのであるが所謂「國內新體制確立運動」として言はば內に向つてゐた體制を大きく旋回し「聖戰必勝體制確立」を目指して「歷史の推進體」たる性格を體認するに至つた翼賛會の發展の過程とこの際顧みて置くことは更に强力直裁な翼賛運動展開のために極めて必要であると思はれる 翼賛會の成立 大政翼賛會が輝かしい新體制の名において萬民翼賛の臣道を實踐すべき國民組織再編成の推進中核體として發足したのは第二次近衛內閣の昭和十五年十月十二日であつたがその必要が直接的に痛感されるに至つたのはその時よりも約半歲前、阿部內閣末期の四月頃からのことであつた、當時內外の情勢はいよいよ緊迫を加へてゐたにも拘はらず國內では政友會の黨內抗爭が熾烈化し政黨解消の兆候が漸く顯著となる等混亂を極めてゐたので擧國強力政治體制に確立は焦眉の急務となりこの背景の內に所謂近衛新體制の構想は漸次熟して行つた、この近衛構想が當初政黨的なものと考へられ七月政變によつて公が第二次近衛內閣の首班となるや先つ「政府が黨を作るのは穩當でない」といふ意見に逢着し次で一國一黨の「幕府的存在」が問題となつて遂に擧國政社的な新體制樹立が目論まれるに至つたことは誰しも記憶するところであらう、かくて八月二十日新體制樹立に關する聲明となり「新體制準備委員會」の結成となりこれに對應して議會政黨も悉く解黨し十月十二日に至つて「第一次大政翼賛會」の創立となつた 觀念的行過ぎ是正 かくして生れた翼賛會はその規約に「萬民翼賛、一億一心、職分奉公の國民組織確立、臣道實踐の實現」を謳ひ更に發會式における有馬事務總長の挨拶は「翼賛會は大政翼賛會運動推進の中核體である一とその一國一黨に非ざる所以を明かし總理大臣たる總裁の下に事務總長を置き總務、組織、政策、企畫、議會の五局を統轄せしめると共に總裁補佐機關として常任顧問、常任總務若干名を別に總務直屬の下情上通機關として中央協力會議を設置した、しかるにかくして政治、經濟、文化各般の國民組織再編成に向つて發足した翼賛會はその實踐の過程において二つの強力な反撃に直面した、その一つは翌十六年春の七十六議會における「大政翼賛の憲法上の機關は議會である」とする「舊議會勢力」の反撃でありもう一つは翼贊會自體の觀念的行過ぎによる政策樹立機關的色彩に對する批判即ち「政府內に政府を作るもの」とする論難であつた、かくて翼賛會においてその法的性格を「公事結社」と極限されその觀念的な行過ぎに對しては全面的な是正と陣容の更新が要求された所謂昨年三月二十九日議會終了直後の第一次改組である 再び積極性の獲得 新性格に即應する新機構は四月十七日に斷行された「第二次」翼賛會においては新たに副總裁制が設けられ國務相柳川平助中將の就任を見、從來の五局を總務、組織、東亞、中央訓練所の三局一所に縮少事務總長は石渡莊太郎氏がこれを襲つた更生翼賛會はかくて組織局中心主義の下に專ら國民組織確立の使命に邁進したのであつた、改組後の翼賛會は貴眾兩院議員を大部分調查委員會委員として實踐運動の埒外に置く半面自らとしても沈潜してゐたのである、しかしかかる內にも內外の情勢は一段と緊迫を告げ米英を中心とする敵性は漸次露骨にわれに挑戰する態勢を示し擧國翼賛國民體制の確立はいよいよその必要度を昂めて來た昨年十月この情勢に直面して現內閣が成立するや再び東條首相は翼賛會について一段と政治性を發揮しつつ且つその本來奧有すべき性格に適歸する方途を勘案するの必要を痛感し副總裁に北支新民會の安藤紀三郎中將を迎へてその面目を一新すべく企圖した、 實際と實體の統一 第二次改組までは先づ實踐力の獲得保持に當初の全力を傾注しその第一手段として外廓團體の整備擴充に努め第二に官廳權限を大量的に翼賛會に委讓し更に一方において議會翼賛體制の確立、即ち政界の發足を育成して議會勢力と翼賛會の調和を行つた、即ち興亞思想運動の統制強化のため外廓團體たる興亞同盟を結成本年一月には翼賛運動の挺身體たる翼賛壯年團を創設五月には行政各廳の主宰する各種國民組織確立の運動即ち產報農報、商報、海運報國團等の諸運動を擧げて翼賛會の傘下に吸收、同じく國民鍊成の諸機關をもこれに統合する方針を閣議で決定する等實踐力の基底整備に腐心する半面今春の總選擧に當つては翼賛會をして選擧刷新の中樞機關たらしめ肅選を戰ひ拔くことによつて五月二十日國民熱望の清新議會確立翼賛會との提携と目指す翼賛政治會を誕生せしめこれが一應の整備を俟つて六月九日安藤副總裁を國務相に列して政府との表裏一體關係を强化翌十日に至つてこれが全面的な改組を斷行事務局機構を總務、鍊成、實踐、興亞、調查の五局及び傘下諸團體統制運營に關する事項を審議する統制委員會に再編したのであるここにおいて翼賛會は始めて實踐力の實體を保持するに至り政府は重要な國民運動、動員事業を翼賛會に委ね議會機能たる翼賛會は國民の政治動員について國民組織の基底の上に立つ、詰り翼賛會の組織を通してこれに當るといふ三位一體關係が確立され翼賛會は漸くその本來の使命に專念する態勢に立つたのであつた。 實踐の一路へ かくて一路實踐の軌道に乘つた翼賛會は第二次改組の過程において歡迎へた大東亞戰爭の完邃といふ歷史的使命に向つて國民組織を良導する一億灼熱の中核體として起上ることとなつた、去る九月二十六七、八、九の四日間に亘つては事務總長となつた後藤中央協力會議長の後を兼ねた安藤副總裁の統裁下に征戰下最初の第三回中央協力會議を開催大東亞戰下一億國民の聖戰完遂不動の決意を上通したがここに結成二周年を迎へた翼賛會は目前に十二月八日の大詔渙發一周年を臨んで闇取引の絕滅、玄米食の獎勵、生產の擴充、勤勞新體制の確立等國民戰時生活體制の再編成を目指して傘下各團體を動員國民生實の活際面から歷史創造の翼賛運動を展開しようとしてゐる |
02 | 圖像:報國號献納命名式 |
03 | 長澤決死隊の奮戰 岡村北支軍最高指揮官が激賞 |
04 | 統制會の組織整備 生產戰必勝體制を確立 |
05 | 全く兒戲に等しい 米英有名無實の治外法權撤廢 好富情報部長談 |
06 | 米國へ正式抗議 アルゼンチン、チリー兩國 |
07 | チリ大統領 訪米を中止せん |
08 | 海軍機合同鳳梨號 昨日晴れの命名式擧行 |
09 | 前線に新たな偉力 山本司令長官の感激談 |
10 | 佛潛水艦部隊 ダカールに急航 |
11 | インド獨立の即時承認 マハサバ黨要請 |
12 | ス市摩天樓を粉碎(獨ソ戰況) |
13 | 「鼠戰爭」の樣相 獨報道班員の從軍記 |
14 | ス市の劫火炎炎 |
15 | 安藤軍司令官 東部、蘭陽視察を終へて歸北 |
16 | 歸國華僑の誘致に狂奔 重慶政權 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 燃ゆる必勝の鬪魂 興亞若人の意氣を顯現して 國防訓練大會閉幕 |
02 | 一擊必殺の氣魄 銃劍術大會臺南團優勝 |
03 | 喊聲と共に突擊 戰場運動、臺北團が一位 |
04 | 颯爽・銀輪競走 高雄團見事一着獲得 |
05 | 宮城を奉拜 臺灣遺族部隊靖國神社に額き 大パノラマを見學 |
06 | 競技の大眾化へ 山本事務總長の感想談 |
07 | 安藤軍司令官來場 熱心に競技を觀覽 |
08 | 圖像:拓南戰士訓練所生の教練 |
09 | 圖像:國防訓練大會第二日 |
10 | 大會二日間の得點 |
11 | 故酒井中將の英靈 けふ帝都に無言の凱旋 |
12 | 炭燒戰士に 果斷な配給 |
13 | 風害殉難者慰靈祭 宜蘭でしめやかに執行 |
14 | 青年學校查閱 |
15 | 新竹二中實現へ 具體的運動を展開 |
16 | 想像がつかぬ日本の強さ 捕虜ボ海軍中尉語る |
17 | 世紀の隧道初潛り 萬歲連呼感激の遺族列車 |
18 | 豫科二種目勝つ 定期戰第二日 |
19 | 目立つ新人進出 文展四部の入選發表 |
20 | 教員の體鍊 新竹州職員體育大會 |
21 | 彰化市に火事 |
22 | 異色の入選 アフガニスタン青年の喜び |
23 | 五十倍の暴騰 重慶のインフレ |
24 | 鳳山郡警察課定期召集 |
25 | 早大が大勝 野球リーグ戰 |
26 | 法大勝つ |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 千古の神秘境 太魯閣峽の洞穴に挑む 花蓮港記者團の探查行 |
02 | 故大平少佐慰靈祭 あす沙鹿街公會堂で執行 |
03 | 北斗郡壯丁團相撲大會 |
04 | 竹圍子神社例祭 |
05 | 後壁林社祭典打合 |
06 | 戰時下の濠洲(四) 物資不足は深刻 小麥のストツクは相當ある |
07 | 姙產婦相談所 奉醫團が奉仕 |
08 | 霧峰庄の遺家族慰安會 |
09 | 增產報國に挺身 彰化市青少年團、農村第一線へ |
10 | 能高郡の壯丁相撲 |
11 | 赤誠溢る慰問畫文 ヨイ子供達の力作ばかり |
12 | 樹林のヨイ子供献金 |
13 | 屏東奉公女子青年 一週間の合宿訓練 |
14 | 原料地で竹紙製造 藤本製紙、嘉義に進出 |
15 | 南一女開校廿五周年記念式 |
16 | 南北の兩雄勝殘り けふ北工、嘉農の決勝戰 |
17 | 臺南州市郡對抗軟式野球 |
18 | デング熱、マ病退治 ダブミノン魚が偉功 新化郡養殖を獎勵 |
19 | 曙校體鍊會 |
20 | 臺南州、南部地區青果物配給組合 |
21 | 地方多より報社消息 |
22 | 今日の映畫 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 學藝 孔子と現代/後藤俊瑞 |
02 | 圖像:滿洲國へ贈る美術品(一) |
03 | 婦人說苑 新しい女性/板垣直子 |
04 | 出版統制の構想(上) 書物の需給調查について/田中四郎 |
05 | 圖像:滿洲國へ贈る美術品(二) |
06 | 北回歸線 變る事物の樣相 本物と贋物の見分け |
07 | 清秋深夜の景物 露の種類と成因 |
08 | ラジオ |
09 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 六將軍に午餐の御陪食 後宮大將、本間中將外四中將 |
02 | 日泰間に軍事郵便 鐵道運賃協定成立 |
03 | 米上院新所得稅案を可決 |
04 | 無意義な空言 米英の治外法權撤廢褚外交部長談 |
05 | 米英ソの間隙深化 第二戰線問題を繞り 國際的展望 |
06 | 英大型船二隻 獨潛艦が擊沈 |
07 | 米油槽船一隻 太平洋で擊沈さる |
08 | 圖像:靖國神社大祭準備外苑に陳列された鹵獲兵器のパノラマ |
09 | 太平洋戰の重要性 グルー重慶救援大會で強調 |
10 | 獨伊空軍、北阿で活躍 |
11 | 惡天候下に死鬪 獨ソ戰線に□くも冬の訪れ |
12 | 獨軍司令部發表 |
13 | 聯合國油槽船の喪失 三百十萬噸に上る |
14 | コーカサス戰線にも冬が訪れる |
15 | 赤軍政治委員撤廢 |
16 | 米英ソの意見對立 激化の一途を辿る 第二戰線問題 |
17 | 日本語普及 簡易化要望 伊誌の論文 |
18 | 獨側の□評 |
19 | 裁判所を襲擊 ペシヤワール州 |
20 | 印度人の□度認めよ ナワナガル王侯が強調 |
21 | ジンナーの聲明 |
22 | 日滿華興亞團體 初會合の日程 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 銃後治安の完璧へ 全島警察會議開く |
02 | 譽の軍援寄附者 本島から十九名御召 |
03 | 圖像:全島警察會議 |
04 | 出せ、最後の回收だ 島都の金屬回收開始 |
05 | 戰時下獨逸の科學研究 |
06 | 搖ぎなき治安確保 齋藤總務長官訓示 |
07 | 全島奉壯團の中堅 けふから北投で鍊成 |
08 | 保護網を強化 基隆市愛護會で打合 |
09 | 山本司令長官 けふ南下 |
10 | 海軍簡閱點呼 樺山國民學校で實施 |
11 | 圖像:軍司令部に花器献納 |
12 | 誰にも出來る 燃料節約 |
13 | 命名式映畫の夕盛況 |
14 | 中支倉庫手募集 |
15 | 人事・消息 |
16 | 學生訪滿飛行團 けふ歸路に就く |
17 | 代燃技術研究會 新竹州で開かる |
18 | 興南詩苑漢詩 中秋後三日偶集聯句四首、中秋觀月有感/謝如松、中秋夜寄懷/鐵骨生 |
19 | 煙幕 |
20 | 今夜の放送 |
21 | 商況 十二日前場 |
22 | 興南案內報社消息 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 陸軍教育に大御心 各學校に侍從武官御差遣 山田教育總監謹話を發表頭條新聞 【東京發同盟】畏き邊りでは全國各地の陸軍幼年學校、陸軍豫備士官學校及び陸軍教導學校に夫々侍從武官の御差遣教育の狀況を具さに實現せしめられ且優渥なる御沙汰を賜はつた、即ち去る九月二十七日豐橋陸軍豫備士官學校及び豐橋陸軍教導學校に侍從武官の御差遣あつたのを始めとして二十八日には名古屋陸軍幼年學校、二十九日には大阪陸軍幼年學校及び東京陸軍幼年學校、十月一日には前橋陸軍豫備士官學校及び仙臺陸軍教導學校、九日には廣島陸軍幼年學校、十日には久留米第一陸軍豫備士官學校、十二日には熊本陸軍幼年學校及び熊本陸軍教導學校へ夫々侍從武官を御差遣あらせられた、陸軍教育狀況御視察のため侍從武官の御差遣を賜はつたのは幼年學校としては明治四十一年東京陸軍幼年學校が唯一回の光榮に浴したのみであり豫備士官學校及び教導學校としては今回が全く初めてのことで大東亞戰爭間將來軍の指揮官たるべきものの教育鍊成の上に寄せさせ給ふ 大御心の程拜察するだに畏き極みであるこの光榮に浴して全國六幼年學校、四豫備士官學校及び三教導學校に於て異例の御殊遇に恐懼感激、生徒職員一同感奮興起誓つて 聖旨に副ひ奉らんことを深く期してゐる、今回の侍從武官御差遣について山田教育總監は十二日次の如き謹話を發表した 教育總監謹話 畏くも 天皇陛下におかせられましては全國各地の陸軍幼年學校、陸軍豫備士官學校及び陸軍教導學校に侍從武官を差遣はされ幼年學校生徒並に幹部候補生の教育を具さに實視せしめられ且つ優渥なる御沙汰を賜はりました、 謹みて案じまするに陸軍現役將校の搖籃たる陸軍幼年學校は明治初年の創設以來時に 皇室の御殊遇を忝ふし最近におきましても卒業式には 皇族殿下若しくは侍從武官の御差遣を賜はつたことが尠くないのでありまするが教育狀 況實視のため御差遣を賜はりましたことは明治四十一年以來のことでありました、將來豫備役將校たるべき甲種幹部候補生のための陸軍豫備士官學校及び陸軍教導學校における教育狀況實現の為御差遣を忝ふしましたるは今回を以て嚆矢と致す次第でありまして大東亞戰爭間陸軍將校の補充教育の上に注がせ給ふ 大御心の程を拜察し奉り誠に恐懼感激に堪へぬ次第であります今回この光榮に浴しました學校の職員生徒は勿論職を本教育に奉ずる者一同は深くこの御殊遇に感奮し協心戮力各々本分に邁進 聖旨に副ひ奉らんことを固く期し居る次第であります |
02 | 本年の作戰目標達成 獨、石油と食糧を確保 |
03 | 我國鐵道の回顧と 將來への展望八田鐵相昨夜放送 |
04 | 食糧自給體制確立へ 「闇」を徹底的に防止 |
05 | 石油の新會社 六社を合併して |
06 | 英本土を晝間爆擊 ドイツ空軍の大編隊 |
07 | 圖像:首都南京の双十節(十日) |
08 | “大日本を中樞とする 東亞諸民族の緊密連繫” 張協和會代表、入京第一日の感想 |
09 | 新生國府の空軍 汪主席、初檢閱を行ふ |
10 | 上村青年ら昨日入京 豐穰を壽ぐ新嘗祭に奉献する 臺灣の米、粟を奉持して |
11 | 愈よけふから開く 日滿華興亞團體初會合 |
12 | 南十字星 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 農業感謝祭を盛大に催せよ社說 一 聖戰下農村に負荷された食糧增產の確保に凡ゆる困苦と戰ひ、萬難を排して克くその成果を擧げ得たのは神神の加護と農民奮鬪の賜物に外ならない。この天神地祗に對し感謝の意を捧げ、艱難苦鬪の農民生活に潤ひを與へる為に、臺北州では黃金色に稔る廿六、廿七の兩日を期して大大的に農業感謝祭を擧行することとなつた。これは誠に時宜に適した措置と云はなければならなぬ。先づ期日前に講演、講話或は回覽板を通じて趣旨の徹底に努力、當日には各農村所在の神社に於て官公吏は勿論關係各種團體が參加の下に嚴肅な祭典を擧行し增產に挺身奉公を誓ひそれより思ひ思ひの餘興として豐年踊、瑞穗踊、その他農業讃美歌等を歌ひ或は青年團劇、紙芝居等を演じ、競技會、運動會、相撲等を開き、又は假裝行列、音樂行列を催して神神に感謝し、全村を擧げて豐年を壽ぎ、打ち興じ合ふものである。之は事變以來一切の催しを禁止されて、乾燥し切つた農村生活に、一滴の油を注ぐ樣なもので、增產に勵しむ農民達の士氣を昂揚する上に多大な效果を齎らすものである。故に吾人は臺北州下のみならず、全島を擧げて意義深い農業感謝祭を大大的に擧行されんことを切望するものである。 二 元來素朴な農民は食糧の生產に當つて、食物の種を蒔いてから、それが芽生え、成長して稔り行く姿を神祕なる神業として、豐作を神に祈り、收穫を神に感謝するのである。これは昔から萬國共通の農民の心持である。歐洲諸國では收納祭或は葡萄祭等と云ふものが行はれ、大いに賑ふものである。獨逸では每年政府後援の下に收納祭が盛んに行はれ、伊太利も全國的のお祭として有意義に實行してゐる。我國に於ては御歷代の天皇は御代の初めに大嘗祭を行はせられ、每年の新嘗祭に於てはその年に收穫された稻を神に奉られ、そして後にその米を御自らも召上り、その稻にこもるところの神恩に感謝せられ、更にそれを御一身に止めさせ給はず、これを人民に分ち給ふのである。この意味に於て先年から新に新嘗祭を期して全國的に新穀感謝祭が行はれる樣になつたのである。かやうに新穀に對する感謝は、その生產に從事するものが收穫を神に捧げることの中に、その穀物を食べて生きてゐる消費者がその穀物の生產者に對する感謝でなければならない。從つて都會の人人はこの農業感謝祭に當つて農民の辛苦に對して感謝し、一粒と雖も無駄にしない樣に心掛くべきである。 三 「農は國の本なり」と言はれてゐるが、天然自然に勞力を投下して衣食住の原料や材料を供給し、重工業その他諸諸の產業に進出する本を培ふのは實に農業である。而して如何に重工業が發達し、文化が向上しても、一國の經濟に於ける農業の占める地位は毫も滅ずるものではない。從つて農を忘れた國は亡びる。文化が發展し、文明が續くとともに「土に還れ」と云ふ叫びは農の本質に對する反省が强く要求せられるのである。平穩無事の時代には農の尊い使命は餘り深く考えられないで、寧ろ蔑視、等閑視されてゐたが、一度國に重大な事が起る、殊に戰時になると今まで忘れられてゐた農業の重要性が國家の安危にかかはる切實の問題として、國民の頭に蘇つて來るのである。戰時下に於ける農業は第一に國民の食糧を確保すると云ふ重大使命を負つてゐるばかりでなく、その他色色の重大な責務を負ふてゐる。今次事變勃發以來、勞働力の減少、肥料、資材の不足等戰時下あらゆる困難と戰つて、よく之を克服、突破して來たのである、農民のこの淚ぐましい努力に對して吾吾は衷心感謝しなければならない。 |
02 | “農村新年”と御治定 御歌會始めの御題に 昭和十八年 |
03 | 農村は豐稔の秋 陛下の御滿悅も嘸かしと拜祭 三條御歌所長謹話 |
04 | 畏き大御心を體し 食糧增產へ一段と邁進 井野農林大臣謹話 |
05 | 献穀上納式 農相官邸で執行はる |
06 | 訪滿學生鳥人 けふ京城に向ふ |
07 | 伸び行く 譽の志願兵 精神力訓練が重點(五) 所長以下教官の苦心 |
08 | 日本新聞會 工務關係幹部の鍊成會 |
09 | 姙婦健康相談所店開き |
10 | 九段に參拜者の列 遺族の受付愈よ開始 |
11 | 愛國文學の先驅 平田篤胤の百年祭 |
12 | 遺族部隊次次に着京 |
13 | 酒井直次中將 きのふ帝都に無言の凱旋 |
14 | 司法保護事業 新竹州の功勞者 |
15 | 新時代の推進體 奉壯幹部鍊成始る |
16 | 齋藤團長訓辭 |
17 | 臺灣の紹介宣傳に “報道寫真協會”發足 |
18 | 新理念が基底 文展日本畫の審查 |
19 | 文展に入選 李石樵氏の女の像 |
20 | 基隆の傷害事件 |
21 | 學士院會員に 三浦元東京商大學長 |
22 | 材木商から 前金を詐取 |
23 | 人事・消息報社消息 |
24 | 訃文:天辰喜一等人 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 戰友の墓に額いて 冥福祈る傷痍軍人 |
02 | 遺家族ら滿悅 盛大な彰化市の慰安映寫會 |
03 | 譽の家族招待 |
04 | 働く農民の姿紹介 寫真聯盟近く農村風景撮影へ |
05 | 感謝の慰靈祭嚴修 十日臺東中學校庭で |
06 | 賞賜物件傳達 きのふ臺南市公會堂で |
07 | 戰時下の濠洲(五) 戰爭の跫音に戰く 洞穴などにゲリラ戰の用意 |
08 | 奉公會參與會議 |
09 | 献金美談三ツ |
10 | 田圃の稗、百姓の恥 拔取り督勵に知事さんが草鞋姿 |
11 | 圖像:一路スターリングラードに迫るドイツ機械化部隊 |
12 | 表彰金を献金 |
13 | 霧峰庄國演會 |
14 | 入營者準備訓練 高雄は昨日から開始 |
15 | 高雄市物資配給委員會 きのふ初の懇談會開催 |
16 | 高雄市の金屬回收好成績 |
17 | 士氣頗る旺盛 南投青年學校查閱好成績 |
18 | 草屯青年學校の查閱 |
19 | 臺灣從軍記念會改組 臺南州支部來月に結成式擧行 |
20 | 臺中國講講師養成所入所式 |
21 | 模範奉公班表彰 皇奉高雄市支會調查に着手 |
22 | 彰化市青年團 經營研究會 |
23 | 中堅女子の鍊成 皇奉高雄市支會で開催 |
24 | 臺中壯丁團相撲 二十日擧行 |
25 | 農村の模範女性 黃氏足さん表彰 |
26 | 助教指導と討議 臺南州市郡視學打合會 |
27 | 屏東市強步大會 |
28 | 霧峰庄保正改造 |
29 | “海の豪族” 撮影地で試寫 |
30 | 臺南市試寫會 |
31 | 赤誠の献金品 |
32 | 幸校運動會 |
33 | 地方多より |
34 | 今日の映畫 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 事變後の金融指標 工業資金の貸出高激增 |
02 | 金融指標より見たる本島經濟界の發展狀況 |
03 | 水田蔗作の撤退で 米穀百萬石の增產可能 |
04 | 國債類保有を促進 世帶每に保有帖を配布 |
05 | 中央食糧營團の 機構と其の陣容 |
06 | 內外地肥料協議會 來月四、五日開催 |
07 | 國債質草制限 |
08 | 西貢見本市出品物 昨日陳列館で展示會 |
09 | 常盤住宅增資 建築無盡の認可を機會に |
10 | 臺灣興行統制近く第一回總會 |
11 | 照明燈 |
12 | 國債及債券買入 仲值表、手數料を制定 |
13 | 商況 十二日後場 |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(800)/黃得時;碇政彌 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大東亞民族の決意闡明 日滿華興亞團體が會合 |
02 | 興亞運動の徹底化 林大日本興亞同盟總裁挨拶 |
03 | 戰爭と建設に總力 谷外相の祝辭要旨 |
04 | 空虛な自由論 コロンブス・デーを迎へ ル大統領美辭を並べる |
05 | 爐邊談話はけふ行ふ |
06 | 各特派大使を召され 午餐の御陪食賜はる |
07 | 國境劃定委員 拜謁仰付けらる |
08 | 北部愛蘭又も 騷擾勃發 |
09 | ウ次官の失言 重大波紋捲く ア國、對米聲明 |
10 | 大東亞省陣容整ふ 四局長ら人事の銓衡を終る |
11 | 「物質と精神」/室伏高信 |
12 | 圖像:メダンの燃料庫で働く原住民の俘虜 |
13 | 大東亞の港「香港」 私利を圖る者を排斥 磯谷總督談 |
14 | 英領のバ島に 米遠征軍派遣 |
15 | 米軍、ヨハネスブルグに到着 |
16 | 熱心に意見開陳 全島警察會議終る |
17 | 北阿の戰局 近く大展開見られん |
18 | 定例閣議 |
19 | 米、イランの鐵道買收か |
20 | 米、智關係惡化 リ大統領の訪米無期延期となる |
21 | 米の造船狀況 |
22 | 印度各派指導者合同會議 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | あす招魂式の儀 晴の社頭對面に胸躍らせて 遺族部隊續續入京 |
02 | 遺族を勞る 大祭委員長山田大將 |
03 | 御紋菓、御歌傳達式 あす基隆で擧行 |
04 | 圖像:關西學徒演習 |
05 | 臺灣遺族部隊 第二班きのふ入京 |
06 | 偉功千載に輝く 今井部隊戰病死者發表 |
07 | 安藤軍司令官 中南部視察のため今夜南下 |
08 | 伊アフリカ省の機構と施設 |
09 | 萬歲の歡呼浴ひて 義勇隊晴の歸還 武勳の赭顏輝かせて |
10 | 中立國瑞西と難民問題 |
11 | 武勳の義勇隊 新竹州隊あす晴の歸還 |
12 | 公務員の鍊成 各市街庄の中堅を選拔し 十五日北工で開所式 |
13 | 臺灣軍將兵の情 蘭陽風害に第二回の見舞金 |
14 | 商工青年學校生徒を 藤岡兵務部長查閱 |
15 | 司法保護委員總會 きのふ新竹市有樂館で |
16 | 英俘虜神戶着 訓示後收容所に入る |
17 | 嬉しや豐作の鎌入れ 農具修理班も訪れて來て お百姓笑顏に笑顏 |
18 | 僕らの兵隊さんに雜誌 子供奉公隊の慰問 |
19 | 新穀へ限りなき感謝 十一月の常會徹底事項決る |
20 | 諏訪飛行士殉職 陸軍技手に特別任用 |
21 | 姙婦を無料檢診 奉醫基隆分團乘出す |
22 | 百甲步美田化 七星郡青礜の水利施設竣工 |
23 | “燃ゆる大空”から二萬圓 松下氏軍司令部に献金 |
24 | 煙幕 |
25 | 嘉農が優勝 全島中等野球 |
26 | 今夜の放送 |
27 | 興南詩苑漢詩 漢詩習作會課題 暴風/培英、漢詩習作會課題 暴風/培英、漢詩習作會課題 暴風/旭東、漢詩習作會課題 暴風/靖海、漢詩習作會課題 暴風/一鴻 |
28 | 商況 十三日前場 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 畏し・偉勳上聞に達す 櫻井、渡邊兩兵團の先遣隊 作間、原田、平井部隊に感狀 兵團主力の進路 開拓に武功拔群頭條新聞 【東京發同盟】ビルマ作戰に偉功を樹て、さきに感狀上聞の光榮に輝いた櫻井、渡邊兩兵團の第一線部隊たる作間部隊、原田部隊および平井部隊に對しては、既に飯田ビルマ方面陸軍最高指揮官から感狀が授與されたが、今回畏くもこれが上聞に達した旨十三日陸軍省から發表された、作間部隊は櫻井兵團の第一線部隊としてイエナンギヤン占領後、同地に血路を求めて反撃し來つた英印、支那軍の聯合軍と敢闘五晝夜、これに殲滅的打撃を與へ同じく櫻井兵團の先遣隊たる原田部隊はラングーン攻略に、北部ビルマ作戰につねに旺盛な機動力を發揮して戰果を重ね、また平井部隊は渡邊兵團の先遣隊として天險山徑を踏破バーモを奇襲占領、兵團主力の進路を開拓する等いづれ劣らぬ武功拔群の部隊である 陸軍省發表(十月十三日午後四時)緬甸作戰において武功拔群なりし作間部隊、同配屬部隊及び原田部隊、同配屬部隊並に平井部隊、同配屬部隊に對し曩に同方面陸軍最高指揮官より夫夫感狀を授與せられしが今般畏くも上聞に達せられたり 感狀 作間部隊、同配屬部隊 右は櫻井兵團の第一戰としてアランミヨウ附近占領後イエナンギヤン攻略の命を受くるや企圖を秘匿しつつ深く敵中に進入し四月十六日夜半敵を急襲してイエナンギヤンを占領せり 機甲兵團を骨幹とする優勢なる敵軍は唯一の退路を遮斷せられたる結果同地附近に血路を求めて熾烈なる攻撃を強行し更に支那軍を交ふる有力なる敵は北方より執拗なる攻撃を加へて我を挾撃せんと企圖せり部隊は此の情勢に處し兵力特に裝備の劣勢に拘らず烈烈たる氣魄と必勝の信念とを以て優勢なる四周の敵に對し巧に兵力を機動し攻撃に繼ぐに攻撃を以てし肉薄敢闘五晝夜に及ぶ此間優勢なる敵機甲部隊に對し其の退路を完全に遮斷して之に殲滅的打撃を與へ或は夾援の支那軍を擊碎して偉大なる戰果を收めたり斯の如きは部隊長の堅確なる意志と適切なる指揮の下克く鐵石の團結を保持し勇猛果敢なる攻撃精神を發揮せる結果と調ぶべく其の武功は拔群なり 仍てに感狀を授與し之を全軍に布告す 昭和十七年六月十五日 緬甸方面陸軍最高指揮官飯田祥二郎 感狀 原田部隊、同配屬部隊 右は二月上旬櫻井兵團の先遣隊としてバアーン附近に急進し同地附近サルウイン河對岸を占領せる敵に對して穩密裡に渡河し背後より敵を包圍して之を殲滅し引續き兵團の第一線として隨所に敵を撃破しつつシツタン河畔に突進し敵唯一の退路たる橋梁を制扼して第十七印度師團に殲滅的打撃を與へ次で神速果敢なる機動に依り三月八日ラングーンを占領せり 轉じて北部ビルマに進攻を開始するやシユエグウン附近に於て英軍機甲部隊の退路を遮斷し肉薄敢闘之を潰滅せしめ一度軍の總追撃に移るや兵團の先遣隊としてマニワ附近に進出し該地附近に於て渡河せんとしつつありし英印軍を急襲して之を殲滅し更に來援せる敵を撃碎して退路を變換するの已むなきに至らしめ更に峻難を冒し長驅チンドウイン河上流地區に殺到し隨所に敗敵を捕捉して其の死命を制せり 以上の如く長遠なる作戰間終始大なる機動力を發揮し見敵必滅の實を擧げ屢屢偉功を樹てたるは部隊長の旺盛なる企圖心と積極果敢なる指揮の下將兵克く鐵石の團結を保持し難局に臨みて撓まず愈愈攻撃精神を發揚せる結果と謂ふべく其の武功は拔群なり 仍て茲に感狀を授與し之を全軍に布告す 昭和十七年六月十五日 緬甸方面陸軍最高指揮官飯田洋二郎 感狀 平井部隊、同配屬部隊 右は渡邊兵團のラシオ攻略に引續き兵團の先遣隊としてバーモに向ひ追撃すべき任務を受くるや四月卅日ラシオを出發しセンウイ及クツトカイ附近の天險に據れる新銳の敵第二十九師に對し何れも放膽なる夜間機動に依り其の背後より突撃を敢行して之に殲滅的打撃を與へ五月三日拂曉將に爆破せんとするナンカンの大吊橋を強行通過して之が破壞を未然に防止し且優勢なる對岸の英印軍を撃碎し更に百餘粁の山徑を突破して五月三日夜半バーモを占領せり此間僅かに四日に過ぎずと雖も敵屢次の抵抗を撃破しつつ行程三百數十粁に及び克く兵團主力の進路を開拓し其の包圍作戰を容易ならしめたり 斯くの如きは部隊長以下の旺盛なる攻撃精神と神速且果敢なる行動に因るものにして其の武功は拔群なり 仍て茲に感狀を授與し之を全軍に布告す 昭和十七年六月十五日 緬甸方面陸軍最高指揮官飯田祥二郎 感狀三部隊長の略歷 △作間喬宜部隊長は山口縣吉數郡秋穗村秋穗東本鄉六三五四の出身、陸士戶山學校、東京外語を卒業後、支那駐屯部隊付となり後那霸市立商業學校服務、昭和三年濟南城攻撃戰闘に參加、陸士勤務を經て昭和八年一月新聞班員、後北支派遣部隊本部附へ轉出、南支派遣軍報道部長を經て昭和十六年部隊長となつた、(寫真は作間部隊長) △原田棟部隊長は廣島縣安佐郡安村上安一、◯六四の出身、陸士卒、大正八年浦鹽警備、陸士副官、同教官、臺灣軍副官、參謀本部副官を經て關東軍司令部附後再び陸士教官を勤務、昭和十五年部隊長となつた(寫真は原田部隊長) △平井卯輔部隊長は山口縣大島郡安下下庄町西安下庄一二四三の出身、陸士卒、大正九年間島事件に出動後、陸軍騎兵學校教官豐橋陸軍敎導學校學生隊長を經て部隊長となり現在に至つた |
02 | 陸軍省發表 |
03 | 感狀 作間部隊、同配屬部隊 |
04 | 感狀 原田部隊、同配屬部隊 |
05 | 感狀 平井部隊、同配屬部隊 |
06 | 感狀三部隊長の略歷 |
07 | 頭のよい腕白者 作間部隊長長兄義介氏談 |
08 | 子供三人も御奉公 平井部隊長夫人恐懼感激 |
09 | 各部隊の猛攻善戰 |
10 | 三軍囑託に勳一等 平生、潮見、榎本三氏 |
11 | 米英秩序の擊滅に 滾ぎる情熱を傾注 興亞團體懇談會第一日終る |
12 | 奧村情報局次長祝辭 |
13 | 外務辭令 |
14 | 中央、現地の一體化 南方軍政會議開かる |
15 | 新民會新綱領成る 近く中央委員會で承認發表 |
16 | ス市攻防依然激烈 |
17 | 南十字星 |
18 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 偉大なる日本の母 本島女性以て範とすべし社說 一 日本の母は忍苦の母である。家のためなら良人のためなら、また子供のためなら、親のためなら自分を犧牲にして盡すのである。母强ければ國强しと言ふ、我が將兵勇士が支那事變から大東亞戰爭に至るまで世界戰史に薰る赫赫たる勳功を樹てられたのも、我が子を大君に捧げた母の銃後を守る忍苦の姿があつたからである、我が國ほど女性美談を多く持つ國はない、古代においては大和婦道の龜鑑として戰場の華と散つた女性も數數あり增して家を守つて後顧の憂ひをなからしめた美談に至つては枚擧に遑がない、私達は國史に楠木正行の母を教へられた、大和女性の魂のなかに生生と脈打つ此血の流れが連綿二千六百餘年つづいて、昭和の聖代古今未曾有のこの戰ひに真珠灣の若櫻と散つた九軍神や不出世の荒鷲加藤建夫軍神の母に再現したのである、「親はどんな辛抱でもするから好き道を行き、そして立派な人になつておくれ」と子を勵ました上田定兵曹長母堂さくさんの凛として崇高なるこの一言、軍神達が皇國のため止水明鏡の氣持で死ねるのも、國を思つて犧牲をよろこぶ母の感化である。 二 今わが國は世界でも最も金持ちの强い米國や英國と戰つてゐる、しかもこの戰ひは一億國民が石に嚙りついても戰ひ拔かなければならない、寔にこの大東亞戰爭こそは皇國が生存を賭けての大戰爭であり、天下分目の戰ひなのである、之に勝ち拔くためには銃後を守る國民の半分を占める女性の奮起が必要であり就中母性の發揮が最も要望されなければならぬ、それには何を措いても生めや殖せよで次の國民を造つて人的資源の增强に努めることである、子供は國の寶である、子供は强く立派な子供であり强い國民になるためには、母性の持つ責任が非常に重く且つ大きい、自分の子供であると共に國家の子供であり次代の帝國日本を背負つて立つ子供であると言ふこの認識この自覺に立つたならば、搖籠を動かすことにも、乳房をふくませることにもの國家的責任を果してゐると云ふ誇りが泌泌と感ぜられると思ふ、子のためには死の精進も厭はず美しく逞しく生き、拙き命も長かれと祈る母の姿こそ大東亞の母である 三 第一次歐洲大戰が終つてから佛蘭西に個人的な自由主義的な思想が發達して、享樂主義が流行した、そしてフランスの女性は美貌を保つために心身を碎き避姙をするために頭を惱ました、その結果が今度の獨佛戰に歷歷と現はれて跪くも佛蘭西は慘敗を喫した、これに反し盟邦獨逸は民族興隆の旗幟を揭げ乳幼兒や母性の保護に全力を注ぎ遂に今日の國防國家獨逸を築きあげたのである、今度の戰爭は長く續くものと覺悟をせねばならない、長くなればなる程銃後を守る女性の務めは重く困難なものがあらう、こう言ふ中にあつても銃後の女性はすぐ不平を言ふ小利口な女であつてはならない、苦勞を苦勞とせぬ日本の母のむかしながらの精神──默默と家を守り、家人を護り、子供をまもる日本の母のむかしながらの精神こそ祖國興廢の決戰時局下にすべての女性が龜鑑とせねばならない、此母の忍苦を見て育つた皇軍勇士はだから身を殺して歡んで御奉公できるのだ、日本の勝利は全く床しくも香高き母の愛の勝利である |
02 | 靖國神社臨時大祭 諸祭事けふ幕を開く |
03 | 比島作戰に不滅の偉功 命令嚴守、至誠奉公 小野高砂義勇隊長談 |
04 | 戰場の貴い體驗 職域に生かせて鄉黨に範を示せ 長谷川總督の訓示 |
05 | 高雄出身の片岡君談 |
06 | 解團式を擧行 各自懷しの鄉里へ |
07 | 部隊長から賞詞 譽は輝く義勇隊第一中隊 |
08 | 妻と貯金競爭 池澤君の赤誠振り |
09 | 感激の山刀武勇談 米比兵廿八名斬る 部隊長から賞められた臺北出身有田君 |
10 | 聖恩鴻大に感泣 高砂義勇隊員座談會 |
11 | けさ島都に歸還 臺北州隊感激の第一步 |
12 | 志願兵を激勵 鈴木州知事が |
13 | 飲まず食はず前進 自信の“脚”に皇軍將兵も吃驚 新竹出身の山田君 |
14 | 新竹州市郡庶務課長會議 |
15 | 劍術競技會 軍司令部構內廣場で |
16 | 解散の殘金を國防献金 |
17 | 永代伍長弔ふ 花蓮港市葬 |
18 | 堂堂と市內行進 座談會に武勇傳一席 |
19 | 特設勞務奉公團 義勇隊と共に歸還 |
20 | 臺南市末廣校の運動會 |
21 | ボール八萬個の特配 |
22 | 味の素に食鹽を混入 暴利實に一萬六千餘圓 |
23 | 時局の心構充分 南部方面の初巡視を終へて 石田憲兵隊司令官談 |
24 | 前線で貯金報國 奉公團、義勇隊の美談 |
25 | ミシン三臺寄附 |
26 | 米穀增產計畫 基隆郡自給自足に邁進 |
27 | 島都青年學校教練查閱 |
28 | 黃清塗氏歸臺 |
29 | 人事・消息報社消息 |
30 | 訃文:佐藤仁太郎 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 奉公班運營研究大會 區長、世話役ら 七百餘名集ふ |
02 | 花蓮港神社大祭 奉納催しの準備進捗 |
03 | 大眾遙拜式擧行 靖國大祭と神嘗祭兩日に |
04 | 戊申詔書捧讀式 |
05 | 比島更生の先驅 軍管農場を訪ふ |
06 | 水里青少年團結團式 |
07 | 全島郵信連絡打合會 |
08 | 臺南市課長會議 |
09 | 稗拔き週間實施 |
10 | 曾文郡華僑公會の双十節 |
11 | 真心罩むる慰問文 臺中桔梗俱樂部員から |
12 | 僧侶、道士を鍊成 中壢街仁海寺で |
13 | 籾集荷を打合 |
14 | 一分八俵の大豐作 鎌入れに揚がる農民の歡聲 |
15 | 一戶に七十株以上 屏東郡の蓖麻栽培要綱 |
16 | 臺南市魁挺身隊入隊式 |
17 | 武勇談に花咲かす 歸還勇士座談會 嘉義市の軍援行事 |
18 | 圖像:石牌貧民收容所を視る |
19 | 中壢郡下の鹽乾魚小賣人 |
20 | 月桂冠目蒐けて 一署、三郡の若人敢鬪 |
21 | 嘉義郡角力大會 十九日民雄で開催 |
22 | 「貯蓄標語」入選決定 |
23 | 馬匹檢查實施 十六日斗六郡を皮切りに |
24 | 理想的新映畫館建設の議 |
25 | 能高郡警察異動 |
26 | 曾文郡製麵所では十月九日 |
27 | 清水南國民學校の秋季體鍊大會 |
28 | 地方多より |
29 | 今日の映畫 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 電球工場を新竹に 東京芝浦の計畫具體化 |
02 | 機械油の配給統制 要綱決定、來年より實施 |
03 | 機械油の廢油再生 目下工場建設を準備中 鑛務課長談 |
04 | 科學振興費の配分 審議會幹事會で協議 |
05 | 陸海輸送の能率化 倉庫滯貨の所在を衝く |
06 | 香港電氣事業 臺電に委託經營決定 |
07 | 荷物送狀を獎勵 船荷證券の延着對策に |
08 | 連絡調查員會議 軌道合同問題で |
09 | 機械油の代用に 糠油の研究進捗 |
10 | 州廳相互間の連絡 米穀配給關係者で懇談 |
11 | 相思樹單寧の活用 合成單寧との混用に成功 |
12 | 南部佛印の寶庫(上) カムボヂアの資源 |
13 | 家畜傳染病防遏 防疫打合會で協議 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況 十三日後場 |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(801)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 民情上通の窓口 いよいよ二十日から店開き 翼政會二つの委員會を設く |
02 | 民情上通窓口開始について前田總務談 |
03 | 順德天皇御七百年祭 嚴そかに執り行はせらる |
04 | 東亞民族の總力集結 各代表熱火の真情を吐く |
05 | 災害對策成案 翼政會關係省に提出 |
06 | 各個擊破の作戰 獨軍、冬の軍裝整へて |
07 | 獨軍司令部發表 |
08 | 鐵桶の戰備を確立 國府軍事機構を根本的改革 |
09 | 敵を隨所に殲滅(中條山脈) |
10 | 海軍司政長官任命 |
11 | 圖像:臺灣神社參拜 |
12 | 米海軍と協同作戰 ブラジル海軍 |
13 | ル大統領爐邊談話 |
14 | 黑海のソ聯艦船 寄港地失ひ、海上彷徨 |
15 | 國鐵七十年記念式 二百六十七名を表彰 |
16 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 絕讚の的、山の勇士 義勇隊臺北州隊歸還 |
02 | 臺灣神社に參拜 州廳中庭で解隊式 |
03 | 全高砂族の榮譽 梁井知事激勵訓示 |
04 | 奉公團の解隊式 |
05 | 圖像:高砂義勇隊歸還 |
06 | 新竹州隊歸る |
07 | 柴山警察部長訓示 |
08 | 高砂族の誇り 義勇隊の奮戰感想談 |
09 | 殖產局長更迭 後任は須田企畫部長 |
10 | 國防力強化へ 須田新局長の抱負 |
11 | 國鐵發明兄弟表彰 兄は連結機、弟は開閉機を |
12 | 青年學校の運營 指定四校で研究會 |
13 | 盡きぬ手柄話 奮戰談で賑ふ座談會 |
14 | 懷しの我家へ 基隆出身歸る |
15 | 官界生活廿一年 勇退の石井氏臺拓入り |
16 | 日光を見物 臺灣遺族部隊元氣 |
17 | 防諜脚本募集 臺北州聯盟 |
18 | 百貨店賣場縮少 緊急な事務所に供出 |
19 | 各支店の供出 |
20 | メキシコに古代の都發見 |
21 | 興南詩苑漢詩 漢詩習作會課題 暴風/灌園、漢詩習作會課題 暴風/克明、漢詩習作會課題 暴風/春盛、漢詩習作會課題 暴風/見龍、漢詩習作會課題 暴風/德賢、漢詩習作會課題 暴風/寶書 |
22 | 煙幕 |
23 | 今夜の放送 |
24 | 商況 十四日前場 |
25 | 興南案內報社消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 恩命に輝く諸勇士 海軍關係の論功行賞頭條新聞 【東京發同盟】畏き邊りでは十五日海軍關係支那事變死歿者第二十六回及び二十七回の論功行賞の御沙汰あらせられ同日午前雪時海軍省並に內閣賞勳局よりこれを發表した、今回行賞の恩命に浴したものは昭和十五年四月二十九日附既に第一次行賞の恩典に浴しその後事變勤務に從事して功績あつた者及び同日以後始めて事變勤務に服し功績あつた者の內昭和十六年十二月七日までの間における戰死者戰病死者、殉職者及び公務傷病死者等九百卅三名で主として中南支に力戰奮闘した航空關係者、海南島の攻略掃蕩戰に尊き人柱となつた者或は江上機雷戰に壯烈な戰死を遂げた陸戰隊の勇士であり公務死亡者中の大部分は航空機搭乘員として猛訓練中大東亞戰爭を前に壯烈なる殉職を遂げたものである榮えある將兵の中には今回靖國神社に合祀の榮譽に浴する者も多數含まれてゐるが右の內金鵄勳章敘賜の光榮に輝く者は前國民政府顧問須賀彥次郎中將以下二百五十名でその內功績拔群にして優賞せられたる者は重慶、蘭州、成都等支那奧地の主要都市、空軍基地を強襲敵機數百機を撃墜破し再建敵空軍を撃滅して指しくも蘭州に自爆した小谷雄二中佐始め二十一名がある、また今回の行賞においては飛行機事故のため南支に散つた軍事參議官大將大角岑生大將、白濱榮一大佐、同臺灣において斃れた宗雪新之助少將等それぞれ恩命に浴してゐるまた成瀨一等兵曹は聯合艦隊勤務中身を以て自らの灌水艦沈没を防止し海軍軍人の龜艦としてさきに畏くも天聽に達し特に賜品、金一封を賜與せられた、今回重ねて行賞の恩命に輝いた 功績拔群の優賞者(第廿六回) 第二十六回論功行賞中功績拔群にして優賞せられたる者十七名 賜杯賜金中佐小谷勇二 兵庫縣多紀郡城北村 功四旭五賜金大尉谷井俊司 廣島市大須賀町 功四賜金少佐奧山正市 山形縣西村山郡西山村 △橫須賀鎮守府 賜杯賜金航空特務少尉張替安造 茨城縣 同同航空兵曹長飯窪茂靜岡縣 功五同一空曹岡田貞衞福島縣 同同二空曹菊地壯明東京府 同同同釜田重男北海道 同同一空曹堀越博一群馬縣 功六旭七賜金三空曹木村勝雄 青森縣 功五賜金一整曹池田清千葉縣 同同一空曹白旗梅平靜岡縣 同旭七賜金二空曹奧澤隆司 栃木縣 △吳鎮守府 功五賜金一空曹和座章治岐阜縣 △佐世保鎭守府 賜杯賜金航空特務少尉岩橋一失 福岡縣 功五同一空曹有川憲男鹿兒島縣 △舞鶴鎮守府 賜杯賜金航空特務少尉 高野賢三郎新潟縣 第二十七回中功績拔群にして優賞せられたる者四名 △吳鎮守府 功五賜金一空曹松島哲治廣島縣 △佐世保鎮守府 功五賜金飛行兵曹長小林文次 香川縣 功旭七賜金二空曹西尾冨榮 長崎縣 同同同三空曹俣野信之滋賀縣 |
02 | 功績拔群の優賞者(第廿六回) |
03 | 興亞國民運動を展開 三國共同宣言の具體化へ 懇談會第二日 |
04 | 圖像:「鵬翼萬里」 |
05 | マレー・スマトラの 軍政下の復興情況 砂田最高顧問の談話 |
06 | 產業の地域的統制 商工會議所を根本的再編成 商工省立案の要綱 |
07 | 外務辭令 |
08 | 敵匪二千を捕捉殲滅 山東中部山岳地帶で |
09 | 河南省の討伐戰 |
10 | 赫赫たる戰果 中條山脈作戰中の わが精銳の諸部隊 |
11 | 重要物資強制買上 第二次期間今日から來月十五日 商工省公布令 |
12 | 物資の逃避を抑制 一般人の生活と殆んど無關係 |
13 | 國鐵七十周年 盛大な式典を擧行 |
14 | 東條首相祝辭 |
15 | 南十字星 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 經濟會議所と臺灣の現狀社說 一 支那事變の長期化に伴ひ統制經濟が漸次計畫經濟に移行するにつれて都市商工業者の利益代表團體たる會議所の外に各部門別に現實の生產、配給、消費を縱斷的に統制する協同體的職能をもつた機構が地域的組織を包括して編成されるやうになつて來た。その結果會議所が統制事務に携はり得ないことや或は都市の上に立つ地域的制約やで著しく機能を喪失したことから種種なる改組案が研究されてゐたことは周知の事實である。就中會議所の所管が商工省の管理局から總務局に移された後は會議所を地域經濟の確立に活用しやうとして真摯なる研究が重ねられてゐたが最近になつてやうやく經濟會議所法の原案を得るに至り過般商工省當局より藤山日商會頭に內示され今月末に出揃ふ會議所側の意見を聽取の上正式決定を見る事になつてゐる。計畫經濟への移行に伴ふ縱斷的統制體の結成は當然の成行であるがこれら統制體を橫に連絡する綜合的機關の設置も同樣に避くべからざる要請なのである 二 ところで前記經濟會議所法原案の構想は商工會議所の機能喪失の根本原因を檢討の結果大要左の如きものとなつてゐる。卽ち經濟會議所を道府縣單位として府縣所在地に置き其他の都市には支所を設け議員の銓衡は銓衡委員會を設置してこれに當らしめるもので同委員會の銓衡方式は推薦或は投票の何れかによるも自由である。新經濟會議所は從つて地方長官の監督下に置かれ地方經濟團體は同會議所に統合されるべきものとしてゐる。かやうにして商工會議所はやがて經濟會議所に發展的解消を遂げるべき運命にあるがしかし乍ら統制會に對するが如く權限の委讓は行はないことになつてゐるのは職分協同體にあらざる會議所の本質から見て當然の歸結であらねばならない、卽ち商工統制團體が專ら職分協同體として統制諸事務に携はるに反し會議所がこれら諸團體相互の連絡協調をのみ圖るところにその機能が存するからである、經濟會議所法と並行して商工組合に或程度の權限を委讓し經濟行為を營む地方的統制組合的色彩を帶びたものにするやう組合法の改正が考慮されてゐることは極めて當然である。 三 飜つて本島に於ける會議所について見るにそれが會議所一般の性格をもつてゐるが故に經濟會議所への方向に發展的成長を遂げることは最早避けられないことであらう。既に先般督府當局に於ては商工組合整理統合案に於て地域的包括的業種別組合の連絡協調機關として會議所を活用し經濟會議所的な機能をもたせる意向を有してゐる。然し乍ら中央に於て既に前記の如く經濟會議所法について一應の構想を得て以上は將來臺灣にも當然適用されることになるであらうが只現在の如く組合が法的根據をもたずに濫立してゐるのでは尚幾多の問題を包藏してゐるものと謂つてよい。具體的に云ふならば經濟會議所が本年の姿で實現されるのには何よりも先づ現在濫立の組合が適當に整備統合され法的根據を附與されて統制事務に與かり得る程のものになつてゐなければならない。ところが組合の整理統合は企業の整備統合と內面的に結びついてゐるが然し本島の特殊事情により企業整備統合については最近極めて慎重な態度をもち出したのみならず一、一中央にも合議する建前になつて來た。卽ち經濟會議所の實現は並大抵ではないと謂つてよいのである、 |
02 | 芳魂今ぞ靖國に鎮る 烏羽玉の淨闇に御羽車浮ぶ 聖なる一瞬遺族三萬感泣 |
03 | 國民最上の光榮 御悲しみの中に尊き御滿足 東條、嶋田陸海相挨拶 |
04 | 山田委員長挨拶 |
05 | 圖像:高砂義勇隊歸還 |
06 | 日本人たる幸福さ 第一線に出て沁沁感ずる 高砂族義勇隊臺北州隊座談會 |
07 | 靜的から動的へ 臺北州支部參與奉公委員 草山で鍊成開始 |
08 | 武勳の團旗返納 高砂義勇隊から總督に |
09 | 大東亞文學會議 臺灣から四氏が出席 |
10 | 府展搬入終る 東洋畫四六、西洋畫二一四 |
11 | “ラジオ時局讀本” 第二放送に設置 |
12 | 勞務奉公團 宜蘭に歸還 |
13 | 親指山ハイク |
14 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 一戶一羽荒鷲献納 苗栗保甲號に罩もる赤誠 |
02 | 今後は勉強だ 決意新たなお山の勇士 |
03 | 驛頭に劇的場面 感激、歡喜の阿里山勇士 |
04 | 前代の古鐵も晴の應召 後龍溪底の鐵板を引上げ |
05 | 松平氏立候補 高雄州議選擧 |
06 | 懷しの家路へ |
07 | 花蓮港奉壯團鍊成會 |
08 | 勞奉團も歸還 けふ臺中神社に奉告參拜 |
09 | 高雄州隊解隊式 |
10 | 武勳の英靈弔ふ 高雄市葬あす執行 |
11 | 警察會議に於ける 古山高等法院檢察官長訓示 |
12 | 彰化市議月例會 |
13 | 圖像:文字通り飛ぶ翼 |
14 | 海南島の面目一新 視察した八十川氏の土產話し |
15 | 新竹皇奉青年 第一種訓練終る |
16 | 臺南州司法保護事業大會 功勞者に表彰狀、感謝狀を授與 |
17 | 女產業戰士表彰 光榮の玉女さん賞金を献金 |
18 | 和牛を集團飼育 純系增產に新竹州力瘤 |
19 | 茶摘み競技會 石門庄の茶業改善催し |
20 | 蓖麻の肥培管理 新化郡勸業課が積極指導 |
21 | 遺家族に醬油贈呈 |
22 | 生活相談所座談會 本部の藤田主任を迎へて |
23 | 蘭陽地方暴風雨災害救濟義捐金報社消息 |
24 | 畜產支會主任打合會 |
25 | 赤誠の献金品 |
26 | “母の會”開催 酒井教授迎へて |
27 | 新化郡下街庄長連絡會議 |
28 | 安岡氏の視察日程 |
29 | 中師附屬校體鍊會 |
30 | 屏東郡兒童模型機競翔會 |
31 | 總力戰研究所視察團 |
32 | 人事報社消息 |
33 | 今日の映畫 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 稅關の檢查行政 適切なる運用を望む 中嶋財務局長、會議席上で訓示 |
02 | 南部佛印の寶庫(下) カムボヂア資源 |
03 | 稅關鑑定官會議 諮問事項に對し答申 第一日 |
04 | 臺灣商工會議所の 會頭木村氏に內定 きのふの常議員會で |
05 | 南方進出者鍊成 具體案を得て建議 |
06 | 東部の交通滯貨問題を協議 |
07 | 一期米の作付面積 來る農林課長會議で決定 |
08 | 農業移民五十戶 募集要綱發表 |
09 | 重輕勞區分 關係部局打合會 |
10 | “佛印の黃麻栽培 頗る好成績だつた” 臺灣農會指導員の土產話 |
11 | 中嶋財務局長近く上京 |
12 | 臺銀人事異動 |
13 | 產組聯合會支部 主任者事務打合會 |
14 | 新店治水事務所 けふ落成式擧行 |
15 | 印度支那調查室 近く臺拓で大擴充 |
16 | 照明燈 |
17 | 商況 十四日後場 |
18 | ラジオ |
19 | 水滸傳(802)/黃得時;碇政彌 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國民的興亞大運動 十二月八日期し各國に展開 會合第三日、共同決議 |
02 | 皇軍感謝決議 |
03 | 潛水艦の守護神 再度の榮譽に輝く故成瀨兵曹 |
04 | 圖像:僚艦と共に索敵監視に活躍する我が勇士 |
05 | 堀切大使ヴイシー着 |
06 | カナダ、婦人勞働者動員 |
07 | 近く本年掉尾の激戰か 獨、ソ南部戰線小康の狀態 |
08 | 赤軍を擊滅 コーカサス北西山岳戰 |
09 | ソ聯海軍も 政治委員會廢止 |
10 | 國防人民委員部 首腦を增員 |
11 | 英の二輸送船擊沈 獨軍司令部十四日發表 |
12 | 陸軍兵器行政本部人事發令 初代本部長は小須田中將 |
13 | 三中將の略歷 |
14 | 責任の重大を痛感 小須田中將抱負を語る |
15 | 矛盾せる言辭 米大統領の爐邊談話 |
16 | 第二戰線範圍擴大の ル大統領揚言の意圖 一面ソ聯糊塗、一面國論緩和 |
17 | 定期敍位 |
18 | ノ號浮揚作業 近く完了 |
19 | 八田鐵相の式辭 國鐵七十周年記念式典で |
20 | 基本給を設定 相當額の臨時手當を支給 鑛山勞働者に福音 |
21 | ブ中將を罷免 在濠洲米陸空軍司令官更迭 |
22 | ウエスガーを重慶に特派 輸血路を視察 |
23 | 英捕虜乘船の伊輸送船擊沈 英潛、自國人襲擊 |
24 | ウイルキー 西南支那視察 |
25 | 十四日華府着 ル大統領を訪問 |
26 | ユダヤ人の財產徵用令 ハンガリーで |
27 | 日本絹、人絹織物 製造會社創立 |
28 | 東亞纖維工業會の創立總會を開催 |
29 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 一億一齊に遙拜 神嘗祭の十七日午前十時 御遙拜御時刻に |
02 | 神宮參拜團 近く出發 |
03 | 全山歡呼に湧立つ 社眾粟祭りの騷ぎ 勝太郎を待つトアバル社 |
04 | 鄉社に列格 廿日奉告祭擧行 新營神社 |
05 | 社會變革に挺身 奉壯幹部鍊成終る |
06 | “よくやつて吳れた” 湯本君圍んで萬歲 |
07 | ウライの喜び “山の父”岡山警部補の感激 |
08 | 家族の喜び |
09 | 顯忠府、御苑拜觀 御殊遇に遺族感激 |
10 | 宜蘭署射擊大會 |
11 | 心は早くも征野に 第三回高砂義勇隊 けふ晴れの結團式を擧行 |
12 | 臺拓臨時總會 理事候補四名選任 |
13 | 若人の意氣軒昂 島都青年學校查閱 |
14 | 豫算編成聽取 總督と長官が |
15 | 戰歿會員慰靈祭 末廣校同窓會で |
16 | 井上青年修鍊所入所式 |
17 | 志願兵を慰問 鈴木新竹州知事 |
18 | 椿井、金子兩勇士の宜蘭市葬 |
19 | 廈門の衛生狀態 長倉氏が語る |
20 | 壯丁團鍊成大會 あす新竹で開く |
21 | 献納佳話二つ |
22 | 宜蘭市議選擧人名簿 廿日から縱覽 |
23 | “花嫁搜し”の打合 在鄉警察團會議開催 |
24 | 興南詩苑漢詩 漢詩習作會課題 暴風/伯偉、漢詩習作會課題 暴風/雲鵬、漢詩習作會課題 暴風/春懷、漢詩習作會課題 暴風/香宇、漢詩習作會課題 暴風/步初、漢詩習作會課題 暴風/耳□ |
25 | 工業化學會秋季地方大會 |
26 | 府展審查員を 總督が招待 |
27 | 風害殉難者合同慰靈祭 |
28 | 新竹州警察課長會議 |
29 | お小遣を献金 感心なヨイ子供 |
30 | 臺北秋競馬 十七日から開始 |
31 | 面天山行き |
32 | 煙幕 |
33 | 商況 十五日前場 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大東亞戰死歿者初の行賞 恩命に輝く陸、海軍將兵 破格の優賞布哇攻擊の海鷲、特攻隊頭條新聞 【東京發同盟】大東亞戰爭下再び迎へた靖國神社秋の臨時大祭は十四日から秋氣清き九段の杜に嚴かに執り行はれ戰歿將兵の遺芳千歲に榮ゆるとき畏き邊りでは支那事變に於ける陸軍側戰歿者に對し最終の論功行賞の御沙汰あらせられ同時に大東亞戰爭に於て護國の華と散つた陸海軍將兵に對し初の行賞の御沙汰あらせられ十六日附陸海軍兩省及び賞勳局から第一回大東亞戰爭死歿者行賞(陸軍第一回)第五十八回支那事變死歿者行賞(陸軍第四十二回)第一回大東亞戰爭死歿者行賞(海軍第一回)として發表された。聖恩の宏大無邊、唯唯感激の極みである、十六日畏くも論功行賞の恩命に輝いた陸軍將兵は大東亞戰爭の死歿者に於て將官二名、優賞者四十五名、支那事變死歿者に於て鈴木誠太郎少佐を初めとする優賞者二十名にして金鵄勳章授賜の光榮に浴したのは軍神特旨功二級の加藤建夫少將を初めとして總數三千九百八十六名である加藤少將は先に仰せ出たされた金鶏勳章授賜條例によつて特旨をもつて功二級を賜つたもので陸軍として最初の光榮である 尚今回發表されなかつた死歿者については逐次調查完了を待ち恩賞の御沙汰あるものと拜察される右に關し陸軍省では十六日午前零時の如き發表を行つた △陸軍省發表(十六日午前零時) 今般支那事變及び大東亞戰役死歿者に對し論功行賞あらせらるべき旨優渥なる御沙汰を拜したり 右は支那事變死歿者については第四十二回又今次大東亞戰役死歿者については第一回の行賞にして金鵄勳章叙賜の光榮に浴したるはその中三千九百八十六名なり 大東亞戰爭第一回死歿者行賞(陸軍第一回) 特旨功二旭三 少將加藤建夫 (北海道) 畏き邊りでは十六日大東亞戰爭死歿者海軍側第一回論功行賞の御沙汰あらせられた 今回行賞の恩命に浴した者は大東亞戰爭勃發劈頭、敵米國が對日進攻最大の牙城と誇るハワイ真珠灣を攻撃一擧にして太平洋艦隊主力撃滅の偉功を樹てたハワイ攻撃空襲部隊五十五勇士、特別攻撃隊九勇士を初めとしその他二月中旬迄に太平洋各方面に於て力戰奮闘散華せる艦船部隊の將士中の一部で功三旭二を授賜された八代祐吉中將以下九百八名である、しかして右の內將官は三名で大竹寺雄少將以下六十六名に對しては成績拔群なるを嘉みせられ優賞せられた、特別攻撃隊及びハワイ空襲部隊勇士の一部は過日改正せられたる金鵄勳章條例の最初の適用を受くる破格の恩命に浴した 右に關し十六日午前零時海軍省は特に左の如き公表を行つた。 △海軍省公表(十六日午前零時) 今般大東亞戰爭死歿者に對し第一回論功行賞の御沙汰あらせられたり、右恩命に浴したる者はハワイ海戰空襲部隊五十五勇士、同特別攻撃隊九勇士並びに昭和十七年二月中旬までに奮戰散華せる艦船部隊將士中の一部などを合し計九百八名にして特に特別攻撃隊及び空襲部隊勇士の一部は過日改正せられたる金鵄勳章叙賜條例中特旨優賞の最初の適用を受くるの恩命に浴したり 優賞の部 ハワイ空襲部隊 功三旭四(特旨) 中佐鈴木三守宮城 功四(特旨)旭六 飛特中尉森田常記熊本 功三(特旨)旭四 中佐牧野三郎名古屋市 功四(特旨)旭六 飛特中尉大山利雄長崎 功四(特旨)旭六 同鋤田末男熊本 功三旭四(特旨) 中佐飯田房太山口 功四(特旨)旭六 飛特中尉五島一平熊本 特別攻擊隊 功三旭四(特旨) 中佐岩佐直治群馬 功三旭五(特旨) 少佐橫山正治鹿兒島 同同古野繁實福岡 同大尉廣尾彰佐賀 功四(特旨)旭六 特少尉佐々木直吉島根 功四旭六(特旨) 同橫山薰範島根 同兵曹長稻垣清三重 同同上田定廣島 同同片山義雄岡山 |
02 | 陸軍省發表 |
03 | 海軍省公表 |
04 | 米飛行機生產高 |
05 | 優賞の部 ハワイ空襲部隊 |
06 | 特別攻擊隊 |
07 | 陸軍論功行賞 臺灣關係の分 |
08 | 海鷲勇士散華の狀況 真珠灣攻擊に參加 |
09 | 空の軍神加藤少將 初行賞の筆頭を飾る |
10 | 畏し外地に大御心 關東州に侍從を御差遣 |
11 | 翼贊の真價を發揮 來る通常議會の審議を 可及的短期間に成立せしむ |
12 | 妃殿下御二十二方に 事變從軍記章を御授與 |
13 | 興亞運動の徹底化 提案理由と贊成意見 |
14 | 對南方貿易物資の 檢查機構を更改 府財務局、實施を急ぐ |
15 | “組織の研究”が必要 |
16 | 繰上閣議 |
17 | 社告/興南新聞社報社消息 |
18 | 南十字星 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 靖國神社臨時大祭社說 一 興亞の礎石となつた英魂一萬五千二十一柱が、永へに神鎭まる靖國神社秋季臨時大祭は、十四日の招魂式を始めに九段の神域でいと嚴かに執行はれた。大東亞戰爭下二度目の臨時大祭を迎へて、我等は今更のやうに皇軍の盡忠報國の誠に心を打たれ、赫赫たる大戰果の蔭に護國の花と散つた諸英靈の偉勳を讃へずには居れない。君國に身命を捧げた護國の神神に對し、我らは遙かに心からなる感謝をこめて默禱を捧げる次第である。靖國神社は、畏くも明治天皇が御國のため忠義に殉ぜられた神神の靈を祀り勳を後世に傳へよ、との有難き思召で御建てになつた神社である事は申すまでもない。本年春までに既に六十回の合祀祭を執り行はせられ、廿三萬八千八百六柱の神神が護國の神として、上は皇室の御手厚い御待遇を賜り下は一億國民の崇敬の中心として、此の御社に合祀せられてゐるのである。今回新たに一萬五千廿一柱の神神を合祀せられたのであるが、我ら銃後國民はここに改めて護國の神神の勳を讃へ、子子孫孫にまで之を傳へ永へに尊崇の誠を捧げると共に、遺家族の慰問援護に萬遺憾なきを期しなければならない。斯くして以て銃後國內體制の完壁を堅持し、更に覺悟と決意を新たにして、大東亞戰の完遂へ突進すべきであらう 比島作戰に不滅の勳功を建てて臺灣の榮譽を內外に昂揚させた高砂族義勇隊の健兒たちは輝く榮光と名譽を荷つてこのほど故國へ歸還した。無事大任を果して、天晴れ日本臣民たるの責務を全うした彼らの本望は云ふまでもなく、銃後島民の榮譽のためにも洵に慶祝に堪えないものがある六百萬島民は心から彼らの並並ならぬ勞苦に感謝の意を表すると共に、烈烈たるその盡忠報國ぶりに對しては深甚なる敬意をささげるものである思ふに、皇軍の作戰に偉大なる貢献をなし、數數の賞壯賞詞を授與せられた義勇隊の活躍ぶりは、實に淚ぐましいものがあつたが、其處に如實に顯現せられた旺盛な愛國精神と犧牲報國の挺身實踐ぶりは、洵に臺灣統治五十年の輝かしき成果を見事に實らせた一つの現はれと謂はねばならない。我らは此處に彼らの赫赫たる幾多の武勇傳を讃ふると共に、彼らが果してくれた使命の偉大さに深く思ひを致し、彼らが完遂してくれた皇民の本分をば、擧島一致更に協心戮力して、大東亞戰爭を勝ち拔くための感奮と實踐へ遺憾なく發揮させなければならない。斯くしてこそ、統治史上に輝かしき一頁を加へた義勇隊の、不滅の勳功が顯現した偉大なる意義、使命を結實せしめる所以だと思ふ次第である |
02 | 高砂義勇隊の武勳を讚ふ |
03 | 勅使參向に映ゆ 靖國神社臨時大祭第一日 遺族感激の昇殿參拜 |
04 | 明明と篝火照輝く 忠魂に捧ぐ終夜の赤誠 |
05 | 輝やく優賞の御沙汰 真珠灣港に散つた九勇士 破格の恩命に浴す |
06 | 伸び行く 譽の志願兵 嬉しい故鄉便り(六) 訓練生に所長の親心 |
07 | 無口な典型的武人 壯烈な自爆、故牧野中佐 |
08 | ハワイ空襲の華 山口縣出身故飯田中佐 |
09 | 嚴父は日露の勇士 功三旭四故鈴木三守中佐 |
10 | 次回國防訓練大會懇談會 |
11 | 安藤軍司令官 昨日來嘉けふ阿里山へ |
12 | 宜蘭市に畜產係を新設 |
13 | 宜蘭神社祭 盛大に擧行 |
14 | 新五十錢紙幣 十二月頃から流通 |
15 | 乙種醫師學說試驗合格者 |
16 | 人事・消息報社消息 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 戰爭は勝つべしだ 米兵は殘虐そのもの 勞奉團臺中州隊員の感想談 |
02 | 英靈合同告別式 きのふ第四部隊營庭で執行 |
03 | 長白山科學踏破記(三) 獨自の景觀を展開 大陸式にして日本式海外遊記 △別名白頭山の起因 【新京發同盟】九月十六日快晴=午前中は溫泉附近の調查に費す、即ち物理班は長白溫泉の湧出口に於て溫度を計測せしに最高は攝氏七十九度となり 實に滿洲に於て記錄せられしものゝ中最高なることを發見、この附近一帶に亘り、かなりの湧出量ある溫泉が林中深く潜在して居ることも指定し得た、又植物班はシヤマハンノキの林を發見し、オニクの存在も明かにし、更に溫泉內の藻類の研究に力を致す處となつた地偵班は長白出發以來、連日に亘る綿密なる調查の結果、本日に至つて大體長白山自體の構成を明かにすることが出來た、即ち淺野學士の結論する處に依れば、現在のカルデラ壁が生成される以外に、現在の長白山の主體を構成するアルカリ粗面岩、アルカリ粗面岩質流紋岩及び玻璃質アルカリ粗面岩が噴出し、次に大爆發、又は大陷沒によつて古い長白山の山頂が凹入し、現在の天池を造り上げその後黑色集塊岩質熔岩も極めて多量に北西部と北部に流出し、最後に多量の白色輕石を噴出してゐる、この白色輕石の噴出時代は地質學的に見れば、決してそんなに古いものでなく、長白山頂一面に被覆し以て「白頭山」なる別名の起因をなしてゐる、正午長白溫泉を出發、途を東方にとり、例の黑色集塊岩質熔岩に埋められてゐる谷と黑膽石質熔岩に被覆された尾根を橫切ること九回、約十キロを走破し、三道白河の上流、四近はダブリヤカラマツの純林に圍繞されたる極めて美しき場所にその夜の天幕を張る、この夜は美しき天然の寢室にキバナシヤクナゲを縟として安かなる眠をむさぼることが出來た、長白山の南北兩側において植物相の異なること著しく、南側にはエゾノダケカンバやテウセンカラマツが密生してゐるも、北側にはダフリアカラマツの純林を見る 九月十七日、終日小雨=三道白河上流の宿營地から途を南にとり雨を冐して無頭峯の西麓をすぎて大臙脂峯の北東村麓に達し、それより東方に折れ一路東を指して走破すること二十四キロ、夕刻四時神武湖につく、その間大臙脂峯に至る迄は輕石の沙漠地帶であつたがそれより神武城に至る間はこれ又千古斧龯を入れざる天然林である而してこの天然林は標高二、◯◯◯メートルの森林限界から一、三四三メートルの神武城に下るの間において高度の如何により森林相の變移する狀態を標式的に示してゐる、即ち最高部においてはカラマツの純林、次はテウセンハリモミ、エゾマツ、カラマツの混合林更に下ればこれにテウセンマツが加はり、神武城近くなればシラカバがカラマツ林に混在して顯れることゝなる 勿論之等の天然林も高さに應じて種類の遷移を示すも特に著しく目につくのはキンロウバイとクロマメノキの純群落の發達極めて著しきことである、今宵は安圖と惠山鎮の中間、滿鮮國境を流れる豆滿江の片ほとり神武城の地に調查團として最後の天幕を張つた、 曉夢破る實彈の唸り 九月十八日、快晴=早曉八時三十分、曉の夢を破る突如たる實彈の物すごき唸りに起され夢から醒めてみれば正しく匪賊の一隊と警備兵の大亂戰の最中かと思はれたが二、三分の後それは滿洲事變を記念レて行はれた警備隊の實彈演習であることが判り愁眉を開 い、演習中に夜明けたので早朝に食事をとり、南へ十キロ徒步で三叉路に達しトラツク上の人となり途中三池淵、胞胎里、保佗里を經て約五十キロを一氣に突破し、夕刻五時半一同元氣で惠山鎮に安着した、その後廿一日まで長白に於て後始末をなし、二十日惠山鎮出發、二十四日午後二時半新京に安着、直ちに新京神社に御禮參りと解團式を舉行した 附記 本年度の調查は明年から行はれんとする本調查の豫備的調查であつた、しかして調查團としての責任上本年度に得た收穫は編輯の上公表する豫定である、一行中の滿鐵道局勤務萬代源司氏は出發直前鄉里山形縣米澤の實家にありし長男の訃報に接したが長白山學術調查のリーダーたる責任感から悲愁をふりはらひ愛兒の喪を團長にさへ秘して行を共にし、調查中も常に旺盛なる責任感を以てよく團の行動を有利に導き、意想外の學術的大收穫を收め新京に歸着した後、初めて愛兒の死を明らかにしたのである、更に氏の心中を顧みれば、その學術に捧ぐる犠牲的精神の崇高なるに對し、たゞ頭の下るのを覺えるのみである、長白山全體としての景觀は以上の記述で明かと思はれるが、一言にして云へば米國に於けるイエローストンヨセミテ兩國立公園及びイタリーのコモ湖の特質を一地域に集錄し、しかもなほ雄大にして典雅なる趣を失はしめざる處にある、從つて斯く如く大陸的にしてしかも日本式なる景觀は長白山獨自のものにして內、鮮、滿、支を通じ全く比類なき莊麗なものである、況んやこの地が現滿洲國皇帝陛下の大祖が生を享けられし處なるに於ては自然科學的にも歷史的にも此の聖地を繞る一帶と北は安圖より南は長白東は茂山附近より西は松樹鎮に至る約一萬數千平方粁の間を朝鮮、滿洲兩地に於ける一大國立公園となし、景觀の保護は、勿論、天然林や動植物の濫獲、濫伐を絕對に禁止し以て次代を擔當する青少年の身心鍊成の大道場たらしむるは勿論、我ら現役の士も時に都塵を避け身心を禊する道場たらしむるべきである |
04 | 譽れの臺南州隊 奉告參拜後に解隊式 |
05 | 一躍四割の增加 新竹水稻多收穫競作會 榮の褒賞授與式擧行 |
06 | 御露營地詩碑竣工奉告祭 |
07 | 花蓮港保護事業大會 來る二十三日に開催 |
08 | 英靈慰靈祭 十八日七堵庄で執行 |
09 | 遺族を弔問 |
10 | 世は豐作の秋 踊れや踊れ、もろ共に |
11 | 日婦基隆郡支會 きのふ晴の結成式 |
12 | 皇奉役職員會 |
13 | 基隆郡豆腐製造業組合 |
14 | 山地の積極地開發 歸還義勇隊員を先達に 竹東郡が乘出す |
15 | 圖像:蘇澳の金屬回收 |
16 | 大日本婦人會 文山支會結成式 |
17 | 優良茶の生產に 三芝庄製茶競技會開催 |
18 | 穀倉蘭陽の面目躍如 淚ぐましい農民の健鬪結實 |
19 | 豐年踊普及講習會 文山郡農會、女青幹部を指導 |
20 | 蘭陽地方暴風雨災害救濟義捐金報社消息 |
21 | 柴山警察部長巡視日程 |
22 | 臺灣は水產國! 貝殼から割出した斷定 來臺した大山理學士高雄で語る |
23 | 赤誠の献金品 |
24 | 高雄の港灣倉庫 建設準備愈よ進捗 |
25 | 橋子頭角力大會 五里林が優勝 |
26 | 優良奉公班調查報告 |
27 | 柳本大溪街長辭職發令 |
28 | 彰化市奉壯團 新團員宣誓式 |
29 | 屏東產組實務競技會 |
30 | 嘉義廟、嘉義佛堂 |
31 | 基隆の火事 |
32 | 人事報社消息 |
33 | 地方多より |
34 | 今日の映畫 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 本年二期作用の 自給肥料成分價格決定 |
02 | 需給調整協議會設置 企業整備委員會で協議 纖維製品 |
03 | 南方栽培種籾育成 二期米より二千五百石 |
04 | 青果聯合會例會 |
05 | 產聯支部指導員 第一回研究會終る |
06 | 臺灣商工會議所總會 會頭木村氏、副會頭 本山、宮本兩氏に決定 |
07 | 豆粕輸入若干增加 來月上旬農林省で協議 |
08 | 清廉潔白を望む 須田新殖產局長訓示 |
09 | トマトの內地移出 同業組が纏めて出荷の方針 |
10 | 高原司政長官來臺 |
11 | 來年一期作米作付 割當會議繰上ぐ |
12 | 埠頭滯貨の一掃 遞信部主催で打開策を協議 |
13 | 臺拓增員理事 石井、山口兩氏に內定 |
14 | 全島米穀配給組合連絡懇談會 |
15 | 廈門金融組合 一分增配に內定 |
16 | 乘合自動車事業組合役員會及總會 |
17 | 製糖研究會例會 二十三日警察會館で |
18 | 私鐵合同實地調查員連絡會議 |
19 | 照明燈 |
20 | 商況 十五日後場 |
21 | ラジオ |
22 | 水滸傳(803)/黃得時;碇政彌 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 天皇皇后兩陛下 靖國神社に御直拜 一瞬・民一億敬虔な祈念 |
02 | 非常な熱意で協力 新興緬甸の現況櫻井顧問語る |
03 | 圖像:靖國の英靈に赤誠の感謝 |
04 | 重要國策の審議 廿日の閣議で最終決定 |
05 | 獨保安警察隊總司令 ム伊首相と意見交換 |
06 | 鐵道技術の振興 職員子弟の育英 國鐵記念事業として實施 |
07 | 大戰勃發以來三年間の 英の喪失艦艇一覽表 |
08 | 海軍辭令 |
09 | 北部佛印に來襲の米機 甚大な損害を受け敗退 |
10 | 北部は冬籠り準備 地中海方面活潑化せん |
11 | ス市攻防戰は靜穩 |
12 | モズドク地區激戰展開 |
13 | 獨軍ス市の工場を奪取 |
14 | 三井家株式の 一部を解放 大眾資金の一部を導入 |
15 | 重慶國防最高擴大會議 雲南の龍雲來會を肯んぜぬ |
16 | ウイルキーの聲明書 |
17 | 英佛軍激戰 マダガスカル島 |
18 | 意義極めて重大 南阿首相の倫敦行き |
19 | 英上陸作戰を企圖か |
20 | 米徵兵年齡引下 海軍委員會通過 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大御姿を咫尺に拜し 三萬の遺族感激に咽ぶ |
02 | 護國神社に額づく 引きも切らぬ赤誠の群 |
03 | 島都市民の祈念 |
04 | 圖像:護國神社に參拜 |
05 | 遙拜式擧行 |
06 | ああ尊し興亞の礎 無言の英靈けふ凱旋 |
07 | 感激は新た 譽れの家、高橋家 |
08 | 今は昔、四十年 高砂族“兵隊バツト” 義勇隊を迎へて感激一入 |
09 | バツト育ての親 杉森老の回顧談 |
10 | 山地に桐樹造林 一戶平均四百本宛 |
11 | 小坪頂行 |
12 | 市街庄吏員養成 臺工で入所式擧行 |
13 | 海軍へ感激献金 軍國の父、英靈の志を體し |
14 | 內地の翼贊運動より 奉公運動が上乘 歸臺した樂滿參事語る |
15 | “轉落の世界一” 獨に劣るアメリカ機 |
16 | 興南詩苑漢詩 寄懷元煌兄/步初、次韻却寄/元煌、龍峒□居二首/黃景南、同家再添、宋義勇、張瀛洲諸先生秋日詣指南宮作/高文淵 |
17 | 基隆少年野球 |
18 | その日のリツペントロツプ |
19 | 明大勝つ |
20 | 今夜の放送 |
序號 | 標題 |
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01 | 行政事務の再編成 劃期的の整理統合を斷行 議會迄に一切措置を完了頭條新聞 【東京發同盟】政府は施政の重點を生產力擴充に凝結して政策を遂行しつつありさきに劃期的規模と內容を以て斷行された行政簡素化、大東亞省設立もこの見地より實施されたものである、斯くて人、機構の兩面に一應整備を完了したが行政の高度の能率化且つ迅速的確なる處理を期するため愈愈行政事務の劃期的整理統合を斷行することとなり二ケ月後に迎へる第八十一通常議會までには一切の措置を終へ再編成された新官界の創造を期してゐる、而して政府が速かなる實現を期してゐる行政事務再編成の方途は次の如く豫測される 一、共管事項の整理統合迅速なる事務處理の上で各省間に重複競合する行政權限の整理は行政再編成の要諦として多年の懸案であつた、その方途としては可及的に共管事項を整理し已むを得ざるものについても主務官廳を一定し民間に對しては一事項一官廳の原則を確立せんとして居り過般の次官會議に於いても海運行政が取上げられ現在遞信、大藏、內務、鐵道等各省の共管下にあるのを海務院に一元的に統合すべくその實現方の促進について意見の一致を見たのは注目されよう 一、許可認可事項の簡捷化昨年十一月公布された許可認可等行政事務處理間捷令に依り許可認可手續を著しく簡捷化されたが、更に一段の簡捷化が要望され例へば處理期限の現行三十日を二十日に短縮する等が考慮されてゐる 一、官廳事務の民間委讓行政事務の積極的減量を企てるため現內閣は官廳事務の民間委讓につき常に留意して來たが更に思切つた委讓の斷行が望まれてゐる。統制會に對する權限委讓の如きも澀滯して居り、商工省の如く積極的態度を持つてゐるものもあるが各省の足並みは揃つてゐない樣でありこの點內閣の勇斷が期待される 一、不用法令の廢止前時代的法令又は過渡的法令で全くその役割を終へながら尚存續して事務能率を阻害してゐるものが相當多數に上るその速かなる廢止は當然の措置であらう 斯くて政府は十五日の閣議より審議を開始した。明十八年度に實施すべき重要國策の審議調整並びに來議會に提出すべき法律案、豫算案の整備と並行して官界新體制の畫龍點睛とも言ふべき行政事務整理統合の斷行を期して居り、內閣がどの程度まで各省の協力を得てこれを實現し得るかは官民齊しく注目する所であり現內閣の電撃的實行性に期待されてゐる |
02 | 豪壯無比の作戰 特別陸戰隊の真價顯現 不滅の記錄ロナワン掃蕩戰 ○○少佐談 |
03 | 東久邇宮盛厚王殿下 きのふ雁ノ巢に御着 |
04 | 比島軍政の現情、將來 (上)軍政顧問村田省藏氏談 |
05 | 軍馬祭を執行 新竹州畜產會で |
06 | 敵一兵を殘さず殲滅 ボルネオの殘敵完掃 |
07 | 來月末から事前審議 政府對議會準備を急ぐ |
08 | 隨所に剿共討伐戰 支那派遣軍週間戰況 |
09 | ローサ岬附近で 一大海戰展開か |
10 | 諸君の比島建設へ 派遣軍報道部長放送 |
11 | 南十字星 |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 天皇陛下御親祭 けふ神嘗祭の御祭儀 |
02 | 各宮樣方が御拜禮 境內に拾ふ感激篇の數數 靖國臨時大祭第二日 |
03 | 訪滿學生鳥人 重任果して無事歸京 |
04 | 遺族が昇殿參拜 御紋章入り御下賜品を拜し 再度の光榮に感泣 |
05 | 伸び行く 譽の志願兵 臺灣の方が優秀(七) 朝鮮に負けない努力が肝腎 |
06 | 恩賜財團濟生會 閑院總裁宮殿下の台臨を仰ぎ 會員章親授式擧行 |
07 | 宜蘭神社祭典奉祝行事 |
08 | 真柄教授を圍を座談會 |
09 | 示す“五族協和の姿” 建國大學滿洲建設報告隊一行 晴れの帝都入り |
10 | 增產運動に挺身 港都在住の傷痍軍人 |
11 | 親邦の情誼を感謝 二重橋前で皇居遙拜 |
12 | 金屬類供出展示會 宮前町神學校で |
13 | 南方畫壇の最高峰 晴れの入選者發表 いよいよ二十日から公開 |
14 | 初入選の喜び |
15 | 宜蘭市豚の增產に大童 |
16 | 鐵道記念日の切手賣出し |
17 | 新竹州警察部異動 |
18 | 立大勝つ |
19 | 慶應勝つ |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 英靈神鎮る御社に 捧ぐ島民感謝の祈念 |
02 | 少年團運營研究會 新化郡の先生達善化に集ふ |
03 | 臺中市奉壯團懇談會 |
04 | 武勳を偲びつつ 市民哀悼裡に市葬執行 |
05 | 神宮遙拜式 |
06 | 大目降御遺跡記念碑除幕式 |
07 | 徹底せる獨の防空 空襲犧牲者は交通事故の程度 |
08 | 養豚增殖競技會 鳳山街公會堂で褒賞式 |
09 | 高雄市は廿日授賞 |
10 | 故西山兵長 竹東に凱旋 |
11 | 臺灣は新東亞建設の中心 來臺した安岡正篤氏談 |
12 | 魚業界に肅清のメス 臺南州刑事課活動を開始 |
13 | 業態別組合を整理 負擔輕減を眼目に立案を急ぐ |
14 | 皇奉市郡支會 主事打合會 |
15 | 沙山庄社會事業打合會 |
16 | 奉壯團臺南州支部結成式 |
17 | 彰化市長 遺族弔問 |
18 | 屏東市事務監查終了 |
19 | 譽の家宅清掃 屏東のヨイ子供 |
20 | 臺東の漁民待機 遠海漁撈をも企む |
21 | 產業感謝祭 けふより臺東で |
22 | 遺家族慰問映寫會 溪湖街銃援會が主催 |
23 | 選擧人名簿供覽 |
24 | 山本事務總長 屏東で講演 |
25 | 屏東郡教職員の研究會 |
26 | 斗六郡警察課召集 |
27 | 州廳對抗野球 けふより嘉義で開催 |
28 | 選擧事務協議 |
29 | 嘉義鄉軍總會 |
30 | 彰化鄉軍強行軍 |
31 | 體鍊の秋を飾る |
32 | 虎尾醬油工業統制株式會社 |
33 | 地方多より |
34 | 今日の映畫 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 學藝 アリウト人の生活/濱田健二 |
02 | 良書第一主義で (下)書物の需給調查について/田中四郎 |
03 | 意識されない道 宣長の貴い言葉 |
04 | 日本の鐵道事初め 鐵道記念日に因んで |
05 | 北回歸線 文明開化に終止符 民族本然の姿に返れ |
06 | 「文藝臺灣」短評/林英二 |
07 | 河豚の迷信俗說 豫防、除毒、手當 |
08 | 女子勞務者と讀書/谷野せつ |
09 | ラジオ |
序號 | 標題 |
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01 | 圖像:天皇陛下護國の英靈に御拜 |
02 | 東條內閣成立一周年 大東亞新建設進捗 必勝不敗體制確立へ頭條新聞 【東京發同盟】日米交涉を繞る逼迫した內外情勢の中に昨年十月十八日東條內閣が成立してからここに一周年記念日を迎へた、この間大東亞戰爭勃發し皇軍赫赫の大捷と共に大東亞の新建設は着着と進捗し長期持久戰に對する我が必勝不敗の體制を確立しようとしてゐるが作戰の進展に並行する國內の戰爭體制整備も過去一箇年間に驚異的進展を示し政戰兩略相一致して飛躍的な戰爭第二段階への準備を概ね完成した即ち東條內閣成立後の內政一般については先づ開戰前後の議會その他に於ける政府の國論指導政綱を初めとし總選擧を通じて翼賛政治會創立に至る議會體制確立、翼贊會への各種運動團體統一による國民運動の刷新強化行政簡素化及び大東亞省設置に依る 行政機構及びその運營の劃期的刷新、統制會及び營團、金庫新設に上る戰時經濟確立等歷代內閣に於て多年の懸案とされた重要問題を殆んど一擧に解決した、時局の重壓を背景としたとはいへ現內閣の特に東條首相を中心とする異常な實踐力がこの成果を收めたのであるしかし乍らこれ等諸般の內政整備は外戰に於ける日本の絕對優位な戰略體制確立と同樣にその內容を充實しこれを積極的に運營することが重要である翼賛議會の真面目發揮國民運動の部面に於る國防生活の擴充、行政能率の向上強化、經濟新體制を通じての生產力擴充等現下喫緊を要する戰時諸國策具現は何れも今後に掛けられてゐる、從つて政府は目下進行中の明年度豫算案作成乃至は重要豫算先議劃定事項の作定に當つても既に整備された組織なり機構の活用實踐化に主眼を置いて 重要立法措置の如きは出來るだけこれを制限する方針を執つてゐる、又戰力培養の基底たる生產力擴充については政府は全力を傾けてこれが完遂を期しその生產增強の障碍たるものは一切これを除去するの強烈な決意をもつて臨む筈で特に官廳窓口事務の簡捷化、統制會への權限委讓、海陸輸送力の強化等は急速に解決し生產のスピード化とその迴轉速度の增強を圖ることとなつた、東條內閣一周年記念日は施政上に準備期から實踐期へ組織から實行への新段階を畫することとなり豫算編成から通常議會へ掛けて政府の積極的措置が注目されるに至つた尚政府は今十八日は日曜日であるため特に集會せず明十九日午後六時より首相官邸にて閣僚四長官等が會食時局下にささやか乍ら內閣成立一周年を記念することとなつた |
03 | 劃期的轉換の航路 政治一ケ年間の步み |
04 | 聯合國船擊沈 |
05 | 山東共匪を殲滅 判明せる我が戰果 |
06 | 比島の經濟再建順調 (下)軍政顧問村田省藏氏談 |
07 | ダカールの戰雲急 米、英兩國軍既に國境に集結 佛政府決心、婦女子を撤收す |
08 | デ大佐の戰死 佛政府より發表 |
09 | 英、何等發表せぬ 米英の攻略企圖確實 |
10 | 依然中立を維持 アルゼンチン外相聲明 |
11 | ドイツ空軍 新型爆彈使用 英空軍省發表 |
12 | 獨軍猛攻擊を再開 ス市西北工場地帶を |
13 | モズドク油田 獨軍が猛攻 |
14 | 兩院慰問團一行 バタビア到着 |
15 | 米の造船宣傳 ヴ副委員長述ぶ |
16 | 聯合各國商船の擊沈噸數 獨政府筋發表 |
17 | 南十字星 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 天皇陛下御親祭 きのふ神嘗祭の御儀 |
02 | 皇帝陛下御臨 建國十周年嘗新祭の御儀 |
03 | 賴母し・增產戰士 右手に鶴嘴、左手に通帳 二三千圓の貯へざらにゐる |
04 | 神嘗祭遙拜式 軍司令部に於いて |
05 | 圖像:靖國神社秋季臨時大祭 |
06 | 林柏生氏 宇治山田へ |
07 | 魁挺身隊入隊式 |
08 | “追擊奏功休隊兵” 故北白川宮能久親王御親筆 詩碑にして建立 |
09 | 御染筆ノ詩文 |
10 | 伸び行く 譽の志願兵 新しい臺灣を建設(八) 自已本位の考へを清算 |
11 | 小賣商の整備八大府縣夫夫通牒 商工省當局の對策 |
12 | 安藤軍司令官 けふ嘉義から歸北 |
13 | 變貌する上海租界 米英色完全に追放 |
14 | 金屬類特別回收 島都壯年團更に決議を發す |
15 | 行的精神鍊成 新竹州支部、參與奉公委員 |
16 | 法大對帝大 |
17 | 神宮大會臺灣選手一行入京 |
18 | 新竹第一回學校美術展 |
19 | 大砲九門も應召 |
20 | 南へ“ニツポンゴ” 第一輯愈よ完成 |
21 | 衣類更生品 懸賞募集 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 各地の神嘗祭 神恩感謝の遙拜式擧行 |
02 | お山は歡喜一色 感激に上を下への騷ぎ |
03 | 靖國神社遙拜式 |
04 | 圖像:獨ソ戰線 |
05 | 歡呼の聲に迎へられて歸鄉 |
06 | 鄉黨の歡迎裡に 義勇隊員歸家 |
07 | 甲當り百萬斤! 實現に蔗農は真劍だ |
08 | 屏東女青訓練終了 |
09 | 苦鬪の四十五年 佛印の人氣者“西貢婆さん” |
10 | 開拓戰士を慰問 北斗郡勤奉挺身隊東勢で健鬪 |
11 | 新高郡青年團 幹部行軍訓練 |
12 | 竹東街葬 |
13 | 常會運營研究會 沙山庄で開催 |
14 | 屏東市青果小賣商組合創立總會 |
15 | 彰化市の選擧人名簿供覽 |
16 | 工業化學會地方大會 島內の權威者屏東市に集ふ |
17 | 三峽街國語演習會 |
18 | 皇奉支部會 役員鍊成會 |
19 | 臺南州團快勝 接戰續く州應對抗野球 |
20 | 館澤技師學位獲得 |
21 | 赤誠の献金品 |
22 | 漫畫講習會 |
23 | 捕へて見れば 家族の仕業 |
24 | 豚肉の闇檢擧 |
25 | 新竹市楊良氏次男 |
26 | 地方多より |
27 | 今日の映畫 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 果實芳香の平和鄉 新生ボルネオの姿 敗殘兵掃蕩從軍記頭條新聞 【東京發同盟】ボンチヤナクにて兒島海軍報道班員發――「風下の 國」ボルネオ――それはオランダ壓政の下に三百年を送つた國でもあつた、謎を獵奇と神秘の言葉に包まれてゐた大自然の寶庫ボルネオは大東亞戰爭以來皇軍の日夜の努力によつて今や平和な姿をわれわれの前に現はした、それは決して謎でも獵奇でも神秘の國でもない山深いボルネオの奧地――そこにわれくは今莊嚴な「君が代」と「愛國行進曲」を歌ふ原住民の純情な聲を聞く、以下は舊蘭領ボルネオ警備隊の敗殘兵掃蕩に從軍した記者が感激を以て綴る奧地六百五十粁走破の「新生ボルネオ」の姿である |
02 | 微妙な國際的展望 |
03 | 蒙疆の肅清戰果 歸順投降は續出 |
04 | ビルマ重慶軍の末路 米英の楯として望みなき抗戰 |
05 | 徵兵法改正案 米下院で可決 |
06 | 堀切大使パリへ |
07 | 米の對日戰第一主義 わが望むところ 敵一艦、一機も餘さじ殲滅せん |
08 | ス市大工場を占領 赤軍防禦陣地僅か一ケ所 |
09 | 獨軍各方面の戰況 |
10 | 冬營期を前にして 最後の高潮振り ス市結局陷落せん |
11 | 米軍事支出 七百四十億弗 |
12 | 米兵リベリヤに進駐 |
13 | リベリヤも對樞軸宣戰か |
14 | ダカール方面の戰鬪說 事實は無根 |
15 | 海外領土防衛を聲明 ヴイシー政府 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 圖像:皇后陛下護國の英靈に御拜 |
02 | 參拜者參道を埋む 戰果輝く鹵獲機で 靖國の上空を慰問飛行 |
03 | 故酒井中將の葬儀 青山齋場で嚴肅に執行 畏し賀陽宮邦壽王殿下御參列 |
04 | 生產戰に勝ち拔く(1) 增產が唯一の目標/平生釟三郎 |
05 | 安藤軍司令官 南部視察を終へて歸北 |
06 | 軍人精神の權化 故中將の武勳偲んで 吉村、塚本兩中尉談 |
07 | 大東亞文學者大會 來月三日から東京で開催 |
08 | “樞軸の歷史”編纂 日獨伊親善協會で |
09 | 日本人大歡迎 清水畫伯ボルネオを語る |
10 | 增產講習會 市民講堂で開かる |
11 | 羅東郡各街庄 青年團查閱日割 |
12 | 宜蘭消防組詰所 嚴肅に上棟式を擧行 |
13 | 擧州赤誠を披瀝 一本の釘も余さず應召 新竹州の金屬回收高潮 |
14 | 下奎府第四區の赤誠 |
15 | 哄笑・爆笑の連續 熱演に白衣の勇士ら大滿悅 紅裙連の慰問演藝大會 |
16 | 優良壯丁團鍊成大會 |
17 | 發註承認書 下附申請書手續 |
18 | 立大勝つ |
19 | 明大敗る |
20 | 本島に化學工業 來臺した宮本日窒常務談 |
21 | 高砂族に蔬菜栽培獎勵 |
22 | 臺北秋競馬 第二日の成績 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 神のみ惠に感謝 花蓮港の神嘗祭 |
02 | 彰化市の神嘗祭 |
03 | 奉公の誠誓つて 皇奉參與委員鍊成 |
04 | 高雄州の鍊成會 |
05 | 部落會長集めて 常會運營を仕込む |
06 | 竹東神社 御鎮座に際して 竹東郡守中谷龜藏 |
07 | 圖像:滿月の日賑ふシエダゴンパコダ |
08 | 賴もし・皆勞報國 女子農挺隊大活躍 |
09 | 北港朝天宮祭典 |
10 | 山の熱誠を再現 舞踊化に阿部教諭が振付 |
11 | 彈く珠も鮮かに 全島珠算大會臺南で開催 |
12 | 菊池伍長の瑞芳街葬 |
13 | 高雄州團に凱歌 州廳對抗野球戰閉幕 |
14 | 秋に鍛ふ若人達! 各地に敢鬪譜を展開 |
15 | 青年體育大會 東石郡の健兒二千名參加 |
16 | 高砂義勇隊 臺東廳隊歸鄉 |
17 | 陳情經過を報告 清水溪架橋陳情委員歸竹 |
18 | 舞踊發表會 |
19 | 無鑑查入選に 微笑む早坂氏 |
20 | 島民赤誠の献金 |
21 | 彰化市奉納野球 |
22 | 不埒な詐欺漢近く送局 |
23 | 地方多より |
24 | 今日の映畫 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 學藝 中國の智識階級/加田哲二 |
02 | 神秘境大魯閣を探る 洞窟は「ほら穴」なり あらはれ出でたは蝙蝠夫婦/森岩吉 |
03 | 北回歸線 生活の簡素化 本來の精神を忘るな |
04 | “木蘭從軍”に就て/王昶雄 |
05 | 圖像:ニツポンのヱホン |
06 | 文學報國運動 その企劃と實行 |
07 | ラジオ |
08 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 今や敵國を逆封鎖 聯合國の宣傳粉碎獨宣傳相の演說 |
02 | 再建マレーの表情 默默建設に勵む勇士 (上)東海岸パハン州の卷 |
03 | 西北工場地帶を占領 赤軍新陣地へ後退 |
04 | ス市最大危險に陷る |
05 | 圖像:惡路を進擊する獨□甲部隊(獨ソ戰線) |
06 | 獨軍司令部戰況發表 |
07 | 對ソ戰の目的達成 赤軍を石油から遮斷 |
08 | トーチカ陣地 六十個所占據 コーカサスの獨軍 |
09 | 英國內の空氣 再び不安氣構へ 獨軍ス市再攻で |
10 | 赤軍首腦強化 |
11 | 諾威在留米人檢擧さる |
12 | 損保の南方進出 割當決定、認可さる |
13 | 米金山勞働者を銅山に移動 |
14 | 國民兵團の 組織を決定 重慶治下の民眾大恐怖 |
15 | 顧問ラチモア 蔣介石と會見 |
16 | イラク民眾の反英再燃 英軍主謀者逮捕に躍起 |
17 | 米兩院協議會 增稅案可決 |
18 | 地方食糧營團 年內に設立完了 |
19 | 米軍兵力は一個師團位 リベリア上陸 |
20 | 幻想に基く政策 米陸軍の擴大 |
21 | 英空軍、佛のク市を襲ふ |
22 | 畫劇講習會 廿四日建成校で |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 廿四日初の軍馬祭 全國一齊に擧行 讚へよ・無言の戰士の功勞 |
02 | 昇殿參拜で賑ふ 臨時大祭第五日 |
03 | 壯丁市外訓練 あすまで出缺を屆け出よ |
04 | 真言宗英靈追悼法會 |
05 | 傷痍軍人慰問演藝日割 |
06 | 杉森憲兵准尉榮轉 新竹憲兵分駐所長に |
07 | 事務總長圍み 新竹で座談會 |
08 | 輸出工藝展覽會開催 |
09 | 兩指導者の橫顏(一) ビルマの父バーモ博士 |
10 | 生產戰に勝ち拔く(2) 生產第一、採算第二/植村甲午郎 |
11 | 南方向けの第三種刊行物 |
12 | 圖像:總督、長官府展へ |
13 | 府展あすから開幕 招待日に總督長官來場 |
14 | 行賞事務打合 |
15 | 基隆署一齊搜查 |
16 | 先づ敷地買收へ 新竹第二中促進運動 近く發起人會を開催 |
17 | 基隆青年學校查閱 |
18 | 臺北州產奉團 溫泉鄉で鍊成 |
19 | 戰時下英國臺所の悲鳴 |
20 | 特選、總督賞發表 |
21 | 州下一齊搜查 |
22 | 英の石炭饑饉 |
23 | 基隆に又コレラ發生 漁撈、海水使用禁止 |
24 | ル大統領の演說笑殺 |
25 | スリ檢擧 |
26 | 物資不足に喘ぐ けふこの頃の英國 |
27 | 宜蘭署主任の射擊大會 |
28 | 統制問題で州下賣藥業者陳情 |
29 | 人事・消息 |
30 | 煙幕 |
31 | 商況 十九日前場 |
32 | 興南案內報社消息 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 暴虐な米機搭乘員 斷乎嚴重に處分す頭條新聞 【東京發同盟】自由と平等の假面に匿れた敵國アメリカの人道に背く殘虐な國民性は今に始まつたことではなく去る四月十八日の帝國本土空襲に際し彼等が非軍事施設たる病院學校、民家等を爆撃燒夷した惡虐非道な行為は我が國民の言ふ方なき忿怒を激發したがその後陸軍では當時我が方に捕へられた米國機搭乘者を軍律會議に附し嚴重取調べたところ彼等はかかる暴虐行為を當然なりと陳述する有樣でその非道なる心事陋劣なる行動は我が方の斷じて許し得ざるところであるので軍では右捕虜の中惡行為の明白となつた者は斷乎嚴重に處分をなすとともに今後帝國領土は固より滿洲國又は我が作戰地域を空襲し暴虐非道の行為ありたる者は軍律會議に附し死または重罰に處斷するに決し十九日午後四時右に關する大本營陸軍報道部長談及び防衛總司令官布告を發表した。(十九日午後四時發表) △大本營陸軍報道部長談 去る四月十八日帝國本土を空襲し我が方に捕へられたる米國機搭乘者中取調べの結果人道を無視したる者は今般軍律に照し嚴重處分せられたり △布告 大日本帝國領土を空襲し我が權內に入れる敵航空機搭乘員にして暴虐非道の行為ありたる者は軍律會議に附し死または重罰に處す 滿洲國又は我が作戰地域を空襲し我が權內に入りたる者又同じ 昭和十七年十月十九日 防衛總司令官 |
02 | 大本營陸軍報道部長談 |
03 | 布告 |
04 | 笑止・米の宣傳空襲 ヤンキーの野獸的本性發揮 我等國民覺悟を新たに叩き潰すのみ |
05 | 明年度重要豫算けふ閣議決定せん |
06 | 米機盲爆當時の殘忍 非人道米人の暴戾 校庭の學生目蒐けて燒夷彈撒く 惡みても餘りある學校空爆の模樣 |
07 | 鬼畜・住宅を狙ふ 當時の悔しさに淚ぐんで 母親つるさんは語る |
08 | 無性に腹が立つ 傷も癒へてふよさん談 |
09 | 病院を襲つて盲爆 |
10 | 子を立派な軍人に育て 父の仇を取つてやらう 故鈴木氏の未亡人語る |
11 | みつさんも暴虐の犧牲 |
12 | 圖像:森の中で海鷲の整備作業に活躍する勇士 |
13 | 獨軍、殘敵を掃蕩中 赤軍の大半を殲滅 |
14 | マ島の戰況 佛植民省發表 |
15 | 米最新銳空母 東岸某港で進出 |
16 | 滿洲國新たに 國境取締法制定 |
17 | 米大統領夫人 近く訪英 |
18 | 南方現地の新聞政策 逐次四系統に包括 |
19 | 改組國府軍の 中樞首腦部の陣容 |
20 | 翼政「陳情の窓口」 廿二日から受理開始 |
21 | 久富氏に決定 出版文化協會專務理事 |
22 | 宮城縣支部事務局長決定 |
23 | 南十字星 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 朝香總裁宮殿下 軍援寄附者に拜謁と御賜餐を賜る 感激を語る島都三氏 |
02 | 軍援への協力は國民の義務 福島清港氏談 |
03 | 無上の光榮 飯田清氏語る |
04 | 三度目の御召 桑田剛助氏語る |
05 | 產めよ殖やせよに凱歌 日本一子寶家庭 厚生大臣から表彰 |
06 | 一列に目白押し “子供の常會”と間違へられる 十四人組の奧本さん |
07 | 圖像:戰死直前の酒井中將 |
08 | 祭粢料と賞賜物件 陸軍兵事部で傳達式 |
09 | 大國民たる襟度/臘山政道 |
10 | 一村から六家庭 秘訣は大自然の力 |
11 | 食糧籾共同保管打合會 |
12 | 宜蘭青年學校教練查閱 |
13 | 武勳の英靈 遺族に護られて凱旋 |
14 | 男ばかり十一人 殊勳の母・木本サミさん |
15 | 四人は第一線に 十人組の橋口さん |
16 | 圖像:子寶部隊へ贈る表彰狀 |
17 | 海軍へ古鐵献納 龍山寺町第一分區奉公班 |
18 | 宜蘭で紙芝居の座談會 |
19 | “一生一代の感激” 臺灣遺族部隊語る |
20 | 厚生共同住宅計畫圖案募集 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 竹東神社御鎮座祭 奉祝に全郡民赤誠披瀝 |
02 | 臺中神社祭典 多彩な奉納プロ編成 |
03 | 花蓮港の奉納行事 |
04 | 竹南神社祭 奉納行事 |
05 | 奉公の大道驀らに 臺南州奉壯團誕生 |
06 | 團長會議を開催 |
07 | 時局講演 山本事務總長 屏東で長廣舌 |
08 | 奉壯團で座談會 |
09 | 青年總動員訓練 新竹州下の日割決定 |
10 | 教育功勞者表彰 |
11 | 農業實習地品評會 |
12 | 躍進花蓮港を象徵 見よ・有權者の激增ぶり |
13 | 國策遂行に重點 臺中州の豫算編成 |
14 | 屏東農倉功勞者表彰 |
15 | 所得稅等の納期 愈よ本月廿五日に迫る |
16 | 神社中心の生活を建設 中谷竹東郡守謹話 |
17 | 圖像:近くお目見得する新五十錢紙幣 |
18 | 愛育手帖愈よ成る 乳幼兒保護に萬全策 |
19 | 母と乳兒の保護 酒井教授花蓮港で說く |
20 | 奉公參與、委員に辭令交付 |
21 | 新竹中廿周年記念 卒業聲の祝賀計畫 |
22 | 表彰金を献金 感心な苦力頭 |
23 | 蘭陽地方暴風雨災害救濟義捐金報社消息 |
24 | 高雄椪柑は好評 滿洲で引張り凧だ |
25 | 稅關連絡會議 事務簡素案打合 |
26 | お山の火事 |
27 | 赤誠の献金品 |
28 | 顏德馨君結婚式 |
29 | 改姓名 |
30 | 人事報社消息 |
31 | 地方多より |
32 | 今日の映畫 |
33 | 奉祝竹東神社御鎮座祭 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 海南島貿易新機構 關係者二十八社で 海南貿易公社を組織 |
02 | 移出米の輸送 二本建に近く改訂 |
03 | 臺北商議所議員 選擧人名簿縱覽 |
04 | 干バナナ、及干龍眼內地公定價格 |
05 | 米穀配給の是正 連絡懇談會で協議 |
06 | 巒大、黑壠事業區 府で施業案を檢討 |
07 | バス事業組合 出資組合に變更か |
08 | 肉鷄、肉鶩の生體價格 委員會で決定、近く告示 |
09 | 明年度復活豫算 長官官邸で審議 |
10 | 內地材の移入 本期は割當量の半分 上野技師談 |
11 | 奧地木炭の增產に 出荷獎勵金を交付 |
12 | 照明燈 |
13 | 商況 十九日後場 |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(804)/黃得時;碇政彌 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國府建軍威容整ふ 陸、海、空軍相俟つて |
02 | 獨軍、敗敵を急追 ス市攻防戰大詰迫る |
03 | 西北部の一角占領 |
04 | 廢墟の丘へ血の突進 白兵戰を語る獨報道班員 |
05 | 圖像:ジヤワ軍政監部警務部設立 |
06 | 赤軍遮斷さる 西部コーカサス |
07 | 大海軍の建設 米海軍長官一席辯ず |
08 | グルー紐育で 對日戰を強調 |
09 | 反樞軸最高聯合國委員會 宋子文の提案で設置か |
10 | 米、英所有鐵道租借 アラスカ公路、ア灣連絡線 |
11 | スタンドレー 華盛頓に直行 |
12 | 宜蘭市日婦分會結成式 |
13 | 赤軍最後の據點 「赤色十月製鐵工場」 |
14 | 圖像:大島駐獨大使ドイツ幹部と前線視察 |
15 | 佛のモロツコ海軍司令官 ミ海軍中將赴任 |
16 | 香港の利用が必要 南方物資交流中繼地 磯谷總督談 |
17 | イランの軍隊 英米指揮下へ |
18 | 國府軍獨立營 新警備地區へ移駐 |
19 | 米政府の戰時施策 資源、勞力全的に動員 |
20 | “華北の劃期的使命” 省市長會議で王委員長挨拶 |
21 | 彈丸切手の第五回分抽籤 |
22 | 米軍、ダマスカス到着 後續部隊も近く着くか |
23 | 米軍地上部隊 地上勤務員も到着 |
24 | スマツツ將軍 英首腦と密議 |
25 | 一萬圓に當選 勤儉な百姓さん |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 數數の感激を胸に どつさりお土產もらつて 遺族達續續と退京 |
02 | 結核豫防注射實用化 來春から豆產業戰士に施行 |
03 | 戰歿英靈招魂祭 二十三日新竹で執行 |
04 | 圖像:獨ソ戰 |
05 | 臺北州警察會議 二十九日から開催 |
06 | 大阪四社共催 時局大講演會 |
07 | 武勳の歸還義勇隊 高砂從軍記念會結成 山の推進力として至誠奉公 |
08 | 生產戰に勝ち拔く(3) 全山一家總力結集/津田秀榮 |
09 | 宜蘭市臨時市會 廿三日に開く |
10 | 基隆厚生協會 評議員會開催 |
11 | 前線の給金を献金 感激湧く高砂義勇團員 |
12 | 舌の選手豫選 廿三日公會堂で |
13 | 樋口參謀長中南部視察へ |
14 | 圖像:府展に異彩放つ總督賞 |
15 | 奉壯團の使命 座談會で山本總長強調 |
16 | “勿體ない”の生活實踐日 十一月の大詔奉戴日申合事項 |
17 | 有權者四千名增加 基隆市議選擧人名簿縱覽 |
18 | 青年團查閱 島都の日割 |
19 | 一萬圓献金 稻江信組の廿五周年記念 |
20 | 基隆郡紙芝居競演會 |
21 | 金山へ基隆市民の遠足大會 |
22 | 兄弟揃つて特選 總督賞に輝く林林之助氏報社消息 |
23 | 行列買ひ一掃 香川縣計畫販賣採用 |
24 | 宜蘭商工協會臨時總會 |
25 | 不德旅館に營業停止の處分 |
26 | 醫務室を設置 大同鐵工所 |
27 | 人事・消息 |
28 | 煙幕 |
29 | 今夜の放送 |
30 | 商況 二十日前場 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 燃え上る總意結集 政府の要請に全面的協力 翼政會常任總務會頭條新聞 【東京發同盟】東條內閣は去る十八日を以て成立一周年を迎へいよく閣內の結束を強化、積極、挺身の氣魄を以て重大時局を擔當戰爭完遂建設必成に邁進することゝなつたが特に政府が大戰下に迎ふべき來る第八十一通常議會は右完遂必成に不可缺の豫算案を始め重要國策の實行に伴ふ諸法律案が提出され戰時議會として極めて重要なる役割が約束されて居り政府は去る十五日の閣議で「通常議會準備對策の件」を決定戰時議會の運營方針として審議期間の可及的短縮を示唆した程である依つて政府と表裏一體の關係に立つ翼政會では右政府の意圖に即應するため二十日の常任總務會に於いて對通常議會策を中心に隔意なき意見の交換を遂げたが 翼政會としては政府の要請に全面的に協力し戰時議會として豫算案及び法律案の審議並びに議會運營に建設的協力態度を以て當ると共に議會を通じて戰爭完遂大東亞建設に燃え上る一億國民の總意を結集して一段と強靱なる舉國體制の確立を推進する と言ふ基本的意見の一致を見その具體的對策を政府の議會準備進行と睨み合せて今後の總務會で順次取上げて協議することゝなつた而して一方いよいよ內外の時局重は大性を加重するので政治力結集の中核體たる翼政會の本領を一層強力に發揮する方途をも講ずると共にその前提としていよく政府との協力關係に筋金を入れることが要請されてゐるので特に阿部總裁は東條首相と常時會見して忌憚なき懇談を行ひその結果を翼政會の政治活動の面に反映せしめることとし二十日午後も首相と會見當面の諸問題について種々懇談を遂げた、大政翼賛會の國民運動展開と呼應して翼政會の政治運動はいよいよ本格的軌道に乘るものと期待されてゐる |
02 | 重要國策の先議 約半數の審議を終了 |
03 | 國民奉祝の時間 明治節の當日午前九時 |
04 | 東海航空機會社を新設 |
05 | 國民精神文化研究所 誕生して早も十周年 廿二日から盛大な記念行事 |
06 | 圖像:我軍に捕へられた帝都空襲の米機搭乘員 |
07 | 隣組長の脅迫事件 統制會職員の收賄 示唆に富む二新判例 |
08 | 敵產特許の第三回處分 |
09 | 傷痍軍人に對する 一般理解が足らぬ 彼等の率直な聲を聞け |
10 | 舊法幣の交換を實施 武漢周邊の五十一城市 |
11 | 蘇浙皖全地域 十二月一日から斷行 |
12 | 米新型の輸送艇を製作 |
13 | 米空軍敗戰の原因 戰時情報局の報告書 |
14 | 技術協會高雄支部發會式 |
15 | 比島海運組合業務を開始 |
16 | 南十字星 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 米機捕虜の處置社說 一 米國が打續く敗戰を糊塗し國民の士氣を掻き立てるため、笑止千萬にも宣傳的な去る四月十八日敢行したわが本土空襲は、徒らにサーカス的スリルを好む敵國アメリカには一時的人氣を呼んだかも知れぬが、その空襲が徒らに非軍事施設たる病院、學校、民家を盲爆し、その野獸的本性を全世界に向つて露呈したことが逐次明瞭になるに及び、今日では米國民自身が米空軍の賴むに足らざるを痛感し、さすがの鐵面皮ルーズヴエルトさへも忸怩たるものがあるといふ。これに反し我國では空巢狙か夜盜にも等しき彼等の一機二機の空襲によつて銃後が微動だもするものでなく、帝都の市民始め彼等の飛來地に於ける民眾は、日頃の空宣傳にも似ず、軍事施設には全然近寄れず非軍事施設を盲爆して倉皇として退散した無能無力な彼等の攻擊振りを嘲ると共に、空襲何ものぞといふ信念を愈愈確固たらしめ、わが軍官民の防空陣に對する信賴を益益强くいたしたのである。 二 而してこの非軍事施設を爆擊燒夷した惡虐非道な米機搭乘者中わが方の捕虜になりたる者に對しては、わが軍當局では假へ天人共に許さざる暴虐非道なる者と雖も、日本のみの有する武士道精神に基き、相當の敬意を以て取調べたるところ彼等はかかる惡虐比なき行為を當然なりと陳述する有樣であつたので、その非道なる心事、陋劣なる行為はわが方の斷じて許さざるところであり、軍では右捕虜の中人道を無視したる者は斷乎軍律に照し嚴重處分せることは一昨十九日の大本營陸軍報道部長談の如くである。仄聞するところによれば彼等米機搭乘員は悉く多額の懸賞金と家族の手當に眩惑され、而も彼等獨特の賣名的英雄主義にかぶれての飛來に過ぎず、戰爭をスポーツかサーカスと心得スリルを樂しみながら非軍事施設、非戰鬪員を爆擊銃擊して敢て殘忍行為を行つたとのことであり、更らに驚くべきは一變敵地に捕へられれば簡單に手を擧げてその生命の安全を冀ふといふ卑怯極まる心事であつて、これを以てしても斷じて許す能はざるところである。 三 我が國の完璧なる防空陣は今更ら贅言を要せざるところであるが、大東亞建設のために今後五年、十年或は五十年、百年も戰ひ拔かねばならぬことは云ふまでもない、戰爭が長期に亘れば卑劣なる彼等は手を換へ品を換へていつ第二、第三の空襲を試みるやも知れない、また今回の捕虜に對する斷乎たる處分に對しても恥なき彼等はいかなる報復的手段を取るやも知れない乍去これ等に對してはわが方には何時なりとも斷乎それに應ずる用意あることは云ふまでもないところである。要するに今回の處置は帝國が人道を尊重し、戰爭の慘禍を最小限度に制限せんとする趣旨に基くものであつて、この鐵則は將來も敵國搭乘員に對して適用すべきは防衞司令官の布告によつて明らかなところである。われ等一億國民は將來益益募るであらう米英、或は重慶の足搔きを悔らず油斷せず、一億一丸となつて世界平和の確立のため、必勝不敗の信念をいよいよ固くして長期戰を戰ひ拔かねばならぬのである。 |
02 | 經濟事犯の絕滅に “闇一掃運動週間” 十一月一日から實施 |
03 | “軍國の母”の手紙 司令官の瞼を曇らす |
04 | 大東亞戰記編纂 全廿四卷・十二月第一版上梓 文報小說部會で議決 |
05 | トツプは“十四人” 全國の優良子寶家庭 |
06 | 御褒美に育英資金 本年は二百五十三名 |
07 | 圖像:安藤軍司令官金屬品展示會と府展へ |
08 | 臺灣遺族部隊 近く元氣で歸臺 |
09 | 各地遺族部隊順次退京 |
10 | 北支から四氏 大東亞文學者會議出席 |
11 | 回收金屬類展示會 安藤軍司令官が視察 |
12 | 歸途府展を觀覽 |
13 | 府展初日の入場者 一千名を突破 |
14 | 色彩に獨特の工夫 初入選李揚波君 |
15 | 大甲溪發電工事 資材折衝は順調 山本臺電理事語る |
16 | 製鐵功勞者表彰 きのふ鐵鋼統制會で |
17 | 新竹市國語演習會 |
18 | 宜蘭中に電話新設 |
19 | “臺灣文學賞”設定 本島文化向上の為に |
20 | 馬公海軍工作部軍屬募集 |
21 | 宜蘭商工協會臨時總會開催 |
22 | 宜蘭鄉軍分會射擊大會 |
23 | 國民精神文化講習會終る |
24 | 皮革檢查員任命 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 六氏先生の遺德慕ふて 昭和の高山彥九郎 須田氏・はるばる御墓を巡禮 |
02 | 讚へよ・軍馬の勳 二十四日軍馬祭執行 |
03 | 花蓮郡國語演習會 |
04 | 物資配給懇談會 |
05 | 警察會議の訓示傳達 花蓮港廳警察課會議 |
06 | 桃園神社祭典 郡民赤誠の奉納催し計畫 |
07 | 桃園國民校創立四十周年記念式 |
08 | 龜山產業道路 庄民の奉仕作業で完通 |
09 | 壯烈な國防競技 嘉義郡庄對抗青年團陸上大會 |
10 | 若人の意氣沖天 屏東市第一青年學校查閱 |
11 | 勇壯な分列行進 斗六郡青年團查閱 |
12 | 嘉義郡青年團 三十一日に查閱 |
13 | 奉壯團員、推進員 桔梗俱樂部員查閱 |
14 | 果樹栽培も指導 新竹州警察部愈愈乘氣 |
15 | 新莊郡の金屬回收 |
16 | 國家の要請に應へよ 新竹州奉公委員、參與鍊成會 |
17 | 力走また力走 □へる女給さん |
18 | 臺中市選擧人名簿縱覽 |
19 | 今が栽培時期 花蓮港市一坪園藝獎勵 |
20 | 龜山國民校體鍊會 |
21 | 花蓮郡民の赤誠 感激の献金群役所に殺到 |
22 | 旭町保甲聯合會 |
23 | 蘭陽地方暴風雨災害救濟義捐金報社消息 |
24 | 人事 |
25 | 地方多より |
26 | 今日の映畫 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 木材の增產を確保 斫伐事業移讓後の措置決定 |
02 | 木炭生產配給統制 區域別組合中心に實施 督府の機構整備要綱決定 |
03 | 日糖の中央製糖合併認可 |
04 | 轉廢業共助金支給案 企業整備委員會で審議 纖維製品 |
05 | 遺族年金等支給 內外地船員保險打合會で決定 |
06 | 南部二期早場米 廿一日に初檢收 |
07 | 開洋興業增資 香港で工場を建設 |
08 | 新竹米穀納入組合 來る卅一日に總會 |
09 | 臺灣殖產工業總會 |
10 | 週間經濟の展望 第一回米收穫豫想 |
11 | 陸上運輸の非常體制 |
12 | 照明燈 |
13 | 商況 二十日後場 |
14 | 水滸傳(805)/黃得時;碇政彌 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 更に一住宅區域占領 ス市赤軍絕體絕命の抵抗 |
02 | 重要高地を占領(獨軍) ツアプセ包圍の態勢成る |
03 | 東部戰線天候惡化 赤軍後方補給に苦む |
04 | 英紙ス市陷落を豫想 |
05 | 小谷機の會 遺族によつて催さる |
06 | 再建マレーの表情 瀨戶內海そつくり (下)健康地フレザー・ロル |
07 | ペナンの近狀 |
08 | ダ佛副主席 アルジエール着 |
09 | 米下院增稅案再可決 |
10 | 廣東攻略四周年 民眾安居樂業に勵む |
11 | 米中型船擊沈 ブラジル北岸沖で |
12 | 駐ソ米大使 ワシントン到着 |
13 | ビルマ防衛軍幹部 候補生の潑刺たる訓練 |
14 | ビルマ奪還策を評定 |
15 | 鐵鑛資源は無盡藏 海南島の開發を細井氏に聽く |
16 | 鐵道輸送力を增進 あす海陸輸送連絡會議 |
17 | 獨逸を支持せよ 佛首相の放送 |
18 | ダカール一帶の防備強化 |
19 | インド騷擾事件で 官吏の死亡六十名 |
20 | 英海軍の任務困難 英海相戰術の變化を指摘 |
21 | 米亞船舶協定成立 |
22 | 英藏相の戰費支出說明 |
23 | 英二主力艦就役 |
24 | 英兩院合同會議に出席 ス南阿首相 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺北市に監察制度 二十日の課長會議で決定 行政簡素化に拍車 |
02 | 國語常用強化運動 臺北市廿七日から一週間 |
03 | 賞賜物件傳達式 |
04 | 靖國神社に御參拜 昭宮、孝宮兩內親王殿下 |
05 | 圖像:シドニー強襲の特別攻擊隊四勇士の慰靈祭 |
06 | 港都國語演習會 |
07 | 井上鄉軍會長 管下視察に來北 |
08 | “鐵十字星”を授與 獨、勇敢な少國民に |
09 | 新竹州貯蓄打合會 |
10 | 樞軸名流婦人 內原訓練所を見學 |
11 | 生產戰に勝ち拔く(4) 造船術改善が第一/桑原重治 |
12 | 圖像:南方へ送る“ニツポンゴ”第一輯完成 |
13 | 時局映畫會 中園國民校で |
14 | 金屬類の献納 金額にして四千四百圓 |
15 | 競ふ“鍊成の精華” 神宮大會演鍊種目決定 |
16 | 幹部鍊成會終了 皇奉高雄州支部で |
17 | 濠洲の婦人徵用 |
18 | 古洋服の改造 島都で更生講習會 |
19 | “女だけの都” 聖林のけふこの頃 |
20 | 興南詩苑漢詩 安岡正篤先生過訪賦此以贈/灌園、敬和灌園仁翁見贈且賽原起句/安岡正篤、恭謁開聖帝君疊廷植夫子瑤韻二首/說園、詣指南宮次文淵韵/張瀛洲 |
21 | 赤軍トリツク 伊太利兵に見破らる |
22 | 煙幕 |
23 | 今夜の放送 |
24 | 商況 廿一日前場 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 行政簡素化等諸勅令 廿八日樞府本會議で可決せん 來月早早公布實施へ頭條新聞 【東京發同盟】政府は長期戰に對應する國內態勢確立を期して行政簡素化實施に引續き大東亞省設置並に內外地行政一元化を遂次決定して劃期的構想を着々實現しつゝあり右に伴ふ諸勅令案も豫て樞密院の御諮詢を奏請し行政簡素化案の分は既に委員會の審議を終了して政府原案は異議なく諒承を見た模樣である大東亞省設置並に內外地行政一元化に關しては樞府に於ても其審查に極めて慎重な態度を以て臨み、殆んど連日に亘り審查委員會を開會して來たが廿一日午前十時半より開會された第七回審查委員會を以て政府側の說明を終り同案に對する審議は一應終了を見るに至つた同日の委員會は政府側より東條首相が特に出席し兼攝陸相の資格も兼ね陸海軍を代表して南方占領地行政の現況に關し詳細說明を行ひ午後五時十分散會したが樞府側では二十二日も引續き樞府側のみの審查委員會を開催して同案に對する樞府の具體的態度を決定することになつた、政府では內外情勢より判斷して同案の速かなる議了を要請して居り、この政府の意向は樞密院の審議に充分反映し、前例のない真摯な審查が行はれて審查報告書も委員會の審查と並行して逐次作成される等諸般の準備が積極的に進められてゐるこの情勢より見て來る廿八日の樞密院定例本會議當日には行政簡素化、大東亞省設置並に內外地行政一元化等に關する諸勅令案は一括上程され、各原案通り可決されるものと見られてゐる、而して政府は本會議可決を待つて直ちにこれを閣議に附議し必要に應じては臨時閣議を開會して速かなる公布實施を期してゐるが種々の技術的問題もありその時期は十月中には間に合はず十一月早々公布、即日實施となる模樣である |
02 | 實に早い復舊ぶり ラグナ、タヤバス方面視察の 田中最高指揮官一行も驚歎 |
03 | 出し惜みをするな 第二回の金屬回收當局談を發表 |
04 | 圖像:飯田最高指揮官ビルマ幹部候補生隊を閱兵 |
05 | 生產力の增大は 大和魂の發揮にかかる 週間解說 |
06 | 關東八府縣の 振興課長協議會 趣旨の徹底を圖る |
07 | 朝鮮の電力國家管理 朝鮮電氣株式會社(假稱)を設立 |
08 | 一大國民運動展開 大詔奉戴一周年を期して |
09 | 聯合國船の沈沒 五百十六隻に達す |
10 | 二十四時間制は 一般に適用せず 日常生活は從來通り |
11 | 奧村情報局次長談 |
12 | 大日本電力臨時總會を開く 解散事項等附議 |
13 | 經濟會議所設置案 商工會議所側の疑點は氷解 原案の修正もなく議會に提出せん |
14 | チリー內閣 總辭職 |
15 | 米英支軍事合作協議 |
16 | 南十字星 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 農業生產力增強の根本施策社說 一 大東亞戰爭は長期戰の覺悟を以て臨まなければならない事は既に政府より屢屢聲明されたところであり、殊に最近アメリカでは其の尨大な生產能力を恃んで益益各種軍需品の增產に努力してゐるとの事であるから、我國としても必勝の布陣を堅めるため各種生產力の增强を圖らなければならない。本島としても農工業とも益益戰時に必要な軍需及び民需の增產を圖るべきであるが、中にも本島に課したる一大使命は米を中心とする食糧の增產である事は言を俟たない。戰時に於ける食糧の自給と否とは長期耐久戰に關聯するところ多く、假令主要食糧たる米が佛印及び泰國より確保する事が容易であつても國內に於て自給する事はどれ程安全感が强めるか知れないのである。此の見地よりして本島米穀の增產は愈愈重大性を加へられたと謂はねばならない。 二 勿論米穀增產を左右する最大條件は天候の如何であるが、中にも農民が增產に熱意を持つ事が先決條件であらう。然し本島農民をして斯樣な熱意を持たしめる基礎となるべき農地制度の改善は決して之を等閑に附する事が出來ない問題である。殊に本島耕地の五六%三三が小作地であり、內地の小作地割合四五%七六に比し約一◯%丈小作地の割合が多く、中にも水田の小作地は六一%二九を占めてゐる狀態では農民が土地改良を始め心理的にも增產に對する熱度を高める實現的條件が缺いてゐる事は明かである。更に耕地經營規模を見れば二甲未滿の零細農が七一%九三を占めてゐるから、高率小作料と相俟つて農地制改善の急務なるを痛感する者である。 三 其の解決方策としては先づ小作地の安定化を圖ると共に適正小作料の制定が大に必要であらう。更に進んで適地適作主義を徹底して或る土地に對して全全採算の合はざる作物、例へば黃麻、棉花の如き作物の割當を止め以て農民をして土地離脫の心理を喰止めなければならない。此の問題は特に各州廳に於て慎重に取扱ふべき事を望まざるを得ない。尚更に百尺竿頭一步を進めて自作農及び適正規模の創定を奬勵し以て農民をしてモツト土との繋りを强化せしめ、これに依つて其の勤勞の燃燒化、能率化を圖る事が農作物增產の基本條件であらうと信ずる。 斯くの如く米を中心とする農產物增强の各種施策が幸に早く取り上げられるならば本島の農民心理も一變するであらうし、此の基礎の上に時局の認識、國策優先の魂を叩き込めば本島の農產物は立體的に增產する餘地が多多あるであらうと信じて疑はない。これと同時に農村指導者の養成、模範農家の獎勘等を並行すれば現在とかく離村狀況の多き本島農村の樣相も必ずや更生するであらう事は明かである。就中現在小作農の離村が自作農より絕對的に多數に上つてゐる事は上記本島農地制度の缺陷に由來する事深くそれ丈此の方面に對する改革は頗る迂遠の樣であるが寧ろ農產物增產の最も根本的施策であると認識すべきである。 |
02 | 皇軍に感謝の慰問袋 大東亞戰下に迎へる 徵兵制度七十周年記念日 |
03 | 一生一代の光榮 献穀を上納し奉つた兩君 奉耕の感激を語る |
04 | 拓相から賞狀 官邸の午餐に招待 |
05 | 希望躍る大海原へ 海洋青少年養成所生巢立つ |
06 | 雄雄しこの敢鬪 修了式の日恩師に寄せる 喜び溢るる卒業生の便り |
07 | 愈よ月末に實施 醫道本來の使命に還る “國民醫療法”の本質 |
08 | 神宮出場代表 成果に多大の期待 |
09 | 南方派遣教員募集 第一回は中等教員百名 |
10 | 宜蘭市制二周年記念式 |
11 | 十六娘・男裝して從軍 時のロメル中尉麾下で活躍して偉勳 祖國愛に燃ゆる獨逸婦人 第一次大戰 |
12 | 中等水上優勝校に 武官府、優勝杯授與 |
13 | 羅東郡日婦支會結成式 |
14 | “東條會”を結成 日露戰爭の老勇士ら |
15 | 紙芝居研究會 |
16 | 臺灣から三代表 奉納武道大會に出場 |
17 | 本社募集風害義捐金 きのふ總督府に提出報社消息 |
18 | 故諏訪操縱士 讀賣新聞社葬 |
19 | 高額貯蓄組合 急速實施を要望 |
20 | 基隆青年學校查閱 |
21 | 賑ふ府展 第二日の入場者 |
22 | コロンビア政府 樞軸國人取締強化 |
23 | 南方派遣通譯募集 |
24 | 戶稅減免附議の 宜蘭郡下庄協議會 |
25 | 屏東郡國語演習會 |
26 | 大甲街體育會 |
27 | 賭博の大開帳 婦人十數名擧げらる |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 躍進新竹州の豫算 生產擴充に編成の重點 |
02 | 街民は喜びに明け暮れ 次ぎ次ぎと繰展げる催しに |
03 | 御靈代御安着 竹東郡民の奉迎裡に |
04 | マニラ日本人 (一) 學童の作文集 避難するまで/長島信子 |
05 | へいたいさん/仁井本誠 |
06 | 警察事務監查 |
07 | 祭典用米を特配 嘉義市の奉祝準備整ふ |
08 | 隻脚勇士の感激 恩賜の義足に咽ぶ赤堀上等兵 |
09 | 青少年團研究會 |
10 | 圖像:豪華船ノルマンデイー號顛覆の剎那……アメリカで空母改裝中の椿事 |
11 | 柴山新竹州警察部長大湖郡視察 |
12 | 國民勞務手帳法講習會 |
13 | 通霄庄の金屬回收 |
14 | 航空部隊慰問醵金 赤誠の五錢積つて七千餘圓 |
15 | 鶯歌街國演會 |
16 | 屏東市第二青年校查閱 |
17 | 臺南市南門國民校 |
18 | 臺中の軍馬祭 來る廿四日に執行 |
19 | 花蓮港の軍馬祭 |
20 | 海山郡日婦支會 板橋で結成式擧行 |
21 | 長官の訓示傳達 花蓮港廳警察課長會議 |
22 | 教育功勞者表彰 來る教育記念日に |
23 | 永代伍長の花蓮港市葬 |
24 | 新竹州學校美術展 |
25 | 頭圍溫底堤防 愈よ復舊工事に着手 |
26 | 赤誠の献金品 |
27 | 南進座、新竹州下巡演 |
28 | 人事報社消息 |
29 | 地方多より |
30 | 今日の映畫 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 來一期米及黃麻の 作付面積割當協議終る |
02 | 臺鐵、鐵道省間の 人事交流愈よ實現 |
03 | 金屬回收統制會社 回收實施細目決定 |
04 | 督府復活豫算查定開始 |
05 | 南方派遣技術員割當決定 |
06 | 拔荷防止に躍起 商工會議所近く關係者を招集協議 |
07 | 最近の經濟問題 |
08 | 亞麻の植附け 嘉義郡近く開始 |
09 | 南海興業海綿鐵製造 愈よ月末頃火入式 |
10 | 嘉義市產婆奉公分團結成式 |
11 | 蘭陽地方の養鶩 年に十萬羽の盛況ぶり |
12 | 臺南製藥會社 廿七日創立總會 |
13 | 竹山水利組合 臨時評議員會 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況 廿一日後場 |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(806)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 塚原、中村兩提督 拜謁仰せ付けらる |
02 | 冷雨冒し獨軍猛攻 白兵戰を繰返す 赤色十月工場大火災起る |
03 | 米、勞働力不足に惱む 奪ひ合ひ盛んに行はる |
04 | 英の遺產を狙ふ米 第二世界戰爭を機に |
05 | 日に四隻の新造船 ラ委員長豪語宣傳 |
06 | ルーズヴエルト 增產計畫協議 |
07 | 圖像:○○艦上にて防暑服に身を固め碇引揚作業に活躍する海の勇士 |
08 | 萬全の準備を整ふ 敵機に乘ずる隙を與へるな 北京防衛司令部談話を發表 |
09 | 大東亞戰下初の軍馬祭 全國一齊に擧行 上野公園で鹵獲英軍馬を供覽 |
10 | 小癪・米機三機が 冀東方面を盲爆 |
11 | 儲備券の全面交換 漢口周邊五十五ヶ所で |
12 | 鐵道料金も儲備券建 |
13 | チリー政府獨人逮捕 |
14 | ジブラルタル空襲 樞軸機海軍要塞猛爆 |
15 | 左翼派が策動 チリー新內閣親米化か |
16 | 簡素化勅令案等 廿八日樞府本會議で可決 |
17 | 實物受渡期日 勵行を警告 大藏省、取引所側を招致懇談 |
18 | 軍艦須磨 廣東に入港 |
19 | 佛首相の演說 獨政界に好感 |
20 | 米の大增稅案 白堊館に送附 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 本島文化最高の譽れ “臺灣文化賞”設定 皇奉文化部發足の第一着手 |
02 | 臺北州の軍馬祭 北投競馬場で擧行 出發豫定競走を献金レースに |
03 | 雅樂講習修了 奉告祭を擧行 |
04 | 靖國神社例大祭 けふから廿四日まで執行はる |
05 | 圖像:伊空軍の活躍 |
06 | 獨機械化部隊の新戰法 |
07 | 賴母し・鄉軍の活躍 鄉軍理事中井少將視察談 |
08 | 各陸軍病院慰問 鈴木知事と清水代表 |
09 | 遺族を弔問 |
10 | 畫劇挺身隊結成 演出者を打つて一丸に |
11 | 生產戰に勝ち拔く(5) 活用せよ中小工場/大河內正敏 |
12 | 國講生督勵會 市內の開催日割 |
13 | ヨイ子供の御本 九冊の稿本けふ決定 いよいよ新年度から使用 |
14 | 米國の不良增加 |
15 | 井上大將 總督、軍司令官を訪問 |
16 | ビールで釣られる濠洲勞働者 |
17 | 博愛會理事會 けふ府正廳で開催 |
18 | 齋藤會長挨拶 |
19 | 豐年だ・祝へ踊れ 內地の豐年踊りと呼應して 新嘗祭當日に擧行 |
20 | 墨軍隊に木銃 |
21 | 獅頭山行き |
22 | 基隆奉壯團 團員倍加と第一線指導へ |
23 | 無緣佛供養 |
24 | 興南詩苑漢詩 八月十八日草於病床/鶴亭、次鶴亭老兄八月十八日病中原韻/灌園、敬次病中瑤韻/小魯、敬次病中瑤韻/雲鵬、敬次病中瑤韻/坤山、秋夜遣懷四首/雲鵬 |
25 | 罹災十四校 州で復舊費を計上 |
26 | 廣東派遣軍屬募集 |
27 | 煙幕 |
28 | 興南案內報社消息 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 優先的に豫算化する 重要事項の範圍決定 豫算統制大綱五項目に則り頭條新聞 「東京發同盟」政府は大東亞戰爭第三年支那事變第七年に當る昭年十八年度戰時豫算の編成に關しては七月十七日の閣議で決定した明年度豫算編成方針並びに明年度重要事項豫算統制大綱に基き豫算の編成に先行し明年度に於て具現すべき重要國策の詮議劃定を行ふべく豫て企畫院を中心に各省間で銳意作定中の所原案を得るに至つたので去る十五日の繰上閣議に於てこれが審議を開始し引續き二十日の定例閣議に於ては特に午前八時より審議を續行したが更に二十二日の繰上閣議に於てはこれが議了を期し午前八時より午後二時半までぷつ通しで審議した、即ち鈴木企畫院總裁より原案說明の後正式にこれを決定二時半情報局より左の如く明年度に於て優先的に豫算化に努むべき重要事項二十九件を發表した、今回決定した重要國策はすべて重要事項豫算統制大綱の根本方針に則り 一、軍事、防空その他直接戰爭遂行上必要なるもの 二、國防力の緊急增強のため戰時總動員諸計畫及び生產力擴充上必要缺くべからざるもの 三、大東亞建設のため必要缺くべからざるもの 四、食糧政策、保健政策その他國民の戰時生活確保のため必要缺くべからざるもの 五、人口の增強並びに文教の刷新振興のため必要缺くべからざるもの の五項目の中何れかに該當するものでありこの中新規經費と計上する繼續事業については三ケ年以內に完成し然も急速にその効率を擧げ得べきものに極限されてゐるが豫算に要求する資金、物資及び勞務などについてはそれ等の自給實狀に基き先づ政府使用部分の總量を概定しこれを關係諸動員計畫と物合せしめ豫算流れにならぬやう慎重な考慮が拂はれた點は注目すべきである、而して政府はこれが豫算化については資材勞力などと睨合せ大藏省をしてその具體化に努めしめ又法律化されるものについては去る十五日の閣議決定方針に基きその件名は十一月十日、その要綱は十一月二十四日までに決定議會提出準備の完了を急ぐこととなつた 情報局發表(午後二時三十分)本日の閣議に於て昭和十八年度に於て優先的に豫算化に努む可き重要事項は概ね左の範圍による事と決定せり 一、航空研究體制の整備に關する件 一、南方資源活用に關する試驗研究の促進に關する件 一、在敵國帝國權益保全並びに在留民保護等に關する件 一、東京都制の實施に關する件 一、防空施設の整備強化に關する件 一、硬貨製造能力並紙幣、銀行券等證券印刷能力增進に關する件 一、交易統制及び價格調整に關する件 一、學制の刷新に關する 一、學術の振興向上に關する件 一、大學、高等學校及び專門學校學生生徒の增募に關する件 一、教員養成施設の整備に充實に關する件 一、學校教職員及び學生、生徒、兒童の保健施設に關する件 一、氣象機關の整備擴充に關する件 一、皇國農村確立促進に關する件 一、食糧の增產及び確保に關する件 一、農業保險制度の改正に關する件 一、重要工業生產の能率增進に關する件 一、石炭鑛業の助成に關する件 一、銅、水銀及びマンガンの緊急增產に關する件 一、重要機械の精度の高度化に關する件 一、官設酒精工場の轉用によるブータノール等增產の件 一、重要化學工業品の生產增強に關する件 一、航空要員の養成に關する件 一、船員教育養成施設の擴充強化に關する件 一、貨物自動車輸送能力の強化に關する件 一、昭和十八年度滿洲開拓民實施に關する件 一、結核撲滅對策の徹底強化に關する件 一、人口增強方策に關する件 一、軍人援護事業の充實強化に關する件 |
02 | 情報局發表 |
03 | 決定總數二十九件 |
04 | 豫算規模は後で決定 取扱ひ方に付賀屋藏相語る |
05 | 畑總司令官 中支最前線地區を巡視 |
06 | 全國都市問題會議 地方財政等を討議 |
07 | 圖像:整備員に手を振りつつ出擊する海鷲勇士 |
08 | 臺灣關係勅令 |
09 | 英軍ナイル線で反攻說 東部戰線膠着で戰局新展開か |
10 | 議會審議の中心問題 |
11 | 大東亞省官制案と 內外地行政一元化 廿八日の樞府本會議に上程 |
12 | チリー當局聲明發表 ル大統領の懇電に對し |
13 | チリー新內閣成立 |
14 | 取引稅制度を確立 各州間の關稅を一切撤廢 マレー軍政部通牒 |
15 | 常設委員會を 活用 中央物價協力會議 |
16 | 翼政「窓の口」店開き |
17 | ス南阿聯邦首相演說 |
18 | ヘスの取扱ひ 英外相言明 |
19 | 南十字星 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 勞働の尊嚴性を昂揚 拜金思想を清算社說 一 勞働は人間生活の凡てのもの、卽ち生活、經濟、文化、社會の一切のものを再生產して行く原動力である。これなくしては人間生活は一日たりと雖もその持續は不可能である。或る經濟學者が「勞働は凡ての人類生活の第一根本條件であり、或る意味に於て人類それ自體を作つたものである」と言つたのは誠に至言であると云はなければならぬ。併し人間生活にとつてかくの如き根本的價値を持つ勞働が必ずしも正當に評價されず、否寧ろ蔑視されてゐるのは抑抑如何なる理由に基くであらうか。これは自由主義經濟時代に於ける金權思想が支配的になつて來たからである。金權思想はそもそも貨幣と商品の自由主義經濟の所產である。それは元來商品交換の媒介物たる金そのもの、或は貨幣の力を尊重するの餘り、國家或は社會全體の根本をなすものが勞働であると云ふ事實を全く無視し、金さへあれば、この社會のことはどうにもなると云ふ錯覺に陷入り、最も尊嚴なるべき人格すらも單なる商品として取扱はれたのである。從つて金を澤山持ち、湯水の如く消費することは何か特に尊敬すべきことの樣に錯覺し、金錢こそは最高最上のものであるとの拜金思想を生ずるに至つたのである。 二 この拜金思想の跋扈と勞働輕蔑の念は人間生活の各部面に於ける生產性の輕視、消費性の過重評價となつて現はれ、政治、經濟、文化、社會の凡ゆる問題はここから發生した。例へば政治に於ては黨閥の對立抗爭と云ふ消費面に多くの關心と興味が注がれ、經濟に於ては利潤の無制限的追求に沒頭し贅澤な奢侈品を生產、買賣することを無批判的に誇りとされ、文化に於ては人間生活の勞働面のもつ社會的價値について餘り顧慮されず、徒らに男女の戀愛と豪華を極めた消費的面のみがその主重なテーマとして扱はれ、社會に於ては單に性的官能と感覺の滿足のみを求める不健全にして低調な娛樂と享樂の機關が徒らに繁榮した。一億一家、或は臺灣一家の國民共同體の建設に當つて、この拜金思想及びその錯覺を先づ根本的に清算排除されなければならぬ。何となれば國民共同體はその根柢に全國民の協同的勞働によつて、凡ゆる部面の積極的で且つ建設的な生產を昂めなければならないからである。この意味に於て勞働の尊嚴性が正當に評價され、それと關聯して人間生活の凡ゆる部面に於て、その積極的建設的な生產性の喚起が常に第一義的に考へなければならない。 三 特に現下の轉換期に於て、この國民共同體の建設が決戰國防國家の確立と關聯して推進されるが故に、この勞働と生產性の問題は猶一層重要な意義をもつて來るのである。何故なら、決戰國防國家の確立に當つて最も重要な問題の一つは、如何にして最少限の勞働力を以て最大限の生產性を確保するかと云ふことだからである。計畫經濟の眼目の一つはこの問題を解決することにある。そのためには全國民が勞働の意義に對する認識を深め、それについてのあらゆる角度からの研究がなされなければならない。換言すれば勞働と生產性に對する正しい評價が全國民の日常生活に浸透して行き、國民が生活の凡ゆる面に於ける建設的で、積極的な生產性の問題を確實に把握し、且つ正しく解決して行く習慣をつけねばならない。勿論このためには國家の手に於て、最も卓越せる勞働政策が完遂されなければならぬことは言ふまでもない。かく生活の凡ゆる面に於ける勞働と生產性の正しい把握とその解決によつて、人は始めて最も建設的な而して積極的な性格鍛鍊することが出來るのである。 |
02 | 讚へよ“豐穰の秋” 和樂の內に養ふ明日の英氣 擧島感謝の總進軍 來月常會申合事項 |
03 | 皇太子殿下 陸軍戰車防空學校へ行啟 |
04 | 圖像:翼贊會安藤副總裁以下皇居遙拜 |
05 | 滿洲國から蕎麥 內地へ謝恩のために送る |
06 | 新聞社工務員鍊成會 |
07 | 戰捷の春へ贈物 “愛國百人一首”締切る |
08 | 死體は庭に埋める お產によつて死んだ女や赤ん坊 バタツク族の奇習 |
09 | 府展入場者 累計四千六百二十名 |
10 | 戰死は本望 兼本海軍二等兵曹戰死 |
11 | 高等海員養成所生募集 |
12 | ペスト防疫に凱歌 早期發見で殆んど治癒 |
13 | 婦人に呼掛く 宜蘭の金屬回收 |
14 | 島都婦人總結集 日婦臺北市支會並に聯合分會 明後日晴の結成式 |
15 | 圖像:メイ・ハウラー夫人 |
16 | 樋口軍參謀長 けふ阿里山へ |
17 | 糯米と豚肉の特配 宜蘭神社祭に |
18 | 職場の樂團表彰 勤勞者音樂大會 |
19 | 臺南汐見校體育會 |
20 | 赤ちやんの審查 本年度の結果發表さる |
21 | 國語常用運動に一役 松山地區推進員 |
22 | ピールで釣られる濠洲勞働者 |
23 | 英の名女優逝く |
24 | 米軍隊に性病瀰漫 |
25 | 平田元大審院檢事逝去 |
26 | 訃文:深松工 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 萬事調查が先き 廳勢振興調查委員會要綱告示に當り 廣谷花蓮港廳長語る |
02 | 曉の禊で俗塵淨めて 青少年團長會議終了 |
03 | 臺中市第一種青年訓練終了 |
04 | 高雄の軍馬祭 |
05 | 臺東の軍馬祭 |
06 | 曾文神社例祭 赤誠の奉納催し決定 |
07 | 竹山神社例祭 豐年踊り奉納 |
08 | 鳳山神社例祭 |
09 | 大北勢神社 |
10 | マニラ日本人 (二) 學童の作文集 日本の飛行機/柴本優 |
11 | 集合所生活の日記から/前田敏子 |
12 | 陸軍大臣閣下へ/中島剛 |
13 | 馬公軍人休憩所上棟式 |
14 | 森部內務局長臺中視察 |
15 | 國語常用團體調查 |
16 | 深松伍長の苗栗街葬 |
17 | 豐年踊り講習 根岸氏を迎へて |
18 | 擧郡堆肥增產 樋口郡守第一線に立つ |
19 | 臺中州經濟警察會議 けふより四日間武德殿で開く |
20 | 大溪郡國演會 |
21 | 區單位皇民塾 |
22 | 圖像:蘭貢の異風景・洗濯の家 |
23 | 皇奉臺東廳支部 委員、參與鍊成會 |
24 | 葫蘆墩圳改修 |
25 | 牛寮埔道路竣成 八里庄民の汗結晶 |
26 | 臺中州廳對抗野球 |
27 | 國民貯蓄を協議 各市郡關係者高雄に集ふ |
28 | 只管修養に努む 譽れの傷痍軍人と遺族達 |
29 | 彰化郡社會教育事務打合 |
30 | 嘉義奉納野球の組合せ |
31 | 土地爭ひから 殺傷沙汰 |
32 | 港都のチブス激減 豫防注射が奏効して |
33 | 趣味の繪です 初入選の佐佐木氏 |
34 | 宮木臺南州知事 |
35 | 鳳山陸上競技會 三十日に開催 |
36 | 地方多より |
37 | 今日の映畫 |
38 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | □洲國金融新體制 中央銀行法の全面的改正 |
02 | 四大改正要點發表 資本金一億圓に增資 |
03 | 石炭生產補償金 一瓲當五圓以內 |
04 | 食糧政策の一元化 內外地の交流機構 |
05 | 臺灣皮革統制會社初配當 |
06 | 電氣施設法制定 綜合的計畫化を企圖 |
07 | 內地麥酒及清酒 下半期の移入量決定 |
08 | 役牛の確保に 府で對策を協議 |
09 | 女子事務員養成所設置 臺北商議所部會で可決 |
10 | 薪の生產活用に 原木賣渡を山主に命令 |
11 | 臺北州消費米配給組合第三回總代會 |
12 | 陸海運輸の緊密化 連絡會議で對策決定 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況 廿二日後場 |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(807)/黃得時;碇政彌 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 北阿で大空中戰 英機六十三機を擊墜 |
02 | ジ港を強襲 |
03 | 獨ソ泥塗れの死鬪 寒氣漸く酷烈となる |
04 | ツアプセ攻略戰酣 逐次同港を包圍せん |
05 | 勞賃統制問題 英下院で論議 |
06 | 圖像:東條會結成式 |
07 | 赤軍の反擊企圖挫く |
08 | ソ聯より英に 第二戰線要請 |
09 | 基督教の為に戰ふ 英下院で大論戰展開 |
10 | 英國の沒落を表現 (上)淋しくなつた英國民の食卓 |
11 | 首相、三相を招致協議 |
12 | チリー新內閣の顏觸 |
13 | チリー大統領の聲明 |
14 | 翼贊經濟協議會 府縣ブロツク會議地域に即し 幹事支部を設く |
15 | 圖像:多難の國家建て直しに苦心を重ねる佛國兩首腦 |
16 | ラヴアル首相 伯林を訪問か |
17 | 國精文化研究所 十周年記念式典を擧行 |
18 | 木造船保險組合を設立 保險料率引下、填補範圍を擴大 |
19 | 獨も嚴重な處斷 我方の暴虐敵機重罰布告を支持 |
20 | 中村法務局長 府法院檢察官長へ |
21 | 危機對策に 大童 濠洲政府が |
22 | 徵兵實施令に署名 墨國大統領 |
23 | 英印の交涉再開案 |
24 | アメリー印度事務相 偽善的態度を表明 |
25 | 緬甸と日滿支の電報取扱ひ 廿五日より開始 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺灣神社例大祭 赤誠の奉納催物決定 |
02 | 護國神社に參拜 將兵一同、英靈に默禱 |
03 | 靖國神社例大祭 勅使矢尾掌典參向 |
04 | 家庭園藝振興 秋植苗を配布 |
05 | 賞賜物件傳達式 廿六日新竹で擧行 |
06 | 圖像:護國神社參拜 |
07 | 世界ニユースの中心地リスボン |
08 | 港と工場を視察 總督、來月臺中臺南へ |
09 | 學生卓球大會 八日臺大で開く |
10 | 基隆臨時市會 二十九日開く |
11 | 言語に絕す・非人道 虐待に終始する抑留生活 新竹出身李氏の手記 |
12 | コルクで 代用タイヤー |
13 | 參拜者の心得 臺灣神社例大祭當日 |
14 | 教育功勞者五氏 三十日基隆で表彰 |
15 | 基隆市東町區長 水野敏行氏發令 |
16 | ほくらの献納御石に感激 高雄州老埤國民學校のヨイ子供達 修學旅行中、護國神社に參拜 |
17 | 新臺灣文化を創建 皇奉文化部本年の事業 |
18 | 海外短信 |
19 | 新時代の婦人を 新竹で第九回鍊成 |
20 | 厚生事業大會 新竹州、十七日開催 |
21 | 現地知識階級を活用 |
22 | 煙幕 |
23 | 豐年踊り指導者講習會 二十四日から各地で開く |
24 | 興南詩苑漢詩 九日登草山卽興/夢周、九日登草山卽興/春潮、九日登草山卽興/其美、九日登草山卽興/文訪、九日登草山卽興/南都、九日登草山卽興/可軒 |
25 | 今夜の放送 |
26 | 商況 廿三日前場 |
27 | 興南案內報社消息 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 一億國民一層の決意 反省自肅長期戰に臨む 大東亞戰爭第一周年 記念行事週間十二月五日から十一日まで頭條新聞 【東京發同盟】來る十二月八日の大東亞戰爭勃發一周年記念日を中心に展開される大東亞戰爭第一周年記念行事は豫て情報局で具體案を練つてゐたが二十三日の次官會議で正式決定を見、同日午後四時その具體的內容が發表された今度の記念行事は記念日を迎へる一億國民が靜かに過去一年を反省更に一層の決意を以て長期戰に臨むための心構へを要請することに主眼が置かれ期間は十二月五日から十一日までの一週間とし實施期間の前半三日は戰爭第一年の戰果に對應して脚下を顧みる反省自肅の行事期間とし八日當日は嚴肅なる儀禮と啓發行事を主として行ひ後半の三日は戰爭第二年に邁進するための力を養ふ行事期間と定められてゐるが全行事を通じて單なる大祭騷ぎに留まらず特に增產を阻害し資材を濫費したりすることのないやう強く要望されてゐる 先づ前半の行事としては戰爭完遂の決意を國民生活の面に力強く具現するため十二月五日から七日まで「開戰一周年記念戰爭生活確立運動」を展開、大政翼賛會が中心となつて 一、戰爭經濟の圓滑な運營に必要な經濟遵法精神の昂揚、生產道德、配給消費兩部面の道德、親切感謝の精神を強調 一、戰時輸送力確保に協力する交通道德の強調 一、戰時國民生活全般に亘る反省改善 等の運動を關係各省と連絡をとつて全國一齊に實施し後半の九日から十一日までは戰力強化の決意を表明する「開戰一周年記念戰力強化運動」を展開 一、國民貯蓄強化運動 一、增產強化運動—國防、造船に關係する、各工場、鑛山、事業場等に對し戰爭第二年の強力な發足を表徵する增產運動を統制會、翼賛會で指導して實施する 一、防空強化運動 一、學徒報國運動 等を積極的に行ひ又行事の全期間を通じて一周年記念軍人援護運動が新たな決意を以て行はれることになつてゐる八日當日の行事としては ◇國旗揭揚=全國各戶(官衙、學校等も)では必ず國旗を揭揚しその時間は起床後から午後五時までとし從來の樣な不統一な揭揚でなくする ◇默禱祈念=八日午前十一時五十九分から正午まで一分間全國一齊に戰捷並びに武運長久を祈願し護國の英靈にも心からの默禱を捧げる ◇大詔奉讀=各官廳學校、團體、會社等では大詔奉讀式を行ひ一般國民はなるべく隣組で正午から放送に依る奉讀式を行ふ ◇祈願慰靈祭=全國各神社、佛閣では必ず祈願祭を行ひ又各寺院、教會は護國の英靈に對する慰靈祭を執行する尚この期間中東京では大政翼賛會を中心として「開戰一周年記念大會」を開催する外放送の特輯プロ、週報、寫真週報の特輯や映畫、演劇演藝も征戰完遂の決意を織込んだ決戰プログラムを組んで多彩な迫力ある記念行事を迎へることになつてゐる |
02 | 航空研究體制の整備 明年度豫算の重點 |
03 | 圖像:大政翼贊政治會の「民情上通委員室」 |
04 | 商業再編成促進へ 全國的に運動を展開 |
05 | 商報結成二周年 地區別に記念大會開催 |
06 | 首相、廿四日伊勢神宮參拜 |
07 | 德川侍從大連に安着 直ちに有難い聖旨を傳達 |
08 | 敵の厭戰氣分增大 支那派遣軍の週間戰況 |
09 | 管理營團が買上ぐ 輸出不能滯貨を處理 |
10 | 商工省當局談 |
11 | 朝鮮總督府の局長、知事異動 |
12 | 橫山正幸氏 サイゴン着 |
13 | 「經濟議員聯盟」結成 政治運動に新たな使命擔當 參加確定、三百名を突破せん |
14 | 沈船引揚協會設立 |
15 | 蔣介石の演說 |
16 | 十七年度の開墾事業 計二萬六千町步 |
17 | 南十字星 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 大東亞戰下初の軍馬祭社說 一 けふ二十四日は大東亞戰爭下初の軍馬祭である、意義一入深い今日この日を迎へた日本馬事會では各省ならび關係各團體の賛助の下に上野恩賜公園廣場を中央式場として戰歿軍馬の功勞を偲び併せてその靈を慰める軍馬祭を大大的に執行、これには特に各關係國務大臣はじめ主なる官民が參列し玉串を奉奠し、功勞軍馬、代表軍馬、代表民間馬も祭壇に參拜するほか軍馬の功勞を讃へる講演會や展覽會等多彩なる軍馬慰靈の催し物に銃後一億の盡きぬ感謝の赤誠を捧げるが就中今日の中央式場には武勳燦たる我が功勞馬と並んで馬來戰線でイギリス兵の俘虜と共に我が軍に鹵獲された英軍使用の軍馬三頭が陸軍省の下附で一般の觀覽に供し我が戰歿軍馬の靈を慰める本島でも全國に呼應し各州廳別に軍馬祭を擧行し愛馬精神の昂揚に戰歿軍馬の慰靈に六百萬島民の感謝の赤誠を披瀝する、思へば支那事變から大東亞戰爭に至るまで我が軍馬の建てた功績は皇軍將兵の赫赫たる武勳と共に世界戰史に不滅の光を放つであらう、各地の戰鬪に參加し萬里の曠野、砲彈雨飛のなかを或ひは將兵の杖となり足となつて進軍し或ひは物資の輸送に或ひは彈丸の補給に孜孜默默と奮鬪活躍し苦難の勞役を果した御奉公振りは寔に天晴れと言はねばならない、然し乍ら斯く戰へる軍馬の陰には强くて優しい皇軍勇士を忘れてはならない、軍馬が酷暑嚴寒と鬪ひ乍ら密林を潜り急流を衝き峻嶮を突破して從軍し得るのも馬を子の如く可愛る皇軍將兵が常に傍にゐて愛撫の手を差伸べてゐるからであつて寔にこの兵にしてこの馬ありと言はねばならない銃後島民はこの點に思ひを致し皇軍將兵に對すると同じやうに軍馬の勞苦に感謝を捧げると共にその忠誠奉公を讃へ愈愈愛馬精神に徹しなければならない、 |
02 | 社說 臺灣文化賞の設定に寄せて社說 臺灣交化賞が曩に皇民奉公會中央本部に新設された文化部の發足一番の記念事業として設定されたことは、從來稍もすれば刺戟に乏しいため沈滯氣味で小成に甘んずる臺灣文化面に效果百%の清涼劑を與へたものであり本島文化發展のためまた新臺灣文化創造のため寔に機宜を得た處置として歡びに堪へない、この文化賞は臺灣文學賞、臺灣詩歌賞、臺灣文藝功勞賞、臺灣音樂賞、臺灣演劇賞などの五種類に分れ、每年一月から十二月までの一箇年における成績によつて審查銓衡し、翌年紀元の佳節をトして授賞することになつてゐる、この種の文化賞は本島文化部門が多年要望してきたものであるがこの臺灣文化賞が權威ある皇民奉公會によつて設定されただけに名實共に本島文化の最高賞と言つても過言ではなく、これを契機として本島文化人が堅き決意の下に想を練り構を新たにして國民精神の作興に資し得る作品を文藝、音樂、詩歌、演劇に實現するやう望むものである、新日本文化の育成の一翼として新臺灣文化の創建と言ふ大きな目的を達成するためには、本島文化人の一人一人が文化は國策の尖兵なりとの誇りと自覺を持ち、しかも亞細亞の盟主日本としての大きな立場に立つて、共榮圈各文化を指導し且つこれに對して與へる立場からの創造と協力に邁進すると共に日本文化を一層醇正ならしめるための香高い我が傳統文化の吸收に努めねばならない、この線に沿ふた藝術こそは恐らく臺灣文化賞の求むる作品でありまた南方文化の基地としての本島文化に課せられた使命を果しうる所以でもあると思ふ。 |
03 | 譽の四十六遺家族 軍援臺灣本部から表彰 |
04 | 息子三人とも出征 一人は比島で壯烈な戰死 名譽の家、坂本家 |
05 | 一世の範・孝子、節婦を 長谷川總督が表彰 十一月三日明治の佳節を卜して |
06 | 名馬“光秋號” 滿洲國皇帝陛下に献納 一幅の日本畫として |
07 | 臺南庶民信組總會 |
08 | 第二回厚生事業大會 來月十六日島都で開催 |
09 | 神宮大會出場選手宿泊所 |
10 | 圖像:甲號を授與される功勞馬「銀石號」 |
11 | 森部內務局長 二十三日歸北 |
12 | 海軍へ寢臺と古鐵献納 |
13 | 府展第四日 入場者二千六十九名 |
14 | 市バス增車 臺灣神社祭に |
15 | 物言はぬ戰士 第十三回論功行賞 |
16 | 圖像:功勞馬と功勞犬に贈る勳章 |
17 | 遺兒の靖國對面 明春三月廿八日に決定 |
18 | “愛馬の會”大活躍 |
19 | 宜蘭市臨時市會 |
20 | 嚴正公平で進む 中村新大官長語る |
21 | 司法界に三十年 退官の古山氏語る |
22 | 母性保護相談所 一般の利用を望む |
23 | 本社校閱課員募集報社消息 |
24 | 流暢“立板に水” 國語演習會豫選會 |
25 | 第七回鍊成會 臺北桔梗俱部員 |
26 | 慰問浪曲大會を開催 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 英靈弔ふ招魂祭 新竹市忠靈碑前で嚴修 |
02 | 臺南陸軍墓地慰靈祭 軍官民多數參列の下に執行 |
03 | 馬公陸軍墓地祭 |
04 | 石原部長の警察葬 |
05 | 伊丹上等兵遺骨 內地へ歸還 |
06 | 水田裏作に亞麻 新竹州立體的增產獎勵 |
07 | 赤誠の慰問袋 屏東日婦から千二百個献納 |
08 | 彰化郡日婦も調製 |
09 | 羅東神社祭典 赤誠の奉納行事準備 |
10 | 馬事日本の誇り 馬匹の人工受胎の發達 |
11 | 山本事務總長來花 |
12 | 水陸兩署連絡會議 けふ復活して初會合 |
13 | 刑餘者誘掖に邁進 花蓮港司法保事業大會開催 |
14 | 嘉義神社祭奉祝 俳句陳列會 |
15 | 奉公運動の先達 參與、委員の鍊成終る |
16 | 闇一掃運動週間 各地で主旨徹底講演會 |
17 | 農民は豐作に雀躍 さあ!踊れ豐年の秋 |
18 | 圖像:敵國、中立國邦人と通信 |
19 | 豫備役將校團 臺中州南部分團結城式 |
20 | 共同收穫、共同計算 豐原郡の試みに成果注目さる |
21 | 府展に桃園から兩君入選 |
22 | 大悟・日本人に還る 囹圄から續續献金申出 |
23 | 屏東の生活相談所 いよいよ實現の運び |
24 | 遺家族慰問演藝 |
25 | 總務課長會議 |
26 | 奉壯團役員打合 |
27 | 臺東中學の校舍 總工事費三十萬圓で建築 |
28 | 勞務座談會 |
29 | 第六回特設勞務奉公團 臺中州隊きのふ編成式 |
30 | 赤堀氏歸北 |
31 | 桃園郡の體鍊會 |
32 | 古蹟の下調查に着手 臺南市天然記念物保存會 |
33 | 赤誠の献金品 |
34 | 支會視察を報告 |
35 | 新竹新興國民校 保護者體育會 |
36 | 簡軍屬の戰死 |
37 | 殘餘金を國防献金 |
38 | 林口庄簡易水道竣成 |
39 | 地方多より |
40 | 今日の映畫 |
41 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 今春來の島內事業 新設擴張とも振はず |
02 | 鐵、食糧の增產に重點 武部滿洲國長官談 |
03 | 鐵工業統制會 設立發令に關し協議 |
04 | 罎リンク制を廢止 近く集配統制會社を設立 |
05 | 金融行政の一元化 (上)臺鮮兩銀行どうなる? |
06 | 東亞經濟懇談會 幹事會開催 |
07 | 臺帽聯評議員會 |
08 | 臺拓新理事に 石井、山口兩氏任命 |
09 | 一般雜貨の船積 府商工課の取扱品目決定 |
10 | 船腹割當の申請方法 |
11 | バス、トラツクの經營 鐵道部近く實地調查 |
12 | 砂糖諸問題の解決 田代技師中央と協議 |
13 | 經濟手帖 損保の海外進出 |
14 | ス、フ人絹の重點主義生產 |
15 | 照明燈 |
16 | 商況 廿三日後場 |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(808)/黃得時;碇政彌 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 吹雪衝いて肉彈戰 ス市、獨軍猛攻繼續 |
02 | 赤軍の屍體で充滿 ヴオルガ河下流一帶 |
03 | 獨、通常時間を採用 徹底的電力節約 |
04 | 獨軍、モ地區強襲 ワ港東北部で激戰 |
05 | 木更津市誕生 |
06 | 蓑田サイゴン總領事 マ經濟局長と重要會談 |
07 | 英國民生活の苦境 (下)ザツト目についた實例の數數 |
08 | ル大統領夫人 ロンドン着 |
09 | 圖像:敵潛水艦及護送船攻擊に活躍する伊海軍超快速艇 |
10 | 歐洲の關心西方へ 地中海、ナイル戰局變化なからん |
11 | 英の軍需生產 增加は不可能 リ戰時生產相語る |
12 | 中岡東京市會議長 辭表を提出 |
13 | ウイルキーの言動は 米の總意代表せず セラルド・ナイ議員の辯 |
14 | 有配者の召集反對 シヤトルで指令無視 |
15 | 太平洋の勝利は困難 米軍事記者の視察談 |
16 | ダルラン提督 ダカールへ赴く 軍隊を激勵、防衛を指令 |
17 | フランス政府 重要閣議 |
18 | 萬全の防衛陣 佛領西亞總督の談 |
19 | 盲爆佛人犧牲者の葬儀 |
20 | ニユージーランドは 新作戰の基地 ウ米國駐剳公使強調 |
21 | リベリヤ政府 對樞軸斷交か |
22 | ペタン元帥の聲明を放送 |
23 | シリヤ等に戒嚴令 中東地方騷擾化の前兆 |
24 | 米の新巡洋艦一隻進水 |
25 | 南洋學院 開院式を擧行 |
26 | ル大統領、軍需生產 船舶關係首腦と會談 |
27 | ハムプデン爆擊機 雷擊機に使用 英空軍省の發表 |
28 | 翼贊會辭令 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大東亞戰爭軍馬祭 けふ全國一齊に擧行 |
02 | 軍馬の重要性認識へ 鈴木臺灣軍獸醫部長談 |
03 | 無言の戰士に感謝 臺北州軍馬祭北投競馬場で擧行 |
04 | 圖像:臺北州の軍馬祭 |
05 | 軍馬に御馳走 新竹州の若人達馬草を献納 |
06 | 海軍志願兵教育 若鮎の如く元氣潑剌 橫須賀海兵團訪問記 |
07 | “勤勞文化”を確立 働く大眾の讀書指導要綱を立案 |
08 | 母子保護講演會 基隆奉醫團、真柄博士を招いて |
09 | 南支那海の囚人島 プロ・コンドル島を聽く |
10 | 勤續職員表彰式 けふ鐵道部で擧行 |
11 | 蘭陽地方の青年學校查閱 |
12 | “必ず優勝する” 神宮大會臺灣選手團第一隊 きのふ元氣で入京 |
13 | 羅東郡日婦結成式 |
14 | 煙幕 |
15 | 今夜の放送 |
16 | 興南詩苑漢詩 十月十八日夢周招遊草山適値陰曆重九春潮詞長以下數人與焉/文訪、偕嘯霞兄康雅崙九日飲張宅/覺齋、夜宿指南宮/文淵 |
17 | 商況 廿四日前場 |
18 | 興南案內報社消息 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 食糧管理委員會設置 昨日實施、委員を任命頭條新聞 【東京發同盟】食糧管理法の實施に伴ひ農林省では從來の米穀統制委員會を改組して新に食糧管理委員會を設置することとなり二十四日官制公布實施と同時に委員の任命を行つた、舊委員會が各官廳局長級並に民間學識經驗者を以て構成されてゐたに對し新委員會は各省次官級並に民間識經驗者を以て組織しその調查審議事項も一段と強化され米麥その他主要食糧の價格並に統制に關する勅令等總動員審議會、物價審議會と並んで名實共に主要食糧統制に關する審議會的性格を帶ぶるに至つたが第一回の委員會は來る二十九日開催の豫定である、同委員會官制並に委員氏名次の通り ◇食糧管理委員會官制 第一條、食糧管理委員會は農林大臣の監督に屬し其の諮問に應じて管理法の施行に關する重要事項を調查審議す 第二條、委員會は會長一人及び委員二十五人以內を以て之を組織す、特別の事項を調查審議するため必要ある時は臨時委員を置く事を得 第三條、會長は農林大臣を以て充つ、委員及び臨時委員は農林大臣の奏請により關係各廳高等官及び學識經驗ある者の內より內閣に於て之を命ず、學識經驗ある者の內より命ぜられたる委員の任期は二年とす、但し特別の事由ある場合に於ては任期中之を解任する事を妨げず 第四條、會長は會務を總理す、會長事故ある時は農林大臣の指名する委員其の職務を代理す 第五條、農林大臣は必要により委員會に部を置き其の所掌事項を分掌せしむ事を得、部に部長を置く、會長又は會長の指名する委員之に當る、部に屬すべき委員及び臨時委員は會長之を指名す委員會は其の定むる所に依り部の決議を以て委員會の決議とす事を得 ◇食糧管理委員會委員 森山法制局長官、安倍企畫院次長、山崎內務次官、木村陸軍次官、澤本海軍次官、石黑農林次官、椎名商工次官、植場拓務次官、武井厚生次官、後藤文夫、東畑精一、大槻正男、寺尾博、酒井忠正、阿部壽準、石黑忠篤、澁澤敬三、紫安新九郎、村松久義、千石興太郎、岡本馬太郎、黑澤酉藏、小畑忠良、藤山愛一郎、松本海務院長官、長崎鐵道次官、橫川重次、山口馬城次、高橋龜吉 |
02 | 農村の長期必勝態勢 愈よ具體的に整備 |
03 | 圖像:瀨川淺之進翁、磯谷總督を訪問 |
04 | 大東亞省官制案內外地行政一元化原案承認 樞府委員の審議終る |
05 | 三十一日に公布 即日實施の意向 |
06 | 非常に啟發された 國府宣傳部長林柏生氏北京へ |
07 | ダルラン提督 モロツコ着 |
08 | ゼノア爆擊 英空軍が發表 |
09 | 實物取引の自肅 大藏當局、強く要望 |
10 | 東條首相 伊勢神宮參拜 |
11 | 約一千の敵を擊滅 食を求めて頻りに蠢動 |
12 | 米國の軍需生產 豫訂計畫に達せぬ ルーズヴエルト辯明 |
13 | チリー新內閣 遙かに左翼化 |
14 | 粉末石鹼類の 販賣價格を改正 |
15 | 獨軍廿二區を確保 ス市全部二十六區 |
16 | リベリヤに 參戰を強要 米國愈よ露骨 |
17 | 翼壯本部長の後任を銓衡 |
18 | 英首腦部の言明 事每に矛盾 印度獨立聯盟が暴露 |
19 | 南十字星 |
20 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 臺鐵の人事交流社說 一 產業線として將又國防線として新な使命を帶びて來た交通局鐵道の强化策については滿尾新鐵道部長を迎へて目下真摯に研究を進めてゐるが一方人的組織の强化策として近く鐵道省との間に人事交流が實現される事になつた、南支並に南方交通工作の協力に多數の要員を送り出してゐる臺鐵の現狀では下級從業員もさること乍らそれにもまして指導的地位にある人的資源の涵養を必要とすることいふ迄もないことであつて右の人事交流は「鐵道の如く特殊な技術と知識とを特に要求される所にあつては技術と事務を問はず何れにもこの道のエキスパートを作りあげることが先づ緊要でありこの點從來の如き人事交流を排し鐵道本來の使命に鐵み鐵道人事の速かなる確立を實現したい」滿尾部長の抱負に基いて行はれたものである。かかる人事交流はだからと言つて現在の鐵道人事が全然非鐵道的であるとか又は指導的地位にある人が無能であるとかを云ふのではなく今後の臺鐵增强に備へて兩者の理解を深めんとすることにあるは論ずる迄もない。 二 臺鐵が將來鐵道省の監督下に立つことは周知の如く大東亞省設置要綱に定められてゐるが此度の人事交流はその端的な表はれだと言つてよからう、そして他の官廳と異つて專ら科學と技術との基礎の上に立つ鐵道業務は比較的に臺灣的特殊性をもたないことからして人事交流は最も廣範圍に且つ頻繁に行はれるであらうがそれ丈に鐵道省の一地方鐵道局たる色彩を濃厚に帶びて來ることも避け難い所である、否部長始め經理課長、主要係長並に技師を鐵道省側に占められることになつてゐる今日では實質上鐵道局に變りがなく「一層のこと鐵道省の臺灣鐵道局にすべし」との要望も擡頭するに至つてゐるのは無理からぬことである。臺鐵の輸送力擴充には人事交流は避けられない一手段ではあるがそれが圓滑に行はれ得る為には一方的交流に終はることなきやう內臺間の待遇不均等を調整する必要があらら、既に前途の見透難で鐵道部內に沈滯せる空氣が釀し出されてゐることは大いに考慮する必要がある 三 由來臺鐵はその傳統たる家族主義の下にがつちりスクラムを組んで物的施設の不備を克服して來たのであるから不圓滑なる人事交流によつてそれにヒビを來しては輸送力の擴充も實現し得るものはない。上層職員の交流に關聯して下級從業員の待遇改善も大いに考慮しなければならないことであらう。卽ち下級從業員の大部分を本島人が占めてゐた關係上待遇が永年の中に上に厚く下に薄くといふ風に馴致されて來たのである。が事變以後に於て判任官の大量增員並に雇傭員の待遇改善で稍稍見るべきものがあつたものの民間會社の好條件につられて轉職者が極めて多く人員不足の上に移動が甚しかつた為に臺鐵の能率を著しく低下せしめてゐるのが現狀である。臺鐵の輸送力擴充は物的施設のみでなしに下級從業員の礎石的努力によつて始めて實現されうるものであるとすれば待遇改善が如何に切實であり而も臺鐵の人員不足は今後とも本島人を以て補充される外はないことに鑑みれば待遇改善の方向も略略見當がつけられ得るものといつてよいである。 |
02 | 廚芥の利用運動 “勿體ない”の觀念を地で行く 翼贊會各團體を總動員 |
03 | 國民鍊成優良團體 神宮秋季大會に參加 |
04 | 南方圈の女性(1) 魅惑的な黑い皮膚 傳統的風俗に生きる |
05 | 日婦宜蘭市支會結成式 |
06 | 九献納機命名式 北京飛行場で擧行 |
07 | 南洋學院臺灣關係生徒 |
08 | 四十粁踏破 臺北第三高女 |
09 | “不可主義”を一擲 青少年の禁酒禁煙積極主義で進む |
10 | 市バスの乘車券 車外賣の成果如何? 當局の辯、乘客の辯 |
11 | 乘車道德向上 市バス當局語る |
12 | 二重手間は無駄 太平町某氏談 |
13 | 車掌は不親切 宮前町某氏語る |
14 | 回數券は車內賣に 兒玉町某夫人談 |
15 | 偲ぶ“粒粒辛苦” 東條さん、旅館で自炊 |
16 | 溫厚にして篤實 善行者松林成一氏 |
17 | 大東亞文學者大會 日程と參加代表發表 |
18 | 軍馬慰問で賑ふ 無言の戰士に感謝 |
19 | 陸軍技術部依託學生召募 |
20 | 人事・消息 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 偉勳將兵と共に輝く 物言はぬ戰士に捧ぐ一億の感謝 大東亞戰下初の軍馬祭 |
02 | 指導者たる自覺 鍊成會劈頭に山本總長訓示 |
03 | 文山神社祭典 |
04 | 献饌田拔穗祭 新坡青年團奉仕 |
05 | 甘藷增產推進班隨行記 農民の健鬪に敬意 蘊蓄傾けた平間技師の指導 |
06 | 銅鑼庄保正會議 |
07 | 十一月の申合事項 皇奉會新竹州支部 |
08 | 舌の達人ばかり 流暢な熱辯に拍手の嵐 |
09 | 圖像:賑ふ新化神社例祭の奉納催し |
10 | 暴風對策に論議集中 宜蘭臨時市會開かる |
11 | 新化街の選擧人名簿 |
12 | 品物は倉庫で居眠 出廻らぬタイヤの真相 |
13 | 金屬を徹底回收 新竹市主旨宣傳に大童 |
14 | 賢妻よく夫を激勵 お山に咲く軍國美談二重奏 |
15 | 圖像:山と積る慰問袋 |
16 | 國語普及研究會 森田知事臨席の下に開催 |
17 | 高雄州組合長會議 睡眠組合の整理希望招實 |
18 | 屏東錦國民學校地鎮祭 |
19 | 義教を控へて 屏東郡學校施設を協議 |
20 | 社告/興南新聞社報社消息 |
21 | 大溪郡壯丁團檢閱 |
22 | 吏員養成所落成 |
23 | 商工主任會議 |
24 | 地方多より |
25 | 今日の映畫 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 本年一期米實收高 三百八十三萬八千石 前年同期に比較し三十四萬四千石減 |
02 | 米管以來の生產目標と 收穫實績の對照 |
03 | 鳳梨傾斜面栽培 助成規格決定 |
04 | 勞働力の質的調查 今西臺大教授を委囑 |
05 | 明治火災營業所設置 平井一二三氏を所長に |
06 | 金融行政の一元化 (下)臺鮮兩銀行どうなる? |
07 | 臺拓理事擔當 事務決定 |
08 | 貨客船賃の引上 對岸航路は近く實施 |
09 | 九月末銀行預金 五億圓に肉薄 前年に比し九千七百萬圓增加 |
10 | 木炭配給機構 督府で整備方を督勵 |
11 | 風水害復舊資金 四百四十萬圓に決定 |
12 | 臺灣皮革會社總會 |
13 | 東港郡養豚競技會 褒賞授與式を擧行 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況 廿四日後場 |
16 | 島內株仲值表 |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(809)/黃得時;碇政彌 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 一齊に共匪覆滅 山西全域に戰果擴大頭條新聞 【太原二十四日發同盟】我が山西地區肅清討伐軍の精銳各部隊は中條山脈並びに南部太行山脈に蟠踞蠢動する共產黨軍の覆滅を期すべく作戰續行中であったが更に二十日拂曉を期し山西省全域に戰果を擴大すべく各部隊一齊に行動を開始し熾烈な掃共の火蓋を切った、卽ち 一、大岳地區、薄一波麾下の大岳軍區獨立一師及び決死第一縱隊の敵約三千五百を殲滅すべく二十一日拂曉には原子、綾部、小澤の各部隊は東路沿線より廓道鎮(沁源東北方十六粁)に高村怡土兩部隊は南同蒲線方面より南下して韓洪鎮(沁源西北十六粁)に伊藤、早川、西蓮寺の各部隊は沁河西方中峪店(沁源西方十粁)に又丸山部隊は張店(沁源東南十六粁)より惠塞(沁源南方八粁)の線にそれぞれ進出包圍態勢を完成し隨所に敵を捕捉擊碎中で丸山部隊は同日早朝沁源に突入した、 一、攀隴鎮周邊、遼縣南方攀龍鎮地區一帶に蠢動する決死第三縱隊及び新編第五旅十四團の約二千五百の敵を擊滅すべく我が松尾、柿兩部隊は二十一日正午新編第五旅の約三百を擊破しつつ午後七時十五分沁縣東方四十五粁の漢壁村に突入又清水、酒井、松岡、小久保の各部隊は二十一日早朝沁縣東方地區の敵匪を完全に包圍し攀龍鎮、洪水鎮周邊の殘敵を猛攻中である、 一、石太線南方地區、中部太行山脈に據る新編十旅約一千二百に對して我が福井、山本、青柳の各部隊は所在の敵を擊滅しつつ二十三日は馬坊鎮、小松樹(何れも遼縣西北方四十五粁)の線に達し目下戰果を擴大中である、 一、五臺方面、櫻井部隊は北部山西五臺地區に蠢動中の共匪約六百を掃蕩すべく行動を開始二十日石背村(定襄縣東北方三十四粁)に於て河峪地帶の遊擊匪團に對し夜襲を敢行これを潰走せしめた、 一、行動開始以來二十三日迄に判明せる綜合戰果左の如し 遺棄死體百七十六、捕虜七十八、鹵獲品、手榴彈八百四十九、小銃百九十五、同彈藥六百、自動小銃二十、迫擊砲彈百一、覆滅せる施設、手榴彈製造工場一、農具製造工場一、 |
02 | 九月中の綜合戰果 中條、大行兩山脈の掃蕩戰 |
03 | 資金統制の再檢討 高度重點主義の原則下に 產業資金配分の効率推進 |
04 | 汪主席、空路北京着 還都以來最初の訪問 |
05 | 重慶と共產軍殲滅 好富大使館情報部長放送 支那問題真の解決 |
06 | 舊幣の行使と携帶を禁 國府財政部布告 |
07 | 駐華伊大使夫妻 きのふ入京 |
08 | 獨軍、十月工場攻略 ヴオルガ堤防に到達 |
09 | 圖像:南十字星輝く椰子の葉蔭にてジヤワの夜を守る皇軍勇士 |
10 | 國民勤勞奉公局 滿國政府、官制を公布即日實施 |
11 | 理想國家實現の一大事業 |
12 | パン工場占領 |
13 | 獨軍の發表 |
14 | 黑海沿岸のゲ港に突入 |
15 | ツアプセ北東の高地攻略 |
16 | ヴイシーに空襲警報 |
17 | 敵機、香港に來襲 燒夷彈數個投下し逃走 |
18 | 英機北伊空襲 |
19 | スイス各都市に空襲警報 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 集ふ“婦人の總力” 日婦島都支會並に聯合分會 きのふ晴れの結成式 |
02 | 全國的土性調查 食糧增產の合化理 |
03 | 慶應外國語學校 けふ始業式を擧行 |
04 | 吉田松陰陶像 あす除幕式 |
05 | 樋口軍參謀長 きのふの朝歸北 |
06 | 宜蘭市金屬回收展示會 |
07 | 南方圈の女性(2) “娘時代”を知らぬ 十二三歲から一足跳びに人妻生活 牧歌的な馬來美人 |
08 | 燃料週間を實施 來月十六日から開始 |
09 | 新竹神社御鎮座記念祭 |
10 | 英兵、米兵の給料を嫉視 |
11 | 乙女“淚の抗議” 前ビルマ首相ウソ氏の令孃 父を慕ふ切切の放送 |
12 | 圖像:日婦臺北市支會結成式 |
13 | 臺鐵從業員物故者 廿四日西本願寺で追悼會 |
14 | 全國民歡喜の坩堝 新生ビルマ初の祭禮 |
15 | 意氣秋空を吞む 島都城西城南青年團查閱 |
16 | 府展第五日目 入場者二三四二名 |
17 | 第六日目 四四二四名 |
18 | 勸銀支店慰問映畫會 |
19 | カナダ軍捕虜虐待 米誌に素破拔かれて悶着 |
20 | 神宮大會選手 第二陣入京 |
21 | 早大四對二で快勝 |
22 | 法大勝つ |
23 | 早立戰 |
24 | 新竹中二十周年記念式 |
25 | 新竹總會二つ |
26 | 南投母性保護講演會 |
27 | 臺中青果同業組合會 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 靖臺の宮大目降 御遺跡所記念碑除幕式 |
02 | 和樂の中に奉公 皇奉會臺中支部十一月の申合事項 |
03 | 運動の理念を把握せよ 山本總長、奉壯團鍊成會に臨む |
04 | 皇道產組精神の昂揚へ 組合員十萬名を鍊成 |
05 | 歐米軍用機の進步 上昇限度と武裝強化 |
06 | 屏東郡青年訓練 七十名選拔して實施 |
07 | 屈尺青年團鍊成會 |
08 | 蘭陽の蔬菜今が出盛り 全島一を誇る發育 |
09 | 志熊檢察官長 鳳山郡巡視 |
10 | 夫の遺志繼いて奉公 譽の白衣天使露子さんを表彰 |
11 | 日婦淡水郡支會 街分會と共に結成さる |
12 | 海山郡國演會 |
13 | 埔鹽庄の演習會 |
14 | お山の婦德鍊成 花蓮港高砂女青鍊成會終了 |
15 | 圖像:新化神社の神橋 |
16 | 臺北競馬 第三日目 |
17 | 第四日目成績 |
18 | 僅少な費用で 脫殼機見事に更生 |
19 | 朴子街消防組 郡民の念願叶つて更生 |
20 | 紙芝居競演會 |
21 | 地方多より |
22 | 今日の映畫 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 學藝 馬來秘境の探訪(上)/小栗虫太郎海外遊記 一、背椎山脈へ この馬來戰序戰における最大の華は血のコタ˙バルである。その上陸部隊佗美部隊の戰跡をたづねるべくクアラ˙ラムプールを出發し、私は、密林、濕地の三百五十餘哩を經てコタ˙バルに赴かうとした。つまりこれは同部隊がつ辿つたコースを逆に踏破しようといふのであるがしかしなかくこの旅は容易なものではないのである。――といふのが、パハン州のジヤングルだ。 佗美部隊の勇士たちでさへ、パハン州の上流踏破には筆舌に盡せぬ艱苦をなめてゐる。ルボ˙パクからチエナルにいたる川沿ひの十五哩步行だけにも、驚くなかれ二日と十七時間を費してゐるやうに地圖には山徑と點線はあるがとうに跡方なく、暗黑の樹葉のかげに網紋蝎蛇ののたくるパハンのジヤングル。したもこの二三の未踏地帶さへも擁し、人よ近付くなかれ――と構へてゐるのだ。 で、五月廿日、私は三名の同行者とともにクアラ˙ラムプールを出發した。その三人といふのは、報道班所屬のマレー語通譯K君とパハン州密林案內者として有名な印度人スプラマニアムとケダー州矮人パハン州矮人の名で呼ばれる東西矮人語をはじめ、サカイ族、原住マレー人のジヤクン族語にいたるまで知らざるはなしといふ馬來土蕃語通――馬來人のムハメツド˙ハザリを加へた以上の三人である。で、まづ私は、パハン州に入つての最初の町であるべントンの手前から中央山脈に入り、ルチン˙パンター川の上流溪谷に棲む奧地サカイ族を訪はうと試みた。 ここのサカイ族は、いはゆる「セノイ」の名でよばれる中央部サカイズである。その分布區域に北はペラ州のイホー市の東方にある有名なマレー輕井澤――キヤメロン高原のあたりで、北部サカイと墻を接し東は大體東海岸鐵道のうへを走る東經百二度の線を境にして、パハン山地に棲む東部サカイと分かれてゐるのだ。で、この邊が丁度南部サカイと交はる最南端といふわけであるが、ここでちよつと、讀者諸君にお斷りしたいことが一つある。 といふのは、私が知つてゐるかきりの內地の新聞雜誌に現れたサカイが奧地のものではないといふことである。現に、このクアラ˙ラムブールの附近にさへも、サカイ族は棲んでゐる、七、八哩も田舍へゆくと、よくシヤツを着たり、パンツをはいたりしたサカイ青年を見かけるのであるが、それらは文明の息吹きにふれた半開化サカイであり、真正のサカイはひどく彼らを蔑視する。さういふ着物を着たりする奴らは、他鄉人であるといふのである。 サカイは裸、いや彼等はあくまで裸體であらねばならぬ。といふ信條のもとに生きるこの秘境の住民を訪ねるべく私は山徑すらもない溪流傳ひの旅に出たのである。 群猿が飛ぶ。驟雨が近づいてくる時のやうなサアツといふ音を立て、森は騷めくが、またしーんと靜かになる。 その、羊齒や棕櫚竹をまじへた樹葉が押しかぶるやうに迫つたその下から、ペルチン˙パンダンの激流の沫が薄闇を流して湧きあがつてくる。ーすでに秘境の匂ひが濃い、 左右の密林でするの喘とき鹿の聲、ときく溪流に現はれる蟹喰猿の群、絡み合つた藤や大蔦の緊縛をも彈ねあげる、すばらしい頸力の野牛、その、虎よりも恐いといはれる野牛をみたのが、第一日の夕右にワイ川の瀑布をながめる、行程五マイル半の地點であつた。 第二日は、三哩弱に七時間ほど費やした。さうして遂に、この溪谷をゆく二日間の旅に終りがきた小流をのぼると…… 見える、屋根をニパー椰子で葺いた乞食小屋のやうなものが散在する……それが目指すルポ˙マーリン谷のサカイ部落なのであつた 二、サカイの數學 ケバラノンと、まづハザリが大聲に呼ばはつた。この言葉は、ここのサカイの「案內者」といふ意味である。 稀にこの川が氾濫する時は筏を操つては里へ交易にゆき、また外來者にたいしては馬來語の通譯となり、さらに他部落との交通に道案內するのが役である。いはゞこれは、部落唯一の知識人でもあれば外務大臣でもありとにかくサカイの部落を訪ふものは、まづこの「案內者」と折衝するのが例になつてゐる。 やがて私のまへに、この部落の「案內者」である一人の壯年があられた。これこそ羊齒布の褌一つの真正のサカイ、私にとればはじめて見るサカイである。 背丈は、ほぼわれわれ日本人と同程度のものであるが……しかしそのすらつと伸びた美しい關肢の均整をみるにつけ、この森の獵人また素晴しき哉といはねばならぬさうして、波狀の髮、錆色の皮膚。ちよつとボリネシアの血を思はせる、下垂した鼻。しかも、水浴が頻繁であるためか不快な體臭はなく、乾酪のやうな匂ひはするが、印度人のほど不愉快なものではない。かうして土蕃とはいへ、私は後にみたパハン州矮人種ほどの醜さをサカイには感じられなかつたのである。 そこへ一人の、瘠軀鶴のごとしと云ひたいやうな、白髮の老人があらはれた。これが、この部落の酋長である。私は、K君とハザリを通じて、この老人に問ひかけた。 「お前の名は?」と云ふとその老人が首を振るより先に、ハザリが片手を舉げて、私を制するやうな素振りをした。サカイはすべて外來者に對しておのれの名を云はないのである。そこで齡を訊ねると、彼はやゝ暫し首を捻つてゐたが、ふと側らの老樹を指さした、 「このドリアンの樹がこゝへ植えられました頃は、まだこの儂がこんな小けな子供でがした」 齡が分らない、と云ふのも至極當然なのである。奧地のサカイは數へることが出來ない。一は「ナヌー」、二は「ナール」、三は「ネー」であるが、四といふのがない。四以上の數は、すべて多數といふ意味の「ケルプ」で間に合はされる。これでほゞサカイの智能程度がいかなるものか察せられることゝ思はれる。 さうしてゐる間に、私はいつの間にかおびたゞしい數の群集にとり卷かれてゐた。全裸體の子供たち、男に比較すれば相當醜くみえる女達。いづれも、羊齒布をサロンのやうに乳の邊から卷きつけて、顏には橫絲を主とした隈取りのやうな描き文身を施してゐる。さうしてその連中が、私のあとをぞろくと從いてくる。 ハザリが步きながら、私にいふ。 「この中央部サカイよりも、ケダー州やペラ州の北部サカイのほうが遙かに優秀な種族です、小屋だつて、こんなひつ傾いたやうなお粗末なものでなく、相當立派な建て方をした共同家屋に棲んでゐるのです。それに北部の連中は、ここのに比べれば吹矢管も優秀だし弓も使へばまだ、鐵製の鏃をつくる技能もある。つまり、この連中よりも數段上といふわけですな」 わが博學なる大先生は、さう云つてから一人のサカイ青年を側へよび、手に持つてゐた吹矢管を取りあげた。サカイの武器吹矢管はほゞ八尺に餘るだろう。內部は二重に作られ、外側には彫りがある。さうして吹矢は、おもにランカプ椰子の葉莖を削つて作るのであるが……さてその箭を羊齒の纖維で編んだ箭筒におさめ矢毒のイポーを腰に携へればこゝにサカイの戰士、密林への出陣となる。吹矢管は、この中央部サカイによれば唯一の武器であり、と同時にまた、缺くべからざる狩獵道具でもある。 狩獵、漁獵とゝもにサカイは農耕もやるいま踵を通せば、背後の丘には陸稻のまつ盛り。なほ、部落をめぐつて煙草もあり、黍、甘蔗、バナナも眼に映る。さうして彼等は、これ等は收穫をもつて共產生活をやつてゐるしかもこの中央部サカイは、常にジヤングル內に漂泊を續けてゐるのである。 |
02 | 圖像:名馬“光秋號” |
03 | 府展と水彩畫/深川亦彬 |
04 | 科學 無音飛行機 果して出現するか |
05 | 圖像:尾錠(府展、推薦)/中村敬輝 |
06 | 北回歸線 產業戰士と娛樂 まづ生活に潤ひを |
07 | 新生活の底流/傅彩澄 |
08 | 白衣勇士に捧ぐ/秋子 |
09 | ラジオ |
10 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大東亞省等諸勅令 三十日の定例閣議に附議 一日に公布即日實施 |
02 | 埃及戰線、激戰展開 聯合軍、苦戰を繼續 |
03 | 英の第三次反攻空し 甚大損□受けて擊退さる |
04 | 中南米問題米の急所 |
05 | 英空軍ゼノア ミラノを爆擊 |
06 | 伊軍の發表 |
07 | 圖像:眾議院慰問團一行 |
08 | 空中戰も活潑 |
09 | 砂塵硝煙立ち罩む エル・アラメインの激戰 |
10 | 米國民の無自覺 米紙が論說で指摘 |
11 | 商船十六、驅艦一擊沈 獨潛、大西洋で猛活躍 |
12 | 英紙、負惜みの過少評價 ス市、完全占領も同然 |
13 | 赤軍の反擊を粉碎 獨軍、スタルタコフカ北部占領 |
14 | 全工場を占領 獨軍司令部發表 |
15 | 第二戰線既に 時□は去る ホ前英陸相演說 |
16 | チリー新內閣 廿七日初閣議 |
17 | 瑞西政府、嚴重抗議 英機の中立侵犯に對し |
18 | 敵機、又香港來襲 數個投彈北方に遁走 二回の空襲全く失敗 |
19 | 磯谷香港總督 市內を視察 |
20 | 橫山顧問 ハノイに着任 |
21 | 敵機二機を擊墜 昨日香港來襲を追擊 |
22 | 貴院、全國へ視察團派遣 中小商工業を視察 |
23 | 「日本產業經濟」を發行 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 必勝の戰爭經濟 戰時豫算編成方法確立 |
02 | 諸英靈弔ふ市葬 廿九日基隆市双葉校で |
03 | 臺灣神社祭りと明治節祭り 基隆神社で擧行 |
04 | 宮前町消防詰所 廿七日上棟式擧行 |
05 | 圖像:廣東中國童子軍の發育 |
06 | 譽れの軍國の家 本島二家庭あす表彰 |
07 | 井上修鍊所の第二回入所式 |
08 | 雄雄し軍國の妻 表彰される清濱露子さん 白衣の天使で活躍 |
09 | 臺鐵從業員物故者 廿四日西本願寺で追悼會 |
10 | ソ聯の石炭飢饉 新聞も連日關係記事を揭ぐ |
11 | 對抗卓球大會 十五日臺大で |
12 | 故明石總督二十三年祭 けふ三橋町で執行 |
13 | 局部長會議 |
14 | 港都市民遠足大會 |
15 | “夫はお國に捧げた” 親の死を知らして下さいますな お山に咲く軍國美談 |
16 | 基隆市庭球選手權大會 |
17 | 北投に遠乘會 軍司令官、幕僚を隨へ |
18 | 地下の兵器廠 |
19 | 興南詩苑漢詩 余種菊卅載、今年近古稀、恐力不能勝、行將告罷、本年花却不劣、以詩代柬、望同好各位辱臨一□、花神有知亦當感爲知己也/楊嘯霞、次文淵宿指南宮韻/張瀛洲 |
20 | 合宿鍊成終へて 基隆の健兒奉公運動に挺身 |
21 | マイク付ガスマスク |
22 | 黃菊、白菊滿開 網溪別墅今が見頃 |
23 | ベルリンに新型空襲警報 |
24 | 華僑の赤誠 軍司令部に屑鐵献納 |
25 | 人事・消息報社消息 |
26 | 煙幕 |
27 | 今夜の放送 |
28 | 商況 廿六日前場 |
29 | 興南案內報社消息 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 米英空軍に一大鐵槌 我が陸鷲の大戰果 印度東部の基地を急襲 敵四十三機を擊墜爆破頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(十月二十六日午後六時三十分) 帝國陸軍航空部隊は十月二十五日午後印度東部に於ける敵の航空基地テンスキア及びチツクゴンを急襲せり 本攻撃に於て敵機四(內不確實一)を撃墜し地上にありし敵機三十九以上(內大型機十八)を炎上若くは破壞せり 我方の損害一機なり 【ビルマ前線◯◯基地二十六日發同盟至急報】わがビルマ方面陸軍航空部隊は二十五日午後五時二十分北部印緬國境テンスキア飛行場に雨季明けの奇襲を敢行狼狽せる敵機を尻目に悠悠猛撃を加へ小癪にも邀撃し來つた敵機四機を忽ち擊墜地上にあつた大型、小型取り混ぜ三十六機を炎上撃破した、又別働隊の一隊は同四時三十分南部印度のチツタゴン飛行場を急襲地上にあつた大型三機を撃破合計四十三機撃墜破の大戰果を擧げて悠悠◯◯基地に歸還した、わが陸鷲の羽搏きを以て早くも敵を震撼せしめてゐる |
02 | 米英支合作の蠢動に一大痛棒 |
03 | 怒江流域の蔣軍剿滅 北部緬支國境の肅清戰 |
04 | 緬甸派遣軍發表 |
05 | 英印軍の發表 |
06 | 行政考查制度を擴充 統制の本旨を滲透せしむ |
07 | 北阿の戰鬪開始 スエズ、西亞にまで擴大か |
08 | 米徵兵年齡引下案 上院で修正可決 |
09 | 長期戰有利の態勢 獨今年の作戰大半の目的を達す |
10 | 武漢更生茲に四周年 今後の施政 楊行營參謀長談話を發表 |
11 | 飛躍的な進展ぶり 三鎮今や大陸の前衛基地 |
12 | 英の不法爆擊 佛嚴重に抗議 |
13 | 全市を擧げて 盛大な記念行事 |
14 | 赤軍悲痛な防戰 |
15 | ソ聯、避難民を シベリアに移住 生產力の挽回に腐心 |
16 | 定例次官會議 |
17 | 南十字星 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 本島農工業並進と勞力問題社說 一 大東亞戰時下に於ける本島の經濟體勢は工業化の進展と農業生產力の增强を同時に圖らなければならないから、之を一口にいへば農工業並進政策と稱すべきであらう。然るに現狀でさへ各方面に於てとかく勞力の不足を訴へつつあるのであるから、所謂農工業並進政策と勞力問題の解決を如何にすべきかは當面の一大課題であらうと思はれる。現在本島人口の構成を見るに總人口六百萬人の內約五割の三百萬人(昭和十五年末統計農業人口二百九十八萬四千人)が農業人口である。尚本島に於て年年約十五萬人の自然增加があり、之と農村人口よりの供出が主なる勞動力の給源となるべきは明かである。從つて本島の工業化を圖る上に於て農村より如何にして多量の勞動力を供出せしむべきかといふ農業政策をも綜合的に樹立しなければならない。卽ち本島の工業化は單に工業のみを切離して考へる事が出來ず、農業の改革をも同時に並進すべき必要ある事を銘記すべきである。 二 現在本島に於ける農家一戶當耕地面積は平均二甲であり、內地農家の平均一町一分一厘に比較すれば農業の零細化は內地程甚だしくない。然るに內地農家の多くは養蠶其の他の副業を營み或は家族の一部が勞働者として工場に就業してゐるからいはば農業が副業となつてゐる狀態にある。從つて收入に於ては寧ろ內地農家の方が經營の集約化と共に本島農家より多額に上つてゐる事は統計數字の示すところである。尚本島に於て二甲未滿の耕地を經營してゐる農家が約七二%を示し零細農が絕對多數を占めてゐるので先づ耕地の適正規模化を圖る必要がある。唯適正規模の大さを如何に決定すべきかといふ問題はなかなか容易ならざる問題である。勿論現在の農業生產力を低下せしめざる事を限度とし、又地方に依つていろいろと異なる標準を決定しなければならないが、內地では大體二町內外が適當であらうと論ぜられてゐる。本島としては內地に比し農業經營が粗放化してゐる事を考慮に入れれば、大體三甲見當が妥當ではないかと考へられる。 三 殊に本島に於て耕地五分未滿の零細農が十萬八千七百餘戶に上り全農家の約二五%を占めてゐるから、適正規模化のため之を漸次整理して行けば相當大量の勞働力を供出し得る筈である。斯くの如く創定さるべき適正規模農家が生產費を低減し農家經濟に彈力性を與へる點に於て極めて有利であるのみならず、自作農と共に土地と農家とを緊密な關係に結合する事が出來る。最近內地では農村に於ける大小工場の增設に依つて農業勞働の轉出が盛んに行はれてゐるにも拘はらず、自作農と適正規模農家とが雄雄しく農業生產の增進に努力しつつある實例を見ても、自作農創定と共に適正規模農家の設定が如何に必要であるかを物語るのである。それ故本島に於て工業進展のために勞働力を創出するには先づ農業政策の革新を斷行し、中にも自作農並びに適正規模の創定獎勵に向つて精力的に推進すベきである。かくして本島の農工業が始めて並行的に進展し、此處に於て農工業とも健全に發達せられ得るのである。 |
02 | 辻辻に奉納大戰 全市早くもお祭氣分が橫溢 あす臺灣神社例大祭 |
03 | 賞賜物件傳達式 |
04 | 一億の“健民祭典” 明治神宮國民鍊成秋季大會 厚生省、式順を發表 |
05 | 三笠總裁宮殿下 令旨を賜ふ御豫定 |
06 | 南方圈の女性(3) 滿點の世話女房 まめに働くジヤワ女 |
07 | 司法保護事業大會 二日市公會堂で開催 |
08 | 必勝の信念に燃ゆ 張切る臺灣の選手團 |
09 | 國民鍊成所竣工 高松宮殿下の台臨を仰ぎ 來月十一日に開設式 |
10 | 府展第七日 入場者一五四○名 |
11 | 一も國語二も國語 あなたも私も國語を使ひませう けふから國語常用運動 |
12 | 四年制から六年制へ 高砂族教育所に劃期的改革 明年四月から實施 |
13 | 羅東郡青年團查閱 |
14 | 不動產賣買組合 蘭陽支部發會式 |
15 | 圖像:網溪別墅の黃菊白菊 |
16 | 遺家族を慰問 陸相代理百瀨少佐が |
17 | 全臺灣新人音樂會 |
18 | 東鄉海軍中將逝く |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新竹州部落共進會 奉公運動の成果が審查の重點 來春匆匆から豫選會 |
02 | 地域組織運營研究會 昭和記念館で開催 |
03 | 內湖庄國演會 |
04 | 新竹神社祭典 盛り澤山の奉納催し |
05 | 大溪神社例祭 奉納行事決定 |
06 | 鍛へる海洋少年 紺碧の海は招く(一) 愉快な水泳、漕艇練習 |
07 | 魂の鍊成終へて 奉公參與委員ニコニコ顏 |
08 | 海山郡青年團皇民劇大會 |
09 | 高砂義勇隊の武勇談拜聽 お山の勇士を招いて |
10 | 山本事務總長歸北 |
11 | 双溪庄協議會 |
12 | 臺灣新記錄樹立 熱戰の高雄州下水上競技 |
13 | 蘭陽の暴風對策 地方民、竹圍の復活希望 |
14 | 銃後家庭は磐石 店の發展に夫もびっくり 表彰される治子さんの精勵 |
15 | 家族六人抱へて健鬪 譽の大塚きくゑさん |
16 | 擧州完納に凱歌 トツプは員林郡の二十一日 |
17 | 南投稅務管內の早期完納 |
18 | 嘉義市の諸稅完納 罹害地住民の報國赤誠 |
19 | 山脚部落水道起工 |
20 | 花蓮郡體育會 |
21 | 長男の死は私事だ 秘める妻に勵ます夫 譽の秋本君の言動に全山感激 |
22 | 圖像:北斗郡勞奉團鍊成 |
23 | 三峽街常會 |
24 | 赤誠の献金品 |
25 | 淡水魚の闇檢擧 |
26 | 軍馬慰問献金 高雄のヨイ子供 |
27 | 大溪郡保正會議 |
28 | 山田氏個人展 |
29 | 地方多より |
30 | 今日の映畫 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 來年一期米生產割當 四百七十六萬五千石 作付面積廿九萬八千甲 |
02 | 米穀增產に努力 須田殖產局長語る |
03 | ジルコン鑛に 鑛業法を適用か |
04 | 高雄州二期米 三十日に初檢查 |
05 | 議會提案を豫想される 農業保險法の改正 |
06 | 臺拓林業部 事務打合會開催 |
07 | 埠頭倉庫滯貨一掃に 貨物の早期引取を促進 |
08 | 高雄州青果同業組合總會 |
09 | 米納組合剩餘金で 休轉工場の持分を買收 |
10 | 過燐酸石灰、大豆油粕の價格改正 |
11 | 有力損害保險八社 近く臺北に營業所設置 |
12 | 煙草耕作許可證授與式 |
13 | 二期南部米初檢收 成績は頗る良好 |
14 | 臺灣金物會社創立 資本金八十萬圓 |
15 | 照明燈 |
16 | 商況 廿六日後場 |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(810)/黃得時;碇政彌 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 山西共軍の大殲滅戰 各作戰地區の綜合戰果 |
02 | 新民會聯合協議會 けふ盛大に開かる |
03 | 圖像:風雲急を告げる佛領ダカール |
04 | 華北建設強力に推進 各代表真摯に討議せん |
05 | 華北官民一層の奮起望む 汪主席內外記者團と會見 |
06 | 經濟議員聯盟 きのふ初會合 |
07 | 在留邦人を一齊檢擧 米テキサス州 |
08 | ガンヂー夫人の死亡說を否定 |
09 | 真價發揮を切望 岡村最高指揮官祝辭 |
10 | 更に二街路を占領 ス市攻防戰愈よ大詰 |
11 | 本溪湖煤鐵公司 新鎔鑛爐火入式 |
12 | 掘進增強、坑內整備 來る一日から指定鑛山で實施 |
13 | 樞軸軍、大規模の反擊 北阿戰線大戰車戰展開されん |
14 | 獨機大擧英本土を爆擊 |
15 | 獨軍司令部の戰況發表 |
16 | 二機を叩き落す 逃げ迷ふ在支米空軍 |
17 | 淺ましい敵搭乘員 敵二機を血祭りに擧げた 殊勳の河野隊長談 |
18 | 英の勞働者 怠業氣分瀰漫 |
19 | インド總督 明春更迭せん |
20 | 西亞諸國に對して 米、積極的に働きかく |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 比島の畜產は有望 山根臺大教授調查談 |
02 | 譽れの二家庭表彰 二名以上を聖戰に捧げた 高橋續家と中原薰家 |
03 | 大場上等兵に傷痍軍人徽章 けふ市で傳達式 |
04 | 東亞海運記念式 |
05 | 幾多の試練と變遷 (上)學制頒布七十周年の回顧 |
06 | 第一回女子訓練入所式 南寮修練所で |
07 | 羅東郡教育功勞者表彰 |
08 | 統制經濟遵奉懇談會開催 |
09 | 臺灣從軍記念會 卅日晴れの結成式 |
10 | 全島女子中等通信對抗陸上競技成績 |
11 | 各郡に“義勇報國隊” 皇民鍊成推進力と山地開發に 新竹州が乘り出す |
12 | 青年を總動員 臺北州で查閱を開始 |
13 | 干草を大量献納 新竹郡馬匹普及會の赤誠 |
14 | 區會長會議 樺山校で開催 |
15 | “母子保護”を強調 真柄教授港都で講演 |
16 | ローマで馬券再發行 |
17 | 奇特な印度人夫妻表彰 戰火の裡に守られた日本人墓地 |
18 | 武器より敢鬪精神 敗戰の英國目覺む |
19 | 獨紙大統領夫人をこき卸す |
20 | “國語常用”に拍車 松山區で挺身隊を結成 |
21 | 戰車の權威捕虜 |
22 | 工場建設を誘致 基隆商議役員會 |
23 | 裏切られたエチオピア |
24 | 龍山寺町の傷□犯逮捕 |
25 | 米に肉無しデー |
26 | 興南詩苑漢詩 次鶴亭先生韻/寶書、次鶴亭先生韻/靖海、次鶴亭先生韻/旭東、謹和春魁詞兄原玉/旭東、病除代柬告慰諸友/鶴亭、次鶴亭先生病除原韻/雲鵬、景美村會文淵瀛洲坐中偶作/黃景南、次韻/高文淵 |
27 | 煙幕 |
28 | 今夜の放送 |
29 | 商況 廿七日前場 |
30 | 興南案內報社消息 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 南太平洋海戰の大戰果 敵艦擊沈六隻空母四、戰艦一艦型未詳一隻 擊破敵艦五、擊墜機二百頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(二十七日午後八時三十分) 一、帝國艦隊は十月二十六日黎明より夜間に亘りサンタクルーズ諸島北方洋上に於て敵有力艦隊と交戰敵航空母艦四隻戰艦一隻艦型未詳一隻を撃沈戰艦一隻巡洋艦三隻驅逐艦一隻を中破し敵機二百機以上を撃墜その他に依り喪失せしめたり 我が方の損害航空母艦二隻巡洋艦一隻小破せるも何れも戰闘航海に支障なし未歸還機四十數機(註本海戰を南太平洋海戰と呼稱す) 艦船の撃沈破卅隻{第二次ソロモン海戰以來} 敵機擊墜四百機以上 二、第二次ソロモン海戰以後南太平洋海戰直前まで即ち八月二十五日より十月二十五日に至る間に於けるソロモン群島方面の帝國海軍部隊の戰果左の如し (一)艦船 撃沈米航空母艦ワスプ、巡洋艦三隻、驅逐艦五隻、潜水艦六隻、輸送船六隻、掃海艇一隻、大破戰艦一隻航空母艦一隻巡洋艦一隻、潜水艦一隻、輸送船二隻、掃海艇一隻、中破航空母艦一隻 (二)飛行機撃墜四百三機、地上撃破九十七機その他敵B一七型、大型爆撃機十九機に對し大なる損害を與へたり 我が方の損害(一)艦船沈没巡洋艦二隻驅逐艦二隻潜水艦一隻輸送船五隻、大破驅逐艦一隻輸送船三隻、中破巡洋艦一隻驅逐艦二隻潜水艦一隻輸送船二隻 (二)飛行機自爆二十六機大破三十一機未歸還機七十八機 |
02 | 艦船の擊沈破卅隻(第二次ソロモン海戰以來) 敵機擊墜四百機以上 |
03 | 米海軍の存在いづこ 勢威全く地に落つ |
04 | 司法保護事業法 臺灣に施行 |
05 | 定例閣議 |
06 | 敵のゲリラ反擊失敗 |
07 | ワ號は最新式優秀母艦 |
08 | 四大目標を實踐 王揖唐會長の訓示 |
09 | 海軍航空本部擴大 劃期的航空兵備の增強へ けふ公布一日實施 |
10 | 執務時間延長案 きのふ閣議で決定 |
11 | 農業團體の統合 翼政小委員會の案 |
12 | 西貢總領事 淀川氏任命さる |
13 | 簡素化案等諸勅令 けふ樞府本會議で全會一致 原案通り可決されん |
14 | 工務官事務所の機能強化 |
15 | 獨軍、ツ港に迫る |
16 | 米の武器貸與法報告書 |
17 | 社告/興南新聞社報社消息 |
18 | 南十字星 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 臺灣神社の大祭社說 一 けふ二十八日は、大東亞戰下初に迎へる本島總鎭護の神を□□□幣大社臺灣神社の例大祭である。靖臺の宮樣が聖地劍潭の杜に神鎭まりまして四十二星霜、今年ほど意義深き例大祭はない。思へば昨年の例大祭當時はわが國と米、英、蘭間にわだかまる暗澹たる妖雲は雨を呼ぶか、風を呼ぶか、全く逆賭し難く、六百萬島民の心中何かなし焦燥に似たものがあり、臺灣神社の大前にはひたすら妖雲一掃を祈願し奉つたのである。然るに日も遠からぬ十二月八日の大詔を拜し六百萬島民は感激に打ふるえ、その魂は擧げて臺灣神社の社頭にあつた。爾來一とせ、皇師の征くところ敵なく、今や米、英、蘭を大東亞の天地から驅逐し、その餘力は大西洋にまで驥足を伸ばし、彼等の背後を衝くといふ綽綽たる裡に世界新秩序建設のために鬪つてゐるのである。この秋、われ等六百萬島民の心の故鄉臺灣神社の例大祭が長谷川總督が幣帛供進使として參向の上いとも嚴肅にいつき行はれる。われ等島民の感銘これに過ぐるものやある。今こそ六百萬島民は心に深く靖臺の宮樣の御偉業を偲び奉ると共に大東亞戰爭必勝の祈願と南進の基地臺灣の鐵石の守りを誓はねばならぬのである。 |
02 | 社說 明朗臺灣の建設社說 皇長奉公會では十一月の常會申合事項に明るく强い臺灣一家の建設を取上げてゐるが、このことは皇民奉公會の總裁であるわれ等の長谷川總督が總督として赴任當時の第一聲として述べられたところで、別に目新らしいことでも何でもない。然しややもすれば健忘症になり勝ちな現代人にとつては、時時拍手をかけ鞭韃するといふ意味合ひからして、恰も紺碧晴朗の秋空下まことに當を得た申合事項である。如何なる時代、如何なる國でも戰爭があるとその銃後といふものは兎角暗くなるものであるが、わが國だけは全く例外で寧ろ國民は明るくなつてゐる。敢て日清、日露の戰爭の昔を振返るまでもなく現在の大東亞戰爭下に於ける銃後生活が何より雄辯に物語つてゐる。これはわが國體の精華の然らしむるところであるが、大稜威の下精銳精强なる皇軍の打續く赫赫たる戰果の賜であることは、ここに贅言を要せざるところであらう。銃後を暗くするものは單り闇取引とか犯罪ばかりではない、日本が國の總力を擧げて戰つてゐることを忘れる心、それが一番恐るべきものなのである。明朗臺灣の建設は別段難しいことでも何でもない、六百萬島民が大空の如く廣い明るいおほらかな心になつて職場職域に挺身すること、唯それだけでよいのである。 |
03 | 戰捷に輝く臺灣神社祭 大戰果に萬歲絕叫 感激二重奏に島都湧立つ 參道は徹宵人の波 |
04 | 久邇宮朝融王殿下 空路で橫須賀御着 |
05 | 南方圈の女性(4) 田舍の女は東洋的 働く樂しさに目覺める比島女性 |
06 | 宜蘭神社祭典 |
07 | 梁井知事宜蘭へ |
08 | 府展第八日 入場者二三九六名 |
09 | 長谷川總督 市內と士林諸工場を視察 |
10 | 圖像:臺灣神社祭宵祭 |
11 | 醫學再建に巨步 專門科名の標榜には許可制 國民醫療法一日から實施 |
12 | 大東亞戰爭一周年 皇奉運動を通じ氣勢の昂揚へ 定例部長會議決議 |
13 | 宜蘭皇奉第一種訓練 |
14 | 小林海軍中將 |
15 | 激流に築く“人橋” 應召の警官に贈る社眾の赤誠 世に出る“男サヨン” |
16 | 始る“世紀の驀進” 關門墜道・十五日開通式 |
17 | 列車時刻も大改正 必需物資輸送に重點 |
18 | 東京、鹿兒島間 約二時間短縮さる |
19 | 學童がスパイ 容疑者を發見 |
20 | 軍司令部でタイピストを募集 |
21 | 本社校閱課員募集報社消息 |
22 | 訃文:宮本東等人 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敬虔迎へる旗日 奉納催しに賑ふ各地の神社祭 |
02 | 豐年の歡びに沸く 臺南州新穀感謝奉告祭 |
03 | 鍛へる海洋少年 朝の海は美しい(二) 漕艇はもう馴れた |
04 | 山地警官は御苦勞 何とか犒ひたいもんだ 柴山警察部長語る |
05 | 海山神社祭典 今年は板橋街が當番 |
06 | 瑞芳街の金屬回收 |
07 | 盛り上る力を具現 賴もし・大溪奉壯團の活躍 |
08 | 國語熱と常會運營激賞 金子總務部長大溪を視察 |
09 | 瑞芳街協議會 |
10 | 圖像:勇躍基地を出發索敵に向ふイタリー潛水艦の雄姿 |
11 | 譽の志願兵慰問 臺中州の代表あす上北 |
12 | 剌身黨喜べ! 待望の鮪が愈よ來るぞ |
13 | 井上溫泉道路 お山兄弟の奉仕で愈よ竣工 |
14 | 日本語で間に合ふ 南方戰線の勇士からお便り |
15 | 高砂族學藝大會 來る一日より新竹劇場で開幕 |
16 | 花蓮港奉壯團 鍊成會終る |
17 | 水里國民學校郡坑分教場 |
18 | 兒童、青年團作品展 |
19 | 旗山郡體育會 |
20 | 全島商議所理事會 十一月十日より屏東で開く |
21 | 屏東市の體鍊會 |
22 | 臺中州壯丁團相撲 |
23 | 國策協力に邁進 臺南奉壯團支部地方へ飛檄 |
24 | 防空研究會 |
25 | 花蓮港市勸業課 |
26 | 半島人の献金 |
27 | 常會研究會 |
28 | 赤誠の献金品 |
29 | 地方多より |
30 | 今日の映畫 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 外地特別會計節約額 臺灣の分二千五百餘萬圓 |
02 | 南方事業の膨脹に對處 臺拓の機構を一部改編 業務部廢止、南方一、二部を設置 |
03 | 南方主要地に 綜合事務所設置 |
04 | 中國交通兩銀行の 再開と其の意義 |
05 | 爪哇糖業の再建 着着其の緒に就く 糖業司政官原田氏任命 |
06 | 高雄州二期米 卅日に初檢收 |
07 | 林業部の經營 萬全の處置を考究 加藤社長談 |
08 | 臺灣野蠶定時總會 |
09 | 燐寸の自給計畫 臺中工場を擴張し 近く新工場を設置 |
10 | 稻刈資金に五十萬圓融資 高雄米納組合の企て |
11 | 羽毛買取價格 十八萬圓に決定 |
12 | 臺灣商議常議員會 |
13 | 間稅事務打合會 近く協議會館で開催 |
14 | 州青果同業組合 第四回定時總會 |
15 | 照明燈 |
16 | 經濟手帖 人絹ス・フ品質粗 惡化の原因と對策 |
17 | 商況 廿七日後場 |
18 | ラジオ |
19 | 水滸傳(811)/黃得時;碇政彌 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 八十四隻(敵艦船)を擊沈破 ソロモン附近の綜合戰果頭條新聞 【東京發同盟】第一次ソロモン海戰(八月七日)より南太平洋海戰(十月二十六日)までの八十一日間にソロモン群島を中心と南太平洋海域に於いて擊沈破せる敵艦船並びに擊破せる敵飛行機及びわが方の損害左の如し 敵側 戰警 擊沈一 大破一 中破二 計四 空母 擊沈五 大破二 中破二 計九 巡洋艦 擊沈一六 大破二 中破三 計二一 驅逐艦 擊沈一四 大破三 中破一 計一八 潜水艦 擊沈九 大破一 中破◯ 計一◯ 掃海艦 擊沈一 大破一 中破◯ 計二 艦型未詳 擊沈一 大破◯ 中破◯ 計一 輸送船 擊沈一六 大破三 中破◯ 計一九 合計 擊沈六三 大破一三 中破八 計八四 飛行機擊墜破 七七七機以上 我方 戰警 沈沒◯ 大破◯ 中破◯ 小破◯ 損傷◯ 計◯ 空母 沈沒◯ 大破一 中破◯ 小破二 損傷◯ 計三 巡洋艦 沈沒二 大破◯ 中破一 小破一 損傷二 計六 驅逐艦 沈沒三 大破一 中破二 小破◯ 損傷◯ 計六 潜水艦 沈沒一 大破◯ 中破一 小破◯ 損傷◯ 計二 輸送船 沈沒五 大破三 中破二 小破◯ 損傷◯ 計一◯ 合計 沈沒一一 大破五 中破六 小破三 損傷二 計二七 飛行機自爆四七、未歸還一一八、大破三一 ◇海戰別の戰果及び我方の損害左の如し △第一次ソロモン海戰(八月七日――八月十四日) 艦船擊沈 巡洋艦一三 驅逐艦九 潜水艦三 輸送船一◯ 大破 巡洋艦一 驅逐艦三 潜水艦◯ 輸送船一 飛行機擊墜五八機 我方損害 巡洋艦二隻輕微な損傷、飛行機自爆一二機 △第二次ソロモン海戰(八月二十四) 艦船大破――大型空母一隻、中破――中型空母一隻、戰艦一隻、我方損害――小型空母一隻大破驅逐艦一隻沈沒 △ソロモン群島方面作戰(八月二五日――十月二五日) 艦船擊沈 戰艦◯ 空母一 巡洋三 驅逐五 潜水六 輸送六 掃海一 大破 戰艦一 空母一 巡洋一 驅逐◯ 潜水一 輸送二 掃海一 中破 戰艦◯ 空母一 巡洋◯ 驅逐◯ 潜水◯ 輸送◯ 掃海◯ 飛行機擊墜四◯三機、擊破九七機損害一九機 我方損害 巡洋艦二隻、驅逐艦二隻、潜水艦一隻、輸送船五隻沈沒、驅逐艦一隻、輸送船三隻大破、巡洋艦一隻、驅逐艦二隻潜水艦一隻、輸送船二隻中破飛行機自爆二六機、大破三一機未歸還七八機 △南太平洋海戰(十月二十六日) 艦船擊沈 空母四 戰艦一 艦型未詳一 中破 戰艦一 巡洋艦三 驅逐艦一 飛行機 二◯◯機以上擊墜破 我方損害――空母二隻、巡洋艦一隻小破飛行機未歸還四十數機 |
02 | 挺身殉國の海軍魂 一億國民銘記せよ |
03 | 大東亞省官制行政簡素化案原案可決 きのふ樞府本會議 |
04 | 閣議決定諸勅令 |
05 | 一日より公布實施 |
06 | 駐伊大使に日高氏 堀切大使は歐洲出張 |
07 | 米兵六十萬派遣 |
08 | 日本海軍の實力に驚嘆 伊國民の感激 |
09 | 獨國民讚嘆 我が南太平洋の戰果 |
10 | 國民總員戰鬪配置を護れ 高橋海軍大將の感激 |
11 | 戒心すべき米空母建造 南太平洋に見る近代戰の真姿 |
12 | 石渡莊太郎氏 外務省顧問に |
13 | 石渡氏略歷 |
14 | 米國民に晴天の霹靂 |
15 | エドワーズ幕僚長 敗戰辯解論を一席 |
16 | ボルネオ方面最高指揮官 前田利為中將陣歿 後任は山脇中將 |
17 | 兩將軍略歷 |
18 | 空陸に激戰續く(北阿戰況) |
19 | 南十字星 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺灣神社の例大祭 劍潭の聖域で嚴かに執行 供進使、長谷川總督參向 |
02 | 參拜に續く市民の群 奉祝氣分溢るる島都 |
03 | 奉納演武大會 |
04 | 各地の神社祭典 |
05 | 新竹神社に參拜 譽の志願兵堂堂の行進 見事な分列式に市民感嘆 |
06 | 圖像:臺灣神社大祭 |
07 | 羅東蘇澳兩神社假殿遷座祭 供進使知事が參向 |
08 | 市制實施二周年記念式 昨日花蓮港市で |
09 | 宜蘭市の記念式 |
10 | 日泰文化協定成る きのふ外相官邸で歷史的調印式 |
11 | 外務省發表 |
12 | 繰り展ぐ健民繪卷 國民鍊成大會けふ開幕 |
13 | 球技等が有望 村橋臺灣部隊監督談 |
14 | 圖像:譽れの志願兵 |
15 | 全き同盟關係へ 大東亞文化建設に最初の礎石 |
16 | 文化協定の意義 |
17 | 古山前大官長の 送別弓道大會 昨日和やかに開かる |
18 | 表彰される譽の教育功勞者 牧內憲五郎氏談 |
19 | 山本事務總長母堂 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 擧島赤誠の奉祝 賑ふ各地の神社祭 |
02 | 十六億斤目指して 臺南州の甘藷立體增產に 宮木知事が推進行脚 |
03 | 黃麻、苧麻品種改良 高雄州農試の新しい試み |
04 | 臺南製藥創立總會 |
05 | 圖像:臺灣神社に參拜する島都市民の群 |
06 | 遺族を弔問 佐佐木少佐が |
07 | 知事が弔問 |
08 | 神饌田拔穗祭 三十日に執行 |
09 | 教育功勞者 臺中州で七氏表彰 |
10 | 招魂祭執行 けふ臺南で |
11 | 御神火繼走大會 快官區が一着 |
12 | 奉納寫真展盛況 |
13 | 斗六の奉祝 |
14 | 頭分神社例祭 街を擧げて奉祝 |
15 | 燈籠を献納 斗六街市場納稅貯金組合の赤誠 |
16 | 臺東の參與委員鍊成終る |
17 | 故石原巡查部長警察葬 |
18 | 霧社殉難者慰靈祭 墓碑前でしめやかに執行 |
19 | 兵隊さんが喜ぶぞ “坊やがこんなに大きくなつた” 慰問寫真近く發送 |
20 | 阿緱神社奉納相撲 |
21 | 竹東郡陸上競技 若人敢鬪繪卷を展開 |
22 | 新莊郡の誇り 道路品評會褒賞授與式擧行 |
23 | 連接手重傷 |
24 | 地方多より |
25 | 人事 |
26 | 商況 廿八日 |
27 | 今日の映畫 |
28 | 訃文:山本うた |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 學藝 馬來秘境の探訪(下)/小栗虫太郎海外遊記 三、密林の鎮西八郎 北部サカイは、少なくとも一個所に二三年は定住するのであるが、この中央部サカイはその年の收穫が終ると直ちに地へ移る。 このルボ˙マーリンの谷も、來年になれば人影を絕つのである。彼らが樹木の靈を信じたり疫病の神に顫えたり、虎といふ言葉にさへも仰天して腰をぬかす滑稽さも、また、人間同士であればなくてはならぬ宿命的な悲劇の幾つかも、たゞ樹上の犀鳥のみが知り、鵲鴿が語るのみとなろう。 この中央サカイは、つねに生地も墓もかへりみぬ、永遠の漂泊者——。 日章旗がひらめいた。用意した日章旗を酋長の小屋の門邊に立てたとき、こゝが皇士に歸したことを知りながらも國旗を手に入れることが出來なかつたサカイ共は、いまやこのジヤングルの奧にまでも遮き皇恩を知ることができたのである。が、それから間もなく、私は偶然のことから一つの失敗を演じてしまつた。 音に聞く、サカイの武器吹矢管にはいかなる偉力があるのであらうか。この部落にも、さぞかし吹矢管をとつての武藏、又石衛門の類ひがゐるのであろう。さうしてまた、彼らが「チングラ」とよぶ矢毒イポーの效果や如何?といふので、早速この部落一の名手といふのを呼び、實演をさせることになつたのである。ところが、やがて來たその男の髮が非常に長い。まるで一頃の浪花節語りのやうに肩のへんまで垂れてゐる。私は怪訝に思ひ早速これしか知らない唯一のサカイ語會話を活用し、「お前はサカイか?」と訊ねた。 するとみるみる、その男の顏に怒氣が漲つてゆく。ハザリはハザリで、こりや困つたといふやうな顏をし、「だから、前もつてお斷はりしといたんですがね。この奧地サカイの部落へきた、彼らをサカイと呼ぶことは絕封に禁物なんですよ。つまり、サカイといふのは、彼らに對する侮蔑の言葉なんで、こいに等自身は、自分たちのことを「セノイ」と云つてゐるんです。とにかく、萬一の事があるといけませんから、矢毒だけは禁めませう。」 さうしてハザリが云ふ、毒なしの矢だーと。しかしその男は、たゞ瞬間ぎろつとハザリを睨んだのみ、腰の毒入れから悠然と鏃に毒をつけてゐる。私は驚いた。いや、ハザリのはうが一層慌てふためいて、ちやうど私とは反對の方角の密林の入口を指さして、そこの巨人椰子の樹に遊んでゐる大蜥蜴を射よと命じた。 暫くその一點を見詰めたまゝ、吹矢管の名手のからだが小刻みに顫えてゐる。私はぐるりを見廻した。多くの顏が大人といはず子供といはず、彼らの祖先の姿を露きだした獸物のやうにみえたのである。私は不慮の失言から、彼らを怒らせた。 いまや、未開人の激怒のなかに身を賭してゐることを知つたのである、と、いきなり、地上のながい男の影がさつと縮まつた、足許からあがる砂塵のなかで吹矢管を口にあてたと思ひの外、男は身をかがめて手近の石を拾つたとみる間に早く、それを森のなかヘカ任せに投げこんだ。 キ、キーツと、魂消るやうな啼く聲がし、羽音がした、その直後吹矢管の先が中空にむけられた、やがて陽炎をみだして、一羽の黑鵲が落ちてきたのである。 飛ぶ鳥を射た——私は吹矢管を扱ふ、サカイの入神の技に啞然となつたと同時に、なぜ彼が、故意に石を投じて鳥を飛ばしたかを考へたが、分らない、もしもこの離れ業が、私の失言に對してこれ見よとばかりにした報復であるとするならば、ジヤングルにもまた騎士道の華麗さはある…… 四、お化けの世界 射止められた黑鵲に、すぐに見るとむごたらしい痙攣のうちに死んでゆく、その筋肉運動の停止や痙攣狀態から察しても、このイボーの矢毒がストリヒノス植物毒に屬するものであることが分る、かのアフリカの矢毒「ズルーシン」や、南米の矢毒「クラーレ」と同系統のものであらう。 かうして世界の矢毒の三大宗の一つに計らずも接し得た私は、このイボーの矢毒を採る「ウパス」の蔦をみたいと考へた、で、酋長に命ずると、小半時間はかり後に七、八人の男が擔いで持つてきた、われわれ日本人が持つ蔦といふ概念からもつてするならば、この擔ぐ云々といふことが甚しい誇張のやうに考へられるであろうが、しかしこれはジヤングルの奇觀の一つとして樹木化されてゐるのである、——直徑三寸餘、全長百尺にもおよぶ大蔦だ。 樹皮は黑く、短形のさきを尖らしたやうな葉は、磨かれたやうな濃綠だ。そして、ほんのりと綠がかつた管狀の白花が群生し、球形の灰色の實には甚しい苦味がある。即ちイポーの毒かこの部分にもつとも濃い。 とその時、ハザリか私の耳に口をよせ「來ましたぜ、魔法醫者が……」といつた。 矢毒のイポーについでの第二のサカイ名物である。この部落の魔法者がやつて來た。といつてこれによく映畫に出る他の種族の魔法醫者のやうな奇拔な服裝をしてゐるのでもなく、また人を喝し竦めるやうな妖術師の眼があるわけでもない。たゞ簡單な顏彩を施し禈一つのまつ裸。しかも、みるからに好々爺然たる男である。 このサカイの魔法醫者は、いはゆる馬來人間における魔法醫者とはちがひ、なんの醫藥も使はない。たゞ咒ひをして、もろもろと惡靈を追ひかける。と云ふそれ程に、樹靈、獸靈、地靈、疫靈をはじめあらゆる物象を假りた精靈どもが、愚かなサカイの頭のなかを我物顏に亂舞してゐる。 大體サカイは、太陽をさして神とよんでゐるのであるが、かと云つてこれを、特に神として禮拜するやうなことはしない。また彼らには善處と邪靈の差別もない。すべて彼らには分らぬもの、畏怖するものが、精靈となつてゐる。でこゝに、ハザリから教はつたお精靈さまを幾つか舉げてみると。 まづ眼にみえない吹矢を使ふといひふ「ヌマニ˙ルダウ」といふのがある。この吹矢に當ると、リユーマチスになるといふ。次に馬來の酋長の姿をしてくるといふ痘瘡神、犬に姿をかいる痢病の靈。お產の出血と陣痛を司さどる「ヌヤニ˙ヌゴイ」といふのがあれば、マレー人に身をやつしてくるコレラ神もゐる。さうして魔法醫者が、これ等の疫靈をはらひ、サカイどもを保護するといふ。 魔法醫者の小屋は、部落はづれに遙かなジヤングルの奧にある。さうして夜、彼はそこへ病人をはこび、物々しい交靈をする。虎の皮をかむり、おそろしげな隈取りをし、腰には沼地の貝殻をつらね、香をたいて祈るのである。しかし不幸にして、私はここの魔法醫者の祈禱を見ることは出來なかつた。他鄉人は左樣なことを、強要するものではないさうである。 夜になつた。大古さながらの靜寂のなかを鴟が啼き、絕えず何かゞ這ひまはるやうな音がジヤングルのなかでする。そこへ、奧地サカイ特有の鼻孔笛の音が聽えてくる。と、杵鼓が伴奏をはじめ、歌聲が高まつてきた。ハザリに訊くと、 ブラーの實がなる頃に、嫁がくるーといふ歌ださうだ。 |
02 | 圖像:明治神宮國民鍊成大會ポスター |
03 | 讀書餘錄/岡田三郎 |
04 | 世界矮人種物語 南方圈、アフリカ、日本 |
05 | 圖像:スマトラ・バタツク族の民家 |
06 | 北回歸線 分割統治の思想性 老獪英國の常套手段 |
07 | 現代女性と思想/坪井敏男 |
08 | ラジオ |
09 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 陸鷲、西南支那に進攻 連日敵各據點を猛爆 所在の軍事施設を粉碎 |
02 | 北支軍九月中の戰果 |
03 | 樞軸軍、猛然と反擊 エル・アラメイン戰線北方地區 英軍の攻勢期待外れ |
04 | 伊軍の發表 |
05 | 罠にかかつた英第八章 |
06 | ボルネオ基地建設の尊い人柱 前田最高指揮官堂堂の風格 |
07 | “父も本望” 嗣子利建氏語る |
08 | 米、航空母艦 十三隻建造中 |
09 | 圖像:海鷲、將に壯途に就かんとす |
10 | 樞軸側に步あり 軍事專門家、諸點を指摘す |
11 | 石渡外務省顧問 國府經濟顧問に就任 |
12 | 赤軍の降參增加 續續白旗を揭げて |
13 | ソ聯、後退を認む |
14 | 官吏待遇改善遡及せぬ 十一月一日より實施 |
15 | 兩院慰問團 昭南に歸來 島田俊雄氏語る |
16 | 太平洋沿岸邦人の強制移住 |
17 | 獨軍の發表 |
18 | 米誌痛烈に政府攻擊 「ル大統領に呈するの書」を發表 |
19 | ソ聯情報局發表 |
20 | 米の建艦豫算案 ルーズヴエルト署名 |
21 | 米英宣傳報道 連絡強化協議 |
22 | 空軍兵員擴充 |
23 | 小癪敵機又も香港に來襲 一機を擊墜 |
24 | スターリン深刻な疑問 英米側の真意に對して |
25 | ダ佛軍總司令 ヴイシー歸還 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 決戰下若人の意氣 競ふ豪壯雄渾な敢鬪譜 神宮國民鍊成大會開幕 總裁宮殿下台臨 |
02 | 祭粢料と御下賜品 けふ市正廳で譽れの遺族に傳達 |
03 | 圖像:双十節慶祝祝典全景 |
04 | 必勝の尖兵たれ 會長小泉厚相の式辭 |
05 | 藤岡兵務部長淡水へ 青年學校查閱狀況視察 |
06 | 幾多の試練と變遷 (下)學制頒布七十周年の回顧 |
07 | 重產協理事會 勞務對策を協議 |
08 | “師恩感謝の日”提唱 全國的に運動を展開 |
09 | 中南部の陸海軍病院を慰問 沼尻教育課長が |
10 | 體力章檢定 十五日川端で實施 |
11 | 泰の日本語熱旺盛 日本科學の優秀性を認識 文化交流促進の實情 |
12 | 共同目的達成へ 谷外相と泰國大使の挨拶 |
13 | 基隆市市會 原案通り可決 |
14 | “優秀鑛山”を表彰 五日首相官邸で優勝旗授與 |
15 | 双方で責任回避 米英の醜い泥試合 |
16 | 職業戰線で活躍 軍國の母として表彰される 天羽キクノさん |
17 | 應召記念に義稱 |
18 | 木炭業者激勵 梁井知事が視察 |
19 | 新竹州下の闇撲滅週間行事 |
20 | 基隆庭球大會 |
21 | 人事・消息報社消息 |
22 | 煙幕 |
23 | 今夜の放送 |
24 | 興南詩苑漢詩 九月十六日聯句、古曆重九日招諸友游草山次文訪韻/夢周、敬次病除瑤韵/小魯、敬和社長病除寄懷瑤韻/春懷 |
25 | 商況 廿九日前場 |
26 | 興南案內報社消息 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大東亞圈內の外交陣容強化 張家口に大使館參事官を置き 河內、西貢兩總領事を勅任に頭條新聞 【東京發同盟】大東亞省の新設に伴ひ帝國外交はその機構、人的構成の各般に亘り全面的新構想の下にこれが革新強化を必要とされ谷外相は關係各省とも慎重打合せの上さきには日高駐伊、堀切特派兩大使の選任を始め在歐外交陣容の強化を行つたが今回大東亞圈內の陣容強化第一着手として張家口に大使館參事官を置き、佛印ハノイサイゴンの兩總領事を勅任に昇格するに決し二十七日の閣議で決定二十九日それぐ左の如く發表した、今回の人事は近く發表される大東亞省人事と深い關聯を持つだけにその銓衡にはいづれも慎重な考究が拂はれ外務省中堅を要所に配置し來るべき大東亞省外地關係人事の中樞部強化を目指したものである 總領事(張家口) 渡邊信雄 任大使舘參事官(二)中華民國在勤被仰付 大使館參事官 渡邊信雄 兼任總領事(三)張家口在勤を命ず 總領事(サイゴン) 蓑田不二夫 陛叙高等官二等、ハノイ在勤被仰付外務書記官(通商局第六課長) 鈴木六郎 任總領事(二)サイゴン在勤被仰 |
02 | 駐伊大使更迭事情 |
03 | 更に決意を固くせよ 今後も米英の反攻は必至 |
04 | ソロモン水域で 米艦二隻擊沈 米海軍省廿七日發表 |
05 | 聯合國重大な脅威に直面 リーイ米參謀長 |
06 | 圖像:○○に出擊の我が艨艟の勇姿 |
07 | 汪主席南京へ歸還 |
08 | 石渡顧問二日 南京へ赴かん |
09 | 戰爭必需物資の 對日供出を增強 けふから滿鮮連絡協議會 |
10 | 造船の完遂に邁進 全國造船所社長參集決議 |
11 | 麥類價額大幅引上 石當り大麥四圓、裸麥小麥六圓 |
12 | 增產に資す 井野農相語る |
13 | 現銀差押へを解除 北支軍當局より發表 |
14 | 華北中國交通兩銀行 新銀行を設立 |
15 | ノツクス慘慘な目 記者團の執拗な質問戰に會ひ しどろもどろの言明 |
16 | スマトラ建設に重點置く マレー軍政の豫算編成方針 |
17 | 大分縣警察部長異動 |
18 | 至誠一貫、使命達成 王新駐日滿國大使着京第一聲 |
19 | ステートメント要旨 |
20 | 米英の重慶籠絡手段 治外法權撤廢草案手交 |
21 | ソ聯北部を英空軍基地に 船舶掩護に當る |
22 | 滿洲國軍除隊兵 集團勞務隊編成 |
23 | 南十字星 |
24 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 南太平洋海戰の大戰果社說 一 全國民待望のソロモン群島を中心とする南太洋海域に於ける大戰果は二十七日の大本營發表に依つて明かにされ、又しても一億國民を感謝と感激の坩堝へ叩き込んだ。卽ち同發表に依れば、帝國海軍部隊は二十六日黎明より夜間にかけ、サンタクルーズ諸島北方洋上に展開された南太平洋海戰に於て、激鬪に次ぐ激鬪を敢行、遂に敵空母四隻、戰艦一隻、艦型未詳一隻を擊沈、戰艦一隻、巡洋艦三隻、驅逐艦一隻を中破、敵機二百以上を擊墜破の大戰果を擧げた。而して他方第二次ソロモン海戰以後、卽ち八月二十五日より南太平洋海戰直前まで沈默の裡に米空母ワスプ、巡洋艦三隻、驅逐艦五隻、潜水艦六隻、輸送船六隻、掃海艇一隻の擊沈を始め、八隻の艦船を大中破し、飛行機五百十九機以上を擊墜破し、該方面に於ける敵海上兵力の主體を殲滅したのである。 二 今回の大戰果を見ても判る通り、米國は國を擧げて飛行機、軍艦、戰車等の軍需生產に驀進し、米海軍がその生產力を恃んで太平洋に反攻して來たのは事實である、ハワイ海戰以來敗戰に敗戰を續けつつある米國は、今まで金科玉條としてゐた戰艦第一主義を放擲し、空母第一主義を採用、銳意空母建造に全力を傾注し、去る二十三日米海軍當局は八月以來空母三隻が進水した旨を公表した、今や米國は空母及び大型爆擊機による對日反擊に必死である。併し今回の大戰果に依つてわが將兵は、必勝の信念を益益固くし、自信を强めることは想像に難くない。やつて來さへすれば、必ずやつつける。米國が如何に空母建造に躍起にならうとも、一艦一隻を餘さず、これを海底の藻屑と屠り去ることは必定である。及如何に飛行機を多量に製造しても、必ずや之を叩き落さずんは止まぬものである。必勝不敗の鐵軍とも言はれる皇軍はその精神に於てその作戰に於て、更にその戰鬪力に於て吾吾は無條件にその偉力を信じてゐる。 三 只一億國民の銘記すべきはこの壓倒的戰果が、決して易易として打樹てられたものでは斷じてないことである。去る三日平出大佐の講演に於て述べられてゐるが如く、前線の海鷲の勇士は常に愛機の翼下で起居を共にし、下令を待つてゐる。而して海の鐵鯨は何ケ月も廣漠な海底に潜り、凡ゆる困苦を克服して、只管敵艦に遇へる機會を喜び願つてゐる。その他の諸勇士もそれぞれの戰鬪部署に於て、勇猛に敢鬪しつつ赫赫たる戰果を擧げてゐるが、それでも猶大本營發表にあるが如く、たとへ敵の損害に比して頗る輕微であるとは云へ、我にとつては容易ならぬ犧牲を出してゐる。これに依つて大東亞戰爭は漸く本格化し、わが海の精銳が自らの肉を切らせつつ、而も敵の骨を寸斷しつつ挺身激鬪に身命を捧げつる聖なる姿を見るのである。銃後國民は大捷に醉ふことなく、前線勇士の戰果に應へて、益益結束して戰力の充實に邁進しなければならぬ。 |
02 | 偲び奉る“御遺德” 大東亞戰下初の明治節を迎へ 早朝參拜を差許す |
03 | 勝たずば止まぬ 全員火の玉となつて突進 神宮大會張切る臺灣代表 |
04 | 示せ・一億の氣魄 東條名譽會長の祝辭 |
05 | 双肩に鄉土の名譽 鬪魂滾る各地の選手 |
06 | 陸上第一日成績 |
07 | 總裁宮殿下令旨を賜はる |
08 | 圖像:學制頒布七十周年記念 |
09 | 新民會運動基本方針 俞事務總長が說明 |
10 | 新綱領を制定 |
11 | 汪精衛氏の演說 |
12 | 基隆市葬を嚴修 故宮本曹長外諸勇士を弔ふ |
13 | 健民運動國民鍊成 二十九日から明治節の三日迄 全島一齊に展開 |
14 | 全國“文教”の一色 學制頒布七十周年 |
15 | 全島教育功勞者 二十五氏けふ表彰 |
16 | 皇恩に浴して迎へる ジヤワ初のお正月 |
17 | 貯蓄運動に拍車 大東亞戰一周年記念 |
18 | 臺灣醫師會總會開催 |
19 | 基隆商議所の東部視察團 |
20 | 執務時間に親心 官廳勤務の夜學生に |
21 | 國民校教員檢定試驗 |
22 | 學位授與認可 |
23 | 雄渾にして莊重 卒業歌、送別歌を公募 |
24 | 宜蘭市國語演習大會 |
25 | 大戰果に祝意 奉壯團長武官府訪問 |
26 | コレラ終熄 |
27 | 鳥間連峰へ |
28 | バツトル山 |
29 | 清澤嚴氏逝去 |
30 | 武官府の谷口一等兵曹逝去 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新竹州教育功勞者 譽れの十六氏表彰 |
02 | 若人の野外演習 十一月廿日峨眉で實施 |
03 | “是非もう一度” 歸還した義勇隊員 再度從軍を嘆願 |
04 | 大溪神社祭 |
05 | 教育報國の範(上) 表彰廿五氏の功績 |
06 | 更に一名屆出 東港の州議戰 |
07 | 潮州郡は二名 |
08 | “前線の體驗” 勞務奉公團臺南州隊 二日座談會を開催 |
09 | 戰歿殉職英靈の招魂祭 臺南で嚴肅に擧行 |
10 | 森田知事 出品田を視察 |
11 | 關廟青年團第一分團座談會 |
12 | 高冷地栽培に一役 高砂族農業講習所設置 |
13 | 圖像:ジヤワの正月 |
14 | 南投商議評議員會 |
15 | 誓つて御奉公 本紙が結ぶ勞務奉公團員の感激 比島から賴母しい便り |
16 | 勞務手帳法令の講習會 |
17 | お山も豐年だ 米穀增產快速調 |
18 | 忌明けに献金報社消息 |
19 | 郡坑保正會議 |
20 | 農業報國挺身隊 月末に結成終了 |
21 | 肥料講習會 |
22 | 時局認識講演會 北斗郡の有志が起つ |
23 | 中壢郡產組陸上競技 伯公岡が第一位獲得 |
24 | 軍國の妻の力 よき感化で義兄が改悛 |
25 | 臺南州蹴球大會 |
26 | 闇一掃紙芝居競演 |
27 | 彰化市消費米組合 |
28 | 地方多より |
29 | 今日の映畫 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 明年度督府豫算 總額四億八千萬圓 南進基地使命達成に重點 |
02 | 交通局の新事業 航空保安設備及び輸送力強化、操車場新設 |
03 | 臺灣化成工業增資 蘇澳工場復舊費として |
04 | 外米依存脫却と 今後の食糧對策 |
05 | 稻作多收穫競作會審查開始 |
06 | 臺灣有機合成會社 カーバイド製造を企劃 |
07 | 旗山麵類組合創立 |
08 | 臺中で南方事情講習會開催 |
09 | 臺南州消費米配給組合明日總會開催 |
10 | 東亞氷糖製菓の 設立愈よ認可 |
11 | 信組並兼營組合 昨年十月末の事業成績 |
12 | 拔荷防止協議會 昨日警察會館で開催 |
13 | 彰銀三出張所 來月二日より開業 |
14 | 新莊郡米穀配給組合創立 |
15 | 昨年度蔬菜類生產 五億八千百廿萬斤 前年に比し數量減少、價格增加 |
16 | 經濟手帖 生產功勞者の表彰 |
17 | 資金蓄積路の變化 |
18 | 照明燈 |
19 | 商況 廿九日後場 |
20 | ラジオ |
21 | 水滸傳(812)/黃得時;碇政彌 |
序號 | 標題 |
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01 | 輪形陣に必殺魚雷 ワスプの艦腹深く炸裂 殊勳の勇士に聽く |
02 | 圖像:田中比島最高指揮官南部ルソン島視察 |
03 | ヴオルガ全河畔を確保(獨軍) ス市掃蕩戰愈よ大詰 |
04 | 外務辭令 |
05 | 再び印度東北部を爆擊 |
06 | 風雲の西アフリカ (上)第二戰線この方面に展開か |
07 | ナルチツクを占領 壯烈な雪中戰を演ず |
08 | ツアプセの脅威加重 |
09 | 壯烈な沙漠戰展開 地雷原に陷つて英軍敗退 |
10 | 英本土を白晝爆擊(獨機) |
11 | ローマ進軍二十周年 一元帥、三大將昇任さる |
12 | 川村直岡氏 司政長官に任命 |
13 | 細井英夫氏 陸軍司政官に |
14 | 大マニラ市の區制改正 |
15 | 米海外派遣軍 總兵力八十萬 |
16 | ハル國務長官露都派遣說 後任はウ次官 |
17 | 大東亞戰下二度目の 地方長官會議 來月十三、四兩日に亘り |
18 | 產報指導者の全國會議 |
19 | 徵兵法改正案 米上院も修正可決 選擧後に持越すか |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 文運萬邦に無比 □□たり日に進み月に進む 學制頒布茲に七十年 |
02 | 三年に世界地理 最初の小學校麟祥院に學んだ 長岡博士の懷古談 |
03 | 臺北州奉讀式 |
04 | 尊き師魂の顯現へ 教育功勞者けふ表彰式 |
05 | 基隆市記念式 |
06 | 新竹の奉讀式 |
07 | 一擊必殺の鬪魂 臺灣軍諸部隊劍術競技大會 |
08 | 生活必需品配給消費座談會(上) 主催東京商工會議所 |
09 | 豆戰士の角力大會 |
10 | 基隆商業奉公團打合會 |
11 | 必勝の氣魄に震ふ 神宮鍊成大會第二日 |
12 | 北斗陸上競技迫る |
13 | 異彩放つ紅一點 乙種醫師合格者發表 |
14 | 本省から大量移入 鐵道部交流人事異動發令 |
15 | 花蓮港廳下選擧人名簿完成 |
16 | 國民鍊成運動會 三日、明治の佳節を卜して 島都十會場で實施 |
17 | 高雄州地區の逐鹿戰 |
18 | 基隆郡双溪庄の日婦結成式 |
19 | 歸還高砂義勇隊 羅東で鍊成會開催 |
20 | 寒石洞行 |
21 | 天然瓦斯利用急增 充鎮所を三ケ所新設 |
22 | 魚仲買の不正 東石組合に飛火 顏役續續召喚 |
23 | “利慾本位を排擊” 國民醫療法一日から實施 |
24 | 興南詩苑漢詩 舊九月十一日誕辰自嘲/杏菴、重陽節後二日杏菴初度宴客賦詩卽席次韻/瘦菊、敬次開運宗兄五十有四壽辰述懷韻/鵬程、次鶴亭先生瑤韻/去矜、鶴亭丈以病除詩見寄敬次原玉欣然偕諸同社携詩拜訪/幼岳、喜鶴亭社長病除次韻奉答/香宇 |
25 | 伊海軍不敗の實力 |
26 | 人事・消息 |
27 | 今夜の放送 |
28 | 商況 三十日前場 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵の意表を衝く猛爆 擊墜破、炎上四五機に上る 殊勳の陸鷲部隊長に聽く 東印度空襲頭條新聞 【ビルマ前線○○基地三十日發同盟】インド重慶間の空輸中繼基地テンスキヤ飛行場に對するわがビルマ方面陸軍航空部隊が十月二十五日敢行したる集中攻撃は文字通り敵の意表を衝いたものだけに敵機を擊墜破炎上せしむること四十五機と言ふ大戰果を舉げたがこの赫々たる殊勳陸鷲の部隊長に當時の模樣を聽く 井戶田勇部隊長 わが部隊はテンスキヤ飛行場群のオクランド飛行場爆擊の命を受け○時○分○○基地を飛び立ち真直ぐにアラカン山脈を越え一氣にオークラント飛行場に殺倒したが敵はわが來襲に氣がつかなかつたわが編隊群が上空に達し爆擊態勢をとるや慌てゝ敵の動搖するのを認めた位であつた時既に遲くわが爆彈は飛行場中央誘導路に隱匿されてゐた敵大型、小型八機に命中、爆擊の砂煙と炎上する敵の黑煙が五ケ所より一度に約五十米吹き上り真に痛快な爆擊であつた續いてわが戰闘機群が壯烈な對地銃擊を行ひ飛行場西南隅にあつた小型機約五機に正確な射撃を加へ忽ち炎上してゐるのを見たがこの間識の高射砲及び戰闘機のわれに手向ふものを全く認めずわが方は全機無事悠々歸還したのであるが敵に何等の抵抗する餘裕も與へずこれ程の戰果を舉げたのは全く天佑であつた 石川一郎部隊長あの日は全く奇襲だつたわが○○機がアツサム連山上空に達した時、山の頂上から白い煙が一本また一本と次々にれくの行手に上つてゐたがどうやら敵の對空看視哨らしかつた、その時既にわが編隊陣は敵飛行場上空に達してしまつたのだ、テンスキヤ第一飛行場はアツサム州の大盆地の中に赤茶けた土肌を出してくつきりと浮び敵の大型小型機が滑走路の兩側に行儀よく並んで全く平和そのものだつた先づ先發隊が僅か○○米の低空で巨彈を浴びせたこの一撃で敵はあち、こちからばつくと火を吹き黑煙が上り始めた、この頃から漸く敵の對空火器が活躍し始めたが○○部隊は悠々敵飛行場の真只中へ巨彈の雨を降らせた、その間をわが○○機が飛鳥の如く殘存敵機に地上掃射を浴びせかけてゐる、敵飛行場では敵兵が右往在往逃げ惑うてゐるのが手にとる樣に見へる、わが荒鷲は果敢な低空飛行でこれに猛射を浴 びせる、この時敵の戰闘機五機が何處からか飛んで來たが地上の慘敗振りを見てすつかり脅へたものらしく反擊も出來ず反轉、遁走せんとしたがわが○○機に忽ち追着かれて一機は火を吹きなから墜ちて行き二機は地上に激突した他の二機は這々の態で逃げてしまつた、敵陣もすつかり沈默したので自分は全機に集合命令を發して歸つて來たがこちらも被彈機○機を出すと言ふ猛烈な戰闘であつた |
02 | スイスイと爆彈投下 黑煙濛濛・敵飛行場潰滅す |
03 | 第二次ソロモン海戰の決鬪 |
04 | 翼贊會辭令 |
05 | 生產力增強總進軍運動展開 十一月八日から三月七日迄 |
06 | 對滿事務局廢廳式 きのふ嚴肅に擧行 |
07 | 拓務省けふ解散式 發展的解消を遂ぐ |
08 | 日本發送電の決算理事會 |
09 | 山東共匪を總攻擊 片連に突入、感激の日章旗 |
10 | 山西共匪の殲滅狀況 |
11 | 町內會消費經濟施設 整備の要綱決定通牒 |
12 | 滿洲國の新增稅 昨日勅令で一齊公布 |
13 | 賞狀と徽章を授與 海軍兵器製作功勞者に |
14 | 月給取に大福音 家族手當增額支給 民間會社にも適用 |
15 | 南十字星 |
16 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 日泰兩國は同心一體 文化協定の成立に依り社說 一 日泰文化協定が去る二十八日東京でわが谷外相と駐日デイレツク泰大使との間に歷史的な調印を完了した、この事は大亞細亞の復興に邁進しつつある日泰兩國の同心一體の關係が樹立されたと共に大東亞の全的建設に輝かしい巨步を踏み出したものであつて、日泰文化協定の持つ意義と使命は重且つ大なるものがある、滿洲事變以來よく我が國の立場を理解し凡ての點に我が國に友好的態度を示した泰國は、今次大東亞戰の勃發に當つても初めから我が國に協力し開戰當日の十二月八日には皇軍の自由通過を容認し、大東亞解放の建設戰によくその進むべき道を識つて誤らず二十一日には日泰攻守同盟を結び、二十五日には敢然と米英に宣戰布吿し泰國全軍擧げて皇軍の作戰に協力したのである、更に四月二十一日には經濟的協力に就き日泰為替換算率改訂に關する協定に依つて圓パーツ等價を實現し、越えて六月十八日には我國より二億圓借款を供與する協定成立日泰關係は軍事的にも經濟的にも牢固たる繋りを持つに至つたのである 二 軍事協定、經濟協定がいづれも兩國政府間の提携を對象としてゐるのに對し、文化協定は兩國政府當事者間の提携は勿論であるがそれ以外に兩國の國民全部を對象とし相互の文化的同甘交流によつて相手國を認識し同甘共苦のもと大亞細亞建設の理想達成に進むところに特別の意義が存するのである、相當廣範圍に亘るこの協定の具體的內容は所定の手續の完了を俟たないと公表されないが大體において學術、藝術、體育其他の文化面の諸問題を網羅し然かも有效な規定が細かに設けられてゐるのでこれが實施の曉は同じく佛教文化にその源を發する兩國の文化向上と友誼增進の上にもたらされる效果は蓋し顯著なるものがあると共にこの協定を基本とする兩國の協力が共榮圈內の他の諸民族との間の文化的提携の模範となり且つその文化の向上發展に一つの道標を示し將に開花されるのであらう燦爛たる大亞細亞の文化と興隆の一翼を擔ふものであることを確信するものである 三 この文化協定は軍事的にも政治治的にも經營的にも相卽不離の關係にある日泰の契りを愈愈永遠不易のものにすると共に亞細亞人による亞細亞文化創建の旗幟を明らかにしたもので謂はば大亞細亞文化の再建に最初の礎石を布石したものである日泰文化の交流は昔から行はれ一時はわが國と相當密接な交涉を持つた歷史をもつてゐるがそれは直接的の交流ではなく殆んどが外國文化の仲繼地としての役割しか果さなかつた、今迄も英語を持つて日泰間の交涉を行つてきたのが今回の協定により相互に語學の研究が行はれ、古來より獨立を保つてきた日泰の兩國民がお互の思想、風習を知ると共に意見の交換、感情の疏通によつて、真に物と物の提携に加へて心と心との結合が具現せられるのであつてまことに日泰文化協定こそは南方圈建設定助成すべき文化戰線最初の布陣であるが故に、兩國は相互に國民を亞細亞復興促進の尖兵として文化的にこれを鍊成すべきことが必要ではないかと思ふ |
02 | 教學に有難き御沙汰 教育者の道を昭示し給ふ 學制頒布七十周年 |
03 | 宮內省發表 |
04 | 橋田文相謹話 |
05 | 文教に深き大御心 一億の民草齊しく恐懼申上ぐ |
06 | 謹みて聖旨を奉戴 文部當局訓令を告示 |
07 | 橋田文相式辭 學制頒布七十周年式典 |
08 | 三笠宮同妃兩殿下 昨日各競技場を御巡覽 |
09 | 皇太子殿下 外苑競技場に台臨遊ばさる |
10 | けふ滑空大會を御觀覽 |
11 | 新穀に捧げる感謝 一週間に亘り全島に多彩な行事 |
12 | 各州廳供御の新饌 島都新公園の遙拜所に奉献 |
13 | 豐年踊の催し 各地で趣向を凝らして準備 |
14 | 英靈感謝祭 一日法主公廟で |
15 | 北一女體鍊會 |
16 | 全島刑務所長會議 昨日府正廳で開かる |
17 | 第三部隊優勝す 安藤軍司令官賞品授與 |
18 | 臺灣從軍記念會 皇民奉公會の指導下に新發足へ 昨日晴の結成式擧行 |
19 | 蘇澳郡の第一種訓練終了式 |
20 | 蘇澳郡役所假廳舍一部竣工 庶務課移轉を完了 |
21 | 蘇澳日婦支分會合同結成式 |
22 | 基隆顏家の赤誠 家寶の銅像や燈籠献納 |
23 | 國民鍊成大會 第二日の成績 |
24 | 人事・消息報社消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 一家から四人出征 軍人の龜鑑山下家の名譽 |
02 | 伜三人醜の御楯 軍國の龜鑑、草間家 |
03 | 一意職務に挺身 西村みさをさん |
04 | ガス利用の新發見 充填の熱膨脹防止に特別傑作 大內技師の研究結實 |
05 | 勅語の御精神謹話 臺中の渙發記念日 |
06 | 勅語奉讀式擧行 教育功勞者に表彰狀 |
07 | 臺南市の奉讀式 |
08 | 花蓮港の奉讀式 |
09 | 教育報國の範(下) 表彰廿五氏の功績 |
10 | 新竹市の國語の家 認定交附式擧行 |
11 | 狂はぬ起床ラツパ 篤行生徒高橋君に知事賞 |
12 | 回收物件展示會 一日から新竹で開く |
13 | 森田知事上北 |
14 | 三重埔信組十周年記念式 |
15 | 國語革新會 玉里街の誕生 |
16 | 新莊郡國演會 |
17 | 國策的三ツ兒 |
18 | 鑛工學校設置 基隆商議役員會で申合 委員を擧げて實現へ |
19 | 大溪郡體育會 |
20 | お山の勇士座談會 三日、鳳林郡を皮切に開催 |
21 | 東部地方產業方面 |
22 | 責任感強い婦長 乙種醫師に合格した陳さん |
23 | 吳景徽氏の博士論文通過報社消息 |
24 | 新莊郡理髮料金值上げ |
25 | 赤誠の献金品 |
26 | 株式會社臺北鐵工所 |
27 | 官舍町御用心 空巢が狙ふ |
28 | 地方多より |
29 | 今日の映畫 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 東京市家庭用蔬菜 隣組單位で登錄、配給 農林省の配給要綱愈よ決定 |
02 | 化學工業統制會 會長に石川一郎氏任命 |
03 | 金融統制會の 足跡と當面の課題 |
04 | 臺灣澱粉工業組合 昨日創立總會 |
05 | 臺灣澱粉工業組合聯合會解散 |
06 | 東亞經濟懇談大會 各地域の經濟問題を懇談 |
07 | 豐年感謝の御供米 新嘗祭當日に各家庭に配給 |
08 | 臺中州雜纖維加工組合 五日に創立總會開催 |
09 | 有價證券會社社長 松本大輔氏に決定 |
10 | 臺灣側の大會提案 並に出席委員決定 |
11 | 庶民信組總會 |
12 | 鐵道省への轉出人事近く發令 |
13 | 臺灣土地建物總會 配當年八分据置 |
14 | 臺北州青果同業 第四回定時總會 |
15 | ゼニスパイプ總會 配當年九分に增配 |
16 | 三菱商事支店長 谷田氏近く着任 |
17 | 照明燈 |
18 | 商況 卅日後場 |
19 | ラジオ |
20 | 水滸傳(813)/黃得時;碇政彌 |
21 | 廣告報社消息 |