興南新聞1942年8月
序號 | 標題 |
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01 | 廣田遣泰特使參內 派遣中の任務に關し具さに奏上復命申上ぐ |
02 | 再度衡陽を空襲 在支米空軍と空中戰 軍事施設に巨彈集中 |
03 | ス市の突入近日中 北コーカサスの戰況 愈よ決定的段階へ |
04 | 全く淒慘を極む ロストフ激戰地を訪ふ |
05 | ス市赤都鐵道六十粁へ |
06 | 圖像:廣田特派大使歸京 |
07 | 世界の公路 スエズ運河(下) |
08 | 獨軍司令部の發表 |
09 | 死を賭して 抗戰すべし ス首相が命令 |
10 | 樞軸軍の大勝利 獨逸武官から戰況聽く會 |
11 | ソロ侯の地位授與 バタビヤで嚴肅裡に式を終了 |
12 | 武漢舊法幣を一掃 國府財政部長聲明 |
13 | 第二戰線結成の ソ聯の働きかけ 何等の成果期待されぬ |
14 | 第二戰線の即時實現 英國民運動展開の形勢 |
15 | カイロ空襲 |
16 | 皇軍の實力に 米國民が猛省 |
17 | 獨、敵艦六隻を擊沈 |
18 | イラン內閣 總辭職決行 |
19 | バーミンガム 猛爆を公表 |
20 | 泰、西外交再開 |
21 | 米西部海岸の 居入邦人 強制移住命せらる |
22 | 英海軍省確認 巡洋艦パ號擊沈を |
23 | 對印方針不變 英印度事務相言明 |
24 | 重慶の地位は 一層惡化 米誌ライフ評論 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 米國民に昂る不安 誇る“資源豐富”に俄然疑問符 |
02 | 昭南神社上棟式 勇士感激の神橋渡初 |
03 | 皇后陛下御下賜の 御菓子御歌傳達式 市長公室で嚴肅に擧行 |
04 | 新營神社を 鄉社に列格 督府から申請 |
05 | 姿を消す“華麗さ” 米誌に現はれた國民生活の一端 |
06 | 比島宛電報 八月一日より取扱開始 |
07 | 見えざる敵と戰ふ 驅逐艦機關部員の辛苦 |
08 | 表彰金を献金 |
09 | 衛生思想の普及に 紙芝居競演會開催 |
10 | 圖像:いざ出擊!! |
11 | 矍鑠の七十四翁 ガンヂーの日常生活 |
12 | 漸く落着いた船內 日一日と故國に近づく淺間丸 |
13 | 淺間丸乘船者(續く) |
14 | 基隆郡警察課慰安會 |
15 | 室內音樂放送 今夜八時から |
16 | 薙刀講習會 |
17 | キヤラコ密輸 基隆署で取調べ |
18 | 興南詩苑漢詩 江山樓雅集賦呈林文訪先生/高肇藩、稻江步月/南都、嘯庵宗兄五十壽慶/鷺村、次竹軒先生韻/虛谷 |
19 | 第七回臺北市民水泳大會 八月廿三日開催 |
20 | 音樂堂演奏曲目 |
21 | 市民ハイク 二日に指南宮へ |
22 | 人事‧消息 |
23 | 今夜の放送 |
24 | 煙幕 |
25 | 商況 卅一日前場 |
26 | 興南案內報社消息 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | タウンス‧ビル夜間爆擊を敢行 濠洲東北部の要衝頭條新聞 【東京發同盟】大本營發表(三十一日午後三時三十分) 帝國海軍航空部隊は七月廿五日、廿七目、廿八日濠洲東北部の要衝タウンス・ビルを夜間爆擊し敵航空基地その他重要軍事施設に相當の損害を與へたり |
02 | 大本營發表 |
03 | 重要軍事施設を粉碎 |
04 | 天皇陛下に拜謁 小澤、澤田兩提督參內 |
05 | 鐵鯨奮戰記中 我が強力無比の魚雷 シドニー灣口、敵武裝船沈む |
06 | 東海岸の前進基地 タウンスビル風間誠一氏に聽く |
07 | 米英側深刻な驚愕 |
08 | 圖像:艦艇に協力する我が海鷲 |
09 | 清鄉工作多大の成果 後宮總參謀長視察から歸る |
10 | 日英間の外交官交換折衝 既に意見が一致 双方の交換船それぞれ出帆 |
11 | 沙谿頭(潮州西方)方面を掃蕩 |
12 | 白虎集を包圍攻擊 |
13 | 獨軍の進擊頗る急 ソ聯重大局面に逢着 |
14 | 龍田丸の出帆風景 |
15 | 中共側の黨勢 擴充工作活潑 |
16 | 獨軍タマン半島に上陸 |
17 | 敗走赤軍を殲滅 |
18 | 東京市長岸本大將を推擧 決戰投票を避け全會一致で |
19 | エル‧ニイル號 リ港出發 |
20 | 中國、交通の 兩銀行 改組復業に決定 |
21 | 南十字星 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 家族制度の 精神に就て社說 一 隣組精神及び隣保組織が國民共同體の確立、社會生活の新秩序として益益重要になつて來たが、この隣組精神の原型とも云ふべき家族制度、家族精神の問題も時代の新しき脚光を浴びて華華しく登場して來たのである。人間生活の歷史は社會學的に見れば、種族共同社會とその中に包含された家族制度、部落的共同體を以て始まつた。種族共同社會は社會一般の擴大と共に亡び、村落共同體も資本主義經濟の浸透に依つて次第に亡びて行つた。從つて現下に於ける人間生活に殘された基本的な共同體は家族制度のみである。勿論この家族制度と雖も內容的に見れば幾多の變遷を受け、母權家族制が崩壞して父權家族制に移り、大家族制が次第に崩壞して小單位の家族制と變つたのである。この大家族制が亡びたのは極めて近代のことであつて、內地に於ては明治維新前後までは嚴然として大家族制が存在してゐた。我が臺灣に於ても崩壞し始めたのは領臺以後のことであつて、今でも地方には猶根强く殘存してゐるのである。 二 かく大家族制度は益益小家族制となつて行き、この小家族制の中に盛られ、且つ傳はつて來た傳統的な家族制度的精神すらも次第に動搖し、色褪せて行つたのは事實である。併したとへ大家族制が小家族制に細分され、傳統的な家族制度的精神の價値と意義がどんなに疑はれやうとも、家族制度そのものが本質的に共同體、或は共同體的存在であることは到底疑ふ餘地のないことである。家族とは男女の結婚を出發點として子孫と云ふ存在を通じて、同一の血を享有する一つの共同社會である。從つて同じ血に繋がるものの抑制し難き親愛感、共同意識は餘りにも當然なことであるが而もそれが先天的で且つ運命的であると云ふ意味に於て、後天的で作為的になされた利害關係を同じくしてゐると云ふ意識とは本質的に違ふものである。かかる意味に於て本質的に、しかも運命的に共同社會的存在である家族制度こそは、人間の社會生活一般が如何なる樣式を取らうとも、常に共同體的精神、或は共同體的生活のあり得ること、而もその原型を示唆してゐる貴重な存在であると云はなければならぬ。實際自由主義と個人主義に荒廢せしめられた社會に於て、それを共同體的なものに再編成するには、そこに殘つてゐる唯一の共同社會である家族制度が、唯一の現實的標本として再吟味されることは餘りにも當然なことである 三 現在臺灣一家と云ふ共同體社會の建設に當つて、家族制度そのものに內在する共同體的本質が益益重要な意味を帶びて來ることは當然である。卽ち家族生活及び家族制度的精神こそ、國民共同體建設の基礎的單位であり、基礎的精神である。人人は家族生活に於て始めて最も原初的で、基礎的な共同體的精神を涵養し、共同體的生活に耐へ得る規律と秩序の訓練を受け共同體の持續と名譽を守り通さんとする自覺と責任感を教へられるのである。かかる基本的な訓練と家族制度的精神が擴大されて、隣保相助の奉公班の精神と活動として現はれ、この奉公班の精神が發展し、總集結して臺灣一家の共同精神として發現されるのである。而してこの共同精神に基づく親愛感と同甘共苦の精神が遺憾なく發揮され、實踐されて始めて明朗な臺灣一家が建設されると確信するものである。 |
02 | 皇民奉公會機能刷新 各種團體を傘下に 奉公運動の一體化へ |
03 | 運營委員會と 文化部を新設 事務局附、地方部廢止 |
04 | “頭のない魚”如何 年に二千萬圓浮上る |
05 | 潑剌の氣風を昂揚 齋藤情報委員部長談 |
06 | 今冬から食膳へ 各方面の意見を明く |
07 | 文化面に一大生彩 六百萬民身も魂も打込んで挺身 山本事務總長語る |
08 | 文化人の鍊成 皇奉本部で打合會開催 |
09 | 擧島、夏に鍛へよ けふから廿日までラジオ體操會 |
10 | 志願兵訓練所歌 二等二篇佳作四篇を決定 |
11 | 奉壯團の鍊成會 ゆふべ西本願寺で |
12 | 新劇、人形劇競演 演協、優秀劇團を表彰 |
13 | 蚊帳修理の奉仕 北一女生、第三部隊へ |
14 | ときの声 |
15 | 臺北同音會 室內樂を放送 |
16 | 大麥一俵軍馬慰問 |
17 | 宜蘭市郡國民兵簡閱點呼 |
18 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 巨鯨□ 高雄□水族館建設 |
02 | 倍額を目指して 意氣込む青少年團の貯蓄運動 |
03 | 故杉本一等兵 慰靈祭 |
04 | 竹東神社御造營工事 愈よ進捗‧十月八日に鎮座祭 |
05 | 圖像:更生したP十六型機 |
06 | 樋口郡守遺族弔問 |
07 | 三峽街協議會 |
08 | 屏東郡學校長會議 |
09 | 皇奉下部組織に活 佐藤主事を迎へて運營研究會 |
10 | 空訓狀況を視察 森田統監一行彰化へ |
11 | 協同精神で增產 彰化郡農業團體事務打合 |
12 | 海の記念日座談會(完) 歷史の教へる所 先づ海の認識が肝要 |
13 | 森重拓南局長新竹へ |
14 | 汗で築く基本財產 高雄州下青少年團開墾、增產に乘出す |
15 | 皇軍の強さに感激 エ社義勇隊員ラ君の便り |
16 | 宮木知事 新任披露 |
17 | 献金に示す お山の赤誠 |
18 | 稻田に罩むる乙女心 み國の為にぞ伸びよ早苗 |
19 | 防疫陣愈よ完し 高雄檢疫所增築工事竣工 |
20 | □ 招いて座談會 |
21 | 旅費節約して 恤兵献金 |
22 | 銃援基金に 一千圓寄附 |
23 | 蘭陽地方暴風雨災害救濟義捐金報社消息 |
24 | 月給割に義捐金醵出 嘉義市役所職員の美擧 |
25 | 出征署員の 家族寫真撮影 近く前線へ發送 |
26 | 水稻作に馬力 花蓮郡督勵班を派遣 |
27 | 鐵道の暑中稽古 |
28 | 國講專任講師 講習會終了 |
29 | 耐熱武道講習會 |
30 | “奉公の誠”刊行 花蓮港皇奉から |
31 | 製麵業者の 意見を訊く 中旬頃統合着手 |
32 | 地方多より |
33 | 今日ノ映畫 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | トマト出荷數量 本年度三萬箱に決定 |
02 | 東亞經濟臺灣懇談會 內地側出席者決定 |
03 | 南方の關稅制度 (下)米英蘭の搾取機構 |
04 | 木材組合機構確立 三部七課の役職員決定 |
05 | 夏物鳳梨罐詰 八、九十萬函生產せん |
06 | 製鐵、肥料工業 四日府で懇談會開催 |
07 | 第三回肥料委員會 開催取止めか |
08 | 合同鳳梨本社 事務所移轉 |
09 | 化成工業總會 利息配當を辭退 |
10 | 臺灣麻袋協議會 取扱業者で組織劃策中 |
11 | 電燈料金改正 十月一日より實施 |
12 | 臺北州木材配給組合三十日創立 |
13 | 香花配給改善に 茶商公會乘出す |
14 | 產業貸付分野考究中 三輪產聯副會長談 |
15 | 產聯扱貯金 千五百萬圓突破 |
16 | 經濟手帖 悲觀と樂觀 |
17 | 照明燈 |
18 | 商況 卅一日後場 |
19 | ラジオ |
20 | 水滸傳(743)/黃得時;碇政彌 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新生緬甸建設の第一步 中央行政機關成立 バーモ博士以下九志士を 各部長官に任命 |
02 | 東亞共榮圈の一翼 機構成立の意義重大 |
03 | 兩陛下日光に行幸啟 |
04 | 首腦者の略歷 |
05 | 各部長官顏觸 |
06 | 海軍の偉容を宣揚 イラワジ水路を調查 マンダレーに 初の軍艦旗 |
07 | スイズ政府が斡旋 |
08 | 陸軍定期異動 清水中將、製織廠長に榮轉 |
09 | 南方兵站基地重大 榮轉の清水中將語る |
10 | 二大政黨を合同 バーモ博士を黨首に |
11 | 米ソ通商協定 一年延長 |
12 | 獨潛艦の大戰果 |
13 | 獨軍サリスクに突入 |
14 | 蜿蜒五百粁の死鬪(獨ソ兩軍) |
15 | 重要方策先議 明年度豫算編成に際し 臨時局部長會議開催 |
16 | 興亞院廈門 聯絡部長官更迭 後任は原田少將 |
17 | 要衝ク市を占領 |
18 | 企業整備令に 基く指定法人 |
19 | ダーウイン空襲 |
20 | 陸海軍病院の 慰問を協議 眾院議員協議會 |
21 | 奏任待遇國民學校教員銓衡 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | あの顏にあの聲 大東亞戰爭完遂の立役者 東條さん多忙な一日 |
02 | 單調と無聊の連續 收容所生活の思出 |
03 | 愛馬藁切押麥機 全學校職員生徒學童赤誠の結集 けふ嚴かな献納式擧行 |
04 | 軍神加藤少將 樞軸國民の血を湧かす |
05 | 軍民一如の極致 東條首相‧部隊長等を表彰 |
06 | 軍人傷病記章傳達式 |
07 | 故國に歸る邦人 喜び溢れる留守宅 |
08 | 臺北州第二種空訓 實情に則して拔打的に發令 十六日を皮切に實施 |
09 | 三區區長發令 |
10 | 各部長を決定 商議所各部會 |
11 | 始め!一二、三四 繰展ぐ健康臺灣の明朗譜 ラジオ體操開始 |
12 | 重任を果して 勞奉臺北州隊歸る |
13 | 全島紙芝居競演會 各州選手の腕比べ |
14 | 新竹州隊解隊式 |
15 | 金屬回收 講演映畫會 |
16 | 隣組と出征家族 港都に咲く銃後美談 |
17 | 來れ“海國健兒” 皇民奉公會海洋訓練隊 第二回入隊生募集 |
18 | 見事十萬件を達成 臺北局の簡保受持契約 |
19 | 薙刀を準正料に 新竹市の五、六年國民兒童 |
20 | デング熱の豫防方法を指示 一日の常會で |
21 | 消防講習會終了 |
22 | 人事‧消息 |
23 | 煙幕 |
24 | 興南詩苑漢詩 次韻肇藩江山樓雅集見贈/林文訪、夏夜小集賦呈芸友/施江西、蔡相芸友叙勳八等賦此祝之/施江西 |
25 | 今夜の放送 |
26 | 商況 一日前場 |
27 | 興南案內報社消息 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 米機十三機を擊墜破 陸鷲、衡陽飛行場攻擊頭條新聞 【南京一日發同盟】支那派遣軍報道部發表 陸軍航空部隊は七月三十日及び三十一日の兩日敵の空軍前進根據地たる湖南省衡陽飛行場を攻撃し米空軍戰闘機隊と激烈なる空中戰を交へその十三機を撃墜破して大陸戰線に對する敵空軍ゲリラ戰の企圖を封殺せり |
02 | 空のゲリラ戰完封 米空軍戰鬪隊を殲滅 |
03 | 印度共產黨 獨立を要請 |
04 | 支那事變死歿者論功行賞 陸軍關係第三十九回 |
05 | ビルマ人奮起せよ 飯田指揮官開廳式に訓示 |
06 | 翼贊會調查會の委員候補 |
07 | ガ翁らとス、蔣の會見 パ議員(英人)印度國會に提案 |
08 | 印度志士等の 對印放送 昭南放送局より |
09 | 官吏の減員 滿洲國は行はぬ |
10 | 多大の成果 マレー、スマトラの 地方長官會議終る |
11 | 芳澤全權大使 バタビヤへ |
12 | 官吏待遇改善 四長官會議で協議 |
13 | 大東亞商工指導 鍊成大會開催 |
14 | 內閣辭令 |
15 | 南十字星 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 皇民奉公會の 機能刷新社說 一 過去一年間の真摯な試煉と貴重な體驗とに鞭撻されつつ新たなる構想と熱烈な意氣とを以て、第二年目を發足した皇民奉公運動はいよいよ具體的に清新活潑なる推進を展開すべく一日皇民奉公會機能刷新の根本方針を決定すると同時に中央本部の改組を斷行した、今回の機能刷新の方針は奉公運動本來の使命達成を遣憾なく發揮するため、現在の各種國民運動を皇民奉公會の傘下に收め、逐次之が調整充實を圖つて、島民が臣道實踐の全き國民組織の確立を推進せんとするに在るのであるが、具體的には、各種國民組織及國民運動の一元化と其徹底を期する為め奉公會傘下に大同連結すること、各種鍊成機關の運營を奉公會の下に統括すること。健民、貯蓄奬勵、物資回收等の各種運動並に興亞思想の普及、南方協力に關する運動等は奉公會を活用して之を指導すること。而して如上三項の目的達成の為め、奉公會に必要なる改組を行ふこと。以上四點が今次の機能刷新の眼目をなしてゐるのである。 二 中央本部の改組については、從來の局附を廢止して新たに運營委員會を創設し、生活部を分離して新たに文化部を新設すると共に、地方部を廢止して總務部の中に發展的解消せしめた等洵に運動第二年の清新活潑な强力態勢に相應はしい合理的再編成だと云はねばならない。殊に過去一年の經驗に徵し、殆んど無用の長物化した從來の局附を廢して新たに運營委員會を創設し、本運動全體の運營完璧を期するために軍官民の完全なる合作を圖つたことは、本部機構の充實と見て差支へないが、唯、委員會の性格がやや分明を缺く憾みがあるため、實行機關たる各部との關聯上、今の處多少の杞憂なきにしもあらずの感を與へてゐる。文化部の新設はもともと新設といふより寧ろ生活部から分離獨立したものと云ふべきであるが、これはしかし躍進臺灣の文化方面或は健全民眾娛樂方面をまともに取り上げ之が建設に積極的な意圖を示した機構整備として、其の意義は頗る大なるものがあると共に、今後の活動を期待されてゐる。 三 要するに今回の機能刷新及び之れに伴ふ改組は、既に其の機能を果した地方部或は機能を喪失した局附を改廢し、運動第二年の清新活潑な推進態勢に卽應した整備擴充として生彩を放つてゐるが、特に新組織の下に於て、興亞思想の高揚と南方協力に全力を傾注し、常會の運營に一段の新工夫を凝す外、かねて要望の聲高かつた上意の浸透狀況及民情の考察と諸團體の大同連結を斷行するに至つたことは一大特色と云つても過言ではないのである。人事に於ても運營委員會委員に一流軍官民十一名を網羅して清新且つ强力なる陣容を建て、常會の指導運營並に學校職員青少年學徒の推進力確立に俊秀西村文教局長を迎へて其の敏腕に囑望し、また文化部長には過去一年間本運動の育成に努めた前林生活部長を据えて專ら文化娛樂方面の建設に精進せしむる外森部前地方部長を總務部長へ廻し山內警務局長を運營委員會委員に据えて重要事務に參劃させるなど、いづれも頗る當を得た人事と評する外なく、要するに六百萬島民の熱烈な協力と相俟つて、本運動の第二年の清新活潑なる推進展開を昂揚するに足る機能刷新と云つても敢へて差支へはないであらう |
02 | 第三部隊將兵 暑中銃劍術稽古開催 |
03 | 靖國の子‧夏の集ひ 六日から八日まで草山公共浴場で |
04 | “南方建設に寄與” 臺灣は全く前進の基地 石渡東亞經濟懇談會長談 |
05 | 二期作增產計劃 張切る花蓮港廳下 |
06 | “本島の使命重大” 安藤內地側委員談 |
07 | 譽れの五名入賞 全島紙芝居競演會 |
08 | 新竹に健勝地區 理想的候補地を發見 |
09 | 白衣勇士が感激の國防献金 |
10 | ときの声 |
11 | 知事から表彰 宜蘭奉公劇團 |
12 | 田中訓練部長 屏東、花蓮港へ |
13 | 豆債券八月抽籤當選番號 |
14 | 臺北競馬 (第一日目) |
15 | 人事‧消息 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 田植唄も朗かに 讚へる常夏の增產調 海山挿秧競技會を奧田米穀局長視察 |
02 | 御下賜金傳達 屏東市會議室で擧式 |
03 | 金屬特別回收座談會 緊急の要請に基く(一) 一般回收との差異點 |
04 | 嘉義市商議所總會 |
05 | 增產間違ひなし 嘉義郡の植付進捗 |
06 | 竹東街協議會 |
07 | 隣組一家を顯現 東港郡の常會運營を視る |
08 | 商品券廢止を決議 屏東商奉役員會 |
09 | 三割增收に驀ら 新化郡米作指導に汗だく |
10 | 東港街罹災民に 救濟金交付 |
11 | 勤報青年隊 高雄州隊歸鄉 |
12 | 兒童の繪と習字 南方圈で親善展覽會 |
13 | 高雄青果同業組 評議員會 |
14 | セバード查閱 高雄州警察部 四日に擧行 |
15 | バ、イン採取 指導 |
16 | 銃劍掃除に赤心こめて 嘉義高女百六十名が奉仕 |
17 | 馬公街長に 副島助役昇格 |
18 | 人事 |
19 | 地方多より |
20 | 高雄州吏員 養成所上棟式 |
21 | 蘭陽地方暴風雨災害救濟義捐金報社消息 |
22 | 今日ノ映畫 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 米を除く主要食糧の 整備方針及統制要綱決定 奧田米穀局長談話を發表 |
02 | 木材配給統制規則 本日公布即日實施 山下山林課長談 |
03 | 木材生產、配給統制 福間事務官解說 |
04 | 市聯合商業奉公團 きのふ華華しく結成式 |
05 | 第四回戰時貯蓄債券 來る廿一日に發賣 |
06 | 南方協力懇談會 四日長官官邸で開催 |
07 | 電力料金制を 根本的に改正 |
08 | 臺灣交通問題 六日に懇談會を開く |
09 | 精麥の最高價格指定 けふ告示即日に實施 |
10 | 商銀人事異動 |
11 | 照明燈 |
12 | ラジオ |
序號 | 標題 |
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01 | ○○へ怒濤の進擊 金華西南に新作戰頭條新聞 【○○基地二日發同盟】第三戰區擊滅の□を進めて以來二ケ月半酷暑瘴癘のあらゆる苦難を克服して遂に浙贛線打通の偉業を完成し大東亞戰史に不滅の金字塔を打建てた我が浙江作戰部隊の精銳は七月二十九日突如金華西南地區に新作戰を展開し金華西方○○より要衝○○に向け怒濤の進擊を開始した。 |
02 | 精神的革命が必要 本間最高指揮官と一問一答 比島再建の諸問題 |
03 | 軍政は飛躍的發展 ビルマ軍政監部總務部長談 |
04 | 日本精神見習つて ビルマ人を再教育 バ長官談 |
05 | 治安維持、產業振興 緬甸各部長官に抱負を聽く |
06 | 獨軍七月中の 敵艦船擊沈數 |
07 | 圖像:○○基地二景 |
08 | バ博士の苦心 齋藤宗光氏語る |
09 | 逐次戰果を擴大{獨軍} 北コーカサス戰況 |
10 | 獨軍の戰況發表 |
11 | ス市を飽迄死守か スターリンの「不後退」宣言 |
12 | 印度を利用する 英國の常套手段 獨外交通信印度問題論評 |
13 | 第二戰線結成より 北阿に主力を注げ ロンドン‧タイムス所論 |
14 | 赤軍機關紙 死守を強調 |
15 | カイロを爆擊 |
16 | 英首相空路で モスクワへか |
17 | 佛領モロツコに侵入 英機擊墜さる |
18 | 聯合國支那方面 軍事會議提唱 華府の新西蘭公使 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 硝煙下に聽く“哲學談義” 築け‧東洋固有文化 語る人=本間雅晴將軍 |
02 | 郵便貯金が激增 賴母しい銃後の決意 |
03 | 圖像:志願兵訓練所の一日 |
04 | 力泳に續く力泳 全島競泳大會盛況 |
05 | “誓願板”を贈呈 泰からローマ法王へ |
06 | 人生に一大轉機 一擧一動凡て正しい規律の下に (上)志願兵訓練所を覗く |
07 | 基隆郡警察課員水泳講習會 |
08 | 全島合唱大會盛況 きのふ島都公會堂で |
09 | 炎天下夏草に挑む 魂で刈る草刈大會 |
10 | 爪哇の踊と芝居 日本の能や歌舞伎と全く同樣 東寶映畫熊谷氏視察談 |
11 | 改組後初の總會 鄉軍臺北西第一分會 |
12 | 風害地田植應援隊 一同元氣一杯で歸北 |
13 | 金屬特別回收全島講演會 |
14 | 函館對臺南戰 臺南市は敗退 |
15 | 宜蘭市區長打合會 |
16 | 臺北競馬 第二日目 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 神兵‧赤十字戰士 開く宣撫の大道 チモール島に描く共榮風景 |
02 | 御宿營記念祭典を執行 |
03 | 献穀田の田植祭 二重埔國民校で擧行 |
04 | 青年學校を67校 決戰下の國防力、生產力の源泉涵養 高雄州の對策成る |
05 | 燃ゆる鄉軍の意氣 花蓮港の簡閱點呼 |
06 | 田中訓練部長 けふ屏東へ |
07 | 漁業組合合併座談會 |
08 | 武勳の若鷲散る 一關光男君譽れの戰死 |
09 | 金屬特別回收座談會 一本の釘でも集めよ(二) 國防目的の達成へ |
10 | 奉公青年隊員に 結ぶ結婚美談 軍國の妻近く表彰 |
11 | 高雄州下八月の 肉豚配給頭數 |
12 | 花蓮港工業の昇格へ 市議、商議が近く陳情 |
13 | 防諜二十訓 一般家庭にビラ配布 |
14 | 勞務需給協議會 臺南州で設立打合 |
15 | 花蓮港自動車運輸店開き |
16 | 共同作業を獎勵 |
17 | 紙芝居挺身隊 屏東支會で結成 |
18 | 國語の家常會 南泉莊で開催 |
19 | 貯蓄、金屬回收に垂範 嘉義奉公壯年團打合 |
20 | 高雄公設質舖 流質品公賣 |
21 | 鐵銅回收に督勵班 彰化市の具體案成る |
22 | 地方多より |
23 | 今日ノ映畫 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 學藝 簡素にして 生活新體制と冠婚葬祭/山村甲村 |
02 | 圖像:日本のお友達からの圖畫等を見るジヤバの |
03 | 婦人說苑 國家の子の躾/阿部靜枝 |
04 | Y先生を送る/西山かが代 |
05 | 圖像:佛印へ贈る古代美術品 |
06 | 北回歸線 逐次地均し工作 要路の關心に望む |
07 | 讀書と環境 特に兒童讀物に就て |
08 | 時局の言葉 |
09 | 新着普通圖書 臺灣總督府圖書館 |
10 | ラジオ |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 北界鎮、新路灣を攻略 敗敵を追擊して南進 |
02 | 各地軍事施設を猛爆 |
03 | 武漢の舊法幣回收 陸海軍當局が布告 |
04 | 圖像:原住民兵士に訓練 |
05 | 西安の現狀 脫出□中佐語る |
06 | モレスビー等を急襲 |
07 | 獨空軍の威力奏効 ロストフ從軍記の第二報 |
08 | ベルンに 空襲警報 |
09 | 比島で增稅を斷行 |
10 | 自力更生が必要 新生香港の經濟問題 |
11 | 悽慘な白兵戰展開 北コーカサスで激戰 |
12 | 活潑な進展を示す |
13 | 獨軍數各所で 敵の抵抗を擊破 |
14 | 伊軍司令部發表 |
15 | 獨軍司令部發表 |
16 | 昭南市政躍進 機構擴充強化を實施 |
17 | ク市失陷を 認む ソ聯軍當局發表 |
18 | 第二戰線結成問題 ソ聯の態度硬化の模樣 |
19 | 會議派首腦部 ガンヂー翁と會見協議 |
20 | 反英不服從運動 シーク族支持を表明 |
21 | 第二戰線促進 民眾大會 メルボルンで |
22 | 印度獨立のため最後の戰 プラサド博士(前議長)の談 |
23 | サプルーの妥協提案 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 質實剛健な士魂 新生比島はまづ性格陶冶から 語る人=村田省藏顧問 |
02 | 明治神宮詠進歌 兼題は「國旗」と決定 |
03 | 圖像:スラバヤの精米所風景 |
04 | 迸る島民の赤誠 七月中陸軍へ感謝の献金 十六萬五千八百圓 |
05 | 陸海軍に献金 清涼飲料組合 |
06 | 定例局部長會議 |
07 | 世界唯一‧傷兵工場 再起奉公の一念に燃える 勇士達の敢鬪振り |
08 | 新竹市參事會 |
09 | 英靈あす凱旋 故勝浦大尉と野良兵長 |
10 | 勞務奉公隊に 纏はる美談 |
11 | 圖像:經濟懇談會內地關係者來臺 |
12 | 宜蘭商議第一回議員總會 |
13 | 學徒奉公隊勤勞奉仕打合 |
14 | 花蓮港桔俱 鍊成會終了式 |
15 | 昭南島の桃太郎さん |
16 | 東亞經濟臺灣懇談會 內地側出席者一行來臺 |
17 | 大いに電力を起せ 山住大藏省理財局長談 |
18 | 臺灣の工業化は 鐵工業が基礎 渡邊鐵鋼統制理事談 |
19 | 新竹市奉公女子訓練入所式 |
20 | 防諜忘れた船客 憲兵隊員に引致さる |
21 | 敵に隙を與へるな 憲兵隊司令部少野少佐語る |
22 | 中等教員國民精神講習會 |
23 | 臺電人事大異動 マニラ支社設置に伴ひ |
24 | 全島支部庭球試合 |
25 | 興南詩苑漢詩 索句尺園(時主人歸自潮安適士林新宅將就)/翕庵、索句尺園(時主人歸自潮安適士林新宅將就) 二首/篁村、索句尺園(時主人歸自潮安適士林新宅將就)/蘭汀、索句尺園(時主人歸自潮安適士林新宅將就)/根茹、索句尺園(時主人歸自潮安適士林新宅將就)/韓堂、索句尺園(時主人歸自潮安適士林新宅將就)/華軒 |
26 | 北門郡守に五藤氏 |
27 | デング熱防遏に 下水水溜大清掃 |
28 | 人事‧消息 |
29 | 煙幕 |
30 | 今夜の放送 |
31 | 興南岸內報社消息 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇國日本を中心に 各民族一體的結合 本間最高指揮官 比島民に五項のメツセーヂ頭條新聞 【マニラ三日發同盟】本間比島方面軍最高指揮官は三日午前十時官邸にヴアルガス行政長官を招致し「比島人に與ふ」と題する長文のメツセージを手交した、その內容は五項 目に亘り比島人の精神革命を促すものである右席上ヴアルガス長官は皇軍の比島人に對する理解ある取扱に對し深く感謝の意を表すると共にメツセージの意を體し將來とも新比島建設大東亞共榮圈の確立に邁進すべき決意を誓つたメツセージ內容次の通り 比島人に與ふ (一)大東亞共榮圈の理想は東亞諸民族をして八紘一宇の精神の下に亞細亞人の亞細亞として確固不拔の體制を築き地域的連環を保つ亞細亞の天地を永遠の樂土たらしめんとする所にあるその實現を期するの道は各民族が皇國日本を中心として一體的に結合し且つその結合を固くすることに依つて政治的に經濟的に共榮圈に連なる民族として共通の理想の下に邁進することに外ならぬ八紘一宇―と言ふ日本建國以來の大抱負は萬邦をして各々その所を得しむることを目的とするものであつて東亞の建設もまた日本を精神的支柱とする東亞民族の連繫を完ふすることに依つて真に共存共榮の實を舉げんとするものであり且つこれに依つて世界人類の平和を確立すベきものと信する今次大東亞戰爭の勃發も動機に於いては大義の赴く所を認識せず驕慢なる物質文明の優越感に委せて東亞の地を永遠にその羈絆の下に拘束せんとする米英を□徵しその勢力を遠く大東亞地域外に驅逐せんとする意圖を完遂することにあるは勿論であるが然し日本の深く期する所は區々たる資源的企圖にあらずして大東亞共榮圈の建設にあることは寸毫と雖も疑ふべからざる所である比島民諸士はこの大理想大使命を認識することに依つて大東亞戰爭の本 質的意義とその必然的方向とを明かにしなければならぬ (二)日本が過去十數年に亘つて米英に對し謙讓なる態度を以て隱忍自重し來れる所以のものは米英兩國がその思ひ舉つた氣持から正義の認識への轉換を希念したために外ならない然るに米英兩國はその非を悟らず正義に徹せんとする日本の意圖を故意に曲解し之に對し執拗なる妨害を加ふるのみならず國際的信議を無視して隱に場に暴戻なる壓迫を加へ遂に帝國の健全なる存在をも脅かすに至つたかく過去の迷夢より醒めざる米英蘭諸國は內に潜む日本の實力を知らず自ら墓穴を掘るの愚を求めるに至つた諸士は聖戰開始以來半歲を過ぎざるに太洋の制海權は日本に歸し米英の東亞に於ける侵略の據點は悉く皇軍の威力の下に粉碎されたことを知つてゐる 若し諸子の間に比島の平和を破壞 したる者は日本軍の來寇なりとなす者あらばそれは拜米的意識の所產であつてその失見は濟度すべからずといふの外はない、大東亞戰爭の有する所は米英特有の傳統的外交政策に基く、これに伴ふ慘禍の責任は勿論戰爭の直接誘發者である米國の負ふぺきものである比島は米國の一部でありわが軍に抵抗した從つて比島は從來の觀念をもつてすれば形式的にも實質的にもわが敵である、然るにわが國は特に米國を敵とするも比島民を敵とせずとなし更に比島民にしてわが真意を諒解し大東亞共榮圈建設に協力するに於ては將來これに獨立を與ふべきことあるべき大方針をさへ闡明した、これのみにても諸子は今次の戰爭が如何に從來の戰爭と異りわが建國の大義に基く聖戰なるかを知るべきである、余も亦隷下の軍を率ゐて比島に上陸して以來夙に全軍に命じて米軍を敵とするも無辜の比島民に對しては常に親愛の情をもつて、これに接し濫りにその生活を脅かす如きことなからんことを以てした、余が各地の戰線に於て米國に忠誠を誓ひその指揮下に奮戰する比島兵に對して如何に彼等の生命の安全を圖ることに努力し來つたかは諸子の記憶になほ新たなる所であらう、又市街及び部落の燒却破壞は凡て米軍の用ひた有害無益な焦土戰術の結果であつて日本軍は故なくして良民の家屋を破壞したことはなく又一回たりとも意識的に良民の住家を燒却したことのなかつたことは余の天地神明に誓つて斷言する所である、然るに余の降伏勸告に應ぜさりし數萬の比島兵士が實情を解することなく最後まで米軍の勝利を信じて無意味なる抵抗を續けた、此無意味なる抵抗は彼等自身の死傷と同時に皇軍の犧牲を要求した、若し余の胸底に大東亞建設の理想と信念なかりせば罪を比島軍に問ひその全員を葬り去らんことも亦易々たるものがあつた、余が何故にその忍ぶべからざるを忍んで只管比島の平和回復に心を盡しつつあるかといふことは大義の何たるかを知る比島民諸子の齊しく理解する所であらねばならぬ、今にして諸子は大東亞共榮圈の意義と比島民の分擔すべき重要なる使命と任務を自覺することなくんば徒らに米國の桎梏下にありし當時の殘骸を晒すことに終り新しきこの國際情勢に應ずる回等の役目をも果さぬことになるであらう一度び我等の敢行せんとする大東亞戰爭が新しき世界歷史の創造を目標とすることに想當すれば新生比島の政治經濟並びに產業上の能力が如何なる期待の下に置かれてあるかと言ふこともまた自ら了得されねばなるまい今や諸子の生活には諸子も不便や故障のあることは余もまたよくこれを知つてゐる然しその苦痛は新しき歷史を產まんとする戰爭には不可避のものである日本國民もまた新生大東亞の建設を望んで不退轉の意氣を以てこれを克服しつつある遙か歐洲の彼方に於いても獨伊兩國民は歐洲新秩序を目指してこれと戰つてゐる否太本洋の彼岸に於いてさへ為政者の謬れる指導に依つて望みなき無意味なる苦痛を強られてゐるこれに比ぶれば諸子はまだ甚だ幸福なりと言はねばならぬ余はこの際諸子の覺悟と決意に囑して大東亞建設に任ずべき民族精神の勃興を望むこと切なるものがある (三)新生比島の建設は政治經濟、產業、教育の內で文化の中樞たる精神の基礎を確立する所から第一步を踏出さねばならぬ精神の基礎とは歐米文化の假裝を脫して比島獨自の傳統と民族性の本然に還ることである、諸子は我等東洋人の血の中に脈搏つ剛健質實勤勉努力節儉の建設的精神と風習を諸子の日常生活の中に取戻さなければならぬ、東洋侵略の足場としてのみ比島を考へた米國の政策は比島民の生活から東洋人としての長所と美點を奪ひ物質偏重の習慣を釀成することによつて何時の間にか歐米崇拜の風潮を作り上げてしまつた、アメリカ文化は家長主義を崩潰に導き道義は變じて虛榮となり勇氣は賭博、射倖心に置替へられてデモクラシーは政治上の鬪爭と對立とを招來した、余は敢へて切言する諸子が己の生命力を蝕み來つたアメリカニズムに對し真髓から離脫解放されない間比島は漸次精神的に墮落を續けて遂には民族滅亡の危機に導かるるであらう、醒めよ比島民、特に次代の比島を擔當すべき壯青少年よ、飜然として目醒めよ (四)新情勢に應ずる比島の諸建設は一日と雖も忽せにする能はざることは論を俟たぎる所であるが今日最も緊急を要すべきことは新鮮潑刺たる精神に基く生活革命を斷行することである、即ち比島の獨立は形式的虛飾にあらずして生活力の充實を內容とすべきことを知らねばならぬ、島民の各自が大東亞共榮圈の一員たることを自覺し遊惰な生活とその日暮しの習慣を棄て剛健にして高邁なるに建設精神に目覺むることこそ真に獨立國民たる第一資格を具有するのである、諸子は速かに精神的、經濟的に依存的なる生活樣式を清算し比島固有の文化を採求育成して東洋人としての確信に生きねばならぬ、徒らに獨立の美名に憧れて獨立に堪ふべき能力の蓄積を怠ることは許されないことである (五)これを要するに豹はその班點を變へ得ざるが如く諸子は東洋人たる事實を變へることが出來ぬ、今こそ劣等感を以て歐米に追從することを止めその東洋人たる本來の立場に還つて地理的、人種的關聯の上に自己の正當な地位を求むべきである、これがためには過去の清算と一大精神的革命とが強く要求せられる、これ無くして比島將來の發展を求むることは絕對に不可能である(寫真は本間最高指揮官) |
02 | 東太平洋作戰の意義 米の北方進攻路寸斷 米本土を直接脅威下に慴伏 |
03 | 圖像:薄暮歸還の海鷲に發光信號を送る對空連絡員の活躍 |
04 | ガンヂー翁 斷乎、決意を表明 英米側の非難を反駁 |
05 | 唐津と命名 我手に歸した米艦ル號命名式 キヤビテ軍港で擧行 |
06 | 大戰車戰を展開中 ス市への脅威增大 |
07 | 獨の新型巨砲 |
08 | 岸本綾夫大將 東京市長に當選 |
09 | 學校防空關係 指導者講習會 |
10 | 第四回戰時貯蓄債券賣出 |
11 | 應召の氣持で 岸本新市長語る |
12 | 南十字星 |
13 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 皇國農村確立運動を提唱社說 一 帝國の一環として南進國策に本島の負荷される重要使命は熾烈に强調されたのにも拘はらず、今迄抽象的に觀念的にしか一般には理解されなかつたが、大東亞戰爭勃發後、南方に對する本島の重要性が具體的に理解されてから南方協カへの施策として各種の施設と共に訓練が行はれるやうになつた、全く今次聖戰の赫赫たる戰果の擴大と共に四十餘年に亘る經驗を持つ本島の政治、產業、文化は一大飛躍を約束されてゐるが就中熱帶農業臺灣の姿は時局の脚光を浴びて大きくクローズアツプされるに至つた、元來農業立國であるわが國にとつて、農村はわが大和民族發展力の溫床であると同時に、今日の如き大東亞戰下にあつては、戰時食糧の生產基地としての重要任務を擔當するものであり、而して本島は斯る使命以外に地理的、氣象的且つ人的に見て、南方廣域圈內の農村建設の上に、指導的役割を果すべき必然的な使命を持つてゐるのであるが、しからば熱帶臺灣は南方農村建設の指導農村として最適任であらうか。 二 成程四十年に亘る熱帶農業技術は南方開發に偉力を發揮するであらう、しかし各種民族の雜居する南方の建設には技術も大切だが人物も又大切である。この點本島農村社會は指導者たるべくして餘りにも傳統因習に纏絡されてをると言はねばならぬ、茲において本島農村は革新日本の線に沿ふて全面的にこれが刷新を行ひ凡ての農村人が皇國民たるの資質に徹すると言ふ風に、日本的性格を備へる健全なる農村の建設、言ひ換へれば皇國農村の再確立が焦眉の急を要する問題であり之を一つの島民運動として展開せしめることはこの際その緊要性を痛感するものである。農林省に於ても民族政策の遂行として、食糧確保の基底は結局健全農村の保持育成にありとなし之が積極的推進のため皇國農村の確立運動を展開せしめることに決定したが、その具體策として耕作放棄を防止し工場作業場から極力農村を隔離し惡風潮の農村感染を防止して傳統の美風を保持すると共に醇風美俗を以つて誇るわが農村文化の維持昂揚及び農業報國運動に農村思想の健全化ならび託兒所、共同炊事、醫療設備の擴充など農村厚生施設の普及その他を擧げ順次實行されつつある 三 本島においても昨年夏、總督府文教局が南方建設に擔ふ本島の重要任務完遂のため皇國農村の確立を目指して本島農村の生活新體制に乘り出し基本指導部落を臺北、臺中、臺南三州下に各一部落を指定、之を基準として全農村に及び以て本島農村の革新を期せんとしたのである、卽ち之がため本島農村社會の實態を究明して島民の部落生活並びに家生活の文化、經濟各領域に檢討を加へ之に科學性、計畫性、規律性を附與し隣保一體の精神を基調とし生活の醇化、生產化、國防化及び明朗化を推進すると共に日本的性格を有する健全なる農村部落の建設、農村新文化の創造を期し以て大東亞共榮圈確立に卽應せる島民生活體制の確立に邁進したが、皇國農村の確立の緊要特に切實なる本島においては、單に社會行政としてでなく協力態勢側から皇民奉公會が之を取り上げ新構想の下に飛躍展開される皇民奉公運動の一運動として島民に浸透せしめ以て大東亞建設の一翼たる農業臺灣の使命に向つて邁進すべきである |
02 | 僕は南方適格者 語る人=德川賴貞氏 |
03 | 各皇族並びに 王公族妃殿下 名譽會員を御聽許 |
04 | 尊い興亞の礎石 山口、池本兩部隊名譽の戰歿者 |
05 | 軍神を偲ぶ部下の座談會 解けぬ謎の作業袋 部下の生還に淚して喜ぶ |
06 | 故渡邊軍屬の新竹市葬 來る六日に執行 |
07 | 大詔奉戴日に 紙芝居競演會 奉公運動昂揚に |
08 | 鐵を鍛へる猛訓練 全員心を一つに醜の御楯たらん 〔下〕志願兵訓練所を覗く |
09 | 奉公會璧新開 生かせ鐵と銅 お國へ捧げませう |
10 | 弓道士用稽古の納會 法曹會俱樂部內の弓場で |
11 | 東亞解放記念馬來祭 十五日盛大に擧行 |
12 | 圖像:志願兵訓練所訪問記 |
13 | 三億貯蓄へ總進軍 戰時貯蓄動員本部實踐項目を決定 |
14 | 勤報青年隊第十五回退隊式 八日に擧行 |
15 | 上山副頭取 恤兵費献納 |
16 | 都市對抗野球第三日 |
17 | ときの声 |
18 | 戰時貯蓄動員 本部實踐項目 |
19 | 漂流物を橫領 |
20 | 陳基氏夫人 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 飼料界の明朗譜 繁殖率、肥大効果優秀な桑の葉 高雄州種畜場豚に實驗して好績 |
02 | 中堅層の推進力に 花蓮郡で勤報青年隊訓練 |
03 | 鳳山憲兵分遣隊 創立一周年 |
04 | 花蓮郡簡閱點呼 |
05 | 黃麻作を審查 |
06 | 金屬特別回收座談會 献納者數數の赤誠(三) 昨年の回收成績は良好 |
07 | 花蓮港市區長會議 |
08 | 嘉義桔梗俱樂部員鍊成會 |
09 | 常に前線の氣持で 勞奉團の座談會で藤垣產業部長激勵 |
10 | 愛孃の急病 空訓中の夫妻に 秘す霧峰庄長夫人 |
11 | 增產風景 譽れの志願兵よ お宅の仕事は我等が引受けた |
12 | 實業補修學校長會議 きのふ臺中州正廳で開催 |
13 | 猛獸毒蛇は誤解 鳥歌ひ花咲く樂園 東南ボルネオ(中) 奧地訪問記海外遊記 溫泉の香を滿喫 翌朝午前八時、最近噴き出したといふ溫泉の視察にカンダンガンから來た◯◯隊長等と一緒にその溫泉場に出發した、疾ること廿キロカンダンガンの部落で車を捨てた一行溫泉場までの山道を三キロ步かねばならなかつた 溪谷を渡りゴム林を越えること四十分「溫泉場」と日本文字で書いてあるモールンクヌンの高原に出た、二百坪あるかないかの水田の中に二ケ所丸竹で圍つてあるところが湧出所である、硫黃泉特有の臭がプーンと鼻をつく、二坪位の窪んだ湯溜所にはプクくと鈍い音をたてて靈泉が湧き出てゐる、湯壺の中にはもう兵隊さんの裸像群で一杯だ、ボルネオの秘境で出湯の香りを滿喫することを誰が豫想したらう「半年ぶりに內地の垢を落したわい」と悅に入る兵隊さんもゐれば得意な喉を聞せる勇士もゐる、湯に浸つて空を仰げば水銀色の太陽は原色そのままの綠の熱帶樹を透してさんくと降り注ぎ遠く彼方には蜿蜒と連つたムリン連山の高峯が碧空に浮いて見えるこの溫泉は近く施設を完備して兵隊さんの療養場になるとの事だ一行と別れて山を降りた我々は再びバラバイを迂回して北上した 道路工事に住民協力 坦々とした道路は起伏一ツなく全く氷上でも滑るやうだ、アモンタイ迄の間に我々は道路の改修工事に働いてゐる多數の住民を散見した、聞くと四月廿九日天長節の佳き日に住民は自發的に勤勞奉仕團を組織し道路の修理や窪地の補填汗に汗を流したとの事だそれは取りもなほさず彼等か如何に日本を尊啓し親愛してゐるかといふ事の意志表示以外の何ものでもない、車窓に寫るものは雜然と植ゑた住民のゴム林だけで何の變化もない、時々房々と實を垂らした野生のバナナの木や繁つた油椰子が現はれて來る、この油椰子はバターや石鹼の材料として住民の財源の一つだか、最近では潤滑油の代用や錻力製造用の觸媒として需要が增加したので本格的に栽培を始めてゐるさうだ、午後二時ボルネオ最奧地の警備區であるアモンタイの下士哨に着いた 賑かなアモンタイ バンジェルマシンから隔たること二百五十粁ネガラ河の船着場である、ここは我々の豫想を裏切つて奧地とも思へない賑かな町である演藝場もあり瀟洒なホテルもあるハサール(市場)には二百軒近い商店が活潑に營業してゐる、住民はマレー人とアラブ人で華僑は若干、人口は二萬人、商人を除いては華僑は殆どゴム園の勞働者であるが、戰爭の煽りで大部分は失業竊盗、強盗の事件が連日頻發、五十名の收容力がある留置場には現在百八十餘名の犯罪者が入つてゐるといふ、ここの住民が日本に對する態度は他と同樣で「日本こそ我等の盟主であり指導者である」と慕つてゐるのだ、この町の日本語熱は急ピツチに昂まり、小學生はもう朝夕の挨拶は日本語で話し五十音は片假名で書くとのこと、劇務の餘暇を教壇に立つて指導する兵隊さんの隱れた苦勞が酬いられたのである、兵舍脇の小學校を訪ねると丁度唱歌の時間で大阪の海洋少年團出身のK一水が慰問袋に入つて來たといふ「明朗唱歌集」の音符を教材にして愛馬行進曲を教へてゐた、ボルネオの土を踏んで以來至るところに展開されたオランダ對インドネシヤの治者對被治者のあくなさ暴政のあとに云ひ知れぬ憤激を覺えてゐた記者はこの教室に描き出されてゐる兵隊と學童との和やかな場面に心から嬉しさを覺えた、兵隊さんの口について大きく小さく歌を唱ふ童心の奧底にはこの優しいK一水を通じて盟主日本の真の姿が強く刻みこまれてゐる事だと思ふ 石油の町タンジヨン 一晩是非泊つて行けといふ兵隊さんの厚意を謝しつつ石油の產地タンジヨンに向つた「ボルネオと云へば真つ先に猛獸毒蛇を思ひ浮かべ人喰人種の巢屈としか我々は考へてゐなかつたが、こんな奧地にゐても未だに蛇一匹も見た事がない、怖いと云へばマラリ□□□ものだが、實際ボルネオは國民から大分誤解を受けてゐますね……」アモンタイの兵舍で堀口正幸三曹がいつた言葉がフト思ひ出されて來た、實際ボルネオは殺伐な蠻族と猛毒蛇の巢といふやうに紹介されてゐた、高い氣溫と強い日光そして豐かな雨量に惠まれ、鳥は歌ひ花は四季爛漫と咲くこの夢の世界を誰が想像したらう、そしてここにはクレマンソーをして「血の一滴」といはしめた石油が泉の如く湧き地上には鑛物資源が輝き稻は稔つて頭を垂れ、ゴムは繁つて空を蔽ふこの無限の資源、雄大な寶庫を誰が國民に訴へたらうか怖いのは蚊ですよといふ堀口三曹の特徵あるアクセントにほほえみながら我々はタンヂヨンのキアイ(郡長)のを門くぐつた、石油の產地はこゝから三粁の奧地、早速キアイの案內で見學に行つた |
14 | 接客業者のレべル 鍊成を重ぬる每に昂まる |
15 | 日糖臺中製糖所 蔗作規程發表會 |
16 | ドンボワン踊り |
17 | 理窟拔きの增產法 藷作り五十年の經驗が物を云ふ 斯界の權威丸山氏來臺指導 |
18 | 八通關復舊 工事進捗 |
19 | お役人の鍛鍊 花蓮港廳職員が草刈作業 |
20 | 標準型婦人服 花蓮港皇奉會 講習會を開く |
21 | 夏の大空に挑む 滯空五分に垂んとす 臺中市模型グライダー講習會 |
22 | 並木一等賞與金 國防献金と義捐金に寄附 大甲保甲聯の美擧 |
23 | 警民協力に凱歌 犯人と格鬪中の刑事に加勢 |
24 | 樺島判官勇退 今後民官法官界で活躍する |
25 | 綾部北門郡守 海南警備府に轉出 |
26 | 平家三十戶建てる計畫 嘉義市宮前町に敷場決定 |
27 | 赤誠の献金品 |
28 | 新高建築信組 創立五周年 |
29 | 地方多より |
30 | 今日ノ映畫 |
序號 | 標題 |
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01 | 基本料金制定と 電球交換料引上げ 十二月一日より改正電氣料實施 |
02 | 農業倉庫法施行 規則改正を要望 產聯より米穀局へ陳情 |
03 | 中支との經濟的連絡 將來更に緊密を加へん 陳華中本部長來臺談 |
04 | 南方の米作を助長 南洋栽培協會主事清水重次氏談 |
05 | 港灣荷役一元化 海務院事務官黑山致一氏談 |
06 | 鑛業を振興せよ 齋藤鑛山統制會理事談 |
07 | 競馬振興の對策 全島畜產打合會で協議 |
08 | 東亞經濟懇談會 愈よ本日發會式 |
09 | 二期米生產目標 五百卅二萬五千石 植付面積前年より減少 |
10 | 增田臺電社長 平澤理事近く上京 |
11 | 七月中郵貯增加 豫定額より二倍超過 |
12 | 新竹州米質良好 那須米穀課長視察談 |
13 | 商況 三日後場 |
14 | 照明燈 |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(744)/黃得時;碇政彌 |
17 | 国民醫學 若い人の 肩の凝り御用心 結合初期の徵候 榮養を昂め強い抗病力を |
18 | 肝油の毒性 |
19 | 連載漫画 エーデー健チヤン/芳垣青天 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 松陽縣城完全攻略 浙西の要衝潰え去る |
02 | 遂昌突入、敵を擊破 |
03 | 赤軍防衛線を突破 クバン河北部地帶で |
04 | 獨軍の發表 |
05 | 獨空軍の活躍 |
06 | 圖像:首相官邸に於いて執務中の東條首相 |
07 | 如何な地方でも 第二戰線結成されず ム伊首相、一場の演說 |
08 | 米國式組織を改廢 地方行政機構を改革 (一)比島建設、軍政指導官に聽く |
09 | 第二戰線要求 市民大會開く 加奈陀で氣勢擧ぐ |
10 | 氷島を強襲 ドイツ爆擊機 |
11 | 第二戰線促進 民眾大會 メルボルンで |
12 | 獨軍猛進擊 ドン河の南方に進出 |
13 | 圖像:比島俘虜釋放の日 |
14 | 北コーカサス全域 累卵の危きに陷る |
15 | 北阿戰線 英の反擊悉く失敗 |
16 | 葡、諸群島駐屯軍を增強 |
17 | ソ聯の不滿高まる 對英米の態度硬化 |
18 | 澎湃たる獨立要求 英印關係、微妙な狀態 |
19 | 英の卑劣なやリロ 議員が上院で暴露 |
20 | 衝突不可避か |
21 | ローマ市に 日本大通り |
22 | 獨立運動支持 ヒンツーマハサバ |
23 | ガンヂー翁 ボンべイ到着 |
24 | 印度の要人續續參集 警官隊と正面衝突の危機 |
25 | 回教徒聯盟 十六日に最後態度を決定 |
26 | 英國の輿論 歸趨に迷ふ |
27 | 強力な東京市政 內務省強く要望 |
28 | 岸本新市長 けふ初登廳 |
29 | 百五十一票で當選 |
30 | 東條首相 群馬縣下へ |
31 | 第二戰線は 時機を失した 英上院議員演說 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 共榮圈經濟建設の一翼 東亞經濟臺灣委員會 けふ晴の發會式擧行 |
02 | 皇軍感謝電 |
03 | 圖像:東亞經濟懇談會臺灣委員會發會式 |
04 | 大東亞經濟建設に 臺灣の役割は重大 石渡會長の挨拶 |
05 | 本島經濟の確立へ 長谷川總督祝辭 |
06 | 同甘共苦を國策に 國府、戰爭に全面協力 |
07 | 皇民奉公行動に精進 民間御歷歷の鍊成會 |
08 | 圖像:弓道士用稽古の納會 |
09 | 給金を割いて献金 現地の勞奉臺北州隊から |
10 | 南支派遣高商學徒隊 汗の奉仕作業を終へて還る |
11 | 國民學校水泳大會 九日東門プールで開催 |
12 | 自家用製鹽に許可制 家族一人年十二瓩を標準に |
13 | 增產戰士指導に 東海林技師一行が督勵行脚 |
14 | 東亞競技大會 日本團新京着 |
15 | 人事‧消息 |
16 | 今夜の放送 |
17 | 煙幕 |
18 | 興南詩苑漢詩 江上/高□□、雨夜晤三恩夢周/高□□、李氏外甥歸自鷺門/高□□、顏龍光先生喬遷誌慶/其美、中禪寺湖/玉廉、瀨戶內海(歸航)/玉廉、舟中晚眺/玉廉 |
19 | 商況 四日前場 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 海鷲ポート‧ヘツドランド爆擊敢行 濠洲西岸中部の要衝頭條新聞 【東京發同盟】大本營發表(四日午後三時三十分)帝國海軍航空部隊は七月三十日未明濠洲西岸中部の要衝ポート‧ヘツドランドを攻撃し敵航空基地並びに同施設各所に損害を與へたり 【リスボン三日發同盟】メルボルン來電に依れば西南太平洋反樞軸聯合軍司令部は日本 航空部隊が三十日濠洲西岸中部の要衝ポート‧ヘツドランドに對し初空襲を行つた旨三十一日發表した |
02 | 燦!日の丸の銀翼 濠洲の海陸を壓す |
03 | 濠洲西岸の要港(ヘツドランド) |
04 | 開戰後の海軍基地 米田前山下汽船支店長に聽く |
05 | 全國偕行社を統合 陸軍全將校を打つて一丸 |
06 | 圖像:船上警備の海の勇士と敵をにらむ巨砲 |
07 | チ英首相の 露都訪問 未だ確報なし |
08 | 地方行政制度を改正 各州長官近く任命されん |
09 | 輕金屬統制會の會員を指定 |
10 | 孟買無氣味な空氣 會議派諸代表頻りに往來 |
11 | 南北兩部隊長 感激の握手を交す 松陽縣城で |
12 | スマトラ各州知事決定 |
13 | 新中國と日本の 全面的協力開始 重光大使、獨通信記者語る |
14 | 麗溫方面の綜合戰果 |
15 | 第二戰線問題 ドラツ官邊の見解 |
16 | 獨軍エイスク猛攻 |
17 | 英印度政廳 會議派壓迫 |
18 | 松陽攻略の戰果 |
19 | 勞務管理協會を新設 全マレー方面の勞働者を統合 |
20 | 印度が獨立せば 會議派解消せん |
21 | 下級船員の 登龍門 定期試驗再開 |
22 | 南十字星 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 東亞經濟臺灣 懇談會に期待社說 一 東亞經濟懇談會臺灣委員會の發會式は昨日臺北市公會堂に於て多數關係官民の參列の下に華華しく擧行され東亞翼賛經濟體制確立の一協力團體として輝しく發足する事になつた。いふ迄もなく東亞經濟懇談會なる者は今次事變處理の重大目標たる日滿華三ケ國の共助共榮互助連環の經濟機構確立に協力する民間團體であるが此度新に臺灣委員會が設置されるに至つたのは大東亞共榮圈の擴大に伴つて臺灣と南方諸地域との經濟的聯關が殊に緊密となつて來た為に東亞經濟懇談會がよりよくその目的を遂行するには臺灣側の協力を必要とする一方臺灣自體としてもその地理的關係からして自己の經濟的使命を力强く主張する必要があるといふ二者合一の目的に基くもので誠に時宜を得たものといつてよいのである。叙上の如く臺灣委員會が他の委員會に比し臺灣の獨自性を强く表明發揮するといふ極めて異色ある存在としてその使命が殊の外重且大なるに鑑み木村委員長外關係役員はその運營に深甚なる考慮をめぐらし誤りなからんことを期すべきであらう。 二 ところで本明兩日に亘り同所に於て開かれる東亞經濟臺灣懇談會は今や大東亞共榮圈建設の樞要なる地位に立つた臺灣の對南方協力方策の確立を目ざすものとしてこれ又時を得たもので、(一)臺灣工業の振興方策、(二)臺灣農林業の調整並に南方農林業建設への協力方策、(三)共榮圈內物資交流並に交通整備方策等が主として懇談され質疑應答も行はれるがこの外督府主催の下に右に關する個別的懇談會が開かれるので必らずや前記諸方策に對し一應の見透しがつけられることであらう。それにしてもそれが懇談會に於て如何樣にして見透されるかは一に兩棲的存在たる臺灣を如何に觀るかによるものといつてよく行政區域の點から臺灣を帝國本土の一部と强く觀るものは國防國家の建設上臺灣は適地適業主義に則つて萬全の生產體制を確立し對南方協力は資料等の提供を通じて實質的に行へばよいのではないかと主張するであらうしこれに反して熱帶に位する臺灣の地理的關係を重視するものは過去に於ける經驗、技術、智識等をこの際大いに活用する必要があることを强調するであらうがこの二者の主張を如何に調整するかは實に今次懇談會の狙ひでなければならない。この意味に於て島內關係官民は臺灣の實情を十分內地側關係者に認識させることにぬかりがあつてはならぬのである。 三 ところが臺灣の兩棲的存在の如何に拘はらず南方建設に際してその力强き協力を絕對的に要請されるものは本島人活用の問題であらう。事實皇國民としての本島人の奉公振りは大陸方面に或は南方作戰に於て既に試驗濟であつて今後の南方建設に本島人を活用することの是非は最早議論の餘地がないこといふ迄もない。にも拘はらず今次懇談會に於ては右の問題が殆んど取上げられてゐないのは當事者の認識如何によるものとは云ヘ誠に遺憾の至りであつて遲れ馳せながら臺灣關係者よりの問題提起を切望してやまないのである。勿論一部では本島人の活用は將來の工業化に於ける工業勞働者の勞務給源と矛盾するものと見る向もあるが然し乍ら農村經濟の困窮化に伴ふ農業人口の過剩化並に配給機構の整備統合による商業人口の廢失業化が漸次進行しつつある情勢下にあつては將來に於て工業勞働者の供給過剩こそあれ不足をかこつやうな狀態は恐らく現出しないであらう。さすれば本島人の活用は量的な制限はあるにしても早晚問題化して來るであらうから今次の懇談會には最もよき議題といふべく出席關係官民の真劍なる討議を要望する次第である |
02 | 輸送列車を死守 バ島攻略戰の彈道を繫ぐ 大谷伍長血塗の奮戰記 |
03 | 賞賜物件傳達式 |
04 | 米の配給量增加 青少年と姙婦に |
05 | 奉公運動の傘下に 基督教團大同團結 七日島都で結成式 |
06 | 圖像:志願兵訓練所の一日 |
07 | 心身の鍊成會 七日から三日間に亘り |
08 | 廿四時間制採用 船舶關係、國鐵に呼應 |
09 | 苦痛な夜間靜坐 この頃はどうやら馴れて來た 志願兵訓練所を覗く(下) |
10 | 圖像:ニユーブリテン便り |
11 | “香港攻略戰” 撮影隊一行寄臺 |
12 | 科學玩具懸賞募集 |
13 | “農業は儂の天職” 土の老戰士‧北から南へ轉換 |
14 | 智恩院の梵鍾 近く回收戰線に出征 |
15 | 慰問品に讀物 前線の兵隊さん大喜び |
16 | 新竹市の簡閱點呼 |
17 | 金屬類特別回收 新竹州、十七日から開始 |
18 | ときの声 |
19 | 龍田丸出帆 在支英人を乘せ |
20 | 臺灣佛教奉公團 富田氏理事長に |
21 | 宜蘭市地主懇談會 |
22 | 都市對抗野球準決勝 |
23 | 亡父の卅五日忌に恤兵献金報社消息 |
24 | 訃文:陳黃氏走 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 東部兩線の握手近し 愈よ實地踏查に着手 |
02 | 運營講演を聽く 田中訓練部長迎へて 屏東桔梗クラブで開催 |
03 | 玉里街協議會 |
04 | 金屬特別回收座談會 銅をもつと供出せよ (完)生活必需器具は除外 |
05 | 美的憧憬の充足へ 嘉義市各娛樂團體を統合 劇場兼用の音樂堂も建つ |
06 | 屏東奉壯團 第二回總會 |
07 | 貯蓄勵行を勸誘 嘉義奉壯團個別訪問に乘出す |
08 | 一萬圓の賞金だ どんく殖せ牛や豚 |
09 | 彰化市青少年團 來る大詔奉戴日に晴の結團式 |
10 | 四會場に合宿 臺中州青少年指導者鍊成會 |
11 | 屏東市の點呼 來る廿一日執行 |
12 | 一片の銅、一塊の鐵 漏れなく申告せよ |
13 | 池高事務官一行の視察日程 |
14 | 鹿港海濱に鍛ふ 彰化奉公青年隊の設營訓練 |
15 | 南方に蔬菜種子 高雄州下で培養採種 |
16 | 特用作物獎勵打合會 |
17 | ヴイタミンC碓保 高雄市郊外に蔬菜栽培の計畫 |
18 | 體檢講習會 |
19 | 今年は潮州枋寮間 高雄州の產業道路開鑿計畫 |
20 | 蠅取り名人の 第三回當籤者 |
21 | 嘉義市民の献金熱 |
22 | 五藤北門郡守着任 |
23 | 嘉義署土用稽古 |
24 | 內地視察中の 女青第二班歸高 |
25 | 健民運動講習會 |
26 | 回覽板から家庭手帳へ 周知事項の徹底期して |
27 | 盡せぬ若人の 感激 賴志願兵の便り |
28 | 花蓮港の火事は放火と判明 |
29 | お米の二重 配給を防止 |
30 | 人事 |
31 | 地方多より |
32 | 今日ノ映畫 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 第一回產糖豫想{糖聯} 千七百七十四萬擔 南部發育不良幾分減產か |
02 | 全國米作狀況 內地概して成育良好 農相閣議で報告 |
03 | 製鐵事業肥料工業 昨日府正廳で懇談 |
04 | 食糧營團の運營 既存業者は全面に吸收 |
05 | 大東亞經濟建設講演會 木夕市公會堂で開催 |
06 | 產金補助金引下 金瓜石一グラム五十錢 瑞芳廿錢減額 |
07 | 損害保險協會 諸規則內容說明會 |
08 | 甲當六萬本を目標に 推進員派遣して蔗作指導 |
09 | 香花統制問題 當局對策講究中 |
10 | 經濟手帖 明年度豫算編成 方針の特色 |
11 | 照明燈 |
12 | 商況 四日後場 |
13 | ラジオ |
14 | 水滸傳(745)/黃得時;碇政彌 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 今週末までに南部戰線終局か 獨軍當局が言明 |
02 | 農相田母澤 御用邸伺候 稻作狀況を上奏 |
03 | 學校再開で人心安定 (二)比島建設を指道官に聽く |
04 | ヴオロシロフスク占領 コーカサスの重要工業都市 |
05 | ソ軍戰況發表 |
06 | 敗走の赤軍を急追 |
07 | チモシエンコ軍 新陣地に撤退 |
08 | 時局評論 わが國の人口問題/室伏高信 |
09 | 圖像:飜へる大軍艦旗の下海岸線警備の海の勇士 |
10 | 工場を視察 國民學校教職員 |
11 | 吏道の真諦を說く 東條首相群馬縣廳で |
12 | 官吏待遇改善 豫備金より 經費を支出 |
13 | 泰國外相の返電 東鄉外相宛に來る |
14 | 八團體統制委員會 第一回會議開かる |
15 | 鄭禹氏に內定 滿洲國初代駐泰公使 |
16 | アザツト議長迎へ 運用委員會を開催 |
17 | 武漢地區舊法幣の 法的通貨制を剝奪 |
18 | 圓卓會議受諾 ガンヂー翁が回答 |
19 | 印度に使節團を派遣 重慶政權が |
20 | ガンヂー翁と ジ總裁の會見 官憲筋が斡旋か |
21 | 第二次配電統合 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 東亞經濟建設と臺灣 臺灣工業化に新構想 東亞經濟懇談會開く |
02 | 新構想下‧使命重大 齋藤總務長官挨拶 |
03 | 第六王男子御誕生 賀陽宮妃敏子殿下御分娩 |
04 | 圖像:東亞臺灣經濟懇談會開く |
05 | 御萱地奉仕作業 臺灣青少年團けふから二週間 |
06 | 喰違ふ戰爭方針 國共の對立依然として深刻 大東亞戰爭下の重慶 |
07 | 木炭增產の戰士 首相が激勵の言葉 |
08 | 活動を繼續せよ 國婦の下部組織に對し 川崎大尉が要望 |
09 | 八月常會の夕 申合事項三つ追加 |
10 | 新竹市內保姆講習會 |
11 | 第五回蒙古大會盛會 |
12 | 鄉軍武術大會 九月十三日に開催 |
13 | 詩集“我等は戰ふ” 盟邦ヒツトラーユーゲントが 大日本青年團に贈呈 |
14 | 興南詩苑漢詩 次韻可軒江山樓雅集見贈/文訪、寄懷竹修詞丈/步初、謹次步初詞兄見懷瑤韻/竹修 |
15 | 國民體力檢查 新竹州、けふより開始 |
16 | 梁井州知事 基隆を初巡視 |
17 | 人事‧消息 |
18 | 煙幕 |
19 | 興南案內報社消息 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 前線將兵の熱誠 硝煙の下貯蓄報國に協力 總計三億五千五十二萬圓頭條新聞 【東京發同盟】大東亞戰爭下銃後では本年度二百三十億貯蓄を目標に邁進してゐるが前線の將兵もその給與を節し軍事為替として家鄉に送金したり、軍事貯金をするなど硝煙の下にあつて貯蓄報國運動に協力、最近陸軍省當局で調查した數字によれば支那事變五ケ年間の軍事貯金及び軍事為替の合計高は二億八千十八萬圓、大東亞戰爭勃發五ケ月間の合計高六千三十四萬圓、總計實に三億五千五十二萬圓といふ驚くべき貯蓄高を示してゐる、この銃後一億と心を一つにし貯蓄を勵んでゐる前線將兵の熱誠振りは銃後をして一層感奮興起せしめずには置かない、また大東亞戰爭勃發以來この前線の貯蓄は激增を示し支那事變昭和十三年以後における貯金為替合計の一箇月平均高五百八十七萬圓に對 し大東亞戰爭勃發以來の一ケ月平均は千二百七萬圓と約倍增を示し大東亞戰爭五ケ月間の累計は支那事變中の一年分に相當してゐるがこれは將兵の數に關係なく為替送金、貯金共に一口當りの金額が從前の五割乃至十割增しとなつたことになるものでその貯蓄熱の昂揚振りは寔に頼母しいものがある、尚以上の計數中には南方新戰線の分は殆んど包含してゐないが陸軍當局の調查の結果によれば此方面の貯蓄振りも目ざましく貯金通帳、用紙の如きも從來に比し○倍の多數を準備したにも拘らず瞬く內に拂底補給に繁忙を極めたといふことである「おれは二箇年の間、從軍中將校にも兵隊にも部隊の全員に補給の八割を貯金させた、中支從軍記念貯金通帳といふのをおれが作り部隊の全員に渡してやらせたのだがおれの歸還するまでに既に四百萬圓になつてゐた」とは支那事變、ノモンハンに轉戰したある勇將の言葉であるが前線にあつて示されるこの熱誠は銃後をして二百三十億貯蓄完遂へと振ひ立たせずにはおくまい |
02 | 衡陽最近の慘狀 米空軍、民眾怨嗟の的 |
03 | 全く烏合の眾 中共軍の內情一獨人宣教師談 |
04 | 比島軍政監部 支部長會議開催 第二回地方長官會議も招集 |
05 | 南方醫療衛生施設充實の要 建設比島を指導官に聽く(三) |
06 | 東條首相 軍神岩佐中佐宅を訪問 |
07 | 統帥權の統一がない 米、英各自國內ですらも |
08 | 汪主席來寧 朝比奈山本八木沼 三氏歡迎會を開催 |
09 | ソ軍の立直り至難 獨軍めざましい進出 |
10 | 英首相の訪ソ ア副首相が肯定 |
11 | 獨軍エア河渡河 エ市奪取に成功 |
12 | 圖像:マカツサルの農民 皇軍勇士の指導で米の增產へ拍車 |
13 | 淺間丸九日昭南に入港 大達特別市長歡迎の感激を語る |
14 | 來栖大使を特つ高木中尉 |
15 | 老獪な英の謀略 ガ翁の對日交涉案發表 |
16 | ビブン泰首相の令息令孃 近く懷しの故國へ |
17 | 殊更に原文歪曲 ネール憤然英當局糾彈 |
18 | ガンヂー翁の 對日交涉案全文 |
19 | 南十字星 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 米穀蒐集と 產組聯合會社說 一 現在本島に於ける米穀蒐集の過程は各州廳に米穀納入組合を組織し各地方に既存の產業組合經營の農業倉庫卽ち產倉及び土壟間を請負せしめ農民より籾の形で買入れ之を玄米に製造して納入組合に渡し組合から米穀局へ納入する仕組となつてゐる。而して請負者は一定の籾摺料金を受取る以外に若し玄米製造の步留が低下する場合には其の損失を負はねばならない關係から出來る丈籾の等級を引下げられたため勢ひ規定步留より多くの玄米を製造したのである。ところが其の利益が悉く納入組合に歸し、遂に非營利團體の組合をして臺中、新竹兩組合の如きは前期いづれも五六十萬圓といふ巨額の剩餘金を生ぜしめた結果を招來する事となつた。斯かる機構の下にありては農民が折角苦心して作つた籾に對して當局で正當と認られた公定價格を以て賣却する事が出來なくなる許りでなく、米穀の品質を高めようとする努力をも無駄にされる事となるのである。 二 之を是正するには內地農氏の如く玄米の形を以て當局へ納入する方法こそ合理的であるから、それには米作農民の延長たる產倉本來の機能に復歸せしめる事が最も近道である。卽ち現在納入組合の設立によつて歪曲され、停止されたる產倉の機能を充分發揮せしめる事である。殊に現下の如く主要食糧の米を增產せしめる事が重要の國策となり、國家も多額の補助金を交付してゐる現階段に於て農民の收入を人為にて減少せしめる機構こそ一日も早く改革しなければならない。若し島內米穀蒐集業務を非營利團體たる產業組合系統にて之を一元的に統制すれば其の費用が現在に比し少なくとも玄米一石一圓二三十錢を減輕する事が出來、直接間接米穀增產に寄與するところ少なくないであらうと斷言して憚らざるものである。 三 然し產倉に於て島內に於ける米穀蒐集過程を統制させるには各地に散在せる產倉だけでは到底其の目的に達する事が出來ず、先づ產組聯合會でなければ經營出來ない聯合農業倉庫の制度を創設する必要がある。蓋し聯合農業倉庫の機能は各地各所に分散せる農業倉庫を相互に連絡し其の系統的發達を助長して消費市場に於て又は集散市場に於て受寄物の直接販賣を為す事を容易ならしめると共に穀物の配給を一層圓滑ならしめて生產者、消費者双方の利益增進を期するためである、卽ち聯合農業倉庫の制度確立と共に產組聯合會をして米穀蒐集過程を一元的に統制すれば米作農民の收入を增加し其の生活安定に寄與するところ少なくないであらうと信ずる、それ故目下產組聯合會より米穀局に對して聯合農業倉庫設立の前提たる農業倉庫法施行規則改正を要望陳情する事は極めて適切な處置であつて、當局に於て一日も早く其の實現に協力すべき事を强調せざるを得ない。 |
02 | 臺灣の南方協力策 懇談會で熱心に討議 |
03 | 東亞經濟建設講演會 昨夜公會堂で大盛況 |
04 | 大東亞の市長は語る 昭南を 南方圈の背柱に(一) 語る人大達昭南市長 |
05 | 東亞操觚者大會 きのふ新京で開幕 |
06 | 奉戴日に敕語 奉讀式を擧行 鄉軍花蓮港分會で |
07 | 山內警務局長 十日から西部初巡視 |
08 | 中央食糧營團 本月中には設立完了の運び |
09 | 逞しい北支の建設 (上)三浦興亞院技術部長の放送 |
10 | 增產戰士を激勵 鈴木知事、植付狀況を視察 |
11 | 無敵海軍に捧ぐ赤誠 大東亞戰以來の武官府献金 百五十餘萬圓突破 |
12 | “元氣で御奉公” 義勇隊員の現地便り |
13 | 圖像:○○艦上にて洗濯する海の勇士 |
14 | 譽の遺兒の集ひに二名出席 花蓮港廳下から |
15 | 遺家族の製叺、製繩機使用講習會 |
16 | 商議所初議員總會 會頭以下全役員決る |
17 | 產業警察兩部 經濟連絡會議 |
18 | “宗教報國”に邁進 在臺各基督教團役員鍊成會 |
19 | 音樂使節團 渡滿の途に就く |
20 | 書籍に適正價格 業者の自發的會合開かる |
21 | 住宅管理者養成所 入所志願者募集 |
22 | 都市對抗準準決勝 |
23 | 荷役苦力の窃盜 |
24 | 人事‧消息報社消息 |
25 | 訃文:郭氏問 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 勞務需給協議會 きのふ初の會合 |
02 | 機構を強化 膨れる嘉義桔梗クラブ |
03 | 島澤事務官講演 |
04 | 高雄市の點呼 來る十一日より |
05 | 我が採油部隊活躍 怪異なダイヤ族の神秘生活 東南ボルネオ(下) 奧地訪問記海外遊記 タンジヨンを中心とした所謂ウルスンガイ縣の北部一帶は有望な石油產地でサマリンダ地區の採油量が漸減しつつある今日これに代るものとして戰前B.P.Mが非常な力瘤を入れて調查試掘に乘出した、噴油地まではB.P.M會社の專用道路が帶の如く延び、道路の附近至るところにボーリングの櫓が立つてゐる、 豚のゐるダイヤ部落 ダンぢヨンに宿泊の豫定を變更して我々はダイヤ部落を訪ねるため更にここから百キロの奧地に向つて出發した。道路はネガラ河を橫切つた頃から道幅を縮め自動車を通すのに精一杯である。車は擱坐してゐるトラツクの傍を這ふやうにすり拔けてもう五十キロ先きのB.P.M飛行場方面へ向つた我海鷲の襲撃で飛行場の建物はすつかり燒け落ち背丈位の名も知らぬ草が茂り蕾さへ抱いてゐる。ここで路は瘴氣の漲る溪谷を曲折して 雨と熱で蒸氣が湧く熱帶の密林を切り開いてゐるダイヤ族の部落はこの附近から奧地に向つてある「家の前に豚小屋があればそれはダイヤ族の家ですよ」兵隊さんの說明に注意してみるとダイヤ人の家に限つて豚を飼つてゐる、マレー人は豚を食べもせず飼ひもせぬが、ダイヤ人は豚を食べ冠婚葬祭の儀式の時には缺かすことの出來ないものの一つである 目的地のアンパまで五粁といふ所で我々は車を降りダイヤ族の墓場をみた、通路から約半丁程林の中にある、墓場には奇怪な性器を表徵した木彫の偶像が立ち、像と像との間には板を架けその上に彼等の先祖の髑髏が無數に置かれてゐる、その奧には屍體を腐敗させて採つたといふ水を溜めた壺が數十個、木臺に乘せて並べてある、この水を何に使ふかと我々の傍に集まつて來たダイヤ人に聞いたが知らぬと應へた、陽は落ちて四邊はほの暗く實に凄愴な場面だダイヤ族は彼等の性格があまりに精悍なるが故にマレー人に敬遠され山中に追はれたのである、煙草を與へると「テレマカシートワン」有難う旦那樣と慇懃に頭を下げる、その表情には少しの暗さも險しさもない、これが首狩族と異名をとりマレー人に追放された獰猛なダイヤ族と思へなかつた 豊作を祝ふ大宴會 アンバの部落はダイヤ人とマレー人で千人位しかゐない、面白いことには村の中央を流れる小川を境界にしてダイヤ人とマレーの住家が區別して建つてゐることだ、最近まで兩族の對立抗爭は常に血で解決したものであつたが我治下になつてからはかうした殺伐なる事件もなく、我皇軍に忠誠を誓つた兩族は天長の佳節の日にカントール(役所)前に翩翩と飜へる日章旗の下で和解の握手を交はしたのだつた我肇國の大理想に光被したボルネオの奧地はネグリブラスの神兵を迎へて大豊作だ豊作を祝ふ住民の盛大なペラス(宴會)の準備は徹宵で行はれてゐるのであつた(大本營許可濟) |
06 | 彰化市鄉軍の點呼 來る十九日執行 |
07 | 官服のお百姓 ダイピスト孃も田植に泥塗れ |
08 | 增產風景 地肥に勵む 新化郡の鐮戰士 |
09 | 奉公運動座談會を開催 |
10 | 竹東郡の女青 第三種訓練 |
11 | 知事を總監に推し 高雄州勤報青年隊組織 |
12 | 埔里青年挺身隊 耐熱強行軍 |
13 | 婦人鍊成會 花蓮港廳各市郡で開く |
14 | 臺中州方面事業研究會 |
15 | 田植競技會褒賞授與式 |
16 | 語り合ふ常會の體驗 區長、世話役達懇談 |
17 | 北門郡の姐や 達北星會組織 |
18 | 寄附金割當の 增額を墾願 |
19 | 拓南農業戰士 募集期日延長 |
20 | 圖像:比島人俘虜に日本精神 |
21 | タイヤ入用の方は |
22 | 農村の共同作業 勸業課長會議で實施方法打合 |
23 | 花蓮港工業の昇格 陳情に有志者出府 |
24 | 防諜、衛生等を學んで 女子接客業者鍊成終る |
25 | 田中訓練部長圍んで 花蓮港奉壯團座談會 |
26 | 田中訓練部長の 忙しい日程 |
27 | 山の兩勇士散る 義勇隊員畠村君と松山君 |
28 | 軍神弔献金寄託 |
29 | 李慶氏母堂逝去 |
30 | 地方多より |
31 | 今日ノ映畫 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 東亞經濟臺灣懇談會 臺灣工業化方策を討議 多大の收穫を收めて第一日終了 |
02 | 本島國民貯蓄の狀況(上)/筧勝家 |
03 | 二期米植付督勵 府內技術陣を總動員 |
04 | 產聯地方支部及 支所の陣容決定 |
05 | 郵貯三ケ月增加額 四百六十四萬千圓 |
06 | 東株長期 十日から二部立會 |
07 | 商況 五日後場 |
08 | ラジオ |
09 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 又も衡陽、桂林空襲 衡陽で米機八機擊墜 |
02 | クロポトキン突入 クバン河獨軍に歸す |
03 | 獨軍落下傘部隊 赤軍の退路を遮斷 |
04 | 重慶を徹底的覆滅 印度本當の獨立冀求 谷荻大佐西下車中談 |
05 | 圖像:○○艦の勇士水泳に心身鍛鍊 |
06 | キユーバと西國國交斷絕か |
07 | 獨空軍活躍 東部戰線で |
08 | ス市に重大な脅威 獨大部隊ドン河渡河 |
09 | モスクワで 米英が暗躍 |
10 | 三、四倍の生產額 奏効した機械實働率運動 生產陣權威が協議 |
11 | 注目‧カトリツク教徒 建設比島を指導官に聽く(完) |
12 | 樋口新北部司令官東上 |
13 | 聯合國の敗戰を認む 米メ州知事オコナー演說 |
14 | 却つて印度側の 輕蔑反感を招く 英の謀略、藪蛇の結果 |
15 | 進むべき道直進 印度獨立の老鬪士 ナイヅー女史言明 |
16 | 會議派手入の際 ガ翁原案を押收 |
17 | ガンヂー翁 夫人を同伴 固き決意を示す |
18 | ガ翁強硬演說 運用委員會席上 |
19 | 運用委員會 結論に至らず なほ兩三日續行 |
20 | 印度情勢惡化 英各紙も認む |
21 | 重慶側焦慮 印度問題の成行に |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 遠來同胞を犒ふ 昭南歡迎準備に大童 交換船の入港を控へて |
02 | 皇軍感謝電を決議 東亞操觚者大會第二日 |
03 | 御下賜金傳達式を擧行 竹東郡守公室で |
04 | 軍神を偲ぶ部下の座談會 神技に等しい航法 愛猿までも寂しがる戰死の日 |
05 | 宣言 |
06 | 東條首相祝辭 |
07 | 森田臺中州知事 志願兵訓練所を慰問 |
08 | 第五列に戰戰兢兢 自國人をも敵視する米當局 |
09 | 懸賞論文募集 部落會“町內會の 運營に關して |
10 | 働く比島女性 女交通巡查と看護婦 颯爽たるユニホーム姿で |
11 | 島外出席者 視察日程 |
12 | 低下する精神生活 英國で占星術大流行 |
13 | 南方の贈物 椰子油の性質と使ひ方 |
14 | 婦人標準服講習會 臺北州皇奉各部支會で開催 |
15 | 煙幕 |
16 | 興南詩苑漢詩 用□衡社兄書懷瑤韻賦呈說園先生/家坤、次張家坤先生瑤韻/說園、寄步初兄/雪滄、次雪滄兄韻寄步初詞兄/說劍、次雪滄詞兄原韻寄懷步初兄/星橋 |
17 | 人事‧消息 |
18 | 今夜の放送 |
19 | 商況 六日前場 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | アル、ケイタニンバル諸島要地攻略 濠洲北方のアラフラ海で 帝國海軍部隊赫赫の戰果頭條新聞 【東京發同盟】大本營發表 (六日午後三時三十分)帝國海軍部隊は七月三十日アラフラ海北方アル諸島、ケイ諸島並にタニンバル諸島各地を攻略せり |
02 | 濠洲に大鐵環の重壓 敵ゲリラ的蠢動を完封 |
03 | 圖像:第二戰線結成に狂奔する英米を睨むドイツ海岸砲 |
04 | 有名な真珠貝採取地 |
05 | 新決議を採擇 會議派運用委員會 |
06 | 海軍辭令 |
07 | 衢州で鹵獲の爆彈 |
08 | 米空軍九機を擊墜 衡陽飛行場に進攻 |
09 | 擊墜破總計廿三機 |
10 | 新決議の詳報 |
11 | 夥しい兵器の山 醜い殘骸を晒らす廣信 |
12 | 松陽周邊を掃蕩 敗敵を急追猛進 |
13 | 恐るべき謀略 自國民多數を犧牲にす |
14 | 西亞の諸國 政治的危機 |
15 | 英印の關係 刻刻尖銳化 |
16 | 生活費を支給 在メダン獨人に |
17 | 外地行政簡素化案 臺灣の分も近く內閣へ |
18 | 奏任官減員と 待遇改善案成る |
19 | 獨軍クバン河を渡河 アルマヴイルを猛攻 |
20 | 中立堅持の方針 土國首相議會で演說 |
21 | ガ翁原案に 米朝野驚愕 |
22 | 印度諸紙 英を非難 |
23 | 南十字星 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 人才育成の急務 私塾に待つもの多し社說 一 日本はいま人材を求めてゐる、しかも今日ほど人材を必要とする時代はない、而してここにいふ人材とは所謂小手先の利く輕薄才子や、時局に便乘して徒らに大言壯語を事とする自稱國士でもない、それは力强く兩脚を大地へ踏まへて時局への正しき認識を把握し、與へられたる自己の分野に於て默默と敢鬪し俟つあるを恃むところの真の人材である、韓退之は「賞するところのものは庭前の梅李なるも用ふるところのものは深山幽谷の柏檜である」と言つたがいま日本の求むるものは、まさに用ふるところの深山幽谷の柏檜なのである、我國の教育制度は明治中葉以來急速な發展を遂げ、現在では世界に冠絕せるものあり、文化の水準また名實共に世界一等國として自他共に許すに至つた、去り乍ら精神方面に於てこれに伴ふもの果して充分ありや否や一應檢討するの必要あるではなからうか。 二 卽ち智識の向上にのみ腐心するの餘り、教育者は智識の切賣者となり學生生徒は點取虫と化すとまで評せらるるほど學藝にのみ走り肝腎かなめ精神方面のことは閑却され勝ちであつた、前述の韓退之の言を借りて言ふならば賞する庭前の梅李をのみ育くみ、用ふる深山の柏檜を養ふを忘却せるの憾みあつたのである、支那事變以來忠勇なる幾多將兵が、國家の材となり莞薾として護國の鬼となつたがこれは知識學藝のみの然らしむるところにあらずして、われわれ日本民族のみの有する父祖より流るる脈脈たる盡忠報國の血の沸りであることを銘記せねばならない、最近に到り智識詰込みだけでは真の人材を育成することは不可能であるといふことが漸次解明するに至り全國各所で各種の鍊成鍛鍊が行はれてゐるが遲時の感あるも蓋し喜ぶべきことである 三 一度社會に出でた人人が鍊成により或る意味に於ける再出發することも推奬すべきであるが、更らに一段深く掘り下げて未だ社會に出でざる青少年に人材教育を施すことこそ緊喫事なれである、これが實行のためには現在の初等教育中等教育、或は高等教育の制度そのままでは多くの缺點あるは云ふまでもない、これを改むるには尚ほ相當年月の經過を待たねばならぬであらう、そこで最も手近にして且つ效果の極めて大なる方法として私塾の如きものを全國的に發達させることが人材養成の捷徑ではあるまいか、人材拂底とは云へ野に遺賢なきに非ず、肩書經歷に捉はれることなく苟も子弟指導者としての人格と識見を有するならば、國家は之を重用し以て充分の補助をなし、無用な干涉容喙をせず一切を委ねて活潑なる教育をさせたがよからう、敢て水戶の弘道館、吉田松陰の松下村塾を真似る必要はない、ただこれ等の精神を充分汲み入れ、青少年の學窓以外の精神道場として人材育成に努めさすがよい、兎もあれ日本の求むる人材育成には我が臺灣も一役も二役も買つて出る位の覺悟と積極的方策が必要である |
02 | 勇敢‧海員魂に凱歌 濠空軍中佐以下十一名捕虜 真珠採貝船の手柄話 |
03 | 松嶺御露營記念祭を執行 |
04 | 大東亞の市長は語る(二) 物心兩面の建設へ 語る人周南京特別市長 |
05 | 嚴たり滿洲の國防 長谷川關東軍報道部長が講演 大東亞操觚者大會で |
06 | 集ふ“靖國の子ら” ゆふべから涼しい草山で 星を仰いで合宿 |
07 | 祖國に告ぐ言葉 野村、來栖兩大使錄音放送 |
08 | 故渡邊軍屬の 新竹市葬 |
09 | 蘭陽地方罹災者に 臺灣第○○部隊から義捐金報社消息 |
10 | 花蓮港廳下の簡閱點呼 |
11 | 南方の通貨問題 經濟墾談會に於る安藤理事の講演 |
12 | 防空思想を昂揚 燒夷彈の燒夷演習 |
13 | 南支、廣東の 物資交流 鈴木囑託講演 |
14 | 合同慰靈祭執行 十二日宜蘭公會堂で |
15 | 皇奉募集團國策宣傳圖案 十五日締切り |
16 | ときの声 |
17 | 惡德社員又も檢擧さる |
18 | 人事‧消息報社消息 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 嚴肅多忙な日課 臺中州青少年團指導者鍊成會 |
02 | 熱血を滾らせて 豐原郡青少年團結成 |
03 | 圖像:ラバウル郊外○○飛行場にて炎熱を冒して活躍の我が設營隊 |
04 | 金屬特別回收講演會 |
05 | 昂めよ隣保精神 臺中州方面事業研究會終る |
06 | 體檢準備檢查 |
07 | 十萬圓を突破 板橋產組の貯蓄運動好調 |
08 | 花蓮港市の體檢日割 |
09 | 汗の奉仕終へて 花蓮港勤報青年隊解隊式 |
10 | 潮州報國挺身隊 第一種訓練開始 |
11 | 犯罪なき社會へ 各市郡に防犯講習會 |
12 | 嘉義桔梗俱樂部 十五日から鍊成開始 |
13 | 緊急治療法勉強 臺南桔梗クラブ |
14 | 屏東郡の點呼 二十日より執行 |
15 | 東石郡の黃麻 精製を打合せ |
16 | 新大路關部落 移轉に決定 |
17 | 臺北競馬中半站 |
18 | 養兔講習會 彰化畜產組主催 |
19 | 郡守殿有難う 北斗の若人墾篤な指導に感激 |
20 | 故林軍屬の 鹿港街葬 |
21 | 生產者は擁護 指定工場主に方針示達 |
22 | 宮木知事新任披露 |
23 | 郡部にも新鮮な虱目魚 生產者に搬入時刻嚴守を通達 |
24 | 移民協會代議員會 |
25 | 蘭陽地方暴風雨災害救濟義捐金報社消息 |
26 | 嘉義市軟式野球大會 |
27 | 開南同窓會開催 |
28 | 社告/興南新聞社報社消息 |
29 | 地方多より |
30 | 新刊紹介 家庭療養書として推獎 「肺結核の新療法」 |
31 | 今日ノ映畫 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 爪哇糖業經營方式 個別進出の先例を開く 一日附で六社に分擔指定 |
02 | 東亞經濟臺灣懇談會 農林業及方策等を開陳 第二日目で全部終了 |
03 | 交通座談會開催 |
04 | 臺灣に對する 認識を深めた 懇談會終了後石渡會長感想を語る |
05 | 島都への肉豚搬入 八、九の二ケ月で九千頭 |
06 | 東亞經濟懇談會 委員一行來彰 |
07 | あり餘る黃麻種子 南方開發に振向けられん |
08 | 照明燈 |
09 | 商況 六日後場 |
10 | ラジオ |
11 | 水滸傳(746)/黃得時;碇政彌 |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 南方に戰果を擴大 曲橋山高地に進出 |
02 | 軍に協力した家族の 比島人俘虜を假釋放 比島方面軍布告 |
03 | 圖像:浙江作戰において我が軍鹵獲された敵兵器の數數 |
04 | 滿泰一つ屋根の兄弟 あすは泰の滿國承認一周年 ブ初代駐滿公使語る |
05 | 英印正面衝突 不可避の形勢 |
06 | 英外交官等 乘船の泰汽船 米の保障未潛で假泊 |
07 | 泰佛印國境劃定完遂 けふ劃定委員會閉會式擧行 |
08 | 地方機構の調整策 翼贊會總務會で決定 |
09 | コンミユニケ發表 |
10 | ガンヂー翁と 各派領袖會見せよ ヒンヅー紙力說 |
11 | 米西部海岸全域に 燈火管制實施發令 |
12 | 印度民眾に泣訴 クリツプスが |
13 | チホレツクを奪取 獨軍司令部發表 |
14 | 黑海で伊快速艇が ソ聯巡洋艦を擊沈 |
15 | 臆病者は銃殺 ソ聯當局が命令 |
16 | 即時完全獨立 南支在住印度人大會聲明 |
17 | 香港在住の中國人 中國人として取扱ふ 磯谷香港總督 記者團と會見 |
18 | 獨空軍爆擊隊 北コーカサスで活躍 |
19 | 戰局は漸次 大詰へ |
20 | 赤軍退路斷たる 漸次戰鬪力を失ふ |
21 | ガンヂー翁に 交涉權賦與 |
22 | 聯合國首腦に 書翰を送る アサツト議長が |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 打下す“聖なる鍬” 臺灣青年團代表十八名が 神宮萱場造成に奉仕 |
02 | さア、ラジオ體操だ 小さな手足はリズミカルに助き 遺兒ら朝の行事へ |
03 | 圖像:靖國の遺兒の集ひ |
04 | 光榮の兵器授與式 あすの佳日に志願兵訓練所で擧行 |
05 | 抽籤馬拂下げ 今月の中旬頃 |
06 | 大東亞新聞雜誌協會 操觚者大會で設立協議 |
07 | 立田國民校職員 兒童義捐醵出 |
08 | 働く比島女性 アイウエオから 日本語勉強第一步 |
09 | 港都で防諜映畫會を開催 |
10 | 心臟の縫合手術に成功 |
11 | 東亞經濟懇談會委員一行 新竹市を視察 |
12 | 自肅の盆踊復活 農村生活の潤ひに當局の親心 |
13 | 伊教會の新布令 質素謙讓を獎勵 |
14 | セブ市在留邦人 死の一步手前に救出さる カトリツク協力美談 |
15 | 無い無いづくし “もてる國”米國の悲鳴 |
16 | 黎族の土俗品 あすから博物館に陳列 |
17 | 荷拔苦力を檢擧 基隆市三十四ケ所で |
18 | 花蓮港ぺン團交驩試合 |
19 | 宜蘭市豚肉配給要綱決定 |
20 | 小泉厚相、國民體力檢查視察 |
21 | 興南詩苑漢詩 車中贈別一番ケ瀬前太守二首/臺南 杏菴、次雪滄詞兄見寄原玉却奇/步初、疊雪滄兄見寄韻答說劍詞兄/步初、再疊雪滄兄見寄韻答星橋詞兄/步初 |
22 | 人事‧消息 |
23 | 煙幕 |
24 | 今夜の放送 |
25 | 商況 七日前場 |
26 | 興南案內報社消息 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | けふ第八回大詔奉戴日頭條新聞 詔書 天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐ノル大日本帝國天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有眾ニ示ス 朕茲ニ米國及英國ニ對シヲ戰ヲ宜ス朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司ハ勵精職務ヲ奉行シ朕カ眾庶ハ各々其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ舉ケヲ征戰ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セ 抑々東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ丕顯ナル皇祖考丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ朕カ拳々措カサル所而シチ列國トノ交誼ヲ篤クシ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト為ス所ナリ 今ヤ不幸ニシテ米英兩國ト釁端ヲ開クニ至ル洵ニ巳ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ中華民國政府曩ニ帝國ノ真意ヲ解セス濫ニ事ヲ構へテ東亞ノ平和ヲ攪亂ン逐ニ帝國ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有餘ヲ經タリ幸ニ國民政府更新スルアリ帝國ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提攜スルニ至レルモ重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭ヲ侍ミテ兄弟尚未タ牆二相閱クヲ悛メス米英兩國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂ヲ助長ン平和ノ美名ニ匿レテ東洋制霸ノ非望ヲ逞ウセムトス剩ヘ與國ヲ誘ヒ帝國ノ周邊ニ於ヲ武備ヲ增強シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有ヲユル妨害ヲ與へ逐ニ經濟斷交ヲ敢テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ朕ハ政府ヲツテ事態ヲ平和ノ裡ニ回復セシメムトシ隱忍久シキニ彌リタルモ彼ハ毫モ交讓ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ益々經濟上軍事上ノ脅威ヲ增大シ以テ我ヲ用屈從セシメムトス斯ノ如クニシテ推移セムカ東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ歸シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツヲ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ朕ハ汝有眾ノ忠誠勇武ニ信椅シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス 御名御璽 昭和十六年十二月八日 各國務大臣副署 |
02 | 偉勳上聞に達せらる 我マレー攻略作戰に奮戰せる 松井、牟田口兩兵團に感狀授與 |
03 | 松井、牟田口兩兵團 輝く戰鬪の經過 |
04 | 獨軍ア市占領 |
05 | 莫大な鹵獲品 松陽附近に於いて |
06 | 全印委員會開く 對英印度撤退案爼上に |
07 | 陸軍司政官發令 |
08 | ガ翁毅然と答ふ 一米記者の質問に |
09 | 松井、牟田口 兩中將略歷 |
10 | 事態遷延許さぬ ガンヂー翁が言明 |
11 | 行政、待遇改善兩案 十一日閣議で決定發表の豫定 |
12 | 不要法令の廢止 官界刷新の第二段措置 |
13 | 芳澤大使 スラバヤ着 |
14 | 獨軍チモシエフスカヤ奪取 |
15 | 印度民眾 獨立の好機 獨當局見解表明 |
16 | 南十字星 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 英印問題愈よ大詰社說 一 英政治力の印度撤退を要求するワルダ決議が五日に於ける會議派運用委員會の再檢討に依つて、印度の自由と獨立權利回復の新決議が採擇され、七日ボンベイに開催された國民會議派全印委員會に於て最後的承認を受けることとなつた。若しこの新決議案が同委員會の全面的承認を得、貪慾飽くなき英國政府の容れるる所とならなかつたならば、ガンヂー翁の命令一下、敢然と不服從運動に乘出し、對英抗爭を開始するものと見られてゐる故に七日の全印委員會こそは印度の將來の運命を決するものであり、印度の工場從業員、勞働者は勿論、一般民眾も獨立運動展開の指令を今や遲しと待機の姿勢を取つてゐる。而るに英議會は先週印度問題を討議したが、依然クリツプス案を固執し、何ら問題解決の名案なく、徒らに焦慮と困惑の態たらくを暴露し、曾つての大英帝國の面影も何處へやら、頻りに敗戰者米、蔣或はスターリンにまで斡旋を懇願する樣な醜態振りを示してゐる。 二 殊に去る八月一日英國百年の壓制から解放され、新生ビルマ建設の第一步を踏出した中央行政機關の成立は印度獨立運動に絕大な刺戟を與へ、印度民眾に多大な影響を及ぼしたことは否定し得ない事實である。卽ちビルマ人多年の念願であつたビルマ人に依るビルマ行政機關の設立は、バーモ博士を首班とする中央行政機關の確立に依り、ビルマは本來の姿に歸つて、大東亞共榮圈の一翼として希望に輝く力强い活動を開始したのである、我國に於ても彼等の希求を察知して、東條聲明その他累次に亘る言明に依り、將來の實現を約すと共に、今回成立した行政機構にも大東亞戰爭の終熄した曉には、彼等に高度の自治制を附與すべき慎重な考慮が我が方の聲明に於て明確にされたのである。前途の光明に輝くビルマ人達は我が公正なる態度に、全幅的な協力を傾けつつあることは勿論、この事實はビルマ在住の印度人にも異常な反響を呼び起し、この機會に全印度の獨立を實現せんと意氣込み、在印度の有志と連繋して日每に活潑な運動を展開しつつあるのである。 三 かく印度人の反英運動激化に連れ、老獪英國も居堪り兼ね、例の常套手段たる分裂政策と威嚇の手を出し、盛に印度各派の離間を策したが、それでも效果薄と見て取つてか、遂に全印委員會を前にして四日突如四月廿七日の運用委員會に提出されたガンヂー翁の對日交涉案發表の暴露戰術に出た。勿論これは會議派の兩巨頭ガンヂーとネールの離間の為に行はれた謀略であつて、特にガンヂー翁を中傷して、全印委員會の討議を牽制しようとの魂膽であることは明かである。併し此暴露戰術は、反つて逆效果を來し、囂囂たる印度輿論の非難を買ひ、印度政廳が原案反對の急先鋒と發表した當のネールも、當局の態度に憤慨し、ワザワザ聲明書を發表して、日本に關する部分は原文を歪曲したものであると當局を糺彈してゐる。かく事態は正に爆發點に達し、英國側の彈壓態度と國民會議派側の捨身戰法で、兩者の關係刻刻尖銳化の一途を辿りつつあり、勢の赴く所英印の正面衝突は免かれ得ないものと見られ、茲一二週間は最も注目すべき重大な時期と考へられるのである。 |
02 | 擧島‧大に頑張ろう けふ八度迎へる大詔奉戴日 |
03 | 全面的南方協力へ 送り出す斯道練達の中堅官吏 |
04 | 圖像:帝國海軍部隊が攻略したアル諸島 |
05 | 督府人事大異動 きのふ發令さる |
06 | 奉戴日の講演 今月から七日夜に |
07 | 轉出司政官の抱負 |
08 | 經濟座談會開催 內地關係者一行來新を機に |
09 | 大東亞美術協會發會式 |
10 | 榮轉の喜びを語る |
11 | 臺灣基督教奉公會 晴れの發會式擧行 藤岡報道部長、山本事務總長が講演 |
12 | 大日本青少年團長 鈴木孝雄大將に委囑任命 |
13 | 罹災地の子供 達に見舞品 |
14 | 京城軍が連霸 都市對抗野球 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 豫備訓練を實施 入隊前の勤報青年隊 |
02 | 金屬回收講演會 島澤事務官彰化で熱辯 |
03 | 食生活、臺所經營 女青指導者の鍊成科目 |
04 | アリユーシヤン隨想記(1) |
05 | 花蓮郡勤報隊入所式 |
06 | 臺南の講演會 |
07 | 除草追肥は入念に 十四日から強調週間 |
08 | 暑さに打ち克て 八月の實踐事項五つ |
09 | 遺家族慰安演藝 |
10 | 空の要塞空中分解 「命中だ」狂喜に叫ぶ船員 |
11 | 葬儀簡易化運動 お經は□德ある高僧に讀ませよ |
12 | 增產風景 海豐崙青年團 男女五百餘人の田植 |
13 | 山の遺家族慰問 末松理蕃課長一行入山 |
14 | 畑田海軍兵曹 名譽の戰死 |
15 | 故園笹原上等兵の 慰靈祭執行 |
16 | 全く器用なもんだ 搜查、犯人追跡に銳敏な天分發揮 高雄州警察用犬查閱 |
17 | 神社境內の清掃奉仕 けふ嘉義市桔梗クラブ員が |
18 | 故三宅軍屬遺族 香奠返しに寄附 |
19 | 馬脚を冒す病氣 深水牧場に發生 |
20 | 改正賃金講習會 |
21 | 蘭陽地方暴風雨災害救濟義捐金報社消息 |
22 | 家禽配給 事務打合會 |
23 | 赤誠の献金品 |
24 | 花蓮港廳下の 田植中旬頃完了 |
25 | 柔劍道による 健民運動 警察部主催で |
26 | 賭博現場を 踏込まる |
27 | 地方多より |
28 | 今日ノ映畫 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺電理、監事を增員 下村、瀧口兩氏を起用せん 井坂氏を監事に廻はす |
02 | 來期各社產糖豫想 前期に比し日糖增產鹽糖激減 |
03 | 赤糖生產確定高 二九五、六七七、擔六九斤 |
04 | 本島國民貯蓄の狀況(中)/筧勝家 |
05 | 貯蓄獎勵懇談會 |
06 | 甘蔗多收競作會 褒賞授與式 |
07 | 戰時下の鐵鋼問題(上) 渡邊鐵鋼統制會理事講演內容 |
08 | 厚板鋼管の配給 企畫部物資課發表 |
09 | 甘藷植付面積 三萬三千甲を增加 昨日協和會館で會議 |
10 | 牛馬飼養競技會 |
11 | 照明燈 |
12 | 商況 七日後場 |
13 | ラジオ |
14 | 水滸傳(747)/黃得時;碇政彌 |
15 | 国民醫學 疲勞を輕減して 潑剌と明日への發足 產業戰士の強度體力養成に 農林省水產試驗場のヒツト |
16 | 防空と視力 |
17 | 連載漫画 エーデー健チヤン/芳垣青天 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 比島、緬甸獨立許す スマトラ爪哇ボルネオ我領有 一億一心を結集戰爭を戰ひ拔く |
02 | 湖南、廣西を索敵攻擊 我荒鷲、數隊に分れて |
03 | 油田地帶に殺到 獨軍、東北卅粁に迫る |
04 | 圖像:快速ドイツ軍の追擊により續續投降する赤軍兵士(東部戰線) |
05 | ア議長、英米軍隊 即時撤退を要求 會議派動向一致を示す |
06 | 獨軍の發表 |
07 | ガンヂー翁 絕對支持指令 ボース氏呼應 |
08 | 印度獨立を絕叫 ガ翁畢生の熱辯 |
09 | 赤軍不利 |
10 | 十七隻を擊沈 獨潛艦大西洋で |
11 | 戰捷奉告、必勝を祈願 東條、嶋田兩大臣打連れて 明治神宮、靖國神社に參拜 |
12 | クバン心臟部へ ひた押し 獨の機械化兵團が |
13 | ス市の攻防戰熾烈 一大戰車戰を展開 |
14 | 戰局重大化 |
15 | アラフラ海諸島占領 反樞軸軍司令部も自認發表 |
16 | 全印委員會(第一日) |
17 | 翼贊會調查會の各委員長 東條總裁より委囑 |
18 | 短時日で勝利收めん 不服從運動開始せば |
19 | 行政簡素化案成る 阿部總裁近く首相訪問提言 |
20 | 即時獨立保障支持要請 アザツド議長に一任 |
21 | パレスチナ防衛 老獪英の苦肉策 ユ、ア兩民族を一線に立たす |
22 | 簡素の中に誠意こめて 昭南の交換船歡迎準備完了 |
23 | 印度支持演說會 林語堂、バツク女史が紐育で |
24 | 日、佛印教授學生 觀光團交換 |
25 | ホワイトハウス 依然沈默守る |
26 | 在昭南印度人 一大運動展開 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 前線は元氣一杯 軍務に勵む勞務奉公隊 特急ハガキ第一便到着 |
02 | 歸朝歡迎第一聲を放送 八日から昭南で |
03 | 皇帝陛下御臨 東亞競技大會けふ開幕 |
04 | 農業挺身團を派遣 海南島の增產指導に |
05 | 東亞操觚者 大會最終日 |
06 | 萬事“中庸”で進む 大日本青少年團長鈴木大將就任の辭 |
07 | 開會式擧行 |
08 | 建設は快速調 林兼海南島營業所長山川氏の土產話 |
09 | 天神區講演會 |
10 | 島內新聞人の鍊成 一日から大直で開始 |
11 | 青少年に軍事訓練 |
12 | 三伏の炎暑に挑む 醫專學徒の真摯な鍊成 |
13 | 海南島黎族の土俗品展 けふから博物館で開かる |
14 | 古巢へ歸る 金子新竹州 總務部長語る |
15 | 基隆郡各街庄事務監查 |
16 | 金屬回收に力瘤 郡守が陣頭に立つて指導 |
17 | 災害で結內臺美談 感激を呼ぶこの義捐 |
18 | 宮木臺南州知事 志願兵訓練所生を慰問激勵 |
19 | 保姆講習會 |
20 | 住宅の拂底甚し 皇軍爆擊下の重慶 |
21 | 拓南農業戰士の銓衡試驗 あす樺山校で |
22 | 標準服のお手本 清楚な姿で出勤した 臺北州廳の女事務員 |
23 | 市民水泳大會 參加希望者は十日迄に申込まれたし |
24 | 海底送電線建設を計畫 關門國道隧道貫通を機に |
25 | 廣瀨、熊谷情報局兩課長 近く渡臺、島內三市で講演 |
26 | 家庭浴用石鹼の割當數決る 八日から配給 |
27 | 魚類の闇發覺 三十餘名を檢擧 |
28 | 小麥粉の配給 十五日から |
29 | 興南詩苑漢詩 (缺題名)/(無標示作者)、祝滬江吟社成立/恩應 林子惠、次少奇兄韵懷都門諸先輩/挹青、歡迎黃田先生爲某造船所代表/高雄 陳明德、閒意/補莊 |
30 | 人事‧消息 |
31 | 煙幕 |
32 | 今夜の放送 |
33 | 商況 八日前場 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵陣黎墟に突入 敗敵追つて更に進擊頭條新聞 【漢口八日發同盟】浙贛沿線各占據地はその後わが鐵桶の警備陣によつて確保され最後まで敵戰力擊碎を目指して着々戰備を擴充してゐるが敵は最近殘存兵力を糾合わが戰線陣地へ進出を企圖し第七十軍第十九師唐伯寅麾下の約一萬は黎墟(臨川東方二十粁)附近に司令部を進出、蠢動を續けてゐるのでわが○○部隊主力は五日早朝を期し東北方、北方、西方の三方面より一齊進擊を開始、六日には各方面とも敵第一線陣地を蹂躙し七日夕刻には黎墟に突入潰亂敗走する敵を追つて東南方に進撃中である |
02 | 方山嶺附近を掃蕩 わが○○部隊の戰果 |
03 | 各省調查項目決定 翼政調查會役員會で |
04 | ガンヂー翁に 熱狂的な歡迎 全印委員會の狀況 |
05 | アザツド議長 開會の辭 |
06 | 圖像:中支の空に活躍を續ける路鷲の雄姿 |
07 | 共產黨系委員 反對を示さん |
08 | 英勢力を打倒 ビルマ百萬の印度人大會 |
09 | 食糧問題に明朗色 作柄は大體豐作確實 |
10 | ネール氏の說明 |
11 | 獨外務當局の言明 |
12 | 追擊戰の計畫造船 強調期間設定 首相、從業員に放送 |
13 | 敵二機を擊墜 小癪、米機廣東に來襲 |
14 | 無辜民眾を盲爆 南支軍報道部長談 |
15 | 外地は平年作 |
16 | 各地印度人の 反英獨立大會 |
17 | 英、最惡を覺悟 全印委員會結果如何で 議會を急遽召集の意向 |
18 | バタビヤ |
19 | スイイ公使に 阪本氏を起用 |
20 | ソ聯救濟の 三國會談 貧弱な顏觸 |
21 | 南十字星 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 青年學校の 義務制社說 一 大東亞戰爭が勃發してから、南進日本の據點たる臺灣は、頓にその重要性を加へられ、今や據點から一躍して基地に早變リしたが、この重大役割を荷ふ現下の臺灣の情勢に卽應して、明日の日本を背負ひ、大に南方開發へ挺身せんとする青少年を如何に教育し、如何に鍊成するかは當面の重要問題の一つとして吾吾は大に關心を持たねばならぬ。幸ひに文教當局に於ては、これに鑑る處あり、青年學校の義務制度化を計るべく第一期計畫として都會地に三校、街庄單位に一校宛を設置し、さらに明年度から每年百校つづ增設して三年後には內地同樣に青年學校の義務制を施行することができるやう豫算を編成してゐる由と聞くが、これが實現の曉には、義務教育制度の施行と共に本島教育史上の二大金字塔として永遠に光を放つものと信ずる。 二 抑抑本島の青年學校は、昭和六年十二月二十八日府議決定青年訓練所設立方針に據り、大正十五年勅令第七十號、青年訓練所令及び青年訓練所規程に準じて之を設立し、特に內地人青年に對して實施して來たが、其後時勢の進運に伴ひ、內臺青年を問はず、一律にこれを實施する必要に迫られたので、昭和十四年四月青年學校規則を新に制定し、同年の九月には一齊に青年學校の認可を得、府令の趣旨に基いて青年教育が進められれて來たのである。爾來今日までの校數は男子公立五十七校、私立五校、都合六十二校が認可設置されてゐる。これらは殆んど全部が兵役義務に關聯を有する內地人子弟を對象として設立されたものばかりであるが、時世の推移に伴つて本島人子弟の背負ふ使命も益益重くなつて來た今日、これが教育と鍊成の機關たる青年學校の增設は最も急を要する問題となつた。 三 由來臺灣に於ける內地人子弟の國民學校卒業者は、統計によると、七割五分までが上級學校に進むに反し、本島人の子弟は、僅か一割一分のもののみが上級學校に進み、殘る八割九分は、學校を卒業すると同時に實社會に飛び込んだり、家業の手傳ひに從事したりしてゐる、昔はこれでも立派に通用できたが、大東亞戰爭下、凡ゆる面を通じて總力戰を要求されてゐる現下の重大時局に直面して單に國民學校の課程を終へただけでは、充分にその負荷された使命を完ふすることができない。殊に陸軍特別志願兵制度が實施せられ、また近き將來に於て徵兵制度が實施されることになれば、二十歲以後の青年の鍊成問題は一應解決されるとしても、國民學校卒業後の滿十二歲から滿二十歲までの八年間に於ける教育と鍊成を如何にすべきかは、相當考へねばならぬ問題である。勿論これらのものに對しては實業補習學校や簡易農業學校の施設もあるが、そこへ進むものも極く限られた一部の者に過ぎないので、この際、青年學校の義務制を施行して國民學校だけの課程を終へたものは必ず青年學校に入らなければならぬ制度を設けたら青年自身の向上發展に資する處が多多あるばかりでなく、本島の文化の昂揚にも貢献する處が頗る大きいと信ずる。 |
02 | 志願兵の感激新た 光榮の兵器授與 訓練所で嚴かに擧式 |
03 | 破邪顯正の寶器 石川訓練所長が訓示 |
04 | 松嶺御露營地記念祭 |
05 | お歷歷が率先垂範 きのふ大直で鍊成會 |
06 | 日滿交驩武道大會 |
07 | 圖像:感激の兵器授與式 |
08 | 睨むは“七つの海” 海洋少年養成所第三回入所式 |
09 | 第五部隊へ 茶殼を献納 |
10 | 臺北州一家の主 梁井さんが常會廻り ゆふべ大稻埕方面へ |
11 | 宜蘭紙芝居競演會 |
12 | 觀音經百卷の寫經 女性の手一萬二千本を動員 |
13 | 芳澤大使昭南市に向ふ |
14 | 全國教員の龜鑑 文相殉職訓導を追彰 |
15 | 遺兒ら靖國參拜 夏休みを利用して |
16 | ときの声 |
17 | お山の農業指導官講習會 |
18 | 笠松惜しくも枯死 |
19 | 臺北競馬 第三日目 |
20 | 人事‧消息報社消息 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 體鍊は日課の一つ 昨日の奉公班常會の夕に 皇奉本部西村生活部長講話 |
02 | 共榮圈民藝展 廿日から高雄で開催 |
03 | 聖戰必勝貯蓄完遂 桃園街の大詔奉戴日 |
04 | 行と魂を鍊上げて 勤報隊花蓮港訓練所解隊式 |
05 | 梁井知事海山郡下初巡視 |
06 | きのふ常會に 奉公班の第一回審查 |
07 | 屏東郡の常會 運營研究會 長興庄に開催 |
08 | 培ふ不拔の信念 高雄州街庄長鍊成會 |
09 | 南投街奉壯團 鍊成會 |
10 | 少年團鍊成講習 十八日から關子嶺で開く |
11 | 榮轉者の抱負 |
12 | 金屬回收に精進 桃園街の官民一致協力 |
13 | 風害犧牲者慰靈祭 羅東郡は來る十一日執行 |
14 | 鐵道部人事異動 |
15 | 蘭陽地方暴風雨災害救濟義捐金報社消息 |
16 | 商銀人事異動 |
17 | 止宿人が縊死 |
18 | 人事報社消息 |
19 | 地方多より |
20 | 今日ノ映畫 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 本島國民貯蓄の狀況(下)/筧勝家 |
02 | 勞務管理の前進 工業勞働者の能率調查 愈愈全島的に着手 |
03 | 大詔奉戴貯金 遞信部積極的に勸獎 |
04 | 經濟團體の公認 臺北州總動員協議會に決定 |
05 | 金屬工作機械 十五日迄に書類提出 |
06 | 勸銀臺北支店 人事小異動 |
07 | 戰時下の鐵鋼問題(下) 渡邊鐵鋼統制會理事講演內容 |
08 | 全島信組貯金(五月末) 二億五百九十萬圓に上る |
09 | 馬來軍囑託を解除して 各指定商で活躍 |
10 | 日滿支連絡會議で 多大の收獲を得た 秋元氏談 |
11 | 肥料配給は米と甘蔗に重點 あす關係官會議開催 |
12 | 養鷄墾談會 卵の出廻りを 促進 |
13 | 照明燈 |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(848)/黃得時;碇政彌 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ソロモン海戰大戰果 擊沈敵艦船廿二隻以上 擊破艦船六、敵機四十一 帝國海軍なほ攻擊續行中頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(九日午後三時三十分) 帝國海軍部隊は八月七日以來ソロモン群島方面に出現せる敵米英聯合艦隊に對し猛擊を加へ敵艦隊並びに輸送船團に潰滅的損害を與へ目下尚攻擊續行中なり、本日までに判明せる戰果左の如し 一、擊沈艦船、戰艦(艦型未詳)一隻、甲巡アストリア型二隻、オーストラリヤ型二隻、巡洋艦(艦型未詳)三隻以上、驅逐艦四隻以上、輸送船十隻以上 二、擊破艦船、甲巡ミネアポリス型三隻、驅逐艦二隻以上、輸送船一隻以上 三、空戰記による擊墜飛行機、戰鬪機三十二機以上、戰鬪兼爆擊機九機以上 尚本攻擊に於けるわが方損害 飛行機自爆七機、巡洋艦二隻輕微なる損傷を受けたるも戰鬪航海に差支なし 【註】本海戰をソロモン海戰と呼稱す |
02 | 主な海戰と我戰果 大東亞戰開始以來 |
03 | 獨潛、船舶十五隻を擊沈 |
04 | 圖像:寫真は擊破敵甲巡ミネアポリス型 |
05 | 敵一艦をも餘さぬ 空海を蔽ふ大激鬪 |
06 | 擊沈敵甲巡要目 |
07 | 約卅餘の島嶼 大海戰のソロモン群島 |
08 | 我大戰果發表 西貢のフランス人 一齊歡呼の聲擧ぐ |
09 | 英勢力撤退要求 全印委員會通過 反對僅か十三票で |
10 | 米英、上に強要 ソ聯黑海艦隊の ボ、ダ海峽通過を |
11 | 三巨頭逮捕監禁 ガンヂー翁以下 |
12 | 逮捕首腦中の 判明せる氏名 |
13 | 我全機凱歌を奏す 三水上空で逃走米機を擊墜 殊勳の○隊古賀中尉語る |
14 | 餓死まで頑張る ガンヂー翁豫ての覺悟 |
15 | 不服從運動 全印に一齊開始 |
16 | 會議派の要求 容れ得ぬ 印度總督強硬 |
17 | トルコ外相新任 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 交換船昭南に入港 萬里の船路を終へ祖國の人人に迎へられて |
02 | 歡迎の旋風號 |
03 | 擧る萬歲の齊唱 船內に溢る歡呼の嵐 |
04 | “偉業着着と進捗” 大達市長の歡迎の辭 |
05 | “全く感慨無量だ” 野村大使歸朝第一聲 |
06 | 挺身を誓ふ老尖兵 島都指導者層の鍊成終る |
07 | 交換船を上空から出迎へ 九日朝同盟機が |
08 | 元氣で泳がう皆朗かに 學童皆泳大會きのふ一齊に開始 |
09 | 寄港兩日間の日程 |
10 | 野村大使を中心に 全元無事到着を念願 |
11 | 將兵に感謝の 萬歲を絕叫 |
12 | 黎明の空の異變 明年二月五日の皆既日蝕に 釧路に精銳な科學陣 |
13 | 基隆市支會參與並奉公委員 八日付委囑さる |
14 | 戰時災害保護法 督府で施行準備に着手 |
15 | “民間航空”を表彰 南支軍指揮官から表彰狀授與 |
16 | 風害殉難者慰靈祭 |
17 | 目醒める印度兵 警備の協力に近く釋放 |
18 | 松方巖氏逝去 |
19 | 三大使下船 |
20 | 蔡長庚氏東京 道場へ引上ぐ 武道行脚を終へ |
21 | 全島新人紹介音樂會 十一月島都公會堂で開かる |
22 | 獨學者にゲーテ賞授與 |
23 | 臺北競馬變更 |
24 | 人事‧消息報社消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 奉戴日は國語日 紙芝居や映畫で力む臺南市 |
02 | 燃ゆる鬪魂 花蓮港鄉軍銃劍術大會 |
03 | 梁井知事 新莊郡初巡視 |
04 | 合格者豫備訓練 花崗山で實施 |
05 | 戰勝祈願參拜 彰化の奉戴日 |
06 | 圖像:ビルマ婦人と白衣の勇士 |
07 | 市營住宅上棟式 |
08 | 七百四十名參加 灣裡區に凱歌臺南市民強步大會 |
09 | 屏東市の體力檢查 |
10 | 屏東簡閱點呼 十一日から實施 |
11 | 時局講演會 けふ臺中で開く |
12 | いよく本格的 臺中州下の鐵銅回收 |
13 | 橫文字を一掃 看板や屋號を全部 日本式に書換へ |
14 | アリユーシヤン隨想記(二) 信念持たぬ米英 ぐらつかせる米政府發表 |
15 | 保姆講習會 |
16 | 市營住宅廿戶 屏東若松町に新築 |
17 | 北斗郡青少年團 晴れの結團式擧行 |
18 | 模範常會を開催 世話役を選出して |
19 | 東亞經濟視察團 臺南で座談會 |
20 | 米配給打合 |
21 | 壯丁團土俵大會 擧る決戰下若人の意氣 |
22 | 白衣勇士慰問學藝會 淡水海水浴場で開かる |
23 | 講演と紙芝居の夕 |
24 | 白衣勇士慰問 村上校同窓會 |
25 | 一生懸命奉公 常田旗山郡守談 |
26 | 模型滑空機競技會 二十日屏東中で開く |
27 | 業態組合支會 事務打合會 |
28 | 清水觀音廟 修繕成る |
29 | 嘉義野球大會延期 |
30 | 地方多より |
31 | 今日ノ映畫 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新人養成が第一 「臺灣文學」合評會 |
02 | 奉公運動と先驅者/張柏齡 |
03 | 八里ケ濱の海水場にて/海老原耕水 |
04 | 北回歸線 何を與ふべきか 歐米文化に代るもの |
05 | 詩 黎明/陳千武 |
06 | 文月抄/黃氏翠微;黃明敏;王碧蕉 |
07 | スエズ運河の畔/荻須高德 |
08 | ラジオ |
09 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日本軍愈よ隨所に 上陸作戰出來る ドイツの朝野大喜び ソロモン海戰 赫赫の大戰果 |
02 | クラスノダール占領 北コーカサスの要衝 獨軍特別發表 |
03 | 軍事、工業の中心地 |
04 | 二百八十粁突破 獨軍十三日間に |
05 | マイコープ市突入 獨軍の機械化部隊 |
06 | 平出大佐が今夜放送 ソロモン海戰について |
07 | マイコープ 油田地帶 |
08 | 英の對印工作失敗 遂に巨頭逮捕の暴擧に出で 全印度人を極度に憤激さす |
09 | 濠洲最大の危機 フ濠洲陸相の言明 |
10 | 印度三巨頭の全貌 大川周明博士は語る |
11 | 圖像:海鷲勇躍出動せんとす |
12 | 江山南方に追擊戰 斷末魔の敵に最後の止め |
13 | 政治的、軍事的の 完全獨立を期待 我一部權威筋の見解 |
14 | 伊潛艦の戰果 百萬噸を突破 |
15 | 獨軍大きく取卷く マイコープ油田地帶を |
16 | 獨軍の發表 |
17 | 交通機關從業員 一齊反英罷業 |
18 | 反英不服從運動 全印各州に波及 指導者續續檢擧さる |
19 | バンコツク 支部大會開く |
20 | 民眾と警官隊 各所で衝突 双方、多數の死傷者 |
21 | 米の原料難 意外に深刻 |
22 | 領袖逮捕の狀況 |
23 | 英と妥協してはな□ぬ 在獨のボース氏故國に放送 |
24 | カ宮殿□周圍 物物しい警戒 |
25 | 印度人自治體彈壓の權能 各州政府に賦與 |
26 | 領袖廿名を 一齊に檢擧 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 姿を消すゴム製品 タイヤ不足で自動車大異變 米國の世相浦野氏語る |
02 | 大東亞の市長は語る 先づ米國色拂拭へ(三) ギント大マニラ市長 |
03 | 惱む精神的苦痛 半歲餘の監禁生活寺尾、井上兩氏談 |
04 | 圖像:中支の空を快翔の我が陸鷲 |
05 | 不確實極まる 米國側の發表 泰國人團長格ネタラ博士談 |
06 | 第一夜の兩大使 帝國の新領土に第一步 |
07 | 三司政官の官民合同壯行會 十一日公會堂で |
08 | 人情首相面目躍如 加藤少將の遺兒に新開切拔帖を贈る |
09 | 坂井氏團長に昇格 |
10 | 轉出兩奉公委員の補充任命 |
11 | 學童水泳大會 十一日に延期 |
12 | 拓南農業戰士訓練所 十日一齊に銓衡試驗を開始 |
13 | 新竹州支部の銓衡試驗 |
14 | 定例局部長會議 |
15 | 新舊助役事務引繼 |
16 | 青年團淨汗奉仕 いよくけふから開始 |
17 | 働く比島女性 百貨店の女店員達 はち切れる樣な健康美 |
18 | 專賣局異動 |
19 | 人事‧消息報社消息 |
20 | 煙幕 |
21 | 今夜の放送 |
22 | 興南詩苑漢詩 茗談/李少白、贈竹修先生次雪滄兄韵/少白、贈竹修先生次雪滄兄韵/逸鶴、寶覺寺聽斌宗上人講經/說劍、次韻/雪滄、次韻/竹修、次韻/釋眞常 |
23 | 商況 十日前場 |
24 | 興南案內報社消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ソロモン海戰の意義 平出大佐放送 我が赫赫たる戰果 米の敗戰隱蔽を粉碎頭條新聞 【東京發同盟】平出大佐放送要旨ソロモン海戰の大戰果は全世界を瞠目せしめわが海軍の無敵振りは敗戰に喘ぐ敵國陣營をして周章狼狽せしめてゐるが海軍報道部課長平出英夫大佐は十日午後七時半より「ソロモン海戰について」と題し十五分間AKのマイクを通じて本海戰の意義を闡明、無敵海軍の綽綽たる戰闘振りを一億國民に傳へた、放送の要旨左の如し、 帝國海軍部隊が七日以來ソロモン群島方面に出現した敵米英の聯合艦隊に對し猛撃を加へ、敵艦隊並びに輸送船團に大なる打撃を與へ目下なほ作戰續行中であることは九日大本營で發表せられた通りである、今回の意義を概括的に申し述べたいと思ふ、 最近米英の引績く敗戰によつてその打撃は軍事上は素より政治上、經濟上においても愈愈深刻化しこの現狀を打開するの必要に迫られ少なくとも國民士氣を鼓吹するためなんらかの方策に出でなければならぬ破目に陷ち込んだと認められる、從つて米當局が最近頻りに對日一齊反撃を豪語してゐたのは決して故なしとしない、さすがに彼等も口先のみによつては最早國民の士氣を鼓吹振起出來ないのを知つてゐるのでまづ支那を基地とする空軍の對日反撃に期待をかけたのである、しかしこの期待はわが陸軍航空部隊の先制的猛攻によつて完全に粉碎され次いで大鳥島方面に對し反撃を試みんとしたのであるが嚴然たるわが防備の前には齒が立たず反撃の企圖を放棄せざるを得なかつた、しかしながら敵は躍起となつて對日反撃の蠢動を續けてゐたのである、殊にルーズヴエルトは歐洲における獨伊の壓倒的攻勢を太平洋方面において牽制せんと企圖し一部有力部隊を以つてアリユーシヤン群島に行動せしむると共に米英の殘存艦隊を集結し戰艦、巡洋艦、驅逐艦、航空兵力よりなる艦隊を編成し輸送船を擁してソロモン群島方面に出撃し來つたのである 從つて反撃の規模も大きかつたのであるこの輸送船の中には米國が多年訓練して來た海兵隊を乘込ましてゐたものと思はれるのであつて米國海軍省の如きも今回の出撃を「アメリカが始めて取つた大攻勢である」と豪語してゐるのであるがこれによつても如何に彼等が今回の出撃に期待を掛けてゐたかが判る然るに發表通り我が方は現在までに判明した戰果だけでも艦艇十七隻以上を撃沈破し輸送船十一隻以上を屠ふるといふ大戰果を上げて居り、之に對してわが方に損害極めて輕微である現在までに入手した報告によつて當時の戰闘の模樣を推測すると大要次の樣なものであつた即ち帝國海軍の哨戒機は七日早朝ソロモン群島方面に出現した米英聯合艦隊を發見直ちに同方面のわが艦艇航空部隊に報告した、この報告によつて出動したわが戰闘機隊は好餌ござんなれとばかり敵艦隊及び輸送船團に襲ひかかり、また邀撃せんと舞上つた敵戰闘機群と猛烈なる空中戰を展開 忽ち敵四十一機を撃墜した、次いで翌八日にはわが雷撃機隊が敵艦隊を捕捉し丁度スコールが下から逆に降るやうな猛烈な防禦砲火を冒し茲に海鷲得意の捨身必殺の爆撃、雷撃が行はれ逃げ惑ふ敵艦船はこれにより大打撃を被つたのである、雷撃機隊の攻撃が終つて一息つく間もなくわが水上艦艇が敵艦隊に接近、夜に入るや敵多數艦隊の弱點を看破したわが勇猛なる指揮官の「斷」の一令の下、指揮官自ら先頭に立つて闇夜長驅突進して眾を恃む敵艦隊の真只中に踊り込み舷相搏つ肉薄戰を敢行敵の主なる艦艇を潰滅に歸せしめ凱歌を擧げたのであるこの間において兵力においてわれよりもはるかに大であつた敵兵力に潰滅的打撃を與へたことは敵の虛を衝く兵術の卓越性は素よりのことわが戰闘術力に格段の差があることを重ねて證明したものである、この海戰によつて明かにされた事は米英海軍戰力が決定的に低下し彼等が如何に艦艇、航空機等の增勢に躍起となつても最早救ひ得ない凋落の一途を辿つてゐることであるが本海戰によつて米英と濠洲との紐帶がいよいよ弱體化することになり太平洋作戰の全局に對しては素よりのこと引いては大西洋作戰にも極めて大なる影響を及ぼすことは言を俟たぬところであり 殊に大量の巡洋艦並に輸送船を喪失したことにより樞軸側の通商破壞戰もいよいよ有利に展開することであらうと思はれるのである、さきにアメリカは日本軍のアリユーシヤン作戰を否定したのであるが次でアメリカに實害なしと發表してその事實を肯定せざるを得なくなり更に最近においてに頻りにわがアリユーシヤン作戰を重大問題なりとしことにこれを日ソ間の問題に結びつけんとして宣傳これ努めてゐる有樣で事實を否定し或ひは默殺し或は歪曲してデマ宣傳をでつち上げることは彼等の得意とするところである、ハワイに於て戰艦二隻を失つたに過ぎないと發表してハワイ海戰の大慘敗を隱蔽し又「マカツサル海戰」といふ架空の大戰果を宣傳してはジヤパ海方面における殲滅的打撃を糊塗してゐる等の苦肉の策を弄してゐたのであるが今回は輸送船團の損害のみはこれを認めてゐるようである、流石の彼等もこれを國民の目から秘匿するには事實が餘りに大き過ぎたことと思はれるが最近アメリカ國民が政府のデマ宣傳を信用しなくなつたことは蔽ひ得ない事實である、元元アメリカの指導者達は各出先部隊のデマ誇大報告に惑はされたのかデマ誇大報告と知りながら敢えてこれを宣傳してゐたかは別として對日反撃は易易たるものであると國民に信じさせてゐたことは事質である 又彼等が飽くまで日本の戰力を過少評價してゐたことは爭へないところである若しも彼等指導者達が日本の實力を知りもつと慎重であつたならばかかる敗北に次ぐ敗北は重ねないで濟んだかも知れないアメリカの敗戰はかかる下手な戰ひをなさしめるルーズヴルエトの欺瞞政策によるものといふべく「ルーズヴエルトの欺瞞政策米海軍を滅す」と言へるのである「マカツサル海戰」「珊瑚海海戰」「ミツドウエー海戰」等のデマ宣傳によつて日本艦隊は既に潰滅したと教へられたアメリカ國民はソロモン海戰によつて米英新編聯合艦隊を撃滅する我海軍の堂堂たる布陣を知るながらば彼等の指導者の罪深きデマ宣傳に今更愕然たるものがあろうと思はれるかくてアメリカの指導者達もそれ以上デマ宣傳を以て國民を欺瞞する事の不可能なるに氣がついた事と思はれる即ち今回のソロモン海戰について戰果は別として先づそれを認めてゐる點よりしても最早やアメリカ側が我が海軍の赫赫たる戰果の前に到底デマ放送位では太刀打ち出來ない事を認ざるを得なくなつた證左と申さねばならぬソロモン海戰に依つて濠洲は愈愈孤立化するに至つた アメリカに依存する限り濠洲の防衛に不安なしと豪語してゐた濠洲陸相フオードの如きも「我我は全力を擧げて戰爭遂行に傾注すべく結合してゐるが我我は今や最惡の危機に直面してゐる」と悲鳴をあげてゐるのである濠洲は今こそ賴み甲斐なきアメリカに賴つてゐるはかなさを嚴たる事實の中から學ばねばならぬ賴むべからざるを賴んで亡んだものは世界にその例少しとしないルーズヴエルトの欺瞞政策がアメリカ海軍を亡ぼしつつあると同樣アメリカに依存する濠洲がこれに依つて滅亡しなければ幸ひである。世間では動もすれば大東亞戰爭は一段階を劃し所謂建設期に入つたと考へ易い樣であるが活潑なる作戰は現に斯の如く遂行中であり、將來も尚遂行されるのである最早や戰爭は一段落をつげたかの如く考へる事は大なる油斷である。現に米國はその大資源を以て艦艇飛行機の增勢に狂奔し兵力の數に物を言はせて我に對抗せしとしてゐるのである從つて我我は嫌でも彼等の出鼻を押へ徹底的にこれを殲滅して行かねばならぬし又これに對しては十分なる確信を有つてゐるのである近來喧傳される南方建設も或は國內諸產業の能力增進等も亦敵の戰力を破壞殲滅して敵を屈服しめるが主體でありこれに依り我我は十分なる戰力を養ひ以て米英軍の殲滅に邁進すべきである我が海軍は東西南北各四千餘浬に亘る大防衛線大作戰線を確保し敵の一艦一艇と雖も殲滅し盡さねばやまぬ不退轉の決意を新たにしてゐる事を申上げ得るのである「勝つて兜の緒を締めよ」とは戰捷每に言はれてゐるが我我國民はこの意味に徹底したいと思ふ |
02 | 敵有力部隊を擊退 アリユーシヤン方面で |
03 | 痛烈極まる攻擊! 奪還の夢も瞬時にして消滅 |
04 | 誠心誠意を盡した 野村大使感慨を語る |
05 | 英米側結果を發表せぬ ソロモン海戰の戰況 |
06 | 三部隊に輝く感狀 マレー攻略戰の精華 |
07 | 敵の軍事施設潰滅 峽口突破、敗敵を急追 |
08 | 印度政廳凡ゆる 集合を禁ず |
09 | 行政簡素實施案 官吏待遇改善案 けふ閣議決定發表せん |
10 | 英警官隊と 各所で大亂鬪 印度民眾の反英熾烈 |
11 | 回教徒に要求 ジ聯盟總裁 |
12 | 第二交換船鎌倉丸 橫濱を出帆 |
13 | 南十字星 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 經濟團體の整理統合社說 一 經濟統制の波に乘つて近年來著しく濫立傾向にあつた各種經濟團體については夙にその整理統合を要望されてゐたところ此度臺北州では他州に魁けて州下に於ける經濟團體の再檢討に乘り出し經濟團體の設立については勿論のこと既存團體に對しても臺北州總動員事務協議會に附議の上公認する方針をとることになつたが遲蒔きながら大いに賛意を表するところである。一口に經濟團體と言つても法規に基くものと任意的なものとがあるが茲で整理統合を痛感されてゐるものは所謂任意組合であること言ふ迄もない。ところで支那事變の勃發以後に於て各種組合が雨後の筍のやうに簇生して來たのは大體に於てそれなりの經濟的必要に基くこと勿論であるがこの外に官廳行政機構の復雜性を反映して組合が著しく重複するやうになつたことも否まれない事實であつてその結果組合が極めて官治的な一面をもつこともやむを得ないところであつたのである、從つてかかる方向より見た場合整理統合は行政機構の簡素化と相關聯するものであると謂はねばならない。 二 總じて組合の設立が極めて任意的且官治的なところからその數は極めて多く的確な數字をも詳かにし得ないのが現狀であるがそれでも府殖產局の調查に據れば昭和十六年三月末現在では實に一千五百七十四の多數に上り其中物資統制を目的とするもの一一七、配給統制を目的とするもの五五三、價格統制を目的とするもの八八三、貿易統制を目的とするもの一一といふ風に細別されることが出來る。之ら組合は上記の細別から容易に理解出來るやうに事變勃發の後經濟統制機構が未だ確立されざる當初に於て協定價格の認可申請、原料資材並に販賣物資の配給獲得等の必要に基き設立されたものでそれぞれ一應の機能を果してゐるが其後ではむしろ石の如き組合の機能を利用して私腹を肥やすといつたやうな時局便乘的動機の下に組合がみだりに設立されるに至つたその結果統制經濟の運營に少からざる碍害を與へることになつて遂に整理統合を要望されるに至つたが如何なる碍害を與へてゐたかは組合役員による統制違反が盛んに摘發されてゐるところから容易に理解することが出來よう。 三 右の狀態に鑑みて府商工課では先般來重要物資關係組合を除く商工關係組合の整理統合について案を練つてをり既に腹案を得てゐるがその方針は大體次のやうである。卽ち生產部門では州單位業種別組合(必要に應じて下部組織に市、郡、地區業種別組合、上部組織に全島的聯合會を組織すること)並に全島的業種別組合の二本建で進み配給部門では小賣業は郡地區、市單位包括的業種別或は單なる業種別組合、卸賣業は州單位卸賣組合並に全島的卸賣組合といふ風に系統的に組織化を狙つてゐる。只右の案では組合の整理統合が企業の整備統合と內面的に結びつけられてゐない為尚考慮する餘地が多分にあらうが一體組合が企業經營者を以て構成される以上企業の整備統合によつて改廢、如何やうにでもなることはいふ迄もない。從つて此度臺北州が採用せんとする公認制は組合の新設を喰ひとめると共に既存組合の陶汰をも圖ることに於て大なる意義を有するには違ひないが系統的な整理統合はやはり行政機構の簡素化或は配給機構の整備に基く企業の整理統合と睨み合せる外はなからう。 |
02 | ハワイ大空襲の目擊談 一瞬にして鐵屑の山 慘憺たり米艦隊主力の最期 真珠灣頭に風腥し |
03 | 空の軍神加藤少將 帝都へ無言の凱旋 |
04 | 開戰當初の米國 日本のハワイ空襲に啞然 磯田三郎中將語る |
05 | 笑止千萬な慌て方 空襲サイレン拋放し |
06 | 淺間丸昭南を出港 一路懷しの祖國へ |
07 | 師道の率先垂範 全島の中等學校長五十八名 昨日から大直で鍊成 |
08 | 在伯邦人は自由 石射ブラジル大使談 |
09 | 林口庄府茶業 傳習所修業式 |
10 | 日英第二交換船鎌倉丸出帆 |
11 | 第五部隊へ 茶殼を献納 |
12 | 感謝の恤兵献金 ソロモン海戰大戰果に對し |
13 | 日蔭者に溫い手 九月十三日は司法保護記念日 全島の實施行事決る |
14 | 消費米の新基準量 關係臺帳作成完了 |
15 | 臺北春競馬 概定番組變更 |
16 | 山內警務局長 臺南地方巡視日程 |
17 | ときの声 |
18 | 文部辭令 |
19 | 臺灣軍司令部で雇員と筆生を募集 |
20 | 滿尾鐵道部長 新竹市を視察 |
21 | 味の素の闇取引に鐵槌 |
22 | 剃刀王破產 |
23 | 人事‧消息報社消息 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 推進員を選拔して 大肚山で鍊成 皇奉臺中州支部 |
02 | 街庄長鍊成終る 會議室で座談會開催 |
03 | 奉公壯年團の活動促進 嘉義支會で事務打合 |
04 | 故岩本陸軍兵長の南屯庄葬 十三日に執行 |
05 | 梁井知事の 文山郡巡視 |
06 | アリユーシヤン隨想記(完) 北洋は魔の海 防備より住居のアメリカ |
07 | 經濟事務打合 |
08 | 消防陣を強化 嘉義でポンプ二臺購入 |
09 | 臺南州木炭販組 昨日創立 |
10 | 籾摺工場の共同計算制 業者間の折衝進み近く實現 |
11 | 國民校女子訓導鍊成講習會 五日間嘉義女で |
12 | 大越總務部長 明日高雄着任 |
13 | 圖像:比島人俘虜に日本精神を |
14 | 黃麻製品取扱 嘉義郡で打合せ |
15 | 各部落に國語皇民塾 花蓮港廳で國語常用普及に拍車 |
16 | 北斗郡保甲協會 役員會を開催 |
17 | 第一線の吏員鍊成 皇奉花蓮港支部で開催 |
18 | 榮轉三氏送別會 |
19 | 傘をさして 自轉車に乘るな 違反者は罰せられる |
20 | 婦人鍊成會 新莊支會で開く |
21 | 州支部の時局講座無期延期 彰化竹山兩郡 十五日に開催 |
22 | 新興部落會常會 |
23 | 新化郡下の 鐵銅回收運動 |
24 | 赤誠の献金品 |
25 | 龍潭庄國講講師鍊成 |
26 | 人事報社消息 |
27 | 地方多より |
28 | 今日ノ映畫 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大東亞幹線鐵道敷設 東京昭南港間を一週間で連絡 近く具體的研究調查開始 |
02 | 一戶一口運動奏効 簡保遂に百萬件突破 |
03 | 大東亞鑛工業(上) 及び電力對策 |
04 | 臺灣農機具會社 松山工場大部分完成 |
05 | 產組聯合會 融資認可申請中 |
06 | 香花統制びの惱み 包種茶の聲價失墜せん |
07 | 臺南州下自作蔗園 來期より更に積極的改善 |
08 | 經濟手帖 公債政策の強化 |
09 | 本年度肥料配給 實行計畫會議開催 |
10 | タクシー事業組合 十五日に發起人會開催 |
11 | 產聯定例理事會 梅原理事を新京へ派遣 |
12 | 照明燈 |
13 | 商況 十日後場 |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(849)/黃得時;碇政彌 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國民の職域精勵に 畏し御嘉尚の御言葉 恐懼感激して東條首相謹話 |
02 | 保安街南方地區戰果 |
03 | 輸送力強化建議案 鐵道中央協議會で可決 |
04 | 猛攻‧敵を包圍殲滅 感狀授與部隊の戰鬪經過 |
05 | 獨軍、ピ市を占領 |
06 | ボンベイ市場 全取引立會停止 |
07 | 新京に共榮圈 赤十字大會 九月十七日開く |
08 | 危機刻刻迫る ノヴオロシースク |
09 | 圖像:獨軍の新銳對戰車砲の威力に脆くも清へた ソ聯重戰車 |
10 | 赤軍防衛陣 愈愈危機 |
11 | 損害蔽ひ切れず 米、ソロモン海戰發表 |
12 | 比島初の軍政支部長會議 |
13 | 最後まで抗爭せよ 在獨ボース氏聲明を發す |
14 | ガンヂー翁 斷食決行宣言 |
15 | 英緊急閣議 |
16 | 英國內でも大衝動 反政府輿論激化せん |
17 | 四部隊長の略歷 |
18 | 紡績工場其他で 反英罷業を開始 |
19 | ラクナウ市の暴動 |
20 | 各學校同盟休校 電車、バスも殆んど停止 |
21 | 英軍部隊も 出動警戒 |
22 | 在馬來印度人も蹶起 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 淺間べルデ兩船 けさ昭南港を出帆 |
02 | 第二日の兩大使 朝南島の名所を視察 |
03 | 健憲王と御命名 賀陽宮第六王子殿下 |
04 | 圖像:スラバヤ便り |
05 | 祖國を思ふ心 話題の談片に拾ふ |
06 | 產業報國へ驀ら 新竹州勞務協會改組 |
07 | 正條密植を督勵 知事、產業部長が陣頭へ |
08 | 大東亞の市長は語る〔四〕 三目標(防共、防空、防諜)の完遂へ 余晉龢北京市長 |
09 | もう一安心だ 藤田淺間丸船長語る |
10 | 婦人指導者層鍊成 十三日から開始 |
11 | 飛沫浴びて力鬪 海の日本を背負ふ河童連 國民兒童水泳大會大盛況 |
12 | 大正町區會 世話役鍊成 |
13 | 故原田巡查慰靈祭 |
14 | 產業戰士懇談會 きのふ基隆公會堂で |
15 | 嘉義郡下に山崩れ 十六名が行方不明 |
16 | 英勞働力大不足 |
17 | 働く比島女性 鼻唄まじりで 女工さん紡績戰線へ |
18 | 人事‧消息報社消息 |
19 | 今夜の放送 |
20 | 興南詩苑漢詩 兒玉山晚眺三首/陳雲翔、寄鶴亭文/莊幼岳、次韻幼岳見贈/傅鶴亭、次黃景南君一夜瑤韻/王竹修、基津夜市/羅慶雲 |
21 | 商況 十一日前場 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 行政簡素化案(奏任官以下)と 官吏待遇改善決定 人事、機構、給與の三面一應完了頭條新聞 【東京發同盟】政府は必勝體制確立のため戰時行政の敏速處理及び南方要員の充足を期するため行政の簡素強力化を斷行すべく去る六月十六日の閣議に於いてこれが實施要領を決定七月二十八日の閣議では勅任官の三割減員及び各廳部局の廢合に關する具體的實施案を決定したが更に奏任官以下の減員、課の廢合並びにこれに伴ふ官吏の待遇改善案につき內閣四長官が中心となり各省提出の具體案を爼上に檢討を加へ成果を得たので去る七日の閣議に附議慎重審議を行ひ十一日の閣議に於いてこれを正式に決定午後四時情報局よりその內容を發表し併せて官界新體制確立の第一步に處する首相及び情報局總裁談を發表した右に依つて行政機構の簡素強力化は近く實現を見ることになつた殊に減員に依つて簡素化される各省事務の管掌と能率增進のため官吏の全面的待遇改善の實施案を決定したことは特に注目される官吏の待遇改善實施案では從來支給されてゐた家族手當三圓を五圓に引上げ新たに臨時手當として本給の一割が支給されることになつたがこれは戰時行政事務に挺身する官吏に對する政府の思遣に依る英斷でまた官吏の服務時間を延長し戰時行政の敏速處理を企圖した點は注目すべきであるかくて行政の簡素強力化は人事、機構、給與の三面に於いて一應完了官界新體制確立第一段階へ逞しく踏出したのである、尚官吏の減員に伴ふ各廳局部課の廢合統制に關する官制は八月中整備九月早々には樞密院に御諮詢の手續をとり十月一日を期し實施する豫定である 內閣總理大臣談 行政各廳の執務の方法に改善を加へて能ふ限りこれを簡素強力にし官廳員を減員してその餘剩を舉げて大東亞全般に亘つて活躍する人士の充實に資せしむることは大東亞戰爭遂行上喫緊の要務である政府は本年六月行政簡素化實施要領を決定し爾來その實施準備に努めて來たが今回內閣及び各省行政簡素化案大綱を閣議に於いて決定しまたこれと並行して官廳員の待遇改善に關する方策を決定した行政簡素化を實施するに當つては行政各廳當局者は速かに事務簡捷を斷行し能率の增進を圖り少數を以て激增する事務を克服せんことを期せねばならぬのである然も尚戰時下各自の職域に於いてその業に勵む一般民眾に對しては一層懇切を旨とすべきは言ふまでもないことであるまた政府は官廳員の待遇改善方策を決定したがもとより官吏は清貧に甘んじて奉公の誠を致すべきであるが現在の待遇は實精に適せざるものあるを以てこれに對して必需最少限度の改善を圖らんとするものである時局の進展に伴ひ大東亞戰爭の遂行にまた大東亞建設の實現に帝國の使命は愈々重大ならんとしてゐる外に出でて大東亞の各地域に於て活躍せんとするものも內に留つて戰時行政の激務に當らんとするものもすべて官廳員たるものはこの際深く時局の重大と帝國の使命とを思ひ愈々奮ひ起つて各自の職務に勉勵し以て聖慮の萬一に報ひ奉らんことを期せねばならぬのである 情報局總裁談 行政簡素化實施案については既に七月二十八日勅任官の分を發表した次第であるが本日の閣議に於いて奏任官以下の分並びに官吏待遇改善案及び戰時中官廳の執務時間に關しそれく情報局發表の如く決定來る十月一日から實施する豫定となつた右簡素案が順調に運んだことは當該大臣並び各廳關係者が渾然一體となつて努力した賜物であつて寔に歡びとする次第である |
02 | 減員と待遇改善(要領) 戰時中官廳執務時間 |
03 | 各省部課廢合 官吏の減員に伴つて |
04 | 圖像:ソロモン海戰の戰果を發表する海軍報道部長小川大佐(海軍省にて) |
05 | 十月一日一齊實施 外地實施案近く決定 |
06 | 減員總括表 |
07 | 戰時勤勉手當支給俸給の一割 家族手當を五圓に |
08 | 四法律、臺灣に施行 きのふ閣議で決定 |
09 | 臺灣の水產業增強 國民貯蓄の普及強化を圖る |
10 | 本島青年の體力向上へ 國民體力法の實施は當然 |
11 | ボンベー暴動 死者十五負傷者百五十 |
12 | 濠洲首腦協議 脅威激化に關し |
13 | 南十字星 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 ソロモン海戰の大戰果 米英に決定的な打擊社說 一 大東亞戰爭勃發して以來、精銳なる帝國海軍は布哇、真珠灣、マレー沖、ジヤバ沖、バリ島沖、バタビヤ沖、珊瑚海並びミツドウエー方面初め合計二十七回に亘る主な海戰などにおいて、世界最大の海軍力を誇つてゐた敵米英蘭聯合軍の海上勢力を次次に覆滅したのみならず遠くアリユーシヤン群島を襲ひ、米本土を脅し、濠州、印度を遮斷してその前進要衝を制壓、その赫赫たる大戰果は、戰史に曾て見ざるものとして全世界を瞠目せしめてゐるが、見敵必殺の帝國海軍部隊は、又もや七日以來ソロモン群島方面に出現した殘存米英聯合艦隊を捕捉これに猛擊を加へ、現在まで判明した戰果だけでも、戰艦、甲巡、巡洋艦、驅逐艦など艦蜓十七隻以上を擊沈破し、輸送船十一隻以上を屠ふると言ふ大戰果を擧げたその綽綽たる無敵振りに銃後われら國民は、頭の下るのを覺ゆると共に心から新たなる感激感謝をささげる次第である、ソロモン群島は、ニユギニア島の東北方にあり約三十餘の島嶼から成る火山的構成諸島で、豪快なその作戰は、この沖合で行はれた譯であるが、赤道に近く殆ど無風狀態の同島で酷暑と鬪つた海軍將兵の辛酸勞苦の程も偲ばれるのである 二 最近米英は開戰以來の連戰連敗によつて、軍事上、政治上、經濟上に甚大なる打擊を受け、この深刻なる現狀を打開するため先づ支那を基地とする空軍の對日反擊と大鳥島方面に對する反擊を試みたが、何れもわが先制的猛攻又は鐵璧の防備によつて失敗したので、愈愈焦燥を增し、殊に歐洲戰線における樞軸國の壓倒的優勢に周章狼狽したルーズヴエルトは、之が牽制のため米英殘存の戰艦、巡洋艦、驅逐艦、航空兵力より編成せる艦隊に、米國が多年手鹽に掛けた海兵隊乘組の輸送團を配し、ソロモン群島方面に出擊し來つたものと思はれる、平出海軍報道部課長の放送に、米海軍省は今回の反擊を「米國が始めて取つた大攻勢である」と豪語してゐる通り、ソロモン出擊にかける期待も非常に大きく、それだけ今次海戰に米英の蒙つた潰滅的打擊は想像に餘りあるが、このことはわが海軍が兵術、戰鬪術力において絕對優位に在ることを證明するのみならず米英海軍戰力が決定的に低下し幾ら艦艇、航空機の增强を圖つても最早立ち上れない凋落の一途を辿ることとなり殊に米英と濠洲との韌帶は愈愈弱體化されて、これが太平洋作戰の全局引いては太西洋作戰に及ぼす影響は極めて大きいものがある。 三 今迄アメリカは自らの慘敗を隱蔽しその打擊と焦慮を糊塗せんがため皇軍の赫赫たる大戰勝の嚴然たる事實を否定し或ひは默殺し或ひは歪曲して逆宣傳をしたり笑止千萬にもマカツサル海賊と言ふ幽靈海戰を捏造したりしたが最早これ以上國民を瞞すことの出來ないことに氣づいたらしく今回のソロモン海戰を素直に認めてゐる點からして心臟の强いアメリカでも赫赫たる我が戰果の前に、デマ放送の無益なることを認めざるを得なくなつた證左と言はねばならぬ、大東亞戰は皇軍の收めた驚異的戰果によつて既に第二段階の建設期に入つたが、敵の一艦一艇と雖も殲滅し盡さねば熄まぬ作戰は、斯くの如く雄渾活潑に遂行されつつあり將來も尚遂行されるのであるから、銃後島民は前線皇軍への感謝を厚くすると共に必勝の信念を固めねばならぬ |
02 | 廣大無邊の聖旨に 一億の民草が感激 各界代表者謹んで語る |
03 | 靖國の遺兒たらが 劍潭の兩神社に參拜 十八、十九兩日島都に招いて |
04 | 圖像:軍神加藤少將遺骨凱旋 |
05 | 軍神の英靈に額く 東條首相昨日加藤家へ |
06 | 大東亞の市長は語る〔五〕 將來商工業の中心に オサタノン盤谷市長 |
07 | 光榮を記念する為 各地で種種事業を計畫 |
08 | 災害殉難者合同慰靈祭 昨日蘇澳、羅東兩郡で嚴かに執行 |
09 | 結城日銀總裁 |
10 | 高雄は南進の門戶 繪に見る樣な明媚さは全國一 初巡視の山內警務局長談 |
11 | 基隆市商業奉公團の結成 十三日に打合せ |
12 | 安井宜蘭郡守着任 |
13 | 鐵道線路の不通箇所復舊 |
14 | 新竹州警察部の射擊大會 十三日に實施 |
15 | 臺南を初巡視 |
16 | 臺中巡視日程 |
17 | 優秀な炭燒竈 石川氏苦心の發明 |
18 | ときの声 |
19 | 小柳前郡守送別會 |
20 | 人事‧消息報社消息 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 切符一枚で連絡 連絡運輸接續港に指定 貫祿備はる高雄港 |
02 | 勤報隊退隊式 十七日富士で擧行 |
03 | 豆債券消化運動に 嘉義青少年團一役 |
04 | 屏東市金屬 回收講習會 |
05 | 圖像:比島人俘虜に日本精神を |
06 | 金屬回收映畫の夕 |
07 | 市民の書齋 彰化市圖書館增築完成 |
08 | 新化郡金屬 回收講演會 |
09 | 國民精神文化講習 中堅教員を集めて |
10 | 國防思想普及 講演會盛況 |
11 | 組合事務研究會 |
12 | 滿尾鐵道部長 臺中を巡視 |
13 | 奉公運動の飛躍へ 皇民奉公會臺南市支會の 本年度事業計畫決定 |
14 | 國講講師鍊成 屏東農專で |
15 | 竹南兩產業奉公團 晴れの結團式擧行 |
16 | 印度はどうなる? 曾つての商船孟買支店員 藤森兼三郎氏談 |
17 | 皇軍を慰問 屏東のヨイ子供 |
18 | 主婦懇談會 |
19 | 體驗を職場に 多大の成果を收めて 花蓮桔梗の鍊成終る |
20 | 內埔、竹田兩庄 國民體力檢查 |
21 | 增產目指して 暝虫捕殺競技會開催 |
22 | 病虫害防除 強調週間實施 |
23 | 時局講座延期 |
24 | 四千圓國防献金 斗六消費米組合 |
25 | 嘉南大圳監視員打合會 |
26 | 島民赤誠の献金 |
27 | 蘭陽地方暴風雨災害救濟義捐金報社消息 |
28 | 曙校少年團 結成式を擧ぐ |
29 | 內埔保甲會議 |
30 | 潮州郡保甲 聯合會會議 |
31 | 薙刀指導講習會 |
32 | 地方多より |
33 | 人事報社消息 |
34 | 今日ノ映畫 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 石灰石の島內自給 糖聯で具體的に計畫 本期十七萬瓲採掘せん |
02 | 石炭業の苦境打開 炭業組合總會で討議 |
03 | 勞務協會の改組 近く全島關係官會議 |
04 | 重輕勞働者米穀配給打合會 |
05 | 大東亞鑛工業(下) 及び電力對策 |
06 | 落花生と胡麻の 收穫は豫定量に近い 自家保有は實收の二割 |
07 | 雜纖維統制組合 移出よりも島內配給 |
08 | 競馬振興策に 補助金制度採用か |
09 | 臺灣木材組合 各出張所長決定 |
10 | 大東亞の農林(上) 水畜產業對策 |
11 | 華銀廿八日に總會 |
12 | 黃、亞麻を獎勵 嘉義郡下で大馬力 |
13 | 臺中州下甘蔗競作會褒賞授與式 |
14 | 支店開設要務で 臺電町田氏香港へ |
15 | 照明燈 |
16 | 商況 十日後場 |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(850)/黃得時;碇政彌 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 天津周邊の經濟封鎖を強化 新中國の和平確立へ |
02 | 英空母イーグル擊沈 獨潛艦が西地中海で |
03 | イーグル號性能 |
04 | 圖像:陸、海兩相明治神宮參拜 |
05 | 北阿の新作戰 緊迫 |
06 | 敵商船廿三隻と 驅逐艦二隻擊沈 獨軍司令部特別發表 |
07 | コ英海軍大將 トブルクで捕虜 |
08 | 伊北阿軍總司令官 バ將軍元帥に昇進 |
09 | 河北省境の戰果{七月中} |
10 | 大詰愈よ迫る 北コーカサス戰線 |
11 | 松井大將渡滿 滿洲國祝典に參列 |
12 | ボンベイ市騷擾 激化の一路 到る處に流血の鬪爭 |
13 | 翼贊會調查會 運營委員會 |
14 | 獨軍發表戰況 |
15 | 司法省も簡素化 相當思ひ切つた改革 |
16 | 磯谷總督廣東訪問 |
17 | ソ聯側も認む アルマヴイル撤退を |
18 | 南阿聯邦に 騷擾が勃發 |
19 | 警官隊と衝突 政廳、總督官邸附近で |
20 | 擊墜ソ聯機千十二 獨軍が十日間で |
21 | 東部戰線の戰況 獨軍司令部十一日發表 |
22 | 樞軸の大勝謳歌 ソロモン海戰、獨紙大きく扱ふ |
23 | 「抗爭か死か」 印度民眾執拗な鬪爭 |
24 | ニユーデリーは戒嚴狀態 |
25 | 各地動亂の相貌 |
26 | 大彈壓辭せぬ ボンベイ州知事 言明 |
27 | ル大統領特使 印度總督訪問 |
28 | 情勢刻刻險惡化 |
29 | 三巨頭逮捕を 最も遺憾とす 重慶各紙の論調 |
30 | 放火事件 數個所に起る |
31 | イラン新內閣の顏觸れ |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 再生に輝く上海 八‧一三記念日を迎へ 和平建國の響き高らか |
02 | 油頭神社鎮座祭 廿八日嚴肅に擧行 |
03 | 鍊成中の中等學校長に 藤岡軍報道部長講演 |
04 | 南方文化教育の近狀(上) 先づ教育を重大視 我が現地當局根本方針を明示 |
05 | 赤誠の日の丸 慰問扇面書道展 |
06 | 專賣小賣人に 加藤准尉講演 |
07 | “家庭祭祀”の徹底へ 敬神生活指導者の鍊成會を開催 |
08 | 米人、大本營發表を信用 米西海岸邦人消息仲內領事語る |
09 | ジヤバのキナの生產 |
10 | 軍馬慰問 |
11 | 大東亞の表情 公を商標と感違ひ(一) 日本製のレコード大流行 |
12 | 軍屬を募集 軍司令部で |
13 | 各市郡に一つ 皇奉新竹州支部の 桔梗俱樂部組織強化 |
14 | 商業金融の聯合部會を開催 基隆商議所で |
15 | 英軍の無慈悲振り 佛兵に恩を仇で返す |
16 | 崇る人手の不足 英の平和產業悉皆お留守 |
17 | 臺北州乾麵工業組合 けふ設立委員會開催 |
18 | 無許可の寄附金募集擧げらる |
19 | 臺北食糧事務所長發令 |
20 | 人事‧消息報社消息 |
21 | 煙幕 |
22 | 今夜の放送 |
23 | 興南詩苑漢詩 故園書事五首/補莊、歸磺溪口占/李少白、清水寺/秋鏞 |
24 | 商況 十二日前場 |
25 | 興南案內報社消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 畏くも上聞に達せらる 第一、第二空襲部隊に感狀頭條新聞 【東京發同盟】海軍省公表(八月十二日午後二時)昭和十六年十二月八日開戰以來旬日にして菲島方面における米國航空兵力を殲滅せし第一、第二空襲部隊に對し聯合艦隊司令長官より左の通り感狀を授與せられ右の旨上聞に達せられたり 感狀 第一空襲部隊、第二空襲部隊 昭和十六年十二月八日開戰劈頭呂宋島における敵米國航空兵力をその本據に強襲し爾後戰力を盡して果敢なる航空戰反復し旬日にしてよく菲島方面所在敵航空兵力を殲滅すると共に終始友軍海上部隊に協力してその作戰を容易ならしめたるは武勳顯著なりと認む、仍て茲に感狀を授與す 昭和十七年五月二十七日 聯合艦隊司令長官 山本五十六 |
02 | 感狀 |
03 | 海軍省公表 |
04 | 一擊敵の大半を屠る 我が空襲部隊の殊勳 |
05 | 圖像:昭南神社上棟式 |
06 | 英機卅機擊墜 |
07 | 松陽作戰の綜合戰果 |
08 | 米英敵性膽に銘ず 八‧一三記念日鎌田艦隊報道部長談 |
09 | 擊墜破三百二機 文字通り敵空軍を粉碎 |
10 | 筆舌に絕する苦心 散華勇士に哀悼の誠を捧ぐ |
11 | 津海、渤海沿岸の肅清 |
12 | 山東、蘇北等の戰果 |
13 | 常山西北の 殘敵掃蕩 |
14 | 我戰鬪技能に驚嘆 米飛行士の率直な述懷 |
15 | 獨軍チルケスク突入 山脈突破の前哨戰 |
16 | 兩軍死鬪を續く スターリングラード南方で |
17 | 更に九工場返還 八‧一三記念日に |
18 | 日本農業有畜 機械協會設立 關係議員團體が |
19 | ウエゴツト中將 印度兵に射殺さる |
20 | 南部戰線戰況 |
21 | 示威行進禁止 印度政廳布告 |
22 | 南十字星 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 石炭生產對策 遷延を許さず社說 一 本島の石炭は現在島內の需要を確保してゐるのみならず、內地に對して移出する外中南支方面の緊急需要を充し、最近更に比島方面へも供給せねばならないから、一定數量の生產確保は絕對的に必要であり、更に進んで將來の需要激增に卽應するため增產策を樹立しなければならない事は論を俟たない、然るに昨秋以來船腹の關係と焚料用炭の減少でとかく島內に滯貨を生じ中小炭業者を以て絕對多數を占めてゐる本島としては勢ひ金融上の困難を生じ、殊に一方に資材獲得難と深掘に依る生產コストの增加と、他方炭價が公定せられてゐるので、大方の炭坑は今や經營難に陷つてゐる事は蔽ふべからざる事實である。それがため本年度の出炭高は豫定の數量を擧げる事が出來ない許りでなく前年及び前前年に比し減產する傾向があるので今にして相當有力な生產確保對策を樹立するにあらざれば將來需要增加の際は一大困難を來す懸念なしとしない。 二 然らば如何にして臺灣炭の生產確保を圖り得るかといへば差當りは內地に於て生產奬勵を為しつつある如く、二重價格制を取つて買上價格を引上げ販賣價格は大體据置くが如き方策を早急に斷行すべきである。既に臺灣石炭會社の設立があり輸出特別利益金を保留してあるから當局に於ては多少拙速でも之を行はざれば中小炭坑の廢堀に依る生產力の低減を來す虞れがある。勿論今後優良炭を增產獎勵の必要があるので價格の改訂も優良炭中心に考慮すべきであり若し之に依つて下等炭の生產減を來しても現下の場合には誠に已を得ざるのみならず、輸送等の關係から見れば寧ろ之に依つて臺灣炭業の合理化を圖り得るのである。若し現在の買上價格を引上げざるに於ては優良炭も下等炭も一律に減產し、將來優良炭の增炭を圖らんとしても最早如何ともすべからざる事態に立ち入る事を知らなければならない。 三 更に進んで考ふべきは本欄に於て屢屢論じてゐる通り島內の中小炭坑が其の數が多過ぎてゐるのであるから、之を地域別に統合する事が極めて必要なのである。卽ち鑛區の重複に依る採掘の非能率經營の非合理化、統制の困難等の見地から見れば當局に於て適宜の地域を決定して合同なり買收なりを慫慂し以て廢坑すべきものと重點に置くべきものとを分けて能率的に合理的に經營すべき事を指導すべきである。之が炭價の改訂と相俟つて臺灣炭の生產確保を為す最も適切な對策であらうと思はれる。勿論かかる問題は詳細なる調查を為すにあらざればなかなか具體的に決定し難き問題であるが石炭界の現狀は最早時日の遷延を許さざる狀態にあるから、當局に於て出來るだけ早く調查を遂げると共に一日も早く之を斷行すべきである。其の他新坑の開鑿に對する補助とか、生產コストの割高な炭坑に對する補償とか其の他新炭坑開發にも從來採用し來れる方策を更に强化する必要あるは明かであるから、當局としては此の際如何にして臺灣炭の生產增强策を樹立すべきか、早急に樹立すべき事を望まざるを得ない。 |
02 | 有難き聖旨を奉戴 一億民益益職域奉公に邁進 安藤翼贊會副總裁謹話 |
03 | 風害犧牲者慰靈祭 宜蘭市公會堂で執行 |
04 | “起て印度今だ” 海外放送標語追加決定 |
05 | 大東亞の市長は語る(五) 行政權統一が肝要 陳公博上海市長 |
06 | 靖國參拜の遺兒 參加範圍擴大さる |
07 | 灌溉不足へ三段構へ 百馬力補給水揚水場竣功式 |
08 | 海軍武官府へ 恤兵献金 |
09 | 圖像:子供と仲よしの東條さん |
10 | 親切な巡查さん 東條首相から表彰 |
11 | 新生マレー記念祭 十五日大大的に擧行 |
12 | 一億、夏に鍛へよ 講演と懇談會の日程 |
13 | 白衣勇士を慰問 萬華愛國子女奉公隊員 |
14 | 山內警務局長 昨日臺中州を初巡視 |
15 | 嘉義陸軍分院を慰問 |
16 | 龍田丸昭南港外に到着 |
17 | ときの声 |
18 | 南方派遣の軍屬(給仕) 皇民奉公會で募集 |
19 | 皇奉改組後 初の部長會議 |
20 | 藤山、竹內兩軍政顧問寄臺 |
21 | 臺大附屬醫院 增築竣工式 |
22 | 人事‧消息報社消息 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 林業勞務者に朗報 山林會、賃金值上を斷行 |
02 | 國民の氣魄鼓舞 東勢街の時局講座 |
03 | 日程一部延期 |
04 | 桃園街の興亞移動展 |
05 | 比律賓を語る 日本女性座談會 |
06 | 譽れの遺兒 出發 |
07 | 青年團結成式 |
08 | 奉納行事を打合 竹東神社鎮座祭を盛大に |
09 | 臺中州商奉團研究會 十七日より彰化市で開く |
10 | 桃園郡下の常會 三部制から一部制の本軌道へ |
11 | 宮木知事體檢視察 |
12 | 市民生活に潤ひ 高雄市演藝奉公團組織 |
13 | 彰化郡事務監查 |
14 | 嘉義市商議所役員會 |
15 | 新高郡青少年團 健兒五千餘名參集の上に結成 |
16 | 高雄市の點呼 |
17 | 協力事項凝議 報國推進隊 花蓮港市大隊 |
18 | 大肚山に魂を磨いて 第一回青年鍊成會終る |
19 | 全く感激ばかり (上)肩身の廣い日本人 |
20 | 經濟統制事務 第一回連絡協議會 きのふ州會議室で開かる |
21 | 常會運營指導 皇奉花蓮港支部で 部落會長講習會 |
22 | 先づ主旨徹底から 貯蓄完遂に花蓮港市大童 |
23 | 大塚田部、常田 三氏の合同送別會 |
24 | 警部代理巡查部長 あすより事務講習 |
25 | 石原竹山街長 辭意固し |
26 | 蘭陽地方暴風雨災害救濟義捐金報社消息 |
27 | 全島中等水上大會 |
28 | 嘉義震災義捐金 近く罹災民に交付 |
29 | 赤誠の献金品 |
30 | 彰化鄉軍武術大會 |
31 | 由緒深い貯藏桶 バイワン族傳家の珍器 |
32 | 高貴漢方藥 密輸を檢擧 |
33 | 人事報社消息 |
34 | 地方多より |
35 | 今日ノ映畫 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 南方漁業への協力 中央と具體的折衝開始 |
02 | 家族手當增額等の 民間勞務者待遇改善 厚生省で近く最後決定 |
03 | 大東亞の農林(下) 水畜產業對策 |
04 | 白米委託搗精 工場整理要綱 米穀局發表 |
05 | 國民貯蓄組合法 施行規則を審議 |
06 | 南送炭頗る順調 |
07 | 粉末生藥製造會社 十五日に創立總會 |
08 | 臺電廿七日に總會 |
09 | 臺灣白米納入組合 改組臨時總會 |
10 | 日本圓の騰貴目立つ 滿鐵伊藤氏の歐洲土產談 |
11 | 來期蔗作收穫面積 十三萬三千七百甲 步留平均一二%二一 |
12 | 臺拓への引繼職員決定 |
13 | 淡水郡家禽商 組合創立總會 |
14 | 經濟手帖 預金部資金と國債 消化 |
15 | 經濟懇談會視察團 一行來花 |
16 | 商況 十二日後場 |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(851)/黃得時;碇政彌 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 西亞諸國に大影響 ソロモン海戰と印度情勢 |
02 | 捕虜五萬七千餘 カラチ戰獨軍特別發表 |
03 | 羅軍ス市を占領 |
04 | ソ聯情報局發表 |
05 | 獨軍戰力益益充實 大島大使東部戰線視察談 |
06 | 殊勳の獨潛艦 英空母イ號擊沈 |
07 | 土國の中立を確信 ソ聯艦隊のボ海峽通過獨當局言明 |
08 | 圖像:滿洲國軍の偉容(一) |
09 | 昭南‧マレー建設譜上 「財政黑字、食糧自給」 語る人‧渡邊軍政部總務部長 |
10 | 大いなる建設の六ケ月 |
11 | 比島地方長官會議 和知軍政監力強い訓辭 |
12 | ソ聯艦隊の海峽通過 トルコも許容すまい |
13 | 西部地中海で激戰展開 |
14 | 英船團の大半 獨伊潛水艦の餌食か |
15 | 伊潛艦敵艦に魚雷命中 |
16 | 各地に暴動勃發 群眾と警官隊衝突 |
17 | 情勢急速に惡化 隨所に放火衝突行はる |
18 | ホワイトハウスで 太平洋軍事會議開催 |
19 | 放火犯は死刑 英の強壓峻烈 |
20 | イ號の擊沈 英空軍省發表 |
21 | “起て印度同胞” 印度獨力聯盟昭南支部大會 |
22 | アーメダバツドでも衝突 |
23 | 工場の大半閉鎖 事態いよく深刻化 |
24 | 英の態度非難 在米印度聯盟 |
25 | カルカツタで 首腦五名逮捕 |
26 | カルカツタの 製麻工場罷業 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 故永久王の御愛馬 大阪天滿宮へ御寄進 天晴“光秋號”の名譽 |
02 | 繰展ぐ赤誠行事 八‧一三記念日の上海 |
03 | 圖像:東條首相加藤少將靈前に額く |
04 | 南方文化教育の近狀(下) 氣魄の人間を鍊成 魂なき教育から脫却 |
05 | 給料不足に英兵の不滿 |
06 | モロツコに熱波 |
07 | 遺品を献納 故乃一中尉の遺族から |
08 | 姙娠相談所を設置 ドイツの人口增殖策 |
09 | イランのパン切符 |
10 | 鎌倉丸神戶 出帆 |
11 | 情報宣傳講演會 情報局兩課長來臺を機に 全島各地で開催 |
12 | 大東亞の表情 目覺のいカナの進出(二) 交通機關は圓滑に運營 |
13 | 日本映畫を研究 盟邦ドイツに於て |
14 | 科學技術研究 戰士顯彰大會 |
15 | 營門に淨汗奉仕 ヨイコドモ夏に鍛ふ |
16 | 高砂族教育所に 本社發行の地圖報社消息 |
17 | 人事‧消息報社消息 |
18 | 今夜の放送 |
19 | 興南詩苑漢詩 小蘇髯招奕靜修禪院與文訪覺齋同賦/翕庵、小蘇髯招奕靜修禪院與文訪覺齋同賦/覺齋、同題步覺齋原韻/文訪、顏龍光先生鶯遷賦贈/謝尊五、顏龍光先生鶯遷賦贈/陳清秀 |
20 | 煙幕 |
21 | 商況 十三日前場 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 畏し‧武勳上聞に達す 朝井、板家兩小隊に感狀頭條新聞 【東京發同盟】マレー國境を突破した松井兵團主力の南下追撃にあたり爆破寸前のアロールスター橋梁に挺身敵が仕掛けた爆破用の導火線を切斷の剎那□脅と共に小隊長以下壯烈な華と散つたが殘る隊員を以て突入敵を混亂せしめ上流鐵道橋の確保を容易にし部隊の追擊を有利に導いた渡邊部隊朝井小隊長朝井肇中尉外十名及び同じく松井兵團に□しジヨホール州メキンボール附近に於て獨斷敵主力を背後より攻擊□着した戰況を打開小隊長以下全員壯烈な戰死を遂げたが克く眾敵潰滅の動機を作つた渡邊部隊板家小隊の兩隊の偉勳に對して曩に山下マレー方面陸軍最高指揮官より感狀が授與せられたが今回畏くも上聞に達せられた旨十三日陸軍省より左の如く發表された 陸軍省發表(八月十三日午後四時) マレー作戰に於て拔群なる功績を樹てたる渡邊部隊小隊長朝井中尉外十名及び同部隊板家小隊に對し曩に同方面陸軍最高指揮官山下奉文より感狀授與せられしが今般畏くも上聞に達せられたり 感狀 渡邊部隊 朝井小隊 小隊長陸軍中尉肇以下十名 右は松井部隊のジツトラ陣地突破後の追擊に當りアロールスター南端橋梁の確保を命ぜられ敢然□進敗敵を繋破しつゝ主力に挺進して十二月十三日十時十分所名の橋梁に達するや橋梁南側より敵の猛射をうく小隊長は直に金子中山兩伍長を橋梁南端に乘車突進せしめつゝ自ら部下二名を率ゐ敵彈雨注の間を北方橋礎に向ひ挺身橋梁爆破の導火線を切斷せんとする刹那轟然たる音響と共に壯烈な戰死を遂げ金子、中山兩伍長は敵中に突入し數名を刺し殺せしも眾寡敵せず中山伍長先づ倒れ金子伍長亦負傷せり如上の如き小隊長以下の勇猛果敢なる突進は敵を恐慌混亂せしめ同橋梁東側鐵道橋の確保を容易ならしめ松井部隊爾後の追擊を有利ならしめたり その壯烈果敢なる行動と崇高熱烈なる責任觀念とは全軍の龜鑑となすべくその功績拔群なりと認む 依て茲に感狀を附與す 昭和十七年二月十五日 マレー方面陸軍最高指揮官 山下奉文 感狀 渡邊部隊板家小隊 右はマレー作戰に於て渡邊部隊の一月二十六日メンボール附近に於ける陣地攻擊に當り中隊の第二線として戰場に到着するや膠着せる戰況を打開し主力の戰闘を容易ならしむるため獨斷 敵主力の背後を攻擊しこれを潰定に導きたるも敗走中の敵はその兵力の寡少を察知して四周より逆襲に轉じたるため小隊長以下二十三名力戰奮闘時餘に及び彈丸盡き白兵突擊を反復し敵に至大の損害を與へつつ遂に全員壯烈なる戰死を遂げたりその勇猛果敢なる攻擊は克く眾敵潰滅の動機を作成し爾後の戰闘指導を有利ならしめたものとゆふべく功績拔群なりと認む 依て茲に感狀を附與す 昭和十七年二月十五日 マレー方面陸軍最高指揮官 山下奉文 |
02 | 果敢!肉彈又肉彈 壯絕な兩隊の戰鬪經過 |
03 | 比島軍政の根本方針 行、財政、產業、交通、保甲制度等 長官會議に於いて和知軍政監訓示 |
04 | 東京市助役 大村、合河兩氏承認 |
05 | 圖像:滿洲國軍の偉容(二) |
06 | 不眠不休で審議檢討 行政簡素化案各般の準備進む |
07 | 田澤氏始め五氏に 銀杯又は木杯を下賜 |
08 | 二百五十名の「慶祝團」 今秋渡滿、慶祝の誠意を披瀝 |
09 | 壯烈な山嶽戰へ 獨軍カスビ海要港進擊の態勢 |
10 | 赤軍第六十二軍 戰車第一軍殲滅 |
11 | 印度の生產能率阻害 米の最も懸念する所 |
12 | 埃及の反英 日日激化す |
13 | 南十字星 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 國民學校教員 待遇の改善 今が絕好の時機社說 一 政府は簡素化される各省事務の管掌と能率增進のため官吏の全面的待遇改善の實施案を行政簡素化案と共に決定發表したが、これは戰時行政事務に挺身する官吏に對する政府の思遣りに依る英斷であると同時に、洵に時宜に適した措置であるといふべきである、既に決定されたるものは中央地方作業廳の分であつて、道府縣廳、獨立官廳、外地官廳の實施案については、逐次これを決定發表すべく目下檢討を急いでゐるといふが臺灣の如き外地獨立官廳は當然特殊事情が考慮に入れられることは勿論のことと思ふ、若し然りとせばこの絕好の機會に際し、是非共實行されたきは警察官及び國民學校教員に對する特別優遇のことである內地のそれに應じ臺灣の官吏も一樣に家族手當の引揚げ、臨時手當の支給が行はれるであらうが、警察官や國民學校教員は他の官吏の如く同率に引上げられたところでその基本が既にして低いのであるからさしたる待遇改善とはならないのである。 二 警察官優遇の必要性は既に本欄に於て述べたところなるを以てこれを省略し、國民學校教員の待遇改善の如何に必要なるかを簡單に述べて見よう、傳へ聞く所によれば單り臺灣のみならず全國的に國民學校教員の不足を來してゐるといふが、これは男子教員にして名譽の應召を受けたる者も相當あることゆえそれによる不足も見逃すことは出來ぬが、それ以上に大なる理由は、待遇が惠まれざるため轉職者が續出すること及び師範學校への入學希望者が最近數年頓に遞減しつつあることである。また少しでも優秀と目され或は野心多き教員は中等學校等の檢定を受け次から次と國民學校を去つて行くが、これ等は待遇惡きために延ては國民學校教員の素質を低下さす原因ともなつて行くのである、國民學校教員が他の官吏にも增して清貧に甘んじ奉公の誠をいたしつつあるは何人もこれを認むるところであるが、清貧にも自ら限度ありである、奏任待遇者を殖やし、所謂名譽的待遇の改喜をなすことも勿論結構なことではあるが、生活の安定はそれ以上必要なことではあるまいか。 三 或る國民校教育改善論者は、小學教員は須らく大學教授同等に待遇すべしと唱へてゐるがその是非は別として斯くの如き論をなす所以のものは、畢竟するに國民學校教員の兒童に及ぼす感化の偉大さを間接に述べてゐるのに外ならない、純心な兒童の教員への崇敬の念は父母に對する以上、否絕對的のものであることは敢て贅言を要せぬところであつて、それだけに教員の素質人格は直ちに以て兒童に影響し、軈ては國家の將來の運命にもかかはるのである、かの軍神岩佐中佐が齋藤氏なる小學校教員に全靈を擧げて傾倒し、齋藤氏またよく指導して軍神を育て上げたといふ事實は國民學校教員の有する力の偉大さを如實に物語つてゐる、物事は何かのきつかけがなければ却却着手出來るものではない、官吏の待遇改善を機に國民學校教員の特別優遇法を斷乎講ぜられるやう望んでやまぬ。 |
02 | 軍人援護の強化へ 十月三日から八日迄六日間 全國一齊に運動展開 |
03 | 譽の軍國の家 マレー作戰に感狀を授與された 故朝井中尉家訪問記 |
04 | 圖像:北白川宮家より大阪天滿宮に御下賜になつた 故永久王の御愛馬光秋號 |
05 | “本人もさぞ本懷” 感狀に輝く故板家少尉母堂談 |
06 | 上海激戰地の昨今 八‧一三記念現地便り |
07 | 文藝と映畫の夕 廿一日市公會堂で開催 |
08 | 第三部隊への軍馬慰問 |
09 | 要保護青少年の 工農鍊成道場竣工 二十日に開所式擧行 |
10 | 勤報臺中訓練所第十六回退除式 十七日に擧行 |
11 | 新竹消防組 詰所落成式 十五日に擧行 |
12 | 保護報國の高揚へ 九月十日から司法保護週間實施 |
13 | 小柳事務官 宜蘭發赴任 |
14 | 簡保の一戶一口增加入運動 各奉公班で大童 |
15 | 圖像:八‧一三記念日を迎へて |
16 | 國民體力受檢者への注意 |
17 | 拓南農業戰士訓練所 全島六ケ所の主事、教官發令 |
18 | 馬來語講習會修了式 |
19 | 臺中市視察團 歸途に就く 被害各地の視察を終へて |
20 | 新流行“少年犯罪” 人員不足に惱む米國 |
21 | 臺北州支部の 合格者發表 |
22 | イタリーの新衣料切符 |
23 | 區長會議開催 宜蘭市公會堂で |
24 | 故石坂氏記念事業 和泉州議以下有志等の發起で |
25 | 手肘金詐欺漢檢擧 |
26 | 齊默特色木丕勒氏 |
27 | 人事‧消息報社消息 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 金屬回收運動高潮 嘉義市の推進班活躍 |
02 | 優秀な青年達に 第一種訓練を實施 |
03 | 志願兵目指して 屏東の健兒猛訓練 |
04 | 夢も戰友の身の上 勇士の戰友愛に淚 |
05 | 彰化郡青少年團 廿八日鹿港で結成 |
06 | 慰問雜誌は成るべく 新しい物に願ひます |
07 | 臺中市の第二次 體檢開始 |
08 | 奇術師伴ふて お山を慰問 |
09 | 和かな戰時生活を 皇奉高雄市支會親切運動を起す |
10 | 簡保加入運動好成績 花蓮港市民の熱誠で |
11 | 比律賓を語る 日本女性座談會(下) |
12 | 元氣一杯で歸鄉 勤報青年隊臺中州隊 |
13 | 婦人鍊成會 南投皇奉會主催 |
14 | 屏東市鄉軍 點呼豫行演習 |
15 | 軍屬志望手續の 問合せに應す |
16 | 本年度奉公運動實施事項 花蓮港廳支部の打合 |
17 | 經濟懇談會委員 屏東視察 |
18 | プール建設の議 |
19 | 大越高雄州總務部長着任 |
20 | 新化水利組 評議員會 |
21 | 拓南の希望叶つて 臺中州農業戰士合格者發表 |
22 | 選手派遣の 少年團大會 |
23 | 紙芝居挺身隊を結成 |
24 | 吉野氏個人展 |
25 | 花蓮港はあす 銓衡試驗實施 |
26 | 屏東市強步大會 廿三日の日曜に |
27 | 臺中市若松町五蔡江泗氏 |
28 | 人事 |
29 | 地方多より |
30 | 蘭陽地方暴風雨災害救濟義捐金報社消息 |
31 | 今日ノ映畫 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 黃麻、苧麻等の特用作物 臺南州で獎勵方針決定 |
02 | 下級石炭の整理が 業界の中心題目 價格間の調整強調さる |
03 | 農村賴母子講と 信用組合の機能/游金養 |
04 | 統制會の育成強化 商相各統制會長に強調 |
05 | 貿易統制規則改正 近く愈愈中央と協議 |
06 | 誠心誠意事に當る 藤田新特產課長談 |
07 | 農報推進協同隊編成式 |
08 | 米作講習會開催 |
09 | 產組各機關で 戰時對策審議會設置 |
10 | 改正賃金座談會 |
11 | 化學工業品價格 物價專門委員會で決定 |
12 | 內地連絡小荷物 當分の闇取扱中止 |
13 | 民用材需給計畫 近く打合會で決定 |
14 | 清掃具會社開業 |
15 | 經濟手帖 木炭の生產狀況と 對策 |
16 | 移入電柱及枕木 けふ價格公定審議 |
17 | 照明燈 |
18 | 商況 十三日後場 |
19 | ラジオ |
20 | 水滸傳(852)/黃得時;碇政彌 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 英、米の二空母大破 英フユーリアス型、米ワスプ型 西地中海海戰戰果擴大 |
02 | 昭南‧マレー建設譜中 超スピードの復興 產業、金融、財政、交通、通信 |
03 | 英側損害甚大 伊軍司令部の發表 |
04 | 英官邊では 言明を避く |
05 | 大破英米二空母の性能 |
06 | 英の護送艦 レスラ擊沈 |
07 | 戰艦、航母も擊沈必至 對英海空戰の詳細とその戰果 |
08 | 赤軍防衛陣地 突破に成功 獨軍戰車部隊 |
09 | 反英暴動益益猖獗 アラハバツドの模樣 |
10 | 翼政會移轉 農相官邸に |
11 | ナグプルでも 英官憲と衝突 |
12 | メルボルンに 初の空襲警報 |
13 | 米國務省聲明 |
14 | 樞軸軍の 地中海制霸を確立 今次海戰、米英に致命的打擊 |
15 | 各地の狀況 |
16 | 悽慘な血鬪戰展開 ノヴオロシースクで |
17 | 獨軍進出 |
18 | 圖像:滿洲國軍の偉容(三) |
19 | 印度政廳 彈壓を強化 |
20 | 獨軍司令部 發表の戰況 |
21 | 獨の爆擊機編隊 黑海沿岸を強襲 |
22 | ヴオドイ礦泉地區に突入 |
23 | 英各地爆擊 |
24 | 印度の情勢 重慶政權憂慮 派遣團呼び返す |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日常生活から見た 大東亞戰後の米國 日米交換船船中座談會 |
02 | 本島の治安磐石 警務官の懸命な努力に感謝 西部初巡視を終へた山內警務局長談 |
03 | 大東亞の表情 「木蘭從軍」の陳雲裳(三) 今も和平陣營に參加 |
04 | 英國民の生活 困窮その極に達す |
05 | 圖像:八ツ岳に鍊成する新聞記者 |
06 | 獨立ワフド黨結成 エ前エヂブト藏相 |
07 | 體驗を實地教育に 大直で鍊成中の中等學校長 第三部隊で軍事講習 |
08 | 金子新竹州總務部長が着任 |
09 | 被服修繕に淨汗奉仕 家政女が第三部隊で |
10 | 燈火管制に喜ぶ 米の天文學者 |
11 | 交驩野球試合 |
12 | 南方派遣軍 軍屬(給仕) 臺北州の試驗期日と場所 |
13 | 菜種子の無償配布 |
14 | 惡德豚肉商 赤肉取つて白肉を賣る 南署の一齊臨檢 |
15 | 人事‧消息報社消息 |
16 | 興南詩苑漢詩 幼々歌贈武田氏/春潮、步補莊雜詠韻/莊小封 |
17 | 大尖後山登山 |
18 | 煙幕 |
19 | 今夜の放送 |
20 | 商況 十四日前場 |
21 | 興南案內報社消息 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 天皇陛下に拜謁 本間將軍きのふ入京參內 詳さに軍狀を奏上頭條新聞 【東京發同盟】歸還の途にあつた前比島方面陸軍最高指揮官本間雅晴中將は十四日午後一時四十二分東京驛着入京直ちに參內午後二時三十分表御座所において 天皇陛下に拜謁仰付けられ戰史に輝く比島戡定作戰に關し詳さに軍狀を奏上、畏くも優渥なる御嘉尚の勅語を拜し恐懼宮中を退下した、大東亞戰下最高指運官としては初の歸還者として拜謁の光榮に浴する本間將軍は軍裝に威儀を正して控ノ間に伺候畏くも 天皇陛下には御軍裝御稟々しく大勳位副章を御佩用御座所に出御あらせられ東條兼攝陸相、杉山參謀總長侍立の下に將軍は謹んで御前に參進拜謁仰付られ詳さに軍狀を奏上畏くも 天皇陛下には殊の外御滿悅にて將軍に對し優渥なる御嘉尚の勅語を賜つたと拜承するが將軍は恐懼御前を退下更に御內儀に進み 皇后陛下に拜謁仰付られ有難き御慰勞の御言葉を拜し次いで南溜ノ間において祝酒を拜受し退下した、畏き邊りではこの日將軍に對し御紋付木杯一組並びに金一封を下賜せられ厚くその勞を犒はせられた、宮中を退下した本間中將は同四時四十分杉山參謀總長に歸還報告をなした後東條陸相、山田教育總監、土肥原航空總監を夫々訪問歸還の挨拶を述べた、 本間將軍略歷 【東京發同盟】比島方面陸軍最高指揮官より今回某要職に轉じた本間雅晴中將は新潟縣佐渡の出身陸士陸大を優等卒業、英國に駐在後 皇族武官英國大使館附武官などを經て滿洲事變には陸軍省新聞班長として活躍支那事變では漢口攻略戰に部隊長として出征後天津防衛司令官、臺灣軍司令官を歷任今次大東亞戰爭勃發とともに比島方面陸軍最高指揮官としてその攻略作戰に偉勳を樹てた |
02 | ソロモン海戰綜合大戰果 擊沈敵艦船實に卅五隻 擊破艦船五、擊墜敵機五八 |
03 | 一機一殺の肉彈攻擊 三晝夜に亘る大激鬪 |
04 | 比島の軍政 非常に順調 本間將軍語る |
05 | 田中靜壹中將親補 比島方面最高指揮官に |
06 | 溫情に富んだ武將 田中將軍の機關石田憲兵隊司令官語る |
07 | 米英に深刻な打擊 ソロモン海戰の意義 |
08 | 擊沈破敵巡洋艦要目 |
09 | 我が大戰果 獨放送局全國に放送 |
10 | 宜昌作戰の 勇將 田中靜壹中將 |
11 | ヴ長官以下に 就認最初の訓示 |
12 | 伊國大大的に報道 |
13 | 英朝野に一大衝擊 |
14 | 全印回教聯盟 十六日運用委員會で態度決定 |
15 | 南十字星 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 官廳附屬團體の整理統合社說 一 國家總動員の要請するところは、人的にも物的にも要するに國家目的の線に沿うて、一切の冗費浪費を排除して、集中的により高度の能率化を圖ることに在るは異論のないところである從つてこのために政治、經濟、文化或は國民生活の各部面に於て、いはゆる新體制が要請せられ、就中經濟部面に於ては、既に强力にして全面的な統制が、或は急速に或は除除に實施せられてゐるのである、また人的方面に於ても、行政簡素化によつて、官界新體制が急速なる實現を見んとして居り、延いて一般民間にも及ぼさんとする趨勢を見せてゐるが、この秋に際り最近經濟の强化に伴つていはゆる統制の波に乘り、いちぢるしく濫立の傾向にある各種經濟團體の整理統合が、真摯にとり上げられて檢討を加へてゐることは、洵に時宜を得た措置としてさきに本欄に於て强調した通りであるが、ここでは更に各州廳附屬團體組合の整理統合について當局の果敢なる對策を要望したい。 二 官廳の附屬團體組合は、大體行政、產業、警察の各分野に亘り、法令に準據して組織せるもの、各州を通ずる系統的なもの單獨の任意的なもの等等、實に多種多樣のものがある。正確な數字は督府に於でも未だ完全な調查を得てゐない模樣であるが現在既に調查せるところに依れば、各州廳、郡街庄の單位團體組合數は、五千を下らないと推算されてゐる、而してこれら單位團體組合の豫算總額は、三億五千萬圓を突破する有樣である。斯くの如く其の數と云ひ、其の豫算と云ひ、殆んど驚くべき數字に上つてゐるが、然らばこれらの團體組合は、總べてが夫夫の機能を發揮してゐるかと云ふに必らずしもさうではない、何故ならは、これらの團體組合は餘りにもも性格を同じうする屋上屋、或は屋下屋を重ねたものが多いからである。云ひ換へれば數多くの單獨な任意組織が、無統制に濫立、並立してゐるからに他ならないのである。 三 例へば、臺灣地方自治協會が總督府に本部を置き、各州廳以下街庄に至るまで系統的に支部、支會分會を置いてあるにも拘らず、新竹州には市街庄協會、臺南州には自治協會といふ同性格の系統的團體を並立させてゐる如きである。殊に甚しいのは例へば全島的に社會事業協會なる系統的團體がる上に、更に同じ使命と目的を有する社會事業聯盟(新竹州)とか社會事業助成會(高雄州)とか、或は聯合保護會、佛教會、慈惠院、保全會、同善會、普濟院、救民等濟會等等の單獨任意團體が多數濫立するが如きである。斯くの如く、同じ性格、同じ使命と目的を有する系統團體の外に尚幾多の單獨任意團體を並立濫立させることは、人的にも物的にも大なる浪費と云はねばならない。否數多くの分散的な並立は決して斯業の强力にして完全なる成果を收める所以ではないのみならず、却つて阻害を來さしめる恐れが多いのである。官廳附屬團體の整理統合は斯る觀點から速かに斷行せられんことを期待してやまぬものがある。 |
02 | 三笠宮殿下を奉戴 明治神宮國民鍊成大會總裁 御聽許の御沙汰を拜受して小泉厚相謹話 |
03 | 米空軍徹底擊滅へ 殊勳の戰鬪機部隊に聽く 我が荒鷲達の實戰談 |
04 | 神勅、照勅、御製を謹輯 帝都で近く各區長に授與 |
05 | 偲ぶ將兵の勞苦 全島中等校校長の軍事講習第一日 |
06 | 圖像:第三部隊に於ける中等學校長軍事講習 |
07 | 皇軍の勝利を確信 抑留キヤンプ生活者體驗談 |
08 | 奉公壯年團臺北州支部 廿七日に晴の結成式 |
09 | 防空陣の完璧へ 指定官廳の防空訓練實施查閱 |
10 | 交換船昭南に感激の入港 |
11 | 地主懇談會 十六日公會堂で |
12 | 鄉隆氏に依囑 體振民間側副會長 |
13 | 官立の專門學校程度に 師範學校制度の刷新要綱決定 |
14 | 來年度に實施 國民校教職員養成の完璧へ |
15 | 必需品配給の圓滑へ 各團體に參考意見を聽く |
16 | 修業年限及び 入學資格決る |
17 | ときの声 |
18 | 海水浴場荒し檢擧 |
19 | 田部助役着任 |
20 | 人事‧消息報社消息 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 隣保相扶の助長へ 臺南市、區規定を改正 |
02 | 赤誠の慰問雜誌 臺南市から四千餘冊 |
03 | 集集街委月例會 |
04 | 屏東市の防犯 宣傳行事 |
05 | 賞賜物件傳達 羽鳥市長から |
06 | 官廳が率先垂範 八月を準備期間に 高雄州金屬回收の完璧陣を布く |
07 | 內埔庄常會運營研究會 |
08 | 職業別に訓練 嘉義市の青年鍊成 |
09 | 皇奉大溪支會 青年訓練開始 |
10 | 長興庄の研究會 |
11 | 徵兵合格者訓練 |
12 | 嘉義市商議所役員會 |
13 | 青年教育基金に 祭祀公業を提供 北斗郡民の美擧 |
14 | 嘉義陸軍病院のプール開き |
15 | 嘉義市の體檢 十八日知事が視察に來嘉 |
16 | 軍屬採用試驗 臺南は廿二日に |
17 | 彰化市主婦懇談會 |
18 | 金屬回收講演會 島澤事務官屏東で熱辯 |
19 | 經濟懇談會 視察團來花 |
20 | 磨く婦德は光る 臺中州女青鍊成會終了 |
21 | 回收打合會開く |
22 | 晴の高文合格 |
23 | 枋寮義民廟中元祭典打合 |
24 | 慶谷鐵道部 庶務課長赴任 |
25 | 圖像:龍田丸デツキにて救命具のつけ方の練習 |
26 | 高雄市の講演會 |
27 | 蘭陽地方暴風雨災害救濟義捐金報社消息 |
28 | 結婚の事なら何んでも 花蓮港市の相談所店開き |
29 | 學齡兒童の調查 義教に備へて花蓮港廳全馬力 |
30 | 嘉義市吳春霖氏の妹 |
31 | 人事報社消息 |
32 | 地方多より報社消息 |
33 | 今日ノ映畫 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 戰時輸送の增強 鐵相各省の協力を要望 閣議席上 |
02 | 產聯參與、評議員 十三日附を以て決定 |
03 | 軍官、生擴用材(第二‧四半期分) 申請全量を割當配給 |
04 | 臺北州不動產賣買 紹介營業組合設立 |
05 | 電話の割當方法 電信電話主任會議で協議 |
06 | 皇國農村の確立 (上)農林政策ここに結集 |
07 | 玉里產業會社が 產倉及籾摺工場を買收 郡當局の計畫非難さる |
08 | 黃介騫氏 州商工水產課長へ |
09 | 米穀增產懇談會 |
10 | 從業員の經過 遞信部で考慮 |
11 | 本末顛倒な話 產聯幹部の意見 |
12 | 週間經濟の展望 |
13 | 米穀の適正配給 重輕勞働者の區分改正 近く根本方針決定 |
14 | 經濟手帳 中國、交通兩銀行の改組 |
15 | 照明燈 |
16 | 商況 十四日後場 |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(853)/黃得時;碇政彌 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | アラフラ海を制壓 三諸島の作戰經過 |
02 | 圖像:炎熱下西南太平洋を制壓する海の勇士 |
03 | 轉廢業者を南方へ 商業組合中央會で具體策研究 |
04 | 強力な楔を打込む ス市の赤軍防衛陣に |
05 | コーカサスの運命 最後の段階に近づく |
06 | 獨軍司令部の 戰況發表 |
07 | 伊軍其後の戰果 英護送船團襲擊戰 |
08 | 部落會町內會の指導 定例閣議で翰長より報告 |
09 | ソ聯黑海艦隊 バ港に遁入 |
10 | 滿洲開拓第二期 五ケ年計畫 內地で實行方策檢討 |
11 | 印度各地の騷擾 |
12 | 彈壓政策に反對 英勞働黨が |
13 | 成果なき英米ソ會談 |
14 | 印度獨立運動全幅支持 バ泰國宣傳局長言明 |
15 | チリー大統領の訪米を慫慂 ル米大統領が |
16 | 米紙頻りに敗戰を粉飾 |
17 | 兩サルタン 侯位拜命 |
18 | 貴院各調查班の聯合會 |
19 | 締切りは廿日 航空日の記念 懸賞作品募集 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新嘉坡陷落して半歲 八月十五日を新生マレー記念日に 全住民を擧げて赤誠慶祝 |
02 | 基礎構築に全力 鈴木マレー軍政監談 |
03 | 靜養中の長谷川總督 全快‧十七日から登廳 |
04 | 交換船龍田丸 昭南港を出發 |
05 | 影を潛めた自動車〔二〕 開戰後一變した米國の街頭風景 日米交換船船中座談會 |
06 | 內務教育狀況を見學 中等校校長軍事講習第二日 |
07 | 新竹消防組詰所の落成式 有樂館で擧行 |
08 | 野球で白衣勇士を慰問 けふ北投球場で和かな一日 |
09 | 炎天下淨汗奉仕 國防訓練所造る學徒の流汗作業 藤岡兵務部長、西村文教局長視察 |
10 | 六項目を協議 基隆市區長會議 |
11 | 皇奉機構刷新人事異動 各部の參事囑託發令 |
12 | 清新活潑な推進期待 強化された皇奉の陣容 |
13 | 附屬病院增築落成式 |
14 | 各參事囑託の抱負 |
15 | 中央本部に班制 六部の班名夫夫決定 |
16 | 拓南農業戰士 臺北州隊、豫備訓練へ |
17 | 興南詩苑漢詩 蘇魯門戰捷感賦/平岡曉嵐、步補莊什詠韻三首/莊小封、春日神社/秋鏞、東大寺/秋鏞、東港神社祭典恭賦/山河達、贈雪峯兄/東港 蕭冷史、次蕭冷史戲贈原玉/悟生 山河達 |
18 | 船越光之丞男 |
19 | 人事‧消息報社消息 |
20 | 煙幕 |
21 | 今夜の放送 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大東亞戰第二番目の個人感狀 尖兵隊長高橋中尉 破格の榮譽に浴す頭條新聞 【東京發同盟】ビルマの空に華と散つた大平大尉及び軍神加藤少將に次で大東亞戰下第二番目の個人感狀がマレー作戰に拔群の功を打ち樹てた國司部隊中隊長高橋一義中尉に對し山下マレー方面陸軍最高指導官より授與せられ同中尉は破格の榮譽を擔つたのであるがこの程その偉勳は畏くも上聞に達せられた旨十四日陸軍省より發表された 同中尉は終始マレー快進擊作戰の陣頭に立ち常に神速よく敵背後への迂回作戰をとつて偉功を奏し二月九日ジヨホール水道の敵前渡過には第一回渡過部隊の指揮をとつて上陸に成功シンガポール陷落を目前に控へて萬代山の激戰に壯烈な華と散つた勇將である △陸軍省發表 (八月十五日午後四時) マレー作戰において每戰偉功を樹て功積拔群なる國司部隊中隊長陸軍中尉高橋一義に對し曩に同方面陸軍最高指揮官山下奉文より感狀を授與せられしが今般畏くも上聞に達せられたり 感狀 國司部隊中隊長 陸軍中尉 高橋一義 右はマレー作戰の終始を通じ常に率先陣頭に立ちて奮戰し部隊の戰闘を有利ならしめたり就中バクレ附近の戰闘においては部隊主力の迂回に際し尖兵中隊長として神速に敵背後の要點に進出し退路を遮斷して優勢なる敵を捕捉し及センガラン附近の戰闘においては僅かに一分隊を指揮し部隊主力に先行して敵狀地形を偵察しその戰闘部署を適切ならしめついで夜襲によりセンガラン橋梁を奪取確保して大戰果を獲得するの端緒を開き二月九日ジヨホール水道の敵前渡過に際しては部隊の第一回渡過部隊を指揮して上陸に成功し十日萬代山の攻撃に於ては機眼よく敵の弱點を看破し標高百八十五高地附近を占領して部隊爾後の攻擊を有利ならしめ翌十一日萬代西側高地を占領後進んで敵狀地形偵察のため山頂より前進せんとして敵砲彈の集中火を受け壯烈なる戰死を遂ぐその積極果敢進んで難局に當り每戰偉功を樹てたるは以て全軍の龜鑑となすべくその功績拔群なるものと認む仍て茲に感狀を附與す 昭和十七年二月十五日 マレー方面陸軍最高指揮官 山下奉文(寫真は個人感狀に輝く高橋一義中尉) |
02 | 果敢機敏なる行動 敵の退路遮斷に成功 |
03 | 東條首相參內 |
04 | 湯澤內相參內 |
05 | ボンベイカルカツタ動搖の種種相 脫出印度商人語る |
06 | 伯國油槽船擊沈 |
07 | 圖像:田中比島方面最高指揮官初登廳 |
08 | 各地の暴動情況 |
09 | 高橋中尉略歷 |
10 | 首相以下 定期敘位 |
11 | 天人俱に許さぬ 英國の非道ぶり 印度問題で平和的假面剝ぐ 支那派遣軍 岩崎報道部長談 |
12 | 獨立期成大會 全歐印度人起つ |
13 | 敵米英を震撼 ソロモン海戰の意義伊藤正德氏談 |
14 | 道府縣支部に事務局長を新設 翼贊會地方支部規定を改正 |
15 | 駐滿泰國の 初代公使 ヴ少將廿日赴任 |
16 | 天然資源が豐富 スマトラ視察の芳澤大使談 |
17 | ス市の攻擊熾烈 |
18 | 司法辭令 |
19 | 興銀定時總會 |
20 | 南十字星 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 東條首相と 懇切な巡查社說 一 去る十二日の午下り首相官邸で、東條首相が高熱に泣く幼兒のために働いた親切な一巡查に表彰の記念品が贈呈され、關係者のみならず、一億銃後國民にも多大な感銘を與へた。その善行の內容は各新聞にも報道されてゐる通り、一婦女が去る六日の深夜中、幼兒が高熱を出して苦しみ、ヒマシ油を買ふため藥局を呼び起したが起きない。仕方がないから附近の派出所須藤巡查にこの旨を訴へた。同巡查は直ぐ藥局を叩き起して、ヒマシ油を買つてやつたのみならず、後で高熱患者には氷も必要だらうと氣をくばり、早速氷二貫を奔走して午前二時頃の休憩時間を利用して同婦人の所へ届けてやつた。お蔭で幼兒は全治し、此行為は端なくも東條首相の耳に入り、今回の表彰となつたものである。これは市井に於ける些細な美事善行の一つに過ぎないが、その持つ社會的影響は極めて大きいのである。卽ち直接親切を受けた一家は感泣して一生涯肝に銘じて忘れられないであらう。藥局が若しも橫着で起きないとすれば、この巡查の篤行を知つて必ずや慚愧して今後之を繰り返さないであらう。而も東條首相の表彰に依つて表面化し、銃後國民に多大な感銘と共鳴を呼び起し、親切運動の實踐者として一般にこの上もないよい模範を示すものである。 二 親切と感謝!これは戰時下に於ける最も美しい行為として、國民の共同生活を和やかにし、溫く明るくするものである。殊に從來稍稍もすれば一般人民に威壓的態度を以て臨み易い警官が、戰時下不自由な生活をしてゐる國民と同じ氣持になつて親切を盡すことは、國民に反映する感謝感激も更に大なるものがあり、銃後國民の士氣を昂揚するに絕大の效果を有するものである。從來人民と最も廣い接觸面を持ちながら、而も職掌柄人民に餘り親まれない警官が親切な行為を通じて國民の感謝を集め、國民に親まれることは、銃後警民の一體化に更に拍車をかけるものである。東條首相もこれらの諸點に着目して事柄はたとへ小なりとも、其影響の大なるのを認めて表彰したものと考へられる。而して表彰の言葉に「警官はいつでも陛下の赤子をお預りして幸福に暮せる樣に保護してゐると云ふ重大な任務を忘れてはならない、どうかこの上ともこの氣持でやつて頂きたい。全國の警官も一人殘らず、貴君のやうな氣持で勤務するやうにしたいものだ。」と懇懇と警察道を說かれた 三 かく些細なる事柄でもその意義を認め、之を取り上げて表彰する處に偉大なる指導者東條首相の銳敏なる神經が見出されるのである。卽ち大東亞戰に於けるあの逞しい雄渾な指導の反面に、國民に對する細い銳敏な神經が躍如として示されてゐる。東條首相は前議會に於て「國民指導の要諦は人民と共に歡び、人民と共に泣くにある。今後もこの方針で國民を指導して行きたい」と答辯された。この宣言は先般の地方巡視に於て數數の人情首相の逸話として遺憾なく發揮され、今回の警官表彰もその一端の現れとして實踐されたものである。世には徒らに大言壯語を事とし、微妙な國民生活には殆んど無神經と思はれる樣な指導者も多數見受けられるが、これらは須らく東條首相の雄大なる指導と細い神經の使ひ方を學ぶべきであらう。而して事柄はたとへ小なりとも、銃後國民の士氣を振作し、和やかな、明るい共同生活に貢献する行為なれば銃後の戰士として續續表彰すべきであらう。 |
02 | 畏き聖旨を拜し 一段と職域奉公に邁進 湯澤內務大臣謹話 |
03 | ルソン島貫通道路 高砂義勇隊の活躍に依り 全長千四百粁完成 |
04 | “嬉しさで胸一杯” 譽れの側人感狀に輝く故高橋中尉兩親談 |
05 | 前線將士に“涼風” 公會堂で扇面書道展 |
06 | 聖旨奉戴記念事業 各地方の計畫を見る |
07 | “海外同胞訓”決定 きのふ一般に公表 |
08 | 國防と國民體力鍊成 陸軍省兵務課長而玉大佐の放送 |
09 | 鄉軍基隆聯合 分會武道大會 |
10 | 基隆市第二種空訓 廿三日より三日間實施 |
11 | 教學刷新の上に 貴き體驗を活用 全島中等學校長軍事講習終る |
12 | 人形劇(布袋戲)試演 臺北小西園と新國風人形劇團 きのふ奉公會中央本部で |
13 | 百馬力水揚水場 きのふ竣工式を擧行 |
14 | 安井宜蘭郡守の初巡視 |
15 | ときの声 |
16 | 皇民奉公會辭令 |
17 | 臺北州農訓拓南部生徒募集 |
18 | 基隆市內女青幹部の訓練會 |
19 | 締信部異動 |
20 | 人事‧消息報社消息 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 人的薪資源を開拓 司法要保護者を鍊成 |
02 | 下部組織を強化 新に副支會長を置く |
03 | 調查期間延長 嘉義市の金屬 回收打合で |
04 | 名譽の戰死者 槇島、高田兩部隊發表 |
05 | 故畑田兵曹の遺族を弔問 |
06 | 日本精神の把握へ 高雄州の先生方、屏東に合宿 |
07 | 初の鍊成會 嘉義桔梗クラブ |
08 | 淡水の婦人鍊成會 |
09 | 愈よ鐵の鍊成 高雄市青年第一種訓練開始 |
10 | 臺中市の點呼 |
11 | 點呼手當を献金 |
12 | 彰化鄉軍武術大會 |
13 | 高雄州議に安藤氏 |
14 | 懷しの社頭對面 待陀ぶ勳の遺兒出發 |
15 | 柑橘界の黃金景氣 文旦の高值が滿洲で五○圓 北叟笑む栽培者 |
16 | 新高郡方面 事業研究會 あす郡會議室で |
17 | 打てば響く 現地青年の意氣 昭南興亞訓練所を視る |
18 | 清水時局講演會 終つて座談會開催 |
19 | 奉公班の燒夷彈訓練 彰化市本月下旬に實施 |
20 | 晴の拓南戰士 花蓮港支部十五名合格 |
21 | 廿二日に空訓 指導懇談會 |
22 | 嘉義市幸校 新校舍竣成 |
23 | 體驗を土產に 花蓮港勤報隊鍊成終る |
24 | 臺北春競馬 第四日の成績 |
25 | 蘭陽地方暴風雨災害救濟義捐金報社消息 |
26 | 樋口花蓮郡守 |
27 | 人事報社消息 |
28 | 地方多より |
29 | 今日ノ映畫 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺店建設局の機構 三部、十四課に決定 昨日人事異動を發表 |
02 | 航空ホテル設置 近く用地買收に着手 |
03 | 管理米の契約 中央食糧營團と締結 |
04 | 管理米麻袋の回收 地方食糧營團と契約せん |
05 | 皇國農村の確立 (下)農林政策ここに結集 |
06 | 燐寸及び煙草工場 島內自給と南方輸出を目論み 專賣局で增設計畫 |
07 | 臺南麵類組合 一本建統制を要望 |
08 | 臺灣粉末生藥會社 創立總會 |
09 | 沿岸輸送力の增強 船舶建造に全力傾注 |
10 | 南方の水產事情を聽く |
11 | 島都銀行預金(七月末) 二億千三百萬圓へ躍進 |
12 | 臺灣雜穀配給組合 愈よ廿日に創立 |
13 | 高砂ビール會社 麥芽工場を計畫 來春より製造開始せん |
14 | 照明燈 |
15 | 商況 十五日前場 |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(854)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 治安、建設隔世の感 後宮總參謀長蒙疆視察談頭條新聞 【南京十五日發同盟】後宮支那派遣軍總參謀長は去る十日以來主として蒙疆方面の軍情並に一般狀況を視察十五日南京に歸還したが同日午後五時官邸で視察談を發表した 滿三年ぶりで蒙疆視察を行ひ張家口、興和、包頭の治安の改善政治建設等については三年前に比較して真に隔世の感があつた之は軍及關係方面の努力の賜である蒙疆周邊にある敵主力は五原を中心とする傅作義軍で此外馬古山軍と賀龍の共產軍がオルドスに蟠踞してゐるが我軍の勇猛果敢な攻擊に遭つて現在では懼伏狀態にあり治安も宜しい、此內一部共產軍は昭和十六年以來山西省北部地區へ侵入して來たが是亦我が作戰軍の神速な討伐によつて潰滅し今では蠢動の餘地は全くない然しながら日本軍がちよつとでも手を緩めれば山西省北部の如く瘦せて物資の貧弱な地方にまでもてうど水が滲み込んで來るように入つて來るので油斷は出來ない、蒙疆の軍隊警官共に從前より一段訓練され皇軍の協力、治安維持に當つてゐる、又興和の蒙古幼年學校及び特務隊もよく整備され近く內蒙古幼年學校卒業生を日本の士官學校に初めて入學せしめることとなるだらう、蒙疆地方の政治は治安が確立されるに伴ひ為政者の意向が徹底し產業的に見ても石炭、石綿、雲母等の產出は漸次增加してゐる、農畜產も漸增の傾向にあるが殊に本年は天候に惠まれた關係上牧草の成長がよくために畜產及び農業は素晴しい成績を收めるものと期待される、只物價の騰貴が著しく三年前大同で噸當り五圓だつた石炭が十六圓五十錢となつてゐると云つた狀態である、同地方の在留邦人も大體落着き業務に精勵してゐることは力強い限りであつた |
02 | 壓倒的勝利に終る 西地中海戰獨軍司令部發表 |
03 | 地中海の大戰果(獨軍發表) |
04 | ム首相、伊海空軍に感狀 |
05 | 有能の適材を選拔 南方要員の具體的選定方針 |
06 | 敗走英船一隻 西國領に還入 |
07 | 敗戰の英艦船 ジ港に遁入 |
08 | ビルマ十二地方の 知事を正式に任命 |
09 | 伊軍司令部發表 |
10 | 樞軸東西の大戰果 米英の宣傳企圖粉碎 |
11 | 圖像:母艦を離れて出擊に向ふ我が鐵鯨 |
12 | 油頭水道廠 支那側に返還 |
13 | 日華協定書に調印 上海地區近く清鄉工作を斷行 |
14 | 東亞開發協會 近く誕生 有馬伯を會長に |
15 | 慘憺な英の敗戰 西地中海の海空戰 |
16 | 西北方近況 投降した某中佐談 |
17 | 土領の港灣に ソ聯艦船遁入 |
18 | 赤軍新陣地に撤退 獨軍再度猛攻を加ふ |
19 | 英、輕巡マ號 擊沈を發表 |
20 | 全コーカサス作戰 四週間以內に終るか 中立國筋の觀測 |
21 | 獨軍ゲ市を占領 |
22 | 各地の反英暴動 |
23 | 死者六百名 負傷者四千に上る |
24 | 米、對印經濟援助を拋棄 |
25 | ガンヂー翁の 秘書獄死 |
26 | 英對印彈壓 益益苛酷化 |
27 | 回教徒聯盟の 運用委員會 |
28 | 智利大統領 今秋訪米 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 師範學校衣替へ 來年から專門學校に昇格 文部當局と一問一答 |
02 | ソ聯の倉糧難 大都會ほど甚しい |
03 | 星港陷落半周年 現地の人人に聽く喜び |
04 | 戰ふお山(一) 悠悠たり三百年 淚ぐましい本島理蕃史 |
05 | 宜蘭市地主懇談會 |
06 | 圖像:故高橋中尉留守宅 |
07 | 英帝國の觸手 歷代印度總督橫顏 |
08 | 鍛へる隻脚勇士 箱根八里を踏破決行 |
09 | 圖像:バリ島便り |
10 | 颯爽たる遠乘會 安藤軍司令官各幕僚を從へ きのふ板橋方面へ |
11 | キニーネ不足 英の人心不安大增 |
12 | 大東亞博覽會 臺灣館延燒 |
13 | 臺北春競馬 第五日目 |
14 | 龍山寺が古雜誌を献納 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 曇つた童心に明り 高雄州少年保護院愈よ實現 |
02 | 彰化奉公青年隊設營訓練 |
03 | 納稅報國に驀ら 溪湖街十六日迄完納を申合 |
04 | 常會運營圓熟 |
05 | 圖像:第八代ノインホトクト推戴式 |
06 | 中堅教員の鍊成 屏東郡は二十二日より |
07 | 聽眾に感銘 彰化市の時局講座 |
08 | 赤心の慰問袋 鳳山愛婦作製 |
09 | 日本精神體得の手引 高雄市圖書館に研究文庫設置 |
10 | 拓南戰士訓練所 開所式 |
11 | 潮州街の開所式 |
12 | 赤誠の献金品 |
13 | 交驩懇談會開催 南北桔梗クラブ員が |
14 | 震災見舞金交付式 |
15 | 改正區規定 運營打合せ |
16 | 大田澎湖廳長着任 |
17 | 森統計官屏東市視察 |
18 | 御奉公が大事 前線の兄に父の死を秘す キ社のラさん |
19 | 市營住宅上棟式 |
20 | 商奉團研究會 けふ彰化市に開催 |
21 | 屏東郡事務監察 |
22 | 美擧に二十粁踏破 嘉義桔梗クラブ員強步敢鬪 |
23 | 大に粘つて行かう 山岸臺東廳長の着任第一聲 |
24 | 金屬回收に 拍車 彰化市工作班編成 |
25 | 古豪北商に凱歌 全島中等水泳大會 |
26 | 改正賃金座談會 |
27 | 南師生馬術訓練 |
28 | 臺中州では十七日 |
29 | 松居氏と演劇懇談 |
30 | 地方多より |
31 | 今日ノ映畫 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 學藝 皇奉文化部に期待 臺北帝大總長安藤正次氏談 |
02 | 圖像:兵隊さんの自給自足 |
03 | 隨筆 敵供養/會田光義 |
04 | 爪哇の影繪芝居 名物として喜ばれる |
05 | 南の傳說二題/久保喬 |
06 | 句誌「稜雲」に就て/王碧蕉 |
07 | 北回歸線 原理と應用 戰時下に於るあり方 |
08 | 涼風抄(夏六題)/興亞生 |
09 | 興南俚謠 |
10 | シユーベルトの手紙 |
11 | ラジオ |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 後宮支那派遣軍總參謀長 大將に進級、中部軍司令官に榮轉 後任は河邊中將 |
02 | 國土防衛一段強化 民間指導に重きを加ふ |
03 | 米英の要求を拒絕 トルコ政府が回答 |
04 | 昭南‧マレー建設譜下 |
05 | ボリヴイアに 米國借款供與 |
06 | キユーバ戰時 內閣成立 |
07 | 圖像:海空に活躍する海軍部隊 |
08 | 六ケ月の驚異的復興 今後に殘された政治的課題 |
09 | 故藤室少將と 早瀨秀夫大佐 夫夫進級發令 |
10 | 比島文化の救濟 サイデ博士の論說 |
11 | ス市へあと六十粁 獨軍西南方から進擊 |
12 | 獨軍の發表 |
13 | 獨軍の進出を ソ聯側も認む |
14 | 新陣地に後退 ソ聯情報局發表 |
15 | 東部全戰線活況 コーカサス作戰進展 |
16 | 獨空軍各地で活躍 |
17 | 新國民運動綱要 華北政務委員會で制定 |
18 | ヴオルガ河の脅威 更に一段と加はる |
19 | 獨立氣勢を擧ぐ ビルマの印度人青少年 |
20 | 英艦艇更に ジ港に入港 |
21 | 在獨ボース氏 再び同胞激勵 |
22 | 暴力措置に激昂 印度民眾反英激化 |
23 | 前マドラス州首相 英の印度撤退を強調 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | “神なる父”に對面 譽れの靖國遺兒ら四十名が あす護國神社に參拜 |
02 | 武勳永へに燦たり 基隆市葬二十日に執行 |
03 | 宴會簡素化勵行 奉公會新竹州支部 八十萬州民に呼掛く |
04 | 銃後敢鬪譜 地下の“同甘共苦” これぞ東亞指導者の真骨頂/山口六平 |
05 | 金子總務部長あすから初巡視 |
06 | 消防自動車 修祓式 |
07 | 石灰石調查に 安松技師一行來新 |
08 | 南方派遣軍屬(給仕) 新竹州で募集 |
09 | 我等の總督さん けふ元氣一杯で登廳 |
10 | 米飯配給カード作成完了 |
11 | 汗する學徒を激勵 齋藤長官、國防訓練場視察 |
12 | 大東亞の表情 豐富な海山の幸 活氣溢る公設市場 |
13 | 正條密植を督勵 梁井知事‧草鞋脚絆で |
14 | 拓南農業戰士訓練所 十八日一齊に入所式擧行 |
15 | 自給肥料增產研究會 |
16 | 海外同胞訓練所 夏季入所式を擧行 |
17 | 乙種醫師學說試驗 臺北と臺南で施行 |
18 | 礁溪青年學校 十七日開校式 |
19 | 藤懸少將逝去 |
20 | 人事‧消息報社消息 |
21 | 煙幕 |
22 | 興南詩苑漢詩 觀覺齋藏書戲以長短句嘲之翕菴前一日過市宿焉因並在座/文訪 |
23 | 今夜の放送 |
24 | 商況 十七日前場 |
25 | 興南案內報社消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 擊沈敵船實に百十七隻(開戰以來) 我鐵鯨部隊‧赫赫たる殊勳頭條新聞 【東京發同盟】南北大平洋に跨り絕對不敗の堅陣を布く帝國海軍部隊は對日總反抗の呼號と共に敵米英の艦艇蠢動すると見るや疾風迅雷神速の行動を起して北洋アリユーヤンに敵艦隊を擊退更に南半球ソロモン諸島海域に於いては敵主力を見事捕捉七八九日の三晝夜に亘る大激闘を以て敵擊沈破艦船四十隻と言ふ世界海戰史上空前の一大戰果を舉げソロモン海戰の名を青史不滅のものたらしめたがこれと同時に默々敵輸送路の破壞に當るわが無敵潛水艦は駿足を伸ばしてインド洋オーストラリア大灣、タスマン海、珊瑚海アラフラ海等の濠洲周邊海域に行動し晝夜不眠の索敵攻擊を續行しつゝ去る七月下旬より八月上旬に至る 約二十日間に濠洲周邊に於て敵船九隻ニユーカレドニア方面に於て一隻合計十隻九萬噸を擊沈したわが海軍航空部隊及び海上諸部隊の痛擊猛打に依り濠洲所在の敵航空兵力は潰滅に瀕し更に洋上の孤兒濠洲守護の後を帶びて熱々苦心集結した米英聯合艦隊もソロモン海域に殲滅し終つた今日濠洲はわが鐵鯨の猛攻に依り僅か二旬にして十隻の輸送船を喪失斷末魔に喘へぐ濠洲にとり全くの致命傷と言ふべきであるかくて敵米英が對日反抗の作戰基地と恃んだ濠洲は周邊悉くわが制海權に歸しインドー濠洲、インド ーアフリカ、インドーアメリカ等の連絡路また完全に寸斷され今後尚濠洲が依然として米英依存の夢に溺れ儼然たる 帝國海軍の制霸に目を蔽はんとするならば其後に來るべき運命は火を見るよりも明かである開戰以來わが潛水艦に依り擊沈せられたる敵船舶は今次發表のものを加へ實に百十七隻八十八萬四千噸の尨大なる數字に上る船舶の往來織るが如き大西洋、北海方面海域と異なり太平、インド兩洋實に二億四千萬方粁の漠々たる洋上に於いて左程繁からざる敵輸送船を捕捉克く如上の驚異的戰果を舉げたをことはわが鐵鯨部隊の赫々たる殊勳 と言はねばならぬ茫洋果てしない洋に日光と隔絕し晝夜の別なく空氣に不自由しつゝ勇奮索敵に當る鐵鯨部隊の將士に對しては銃後國民舉げて感謝の赤誠を表する所である |
02 | 敵船十隻(約九萬噸)を擊沈 帝國潛艦濠洲周邊の戰果 |
03 | 外地各廳の簡素化 今週中に閣議決定 |
04 | 圖像:我が無敵艦隊の威容 |
05 | 定例次官會議 |
06 | ソ聯の石油問題 獨軍のコーカサス作戰の結果 政治經濟に多大の影響を齎す |
07 | 全海洋漁業の 企業合同強化 |
08 | 責務重大を痛感 河邊新總參謀長語る |
09 | 復舊低利金借入打合 |
10 | 交換第二船鎌倉丸 ロ港向け上海を出發 |
11 | 伊軍司令部發表 |
12 | ドイツ兵力の集中 ゲ宣傳相論說を揭ぐ |
13 | 原田連絡部長官 新任披露宴を開催 |
14 | 地中海制海權を喪失 北阿英軍の補給危殆に瀕す |
15 | マイコープ油田 ソ聯第二の產出量 |
16 | 獨潛水艦驚異的戰果 獨軍司令部の特別發表 |
17 | 印度自由聯盟總裁 近くり總督と會見 |
18 | 鐵道部人事異動 |
19 | 南十字星 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 師範學校昇格本決り社說 一 大東亞戰爭の完遂並にその後に來るべき建設必成に卽應して、大東亞教育の確立刷新を圖り以て現下喫緊の要務たる大東亞皇國民を鍊成すべき國民學校教育の完璧を期するため、今回、師範學校制度の刷新を斷行し、いよいよ來年度から全國百三校の師範學校を一齊に官立專門學校に昇格することとなつた。この問題は去る一月六日閣議に於て政府がその意向を明かにし、爾來文部省に於て銳意これが具體化を急いでゐたのを十四日の閣議で正式決定を見、いよいよ昭和十八年四月一日から實施することになつた。これは我が國の師範教育制度自體に一轉機を劃するばかりでなく、國民學校令の實施と相俟つて我が國の初等教育體制の刷新改善に一巨步を進めたものとして、その將來に多大なる期待をかけられてゐる 二 抑抑我が國の師範學校制度は、明治五年九月東京神田宮本町舊昌平黌內に設けられた東京師範學校にその端を發し明治十九年になつて文部大臣森有禮が師範學校令を制定してから我が國の師範教育の基礎が確立せられたのである。爾來、明治三十年、大正十四年、昭和六年と數次に亘る規則改正が行はれたが何れも局部的なものに止まり、今回のやうな大刷新は見られなかつた。今回の刷新の趣旨は、皇國の道の修練を旨とし我が國教學の本義の徹底を期し、皇國の使命を體得して克く皇國民鍊成の重責に任ずべき人物を鍊成するを以て眼目となし、これが設置と構成は槪ね各道府縣一校とし、且つ從來男子女子兩師範の二本建を廢して男子部及び女子部に改め、又各部にはそれぞれ本科及び豫科を置き、修業年限も本科豫科共に各三年で、本科は中學校または修學年限四年以上の高等女學校卒業程度、豫科は國民學校高等科修了程度を以つて入學資格となした處に一大特色がある。 三 我が臺灣に於ては、現在臺北第一、同第二、新竹、臺中、臺南及び屏東の六師範學校があるがこれらも當然內地の師範學校昇格に追隨して昇格すべきである。由來本島に於ける國民學校教員は、所謂初等教育を施す以外に、生活樣式や言語活動を異にする本島人の子弟を立派な日本人に鍛へ上げなければならぬ特殊使命を背負はされてゐるので內地の教員に見られない特別な技術と容易ならぬ努力が要るのである。從つて本島の國民學校教員はそれだけに素質の向上が要求せられる譯である。その上陸軍特別志願兵制度の實施を見、義務教育制度も來年から施行せられるので、師範學校の專門學校昇格は內地以上に必要である。それと同時に、師範學校の增設、現職教職員の再教育、並に新學制による卒業生の飛躍的待遇と睨み合せての現教職員の待遇改善等にも多大の考慮を拂ふべきである。斯くしてのみ皇國の一環としての本島の理想的國民教育が行はれ、それによつて立派な皇國民が鍛へ上げられるのである。 |
02 | 一箇年以上の臨床 開業は許可制に 國民醫療法臺灣にも施行 |
03 | 本島の師範學校 內地に追隨して昇格 |
04 | 擧州赤誠披瀝 金屬供出報國の新竹州 |
05 | 金屬回收展示會 |
06 | 吉野庄の忠靈塔 竣工、廿三日除幕式擧行 |
07 | 戰ふお山二 皇化の樂土に一變 隔世の感霧社今昔物語 |
08 | 一生懸命やる 着任した矢上花蓮港總務課長談 |
09 | 教育觀の確立へ 府主催國民精神文化講習會 臺北帝大で開催 |
10 | 鄉土色豐かな 慰靈催し物 |
11 | 古賀勸業課長 田村助役着任 |
12 | 圖像:稻の山 |
13 | 敵機來らば來れ 平素の訓練が物を云ふ活潑な動作 見事、臺北州第二種空訓 |
14 | 自給肥料增產 基隆市郡で打合 |
15 | “澎湖一家で” 大田廳長の力強い訓示 |
16 | 婚禮の簡素化 新竹市支會で三箇條勵行 |
17 | 基隆商業奉公團 けふ結成式擧行 |
18 | 榮養食講習會 花蓮港で開く |
19 | 北工野球團 早くも練習開始 |
20 | 礁溪青年學校 晴れの開校式 |
21 | 基隆市議月例會 |
22 | 專檢日割決定 三試驗場で實施 |
23 | けふの行事 |
24 | 人事‧消息報社消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 偉大な自然の營力 二回の山崩れで清水溪ダム完成 灌溉、發電に申分なし |
02 | 練兵場の草刈奉仕 屏東市の中等學生 |
03 | 桃園郡の奉公委員、參與任命 |
04 | 臺中神社朝參會 廿四日より五日間 |
05 | 鍊成の體驗を聽く 覺悟新たな花蓮港桔梗クラブ員 |
06 | 映畫技術を指導 市郡に映畫主任設置 |
07 | 綠肥根瘤菌接種 九ケ所の試作園で試驗 |
08 | 南投國民學校 兒童表彰さる |
09 | 鳳山郡の點呼 |
10 | 沙鹿街長更迭 |
11 | 皇奉臺南州支部 職員連絡打合會 |
12 | 旗山郡はよい所だ 常田郡守の着任感想 |
13 | 娛樂機關による 防諜防空宣傳 |
14 | 圖像:皇軍占領後日にく活潑のスラバヤ港 |
15 | パパインの採取獎勵 交付金、器具貸與で |
16 | 勇士慰問演奏 |
17 | 黃金の波打つ陸稻 高らかに奏でるお山の增產調 末松理蕃課長の視察談 |
18 | 興亞移動展 二十日より 大溪に開く |
19 | 蘭陽地方暴風雨災害救濟義捐金報社消息 |
20 | 九時前の下り終列車 嘉義市民時刻の延長要望 |
21 | 製腦講習始講式 |
22 | 峨眉庄に高等科設置の聲 義教實施と共に實現を待望 |
23 | 柑橘類斡旋打合せ |
24 | 森統計官臺中視察 |
25 | 臺中州陸上豫選會 二十三日に開催 |
26 | 道士、辻占ひ師を 集めて誨告 |
27 | 高雄市闇夜の無理心中 |
28 | 人事 |
29 | 地方多より報社消息 |
30 | 今日ノ映畫 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 二期米植付順調 正條密植八割も普及 府農務課談話發表 |
02 | 家庭用骸炭の出荷 十月一日より統制實施 府鑛務課發表 |
03 | 東亞協同組合協議會 來年五月頃臺北で開催 |
04 | コプラ近く入荷 石鹼原料油に充當 |
05 | マニラ瓦斯事業 臺灣瓦斯に委任經營 |
06 | 州下乾麵業統制 整備方法再考慮の要あり |
07 | バナナ圃場制度 撤廢方高雄州に通牒 |
08 | 臺南州菓子生產 統制新機構決定 |
09 | 冷豚肉の運搬配給 持續的に實施と決定 |
10 | 臺銀總會 九月一日開催 |
11 | 鹽水港製糖取締役三氏辭任 |
12 | 輸送の圓滑化に 局鐵で石炭消費者調查 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況 十七日後場 |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(755)/黃得時;碇政彌 |
17 | 家庭醫學 不姙の原因となる 職業婦人の營養不全 蛋白質やビタミンBの補給が大切 |
18 | お乳の出を 良くする法 |
19 | 虛弱な子を強健に/杉本貞一 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 擊沈船舶二千萬噸 開戰以來、獨軍の戰果 |
02 | 獨軍ヴ河河口に猛進 |
03 | 黑海カスピ海の 重壓愈よ熾烈 |
04 | 圖像:獨軍戰車部隊、ソ聯軍を猛攻 |
05 | 獨軍司令部 發表戰況 |
06 | ドン河彎曲部占領 淒絕な大激戰展開 |
07 | 獨軍總攻擊開始 ス市包圍環縮小進捗 |
08 | 東亞十億の勇健明朗な 生活體制の樹立へ 東亞厚生大會開會式を擧行 |
09 | 世界觀の問題/室伏高信 |
10 | 英帝國滅亡の挽歌 印度民眾の決心、暴力に屈せぬ 林國府宣傳部長熱烈なる支援 |
11 | コ戰線の危機 露紙が強調 |
12 | 赤都で三國會談 敗戰の對策を協議 |
13 | 人民委員會議長 モ副議長が代理 |
14 | 圖像:インドネシア人も懸命に日本語を學ぶ千早學校(バタビヤ) |
15 | 財產保全の 權限を附與 在印の英士官に |
16 | 回教派聯盟の態度 委員會で決定せん |
17 | ソ聯抗戰力維持が眼目 英米陣營の窮狀を示す |
18 | 英政府發表 |
19 | ソ聯政府發表 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 護國神社に晴れの參拜 懷しの父に對面 胸躍る‧勳の子の歡び |
02 | “お父さん‧お父さま” 對面の一瞬、感激に咽ぶ |
03 | 銃後敢鬪譜二 ミシンで「共同更生」 纖手營む勳洋裁店/和田和作 |
04 | 聞える父の聲 誓つて立派な日本人になる 譽れの遺兒對面感想 |
05 | 圖像:譽の遺兒晴れの護國神社參拜 |
06 | 一糸亂れぬ猛訓練 知事一行訓練狀況視察 |
07 | 產報中央鍊所長 江頭氏起用に決定 |
08 | 樋口軍參謀長 災害、簡閱點呼狀況視察に 二十一日蘭陽へ |
09 | 日赤巡廻診療 新竹州下の日程決定 |
10 | 軍屬を募集 軍司令部で |
11 | 新商道に驀ら 基隆商奉團結成式 |
12 | 故橋本兵曹 けふ無言の凱旋 |
13 | 甘蔗耕種競作 褒賞授與式 |
14 | 興南詩苑漢詩 喜文訪先生□存□□藏□/覺齋、舟次汕頭二首/杏庵、詠西京丸煙筒/杏庵、夜登甲板/杏庵 |
15 | 人事‧消息 |
16 | 煙幕 |
17 | 今夜の放送 |
18 | 商況 十八日前場 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵抗戰力低下の一路 ○○少佐の視察談 浙贛作戰の全貌頭條新聞 【東京發同盟】重慶政權輸血ルート浙贛線を遮斷すべく杭州、南昌の兩方面から廣信に向つて推し進められを浙贛作戰の全貌に關し現地を具さに視察して歸還した○○少佐は十八日陸軍省において左の如き視察談を行つた、 今回の浙贛作戰では杭州から敵第三戰區司令部の所在地である廣信(上饒)まで九十數里を約一個月間に一舉に進攻したものでこの距離は上海、南京間よりも尚遠い位である、この作戰の特徵は非常な大雨を伴つた點である、五月十五日作戰を開始してから六月末まで約一個月半この間に雨の降らなかつた日とては僅か九日で六月だげでも三度の大洪水があつた、從つて道路も飛行場も水浸しとなり飛行機さへも押し流されそうになつたこともある、後方から彈藥も送れず食糧も送れぬと云ふ狀態で作戰開始以來一個月間も全く兵站の補給が出來ないと云ふことは從來の作戰には見られぬことであつた彈藥は手持のもので大丈夫と安心してゐた糧抹も廣豐(玉山南方)で軍需米をどつさり鹵獲したから部隊は二ケ月位十分食つて行けるしこの方も心配してゐないといふことであつた、然しこれは何分にも粗末な米で兵隊の飯を覗いて見ると丸で赤飯のやうに見える玄米飯であつた、兵隊は作戰の餘暇に□摺までやつてゐるが十分な精白は出來ないので大抵玄米で我慢してゐるといふことで副食物も真にお粗末なものであつた、兵だけではない高級指揮官さへもこういるふ粗食に甘んじて雨又雨の戰ひを續けておられたことには頭が下つた今度の作戰は全く敵の意表に出たといふのは敵の判斷では「日本軍は或る程度の進攻の後には反轉して元の線に引返すであらう」と言ふふうに考へた、即ち大體金華までは攻略に來るだらうそれから從來日本軍のやつてゐるピストン戰術で反轉するだらうと豫想したらしい、敵第三戰區司令長官顧祝同四月末頃杭州から金華までの道路は全部徹底的に破壞するよう命令を下してゐるが金華から先の破壞は命令してゐなかつた ところが日本軍は五月十五日に進攻を開始して五月二十四日には金華まで進出し更に急速に衢州に進出したのであるが 敵は金華が陷る二日前に慌てて衢州までの道路破壞を命令したがもう追つかぬために日本軍の前進は割合樂であつたと言へる、かくて衢 州は六月四日に陷ち敵第三戰區の本據である廣信(上饒)附近に着いて六月十四日に陷ちた、これらの重要地點が次々に占領せられてもまだ日本軍はピストン戰術をとつて反轉するといふ先入感を持つてゐた顧祝同は六月十八日日本軍が退却を開始したといふ判斷の に江西移轉の命令を出した、然して敵の諸部隊は何れも不意を衝かれ混亂して逃走して來たもので勿論隊伍は整はない指揮官は自己の部隊をも十分に掌握してをらないといふわけで到底反擊に出る氣力がない一時は反抗を試みたものも悉く我が軍のため擊退せられてしまつた、そこで顧祝同は二十日になつて江西移轉の命令を取消すといふ朝令暮改の醜體を晒けだしてゐる、一體わが作戰軍は最初金華蘭谿の線で敵を捕捉擊滅しようと企圖したが敵は奧の手の退避戰法に終始したため遺憾ながら大きな獲物は捕捉出來なかつた、何故わが作戰が金華、蘭谿の線で敵を捕捉しようかといふと金華といふところはこの地區の正面で非常に大事ななところである、即ちこの街は江の東、福建省の東部海岸揚子江三角地帶に接攘してをり重慶への密輸物資が集つて來てそれから浙贛線鐵道によつて奧地に運ぶといる要地であり從つて非常に繁昌してゐだ、こういふ關係で易々と日本軍には渡すまい、頑強に抵抗するだらう、現地軍ではこういふ見透しで金蘭會戰において大戰果を收めようといふ方針の下に作戰を指導したが敵は張合でのない退避戰法を取り衢州に逃げてしまつた衢州は流石に蔣介石がアメリカの飛行機を以て日本本土を空襲しようとした建前もあるので面目上からも此處を死守しようと決意し衢州から後退するものは嚴罰に處すと申渡した この正面に出て來た蔣介石の虎の子七十四軍は第九戰區中央軍の最精銳部隊で蔣介石はこれに對しては「長沙の尊美を傷つけるなかれ」と言つて激勵してゐる、その意味は昨年の暮から本年一月にかけて日本軍は第二回目の長沙進攻作戰をやつたがその際日本軍が長沙を撤退するに當つて申譯的な反撃を試みて來たのは彼の七十四軍であつた、ところがわが軍の神速果敢な攻擊により立ち所にして衢州が陷ちたためにその北方にあつた大軍もなすところを知らずして折角の蔣介石の嚴命にも拘はらず衢州の防禦もまことに脆く潰え去つた、衢州の防禦については敵は本年の一月から陣地であつた衢州直接の防禦陣地は中央軍の八十六軍が自ら構築し自らこれに攘つて防禦したのである、防禦戰闘に關しては十分なる計畫を持つてゐたにも拘はらず簡單に陷ちてしまつた、蔣介石はおそらく呆然としただらう、續いて六月の末には援蔣鐵道たる浙贛線の打通作戰が行はれ南昌方面から東進した部隊と衢州から進攻した部隊とか橫峯で出會うて握手をしたこの正面の敵の他の第九戰區或は第六戰區の軍隊に比して弱いが殊に中央軍以外の雜軍は非常に素質が惡い、例へば日本軍が最初に衝突した暫編第九軍等は實際の編制に對して三分の一だけの兵力しか持つてゐない、三分の二は影武者としてその俸給手當が上級者の懷に流れ込んでゐる、この暫編第九軍長はわが軍に脆くも打破られた後「日本軍に對し極力抵抗したため部下兵員が三分の一以下に減少した」云々と上司に報告して從來の影武者を戰死者に作り上げてゐる、もう一つはこの方面の支那軍は裝備が惡い、兵器は編制定數に比して小銃は大體半分位しか行き渡つてゐない、機關銃の如きは三分の一、追擊砲程度のものになるともつと率が惡く五分の一から十分の一といふところで實際の戰力は編制による兵力よりはるかに低いものになつてゐる、これは重慶自體にお いて兵器の製造能力が充分でないといふ點ともう一つは機關銃或ひは追撃砲等は大體において數年前受取つたところのソ聯製の武器である、昨年の獨ソ戰開始以來このソ聯からの武器は到着せずアメリカからの補給ルートも切斷されてしまつた從つて今後ますくこの武器の不足といふ傾向が增して行くことは必然だと思ふ 今度の作戰が最初に行はれた金蘭會戰では金華蘭谿の守備に任じた約二箇師の敵を潰滅し別に一箇師に大打擊を與へてこれを潰走せしめた、恰度大雨が上つて衢州附近が水浸しとなり敵も逃げられなかつたためその大部分は捕虜となりその他のものは戰死したといふ有樣であつた、衢州攻擊に參加したわが軍の或る大隊長の話では恰度衢州攻擊の途中大雨が續いて夜二階に寢てゐると水が二階に上つて來る、驚いて外を見ると大洪水になつたようだ、そこで急いで避難したとのお話しであつた、しかし又一面においては洪水がなかつたならば日本軍はもつと徹底的な包圍作戰が敢行出來たであらうし更に大なる戰果を收めることが出來たであらうとも考へられ殘念である、一方敵側では第九戰區から駈けつけた蔣軍の精銳七十四軍も大洪水の關係で却々前進が捗らず漸く到着した先頭の一個師は衢州の南で日本軍と水中にはすかひの遭遇戰を演じ立ち所に四、五百の損害を出して潰亂した、次に今回の作戰の戰果の中で遺棄死體に比して捕虜の數の多いことが目につくゝこれは最後まで頑張つた部隊は洪水のために全滅しその際捕虜がうんと出たといふ點もあるが、重慶軍の士氣が沈滯してゐるといふ證據でもあるもう一つの特徵は敵の意表に出て敵の戰區司令部の所主地まで奧地深く入つて軍事上の要地を急襲し重慶側の補給路線上の多量の軍需品を鹵獲したことである、以上の話で非常に敵の戰力が弱つたような印象を與へたように思ふがしかし頭から侮つてかかつてはならな い、蔣介石直系軍その中でも七十四軍等は相當に強い、衢州の南の大州鎮附近の戰闘の際敵の小哨が日軍の包圍下に置かれ再三こちらから投降を勸告したが家屋に立罩つて頑として應じない、とうく火攻めにかけられ最後の一人まで勇敢に戰つて薨れた同じく七十四軍の戰力を示す一つの例としてわが軍が衢州の南方で山岳地帶を進んだ時彼は非常に頑強に抵抗した 日本軍が高地を占領すると直ぐ夜襲にやつてくる、擊退すると相當の損害を受けながら又やつて來る、執拗に手榴彈をもつて肉薄してくるといふ抵抗ぶりを見せたものもある、又衢州の防禦に當つた八十六軍の中でも衢州城掃蕩戰で或家屋の中から敵の大隊長が單身悠々と現れて來て日本軍の目の前で從容として拳銃自殺を遂げたといふ見上げた者もゐた、金蘭の線から衢州の方へゆくと諸暨といふ所がある、昔の越の都である、兵站衢州作戰軍に追及すべくこの諸暨平野に頭を突込んだ時に大水が出て全然動けない、自動車部隊が軍需品を積んで衢州に着いたのは恐らく七月十七日頃と思ふ、そしてこの水がなかくはけない、衡州から諸暨の間で約一ケ月間動けなかつた勘定である、そしてこの方面は食物がない米なんか兵站部隊だから何とかなるが野菜がない、作戰部隊の通つた後には兵站部隊の食べる野菜がない、そこで南瓜の莖まで食つた衢州に着いて先づ關心を持つたのは米國機による對日空襲の基地とするために敵が準備したと傳へられるそこの飛行場はどんなものだらうかといふことであつた、それは衢州平野の真ん中にあり周圍には離着陸に障害となるやうな事物が全くない、滑走路は鋪裝をしてゐないが多少の石を入れて固めてある鋪裝と全く同樣で立派な土質をもつてた衢州城の城壁の所で人間の背が立たぬ位水が出た場合でも滑走地區一帶は膝位までしかつかない、然も終日雨が降つても翌日には綺麗に水がひいてしまふやうに排水に惠まれてゐる所である、平地の中で一番高い所で恒風の方向に一致してゐる理想的な滑走路は幅百五十米、長き一千二日米ある、私が見た各地の飛行場でこれに匹敵するやうなのは何處でも數へる位しかない、又飛行場の施設としては附屬建物がない全くただつ廣い中に滑走路と特に目につくのは大規模な排水溝のみである 所が飛行機を匿すための二本の待避路を持つてゐてこれに連絡する隱蔽設備が廣地域に分散されてゐる、所在の事物を利用してゐるので空から見たのでは何の施設があるのか判らないし特に人工で造つたといふ點が更に見えない、例へば一軒の家屋があるとその家屋を利用して爆彈の置場にしてある、或ひは立木數本があるとその立木を利用して油を入れる倉庫を造つてゐる、或は岡の真ん中を抉つて造つた露天の格納庫があるがこれにはノースアメリカン型爆擊機なら十機位入れることが出來る、私の見たのは一方の待避路であるがもう一つの方も略々同樣で幅が二、三十米、長さが二千米近くもある、それをずつと奧までゆくと途中到る所に小さい道がついてをり凡ゆる所在の事物を利用したいろくな施設がある、全部で爆擊機だつたら三十五機位置ける燃料はこの飛行場から四里ばかり離れた所々置いてあつてオクタン價百ばかりの優秀な航空ガンリンを多量に頂戴した要するに軍事面に於ける敵の抗戰力が漸次低下の一路を辿つてゐることは今次浙贛作戰について見ても明かで重慶軍としては今や到底日本軍の追攻を阻止することは不可能でありその能力を持合さないと見ることが出來る明けても暮ても雨又雨茫々たる洪水中百里に及ぶ大進攻作戰を行ひ引續き燃えるやうな大陸の炎熱を冐して今なほ日夜眾敵を擊ちに擊ちつつある前線將兵の健闘に對し滿腔の敬意を捧げる次第である |
02 | 南方に日本語教育 教科圖書編纂發行教育要員を派遣 |
03 | 今後一切の措置 文部省で企畫立案 |
04 | 外地の行政簡素案 廿一日の閣議で決定 |
05 | 比島糧食統制組合設立 青果物、肉類、鷄卵を統制 |
06 | 又復モレスビー爆擊 |
07 | 獨空軍の大戰果 一週間、ソ機五二七機擊墜 |
08 | 餘剩英語教師を動員 南方へ派遣の日本語教師 石黑、岸田二氏の意見 |
09 | 壯烈な大戰車戰續行 獨軍、ドン河の東岸を確保 |
10 | 日本語普及協議會を設置 |
11 | 赤軍更に後退 ソ聯情報局發表 |
12 | 兵役法施行令を改正 徵兵業務を地方事務所長に移轉 |
13 | ソ聯共產黨宣傳部長の悲鳴 |
14 | 第二戰線が 協議主題目 |
15 | 南十字星 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 國民醫療法の 施行について社說 一 國民醫療の適正と國民體力の向上と言ふ二大目的を目指して、內地では本年二月二十四日附を以て、從來の醫師法並び齒科醫師法を廢止しこれに代つて國民醫療法が公布されたが、本島に於ても內地に順應し本島の特殊事情を考慮して愈愈來る九月に同法を施行する事となり目下總督府警務局衞生課で銳意具體化を急ぎつつあると言はれる、從來、醫學乃至齒科醫學專門學校以上の醫學校卒業者は卒業と同時に何處でも自由開業出來たのであるが、國民醫療法の施行に依り醫學乃至齒科醫學專門學校以上の醫學校卒業者と雖も、更に一年以上の臨床診療の實地研鑽を積んで初めて、免許を賦與せられ、而も醫院、診療所を開設するときは、地方長官の許可を要するので事實上自由開業が許されなくなつたわけであるこれに依つて全島各地における開業醫は夫夫定員制が採用せられ、醫療機關の適正なる配置を圖るため、定員以上の土地に開業せんとしても許可されないことになるわけである 二 それのみならず、國民醫療法の實施は、醫業廣吿に於る學位の使用禁止、勤務地の指定制度及び醫療關係者に對する補習教育の義務等を規定してゐる、元來我が國は“醫は仁術”なりと云はれてゐる通り醫者と言ふ者は人の病苦を治癒し人生に幸福と光明を與へる仁者なりとして尊敬され、從つて醫師たる者は醫藥學の學問を理論的に體系的に精通するのみならず、該博にして豐富なる實地診察の體驗、的確な技能及正しき施藥に加へて、繞まざる研究心あつて初めて醫者としての天職を全うし得るのであるが現在の醫學教育を見るに在學中は醫學理論が大部分であり、臨床修鍊の機會が尠く、學校所定の課程を修了した者は直ちに醫師としての免許が與へられ自由に開業が出來るが、それでは未だ不十分である、これが為醫者が氾濫し博士號獲得の者が續出し遂には博士の粗製濫造の非難喧喧囂囂として一時は醫者の國家試驗が熾んに唱へられた位である 三 從來の醫者は國家の庇護の下に醫を以て仁となす東洋醫道に精魂を打ち込むよりも寧ろ利潤を追求する者が多く、この傾向が近年における醫師の都市集中となり、ために醫者間の激烈なる競爭を釀成し、山間僻地には無醫村なる代名詞をもつて呼ばれるなど國家保健上寔に由由しき問題を惹起したのである、然るに今回本島に於ても國民醫療法が施行せられ、各地の醫師定員制、學位の醫業廣吿禁止、勤務地の指定及び醫療關係者の補習教育の實施等が國家權力を以て發動されるので、從來の弊害が除去せられることは時宜に適した措置と云はねばならぬ、時局は各自の持場を守り、各自の專門を國家に捧げるべき時、醫務關係者が同法の施行に依つて愈愈醫療と保健指導に挺身し以て國家保健の確立、國民體力の增强及び民族發展に寄與すべく精進奉公すべきである |
02 | 本格的二重放送 愈よ來月の中旬頃から開始 本島文化向上に一役 |
03 | 再犯防遏に萬全 臺灣司法保護事業法 愈よ來る十月に實施 |
04 | 神社に清掃奉仕 宜蘭農林生一同が |
05 | 譽の遺兒を激勵 總督と軍司令官 |
06 | 對面の喜び胸に “勳の子ら”草山へ 西村文教局長からやさしいお話 |
07 | 感激の献金 拓南農業戰士臺北州隊 |
08 | 貯蓄強化、萞麻栽培 九月の常會徹底事項 |
09 | 臺北州下勸業課長異動 |
10 | 對面後の遺兒達 總督と司令官を歷訪 |
11 | 圖像:遺兒の集ひ |
12 | 國民醫療法に基く 醫師‧齒科醫師會令 十月初旬施行の豫定 |
13 | 國語塾設置打合會 |
14 | 時局講演會 二十日公會堂で |
15 | 健兵と青年 水野軍醫大佐が強調 |
16 | ときの声 |
17 | 大田、前田兩土木課長來蘭 |
18 | 築く“銅鐵の山” 桃園街、十七、八日に回收 |
19 | 健康增進運動打合會 |
20 | 大越高雄州總務部長初巡視 |
21 | 訃文:佐藤彌二郎等人 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 二千餘圓は譯ない 債券消化に若人の意氣 |
02 | 防空會議 |
03 | 臺中州部課長會議 |
04 | 一日に只の五錢 一年貯蓄すれば二千餘圓 屏東本町保甲聯の申合 |
05 | 嘉義市商議所の 兩部長決定 |
06 | 竹山部落競勵會 |
07 | 產組加入運動好成績 |
08 | 一夜鍊成會 高雄州の奉公班世話役 |
09 | 龍眼、海を越ゆ 乾燥して滿洲へ |
10 | 青年劇指導者 鍊成會終了 |
11 | 部落會長講習會 |
12 | 蔗作改善講話 |
13 | 圖南戰士の養成 南方協會へ移管の議 |
14 | 早期完納で示せ 銃後の赤誠を 花蓮港市臨時收納所開設 |
15 | 落花生、胡麻加工業組合總會 |
16 | 掘出す街の鑛山 |
17 | 羽鳥市長遺族弔問 |
18 | 兒童貯蓄作文當選發表 |
19 | 竹パルブ輸移出商組合總會 |
20 | 甲當り七千斤を目標に 新莊郡の稻作指導に馬力 |
21 | 奉公會鳳林郡 |
22 | 南進座臺中市で上演 |
23 | タイプライター 講習會終了式 |
24 | 米崙市場近く完成 |
25 | 竹東野球大會 |
26 | 不埒千萬な 詐欺漢檢擧 |
27 | 人事報社消息 |
28 | 地方多より報社消息 |
29 | 員林米穀局 事務所竣成 |
30 | 赤誠の献金品 |
31 | 今日ノ映畫 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 商業奉公運動を推進 商業奉公團中央地方機構確立 中央本部事業計畫も決定 |
02 | 適宜の降雨で 節電措置愈よ不要 |
03 | 造船問題等で上京 佐佐波遞信部長語る |
04 | 內地米作經過順調 七千萬石突破の豐作か 農相報告 |
05 | 臺北商議所 第一回企業部會 |
06 | 勞務緊急問題 本日懇談會で打合 |
07 | 漁業財團抵當法 十五日に公布 |
08 | 雜品物價委員會 |
09 | 臺北州乾麵工業組合發起人會開催 |
10 | 夏季の氷供給 島都も圓滑に推移 |
11 | 造船事業法 漸く公布施行の運び |
12 | 滿洲農作物平年作 |
13 | 小賣商懇談 |
14 | 商況 十八日後場 |
15 | 二期作籾價格 近日中に告示 |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(756)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國力の充實が急務 比島人力なき獨立高調せず 村田軍政顧問歸朝談 |
02 | 圖像:南海に獲物を要求めて出動する我が潛水艦 |
03 | 肉彈相搏つ白兵戰 獨ソ軍徹宵の攻防戰 |
04 | 猛進を續く コーカサスの戰況 |
05 | クバン河南岸で激戰中 |
06 | 伊軍司令部發表 |
07 | 道府縣警察 部長會議 二十一日に開く |
08 | 農民の增產への 熱意胸打たれる |
09 | 北阿の反攻作戰を 第二戰線に代用か 新戰線展開に英米自信なし |
10 | 圖像:コーカサス攻略を目指して猛追擊のドイツ軍先鋒部隊渡河進擊 |
11 | 緬甸人印度兵 百餘名を釋放 |
12 | “自爆”獨國民の 愛國標語となる 鐵道省立花技師歸朝談 |
13 | 會談の推移は 英米團に不利 |
14 | 英中東軍司令官更迭 敗將ア大將任命 |
15 | 西貢の帝國海軍當局 佛印當局に小麥粉寄贈 |
16 | 英首相五回目の海外旅行 |
17 | 依然各所で衝突 印度各地の狀況 |
18 | 印度情勢の進展に 細心の注意を拂ふ ハル長官記者團に言明 |
19 | 重慶軍事當局 米將兵を優遇 英兵冷遇に憤慨 |
20 | 米軍被害を 受く 印度の騷擾 |
21 | ベンゴール州 事務所を搜查 印度英官憲が |
22 | 印度問題で重慶焦慮 |
23 | 聯合軍に對し 對策を協議か 佛政府首腦部が |
24 | カリー歸國の 途につく |
25 | 東亞厚生大會 三分科會 |
26 | 豫備金支出決定 |
27 | 回教徒聯盟 運用委員會 |
28 | 伊洪獨人交換船で 伯國發歐洲へ向ふ |
29 | 井村代議士辭職 赤間氏繰上當選 |
30 | モロトフ任命 人民委員會議の 第一副議長に |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 伸びよ勳の遺兒ら 數數の感激を胸に疊んで けふ懷しの我家へ |
02 | “おお故國の山河だ” 淺間、コンテヴエルデ兩交換船 けふ○○港に入港 |
03 | 明朝橫濱に入港 |
04 | 銃後敢鬪譜三 切れるぞ日本刀 老若乙女も秋水の明け暮れ/菅晴次 |
05 | 加藤准尉 某地に轉出 |
06 | 新竹州下卓球大會 |
07 | 民防空今や完し 各種訓練に見事な成果を敢め 臺北州第二種空訓終る |
08 | 宜蘭市防諜座談會 |
09 | 司政官を送る午餐會 けふ總督官邸で開催 |
10 | 香奠返しと 忌明に寄附 |
11 | 技術の金鵄勳章 初の技能競鍊大會優勝者 廿七日晴の表彰大會 |
12 | お山の教育刷新 先づ擔當者講習會 |
13 | 銷火完璧陣 防火班員を選拔して 準消防員として訓練 |
14 | 圖像:勳の兒ら山を下る |
15 | 臺灣の仕事は これから本格的 齋藤工學博士語る |
16 | 奉公推進員指名式 廿日市民講堂で擧行 |
17 | 產業戰士慰安大會 廿七日から公會堂で開く |
18 | 歐米風の橫文字 表玄關港都から一掃 |
19 | 奉公運動の街頭宣傳 紙芝居四人組活躍 |
20 | 人事‧消息 |
21 | 煙幕 |
22 | 興南詩苑漢詩 船抵廣城/杏庵、席上呈古賀大佐/杏庵、舟下江門/杏庵、印度聖雄「顏智」六首/可軒 |
23 | 新竹州市郡 視學會議 |
24 | 今夜の放送 |
25 | 商況 十九日前場 |
26 | 興南案內報社消息 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 捕虜鹵獲品激增 敵側の抗戰意識低下 我北支軍七月中の綜合戰果頭條新聞 【北京十九日發同盟】北支軍發表(八月十九日午後三時) 例年七月は蔣系軍、共產軍共にその活動が比較 的活況を呈するのを恒例とするが 本年は大東亞戰爭による物心兩面の痛烈な打擊と我が方の機先を制する作戰とにより敵側蠢動の見るべきものは殆んどない狀態である、軍事活動の低調不振を振作せんとする各種政治工作にも拘らず敵側の抗戰意識の低下は如何ともし難く本戰區の先年同月對比に見る如く交戰兵力は減少してゐるに拘らず捕虜及び鹵獲品の激增してゐることはこの事實を證明して餘りあるものがある、七月中の綜合戰果左の如し(括弧內は昨年同期) 交戰回數一、二◯九(一、七五五)交戰敵兵力二◯一、四四九(二三七、三五○)敵遺棄死體一一、七二七(八五一三)捕虜八、八七四(二、九六一) 主なる鹵獲品、山砲四(ナシ)追擊砲八一(四)重機關銃五八(三)輕機關銃二九八(六◯)小銃九、八六八(三六◯一) 尚過去數年間に於ける同月の捕虜數は次の如くである 昭和十四年七月 二三五二、昭和十五年七月 二四六六、昭和十六年七月 二九六一、昭和十七年七月 八八七四 |
02 | 敵三個團三千を潰滅 臨川南方地區、判明の我戰果 |
03 | 飯田中將以下の 定期敘勳 |
04 | 共榮圈建設の抱負 米洲歸朝邦人に聽く |
05 | 村田軍政顧問 きのふ歸京 |
06 | 滿洲開拓第二期 五ケ年計畫大綱 |
07 | 淺間丸とコ號兩船 けふ懷しの橫濱入港 |
08 | 老獪英の三段構へ インド獨立運動の見透し (上)堀第三部長放送 |
09 | 菰田、岩松兩中將 昨日晴れの歸還 |
10 | 曉の警備隊嚴たり南支の守り全し |
11 | 沈沒船引揚に協力 ビルマ人ウ氏に感狀 |
12 | 北京、南京、廣東に 陸軍兵事部設置 |
13 | 重慶紙が憂慮 印度の情勢惡化を |
14 | 金融基調益益堅實 日銀業績、順調な推移 上半期の事業概況 |
15 | 南十字星 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 商業奉公運動の本格的展開社說 一 商業奉公精神の昂揚、企業整備に對する協力、商業決戰體制等の三大目標に向つて商業奉公運動が皇民奉公會を推進中核體として發足して以來日尚淺いが全島で結成された單位奉公團が既に三百を超えその上に聯合奉公團が追追結成される等形態上漸く整備の域に入り今や運動の本格的展開期に突入するに至つた、右に鑑み統一ある行動目標を示して一糸亂れざる清新活潑なる本運動の展開を推進する為に奉公會では本紙所報の通り商奉團中央本部並地方機構を設置し商奉團の系統的組織化を圖る一方中央本部の本年度事業計畫をも決定したがこれで商奉運動は愈愈實踐の第二段階を迎へたわけである。而も本運動の展開が切實に要請されてゐる所以のものは商業倫理の確立といふ精神部面もさることながらそれにもまして企業整備への協力其他再編成過程に生起する諸問題を解決する為の必要に基くもので內地に於ける商業報國會の再發足と略略事情を同一にしてゐるのである。 二 周知の通り內地では舊來の營利本位の經濟觀念を修正し商業本來の配給機構を國家的立場に於て再把握すると共に國防國家の要請せる合理的配給組織を樹立する目的の下に商業報國運動が去る十五年十一月に發足して以來專ら經濟道義の昂揚に努めて來たが大東亞戰以降に於ては中小商業再編成の積極化に伴ひ單なる精神運動としてではなしに企業の整理統合と中小商業者の職業轉換といふ二大目標に對する業者の自主的協力運動として新に展開されこれに伴ひ去る四月に報國會中央本部の改組を見るに至つた。內地と多少事情を異にしてゐるとはいヘ本島の商奉運動が基本的に同じ性格をもつてゐる事はそれぞれの活動目標や事業やが殆んで似通つてゐる點で十分肯かれるのである。そして中央本部で決定された本年度事業計畫も前記の三大目標に副ふて精神昂揚のみにかたよらず企業整備への協力、南方進出、商業厚生運動等に關する事業をも揭げてゐることはこれら事業が夙に商業者の要望してゐるものだけに本運動が下から燃え上がるものとして所期の效果をあげることが期待されてゐる。 三 ところで單位商奉團は業態別組合を以て組織される關係上その大部分が市部に所在するに至ることはいふ迄もないことであつて而も商業者と密接なる關係を有する各會議所が市聯合商奉團を人的つながりによつて指導して行くことは統制經濟下に著しく機能を喪失してゐる會議所に新なる活動分野を與へることになるわけである。卽ち統制事務に携はり得ないことから商業者への指導性を失ひつつある會議所が今や商奉團を傘下に收めることによつて異つた意味での指導性を獲得したものともいへるのであつて會議所としては此際大いにその機能を發揮し自己の存在價值を主張する必要があるであらう。從つて指導するものとされるものとの融合一體化が本運動の奏效に決定的な彰響を及ぼすものともいふベく苟しくも指導者なるを以て商業貴族的な氣持に陷入ることなきやう戒心することが何より必要である。殊に去る八月一日に結成された臺北市聯合商奉團はその指導下に立つ商業者が極めて多數に上つてゐる關係上そのやり方如何が直ちに本運動に微妙な影響を及ぼすものであるだけに役員の慎重なる措置が要望されてゐる。 |
02 | 戰時災害保護法 愈よ本島にも施行 西村文教局長語る |
03 | 裁判二審制を採用 特種の事件に對し愈よ十月に施行 |
04 | 戰ふお山(三) 生活の豐かな“櫻社” 自給自足の域脫して平地に迄搬出 |
05 | 聖地の勤勞奉仕終へて 榮の臺灣青少年團一行帝都入り |
06 | 神宮國民鍊成 大會海洋競技 愈廿八日から |
07 | 梁井知事一行 兩郡の空訓と作付狀況視察 |
08 | 第四回軍國“譽の家” 來る十月三日に表彰 |
09 | 圖像:鐵銅の應召 |
10 | 兩廳下鄉軍の 銃劍術大會 |
11 | 列車內に廻覽板 乘客から乘客へ廻す |
12 | 豐田青年校生の耐熱強行軍 |
13 | 農事協同組合 聯合會結成式 廿六日に擧行 |
14 | 學徒の奉仕作業 嗽部隊に連日繰展ぐ熱誠譜 |
15 | 木谷、吳兩氏が八段に昇段 |
16 | 市郡職員の 肥料講習會 五日間新竹州で |
17 | 我が兵隊さんが大喜び ビルマで睦子孃放送に活躍 |
18 | 農事協同組合の懇談會 |
19 | ときの声 |
20 | 汗の奉仕を終へ 勤報臺北州隊元氣で歸る |
21 | けふの行事 |
22 | 人事‧消息報社消息 |
23 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 常會運營の完璧へ 廿五日より彰化市で研究會開催 |
02 | 常會日の統一 皇奉嘉義支會に實現 |
03 | 戰病死義勇隊員合同慰靈祭 |
04 | 御用材を献納 竹東神社御造營 |
05 | 圖像:盤石街附近殘敵掃蕩の海軍陸戰隊 |
06 | 陣中慰問寫真に感謝狀 |
07 | 教職員の競技會 臺南州二十三日より |
08 | 有田兵事部長 遺族弔問に來彰 |
09 | 高雄州民鍊成道場 奉山郡鳥松に建設 |
10 | 川崎兵事部長 入營者家族見舞 |
11 | 地元の黃麻、苧麻展示 高雄州の各市郡勸業課長會議 |
12 | 若人の赤誠 軍屬志願に血書 |
13 | 全國書畫展 臺中で開催 |
14 | 萞麻を植ゑよ 高雄州、增產運動展開 |
15 | 新埔の金屬回收 講演會 |
16 | 熊谷情報官一行 臺南で講演 |
17 | 山本事務總長 迎へて懇談 |
18 | 宮木知事乘馬クラブを視察 |
19 | 陳情經過を報告 員林市制期成同盟會委員會 |
20 | 屏東市強步大會 來月は廿日頃決行 |
21 | 音樂奉公團組織 皇奉高雄市支會が乘出し |
22 | 世話役鍊成會 |
23 | 滿洲の防犯講演 |
24 | 女性の見た內地農村 屏東郡各地で感想發表會 |
25 | 臺中州國講 講師檢定試驗 |
26 | 屏東市桔梗クラブ常會 |
27 | 暴利數萬圓に上る 社頭福利記商店にメス |
28 | 曾文郡保甲 協會總會 |
29 | 三條崙海水浴場賑ふ |
30 | 高雄地方法院 廳舍落成式 |
31 | 福德炭礦總會 |
32 | 臺中州建具商同業者組合 |
33 | 新竹州警察部異動 |
34 | 蘭陽地方暴風雨災害救濟義捐金報社消息 |
35 | 人事 |
36 | 地方多より |
37 | 今日ノ映畫 |
38 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 本島科學技術の振興に 近く科學技術審議會新設 |
02 | 杉原油脂工場 來月中に擴張竣工 |
03 | 蘭陽地方復興に 勸銀低利で貸出す |
04 | 化粧洗濯石鹼配給統制 要綱決定、愈愈近く實施 |
05 | 乾燥鳳梨 高雄州下で盛んに製造 |
06 | 物價連絡協議會 |
07 | 木材組合と生產者 十八日初打合 |
08 | 農機具統制會社 廿六日に總會 |
09 | 臺中州米穀納入組合 評議員及總代會開催 |
10 | 大東亞茶業協會 發會式に臺灣側參加 |
11 | 青果月例會 |
12 | 臺灣菓子工業組合 創立總會 |
13 | 麻豆文旦豐作 |
14 | 經濟手帖 轉廢業者の府縣共助會 |
15 | 照明燈 |
16 | 商況 十九日後場 |
17 | ラジオ |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 比島の經濟建設 全體の體制着着編成 村田軍政顧問は語る |
02 | “船と人の問題だ” 芳澤大使の南方諸地域視察談 |
03 | 計畫漁業生產へ 統制二會社設立の要領 |
04 | 英帝國主義打倒へ 阿片戰爭の百年記念日林柏生氏寄稿 |
05 | 海の勇士の建設陣風景 |
06 | 印度喪失、英の沒落 英人の巧言令色に惑はされるな (下)堀第三部長放送 |
07 | 蒙古は國語に 日本語を採用 門脇大佐下關着談 |
08 | 南洋聯合青年代表 宇治山田市着 |
09 | 北佛ヂ市上陸英軍 完全に掃蕩し盡さる |
10 | 井野農相談話 |
11 | 主題は第二戰線 モスクワ會談、消息筋批評 |
12 | 英のガ翁逮捕は 深刻な惡逆行為 陳友仁、聲明書を發表 |
13 | 埃及に於ける 英首相の會談 |
14 | ガ翁の子息も 逮捕さる |
15 | 回教徒聯盟 運用委員會 |
16 | 清新俱樂部員一行 國務院を訪問 |
17 | 英擊沈艦追加發表 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 拜謁の光榮に感激 畏し武勳上聞に達せられた 久米大佐と野口大尉 |
02 | 聖恩の廣大に感泣 船中で野村大使語る |
03 | 山田兵器部長 學徒の奉仕作業を視察 |
04 | 銃後敢鬪譜四 鋤鍬に誓ふ更生 刑餘の身でも增產挺身の一路に/森山武市郎 |
05 | 情報懇談會 來臺した情報官一行を迎へ けふ府正廳で開催 |
06 | 故加藤大使、新庄大佐の遺骨 淺間丸で喪の歸朝 |
07 | 軍馬慰問 |
08 | 州廳女子職員 第二回合宿訓練 |
09 | 釋放者更生道場 けふ開所式を擧行 |
10 | ニコニコ運動 我が荒鷲に感謝を捧げませう 九月常會申合事項 |
11 | 勤報新竹州隊元氣で歸る 富士訓練所で勤勞奉仕を終へて |
12 | 共榮圈建設へ巢立つ 廈門小學校教員講習終る |
13 | 警察部職員の競泳大會 商業校プール |
14 | 女青幹部訓練の修了式 |
15 | 三ケ月間に三千圓突破 花蓮港陸軍兵事部取扱献金 |
16 | 鮮魚介加工製造組合設立準備會 |
17 | 紡績女工が大陸へ進出 “拓士の妻”に一石二鳥の妙案 |
18 | 堆肥增產研究會 |
19 | 遺言通り献金寄附 |
20 | 人事‧消息 |
21 | 興南詩苑漢詩 羊城雜詠八首/杏庵、杏庵日前寄詩詠此答之/南都 |
22 | 今夜の放送 |
23 | 商況 二十日前場 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 感狀被授與者御殊遇 久米大佐、野口大尉破格の光榮 歸還將星と共に拜謁仰付らる頭條新聞 【東京發同盟】畏くも 天皇陛下には二十日午前九時半輝く武勳と共に歸還した岩松義雄陸軍中將以下十二將星に對し拜謁仰付けられたがその御砌り武功拔群の感狀被授與者御殊遇の思召からパレンバン奇襲飛行部隊長として殊勳を樹てた陸軍大佐久米精一及びマレー戰線に奮戰した戰車隊長同大尉野口剛一の兩氏に對し特に拜謁仰付けられ更に將星等と共に祝酒を賜ひ厚く御優遇あらせられた畏くも 天皇陛下には皇軍將士の忠烈勇武なるを思召され支那事變以來幾度か御嘉尚の勅語を賜ひ又拔群の殊勳に對する感狀上聞のことあるやその都度深く御滿悅あらせ給ふと承るが感狀被授與者に對する賜謁は建軍以來前例なくこの程歸還した久米大佐、野口大尉が初のこの光榮に浴したものであり感狀被授與者御嘉尚の思召彌深き大御心の程恐懼し奉る次第である、感狀被授與者に賜ふ破格の思召に皇軍の榮譽彌輝くこの日陸軍中將岩松義雄、同森岡臯、同城倉義衞、同前正實、同佐久間為人、陸軍軍醫中將井深健次、陸軍少將谷口吳朗、同田中勤、同堤不夾貴、同野副昌德、同山口貞吉、同林義秀の各將星は午前九時相前後して參內光榮の久米大佐、野口大尉も軍裝に威儀を正して參內 天皇陛下には御軍裝御凜々しく大勳位功一級各副章を御佩用午前九時三十分表御座所に出御あらせられ岩松中將以下各將星に順次拜謁仰付けられ次いで久米大佐、野口大尉は恐懼しつつ謹んで御前に參進 陛下には親しく拜謁を賜つた壯烈鬼神をも哭かしめた歷戰奮闘の兩勇士は今御前に咫尺し天機御麗しき御尊顏を仰ぎ拜し聖恩に恐懼感泣して退下した、尚岸松、森岡兩中將は御內儀に於て更に 皇后陛下に拜謁仰付けられ一同は南溜の間に於て祝酒を拜受し恐懼宮中を退下したが畏き邊りでは岩松、森岡兩中將に對し御紋付木盃一組並びに金一封を、城倉、前田、佐久間三中將、井深軍醫中將、谷口、田中、堤野副、山口、林各小將に對しそれぞれ御紋村木盃一組宛を下賜せられて厚くその勞を犒はせられた |
02 | 既定經費の整理と 新規經費の節減 地方豫算の編成方針 |
03 | 陸軍部を創設 國府軍機關を改組 |
04 | 建軍の目的を 最高度に達成 |
05 | 國府軍事關係異動 |
06 | 統制會への權限委讓 十月上旬勅令を公布せん |
07 | 感激を語る 光榮の久米、野口兩氏 |
08 | 圖像:上饒中心地區を征く我が部隊(上海軍報道部提供) |
09 | 外地業者を包含 統制會一層強化さる |
10 | 中央農業協力會理事會 |
11 | 蒙旗の行政を確立 門脇大佐事務打合に入京 |
12 | 山西共匪の掃蕩戰果 |
13 | 蒙古政府の 人事異動 |
14 | 聯合軍の夢 完全に破らる |
15 | 米英の上陸作戰 完全に失敗 獨軍司令部特別發表 |
16 | 加藤技師退官 |
17 | 英首相窮餘の暴擧 上陸の意義、獨軍強調 |
18 | 局地的攪亂程度 猛反擊で聯合軍上陸作戰失敗 |
19 | 上陸作戰を英側發表す |
20 | 文部辭令 |
21 | 鐵道部人事異動 |
22 | 南十字星 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 統制強化と失業對策社說 一 最近大東亞戰爭勃發後の新事態に則應するため島內に於ける中小商工業に對して益益新制整備を强化するに至つた事は國家的要請として誠に己を得ざるところである然しながら其の統制方法としては出來る丈合理的にし其の犧牲を少なくすると共に若し何うしても整備統合すべき必要ある場合は寧ろ徹底的に之を行ひ其の失業者に對してそれ相應な對策を講すべきである。先月督府山林課に於て決定した木材商の統制は臺灣木材組合の設立となり、近く臺灣木材會社の設立にまで發展すべき事を約束せられてゐるが、從來の業者は同組合へ加入せしめる丈で今後殆ど半失業の狀態に置いてゐる事は決して妥當な處置だとはいへない。此の際寧ろ廢業をすべきは廢業させ殘つた業者が立つて行ける樣考慮を加へられ其の廢業に伴ふ失業者に對して何かの對策を講ずる事が業界に對する安定と人的資源の節約であらうと信ずるからである 二 上記の一例は固より最近に起つた一標本に過ぎないが、今後統制經濟の强化持續は相當長期間に亘る事をよく認識し此の際表面上失業者を出す事を慮り事を穩便に運ばうとするために不徹底な方策を講ずる事が決して根本對策だとは考へられないのである。島民としては現在既に如何なる犧牲を拂ふ事をも意としない丈の覺悟はあるが失業者に對してもつと具體的にもつと綜合的に轉業等に關し積極的政策を取られん事を望まざるを得ない有體にいへば我國が今や未曾有な大戰爭に邁進しつつあるので人的資源はいくらあつても足らざる狀態にある、唯小商工業整備に伴ふ一時的偏在的現象に過ぎざる失業に對して若し政府として適切な調查と對策を以て之に臨めば問題は比較的に簡單に解決され得るのではないかと思はれる。 三 此處に於て督府としては中小商工業の整理統合に依る失業者及び現在各方面の失業者に對し其の對策を構すべき常置機關を設ける必要があらう。此の問題は勞務管理と共に如何に本島六百萬の人民をして各各其の適する業務に就かせるかといふ根本方針を決定し各地商工會議所と連絡して所謂遊休人的資源の動員にもつと力を致すべきである。殊に今後南方地域に於ていくたの人材を要するのであるから、本島に於て出來る丈之に供給するにはもつと組織的にもつと具體的に其の對策を講ずる機關を文教局に於て之を設け以て島內人的資源の配置に對し最も適切に最も迅速に處理すべき事を强調せんとするものである。卽ち戰時體制確立に伴ふ物資管理と相呼應して人的資源の管理に對し此の際根本的對策を樹立せられん事を望まざるを得ない |
02 | 交換船淺間丸とコ號 昨朝無事橫濱に入港 |
03 | 懷しの祖國に上陸 兩大使萬感交交至る |
04 | 御內帑金御下賜 朝鮮水害御救恤の思召 |
05 | 圖像:交換船橫濱入港 |
06 | 宮城前に到り 三大使が敬虔な遙拜 |
07 | 三大使六公使參內 |
08 | 野村、來栖兩大使以下入京 |
09 | 重責を果して 藤田淺間丸船長 喜びを語る |
10 | 昂まる吉野米の真價 神酒釀造用に專賣局に納入 |
11 | 戰ふお山(四) 見下す千仭の谷 山の天邊“富士社”へ |
12 | 不拔の精神を昂揚 時局講演會大盛況 |
13 | 佐藤中尉外諸勇士 きのふ基隆で市葬嚴修 |
14 | 推進員の指名式 きのふ市民講堂で |
15 | ときの声 |
16 | 文藝と映畫の夕 今夜公會堂で |
17 | 納稅美談二つ |
18 | 人事‧消息報社消息 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 浮覆地の開墾に青少年が淨汗奉仕 臺中州の勤勞增產運動 |
02 | 作柄は上上 水稻に劣なぬ高雄州の陸稻 |
03 | 行賞賜金交付式 廿六日花蓮港で擧行 |
04 | 圖像:陸戰隊の農耕指導 |
05 | 水稻の發育良好 |
06 | 森田臺中州知事 體檢狀況視察 |
07 | 植付面積を倍加 嘉義郡の愛國萞麻 |
08 | 彰化市郡の點呼 |
09 | 勳記、官記傳達 きのふ知事公室で |
10 | お山の遺家族慰問 松山警察部長 |
11 | 屏東郡事務監查 |
12 | 一萬甲步を灌溉 獅子頭ダムの開鑿計畫 |
13 | 奉公運動に協力 活潑な臺南市皇國挺身隊 |
14 | 赤誠の献金品 |
15 | 早期完納決議書 和美庄民赤誠を披瀝 |
16 | 親切運動開始 回覽板で主旨宣傳 |
17 | 大溪女子青年第三種訓練 |
18 | 訓練に繼ぐ鍊成 屏東健兒は斯く鍛ふ |
19 | 應募者四百名 臺中州の軍屬 志望 |
20 | 推進員鍊成會 大肚山道場で開會式 |
21 | 鄉軍臺南州支部 武術大會 |
22 | 淡水の空訓 好成績裡に終了 |
23 | 優秀者は南方派遣 拓農戰士訓練開始 |
24 | 嘉義市の農事懇談會 |
25 | 演劇の新動向を聽く |
26 | 朴子拓南農士 訓練所開所式 |
27 | 彰化郡芬園庄米穀消費米 |
28 | 選手豫選會 |
29 | 人事報社消息 |
30 | 地方多より報社消息 |
31 | 今日ノ映畫 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺中州木材生產會社 資本三百萬圓で計畫中 |
02 | 內地石灰原石 高雄へ大量入荷 |
03 | 船腹の增強確保 海上輸送懇談會で要望 |
04 | 各州廳乘合自動車 組合世話役設置 |
05 | 共榮圈諸建設(上) 着着と進捗 |
06 | 產聯主事に 望月氏を任命 |
07 | 臺拓出資補填財產 近く評價委員會開催 |
08 | 島內私設鐵道合同 近く評價委員を選任 |
09 | 滿尾鐵道部長 本日東部巡視 |
10 | 佛印の精米技術 改良の餘地がある |
11 | 產組聯合會より 蘭陽地方へ低利融資 |
12 | 冷凍豚肉の配給計畫 |
13 | 高雄州干バナナ臺灣青果で檢查代行 |
14 | 彰銀人事異動 |
15 | 照明燈 |
16 | 商業親切運動の展開 市聯合商奉團理事會で決定 |
17 | 商況 二十日後場 |
18 | ラジオ |
19 | 水滸傳(757)/黃得時;碇政彌 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 野村大使以下參內 拜謁仰せ付けらる |
02 | 半日で完全に掃蕩 英米聯合軍の慘憺たる末路 獨軍報道班員の報道 |
03 | 圖像:スターリングラード街道を驀進する獨逸軍 快速砲兵隊 |
04 | 英米側の損害莫大 獨軍司令部特別發表 |
05 | 悽慘な肉彈戰展開 ス市への脅威更に重大化 |
06 | クラスノダールを放棄 ソ聯情報局發表 |
07 | 上陸作戰完敗に 英國民が失望 |
08 | 大東亞戰完遂へ 着任の河邊總參謀長談 |
09 | 獨軍のドン河 渡河 ソ聯側も認む |
10 | 聯合軍の慘敗ぶり ユーピー記者の報道 |
11 | ス市周邊を猛爆 |
12 | 上陸作戰は不可能 聯合軍首腦部會議の□論 |
13 | 返つて不安激化 英當局の印度暴動報道制限 |
14 | 回教徒聯盟 決議採擇 |
15 | 獨軍黑海沿岸の ノ要港へ進擊 |
16 | 騷ぎ立てた米紙 全く拍子拔け |
17 | 濠洲東岸三ケ所 空襲警報で大騷動 カーチン夫妻防空壕に逃げ込む |
18 | 領袖即時釋放を絕叫 ボンベイ市民練り步く |
19 | 北部佛印の 印度人も蹶起 |
20 | ウイルキー ソ聯訪問か ル大統領と會見 |
21 | 駐日滿洲大使館 名譽領事會議 |
22 | 濠巡カンベラ 艦長戰死 |
23 | 洪國攝政の 令息 東部戰線で戰死 |
24 | 敵性特許權の 第一回處分 |
25 | 南部スマトラに 棉花の移殖生產 |
26 | 伊軍司令部發表 |
27 | 東亞厚生大會 閉會式 |
28 | 中央協力會議員候補者 後藤事務總長 星野翰長と協議 |
29 | 伯國船五隻 擊沈さる |
30 | バナマ運河西部に 墨海軍警備 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 交通の花形として 戎克船が愈よ登場 一石三鳥の効果發揮 |
02 | 東京バタビヤ間 第一回文士對談放送 |
03 | “華僑、重慶と絕緣” 吉植商船ハノイ支店長談 |
04 | 前線に涼しい贈物 書道會から扇七千九百本 |
05 | 廢品回收賣上金を献金 新竹中五年生 |
06 | 北支の在住日本人 現在四十萬三千六百十五人 事變前の約十倍 |
07 | 銃後敢鬪譜五 方委も“汗の躬行” 野菜の自給圈確立に渾身の奉仕/辻謹吾 |
08 | 情報懇談會 府正廳で續開 |
09 | 女學生が献金 整理に奉仕 |
10 | 徵兵檢查終了壯丁 本年度の訓練計畫 |
11 | 保甲團を組織 上海水上生活者 |
12 | 武官府で奉仕作業 四高女の乙女らが |
13 | “聲の彈丸”を發射 星港陷落第一報を海外放送 米國生れ第二世の放送員殉職美談 |
14 | 高過ぎる宿泊料 愈よ公定價格を設定 |
15 | 勤奉臺灣青年團 府東京出張所が招待 |
16 | 香港の防疫狀態 桐林衛生課長語る |
17 | 基隆武道爭霸戰 |
18 | 鮮魚、野菜屋に番號制 闇や不正行為防止に |
19 | 興南詩苑漢詩 阿片戰爭百年記念日/黃純青、咏羅村/杏庵、席上繪瀨戶君/杏庵、贈若林從軍記者/杏庵、贈共榮會主事井上正男先生/杏庵、宿石壁湖圓通禪寺四首/黃景南 |
20 | 人事‧消息 |
21 | 煙幕 |
22 | 彈丸切手 第三回の抽籤 |
23 | 今夜の放送 |
24 | 商況 廿一日前場 |
25 | 興南案內報社消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | マキン島の我守備隊 襲來せる米兵を驅逐頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(二十一日午後四時三十分)開戰初頭占領せるギルバート諸島北端マキン島に對し八月十七日未明米奇襲部隊來攻、米兵約二百名上陸せるも同島我が守備隊の猛反撃により寡兵克く之を完全に驅逐せり |
02 | 外地行政簡素案決定 官廳關係全部本極り |
03 | 廳府縣關係の 簡素化實施要領 |
04 | 外地の實情を考慮 實施案の特記すべき諸點 |
05 | ギルバート 諸島解說 |
06 | 官廳別、職員別の 減員總數、改正定員數 |
07 | 外地關係の減員二萬五百三十九人 |
08 | 寡兵よく敵を擊退 マキン島の我守備隊の大偉勳 |
09 | 全國警察部長會議開く |
10 | 警察行政に期待 東條首相の換拶要旨 |
11 | 適用期間延長 會社所有株式評價臨時措置令 |
12 | 南十字星 |
13 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 明るく朗かな ニコニコ運動 有終の美を濟せ社說 一 皇民奉公會では九月の常會申合事項にニコニコ運動を取上げてゐるがこれは是非實行して行き度いものである、我國には昔から「笑ふ門には福來る」と云ふ諺があつて消極的ではあるがニコニコは推奬され歡迎されて來た、ニコニコ顏やヱビス顏は陽氣なものであり明朗なるもので何とも云へない氣持を他人にも自分にも與へて吳れるものであることは人間が感情の動物である以上は當然である、人間が感情の動物であれば喜怒哀樂の情は直ぐ顏や動作に現はれるものだが、とりわけ顏には所謂表情となつて卒直に現はれて來る、ニコニコ顏は喜樂の情の現はれであるから他人も自分も共に晴晴した氣持ちになるのである、皇民奉公會がニコニコ運動を取上げたのは戰時下色色と國民の日常生活に於て隨分苦しいこと、不便なことがあるだらうが、苦しいからといつて澁面ばかりしてゐては尚ほ更ら仕方ないから多少の困難はニコニコ顏で朗らかに突破して行かうといふのにある 二 真のニコニコ顏は精神的にも肉體的にも明朗喜樂でなければ出來ない、真のニコニコ顏が出來る時は人間最も幸福な時であるが、複雜多岐な人の世の中では何時もそうはゆかない、ニコニコ運動には真のニコニコ顏になれるやう精神的肉體的に素地を作れといふ消極的なものと同時に、澁面を作らねばならないことがあつてもそれを克服し、感情を殺してニコニコ顏となり他人に不愉快な氣持を與へるなといふ積極的なものの二ツあるが、手近なものから一つづつでも實行して行くがよい、乘合自動車の車掌が多少不親切であつてもこれを咎めず恕すこともニコニコ運動であり、隣所と朝夕の挨拶をすることもニコニコ運動であり、各自の職域奉公もニコニコ運動である、ニコニコ運動はわれ等の四圍に而も身邊にいくらでもあるのである 三 曩に親切運動が提唱されたが、その後これが果して何れだけ實行されてゐるであらうか、ニコニコ運動は觀方によつては親切運動と大差ないが、親切がその運動中だけ實行され、その後は左程顧みられないと同じやうにニコニコが運動中にのみ行はれて後は我不關焉でなく何時までも實行されるやう六百萬島民が擧つてその實行に努め本運動を龍頭蛇尾に終らしたくない、それには單に常會の申合せばかりでなくもつと積極的に具體運動を展開し有終の美を濟すことに最善の努力を致されたい、兎もあれ我等銃後國民は每日ニコニコして明るい氣持で愉快に各自の職場で御奉公しこの長期戰を力强く戰ひ拔かねばならぬ。 |
02 | 教育制度の刷新 中等校、高校修業年限を短縮 明十八年度より實施 |
03 | 事態の進展に即應 茲に遠大な構想確立 |
04 | 結核の豫防撲滅へ 對策要綱を決定發表 |
05 | 首、文兩相談 |
06 | 大詔奉戴日の實踐事項 “國民貯蓄組合の強化擴充”と決定 |
07 | “文藝と映畫の夕” 昨夜市公會堂で盛況 |
08 | “數年後に日本を 世界一健康國に” 厚相記者團と一問一答 |
09 | バス事業を再編成 全國の業者を約一割に壓縮 根本的に統合を斷行 |
10 | 樋口軍參謀長 昨日蘭陽地方を巡視 |
11 | 大東亞資源館と 大東亞圖書館 昨日設立發起人會開催 |
12 | 山內警務局長 基隆市を初巡視 |
13 | 街庄の指導陣を強化 新竹州で街庄長鍊成を開催 |
14 | 宜蘭中後援會創立總會 |
15 | ときの声 |
16 | 產業戰士の健康保持へ 勞協宜蘭市支會で多彩の行事 |
17 | 劇團指導者 鍊成會 |
18 | 司法保護記念行事 |
19 | 宜蘭中父兄會 |
20 | 訃文:林龔氏食婆(藝名林月子) |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 青年の徹底的鍊成 臺南州の實施計畫 |
02 | 國語普及を促進 來月一日より皇民塾再開 |
03 | 高雄州勸業課長會議 |
04 | 勳章傳達 |
05 | 臺中州の方委鍊成會 |
06 | 臺南市吏員鍊成 |
07 | 屏東郡の點呼 |
08 | 水牛の飼育獎勵 花蓮港廳增殖策を樹立 |
09 | 山岸臺東廳長 初度巡視 |
10 | 眠れる古い銅貨 嘉義市回收に乘出す |
11 | 最後まで鬪はん 印度の獨立運動 藤森、濱崎、中村三氏に聽く |
12 | 地方稅官會議 |
13 | 畜產增殖懇談會 |
14 | 延人員四十六萬 臺南市のラジオ體操參加者 |
15 | “國語の本義”講義 森田知事、國民校文化講習會で |
16 | 彰化市議月例會 |
17 | 大溪郡青年競步大會 |
18 | 高山栽培に凱歌 旨い阿里山大根近くお目見得 |
19 | 全く感慨無量でした 父に逢つて來た勳の見は語る |
20 | 楊梅の中元祭 |
21 | 大溪興亞移動展盛況 |
22 | 桃園水利組合評議員會 |
23 | 女優林月子さん逝く |
24 | 三峽林映西君書畫展に入賞 |
25 | 姙產婦の必携 乳幼兒愛護手帳配布 花蓮港廳の新しい試み |
26 | 蘭陽地方暴風雨災害救濟義捐金報社消息 |
27 | 地方多より |
28 | 人事報社消息 |
29 | 今日ノ映畫 |
30 | 「日本の母の歌」 作曲募集 |
31 | 訃文:小田哲史 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大高雄港の建設 先づ港灣倉庫設備に 資本金三百萬圓の會社組織 |
02 | 高雄州農產及ぴ 畜產物檢查を實施 |
03 | 製糖用石灰石 七月迄三萬七千噸確保 |
04 | 共榮圈諸建設(下) 着着と進捗 |
05 | 林擒移入數量 年廿二萬函と決定 |
06 | 新竹州蔗作改善 競作褒賞授與式 |
07 | 比島小作條件を是正 軍管理農場の借地條件に適用 |
08 | 鹽乾魚の配給強化 配給統制規則近く發布 |
09 | 臺灣菓子工業組合 きのふ創立總會 |
10 | ビール罎のリンク制 近く規則制定で強化せん |
11 | 經濟手帖 |
12 | 食品工業會社 近く設立 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況 廿一日後場 |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(758)/黃得時;碇政彌 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 勅任官を三名減員 府行政簡素化案全貌 內務、法務兩局、企畫部廢止 |
02 | 總務局、國土局新設 米穀局を食糧局に、課を廢合 |
03 | 行政の簡素強力化/蠟山政道 |
04 | 行政簡素化を 織込んだ機構改革 齋藤總務長官語る |
05 | わが傷痍軍人に 羅馬法王廳寄贈 |
06 | 本格的攻略戰迫る ス市の防衛重大脅威 |
07 | マニラ英字紙に 片假名開新設 |
08 | 獨軍司令部 發表戰況 |
09 | 後宮大將出發 官民に歡送されて |
10 | 最後の決戰へ |
11 | 圖像:我が潛水艦敵輸送船を擊沈 |
12 | 獨ソ戰全面的展開 中、北部も攻擊を開始 |
13 | 北海の上空で 獨、米大空中戰 |
14 | 米大統領、キンク 以下と協議 |
15 | 印度の騷擾 英國報道筋の公表 |
16 | ブラシル獨人の 引揚げを禁止す |
17 | 印度獨立聯盟 支部へ合流 昭南回教徒聯盟 |
18 | ボンべイ市會 機能を停止 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 學制改革の諸要點 菊池次官との一問一答 |
02 | 御下賜品傳達式 廿六日市正廳で擧行 |
03 | 帝國軍人、軍屬に對し 第四次贈勳の御沙汰 滿洲國政府より發表 |
04 | 銃後敢鬪譜完 挺身する白衣勇士 炎熱下山林作業に汗の勤勞奉仕/三木良英 |
05 | 日英交換船龍田丸 來月末に故國へ歸着 |
06 | 推進員常會 廿五日から各出張所で開く |
07 | 蔣軍の給與劣惡 何應欽の報告から暴露 |
08 | 英語科に關する對策を協議 各女學校長が參集して |
09 | 日本青年團史脫稿 起源は鎌倉時代に溯る |
10 | 水崎新竹市長 廿四日より三日間管內を初巡視 |
11 | 大東亞の表情 一路舊體制追放 消費面にも大東亞色 |
12 | 體力檢查施行 二十二日から各會場で |
13 | 青年團結團式 |
14 | 三十キロを踏破 新竹市五青年團の強步大會 |
15 | 學徒の勤勞奉仕 憲兵隊司令部で清掃作業 |
16 | 人事‧消息報社消息 |
17 | 興南詩苑漢詩 七月十一夜風雨逞威留宿梅林書屋/其美、冒雨赴治安維持委員會樓上觀古物展覽會獲一新硯喜而有作/杏庵 |
18 | 煙幕 |
19 | 今夜の放送 |
20 | 商況 廿二日前場 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | マレー作戰に偉功 畏し武勳上聞に達す 橫山、織田兩工兵部隊に感狀頭條新聞 【東京發同盟】マレー半島の北から南へ大小五十有餘に及ぶ橋梁の修理に神速振りを發揮一千有餘粁に亘る松井部隊の長遠困難な作戰を授け更にジヨホール水道に當面しては同部隊の渡河作業隊として果敢斷行、部隊全力の上陸を完了せしめた橫山工兵部隊及びシンゴラ附近の敵前上陸に引續きマレー西海岸に轉進西村部隊に配屬されマラツカ海六五◯粁に亘る驚異の海上機動を敢然として斷行敵背後の要點に神出鬼没の妙を發揮軍全般の作戰を有利に展開せしめ更にジヨホール水道に轉進松井部隊の敵前上陸に協力し織田工兵隊に對してはさきに山下マレー方面最高指揮官より、それぞれ感狀が授與され華華しき戰闘の陰にあつて常に默默とその任務に邁進する工兵の本領を遺憾なく發揮したものとしてその功績が讚へられたが今回兩工兵部隊の拔群の勳功は畏くも上聞に達せられた二十二日陸軍省より左の如く發表された。 陸軍省發表 八月二十二日午後四時マレー作戰において拔群なる功績を樹てたる橫山工兵部隊及び織田工兵部隊に對しさきに同方面陸軍最高指揮官山下奉文より感狀を授與せられたが今般畏くも上聞に達せられたり 感狀 橫山工兵部隊 右は橫山部隊長統率の下に、マレー作戰に隨ふや積極果敢帶に難局に立ち、敵の破壞せる大小五十有餘の橋梁を敵彈雨注の中に敏速なる修復をなし、もつて千有餘粁に亘る松井部隊の長遠困難なる作戰を容易ならしめ更にシンガポール等攻略に際してはジヨホール水道の至難なる敵前上陸に當り同部隊作業隊として周到適切なる準備の下、果敢斷行もつて上陸に成功し熾烈なる敵火を冒して短時間に松井部隊全力の上陸を完了し、その作戰を有利ならしめたる功績は拔群なりと認む、よつてこれに感狀を授與す 昭和十七年二月十五日 マレー方面軍最高指揮官山下奉文 感狀 織田工兵部隊 右はマレー作戰に參加し、シンゴラ附近敵前上陸に引續き、織田部隊長の指揮の下にマレー西海岸に轉進、西村部隊に配屬せられその海上機動に隨ふや敵海空軍なほ跳梁暴威を振ふ海面を小舟艇により、よく六百五十粁に亘る距離を反復機動し此間屢屢敵飛行機の攻撃を受けて死傷續出し或は敵砲艦の射撃により舟艇破損せしも不屈不撓敢然として任務を遂行しセランゴール、モリブムアノル、パツパハツト等敵背後の要點に友軍一部の上陸を反復敢行して敵に至大の脅威を與へ軍全般の作戰を有利ならしめ、ついでシンガポール水道に轉進、主として松井部隊の敵前上陸に協力し舟艇の過半は敵彈に損傷せられ死傷續出するも毅然としてよくその任務を完遂せるはその功績拔群なりと認むよつてここに感狀を附與す 昭和十七年二月十五日 マレー方面陸軍最高指揮官山下奉文 橫山與助部隊長靜岡縣小笠郡下內田村一二六◯の出身陸士卒、滿洲派遣部隊附、名古屋工廠員等を勤め昭和八年滿洲事變に出征後朝鮮全州公立高等普通學校服務、京城師團司令部附等を經て部隊長となる 織田作市部隊長愛媛縣越智郡大山村田浦一三の出身大正三年十二月工兵第五大隊へ入隊同八年ウラジヲ派遣部隊附としてアルグン、シルカ、河谷等の過激派討伐に參加同十五年少尉候補者として陸士入學昭和二年卒、同七年上海事變に出征、同十二年北支派遣部隊附となる、 |
02 | 陸軍省發表 |
03 | 兩部隊の戰鬪經過 |
04 | 技術的能力を發揮 全軍戰捷の道を拓く 兩工兵部隊の挺身前進 |
05 | 外務辭令 |
06 | 圖像:河邊總參謀長、畑總司令官に 着任の挨拶 |
07 | 產業設備營團南方へ進出 第一期計畫案を決定 |
08 | ソ聯黑海艦隊の運命迫る ノ要港への脅威刻刻增大 |
09 | 獨軍兩市を占領 |
10 | マキン島作戰の失敗 米當局口を緘して語らず |
11 | 統制會各理事長に 委讓案を提示 |
12 | 眾院の滿支皇軍 慰問打合會 |
13 | 英米ソ會談の結果 第三國筋の綜合的觀測 |
14 | 宜蘭時局講演會 |
15 | 南十字星 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 行政簡素機構 改革案決定社說 一 政府の方針に基く內外地の行政簡素化案が全部閣議決定を見ていよいよ來る十月一日を期し一齊に實施する運びとなつた今回の行政簡素强力化の方針は要するに最近數年間行政の權限擴大に伴ふ行政事務並に機構の複雜化に對して之を簡素强力なものにすると同時に之によつて生じた減員を特に大東亞諸地域の軍政要員充足に振り當てようとするものであつて、その目的は從來の行政整理とは自ら異るものがあるのである。從つて今回全部閣議決定を見た內外地行政簡素化實施案が、六月十六日の方針決定以來僅か二ケ月にして早くも全面的確立を完了するに至つたことは、決して故なしとはせず、同時にかかる劃期的な官界新體制の實施案を決定した東條首相の大英斷も特筆されなければならないともかく大東亞戰爭の擴大に件ふ大東亞諸地域の經營並に國內體制の整備を强力に要請されてゐる折柄、懸案の行政簡素化が全國內外地を通じて速かに實現せられたことは洵に時宜を得た措置と云へるであらう。 二 臺灣の行政簡素化實施案はもとより中央の大綱方針に準據したものであるが、唯內地と異ることはかねてより懸案の督府行政機構改革案中に織り込んで、一擧に之を實現せしめた點である。卽ち南方協力を使命づけられた臺灣の新しき體制を確立すべく立案せられた督府機構改革案が、去る六月法制局の承認を得てまさに閣議に上程せんとする矢先へ、行政簡素化の方針大綱が決定發表されたため、一應見送りの止むなきに至つたのが、今回簡素化實施案の中に若干の修正を施し謂はば新裝をこらしたものである。從つて、臺灣の行政簡素化は、勿論中央の方針指示に基いたものとは云へ、必ずしも內地其の他に於けるが如き單なる受動的なものといふより寧ろ、躍進臺灣の新しき構想と創意を盛つた積極性ある行政簡素强化の一大改革と見なければならぬと思ふ 三 臺灣行政簡素化に伴ふ定員減少は、外地たるの特殊事情に鑑みて內地よりはやや低率であるが、それでも全島中央地方廳を通じて、勅任三、奏任約九◯、判任約一、四◯◯名に上り相當なる減員である。しかし減員よりも寧ろ之と併行して行はれた機構改革の方により興味の深いものがあらねばならない。內務局、企畫部を廢止して新たに總務局と國土局を創設し、時局に適應せる府政の綜合性企畫性並に合理性を充足せしめることは、大いに時宜に適したる改革であると共に法務局を廢止したことも又行政簡素强化の英斷と云はねばならない。其他鐵道遞信兩部の綜合制や各課の廢合等未だ具體的決定を見るに至らないがともかく前述の如き新臺灣の强力體制を確立せんとする簡素强化の新機構が期待せられるのである。ともあれ、今回の行政簡素强化並に之に伴ふ機構改革は、獨り官界新體制實現への有力なる契機であるのみならず、延いては民間の新體制をも强力に促進する役割を演ずるであらう |
02 | 全國教員體育大會 東條首相、橋田文相臨席の下に きのふ聖地橿原で開幕 |
03 | 新しき道義に基き 一路天職の完遂へ 東條首相熱烈るる訓示 |
04 | 戰ふお山(五) 健氣な高砂族女性 譽の義勇隊員の妻に聽く覺悟 |
05 | 抱く“實戰の鬪魂” けふ一齊に火蓋を切る |
06 | “行と魂”の鍊成 全島女教員國民研修所で |
07 | 樋口軍參謀長 花蓮港を初度巡視 |
08 | 曉の民情を視察 奈良で吾等の人情首相が |
09 | “おお憧えてゐるか” 感激に震ふ老勇士 |
10 | 產業戰士を激勵 東條首相國民勤勞訓練所で |
11 | 臺灣に俘虜收容所 所長は中野準一大佐 |
12 | 宜蘭市勸業課 復舊工事竣工 |
13 | 新竹市奉公壯年團常會開催 |
14 | 山內警務局長 蘭陽地方の風害を見舞 |
15 | 師道魂の精髓を體得 國民校教員講習會閉會式擧行 |
16 | ときの声 |
17 | 防犯ボスター 入選發表 |
18 | 宜蘭婦人標準服講習會 |
19 | 滿尾鐵道部長 蘭陽へ初巡視 |
20 | 鄉軍射擊大會 三張犁で開催 |
21 | 宜蘭金屬回收移動展 |
22 | 業佃關係者 打合研究會 |
23 | 舞踊慰問 |
24 | けふの行事 |
25 | 人事‧消息 |
26 | 訃文:鄭氏含少 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | お薩專門家配置 臺中州增產指導に躍起 |
02 | 教育に固き信念 國民學校長精神文化を講習 |
03 | 識見の向上へ 花蓮港廳、國講講師を鍊成 |
04 | 圖像:○○島にて落下傘降下體操の訓練 |
05 | 嘉義郡第三種空訓 |
06 | 模型航空機競翔會 |
07 | 推進員鍊成會 臺南市支會で開催 |
08 | 彰化郡の納稅成績 |
09 | 潮州椪柑も滿洲へ 高雄州の柑橘界愈よ有卦 |
10 | 皇奉支會分會 主事打合せ |
11 | 屏東桔梗クラブ員 豫防注射お手傳 |
12 | 奮起湖の大根大豐作 鹽漬で平地に大量出荷 |
13 | 坡心庄真先に 完納 員林郡の納稅 |
14 | 部落會長鍊成 花蓮港で開く |
15 | 黃麻多收穫競作 審查日程決る |
16 | 合同經營進捗 高雄州下乾バナナ工場 |
17 | 全島各市稅務 事務打合會 |
18 | 譽の遺兒の集ひ 恒春で林間學園開催 |
19 | 北斗郡防風林助成組合評議員會 |
20 | 臺中市營住宅上棟式 |
21 | 山の兩勇士 慰靈祭 十八日夕社で執行 |
22 | 新化水利組評議員會 |
23 | 嘉義水利組 評議員會 |
24 | 彰化郡各街庄 事務監查日割 |
25 | 市郡勸業課長 經濟主任會議 |
26 | 金融人の誓ひ 彰銀奉公團結成 |
27 | 蘭陽地方暴風雨災害救濟義捐金報社消息 |
28 | 熊谷情報官ら 臺南で講演 |
29 | 農家に藥品配布 害虫驅除に鐵壁陣 |
30 | 臺中州落花生、胡麻 加工業組合總會 |
31 | 臺中市の時局講演會 |
32 | 屏東市の點呼 |
33 | 婦人標準服 高雄で展演會 |
34 | 員林米穀局出張所 落成式 |
35 | 鳳山トマト 增產懇談會 |
36 | 鄭根木氏母堂逝去 |
37 | 臺北春競馬 第六日の成績 |
38 | 急行バス運轉? 高雄、旗山間の交通改善 |
39 | 曾文郡鹽乾小賣商組合 |
40 | 地方多より |
41 | 今日ノ映畫 |
42 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺銀券最高記錄{七月廿一日} 二億六千二百萬圓へ躍進 昨年に比し膨脹率二三%九 |
02 | 臺灣內地及朝鮮間 連絡貨物運賃改正 愈よ九月一日より實施 |
03 | 戰爭半ケ年の(上) 米國經濟の動向 |
04 | 興銀、朝鮮、臺灣の三銀行 一齊に一分增肥を斷行 |
05 | 明年度甘藷生產計畫決定 |
06 | 乾バナナ製造高 十二、三萬函に達す |
07 | 乾電池工業組合總會 |
08 | 水產施行規則 中央と協議濟 |
09 | 經濟手帳 簡素化と農業團體と統合 |
10 | 產聯高雄支部 役職員任命 |
11 | 島內株仲值 |
12 | ラジオ |
13 | 水滸傳(759)/黃得時;碇政彌 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 蘇淮特別地區の 匪團剔抉工作進捗 中川少尉の奮戰討伐軍稱讚の的頭條新聞 【徐州廿三日發同盟】蘇淮特別地區の治安維持に任ずる皇軍は麥收期を前に糧を求めて跳梁る匪團剔抉工作を進めてゐるが去る廿日漣水縣下の討伐戰に參加した中川安定少尉(岡山縣出身)は部下數名を率ゐて索敵中約三百の敵匪を發見直ちに之に攻擊を加へたが敵はわが寡兵を侮り機關銃を亂射し來つたので意を決した中川少尉は軍刀を振かざして敵中に躍り込み機銃兵に一刀浴せかけひるむ敵を尻目に機銃を奪取し近迫して來た敵に猛射を浴せ其大半を倒し潰走せしめる奮戰をなし討伐軍稱讚の的となつてゐる |
02 | 獨軍、息つかぬ猛攻 ス市へひた押しの進擊 |
03 | 獨軍成功裡に終了 ヴオローネジ攻防戰 |
04 | 組織的反英週間 屈辱的南京條約百年記念日 汪主席も堂堂獅子吼 |
05 | 印度各地の騷擾 |
06 | 昭南の印度人大同團結 力強い反英鬪爭展開 |
07 | 回教徒聯盟の 宣言に反對 ヒンヅーマハサバ |
08 | 獨立運動の萌芽 |
09 | 激烈な競合 |
10 | ソ聯の嚴冬季準備 ロイター通信莫斯科電 |
11 | 上陸作戰は不可能 土紙、ゲ獨宣傳相の談話を報道 |
12 | 獨落下傘部隊 ク溪谷に降下 |
13 | 圖像:上饒對岸に待機中の我が戰車隊 |
14 | ビルマ軍宣傳班 軍情報部に發展 |
15 | 後宮大將晴の歸還 數日福岡滯在の上、大阪へ向ふ |
16 | 活潑な調查開始 東亞農業研究所 |
17 | ウイルキー 重慶にも立寄る |
18 | 常備兵十二、三萬 ブラジル事情、桑島氏談 |
19 | 中部呂宋平原 稻の植付八九割終る |
20 | 西南抗戰地區 民眾の困窮 何坎浩の報告 |
21 | 獨伊に對し伯國宣戰布告 |
22 | 米にも通告 |
23 | 帝國に對して 中立を守る |
24 | タウン軍港 燈火管制實施 |
25 | ウルグワイも 對獨伊宣戰 |
26 | 獨、伊兩國人 四百名を抑留 |
27 | 戰爭を他所に 米、選擧に夢中 米誌、不滿を表明 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 工兵精神は奉仕だ 天然を制して人為に勝つ 千葉工兵學校訪問記 |
02 | 海洋思想の普及へ “鐵會”發展的改組して協力に邁進 |
03 | 戰ふお山(六) 平地に劣らない陸稻 獨特な栽培法に頭の下る思ひ |
04 | 隨所に白熱戰展開 教員三體育大會第二日 |
05 | 滿尾鐵道部長 花蓮港を初巡視 |
06 | 占領前預金の拂戾開始 昭南、マレー各地の郵便局で |
07 | 交換船鎌倉丸 昭南港に寄港 |
08 | 新竹圖書館內に 南方閱覽室設置 奉公壯年團の奔走で近く實現 |
09 | 宜蘭中後援會創立總會 |
10 | 飛沫を浴ぴて力泳 安藤軍司令官來場、熱心に觀覽 島都市民水泳大會盛況 |
11 | 東大經濟學部の人試合格者 |
12 | 龍虎相搏つ熱鬪 第三回基隆武道爭霸戰 |
13 | 蠶沙の新利用法 渡邊農林省技師が發見 |
14 | アルマイト製品 十七品種以外製造禁止 |
15 | 新竹茶葉界に一陽來復 滿洲國から景氣のよい注文 |
16 | 蓬萊物產から 義捐金を提出 |
17 | 竹內栖鳳畫伯 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 忠靈塔除幕式 吉野庄で嚴肅に擧行 |
02 | 奉納催物で賑ふ 吉野村を擧げて |
03 | 献納海軍機完成 廿九日命名式擧行 |
04 | 山岸臺東廳長 第一日初巡視 |
05 | 圖像:新生バタビヤ明朗篇 |
06 | 青年訓練 皇奉臺南支會の計畫 |
07 | 青年幹部鍊成 |
08 | 溪湖街青年團 優勝 員林郡陸上競技 |
09 | 潑刺たり若人の敢鬪譜 臺中州青年陸上競技 |
10 | 農作物查定會 近く高雄州で實施 |
11 | 屏東桔俱の實踐事項 |
12 | 嘉義市に凱歌 臺南州職員體育大會第一日 |
13 | 街庄事務監察 |
14 | 職員對抗排球 臺中神社外苑で開かる |
15 | 吏員養成所竣工近し 一日第三回入所式擧行 |
16 | 臺灣の嵐山 井上溫泉道路を復舊して 自動車道路に |
17 | 初の蔬菜立毛品評會 けふ高雄で褒賞授與式 |
18 | 木炭配給事務打合 |
19 | 青年團結團式 花蓮港で擧行 |
20 | 北港專修農業 廿九日上棟式 |
21 | 高雄の健民運動 先づ性病根絕から |
22 | 赤誠の献金品 |
23 | 曾文郡柑橘組合 |
24 | 常會開催日を變更 |
25 | 司法保護講習 |
26 | 臺北春競馬 最終日の成績 |
27 | 人事報社消息 |
28 | 地方多より |
29 | 今日ノ映畫 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 學藝 近ごろの小說家/井上友一郎 |
02 | 圖像:逝去した小林放送員 |
03 | 北回歸線 現代裝幀論 根本から改革せよ |
04 | 通俗科學記事 知何にして書くべきか/原田三夫 |
05 | 旅と文學(上)/中谷孝雄 |
06 | 婦人說苑 女性の恥辱/石島菊枝 |
07 | ラジオ |
08 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 第二戰線實現せず ソ聯對英米感情硬化 |
02 | 中部地區の戰況 東部戰線 |
03 | 未曾有の死鬪 ソ聯情報局の發表 |
04 | 圖像:浙贛の山河を人馬は進む |
05 | ソ聯軍惱む 炎熱と飲料水不足 |
06 | 獨軍發表戰況 |
07 | 二件を可決決定 貴族院各派交涉會 |
08 | 米英の自繩自縛 印度の獨立と大西洋憲章/清澤冽 |
09 | 獨宣傳省新聞長 べーマー中尉死去 |
10 | 米洲の危機增大 伯國の宣戰、驚くに足らぬ DNB通信の論評 |
11 | 十月初旬までに 纖維統制會設立 商工省當局の指導方針 |
12 | 布告に驚かぬ アルゼンチン 大統領語る |
13 | 新民會の現情將來 最高顧問鈴木中將談話 |
14 | 圖像:野村、來栖、石射三大使靖國神社に參拜 |
15 | 全軍動員措置 ブラジル政府 |
16 | 纖維統制會會長 庄司氏に落着か |
17 | 獨立を戰ひ取る アンダマン島の 印度志士達に聽く |
18 | 印度各地の情況 英、強壓的手段を取る |
19 | 印度中央議會 最初の特別議會招集 |
20 | 鈴木駐埃公使らロレンソマルケス着 |
21 | 英蘭東南部 海岸を猛爆 獨輕爆機編隊が |
22 | ウイルキー 外遊の目的 |
23 | 香港國民學校 一日開校式擧行 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 我が軍醫學の勝利 再起奉公の隻脚四十四勇士 峻險箱根八里を步く |
02 | 殉職憲兵慰靈祭 卅一日金包里で執行 |
03 | われら斯く戰へり 驚歎すべき精神力(上) 比島に戰ふ文化戰士 |
04 | 長谷川總督から見舞金 朝鮮風水害に五千圓 |
05 | 鎌倉丸昭南出帆 |
06 | 教員不足對策に助教を採用 近く講習會開催 |
07 | 佛印文化建設の八ケ月 事實が語る大戰績 文化戰士部隊「佛印班」の活躍 |
08 | 新竹州市郡視學 視察事務打合會 |
09 | 宮尾府衛生課長來新 體力檢查を視察 |
10 | 大東亞の表情 百八十度急轉回の香港 獨占的享樂から健全□樂へ |
11 | 人氣を呼ぶ中等豫選 學徒教員三體育大會第三日 |
12 | 全臺灣中等校 秋季選拔野球 十月三日より 臺中市 |
13 | 全臺灣ホツケー選手權大會 |
14 | 興南詩苑漢詩 赴佛山車中口占/杏庵、南園席上呈赤崁諸鄉友/杏庵、華中經濟代表陳紹嬀先生過訪席上賦呈二首/杏庵 |
15 | 人事‧消息報社消息 |
16 | 煙幕 |
17 | 今夜の放送 |
18 | 商況 廿四日前場 |
19 | 興南案內報社消息 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ソロモン海戰詳報 砲門開いて必中彈! 敵艦真ツ二つに逆立ち 淒絕!ツラギ海峽の夜戰頭條新聞 【東京發同盟】軍艦○○にて和泉、森田兩海軍報道班員廿日發 八月八日午後五時暮れ染めた西南太平洋ソロモン群島○○島の南方海上を東進する○○艦隊旗艦○○牆頭高くするくと信號旗が揚げられた、曰く 帝國海軍の傳統たる夜戰において必勝を期し突入せんとす、各員冷靜沈着事に當り克く全力を盡すべし と、仰ぎ見る艦隊全將兵は莞爾と微笑んだまことその夜○○島と○○島に挾まれた內海の小島ツラギ附近の海峽に決行されたソロモン海戰中のわが艦隊による決死の夜襲こそわが無敵帝國海軍の日清戰爭の威海衛、日露戰爭の旅順港夜襲以然の傳統を繼承する輝かしい強襲であり奇襲であつた、しかも擊沈甲巡七、乙巡一、驅逐艦六、大破驅逐艦二といふその六戰果において又旗艦○○以下通り拔けることの出來な灣のような幅十五浬に過ぎぬ狹い海峽にある敵の大艦隊の真只中に深く肉薄突入し豪壯極まりない作戰の構想において正に世界の海戰史に空前のものとして特筆さるべきである、敗戰糊塗の窮餘の策として殘存艦隊を舉げて西南太平洋に出擊して來た米英聯合艦隊はかくてわが海軍航空部隊と○○艦隊の息つく間もない猛攻の前に文字通り全滅してしまつたのであるが記者等(作家丹羽文雄、圓座ニユースカメラマン森田カメラマン、和泉記者の四海軍報道班員)は○○艦隊旗艦○○に搭乘してこの歷史的な「ツラギ海狹夜戰」に參加特に丹羽氏は右腕に砲彈の破片創を負ひながらも共に身を以て壯絕なる夜の海戰を體驗し眼の邊りに敵巡洋艦の□沈擊沈を見たのである、以下は南の海に高らかな凱歌を奏しつゝ○○基地に歸還途中にある軍艦○○によつて醒めやらぬ感激をそのまゝに綴つた海の夜戰從軍記である |
02 | 必勝の信念 感激新たな奉戴日 |
03 | 斷行あるのみ 夜襲に全將兵奮起 |
04 | 「必中」と手相に 目指す敵艦隊は間近 |
05 | 駐泰滿國公使任命 |
06 | ツラギ海峽へ 刻刻と敵に近づく |
07 | 圖像:汪主席、後宮將軍に記念品を贈呈 |
08 | 敵英甲巡轟沈 擧る叫び初彈命中 |
09 | よろめく敵艦 |
10 | ドン河渡河戰最高潮 |
11 | 斷末魔の姿 |
12 | 輝く大戰果 艦內に勝利の歡喜 |
13 | 南十字星 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 本島醫療團の 設立を要望 結核の撲滅へ社說 一 政府は健民國策確立の對策として先づ結核の積極的豫防撲滅を圖ることとなり、去る廿一日の定例閣議に於て結核對策要綱を決定、醫療對策の外、寧ろ國民生活の全分野に亘り、多角的なる諸對策を全面的に實施することとなつた。今回の結核對策の骨子は實施方策の基底を國民體力管理の徹底强化に置き、健康者、弱者、病者の者に分類し、それぞれ具體措置を決定、併せて一般的措置として保健指導網の整備、社會保險制度の擴充、日本醫師會の總動員の三點を强力且つ徹底的に實踐せんとするものである。卽ち健康者は義務として日常鍛鍊を行ひ、弱者は働きながら療養出來るやうに、二、三箇月間修鍊會に收容して朗かな生活修鍊を行はせ、病者は全部結核病床に收容することになつて居る。かく體力管理を徹底化して早期の發見、治療は固より又重患者の全部を國家の手で收容するだけでなく、從來虛弱者のために殆んどなかつた施設を完璧なものにしやうとする點も全く劃期的なものである。 二 然らば本島に於ける結核病の蔓延狀態は果してどうであるか。勿論現下の所、的確なる調查數字はないから、其詳細を知り得ないが昭和十四年に於ける主なる死亡原因の調查及び國民學校兒童のツベルクリン反應の調查から、大體その一端を推察することが出來ると思ふ。死亡原因を大分類別に見ると、呼吸器の疾患が最も多く、總死亡の三三・三四%を占め、之に次ぐは傳染病及寄生虫病、消化器の疾患、その他の順になつてゐるその中內地人と本島人の主なる死因の割合を觀るに內地人にありては、呼吸器の結核の一二・九七%が首位を占め、肺炎、腦出血、下痢及腸炎、癌その他の順になつてゐるが、本島人にありては肺炎の二三・六八%がトツプを占め、下痢及腸炎、幼若兒固有の疾患、氣管支炎、破傷風、腎臟炎、呼吸器の結核三・七七%の順である。而して年齡級別結核死亡比に於ても本島人は內地人より低位であるが、十五歲乃至廿四歲の年齡級に於て兩者間の死亡比に格段の相違を有し、本島人青年は徐徐に遞增の曲線を辿るが內地人は突如急峻なる激騰の曲線を辿り、全年齡級に於て最高の死亡率を示してゐる。之は如何なる原因に基いてゐるかは專門家の研究に待つ外ないが、兩者間の相違なる現象は罹患率の多少に因るものでないことはツベルクリン反應陽性率の比較により明かにせられてゐる。 三 卽ち結核感染の有無を現はすツベルクリン反應では、臺北市周圍の郡部に於ては第一號國民學校四校平均二二・五%、第二號十五校平均三二・三三%の陽性率を示し臺北市內第一號、第二號二十五校の總平均男兒三九・八六%、女兒四一・四七%となつてゐる、これは陽性率に於ては本島人は內地人より高く、市部は郡部よりも高く女兒は男兒よりも高い率を示し、相當憂慮すべき狀態にあることが分る。だから今回閣議に於て決定せられた結核豫防撲滅對策は當然本島に於ても全面的に實施する必要があるが、それは內地と同樣臺灣に於ても醫療團の設立を前提として始めてその完璧を期することが出來るのである。卽ち現在の施設だけでは到底重患者の收容も覺つかなく、況んや弱者に對する施設もなし得る筈がない。故に醫療團の設立は刻下の急務であることを强調したいが、絕えざる健民運動の展開、社會保險制度の擴充、醫師會の挺身的協力をも要望したいものである。 |
02 | 本島に“國民體力法” 來る十月に施行 |
03 | 皇大神宮正殿 十月二日夜に還御 |
04 | 助成金政策を強化 明年度の石炭增產 |
05 | 國語普及に力瘤 新竹市區每に講習會開催 |
06 | 戰ふお山(七) 不平な“平地移住” いまでは絕讚の的 |
07 | 圖像:全國學校教員體育大會入場式 |
08 | 鄉軍花蓮港聯合 分會の武術大會 |
09 | 大隈伍長の遺族 石川少佐が慰問 |
10 | 滿洲建國功勞者遺兒 臺灣班廿六日に入京 |
11 | 花蓮港廳で 增產講習會 |
12 | 演奏會を開催 高雄堀江校で |
13 | 宮前青年團 今夜結成式 |
14 | 圖像:朝鮮、臺灣青年團(伊勢神宮御造營奉仕隊)に 鈴木團長訓示 |
15 | 官廳、全面的支持 局部長會議で齋藤長官が指示 奉公運動に |
16 | “更生音樂の夕” あす臺北市公會堂で |
17 | 米崙方面に 派出所新設 |
18 | 班每に豚一頭 隣組が順番で飼育 |
19 | 臺北工業惜敗 |
20 | 神道鍊成會を開催 |
21 | ハンカチや手拭 銃なき戰士に贈る |
22 | 栖鳳畫伯の絕筆 愛國の熱情傾け畫す二作品 |
23 | 臺中で講演 三情報官が |
24 | 故栖鳳畫伯 二十九日に葬儀 |
25 | 體育大會成績 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 九月中の實施行事 皇奉會臺中支部廿六日幹部打合 |
02 | 空訓指導を協議 彰化市關係者懇談會 |
03 | 壯丁團幹部鍊成 來月一日より臺南州道場で |
04 | 神前に誓ふ 新化街商奉團 |
05 | 嘉義放送局完成 近く放送を開始 |
06 | 金屬回收に拍車 臺中州下で講演會映畫會 |
07 | 教職員體育會 |
08 | 遺家族慰問演藝會 |
09 | 圖像:我が荒鷲の襲擊を恐れて第三戰區の巖堀內に造られた敵の兵器廠 |
10 | 臺中州山林會理事會 |
11 | 古銅貨續續應召 |
12 | 臺中放送局移轉 工事就工式 |
13 | 推進員鍊成會終了 |
14 | 我らも增產戰士 萞麻の採取、手入れに一役 新化郡のヨイ子供達 |
15 | 臺所から飛出す海鷲 中壢郡下の主婦達の熱誠 |
16 | 廿二日に完納 |
17 | 大飛躍の第一步 高雄港施設の完備を急ぐ |
18 | 鄉土便りを 慰問品に 彰化軍援の企て |
19 | 魚塭に草魚が泳ぐ 久しぶりに魚苗入荷 |
20 | 甘藷の生產確保 收量步留に獎勵の重點 |
21 | 戰時と防犯 志熊檢察官長が熱辯 |
22 | 履く者にのみ配給 臺中州‧靴下の購入法を是正 |
23 | 桃園街青年 訓練開始 |
24 | 壯丁相撲大會 |
25 | 蘭陽地方暴風雨災害救濟義捐金報社消息 |
26 | 畜產技術員打合會 |
27 | さあ、踊らうや 桃園街盆踊りを計畫 |
28 | 小賣商經濟懇談 |
29 | 姜黃大豐作 販路開拓に統制組合大童 |
30 | 能高郡道路協會評議員會 |
31 | 國語講師の講習會 |
32 | 臺中州ミシン商同業者 |
33 | 內緣夫婦の 詐欺共稼ぎ |
34 | 臺南州卓球大會 |
35 | 彰化古月園 |
36 | 人事報社消息 |
37 | 地方多より |
38 | 今日ノ映畫 |
39 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 二期籾、玄米、屑碎米 最高賣渡價格決定 本年一期作と同值据置 |
02 | 戰爭半ケ年の(下) 米國經濟の動向 |
03 | 東亞氷糖製菓會社 高雄に工場設置せん |
04 | 科學技術審議會 設置の訓令近く改正 |
05 | 自動車業者用品 鐵道部で對策考究 |
06 | 臺灣醬油配給 組合創立總會 |
07 | 農家經濟實情調查 九月上旬より開始 |
08 | 澎湖廳蔬菜增產 調查の上具體的に決定 |
09 | 佐治局長初巡視 |
10 | 照明燈 |
11 | 商況 廿四日後場 |
12 | ラジオ |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ス市の危機刻刻迫る 兩軍主力の大決戰 獨軍早くも第一線突破 |
02 | 最後の總攻擊開始 |
03 | 圖像:敵前渡河作業 |
04 | 淒絕の激戰續く |
05 | ヴエルダン要塞站凌ぐ激鬪 |
06 | 石川氏ら州長官に ジヤバ州、市首腦部發令 |
07 | 陸軍司政官發令 |
08 | 地方參與委員設く 民間の智能經驗を動員活用 |
09 | 大擧ダーウイン空襲 |
10 | 地方行政の 運營に協力 |
11 | コーカサスの 危機ソ聯認む |
12 | 商船十七隻擊沈 獨潛水艦大西洋で活躍 |
13 | 赤軍初防衛線に 二つの楔 |
14 | 軍政運營に有意義 昭南で各占領地總務部長會議 |
15 | 獨軍司令部發表 |
16 | 英の石炭飢饉深刻 大がかりな節約運動 |
17 | 獨軍西北四十八粁に達す |
18 | チ英首相歸還 |
19 | 孟買學生の大群 高等法院に押寄す |
20 | 印度初の中央 議會を召集 |
21 | 全國總務部長會議 |
22 | ア國の嚴正中立 微動だにせず |
23 | クリツプスの 泣ごと |
24 | 獨長距離砲 英本土砲擊 |
25 | 中央協力會議長 後藤事務總長が兼任か |
26 | 木村義雄氏 第三期名人決定 |
27 | 西亞英軍司令官に ウイルソン中將 |
28 | 井村議員辭任 赤間氏繰上當選 |
29 | 成田中將逝く |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語の純化愛護 日本文學者報國會員が一役 近く國民運動を展開 |
02 | 國講用の教科書 教育會で統一編纂 |
03 | 改組後初部長會議 皇奉中央本部で開催 |
04 | 國有財產評價委員會 原案通り決定 |
05 | 貯蓄達成宣傳 ビラを配布 |
06 | 開戰と在米同胞(上)/友松敏夫 |
07 | 敬神生活指導者 臺北市で鍊成會開催 |
08 | 常會の申合事項 臺北州、三項目を追加 |
09 | 家庭副業振興へ 金子新竹州總務部長 初巡視を終へて語る |
10 | 稻田總務部長 訓練狀況視察 |
11 | 大東亞の表情 起上る夢幻の國 ユワナリは空色の服で |
12 | 献金者に陸相から感謝狀 軍司令部で傳達式擧行 |
13 | 臺灣音樂と臺灣劇 情報委員部會で協議 |
14 | 裏町人生を覗く 臺北市內の方面委員 |
15 | 樋口軍參謀長 恒春郡下を視察 |
16 | 保護報國に邁進 島都公會堂で事務打合會 |
17 | 白衣勇士慰問 映畫大會 |
18 | 臺灣美術展 十月廿七日から開始 女子事務員を募集 |
19 | 滿洲建國功勞者遺兒參列 水島から一名 |
20 | 基隆商議所 役員會開催 |
21 | 南方派遣軍屬 臺北州下合格者 |
22 | 人事‧消息報社消息 |
23 | 煙幕 |
24 | 今夜の放送 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 三笠宮殿下御渡滿 滿洲國の軍狀を御視察頭條新聞 【新京二十四日發同盟】畏くも 三笠宮殿下には滿州國の軍狀御視察のため去る八月三日午後四時空路新京御着梅津關東軍司令官以下多數の御出迎への中を御宿舍軍人會館に入らせられ翌四日は帝宮にて 滿洲國皇帝陛下と御對面あらせられ貴き日滿御交驅を遂げさせ給ひ御滯京第四日目の六日は午前九時關東軍司令部に御成り梅津關東軍司令官より關東軍の軍狀を御聽取遊ばされた、新京御視察を終へきせられた 殿下には七日新京御發約二週間に亘り炎熱の國境第一線を親しく御視察北邊鎮護の現地軍將兵に激勵の有難き御言葉を賜はり同二十二日前線御視察の御旅を恙なく終ヘさせられて新京御着翌二十三日建國神廟御造營豫定地として先に御治定あらせられた聖地淨月潭を御視察遊ばされ二十四日午前九時新京御發長途の大陸の御旅行に些かの御疲勞の御色もなく御機嫌麗はしく御歸還の途につかせられた |
02 | シ港攻略に輝やく“工兵魂” 淒愴血だるまの操舟 福井軍曹、山本兵長に感狀 |
03 | 重傷に屈せず 舟機を運轉、敵前渡過 鬼神も哭く山本兵長の勇奮 |
04 | 機舟背に泛水作業 ジヨホールの華‧福井軍曹 |
05 | 奉公運動大展開へ 改組後、初の部長會議 |
06 | 皇帝陛下と御交驩 |
07 | 蹶起せよ官吏層 齋藤中央本部長の挨拶 |
08 | 圖像:奉公會改組後初の部長會議並び新職員の初顏合せ |
09 | 福岡に御歸還 御日程を終へさせられ |
10 | 埃及攻防戰 近く再開せん |
11 | 中央協力會議長 安藤副總裁が兼任 |
12 | 樞軸國握手の路を作る コーカサス作戰の世界史的意義 來臺の前建川大使秘書茂森氏は語る |
13 | 家族會議の美點發揮へ 就任に當り安藤中將談 |
14 | 健康保險等の 規則改正 |
15 | 生活講習會 |
16 | 南十字星 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 學制改革と收客人員增募社說 一 大東亞建設の道義的使命を體得せしめ、皇民をして大東亞に於ける指導的國民たるの資質を鍊成することは、大東亞戰爭の進展とともに益益その必要性を加へられて來た。政府では、この基礎的措置として、現行教育制度の刷新を決意し、去る五月二十一日の大東亞建設審議會の答申に基いて銳意これが立案を急いでゐたが、二十一日の閣議に於て劃期的な學制改革案を附議して原案通りに決定、同日情報局より正式に發表された。この學制改革は健民國策の樹立と共に、大東亞建設必成を期する上に於ける二大急務として寔に當を得た措置といふべきである。この改革の結果、優秀にして實力ある若き指導者をどしどし共榮圈內に送り出して、その抱有せる實力と情熱を思ふ存分發揮せしめることが出來たら、共榮圈の確立と新秩序の建設に貢献する處が頗る多大あるものと信ずる。 二 現在の大學、專門學校並に高等學校は、戰時下の臨時措置として半ケ年短縮されてゐるが、大東亞戰爭完遂と大東亞建設の實行に伴ひ、修業年限の短縮が愈よ切實な問題となつて來たので、今回の改革を見るに至つたのである。その眼目とする所は、大學への豫備教育機關たる高等學校は、現在の二ケ年半を半ケ年短縮して二ケ年に、また上級學校入學への基礎教育の感ある中等學校は、現在の五ケ年を一ケ年短縮して四ケ年制を採用した點にある。この改革によつて、年齡的に見れば、滿六歲で國民學校に入り、十二歲で卒業、十六歲で中等學校卒業、十八歲で高等學校卒業、二十一歲(醫學部は二十二歲)で大學卒業して實社會へ入つて活躍する順序になり、全體を通じて二ケ年短縮された譯である。この僅か二ケ年といふ極めて短い日月ではあるが、實社會に於ける活動の如何によつては、國家に莫大な利益を齎らすものである。否、齎らさなければならぬのである。 三 只ここで一言しなければならぬのは、修業年限の短縮によつて、我が國の學術文化の低下を招來するが如きことがあつてはならぬのみならず、短縮された年限內に於て、我が國の學術文化の水準を今までより以上に進展せしめられるやうに、教科の內容を刷新し、教員の資質を向上させなければならぬことである。それと共に、短縮によつて空になつた教室や餘裕を生じた教員を利用して、收容人員の增募を計るべきである。然らざれば、激烈な競爭のために窄き門から振り落された者は、相變らず、一ケ年や二ケ年の浪人生活に呻吟しなければならぬので、人的資源確保といふ國家的立場から見て誠に大きな損失となるのである。殊に共榮圈の一環として、將來大に南方へ雄飛せんとする指導者をどしどし養成しなければならぬ本島に取りては、尚更この感を强くする。現在臺灣には、公私合せて中學校が十九校、學級數にして二百四十學級あるが、この中の五分の一を增募に振り當てて見ても、四十八學級、人員にして二千四百名餘計收容することが出來るのである。これ等の者が、やがては大東亞の指導者として臺灣から送り出されるのを考へる時、學制改革と共に收容人員の增募も急務中の急務として大に意を拂はねばならぬ。 |
02 | 感狀に輝く工兵二勇士 下士官兵として最初 蔭の偉勳に燦たる光彩 |
03 | 迸る不屈の工兵魂 聲も出ず手旗で指揮 噫武勳赫赫‧福井軍曹 |
04 | 三兄弟揃つて出征 軍國の譽‧福井家 |
05 | “日本よ勝つてくれ” 從容山本兵長の最期 |
06 | 鄉土の感激一人 山本兵長の母堂語る |
07 | 今ぞ憶出す‧上原元帥 世界に冠絕する我工兵育ての親 |
08 | 元氣で奮鬪努力 臺灣勞奉隊員新竹健兒から 鈴木知事宛に便り |
09 | “忠烈‧山本兵長” 馬來方面派遣軍參謀長が作詩 |
10 | 近づく司法保護週間 島都の記念行事決る |
11 | 松平貴院議長 近く渡滿の途に |
12 | 圖像:體育大會開會式 |
13 | 臺灣水上代表 昨日元氣で入京 |
14 | 國民游泳訓練に主眼 愈よ廿八日より開催 神宮鍊成大會 |
15 | 拔打空襲も平氣 平素の訓練が物を云ふこの活躍 基隆第二種空訓開始 |
16 | 教員三體育大會第四日成績 |
17 | 故小田警部補警察葬 |
18 | 刑務所內の行政簡素化 從來の八係を五課に改正 |
19 | 勸銀臺中支店長更迭 |
20 | 列車回覽板 初お目見え |
21 | ジヤバ中等學校 九月から逐次再開 |
22 | 東京行干バナナ 虫が湧いて困る |
23 | 東大第一工學部合格者 |
24 | 土方久徵氏逝く |
25 | けふの行事 |
26 | 訃文:黃李氏哖 |
27 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 苦しさ、寒さを超越 默默と任務を遂行する皇軍 アリユーシヤン從軍記兩報道班員放送 |
02 | 圖像:感狀に輝く橫山部隊長の家族 |
03 | 金屬供出愈よ高潮 前代の古錢も出る 最古の物は貨幣標本に |
04 | 季節風を去勢 東部海岸に增產防風林 |
05 | 臺南州產組 事務講習會 |
06 | 教育會大溪街支會發會式 |
07 | 奉公醫師團 卅一日に代表者打合會 |
08 | 身も心も新たに 嘉義、新營兩郡の青年鍊成終る |
09 | 臺南市議長會議 |
10 | 屏東の鍊成道場竣工式 |
11 | 赤誠の献金品 |
12 | 熊谷情報官らと 情報懇談會 |
13 | 米田少尉遺族弔問 |
14 | 乳製品工場 彰化に竣成 |
15 | 南方派遣軍屬合格者(臺中州) |
16 | 真性コレラ 高雄に侵入 |
17 | 上原章義氏の祖母 |
18 | 人事報社消息 |
19 | 地方多より |
20 | 今日ノ映畫 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 樟腦製造を機械化 近く宮前町に工場新設 |
02 | 十月以降の砂糖配給 近く委員會で決定 |
03 | 臺灣醬油組合 昨日創立總會 |
04 | 浮塵子發生の兆 萬全の處置講ぜよ |
05 | 木炭生產の對策 大日本薪炭會社設立 |
06 | 營林共濟組合令 特例制定、閣議で決定 |
07 | 帝國油量統制會同統制會社を設立 |
08 | 滿洲中銀改組強化 資本金一億圓に增資 |
09 | 昨年末現在國情所有額 三百七十三億二千餘萬圓 |
10 | 臺中林業會社の 設立疑問視さる |
11 | 林業會社の設立 此方の慫慂ではない 山林課談 |
12 | 照明燈 |
13 | 商況 廿五日前場 |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(760)/黃得時;碇政彌 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 南方要員の大增派 司政長官六倍、司政官八倍 占領地快速調の建設 |
02 | ジヤバ建設軌道へ 產業開發、教育普及を核心に |
03 | 圖像:浙贛の野に活躍する我が砲兵隊 |
04 | 濃霧が最も苦手 給油任務を果す特務艦の苦鬪談 |
05 | 伯國獨伊船舶拿捕 |
06 | 忽ち敵十四機擊墜 ダーウイン虱潰しの猛爆 |
07 | ヂエツプ作戰の實相 英軍上陸作戰上疑問の諸點 偉勳の獨某將校談 |
08 | ソ軍の防禦線 危殆に瀕す |
09 | 獨軍、戰車上陸成功 ス市、重大危機に逢着 |
10 | 南の脅威更に深刻 獨機械化部隊猛進擊 |
11 | テムルイク占領 獨軍司令部の發表 |
12 | 最後の兵站線奪ふ |
13 | 十六對一 東部戰線の空軍被害 |
14 | ノヴオロシースク 俄かに危機增大 |
15 | 印度人經營新聞 各自發行を停止 |
16 | ソ聯の發表 |
17 | ス市の砲擊 愈よ一兩日中に開始 |
18 | 中央食糧營團 一日事業を開始 |
19 | 獨司令部發表 |
20 | モスクワ會談內容 ロンドン筋の情報 |
21 | 英皇弟墜死 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | “臺灣は文字通り 動かざる航空母艦” 內閣情報官の視察談 |
02 | 御下賜品傳達式 けふ市正廳で擧行 |
03 | 開戰と在米同胞(中)/友松敏夫 |
04 | 慰問演藝會 專賣業者報國會主催で |
05 | 新竹臨時州會 九月上旬に開く |
06 | 志願兵を激勵 高雄州で慰問團組織 |
07 | 勸銀の新機構 |
08 | 總督府衛生課長に 曾田長宗技師任命 |
09 | 圖像:決死の肉薄攻擊 |
10 | 新竹州出身を 鈴木知事激勵 |
11 | レーニン等著書を教科書に 英文部省が要求 |
12 | 掉尾を飾る猛訓練 基隆の空訓閉幕 |
13 | 諸動作共に秩序整然 |
14 | 解說國民會議派とは |
15 | 東京昭南間の鐵道施設 最短距離を三路線を構想 |
16 | 張登坤歸順 中共の特務連長 |
17 | 統制罰則に苦しむ けふこの頃の重慶市民 |
18 | 濠洲閣議と ビール問題 |
19 | 定期事務監查 |
20 | 前科六犯の町の紳士御用 |
21 | 興南詩苑漢詩 自題箕園壁四/許□、歸北呈黃景南君/臺中 李逸鶴 |
22 | 人事‧消息 |
23 | 煙幕 |
24 | 今夜の放送 |
25 | 商況 廿六日前場 |
26 | 興南案內報社消息 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 南京條約の百周年記念反英興亞週間 英帝國主義を一掃 中國侵略の血淚史終る 褚外交部長東亞解放を宣言頭條新聞 【南京二十六日發同盟】國民政府外交部長褚民誼氏は南京條約成立百周年の傷ましき記念日を迎へるに當り大要次の如き談話を發表、英國の過去一世紀に亘る中國侵略史を回顧しつくゝ日本の勇戰によつて英帝國主義を一掃その桎梏を絕ち切つた今日中國は日本と同甘共苦と新秩序建設に共同邁進する旨の力強き「東距解放の宣言」を行つた 南京條約は鴉片戰爭の結果わが國が英國帝國主義の壓迫を受くるに至つた、最初の條約である英國側が東亞を窺つてゐたのは數百年前からでインドはまづその犧牲となりわが國もまたこれに引續いて犧牲にされた即ち鴉片戰爭は實に英國のわが國に對する大規模な侵略の第一步であつた、鴉片戰爭の結果南京條約の締結となり國土の割讓、賠償の實行、五開港場の開放などの外海關稅率の制限を設けるに至つたがこれは實に英國が中國に加へた第一桎梏であつた南京條約を締結後英國は中國を眼中に置かず恣に侵略を行つた、この間の史實は皆われわれの記憶の中にあつてわが國百年來の歷史は英國が中國を侵略する一編の血涙史といふべ而して南京條約はこの血涙史の第一頁であつた、しかのみならず南京條約以後英國は東亞全域に亘り侵略の魔手を伸ばした、然し斯る情勢は日本が日露戰爭に戰勝した後漸次變化し始めた、これは英米帝國主義者東亞に尚侮どるベからざる國家のあることを漸く認識し始めその兇鋒を收めざるを得なかつたからである、然し英米兩國はその後東亞におけるわれ等二大民族の提携合作をも阻害し中傷離間など總ゆる手段を盡してゐる、然るに重慶方面は甘じて英米の走狗となりそれに利用されその牲犧となつてゐることは痛憤に堪へない、今次の大東亞戰爭にわが大東亞解放の戰ひであつて戰爭發生後友邦日本の赴くところ戰へば必らず勝ち英米の侵略勢力を東亞より完全に驅逐してしまつたわが大東亞復興を阻害する如何なる外力も存在せずこれは實に今日我々が沈痛なる南京條約百周年記念日に際して欣快とするところであるわれわれは今後益々奮勵努力、中日國交條約、中日滿共同宣言及び大東亞戰爭發生後わが政府の發表した友邦と同甘共苦する旨の聲明などに基き東亞樞軸の強化、東亞新秩序建設の目的に向つて邁進すると共に重慶側においても即時反省し英米の桎梏から離脫して興亞の大業に協力百年來の恥辱を注がんことを望む次第である |
02 | 亞細亞復興の氣運 今や脈脈と漲ぎる 吉富情報部長放送 |
03 | 圖像:河邊總參謀長、汪主席を訪問着任の挨拶をなした |
04 | 異色‧生彩に富んだ 無名の人士が多い 刷新協力會議員を指名 |
05 | 新西藤首相訪米 |
06 | 米濠南阿會談 共同戰線誇示の苦肉策 |
07 | 戰時生活の實踐家 多數選拔せらる |
08 | 南阿、濠首相を招請 |
09 | ビルマ獨立義勇軍 防衛軍の一翼に改編 |
10 | 青少年訓練の具體案 朝比奈氏より汪主席に上申 |
11 | 第三回中央協力會議 愈よ來月二十六日から開く |
12 | ソ聯黑海艦隊の 運命注目さる |
13 | ス市攻略戰の 獨軍百萬越ゆ |
14 | 獨軍猛進 |
15 | コーカサス山岳地帶制壓戰 |
16 | ス市工場の 奧地移轉開始 |
17 | 獨伊船を沒收 伯國大統領命令 |
18 | 日窒海南鑛業會社を設立 |
19 | 南十字星 |
20 | ケント公遭難後報 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 皇民奉公運動に官吏の挺身社說 一 發足一年島民間に於る奉公理念の浸透に依つて强力なる擧島的態勢を整備し、着着其の成果を擧げつつある皇民奉公會は、八月一日過去一年間の貴き體驗と國家內外の新情勢に基き、新しき構想の下に一段と飛躍的展開を期するため中央本部の機構を改革すると共に之に伴ふ人事を刷新し名實共に軍官民一體の新陣容をもつて、擧島的態勢の强化促進と奉公行動の活潑なる實踐展開に乘り出したのであるが、この改組後初の部長會議に列席した齋藤總務長官は、中央本部長として述べた挨拶のなかに、皇民奉公會は臺灣總督府と表裏一體の關係に在り、臺灣統治の上に大なる寄與をなしてをることが、運動第一の眼目でなければならない、この故に必要なるは總督府の官僚全員が奉公會を自分と異なる團體であると言ふ認識に立つてはならないと、奉公運動と總督府政治の相卽不離の關係を闡明したのち之を敷衍して、皇民奉公運動は總督政治それ自體であり、皇民奉公會の組織は總督政治の組織それ自體であると、頗る率直簡明に奉公運動の根本理念を强く再確認し、これが故に官僚各人は奉公運動の最も强力なる推進分子としての立場を荷はなければならないと、明瞭なる認識の上に官吏層の奮起を强烈に喚起したことは、奉公運動が新たな構想の下に再發足をせんとするとき特に注目せらるべきである 二 內臺一如、臺灣一家の擧島的態勢を目指して僅か一年にして斯くも早く軌道に乘つて推進展開を遂げた奉公運動をして、一段と躍進せしめることは軍官民一體の態勢を更に鞏固に整へることであり之が延いては大東亞共榮圈確立の一翼を擔ふ本島の重大使命を完遂する楷梯であるとすれば、特殊事情下の本島に於て常に指導の最高峯に立ち、凡ゆる部面の前衞的な推進體たるべき官吏層が、率先示範挺身躬行の實を擧げねばならぬのにも拘はらず、運動發足してより一年と四箇月餘の今日、尚且つ中央本部長をして官僚陣營の奮然蹶起を叫ばしめなければならぬことは、先發隊たるべき官僚人のなかに、未だ奉公運動を對岸の火事視して逡巡躊躇する日和見的態度を持するもの尚絕無なきにあらずやを憂慮せられたに外ならない茲に吾吾は民間人以上に官吏層の力强い協力を翹野すると共に奉公運動の力ある組織員としての挺身示範を待望して止まないのである 三 既に軌道に乘つた運動をして、恰も彈丸列車が最大の速力を以て最短時間に最後の目的地に到着し得る如く高度國防國家確立の最高目標を達成するには特に官僚各人が奉公運動の最も强力なる推進分子としての大任を果さねばならぬのは勿論のことであつて曩の改組に當り官僚陣營から直接若しくは間接に新機構のなかに融け込むベき官吏を相當多數に取り入れた所以もここにあるのである。然しながら皇民奉公運動は六百萬島民の一人一人が皇國民として下から盛り上る熱と力とをもつて皇國に奉公する臣道實踐であり臣民の道である以上、勿論獨り官僚のみの挺身努力だけで達成し得るものではない、島民全員が覺悟を新たに一層の熱誠を罩めて構想新たなる奉公運動の中に渾然一體となりいつも清新潑刺たる氣持で勝ち拔くまで奉公行動の常時實踐に邁進し以て最終目的たる臺灣一家の建設、高度國防國家確立の達成に總力を傾注すべきであるは改めて云ふまでもないことである。 |
02 | 比律賓大學が再開 卒業條件に日本語を履修 ヒ島教育面目一新 |
03 | 世界再建に邁進 新聞記者長期鍊成員に對し 東條首相が訓示 |
04 | 行賞賜金を傳達 |
05 | 圖像:真珠灣要塞爆擊 |
06 | 滿洲建國十周年記念切手 |
07 | 厚生音樂の夕 島都公會堂で開催 |
08 | 基隆商議所役員會 |
09 | 渡部大甲郡守 風害地を見舞 |
10 | われら斯く戰へり 進む“へンの戰鬪” 一行一字に尊い血が滲む マレーの文化戰士 |
11 | 遲過ぎる離乳期 一、二ケ月の準備期間が必要 帝都の檢查を覗く |
12 | 樋口軍參謀長 東部視察を終へてけふ歸北 |
13 | 圖像:鐵脚部隊箱根山登山 |
14 | 宜蘭市勸業課 廳舍復舊竣工 |
15 | 點呼成績良好 有田兵事部長談 |
16 | 賴母しい銃後 期限前に稅金完納 |
17 | 軍事援護の龜鑑 軍夫遺族を心から世話 |
18 | 銃後納稅美談 |
19 | “モシモシ”卅餘年 高等官に榮進して勇退 |
20 | 南方派遣軍屬 新竹州下合格者 |
21 | 宜蘭紙芝居挺身隊結成式 |
22 | ときの声 |
23 | 宮前青年團 結成式 |
24 | 本社で記者募集報社消息 |
25 | 懇親庭球會開催 新竹高女コートで |
26 | 抽籤馬配布 申込開始 |
27 | 市バス迷子を轢く |
28 | けふの行事 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 見事‧納稅報國顯現 臺中州擧州完納 輝く奉公運動の成果 |
02 | 高雄市の戶稅 移動頻繁を他所に 八九%納入成績 |
03 | 御下賜御歌を傳達 |
04 | 嘉義神社完竣 調度品完備を急ぐ |
05 | 圖像:北阿戰線に活躍する獨伊軍輕步兵部隊 |
06 | 增產と感謝の配給 九月常會で追加申合 |
07 | 屏東市事務監查 |
08 | 臺中州桔梗クラブ 二十九日結成式擧行 |
09 | 世話役、推進員 再鍊成 |
10 | コレラ豫防十則 食物に注意すれば安全 下村高雄州衛生課長談 |
11 | 大田廳長 新任披露 |
12 | 屏東郡產婆會結成 |
13 | 竹筒貯金箱を割つて 早期完納に蘇少年協力 北港街に 咲く美談 |
14 | 故橋本軍曹の警察葬 |
15 | 皇奉高雄市支會 行事いろく |
16 | 先生補充に一苦勞 應急對策に助教養成 |
17 | 青年に精神講話 坂口知事の恩師宮崎教授が |
18 | 農業新體制 巡回映畫で農民に宣傳 |
19 | 模型機競翔會 |
20 | 臺北器物商 組合献金 |
21 | 川松教育課長 初巡視日程 |
22 | 華僑の蘭陽 見舞金 |
23 | 臺北州警察部 異動 |
24 | 蘭陽地方暴風雨災害救濟義捐金報社消息 |
25 | 宜蘭堆肥增產 強調週間 |
26 | 人事 |
27 | 地方多より報社消息 |
28 | 今日ノ映畫 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 佛印米の對日積出 既に協定量の七割突破 |
02 | 全島私鐵の合同 當局に評價を一任 |
03 | 臺拓の膨脹に伴ひ 內部機構近く擴大 |
04 | 臺灣帽子宣傳 ポスター審查決定 |
05 | 共榮圈內の包裝用 麻袋及麻布の需給/島田敬次郎 |
06 | 高雄州經濟會議を設置 產業調查、工業建設の機關として |
07 | 七月中會社設立等認、許可四件 |
08 | 煙草屑を堆肥 嘉義市農實組合の着想 |
09 | 南日本汽船無配 |
10 | 織物實績調查 明日班長會議 |
11 | 那須米穀課長 臺中視察 |
12 | 共榮圈の不足を補ふ 南方パルプ增產策 |
13 | 農機具會社總會 缺損五萬四千餘圓 |
14 | 營林所退官者を優遇 退官後も共濟組合加入を認む |
15 | 甘藷栽植虎の卷 北斗郡、農民に頒布 |
16 | 照明燈 |
17 | 商況 廿六日後場 |
18 | ラジオ |
19 | 水滸傳(761)/黃得時;碇政彌 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 又も白晝の大爆擊 ポートダウインに巨彈 |
02 | 當陽附近の敵匪擊滅 |
03 | 盛り上る復興作業 ビルマ人の真摯な協力姿 各主要都市の建設譜 |
04 | 圖像:我が工兵の活躍 |
05 | 帝國油料會社 創立 社長に周東氏 |
06 | トルコ大統領 東部巡視から歸國 |
07 | 中國思想工作の問題/加田哲二 |
08 | 柴山新竹州警察部長が山地視察 |
09 | 廿二萬戶を 滿洲へ移植 |
10 | 死者十七名 苛酷‧英印當局の彈壓 |
11 | ス市火焰に包まる 獨軍九里以內へ肉薄 |
12 | 獨百萬の大軍進擊 赤軍の退路を斷つ |
13 | 斷食生活 卅二日 印度愛國青年 バンコツクへ |
14 | 市街戰に備へて防備施設 |
15 | 獨、赤軍陣地を 一步く攻略 |
16 | 隨所に悽絕の激鬪 獨軍プログラドドヤを占領 ス市へ怒濤の進擊 |
17 | ソ聯機喪失二千五百 八月中の獨軍戰果 |
18 | トルコ、イラン 國境に陣地 |
19 | グルー前駐日大使華府着 |
20 | ス市の失陷 英も觀念 |
21 | 第二戰線結成 英に不利 軍政首腦と協議 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 起上る“若き世代” 躍進臺灣を双肩に荷ふて 奉壯臺北州支部結成 |
02 | 難局突破を誓ふ 大會で真摯な意見發表 |
03 | 本領を發揮せよ 梁井支部長の訓示 |
04 | 圖像:奉公壯年團臺北州支部結成式 |
05 | 各科編纂要綱決定 國語講習所用教科書 |
06 | 開戰と在米同胞(下)/友松敏夫 |
07 | 偲ぶ“義人賴順良” 記念碑前に玉石を布く |
08 | 制空へ愛國の熱情 飛行機献納資金 產聯から十二萬七千圓献納 |
09 | 婦人團の赤誠 武官府に飛行機資金八萬圓 |
10 | 圖像:飛行機資金献納 |
11 | 南へ“考古のメス” 史蹟調查隊近く壯途に上る |
12 | 陸軍少年飛行兵募集 |
13 | 新竹健兒猛訓練 鈴木知事が視察 |
14 | 前途實に洋洋 初巡視を終へ水崎新竹市長談 |
15 | 志願兵を慰問 銃援基隆支會 |
16 | 東大文學部 入試合格者 |
17 | 奉公運動指導者鍊成會 |
18 | 興南詩苑漢詩 新秋一角樓卽事三首/小維摩、題自畫紅梅孤亭圖/小維摩、題目畫紅蘭圖二首/小維摩、讀南都佳作次韻奉酬/臺南 杏菴 |
19 | 煙幕 |
20 | 今夜の放送 |
21 | 商況 廿七日前場 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 第二次ソロモン海戰 米空母二、戰艦一大中破 敵增援艦隊を急襲擊攘 帝國海軍部隊の新大戰果頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(二十七日午後四時)ソロモン群島方面帝國海軍部隊は八月二十四日敵米增援艦隊を同群島東方洋上に捕捉直ちに航空部隊を以て急襲しこれに大損害を與へ同方面より擊攘せり、本日までに判明せる新戰果左の如し 米空母新大型一隻大破、同中型一隻中破、米戰艦ペンシルバニア型一隻中破 本海戰に於ける我が方の損害小型空母一隻大破、驅逐艦一隻沈沒 【註】本海戰を第二次ソロモン海戰と呼稱す 米海軍省も海戰發表【ヴエノスアイレス二十六日發同盟】ワシントン來電に依れば米海軍省はソロモン群島水域において再び大海戰が展開された旨二十五發表した、 擊破米艦ペ型の性能【東京發同盟】米戰艦ペンシルバニア型は基準排水量三萬三千百トン一九一五年進水、速力二十二節、乘員千三百五十八名、備砲十四吋十二門、五吋十二門□角砲八門搭載機三機、カタパルト二基を有する、 |
02 | 大中破の米空母は開戰後の建造 新大型及び中型と發表さる |
03 | 大本營發表 |
04 | 米空母新大型一隻大破、同中行一隻中破、米戰艦ペンシルバニア型一隻中破 |
05 | 米海軍省も海戰發表 |
06 | 擊破米艦ペ型の性能 |
07 | 一大遭遇戰展開 敵に痛烈なる打擊 |
08 | 翼贊會調查會委員 二百六十四名の氏名 |
09 | 龍田丸マルケス着 |
10 | 各種調查機關統制 きのふの定例次官會議 |
11 | 紐育の諸株慘落 |
12 | 圖像:擊破米戰艦ペンシルパニア號 |
13 | 獨軍、ス市郊外殺到 心臟部に巨彈の雨を叩き込む |
14 | 滿洲開拓青年義勇隊の現狀 |
15 | ス市籠城の準備 ソ聯軍、要所の配備につく |
16 | 八十六億百餘萬圓 十六年度の歲入總額 最終國庫現計 |
17 | 獨軍モズドクに迫る |
18 | 南十字星 |
19 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 木材斫伐の統制 臺中林業會社再檢討を要す社說 一 本紙所報の通り臺中州では一部業者發起の下に官有林より資材の拂下を受け生產に從事するものを打つて一丸とする臺中林業株式會社の設立が計畫されてゐるが同社の狙ひとするところは雜纖維その他別途官の慫慂によるものを除く拂下官有林野の產物をあげて同社で經營し木材需給の調達を容易ならしめると共に處分事務の單一化を圖り企業者の事業に安定性を與へて生產を奬勵することにあると傳へられてゐる。周知の如く木材の一元的買入並に重點主義的配給を行ふ為さきに臺灣木材組合が結成されたがこれに對應するわけではないが今後の針葉樹林の增產、闊葉樹林の利用開發等の見地に基いて木材生產にも一層の統制强化を必要とすることは避け難いところであらう。然し乍ら官有林の多くは交通の極めて不便な僻遠の地にあり地勢が槪ね急峻且つ地の利に惠まれてゐない狀態の下では木材增產はむしろ生業者個個の創意と絕えざる努力とにまつ外はないといつてよいのである。 二 かるが故に前記の如き會社組織による一元的經營ではたとへ下請制をとるにしても創意性をかく點で所期の目的を達することが出來ず既に幾多失敗の前例があるので自ら別個の統制方式を必要とすることいふ迄もない。勿論現在の木材生產業界には各業者の資力の强弱によつて搬出材の販賣價格に相當の懸隔があり企業の維持經營上不安全なるのみならず適正價格の維持が困難である等種種なる問題が指摘されてゐるが前記の會社統制方式によつて果して問題解決が可能であるか否かは別としても增產の見地に立つ限り尚疑問がないでもない。府山林當局が木材生產の特殊性に鑑みて臺中州の會社設立照會に對して全體的方針と睨み合し慎重を期して容易に回答をしないのは强ちこれによる轉失業者の現出ばかりを考慮してゐるものともいへないであらう。業界に橫はる諸問題を解決したいばかりに却つて目ざす木材增產に支障を來しては所謂角を矯めて牛を殺すにも似た類ともいふべく山林當局の慎重さもさこそと首肯されるのである。 三 ところでさきに實施された木材配給統制は限られた木材を緊急需要の方面へ配給、確保するといふ趣旨に基くものであるが生產方面に於ては正しくこれと事情を異にし如何にせば增產が可能であるかを唯一の目標とする實情にあるので同じく統制にしても創意と努力とを大いに認めるやうな方式をとらなくてはならないであらう右の理由に基き茲では會社組織の代りに業者よりなる木材生產組合の結成を提唱したい。組合はだからして生產者の獨立性を尊重しその創意と努力と矛盾しない範圍內に於て綜合的統制に任じ場合によつては出資組合とすることも考へられる。要は木材生產の特殊性に立脚し木材增產の目的達成を可能ならしめるやう分散と綜合とを適宜に織込んだ組織でありさへすればよいわけである。かくしてこそ增產からでなしに人の為に會社が設立されるのだといふ誹りを免れ得るのみならず故なき轉失業者の現出をも防止することが出來る、統制經濟の理念が“萬人均分”にある以上關係當局が右の點に鑑み更に檢討を加へるやう要望する次第である。 |
02 | 國民保健に御叡慮 種種優渥なる御下問を拜し 小泉厚相謹んで奉答 |
03 | 永久王殿下御傳記 來る四日御命日を期し公刊 |
04 | 第一回國防訓練大會 十月中旬兩日間島都で開催 |
05 | 回收した鐵屑を献納 水道町のヨイ子供部隊 |
06 | 特急葉書海軍版出來上る 近く現地から嬉しい南海の便り |
07 | 情報委員部初委員部會 臺灣音樂、臺灣劇に關し懇談 |
08 | 樋口參謀長 きのふ歸北 |
09 | 佐佐木少佐が 遺家族を弔問 陸相代理として |
10 | 競ふ水上の精銳 神宮國民鍊成大會劈頭を飾る 夏季大會愈けふ開幕 |
11 | 金屬回收に學童が汗の奉仕 |
12 | 雜誌と音盤の山 近く第一線の將兵へ送る |
13 | 開所以來の取扱千三百餘件 生活相談所大繁昌 |
14 | 產業戰士慰安大會感況 |
15 | 部隊將兵慰問演藝會 專賣業者報國會の主催で |
16 | 全島保育園 保姆鍊成會 五日間草山で |
17 | 樂滿參事來花 指導者講習會で一場の講演 |
18 | 歌へ!東亞の人人 「興亞の歌」及び「興亞行進曲」完成 |
19 | 宜蘭市講演 紙芝居の夕 |
20 | 培ふ敢鬪精神 新竹州で青年團の強步大會 |
21 | 宜蘭市國民校 職員運動大會 |
22 | 堆肥增產研究會 |
23 | 皇民精神涵養に紙芝居公演 お山の各部落で |
24 | 花工生徒献金 |
25 | 勤報青年隊第十七回入隊式 二日大直で擧行 |
26 | 澎湖高女の設立を促進 近く第二次陳情團が出府 |
27 | 改良竹筏の積極的普及 |
28 | ときの声 |
29 | 研海庄新城青少年團結成式 |
30 | 東大醫學部合格者 |
31 | 樋口郡守水稻宮害發生狀況視察 |
32 | 配給初委員會 |
33 | 基隆市兒童水泳大會 |
34 | 花蓮港市昭和國民校少年團結成 |
35 | 國民學校長異動 |
36 | 臺銀人事異動 |
37 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 清水溪の架橋有望 嘉南大圳と協力折衝 |
02 | 猫羅溪の護岸 芬園庄民築造を陳情 |
03 | 花蓮港廳下街庄吏員講習會 |
04 | 農事協同組合 聯合會結成式 |
05 | 產業奉公團講習會 |
06 | 戰鬪帽姿も勇し 曾文郡壯丁團大隊晴の結成式 |
07 | 善化街豫備 體檢を實施 |
08 | 役所の事務改善 桃園郡強調週間を設定 |
09 | 農業報國へ 高雄州で實踐運動展開 |
10 | 圖像:スラバヤに 自給農園 |
11 | 慰問演藝會 專賣業者報國會主催で |
12 | 工業用水の調查 高雄州小峰農博に研究依賴 |
13 | 南方林學講演 關博士を招いて |
14 | 熱辯に聽眾感奮 鹿港街の金屬回收講演會 |
15 | 麻豆文旦豐作 十日前後に販賣開始 |
16 | 新高、竹山兩郡の簡閱點呼 |
17 | 市民の協力要望 高雄市のコレラ尚熄まで |
18 | 烏日庄職員鍊成會 |
19 | 赤誠の献金品 |
20 | 桃園の盆踊り 農民に一夕の 樂しみ |
21 | 大越總務部長 鳳山郡を巡視 |
22 | 葬儀改善に新機軸 死亡屆に簡易化實踐誓書添付 |
23 | 街庄吏員の心得 森田知事大安港で說く |
24 | 人命救助を表彰 |
25 | 市郡對抗野球會 |
26 | 皇奉屏東支會 參與委員發令 |
27 | 地方多より報社消息 |
28 | 今日の映畫 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 本年度肥料割當率決定 食糧增產に支障なし |
02 | 臺灣電力總會 理事候補四名及 監事三名を選出 |
03 | 大甲溪電源開發と 八個年計畫を樹立 總會に於ける增田臺電社長演述 |
04 | 中小硝子業の整備 關係官民に於て懇談 |
05 | タンニン含有樹皮 使用制限の規定改正 山林課發表 |
06 | 臺灣食品工業設立 社長は本山文平氏 |
07 | 臺南土木請負業者が 一大合同會社を計畫 |
08 | 十月以降砂糖配給決定 十二月丈は一個月增配 |
09 | 興業信託總會 配當五分据置 |
10 | 澱粉を混入して 干うどんを製造 |
11 | 照明燈 |
12 | 文山郡製麵工場 近く指定されん |
13 | 商況 廿七日後場 |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(762)/黃得時;碇政彌 |
16 | 夏と衛生 動脈硬化と腦溢血 中風と“高血壓”に惱める人は 此の良藥で |
17 | 膽石病に 良い藥 |
18 | 癌の病には “癌要方”を |
19 | 夜尿症で お困りの方へ お勸めしたい/陽光丸 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 西濠洲ブルーム爆擊 我が荒鷲隊昨朝出動 |
02 | 淒絕極む戰車戰 ス市の攻略戰進む |
03 | 赤軍の反擊空し 堅き獨軍のルジヨフ防衛 |
04 | ノヴオロシースク陷落迫る |
05 | 圖像:愛機の手入れに餘念のない海鷲勇士 |
06 | 獨軍ヴオルガ河畔に到達 |
07 | 獨司令部發表 |
08 | “米英潰滅時の問題” 在日獨人老船長語る |
09 | 適材を適所に充當 翼贊會調查委員會權威者を簡拔 |
10 | 獨軍モズドク占領 |
11 | 伊軍の奮戰 ス市攻略に參加 |
12 | 新人百六十八名 |
13 | 寶庫アンダマン諸島 邦人の開發を待つ |
14 | 北阿の戰機熟す |
15 | トルコ首相 アナトリア視察 必死の防衛強化 |
16 | 駐ソ上大使モロトフと會議 |
17 | ルーズヴエルト 新西蘭首相會談 |
18 | 米海の醜態 第二次ソロモン海戰 イタリア政界の意見 |
19 | 圖像:獨步兵部隊の進擊 |
20 | 平出大佐 今夜放送 |
21 | 印度騷擾の現狀 |
22 | 滿洲開拓と 滿拓公設 |
23 | 記者視察團を 滿洲國に派遣 |
24 | 日英交換第一船 龍田丸マルケスに入港 |
25 | 破壞行為嚴罰 印度政廳布告 |
26 | “健康工場”又も二箇所落成 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 嵯峨天皇式年祭 皇靈殿で嚴かな御儀 |
02 | 靖國神社臨時大祭 來る十五日より六日間執行 兩事變の英靈を合祀 |
03 | 圖像:出擊の機を窺ふ我勇士 |
04 | 州下五郡管內 鄉軍武術大會 卅日新店國民校で |
05 | 支部總務部長會議 あす部會議室で開催 |
06 | 司法保護實務者鍊成會 |
07 | 心強い蘭陽の復興 初巡視を終へて歸北した樋口參謀長談 |
08 | 若き日本の敢鬪譜 神宮夏季大會開幕 |
09 | われら斯く戰へり 日本精神の普及へ シヤバの文化戰士 |
10 | 盆祭費節約して 風害地に義捐金 |
11 | 水產新竹に凱歌 小型發動機船と竹筏で 甘鯛の漁撈に成功 |
12 | 婦人魂を磨いて 第七回婦人鍊成終了 |
13 | 海洋競技開く |
14 | 強力な實踐へ 皇奉新竹州支部九月の申合 |
15 | 南方への進出者を養成 |
16 | 國民校教員講習會終る けふ全島六會場で閉會式擧行 |
17 | 地方指導陣を強化 新竹州で街庄長鍊成會開催 |
18 | 乳幼兒や病人等に親心 牛乳を優先的に配給 |
19 | 窺はれる青年層の自覺 新竹州の體檢成績著しく向上 |
20 | 銃劍道振興會文山分會結成式 |
21 | 四面頭山へ |
22 | 農事協同組合懇談會 |
23 | デング熱益益蔓延 警察當局で防遏指導に大童 |
24 | 興南詩苑漢詩 贈南都/杏庵、贈黃君可軒/臺南 杏庵、贈陳君金萬/臺南 杏庵、贈陳君逸松/臺南 杏庵、鄭叔母莊太夫人千古二首/蕭献三 |
25 | 人事‧消息 |
26 | 煙幕 |
27 | 今夜の放送 |
28 | 商況 廿八日前場 |
29 | 興南案內報社消息 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 全く我が術策に陷る 敵米が「ソロモンの孤兒」救援に 泣くに泣かれぬ破目 平出大佐放送頭條新聞 【東京發同盟】大本營海軍報道部課長平出英夫大佐は二十八日午後七時半からAKのマイクを通じ“第二次ソロモン海戰について”と題して放送を行つたが第一次ソロモン海戰で辛くも遁走した米空母が更にガダルカナル島方面に孤立無援の米海兵を救援すべく戰艦二隻、殘存巡洋艦數隻及び驅逐艦多數より成る機動部隊を以てニユーヘプライズ群島方面から健氣にも北上進攻し來りながらソロモン東方洋上において我が海洋部隊に捕捉された第二次海戰の全貌を明かにし米の執拗な反擊企圖を說明の後米國の建艦能力殊に空母の改造及び建造に大童となつてゐる旨を指摘し國民の□禈一番を要望すると共に斯かる情勢を坐視することなく官民一致協力して艦船飛行機の飛躍的增強を圖るべきを強調した 第一次ソロモン海戰において帝國海軍が航空戰及び三十六分間の夜戰を以て世界海戰史に稀なる壓倒的勝利を得たことは既に發表された通りである。この海戰においてアメリカの航空母艦は巡洋艦十四隻を犧牲として辛ふじて遁走し得たのであるが、その後判明した所によるとこの航空母艦は躍起となつて搭載機の補充を行ふと共に他の方面よりの增援を得て健氣にも再舉北上して來た、これは過般ツラ ギ、ガダルカナル島方面に上陸し我が守備隊と對峙のまゝ後方海上補給の途を絕たれ孤立無援の 「ソロモンの孤兒」となつた海兵部隊をなんとかして救援しなければならなかつたからである、この氣配を早くも察知した我が艦隊は二十四日これをソロモン東方洋上に邀撃しこれに航空母艦を主體とする激烈なる海戰が展開された、この第二次ソロモン海戰はさきに大本營より發表された通りである、第二次 ソロモン海戰において敵は新大型航空母艦、中型航空母艦二隻を主體としこれに戰艦二隻、殘存巡洋艦數隻及び驅逐艦多數を配した機動部隊を編成しツラギ、ガダルカナル島救援の態勢をもつてニユーへプライズ群島方面より北上し來つたのであるが我が艦隊はこれを偵察發見するや否や猛然これに殺到攻擊し忽ちにして敵航空母艦二隻を炎上せしめ戰艦一隻に損傷を與へた敵は我が猛擊に抗し兼ね急速に反轉南下遁走を始め會敵時刻の關係上夜陰にその姿を沒し最期を完全に確かめ得ずしてこれを逸し全滅し得なかつた、我方もこの海戰で小型航空母艦一隻を大破し驅逐艦一隻を失つた、これを以てもこの海戰が如何に激烈であつたかゞ想像される、本海戰を戰略的に見るならば敵の企圖を粉碎し去つたのであつて我方の絕對的勝利であることは申すまでもない、このように敵の有力なる海上兵力を以てする反撃が又しても失敗したと云ふことは我が防衛陣の強固なることを物語るものであつて敵は又復ソロモン海面より驅逐されたのである、然し敵はこれによつて最早反撃の能力を失ひその企圖を放棄したかと云ふと左樣簡單には考へられない、何故なれば彼の方から稱してゐる一萬以上の多數の海兵を島に上げてしまつた以上これを全然見殺しにすることは人道の國と稱する彼等として到底為し得ない所であつて嫌でも海上補給の途を講ずるため最後まで努力するであらうと考へられるからである、であるから今後と雖も出擊して來ると考へるのが常識である、もとく敵は第一次ソロモン海戰に敗れ見すく斯かる多數の海兵を「ソロモンの孤兒」としてしまつたのであるが第二次ソロモン海戰においても大損害を蒙り擊退されたに拘はらず 更に救援を強行するならば第三次、第四次海戰が行はれ忽ち第一次、第二次海戰の如く海上兵力を擊破されるであらう敵が焦れば焦る程又海上兵力を注ぎ込めば注ぎ込む程此ように男に擊滅されるばかりで敵は完全に我方の術策に陷りつゝあるアメリカに於てはソロモンの第一次海戰以來既に二週間以上過ぎるに未だ詳細確實なる發表が為されないので最近では各新聞は情報のないのは善戰である前觸れであると強ひて國內に安心を與へようとしてゐるやうであるが實情は「泣くに泣かれぬ破目」にあるのである更に此海戰を世界戰爭の觀點から見るならば今次の米國側の作戰が從來同樣アメリカ當局の政略 作戰である事は注目すべきであるアメリカ當局は太平洋の孤兒となつた濠洲のアメリカに對する不信の念をこれによつて償はんとし同時にソ聯、重慶に對してもなんとかしてアメリカに對する信賴の念を繋ぎ留めて置きたいのである、歐洲における第二戰線結成はデイエツプにおける上陸作戰の失敗以來不可能なことを明白に世界に示したのでソ聯の對米英關心は急激に冷却しつつありこれがためアメリカはなんとかして太平洋と印度洋とを連絡し然もこれを「太平洋第二戰線」として西細亞方面に展開せしめ以てソ聯を宥め又重慶の信用を挽回せんとしたのではないかと思はれる、ソロモン諸島は濠洲を「太平洋の孤兒」から救ふ意味からも亦「太平洋第二戰線」結成の上からも極めて重要な地點であるアメリカが第一次ソロモン海戰に□收を喫しても尚執拗に此方面に蠢動してゐるのは此點からも故なしとしない 第二次ソロモン海戰に全く斯の如き政略的作戰に出たものと言へるのであつてこの作戰の失敗はデイエツプ上陸作戰の失敗と好一對をなして政略に依る出兵が必然的に辿る生きた見本と言へる然もアメリカ市民の智と財力を傾けて建造されつゝある航空母艦、戰艦は次々にアメリカ當局の政略戰爭の犧牲となつて太平洋の藻屑となり少しもアメリカ市民の生活の幸福を保證する事にならない、なほソロモン群島より珊瑚海一帶に亘る各地域に於ては現在各種の作戰が續行中で 戰況進展につれ帝國がこの方面に何をなしつゝありやが漸次お解りになる事と思ふので戰況の話はこの程度にして置く唯茲で國民の皆樣に篤と御注意願ひ度い事は發表にもある通りアメリカの在來の航空母艦は殆んど擊滅されたに拘らす新型航空母艦等が活動し始めた事であるこれはアメリカが狂氣の樣になつて全力を集中し船舶の中で軍艦に活用し得るもの變更し得るものは航空母艦に改造 し飛行機も全力をあげて充實しつゝある事でこの點簡單に見遁してはならぬアメリカは口癖の樣にこの數年間を出でずして數十隻の母艦を完成數萬の飛行機を充實しこれを以て對日反擊を強行するんだと呼號し國民の士氣を鼓舞してゐるこれを直ちに過大評價する必要はないにしても敵が今後軍艦商船の建造飛行機の製作に懸命の努力を拂ふ事は現にアメリカがハワイ海戰以來、戰艦航空母艦、巡洋艦だけでも擊沈破されたもの四十五隻約七十五萬トン飛行機の擊墜破されたもの約二千餘機商船の擊沈破されたもの四百四十七隻約二百八十三萬二千五百トンに上つてゐる實情から致しても當然豫想される所であつてこれを以て敵が集中的に兵力の優勢を以て反擊し來る時我方は絕對不敗の自信ある兵力を保有して置かねばならぬ、アメリカにあつてはイギリスが不沈を誇るプリンス・オブ・ヴエールズが擊沈されるや航空豫算四十億弗を追加し 戰艦と航空母艦に改造するとか或は設計を變更するもの合計十餘隻商船の改造廿隻、建造中の商船を空母に設計替へするもの七十隻に上ると盛んに宣傳してゐる狀況であつて如何にアメリカが航空母艦を重視し來つてゐるかゞ窺はれる併乍ら敵が建鑑するのをこちらは默つて見てゐるのではない敵の軍艦が增えつゝある時こちらの軍艦も亦增えつゝあるのである殊に敵が所要の軍艦を建造し終るのを待つて決戰するとゆう事はないのであつて敵の完成を前に我が方はこれを個々撃破して行くのである即ち戰略的に先手々々と打つて敵の出鼻を挫いて行きさへすれば敵が如何に大增勢しようとも我が方は常に有利なる戰略的態勢を保持しやがては敵戰力を擊滅し得るのである徒らに敵の建艦狀況にのみ眼を奪はれて不當に之を警戒する要はないがこの建艦に於ても負けてはならぬ否絕對に勝たねばならぬこれが為めには如何なる非常の措置もこれを採用し艦船飛行機の躍進的增強を圖らねばならぬ |
02 | “繁劇の事務克服へ” 總務部長會議湯澤內相訓示 |
03 | 地方事務所長の權限を擴充 |
04 | 國府に答訪特派大使 平沼、有田、永井三氏を派遣 |
05 | 外務省發表 |
06 | 人の和と連絡協調 總務部長會議東條首相熱心に說く |
07 | “道義で事を遂行” 平沼男抱負を語る |
08 | 國府も公表 |
09 | 九月中旬頃に出發 日滿華泰一層緊密化 |
10 | “なかく大任だ” 有田さんは語る |
11 | 國府側痛く感激 重慶政權に深刻な威壓 |
12 | 召集令狀の心算 永井柳太郎氏語る |
13 | 水產統制會社 近く設立命令 |
14 | 南十字星 |
15 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 農會、畜產會合併の必要社說 一 從來島內に於ける農會は州廳單位の單級制度であつたが、昭和十三年律令の改正に基き臺灣農會及び州廳農會の二級制となつた。ところが臺灣農會は其の下部組織たる州廳農會を監督指揮する權限なく、此の點は帝國農會の組織と著しく異なり、いはば一階と二階とは直接何等連絡のなき存在となつたのである。尚昭和十三年農會より獨立した臺灣畜產會と州廳畜產會も同一制度を布いたのである。ところが本島の如き猫額地に於て內地の如く農會と畜產會とを並立せしめる必要あるか何うか、此の問題を解答する前に先づ農會から獨立した畜產會の事業に對して檢計を加へたい。 二 現在畜產會の主要事業は競馬であり、其の次は飼料、及び家畜の賣買斡旋である。競馬は馬產改良等の見地から其の必要性を唱へられて來たが、他の方法を以てかくの如き目的に達する事も出來るし、殊に戰時下に於て生活新體制を確立せねばならぬ秋に於て投機に類する競馬の獎勵は決して當を得た事ではない。最近競馬事業の不振に依つて畜產會が遂に赤字を出さざるを得なくなつた事は國民生活がそれ丈緊縮化した反映であり、寧ろ喜ぶべき現象であるといはねばならない。競馬事業の現狀がかくの如くなつたとすれば畜產會の存在が頗る影薄くなつた事は故なしとしない。 三 次に飼料の斡旋であるが、元來飼料と肥料とは同性質のものであり、中にも大豆粕の如きは兩方とも兼用し得るのであるから、其の配給統制は寧ろ一元的に統合した方がより合理的である、特にそれを使用する農家も同一であるから、肥料は農會で飼料は畜產會で取扱はせる事は徒らに事務を繁雜化する許りである。既に競馬事業が不振となり、飼料の統制が農會に統一すべきであるとすれば殘る仕事は家畜の賣買斡旋であるが之も農會の斡旋部で綜合的に取扱ひ得る事は明かである。既に官廳の簡素化を實行せられつつある今日に於て農會及び畜產會の合併は殊に本島の如き狹き地域では今更其の必要を痛感せざるを得ない。 四 尚現在の臺灣農會で臺灣農會報を、臺灣畜產會で臺灣畜產會報を、臺灣農友會で臺灣農事報を發行してゐるが、其の揭載記事はいづれも本島の農事改良發達以外のものでなく之を統一する事が單に用紙の節約のみでなく、又人的資源の浪費をも排除し得るのであるから、農會、畜產會の合併如何を問はず是非とも之を斷行すべきである最後に一言したい事は前述の如き臺灣農會と州廳農會との遊離は統制强化の時代に適合せざる組織であり之を帝國農會の如き階段制に改革すべきであると共に、州廳農會も州廳との鵺的存在から清算して公共團體として州廳との關係より獨立すべきである。其理由は今詳說する暇はないが、此問題も農會畜產會の合併と共に當局の一考を煩はしたいものである。 |
02 | 簡素化と待遇改善 公立學校にも實施 きのふ閣議で正式決定 |
03 | 南京條約百周年 偲ぶ阿片戰爭の屈辱 |
04 | 待遇改善の方法 別途の國費で充當 |
05 | 簡素化全部完了 |
06 | 昂る產業奉公運動 一般職場の組織と表裏一體 石原產報鍊成部長談 |
07 | 圖像:一時間に五十尾 |
08 | 武官府へ感激の恤兵献金 |
09 | 買物每に一割 奉公班、天引貯蓄實施 |
10 | 木炭生產出荷 全國に增強期間を實施 |
11 | 警察官と消防士 服裝改正閣議で決定 |
12 | 特派勞務奉公團解散式 |
13 | “流毒”正に百年 英支部侵略史東大和田博士に聽く |
14 | 滿洲建國十年 |
15 | 男女中等對抗 弓道大會 |
16 | 戰歿英靈慰靈祭 |
17 | ときの声 |
18 | 湯の花を献納 第三部隊へ |
19 | 砂田臺北食糧事務所長着任 |
20 | 南方派遣軍屬募集 |
21 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 司法保護の意義 社會淨化と人的資源の培養 週間中に趣旨宣傳 |
02 | 聽眾に深き感銘 溪湖街の金屬回收講演會 |
03 | 國語の解る者 世話役の選擇條件 |
04 | 時局講座 けふ埔里に開催 |
05 | 圖像:前線步兵部隊に砲兵隊の掩護射擊(浙贛戰線) |
06 | 區長の協力奏效 簡保の加入成績躍進 |
07 | 能高郡の點呼 |
08 | 敬神指導者鍊成會 大甲郡下の產組關係者參加 |
09 | 彰化奉壯團役員會 |
10 | 前線の勇士慰問 臺南州軍援、演藝團派遣 |
11 | 譽の遺族弔問 |
12 | 蓮根、新京で大持 お值段は一個六五圓との朗報 |
13 | 相思樹皮の供出 一層の協力を要望 |
14 | 甘藷增產協議會 農務關係者州會議室に集ふ |
15 | 澱粉製造を計畫 北斗郡の甘藷增產二鳥策 |
16 | 臺中放送局 竣成披露 |
17 | 取締り知識を充實 警官に無電を講習さす |
18 | 性病撲滅に迷信打破 皇奉花蓮港支部の健民運動 |
19 | 司法の第一線へ 巡查部長講習修了式 |
20 | 白衣勇士に赤心の奉仕 軍國婆さん病院に日參 |
21 | 新高郡警察課の 定期召集 |
22 | 健民運動は徒步から |
23 | タイプライター講習修了 |
24 | 撤去作業に便宜 修復用資材は申込めば特配 高雄市の金屬回收措置 |
25 | 防疫陣を強化 即時實施事項四つ決定 |
26 | デング熱花蓮港市 侵入 |
27 | 橋本軍曹の 英靈を弔ふ 警察葬執行 |
28 | 屏潮水利組合 臨時評議員會 |
29 | 戰歿勇士慰靈祭 |
30 | 森田知事新渡臺 教員講習會へ |
31 | 自家用米の 共管懇談會 |
32 | 闇、暴利の投書函 經濟犯取締りの名案 |
33 | 皇奉屏東支會 參與、委員任命 |
34 | 蘭陽地方暴風雨災害救濟義捐金報社消息 |
35 | 彰化郡の萞麻 栽培計畫 |
36 | 萞麻栽植に 擧郡邁進 |
37 | 南方派遣軍屬合格者(臺南州) |
38 | 嘉義市史編纂打合會 |
39 | 臺南市の火事 |
40 | 人事報社消息 |
41 | 地方多より報社消息 |
42 | 今日の映畫 |
43 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 食糧營團愈よ設立 米商の補償方針決定 |
02 | 南日本汽船最終拂込 來年倍額增資せん |
03 | 愛國萞麻栽培 運動に邁進せよ 松野府農務課長 |
04 | 戎克船の利用運航 現地主義で幫分見合せ |
05 | 鹽糖臨時株主總會延期 |
06 | 一期丸糰標準決定 |
07 | 農家經濟調查の 具體方法を協議 |
08 | 乾バナナ取締方 拓務省より入電 |
09 | 臺灣菓子工業組合 製造品目米穀局で指定 |
10 | 本年度割當罐詰 近く續續入津せん |
11 | 移民百戶入植 中部に八洲村を建設 |
12 | 比島セブとダコロドに 臺銀出張所設置 |
13 | 華南銀行總會 竹下氏を取締役に |
14 | 照明燈 |
15 | 干バナナ工場指定 高雄青果組合より聲明 |
16 | 商況 廿八日後場 |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(763)/黃得時;碇政彌 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 又復ダーウイン爆擊 廿七日我が荒鷲が |
02 | 魔手脫し王道樂土 南京條約百周年記念日迎へ 滿洲國張禁煙總局長談 |
03 | 圖像:上饒驛警備の我が勇士 |
04 | 情勢は深刻 印度商議等折衝を勸告 |
05 | ハール州苛酷な彈壓布告 |
06 | ス市近郊に殺到 熾烈な死鬪を展開 |
07 | 調研聯盟と調研協議會設立要綱 官公私立機關を一元的調整 |
08 | 大政翼贊會の 慶祝代表決定 滿國十周年記念 |
09 | 獨軍司令部 戰況發表 |
10 | 物淒い白兵戰演ず 死屍累累淒慘な光景 |
11 | 外地も代表參加 廿六日の總常會に |
12 | 總常會の綱要 三項目を議員に通達 |
13 | 獨空軍の活躍 |
14 | 中國交通兩銀行の復業 周財政部長の聲明 |
15 | 健全な發展に協力 我が現地當局談 |
16 | ス市上空黑煙に覆はる |
17 | コーカサス 三軍用道路 射程圈內に收む |
18 | 滿獨經濟關係存續 第二次協定に調印 |
19 | 「內無し日」を 米國で實施 |
20 | 米艦隊敗戰を 冷かに見送る カ濠首相に米反感 |
21 | 重慶空軍再建に躍起 |
22 | 三特派大使の略歷 |
23 | 中央食糧營團 創立總會 九月一日に開く |
24 | 司法辭令(二十九日) |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 海洋競技を御覽 三殿下‧神宮大會へ御成り |
02 | あの日の真珠灣 敵側が傳へる敗戰の實相 米國の小冊子より |
03 | 圖像:嬉嬉として働くジヤバの乙女 |
04 | 靖國神社臨時大祭 委員長に山田乙三大將 |
05 | 山田大將謹話 |
06 | 破れたら迷惑だ 小包を大切に、包裝を充分に 特に內地向の場合 |
07 | 風害狀況を視察 長谷川總督‧二日蘭陽地方へ |
08 | 全島產業組合 飛行機資金献納 |
09 | 決戰下壯丁の意氣 徵兵檢查終了壯丁の猛訓練 |
10 | 神社と陸軍病院に清掃奉仕 |
11 | 宜蘭神社に清掃奉仕 |
12 | 婦人鍊成講習會 城西と松山で開く |
13 | 愛馬に御馳走 千草調製週間を設定 |
14 | 生きた材料で賑ふ 國民學校五、六年用教科書 |
15 | 蔗作改善褒狀授與式 |
16 | 競ふ“人間潛艦” 明治神宮鍊成大會敢鬪に開幕 |
17 | 教員優遇一步前進 行政簡素化案に伴ひ |
18 | 宜蘭市防衛團 幹部打合會 |
19 | 剪髮の無料奉仕 續く“銃後感激美談” |
20 | 神宮水上成績 |
21 | 生豚增產に凱歌 新竹州、一萬七千頭增 |
22 | 學校美術展開催 近づく秋のシーズンに備へ |
23 | 健民運動講演と映畫の夕 |
24 | 洗濯石鹼配給 九月一日から指定店で |
25 | 市長さんが先頭 市全職員が汗の奉仕 |
26 | 竹內栖鳳畫伯の葬儀 |
27 | 九州地方の災害狀況 |
28 | 排球派遣選手豫選 |
29 | 又も“コレラ”上陸 食物に注意しませう |
30 | 節約して義捐報社消息 |
31 | 新竹州人事異動 |
32 | 興南詩苑漢詩 五妃墓/吳景箕、夢蝶園/吳景箕、草堂夜坐/吳景箕、秋夜雜感三首/希顏 |
33 | 人事‧消息報社消息 |
34 | 今夜の放送 |
35 | 商況 廿九日前場 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 通信、偵察隊に初の感狀 畏し武勳上聞に達す 輝く飯淵、二田原兩隊頭條新聞 【東京發同盟】マレー快速作戰の蔭にあつてその耳となつて活躍した飯淵電信中隊及び同じく目となり活躍した二田原飛行偵察部隊の偉勳に對しては曩に山下マレー方面陸軍最高指揮官より感狀授與せられたが今般畏くも 上聞に達せられた旨陸軍省より發表された 飯淵電信中隊はマレーの通信幹線の補修、確保に任じ終始松井部隊本部と最高司令部間連絡を維持松井部隊の第一回ジヨホール水道渡過に際してはこれと共に決死の水底線沈設作業を完成、又二田原飛行部隊は同部隊長統率の下敵機跳梁の空域を單機よく密林ゴム林地帶に於ける搜索至難な敵狀を明かにすると共にシンガポール島攻撃のための資料を偵察報告するなど何れも作戰の蔭にあつて戰闘指導を有利ならしめた功績は絕大なものがあるが就中通信隊に對する感狀は稀有のことであり且通信、偵察兩隊が共に感狀を授與せられるのは大東亞戰下これが初めてである 陸軍省發表【二十九日午後四時】馬來作戰に從ひ拔群なる功績を樹てたる飯淵電信中隊並びに二田原飛行部隊にし曩に同方面陸軍最高指揮官山下奉文より感狀を授與せられしが今般畏くも上聞に達せられたり 感狀 飯淵電信中隊 右は馬來作戰に從ふや一月八日スンカイよりクアラランプール間鐵道線に沿ふ殘敵を掃蕩し地雷を排除しつゝ敵の大破壞せる通信幹線を迅速確實に補修確保し爾後敵火の下危難を冐して終始松井部隊本部と最高司令部間の聯絡を維持して主力方面の作戰指導を容易ならしめたり ついでシンガポール島攻略に當り最高司令部戰闘司令所と松井部隊間及び將來の通信幹線となるべき通信線路の構成を命ぜらるゝや二月八日夜松井部隊の步兵第一回上陸部隊と行動を共にし熾烈な敵火を浴びつゝ最も困難なる敵前の水底線沈設作業を迅速果敢に完成しジヨホール水道前後岸の通信聯絡を確保し爾後戰闘前進に密に膚接し叢林中を臂力搬送により輕構成を行ひ線路敵火のため屢々切斷せらるゝや機を失せず補修を敢行し、以て軍の作戰指導を有利ならしめたる等その功績は拔群なりと認む 仍て茲に感狀を附與す 昭和十七年二月十五日 馬來方面陸軍最高指導官 山下奉文 感狀 二田原飛行部隊 右は二田原部隊長統率の下に馬來作戰に隨ふや軍の地上作戰に緊密なる協力をなし或は敵の熾烈なる防空火力を冐し或は敵の跳梁する空域を單機よく敢然として密林ゴム林地帶に於る搜索至難の敵狀を明らかにすると共に終始聯絡に任じ或は機を失せず新嘉坡攻擊のための資料を偵察報告し或は地形特に道路橋梁の情況を偵知して作戰に供する等、常に積極的に活動し適時適切なる情報を提供して軍の作戰指導及び各兵團の戰闘指導を有利ならしめたるは、その功績拔群なりと認む 仍て茲に感狀を附與す 昭和十七年二月十五日 馬來方面陸軍最高指揮官 山下奉文 |
02 | シ港敵軍司令部へ 投降勸告狀を投下 二田原部隊蔭の殊勳 |
03 | 低空から敵陣撮影 各隊指揮連絡に挺身 |
04 | 全印委員會委員 ゴチヤを逮捕 |
05 | 敵第三戰區を擊滅 皇軍、順調に戰線整理進捗中 |
06 | 三ケ月間の大戰果 |
07 | 奧地進攻の態勢確立 支那派遣軍報道部長談 |
08 | 飛雨の敵彈下に悠悠 海底線の沈設作業 シ港攻略‧飯淵隊の活躍 |
09 | 捕虜の激增 戰果中注目の諸點 |
10 | 有利な態勢を整ふ 南支軍報道部長談 |
11 | 圖像:架設作業中の電信兵 |
12 | 飯淵一郎部隊長略歷 |
13 | 二田原憲治郎 部隊長略歷 |
14 | ドイツ空軍 大增援部隊集詰 |
15 | 我が軍反轉開始 余軍掃蕩の目的達す |
16 | 井關中將ら廿八名 陸軍司政長官大增員 |
17 | 訪華答禮使の派遣 全中國民、深甚感謝 徐大使談 |
18 | 平沼使節團と共に 徐大使歸國 |
19 | 南方經濟事情座談會 |
20 | 南十字星 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 特使派遣の 意義 日華提携愈堅し社說 一 政府は去る七月廣田特派大使一行を盟邦泰國に派遣して日泰提携强化に稗益するところあつたが、今また中華民國政府に男爵平沼騏一郞、有田八郞、永井柳太郞の三氏を答訪特派大使として派遣することに決定した、今回の派遣は曩に我國に來訪せる汪主席に對する答訪ではあるが、帝國が大東亞戰爭の現段階に鑑み日華提携の愈愈緊要なるを痛感すると共に國民政府の發展のためには全幅の協力を惜まざる我國の誠意を披瀝するものであつて大東亞新秩序建設のため洵に喜ばしきことである、而も今次の三特派大使は我國に於ける一流政治家たるのみならず國民政府並に汪首席と因緣淺からざる人人である、卽ち平沼男は汪首席が昭和十四年夏和平運動に乘出した當時の首相であり汪主席とは近衞公等を混へ東亞恒久平和の基礎を築くため肝膽相照した仲である、有田氏は當時平沼內閣の外相としてまた汪首席とは關係淺からず、また永井氏は現在大政翼賛會興亞局長及興亞同盟の首腦部として中華民國とは深い關係にある人である、斯くの如き重要人材が打揃つて新興中國を訪れるといふことはそれだけで既に國民政府に新らしく力强き息吹きを與へ、日華關係を强固緊密化するものと云へやう。 二 中華民國政府は南京還都後僅かに二ケ年半であるが、その間內治外交日に月に强化し昨年十一月には日獨伊防共協定に參加し、更らに日滿獨伊を始め十二ケ國の承認を得て今や大東亞に於ける獨立國として日滿泰と共に堂堂の躍進を續けてゐる、而して昨年末大東亞戰爭勃發するや帝國と同甘共苦、日華苦樂を俱にせんとの態度を表明し大東亞共榮圈の一環として國際的にもその性格を明確にいたしたのである、されば今日の國民政府は四川の奧地に辛ふじて餘喘を保つてゐる重慶政權が汎有る方法を以て妨害を加へんとしても螳螂の斧を以て牛車に當るの愚を繰返すに過ぎぬのである、それだけ綽綽たる餘裕を示すに至つたのである、國民政府が斯く逞しく生成發展したのは汪首席以下各要人が我國の聖戰の理由を正しく認識し、身命を賭して新興中國建設に邁進しつつあるためであることは云ふまでもないが、帝國が五箇年間に亘り尊き犧牲を拂ひ親鷄が雛を庇護する情愛を以て終始變りなき協力を惜しまなかつた結果であることは今更ら贅言を要すまい。 三 我國が常に正義人道に立脚しつつあることは友邦中華民國に對してのみならず大東亞戰爭後東條首相が數次公にせる大東亞宣言によつても明らかなる如く、苟も我國とを手を携へて相共に大東亞共榮圈確立に努むるものならば、之を育成助長することに吝かあらざるは南方戰領地域に於ける幾多の事例が何より雄辯に物語つてゐる重慶政權とても其非を悟り我に來り投ずるならば之を容るるの襟度と雅量のあるは夙に近衞聲明によつて闡明したところである今日國民政府の歷史的發展を眼前にし重慶に人あるならば轉た感慨無量のものがあるであらう、畏くも高松宮殿下の御渡滿についで盟邦泰國には廣田特派大使の答訪があり、今また三特派大使の中國への答訪が行はれることは日滿華泰の大東亞獨立國の紐帶を文字通り强く固くするものであつて、大東亞新秩序の完全なる建設も蓋し遠き將來に非ずと思ふ、茲に於てわれ第一億國民は帝國の不動の國策に則り同種同文の滿洲、中華兩國の四億民眾と共にその兩國の發展を期し、大東亞國民の榮光と歡喜を擔ふ日の近からんことを望んでやまぬ次第である、 |
02 | 譽の目と耳の勇士 マレー作戰に偉勳 二田原部隊長生家の喜び |
03 | 昨日大牟田へ御成り 石炭增產戰士の作業を御視察 三笠宮殿下 |
04 | 圖像:神宮水上大會開會式 |
05 | 兄弟揃つて第一線に 感激の飯淵電信隊長の實家 |
06 | 支部總務部長打合會 昨日奉公會中央本部で開催 |
07 | 海の子等熱鬪高潮 神宮水上大會第二日 |
08 | 圖像:軍馬の慰問 |
09 | 皇軍に積極的協力 アンボンの行政機關全部復舊 |
10 | 鄉軍新竹市聯合分會射擊大會 けふ牛埔山で |
11 | 學徒の夏季機甲訓練終る |
12 | 基督教奉公會 理事會を開催 |
13 | 大日本婦人會各支部の 具體的結成案を打合せ 昨日各州總務部長等參集して |
14 | 一日は“酒なし日” 吉田禁酒會理事が放送 |
15 | 交換船マルケス入港日 |
16 | 苗栗郡團が優勝 新竹州青年團強步大會 |
17 | 蘭陽地方暴風雨災害義捐金を募集報社消息 |
18 | 海洋訓練隊第二期訓練生決定 |
19 | 小國民進軍歌 一般から募集 |
20 | 宜蘭市の金屬 回收好成績 |
21 | ホツケー選手權大會(第一日) |
22 | 三教員體育大會昨日閉幕 |
23 | 災害復舊特派勞務奉公團解散式報社消息 |
24 | 人事‧消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 赤誠の献納機 “臺灣織布報國號”命名式 |
02 | 大戰果に感謝献金 航空記念日‧皇奉高雄州支部 |
03 | 司法保護協力追加 九月の常會に |
04 | 應召金屬を陳列 屏東市の回收愈よ高潮 |
05 | 圖像:浙贛線を警備する我が勇士 |
06 | 三日間で五千貫 彰化市の供出成績上上 |
07 | 臺中市桔梗クラブ きのふ結成式擧行 |
08 | 納稅に協力 田尾庄の奉公運動節實 |
09 | 彰化郡青少年團 鹿港で結成式擧行 |
10 | 回教徒概觀 回教圈の構成 〔上〕世界史と回教圈 |
11 | 圖像:東條首相、技□□□授與 |
12 | 學齡兒童を調查 臺南市の義教仕度 |
13 | 垂範を誓つて 街庄吏員鍊成終了 |
14 | 皆張り切つてゐる 訓練中の志願兵蘇君の便り |
15 | 馬の中耕除草 恒春で實地指導 |
16 | 他人さまに負けるな 山の乙女、前線の許婚者激勵 |
17 | 關東大震災 記念日 禁酒勵行を申合 |
18 | 月の世界にメス 地下資源の混合砂 愈よ實地調查開始 |
19 | 彰化市阿夷に 產婆委囑 |
20 | 宿泊料金を表示 高雄宿屋營業取締規則變更 |
21 | 馬公街の空訓 |
22 | 花蓮港市朝日國民學校 |
23 | 彰化市印刷文具商組合 |
24 | 赤誠の献金品 |
25 | 高雄空訓打合 |
26 | 田中食糧課長 桃園を視察 |
27 | 蘭陽地方暴風雨災害救濟義捐金報社消息 |
28 | 人事‧消息報社消息 |
29 | 地方多より |
30 | 今日の映畫 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺拓、海南島で 水稻二千町步を栽培 |
02 | 佛印農林事業を 會社組織に變更せん |
03 | 海洋漁業の統制 二次整備統合が問題 |
04 | 米國に於ける 戰時經濟統制機構 |
05 | 三坂植檢所長が 府青果係長を代理 |
06 | 烏來發電所 來る一日地鎮祭擧行 |
07 | 臺南州產組 講習會終了 |
08 | 南方の林業紹介 關、原兩氏臺中で講演 |
09 | 菓子屋さん打合會 |
10 | 臺南州木炭生產組合打合會 |
11 | 民營林を調查 單位面積の增收を企圖 |
12 | 臺北州乾麵組合 創立總會 |
13 | 週間經濟展望 權限委讓案成る |
14 | 經濟手帖 優良工作機械認定 規則の制定 |
15 | 照明燈 |
16 | 商況 廿八日後場 |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(764)/黃得時;碇政彌 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ス市累卵の危機 市民の悲痛愈よ深刻頭條新聞 【リスボン二十九日發同盟】ソ聯防衛當面の牙城スターリングラードに對する獨軍の猛攻は加速度的に進捗し三方よりする獨軍の包圍陣の壓縮により今や同市は累卵の危機に直面するに至つたが二十九日ソ聯情報局も急速に加重する同市の危機を認めて悲壯な發表を行つた、右發表によれば數百機からなる獨爆擊機編隊は二十八日スターリングラードに對して「獨ソ戰開始以來最も大規模な空襲」を敢行し無數の燒夷彈並に爆彈を投下すると共に多數のビラを撒布し「獨軍は愈よ近くスターリングラード市で入城式を行ふこととなつた」と獨軍の滿々たる戰闘力に對する自信の程を明示して市民の悲痛を愈よ深刻ならしめてゐる、一万市民はスターリングラードに對する獨軍の脅威に備へ益々その守備の強化に專心してをり同市の攻防戰こそ今次大戰開始以來最も悽慘な戰闘にまで進展するものと見られる |
02 | 攻防戰刻刻と激化 |
03 | 歐戰三周年の回顧 歐戰はどうなる? (上)現地の報告を聽取 |
04 | 伊軍司令部 戰況發表 |
05 | ビルマの特殊性 那須總務部長、昭南會談で強調 |
06 | ソ聯情報局發表 |
07 | 伊軍ラドガ湖で活躍 |
08 | 米英、民心收攬に苦悶 虛構の宣傳で實體を暴露 |
09 | □ 歐戰第四年の戰局と見透 |
10 | 英蘭北部を猛爆 |
11 | 自力更生和平に邁進せよ 新民會北京聯合協議會宣言 |
12 | 圖像:アリユーシヤンの我が勇士 |
13 | 行政簡素化案 九月早早、樞府で下審查開始 |
14 | 魯南地區の戰果 |
15 | 印度の騷擾擴大 |
16 | ガンヂー翁令息 公判に附さる |
17 | ガ翁子息釋放さる |
18 | 米海軍省が 國民に警告 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 仰ぐ“亞細亞の光” ジヤバの華僑八十萬再出發 三亞運動に全面的な支持 |
02 | 鍛ふ“ジヤバ青年” 九月五日‧體育大會開催 |
03 | 治水と增產問題/蠟山政道 |
04 | 侵略主義を打倒 南京の反英興亞大會 |
05 | 鄉軍新竹聯合分會射擊大會 |
06 | 軍馬に青草献納 愛國三人兄弟の赤誠 |
07 | 最後の熱鬪を展開 明治神宮鍊成大會壯嚴裡に閉幕 |
08 | 競馬場奉仕作業 香山青年團が申出 |
09 | 劍尖火花を散らす 鄉軍武術大會大盛況 |
10 | 聖戰下美術の秋 院展、二科展、あす開幕 |
11 | 宜蘭郡金屬特別回收日程 |
12 | 古豪高校が優勝 第十四回全島ホツケ大會 |
13 | 臺灣代表の奮戰 よくぞやつてくれた |
14 | 臺中州下卓球大會 |
15 | 埔里街時局 講座盛況 |
16 | けふの行事 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 泌泌と身に泌みた 嘉義の白系露人ハルピンヘ |
02 | 逞し鄉軍の敢鬪 鄉軍花蓮港聯合分會の 銃劍術射擊大會 |
03 | 馬公の簡閱點呼 |
04 | 商業講習會 花蓮港で開く |
05 | 回教徒概觀 〔中〕回教の信仰と勤行 |
06 | 真摯敢鬪に終始 花蓮港青少年體育大會 |
07 | 花蓮港陸上競技 |
08 | 警察官の尚武 夏季武術講習終了 |
09 | 若林一等兵戰病死 |
10 | 彰化水利鍬入式 |
11 | 畜產增殖座談會 |
12 | 高雄地方法院 廳舍增築落成式 |
13 | 軍國乙女の意氣 屏東桔俱が實彈射擊 |
14 | 圖像:献納した臺灣織布號 |
15 | 鄉軍屏東分會 武術大會 |
16 | 賴母し屏東の貯蓄報國 割當債券直ちに消化 |
17 | 高地蔬菜栽培を獎勵 牡丹溪山道路の活用に |
18 | 青年鍊成道場 潮州郡いよく建設 |
19 | 鳳山街青年團 詰成式を擧ぐ |
20 | 青年指導座談會 |
21 | 岡崎警務課長 鳳山郡初巡視 |
22 | 待望の海水浴場 花蓮港設置に決定 |
23 | 嘉義市完納 |
24 | 高雄州事業公債償還抽籤 |
25 | 東臺灣の名果 レモン出廻る |
26 | 地方多より報社消息 |
27 | 遠征軍勝つ 大洋クラブを迎へ 臺中で籠球試合 |
28 | 今日の映畫 |
29 | 訃文:黃煜煦 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 學藝 南方より歸りて/本田正次 |
02 | 本太平洋探險史 ベーリングを中心に |
03 | 圖像:南海の月明 |
04 | 北回歸線 身嗜みの紊れ 意外に大きい影響 |
05 | 圖像:故竹內栖鳳畫伯の絕筆 |
06 | 葉月拾艸/王清仁;王水池;黃明波;黃氏翠映 |
07 | 旅と文學(下)/中谷孝雄 |
08 | 孫文葬儀實況 記錄映畫 北京で發見さる |
09 | ラジオ |
10 | 廣告報社消息 |