興南新聞1942年5月
序號 | 標題 |
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01 | ミンダナオ島西部要衝 コタバトを完全占領 皇軍、更に戰果擴大中 |
02 | 連續猛襲下のコ島 脫出の一米人記者體驗を語る |
03 | けふ一齊投票 湯澤內相、赤誠の一票 |
04 | 圖像:泰國慶祝使節ビヤ・パホン氏天機、御機嫌奉伺に參內 |
05 | 繰上投票 |
06 | ル大統領の放送 生活設計教書を闡明 東亞戰況に負け惜み |
07 | オ州邦人二千人 立退き命せらる |
08 | 只開票を待つ 翼協本部閑散 |
09 | 國庫金關係、稅務關係 專賣關係官廳を開設 バタビヤのわが軍政部 |
10 | 日本海軍航空部隊の正確無比の爆擊 擊沈英二巡洋艦生存者の實戰談 |
11 | 翼協臨時總會 今後の方針協議 |
12 | 獨空軍の戰果 |
13 | 興亞院の使命重大 天津にて及川總務長官談 |
14 | 獨側萬全の準備 英の牽制空襲奏効せず |
15 | ケツペル商港復舊 全機能力強い更生 大東亞戰決戰に相應しい朗話 |
16 | 泰國慶祝使節一行の動靜 |
17 | 日獨伊外交官 ニユーオルリアンスに到着 |
18 | 惡性インフレに ル大統領もがく ドイツ側への反響 |
19 | 濠政府新たに戰時會議創設 |
20 | アレキサンドリア 獨空軍の空襲を受く |
21 | 巡查部長入所式を擧行 新竹州下警察職員の再訓練 |
22 | 佛巡洋艦三隻 マダガスカル島着 |
23 | リ駐佛米大使 近く米に歸還 |
24 | 青年團舞踊並唱歌講習會 |
25 | 青年團長距離競走大會 來る三日に開催 |
26 | 遠征軍派遣 カナダ國民の投票で承認 |
27 | ジ佛空軍司令官 ラバーに到着 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 統治の尊き人柱 建功神社例祭けふ嚴かに執行 |
02 | 新構想と指針闡明 十二日から二日間地方長官會議召集 |
03 | 聖恩の廣大無邊 九名に假出獄の恩典 |
04 | 勅使恭しく參向 靖國春季例大祭第二日 |
05 | 馬公街遙拜式 |
06 | 奉公會支會の總務部長會議 けふ州會議室で |
07 | 奉祝式を擧行 馬公街で佳節を壽ぎ奉る |
08 | サイゴンに於ける奉祝行事 |
09 | 青少年團結成大會 十七日市公會堂で開催 |
10 | 四千餘名の健兒が參加 新東亞建設の黎明を謳歌 |
11 | 新京に溢れる奉祝氣分 |
12 | 青年團長の任命式並に會議 一日市會議室で |
13 | 香港總督部の祝賀遙拜式 |
14 | あすから健民運動 市民の協力を切望 |
15 | 戶每に真新しい日章旗飜る 天長節の昭南島 |
16 | 綜合購買帳制 臺北州であすから實施 |
17 | 嚴かな式典擧行 支那派遣軍總司令部で |
18 | バタビアは感激の坩堝化 |
19 | 護れ“吾等の大空” 第一次第三種州下訓練日割決る |
20 | 港都の空訓 |
21 | 壯丁臨時體力章檢定會 四日より五日間川端公園で |
22 | 結婚費を節約して献金 |
23 | 圖像:大東亞戰爭特報 |
24 | 勤報新竹州隊 上北の途に就く |
25 | 種畜場開場式 |
26 | 興南詩苑漢詩 昭和十六年十二月臺北帝國大學卒業式長谷川總督以下文武百官多臨總督總長懇切訓辭、厠列感賦/文訪、題圖/國江南鳴、晚春偶成/國江南鳴、東墩似竹修、說劍、雪滄、逸鶴諸先生/黃景南 |
27 | 煙幕 |
28 | 商況(三十日□場) |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | コ島の港灣要塞に 猛烈な砲爆擊續く頭條新聞 【リスボン三十日發同盟】メルボルン來電によれば西南太本洋反樞軸聯合軍司令部はコレヒドール島の戰況に關し三十日左のござく發表した コレヒドール島の港灣施設に對しては日本航空部隊による猛烈な爆擊が績けられてゐる、更に同島要塞に對しても日本砲兵部隊により全面的に砲擊が行はれてゐる |
02 | 空陸一體、戰果を擴大(パラング) |
03 | パラングに擧る萬歲 天長の佳節に上陸敢行 |
04 | 御答電を御發送 天長節の御祝電に |
05 | 大東亞共榮圈と濠洲/山田文雄 |
06 | 近く臨時議會召集か 確固不拔の所信披瀝せん |
07 | けふ開票完了の府縣 |
08 | 三回もモレスビー猛襲 荒鷲廿九日の天長の佳節に |
09 | 圖像:敵の破壞したイロイロ橋を前進する陸軍部隊 |
10 | 今明日の開票で 大多數確定せん |
11 | 船舶所有者に使用令書 船舶運營會の活動本格化 |
12 | 重要物資輸送の行政考查を行ふ 暫時輸送の完璧を期す |
13 | 南方占領地渡航者の携行旅費及び送金 大藏當局の取扱ひ方針決定 |
14 | ジヤバ金融機關 きのふ一齊に蓋開け |
15 | 司法機構も再開 我軍政部指導の下に |
16 | パラング上陸 敵軍側も認む |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 印英會談再開全く絕望社說 一 一時世界環視の的になつてゐた印英交涉も、曩に國民會議派が、英側の修正案を全面的に拒否するに及んで、爰に完全に決裂するところとなり、印度竉絡の使命を帶びて、遙遙印度まで乘込んだクリツプスは、悄然として遂にインドを去らざるを得ざることとなつたが、前歐洲大戰に於て恨み骨髓に達する背負投げを食つたインドが、再び斯る英國の魔手に、易易と乘らなかつたことは、會談前から判つきりと豫想されたところである、併乍らこの印英會談こそ大東亞戰後に於けるインドの動向を最も端的に而も明白に反映してゐるところに意義深きものがあつた、卽ち前大戰の苦い經驗と其後に於ける對英鬪爭の中で鍛へられたインドは、徹頭徹尾英國の奸計を看破し、一糸亂れざる步調をもつて英國に當つた殊に前大戰に於ける愚を再び繰返すにはインドの獨立運動は既に餘りに成長の域に達し、機が大に熟してゐたのである、大東亞戰爭勃發して間もなく、皇軍の威武敢鬪によつて香港、新嘉坡島は相次いで失陷し、ビルマも我が軍に攻略され、而も戰火のインド國境への波及は、インドよりも英國自身の一大脅威である。 二 從つて英國の意圖とするところは、此際インドへの若干の政治的讓步によつて、あはよくばこれを對日戰爭への協力に驅り立てんとしたことは餘りに明白に過ぎてゐた、窮地に陷つてゐる英國にとつてその寶庫的存在たるインドに於ける豐富なる物的、人的資源は他の何ものをもつても代へ難きものであり戰時に於て英國がインドを確保することこそ、近東、アフリカ一帶に亘る政治的、軍事的勢威を保持し得るからであるインドを失はんか、直ちに大英帝國の崩壞滅亡を意味する、英國は如何なる手段を盡してもインドを懷柔竉絡しなければならない羽目に置かれてゐる前大戰に於てインドは、百二十萬以上の兵力を英本國援助のため海外に派遣し、その上英國のために一億二千二百萬ポンドの直接的戰費を調達した、今次大戰勃發後間もなくインドは、前大戰中に動員した全兵力に劣らざる兵力を動員し、裝備を保持し依然として英本國の抗戰力に對する最大の支柱をなしてゐる、インドの確保は英國の存立上絕對不可缺の條件とされてゐる所以である、 三 然るに我が軍の進擊に脅かされ、焦眉の急を告げるインド懷柔を使命としたクリツプスは、約三週間に亘る活躍にも拘はらず遂にその目的を果し得ずして空しく歸國の已むなきに至つた、而も英戰時內閣は之には、懲りずに尚ネール、ジンナー等の印度政界各派代表をロンドンに招請して英印會談の續行を策してゐるが、之に對しネールは過日カルカツタに於て國民會議派はこれ以上英國政府と折衝を續ける意思はないと直截に表明したことにより、英印交涉は今や全く絕望視されるに至つた併乍ら之だけを以て英國は決してインド懷柔の魔手を緩めることなく、今後も相變らず百方術策を弄するであらう、從つて今後とも多分にインドは英國に利用される可能性を有するものである、インドにして斯くの如く英國にもつかず、また日本にもつかざるが如く日和見主義的態度を持續せんか、永遠に完全獨立の機會を逸するであらう、インドよ、一日も早く速に「印度人の印度」に立返へるべきである。 |
02 | 南海の空に鯉幟 “お國のため母なしと思へ” 前線に送る端午美談 |
03 | 健民運動強調週間 皇國民の增強へ 島民の協力を切望齋藤總務長官談 |
04 | 白衣天使現はる 八人のインドネシア人 |
05 | 張切る“海洋訓練隊” 關係方面に挨拶 |
06 | 新竹商議員 更に二名候補 |
07 | 奉公團結團式 |
08 | 花蓮港兵事部 安藤軍司令官臨席の下に きのふ晴れの開廳式 |
09 | 圖像:靖國の忠靈に敬意 |
10 | 宜中入學式 |
11 | 花蓮港を視察 安藤軍司令官が |
12 | “移民村に感心” 藤岡兵務部長談 |
13 | 農村へ增產援軍 女子青年二百萬派遣 |
14 | 長谷川總督 けふ空路で歸任 |
15 | 宜蘭土地建物會社總會 |
16 | 東印度宛郵便物 けふから取扱開始 |
17 | 官民合同祝賀會 |
18 | 十分の一に規制 臺北州產水牛の屠殺 |
19 | ポスター二萬枚 厚生省、全國に發送 |
20 | 工務員養成道場 臺北州聯合保護會が經營 |
21 | ときの声 |
22 | 豆戰士“真摯敢鬪” 子供の日に相撲大會 |
23 | 建功神社奉納ラグビー大會 |
24 | 屏東市臺北親和會第十一回 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 購買帳制を實施 纖維製品に靴下を適用 高雄州は萬全の策 |
02 | 臺中商議所總會 會頭は本山文平氏に指名 |
03 | 建功神社祭の遙拜式 臺南神社外苑に軍官民參集 |
04 | 圖像:マリベレスの山險にて夕食の仕度をする勇士 |
05 | 聖壽無疆を壽ぐ 各地の天長節奉祝 |
06 | お母さんの誇 新竹市の優良兒 |
07 | 九十九中の十 誇りの優良兒 |
08 | 海軍一色の催物 南の玄關高雄の海軍記念日準備 |
09 | 配給打合せ |
10 | 開山神社例祭 一番ヶ瀨知事參向 |
11 | 各地產組總代會 |
12 | 籾摺工場の後始末 資材買收は評定價の二、三割引 休轉業補償は實績で |
13 | 花蓮港市の部長會議 |
14 | 第一回入學式 高雄工業誕生 |
15 | 鮮魚仲買人組合總會 |
16 | 新議員の初顏合 高雄商議總會五日開く |
17 | これは素敵な話! 南部產の香瓜、碧瓜泰國で大持て |
18 | 新化献金部隊 當局に殺到 |
19 | 婦人必聽のお話 江崎博士健民秘方披露 |
20 | 兒童角力大會 子供の日に催す |
21 | 烏日產業組合 溪心垣出張所開業 |
22 | 接客業者の健康診斷 |
23 | 員林街防衛團 查閱を實施 |
24 | 竹東、一路增產へ 諸競作會褒賞授與式 |
25 | 北港溪橋竣工 工事費等約十萬圓 |
26 | 皇奉社頭常會運營研究會 |
27 | 皇軍勇士の慰問映畫會 |
28 | 豐原料理屋組合定期總會 |
29 | 地方便り報社消息 |
30 | 今日の映畫 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 不急作物栽培を重要作物に轉換 本日作付統制規則公布 |
02 | 米穀供出方策と增產問題の一考察(三)/大木生 |
03 | 二月の實績に基き 電力制限を緩和 中旬頃更に制限解除 |
04 | 昨年度鳳梨罐詰 生產高百卅萬函 |
05 | 臺灣土地總會配當八分可決 |
06 | ゼニスパイプ配當八分措置 |
07 | 特定郵便局部會聯合會 |
08 | 寺畑遞信無線係長工務課長に昇格 |
09 | 小濱、大庭兩氏上京 |
10 | 自動車運送事業組合總會 |
11 | 畑地一萬甲を改良 昨日事務打合會開催 |
12 | 臺灣皮革昨日總會 |
13 | 臺電松尾技師一行比島へ出張 |
14 | 明糖溪湖工場 產糖八十三萬擔 |
15 | 明糖南投總爺工場壓搾製糖終了 |
16 | 鹽糖壽、大和工場壓搾終了 |
17 | 灣糖東港外二工場壓搾終了 |
18 | 貨物取扱料金引上 小委員會で慎重研究 |
19 | 米袋打合會 米穀局で開催 |
20 | 源成農場 產糖九萬餘擔 |
21 | 臺灣炭業昨日總會 |
22 | 照明燈 |
23 | 商況(三十日後場) |
24 | ラジオ |
25 | 水滸傳(666)/黃得時;碇政彌 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | マラバング飛行場占領 有名なモロ族の大集團地 |
02 | 米比軍最後の軍事據點 |
03 | 獨伊兩巨頭が會見 對ソ戰に新發展を見ん |
04 | 圖像:聖壽無窮を壽き奉る宮城前の民草 |
05 | 獨軍發表戰況 |
06 | マレー重要資源 續續內地へ輸送 |
07 | 米海軍將兵の死傷五千六百餘 アヴアス通信の報道 |
08 | 海運界の王者たれ/匝瑳胤次 |
09 | 坂西一良中將 ローマに向ふ |
10 | 投票率頗る良好 全國民の熱意を表明 |
11 | 圖像:馬來各州のサルタン一行我艨艟を見學 |
12 | 我陸鷲西安を急襲 |
13 | 英の沒落は必至 文豪シヨーの直言 |
14 | 正午まで開票の結果 |
15 | 湯澤內相西下 |
16 | 大統領の俸給をまづ引下げよ 共□黨「生活設計教書」皮肉る |
17 | 紐育愈よ燈火管制 獨潛水艦對策のため |
18 | 全國的に優勢 翼協本部に喊聲擧る |
19 | 定期敍位 |
20 | 豆債券一等當籤番號 |
21 | 英印交涉決裂の經緯を說明 アサツド議長 |
22 | クリツプス案拒否 會議派で承認 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 人形劇の統一指導 國策遂行の協力に萬全 大正翼贊會が一役 |
02 | 靖國春季例大祭 諸儀滯りなく終了 |
03 | 令旨捧讀式擧行 健民週間の初日州市で |
04 | 圖像:皇軍に救助され感激の喜びに日章旗を手にする在留邦人の子供達 |
05 | 港都區青年團長任命式 |
06 | 市民の質的向上 新竹市の健民行事 |
07 | ジヤバ、スマトラの在留邦人宛郵便物 一日より取扱ひを開始 |
08 | 長谷川總督歸任 あすの正午に變更 |
09 | 健民運動映畫 州下の日割決定 |
10 | 常會の指示事項 三項目全島に呼掛く |
11 | 健民運動と體育/丸山芳登 |
12 | 法曹の使命達成へ 辯護士法施行五十年記念式典 けふ盛大に擧行 |
13 | 國債消化映畫開催日割 |
14 | 臺北州種畜場 けふ開場式を擧行 |
15 | 篤志な献金二つ |
16 | 大眾向きハイク |
17 | 林、丸山兩氏當選 州會議員補缺選擧 |
18 | 乳幼兒健康檢查 いよいよ明日から開始 招請を受けた方は漏れなく |
19 | 明朗敢為で林治人氏の感想 |
20 | けふ一齊に白服 お役人さんの衣更へ |
21 | 責任重大 丸山珍樹氏談 |
22 | 煙幕 |
23 | 興南詩苑漢詩 約嘯霞兄南港買茶順過照頭山莊/覺齋、贈蘭汀君見招/覺齋、次景南君惠贈瑤韻/王竹修、次景南君惠贈瑤韻/蔡說劍、次景南君惠贈瑤韻/陳雪滄、次景南君惠贈瑤韻/李逸鶴 |
24 | 今夜の放送 |
25 | 商況(一日前場) |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ピナツポ全く戡定 西部ルソン島の要害頭條新聞 【ルソン島○○前線一日發同盟】西部ルソン島サンパレス山脈の要害ピナツポ山(パンパンガ、タルラツク、サンバレスの三州境にあり標高一、七八一米)に據る敗殘米比軍約二千に對する殲滅戰は四月下旬から開始、我各精銳は破竹の進擊を續けて廿八日には早くも鐵桶の包圍網を完成、廿九日を期して總攻擊に移りピナツポ山北方百三高地附近で遭遇の敵部隊を蹴散らしつつ斷崖絕壁を攀ち、丈なす茅を切り開いて卅日夕刻早くも敵の本據ピナツポ及び附近一帶を全く戡定した |
02 | 陸鷲渭南、西安急襲 |
03 | 推薦候補が壓倒的 八割當選は略略確實 國內新政治體制の礎石確立 |
04 | 總選擧開票の結果 |
05 | 翼協本部緊張 情勢の蒐集に大童 |
06 | 重慶機關撤退 緬甸ラシヨより |
07 | “翼贊選擧のお蔭さ” 井野農相苦心を語る |
08 | けふ五十選擧の開票 |
09 | “代議士は一年生” 岸商相最高點當選の辯 |
10 | 植原、野村の二古豪落選 |
11 | 爪哇居留外國人登錄受付開始 |
12 | 社告/興南新聞社報社消息 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 皇民奉公運動推進の要諦社說 一 去る四月十九日、本島統治史上記錄さるべき奉公運動發足の記念日に際り、齋藤中央本部長は談話を發表したが、その中で本運動は一年を經過しても其根本理念に就いて何等修正の要なきは勿論、寧ろ今後益益推進さるべきであり、殊に臺灣は內臺高砂族六百萬人の一大家族から成つてゐる特殊事情と、更に南方遠く熱帶圈にまで延びてゐる地理的使命に鑑み、本島の奉公運動は內地の夫れ以上に重大性を持つことを强調して、全島民の新なる覺悟を要請すると共に、過去一年を省みて、本運動の滲透が尚十分でないことを認め、特に最下部組織に更に一段と皇民奉公理念の普及を要すべきとなし、從つて指導者層、中堅壯年層の真劍なる挺身實踐を希望し、就中身を以て大政に翼賛し奉るの至誠に燃える官吏層に對して、常に大眾に師表たるの率先垂範的態度に終始することを要望せられてゐるは洵に全島官民のひとしく欣聽に值ひする一言と謂はねばならぬ。 二 洵に、大東亞共榮圈完遂のための國內態勢は一に此の大政翼賛、皇民奉公の臣節奉公に根底を置く以上、官吏先づ自ら社會大眾の先頭に立つて、いよいよ挺身の實を擧げねばならぬことは、敢へて喋喋するを要しないことである。由來本島の官吏層はいはゆる本島特殊の事情に依つて、常に本當社會の最高の指導者であり、推進力である事實に鑑みれば、皇民奉公運動の如き島民社會の大眾運動に於ては、先づ何よりも官吏自らの率先垂範的挺身實踐がなければならぬわけであるが、過去一年間の實績はともかくも、運動第二年目に於てこそ真摯熱烈なる挺身實踐の力强き展開を翹望してやまざるものがある。これをしても舊態依然たる第三者的傍觀態度や批判的超越態度や、或は反動的獨善性を墨守せんか、唯に本運動の逞ましき推進發展を阻害するのみならず、本運動に荷はせたる臺灣統治の崇高なる理想を沒却するの結果となる恐れが多分に有るからである。 三 右に述べたことは、勿論獨り官吏層に限らず、全島民に對しても云ひ得る事柄であるが、島民一般に關しては他の機會にゆづるとして、ともかく島民社會の最高指導者たる官吏層にこれを望むところ別して大なるを覺ゆる次第である殊に長谷川總裁に依つて點火せられ齊藤本部長に依つて展開された本運動の根本理念は、多難なる荊刺の道を辿る過程に於て動もすれば歪められ或は傍道に外らされがちなのを真に正しく力强くもり立て推し進めて行くことは、却つて臺灣統治行政の第一線に立つて直接民眾を指導する官吏層により責任を感ぜしめるものがあるのである。この故に臺灣統治行政に忠實なる限り臺灣統治の半面たる奉公運動の確乎たる理念を把握し、其の實踐展開に積極的協力を顯現することは洵に當面官吏層の使命と云はねばならない。茲に自ら先達となつて民眾の中に溶け込むべき總督長官のより逞ましき實踐と共に如上の希望を述べて、以て本運動の遺漏なき完全なる態勢を確立したいものである。 |
02 | 日本一の凱旋將軍 空前の新記錄・七六二五〇票 四王天中將に抱負を聽く |
03 | 令旨捧讀式を擧行 健民運動初日の南北兩署行事 |
04 | 安藤軍司令官 花蓮港から臺東へ |
05 | 未成年者禁酒禁煙遵法旬間 恐る可き酒煙の害 中村法務局長の放送 |
06 | 宜蘭市の行事 |
07 | 宜蘭郡の行事 |
08 | 雜誌を献納 專賣業報國會 |
09 | 皇民劇を上演 皇奉宜蘭郡支會 |
10 | 島民赤誠の献金 軍司令部四月合計四十六萬七千餘圓 |
11 | 臺所から臣道實踐挺身 第三回婦人鍊成會終了式擧行 |
12 | 防空陣の完璧へ 新竹州で近く第二、三種空訓實施 |
13 | 大肚山道場で鍊成會 常會指導者の識見向上へ |
14 | 力作を献納 臺陽展から陸海軍に |
15 | 肺病の特効藥 玉咲ツ、ラ藤栽培を獎勵 |
16 | 援護事業の完璧 臺南市銃援會けふ發會式 |
17 | ときの声 |
18 | 屏東鄉軍總會 |
19 | 瓦斯爆發事故 滿洲國本溪湖炭礦柳塘下層坑で |
20 | 種苗業組合總會 |
21 | 起訴された候補者五名 |
22 | 強盜傷害事件判決言渡 |
23 | 訃文:黃維養 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 各地の健民運動 令旨を奉戴して 結核の豫防撲滅へ |
02 | 優良奉公班表彰 彰化市長より助成金傳達 |
03 | 鳳山街商業奉公團誕生 |
04 | 稻刈資金を融通 高雄州米穀納組の親心 |
05 | 豐原街防衛團查閱 |
06 | 產協彰化市部會 |
07 | 金屬回收座談會 |
08 | 夏季蔬菜の試作 |
09 | 獸魂祭擧行 |
10 | バナナ園の改廢 高雄青果組臨時總會で協議 |
11 | 遺家族に和裁教授 花蓮港軍援 |
12 | 興亞の原動力 嘉義市の優良兒選獎 |
13 | 彰化商業□廓新校舍へ移轉 |
14 | 大甲郡華僑總會 |
15 | 圖像:燒つく炎熱下に活躍を續ける我が高射砲隊の勇士 |
16 | 大甲郡青少年相撲大會 |
17 | 國講講師入所式 |
18 | 結成一周年奉告祈願祭 |
19 | 鳳山街米穀共精總會 |
20 | お山に初のトーキー 蕃地勤務者を慰問 |
21 | 鹽糖大和、壽二工場產糖四十八萬擔 |
22 | 日糖臺中新竹工場製糖壓搾終了 |
23 | 屏東の野球大會 |
24 | 人樣の送金を着服 |
25 | 開く婦德鍊成の殿堂 北斗家政女開校式 |
26 | 專賣局臺南支局 |
27 | 灣糖三崁店工場壓搾終了 |
28 | 解散に決定 臺南州米穀信購販利組合 |
29 | 提琴家翁榮茂氏 |
30 | 太公望溺死 |
31 | 地方便り |
32 | 今日の映畫 |
33 | 興南案內報社消息 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日銀機構改正 考查局、發券局を新設 |
02 | 船舶運營會支部 一日より新に發足 |
03 | 昭和18、9年期 蔗作獎勵規程 編成打合會を開催 |
04 | 消費米配給事務 打合會を開催 |
05 | 午後も引續き打合せ |
06 | 米穀供出方策と增產問題の一考察(完)/大木生 |
07 | 仕向先のバナナ 各地とも好人氣 |
08 | 新竹商議所の官選議員內定 |
09 | 貨物ダイヤ調整 根本方針既に決定 |
10 | 肥料荷役賃の値上協議會開催 |
11 | 松野特產課長南下 |
12 | 加藤物產出張所長に王江漢氏任命 |
13 | 自轉車配給組合第二回定時總會 |
14 | 特配制度擴張 縫糸外六點追加 |
15 | 照明燈 |
16 | 臺灣拓殖も鐵工協會に參加せん |
17 | 臺灣纖維製品工業組合總會を開催 |
18 | 明糖蕭壠工場壓搾終了 |
19 | 商況(一日後場) |
20 | ラジオ |
21 | 水滸傳(667)/黃得時;碇政彌 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | アワング(コタバト南方)を占領 ミンダナオ島の最高峰 ビリワ山麓の要地 |
02 | 陸鷲地上部隊に協力 |
03 | コレヒドール猛爆 砲兵隊も猛砲火沿す |
04 | 米の空軍再建空し ミ島唯一の殘存基地遂に潰滅 |
05 | 圖像:大東亞の空を制壓する我陸鷲 |
06 | 全く責任が果せた 相當の番狂はせもあつたね |
07 | 新人奮戰の跡 第一日開票の結果 |
08 | 敵浮流水雷發見拾得獎勵 豫備金支出決定 |
09 | タイ國使節團一行の動靜 |
10 | 古賀峰一海軍中將 大將に親任せらる |
11 | 鮎川滿業總裁勇退を決意 |
12 | 獨、伊兩巨頭が會談 確固たる決意を新に |
13 | 獨、伊は緊密且つ強固 獨外務省筋、會談の意義を強調 |
14 | 又モレスビー爆擊 |
15 | 敵地下組織覆滅戰 河北省東部の共軍等に大鐵槌 |
16 | 友好裡に會談 |
17 | 決定的勝利確保へ 今後の行動、意見一致 |
18 | 當選決定 |
19 | 新人、推薦の大躍進 けふは五十區、百九十一名決定 |
20 | 醜惡な武器爭奪 重慶戰區內各軍隊內で |
21 | 翼協本部に喊聲 |
22 | 全國當選者狀況 |
23 | 南加州に空襲警報 |
24 | 開票進む |
25 | 選擧違反者 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 鄉軍の使命達成へ 臺灣聯合支部審議會開かる |
02 | 選拔きの若人三百 本年度初つの勤報青年隊入隊式 |
03 | 小國民に機雷放送 今夜福岡參謀が |
04 | 圖像:花蓮港陸軍兵事部開廳式 |
05 | 爪哇島縱貫鐵道全線開通 |
06 | 土居組長表彰さる |
07 | 島都健民運動第二日 聖域で淨汗奉仕 南署管內壯丁團員が |
08 | 警務局長が視察 市内の行事實施狀況を |
09 | 健民運動と體育(二)/丸山芳登 |
10 | 臺北州の青年歌發表會 六日公會堂で |
11 | 婦人接客業者の結核檢診を實施 |
12 | 九軍神に弔慰金 |
13 | 來れ健脚部隊 御遺跡地𢌞り繼走大會 三十一日基隆で開催 |
14 | 續く赤誠献金譜五月一日受付 |
15 | 貯蓄に“率先垂範” 新竹州職員で感謝貯蓄を勵行 |
16 | お母さんの名譽 島都優良兒一二五名決定 |
17 | 各女學校生徒 大崎頭山に登る |
18 | 臺北市防空訓練 四科目を中心に 七、八兩日實施 |
19 | 立派な體格だ 齋藤長官志願兵檢查場へ |
20 | 小使募集 |
21 | 今夜の番組 |
22 | 煙幕 |
23 | 商況(二日前場) |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | マンダレーを攻略 英、蔣聯合軍を隨所に擊滅 軍事據點完全に崩壞頭條新聞 【東京發同盟至急報】(大本營發表二日午後四時十五分) ビルマ方面帝國陸軍部隊は三月下旬以降英、重慶聯合軍を隨所に撃滅しつつありしが五月一日ビルマの要衝マンダレーを攻略その軍事據點を完全に崩壞せしめたり 【ビルマ○○前線發同盟】マンダレーへ、マンダレーへと炎熱下八百キロの道路を急襲した我が精銳は隨所に陣地を構築抵抗を試みる敵陣を蹂躪五月一日午後六時廿五分遂にマンダレー市街に流れ込みビルマの要衝マンダレー城頭高く日章旗を飜へした |
02 | 印度より昆明への生命線遮斷さる |
03 | 重慶文字通り孤立 マンダレー攻略谷荻大佐語る |
04 | 總選擧當選確定者 |
05 | 議同首腦部會議 |
06 | コ島殘存陣地を猛擊 |
07 | アキアツプ{緬甸}を爆擊 |
08 | 敢然「體當り」を決行 敵ゲリラ輪型陣を破碎 |
09 | 獨、對ソ戰に全力 |
10 | 西安を連續爆擊 |
11 | 散華海鷲四勇士 |
12 | 獨の通商破壞戰 英米に致命的打擊 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 健民運動の目標と意義社說 一 去る一日から來る大詔奉戴日の八日まで全國的に「健民運動」が展開されてゐるが、この運動の目標は單なる疾病の治療、或は身體缺陷の除去に止まらず、進んで興亞の盟主日本の使命を完遂せんが為に、帝國人口の急激にして永續的なる進展增殖とその資質の飛躍的向上とを企圖するにあることは今更贅言を要しない。大東亞の指導者として新しい世界を築いて行く為には健全優秀なる國民をどしどし作り出し、皇國民の永遠の潑刺さ、若さ、健やかさを保ち續けさせなければならぬ。殊に南方建設に、工業化の促進に尨大な人的資源を期待されてゐる本島に於て、全國的健民運動に呼應して、一大島民運動が展開されてゐることは誠に意義深いものを感ずるのである。運動の實施要項は出生增加と結婚の奬勵、母子保健の徹底、體力の鍊成、國民生活の科學化、結核、性病及びマラリヤの豫防撲滅等に重點を置き、地方の實狀に卽して、右の中適切なる事項を選擇して實踐强調することになつてゐるが、本運動の根本目標に達する為には為政當局に於いても保健施策として、本島醫療團の設立と醫療保護法の實施を要望して置いたが、その他國民健康保險法の施行も必要缺くべからざる一施策であることを强調したいものである。 二 併しながら如何に完備せる保健施設、數多くの厚生施策を施しても、島民の徹底的理解と實踐的協力を得なければ滿足な效果を期待することは出來ない。就中體力の鍊成、國民生活の科學化は島民の自覺的實踐に依らなければ殆んど所期の效果を收め得ない。國民發展の重要な基礎をなしてゐる體力の鍊成について島民は從來餘り閑却してるたのではないか。又日常の生活に於ても保守的で、非科學的要素が存し、疾病治療の如きは古より種種の風習と迷信が殘存してゐる。勿論教育の普及と向上に從ひ漸次改めつつあるが、因習の久しきに依り、容易に拔け得ないものがあつて、今でも醫療機關の普及しない農山村、或は古老婦女子間には、人間の病氣に罹るは鬼神の祟りであると信じ、童乩、道士に依賴して祈禱し、或は賣卜者、神佛に治療を受くべき醫師の方角を問ひ、又は神佛の藥を用ひる者がある。殊に乳幼兒の罹病したるときは全然醫療知識のない先生媽を請じて治療したり、或はバイキンの媒介者とも云はれる油虫の糞を飮ましたりするは甚だ危險であると云はなければならぬ。本島に於ける總死亡中、五歲未滿の所謂幼乳兒死亡率が五割を突破してゐることは保健施設の充分行屆かないことも原因してゐるであらうが、本島人女性の衞生思想の缺如と育兒知識の缺乏も一半の責任を負はなければならぬ。 三 だから島民生活の科學化は先づ疾病の治療に關する迷信的要素の排除から着手しなければならぬ。これが改善及び打破に就ては何よりも醫療機關の普及を圖り、島民の衞生思想の啓發に努め、迷信媒介者の取締を嚴重にしなければならぬ。而して凡ゆる機會を捉へて保健知識の向上を圖り、正しい治療へ導くと同時に、進んで體力の鍛鍊へまで誘導すべきである。又一般有識者に於ても努めて頹廢的遊興、暴飮暴食を節制し、適當な運動を勵行して、常に健かな潑刺たる自己の體力を保持するのみならず、進んで健康優秀な次代國民を多數作り出さなければならぬ。それが為には日常生活の衣食住についても氣候環境に應ずる合理的な衣服の研究、滋養價に富む榮養食の考案、或は通風採光の快適なる住宅の改善に意を用ひ、一切の生活を出來るだけ科學化して指導國民としての優秀な生活文化を建設し、卓越せる體力をも築き上げて、健民運動の目標たる人的資源の量的、質的增强に資しなければならぬ。而もこの運動は一週間や十日で效果を收むべき運動では決してなく、一年を通じて十年を通じて更に永く將來に直つて根强く續けられなければならぬものである。 |
02 | 紅蓮夜空を焦す 喪家と狗と群鳥の世界 死の街マンダレー |
03 | 御內帑金御下賜 日滿傷病將兵に對し 滿洲國皇帝陛下 |
04 | 重慶覆滅に拍車 マンダレー陷落に際して 情報委員部次長談 |
05 | 人口約十四萬 ビルマ第二の都會 |
06 | 御下賜の溫室 草木すくすくと生長 |
07 | 滇緬公路の要衝 緬甸英軍に最後の止めを刺す |
08 | 乳幼兒健康診查 島都七會場で實施 |
09 | 水雷の話 福岡參謀昨夜放送 |
10 | 濠洲內部の對立深刻化 |
11 | 汗の奉仕の結晶 喜樹、下鯤鯓道路完成 |
12 | 宜蘭市義教事務打合會 |
13 | 宜蘭青年學校入學式 |
14 | 宜蘭市長新任披露 |
15 | 慰問が自らの天職 軍國婆さん・茶穀を献納 |
16 | 臺灣蠟脂工業組合創立總會 |
17 | 橫綱男女川關の引退相撲 |
18 | ときの声 |
19 | 五峰旗へ強步會 |
20 | 早大對法大一回戰 |
21 | 能高郡商工業組合支會總會 |
22 | 訃文:陳斐然 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 鍛へに鍛へて 兵志願者豫備鍊成終る |
02 | 國民道場大祓式 |
03 | 屏東市商業奉公團結成式 |
04 | 鳳林桔梗俱樂部 九日結成式を擧行 |
05 | 觀音庄の總會 |
06 | 各地の健民運動 令旨奉讀式 彰化署の週間第一日 |
07 | 臺中軍援會評議員會 |
08 | 臺南市常會 |
09 | 皇民塾開講 |
10 | 父ちやんは元氣で戰つてゐる |
11 | 譽の國語家庭 苗栗郡下に四五名認定 |
12 | 選手の豫選會 東勢郡昨月末に擧行 |
13 | 35萬頭の肉豚大增產 九月末頃に競技會 高雄州畜產會 |
14 | 纖維製品特配主旨を周知 |
15 | 鑛業戰士表彰 鶯歌鑛業奉公會 |
16 | 青少年角力會 端午の節句に |
17 | 部落振興座談會 |
18 | 竹東專賣品小賣人組合總會 |
19 | 援護の完璧期して 臺南市銃援會誕生 |
20 | 團服姿も凛凛しく 高雄健兒・猛訓練を開始 |
21 | 圖像:陸の荒鷲敵飛行基地を爆碎全機無事歸還の“キイ”を機上で叩く無電兵 |
22 | 堀之內經濟警察課長巡視 |
23 | 纖維品專用の購買帳發行 |
24 | 鳥海市長新任披露 |
25 | 臺南醬油統制會社總會 |
26 | 嘉義市では東門國民校で訓練 |
27 | 身體檢查實施 |
28 | 家禽養飼を助長 飼料斡旋、優良種配付 |
29 | 東港街の放火騷ぎ |
30 | 八塊信組總會 |
31 | 音樂の夕 |
32 | 昭南庭球團 |
33 | 優勝披露 |
34 | 社告/興南新聞社報社消息 |
35 | 鶯歌街協議會員陳義方氏 |
36 | 人事報社消息 |
37 | 地方便り報社消息 |
38 | 今日の映畫 |
39 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 內外地の指定產業 綜合的體制に整備 |
02 | 雜纖維配給統制 近く府令で規則公布 |
03 | 婦人子供帽子仕上加工講習會を開催 |
04 | 日滿支に於ける 食糧の自給對策 |
05 | 海運國管施行規則 目下當局で成案を急ぐ |
06 | 本期赤糖產額 卅一萬擔內外か |
07 | 消費米配給の打合會續開 |
08 | 臺中第一工場製糖終了 |
09 | 局營バス南廻線 近く道路補修に着手 |
10 | 麥邦林業第二回拂込決定 |
11 | 炭價改訂と內地石炭界 |
12 | 甘藷增收法公開 平間技師北斗で講演 |
13 | 素粉小麥等の配給打合會 |
14 | 車路墘工場產糖五十八萬九千擔 |
15 | 照明燈 |
16 | 商況(二日後場) |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(668)/黃得時;碇政彌 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ピキツト完全占領 コタバト平地を制壓頭條新聞 【ミンダナオ島○○前線二日同盟】コタバト占領後陸軍部隊はミンダナオ河を遡江進擊三十日正午にはヅラワンを一日午前十時にはペイヅプランギを相次いで陷入れ○○より陸路進擊に移り敵の抵抗を排除しつつ同日午後五時半要衝ピキツトを完全に占領、更に戰果を擴大中である、かくてミンダナオ島の重要農產地たるコタバト平地はコツトバト占領以來僅か三日にして早くも皇軍の制壓下に歸した |
02 | 邦人四七四名救出さる |
03 | 要衝ガナシを占領 |
04 | ホーン島第二次空襲 ソロモン島ツラギをも爆擊 |
05 | 蔣共軍五萬を總攻擊 舊黃河河畔で着着戰果を擴大 |
06 | 推薦全勝五十五區 新人躍進の跡を見る |
07 | 寧安鎮を攻略 |
08 | 英爆擊隊退散 アテネ空襲を試む |
09 | 翼贊會の改組と機能調查 |
10 | 圖像:翼贊總選舉投票日 |
11 | 重慶對外ルート完封 マンダレー陷落の重大意義 |
12 | 新政治體制樹立へ 推薦の多數當選が最大收穫 湯澤內相は語る |
13 | 新政治力の結集 推薦議員を中心に動き活潑化 翼協、あす最後の總會で解散 |
14 | 全國平均棄權率 一割六分八厘 普選以來の最低率 |
15 | 石油供給地より 重慶連絡斷たる |
16 | 首相、内相と重要協議 翰長を交へて |
17 | 小川、星島、犬養の三氏當選確實 岡山縣の第二區 |
18 | 派遣辯士の勞を犒ふ 阿部會長挨拶 |
19 | 逃げる氣持で一ぱい ビルマ戰線捕虜の徐少尉語る |
20 | 獨軍の春季攻勢 愈よ目睫に迫る |
21 | 蔣介石狼狽 |
22 | ソ聯、芬蘭に和平提案 |
23 | 日本代表二名 三谷大使と要談 |
24 | モロトフ外相近く訪英せん |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺灣の工業化問題 中央は朝野を擧げて贊同 長谷川總督歸任談 |
02 | 壽ぐ天長の佳節 パンドンに擧る萬歲 |
03 | 圖像:開票を待つ翼協本部 |
04 | 硝煙の匂載せて 緬甸から嬉しい便り |
05 | 遙拜式を齋行 皇大神宮假殿遷宮祭 |
06 | 新世紀が到來 パン君一家族歡喜 |
07 | 戰時獨逸の防空(上) 三部面に分けて設備 |
08 | 常會研究會を開催 |
09 | 建功神社奉納水上大會 きのふ東門プールで |
10 | 宜蘭市の體力鍊成日 |
11 | 圖像:健民運動の宣傳ポスター |
12 | ホツケー大會 |
13 | 全臺灣體操大會 十日新公園で開催 |
14 | “働く喜び”を發見 張切る女子推進員 |
15 | 臺灣化成工業宜蘭工場竣工 |
16 | 臺灣神職會通常總會 |
17 | 鳳山奉公會常會を開催 |
18 | 新竹市商議 候補者定員に達す |
19 | 新竹一新會總會 |
20 | 大眾向ハイキング |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 圖像:バタアン戰線 |
02 | 奉公に鐵石の決意 花蓮港廳報國推進隊本部 結成一周年奉告祈願祭 |
03 | 一死報國に邁進 安東本部長語る |
04 | 記念強行軍 |
05 | 御上陸記念祭典 六日行事を打合 |
06 | 企業許可令質疑應答(三) |
07 | 柿原新高郡守初巡視 |
08 | 幸校保護者會 |
09 | 高雄一の赤ちやん 優良兒五名決定 |
10 | 乳幼兒健康診察週間 新化街で實施 |
11 | 鍊成、推進に重點 皇奉臺中支部五月の行事 |
12 | 大口献金殖ゆ 嘉義四月中は千圓突破 |
13 | 臺南家政女後援會總會 |
14 | 先般結成された臺南州三角藺加 |
15 | 英語の借物 |
16 | 圖像:大鯉を生捕り |
17 | 地方便り |
18 | 苗栗實踐農業學校祝賀式 |
19 | 賃金規正資料 關係者を集めて 臺中で打合會開催 |
20 | 石萬春氏夫人死去 |
21 | 史王氏菊刀自逝去 |
22 | 今日の映畫 |
23 | 訃文:石□氏菊 |
24 | 訃文:史王氏菊 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 学芸 全と個の美しさ 今春の臺陽展を觀て/陳春德 |
02 | 南方の大植物園 紙上で參觀しませう 子供時局 |
03 | 南十字星 使ひ分けが問題 大東亞の人間開發 |
04 | 文藝時評 時代の感覺/嘉口練詩郎 |
05 | 南方のバナナ 一房に千個も實る |
06 | 圖像:田園畫譜(十) 兒孫滿眼/藍蔭鼎 |
07 | 科學 カンガルー オーストラリヤの奇獸 |
08 | ラジオ |
09 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | カガヤンに敵前上陸 ミンダナオ島の北岸 |
02 | ミンダナオ島の敵を猛爆 |
03 | ピキツト南方に進出 |
04 | ぱつと上る信號燈 「成功だ」と船中に歡聲 |
05 | ダンサラン、ムムンガン 敵の放火で炎炎と燃え上る |
06 | 泰國使節團長 御暇乞ひの記帳 |
07 | 民事實務官會同 |
08 | 濠洲でも食糧割當制實施 |
09 | ルソン島の殘敵掃蕩 |
10 | ルソツド山中腹の敵を銃爆擊 |
11 | ル大統領近く訪英か |
12 | マニラ市内の燈火管制解除 |
13 | 日本國民獨自の信念示威 獨紙の我總選擧結果評 |
14 | 圖像:大久保國民學校投票所にて一般有權者と並んで投票順番を待つ阿部翼協會長 |
15 | チモールの復興振り 監禁二個月の黑木領事語る |
16 | 倫敦、非常に悲觀 米の論調も陰鬱な空氣 マンダレー陷落 |
17 | 日泰間の國際支拂 圓貨で決濟に決定 二日正式に調印を了す |
18 | 總力を擧げて 對ソ攻勢を行ふ 獨伊巨頭會談の中心 |
19 | 當選者新、前、元一覽表 |
20 | 上山臺銀副頭取辭令發令 |
21 | 供託金の沒收者 空前のレコードを作る |
22 | 英、西中亞防備に狂奔 獨伊攻勢の脅威に怖え |
23 | 戰時決議案採擇 全印國民會議派運用委員會 |
24 | 比島の共產軍 續續歸順 |
25 | 松岡代議士收容さる |
26 | 丁抹前首相死亡 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 本島留學生を激勵 慈父そのものの長谷川さん 帝都で和かな一時 |
02 | 官吏の協力を要請 奉公運動の新しい推進に關し 長官が總督に報告 |
03 | 知事賞を傳達 特設勞務奉公團員に |
04 | 圖像:長谷川總督、留學生を激勵 |
05 | 全島兵務部長會議 |
06 | 硝煙戎衣に匂ふ 武勳の勇士晴の歸還 |
07 | 臺北州商業奉公團 草山で研究會開催 |
08 | 新竹州志願兵檢查 |
09 | 體力章檢定會 けふ川端公園で開く |
10 | 無敵海軍への献金 四月中八萬五千餘圓 |
11 | 勞務奉公隊新竹州隊解隊式 |
12 | 港都の婦人鍊成 六月一日から開始 |
13 | 圖像:あす端午の節句 |
14 | 張切る“白衣天使” 現地で一路御國に御奉公 引率者田中氏談 |
15 | 皇軍へ感激献金 軍司令部取扱 |
16 | 青年團長距離競走大會 |
17 | 漢藥草三百餘種 塚本教授海南島で採取 |
18 | 汗の奉仕作業 南署管內壯丁團員 |
19 | 模範兒童を表彰 あす基隆公會堂で |
20 | 臺大の南方活用 中央でも頻りに認めてゐる 曾田府技師歸任談 |
21 | 結婚に關する講演會 |
22 | 人事 |
23 | 煙幕 |
24 | 商況(四日前場) |
25 | 興南詩苑漢詩 赴大陸留別親友/歐劍窓、星社春讌/歐劍窓、祝家瑞記創業廿載令慈六旬/林石厓 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 汪主席、滿洲國訪問 三國樞軸の大義を明徵に 滿華の親善強化へ頭條新聞 【大連四日發同盟】日滿華三國共同宣言に基く三國樞軸の大義を明徵にし滿華兩國の國交親善を一段と強化すべく國民政府主席行政院長汪精衛氏は四日午後零時三十分空路大連周水子飛行場着來滿一步を印した、この日周水子飛行場には柳井關東州廳長官、田尻旅順要塞司令官、別宮大連市長、大村滿鐵總栽を始め滿洲國側接伴文官、軍關係在鄉將官、鄉軍、國婦など凡そ三百名が威儀を正して迎へ、ビシヨツプ獨、ルラスデー伊など盟邦領事も出迎へた、午後零時三十分汪主席一行の搭乘する飛行機が着陸すると柳井關東州廳長を始め出迎への人人は瀟洒なモーニング姿の汪主席以下隨員同行者一行に歡迎の挨拶を述べた、汪主席は柳井關東州廳長官の紹介で歡迎の人人と會釋を交した後關東州廳差廻しの自動車で沿道に堵列して歡迎する市民赤誠の中を一路宿舍に入つた【寫真は汪主席】 |
02 | 日、滿、華不動の締盟 滿、華善隣友好關係發展の過程 |
03 | 大東亞建設基礎要件と經濟建設基本策決定 きのふ審議會第二回總會開催 |
04 | 隨員氏名 |
05 | 滿洲國政府發表 |
06 | 三谷駐佛大使 ラ首相と會見 |
07 | 臨時議會召集決定 會期廿五日より二日間 |
08 | 政府、議會の一體化 臨時議會の成果期待 |
09 | モレスビー猛襲{九日間十三回} 濠洲側連日戰戰兢兢 |
10 | 海軍關係論功行賞 死歿者第廿五回、生存者第十一回 |
11 | 議事順序 |
12 | 二日間の會期 廿七、廿八の兩日と決定 |
13 | 船舶の建造促進 法律案と豫算案提出 |
14 | 殘敵三萬連絡遮斷 ミンダナオ島戡定近し |
15 | 專門委員任命 追加發表さる |
16 | 人物本位 正副議長の選擧 |
17 | 選擧狀況を報告 湯澤内相が閣議で |
18 | 援軍增派不可能 聯合國側が緬甸戰線に |
19 | 英蔣軍卑劣にも毒瓦斯を使用 |
20 | 米の各新聞紙一齊に減版 |
21 | 繰上閣議 |
22 | 鈴木正吾氏東方會に入る |
23 | 同盟通信社員香川中尉戰傷 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 皇民奉公運動と指導者層社說 一 皇民奉公運動の力强き推進展開の要諦として、さきに官吏層の奉公理念の透徹と率先垂範的挺身實踐を要望したが、このことは民間有識者層に對してもそのまま云ひ得ることと云はねばならない。民間有識者層は本來、一般大眾層に比し、知情意に於て優越してゐるがゆえに、社會進步の有力なる推進力として、殆んど官吏に劣らず大なる指導的役割と使命を有する。この意味に於て、民間有識指導者層は官吏とひとしく社會大眾の師表として、常に自ら先頭に立つて挺身實踐を行ふべき責務を荷ふものである。一般的に單純素朴な大眾社會に於ては、有識指導者の一擧手一投足が常に注目の的となり、良きにつけ惡しきにつけて多大の影響力を持つてゐることは我らのよく諒解してゐる通りである。之によつて本運動の過去一年を省みるとき、青年層の燃ゆる熱意に比して未だしの感を深うするものであるが、それだけに運動第二年に於てこそ、指導者層の逞ましき率先垂範的挺身實踐を望んでやまないものがある。 二 然しながら茲に民間指導者層の問題を取り上げるに際り、必然的に內臺人の關係に一言觸れざるを得ないであらう。といふ意味は然し、從來の如き內臺人と云ふものの社會的關係を問題にせんがためではない。それは臺灣一家といふ美はしい態勢を確立せんとし又これを通じて臺灣統治の力强い翼賛、延いては大東亞共榮圈建設の聖業完遂に負荷されたる皇國臣民たる重大任務を全うせんとする處の、奉公運動の實踐推進過程に於ける內臺人關係の問題に他ならないのである。元元此の問題は奉公運動の根本理念に鑑み、既に實踐上の一大眼目として、右に述べたる臺灣一家內臺一體の同志的强力態勢の確立といふ目標に依つて上程せられてゐる。從つて本問題は寧ろ從來の如き自然的、社會的な內臺觀念を止揚した、真に皇國民的感情に結ばれたる渾然一體の家族的靱帶を結ばんとすることに於てのみ問題たり得ることは云ふまでもないことである 三 然らばそれは如何なる問題の要請であるか。現實の問題として島民生活に對する各自の省察を促す外、敢へて屢說を要しまいと思ふが、畢竟するに、主要なことはお互が過去にこだはらず、行掛りに捉はれず、一切の偏見とひねくれと優越感を精算して、凡て新たな氣持と東亞の盟主たる大國民的襟度を以て均しく皇國民たる自覺と同志的熱情に結ばれる奉公理念を確立し之を推進し普遍化すべき處に問題の要請があると云へよう。從つて此の理念をしても確かと把握し得れば、現實に存する內臺問題は問題でなくなり、總べて崇高な國家的目標の下に翕然合一し、例へば同じ屋根の下に住む一家族の如く、共に苦樂を味ひ運命を共にする國民的同志結合體と家族的親和力に基く强韌な團結を現出するに至るは火を賭るよりも明らかである而して此の親和力により此の堅き團結によつて彼我相共に携手力行、言ひ換へれば同一の崇高なる皇國民感情に依つて昇華したる同志的結合を以て推進すれば、目標は唯一つである、本運動の展開は恐らく天馬空を往くが如くにならうことを信じて疑はない |
02 | 皇民意識に徹せよ 東部の初度巡視を終へ安藤軍司令官談 |
03 | 明朗に蘇へるアンダマン島 ブレア市活動の街に |
04 | 輝く戰果を畫面に 海軍で彩管部隊派遣 |
05 | 圖像:改正される海軍の臂章 |
06 | 溢る新時代の息吹 比島の天國バギオ市 |
07 | 嘉義市震災復興狀況を視察 |
08 | 續く戰果に感謝 軍司令部に献金群殺到 |
09 | 勳章傳達式 宜蘭市羅東郡で |
10 | 戰時獨逸の防空(下) 三部面に分けて設備 |
11 | 赤誠の献金申出 李軍屬再起奉公を念願 |
12 | 暴虐飽くなき蔣軍 マンダレー重要美術品燒拂はる |
13 | 臺灣一の果報者 貯蓄債券で六千圓當籤 |
14 | 圖像:島都體力章檢定會 |
15 | 美談佳話の主 新竹市で督府に推薦 |
16 | 報道戰士等三名壯烈な戰死 |
17 | 繰展ぐ武德繪卷 昨日から東京武德殿で |
18 | 鍜へる若人の敢鬪精神 全國に“戰場走路”設置を計畫 |
19 | 苧麻生產を確保 蘭陽地方で懇談會開催 |
20 | 羅東郡の空訓 十三日に實施 |
21 | 大日本婦人會會員の標準服 研究着着進む |
22 | ときの声 |
23 | 驛辨の窓口販賣を實施 |
24 | 羅東郡支會常會研究會 |
25 | 青年歌發表會 |
26 | 春季清潔日割 |
27 | 左側通行等嚴守を要望 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 各地の健民運動 み國の寶・家の光 けふは愛兒の日 |
02 | 象る日輪に光あれ 州民鍊成の地臺南州國民道場 けふ大祓式執行 |
03 | 空の守りは我等 臺中防衛團查閱實施 |
04 | 圖像:警官隊に銃釼術指導 |
05 | 勳章傳達式擧行 |
06 | 遷宮遙拜式 森田知事以下參列 |
07 | 員林市制期成同盟會評議會 |
08 | 第三種空訓 花蓮港市八、九兩日實施 |
09 | 訓練を活かす 壯丁防衛團に伍して活躍 嘉義モンペ部隊大好評 |
10 | 皇大神宮遙拜式 |
11 | 防衛團員非常召集演習 |
12 | 燃ゆる敢鬪の意氣 嘉義の柔劍道大會 |
13 | 各地組合總會 |
14 | 埔里青少年相撲大會 |
15 | 大溪街常會 實行事項申合せ |
16 | 惜氣なくチヨン切る 北斗青年團剃髮垂範 |
17 | 我らの勇士へ 州廳內に慰問品山積 |
18 | 貯蓄組合理事會 |
19 | 小坪頂分教場獨立 |
20 | 新戰器もものかは 戰利品展に偲ぶ皇軍の敢鬪 |
21 | 接客業者等に主旨徹底 |
22 | 高雄豚肉購買法更改 各奉公班で一括して |
23 | 一千圓献金 |
24 | 大溪の健民運動第三日 |
25 | 北京語高等講習會 |
26 | 煙草收納に奉仕 千歲村に咲く銃後の相扶美談 |
27 | 肅清選擧打合 屏東の商議戰 |
28 | 國語郡建設へ 大溪郡乘出す |
29 | 地方便り報社消息 |
30 | 二女性誘拐 |
31 | 今日の映畫 |
32 | 第十七回決算公告/蓬萊叺株式會社 |
33 | 興南案內報社消息 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 臺中州農地作付 統制細則を公布 |
02 | 内地の金融事情 平靜な步調で進む |
03 | 島產純綿洋傘 各州廳別割當定る |
04 | 臺灣商工議所主催珠算檢定試驗終了 |
05 | 肥料荷役賃の値上未決定 |
06 | 金融關係諸法令 近く公布に決定 林金融課事務官談 |
07 | 大連汽船支店長交迭 |
08 | 桶柑三割增收 來月上旬まで出廻る |
09 | 船舶運營會支部長 山下正樹氏に決定 |
10 | 米管の剩餘金 一部農業開發へ還元 |
11 | 鹽糖溪州工場製糖終了 |
12 | 島內簡保の推移狀況 |
13 | 灣糖の本期產糖高 四百三十萬七千担 前期に比し步留〇%五三向上 |
14 | 灣糖の三崁店工場產糖高五十二萬擔 |
15 | 日糖龍岩工場本期壓搾終了 |
16 | 明糖の蕭壠工場產糖高四十七萬擔 |
17 | 商銀大溪支店いよいよ設置 |
18 | 照明燈 |
19 | 商況(二日後場) |
20 | ラジオ |
21 | 水滸傳(669)/黃得時;碇政彌 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 全メンタウエイ諸島 皇軍の占領下に入る 島民の狂熱的な歡迎裡に |
02 | アチヤブ(緬甸)を猛爆 港灣施設、船舶に巨彈 |
03 | 八紘為宇の大義顯現 大東亞建設の基本理念 |
04 | 圖像:大東亞海を壓す我が帝國艦隊 |
05 | 金子伯の光榮 御紋附文台硯箱を拜受 |
06 | 市町村會議員選舉對策 基本方針要綱決定 翼贊會、一大國民運動を展開 |
07 | ル大統領訪英說 |
08 | 教育審議會委員恩賞を拜す |
09 | 議同發展的に解消 新議會中心に強力政治力結集へ |
10 | 各派別內譯と新、前、元別 |
11 | 貴院の對議會策 |
12 | 日本國民鐵石の結合 伊紙の我が總選擧評 |
13 | 歐洲の各戰線緊張 獨伊會談を契機に |
14 | 兵器工業會に期待 總會席上、陸相が挨拶 |
15 | 翼協けふ解散 會員總會開いて |
16 | 岡山縣第二區 當選決定 |
17 | 消極的の抵抗方針 印度國民會議派確認 |
18 | 地方部長級異動 |
19 | ビルマの英軍 死物狂ひの敗走 |
20 | 外國宣教師救出マンダレーから |
21 | 翼協第二回の支部長會議 |
22 | 翼贊壯年團 各道府縣幹□打合會を開催 |
23 | 輸送委員會 中央、地方に設置 |
24 | 原住民官吏の任命宣誓式 東部ジヤバ省 |
25 | 帝國油糧統制株式會社設立 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 各要衝次次に屠る マンダレー攻略經過 |
02 | 圖像:蘭印田植前の耕作 |
03 | 金鈴搖ぐ黃金塔(一) 寺院群るマンダレー ビルマ點描 |
04 | アキヤブは火の街 廿九。卅の兩日我海鷲が夜間襲擊 |
05 | 婦人鍊成會の第四回發會式 けふ明石教會で |
06 | 各支部長と懇談 山本事務總長が訪問して |
07 | 近く各國民校別で表彰 港都の篤志兒童 |
08 | “母子”保護指導へ 各市郡で指導員講習會 |
09 | 九軍神に弔慰金 |
10 | この通り育てた興亞の寶 綻ぶ母親達の笑顏 譽れの優良兒選獎式 |
11 | 大場少將講演 六日夜公會堂で |
12 | 哲學會講演會 |
13 | 漁業組合が壹萬圓献金 |
14 | 大東亞戰爭展觀客感激の献金 |
15 | 戰果に捧げる感謝 四日受付の献金品 |
16 | 新竹市表彰式 |
17 | 基隆の選獎式 |
18 | 新番附發表さる 夏場所大相撲十五日から |
19 | 學童相撲大會中止 |
20 | 指導訓練取止め |
21 | 外地行希望者募集 |
22 | 興南詩苑漢詩 晴園觀梅賦呈主人純青社兄郢政/李碩卿、晴園雅集感賦/李學樵、晴園觀梅次贈主人翁原韻/簡荷生、睛園觀梅賦呈純青先生/月花痕、晴園客滿喜賦/晴園主人 |
23 | 今夜の番組 |
24 | 商況(五日前場) |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 峻險ダンサラン占領 ミンダナオ島を制壓頭條新聞 【○○基地三日發同盟】現地軍某幕僚は三日ビルマ攻略戰の經過並に特異性について次の如く語つた 今次ビルマ作戰はラングーン攻略戰とその後北部ビルマにおける英蔣聯合軍殲滅戰との二段階に分れるが作戰の全局を通じて他の戰線に類例のない極めて手のこんだ特異の作戰が展開されしかもわが思ふ壺にぴたりとはまり込んで全く豫期以上の輝しき大戰果を收めることが出來た、第一期ラングーン攻略戰は人跡未到に近いビルマ國境の大山地を突破しモールメインに出で首都ラングーンを攻略したのであるがこの作戰の困難性は敵ではなく實に峻嶮な地形の克服にあつた、道なき山岳地帶に步一步道路を開拓しつつ進撃した將兵の難苦は全く筆舌に盡くしがたきものであつたが敵は近代軍隊の到底行動不可能であるこの國境山岳地帶からわが軍が進攻しようなどとは夢にも考へず國境附近には殆ど重慶軍を配備してゐた、敵の虛を衝いてビルマ平地に躍進したわが軍はその餘勢をかつてモールメインを攻略し慌てて防衛配備についた英軍第十七師を粉碎し三月八日首都ラングーンに日章旗を打ち立てたのであつた、當時重慶軍はビルマルートを通じて續續南下しその主力をマンダレー附近に集結すると共に北部泰國境に三個師を配置しわが軍の側背を脅威せんとする態勢にあつたが、ラングーン攻略に當りわが軍は殊更にこの敵を無視するが如き態度を取り重慶軍に尻を向けて北方からラングーン攻擊を行つたこの戰法は重慶軍を誘ひ出す為に打つた作戰で果せるかな重慶軍はわが術策に乘り積極的にマンダレー南方に出撃し來たり第二期戰たる北方ビルマ作戰におけるわが輝く戰捷の動因をなしたのである、重慶軍は大陸戰爭の經驗でも解るように精銳なる皇軍との決戰を避け退避戰術の一點張りでもしビルマで同樣な退避戰術に出られては戰線が膠著する恐れがあつたので殊更に重慶軍に隙を見せて敵を誘ひ出すと同時にわが軍は強力新銳なる大編團を密かにラングーン地區に集結して北方進撃作戰に備へたのであつた敵はわが軍の兵力少く到底早急に北方作戰を開始する餘力なしと誤斷しわがラングーン攻略以後どんどん南下し來りうまうまとわが想ふ壺に嵌りこんだ三月中旬ビルマにおける敵兵力は約八萬前後で重慶軍を主力とする四萬五千をラングーン、マンダレー本道上に配備し殘餘の英印ビルマ聯合軍はイラワヂ河流域に布陣してゐた、この敵に對しわが軍は三月十日前後より逐次北進を開始し先づ同三十日トングー附近で重慶第二百師と遭遇、またイラワヂ河戰線では四月一日プローム附近で英印軍第十七師及び第十機械化旅團と遭遇、ともに殲滅的打擊を與へて潰走せしめたが之がいわゆる北方ビルマに對する緒戰である、その後敵はあくまでもわが兵力を寡少評價レラングーン、マンダレー本道上にどんどん主力を集中し來つたがわが軍は同方面の敵に緩徐な攻撃を加へ敵を牽制する一方穩密裡に重慶軍を一擧に捕捉剿滅せんとする驚天動地の作戰準備を着着押進めたのである、即ち日泰聯合軍をもつて北部ビルマ國境附近にある四十九、九十三兩師を中心とする杜聿明の第六軍に對し牽制作戰を行つてこれを國境地區に釘付とする一方、新銳機械化兵團を本道上後方に集結しマンダレー附近の敵第五軍と北部泰國國境附近の第六軍との中間突破を企圖し虎視耽耽として戰機を狙つてゐたがその先遣部隊が四月二十日敵第五、六軍の連絡地點であるロイコを占領するや突破兵團は決然進撃をおこし全軍一擧に○○目掛けて敵中を突破、二十九日天長の佳節正午要衝○○に突入した、この中央突破作戰は巧緻周到なる準備の下に行はれ全く敵の意表を衝いたものでわが中央突破兵團はまるで真空の中に吸込まれるが如く一日七十數粁といふ神速さをもつて○○の攻略に成功したのであつたこれによつて敵第五、第六軍は全く分斷せられ本國への唯一の遁走路たる滇緬ルートを遮斷せられ青天の霹靂にも似た狼狽振りで敵の全軍は忽ち鼎の沸くやうな大混亂に陷つた、この機を外さず本道上に敵を牽制しつつ北進攻擊中のわが部隊は一擧に敵を蹂躙して一日午後六時敵軍の本據マンダレーを衝いてこれを攻略したものである、今度のビルマ作戰を通じてわが軍の行動は敵の端聣を許さざる至妙振りを發揮したがかかる大成功を收めた作戰は日清、日露以來わが戰歷にも缺くタンネルベルグの殲滅戰を彷彿たらしめるものがある、わが鐵桶陣に捕捉せられた敵は支那の國內でならば或ひは便衣に着替へて脫走し住民から食糧を徵發して苦境を脫することも出來ようが外地において殊に民眾から極度の不滿をかつてゐるビルマにおいては彼等は食物なく北ビルマの高地を彷徨の擧句わが殲滅に歸するかまたは例へ包圍網を脫し得たとしても四千米を越へる雲南ビルマ國境の山嶽地帶を越へて本國に生還することは到底不可能であり重慶ビルマ遠征軍はここに全く殲滅的終焉を告げるのである、最後に本作戰期間中タイ國軍が同盟の信義を忠實に守り北部國境の瘴癘の地にあつて敵を牽制しわが軍に協力したことに對しては國民的感謝を捧げねばならぬ、またビルマ義勇軍が密接にわが軍と協力した功績も沒すべからざるものがあるビルマ義勇軍はわが軍のために諜報、後方攪亂に活躍し現在敗重慶軍に對し本據重慶軍のお株を奪ひ巧妙なるゲリラ戰を隨處に展開し報復戰を挑んでゐる尚占領地帶の治安情況は極めて良好で寶庫ビルマの再建は大いに期待されてゐる |
02 | 敵三十機を擊墜破 最近一週間モレスビー連爆 |
03 | 圖像:ビルマのエナンヂヤン油田地帶を占領萬歲を叫ぶ○○部隊 |
04 | ビルマ特異の作戰 敵我思ふ壺に嵌り込む |
05 | 無敵陸鷲の真價發揮 ビルマ作戰の綜合戰果 |
06 | 畏し銃後國民に 叡慮注がせ給ふ 各方面に侍從御差遣 |
07 | 米の聯合國援助支出 二百六十億弗 |
08 | 佛印對日事務局長任命 |
09 | 山モロ族のサルタン 衷心より皇軍に協力を誓ふ |
10 | 皇軍比島進駐の真意 リカルテ將軍諄諄と說く |
11 | 英巡洋艦擊沈 |
12 | コ島を猛砲爆擊續行 |
13 | 米義勇軍司令官 日本空軍を稱讚 |
14 | 滿華正常なる國交 林國府宣傳部長の入滿談 |
15 | 伊集院子當選 互選議員豫選に |
16 | 新政治體制を確立 翼協、議同相踵で發展的解消 |
17 | マンダレーは完全に明朗化 |
18 | 米政府管理令公布 |
19 | 英空軍の實力弱化 |
20 | 議同十日頃に正式解散 |
21 | 外交官交換の準備進捗 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 健民運動と人口增殖社說 一 從來行はれて來た健康增進運動や結核豫防運動や母性乳幼兒保護運動等を引つくるめて、去る一日から八日まで全國的に健民運動が展開せられ、民族精神の昂揚、出生增加と結婚の奬勵母子保健の徹底、體力の鍊成、國民生活の合理化、結核及び性病の豫防撲滅等の六項目に分けてこれが主旨徹底を强調してゐるが、一言にして云へば、優秀な國民を澤山生んで立派に育て上げ、民族永遠の若さと健かさを保つて行く運動に外ならぬのである。云ふまでもなく、我が國は、目下大東亞共榮圈の確立といふ振古未曾有の大業に向つて一大進軍を開始してゐるが、これが目的達成には、何よりも活力に溢れた優秀健全な「人」が澤山必要である。それは占領地帶を防衞し、守備する軍事上の要員をのみ云ふのではなく、戰爭遂行或は戰後の建設に必要な產業、政治、經濟、文化、教育その他凡ゆる建設面に於る要員をも指すのである。從つて人口の增殖とその質的向上は、大東亞戰爭の進展に伴つて、今後益益その重要性を加へられて來たのである。 二 然らば、現下の情勢から見て我が國の人口增加率は、果してこの要求を充分に滿し得るだらうか。遺憾ながら一脈の憂ひなきを得ないのである。今統計的に我が國の出生率を見るに、明治の初年頃から大正九年までの約五十年間は、年と共に上昇の傾向を示し、大正九年の如きは人口千に對して三六・二といふ我が國に於ては未だ曾つて見ない高率を示したが、これを峠にして以後は、次第に下り坂を辿るやうになつた。幸ひに死亡率の方は、大正七年の人口千に對する二六・八を境として次第に減少の傾向を示してゐるので、差引人口の自然增加率に大した影響を及ぼしてゐないのは、せめてもの慰めである。しかし歐米諸外國の例を見ると、一度下り始めた出生率は、容易に恢復できず、其上、死亡率の減少も自ら一定の限度があるので、大正九年を峠に一路下り坂を示した我が國の出生率に對しては、大に警戒せねばならぬ。しかも同じ東亞の他の民族の出生率、卽ち支那の四五、佛印その他各地の三五以上、ソ聯の四○等に比べると我が國の出生率も決して高いとは云へない。また、質の點から見ても、日本は他の民族と異り、有史以來、その優秀性を保ち續けて來たが、最近の統計によると、知識階級の產兒數の激減と變質者の增加は、人口の量的減退と共に質的低下を示すものとして、大に考へなければならぬ問題である。 三 斯くの如く我が國の人口は、量的にも、質的にも、その前途は樂觀を許さないものがあるので、吾吾は、今の內にその對策を講じて、來るべき民族の大飛躍に備へなければならぬ。それには、旺盛な民族精神の昂揚を常に念頭に於て、徒らに婚期を逸することなく、適齡期には必ず結婚をなし、結婚したら優秀な子供を澤山生んで、しかも立派に育て上げることが第一である。產兒制限をして夫婦間のみの享樂を考へるのは、人道に悖り、國策に反する行為として吾吾は斷じて排擊せねばならぬ。吾吾は、結婚することも、子供を生むことも、また子供を立派に育て上げることも、國家に對する一つの大きな務めだと考へねばならぬ。また國家も國民の適齡者をして各自安心して結婚することができ、その生んだ子供に對しても立派に育てて行くことができるやうに保護と施設を加へるべきである。斯くしてのみ、民族は膨脹し、發展し、大東亞の盟主としての指導的役割を果し得るのである。今こそ「生めよ、殖やせよ、地に滿てよ」は、單なる掛聲としてではなく切實に吾吾の實行を要求してゐるのである。 |
02 | 御目出度御分娩 竹田宮妃光子殿下 |
03 | 維新史料編纂會 黑澤副總裁以下に恩賞 |
04 | 威力發揮の時だ 印度の諸君よ雄雄しく起て ボース氏放送で絕叫 |
05 | 日赤有功章御親授式 閑院總裁宮殿下の台臨を仰ぎ 憲法記念館で執行 |
06 | 圖像:翼贊選擧の戰濟んで開票結果は續續本部に入る。寫真は翼贊本部揭示場の風景 |
07 | 新竹商議員決定 民選側は無競爭當選 |
08 | 葡萄酒御下賜 金子堅太郎伯に |
09 | 健民運動と體育(三)/丸山芳登 |
10 | 實に立派な態度 村岸特派員散華詳報 |
11 | 殉職の報道戰士 十一日慰靈祭を執行 |
12 | 圖像:ビルマ戰線 |
13 | 野口遵氏勳一等敍賜せらる |
14 | 宜蘭市乳兒選獎表彰式 |
15 | 俘虜監視者第二隊 近く晴の壯途に就く |
16 | 慰問袋七五五個 近日中に發送 |
17 | 無敵海軍に献金 五日武官府の取扱 |
18 | 新竹州空訓無期延期 |
19 | 基隆市の空訓延期 |
20 | 軍援臺北市分會 四月分の寄附金 |
21 | ときの声 |
22 | 青年舞踊映畫會 |
23 | 硫安製造會社北支に新設 |
24 | 臺灣化成工業蘇澳セメント工場竣工 |
25 | 結婚に關する講演會の場所講師變更 |
26 | 全島硬式庭球大會 |
27 | 明知宜蘭市長新任の披瀝會 |
28 | 官民合同歡迎會 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 母の誇も高らかに 愛兒の表彰また嬉し |
02 | 勳章並御沙汰書傳達式 忝さに一同感泣して拜受 |
03 | 鍛へる不動の信念 花蓮港廳報國推進隊 一周年の跡を顧みて村田警務課長談 |
04 | 出征軍人軍屬の赤ちやんに慰問品 |
05 | 乳兒健康診查 屏東醫師奉公團 |
06 | 治安の神安らかに 奉安殿並警察會館建設打合 |
07 | 赫赫たる武勳土產に 勇士花蓮港に晴の歸還 |
08 | 圖像:可愛いいこと・興亞の子寶 |
09 | 觀音奉公會常會 |
10 | 白衣勇士慰安映畫會 |
11 | 中村法務局長臺南巡視 |
12 | 九塊庄の銃援會結成さる |
13 | 堀府社會課長來中 |
14 | 稻作の積極的增殖 關係者集めて協議 |
15 | 三庄下に健民映畫巡演 |
16 | 防諜聯盟を組織 臺南のカメラマン |
17 | 各地の健民運動 體力即ち國力 老も若も皆鍛へよう |
18 | 買上げ準備進捗 五月中十六萬四袋を豫想 |
19 | 臺糖宿舍燒かる |
20 | 大肚の合宿訓練 常會指導者鍊成始む |
21 | 山本事務總長臨席 |
22 | 業者と懇談 堀之内課長嘉義初巡視 |
23 | 方委懇談會 |
24 | 募集要項變更 高雄工業技術練習生 |
25 | 花壇庄郵便局設置を打合せ |
26 | 洲之內警部殉職 |
27 | 參觀者で雜沓 花蓮港の戰利品□盛況 |
28 | 屏東野球決勝戰 |
29 | 彰化市賣業組合 |
30 | 姜黃の圓域輸出 特產課と方法折衝中 |
31 | 拓南食料品統制會社改組斷行 |
32 | 金屬回收狀況巡視 |
33 | 黃維養翁告別式 |
34 | 社告/興南新聞社報社消息 |
35 | 人事報社消息 |
36 | 地方便り |
37 | 今日の映畫 |
38 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 鰹と鮪の臟物からオロポン代用品製造に成功 上妻府技手の一大發見 |
02 | 電力の使用制限第四種を除き全部解除 |
03 | 商工行政機構の改革と大化學局案 |
04 | 港灣荷役の見解 鐵道、遞信兩部意見一致 |
05 | 纖維製品輸入配給會社 愈愈創立に着手 |
06 | 鹽糖溪州工場產糖八十九萬擔 |
07 | 米袋回收要綱 近く府令で公布 |
08 | 米袋代金一枚七十四錢加算 |
09 | 日糖新竹工場製糖終了 |
10 | 明糖總爺工場產糖四十五萬擔 |
11 | 鐘實曹達工場の計畫愈よ具體化 |
12 | 臺灣金物會社(假稱)近く創立さる |
13 | 鹽糖の本期產糖高 二百九十六萬擔 前期に比し步留〇%七五向上 |
14 | 各地のバナナ相場 大連の廿圓が最高 |
15 | 豫算成立祝賀會 七日鐵道ホテルで開催 |
16 | 貨物取扱料金 小委員會五日開催 |
17 | 照明燈 |
18 | 商況(五日後場) |
19 | ラジオ |
20 | 水滸傳(669)/黃得時;碇政彌 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | アキヤブ飛行場占領 ビルマ印度國境附近 |
02 | 戰略上重大な意義 敵軍の補給路を遮斷 |
03 | ビルマ第五位の繁華な都會 |
04 | 緬甸義勇軍の活躍 分捕つた鐵砲で 敵の戰車を擊退 戰ふビルマ人戰士の奮戰談 |
05 | 米グ號を傭船 日米外交官交換のため |
06 | 市田少將等合同葬 あす青山齋場で |
07 | 市田大佐等進級 |
08 | 飯沼操縱士外四氏も戰死 |
09 | 市田少將等經歷 |
10 | 翼協解散の手續完了 |
11 | 圖像:ビルマ戰線 ビルマ、イエナンヂヤン油田地帶を攻略の皇軍步兵部隊 |
12 | 劃期的意義を持つ 我海軍の資源作戰 クリスマス島攻略戰 |
13 | 昆明、保山を大猛襲 |
14 | 新政治力の結集に 創意と盡力を要請 首相、各界代表六十六氏招請 |
15 | 更に四名を追加 |
16 | 各種の協力を要請せん 東條首相が |
17 | 各界代表の色わけ |
18 | 米海軍の死傷者 六千三百九十三名 |
19 | 獨軍司令部の戰況發表 |
20 | 日獨米使臣と要談 ラヴアル佛首相 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 日赤通常總會へ 皇后陛下が行啟 優渥なる令旨を賜ふ |
02 | 畏くも午餐を賜ふ 軍援會の多額寄附者に 朝香宮殿下 |
03 | 臺灣神職會解組 大日本神祇會臺灣本部設置 |
04 | 重慶軍裝備貧弱 脫出の一宣撫班員談 |
05 | 池田機壯烈な自爆 |
06 | 佛塔建立は聖者(二) 佛教の國ビルマ ビルマ點描 |
07 | 大日本航空技術協會發會式 |
08 | 水利功勞者を表彰 |
09 | 醫博の減少顯著 學位授與認可の集計 |
10 | 圖像:クリスマス島掃蕩中の勇士 |
11 | 青年推進隊を結成 手始めに中堅幹部講習會 |
12 | 優良齒牙兒童表彰講演會 |
13 | 大日本製糖新竹製糖所製糖終了 |
14 | 勞奉團員を表彰 宜蘭市公會堂にて |
15 | 男一匹、南が舞臺 基隆市商議所南進研究會を設置 |
16 | 金子伯の容態 |
17 | 澎湖報國協會 初の理事會開催 |
18 | 坑夫十名が即死 大豐炭坑ガス爆發 |
19 | 鈴木滿通同盟奉天支社長が逝去 |
20 | 青年訓練所の入所考查 |
21 | 兵事事務打合會 基隆郡警察課で |
22 | 時局映畫巡廻日割 |
23 | 惡德魚屋に鐵槌 取締當局の眼光る |
24 | 興南詩苑漢詩 同覺齋君登照頭山□翕庵□□及小蘇髯/楊嘯雲、嘯霞兄同覺齋過照頭山莊賦□/翕庵、和覺齋先生惠贈瑤韻/蘭汀 |
25 | 商況(六日前場) |
26 | 煙幕 |
27 | 今夜の放送 |
28 | 興南案內報社消息 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 又モレスビー爆擊 二月以來四十回に上る頭條新聞 【リスボン六日發同盟】ロイター通信メルボルン電によれば日本軍航空部隊は五日またも大編隊を以つてポートモレスビーを爆擊した、なほ今回の爆擊を加へれば去る二月以來日本軍航空部隊によるポートモレスビー爆擊回數は少なくとも四十回に上るといはれる |
02 | 中支敵殘存基地を粉碎 |
03 | 英軍、マ島(佛領)不法上陸 マ島總督、抗戰を宣言 |
04 | 英軍兵力は約二萬 |
05 | 英陸海軍の司令官、指揮官 |
06 | ア總督本國に報告 |
07 | 英の海賊行為に大打擊を與へよ ベ主席、ダ總司令官激勵 |
08 | 樞軸國侵入を口實に 英米側身勝手な行動 獨當局、佛政府の反應に注目 |
09 | マ島死守せよ 佛□民長官督□ |
10 | 卑劣な英米の共謀 佛國民の憤激は極點に達す ラ首相、米公使に抗議を手交 |
11 | 圖像:マンダレー攻略第一報 |
12 | 最も正しく清き一票 推薦制運動、阿部前會長放送 |
13 | 米、全的に支持 國務省、佛大使に文書手交 |
14 | 英、米頹勢挽回に汲汲 マ島はアフリカ東岸の要地 印度洋反攻の最後の據點 |
15 | 總督、司令官の態度を賞揚 ベ主席より返電 |
16 | ハノイ各紙大大的に報道 |
17 | 政府と各界代表 けふ第一回の會合 政治力結集具體的前進へ |
18 | 濮縣殲滅戰戰果 |
19 | 議員俱樂部解散の申合せ |
20 | 擧國一致の姿 急速に確立せん |
21 | 兩件を陳情 古賀會頭等北上 |
22 | 事業統制が主眼 歸臺した真室水產課長談 |
23 | 貴院側も期待 |
24 | 印度喪失の恐怖 英側日に日に募る |
25 | 花蓮港大東亞戰展閉幕 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 南方發展と本島教育社說 一 明十八年度より實施される初等教育の義務制は、島民の待望久しかつただけにその歡びも深く、皇國民たらんとする島民の努力が酬ひられたのである。近年島民の熾烈なる向學熱は愈愈高潮の一途を辿り、年年中等學校を志願する國民學校卒業者は實に尨大な數字を算するにも拘らず、之を收容すべき中等學校過少のため、入學出來ない受驗兒童の夥しきことは、本島教育界の一大問題として例年開かれる市會、州會の論題となつてゐる。今試みに總督府の昭和十六年度臺灣學事一覽によれば、同年三月における中等學校入學志願者と入學許可者を見るに、公立十五校、私立四校、合計十九校の中學校志願者は一二、◯七四名、入學者二、八六◯名で二三、六九の入學率に當り、この中本島人の志願者九、五六七名に對し入學者一、四◯九名で比率一四、七三%となつてゐる。實業學校では農林、工業、商業各系統を合せると十八校の志願者一一、二七六名の入學者二、四六四名で二一、八五%、本島人のみの志願者九、六○八名の入學者一、三七八名で一四、三四となる、 更に公立十七校、私立二校、合計十九校の高等女學校の志願者は七、五三三名で入學者二、八一四名の三七、三六の比率となり、男子より稍良好であるがこの中本島人志願者四、五六一名の入學者一、○四九名で二三○○の比率となり、之を公立十七校にのみ見ると僅か二○、五一の率である。 二 卽ち昨年度に於て入學出來なかつた者は內地人二千八百四十五名、本島人一萬九千九百名、合計二萬二千七百四十五名と言ふ數字に達し、系統別に分けると中學校では內地人一、○五六名、本島人八、一五八名、實業學校では內地人五八二名、本島人八、二三○名、また女學校は內地人一、二○七名、本島人三五一二名が夫夫窄き門より締出しを喰つてゐるわけで、然かも入學志願者が年年激增するのに反し、學校の增設が多い年で僅か三校乃至四校に止まるので、本年の入學不能者の如何に增えたかは容易に推察される、今日の如き重大時局下に負荷される本島の使命達成のため、初等教育義務制實施を機會に、更に一步前進、中等教育機關の增設を要望したいのである、 今や我が國は、大東亞新秩序建設といふ世紀創造の聖業に邁進してゐるが、わが大和民族が他の民族に比べて、優秀性なる所以は、實に國民總てが皇國の道に則つて陶冶せられ、國體の本義に徹すると共に、各各その分に應じて皇運を輔翼し奉ると言ふ崇高なる精神、及びこの精神を基調として培はれた高き教養を持つてゐるからである、 三 本島統治の大本は皇民をして皇化に浴せしめ、真に帝國臣民たるの本質に徹せしめ、以て基運扶翼の負荷に任ずべきことにあり、從つて教育もこの方針に沿ふて努力進展して來たのを思へば、本島が所謂南進據點として、また興亞教育の基地としての重大使命を完遂するに足る大國民を養成する教育施設、少くとも中等教育機關の增設を圖らねばならぬことは贅言を俟たない、蓋し中等教育は國民學校教育の基礎の上に、完成教育として、皇國の道を修めしめ國家有為の人物を鍊成することを以て目的とするからである、 實際、母國と南方諸地域の楔たるに相應しき本島青少年が將來南方共榮圈內に進出し、異民族に與ふる影響を考ふる時、是非とも中等教育によつて青少年をして真の日本臣民たるの本質に徹せしめ、日本精神の根帶たる國語をより深く、多角的に理解せしめると共に日本人相應の智識技能を習得せしめ、以て興亞建設の使命を果させなければならぬと思ふのである |
02 | 令旨及び奉答文 日赤第五十回總會 |
03 | 住民の復歸陸續 “油の島”マクタン攻略戰記 |
04 | 安藤軍司令官來新 志願兵檢查狀況を視察 |
05 | 臺北の成績良好 橫田參謀檢查狀況を語る |
06 | 働く喜びを聽く女子推進員體驗談 罩める至愛の堂長(1) 淚流して堂生を諭す |
07 | 宜蘭中後援會發起人會 |
08 | 二百卅億に突進 來月一日から貯蓄強調週間實施 |
09 | 共榮圈の物資交流協議 劉高雄稅關長の歸臺談 |
10 | “涙の修養”積んで 女子推進員一行元氣で歸臺 |
11 | 承詔必謹の氣持で 常會を生かしませう |
12 | 勞務奉公隊員表彰狀授與式 昨日宜蘭市で |
13 | 羅東郡授與式 |
14 | 護れ・島都の大空 けふから本年度初の第三種訓練 |
15 | ときの声 |
16 | 初代山下船舶運營會臺北支部長着任 |
17 | 謳ふ若人の意氣 青年歌發表の夕盛況 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 沈着、慌てずに 徹せよ!防空の要諦 |
02 | 奉公運動展開に 臺中州奉公推進員大會 |
03 | 豫備訓練を實施 兵志願者忠靈塔聖域に鍛ふ |
04 | 圖像:防空ポスター |
05 | 屏東市商議戰開幕 |
06 | 橫山市長巡視 |
07 | 渡南の日に備へて 黃麻作に腕磨く臺南州の健兒 技術員講習會開會式 |
08 | 露天教育は六月末まで 嘉義幸校のこと |
09 | 健民競步會 |
10 | 接客業者の健康を診察 |
11 | 健民運動と體力管理/牧野雄七郎 |
12 | 降雨と作物 嘉義郡の適期栽培計畫 |
13 | 肉彈相搏つ敢鬪 屏東青少年相撲大會 |
14 | 淡水街常會 |
15 | 圖像:皇軍破竹の進撃に間に合はぬ敵防備上、未完成のモズング要塞 下、椰子の木で作られた未完のバリケード |
16 | 平和青年校開校式 |
17 | 海東會献金 |
18 | 左黨の驚異的實績 出るわ!出る百十萬本 屏東市の空壜回收 |
19 | 文化講演會 |
20 | 小魚養つて大魚を待つ 鮪の餌虱目魚苗養殖 |
21 | 町内常會 |
22 | 臺灣は住みよいとこ 戰果の乳牛發育上上 |
23 | 高雄軟式野球 九日より大會 |
24 | 聾啞老人を避けん為め 洲之內警部の殉職事情 |
25 | 嬉しい母の微笑 各地の優良兒選獎會 |
26 | 石丸檢察官現場に急行 |
27 | 地方便り |
28 | 今日の映畫 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 各驛貨物積卸料金 局鐵負擔率五錢に引上 |
02 | 全島農林課長會議 二期作生產割當を打合 |
03 | 臺北穀類加工組合第二回通常總會 |
04 | 東印度商業組合 東京で創立終了 |
05 | 中小貿易業者の整備統合問題 |
06 | 島內の砂糖滯貨 漸次解消されん |
07 | 虎尾第一第二工場壓搾終了 |
08 | 島內勸銀の貸附 漸增の一途を辿る |
09 | 飼料フイツシユミール 食用として轉換 |
10 | 日糖龍岩工場產糖四十九萬擔 |
11 | 甘藷栽培虎の卷 北斗郡農民の勵行切望 |
12 | 四月中郵便貯金 全國的に極めて好調 |
13 | 貿易計畫決定に連絡會議を開催 |
14 | 交通局增員官制 改正立案に取掛る |
15 | 臺陽鑛業配當 年三分に内定 |
16 | 照明燈 |
17 | フルフラール工場 近く完成せん |
18 | 商況(六日後場) |
19 | 商銀近く各地に特別出張所設置 |
20 | 貿易振興會社重役會を開く |
21 | ラジオ |
22 | 水滸傳(671)/黃得時;碇政彌 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 印度、我が爆擊圈內 アキヤブの失陷敵最後基地潰滅 |
02 | 感激の日章旗飜る アキヤブ空港、ベ灣の潮風に |
03 | 午餐を賜はる 内閣、樞府、行幸啟關係官らに |
04 | 朝香軍人援護會總裁宮殿下 多額寄附者に午餐を賜ふ |
05 | 圖像:初の天長節を迎へ機械化部隊の市内行進を歡迎するバタビヤ市民 |
06 | 土國の樞軸傾向 漸く顯著となる 米英の工作効無し |
07 | 各鐵道局長に 拜謁仰付けらる |
08 | 我南北兩軍握手近し ミンダナオ島の戡定進捗 |
09 | マライバライ空襲 |
10 | 皇軍怒濤の猛進擊 |
11 | 獨の對ソ攻擊切迫 獨軍は非常な優位 |
12 | 米國內佛電信會社 閉鎖を命令 |
13 | 新政治力の結集へ けふ政府各界代表會合 |
14 | 圖像:總選擧を終りてと題して放送を行ふ東條首相 |
15 | バンドン居住二和蘭人死刑 |
16 | 市町村會議員の選擧 通蹀通りを要望 |
17 | 重慶軍首腦後方に逃避 |
18 | ユダヤ系記者一齊に解雇 土國官營通信社 |
19 | 獨軍司令部發表の戰況 |
20 | 佛緊急閣議 |
21 | 佛軍は依然抵抗中 兩軍市街戰を展開 |
22 | 英國の措置支持 ハル國務長官言明 |
23 | 佛と英米の關係 決定的に發展か |
24 | 太平洋軍事會議 重慶苦惱の提案事項 |
25 | 戰況發表 マ島の總督が |
26 | 阿部會長感概を語る |
27 | 戰果判明せぬ |
28 | 八統制會の理事長内定 |
29 | 英驅逐艦沈沒 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 宮中御養蠶始の儀 |
02 | 銃後に“溫い親切心” 獨逸で強化運動の火蓋 |
03 | 實踐事項三項目 奉戴日の實施方策決る |
04 | 生活は陽氣で悠長(三) 婦人は實によく働く ビルマ點描 |
05 | 戰死勞奉團員の遺族を弔問 林州產業部長が |
06 | 奉公壯年團大會 九日市民講堂で開く |
07 | 大詔奉戴日に講演會 |
08 | 農務の全般的改良へ 花蓮港廳で農事改良打合會 |
09 | 臺北州下の優良兒 男廿五女一五名決定 |
10 | 九軍神に寄せる赤誠弔慰金 |
11 | 產業戰士の應募十一倍強 各地の銓衡日割決る |
12 | 圖像:島都防空訓練 |
13 | 赤誠の献金品群 |
14 | 舞踊普及會 |
15 | 學童相撲大會は九日に |
16 | 「推薦」「後援」を統制 情報課が中心に積極的な態度で |
17 | 燈管等を取止め 空訓項目の一部變更 |
18 | 產婆さん鍊成會 けふから臺中で開催 |
19 | 役場職員の献金 |
20 | 鮮魚配給の是正を要望 |
21 | 人事・消息 |
22 | 煙幕 |
23 | 興南詩苑漢詩 江山樓話舊欣聞灌園先生還曆賦此奉祝/黃純青、於少奇君處晤肇嘉兄暢談片刻又别卽席賦呈幷似少奇/洪元煌、於少奇君處晤肇嘉兄暢談片刻又别卽席賦呈幷似少奇 二/洪元煌 |
24 | 今夜の放送 |
25 | 商況(七日前場) |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 東亞米國の根據覆滅 五日強行上陸、全要塞陷落 コレヒドール・完全に攻略頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(七日午後五時五十分)此島方面帝國陸海軍部隊は五月五日午後十一時十五分コレヒドール島要塞に對する強行上陸に成功五月七日午前八時同島及び其他マニラ灣口諸島の全要塞を完全に攻略せり 【コレヒドール島對岸○○七日發同盟】比島派遣軍發表(七日午後五時)軍は五月七日午前八時マニラ灣ロ要塞を完全に占領せり |
02 | 海軍關係論功行賞 |
03 | 優渥なる勅語を賜ふ 南方陸海軍最高指揮官に |
04 | 陸海軍の協力を御嘉尚 その意義真に深く且つ大 |
05 | 呂宋全島を完全戡定 |
06 | 淒壯・體當り敵前上陸 |
07 | 首相、參謀總長の祝電 |
08 | 英國內の基地 米空軍が使用 |
09 | 米陸軍省も陷落を認む |
10 | ウ軍司令官以下投降 |
11 | 痛烈な反復爆擊 |
12 | パレンバン奇襲の落下傘部隊に感狀 |
13 | コレヒドール要塞要圖 |
14 | 壯烈、白兵戰を展開 |
15 | 畏くも天聽に達す 土肥原航空總監談 |
16 | ボントツクを占領 |
17 | 我が艦艇も不眠の活躍 |
18 | 夈精一部隊長の略歷 |
19 | カバリヨ島制壓 |
20 | けふ初の準備委員會開く |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 發足第二年初の常會社說 一 本日午後八時から全島を通じて奉公班常會の夕が行はれる。本月の常會は、實に皇民奉公運動第二年目に入つてからの第一回常會である。我ら島民は奉公運動第二年目を迎へ、熱と氣分を新たにしてこの發足第二年の初常會を運營しなければならない。第二年目に於ける奉公運動の新たなる展開目標の一つは奉公班の整備强化である。このことは要するに常會運營の完璧に他ならない。先づ何よりも常會に一人の缺席者を出さないことである。特に指導的地位に在る官民の率先出席範を垂れることである。これは今夜の常會を通じて今後とも終始徹底させたい重要事である。奉公運動への關心は常會の認識から始まり、奉公理念の滲透は常會出席によつて確保される、而して奉公運動の力强き展開推進は實に常會の活潑なる活動を俟つて、始めて期待出來るのである。發足第二年目の率公班活動、常會運營の如何に重要なるかを改めて省察しなければならぬ所以である 二 奉公班の活動、常會の運營について過去一年を反省するとき我らは奉公理念の滲透が尚足らざるもの多きを率直に認めなければならない。一般大眾層に於ては大槪與へられたる奉公班或は常會としての形式的觀念しか體認して居らない有樣である。否これは相當なる有識層についても云ひ得ることである。一例を云へば、最近臺北に於ける普文試驗の口述に奉公運動の目的を問うた處、辛うじて答へ得る者は受驗者總數の五分の一にも足らざる有樣で、試驗委員を一驚させたといふ話がある位である。この奉公理念の滲透の不徹底は、一面奉公班の活動なり常會運營に責任があると云はねばならない。總じて形式的に流れた運動に真の全き效果を求むることは出來ない相談である。第二年目の奉公班活動、常會の運營はこの點に細心の注意と最大の努力を拂はなければならない魂を入れることとは奉公理念の强力なる透徹に他ならないのである。 三 右の如く、奉公班常會を通じて奉公理念の滲透徹底を圖ることは何よりも先決問題として實踐されなければならない。奉公運動を自己運動として、しかも奉公班を通じて之を强力に推進展開せしめようといふ自覺と熱意とは凡て奉公理念の透徹からのみ湧出するのである。而して奉公班の濫用脫線も之あるのみによつて防止出來るのである。この意味に於て最初に述べた如く常會への夫婦總出席、就中指導的地位にある官民の率先出席範を垂れることは絕對必要なことであつて特に指導性高き官吏層の常會出席は强調されなければならない。從來動もすれば冷淡で傍觀的だと云はれる官吏層の熱意ある實踐は、此の際何よりの刺戟でありまた其の指導による奉公班の活潑なる活動も期して待つべきものがあらねばならない。ゆえに、親ら先達となつて六百萬島民の中に溶け込む意氣を示された總裁長谷川總督始め、本部長齋藤總務長官の垂範も大いに六百萬大眾の期待する處である。 |
02 | けふは大詔奉戴日 |
03 | 天險を誇るコレヒドール要塞陷落 南溟に轟けこの歡喜 けふ全島一齊に旗行列 |
04 | 陷落戰捷奉告祭 臺灣、建功兩神社で |
05 | 陸軍合同葬執行 市田少將以下諸勇士 |
06 | 米の暴虐に終止符 南方水域更に安全性を增大 藤岡報道部長語る |
07 | 日本晴れの快哉 六百萬島民心から絕叫 荒木情報委員部次長語る |
08 | 擧島大御心を奉戴 奉公會發足二年目を迎へて 愈固めよ必勝の鬪魂 |
09 | 市民歡喜の坩堝 繰展ぐ多彩な行事 |
10 | 督府豫算成立 商議所祝賀會開催 |
11 | 兵事打合會 けふ島都で開く |
12 | 母の會を開催 臺北保健館で |
13 | コ島最後の樣相 壯烈、空から觀戰 |
14 | ときの声 |
15 | 南洋方面の醫師實力養成講習會 |
16 | 大東亞戰展 好成績裡に閉幕 |
17 | 產業戰士鍊成所志願者銓衡 |
18 | 宜蘭商業奉公團結成打合會 |
19 | 福澤州產業部長が基隆巡視 |
20 | 人事 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 落下傘部隊の奮戰記 パレンバン奇襲降下 寡兵克く敵軍を擊破 |
02 | 魔のジヤングル克服 |
03 | 矢繼早に製油所確保 |
04 | 奇襲作戰成功 |
05 | 圖像:パレンバン攻擊落下傘部隊 |
06 | 今は稱讚の的! 不評の民雄庄家防群發憤 |
07 | 奉公運動を懇談 山本事務總長を圍んで |
08 | 大東亞戰畫街頭展 若き學徒に認識を徹底 |
09 | 鳳林桔梗クラブ結成式延期 |
10 | 人事報社消息 |
11 | 地方便り |
12 | 今日の映畫 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 麥粉、澱粉、甘藷切干等の配給統制要綱決定 |
02 | 米穀增產協議會 第一回授賞者表彰式 |
03 | 四月中島內諸會社の成立及資金拂込 |
04 | 今後□に働く 山下正樹氏談 |
05 | 日滿支連絡運輸會議 廿日上海で開催 臺鐵の提案決定 |
06 | 大鮪群る南支那海 四、五百斤位のはさらにある 試驗船嘉南丸の報告 |
07 | 内外地林業協議へ山林課長を派遣 |
08 | 貿易連絡□務會議きのふ開催 |
09 | 比島の棉花栽培 臺拓愈よ計劃に着手 |
10 | 南方に對する協力 中央で大に認識 石井殖產局長歸來談 |
11 | 地租調查打合會 八日府會議室で開催 |
12 | 屏東商議所の官選議員內定 |
13 | 農務係主任打合 高雄州下各市郡の |
14 | 臺灣海務協會第十二回總會 |
15 | 局營バス現場事務員講習會 |
16 | 照明燈 |
17 | 商況(六日後場) |
18 | ラジオ |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 呂宋島殘敵を猛爆 致命的大打擊を與ふ |
02 | マニワ北方で敗敵爆擊 |
03 | 燦たる記錄を殘す コ島陷落谷萩報道部長談 |
04 | 滿洲國皇帝陛下汪主席と堅き御握手 滿華の契りいよいよ固し |
05 | 圖像:コレヒドール要塞陷落奉告祭 |
06 | 獨空軍部隊活躍 |
07 | 國府は發展の一途 大陸建設の情況及川長官語る |
08 | ラ首相と會見 三谷駐佛大使 |
09 | 國內興亞運動から 海外の皇民運動に 新興亞同盟具體案を決定 |
10 | 政治力の結集 急務中の急務 政府各界代表懇談會 |
11 | 湖南、江西、福建各地爆擊 |
12 | 投降勸告の宣傳 意外に奏効 ビルマ野戰俘虜收容所調查 |
13 | 東條首相の挨拶 |
14 | 藤倉航空工業に感謝狀 落下傘製作の功勞者 |
15 | 翼政結集準備會開かる |
16 | 結集の具體的方途 組織、運營に集中 けふ準備會で自由討議 |
17 | 佛軍頑強に反擊 |
18 | 佛軍遂に停戰 |
19 | 獨潛水艦隊の大戰果 米□近海で |
20 | マダガスカル島攻略 英首相の報告 |
21 | 米、對佛國交 斷絕には出まい |
22 | 佛の二巡洋艦 英側に投降か |
23 | 橫鎮管下海軍合同葬 |
24 | 在緬印度人避難 |
25 | 國內製鐵會社の整備を行ふ 生產增強目指す |
26 | 英國マ島攻擊の魂膽 |
27 | 南米三國と國交斷絕 洪國政府發表 |
28 | 維新資料編纂會官制廢止 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 渦卷く歡喜の奔流 擧げよ勝鬨・今日ぞ佳き日 コ島陷落南十字星も微笑む 爆發する感激の二重奏 |
02 | 悲憤淚を誘ふ激戰 引金に手をかけた儘殪る 鬼哭啾啾・吉岡隊の最期 |
03 | 戰捷奉告祭執行 臺灣、建功兩神社で |
04 | 總督府大詔奉讀式 |
05 | 旗の波萬歲の嵐 喊聲地軸を搖がす |
06 | 戰勝祝電を發す 長谷川總督島民を代表して 現地最高指揮官宛に |
07 | 宮木新竹州知事祝電を發す |
08 | 港都の祝賀式 |
09 | 步武堂堂武裝行進 若人の意氣天を沖す |
10 | 慰問箏曲演奏會 |
11 | 推進員鍊成講習會 十一日から西本願寺で |
12 | 喜び一入深し 新竹州下の高砂族 |
13 | コ島陷落に際して 軍報道部長藤岡少將放送 |
14 | 債券購入に垂範 我等の總督長谷川さん |
15 | 鈴川富士驛列車事故 |
16 | 明知宜蘭市長歡迎會 |
17 | 金子伯容態 |
18 | 罐詰を配給 |
19 | 煙幕 |
20 | 福澤州產業部長蘭陽地方巡視 |
21 | 興南詩苑漢詩 渡十八重溪/周定山、筆石峰/周定山、筆石峰 二/周定山、亞里不當山途中/周定山、亞里不當山/周定山、訪嘯庵聽令愛李昭華彈琴/黃景南 |
22 | 今夜の放送 |
23 | 商況(八日前場) |
24 | 興南案內報社消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 珊瑚海海戰の大戰果 敵戰艦二甲巡一轟沈破 航空母艦二隻を擊沈!!頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(八日午後五時二十分)ニユーギニヤ方面に作戰中の帝國海軍部隊は五月六日同島南東方珊瑚海に米英聯合の敵有力部隊を發見捕捉し同七日これに攻擊を加へ米戰艦カリフオルニヤ型一隻を轟沈英甲巡キヤンベラ型一隻を大破し英ウオースパイト型一隻に大損害を與へ更に本八日米航空母艦サラトガ型一隻及びヨークタウン型一隻を撃沈し目下尚攻擊續行中【註】本海戰を珊瑚海海戰と呼稱す |
02 | ラシオバーモ攻略 雲南省突破、龍陵占領 |
03 | 緬甸ルート 七百餘粁の快速作戰 逆に蔣政權の命取り |
04 | バーモ附近の戰果 |
05 | 敵雲南軍今や大動搖 |
06 | 英國の掠奪行為 笑止、惡辣な虛報傳播 英軍のマ島侵攻、堀部長反駁 |
07 | 肅清全く終了 西部ミンダナオ島 |
08 | 擊沈破敵艦の要目 |
09 | 本間中將 激戰地を望見 |
10 | 十七年度生擴計畫 閣議で原案通り決定 |
11 | 岸商相井野農相二氏を追加 政府側より |
12 | 特別委員 卅三氏決定 |
13 | 舊黃河河畔作戰 赫赫の綜合戰果 |
14 | 援蔣ルートの要衝 バーモとラシオ |
15 | 爆破ソ聯機 二萬一千餘機 |
16 | 英巡エ號擊沈 北氷洋に於いて |
17 | マダガスカルの戰況 英陸海軍省發表 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 コレヒドール要塞遂に陷落社說 一 時恰も一億國民が必勝の精魂を罩めて超時艱突破を誓ふ第五回の大詔奉戴日の前日、頑敵米國が東亞に於ける最後の牙城として堅壘を誇り、難攻不落を豪語せる要塞中の要害コレヒドール島が、我が勇猛果敢なる皇軍の威武の前に、跪くも心潰滅し、感激の大日章旗が高らかに翩飜と飜へされたとの捷報が齎らされたことは、寔に意義深きものがあり、一億國民の感激感謝新なるものがある。殊に比島と本島とは地理的に所謂一衣帶水の近距離に在るばかりでなく、今次この赫赫たる榮譽を擔つた最高指揮官が、曾て本島防衞其他幾多の功績を殘された前臺灣軍司令官本間雅晴將軍であるだけ、六百萬島民の歡喜感激一入深きを覺ゆるものである。更に今次作戰蔭の戰士として南方青年の熱誠と意氣とを示すべく、敢然と參加挺身、硝煙彈雨の中を潛つて皇軍精銳の征戰によく協力し、皇民としての赤誠を果した本島青年よりなる臺灣特別勞務奉公隊、並に高砂挺身隊の目覺しき活躍振りは、今次征戰に因緣淺からざるものとして、一般島民の深く心に銘記すべき一大喜びである。 二 惟ふにバタアン及びコレヒドール要塞は一八九八年來米國が東亞に於ける侵略の據點として、十數億弗の巨費を投じ、且つ十數年の歲月を費して、天嶮を利するに凡ゆる近代裝備を施し、幾多の比島人を犧牲にしてまで極祕に構築されたものであり、自ら東洋のジブラルタルと稱し、難攻不落を誇つたものであるが、之が一度び皇軍の猛攻に遭ふや、一たまりもなく脆くも潰滅し、ルソン島全島は完全に戡定され、今や米國の東西に於ける前進基地は全面的に覆滅曩の香港、マニラ、シンガポール、ラングーン、バタビヤなどの陷落と相俟つて、米英の企圖せる所謂ABCD對日包圍陣は、完全に雲散霧消し、ここに米英の東亞侵略據點は、悉く根こそぎに拂拭され、東亞の天地から米英勢力を一擧に驅逐したものとして、大東亞戰史上に輝しき一頁を飾るものと謂はねばならない。誠にコレヒドール島占領の一事は、大東亞共榮圈の建設上、將亦政治、經濟、文化等より見て極めて意義深きものがある。 三 卽ちこの八日から米人は完全に東亞から追放されたので、永年米政府の暴虐壓政に呻吟して來た比島人は、今後光輝ある帝國の御旗の下に解放されたのである。實に全比島の完全陷落こそは、比島人に將來の幸福を約するものであり、アジア民族にとつても正に世紀の一大痛快事であらねばならない。又今後マニラ灣の開放によつて、大東亞海を中心とする南方水域の安全性が搖ぎなく確保され、南方經濟圈の建設上より見ても實に重大な意義を有するものである。卽ち同地の運輸交通は、これによつて既往に數倍する安全率が保認されたので、共榮圈の一翼としての比島は、今後相互有無相通の經濟圈確立に邁進するであらう、更にマニラ灣の開放は我が大東亞戰遂行上、戰略的に陸離たる光彩を放ち、作戰上多大なる效果が增大されたのであるから、假今最後の牙城を失つた喪犬米國が今後マツクアサーの豪語せる如く、南方よりの反擊を試みんとするも、今となつては最早や放棄の止むなきに至るべく、米政府の謀略デマ宣傳に躍された米國民の狼狽と失望こそ笑止の限りである。我我皇民はこの戰捷を機會に第一線將兵の心を心とし、鐵石の團結を固め以て聖戰の目的完遂に協力邁進しなければならない。 |
02 | 全臺灣奉公班の夕 奉公理念の浸透へ 戰勝□激の最中に第二年の初常會開かる |
03 | 我等の本部長齋藤さんの垂範 愛孃とお揃ひで出席 |
04 | 慶祝、感激の二重奏 戰勝に輝く奉戴日固む一億の覺悟 |
05 | 濠洲の制壓近し 伊藤武官喜びを語る |
06 | 無駄な雜談皆無 田中大佐宅の模範常會 |
07 | 地域組合增強へ 島都の國民貯蓄對策 |
08 | 圖像:學徒部隊の叫ぶ感激の萬歲 |
09 | 創設に三つの方針 落下傘部隊生の親河島中佐の苦心談 |
10 | 藤村市長大稻埕の常會視察 |
11 | “地下宮殿”の正體 謎のコ島白日下に |
12 | “決心を鈍らしては” 死に臨む軍國の父が赤誠の遺言 山に咲く志願兵美談 |
13 | 海軍報道班員初の散華 故角石氏夫人健氣に語る |
14 | 讀賣新聞社に感謝狀 土肥原總監から |
15 | 邦人の感激一入 新嘉坡陷落の寫真到着 |
16 | 宜蘭市感激の祝賀行事 |
17 | ときの声 |
18 | 臺大の祝賀式 |
19 | “約束づけられたコ島の陷落” 一義勇隊員の便り |
20 | 產婆學說試驗合格者 |
21 | 富田氏醫博に |
22 | 南人力車夫一同感激の寄附 |
23 | 人事報社消息 |
24 | 訃文:黃慎儀 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 天然の大障碍に挑戰 迅速果敢・英、蔣の據點を覆滅 ビルマ方面作戰軍幕僚談話 |
02 | “盛り上る力”に遲れるな 常會に集ふ方に愬ふ 皇民奉公會中央本部田中訓練部長放送 |
03 | 圖像:マンダレー王宮 |
04 | コ島陷落の感激譜 奉戴日迎へ覺悟新た |
05 | 必合格の意氣物淒く 臺中「兵」志願者檢查開始 |
06 | 臺灣交通に合併 臺中州下のバス統合一段落 |
07 | 花蓮港の空訓 |
08 | 遺家族信仰鍊成會 |
09 | 奉公運動打合 桃園郡下奉公會幹部參與 |
10 | 街庄幹部打合 明朗桃園郡の建設目指して |
11 | 今日の映畫 |
12 | 貸借對照表/株式會社大和洋行 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 高雄州下の一期作 生育狀況頗る良好 |
02 | 小麥粉配給統制實施要綱定る |
03 | 臺灣鐵鋼製品配給統制要綱決定さる |
04 | 南部早場米鎌入 中旬より出廻る見込み |
05 | 臺灣商工會議所常議員會を開催 |
06 | 第三國向の船腹 商工會議所で斡旋 |
07 | 貿易振興會社近く總會を開く |
08 | 日糖斗六工場本期製糖終了 |
09 | 日糖大林工場產糖四十九萬擔 |
10 | 松山、大溪、新營に商銀出張所を設置 |
11 | 日糖虎尾第一工場產糖八十一萬擔 |
12 | 日糖虎尾第二工場產糖五十六萬擔 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況(八日後場) |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(672)/黃得時;碇政彌 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 本間中將マニラ入城 慶祝の氣全市に漲る |
02 | 珊瑚海海戰の大勝利 米艦隊活動餘地なし 獨各紙大大的に報ず |
03 | 米海軍力破らる 伊紙、我が勝利絕讚 |
04 | 議會召集詔書公布 |
05 | 二院制に抵觸せぬ 貴院、全面的に贊意 |
06 | 圖像:燃える敵プレンハイム機 |
07 | 擧國的政治結社 政治結集準備會第一回會合 諸氏より意見開陳 |
08 | 汪主席答訪 張國務總理に |
09 | 劃期的戰果 瑞典紙報道 |
10 | 濠洲は危機の寸前 カ首相悲痛な演說 |
11 | 特別委員會 けふ開く |
12 | 金屬回收令を發動 供出の立遲れを促進 |
13 | チヤーチルの言明 英米の侵略意圖を示す |
14 | コレヒドール島でも 比島兵を終始虐待 米兵は何れも榮養のよい顏 |
15 | 六月十日と指定 回收金屬の讓渡申込期日 |
16 | 米穀需給調節特別會計改正 |
17 | “けふは實彈射擊演習” ミンダナオ島、餘裕綽綽の我軍 |
18 | 初の州知事、市長會議 來る十八十九兩日マニラに招集 |
19 | 獨對英ソ戰況 |
20 | ゴム統制組合員 昭南島に着く |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 擧國培へ・健兵健民 健民運動に就いて小泉厚相が放送 |
02 | 總額を優に突破 昨年度の貯蓄成績 |
03 | 興亞の尊き礎石 山口部隊戰傷死の勇士 |
04 | 敵中突破の死鬪記 角石報道班員南海で壯烈な散華 |
05 | 新竹州勤行報國青年隊 晴の壯途に上る |
06 | 圖像:我が空軍に協力するビルマ人 |
07 | 勤報花蓮港訓練所の入隊式 十五日擧行決定 |
08 | 海軍記念日の港都 多彩な祝賀行事決る |
09 | 商業奉公團結成打合會 |
10 | 總督祝電を發す 珊瑚海海戰大戰果を祝し |
11 | 晴の修了式擧行 志願者の豫備訓練終る |
12 | 家庭戰陣訓本決り 世界冠絕の特質解明 |
13 | 宜蘭中後援會設立發起人會 |
14 | 戰捷に感激の赤誠 陸軍に献金部隊殺到 |
15 | “豆双葉”の敢鬪 對校試合樺山校に凱歌 |
16 | コ島陷落記念献金 |
17 | 高砂族青年の魂の鍊成 來る十五日に第一回修了式 |
18 | 土俵祭執行 |
19 | 夏場所大相撲初日取組 |
20 | 興南詩苑漢詩 池中金魚被猫抓傷感賦/黃純青、從戎/黃純青、感事/黃純青、藷粥/黃純青、答友人/黃純青、祝簡荷生宗兄令郎伯卿賢侄花燭/張天眷 |
21 | 煙幕 |
22 | 今夜の放送 |
23 | 商況(九日前場) |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 更に敵艦二隻擊沈破 敵機八十九機を擊墜 珊瑚海海戰その後の戰果頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(九日午後三時四十分)珊瑚海方面に於いて攻擊續行中の帝國海軍部隊は更に敵巡洋艦一隻(艦型不詳)に對し雷撃機の體當りを以て之に大損害を與へ又驅逐艦一隻を擊沈せり。一方七日、以來彼我上空に於いて敵機八十九機を擊墜せり。此の間我方では小型航母一隻沈没、飛行機三十一機未だ□還せず(註)小型航母は給油船を改造せるものなり |
02 | 鐵血雷擊機の偉勳 壯烈、體當り攻擊敗行 珊瑚海戰戰鬥狀況 |
03 | 圖像:難路を進擊する車輛部隊 |
04 | “精神力の優越” 山路海軍中將語る |
05 | ソロモン群島北部の要衝全く我手に歸す 敵は「逃げる鐵則」を其儘實踐 |
06 | 準備會特別委員會 |
07 | 怒江河畔(雲南)を確保 北部緬甸の敗敵を完全包圍 |
08 | 要衝ミーチナ{ビルマ}占領 |
09 | キヌ(マンダレー北方六十粁に突入 |
10 | 米の虛構宣傳全く信用なし |
11 | マニラに堂堂入城 本間比島派遣軍最高指揮官 |
12 | 速かに降服せよ ウエンライト中將が殘存米比軍に命令 |
13 | ヴ行政長官の愛息 コ島要塞病院で發見 |
14 | 英米通商の將來悲觀 |
15 | 安藤軍司令官 昨日臺南州廳を訪問 |
16 | 江西、福建各地を連爆 |
17 | 印度の橫腹に 一刺擬する態勢 |
18 | 保山(雲南)を急襲 |
19 | 佛軍依然抗戰 マダガスカル島 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 南方統治方針の新構想 加藤中佐の優れた意見社說 一 南方地域戡定の一段落と共に占領地の統治方針が現實問題として登場して來た時に當り、去る四月十二日南方建設の諸方策に關し各新聞に發表された陸軍省軍務局加藤長中佐の談話は大體陸軍當局の意向を代表するものとして、各方面に多大な反響を齎らした。加藤中佐は南方經營の主義方針の決定に當つて先づ滿洲支那の經營成果を慎重に檢討し、其の長を取り短を棄て以て此の尊い經驗を南方に於て充分に生かさなければならないといひ此の態度から出發して曰く「日本人はとかく小乘的日本主義に陷り易く、其の地の歷史とか民族性格を深く糾明する事なく、徒らに多くの法令を制定して日本式道德を强要するなど萬事日本式に統治せんとする弊風があるのであるが、かくの如き方法に依る統治は槪ね失敗に終つてゐるので、今回は此の點に充分着意して殘存統治機構はなし得る限りこれを利用すると共に在來の風俗習慣等は十分これを尊重して不必要なる容喙又は改正などは、嚴に之を戒め以て原住民の心理に適應するが如く統治する事にされたのであるこれがために數百年の經驗に基く白人統治の方式を具さに硏究して、其の長所を採用するに毫も吝かであつてはならない」と言つてゐる。 二 加藤中佐は更に左の如く其の統治根本方針を闡明してゐる。 一、努めて現地人を利用し日本人は樞要な位置のみに止める事 二、現住民の宗教を尊重し、文化工作の行き過ぎを戒める事 三、原住民に對し恩威併用し苟くも小乘的溫情主義に墜せざるやう留意する事 四、華僑の勢力は活用する事 五、邦人の進出は嚴選主義で臨み將來進出邦人の幹部たるベき者に對しては所要の訓練を施し大東亞建設の理念に徹底させる必要ある事 六、建設推進のためには現住民も負擔を課し我と共に苦しむ覺悟が必要である事 等の諸原則を淡白率直に列擧し目下盛んに唱へられてゐる民族政策の核心をよく把握し、從來の見解に對して遺憾なく之を指摘した事は、加藤中佐の如き地位であつてこそ始めて語り得るのである。 三 尚今春出版され多大な好評を博した平野義太郎及清野謙次兩氏合著の大平洋の民族—政治學の一節にも、佛領印度支那等に於ける植民政策の失敗を次の如く指摘してゐる。「從來各國の植民政策上で經驗された異民族統治の根本的弊害、失敗の原因の一つは被治民族の傳統を悉く清掃し盡し、民族的個性を認めず、民度、民情の特殊性を顧慮する事なく、原住者の社會に對し其の法律、裁判、道德よりネクタイの色、服裝のスタイルに至るまで凡て政策主體の本國と同一色に塗り潰さうとする政策である」と述べてゐる。かくの如く最近の我が論壇にも各方面に於て頗る卓越な民族政策を次ぎ次ぎと發表されたが、これらの意見は今後に於ける大東亞建設の理念を昂揚し、且つ具體的政策にも着着反映されるであらう事は明かである。此の見地よりして島內の南方進出熱もかかる根本方針の下に照らされなければならないから、これに依つて極めて小數な適格者のみに制約さるるに至るべきは誠に止むを得ざる國策的要求であると知ければならない。 |
02 | 朝鮮に徵兵制度 昭和十九年より施行決定 きのふ情報局發表 |
03 | 溢るる國民意識 半島同胞至高の榮譽 |
04 | 殉職報道戰士 十一日に慰靈祭執行 |
05 | 香坂、上野兩氏を臺灣に派遣 |
06 | 劃期的な大躍進 半島施政以來の金字塔 南朝鮮總督語る |
07 | 兵役法第一條の規定を適用 |
08 | 奉公壯年團大會 きのふ市民講堂で開催 |
09 | 國家の為慶賀の至 齋藤情報委員部長談 |
10 | 飛躍的進境振り 張切る海洋訓練生 |
11 | 國民皆兵に徹せよ 藤岡軍報道部長談 |
12 | 御同慶に堪へぬ 朴春琴氏喜びを語る |
13 | 技能競鍊中央大會 |
14 | 春季リーグ戰 |
15 | 相撲用褌五十人分を寄贈 |
16 | 三萬餘圓に上る 新竹市民大東亞戰來の献金 |
17 | 全島華僑代表 軍司令部に感謝挨拶 |
18 | 慰問金品を取次 日赤が被抑留邦人に |
19 | “英の遺產を米が狙ふ” 海外放送用標語決定 |
20 | ときの声 |
21 | 督府人事異動 |
22 | 夏場所初日 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 防空の鐵桶陣 模範燈管區域を設定 |
02 | 勤報隊を知事が激勵 臺中州隊きのふ出發 |
03 | 大林奉公醫師團奉仕 |
04 | 東港奉公委員會 |
05 | 集集防衛團查閱 |
06 | 屏□商議戰低調 |
07 | 壯丁團非常召集 |
08 | 英靈合同告別式 十七日第四部隊で嚴修 |
09 | 精勤奉公隊員表彰 |
10 | 高雄に名殘り 臺中市助役に榮轉の天野氏談 |
11 | 譽の國語常用部落 臺中州下に百十數箇所を指定 |
12 | 屏東鄉軍 實彈□擊會 |
13 | 奉公班運營の完璧を協議 |
14 | 勇壯な分列式! つはもの豫備訓練終へて |
15 | 豐原卸市荷受組合創立總會 |
16 | 區事務員を鍊成 |
17 | 臺中州市長郡守會議 |
18 | 專賣品小賣人組合定期總會 |
19 | 農業報國運動 產業部長以下督勵へ |
20 | コ島陷落に感激の献金 |
21 | 屏東奉公委員會 |
22 | 健民運動と體力管理(二)/牧野雄七郎 |
23 | 彰銀臨時總會 |
24 | 彰化工業技術練習生募集 |
25 | 圖像:イエナンヂヤン攻略戰で息せき切つて投降して來る英兵 |
26 | 齋藤氏個人展 |
27 | 低資利用を慫恿 復興委員會貸出條件緩和 |
28 | 堆肥增產へ 楊梅庄週間設定 三峽の堆肥增產 |
29 | 歡聲東亞に轟く 各地のコ島攻略祝賀會 |
30 | 堆肥增產週間 海山郡けふより |
31 | 素晴らしい進步 最高甲當り四十七萬餘斤 花蓮港甘蔗競作褒賞式 |
32 | モンペ部隊活躍 花蓮港空訓好成績裡に終了 |
33 | 新竹郡藥業組合 |
34 | 淡水郡石門信販購利組合 |
35 | 彰化市郡履物商組合 |
36 | 臺灣無盡株式會社彰化支店 |
37 | 人事報社消息 |
38 | 地方便り |
39 | 今日の映畫 |
40 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日立、芝浦、富士三社 電機工場設置せん 本島工業化に拍車 |
02 | 花蓮港米穀會社 一部業者で劃策 成行を注目さる |
03 | 農地作付統制と臺中州民の要望 |
04 | 蔗苗蔗種の輸移入 從來通り嚴重に檢查 |
05 | 機構の整備で 魚類の配給圓滑化せん 真室府水產課長談 |
06 | 東株上場銘柄變更 |
07 | 貨物積卸作業賃 改正の最後的審議へ |
08 | 海務協會總會終了 |
09 | 明年度施策に關し 遞信部課長會議 |
10 | 南方興業總會 |
11 | 經濟問題解說 |
12 | 照明燈 |
13 | 商況(九日後場) |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(673)/黃得時;碇政彌 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 英蔣軍の殲滅迫る 緬甸殘敵の包圍完全頭條新聞 【ビルマ前線○○基地十日發同盟】ビルマ作戰軍は東部戰線においてラジオ、龍陵など緬支國境附近の各要衝を抑へる一方西部戰線においても緬印國境の要衝を悉くわが掌中に收め印度アツサムに通ずる敵の退路を完全に遮斷するに成功した更に南部ではアキヤブその他を占領、アラカン南方よりする印度公路を抑へここにビルマにおける殘敵の包圍を完室にし目下網中の敵を隨所に殲滅中であるわが鐵環に壓縮された英蔣兩軍とも士氣全く沮喪しわが銳鋒の前に右往左往するばかりでその殲滅はもはや時間の問題である。 【ビルマ前線○○基地十日發同盟】わがビルマ西部進攻部隊は敗走する敵を急追北進中であるが七日朝キヌ(マンダレー北方六十キロ)に突入した部隊はその際敗敵に後方より猛射を浴びせ殲滅的大打擊を與へた、敵は周章狼狽兵器その他重要資材を滿載せる貨車四十輛、山砲その他武器彈藥多數を遺棄して潰走わが軍はこれを鹵獲した |
02 | 「敗走千里」の重慶軍 陸鷲某將校の實見談 |
03 | 重慶政權完全孤立 抗日戰線覆へさる |
04 | 天を蔽ふ大編隊(上) 銀翼連ねて西へ西へ 印度洋決戰記 |
05 | 味方の戰鬪機に聲援 見る見る敵機は海中に落つ |
06 | 圖像:大東亞海に威容嚴たり帝國海軍 |
07 | 小野寺有一氏を再選 釜石市長の選擧 |
08 | 各派交涉會は解消 獨特の翼贊議會確立 |
09 | ビスマルク群島の戡定成る 日章旗は南海の空に飜へる |
10 | 議長の人選極めて重視 |
11 | ベンガル灣チ港空襲 |
12 | ア島を無血占領す ニユーブリテン島北西要衝 |
13 | 新政治體制の基本大綱決定 けふ特別委員會に附議 |
14 | 戰後建設の段階へ 南方各軍の物動關係官招集 具體案樹立の會議開催さる 總司令部主催 |
15 | モレスビーを急襲 |
16 | 第七次空襲を敢行 江西省一帶に巨彈 |
17 | 珊瑚海海戰諾威紙が報道 |
18 | 敵船舶卅二隻を擊沈 獨海空軍に依て |
19 | 臨時議會前に陣容を整備 |
20 | イタリア帝國建設記念日 |
21 | 米が占領の氣配 西、葡兩國沿岸の島嶼を |
22 | スマトラ各州の軍政支部長決定 |
23 | 明大が再勝 對法大二回戰 |
24 | 慶大對東大二回戰 |
25 | 青年歌發表會 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 「祭政一致」のテルナテ王國 子供は是非日本で教育したい サルタン王との問答 |
02 | 梨本宮殿下台臨 大日本山林大會開かる |
03 | 圖像:南海に活躍する我海鷲の出動準備 |
04 | “全く感激の連續” 遺族部隊の一部歸臺 |
05 | “臺灣活用論”を強調 森部內務局長歸臺談 |
06 | 奧貫拓務省殖產局商工課長來臺 |
07 | 全島に燐鑛石の層 クリスマス島風物誌 |
08 | 譽の優良多子家庭 始政紀念日に表彰 |
09 | 陸海軍兩報道部長が講演 慰靈祭終了後に |
10 | 殊勳の西田兵長 世界的棒高跳の選手 |
11 | “村の人氣男” 故竹下伍長遺族談 |
12 | 捷報に感激の献金 海軍武官府へ早朝より殺到 |
13 | 青年の責務重大 城東青新人團員入團式白水海軍中佐祝辭 |
14 | 國民學校長會議 |
15 | 日本系三銀行 十日からジヤバで開業 |
16 | 夏場所大相撲 愈昨日から開幕 |
17 | 東條首相の悠悠閑日月振り |
18 | 初日の勝負 |
19 | 二日目取組 |
20 | 西遊記出版記□會 |
21 | 北分團本部移轉と模範團員表彰の式 |
22 | 人事・消息 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 神の御加護に深謝 高雄神社に新穀献納 |
02 | 鳳山奉公委員會 |
03 | 臺中の「つはもの」志願者檢查終る |
04 | 海軍記念日の野外演習 |
05 | 海軍記念日の行事決定 |
06 | 商議選擧の奇現象 一級議員立候補者皆無 |
07 | 健民運動と體力管理(三)/牧野雄七郎 |
08 | 彰化鄉軍銃劍術訓練 |
09 | 坂口知事出府 |
10 | 農務打合 |
11 | 造船事業の新胎動 內地資本との提携成る |
12 | 勤報青年隊訓練に出發 |
13 | 遺家族援產講習會 |
14 | 人垣に圍まれて角逐 臺中州青少年相撲大會 |
15 | 曾文郡下の國民學校長會議 |
16 | 優良農家表彰 桃園業佃會主催米作競技會 |
17 | 鹿港の角力大會 |
18 | 竹東山野に繰展ぐ軍國繪卷 壯丁團攻防大演習 |
19 | 木工業振興に邁進 臺灣木工會社認可さる |
20 | 奉公壯年團 十三日に結成式 |
21 | 特定郵便局長打合會 |
22 | 經濟犯の污名も拭ひ難く 惡德業者徒に囹圄に呻吟 |
23 | 產業戰士訓練所生選拔試驗 花蓮港、臺東兩廳 |
24 | 放送局設置實現 花蓮港で實行委員會打合 |
25 | 高雄州異動 |
26 | 彰化國民校長異動 |
27 | 防犯劇好評 |
28 | 龍潭庄銅鑼圈信購販利組合 |
29 | 少年野球大會 |
30 | 臺南專賣支局管內麻豆專賣品 |
31 | 地方便り |
32 | 今日の映畫 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 学芸 人形劇と農村娛樂/園池公坊 |
02 | 圖像:ラングーン停車場 |
03 | 婦人說苑 生活科學化/村岡花子 |
04 | 共榮圈のお家比べ 丸い家、三角な家、海の上の家 面白いものが澤山ある 子供時局 |
05 | 南十字星 戰時下の現實 文學者よ夢を持て |
06 | 貧困ならず 昨今の臺灣の文學は/伊東亮 |
07 | 教科書もない 負け戰に苦しむ英國 |
08 | 圖像:殘敵掃蕩深夜進擊する陸戰隊 |
09 | ヒリツピン 景色のよい處 |
10 | 時局の言葉 |
11 | ラジオ |
12 | サメ 海の荒れもの |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | カバカン完全占領 ミ島殘敵の殲滅目睫 |
02 | 敵陣營の背後に迫る スミラオとミアラヨン占領 |
03 | マライバライを爆擊 |
04 | 戰鬪と前進の反復 ビルマ戰線突破記 |
05 | 圖像:翼贊政治結集準備會第一回會合 |
06 | 新議員に呈す/加田哲二 |
07 | ミーチナ市内の敵性國人抑留 |
08 | 圖像:大東亞海○○にて猛訓練の帝國海軍 |
09 | 泰國使節一行退京 慶祝の任務を終へて |
10 | □□スビー爆擊 |
11 | 敵武器□□□四散 □□謀長語る |
12 | 英印軍の無規律ぶり 指揮系統紊れ各自各樣に敗走 |
13 | 吉安、南城、玉山空襲 |
14 | 定例次官會議 |
15 | 獨の攻勢準備完了 無氣味な前哨戰の觀 |
16 | 戰時中の英、印分離可能 ガンヂー翁某英人に回答 |
17 | 佛領のマ島に 米、フ提督を派遣 |
18 | 佛國憤激 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 全島地方長官會議 愈よ明日から開催 二日間の日程決定 |
02 | スマトラの治安心配なし 渡邊軍政部長視察談 |
03 | “婦人魂”を鍊磨 港都で十九日から開催 |
04 | 圖像:我我も元氣です海の強者の艦上生活の一日 |
05 | 定例局部長會議 |
06 | 勞務奉公團員に精勤賞、優良賞 けふ市長から授與 |
07 | 見敵必殺魂に感銘 ヴ駐日獨武官南方新戰場視察談 |
08 | 國語家庭認定 六月中旬に調查 |
09 | 小玉警務課長 基隆初巡視へ |
10 | 北分團本部移轉 |
11 | 浮覆地を美田化 開拓に青年が汗の奉仕 |
12 | 感激の赤誠献金群 軍司令部十日の受付 |
13 | 近く憧れの現地へ 白衣の天使第二班鍊成終へて けふ壯行會開催 |
14 | 新竹州堆肥督勵週間開始 |
15 | 青少年角力大會 青年の部の成績 |
16 | 豪華絢爛な競技 護國神社鎮座祭に |
17 | 七里郡料理屋飲食店組合献金 |
18 | 體力檢定會 |
19 | 國民學校經營 初の研究發表會 けふ建成校で開かる |
20 | 張り切るト農場 皇軍協力の下に輝しい再出發へ |
21 | 蔣政權、國民參政會組織條例を修正 |
22 | 三日目取組 |
23 | 港都の空訓 十七日に實施決定 |
24 | 人事・消息 |
25 | 興南詩苑漢詩 題百鳥朝鳳圖/恩應 林子惠、春雨/恩應 林子惠、看劍(灜社擊鉢作)/恩應 林子惠、謹和傅夫子小立原玉/靖海、謹和傅夫子小立原玉/旭東 |
26 | 今夜の放送 |
27 | 煙幕 |
28 | 商況(十一日前場) |
29 | 興南案內報社消息 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 優渥なる勅語を賜ふ 重ねて南方陸海軍最高指揮官に頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(十一日午後五時三十分) 大元帥陸下には本日陸海軍幕僚長を召させられ南方方面陸軍最高指揮官並びに聯合艦隊司令長官に對し左の勅語を賜りたり 勅語緬甸及印度洋方面ニ作戰セル陸海軍部隊ハ長驅異域ニ進攻シ或ハ炎熱ヲ冐シ險峻ヲ度リ神速克ク敵ヲ剿滅シテ對支補給路ヲ遮斷シ或ハ敵海空軍ヲ隨處ニ擊破セリ朕深ク之ヲ嘉尚ス |
02 | 緬甸方面陸鷲の大戰果 擊墜破敵機五百餘 船舶九十二隻擊沈破 開戰以來五箇月間 |
03 | ミイトキーナを完全攻略 隨所に敗敵擊滅 |
04 | 緬甸要衝ブダリンタバインを占領 |
05 | 陸鷲敗敵を微塵に粉碎 |
06 | 敗殘英印軍を捕捉擊滅 |
07 | 緬甸人決死の協力 印度人に微妙な影響 |
08 | 渡滿の汪主席 南京に歸着 |
09 | “捨身の戰法”が奏効 緬甸航空戰の特異性 |
10 | 全比島の戡定成る ミ島敵最高指揮官シヤ少將 無條件降伏を誓約 |
11 | 緬甸の英印軍 印度國境に敗退 |
12 | 圖像:敵砲彈炸烈する中を縫つて進む決死の輸送隊 |
13 | 緬甸作戰の戰鬪經過 |
14 | ビルマ總督府 印度に移轉 |
15 | 日本海軍大勝利 トルコ紙珊瑚海戰を報道 |
16 | 米蔣聯合空軍を制壓 |
17 | 畑總司令官 南支香港を視察 |
18 | 比島綿製品製造再開 |
19 | 新政治力結集の綱領規約を決定 きのふ特別委員會で |
20 | 研究會緊急常務委員會 |
21 | 大藏省異動 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 大詔奉戴日に赫赫の大戰果社說 一 意義深い大詔奉戴日の前後に皇軍の赫赫たる大戰果が引續き發表され、一億國民を文字通り感謝と感激の坩堝に叩き込んで了つた。卽ち七日のコレヒドール島陷落に依つて東亞に於ける米國の根據が完全に覆滅され、島民が戰捷の喜びを歡呼の旗の奔流に爆發させてゐる八日の晝過ぎに、又もビルマ方面陸軍部隊の雲南國境突破の快報が報道され、引續き同夕刻には珊瑚海戰の大戰果が發表され、國民を息も引きつがせぬ勝利の快哉を叫ばしめた。 ビルマは印度防衞の第一線としてこれが確保を圖る英國と最後の輸血路たる滇緬公路を死守せんとする蔣介石が、二十餘萬の聯合大軍を組織して我が進擊を喰ひ止めんと策したが、我が精銳は堅陣、峻嶮、酷熱、瘴癘等あらゆる人為と自然の障害を克服して快進を續け、四月廿九日天長の佳節にはラシオ、五月一日にはマンダレーと矢繼早に北部ビルマの坑戰中樞地を覆滅し去り、東南三角地帶と西南一帶のビルマ軍事、政治經濟上の最樞要地域を完全に掌握した。この態勢は一刺深く印度の橫腹に擬すると共に敗殘重慶政權進攻の大關門を扼したもので、大東亞戰西方戰線に劃期的一大威力を加ふるに至つた。 二 他方ハワイ海戰以來最近の印度洋作戰に至る數數の海戰に於て、雌伏二十年と血の努力の結晶を遺憾なく發揮した我海軍の實力は、再び米英に殘された唯一の連絡基地たる濠洲の鼻先にある珊瑚海大海戰に依つて餘す所なく示された。大本營の發表に依れば、この海戰に於て敵航母二隻、戰艦二隻、甲巡二隻、驅逐艦一隻を轟擊沈破し、その上空中に於て敵八十九機を葬り去つた。過ぐるハワイ海戰が不意打ちの為め破れ、マレー沖海戰が航空機不足の為め敗北を喫し、スラバヤ、バタビヤ沖海戰は指揮系統の混亂による敗戰だと纔かに自慰して來た米英兩國は、この度の敗戰を何と辯解すべきであらうか。我が精神力の優秀性は如何ともし難く航母、戰艦、巡洋艦、驅逐艦等を含む大集團作戰も文字通り鎧袖一觸であつた。米英側も此度こそ勝利の夢をはつきり覺ましたことであらう吾吾は唯默默と皇國を泰山の安きに置かんと日夜精勵する皇軍に盡せぬ感謝を捧ぐるのみである。 |
02 | 社說 朝鮮の榮譽徵兵制施行社說 皇國民として最高の榮譽たる徵兵制度は、皇恩洽く昭和十九年から朝鮮にも實施されることとなり、その準備が着着進められる旨政府から發表されたが、去る昭和十三年四月志願兵制が始めて朝鮮に施行されて以來五箇年、支那事變から大東亞戰の勃發となり、その間に於ける半島人同胞の國民意識の昂揚は寔に目覺しいものがあり、その至情が結晶して今回更に徵兵制度の實施にまで進んだことは、邦家の為め誠に御同慶に堪へぬ次第である。 本島に於ても支那事變から今次の大東亞戰迄に示された愛國的情熱は國防献金、恤兵献金に表はれ、或は軍夫、農業義勇團として活躍し、又は勞務奉公團高砂義勇隊として發揚され、何れも「御民吾れ」の赤誠熱から迸り出ないものはない。殊に去る四月から實施された志願兵制度は今年度一千名の募集に對して應募者は四十二萬といふ尨大な數に上つた。朝鮮以上に皇民の熱烈たる意氣と赤誠が遺憾なく發揮されたものであつて、本島にも國民最高の榮譽たる徵兵制度實施の日の近きにあることを信じ、本島青年たるものは須らく一層自重し、相率いて皇民鍊成に邁進し、光榮の日の一日も早く到來せんことを待望するものである。 |
03 | 銅鐵に召集令下る 最後の一片までも供出せよ 製鐵事業は運輸業 |
04 | “素子”と御命名 竹田宮恒德王殿下第一王女子に |
05 | 徵兵制實施奉告祭 きのふ全鮮一齊に執行 |
06 | 報道戰士六十五柱 きのふ慰靈祭を執行 |
07 | 平出大佐が來臺 十三日公會堂で講演 |
08 | 軍援教育協議會 きのふ養成館で開く |
09 | 今夜臺南市で |
10 | 宜蘭郡下籾摺業者懇談會 |
11 | 嶋田海相祭文 |
12 | 谷萩大佐講演 |
13 | 圖像:夏場所大相撲番付發表 |
14 | 蘭陽地方の空訓 十四日午前九時に開始 |
15 | 新竹市姙婦の無料診察 |
16 | 福澤臺北州產業部長宜蘭を巡視 |
17 | 入場券の販賣斡旋 今後一切罷りならぬ 山本事務總長下部組織に通達 |
18 | 全島體操大會 三十日に開催延期 |
19 | 國民鍊成所上棟式 |
20 | チフス豫防十則 飲食物は是非加熱して |
21 | 無敵海軍へ献金 十日武官府の受付 |
22 | 田中中佐講演 |
23 | 從軍通譯募集 十六日に試驗 |
24 | 遺族を雅敍園に招待 |
25 | 水澤宏一郎氏が府地方視學官に |
26 | 花柳病豫防座談會 |
27 | 二日目勝負 |
28 | 人事報社消息 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 負擔の輕減へ 高雄州民に銳氣を養はしむ 市長、郡守、署長會議で |
02 | 臺東廳の空訓 |
03 | 北部聯合分會結成 臺中州下の鄉軍機構強化 |
04 | 教育者大會 |
05 | 御親閱拜受章 廿二日傳達式 |
06 | 鍛へる不動の信念 花蓮港廳報國推進隊(二) 一周年の跡を顧みて村田警務課長談 |
07 | 森田知事出府 |
08 | 廣谷廳長上北 |
09 | 英靈を弔ふ 嘉義郡下各地で庄葬執行 |
10 | 稻田總務部長堆肥增產視察 |
11 | 農產物の集荷方法を凝議 |
12 | 圖像:艦上生活の一日 |
13 | 畠中商工水產課長巡視 |
14 | 援護の萬全期して 軍援關係者事務打合 |
15 | 宜蘭郡漁業組合研究打合會 |
16 | 馬產座談會 飼養の完璧を期す |
17 | 米競作品評會 埔里教化會館で褒賞授與式擧行 |
18 | 勤報青年隊員 臺南州隊豫備訓練 |
19 | 馬匹增殖は受胎率向上から 彰化畜產會講習會開く |
20 | 信組役員改選 |
21 | 老梅組合總會 |
22 | 安らかなお產を 高雄市姙產婦に親心 |
23 | 優良兒表彰 |
24 | トマト競作會 |
25 | 花蓮港參事會 |
26 | 臺中州織物商組合 |
27 | 花蓮港桔梗俱樂部 愈よ本格的活動へ |
28 | 地方便り |
29 | 庄長留任に有力者總起ち 林邊庄に咲く人情美談 |
30 | 新市奉公常會 |
31 | 天野臺中市助役着任 |
32 | お汁物の秘訣 臺所科學講習會で公開 |
33 | 今日の映畫 |
34 | 第壹回決算公告/臺灣テツクス工業株式會社 |
35 | 第一回決算公告/南方興業株式會社 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 臺拓への現物資金 近く評價委員會設置 筧金融課長歸來談 |
02 | 二期作の生產計畫 農林課長會議で決定 |
03 | 州下籾摺休轉工場の買收評價決定 |
04 | 米穀增產と米管の進む途(一)/張泉和 |
05 | バス運賃適正化 實施方策近く成案 |
06 | 石炭會社昨日重役會を開く |
07 | 全村加入に驀進 新化郡下の飛躍態勢 |
08 | 臺灣テツクス配當八分可決 |
09 | 臺灣石炭會社近く總會開催 |
10 | 纖維製品移入配給會社設立委員決定 |
11 | 照明燈 |
12 | 商況(十一日後場) |
13 | ラジオ |
14 | 水滸傳(674)/黃得時;碇政彌 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 本島地方長官會議 けふ府正廳で緊張裡に開幕 劈頭長谷川總督訓示 |
02 | 南方發展の給源地 擧島一致協力せよ 總督訓示 |
03 | 圖像:本島地方長官會議 |
04 | 駐米佛大使 米に抗議的申入れ |
05 | 印度アツサム州の東部英陣地を爆擊 |
06 | 比島全島完全に戡定 明朗、本來の姿に歸る |
07 | 印度、重慶に大脅威 ビルマ作戰の特質 |
08 | 重慶軍より押收の物資莫大に上る |
09 | 山東肅清戰の綜合戰果 |
10 | モレスビー爆擊 |
11 | 獨佛交涉を英頻りに宣傳 |
12 | 珊瑚海戰の損害 米側發表を避ける |
13 | 重慶政權全く孤立無援の窮地 |
14 | 英佛兩軍依然戰鬪を繼續 |
15 | 獨軍司令部の戰況發表 |
16 | 三谷駐佛大使 ラ首相と協議 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 波打つ“祖國の力” 小さな勝利の蔭に大きな辛苦 おお尊き日本よ! |
02 | 圖像:明治神宮へ舞樂を奉奏 |
03 | デマ放送の日記 コ島地下室から押收 |
04 | 比島戰歿勇士慰靈祭 齋藤總務長官が參列 |
05 | 茶榖で軍馬慰問 |
06 | 年若い婦人を救出 ニユーギニア敵兵營內から 產後僅かに五ケ月 |
07 | 防諜群を組織 新竹署農閑期を利用して |
08 | 歡呼の聲に送られて 白衣の天使第二班壯途に就く |
09 | 誠心誠意罩めて 伊奈山團長決意を語る |
10 | 絢爛豪華な繪卷 護國神社奉納演藝 |
11 | 頼母しい緊張振り 引率者土橋屬語る |
12 | 奉祝相撲大會 二十四日植物園で開催 |
13 | 四日目取組 |
14 | 在鄉勞務奉公隊 臺北市全島に魁けて結成 |
15 | 中村法務局長らが近く上京 |
16 | 雲豆、白絞油配給 |
17 | 煙幕 |
18 | 竹山街民が無敵海軍に献金 |
19 | 興南詩苑漢詩 祝南方雜誌並賀伯卿君與素鳳女士結婚/鄭香□、恭祝荷生先生令郎伯卿君吉席/長谷德和、蒙南方社長招宴席上賦贈某女士/晴園、女外孫林素霞中選看護婦助手作此壯而勉之/鶴亭、本雜誌受當局許可繼續發刊喜作並謝在座諸先生厚情/簡荷生、喜諸先生及音樂家惠顧席上賦呈/簡荷生、本社長招宴蒙諸先生愛顧代謝/林靜子 |
20 | 今夜の放送 |
21 | 商況(十二日前場) |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 珊瑚海海戰綜合大戰果 優渥なる勅語を賜ふ 敵聯合艦隊擊破を御嘉尚頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(昭和十七年五月十二日午後五時) 大元帥陛下には本日海軍幕僚長を召させられ聯合艦隊司令長官に對し左の勅語を賜はりたり 勅語 聯合艦隊航空部隊ハ勇戰奮闘珊瑚海ニ於テ大ニ米英聯合ノ敵艦隊ヲ擊破セリ朕深ク之ヲ嘉尚ス |
02 | 冀中共軍を擊滅中 五月一日以來攻擊を開始 |
03 | 完全な治安地區へ 北支軍報道部長談話を發表 |
04 | 擊沈米航母二戰艦一 大破英戰艦一、甲巡外四隻 敵機九十八機を擊墜 |
05 | 海鷲の續く大戰果 國民は新たな感謝を捧ぐ |
06 | 壯烈な殲滅戰 |
07 | インフアル空襲 英軍當局より發表 |
08 | 東條首相より祝電 |
09 | 敵機百六十三機擊墜破 モレスビーとダーウインで |
10 | 綜合戰果 |
11 | 敵の殲滅目睫の間 |
12 | 圖像:珊瑚海海戰圖 |
13 | 米英大狼狽 |
14 | 陸鷲出動 |
15 | 企業整備令公布 外地は六月十五日より施行 |
16 | 全島地方長官會議 第一日の日程終る |
17 | 貴院側委員の第二回會合 |
18 | 整備令內容 |
19 | ペタン出席 ヴイシーに歸還 |
20 | 宣言文案を附議決定 特別委員會開催 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 新しい結婚理念社說 一 大東亞戰爭を戰ひ拔け、共榮圈の確立に一億國民が、凡てを擧げて總進軍を開始してゐる時、結婚も亦この線に沿ふてなさねばならぬ。從來は、西歐の自由主義的な思想の影響を受けて、ややもすれば、結婚を夫婦二人きりの幸福の實現とのみ考へられて來たが、今は、もはやそんな勝手な考へが許されなくなり、結婚は、飽くまで國家の理想に副ひ、次代の國民を創造する貴い契りとして新しい理念の下に考へ直さなければならなくなつた。結婚によつて家が作られ、その家は、國につながり歷史につながり、過去を背負ひ、未來への生生發展を目ざして無限に伸びて行くのを考へる時、結婚は、決して單なる甘い夢ではなくして、國家に對する國民の嚴肅な義務でなければならぬ。從つて若き男女は、徒らに結婚を延ばして獨身時代の自由な生活の樂しみを貪ることなく、適齡期になれば、出來るだけ早く適當な相手を見付け出して結婚をなし、以つて國家に對する崇高な國民的義務を果すべきである。 二 結婚に伴つて、すぐ考へられるのは、出產の問題である。我が國の出產率は、大正九年以降漸次低下の傾向を示してゐるが、これは、生活の不安定による晚婚が、その主なる原因の一つをなしてゐることは統計によつて明らかに示されてゐる。されば、政府では、先般發表した人口政策確立要綱の中にも、出產增加の目標を、今後十年間に婚姻年齡を現在に比べて大體三年早め、一夫婦當り出生兒數を平均五兒に達せしめるやうにしてゐるのは、誠に賢明な方策だと云ふべきである。曾つて產兒制限を唱へ、夫婦內の享樂を强調したフランスの今日の敗戰を考へる時、吾吾は人口の增殖と國家の隆替が、如何に離るべからざる關係にあるかに一驚するであらう。殊に大東亞共榮圈の盟主として、凡ゆる點に於いて指導的役割をもつ日本は、今後南方に拓かれた新しい天地へ一大飛躍をなさむがためには、人的資源の確保が最も重要な課題として、吾吾の解決を待つてゐるのである。 三 斯くの如く結婚と出產は、國家に對する崇高な國民的義務であるから、其出產された子女も家の寶であると共に國の寶である。從つて親たるものは、單に子女の將來の立身出世や家門の繁榮を圖ることにのみ汲汲せず、常に國家といふ大きな立場から子女の養育に從事しなければならぬ。つまり、家と國をつながる生きた紐帶として、また、次代の日本を背負ふ若き生命として、子女を鍊成すべきである。これと同時に、國家も、國民の適齡男女が、經濟的に心配なく結婚ができ、結婚によつて創造せられた若き生命は、どこまでも健やかに伸びて行くことができるやうに、凡ゆる設備と保護を與へるべきである。買物行列などで早流產が多くなつたり、折角生んだ赤ん坊も、母乳不足やミルク入手難のために滿一歲を迎へずして死亡したり或は幼兒時代にほんの養護知識の不足から早死にしたりするやうなことが萬一あつたとするならば、それこそ皇國民族永遠の發展を阻害するものである。今こそ吾吾は民族永遠の若さと健やかさを保つため、新しい結婚理念の下に「生めよ、殖やせよ」の掛聲に足揃へて一意邁進すべきである。 |
02 | 原住民が挺身協力 スラバヤ港急速な復興振り |
03 | 鐵塔上に日章旗 今ぞ大東亞に立ち還る エンナジヨン油田 |
04 | 恒春神社鎮座祭 諸儀滯りなく執行 |
05 | 圖像:爆擊を終へ翼休めて海鷲の手入をする整備員 |
06 | 軍馬に茶榖慰問 蓬萊校のヨイ子供部隊 |
07 | 經濟部參與會 |
08 | 盡忠報國の赤心 隱れた特志看護婦美談二つ |
09 | 防備よりも住居だ 米英の敗因を衝く 平出大佐の前線視察談 |
10 | 圖像:マンダレー突入の皇軍に協力する住民達 |
11 | 防空資材を點檢指導 港都で十六日午後一齊に |
12 | 島民赤誠の献金 武官府十一日の受付 |
13 | お役人に朗報 年末賞與を繰上支給 |
14 | 皇軍を絕讚 平出大佐高雄で講演 |
15 | アンボン島の香木 將來極めて有望な事業 |
16 | 圖像:夏場所大相撲 |
17 | 鄉軍聯合分會總會 |
18 | 蜂谷外事部長に勳三等 |
19 | 福澤產業部長蘭陽地方初巡視第二日 |
20 | 商奉團結成打合會 |
21 | 基隆市十六日に延期 |
22 | 營業實態調查打合 |
23 | 鹽糖定時總會 廿八日に開催 |
24 | ときの声 |
25 | 三日目勝負 |
26 | 全男女中等校陸上競技大會 來月七日臺中で |
27 | 全島女子中等通信對抗競技 各校で任意開催 |
28 | 五月中に六、七月分繰上配給 家庭業務用砂糖 |
29 | 人事・消息報社消息 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 干バナナ製造に 臺灣青果が乘出す? 個人工場は下請工場に認定 |
02 | 初日はレントゲン試驗 臺南の志願兵體格檢查 |
03 | 堆肥督勵班編成 |
04 | 臺南畜產組合扶農會總會 |
05 | 圖像:ニユーギニア、パポを急襲上陸の陸戰隊 |
06 | 耕作面積に比例して堆肥 竹北庄の增產調 |
07 | 笑顏で時局突破! 親切運動をも起す 臺中奉公壯年團打合 |
08 | 軍人精神の體得 青年道場に兵志願者合宿 |
09 | 講演行脚に有志者蹶起 桃□綠野氏等 |
10 | 派出所每に婦人指導班結成 |
11 | 鍛へる不動の信念 花蓮港廳報國推進隊(三) 一周年の跡を顧みて村田警務課長談 |
12 | 圖像:エナンヂヨン激戰の跡 |
13 | 移民事務打合 |
14 | 內部組織を強化 桃園奉公壯年團 |
15 | 日割一部變更 臺中州奉公會 |
16 | 運動の真髓把握へ 嘉義奉公會指導訓練に躍起 |
17 | チブスは口から入る 花蓮港市豫防に大童 |
18 | 會議日程變更 |
19 | 防火鐵壁陣を布く |
20 | 思はぬ御馳走に 蔗園綠色猗猗たり 嘉義郡堆肥增產に馬力 |
21 | 農報實踐運動 潮州部五月中の指導要項 |
22 | 保甲役員を鍊成 花蓮港廳下から五十名選拔 |
23 | 神域清掃に奉仕 二林街の奉公壯年團 |
24 | 旗山野球大會 |
25 | 防げ!スパイを 廳民に正確な防諜觀念 |
26 | 臺中州異動 |
27 | 州民道場日輪舍 |
28 | 瀆職犯に懲役二ケ年求刑 |
29 | 人事報社消息 |
30 | 地方多より |
31 | 今日の映畫 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 計畫造船の實施 產業設備營團を活用 閣議で正式決定 |
02 | 商業對策樹立に 營業實態を調查 |
03 | 南海興業總會 下鄉寅吉氏を取締役に選出 |
04 | 水產統制令 十六日に公布、施行 |
05 | 戰時食糧確保に米穀增產に邁進 松野府農務課長談 |
06 | 朝鮮魚粉四百瓲 近く各州へ割當 |
07 | 日月潭の增水で 火力發電を休轉 |
08 | 轉業に役割果す 工業技術員養成所 |
09 | 大稻埕和紙業者府物資課へ陳情 |
10 | 下質洋紙の增產 臺興で近く着手 |
11 | 各市配給組合聯合會を設置 |
12 | 魔法瓶工業會社 愈よ創立決定 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況(十二日後場) |
15 | 堆肥使用の甘藷成績頗る良好 入鹿山技師談 |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(675)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 隨所に捕捉殲滅戰 英蔣聯合軍完全包圍 |
02 | ワンコンロン占領 |
03 | 重慶の抗戰態勢破局 |
04 | 圖像:ジヤングルを突擊する皇軍兵士 |
05 | 極度に狼狽 苦しい宣傳に努む |
06 | 英軍、アツサム撤退發表 |
07 | 皇軍の士氣昂揚 |
08 | 新臺灣の性格反映 南方施策の抱負續出 第二日の本島地方長官會議 |
09 | 芳澤特派大使ド總督と懇談 |
10 | 滇緬ルート 龍陵まで |
11 | 英の意圖は判然 英首相毒瓦斯宣言に對し ドイツ側堂堂逆襲 |
12 | ホーム島を空襲 モレスビーを爆擊 |
13 | 獨軍、猛攻を開始{兵力二百萬} ドイツ盆地全線で |
14 | 大規模強力な手段 ケルチ半島で激戰中 |
15 | 待望の春季攻勢 新兵器使用、豫備作戰 |
16 | モミに軍艦旗飜る ナビレに陸戰隊上陸 |
17 | ラヴアル首相態度表明せん |
18 | 壯烈な殲滅戰 冀中共產軍、支離滅裂 |
19 | 十八萬三千五百 英軍將兵の喪失總數 |
20 | 綜合的マレー調查研究所 大いに期待さる |
21 | 浙江、江西兩省の各地を空襲 |
22 | 三角地帶に包圍 |
23 | 駐日勃國大使任命 |
24 | 印度防衛機構再組織を決定 |
25 | 大ぴらな非服從事件 マドラス、カラチ印度守備隊に |
26 | 佛政府の抗議 米は一蹴せん |
27 | 英米次の狙ひダカールか |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 勞奉隊の挺身振り 軍から絕讚の辭 山口勞務課長現地視察談 |
02 | 勅語奉戴式を擧行 青少年學徒參集の下に |
03 | 不明の祭神遺族 心當りの方は府社會課へ |
04 | “勝つて勝ち拔け” 臺北着の平出大佐語る |
05 | 豫想以上に豐富 佛印資源調查團の成果 |
06 | 黑潮躍る大海原で 師道魂鍊磨に精進 各校教授四十五名參加して |
07 | 市長郡守會議 十六日州會議室で |
08 | 港都遠足大會 廿四日に開催 |
09 | 今夜公會堂で講演 平出大佐、總督を訪問 |
10 | 圖像:鹵獲せる敵の爆雷を我が機に取付出動準備する海の勇士 |
11 | 重要鐵道線の復舊成る 全爪哇島資源の交流活潑化を豫想 |
12 | 北三女で熱辯 銃後の乙女らに多大の感銘 |
13 | 市支會委員會 けふ市民講堂で開かる |
14 | 基隆防空打合 |
15 | 臺灣麥粉配給組合献金 |
16 | 赤誠溢る献金群 連日軍報道部に殺到 |
17 | 五日目取組 |
18 | 性病の驅逐へ 港都で座談會 |
19 | 人事・消息報社消息 |
20 | 興南詩苑漢詩 山上□望/洪元煌、春日偕諸友過黃棟君龜蒙別墅賦呈主人/洪元煌、春感次吳醉蓮君索和韻/黃景南、偕養源、文淵、程、林諸氏謁 「指南宮」次韻/黃景南、小齋漫作/黃景南 |
21 | 煙幕 |
22 | 今夜の放送 |
23 | 商況(十三日前場) |
24 | 興南案內報社消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ニューギニア敵前上陸 堂堂たる白晝強襲 西北岸の十一箇所 一兵を損せず占據頭條新聞 【東京發同盟】マノクワリ十三日杉本海軍報道班員發、人食人種と極樂鳥で知られたニユーギニア島は世界第二の巨島として無限の豐庫と數數の謎を秘めて長い間眠つてゐたがその西半分を占める舊蘭領は去る四月一日から約三週間に亘つて決行されたニユーギニア作戰によつて完全に皇軍の掌握する所となつた、堂堂たる白晝強襲わが海軍特別陸戰は此ニユーギニア作戰の尖兵として從來の敵前上陸の型を破り軍艦旗をかさしての堂堂たる白晝強襲上陸を敢行した、セラム島ブラを皮切にニユーギニア島フアクフアク、バボ、ソロン、モルツカ諸島、テルナテ、更にニユーギニアマノクワリ、モミ、ナビレ、サルミホランヂヤ、ニユーギニアに近接のヨーペン島、セルイと計十一箇所のニユーギニア西北岸の各要衝を一兵をも損せずして占據、白晝の強襲敵前上陸といひ三週間の短期間における上陸回數といひいづれも陸戰隊史に嘗てない記錄的戰果である。 激戰なき勞苦蘭印軍の全面的降伏後地の防備に汲汲たる殘敵は戰はずして其精銳果敢なる皇軍の威武にひれ伏し悉く無抵抗のまま白旗を揭げたため壯烈な戰鬪は殆ど演ぜられることなく各要衝はわが手に歸した、しかし作戰に不可缺な地圖その他の參考資料の入手が極めて困難で地圖なども上陸一兩日前偵察機が撮影して來た俯瞰圖を利用するといふ有樣で其苦心は並並ならぬものであつた、また酷熱の道なき蕃地を踏破する殘敵討伐には普通の山嶽戰とは異つた運輸連絡上の血のにじむやうな勞苦があり加ふるにマラリヤ、毒虫などの惡疫に對する危惧があつたがわが陸戰隊勇士はこれらを克服し「無敵陸戰隊」の傳統と勇名を高めた、記者はセラム島のブラの白晝作戰を始めモルツカ諸島のテルナテ、ニューギニア島のバボ、マノクワリ、ヤプン島のセルイと五個所の攻略戰に參加椰子樹の影で露營の夢を結ぶこと幾度び、陸戰隊の周到親密な作戰と颯爽たる活躍ぶりを體驗した、上陸前夜、わが陸戰隊勇士を乘せた輸送船○○丸は水先案內の哨戒艇これに續く巡洋艦○○、敵情偵察の任務を帶びる水上機母艦、その他驅逐艦、水雷艇の護衛艦艇に前後兩翼を警戒されながら波静かなるバンダ海峽を壓して堂堂と進む、左舷には北斗七星、右舷には南十字星が雄大な構圖を畫いてゐる、甲板で午後の猛訓練を終へた勇士達は武裝を解いて逞しく陽灼けした上半身を潮風に晒してゐる、砲塔の見張員は夜への警戒配置についた赤い夕やけ雲が黑く水平線に解け込んで夜がやつて來た、船內は嚴重な燈火管制だ、筵を敷いた船倉の屋根では勇士達が○○、○○の壯烈な戰闘の思ひ出を語り合つてゐる、「あの時は夜明けの敵前上陸ぢやつたがそれに比べると今度の作戰は晝間だから全く大膽なもんぢや敵も目を廻すぢやらう」この勇士達は、これで四回目の敵前上空に參加するといふ緊張はあるが興奮のない静かな夜わが輸送船は波を蹴つて進む ブラに腕試しの上陸ニユーギニア作戰の序の口として三月三十一日ニユーギニアの西方に當るセラム島ブラに敵前上陸が行はれた行きがけの腕試しである、ここはニユーギニア方面で唯一の石油產地として蘭印の石油權を一手に握るバタフセ石油會社の觸手がこの僻地にまで伸び年產約十萬トンの產出量がある所だ、人口五百で街としては小さいが石油と港灣設備がある、情報ではアンボンから多數の守備兵が移駐して警備に任じてゐるといふことだつた、三十一日の朝勇士達は緊張の裡にきりりと武裝しわれら報道班員も拳銃で武裝した、めざすセラム島のブラは薄明りの中にぼんやり浮いてゐる護衛機○○と○○は編隊で威容を示し○○から飛び立つた、水上機はブラの上空を低く旋回しながら偵察してゐる、對岸との距離は五千米位に近づき島影が鮮かな姿を見せて來た、どうやら昨日の機上から行つた投降勸告ビラが効を奏して降伏らしい、甲板から双眼鏡で見ると石油タンクや石神櫓が見える、午前七時「上陸用意」の號令と共に朝の强烈な太陽が灼けつくように照りつける中で整然たる下船が開始された○○艇の中には陽灼けした逞しいが敵陣を喰ひ入るように睨んでぎつしり詰めてゐる、機雷を啓開しながら八時に石油棧橋に上陸した、殘留の蘭人が唯一人沈痛な足取りで白旗を揭げて出迎へに來た、朝風に軍艦旗は飜へる、部隊は堂堂の行進を開始、初の無血上陸はかくて成功したのである。 寶庫の調查基地バボ四月二日のニユーギニア島西北岸のバボも無抵抗のままプラと同樣わが手に落ちた、戰前まではバタフセの傍系に當る蘭領ニユーギニア石油會計があり同社がオランダ技師約六十名の下に住民約一千名を使役して石油試掘に當つてゐた所、密林を開いて道路が四方に通じ不似合に立派な飛行場もある、わが陸戰隊が上陸した時は旣に皇軍が一月下旬から二月上旬にかけて行つた三回の空爆のためアンボンから派遣された約百七十名(內蘭人十名)の守備兵が二月八日に引揚げ石油會社、從業員家族も第一回空爆直後引揚げ殘る住民もニユーギニア本土の奧深く逃亡した後であつた □ま□逃げたと勇士の嘆き プ□でもバボでも敵影はなく張り切つた勇士達はがつかりしてしまつた、多少の敵でもゐて抵抗すれば腕の鳴り場があらうものを敵は餘りに弱過ぎる、バボで露營の四月二日は十六夜の月が椰子の高い梢の上にかかつてゐたがここから一里ばかり河を遡つた所に鰐が出るのでそれを退治に行くことになつた、道案內が三人懷中電燈を照らしながら進んで行く、鹵獲したばかりの獵銃を肩にして勇士達は探檢隊員のような好奇心に胸をはずませて步く、身丈程の灌木が繋茂した河岸に辿りつくと土人がわあいわあいと合圖する勇士達は聲を潛めて、じつと凝視した、五分、十分鰐が水面から無氣味な顏をぬつと出す時は犬の遠吠えの聲に似たのを發するといふが幾ら待つても小波一つ立ちもしなけれぼ遠吠えの聲も聞えない、勇士達は狙つてゐた獵銃を肩から外して叢の中に置いた、蚊に刺されながら數十分も待つたが鰐らしいものは姿を見せぬ、鰐の好物でこれさへあれぼ難なく引つかかるといふ鶏の血を河上から流して見たがとうとう失敗に終つた、「なんといふ運の惡いこつた、ニユーギニアの奧まで來て鰐公までが恐ろしがつて逃げよるぞ」と勇士達はからからと笑ふのである 住民が投降兵狩り四月七日わが陸戰隊はモルツカ諸島の要衝テルナテの無血上陸に成功これを占據した、テルナテは四百年の昔イギリス、オランダ兩國が香料爭奪戰を演じた中心地である、周圍僅か六十キロの小島に過ぎないが肉豆蔻、沈香、コブラ、肉桂などいわゆる香料の產地である、また天然の良港があり數年前政廳がアンボンに移轉するまではニユーギニア北部からモルツカ諸島の中心島であつて人口一萬二千、一七三七年に築城されたオラニラ城とサルタンの住む豪壯な王宮に宮都としての面影を止めてゐる、わが陸戰隊七日朝同港仲に姿を現はした、海拔千八百米のチドレ富士はフリ島と並んでこの美しい街を抱いてゐる、九時半○○艇は棧橋に橫づけになつた、蘭人の事務官が棧橋にまで白旗を持つて出迎へに來た、この街も無條件降伏だ、しかし蘭人の大尉を指揮官とする敵兵はけさまで街の警備に任じてゐたがわが艦艇が沖合に現はれるや水道を破壞し火を放つて島內奧深く逃亡した後であつた、直ちに殘敵討伐が始まり山奧に敵を追けことになつた部隊は椰子林を拔けて前進する、住宅の家の軒每には白旗が揭げられてある、白旗には早くも日の丸が畫かれてあるのもある、部隊が前進する度びに住民達はいづれも道路へ出て心から歡迎の手を擧げる、如何にも平和で豐かな村落を思はせるようにどの家でも牛と馬とを放し飼ひしてゐる、上空を低く殘敵偵察のわが飛行機が舞つてゐる。夕刻にななつて數十名の住民兵が續續投降して來た、中には住宅が皇軍に協力して山中で敵兵を捕へ連行して來たものもあつた。 サルタンの恭順テルナテには四百年の昔ポルトガル、スペインが全盛を極めた時代にはハルマヘラを始めセラマ、北部セレベス、ミンダナオ、ボルネオの一角にまで實權を握つてゐたモハメツド・アリの末裔でモハメツドジヤビルといふサルタンが住んでゐる、サルタンは一、八一三年ナポレオン戰爭當時のイギリスの愚弄政策によつて建てて貰つた小高い丘の王宮に住みその昔各國から贈られた金銀財寶を眺めては王妃と多數の從者にかしづかれ往時の夢を追ひながらその日その日を安逸に暮してゐるサルタンは早速本部に馳せつけ部隊長の前に進み慇懃な挨拶を述べた後「私達が最も信賴する日本軍が新しい建設のため當地まで來られたことは感謝に堪へません、この赤道こそは世界の中心たる日本の占むべきものです、住民は御承知のように飽くまで日本軍を信じ協力してゐます」と語り王自ら率先しての協力ぶりを道路に居並ぶ多數の住民の前で示したのである。 マノクワリに日本人の墓四月十二日決行されたニユーギニアの主邑マノクワリ攻略もテールナテと同樣百餘名の守備兵が部署を放棄して山奧に遁走したが部隊が上陸した時は、投降兵が續續と山から下りて白旗を揭げここもまた無血上陸で占據、ニユーギニア作戰の意圖する所はかくて完全に達成されたのである、ここは髮の毛のちぢれたパプア族ばかりだ、黑檀のようにぴかぴか光る皮膚、身に纏ふものは禪一つとい原始的な進展だが恐らく戰爭のあつたことも知らないのだらう、無表情にずらりと並んでゐる、やがて通譯が現はれて大東亞戰の意義を判り易い言葉で說き始めた、純粹なパプア人達は始めて蘭人の敵性が飲み込めたらしい手を擧げ何か鳴きながら「その通り」といふような表情をして笑顏に立返るのであつた 新しき朝來る四月十日イノクワリの北方約百五十浬のヤーペン島セルイの攻略も敵兵なく無理上陸であつた、わが陸戰隊の主力はまづセルイを終點してニユーギニア要衝攻略戰に驚異的成功を收めて終了したのである、ヤーペン島はニユーギニア領でもアボンの管轄下に置かれ東西二百浬の孤島であるためマノクワリとの連絡は年に數回あるだけで奧地には爵蒼たる原始ばかり、住民はワニスの材料であるラマスの栽培を生活の糧としてゐる、セルイの街には蘭人は宣教師、檢察官、署長代理、醫者など家族合計十數名でいづれも皇軍の進撃は寢耳に水だつたらしいこの僻地にまで及ぶ皇軍の威力に始めて接し敗戰本國の慘狀を知らされ絕望の面をうなだれるのであつた遠く本國を離れて石油ランプの佗しい孤島住ひをしてゐた彼等ではあつたがもはや安住の地は世界の果を彷徨しても求められない、本國政府ですら持餘したこのニユーギニアは所詮蘭人の住む地ではなかつたのだ、こここそは日本人の新天地だ、インドネシア人と共に手を握り相携へて建設すべきわれらの地だ、わが部隊はいま未開の地に新しい鍬を振り上げ種を播いたのだ、輸送船はセルイの沖を靜かに離れた、全行程三千餘浬の大作戰を終へて基地へ急ぐのである、棧橋ではパプア住民達が群りけさまで揭げてゐた白旗を日章旗に染めて大きく振つてゐる、別れの挨拶だ、再び逢はんわれらが盟主と叩びかけてゐるようだ |
02 | 注目!數數の意見 地方長官會議終る |
03 | 六相會議を開催せん |
04 | 保山(雲南)へ猛進開始 |
05 | 武強東南地區を銃爆擊 |
06 | 冀東、冀中の戰果 |
07 | 研究會の常務委員 六氏新當選 |
08 | 海軍武官任用令改正 |
09 | 規約綱領等を附議 けふ準備會總會 |
10 | 終日熾烈な戰鬪 獨ソ兩軍とも相當兵力參加 |
11 | 敵一千を殲滅 |
12 | 建設諸施策を推進 冀中作戰の特異性 |
13 | ソ聯當局發表 |
14 | 獨軍發表 |
15 | 春季攻勢(獨紙論調) |
16 | 來年から昭南市に南方官吏育成所 各地駐在邦人官吏を養成 |
17 | 獨の新兵器注視の的 |
18 | 英の敗戰糊塗宣傳混亂 |
19 | 佛各地に反英示威熾烈化 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 奉公壯年團の敢鬪に期待社說 一 發足第二年を迎へ、過去一年の展開を素地に益益推進展開さるべき皇民奉公運動の親衞隊として、指導者階層の中堅分子を抱擁せる奉公壯年團の翼賛奉公運動に擔ふ役割は廣且大にして、其果すべき率先垂範的挺身實踐は、運動の飛躍的展開の上に非常な期待を懸けられてゐる壯年團員は今日の時局においてこそ、果敢敏速なる皇民奉公行動を實踐展開し、この行動の中に火の玉となり肉彈となつて、高度國防國家體制を目指す臺灣一家の建設に向つて決死的に突貫せねばならぬのに拘らず、團員の中には稍もすれば、自分が指導者として選ばれた光榮を自覺せぬのみか、皇民奉公運動の本質と奉公壯年團を理解しない同志があるため、未だ强力な步調の下に奉公戰線途上の頑敵たる舊體制に對し、勇猛果敢なる總攻擊態勢に發展し得ないことは、寔に遺憾と言ふべきであつて、去る九日奉公壯年團の搖籃時代の精銳分子を網羅せる臺北市奉公壯年團が第三回大會を開き奉公會本部の山本事務總長、田中訓練部長が出席し、團員の質疑に率直明快に應答し、團の理念を闡明すると共に團員の嚮ふべき處を明らかにしたことは、團員の突擊戰線に橫はる防害的要素を一掃したものとして重大意義があると言はねばならぬ、 二 皇民奉公運動の本質は軍官民六百萬の一人一人が、運動の細胞として各各がその地域に職域において、臣道實踐し以て高度國防國家體制確立、大東亞共榮圈建設に邁進するにあるが、然し乍ら全島六萬四千餘の奉公班の半分位が常會運營をなし得ないと言ふ文盲の島民が尚大多數を占め、且つ舊體制的な觀念の上に築かれた生活の殘滓が消えない現狀においては、この目的達成は至難の事業と言はなければならぬ。從つて本島の翼賛奉公運動は强烈な實踐展開と共に大眾への活潑な啓蒙も緊要缺く可らざる問題である。所謂實踐にまで盛り上る力を指導者層が植付けると同時に、匡正刷新すべき各分野に率先躬行之が推進に當らねばならぬ、闇取引、賣惜み、買溜め、瀆職、無駄浪費、贅澤、虛禮、成金根生等等…は總て自由主義的な個人主義的な觀念に出發した所產であり、舊體制の堡壘であり要塞である、之が擊破殲滅には日和見的な消極的な態度では達し得ベくもないのである。愛國の熱情もだし難く、敢然と蹶起し火の玉となつて燒き盡す程の攻擊力がなければならぬ。この尊嚴なる使命と崇高な道德的榮譽を擔つたのが實に奉公壯年團に外ならぬのである。 三 量的にも質的にも精銳主義の奉公壯年團こそは、皇民奉公の大旆の下に臣民道を實踐せんとする烈烈たる意欲に溢ふれる魂の集團であり、皇民奉公運動の挺身隊であり、その行動は體當り戰術によつて奉公戰線の中に肉彈となつて、突擊してゆく決死的な奇襲である。これ程、力と熱と誠とを持つた實踐體はなく、それ故に奉公壯年團こそ唯一にして而かも最も果敢な皇民奉公の突擊隊である。宣戰の大詔を拜して五月餘、皇軍將兵の赫赫たる戰果は、克く大東亞戰爭を第二段階の建設期に導いたが、この建設必成のため、幾倍と强力なる一億總進軍を奏でるべき今日、國運の柱石たるべき壯年團は虛心坦懷、過去一年の皇民奉公運動の現狀を正視し、今日の時局を思ひ、且つ自己活動の跡を反省するならば、何の逡巡があらう、宜しく國內體制の刷新と國防體制の强化に今こそ一路突進すべきではないか、既に目的と進路が明確である以上、若しも二百三十餘團、一萬二千餘の團員が悉く皇民奉公運動の理念に透徹し團の綱領を體し、團員の誓ひを遵守するならば、團の活動事項として列擧せられてゐる抽象的な八項目も自ら具體的事實となつて團員の果敢な活動對象とならう。 |
02 | 空襲何んぞ恐るべき 今日の體驗を明日に生かせ 嚴たり我が防空陣 硝煙匂ふ・皇軍の奮戰 大本營海軍報道部課長平出大佐の熱辯 |
03 | 圖像:大本營海軍報道部課長平出大佐の講演會 |
04 | 果敢な奮戰振りに 皇軍將兵舌を卷く バタアン從軍高砂族義勇隊 中村警視の視察談 |
05 | 安藤軍司令官 西部方面初巡視を終へて歸北 |
06 | 兵事主任會議 兩日間馬公警備府で |
07 | 圖像:ジヤングル地帶を進む皇軍 |
08 | 軍國の母の感激篇 臨終まで戰線の子を激勵 |
09 | 手當金を寄附 |
10 | “香港攻略戰” 撮影本隊出發 |
11 | 和親切磋して 文武區第二第三班合同模範常會 |
12 | 肉豚增加競技會入賞傳達式 |
13 | 米國臭橫溢の比島 日本帝國の手で叩き直すべきだ 森田奉公會參事視察談 |
14 | 宜蘭花柳病座談會 |
15 | 島都皇民奉公訓練所 けふ本年初の開所式 |
16 | ときの声 |
17 | 傷痍軍人勇士代表修養會 |
18 | 俘虜監視員募集 希望者申込は廿四日迄 |
19 | 地方長官會議訓示傳達 |
20 | 真山青果氏 藝術院會員に推薦 |
21 | 新聞配達員募集/興南新聞社販賣部報社消息 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 貯蓄報國の好機! 六月一日第三回戰時債券賣出し 臺中州の消化策なる |
02 | 屏東市商議選擧 一級議員遂ひ定員に充ず |
03 | 光榮の六青年校に 御親閱拜受章を傳達 |
04 | 圖像:皇軍精銳堂堂マンダレーに入城 |
05 | 明朗活潑なる擧動 何れも甲種合格の意氣に燃盛る 臺南の兵志願者檢查 |
06 | 中和庄常會研究會 |
07 | 高地に馬鈴薯 渡邊技師近く實地踏查 |
08 | 部落運營研究會 |
09 | 送迎廢止・時間勵行 嘉義奉公會陋習打破に邁進 |
10 | 高雄州奉公會經濟部打合せ |
11 | 國語の家 家族大會を開催 “國語臺中州”期して精進 |
12 | 働く喜びを聽く女子推進員體驗談 始終感激の連續(二) 偉い方方の激勵に忘れ得ぬ印象 |
13 | 屏東郡警察召集 |
14 | 市制期成同盟役員指名さる |
15 | 籾代金の早急支拂 高雄州關係者協議 |
16 | 圖像:初めて見る皇軍を歡迎に山から降りて來たパブア人 |
17 | 產卵檢定の新試み デルデン氏遺傳法則に依る |
18 | 國史展覽會 |
19 | 農事打合せ |
20 | 鶏豚養殖が中心話題 各市郡畜產主任打合會 |
21 | 荷拔犯多數檢擧 徹底芟除に付一般の協力要望 |
22 | 農產競作會褒賞授與式 |
23 | 高雄工業技術練習生合格者 |
24 | 官吏の訓育 高雄州第二回講習會開く |
25 | 專賣品小賣人組合總會 |
26 | 冷氣迫る菊水の閃めき 堂に入つた推進隊員の劍舞 |
27 | 人事 |
28 | 地方便り |
29 | 水に御用心! 兒童四名溺死 |
30 | 今日の映畫 |
31 | 貸借對照表/淡水劇場株式會社 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 原料生產國として 東亞經濟圈に貢献 佛印の豐富な農鑛產物で |
02 | 島產優良棉種 南方へ百萬斤送付 |
03 | 米穀增產と米管の進む途(二)/張泉和 |
04 | バス合同略完了 公企業として再出發 |
05 | 高雄州一期籾の受渡 六十萬袋に上る |
06 | 澱粉組合臨時總會杉原脫退を可決 |
07 | 本期島內產糖高 千八百卅萬擔か |
08 | 中壢街で帽子編講習會を開く |
09 | 日糖彰化工場壓搾を終了 |
10 | 臺灣茶統制會社近く總會を開催 |
11 | 照明燈 |
12 | 商況(十三日後場) |
13 | 水滸傳(675)/黃得時;碇政彌 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | マライバライに進駐 米比軍投降兵を整理 |
02 | 譽れの親鷲部隊長に 初の賞狀を授與さる |
03 | モロ族名刀二口を本間將軍に贈呈 |
04 | 不滅に輝く戰功 ビルマ戰線の陸鷲 |
05 | 皇軍に協力の諸相 緬甸人の緬甸建設に躍起 |
06 | 內務辭令 |
07 | 前イラク首相ベルリン着 |
08 | 圖像:敵に爆破された鐵橋を修理の為更に我が軍により爆破の剎那 |
09 | 惠通橋も谷底へ顛落 |
10 | 武漢周邊の敵士氣沮喪 |
11 | 反樞軸國空軍事會議開催 |
12 | 獨軍、突破作戰に成功 |
13 | ソ聯側敗退を認む |
14 | 勝利の前哨戰 |
15 | ヴイシー政府 對米覺書を通達 |
16 | 獨軍司令部戰局發表 |
17 | 春季攻勢幸先よし 獨紙大大的に報道 |
18 | ケルチ半島作戰 ソ聯官邊極めて重視 |
19 | 敵の內河で敵船を擊沈 獨潛水艦の活動 |
20 | 英國の偽善と叛逆 チヤンドラボース氏の放送 |
21 | 產業設備營團の損害を補償 船舶建造に全力傾注 |
22 | 主なる改正點 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 戰はぬ前に逃げ支度 米英兵、國家より命が大事 熱辯續く平出大佐 斯くして米英を屠る |
02 | 綿花の種を御下賜 各療養所長恐懼感激 |
03 | 大東亞戰爭の特色 破壞のすぐ後に建設 |
04 | “捕虜條約”を暗記 用意周到な敵國軍人 |
05 | 圖像:マレー戰線に於ける夥しき俘虜群 |
06 | 口を揃へて絕讚 今にして知る日本人の溫情 |
07 | 日本人を祖先に 言葉も似てゐるミナハサ州 |
08 | 綠の島が禿山に 物淒い我が砲擊爆擊で コ島の山形變る |
09 | 松本馬公警備府參謀長 中央要職に榮轉 後任に島崎大佐決定 |
10 | 宇野、茅兩博士に恩賜學士院員 |
11 | 天佑神助を保有 荒鷲の比島大空襲 |
12 | 興南詩苑漢詩 □□內人王女士潔秋六十初度/葉文樞、三男國□於六月一日在垊里拉與張麗璧結婚賦此寄示七律四首錄三/葉文樞 |
13 | 四日目勝負 |
14 | 苗栗郡下青年團員勤勞奉仕 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 高松宮殿下を御差遣 滿洲國皇帝陛下に對し 御祝意を表せしめらる頭條新聞 【東京發同盟】畏くも 天皇陛下には善隣盟邦滿洲國が大東亞戰下意義深く迎へた輝く建國十周年を殊の外御慶祝遊ばされさきに張謝恩特派大使の來訪に際しては御滿悅あらせられて皇室の貴賓として御歡待あらせられたがこの度 皇帝陛下に親しく御祝意を表せしめられるため特に 皇弟にまします高松宮宣仁親王殿下を近く同國に御差遣あらせられる旨去る四月二十日御沙汰あらせられ十四日午後三時宮內省から左の如く發表されたが滿洲國帝室の彌榮若き盟邦の輝しい發展を御祝福あらせ給ふわが皇室と八紘為宇の皇道を基幹とせられ日滿一德一心 天皇陛下の大御心を御心とせられる 皇帝陛下の御厚誼彌彌御親密に亘らせられるを拜し奉り日滿國民齊しく恐懼し奉る次第である 宮內省發表本年滿洲國建國十周年につき同國 皇帝陛下に對し祝意を表せられんがため 宣仁親王殿下を同國へ差遣はさるる旨去る四月二十日御沙汰あらせられ近く御渡滿の御豫定なり 尚高松宮殿下に隨行申上ぐる隨員は左の如く仰せつけられた旨十四日發表された 式部長官子爵 松平慶民 陸軍中將 黑田重德 外務省東亞局長山本熊一 式部伯爵 坊城俊良 海軍少將 金子繁治 對滿事務局事務官吉田晴二 陸軍中佐 小島純勝 皇族附武官 神田武夫 宮內事務官 吉島六一郎 外務事務官 小澤武夫 式部官子爵 京極高光 |
02 | 輝く滿國建國十周年 皇室と帝室の御親交彌深し |
03 | 「翼贊政治會」と決定 新政治力結集體名稱 |
04 | 第二回總會 |
05 | 殿下には御日常絕へず 滿洲事情に御心を注がせ給ふ |
06 | 阿部大將推戴に決定せん 新組織の總裁 |
07 | 創立實行委員十氏を指名 |
08 | 綱領、規約を宣言 |
09 | 有難さに恐懼感激 張國務總理大臣謹話 |
10 | 宮內府發表 |
11 | 圖像:コレヒドール占領第一報 |
12 | 判明せる我大戰果 コ島とマニラ灣諸要塞攻略で |
13 | 故大平大尉拔群の戰果 大東亞戰下初の個人感狀授與 |
14 | 翼贊會問題で鳩首協議遂ぐ 關係閣僚が懇談 |
15 | 擧國的政治組織體 派閥抗爭を一擲して |
16 | 獨軍猛砲擊 レニングラード戰線 |
17 | 陸軍司政官 |
18 | 一兩日中に最後決定 |
19 | 華北省西南部肅清戰の戰果 |
20 | 冀中殲滅戰戰果 |
21 | 定例次官會議 |
22 | 高雄市志願兵の檢查狀況を視察 長谷川總督十八日南下 |
23 | 連絡員を設く 貴院各派代表より |
24 | 遞信辭令 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 北部糖業撤退の必要社說 一 本島に於ける糖業の發達は從來國內需要の大部分を賄ひ、且つ輸出品として重大な役割を演じて來た事は永年官民の努力に基くところ少なくないが、本島の風土に適した產業である事は其の最大原因であらう。ところが本島が糖業の適地といつても經濟的に見れば濁水溪以南の地域であつて、中北部にありては之を一律に論ずる事が出來ないのである。然し大東亞戰爭勃發以前では國內自給及び圓ブロツクへの供給を為すべき使命の下に假令不適地のため多少採算上不利であつても一定數量の生產を確保せんとする政策より見て島內の各地域に亘つて極力增產を圖らねばならない事情があつた。現在となつて既に爪哇、フイリツピンの如き糖業地を我が制壓下に歸した以上は自ら本島糖業に對する情勢も一變し此處に於て識者では夙に糖業再編成の必要を唱へられる事となつた 二 若し東亞共榮圈建設の理念からいへば糖業も適地生產を徹底せねばならず、從つて本島の糖業を飽く迄も保護せんとする事は決して國家の利益でなく、又南方統治策としても必ずしも合理的な方策だとはいへない。唯本島に於ける既成產業に對して多大な惡影響を及ぼすが如き急激な變革は、此の際是非とも避けなければならない事はこれ又極めて至當な話であらう。それだからといつて本島北部の如き糖業不適地までも現狀を維持せんとする事は、何れの角度から見ても當を得たものだとは思はれない。最近北部に於ける砂糖の生產費は其の內容を知る由もないが、各社とも多大な赤字を出してゐる事は否まれない。其の證據として日糖では既に昭和十六、七年期から崁子脚工場の閉鎖を斷行し、二結工場も昭和十八、九年期から閉鎖する事と決定した事は、糖業再編成の理念に基くよりも寧ろ採算上極めて不利であつた事は明かであるが日糖の一大英斷として大に推獎すべき事である 三 斯くの如く本島北部の糖業は公定價格制の下に單に製糖會社側の採算破れを齎らしてゐるのみではない。臺北州農林課の調查に依れば最近蔗作、割當二期作水田に對しては小作人は小作料の五割減又は一甲百五十圓の補助がなければ土地を返却せんとする實例が屢屢起るのであるから、北部に於ける糖業の維持は單に製糖會社のみでなく、地主も小作人も多大な犧牲を拂はせてゐるのである。卽ち北部にあつては製糖期に於ける雨水過多に依る步留低下、浸水、風害(新竹州)に依る甲當收量の減少が蔗作の不利を齎らして來たのである。現に本期灣糖臺北製糖所の產糖高は僅か四萬四千六百擔しかなく、一工場の產糖高が少なくとも十五萬擔乃至二十萬擔がなければ經濟的に經營出來ないため今後無理でも耕地を擴大する外なく、共榮圈內の砂糖需給が二百萬瓲を過剩してゐる現狀から見て誠に矛盾極まる現象といはねばならない。 四 更に進んで北部臺灣に於ける糖業の位置を一瞥すれば昭和十四、五年期の例に徵し、全島甘蔗收穫斤量百六十六億三千萬斤に對し臺北州三億七千萬斤、新竹州八億八千萬斤合計十二億五千萬斤にして卽ち全島收穫量の七%五しかなく、これ位の數量は臺灣糖業全體から見て微微たる問題しかないのである。今回の地方長官會議席上に於て宮木新竹州知事より北部糖業再檢討の意見を述べられた事は地方事情の體驗より生じた問題であつて誠に同感と存ずる次第である上記の如く北部糖業の撤退はいづれの角度から見ても當然な事であり、殊にかかる米作の適地に無理に蔗作を奬勵するが如きは、米穀增產の建前からいつても特に其の必要を痛感せざるを得ない。 |
02 | 積極的參加を通達 鄉軍と奉公壯年團藤岡兵務部長から |
03 | “最後迄頑張ろう!戰爭には是非勝たねばならぬ” 平出大佐離臺の辭 |
04 | 田中訓練部長 各種座談會に出席の為南下 |
05 | 軍合同慰靈祭 けふマニラで執行 |
06 | 圖像:セラム島攻略戰 |
07 | 基隆市空訓打合會 |
08 | 商業奉公團結成準備打合 |
09 | 青年中堅幹部の講習會 |
10 | 感激の半島青年 忠誠を誓ふ書翰殺到 |
11 | 防衛團員防空群 新竹市、再訓練をなす |
12 | 新竹商議議□總會 |
13 | 五分埔奉公班員の献金 |
14 | 臺大開學記念日 記念式體育會等を開催 |
15 | 敵の謀略に警戒 陸海軍當局談を發表 |
16 | 技術の南方進出 青年通信士海南島へ |
17 | 臺灣青少年大會 愈十七日盛大に開催 南方共榮圈青少年出席者 |
18 | 臺大豫科生假校舍竣工 十八日から移轉 |
19 | 築く防空鐵壁陣 蘭陽地方の空訓開始 |
20 | 最近又も增えた歡送迎 鐵道當局で自肅を要望 |
21 | ○○丸敵の魚雷攻擊を受く 判明せる生存者は五百四十一名 |
22 | “挺身躬行を誓ふ” 桔梗俱樂部鍊成會修了式 |
23 | 遭難者救恤に 萬遺漏なき對策 |
24 | 五日間勝負 |
25 | 肉豚の增產計畫 州當局の努力着着奏効 |
26 | ときの声 |
27 | 大掛りの金密輸出事件 主犯者一味送局 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 建設的方途を研究 廿日奉公委員會開く |
02 | 一ヶ年の跡を顧みて 屏東奉公委員會開催 |
03 | 田中訓練部長圍んで懇談 彰化奉公壯年團 |
04 | 抱負を披瀝 新豐奉公委員會 |
05 | 御親閱拜受章傳達式 |
06 | 働く喜びを聽く女子推進員體驗談 學ぶ尊き三教訓(三) 嘘言はず、恐れず、働いて恥ぢず |
07 | 嘉義で座談會 |
08 | 國語常用の徹底化 廿日迄を強調週間に |
09 | 故陳軍屬外二英靈の市葬 十九日に執行 |
10 | 奉公壯年團 臺中州支部結成 |
11 | 農事組合を強化 市郡勸業課長で打合 |
12 | 員林郡奉公推進員大會 |
13 | パンフレツト配布 嘉義奉公會 |
14 | 臨時市會を招集 復興豫算の附議が目的 |
15 | 大掃除の手傳 勇士の家庭に |
16 | 彰化市議月例會 |
17 | 新廳舍の落成式 岡山憲兵分遣隊 |
18 | 防火、救護を訓練 彰化市防衛團實施 |
19 | 奧貫拓務省商工課長來中 |
20 | 屏東奉公會役員會開催 |
21 | 酒壜 左黨御用心 忘れたら飲めないぞ 高雄專賣局リンク制實施 |
22 | 中澤署長彰化管內を巡視 |
23 | 高砂寮で最後の磨き 花蓮港の兵志願者豫備訓練 |
24 | 圖像:羽黑山不覺の一敗 |
25 | 吉津東港郡守着任 |
26 | 一萬圓の御褒美 稻作の現地審查開始 |
27 | 神岡庄民献金 |
28 | 准看護婦の資格を與へる 一ヶ年の講習修了者に |
29 | 國講所開講 |
30 | 行事に織り込む時局色 迫る海軍記念日に準備をささ |
31 | 物資配給關係者懇談 |
32 | 濱邊に網を結ぶ 大甲奉公會水產鍊成會開く |
33 | 將來の發展は 度り知る可らず 渡部大甲郡守巡視感想談 |
34 | ラツパの音を相圖に 堆肥作業に駈出す三峽壯年團 |
35 | 彰化工業技術員練習所合格者 |
36 | 王顏氏招刀自仙逝 |
37 | 人事報社消息 |
38 | 地方多より |
39 | 今日の映畫 |
40 | 訃文:王顏氏招 |
41 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 企業整備令の運用 本島の特殊事情を考慮 鈴木企畫部長代理談 |
02 | 昨年度中の簡保 十七萬餘件を增加 |
03 | 日糖彰化工場產糖卅七萬擔 |
04 | 米穀增產と米管の進む途(三)/張泉和 |
05 | 纖維品移入會社 けふ設立委員會を開催 |
06 | 貨物積卸作業賃 三割六分の引上 組合評議員會で可決 |
07 | 臺灣廢品統制會社近く總會を開催 |
08 | 大阪短期立會順序變更 |
09 | 內外肥料協議會へ東海林技師を派遣 |
10 | 臺拓倍額增資 大藏省より内認可 |
11 | 臺南州下の製糖豫定より步留低下 |
12 | 日糖の本期產糖 六百二十八萬擔 |
13 | 水稻多收競作會 近く審查を開始 |
14 | 化學工業品物價專門委員會 |
15 | 商況(十四日前場) |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(676)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | モレスビーを襲ふ 飛行場に巨彈を投下 |
02 | ケ半島で獨軍善戰 赤軍內部の狼狽ぶり |
03 | サルウイン河の激流をロープを賴りに渡河進擊する皇軍 |
04 | 獨軍司令部發表 |
05 | 獨軍が新作戰 南部戰線の前線で |
06 | ソ聯軍を擊退 |
07 | 獨新戰鬪機を使用か フオツケ、ウルフ百九十型 |
08 | 緬甸英軍 全滅に等しい損害 |
09 | 擧國的政治力結集(上) 翼贊政治會の誕生迄 |
10 | カリーニン地區を攻擊 |
11 | 米商船三分の一喪失 |
12 | 圖像:昭南港を堂堂壓す我艨艟の雄姿 |
13 | 聯合國側汽船三隻擊沈さる |
14 | 米の戰費急增 |
15 | 改正海運統制令と施行規則公布施行 |
16 | 同交會を解散 社交團體として「午樂會」を結成 |
17 | 大西洋戰を悲觀視 米の各新聞雜誌事態の重大認識 |
18 | 全國金融統制會 けふ設立命令を發令 |
19 | 實行委員會開く |
20 | マルタ島の新司令官負傷 |
21 | 戰時重要物資買上要領の骨子 |
22 | 內閣改造はデマ 東條首相否定す |
23 | ローマ法王の放送演說 |
24 | 佛の對米回答 內容の一部 |
25 | 小癪・敵機五機ハノイに來襲 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 驚異的熱意の協力 カレン部落民汗の奉仕 |
02 | 兵器部慰安會 十七日同部で開く |
03 | □寧館武道大會 |
04 | 治安の重責を果し 海南島派遣警察隊還る |
05 | 總督訓示の傳達 |
06 | 武道の振興へ 體育運動主事會議開かる |
07 | 福澤產業部長歸廳 |
08 | 圖像:皇后陛下日赤總會に行啟 |
09 | 產業奉公團を組織 全州下で近く結成式を擧行 |
10 | 輝く戰果に感謝 武官府十四日受付献金 |
11 | 商奉團結成要領 業態別組合長打合會で決定 |
12 | 島都市民の赤誠 慰問袋三千餘個發送 |
13 | 村田教育課長市内を初巡視 |
14 | 常會運營打合 各方面の意見を徵す |
15 | 鮮魚に拔取檢量制採用 |
16 | 黑い五つ兒誕生 二男三女佛領アフリカに |
17 | 圖像:支那方面航空部隊爆擊を續行 |
18 | 全島學生弓道選手權大會 卅一日武德會で |
19 | 全島大學高專野球試合 申込十八日迄 |
20 | 全島男子中等校柔劍道大會 申込は廿九日迄 |
21 | 學校對抗卓球大會 |
22 | 島都推進員常會 十六日から各市出張所で |
23 | 夏場所大相撲 七日目の取組 |
24 | 組合金融統制會 近く設立 |
25 | 新竹に東亞旅行社案內所 |
26 | 青果配給組合定時總會 |
27 | 興南詩苑漢詩 次韵祝櫻痴老弟壬午還厝/謝雪漁、次雪霞女士春感瑤韵/莊幼岳、夜坐/莊幼岳 |
28 | 煙幕 |
29 | 今夜の放送 |
30 | 商況(十五日前場) |
31 | 興南案內報社消息 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 河北、飛躍的に明朗 冀中軍區擊滅作戰○○參謀談話頭條新聞 【冀中○○前線十五日發同盟】今次の呂正操麾下の共產軍冀中軍區擊滅作戰に關し北支軍作戰主任○○參謀は十四日次のごとき談話を發表した昨秋軍は普察冀邊區共產軍の大根據地を覆滅したが普察冀邊區は周知のごとく山嶽地帶で住民も少く物資資源極めて貧弱な所である、しかるに敵がかかる地域に大根據地を占めてゐた所以は勿論皇軍の攻撃を避け易いのが第一の理由であるがその補給基地を至近の冀中地區に持ち得たといふことが絕對的な素因で彼等の人的物的資源の幾パーセントは冀中地區より補給されてゐた今次の冀中軍剿滅作戰は敵の培養資源を覆滅し且つ中部河北省を明朗化せんとするのが目的であるが前述のごとく冀中地區の價値は彼等にとつて最も重要なものであるため彼等としては飽くまでこれを確保しなければならぬ、しかしながら冀中地區は平坦地で 大兵團ををもつて攻撃されれば一たまりもなく覆滅される運命にあるので彼等は次のごとき方法をもつてこの地區を確保してゐたその第一は人的組織の完成で軍と農村一體の組織が高度に發達してゐる、第二はこの平垣廣大な冀中平原を作戰的に農地より陣地帶に改編してしまつたことである、このためわが方が最も苦心したのは交通の問題である、敵は道路を分斷してわが軍の行動を妨害し全地域に亘つて築城を施し敵方相互の連絡は交通壕により中には車馬の通行出來る程のものさへある、また部落間に一千米より二千米に及ぶ長い地下道を掘つていづれの方向にも通ずるようにしてゐる、かくのごとく翼中地區の政治經濟文化思想の各般に亘り完全に組織された陣地帶でこれによつて皇軍の優勢な兵力をもつてする 長時間の攻擊に對抗しようといふのが敵の戰法である、勿論わが精銳に勝つことは出來ないが或る期間皇軍の銳鋒を避け或ひは色色妨害を試みまたは普察冀邊區及び冀中全域における活潑なる牽制作戰によりわが方の力を出來るだけ他の方面に分散させようと努めてゐるのであつて今次の作戰ほど共產軍が真劍に行動したことはいままでになく冀中地區が如何に重要な地域であるかを裏書してゐる、これに對するわが方の作戰はまづ蠢動してゐる敵武力の撃滅である、如何に堅固な陣地でも軍隊が悉く屈伏されたなら力を發揮することが出來ぬ、所がこの武力を叩くために大兵力を動かせば敵は忽ち逃避四散しわれも又廣域に亘る陣地帶內哨を實行なければならぬから結局數名の日本軍は十數名の敵を捕捉し數十名のわが部隊は數百の敵を擊滅しなければならぬ、その累積によつて以上の目的や達するのであるがこれは筆舌に盡せぬ至難極まる戰闘だ、かくのごとくして敵の武力を一掃したら爾後の問題は民眾の獲得である、その第一の要訣はわが力が 敵を凌駕してゐることを知らせ且つ民眾をわれに服從して來ればこれに至當なあらゆる策を施し民政を安定せしめ且つ民心を把握すると同時に民眾を組織化するこのようにして敵の武力を始め政、經、文化思想全般の力を打破する次に今次作戰の戰果であるが第一に中部河北省の共產勢力を一掃し治安第一主義の河北飛躍的に明朗化した、第二にこの地區を一擧に治安地區として安居樂業の地とする、第二は北支隨一といはれる豐饒な地域を治安地區とすれば北支全域の民政向上に資する所極めて大きいといふことである、これを要するに本作戰は中部河北省共產勢力を一掃するにある本作戰により共產軍全體に與へる打撃は實に大きくまさに共產勢力打倒の關ケ原といふべきである |
02 | 小賣業整備要綱 各地方長官に通牒 |
03 | 冀中の共產軍殲滅 |
04 | 山西中共軍に鐵槌 |
05 | 海軍報道部長更迭 後任小川大佐補せらる |
06 | 果敢なる銃爆擊 |
07 | 滿蒙國境劃定議定書 公文交換正式に確認 |
08 | 圖像:シツタン河上流に架橋の○○工兵隊 |
09 | 必勝の信念を生かす 小川新報道部長抱負を語る |
10 | モレスビー爆擊 |
11 | マ島碇泊佛艦武裝解除 |
12 | 翼贊會の機能刷新 逐次調整充實を圖る |
13 | 獨ソ戰刻一刻高潮 |
14 | 加奈陀より遠征軍着英 |
15 | 情報局總裁談 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 勝つて勝ち拔くためには社說 一 大東亞戰事勃發して以來五箇月餘を經過し、皇軍の武威に依り米英蘭の勢力を東亞の天地より驅逐した事は、我が將兵が御稜威のもとに多年血の出るやうな猛訓練と、祖國を護る愛國心の發露による。卽ち勝ち拔く勇猛心に燃えて生死を超越し奮戰力鬪した賜である。一億國民がかかる大戰果に對し、感激と感謝を捧げると共に、第一線の將兵の勞苦を偲び、銃後國民生活に於いては如何なる困苦缺乏にも耐へる覺悟を持つべきである全國民がガツチリ腕を組み銃後を守るのであれば、如何に米英兩國がその誇る豐富なる物資に依り、長期戰を弄するとも少しも恐れる必要がない。ただ恐るべきは銃後國民の人心の弛みとデマの橫行である過日內地に襲來した敵機に對し、六百萬帝都市民の沈着にして協力一致防空に當つたことは賴母しい限りである。近代戰爭に於いて敵機が我が國土に襲來する事は、軍事專門家の均しく豫想する所である。かかる神經戰爭に對し、銃後國民が普段の訓練を活用して對處するのであれば、却つて銃後國民の團結心を喚起すると共に、敵國の神經戰を無為に終らせてしまふ。 二 廣大なる南方地域を包含する大東亞戰爭を完遂させる為めには、國民の總力を擧げてこれに協力させる政府當局の指導が最も大事であるが、それと共に銃後國民をして長期戰に倦ましめない樣に志氣を振作する事が緊要である。戰爭目的達成の為めに國民をして鐵石の如き團結心を高揚してこそ大東亞戰爭を完遂させる事が出來るのである。大東亞戰爭は、實に東亞民族十億解放の雄雄しい聖戰であり、その目的を達成する為めには、第一線の赫赫たる大戰果に應へて、銃後經濟建設に全力を傾注し、高度國防國家の確立に邁進する事が現下に與へられた國民的責務である。卽ち物資の窮屈や企業統制に依る失業があつても、飽く迄も政府の指導に從ひ、大東亞戰爭の完遂を目指して全國民が一億一心となつて、國運を賭する大戰爭に勝ち拔かねばならない。最早狹少なる量見や偏頗なる氣持ちを持つべき時代ではない。卽ち雄渾なる氣宇と高遠なる理想を持ち、直實なる實踐力に依つて單一目標に突進せねばならない。 三 飜つて本島の使命より之れを見るに大東亞戰下に於いては實に動かざる航空母艦として軍官民が一身同體となり、戰事完遂の為めに勇躍銃後の生產擴充から第一線への奉仕に至るまで、與へられた職責に向つて真摯なる協力を為して來た事は、全國民の均しく賞讃する所である。殊に皇民奉公會の發足以來、六百萬島民が真に臺灣一家の理念に基いて皇民化運動が展開され、着着としてその使命達成に邁進して居る事は大東亞戰爭完遂の一翼を擔ふ本島としてこの上もない榮譽である、今後は聖戰遂行の為めに六百萬島民は、真に日本國民としての誇りと氣魄とを持ち、臺灣一家である心構へを以て銃後國民の責務を果す為めに、その日常生活をして時局に則應し、上下一心同體となつて國策遂行に邁進すべきである。これが臺灣一家の根本理念であると共に、大東亞戰爭完遂の唯一の方途であると思ふ |
02 | 南方に揚る勝鬨 比島で十八日慶祝大會開催 帝國艦隊堂堂入港 |
03 | 戰歿勇士合同慰靈祭 きのふ比島ルネタ公園で嚴修 |
04 | 海中から寶探し 今樣マレーの花咲爺 |
05 | 農民精神の把握 八ケ嶽農場で訓練 |
06 | 上昇一路の献金熱 大東亞戰勃發以來六ケ月 海軍へ百廿二萬圓 |
07 | 保健懇談會開催 |
08 | 新竹商議所臨時議員總會 |
09 | 感謝感激の献金 軍司令部の受付 |
10 | 鄉軍新竹市聯合分會後援會總會 |
11 | 圖像:全國勤勞團體に配附する小泉厚相の勤勞訓 |
12 | 實業青年座談會 |
13 | 保甲役員鍊成入會式 |
14 | 勤報青年隊員 花蓮港訓練所入隊式 |
15 | 香港は南支の門戶 石田總督顧問語る |
16 | 英靈二柱の桃園街葬 廿日に執行 |
17 | 小さな胸に愛國熱 增える學生生徒の献金 |
18 | 興亞工業大學創立 學長に小西重直博士 |
19 | 羅東の青年歌發表會 |
20 | 食糧不足深刻化 英國、外食均一價格制を實施 |
21 | 產業戰士訓練所生合格者 百五十名發表 |
22 | 死傷者廿餘名 竹山郡下の山崩れ |
23 | 大學高專水上競技大會 |
24 | 圖像:茅、宇野兩氏の榮譽 |
25 | 出發前の合宿訓練 青少年大會出場代表 |
26 | 花蓮港代表も出發 |
27 | 五指山ハイク |
28 | 溝子口丘より指南宮ハイク |
29 | 青少年大會出席者出發 |
30 | ときの声 |
31 | これは怪しいぞ 曙校兒童の防諜美談 |
32 | 六日目勝負 |
33 | 照、名寄潰ゆ 大相撲六日目 |
34 | 羽黑山休場と決定 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ビルマ英蔣空軍擊滅戰 敵機擊墜破五百餘機 戰車、車輛三千餘を爆碎 |
02 | 輝く緒戰の大戰果 短時間に敵機跳梁を抑壓 |
03 | 圖像:炎熱下架橋作業に活躍の我が工兵部隊 |
04 | 蘭貢突入に威力發揮 |
05 | 自爆しても敵を必殺 |
06 | 地方多より |
07 | 今日の映畫 |
08 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 木造船建造獎勵會 追加豫算臨時議會に提出 |
02 | 纖維品配給會社 きのふ設立委員會を開く |
03 | 日滿支連絡運輸會議延期 |
04 | 米管委員會 廿九日に開催 |
05 | 米穀增產と米管の進む途(三)/張泉和 |
06 | 總務部長に加納氏就任 |
07 | バス運賃の改正 實施方策州廳に通達 來月十五日一齊に斷行 |
08 | 米棉競作會 新豐郡會議室で表彰 |
09 | 船員養成施設擴充 |
10 | 戰時災害國稅減免法施行 |
11 | 照明燈 |
12 | 商況(十五日後場) |
13 | ラジオ |
14 | 水滸傳(677)/黃得時;碇政彌 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 雲南要衝騰越に進出 山また山の險峻を突破 |
02 | 敗走蔣軍を急追殲滅 |
03 | 浙贛線各要衝を爆擊 |
04 | 蔣麾下將僚の狼狽ぶり 頻に東西に狂奔 |
05 | 圖像:マンダレー周邊の殘敵に猛射を浴せる○○砲隊 |
06 | 重慶政權の抗戰は民族の自滅を招く 岩崎報道部長談話 |
07 | 擧國的政治力結集(下) 翼贊政治會誕生の經緯 |
08 | 伯國北部に海軍基地新設 |
09 | マダガスカル佛空軍の損害 |
10 | 佛政府、現地交涉を認めず 米の要求三點 |
11 | 戰時船員需給要綱 臨時議會に提出せん |
12 | 金融事業整備勅令 けふ公布即日施行 |
13 | 發起人招請の範圍 翼政初創立委員□で決定 |
14 | ケルチ市に肉薄 獨軍、赤軍を急追 |
15 | ケルチ猛火に包まる |
16 | タキル海岸地域の陷落は時間的問題 |
17 | ジヤバ敵性華僑一齊檢擧 |
18 | 各種國民運動 翼贊會の傘下に收む |
19 | ケルチ占領か |
20 | 援ソ路を妨害 獨逸全力を擧げて |
21 | 櫻井事務官等 アンカラ發歸國 |
22 | 稅關長異動 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 輝く大戰果を偲ぶ 海軍戰利品展 記念日を迎へ二十五日から開幕 |
02 | 護國神社の祭神 九千二百二十六柱 |
03 | 招待狀發送 參列員と遺族に |
04 | 圖像:灼熱のビルマルート(マンダレー街道)を征く我が輜重部隊 |
05 | 臺灣青少年大會 南方共榮圈青少年大會と共に あす島都で開催 |
06 | 第一回技能競鍊中央大會 |
07 | 尊し興亞の礎 散華英靈十八日凱旋 |
08 | 皇軍こそ救世主 英國は地獄に向つて驀進 一ビルマ人の告白 |
09 | 圖像:堂堂大東亞海を制壓する我巨砲 |
10 | 記念碑除幕式 ジヨホール水道河畔で |
11 | 基隆市勸業課長に今井氏 |
12 | “臺灣の夕” 本□□主催は臺日□□□□ |
13 | 譽れの志願兵 庄民を擧げて援助 |
14 | 市長郡守署長會議 けふ臺北州會議室で |
15 | 臺北、新北投、樹林間 機動車を增發 來る二十日から |
16 | 短艇競漕を催す 港都、三十日に決行 |
17 | 臺銀の南方進出 開發專任理事に但木氏 |
18 | 海軍武官府献金 |
19 | 新竹州市長郡守署長會議 |
20 | 詩人佐藤惣之助氏逝去 |
21 | 興南詩苑漢詩 呈黃景南君/范慕淹、次慕淹兄見贈韻/潛廬、感懷/高文淵 |
22 | 八日目取組 |
23 | 豫防注射奏効 基隆のチフス半減 |
24 | 山本基隆家政女學校長が轉出 |
25 | 今夜の放送 |
26 | 商況(十六日前場) |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 擊沈敵船舶六十五隻 開戰以來我潛水艦の戰果頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(十六日午後三時五十分)帝國海軍潜水艦の開戰以來五月十日までに撃沈せる敵船舶累計左の如し 一、太平洋ハワイ方面一五隻一◯一、七◯◯噸二、西南太平洋方面一五隻九六、◯◯◯噸 三、印度洋方面三五隻二四六、三◯◯噸合計六五隻四四四、◯◯◯噸 【東京發同盟】帝國海軍潜水艦は開戰以來東は米本土沿岸より西は印度に亘る廣大なる海域に縱橫無盡の活躍を續けつつあり、ハワイ海戰、マレー沖海戰等各海戰に參加して偉大なる戰果を收めた外航空部隊と協同攻擊に偵察に哨戒に赫赫たる功績を擧げてゐるがわが潜水艦はこれと同時に敵が命の綱と恃む太平洋ハワイが方面、西南太平洋、印度洋方面の通商破壞に從事し開戰以來五ケ月にして太平洋ハワイ方面に於いて十五隻十萬一千七百噸、西南太平洋方面に於いて十五隻九萬六千噸、印度洋方面に於いて三十五隻二十四萬六千三百噸、合計六十五隻四十四四千噸の敵船舶を擊沈するの大戰果を收めた、今回發表せられた戰果は撃沈船舶のみの累計で更に水上艦艇、航空部隊の戰果を合すれば開戰以來敵側の損害は極めて甚大であり、わが無敵潜水艦の乘組員が見敵必殺の鬪志に燃えながらあらゆる困苦缺乏と闘ひながら默默として重大任務の遂行に邁進しつつあるのは國民の等しく感謝するところである |
02 | 雲南要衝騰越を占領 隨所に莫大な資材を鹵獲 |
03 | 援蔣ルート完全窒息 |
04 | 東久邇宮盛厚王殿下 福岡に御着御歸還 |
05 | 比島前線に御挺身 幕舍に兵員同樣御起居遊ばさる |
06 | 十氏に親任待遇を賜ふ |
07 | 陸海軍司政長官任命發表 |
08 | 俘虜一萬二千餘名 鹵獲品は莫大な數 コ島要塞の大戰果 |
09 | 米遣印使節□長ガンヂーと會見 |
10 | 英印軍副司令官ハ大將を任命 |
11 | 米軍戰力、蔣軍以下 敗け惜みの宣傳は重慶以上 |
12 | 今後の翼贊會運營 安藤副總裁談話發表 |
13 | 發起人への招請狀 大部分發送を完了 翼贊政治會、廿日陣容を確立 |
14 | 雄渾な一大覆滅戰 中條山脈の共產軍に大鐵槌を加ふ |
15 | 圖像:戰線を偲ぶ鐵牛部隊の市中行進 |
16 | 獨軍ケルチ市進入 |
17 | 米の條件 佛領マ島のロ提督受諾の說 |
18 | 米貨物船擊沈 ミ河の河口で |
19 | オツタワで空軍會議開く |
20 | 珊瑚海海戰に參加の聯合國側傷兵の模樣 水兵達には嚴重な緘口令 |
21 | 泰國外貿局長官 ワ氏を任命 |
22 | 比島の食糧增產 自給自足を目指して |
23 | 米、小艦艇建造 |
24 | 墨國が抗議 油槽船擊沈に關し |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 臺灣青少年團の整備強化社說 一 本島青少年運動は、けふの臺灣青少年團の結成式を契機として、劃期的な新發足をすることとなつた。舊臘十二月三十日附訓令を以て發表された同團設置要綱に依り、從來任意的であつた本島の青少年運動は初めて、明確な訓練方法が與へられ、その嚮ふべき所が明らかにされたわけである。卽ち青少年をして萬民翼賛の精神に基く國家奉仕を第一主義となす國民道德を涵養實踐せしむるを本旨とし、また一、皇國青少年道の確立、二、國家目的への卽應、三、團體的實踐鍛鍊の徹底等の三項目を指導方針とし更に之が目的達成のため、精神、體育、國防、生活產業、拓南の各訓練が擧げられてをり、組織的に見ても國民學校と職場を區域に、男女混合の單位團を整備强化し、之を打つて一丸とする綜合的な實踐組織體として、青少年の全生活を國家奉仕の線に集中せんとしてゐる。從來の青少年團は各各が別個の存在として、目標も方法も獨自であつたのに對し、飽くまで一貫の方針と體制を與へ、實質的に直接的に繋がりを持たせる所に特色が見られる。 二 本島の青少年團は、昭和五年府訓令を以て青年團體設置標準に依り、少年團は內地少年團に倣ひ個別的組織の下に、指導訓練を行ひ從つて青年團と少年團は併立し、單にその連絡統一のため聯合青年團と聯合少年團が結成せられ、訓練も團員の向上を圖る個人完成にあつたが、今回の改正により青少年團全部が一個の人格として、臺灣青少年團が謂はばその頭部に位し、手足指としての下部組織に州廳、市郡、街庄等の各青少年團、更に最下部組織として單位青年團又は單位少年團が結成せられ、一元的組織の下に青少年を結集し國家の要請に卽應する統制ある訓練を施し、其活動を高度國防國家體制確立、大東亞共榮圈建設の全的協力に邁進せしめる從來は精神方面を主として、個人完成を目指したのに對し、實踐による國家目的への行動を第一義とする個人完成を目的とし換言すれば、本島統治の本義に基き青少年の皇國民としての實力を一層强化し、且つ之を本島の使命達成に向つて、最高度に發揮せしめんがため、團體的生活體制の機構と內容を整備した外にならない。 三 特に女子青年の教養訓練に關しては、決戰下女性の擔ふ使命の重大性に鑑み、男女の分離組織を廢し、合同體とした所以は女性の訓練教養を男子のそれと比較して價値に於ても實行に於ても、輕重なからしめその徹底を期した點にある。斯くの如く組織的にも內容的にも整備强化された臺灣青少年團が、實踐鍛鍊による青少年層の全行動を國家目的に動員されることは、大東亞共榮圈確立の前進基地として、本島青少年の負荷の使命を完遂する上に萬鈞の力を加へるものである、吾吾は同團の今日の首途を祝福すると共に一言を呈したい處は、その華華しき發足が單なる氣勢に終つてはならぬと云ふことである。物事は何によらず、その初期に最も困難があるが、臺灣青少年團がこの困難を克服し、その組織の完璧なる運營を期すると共に、內容充實たらしめるためには、强烈なる指導性がなければならぬ。力と熱と誠を持つた指導人物が最も强調されなければならぬ。そのためには指導者の養成が先決問題であるが、督府が曩に勤報隊臺北訓練所に臺灣青少年團幹部養成所を開設したことは、機宜を得た處置であるが、同團の將來の發展に備へてもう少し之が擴充强化を圖るべきである。この指導態勢の整備强化と同時に、協力態勢の强化推進も青少年運動の發展の上に緊要缺く可からざる所で、この點特に一般社會就中直接關係者たる父兄と、使用者層の深甚なる理解と協力に俟たねばならぬ。 |
02 | 大勳位に敘せらる 金子堅太郎伯の光榮 |
03 | 潛水艦部隊活躍 航空隊と共に殊勳の双璧 印度洋作戰に大戰果 |
04 | 圖像:海南島海軍部隊の活躍 |
05 | 十六日午後薨去 |
06 | 陸海軍共同攻略記念塔 ラバウルで除幕式擧行 |
07 | 柔道試合を擧行 皇宮警察部武道大會 |
08 | 愛國の献金譜 軍司令部へ赤誠部隊 |
09 | 永田軍政顧問 長谷川總督が招待 |
10 | 英靈合同告別式 廿六日第三部隊で執行 |
11 | 非常に几帳面 藤井甚太郎氏語る |
12 | 藤岡軍兵務部長 鄉軍講習、軍教視察のため 十九日朝に南下 |
13 | 大日本婦人會紋章圖案決定 |
14 | 海軍に慰問品 軍國乙女の溢るる赤誠 |
15 | 英靈無言の歸還 赫赫たる武勳を建て |
16 | 聯合軍這這の態 悲慘の一語に盡きる |
17 | 赤色諜報團一齊檢擧 |
18 | 職域奉公に邁進 六百萬島民母國と步調を合せよ 松本大佐離任の辭 |
19 | 體協特別功勞者 表彰並に感謝狀贈呈式 |
20 | カナカ煙草 皇軍によつて製作開始 |
21 | ときの声 |
22 | 繼走大會 七星郡豫選 |
23 | 七日目勝負 |
24 | 東京大學野球リーグ戰 |
25 | 香港の人口三分の一減少 |
26 | 州青年歌、舞踊 士林で發表會開催 |
27 | 謝唐山氏逝去 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 槌の音丁丁と響く 献身に生く支那人工員の姿 昭南船渠再建苦心記 |
02 | 動員態勢を強化 近く青年第二種訓練 |
03 | 築港と電源開發 州民の協力要望 森田知事上意を傳達 |
04 | 銃後實踐の方途 田中訓練部長圍んで真摯質疑 高雄奉公壯年團 |
05 | 三方途を諮問 嘉義奉公委員會 |
06 | 奉公醫師團月例會 |
07 | 教護聯盟役員會 |
08 | 總督訓示傳達 |
09 | 防空巡回講演 |
10 | 蔬菜品評會褒賞授與式 |
11 | 蕃童教育に新紀元 休業年限を六ヶ年に |
12 | 勞務奉公團員 あす海山郡で表彰 |
13 | 嚴格な豫備訓練 花蓮港廳の兵志願者 |
14 | 鳳林郡桔梗クラブ結成 |
15 | 製炭講習會 |
16 | 「實踐十則」の躬行 彰化奉公壯年團垂範 |
17 | 臺中州代表出發青少年大會出席 |
18 | 社會教育書記鍊成 廿二日より西屯青年道場で開催 |
19 | セブ便り(一) マゼラン記念堂/上島長健 |
20 | 三勇士の彰化市葬 二十一日執行 |
21 | 鮮魚の州外搬出 業者犧牲を甘受 |
22 | 彰化市粉炭を特配 |
23 | 水利事務研究會 |
24 | 婦人相手に時局講演 十九日彰化で |
25 | 木炭二ヶ月分配給 |
26 | 國史展覽會 廿日より集集で開催 |
27 | 家禽泥を檢擧 豐原警察課斷乎たる處置 |
28 | 街民待望の家政女 埔里で促進懇談會 |
29 | 鐵團惜敗 |
30 | 水裡坑の家禽泥棒 |
31 | 積年の境界争ひ 遂ひ流血の慘事惹起 |
32 | 高雄州醬油商組合總會 |
33 | 地方多より報社消息 |
34 | 前人氣よき臺中春競馬 |
35 | 今日の映畫 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺灣貿易機構改革の統制規則近く改正 |
02 | 化學品物價委員會 ゴムホース外價格決定 |
03 | 臺灣廢品統制會社 きのふ總會を開く |
04 | 米穀增產と米管の進む途(完)/張泉和 |
05 | 新鮮な鮪刺身 近く市民に配給 |
06 | 鐵工統制會へ 八社新加入 |
07 | 第三國向船腹斡旋 七月分より實施 |
08 | 馬事普及會總會 |
09 | 照明燈 |
10 | 商況(十六日後場) |
11 | ラジオ |
12 | 水滸傳(678)/黃得時;碇政彌 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 英軍約二萬を擊滅 印緬國境カレワで頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(十七日午後三時三十分)印緬國境方面に作戰中なる帝國陸軍部隊は五月十三日カレワ附近にて約二萬の英軍主力を撃滅し更に殘敵掃蕩中なり、戰果左の如し 遺棄死體一、二◯◯鹵獲品(一)自動車二千輛(二)戰車一一三輛(三)火砲四二一門(四)銃器七二二挺 註カレワはマンダレーの西北約二百五十粁チンドウイン河西岸にあり印度洋に通ずる山系の要點なり |
02 | コンギイに突入 甚大な戰果を擧ぐ |
03 | カーサ(ビルマ)を完全占領 |
04 | 北部緬甸の綜合戰果 |
05 | 印度方面に與へた 軍事的強壓は絕大 |
06 | 東久邇宮盛厚王殿下 比島戰線御觀戰から御歸還 |
07 | チヤーチルの法螺演說 |
08 | 無人道な英人 救はれたビルマ人事務長 海の勇士に感謝 |
09 | 敵遺棄屍體約二千 冀中軍區の綜合戰果 |
10 | 圖像:ラシオ飛行場占領感激の萬歲を叫ぶ皇軍勇士 |
11 | 意外に早い日本軍の進撃 ウ英印度軍司令官敗戰の辯 |
12 | 米移動憲兵隊を創設 |
13 | 西亞方面に物資缺乏 英の兵站基地 |
14 | 各界の招請者決定 翼政創立實行委員會 |
15 | 敵國銀行の保護預り 臺銀香港支店、特別開放實施 |
16 | 英に反政府の新黨結成さる |
17 | ケルチ港を確保 獨軍司令部發表 |
18 | 濠洲北部を非常管理下に置く |
19 | 獨新兵器の偉力 |
20 | 丁抹前商相 英國に逃亡 |
21 | 米艦二隻を擊沈 獨米北氷洋の海戰 |
22 | 米西部各州の邦人に立退き命令 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 明日の臺灣背負ふて 若人四十八萬新發足 臺灣青少年團結成大會 盛り上る若き臺灣の姿 |
02 | 御差遣宮殿下奉迎歌 十六日歌詞並に歌曲を發表 |
03 | 濟寧館劍道大會 |
04 | 新竹州高砂族訓練所修了式 |
05 | 步武堂堂大行進 興亞の意氣、天を沖す |
06 | 青年學校生徒銃劍術訓練 |
07 | 汗の奉仕訓練 新發足の日を飾る |
08 | 八日目勝負 |
09 | 臺南魁挺身隊 第二期訓練修了式 |
10 | 故金子伯葬儀 廿日午後一時から |
11 | 九日目取組 |
12 | 東京大學野球リーグ戰 |
13 | 人事・消息報社消息 |
14 | 庄葬謹告:洪水能、黃安然 |
15 | 街葬謹告:野口重美 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 南方總意の結集 共榮圈青少年大會 |
02 | 勳功青史に燦たり 第四部隊營庭で諸英靈告別式 |
03 | 前線の高砂族義勇團中村警視視察記(一) 大密林で挺身活躍 四十年の理蕃政策完成 |
04 | 燃ゆる興亞の意氣 熱烈、各代表の抱負 |
05 | 武官府を訪問 女子青年二百餘名 |
06 | 圖像:陸軍病院に清掃奉仕の乙女部隊 |
07 | 東亞建設を謳歌 公會堂で懇談會開催 |
08 | 青年の夕大盛況 觀眾吾を忘れて喝采 |
09 | 高雄鄉軍双葉分會總會 |
10 | 新化米穀共精組合業務開始 |
11 | 赤誠献金二つ |
12 | 本島青少年に期待 來臺の香坂顧問談 |
13 | 廣谷廳長歸花 |
14 | 高雄市常會開催日變更 |
15 | 屏東女稻刈 |
16 | 意氣中天を衝く 員林勤報青年隊點呼 |
17 | 健脚ハイク 花蓮港愛國婦女團 |
18 | 新富町に殺人事件 |
19 | 新莊郡下專賣品 |
20 | 今日の映畫 |
21 | 第三回決算報告/株式會社鄭榮發洋紙店 |
22 | 訃文:謝唐山 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 学芸 現地の文化工作 作家・富澤有為男 詩人・大木淳夫對談 |
02 | 從軍記者の活躍 一枚の寫真も一行の記事も 血と汗が滲んでゐる 子供時局 |
03 | ラジオ |
04 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 各所で殘敵を殲滅 北ビルマ地區の戰況 |
02 | アツサム州某市爆擊 |
03 | 東北部ビルマ既に戰後の建設へ移行 住民も我真意を諒解復歸 |
04 | 我潛水艦印度洋征く 果し無き大海域を縱橫無盡に馳驅 |
05 | 田邊市誕生 |
06 | 英本土の被害 獨機の爆擊 |
07 | 敗退の赤軍を猛爆 獨軍司令部發表 |
08 | 圖像:ラシオ停車場を守備する皇軍 |
09 | 平時に變らぬ活況 平和蘇へるパレンバン |
10 | 六月中旬農民道場長會議 |
11 | 米のガソリン飢饉 船舶不足で四苦八苦 |
12 | 獨軍新兵器は對戰車の砲彈 |
13 | 佛政府を相手にしない 米當局の態度 |
14 | ブラウダーを減刑 全米赤化を圖る |
15 | 在米樞軸外交官 リスポン着 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 頑張る在住邦人 南國の灼熱した陽光を受け 皇國民族一大飛躍 |
02 | 勅使御使御差遣 故金子堅太郎伯邸へ |
03 | 不滅の偉勳樹て 故川崎中佐以下諸勇士 けふ聲なき凱旋 |
04 | 守れ島都の空 二十日から空訓實施 |
05 | 前線の高砂族義勇團中村警視視察記(二) 活躍振りを激賞 比島上陸以來の□□□河根部隊長 |
06 | 長谷川總督南下 明晚の下り夜行で |
07 | 定例局部長會議 |
08 | 港都婦人鍊成會 明十九日から開始 |
09 | 一等賞目ざして 御遺跡地巡り競走大會 基隆市で豫選會 |
10 | 新竹州視學會議第一日目 |
11 | 圖像:南方共榮圈青年大會懇談會 |
12 | 東京上海間で 寫真電報送受開始 |
13 | 興亞に關する講演會 |
14 | 演藝慰問に勇士ら爆笑 |
15 | 港都空訓終了 防衛團員勇壯な分列行進 |
16 | 基隆警察署管內大清潔 |
17 | 女子勞務者講習會 |
18 | 十日目取組 |
19 | お魚の通帳制 港都で愈よ實施 |
20 | 興南詩苑漢詩 雜感□□□□□□□□/錦簪、雜感□□□□□□□□/錦簪、雜感□□□□□□□□/錦簪、次笑儂兄寓齋感懷韻寄漱雲兄/錦簪、同倒疊前韻/錦簪、青□湖□友路經感化堂呈釋無上上人/鄭香圃、次韵/釋無上、次韵/張榕汀 |
21 | 強盜殺人被疑者□はる |
22 | 煙幕 |
23 | 今夜の放送 |
24 | 商況(十八日前場) |
25 | 興南案內報社消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | わが海鷲連日出勤 モレスビー增援敵機に鐵槌 三日間で敵機十九機擊墜破頭條新聞 【東京發同盟】珊瑚海海戰の頹勢挽回を圖らんとして濠洲方面よりポートモレスビーに向け增援中の敵機群に對しわが海鷲の精銳は連日に亘つて猛攻擊を續行去る十二、十三、十七の三日間に敵機十三臺を擊墜六臺を擊破する戰果を收めた、即ちポートモレスビーに敵增援部隊ありとの報に勇躍基地を出動した海軍航空部は五月十二日米國の新銳戰鬪機P三十九エアラコブラ三機を擊墜、二機を撃破し翌十三日にもP三十九を四機擊墜した外マーチンB二十六爆擊機一機を擊破更に十七日にもまたP三十九戰闘機を六機擊墜三機を擊破しその他敵軍事施設の大部を爆破し大損害を與へた、なほこの三日間に亘る戰鬪でわが方の損害は末歸還四機である 【リスボン十八日發同盟】ロイター通信メルボルン電によれば日本航空部隊十七日またもやポートモレスビーを襲ひ飛行場及び船舶を爆擊した旨濠洲反樞軸聯合軍司令部より發表された |
02 | 間斷なき肅清作戰 四月中北支軍の綜合戰果 |
03 | 阿部信行大將を貴族院議員に奏請 |
04 | 政界に隱然たる勢力 推薦候補制を確立 |
05 | 寺内陸軍最高指揮官 比島方面視察より歸還 |
06 | 御陪食仰付けらる 舊五攝家、麝香間祗候を召され |
07 | 翼贊會事務總長更迭 後任は後藤文夫氏 |
08 | 翼贊運動の完璧へ 後藤新總長の談話 |
09 | 翼贊政治會總裁として充分政治力を發揮さす |
10 | 佐藤駐ソ大使ヴ次長を訪問 |
11 | 政治會の役員 創立總會の當日阿部總裁が指名 |
12 | 政治結社解散 建國會と大日本黨 |
13 | 一千卅一名 翼贊政治會の中核會員 結集準備會第三回總會 |
14 | 圖像:サンボアンガ掃蕩の陸戰隊勇士 |
15 | 橫山事務總長辭任の言葉 |
16 | 皇軍大捷慶祝大會 大マニラ市で旗行列 |
17 | 後藤さんは適役 橫山前總長は語る |
18 | ラヴアル首相自沈を命令 マ島佛艦船に |
19 | ビルマ要人の大部分 我が軍で保護 英の亡命內閣組織要求拒否 |
20 | 治安は頗る良好 建設譜高らかの現地狀況 砂田重政氏語る |
21 | 堅實にして力の男 後藤新總長略歷 |
22 | 英敗戰を糊塗 |
23 | 日本新聞會の定時總會 |
24 | 開戰以來の戰況 米陸海兩省の共同發表 |
25 | コレヒドール方面 |
26 | 濠洲の米軍 |
27 | 太平洋島嶼 |
28 | 對英支持不能を言明 ガンヂー翁 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 企業整備と南方進出問題社說 一 政府では大東亞戰爭を完遂し高度國防國家を建設するためには、戰時經濟を再編成し、經濟總力を發揮せしめる必要があるので、之が前提として先づ企業の整理統合と現存事業設備を活用することとなり、去年十二月二十三日の第二十二回國家總動員審議會で決定された企業整備令要綱に基き、去る十三日附勅令を以て企業整備令を公布、內地では去る十五日より、本島では來る六月十五日より夫夫實施することとなつた。而して同令の目的とするところは、國民經濟の總力を發揮せしめるため、企業の整備及び事業に屬する設備權利の利用を有效ならしめることに在るが、同令により國務大臣は積極的に企業の統合、休止及び設備權利の讓渡を命ずると共に、他方消極的には事業の合併、設備、權利の讓渡を禁止して、特定の設備、權利を優秀企業に確保せしめ得ることとなるので、同令の公布によつて不急產業、劣質企業の整理及び設備の重點的利用等の產業經濟再編成の遂行に强力なる法的根據が附與されたわけである。 二 惟ふに企業整備令は、去年十二月十日公布施行された企業許可令よりも一步前進したものであり、之が運用についても許可令とは所謂表裏一體の關係を有するものである。卽ち決戰態勢下に於ける國民經濟の總力發揮に資するため、先づ企業許可令を以て企業整備統制の基礎を確立し、之によつて事業の新規開始、擴張、改良等が抑制され、更に今次の企業整備令によつて企業の整理統合が斷行されるのである。殊に整備令は、單に中小商工業だけを對象とするばかりでなく、商業、工業、鑛業の全般に亘つて適用されるのであるから、同令に附與された權限は極めて廣汎且つ强力なるものである。而して吾人が爰に於て特に指摘せんとするところは、中小企業の整備統合によつて必然的に轉廢業問題が生ずるのであるが、この對策として南方商工業移民が提唱され、各方面から注視されてゐる。然るに南方移民に對する政府の方針としては、去る議會に於て聲明された如く嚴選主義を以て臨むことになつてゐるので、轉廢業者の全部を直ちに南方へ送ることは事實不可能であり、殊に南方に於ける商工業者問題を考慮するにはどうしても華僑問題を除外して計畫し得ない實狀にある。 三 今南方各地に於ける華僑の分布狀態を見るに、タイ國の二百五十萬を始め、馬來の百七十萬、蘭印の百二十三萬、佛印の三十八萬、比律賓の十一萬、其他合計六百萬人の多數に達し、これ等は何れも永年築上げられた地盤と各地の商業網によつて相當の經濟的勢力を獲得し、夫夫重大な役割を演じつつあることは周知の通りである。斯る現狀に對し、若し無秩序に南方へ小規模的或は個個別別の商業移民を送るならば、經濟的にも華僑の商業的勢力に匹敵し得ざることは自明の理である。從つて南方への商業移民は、大集團として大經營をなし得る機能を有するものではければならない。然るに今度企業整備によつて轉廢業するものは、多く中小商工業者であり、資本力の比較的少ないものであつて、而も國家の要請する勞力を滿し得ざる不適格者であるから之等の資本乃至人的要素を適當に强力なる綜合的團體に統合組織し、決して個別的經營に依ることなく、統制經濟の主旨に從つて組織的に各地へ移民を送り、而も綜合的連繫を持たしめる必要があると信ずる。 |
02 | 偲ぶ“不朽の勝利” 戰捷に輝く海軍記念日 各種記念行事決る |
03 | 皇后陛下青山御殿に行啟 |
04 | 圖像:日本海海戰三笠艦橋の□ |
05 | 萬端の準備完了 迫る護國神社鎮座祭 |
06 | 初の奉仕豫行 十九日午後行ふ |
07 | 英米の惡どさに 南米邦人が啞然 淺間山小噴火を大天變と宣傳 |
08 | 平穩で逞しい復興 ラエ上陸以來の見聞 |
09 | 遺族達に兩日間バスを解放 |
10 | “臺灣を無視しては南方發展は出來ぬ” 木下顧問きのふ寄臺 |
11 | 臨時增車及運轉時間を延長 |
12 | 赤誠の愛國譜 軍司令部へ献金部隊 |
13 | 鐵道ホテル增築 豫備工事に着手 |
14 | 故戸川陸軍伍長の英靈 昨日無言の凱旋 |
15 | 各郡とも百%以上 新竹州下の國民貯蓄 |
16 | 州民の力強さ 感激の宮木知事語る |
17 | 二千圓献金 |
18 | 履物商組合聯合會献金 |
19 | 古賀警部勇退 |
20 | 街庄職員の鍊成 大溪郡州下のトツブを切り |
21 | ときの声 |
22 | 臺北憲兵隊本部で軍屬募集 |
23 | 護國神社電話開通 |
24 | 九日目勝負 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 挺身新秩序を建設 臺中州奉公壯年團結成式 |
02 | 耕地利用の高度化 甘蔗畑に甘藷、落花生を間作 |
03 | 圖像:我が砲擊に破壞された敵高射機關砲 |
04 | 總督訓示を傳達 市長郡守署長會議で |
05 | 花蓮港の郡守市長會議 |
06 | 高雄州の志願兵 第一回銓衡試驗開始 |
07 | 屏東鄉軍實彈射擊 |
08 | 北港街葬執行 英靈四柱を弔ふ |
09 | 飲食物に御用心 高雄にコレラ疑似患者發見 |
10 | 蔣政權の命取り(一) ビルマルート由來記 |
11 | 松山專賣品小賣人 |
12 | 專賣局臺南支局 |
13 | 防風のみが能ぢゃない 堆肥材料に、燃料に 木麻黃新に登場 |
14 | 防空の利器(一) 高射砲高射機關銃 精密な照準具が生命 |
15 | バナナ園廢耕 高雄州で實地調查 |
16 | 子供の感電騒ぎ |
17 | 一戶一口を目標に 簡保の加入運動を展開 |
18 | 入所の日を待つばかり 新化郡の志願者豫備訓練終了 |
19 | セブ便り(二) サントニ、ニヨ寺/上島長健 |
20 | 地方多より |
21 | 漁民達ホクホク 飛魚漁獲成績は上上 |
22 | 今日の映畫 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 昨年度貯蓄增加高 目標額の九割二分 實績二億三千七十五萬圓 |
02 | 貯蓄獎勵會議 來月初旬督府で開催 |
03 | 輸送事務打合會 けふ米穀局で開く |
04 | 高雄州下の米作 旱害案外輕い |
05 | 特定局局務獎勵會聯合會支部會議 |
06 | 檢查、指導兩係創設 臺鐵機關車庫強化さる |
07 | 臺鐵六月一日より二十四時間制採用 |
08 | 糖聯臺灣支部職制變更 |
09 | 昨年臺灣茶檢查高 包種茶のみ激增 |
10 | 週間經濟の展望 |
11 | 照明燈 |
12 | 商況(十八日後場) |
13 | ラジオ |
14 | 水滸傳(679)/黃得時;碇政彌 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敗殘の蔣軍を擊滅 北緬甸と騰越地區で |
02 | バタルプールとシルチヤルを初空襲 印度からの援蔣路の要衝 |
03 | 我チ河兩岸上陸成功 英ビルマ軍司令部確認發表 |
04 | 圖像:マニラ陸海軍合同慰靈祭式場全景 |
05 | 駐日ソ聯大使マ氏を陞任 |
06 | マ新大使略歷 |
07 | 佛戰艦ジ號修理を完了 |
08 | 碇泊中の船舶猛爆 又モレスビーを襲ふ |
09 | 我潛水艦印度洋征く 命中音・敵船は沈む(下) 「萬歲」聲を搾つて叫ぶ |
10 | 伯國豫備兵召集を增加 |
11 | 大日本軍の大捷 比島に光明を與ふ ヴ行政長官、感謝と祝意を披瀝 |
12 | 航空司令部令制定 けふ公布、六月一日より施行 |
13 | 翼贊議員同盟解散 けふ最後の議員總會 |
14 | 獨軍各戰線の戰況 |
15 | 定例閣議 |
16 | 愛國團體選出議員懇談會 |
17 | 獨潛水艦活躍 米東部海岸水域で |
18 | 獨潛艦戰果 |
19 | 米、最高價格制を實施 |
20 | 獨英機が激戰 英機、獨重巡雷擊 |
21 | 多數の米遠征軍 北愛蘭に到着 米陸軍省十八日發表 |
22 | ブラウダーの出獄 ル大統領非難さる |
23 | 米英の離間振り 擊沈航母サラトガ士官の言で 端なくも暴露さる |
24 | ソ聯機五十機を擊墜 |
25 | クリツプスの演說 |
26 | 南洋興發、南洋貿易を合併 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 信仰生活の確立へ 社會課に調查官一名配置 社寺行政革新を斷行 |
02 | 御親閱拜受章 二十二日傳達式を擧行 |
03 | 英靈弔ふ臺北市葬 廿八日新公園で嚴修 |
04 | 前線の高砂族義勇團中村警視視察記(三) 重寶がられる蕃刀 お山で鍛へたもの淒い腕 斷涯地帶の早業 |
05 | 陸上輸送の計畫化 鐵道輸送協議會設置 |
06 | 勤報青年隊 一行五十名出發 |
07 | 總督訓示傳達 |
08 | 木下顧問招待 官邸で午餐會 |
09 | 刻下喫緊の要務 八田鐵相談話を發表 |
10 | 全志願者に徽章 臺北州各市郡に發送 |
11 | 圖像:在留邦人の戰捷祝賀提灯行列に答へる本間軍司令官 |
12 | 民防空の完璧へ 島都の外五郡に實施 |
13 | 藤岡軍兵務部長 鄉軍講習、軍教視察に南下 |
14 | “時局は愈よ重大” 虛禮送迎を止めませう 安住秘書官談 |
15 | “大東亞建設に先行するもの” 田中訓練部長臺中で熱辯 |
16 | 島民感謝の献金 武官府十八日の受付 |
17 | 勞務協會設立打合 |
18 | 太公望に朗報 基隆港の魚釣近く解禁 |
19 | 蓖麻蠶を獎勵 新竹州下一市四郡に |
20 | 十一日目取組 |
21 | 興南詩苑漢詩 櫟社春季總會更新友入社惜余不能列席賦此以作紀念/呂蘊白、讀筑客舊禍感作/笑儂、元宵卽事次韻蘅秋/笑儂、蘅秋招飲溫泉場席上口占/笑儂、春日偶懷/補莊、閒居偶興/清敦、花朝雅集/靖海 |
22 | 南署管內の配給所整理統合 |
23 | 臺銀異動 |
24 | 國語家庭改姓名者名簿を作製 |
25 | 煙幕 |
26 | 今夜の放送 |
27 | 商況(十九日前場) |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 潞河の渡河に成功 保山に向け前進續く頭條新聞 【リスモン十八日發同盟】UP通信重慶電、重慶公報の報道によれば山嶽重疊たる雲南省の天嶮を突破して進擊中の日本軍は同省を北より南に流れる潞河(サルウイン河)の渡河に成功して目下保山(永昌)に向け前進を續けてゐる。 |
02 | 肉彈中隊大友部隊 死鬪、渡河點を確保 |
03 | 圖像:西南太平洋に堂堂編隊航行中の我が驅逐艦隊 |
04 | 寺內南方總司令官 比島各戰線を歷訪 |
05 | 水產統制令要綱 けふ公布即日實施 |
06 | フアシスト黨全國評議會 |
07 | 翼贊政治會愈發足 けふ歷史的創立總會 總裁に阿部大將を推擧 |
08 | 桂林、柳州を大空襲 |
09 | 重慶の新聞 英の責任を痛憤 |
10 | 印度兩教徒の融和問題 ガンヂー翁言及 |
11 | 院内の各機關 廿二日初代議士會で決定 |
12 | 重慶政權崩壞近し 竹田少佐放送演說ビルマ作戰の結果 |
13 | 議同解散總會 |
14 | 米船十六隻喪失 昨週中西南太平洋で |
15 | 赤軍の反擊は失敗 ハリコフ戰線中間的靜止狀態 |
16 | ハリコフ方面ソ聯側の戰況 |
17 | 大東亞建設審議會 委員增員を決定 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 消費生活を再檢討せよ社說 一 浪費を節約すベし消費生活を切り下げよ、といふやうな聲は既に聞くこと久しいものがあるところで此の事は現在、將來とも益益聲を大にして强調せねばならないとすれば、これは餘程の實行困難な事柄と云はねばならない。尤も持たざるものに浪費出來よう筈がなく、或は既に精一杯の切り下げをしてゐるから、勿論この事は專ら持てるものに對する要請でなければならない。けれども今日いふところの浪費節約とか生活の切り下げとかいふ意味は、平時に於ける個人的な勤儉貯蓄的な意味からではなく、實に戰時下に於ける銃後國民生活體制の確立といふ、崇高なる國家的要請であることを明確に認識し得れば、消費節約の問題は獨り有產者のみならず、凡そ國民にして持てると持たざるとを問はず一樣に生活部面を通じて、消費の節約と生活の切り下げを夫夫の分に應じて果すのでなければならない。故にこれは個人的な倫理的戒律と云はんより、銃後國民の義務として國家奉公への道でもあるのである。 二 思ふに此の問題は、夙に國民精神總動員運動のときから大政翼賛運動へかけて、常に銃後國民生活の道德律として强調され來つたが、特に本島に於ては昨年來皇民奉公運動の三大目標の一として銃後生活體制の確立を推進せんとするに當り、本問題の國家的要請たる所以を明らかにすると共に之が力强き實踐を要望せられたのである。從つて本問題の實踐要請は、何人と雖も異論のない明瞭なる當為として理解され、又何人と雖も斯くあらざるべからざる事理として認識せられた筈であるが、それにも拘らず今日に至るも尚實踐的には未だし感深く、率直に云へば唯單に觀念的なる理解、認識の程度にしか止まつてゐないことは頗る遺憾としなければならぬ。消費生活の節約又は其の切り下げの如き凡そ銃後國民生活の確立と云ふ大目的に到達する初步的實踐行動に於てすら、未だ其の緖につかざるはげに我らの反省を促すに足るものがあらう。今日享樂界の賑盛、各種店頭行列等に露呈する幾多の浪費は改めて真摯なる我等の批判を要すべきものである。 三 今日、凡そ我らが消費生活部面に露呈する浪費、無駄遣ひ等については敢へて其の具體的實例を擧げるにも及ぶまいが、苟くも良心的に我らが日常生活を反省するとき、殊に持てる人達に於ては恐らく種種思ひ當る節があるであらう。個人の外に特に此の際要望したいことは、近年來雨後の筍の如くに續出した幾多の統制會社組合の享樂界に於ける自肅である。自肅と云へば本問題に關する限り今のところこれ以外に方法はないやうである。洵に消極的な方法である丈に從來實踐的效果に乏しいことを免れぬとは云ふものの、問題は要するに世界地圖を塗り更へ大東亞に新秩序を打建てんとする今次の戰爭を戰ひ拔かんが為に、戰爭遂行を第一義とする國家奉仕への國民的奉公精神の把握如何に係はつてゐると云はねばならない。勿論この為には最低生活の確保就中現實に於ける配給制度特に配給機構及其の運營に遺憾なきを期さねばならぬが、何と云つても矢張り各自の覺醒自肅の果敢なる實踐の先行を絕對必要とするであらう。 |
02 | 戶口調查簿から私生兒の名稱抹殺 けふの官報で公布 |
03 | 滿洲建國功勞者 合同慰靈祭を執行 |
04 | 勅使御使御差遣 故金子堅太郎伯邸に |
05 | 護國神社制度の沿革(一) 招魂社の起源/梁井淳二 |
06 | 功勞者の遺兒派遣 輝く盟邦滿洲國建國十周年に |
07 | 臺灣關係の遺族決定 |
08 | 長谷川總督 昨夜急行で南下 |
09 | 護國神社奉納能樂會 |
10 | 國立民族研究所 七月を期して誕生 |
11 | 龜若大尉の羅東街葬 |
12 | 護國神社例祭並に鎮座祭 基隆市の行事 |
13 | 圖像:木下信氏昨日本社を訪問報社消息 |
14 | 百億突破の金字塔 郵便貯金成績順調 |
15 | 戰利品展を開催 廿五日から廿九日迄 |
16 | 中元贈答を廢止 奉公會・下部組織に通達 |
17 | 硝煙匂ふ戰利品 一部武官室に到着 |
18 | 蘭陽警察官武道大會 |
19 | 島都の防空訓練 愈よけふから實施 |
20 | 基隆婦人鍊成會 きのふ盛大な發會式 |
21 | ヨイコドモ部隊 軍司令部に慰問袋献納 |
22 | ときの声 |
23 | “翼贊する臺灣一家” 奉公會・壁新聞を發行 |
24 | 電氣事業主任技術者試驗 |
25 | 十日目取組 |
26 | 加藤准尉が時局講演 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 記念大分列式 勅語奉戴記念日に 全青少年學徒が |
02 | 確たる保甲信念 五日間の訓練で體得 |
03 | 屏東奉公委員參與會 |
04 | 蔣政權の命取り(二) ビルマルート由來記 |
05 | 福澤產業部長堆肥增產視察 |
06 | 護國の英靈を弔ふ 嘉義市葬きのふ執行 |
07 | 進んで協力せよ! 新高築港、大甲溪電源開發に付 森田知事、郡守會議で力說 |
08 | 大會參加の青少年歸花 |
09 | 英靈弔ふ斗六街葬 |
10 | 兩英靈鄉里へ凱旋 十八日臺糖社葬を終へて |
11 | 花蓮港に三英靈凱旋 |
12 | 商業實態調查 |
13 | 計畫農業の確立 市長、郡守會議で打合 |
14 | 朗かに働いてる 高雄州教育課に 白衣天使の便り |
15 | 毘盧寺の釋尊降誕祭 |
16 | 婦人の責務強調 田中訓練部長臺中で講演 |
17 | 無盡藏の家禽飼料 フサ朝顏の栽殖獎勵 |
18 | 臺中州水利組事務研究會 |
19 | 銃後魂の體得に 中堅女子三十名を内地に派遣 婦女勞働力を活用 |
20 | お家入用の方は 高雄市營住宅ガラ空き |
21 | 豐原間作同業組合總會 |
22 | 水利施設を視察 |
23 | 通信事務懇談 |
24 | 人事報社消息 |
25 | 地方多より |
26 | 今日の映畫 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 米穀納入協會の屑米等取扱要綱 |
02 | 大東亞金融圈の確立(上) |
03 | 特別配給制度 切符制と異る |
04 | 昨年度遞信收入 千二百九十六萬圓に邁進 |
05 | 第三炭業懇談會 石炭緊急對策を協議 |
06 | 彰銀梧棲出張所 近く開業せん |
07 | 臺灣茶統制會社 昨日總會を開く |
08 | 鐵道貨物ダイヤ 六月一日より調整 |
09 | 照明燈 |
10 | 商況(十九日後場) |
11 | 北濱雜觀 |
12 | ラジオ |
13 | 水滸傳(680)/黃得時;碇政彌 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 翼贊政治會歷史的發足 擧國政治力發揚の輝く第一步踏出す 嚴肅裡に晴の創立總會 |
02 | 宣言と綱領 |
03 | 千古斧鉞を入れぬ 偉大な天然の豐庫 “遙けくも來つるものかな” ラエ通信 |
04 | 結成までの經過 山崎達之輔氏が報告 |
05 | 英佛の海空戰 北阿で第二度目の衝突 |
06 | ム伊首相の演說 |
07 | 新生比島再建を協議 マニラで初の知事市長會議 |
08 | 圖像:西太平洋に見る我が航空母艦の雄姿 |
09 | 人を貰って行く 國民は希望を以て精進せよ 砂田顧問の現地談 |
10 | 英機襲擊は失敗 過半數擊墜さる 獨重巡オ號襲擊の詳報 |
11 | マンカヤン銅山復舊 本年中に戰前兩倍の增產可能 |
12 | 米國市民不安 獨潛水艦の活躍で |
13 | 麥類檢查等級を全國的に整理統一 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 明朗緬甸の息吹 白堊の佛像バコダに額く 素足の善男信女 |
02 | 基隆神社の例祭 奉祝行事も六月三日に擧行 |
03 | 前線の高砂族義勇團中村警視視察記(四) 天佑の大戰果 比島殘敵の着陸した瞬間 我が鷲群が大空襲 |
04 | “燒夷彈何ものぞ” 見敵必殺の鬪魂に燃え 島都空訓始まる |
05 | 迫り來るもの 防諜映畫に加藤准尉講演 |
06 | 基隆南進會 商議所內に設置 |
07 | 圖像:島都防空訓練 |
08 | 感謝の献金譜 軍司令部十八日の受付 |
09 | 電波で資料獲得 科學する日本と獨逸 |
10 | 赤誠の慰問袋 廿日軍司令部の受付 |
11 | 青年學校增設 新竹州鍊成教育に力瘤 |
12 | 臺北州郡視學事務打合會 |
13 | チフス豫防區域 三市六街庄を指定 |
14 | 車外の切符賣り 基隆市バス近く實施 |
15 | 海軍工員募集 滿十七歲以下 |
16 | “茶店仔”の女給仕 六月一日から姿の消す |
17 | 農民精神を鍛鍊 半島婦人七十九名 |
18 | 十二日目取組 |
19 | タオル、手拭 廿四日から配給 |
20 | 興南詩苑漢詩 星社壬午春宴即事/夢周生、春來麻疹盛行、島兒多有因之而失事者爲作十絕句/李鷺村 |
21 | 煙幕 |
22 | 今夜の放送 |
23 | 商況(二十日前場) |
24 | 興南案內報社消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 確定會員九百卅二名 翼政、政事結社を屆出頭條新聞 【東京發同盟】翼贊政治會の創立總會當日最終決定を見た招請者は創立總會に招請された發起人九百六十一名、主唱發起人七十七名及び新たに會員として參加する閣僚六名を加へて合計千四十四名となつた、この內承諾の通知濟の者八百四十九名參加を明確に拒絕せる者二十三名、參加未定の者八十九名で創立總會當日確定せる會員數は主唱發起人七十七名新たに參加確定の閣僚六名、承諾通知濟の發起人八百四十九名を合せて九百三十二名である、尚去就を注目されてゐた舊同交會關係者は鳩山一郎氏以下當選議員非招請者が全員參加創立總會に出席した 【東京發同盟】二十日創立總會を擧行した翼贊政治會は總會終了後直ちに阿部總裁を名儀人として警視廳を經由內務大臣宛政事結社の届出を行つた |
02 | 大東亞戰爭完遂へ 清新強力な政治力 |
03 | 擧國的報國の至誠 阿部總裁の挨拶 |
04 | 常任總務 十三氏決定 |
05 | 國民要望の結晶 東條首相の祝辭 |
06 | 總務二十九氏 |
07 | 議長有力候補岡田忠彥氏 |
08 | 裁判所長異動 |
09 | 初總務會開く あす初の代議士會開催 |
10 | 明治神宮靖國神社に參拜 山崎、伍堂兩氏 |
11 | 陸軍兵器當局談(上) 勇敢なる我が將兵 優秀な兵器を活用 |
12 | 保山飛行場を爆擊 わが陸鷲、惡天候を冒して |
13 | 桂林、全州、永州急襲 |
14 | 和衷協同第一義 伍堂會員總代の挨拶 |
15 | 陸海兩相を除く全閣僚 翼政會員となる |
16 | 大日本興亞同盟 役員を決定發表 |
17 | 陸軍司政長官任命 |
18 | 對米依存脫却せよ 比島農業、棉作への轉換が賢明 初の地方長官會議林軍政部長要望 |
19 | 雇入主御注意 內地の中等學校卒業者 臺灣で雇入る場合 |
20 | スラバヤ港 九分通り復舊 |
21 | 香坂顧問來新 昨夜座談會開催 |
22 | 陸軍病院で雇員筆生募集 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 “親切運動”の實施を提唱社說 一 去る五月五日獨逸のゲツペルス宣傳相は國民に「親切、謙讓こそ人間の共同生活を穩やかにし、又成果を結ばしめる上に缺く事の出來ないものである。市民が互に他人のことを考慮することは戰時下なればこそ、平和時より一層この必要が痛感される。思ひやり、謙讓、親切等こそ雲間に洩れる太陽のやうに灰色の日常生活を明るくするものである」と云ふ布吿を發して全國一齊に“親切運動”を大大的に展開し、鳴り物入りで强化運動の火蓋が切られたと傳へられてゐる。歐洲戰爭も第四年ともなれば衣食住の各方面が目立つて不自由が感ぜられ、食糧は勿論、その他日常の必要品も不自由で生活の重壓が犇犇と感ぜられる上に、夜は夜で空襲警報に叩き起され、國民の神經が昂ぶつて來て理窟ぽい獨逸人が彌が上にも不親切、不機嫌になつて來た事は想像し得られることである。だが元來人間と人間との接觸で出來てゐるこの社會のことであるから、お互同志の溫い親切心が缺けて居れば、戰時統制の制度や法律が如何に完備しても、丁度油の斷たれた機械の樣に圓滑に動かない。これが國內の能率にも、亦延いては國內戰線の團結にも影響を及ぼすやうになることは明かである。獨政府は先づこの點に着目して日本的な精神主義を汲み入れ、精神方面から國家統制を强化しようと云ふ主旨から、親切運動が提唱されたワケである。 二 飜つて我が國に於てはどうであるか。支那事變に續いて大東亞戰が勃發し、今や事變以來第六年目を迎へ、物資豐かな南方地域を手に入れて、將來には輝く希望を持つ事が出來るが、輸送船舶の關係上、現在の生活が直に緩和されるとは考へられない、殊に富裕を誇る米英を相手にして之から長期戰を戰ひ拔く為には、寧ろ國家統制が今後一層强化されることを覺悟しなければならぬ。從つて戰爭が長引き、統制が一層强化されるに伴つて、次第に橫柄、不親切が社會生活に反映して來ないとも限らない。否現に顧客よりも强い商人が到る處に橫行し、お客がペコペコ頭を下げて闇から闇へ取引が行はれたり、或は煩瑣な手續きに間誤ついて居る需要者が統制の衝に當る人の傲然たる態度に義憤を感じたり、その他各官廳の受付氏の不親切さに呆れたりする樣なことは一一具體的な事例を擧げなくても、吾吾庶民階級の常に經驗する所である。ここから統制に對する種種の疑念や忌忌しい罪惡が釀成されることは明かである。 三 茲に於て明るい臺灣一家の建設を指導する長谷川總督は曩の地方長官會議に於て奉公理念の普及徹底を强調し、官吏の率先垂範を說き、最後に行政運營に就いで「時局の推移に伴ひ行政の領域は急激に擴大し、今や國民生活の各分野は悉く行政の關與する所となり、從つて行政運營の適正と官紀の嚴肅とを期することは、獨り民生の福利に關するのみならず、實に國家の信威に係はるものと謂はねばなりません。各位は地方長官として官紀の振肅に格段の意を用ゆると共に、行政の處理に當りては常に誠意と懇切とを竭し、島民をして官の措置と處遇とに對し不平不滿なからしむるは勿論、進んで國の施策に協力せしむる樣指導を怠つてはなりません」と懇懇と訓示されたことは誠に卓見であると云はなければならぬ。而もこの誠意と懇切は單に官吏對人民の關係に於て必要であるばかりでなく、人民相互の間に於ても極めて緊要なものである。從つて督府と表裏一體の關係にある皇民奉公會邊りは長谷川總督の此意志を體し、親切運動週間を設定して大大的に趣旨の徹底に努力しては如何であらうか。これは臺灣一家の共同生活を和やかにし、明るくする上に絕大な效果を收め得るのみならず增產能率にも、擧島一致の結束にも頗る好影響を與へるものと確信し、敢へて一考を煩したいものである。 |
02 | 愈あす鎮座の儀 けふ嚴かに新殿祭執行 臺灣護國神社 |
03 | 橫鎮合同慰靈祭 |
04 | 第二次侍從御差遣 奧羽、北陸の六縣下に |
05 | 陸海軍正式參拜 鎮座祭當日三次に分ち |
06 | 內地側遺族部隊 一行五十名が着臺 |
07 | 圓山聖域を中心に 島都に早くも祭典氣分 |
08 | 護國神社制度の沿革(二)/梁井淳二 |
09 | 圖像:內地側遺族部隊 |
10 | 文字通り黑一色に 一糸亂れぬ諸動作 昨夜島都の第三種空訓 |
11 | 故金子伯葬儀 |
12 | 陸軍病院を慰問 志願兵銓衡考查を視察 長谷川總督高雄で |
13 | 水谷慶子さんに金一封 |
14 | “誠に心強く思ふ” 長谷川總督語る |
15 | ときの声 |
16 | 臺灣遺族部隊第二陣還る |
17 | 十一日目勝負 |
18 | 產婆合格者發表 |
19 | 人事・消息 |
20 | 訃文:陳□氏越 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 新國民組織を強化 時局の進展に伴ひ奉公運動推進 臺中奉公會全體會議 |
02 | 諸英靈を弔ふ日 臺南市は廿九日擧行 |
03 | 圖像:皇軍の進駐以來皇軍の飛行部隊に協力する住民達 |
04 | 四湖庄葬は廿三日擧行 |
05 | 佐藤伍長馬公に無言の凱旋 |
06 | 市長、郡守會議 總督、長官訓示を傳達 |
07 | 集團分列式擧行 嘉義の勅語奉戴記念日 |
08 | 屏東市の奉戴日 |
09 | 歸還勇士歡迎會 |
10 | 松本馬公警備府參謀長送別宴 |
11 | 臨時州會 臺南州廿五日招集 |
12 | 彰化で大熱辯 田中訓練部長 |
13 | 奉公青年入隊式 |
14 | 防諜陣を強化 |
15 | 財源捻出の方法 放送局設置實行委員會で打合 |
16 | 時代さんが體驗を發表 各庄女青に |
17 | 黃麻播種督勵 郡守先陣に立つ |
18 | 埔里街民の總意 家政女の實現に邁進 |
19 | 遺家族慰問演藝會 |
20 | 富士道場指して 勤報青年隊元氣で出發 |
21 | 新化郡學校長會議 |
22 | 楊梅の堆肥增產 |
23 | 多年の要望成就 橋梁竣成して美濃庄民大喜び |
24 | 增產品評會 |
25 | 白衣勇士慰問 豐原の女給連が |
26 | 賞與を献金 鹽埔庄のヨイ子供達 |
27 | 憧れの產業戰士合格者 |
28 | 曾文郡米穀共精共配組合店開き |
29 | 育む腕を磨上げて 保姆講習會終る |
30 | 防諜防犯兒童劇 竹東郡下に巡演 |
31 | 蔗作向上週間 新化郡改善に馬力 |
32 | 臺南州水上競技大會 六月十四日擧行 |
33 | 淡水郡三芝信販購利組合 |
34 | 嘉義醬油 |
35 | 大溪郡專賣品組合 |
36 | 大東信託株式會社 |
37 | 祖父の死を秘し 點呼に馳せ參ず |
38 | 地方多より |
39 | 今日の映畫 |
40 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 臺鐵、華中鐵道間 連絡運輸來月より實施 |
02 | 鮮臺間直通運賃 來月中旬東京で打合 |
03 | 來期蔗作不良 產糖高減少せん |
04 | 臺陽鑛業總會 年三分配當可決 |
05 | 大東亞金融圈の確立(下) |
06 | 交通整備計畫會議 鐵道部で開催 |
07 | 臺東米穀納入組合 內部機構を改組 |
08 | 花蓮港一期作 稍稍減收せん |
09 | 木造船建造獎勵 當局間で詳細に協議 |
10 | 苧麻發育順調 |
11 | 臺東一期作 一割の增收か |
12 | 臺灣貿易振興會社 昨日總會を開く |
13 | 臺中州自動車運輸總會 |
14 | 裕祥洋行總會 |
15 | 照明燈 |
16 | 商況(十九日後場) |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(682)/黃得時;碇政彌 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 英印軍新陣地を痛爆 印度アツサム州東岸 |
02 | 江西省各地を急襲 |
03 | 見敵必滅の意氣!! 護衛の苦心、敵前上陸の思出 ○○艦に同乘、乘組員に聞く 驅逐艦苦心談 |
04 | 圖像:マニラネルソン飛行場巡視の寺内大將 |
05 | 又モレスビー猛爆 |
06 | 陸軍兵器當局談(下) 世界一の兵器創造 雄渾なる作戰の裏に |
07 | 大宮町に市制施行 |
08 | 死の街カレワ入城 わが勇士は更に前進 |
09 | 大東亞戰の大戰果 獨、伊を元氣づけ邦人を喜ばす 滿洲里で安東參事官の歸朝談 |
10 | 重慶の內紛表面化 ビルマ敗戰を繞り |
11 | 獨ソ攻防戰熾烈化 獨軍ハリコフを猛攻 |
12 | 戰死操觚者の英靈凱旋 マレー戰線から |
13 | 獨軍の戰況 獨軍司令部廿日の發表 |
14 | 豪華船エム・エシア號 我が荒鷲に爆沈さる |
15 | 沈沒の模樣 生還者は語る |
16 | 頭山翁米壽祝賀會 |
17 | 優良鑛山從業員表彰 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 矢庭に“奇襲體當り” 陸軍海上作業隊奮戰記 |
02 | 海軍記念日行事 關係者が參集し 鐵道ホテルで打合 |
03 | 總督訓示傳達 |
04 | 遞信事業功勞者表彰式 |
05 | 港都にも近く 桔梗クラブ結成 |
06 | 前線の高砂族義勇團中村警視視察談(五) “歡迎本間將軍” 世紀の感激、皇軍入城の日 慶祝一色のマニラ |
07 | 準備萬端なる 晴れの盛儀待つ護國神社 |
08 | 譽の遺族を優待 市バス特別配車で無料直送 |
09 | 築港負擔金の打合 |
10 | 殉職警官忠魂碑 象鼻、汶水兩地で除幕式 |
11 | 僕らの飛行機 竹南郡民の赤誠献納 陸軍省で命名 |
12 | 初日の賣上を献金 |
13 | 煙草工場勤務の實直な青年 故張通辯遺族談 |
14 | 戰ふ日本の兵隊さんに 引揚げ獨婦人から報恩の贈物 |
15 | 中井少將來臺 鄉軍支部團體長講習會に臨席 |
16 | 圖像:皇軍の渡河に協力のビルマ住民 |
17 | 大戰果に感激 武官府へ献金群 |
18 | 森田氏調べらる 選擧違反の容疑 |
19 | “先づ南方の研究” 池田府工研所長歸臺談 |
20 | 興南詩苑漢詩 讀韓非子感賦/可軒、春來麻疹盛行、島兒多有因之而失事者、爲作十絕句/李鷺村 |
21 | 人事 |
22 | 煙幕 |
23 | 今夜の放送 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 文教人口兩政策の答申案を審議決定 大東亞建設審議會劃期的な成果頭條新聞 【東京發同盟】去る四日の第二回總會において大東亞建設に關する基礎要件並に經濟建設基本工作に關する諮問案の答申を決定した大東亞建設審議會は二十一日午後首相官邸に第三回總會を開催第二部會に與へられた文教政策並に第三部人口政策諮問案の答申案を附議審議の結果それぞれ原案通り決定したので午後四時半情報局よりその旨發表、同時に幹事長鈴木企畫院總裁談を以て決定要領を發表した、即ち大東亞戰爭を戰ひ拔き道義に基く大東亞の新秩序を建設して世界新秩序の確立に寄與するためにはこれが中核をなす皇國民がその真姿を顯現すること皇國民の人口の極めて大なる數を確保することが根本的要件であり文教政策並に人口政策の確立が大東亞を指導するわが國現下最大の緊急事である、第二部會並に第三部會はその與へられた諮問の重大性に鑑みそれぞれ五回に亘る會議と一回の聯合會議を開き慎重審議の結果それぞれ答申案を決定同日の第三回總會にこれを附議決定したのである、しかして第二部會の答申した文教政策は近衛內閣以來未だ確定を見なかつた文教體制確立要綱の基礎的條件を具備したものと見るも過言でなくこの意味においては蓋し劃期的な審議會の成果といふことが出來やう文教政策答申の骨子としては 國體の本義に則り教育勅語の大精神を奉體し東亞建設の道義的使命を體得せしめ大東亞における指導的國民たるの資質を鍊成することをもつて根本義としこれが基本方針としては 一、文武一如の精神に基き剛健なる心身の鍊成と高邁なる識見の長養とに努め知行合一雄渾なる氣宇と強靭なる實踐力とを養ひ悠久なる民族發展を圖る 二、教育は原則として國家がこれを運營するの體制に整備しもつて大東亞建設の經綸を具現すべき人材の育成に努む 三、綜合的なる國家的要請に基き一貫せる教育の國家計畫を樹立し學校、家庭、社會を一體とする皇國民鍊成の教育體制を確立する 四、學術を振興し創造的智能啟發に努め科學、技術はもとより廣く政治、經濟、文化の全般に亘り不斷の創造進展を圖る 五、師道の昂揚を圖り物心兩面よりする教育者の尊重方途を講ずる 從つて右の基本方針を具體化するに當つては必然に現行の文教制度全般に亘つて深刻なる刷新が豫想され真の日本諸學に基く大學の改革、修學年限の短縮、私立學校教育の改善、軍教一致制度の徹底化大東亞各地に進出する人材の教育施設の整備擴充母性教育、家庭教育、社會教育の刷新など懸案の文教制度の大改革が踵を接するといふこととなつた更にまた南方占領地の諸民族に對する文教政策の根本方針も策定され八紘為宇の大義に則り諸民族をして各各その分に應じその所を得しむるを以つて本旨とし各地各民族に對する教育、言語宗教、文化及び留學生に關する具體的方針まで決定したのは注目される尚第三部會が答申決定した人口政策の骨子は既に決定した人口政策の確立要綱に揭げられた諸方策を全面的且つ強力に實施せんとするもので具體的には大東亞各地に配置すべき皇國民の措置について細目を確定した所に新しい意義をもつてゐる即ち人口政策の基本方針は 大東亞建設を推進するため皇國民の躍進的增強を圖ると共に大東亞におけるのその配置を適正ならしめ大東亞諸民族と協力し其後の結束を強固不動のものたらしむること にあり人口政策確立要綱の確實なる具體化を圖ると共に特に皇國民の配置についてその細目を決定した點が重視される即ちこれによれば人口增強に適する地域と共榮の實を擧ぐるため必要なる皇國民を配置すべき地域とを明確に區分し大東亞各地に進出するものに對しては必要なる鍊成を行ふと共に進出の時期地域を計畫化し更に現在在住者に對する保健衛生施設指定の用語教育などに對してそれぞれ萬全の措置を講ずることとなつたが民族の純潔保持の見地から現地定住者は配遇者を同伴すべきことを規定したなど皇國民の質量兩全に對する增加向上を期待した審議會全體の空氣を反映したものとして重大な意義がある ◇情報局發表(二十一日午後四時三十分) 大東亞建設審議會第三回總會は五月二十一日午後二時より內閣總理大臣官邸において東條總裁以下各國務大臣並びに各委員出席のもとに開催大東亞建設に處する文教政策及び大東亞建設に伴ふ人口などに關する政策の二答申案を審議何れも異なく決定し午後四時十五分散會した |
02 | 天皇陛下に拜謁 兩侍從歸京、直に參內 |
03 | 見敵必殺、求敵必滅(上) 我が海軍の赫赫たる戰果 訓練と兵術の優秀に依る 平出大佐講演 |
04 | 躍進日本に驚嘆 泰國使節團歸國途次寄臺 |
05 | 朗かな親善風景 長谷川總督一行招待 |
06 | 長谷川總督挨拶 |
07 | 圖像:寄臺した泰國使節團 |
08 | 魔の積亂雲と鬪爭 印度爆擊我陸鷲の苦心 |
09 | 赤軍の作戰は失敗 今秋まで大局決せん |
10 | 加政府佛領事館閉鎖方を要求 |
11 | 賞與の國債支給增額 地方長官に通牒を發す |
12 | 翼贊議會體制の確立に協力 貴族院、翼政に呼應 |
13 | 藤岡兵務部長 鄉軍幹部講習會に臨席 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 護國神社鎮座の盛儀社說 一 護國神社は全島民赤誠罩めて待望するなかに目出度く完竣を吿げ、愈愈けふ二十二日午後八時より鎭座の儀、翌二十三日午前九時より幣帛供進の儀をいとも嚴かに執り行はせられる昭和十四年三月招魂社制度の全面的改正に依つて、護國神社制度が確立整備せられ、各道府縣に一社限りその創建を認められてより澎湃として湧き起る殉忠英魂への國民的崇敬と感謝に呼應して、本島にも神社創建の儀が持ち上り、遂に本島一圓を崇敬區域として總督の指定する護國神社一社を臺北市大直に創立することに府議決定、昭和十五年七月十八日總督吿示を以て公布せられたのである。御造營の儀が傳はるや、護國の英靈に捧げる全島民の烈烈たる感謝追慕の赤誠は、奉賛會の結成となつて淨財二十萬圓集り國庫補助二十萬圓を加へ合計四十萬圓を以て同年一月十五日地鎭祭を齋行したのであるが、その地均作業には軍官民が一心一體の調和美を發揮し、境內を飾るため本社主催で六百萬島民が真心こめた御石六百萬箇が各地から蒐集されるなど軍隊、官公衙、學校、會社青年團など各種團體の歡喜力行の流汗奉仕によつて、工事が急速に進捗し昨年十一月九日に盛大な立柱上棟式を嚴修それより僅か半年餘で早くもけふの芽出度き鎭座祭を迎へた島民の歡びと感激は一入深いものがある 二 我が國は建國の昔から、神を敬ひ汚穢を忌み、清淨を貴び、福を祝ふを淳風美俗として來た社殿を營み神靈を招き奉り鎭め奉らんとすれば、必らず、淨き地を選び神に奉仕するには齋戒沐浴する。また初創の習俗は日常生活における新年、初產の祝賀行事に見ても解る通りで、況んや神靈を鎭齋するに於ては尚更であるが、實に鎭座とは靈神を招き奉り鎭め奉るの義で、鎭座祭とは社殿を造營し創めて神靈を招き鎭め、永遠に祭禮の禮典を嚴修すること並にこの神事に附隨の諸祭儀の總稱である。この護國の社に創めて神鎭めまいらせる神靈は、孰れも靖國神社の祭神にして然かも本島緣故者の殉忠英烈で、領臺以來より今年四月の靖國春季臨時大祭まで、陸軍九一五九柱、海軍六七柱、合計九二二六柱に達してゐる。一旦緩急あれば、一死もつて君國に報ゆることは、わが國民精神の傳統であり、殉國の大精神こそは國民道德の大本である。これら護國の忠魂は不朽にその英名を國家に留めると共に鄉土において精神生活の最高指標として鄉土民の景仰追慕を受けることは國民精神の發揚と鄉土愛の喚起に拍車をかけ殊に本島における護國神社の建立は、皇民を鍊成し神なる道に通ずる國民精神生活の根幹である。護國神社こそは臺灣の靖國神社であり、護國の忠魂を永世に追慕する崇高の的であると同時に六百萬島民一人一人の魂の故鄉である。 三 今や米英擊滅の大東亞戰爭は忠勇義烈なる將兵の赫赫たる大戰果によつて既に第二期の建設的段階に入つたが今次戰爭の兵站基地として且つまた大東亞共榮圈確立の一翼として、益益負荷の重大使命を完遂せねばならぬ本島島民はこの戰果の蔭に尊き人柱となつて、殉國の華と散つたこれら英靈を思ひ、愈愈協心戮力、時艱突破に邁進しなければならぬ。今宵八時より行はれる鎭座の儀に英靈入御の時刻を期し、全島民真心罩めて三十秒の祈念を捧げることになつてゐるが、この嚴肅にして聖なる一瞬こそ、六百萬同胞が忠烈の英魂に敬虔たる感謝を捧げ、更に大東亞戰爭完遂への不退轉の決意を固めるべき時である。 |
02 | 大日本婦人會總裁に 東久邇宮稔彥王妃聰子內親王殿下 三十日に奉戴式を擧行 |
03 | 聖域に神氣滿つ 今宵嚴かに鎮座の儀 |
04 | 古式床しき諸儀の次第 |
05 | 護國神社制度の沿革(三) |
06 | 捧げよ赤誠の祈念 午後八時半頃全島一齊に消燈 |
07 | 總裁宮殿下の御略歷 |
08 | 忠勇義烈を發揮 臺灣護國神社鎮座祭を前に 山本馬公警備府司令長官談 |
09 | 英靈の功績に感謝 歸臺の樋口參謀長談 |
10 | 役人面をするな 杓子定規で物事しちやいかん 東條さん、配給所員をたしなめる |
11 | 馬公警備府新參謀長 島崎大佐が着任 典型的な海の武人 |
12 | 清新活潑な働き 今後の奉公運動に對し 中央參與會に諮問 |
13 | 常盤移民村視察 長谷川總督、けふ歸北 |
14 | 大トカゲを寄贈 走ることは犬よりも速い 本間將軍が動物園へ |
15 | ときの声 |
16 | 高砂族の青年達 溫情溢るる訓辭一席 |
17 | 屏東へ白衣勇士慰問 |
18 | 臺灣代表決定 全國青年學校鍊成大會 |
19 | 訃文:陳□氏燕 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 防空上の諸注意 帝都の初空襲を體驗して 軍司令部岩城少佐談 |
02 | 皇民道場を建立 花崗山の軍援會館隣に |
03 | 蔣政權の命取り(三) ビルマルート由來記 |
04 | 海の大捷回想 多彩な海軍記念日行事 |
05 | 故野口軍曹の大溪街葬 |
06 | 神社に增產祈念 水利記念日を迎へて |
07 | 基隆商業奉公團 愈よ今月末に結成 |
08 | 圖像:我が空爆で完全に破壞し盡された□ークー砲臺の殘骸 |
09 | 基隆市高砂區青年團結團式 |
10 | 宜蘭專賣品小賣人組合聯合會定期總會 |
11 | 蒐めたり 二億七千萬斤の堆肥材料 中壢郡の增產運動 |
12 | 職域奉公の指導 大肚山に產業奉公團幹部を鍊成 |
13 | 市郡視學打合 |
14 | 青少年運動の目標 香坂顧問の來南に座談會 |
15 | 北斗郡某社線の鐵道疑獄 |
16 | 託送荷物を着服 |
17 | 陳清素氏夫人逝去 |
18 | 臺南州奉公委員會 |
19 | 牛豚搬出の圓滑期して 關係者打合 |
20 | 暴利を貪る豐原出荷公司 當局からメス |
21 | 梅干奉仕作業 豐原女青の熱誠 |
22 | 人事 |
23 | 地方多より |
24 | 今日の映畫 |
25 | 第四十八期決算公告/臺陽鑛業株式會社 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 商業界の整備 岸商相全國業者に要望 |
02 | 臺灣茶の販路擴張 盤谷に駐在員常置 |
03 | 商業報國會 全體會議を開催 |
04 | 宜蘭商工會議所 去る廿日設立認可さる |
05 | 籾穀灰研究會 廿三日市公會堂で |
06 | 織物商報國會發展的解消 |
07 | 高雄州下早場籾 出廻り順調 |
08 | 臺北、花蓮港に事務所設置 日本化成工業が |
09 | 米麻の負擔金 消費者に轉嫁せず |
10 | 關東州船舶運營會 六月一日に設立か |
11 | 兩港灣運送業會總會 |
12 | 照明燈 |
13 | 二十四時間制事務打合會 |
14 | 商況(廿一日後場) |
15 | 北濱雜觀 |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(683)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 圖像:滇緬國境の山岳地帶を猛進する我快速部隊 |
02 | 臨時議會に臨む 基本體制を整ふ 翼政會初代議士會 |
03 | 新議員を役員に起用 |
04 | ガソリンに困る重慶 虛構の宣傳を放ち人民を欺瞞 |
05 | 内地で大演習の觀(中) 到る處原住民の歡迎を受く 平出大佐講演 |
06 | 翼政事務局長橋本氏に指名 |
07 | 伏見總裁宮殿下台臨 日本海員掖濟會定時總會 |
08 | マニラの兵營飛行場 日本名に改稱 |
09 | 日本國民の滅私奉公の精神に心を打たれる 歸國した泰使節團長談 |
10 | 宣戰に強硬な反對論 メキシコ政府の一部に |
11 | 油槽船、商船三隻を擊沈 伊潛艦米近海で |
12 | 樞軸國との外交繼續 チリ外相強調 |
13 | 圖像:高雄巡視の長谷川總督 |
14 | 獨軍戰車隊猛攻 ハリコフ戰線で |
15 | モレスビーを猛爆 |
16 | ソ聯の損失莫大 戰車七五九臺失ふ |
17 | 國民徵用に四苦八苦 人的資源不足の英國 |
18 | 獨軍司令部發表 |
19 | ソ聯新型戰車 五十二噸の大型 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 青少年學徒・感激の日 若人の意氣軒昂 新綠滴る新公園廣場にて 勅語奉讀式擧行 |
02 | 堂堂と分列行進 興亞の意氣天に沖す |
03 | 高松宮殿下 賢所に御渡滿の旨御奉告 |
04 | 決意一入堅し 新竹市で分列式擧行 |
05 | 基隆神社氏子會委員會 |
06 | 新竹神社參拜 水利記念日に |
07 | 無敵皇軍へ献金 軍司令部廿日取扱 |
08 | 献金佳話二つ |
09 | 增產打合會 あす州廳で開く |
10 | 基隆市新任教員座談會 |
11 | 遺族續續と到着 街頭早くも祭典氣分橫溢 |
12 | 圖像:島都青年學徒分列式 |
13 | 興亞動員大會式典 滿洲國建國十周年記念 |
14 | 郵便貯金百億突破 昨日記念式典を擧行 |
15 | 郵貯式典首相挨拶 |
16 | 互讓精神を發揮 翼贊會六月の徹底事項 |
17 | 在鄉勞務奉公隊 新竹州で結成準備 |
18 | 基隆市元町區青年團の結團式 |
19 | 十四日目取組 |
20 | 功勞者を表彰 水利記念日の臺北州支部 |
21 | 十二日目勝負 |
22 | 美術院賞授與式 |
23 | 筆架山ハイク |
24 | 興南詩苑漢詩 殘春感懷/顏補莊、月夜/黃景南、欣聞皇軍戰捷感賦/碧桂、春日寄懷島都諸友/王一儂、次韵/黃湘蘋 |
25 | 煙幕 |
26 | 商況(廿二日前場) |
27 | 興南案內報社消息 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 浙東方面を掃蕩中 陸鷲協力、偉大な戰果頭條新聞 【中支○○廿日發同盟】中支軍發表(甘二日午後四時○○に於て)一、わが軍は新銳の有力部隊を以つて五月十五日拂曉を期し○○地區より浙東方面の敵暫編第九軍及び第八十八軍に對しー齊に總攻撃を開始し十九日以來潰亂敗走中の兩軍を東陽江の河谿において挾擊しこれに大打擊を與へ引續き同地附近を掃蕩なり一、陸軍航空部隊は連日地上各部隊に密接に協力し偵察、連絡及び戰場要點の爆擊を實施し偉大なる戰果を擧げつつあり、 【中支○○にて二十二日發同盟】浙東の山野に餘命を保ちつつあつた敵暫編第九軍及び第八十八軍剿滅の火蓋は去る十五日早曉を期して一齊に切つて落された、○○地區より突如南進を開始したわが精銳部隊は數日を出でずして浙贛線沿ひの敵據點を次次に攻略し各所に感激の日章旗を揭げ敗走潰亂する敵を東陽江江畔に追撃これに殲滅的打擊を與へ引續き同方面に戰果を擴大中である、わが荒鷲の協力の下に空陸一體となつてのわが猛攻の前に敵は一溜りもなく支離滅裂となつてわが鐵蹄の蹂躪に任せてゐる |
02 | 東陽占領、義烏に突入 |
03 | 翼政兩院陣容整ふ 翼贊議會の開會を待つ |
04 | 長期戰の素地固まる(下) 南方の寶庫開發緒につく 平出大佐講演 |
05 | 敵戰力の低下 遺憾なく暴露 |
06 | 翼贊會首腦 每週政府と協議 |
07 | 水防演習實施 |
08 | 翼贊議員の本分發揚 代議士會阿部總裁挨拶 |
09 | 圖像:皇軍堂堂ケマビユーに入城 ビルマ、ラシオ戰線 |
10 | 改組問題について協議 |
11 | 翼政院内役員 |
12 | パラワシ群島戡定 各要衝、日章旗の威風に靡く 全比島、敵の蠢動封ず |
13 | 所屬代議士四百四十九名 |
14 | 議案審查部を設置 |
15 | わが朝野に感謝電 泰國使節團長パ中將 |
16 | 貴院關係總務會合 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 翼贊政治會の誕生社說 一 國體の本義に基き、大東亞戰爭完遂のため、擧國的政治力を結集し、翼賛政治體制の確立を圖り、以て大政翼賛の實を擧ぐるべく今回翼賛政治會が誕生し、二十日阿部大將を總裁に推擧して、その光輝ある歷史的第一步を踏み出した。これは過ぐる七日東條首相が、歷史的選擧の行はれたのを機として全國民の團結を愈愈强固にし、大東亞戰爭の完遂と翼賛政治體制の確立とを目指す擧國的政治力の結集を衷心より希望し、且つこれが實現方法につき工夫盡力致すべき要請があつたのに對し、翼賛政治結集準備會に於ては、各界の代表の創意と工夫により新なる構想を重ね、僅僅二週間で創立總會を開くに至つたもので政治の現階段に於て翼賛政治の出現が如何に熾烈に要望されてゐるかが判るのである。而して同會の會員は、創立總會當日最終決定を見た招請者は、發起人九百六十一名、主唱發起人七十七名及び新に會員として參加する閣僚六名を加へて合計千四十四名の多きに上つたが、その內參加拒否並に參加未定その他を除くと確定會員は九百三十二名となり、殆んど各分野の人士を網羅してゐると云ふべきである。 二 同會の企圖する處は、綱領並に宣言に於て明示されてゐるがその運營については、阿部總裁が就任挨拶の中でも述べてある通り、本會の使命は、一億國民が渾然一體となり、罩國の大理想を世界に發揚し、皇國の真姿顯現の為に翼賛の大道を全うせんことを期するにある。しかしこの國家的重大使命を遂行するには國民の總力を凝集し、これを政治力に動員する仕組を必要とする。そこに皇國獨自の一大國民的政治力の結集が要請せられるのである。更にこれは過去に於ける政黨と異り又一國一黨的存在とも異る真に皇國獨自の政治的組織たるを要するのである。從つて本會の運營は飽くまでも從來の政黨的行方とは全く異り新なる工夫と構想の下に萬民翼賛の實を擧げなければならぬ。云ひ換へれば舊來の政黨は「政策」をもつて政治團體結成の旗幟としたものであるが、現下要請せられてゐる政治組織體制は、「政策」の對立構想を眼目とするものに非らずして、飽くまでも「國民的至誠の政治的結集」でなければならぬ。これによつて一つの逞しい政治力が創造せられるのである。 三 思へば我が國の政治體制に所謂「新體制」なるものが叫けばれたのは昭和十五年で、以來三年の間、國を擧げてこれが實現に邁進して來たが、今回の翼賛政治會の結成を見るに及んで、始めて確乎たる形をもつて登場したのである。大東亞戰爭は、高度國防國家體制と共榮圈の確立がその主たる目的であるが、その根底には、八紘一宇の肇國の大理想が炳として輝いてゐる事は今更贅言を要しない處であるこの目的とこの理想の完遂實現には、雄渾にして壯大なる國民的總意を反映せしむる國民の政治的協力體制の確立を要し一切がこの皇國の大理想に集約さるべき經綸とその果敢なる實踐が要請せられるのである。今や此翼賛政治會の誕生を見て國民の各界に亘り政治翼賛の總力を凝集し、帝國憲法に恪遵し、翼賛議會の確立を圖ると共に國政の運行に協力し、大政翼賛會と緊密なる連繋を保ち、以て大東亞戰爭の完遂と東亞共榮圈の確立を促進し、更に世界新秩序の樹立に向つて帝國の道義性と指導性を顯示すべきである。 |
02 | 英靈神鎮まるの日 莊嚴・護國神社鎮座祭 劍潭の聖域晴の盛儀 |
03 | 入御時刻一齊に全島民が敬虔な祈念 |
04 | 御羽車奉仕の光榮 鄉軍東聯合分會員交交語る |
05 | 一瞬・太古の靜寂に還り 御羽車拜して參列遺族咽ぶ |
06 | 續く市民の群群群 夜更くるも忘れて神前に額く |
07 | 感激で胸が一杯參列遺族語る |
08 | 內地側遺族 渡實秀氏談 |
09 | 圖像:參列の遺族 |
10 | 圖像:市民赤誠の祈念 |
11 | 講演官を派遣 海軍記念日に馬公警備府より |
12 | 北京から參列 緣故者岩田氏談 |
13 | 奉納中等野球 |
14 | 水利座談會 昨日市公會堂で |
15 | 青少年團の貯蓄 愛國運動として全國的に展開 |
16 | 教員檢定試驗 十八日より六日間 |
17 | ときの声 |
18 | 演劇挺身隊巡演 |
19 | 砂糖卸組改組 企業整備令に先鞭 |
20 | 頭圍信組總會 |
21 | 十三日目勝負 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | ビルマ戡定の全貌 笑止・英、蔣のデマ宣傳 現地軍某幕僚の視察 |
02 | 東亞擔ふ決意固く 若き學徒意氣益益軒昂 各地の勅語奉戴記念日 |
03 | 滇緬國境の殘敵に猛射をあびせる我○○砲 |
04 | 素晴しい活躍だ 三峽奉公壯年團を山本事務總長激勵 |
05 | 英靈弔ふ彰化市葬 知事參列の下に執行 |
06 | 森田知事あす員林で講演 |
07 | 山の皇民化を急ぐ 先づ指導者を鍊成 |
08 | 簡閱點呼實施 |
09 | 故中原伍長の淡水街葬執行 |
10 | 防衛團幹部の鍊成終了 |
11 | 畜產會議員選擧 |
12 | 增產協力に邁進 水利記念日に一同覺悟新た |
13 | 忠靈二柱の桃園街葬 武陵國民學校で執行 |
14 | 牧野氏畜產會議員當選 |
15 | 嘉義の水利記念日 |
16 | “祝戰捷展”を開く 出品者は本島の中堅畫家 |
17 | 甘藷增產計畫 |
18 | 新制教科書編纂趣意を說明 |
19 | 故洲之內警部の警察葬 |
20 | 花蓮港專賣品小賣人組合 |
21 | 旗尾橋梁竣工式 美濃庄民多年の願望達成 |
22 | 人事報社消息 |
23 | 地方多より |
24 | 今日の映畫 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 島內石炭價格 近く引上げに決定 |
02 | 高雄州の早場米 近く屏東で初檢查 |
03 | 商銀六月二日に臨時總會開催 |
04 | 製油所設置問題 愈愈具體化へ |
05 | 鹽糖黑田專務 近く上京 |
06 | 鳳梨の灌水問題 本年度の學會に發表(上) 熱帶園藝試所長江口博士の研究 |
07 | 關東州船舶運營會總裁川村氏兼任か |
08 | 有價證券會社 六月下旬に創立 |
09 | 花蓮港トラツク會社 株引受決定、近く設立 |
10 | 高雄港灣作業賃 近く値上げせん |
11 | 關山郡の金屬回收成績良好 |
12 | 拓南工業協會委託生十五名と決定 |
13 | 大甲溪鐵道敷設鐵道部で下打合 |
14 | 臺灣精錫創設 會長工藤少將に內定 |
15 | 照明燈 |
16 | 商況(廿二日後場) |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(684)/黃得時;碇政彌 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 嚴かな幣帛供進の儀 供進に長谷川總督參向 鎮座の御儀滯りなく終了 |
02 | 臺灣憲兵隊司令部 臺北に設置、けふ實施 |
03 | 義烏附近の要地占領 |
04 | 圖像:幣帛供進に長谷川總督參向 |
05 | 獨政府が拒否 墨國の抗議を |
06 | 浙江省各地猛爆 |
07 | 米英の走狗蔣政權 徹底的擊碎目指し攻勢展開 浙東新作戰 岩崎支那派遣軍報道部長談 |
08 | 農林省資材部長 |
09 | 墨國の宣戰可能性強し |
10 | 偉勳を讚ふ祭文 |
11 | 軍管六工場を國府側に返還 |
12 | 米主力艦一隻擊沈 伊潛艦が南大西洋で |
13 | 伊軍司令部 特別發表 |
14 | 山本馬公警備府司令長官 |
15 | 阿部總裁、無所屬俱樂部へ |
16 | 糧食對策に 蔣政權狂奔 |
17 | 轟然爆發、巨艦沈む 米戰艦十五隻の中計九隻失ふ 伊潛艦偉勳の詳報 |
18 | 英船を擊沈 獨の潛水艦が |
19 | 歐洲戰局は本年が大體の峠 安藤駐伊大使館參事官語る |
20 | 埃及親英內閣瓦解近し |
21 | 海軍司政長官 新たに任命發令さる |
22 | 督府真室水產課長 司政官を兼任 |
23 | ハリコフ戰線 聯合國側情報 |
24 | ジブラルタル方面活況 |
25 | 軍票對儲備券 リンクレート 十八圓に釘附け |
26 | 文部異動 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 感激に明けた鎮座第二日 聖域へ集ふ市民の群 祭典氣分溢るる社頭 |
02 | 陸軍部隊が參拜 ラツパの吹奏裡に |
03 | 御鎮座祭の夜に/安藤正次 |
04 | 赤誠罩めて奉仕 松崎社司感激を語る |
05 | 多彩な行事 基隆神社の例祭 |
06 | 半島青年の榮譽 俘虜監視に數千名採用 |
07 | 訓練終了者打合會 二十五日から開催 |
08 | 陸戰隊が大行進 帝都は海の展覽會一色 海軍記念日 |
09 | 讚へよ・我無敵海軍 島都の海軍記念日行事 |
10 | 敵潛水艦と一騎討 我輸送船見事に擊退 |
11 | 非常な親思ひ 故田村一等兵 |
12 | 臺灣護國神社完竣/藍蔭鼎 |
13 | 南寮青年修鍊所で行的訓練 新竹市桔梗クラブ |
14 | 少年團模型航空機競技會 |
15 | 港都の商奉團 十日迄に各分團夫夫結成 |
16 | 割增金附の郵貯切手 來る八日に第一回分賣出し |
17 | 千秋樂取組 |
18 | クルーべ濱浴場修祓式 |
19 | 興南詩苑漢詩 五十書懷十首(一)/李嘯庵、明故宮址/吳萱草 |
20 | 今夜の放送 |
21 | 商況(廿三日前場) |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 浙東一帶の掃蕩完了 我作戰全く敵の意表に出る頭條新聞 【浙東○○前線二十三日發同盟】浙東の山野を席卷して一氣に東洋江河谷を制壓したわが軍は同地一帶の掃蕩を完了同方面の敵策源據點を悉く覆滅し更に敗敵を猛追○○方面に戰果擴大中である、今次作戰の開始に當りわが軍は敵の意表に出で各部隊の進撃路も敵の豫想を絕した道を選び急追に次ぐ急追を以つてしたため敵は完全に虛を突かれ陣容を整へる餘裕もなく二百、三百の小集團となつて潰走われに反擊を加へる者なく現在までのわが方の損害は極めて輕微である |
02 | 翼政會は名實共に擧國政治力結集體 所屬議員兩院七七六名 |
03 | 院内役員事務分擔を決定 |
04 | 滇緬ルート踏破記 |
05 | 農村關係議員 臨時總會を開く |
06 | 眾議院の議事日程 |
07 | グレーデー使節 米政府に建議 |
08 | 新代議士懇談會 |
09 | 圖像:昭南港に堂堂たる我艨艟の雄姿 |
10 | 尨大な軍需品獲得 ガソリンは「蔣介石給與だ」 |
11 | 議員協議會を設置 眾院各派交涉會は解消 |
12 | 東方會を解消 擧黨翼政に加盟 |
13 | 貴院運營方法 各派交涉會に依る |
14 | 地方別に地方長官會議 企業整理實施方法を協議 |
15 | 俘虜十七萬名 獨軍ケルチ半島の戰果 |
16 | 適切な運營を望む 金融統制會創立總會 藏相の演說 |
17 | 掠奪受けた民眾 支那軍の潰敗を喜ぶ |
18 | 副會長以下役員を任令 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 米穀增產の經濟的根底社說 一 大東亞戰爭の勃發に伴つて今後益益長期戰體勢を取らねばならないから、本島農業に課せられたる使命は第一に國民食糧の增產自給の一翼を荷はんとする農業生產力の量的質的な擴充にある事は言を俟たない。勿論米穀增產を圖るには先づ米作耕地の擴大と同時に米作技術の改良を並行せしめなければならないが、何んといつても農民の增產熱を驅り立てる事がより根本問題であらうと思はれる。如何に耕地を擴大しても、或は米作に對する改良技術を授けても、根本は農民の努力如何に依るのであるから、農民をして時局の重大性を自覺せしめ心よりの國策協力を求める事が此の際缺くべからざる方策であらう。然し比較的に教育程度の低い本島農民大眾をして上記の自覺の下に一齊に立上らせるには實際的に極めて困難である事も認識して置かなければならない。此處に於て米穀增產の經濟的根底を確立する必要が起つて來るのである 二 卽ち現在島內の米作は經濟的に成立つか何うかといふ問題を再檢討しなければならないが、從來米穀局から米穀生產費の發表がなく一般に論斷を下すには固より正鵠を得ない點がないではない。唯いひ得る事は昨年來小作人の地主に對する土地返却の件數が激增した事は、小作人が米作に依つて平均勞働賃すら得られない程米作が不利となつた事だけはいへよう。周知の如く米穀生產費の內小作料、自家勞働賃銀及び肥料代の三科目が其の大部分を占めてゐる。昭和四年二期米の生產費調查に依れば一甲當總收入三百五十九圓に對し、小作料百七十六圓(約五◯%)勞賃九十二圓(二六%)肥料代五十三圓(一五%)を示してゐるから、此の三科目だけで籾等の總收入の九○%となつてゐる若し籾賣渡價格から諸費用を差引いた勞賃收入が平均勞賃收入より少額となつた場合は小作農は小作地を返却して一般勞働者に轉業するであらう事は經濟原則の教へるところである。況んや物價騰貴と勞力不足に依る一般勞賃の騰貴が益益此の情勢を助長せずには置かないであらう。 三 然らば米作の不利を克服するには何うすればいいかといへば、先づ小作料の適正化を圖るべきであるが、此の問題は最近徐徐に低下の傾向を辿りつつある事は明かである。次に肥料代の切下げは現在のところ可成困難な問題であるが、農會に於て出來るだけ其の手數料の輕減を圖らなければならない。最後は米穀買上げ價格の引上げであるが、其の前に現在の納入機構を合理化して出來るだけ農民の負擔を輕減する事が米價引上げと同一效果を農民に與へる事となる。此の問題に關しては吾人は既に本欄に於て數度も主張して來たのであるが其の理由が全く此處に存する卽ち現在の如く米穀納入組合が莫大な利益を得てゐる事は反面に農民の收入を減少せしめ米作の不利を招來するからである。 四 若し小作料の適正化、肥料價格の切下及び納入手數料の輕減位で米作農民の收入が一般勞賃程度に保障する事が出來なければ、最後は米價の引上げ以外に手がない。然し米價の引上げが一方に地主の收入を增加し、他方に消費者の負擔を加重するから、內地に於て供出米に對し一石五圓の補助金を國庫の負擔に於て支出する事となつたのである。これに對し本島に於ては一石二圓しか補助金を支出してゐないが、果して現在の米作が採算上不利であるとすれば、之を增額する事は米穀增產策として最も時宜に適した事であらう。いふ迄もなく本島の米穀管理は從來の利益主義を一擲して米穀增產へ導かねばならなくなつたから此の際其の利益金を吐出すか、更に進んで國庫の負擔の下に現在の補助金を增額すべき事を提唱せざるを得ない。これこそ米穀增產の經濟的根底を確立する所以であらうと信ずるのである。 |
02 | 不朽の大勝・偲ぶ此一戰 勇戰、ラツパ吹奏 記念日の壓卷若人大行進 |
03 | 海軍記念日を待つ昭南市 |
04 | 大學高專教授の鍊成會 昨日から大直で開催 |
05 | “迫り來るもの” 加藤准尉が特別防諜講演 |
06 | けふ奉祝祭執行 |
07 | 蘭陽一署三郡警官武道大會 |
08 | 無敵海軍に感謝 大東亞戰以來武官府取扱の献金總額百卅二萬四千餘圓 |
09 | 日本海海戰の回顧(一) 擊つべしロシヤの野心 血淚呑んで苦節隱忍の十年 |
10 | 警察官の隱れた善行 人情總理東條さんから金一封 |
11 | 廿二日の取扱 |
12 | 各種奉納競技 |
13 | 奉納音樂會盛況 |
14 | 奉納舞踊大會 |
15 | “飽迄實踐が第一” 奉壯城西班の五月常會 |
16 | ときの声 |
17 | 大相撲勝負十四日目 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 皇國隆昌の大海戰 日本海の大捷を奉祝 |
02 | 意義深き催し物 臺南市の奉祝計畫 |
03 | 護國神社遙拜式 臺中神社境內で知事以下參列 |
04 | 敬虔な默禱を捧ぐ 入御の時刻に |
05 | 圖像:いざ出動・隊長の訓示を受ける陸鷲勇士 |
06 | 藤岡兵務部長視察に來高 |
07 | 勅語奉讀式を擧行 桃園の奉戴記念日 |
08 | 花蓮港・奉公壯年團 きのふ昭和記念館で結成式 |
09 | 甲種合格が過半數 好成績に檢查官滿悅 |
10 | 鄉軍本部中井少將高雄視察 |
11 | 彰化市長上北 |
12 | “立派な動作だ” 花蓮港の兵志願者訓練 |
13 | 防空の利器(二) 高射砲、高射機關銃 精密な照準具が生命 |
14 | 臺陽鑛業產業奉公團 きのふ結團式を擧行 |
15 | 積込め! “米の素”堆肥 知事さんが班長だよ 推進め增產運動 |
16 | 新化奉公委員會 |
17 | 時局講演會を開催 保甲婦女團が |
18 | 訓示傳達 |
19 | 各部落の青年 第一種訓練實施 |
20 | 茶販賣商奉公團 けふ結團式を擧行 |
21 | 工業港施設の實情報告 港灣調查團 |
22 | 青少年團の活動 香坂顧問との座談會で發表 |
23 | 員林青年校 晴の入學式 |
24 | 員林郡員林街燃料 |
25 | 彰化署召集 |
26 | 嘉義女創立廿周年記念 |
27 | 保健組合表彰 |
28 | 愈よ本腰だ! 肉豚增產に馬力 |
29 | 子供によき遊び場所 |
30 | 故石垣氏の追悼法要 |
31 | 時局映畫會 |
32 | 鐵道主任留置二十九名檢擧 鹽糖線の疑獄 |
33 | 桃園專賣品小賣人組合 |
34 | 臺中春競馬成績 |
35 | 地方多より |
36 | 今日の映畫 |
37 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 一期籾、玄米等の最高價格發表 昨年二期と同值 |
02 | 日本蠶糸の買賣價格 六月一日より改正 |
03 | バス運賃改正の基礎 路線等級の查定進捗 |
04 | 本邦海運の發展へ 兩法改正の要點 |
05 | 四月末豫金殘高 四億五千萬圓を突破 金融基調引續き順調 |
06 | 臺灣交通發着場 臺中驛前に統一 |
07 | 產業設備營團法 改正法律案の要項 |
08 | 船舶建造資金の融資 金融金庫も行ふ |
09 | 特殊鋼の配給統制 近く實施されん |
10 | 臺銀異動 |
11 | 照明燈 |
12 | 商況(廿三日後場) |
13 | 臺灣石炭會社 近く總會開催 |
14 | 醫藥品中央配給組合の定期總會 |
15 | 海運國管令施行規則近く公布 |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(685)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 第八十議會けふ召集 擧國翼贊政治力結集 獨自の翼贊議會確立頭條新聞 【東京發同盟】大東亞戰爭完遂のための擧國政治力結集を目標として行はれた第二十一回眾議院議員總選舉後最初の第八十臨時議會は赫赫たる戰果に呼應して燃え上る全國民の政治的意慾を背景として愈愈二十五日召集される政府が今次臨時議會の召集を奏請した理由は東亞共榮圈確立に不可缺の要素たる計畫造船實施に關する法律案二件及びこれに伴ふ豫算案三件の協賛を求めると共に國策遂行に關する所信を中外に闡明し併せて議會を通じて國民の理解と協力を求め大東亞戰爭の必勝と共榮圈建設の必成を期する擧國進軍態勢を愈愈強固ならしめんとするにあるがこれを迎へる貴眾兩院は去る二十日創立發足して擧國翼賛政治力の結集政治會に融合して今議會を劃しわが國獨自の翼賛議會を打立てんとしてゐる即ち阿部信行大將を總裁とする翼賛政治會に殆ど全員を擧げて入會した貴眾兩院は旣に議會運營について各各工夫を凝らし眾議院は從來の各派交涉會に代る 議員協議會を設置して議事の圓滑運行を圖らんとしてをり貴族院は社交團體たる在來の會派は存續するがその間に連絡委員會を設置して各各全院一致翼賛の本分を發揮せんとしてゐるかくて二十五日は貴族院に各部屬を前議會通り踏襲して即日成立を告げ眾議院は正副議長選擧を行つて二十六日成立、二十七日午前十一時貴族院に於いて開院式が舉行される、しかして貴眾兩院とも會期の關係上同日午後直ちに本會議を開き貴族院は午後二時眾議院は同四時會議東條首相、東鄉外相、賀屋藏相より各施政方針演說を行ひこれに引續いて 陸海兩相より主として第七十九通常議會以後におけるパタアン半島コレヒドール陷落ビルマ戡定並に印度洋及び珊瑚海海戰における赫赫たる戰果とこれに伴ふ建設の進展情況について戰況報告を行ふ筈であるこれに對しては貴眾兩院とも國民感激の誠を表明する感謝決議を行ふことになつてゐる更に眾議院は同日中に政府提出案を上程提案理由說明の後委員附託とし二十八日午前中に議了送附し貴族院も同日中に協賛を終つてわが國政治史に新紀元を劃する第八十臨時議會閉院式は二十九日午前十一時貴族院において御擧行あらせられる御豫定であるが輝しき戰果に呼應して擧國翼賛の大道に結集し暴戾米英擊滅大東亞共榮圈確立必成の體制を愈愈強固ならしめる今次臨時議會の有する意義は寔に重大と言ふべきである |
02 | 我攻略態勢刻刻完成 東部支那の敵要衝指呼の間 |
03 | 金華市突入の寸前 |
04 | 一日四十粁の強行軍 |
05 | 孝順東西線に進出 |
06 | 全支第一の重要鑛區を掌握 |
07 | ジヤバ島言論機關を統一 |
08 | 渡邊、山城兩機壯烈なる自爆 |
09 | 人物本位に銓衡 翼政各委員長の人選 |
10 | 墨國、宣戰案を議會に提出 |
11 | 哨戒より歸つた我海鷲新銳偵察機 |
12 | 院内役員會の座長は前田氏 |
13 | 宣戰の豫定 墨國大統領言明 |
14 | 議長第一候補は岡田氏 副議長は内ケ崎氏 |
15 | 墨國戰爭前夜の樣相を呈す |
16 | マニラ金融狀態漸次軌道に乘る |
17 | 大陸制空權を確保 支那派遣陸軍航空部隊の五月中旬以降の活躍狀況 |
18 | 獨軍の戰況 二十三日の發表 |
19 | 敵空軍の蠢動挫折 |
20 | けふの兩院 |
21 | 廈門市派遣の教員團一行廿名來臺 北二師で特別講習受く |
22 | グレデー建議一部の内容 |
23 | ケルチ撤退をソ聯軍確認 |
24 | 内務人事異動 |
25 | 女性文化講座 成蹊保育事業協會で |
26 | 臺灣茶販賣商奉公團結團式 總會に次いで擧行 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | “我海軍精神の權化” 海の二美談 前線から一億國民に贈る |
02 | 今井山口兩部隊戰歿者の合同告別式を執行 あす第三部隊營庭で |
03 | 圖像:海軍記念日奉祝相撲大會 |
04 | 興亞の礎石 今井部隊戰歿者 |
05 | 龍虎相搏つ肉彈戰 海軍記念日祝賀行事のトツプ切り 恒例奉祝相撲大會盛況 |
06 | 日本海海戰の回顧(二) 緒戰の大戰果 意氣沖天、國民の感激 |
07 | 奉納競技成績 |
08 | 大東亞戰海軍戰利品展 けふ市公會堂で開幕 |
09 | 圖像:各種奉納催し |
10 | 千秋樂勝負 |
11 | 主婦に銃後魂 新竹市鍊成會あすから |
12 | 早大が再勝 對立教二回戰で |
13 | 人事・消息報社消息 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 盛上る赤心の叫び 本島徵兵制度の實施を促進 高雄の有志者蹶起 |
02 | 御上陸記念祭 來る三十一日に澳底御遺跡所で |
03 | 羅東街葬と五結庄葬 |
04 | 護國神社の遙拜式 |
05 | 海軍報道班員實戰座談會(一) 物淒い敵空軍の鼻息 南方制空權わが手に |
06 | 臺中州下の第三種空訓 實施日割決る |
07 | 圖像:皇軍に協力するビルマの住民 |
08 | 防空研究會 屏東會館で |
09 | 中圓大佐を聘して講演 屏東の記念日 |
10 | 彰化市の海軍記念日行事 |
11 | 東部の“兵”志願者 愈よ銓衡檢查開始 |
12 | 桃郡園下の街庄吏員鍊成 |
13 | お山の娘達に情操教育 俗塵離れた霧社で鍊成 |
14 | 善化鄉軍射擊會 |
15 | 屏東商奉團 廿八日に結團式 |
16 | 桃園郡の街庄長會議 |
17 | 屏東郡下街庄長會議終る |
18 | 覺悟を一新して產業奉公に挺身 產奉團幹部鍊成終了 |
19 | 人命救助で知事から表彰 |
20 | 指導能力を強化 鄉軍團隊長講習會開く |
21 | 鹿草庄三角子の防水施設竣成 |
22 | 農民の元氣百倍 二期作用の肥料確保に成功 |
23 | 地方多より |
24 | 海山郡鶯歌信販購利組合 |
25 | 臺中春競馬成績 |
26 | 今日の映畫 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 政治力の結集具現 戰爭完遂、體制強化へ |
02 | 翼贊議會召集 貴族院は即日成立 |
03 | 眾院正、副議長決る 議長岡田氏、副議長內ケ崎氏 |
04 | 午餐の陪食仰付らる 司法長官らを御慰勞 |
05 | 真摯なる南方研究 各統制法令解釋の適正を期せよ 司法長官會同岩村法相訓示 |
06 | 正副議長の辭令傳達 |
07 | 正、副議長指名 |
08 | 清新潑刺翼贊議場へ 先づ禊を行ひ神前に額く 新議員烈烈たる意氣込み |
09 | 桃原、石榑兩氏翼政に入る |
10 | 圖像:ラシオを棄てて敗走の敵を追つて惡路を進撃する我快速部隊 |
11 | 賀屋藏相奏上 演說內容につき |
12 | 貴院各派交涉會 |
13 | 汪主席の滿國訪問 大東亞建設に貢献 滿洲北支視察より重光大使歸任談 |
14 | 數線の敵陣地擊碎 敵第十集團軍潰滅の寸前 |
15 | 聯合國の大危局 大西洋で船舶の連續擊沈 |
16 | 重光大使 汪主席と要談 |
17 | 獨軍遂に俄然攻勢 ハリコフ一帶に前進 |
18 | 被抑留邦人へ慰問品を送る |
19 | ア印度事務相 全英領に放送 |
20 | 墨國の宣戰案近く上程 |
21 | 英米アジアより退却せよ ガンヂー翁強硬に出張 |
22 | 敗將ス中將漸くデイナプール着 |
23 | 米英との協定諸法令に署名 ブラジル大統領 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 偲ぶ皇軍奮戰の跡 海軍勝利品展開幕 劈頭總督、軍司令官等が來場 |
02 | 大戰果を想起 新竹州の海軍記念日行事 |
03 | 上海海軍表忠塔 廿七日に除幕式擧行 |
04 | 宜蘭市の海軍記念日行事 |
05 | 國語普及に戶口簿 五ケ年後には不解者を一掃 國語新竹州の計畫 |
06 | 靴商の赤誠 |
07 | 約七倍の應募 米英俘虜監視募集締切 |
08 | 定例局部長會議 |
09 | 港都青年團の改組成る 會員一躍五千名を突破 |
10 | 圖像:迫る海軍記念日 |
11 | 白衣の勇士達に現地療養所 |
12 | バス增發陳情 兩庄の有力者等 |
13 | 燃える愛國の至情 散華した高砂族兩勇士の遺族談 |
14 | 精神異常者三倍に增加 米國の社會生活の混亂振り |
15 | 姙產婦の指導 各市郡で講習會開催 |
16 | 安藝海と照國 橫綱に決定 |
17 | 扶助金增額 |
18 | 國語家庭改姓名者名簿作製 |
19 | 煙幕 |
20 | 今夜の放送 |
21 | 商況(廿五日前場) |
22 | 興南案內報社消息 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 米甲巡擊沈、戰艦中破 珊瑚海海戰の追加戰果頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(二十五日午後三時二◯分)一、曩に發表せる珊瑚海海戰戰果中に米戰艦ノースカロライナ型一隻中破及び米甲巡ポートランド型一隻擊沈を追加す、二、同海戰に於いて大損害を受けたる艦型不詳の巡洋艦は米甲巡ルイスビル型なる事判明せり |
02 | 擊沈破の米艦性能 |
03 | 詳細なる戰鬪概要 |
04 | 高松宮殿下けふ御出發 晴れの御渡滿の御途に就かせらる |
05 | 生生しい珊瑚海戰記 “第一擊は見事なり” 續く捷報に一同感泣 |
06 | 議員協議會 |
07 | 小スンダ列島も戡定 東印度方面軍報道部長談 |
08 | ビルマ敗戰事實 聯合國軍も認む |
09 | 各種委員の銓衡 翼政委員係で原案作成 |
10 | 金華市の陷落迫る |
11 | 冀中共軍の殲滅戰果 |
12 | 西部雲南省猛爆 |
13 | 眾議院新議長岡田氏の略歷 |
14 | 退役陸海軍人五十九名占む 翼政會の一特色 |
15 | 土國汽船擊沈 |
16 | けふの兩院 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 翼贊政治の實を擧げよ 臨時議會召集社說 一 第八十回臨時議會は支那事變以來最初の總選擧の後をうけて昨二十五日召集された、明治二十三年十一月第一回議會が開かれてより帝國議會は回を重ぬること實に八十に及んでゐるが、その內臨時議會は明治二十七年十月廣島に召集された第七議會を皮切りに今回で十六回に達してゐる。而してこれ等臨時議會は槪ね御大喪、戰費支出、震災其他災害救濟、或は財界、中小商工業及び農村救濟等の國家的非常緊喫時のみに召集されて居り、今回の如く總選擧により更新された議會を通じて國民に理解と協力を求むるため、政府が積極的にこれを奏請して召集された臨時議會は今回を以て嚆矢とする、この意味に於いて東條內閣がこの度臨時議會を奏請したことは、よしんは計畫造船實施に關する法律案及びこれに伴ふ豫算案等の重要法案の協賛を得るための必要ありとは云へ、蓋し立憲的措置なりとして各方面から好感を持たれてゐる。 二 曩に行はれた總選擧に於て翼協推薦による候補者が、三百八十名といふ壓倒的多數當選した好成績は、如何に翼賛選擧とは云へ政府も國民も全く想像だにしなかつたところであつた、東條首相が去る通常議會の末期に於て、貴族院の壇上から一議員の問に答へて「翼協は政府が與黨を作る具にあらず、翼協の為すところ政府の關知せざるところなり」と斷言すとも推薦候補者が與黨的雰圍氣の中に當選し國民が政府支持の立場から投票したことは蔽ふべからざる事實である。畢竟するに東條內閣は今回の選擧で一擧に三百八十名といふ推薦議員を手にし、更らに此推薦議員を中心として翼賛政治會が誕生したことにより、東方會までがこれに合流したため、事實に於て四百六十六名の全議員を獲得した。まことに政局は安定、東條內閣の前途また磐石なりといふべきである。 三 乍去、ここに一考すべきは、我が國民の常として戰爭其他國家に重大事あるときは無條件無理窟にて一致結束するといふことである。されば支那事變勃發以後は、政府の何ものたるを問はず議會は擧げて政府に協力し政府の為すところこれ從ひ、其為めに議會の存在さへ疑はれた程である。今回の總選擧も東條內閣への信賴もさること乍ら、それ以上に大東亞戰完遂のため、全國民が燃ゆるやうな政治意慾を結集させたものであることを忘れてはならぬ。賢明な東條首相のことゆえ、ここに思をいたし、この國民の熱意に應へんための意圖より敢て立憲的に議會を召集せるものと思ふ、萬萬一かりそめにも政府が、我には議會に絕對の力を有すなどと慢心することあらんか、政府は自らを過り國民をも誤る結果を招來するや必然である、議會も亦翼賛政治の名に穩れて自らの鍊磨と職責を閑却するか如きことあつてはならぬ、要は政府も議會も今臨時議會に於て翼賛選擧で咲いた翼賛政治の花を結實させ國民の負托に酬ゆるやう決死の努力こそ肝要である |
02 | 備へよ“姿なき敵” 戰時國民防諜強化運動 七月十三日から實施 |
03 | 硝煙滿堂に匂ふ 戰利品展大賑ひ |
04 | 水莖の跡も美し 北一女・武官府に赤誠披瀝 |
05 | 日本海海戰の回顧(三) 世界驚倒の大戰果 日本海に敵艦隊殲滅 |
06 | 擧島一齊に祈念 海軍記念日正午を期し |
07 | 本格的南方協力へ 勅任、奏任多數の補充に 近く府人事大異動 |
08 | 代用食餅を配給 學童並に筋肉勞働者に |
09 | 簡素の中の美しさ 婦人標準服本極り |
10 | 英靈を弔ふ 宜蘭市葬執行 |
11 | 各型の解說 吉見裁縫學園長語る |
12 | ときの声 |
13 | 臨時部長會議 昨日奉公會中央本部で |
14 | 長崎丸沈沒 味方の機雷に觸れ |
15 | 菅船長割腹自決 |
16 | 人事報社消息 |
17 | 市葬謹告:川崎徹等人 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 飛躍港灣を建設 共榮圈の中心高雄港の完備へ 州幹部鳩首凝議 |
02 | 忠靈六柱を弔ふ 臺中署定期召集 |
03 | 故□君の西螺街葬 |
04 | 海山奉公委員會 |
05 | 地方中堅の心構 森田知事員林で獅子吼 |
06 | 海軍報道班員實戰座談會(二) 一瞬・大空に咲く花畑 メナド・クーパンの奇襲作戰 |
07 | 運動指標を與ふ 奉公委員會で羽鳥支會長から |
08 | 赤誠の慰問袋 女青の手で五百四十七個作製 |
09 | 國語の徹底に普及週間設定 彰化奉公會主催 |
10 | 北港奉公委員會 |
11 | 花蓮港專賣品 |
12 | 夏でも馬鈴薯が味へる 高地栽培試驗に渡邊技師意氣込む |
13 | 圖像:ヤシの木蔭で戰車の手入れ |
14 | 大屯郡烏日信組 |
15 | み國の為と思へば 炎熱酷暑も物かは ゴ社青年前線から後輩を激勵 |
16 | 教員の脫線行為 |
17 | 圖像:我空爆に灰燼と化したコレヒドールの敵軍事施設 |
18 | 結核豫防に萬全 新竹州濃度調查に乘出す |
19 | 濁水溪水防演習 |
20 | 割當額打合會 蘇澳築港負擔金 |
21 | 奉公壯年團鍊成會 |
22 | 情婦を斬る |
23 | 農民に加勢して堆肥積込み |
24 | 粒揃ひの興亞青年ばかり 花蓮港の志願兵檢查 |
25 | 草山ハイク |
26 | 地方多より |
27 | 今日の映畫 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ナタールパークの單寧含有量 絕對優良を確認 府林試で試驗の結果 |
02 | 南方纖維工業 內地資本家で計畫 |
03 | 米袋配給回收要綱 本年一期米より實施 |
04 | 鳳梨の灌水問題 本年度の學會に發表(二) 熱帶園藝試所長江口博士の研究 |
05 | 東臺灣電氣增資來月廿五日に總會 |
06 | 保線と列車運轉 臺鐵で不均衡克服に全力 |
07 | 改正海運統制令 施行規則立案中 |
08 | 雜纖維輸移出組合近く總會を開く |
09 | 子供婦人帽子講習 新竹市で開く |
10 | 基隆市バス運賃値上げ近く認可 |
11 | 臺南澱粉組合 廿九日に總會 |
12 | 臺北市卸賣物價指數 四月末三毛の微騰 |
13 | 明糖南靖外二製糖所壓搾終了 |
14 | 私鐵車輛規格統一協議會 |
15 | 臺灣畜產興業近く定時總會 |
16 | 菊竹海事課長二十六日南下 |
17 | 照明燈 |
18 | 商況(廿五日後場) |
19 | ラジオ |
20 | 水滸傳(686)/黃得時;碇政彌 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵屍六千五百餘 軍需品多數鹵獲 ミイトキーナの戰果 |
02 | 貴眾兩院とも成立 あす開院式を擧行 |
03 | 眾議院正副議長挨拶 議員一同本會場に參集 |
04 | あす兩院で演說 東條首相、東鄉外相が |
05 | 高松宮殿下 御渡滿□途に就かせらる |
06 | 圖像:砲を肩に敵陣突入の先遣部隊 |
07 | 徐自全麾下五千名 皇軍に歸順申出づ |
08 | 清新の新面目發揮 岡田新議長の抱負談 |
09 | 司法長官會同(第二日) |
10 | 建設譜も快速調 大東亞戰下初の海軍記念日迎へる 昭南軍□けふ此頃 |
11 | 嘉義地方震災復舊費 第二豫備金支出告示 |
12 | マレーの鑛山開發 關口鑛務課長語る |
13 | 羅府に空襲警報 |
14 | 敵船員逃して擊沈 我潛水艦悠悠法規通□に行動 我が情の武士道 |
15 | パホン中將から謝電 廿五日長谷川總督宛に |
16 | 衡陽を大空襲 |
17 | 聯合國側船舶の喪失二百十一隻 大東亞戰勃發以來 |
18 | 日本軍の勇猛さ 敗將スチルウエル語る |
19 | 再びネールに米訪問の招請狀 |
20 | 伊國の戰時生活なほ餘裕綽綽 駐伊參事官安東氏歸る |
21 | 英巡洋艦ペ號大損害を被る |
22 | 本島產業を研究 小峰勸業課長來臺 |
23 | 赤軍包圍に成功 ハリコフ戰線 |
24 | ハリコフ戰況 ソ聯情報局發表 |
25 | 吉居朝日特派員戰病死 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 忠烈東亞に燦たり 今井、山口兩部隊合同告別式 けふ嚴かに執行はる |
02 | 大和魂と海軍魂/廣瀨彥太 |
03 | 柴田伍長外諸勇士 けふ基隆に無言の凱旋 |
04 | 戰捷祈願參拜 市內學童が旗行列 |
05 | 傷痍軍人會臺灣支部總會 |
06 | 圖像:英靈告別式 |
07 | “南薰會”が誕生 奉公運動の尖兵として |
08 | 新竹州勸業課長會議 |
09 | 蕃地教育大刷新 各社の優秀青年を集めて 教員助手講習會を開催 |
10 | 全島林業試驗連絡會議 |
11 | 長谷川總督が廈門方面を視察 六月上旬空路で |
12 | 明朗農村の象徵 茶摘競技會を開催 |
13 | 第五回婦人鍊成會 いよいよ二日から開く |
14 | 海軍武官府へ感謝の献金 |
15 | 港都海軍記念日 祝賀行事愈よ決定 |
16 | 商業奉公研究會 臺銀三階で開かる |
17 | 國債消化青少年運動 臺北州、管下に通達 |
18 | 興南詩苑漢詩 五十書懷(二)/李嘯庵、詠岳少保二絕句/林石厓 |
19 | 煙幕 |
20 | クルべー濱海水浴場の修祓式 |
21 | 基隆華僑公會報國債券購入 |
22 | 商況(廿六日前場) |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 天皇陛下けふ親臨 第八十議會開院式御擧行頭條新聞 【東京發同盟】大東亞戰爭の完遂を期し一億國民の政治力を結集する第八十臨時議會は二十五日召集され貴族院は即日成立し眾議院も二十六日成立を見たので二十七日貴族院において開院式を擧行、畏くも 天皇陸下親臨あらせられる旨二十六日仰出された、大東亞戰爭下三回目の行幸であり畏き極みで今次總選擧により翼賛議會の確立を期して選出された四百六十六名の新眾議院議員に取つては感激殊に深きものがあらうこの日 天皇陛下には陸軍樣式軍裝に大勳位副章を御佩用百武侍從長陪乘、松平宮相、蓮沼侍從武官長以下を隨へさせられ略式自動車鹵簿にて午前十時四十分宮城御出門貴族院に行幸諸員奉迎裡に正面玄關に着御あらせられ松平貴族院議長の御先導にて一旦便殿に入御、御先着の 皇族各宮殿下に御對面の御後東條首相以下各閣僚、原、鈴木樞府正副議長以下各顧問官並に松平、岡田、佐佐木、內ケ崎貴眾兩院正副議長に拜謁仰付られ午前十一時開院式場に臨御、東條首相より奉る勅語書を御手に把らせられて優渥なる開院の勅語を賜はり爰に第廿一回總選擧後初の第八十臨時議會開院式は嚴肅に終了陛下には諸員奉送裡に議事堂發御宮城に還御あらせられる御豫定と承はる 提出議案決定 【東京發同盟】政府は第八十臨時議會に臨むに當り大東亞戰爭完遂のため當面喫緊の重要問題たる船舶建造海員養成及び大東亞建設審議會の運營などに要する經費として總額千二百八十四萬六千圓の追加豫算案並に豫算外契約の改訂案を提出することとなり二十六日の閣議に附議左の如く正式決定二十七日眾議院に提出することとなつた(單位千圓) 各省所管別內譯 ▲大藏省所管 一、船員教育施設整備擴充に要する經費 一◯・◯六一內(イ)高等商船學校建物其他新營に要する經費□七・◯◯◯ (ロ)短期高等海員養成所及び海員養成所建物其他新營に要する經費 一四八 ▲遞信省所管 一、般員教育施設整備擴充に要する經費 二・六二二 內(イ)高等商船學校增設準備に要する經費 一・◯七◯(ロ)短期高等海員養成所增設に要する經費 一三六 一、計畫造船實施に要する經費 一五 豫算外國庫の負擔となるべき契約の改訂 一、產業設備營團損失補償限度六千五百萬圓を二億圓に引上ぐ 一、朝鮮總督府特別會計 (イ)船舶建造補助 一・五◯◯ (ロ)船舶建造融資補給及び損失補償の貸付總額四百五十萬圓を一千萬圓に引上ぐ |
02 | 輝く帝國海軍綜合大戰果 米英戰艦八、航母六擊沈 飛行機、船舶等大損害與ふ |
03 | 高松宮殿下親しく 陷落直後のコ島御巡視 |
04 | 世界戰史未曾有の大戰果 眾議院の陸海軍感謝決議文 |
05 | 高松宮殿下きのふ大連に御安着御入滿 |
06 | バリツクパパン御視察 |
07 | 眾議院の部長理事 |
08 | スラバヤへ御成り |
09 | 眾院各委員長 |
10 | けふの兩院 |
11 | 全滿國民感激 新京、奉迎に萬全を期す |
12 | 總額一千二百餘萬圓 追加豫算案の内容 |
13 | 定例閣議 |
14 | 桐廬、建德占領 桐江支流を渡河 |
15 | 貴院各委員長前議會通り |
16 | 國民動員實施計畫 きのふ閣議で決定 |
17 | 南北から敵挾擊 チンドウイン河中心に |
18 | 金華へ殺到 |
19 | 梅谿江強行渡河 |
20 | 重慶、軍需資材集結に焦慮 |
21 | 北見市生る |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 輝く海軍記念日を迎へて社說 一 大東亞戰爭勃發の劈頭、ハワイ海戰の赫赫たる大戰果に引續くマレー沖海戰、エンドウ沖海戰、スラバヤ沖、バタビヤ沖兩海戰、印度洋作戰、更に去る七、八日の珊瑚海海戰に於ける我が無敵海軍が擧げた輝しき驚異的大戰果の中に、本二十七日、第三十七回海軍記念日を迎へることは、一入意義深く、特に今より三十七年前の日本海海戰に於ける千古不朽の大勝利を想起し、大東亞戰爭下鐵桶の如く海の護りに、或は雄大宏壯なる敵擊滅に、世界戰史上未だ曾て見ざる赫赫たる武勳を擧げつつとある帝國海軍將士に對する限りなき感激と感謝とは、一億國民の心魂に深く徹するところである。この記念日を迎ふるに當り、帝都では同日八時半より海軍軍樂隊を先頭に海軍陸戰隊の精銳が、市中大行進をなす外、記念講演會、祝賀會などの催物が華華しく開幕され、本島に於ても島都專門中等國民學校生徒兒童等によるラツパ吹奏に續いで臺北吹奏聯盟による音樂行進講演會、音樂と映畵の會、戰利品展覽など全島を海軍の一色に塗潰し、豪華な繪卷が繰展げられることになつてゐるが、我我六百萬島民は、この機會に特に護國の英靈並に皇軍將兵に對する感謝の念を新にすると共に銃後の護りを愈愈固くし、飽くまでも必勝の信念を堅持して聖戰目的の貫徹に邁進しなければならない。 二 今や我が無敵海軍は、宏壯雄大な作戰を以て太平洋は勿論、遠く印度洋を制壓し、飽くまでも頑敵米英を徹底的に殲滅し盡さずんば已まざるの堅き決意と燃ゆるが如き必勝の信念を堅持し、日夜勇戰奮鬪し續けて居られるのである。開戰以來の赫赫たる大戰果は、もとより御稜威の然らしむるところであるが、我が無敵海軍が、日本海海戰以來必勝の信念を以て猛訓練を重ねた賜物であつて、特に我が海軍の傳統である「敵を倒すまでは死なぬ」といふ精神が「見敵必殺」の信念となり、更に求敵必滅に迄進展し、この信念を堅持して戰ひ拔くにあつたことは申すまでもない。この偉大なる尊き精神があつてこそ、世界に冠絕せる皇軍として、世人から仰がれ畏敬せられるのである。この必勝の信念に立脚する敵擊滅の精神は、我が海軍の傳統であり誇りであるが、特にワシントン會議によつて五五三の劣勢比率が押しつけられて以來、兵器の改善に、兵術の研究に、我が海軍は並並ならぬ苦心と努力が拂はれたのである。量より質卽ち兵器の優秀性が要求され、殊に我が兵器の優秀であることは今次戰爭で遺憾なく實證され、真珠灣の奧深く突入して敵を戰慓せしめ遂に玉碎した特殊潜航艇の如きは、鬼神を泣かしむる壯烈極まるものであつた。斯る旺盛な攻擊精神こそ、何時も輝しき成果が發揮せられるのである。 三 今や大東亞戰爭の全戰局は、我が皇軍の赫赫たる戰果によつて全く一轉し、之に加ふるに南方の寶庫開發の建設戰愈愈その緖につき長期戰に對する我が不敗の態勢は、既に出來てゐる。近代戰が國家總力戰である以上全國民一人殘らず皆戰爭を分擔してゐるのであるから、大東亞戰爭を完全に勝ち拔くためには一億國民が火の玉となつて、擧國的總進軍態勢を愈愈强固ならしめなければならない。日露戰爭は、日本海海戰を以て終焉を吿げたが、然し今次の大東亞戰爭は大東亞共榮圈永遠の平和を確立し、米英擊滅を目標とする以上、實に珊瑚海海戰を以て始まると謂つても過言ではないと思ふのである。帝國海軍の傳統と猛訓練によつて築かれた海軍魂は、今太平洋、印度洋に遺憾なく發揮されてゐる今日の海軍記念日を迎へるに當り、我我國民は無敵海軍を限りなく讃仰感謝すると共に、護國の華と散つた英靈に對し深甚なる感謝の誠を捧げたいのである。 |
02 | 波濤萬里堂堂君臨 無敵偉容七つの海を制壓 祝へ諸人けふぞ佳き日 |
03 | “準備あるものは最後の勝利者なり” 日露戰の青年士官長谷川大將語る 不朽の大勝偲ぶ此一戰 大東亞戰下輝く海軍記念日 |
04 | 圖像:偲ぶ日本海海戰 |
05 | 奉公の誠を盡せ 馬公警備府山本司令長官談 |
06 | 都市を編隊訪問 武勳の海鷲けふ祝賀飛行 |
07 | 「海軍記念日の夕」 午後七時半より市公會堂で |
08 | 伊藤海軍武官が特別講演 |
09 | 南方基地の使命達成へ 伊藤海軍武官談 |
10 | 遺家族慰安の夕 |
11 | 模型飛行機大會 成績極めて良好 |
12 | “南薰隊壽隊”結成 皇奉訓練青年の集ひ |
13 | 礁溪庄でボートレース開催 |
14 | 遺族を弔問 總督代理大越兵事防空課長 |
15 | 故三勇士英靈 昨日無言の凱旋 |
16 | 工業化學會支部の春季大會 卅日教育會館で |
17 | ときの声 |
18 | 太公望連に朗報 今年の鮎は心配御無用 |
19 | 洪水防禦演習 竹東郡で實施 |
20 | 覆面強盜檢擧 |
21 | 中年男の鐵道自殺 |
22 | 人事・消息報社消息 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 誠意、一貫、萬古傳 東鄉元帥の遺墨仰ぎ 日本海戰の大勝奉祝 |
02 | 安平港に防砂堤 豫算三十萬圓計上 |
03 | 屏東市奉公參與會 |
04 | 海軍報道班員實戰座談會(三) 着艦は全くの神技 印度洋上で連日猛訓練 |
05 | 市郡兵事主任會同 志願兵事務懇談 |
06 | 甲當り收量を引上 嘉南二號と堆肥で增產を完遂 勸業課長會議で打合 |
07 | 花蓮郡街庄長會議 |
08 | 學校長會議 |
09 | 香坂氏あす來花 |
10 | 南部一期蓬萊米初檢查 |
11 | 臺東廳は滿點! 東部の志願兵檢查良成績 |
12 | 國語普及に拍車 全郡下に皇民塾 |
13 | 圖像:架線作業に活躍する |
14 | 畠中商工課長 彰化市郡視察 |
15 | 夏季蔬菜種子大量獲得 |
16 | 奉公壯年團役員會 |
17 | 臺中州自動車運輸株主總會 |
18 | 南部方面への旅行は差控へよ 嘉義市民に防疫通牒 |
19 | 臺南州美容術師試驗 |
20 | 臺中州警察異動 |
21 | 地方多より |
22 | 今日の映畫 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 雜纖維配給統制規則公布實施さる 集荷統制機關を指定 |
02 | 本年度電話開設 資材の見透難で延遲 |
03 | 内地米の蒐荷は產組一本で實施 農林省片柳課長語る |
04 | 石炭會社總會 六分配當を可決 |
05 | サイダー空壜 リンク制採用しない |
06 | 徵用船舶の乘組員 政府補償を規定 |
07 | 高雄地區港灣運送業會總會 |
08 | 臺北商工業者 中元贈答を廢止 |
09 | 帽子同業組合 明日評議員會開催 |
10 | 帽子檢查所事務打合會 |
11 | 明糖烏樹林製糖所產糖五十二萬擔 |
12 | 蒜頭製糖所產糖五十八萬擔 |
13 | 女子雇員優遇に鐵道部內規制定 |
14 | 北屯信購販利組合 |
15 | 商議所の物價調查打合會廿八日開催 |
16 | 開南資源開業 |
17 | 照明燈 |
18 | 商況(廿五日後場) |
19 | ラジオ |
20 | 水滸傳(687)/黃得時;碇政彌 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 天皇陛下親臨の下に 嚴肅に開院式擧行 |
02 | 勅語賜はる |
03 | 緬甸作戰、目的達成 南方建設、順調に進捗 陸相戰況報告 |
04 | 圖像:浙東作戰 |
05 | 皇奉臺北市支會參與會 |
06 | 雄大顯著なる戰果 戰勢は有利に進展 海相戰況報告 |
07 | 大殲滅戰を展開 金華、蘭谿方面敵七・八個師包圍 |
08 | 新生東印度建設に協力 老志士のヂヨコサンコロ氏 |
09 | 桐江敵前渡河 猛進 |
10 | 敗殘蔣軍潰滅 |
11 | 墨市民狂氣の反樞軸示威 |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 燦たり・戰捷に輝く海軍記念日 |
02 | わが無敵海軍謳歌 搖ぐ旗の波・轟く萬歲の叫び 豪華!繰展ぐ祝賀大繪卷 |
03 | 佳き日を祝福 武官府で奉讀式擧行 |
04 | 圖像:記念日の海軍武官府 |
05 | 安藤軍司令官 海軍武官府を訪問 |
06 | 喜び溢れる武官府 祝賀訪問献金で賑ふ |
07 | 馬公の記念講演 高橋少佐熱辯を揮ふ |
08 | 大軍艦旗を先頭に 老勇士、神社に參拜 |
09 | 長谷川提督を訪問 佳き日を祝ふ海軍在鄉軍人 |
10 | 駈足で參拜 盲啞學校のヨイ子供達 |
11 | 臺灣基督教報國會結成 全信徒打つて一丸に翼贊奉公へ |
12 | 石川志願兵訓練所長歸北 各地の檢查狀況を視察して |
13 | 放送時刻一部變更 六月一日から |
14 | 割增金附郵貯切手 來月八日を期し賣出し |
15 | 新竹市支會婦人鍊成會 昨日から開かる |
16 | 內外地翼贊運動連絡協議會 來月三日京城で開催 |
17 | 愈夏の犯罪季節に入る 御婦人の一人步き注意 |
18 | 人事・消息報社消息 |
19 | 興南詩苑漢詩 同夢周社弟赴社子郭家婚宴/癡雲、同夢周社弟赴社子郭家婚宴 其二/癡雲、同夢周社弟赴社子郭家婚宴 其三/癡雲、同夢周社弟赴社子郭家婚宴 其四/癡雲、社子舟中/夢周生、輓辜菽廬先生/希舜 |
20 | 廈門の留學生 一行十六名來臺 |
21 | 今夜の放送 |
22 | 商況(廿七日前場) |
23 | 興南案內報社消息 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 第四次大東亞宣言 重要國防資源を獲得 我が國經濟の持久性益益強靱 敵側に重大な打擊 東條首相施政演說頭條新聞 【東京發同盟】第八十回帝國議會における內閣總理大臣演說 本日開院式に當り特に優渥なる勅語を賜り真に恐懼感激に堪へず私は諸君と共に謹んで聖旨を奉體して報效の誠を致し飽までも征戰目的を完遂せんことを衷心より期するものである、大東亞戰爭の勃發以來未だ半歲に滿たざる短期間において皇軍は隨所に敵兵力を撃碎し大東亞における要域は悉く皇軍の占有するところとなり米英海上部隊は脆くも太平洋及び印度洋より驅逐せられここに戰捷御嘉尚の優渥なる勅語を拜しますことは實に八回に及んだ斯くの如く相次ぐ無上の光榮に浴し國威を世界に宣揚したることは真に前古未曾有の事績であり然もこの世界に類なき連戰連勝と並んで各方面共に盛大なる新建設が行はれ今や大東亞戰爭の目的は着着として達成せられつつある、南方における作戰に策應して在支皇軍の活躍は愈愈重慶軍の勢力を滅殺せしめつつあり更にまた北方の守り儼として磐石の固きを加へつつある、これ偏へに 御稜威の下皇軍の善謀力戰の賜物で全國民と共に皇軍將兵各位に對し深甚な謝意を表し幾多忠勇義烈の英靈に對し謹んで敬弔の誠を捧ぐる次第である。 斯くて從來米英などの桎梏の下に呻吟してゐた大東亞の諸民族は今や八紘為宇の大精神に抱擁せられて各各本然の姿に復歸し新しき世界秩序建設の一翼を擔當して新生の第一步を踏出すに至つたことは誠に御同慶に堪へぬ此外征の偉業に策應して國內防衛の備へは愈愈充實强化せられ一億國民の義勇奉公の精神は日と共に昂揚せられ大東亞戰爭を飽までも戰ひ拔くの不屈不撓の決意で質實剛健なる實生活の上に具現せられつつある事實に對しては真に感激の至りである然し乍らこの內外ともに有利なる現在の大勢も戰爭完遂の上においては勝利の端緒を打開し得たるに過ぎず對米英戰における勝敗の決が將に今後における總力戰の結果に存することは更めて言を待たざる所である、世界征霸を徒らに夢見たる米英兩國の勢力を根底より崩壞せしむることは畏くも宣戰大詔を拜し奉りましたる開戰當初より終始一貫諭らざる一億同邦の牢固たる決意であり不動の信念であると確信する、今後における戰爭指導の要諦は世界の驚異の的となつてをる陸海共同作戰の妙を愈愈發揮し飽までも敵を求めて必ずこれを撃滅し益益緒戰の戰果を擴充すると共にこの豪壯なる積極作戰に呼應し雄大なる建設を敢行しもつて國家總力の飛躍的向上を圖りこれにより愈愈必勝の態勢を強化せんとするにある、 政府はこれが為めに常に不抜の信念と不動の決意とをもつて一億國民の陣頭に立ち夙夜全力を盡し常に周到なる準備を完成しつつ同時に內外の情勢に即應して果敢なる實行に出でもつて輔弼の實績を完し國民の信賴に副はんことを期してをるさきに大東亞戰爭の真只中において敢へて總選擧の施行を奏請した所以のものも亦ここにある然して今回の總選擧を契機として國民の盛上る熱意は只管大東亞戰爭完遂翼賛政治の態勢確立を目指す澎湃たる機運となり全國津津浦浦に漲るこの全國民の真底からの政治的意慾は遂に結晶して翼賛政治會の創立となりここに多年に亘る全國民の願望である新しくも逞しき政治力の結集を見るに至つたことは邦家のため誠に欣快に堪へぬまた一方政府には澎湃たる國民の熱意に應へ各種國民運動は出來得る限りこれを真劍なる國民の自發的運動に委ねもつてその健全なる發展を期待すべく擧げてこれを大政翼賛會の傘下に集めかくて大政翼賛會は擴充せられたる使命に應じてその機能を刷新し意氣を新にしもつて萬民翼賛、臣道實踐の國民運動中核體として一路邁進することとなつた、政府はこれに照應して行政各廳の事務を能ふ限り簡素強力ならしめその人員の餘剩を擧げてこれを大東亞全般に亘つて活躍するわが國人材の充實に資せんとしてゐる今や一億國民總進軍の國內體制成り全國民の士氣愈愈旺盛にして官民一體米英撃滅のため完璧の陣容を以つて邁進し得ることになり邦家のため真に御同慶に堪へぬ この際特に帝國の經濟力につき一言申上げたい抑抑帝國の經濟は從來米英依存の傾向が強くこれが為め常に米英に依つて制肘と脅威とを蒙つてをつたのであるが政府は夙にここに顧み支那事變發生以來斯の如き帝國の經濟的弱點を極力補正し重要國防物資の自給體制を確立せんと決意し一方に於ては支那事變を遂行しつつ他方に於ては四ケ年計畫を樹て、國防上絕對必要なる物資の增強を圖つて來たのである斯くて大東亞戰爭開始直前既に米英の壓迫に對處し敢て大東亞戰爭を遂行し得る經濟力を確立するに至つた、更に大東亞戰爭開始以來の皇軍の赫赫たる戰果は南方諸地域に於る石油、ゴム錫その他の重要國防資源を悉くわが手に收めわが國經濟の自主、持久性は從來の努力と相俟つて益益強靱となつた、即ち日滿支の物資と南方地域の物資とを合せて帝國の自給生產の基礎は完全に確立せられわが戰時經濟は武力戰に伴ふ消耗を完全に補塡充足し得ると共に今後の戰力擴充を確固不動の基礎の上に置くに至り帝國經濟の前途實に洋洋たるものがあるしかのみならず敵國側に對しては從來彼等の依存し來れる重要國防資源の供給を遮斷するの結果となりこれが敵國側に與へつつある打撃は頗る重大なるものがある 政府は以上の新事態に即應して大東亞全域の綜合經濟力を遺憾なく發揮し戰爭遂行力を急速に增強することを主眼として本年度物資動員計畫及生產力擴充計畫を確定しこれを中核とし遞送、勞務、交易及び資金などに關する諸計畫を策定すると共にこれが實現の為必要なる各般の措置をとつてゐる、尚政府は國民生活の安定確保特に食糧確保が總力戰遂行上絕對緊要事たるの本質に鑑み大東亞全域の物資を活用して大東亞住民の生活ともかれこれ照合しこれが萬全を期せんとし本年度よりは新たに生活必需品に關する物資動員計畫を樹立しこれが遂行には陸海軍よりも格別の協力を受けつつあり今後如何なる長期戰に對しても國民生活の上には斷じて不安なしと言明し得る わが對外關係は日滿華及びタイの四國が戰爭目的を完全に同じくし相互の國交は益益緊密の度を加へ洵に力強く賴母しき限りである、先般滿洲國の建國十周年に當り皇帝陛下の深厚なる思召を體して謝恩特派大使張景惠氏來朝し御親書を奉呈せられたる上わが朝野に謝恩の至誠を披瀝せられ然も 天皇陸下におかせられては畏くも 高松宮宣仁親王殿下を滿洲國に御差遣遊ばされ滿洲建國十周年に祝意を表せられたのである更に中華民國、國民政府主席汪精衛氏が民國の元首として滿洲國を往訪せられ滿華兩國本然の友好關係を愈よ緊密ならしめ併せて滿洲國が建國十周年にして飛躍的に進步せる實情を親しく視察せられた、而して近く同政府を代表して前日特派大使として褚民誼氏が來朝せらるることとなつた、又タイ國より日タイ同盟慶祝特派使節どヤパホン中將が來朝され國書を捧呈、わが朝野の各方面と親密なる交歡を全くせられた、これらの事實は真に日滿華タイ四國が政治上經濟上、軍事上に愈よ相倚り相援けて大東亞共榮圈確立の推進力たらんとする烈烈たる同志の氣魄を表示せるものである、歐洲方面では獨伊その他の諸友邦が共同の戰爭目的のために帝國と益益協力一致して幾多の艱難を克服し愈よ不屈不撓の健闘を續け偉大なる戰果を擧げられつつあり帝國政府として深甚なる敬意を表明するものである、帝國は大東亞戰爭における不斷の勝利を以て盟邦獨伊の米英兩國に對する善戰健闘に呼應し今後益益全力を擧げて兩者の綜合戰果を擴充せんとするものでの 特に必然的に作戰上の密接なる連繫を圖り盟邦相携へて新たなる世界の秩序を確立せんとするものである、米英兩國が相次ぐ敗戰と前途の不安に焦燥し今次の戰爭を目して所謂人種戰なりと曲げて呼號しつつあるが如きは彼等が常に踏襲する謀略的宣傳に外ならず正義の上に協力せる我等樞軸國の堂堂たる結束が陰險なる米英のこの種策謀によりて苟くも微動だにするものに非ざることは世界周知の至りである、由來他民族の犧牲において自己の發展と安逸を圖る米英傳統の惡辣なる政策は今や世界に洽く暴露せられた、ビルマにおいては皇軍の正義に基く平和的指導の下に全地域のビルマ人が翕然として起ち光榮ある獨立の氣運を自ら促進しつつあることは寔に賴母しき限りでかくて英帝國の印度防衛の前進根據地は悉く皇軍の占領する所となり印度人宿望の蹶起獨立すべき絕好の機會はまさに到來した英國の國璽尚書クリツプスを繞る英印會談が何等の成果を擧げることなく遂に決裂したることは印度が既に精神的に英國より獨立せることを表明すると考へられるのである即ち英國の印度領有の精神的基礎は既に消滅したと言ふべく印度獨立の歷史的第一步はまさに始まつたのであるしかし今日尚印度には英國領有の形骸を存し軍事施設は嚴にしその兵力は增強せられてゐるので帝國は米英の兵力が印度に殘存する限りこれを徹底的に破碎せんとする牢固たる決意を有してこれがため無辜の印度民眾に禍の及ぶこともまた寔に已むを得ない所であるがこの際私は印度民眾が一段の勇猛心を押ひ起し起つて米英軍を驅逐し米英の勢力を完全に削除しもつて祖國獨立の實を完ふせられんことを期待する 帝國のビルマ戡定に伴ひ重慶政權は遂に孤立し没落の一途を辿りつつあり、在支皇軍の努力により歸順投降し中華民國國民政府に忠誠を誓ふもの愈愈多く重慶軍の勢威は日を趨ふて低下しつつあり自己の非なるを知りつつ敢へて悛めざるもの、末路はかくの如く哀れむべくしかも帝國は該政權の抗戰に對し最後の膺懲の鐵槌を下さんとするものであるわが精銳なる陸海軍の緊密なる協同作戰により西南太午洋は全くわれ慴伏し濠洲はいはゆる太平洋の孤兒となり殊に最近濠洲の周邊において展開せられた珊瑚海海戰により濠洲防衛の海上勢力は潰滅し今や皇軍の前に濠洲を守るものは何物もないこの際濠洲の指導者に對し國際的情勢を洞察しその地理的環境を考慮しもつて勇斷速かにその最も重大なる擧措を決せられんことを私は改めてここに要望する今や印度は動搖し重慶は沒落せんとし濠洲は孤立した 飜つて香港、昭南島、比島其他の要域は何れも治安と秩序の回復に伴ひ着着として新建設圈の據點となり更生の巨步を進めてをり太洋洋印度洋におけるわが海上圈に日一日と擴大せられてゐる之に反して英國は重要なる海岸の領域を失ひ資源確保の道を奪はれその國內整備また進捗せず今や重大なる破局に直面してをり敗戰相踵く米國は致命的打撃を徒らに隱匿して捏造を事とする宣傳謀略により國內に蜂起せる非難と中立諸國の離反を防ぐに汲汲たる實情にある可憐なる部下將兵を戰場に放棄して逃避せる指揮官を重く用ふるが如き或は無益瑣末なる海上攪亂戰を誇大に宣傳して敗戰を糊塗せんと努むるが如きかかる指導者の下に戰爭を行ひつつある米英國民に對し私は憐憫の情に耐へぬ今や帝國は聖戰最後の勝利を確信し世界に比類なき雄渾周密なる作戰を益益果敢に進展せしめてゐる政府は全國民と共に渾然一體となり擧國總力の向上充實を圖り愈愈兜の緒を締めて皇國傳統の犧牲報國の精神を益益發揮し速かに聖戰の目的を完遂しもつて聖慮を安んじ奉らむことを深く期してゐる次第である |
02 | 貴族院の勅語奉答文 |
03 | 眾議院の勅語奉答文 |
04 | 北方の親善を確保 冷靜な態度で事態を注視 不撓不屈大戰を完遂 外相の演說 |
05 | モレスビーを爆擊 |
06 | 不拔の決意に感激 眾院「火の玉」となつて爆發 |
07 | 眾議院本會議 |
08 | 拍手熱火と迸る 貴院本會議の首相演說 |
09 | 首相眾院で同樣演說 |
10 | 貴族院の感謝決議文 |
11 | けふの兩院 |
12 | 第二次の對ソ武器援助受諾 ハル米國務長官 |
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序號 | 標題 |
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01 | 社說 中央參與に與ふ社說 一 皇民奉公運動二年目初の中央參與會は、愈よ來る三十日午前九時から總督府正廳に於て開催することとなつた、大東亞戰爭勃發後いよいよ使命の重大性を加ふるに至つた皇民奉公運動の新展開に關し、この程更新した全島の中央參與達に期待するところ蓋し大なるものがあるが、其れは今回の參與會に對する諮問事項の中に於ても如實に現はれてゐる。今回の諮問事項は、要するに今次大東亞戰爭の赫赫たる大戰果に依り帝國南方施策の重要據點として臺灣の負荷する使命愈よ重大化するに鑑みて、皇民奉公運動を清新活潑に推進せしむべき具體的方策を諮ふ事にあるが、洵に國防上、經濟上帝國南方發展の基地たる本島が大東亞圈の一翼として、國防文化經濟生活等各部門に亘り本島の特殊使命を最高度に發揮し以て現下の新事態に對處せんがためには、島內外を通じ臺灣一家の下大いに皇民奉公運動の推進に挺身せねばならず、茲に清新潑刺たる具體的方策の確立を要請せらるる所以があるのである。 二 大東亞共榮圈の逞ましき建設が着着進行するに隨ひ、臺灣の荷ふ地位性格が必然的な新しき變化を遂げたことは、さきに開催された地方長官會議に於ける長谷川總督の訓示の中に、明確に規定せられた通りである。卽ち政治的には內地の延長として北方圈に屬し、經濟的には大東亞共榮圈の一翼として南方圈に屬する二重性格が其れである。此の新しき二重性格化は、必然的に今後の臺灣統治の飛躍を招來するに至るは火を睹るよりも明らかなことであるが、督府政治と緊密な表裏一體の關係を有する皇民奉公運動の動向も、必然的に斯る新事態に卽應し今後の新態勢に對處して展開すべきことは論を俟たないところである。換言すれば、政治的には如何にして一日も早く速かに內地の一部たる臺灣を完成すべきであるか、而して經濟的には人的にも物的にも如何にして南方施策への協力を遺憾なく遂行するかといふ督府政治の伸展に卽應して、皇民奉公運動の清新活潑なる推進を規定することが今後の課題だと云はねばならない。 三 斯くして皇民奉公運動を清新活潑に推進せしむべき具體的方策は、必然的に右に述べたる本島の二重性格に立脚し、これを具現したる適切なものでなければならぬことは云ふまでもないのである。而して內地の一部としての臺灣の完成と云ひ、南方施策への協力寄與と云ひ、いづれも本島に課せられたる國家的要請であつて、これを側面からより有效適切に推進すべき奉公運動の使命は將に一段の重きを加へたわけである。ゆえに中央參與は深き認識と洞察力に基く大構想を以て夫夫の適切なる具體的方策を答申すべきことは勿論であるが、唯ここに警戒を要することは、それは決して抽象的な美辭麗句を並べた空論に終つてはならず、真摯率直に過去一年の經過を省みこれを克服した具體的建設的なものたらしめると共に、新事態に卽應する實際的な方策でなくてはならない、換言すれば本運動を本來の正しい力强き軌道の上に乘せて清新活潑な實踐を推進する具體策をこそ講究すべきであつて、例へば場當り的な華美な凡百の事業計畫とは、自ら異ることを贅言するまでもないであら。 |
02 | 高松宮殿下 大連奉迎式場へお成り |
03 | 東鄉元帥の遺產 今回の戰爭で立派に完成 獨逸新聞が大絕讚 |
04 | 絕對必勝を誓ふ 東鄉神社に大Z旗を揭揚 帝都の海軍記念日 |
05 | 珊瑚海の大海戰 海鷲の生生しい實戰談 |
06 | 關東州の工業地を御視察 |
07 | 宜蘭市の海軍記念日 |
08 | 海軍記念日講演 |
09 | 基隆市講演會 岡本大佐が大熱辯 |
10 | 海軍記念日の夕 伊藤海軍武官熱辯を揮ふ |
11 | 日華提携に拍車 國民政府・使節團を派遣 |
12 | 英靈の市葬 けふ新公園で執行 |
13 | ここにも窄き門 俘虜監視者八百五十名募集に對し 希望者五千七百餘名 |
14 | 長谷川總督を訪問 伊藤海軍武官 |
15 | 古武士の面面 海軍武官府を訪問 |
16 | 戰利品展賑はふ 押すな押すなの盛況 |
17 | ときの声 |
18 | 新竹州壯丁團幹部鍊成會 |
19 | クルべー濱海水浴場開場 |
20 | 市葬謹告:柴田政男等人 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大東亞圈物資交流 日本圓により綜合的決濟 賀屋藏相の演說 |
02 | 米產品評會を一元化 高雄州水稻多收競技會を設置 |
03 | 無言の勇士凱旋 軍官民に迎へられて |
04 | 卅日市葬執行 |
05 | 大屯郡南屯信購販利組合 |
06 | 心からなる慰問 青少年音樂舞踊會盛況 |
07 | 龍潭信用購買販賣 |
08 | 兵隊さんに慰問袋 嘉義郡愛婦から |
09 | 海軍報道班員實戰座談會(四) 海鷲の強いわけ 命大事なアメリカ兵 |
10 | 働く農民を激勵 廣谷廳長堆肥增產視察 |
11 | 增產の尖兵 江氏翠さん 郡守から褒賞 |
12 | 堆肥積込み週間 |
13 | 農村娛樂問題 嘉義奉公會から諮問 |
14 | 斗六郡砂糖小賣商組合 |
15 | 屏東商議所總會 會頭に渡邊氏指名さる |
16 | 木材產業奉公團結成 |
17 | 大園庄奉公壯年團大會 |
18 | 中壢奉公委員會 |
19 | 桃園郡軟式野球 |
20 | 大里信購販利組合 |
21 | 海濱で鍊成會 |
22 | 機關車顛覆 縱貫線一時不通 |
23 | 地方多より |
24 | 今日の映畫 |
25 | 訃文:陳永 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 本期の分蜜產糖高 千八百八萬餘擔 前期に比し步留○%七九向上 |
02 | 本期赤糖產糖高 三十萬擔を突破 |
03 | 明糖の本期產糖 四百二十四萬擔 |
04 | 島產生藥類の蒐荷配給統制を實施 |
05 | マンゴ、蔬菜の問題 本年度の學會に發表(三) 熱帶園藝試所長江口博士の研究 |
06 | 賣藥生產企業の整備要綱發表 |
07 | 島內の消費規正 七月一日より緩和 |
08 | 督府稅務講習所 七月より開始 |
09 | 簡保並郵便年金普及狀況 |
10 | 賣藥生產企業體制整備要綱 |
11 | 明糖南靖工場製糖終了 |
12 | 木原專賣局長 製腦視察に中部へ |
13 | 照明燈 |
14 | 商況(廿七日後場) |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(688)/黃得時;碇政彌 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 金華城を完全攻略 けさ七時敵を包圍殲滅 |
02 | 感激の日章旗城內を埋む |
03 | 敵に與へる打擊甚大 |
04 | 蘭谿城北停車場に 感激の日章旗飜る |
05 | 蘭谿市街の掃蕩戰 |
06 | 敵封鎖線を完成 劉伯承の共車を掃蕩 |
07 | 兩院議長奉答書奉呈 重ねて優渥な勅語を賜ふ |
08 | 北支三省境地區の戰果 |
09 | 儲備券を法幣とす 舊法幣の通貨性剝奪 國府治□區域 |
10 | 二對一の割合で交換 周佛海財政部長聲明を發す |
11 | 敗敵を剿滅中 金華、蘭谿間 |
12 | 大東亞建設方案 眾議院豫算總會で東條首相答辯 |
13 | 圖像:給水車の水を浴びて蘇生の思ひをする兵士 |
14 | ケンタン(緬甸)を占領 日泰共同作戰軍發表 |
15 | 造船計畫必ず實現 寺島遞相が說明 |
16 | 眾議院豫算總會 |
17 | 民生安定に機宜の措置 賀屋藏相の談話 |
18 | 米重巡に魚雷命中 伊潛水艦、大西洋で活躍 |
19 | 獨軍司令部發表 |
20 | 戰時標準船型は十九種 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 南海に漂流九時間 これぞ死よりも強い海軍魂 美しき戰友愛の數數 |
02 | 圖像:ビルマ戰線バーモ占領 |
03 | キ社の移住地 南溪に略決定 |
04 | 比島人の婦人連 海軍病院を慰問 |
05 | 昭南法院刑務所 住民信賴裡に開所 |
06 | 圖像:緬支國境敵陣に迫る步兵部隊 |
07 | 繼續的献金 鶯歌街鑛業奉公會 |
08 | 小國民防諜美談 近く署長から表彰 |
09 | 貯蓄獎勵に大童 奉公會基隆市支會 |
10 | 鄉軍基隆市海軍部新設 |
11 | 藤岡兵務部長歸北 |
12 | 九軍神へ感謝献金 |
13 | 興南詩苑漢詩 送□安赴滬並寄懷耐寒/故希顏、泉/友山、窮途/友山、春日即景/高文淵 |
14 | 感心な學童 記念日に献金 |
15 | 市バス運轉時刻變更 |
16 | 竹内中佐歸北 |
17 | 臺灣ゴム產業奉公團結成式 |
18 | 煙幕 |
19 | 今夜の放送 |
20 | 商況(廿八日前場) |
21 | 興南案內報社消息 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇帝陛下御出迎へ 高松宮殿下新京御着頭條新聞 【新京二十八日發同盟】維新の大道、八紘為宇の聖詔を國本として共に仰ぐ滿洲國の建國十周年を御慶祝のため御差遣 高松宮殿下には二十八日午前八時滿洲國帝宮御差廻しの特別御用列車で大連驛御發一路新京に向はせられた、晴の御入京に輝くこの日畏くも 滿洲國皇帝陛下には新京驛頭を晴の御歡迎式場とせられ親しく御臨、御出迎へあらせられ御差遣宮殿下には午後五時四十五分特別御用列車にて御到着、御感一入の裡に皇帝陛下と固き御握手を交させられた、青史を飾るこの御盛儀に 皇帝陛下の御感激は拜察するだに畏き極みである、今や南方の戰果は既に米英を制壓する秋北方の善隣盟邦は光輝ある 御差遣宮殿下を奉迎、四千三百萬日滿官民は光榮感激御稜威の光被する所榮光は燦燦として輝いてゐる、此日協和會分會、婦人團體、學生、協和青少年團其他一般市民ら數萬は手に手に日滿兩國旗を打振つて御道筋に溢れ關東軍、滿洲國軍、鄉軍各精銳は劍光帽影燦として整列、特別列車御着の新京驛第三ホームには最右側特定席に張國務總理橋本祭祀府總裁、張干兩將軍吉本、鈴木兩中將、三宅協和會中央本部長、各參議、各部大臣らの勅任官、勳一位、日本側勅任官廉中華民國大使、マグネルドドイツ公使、メローネ、イタリヤ大使ガツペイローマ法王廳代表の外國使臣、其後方に滿洲國軍軍樂隊、儀仗隊等威儀を正して參着、やがて皇帝陛下には御差遣宮殿下御着京を親しく御出迎へのため陸軍御軍裝御凛凛しく吉侍從武官長を隨へさせられ午後五時四十分新京驛御着、親しく第三ホームに御步を進めさせられた、驛構內は固より國都全市の奉迎人は感激の胸を押へて靜まり渡る所御用列車は靜かに構內に差掛るや百一發の禮砲殷殷と轟く、斯くて定刻午後五時四十五分列車は靜かに第三ホームに着車軍樂隊の奏する君が代は莊重に流れ構內嚴肅の氣に充ち滿ちて神境極まる、臧接伴委員恭恭しく最後尾の展望車に進んで御先導申上げれば長くも高松宮殿下には海軍御軍裝に日滿大勲位各副章、功四級金鵄勳章その他を御佩用颯爽と御降車、御英姿御凛凜しく御步みを進めさせられ皇帝陛下にも一、二步御前進御懇ろに御出迎へ遊ばされ臧接伴委員御紹介申上げればこの時畏くも殿下には 皇帝陛下と固き御握手を交させられ給ふ菊蘭の御契りも彌深く一億五千萬日滿民眾が擧げて讃仰し恐懼感激し奉る一時であつた、次で宮殿下には、皇帝陛下と御共共奉迎諸員に御懇ろな御會釋あり御車寄より皇帝陛下の御見送りの裡に西滿壽大街の御假泊所に向はせられた |
02 | 船舶建造の兩案成立 貴院本會議で全會一致可決 |
03 | 產業設備營團の活動 内地のみに限るものでない 貴院豫算總會 |
04 | 圖像:コレヒドール島占領後早くも我軍に慕ひよる住民 |
05 | 宮內府發表 |
06 | 御差遣宮殿下には 御言葉を賜はる |
07 | 掉尾の眾院本會議 |
08 | 光榮の御假泊所 |
09 | 海上輸送不安なし 林海軍省兵備局第三課長說明 |
10 | 陸鷲、集中、彈浴びす 金華、攻略の地上部隊に協力 |
11 | 蘭谿の掃蕩を完了 |
12 | 物資押收 |
13 | 隨員に對し御贈勳 |
14 | 觀兵式を擧行 滿洲國第二回目の盛儀 |
15 | けふ閉院式を擧行 提出議案全部成立 歷史的使命を果す |
16 | 最近の戰況報告を聽取 谷萩、平出陸海軍報道部、課長から |
17 | 船舶國營行はぬ 寺島遞相が言明 |
18 | 貴院計畫造船委員會 |
19 | 翼政會は擧國的組織 機構確立の具體案を研究中 |
20 | 委員會通過 |
21 | 廣東でも實現せん 舊法幣の通貨性剝奪 |
22 | 新不服從運動を展開 ガンヂー翁新黨を樹立か |
23 | 英國より離脫に努力 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 長期必勝の態勢成る社說 一 戰爭目的達成の為、擧國翼賛政治態勢の上に立つて開かれた今議會に於て、東條首相、東鄉外相、賀屋藏相より夫夫施政演說を行つたが、特に東條首相の一般施政方針演說は皇軍の作戰意圖を率直に表明すると共に、對內外諸問題の全般に觸れて政府施策の大綱を明示して餘す所がなかつた。殊に軍事、政治、經濟の三方面より長期必勝の態勢を闡明し、戰爭完遂に當る烈烈たる氣魄と不拔の信念を披瀝し、全院「火の玉」となつて爆發し萬雷の拍手を以て迎へられた先づ軍事方面より大東亞戰爭の勃發以來未だ半歲に滿たざる短期間に於て、皇軍は隨所に敵兵力を擊碎し、大東亞に於ける要域は悉く皇軍の占有する所となり米英海上部隊は脆くも太平洋、印度洋より驅逐せられた。今や印度は動搖し、重慶は沒落せんとし、濠洲は所謂太平洋の孤兒となつた。今後は世界の驚異の的となつてゐる陸海軍共同作戰の妙を愈よ發揮し、米英の兵力が印度に殘存する限り、之を徹底的に破碎せんとする牢固たる決意を有し、重慶政權の抗戰に最後の膺懲の鐵槌を下さんとし、濠洲には重大なる擧措を迫つて我が積極的作戰意圖を率直に示した。 二 次に我が經濟力に就いては大東亞戰爭開始直前、既に米英の壓迫に對處し、敢へて大東亞戰爭を遂行し得る經濟力を確立するに至つた。更に大東亞戰勃發以來の皇軍の赫赫たる戰果は南方諸地域に於ける石油、ゴム、錫その他重要國防資源を悉く我が手に收め、我が國經濟の自主、持久性は從來の努力と相俟つて益益强韌となつた。卽ち日滿支の物資と南方地域の物資とを合せて自給生產の基礎は完全に確立せられ、武力戰に伴ふ消耗を完全に補填充足し得ると共に、今後の戰力擴充を確固不動の基礎の上に置くに至つた。而も敵國側に對し從來彼等の依存し來れるゴム、錫等の重要國防資源の供給を遮斷する結果となり、重大な打擊を與へつつある。この國防資源と並んで國民生活必需物資も、大東亞全域の物資を活用することが出來、本年度よりは新に生活必需品に關する物資動員計畫を樹立、これが遂行には陸海軍より格別の協力を受けつつあり、今後如何なる長期戰に對しても斷じて不安なしと言明してゐる。 三 第三に最近まで最も問題となつた國內翼賛政治體制確立に就いて、大東亞戰爭の只真中に於て敢へて總選擧の施行を奏請し今回の總選擧を契機として國民の盛上る熱意は只管大東亞戰爭完遂、翼賛政治の態勢確立を目指す澎湃たる機運となり、全國津津浦浦に漲る全國民の真底からの政治的意慾は遂に結晶して、翼賛政治會の創立となり、政治力の結集を見るに至つた。他方各種國民運動は出來得る限り、これを真劍なる國民の自發的運動に委ね、もつてその健全なる發展を期待すべく、擧げて大政翼賛會の傘下に集め、その機能を刷新し、意氣を新たにし以て萬民翼賛、臣道實踐の國民運動中核體として一路邁進することとなつた。かくて今や一億國民總進軍の國內體制は全く成り、見敵必殺、求敵必滅の世界無比の皇軍の活躍と、强韌なる國防資源の自給生產の確保とに依つて愈愈長期必勝の態勢が完全に確立されたワケである。 |
02 | 英靈永へに安かれ 臺北市葬嚴肅に執行 |
03 | 大東亞戰戰歿者鐵道葬 三日西本願寺で執行 |
04 | 成績豫想外に優秀 全島志願者の檢查を終へて 小林大佐竹内中佐交交感想を語る |
05 | 圖像:英靈臺北市葬 |
06 | “態度は實に真劍だ” 石川訓練所長の檢查狀況視察談 |
07 | 比島の復興目覺し 今後臺灣との關係愈密接化せん 長官より一足先に峰谷外事部長歸臺 |
08 | 大日本婦人會臺灣本部 十日市公會堂で晴の結成式擧行 |
09 | 頭山翁米壽祝賀會 |
10 | 感激感謝の献金 軍司令部廿七日扱 |
11 | 入所期都合に依り變更 |
12 | 海軍記念日に献金 |
13 | 基隆市民恤兵献金 |
14 | 生活簡易、親切第一 赭土を地味豐かな黑土にしよう 六月の常會申合せ |
15 | 港都の子福者十氏推薦 |
16 | ときの声 |
17 | 中元贈答の廢止を申し合せ 港都市常會で |
18 | 司法保護實務者鍊成會 |
19 | 人事・消息報社消息 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 坂口兵團活躍の全貌 六段跳びの快進擊 ○○陸軍少佐の手記 |
02 | 臺中神社例祭 |
03 | 稔る有難さよ! 高雄神社で新穀感謝祭 |
04 | 海軍報道班員實戰座談會(完) 謙讓過ぎる勇士 報道班員の苦心談 |
05 | 蕭洒な慰問風呂 兵隊さんの疲れケロリ |
06 | 貯蓄指導員が海水浴場で鍊成 |
07 | 軍艦旗の下に 偲ぶ日本海大勝 馬公の海軍記念日 |
08 | 圖像:遺家族慰安演藝會 |
09 | 保甲婦女團講演 |
10 | 忘れ難きは 親の顏・子の顏 高雄商に劇的會見 |
11 | 農務關係者打合 |
12 | 焦土戰術も空し 住民、復舊に衷心協力 |
13 | 花蓮港青少年團 始政記念日に結成式 |
14 | 保證責任三峽信用利用購買販賣 |
15 | 花蓮港倉庫信組に合併 |
16 | 反物泥惡運盡く |
17 | 人事報社消息 |
18 | 地方多より |
19 | 今日の映畫 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 食糧に不安なし 國內增產に邁進 井野農相・議會で言明 |
02 | 三億貯蓄強調運動 來月十九日より實施 |
03 | 產業設備營團の事業計畫 神田總務局長說明 |
04 | 臺灣地方金融協議會 近く結成されん 施行規則來月初に公布 |
05 | 本年度物價調查打合會開催さる |
06 | 乾バナナの對策 けふ青果關係者が協議 |
07 | 工業用皮革組合 配給會社へ合流 |
08 | 米管幹事會 米穀局にて開催 |
09 | 畜產興業總會 配當六分に据置 |
10 | 纖維輸移出組合 昨日總會を開催 |
11 | 帽子同業組合 評議員會を開く |
12 | 乾元藥行社長 蘆田昭崇氏就任 |
13 | 多收競作の審查 臺中州は六月一日 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況(廿八日後場) |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(689)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 嚴肅に閉院式擧行 |
02 | 政府、議會渾然一體 議會終了に際し、東條首相談 |
03 | 陸鷲、雲南省を連爆 |
04 | 閉院式勅語 |
05 | 議員慰勞の午餐を開催 東條首相主催で |
06 | 西安を急襲 |
07 | 全議員等に拜謁仰付らる |
08 | 太平洋軍事會議 |
09 | 全漁聯會長 青山氏當選就任 |
10 | 南朝鮮總督辭任 後任、小磯國昭大將 政務總監は田中武雄氏 |
11 | 強力政治體形確立 第八十議會大成果を收む |
12 | 南前總督は樞府顧問官に 大野氏は勅選 |
13 | モレスビーを連日猛爆 |
14 | 敗殘の英印軍解體 |
15 | 二挺身隊活躍 共產軍擊滅の蔭に |
16 | 劉伯承徬徨 我が鐵環內に |
17 | 敵兵の屍が累累 金華城內激戰の跡 |
18 | 米の新銳機四機を鹵獲 |
19 | 獨の戰果莫大 赤軍五十萬袋の鼠 |
20 | 佛、羅馬に特使派遣 |
21 | ドイツ空軍活躍 援ソ輸送船團を擊沈破 |
22 | 青年學校を增設 島都で來年度に九校 |
23 | 英國の炭坑霸業 今や重大危機に瀕す |
24 | 獨軍の發表 |
25 | 伊海軍長官から祝電 第卅七回海軍記念日に |
26 | 墨國、戰爭狀態宣言を決定 |
27 | ハリコフ南方獨軍大戰果 |
28 | 埃及反英機運 |
29 | 武器貸與協定を米、重慶に申出 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 十七年二期米の買上げ價格決定 一期に据置きけふ米管委員會開かる |
02 | 委員會の質疑應答 |
03 | 圖像:(デナルピアン)に於ける敵機殘骸 |
04 | 會長の挨拶 |
05 | 諸英靈の市葬 二日新竹公園齋場で |
06 | 英艦プ・レ兩號の最後の日の生きた記錄 一印度人運轉手に聽く |
07 | 皇奉中央參與會 あす府正廳で開催 |
08 | 故鳥山兵長の功績を讚ふ 加藤部隊長、遺族に感激文 |
09 | 戰利品永久保存に 大東亞記念館(假稱)建設 各方面で熱烈な要望 |
10 | 港都桔梗俱樂部 會員募集を開始 |
11 | 遺族が献金 |
12 | 國語普及に 臺北刑務所が一役 |
13 | “國語を常用しませう” 宜蘭市で強調週間を設定 |
14 | 堆肥增產運動 基隆郡で力瘤 |
15 | 自動車修繕工員は卅一日高雄に集れ |
16 | タイヤチユーブの配給實施要綱決定 |
17 | 興南詩苑漢詩 雅叙園話別/李神義、別府/李神義、松坂屋上看牡丹/李神義、鶴見園/李神義、發馬關/李神義、餬口/莊幼岳 |
18 | 臺灣軍兵務部で 筆生守衛を募集 |
19 | 臺北鐵道會社 |
20 | 煙幕 |
21 | 商況(廿九日前場) |
22 | 興南案內報社消息 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 高松宮殿下御參入 皇帝陛下と公式御會見頭條新聞 【新京二十九日發同盟】六十萬國都市民の心からなる奉迎の裡に輝かしい國都の第一夜を明し給ふた高松宮殿下にはこの朝海軍御軍裝に日滿大勳位以下各種勳章御佩用、松平隨員等を隨へさせられ午前九時四十五分御泊所御發、帝宮に御參入、この時皇帝陸下には正面階上まで御出迎へ遊ばされ 殿下を東便殿に御誘引になり梅津關東軍司令官兼駐滿全權大使隨伴申上げ吉侍從武官長、熙宮內府大臣など侍立の上ここに御意義深き晴の皇帝陛下と公式御會見 天皇陸下の大御心を奉ぜられ親しく滿洲國建國十周年御慶祝の御祝辭を述べさせられ崇高なる日滿御交驩の重き御使命を果させられた、斯くて午前十時二十分殿下には御機嫌御麗はしく御泊所に御歸還あらせられた 建國神廟に御參拜 高松宮殿下 【新京二十九日發同盟】畏くも御差遣の宮殿下には帝宮に 皇帝陛下を御訪問公式の御對面に輝く御使命を果たさせられたが一旦御歸還の御後再び御差遣の宮殿下には、天照大神を齎きまゐらす建國神廟に御參拜八紘為宇の皇道を基幹とする日滿兩國の彌榮を皇祖の大御前に親しく御祈念あらせられたと拜承する、この朝既に修飾成つた神域は一入神韻の氣溢れ午前十一時十分橋本祭祀府總裁以下齋戒沐浴の各奉仕官參着して神饌を奠じ恭しく祭詞を奏し奉つた、御差遣の宮殿下には御軍裝に日滿大勳位以下各副章各種勳章を御佩用御威儀一入御嚴かに同十一時四十分隨員、接伴員等を從へさせられ南門に御參着、東門に進ませられ御手水の御後八束祭務處長の御先導にて祭祀殿、御拜座に御參着、橋本總裁恭しく五彩幣を奉れば 殿下にはこれを御手に皇祖の大御前に御奉奠、親しく御拜禮あらせられた御拜禮を終へさせられた殿下には同十一時五十分神廟御發、引續き 皇帝陛下御催しの御午宴に臨み給ふため帝宮內に向はせられた |
02 | 增援敵卅二機を擊墜 連日モレスビー爆擊 |
03 | 要衝峻極關を覆滅 |
04 | 共軍最大の兵器廠 皇軍占領の梁溝 |
05 | 建國神廟に御參拜 高松宮殿下 |
06 | 盛大な御午宴 御和かな日滿御交驩 |
07 | 皇帝陛下御答訪 |
08 | 陸鷲大擧衢州攻擊 |
09 | 梁溝の戰果 |
10 | 陸鷲協力、機銃を掃射 |
11 | 圖像:帝國海軍の珊瑚海大戰果 |
12 | 褚訪日特使南京發 副使、隨員を隨へて |
13 | 東亞開放、實現の途上 出發に際し褚特使談話發表 |
14 | 福岡着 |
15 | 盛大な歡迎裡に きのふ晴の入京 |
16 | 宜昌周邊の戰果 |
17 | 電擊的會心の人事 朝鮮總督の更迭 |
18 | 親任式御擧行 |
19 | 情報局發表 |
20 | 南總督の功績 |
21 | 翼政の陣容整備 けふ有志代議士會で討議 |
22 | 閣僚、翼政幹部懇談會 |
23 | 小磯新朝鮮總督の□顏 田中新政務長官略歷 |
24 | 外務省局長級異動 |
25 | 爪哇二大精油所復舊 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 女性の體育問題社說 一 大東亞戰爭を戰ひ拔き、東亞共榮圈を確立せむがためには、國民の一人一人が戰鬪員となつて各自の職場を守り、元氣よく朗かに、その日その日を生活して行くことが何よりも大切である。就中、女性に對しては、特にこの感を深くするものである今日の女性は、もはや昔の女性ではなく、社會的にも、國家的にも、旺盛な活動力を要請せられてゐる。例へば人口の增殖である。我が國が、大東亞の盟主として、民族的に一大飛躍をなさむがためには、今よりもより以上に人口を殖やさなければならぬ。本年一月に決定した人口政策確立要綱にも、昭和三十五年に一億の內地人口を確保するといふ目標が立てられてゐる。これには、どうしても强健な母體を必要とするのである。次は家庭防空群の一員として空襲を受けた場合の婦人の活躍である過般の帝都の例を見ても、婦人の手によつて燒夷彈が如何に短時間の間に打消されたかが判るのである。また勞力不足を補ふために、婦人の增產挺身や職業進出も非常に盛んになつて來た斯くの如く、戰時下の女性の背負ふ使命が益益重大さを加へられて來たので、これらの尊き使命を完遂するために、女性も、男子と同樣に、合理的運動をして體位を向上させ、旺盛な生活力を養ふことが最も肝要である 二 厚生省に於ても、斯る見地から、來年度より、女子にも體力章檢定制度を設けて大に女子の體位向上を計ることとなつた。今その標準案を見るに、千米速行、繩跳、短棒投、重量運搬、體操の五種目に分かれ、各種目に就いては、更に上級、中級、初級、級外甲の四階級に分かれてゐる。卽ち、千米速行については、五分が上級、五分三十秒が中級、六分が初級、六分三十秒が外甲、繩跳については、一分二十秒が上級、五十秒が中級、三十秒が初級、廿秒が級外甲、短棒投については、二十米が上級、十八米が中級、十五米が初級、十米が級外甲、重量運搬については、二十四瓩二十秒が上級、二十瓩二十秒が中級、十六瓩二十秒が初級、十二瓩二十秒が級外甲といふ風になつて居り、その內容も女性の生理をよく考慮して創られたもので、年齡も男子と違ひ、十五から二十一歲までとなつて居り、標準程度も初級以上の合格者が七割ぐらゐになることを目標にしてゐる。これらの標準運動を不斷から鍊磨して置けば、身體は强健になるばかりでなく、いざといふ場合には、慌てることなく敢然と任務を遂行することができるのである。 三 飜つて本島の女性を考へて見るに、體育については、非常に關心が薄いばかりでなく、女性が身體鍛鍊のために、野外に出て走つたり、跳んだりすることをまるで女性本來の道德に反してゐるかのやうに考へる人がある。これは、曾つて女性に纏足を强制して彼女達を家庭から一步も外へ出さないのを唯一の美德と見做してゐた封建的な傳統思想の然らしめるものと思はれるが、しかし、時世はも早やさういふ消極的な觀念を許さなくなつた。女性は單に自分の夫や子供にとり良妻賢母であるばかりでなく、國家の目的完遂になくてはならぬ重要な一員である斯る時に當り、本島女性も敢然舊殼を脫して海に山に進出して思ふ存分體を鍛へ、逞しい母體から丈夫な子供をより多く生み且つ、家庭防空に增產補給に雄雄しく挺身すべきである。 |
02 | 臺灣の軍官民に感謝 本間最高指揮官からメツセージ |
03 | 比島作戰協力に目覺まし 本島青年の挺身敢鬪振り 皇軍慰問を終へて歸臺した齋藤長官語る |
04 | 奉公團、義勇隊の父兄各位へ 齋藤總務長官から |
05 | 本島青年の敢鬪 |
06 | 海軍戰利品展 市民絕讚裡に閉幕 |
07 | 高砂義勇員隊 御家族の皆樣へ/小野壽夫 |
08 | 宜蘭勞務奉公隊員勇躍出發 |
09 | 弔慰金を献金 故佐野軍曹の嚴父 |
10 | 臺北陸軍兵事區 本年度簡閱點呼日割 |
11 | 統制美と律動美 第一回全臺灣體操大會けふ新公園で開催 |
12 | 城南技藝指導所修了式 |
13 | 南方派遣部隊宛 書類、印刷物取扱開始 |
14 | 南方占領地への郵便物 |
15 | 端艇競漕大會 參加組五十五組に上る |
16 | お客を袋叩き 某店の店員にお灸 |
17 | 感謝献金 |
18 | 臺北二中廿周年記念式 |
19 | 記念國防献金 |
20 | 第四回主婦鍊成式終了式 |
21 | 黑田鹽糖取締役專務解かる |
22 | 與謝野晶子女史逝去 |
23 | 新竹州警察部異動 |
24 | ときの声 |
25 | 郵船定時總會 |
26 | 蔬菜生產出荷組合總會 |
27 | 人力車組合献金 |
28 | 野良犬の為に一命を失ふ |
29 | 人事・消息 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 武勳青史に燦たり 英靈を弔ふ臺南市葬 |
02 | 皇國海軍に感激 石井大佐の熱辯に聽眾興奮 |
03 | 圖像:敗敵を猛追 |
04 | 故松元伍長の竹南街葬執行 |
05 | 蘇澳庄葬 |
06 | 高雄州、市の奉公委員會 |
07 | 臺南州下の徵兵檢查 檢查場と日割決定 |
08 | 白衣勇士慰問演藝會 |
09 | 屏東署定期召集 |
10 | 第三種防訓を實施 |
11 | 經濟警察事務打合會 |
12 | 民雄庄の譽れ 消火に家庭防空群献身協力 知事から金一封 |
13 | 中元の贈答廢止に努力 花商奉團協議 |
14 | 匿名の献金 本社屏東支局宛報社消息 |
15 | 作付制限令說明 市郡農務係打合會で |
16 | 圖像:ラシオ飛行場□領後直ちに障碍物を除去する皇軍 |
17 | 農機具獎勵規程を制定 |
18 | 農民の糧米 共同保管に決定 |
19 | 東港郡農務打合會 |
20 | 熱辯中に卒倒 西螺保甲婦女團劉團長殉職 |
21 | 影繪上演會 |
22 | 地中窒素を增強 綠肥の根瘤菌接種で 農務主任會議で試驗方法協議 |
23 | トマト抽籤會 入賞者に夫夫獎勵金 |
24 | 四分□尾山ハイク |
25 | 彰化庶民信組に大穴 主事の公金費消明るみへ |
26 | 大溪經濟懇談會 |
27 | 臺中專賣品 |
28 | 小基隆ハイク |
29 | 大屯郡西屯信購販利組合 |
30 | 大屯郡大平信購販利組合 |
31 | 地方多より |
32 | 今日の映畫 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 貨物積卸賃率及 小運送業者取扱料金 六月一日に改正、實施 |
02 | 優良炭鑛表彰式 六月四日首相官邸で |
03 | マンゴ、蔬菜の問題 本年度の學會に發表(四) 熱帶園藝試所長江口博士の研究 |
04 | 運輸業組合六月四日に役員會 |
05 | 青果關係打合會 乾バナナ對策を協議 |
06 | 貯蓄獎勵と生命保險普及座談會 |
07 | 糖聯臺灣支部機構擴大せん |
08 | 島內砂糖滯貨漸次解消せん |
09 | 鹽糖總會 槇取締役重任松原阿部兩氏新任 |
10 | 基隆地區港灣運送業會 廿九日に總會 |
11 | 鐵鋼製品在庫調查 |
12 | 府帽子檢查所 事務打合會を開く |
13 | 石炭增產へ 三峽炭鑛に機關車運行 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況(廿九日後場) |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(690)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 褚特派大使等に 謁見仰付けらる 來る六月一日に |
02 | 連爆五十八回に上る モレスビー空襲 |
03 | 雲南の皇軍戰果を擴大 |
04 | 圖像:雲南高原を猛進する我が戰車隊 |
05 | 褚特派大使 御機嫌奉伺記帳 |
06 | 共軍井戶に毒藥 |
07 | 御差遣宮殿下 忠靈廟に御參拜 |
08 | 東印度振興中央會 初役員會開く |
09 | ル大統領彈劾運動 米國內に續出瀰漫 |
10 | 南方の治安良好 大塚軍政最高顧問談 |
11 | 米船三隻攻擊さる |
12 | 獨、伊巨頭と會談 印度獨立運動のボーズ氏 |
13 | 朝鮮の徵兵制度 實施後の處理に萬全を期す 小磯總督の抱負 |
14 | リビヤ戰線激戰展開 伊軍司令部公表 |
15 | 戰爭狀態を通告 墨國宣戰案通過を待たず |
16 | 東亞道路技術會議第二日 |
17 | カ墨大統領強權を要請 戰爭遂行の為 |
18 | 新運動を考慮中だ ガンヂー記者團と會見 |
19 | 米國干涉の結果 伊太利の見解 |
20 | 殘敵を掃蕩中 鹵獲品は莫大 ハリコフの獨軍 |
21 | 痛し痒しの第二戰線論 |
22 | 携雷犬を使って 味方陣地で爆發 ソ聯側新兵器は失敗 |
23 | 死の街アキヤブ |
24 | 泉二元大審院長 樞府顧問官に |
25 | 泉二氏略歷 |
26 | 南前朝鮮總督六日東上 |
27 | 米遣印使節 完全に失敗か |
28 | フアシスト黨理事會 |
29 | 米穀商組總會 |
30 | 廣東省非占領地區の水禍甚大 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 清新な企畫と構想 真摯熱烈な意見を開陳 第二年初の中央參與會 奉公運動の新展開 |
02 | 日本精神の發揚 臺灣を中心に地理的に南進 中央參與會の席上樋口參謀長口演 |
03 | 隈なく浸透徹底へ 長谷川總裁の訓示 |
04 | 推進の新方途を 齋藤中央本部長挨拶 |
05 | 聖將東鄉元帥頌德祭 |
06 | 過去一年の回顧 山本事務總長の說明 |
07 | 圖像:皇民奉公會中央參與會 |
08 | 英靈の基隆市葬 きのふ嚴肅裡に執行 |
09 | 敢鬪する東京市民の姿 歸臺した石田憲兵大佐談 |
10 | 惡德布屋に鐵槌 いかものを買はせられた者は 遠慮なく申出でよ |
11 | 海の繪卷を展開 基隆市短艇大會盛況 |
12 | 臺北市區長會議 |
13 | 夏季放送時間 六月一日から開始 |
14 | 興南詩苑漢詩 僻居偶感/恩應 林子惠 |
15 | 南寮海水浴場一日開場式 |
16 | 皇軍慰安會開催 |
17 | 新公園音樂演奏始る |
18 | 今夜の放送 |
19 | 商況(三十日前場) |
20 | 興南案內報社消息 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 圖像:高松御差遣宮殿下新京驛に御安着御出迎への皇帝陛下と御握手を交させらる |
02 | マレー上陸作戰掩護 青木、加藤兩飛行部隊の偉勳 歸還の現地○○部隊長語る頭條新聞 【東京發同盟】武勳上聞に達し榮譽輝く青木、加藤兩部隊の開戰當初における我が輸送船團掩護竝に現地防空の活躍狀況について現地○○部隊長はこの程歸還、三十日午後陸軍省記者室で次の如く語つた開戰前の防備、マレー方面軍航空部隊最高指揮官が隸下各部隊に與へた命令は「○○部隊は山下兵團先遣部隊の輸送船團を掩護せんとす戰鬪機部隊は別に指令する所により開戰前日右船團の掩護に任ずべし」と言ふ要旨のものであつた、青木部隊長は綿密に作戰の指導要領をねつた陸軍の戰鬪機は從來地上部隊の進擊に從ひ第一線の飛行基地に推進し敵の前進基地を叩き又友軍地上部隊を空から掩護するといふことを常道としてゐたため航續距離が短いのを常としてゐた、然るに今回の如き佛印の南端からでさへシンゴラまでは六百粁に近く、戰鬪機を以て進攻することは從來外國などにおいては全く豫期し得ないところであるまして一時間も二時間も船團、泊地の上空を哨戒し空中戰鬪を交へて歸るなどといふことは全く至難であつたが青木部隊長はその戰鬪機部隊の大部を急設せる南部佛印の飛行場に展開常時○○機を以て船團の掩護に任ぜしめ又長距離航法のため重爆部隊の一部を協同せしめて 海上飛行の安全を圖り夜間に亘る勤務を考慮して南部佛印及びその他の地域に亘つて航法及び保安のあらゆる手段を講じて萬全を期したのである、翌日輸送船團が無事泊地に進入した後の泊地掩護に關しては部隊全力を以て空中掩護に任じ敵襲がなければ一時着陸して整備し再び制空する、若し地上部隊がまだ飛行場を我が手に收め得ない場合は我が占領地域內の後方に不時着する、事最惡の場合として若しも敵前上陸が全然不成功に終つた場合は北方泰國領に不時着場を求めることにし泰灣を渡つては絕對に歸らぬ決心をきめたのである 十二月七日朝から南部は快晴に惠まれてゐたが泰灣乘船團の護送區域は積亂雲を交へた層積雲が漲り雲高は僅かに三百米、雲量多く視度極めて不良、午後となるや天候は次第に惡化して來た、まだ明けやららぬ曉雲を衝いて窪谷中尉指揮の戰鬪機部隊は勇躍出動した、雲間を縫つて海上を搜索制空すること二時間半、パンジヤン島西北方約四十粁の地點にさしかかるや西鄉編隊の一機佐藤軍曹は果然雲下を飛行する大型飛行艇一機を發見した、よく見ると米國哨海艇コンソリデーテツトPBYらしいので西鄉編隊は戰鬪準備をなしつつ接近すると敵は急射擊を以て射ちかけて來た佐藤軍曹機は正面にこれを受け一時體をかはして編隊を離脫した、これを見た窪谷中尉機は直ぐさま第一擊を浴せるや 敵機は忽ち翼の端に火を發した、更に引續き宙返りを以て第二擊を浴せて離脫した敵機はこの攻擊でゆるい右旋回をなしつつ降下、回避せんと焦つたがこれを見た平野准尉藤本伍長、吉田伍長は後方から喰突き佐藤軍曹は側方へと廻つて一齊射擊を浴せた、敵機は間もなく海面上四百米で轟然爆發を起して泰灣上に飛散してしまつた、この飛行艇が若し我が船團を發見して無電報吿をしたならばマレー上陸作戰はどんなにか變つたことであらう、こうして輸送船團は進み掩護戰鬪機隊も次次と交代して行つたが天候は段段惡化して行つた、この間の最も困難な時は卽ち日沒以後の掩護任務を命ぜられたのが加藤部隊であつた、南方の薄暮天明の時間は極めて短い、加藤部隊長はこの任務の全く決死的なることを知り各隊から比較的古參者を選拔し部隊長自ら指揮して任務に當らうと決心した當時船團は○○基地から旣に◯◯粁以上も離れてゐたまた部隊の援護すべき 服務時間も相當に長かつたために加藤部隊長は二隊に別けて船團援護に當ることとしてまづ高山中尉(中尉は十二月二十二日クアラルンプール上空において戰死□に命じて先航し薄明までに基地に歸還し得る樣にし部隊長自らは◯機を率ゐて敢然出發したそして暗黑咫尺を辨ぜざる頃まで船團上空にあつて援護の任務を完全に果して一路歸途についたが邊りは全くの闇夜となり然もスコールに見舞はれ文字通り一寸先も見透すことが出來ない編隊高度五十米乃至百五十米といふ超低空を全く計器賴りに盲目飛行を續けた雲下飛行高度百米、この時第三編隊長國井中尉(中尉は二月十三日パレンバン攻擊において散華)は自分の前を飛ぶ都築曹長、中道准尉の兩機が相次いで暗黑の中にその姿を沒するのを認めた、長時間惡天候を衝いての航法に全員疲勞その極に達し錯覺に惱まされてゐた二機行方不明となつた、編隊はパンジヤン島北方を通過した後再び猛烈なスコールに遭遇したので加藤部隊長は已むなく西北方に進路を取り雲上に出て次でまた東北方へと進路を變へ大槪陸地上空と思はれる地點へ達しそこで加藤部隊は地點標空のためその附近に約三十分待機した、第二編隊長高橋中尉機は長時間に亘る暗夜の航法と超高度における酸素の缺乏による極度の疲勞とにより遂に安定を失つて錐揉狀態となり積亂雲中に姿を沒したのであつた、然し同機が行方不明となつた直後雲の切間から照空燈がキラツと光るのを認めた天祐とばかり全機はこれに向つて急降下し全く暗黑となつた夜空を衝いて○○の基地に歸還したのである、明くれば十二月八日前日の疲勞もものかは、各部隊は未明より 決死の意氣に燃え青木部隊長指揮の下に堂堂鵬翼を張つて泰灣を壓しマレー半島へと直進したのである、これよりさき偵察機が途中の天候及び敵狀偵察に先航したのであつたがシンゴラ、バタニー兩飛行場の狀況報吿は未だ到達してゐなかつた、この時の青木部隊長の悲壯なる決意たるや實に全機全滅を賭す決死行への進發であつた、然し洋上恙なく所要の分進點に達し一部はバタニーへ主力はシンゴラへと向つたシンゴラ上空に達した青木部隊長は自から戰鬪指揮をなしつつシンゴラ上空を制空し任務に當つたが來襲の敵機を見ず船團また異狀なく飛行場も旣に占領せられてゐるのを認め◯◯時編隊を解いて敢然着陸を決行した飛行場一帶は數日來の豪雨のため滑走路は北側の一つを除く外全く使用し得ず然もその一つさへ水溜りのため實際使ひ得るかは疑問であつた、滑走路の幅は三十五米に過ぎなかつたまた飛行場南方の山上からは迫擊砲彈が時時飛來して飛行場周邊にはまだ激烈な戰鬪が繰返されてゐた、青木部隊長はこの敵彈飛來下中に危險を冐して强行着陸するや直に諸情報を收集する一方中尾編隊にコタベル、バタニー方面の 偵察準備を下命その內に空中にあつてシンゴラ泊地の援護に任じてゐた諸部隊も逐次降下を始めた、一方またバタニーに向つた一隊はバタニー上空を遊戈中のホーカーハリケーン二機を發見したが敵はわれを見て忽ち遁走してしまつた爾後泊地援護に當つたがバタニー飛行場がまだ占領せられてをらぬため已むなくシンゴラに至り逐次着陸したシンゴラにおける揚陸作業は着着進んではゐたものの航空資材はそう手易く揚陸整備されずまた地上勤務員もなかなか當着し得なかつたそれにも拘らずその午後コタバルに於ける英軍の飛行場は早くも青木部隊の戰鬪機の攻擊を受けてゐる、翌九日には青木部隊の戰鬪機はタナメラー、アエルタワルの兩飛行場を襲ひ十四機を葬りシンゴラに來攻した敵四機も血祭りに擧げ全くここにマレー航空作戰の礎石は固められた勿論他の部隊もこの第一線挺身の青木部隊にわれ劣らじと陸續として北部マレーを襲ひ敵機を片端から擊滅したそして十二月二十三日南方軍總參謀長より大本營に次の樣な電報が發せられた「陸軍航空部隊の攻擊により十二月十日以降マレー北部には敵影を認めず」 |
03 | 臺灣憲兵隊司令部 元守備隊司令部跡に設置 初代司令官に石田大佐 |
04 | 皇帝陛下を御正賓に 盛大な日滿御交驩の午宴 |
05 | 御差遣宮殿下台臨 南嶺の奉迎式に |
06 | 至誠一貫・重責完遂 石田憲兵隊司令官語る |
07 | 滿洲國兩陛下 御禮電を發せらる |
08 | 感狀を授與さる 畏くも天聽に達す |
09 | 優渥な令旨賜る 關東軍司令部御成り |
10 | 宮內府發表 |
11 | 石田司令官 臺灣神社に參拜 |
12 | 臺北憲兵隊長に谷口中佐 |
13 | 東條首相 新居濱に向ふ |
14 | 清石凹を急襲 冀南銀行券發行所占領 |
15 | 赤匪殲滅近し 廿九日の戰況 |
16 | 衢州を低空爆擊 惡天候冒し、陸鷲出動 |
17 | 南支でも儲備券流通 儲備銀行廣東分行近く開業 |
18 | 吉田產報秘書課長宣傳部副部長に |
19 | 裁判所開庭式 昭南市高等法院で |
20 | 内閣辭令 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 島內中小商工業整備問題社說 一 大東亞戰爭勃發後の新事態に卽應するため政府としては重點主義に基く生產力の增强、物資配給の圓滑適正化を狙ふ中小商工業の再編成を行ひ、其の健全な發達を圖ると共に國民勞務の再配置を為し以て全產業の合理的發達と國家經濟の總力發揮を期しつつある事は周知の通りである。內地に於ては企業整備令の犧牲たる轉業者の生活安定と事業整理促進に關する政府の施設としては共助金の國庫補助、共助資金借入利子の補給、國民更生金庫の活動、租稅の減免等を圖り、專ら此の問題の解決に努力せられてゐる。勿論中小企業としては轉業困難の者も少なくないが、此の際戰爭の必勝を期する大目的の下に各關係者ともよく忍耐し、漸次緊要部門の勞務者として轉換されつつあるのである。 二 本島に於ては中小工業の發達が未だ內地の如く整理せねばならない程でなく、中には島內自給の見地より寧ろ其の發達を促進せねばならない部門も少なくない。從つて內地の如く深刻な整理を為す必要がなく、場合に依つては內地の遊休設備を本島へ移轉し、少なくとも日用雜貨品の自給を圖るべきである。殊に海上輸送の窮窟化が益益此の分野の開拓を要望せられてゐる狀態にある。然るに中小商業者に至つては內地の如く整理せねばならない事は明かである。此の點は單に中小商業者だけでなく、最近簇出しつつある配給組合とか、配給會社も此の際合理的に統合し以て配給費用の輕減を圖る事も當然考へなければならないであらう。此の問題に關して督府としては未だ具體的方針を明示してゐないが、各地商工會議所に於て其の地方に卽する具體案を練つて斯かる國策に協力すべきである 三 唯本島の現狀に於て內地と異なる點は國防產業が未だ發達してゐないため、上記の犧牲に依る失業者を吸收する事が殆ど不可能に近い。殊に本島人側では現在でも學校出身の徒食者が可成ゐる樣であり、既に英米俘虜の監督者八百名を募集した結果其の七倍に達する應募者を出したので、其の一端を知る事が出來よう。それ故、今後更に增加するであらう中小商業部門の失業者と共に督府としては今から其の對策を講ずべきである。勿論南方地域に於いて將來需要するであらう人的資源を本島から供給する道を開かねばならないが。島內に於いては各機關の從業者も漸次此等有識徒食の青年を起用する事にモツト努力すべきである。要するに本島最近の現象としては勞働者方面に於て依然不足を吿げつつあるが智識階級及準智識階級方面に未だ遊休者が少くない樣であるから之を如何に活用すべきかは轉業對策と共に督府に於いて今後大に考慮を要すべき問題であらうと |
02 | 總裁宮殿下奉戴式 昨日大東亞會館で擧行 大日本婦人會 |
03 | 奉公運動に新指針 第二回中央參與會終る |
04 | 各參與の答申 真摯熱烈な意見開陳 |
05 | 圖像:全滿忠靈塔例祭 |
06 | 婦人總力結集へ 大日本婦人會長謹話 |
07 | 一等“彈丸切手” 新化街生江スイ子さん當選 郵便貯金切手の名稱 |
08 | 山内會長奉答 |
09 | 島民赤誠の献金 武官府廿八日の受付 |
10 | 商議所發起人會 |
11 | 健康臺灣の律動美 潑刺!全島體操大會 |
12 | 山本總長招聘 講演、座談會開催 |
13 | 祝賀短艇競漕大會 昨日港都で熱狂的盛況 |
14 | 滿洲國の現狀紹介 全國的に感謝講演會 |
15 | 臺灣一優良乳兒 男女各十五名づづ決定 |
16 | 賞金を献金 ヨイ子供五名 |
17 | 業者、市民ともに 一層の協力要望 伊藤北署經濟主任談 |
18 | 蘭陽乘合自動車第一回株主總會 |
19 | ときの声 |
20 | 梅北猛巡查警察葬 |
21 | 東大勝つ |
22 | 明大勝つ |
23 | 新竹州下の鮎 各溪共豐漁を豫想 |
24 | 訃文:李鄭氏市 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | □□□□□□ |
02 | 農實組合を強化 產業開發の使命を完からしむ |
03 | 防空の利器(完) 高射砲高射機關砲 精密な照準具が生命 |
04 | 臺中州奉公會常會 |
05 | 彰化奉公會全體會議 |
06 | 輸間作の妙を發揮 增產に腦漿を絞る |
07 | 二林街の勇士慰靈祭 |
08 | 奉公壯年團總會 |
09 | 廣く眾智を蒐む 港灣施設論文を蒐集 |
10 | 臨時市會 嘉義復舊豫算を審議 |
11 | 坂口高雄州知事來中 |
12 | 新化奉公委員會 |
13 | 旗山郡街庄長會議 |
14 | 一期屑米 割當打合會 |
15 | 五郡の刑事會合 手柄に誇る搜查實話發表 |
16 | 國語常用促進 大溪奉公委員參與會で打合 |
17 | 夏物鳳梨は豐作 合同パイン買上げ準備に汲汲 |
18 | 郵便局と電話架設陳情 國姓庄民の宿願達成目睫 |
19 | 模範部落宣誓式 |
20 | 今一息だ! 新化の產組全村加入 |
21 | 自發的統合に業者申合せ |
22 | 徒步勵行貯蓄完遂 市常會の決議 |
23 | 廢品を回收 善化の兒童部隊 |
24 | 圓滑な運轉賴む 豐原合同バスに批難囂囂 |
25 | 交驩野球試合 |
26 | 臺中中等校球技大會 |
27 | 濱邊は賑ふ 海水浴場續續開場 |
28 | 鳳山郡街庄長會議 |
29 | 故劉林氏嫌女史の保甲葬 |
30 | 井戸に毒藥投入? |
31 | 臺中春競馬成績 |
32 | 地方多より報社消息 |
33 | 第二回決算公告/朝日醬油株式會社 |
34 | 今日の映畫 |
35 | 訃文:鄭振芳 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 船舶運營會臺北支部 機能內容愈よ明確化 |
02 | 大東亞經濟建設の根本理念對談會(一) |
03 | 兩港灣運送業會 下部組織近く改組・整備 |
04 | 島內洋灰の價格 愈よ三本建となる プール計算の要起らん |
05 | 各種債券の賣出 昨年千萬圓を突破 |
06 | 鐵工業統制協會 きのふ總會を開催 |
07 | 山内南海社長來臺 |
08 | 簡易保險一戶一口 增加入運動けふ展開 |
09 | 州下桶柑の輸出 殆ど全部終了 |
10 | テツクス貿易組合近く總會を開催 |
11 | 三井後藤氏 天津支店へ榮轉 |
12 | 惠中公司總會 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況(三十日後場) |
15 | 北濱雜觀 |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(691)/黃得時;碇政彌 |
18 | 廣告 |