興南新聞1942年4月
序號 | 標題 |
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01 | スマトラ全島も完全戡定 殘存英蘭均投降し來る |
02 | モレスビーを爆擊 同地空襲は廿二回 |
03 | 獨立の光明を增す 蘭貢治安維持會發會式 飯田最高指揮官訓示 |
04 | 圖像:敵の破壞せる橋梁を進擊する皇軍(スマトラ戰線) |
05 | 佐藤新駐ソ大使 新任挨拶を述ぶ |
06 | 敵の本據を蹂躪 山東共匪の主力擊滅 |
07 | 遺棄屍體廿三萬餘 過去一ヶ年の綜合戰果 中支軍當局談 |
08 | 南開總裁役員發令 |
09 | 鼠が猫を追ふ如く 驅逐艦が敵巡追擊 (下)海戰史に無類のバリ島沖海戰 |
10 | 太平洋軍事會議 あす白堊館で |
11 | 印度の二大政黨 更に說明を要求近く態度發表 |
12 | 印度再び瞞さるな ドイツ當局の批評 |
13 | 全印國民自由聯盟 特別會議で檢討 |
14 | クリツプス案を こき下ろす 國民會議派系新聞 |
15 | 依然英國傳統の 狡猾手段を反映 |
16 | 贊成者なし 國民會議派一首腦談 |
17 | 英政府極めて 神經質 事態推移を注視 |
18 | 各支部の候補者推薦狀況 |
19 | 三國提携を密に 張滿國國務總理放送 |
20 | 華民代表會 香港に設置決定 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ぐっと突上る手應 あツ地上に踏む第一步の輕さよ 降下成功に一同笑顏 海軍落下傘部隊に聞く |
02 | 圖像:臺灣遺兒部隊靖國神社參拜 |
03 | 硝煙の前線から“只今” 元氣一杯・臺北州勞務奉公隊歸る |
04 | 銃後の模範青年たれ 三輪州知事が激勵 |
05 | 基隆出身者も歸還 |
06 | 新竹州中隊歸還 歡呼の聲に迎へられ |
07 | 鶴嘴戰士の苦鬪 東條首相・身を以て體驗 |
08 | 首相長崎視察 |
09 | 勞務相談所に 職業紹介所看板塗替へ |
10 | 第二回貯蓄報國債券賣出 |
11 | 圖像:勞務奉公隊歸臺 |
12 | 國民校職員辭令交付式 |
13 | 花蓮港兵事部 愈よ一日より事務開始 |
14 | 誇る“國寶建造物” 五重の塔、愈よ解體修理 |
15 | 海軍への恤兵献金 |
16 | 淒い海南島の鑛山 東臺大講師の視察談 |
17 | 推進員打合會 市民講堂で開催 |
18 | 基隆市青年團改組協議會 |
19 | 保甲役員 內地派遣 |
20 | 南方の戰線へ 新聞が送れます |
21 | 戰爭生活讀本 情報局が發行 |
22 | 豪華絢爛な繪卷 東京市少年團結成一周年記念 |
23 | 州立彰化中學校 生徒募集要項 |
24 | 新竹州警察部異動 |
25 | 興南詩苑漢詩 潭子訪鶴亭先生/莊幼岳、潭子訪鶴亭先生同幼岳作/高氏春梅、次韻酬幼岳同社/傅鶴亭、續詠近事/南都、同蒲園鴻飛謁猿山指南宮夜宿/張瀛洲、下山蒲園口號次韵/張瀛洲 |
26 | 炭礦從業員が献金 |
27 | 商況 卅一日前場 |
28 | 興南案內報社消息 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵軍事施設を爆碎 モレスビー大空襲頭條新聞 【東京發同盟】ニユーブリテン島○○基地にて猪伏海軍報道班員三十一日發わが海軍○○航空部隊は三月廿三、四日の兩日またも攻撃機並に戰闘機○○機の大編隊をもつてニユーギニアのモレスビー大空襲を敢行し熾烈なる敵高角砲彈幕を冐して巨彈を投下しあるひは決死的銃撃を強行して地上にあつた敵機九機を一擧に爆碎炎上その軍事施設を徹底的に粉碎して米英濠聯合空軍の反擊企圖を未然に挫折せしめた、即ち三月二十三日午後一時絕好の空襲日和に惠まれて豫定通りモレスビー上空に達したわが海鷲の大編隊は三手に別れその一隊は陸上飛行場を襲つて地上の敵機(小型飛行機)三機を爆撃木端微塵に粉碎すると共に滑走路に全彈を命中せしめ更に他の一隊は敵高角砲陣地その他軍事施設目掛けて巨彈を投下爆碎し次でわが戰闘機隊は爆撃終了と間髮を入れず猛烈なる敵高角砲、機闘銃の彈幕を潜つて地上すれずれに急降下し捨身の銃擊を加へて地上の小型機四機を燒拂ひ二機を大破せしめたが、わが○○二飛曹機は不幸被彈し打ち上げる敵高角砲陣地目掛けて壯烈極まる自爆を遂げたその翌二十四日には午前十時前日同樣の大編隊をもつて重ねて空襲を決行したが哀れにも地上には一機の敵機もなく滑走路は大穴を開けて殆ど使用不可能の狀態となつてゐたが敵の地上砲火は相當猛烈であつたのでこの日は主としてこれ等の敵陣地及ビ軍事施設を集中爆撃し、二箇所に大火災を起さしめて全機凱歌を擧げて歸還した |
02 | ポートダーウイン八回目の空襲 |
03 | 英國機の不法行為 我が病院船を爆擊 |
04 | 米英本來の凶惡性 |
05 | 畏し・文教に大御心 橋田文部大臣謹話 |
06 | 科學技術の躍進へ 特許局と中央航空研究所 內閣の直屬に移管 けふ公布實施 |
07 | 企畫院の機構改正 國民戰時生活の綜合企畫を樹立 |
08 | 原價計算制 重要產業部面に |
09 | 圖像:大東亞海に索敵中の監視兵 |
10 | 推薦候補者顏觸れ 翼協各支部夫夫內申 |
11 | 日本色に塗り潰さる スマトラの街街復興 |
12 | ガンヂー翁は 全面的拒否か アヴアス通信の情報 |
13 | クリツプスの演說放送 |
14 | 英新銳巡洋艦 擊沈さる |
15 | 利己一點張り 對印提案で暴露 |
16 | 議同役員會 對策を協議 |
17 | 六縣の推薦候補を決定 第一回委員會で |
18 | 各國主要代表 太平洋軍事會議 |
19 | 米船舶の損害 |
20 | 危險水域指定 ヴエネズエラ政府 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 奉公運動と私生活干與社說 一 皇民奉公運動は發足してから本月を以て丁度滿一箇年を迎へる。過去一ケ年間の業績や第二年目の新たなるべき展開推進については、さきに本欄に於て多少觸れるところがあったが洵に皇民奉公運動の大成を冀求し本運動の逞ましき推進展開に真摯なる限り、過去一ケ年間の足跡を率直に反省檢討してみることは大いに必要と云はねばならない。何故ならば、皇民奉公運動の如き全島を打つて一丸とする大眾運動は、本島に於ては最初の試煉であり、それだけに運動發足の初年度に於ける困難なる道程は、本運動の今後の發展推進に依つて克服されなければならぬからである。ゆえに運動第二年目に來るべき新構想と相俟つて、過去に露呈された缺陷を補正し、或は技術上の未熟を洗煉してこそ、本運動の前途を光明あらしめ實質的好成果を收め得る所以だと思ふ。いま茲では特に本運動の私生活干與について反省してみたいと思ふ 二 皇民奉公運動は、一の國民運動であり島民大眾運動であるから、島民生活と密接な關係にあることは云ふまでもない。いな極端に云へば、奉公運動卽島民運動卽島民生活と稱しても、强ち誤りではないのである。併しながら皇民奉公運動が對象とするものは、六百萬島民であり全島民の生活體制であつて、直接的には個個人或は個個の私生活ではない。とは云へ勿論運動成果の及ぼす處いな究極の目的とする處は個個の人或は私生活の革新に在ることは言を俟たないが、一の運動として展開推進せんとする處のものは、あくまで大局であり大所高所に立つ一種の政治でなければならない。從つて個個人或は私生活に亘る技葉末節は運動そのものの直接對象ではなくして、運動展開の力强き成果に依つて自らに光被され推進されるものである。本運動が下から盛り上る力と熱を必要とし、指導階級自らの率先垂範を要請せられる所以である。 三 それ故、本運動の展開推進に必要なことは運動の政治的魅力と其の力に在ることは明らかであつて、個個人の私生活に立入つて干捗することに非らざるは云ふまでもないであらう、唯然しながら運動が島民生活に立脚し島民生活の革新を目的とする限り、究極に於て個個人或は私生活を通じてのみ其が達成されるとすれば、手取早く直ちに私生活に干與しがちであることは蓋し止むを得ないことである。要は本末を顚倒しないことであり、また直接的に深く私生活へ立入ることの逆效果を警戒することである。從來奉公運動の私生活干與に對しては相當論議があり、敢へて具體的事例を列擧するに及ばないが、特に末端組織の運營、就中訓練と理解に乏しき一部奉公班世話役の行動が心あるものを顰蹙させてゐる如きは大に檢討を要すべきことと思ふ。要するに本運動が總督政治の翼賛體制を確立する本然の姿に照らせば、拙速なる私生活干與の行過ぎは嚴に警戒されねばならぬのではなからうか |
02 | 義宮正仁親王殿下 けふ御目出度く初等科に御入學 |
03 | 廣幡皇后宮大夫謹話 |
04 | 一路醜の御楯に 陸軍特別志願兵制けふ施行 森部內務局長語る |
05 | 九軍神合同海軍葬 八日日比谷公園葬場で |
06 | 圖像:東條首相視察 |
07 | 醫學共榮圈を樹立 東亞醫學會昨日初總會開かる |
08 | 掘る家庭の鑛脈 各地共に豫想以上の好成績 |
09 | 女子訓練所終了式 |
10 | 行け南・この要領で二 先づ實體の正視へ/今西庄次郎 |
11 | 全島漁業組合幹部鍊成終る |
12 | 感謝の献金品 軍司令部に續續 |
13 | 圖像:社頭對面を終へて遺兒部隊第一陣退京(於東京驛) |
14 | 九軍神に捧げる感謝 |
15 | 誠に貴重な體驗 臺北州勞務奉公團高橋隊長感想談 |
16 | けふからの 眼新しい變化集 漕出す希望の門出だ |
17 | 阿片政策一步前進 昭和廿一年までに癮者を一掃 |
18 | 諸學生の下宿に 學校當局市民の協力要望 |
19 | 水稻多收競作會褒狀授與式 昨日有樂館で |
20 | ときの声 |
21 | 蜂谷外事部長 高等官一等に |
22 | きのふ晴れの竣工式を擧行 驛前道路の工事 |
23 | 軍司令部で小使募集 |
24 | 訃文:新島謹仔(鄭□氏謹仔) |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 神社に奉告參拜 勞務奉公團臺中州隊晴れの歸還 |
02 | 尊き體驗土產に 臺南州隊解隊式 |
03 | 軍人等を招待 戰捷祝賀藝能會 |
04 | 賞賜物件を傳達 內村少尉以下九勇士に |
05 | 賞賜物件傳達式 銅鑼庄で擧行 |
06 | 喜びの合格者 |
07 | 還都記念祝賀會 |
08 | 電氣工手感電殉職 |
09 | 皇化の洽きに感激 臺南州理蕃課長山元氏の視察談 |
10 | 婦人の時局認識を深む |
11 | 桃園街銃後後援會 力強く第一步を踏出す |
12 | 皇軍將兵慰問金第廿四回(敬稱略)領收報告報社消息 |
13 | 嘉義市の春季清潔 |
14 | 桔梗クラブを結成 訓練終へた高雄女青の集ひ |
15 | 增產戰線の花形 臺中市農事品評會 |
16 | 競ふ增產奧の手 嘉義郡の米作競技會 |
17 | 農業戰士を育成 臺南州で臺拓試む |
18 | 遺家族慰問 健全娛樂大會 |
19 | 還都の喜び新た 張國威總領事語る |
20 | 東部僑務を巡視 |
21 | 提案事項を決定 全島市議協議會に屏東市から |
22 | 桃園皇民奉公双葉會 來る三日結成式を擧行 |
23 | 新化時局講演 |
24 | 曾文華僑公會 十五日に總會 |
25 | 第一回臺灣特設奉公團員歸る |
26 | 淡水各種品評會 褒賞授與式を擧行 |
27 | 鮮魚介仲買人組合創立さる |
28 | 農業技術員修了式 |
29 | 地方便り |
30 | 今日の映畫 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 主要食糧增產へ 南方農業施設等を可決 臺灣農會總會開かる |
02 | 齋藤會長訓示 |
03 | 局鐵遊休機動車 近くアルコール化 |
04 | 濠洲貿易の現況 (下)輸出の大宗は羊毛 |
05 | 路線の市內乘入 市及近郊バスで協議 |
06 | 經濟相談所の改善 關係者が打合せ |
07 | 島內の工業化建設 須田企畫部長談 |
08 | 食料品物價專門委員會 |
09 | 時局に則應する 主なる新規事業 畜產會總會で決定 |
10 | 豫算等を可決 畜產會總會終る |
11 | 畜產會總會 齋藤會長の演述 |
12 | 臺北卸物價指數 石炭を除き保合 二月中 |
13 | 新設間接稅解說懇談會 |
14 | 臺東外四米穀事務所長を任命 |
15 | 照明燈 |
16 | 商況 卅一日後場 |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(643)/黃得時;榎本真砂夫 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新しい理念に基く 產業新體制確立へ 陸軍、各統制會長、意見を交換 |
02 | 木村次官挨拶要旨 |
03 | “一兵卒の氣持で” 兒玉秀雄伯の寄臺談 |
04 | 力及ぶ限り働く 北島謙次郎氏の抱負 |
05 | 圖像:敵に巨彈を投ずる陸鷲部隊勇士(スマトラ戰線) |
06 | ポートダーウイン空襲 |
07 | 新人過半數を占む 推薦候補者の顏觸れ |
08 | 帝都の選擧取締方針 |
09 | 翼贊選擧推進懇談會を開催 |
10 | 早くも復興成る 大東亞海の要衝マカツサル 往年の殷賑振りを取り戾す |
11 | 軍神橫山氏宅を訪問 相變らずの人情大臣ぶり 東條首相鹿兒島入り |
12 | 英の提案拒否 印度國民會議派 |
13 | 英の為め流血は真つ平 在泰のボース氏冷笑 |
14 | クリツプスぢれ氣味 |
15 | 絞首臺上の罪人の命乞ひ 英國の遣り口 |
16 | 印度に對する 瞞著謀略 イタリア政界觀測 |
17 | 印度側態度強硬 事態今や危機に直面 |
18 | 目的達成に邁進 印度獨立運動協議會 豫定通り會議を開催 |
19 | 洪國の駐南京外交代表發表 |
20 | 派遣全濠洲軍本國に歸還 |
21 | 濠洲政府議會軍事に不干涉 |
22 | 本年競賣漁區 極東漁業廳發表 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 昂る平和の鼓動 バタビヤ復興目覺し |
02 | 邦人進出によい處 佛印の衛生狀態羽鳥博士調查談 |
03 | 佛印の近況 森三千代女史の寄臺談 |
04 | 燃ゆる愛國の熱誠 武官府に感激の献金 |
05 | 四日は愛林日 木材、木炭增產を目指す 臺北州の行事決定 |
06 | 「星を見る會」 二日夜新公園で |
07 | 奉公運動の尖兵 配置濟總數六千餘名に上る |
08 | “大東亞戰爭 と我等” 文部省で編纂 |
09 | 開店早早大繁昌 奉公會相談所大好評 |
10 | 盛上る婦人の熱意 第三回鍊成七日から開始 |
11 | 鍛鍊の春に政府の溫い親心 護謨ボール特配 |
12 | 臺北州警察招魂祭 けふしめやかに執行 |
13 | 新竹州戰病歿警察官招魂祭 |
14 | 水陸兩署の招魂祭 |
15 | 基隆郡の慰靈祭 |
16 | 油繪を献納 大江、鶴岡兩氏の彩管慰問 |
17 | 今秋に第一回學生交換 日佛印交換學生協定近く調印 |
18 | 生豚の屠殺頭數を增す 內臟一部の家庭用をも考慮 市民に朗報 |
19 | 全國結核豫防關係技術者大會 具體策を討議 |
20 | 特定物件の賣買 一部分を國債に 關係勅令一日に公布實施 |
21 | 壯丁團相撲大會 |
22 | 銃後後援會發會式四日に變更 |
23 | “僕・一年生よ” けふは嬉しい入學日 |
24 | 紙芝居の脚本 廣く國內より懸賞募集 |
25 | 屎尿殺菌池竣工式 |
26 | 新竹州異動 |
27 | 區長異動 |
28 | 菜公坑山ハイク |
29 | 徹宵の大活動 國鐵新切符の使用で |
30 | 人事・消息 |
31 | 商況 一日前場 |
32 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | ポートダウインと モレスビーを連爆 敵機合計廿二機を擊墜破頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表)一日午後四時三十分) 一、帝國海軍航空部隊は三月二十八日ポートダウインを爆擊諸軍事施設を破壞し擬裝隱匿中の敵機三機を炎上せしめ歸途米增援戰闘機七機の追蹤猛襲を受け敢然これと空中戰を交へ、その四機を擊墜せり、更に三十日同地を我が戰闘機隊は敵戰闘機十機と交戰、數合にして九機を擊墜、攻擊機隊は飛行場並に諸軍事施設に全彈命中せしめこれを破壞せり、 二、帝國海軍航空部隊は三月二十四日より二十八日まで連日ポートモレスビーを攻擊敵戰闘機六機を擊墜し飛行場、高角砲陣地、兵舍等を破壞せり |
02 | わが科學陣に擧る 勝利の凱歌を示す |
03 | 皇軍に協力を誓ふ 中部爪哇の三王侯 |
04 | 陸軍の異動 牛島滿中將陸士校長に |
05 | 牛島將軍以下の略歷 |
06 | 推薦候補者の顏觸れ |
07 | 圖像:スラバヤに於ける○○部隊國旗揭揚式 |
08 | 重光駐華大使 けふ南京發歸國 |
09 | 餘剩電力を 徹底的に利用 四月から強化期間を設定 |
10 | “翼贊選擧の誓ひ” 全國各常會で申合せ |
11 | 內相と安藤副總裁の挨拶 |
12 | 議同、追增を 強硬主張か |
13 | 于軍を一擧に擊滅 |
14 | 衢州、麗水を奇襲爆擊 |
15 | 國民會議派の反對理由 |
16 | 地方海軍人事部を設置 長野、神戶、福岡に |
17 | 獨軍司令部の戰況發表 |
18 | 東條首相動靜 |
19 | 臺灣關係內閣辭令 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 注目すべき印度の動向社說 一 大東亞戰爭勃發による國際情勢の急變は、印度獨立問題を再び世界の檜舞臺に浮び上がらせると共に、その可能性を頓に增大せしむるに至つた。今や世界の視聽は、印度問題に集中されてゐる觀があり、その動向は世界史的重要性を持つに至つたのである。老衰英帝國は開戰以來三ケ月にして早くも馬來、新嘉坡、ビルマ、蘭印等のあらゆる軍事據點を失ひ、東亞に於て據るべき地域は、只印度を殘すのみとなつた。之に加ふるに印度を喪失することは、全く英帝國の潰滅を來すこととなるので、印度問題に對する英國の苦惱は、頗る深刻なものがあり、傍の見る目も哀れな焦燥振りを示してゐる。茲に於て老獪英國は、例の懷柔の奧の手を出し、クリツプスを印度に特派し、頻りに迎合的、媚態的な態度を示しつつ印度政界各派の領袖達と會談を重ね、躍起の策動を行つてゐるが、其內容は廿九日に於けるクリツプスの發表に依れば、戰爭終了と共に新憲法を制定、自治領として新印度聯邦を誕生せしめる意向なる旨を言明した。 二 卽ち新印度聯邦は英本國並に自治領と共に一箇の自治領として英皇帝に從屬するが、その資格は他の自治領と完全に同一でその內外政策は如何なる點に於ても他の制扼を受けない樣にする。但しこれと同時に印度は新憲法に於て、人種並に宗教上の少數民族保護のため一機關を設けまたこれに關し英本國と條約を締結すると云ふにある。かくの如く、國民會議派の意向の一部を容れつつ、回教聯盟、ヒンヅー、マハサバその他各派をも懷柔すべく苦心してゐるが相も變らず戰後に於ける自治□約してゐるだけで、卽時完全獨立を要求する印度民眾は第一次大戰に於ける空手形の苦い經驗もあり、果して受諾するや否やは甚だ疑問とされてゐる。印度の二大政黨たる國民會議派と、回教徒聯盟は、夫夫協議會を開いて、クリツプスの對印度提案を繞つて活潑な討議を行つてゐるが、大勢は既に英國案拒絕に決定したものの如く、國民會議派の一首腦は「英國案受諾に賛成したものは一名もなかつた」と委員會の强硬なる態度を明かにした。ガンヂー翁も印度を參戰に導くものとして、全面的に拒否したと傳へられてゐる。又印度各派の新聞輿論も戰後に於ける自治供與に對して夫夫の立場から絕對反對の氣勢を擧げてゐる。 三 兎に角印度問題は、何れも永年の懸案であつて、解決はしかく簡單に運ぶものとは思はれない。恐らく英側の希望する通りの結果を得ることは難かしいであらう。その最大原因は國際環境の變化である。今日に於ては、もはや印度問題解決の最大重要因子は我國の印度に對する壓力であり、この壓力あればこそ、英の印度懷柔策となつたのである。併し今となつては既に手遲れの感なきを得ない。英國の無力が既に印度人にも認識され來つた今日、英國が下手に出れば出る程、印度人は高價な代價を支拂はしめやうと企圖するであらう。英から空手形の自治領を與へられた所で、其實質的保證を英から全く期待出來ない現狀に於て、印度人が英の手先になることは全く自殺行為に等しい。若しこの點に氣付かずして、英の甘言に乘ぜられるやうなことがありとすれば、それこそ「印度獨立」の望みは永遠に消滅し去るであらう。印度が真に獨立を欲するならば、英と袂を分ち、對英非協力の態度を堅持する以外に途はないのである、 |
02 | お喜びの義宮樣 御參內・御挨拶を言上 |
03 | 靖國社頭武勳芳し 本島出身四十四柱合祀さる 對面の遺族達決定 |
04 | 心強い“自力更生” 震災地の復興狀況齋藤長官が視察 |
05 | 行け南・この要領で三 支那を忘れるな/今西庄次郎 |
06 | 志願兵訓練所長 石川熊一大佐發令 |
07 | 五百萬圓寄附 滿州重工業會社 |
08 | 圖像:東條首相と吉村少年 |
09 | 南へ“羽搏く若人” 臺大に物淒い志願者 |
10 | 軍神を讚へる會 けふ午後一時から臺灣で中繼放送 |
11 | 陸軍將校生徒 愈よ募集を開始 |
12 | 根井臺北州警察部長歸任 |
13 | 廈門居留民團 四月一日設立さる |
14 | 九軍神へ感激の弔慰金 |
15 | 宜蘭中學生徒募集 |
16 | 献金佳話二つ 軍司令部に拾ふ |
17 | 宜蘭銃後後援會結成式 |
18 | 宜蘭警察招魂祭 |
19 | 羅東郡慰安演藝會 |
20 | 邱勞務奉公團員公傷死 |
21 | 祝戰勝日本畫展 |
22 | 新竹州下庄長異動 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 治安の神を弔ふ 各地の警察招魂祭 |
02 | 灌溉、水利功勞者 臺中州水利協會から表彰 |
03 | 報國推進隊員田植え奉仕 |
04 | 爪哇の規那樹皮(下) キニーネの爭奪史 |
05 | 早熟甘蔗を試作 官民、專門技術者を招き 臺南農事試驗場で批判會 |
06 | 屏東の時局講演會盛況 |
07 | 自給肥料品評會褒賞授與式 |
08 | 圖像:皇軍勇士と仲よしのオランダ子供達 |
09 | 新化郡畜產助成會評議員會 |
10 | 感激の献金續く |
11 | 治安史上に異彩 勳功に輝く深澤警部等に功勞賞 きのふ晴れの授與式 |
12 | 高雄工業實現 一日から生徒募集開始 |
13 | 新化郡農事組合評議員會 |
14 | 淡水銃後後援會 華華しく發會 |
15 | 愛される木は伸びる 互に護らう樹木を 臺中州の愛林デー |
16 | 屏東商工組總會 |
17 | 銅鑼庄長更迭 |
18 | 花蓮港廳下の街庄長異動 |
19 | 大溪衛生看護團 龍潭分團結團式 |
20 | 高雄勞働需給組 官民と懇談會 |
21 | 國民學校長視學異動 |
22 | 臺南に殺人事件 |
23 | 死因に疑問 火葬前死體解剖 |
24 | 地方便り |
25 | 今日の映畫 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 戰時保險臨時措置法 施行規則けふ公布 來る廿五日より實施 |
02 | 送配電統合管理 昨日より新發足 |
03 | 昨年度郵貯增加額 一千五百三十萬圓 |
04 | 新增稅解說質疑懇談會 |
05 | 臺北商議所主事更迭 |
06 | 商工業者誓の日 來る大詔奉戴日に |
07 | 製茶等の最高價格改訂 食料品物價專委會で |
08 | 灣糖大寮工場 產糖十九萬七千擔 |
09 | 日糖烏日工場壓搾終了 |
10 | 照明燈 |
11 | 商況 一日後場 |
12 | ラジオ |
13 | 水滸傳(644)/黃得時;榎本真砂夫 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 第二次攻擊を敢行 衢州・麗水飛行場を爆擊 |
02 | 重慶側の企圖 完全に粉碎さる |
03 | 圖像:敵を索めて進發する艦載機 |
04 | 南部佛印の燈管解除 |
05 | 樞軸國人卅三名拘束 在メキシコ市 |
06 | 本部の推薦銓衡 一段と慎重化せん |
07 | 推薦候補者の顏觸れ |
08 | 建設の鼓動高らかに 住民達の絕對的協力を得て 着着復興するバリクパパン |
09 | 翼選推進懇談會 知識文化人の總力を結集 けふ第一回會合 |
10 | 華盛頓の太平洋戰時會議 |
11 | 濠洲地上部隊增強を發表 |
12 | 多大の成果を收む 橫山佛印資源調查團長語る |
13 | 汎米共同防衛委員會 米軍首腦が演說 |
14 | 捕虜は戰死者と同等 米英蘭の捕虜必携手帳 |
15 | 圖像:イギリス、ロツクヒード機、チモール島クーパン灣にて我が病院船朝日丸を不法爆擊す |
16 | 印度國民よ沒落辿る 英帝國を正視せよ 吉積情報局第二部長放送 |
17 | 英國に騙されるな 在獨のボース氏警告 |
18 | 國民貯蓄組合法施行規則を改正 |
19 | 米英船四隻 魚雷攻擊を受く |
20 | 邦人三千名 桑港地區より退去命ぜらる |
21 | 獨軍の戰況發表 |
22 | 陸軍首腦部の新陣容を決定 濠洲泥繩的改編 |
23 | 英驅逐艦擊沈さる |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 清水一家の毆込み 駄目だつたらアツサリ自爆 航空母艦乘込勇士にきく |
02 | 勳章傳達式 けふ市長公室で擧行 |
03 | 征野千里・銃なき御奉公(一) 特設勞務團に聽く敢鬪譜 |
04 | 忘れぬその味 海水て飯を炊く 陳謀福君談 |
05 | 日本の強さが身にしみる 廖水發君談 |
06 | 蚊軍の襲來に閉口 陳兩全君談 |
07 | 工兵隊の勞苦に頭が下る 王耀堂君語る |
08 | 東亞民族に貢献 フイリツピン協會は文化團體 德川會長、臺北で語る |
09 | 基隆市銃後後援會發會式 八日に擧行 |
10 | 希望者はないか 市營住宅が又できた |
11 | 鄉軍南聯合分會發會式 |
12 | 衛生模範部落 臺北州下の成績發表 |
13 | 配船問題を折衝 副見交通總長歸任 |
14 | 國語演習會開催 十九日新竹國民校で |
15 | 防諜劇大好評 |
16 | 羅東郡黃麻多收競作會 |
17 | 灌溉施設に重點 今後のマニラの經營には 拓務省事務官金次博氏寄臺談 |
18 | 島都の子寶家庭 二十四戶調查決定 |
19 | 羅東郡道路協會總會 |
20 | 北山教授送別會 |
21 | “靖國の英靈に捧ぐ文”の入選 |
22 | 赤誠の献金部隊 軍司令部へ殺到 |
23 | 中等學校長異動 |
24 | 興南詩苑漢詩 步献三君歸來原玉/魏清壬、一儂貽詩索和勉此郤寄/黃景南、寄“東臺灣”養源兄/黃景南、敬次景南兄原玉/王養源、步献三芸兄原韻/蘇鏡平 |
25 | 海軍特務夫と女給仕を募集 |
26 | 商況 二日前場 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 海鷲連日コレヒドールを爆擊 高角砲陣地を覆滅頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(二日午後三時二十分) 帝國海軍航空部隊は三月二十四日以來三十一日までコレヒドールに對し連日數次の大爆擊を敢行し同要塞高角砲陣地を覆滅しその機能を喪失せしめたる外飛行場兵舍並に中央官舍地帶その他主要個所を徹底的に破壞せり |
02 | 敵高角砲陣地沈默 |
03 | 重慶空軍基地を爆碎 我陸鷲制壓下に敵側企圖挫折 |
04 | 圖像:大洋を制壓する我が航空母艦 |
05 | 四月卅日と定む 總選擧の期日發表 |
06 | 推薦候補五縣を決定 |
07 | 選擧後の動向に 深甚な注意集中 新人の閱歷多く價值を置かず |
08 | 法定選擧運動費發表 選擧區別の概算 |
09 | 華府駐在カナダ 戰時內閣代表決定 |
10 | 玉山飛行場を爆擊 |
11 | 三月中の我大戰果 武漢周邊地區の戰況 |
12 | 太湖東方地區掃蕩 判明せる綜合戰果 |
13 | 見事!敵船を擊沈 「海に入つた砲兵」の奮戰記 |
14 | 傷病兵を慰問 東條首相別府で |
15 | 重要物資管理營團法 四日公布實施す |
16 | 樞軸國の攻勢準備 聯合國側は戰戰兢兢 |
17 | 壯烈・空中一騎討ち 我荒鷲に凱歌擧がる 爪哇島方面 |
18 | 米太平洋岸在住邦人 奧地へ撤退 |
19 | 立候補者 |
20 | 現議員の割込 本部の裁量注目 |
21 | 大日本武德會初代理事長 藤沼氏に決定 |
22 | 社告/興南新聞社報社消息 |
23 | 英國案を拒否 印度國民會議派 最終審議採決で |
24 | 拒否を通告 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 大東亞戰と生活科學化社說 一 大東亞戰爭が勃發してから僅か三ケ月餘りにして精銳無比な皇軍は、陸に、海に、空に赫赫たる戰果を收め、敵の誇示した所謂ABCD包圍陣を完膚なき迄に叩き潰し、西太平洋の據點といふ據點を悉く我が鐵蹄下に收めて、米英蘭の敵性を東亞の天地から完全に驅逐したが、この偉大なる大戰果に對し、銃後國民は、何よりも皇軍將兵に絕對の感謝を捧げなければならぬと同時に、銃後の守りを益益固くし、些かの搖ぎもないやうに努力すべきである。それには、銃後國民として為すべきことがいろいろあるであらうが、吾吾は、まづ手近かな例として生活の科學化を提唱したい。それは今日のやうな戰時下には、物資の節約、防空の完璧、防諜の徹底等の點から見て絕對に必要だからである。殊に日常生活の些細なことが直ちに全國民の士氣に影響を及ぼし、百年の功を一簣に虧く場合もあるから、いよいよこの必要性を痛感するものである。 二 生活の科學化とは、一口に云へば、吾吾の日常生活の中に、出來るだけ多くの科學知識を取入れて最大の效果を擧げることである。吾吾東洋人は、どつちかと云へば、慣習とか、傳統とかいふものに餘り捉はれ過ぎてゐるため、新しい事態が周圍に起つても、生活が容易にこれに順應して行かない傾向がある。從つて國家が平時から戰時に移つても、個人の生活は、舊態依然の體勢を取つてゐる者が尚相當ゐるのは、遺憾に堪へない。今は戰時下だ、吾吾は、戰時下に相應しいやうに、生活の凡ゆる面を切替へなければならぬ。例へば、從來一ケ月に百圓の生活をしてゐた者は、この際七十圓か六十圓かに切下げて行くだけの覺悟と、心構へを持たなければならぬ。そしてこの七十圓か六十圓かで生活しても、優に平時の百圓以上の效果を擧げ得るやうに工夫することが第一である。この工夫が卽ち科學化である。科學的知識によつて、生活の凡ゆる面の能率を擧げることである。 三 帝國は大東亞戰爭に未曾有の戰果を收めたが、しかし戰爭は決して終局を吿げたのではない今も尚繼續中である。米英蘭にしても、一應東亞の天地から手を引いたものの、彼等の本國には相當豐富な物資と充實せる軍備をもつてゐるから、吾吾も緖戰の勝利に醉ふことなく、さらに長期戰の覺悟をもつて最後の榮冠を目ざして戰つて戰ひ拔かなければならぬ。そのために、情勢の如何によつては物資が、今よりも幾分か窮屈になることがあるかも知れぬが、吾吾は飽くまでも生活の科學化によつて窮屈と思はれる物資を最大有效に使用すると共に、一回使用してもはや使用に堪へられないと思ふ廢品をも科學的工夫を加へて、生かして使用するやうに心掛けなければならぬ。また、國土防衞の點から見ても、萬一敵機の來襲を受けた場合にも、徒らに慌てることなく、沈着果斷、これが處置に當るべきである。それには、ふだんから防空に對する科學的智識を涵養することが何よりも必要である。さらに防諜の點から考へても、近代のスパイは、その方法が非常に巧妙で、普通の人の氣付かぬ科學的知識を利用したものが非常に增えて來たので、これを防ぐ國民も亦それを察知するだけの科學的知識を持たなければ、防諜の完璧を期し得られない。斯く考へて來た場合に生活の科學化が戰時下の今日如何に必要であるかと今更ながら痛感するものである。 |
02 | けふ神武天皇祭 聖上皇靈殿で御親祭 |
03 | 背負ふ“明朗臺灣” 奉公壯年團あす發會式 |
04 | 長谷川總裁が統理 團則と支部規程發表 |
05 | 團長齋藤本部長 副團長に山本事務總長 |
06 | 岩手醫專合格者 |
07 | 圖像:第五部隊營內神社鎮座祭 |
08 | 子寶家庭訪問記(一) 肉類避けて野菜食 阿世知オトさん語る |
09 | 五年間續いて五人 譽れの姜金瑞さん |
10 | 事業計畫決定 大日本學徒體育振興會 |
11 | 第五部隊營內神社 きのふ嚴かな鎮座祭 |
12 | あすは“愛林日” 苗木を無償配布 |
13 | 青史を飾る九軍神 八日に合同葬儀 |
14 | 九軍神とその母 東京で“讚へる會”を開く |
15 | 東西南北四分團を設置 新竹市の鄉軍 |
16 | “物言はぬ戰士”に感謝 七日は恒例の愛馬の日 |
17 | 香港の攻略戰 劇映畫現地撮影開始 |
18 | 海軍に感謝献金 海軍武官府の受付 |
19 | 死亡者九十九名 靜岡縣の淺蜊中毒事件 |
20 | 最初に輕い腹痛 柴山防疫官の報告 |
21 | 大會開催年一回 學徒體育大會實施要項決定 |
22 | ときの声 |
23 | 塗潭山へハイキング |
24 | 茶商公會事務所屋根陷落 |
25 | 遭難印度志工慰靈祭を執行 |
26 | 人事・消息報社消息 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | もつともつと貯へよ 遙か目標額を越えての貯蓄に 微笑む坂口知事語る |
02 | 武勳青史に輝く 田中部隊譽の戰死者發表 |
03 | 能高警察招魂祭 嚴肅に執行さる |
04 | 竹山警察招魂祭 |
05 | 南投警察招魂祭 |
06 | 佐佐木臺東憲兵分駐所長榮轉 |
07 | 嘉義郡の山山に重要藥草栽培 |
08 | 高雄市バスの回數券發賣場所 |
09 | 圖像:平和に還つたパレンバン市內風景 |
10 | 林邊銃後後援會創立總會 |
11 | 大溪銃後後援會設立打合會 |
12 | 時局認識に效果百% 高雄の大東亞戰展盛況 |
13 | 諸競作會等褒賞授與狀 |
14 | 儲けから奉公へ 商業奉公團近く誕生 |
15 | 張總領事歸北 |
16 | 米作品評會表彰式 |
17 | 國語普及の先鋒 優良皇民塾に獎勵金 |
18 | 臺南州農會議員總選擧 |
19 | 臺南署の賞狀傳達式 |
20 | 後藤先生の送別テニス |
21 | 保甲活躍の內助 臺中保甲婦女團結成 |
22 | 文藝講演會 五日に延期 |
23 | 米を各戶に配達 |
24 | 北斗農產品評會 褒賞授與式を擧行 |
25 | 春に映ゆる笑顏! 季節に違はぬ役人の春 五割の賞與 |
26 | 堆肥獎勵抽籤 當籤番號發表 |
27 | 四日の愛林日に 苗木の無償配付 |
28 | 東部今昔物語 村松氏一行との座談會 |
29 | 花咲き苗伸る きのふ・けふの農村 一千萬兩の雨 |
30 | 虱目魚苗の統制 關係者鳩首打合せ |
31 | 臺北市京町東陽製菓 |
32 | 溪州街桔梗クラブ結成式 |
33 | 献金四千六百圓 迸る嘉義市民の赤誠(三月中) |
34 | 講習所入所式 花蓮港軍援會 |
35 | ヨイ子供達の献金 |
36 | 南進座演劇隊 花蓮港廳下に巡演 |
37 | 大溪勞務奉公隊 一同元氣で歸還 |
38 | 竹山勞務奉公隊 功績建てて歸還 |
39 | 能高郡藥業組合 組合員總會 |
40 | 大和興亞炭 二等賞獲得 |
41 | 人事 |
42 | 地方便り報社消息 |
43 | 「小波童話名作集」 主婦之友社發行 |
44 | 今日の映畫 |
45 | 第三回決算公告/臺灣製茶株式會社 |
46 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 鐵鋼製品等需給計畫化 措置方針決定 需用者の協力を要望 |
02 | 國債及債券の 各州廳割當決定 |
03 | 昨年度臺鐵收入 客貨車の比率逆倒 本線收入三千九百餘萬圓 |
04 | 鐵道貨物輸送總力旬間終了 |
05 | 屑米配給組合 近く解散されん |
06 | 滿洲向臺灣茶 約四百萬斤と決定 |
07 | 三月手形交換高 五千萬圓を突破 |
08 | 內地製機器の月別海上 要輸送量調書の提出に就て 物資課發表 |
09 | 臺灣商工會議所 常議員會開催 |
10 | 石炭非常時對策 當局と業者側懇談 |
11 | 米穀の生產調查 一元的に取扱はれん |
12 | 特殊農作物の 獎勵計畫を打合 |
13 | 三井臺北支店 田中氏を次長に |
14 | 山岸總務課長近く上京 |
15 | 照明燈 |
16 | 嘉義震災復興資金 八百四十三萬圓に決定 |
17 | 商況 二日後場 |
18 | ラジオ |
19 | 水滸傳(645)/黃得時;榎本真砂夫 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 擊破百三機に上る 緬甸方面の敵空軍を擊滅 |
02 | 十日間の戰鬪經過 |
03 | ポートダーウインを又復空襲 |
04 | 總選擧施行の詔書 けふ官報で公布さる |
05 | 圖像:第五部隊營內神社第一回例祭 |
06 | 伊軍司令部發表 |
07 | 蔣軍の投降歸順漸增 |
08 | 敵軍需物資を爆碎 衢州、麗水兩飛行場空襲 |
09 | 雄大なる建設譜 ボルネオの政治的中心地 バリツクパパン起ち上る |
10 | 新駐ソ米大使 テヘランに到着 |
11 | 東京府の候補顏觸 |
12 | 人間防壁彈を築き 軍旗、部隊長を護る 淒絕・決死の○○高地奪取記 |
13 | 淮南溪北地區の肅清戰 多大の戰果收めて完了 |
14 | 國民政府の發展に 一切の努力惜まぬ 重光大使けふ空路□歸朝 |
15 | クリツプスの妥協案 國民會議派早くも不滿表明 |
16 | 英印の交涉 複雜微妙に展開 |
17 | 獨軍各戰線に活躍 |
18 | 英驅逐艦擊沈さる |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 神武天皇祭の御儀 三日嚴かに執行はせらる |
02 | 明日の臺灣擔つて蹶起 臺灣奉公壯年團 けふ雄雄しく發足 |
03 | 實踐推進力たれ 長谷川總裁の告辭 |
04 | 齋藤團長の訓示 |
05 | 第一回例祭を執行 第五部隊の營內神社 |
06 | 圖像:臺灣奉公壯年團の發會式 |
07 | 保甲民の赤誠 軍用機献納金を醵出 |
08 | 征野千里・銃なき御奉公(二) 樂しかつた慰安會 張來福君談 |
09 | 皇軍進擊の迅速に驚嘆 吳敏權君談 |
10 | 忘られぬこの體驗 陳次郎君談 |
11 | 精神力で頑張り通す 謝啟明君談 |
12 | 志願兵身體檢查 臺北州下七日に實施 |
13 | 譽の子寶家庭 けふ市公會堂で表彰式 |
14 | 廈門籠球團一行來臺 六日から交驩試合開始 |
15 | 本社を訪問報社消息 |
16 | 長谷川總督 日本新作展へ |
17 | 市營住宅朱厝崙に十一戶 |
18 | 基隆署照合認印時間を統一 |
19 | 興南詩苑漢詩 了菴同社挽辭/鶴亭、歸鄉/煥章、煥章詞兄歸梓就余理病旋將再上旅程詩以送之/鷺村、次韻酧謝/煥章、壽劍窓兄五十/可軒 |
20 | 鄉軍南聯合分會發會式 |
21 | 軍用犬展覽會 |
22 | 人事・消息報社消息 |
23 | 商況 四日前場 |
24 | 興南案內報社消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 功一に輝く論功行賞 御武勳の五宮殿下 米內、西尾、松井、長谷川、及川五將軍 功一級拜授の恩命に浴す頭條新聞 【東京發同盟】畏き邊りでは幕僚長として帷幄にあり陸軍最高の重責を擔はせられて支那事變勃發以來全軍を御統率あらせられた前參謀總長元帥閑院宮載仁親王殿下 前軍令部總長元帥伏見宮博恭王殿下を始め奉り元帥として軍務にその大任を果たせられた梨本宮守正王殿下をまた皇族の御身を以て征路遙かに第一線に三軍を御統率、南京攻略戰に赫赫の御武勳を樹てさせられた 陸軍大將朝香宮鳩彥王、漢口攻略戰に皇軍の威武を輝かせられた同東久彌宮稔彥王兩殿下、更に事變下初代の海軍大臣として次で總理大臣として軍政兩方面における重責を果した米內海軍大將、支那派遣軍總司令官として大陸を制壓した西尾壽造大將、或は初代中支軍最高指揮官として赫赫の武勳を樹てた松井石根大將、支那方面海軍最高指揮官として武功に輝く現臺灣總督長谷川清、及川古志郎兩海軍大將其他現聯合艦隊司令長官山本五十六大將以下豐田海軍大將、古賀、近藤、高須各中將に對し論功行賞の御沙汰あらせられ昭和十五年四月二十九日付をもつて發令、四日內閣賞勳局より左の如く發表された |
02 | 五宮殿下御略歷 五大將赫赫の戰歷 |
03 | 岸商相出馬 山口縣から |
04 | 勳章親授式御擧行 |
05 | 皇族御四方、將星八名 支那事變論功行賞で功一級拜授 |
06 | 緬甸敵兩飛行場潰滅 わが陸鷲の猛攻下に |
07 | 潰え去る緬甸各飛行場 |
08 | 敵潛水艦を擊沈 わが油槽船寶洋丸 搭載砲で應戰して |
09 | アンダマン島の 掃蕩を完了 |
10 | 三浦農林次官 出馬の為め辭任 |
11 | 麗水、衢州爆擊の 赫赫たる大戰果 |
12 | 敵の遺棄死體 一、一三五 鉅子牙山周邊共軍掃蕩 |
13 | 支那問題解決に努力 英國は次第に戰爭の自信を失ふ 重光大使きのふ入京 |
14 | 張國務總理一行大連着 |
15 | 全國候補者 屆出狀況 |
16 | 新農林次官に 石黑長官昇格 |
17 | 情報局第二部長更迭 後任松村大佐が部長心得に |
18 | 三氏の略歷 |
19 | 物價局長官に周東英雄氏 |
20 | 梶原茂嘉氏 第四部長の後任 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 本島小作問題の重要性社說 一 本島に於ける農民の農地經營規模は昭和十四年末に於て一戶當平均約二甲零七厘であるが、五分未滿の零細農が二五%◯八を占め、五分以上一甲未滿が二◯%七六、一甲以上二甲未滿が二六%◯九に上つてゐるから、二甲未滿の小農が合計七一%九三となり、依然零細農が絕對多數を示めてゐるのである。其の上本島にありては自作面積よりも小作面積が比較的に多く昭和十四年四月一日の現在では小作面積が五六%三三、自作面積が四三%六七に對し、內地にありては昭和十四年末現在に於て小作面積が四五%七六、自作面積が五四%二四を示し、卽ち本島にありては內地よりも小作面積が一◯%五七も多く本島に於ける土地兼併の進行と共に小作問題は內地よりも頗る重要性を帶びて來た事は明かである。今主要大耕地所有主を摘記すれば僅か六社しかない新式製糖會社の所有耕地が約十二萬甲もあり、之に臺拓の一萬三千五百甲、日東拓殖農林の四千甲(內茶園二千五百甲)、臺灣合同鳳梨の四千甲、南隆農場の四千甲、日本拓殖の二千三百甲を加算すれば十四萬七千八百甲となり、之を以て昭和十五年末本島總耕地面積八十八萬七千甲と對比すれば、約一五%を占めてゐる。これ全く本島に於ける熱帶農企業の有利性の結果でありそれ丈、小作面積の比率の大なる原因となつたのである。 二 次に本島の小作料率は領臺前より半封建的遺習を繼承したのと小作人の地位が薄弱であつたため頗る高率となり現在では既に內地よりも却つて高くなつた今詳しく其の內容を叙說する事は出來ないが、現在收穫高に對する實收小作料率は水田ならば平均五割內外であり、甚だしきは七八割に上るところも少なくない。畑作は昭和十五年臺中州の取調に依れば平均四割內外を示し、中には七割に上るところもある。然るに內地に於ては農林省の調查に依れば水田小作料率が平均四七%八(昭和十一年調查)にして畑作は三一%三六(昭和八年より十年迄の料率)しかなく、いづれも本島より低率となつた事は注目を要すべき現象なのである。而して內地に於ては大正元年頃の小作料率が五五%三を示し寧ろ本島よりは高率であつたが、其の後小作爭議の激化及び農業恐慌等の諸原因に基いて最近までは小作料率が著しく低下した。之に反して本島に於ては大正末期より蓬萊種の普及と之に對抗する優良甘蔗大莖種の水田進出と相俟つて益益小作料の騰貴を齎らしたからである。尚小作料は單に收穫高に對する割合の多寡を以て地主の收入を規定するのでなく、土地及び品種の改良に基く收穫の向上及び農產物價格の騰貴にも影响される事多く、此の兩方面とも最近までは槪して地主の收入が增加する一途を辿つて來た事は今更說明を加へる必要がない。 三 斯くの如く本島の小作料は內地よりも高く斯かる高率小作料が一般農民に對する重壓となり、引いては農業の再生產過程に於て其生產力の發展を阻害しつつあるは明かである最近殖產局の調查に依れば本島農家の負債額が平均一戶六百四十四圓(昭和十五年十一月十五日現在)に上り、內地に於ける農家負債一戶平均約五百圓內外に比較すれば却つて多きは本島農村の經濟狀況が決して一般に想像されてゐる程餘裕のない事を示してゐる殊に昭和十四年以來米穀移出管理の實施に依り一方に米價の公定及び肥料高、勞賃高に伴ふ生產費の向上に依つて米作の採算が著しく惡化し、他方に各種產業及び工事の勃興に伴つて勞力の需要が增加し之がために一般勞働者へ轉業する者が續出した昭和十五年の如きは小作紛爭が一千五百件といふ新記錄を作つた上に、土地返却の件數が增加した事は誠に憂ふべき現象であるといはねばならない地主側に於ても兩三年來の不作と小作人が各各自家用米を保有し且つ肥料代其の他の諸負擔を差引けば、現在の小作料を契約通り受取る事が出來ない上に、各種負擔の增大と共に經濟上の困難に直面してゐる者も少なくない。勿論各地に於て小作料引下問題が既に起りつつあるが、此の際當局に於ては速かに適正小作料の基準を制正し本島小作問題の改善に適切妥當な方策を樹立し現在展開されたる地主及び小作人間の紛爭を合理的に調節せられん事を望まざるを得ない |
02 | 金鵄輝く功一級 最高榮譽に感激して語る 吾等の總督・長谷川大將 |
03 | 午前八時宮城遙拜 一億民盡忠報國の精神振起 天長節國民奉祝實施要綱 |
04 | 突擊隊として鬪へ 奉公壯年團長會議田中理事熱烈の激勵 |
05 | 地方奉公壯年團長抱負開陳 |
06 | 神社に參拜し 目的達成祈願 各代表團長 |
07 | 勳章傳達式 |
08 | 子寶家庭訪問記(二) 骨が折れる朝飯 譽の家・磯田新一さん |
09 | 八男二女の部隊長 張東青氏語る |
10 | 大詔奉戴日迫る 朝禮の時間と常會行事 |
11 | 近く訓練開始 新竹州下の志願兵 |
12 | 新竹州壯丁團角力大會 |
13 | 九神軍に感謝の弔慰金 |
14 | 圖像:臺北市銃後後援會創立總會 |
15 | 物故刑務所職員追弔會 |
16 | 苗栗郡民の赤誠 軍用機資金を献納 |
17 | 有田大佐來新 |
18 | 遺家族援護に萬全 臺北市銃後後援會誕生 |
19 | 忽ち古鐵の山 基隆郡の回收成績良好 |
20 | 基隆郡道路協會評議員會 |
21 | 基隆郡壯丁團角力大會 |
22 | 國講講師指導講習會 |
23 | 子寶部隊長献金 賞金をそつくり |
24 | 苗木を配布 |
25 | 盜難に御注意 新竹州豫防に大童 |
26 | タイピスト募集 |
27 | 無許可無盡屆出よ |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大に面目を施した 橫尾臺灣勞務奉公團長語る |
02 | 合格の自信愈よ固し “つはもの”志願者合宿訓練を終了 |
03 | 選拔く國の干城 高雄州志願兵銓衡試驗始む |
04 | 合宿猛訓練 屏東報國挺身隊 |
05 | 各地警察招魂祭 |
06 | 東亞新秩序の礎石 田中部隊・譽の戰死者發表 |
07 | 神社外苑に記念植樹 臺中山林會の愛林デー |
08 | 慰問演藝會 |
09 | 高雄州勸業課長會議 |
10 | 保甲聯合婦女團結成式 |
11 | 範を先進地に求む 高雄州工業港施設調查班を派す |
12 | 臺中市內有志懇談 |
13 | 廣谷花蓮港廳長入山祝祭 |
14 | 二千五百餘圓 花蓮港廳民赤誠の献金 |
15 | 征け・海洋制服へ 皇民海洋訓練所所生募集 |
16 | 勞務奉公團と懇談會 六日臺中信組で |
17 | 圖像:臺南州警察功勞者表彰式 |
18 | 買溜め御無用 臺灣は衣料點數制採らず |
19 | 神武天皇祭に記念植樹 |
20 | 大甲農業品評會褒賞授與式 |
21 | 大東亞戰展覽會 臺南は七日より開く |
22 | 皇軍將兵慰問金第廿五回(敬稱略)領收報告報社消息 |
23 | 養豚增殖米多收競作會等授賞式 |
24 | 一期作の減收を 裏作に糊仔甘蔗で補ふ 嘉義郡の對策なる |
25 | 勤續保甲役員の表彰式擧行 |
26 | 勤續者表彰 屏東署の招魂祭 |
27 | “商工業者誓ひの日” 八日の大詔奉戴日に |
28 | 東埔蚋國民校新築に着手 |
29 | 竹山農倉の成行注視さる |
30 | 臺中州青果同業組合 |
31 | 北斗煙草收納場落成式を擧行 |
32 | 喜びの合格者 淡水中 |
33 | 桃園双葉會發會式擧行 |
34 | 貨物車と機關車 花蓮港驛で衝突 |
35 | 中壢郡各品評會褒賞授與式擧行 |
36 | 人事報社消息 |
37 | 地方便り |
38 | 決算公告/臺灣興行株式會社 |
39 | 今日の映畫 |
40 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 戰時保險の (上)內容と手續 |
02 | 臺銀最高發行限度 二億七千萬と決定 |
03 | 產業戰士敢鬪の跡十六 蔗作增產に貢献 功勞者葉山正雄氏 |
04 | 生產擴充に挺身 勤勞者柳川昌一郎氏 |
05 | 農事等に率先垂範 勤勞者陳早氏 |
06 | 民行造林の先驅者 勤勞者宮口留五郎氏 |
07 | 屑米新蒐荷機構 近く具體化せん |
08 | 珠算能力檢定試驗 |
09 | 域西建築信利組合業務開始 |
10 | 本島バナナの 生產と消費豫想 |
11 | 筧金融課長近く上京 |
12 | 剝肉機具の懸賞募集發表 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況 四日後場 |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(646)/黃得時;榎本真砂夫 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 英印軍目がけて猛爆 我荒鷲全緬甸に活躍頭條新聞 【リスボン四日發同盟】ニユーデリー四日來電、日本航空部隊の活動は全ビルマに亘り熾烈を極め就中○○方面より撤退中の英印軍目がけて猛襲を行ひ○○北方で抗戰中の重慶軍に對しても大壓迫を加へた、又日本軍爆擊機は○○に對して爆彈の雨を降らした外北方ビルマの二要衝に對しても爆擊を行つた |
02 | 新人二百十五名 現議員二百卅名 候補銓衡委員會の任務終る |
03 | 現議員に辛かつた 翼選貫徹に重大意義 |
04 | けふ委員總會 應援の具體的方法を協議 |
05 | 候補者の屆出狀況 |
06 | 立候補の屆出狀況 |
07 | 圖像:ビルマ獨立義勇軍初の觀兵式 |
08 | 在ペルー邦人 紐育へ移送 |
09 | 赫赫たる戰果に 肩身が頗る廣い 建川前駐ソ大使滿洲里着 |
10 | ソ聯の國內狀況 建川大使を中心に移動座談會 |
11 | 圖像:○○油田にて海軍工作班員の活躍 |
12 | スマトラ早くも開發着手 |
13 | 市中金融機關 順を追つて業務開始 バタビアの再建進捗 |
14 | 濠洲全男子を強制徵募 |
15 | 全く失敗に終る 赤軍の冬季攻勢 |
16 | 擊沈一○五隻 三月中獨軍の戰果 |
17 | 獨、英春季空襲戰始まる |
18 | 印度人の印度を建設 ガンヂー、秘書を通じて聲明 |
19 | 英印會談の推移 |
20 | パ駐土獨大使歸任の途へ |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 最初の渡歐邦人 大村、大友、有馬の三家から 四少年が法王廳へ |
02 | 6歲以上で10人以上 全國の子寶家庭調查 |
03 | 盟邦觀戰武官一行 きのふ元氣で寄臺 |
04 | 酒の輸入を禁止 濠洲の上戶共ガツカリ |
05 | 征野千里・銃なき御奉公(三) 部隊長から感謝狀 河村輝彥君 |
06 | この上ないよい經驗 張德清君 |
07 | 一日平均二百粁の行軍 林阿炎君 |
08 | 椰子の汁で御飯を炊く 森田彰君 |
09 | 印度四志士慰靈祭 |
10 | 東條首相弔辭 |
11 | 中等教員充實へ 臺北高校に養成所 |
12 | あすは“愛馬の日” 物云はぬ戰士に感謝しませう 臺北州の行事決る |
13 | 慰安會を開催 新竹市の桔梗クラブ |
14 | 從軍畫家出發 |
15 | 大日本婦人會會歌を募集 |
16 | 農學賞を授與 根岸臺大助教授外五氏に |
17 | 素人下宿を取締る |
18 | 新竹市に痘瘡患者發生 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 帝國の偉大に感激 尾島特設勞務臺南州隊長語る |
02 | 皇軍の強さを實地で見聞 臺南州隊第一小隊長 王水猛君談 |
03 | 南方共榮圈の 保健問題 フイリツピンの卷(一) |
04 | 淵上辰正上等兵 名譽の戰死を遂ぐ |
05 | 歸還勇士が國防献金 |
06 | 皇奉花蓮港支部經濟部長會議 |
07 | 商工業者誓の日 高雄商議所の行事 |
08 | 海山諸品評會褒賞授與式 |
09 | 鶯歌街銃後後援會結成 |
10 | 皇奉集集街分會 常會を開く |
11 | 志願兵の試驗始る 臺中州下四萬餘名に對し |
12 | 商工業者壯年團 けふ結成さる |
13 | 黃金の慈雨に 能高郡民雀躍 |
14 | 少年保護座談會 臺南州の週間行事定る |
15 | 高雄信組總會 專務制を採用 |
16 | 大東亞戰爭文藝講演會 |
17 | 新化理容術組合總會 |
18 | 新稅金說明懇談會 |
19 | サバヒイ魚苗採取打合會 |
20 | 五項目の實踐を要望 臺中常會の指導目標 |
21 | 斗六郡各品評會 褒賞授與式を擧行 |
22 | 彩管報國の赤誠 慰問袋八十個を献納 |
23 | 曾文郡學校職員異動 |
24 | 新營郡警察職員異動 |
25 | 新營郡下教員異動 |
26 | 嘉義商業奉公團 けふ結成式擧行 |
27 | 喜びの合格者 |
28 | 米穀增產對策 其他の產業打合會 |
29 | 人事報社消息 |
30 | 地方便り |
31 | 今日の映畫 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 文藝 人形劇に期待す/八並璉一 |
02 | 南方隨想 櫻と南進/黑水仙 |
03 | 圖像:果てしなき曠野を勇士も軍馬も默默と進む(臺灣軍報道部貸與) |
04 | 戰時生活と茶道/中村碩鷗 |
05 | 小國民の皆樣へ 新學期の始めに當り/大島正德 |
06 | 子供時局 南方諸島の面積 內地と比較して見ませう |
07 | 子供科學 火藥の發明 日本人が最初でした |
08 | 週間子供新聞 |
09 | 今週の歷史 |
10 | 宗教鬪爭と動物 印度教の牛と回教の豚 |
11 | 南十字星 軍神のこころ/阿部靜枝 |
12 | 圖像:田園畫譜(八)高原靜日/藍蔭鼎 |
13 | 「南方の音樂」の音盤完成 |
14 | ラジオ |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 米英勢力完全に一掃 支那方面綜合大戰果 大東亞戰以來三月末迄 |
02 | 又もダーウインモレスビーを猛爆擊 |
03 | 米船一隻擊沈さる |
04 | 選擧戰愈よ本格化 立候補者總數一千名突破せん |
05 | 啟蒙運動の注意事項 各地方長官に通牒を發す |
06 | 立候補現在數 |
07 | やつと濟んだよ 阿部會長以下ほつと一息 |
08 | 立候補の屆出狀況 |
09 | 陸軍司政官 六氏を任命 |
10 | ジンポールの言葉 蘭人自身が日本に對して表現 スラバヤ大東亞現地便り |
11 | 司法長官會同 選擧取締に關し協議 |
12 | 岩村法相訓示 |
13 | イランに大暴動 正規軍、叛徒と激戰 |
14 | 派印米經濟使節團の使命 |
15 | 印度搾取に絕對反對 ガンヂー翁立場聲明 |
16 | 國民會議派最後の斷は |
17 | 獨軍の戰況發表 |
18 | 大島大使各地を歷訪 |
19 | 內務省棄權防止策 |
20 | 英巡驅各一隻損傷 |
21 | 米陸軍省に 軍令課新設 |
22 | 濠洲で聯合國軍事會議 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 馬は戰に不可缺 大東亞戰下意義一入深し あすは“愛馬の日” |
02 | 讚へよ無言の戰士 功勞馬二百四十頭表彰 |
03 | 將兵に劣らぬ勳功 譽の柴田號と光秋號 |
04 | 橫山獸醫部長 明晚六時三十分に放送 |
05 | 經濟部長會議 |
06 | 三內親王樣 農林省水產試驗場並に 糧秣本廠を御見學 |
07 | 遺族記章傳達 |
08 | 圖像:我が勇士達と仲良しのマレーの子供(スマトラ、メダンにて) |
09 | 十一日銓衡試驗 新竹市の志願兵 |
10 | 征野千里・銃なき御奉公(四) 特設勞務團に聽く敢鬪譜 やればやれる 陳淵源君談 |
11 | 土地の住民は皇軍絕對信賴 張進結君語る |
12 | 死力を盡して 蔡為君語る |
13 | 圖像:皇軍を迎へて印度人續續と歸る(ラングーンにて) |
14 | 定例局部長會議 |
15 | 家庭用砂糖を增配 |
16 | 我は“海の子” 基隆市海岸青少年養成所 第二回入所式擧行 |
17 | 城西技藝所入所式 |
18 | 感激の献金献品 軍司令部に殺到 |
19 | 無敵海軍に感謝 武官府に献金殺到 |
20 | 商工業者誓の日 基隆市多彩な行事 |
21 | 新竹で常會指導者講習會 |
22 | これは勿體ない 淡水河畔に空家がズラリ 住宅難解消に一役か |
23 | 洋服新調御法度 物資缺乏に喘ぐ英國 |
24 | 共榮丸沈沒 |
25 | 臺銀人事異動 |
26 | 堀江町の火事 |
27 | 商況 六日前場 |
28 | 興南詩苑漢詩 大東亞戰歌/林石厓 |
29 | 興南案內報社消息 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | セイロン島を襲ふ コロンボ等を攻擊 帝國海軍部隊赫赫の大戰果頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(六日午後四時) 帝國海軍部隊は四月五日印度洋上英國最大の軍事據點コロンボその他を攻擊し同方面の所在敵艦艇、船舶航空兵力並に重要軍事施設に大損害を與へつつあり |
02 | 港灣、埠頭を銃爆擊 |
03 | 印度民眾天與の好機 英國多年の羈絆を破碎し 印度人の印度實現を期待 わが軍事行動 東條首相談話 |
04 | 我が海鷲、艦艇猛躍 コロンボ中心に大損害を與ふ |
05 | 猛烈な大空襲 |
06 | コロンボは印度洋の門戶 セイロン島の首都 |
07 | 大阪四區の木下氏辭退 |
08 | ビルマ制空權掌握 わが陸鷲のため敵全く慴伏 |
09 | 南方物資確保の情況 米、石油、肥料等憂ふる要なし 陸軍整備課長岡田大佐語る |
10 | 圖像:支那海上驅逐艦と協同哨戒に活躍する海鷲 |
11 | 泰、我國に使節派遣 日、泰攻守同盟慶祝に |
12 | 泰國の重臣 團長のセ中將 |
13 | 我が大戰果に驚異 目覺しいジヤバの再建振り 獨、伊武官感嘆の聲を放つ |
14 | ジ米遣印特使 印度政界領袖と初會談を遂ぐ |
15 | 翼協の推薦完了 總數四百六十七名 |
16 | 井野農相屆出 三重縣第一區から |
17 | 米、軍需物資獲得に大童 |
18 | 恫喝愈よ露骨 米國の對亞、智兩國態度 |
19 | 米油槽船を亞國に讓渡 |
20 | 日米外交官交換進捗 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 必勝食生活の實踐躬行社說 一 四月八日、輝かしい戰捷のうちに第四回の大詔奉戴日を迎へる事となり、奉戴日當日の常會は、專ら大東亞戰爭完遂の基礎である必勝食生活の普及を圖る事となつた事は、戰時下に於ける國民生活として實踐躬行すべき一大指標である。言ふ迄もなく近代戰爭は、優秀なる兵器と軍備を必要とすると共に、最後の勝利を獲得せんがためには、前線及び銃後に於ける豐富なる食糧を持つことが最も大事な事である。大東亞戰爭勃發前より銃後國民は、一意專心食糧の增產に邁進しつつあり、食糧に關する限り我が國に於いては少しも懸念する事がなく、充分に確保されて居る。然るに戰域の擴大と長期戰に對應して、取るべき必勝對策は、食糧資源の大增產であると共に、日常生活の規正でなければならない。聖戰遂行の為めに、全國民が一億一心の體制を取り、重要物資の增產と消費節約に邁進しつつあるも、未だに一部には舊態依然として亂費生活を續けて居る如くである。 二 大政翼賛會が、戰時下國民生活の臺所を司る主婦に呼びかけて、決戰下食生活の重大性を强調する事となつたのも、實に大東亞戰爭に勝ち拔かんがためである。その實踐方法としては、從來の形式的な食生活に對する考へ方を根本的に一掃して「見榮より實質」であると共に、材料を活して新なる構想のもとに必勝食生活のの實踐を期するものである。その實踐要目を見るに、戰時食の調味工夫に依り、從來の美食本位を捨てて、手近かにある材料を活して新興食糧を普及させる事である。更に實行すべき事は、定量食の實施である。それには日常食の一人當りの適量を定め、過食浪費を慎み、その中より非常用食糧を蓄積するのも、考へるべき方法である。その他の方法としては、共同炊事の實行も必勝食生活達成の一手段である。隣組、部落會や町內會の共同炊事、學校、工場會社などの共同調理の普及に依り、非常時炊出しを研究する。食事方法の改善に對しても、考察を要すべきである。國民の保健と食糧確保の兩面から料理を合理化させると共に完全咀嚼を徹底させる事もその方法の一つである。每日三度の飯が食べられる事に對しては、國家に對し食膳感謝を行ふべきである。 三 食生活は、國民生活の上最も大事な事であり、戰時下に於いて、全國民が一致協力してその實現に努力すれば、食糧國策大半の目的は達成され、大東亞戰爭の完遂に對して如何に米英が、暗躍しても少しも心配する必要がないのである。戰爭遂行中は重要物資の消耗量が增加するのが常例であるが、銃後國民の覺悟の如何に依つては却つて鐵壁陣を築く事が出來るのである。かかる見地よりして、食糧庫としての本島の使命は、一般と加重されて居るだけに六百萬島民が如何なる困難を克服して食糧增產に邁進すべきであると共に、その日常生活に於いては、必勝食生活を實踐躬行すべきである。大東亞戰爭勃發以來、島民生活には自肅自戒が加へられて居るが、一部には未だに戰時生活を理解せず、依然として料理店やカフエーで浪費生活を行ふ者がある事は猛省すべき事である |
02 | 圖像:けふ愛馬の日 |
03 | 主要農作物對策要綱 臺灣の砂糖現狀維持 |
04 | 長期戰と宣傳戰 情報課福澤事務官放送 |
05 | 築く慰問雜誌の山 府圖書館から陸海軍に献納手續 |
06 | 武力から建設面へ 技術者を動員して評定 |
07 | 皇軍への感謝と防諜に 臺北檢番時局都都逸を通して |
08 | 圖像:東部ジヤバ島に活躍の我勇士 |
09 | 九軍神に姐さん達の赤誠 武官府に感謝の献金 |
10 | 五島蘭中校長着任 |
11 | 青木臺大教授高等官一等に |
12 | 商工業奉公團 八日結成式擧行 |
13 | 山本事務總長澎湖廳下へ |
14 | 臺灣團に凱歌 對廈門團交驩籠球試合 |
15 | 廈門選手團歡迎會 |
16 | 今井前北二中校長送別茶話會 |
17 | 關門墜道下り線竣工 來る十二日に祝賀式を擧行 |
18 | 第一種青年訓練閉所式 |
19 | 小額受給者に 一齊加給の恩典 改正恩給法に依り |
20 | 六大學野球リーグ戰の日割 |
21 | 工兵監林中將急逝 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 若人感激の顏・顏・顏 臺南州下譽の志願兵學課試驗 きのふ一齊に開始 |
02 | 勞れ・無言の戰士 臺南市愛馬の日の行事 |
03 | 花蓮港の行事 |
04 | 圖像:敵英驅逐艦轟沈 |
05 | 南方共榮圈の(二) 保健問題 フイリツピンの卷 |
06 | 員林郡各產組定期總代會 |
07 | 銃後婦人の奉公完遂に 鶯歌街主婦常會を開催 |
08 | 稅制改正打合 |
09 | 多子家庭調查 |
10 | 竹類生產品出荷組合 株を募集中 |
11 | 武勇談まで飛出す 勞務奉公團員座談會 |
12 | 增產戰士を表彰 大甲郡各種褒賞授與式 |
13 | 保甲婦女團誕生 新富町團をトツプに續續結成 |
14 | 圖像:大東亞の空を制壓する陸鷲精銳 |
15 | 指導力を鍊成 國語講師保姆等の講習會 |
16 | 白衣の天使壯途へ 第一班近く晴の出發 |
17 | 屏東の花まつり |
18 | 曾文郡農事組合代議員會 |
19 | 喜びの合格者 |
20 | 一老翁の珍相談 献金の申出に係員感激 |
21 | 產業戰士激勵會 |
22 | 花蓮港金屬特別回收好成績 |
23 | 職域奉公を強調 屏東商工業者誓の日 |
24 | 理髮時間繰上げ 午後十時迄變更 |
25 | 堆肥增產に拍車 新化郡各保に督勵員設置 |
26 | 三峽白鷄茶業總會 |
27 | 公設產婆を設置 手數料はお安く |
28 | 講習會修了式 |
29 | 仔豚異動取締を要望 |
30 | 鹽乾魚小賣商組合役員會 |
31 | 臺糖線客車貨車と衝突 |
32 | 忌明に寄附 |
33 | 地方便り報社消息 |
34 | 今日の映畫 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 衣料類配給機構 組織整備に付陳情 織物移入協會關係者等が |
02 | 會員資格滅失續出 商議所の運營困難 |
03 | 全島商議所議員改選 臺中商議所が皮切り 新選擧協定事項で臨む |
04 | 事務規程等を審議 臺灣商議所常議員會で |
05 | 戰時保險の (下)內容と手續 |
06 | 二期管理米納入 四百三十九萬餘袋 |
07 | 產業戰士敢鬪の跡完 米穀增產等に寄與多し 勤勞者陳孔氏 |
08 | 棉作獎勵等に挺身奉公 勤勞者知本弘氏 |
09 | “陸上小運送業統合 港灣運送業を見て考慮” 副見交通局總長語る |
10 | 臺灣證券業組合 結成問題に付陳情 |
11 | 商工業者誓の集ひ 講演者等追加決定 |
12 | 臺銀爪哇三支店 來月匆匆再開 |
13 | 華銀兩支長も近く再開 |
14 | 灣糖灣裡產糖 四十六萬餘擔 |
15 | バナナ輸移出(二月迄) 十三萬六千餘籠 |
16 | 日糖二結工場壓搾終了 |
17 | 照明燈 |
18 | 商況 六日後場 |
19 | ラジオ |
20 | 水滸傳(647)/黃得時;榎本真砂夫 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 全スマトラを戡定 オ總指揮官皇軍に降服 |
02 | 英朝野に一大衝動 我海鷲のコロンボ爆擊 |
03 | 英の宣傳を痛罵(セイロン島出身者) |
04 | 新しい生氣溢る 比島各機關の機能逐次復活 |
05 | 圖像:支那方面海軍航空隊の活躍 |
06 | 六日もモレスビー爆擊 |
07 | “臺灣が取殘される? そんなことは全くの杞憂だ” 上京を前に總督の時局縱橫談 |
08 | 建川前駐ソ大使哈爾濱着 |
09 | 佐藤駐ソ大使 モ外相と會見 |
10 | 日泰兩國愈よ緊密 タイ國慶祝使節團福岡着 |
11 | 大島駐獨大使ブタペスト着 |
12 | 偉大な戰果に驚歎 樞軸國武官團の視察談 |
13 | 友邦武官一行昭南島を視察 |
14 | 各地に治維會を組織 北部スマトラの十數都市 |
15 | 七百六十名を突破 立候補の屆出好調 |
16 | 惡質犯は斷乎嚴罰 啟蒙運動指導と取締を強化 |
17 | 新人候補者を 積極的に應援 翼選運動の大要 |
18 | 獨土兩國關係 新しい展開か ペ獨大使近く歸任 |
19 | 米遣印使節 各派領袖と折衝 |
20 | 全印國民黨 英國案に反對 |
21 | 二百七十五萬噸に上る 獨海空軍の油槽船擊沈數 |
22 | 伯國官憲の壓迫加重 在留邦人を抑留 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 勞れ・無言の戰士 けふ島都は愛馬の一色 |
02 | 捧ぐ感謝の祈念 諸團體騎馬隊が參拜 |
03 | 臺北陸軍病院 創立記念祝賀行事定る |
04 | 下賜祭粢料の傳達式を擧行 故吳塗水氏遺族に |
05 | 時局と婦道 加藤准尉が講演 |
06 | 青年強步大會 十八日決行 |
07 | 恒例釋尊降誕花まつり あす午後市公會堂で開催 |
08 | 銃後後援會 初の評議員會 |
09 | 體格甲の粒揃ひに 檢查官舌を卷く 志願兵身體檢查開始 |
10 | 勞務奉公隊幹部座談會 十日公會堂で |
11 | 必勝の婦人魂 第三回婦人鍊成開始 |
12 | 圖像:愛馬の日 |
13 | 青年歌指導者講習會 |
14 | “本島人材出でよ” 北山東大教授離臺の辯 |
15 | 陸軍倉庫新裝成る けふ嚴肅に落成式擧行 |
16 | 白衣の天使壯途へ 新竹州隊晴れの出發 |
17 | アミンの化合體の作用 猛毒淺蜊事件の推定原因 |
18 | “愛馬の夕”を實演 白衣の勇士らに供覽 |
19 | 監禁獨逸人 六十餘を救出 |
20 | 沿線に見る ソ聯の實相 建川大使隨行記 |
21 | 興南詩苑漢詩 旗山道中/步初、萊園謁櫟社題名碑吊物故諸前輩/莊幼岳、輓辜菽廬先生/謝尊五、神域朝暉/林清敦、觀音夕陽/林清敦、大橋夜光/林清敦 |
22 | 商業實踐講習會 講習生を募集 |
23 | 印度ニユーデリーに於る 邦人抑留者の收容情況 |
24 | 石垣元府警務局長 |
25 | 不良狩り |
26 | 人事・消息 |
27 | 商況 七日前場 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | けふは大詔奉戴日 詔書頭條新聞 詔書 天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有眾ニ示ス朕茲ニ米國及英國ニ對シテ戰ヲ宣ス朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司ハ勵精職務ヲ奉行シ朕カ眾庶ハ各各其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ 抑抑東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ丕顯ナル皇祖考丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ朕カ拳拳措カサル所而シテ列國トノ交誼ヲ篤クシ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト為ス所ナリ 今ヤ不幸ニシテ米英兩國ト釁端ヲ開クニ至ル洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ中華民國政府曩ニ帝國ノ真意ヲ解セス濫ニ事ヲ構ヘテ東亞ノ平和ヲ攪亂□遂ニ帝國ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有餘ヲ經タリ幸ニ國民政府更新スルアリ帝國ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提攜スルニ至ルモ重慶ニ殘存ネル政權ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ兄弟尚未タ牆ニ相閲ク悛メス米英兩國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制霸ノ非望ヲ逞ウセムトス剩ヘ與國ヲ誘ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ增強シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ與ヘ逐ニ經濟斷交ヲ敢テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ回復セシメムトシ隱忍久シキニ彌リタルモ彼ハ毫モ交讓ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ益益經濟上軍事上ノ脅威ヲ增大シ以テ我屈從セシメムトス斯ノ如クニシテ推移セムカ東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ歸シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテー切ノ障凝ヲ破碎スルノ外ナキナリ皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ朕ハ汝有眾ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス 御名御璽 昭和十六年十二月八日 各國務大臣副署 |
02 | コカナダ港を爆擊 印度本土を初空襲 |
03 | ベンカル灣を奇襲 |
04 | 英印度軍も自認發表す |
05 | 大膽な捨身の戰法 僅か七十日で新嘉坡を攻略 マレー作戰軍主任參謀談 |
06 | 靜岡の片平氏 立候補を中止 |
07 | 人口約五萬 ヴイザガバタム |
08 | 長谷川總督 今夜入京 |
09 | 圖像:スラバヤ便り |
10 | 日、泰の親善強化へ ワニツト使節は語る |
11 | 泰國慶祝使節きのふ來朝 |
12 | 歸還の三將星に 拜謁仰付けらる 晝餐の御陪食を賜ふ |
13 | 底知れぬ皇軍の威力 南方、支那方面戰線視察より 杉山參謀總長歸還談 |
14 | 總數八百五十一名 早くも定員の二倍 |
15 | 四氏立候補を辭退 |
16 | 選擧概況を報告 內相、きのふの閣議で |
17 | 全國候補者 屆出狀況 |
18 | 翼協、積極的應援を開始 |
19 | 凡て內地式で 初代志願兵訓練所長 石川大佐の着任談 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 馬事思想の普及が急務 愛馬は即ち愛國社說 一 大東亞戰爭下初の意義深き「愛馬の日」を昨七日に迎へ、東京では華華しい機械化部隊の蔭にあつて皇軍將士を援け、軍國に身を献げる「物言はぬ戰士」の武勳を讃へると共に、一般國民の愛馬精神の振興を圖るべく、陸軍部隊が各國民學校を訪れて、馬の活動を主體とした實戰宛らの教練を多數兒童に夫夫公開した後、軍用保護馬、各乘馬團體が參加した○○騎と合流して、戶山學校軍樂隊を先頭に隊伍堂堂の愛馬行進が行はれたが、本島に於ては、當日を期し各州廳畜產會主催、臺灣軍、總督府、各州市、臺灣畜產會後援の下に「馬を愛する諸行事」が繰展げられ、聖戰下一般國民に廣く馬事思想の普及、愛馬精神の振作を計る上に誠に意義深きものがあつた。殊に陸軍では、同日功勞馬二百四十頭に對する表彰を發表し、その中金鵄勳章にも比すべき甲功章を授與されたのは、中支派遣阿南部隊柴田號など五十五頭、乙功章は故永久王殿下の御愛馬として服役した光秋號以下百七十頭、丙功章十五頭の多數に及び、その授與式は各部隊ごとに夫夫盛大に擧行された、 二 支那事變勃發以來大陸の各戰線或は今次の大東亞戰爭に於ても隨所に赫赫たる武勳を樹てて勇戰奮鬪を續けた我が皇軍將兵と共に、苦勞を分ちながら輝しき戰歷を殘した軍馬は決して尠からず、その功たるや實に我我銃後の國民として、永らく忘却すべからざるものがある。就中昨七日發表された功勞馬は、いづれも熾烈な砲彈下忠實果敢任務に服し、傷づけるをも顧みず部隊將兵に劣らぬ戰功を樹てたものであつた。惟ふに功勞馬行賞が定められてから、滿洲事變以來の行賞馬は、今回のものを含めて實に一千五百十六頭の多きに上つてゐるが、之等の馬は、平時には農業に從事し、或は交通運輸に携り、又近代スポーツに伍し國民心身の鍛鍊に與つて來たものであつて、殊に一朝有事の際には、戰線將兵と苦艱を共にしながら、軍國に身を献げるこれ等物言はぬ戰士に對し、我我は大に感謝の意を捧げなければならないのである 三 支那事變以來多數の軍馬が戰野に送られ、その中大陸の土と化したものは、既に十萬頭に達し、又今次の大東亞戰爭に於ても、各地に赫赫たる武功を建てつつあり、軍馬の將兵に劣らぬ壯烈な活躍振りは實に枚擧に遑がなく、幾多の美談が殘されてゐる。斯如く馬は國防上、產業上重要なる資源であるのみならず、前述の如く平時の農耕、運搬にも缺くべからざるものであるが、特に作戰地域の地形、天候、軍の編制、裝備等を考へる時、馬は作戰に不可缺の兵器であることは、今次の大東亞戰爭に於けるビルマ作戰其他を見ても明かである。今や我我一億國民總進軍の態勢が整へられつつある折柄、民間で養はれつつある馬が、直ちに軍馬たり得る資格と能力とを具備することが、絕對必要條件とされるのである。殊に熱帶地帶に位し、南進基地として本島に賦課された使命たるや重且つ大なるものがある。然るに本島に於ては、從來主に牛を飼育して來たため、馬に對する關心が稍稍薄く、從つて馬事の發達も遲きの憾みがあつたが、本島農民諸君の牛飼育に關する經驗と知識或は家畜に對する獨特の技術をその儘馬に移して飼育訓練せしめたならば將來相當の成績を擧げ得るものと信ずるので島民諸君は深く時局を認識し、斯る方面にもよく、盡力され、以て皇國に報ゆることが刻下の最大急務である |
02 | 養へ“必勝の鬪魂” 四度迎へる“あの日の感激” けふぞ大詔奉戴日 |
03 | 竹內中佐と支利准尉が講演 |
04 | サイレンを吹鳴 大詔奉戴日の正午 |
05 | 新嘉坡攻略戰 今夜錄音放送 |
06 | 噫・玉碎の九軍神 けふ合同葬儀を執行 |
07 | 葬列と式次第 |
08 | 軍神の遺族が上京 |
09 | 東京での合同葬儀 廣瀨中佐以來例がない |
10 | 特攻隊員を悼む 山本司令長官の和歌 |
11 | 護國神社鎮座祭 來月下旬頃に執行ふ |
12 | 三內親王樣 豐島ケ岡御墓所へ御成 |
13 | 優良多兒家庭を表彰 |
14 | 擧げよ・愛馬即愛國の實(上) 臺灣軍獸醫部長橫山獸醫少將放送 |
15 | 史蹟“乃木館”開館 けふの大詔奉戴日に |
16 | 開館式と表彰式を擧行 |
17 | 緣由深き建物 永野軍高級副官語る |
18 | ときの声 |
19 | 北四女と宜中 願書締切十日 |
20 | 臺廈交驩籠球試合第二日目 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 無言の戰士に感謝 多彩な各地の愛馬行事 |
02 | 四勇士に輝く賞賜物件 けふ花蓮郡守公室で傳達式 |
03 | 圖像:西貢にも酒保が出來、安南娘が習ひ初めの覺束ない日本語を振り撒いて皇軍勇士の人氣を呼んでゐる |
04 | 仁武銃後後援會 晴の發會式擧行 |
05 | 高雄市銃後後援會理事會 |
06 | 海東會聯合會總會を開催 |
07 | 固く固く誓はう 聖戰完遂に商工業者赤誠披瀝 花蓮港の大詔奉戴日 |
08 | 甲種該當者六割 高雄州下の志願兵檢查 成績も體格も優秀 |
09 | 花蓮港廳の銓衡 各市郡から粒選りの志願者推薦 |
10 | 水產日に魚靈祭 花蓮港の行事決る |
11 | 南方共榮圈の(三) 保健問題 フイリツピンの卷 |
12 | 圖像:慰問雜誌の山 |
13 | 改正稅令の周知方を打合 |
14 | “經濟道義”を強調 嘉義市の商工業講演會 |
15 | 新高造材業者組合定期總會 |
16 | 新高郡の志願兵考查 千八百餘名の內卅餘名に對し |
17 | 臺南州庭球大會 申込は本月末迄 |
18 | 至誠奉公を誓ふ 激勵の辭に胸躍る白衣天使 愈よ鹿島立つ臺南州隊 |
19 | 農家は野菜を作れ 竹山保甲會議で決議 |
20 | 圖像:皇軍を信賴、平和再び來る蘭貢の露天市場風景 |
21 | 偲ぶ皇軍の勞苦に 雫く感謝感激の淚 臺南大東亞戰展開幕 |
22 | 鳳山郡養鶩組合通常總會を開く |
23 | 鳳山憲兵分遣隊廳舍 十八日に落成式擧行 |
24 | 布袋港の戎克船 強風で五隻流失一隻沈沒 |
25 | 臺中市商業奉公團結成 |
26 | 喜びの合格者 嘉義家政女 |
27 | 東石專修農業校 入學許可者發表 |
28 | 人事・消息報社消息 |
29 | 地方便り |
30 | 今日の映畫 |
31 | 訃文:周廖氏秀 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 海南島の鐵鑛石 內地向け初出航 日窒の開發事業緒に就く |
02 | 米穀納入組合の 費用は產倉の三倍 |
03 | 臺灣證券業組合 近く創立總會 |
04 | 鐵鋼割當證明書を回收 總督府企畫部物資課發表 |
05 | 週間經濟展望 |
06 | 臺灣水產會 重役會開催 |
07 | 販路より見たる 臺灣柑橘類の將來 (一)/西原義雄 |
08 | 統制規程を協議 兩港灣運送業會打合會で |
09 | 南邦洋灰工業 昨日設立內認可濟 |
10 | 貯炭場地鎮祭 |
11 | 砂糖一月分增配 加工用も同樣 五月 |
12 | 自動車事業組合改組 當局、保安課長と懇談 |
13 | 鳳山稅制改正懇談會 |
14 | コークスの販賣價格 近く公定を實施 |
15 | “內地酒の移入 前年通り確保” 木原專賣局長歸臺談 |
16 | 日糖月眉工場壓搾終了 |
17 | 乾バナナ製造續出 過剩品の緩和策として好適 |
18 | 照明燈 |
19 | 商況 七日後場 |
20 | ラジオ |
21 | 水滸傳(648)/黃得時;榎本真砂夫 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 印度洋大作戰の戰果 英艦隊早くも總退却 英國側の損害は莫大 |
02 | 敵船舶の擊沈數十隻 |
03 | 英軍狼狽の極に達す 斷末魔の悲壯な放送を繰返す |
04 | 印度の東南岸戰く |
05 | 電波物理研究所 けふ官制公布 |
06 | 選擧貫徹運動 實施要綱 大政翼贊會發表 |
07 | 敵逃げたぞ・突擊だ 僅かの兵力で敵堅陣を突破 マレー作戰軍主任參謀談(二) |
08 | 佐藤駐ソ大使信任狀を捧呈 |
09 | 率先皇軍に協力 スマトラのアチエ民族 |
10 | 大作戰の跡を見て 日本軍最終の勝利を固く信ず 樞軸國武官歸還の言 |
11 | 日本空軍は最優秀 マツカーサーは軍服を着た犬だ 九死に一生の米將校と一問一答 |
12 | 圖像:日本語を教へる |
13 | 應援演說會十日から開催 |
14 | ネールの反對聲明 印度に重大波紋を描く |
15 | クリツプス 切崩に必死 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇后陛下の御仁慈 九軍神遺族に御菓子御下賜 |
02 | 大詔奉讀式 けふ軍司令部で擧行 |
03 | 賞賜物件傳達式 |
04 | 午前中で十七萬圓 第四回大詔奉戴日に示す 島民の赤誠献金 |
05 | 二萬圓を献金 林本源家から陸海軍に |
06 | 乃木館の開館式 けふ嚴かに執行はる |
07 | 社會教化好資料 樋口軍參謀長語る |
08 | 慰安會を開催 軍援臺北市分會 |
09 | 新竹州下職員鍊成會 |
10 | 軍援臺北市分會へ寄附金 |
11 | 廣東から留學生派遣 一行十九名が寄臺 |
12 | 姑娘看護婦 廣東から寄臺 |
13 | 擧げよ・愛馬即愛國の實(下) 臺灣軍獸醫部長橫山獸醫少將放送 |
14 | 時ならぬ“音樂の流れ” 興亞樂團督府中庭で演奏 |
15 | 臺北州農會普通職員總選擧 |
16 | 銃後の國民貯蓄 臺北州下の割當決る |
17 | 優良乳幼兒の審查會 |
18 | 臺灣出版協會 十一日創立總會 |
19 | 廈門日本居留民團 生みの親・石川前領事寄臺 |
20 | 時局と婦人覺悟 友利准尉萬華で講演 |
21 | 過去の經驗を活用 梁井文教局長歸臺談 |
22 | 無言の戰士微笑む 人參慰問に軍馬舌鼓 |
23 | けふ“花まつり” 坊ちやん孃ちやん大喜び |
24 | 臺北中學校合格者 |
25 | 五青年學校新設 淡水七星新莊海山文山各郡に |
26 | 興南詩苑漢詩 春日遊劍潭/黃純青、晴園觀梅呈東翁一粲/南都、晴園賞梅/石崕、晴園雅集却憶樹林三十年前盛會/劉篁村、和篁村兄/晴園主人 |
27 | 人事・消息報社消息 |
28 | 煙幕 |
29 | 商況 八日前場 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 俘虜總數八萬二千 鹵獲品も驚異的數字を示す 蘭印方面の大戰果頭條新聞 【東京發同盟至急報】曩にわが無敵陸軍はマレー作戰に於いて戰史未曾有の戰果を收め內外を驚倒せしめたが相ついで蘭印方面作戰戰果が左の如く大本營より公表されここに再び帝國陸軍の威力が內外に顯示された、即ち米英蘭濠聯合軍俘虜總數は實に八萬二千名を越えその鹵獲品も種類に於いて多種多樣に亘り□に於いても驚異的數字を示してゐる 大本營發表(八日午後五時)蘭印方面帝國陸軍部隊の三月二十五日までにジヤバ島內のみに於て收めたる戰果の主なるもの左の如し 一、俘虜總計八二、六一八名內譯オランダ軍六六、二一九、濠洲軍四八九◯、英國軍一○六二米國軍八八三 右の內オランダ軍は三月九日無條件降伏の時わが軍に提示せる人員より六千名多し、また米英濠洲軍は翌三月十日降伏を申出てたるもの 二、鹵獲品(一)飛行機一七七機(二)火砲總計九四◯門、內譯重砲一◯八門、野山砲一六一門、高射砲八三門、機關砲、速射砲、迫撃砲等五八八門、(三)重輕機關銃四二二八挺(四)小銃及び拳銃八◯、七七八挺、(五)照空燈五一五三臺(六)彈藥、火砲彈藥一七、二八、五八五發、機關銃及び小銃實砲八九、◯七一、八二◯發、彈藥三六、◯◯◯個(七)車輛、戰車、裝甲車及びトラツク車輛一◯五九輛、自動車九五◯◯輛、鐵道車輛一七、一◯八輛、(八)藥物十萬人分の約一ケ年分、本期間に於けるわが軍の損害戰死八四五名戰傷一七八四名、 |
02 | 尨大な對日戰備を物語る |
03 | アキヤブ飛行場猛爆 印度洋べ灣の制空、制海權掌握 |
04 | 快心の成果を收む |
05 | 一日に二十粁突破 完全に既定コースを遂行 マレー作戰軍主任參謀談(三) |
06 | 英兩艦を喪失 |
07 | ホーン島爆擊 指揮を取つた○○隊長は語る |
08 | 商工業者誓の集ひ 昨夜市公會堂で盛況 |
09 | 藤岡少將講演 |
10 | 英の對印回答再び拒絕 國民會議派運用委員會 |
11 | ああ壯烈な荒鷲魂 死地に陷りつつも敵三機擊墜 滿身創痍の愛機守つて歸還 |
12 | 立候補者一千名を突破 議會開設以來の最高記錄 |
13 | 陸軍技術研究會開く |
14 | 英の第二次懷柔案內容 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 政治新體制と總選擧の意義社說 一 大東亞戰下に行はれる第二十一回眾議院議員總選擧は、去る四日選擧期日の吿示と同時に、全國一齊に立候補屆け出が開始されたが、七日午後五時現在に於ける立候補屆出總數は八百五十一名に上り早くも定員の二倍に達せんとする活況を呈してゐる。其の內譯を見るに、翼賛政治體制協議會の推薦候補者三百六十二名に對して、自由立候補者四百八十九名が名乘りを上げ、卽ち推薦候補者四割二分自由立候補者五割八分の比率を示してゐる。また新人候補者は、五百二名で全體の六割を占め、現議員は三百一名で全體の三割五分、元代議士が四十八名で全體の約五分に相當する割合となつてゐる。斯くして今回の總選擧に於ては、從來の選擧に比して立候補の出足が頗る速く、殊に立候補者中新人の擡頭が、壓倒的優勢を示してゐる事と相俟つて注目すべき特色をなして居り、洵に新政治體制翼賛議會の確立に對する熱意が澎湃して橫溢してゐる觀がある。 二 要するに今次の總選擧に於ける立候補狀況の特徵としては、第一に翼賛政治體制協議會が全國に亘つて四百六十七名の推薦候補者を決定したこと、第二に立候補狀況が昭和十一、十二年の總選擧に比して出足が著しく速いこと、第三に推薦自立とも立候補者に新人の數が壓倒的であり、且つ新人輩出の分野が大いに前回と異り新味を帶びて來たことの三點が擧げられよう。これらの特徵の依つて來る所以のものは、云ふまでもなく國內新政治體制を樹立せんとし、翼賛議會を確立せんとする熱意の現はれであることは明らかであつて、これを一言にして云へば新體制運動、大政翼賛運動の本格的展開たるところに、重大意義が存すると云はねばならない。洵に國內新政治體制の確立を叫ばれてより既に久しく、しかも舊政黨派の全面的形式解消の上に立つ大政翼賛會の誕生に依つて推進せられた革新機運は今次の總選擧に於て始めて積極的な質的發展を遂げんとするに至つたと云ふべきであらう 三 顧みるに、國內政治新體制を確立せんとする苦しみは、滿洲事變を契機とする昭和六年から、昭和十二年の支那事證勃發まで、內外幾多の血醒い革新的前進過程の第一期を經て近衞第二次內閣以來今日までの新體制運動、大政翼賛會を展開に至る第二期を通じ、其れは文字通り荊棘の道であつた。此の國內革新の趨勢は、勿論優秀民族を中核とする巨大國家の建設と發展のため、巨大國家間の相尅激鬪に處するところの、世界史的新體制を確立する所謂世界政治の現段階に照應するものであつて、帝國が滿洲事變、支那事變及び今次の大東亞戰爭に於て、明確に規定された大東亞共榮圈の建設を現實に敢行しつつあるとき、必勝日本國家を實現するための國民革新體制樹立は真に緊要なことと云はねばならない。故に新體制運動大政翼賛運動の本格的展開、本質的完成は急務中の急務と云ふべく、大東亞戰下今次の新政治體制翼賛總選擧に對して、多大の關心と期待が懸けられる所以なのである |
02 | 燦たり・不滅の偉勳 九軍神の合同葬盛儀 |
03 | 武人最高の榮譽 九軍神遺族の感激談 故岩佐直治海軍中佐令兄竹松氏 |
04 | 故橫山正治海軍少佐令兄四郎氏 |
05 | 故古野少佐嚴父彥市氏 |
06 | 故廣尾大尉母堂カツ刀自 |
07 | 故佐佐木特務少尉の實兄熊一氏 |
08 | 故橫山薰範特務少尉實兄谷口武夫氏 |
09 | 故稻垣兵曹長嚴父清吾氏 |
10 | 故上田兵曹長嚴父市右衛門氏 |
11 | 故片山義雄海軍兵曹長實兄卓衛氏 |
12 | 征野千里・銃なき御奉公(五) 勞務隊臺中州隊幹部座談會 |
13 | 南方圈の必需品 臺灣が供給基地 長谷川總督神戶で語る |
14 | 制服乙女の赤誠 慰問袋荷造りに奉仕 |
15 | 新竹市商業奉公團の結成式 |
16 | 擧島、貯蓄に精勵 中島財務局長呼掛く ラジオ常會 |
17 | 竹南郡民の赤誠 飛行機献金十萬圓を献納 |
18 | 島都釋尊降誕 花まつり會 |
19 | 廣東市派遣警官 練習生來臺 |
20 | ときの声 |
21 | 真の日本人たれ 竹內中佐の獅子吼 |
22 | 弛む心に 自肅のネヂ 加藤准尉の講演 |
23 | 石川大佐本社訪問報社消息 |
24 | 臺灣團が辛勝 對廈門交驩籠球決勝戰 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 感激も新たに 必勝の意氣に燃ゆる 各地の大詔奉戴日 |
02 | 元氣一杯で發つ 特志看護婦高雄州班 |
03 | 臺南州班の動靜 |
04 | 輝く賞賜物件 山廣一等兵外三氏に傳達 |
05 | 商工業者誓ひの日 新商業道の實踐へ臺中 |
06 | 州下一齊に奉公團結成 |
07 | 臺南神社に誓ふ |
08 | 竹東郡下の奉公會結成式 |
09 | 麻豆街でも 商業奉公團結成 |
10 | 善化商業奉公團結成式 |
11 | 彰化市防衛團廿八日に查閱 |
12 | 幾多勳功を樹て 海南の華と散る 故藤山巡查部長 |
13 | 馬公大東亞戰展覽會 |
14 | 優良兒拜見 嘉義市乳幼兒選獎豫選會 |
15 | 彰化市議月例會 |
16 | 勉勵賞與を献金 |
17 | 文藝講演會 けふ彰化で |
18 | 遺族の信仰生活 花蓮港軍援會鍊成會を開く |
19 | 獸魂祭を執行 彰化家畜、獸肉兩組合で |
20 | 土木建築技術員講習所入所許可者 |
21 | 一路增產の完遂へ 一期作植え遲れの田地對策 臺南州市長部守會議で決る |
22 | 從軍畫家一行霧峰を訪問 |
23 | 高雄州警察功勞者 大詔奉戴日に表彰 |
24 | 市內行進で賑ふ 彰化市の愛馬デー |
25 | 愛馬行進 東石の愛馬デー |
26 | 新增稅內容の說明懇談會 |
27 | 小港銃後後援會 晴の發會式擧行 |
28 | 演劇挺身隊 近く桃園郡で開演 |
29 | 新竹郡食用卵 小賣商組合成立 |
30 | 各業態別組合の 統合計畫進捗 |
31 | 企業合同座談會二林で開催 |
32 | 皇軍將兵慰問金第廿六回(敬稱略)領收報告報社消息 |
33 | 特設勞務團員に 體驗談を聽く會 臺南州經濟統制課で主催 |
34 | 大詔奉戴日に ヨイ子供達献金 |
35 | 長興庄の銃後後援會十日結成 |
36 | 衣類泥棒 竹北で押へらる |
37 | 花蓮港の献金事務 憲兵分遣隊から兵事部に移管 |
38 | 人事報社消息 |
39 | 地方便り報社消息 |
40 | 今日の映畫 |
41 | 訃文:邱世濬 |
42 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 進め三億貯蓄の進軍 大東亞建設は貯蓄が原動力 大詔奉戴日に中島財務局長放送 |
02 | 本年度の 鳳梨原料買收價格 百斤二十錢引上げ |
03 | 簡保・年金の還元高 累計三千七百萬圓 |
04 | 米多收競作會の 規程賞金決定 |
05 | 鐵道現業長主任會議 共濟組合規則改正を說明 |
06 | 米生產費調查に 財津技師南下 |
07 | 各生產配給組合 整理統合企畫さる 食糧關係 |
08 | 商議所の官選議員 業種別に廣く銓衡 |
09 | 私設營業軌道 近く全島的に統合か |
10 | 物資配給の圓滑に 近く經濟統制課長會議 |
11 | 臺灣鐵工業協會 新に十二社加入 |
12 | 電力制限緩和 本日より實施さる |
13 | 黃麻・アンバリヘンプ 增產に邁進 |
14 | トラツク事業組合十六日に總會 |
15 | 日糖月眉產糖廿二萬餘擔 |
16 | 曾文郡獸肉組合總會 |
17 | 照明燈 |
18 | 商況 八日後場 |
19 | ラジオ |
20 | 水滸傳(649)/黃得時;榎本真砂夫 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 河北省の敵全く潰滅 打續くわが討伐戰で |
02 | スラバヤ甦へる 豐穰な物資動き始む |
03 | 立候補總數千七名 新人六百六名を占む |
04 | 立候補者屆出 |
05 | 陸海空の戰鬪力集中 兵團長自ら陣頭に立つて奮戰 マレー作戰軍主任參謀談(完) |
06 | 佐藤駐ソ大使 デ次長を訪問 |
07 | 定期敍勳 |
08 | 圖像:昭南港を壓する我艨艟 |
09 | 戰時下の露都風景 佐藤大使の信任狀捧呈に隨行 |
10 | マドラスを空襲!! 港灣施設に巨彈投下 |
11 | マルタ島の大空爆 獨空軍、最近數日間に |
12 | 西亞の人心動搖 イランにソ聯勢力滲透 |
13 | 重光駐華大使 首相を訪問 |
14 | クリツプス提案拒否 全印回教徒會議 |
15 | ハリフアツクスが國民會議派誹謗 |
16 | 米大西洋岸で 商船十三隻擊沈 獨軍司令部の特別發表 |
17 | 英首相と協議 米のホプキンスとマーシヤル |
18 | 獨潛水艦活動 ノ米海軍長官言明 |
19 | ブラジルの樞軸國人壓迫 更に五十八名拘禁 |
20 | 大日本體育會 盛大な發會式擧行 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 唧つ“見せない機影” 索敵機の便乘觀戰記 |
02 | 勳章・御下賜金傳達式 基隆市長公室で擧行 |
03 | 圖像:赤道直下敵を索めて征く我が艦隊 |
04 | 輝く大戰果に感謝 奉戴日武官府取扱献金 |
05 | 孫からのお小遣を献金 軍司令部に拾ふ佳話二つ |
06 | 續く赤誠弔慰金 九軍神に心から感謝 |
07 | 三輪臺北州知事に敘勳三等 |
08 | 大東亞現地便り(二) 相貌完全に一變 昂まる「日本への信賴」 泰國 |
09 | 治安殆んど回復 市民に溢れる真劍味 マニラ |
10 | 張り切る志願者 兵事係に受驗通知催促 |
11 | 露出した肺臟押へ 最後まで舵を操縱 狀絕無比・山本兵長の武勇談 |
12 | “商工業者誓の日”の講演會 |
13 | 青年團長常會 城北區を皮切りに開催 |
14 | 第三種所得申告に就て 提出期限十五日 |
15 | 住宅百戶を新築 年末迄に完成の申込み |
16 | 臺灣學校衛生總會 十一日教育會館で開く |
17 | 喜びの合格者 |
18 | お山の皇民化 新竹州蕃地名改稱近く實現 |
19 | 月極讀者に 最新世界地圖配付/興南新聞社報社消息 |
20 | 興南詩苑漢詩 壬午春宴卽事/覺齋、壬午春宴卽事/鷺村、壬午春宴卽事/癡雲 |
21 | 區長異動 |
22 | 煙幕 |
23 | 商況 九日前場 |
24 | 興南案內報社消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 見よ!この大戰果 船舶擊沈破四四隻 敵機六○機を擊墜 我海軍部隊の印度洋作戰頭條新聞 【東京同盟至急報】大本營發表(九日午後五時)曩に發表せし帝國海軍部隊の印度洋作戰に於ける四月七日までの戰果左の如し 一、艦艇擊沈、英甲巡ロンドン型一隻、同コンウオール型一隻 二、船舶擊沈二十一隻約十四萬噸、大破二十三隻約十二萬噸 三飛行機擊墜六十機 四、陸上施設、飛行機格納庫三棟、修理工場一棟、其の他重要施設數個所破壞 右作戰に於てわが方飛行機五機を失へる外艦艇に損傷なし 【リスボン九日發同盟】ロンドン來電、英海軍省は甲級巡洋艦コンウオール號外一隻が印度洋上において日本軍航空部隊の攻撃を受け擊沈された旨九日發表した |
02 | 英甲巡の性能 |
03 | 新銳英國機の性能 |
04 | 英に絕望感を與ふ 印度人に決斷促す重大示唆 |
05 | 各地の選擧情勢(一) 愈よ實戰期に入る |
06 | 立候補辭退者 |
07 | 定例次官會議 |
08 | 揚子江下流三月中の戰果 |
09 | 圖像:ホロ島の王樣オンブラ、アミルバンサと握手を交はす○○大佐(右) |
10 | 我空軍の一擊必殺の妙技 蘭印軍を屈伏せしむ 大場少將のジヤバ攻略視察記 |
11 | 緬甸人我軍に協力 重慶軍との提携はデマ宣傳 |
12 | 蘭印殘存部隊 聯合軍に編入 亡命蘭印政權發表 |
13 | 大陸首腦會議 關東州廳で開かる |
14 | 議案九件を審議決定 簡易生保積立金運用委員會 |
15 | 立候補屆出 |
16 | 太平洋岸に遊擊隊を編成 怯えるカナダ |
17 | 國民會議派の拒絕理由 |
18 | 英印交涉危機に直面 蔣介石極度の狼狽を示す |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 本島鄉土文化の建設に就て社說 一 文化は人類の生活が基礎となつてゐる。その向上發達は人類の生活の進步向上に隨つて發展する。故に如何なる住民の文化を進步せしむるにも、すべて先づ生活から手を下さねばならぬエリツチの說くが如く「文化は一日間で改造出來ない、また命令でも創造出來ない。更に强權手段を以てしても駄目である。その發生の速度に緩急の相異こそあるが、一定の生活基礎及び過程によつてのみ發生する」ものである。これは文化生成發展の法則を道破したものであつてこれによつて見るに、刻下本島の文化を向上せしめるには先づ生活水準を高めなければならぬ一般的生活水準をその儘にして直により高い生活文化を移植しても果して結果のよい芽を吹き出すであらうか、頗る疑問としなければならぬ。併し人間の努力と云ふものを否定することは出來ない。人間の努力なくして文化だけが自ら生成發展するものではあり得ない。東洋の二大文化たる儒教思想と佛教思想は孔子と釋迦の努力があつてこそ完成され、希臘の古代哲學もソクラテス、プラトー、アリストテレスの努力に依つて精彩を放つたものである。また現下の科學文化も人間自體によつて創造されたもので、絕對に自然に形成されたものではない。 二 只人間の努力には一定の限界がある。その限界とは人間生活に於ける二つの環境、卽ち自然的環境と社會的環境とである。自然的環境によつて文化の個別性が形成され、社會的環境によつて文化の時代性が決定されるされば文化の發展は人間の努力を離れないとは云へ、如何なる天才、如何なる權威者と雖も住民が要求するや否やを問はず、時代に適合するや否やを顧みずただ一個人の感情や意志だけで文化を創造し、文化を發展せしめることは出來ない。この文化生成發展の法則を知らずして、亂りに文化を運用することは極めて危險性を伴ふものである。然らば刻下の本島の文化は如何にして建設すべきであるか。先づ自然的環境を見るに本島は內地よりも熱帶の土地である。故に內地と異るそれ自體の特殊性がある。同時に臺灣は現在の臺灣であつて、過去の臺灣ではない。從つてそれ自ら一定の特性がある。吾吾は特に此の時、此の土地の要求に注意しなければならぬ。これは本島鄉土文化を成立せしむる基礎的條件であり且つその建設の必要を痛感するものである。 三 然らば特色ある鄉土文化を建設するに當つて吾吾は如何なる態度で臨むべきであるか。勿論徒らに古い制度、思想を讃美執着するも無意義であるが、又徒らに古いなるが故に忌み嫌ふのも無用のことである。必要であれば過去一切のことを取り來つて檢討を加へ、まさに存すべきものは存し、去るべきものは去る。卽ち優良なる制度、思想は極力發揚に勉め、劣惡なるものは淘汰するに吝惜する所でない只鄉土文化を建設すると云つても、決して新東亞文化建設の共同目標を見失つてはならない。卽ち新東亞文化の健全なる一翼として、その完成を促進し、且つ貢献するものでなければならぬ。かかる認識の下に科學的態度で、過去を檢討し、現在を把握し、將來を創造しなければならぬ。換言すれば時勢に適合しないものを清算し、現在の必要を擴充し、將來の進路を確定し文化的手段を以て光あり熱ある臺灣を作り出さなければならぬこれは吾吾六百萬島民の一致共同して努力しなければならない課題であり、且つ又責任の地位に在る諸賢の真劍に工夫と創意を廻らなければならない問題でもある。 |
02 | 擧島・食糧報國へ 工業化問題も漸次軌道に 入京した長谷川總督語る |
03 | 昨日宮中に參內 |
04 | 圖像:マレー便り |
05 | 特別列車も運行 靖國神社參列の遺族に對し 諸準備萬端整ふ |
06 | 國語家庭總會 十九日市民講堂で開く |
07 | 女青の防災運動 近く全國に指導者鍊成會を開催 |
08 | 市街庄擴充強化策 論文入選發表 |
09 | 征野千里・銃なき御奉公(六) 皇軍への土着民の信賴絕大 葉子鐘君語る |
10 | 圖像:皇軍勇士に鷄と家鴨を贈つて感謝の意を表す市民達(モールメン) |
11 | 纖維製品配給の新措置 |
12 | 肥料の自給自足 臺北州、強調週間を設定 |
13 | 堆肥強調週間 羅東郡の行事 |
14 | “健民運動”を展開 五月一日より大詔奉戴日迄 全國一齊に行はる |
15 | 產業戰士を育成 奉公會で入所生を募集 |
16 | 堆肥傳習會 |
17 | 俘虜監督志願者 第二、三次銓衡合格者決定 |
18 | 宜蘭郡商工組合聯合會の打合會 |
19 | ときの声 |
20 | 第六回鍊成會 臺北桔梗俱樂部 |
21 | 新竹州水產デー行事 |
22 | 大溪の名勝ハイキング |
23 | 開南商業合格者 |
24 | 人事・消息報社消息 |
25 | 石當り廿圓補助 新竹州下增產計畫 |
26 | 訃文:李張氏快 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 少年に正しい生活 保護善導に萬全の措置 高雄の保護週間 |
02 | 志願兵へ一步前進 明日より屏東女で第二次銓衡 |
03 | 丸籐賣上金を國防献金 ナガツン社青年の赤誠 |
04 | 魚池神社御造營 地鎮祭を擧行 |
05 | 圖像:皇軍の手に救出されたスマトラ、メダン在留獨逸婦女子の喜びの萬歲 |
06 | 煙草空箱献金 屏東專賣支局 |
07 | 山の優良青年團 始政記念日に表彰 |
08 | 米作品評會褒賞授與式 |
09 | 割當額の五割增 花蓮港廳の貯蓄目標 |
10 | 竹山街民 六千餘圓献金 |
11 | 愛馬デー 北斗の行事 |
12 | 大甲郡の行事 |
13 | 武勇談に花咲かす 勞務奉公團臺南州隊員に體驗を聽く會 |
14 | 產業奉公團結成 桃園軌道役職員が |
15 | 商道樹立への契 各地商業奉公團結成 |
16 | 高等科にも入試地獄 惱む父兄編出すあの手この手 |
17 | 保健所令實施を要望 市議協議會に臺中市から提案 |
18 | 奉公壯年團桃園支會 華華しく發足さる |
19 | 大東亞戰展 花蓮港は來月一日より開催 |
20 | 特志看護婦出發 |
21 | 臺中州錻力製品合同組創立總會 |
22 | 鳳山郡警察課非常召集 |
23 | 鳳山諸競技會 褒賞授與式を擧行 |
24 | 大肚道場で合宿鍊成 臺中州下の女青幹部 |
25 | 馬產獎勵に力瘤 新化郡畜產助成會新事業 |
26 | 大甲郡高等警察係主任報社消息 |
27 | 宮前、千石兩派出所建築 |
28 | 彰化市清潔日割 |
29 | 人事報社消息 |
30 | 地方便り |
31 | 今日の映畫 |
32 | 訃文:陳富壽 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國民勞働手帳法 島內施行を立案中 |
02 | 澱粉配給組合 近く創立總會 |
03 | 臺南州魚苗組合 來る十四日に創立 |
04 | 電力土木工事監督官 近く府內より銓衡 |
05 | 貿易機構改革案 未決定、近く再審議 |
06 | 販路より見たる 臺灣柑橘類の將來 (二)/西原義雄 |
07 | 日糖二結產糖十四萬五千擔 |
08 | 臺灣茶商公會けふ評議員會 |
09 | タオル等の特配 奉公班通じて徹底化 |
10 | 棉花作空前の豐收 二百五十萬斤內外か |
11 | 產組の損保進出 共榮海上火保を設立 |
12 | 倉庫統制會に 島內倉庫業加入せず |
13 | 大漁祈願參拜 十三日の水產記念日に |
14 | 自轉車リヤカーの タイヤチユーブ配給統制 臺北州で要綱を決定 |
15 | 桐油多量着荷 近く需用先へ配給 |
16 | 照明燈 |
17 | 商況 九日後場 |
18 | ラジオ |
19 | 水滸傳(650)/黃得時;榎本真砂夫 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | バタアン半島總攻擊 戰況有利に進展 四月三日より開始 |
02 | バタアンの敵總崩れ |
03 | リマイ、○○要塞線 わが軍完全に突破 |
04 | 圖像:砂塵を蹴つて進擊する鐵牛部隊(スマトラ戰線) |
05 | 米比軍多數を捕虜 |
06 | 南方開發の人的基礎/山田文雄 |
07 | 個人資格で旅行大島大使 |
08 | 立候補屆出狀況 |
09 | クリスマス島を占領 無血占領に成功 |
10 | サマト要塞を占領 |
11 | ツラギ港(ソロモン群島)を襲擊 敵機、軍事施設を爆碎 |
12 | 清鄉工作は大成功 畑總司令官の視察談 |
13 | 立候補屆出狀況 |
14 | 立候補の屆出總數 一千四十八名に達す |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 憧れの第一線へ 譽れの白衣天使近く鹿島立ち 赤十字の腕章も鮮か |
02 | 感激の靖國對面 臺北州隊近く先發 |
03 | 讚へよ“海の幸” 港都の水產デー行事 |
04 | 海洋訓練所生第二次試驗 |
05 | 張金龍君の通霄庄葬 |
06 | 州議補欠選擧 候補者受付開始 |
07 | 圖像:白衣の天使 |
08 | 社會教育事務打合會 |
09 | 回教徒聯盟 兩日中に聲明 |
10 | 新竹州下志願兵 武陵校で第一次試驗 |
11 | 秀峰靜修禪院 寺院昇格慶讚法要 |
12 | 少年保護週間 新竹州下行事決る |
13 | 印度の現狀を探る(一) 印度統一の障碍 極端な氣候と宗教と階級 三菱臺北支店長代理坂口清氏談 |
14 | 大東亞現地便り(三) 素晴しい香港の復興 拂拭された英國色 |
15 | 圖像:スマトラ西北端サバン島占領 |
16 | 區聯合事務所設置 |
17 | 感激の國防献金 連日軍司令部に殺到 |
18 | “東亞の學校便り” 十二日全國に放送 |
19 | 基隆市銃後後援會發會式 |
20 | 煙幕 |
21 | 興南詩苑漢詩 壬午春讌於岱雲閣/春潮、壬午春讌於岱雲閣 二/春潮、壬午春讌於岱雲閣/可軒 |
22 | 商況 十日前場 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | ツリンコマリ方面強襲 英艦艇六隻を擊沈赫赫の新戰果 擊墜敵機六十機に上る頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(十日午後四時三十分) 印度洋に作戰中の帝國海軍部隊は四月九日セイロン島ツリンコマリ方面を強襲せり同方面の新戰果左のごとし 一、艦艇、擊沈英航空母艦ハーミス、英乙巡バーミンガム型一隻、同エメラルド型一隻、驅逐艦一隻、哨戒艇一隻、大破乙巡リアンダー型一隻、二、船舶、擊沈六隻、三、飛行機擊墜五十六機、地上炎上四機、四、その他軍事施設に大損害を與へたり右作戰においてわが方飛行機十機を失へる外艦艇の損傷なし 【リスボン九日發同盟】コロンボ來電、コロンボ防衛當局發表によれば日本航空部隊は九日午前コロンボ空襲と前後してセイロン島南岸の軍港ツリンコマリーにも攻撃を加へた |
02 | 敵艦の擊沈破八隻 擊沈敵船五十隻、敵機百廿 印度洋方面の五日間の戰果 |
03 | 英國最初の母艦 擊沈英艦ハーミス號 |
04 | 英、印度制海權喪失 (上)我大洋作戰の序の口 平出大佐放送 |
05 | バタアン半島に大地震 |
06 | 又モレスビー空襲 |
07 | 英海軍省自認 母艦ハ號擊沈を |
08 | 擊沈の英甲巡はコ號とロ號 |
09 | 天然の良港 ツリンコマリ |
10 | 救援の望みなし 米大統領澁澁語る |
11 | マリベレスへ猛進 總崩れ米比軍追つて |
12 | リマイ市完全占領 |
13 | コ島を反復爆擊 |
14 | 米軍退却を發表 |
15 | 要衝ラマオを占領 |
16 | 米大統領觀念 ウ司令官に決定權を與ふ |
17 | 園田鐵牛部隊長戰死 |
18 | 黑煙マニラ灣頭を蔽ふ |
19 | 生鮮食糧なく 敵軍病人續出 |
20 | 長谷川總督の動靜 |
21 | 軍事的要地 クリスマス島 |
22 | 英印交涉漸く妥結か |
23 | ジヨンソンの新妥協方式 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 地方文化の昂揚社說 一 戰果が擴大するにつれて、人人の關心は、一齊に大東亞に向けられ、國內の諸問題、就中文化問題については、些か忘れたやうな形を取つてゐる。勿論、今後の大東亞の文化を如何に建設して行くかは、一つの重要問題として、東亞の指導的立場に立つ日本が、大に研究しなければならぬが、その基をなす國內文化自體の再編成も亦緊急を要する問題として爼上にあげなければならぬ。これによつてのみ真に自己を純化し、自己を健全なものにして、來るべき大飛躍に際し、その創造的大役割を果すことができるのである。云ひ換へれば、大東亞の全面的脫皮と變貌とに伴ふて、國內の文化も亦脫皮し變貌しなければならぬ。國內文化が舊態依然の形を取つてゐる限り、大東亞の文化建設は、意外の難澁を伴ふ虞があるからである。斯る意味に於て、吾吾は、先づ國內文化の再編成を叫びたい。 二 日本の文化を地理的に眺めた場合誰しも感ずることは、その中央集權的傾向が餘りにも强いことである。中央が、凡ての文化を創造し、中央によつて創造せられた文化は、無條件に價値あるものとして、地方へどんどん流れて行く。これは、いろんな點から見て極めて當然のことであるが、しかし、國民文化といふ一つの綜合的立場から見た場合果して健全だと云ひ得られようか。文化は、云はば國民の一人一人が防空戰士であると同樣に、國民の凡てが地理的の區別なく、これを創造し、これを享樂する處に意義があるのである。單に一部の人人のみが、その創作的喜びに浸し、他の大部分の者は、それを事務的に受繼ぐだけでは足りない。國民の一人一人が文化の創造者であつて始めて、その國の文化が向上したと云ひ得られるのである。それには、何よりも、文化の中央集權に對し、地方分散が必要となつて來る。 三 文化の地方分散は、他の言葉で云へば、地方文化の昂揚となる。各地方に芽生えた鄉土色たつぷりな文化を顯揚し、その中に價值を發見することである。それには、大體二つの行方がある。一つは、その地方の風土人情と全然關係のない文化を植えつけ、それによつて地方文化の向上を圖ることであり、他の一つは、その地方個有の文化を尊重し、その湮滅を防ぐことである。臺灣に取りては、二つの行方とも必要缺くべからざるものであるが、差當り、後者の方が前者よりも急を要する問題である。それは、本島に內地人、本島人、高砂族の三種族が居住してゐる關係上、各種族のもつてゐる個有文化は、各種族の絕えざる接觸によつて加速度に、その特色を失ひ、一つのものに統一されて行く傾向があるので、今の內に、各種族のもつてゐる個有文化を保存し活用させる機會を與へなければ近き將來に於て個有文化が全部亡んでしまふからである。勿論、その個有文化は、ものによると、非常に價値の低いものであるかも知れぬ。しかし、それを取上げて漸次新時代に卽應する高いものに仕上げて行く處に、昂揚の意義があるのである。徒らにこれを白眼視し、或は、どうせ亡び行く運命をもつてゐるものは、亡び行くがままに任せた方がいいといふ考へ方は、苟しくも見識のあるものの取らない處である。奈良の五重の塔が五十圓で賣物に出された時があるかと思つたら、今は、世界に誇る國寶となつてゐる一事を考へ合せても、個有文化の保存と尊重が如何に大切であるかが判るのであ大東亞の文化も亦斯る態度で臨むべきではならうか。 |
02 | 皇軍の進路を拓く 高砂族バタアン戰線で大活躍 |
03 | 近代兵器を集中 ○○參謀バタアン猛攻を語る |
04 | 軍援施設に御仁慈 十六妃殿下が台臨御視察 |
05 | 南方醫學に關し 學界で異狀な關心 小田博士の土產話 |
06 | 戰時醫學尊重に 非常な強い感銘 歸臺の杜聰明博士語る |
07 | 圖像:歸臺した譽れの遺兒達 |
08 | 譽れの遺兒達歸臺 恙なく社頭對面果して |
09 | 正しい皇軍に感銘 特設奉公團を圍む譽れの從軍座談會 |
10 | 元氣で島都入り 懷しのお母さん達に迎へられて |
11 | 長谷川總督 東條首相を訪問後 拓相を訪問統治狀況報告 |
12 | 池田海南島司政長官 事務打合の上京の途次寄臺 |
13 | 時局講演會 山北氏を招聘し |
14 | 賞金をそつくり献金 大東信託臺北支店員から |
15 | 國婦臺北支部に感謝狀 |
16 | ときの声 |
17 | 武官府へ赤誠の献金 |
18 | 九軍神に 感謝の弔慰金 |
19 | 感謝献納畫展 けふからホテルで |
20 | 腸禍豫防に保菌調查を實施 |
21 | 陸軍司政官發令 |
22 | 水產デーに大漁を祈願 |
23 | 訃文:李張氏快 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 次代を背負ふ少年 溫い手を差伸ばして護らう けふから十七日迄少年保護週間 |
02 | 國家興隆の基礎 高等法院檢察官長古山春司郎氏談 |
03 | 興亞日本に子は寶 法務局長中村八十一氏談 |
04 | 少年を愛護せよ 臺北地方法院檢察官長伊藤兼吉氏談 |
05 | 花蓮港の週間行事 |
06 | 體格も言動も立派 賴もしい銃後の若人 臺南州の志願兵銓衡 |
07 | 新竹州北三郡の 志願兵再考查 |
08 | 農業事務打合會 屏東郡各街庄長を集めて |
09 | 每日大盛況 臺南大東亞戰展覽會 |
10 | 高雄市の行啟記念日行事 |
11 | 森田知事蕃地視察 |
12 | 臺中商議員十七日改選 |
13 | 屏東署定期召集 |
14 | 臺中奉公青年隊 第二回訓練隊員結隊式 |
15 | 大甲郡下產組總代會日程 |
16 | 中壢商業奉公團結成式 |
17 | 龍潭庄壯丁團角力大會 |
18 | 常會指導者の鍊成 昨日より桃園庄で |
19 | 堤坊監視所員增設 |
20 | 荷車製造販賣組合定期總會 |
21 | 酸性赭土を改良 桃園農地改良組合成る |
22 | 各地商業奉公團 華華しく發足 |
23 | 北門郡下の保險詐欺事件 判決言渡さる |
24 | 員林乘合バス路線變更 |
25 | 龍潭庄出身漢詩人 |
26 | 人事 |
27 | 地方便り |
28 | 今日の映畫 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 事業組合改組と バス運賃適正化 懇談會で略略決定 |
02 | 今期赤糖產額 卅一、二萬擔か |
03 | 纖維品查定統一 查定業務四部制度設置 |
04 | 第三回帽子製造 技術講習會開催 |
05 | 販路より見たる 臺灣柑橘類の將來 (三)/西原義雄 |
06 | 冷凍魚を特配 各都市一戶當百匁 |
07 | 洗濯石鹼入荷 近く配給されん |
08 | 特產課山口屬退官 砂糖配給會社入り |
09 | 石川鐵道部長全線各驛督勵 |
10 | 新會社設立、增資 三月中認許可六件 |
11 | 新興前大埔工場壓搾終了 |
12 | 技術者配置規正 使用制限令施行規則改正 |
13 | 和田副頭取勇退 後任は桐田巖氏か |
14 | 全島轉業相談所主任會議廿日開催 |
15 | 高雄貯炭場新設 昨日地鎮祭執行 |
16 | 照明燈 |
17 | 商況 十日後場 |
18 | ラジオ |
19 | 水滸傳(651)/黃得時;榎本真砂夫 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 又マンダレー猛爆 全滅的の損害を與ふ |
02 | 英海軍最大の慘敗 英政府辯明餘地なし 印度洋作戰 |
03 | 第二の真球灣奇襲 ベルリン各紙驚異の眼 |
04 | 我が無傷を自認 英のデマも續かず |
05 | 香港總督部新廳舍に移轉 |
06 | 圖像:バタアン半島總攻擊 |
07 | 立候補取消 |
08 | “百里を行くもの 九十里を以て半ばとすべし” (下)平出大佐講演放送 |
09 | 香港街路名改稱 英の侵略性を一掃 |
10 | 香港の將來洋洋たり 新廳舍の總督室で磯谷總督語る |
11 | 米比軍司令官 コレヒドールに遁入 |
12 | 連日虱潰しの爆擊 比島方面我海鷲の大苦心 |
13 | 華府に空襲警報 |
14 | 日本郵船社長 寺井副社長昇格 |
15 | 壯絕なる戰鬪記錄 バタアン作戰の我飛行隊の活躍 |
16 | 糊塗手段暴露 英妥協案の內容 |
17 | キアビテ軍港復興(比島) わが海上基地として |
18 | 英妥協案拒否 國民會議派一致で |
19 | 英印交涉は愈よ挫折の兆 クリツプスの說得も無望か |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇民臺灣の珠玉篇 薰る“君が代少年” 國民學校教科書に再生 君が代少年 詹德坤君 |
02 | 皇民鍊成の華 梁井文教局長談 |
03 | 小さな唇から靜かに 漏れる“君が代の歌” ああ德坤少年の最期 |
04 | 國語常用の範 德坤少年の生立ち |
05 | 昭憲皇太后祭 明治神宮拜殿で執行 |
06 | 目指す譽の合格 新竹州志願兵身體檢查始る |
07 | あす州下一齊に 學科試驗を實施 譽の志願兵志願者銓衡 |
08 | 赤誠の献金群 軍司令部十一日取扱 |
09 | 歡呼に送られて 白衣の天使晴の壯途へ |
10 | 打振る旗の波波 描く感激のシーン |
11 | 無上の光榮 乙女ら決意を語る |
12 | 決戰下“子供の日” 島都の行事決定 |
13 | 一億が九段の華と散る覺悟 國民志氣振作標語發表 |
14 | 演武場の引幕を寄贈 國婦支部から臺北陸軍病院に |
15 | 高砂族子弟に朗報 四年制教育所に新に補習科設置 志願兵資格養成に重點 |
16 | 增產部課長會議 |
17 | 廈門派遣籠球選手一行離臺 |
18 | 十三日は水產記念日 臺灣水產會で多彩な行事實施 |
19 | 戶別訪問廢止 州議補缺選擧 |
20 | 興南詩苑漢詩 春分日聞星社諸君雅集岱雲閣兼為亡弟純甫默禱冥福感賦/張極甫、春日偕逸松啓瑞德富諸友遊竹塹故城訪菊仙話舊/南都、春盡偶作/南都、南遊車中/黃景南、過潭子/黃景南、贈景南詞客/蔡說劍 |
21 | 州歌歌謠舞踊指導者講習會 |
22 | 國民中學合格者 |
23 | 煙幕 |
24 | 人事・消息 |
25 | 興南案內報社消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | セブ島に上陸成功 比律賓の南部要衝頭條新聞 【東京發同盟】◯◯艦上にて川上海軍報道班員十一日發フイリピン南部の要衝セブ島攻略戰は海軍部隊によつて十日未明を期して敢行された、海軍陸戰隊の精銳はバリリー西海岸アルガオ(セブ市南方六十五粁)上陸部隊に呼應午前十時セブ灣突入を敢行し敵前上陸に成功すると共に壯烈な市內掃蕩を展開目下戰果擴大中であるが敵の砲火によつて灣內の船舶をはじめ重油タンク等が炎上黑煙天に沖し悽愴を極めてゐる |
02 | セブ市は比島第二の大都會 |
03 | 敵艇船を擊沈拿捕 海上封鎖に鐵壁陣 |
04 | 敵聯隊長以下千五百を捕虜 |
05 | コ島を反復猛爆擊 |
06 | 圖像:印度洋上に活躍する海軍新銳攻擊機の勇姿 |
07 | セブ島米國間無電連絡杜絕 |
08 | 爆擊と補給路遮斷 海軍部隊連日活躍 |
09 | 北部ボルネオ方面に 陸軍最高司令部設置 最高指揮官に前田中將親補 |
10 | 任務達成に全力 前田中將の南方經綸 |
11 | 前田最高指揮官略歷 |
12 | 蠢動の餘地與へず 三月中の北支軍作戰狀況 |
13 | 恩賞に輝く死歿者 殊勳甲は萬年少佐等九名 |
14 | 敵機十六機を擊破 緬甸支那國境ロ飛行場襲擊 |
15 | 莫大な鹵獲品取得 僅か一箇中隊の奇襲で |
16 | 英國の大敗(米國憂慮) |
17 | カルカッタ重大脅威 帝國海軍の猛活躍で |
18 | 內閣辭令 |
19 | 秋田地方海軍人事部長發令 |
20 | 立候補屆出 |
21 | 立候補取消 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 本島食糧營團設立の必要社說 一 今回の議會で通過した食糧營團の設立は我が國に於ける食糧對策の劃期的な問題であつて、言はば主要食糧の專賣と全く同性質のものである。蓋し本營團の意圖とするところは米麥、麵類及び甘藷等の配給が從來の營利組織若くは中間機關の介在を排除し之に依つて配給の公正を期すると共に中間搾取を一掃し以て生產農民の不平及び消費者の不利を拂拭する事を目的とし尚附帶事業として戰時空襲等に對する主要食糧の貯藏管理をも為さんとしてゐる。現在內地に於ても米麥の配給に從事してゐる機關が法外な利益を占め、米穀商の如きは寧ろ戰前よりも高利潤を貪つてゐるので、生產農民及び消費者とも相當不滿を持ち稍もすれば食糧增產に暗影を投じてゐる事は蔽ふべからざる事實である。從つて本營團が國家の背景と計算に於て米麥を管理し、其の配給に就ては原則として純手數料以外に利益を追求せざる建前になつてゐる。而して其の蒐集機關は各地の產業組合、府縣聯合會及び全國組織を動員し出來る丈費用の輕減を圖らんとしてゐる。 二 以上の如く本營團は誠によく時弊を匡正するために構想された公的機關であるが、斯かる弊害が內地よりも寧ろ本島の方が特に甚だしいと言ふべきであらう。現在各州に設立された米穀納入組合等は單なる中間搾取機關に過ぎず、而も其の徵收手數料が產倉の三倍以上に該當してゐるから、現在當局が折角玄米一石に對し二圓の補助金を以て米穀の增產を獎勵しながら、他の形で之を取上げるが如き矛盾を生じてゐるのである、更に各地に於ける消費米配給組合が頗る巨大な利潤を擧げてゐる反面に其の配給する七分搗白米は規格通り精白せられずして夥しき夾雜物を混入してゐる事は多くの島民が自らの體驗に依つて之を周知してゐるのである。此等の點から見れば本島に於ても住宅營團の先例通り一日も早く律令を制定し以て斯くの如き公的機關の設立を促進する必要あるは明かである。 三 然しながら本營團に對しては、其の機構の運用に關しなるべく官僚組織に陷らざる樣よく民間の人材をも登用し、且つ其の費用を出來る丈節約せざれば到底其の至純な目的に到達する事が出來ないのである。それ故其の役職員の人選に關し最善の注意を拂ふと共に農民の意向を配給機關に充分に反映せしめ以て增產の熱意を持續せしめ、且つ消費者の立場をも擁護して戰時、平時を問はず國民生活の安定に寄與すべきは言を俟たない。殊に本島に於ては內地よりも稍もすれば極端に官僚化する傾向があり、若し餘りにも非能率な尨大組織となれば遂に食糧配給費用の輕減を果す事が出來ない虞れがある。之を防ぐ方法として食糧蒐集組織は內地の如く產業組合と其の聯合組織を利用すると共に市街地の白米配給組織も在來の機構を踏襲しながら飽く迄も純手數料主義を恪守すべきである。其の資金は臺灣住宅營團の如く凡て國庫にて之を賄ひ內地の如く一部の民間出資をも廢し以て出資配當考慮の餘地を無からしむ事である。斯くの如く本營團の趣旨を充分に徹底する事が出來れば直接間接に本島に於ける米穀增產に寄與する事が少なくないと信ずるから、督府に於てよく此の問題を研究し其の實現に努力を拂はれん事を□まざるを得ない。 |
02 | 體當戰術の極致 丸腰で敵の潛水艦を擊沈 天晴・辰鳳丸の勇戰 |
03 | “油に向つて突擊” 血が滲む・採油部隊の活躍 |
04 | 天人共に許さず アメリカ軍の比島兵士虐待 大本營○○參謀談 |
05 | 稀に見る人格高潔 バタアンで散華の園田戰車隊長 谷萩報道部長語る |
06 | 御木曳初式を執行 木遣音頭も床しく |
07 | 圖像:九軍神合同葬儀 |
08 | 市郡の選拔終る 蘭陽地方の志願兵 |
09 | 家族慰安會大盛況 |
10 | 圖像:南方便り |
11 | 君が代少年 卷三に出た原文 |
12 | 演劇脚本募集 臺灣演劇協會で |
13 | 一對七の競爭 宜中入學率 |
14 | “賴むぞ・移住地を” 天晴な軍國美談の數數 中村警視の視察談 お山も南進だ |
15 | 桔梗俱樂部(臺北) 第六回鍊成會開始 |
16 | ときの声 |
17 | 講演、映畫、舞踊 少年保護思想の普及 |
18 | 九軍神への弔慰金 |
19 | 臺灣出版協會 昨日創立總會 |
20 | 蘭陽金融懇談會 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 全島市議協議會 二十五日より二日間彰化で開催 多忙極まるその日程 |
02 | 援護事業を強化 高雄市銃後後援會設立評議員會 |
03 | 畜產打合せ會 新化郡の街庄畜產技術員 |
04 | 子供は環境次第 注意すべき少年不良化の種種相 少年司法保護日に際し警務局談話發表 |
05 | 護らう・幼き人人を 週間行事いろいろ 臺南州 |
06 | 臺中の保護週間行事 |
07 | 將兵に慰問袋 嘉義市各奉公班から發送 |
08 | 身體檢查講習會 |
09 | 稅令を周知 商工業者集めて講演會開催 |
10 | 奉公役員を鍊成 十八日より屏東青年道場に合宿 |
11 | 臺中陸軍病院 創立四十七年記念式典 |
12 | 圖像:炎熱下ビルマ・ルートを進擊する我が自動車部隊 |
13 | 天長節祝賀會 參會者申出よ |
14 | 高雄州華僑聯合會結成式 |
15 | 勇敢な青年たれ! 臺中奉公青年隊晴れの入隊式に 森田支部長激勵の訓示 |
16 | 豪壯な保甲會館 地鎮祭に坂口知事以下臨席 總工事費十六萬餘圓 |
17 | 先づ服裝統一 嘉義奉公壯年團役員會で申合 |
18 | 屏東銃後後援會 結成準備委員會 |
19 | 臺南市の兩課獨立認可 初代社會課長に石垣氏拔擢? |
20 | 竹山の愛婦らが皇軍に梅干慰問 |
21 | 皇軍將兵慰問金第廿七回(敬稱略)領收報告報社消息 |
22 | 經濟警察事務打合會 |
23 | 花蓮港署定期召集 |
24 | 赤誠の恤兵金千餘圓 大東亞戰展觀覽者が献納 |
25 | 橋梁竣工式 里港庄臺糖圳寮農場で |
26 | 製品に檢查證票 臺南州下の三角藺同業者組合創立 |
27 | 家族數に應じ 鮮魚を配給 |
28 | 鳳林劇場竣工 |
29 | 屏東郡米穀配給組合總會 |
30 | 喜びの合格者 |
31 | 人事報社消息 |
32 | 地方便り |
33 | 今日の映畫 |
34 | 第一回決算報告/株式會社建順茶行 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺灣住宅營團 第一期事業に着手 所要資金千八百萬圓 |
02 | 纖維製品生產者 原糸配給合理化 |
03 | 米穀局員等が 協和會を設置 俱樂部設立をも計畫 |
04 | 產組聯合會の總代決定 |
05 | 本島小作問題の 重大性と對策 (一)/陳逢源 |
06 | 大東亞戰資源博に 本島より參加決定 |
07 | 荒木海軍少將 鐵工業協會理事に就任 |
08 | 屑米等配給機構に 米穀納入協會指定 |
09 | “有價證券業を統制 新體制確立に邁進” 本多府商工課長談 |
10 | 本多商工課長を圍んで 商議所經濟懇談會を開催 |
11 | 臺北商議所 十六日臨時總會 |
12 | 衣料類の移入機關 組織着着と進捗 |
13 | 照明燈 |
14 | 鳳梨罐詰製造 打合會を開催 |
15 | 商況 十一日前場 |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(652)/黃得時;榎本真砂夫 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 米比軍の最後迫る バタアン半島崩潰 マリベレス完全占領頭條新聞 【バタアン前線○○二日發同盟】雪崩を打つて敗走する敵を急追バタアン工路を逞しい機動力を發揮して猛進擊中のわが○○部隊は九日午後九時一氣呵成にバタアン半島最南端の敵最後の重要據點マリベレスへ殺到これを完全に占領し星空高く日章旗を飜した、マリベレス港より望めばアメリカが東洋のジブラルタルと誇る魔の要塞コレヒドール島が呼べば答へる海面にお玉杓子のやうな姿を浮べ來るべき運命の前に戰つてゐる |
02 | コ要塞を一齊猛攻 巨砲の砲列布いて |
03 | コ島要塞反復爆擊 我陸、海鷲の大編隊大擧急襲 |
04 | 圖像:アンダマン島掃蕩に活躍する海軍特別陸戰隊 |
05 | 米海軍部隊に最後の鐵槌 わが海軍部隊猛活躍 |
06 | 皇軍の偉大な金字塔 米比軍の崩潰まで |
07 | 米比軍遂に崩潰 ウ司令官、報告を打電 |
08 | 米大統領認む バ半島崩潰を |
09 | 勃、後繼內閣組織 |
10 | 敵、コ島へ撤退 |
11 | 米陸軍省自認 皇軍のセブ島上陸を |
12 | 敵輸送船數十隻を拿捕 |
13 | サンカツトを占領 |
14 | 敵高速魚雷艇を捕獲 |
15 | 皇軍の猛進 未曾有の障碍物を突破し |
16 | 米英朝野暗澹 頗る焦躁の色 |
17 | 更に支拂猶豫布告 バタビアの我が軍政部 |
18 | マレーの各サルタン 山下最高指揮官訪問 皇軍大捷の祝意を披瀝 |
19 | 東印度諸島居住の 全外國人登錄を行ふ |
20 | 建川大使歸朝 |
21 | 漢口特別第三區 市政管理局を移管 |
22 | 特別市政府の管下へ |
23 | 拒絕決議の要旨發表 全印回教徒聯盟より |
24 | 全國候補者屆出狀況 |
25 | 廣東の米英外交官 上海へ送らる |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 昭南神社を建立 社殿に阿里山の檜 |
02 | 飜へる大日章旗 空から見た“最後の足搔き” コレヒドールに斷末魔の形相 |
03 | 關門連絡線全通 科學日本に輝く凱歌 |
04 | 偲ぶ苦鬪六年 昨日晴の開通式擧行 |
05 | 臺北陸軍病院創立記念祝賀式 きのふ嚴そかに擧行 |
06 | 基隆郡民赤誠の慰問袋 愈よ近く發送 |
07 | 專賣品小賣人の國語演習會 |
08 | 燃える感激と希望 學科試驗と口頭試問開始 譽れの志願兵 |
09 | 征野千里・銃なき御奉公(七) 勞務團臺南州隊座談會 |
10 | 宜蘭商議所 けふ創立總會 |
11 | 山本警備府司令長官 望安庄管內諸施設を巡視 |
12 | 感心なヨイ子供部隊 廢品回收の賣上と茶殼献納 |
13 | 駈け廻る大東亞の大空 淚ぐまし・軍屬航空士の生還記 |
14 | “今暫らくの辛抱” 第二號表一二年教科書愈よ近く初見參 |
15 | 最近の佛印林業を聽く會 十五日公會堂で |
16 | 戰果に感激献金 十一日武官府取扱 |
17 | 蘭陽金融業者懇談會 |
18 | 人事・消息報社消息 |
19 | 勞務協會設立 下旬頃に發會式 |
20 | 訃文:朱樹勳 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | けふ水產デー 味覺、榮養の王座 お魚を食べませう 臺中州水產試驗場長平塚技師談 |
02 | 白衣勇士が魚釣三昧 臺南の水產デー前祝ひ |
03 | 南方共榮圈の(四) 保健問題 盟邦タイ國の卷 |
04 | 鄉軍臺中州南部聯合分會發會式 |
05 | 未就學兒童調查 |
06 | 春野に大分列式 屏東報國挺身隊巢立ち |
07 | 彰化方委月例會 |
08 | 掛聲も勇ましく ハツケよい殘つた 臺中署壯丁團角力大會 |
09 | 蔗作の新記錄 甲當收量十五萬七千斤 |
10 | 嘉義で擧げた 春の捕物二件 |
11 | 大樹庄の銃後後援會發會式 |
12 | 淨汗、路上に滴る 花蓮港勤報隊奉仕作業を完遂 |
13 | 苗栗商業奉公團結成式 |
14 | 彰化中開校祝賀會 |
15 | 彰化奉公壯年團役員會 |
16 | 「特別任務班」 彰化座で上映 |
17 | 近づく銓衡試驗 花蓮港の“兵”志願者待佗ぶ |
18 | 士林の志願兵銓衡試驗 |
19 | 高雄の赤誠献金三つ |
20 | 潮州マ病防遏 部落改善審查 |
21 | 圖像:スマトラ、メダン、スケツチ日の丸つけた馬車上の勇士 |
22 | バナナが安く食へる 仲買人を廢して直接小賣人へ |
23 | 麻豆藁工品製造講習會修了式 |
24 | 豐原長距離強步大會 |
25 | 臺中州錻力製品組合創立總會 |
26 | 朱樹勳翁逝く |
27 | 消防ポンプを一臺購入 |
28 | 臺中州荷車製造組總會 |
29 | 新稅令解說座談會 |
30 | 商組聯潮州支會豫算總會 |
31 | 高雄州警察幹部異動 |
32 | 地方便り |
33 | 今日の映畫 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 文藝 東亞が結ぶ友情(上)/富永次郎 |
02 | 南十字星 “米”以上のもの 今日の日本農民 |
03 | 子供時局 椰子の種類と利用 南方住民唯一の財產 |
04 | 甘い砂糖の話 栽培から製造まで |
05 | アメリカの國名の起源 |
06 | チーク材 タイとビルマの特產 |
07 | 圖像:田園畫譜(其九)大地豐收/藍蔭鼎 |
08 | 婦人說苑 獨映畫と女性/坂垣直子 |
09 | ラジオ |
10 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | コレヒドール猛爆 殘存の敵施設に巨彈 |
02 | 敵輸送船○隻投降 |
03 | セブ島殘存敵陣地爆碎 |
04 | 皇軍の攻擊熾烈(米陸軍省發表) |
05 | 英米陣營に大打擊 |
06 | バタアンの敗北 米國民の意氣銷沈 |
07 | 血迷つたか 米機の盲爆 |
08 | 長谷川總督 拜謁仰付けらる 統治狀況につき奏上 |
09 | 圖像:衢州空爆に向ふわが陸鷲 |
10 | セブ在留邦人 救出 |
11 | 司法辭令 |
12 | 敵全く沈默 |
13 | 帝國陸軍部隊上陸 タンジユンパダンに |
14 | 又モレスビー爆擊 |
15 | 獨空軍活躍 |
16 | 伊空軍も活躍 |
17 | 壯烈鬼神を泣かす バタアン總攻擊の肉彈戰 |
18 | 天然の要害 バタアン、コレヒドール 仲原南洋通信社長に聽く |
19 | 土大使伯林に歸任 |
20 | 米、商業航空徵用 |
21 | 對獨攻擊に 米空軍參加 |
22 | 蔣軍こそ緬甸の敵 今や住民怨嗟の焦點 |
23 | 立候補一段落 辭退者續出の模樣 |
24 | ソ聯人は我慢強い 建川前駐ソ大使歸京 |
25 | 英軍の非人道振 ビルマ水源地に昇汞水投入 |
26 | 英の瞞着手段の崩壞 英、印交涉決裂、獨外交通信論評 |
27 | 米の介入失敗 |
28 | 九軍神への島民赤誠弔慰金 |
29 | 大島駐獨大使ソフイア來着 栗原駐土大使と會談 |
30 | 朝日新聞特派員安田君戰死 |
31 | 立候補辭退 |
32 | 日銀改組委員會 |
33 | 神田芳明氏立つ |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 輸送戰士の挺身振 堂堂征く盡忠の赤誠 |
02 | 米正規兵卅餘名を捕虜 唯一人敵中に突入してこの土產 |
03 | “水產報國”を誓ふ けふ水產デー關係者神社に參拜 |
04 | 新竹の行事 |
05 | 基隆の行事 |
06 | 閑院若宮妃殿下 兩市遺家族授產場を御視察 |
07 | 征野千里・銃なき御奉公(八) 勞務團臺南州隊座談會 |
08 | コレヒドール要塞占領迫る 全島で國民校兒童の祝賀旗行列 |
09 | 督府定例局部長會議 |
10 | 藤岡軍兵務部長 諸學校の軍教訓練狀況を視察 |
11 | 故陳萬傳氏に旭八の恩命 |
12 | 少年保護座談會を開催 |
13 | 臺北州遺族部隊 晴の上京の途に就く |
14 | 基隆臨時市會 |
15 | 產めよ殖やせよに拍車 出產費貸金豫算增額 |
16 | 少年愛護“母の會” 忌憚なく意見を交換 |
17 | 島民感謝の献金 軍司令部十二日の受付 |
18 | 六○%が甲種合格 身體檢查終へて一齊に學科試驗 新竹州の志願兵合格者近く決定 |
19 | 早くも兵隊口調 基隆市郡志願者の學科試驗 |
20 | 海底列車の初驀進 五月末電化工事を終り六月上旬に實現 |
21 | 苧麻生產狀況調查 |
22 | 圖像:我軍の保護に樂しい生活を續ける昭南島捕虜達 |
23 | 不良劇團一掃 |
24 | 人事報社消息 |
25 | 煙幕 |
26 | 商況 十三日前場 |
27 | 興南詩苑漢詩 寄呈靜閣先生/郭茂松、寄呈指薪芸兄/郭茂松、寄呈禮耕芸兄/郭茂松、送濟仁君之內地/郭茂松、次說劍道人見贈韻/黃景南、贈說劍/黃景南、贈黃景南君/李逸鶴、次韻似逸鶴窓兄/黃景南 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | バタアン半島完全攻略 米比軍主力を擊滅 總攻擊開始以來八日で頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(十三日午後四時二十分)比島方面帝國陸軍部隊は堅固なる要塞によれる米比軍主力を擊滅し四月十一日バタアン半島を完全に攻略せり、總攻擊開始以來八日なり |
02 | 比島方面陸軍最高指揮官本間雅晴中將 |
03 | 臺灣軍司令官に 安藤利吉中將親補 |
04 | 部內有數の英國通 本間最高指揮官 |
05 | 安藤軍司令官の略歷 |
06 | セブ島戡定間近し 米比兵既に袋の鼠となる |
07 | 畏くも勳章御親授 廿八將星・五提督に |
08 | 本島に畏き大御心 長谷川總督謹話 |
09 | 北白川宮家別當に 橋本中將任命さる |
10 | 泰國使節東上 |
11 | 圖像:比島に於ける本間最高指揮官の閱兵(軍報道部貸與) |
12 | 印度洋作戰綜合戰果 |
13 | 比島の持久戰法 完全に破碎さる |
14 | サントス逮捕 セブ市に於いて |
15 | クリツプス悄然と歸る |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 東亞共榮圈建設の理念社說 一 皇軍將兵の果敢なる奮戰力鬪に依り、四箇月間にして米英蘭が誇る堅壘を拔き、數百年の久しきに亘り榮華の夢を擅にして來たのが打破られた。東亞十億民族も、これで漸く希望に輝く明日を迎へたのである。廣大なる地域と、無盡藏なる天然資源を米英蘭に蠶食されて、彼等の食慾を滿したのが、我が國の指導に依つて東亞人の東亞に還り着着として皇軍の占領した南方各地域で、共榮圈建設の為めに勇しい槌音が響いて居る。銃後の經濟建設に對しては、政府當局が言明して居る如く、各民族をしてその生活の安定を得させ大東亞戰爭完遂の為めに各地域の資源を活用する事となつて居るから、我が高度國防國家建設の意義も一段と加重されて居る從つて我が指導下に入つた各地域の經濟建設に對しては、政府は遠大なる計畫と、雄渾なる理念のもとに、雄雄しくスタートを切つて居り、南方渡航者に對しては嚴選主義を以て臨み、南方住民をして一攫千金の徒輩に禍されない方針を採用し善處する事となつたのである。 二 多年米英蘭に痛め付けられた南方民族をして、東亞人の東亞を建設させる為めには、我が溫き指導の手を差し延べる事が大事であると共に、彼等の慣習を尊重し、明朗なる東亞建設の勇士として奮起させるべきである徒らに小刀細工や自由主義理念を振りかざす事は、嚴に政府當局の方針として慎しむべき事である。殊に文化や歷史と宗教の異れる南方民族を指導して行く為めには、高遠なる理想を持たねばならないと共に、着實なる實踐を伴ふべきである。多年南方各地に於いて、根强き勢力と地盤を有する華僑の指導に對しては、軍當局が屢屢言明して居る如く、敵性を有する者に對しては飽くまでも之れを排擊しなければならないが、誠意を披瀝したものに對しては、我が協力者として之れを善導すべきである。食はず嫌ひや獨善主義は、我が大東亞共榮圈建設の為めには潔く之れを一擲し、雄大なる理想に立脚して、南方の開發を指導するのが急務である。 三 過去四箇月皇軍の奮戰により赫赫たる大戰果が擧げられ、大東亞建設に邁進せねばならぬ時我我は最早從來の如き島國根性を一掃せねばならない。東亞共榮圈建設の聖業を双肩に擔ひ、個人的感情や利害關係を沒却し國策遂行と東亞十億民族の幸福を計る勇士として起たねばならぬのである。かかる理念のもとに經濟建設と、文化工作に邁進する限り、如何に米英蘭蔣が策動しても何等恐れる所なく、着着として我が共榮圈建設が前進を續けられる。南方基地として重視されて居る本島在住者は大東亞戰爭の大戰果に感激し銃後奉公に邁進して居り、南方建設の為めには挺身難に赴く有為の人士が奪起して居る事は喜しい現象である。大東亞戰爭遂行の為めに銃後の建設は前線に劣らぬ重大任務を有して居り、島內に於ける建設事業に全力を傾注すると共に希望に燃える有為の適格青年は、之れを南方各地に送り出し、國策の尖兵として役立たすべきである。之れが東亞共榮圈建設に協力すべき本島の進むべき途だと思ふ。 |
02 | 秩父宮殿下に奉仕 御附武官として三箇年間 名譽の武人・本間雅晴中將 |
03 | 米英據點悉く覆滅 誇る堅壘・バタアン半島陷落 樋口參謀長喜びを語る |
04 | 感激と興奮の坩堝 擧島、戰捷に沸返る |
05 | 靖國の臨時大祭 式次第愈よ決る |
06 | 第一、第二日に勅使參向 |
07 | 關門國道本隧道 愈よ來月に貫通 |
08 | 奉公運動一周年 內臺一丸・和の金字塔 |
09 | 喜び一入深し 本間中將の留守宅 |
10 | 暗記物が大得意 本間中將中學校の同級中島臺北製糖所長語る |
11 | “本間雅晴中將は 比島の乃木大將” 十九期の級友齋藤兵器本部長談 |
12 | 專門醫者が應答 生活相談所四科に分けて |
13 | 銀幕の共榮圈 近く實現の運び |
14 | 今裕氏學士院會員に |
15 | 皇軍慰問書道展作品を募集 |
16 | 本島劇愈再出發へ 脚本檢閱規則公布で |
17 | 中學生用帽子に 島產戰鬪帽を採用か |
18 | ときの声 |
19 | 新竹州水利協會の協議會 |
20 | 滿洲に一流劇人を特派 |
21 | 藝術院賞受賞者 小磯、高村、川田三氏に |
22 | 簡易國講所 奉公班每に設置 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 豐漁祈願・勇士慰問 各地の水產デー行事 |
02 | 西子灣に合宿 高雄州保甲壯丁團の特別訓練 |
03 | 臺中州警察部會議 |
04 | 乳幼兒審查會 十九日臺南市で |
05 | 南方共榮圈の(五) 保健問題 盟邦タイ國の卷 |
06 | 稅務打合せ會 嘉義郡各街庄關係者を招集 |
07 | 感激の體驗談 新豐郡勞務奉公團座談會 |
08 | 臺中看護婦助手 第二班教養修了 |
09 | 皇奉山本總長 馬公で大獅子吼 |
10 | 士林演劇挺身隊結成式 |
11 | 臺中華僑聯合會定期總會 |
12 | 東港郡某組合の組合長等取調らる |
13 | 戰果の乳牛入來 畜產會・香港から二百頭買ひ付 民間に貸與、增殖普及 |
14 | 圖像:バダンの目貫通りに日章旗ひるがへる |
15 | 征野千里・銃なき御奉公(九) 勞務團臺南州隊座談會 |
16 | 檳榔の皮 人造板製造に成功 嘉義郡で企業化 |
17 | 宜蘭市商議所創立總會 |
18 | 淡水奉公壯年團 第二回常會開催 |
19 | 無敵海軍に感謝 武官府十二日取扱献金 |
20 | 新埔の防犯劇 觀眾に多大なる感銘 |
21 | 淡水郡道路協會總會を開催 |
22 | 馬事普及會通常總會 |
23 | 肉豚出荷打合 |
24 | 米穀局苗栗出張所開廳披露式 |
25 | 葬費を節約し 献金等に充つ |
26 | 龍潭陶社の社長 |
27 | 松村產婦人科醫院開業 |
28 | 苗栗實踐農業校 新入生百名を募集 |
29 | 人事報社消息 |
30 | 地方便り報社消息 |
31 | 今日の映畫 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺肥過燐酸工場 七月頃に竣工か 近く半額增資を計畫 |
02 | 國民徵用扶助制 本日より實施 府企畫部發表 |
03 | 米作農に米增配 農業勞働力確保に |
04 | 本島小作問題の 重大性と對策 (二)/陳逢源 |
05 | 鳳梨罐詰製造打合會終了 |
06 | 船舶運營會 近く業務開始 廣瀨中組支部長談 |
07 | 運營會臺灣支部 支部長近く決定 |
08 | 米穀組合剩餘金 處分に付懇談 |
09 | 臺灣證券業組合創立 組合長は松本大輔氏 |
10 | 一、二月分局營バス成績 |
11 | 臺中商議所議員 十五名內定發表 |
12 | 臺南州下各製糖 來月下旬壓搾終了か |
13 | 灣糖後壁林工場壓搾終了 |
14 | 廿五日の靖國大祭 各銀行、支店休業 |
15 | 經濟手帳 預金構成の變化 |
16 | 照明燈 |
17 | 商況 十三日後場 |
18 | ラジオ |
19 | 水滸傳(653)/黃得時;榎本真砂夫 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 陸、海鷲猛爆を續行 コレヒドールに對し |
02 | 北側砲臺殆んど沈默 |
03 | コ島は風前の燈火 |
04 | セブ市附近を急襲 |
05 | “戰ひはこれからだ” 本間將軍決意を語る |
06 | 大東亞共榮圈內の 一員として更生 比島政府ヴアルガス長官強調 |
07 | 比島人九名を死刑に處す |
08 | 光榮陸海軍將星の略歷 |
09 | 鹿兒島一區宇留島氏再出馬 |
10 | 米軍の鬼畜行為 比人兵を立木に繫ぐ |
11 | 圖像:バタアン半島戰線 |
12 | コカナダ港を爆擊 マドラス州北部の重要據點 |
13 | マドラス州大動搖 避難民でごつた返す |
14 | マドラス市民 避難を命令 |
15 | みじめな米兵捕虜 住民兵の歡心を買ふに汲汲 |
16 | 敵の投降者累增す 中支軍當局談を發表 |
17 | 我海軍指揮官訪問 マレー各州サルタン |
18 | 深圳墟まで運轉を開始 |
19 | ビリトン島は錫の主要產地 |
20 | 英、印度洋方面艦隊司令長官更迭 |
21 | 立候補屆出 |
22 | 獨伊空軍聯合部隊活躍 |
23 | チヤーチル英首相演說 |
24 | 治安全く回復 スマトラ島建設概況 |
25 | 國民貯蓄打合會 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 虐待と暴行に終始 投降比島兵が異口同音に暴く 米比軍のこの內幕 |
02 | 國語家庭總會 十八日開催に變更 |
03 | 純情・日の丸が綴る 乙女と見習士官の美談 |
04 | 圖像:バタアン半島戰線 |
05 | 白衣の天使第二班 新竹州隊大直で鍊成 |
06 | 荒木技師來新 |
07 | バタアン戡定の感激 軍司令部に献金殺到 |
08 | 總計三百八十萬圓 海軍への感激献金 |
09 | 第一線の體驗談 新竹州勞務奉公隊 十七日座談會開催 |
10 | 親睦軟式野球試合 |
11 | 老獪、英の分離政策 搾取に終止する英國と印度の歷史 三菱臺北支店長代理坂口清氏談 |
12 | 好評の勤報青年 南方から大量派遣を要望 |
13 | 本年の訓練計畫 臺北、臺中、花蓮港で |
14 | “感謝献納畫展”好成績 赤誠溢るる買上献納 |
15 | 基隆市バス值上 けふの市會で決定 |
16 | 戰果の乳牛 新竹州畜產會に十頭 |
17 | 奉納三線道路繼走大會 廿六日午前九時から |
18 | 興南詩苑漢詩 漢詩習作會課題 辛巳除夕讀韓愈送窮文/見龍、漢詩習作會課題 辛巳除夕讀韓愈送窮文/見龍、漢詩習作會課題 辛巳除夕讀韓愈送窮文/春盛、漢詩習作會課題 辛巳除夕讀韓愈送窮文/德賢、漢詩習作會課題 辛巳除夕讀韓愈送窮文/德賢、漢詩習作會課題 辛巳除夕讀韓愈送窮文/幼岳、漢詩習作會課題 辛巳除夕讀韓愈送窮文/幼岳、漢詩習作會課題 辛巳除夕讀韓愈送窮文/一鴻、漢詩習作會課題 辛巳除夕讀韓愈送窮文/培英、漢詩習作會課題 辛巳除夕讀韓愈送窮文/靖海、漢詩習作會課題 辛巳除夕讀韓愈送窮文/靖海、漢詩習作會課題 辛巳除夕讀韓愈送窮文/雲鵬、漢詩習作會課題 辛巳除夕讀韓愈送窮文/春梅、漢詩習作會課題 辛巳除夕讀韓愈送窮文/春梅 |
19 | 人事・消息報社消息 |
20 | 商況 十四日前場 |
21 | 興南案內報社消息 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 俘虜四萬を下らず バ半島總攻擊の戰果頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(十四日午後四時十分) 比島方面帝國陸軍部隊のバタアン半島要塞總攻擊開始以來四月十二日までに判明せる戰果の主なるもの左の如し 一、俘虜、少くも四萬を下らず內バタアン軍司令官キング少將、第一軍團長ジヨンズ少將、第二軍團長パーカー少將比島軍司令官フランシスコ少將及び師團長等將官十數名を含む、なほ米國軍は六千七百名あり 二、鹵獲品、重砲及びその他の火砲百九十六門、機關銃約三百二十挺、自動小銃約五百挺、小銃約一萬挺、戰車(裝甲車を含む)百二十四輛、自動車約二百二十輛、その他彈藥資材等多數 |
02 | 猛然勝利への突擊 田中部隊の敢鬪譜 |
03 | 高砂族の華華しい奮鬪 溫情溢るる本間最高指揮官談 |
04 | 時こそ到れり セブ島上陸に皇軍に協力の 印度兵初の殊勳 |
05 | 圖像:南方より油船の第一船橫濱入港 |
06 | 印度洋の大漁に雀躍 (上)一發必中の砲擊に敵艦大混亂 |
07 | 瞬く間に敵魚雷艇を擊沈 ○○艦の同乘記 |
08 | 見つけ次第叩き潰す ベンガル灣作戰に出動○○艦長は語る |
09 | 樞府、政府懇談會 |
10 | 英軍統帥部の缺陷 印度洋敗戰、倫敦の悲痛な空氣 スイス各紙の報道 |
11 | 一旦調印した條約 決して廢棄しない プラウダ紙の論說 日ソ中立條約締結一周年 |
12 | 長谷川總督 各閣僚と懇談 |
13 | 電送寫真取扱を開始 我國とアルゼンチン間に |
14 | 內相、選擧概況を報告 きのふの閣議で |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 比島の偉大なる大戰果 米英一路崩潰へ社說 一 頑敵米國が東亞侵略の據點として難攻不落を豪語し最後の足掻きを續けてゐたバタアン半島の殘存米比軍に斷乎最後の止めを刺すべく、去る三日神武天皇祭に總攻擊の火蓋を切つて以來、僅か八日にして御稜威の下日頃鍛へに鍛へた堅忍不拔と一死奉公の精神に燃える皇軍諸部隊は、文字通り不眠不休の活躍を續け、道なき密林地帶を切開き斷崖絕壁を攀ぢ、全線要塞の敵陣地を次次に屠り、猛進に驀進を續け、遂に米比軍の主力を擊滅し、去る十一日同半島を完全に攻略するに至つたのであるが、この輝しき勳功は我が皇ならでは樹立し得ない偉大なる金字塔でありこの赫赫たる大戰果に對し我我一億國民は、限りなき感謝を捧げると共に、新なる感激を以てこの輝しき戰果に應へなければならない殊に比島方面陸軍最高指揮官本間雅晴中將は本島と因緣淺からざるため今次米比軍の全面的殲滅に對し我我六百萬島民は深く心から喜ぶと共に、湧き上る感激の押へ□きを覺ゆるものがある、 二 惟ふに比島は、帝國の南進基地たる本島と地理的に極めて密接な關係があるため比島の完全戡定の一日も早からぬことは本島六百萬島民の日頃念願待望するところであつた、然るに敗殘敵軍は、天然の要害バタアン半島の一角に據つて蠢動を續け、之に依つて餘喘を保ち得るものと呼號してゐたが、一たび皇軍の猛攻に遭ふや、一たまりもな潰滅し今や指呼の間にある瀕死のコレヒドール島要塞も、我が布列した巨砲の猛威に運命既に旦夕に迫りつつある周知の如くバタアン半島は全島自然の要害を形成してゐるのでその地形を克服して進擊した皇軍の苦勞は一通りでなく、全く筆紙に盡せないものがあつた從つて斯る天險と要害を征服した皇軍の精銳振りこそは、全世界を三度驚倒させるばかりでなく、實に世界に冠絕せる神技であつた斯くてマニラ灣口のコレヒドール島の崩潰と相俟つて、東亞共榮圈內に於ける米英勢力の據點は、拔本塞源的に殲滅されこれによつて米英陣營に一大打擊を加へたことは申すまでもない、特にバタアン半島に於ける米比軍の崩潰は大東亞戰の緖戰に於けるハワイ大海戰の慘敗と共に重ねて米國防備力の脆弱性を暴露する結果となり、如何に反擊を呼號し天文學的に數字の軍備を列擧しても結局ル大統領の癡人の夢と化すべく斯くて米英は慘敗を重ねて一路崩潰の路を辿ることとなるであらう。 |
02 | 社說 本紙日刊十周年を迎へて社說 本社が日刊紙として雄雄しきスタートを切つてから、本日を以て滿十周年を迎へる。顧れば、大正九年七月十六日東京に於て創刊した月刊和漢文雜誌「臺灣青年」に端を發し、次いで大正十年五月「臺灣」と改題して以來、大正十二年四月更に半月刊「臺灣民報」を併刊、のち雜誌「臺灣」を廢刊して旬刊臺灣民報に全力を注ぎ、昭和四年三月週刊臺灣新民報の發行から、昭和七年四月十五日日刊紙として華華しく第一號を出すまで、實に幾多の苦境と難關を切り拔けて來たのであつて、今日六百萬島民の熱誠なる支援の下に、興南新聞として躍進の一途を辿りつつあるを思ふとき、洵に感慨無量なものがあるのである。 日刊紙として滿十年、其の前身たる雜誌臺灣青年の創刊から見れば、正に二十二星霜の歷史を有する本紙は、臺灣の政治、經濟、產業、文化等換言すれば臺灣統治の躍進發展に積極的協力をなし、島民の文化向上に對する啓蒙宣傳を使命とし傳統として、終始一貫全島民の熱烈な支持の下に剛健中正な言論に依つて、本島新聞界に特異な存在を主張し來つたのである。殊に支那事變から今次の大東亞戰爭に至るまで、大東亞共榮圈確立といふ帝國の世界史的大使命に鑑み、本紙は帝國の南進基地に於ける特殊言論機關としてこの指導任務完遂に全力を傾注して、六百萬島民を打つて火の一丸となし、鐵石の團結と不退轉の決意を固めつつ、今や臺灣一家を擧げこの大進軍を見るに至つたことは、御同慶に堪えない處である。 然し乍ら時局は前途尚多事多端、銃後國民は徒らに戰捷に醉ふことなく、あくまで世紀の聖戰を戰ひ拔き、東亞共榮圈建設の一途に邁進せねばならない。此の秋に當り、本社は愈愈益益使命の重且大を痛感し、國策協力、南方政策の遂行に寄與貢献するの覺悟を新にして、以て新聞報國の重大任務を全うしたいと思ふ次第である。 |
03 | 南方資源開發へ 產業戰士一千餘名集團輸送 軍政治下の諸地域に |
04 | 右手は最早不要だ 壯烈な戰死遂げた上島部隊長 |
05 | 從容と自決した瀨尾大尉 |
06 | 報告して散る伊藤少尉 |
07 | 本島の重要性強調 長谷川總督閣議に出席 |
08 | 殊勳の南鵬丸督府水產講習所試驗船 任務果し、表彰狀授與されて 乘組員一同元氣で歸還 |
09 | 產業奉公團運營研究會 草山教育會館で |
10 | 川崎大佐着任 初代花蓮港陸軍兵事部長 |
11 | 最善を盡したい 川崎大佐の着任感想談 |
12 | 產業總力發揚週間 六大都市で種種行事 |
13 | 石川鐵道部長に有志が陳情 新竹、竹東間の鐵道敷設問題 |
14 | 譽れの遺族部隊 新竹州下近く晴れの上京 |
15 | 士林演劇挺身隊結成式 |
16 | 高校の軍教狀況を 昨日藤岡兵務部長初視察 |
17 | “內地に劣らない” 藤岡兵務部長の感想談 |
18 | 防諜劇公開純益を献金 |
19 | 恤兵献金に二千圓 本社日刊十周年記念報社消息 |
20 | 續く捷報に感謝 武官府十三日受付献金 |
21 | 蘭陽地方志願者の銓衡終る |
22 | ときの声 |
23 | 建功神社祭に 多彩な奉納競技決る |
24 | 素晴らしい日本語熱 マニラ周邊日に日に明朗化 |
25 | 新竹茶業界に一陽來復 盟邦滿洲國に堂堂大量進出 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 希望の眼輝く若人 花蓮港の志願兵試驗 |
02 | 無風狀態續く? 立候補締切り迫る 臺中市商議選擧 |
03 | 晴れの修了式 白衣天使臺中州第二班教養なる |
04 | 高雄州班の修了式 |
05 | 圖像:暑い暑い、汗一ぽいになつて働いては木の蔭に樂しいアイスケーキを求める住民達 |
06 | 拔社埔保甲臨時會議 |
07 | キヤツサバ栽培を獎勵 鳳山耕作者に資金を貸與 |
08 | 赤ちやん健康比べ 高雄の乳幼兒審查會 |
09 | 花蓮港市銃後後援會發會式 |
10 | 農村組合に更生 臺南州米穀販購利組合 |
11 | 臺灣の物資は豐富 臺南市勸業課長平井氏の視察談 |
12 | 入所式擧行 |
13 | 中壢郡產組總代會日程 |
14 | 鹽埔庄銃後後援會發會式 |
15 | 集集街共愛會で 少年保護思想を徹底 |
16 | 彰化市方委月例會 |
17 | 新稅解釋懇談會 |
18 | 苗栗產業組合 近く農倉兼營か |
19 | 朴子建築組合通常總會 |
20 | 祝賀行事決つた 陷落せ・コレヒドール |
21 | 大甲消防組誕生 |
22 | 東石郡各產組總代會日割 |
23 | 紙芝居講習會 高雄奉公會 屏東で催す |
24 | 南方土俗研究會 |
25 | 臺南州魚苗組合第一回臨時總會 |
26 | 新高菓子商組合總會を開く |
27 | 水產デー 東港街行事 |
28 | 素人劇で遺家族慰問 |
29 | 豚を飼へ!豚を 增殖優秀者は表彰 |
30 | 農具修理班地方行脚へ |
31 | 高雄乘合バス 鳳山線等を刷新 |
32 | 斗六不正消防組員 近く送局の模樣 |
33 | 鳳山郡警察異動 |
34 | 朱樹勳翁の葬儀 |
35 | 人事報社消息 |
36 | 黃金橋、泉橋開通式 屏東郡の交通網整備 |
37 | 地方便り報社消息 |
38 | 今日の映畫 |
39 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺鐵の複線工事 集中的建設に變更 |
02 | 澱粉配給組合 愈よ十六日に創立 |
03 | 日銀株式補償審查會設置 |
04 | 本島小作問題の 重大性と對策 (三)/陳逢源 |
05 | 入鹿山技師南下 |
06 | 纖維品等物資配給會議開催 |
07 | 臺灣船具品商組合創立總會 |
08 | 豆債券賣出 來る二十日より |
09 | 市內豚肉配給を 一組合に統合 |
10 | 臺灣製鋼創立 七月より釘製造開始 |
11 | 臺灣精機擴張 配當は逐次增加 |
12 | 埔里工場產糖十二萬三千擔 |
13 | 橋子頭第一、二工場壓搾終了 |
14 | 加藤商會西貢 盤谷支店強化 |
15 | 照明燈 |
16 | 商況 十四日後場 |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(654)/黃得時;榎本真砂夫 |
19 | 何時も感謝を捧げよ!皇軍將兵に銃後の護りは防諜から! |
序號 | 標題 |
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01 | 猛烈的確なコ島砲擊 陸鷲、縱橫無盡に蹂躪 |
02 | セブ附近を低空爆擊 |
03 | ミ島中部要衝爆擊 |
04 | 十餘名の決死隊で 敵の要塞島を占領 バ半島攻略の無血の殊勳記 |
05 | 印度洋の大漁に雀躍 (下)一發必中の砲擊に敵艦大混亂 |
06 | 圖像:マリベレス米海軍基地に飜へる帝國海軍旗 |
07 | 立候補辭退 |
08 | 米軍は氣息奄奄 |
09 | 日本軍の勇猛に 震ひ上つた 捕虜ジ司令官の陳述 |
10 | 米比軍の首腦 續續捕虜となる |
11 | 艦艇海鷲作戰の妙 砲擊爆擊の確實性 印度洋の我大戰果 |
12 | 蔣介石夫妻 重慶に歸着 |
13 | 市民の避難を續行 カルカツタ外印度の東岸都市 |
14 | 佐藤駐ソ大使 モ委員と懇談 |
15 | 泰國、商務產業の二省を新設 |
16 | 立候補屆出總數 千百二名に上る 新人の進出が目覺しい |
17 | 圖像:バタアン戰線 |
18 | 櫻井陸軍顧問赴任の途へ |
19 | 戰跡記念碑 ジヨホール水道の渡過點に |
20 | 使嗾されたイラン對日斷交を決定 |
21 | 鐵道省辭令 |
22 | 英米民眾、幻滅の悲哀 東亞の政治的軍事的失敗で |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | “血の苦鬪”一晝夜 淚くましい戰友愛記 |
02 | “在留邦人淚の廣場” 暴虐極る當時の情景を一住民に聽く |
03 | 聖域で勤勞奉仕 保護少年代表の赤誠 |
04 | 圖像:南方建設の礎石として散華せる忠烈なる將兵への慰靈祭 |
05 | 今月中に献納式 軍馬献納の兩氏に受納許可 |
06 | 督府人事異動 臺北州產業部長に福澤氏榮轉 本格的補充は遲れる |
07 | 合格者に軍人魂 決定後新竹で訓練 |
08 | 各到着驛內に案內所を設置 帝都遺族歡迎陣 |
09 | 愈十八日から 新設宜蘭中入試 |
10 | 島都の祝賀行事 コレヒドール島の陷落愈迫る |
11 | 譽れの軍國家庭 故高橋三等兵曹嚴父談 |
12 | 基隆の子供の日 |
13 | 本社日刊十周年 記念表彰式 けふ會議室で擧行報社消息 |
14 | 企業許可令に關する懇談會 警察會館で開催 |
15 | 護れ導け・保護少年 保護週間けふ島都の諸行事 |
16 | 基隆市の行事 |
17 | 荒鷲と猿 比島爆擊に拾ふ 明朗な前線便り |
18 | 興南詩苑漢詩 謹步玉坡社弟還曆感賦瑤韻/嘯霞、訪綠野世友話舊/謝雪漁、輓辜菽廬宗先生/林石厓、謹步献三芸兄「歸來」瑤韵/鄭指薪 |
19 | 國語の家認定 新竹州二四八家族 |
20 | 人事 |
21 | 商況 十五日前場 |
22 | 督府、奉公會の 交流人事 參事に樂滿、森田兩氏 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 絕妙な陸海軍協調 航空擊滅戰の成功 行程二萬粁南方戰線視察富永少佐歸る頭條新聞 【東京發同盟】ビルマ、マレー、スマトラ、ジャバ、比島等南方占領各地を約三週間に亘つて具さに視察し十五日歸京した大本營報道部、富永龜太郎少佐は同日午後南方の生々しい戰況を左の如く語った 陸海軍の協調 今度廻つた行程は實に二萬粁に達する地球の半分の距離だと思ふ、ところがこの二萬粁の行程も今東亞戰爭の行はれてゐる區域から見るならば實に十分の一位の地域である、大東亞戰爭がいかに大規模に行はれてゐるかといふことはこの一言を以つても判ると思ふ、私が步いたこの行動圈內においてわが軍が行った上陸作戰は實に數十回に達するが唯の一回の失敗もなく全部完全に成功してゐる、勿論これは御稜威の致すところとは申せ陸海軍の緊密なる協同といふことが成功の唯一の原因ではないか、しかも現在でも我が陸軍は海軍に絕對の信頼と感謝の念をもつて非常によく協調し作戰をやつてゐる わが航空撃滅の成功 次はわが航空隊の優秀性といふことであるが私等はマレーに三日、ジャバに四日居たがわが軍の企圖した航空撃滅戰は完全な成功であつて樞軸國の武官から日本の陸海軍は何うしてこううまくいったかと言ふやうな質問まで受ける有樣であった、この成功は一體何で得られたか、從來ややもすれば英米の航空機が優れてゐるやうに言はれてゐたが私は現實にパレンパンにおいてホーカーハリケーン或ひは米國の誇る空の要塞が撃墜されたのを見て來たがホーカーハリケンも空の要塞□技術的に見て決して優秀なものではない、ハリケーンと現在わが陸軍航空隊の使ってゐる最新銳戰鬪機の性能を比較するとわが戰闘機の方が遥かに優秀である、戰闘精神に秀れてゐることは勿論だが技術的にも戰鬪技術、製作技術、決して敵に負けてゐないパレンバンでこのことをつくづく感じた、この精神と技術の優秀性があつて始めてこの航空擊滅戰が成功したのではないかと思ふ 用兵の妙 次に陸軍の作戰について言へばわが軍統帥の卓越といふことは始終言はれてゐるがこれを二三の例について言へばビルマ河岸を渡ってラングーンに向つて攻擊した時敵はラングーン附近に相當優秀な飛行機を集結、蔣の直系軍も約六箇師、それに米英聯合軍が北の方に於いてややもするとラングーンに向はんとするわが軍の背後を衝かんとする形勢にあった、これに對し色々作戰の手を使つたわけであるが要するにわれわれ少數の兵力を以てマンダレー方面の米英蔣の聯合軍を完全に抑へて一擧にラングーンを衝いた、この邊りの用兵の巧妙さは實に優れたものである、ジヤバ作戰で敵は何故ああいふ風に早く手を擧げたかジャバ作戰は御承知の通りアウラン岬、クラガン、パトロールといつたジャバの東部、中部、西部の三地區に上陸した、この三方面に一齊に上陸して敵に應援の暇なからしめるとともにわが軍は上陸するや否や直ちに敵の最大抵抗據點バンドンに廻つていはゆる分進包圍の態勢を執つて終った、更に東部地區から上陸した部隊はずつと敵の退路を遮斷し敵は袋の鼠とたつた、その上敵の云ふバンドン要塞の天王山とも言ふべき峠を抑へてしまった、それで敵は完全に手を擧げた 飛行機と戰車の戰 峠を占領される前に敵は優勢な機甲部隊をもつて勇敢にもチラチャップ飛行場を逆襲して來た、ところがその時は丁度わが軍の有力航空部隊があそこに行ってゐたのでわが軍の飛行機と敵の戰車の大遭遇戰が起った、われは何ういふ戰法を執ったかと言ふと敵の戰車が密林の中を一本の縱隊となってゐるのをその兩脇を叩いて動けないやうにし、そうしてバーンを爆撃して皆やっつけた、この飛行機對戰車の戰鬪といふものは完全に飛行機の勝利に終った、これは將來戰史に載せらるべきよい教訓であり又將來の航空部隊の戰闘に一つのよい指針を與へる材料になるものであるそういふやうに敵ながらも天晴れな逆襲をやった、けれどもわが航空隊のために一擊を喰って蹴倒されしかもバンドン要塞の一番重要な據點を占領されて逃げやうにも逃げ道がなく萬事休すで僅か九日で手を擧げたわけだ、即ちわが方の指揮統帥が非常に巧妙だったといふことが敵をしてかくも早く降伏させた原因となった、各方面の戰闘において將兵の訓練がよかったといふことは始終傳へられて來たことであるがバタアン半島の戰闘についてお話するとバタアンの戰は實に淚の出るやうな苦しい戰である、大體日中ちようど日本時間の午後三時過ぎは室內の溫度が三十六度(攝氏)炎天下になると五十四度(攝氏)で實に暑いさうしてバタアン半島のサンフェルナンドからバタアン半島の突端に至る間敵は徹底した焦土戰術に出で部落と云ふ部落は全部燒かれ橋といふ橋に全部破壞されてゐる、その中を進軍して行つた 飛行機と重砲と歩兵の協同 バタアン半島は全部堅固な大要塞でこれに對してわが軍は三日に總攻擊を開始して一日にして縱深數粁の第一線陣地を完全に取つた、これは結局飛行機と重砲と步兵の緊密なる協同によるものである、即ち最初飛行機が二時間餘徹底的に爆擊して引續き二時間餘重砲が徹底的に第一線陣地を叩くその後で步兵部隊が攻撃してゐたから歩兵は殆ど機關銃の彈を一發も射たず、するすると入ることが出來、斯くも堅固な陣地を一日で第一線陣地が落ちたのである、現地の軍隊は非常に昂めて居る、衛生狀態も比較的良くて着々と次期作戰の準備訓練に邁進してゐる、次に占領地の治安は極めて良好で占領地全般の地域に亘って殆ど心配することはない、われわれが夜間ヘッドライトをつけて自動車で走っても一つも心配がない、マレー人、ビルマ人、インドネシヤ人、比島人皆よく日本の大勝利に對して衷心から敬服してわが軍に尊敬の念を拂つてゐるといふのが實情だ、その半面ジャバ、ビルマなどにおいては華僑、英米、蘭人に對する反感は相當強くなつて來て居る 吞氣な俘虜 二十數萬に上る俘虜はこれを各主要都市の近郊の兵營に分散配置をして全部勞役に服させて居る、印度人の一部は高射機關砲などの要員として訓練をして既に作戰に使用してゐる、俘虜の狀態を見ると實際われわれは彼等の心理は判らないが實に愉快さうに勞働をやつてゐる、口笛を吹いたり實に朗かさうだ、シンガポールの話だが夕方兵舍に歸つてくると真裸で英國人が水道を出してお互にきやつきやつとかけ合つてゐる、あれが俘虜かと思ふと實に吞氣さうだ 本格な軍政 次は軍政の實情であるがビルマは今活潑な作戰が續行されて居るが、その他の地域においては一應作戰が終ったので本格的な軍政統治に當ってゐる、比島、マレーでは既に軍政顧問、司政長官などが着任して現地軍司令官の命令に基いて軍政をやつて居る、經濟、產業、金融、交通、通信といった樣な色々な問題も具體的に着々解決されて實際の政治が堅實に行はれてゐる、蘭印も兒玉伯以下顧問司政長官を迎へて漸く軍政が本格的に入らうとしてゐる、軍票の流通が非常に良いと云ふこともよくいはれるが非常な信用をもってゐる、寧ろ軍票を大事にし過ぎて使はないといった樣なことまである位だ、その次は資源の事柄たが大東亞戰爭は一面資源戰爭といふ使命をもつてゐる、既にマレー、ジヤバなどから一部の資源は內地に送られて居る、石油その他の重要な國防資源も逐次開發の緒について居る、砂糖等の過剩生產物資はもう他の重要なるものに振替られる樣に今色々研究されて居るところだ 在留邦人業に就く 在留邦人の狀況だが監禁されてゐた邦人の內救出されたものは既に各々その業についてゐる、これらの監禁邦人の話を聞いて見ると大部分のものは相當ひどい取扱ひを受けてその財產は掠奪されたり、競賣にふせられたりしたものが大多數です、昭南、ジヤバなどにゐた邦人の大部分は印度濠洲に拉致されてしまつた樣でごく一部のものが救出せられたに過ぎない 軍宣傳班の活躍 軍宣傳班のいはゆる徵用員といふものは今次大東亞戰爭の始めての試みで新聞記者、カメラマン、文士、畫家、放送關係者といつた樣な人達が各々徵用されて軍の宣傳班の有力なメンバーとして活躍してゐるが現在第一線に進出をしてこの活潑な對敵宣傳をやつたり或ひは記事を書いて內地に送ったり、或ひはジャバ、比島などにおいては軍政實施のため色々協力して居る、將來これらの人達の活躍によって相當いい創作も生れるだらういい映畫も必ず生れて來ると私は確信してゐる、要するに行つて見た感じが作戰は大體ビルマを除いて一應片が附いたが今後の軍政實施特にこの資源の開發には色々問題があると思ふ、單に軍政と言つても軍ばかりがやるんぢゃない、軍官民の總意を以ってこれをやり遂げなくちゃならない、今まで軍政要員を相當送つたがまだ足りない今後どしどしこういった人達を送ってそして本當に軍官民の總力を擧げて開發に當らなければならない、これが當って始めて大東亞戰爭といふものが完全にやりぬけ得られるのではないかと思ふ |
02 | 神速果敢な白晝上陸 セブ島攻略戰の詳報 |
03 | ホノルル第一區海軍區司令官更迭 |
04 | 樞軸側外交官 秘露某港を出帆 |
05 | 死してなほ持つ 崇高な攻擊精神 嗚呼血だるま二砲兵 |
06 | 圖像:印度洋上海空協力索敵に活躍する海軍部隊 |
07 | わが鵬翼コ島を蔽ふ 友軍の猛進擊、敵の潰亂ぶり 陸鷲谷口中尉の手記 |
08 | マリベレスの 夥しい戰利品 |
09 | 陸軍飛行師團司令部令 新たに制定、公布施行 |
10 | 米英兩國は攻勢に出るか 米參謀總長要求 |
11 | 佛の內閣改造 ラヴアル氏副首席就任 |
12 | 佛政府今後の外交方針 |
13 | 全國候補者の屆出狀況 |
14 | 立候補屆出 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 南方住民の教育基地に 本島に學校の增設を要望社說 一 皇軍の赫赫たる大戰果に依つて今や印度と濠洲を除き、大東亞に於ける米英勢力はバタアン半島の戡定を契機として根こそぎに一掃され、各占領地に於ける新政治體制の確立と經濟開發とが着着進行されて居り、之と並行して文化政策もこれから逐次に展開して行かなければならない。卽ち占領地住民達の心からの協力を得る為には、我が戰爭目的を速かに一般住民達に徹底せしめなければならぬが、これと同時に我が國文化の真髓を發揮して、常に物心一如の理念に基き、住民の生活面にも配慮をなし、皇道精神を中核とせる新東亞文化の發展創成を期して新秩序下に於ける共榮圈の建設に寄與しなければならぬ。之が具體的工作の方途として宣撫班の宣傳、或は新聞、雜誌の宣傳を通じて、東亞人の傳統的運命と共同體的觀念を喚起し大東亞の一體的結合を促進することも當面の急務であるが、更に將來は大東亞の宗教大會を開き、相互の理解を深め、興亞新秩序の完遂に寄與することも必要である又その他我國の諸文化を提げ、日本の偉大さを示し、我國の藝術の深み等を知らしめつつ、情操の面よりも東亞諸民族の相互理解を促進しなければならぬ。 二 又時折東亞學術會議を開催し我が國の學問的水準を示し、或は各地に各種自然科學の試驗場研究所を設立し、各種產業の改良、傳染病、風土病の撲滅等に貢献し、共榮圈內の科學的水準を引上げ、以つて各民族の安寧福利の增進に資するのも缺ぐベからざる方策である。かく文化建設については、以上のごとき知識階級の思想的指導と並んで學校教育と民眾教化を通じても行はなければならぬ。學校教育は先づ共榮圈建設の挺身たるべき人士を養成する特殊機關を設け、熱心なる志望者を選拔加入せしめ、又は各民族より優秀な留學生を多數送らしめ、指導教育し、或は國內の南方進出希望の青少年、在外邦人子弟の教育に力を注ぎ、これらの人人をして直接間接に現地民眾の教化に當らしむるのも頗る效果的である。 三 臺灣は地理的には南方諸地域と近接して居り、且つ氣候風土もこれらの諸地方と一脈相通ずる所がある。而も教育機關として綜合大學の臺北帝大を始めとして、各種の專門學校及び中等學校が整備されてゐる。又熱帶產業の開發、熱帶醫學、熱帶文化の研究基地として將又模範農園、模範試驗場として頗る重要なるもるのがある。先般上京中の梁井文教局長が要務を終へての歸臺談に「臺灣は地理的に見て南方進出邦人の子弟、華僑、マレー、ビルマ人等共榮圈の住民の教育場に適してゐる。これらの子弟を臺灣の中等學校以上の學校に收容しようとする案が東京の各關係向きと折衝を遂げた所非常な賛成を得たので、その問題と連帶事項を取纏め實現を圖りたい」と言明して居る。最も時宜に適した名案として絕大な賛意を表し、一日も早く案の具體化を希望するものである。只本島の教育機關は一通りは整備されてゐるが、その數に於ては決して充分であるとは云へない茲に於て南方教育基地としての面目を發揮させる為には、中等以上の學校は一層の增設を要するものと强調せざるを得ない。 |
02 | 待佗ぶ“對面の日” 靖國神社境內の諸準備 早くも八分通り成る |
03 | “靖國の繪卷”完成 上京の遺族に贈る |
04 | 感激で胸が一杯 高城艷子さん語る |
05 | 圖像:志願兵訓練所上棟式 |
06 | 榮轉に微笑む人人 官吏も職域奉公の一細胞 小澤、立川兩氏返り咲きの辯 |
07 | 責任は重大 那須新米穀課長語る |
08 | 御奉公に專任 橫山新高雄市長談 |
09 | 職責完遂へ 羽鳥新臺南市長談 |
10 | 離花は殘念 田中新基隆市長語る |
11 | 愉快だつた 家倉新桃園郡守語る |
12 | 打開すべき新生命多多 樂滿金次氏談 |
13 | 港都文藝講演會 |
14 | 野球好きで至つて明朗 故水田貞雄曹長遺族語る |
15 | 鍵の從軍・池田孃散る 香港攻略戰に不眠不休の活躍 |
16 | 尊い體驗を今後生かし度い 勞務奉公團員許接松君語る |
17 | 新竹二中の設置 有力者、促進に乘出す |
18 | バタアン半島 攻略戰の錄音到着 |
19 | 物淒い献金熱 大東亞戰爭勃發以來十日まで 海軍へ百廿三萬餘圓 |
20 | 松平女史が來臺 各地の「母の會」に出席 |
21 | 八實業校に獎勵金交付 |
22 | 川崎兵事部長 關係方面に挨拶 警察俱樂部で新任披露宴 |
23 | 彩管報國に邁進 皇軍感謝献納畫展が |
24 | 研究費の補助 臺大關係十九氏に對し |
25 | 三氏に博士號授與 |
26 | 花蓮港市銃後後援會發會式延期 |
27 | 臺南市兵事、社會兩課長任命 |
28 | 人事・消息報社消息 |
29 | 俘虜監督者 更に銓衡の上派遣 |
30 | 廣東班警官留學生本社訪問報社消息 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 榮譽は誰の身へ? 臺中州の志願兵推薦者略□內定 下旬より準備訓練 |
02 | 里港神社例祭 |
03 | 米麥競作會褒賞授與式 彰化郡農組主催 |
04 | 興亞の英靈七柱 二十日に高雄市葬執行 |
05 | 南方共榮圈の(六) 保健問題 北ボルネオの卷 |
06 | 創立記念式 高雄陸軍病院 |
07 | 締切つて見れば 二級議員は相當の激戰 臺中市の商議戰 |
08 | 坂口知事の農村事情視察 |
09 | 屏東郡商業奉公團結成式 |
10 | 臺中鄉軍南部分會 彰化市で晴れの發會式 |
11 | 祝賀用意は出來た コ要塞攻略の捷報を待つばかり |
12 | 屏東奉公壯年團理事會 |
13 | 保健組合役員會 |
14 | 九段の御社指して 花蓮港廳の遺族出發 |
15 | 滿洲國を紹介 嘉義座に於て映畫と講演 |
16 | 正確に米作獎勵金交附 高雄州留意 |
17 | 圖像:セイロン島のゴム栽培 |
18 | 臺南州の產婆受驗者八七名 |
19 | 多子家庭の條件 戰死者及不可抗力死歿者は生存者とす |
20 | 大戰果眼のあたり 臺中戰利品展大賑ひ |
21 | 九軍神に感激弔慰金献金 |
22 | 臺南州獸醫會議 十七日州會議室で開催 |
23 | 手製の慰問袋 近く戰地へ送付 |
24 | 島民赤誠の献金 二月中馬公海軍經理部受付 |
25 | 日曜日に廢品回收奉仕 賣上金を献金 |
26 | 胸戰くこの一戰 鶩く勿れ受驗者なんと二千名 全兒童、彰化中に殺到 |
27 | 桃園郡下產組總代會日程 |
28 | 乳兒を選獎 國民體位向上に |
29 | 愈よ實踐運動へ 臺中保甲婦女團幹部打合 |
30 | 每週に蠅一石 鹽埕、北野町兩派出所管內で 高雄市の傳染病撲滅 |
31 | 地方便り |
32 | 今日の映畫 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 樟腦の販賣擴張に 現行價格修正せん |
02 | 有價證券組合の 拂込資金決定 |
03 | 產報業務局長に三輪壽莊氏 |
04 | 關東州船舶運營會 近く大汽運航實務者に指定 |
05 | 砂糖の移出輸送漸次順調 |
06 | 各州米供出略完了 臺北州尚ほ督勵中 |
07 | 本島小作問題の 重大性と對策 (四)/陳逢源 |
08 | 灣糖定時總會 配當年一割二分据置 |
09 | 臺灣船具商組合創立總會終る |
10 | 後宮會頭辭任 本日總會で後任選出 |
11 | 協和會 廿日に創立 |
12 | 照明燈 |
13 | 商況 十五日後場 |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(655)/黃得時;碇政彌 |
16 | 輝く戰果に感謝の御奉公 債券で示せ銃後の底力! |
序號 | 標題 |
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01 | 圖像:バタン前線部隊敵全軍戡定の報に接し感激の萬歲を叫ぶ皇軍勇士 |
02 | 陸海鷲一齊に殺到 驟雨を衝いて猛爆 コ島の對空砲火今や微弱 |
03 | コ島に猛砲擊續行 |
04 | セブ市周邊を爆擊 |
05 | マ米參謀總長 英國王に謁見 |
06 | 總選擧の鳥瞰圖 (上)本格的逐鹿戰に入る |
07 | 全員を無事に救助 漂流する遭難御用船陸軍將兵 |
08 | 重慶に攻勢態度 中共決議して前線に指令 |
09 | 敵前海上を十五時間遊泳 僚機の決死的救助で九死一生 |
10 | 英空軍司令官行方不明 |
11 | 昭南島の學校 續續開校さる 日本語普及も遠からず |
12 | 英米油槽船石油損失量 |
13 | 印度回教徒聯盟は 自決權要求を堅持 |
14 | 獨軍司令部の戰況發表 |
15 | 米對佛物資輸送を中止 |
16 | 米政界狼狽 佛內閣改造に |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 巢立つ“銀旭部隊” 憲兵補晴の第一回の終了式 きのふ盛大に擧行 |
02 | 立派な皇軍の一員 至誠に終始する心身一致の訓練 生みの親石田憲兵隊長談 |
03 | 粉骨至誠奉公 代表張喜君の決意 |
04 | 伏見宮妃、久邇宮妃兩殿下 神奈川縣軍援事業御視察 |
05 | 天機奉伺電報 長谷川總督が奉呈 |
06 | 御沙汰書奉讀式 總督府內で |
07 | 臺北州の捧讀式 |
08 | 新竹州の捧讀式 |
09 | 圖像:憲兵補修了式記念撮影 |
10 | 勞務奉公隊歸新 所定の奉仕を終へ |
11 | 肉役牛の增產を計る 畜產事務打合會 |
12 | 軍人遺族東京職業補導所 第一回入所式 |
13 | 臺灣關係入所生 |
14 | 常會研究會 五部落を指定して開催 |
15 | 晴れの合格者決定 海洋訓練所へ五十名 |
16 | 榮轉に微笑む人人 働き甲斐あり 明知新宜蘭市長語る |
17 | 市民に濟まぬ 鳥海新花蓮港市長談 |
18 | 大いに勉強 府保安課へ榮轉の國弘氏談 |
19 | 白紙で臨む 柿原新高郡守談 |
20 | 一生懸命やる 角田臺東郡守談 |
21 | 產業戰士志願者殺到 十四日で定員を突破 |
22 | あすは少年保護記念日 保護精神の徹底に 公會堂で“母の夕” |
23 | 港都に住宅難 商議所、緩和に乘出す |
24 | 日灼顏を輝かして 海軍勞務奉公隊歸還 |
25 | 基隆に火事 |
26 | 公債消化には 貯蓄が第一 歸臺した中平稅務課長談 |
27 | 部下と一心同體 川崎花蓮港陸軍兵事部長 着任の第一聲 |
28 | 鮮魚配給制を實施 十五日から購買券で |
29 | 防諜標語防諜訓入選決定 |
30 | 興南詩苑漢詩 祝興南報日刊十周年紀念/內埔 鍾健堂、星社壬午春讌卽事/述三、壬午春讌/其美、壬午元旦夜對月有感/去衿 |
31 | 今夕の放送番組 |
32 | 人事・消息報社消息 |
33 | 煙幕 |
34 | 商況 十六日前場 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | コ島は物淒い形相 南側砲臺も全く沈默 陸海鷲猛爆頭條新聞 【比島○○基地十五日發同盟】去る十三日敵が最後の足搔きを續けてゐる比島コレヒドール要塞を強襲し北側砲臺を完膚なきまでに潰滅せしめたわが海鷲部隊は十四日更に大編隊を以て大擧同要塞を攻擊殘る南側砲臺の數箇所に對し大爆擊を敢行多數の命中彈を浴せたので堅固を誇る同砲臺も忽ち彈幕に蔽はれ二箇所より大爆發火炎を起したこれがため攻撃部隊に對し僅かに應戰を行つてゐた南側砲臺は爆擊終了後には全く沈默狀態に陷つた 【比島前線○○十六日發同盟】米比軍最後の據點コレヒドール島に對するわが巨砲陣の猛砲撃は十六日も早朝から續行され、これに呼應しわが陸鷲群は飛燕の如く同島上空を飛飛し敵陣に巨彈を浴びせたために同島は黑煙天に沖する物凄い形相と化してゐる |
02 | 正確無比の猛砲擊 |
03 | 砲擊戰今や最高潮 |
04 | コ島の末期愈切迫 |
05 | 英國下院に新增稅案提出 |
06 | 大東亞共榮圈內の 食糧計畫要綱 重政總務局長が放送 |
07 | 日本側入札漁區全部を獲得 |
08 | 西南支那一帶の バス事業停止 重慶當局命ず |
09 | 圖像:インド洋において活躍する我が海の勇士 |
10 | 少將に進級發令 壯烈な戰死と殉職の四大佐 |
11 | 森本大佐殉職 きのふ興亞院發表 |
12 | 四少將の略歷 |
13 | 哀惜に堪へない 殉職森本少將の死を悼んで 矢荻大佐は語る |
14 | 佛非占領地區 全米人の引揚 米領事館が勸告 |
15 | 防空監視令を公布 五月一日より施行 |
16 | 壯烈、自爆を遂ぐ 過ぐるスラバヤ攻擊 淺井少佐名譽の戰死 |
17 | 海鷲獨特の夜間航法 ダーウインの軍事機能潰滅 |
18 | 香港行政區劃と 行政機構決定 |
19 | 英機が突如 北佛を爆擊 |
20 | 親獨派勢力を占めん ラヴアル氏復歸、米英側絕望 |
21 | 著名な佛人と懇談を遂ぐ ラ氏、パリに着く |
22 | 翼協總會開催 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 新時代の國民性格社說 一 大東亞戰爭の赫赫たる戰果に基く共榮圈の建設は、今や單なる理念を描く時代でなく、既に現實的問題として之を遂行すると共に、之に世界史的意義を持たしめるには、八紘一宇の肇國大精神を發揮すべきである事は、既に一般國民の常識となつた。此の八紘一宇の濫觴は神武天皇の御卽位詔に宣はれたる「八紘ヲ掩ヒテ宇ト為ムコト亦可ナラズヤ」から由來する言葉にして其の一節に「今ヤ運コノ屯蒙ニ屬シ、民心朴素ニシテ巢棲穴住ノ習俗惟レ常トナレリ。夫レ大人の制ヲ立ツルヤ義必ズ時ニ隨フ。苟クモ民ニ利アラバ何ゾ聖造ニ妨ゲン」と詔し給ふた如く、文化の低い者は低いなりに其の傳統(習俗)と環境(時)とに隨順しつつ彼等を溫い心で利導しようといふにある。降つて嵯峨朝に至り歸降せし夷人の俘虜に對する待遇を規定した詔敕の一節に、「宮司百姓ハ彼ノ姓名ヲ稱へズシテ常ニ夷俘ト號べルガ、既ニ皇化ニ馴レテ深ク以テ恥ト為ス。宜シク早ク吿知シテ夷俘ト號ブル事莫カレ。今ヨリ以後官位ニ隨ツテ之ヲ稱ヘヨ。若シ官位ナクバ姓名ヲ稱ヘヨ」とあるが前記思想の發展形態であり早くも異族に對する差別待遇を强く否定されたのである。 二 斯くの如く、日本民族は原來異族に對する頗る調和的であり、相當の包容力を示したが、德川幕府の二世紀半に亘る長い鎖國政策のため、廣大な海洋に乘出した積極的行動性が壓へられ、偏へに土地的農業的傾向に導かれつつ封建支配の階級的地盤に立脚して所謂島國根性が堆積されたのではないといはれてゐる。これがためか、鈴木大拙氏が本年三月號の文藝春秋に於て「外のものを自分に取入れて自分の物としてそれに表現を與へ、歷史を添へてそれ丈で完全なものを作り上げる日本性格の攝取性、形式尊重性、歷史崇拜性は誠に見事なものであるが、斯く出來上つたものを其の儘の形で異種文化系統を持つ異民族へ移植せんとする時、日本人の性格中に甚だ非順應非包含的なものを感ずるのである。內に對してそれ程の獨創性を表現し得たのが、外に對する時は如何にも融通のきかぬ生長の原理を解し得ぬ化石的硬質なものを我等は自分の性格の底に看取する」とて自ら反省を加へつつあるは誠に味ふべき言棄であらう 三 此の島國的潔癖性が支那事變の經過と共に之を改造する必要ある事は夙に識者から唱へられ政府當局者に於ても、八紘一宇の大精神に基く近衞原則の確立、及び戰陣訓に依つて示せる如く我が氣宇の雄大にして高潔な性格を顯現された事は周知の通りである。最近文部省の編纂せる「國民の道」の一節にも「我國としては支那を誤らしめた大東亞共榮圈の一環として、新しき支那の建設に協力し、東亞並に世界が道德的に一つに結ばれる迄は、堅忍不拔の努力を必要とする」と宣明されたのも異曲同調といふべきであらう。殊に我國は現在東亞の廣大な地域に亘つて指導者たる事となつたのであるから、上古より脉眿として傳へられて來た調和包容性が今後環境の變化に伴ふて著しく高揚さるるであらうし、又此の新時代の國民性格が漸次生長するにつれて、本島各方面にも直接間接影響するところが少なくないであらうと思はれる。 |
02 | 駈廻る人間消火彈 「我が隊長」決死の溫情書 |
03 | ハルハ河畔皇軍奮鬪の圖 荻洲中將靖國神社へ奉献 |
04 | 戰時生活指導者地方鍊成會 女子青少年團員に |
05 | 一周年記念式擧行 十九日奉公會本部で |
06 | 奉公運動の行く可き方途 各參與、委員から意見徵集 |
07 | 安藤軍司令官に顧問を依囑 |
08 | 偉なる哉・六氏先生 |
09 | 燦たり・芝山巖精神 打ち建てた“不滅の教育魂” 全國師範修身書に輝く |
10 | 農會畜產會褒賞授與式 |
11 | 肥料增產狀況視察 稻田臺北州總務部長 |
12 | 圖像:御紋菓を拜受して感激の遺族 |
13 | 產業奉公團結成打合會 |
14 | 勤王烈士の遺烈を欽仰 十八日に第一回勤皇祭を執行 |
15 | 島民赤誠の献金 軍司令部十五日の受付 |
16 | ヨイ子供部隊の献金續續 |
17 | 盛大な記念式典 愛の法律公布されて滿二十年 けふ少年保護記念日 |
18 | 献金出し澁る國民 徵兵忌避早くも九百餘件に上る 哀れ・敗戰米國 |
19 | 海軍勞務奉公隊員歸還 立派に任務を完遂して |
20 | 少年保護座談會 |
21 | 東大の一投石 今後學生野球界の影響注目 |
22 | 榮轉に微笑む人人 仕事に趣味 井原高等課長談 |
23 | 古巢へ歸る 柳原府事務官談 |
24 | チブス豫防注射 |
25 | コレヒドールの陷落迫る 港都の祝賀行事決定 |
26 | 七星郡香花生產組合創立總會 |
27 | ときの声 |
28 | 臺北州漁網染料商組合 |
29 | 原因は煙草の火 |
30 | 竹內本社編輯總務退社報社消息 |
31 | 人事・消息報社消息 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 街庄の更生振作 高雄州監查委員會設置 |
02 | 戶稅事務打合會 |
03 | 畜產座談會 屏東會館で |
04 | 御沙汰書奉讀式 けふは行啟記念日 |
05 | 圖像:バタビア飛行場にて(整備に餘念なきわが荒鷲部隊) |
06 | 君が代少年讚仰週間 母校で墓前祭 |
07 | 石川少佐出北 |
08 | 懷しの故鄉へ! 淨汗奉仕終へた勤報隊 |
09 | 藝能對抗競技 高雄市東園青で |
10 | 防犯協會役員會 |
11 | 屏東郡警察課實彈射擊會 |
12 | 高雄商工人名錄 商議所より發刊 |
13 | 迫るコ島の陷落 高雄の祝賀準備なる |
14 | 新舊市長歡送迎會 |
15 | 臺南市長けふ着任 |
16 | 新稅令解說座談會 |
17 | 南方共榮圈の(七) 保健問題 北ボルネオの卷 |
18 | 養豚增殖競技 屏東畜產催す |
19 | 知識技能を磨き上げて 花蓮港桔梗クラブ鍊成修了式 |
20 | 南方水產座談會 |
21 | 少年保護週間に 紙芝居を上演 |
22 | 少年保護思想普及 紙芝居及映畫會 |
23 | 東興工業が賞金を献金 |
24 | 十年の辛苦酬らる 並木の龍眼、マンゴーが實る 收益を保甲に還元 |
25 | 清水產組總代會 |
26 | 臺南市軟式野球申込は廿二日迄 |
27 | 皇軍將兵慰問金第廿八回(敬稱略)領收報告報社消息 |
28 | 部落會書記の講習會を開く |
29 | 員林魚市仲買人豐漁祈願祭 |
30 | 鮮魚の闇 嚴重取締を要望 |
31 | 高雄圖書館再開 |
32 | 豐原青果物小賣商組合定時總會 |
33 | 新市長は立派な方 小島前高雄市長の勇退談 |
34 | 新生面を開拓したい 吉森前大屯郡守 |
35 | 梅野ビル竣工 |
36 | 海は招く! 臺南市營プール來月一日に開場 |
37 | 龔氏瑞珠女史逝く |
38 | 人事報社消息 |
39 | 地方便り |
40 | 今日の映畫 |
41 | 第三期決算公告/株式會社新集益商行 |
42 | 訃文:王友樹 |
43 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 南方農業再編成へ 棉作に第一步を踏出す |
02 | “大いに頑張る” 就任した木村新會頭語る |
03 | 臺北商議所會頭 木村副會頭を推戴 |
04 | 本島小作問題の 重大性と對策 (完)/陳逢源 |
05 | 近郊バスの市內乘入 市バスの讓步で解決 |
06 | 灣糖臺北工場產糖四萬餘擔 |
07 | 灣糖後壁林工場產糖卅五萬餘擔 |
08 | 橋子頭、第一、二工場產糖四十餘萬擔 |
09 | 臺灣澱粉配給組合 創立總會終る |
10 | 財津技師近く上京 |
11 | 山本事務官近く上京 |
12 | 照明燈 |
13 | 商況 十六日後場 |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(656)/黃得時;碇政彌 |
16 | 祈皇軍武運長久 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | パナイ島に上陸成功 作戰は有利に進展 |
02 | 米國も上陸を認む |
03 | 兵舍、陣地次次に破碎 敵の照準は滅茶苦茶 |
04 | コレヒドール連爆 米陸軍省悲鳴を擧ぐ |
05 | 大膽なアグノ河偵察 河中で浴びる猛射 高倉隊大活躍 |
06 | 甘蔗に貪りつく 淺ましい米比軍捕虜 |
07 | 各軍司令官軍狀を奏上 |
08 | 總選擧戰の鳥瞰圖 (中)新人候補への期待 |
09 | 立候補屆出と辭退 |
10 | 圖像:(バタビヤ發)海軍本部設立軍艦旗揭揚式 |
11 | 敵を山谷深く求め猛爆 |
12 | セブ市早くも力強い 更生の息吹きが動く |
13 | 大大的言論 應援に出動 阿部會長、政府各閣僚 |
14 | 樞軸國外交官等 オーリーンズへ |
15 | 事態聯合國に不利 佛內閣改造、獨の政策の成功 |
16 | 組閣順調に進行 ラヴアル、ペタン會談 |
17 | 米國、重要問題に當面 |
18 | 聯合國軍の指揮權紊亂 ル米大統領とカ濠首相狼狽 |
19 | 樞軸國人八千名拘禁 米司法省發表 |
20 | 蘭印前總督軍司令官等 取調べられん |
21 | 米掃海艇フ號擊沈さる |
22 | 泰國に交換學生三名を派遣 國際學友會で募集 |
23 | 英國戰戰兢兢 獨の近東攻擊說に |
24 | 運輸機關の移動を禁止 カルカツタより |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 皇國民の增強へ 興亞盟主の使命完遂の為に 一日より八日まで「健民運動」展開 |
02 | 譽の臺灣遺族部隊 先陣を承りけさ入京 |
03 | 第二班近く出發 |
04 | 輝やく航空日本 來月五日技術協會發會式擧行 |
05 | 圖像:九軍神遺族の記念撮影(於軍人會館) |
06 | 學校長會議 |
07 | 來れ・奉公の尖兵 奉公青年訓練所開設 |
08 | 六氏先生 師範學校用 修身書の全文 |
09 | 海軍に捧ぐ赤誠 武官府に献金續續 |
10 | 九軍神に弔慰金 |
11 | 九軍神に感謝献金 |
12 | 盟邦日本の賴母しさ マカツサル唯一の獨人語る和蘭官憲の暴虐振り |
13 | 圖像:敵の自爆に破壞された重油タンクの慘狀(メダン・デリー港) |
14 | 見事重責を完遂 港都奉公隊晴れの歸還 |
15 | 微笑しい軍國風景展開 基隆市郡志願者身體檢查終る |
16 | 先づ飼料獲得 新竹州の畜產增產計畫進む |
17 | 七十三翁も參加 百粁を三十時間で步く 強步大會明日開始 |
18 | 基隆產業奉公團 近く結成の運び |
19 | 麥粉やタオル配給 二十日頃家庭班通じて |
20 | 臺北州青年歌 講習を開催 |
21 | 興南詩苑漢詩 純青先生邀遊晴園賦呈郢政/杜仰山、純青先生寵招晴園觀梅恭賦呈政/李學樵 |
22 | 猛威を揮ふ腸疫 全市民!豫防注射を受けよ |
23 | 殺人犯檢擧 |
24 | 人事・消息報社消息 |
25 | 煙幕 |
26 | 商況 十七日前場 |
27 | 興南案內報社消息 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | パナイ島三州の首都 完全に皇軍の治下へ頭條新聞 【パナイ島○○十七日發同盟】十六日午後四時わが軍はパナイ島の西岸サン・ホセ市の南三粁のマランドーグ對岸に上陸直ちにサン・ホセ市を占領した、十六日占領したイロイロ、カピス兩市とともにここにバナイ島三州の首都は完全に皇軍の治下に入つた譯である |
02 | カピス市を完全占領 |
03 | 陸鷲パ島上空に殺到 |
04 | イロイロ市完全占領 わが軍の損害は皆無 |
05 | 交通上の要衝(パナイ島) |
06 | 圖像:戰線視察中の比島方面陸軍最高指揮官本間雅晴中將 |
07 | 三提督參內 祝酒を下賜せらる |
08 | 建川前駐ソ大使參內 |
09 | 總選擧戰の鳥瞰圖 (下)推薦制波紋の戰局 |
10 | 立候補屆出 栃木二區、小平氏 |
11 | 金融統制團體令 けふ公布即日施行 |
12 | 金融團體再編成 大體來月一ぱいで完了 |
13 | 普通銀行統制會の加盟銀行 |
14 | 俘虜五萬餘に達す 米兵の數は約九千 |
15 | 又モレスビー空襲 |
16 | 緬甸英軍の非人道 又も白日下に暴露 |
17 | ビルマ住民の強制引揚げ |
18 | 日本醫療團 設立委員任命さる |
19 | 桑港に空襲警報 |
20 | 印度軍護衛艦 インダス號擊沈 |
21 | 閣僚地方に出動 推薦候補聲援に努む |
22 | 候補屆出狀況 |
23 | 立候補辭退 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 大東亞戰と婦人の心構社說 一 大東亞戰が長期に亘るにつれて、國民生活の凡ゆる面に刷新や改善が要請せられるに至つたのは極めて當然であるが、これらの要請を完全に滿し得るには、婦人の覺悟や心構に俟つ處が頗る多い。婦人の仕事は、どつちかと云へば、非常に地味で、歷史の表面には、殆んど現はれないが、それだけに潜んだ强い力をもつて居り、國家を興隆させる原動力として陰に陽に大なる作用を及ぼすものである。楠公にしても、山陽にしても、また支那の孟子にしても、その蔭に、その裏に立派な母がゐてこそあんな大事業をなし遂げ得たのである。いや、例を過去や外國に求めるまでもない。真珠灣で護國の華と散つたあの九軍神の母を考へて見ても判るのである。戰爭に勝つのは精巧な兵器も必要であらう。豐富な物資も必要であらう。しかしこれらの兵器とこれらの物資を使つて戰爭を勝利に導くには、なんと云つても人間が一番大事である。この大事な人間を生み、且つ育てて行くのが、婦人に課せられた最大にして至高な天職なのである。 二 されば、今日の大東亞戰爭に直面して、婦人は如何なることをなすべきか。第一に考へられるのは、家庭生活の戰時體制化である。今後、戰爭が十年二十年長びかうとも、或は如何なる事態が勃發しようとも、立派にそれを乘り越えて行くことができるやうに、從來の因襲や傳統に再檢討を加へ、新しい考へと新しい心をもつて、凡ゆる生活に臨むべきである。今日の日本は、もはや昔の日本ではない。今日の婦人も亦昔の婦人ではない。日本は今、新しい世界史をつくりつつある。日本婦人も赤新しい婦人史をつくりつつある。過去の安易な生活は、凡てこれを一場の夢と考へ、全日本婦人は、現下の國家が真に要求する生活に向つて、雄雄しく總進軍を開始しなければならぬ。物資の節約、廢品の回收、貯蓄の勵行、防諜の完璧、防空の徹底等婦人の前には、なすべき仕事が山ほどあるのである。私たちは、これらの仕事をば、天が私たちに與へた又とない貴き試鍊だと考へ、これを立派に打克つことによつて始めて有意義な生活を營み得るといふ信念を持つべきである。 三 次は、次代の日本を背負ふ子女に對する教育態度である。これまで、子供は「家の寶」と考へられて來たが、今日子供はすでに「家の寶」ではなくして「國の寶」となつたのである。自分の生んだ子を强く立派に育てるのは、單に夫や子に對する務めだけではなくして、國家に對する大きな務めである。去年公布せられた國民學校令の第一條にも「國民學校ハ皇國ノ道ニ則リテ普通教育ヲ施シ、國民ノ基礎的鍊成ヲナス」とある通り、子女の學校教育も「皇國の道」に則つてなされるのである。從つて母たるものは、常に國家觀念に燃えて國體に對する敬虔な心情を養ひ、敬神崇祖の實をあげ、自ら進んで子女の模範となり、且つその精神を子女に植えつけなければならぬ。それと同時に、日本人が大東亞の指導者として將來一大飛躍をなす為に必要な大國民の襟度と豁達な氣宇をも自ら養ひ且つ子女にも吹込むべきである。とにかく、母の手には未來の人が抱かれ、母の懷には未來の人が眠つてゐる。國家の隆盛も、文化の發達も凡て母の手に抱かれ眠れる人の未來に懸つてゐる。今こそ女性は、天麗の本質と無限の力をもつて國士に應へ戰ひに加へ、大東亞戰爭に不滅の史彩を染め、來るべき新日本否、新東亞の創造に蹶起し挺身すべきである。 |
02 | 護國神社鎮座祭 五月廿三日から嚴かに執行 遺族を招き感激の社頭對面 |
03 | 本島初の盛儀 鎮座祭委員業務要領決定 |
04 | 芳澤駐佛印大使 きのふ歸任の途次寄臺 |
05 | 皇民奉公會部長會議 |
06 | 榮の奉耕者決る 新嘗祭献上の新穀 |
07 | 晴れの對面を待つ 入京した臺灣遺族部隊 |
08 | “伜の夜伽に來た 寒いと氣儘は云へぬ” 中央ホテルで遺族交交語る |
09 | 皇恩に唯唯感淚 福田上等兵の遺族談 |
10 | 地區別協議會 大日本青少年團 |
11 | 人事係主任に秋山屬 |
12 | 南方棉作と 本島の工業化 退京の加藤恭平氏語る |
13 | “隊長の仇を討て” 勇士達決死の突擊 |
14 | 甲板で萬歲絕叫 ○○艇三隻の手柄話 |
15 | 赤誠の献金部隊 軍司令部に續續殺到 |
16 | “母の夕”大盛況 きのふ臺北市公會堂で |
17 | “國語の家”總會 けふ市公會堂で |
18 | 盛大な記念式典 昨日少年保護法記念日 |
19 | 少年保護座談會 |
20 | 酒空壜の循環回收 |
21 | 橫田警察部長放送 |
22 | ときの声 |
23 | 病弱兒の健康相談應ず 乳幼兒審查會に何卒遠慮なく |
24 | 島民歌謠並豐年踊歌詞募集 |
25 | 山形縣下火事 |
26 | 原因は煙突の飛火 |
27 | 人事・消息報社消息 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 各奉公班に奉公塾 國語の普及に拍車 國語臺中州目指しての妙案 |
02 | 乳幼兒選獎會 屏東市は廿三日 |
03 | 臺南開山神社 廿九日宵祭三十日例祭 |
04 | 員林神社 鄉社に列格 |
05 | 落下傘部隊の (上)戰術的價值 |
06 | 臺糖瑞竹前で 行啟記念式典 |
07 | 臺中市官選商議 十五名きのふ發令 |
08 | 耐久厚生遠足 高雄奉公會催す |
09 | 花蓮港奉公會 班長連絡會議 |
10 | 締切つて千九百餘名 高雄工業に志願者殺到 |
11 | 臺南兵事區の徵兵檢查日割 |
12 | 圖像:大東亞の空を壓する陸鷲 |
13 | 花蓮港食料配給組總會 |
14 | 臺南市チフス豫防注射實施 |
15 | 大武山祠鎮座祭 廿三日に執行 |
16 | 高雄州一期作米 出廻り多少遲れる |
17 | 派出所落成式 |
18 | 移民協會定時總會 |
19 | 高雄州人事異動 |
20 | 乳兒の健康を審查 |
21 | 一生懸命やる決心です 羽鳥臺南市長着任第一聲 |
22 | 米集荷に萬全 管理倉庫買收實現 |
23 | 巫者にお灸 |
24 | 子寶を立派に育てよう 子供の日臺中の行事いろいろ |
25 | 豐原郡神岡庄神岡名望家林世昌氏 |
26 | 北斗家政女學 廿九日開校式 |
27 | 北斗郡產組總代會 |
28 | 解隊者報告會並に青年大會 |
29 | 傷病軍人及び遺家族慰安會 |
30 | 奉仕作業を訓練 北斗郡聯青等が |
31 | 潮州淑德女學校入學許可者 |
32 | 春のお相撲日は定つた 臺中州若人お待ちの日五月十日 |
33 | 草屯街產組總代會 |
34 | 東門區長更迭 |
35 | 中央會南投支會定期總會 |
36 | 溪湖保育園入所式擧行 |
37 | 何處へ行つても奉公精神は變らぬ 前北斗郡守古屋氏談 |
38 | 曾文華僑公會通常總會 |
39 | 人事報社消息 |
40 | 今日の映畫 |
41 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 米穀增產を目標に 多收競作會開催 一萬圓の總督賞は誰に? |
02 | 海上輸送官民懇談會 昨日鐵道ホテルで開催 |
03 | 臺灣拓殖定期總會 |
04 | 商議所の行衛と 全島の議員改選 (一)/林德富 |
05 | 東臺の食料品比較的豐富 大石碩氏談 |
06 | 吳阿欽商店 臺北へ移轉 |
07 | 南部操車場移轉 鐵道部課長會議で協議 |
08 | 石灰石島內自給 糖聯で積極計畫 來期廿萬瓲採掘せん |
09 | 全島轉業相談所議案出揃ふ |
10 | 灣糖旗尾工場壓搾終了 |
11 | 共榮圈內の 交易體制を整備 貿易統制令施行規則を改正 |
12 | 照明燈 |
13 | 商況 十七日後場 |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(657)/黃得時;碇政彌 |
16 | 祈皇軍武運長久 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 遺棄屍體四千五百 擊墜敵機百二十機 蘭貢攻略後の綜合戰果 |
02 | 濠洲空軍半身不隨 捕虜一青年將校の偽らぬ告白 |
03 | 圖像:バタアン攻略 |
04 | サンボアンガ攻略の落穗集 |
05 | 修理順調に進捗 カビテ軍港を見る |
06 | 三氏勳章傳達式 |
07 | 智利ハ外相訪米を拒否 |
08 | 判任官、吏員を簡拔 地方官吏不足の對策 |
09 | 特別任用令を 活用 內務省の補充 |
10 | 蔣政權奧地に 華僑二百萬流入 生計維持に苦しむ |
11 | バタアン半島米軍捕虜六萬 米陸軍長官發表 |
12 | 佛內閣總辭職を決行 米の對新內閣態度注目さる |
13 | ラ氏組閣に成功 閣員名簿を提出 |
14 | 敵機九機を擊墜 小癪にも京濱に來襲 |
15 | 施政方針案も既に起草 |
16 | 佛、米に再抗議 |
17 | 西歐獨軍占領地區の 獨軍最高指揮官更迭 |
18 | 米佛關係微妙 ウ國務次官談 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | “鄉軍”の組織強化 臺北、新竹、臺中三聯合分會 改組分離增設成る |
02 | “尊い參謀の宮さま”の本 五百冊を辜振甫氏寄贈 |
03 | 軍馬受納式 廿五日第四部隊で |
04 | 圖像:我軍を迎へ平和に還る蘭貢市街頭風景 |
05 | 第四回中央勤皇祭執行 |
06 | 遺族部隊第二班 晴の上京の途に就く |
07 | 新竹州隊出發 |
08 | 北露店行商人組合献金 |
09 | 九軍神に捧げる感謝 發表以來の赤誠の弔慰金 |
10 | 戰捷奉告祭執行 コレヒドール陷落の場合港都で |
11 | 征野千里・銃なき御奉公(十) 勞務團新竹州隊座談會 |
12 | 武官府に献金群續續 |
13 | 行啟記念國演會 國語新竹市を目指す 行事のいろいろ決定 |
14 | 目指す興亞の桃太郎 島都乳兒審查會始る |
15 | 公設質舖事務打合 |
16 | 百粁強步山野跋涉鍊成會 “さあ步け!步け!” スタート新公園を七百の健脚部隊出發 |
17 | 白衣の勇士映畫慰問 |
18 | 預金原簿整理に目鼻 業務開始の昭南郵便管理局 |
19 | 興南詩苑漢詩 次韵酬春梅女士/傅鶴亭、贈春梅女士/傅鶴亭、續中央山脈紀遊社子旅次/周定山、續中央山脈紀遊社子旅次 二/周定山、濁水溪/周定山、集集公園/周定山 |
20 | 參加員體力調查 強步大會を通して |
21 | 保育會總會 |
22 | 臺銀幹部異動 |
23 | 女子青年修練講習會 二十一日から開始 |
24 | 登山とハイク |
25 | 新竹州下街庄長大異動 |
26 | 煙幕 |
27 | 商況 十八日前場 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | バツシー市を占領 敵主力バ山に逃込む パナイ島頭條新聞 【パナイ島十七日發同盟】イロイロ市を攻略したわが○○部隊は北方へ遁走する敵兵を急追十七日夕刻先鋒部隊はイロイロのバツシー市を占領した同地に收容中と傳へられてゐた邦人は既にいづれかに拉致された模樣である殘存米比軍は五千餘と見られランパヤ(バツシー市北西十キロ)を衝れた敵主力は西方のバラオ山及びその南北一帶に逃げ込みつつある |
02 | 陸鷲、低空爆擊を敢行 |
03 | わが艨艟イ港入港 パ島附近の海面完全掃蕩 |
04 | 捕虜の米將官多數 バ半島米軍の損害 |
05 | 大內山御安泰 各相と重臣等相次いで參內 天機奉伺の記帳を為す |
06 | 東久邇宮殿下 各幕僚を從へさせられ 親しく御視察遊ばさる |
07 | 東條首相參內 天機奉伺の記帳 |
08 | 湯澤內相參內 |
09 | 原、鈴木兩議長參內 |
10 | 湯澤內相 首相と要談 |
11 | 佛印の親米的存在一掃せん |
12 | 緬甸人、心から協力 ラングーンの復興へ |
13 | 蔣軍の士氣頹廢 重慶に歸來、余賓福述ぶ |
14 | 泰國の首都移轉計畫 |
15 | 立候補屆出 群馬一區生方氏 |
16 | 泰國の方針 ピ首相議會で闡明 |
17 | モレスビーを空襲 |
18 | 英、蔣軍の軋轢激化 ビルマの敗戰を廻り |
19 | 反樞軸軍漸次退却 |
20 | 暴戾憎むべき盲爆 備へあれば何等恐れるに足らず 小林防衛總參謀長談 |
21 | 帝都市民冷靜 何等混雜、事故なし |
22 | 最少限の被害 我防衛部隊の奮鬪と 國民沈着機敏な動作 |
23 | 敵機は遁竄 西部軍司令部發表 |
24 | 隣組、警防團等迅速の措置 |
25 | 防空必勝を期せよ 名古屋、神戶に現はる |
26 | 何れも鎮火 わが損害なし |
27 | 空襲警報發令 北九州、中國西部 |
28 | 空襲警報解除 |
29 | 鐵道被害皆無 |
30 | 我鐵壁の警戒陣 |
31 | 燒夷彈の性能 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 米英愈愈死地に陷る ラヴアル氏組閣に成功社說 一 外電の報ずるところに依れば今回再び佛政府副主席として復歸するピエールラヴアル氏は、ヴイシーに於てペタン主席と會見後直ちにパリに赴き、占領地帶有力者と種種懇談を遂げた上再びヴイシーに歸還、佛政府改組を繞る諸問題につき、ペタン主席と協議をなし、更に閣僚候補と目される政治家多數を招致組閣について意見を交換するなど目覺しき活躍をなした結果組閣も思つたよりも順調に進み、去る十七日遂に同氏を首班とする新內閣の組織に成功した、周知の如くラヴアル氏は、現在フランス多數政客の中で、ドイツ當局の信賴が最も厚く、氏が去る一九四◯年十二月十三日、その親獨政策が餘り行過ぎたとの疑惑から、ペタン主席を始め反對派の不審を買ふこととなり、遂に下野の已むなきに至つたのであるが、この「ラヴアル事件」を契機として一時獨佛關係に龜 裂を生じ兩國內に面白からざる關係を齎すこともあつたが、幸にラ氏の後を襲つたダルラン副主席が、百方努力をなした結果、漸く事態を緩和するに至つたが、現下の歐洲時局が獨彿協力の一層緊密化を要求されてゐる今日、ラ氏の復歸は獨佛關係を從來より急速に緊密化せしめるものとして、全世界より頗る注目されるのである。 二 而してラヴアル氏が愈愈副主席として復歸し、首相、內相、宣傳相をも兼攝して實權を揮ふことになれば、フランス內閣は同氏を首班として親獨派たるドリオ、デアモアツセブノア、メシアンなど彼の股肱が、愈愈勢力を盛り返すこととなり、之を契機にラ氏は恐らくシユトラスブルグからリヨン、マルセーユに通ずる鐵道の實權をドイツに與へると共に、アフリカにあるロメル軍に對する物資給與に便宜を與へるなど對獨援助にまで進展するものと見られ、之に反し豫ねて獨佛離間に最後の望みをかけてゐた米英側を、絕望のどん底に叩き込み、その對策に狼狽させることは、明かである、卽ち英國はドーヴアー海峽を隔てて地理的に佛國に接近してゐるだけ、今後直接の脅威を受けるばかりでなく、春季攻勢準備を着着と進めてゐるドイツとしては、背後の安全を確保することによつて對ソ攻擊を强化し、ソ聯を擊破し得ることとなる、かくなつた曉には、ドイツは歐洲に於いて、我が國亦東亞に於いて、互に相提携して英米に當ることとなり、情勢は益益米英側に不利に傾きつつある 三 斯くてドイツは、この對佛工作成功の結果、南佛諸港をその勢力下に收めると共に、佛艦隊を接收して地中に於ける獨海軍の活動も活潑となり伊海軍の活躍と相俟つてスエズ、近東方面の脅威は一層加重されるのである、一方米國側は今次佛內閣改造の結果、ドイツはダカール、カナリー島、アゾレス群島にもその進擊基地を獲得するに至るので、南米のみならず米國自身もその脅威に晒されるに至るものとして非常に憂慮、早くも米議會筋では、西半球に於ける佛領植民地を占領すると共に戰火が西半球に及ぶことを豫想して南米に對し、先手を打つべく强硬政策を以て臨むべきであると絕叫してゐるが、今後果して佛艦隊の對獨引渡しが實現され、佛領北阿の諸地域が悉く獨軍の掌中に陷ることあらんか、西半球の佛領諸島が愈愈樞軸側により米海上交通線攻擊の據點として使用されることとなり、東西より兩面挾擊によつて米英は、一層早く死地に陷るであらう。 |
02 | 奉公會發會一周年 今後の大飛躍念願 齋藤中央本部長語る |
03 | 第二年目への躍進 良き地盤に開花結實 |
04 | 奉公運動の完璧 レコードで八十萬州民に呼掛く 新竹州・錄音機を購入 |
05 | けふ帝都見物 臺灣の遺族部隊が |
06 | 島都國語家庭第六回の總會 |
07 | 圖像:臺灣遺族部隊入京 |
08 | 齋藤總務長官 廿二日臺中へ |
09 | 軍司令部副官 炊事夫を募集 |
10 | 金融統制團體令 臺灣は六月一日に施行 |
11 | 沈着機宜の處置 大國民らしい活躍振り |
12 | 踏破る“千山萬岳” ゆふべ五時十分に金山へ突入 健脚部隊元氣百倍 |
13 | 壯者を凌ぐ元氣 七十三歲の本橋翁 |
14 | 優良衛生部落の表彰式擧行 |
15 | 產業奉公團運營研究會 |
16 | “馬頭觀世音”例祭 きのふ軍司令部で執行 |
17 | 空襲の中に入らぬよ 重光大使、倫敦空爆模樣を語る |
18 | ときの声 |
19 | 帽子製造工業組合の結成式 |
20 | 制服の乙女だち 武官府に慰問文献納 |
21 | 江門海關復活に決定 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 州民の鍊成を急ぐ 臺南州總務課長を國民道場長に 五月末頃から開始 |
02 | 地元で豫備訓練 臺南州・優秀志願者に實施 |
03 | 支部壯年團近く結成 花蓮港奉公會 |
04 | 里港庄銃後後援會發會式 |
05 | 桔梗クラブ訓練修了式 |
06 | 圖像:鹵獲敵戰車を操縱して○○に迫る我が戰車(於○○附近) |
07 | 天長節祝賀會 申込廿五日迄 |
08 | 橫山高雄市長着任 |
09 | 櫻花薰る九段へ 高雄の遺族達出發 |
10 | 鮮魚配給組合創立 屏東郡街庄長打合 |
11 | 田中勞務奉公隊現地報告座談會 |
12 | 員林郡奉公壯年團長の懇談會 |
13 | 圖像:末路は哀れ敗殘米國旗(バタアン戰線) |
14 | 潮州銃後後援會 評議員會終る |
15 | 粉身護國の覺悟 高砂族義勇隊理蕃課に便り 山の兄弟は敢鬪する |
16 | 少年保護思想普及大講演會 |
17 | 臺中戰利品展閉幕 觀眾六萬七千の多數 |
18 | 新高港灣都市 一路建設へ驀進 先づ道路營造に着手 |
19 | 國語普及に拍車 大溪で座談會開催 |
20 | 後里實踐農業學校合格者 |
21 | 豐原商業專修入學式を擧行 |
22 | 溪口庄に火事 |
23 | 新化農事諸品評會 褒賞授與式を擧行 |
24 | 乾溪道路延長 霧峰庄の計畫進む |
25 | 臺南州警察部異動 |
26 | 豐原洋服業者組合役員會 |
27 | 水揚唧筒で灌溉 新化郡下五百餘甲に |
28 | 馬の作文の當選者發表 |
29 | 配給不公平等で檢擧さる |
30 | 闇の豚肉業者を槍玉に |
31 | 沙鹿產業組合長李克明氏 |
32 | 訂正 |
33 | 人事・消息報社消息 |
34 | 地方便り |
35 | 今日の映畫 |
36 | 當選御禮:王𣐝、三振商行黃棟、安西金助等 |
37 | 第二回決算公告/中壢茶業株式會社 |
38 | 訃文:謝媽春 |
39 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 戰時金融金庫 首腦部任命發令 |
02 | 屏東乘合合同バス創立 |
03 | 杉原油脂工場 更に二倍擴張 南方の原料を利用せん |
04 | 桃園郡鹽乾魚小賣商組合結成 |
05 | 商議所の行衛と 全島の議員改選 (二)/林德富 |
06 | 中壢茶業總會 |
07 | 龍井產組總代會開催 |
08 | 新稅周知懇談會 |
09 | 連子鯛の豐漁 二十五萬斤に上る |
10 | 臺東製糖卑南工場壓搾終了 |
11 | 無線通信士講習修了式 |
12 | 灣糖北港工場壓搾終了 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況 十七日後場 |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(658)/黃得時;碇政彌 |
17 | 何時も感謝を捧げよ!皇軍將兵に銃後の護りは防諜から! |
序號 | 標題 |
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01 | 皇軍感激の握手迫る パナイ島南北より進擊頭條新聞 【比島○○にて十九日發同盟】パナイ島戡定作戰は着着その成果を擧げつつあるが十八日午前零時陸軍機の偵察によれば昨日に引續き十八日朝來所在の敵を擊碎してパナイ平原を北上中の○○、○○部隊は同日午前零時頃には早くもイロイロ、北方四十五キロのポトタン附近の線に進出、またカピスより鐵道線路に沿つて南下進擊中の○○精銳部隊はカピス南方三十キロ、パニタンの線に差しつつある、かくて南北相呼應しての進撃はパナイ平原の中半を奪取、南北兩軍感激の握手も數日の間に迫つた |
02 | 陸鷲パナイセブの兩島に活躍 |
03 | マンガル外二島占領(錫資源を確保) |
04 | ギマラス島二港を確保 |
05 | グヌンシトリ、シオバン占領 |
06 | スンバワ島の兩王 蘭兵全部を捕虜 皇軍の進駐を要請し來る |
07 | 皇軍を歡迎 パナイ島の住民 |
08 | 滿洲國外交部を設置 |
09 | 印度海兵全員緬甸を撤退 |
10 | 佛三軍最高司令部設置 |
11 | 空襲に對する注意 防空即生活の氣持で內務當局談 |
12 | 敵機の國籍別標識 一般國民は判別を誤るな |
13 | 備へよ空の鐵壁陣 米機の來襲は天に唾するもの 藤岡軍報道部長語る |
14 | 米陸海軍機の種類 |
15 | 新人の當選七割突破か 當落を決する第三期戰に入る |
16 | 佛の新內閣成立 |
17 | 獨軍司令部戰況發表 |
18 | 芳澤特派大使歸任 |
19 | シリア新內閣顏觸 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 防空必勝の心構 恐れず慌てず沈着に冷靜に 森部內務局長語る |
02 | 國民防空の手本 實君とみどりさん |
03 | 東亞局の大陸通 小澤廈門總領事寄臺 |
04 | 圖像:皇民奉公會發足一周年 |
05 | 新竹市の乳幼兒審查會 |
06 | 注目すべき諸點 今回の初空襲に就て |
07 | 非人道を提訴せん 日赤中川副社長談 |
08 | 流言を慎しめ 四五天延孝中將談 |
09 | 覺悟は出來た 山田わか女史談 |
10 | 油斷は大敵 木內きやう女史談 |
11 | 臺灣神社に參拜 皇民奉公會發足茲に一周年 中央本部で記念式擧行 |
12 | 各方面に打電 齋藤本部長名で |
13 | 新竹支會の行事 |
14 | 彩管の文化戰士に 筆の南進氣焰を聽く |
15 | 除草強調週間 新竹州・けふより開始 |
16 | 驚異的新記錄 所要時間は十三時五十九分 百粁強步好成績裡に閉幕 |
17 | “血壓却つて低下” 本橋翁元氣に語る |
18 | 蘭陽三郡空壜回收方法 |
19 | 明知宜蘭市長正式着任 |
20 | 士林演劇挺身隊 農村娛樂の尖兵として 雄雄しき新發足 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 鐵石の決意、固む 奉公會結成一周年に當り 各地で記念式擧行 |
02 | 志願兵第二次試驗 馬公で嚴肅に執行 |
03 | 屏東興農產組通常總代會 |
04 | 鳳山憲兵分遣隊 新廳舍落成式 |
05 | 臺中厚生產組通常總代會 |
06 | 高雄乳幼兒選獎 成績例年より佳良 |
07 | 臺南市でも乳幼兒選獎 |
08 | 「桃太郎出でよ」 來る「子供の日」行事 霧峰 |
09 | 農業戰士を養成 北港農民訓練所入所式 |
10 | 屏東商業奉公團結成式を擧行 |
11 | 窄き門の惱み 宜蘭中入試始まる |
12 | 切干藷標準查定會開催 |
13 | 中壢產組總代會 |
14 | 小島氏近く臺中へ赴任 |
15 | コ島陷落翌日戰勝奉告祭 |
16 | コ島陷落祝賀 神社參拜追加 |
17 | 竹北庄銃後後援會 晴の發會式を擧行 |
18 | 種牝牛種牝豚檢查を實施 |
19 | 少年保護座談會 |
20 | 屏東郡各街庄奉公委員會 |
21 | 鮮魚の試食 馬公の水產デー |
22 | 國語普及座談會 |
23 | 芬園產組總代會 |
24 | 桃園家政女學 上棟式を擧行 |
25 | 彰化菓子商組合通常總會 |
26 | 皇軍に梅干贈呈 彰化の夫人連汗だく |
27 | 臺南新舊市長歡送迎會 |
28 | 蒜頭信組總代會 |
29 | 中壢建築組合總會 |
30 | 奉公精神は何處でも同じ 榮轉の水溜氏談 |
31 | 彰化郡各產組總代會日程 |
32 | 國語座談會 常用週間に |
33 | 桃園鹽乾魚小賣商組合創立總會 |
34 | 新舊郡守送迎會 |
35 | 鳥海、中山兩氏の送別會開かる |
36 | 人事・消息報社消息 |
37 | 地方便り |
38 | 今日の映畫 |
39 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 文藝 東亞が結ぶ友情(下)/富永次郎 |
02 | 婦人說苑 妻の心境/坂垣直子 |
03 | 南十字星 セイロン島の佛教 なかなか興味深い |
04 | ラジオ |
05 | 子供時局 廣い土地・多い人口 印度とはどんな國か |
06 | 今週の歷史 |
07 | 週間子供新聞 |
08 | 何時も感謝を捧げよ!皇軍將兵に銃後の護りは防諜から! |
序號 | 標題 |
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01 | 淒絕!血の渡河戰 バタアン○○部隊の奮戰記 |
02 | “勇敢な水兵”再現 S二曹壯烈な最期 |
03 | 圖像:大東亞戰爭以來滿四ケ月香港占領總督部では去る十日九龍の假廳舍より舊香港上海銀行に移轉した。 |
04 | 武藤中將、某要職に 軍務局長に佐藤少將 |
05 | 佛空軍長官任命 |
06 | 各地の選擧情勢 |
07 | 居留外國人を登記 |
08 | 剛膽裸部隊の殊勳 「生ける不動明王」小林部隊長 |
09 | 大陸問題は依然 重要性失はない 及川興亞院總務長官視察談 |
10 | 立候補屆出現況 |
11 | パナイ島在留邦人四百餘名 無事皇軍に救出さる |
12 | 滿鐵副總裁に山崎氏 生え拔きの滿鐵人 |
13 | オランダ石油會社を砲擊 樞軸潛水艦が |
14 | 獨空軍の戰果 |
15 | 韋新外交大臣抱負を語る |
16 | ジヤバの金融機構 近く活動を開始せん |
17 | ペタン主席 國民の支援を要望 |
18 | 更迭理由を公式聲明 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺灣の基地的使命 聖上の畏き御言葉を拜し 長谷川總督・恐懼感激 齋藤長官謹話 |
02 | 賞賜物件傳達式 中村上等兵外十遺族に |
03 | 圖像:「夢の島」バリ島 |
04 | 國語演習會と國語の家認定 |
05 | 重要方策先議畫定 十八年度豫算編成に |
06 | 定例局部長會議開催 |
07 | 新教員訓示式 けふ市正廳にて |
08 | 神祇講習會を開催 |
09 | 軍報道部主任 牧大佐榮轉 內地の某要職に |
10 | 基隆商議員 選擧人名簿縱覽 |
11 | “產めよ健やかに” 臺北州の健民週間行事 |
12 | 九軍神への弔慰金 |
13 | 產業奉公團結成打合會 |
14 | 勤報青年新竹州隊還る |
15 | 奉公會臺北支會一周年記念 |
16 | 建功神社奉納相撲大會 |
17 | 未配屬將校決定 近く官報で告示 |
18 | 圖像:タイの乙女も皇軍に協力 |
19 | 臺所經費節約で慰問袋作成 |
20 | 勞協臺北市支部の總會 |
21 | 蕃地教育を刷新 新竹州當局愈よ本腰 |
22 | 戰歿者慰靈祭 北部スマトラで散華 |
23 | 野球リーグ戰延期 |
24 | 鮮魚類の切符制 新竹市二十五日から實施 |
25 | 慰問演藝會を開催 |
26 | 兵事係、課に昇格 新竹市・初代課長に大浦氏 |
27 | 野中新日本通運臺灣支社長着任 |
28 | 感激の献金品 軍司令部の受付 |
29 | 新竹州異動 |
30 | 興南詩苑漢詩 哭辜菽廬先生/嘯庵、“遊萊園”似幼岳、春梅/黃景南、次景南遊萊園韻/莊幼岳、逸鶴、景南、兩詞友來訪遊萊園有作/莊幼岳、偕逸鶴、幼岳春日遊萊園次韻/黃景南、謹呈權園先生/李逸鶴 |
31 | 彰化中學校合格者 |
32 | 煙幕 |
33 | 今夕の放送番組 |
34 | 商況 二十日前場 |
35 | 興南案內報社消息 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 精神力で連續出動 世紀の大鵬銀翼燦と輝く! 我陸鷲の「バタアン征服秘話」頭條新聞 【比島○○基地二十日發同盟】今次バタアン作戰における陸鷲郡の活躍は大東亞戰史上特筆すべきものであるがその赫赫たる戰果の蔭には幾多の淚ぐましき勞苦が秘められてゐる、以下は杉井文藏部隊長(富山市南田町)が記した「バタアン征服秘話」とも云ふべき尊い手記である、 ここバタアン戰場は四月三日總攻擊開始以來數日にして鎧袖一觸當るに敵なく只一部コレヒドール島要塞に餘喘を保つてゐるのみであるが今や比島征服全くなり、紺碧の空を世紀の大鵬銀翼燦と輝せてわが物顏に亂舞し、夜は銀河がこぼれる明い空に仰ぐは獨り友軍機のみ、しかもこの輝く戰果を齎したのは因より 御稜威の下にあらゆる準備と訓練に精進し來つた皇軍の精銳によるものであつて一度びこのバタアン戰場を訪へばその必勝無敵の航空部隊の潑刺たる情況を目撃し得るであらう、ここ○○飛行基地における一、二の情景を述べて見よう、パダアン攻略戰は航空部隊においては總攻擊に先立ち既に○○日より開始され 晝夜數次の出動によつて敵中樞陣地要部は次次に爆碎、總攻撃開始に當つては緊密に地上部隊に協力し、敵の抵抗を完膚なきまでに粉碎した、此間部隊の整備員は極めて僅少であり、一日數次の出動に應じ多數の大型爆彈の懸吊、燃料補給、飛行機の點檢手入れ、被彈痕修理など容易なる業ではなかつた、空中勤務者も整備員も文字通り一體となり、晝夜よく頑張り續けたが風土病、デング、熱は次次に貴重なる人員を減じた、しかし任務はあくまで完遂せねばならず、陷落まで○○日に亘り遂に精神力で連續出動を頑張り通したのである、部下は齒を喰ひしばつて罹病に耐へ或ひは零下十五度の○○米の高空に出動し或ひは炎熱四十度の地上整備に頑張らうとする悲壯な樣は胸のふさがる思ひであつた、 整備班長の身で自ら出動高射砲彈により、壯烈な自爆を遂げた鈴木中尉の如きは真に軍人の龜鑑であらう、ある時はまさに出動せんとする機の轟轟たる爆音の前に立つて今日も東天に面し瞑想してゐる、一曹長がある隊の最も優秀な操縱者として開戰以來○○回に亘り出動したが彼は一日も此瞑想を怠らないとの事、任務につくに當つて必らず心に御勅諭を拜誦した彼の空中戰士としての嗜みこそ必勝の信念を以つて完全死地に身を挺するわが陸鷲の心髓ともいふとが出來よう、今次バダアン攻略戰の輝かしい戰果の裏には平素の訓練に加ふるに過去◯ケ月に亘る生生しい體驗とを生かしたわが荒鷲の崇高なる努力と氣魄を忘れてはならぬ |
02 | “功一級”拜授のお祝 長谷川總督友人知己を招いて |
03 | 早くも建設の鶴嘴 パナイ島のア銅山に |
04 | パ島の敵の旨い偽裝 飛行場は全く畑と同樣 |
05 | メンタウエイ諸島 |
06 | 東印度再渡航態勢 整備全國協議會開く |
07 | 真劍なる翼贊選擧 既定方針通りに斷行 湯澤內相、方針を闡明 |
08 | 立候補者 千七十八名 所屬別の內譯 |
09 | 立候補辭退 |
10 | 滿國通信社理事長 |
11 | マ、ホ米に歸國 |
12 | 圖像:印度洋を制壓する帝國艨艟 |
13 | 泰國公使のアグレマン承認 滿洲國政府 |
14 | 地域支部設置 學徒體育振興會 |
15 | “日本軍の猛烈爆擊 コ島地下刑務所內で溜飲下る” 比島サ獨立黨ラ副黨首は語る |
16 | 桑港とサ地區に 空襲警報發令 |
17 | 緬甸の交通通信機關接收 重慶が英から |
18 | 根本、安達機壯烈な自爆 |
19 | 佐藤新局長の 活躍期待さる |
20 | 異動將官以下の略歷 |
21 | 敵航空母艦三隻 我が反擊恐れて退却 |
22 | 一億國民一層固む |
23 | 各方面賞讚の的 學校報國隊の活動振り |
24 | 米機の性能 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 防空必勝の要諦と島民社說 一 米國機が去る十八日我が本土に來襲したが我が空地防空部隊の反擊に依り敗走した事は、益益一億國民の決意を强固ならしめた以外に何等の效果がなかつたのである。米英蘭が南方に於いて、皇軍の果敢なる攻擊に依りもはや全面的慘敗に歸したので、彼等はゲリラ戰を取ることは、國民の覺悟してゐる所である。その空襲振りは全く盲爆であり、軍事的には何等の被害がなかつた。米機の今回の盲爆は自國民を一時瞞着する宣傳に利用せんが為めである。我が金城鐵壁の防空陣の神速果敢なる反擊と、平素の訓練と、隣組、防衞團、消防隊の勇敢適切なる行動に依り、被害を最少限度に喰ひ止めた事は、我が防空陣の堅固であつた事を示し、誠に心强い限りである。大東亞戰爭が勃發して以來、敵國機の空襲のある事は、豫ねて豫期して居る事であり、今後もあるものと覺悟せねばならない。 二 帝都市民が、今回の敵機來襲に對し示した沈着なる態度は、東部軍司令部の發表した如く、六百萬市民及び軍官民の防護陣が、戰時下の大國民に相應しく沈着にして機宜を得たものであり、大いに賞揚されると共に、全國民が尚一層の緊張と協力を希望されて居る。南方基地としての本島に於いても、國民防空訓練の重大性を認識したと共に訓練と防備□精致であれば空襲は敢へて恐れるに足らない事は、島民としても充分に知らねばならない事である。從つて今後は敵機が如何なる時に襲來しても、島民が少しも慌てない心構へと、訓練を為すと共に、吾吾は第一線に立つ將兵と同じく、防空の戰鬪員であるとの自覺を堅持し、剛健なる報國精神を昂揚し、個人的利害關係を沒却し、一致團結すれば、如何に敵機が襲來しても少しも恐れる必要がないのである。島民としては防空當局の指導を遵守し、士氣を振起し、國土防衞の戰士として、防空の備へを固くすることが何より緊要である。 三 近代戰爭は、高度なる國防戰を展開するものであり、從つて武力戰であると共に、經濟戰を伴ひ神經戰を特色として居り、銃後國民の神經の混亂不安を惹起して、その目的を達せんと總ゆる謀略を講ずるのを常套手段と為して居る。防空必勝の要諦は、防空訓練と施設の完備に俟つ所多大であるが、その上でも銃後國民が平素の鍊成を活用し、種種なるデマや惡質なる宣傳に乘ぜられない用意を持つべきである。如何に米英機が我が防空陣の目をかすめて襲來しても、銃後國民にして一致團結防空、消火、救護に當る限り、その被害を僅少に止めることが出來るのである。只恐れるべきは、無智なるデマの橫行と無統制なる混亂である。國策遂行の第一線に立つ本島が、防空陣を强固ならしめると共に、全島民が防空當局の指示に從ひ、各各の職場を守り、總ゆるデマを封鎖し、日本國民として義勇奉公の精神を發揮すべきである。これが防空必勝への要諦だと思ふ。 |
02 | 全島の各神社に 赤誠の日本畫奉納 本島畫家の彩管報國 |
03 | 意義深い企て 梁井文教局長談 |
04 | 奉公運動の一翼 美術家寫真家圖案家を打つて一丸に 宣傳美術奉公團結成 |
05 | 花蓮港陸軍兵事部 三十日開廳式を擧行 |
06 | 圖像:アンダマン群島ローマ島住民を引連れて島內掃蕩に向ふ勇士 |
07 | 臺灣俱樂部定例午餐會 |
08 | 赤誠の献納畫 代表者が陸海軍に手續 |
09 | 翼贊選擧の重要性 挾間組織局長の放送 |
10 | 第九回遞信記念式 |
11 | 堆肥增產督勵 三輪知事蘭陽へ |
12 | 健民運動強調週間 新竹州實施行事決る |
13 | 武官府に赤誠の献金 |
14 | 只、官民の支援に俟つ 鳥海市長着任辭 |
15 | 不撓不屈鐵の意志 關門國道隧道踏破記 |
16 | 圖像:バタアン戰線で我が軍の捕虜となつた敵兵 |
17 | “指導機關の設置” 在京學生長谷川總督に要望 |
18 | 臺南農會議員選擧 最高得點五七票 |
19 | ときの声 |
20 | 避難民も續續歸る イロイロの街で拾つた插話二つ |
21 | 債券の消化に 負擔額を決定 |
22 | 日葡間國際無線電話再開 |
23 | 宜蘭市乳兒選獎審查會 |
24 | 宜蘭市教育會總會 |
25 | 人事・消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 英靈永へに安かれ 高雄市葬嚴そかに執行 |
02 | 更に實習鍊磨 臺南州の看護助手第二班 |
03 | 皇奉彰化支會一周年記念式 |
04 | 南投の記念日 |
05 | 桃園の記念日 |
06 | 觀音の記念日 |
07 | 魚池神社地鎮祭 嚴肅に執行はる |
08 | 圖像:アキヤブ攻擊に向ふ海鷲部隊 |
09 | 高雄商議戰活潑化 |
10 | 海洋健兒出發 |
11 | 西村保安課長着任 |
12 | 榮轉の小玉氏赴任の途につく |
13 | 御協力を切望 清原臺南署長 |
14 | 勞務奉公隊員を中心に 體驗談、座談會を開催 |
15 | 現場關係者慰問 森田知事ら新高港へ |
16 | 慈しみ深き我らが將士 遙遙前線から震災義捐金寄贈 |
17 | 嘉義軍援會總會 |
18 | 北斗豐里村移民記念式 |
19 | 高雄州警察部射擊大會 |
20 | 甘藷獎勵に北斗郡躍起 |
21 | 花蓮港銃援會誕生 |
22 | 荒木警務局長高雄州下視察 |
23 | 國語常用獎勵懇談會 |
24 | 桃園の演劇挺身隊好評 |
25 | 國語常用を強調 桃園週間中行事 |
26 | 國語記念日に双葉會で活躍 |
27 | 新高郡守歡送迎會 |
28 | 滅私奉公の念愈よ固し 花蓮港市青年第一種訓練修了 |
29 | 柿原薪高郡守 事務引繼に來任 |
30 | 養豚獎勵に精選糠を特配 |
31 | 赤ちやんの天下 此處も彼處も桃太郎ばかり |
32 | 母の會と座談會 |
33 | 高雄市立旭青年學校入學許可者 |
34 | 臺中春競馬 五月廿三日より |
35 | 空壜多數を回收 淡水郡廢品回收週間 |
36 | 市場の雜沓緩和 鮮魚買入には制限 切符持參のこと |
37 | 人事報社消息 |
38 | 地方便り |
39 | 第六回決算公告/東洋メリヤス株式會社 |
40 | 今日の映畫 |
41 | 訃文:簡野仁輔(簡仁北) |
42 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 驛作業苦力賃及び 貨物取扱料金引上げ 運輸組合特別委員會で研究 |
02 | 畜產興業會社 屑米の配給を陳情 |
03 | 全島轉業相談所會議終る |
04 | 商議所の行衛と 全島の議員改選 (三)/林德富 |
05 | 東洋メリヤス株主總會 |
06 | 洗濯石鹼會社 近く設立準備中 |
07 | 日糖、北港潭子工場、製糖終了 |
08 | 高雄商議所官選議員內定 |
09 | 臺拓の子會社 クローム工業設立 |
10 | 湯河元威氏近く來臺 |
11 | 臺東製糖卑南工場製糖終了 |
12 | “トマトの移出 將來大に有望” 植檢所長三坂博士談 |
13 | 化成工業の洋灰 來月製造開始か |
14 | 照明燈 |
15 | 商況 二十日後場 |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(659)/黃得時;碇政彌 |
18 | 輝く戰果に感謝の御奉公 債券で示せ銃後の底力! |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | パ島敗敵を銃爆擊 陸鷲が銀翼を連ねて |
02 | カリノグを占領 |
03 | 脫走の敵船を爆擊 |
04 | 敵裝甲車群に體當り 友軍の戰鬪を有利に導く |
05 | 圖像:軍旗を捧じてマリベレスジヤングルを進擊する皇軍部隊 |
06 | 時局評論 選擧への期待/室伏高信 |
07 | 濠洲軍司令官任命 |
08 | スラバヤに 野戰郵便局開設 |
09 | 爪哇金融關係業務を再開 |
10 | 重慶政權焦慮 緬甸油田喪失で |
11 | コ島要塞の運命を象徵 我爆彈に米國旗地に墜つ |
12 | ノ號引揚中に再び火災 |
13 | 戰時災害保護法 けふの閣議に上程決定 |
14 | 果敢なる空中反擊 ○○飛行隊の戰鬪報告 |
15 | 翼協臨時總會 選擧作戰を協議決定 |
16 | 佛新內閣の方針 ラ主席の放送演說 |
17 | 佛國民の革新 ラ內閣最初の試金石 消息筋が見解を發表 |
18 | 敵側の報道 奧村次長報告說明 |
19 | ラヴアル內閣を歡迎 佛印一般の空氣 |
20 | 翼協積極的の應援運動展開 八割確保を目標に |
21 | 勞働作業衣 百廿五萬人分配給 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 建設戰に挺身活躍 イロイロ市で救出された邦人 |
02 | “一人でも餘計に” カーキ色の團服も凜凜しく 志願兵豫備訓練開始 |
03 | 迫る感激の社頭對面 臺灣部隊、入京受付共に第一陣 |
04 | 戰果に捧ぐ感謝 軍司令部廿日受付献金 |
05 | 武官府へ献金群 |
06 | 竹南郡民の赤誠 十萬三千餘圓を軍司令部に献金 |
07 | 無敵潛艦同乘記 大和魂凝る鐵鯨(一) 七つの海吞吐の威力/山岡莊八 |
08 | 社會教育官に 坂上屬が昇進 |
09 | 小野新市氏當選 |
10 | 圖像:大東亞戰爭特報 |
11 | “亞細亞的”建設へ 陸軍囑託櫻井兵五郎氏寄臺 |
12 | 國家線に沿ふて 杉田陸軍司政長官の抱負 |
13 | 齋藤總務長官 大甲溪電力工事視察日程決る |
14 | 虎病の撲滅陣 新竹市で檢眼を實施 |
15 | 人事・消息報社消息 |
16 | 煙幕 |
17 | 今夜の放送 |
18 | 興南詩苑漢詩 (缺題名)/黃春、晴園觀梅吟席賦似黃純青年兄/倪炳煌、南方戰捷/王獎□ |
19 | 商況 廿一日前場 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 堂堂觀兵式を擧行 波濤萬里のスラバヤ原頭で 聖壽の無窮と彌榮を壽ぐ 天長の佳節頭條新聞 【スラバヤ二十一日發同盟】新生ジヤバ島に早くも力強く天長の佳節が迫り波濤萬里赫赫たる武勳に輝く將兵達は感激新たなるものがある、當日スラバヤ陸海軍兩部隊は夫夫嚴肅な遙拜式を擧行する外陸軍○○部隊ではスラバヤ原頭に堂堂の觀兵式を擧行聖壽の無窮と彌榮を壽ぐことになつてゐる、更にスラバヤ市でも二十九日を中心として前後三日間を天長節市民祝賀日として聖壽萬歲を壽ぐことになつた、即ち先づ市內の入口三箇所に大アーチを作りシンパン、トンジユンガン等スラバヤ銀座の目抜きの商店街一帶は日本式の裝飾を施し、その裏町の原住民カンポン部落も華人街も同標花飾りを以て埋め特に華人街では爆竹を鳴らして祝意を表し廿八日から三十日までは花電車を運轉することになつてゐる、一方二十八日から三日間は市民運動場でフツトボール大會及びジヤバ色豐かなる原住民のコロン民謠大會を催し二十九日は午前九時から市民の旗行列、午後九時からは假裝行列等が行はれることになつてゐる |
02 | パナイ島の戡定成る 住民は我が嚴たる軍律に安堵 |
03 | 圖像:南方○○基地に出動を待つ海軍新銳機群 |
04 | 歸米マ參謀總長 ル大統領と會談 |
05 | パ島縱貫路完全確保 わが南北兩部隊握手 |
06 | 小賣業整備の方針 閣議で決定、地方長官に通牒 |
07 | 整理の具體的な 細目及び業種 商工省から近く通牒 |
08 | 擊墜破百四十機 モレスビーダーウイン方面綜合大戰果 |
09 | 六十八機擊墜破四月以來 |
10 | 又もモレスビー大空爆 |
11 | 德王滿國訪問 新京に到着 |
12 | ジヤバ教育機關 廿九日より再開せん |
13 | 米、報復を恐る 恐怖一般に昂まる |
14 | 立候補者の年齡別內譯 |
15 | 重大責務の遂行に 全力を傾倒せよ 船舶運營會創立披露會 |
16 | 臺灣地方金融協議會を結成 和田臺銀副頭取構成私案を 在京中の筧金融課長に提出 |
17 | 孟買市長に引揚を勸告 ガンヂーが |
18 | 中部軍全地區に空襲警報 |
19 | 西部軍全管下にも發令 |
20 | 警戒警報解除 |
21 | 第二豫備金支出 |
22 | 邦人の土地所有權を剝奪 伯國パク州政廳 |
23 | 冷靜戒心を望む 內務省一般の注意を喚起 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 奉公運動第二年を迎へて社說 一 皇民奉公運動はいよいよ第二年目に入つた。過去一年の足蹟を省みるとき、長谷川總督が自ら先達となつて六百萬島民の中に溶け込み、軍官民渾然一體の美はしい臺灣一家を建設して時局下明朗闊達な態勢をつくつたことは、先づ何よりの大成果と云はねばならない。運動第二年目は、必然的に此の美はしい力强き態勢の上に、より一層の推進展開と逞ましい躍進を續けなければならぬわけであるが、これがためには奉公會事務當局者のたゆまざる精進と全島民の更に一段の力强い協力が要請されるのである。從つて我ら島民は、去る十九日奉公會一周年記念式に寄せられた長谷川總裁の激勵電にもある如く、過去の業績を檢討して今後の施策に資すると共に、現下時局の要請に鑑みて愈愈本運動の推進に挺身する決意を新たにしなければならないのであるが、就中本運動の根本理念をより一層明確に把握し堅持することが大切である。 二 皇民奉公運動の根本理念は、昨年四月本運動の發足當初、長谷川總裁の訓示にもある通り、內臺一體臺灣一家の協力體制の下に、時局下臺灣の負荷する責務を完遂するに在るのであつて、云ひ換へれば總督政治の遂行に協力し之を推進する島民大眾運動なのである、從つて本運動は楯の兩面の如く總督府政と相卽不離の連繫を有し、督府と奉公會は表裏一體の關係にあるわけである。ゆえに臺灣統治といふ根本方針から出發した諸方策が、或は表の督府行政機構を通じて行はれると、或は裏から皇民奉公會を通じて行はれるとを問はず、歸するところは一つであり、高所大局から見るとき、その間何ら摩擦や軋轢の生じ得る筈はないのである。殊に皇民奉公運動は一の島民大眾運動であり、權力を離れた自發的盛り上る力の推進實踐に基く臺灣統治の翼賛運動である處に特色と力强さが存するから、本運動が荷ふ役割は洵に大なるものがあらねばならない。 三 以上によつて明らかなる如く本運動は臺灣統治と共に存すべき必然性を有するものであり、しかも臺灣統治と共に益益發展飛躍を遂ぐべき國民運動であることは多言を要しないのである。從つて本運動の根本性格は常に臺灣統治の根本方針に則してゐるが故に、今後といへども些かも修正變改を加へられることはないと信ずるが、世上動もすれば認識不足から本運動の根本理念を歪曲し、獨りよがりの臆測と幻想を逞ましうして反動化せんとするが如きの、必らずしも絕無でないのに鑑み、運動第二年の首途に當つて特に官民の戒心を喚起する次第である。運動第二年目は、勿論第一年目に確立した良き地盤の上に、更に新たなる構想と努力を以て美はしき開花結實を推進すべきであることは言を俟たないが、それは必らずや本運動の根本理念に則つた本質的發展でなければならず、枝葉末節に捉はれて本體を沒却するが如き本末顛倒があつてはならないことは云ふまでもないであらう。 |
02 | “おい仇は討つたぞ” 弟の遺骨を兩手で捧げて 鬚武者の兄・感激の報告 |
03 | バタアン突破勇士 合同慰靈祭を執行 |
04 | 貯蓄大進軍開始 新竹州、四百四十萬圓割當 |
05 | 洗濯石鹼、タオルの配給 近く入荷次第に |
06 | 大和魂の體得へ 國民精神研修所申込者が殺到 |
07 | 無敵潛艦同乘記 機械と組織の神秘(二) 恍惚たり空氣の美味さ/山岡莊八 |
08 | 宜蘭郡下で空訓 |
09 | 感激の恤兵献金 廿一日武官府扱 |
10 | 臺灣部隊が先陣 南北から九段へ九段へ |
11 | 事務分掌再編成 基隆市、計畫を進める |
12 | 松平女史高雄で講演 |
13 | 圖像:「夢の島」バリ島(二) |
14 | 心の色は赤十字 白衣の天使第一班現地着 |
15 | 愈よ最後の磨き 第二班の鍊成會 |
16 | 皇軍將兵慰問金 本社取扱の分提出報社消息 |
17 | 豐漁でホクホク |
18 | 鹿港信組總代會 |
19 | 日米外交官の交換 |
20 | 人事・消息報社消息 |
21 | 國力の根底を培へ 臺北市產業奉公團結團式 天長節を期して擧行 |
22 | 基隆市の結成式延期 |
23 | ときの声 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 譽れの志願兵 臺南州三百八十名推薦 |
02 | 第二次訓練へ 白衣天使臺中州班あす上北 |
03 | 荒木警務局長來南 |
04 | 高雄市商議戰 |
05 | 御歌傳達式 遺族達餘榮に感泣 |
06 | 圖像:上野で恒例の花まつり |
07 | 皇奉一周年に記念式擧行 |
08 | 少年愛護思想鼓吹 松平女史講演 |
09 | 援護事業を強化 嘉義銃援會愈よ誕生 |
10 | 屏東市銃援會 廿四日發會式 |
11 | 全市民神前に戰捷奉告祭 臺中の祝賀プロ |
12 | 支部豫算を協議 高雄州奉公會各總務部長會議 |
13 | 愛馬講話會 |
14 | 臺南防犯、防諜兩協會役員會 |
15 | 忠勇な婦人を 賢妻良母から一步前進 嘉義家政女校則改正 |
16 | 鮮魚介類生產配給組合組織を計畫 |
17 | 竹山勞務奉公隊 解隊式を擧行 |
18 | 蕉農愁眉を開く 霧峰で芭蕉の加工に着手 |
19 | 篤農家表彰金に 壹百圓を献金 |
20 | 鹽乾魚代行販賣者指定 |
21 | 國語常用を強調 桃園双葉會が活躍 |
22 | 國語常用週間 銅鑼庄で懇談會 |
23 | 五割增目標に貯蓄 花蓮港の國民貯蓄割當百萬圓 |
24 | 九千圓掏らる 小梅信組職員が |
25 | 霧峰庄の有志ハイキング |
26 | 竹山隔離病舍地鎮祭擧行 |
27 | 屏東畜產座談會 |
28 | 本社社員藍運登の結婚式報社消息 |
29 | 南進座臺北へ |
30 | 使命達成に邁進 花蓮港報國推進隊隊長會議 |
31 | 農事實行小組合長會議を開く |
32 | 西田頭分街長 桃園街長へ轉出 |
33 | 昭和の桃太郎を選出 桃園街乳幼兒選獎會 |
34 | 新埔防犯劇 各處を行脚開演 |
35 | 人事報社消息 |
36 | 地方便り |
37 | 社告/興南新聞社報社消息 |
38 | 今日の映畫 |
39 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 比島の電氣事業 臺電に委託經營 一昨日東京で指定さる |
02 | 小賣業整備要綱 定例閣議で決定 |
03 | 島內纖維製品の 需給計畫成る 近く配給統制會社を新設 |
04 | 砂糖輸送打合會 |
05 | 商議所の行衛と 全島の議員改選 (四)/林德富 |
06 | 度量衡販賣者組合聯合會定期總會 |
07 | 南方進出の 農業技術員鍛鍊 事業計畫要綱決定 |
08 | 小豆配給 |
09 | 臺南州米穀組合通常總會 |
10 | 肥料配給計畫 打合會を開催 |
11 | 船舶運營會本部 部長級人選決定 |
12 | 照明燈 |
13 | 米穀納入組合 遊休設備を買收 |
14 | 高雄州下赤糖 六萬八千擔產出 |
15 | 商況 廿一日後場 |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(660)/黃得時;碇政彌 |
18 | 祈皇軍武運長久 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 圓バート等價の 原則的諒解成立 換算率改訂に假調印 |
02 | 外務當局談 |
03 | けふより實施 共榮圈確立に欣ばしい 大藏當局談を發表 |
04 | 圖像:ビルマ戰線修理成つた○○橋を通過する我がトラツク隊 |
05 | フオードトラム要塞を猛爆 |
06 | パリで獨佛會議を開く |
07 | 米英の苦悶と弱點 敗戰を糊塗する 日本空襲は失敗 情報局堀第三部長の放送 |
08 | 擊沈英航空母艦長 依然行方不明 |
09 | 食糧問題 職域への使命觀/本位田祥男 |
10 | 貴重な第一步 共榮圈確立に重大意義 |
11 | 日本國民の同情に感謝 東京印度獨立會議出席の マレー代表昭南島に歸る |
12 | タイ國經濟界好感 |
13 | 玉山、吉安等を爆碎 |
14 | 重慶政權沒落寸前の足搔 テロ行為は抗戰力弱體を暴露 |
15 | 獨伊外交官便乘西國船 ト島寄港を決意 |
16 | 厚生省人事異動 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 靖國神社臨時大祭 明晚招魂式執行はる |
02 | 七つの海を制霸 鄉土の榮譽を双肩に荷ひ 海洋訓練隊結成 |
03 | 硝煙の匂が飄ふ 新竹市大東亞戰利品展覽會 愈よあすから開幕 |
04 | 齋藤總務長官南下 大甲溪電力工事視察へ |
05 | 圖像:バリ島スケツチ |
06 | 建功神社奉納演武會 |
07 | 國民校會計事務研究會 |
08 | 金山信組總代會 |
09 | 產業一體・事業一家 基隆產業奉公團結成打合 |
10 | ロープ無き海軍 麻饑饉に參る米國 |
11 | 植物油脂にも悲鳴 |
12 | 俳優の月收調查 千兩役者は六十三名 |
13 | 真鍮製品を献納 |
14 | 出來る出來る鹽の山 上半期だけで今年度分の 生產高を突破 |
15 | 圖像:南國四季豐穰 |
16 | 產業戰士表彰と演劇上演 樹林國民校で |
17 | 幻燈教育に時局色 文部省が普及に力瘤 |
18 | 國婦桃園分會員が献金 |
19 | 農產罐詰配給 一般家庭に |
20 | 自動車修繕熟練工募集 軍司令部で |
21 | 自動車修繕少年見習工員の試驗 |
22 | 掏摸がトツプ 映畫館內の犯罪調べ |
23 | アパートや下宿に砂糖配給 |
24 | 人事・消息報社消息 |
25 | 煙幕 |
26 | 興南詩苑漢詩 晴園觀梅賦贈純青先生笑正/劉振傳、晴園觀梅賦贈純青先生惠政/謝尊五、晴園觀梅賦贈純青年兄/陳其春、席上別圖書館諸先生/陳鐵厚、莊泗川君携眷人荊寄懷/南都 |
27 | 今夕の放送 |
28 | 商況 廿二日前場 |
29 | 興南案內報社消息 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 捕虜總計六萬二千餘 バタアン半島攻略の戰果 比島派遣軍の調查で判明頭條新聞 【バタアン前線○○二十二日發同盟】バタアン半島攻略戰における米比軍俘虜數はその後比島派遣軍で調查の結果二十二日までの數は米兵九千餘、比島兵五萬二千、病院收容中の米兵一千六百(但しこれらは二十一日までに收容したもので實數はこれ以上の見込)總計六萬二千六百餘と判明した |
02 | 玉山、麗水、株州空襲 軍事施設に巨彈の雨 |
03 | 各飛行場、敵機認めず |
04 | 圓、バート等價成立 日、タイ共同コンミユニケ發表 |
05 | 邦人商社、協力せよ 石井代理大使が要望 |
06 | 國幣對バート 為替換算率改訂 |
07 | マレー西岸部隊戰鬪記 一日百廿粁の追擊 敵の虛を衝いて遮斷 ○○部隊長經過を語る |
08 | 圖像:道なきジヤングルを分けて進擊する勇士“バタアン戰線” |
09 | 比島國族の揭揚を禁止 |
10 | “日本と共に目的達成” 盟邦タイ國の慶祝使節團一行 昨日福岡に晴れの訪日第一步 |
11 | 使節團一行の 歡迎日程 |
12 | 小澤廈門總領事きのふ着任 |
13 | 業態別統制會設立 けふ告示、命令を發す |
14 | 蘭籍官公吏を逮捕拘禁 依然わが真意を曲解暗躍 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 醫療保護法の實施 本島醫療團の設立を要望社說 一 皇軍將兵の赫赫たる戰果に依つて南方共榮圈の建設は既に現實の過程に入つたが、此建設の悠久にして健全なる發展を圖るは興亞の盟主日本の使命であり之が為帝國人口の急激にして永續的なる進展增殖と其資質の飛躍的向上とを企圖するの要緊切なるものがあるので、總督府では全國各地と呼應して來る五月一日から大詔奉戴日の八日まで八日間に亘り “健民運動”の一大島民運動を起すこととなつた。卽ち皇國民の量的、質的增强を圖る為にはその趣旨を一般島民に徹底せしめ、國民保健運動に關し島民の自發的協力を得なければならぬが、同時に為政當局に於いても必要なる施策を施さなければならない。その中でも本島醫療の設立と醫療保護法の實施が最も急務であるとされなければならぬ。何となれば本島に於ては相當高率の出生率を示してゐるが、その反面有り難くない世界有數の高い死亡率をも占めてゐるからだ。國民學校兒童の結核感染の有無を現はすツベルクリン反應では臺北市內第一及第二號國民學校二十五校の總平均男子三九・八六%、女兒四一・四七%の陽性率を示し、全く憂慮すべき狀態にある。 二 內地では國民に遍く適正なる醫療を受けしめ、以て國民保健の向上を圖る為に、厚生省では第七十九議會を通過した醫療法案に基き政府が出資して日本醫療團を設立し、結核撲滅對策の徹底、農村醫療機關の普及並に醫療內容の向上を圖ることとなつた。醫療保護法はこれより一步先きに昭和十六年十月一日から既に全國的に實施され、貧困のため病氣に罹つても治療出來ない家庭へ暖い救ひの手が差し伸べられてゐる。勿論從來とても、病氣に罹つた貧困者には各種の社會事業團體で色色治療上の便宜を與へて居たが、それは範圍が極く小部分に限られて居た上に、援助の方法も手ぬるく手續きがまた實に厄介なものであつたので、さうした缺點を除いて貧困者でも病氣の場合は、滿足に、誰でも治療を受けられるやうな目的からこの醫療保護法が施行されたのである 三 この法律の內容は受療の資格のあるものは方面世帶表に登錄せられた者の中、第一種と第二種の全部を含むものである。(從來は只第一種だけ)第一種と云ふのは現在生活の出來ぬ程困つてゐる人、第二種は現在どうなりこうなり生計を立ててゐるが、いざ病氣にでも見舞はれた場合には早速困る人で、これらの人人は病氣の時方面委員へ申込めば、直ちに醫療券を渡され適當な病院で治療を受けられることになつてゐる。而して醫療券では普通の病氣なら大てい無料で治療を受けることが出來、必要となれば入院も可能である。また人口增殖の建前から助產には最も手厚い保護が加へられることになつてゐる。卽ち此資格のある姙婦には姙娠五ケ月から產後少くとも三週間ぐらゐまでは、產婆さんが出向いて助產に當ることになつてゐる。勿論性行不良に基く性病には適用しないことになつてゐる。本島の現狀に照らして上述の醫療團の設立と醫療保護法の實施は最も急務としなければならぬ。一日も早く實現されんことを望むものである。 |
02 | 兩陛下が行幸啟 臨時大祭の第二日に |
03 | けふ招魂式を執行 五日間の祭式次第決る |
04 | 及川大祭委員長 遺族達を驛頭で出迎へ |
05 | 本島遺族第二陣入京 |
06 | 滿洲國皇帝陛下 きのふ德主席を接見あらせらる |
07 | 高松宮妃殿下 兩授產場を御視察 |
08 | 德主席一行 梅津軍司令官訪問 |
09 | 無敵潛艦同乘記 浮上!砲戰用意だ(三) 間髮を入れぬ神速さ/山岡莊八 |
10 | 奉公會中央回覽板 五月常會の申合事項 |
11 | 中井少將來臺 來る五月上旬に |
12 | 臺陽第八回展 廿四日から公會堂で |
13 | 奉公會參與、委員 更新委囑發令さる |
14 | 州下高砂族青年團 廿五日晴れの結成式 |
15 | ときの声 |
16 | 陸海軍の恤兵金に一萬圓 臺灣肥料會社から |
17 | 教化聯合會並に聯合青年會總會 |
18 | 獸肉營業組合初の總會 |
19 | 人事消息報社消息 |
20 | 興南案內報社消息 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 現政權推進に挺身 日泰同盟成立慶祝使節寄臺談 |
02 | 總督官邸で招待宴 |
03 | 全員合格を期して 旗山街で豫備訓練 |
04 | 双兒も飛び出す 港都乳兒選獎會の朗景 |
05 | 御下賜品傳達式 辱けなさに遺族感泣 |
06 | 圖像:泰國慶祝使節一行寄臺 |
07 | 防衛戰士の士氣を鼓舞 藤村統監が視閱 |
08 | 資金運用を調查 罹災者の低利利用希望 |
09 | 新竹商議逐鹿戰 相當新人が出馬の模樣 |
10 | 春に鍛へる若人 西屯道場で山の兄弟と |
11 | 彰化中學開校式 來る二十七日に擧行 |
12 | 家庭防空群の實演を見學 |
13 | 溪湖防衛團查閱を終了 |
14 | 砂糖輸送活潑化 港灣荷役督勵中 |
15 | 農產物一齊に蘇生 南部に多量の灌溉水 |
16 | 南部旱魃の對策 視察した入鹿山技師語る |
17 | 新舊警察課長歡送迎會 |
18 | 國民校長打合 |
19 | 花蓮港家政女 新校舍へ移轉 |
20 | 彰化の優良奉公班 天長佳節に助成金交附 |
21 | 典型的東亞の女性 日本語勉強に勵しむ惠玲さん |
22 | 我らの兵隊さんに慰問袋 赤誠溢る花蓮港愛婦から |
23 | 中央會豐原支會定期總會 |
24 | 月末に結成式 屏東市商業奉公團 |
25 | 臺南州農會議員を選擧 |
26 | 華僑達大喜び 今年から學齡兒童全部入學 |
27 | 水利組合長會議 |
28 | 臺帽ポスター圖案懸賞募集 |
29 | 花蓮港廳警察異動 |
30 | 銅鑼庄富士校に 高等科設置實現 |
31 | 東石物產加工定時總會 |
32 | 萬里信組總代會 |
33 | 喧嘩から傷害致死 |
34 | 人事・消息報社消息 |
35 | 地方便り |
36 | 今日の映畫 |
37 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 麥粉、澱粉、甘藷等の 配給統制規則公布 集配機關夫夫指定 |
02 | 砂糖一月分增配 五月、家庭用として |
03 | 砂糖配給委員會を開催 |
04 | 臨時資金調整法改正 本島でも關係府令公布 財務局長談 |
05 | 日糖潭子工場 產糖卅三萬九千擔 |
06 | 陶磁器移入會社 近く組織準備中 |
07 | 臺灣農機具會社の 改革案を協議 |
08 | 純綿洋傘五萬本 近く全島に配給 |
09 | 加藤技師あす南下 |
10 | 全島タクシー業者組合結成懇談會 |
11 | 乘合運送事業組合臨時役員會 |
12 | 日糖玉井工場壓搾終了 |
13 | 經濟手帳 雜纖維 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況 廿一日後場 |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(661)/黃得時;碇政彌 |
18 | 銃後の護りは防諜から! 債券で示せ銃後の底力! |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 陸鷲パ、セ兩島強襲 殘敵を猛烈に銃爆擊 |
02 | マニラ灣要塞反復爆擊 |
03 | パナイ島戡定終了 治安回復、明朗に返る |
04 | 米比軍、便衣で遁走 |
05 | 廢墟セブ市近況 |
06 | 總選擧戰展望(上) 新人競つて立候補 戰捷日本の偉大な姿 |
07 | 重光大使 滿洲國視察へ |
08 | 濠洲驅逐艦ヴ號擊沈 帝國海軍がベンガル灣で |
09 | 德王、張總理訪問 |
10 | 圖像:總攻擊を前に冷水に涼をとる皇軍勇士(バタアン戰線) |
11 | 別府に向ふ 泰國慶祝使節 |
12 | 樞軸國人テ州へ送らる |
13 | 昭南島の造船工事 活潑な作業の進捗行程へ |
14 | 日本、歐洲間の 交通連絡再開 シベリア鐵道を通じ |
15 | 上陸英軍を擊退 獨沿岸防備隊の反擊で |
16 | 英軍の一部隊 獨軍陣地奇襲 |
17 | バタアン總攻擊綜合戰果 比島派遣軍から發表 |
18 | バ半島敗戰當時の敵兵力 |
19 | 內相、首相と種種要談 |
20 | 交涉失敗の經過を釋明 悄然歸國のクリツプス |
21 | ウエーヴエルの放送演說 防備劣弱性暴露 |
22 | アルゼンチンは 中立政策を堅持 商船護送軍艦使用反對 |
23 | 西南太平洋戰域に包含 ニユージーランド |
24 | 獨伊空軍 マルタ島爆擊 |
25 | 獨伊海空軍の敵艦船擊沈數 |
26 | 共產主義者を銃殺 獨軍當局が |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 今宵嚴かな招魂式 社頭に續く參拜者の群 |
02 | 清祓、本殿奉告祭 |
03 | 逞し・新秩序建設の意慾 全インドネシヤ人の間に澎湃 |
04 | 研修所で最後の鍊磨 新竹州看護婦助手第二班上北 |
05 | “譽れの家”を弔問 大祭五日間に各校の學童代表が |
06 | 圖像:靖國神社臨時大祭 |
07 | 割增金附の貯金切手の名稱 貯金局で懸賞募集 |
08 | 東京大學野球春季リーグ戰 愈よ廿五日から |
09 | 邁進せよ“職域奉公” 久良栖で高砂族を激勵 總務長官一行 |
10 | 明治溫泉着けふ達見へ |
11 | 荒川基隆郡守初巡視 |
12 | 交通證を再發行 該當者申出よ |
13 | 物語る皇軍の武勳 新竹戰利品展開幕初日から大盛況 |
14 | 四月分の木炭 廿三日から配給 |
15 | 冬粉が出る |
16 | 道義昂揚に努力 主要食糧品の確保、適正配給 日本商議所の意見書 |
17 | “勞務相談所”に塗替へ 職業紹介所發展的再出發へ |
18 | 五月常會の徹底事項 情報局から三項目を發表 |
19 | 金融統制組合の設立 農林省から發表 |
20 | 審判所長、矯正院長の會同 |
21 | 東亞道路技術會議 五月下旬東京で開催 |
22 | 島民の献金群 續續軍司令部に殺到 |
23 | 感心な車夫の献金 |
24 | 九軍神に捧げる赤誠弔慰金 |
25 | 武官府廿二日の受付 |
26 | 海外渡航協會總會 |
27 | 興南詩苑漢詩 晴園賞梅賦呈純青庚兄笑政/嘯霞、龍神橋(新高山入口)/周定山、龍神洞/周定山、石鏡/周定山、群坑/周定山 |
28 | 人事・消息報社消息 |
29 | 煙幕 |
30 | 今夜の放送 |
31 | 商況 廿三日前場 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 部下二萬五千率る 國民政府に參加 孫良誠將軍和平通電頭條新聞 【北京二十三日發同盟】舊黃河東岸地區魯西冀南の一帶に隱然たる地盤勢力を保持してゐた冀察戰區第一邀擊總司令孫良誠は大東亞戰爭における皇軍の赫赫たる戰果に蹶然と過去の誤れる抗日意識を清算、國民政府に協力大東亞共榮圈の確立に邁進することを誓ひ部下二萬五千を率ゐ二十二日汪國民政府主席並に重慶政權宛濟南より左の如き通電を發し和平陣營に參加して來たこれに對し、汪主席は即日孫良誠將軍を第二方面軍總司令に任命した孫良誠將軍和平擁護通電要旨 中國を禍ひし來つた英米は暴虐の限りを盡くして戰爭を挑發し兄弟國中日をして仇視長く鷸蚌の爭ひをなさしめて彼一人漁夫の利を收めんとする陰謀毒計は言語に絕す、汪先生は國府孫總理唯一の信徒にして救國救民の先覺者たりつとに抗戰の實體を看破し和平反共建國をもつて原則となし日本と相携へて新東亞を建設し英米百餘年の惡勢力を排除せんと良誠深くこれを信じつとに汪先生の和平陣營に參加を決意し國策及び大亞細亞のため盡力せんことを期したるも種種なる牽制にあひて初志を達し得ざりしなり、惟ふに戰ふも國策、和するも國策なるも徒らに個人の意慾を逞しくし、自らの力を顧みず盲目的抗戰をなさんか國力を削り民を困窮せしめ、國家民族を萬劫不覆の境地に陷らしむるは必定なり、今や兄國日本は大東亞戰爭に於て着着勝利を收め英米の壓制力を逐次崩潰し東亞各民族を桎梏より解放しつつあり中國に於ける全面的和平も速かに實現さるべきは勿論なり、良誠顧みるに中日問題は即ちこれ「垣牆の爭ひ」に過ぎず、東亞問題こそ實に外海を防ぐの計たり、豈私を逞しうして公を排し小事に捉はれ大事を誤まり、國家民族を顧みざることを許されん哉、茲に國を愛するに誠を以てし人を愛するに德を以てするの大義に則り至忠至信只管汪先生の馬前に侍し數萬の健兒を率ゐて和平運動を擁護し以て中國の復興、亞細亞の建設に身命を賭せんとす、個人の利害、他人の寄與は問ふ所に非ず、耽耽たるこの心を敢へて天日に質す、同胞諸賢これを諒察せられよ 孫良誠將軍略歷 孫良誠將軍は河北省天津の產身を卒伍の間に起し馮玉祥麾下にあること多年、一九二七年馮が國民革命軍第二集團軍總司令に就任するやその下に第一方面軍總指揮兼第三軍長として北伐に從事した、一九二八年國民政府軍事委員會委員次いで山東省政府委員兼主席に任ぜられた、一九二九年蔣介石の壓迫を受け已むなく山東を放棄陝西に入つたが同軍馮玉祥が反蔣軍を起すやこれに呼應河南省鄭州に進出した、事成らずして退いてからは西北軍中堅として兵力の回復に努め一九三◯年閻錫山、汪精衛馮玉祥などの反蔣擧兵に際しては再び河南に出動、中央軍を壓迫した、山西軍の敗退によつて結局この擧も失敗に終つたがその後西北軍內部に內紛を生じ同年野に下つてからは天津に閑居の日を送つてゐた、支那事變勃發前後再び起用されて第三十九集團軍副軍長、冀察戰區第一遊擊隊總司令兼魯西公署主任に就任爾來徒らな抗戰蠢動を續けつつあつたが今般漸く和平建國の真義に覺醒、國民政府率下に馳せ參じたものである |
02 | 重慶側將領の動向に 重大なる示唆を與ふ |
03 | 翼贊意志を結集 阿部會長語る |
04 | 立候補者總數一千八十名 きのふ屆出を締初る |
05 | 寄合世帶の悲しさ 聯合艦隊滅亡の全貌 敗戰米濠艦捕虜の座談會 |
06 | 香港憲查卒業式 |
07 | 圖像:大擧濠領を壓す海軍新銳攻擊機 |
08 | 死んでも敵を睨む 「海の木口小平」三浦大尉 |
09 | 南方の經營方策 日商議當局に建議 |
10 | 見習尉官期間を置く 海軍武官任用令改正勅令 |
11 | ドイツ精銳部隊 フランスに到着說 |
12 | 翼贊選擧貫徹大講演會 |
13 | 英印圓卓會議 印度側應ずまい 獨政府當局の觀測 |
14 | 泰國慶祝使節 別府着 |
15 | 印度人に外國郵便物差出等を許可 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 空の護りに擧島奮起せよ社說 一 去る十八日、敵米國飛行機は小癪にも、我が帝國本土に來襲して、東京、名古屋、神戶等に燒夷彈や爆彈を投下したが、これは、米國當局が自國の相次ぐ敗戰を糊塗し、且つ我が人心を攪亂せむとする極めて卑劣な企圖で、我が空地兩防空部隊の反擊を喰つて、一溜りもなく退散した。今、その暴虐の跡を振りかへつて見るに、敵機の爆擊がなんら一定の目標をもたず、東京市に於ては國民學校、名古屋市に於ては病院に夫夫燒夷彈を投下した外、民家に對しては機銃をもつて掃射した等人道を無視した。敵は、帝國の主要都市に大火災を生ぜしめ、國內を攪亂せむと企圖したことが容易に推察せられその盲爆振りは、さきの病院船朝日丸襲擊と共に人道上許すべからざる野蠻行為である 二 しかしてその結果はどうであつたらうか。帝國の民心の動搖を企圖した敵側の計畫は全く水泡に歸したのみならず、帝國全國民の士氣をいやが上にも昂揚して燒夷彈に對する自信を持たせたこと、これを機會に、全國民は、戰勝に醉ふことなく益益兜の緖を締めて、今後如何なる事態に直面しようとも、恐れず慌てず沈着に冷靜に行動する心構へを一層强めたこと、敵機が帝國の本土を襲擊しても、支那の非占領地區に着陸することは極めて困難なる印象を敵側に與へたこと等をあげることができる。要するに、今回の敵機の初空襲は、全く敵の期待を裏切り投下された燒夷彈の多くは、瞬時にして消火され、壓殺され、不幸敵火焰の犧牲となつたものは殆んどなく、何れも大事に至らずして消止められたことは、燒夷彈の威力が從來信じられてゐたほど恐しいものではなく、民防空の措置如何によつては、完全にこれを克服し得ることを立派に證據立てたもので、吾吾は、むしろ一服の清良劑を頂戴したやうな氣持をもつて、この貴き體驗を明日の空の備へに生かすべきである。 三 斯くの如く、今回の空襲は、全く帝國の銃後攪亂を企圖したものであるから、吾吾は敵側のかかる見透いた謀略に乘せられることなく我が鐵桶の防空陣を絕對に信倚し、平常通り、各自の職域に一段と奉公を致すべきである。とかくかういふ時には、流言蜚語が亂れ飛ぶものであるから、吾吾は絕對にさういふものに迷はされず、必勝の信念をもつて防空の戰鬪に勝拔くべきである。大東亞戰爭は古今の戰史を通じその例を見ないほど大規模な戰爭である以上、空襲があることは、極めて當然だといふ覺悟をもたなければならぬ。そして今後、たとへ再び空襲があつても、今回示した以上の措置を取り、冷靜沈着に活動すべきである。それには不斷から空への備へを充分にし、家庭にあつても、職場にあつても第一線の將兵と同じく防空戰鬪員であるといふ自覺を持ち剛健な武士道精神を發揮して、一致團結、事に當るべきである。殊に本島は、南進の基地たるのみならず第一線に最も近い距離にあり、且つ大陸と一衣帶水の間に位置するので六百萬島民は、益益必勝の信念に燃え、和衷協同、大空の護りに火の玉となつて猛進すべきである。 |
02 | 御親拜の時刻に 全島民在所で感謝祈念 |
03 | 庭燎淨闇に映え 英靈永へに神鎮る 靖國神社の招魂式 |
04 | 清祓と本殿奉告祭 三萬の遺族、感激に咽ぶ |
05 | 陸海軍大臣の挨拶 |
06 | 及川委員長の挨拶 |
07 | 南方開發に集中 全島市議協議會提出事項 |
08 | 大甲溪電源開發 齋藤總務長官が視察 |
09 | 無敵潛艦同乘記 神業「夜見える目」(四) 日本人ならではの忍耐/山岡莊八 |
10 | 赫赫の武勳を樹て 護國の英靈が凱旋 |
11 | 宜蘭市教育會 |
12 | 境內にパノラマ 皇軍の戰果を一堂に |
13 | 臺陽美術展 いよいよ二十六日から開幕 きのふ入選者發表 |
14 | 宜蘭郡空訓 好績裡に展開 |
15 | 新竹州下時局映畫巡廻 |
16 | 臺南州米穀納入組合の總會 |
17 | ときの声 |
18 | 九江攻略一番乘り 故吉村大尉の偉勳 |
19 | 出場校決定 建功神社奉納中等野球 |
20 | 肉彈で戰ふ決意 ノモハンで散華の田谷伍長 |
21 | 軍屬蔡太平君壯烈な戰死 |
22 | 中央南投郡支會定期總會 |
23 | 臺南州農會、畜產會議員當選發表 |
24 | 鷄罩山ハイク |
25 | 人事消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 戶稅は百稅の基 調定の慎重と正確を期して 臺中州稅務關係者打合 |
02 | 靖國大祭遙拜式 御親拜時刻に一分間祈念 |
03 | 嘉義市の行事 |
04 | 前年と同額 嘉義市の貯蓄割當 |
05 | 武勳輝く白衣勇士 嘉義市に晴れの歸還 |
06 | 憲兵殉難慰靈祭 卅日集集公園內で |
07 | 局鐵日滿支連絡 運賃規則改正 五月一日より實施 |
08 | 瑞竹光榮に映ゆ 屏東市の行啟記念式典 |
09 | 澎湖廳・報國協會誕生 |
10 | 獸魂祭擧行 |
11 | パ族尊崇の神鎮る 石楠花薰る大武山に |
12 | 臺糖青年校開校式 |
13 | 農民愁眉を開く 來た來た待望の水が來た |
14 | 雜作に全馬力 |
15 | 農民天惠に欣喜雀躍 |
16 | 青少年相撲 五月一日開催 |
17 | 交通安全會組織 高雄署運輸能率增進を圖る |
18 | 青年校振興促進懇談會 |
19 | 時局映畫を各地に巡演 |
20 | 海山米增產打合せ 廿一日板橋產組で |
21 | 南投郡諸競作會 廿八日に褒賞授與式 |
22 | 生活改善を協議 朴子奉公壯年團幹事會 |
23 | 木炭小賣組總會 |
24 | お產も國策型 竹山で三つ兒生る |
25 | 興亞の意氣に燃ゆ 南投郡壯丁團檢閱 |
26 | 報國推進隊結成一周年 陣容を刷新 |
27 | 大溪看護婦助手 晴の壯途につく |
28 | 高等科の設置 萬丹庄民熱望 |
29 | 草屯信組總會 |
30 | 婦女宣傳班 竹山で計畫 |
31 | 苗栗乳幼兒選獎會 |
32 | 中壢國語常用者を表彰 |
33 | 人事報社消息 |
34 | 地方便り |
35 | 今日の映畫 |
36 | 訃文:廖溪明 |
37 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 北支に製鐵會社 資本金一億圓の豫定 |
02 | 日滿支連絡運輸 貨物關係規則改正 |
03 | 商議所の行衛と 全島の議員改選 (完)/林德富 |
04 | 戰死空襲死亡者に 保險金全額支拂ひ |
05 | 日本經濟聯盟定時總會 |
06 | 淺野洋灰工場 十月頃竣工せん |
07 | 炭業懇談會 昨日鐵道ホテルで |
08 | 日滿支自動車懇談會 近く東京で開催 |
09 | 度量衡器等販賣組聯 第四回定期總會を開催 |
10 | 籾集荷略完了 約七億二千餘萬斤 |
11 | 照明燈 |
12 | 商況 廿三日後場 |
13 | ラジオ |
14 | 水滸傳(662)/黃得時;碇政彌 |
15 | 祈皇軍武運長久 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | コ島要塞を猛砲擊 |
02 | 芋刺しの敵屍散亂 淒愴!マリベレス進擊戰 |
03 | 復興日に日に目覺し 石油の都バリツクパパン |
04 | タイ國の政治軍事 面目全く一新さる |
05 | 江西、浙江各地を連爆 |
06 | 北支匪軍に大打擊 孫良誠將軍の活躍により 治安は頓に明朗化 |
07 | 日獨兩國人に退去命令 メキシコ當局 |
08 | 重慶市當局 防空壕を急ぐ |
09 | 圖像:バタアン戰線 |
10 | 米比軍の暴虐ぶり イロイロ市を焦土化す |
11 | 太平洋軍事會議開く |
12 | 資源の豐富に驚く 兒玉伯一行ジヤバ各地を視察 |
13 | 獨軍司令部の戰況發表 |
14 | 某候補者強制收容さる |
15 | マレーの經濟狀態 視察を終へて砂田軍政顧問談 |
16 | 南阿政府佛と國交斷絕 |
17 | 反樞軸西南太平洋聯合軍總司令首腦 |
18 | 臺銀副頭取 上山英三氏に內定 |
19 | 濠洲國內の摩擦激化 |
20 | 反樞軸分子を一齊檢擧 マダガスカ佛官憲 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | けふぞ瞼に蘇へる 神なる我が子我が父 遺族第一班・昇殿參拜 |
02 | 白木の箱で對面 靖國社頭に淚の插話 |
03 | 建安府、新宿御苑 遺族の拜觀差許さる |
04 | 圖像:炎熱を衝いて猛進の皇軍將兵(バタアン戰線) |
05 | 天長節近づく 基隆市の奉祝行事 |
06 | 樂滿皇奉參事來新 |
07 | 臺灣神社で奉告祭 コレヒドール島陷落の日に |
08 | 英靈の內地歸還 昭南本願寺で告別式 |
09 | 臨時徵兵檢查 けふ旭國民校で |
10 | 林治人氏が州議候補屆出 |
11 | インド洋爭霸史 英國の繁華・一朝の夢 |
12 | 日清從軍會 二十八日總會 |
13 | 勞務協力會總會 けふ島都公會堂で開く |
14 | 經濟部長會議 皇奉州支部で |
15 | 圖像:バタアン戰線に活躍の通信隊 |
16 | 豆報國債券賣出し |
17 | 白の缽卷に半ズボン 臺北州御遺跡地繼走大會 五月三十一日に決行 |
18 | 多彩な奉納催物 建功神社例祭に |
19 | 全島市議協議會 總會の日程定る |
20 | 前線からの贈物 國民學校兒童に |
21 | 南への“建設戰士” 海外同胞訓練所入試 |
22 | 基隆市帽子工藝品組合創立 |
23 | 軍用犬入賞者發表 |
24 | 興南詩苑漢詩 步献三芸兄歸來原韵/楊達三、謹步献三芸兄歸來原韻/徐錫玄 |
25 | 勤報新竹州隊 けふ豫備訓練開始 |
26 | 人事・消息報社消息 |
27 | 煙幕 |
28 | 新竹州米穀納入組合役員會 |
29 | 今夜の放送 |
30 | 商況 廿四日前場 |
31 | 興南案內報社消息 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 軍備の增強に重點 戰時國民生活を確保 十七年度の物資動員計畫頭條新聞 【東京發同盟】政府は大東亞戰爭下における昭和十七年度物資動員計畫につき豫ねて企畫院を中心に關係各省特に陸海軍と完全密接なる協力の下に計畫の基礎要件に關し萬股の思索と檢討とを遂げて來たが原案の決定を見るに至つたので二十四日の定例閣議に附議、鈴木企畫院總裁、岸商相及び關係各閣僚より說明あつて企畫院原案通り決定し同日正午企畫院總裁談をもつて左のごとく發表した、今回の物動計畫は大東亞戰下の赫赫たる戰果を織込みしかも例年に比し年度初頭において早くも決定を見るに至つたことは注目さるべきで征戰完遂の大使命に向つて政府官民渾然一體となりあらゆる努力と熱意とを傾注した賜物といふべきである 昭和十七年度物資動員計畫(企畫院總裁談) 今次計畫は大東亞戰爭完遂のため絕對必要なる軍備の增強を中心として立案せられ特に左記の諸點に關し特別の考慮を加へた 一、從來は年度計畫を設定し各四半期每にその都度實施計畫を定めてゐたのを改め年度計畫及び各四半期實施計畫を同時に作定計畫の質施に當り生ずる不可避的修正を最少限度に止めんとした 二、供給力の確保を一層確實ならしむるため地域別、季別物資別の配船計畫を設定した 三、重要物資の一部を南方占領地より期待しこれが確保を期した 四、鐵鋼、アルミニウムなど直接軍生產の外食糧の確保及び造船の促進並に防空に關しても意を用ひた 五、生活必需品については特にその需給を計畫化することとした 六、石油類の需給については南方占領地域よりの取得を見込み特段の考慮工夫をしてゐる 七、本計を骨幹とする大東亞交易計畫を設定して共榮圈の建設にその步を進むることとした 昭和十七年度における物資の供給については國內の增產回收の強化、滿支よりの期待增、南方よりの取得、在庫の利用などあらゆる手段を盡してその增強に努めたる結果相當國力の强進を見てゐるのであるがその配分においては國家の環境に應ずる物資動員計畫の性格に鑑み官需、一般民眾などについては依然窮屈であることは已むを得ないのである、しかしながら總力戰の真諦に鑑み本計畫においても戰時國民生活の確保については特別の考慮を拂ひまたこれが實施に當りては爾他各般の政策と照合しその萬全を期せんとしてゐるのである、これを要するに大東亞戰爭完遂には物資動員計畫の適正とその圓滑なる實施とが絕對に必要である、これがためには一に大東亞戰爭完遂に關する強力な國民意識の昂揚とこれに立腳する官民の不斷の協力一致とを必要とするのである、國民は十二月八日の大詔奉戴時の感激をもつて常に政府と一體となつて各各その職場を通じて本動員計畫の目的貫徹に協力邁進せられんことを切望して已まない |
02 | 軍需增強を中心に いわゆる戰時の物動計畫 |
03 | スラバヤ特別警察隊を組織 松岡事務官等が猛訓練に當る |
04 | 磯谷香港總督 中國記者團と會見 |
05 | 勳章親授式御擧行 在京各將星に對し |
06 | 泰國慶祝使節團を 畏し・厚く御歡待 謁見仰付けられ、御陪食を賜はる |
07 | 一行はけふ入京 各方面の歡迎準備成る |
08 | 別府出發 |
09 | 門司着 |
10 | 企畫院辭令 |
11 | パ島戡定作戰終る |
12 | 衢州、麗水、玉山猛爆 我が海鷲精銳、一段と勇躍 |
13 | 圖像:パナイ島攻略第一報 |
14 | 肉薄戰、敵艦隊擊沈 バタビヤ沖海戰詳報 |
15 | 重慶の末期的症狀 孫將軍和平參加重慶に大示唆 支那派遣軍週間戰況 |
16 | 臺灣愈重要視さる 離京を前に長谷川總督語る |
17 | 全國に魁けて繰上投票行ふ 大島支廳管內 |
18 | 全選擧區投票 無投票區は皆無 |
19 | 陸軍省囑託に增永元也氏 |
20 | 海軍見習尉官募集 |
21 | 伯國樞軸國人の鑛業從事禁止 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 護國の英靈に赤誠の感謝社說 一 殉忠の英魂を祀る靖國神社臨時大祭は、二十三日招魂式の儀についで二十四日から二十八日までの五日間、葉櫻匂ふ九段の神域でいとも森嚴に執り行はれる。 大東亞戰爭下、初めて迎へるこの盛儀は、意義一入深く興亞の礎石が永へに神鎭まる。新祭神一萬五千十七柱が銃後一億の赤誠と大祭第二日のけふ二十五日には畏くも天皇皇后兩陛下が行幸啓、親しく護國の英靈に御拜あらせられ聖上御親拜の御時刻たる午前十時十五分を期し靖國の社に神鎭まります忠烈英魂に對し、一億國民が赤誠感謝の祈念を捧げることになつてゐるが、今日の大戰果が護國の英靈の然からしむるものであることを思へば我我國民は只只感謝あるばかりである。 顧みるに、聖戰四年有餘、蔣政權膺懲の正義の利劍は、米英擊滅の大東亞戰爭に發展し、忠烈無双なるわが皇軍將兵は、西南太平洋確保の赫赫たる大戰爭を擧げ、全世界に昭和皇道の光を放つてゐる、之偏へに上御一人の御稜威の然らしむる處であるが、また忠魂烈烈たる皇軍將兵の奮迅健鬪の賜であつて、吾吾銃後一億民は、真心罩めて殉忠遺烈の冥福を祈ると共に、皇軍への感謝を新たにして、愈愈緊褌一番、時艱突破大東亞共榮圈の偉業に向つて一路邁進せねばならぬ |
02 | 社說 臺灣一家の基調社說 一 臺灣一家の真の基本條件は、內臺人が兄弟愛に徹するにあるこの兄弟愛の精神こそ、內臺一如の理念であり、明朗臺灣一家建設前提案要件である。四十七年間に亘る本島統治もまたこの理念の實踐のために、渾身の努力を拂つて來たとは言ふものの、內臺人一體を說き、兄弟愛の倫理觀を、內臺人間に滲透せしめた點から云へば、歷代總督中長谷川總督の如きはその尤なるものである。昨年四月、大東亞共榮圈の一翼として、高度國防國家體制確立の重大使命を完遂するため、軍官民一體の擧島的體制が翼賛道を核心として、樹立されてから滿一箇年、長谷川總督を最高指導者とする皇民奉公運動が、今や堅實なる地盤の上に、翼賛奉公の花爛漫と開花せんとしてゐるが、見事な結實にまで、導き到らしめるためには、擧島體制の構成要素たる六百萬住民が、內地人を兄とし、本島人を弟とする家族的結合の兄第愛に、强烈なる自覺を持ち、率先之が躬行に聊かたりとも躊躇あつてはならぬと思ふのである 二 然し乍ら、發足した翼賛奉公運動の過去一年の間に、臺灣一家の親である長谷川總督の諄諄たる訓戒にも拘らず、內臺の相互接觸に於て往往、兄弟愛に副はぬ事實を見るが、若しも兩者が互ひに相手の心のなかに溶込み、家族的な倫理觀に透徹してゐさへすれば、優越感もなく、ひがみもなく、自然に解消されるものである。皇民奉公運動の第二年目を迎へ、六百萬島民が、真の鐵石一丸となつて聖戰必勝、興亞大業の完成に向つて挺身せねばならぬとき、兄弟愛を基調とする臺灣一家の建設今より緊切なる時はない。この時に當り、內臺人が斯る家族的倫理觀の上に、融合一體となつて互に相補ひ相扶けて行つたならば、明朗臺灣一家の建設は、その大半既に成れりと言つても過言ではなく、更にこの和の力を時艱突破に押し進めたとき荊刺の道何ものぞで、茲に大東亞共榮圈に擔ふ使命の達成、また決して困難ではないのである |
03 | 聖慮・民草に洽し 全國の津津浦浦に侍從を御差遣 |
04 | 內務大臣謹話 |
05 | 兩陛下親しく御拜 けふ畏し神域に行幸啟 |
06 | 勅使が嚴かに參向 遺族忝けなさに感泣 |
07 | 戰捷に輝く天長節 全島の奉祝行事決る |
08 | 御船代祭を執行 神宮の假殿御造營工事 |
09 | 無敵潛艦同乘記 しかも尚ほ征く(五) 巨鯨に激しい武者震ひ/山岡莊八 |
10 | 奉納中等野球番組 |
11 | 天滿宮緣古者祭典 |
12 | 恩賞の光榮に輝く 臺灣關係者十二氏 |
13 | 荒井基隆郡守新任披露 |
14 | 今は亡き部下に 緣りの墓標を書く 人情將軍樋口參謀長 |
15 | 赤誠献金部隊 軍司令部に續續 |
16 | 練る“白衣の乙女” 派遣看護助手の第二班最後の仕上げに |
17 | 抽籤新馬十四頭近く到着 申込は月末迄に |
18 | 貯蓄割當を協議 新竹市の區長打合會 |
19 | 消防自動車一臺新たに購入 宜蘭消防組助成會 |
20 | 拓務辭令 |
21 | ときの声 |
22 | 不德運送業者に斷乎鐵槌 |
23 | 乘合バス顛覆 重輕傷者十餘名 |
24 | 草山迄ハイク |
25 | けふの運動行事 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 赤心感謝の默禱 けふ十時十五分一齊に |
02 | 交通改善を陳情 花蓮港商議臨時總會 |
03 | 花蓮港市商業奉公團 廿九日に結成式 |
04 | 清水防衛團查閱終了 |
05 | お母さんの腕比べ 各地乳幼兒選獎會 |
06 | 新營郡の米穀出張所實現 |
07 | 朴子信組總代會 |
08 | 復舊作業の花形 聯合壯丁團員を表彰 |
09 | 彰化產協本月末通常總會開く |
10 | 產業增進講演會 |
11 | 三峽白衣の天使 近く壯途に上る |
12 | 豐原の特志看護婦 晴の壯途につく |
13 | 白衣勇士慰問の際は 豫め市兵事課に申込むこと |
14 | 防犯協會淡水支會總會 |
15 | 價格表示改訂講習會 |
16 | 圖像:靖國神社大祭 |
17 | 志願兵受驗者心得 高雄州は五月十九日より實施 |
18 | 專賣品小賣人組總會 |
19 | 優良多子家庭を表彰 五月五日、豐原街で擧行 |
20 | 黑鮪の漁獲順調 加工業者活氣づく |
21 | 屏東鮮魚介配給組合創立總會 |
22 | 奉公運動を協議 屏東奉公壯年團總會 |
23 | 來月中旬に起工 臺南市の上水道擴張工事 |
24 | 歸還勞務奉公隊員を中心に座談會 |
25 | 鮮魚購買制限切符出づ 市場の雜沓緩和されん |
26 | 坡心信組總代會 |
27 | 皇民塾設置 |
28 | 鍛へよう體を! 高雄州健民運動に邁進 |
29 | 自給肥增產を強調 海山郡五月一日から實施 |
30 | 武官府へ献金 |
31 | 天長節祝賀會 |
32 | 藥泥擧らる |
33 | 窃盜質屋で就縛 |
34 | 人事報社消息 |
35 | 地方便り |
36 | 第五回決算公告/株式會社六州大橋質舖 |
37 | 今日の映畫 |
38 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 各種業態別組合 統合整理を斷行 臺中州當局で企畫 |
02 | 肥料の配給を審議 肥料事務打合會 |
03 | 局營バス石炭發生爐で試運轉 |
04 | 武島三井支店長着任 |
05 | 米穀供出方策と 增產問題の一考察 (一)/大木生 |
06 | 臺銀佐藤氏 產組聯合會入り |
07 | 米調查機關の強化を劃策 |
08 | 玉葱の配給潤澤 遠山屬歸來談 |
09 | 本年度內地玉葱 本島割當八十萬貫 |
10 | 臺銀副頭取 上山氏略歷 |
11 | インフレ防止對策 米大統領、教書を發せん |
12 | 私設鐵道協議會 糖聯內に設置 |
13 | “對南方の物資交流 今後大に促進せん” 成岡商工課事務官談 |
14 | 七月分家庭用 砂糖一月分增配 加工用も五割增配 |
15 | 鹽糖岸內工場壓搾終了 |
16 | 照明燈 |
17 | 商況 廿四日後場 |
18 | ラジオ |
19 | 水滸傳(663)/黃得時;碇政彌 |
20 | 何時も感謝を捧げよ!皇軍將兵に債券で示せ銃後の底力! |
序號 | 標題 |
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01 | タイ國使節團一行 きのふ晴れの入京 文武顯官、市民の歡迎裡に頭條新聞 【東京發同盟】大東亞新秩序建設に巨步を進めた日タイ攻守同盟慶祝使節として盟邦日本に派遣されたタイ國使節團長前首相ピヤ・パホン陸軍中將以下使節團一行は廿五日午後三時廿五分特急「富士」で東京驛着晴れの入京第一步を印した、この日帝都は東亞建設戰の尊き英靈を祀る靖國神社臨時大祭第二日目に當り盟邦の使者を迎へるに意義一入深い日であつた、東京驛の中央玄關には日タイ兩國國旗を揭げ驛內五番のプラツトホームには東條首相最右翼に東鄉外相嶋田海相、永野軍令部總長、杉山參謀總長、李滿洲國大使、徐中華民國大使、土肥原航空總監坪上大使など文武顯官がずらりと居並ぶ、定刻三時二十五分使節を乘せた特急「富士」がぴたりと停車すると最後部から二輛目の一等寢臺車から木內外務省儀典課長の先導で使節團長ピヤ・パホン中將續いて途中まで出迎へのデイレツク駐日大使、先着の使節ワニツト無任所相、タワン・タムロン法相、その他使節隨員一行十三名が下車した、ピヤ・パホン團長は軍人らしい嚴しい顏に和やかな微笑を湛へつつ旭日一等章、白象最高一等章を胸間に、出迎への東條首相と日タイの契りも固き感激の握手を交した後東鄉外相と握手を交した、一方デイレツク大使も使節團員隨員一同を紹介した後天野東京驛長の案內で貴賓用階段を經て中央玄關に出た、驛前には各學校生徒が手に手に日タイ國旗を打振つて歡迎する、使節團一行は日タイの小國旗を交叉した外務省差廻しの自動車十數臺を連ねて沿道に堵列する各學校生徒市民の歡呼の裡に宿舍帝國ホテルに到着旅裝を解いた一行は少憩の後二百二號客室で各社寫真班に取卷かれ記念撮影を行ひ續いて在日タイ國留學生の訪問を受け留學生代表東京女子齒科醫專三年生ソウムシン孃(二十二才)より花束を贈られた、尚使節團一行は二十六日は午前中參內して天機並に御機嫌奉伺記帳、ついで大宮御所を始め各宮家に伺候し午後は明治神宮、靖國神社參拜を行ふ豫定である |
02 | 又モレスビー猛爆 |
03 | 敵基地施設を粉碎 |
04 | 的確無比の大爆擊 ソロモン島の首都ツラギ強襲 海鷲一番機同乘の記 |
05 | 大日章旗へんぽん 勇士達相擁して感激 (下)マリベレス追擊記 |
06 | 昭南正金支店 更に支店を擴充 |
07 | セブ島戡定に散華 武勳赫赫の三勇士 |
08 | 圖像:日泰同盟慶祝使節來朝 |
09 | 白熱的の逐鹿戰 翼協、督勵應援に努む |
10 | 大島支廳管內の繰上投票 |
11 | 尾崎行雄氏起訴さる |
12 | 比島人難民の 救出に乘出す |
13 | パナマ汽船 魚雷攻擊さる |
14 | 英、蔣軍の反目激化 抗日陣營の窮狀暴露 |
15 | 昭南島の初等教育施設 一應全部戰前の姿に回復 |
16 | バーツ切下げ タイ側大いに歡迎 |
17 | 泰、米買上值段を引上ぐ |
18 | 原田初代法王廳公使着任 |
19 | 新駐ソ米大使 ス議長と會見 |
20 | ソ聯筋の宣傳を否定 ヴイシー政府 |
21 | 伯林に百回目の空襲警報 |
22 | 市河駐イラン公使 テヘラン發歸國 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 畏くも兩陛下行幸啟 護國の神靈に御拜 民草一億・赤誠の默禱 |
02 | 崇嚴極みなき一瞬 龍顏を咫尺に拜し 三萬の遺族只管嗚咽 |
03 | 遺族が昇殿參拜 |
04 | “私が荻洲です” 抽出された美しい情景 |
05 | 大鏡に息子の顏 一生涯忘れられぬ對面の感激 和田繁木さん語る |
06 | “名譽の家”を弔問 島都の小國民達が |
07 | 軍司令部遙拜式 昨日嚴かに執行 |
08 | 武官府遙拜式 |
09 | 憲兵隊合同遙拜式 |
10 | 高砂族青年團 きのふ羅東で結成式 |
11 | “守れ正しい服裝” ピブン首相自ら陣頭に立つ 泰國の新生活運動 |
12 | 定員二名超過 臺北州議立候補 |
13 | 盲爆米機の末路 殘骸にどつと湧く喊聲 |
14 | 絕好の堰堤地點 達見は電源として申分なし 齋藤長官の視察談 |
15 | 大景觀が挑戰 刀水宗匠佳句續出 |
16 | 齋藤總務長官きのふ歸北 |
17 | 臺北第四高女合格者 |
18 | 臺陽展けふ開幕 戰捷の春を飾して |
19 | 光榮に感泣 翁瑞送君の遺族 |
20 | 國旗と共に進展 “海外同胞訓と誓”決定 |
21 | “北支の國語” 植松教授が講演 |
22 | 建功神社奉納體育會 二十五日盛大に開催 |
23 | 林柏壽、林熊祥兩氏蘭陽方面へ |
24 | けふの運動行事 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 圖像:續續參拜する靖國の遺族 |
02 | 擧島感謝の默禱 櫻花薰る九段の御社向つて |
03 | 鄉社列格奉告祭を執行 |
04 | 全島市議協議會 きのふ彰化で開幕 |
05 | 奉納相撲大會 |
06 | 田中信組廿周年記念祝賀式 |
07 | 新竹州鄉軍南部聯合分會新設 |
08 | 沙鹿街協議會 |
09 | 志願兵に憧れて 馬公の志願者訓練修了 |
10 | コレヒドール陷落祝賀行事 |
11 | 貸家組合初總會 |
12 | 纖維品製品小賣商組合總會 |
13 | 志氣を昂揚 沙鹿防衛團查閱 |
14 | バナナ出荷割當の異聞 |
15 | 臺所は豐か |
16 | 新高郡警察課召集 |
17 | 岡山郡守着任 |
18 | 高雄市長新任披露 |
19 | 河邊の洗濯御法度 |
20 | 譽れも高し軍馬 きのふ晴れの献納式 |
21 | 淑德女入學式 |
22 | 殆ど無競爭當選 高雄市商議立候補締切 |
23 | 人事・消息報社消息 |
24 | 地方便り |
25 | 臺中州稅務打合會 |
26 | 今日の映畫 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 文藝 南方圈內の氣候/原田三夫 |
02 | 南十字星 白人とマラリヤ バ博士の新研究 |
03 | ラジオ |
04 | 靖國神社臨時大祭 最初の祭神のお話し |
05 | 砂糖鳥 南洋地方に棲む |
06 | 世界で三番目 印度洋の廣さは |
07 | 何時も感謝を捧げよ!皇軍將兵に債券で示せ銃後の底力! |
08 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 戰捷に輝く觀兵式 聖上親しく臠はせ給ふ 天長の佳節頭條新聞 【東京發同盟】畏くも 天皇陛下には二十九日御めでたく第四十一回の天長節を迎へさせられる、殊に今回は大東亞戰下初の天長節であるが畏くも宮中におかせられては午前十時宮中三殿において嚴かな天長節祭を行はせられ東條首相以下有資格者に對しては午前九時より午後四時までの間に參賀を差許される、またこの日畏くも 大元帥陛下には帷幄の間親しく曠古の作戰を御統帥あらせ給ふにもかかはらず親しく代代木原頭に行幸、觀兵式を行はせられ大御稜威の下戰捷に輝く皇軍の精銳を御馬上親しくみそなはせ給ふ旨仰せ出された、この日 陛下には御軍裝に大勳位並に功一級各副章を御佩用、蓮沼武官長陪乘、松平宮相以下供奉申上げ略式自動車鹵薄にて午前八時三十五分宮城御出門、觀兵式場代代木練兵場に行幸觀兵式を臠はせられ、終つて同十時二十分發御還幸の御豫定と拜承する、なほ群臣と共に佳辰を壽がせ給ふ御恒例の御賀宴は支那事變下と同樣御取止遊ばされるは畏き極みである |
02 | イロイロ港再び機能復活 陸海軍協同で港口を啟開 |
03 | 慶祝使節團一行 きのふ參內奉伺の記帳 |
04 | 圖像:我が陸軍省最新銳戰鬪機隼號出動の寸前 |
05 | “治安と資源開發” 前田中將福岡着 |
06 | 輸送船の活躍、勞苦 生生しい經驗諸氏の座談會 |
07 | 總選擧戰の鳥瞰圖 戰ひは愈よ大詰(下) 國民の審判は果して如何? |
08 | 敵船八十八隻を擊沈 獨空軍四月一日以降の戰果 |
09 | 佐藤駐ソ大使 外務次長と會談 |
10 | 長谷川總督 歸任の途に着く |
11 | 真劍な投票を切望 石黑氏農家に呼掛く |
12 | 靖國の英靈に敬意 陸鷲五百機の大編隊で けふ帝都を訪問 |
13 | 葡領アゾレス諸島に 駐屯部隊を增派す |
14 | 南阿聯邦政府 對佛國交斷絕 |
15 | ヒトラー總統 國會で重要演說 |
16 | 阿部會長以下 最後の運動に傾注 |
17 | 米國の對佛國交關係 紐育タイムス論說 |
18 | 米秘經濟協定 |
19 | 米商船二隻擊沈さる |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 人氣呼ぶ米機殘骸 泰國慶祝使節團感謝の參拜 賑ふ靖國大祭第三日 |
02 | 閑かな爆笑の渦 バタアン戰線の靜けさ |
03 | バタアン戰線で敬虔な默禱 |
04 | 全身血達磨となり 敢然敵陣に突込む サマツト山に散華の二勇士 |
05 | 武勳青史に芳し 今井部隊名譽の戰病死者 |
06 | 大東亞建設の礎石 武勳の護國英靈凱旋 |
07 | 泰然武士道の精華 特務艦長清水少將 |
08 | 日本醫學の南進 香港に博愛會診療所開設 |
09 | 二十議案を可決 全島市議協議會終る |
10 | 昂まる必勝の信念 新竹市戰利品展終る |
11 | 臺陽展きのふ開幕 |
12 | 立派な戰死を遂げたでせう 森島伍長母堂談 |
13 | 一家一門の非常な榮譽 宋軍屬遺族談 |
14 | 身に餘る光榮 黃軍屬遺族談 |
15 | 宜蘭市乳兒選獎審查會 |
16 | 建功神社奉納競技成績 |
17 | 對法政二回戰 慶應に凱歌擧る |
18 | 早大勝つ |
19 | 五月分に限り砂糖特別增配 |
20 | 埔仔信組總代會 |
21 | 兄の養女とその弟を殺す |
22 | 人事・消息報社消息 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 人的資源の強化に 健民運動を展開 臺南州、五月一日より實施 |
02 | 豐原でも健民運動 |
03 | 志願兵入所者 豫備鍊成會始會式 |
04 | 賜金の御沙汰に浴し 感謝感激にたへず 故女性軍屬の父語る |
05 | 淡水郡藥業組合役員會 |
06 | 靖國臨時大祭に 彰化で遙拜式 |
07 | 靖國大祭に遙拜式 |
08 | 善化街でも遙拜式 |
09 | 落下傘部隊の (下)戰術的價值 |
10 | 大園產組總代會 |
11 | 後里青年團春季總會 |
12 | 圖像:皇軍を喜び迎へるインドネシヤ人の婦人達 |
13 | 白衣の天使 再訓練に臺北へ |
14 | 桃園共精共販組合總會終る |
15 | 青年挺身隊訓練修了式 |
16 | 銅鑼庄の稻作狀況を視察 |
17 | 町の鑛山を採掘 供出品顯示所を設置 |
18 | 仔豚の販賣統制 臺南州畜產會で斷行 |
19 | 彰化奉公壯年團 生活改善を打合 |
20 | 彰化鄉軍總會 |
21 | 興亞の桃太郎は誰? 花蓮港で優良兒審查 |
22 | 鹿港街乳兒選獎會 |
23 | 集集街乳幼兒選獎會 |
24 | 南河分教場昇格 けふ開校式 |
25 | 鳳山社會教化助成會理事會 |
26 | 北斗郡青年團學童相撲大會 |
27 | 高雄卸賣市場會社株主總會 |
28 | 淡水削氷同組總會を開催 |
29 | 草屯馬來語講習五月一日開始 |
30 | 纖維、石鹼移入統制打合會 |
31 | 岡山醬油會社の設立を企畫 |
32 | 人事 |
33 | 地方便り |
34 | 今日の映畫 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 文藝 布袋戲(人形芝居)に就て 特に農村健全娛樂として/小林澤 |
02 | 南十字星 頹廢作品一掃 外畫檢閱を強化 |
03 | 益良夫/秋子 |
04 | 普通圖書 臺灣總督府圖書館 |
05 | ラジオ |
06 | 子供時局 從軍記章のお話 起原は明治七年の臺灣征伐 敵の分捕品で作る |
07 | マホメツト教 どんな宗教ですか |
08 | 良いご本 |
09 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 慶祝使節團長に 親しく御握手賜ふ 午餐の御催しあらせらる |
02 | 東印度に皇民化運動 天長節を卜して展開 |
03 | ダーウインモレスビーを猛爆擊 |
04 | 圖像:快速部隊の揚陸 |
05 | 宮內藤吉氏立候補辭退 |
06 | 觀兵式諸兵指揮官 中村大將以下拜命 |
07 | 中村大將略歷 |
08 | 爪哇の交通路線 着着回復活潑化 |
09 | ヒトラー總統に 獨裁的絕對權附與 獨議會滿場一致確認 |
10 | ヒ總統全責任負ふ 成功も失敗に就いても |
11 | 各地の投票率好成績 |
12 | 英印交涉繼續は 受容の意志なし ネール強硬決意を披瀝 |
13 | 茲數週間が重大時機 ア英印度事務相演說 |
14 | 財產徵用の新權限を發動 印度政廳近く |
15 | 第二戰線形成論 對獨神經戰に終らん |
16 | 惡質犯は斷乎處分 內務當局全選擧民の自肅を要望 |
17 | バタビヤ總領事 石澤豐氏東上 |
18 | 新西蘭首相の發表 |
19 | バタビヤの外人登錄終了者 約一千に上る |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 上空一杯に鵬翼 陸の至寶・荒鷲五百の大編隊 帝都に爆音の饗宴 |
02 | 靖國大祭第四日 兩內親王樣が御參拜 |
03 | 優良部落を表彰 天長の佳節に傳達式 |
04 | 臺北市區長會議 |
05 | 圖像:英米海軍旗 |
06 | 森野二等兵戰死 |
07 | 彰化市內視察 市議協議會終了後 |
08 | 全島市議の招待會 |
09 | 晴の盛典を待つ 護國神社鎮座祭參列遺族に 記念品を贈る |
10 | 通知狀と案內狀 二百九十五遺族に發送 |
11 | 一路目的完遂へ 勞務奉公團員、高砂義勇團 志氣ますます旺盛 本間雅晴中將から 長谷川總督へ返電 |
12 | 定例局部長會議 |
13 | 建功神社例祭 港都で遙拜式 |
14 | 港都の桃太郎 輝く六名を州に推薦 |
15 | 武官府へ献金 |
16 | 結核豫防週間 基隆市、來月一日から |
17 | 新竹州市郡視學會議 |
18 | 健民運動行事 島都で乳幼兒健康診查 |
19 | 「南方」雜誌社座談會盛況 |
20 | 日本人集會に突如彈壓 サンパウロ州 |
21 | 愈よ豫備訓練へ 臺北州下の志願兵 |
22 | 興亞院鍊成所卒業式 |
23 | イロイロ市小學校で 救出邦人と劇的會見 ○○中佐以下の海軍士官 |
24 | チフスが流行する 市民の心得いろいろ |
25 | 新しい戰鬪機 獨逸空軍が製作に成功 |
26 | 宜蘭中合格者 |
27 | 高雄工業合格者 |
28 | 興南詩苑漢詩 嘯霞兄厭煩欲除花木一部勸余有機亦宜删棄藏書詩以答之/覺齋、謹步覺齋君原玉/嘯霞、讀香林懷舊短文數則賦似/覺齋 |
29 | 人事・消息報社消息 |
30 | 煙幕 |
31 | 商況 廿七日前場 |
32 | 興南案內報社消息 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日本と共に戰ひ拔く 光榮に感激パ泰國慶祝使節團長聲明頭條新聞 【東京發同盟】二十七日 天皇陛下に謁見仰付られタイ國皇帝陛下よりの國書を奉呈、畏くも御慰勞の午餐を賜つた日タイ同盟慶祝使節團長ピヤ・パホン中將は同日午後二時半帝國ホテルにおいてこの光榮に感激面を輝せつつ陸軍軍裝に威儀を正して次の如き聲明を發表した タイ國特派使節團は本日 天皇陛下に拜謁仰付られ 陛下より賜はりたる絕大なる榮譽に對し團員一同衷心感激に堪へません、日タイ政府は兩國同盟條約を慶祝するため互に特派使節團を派遣するに決しタイ國政府は不肖を團長とする訪日特派使節團を任命した次第であります、日本國及びタイ國は過去永きに亘り相互に敦睦なる關係を持續し互に渝るところなくその友好關係は未だ曾つて中絕したことはありません、日本國はアジアの自由と安定の確立を念とするものでありますがその結果として大東亞戰爭の勃發を見まするやタイ國は躊躇することなく日本國側に加擔しました同盟條約はタイ國民としては日本を真の友邦將又同盟國として滿腔の信賴を置くとを意味し極めて重視されるものであります、國民は同條約を格遵して盟邦と能ふ限りの協力をなし來つた次第であります、この意味からタイ國民は窮極の勝利を獲得するまで日本とともに戰ひ拔くため擧國一致してゐるのであります、從つて今回のタイ國特派使節團の訪日はタイ國民の友誼及び常に日本の友邦たらんとする決意を示すものでありまして私は日タイ兩國間に現存する親善關係を強化せんとするタイ國官民の希望と日本をして全アジア諸民族の平和と幸福とを齎らす光輝ある勝利を得しめんとする決意を齎らした次第であります |
02 | 泰國皇帝陛下に 御禮電御發送 |
03 | 勳章を御贈與 慶祝使節團團長以下に |
04 | 泰國の隆昌を祈る 歡迎晚餐會東鄉外相挨拶 |
05 | モレスビー再猛爆 廿七日我が荒鷲が |
06 | 敵の遺棄死體一五、六七六 蘇淮地區一個年の綜合戰果 |
07 | 圖像:英航母ハ號擊沈の光景 |
08 | 孫良誠將軍 汪主席に謁見 |
09 | 死の街衢州 わが爆擊で潰滅に瀕す |
10 | 海軍人事部長發令 |
11 | 陸軍省辭令 |
12 | 翼贊議會の確立へ 議會の國內人材動員 總選擧迫る、首相演說 |
13 | 支那事變死歿者論功行賞 陸軍關係第卅七回 |
14 | セブ島戡定作戰 赫赫の綜合戰果 |
15 | 絕對的命令權宣言 ヒ總統の歷史的獅子吼 |
16 | 天長の佳節を期して 原住民官吏を任命 ジヤバ島わが軍政部 |
17 | 事務繰合せの上 投票せしむ 官吏投票取扱方 |
18 | 「一票翼贊」 棄權と造反の撲滅 最後の努力を傾注 |
19 | 繰上げ投票 棄權率少し |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 南方文化の建設と臺灣社說 一 米英蘭に依り多年歪められた愚民政策を强制されて來た南方共榮圈內の同胞は、皇軍の勇猛果敢なる攻略に依り、僅か四箇月餘を以て敵性國家を東亞の天地より驅逐したので、今や雄渾なる我が指導理念に依り希望に輝く陽光を迎へる事となつた事は東亞民族十億の勝鬨である。卽ち泰國を始めとして佛印から馬來半島、ビルマ、東印度、比島、ボルネオ、セレベスの各地とも、日章旗のもとに我が雄大なる構想に依り、東亞人の東亞の天地を築くべく着着として勇ましい新發足を為して居る。米英蘭が數百年の久しきに亘り、植付けて來た自我主義と搾取主義に依り、極度なる萎縮に沈倫して來た被壓迫民族の解放の為めに、我が雄渾なる構想と着實なる指導に依り、具體的にその救濟策が實施されんとして居るこの際如何にして南方建設の為めに、我が光輝ある文化政策を活用すべきであるか。南方共榮圈には數千年前より豪華なる文化が開けて居り、世界文化に誇示した事もあつたが、米英蘭の統治下に入つてからその獨特の文化が蹂躪され、今日見るが如き無氣力の民族と化したのである。 二 南方共榮圈內の民族が、文化人としての素質を持つて居る事は、過去の歷史の明示する所であり、數世紀の久しきに亘り米英蘭が文盲政策を取つて來たが為めに、世界文化より著しく立遲れて居るが、我が指導下に入れば數十年ならずして、文化復興を見るのは臺灣統治が雄辯に實證する所である。高砂族が我が統治下に入つてから五十年足らずで、今日見るが如き文化向上を示した事は、一視同仁の聖旨の賜りである。從つて南方民族に於いても我が國の指導に依り、その萎縮した民心を振起し雄大なる文化政策を施すのであれば、豪華なる南方文化を招來するも遠い事ではないと確信するものである。言語、習慣、宗教を異にする南方民族を指導啓發する我が國の使命は重大であり、その育成指導には少からぬ苦心と困難を伴ふが、過去に於ける我が外地統治の尊い經驗を活用すれば必らずしも不可能ではない。要は短兵急なる指導は、南方民族に關する限り一考すべき事である。特に文化施策の要諦は、百年の大計を樹立して對處すべきである。 三 五十年の臺灣統治の尊い經驗を活用し、南方共榮圈建設に役立つのはこの秋である。殊に文化施策の基調となる學校教育や言語指導には、臺灣が最もよい標本である。南方文化の建設の為めには臺灣より文化戰士を選出し、これに協力させるのが最も捷徑であると言ふべきであるかかる見地よりしても本島に於る教育機關と文化施設も、南方民族の指導啟發に役立つべく雄大なる構想に依り、再出發せねばならない事を痛感するものである。從來の如き狹少なる立案計畫でなく、宏大なる南方天地の開拓と民族文化の昂揚の為めに、本島の文化政策にも一大轉換を為すべきである。大東亞共榮圈建設の聖業に翼賛する為めにも、高度國防國家建設の為めにも、銃後の文化政策を確立するのが急務である。殊に南方建設の為めには、本島の持つ貴重なる體驗を活用し、文化戰士を多數送り出す準備を今より着手すべきである。これが本島に與へられた南方文化協力への途である。 |
02 | 擧島・聖戰完遂へ 安藤軍司令官の挨拶 |
03 | 全島民社頭に遙拜 護國神社鎮座の儀入御時刻 擧島一齊に消燈して |
04 | 光榮の祭神 合計九千百八十六柱 |
05 | 照宮、孝宮兩內親王樣 昨日護國の英靈に御拜禮 |
06 | 今後の南方經營 是非臺灣を基地に 軍官民招待席上で長谷川總督強調 |
07 | 天長の佳節を壽ぎ奉る 宜蘭市の行事 |
08 | 二宮氏に功勞章を傳達 |
09 | 故水田曹長 我が家に喪の凱旋 |
10 | 北京の英靈合同慰靈祭 |
11 | 荒木商銀頭取の歸臺談 |
12 | 圖像:靖國の遺族事變展參觀 |
13 | 飛躍する作業成績 囹圄の人人の奉公振 |
14 | 赤誠の献金群 軍司令部廿六日の受付 |
15 | 邦人七人の挺身隊と モロ族部隊の活躍 マガツポ戰線の感激の話題 |
16 | 健民運動週間 宜蘭市の實施要項決る |
17 | 桃園街の行事 |
18 | ときの声 |
19 | 榮の臺陽展受賞者 |
20 | 宜蘭郡獸肉營業組合 |
21 | 人事・消息 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大東亞戰展 二日から花蓮港で開催 |
02 | 臺中の奉祝行事 |
03 | 素晴らしい發育 海南島移植の蓬萊米 |
04 | 壯丁團に角力獎勵 臺南州の體位向上策 |
05 | 彰化神社天長節祭 |
06 | 故長田巡查部長警察葬 |
07 | 專賣品小賣人組合定期總會 |
08 | 企業許可令質疑應答(一) |
09 | 合同祝賀會開催 臺南の天長節奉祝 |
10 | 臺南州米納組合總會議案 |
11 | 圖像:米機の殘骸 |
12 | 嘉義研武會試合 |
13 | 牛車業組合通常總會 |
14 | 敢鬪・臺灣の姿 十七年度體協事業豫定 |
15 | 仔豚移入折衝 臺中州畜產會一行來高 |
16 | くろがねの健康色 富士訓練所第三回訓練終り 三百の若人下山 |
17 | 結成一周年記念に 金屬回收運動 花蓮港廳報國推進隊 |
18 | 屏東春季野球 第二日の成績 |
19 | 三日目の成績 |
20 | 屏東交通會社總會 |
21 | 潮州商業奉公團 華華しく發足 |
22 | 臺北市內鐘聲新劇團 |
23 | 地方便り |
24 | 今日の映畫 |
25 | 第正回決算公告/屏東交通株式會社 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 天然瓦斯充填所 近く各所に建造 島內の輸送力倍加せん |
02 | 本年度 滿洲向け輸出茶 四百萬斤と決定 |
03 | 織物小賣商組合 城北支部總會 |
04 | 鹽糖新營工場壓搾終了 |
05 | タクシー事業組合 近く結成に決定 |
06 | 米穀供出方策と 增產問題の一考察 (二)/大木生 |
07 | 鹽糖岸內工場 產糖六十七萬擔 |
08 | 臺北州農會議員 當選者發表さる |
09 | 臺灣綿帆布配給組合定時總會 |
10 | 高砂電氣總會 |
11 | 臺灣皮革總會 |
12 | 米配給の圓滑に 各州市配給組合と打合 |
13 | 日糖臺中工場壓搾終了 |
14 | 造船事業法 來月上旬に施行 |
15 | 日糖玉井工場產糖三十萬擔 |
16 | 灣糖東港工場壓搾終了 |
17 | 臺灣炭業定時總會 |
18 | 作業賃等改正特別委員會 顏觸決定、昨日初會合 |
19 | 明糖南投、溪湖工場壓搾終了 |
20 | 源成農場壓搾終る |
21 | 烏日庄消費米組合總會 |
22 | 大甲郡各種商工組合總會 |
23 | 臺銀幹部異動 |
24 | 商況 廿七日後場 |
25 | ラジオ |
26 | 水滸傳(664)/黃得時;碇政彌 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 西部ニユーギニアと モ諸島諸要點を占領 |
02 | 白晝堂堂の敵前上陸 敵の放火でセブ市淒慘な光景 |
03 | 米驅逐艦ス號沈沒 フロリダ海岸沖合で |
04 | 巨船ノ號は解體の外なし |
05 | 三谷駐佛大使信任狀を捧呈 |
06 | 獨軍各戰線戰況 |
07 | 獨空軍英空軍大編隊を擊退 |
08 | 米國國內經濟の根本的變革 ル大統領教書送る |
09 | ソ、土兩國駐在大使會談 |
10 | 圖像:パナイ島オトンの街を堂堂進擊の陸軍部隊 |
11 | 原田公使法王廳 國務長官と會見 |
12 | 英印交涉の再開 全く絕望視さる |
13 | 佐藤駐ソ大使 ロ次長と會談 |
14 | 敗戰英海軍への批判熾烈 |
15 | 重慶遠征軍引揚ぐ 緬甸英軍連續敗戰で |
16 | 昭南華僑銀行一齊に開業 |
17 | 孫將軍決意を披瀝 畑總司令官訪問して |
18 | 興亞院辭令 |
19 | ニユージーランド 首相の聲明 對ソ外交問題で |
20 | 民間軍需工業表彰 三社に表彰授與 |
21 | 國民の自肅自戒 選擧違反全般に減少 |
22 | 翼協總會 |
23 | 渡滿狀行式盛大に擧行 滿洲鑛工青年技術生の就職決定 |
24 | 下志津野戰砲兵學校を見學 泰國使節團一行 |
25 | 國民健康保險法 施行規則公布 一日から實施 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 嚴かな奉祝式典 あす午前十時新公園廣場で擧行 天長節 |
02 | 御真影奉拜式 督府正廳で擧行 |
03 | 今夕に“直會の儀” けふ臨時大祭最終日 |
04 | 臺灣軍將兵に恤兵金 軍司令官の一舊部下から |
05 | 恤兵品に紅茶百貫を献納 |
06 | 新顏が約半分 官選商議の內示 |
07 | 田中基隆市長着任 |
08 | 市郡勸業課長會議 |
09 | 懷古談で大氣焰 日清從軍老勇士達の集ひ |
10 | 大祓奉誦會 新竹市內有志で |
11 | 部落競進會賞狀傳達式 |
12 | 米穀增產入賞者賞狀授與式 けふ市民講堂で |
13 | 前田利為中將 南方赴任の途次寄臺 |
14 | 百廿八組を表彰 百粁強步の健脚部隊 |
15 | 企業許可令質疑應答(二) |
16 | 心強い青年の產業熱 訓練所生募集に志願者殺到 |
17 | 委員長に樋口參謀長 陸軍特別志願兵各銓衡委員決る 全島一齊に檢查 |
18 | 竹內中佐南下 志願兵檢查の要務を帶びて |
19 | 比島の明朗話題 女警察官と獨立赤十字社 |
20 | 近づく“健民運動” 南北兩署の實施行事 |
21 | 港都實施行事 |
22 | 獸肉營業組合總會 |
23 | 賴母しい“參集率” 防衛戰士の非常召集 |
24 | 圖像:苦心の食糧運搬 |
25 | 興南詩苑漢詩 言懷/南都、述懷/可軒、晴園賞梅賦呈純青庚兄笑政/嘯□、謹步献三宗兄歸來原玉/蕭竹生 |
26 | 披露興行好評 二日間大世界館で |
27 | 煙幕 |
28 | 今夜放送 |
29 | 商況 廿八日前場 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 圖像:戰捷に輝く天長節 奉祝聖壽萬歲 |
02 | 大元帥陛下親臨 威武中外に輝やく 皇軍精銳を御閱兵頭條新聞 【東京發同盟】聖壽の無窮を壽ぎ無敵皇軍の威武を示す天長節觀兵式はけふ二十九日畏くも 大元帥陛下の親臨を仰ぎ奉り諸兵指揮官中村孝太郎大將指揮の下に若草もゆる代代木原頭において莊重盛大に擧行されるこの日諸兵指揮官中村孝太郎大將を始め在京各部隊精銳約二萬は早朝式場に整列陪觀者もまた所定の位置に肅として行幸を御待ち申上げる 大元帥陛下には午前八時三十五分宮城御出門略式自動車鹵簿にて同八時五十分殷殷たる禮砲轟く裡に式場に着御同九時二分御愛馬白雪に召させられ晴れの參加將兵を御閱兵遊ばされて後、玉座に着かせられ光榮に勇む各部隊の分列行進並びに安倍定中將の指揮する陸鷲精銳五百餘機の空中分列式を親しく臠はせられ同十時二十分式場發御宮城に還幸あらせられる御豫定と承る |
03 | 御寸暇なき御日常 拜承するだに畏き極み |
04 | 本格的攻略作戰へ ニユーギニヤに對し |
05 | パナイ島作戰戰果 |
06 | 壯烈無類その最後 鬼神も淚絞るらん ○○大尉機の自爆 印度洋作戰偉功 |
07 | 皇恩に酬ひ奉らん/長谷川清 |
08 | 奉祝聖壽無窮/安藤利吉 |
09 | 曠古の聖業完遂へ/齋藤樹 |
10 | 同志的信義に 衷心より敬意 慶祝使節歡迎晚餐會 東條首相挨拶 |
11 | 推薦新人進出ぶり顯著 現議員の形勢も有利に展開 |
12 | 南方の米穀事情 湯河局長視察より歸る |
13 | 獨、報復に出でん 英空軍の無差別爆擊 |
14 | ダーウインを空襲 |
15 | 要港サルミ 齋藤氏に聽く |
16 | 奉祝天長節 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 戰捷に輝く 天長の佳節社說 大稜威四海に普く、東亞黎明の旭光燦として八紘に輝く大東亞戰下、本日茲に光輝ある天長の佳節を迎へ、謹んで聖壽萬歲を壽ぎ奉ると共に國運の隆昌を祝福し奉ることは、生を昭和の聖代に享けた我等國民の欣喜感激に堪えざるところである。恭しく惟みるに、聖上陛下に於かせられては、天機彌彌御麗はしく玉體益益御健やかに涉らせられ、大東亞戰勃發するや、恐れ多くも宵衣旰食萬機を親裁遊ばされ深く宸襟を惱まさせ給ひ、數次に亘り國民の向ふべき所を昭示し給ひ、戰線の將兵、銃後の民草に大御心を濺がせ給ふなど漏れ承るだに恐懼感激に堪えない所である殊に本島蒼生に垂れさせ給ふ御仁慈は、洵に畏しとも畏き極みであり、我我島民はこの廣大無邊の聖恩を拜して、只只一死報國の赤誠を捧げ奉り、聖恩の萬分の一に應へ奉らねばならない今や大東亞戰は、皇軍の勇戰奮鬪により、陸に海に空に、世界を驚倒せしめる大戰果を收め、東亞に於ける敵の侵略基地は悉く覆滅し、米英の呼號せる對日包圍陣は、開戰僅か三月にして完全にこれを粉碎し、米英の世界的制霸の野望を擊碎してしまつた。のみならず皇軍の餘勢は驅つてラングンを屠り、援蔣最後の輸血路ビルマルートを完封し、戰局は更に擴大して南は遠く赤道を越えて濠州に、西は遙か印度洋に皇軍の威武が輝いてゐる。斯くて東亞に於ける帝國の地位は、絕對不敗の金剛座を築いたのであるが、米英は過去一世紀に亘り世界を支配して來た强敵であり、真に米英を完全に打倒せんがためには、總力による長期戰を覺悟し、堅忍持久の決意が必要であることは云ふまでもない。殊に本島は地理的に作戰上經濟上その使命重く、島民に課せられた職責また重大なるを痛感するものである。我我島民は常に前線將兵の心を心とし、千辛萬苦に堪えて未曾有の難局を突破し、本島に與へられた大東亞戰下負荷の大任を全うせねばならぬ。本日茲に光輝ある天長の佳節を迎へ、寶祚の無窮を壽ぎ奉ると共に護國の英靈に感謝し、皇軍將兵の武運長久を祈り、感奮興起して至誠奉公、難局突破に邁進せんことを誓ふものである。 |
02 | 社說 農地政策確立の要社說 一 戰時下の農業問題として最も重要な事は食糧の增產に外ならないが一見迂遠な農地政策の確立が農業再編成の基軸として最も根本的な增產對策である事は識者の齊しく認めるところである。然し本島に於ては此の方面の政策として從來殆ど顧みられなかつたが、日支事變の長期化と共に內地の各種對策に追隨して最近小作料統制令、農地價格統制令、臨時農地等管理令を施行し以て外部から農地制度の矛盾が表面化するのを抑へたに止まり、言はば一時的應急策しか行はれてゐないのである。特に本島に於ては自作地よりも小作地の割合が多く、昭和十四年四月一日現在では自作地四三%六七、小作地五六%三三を示し、中にも水田の小作地が六一%二九を占めてゐるので米作農の大部分が小作農である事が特に注目を要する問題であらう。從つて小作農民の生活安定を圖らんとするには小作法に依つて小作權を確立すると共に小作料の適正化を期する事となれば、假令土地の所有權は與へなくとも小作人は小作地に對する愛惜の念を增すであらう。朝鮮に於ては昭和八年には小作調停法の施行を實現し、昭和九年懸案の朝鮮農地令を制定し以て舍畜の取締、小作期間の法定、小作權の確立等を主要內容とする小作法として內地に一步先んじた點は特書大書すべき價値があり、本島としても大に學ぶべき問題であらうと思はれる。 二 次に考へなければならない問題は自作農の創設維持であらう。最近本島の小作人が地主に對する土地返却が夥しき件數に上つたのは固より幾多の原因はあらうが、要するに小作地の多き事に依つて發生する問題であつてそれ丈自作農創設維持の必要を痛感するのである。周知の如く內地に於ては大正十五年から二十五ケ年を一期とする自作農創設維持計畫を立て、簡易生命保險積立金から年率三分二厘の低率を以て融通して來たのである。朝鮮に於ても昭和七年から此の事業を開始したのであるから遲蒔ながらも本島として此の問題を取上ぐべき事を强調したい。更に考慮すべき問題は農業保險の創設であらう。殊に本島に於ては暴風雨の危險多く又本年の如く旱魃に依る災害は一般農村生活に不安を齎らし引いて農業再生產に阻害を來すべきは明かであるから、農業保險の國營は此の際一考すべき問題であらう。內地に於ては農業保險の內、昭和四年家畜保險法を實施し、昭和十三年始めて農業保險法を公布して水稻、桑葉、麥及び水稻を耕作する小作地の小作料に農業保險を實施する事となつた。卽ち年年風、水、旱、霜、雹、病虫等等の所謂自然的災害に依つて蒙る損害を填補せんとする保險であるが、本島に於ては特に本島の實情に立脚してより理想な案を構想すべきは論を俟たない。其の外農業の適正規模に關する問題や農業經營の協同化等の問題はあるが、要するに戰時食糧增產對策としてモツト根本的な農地政策確立に關し此の際督府當局の考慮を煩はさざるを得ない。 |
03 | 志願兵の檢查日割 島都を皮切り愈けふから實施 |
04 | 兵力と勞力を確保 國民體力法施行令改正法 五月一日から實施 |
05 | 遺族達に溫い心 及川大將各病院を慰問 |
06 | 花蓮港廳の健民週間行事 |
07 | 示す“戰車の威容” 觀兵式後帝都を行進 |
08 | 建功神社奉納催物 きのふ盛大な開會式 |
09 | 奉納ラグビー大會 |
10 | 圖像:椰子の下を征く勇士(○○戰線で) |
11 | 量的質的飛躍 新竹市の健民週間行事 |
12 | 二名が屆出 新竹商議所員の選擧戰 |
13 | 奉公運動新展開 表裏一體の構へを更に強化 部長會議で討議 |
14 | 銃後保健の確保 生活相談所各科の委員決る |
15 | 花蓮港廳下農務係員打合會 |
16 | 記念式典を擧行 辯護士法施行五十周年 |
17 | ときの声 |
18 | 宜蘭健民週間行事 |
19 | 建設の實績顯著 臺北州優良部落を表彰 |
20 | 輸出振興會社總會 |
21 | 婦德の鍊磨へ 五月五日第四回鍊成會開始 |
22 | 織物商組合の總會開催 |
23 | 宜蘭郡獸肉營業組合總會 |
24 | 東海バス顛覆 死傷者二十餘名 |
25 | 人事・消息 |
26 | 奉祝聖壽無窮 |
序號 | 標題 |
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01 | 神謀・蘭印作戰秘錄○○參謀の實戰談 ジヤバ攻略を目標に 敵航空基地を奪取 定石を破る遠距離大作戰 |
02 | 大本營派遣陸軍幕僚○○中佐談 蘭印作戰の持質 |
03 | 圖像:皇軍ジヤバ島上陸 |
04 | 數段飛び上陸 超人的九州健兒部隊 |
05 | 各方面一齊に上陸 ジヤバ大渡洋作戰 |
06 | 敵地沖合を橫行 |
07 | 暗夜の勝鬨・敵艦沈沒 バンタム沖激戰 |
08 | 海中に飛び込む |
09 | 臺南州米穀納入組合總會 |
10 | 奉祝天長節 |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 銀行預金新記錄 前年より一億千萬圓激增 三月末 |
02 | 臺北市住宅不足 商議所、州當局に答申 |
03 | 鹽糖新營工場 產糖九十萬餘擔 |
04 | 勞働技術統計 調查事務打合會 |
05 | “本島の產業は 前途洋洋たり” 武島三井臺北支店長談 |
06 | 海運國管施行規則 近く施行の見込 |
07 | 高雄州自家用米 共同保管を實施 |
08 | 照明燈 |
09 | 商況 廿八日後場 |
10 | ラジオ |
11 | 水滸傳(665)/黃得時;碇政彌 |
12 | 奉祝聖壽無窮 |
序號 | 標題 |
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01 | 國姓庄諸品評會 褒賞授與式を擧行 |
02 | 新高郡青少年相撲大會 |
03 | 草漯信組總代會 |
04 | 竹北信組總代會 原案通り可決 |
05 | 國姓產組總代會 |
06 | 竹北農倉總會 |
07 | 運命分擔の信念浸透 朗色に湧くサイゴン |
08 | 地方便り |
09 | 今日の映畫 |
10 | 奉祝天長節 |
序號 | 標題 |
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01 | 天皇陛下御親拜 十億民草擧つて壽ぐ 大東亞戰初の天長節頭條新聞 【東京發同盟】天皇陛下には二十九日御めでたく第四十一回の天長の佳節を迎へさせられた御稜威の下戰捷に輝く大東亞戰下初の天長節、皇國民と共に遍く聖恩に浴する東亞の民十億が聖壽無窮を壽ぎ奉るこの朝天皇陛下には宮中三殿に御親拜嚴かなる天長節祭を行はせられた賢所、皇靈殿、神殿は早旦清かに飾られ醍醐掌典次長以下奉仕し神饌幣物を供し三條掌典長恭しく祝詞を奏し奉れば午前十時天皇陛下には御束帶神神しく綾綺殿より出御先づ賢所內陣の御座につかせ給ひ御玉串を奉奠せられて御親拜ついで皇靈殿神殿に進ませられ恭しく御拜あらせられて入御、御儀は滯りなく御終了あらせられた。かくて午前十一時過ぎには御祝賀のため御參殿遊ばされた 照宮孝宮順宮各內親王樣に御對面ついで松平宮相、木戶內府、亘武侍從□、蓮沼侍從武官長など側近重□ら□賜謁□□御恐悅を言上申上げたそれより陛下には同十一時五十分鳳凰ノ間に出御□□□□高松宮妃三笠宮同妃各殿下を始め□り各皇族方に御對面御祝詞を受けさせられ更に正殿に出御、宮內官一同の拜賀を受けさせられた正午には天皇皇后兩陛下各內親王樣御揃ひにて御內內の御祝膳につかせ給ひ佳き日を壽がせられたと拜承するが天皇陛下には午後二時から鈴木樞密院副議長以下舊側□奉仕者に賜□□□に茶菓を賜ひ東條首相以下文武百官其□□資格者の□□□□□時からひきも切らず大內山は終日慶色に□□□□□□佳節に輝く晴れの觀兵式は式場泥濘の□□□□□□、また恐れ多きことながら御恒例の□祝宴□時局に鑑みさせられて御催しはあらせられなかつた |
02 | 御稜威の榮光仰ぐ 本間比島最高指揮官謹話 |
03 | “聖戰の真意”に徹せよ 山下マレー方面最高指揮官談 |
04 | コタバトに上陸成功 ミンダナオ島西部 |
05 | パラングを完全占領 |
06 | けふ尊き一票の行使 翼贊議會の確立へ |
07 | 圖像:焰天を焦すセブ市海岸倉庫街の夜景 |
08 | “一票報國の義務” 湯澤內相國民に呼掛く |
09 | 戰爭戰ひ拔くため 阿部會長談話發表 |
10 | 開票日割一覽表 |
11 | モロツコ總督 ラ佛首相と要談 |
12 | 祝賀觀兵式を擧行 皇軍堂堂スラバヤ市中を行進 |
13 | 全爪哇原住民官吏 日本政府官吏として任命 |
14 | 印度籠絡失敗の辯 クリツプス英下院で報告 |
15 | 駐重慶米大使 ニユーデリーへ |
16 | ル大統領教書 囂囂たる物議 |
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序號 | 標題 |
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01 | 誓ふ忠誠の鬪魂 擧島聖戰完遂に邁進 奉祝天長節 |
02 | 御真影の奉拜式 府正廳で嚴かに擧行 |
03 | 臺北州祝賀式 |
04 | 宮城前に赤子の群 昂る一億民草の士氣 |
05 | 宜蘭市の奉祝 |
06 | 今日の佳き日 十萬市民壽ぎ奉る |
07 | 花蓮港 |
08 | 佳節を壽ぎ奉る |
09 | 圖像:島都の志願兵檢查 |
10 | 安藤軍司令官來花 兵事部開廳式臨席のため |
11 | 前線各地の遙拜式 |
12 | 更に四名屆出 新竹商議立候補 |
13 | 賴母しい兵隊口調 島都志願兵檢查始る |
14 | 臨時大祭終る 靖國の遺族續續退京 |
15 | 產業奉公團 興亞製鋼と宜蘭農產で結成 |
16 | 恤兵金二萬圓 |
17 | 宜蘭土地建物總會 |
18 | 首相夫人を訪問 臺灣奉公女子青年團 |
19 | 鍛へ・興亞の體力 あすより健民週間 |
20 | 進め一億健康へ 銘記せよ!保健十訓 |
21 | 蘇花道路に崖崩れ |
22 | 桔梗クラブの連繫 盟約並中央部規約案脫稿 |
23 | “今にお魚が出るよ” 南方漁場調查に照南丸出向く |
24 | 蹴球試合成績 |
25 | 聖恩囹圄に遍し 模範囚に假出所の恩典 |
26 | 未成年者禁酒禁煙 一日より十日まで遵法強調旬間 |
27 | 鄉土歌謠詞 皇奉で募集 |
28 | 人事・消息報社消息 |
29 | 晴の發會式擧行 新竹市鄉軍の改組再出發 |
30 | 擦れ違ひにあツと云ふ間に墜落 |
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序號 | 標題 |
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01 | □ 身を以て難に當る 軍司令官に感激 仇討たんと將兵の勇氣百倍 |
02 | 友軍捨身の敢鬪 カリジヤチー飛行場を占領 |
03 | 敵全面的降伏 震へる敵陸軍長官放送 |
04 | 倒木跨つて猛進擊 濠洲軍の上陸それは噓だ |
05 | ソ土關係惡化深刻 |
06 | ラジオ |
07 | 今日の映畫 |
08 | 第三回決算公告/株式會社高砂電氣商會 |
09 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語普及の新考察 二ヶ年で常用部落完成 臺中州 |
02 | 優良部落會表彰 天長の佳辰に臺南州から |
03 | 圖像:兵隊さんの牧場經營 昭南島武陵山高地 |
04 | 對佛印文化政策 注目すべき意見と計畫 小川ハノイ總領事語る |
05 | 彰化奉公壯年團月例會 |
06 | 彰化中學開校式 終つて公會堂で祝賀會 |
07 | 決意を新たに 商業報國に驀ら 高雄商業奉公團結成式 |
08 | 花蓮港の結成式 |
09 | 警官の武裝行軍 臺中州警察部非常召集 |
10 | 臺中乘合自動車全通式 |
11 | 自動車と自轉車衝突 |
12 | 我らの手になる紙鷲 來る十日に競翔大會 |
13 | 痴漢恨みの一刀 |
14 | 地方便り報社消息 |
15 | 奉祝聖壽無窮 |