興南新聞1942年3月
序號 | 標題 |
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01 | 敵艦四隻を擊沈! きのふジヤバ海で 敵艦隊主力を捕捉 |
02 | 印度洋の危機 英國窮境に陷らん |
03 | 圖像:海軍落下傘部隊の活躍 |
04 | 米穀問題打合 |
05 | 情勢は惡化の一路 英、對印度問題で苦慮 |
06 | 米政府責任追及さる ゴム資源喪失で |
07 | 濠洲、防衛の第二陣確立か |
08 | 駐ソ大使更迭 後任は佐藤尚武氏 |
09 | 佐藤駐ソ大使の輔佐役任命 |
10 | 無敵皇軍を禮讚 樋口參謀長着任第一聲 わが古戰史を說く |
11 | ボーキサイト產地 蘭領ビンタン島を見る |
12 | きらめく閃光! 忽ち數條の黑煙 ポートダーウイン爆擊同乘記 |
13 | 昭南市の第三國人 各自住宅に復歸 |
14 | 對重慶連絡部 印度に設置 |
15 | 翼政態勢協議會 選擧終了後は解散 |
16 | 候補者推薦の 基本方策決定 |
17 | 翼贊議員同盟 理事會顧問會 |
18 | 太湖東北地區の 掃蕩包圍戰果 |
19 | 戰火に戰く印度情勢 |
20 | 英情報省を改組 外務省に移轉 |
21 | 西南太平洋方面 米軍增援は至難 |
22 | 各界代表者を網羅 |
23 | 獨潛水艦の 活躍振り |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 南方に雄飛する 產業戰士鍊成所 臺北に設置・近く所生募集 |
02 | 臺鐵旅客運賃引上 四月一日より實施 |
03 | 皇大神宮假殿遷宮 二十八日上棟祭を執行 |
04 | 南方協力への構想 大和民族の大躍動 領臺以來の學術や經驗を活用せよ 臺北帝大總長安藤正次氏談 |
05 | 英靈追悼會 二日別院で |
06 | 奉公會臺北支會講演會 |
07 | 基隆市第四保甲民献金 |
08 | 三月の常會迫る 皇軍感謝週間を中心に 實踐事項決まる |
09 | 港都の豪華な行事決定 |
10 | 掘下ぐ“巷の鑛脈” 島都の金屬類供出あすより開始 |
11 | 圖像:硝煙の霽れ間に |
12 | 國報講習會 |
13 | 志願兵令公布の日 島都の感激六二七名 |
14 | 今一息で二千名 殺到する新竹の志願 |
15 | 臺北市區長會議開催 |
16 | 氣魄が相當強い ベンクレンの住民達 |
17 | 海軍献納飛行機 十一機けふ命名式 |
18 | 食糧增產戰線へ 白衣勇士の再起奉公 |
19 | 愛婦の古鐵回收 九百餘圓武官府に献納 |
20 | けふも武官府へ献金群 |
21 | 府圖書館閱覽 三月一日より十二日迄休止 |
22 | マラリヤ增加 港都防遏に大童 |
23 | 五ツ島引退 脚の故障で |
24 | 時局常識 共榮圈內のセメント 年產額百四、五十萬噸 |
25 | 產業開發に一役 捕虜の一部が就役開始 |
26 | 勇士に演藝慰問 臺北市けふから五日間 |
27 | 大穴が續出 高雄競馬五日目 |
28 | 興南詩苑漢詩 晴園觀梅賦呈諸公/晴園主人 黃純青、晴園觀梅次韻/尾崎古村、晴園卽事次主人原韻/神田鬯盒、次晴園主人原韻/魏潤庵、敬和晴園主人原韻/南都、次晴園主人瑤韻/可軒、讀黃樓詩感賦/黃純青 |
29 | 港灣關係者のコレラ豫防注射 |
30 | 商況 廿八日前場 |
31 | 訃文:張覺先 |
32 | 興南案內報社消息 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 特別志願兵令きのふ公布 精勵克く成果を收めよ 長谷川總督、諭告を發す頭條新聞 六百萬島民多年の熱望に應へ本島統治史上に不誠の金字塔を打建てた陸軍特別志願制度は來る四月一日から實施の運びとなつたが之に關する勅令第一◯七號は二十八日公希せられた。總督府では之と同時に總督諭告竝に齋藤情報委員部長談を發表し、島民大眾に對して本制度の聖なる意義を闡明すると共に精勵克く成果を收めるやう激勵の辭を與へた。 諭告第二號 茲ニ改正陸軍特別志願兵令ノ公布ヲ見本島官民多年ノ翹望タル志願兵制ハ本年四月一日ヲ期シ實施セラルルニ至レリ 惟フニ兵役ノコトタルヤ日本臣民ノ享受スル絕對至高ノ國民的榮譽ニシテ今本制度施行ニヨリ本島六百萬ノ島民ハ齊シク此ノ崇高ナル兵役ニ服シ國家保護ノ大任ニ就クノ光榮ヲ擔フニ至ル康福何物カ之ニ如カン 抑モ臺灣統治ノ大本ハ島民ヲシテ皇國臣民タルノ本義ニ徹シ內臺一如真ニ喜憂ヲ分チ眾庶一心以テ君國ニ盡サシムルニ在リ歷代總督夙夜懈ラズ只管一視同仁ノ聖旨ヲ奉體シテ施政ノ伸張民福ノ增進ヲ圖リ以テ今日ノ成績ヲ見ルニ至レリ就中皇國精神ノ培養ハ官民ノ不斷ニ彊メテ息マザリシトコロ近時其ノ成果頓ニ擧リ偶偶支那事變並ニ大東亞戰ノ勃發ニ際リ顯現セル愛國ノ至誠ハ內外ノ齊シク嘆賞スル所ニシテ本制度ノ實施ヲ見ルニ至レル所以亦茲ニ存スト謂フベク寔ニ堪ヘザルナリ 本制度ノ目的タル固ヨリ島民ヲシテ國防ノ大任ヲ負荷セシムルニ在リト雖モ特ニ本島ニ希求スルトコロノモノハ本制度ノ惠澤ニ賴リ島民ヲシテ兵ニ赴クト赴カザルトヲ問ハズ普ク皇民鍊成ノ契機タラシメ以テ統治ノ進展ヲ期スルニ在リ 今ヤ宣戰ノ大詔渙發セラレ皇國ノ隆替正ニ此ノ一戰ニ懸ル一億國民鐵石ノ決意ヲ以テ聖業完逐ニ邁進セザルベカラズ此ノ秋ニ當り本制度ノ實現ヲ見ル其ノ意義ノ深遠ナルモノアルヲ覺ユルト共ニ本島ニ課セラレタル使命ノ重且大ナルヲ痛感セズンバアラズ庶幾クバ官民宜シク本制度施行ノ精神ヲ了得シ協力之ガ運行ヲ愆ラズ勵精克ク成果ヲ收メ以テ國運ノ進展ニ寄與センコトヲ 昭和十七年二月二十八日 臺灣總督海軍大將長谷川清 |
02 | 敵巡一隻に大火災 大鳥島我海軍部隊の戰果 |
03 | わが海の護り固し 敵のゲリラ戰に微動だにせず |
04 | 蘭印海軍省公表 |
05 | 井野農相參內 |
06 | 南方各方面の大戰果 九日から廿五日迄我陸軍部隊の戰況 |
07 | 外務辭令 |
08 | 微力を盡す 佐藤新駐ソ大使談 |
09 | 英甲巡一隻を猛爆 バタヴイア沖で大火災生せしむ |
10 | 大東亞海を制壓 敵艦隊の主力殆んど潰滅 |
11 | 圖像:米本土を砲擊 |
12 | バタヴイアを放棄 バンドン移轉を準備 |
13 | 赫赫の大戰果 クーパン周邊一帶を掃蕩 我が海軍落下傘部隊 |
14 | 爪哇防衛絕望 英植民相見解を表明 |
15 | 蘭印もガソリンの割當制 |
16 | ウエーヴエル 總司令官更迭か |
17 | 翼贊壯年團 各道府縣の事務打合會 |
18 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 志願兵令公布さる社說 一 本島統治上劃期的な一大飛躍を齎すべく、我等島民が永年待望してゐた志願兵制度は、昨年六月當局の大英斷に依つて實施方針が決定され、以來約半ケ年餘に亘る準備期間を經て、去る二月十五日にその制度の內容並に募集要綱が發表され、更に之に要する豫算は既に今議會の協賛を得、引續き之に關する敕令案は去る二十五日の閣議で決定されたので廿七日上奏御裁可を仰いだ結果去る二十八日附官報を以て改正陸軍特別志願兵令並に臺灣總督府陸軍志願者訓練所官制が公布され、愈愈來る四月一日より之を實施することとなつた、而して今般の臺灣特別志願兵令は全く曩に施行された朝鮮の志願兵令を踏襲したもので、志願者にして所定の試驗に合格したものは先づ臺北の訓練所に入所し、約六個月間內地人の生活樣式を修得すると共に、相當な訓練を受けた上で入營することになつてゐるが、第一回は來る六月、第二回は來る十二月に夫夫臺北の訓練所に入所し、第一回の入所生は來る十二月一日以降の十七年度徵集兵と一緖に入營することになつて居り、本年度の人員は第一、第二回共五百名宛合計一千名を採用することになつてゐる 二 抑抑國民三大義務の中で、兵役こそ日本臣民として崇高至絕の榮譽であり、我我日本國民たる者のみが得られる最高の矜持である。この榮譽、この矜持を以て全國民悉く盡忠報國の誠を致し、この偉大なる信念をもつこそ、始めて皇國民として名實兼備の資質が得られるのである、一旦緩急ある時、一身を君國に捧げることは男子の本懷であり、獨り兵役に服し尊き日本精神を體得した者のみ許さるベき特權である、今や本令の公布によつて我等全島民は、この崇高無二の義務、帝國臣民として至上の榮譽を荷ひ得るに至り、世界に冠絕せる帝國軍人の一員として軍旗に馳せ參じ、忠勇無双の皇軍に伍し君國に忠節を盡す機會が與へられ、國土防衞の大任に就くの光榮を負ふに至つたのである、この至高なる榮譽、崇高なる義務を負へた六百萬島民、今こそ我我が日頃念願する報國の赤誠を披瀝する絕好の機會が到來した、この歡喜、この感激を深く心に銘じ、この光榮を我が子子孫孫に至るまで、永遠に傳へしめるべく、我我はこの機會に新なる覺悟と決心をもたなければならない 三 曩に光輝ある本制度の實施が發表されるや、全島を擧げて感謝と感激の坩堝と化し、更に去る二月一日志願受付開始されるや我こそ一番乘りをなさんと前夜より待機し相競ふて志願し、その數既に十五萬を突破して、更に來る三月十日の締切までには確かに廿萬に達するの盛況振りである、之は寔に本島青年がよく時局を認識し一日も早く真の皇國民たらんとの熱烈なる希望の現はれであり、新時代を劃すべき實踐者の一人として、明朗新臺灣建設のために奮然蹶起したに外ならない、新しい青年も有識者も、富者も貧者も、老人も若者も悉く起ち上つた、「譽の志願兵」のために揃つて聲限り唱和し皇民鍊成の目標の下に全島民の進むべき道は一つだ、斯くて我我は輝しき第一步を踏み出したのだ今年こそは本島に新時代を劃すべき年である、明日の一大飛躍を齎すべき新時代に處する青年諸君、聖業に參劃するの光榮に應へて、尊き使命の達成、目的の完遂に我我は一路邁進しなければならない。 |
02 | 莊嚴な建國節御儀 全滿各地に充つ歡びの一色 けふ滿洲建國十周年 |
03 | 日本朝野の援助の賜物 張國務總理談話を發表 |
04 | 感激新た・志願兵令公布 軍旗の下へ勇躍奉公 起て!全島の若人・時ぞ今 |
05 | 皇民鍊成への目標 齋藤情報委員部長談 |
06 | 家寶の古鏡献納 奧床しい匿名の一老婆から |
07 | 圖像:我が爆擊機の雄姿 |
08 | 港都志願者の累計 |
09 | 島都壯年團員“魂の鍊成” 三班に分ち大直研修所で實施 |
10 | 脫出船舞ひ戾る 我が艨艟○隻に護送されて |
11 | 南方事情座談會 新竹商議所主催 |
12 | 捧ぐ島民の感謝 軍司令部廿八日受付の献金 |
13 | 圖像:木曜島、真珠採取船 |
14 | 慰問演藝會 遞信部軍援會で |
15 | 秋季土匪大討伐行に 偲ぶ當時の苦鬪 滿洲建國十周年永野高級副官談 |
16 | 物云はぬ戰士を慰問 一師生丹精の人參持參して |
17 | 立派に“海の子”に更生 海洋青少年第一回修業式 |
18 | 物淒い南進熱 港都數十の商社が企圖 |
19 | 立派にお役目果し 軍國の乙女等武官府とお別れ |
20 | 窺はれる銃後の固き決意 武官府參謀白水中佐感激談 |
21 | 能澤前臺電理事、近く離臺 |
22 | 羅東街協議會 |
23 | ときの声 |
24 | 蘭陽乘合自動車會社の創立總會 |
25 | 洋服商組合定期總會 |
26 | 貯銀幹部異動 |
27 | 人事報社消息 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 勞務者の收入保障 港灣勞務機構の劃期的大改革 三月十日より實施 |
02 | 締切り近づく! 增加の一途を辿る臺南州志願者 累計二萬六千餘名 |
03 | 「大東亞戰と日本の使命」 齋藤少將講演 |
04 | 震災救恤御下賜金 三日州會議室で傳達式 |
05 | 竹東神社 上棟式を擧行 |
06 | 從業員體育會 |
07 | 規那の栽培 斯界の權威を招き適地踏查 |
08 | 志願兵促進に 保甲訓練會開催 |
09 | 土光臺南州警察部長歸北 |
10 | 童心戰く入試迫る 年年變らぬ窄き門 |
11 | 花蓮港署壯丁查閱 |
12 | 輝く東亞新秩序の先驅滿洲建國十周年 |
13 | 遊興飲食稅の話(上) 臺北州總務部稅務課長高濱實氏談 |
14 | 臺南州農會 畜產會總會 |
15 | 各地街庄豫算會議 |
16 | 圖像:□□勇士の愛國貯金 |
17 | 能高の愛婦 赤誠を慰問袋に |
18 | 產業戰士の殿堂 勞務者鍊成道場開館 |
19 | 黑鮪の來襲を待つ 高雄の漁業者張切る |
20 | 皇奉新興部落會 常會を開催 |
21 | 高雄州農機具配給組合總會 |
22 | 炭業組合青壯年鍊成會を開催 |
23 | 急行列車の運轉 早急實現方を各要路に陳情 屏東市會で凝議 |
24 | 第一種青訓終了 |
25 | 烏溪水防組合 評議員會を開く |
26 | 臺中華僑公會會員總會 |
27 | 相撲選手猛稽古 |
28 | 武藏坊辨慶 國際館封切 |
29 | 地方便り |
30 | 今日の映畫 |
31 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | トマトの內地移出 本日より解禁さる |
02 | 本島トマト產業 今後大に發達せん 植檢所長三坂博士談 |
03 | 南日本汽船總會 依然無配に決定 |
04 | 錫の常識 錫の產狀と產地 |
05 | 日本アルミ擴張 近く第二回拂込徵收 |
06 | バナナ纖維買入獎勵金の徹廢 |
07 | 獸醫師等徵用令 施行規則けふ公布 石井局長談 |
08 | 鐵道建築技術會 二十八日に終る |
09 | 同職業能力申告改正令 改正施行規則けふ公布 |
10 | 注目される亞麻作 愈よ收穫に着手 |
11 | 乾電池會社工場 本月中旬に竣工 |
12 | 臺灣水產會 第廿一回總會 |
13 | 昭南島食料品 最高價格を決定 |
14 | 私鐵運賃の改正 近く當局より示達 |
15 | 石油小賣商組合 昨日創立さる |
16 | 貯蓄增加目標額 來年度三億圓か |
17 | 私鐵資材協議會 |
18 | 照明燈 |
19 | ラジオ |
20 | 水滸傳(622)/黃得時;榎本真砂夫 |
21 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵西南聯合艦隊潰滅 敵艦十五隻を擊沈破 ジヤバ海戰の大戰果頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(三月一日午後四時)一、ジヤバ方面海戰に於て三月一日早朝まで判明せる戰果左の通り(一)スラバヤ方面海軍作戰部隊は二月二十七日薄暮より二十八日未明までに敵米、英、蘭聯合艦隊に屬する巡洋艦三隻、驅逐艦六隻を擊沈、巡洋艦四隻を大破せり(註本海戰をスラバヤ沖海戰と呼稱す)(二)バタビヤ方面海軍作戰部隊は三月一日早朝米大巡一隻、濠巡一隻を擊沈せり(註本海戰をバタビヤ沖海戰と呼稱す)二、この兩海戰に於て我蘭印方面所在艦隊は西南太平洋方面敵艦隊主力概ねを殲滅し、尚殘敵掃蕩中なり三、我が方の損害は驅逐艦一隻小破せるも戰闘航海に差支へなし |
02 | 陸鷲、敵艦四隻に直擊彈 |
03 | 我獨特の肉薄攻擊 決定的勝利へ導く |
04 | 翼贊政治態勢確立 國內展望 |
05 | 約一千の敵を捕虜 緬甸○○河の殲滅戰 |
06 | イラン內閣總辭職か |
07 | 恩赦の詔書を渙發 滿洲政府、勅令を公布 |
08 | 張國務總理謹話 |
09 | 爪哇の料理店 閉店戰戰兢兢 |
10 | 圖像:二月十七日海軍艦艇がスマトラ島方面で拿捕した英海軍驅潛艇 |
11 | 華華しい激戰展開 ジヤバ海戰に關するUP電 |
12 | 米海軍省公表 |
13 | 我空爆下の爪哇島 米ミ放送局ジ特派員の報道 |
14 | 蘭印の巡洋艦驅逐艦含まる 擊沈艦の中に |
15 | ヴイシー政府嚴正中立 |
16 | ポート・モレスビー爆擊 |
17 | 人物本位を主に 地方事情を參酌 けふ推薦基準を協議 |
18 | 適正な推薦運動 翼政協議會の運營方針 |
19 | 盟邦獨の仇を打つ 英甲巡エ號の擊沈 |
20 | 米油槽船擊沈 |
21 | 英落下傘部隊 北佛に降下 |
22 | 獨軍の猛反擊で逃走 |
23 | 邦人檢束者全部を釋放 秘露の親日振り |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 菊蘭の契も固し 盟邦滿洲國建國茲に十周年 帝都で盛大な祝賀式 |
02 | 日滿一體を顯現 東條慶祝會總裁式辭 |
03 | 聖業擔當の光榮 李滿洲國大使の挨拶 |
04 | 建國節の夕日比谷の公會堂で |
05 | 日滿旗巷に翩飜 島都祝賀氣分一色 |
06 | 終日歡喜の坩堝 佳節を迎へた滿洲國 |
07 | 既往を咎めない 飜然大悟の歸國者に |
08 | 高松宮殿下台臨 祝賀午餐會を開催 |
09 | 祝賀午餐會 東條首相挨拶 |
10 | 祝電を發す 長谷川總督が |
11 | 第二回推進員指名式 |
12 | 加藤憲兵准尉 新竹市で防諜講演 |
13 | 稅制記念日 新竹州の行事決る |
14 | 蘭に偲ぶ英靈の雄姿 人情部隊長の半面を物語る 井上少將“蘭談義” |
15 | 宜蘭防諜兒童劇試演會 |
16 | 蘭印歸朝者 幹部鍊成講習會 |
17 | 造船計畫が第一 清水東亞海運社長談 |
18 | 春に“童心戰く” 共學生考查を實施 |
19 | 新竹信組敬老會 |
20 | 高專學生主事鍊成會 |
21 | “知行一如”の體鍊 青少年團幹部鍊成開始 |
22 | 中師附屬國民校の學藝會 |
23 | “日本語”も南進 共榮圈向け教科書編纂 |
24 | 瞬く間に“町の鑛山” 掘れ!埋沒量無盡藏 |
25 | 大日本興行協會結成促進 |
26 | 厚生樂曲當選發表 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 嘉義地方の土地 一萬二千甲に灌溉 大水利施設工事起工式 生產擴充等に寄與 |
02 | 給水船を新造 高雄市五萬圓の豫算で |
03 | 日滿不離一體の精神を昂揚 |
04 | 臺南市常會 |
05 | 迸る州民の赤誠 臺中憲兵分隊取扱の献金 |
06 | 感激の献金 |
07 | 各地街庄協議會 |
08 | 一擧に四百名志願 臺南市民志願兵令に感激 |
09 | 志願兵熱を煽る 竹山乙女等素人劇で |
10 | 屏東華僑公會總會 |
11 | 軍事思想を鼓吹 埔里で軍事講演會 |
12 | 社會事業講習會 |
13 | 高雄州聯合壯丁團檢閱式 |
14 | 感謝の一日を送らん 臺南の陸軍記念日行事 |
15 | 花蓮港中學卒業式 |
16 | 魚苗價格を釘付 配給打合會で決議 |
17 | 納稅精神を昂揚 稅制記念日臺南市行事 |
18 | 稅制記念日に 桃園稅務の行事 |
19 | 花蓮港では納稅を宣傳 |
20 | 鳳山街學校組合通常會議終る |
21 | 熱辯に魅了さる 竹東時局大講演會 |
22 | 興亞の健兒一堂に會同 少年團經營研究會開催 |
23 | 臺中州パイン組合榮町に移轉 |
24 | パチパチ珠算競技 全島の猛者集合 |
25 | 南投稅務管內地租官租完納 |
26 | 臺南建築信組通常總會終了 |
27 | 龍潭各壯丁團聯合特別講習會修了式 |
28 | 青果會社重役改選 廿八日の總會で決定 |
29 | 豐原都市計畫委員會を開く |
30 | 皇奉集集分會主催 正條密植競技會 |
31 | 星港陷落祝賀卓球大會 |
32 | 龍高郡商事組合定期組合員總會 |
33 | 新高郡警察課職員異動 |
34 | 高雄秋競馬 最終日の成績 |
35 | 故張覺先氏の葬儀報社消息 |
36 | 人事報社消息 |
37 | 地方便り |
38 | 今日の映畫 |
39 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 文藝 南想ふ 青島への紀行/丸山義二 |
02 | 青年と宗教/三木清 |
03 | 南十字星 文學の自主性 何時の世にも泰然 |
04 | 二代續いて軍人 寺內大將の少年時代 |
05 | 大東亞戰豆手帖 お小さい方方の新聞 |
06 | 圖像:田園畫譜(擔鷄訪親)/藍蔭鼎 |
07 | いざ勝拔かん/王昶雄 |
08 | 今週の歷史 |
09 | 素人の健康診斷 家庭醫學/川畑愛義 |
10 | 早春/陳千武 |
11 | ラジオ |
12 | 新刊紹介 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 爪哇島上陸に成功 敵の猛反擊を冒して 三方面より強行上陸 引續き戰果を擴大中 |
02 | 敵艦船八隻に命中彈 陸鷲ジヤヴアの制空權確保 |
03 | ポールテン陸軍中將が 四ケ國軍の最高指揮 |
04 | バ半島敵陣地猛爆 |
05 | 一旗の考へは不可 世界に對する我使命を遂行 豪放の山下將軍語る |
06 | 亞國の伊權益保護 墨國等壓迫態度 |
07 | 米伯經濟協定 近く調印せん |
08 | 浮流死體を屆出よ バタヴア放送局の放送 |
09 | 米の不誠意を非難(蘭印副總督) |
10 | 翼政態勢協議會 事務局を構成 |
11 | 世界を作る偉さ 何ものよりも強い日滿一體 大本營の陸軍報道部長大平大佐の講演 |
12 | 印度解放の時期到來 獨立運動の巨頭ボース氏放送 |
13 | 圖像:比島戰線○○野戰郵便局にどつさり着いた慰問袋や慰問品に急に朗らかになつた局內情景 |
14 | ラングーンは死の街 各地に對英反感爆發せん |
15 | 獨軍の防衛に微塵動搖せず |
16 | 日ソ關係當分不變 |
17 | 言語に絕する勞苦 魚雷に御酒を捧げて祈る乘員 潛水艦の姿を銃後國民に贈る |
18 | 邦人に對しては 親切で鄭重 戰時下ソ聯の樣相 |
19 | 獨軍戰況發表 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 御尊影と御神體 印度人四名、身をもつて守護 部隊長、賞狀を授與 |
02 | 地久節の佳き日 首相以下參賀差許さる |
03 | 圖像:爪哇島バタヴイア停車場 |
04 | 新しい理念で臨め 異民族の統治に先入主は禁物 寄臺した初代昭南特別市長大達氏の抱負 |
05 | 武威萬代に轟く 山下指揮官・三山に命名 |
06 | 南方協力への構想 日本語を合理化 共榮圈の指導的言語として 臺大助教授工藤好美氏談 |
07 | “滅私奉公”あるのみ 久慈氏朗かに語る |
08 | 大內商工課技手 理事官に昇進 |
09 | 新竹州視學會議 |
10 | 池內高等法院長新竹初巡視 |
11 | 南方協力を協議 定例局部長會議 |
12 | 新竹州下の志願兵 |
13 | 司法保護實務者鍊成會開會 |
14 | 腕には“女の刺青” 自分の名前さへ碌碌書けぬ 英軍捕虜の素質 |
15 | 新生の步取も高らか 日章旗下の昭南港 |
16 | 戰利品大展覽會 十日の陸軍記念日に |
17 | 防諜標語と防諜訓を募集 |
18 | 帝都食糧國防團 初の綜合訓練を實施 |
19 | 限りなき感謝 軍司令部に献金群續續 |
20 | 興南詩苑漢詩 莊泗川君歸自漢口携汪主席双照樓詩詞藳相贈爲作三絕句/南都、星期日遊基津/黃景南、圖南/黃景南、圖南/高文淵、景南君見示一絕却次原韻/李嘯庵 |
21 | “窄き門”續く 中等志願者激增 |
22 | 映畫の無料公開 |
23 | 人事・消息 |
24 | 商況 二日前場 |
25 | 興南案內報社消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 破竹の勢で猛進擊 ジヤバ島上陸の皇軍頭條新聞 【リスボン二日發同盟】バタヴイア來電によればジヤバ島の要衝三地點に強行上陸した皇軍は破竹の勢で進撃を續けてゐるが二日現在の進擊狀況左の通り 一、西部○○に上陸した部隊は平坦な平野地方を幹線道路沿ひに一路南下し既に上陸地點から○○粁進出した 二、東部○○に上陸した部隊は幹線を既に○○粁進出尚引續き幹線道路及び○○に通ずる鐵道路線沿ひに猛進中である |
02 | 陸鷲協力、敵機の來襲なし |
03 | 蘭印當局も事實肯定 |
04 | 蘭印絕對絕命 米英に增援を斷たれ |
05 | 最初の本格的海戰 見る見る敵艦火達磨となる スラバヤ、バタビヤ沖兩海戰 |
06 | 未曾有の大捷 |
07 | 大東亞各地猛襲 海鷲赫赫の大戰果 |
08 | 讀賣の二特派員 壯烈な戰死 ビルマ○○にて |
09 | 張總領事來新 |
10 | 俘虜九萬五千敵遺棄死體約一萬五千 擊墜破敵機五百五十一機 新嘉坡島攻略まで 我が陸軍部隊の綜合戰果 |
11 | 圖像:陸鷲部隊猛爆決行の出動を前に爆彈の點檢 |
12 | 英艦三隻を擊沈 クラカン北方海面で |
13 | クリスマス島空襲 長驅印度洋上の據點に巨彈 |
14 | バタビヤ放送 兩海戰の詳報 |
15 | ABCD包圍陣營 全く根こそぎ崩壞 |
16 | 果敢な討伐掃蕩戰 武漢周邊地區二月中の戰況 |
17 | 戰時地方長官會議 けふから五日間開催 |
18 | 臨時司法長官會同 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 臺灣の兩棲動物的性格社說 一 大東亞共榮圈に對する臺灣の地位はどんなものであらうか。また之に伴ふ臺灣の性格は變るであらうか。若し變るとすれば如何に變るべきであらうか。大東亞共榮圈の建設が現實の具體化に依つて、着着其の巨步を進ませてゐる今日、如上の問題は洵に島民の深甚なる關心を呼ぶに値ひすることと云はねばならぬ。何となれば、久しき間帝國唯一の熱帶地として其の特性を發揮して來た臺灣は、また地理的にも南進の據點として否南方圈の心臟部として自他共に許されて參つただけに、過去四十數年間積み來つた經驗と知識は今日に於てこそ十分に活用されなければならない。また臺灣自體としても其の特異な實力を遺憾なく發揮して南方經營に寄與しなければならない。換言すれば帝國の一大躍進に伴つて臺灣も飛躍を遂げねばならぬのである。所で理論と現實は必らずしも一致せず、其處に惱みがあり問題の依つて生ずる所以が存する。 二 臺灣は外地である。しかしながら朝鮮とは同じ外地であり得ても他の外地就中南方圈內の外地とは同じく有り得ない性質を持つ。いな南方圈內の諸外地とは根本的に其の性格を異にするものと云はねばならない。具體的に云へば臺灣は帝國の完全な一部であり、政治的にはあくまで一視同仁の御聖旨を體して同化政策、內地延長主義を執つて來たのである。從つて本質的には外地とは云へ行政區劃は寧ろ內地に屬する。一方南方圈內の諸外地は日本帝國を盟主とする所謂大東亞共榮圈を構成する處の、協同體的な聯盟主義的な性格を多分に持つものであつて、政治的にはあくまで異民族を前提とし對象とするものである。茲に臺灣と南方圈內諸外地との本質的相異があるのであり、また現實の政策に基本的な差異が生ずる所以であらうと思ふ。故に臺灣の南方協力と云つても政治的意味に於ては自らリミツトがあり、新しき理念と構想の推進にゆづらざるを得ないであらう。 三 斯く見來れば、臺灣の地位は內地の一部でありながら南方圈の一環でもあり、政治的には頗る微妙な地位に在ると云はねばならない。茲に臺灣の兩棲動物的な性格が對南方圈の、また對南方協力の現實に當つて顯示さるるに至つたのである。此の性格的變化は、思ふに南方協力に依る臺灣の躍進、いな明日の臺灣が生きるために必要なことと云はねばならないが、しかし臺灣のみの發展躍進は到底許されず、いな之を云云するさへ大東亞共榮圈の建設は餘りにも偉大な世紀の聖業であり、それだけにまた洵に困難な大事業なのである。從つて臺灣の南方協力はあくまで帝國の臺灣としての大乘的見地からのみ可能だと云はねばならず、臺灣の兩樓的動物的性格の變化も畢竟するに本質的なことと云ふより多分に技術的な便法たる色彩を持つたものと云へやう。何となれば臺灣の完全なる內地化に依つて始めて臺灣の持つ特異性が光芒を發するのであり、大東亞共榮圈建設への參劃協力も始めて積極的に前進し得るのではなからうか。 |
02 | 猛毒ペスト菌に挑む 皇軍の面目躍如たり |
03 | “親英村長を追放 見送る真黑い顏の日本式敬禮” ビルマ進擊の日記 |
04 | 名實共に“和蘭の弗箱” 南海の平和鄉・ジヤバ |
05 | 大東亞戰記念澎湖博物展 輝く陸軍記念日に開催 |
06 | 南方事情座談會 昨日商議所主催で |
07 | 蘭陽女卒業式 |
08 | 大東亞戰戰歿者英靈追悼會 昨日淨土宗別院で執行 |
09 | 昨日の志願者 島都では六百四名 |
10 | 宜蘭市は百三十名 |
11 | “明るい銃後建設へ” 愈よ五日から店開き 生活相談所 |
12 | “神職魂”を磨く 淡水浴場で行的實習 |
13 | 基隆市常會 昨日市會議室で |
14 | 高砂族の赤誠披瀝 全島青年代表時局懇談會開かる |
15 | 果報者は誰? 報國債券當り籤發表 |
16 | 皇軍に捧ぐ感謝 武官府に献金群續續 |
17 | 軍要員を募集 軍司令部兵務部 |
18 | “感激の淚に咽ぶ” 皇軍爪哇島上陸に成功黃氏一家に歡聲 |
19 | 爪哇島を語る 「トコ千代田」主岡野氏 |
20 | 經營實績發表會 臺北州指定青年團 |
21 | ときの声 |
22 | 黃演燎氏に醫博 |
23 | 華僑公會總會 |
24 | 人事報社消息 |
25 | 第壹回決算公告/南邦電氣工業株式會社 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 熱血滾る臺南健兒 志願者三萬名臺を拔く |
02 | 締切りを控へ 志願兵熱愈よ熾烈 |
03 | 森田知事農事視察 |
04 | 輝く陸軍記念日 聖戰六年目に迎へる三月十日 臺中の祝賀行事決る |
05 | 献穀田田植祭 吉野庄齋場で執行 |
06 | 和蘭東印度 會社と臺灣 (完)/國分直一 |
07 | 產組記念日行事 |
08 | 各地志願兵點描 |
09 | 祭事の本義闡明 軍援會館で講習會 |
10 | 山中法院長各方面に挨拶 |
11 | 南方事情座談會 南進希望者集めて |
12 | 築く・青年道場 本島人有志資金を寄附 |
13 | 高雄中卒業式 |
14 | 臺中女卒業式 |
15 | 霧峰の乙女が田植 |
16 | 迫る入試の戰き 高雄州では三人に一人の割 新設工業は四月に募集 |
17 | 工業の競爭は激甚 臺中の入試地獄 |
18 | 臺中中學會 後援會設立 |
19 | 竹材の規格及び價格を打合せ |
20 | 檢查制を實施 鳳梨生產同組から |
21 | 土に親しむ 高雄市一坪園藝品評會を開く |
22 | 荷役賃を更新 高雄港の艀賃率改正により |
23 | 各地街庄の豫算會議 |
24 | 朗かな增產調べ 篤農家に輝く褒賞 |
25 | 中壢水利組合評議員會 |
26 | 生產擴充に貢献 霧峰庄の活躍目覺し |
27 | 時局不認識に鐵鎚 |
28 | 國防献金運動 北港郡で實施 |
29 | 曾文郡下各學校卒業式日程變更 |
30 | 新化部落振興研究發表會近く開催 |
31 | 教員の意氣昂揚 竹東郡教育總會 |
32 | 臨時助教員入所銓衡 |
33 | 高雄秋競馬 第六日目成績 |
34 | 「君と僕」 太平館で上映中 |
35 | 人事 |
36 | 地方便り |
37 | 今日の映畫 |
38 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 主要物資の船腹 中央の協力で緩和せん 菊竹海事課長歸臺談 |
02 | 私鐵の運賃改正 割引率の是正に止む |
03 | 昨年下半期の(一) 島內金融順調 水津臺銀頭取演述 |
04 | 臺北州籾蒐荷六八%完了 |
05 | 電信等料金值上 四月一日より實施 增收額三百萬圓 |
06 | 彰化バス會社二十八日免許 |
07 | トラツク車輛補助金交附手續講習會 |
08 | トマトの內地出荷 近く對策を協議 |
09 | 全臺蒟蒻粉移入組合創立總會 |
10 | 皮革統制會社 優秀な底革を造る |
11 | 大一商事役員改選 |
12 | 臺銀總會 配當六分据置 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況 二日後場 |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(623)/黃得時;榎本真砂夫 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 畏し・民情に大御心 地方長官に拜謁仰付けらる |
02 | 皇軍主力、揚陸を完了 爪哇島奧地へ猛進擊 |
03 | バタヴイアに迫る |
04 | 蘭印の運命決す! 爪哇島一瞬にして價值喪失 |
05 | 米英屈服まで 敢然戰ひ拔かん 大東亞戰初の地方長官會議 東條首相訓辭 |
06 | 港都奉公醫師團發足 |
07 | 東亞據點を放棄し 英、本國防衛に專念か |
08 | 陸鷲、敵機擊墜に猛躍 |
09 | ムアラ・テボ(スマトラ)占領 |
10 | 圖像:堂堂爆擊に向ふ陸鷲編隊 |
11 | 米空軍疲勞困憊 バンドンUP特派員報告 |
12 | 爪哇再渡航の日近し 蘭印引揚幹部山本氏は語る |
13 | 驚異的大戰果 輝く新嘉坡攻略戰 |
14 | ウエーヴエル罷免さる |
15 | 翼贊政治態勢協議會 道府縣の支部規約案 |
16 | 推薦候補者の 應援方針 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 謝恩特派大使に 張總理を日本に特派 |
02 | 張特派大使 正式に仰付らる |
03 | 親邦日本を訪問 感謝の至情披瀝 張國務總理謹んで語る |
04 | 譽の模範產業戰士 全島で四十三名表彰 |
05 | “愈よ精勵恪勤へ” 長谷川總裁の訓示 |
06 | 南方協力への構想 共榮の見本示せ 南方に對する內的文化工作 山中府圖書館長談 |
07 | 田中高級參謀基隆市で講演 愛婦國婦主催で |
08 | 人情首相の面目躍如 南方在留邦人の子弟教育に親心 |
09 | 輝く戰果に感激 軍司令部に續く献金品群 |
10 | 南方協力に臺灣の經驗 佛印に黃麻栽培 本島から技術と種子を提供 |
11 | 決戰生活設計に羅針盤 第二回婦人鍊成會始まる |
12 | 增す“大和の香り” 昭南港に日一日と |
13 | 東山國民校の開校並落成式 けふ新校舍で |
14 | 住宅難何處を吹く風か 港都に空市營住宅が廿一軒 |
15 | 鮮魚介の配給 島都の實施要項決る |
16 | 嬉し・トマト援軍 朗報、待ち望む東京市民 新檢查法發見。廿二年振りの解禁 |
17 | 日鐵職制改革 全能力の發揮へ |
18 | 小國民に航空機の知識 新竹州で模型製作講習會 |
19 | 北二商卒業式 |
20 | 育兒講習會 初姙婦來聽歡迎 |
21 | 興南詩苑漢詩 祝新嘉坡陷落/謝尊五、喜新嘉坡陷落/松山幸弘、謹和南都詞兄瑤韻/施江西 |
22 | 三千餘圓の盜難犯人御用 南署に凱歌擧る |
23 | 人事報社消息 |
24 | 商況 三日前場 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 現地陸海軍指揮官に祝電 東條首相祝電頭條新聞 【東京發同盟】東條首相はジヤバ島上陸の成功に對し二日寺內南方方面帝國陸軍最高指揮官並に蘭印方面陸軍最高指揮官宛左の如き祝電を發した 陸海空の頑強なる敵の抵抗を排擊しジヤバ島の強行敵前上陸に成功せられたるの報に接し慶祝の意を表すると共に愈愈將兵各位の御武運長久を祈る 杉山參謀總長陸相の祝電 【東京發同盟】一日未明のジヤバ島敵前上陸の成功に對し杉山參謀總長並に東條陸相は昨二日寺內南方方面帝國陸軍最高指揮官並に蘭印方面陸軍最高指揮官宛次の祝電を發した 陸海空の頑強執拗なる敵の抵抗を冐して猛烈果敢よくジヤバ島の強行上陸に成功せられ慶祝に堪へず益益籌畫指導宜しきを制し作戰目的の達成に邁進せられんことを祈る なほ參謀總長及び陸相は同日聯合艦隊司令長官並に蘭印方面海軍作戰部隊指揮官宛次の祝電を發した バタビア、スラバヤ沖海戰の赫赫たる戰捷とジヤバ島強行上陸作戰成功の快報に接し貴艦隊の精強に對し敬仰の念更に切なるものあり謹んで慶祝の意を表すると共に益益御健闘を祈る 軍令部總長と海相の祝電 【東京發同盟】スラバヤ沖海戰及びバタビヤ沖海戰大捷に當り軍令部總長海軍大臣より聯合艦隊司令長官並びに蘭印方面海軍作戰部隊指揮官宛左記要旨の祝電を發した 蘭印部隊が陸軍大兵團の困難なる護送護衛に任じつつ去る二月二十七日以來ジヤバ海域において敵の有力部隊を捕捉し勇猛果敢なる攻撃を加へ積年鍊磨の術力を遺憾なく發揮して所在艦隊を殆んど殲滅するの大戰果を擧げられたるに對し滿腔の誠意を表す また內閣總理大臣より聯合艦隊司令長官並に蘭印方面海軍作戰部隊指揮官宛同樣左記要旨の祝電を發した、 多年鍊磨の實力を發揮してジヤバ海方面に敵艦隊を捕捉殲滅せられたる赫赫たる御武勲に對し祝意を表し併せて愈愈將兵各位の御武運の長久を祈る |
02 | 杉山參謀總長陸相の祝電 |
03 | 軍令部總長と海相の祝電 |
04 | ○○飛行場を占領 バタビヤバンドン間交通要衝攻略 |
05 | 偉なる哉帝國海軍 大東亞海上に一隻の敵主力艦なし |
06 | 圖像:バリ島沖海戰及びチモール島附近にて我海鷲に擊沈大破された敵艦 |
07 | 擊沈せる敵艦廿三隻 スラバヤバタビヤ沖海戰の大戰果 |
08 | 敵側から見た 皇軍の大戰果 マレー沖海戰生殘り英水兵談 |
09 | 濠洲は全く戰戰兢兢 |
10 | 獨紙も大大的に報ず |
11 | バ半島を猛襲 |
12 | 生存者の論功行賞 |
13 | ゲリラ襲擊の敵機を擊墜 |
14 | ムアラブンゴ占領 |
15 | 蘭印軍焦土戰術を準備 |
16 | 反樞軸聯合軍總司令官更迭の辯 |
17 | 又もモレスビー空襲 |
18 | 米紙悲觀的な觀測 |
19 | 日ソ離間に 狂奔 |
20 | 挺身報國を誓ふ 各地方長官、堅い決意 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 皇軍の向ふ所全く敵なし 其優秀性の源泉社說 一 シンガポール陷落後二旬を出ずして早くもジヤバ島の一角に輝く日章旗を飜へした。米英東亞の最大據點たる新嘉坡が、脆くも皇軍に占據されるのを眼の邊に見た蘭印の失望と恐愕は、更にパレンバンの落下傘部隊を先陣とする皇軍の南部スマトラ席卷、チモール島上陸に依り一層拍車をかけられ、加ふるに孤立したジヤバ島を最後の賴みの綱とした米英蘭濠の聯合艦隊は、ジヤバ沖、スマトラ沖、バタビヤ沖の三大海戰に依り今や全滅し、引き續く新銳帝國陸軍大部隊のジヤバ島方面への强行上陸成功に依り、敵陣營側の焦躁が狂氣じみて來たのも無理からぬことである。西南太本洋に於ける一切の防備線を失つた敵陣營は、此處を最後の根據地としてスラバヤ附近に聯合軍最高司令部を設置し、殘存兵力を糾合して儚い抗戰策源地たらしめ、以て無敵皇軍に對して蟷螂の斧鉞を揮はんとした。然るに今や皇軍の上陸成功に依つて完全占領は只時間の問題となり、更に濠洲はいよいよ直接わが荒鷲と艦艇の脅威下に晒らされ、また印度洋の制壓に依つて濠洲、印度間の連絡路は全く遮斷せられることとなつた。 二 かくて大東亞戰の火蓋が切られて以來未だ三箇月を出ずして疾風枯葉を卷くにも似た皇軍の赫赫たる大戰果に對して、歐洲人達は今や何らかの祕策があるのではないかと真劍な日本研究が盛に行はれ、日本的不可思議の核心を探らうとして日を逐ふて白熱化してゐる。その結論として武器も良いに相違ないが、この點では獨逸を始め歐洲各國も自信を持つてゐるので、米英人を壓倒した祕密は精神力にあると云ふ意見である。フエルキツシヤーベオバハター紙の如きは「日本空軍は機材よりも結局旺盛なる攻擊精神がよりよい成果を擧げてゐる」と批評し日本獨得の精神を强調してゐる。又ドイチエアルゲマイネツアイツング紙の東京特派員シユルツエ氏によつて紹介された「自爆」とか「挺身」とか云つた言葉の解說は、歐洲人に非常な感動を與へ、日本語がその儘國際語となつて了つた實情である。要するに歐洲人の結論も日本の力は科學だけでは解決出來ない獨得の精神的要素あり、その源泉は皇室を中心とする獨自の國家と傳統的家族主義制度にあるとの見解に達してゐる。之は歐洲人の東亞觀に大きい影響を與へるもので、大東亞戰の齎らした歷史的意義と云ひ得るのである。 三 惟ふに日本民族はその固有の文化をより高く、より深く、より優秀ならしめる為には海外文化の長所を吸收することに熱心な性質を傳統的に多分に持つてゐる。故に早くより支那文化を代表する儒教や印度文化を代表する佛教を受け容れ、後にはこれを立派に日本化して了つたのである。卽ち佛教は鎌倉時代に日本化せられて日本の佛教となり、儒教は江戶時代に消化されて日本の儒教となつた。かく絕えざる海外文化の吸收と消化とが日本文化の停滯性を防ぎ、その行詰りを打開する。この事が日本文化の優秀性を形造る上に與つて力のあることを否定し得ない。だから日本文化の精髓たる武士道精神は、皇室を中心とする獨得の日本精神が東洋文化の二大源泉たる儒教の原理と佛教の精神とに依つて鍊成されたものである。卽ち我が國獨得の皇室中心主義の思想は、儒教の實踐的道德論と倫理觀に依つて益益深化せられ、佛教の生死を超越せる「無我」の思想と哲學的人生觀に依つて勇猛果敢、一死報國の犧牲的行動を敢行せしめ、無敵皇軍の敢鬪精神を築き上げたのである。この所謂東洋精神文化の精髓を以て鍊成された優秀なる武士道精神を有し、西洋文化の精粹たる科學的兵器を執つて奮然と蹶起した皇軍は、向ふ所敵なく、僅僅二ケ月餘りにして西南太平洋を風靡したのは寧ろ當然の事で、歐米人が今頃になつて始めて日本を認識して騷ぎ出すのは些か時機を失した感なきを得ない |
02 | 大御心の程畏し 戰時下國民生活の實情につき 微細に亘つて御下問 |
03 | 恐懼感激して奉答 光榮の各地方長官 |
04 | 國語の普及狀況 畏し御下問を賜る 宮木新竹州知事謹話 |
05 | 圖像:臺灣神社參拜の芳澤大使 |
06 | 日、佛印關係圓滿 北から南まで日本色が濃厚 芳澤大使寄臺談 |
07 | 產業戰士敢鬪の跡一 日本鑛業金瓜石鑛山事務所採鑛課長 勤勞者小林君次郎民 (六四) |
08 | 功勞者大川明(四○) |
09 | 常用漢字千百十二字 准常用漢字千三百四十六字 委員會で正式決定 |
10 | 譽れの產業戰士 長谷川總裁が招待 |
11 | 震災の大要を奏上 畏し熱心に御聽取を賜はる 一番ヶ瀨臺南州知事謹話 |
12 | 陸海軍への感激譜 二月中の綜合献金品 |
13 | ときの声 |
14 | 奉公會宜蘭支會第一種訓練 |
15 | 宜蘭郡の志願兵申込 |
16 | 三洲樓の姐さん達が献金 |
17 | 平明な出題振り 全國高等學校の入試 |
18 | 囑託產婆を設置 “生めよ殖せよ”に溫い心 |
19 | 人事報社消息 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 赤心・外す鐵格子 米英殲滅にお役とあらば 復興嘉義に古鐵の山 |
02 | 大戰果に感謝し 北門 郡民大會を開催 |
03 | 殉職英靈を弔ふ 現場で遭難一周年忌追悼會 |
04 | 圖像:勇躍索敵に出動する海軍偵察機(○○基地に於て) |
05 | 醫者多數依囑 志願者の體格檢查に便宜 |
06 | 屏東中等校の入學志願狀況 |
07 | 淨汗奉仕の組織 勤報隊結成計畫を進む |
08 | 陸軍記念日 多彩な花蓮港の祝賀行事 |
09 | 壯丁團に柔劍道仕込む |
10 | 愛國女子衛生 看護團結成式 鳳山 |
11 | 土地改良に殊勳 鹽分地化して沃野に變る 譽の產業功勞者謝慶氏 |
12 | 臺南市常會 |
13 | 聖戰に協力せよ 張總領事臺中で絕叫 |
14 | 帝國に絕對信賴 嘉義華僑新民公會總會で宣誓 |
15 | 屏東署壯丁查閱 |
16 | 道路綠化を促進 並木品評會を開催 |
17 | 大東亞戰展 八日より臺中で開催 |
18 | 東港奉公壯年團 結成式を擧行 |
19 | 岡山郡下各產組長發表 |
20 | トマト愈よ內地へ! けふ高雄植檢分所で初檢查 |
21 | 作れ、殖せ、お米を 食糧增產に花蓮港廳力瘤 |
22 | 池內高等法院長巡視に來中 |
23 | 新高郡高砂族に 開墾方法を傳授 訓練期間二ケ月 |
24 | 花蓮港家政女七日上棟式 |
25 | 樂しい桃の節句に學藝會 中師附屬國民校白衣勇士を招く |
26 | 屏東水防組評議員會 |
27 | 皇軍將兵慰問金第拾九回(敬稱略)領收報告報社消息 |
28 | 興亞の意氣揚る 竹東第一種訓練查閱 |
29 | 臺南二中卒業式 |
30 | 六龜製茶工場解體 近く引揚げん |
31 | 瑞芳華僑公會七日に總會 |
32 | 日赤看護婦 採用試驗を行ふ |
33 | 臺中州異動 |
34 | 人事 |
35 | 地方便り |
36 | 今日の映畫 |
37 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 共榮圈則應の 產業政策を協議 各權威者昨日公會堂で |
02 | 臺銀近く增資 [本年秋頃實現せん |
03 | 手小荷物運賃も 四月一日改正實施 |
04 | 小荒井皮革會社長近く上京 |
05 | 產組報國 感謝貯金を強調 |
06 | 昨年下半期の(二) 島內金融順調 水津臺銀頭取演述 |
07 | 田中監理課長近く上京 |
08 | 簡保報國へ 屏東局張切る |
09 | 構內荷役增強策 賃銀引上げで解決 |
10 | 臺陽鑛業順調 三、四分配當復活か |
11 | 嘉義災害復興資材 運賃割引期限延長 |
12 | 新刊紹介 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況 三日後場 |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(624)/黃得時;榎本真砂夫 |
17 | 第八十五期(昭和十六年下半季)決算公告/株式會社臺灣銀行 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | バタビヤの危機增大 スラバヤへ○○粁に迫る 敵三戰線の連絡杜絕 |
02 | バンドンを大爆擊 |
03 | 敵飛行艇十三機擊墜 |
04 | モレスビー晝間爆擊 |
05 | 反樞軸聯合軍司令部は解散 |
06 | 圖像:煙草畑を征く皇軍精銳(ビルマ戰線) |
07 | 敵陣上空で分列式 堂堂大編隊でバ半島を制壓 |
08 | 昭南港へ晴れの投錨 石川報道班員の「艦內日誌」 |
09 | カリブ海モナ島砲擊さる |
10 | 三回も襲擊を受く 聯合軍救援米飛行艇の搭乘員 皇軍の活躍を語る |
11 | ド・ゴール派の放送 佛當局も憂慮 |
12 | 具體的審議に入る 地方長官會議第二日 |
13 | 佐藤駐ソ大使起用に ソ聯深甚な關心拂ふ |
14 | 反樞軸聯合國側 絕對に希望なし 亡命和蘭外相は語る |
15 | 獨ソ戰線に對し 第二戰線を結成 聯合國側頻りに宣傳 |
16 | ドネツで激戰 獨軍司令部發表 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 頑敵を一網打盡 新嘉坡脫出の敵船這這の態 殊勳艦長殲滅手記 |
02 | 繃帶を御下賜 海軍白衣の勇士に |
03 | 皇室の彌榮祈願 地久節の佳き日に愛婦臺北分會が |
04 | 圖像:舞上る土埃を浴びて猛進擊の○○部隊(ビルマ戰線) |
05 | 武勳萬世に薰る 今井部隊名譽の戰死者 |
06 | 日滿の一德一心 張國務總理を特派して 朝野に感謝を披瀝 |
07 | 南方協力への構想 東亞的な世界觀 臺灣は確立に最適な地點 臺大教授文學博士伊藤猷典氏談 |
08 | 輝く戰果に感激 武官府に献金品群殺到 |
09 | 基隆市の軍事打合會 |
10 | 新竹市參事會 |
11 | 全市祝賀一色に 基隆陸軍記念日行事 |
12 | 大戰果に祝電 長谷川總督から |
13 | 圖像:軍旗を捧じて渡河 進擊の皇軍部隊 |
14 | 素人離れの妙技 高砂族慰問學藝會 |
15 | 始終熱心に觀覽 總督、長官も來場 |
16 | 一萬五千名目指す 基隆市の志願兵熱 |
17 | 基隆郡は 三千六百餘名 |
18 | 軍屬を募集 軍司令部副官部で |
19 | 國民校一校新設 臺北市の蓬萊町に |
20 | 宜蘭農林と蘭陽高女志願者 |
21 | 銃後後援の溫い手 志願兵や勤報隊員にも及ぶ 來月一日から行ふ |
22 | 慰問品を展示 戰利品展會場で |
23 | 文部大臣賞映畫銓衡完了 |
24 | 港都の金屬回收 搬入地域と方法決る |
25 | 退役將校豫備役 復歸者速に屆出よ 臺北陸軍兵事部發表 |
26 | 外畫の統合會社設立決定 |
27 | 興南詩苑漢詩 同級會席上賦呈諸芸友/施江西、士林魯園乃同鄉會篤信翁之別邸上元日開南友會清賞於此卽席吟成長句/南都、食藷穌代莊幼岳君答高春梅女士/春懷、贈方國俊詞兄/張蕚生、寄懷鷺江陳克仁、鄭鴻音兩社兄/葉甘貞 |
28 | 商況 四日前場 |
29 | 興南案內報社消息 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 我陸鷲、猛爆を敢行 爪哇上陸部隊の進擊に協力 終日大編隊で泊地上空掩護頭條新聞 【○○基地四日發同盟】わが陸鷲は連日ジヤバ島上陸部隊の進擊に協力し多大の戰果を擧げつつある、即ち三日德永、黑田、中尾の諸部隊よりなる爆擊隊は上陸部隊の泊地掩護中○○飛行場を襲擊し來つた十數輛よりなる敵戰車、裝甲車群に對して徹底的爆撃を敢行大打擊を與へた、一方正午瀨戶、加藤の兩部隊は○○の西飛行場上空に於いてノースアメリカン一機を撃墜した、尚この日武田、岡部の兩部隊は上陸部隊の泊地上空を大編隊を以て終日掩護したが敵機は一機も現れなかつた |
02 | 第三次爆擊を敢行 ポート・ダーウインに對し |
03 | マレー作戰に彷彿 皇軍のジヤバ島進擊 |
04 | 米英の責任追求 蘭印副總督、痛烈に非難 |
05 | 民心の緊張を強化 磐石不動の新東亞建設へ 內相訓示 |
06 | 蘭印政廳 バンドンに移轉 |
07 | 小癪敵機出擊 二機を擊墜され 慌てて遁走 |
08 | チヤンバ完全占領 セレベス島奧地の敵要衝 |
09 | ヴエル大將の後任 ポ蘭印軍司令官 |
10 | ラングーン既に 食糧補給が杜絕 |
11 | 圖像:政府、重臣懇談會を終つて首相官邸を辭去 |
12 | 英軍の司令官 シトウエル少將 |
13 | 危機、印度と濠洲へ ロンドン各紙の報道 |
14 | 戰況刻刻白熱化 UPバンドン電報 |
15 | 反樞軸側の敗北 責任は英米兩國 和蘭亡命政府ク外相が言明 |
16 | 蘭貢の市民 五割以上徹退 |
17 | 米驅逐艦擊沈さる 米國本土の水域で |
18 | 機帆船運航統制會社を創立 |
19 | 獨空軍本春初の スエズ運河爆擊 |
20 | 大使府の仕事軌道へ 芳澤大使きのふ入京 |
21 | 戰時下の內政刷新 中央と地方隔意なき質疑應答 昨日の地方長官會議 |
22 | けふの會議 |
23 | 倫敦で聯合國軍事會議開催 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 濠印ルートの切斷社說 一 新銳帝國陸軍大部隊は、三月一日、海軍部隊護衞の下に、ジヤバ島の東部、中部、西部の各方面の强行上陸に成功し、また、スラバヤ沖並にバタビヤ沖の兩海戰に於ても、米英蘭の聯合艦隊を殲滅し、赫赫たる威武を中外に輝かしたが、この迅速果敢な皇軍部隊の猛進擊の前に、ジヤバ島が手をあげてわが軍門に降る日もいよいよ迫つて來たのである。ジヤバ島は、總面積約十三萬方粁、全蘭印中の僅か七パーセントを占めてゐるに過ぎないが、人口は七割の多きに達し、外南洋第一の文化地帶たると同時に、又蘭印の寶庫でもある。それは、金、銀、石油等の礦脈を豐富にもつてゐる以外に重要な農產物を產し、また、物資の集散地として蘭印から歐洲向けのものは一應同島に集り、反對に、歐洲から蘭印向けのものは、やはり同島を經由するので、バタビヤの如きは、本國のアムステルダム以上の殷賑さを呈してゐる。從つて、皇軍のジヤバ島上陸は、和蘭それ自身に殲滅的打擊を與へ、再び立つ能はざらしめたことは今さら申し述べるまでもないが、特に濠洲と印度洋との連絡を完全に切斷した點に於て、米英に與へる打擊も亦極めて莫大なることも亦見逃すことのできない事實である。 二 ジヤバ島の內部には、バタビヤ、ベンドン、スマラン、スラバヤの四飛行場とスラバヤ及びバタビヤの兩軍港があつて、空から海から新嘉坡、濠洲並に印度洋と連絡を取り、對日包圍陣の形成に當つては、蘭印側唯一な根據地として、重要な役割を演じて來た。特に新嘉坡失陷後は、濠洲のポートダーウインから蘭印諸島を經て印度洋に至る所謂濠印ルートの聯絡地として益益その重要性を帶びて來たのである。それを、我が海鷲は、まづ二月十九日、長驅その濠印ルートの起點であり、また、第二のシンガポールとして難攻不落を誇つてゐたポートダーウインを爆擊して濠洲の北部に於ける重要な軍事施設に徹底的打擊を與へ、同大陸を半身不隨たらしめたが、今回、又ジヤバ島に上陸して同島を席卷したので、濠印ルートは、茲に全く切斷され、濠洲は朝野をあげて戰戰兢兢たるものがあり、燈火管制の强化、休日の取止めなど非常な慌て振りを示してゐる。 三 一方、英國も、先般の新嘉坡失陷によつて一應その勢力を東亞の天地から撤退したものの、蘭印並に濠洲と緊密な提携の下に、印度洋を最後の舞臺として、頑强な抵抗を續け、機會があれば反擊しようと企圖してゐたが、これも、皇軍のジヤバ島上陸によつて、その作戰が完全に水泡に歸し、今後、たとへ殘存艦隊をセイロン島のトリンコマリーに集結させても、その貧弱な設備は、十分に軍港としての役目を果すことができず、その劣惡な艦隊も、到底我が精銳な皇軍部隊に敵し得ないのである。又、印度の領內に於ても、目下反英氣分が全領內に滿ち溢れ、光榮ある獨立に挺身せんとする者が澎湃として蹶起したので、印度に於ける英勢力も、刻刻危機に瀕して來たのである。斯くの如く、濠印ルートの切斷によつて、今や、濠洲と印度洋の英軍は、全く孤立無援の窮地に陷り、今後如何なる作戰を企圖しようとも、結局は、斷末魔の最後の足掻き以外に何ものを意味しないのである。 |
02 | 皇軍感謝の週間 戰勝に輝く陸軍記念日より 全島に多彩な行事實施 |
03 | “婦人よ・奮起せよ” 港都愛婦國婦主催田中訓練部長獅子吼 |
04 | 花蓮港愛婦地久節行事 |
05 | 圖像:高砂族慰問學藝會 |
06 | 產組記念日行事 |
07 | 皇軍の敢鬪を描寫 現地に一流畫家特派 |
08 | 產業戰士敢鬪の跡二 父子二代郡下屈指の篤農家 勤勞者楊啟能氏(七○) |
09 | 振興會長として陣頭に垂範 勤勞者陳榮輝氏(四一) |
10 | 產業指導者として多年貢献 功勞者輪湖清美氏(五○) |
11 | 再起更生を報告 譽の未亡人達けふ社頭對面 |
12 | 勵しむ看護第一課 譽の乙女等の猛訓練 |
13 | 島民感謝の献金 軍司令部三日の取扱 |
14 | “南方協力”の新目標 中央本部の研究進む 皇民奉公運動 |
15 | 青年學校指導員講習會 臺北、臺南兩地で開催 |
16 | ときの声 |
17 | 感激の献金 |
18 | 昨日の志願者 島都は三百七十四名 |
19 | 宜蘭市三千に迫る |
20 | 新竹州保護委員講習會 |
21 | 第三回國語講習所演習會 |
22 | 宜蘭消防詰所 七日に地鎮祭 |
23 | 基隆女卒業式 |
24 | 宜蘭華僑總會 |
25 | “南方へ赤誠の慰問袋” 花蓮港愛婦から發送 |
26 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 銃後青年は微笑む 志願適格者の奮起を口說く 汁粉屋さんの息子 |
02 | 三萬突破の態勢 臺中州の志願受付狀況 |
03 | 一萬七千名突破の見込 締切り迄に、花蓮港の志願者 |
04 | 市內興亞商工業報國團 興亞會館職員等三百餘名志願 |
05 | 御下賜金傳達 那須市長より罹災者達に |
06 | 圖像:日章旗ひるがへる昭南島市街 |
07 | 山下屏東市長 志願兵制講演 |
08 | 總督賞に輝く 臺中の貯蓄功勞者 |
09 | 遊興飲食稅の話(下) 臺北州總務部稅務課長高濱實氏談 |
10 | 屏東皇民奉公會 第一種青訓終る |
11 | 遺家族を世界館に招待 臺南軍援會 |
12 | 霧峰の金屬回收調 金棒出て、鐵罐出て ヤレ!古い大砲も出た |
13 | 森田知事水社へ |
14 | 北港郡主催 軍事講演會 |
15 | 市街清掃の優良奉公班表彰 |
16 | 優良保育所撰定 |
17 | 臺中一、二中卒業日割 |
18 | 珍奇な滿洲土俗品 どしどしと入來 童心啟發の好資料 |
19 | 新化郡鄉軍實彈射擊會 |
20 | 圖像:シンガポール陷落の報に比島人の喜び(於マニラ長島特派員撮影) |
21 | 嘉義中卒業式 |
22 | 馬も“生めよ、殖せよ” 各市街庄に繁殖指導員を置く 臺南州馬產に積極策 |
23 | 花蓮港畜產會通常總會 |
24 | 納稅組合設置を決議 新埔稅務行政座談會で |
25 | 新化郡水利組合評議員會開催 |
26 | 圖像:和平來る昭南島に續續歸住する英人達 |
27 | サハラ沙漠の綠化 滾滾たる湧水發見さる |
28 | 人力車の不當賃金を取締る |
29 | 嘉義露店又も縺る 原因は博愛會の薄愛から |
30 | 北港郡鹽干魚小賣商組合創立委員會 |
31 | 屏東公園の池に溺死體 |
32 | 地方便り |
33 | 今日の映畫 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 米增產獎勵對策 甲當二期合計百石收穫者に 一等賞一萬圓授與 |
02 | 會社設立認許可 一、二月中十四件 |
03 | 局營バスの運賃 四月一日より引上 |
04 | 昨年下半期の(三) 島內金融順調 水津臺銀頭取演述 |
05 | 臺銀昭南支店再開 支配人以下を任命 |
06 | 私鐵運賃改正示達打合會 |
07 | 檢查指導に三坂博士南下 |
08 | トマトの移出 每航海千籠と決定 |
09 | 臺電三理事正式任命 |
10 | 南邦林業社長更迭 |
11 | 山岸總務課長近く上京 |
12 | 本島では 衣料切符制採らず 之に代る對策決定 |
13 | 小麥、澱粉等の 標準查定會開催 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況 四日後場 |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(625)/黃得時;榎本真砂夫 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 爪哇島西部の我軍 バタビヤへ○○粁 敵軍の危機刻刻迫る |
02 | 皇軍續續奧地へ進擊 |
03 | UPの報道 |
04 | 生存者の論功行賞 陸軍關係第二十九回 |
05 | 米英驅逐戰と大建設 國民一段の辛抱・忍苦が必要 堀情報局第三部長の放送 |
06 | ル大統領特派使節 重慶軍の參謀長に |
07 | ヘ中將辭職 後任ス少將任命 |
08 | 小癪・南鳥島に敵機 七機を擊墜して擊退 |
09 | 申譯的の示威 |
10 | モールメイン復興 ビルマ人の街として |
11 | 印度問題論議 三日の英上院で |
12 | 我防衛は完璧 益益護りを固くせよ |
13 | 皇軍の戰鬪力を稱讚 濠洲軍司令官、濠洲の危機を語る |
14 | 冬季山西肅清戰 大戰果を收めて終了 |
15 | 軍事施設に大損害 第三次のポート・ダウイン爆擊 |
16 | 英機パリ盲爆 |
17 | 地方長官會議(第三日) 橋田文相が訓示 |
18 | 貴院研究會委員會 |
19 | 避難道路を開設 ビルマから印度へ |
20 | 外交官交換取極成立 日獨伊三國と米大陸間に |
21 | 米、太平洋岸一帶より 樞軸國人の退去を命ず |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 蘭貢攻擊戰に偉勳 壯烈、松田隊長の自爆 |
02 | 壯烈極まる一場面 シンガポール攻略戰幕切れの晚 |
03 | 本年は一萬二千名 北方への鍬の豆戰士 |
04 | 南方協力への構想 民間人の活用肝要 本島人に課せられたる責務重大 辯護士陳逸松氏談 |
05 | 市職員の遺家族を慰問 各所管課長が |
06 | 遺族を弔問 新竹信用組合 |
07 | 軍司令部に 赤誠の慰問袋 ヨイ子供部隊が續續 |
08 | 武官府へ献金 けふも續く赤誠部隊 |
09 | 皇軍の溫い救の手 バタアン半島避難民が狂喜 |
10 | 御國の為役立つて名譽 散華した永淵伍長嚴父談 |
11 | 專賣局勤務の朗かな好青年 故坂本二等兵 |
12 | 拂曉攻防戰を展開 保甲を動員して金屬回收 新竹の陸軍記念日 |
13 | 奉公會推進員の指名式擧行 七日市民講堂で |
14 | 塵埃處理を市當局善處 |
15 | “肉彈相搏”の敢鬪 高砂族青年相撲大會 |
16 | 新竹州部落共進會“” 廿日苗栗で褒賞授與式擧行 |
17 | 城北國報演習會十一日に延期 |
18 | 感激慰問献金 基隆國語家庭會 |
19 | 本社支局に寄託報社消息 |
20 | 胸打つこの忠誠 戰死した我子の命日に 軍國の母憲兵隊へ献金 |
21 | 市長から處世訓 巢立つ島都の全學童に |
22 | 興南詩苑漢詩 上元日開南友會於士林魯園和逢源詞兄瑤韻/邱明山、除夕漫感/顏補莊、春日閒居雜興/顏補莊 |
23 | 專賣品賣捌人献金 |
24 | 商況 五日前場 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ミンダナオ島西端要衝 サンボアンガ上陸 所在の敵を擊破、完全占領頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(五日午後四時三十五分比島)方面帝國海軍部隊は三月二日ミンダナオ島西端の要衝サンボアンガ敵前上陸に成功所在の敵を擊破しこれを完全に占領せり 【東京發同盟】○○艦上にて五日松尾海軍報導班員發、去る二日午前四時敵の猛烈な十字砲火を冐して南部比島の要衝サンボアンガに敵前上陸を敢行した海軍陸戰隊の精銳はなほも執拗に抵抗する敵と月明下に壯絕な白兵戰を展開午前七時半完全に同地を占領し南海の碧空高く感激の日章旗をひるがへした。又他の一隊は同日午後三時ブヤラ(サンボアンガ西北方六粁)に突入監禁中の邦人婦女子六十九名を救出した |
02 | 設備の整つた美麗な町 サンボアンガ外務省岩永事務官語る |
03 | 圖像:大東亞海を壓ず帝國海軍の艨艟 |
04 | 米油槽船攻擊さる |
05 | 邦人六十九名救出 |
06 | 英、米艦各一隻擊沈 印度洋進出中の我海軍部隊 |
07 | ホノルルの爆發は 我が艦載機の空襲 米軍發表 |
08 | “敵主力艦二隻見ゆ” 歷史的狀況をT司令H艦長に聽く |
09 | 見事な奇襲降下 チモールの歷史的戰果を見る |
10 | 印度洋初の海上決戰 英米艦を二隻擊沈 |
11 | 單獨防衛は不可能 ケ駐米濠洲公使放送 |
12 | チラチヤツプはシヤバ島の要港 |
13 | 擊沈兩艦の性能 |
14 | 濠洲防衛秘密提案の內容 |
15 | ポート・ダーウイン 四日再び大空襲を受く |
16 | 濠洲の危機 ヒ檢事總長言明 |
17 | モレスビー連日爆擊 |
18 | 英機の爆擊大規模 |
19 | 米英の言明 パリ爆擊に付き |
20 | 孫良誠軍(山東)に大鐵槌 |
21 | 日米外交官交換交涉 原則的諒解に到達 |
22 | 外務當局談 |
23 | 二七二名の抑留邦人氏名 外務省に通達 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 米穀納入機構の合理化社說 一 最近島內米穀管理の强化に伴ひ各州廳に於て米穀納入組合を組織し以て生產籾の全面的蒐集を圖ると共にこれを玄米製造の上米穀局へ納入する事となり、其の下請團體として現在の籾摺業者及び農產倉を利用して來たのである。而して籾摺業者及び農產倉に對して一定の區域を限定して籾を蒐集せしめそれに七分搗玄米製造の工賃を支給してゐるが、若し買入れた籾に對して步留惡きため規定數量の玄米を供出する事が出來ない場合には下請團體として其の損失を負擔せねばならないので、籾摺業者等はなるべく籾の等格を引下げて買入れてゐる事は勢ひの然らしめるところである。ところが各州とも農民より納入する籾を上中下の三等級に區分する外に等外甲乙丙丁といふ七級に分かち、上等籾と下等籾の差格が千斤に對し約四圓に加ふるに等外籾は控除額四圓五十錢から廿四圓(臺北州の例)といふ大幅であるから、農民供出籾の價格決定は專ら此の下請團體の認定如何に依つて生殺與奪の權を握られてゐる事は明かである。これがため或る籾摺業者の如きは一期に二萬圓に近き剩餘金を生じたるが如きは全く斯かる不當な格下に基いたものと謂はなければならない。 二 然し此の剩餘金は勿論下請團體の利益に歸するのでなく米穀納入組合の利益になる譯であるが、斯かる公的性質を有する團體は固より利益を目的とすべきでなく、米穀の圓滑なる納入を企圖せねばならないから、此の利益が多ければ多い丈それ丈籾買上の方法が當を得てゐない事を立證するのである。現に十六年一期より(高雄州は二期より)營業を開始した各州納入組合の利益を見るに臺北州廿萬圓、新竹州五十萬圓、臺中州五十餘萬圓、臺南州十萬圓といふ巨利を擧げたのは勿論尨大な人件費を控除した殘額であるが、如何に籾の買入價格が適正でなかつた事が解る。蓋し米穀納入組合運用の理想としては國家又は公共團體の豫算の如く其の收入を以て一切の經費を支辨すればいい譯であり、若し多少の剩餘金を生じてもなるべく或る一定限度に止めなければならないものである。此の點に關して納入組合としては今後出來る丈籾買入方法を是正し以て其の經營の合理化に努力すべきである。 三 本來を言へば米作農民は籾の形にて納入すべきでなく、內地の如く玄米の形を以て納入すれば斯かる中間利益を排除し得べきである。周知の如く政府は現在米穀增產を圖らんがために本島に於ては玄米一石に對して二圓の奬勵金を交付してゐるが、一方に於て籾の買上方法が適正でないため農民の收入を減らしてゐるが如きは此の間政策上の矛盾なしとは言へない。之を根本的に改革するには現在其の機能を停止せられてゐる產倉の如き寄託方法が最も合理的である。從つて各州廳別に全島の農產倉及び籾摺業者を打つて一丸とする產業組合組織に編制替すれば斯かる問題は拔本的に是正し得るものと信じて疑はない。今や全島產組聯合會が近く設立されんとしてゐるから、金融方面の聯合組合以外に此の方面の事業に着手する事が最も有意義であると斷ぜざるを得ない。此の問題に關して各關係當局が虛心坦懷に其の根本改革を圖り以て米穀增產に對して一層拍車を加へられん事を熱望せざるを得ない。 |
02 | 紫雲漂ふ南の空 常夏踊りに限りなき愛着 素朴純真のダイヤ族 |
03 | 朝禮の時間を新設 每月の大詔奉戴日に |
04 | 承詔必謹・一心一體 第三回大詔奉戴日實施方策決定 |
05 | 產業戰士敢鬪の跡三 皇民鍊成に率先垂範 勤勞者本瀨政善氏(五六) |
06 | 農家經濟の振興に盡瘁 功勞者蔀辰太郎氏(五二) |
07 | 松野看護兵曹頭圍庄葬 |
08 | 必勝への防空陣 迅速冷靜に行動せよ |
09 | 精神的準備を固めよ |
10 | 硝煙匂ふ鹵獲品 戰利品展に陳列 |
11 | 帝都の防空完璧 平素の訓練振りを發揮 |
12 | 一般へ注意喚起 內務省防空局談話發表 |
13 | 銃後建設の指針 生活相談所店開き |
14 | 農村に健全娛樂 新竹州・青年劇大會を開催 |
15 | 鐵銅は戰爭資源 一斤でも多く供出しませう 臺北州下の回收日程 |
16 | 飽まで神經戰だ 日頃の腕を見せればよい 近藤情報局課長談 |
17 | “秘めた血書” 今夜發表會 |
18 | 捷報に感激して 軍司令部に献金部隊 |
19 | 巢立つ“若き學徒” 武官府に感謝の献金 |
20 | 後四日間で締切 臺北州下の志願兵八萬名を突破 |
21 | 島都一萬三千名突破 |
22 | 宜蘭市二千七百二十一名 |
23 | ときの声 |
24 | 軍要員募集 希望者至急願書を提出 |
25 | 食料品の配給所 北署管內に八十七ケ所 |
26 | 人事・消息 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇軍への感謝新た 聖戰下に迎へる陸軍記念日 銃後生活を一段緊張 |
02 | 八千名に迫る 嘉義の志願兵急增 |
03 | 齋藤少將講演 屏東會館で |
04 | 十三日は花蓮港で |
05 | 神社遙拜所設置 高雄市內清淨な地に |
06 | 圖像:牛車に乘つて進む皇軍勇士(ビルマ戰線) |
07 | 工場勞務者と志願兵制懇談 |
08 | 青年鍊成の搖籃 青年校指導者講習會 |
09 | 松山臺中州警察部長初巡視 |
10 | 圖像:陸軍記念日のポスター |
11 | 進め!共榮の大道 產組記念日に譽の表彰 |
12 | 志願者二千名を突破 新化郡に奏でる軍國譜 |
13 | ここにも感激譜 東港郡三、三八○名 |
14 | 雨期の乾燥施設 早急實現方を要望 臺南州農會總會 |
15 | 健康都市を建設 高雄市衛生改善を凝議 |
16 | 南方澳漁港電話近く開通 |
17 | 咲いた咲いた 阿里山の櫻が咲いた |
18 | 高等科設置實現 銅鑼富士國民校に |
19 | 花蓮港廳水產會第五回總會 |
20 | 伸びる臺中市民の足 新編入區域にバス運行 |
21 | テニス爭霸戰 |
22 | 淡水の賭博團檢擧さる |
23 | 高雄の愛國蓖麻 收穫、供出共に成績上乘 |
24 | 衛生事務打合せ |
25 | 南師普通科合格者發表 |
26 | 新化郡各學校卒業式日程 |
27 | 花蓮港女卒業式 |
28 | 圖像:ビルマ戰線に於ける英軍印度兵捕虜の體操 |
29 | 屏東郡壯丁團查閱 |
30 | 奉公班世話役を鍊成 大溪皇民奉公會主催 |
31 | 臺南州畜產會通常總會 |
32 | 高砂青年團查閱 |
33 | 竹東旭國民學校 開校記念學藝會 |
34 | 北斗時局映畫會 好評博して閉幕 |
35 | 新化郡產組が視察團を組織 |
36 | 賭博黨總擧げ |
37 | 地方便り |
38 | 今日の映畫 |
39 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 決戰下產組の使命 產組記念日を迎へて 齋藤臺灣產組協會會頭談 |
02 | 倉庫買收費として 百一萬圓を計上 米管特別會計 十七年度新規事業 |
03 | 米穀倉庫建設に 六十萬圓を計上 米穀局十七年度豫算 |
04 | 臺灣紡績會社 近く第一期工事に着手 |
05 | 昨年下半期の(完) 島內金融順調 水津臺銀頭取演述 |
06 | 正條密植競技 臺中市奉公會主催 |
07 | 砂糖卸商組合 改組臨時總會 |
08 | 臺鐵共濟組合 近く規則改正 |
09 | 青果組合聯合會 評議員會を開催 |
10 | 經濟手帳 印度の鐵鑛資源 |
11 | 都市蔬菜自給圈 消費の八割を生產 |
12 | 自給自足を目標に 小麥增產對策決定 原種採取補助、指導員配置等 |
13 | 七分搗標準米 查定會を開催 |
14 | 新高水產會社 新高港漁業に從事 |
15 | 照明燈 |
16 | 商況 五日後場 |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(626)/黃得時;榎本真砂夫 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | バタビヤを完全に攻略 隨所に敵の抵抗を擊破 五日午後九時卅分占領 |
02 | 飛行艇廿九機を擊破 濠洲ブルーム、ウインタム空襲 ジヤバ島で四十四機擊墜 |
03 | 東西兩方より猛進擊 |
04 | バンドン放送局戰況放送 |
05 | 蘭印軍の抵抗既に絕望 在ベルン軍事消息通の觀測 |
06 | 陸鷲地上部隊に協力 |
07 | 濠洲陸相發表 |
08 | 米國陸軍の改編を發表 |
09 | 圖像:蘭印首都バタビヤ市 |
10 | 米、遣印使節團長にグレーを任命 |
11 | 蘭印住民の親日に 敵は腹いせの空爆 |
12 | スラバヤ、バンドン 陷落は時間の問題 |
13 | 米陸海軍、連絡缺如 ロ市の怪飛行機事件で暴露 |
14 | 臺北州下勸業課長會議 |
15 | 選擧運動取締規則を改正 勞務者、紙の節約が主眼 |
16 | 主要都市に大講演會 來る十五日から選擧啟蒙運動 |
17 | 英の新印度政策を決定 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇后陛下 第卅九回御誕辰 御めでたく迎へさせらる |
02 | 萬歲!バタビヤ攻略 杜の都として有名 坦坦たる道路縱橫を走る 人口略臺北と同樣 |
03 | 全島の制壓迫る バタビヤは蘭印交通の要衝 山田三井支店長喜びを語る |
04 | 天機並に御機嫌奉伺電報 長谷川總督が奉呈 |
05 | 地久節を壽ぎ奉る 愛婦會員臺灣神社參拜 |
06 | 圖像:臺灣神社參拜の臺北市愛婦會員 |
07 | 神社に献木奉仕 |
08 | 常會の直接指導 |
09 | 產業の首位は砂糖 內海糖聯臺灣支部主事談 |
10 | 香港の復興目覺し 本多府商工課長語る |
11 | 南方協力への構想 まづ米作が問題 二割乃至三割の增產は容易 農業試驗所長理農學部教授澁谷紀三郎氏談 |
12 | 壯烈無比な攻防戰 島都の學徒二千六百餘名が 陸軍記念日に決行 |
13 | 城南技藝所の第三回入所式 |
14 | 正條密植競技會 齋藤總務長官臨席の下に あす樹林で開催 |
15 | 廣東から留學生 一行十五名が來臺 |
16 | 山の青年の感激 軍司令部に献金 |
17 | 限りなき感謝 武官府に献金群續續 |
18 | 古釘を献納 憲兵隊本部に |
19 | 遺家族弔問 藤村市長が |
20 | けふは產組記念日 新竹州下の行事 |
21 | 窄き門に殺到 廈門から五十六名 |
22 | “秘めた血書”は廣愛劇團が上演 |
23 | 大尖山ハイク |
24 | 商況 六日前場 |
25 | 興南案內報社消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | スラバヤに急迫!! 皇軍、全戰線に肉薄す頭條新聞 【リスボン六日發同盟】首都バタビアの失陷によつてジヤバ島各戰線は急速に崩壞の度を進めつつあり六日聯合軍司令部所在地バンドンよりの報道は次の通り末期迫つたジヤバ島の事情を傳へてゐるバタどの陷落についで日本軍はスラバヤに急迫既に◯◯粁の地點に迫つた日本軍は陸海空の壓倒的勢力を傾け全戰線に肉薄しつつあり蘭印軍當局も最早阻止することはヤ不可能と自認してゐる |
02 | リウウイリアン望見 敵バンドンへ潰走中 |
03 | バタビヤ、スラバヤ遮斷 |
04 | 東、中部部隊も猛進 ○○と○○を占領 |
05 | 各戰線の戰況 |
06 | バタビヤの軍事施設 |
07 | 壯烈・燃ゆる潛水艦魂 特別攻擊隊九勇士の大勳功 高橋、有馬兩海軍大將に聽く |
08 | 奧亞院連絡部長官會議(第二日) |
09 | 圖像:○○河を渡河進擊する步兵部隊(ビルマ戰線) |
10 | 蘭印は崩潰の危機 謬まれる親英米外交の悲劇 獨紙、五日の論說 |
11 | 濠、新西蘭防衛問題を協議 |
12 | 陸鷲早朝から猛躍 |
13 | 蘭印外務省、各商社 蘭領西印度諸島の某地に移動 |
14 | 濠洲、婦女子の 奧地避難を勸告 |
15 | 合計七十三機擊墜破 我が海鷲四日間の大戰果 |
16 | 陸鷲、敵船四隻爆破 ビルマ、イラワヂ河で |
17 | 兩港とも損害甚大 濠洲空軍司令部發表 |
18 | 濠洲の要港 |
19 | 印度空軍司令官 |
20 | 米國最新銳機 陸鷲が擊墜せるノースアメリカン型 |
21 | 地方長官會議第四日 |
22 | 商工省所管の主な質疑應答 |
23 | 昭南港避難民 半島各地に復歸 |
24 | 本年第一次のモスクワ猛爆 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 バタビヤ陷落と蘭印の運命社說 一 和蘭人に依り三百餘年の久しきに亘り蠶食された世界の寶庫であるジヤバ本島は、皇軍の勇猛果敢なる進擊に依り、その首都バタビヤが完全占領された事は、橫暴なる和蘭人を東亞の天地より驅逐する東亞人の歡喜の勝鬨である。バタビヤは廣大なる蘭印の政治經濟の中心地であるこの大動脈が皇軍の手に依つて遮斷された。如何に蘭印政府が賴むべからざる米英を賴んでも皇軍の前にはその運命は最早風前の灯である。數世紀の間ジヤバを我が物顏にして、その豐富なる資源を掠奪し、數千年の文化を有するインドネシヤ人を壓迫去勢して來た罪惡は人類の敵である。我が國が米英に對し宣戰を布吿した時、蘭印に對しては寬大な處置を取り、蘭印が自ら覺醒して協力して來るのを待つたが却つて米英の抗戰に與して其作戰本部となり、飽く迄も抗戰する態度を取つたので、遂ひに皇軍が膺懲の鐵槌を下したのである。過去に於ける蘭印政府が、我が好意ある通商交涉を無視して徒らに米英兩國を背後勢力として不遜なる態度を取つて來た天罰である 二 米英蘭蔣が豪語して來た日本包圍陣ABCD線も皇軍の前では單なる地圖上の一線に過ぎない事を今更ながら認識したであらう。祖國を失ふた和蘭政府が米英の尻馬に乘り、對日抗戰に參加した事が東亞の天地から追ひ出される動因となつた。今更悔いても最早取り返しが出來ない榮華は巡ると云ふが、蘭印政府の過去に於る罪惡は皇軍の手に依つて清算はれた。ジヤバ本島を始めスマトラ、セレベス、ボルネオを占領し、三百餘年の間に東亞を我が物顏として振り舞ひ、其寶庫を掠めて本國に持歸へり、榮華を擅にして來た天罰が覿面に來た譯である。ジヤバ本島以外のボルネオ、セレベス、スマトラが依然としてのジヤングルの繁榮に任せて猛獸を生息させて來た事は、和蘭の帝國主義的殖民政策の為に天然の資源が未開發の儘に放置されたためである。それに代り帝國が指導者となり、世界寶庫開發のパイオニアとして起つたのである。去勢されたインドネシヤ人も、皇軍の溫い手に依り大東亞の共榮圈建設の勇士として奮ひ立つべき時が來たのである。帝國の救ひ手に、定めしジヤバ人も久振りに見る黎明の朝を迎へて感激に震へて居るであらう。 三 バタビヤが既に陷ちたのでスラバヤ、バンドンの要衝陷落も目前に迫つた今日蘭印政府の落ち行く先はイギリスか又はアメリカかであらう。徒らに抗戰の愚を繰返さず、潔く皇軍の前に降服する事を勸吿する。自らが蒔いた種を自らが刈取る秋が來た事を知るべきである。七千萬人のインドネシヤ人に對し僅かに十萬人の和蘭人を以て統治して來た蘭印政府が如何に惡辣なる手段を弄したかはその三百年間の統治史の明かに示す所である總ゆる壓政に呻吟して來たインドネシヤ人は、帝國の溫い救ひの手により、希望に輝く抱負と理想を以て勇しく奮ひ立ち、帝國の指導に協力し、大東亞共榮圈建設の勇士としてスタートする事を期待する。 |
02 | 大東亞戰不滅の金字塔 壯烈無比真珠灣強襲 特殊潛航艇員不朽の偉勳 戰死者二階級に進級 |
03 | 光榮の九氏 |
04 | 忠烈中外に宣揚 山本聯合艦隊司令長官より 感狀を授與さる |
05 | 大戰劈頭の大偉勳 帝國海軍の傳統を遺憾なく發揮 殉忠無比な攻擊精神 |
06 | “今の若いものは” 申すまじきこととせう山本大將の書翰 |
07 | 罩める殉忠の赤誠 九勇士明鏡止水の心境 |
08 | 圖像:海軍特別攻擊隊 |
09 | 九勇士の略歷 海軍中佐岩佐直治氏 |
10 | 海軍少佐古野繁實氏 |
11 | 海軍少佐橫山正治氏 |
12 | 海軍大尉廣尾彰氏 |
13 | 海軍特務少尉佐佐木直吉氏 |
14 | 海軍特務少尉橫山薰範氏 |
15 | 海軍兵曹長稻垣清氏 |
16 | 海軍兵曹長上田定氏 |
17 | 海軍兵曹長片山義雄氏 |
18 | ときの声 |
19 | “挺身必殺”の雷擊 開く大東亞の新歷史 |
20 | 訃文:黃世泰 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大詔奉戴日を迎ふるに際して 重大支障なき限り 全島民擧つて參加 朝禮の時間の設置山本事務總長談 |
02 | 御下賜金、御歌傳達式 故山口兵長の餘榮 |
03 | 武勳の護國英靈 鄉里へ無言の凱旋 |
04 | 遺家族慰問に 竹南青年演劇大會 |
05 | 山なす慰問袋 鳳山愛婦等が作製 |
06 | 產組功勞者を表彰 大甲郡產組記念日行事 |
07 | 溪湖信組の行事 |
08 | 高雄州の產組記念日行事 |
09 | 產組報國を神前に誓ふ 臺中の產組記念日 |
10 | 總督賞に輝く功勞者 |
11 | 士林產組記念行事 |
12 | 締切り愈よ迫る 未出願適格者手續きに忙殺 臺中州の志願活潑化 |
13 | 屏東の志願兵熱愈愈高潮 |
14 | 宜蘭市は四十五名 |
15 | 長谷川總督 四月上旬に上京決定 |
16 | 湖口部落聯合常會 |
17 | 圖像:北の生命線を護る |
18 | 禊講習會と推進員鍊成會 |
19 | 昨日の志願者 島都は四百二十九名 |
20 | 張國威總領事 僑務巡視に來高 |
21 | 張總領事歡迎會 |
22 | 輝く大戰果に感激 軍司令部に献金群陸續 |
23 | 宜蘭信組記念行事 |
24 | 遺家族慰安會 北港で開催 |
25 | 蘭陽女卒業式 |
26 | 特志看護婦合格者 豐原郡下では七名 |
27 | 原氏送別音學會 |
28 | 南光會油繪展 |
29 | 幼駒の育成管理 臺南州畜產會經費を計上 |
30 | 各奉公班から皇軍に慰問袋 軍記念日に |
31 | 臺北州警察部幹部異動 |
32 | 今日の映畫 |
33 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 旅客荷物取扱 四月一日より大改正 臺鐵 |
02 | 鳳梨夏物減產 冬物罐詰大增產 |
03 | 悠悠榮華三百年 (上)大英帝國日沒來る |
04 | 大甲溪の電源開發 具體的計畫成る |
05 | 古麻袋の配分夫夫終了 |
06 | 臺北州下 七分搗標準米 昨日查定終了 |
07 | 香港と高雄とは 別個の使命を有す 筧府金融課長歸來談 |
08 | 週間經濟展望 |
09 | 員林バス免許 |
10 | 十二月分局營バス運輸成績 |
11 | 臺灣纖維工業增資期接近 |
12 | 照明燈 |
13 | 商況 六日前場 |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(627)/黃得時;榎本真砂夫 |
16 | 第四回決算公告/株式會社乾元藥行 |
17 | 第一回營業報告/穎川拓殖株式會社 |
18 | 第六期決算報告/朱祿運輸株式會社 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵特設航空母艦猛爆 艦上敵機全爆破、大火災起す 我海軍航空隊の殊勳 |
02 | 特設航空母艦の性能 |
03 | バイテンゾルグ占領 爪哇島西部の主要據點制壓 |
04 | バンドンを猛爆 |
05 | ジヤバ島の運命決す |
06 | 圖像:敵擊滅に出動する我が艦艇の勇姿手前驅逐艦、先方は輕巡洋艦 |
07 | 蘭印の全面崩壞目睫 わが包圍網中で絕息の寸前 |
08 | 推進員指名式 七日市民講堂で |
09 | バタビヤの失陷 蘭印軍司令部確認 |
10 | ジヤバ島保持絕望 ヘラルド從軍記者の報道 |
11 | ジヤンビー完全占領 中部スマトラの要衝 |
12 | 重大な形勢 蘭印コムミユニケ |
13 | ロイター通信員の報 |
14 | 米比軍の運命旦夕 連絡線を完全に制せられて |
15 | バタアン半島の 敵陣地を猛爆 |
16 | 圖像:ポート・モレスビー |
17 | 事態愈よ重大危局 蘭印軍司令部の發表 |
18 | ポートモレスビー 第六回と第七回の爆擊 |
19 | アラスカ公路建設案可決 |
20 | 小造船業の整備統合へ |
21 | ニユー・カレドニア島 米濠聯合軍に占據さる |
22 | 伯國船二隻近く出港 外交官交換引揚 |
23 | 決死隊猛火の中を突進 サンボアンガの上陸作戰 |
24 | 東洋各國に媚態 米の無定見暴露す |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 真珠灣頭の華 九勇士の勳 在りし日の面影 偲ぶ戰友の想ひ出話 |
02 | 必勝の信念堅持へ 島都の陸軍記念日行事決る |
03 | 時局大講演會 あす港都五會場で開催 |
04 | 服部報公會から研究費補助 |
05 | 武勳九勇士に捧ぐ 弔慰金に感激の書を添へて 武官府に赤誠感謝 |
06 | 燃える增產の一念 臺北州主催の插秧競技大會に 長官激勵に馳せ參ず |
07 | 一萬四千突破 島都の志願兵 |
08 | 戰利品展覽會 會期は十日より十九日迄 |
09 | 銃後の女性よ 強くあれ 報道部竹內中佐八日講演 |
10 | 基隆華僑公會貯蓄組合 十日に結成式 |
11 | 海の勇士達を繞る 盟邦獨逸人との感激的親善譜 |
12 | 專任鑛山官 商工省に設置 |
13 | 英軍鬼畜の暴虐 イポーの病院で一邦人老婆語る |
14 | 廣東から留學生 男女一行十七名來臺 けふ各方面に挨拶 |
15 | 防諜聯盟支部總會 |
16 | 圖像:北の生命線を護る東部國境警察隊 |
17 | 推進員の鍊成會 臺南州の分十一日から開始 |
18 | 基商專修校卒業式 |
19 | 興南詩苑漢詩 春日間居雜興/顏寶莊、鷺江黃滔有贈花月痕之作特步韻以償索題之債/南都、附原作/黃滔、贈秋霞兼示杏庵/南都、次韻/杏庵 |
20 | 滿洲移植農工開拓民募集 |
21 | 人事・消息報社消息 |
22 | 商況 七日前場 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | けふは大詔奉戴日 輝しき戰果を仰いで 國民の結束益益堅む頭條新聞 【東京發同盟】畏くも暴戾米英膺懲の大詔を渙發あらせられてより滿三箇月今日再び大詔奉戴日を迎へて忠勇なる皇軍の威武はますます萬邦に光被し銃後國民の士氣また聖戰を貫徹せずんば已まざる氣慨に燃えてゐる、わけても前回の大詔奉戴記念日よりけふまでに至る滿一箇月間の赫赫たる皇軍の戰果は世界戰史上に未だその比を見ざる輝かしいものがあつた、即ち敵が不落の湯池と恃む大東亞制霸の根底シンガポールは陷落し蘭印の首都バタビヤもまたわが有に歸した、この間に海軍艦艇部隊は敵艦隊を殲滅し海鷲また遠く濠洲に鵬翼を伸して最後の據點を震骸狼狽せしめ東亞の天地に立罩めた妖雲次第に沸はれて燦たる希望の陽光を認めつつある、一億國民は大御稜威のもとこの輝しき戰果を仰いでますます結束を堅め不撓不屈大東亞共榮圈建設の聖業翼贊に邁進しなければならない 詔書 天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有眾ニ示ス朕茲ニ米國及英國ニ對シテ戰ヲ宣ス朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司ハ勵精職務ヲ奉行シ朕カ眾庶ハ各各其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ 抑抑東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ丕顯ナル皇祖考丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ朕カ拳拳措カサル所而シテ列國トノ交誼ヲ篤クシ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト為ス所ナリ 今ヤ不幸ニシテ米英兩國ト釁端ヲ開クニ至ル洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ中華民國政府曩ニ帝國ノ真意ヲ解セス濫ニ事ヲ構へテ東亞ノ平和ヲ攪亂シ遂ニ帝國ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有餘ヲ經タリ幸ニ國民政府更新スルアリ帝國ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提攜スルニ至レルモ重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ兄弟尚未タ牆ニ相閲クヲ悛メス米英兩國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制霸ノ非望ヲ逞ウセムトス剩へ與國ヲ誘ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ增強シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ與へ逐ニ經濟斷交ヲ敢テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ回復セシメムトシ隱忍久シキニ彌リタルモ彼ハ毫モ交讓ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ益益經濟上軍事上ノ脅威ヲ增大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス斯ノ如クニシテ推移セムカ東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ歸シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事旣ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ朕ハ汝有眾ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス 御名御璽 昭和十六年十二月八日 各國務大臣副署 |
02 | 詔書 |
03 | 大御心に對へ奉る決意 常時實踐の誓ひを固むべし |
04 | 擊沈艦艇百十四隻 敵機一千五百餘機を擊墜破 開戰以來海軍戰果 |
05 | 砲工學校を陸軍科學學校と改稱 |
06 | 圖像:(上)ビルマ義勇軍モールメソ着○○方面に向け進擊 |
07 | 殊勳甲と一般殊勳者 陸軍關係第廿九回生存者論功行賞 |
08 | 三方面より攻擊受く バンドン戰況敵側も不利を認む |
09 | 支那戰線の綜合戰果 十六年度と十五年度の比較 |
10 | 陸軍特設部隊を設置 |
11 | 非常時狀態布告 北印の英印度軍當局 |
12 | 比島周邊の海面で 敵艦船九隻を擊沈 |
13 | 敵呼號の輪形陣 あへなく潰ゆ ニユーギニヤ洋上海戰で實証 |
14 | ス米陸軍長官 空軍充實に言及 |
15 | セイロン島の防備強化 |
16 | バンドン包圍網壓縮 |
17 | 海鷲各地で大活躍 |
18 | 逃走敵船廿三隻擊沈 |
19 | ジヨクジヤカルタに突入 |
20 | ジヨクジヤカルタとスラカルタ |
21 | 英佛軍艦衝突 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 噫・壯烈無比 我が潛水艦魂社說 一 大東亞戰爭勃發の劈頭、遙か萬里の波濤を乘越えて、敵太平洋艦隊主力が集中せるハワイの真珠灣軍港に決死的大强襲を敢行我が海の荒鷲との緊密なる協同作戰の下に、敵戰艦アリゾナ號を始め多數の艦船を擊滅して全世界を驚倒させ偉大な勳功を收めた帝國海軍獨特の特殊潜航艇の活躍については、當時我が方の損害未だ歸還せざる特殊潜航艇五隻と發表され、一億國民は尚奇跡の生還を祈りつつあつたが、大本營では去る六日午後三時始めてこれ等特殊潜航艇による壯烈比類なき真珠港强襲の情況と一命を君國に捧げて任務完遂と共に潜航艇と運命を共にした忠烈九軍神の氏名とを發表したが一億國民はこの歸らぬ特別攻擊隊の護國の神に對し只只感謝に合掌するばかりである 二 而してこの特殊潜航艇による攻擊の□□は、實に岩佐中佐以下數名の攻擊隊參加將校によるものであつて、隊員一同が「不惜身命」「盡忠報國」の燃ゆる一念による世界に比類なき我が國獨特の潜水艦魂、敵艦擊滅の任務完了までには生も死もなき古今に絕する殉忠無比の攻擊精神に加ふるに、極く短時日乍ら嚴密を保ちつつ、用兵者技術家が渾然一體、不眠不休晝夜兼行で製造と訓練に心血を注いだ結果、今次大戰の劈頭に赫赫たる大偉勳、世界戰史に不滅の金字塔が 打建てられたのである。かの壯絕鬼神をも泣かしむる荒鷲魂と、挺身必殺の雷擊をもつて、暴虐の敵根據地に突入し前代未聞の體當りによる白晝の强襲或は月明の夜襲を決行し、尊き任務を遂行して後莞爾と微笑んで自爆するこの佐久間艦長以來の潜水艦魂とは、世界中只獨り我が海軍に傳承された尊き精神であつて、斯る古今に絕する盡忠無比の攻擊精神をもつてこそ、今次緖戰に於ける赫赫たる勳功、將又英の東洋艦隊、米の太平洋艦隊全滅の偉業が成し遂げられたのである。 三 我我はこの九勇士を讃へ、その聖なる姿を仰ぎ見る度每に、この世界に比類なき尊き精神を深く心に銘記し、國民擧つて衷心より尊き感謝を捧げると共にこの際覺悟を新にしなければならないのである。ルーズベルトは、ハワイ敗戰を糊塗せんがため曩に天文學的數字の建艦計畫を發表し、大に米國民を煽り立ててゐるが、アメリカ海軍の如く魂なき骸、文化人の机上的戰爭計畫が、如何に尨大なるものであらうとも、世界に卓越せる我が海軍の技術と、この偉大なる攻擊精神の前には一たまりもなく潰え去るであらう、斯くてハワイ海戰の赫赫たる大戰果は、帝國海軍獨特の特殊潜航艇攻擊隊の偉勳によつて、更にその輝しさを加へるに至つたのである。實に東亞の新しき歷史は岩佐中佐以下九軍神によつてその輝しき第一頁が開かれたのである。我我は大本洋鎭守の神となつた九軍神の英靈に酬ゆるベく、固く心に誓ひ大東亞戰の目的完遂に一路邁進しなければならない。 |
02 | けふ第三回大詔奉戴日 雄渾なる理想、抱負 國民奉公生活の貫徹へ |
03 | 必勝の信念集結 今夜全島一齊にラジオ常會 |
04 | 軍裝凜凜し・憲兵補 選ばれた優秀者中の最優秀 希望輝く猛訓練開始 |
05 | 燃ゆる熱意に感激 石田臺北憲兵隊長談 |
06 | 宜蘭消防組改築地鎮祭 |
07 | 新竹州指定國講研究會 |
08 | 圖像:銀旭輝く憲兵補の猛訓練 |
09 | 產業戰士敢鬪の跡四 農事改良に心血を濺ぐ 功勞者日向武郎氏(四二) |
10 | 表彰者の紅一點 功勞者萩原秀子(四五) |
11 | 竹內中佐が講演 けふから州下三ケ所で |
12 | 皇軍の奮鬪を偲ぶ 戰利品がどっざり 明後日から陳列展覽 |
13 | 續く感激の献金 軍司令部七日取扱ひ |
14 | 献金美談二則 軍司令部に拾ふ |
15 | 陸海軍へ献金 司法保護實務者 |
16 | 來れ若人“理想の門” 少年戰車兵、通信兵を募集 |
17 | 二百九十四億餘萬圓 昨年末に至る四個年半の 事業資金供給高 |
18 | 海山郡が一位 臺北州插秧競技會 |
19 | 臺北高校高等科合格者 |
20 | ときの声 |
21 | これは危い 街路上で獨樂遊び |
22 | 黃世泰氏葬儀 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 繰展ぐ攻防繪卷 聖戰下に一同早くも勇氣百倍 陸軍記念日に聯合演習 |
02 | 四千六百名突破 北港郡民の志願兵熱 |
03 | 貢寮庄だけで一千八百名 |
04 | 平溪庄でも千名以上 |
05 | 每日千名以上 屏東市の志願者いよいよ殺到 |
06 | サイレン合圖に必勝祈願 臺南市の大詔奉戴日 |
07 | 茶業講話會 十日三峽公會堂で |
08 | 浦准尉講演 |
09 | 大戰果に感謝の献金 |
10 | 第二國民兵をも鄉軍に編入 |
11 | 六千名臺に肉薄 臺南市係員整理に忙殺 |
12 | 圖像:空路福岡雁の巢飛行場に着いた芳澤大使 |
13 | 嘉義郡獸肉組總會 |
14 | 古金屬回收 屏東市役所率先垂範 |
15 | 屏東皇民奉公會第一種青訓修了式 |
16 | 大東亞戰展公開 |
17 | 養豚家に朗報! 自給飼料として向日葵登場 臺南州栽培を獎勵 |
18 | 嘉義陸軍病院竣成 樋口軍參謀長開院式に臨席 |
19 | 花蓮港商工協會解散に決定 |
20 | 高雄州產組 懸賞標語發表 |
21 | 衛生部落を獎勵 竹南郡で審查開始 |
22 | 家政女上棟式 |
23 | 土光臺南州警察部長の巡視日程 |
24 | 體驗を土產に 花蓮港廳中堅女青鍊成會 |
25 | 鍛ふ興亞乙女 皇奉第三種の訓練 高雄市で近く實施 |
26 | 卒業生は引張凧 嘉義專修工業好評 |
27 | 知識層の賭博は今後即決せず |
28 | 花蓮港女卒業式 |
29 | 磨く青年藝能 十一日高雄館で發表會 |
30 | 臺中女卒業式 |
31 | 高雄商工專修卒業式 |
32 | 赤誠の献金 陸續と殺到 |
33 | 旗山朝鮮亭主人妓女等が献金 |
34 | 高雄に厚生車登場 |
35 | 臺南州職員異動 |
36 | 各地產組記念日の行事 |
37 | 鍛ふ青年の心身 員林郡青年鍊成講習會 |
38 | 花蓮港婦人會解散 |
39 | 員林指定魚市場 仲買組合長決定 |
40 | 竹東銃後後援會 設置委員會を開く |
41 | 淡水郡下各學校修了式日程 |
42 | 苗栗郡學校組合豫算を決定 |
43 | 平溪東國民校 十七日に卒業式 |
44 | 烏牛欄道路開鑿 保甲民が奉仕作業 |
45 | 潮州華僑公會總會、献金を可決 |
46 | 東石郡警察課職員異動 |
47 | 潮州郡聯合壯丁團檢閱終る |
48 | 斗南街に火事 |
49 | 旗山實踐農民學校新入生を募集 |
50 | 「一億防空陣」上映 |
51 | 地方便り |
52 | 今日の映畫 |
53 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 簡保一戶一件運動 新年度より實施 |
02 | 自發的に改組 砂糖卸商組合總會 |
03 | 悠悠榮華三百年 (中)大英帝國日沒來る |
04 | 副見交通局總長近く上京 |
05 | 銀行金融順調(一月末) 預金引續き新記錄 |
06 | 臺北近郊バス六日附免許 |
07 | 戰捷を祈願 臺北市內產組關係者らが 產組記念日 |
08 | 民營バス運賃改訂 原價計算に着手 |
09 | 昨年中 青果類輸移出 千萬圓を突破 但しバナナを除外 |
10 | 農地作付統制規則 近く府令で公布せん |
11 | 淡水魚苗にも協定值段設定 |
12 | 照明燈 |
13 | 商況 七日前場 |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(628)/黃得時;榎本真砂夫 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 蘭印政權を接收!! 軍政布告式を擧行頭條新聞 【バタビヤ八日發同盟至急報】軍はバタビヤ占領とともに蘭印政權を接收することとなり七日午後二時わが蘭印軍政部長は東印度評議員ニボハール、バタビヤ市長フオールネマン、バタビヤ總理事官以下首腦部二名、及びインドネシア人バタビヤ州住民理事官マハルジヤ。プルアカルト、メステルコールネル州住民理事官パデイアアデイ。ババアリアルリアを招致爾今蘭印政權は日本軍において接收する旨を宣言軍政布告式を行つた バタビヤ市甦へる【バタビヤ八日發同盟】去る五日わが軍により完全占領せられたバタビヤ市內情況はその後極めて平靜で六日皇軍主力の入城後市內電車は平常通り運行を開始し全市は僅か一日で平和色に甦つた去る五日敵が放火せるバタビヤ重油タンクは黑煙ジヤバ島上空一帶を蔽ひ尚炎炎と燃え續けてゐる |
02 | バタビヤ市甦へる |
03 | バンドン市に殺到 ジヤバ全島制壓近し |
04 | 圖像:興亞院連絡部長官會同 |
05 | 壯烈鬼神も泣く強襲 我海鷲、體當り猛爆 ニユーギニヤ島沖海戰の實況 |
06 | 殊勳の海鷲の實戰談 |
07 | 東部方面も活況 |
08 | わが陸鷲連日出動 |
09 | ジヤバ島との通信連絡杜絕 |
10 | バンドン放送完全に杜絕 |
11 | ジヤムビを占領 中部スマトラの要衝 |
12 | 價值最大の油田地 |
13 | 正確無比なる爆擊 ポートダーウインを |
14 | ポートモレスビー強襲 |
15 | 濠洲、要塞施設強化に狂奔 |
16 | 印度防衛は困難 クロニクル紙の論說 |
17 | 英國民狼狽 ビルマ民眾の反英態度に |
18 | 清新な議會確立へ 最も適當な人材を選び出せ 國民常會の夕東條首相放送 |
19 | ピブン內閣 總辭職 首班、ピ氏再指名 |
20 | 地方支部の構成 廿五日頃に終了 直ちに推薦候補者を銓衡 |
21 | 山東西部殲滅戰 判明せる綜合戰果 |
22 | 擊沈商船總計九十八隻 獨潛水艦の戰果 |
23 | 羅國、伯國と外交關係斷絕 |
24 | リマイ飛行場に 巨彈を浴す |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 備へ・明日の戰ひへ 昨日は意義深き大詔奉戴日 |
02 | 必勝の信念新たに 島都全市民敬虔な朝禮時間參加 |
03 | 武勳の英靈凱旋 昨日臺北出發熱誠の見送裡に |
04 | 空の勇士合同慰靈祭 |
05 | 日露戰役勇士回顧談 |
06 | 殊勳甲を戴き 實に感慨無量 藤山太郎氏談 |
07 | 文字通り魂の戰爭であつた 早川齋氏語る |
08 | 當時の感激尚今でも耳朵に 大谷老が語る |
09 | “少年砲兵”を新設 一發必中の精粹發揮へ |
10 | 速かに家鄉に還れ 比島民に告ぐリ老將軍が熱辯 |
11 | 宜蘭市陸軍記念日行事決る |
12 | 決戰下の半島事情 上京した南朝鮮總督談 |
13 | 若人の意氣高し 青年團指導經營實績研究發表會 |
14 | “銃後婦人の重責を果せ” 竹內中佐萬華女子奉公隊員に強調 |
15 | 己の心に須らく鞭を當てよ 加藤准尉が說く |
16 | 保護事業の真精神把握 實務擔任者鍊成會閉會式擧行 |
17 | 島民赤誠の献金 大詔奉戴日、武官府の取扱 |
18 | 宜蘭市志願兵 昨日は四十三名 |
19 | 區會、奉公班の 有機的連繫へ 新竹市支會で研究會開催 |
20 | 陸軍記念日に從軍會員參集 當時を追憶歡談 |
21 | 武官府に慰問袋十箇を献納 軍國の乙女達から |
22 | 子供の惡戲で 急行列車脫線 親達よ!心せよ |
23 | 訃文:蓮見育良 |
24 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 必勝の信念固し 輝やく大戰果の裡に迎へる 第三回大詔奉戴日 |
02 | 花蓮港の大詔奉戴日 |
03 | 大詔奉戴日の朝禮 |
04 | 白衣勇士慰安印畫展示會 寫真防諜聯盟赤誠の撮影 |
05 | 員林鄉軍大會 あす犁頭厝で |
06 | 各種操練愈よ圓熟 高雄署壯丁團の查閱好績 |
07 | 圖像:日の丸の旗を振つてわが宣撫班を歡迎する部落民達(マニラ發) |
08 | 臺中馬豚飼養管理品評會 |
09 | 張國威總領事 屏東の僑務巡視 |
10 | 勳功南支に輝く 勳八等の光榮に浴する曾根通譯 |
11 | 一躍八千名臺へ 大詔奉戴日期して志願者殺到 低調屏東、名譽を回復 |
12 | 志願者激增 新化郡は六千名突破を豫想 |
13 | 安順庄の志願者 |
14 | 新化郡製菓會社職員志願 |
15 | 故黃軍屬の埔里街葬 北國民學校で嚴かに執行 |
16 | 世界の寶庫・蘭印 政廳の對日方針(三) 矛盾した兩面を持つ |
17 | 圖像:バタビヤよりバンドン經由スラバヤに至る五百十哩のジヤバ中央部縱斷鐵道、バタビヤ、バンドン間の鐵橋 |
18 | 猛訓練を終へて 臺南青年校指導員講習會閉會 |
19 | 鳳山郡壯丁團查閱 |
20 | 遺族に信仰生活 花蓮港軍援會鍊成會を開く |
21 | 嘉義市も愈よさつばり 每日曜日を清掃日に定む |
22 | 關仔嶺で產組講習會 |
23 | 志願兵早わかり無料贈呈 |
24 | 漁撈者の隣組 |
25 | 臺中家政女十二日卒業 |
26 | 二林奉公班研究會 |
27 | 屏東製麵組合献金 |
28 | 大東亞戰展盛況 |
29 | 潮見國民校開校式 |
30 | 嘉義女卒業式 |
31 | 嘉義專修商卒業式 |
32 | 地方便り |
33 | 今日の映畫 |
34 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 文藝 教育國營の私見/岡村二一 |
02 | 南十字星 生命の源泉 永遠な文學の故鄉 |
03 | あすは陸軍記念日 奉天會戰のお話 |
04 | 陸海軍報道班員 第一線で猛烈な活動 |
05 | 週間子供新聞 |
06 | 今週の歷史 |
07 | 東亞戰豆手帖 |
08 | 田園畫譜 江邊斜照/藍蔭鼎 |
09 | 新職業人に與ふ/小野磐彥 |
10 | ラジオ |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵都ラングーン完全占領 敵軍主力を擊滅 ビルマ作戰目的達成 |
02 | ビルマ公路交通停止 |
03 | 最高指揮官飯田中將 |
04 | ペグー市を完全占領 |
05 | 牙城目ざして猛進擊 |
06 | ビルマ制空權 わが手中に歸す |
07 | 敵船五二隻擊沈破 ジヤバ島周邊海上で |
08 | 濠洲兵役義務年限を延長 |
09 | 蘭貢市民は戰戰兢兢 |
10 | 圖像:蘭貢完全占領 |
11 | 海鷲、真珠港を奇襲 敵海軍重要施設爆碎 |
12 | 選擧對策に重點 意義深き全國地方長官會議 |
13 | 英、爪哇失陷を認む BBC悲痛な放送 |
14 | 獨立容認せぬ限り 斷じて戰はぬ覺悟 印度國民會議派領袖聲明 |
15 | 倫敦、蘭印間海底電信杜絕 |
16 | 近く更迭か ハル國務長官とス陸軍長官 |
17 | 米の各紙悲觀 蘭印の敗戰に |
18 | 官吏優遇を斷行 勅任事務官二名昇格 明年度實施 |
19 | 東亞保衛記念日 汪主席聲明を發す |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ビルマルート終焉 日章旗、蘭貢に翩飜 |
02 | 寡默豪膽の勇將!! 飯田最高指揮官と竹馬の友 感激を語る井上兵務部長 |
03 | 今後逆に臺灣から 技術經驗を彼地に 感慨無量の磯博士語る |
04 | 南方協力への構想 “裁植企業”を提唱 八紘一宇の理想實現の為めに 皇民奉公會參事根岸臺大教授談 |
05 | 圖像:平和來!! |
06 | 定例局部長會議 |
07 | 臺北市參事會 けふ市會議室で |
08 | 井上兵務部長 陸軍記念日に放送 |
09 | 竹內中佐講演 基隆の記念日 |
10 | 皇軍感謝の週間 是非御協力の上實行しませう 皇奉中央本部局附河村氏の講話 |
11 | 講演會と映畫の夕 明夜市公會堂で開催 陸軍記念日 |
12 | 一萬三千突破 基隆郡下の志願兵 |
13 | 締切を前に拍車 基隆一齊に講演會 |
14 | “七生報國の精神 新嘉坡陷落の結論は全く之だ” 西岡繁中佐の回顧談 |
15 | 入場無料と決定 愈よ明十日より開幕 戰利品展 |
16 | 督勵班を繰出す 新竹州、植付強調週間に |
17 | 對抗國語競演 專賣小賣人の舌比べ |
18 | 國報演習會變更 |
19 | 人事消息報社消息 |
20 | 商況 九日前場 |
21 | 興南案內報社消息 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 陸海軍將官六十五氏に 輝く勳章親授式御擧行頭條新聞 【東京發同盟】畏き邊りでは支那事變關係生存者論功行賞の內昭和十五年三月二十九日附で功二級旭日大綬章を賜はつた今村均陸軍中將以下陸軍將官四十五氏及び旭日大綬章を賜つた加藤隆義海軍大將以下海軍將官二十氏に對し九日午後二時から宮中鳳凰間において東條首相侍立の上勳章親授式を御擧行今村、河邊、飯田、笠原、鈴木、關、原田、飯村、北野各陸軍中將ならびに沼田陸軍少將、今枝、高橋谷本、細萱各海軍中將を除く各將星に對し 天皇陛下には親しく勲章を授け賜ふたが光榮の將星氏名左のごとし 陸軍 功二大綬 中將 今村 均 功二旭一 同 國崎 登 功二旭一 同 河邊正三 功二旭一 同 飯沼 守 功二旭一 同 橋本 群 功二旭一 同 吉本貞一 功二重光 少將 沼田多稼藏 功三旭一 中將 木村兵太郎 功三旭一 同 河村 薰 功三旭一 同 廣野太吉 功三旭一 同 小島吉藏 功三旭一 同 平田健吉 功三瑞一 同 値賀忠治 功三瑞一 同 寺倉正三 功三瑞一 同 菅原道大 功三旭一 同 舞 傳男 功三大綬 同 岩松義雄 功三旭一 同 田邊盛武 功三旭一 同 塚田 攻 功三旭一 同 町尻量基 功三瑞一 同 飯田祥二郎 功三瑞一 同 桑原四郎 功三旭一 同 田尻昌次 功三旭一 同 笠原幸雄 功三瑞一 同 鈴木翠道 功三瑞一 同 岩下新太郎 旭一 同 中村明人 大綬 同 關 龜治 旭一 同 藤井洋治 旭一 同 木下 敏 旭一 同 渡邊右文 旭一 同 村上啓作 旭一 同 柳下重治 旭一 同 秦 雅尚 旭一 同 山口正□ 旭一主計 中將 山本 昇 旭一軍醫 中將 三木良英 旭一 中將 原田熊吉 旭一主計 中將 大內球三郎 旭一 中將 飯村 穰 瑞一軍醫 中將 齊藤千城 瑞一 中將 馬場保雄 瑞一 同 北野憲造 瑞一主計 中將 鹿野澄 瑞一軍醫 中將 松蒲光清 海軍 大綬 大將 加藤隆義 旭一 中將 前田政一 旭一 同 岩村清一 旭一 同 片桐英吉 旭一 同 吉成宗雄 旭一 同 星埜守一 瑞一 同 高橋伊望 瑞一 同 古市龍雄 瑞一 同 澤本賴雄 瑞一 同 花島孝一 瑞一 同 水戶春造 瑞一 同 御宿 好 瑞一軍醫 中將 田中朝三 瑞一 同 中野太郎 旭一主計 中將 武井大助 旭一 同 荒木彥弼 旭一造船 中將 桑原重治 旭一造兵 中將 谷村豐太郎 功三旭一 中將 谷本馬太郎 功三瑞一 同 細萱戌子郎 |
02 | 蘭印軍無條件降服 敵軍主力をスラバヤバンドンに包圍 上陸後僅か九日で攻略 |
03 | 昨夜全戰線に停戰を命令 |
04 | 降服條件全面的受諾 全蘭印軍對日抗戰を停止 |
05 | 白旗を揭げて來る |
06 | 敵船五十二隻 擊沈 |
07 | 對日協力民眾大會 蘭印各政黨聯合主催 |
08 | 我巧妙な大殲滅戰 シツタン河左岸に敵影なし |
09 | 最高指揮官今村中將 |
10 | スンダ人歡呼の聲 大日章旗を仰ぎ見て |
11 | 緬甸路に最後の止め |
12 | コタバル上陸部隊に感狀 佗美部隊及び同協力部隊 |
13 | 敵は周章狼狽 ポートモレスビー空襲狀況 |
14 | 蘭貢陷落の意義大 |
15 | チノマジンと パヤヂを占領 |
16 | 候補推薦の方針 |
17 | 各種團體翼贊選擧打合會 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 大東亞戰下の陸軍記念日社說 大東亞戰爭の赫赫たる大戰捷裡に、第三十七回陸軍記念日を迎へて、國民の感激ひとしほ深きものがある。顧れば東洋永遠の平和、大東亞新秩序建設の前衞戰とも稱すべき日露戰爭の大勝利が初めて、皇國の武威を全世界に宣揚せしめてより三十七年間、爾來滿洲事變、日支事變更に今回の大東亞戰爭等打續く正義の聖戰に、無敵皇軍は常に其の威力を遺憾なく發揮して參つたのである。皇軍一たび起てば向ふところ敵なく、交へれば常に鎧袖一觸徹底的に粉碎せずんば止まない必勝の信念が實に我が皇軍の世界に比類なき傳統であり、而して世界に冠たる我が皇軍に依つて護られるのみならず、其の赫赫たる武威に伴ふ幾多の榮譽を共に荷へる日本臣民は就中世界史的一大飛躍を遂げんとする昭和の聖代に生れたる我ら國民は又と之に過ぎる感激と喜びとを知らないのである 今や、島民多年の熱望たる志願兵制度が實施さるるに至つた本島青年、いな六百萬島民に國民最高の榮譽が與へられたのである。二十萬の若人の血を湧きたたせた志願兵の募集は、今日の意義深き佳き日を以て締切られることとなつた。愛國の至誠に燃ゆる適格青年は、凡て今日の晴れの記念日に一人殘らず奮起せねばならない。又全島の島民大眾は、本日よりの皇軍感謝週間を實施しなければならない神社、軍人墓地、忠靈塔への參拜清掃、護國の英靈への感謝、皇軍の武運長久祈念を忘れてはならない。特に奉公班に於ける第一線將兵への慰問袋供出を心から贈られんことを切望してやまないものがある。 大東亞戰下意義深き陸軍記念日を迎へて、皇軍に對し深甚なる感謝感激の誠を捧げると共に愈愈益益勝つて兜の緖を締め、銃後の務めを全うすることによつて此の一戰を戰ひ拔くの覺悟を新たにすべきことを誓はねばならぬ。 |
02 | 社說 ラングーン占領を祝す社說 ビルマ方面進擊の帝國陸軍部隊は八日遂にラングーンを完全占領した、此の朗報は恰かも大東亞戰下初の陸軍記念日を慶祝するがの如く、全國民を歡喜の坩堝に叩き込んだのである。我らはしかし輝く皇軍の大戰果を慶祝すると共に、灼熱の太陽の下艱難辛苦と戰ふ皇軍將兵の御勞苦に深く思ひを致し、特に殉國の諸英靈に對して心から感謝の誠を捧げなければならないであらう。 ラングーンと云へば、日支事變當初から我ら國民の腦裡に深く刻み込まれた援蔣ビルマルートの據點である。無敵皇軍に叩きのめされて氣息奄奄たる蔣政權が奧地に逃げ込んでも尚抗戰を續行し得るのも、ビルマ援蔣ルートあるがためである。大東亞戰開始以來、殊にビルマ進擊の後は忽ちにして援蔣ルートの潰滅を見たものの、今や返つて英米等反樞軸聯合軍の重要據點として增强を圖つて來たのであつて、今回遂に皇軍の鐵蹄下に潰え去つたことは、ただに溜飮が下るのみならず、英國に與ふる致命的な打擊を考ふるとき洵に大いに祝福しなければならないであらう。大東亞戰爭劈頭に於て早くも海軍主力を失ひ、次いで香港、マレー、シンガポールを落され、ジヤバ、スマトラニユーギニヤ等等の陷落を目捷の間に控へて然かも之に先立つてラングーンを失落した英軍は今や皇軍の完全なる包圍下に潰滅を待つばかりとなり、斯くして東亞植民地防衞の據點を悉く失つた老英帝國最後の弔鐘が高らかに鳴らされたのである。ラングーン失陷の英國の悲境は轉じて我が作戰の成功を促し、大東亞新秩序建設の步武を速かならしむる重要契機として洵に慶祝すべきことである |
03 | 蘭印遂に我軍門に降服 見よ公平な天の審判 大東亞の寶庫・本然の姿に立返る |
04 | 大構想へ一億結集 けふ戰捷の陸軍記念日 |
05 | 肇國大理想顯現へ 今ぞ一億火の玉の總進軍 井上軍報道部長談 |
06 | 志願兵訓練所規程 生徒銓衡手續公布 (上)專任教官は十名 |
07 | 小林大佐講演 けふ臺北帝大で |
08 | 慰問演藝會を開催 港都の記念行事 |
09 | 港都防空の功勞者 井上要塞司令官某要職に榮轉 |
10 | 軍旗の下一意挺身 志願兵申込二十萬を突破 けふ受付締切り |
11 | 九勇士の弔慰金 武官府へ申込殺到 |
12 | 應募者二千名突破 中支方面の俘虜監督指導者 けふ第一次銓衡會議 |
13 | 宜蘭市志願兵受付 |
14 | 飯田陸軍最高指揮官に 長谷川總督から祝電發送 |
15 | 新入學兒童 各家庭への注意 |
16 | 安藤臺大總長 白衣勇士を慰問 |
17 | 新竹市の献金熱 二月中一萬五千餘圓に上る |
18 | 英軍六百を捕虜 野村兵長以下五名が |
19 | 臺大農專合格者 |
20 | 總額四千餘圓 愛國子女團献金 |
21 | ときの声 |
22 | 鬼神も舌を捲く 三木上等兵の奮戰振り |
23 | 奉公會高雄州支部打合會 |
24 | 臺北家政女卒業式 |
25 | 高雄高女卒業式 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國民貯蓄運動に挺身 榮えの功勞者、優良組合表彰 |
02 | 九千名前後か 臺南市の志願者 |
03 | 嘉義市は九千突破 |
04 | 締切期を控へ 連日數百名志願 岡山郡下 |
05 | 日露戰役勇士回顧談 奉天會戰に參加 中島嶺氏談 |
06 | 全く血と肉の死鬪 藤井源吉氏談 |
07 | 一家擧つて國家の干城 北村惣吉氏談 |
08 | 倍以上の收穫容易 棉作に臺灣の技術を應用せば 南方資源調查團棉花班長三浦氏談 |
09 | 護國の貴き人柱 藤井曹長の慰靈祭 |
10 | 故松野海軍看護兵曹の 嚴肅な慰靈祭を擧行 |
11 | 經濟警察事務研究會 臺南署に於て |
12 | 古山高等檢察官長來中 |
13 | 遂に最高記錄 嘉義の國防献金急增 |
14 | 蔗作懇談會 盜食防止を協議 |
15 | 大串臺中州經濟警察課長初巡視 |
16 | 軍用機竹南號献納 郡民が續續と献金 |
17 | 兒童の手で螟虫を驅除 |
18 | 東港郡聯合壯丁團檢閱 |
19 | 農業の立體經營 臺南州仁德庄に指導農場設置 |
20 | 食糧配給打合 |
21 | 曾文郡產組の戰捷祈願祭 |
22 | 殆んど上級學校へ巢立つ中一中生 |
23 | 勇士家庭での奉仕を願出で 古錢、銀貨を献納した葉青年 |
24 | 產組記念日 頭圍信組の行事 |
25 | 講演會等を開催 麻豆陸軍記念日行事 |
26 | 軍馬を献納 臺南畜產會が |
27 | 御救恤金を傳達 善化街の罹災者に |
28 | 全村產組に加入 麻豆で祝賀式擧行 |
29 | 旗山郡高砂族國語演習會 |
30 | 並木品評會 表彰式擧行 |
31 | 農事實行組合長打合會 |
32 | 森脇加壽一氏 新化勸業課長に |
33 | 大甲郡正條密植競技大會を開く |
34 | 謝禮金を皇軍慰問に |
35 | 震災地を慰問 義捐金を醵出 |
36 | 新化砂糖小賣商組合通常總會 |
37 | 棉花着服で檢擧さる |
38 | 王福氏の告別式 |
39 | 人事報社消息 |
40 | 地方便り |
41 | 今日の映畫 |
42 | 第一回決算公告/東洋食品工業株式會社 |
43 | 第二回營業報告/建南商事株式會社 |
44 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 南方進出希望商社 全島で千三百廿九 當局嚴選主義で臨む |
02 | 二期米供出數量 三百八十萬石か |
03 | 去年七月中 生保事業概況 |
04 | 基隆輕鐵未拂込徵收 |
05 | 局鐵貨客主任會議 運賃改正を說明 |
06 | 悠悠榮華三百年 (下)大英帝國日沒來る |
07 | 輕輪交通會社 けふ創立總會 |
08 | 貨物輸送總力週間 本月下旬より實施 |
09 | 甘藷の最高價格 更に指定換へ 臺農種獎勵に重點 |
10 | 大成火災臨時總會 |
11 | 照明燈 |
12 | 商況 九日後場 |
13 | ラジオ |
14 | 水滸傳(629)/黃得時;榎本真砂夫 |
15 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 輝く戰果を御聽取 天機殊の外御滿悅に拜す |
02 | 絕對不敗の態勢確立 大東亞の據點悉く確保 共榮圈建設に一路邁進 |
03 | 我が作戰の至妙に 遂に抵抗を斷念 |
04 | 美しい耕地の連續 無人の境、超速の猛進 |
05 | 圖像:輝く陸軍記念日 |
06 | 今ぞ本島躍進の秋 蘭印戡定を語る長谷川總督 |
07 | 總督から祝電 蘭印無條件降伏を祝し |
08 | 降服までの猛攻狀況 |
09 | 「ミナ女王よさらば」 バンドンの悲痛な訣別辭 米英の苦悶愈加はる |
10 | 濠洲、ニユージランドは孤立 英米の打擊甚大 |
11 | 陸鷲協力偉功を奏す |
12 | 部內粒選りの逸材 今村將軍は山下將軍と共に |
13 | 全く感慨無量 元蘭印特派使節芳澤大使談 |
14 | 蘭印政廳首腦濠洲へ逃亡 |
15 | 翼政協議會 本部幹事、支部結成委員を指名 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 皇軍に一億赤誠の感謝 戰ひ拔く決意新た けふ輝く陸軍記念日 |
02 | 壯烈・攻防戰を展開 前線勇士の勞苦を偲ぶ 青年學徒の模擬戰 |
03 | 神社、墓地に參拜 記念日の軍司令官 |
04 | 戰捷第二次祝賀行事 十二日一齊に實施 |
05 | 州教育會物故會員慰靈祭並總會 |
06 | 圖像:島都青年學徒の拂曉攻防戰 |
07 | 新竹の攻防戰 |
08 | 步武堂堂の分列式 |
09 | “聖戰完遂を誓ふ” 續く市民參拜の群 |
10 | 戰捷祝ふ奇襲訪問 總督と軍司令官 取交はす喜びの三重奏 |
11 | 國民貯蓄に全力 中嶋財務局長の土產話 |
12 | 基隆の旅行列 |
13 | 大東亞戰展開幕 初日早くも大入滿員 |
14 | 南方經營の道 南方事務擔當者講習會開幕 |
15 | 大田第二課長談 |
16 | 賑ふ献金錄音 けふ軍司令部で |
17 | 興南詩苑漢詩 晴園賞梅奉和純青詞宗瑤韻/李學樵、敬次純青先生瑤韻/杜仰山、謹次晴園主人雅韻/謝尊五、謹次純青年兄原玉/倪炳煌、戲和純青兄原韻/李碩卿、晴園觀梅和韻/劉篁村、次晴園主人韻/陳其春 |
18 | 楊天賦氏の溜飲下る |
19 | 人事消息報社消息 |
20 | 商況 十日前場 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 畏し・勅語を賜はる 南方軍總司令官並に 聯合艦隊司令長官に頭條新聞 【東京發同盟】大本營發表(三月十日午後三時五十分) 大元帥陛下には本日陸海軍幕僚長を召させられ南方軍總司令官並に聯合艦隊司令長官に對し左の勅語を賜りたり 勅語 東印度諸島方面ニ作戰セル陸海軍部隊ハ緊密適切ナル協同ノ下ニ長途幾多ノ困難ヲ克服シテ勇戰奮闘克ク敵航空兵力及艦隊ヲ擊滅スルト共ニ諸方面ニ至難ナル上陸作戰ヲ斷行シ隨所ニ勁敵ヲ破摧シテ神速果敢悉ク其主要根據地ヲ覆滅シ以テ敵勢力ヲ一掃セリ 朕深ク之ヲ嘉尚ス |
02 | 勅語 |
03 | 首相、祝電を發す ジヤバ作戰の大戰果に |
04 | 杉山參謀總長 東條陸相祝電 |
05 | ビルマの戰果 首相より祝電 |
06 | 參謀總長と陸相から |
07 | 西南太平洋敵聯合軍の 主要根據地を覆滅 皇軍開戰三個月の大戰果 |
08 | 生存者に輝く恩賞 陸軍關係第三十回 |
09 | あす兩院本會議 皇軍感謝決議を可決 |
10 | 議事日程決定 |
11 | 首相議場の發言 全世界の視聽を集む |
12 | 強力な調查團派遣 南方占領諸地域全體に對し 政府、既に人選に着手 |
13 | 濠洲緊急閣議 |
14 | 濠洲の破壞戰術 |
15 | 圖像:我が艦艇セレター軍港入港 |
16 | 米國朝野茫然自失 米紙、政府を一齊痛擊 |
17 | 英に青天の霹靂 |
18 | 泰國と戰爭狀態 濠洲政府十日發表 |
19 | 定例閣議 |
20 | ビルマ獨立義勇軍活躍 |
21 | 悲劇的終焉を自認 米英を恃んだ愚を率直告白 和蘭亡命政府、最後の報告發表 |
22 | 皇國の輝しき歷史 日比谷公會堂で木村陸軍次官講演 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 蘭印降服の意義は重大社說 一 和蘭が三百餘年の間、世界寶庫と誇る東印度諸島を搾取し七千萬インドネシヤ人をして希望なき生活を送らせた敵性蘭印も皇國の一度起つや僅か九日にして無條件降服で白旗を揭げた事は、東亞民族十憶の一大痛快事であると共に、幾百年間の久しきに亘り待ち焦れた黎明の鐘である。和蘭が賴むべからざる米英を賴み、我が溫情ある勸告に應せず、却つて米英に策戰基地を提供して飽く迄も抗日態度を取つた天罰である。熱帶を支配する者は世界を支配すると言はれる如く、西部歐洲に豆粒大の小國であつた和蘭が、今日迄に曲りなりにもその富强を誇り得たのは、一に蘭印の富源に負ふ所が多かつたのである。その反面に於いて米英が蘭印を利用し東亞侵略の野望を擅にして來たことも見逃してはならない。東印度の歷史より見るに、千年前には豪華な文化を展開し、世界に誇つて居つたのであるが英蘭の侵略に依り、今日見るが如き去勢された民族となつたのである豐富なる資源を搾取した上に、尚且つ惡辣なる殖民政策を以て壓迫して來た和蘭に對し、皇軍が天に代り鐵槌を下した事は當然過ぎる程の行為であり、これで東亞民族も久し振りで陽光を見る事が出來たのである。 二 蘭印の降服に依り、アジヤの周邊に境を接する濠洲を始め、その他の米英領地や領海も皇軍精銳の壓力に依つて、濠亞海を全面的に制壓する事となり、東亞共榮圈に對する自然の妨塞も愈よ確保する事となつたのである。卽ち昭南港を中心として西方及び南方よりする攻擊に對して、鐵壁の布陣が出來た譯であり、米英は性懲りもなく數年後を期して、失地回復の夢を見て居るが昭南島と蘭印諸島を連る自然の防塞に日章旗が飜した以上は、施す術がないのは火を睹るよりも明かである。軍事的意義の重大であると共にその經濟的側面は忘却されないのである。熱帶の寶庫蘭印は過去に於ける實情よりして蘭英米三國の共同殖民地たる觀を呈し、數次に亘る日蘭會商に於いて和蘭が我が國に對し、露骨な敵性を示したのもその原因は、蘭印における無盡藏なる資源を獨占せんとの魂膽であつたと見るべきである。蘭印の無條件降服に依り、その有する年產八百萬瓲の石油は、大東亞戰爭の為めに供出される事となり、當日石油輸出禁止を以て我が國を威嚇した米國も、今更愚策であつた事を悔んでゐるであらう。 三 その他ゴムを始め、砂糖、茶、煙草、コーヒー、規那、ココ椰子、玉蜀黍、馬鈴薯から米に至るまでの農產物は勿論の事、鑛產物が無盡藏にあり蘭印の確保に依つて、我が國の高度國防國家建設は微動だにしなくなつたのである。飜つて米英側より見れば、蘭印の喪失に依り、米英產業の受ける打擊は甚大である。蘭印の持つ經濟的意義はこの見地よりしても絕大である。香港、マレー新嘉坡、ビルマ、比島などの米英の據點を攻略した意義が大であつたと共に、蘭印の陷落に依り正に畵龍點睛とも言ふべき效果を發揮し、大東亞共榮圈の建設が促進されるのである。如何に米英がその富强を誇り、長期策戰に依り最後の勝利を豪語しても、最早一場の囈言に過ぎないのである。米英蘭勢力を東亞の天地より驅逐した我が國は一億國民の雄渾なる理想と抱負並に不撓不屈の堅固なる理念に依つて、東亞民族十億のリーダーとして雄雄しく大東亞共榮圈の建設に邁進すべき秋である、最早米英はその富强を世界に誇つても唯も信用するものがなく、アジアはアジア人の手に歸つた喜びを以て、東亞人が互ひに固く手を握り偉業を建設し子孫の為めに殘す覺悟で一致團結し外敵に向ふべきである。 |
02 | 真劍味の發露へ 大東亞戰戰捷第二次祝賀會 あす全島一齊に擧行 |
03 | 島都の行事決る |
04 | 回天動地の大偉業 第卅七回の陸軍記念日を迎へ 井上報道部長が放送 |
05 | 武勳燦たり九軍神(一) 粘り強い負ん氣 恩賜時計組の橫山少尉 |
06 | 竹內中佐宜蘭市で獅子吼 |
07 | 內務局長代理 遺族を弔問 |
08 | 戰勝の感激新た 講演と映畫の夕盛況 |
09 | 正に“鄉軍の龜鑑” 陸軍軍事功勞章を拜受の 笹村大尉一家の喜び |
10 | ときの声 |
11 | 兵役に關する諸屆出 該當者至急手續せられたし |
12 | 臺灣語で結構通用 ジヤバ人は豚肉を食べない 在住卅一年黃啟裕氏談 |
13 | 賴母し島都青壯年 志願兵一萬七千四百人 |
14 | 高雄市庭球選手權大會 |
15 | 須藤臺高教授 一高に榮轉 |
16 | 「民俗臺灣」の編輯者來中 |
17 | 貯蓄獎勵映畫會開催 |
18 | 人事消息報社消息 |
19 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇軍の威武仰いで 感激裡に偲ぶ日露戰の大捷 各地の陸軍記念日 |
02 | 震害御下賜金傳達式 |
03 | 圖像:地久の佳節奉祝鼓笛隊行進 |
04 | 志願兵訓練所規程 生徒銓衡手續公布 (下)專任教官は十名 |
05 | 戰捷下の武勇譚 現地日本人二十八名 |
06 | 池田中佐以下の 慰靈祭を執行 |
07 | 志願者將に十二萬 全島一を誇る高雄州 |
08 | 一萬七千突破 花蓮港の志願者 |
09 | 宜蘭市の志願兵 |
10 | 基隆市總計四千六百十九名 |
11 | 基隆郡一萬五千を突破 |
12 | 新竹市內の志願兵 |
13 | 皇軍將兵慰問金第二十回(敬稱略)領收報告報社消息 |
14 | 日露戰役の老勇士 成田氏感激の回顧談 |
15 | 銃後治安の一翼 花蓮港廳壯丁團查閱 |
16 | 表彰狀傳達式(新竹) |
17 | 遺家族慰問の夕大盛況 |
18 | 共精共販組合設立の打合せ |
19 | 基隆華僑公會慰問金提出 |
20 | 平溪、石表間道路 三月下旬に着手 |
21 | 靜修女學校生徒を募集 |
22 | 保姆養成希望者を募集 |
23 | 地方便り |
24 | 今日の映畫 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 內臺間の船運賃 近く引上實現か 目下當局で考慮中 |
02 | バナナ輸移出 一月中七萬千五百籠 |
03 | 銅の自給自足 日鑛で計畫進捗 |
04 | 工業化建設に伴ふ 具體的指導理念 本多府商工課長談 |
05 | 陶磁器硝子器移入配給組合創立 |
06 | 甘藷の增產獎勵 諸對策を打合 |
07 | 臺拓の倍額增資 近く具體化せん 中島財務局長語る |
08 | 直接稅增徵內譯 |
09 | 米穀出張所增設 苗栗外三ケ所に |
10 | 臺灣洗濯石鹼會社近く設立されん |
11 | 臺灣輕輪交通會社十日創立さる |
12 | 臺北州殺虫劑製造業組合創立 |
13 | 昨年九月中生保事業概況 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況 十日後場 |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(630)/黃得時;榎本真砂夫 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 無敵皇軍の威武發揮 開戰以來僅か三個月 帝國の五倍餘を制壓 皇軍感謝の念昂まる |
02 | 陸軍異動發令 |
03 | 國內態勢の刷新強化 國民組織の實體確立が肝要 必勝の要件 佐藤軍務課長講演 |
04 | 大平報道部長 第一線部隊長へ 後任は谷萩大佐 |
05 | 豐かな經驗と銳敏な頭腦 谷萩新報道部長 |
06 | 重慶、熊式輝派遣 |
07 | ポート・モレスビー 第十次爆擊を敢行 |
08 | ピブン新內閣成立 |
09 | 在留邦人スカブミに監禁 |
10 | わが精銳急追擊滅 ラングーン攻略まで |
11 | 張謝恩特派大使 けふ新京を出發 |
12 | 聯合國の海上交通路 今や危殆に瀕す ロンドンオブザーヴア紙評論 |
13 | 米國の關心 印度に集まる |
14 | 南方協力の大構想 けふ臨時局部長會議で意見一致 近く成案を決定 |
15 | 米の峻暴勞働爭議取締法 |
16 | 皇軍の戰果賞讚 ドイツ各紙が大大的に |
17 | 聯合軍の地位殆んど絕望 ス少將の悲觀論 |
18 | 日本銀行法施行令 來る廿日公布 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 壯烈極まる海戰 ジヤバ島上陸に九死一生の 六特派員の貴重な目擊手記 |
02 | 皇軍の姿に對して 必ずドバマドジヤパンの歡呼 蘭貢の住民緬甸復興に燃える |
03 | 圖像:山縣侍從武官より聖旨傳達式 |
04 | 豫期以上の好成績 志願兵に顯現する皇民鍊成の徹底化 臺灣軍參謀橫田中佐談 |
05 | 南方協力への構想 先づ產めよ殖せよ 南方開發には人的資源が第一 臺大教授酒井博士談 |
06 | 第二次戰捷祈願祭 あす各神社で執行 |
07 | 堂堂と武裝行進 新竹市の第二次祝賀行事 |
08 | 基隆の祝賀 |
09 | 九勇士に感謝 武官府に献金續續 |
10 | 臺北奉公壯年團の鍊成講習會 來月から開始 |
11 | 武勳の勇士に感謝 州下青年團員が慰問 |
12 | 農學賞を獲得 根岸助教授の努力結晶 |
13 | 基隆市の陸軍記念日講演會 |
14 | 國旗揭揚臺を献金 海軍武官府に赤誠披瀝 |
15 | 本島人產業戰士好評 海南島はやはり農業が主 楠井臺大教授視察談 |
16 | 教科書調查會 けふ開かる |
17 | 俘虜監督指導者 第一回合格者九十名決定 |
18 | 基隆鄉軍の銃劍術大會 |
19 | 宇都宮高農、東京高等工藝合格者 |
20 | 新竹中新竹女の應募者激增 |
21 | 興南詩苑漢詩 卜居/南都、食春梅藷穌有作/林灌園、食春梅女士見贈藷穌有作並似幼岳詞友/雲鵬、食春梅女士見贈藷穌有作並似幼岳詞友/柏樑、食春梅女士見贈藷穌有作並似幼岳詞友/旭東 |
22 | 總督專屬に坪田謙三氏 |
23 | 七星郡鄉軍の時局講演會 |
24 | 市營住宅完成 希望者は申込め |
25 | 人事消息 |
26 | 商況 十一日前場 |
27 | 興南案內報社消息 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 俘虜九萬三千に達す ジヤバ攻略戰の大戰果頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(三月十一日午後五時二十分)蘭印方面帝國陸軍部隊のジヤバ攻略作戰において收めたる戰果の主なるもの左のごとし (註)本數量は敵の無條件降伏に當り提示し來りしものなるをもつて實際においては若干の差異あるべし 一、俘虜九三、◯◯◯(內將校約二、◯◯◯)內譯在ジヤバ部隊六◯、◯◯◯、在外領部隊一八、◯◯◯義勇軍一五、◯◯◯ 二、鹵獲品飛行機一五二機、內譯爆撃機二四機、戰闘機四五機、其他八三機、戰車(裝甲車を含む)三六七輛、火砲七三二門、機關銃(主として航空機用)一、五六七挺、銃器九七、三八四挺、爆彈四、一◯五個、爆藥一二◯、◯◯◯個、各種砲彈二三◯、◯◯◯發、手榴彈三四、◯◯◯發、各種銃彈七二、三一七、一◯◯發 |
02 | 米巡と蘭艇を擊沈 クリスマス島を砲擊 帝國海軍猛躍 |
03 | 僅か七分で擊沈せり 敗殘逃迷ふマーブルヘッド號 |
04 | 圖像:美しいジヤバの水田風景 |
05 | 東條首相參內 鈴木企畫院總裁所管事項奏上 |
06 | 敵の裏を搔く作戰 米軍鬼畜の行為 池田報道班員のダバオ視察記 |
07 | 周到な作戰企畫と 皇軍の質的優秀性 獨紙指摘 |
08 | 蘭印軍を武裝解除 |
09 | 石澤總領事以下卅六名 全部無事救出 |
10 | 貿易振興會長 後任は有田氏 |
11 | 劈頭東條首相發言 陸海兩相が戰況を報告 けふ本會議を開く |
12 | 貴族院議事 |
13 | けふの兩院 |
14 | 輸送船團の露拂ひ 艦隊進入の先驅 忘却出來ない掃海艇隊の偉勳 |
15 | 濠洲朝野戰戰兢兢 |
16 | 芳澤佛印大使 首相を訪問 |
17 | 異動各大佐の 略歷 |
18 | 泰內閣改造の 意義 |
19 | 建設戰に全面協力 孫文逝世記念日汪主席談話發表 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 戰捷に輝く佳き日社說 一 去る二月十八日、英國東亞侵略の最大牙城たるシンガポールが、帝國陸海軍の雄渾なる作戰に脆くも潰え去り、大東亞戰爭に輝やく一段階を劃したのを契機に、戰捷第一次祝賀大會を催して全東亞十億民を歡喜と感激の坩堝の中に叩き込んだが、それから一ケ月も經たない內に、陸海軍の作戰は、さらに大東亞の全地域に跨つて、一大進展を遂げ、つひに英領ビルマを制壓すると共に、蘭印を全面的に降伏せしめ、十億民の感激も新たに本日茲に第二次祝賀大會を迎へることとなつたのは、帝國の陸海軍部隊が、如何に迅速果敢であるかを思はしめ、今更ながら生を日本に享けた有難さをしみじみ感じるのである。吾吾はこの意義深き日に當り、大東亞の使命と目的を考へ、開戰以來收めた赫赫たる戰果を思ひ起して上御一人に對し奉つては、益益盡忠の誠を盡すと共に、精銳無比な皇軍の武運益益長久なるを祈るべきである。 二 大東亞戰爭の目的は、今更申し述べるまでもなく、我が肇國の大理想に基いて大東亞共榮圈を確立し、東亞を毒する米英並に和蘭の勢力を驅逐して東亞十億民をして各各その處を得せしめ、もつて世界新秩序の建設に寄與せんとするものである。しかしてその指導要諦としては、大東亞に於ける戰略據點を確保して重要資源地域をわが管制下に收め、戰力を擴充しつつ獨伊と緊密に協力し、相呼應して益益積極作戰を展開し、米英を屆服せしむるまで戰ひ拔くにあると、東條首相が一月二十一日の議會席上で天下に明示したが、この明示に基いて今や共榮圈の確立は、理想通りに着着進展すると共に、米英の勢力は、完全に東亞の天地から總退却をなし大東亞海は殆んど敵艦を見ず、東亞十億民は勝鬨を擧げながら陸に、海に、空に一大總進軍を開始した。今こそ平和の鐘が高らかに鳴り響き、世紀の黎明が、東亞の天地を訪れたのだ。見よ公平な神の審判の前に凡てのものは、桎梏を脫して本然の姿に立ち返つたのだ。 三 顧れば、宣戰の大詔が渙發せられたのは、昨年の十二月八日であつたが、以來僅かに三箇月を經て真珠灣の米國太平洋艦隊を叩き潰したのを手始めに香港、マニラを次次に陷れ、またマレー半島をも席卷して堅壘シンガポールを屠り、さらにジヤバ沖海戰に於て米蘭聯合艦隊を埋り、今回またジヤバ島を屈服せしめ、ビルマを制壓するなど、大東亞の據點といふ據點は殆んど全部我が確保する處となつた。その上、泰國と佛印は、逸早くより、米英の支配を脫して共榮圈確立の一員として勇躍參加し目下著るしき成果を擧げつつあるのは誠に喜ばしいことである。殘る印度、濠洲、ニユージーランド、重慶も、尚米英依存の迷夢から醒めないやうであるが、印度に對し東條首相は、「印度は英の暴虐なる壓制下より脫出し大東亞共榮圈建設に參加すべき絕好の秋だ。若しこの時逡巡せんか、印度民族再興の機會を失ふべき憂ひ」といひ、濠洲並にニユージーランドに對して「米英の援助を期待した無益の戰爭を避くべきだ」と呼びかけてゐるから、此等の諸領も、この際、敢然蹶起して東亞再建の聖業に喜んで參加すべきである。斯くしてのみ彼等が彼等自身を救ひ得る道があるのである。 |
02 | 祝へ戰捷に輝く佳き日 擧げよ“全魂全力” 不退轉の決意で聖業に邁進 樋口軍參謀長語る |
03 | 無限の感謝と祈念 齋藤情報委員部長談 |
04 | 遺兒部隊の上京 人員及び宿泊區分決定 |
05 | 往復の運賃を割引 |
06 | 學校は適宜授業 有意義な一日を送る |
07 | 武勳燦たり九軍神(二) 昭和聖代の誇り 特攻隊の華・岩佐海軍中佐 |
08 | 基隆市の祝賀行事 |
09 | 宜蘭市の祝賀大會 |
10 | 反省と緊張に重點 島都の祝賀行事 |
11 | 九軍神の精忠 我國個有の雅樂に作曲 |
12 | 爆發する志願兵熱 驚く勿れ四十二萬人を突破 第一位は臺南州下 |
13 | 基隆郡の志願兵 |
14 | 常盤愛國子女團が献金 |
15 | 基隆市の志願兵 |
16 | 植物が一萬餘種 世界一ボイテンゾルグ植物園 澁谷臺大助教授語る |
17 | 兵隊さんへ慰問袋 奉公班を中心に調製 |
18 | ときの声 |
19 | 竹內中佐宜蘭で講演 |
20 | 基隆の共學 五十四名決定 |
21 | 堀社會課長が遺家族を弔問 |
22 | 煙草の慰問品を贈呈 |
23 | 佳日に献金 |
24 | 二十圓を寄附報社消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 見よ!赤誠の結晶 締切つて見れば豫想以上の多數 臺南州の志願者 |
02 | 嘉義市から一萬一千餘名 |
03 | 悠悠十二萬突破 高雄州下の志願者 |
04 | 員林郡が第一位 臺中州の志願者調 |
05 | 二萬餘名に上る 屏東郡市の志願者 |
06 | 大北勢神社御鎮座祭 |
07 | 五千五百名突破 新化郡の志願者數 |
08 | 感激!又感激 けふ戰捷第二次祝賀會 臺中市 |
09 | 臺南市 |
10 | 嘉義神社に戰勝祈願祭 |
11 | 高雄市 |
12 | 花蓮港水產會 第五回總代會 |
13 | 模擬攻防戰演習 能高の鄉軍等が |
14 | 拂曉に模擬戰 屏東市の陸軍記念日 |
15 | 池內高等法院長臺南初巡視 |
16 | 赤誠の慰問袋 板橋街民が献納 |
17 | 蘭印攻略に感激の献金 |
18 | 梅里斗六街長等進んで献金 |
19 | 古山大官長あす高雄へ |
20 | 池田工研所長に高雄發展策を聞く |
21 | 農業青年を鍊成 皇奉新化郡支會で |
22 | 新化郡民の感激の献金 |
23 | 看護婦志願に 赤誠示す山の乙女 |
24 | 農民の感激新た 大戰果に燐酸肥料入手の喜び |
25 | 養豚增殖競技會褒賞授與式 |
26 | 曾文溪水防組合 設立準備打合せ會 |
27 | 何れも上出來だ 高雄州青年藝能發表會 |
28 | 軍人遺家族慰安會 |
29 | 嘉義女卒業式 |
30 | 蕃社古來の劇で 我等の兵隊さん慰問 |
31 | 大溪農業勤勞推進隊を結成 |
32 | 斗南街長候任內定 |
33 | 遺家族慰問に青年演劇會 |
34 | 鳳梨新植に補助金 指導園も增設して獎勵 |
35 | 屏東奉公會 第二次青年鍊成 |
36 | 松山警察部長能高郡を初巡視 |
37 | 桃園郡漁組總會 組織變更を決議 |
38 | 能高郡各學校修了式日程 |
39 | 陸軍記念日に軍事講演會 |
40 | 花蓮港市助役農作狀況を視察 |
41 | 人事報社消息 |
42 | 地方便り |
43 | 今日の映畫 |
44 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | “約七割植付終了” 臺中州下の米作視察より 歸府の入鹿山技師語る |
02 | 十六年二期米の 品等檢查成績良好 |
03 | 東邦金屬躍進 原料鑛石を確保 |
04 | 簡易保險會議 一戶一口運動を協議 |
05 | バナナ輸送打合會 |
06 | 移民百戶を募集 小沼技手歸來談 |
07 | 臺拓大西參事 近く佛印に赴任 |
08 | 獨逸の貯蓄獎勵 |
09 | 私鐵資材協議會 糖聯の傘下に統轄強化 |
10 | 臺灣青果聯合會 評議員會□開催 |
11 | バス運賃檢討と トラツク打合會 |
12 | 砂糖卸商組聯 十八日に定時總會 |
13 | 淺野セメント 支店長更迭 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況 十一日後場 |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(630)/黃得時;榎本真砂夫 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 印度人の印度實現 正に今日にあり 東條首相劈頭發言 |
02 | 陸海軍に感謝決議 けふ貴眾兩院本會議 |
03 | 忠勇壯烈に敬仰 貴族院の感謝決議 |
04 | 圖像:祈願參拜 |
05 | 泰首相祝電に 東條首相答電 |
06 | 翼政協議會 支部長人選一部を決定 |
07 | 又もモレスビーを空襲 |
08 | 事變解決に邁進! (蘭貢陷落)支那派遣軍總參謀長談 |
09 | 獨軍司令部戰況發表 |
10 | マ海峽の水路啟開 機雷の一個一個を處分する 大掃海部隊の苦心 |
11 | 重物管理營團の設立委員發令 |
12 | 磐谷、昭南港間 週二回急行列車を運轉 |
13 | 蘭貢の治安回復 |
14 | 米國の不安 焦躁と變る 國論は四分五裂 |
15 | 軍事外交の說明を聽取 樞府定例參集 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 前線に轟け・この歡呼この萬歲 大東亞に歡喜の奔流 再び揚る“十億民の大萬歲” 祝へ今日ぞ戰捷の佳き日 |
02 | 地軸搖がす歡聲 島都は旗の波一色 |
03 | 可愛らしい萬歲 幼稚園兒の旗行列 |
04 | 新竹市の戰捷祝賀式 |
05 | 基隆の祈願祭 |
06 | 圖像:島都戰捷祝賀 |
07 | 南方協力への構想 宗教の役割重大 大東亞建設と思想戰 西本願寺副輪番・鷲岡正雄師談 |
08 | 總督府の祝賀式 長谷川總督が激勵訓示 |
09 | 臺北帝大の戰捷祝賀式 |
10 | 默禱を捧ぐ 軍司令部と武官府 |
11 | 軍部代表の祈願參拜 臺灣神社と建功神社に |
12 | 表彰金を献金 |
13 | 東京高蠶と上田蠶糸合格者 |
14 | 大越防空課長 遺家族を弔問 |
15 | 基隆各國民學校卒業式 |
16 | 神社前で祈願祭 長谷川總督が參拜 |
17 | 軍馬に御馳走 二師生徒・人參四百斤献納 |
18 | 興南詩苑漢詩 敬和南都詞兄寒夜讀書瑤韻並乞郢政/施江西、歲暮感懷/員林 悵惘生、元宵於鼎山亭望月/劉聲濤、贈大塚小尉/劉聲濤、贈大塚小尉 其二/劉聲濤 |
19 | 「燃ゆる大空」 ドイツ版完成 |
20 | 數百萬圓の邸宅 總理官邸別館に寄贈 |
21 | 員山信組 |
22 | 音盤に吹込む “特攻隊”平出大佐の講演 |
23 | 商況 十二日前場 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ニユーギニア敵前上陸 サラモアとラエを襲ふ 帝國陸海軍部隊協同下に頭條新聞 【東京發同盟至急報】(大本營發表十二日午後三時十分)帝國陸海軍部隊は緊密なる協同の下に三月八日未明ニユーギニア島東岸の要衝サラモア、並びにラエの敵前上陸に成功十日敵約六十機の反擊ありしも四機を撃墜してこれを擊退、目下戰果を擴大中なり、本戰闘に於てわが方の損害左の如し 一、沈没擱坐、徵用船二隻、輸送船一隻 二、損傷、巡洋艦一隻(小破)、驅逐艦二隻(中、小破)、徵用船三隻(小破) 註、輸送船は上陸完了後にして戰死一名のほか人員の損傷なし |
02 | 早くもラエ一帶占領 |
03 | 俘虜の累計廿一萬 陸軍大臣の戰況說明 |
04 | 擊沈敵艦百三十隻 大中破艦艇合せて七十二隻 嶋田海相の戰況說明 |
05 | 空襲警報響く 羅府、サンヂエゴに |
06 | 十三將星參內 |
07 | マレー建設に巨步 昭南特別市長、各州知事赴任 |
08 | 濠洲、臨時閣議 更に緊急議會召集 |
09 | 濠空軍司令部發表 |
10 | 陸相、海相の謝辭 貴院の感謝決議に對し |
11 | 眾院の祝賀感謝決議 |
12 | 陸相と海相 靖國神社參拜 |
13 | 第三次の重大宣言 首相、端的に決意闡明 |
14 | 貴族院本會議 |
15 | 眾議院本會議 |
16 | 皇軍上陸の サラモアとラエ |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 共榮圈建設の基本問題社說 一 支那事變に引續いて勃發した大東亞戰爭の目指すところは世界新秩序の一翼たる東亞共榮圈の建設であるが、其の中心課題は東亞諸民族と如何なる方法を以て融合すべきかといふ一事に歸着する。勿論東亞共榮圈內に於ける政治、經濟、文化各分野に於ける新構想は地域に依つて民族に依つて將又歷史的事情に依つて各各異なる階段と特色を有しなければならないが、其の根本基調は飽く迄も新しき民族原理に基く、「東洋的一」の創設でなければならない。從來民族的解放といへば少なくとも英米の主張し來れる民族自決主義とコミンターン的殖民地解放主義の二つの方法しか考へられてゐないが、東亞共榮圈の基本理念は此の二つの主義をよく克服して先づ獨自の民族政策を展開する必要があらう。此の見地に立脚すれば東洋文化の復興、東洋文化への再反省及び新東洋文化の建設といふ文化政策をモット重視しなければならない。 二 現在共榮圈內に居住する民族が十億の多きを算してゐるが、我が一億の國民は其の中核的指道者たるべき事は實力といひ、素質といひ、文化的標準といひ、何人も異論のあらう筈はない。然し先づ指摘したい事は我が一億國民の外に四億の漢民族と三億の印度民族は其の量といひ、其の文化的內容といひ、最も重要な構成分子である事は言を俟たない。ところが東亞共榮圈からいへば印度及び濠洲は所謂外廓的存在であつて差當り之を問題外に附するとせば今更支那問題の重要性を改めて再認識しなければならない。若し馬上を以て得た天下を馬上にて治め得ざる事理を知り得れば、如何に支那問題の根本的解決が依然共榮圈建設の中樞的存在であるかを理解し得られよう。 三 最近南洋問題がやかましく議論せられてゐるに反し、支那問題はいくらか下火となつた氣配がないではない。政府の方針としては南方進出に對し所謂一旗組を警戒し之に制止を加へようとする事は支那大陸に於ける苦き體驗から得た尊い教訓であるが、支那大陸に於ける新秩序の確立こそ共榮圈建設の最難問題であり、之さへ合理的に遂行すれば南方地域に於ける民族問題は比較的に生やさしい問題であらうと思はれる。依つて對東亞民族政策の重點は對漢民族政策であると斷言して差支へあるまい。卽ち中華民國との心からの提携はいふ迄もないが、滿洲國內の協和問題にしても對華僑問題にしても、いづれも對漢民族政策に關聯せざるを得ない。東亞の盟主たる日本帝國としては須らく此の問題と真正面に取組んで所謂支那事變の根本的完遂に向つて更に嚴正に邁進すべきである。 四 周知の如く東亞聯盟の石原中將は現在の戰爭を以て世界最終戰爭と規定してゐる。これに對して直ちに賛意を表し兼ねるが、少なくとも支那事變を以て東亞民族間の最終戰爭たらしめたい。これこそ又聖戰の本質を遺憾なく發揮する所以であらう。米英としては或は今回の一敗塗地を以て尚捲土重來の隙を狙はないとも限らない。これに對する東亞の防衞は單に日本國民の責任のみでなく、將來東亞民族の共同責任を以て之に當る事となれば、恐らく東亞の天地は永久平和の樂土となれるであらう。今や日本國民は世界歷史を書換へつつある偉大な民族となつたのであるから、其の襟度も第一に日本國家を愛すると共に自ら東亞をも愛する事に徹しなければならない。斯かる寬容と理解を基調とする新らしき理念の確立こそよく八紘一宇の精神を體得するものであり、又之に依つて始めて東亞共榮圈の根本問題を解決し得られるものと信ずるのである。 |
02 | 輝く本島統治の金字塔 締切つて四十二萬 譽れの志願者數發表 |
03 | 皇太子殿下 昨日の祝賀式に御參列 |
04 | 武勳燦たり九軍神(二) 中學時代相撲は全校一 豪氣な上田定兵曹長 |
05 | “譽れの軍國一家” 典型的武人橫山正治少佐 |
06 | 續く赤誠の献金譽れの陸軍記念日に押掛く |
07 | “九軍神”に感謝 武官府へ赤誠の弔慰金陸續 |
08 | 健脚競ふ豆選手 六年組大宮、五年組中園校優勝 祝賀強步大會 |
09 | 未開の寶庫ニューギニア 世界で最大の島(一) 而して人口は僅かに八十萬 |
10 | 愛育幼稚園修了式 |
11 | 總督と軍司令官 けふ戰利品展へ |
12 | 白衣の勇士に“溫い慰問” 國婦城北分會、羽布團十組を |
13 | 戰捷祝賀映畫大會 昨夜新公園で大盛況 |
14 | ときの声 |
15 | “時局に間に合ふ青年たれ” 牧大佐、鐵道教習所で熱辯 |
16 | 學徒部隊の旗行列 |
17 | 全島軍用犬展 四月三日島都で開催 |
18 | 第六回決算報告/興源產業株式會社 |
19 | 訃文:林氏定 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 擧島・歡呼の坩堝!! 各地の戰捷第二次祝賀 |
02 | 善化鄉軍後援會 陸軍記念日佳日に誕生 |
03 | 貳萬壹千名突破 高雄州下第一位の潮州郡 |
04 | 東石郡では 一萬二千名突破 |
05 | 貢寮庄では二千六百名 |
06 | 遺家族慰安演藝會 竹東で開催好評を博す |
07 | 陸軍記念日に遺家族を慰問 |
08 | 白衣勇士慰問 青年藝能選手ら |
09 | 昨年と大差ない 花蓮港廳下の窄き門 |
10 | 高雄州公醫會 |
11 | 女子青年の第三種訓練 |
12 | 善化鄉軍非常呼集 |
13 | 花蓮港第一種青訓廿日に開始 |
14 | 個人名義の檢查扱はず 高雄州のトマト出廻り遲る |
15 | 櫻花も微笑む 阿里山鐵全通 |
16 | 赤誠の慰問袋 屏東愛婦から |
17 | 甲種巡查講習會修了 |
18 | 臺灣紡績王田工場地鎮祭 |
19 | ニユース映畫 利益金を献納 |
20 | 慰勞金を献金 |
21 | 畜產講習會 臺南州畜產會主催 |
22 | 倉庫建設を獎勵 米穀納入組建設費を分擔 |
23 | 屏東師範卒業式 |
24 | 臺中家政女卒業式 |
25 | 平山氏來中 |
26 | 感激の献金 一千四百餘圓 |
27 | 大園庄壯年團 結團奉告參拜 |
28 | 恒春郡下壯丁檢閱 |
29 | 拔打的非常召集 戰鬪訓練を開始 |
30 | 大園消費市場開場式を擧行 |
31 | 松山警察部長 員林郡を初巡視 |
32 | 軍事講演會 十五日桃園で |
33 | 恒春時局講演會 |
34 | 蘇澳鄉軍總會 |
35 | 潮州美和女學校 生徒を募集 |
36 | 鳳山郡衛生組聯通常總會を開く |
37 | 員林華僑公會總會 |
38 | 防犯に協力 當局より表彰 |
39 | 新竹市鄭鴻源氏長女美智(七ツ) |
40 | 人事消息 |
41 | 地方便り |
42 | 今日の映畫 |
43 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 造船事業推進に 基隆船渠 統制會加入決定 |
02 | 產組聯合會の 會長副會長內定 |
03 | 貨車荷役賃改訂 目下當局で調查中 |
04 | 臺灣鐵線總會 十七日に開催 |
05 | 農機具會社 松山工場近く完成 |
06 | 週間經濟展望 |
07 | 桃園西瓜等の集荷人を指定 |
08 | “專賣事業技術も 南方に協力すべき秋” 佐治專賣局庶務課長談 |
09 | 虱目魚苗の集荷配給 その筋で一元化を企圖 |
10 | 產業戰士敢鬪の跡(五) 鮫の明骨製造機等を發明 功勞者高橋寅吉氏 |
11 | 炭礦經營勞資協調に貢献 功勞者賴旺生氏 |
12 | 農事等に貢献 功勞者真榮城朝助氏 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況 十二日後場 |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(632)/黃得時;榎本真砂夫 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | わが海鷲魂を發揮 サラモア上空で猛空中戰 遂に敵機群を遁走せしむ |
02 | 典型的な攻擊ぶり 敵の「空の要塞」を屠る |
03 | 圖像:山下最高指揮官昭南島各要塞視察 |
04 | 既に南洋全體占據 谷萩陸軍報道部長力強い第一聲 記念講演會 |
05 | 南總督、首相訪問 |
06 | ビルマ作戰に參加 從軍記者の座談會 |
07 | 對印妥協案を携行し クリツプス赴印折衝か |
08 | 民心收攬に狂奔 リ印度總督放送演說 |
09 | セイロン島より 市民退去 |
10 | 英印軍退却中 |
11 | 五十一萬四千人 カルカツタ引揚げ民 |
12 | 大目的達成に邁進 大達昭南市長初訓示 |
13 | 翼贊政治體制議會委員招待會 |
14 | 圖像:ラングーン目指し鐵橋上を進擊する皇軍部隊 |
15 | 樞軸國人拘禁 |
16 | 在留邦人の身分證明書交附停止 |
17 | 邦人百六十三名を救出 |
18 | ラングーン陷落 米英蔣の狼狽□像に餘りあり |
19 | 警察部長會議開く 總選擧對策を討議 |
20 | 紐育株式市場 新安值に暴落 連續的に軟調 |
21 | 伊空軍大活躍 英の大艦隊を追擊 |
22 | 獨軍司令部發表の戰況 |
23 | 濠洲の脅威愈よ加重さる 濠洲空相豪語 |
24 | 駐米濠洲公使 米大統領會見 |
25 | ブラジル政府 船舶入港命令 |
26 | 區會及奉公班研究發表會 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | “報告します豫定通り” 敵航母一隻及び輕巡を擊沈 激烈極まる大空海戰 |
02 | 恩賜賞學士院賞 譽れの兩氏決定 |
03 | 虐政の結果が“墓穴” 土地の住民、皇軍に心から協力 |
04 | 總督と軍司令官 けふ戰利品展へ 慰問袋を多數買上げ |
05 | 人氣呼ぶ戰利品展 觀覽者押すなすなの盛況 |
06 | 鄉軍基隆郡班獨立 廿日に發會式 |
07 | 南方協力への構想 本島の體驗活かせ 南方諸域の司法權確立問題 行刑課長堀田繁勝氏談 |
08 | 圖像:ムシ河掃海 |
09 | 二二七四名 澎湖廳下の志願者 |
10 | 總督軍司令官訪問 俘虜監督者熱意を披瀝 |
11 | 戰捷に感激して 軍司令部に献金殺到 |
12 | 九軍神に感謝 武官府へ献金 |
13 | 蕃地の二割增產 新竹州警察部乘出す |
14 | 婦德鍊磨が主眼 看護婦助手訓練所を覘く |
15 | 興南詩苑漢詩 舊曆除夕前一日偕幼岳主人訪灌園叔/高春梅、除夕前一日幼岳偕夫人見訪賦贈/林灌園、敬次灌園社丈見贈瑤韵/莊幼岳 |
16 | 基隆の戰捷祝賀市民大會 |
17 | “保護事業の殿堂” 綜合會館建設に決定 |
18 | 臺南高工合格者 |
19 | 人事報社消息 |
20 | 商況 十三日前場 |
21 | 興南案內報社消息 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 潛伏中の敵機擊破 ポートモレスビーに對し 我海鷲、數次大爆擊を敢行頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(午後三時四十五分) 一、帝國海軍航空部隊はニユーギニヤ島ポートモレスビーに對し三月十日までに數次の大爆擊を敢行同地に潜伏中の敵機十六機を撃破炎上しその重要軍事施設を爆碎せり 二、帝國海軍驅逐艦はジヤバ海殘敵掃蕩中三月五日英掃海艇一隻を擊沈せり |
02 | スマトラ北端に上陸 クタラヂヤ市を占領 |
03 | 我傳統文化基礎に 政策大綱を決定 マレーの統治方針確立 |
04 | 圖像:ラングーンに進擊する皇軍精銳 |
05 | 全國警察部長會議 警察行政刷新、選擧對策徹底へ 湯澤內相が訓示 |
06 | 東條首相挨拶 |
07 | 勤報隊退隊式 十六日大直で |
08 | 定例閣議 |
09 | 濠洲と印度に對し 最後の警告を發す 東條首相の演說伯林消息通の觀測 |
10 | 恩賞に輝く生存者 第三十六回論功行賞 |
11 | 米、西印度諸島を保護下に |
12 | 米、外人資產管理局を設置 |
13 | 擧國一體、英を撲滅 在日志士ラ氏印度民眾に訴ふ |
14 | 印度內の反響 クリツプスの渡印 |
15 | 南阿聯邦 住民軍を編成 |
16 | 地方長官待遇改善 內地朝鮮並に格上げ 總督府十七年度から斷行 |
17 | バンドンの放送再開 住民間に大歡迎 |
18 | 蔣軍の厭戰氣分昂まる |
19 | 廣告稅課稅の對象 |
20 | 昭和十六年度米穀實收高 百九十二萬石減收 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 必勝の我海軍魂躍如 見敵必殺・決死の潛航記 |
02 | “忘られぬ空氣の甘さ” 沈座から浮上つた時の喜び |
03 | 水平線彼方に黑煙 敵船だ・急追して忽ち轟沈 |
04 | 總督から激勵の詞 俘虜監督・重任完遂を誓ふ |
05 | 圖像:俘虜監督指導者 |
06 | 武勳燦たり九軍神(四) 劍道場には“皆勤” 愛用の竹刀に偲ぶ數數の鍊磨 佐佐木特務少尉 |
07 | 仕事好きが誇り 片山義雄曹長 |
08 | 祝賀窓飾競技會當選者 |
09 | 立派に働け 樋口軍參謀長餞けの言葉 |
10 | 左から右へ書く 國語で橫書の場合 |
11 | 稻田天來氏が名譽の戰病死 |
12 | さあ船出の用意だ “動かざる航空母艦”愈よ出動 齋藤總務長官談 |
13 | 演劇協會を設立 四月一日から店開き |
14 | 新劇を整理統合 加入申込を受付ける |
15 | ときの声 |
16 | 電話料金值上げ 一日から二割五分程度 |
17 | 人事消息 |
18 | 偲ぶ“皇軍の勞苦” 戰利品一部又も到着 |
19 | 盛岡高工合格者 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 空の守り愈ょ完し サイレン故障を想定して猛訓練 臺南市空訓好成績 |
02 | 皇民鍊成協力會 創立總會を開催 |
03 | 神饌田の田植祭 三峽街大埔で執行 |
04 | 圖像:救出されて感激の萬歲を叶ふ邦人婦女子 |
05 | 譽の看護婦助手第二次訓練 |
06 | 陸軍記念日に 慰問袋を作成 |
07 | 聽眾に多大の感銘 齋藤少將大獅子吼 |
08 | 臺中州水產會總代會 |
09 | 池內高等法院長來高 |
10 | 古山檢察官長高雄巡視 |
11 | 貯蓄好成績で表彰さる |
12 | 春の大空へ! グライダー講習會開催 |
13 | 爆發する歡呼 各地戰捷第二次祝賀 |
14 | 巢立つ中師生に 森田知事講話 |
15 | 花蓮港市の桔梗クラブ廿一日結成 |
16 | 推進員を鍊成 |
17 | 肺病に驚異的藥効 タマサキ葛藤の治療率八○% 大大的栽培に乘り出す |
18 | 屏東貸地貸家組合創立總會 |
19 | 新竹道路品評褒賞授與式 |
20 | 圖像:馬公に於ける陸軍記念日 |
21 | 南投郡下各學校修了式日程 |
22 | 曾文溪水防組合 設立準備進捗 |
23 | 麻豆文旦を獎勵 種苗の半額補助 |
24 | 傳染病なき街へ 高雄市關係者豫防懇談會を設置 |
25 | 各保健組合の向上に 保甲民感激の奉仕作業 |
26 | 岡山郡路竹防衛團防空群體育會 |
27 | 宗教報國會幹部 花崗山で鍊成 |
28 | 阿里山で慰問映畫會 |
29 | 葬費を節約して國防献金 |
30 | 社告/興南新聞社報社消息 |
31 | 學窓から職場へ 銃後女性の意氣高らかに 巢立つ高雄高女生 |
32 | 臺中市國民校卒業式二ツ |
33 | 嘉義市內の國民校卒業式 |
34 | 麻豆北國民校けふ修了式 |
35 | 花蓮港市內國民校卒業日割 |
36 | 消息 |
37 | 大野臺中郵便局長勇退 |
38 | 地方便り |
39 | 今日の映畫 |
40 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 非常輸送力を增強 賃物運賃及規則改正 (上)四月一日より實施 |
02 | 產業戰士敢鬪の跡(六) 鄉土の為め身を捧ぐ 勤勞者陳法氏 |
03 | 堆肥增產に全力を傾注 勤勞者陳能通氏 |
04 | 十九ケ年の間庄治に貢献 功勞者生田目與七氏 |
05 | 食糧管理法施行規則 近く公布實施せん |
06 | 米穀統制組合解散 籾倉庫は米穀局で買收 |
07 | 私鐵の車扱貨物 等級制を採用 |
08 | 十六年度米實收高 五千五百八萬餘石 |
09 | 保線機構改正を協議 保線區長會議終了 |
10 | 照明燈 |
11 | 商況 十三日後場 |
12 | ラジオ |
13 | 水滸傳(633)/黃得時;榎本真砂夫 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | スマトラ島北部の 各要衝に無血上陸 |
02 | メダン(スマトラ首府)に堂堂進駐 |
03 | 北部スマトラは南洋の寶庫 |
04 | バタビヤ平和に甦る |
05 | 四千萬磅の國防豫算可決 南阿聯邦議會 |
06 | 滿國謝恩特派大使 愈よ十六日に入京 |
07 | 外務省發表 |
08 | 神戶の歡迎陣 |
09 | 責任を果したい 張特派大使談 |
10 | ビルマ戰に參加(二) 從軍記者の座談會 |
11 | 航空工業に寄與 三菱重工業を表彰 |
12 | 藤倉航空工業に感謝狀 |
13 | 圖像:汪、王兩氏要談 |
14 | 英の懷柔に乘るな 印度志工ボース氏の放送 |
15 | 減收の原因 異常の天候不良 |
16 | 農林省發表 |
17 | クリツプスの 使命は前途多難 |
18 | 米の見る對印讓步の內容 |
19 | 濠洲軍の損失 三萬餘名に上る |
20 | 印度防衛の危機 ウエーヴエル司令官強調 |
21 | 選擧相談係 各警察署に設く |
22 | 內務人事異動 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 圖像:鹵獲敵飛行機群 |
02 | 激流を切つて架橋 ビルマ攻略に輝く偉功 特筆・工兵隊の苦鬪 |
03 | 大日本武德會 二十一日に結成式 |
04 | 南方協力への構想 本島青年活用の時 醫博施江南氏語る |
05 | 感激の献金群 武官府十三日の受付 |
06 | 九軍神への弔慰金 |
07 | 感激の献金 |
08 | 決死の覺悟で壯途へ 海員の龜鑑・朱建順氏 |
09 | 櫻花綻ぶ九段へ 基隆から二遺兒上京 |
10 | 臨時教員養成講習會開始 |
11 | 臺灣出版協會の結成 |
12 | 物淒い日本語熱!! 五十音をポケツトに日本留學者引張凧 山本臺北市水道課長マニラ視察談 |
13 | 國講の擴充強化 新竹州十八年から本腰 |
14 | 陸海軍に献金 |
15 | 日本人には歡迎 和蘭人には嘲笑 バンドン住民達の心の動き |
16 | 生鮮魚介類を切符制に 新竹で小賣人指定 |
17 | 白衣勇士慰問映畫 |
18 | 模範的な婦人 宜蘭署が表彰 |
19 | “僕も日本男兒” 養育兒の恩返へしに 第一線から麗はしの献金 |
20 | 軍屬遺族弔問 山本中佐來新 |
21 | 勤行報國隊員許天運君逝去 |
22 | 宜蘭市帽子生產助成組合結成式 |
23 | 登山とハイク |
24 | 同風幼稚園證書授與式 |
25 | 商況 十四日前場 |
26 | 興南案內報社消息 |
27 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 張特派大使一行に 午餐の御陪食を賜ふ頭條新聞 【東京發同盟】畏き邊りでは滿洲國建國十周年に當りわが皇室をはじめ奉り朝野に感謝のため來朝する謝恩特派大使張國務總理一行に對し來る十七日謁見の上午餐の御陪食を賜ふ旨十四日御沙汰あらせられた當日張特派大使を始め阮交通部大臣以下隨員十六名は李駐日大使に同伴されて參內十一時五十分鳳凰の間において東鄉外相侍立の上天皇陛下に謁見仰せつけられ次いで桐の間において 皇后陛下に謁見正午 天皇皇后兩陛下には豐明殿に出御高松宮同妃兩殿下にも御臨席、特派大使の一行をはじめ東條首相、東鄉外相、松平宮相木戶內府、百武侍從長その他側近も召させられ午餐の御陪食を仰せつけられる 特派大使と首席隨員の略歷 【東京發同盟】この度來朝の滿洲國謝恩特派大使及び首席隨員阮交通大臣の略歷は次の通りである。 ◇謝恩特派大使國務總理大臣張景惠、同治十年奉天省臺中縣が生れ、本年七十歲、奉天公武堂に學び始め張作霖の配下にあり、民國二年騎兵第二十八團長を振出しに旅部長に進み民國十六年顧維釣內閣に陸軍總長、同年潘復內閣の實業總長となり、民國十七年張作霖爆死の際共にありて重傷を負ふ、爾來奉天舊派の重鎮として東省特別區行政長官、國民政府軍事參議院長、東北政務委員會委員などを歷任、民國二十年滿洲事變勃發するや逸早くこれに參加して國家創建に盡瘁翌二十一年滿洲國成立するに及び東省特別區長官、參議府議長、軍政部大臣を歷任し康德二年、前總理大臣鄭孝胥の後を受けて國務總理大臣に特任せられ、今日に至つた ◇首席隨員、交通部大臣阮鐸奉天省鐵嶺市出身、光緒十九年(明治二十六年)生れ、本年四十九歲、民國二年(大正二年)南滿醫學堂卒業、同學堂附屬病院內科勤務、奉天省政府顧問などを經て滿洲建國と共に滿洲國に入り、奉天省公署秘書長、國報建設局長に歷任、康德二年文教部大臣、同四年六月駐日滿洲國大使となり、七年十二月交通部大臣に特任せられ今日に至つた 一行門司着 【門司電話】大東亞戰下輝く建國十周年を迎へた滿洲國の謝恩特派大使張景惠國務總理は阮交通部大臣、馮協和會中央本部委員、赫陸軍中將、松木總務廳次長、三浦外務局次長以下二十四名の隨員を從へて十四日門司に到着晴の來朝をなした、一行は滿洲國協和會服に儀禮章の禮裝に威儀を正して出迎への杉門司稅關長以下多數官民と嚴肅な乾杯をなし重大任務終了までは何事も話せないと洩らし一路東上した 用意は出來た 喜びの大使館 【東京發同盟】張特派大使を十六日迎へる麻布櫻田町滿洲國大使舘は早朝から職員一同準備に大童だ、玄關から中庭まで綺麗に掃き清められた館內を喜びの大使は背廣姿も颯爽と巡視し「用意は出來た」と大滿悅だが大使館では「張特派大使を明後日に迎へますので今歡迎準備の最後の仕上をしてゐます」と張切つてゐる |
02 | 特派大使と首席隨員の略歷 |
03 | 一行門司着 |
04 | 用意は出來た 喜びの大使館 |
05 | わが重爆擊機猛躍 ポート・モレスビーに 悠悠爆彈の雨降らす |
06 | 大東亞航空圈の形成 永淵常務に抱負を聞く |
07 | 東條首相の警告 濠洲熟慮すべし 獨外務省情報部代表の談 |
08 | 臨時拓殖研究部設置 拓務省の全部局を動員し |
09 | 防空法施行規則改正と (上)防空從事者扶助規則 |
10 | 畑總司令官 第一線を視察 |
11 | 圖像:ビルマ、イラワジ河畔油田風景 |
12 | 笑止・米英のデマ宣傳 吉積情報局第二部長堂堂反駁放送 |
13 | 突如高射砲が 鳴り出す 紐育全市擧げて大騷ぎ |
14 | 食糧植付けつつ警備 ミンダナオ島の皇軍第一線 |
15 | 印度マドラスに 暴動事件が勃發 |
16 | 二十餘縣の支部長決定 |
17 | 全國警察部長 事務打合會終る |
18 | 精神的勝利 伊紙の東條首相演說評 |
19 | ビルマ英軍司令部 ニユーデリに移轉 |
20 | ウ印度司令官 近く近東方面の英司令官と會見 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 印度よ、速にアジアに還れ社說 一 老獪英國の東亞侵略の最大據點であつた新嘉坡の失陷による我が印度洋への進出と援蔣の最後の輸血路たるラングーンの覆滅とは、英帝國の寶庫たる印度を脅かし、その內部的動向に甚大なる衝擊を與へつつあることは否み難き事實である。特に我が東條首相が、去る十二日の貴眾兩院本會議劈頭に行はれた第三次重大宣言の中に「今起つて印度人の印度として大東亞共榮圈建設の光榮を荷ふか、伏して永久に米英の桎梏の下に奴隸の名を後世に傳ふるか今や正に印度は過去を清算しこの緊迫せる新時代を直視し最後の決意をなすべき秋に當面してゐる」と印度問題に言及し更に一段と語氣を强めてこの機管を逸せず印度人が逡巡することなく飜然と立起つて印度がその本來の地位を回復し、その愛國的努力を敢へて援助すると重ねて表明强調されたことに依つて全世界の注目を惹き、又印度內に於ても甚大なる反響を呼起しつつあることは、既に外電の報道するところである。東條首相のこの重大聲明は、去る二月十六日の今議會劈頭に於て行はれた首相の重大發言よりも一步前進し、特に印度人の最後の決意を促したところに意義深きものがある。 二 この聲明に感激してか、俄然印度人の中にも憂國の志士は雄雄しく立上り、內外相呼應し、三億五千萬の印度人は一致團結して印度人の印度、アジア人の印度を建設するため、暴逆英國の壓迫から解放を求めて英國を打倒し、進んで我が大東亞共榮圈の建設に協力せんとの態度を表明したことは、印度の本來の自由の地位に立ち還へるの早からんことを念願する人人の齊しく喜びとするところであり、印度の將來の為にも甚だ慶賀に堪へない次第である。もとより印度人の中でも早くから正義と自由を求め、一日も早く英帝國主義の羈絆から脫すべく、國內に在つてはガンヂー、ネール其他國民會議派の指導する不服從運動、國外殊に日本にあつてボース氏を首班とする獨立運動を志すもの、其他數限りあつたが、之等は何れも惡辣巧妙を極まる英國の宗教的分派によるインド統治法、卽ち分割統治と印度人自身の宗教的反感と保守的王侯國の打算的利己主義から利害關係が一致せず、その人種、階級宗教の錯綜と相俟つて遂に印度の狀態を複雜怪奇ならしめ、比類なき貧乏國に叩き込み、今日に至るも尚英國の桎梏の下に呻吟するの悲慘な現狀に陷らしめたのである。 三 今や自由と正義を求め、人道を愛する三億五千萬の印度人は力强き國民意識に目醒めて雄雄しく立起り、過去百數年來に亘る英帝國主義的、奴隸的桎梏を打破らうと努力してゐる。今こそ印度は惡逆英國の飽くなき壓制から脫出する千載一遇の好機である、この良機を捉へずして徒らに之を逸せしめたならば印度は恐らく永遠に救はれないであらう。或は依然として英國の甘言と好餌とに迷ひ、その意思の儘に動くことあらば、印度民族の解放は、これを以て終止符を打つたこととなり、輝しき印度の歷史と文化のためにも實に悲しむべきことである。今や英帝國はその百年の危機と難局を糊塗し、印度を脅威から除かうとの窮餘の一策から、印度民眾を英國の為の印度防衞に動員すべく、これが代償として印度自治領に關する英國側妥協案を携行したクリツプを特に印度に派遣して政治的取引を行はしめんとしてゐるが第一次歐洲大戰當時に於ける英國の印度に對する言質を引例するまでもなく、終始僞瞞と詐術を弄する英國一流の奸策には恐らく誰も耳を藉する者がないであらう、東條聲明の如く我が國の念願するところは、もとより印度國民の福祉であり、印度の獨立と榮光である。アジアの印度、印度人の印度の早急實現を熱望して已まない。 |
02 | 戰時下の“家庭訓” 五項目に分けて基本方針明示 まづ家風の振興から |
03 | 艦形の海洋道場 全國的に建設を慫慂 |
04 | 島都銃後後援會 愈よ四月早早に發足 |
05 | 勇士の母が献金 在りし日の英靈を偲びつつ |
06 | 武勳燦たり九軍神(五) 葉隱精神に育つ 腕白をしても兩親□叱らぬ 廣尾大尉少年時代 |
07 | 東部地方兵事部竣工 |
08 | 鍛へよ“海國男兒” 奉公會・海洋訓練所を設置 |
09 | 東京陸軍幼年學校卒業式 |
10 | 大東亞戰下の臺灣 南方基地としての防衛が重要 大須賀基隆要塞司令官着任の辭 |
11 | 桐生高工の臺灣合格者 |
12 | 滾る銃後献金熱 武官府受付一日で二萬圓 |
13 | 圖像:金剛峰寺壁畫完成 |
14 | 係員嬉しい悲鳴 慰問袋申込者が殺到 |
15 | 九軍神への弔慰金 |
16 | 旨いお菓子 新竹市で調查審查 |
17 | “雜誌の山”を献納 東門町の子供奉公隊 |
18 | ときの声 |
19 | 宜蘭市時局講演會 |
20 | 献金群が殺到 軍司令部十四日の取扱 |
21 | 廿七配給所を新設 |
22 | 蘭陽製茶講話懇談會 |
23 | 人事消息 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 前線によき贈物 海の幸載せて興南丸漁撈慰問 大歡迎受けた久保氏感激を語る |
02 | 森內閣理事官恒春へ |
03 | 海洋鍊成所を新設 高雄州水產會豫算に計上 |
04 | 會へる九段の父 こんな喜しいことはない 譽の軍國遺兒高城艷君 |
05 | 世界の寶庫・蘭印(四) 戰ひたくない戰爭 資產凍結は米英盲從 |
06 | 土光警察部長嘉義郡署巡視 |
07 | 白衣勇士慰問にピアノ献納 |
08 | 街庄に銃後後援會 來る二十一日に一齊發會式 |
09 | 軍人及遺家族の慰問劇好評 |
10 | 實戰宛らの猛訓練 鐵桶陣布く臺南市空訓 |
11 | 高雄市土木課長更迭 |
12 | 平山氏高雄視察 |
13 | 感激の献金續く |
14 | 國防献金を募集 |
15 | 新埔のヨイ子供 小遣錢を献金 |
16 | 子福者表彰記念品を献納 |
17 | 綠滴る並木美 記念植木品評會褒賞式 |
18 | 花蓮港軍援會講習生修了式擧行 |
19 | 一視同仁の聖恩に感泣 震害御下賜金拜受した露人感激 |
20 | お手植の蕎麥試食會 |
21 | 市民に職業登錄 高雄市勤勞奉仕體制を急ぐ |
22 | 歡呼の渦卷 戰捷第二次祝賀 |
23 | 篤志看護婦に 大溪から二名合格 |
24 | 前線の氣持で修練 譽の看護婦助手講習會 |
25 | 勇士を映畫館に招待 |
26 | マラリア防遏優良區域表彰 |
27 | 花蓮港市の兒童共學者發表 |
28 | 員樹林部落 近く表彰されん |
29 | 臺中市新高、幸國民校卒業式 |
30 | 屏東女子衛生團修了式 |
31 | 食糧增產運動 三峽街で必死の指導 |
32 | 罐詰を特配 |
33 | 高雄市堀江國民校修了式 |
34 | 潮州郡警察職員異動 |
35 | 高雄春競馬成績 |
36 | 臺中柳町保育園 |
37 | 人事報社消息 |
38 | 地方便り |
39 | 今日の映畫 |
40 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 非常輸送力を增強 貨物運賃及規則改正 (下)四月一日より實施 |
02 | 貨物輸送の能率化 鐵道輸送總力旬間實施 |
03 | 冷凍魚を配給 奉公班を通じて |
04 | 鯨數頭を捕獲 近く島民に配給 |
05 | 大陸開發等に投じた 事業資金の供給總額 |
06 | 臺灣電氣協會總會 |
07 | 新事態に即應 臺拓 臨時計畫委員會組織 |
08 | 獨逸の占領地金融工作 |
09 | 國民貯蓄組合法 當局で立案近く施行 |
10 | 田中米政課長東臺灣へ出張 |
11 | 日銀副總裁更迭 |
12 | 本期赤糖幾分減產 來期五十萬擔增產か |
13 | 照明燈 |
14 | 兜町前場況 |
15 | 北濱雜觀 |
16 | 東京長期總取組 |
17 | 東京銀行實株 |
18 | 綿糸 橫濱生糸前場 |
19 | ラジオ |
20 | 水滸傳(634)/黃得時;榎本真砂夫 |
21 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 謝恩の至情を披瀝 張特派大使神戶着頭條新聞 【神戶發同盟】盟邦滿洲國の謝恩特派大使として來朝の途にある國務總理張景惠氏以下十九氏の一行を乘せた便船は牆頭高く大使旗をはためかせながら十五日早朝神戶港頭和田沖に一旦投錨、和田沖迄出迎へた關係者を乘せ再び便船は靜かに動き出しやがて第一神港生徒のブラスバンド「太平洋行進曲」奏樂裡に突堤に橫づけした突堤には首相外相代理宮中、外務省儀典課長陸相代理、陸軍省滿洲班長小島中佐始め海神代理、小林大阪警備府司令長官、坂兵庫縣知事地元軍官民代表者及び康德學院生徒が出迎へたかくて大使一行は揃ひの協和會服に元氣一杯一等サロンで出迎への各代表者と挨拶を交した後張特派大使は記者團を引見し左の如き談話を發表した、次で張特派大使は岸稅關長先導で下館兵庫縣差廻しの自動車で甲子園ホテルに向つた、稅關構外から阪神國道沿道にかけて市內各學校男女學生生徒特種團體が日滿兩國旗をかざして出迎へ力強い歡迎譜を展開したなほ一行は甲子園ホテルで長途の疲れを休めた後同日午後八時五十六分神戶發晴れの帝都入りをする、 張特派大使談話 この度わが滿洲國建國十周年に方り恭恭しく 皇帝陛下の特命を拜し謝恩特派大使として御親書を奉持し本日神戶に到着いたしましたわが建國に際して固よりその後十年間に親邦大日本帝國より與へられたる恩誼は寔に筆舌に盡し難く今日の隆隆たる國運の發展は實に親邦の援助の賜物でありましてわが國官民の齊しく感謝措く能はざるところであります、今般皇室を始め奉り大日本帝國朝野に對し謝恩の至情を披瀝し以てこの度の重大な使命を完ふせんことを偏へに祈念してゐる次第であります、又張特派大使隨員弘報處長武藤富男氏は船中において一行を代表して左の如く語つた、 大使は船中でも非常に御健康でわれわれが船醉に苦んでゐる時も大變御元氣でした、大使今回の來朝は單に形式的な來訪ではなく、 皇帝陛下の思召しを奉じて日滿一德一心の道義を實現するため身を以て訪日をするといふ固い決意を抱いて居られます |
02 | 神戶歡迎の嵐 |
03 | けふ晴れの入京 |
04 | 昨夜東上 |
05 | 敵の戰鬪意識低下 畑總司令官の前線視察談 |
06 | 圖像:前線に向ふ難路行比島戰線/鈴木榮二郎 |
07 | 面目一新の比島政治 完全に米國色の離脫 |
08 | 上海一流の 華僑資本家 我方と協力態勢を採る |
09 | 蘭人に布告を發す メダン市警備の我部隊長 |
10 | 早崎副領事ら 邦人の消息不明 |
11 | スラバヤ市內復舊著るし |
12 | メダン市の各機關接收 |
13 | 更に廿六名の邦人を救出 |
14 | 選擧方法を日本化 湯澤內相の講演要旨 |
15 | 健全なる道德精神を 比島青年層に注入 文部長官レクト氏が強調 |
16 | ポートモレスビーの重要性 紐育タイムス紙指摘 |
17 | 日獨伊の經濟提携を強調 大島駐獨大使談話 |
18 | 獨空軍の驚異的戰果 |
19 | 毛澤東襲はる 勞働者風の怪漢に |
20 | 鐵道技術研究所を新設 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 護國の英靈を合祀 靖國神社臨時大祭 委員長に及川海軍大將 |
02 | “神なる父”に對面 遙けき海路を越えて櫻の九段へ 島都から四遺兒上京 |
03 | とても嬉しい 小川廣雄君 |
04 | 將來兵隊さんになる 太田智鄉君 |
05 | お父さんに似て體が大きい 山村幸子さん |
06 | 兵學校に入りたい 筒井吉一君 |
07 | 南方文化に挺身 藝能協會晴の發會式 |
08 | 武勳燦たり九軍神(六) 偉大なる平凡人 幼にして愛讀書は“日米未來戰” 稻垣清兵曹長 |
09 | 一德一心の具現へ 滿洲開拓十周年記念藝能祭 |
10 | 宜蘭郡道路協會總代會 |
11 | 白衣勇士を慰問 切花とバナナを献納 |
12 | 宜蘭市第二種訓練講習會 |
13 | 昂まる“隣組献金” 軍司令部受付に大童 |
14 | “兵隊さん有難う” ヨイコドモの献金が殺到 |
15 | 蜿蜒長蛇の行列 押すなすなの戰利品展 |
16 | 牛乳罐百箱贈る マニラ赤十字の赤ちゃんに |
17 | 大日本射擊協會の射擊實施 |
18 | 臺北高等學校尋常科合格者 |
19 | 鑛業日本に凱歌 選鑛率は九○パーセント |
20 | 選擧貯蓄少年保護 四月常會徹底事項決る |
21 | 慰問演藝會開催 AKが陸軍醫院で |
22 | 活劇そのまま窃盜犯 |
23 | 東京高農合格者 |
24 | 例外をも認める 國語の左書き問題 |
25 | 臺北帝大豫科合格者 |
26 | 皇軍慰問獵友會 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 感激に胸踊らせ 櫻花さく九段へ 三遺兒近く出發 |
02 | 慰問袋を調製 皇軍感謝週間に |
03 | 戰捷祝賀及び慰問音樂會 |
04 | 圖像:昭南島に復興の響き |
05 | 臺南州水產會 けふ總代會 |
06 | 聽眾魅了さる 竹東時局講演會 |
07 | 大甲郡消防夫 消防を實演 |
08 | 屏東郡煙草耕作組合通常總會 |
09 | 臨時教員養成講習所 |
10 | 曾文郡諸品評會 廿日に褒賞授與式 |
11 | 廢鐵回收の金を鄉軍後援會に寄贈 |
12 | 若人の意氣軒昂 高雄州保甲壯丁團檢閱 |
13 | 防空法施行規則改正と (下)防空從事者扶助規則 |
14 | 屏東高女制定 大東亞行進曲 |
15 | 圖像:臺中州下紀元二千六百年奉祝並木 |
16 | 開拓戰士を養成 花蓮港で優秀な青年訓練 |
17 | 皇奉青年訓練所第二回修了式 |
18 | 臺中齒科醫師會昨日開かる |
19 | 推進員鐵の鍊成 |
20 | 好修國民校の修了式 |
21 | 養豚の飼料に 木瓜栽培を獎勵 |
22 | 教育に國境なし 華僑の子弟も全部收容か |
23 | 高雄春競馬 第二日目の成績 |
24 | 街の刑事表彰 |
25 | 古銅鐵の回收 東石郡の成績佳良 |
26 | 土光警察部長 彰化郡初巡視 |
27 | 電話に絡る贈收賄 豫想外に多額 |
28 | 窓飾競技授與式 |
29 | 炭鑛事故 |
30 | 地方便り |
31 | 今日の映畫 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 爪哇の農業開發 全島總べて沃土 世界の寶庫に背かぬこの二大特徵 臺大理農學部澁谷助教授談 |
02 | 研究に熱心 オランダ人は科學を愛好 |
03 | 南十字星 新技術の追究 大東亞戰と文學 |
04 | ビルマ人の名前 年齡によつて違ふ 子供時局 |
05 | 陸軍少年砲兵 新しく出來ます |
06 | 中國のお友達 外人の現し方 |
07 | 今週の歷史 |
08 | 大東亞戰手帖 |
09 | 圖像:爪哇のボロブヅル大寺院 |
10 | 大東亞戰と子供/山下俊郎 |
11 | 臺灣總督府圖書館 普通圖書 |
12 | 演劇と紙芝居 翼贊選擧の主旨徹底に |
13 | ラジオ |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 親邦の契りも固し 兩國首相がつちり手を組む 張特派大使晴の入京 |
02 | 夥しい俘虜と鹵獲品 ジヤバ島中部と西部 |
03 | 二百五十機を擊墜破 ジヤバ島に於る陸鷲の戰果 ○○部隊長の視察談 |
04 | 圖像:わが潛水艦の魚雷攻擊を受け正に沈まんとする敵武裝商船と戰果を見屆けんと浮上したわが潛水艦 |
05 | 緬甸義勇軍の活躍 (三)從軍記者の座談會 |
06 | 蘭印のドールマン少將 ジヤバ沖海戰で戰死 |
07 | 悉く間違ひばかり スピツク知事語る |
08 | 伊空軍活躍 |
09 | 市民の復歸は九割 昭南特別市政府既に成立 復興の生氣橫溢 |
10 | 英軍內部の反目暴露 新嘉坡失陷の舞臺裏 |
11 | クイーン・メリー號 雷擊をうけて大破か |
12 | 獨潛水艦の大戰果 |
13 | 須磨駐西公使 羅馬、伯林へ赴く |
14 | 獨軍司令部發表戰況 |
15 | 獨伊經濟財政協定調印 |
16 | 米各軍最高統帥者發表 |
17 | ポートダーウインの損害 意外に甚大 |
18 | ナヴイ市の邦人十名救出 |
19 | 印度の食糧不安增大 ビルマ米の補給を絕たれて |
20 | マンダレー印度間に 新援蔣ルートを建設 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 締切つて二千餘名 俘虜監督指導者志願申込 臺中州下が第一位 |
02 | 九軍神に感謝の弔慰金 |
03 | 日本に忠誠を誓ふ 監禁中のニユーギニヤ酋長が |
04 | 家庭金屬の回收 基隆成績極めて良好 |
05 | 州知事に挨拶 基隆の二遺兒 |
06 | 慰問袋二百六十七個集る |
07 | “みそぎ”の講習會 十六日金山海岸で |
08 | “南方を語る”講演會 |
09 | 巢立つヨイコドモ 必勝に燃える大東亞戰下の小國民 島都から七千二百名 |
10 | 鍛へる白衣の天使(一) 本社主催・看護助手座談會 募集の日すぐ志願 押切れぬ胸の鼓動報社消息 |
11 | 圖像:帝都戰利品展(於遊就館) |
12 | 臺北市立青年學校卒業式 |
13 | ヨイ子供の竹筒献金 感想文添へて軍司令部に |
14 | 音樂と演劇で歡迎 張謝恩特派大使に對し |
15 | 一人對七人 新竹商業の入試競爭率 |
16 | 上海の皇后大戲院完成 |
17 | “犬の競走”も制限 英人の生活面種種相 |
18 | 必需品まで窮乏 英國の今日この頃 |
19 | 千圓献金 |
20 | 堀內中將逝去 青島攻略に偉功 |
21 | 感謝週間の赤誠 武官府に献金群 |
22 | 興南詩苑漢詩 戰捷感賦/黃純青、春日重訪網溪別墅賞杜鵑花/可軒 |
23 | 人事消息報社消息 |
24 | 商況 十六日前場 |
25 | 興南案內報社消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 張特派大使けふ 謁見仰せつけらる頭條新聞 【東京發同盟】盟邦滿洲國建國十周年の春皇室を始め奉り朝野に感謝のため來朝した謝恩特派大使張景惠總理は十七日 天皇陸下に謁見仰せつけられ同國□皇帝陛下の親書を捧呈するが畏き邊りではこの日特に同大使一行を皇室の貴賓として御歡待あらせられるこの日光榮の張特派大使は西邑接伴員同乘、阮交通部大臣以下十六名の隨員と共に宮內省差廻しの六臺の自動車に分乘、午前十一時三十五分帝國ホテル發二重橋正門から晴の參內、御車寄にて松平式部長官の出迎へを受け西溜の間にて松平宮相、東鄉外相に面接の後十一時五十分鳳凰の間に參進、東鄉外相侍立の下に李大使の御紹介にて 天皇陛下に謁見仰せつけられ使命を言上 皇帝陛下の親書を捧呈するが天皇陛下には更に隨員一同に對しても謁見仰せつけられて入御あらせられる、特派大使は更に桐の間に參進、李大使の御紹介にて 皇后陛下に謁見仰せつけられ來朝の挨拶を言上、ついで隨員一同を御紹介申上げ一同も謁見の榮を賜はる豫定で一行はついで千種の間において 高松宮同妃兩殿下に謁を賜はり東條首相以下に面接の後午後零時半 天皇皇后兩陛下豐明殿に出御あらせられ 高松宮同妃兩殿下にも御着席張特派大使は御側近く席を賜はり各隨員、東條首相、松平宮相木戶內府、東鄉外相、百武侍從長、蓮沼武官長以下側近などを召され 天皇陛下には岩村御用係 皇后陛下には小池臨時御用係が御通譯申上げ御歡談の裡に午餐の御陪食を仰せつけられる 兩陛下には御宴終つて牡丹の間において引續き御歡談を賜はるが午後二時頃 兩陛下入御、一同退下の後畏くも 天皇陛下には御使として松平式部長官を御答禮のため宿舍帝國ホテルに差遣はされると承はる 張特派大使らに勳章を御贈與 【東京發同盟】畏き邊りでは滿洲國建國十周年に際し同國特派大使として來訪した張國務總理及び首席隨員阮交通部大臣並びに李駐日大使に對し日滿兩國間の親善に盡したる功を嘉せられ、十六日左の如く勳章贈與あらせられ同日午後六時宿舍帝國ホテルにおいて木內外務省儀典課長からそれぞれ傳達した 滿洲國國務總理大臣勳一等 張景惠 贈與旭日桐花大綬章 同國交通部大臣勳二等 阮振鐸 在本邦滿洲國特命全權大使 勳二等 李紹庚 贈與勳一等瑞寶章(各通) 東條首相參內 【東京發同盟】東條首相は十六日午後二時宮中に參內 天皇陛下に拜謁仰付けられ一般政務を奏上種種御下問に奉答して御前を退下した 南朝鮮總督きのふ參內 【東京發同盟】南朝鮮總督は十六日午前九時三十五分宮中に參內同十時から表御座所において天皇陸下に拜謁仰付けられ大東亞戰爭下における朝鮮の施政情況並びに一般民情等に關し具さに奏上種種御下問に奉答して宮中を退下した 南總督謹話本日午前宮中に參內 天皇陛下に拜謁を賜り半島統治情況特に大東亞戰下における民心の動向及び兵站基地としての半島の現情鮮滿一如の具現等につき委曲奏上致しました所陛下におかせられましては殊の外龍顏御麗はしく種種有難き御下問を賜り寔に恐懼感激に堪へない次第でありますこの上は一層精勵全力を盡して大御心に副ひ奉らんことを期してゐる次第であります |
02 | 張特派大使らに 勳章を御贈與 |
03 | 東條首相參內 |
04 | 南朝鮮總督きのふ參內 |
05 | 敵船二隻を擊沈!! 我潛水艦桑港沖で活躍 |
06 | 米本土沿岸に出沒 |
07 | マレー半島の建設 重要資源の開發と需給の現情 |
08 | 圖像:見よ!!この大戰果、真珠灣攻擊脆くも潰ゆアリヅナの殘骸 |
09 | 聯合國海軍の 敗戰報告 英、米兩海軍省發表 |
10 | 各紙、大大的報道 作戰の拙劣を痛烈非難 |
11 | 順調に進擊を續く ニユーギニア上陸の皇軍 |
12 | 華北敵軍蟄伏の狀態 大東亞戰爭勃發後の我が軍の大戰果 |
13 | 皇軍の進駐を喜ぶ スマトラのアチエー人たち |
14 | ボルシエヴイキは 來る夏殲滅されん ヒ獨總統が獅子吼 |
15 | レイトン中將 セイロン島防衛軍司令官に任命 |
16 | 英國の蠻行 爆擊犧牲者の葬儀に ペタン主席悲痛な弔辭 |
17 | 帝國臣民の私權享有 あらゆる壓迫制限解除 昨日比島派遣軍政當局發表 |
18 | 國立米穀會社 近く比島側に返還 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 皇民奉公運動第二年の課題社說 一 皇民奉公運動は發足してから早くも一年になつた。過去一年間に於ける運動の經過を回顧して見ると大體順調に行つたと云へる。運動の推進體たる皇民奉公會組織は、上は中央本部から地方組織、下下の單位奉公班に至るまで、或は奉公壯年團、桔梗俱樂部等の別廓組織など總ベて一通りの整備を見てゐる。これらの組織を通じて其れ相應に活動も行はれてゐる。外面的には殆んど申し分がないくらゐに奉公運動第一年は順調なコースを辿つて來たと云へるのである然らば形ではない實質的な成果はどうであるか、明朗な氣分、溫い融和、明るい希望が本運動の展開に依つて忽ちに瀰漫したことが凡てを物語る。假令他に具體的見るべきものがないにせよこれだけでも大なる成果と謂はねばならない。これは洵に得難き成果でありまた此の上なき良好なる基礎地盤でもある。此の地盤の上に總論を了へた奉公運動は直ちに實踐各論に移らねばならぬ。茲に奉公運動第二年の課題が存する。 二 皇民奉公運動が總督府政治と表裏一體をなす重要政策であることは縷說を要すまい。長谷川總督の統治第一年の目標が志願兵制度の創設、大甲溪電源開發と並んで皇民奉公運動を取り上げてゐるのに徵しても明らかなことである。從つて長谷川統治第二年の目標が、第一年に確立した三大政策の更により圓滑なる運營推進を期するは勿論、特に大東亞戰爭の大戰果に依つて急速に推進せられた大東亞共榮圈の建設に對應する、所謂南方への協力と島內產業政策の轉換にあるとすれば、總督政治の楯の一面であり府政と表裏一體の關係を結ぶ皇民奉公運動も必然的に影響せられざるを得ない。換言すれば帝國の世界史的一大飛躍に伴ふ臺灣の性格的變化に卽應し、皇民奉公運動も自ら新たな構想を以て協力しなければならないのである。ここに皇民奉公運動第二年の新しき課題が在り、また課題の指示する方向も自ら明らかなものがあらねばならない。 三 以上を要するに、皇民奉公運動第二年の課題は、時局の進展情勢の大變化に對應する內外政策の遂行と並行すべき新たなる構想と、第一年に確立した良き地盤の上に開花さすべき具體的實踐推進であることは異論のない處と思ふ。換言すれば第二年に於てこそ、本運動を軌道に乘せて本來の真髓を遺憾なく發揮させねばならぬのである。蓋し政治的意義深き大眾運動、下から盛り上る實踐運動たる處に奉公運動の本質があり、また斯る境地へ誘導推進すべき處に本運動の使命が在る。元來本運動が上から點火され組織も人的要素も凡て與へられたものであることは當初或は止むを得ないこととは云へ、真に愈愈具體的實踐力を推進する為にはいつまでも其の域に止まらせ得ないことは明瞭である。從つて組織にせよ人的要素にせよ、苟くも本運動の逞ましき推進に必要ならば斷乎刷新を圖るべきであることは官府に非ざる奉公運動の新體□たる所以でなければならない。第二年を迎へた奉公運動は真摯なる限り自らの課題をも率直に解決せねばならぬであらう。 |
02 | 一發必中の偉勳 還らぬ○○一等兵曹の靈に 艦長“餞の一首”を捧ぐ |
03 | 邦人義勇隊の敢鬪 祖國の為銃執る感激に燃へつつ |
04 | 齋藤少將講演 十八日島都で |
05 | 十六日宜蘭市で |
06 | 最後仕上げに合宿 不撓魂を鍊る看護助手の乙女達 大直で鍊成會開催 |
07 | 蘭陽地方の一期作植付 三輪知事が視察 |
08 | 武勳燦たり九軍神(七) 勤王の家柄に育つ 真の海の子古野少佐 |
09 | 總督夫人が激勵 翼贊乙女三孃を招待 |
10 | 圖像:アオスタ公追悼會 |
11 | 支部主事打合會 十八日に召集 |
12 | 學科試驗全廢後の 州下初の中等入試迫る |
13 | 總體的によければよい 森長一中校長談 |
14 | 種種の不安憶測は禁物 藤谷三女校長談 |
15 | 二號表兒童も取つて戴きたい 田太平校校長談 |
16 | 試驗場へは步いて行かう 段塚樺山校長談 |
17 | 赤誠の献金群 續續と軍司令部へ |
18 | 各方面に聽く注文 所謂“情實”云云 この點の心配は無用 州市當局談 |
19 | 島都“空前の記錄” 戰利品展日曜の入場數三萬人を突破 |
20 | 菓子商組合創立 |
21 | ときの声 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 精出せ・堆肥增產 廿二日迄の生產倍加運動に 坂口知事陣頭で指導 |
02 | 特志看護婦助手講習修了 |
03 | 臺南州水產會通常總代會 |
04 | 紺田憲兵准尉 花蓮港市に無言凱旋 |
05 | 濱野憲兵中尉轉勤挨拶廻り |
06 | 未開の寶庫ニューギニア 世界で最大の島(二) 而して人口は僅かに八十萬 |
07 | 田中米政課長花蓮港廳視察 |
08 | 松山警察部長大甲郡を巡視 |
09 | 正條植え勵行 |
10 | 皇軍奮鬪の真姿 臺南市の大東亞戰展 |
11 | 高雄市は廿九日より開催 |
12 | 屏東市奉公壯年團時局講演 |
13 | 花蓮港軍援會家政講習會修了 |
14 | 献金報國に赤誠 一月中・馬公海軍經理部受付 |
15 | 瑞穗國民校の青年團入團式 |
16 | 皇軍感謝歌練習會 |
17 | 國語普及に全力 嘉義郡國講師を選拔 |
18 | 世界の寶庫・蘭印(五) 軍備は至つて脆弱 笛に踊らぬ東印度兵 |
19 | 感激の献金 |
20 | 警官の識見向上 高雄州警察幹部修鍊會を開く |
21 | 臺中市村上、曙國民學校卒業式 |
22 | 圖像:馬公に於ける大東亞戰爭第二次戰勝祝賀會行事 |
23 | 汕頭から遙遙震災義捐金 |
24 | 肉豚增產を獎勵 成績佳良者に褒賞 |
25 | 山北氏に物を聽く會 |
26 | 臺東農業青壯年鍊成會 |
27 | 高雄州下の消費米配給 各種サーヴイス、好評 |
28 | プロを逐ふて益益佳境へ 中師の戰捷祝賀演奏會 |
29 | 龍ケ谷氏來高 |
30 | 曾文郡下各校修了式日程 |
31 | 鹽乾魚小賣組合 役員指名さる |
32 | 社告/興南新聞社報社消息 |
33 | 出荷割當不公年で非難さる |
34 | 地方便り |
35 | 今日の映畫 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺中州の紅茶栽培 成績頗る良好 府特產課清水技師談 |
02 | 臺北各銀行預金 一億六千四百萬圓 |
03 | 日本通運臺灣支社長交迭 |
04 | 臺灣土地制度沿革 (一)/陳逢源 |
05 | 元山技師退官 臺灣青果入り |
06 | トラツク輸送力確保に 車輛等報告制實施 |
07 | 東港米穀出張所 四月一日事務開始 |
08 | 食糧管理法の一部 四月一日より 本島にも施行 |
09 | 臺北近郊バス 昨日創立總會 |
10 | 東印度の 商業機構を是正 統制的商組確立 |
11 | 滿洲大豆引上げ 今後供給增加せん |
12 | 臺灣硝子工業組合 十五日、創立總會開催 |
13 | 島內米穀事務所長會議 |
14 | 豐原街で生果菜卸市場を建設 |
15 | 照明燈 |
16 | バス運賃燃料協議會 |
17 | 全島查定委員會 代表者懇談會 纖維製品 |
18 | 商況 十六日後場 |
19 | ラジオ |
20 | 水滸傳(635)/黃得時;榎本真砂夫 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 御親書を捧呈 我皇室御鴻恩に深謝し奉る 張特派大使參內 |
02 | 恐懼感激の極み 張特派大使謹話 |
03 | 皇帝陛下より 御贈進の品品 |
04 | ポートダーウイン軍事施設を爆碎 我荒鷲大擧して空襲 |
05 | 新皇道政治を確立 今村最高指揮官バタビヤ入り |
06 | 重要精油所を確保 從軍カメラマン荒木氏の手記 撮影の映畫近く公開 |
07 | ピブン新內閣 滿場一致信任さる |
08 | 定例閣議 |
09 | 太平洋軍事 會議 華盛頓に統一か |
10 | 圖像:破壞されたシツタン河鐵橋を挾んで敵陣を見守る觀測班(ビルマ戰線) |
11 | 米紙、悲觀的觀測 クリツプスの訪印 |
12 | 兩海戰の敗北 英議會で糾彈されん |
13 | 興亞諸運動の統一 「大日本興亞同盟整備統一要綱案」 |
14 | 土國爆擊を受く 國籍不明の飛行機から |
15 | 英機の誤差か計畫的か |
16 | 米抑留邦人 一部氏名判明 |
17 | 在佛國武官更迭 |
18 | 駐米濠洲公使 救援を泣訴 |
19 | ニユージーランド 男女を動員 勞働時間延長 |
20 | 監禁邦人を探求 蘭貢郊外インセイン監獄へ |
21 | 西亞一帶にも 英國沒落の暗影 反英運動到る處激化 |
22 | 獨軍戰果 |
23 | 英の新聞用紙不足 極度に達す |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 譽れの遺兒部隊 晴れの壯途を前に各方面に挨拶廻り |
02 | 名譽の家門汚すな 總督の真情罩る訓示 |
03 | 皇后陛下の御仁慈 戰傷病者に鷄卵御下賜 |
04 | 鍛へる白衣の天使 (二)本社主催・看護助手座談會 一日千秋の思ひで 合格發表を待つ乙女等の純情さ報社消息 |
05 | 九軍神に弔慰金 |
06 | 支部總務部長會議 廿日本部會議室で開催 |
07 | 武勳青史に燦たり 山口部隊譽の戰死者發表 |
08 | 戰果に捧ぐ感謝 軍司令部十六日の取扱 |
09 | 偲ぶ我が潛水艦魂 犬石海軍報道班員漏す感慨の歌詞 |
10 | 市廳舍內のマイク實現 |
11 | 乳幼兒保護指導に 新竹州公醫會乘出す |
12 | 育兒讀本配布 |
13 | “學窓よ”いざさらば 巢立つ子等に幸あれ 二號表國民校けふ一齊に卒業式 |
14 | 官業從業員の 結核豫防策要綱 |
15 | 比島から鹵獲戰車 今明日中戰利品展へ展示 |
16 | 藤村市長が中南部視察へ |
17 | われ等の總督さんと 今村將軍と同姓同名 臺大豫科に合格した兩君 |
18 | 甘藷多量入荷 二三日中に配給 |
19 | 高校外語合格者 |
20 | 興南詩苑漢詩 歸來/蕭献三、謹步献三芸兄「歸來」瑤韻/莊禮耕 |
21 | 川端少年乘馬練習所生募集 |
22 | 商況 十七日前場 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 御殊遇に感激 張特派大使謹話頭條新聞 【東京發同盟】畏くも 天皇陛下より御陪食の榮を賜つた盟邦滿洲國の「宰相使節」張特使はこの御殊遇に感激しつつ十七日午後二時過ぎ宮中を退下宿舍帝國ホテルに歸つたが中二階ロビーで待ち構へてゐた記者團の前に現はれた張特使の胸には昨夕畏き邊りより御贈與あらせられた旭日桐花大綬章副章が滿洲國勳一位龍光章、盟邦イタリヤより贈られたオルデイネ・コロナ・デイダリヤ章と共に燦と輝き松本を通じて謹話する宰相使節の双頰はこの日の感激に紅潮してゐる 今回自分は滿洲建國十周年の使節に謝恩特派大使の大命を拜し本日宮中において 皇帝陛下の御親書を奉呈無事にこの使命を果し得て喜びに堪へない、本日は 天皇陛下より身に餘る優渥なる御待遇を賜はると同時に 皇后陛下にも謁を賜はり有難い御言葉まで賜はり感激措くところを知らない殊に現下大東亞戰の真只中で咫尺の間に兩陛下の御崇高なる御姿を拜し御慶びの言葉を言上する事が出來たことは又とない光榮である、自分は本日 天皇陛下に拜謁してその崇高な御聖德に打たれたが日本の比類ない大戰果は正にこの陛下の御德からよつて來たものであることを感得すると同時に又 皇后陛下の御姿を拜しその氣高い御情德に打たれた時恐れ多いことながら 陛下こそ東亞民族の御母であらせらるとの感慨を深くし只管恐懼感激した次第であります。又神戶上陸以來日本朝野の歡迎を受けて感謝に堪へないが、途中の國民の態度には今日のやうな大戰爭をしてゐる國家の姿がこれなのかと思ふ位落着いてゐるのには吃驚しました 大使は隨員以下を帶同滿洲國大使舘山本秘書官の案內で午後三時ホテルを出發松平宮相、東條首相、東鄉外相、杉山參謀總長嶋田海相、永野軍令部總長、原樞密院議長等の官邸を歷訪挨拶をなし冷酒乾杯をなし東條首相に滿洲國產鐵で鍛へた日本刀一口を贈つた外各大臣その他にも夫夫土產の品を贈り午後六時半からは外相官邸における東鄉外相主催の歡迎晚餐會に臨んだ 御禮電御發送 【東京發同盟】天皇皇后 皇太后三陛下には、十七日滿洲國 皇帝陛下より國務總理大臣張景惠氏を特派大使として派遣せられ親書並に物品を贈られたるにつき同 皇帝陛下へ御禮電を御發送あらせられた 各宮家に伺候張大使けふの日程 【東京發同盟】滿洲國謝恩特派大使張景惠氏の在京第三日十八日の日程はさきに發表せられたものの外□大宮御所 秩父・高松三笠各宮家伺候などが新たに附け加へられた、この日張特派大使は午前九時から徐中華民國大使をはじめとしフインランド公使、松平宮相の訪問を受けた後、同十時から大宮御所をはじめ 秩父三笠兩宮家に伺候、滿洲國皇帝陛下よりの御傳言言上の手續きを濟ませ一旦帝國ホテルに歸還、正午高松宮家に何候滿洲國 皇帝陛下からの御傳言を言上する高松宮家に於ては特に御內內に午餐會を開かれ、張特派大使の外李滿洲國大使夫妻もこれに列席する、午後は豫定通り二時明治神宮、三時靖國神社に參拜を濟ませて歸還、午後三時五十分から滯京中の芳澤佛印特派大使、駐日ハンガリー、ルーマニア公使などの訪問を受ける、更に午後六時半からは首相官邸に於ける首相主催晩餐會に臨み、次で同九時二十分から約二十分に亘り日本國民への挨拶をラジオ放送しここに第三日の日程を終る |
02 | 御禮電御發送 |
03 | 各宮家に伺候 張大使けふの日程 |
04 | 敵船十一隻を擊沈 印度、緬甸沿岸方面で |
05 | 二大洋上に神出鬼沒 わが潛水艦愈猛威を揮ふ |
06 | 圖像:ニユーギニヤ作戰第一報 |
07 | 清水中將參內 赫赫の武勳を樹てて 洋上第一線より歸還 |
08 | 蘭印、ビルマ方面の軍政最高顧問 兒玉伯、櫻井、北島三氏を派遣 陸軍司政長官も決定 |
09 | 三氏の略歷 |
10 | スラバヤへ初入城 今村最高指揮官 |
11 | 蒙疆銀行總裁 宗像久敬氏 |
12 | 天津と廣東に國府代表派遣 |
13 | 圖像:宿舍帝國ホテルに寬いだ張特派大使 |
14 | 菊蘭の提携堅く 大東亞決戰の大業に邁進したい 張特派大使歡迎晚餐會東鄉外相挨拶 |
15 | 張特使は今夜感謝講演放送 |
16 | 蔣政權の腐敗 抗戰に役立たぬ 大公報社說で論評 |
17 | 結社不許可の處分 立憲養正會と農地制度改革同盟 |
18 | 陸軍司政長官五氏の略歷 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 指導者の適格性に就いて社說 一 國民組織の再編成に依つて本島に於ても色色の新しい組織體や團體が組織され、曰く何何會某某組合、或は何何統制會社、何何協會と云つた樣なものが恰も雨後の筍の如く簇出した。而してこれらの諸團體は何れも所謂指導者原理に依つて關係官廳或は所屬上級組織に依つて主腦者が決定され、眾議統裁の形で團體が運營される現狀である。而もその運營如何に依り直接人民の生活に多大な影響を及ぼすものであるから、選定する者も選定されるものも餘程慎重な態度で臨まなければならぬ。凡そ指導的地位に立つてゐる人は、誰でもその根本的資質の中に人を動かす力と大局を摑む能力がなければならないことは云ふまでもない。人を動かす力の源泉は結局自分の所信に對する搖ぎなき信念と他人に對する無限の慈愛である。卽ち自分自身が斷乎たる信念を以て率先垂範すると同時に、溫い慈愛を以て遲れてゐる人を勵まし且つ劬はり導くことである。而して大局を摑むと云ふことは、要するに問題の根本的目的を確實に摑み、その目的と客觀的環境を睨み合はせて、個個の問題を處理して最後の目的に達する樣に努力することである。 二 この二つの力がない人には到底人を心服させ、且つ人を明瞭な目標に向つて誤りなく導くことが出來ない。從つて指導的地位にある人或ひはこれから指導的地位につかうとする人は、先づ心に銘記し、嚴しく反省すべきは次の四項目である。 第一は指導目標を明かにし、且つ徹底せしめなければならぬ。指導的地位の人の言動や仕事の名分、或は建前が不透明であること程全體の空氣を暗鬱にし、且つ士氣を沈滯させる毒素はない卽ち一體何處に導いて行かれるか解らない不安な感じを誰にも與へるからである。 第二は獨善を避け、常に下意上達の道を開かねばならぬ。 團體の目的に能率的に達する為には指導者が時に應じ、機に臨んで獨斷專行の傾向を否定することは出來ないが、平生常に謙虛な氣持を以て一般の氣持を察し、意見を聞き、眾意を集めるやうにすべきである。卽ち創意性ある意見を注意深く耳を傾けるだけの餘裕のある指導者が、いざと云ふ場合には最も適切な行為をなし得るからである。 第三は周到な計畫と率先推進することである。卽ち指導目標に應じてそれに達する周到な計畫を立て、自分が先頭に立ちてテキパキとそのプランを押し進めて行かなければならぬ。確固たる計畫もなく、右往左往してはその指導能力を疑はれ、凡ての人から見放されるのである。 三 第四は逞しい責任感を以て常に出所進退を明かにしなければならぬ。責任感のない指導者と云ふことは、考へるだけでも極めて滑稽な存在である。責任感の强い指導者は團體そのものを決して自分一個の所有物かのやうに考へず、また指導的地位を利用して私利私慾を圖るやうなことをせず、常に全體の利益と名譽に於て問題を處理するものである。 以上擧げた四項目は如何なる部門に於ける指導者も、必ず一應は反省し、且つ自戒すべき項目であるが、協力者の側に立つ一般人民に取つても指導者が適格なりや否やを批判し、斷定する重要な基準となり得るものである。だから茲に敢へて之を闡明して一般の參考に供し、從來の如き人を踏臺にして自己の榮譽や利益のみを追求する樣な、時代遲れの指導者を協力して排除し、逞しい責任感と率先垂範の奉公精神に徹した新人の選出さでんことを望むものである。 |
02 | “荒鷲精神”を發揮 敵中に不時着の小年航空兵 從容として死に就く |
03 | 商業奉公團を結成 奉公會・けふ具體案を發表 |
04 | 軍神の鄉土物語八 自然・環境を訪ねて 九勇士の偉勳を偲ぶ |
05 | “お父さんの魂は 靖國社頭に生きてゐる” 遺兒部隊に樋口軍參謀長が訓示 |
06 | 鬪ふ銃後臺灣の姿 「朝の國民の誓ひの言葉」と題し (上)山本奉公會事務總長錄音放送 |
07 | 勝つて勝ち拔け 九軍神に捧ぐ赤誠に感激 伊藤海軍武官語る |
08 | 勤報新竹州隊 けふ解散式を擧行 |
09 | 九軍神への弔慰金 |
10 | 島都共學兒童合格者 |
11 | 譽の“白衣の天使” きのふ晴の合宿修了式 |
12 | 胸に誠心罩めて 新竹看護婦助手講習終る |
13 | 新竹市區長會議 |
14 | 宜蘭郡教育會通常總會 |
15 | 植付狀況を視察 三輪臺北州知事が |
16 | 臺中署壯丁團角力大會 |
17 | ときの声 |
18 | 學徒鍊成講習會 全國十ケ所で開催 |
19 | 羅東郡米穀配給組合創立 |
20 | 圍棋八段が一時に三名 |
21 | 奉公運動率先垂範 產組高雄支會 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 工業高雄への飛躍 商議所近く實現促進を陳情 港灣使命の完遂へ |
02 | 山なす古金屬 嘉義郡の回收運動 |
03 | 英靈の招魂祭 春季皇靈祭當日に執行 |
04 | 故福永、竹下兩勇士慰靈祭 明後日吉野國民校で執行 |
05 | 警察招魂祭 四月一日臺南神社外苑で |
06 | 圖像:爆擊行の準備に忙殺される陸鷲整備員(○○基地) |
07 | 蔗作懇談會に 坂口知事出席 |
08 | 貯蓄優良區を表彰 淡水街公會堂で |
09 | 臺中州水產會總代會 新高漁港施設費 |
10 | 土地培養力を活用 斗六郡農產に全馬力 |
11 | 窓飾り競技 入選商店發表 |
12 | 世界の寶庫・蘭印六 壓政に喘へぐ住民 華僑の反蘭傾向は當然 |
13 | 九軍神に捧ぐ 赤誠の弔慰金 |
14 | 沙山常會運營研究會 |
15 | 臺東艀舟溜を築造 着工具體案を打合 |
16 | 推肥積込週間 屏東市、郡積極獎勵 |
17 | 高雄港灣協會 月例會を開く |
18 | 警察事務の簡捷化 臺南州警察部改善委員會を設置 治安陣營を充實刷新 |
19 | 治安の重責擔ひ 巢立つ花蓮港廳乙巡 |
20 | 皇軍將兵慰問金第廿一回(敬稱略)領收報告報社消息 |
21 | 皇奉苗栗街分會時局講演會 |
22 | 遺家族慰問映畫大會 |
23 | 淡水奉公壯年團第一回常會 |
24 | 士林街第六區部落青年團結成式 |
25 | 臺中工藝專修卒業式 |
26 | 潮州壯丁團員を慰勞 |
27 | 潮州郡下の國民貯蓄 略略割當額に達す |
28 | 献金美談二つ |
29 | 賞金を献金 |
30 | 潮州郡勸業課廳舍落成式 |
31 | 鹽飽技師榮轉 |
32 | 國民學校卒業式 |
33 | 高雄濟世幼稚園修了式 |
34 | 農會總會 |
35 | 豐原郡警察職員異動 |
36 | 臺南州總務部異動 |
37 | 詐欺漢擧げらる |
38 | 地方便り |
39 | 人事報社消息 |
40 | 今日の映畫 |
41 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 石炭生產力維持に 中小企業合同を要望 |
02 | 局營自動車所長會議 現場機構改革を諮ふ |
03 | 兩港灣運送業會 近く聯合打合會開催 |
04 | 產業戰士敢鬪の跡(七) 農產獎勵に一意精進 勤勞者蔡萬成氏 |
05 | 廢品再生研究等に貢献多し 勤勞者吳阿泉氏 |
06 | 自働ポンプ等の發明に成功 功勞者蘇金添氏 |
07 | 花蓮港トラツク會社に日通出資 |
08 | 臺銀人事異動 |
09 | 小麥收穫終る 廿一日初檢查買上げ |
10 | 日銀、岡田理事を審查部長に囑託 |
11 | 照明燈 |
12 | 勸銀、島內利下げ 田畑擔保年五分五厘 |
13 | 臺灣土地制度沿革 (二)/陳逢源 |
14 | 商況 十七日後場 |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(636)/黃得時;榎本真砂夫 |
17 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | ポートモレスビーと 濠洲北端ホ島を急襲 敵機合計廿五機を擊墜破 |
02 | ホーン島最初の空襲 |
03 | 米英濠聯合空軍潰滅 |
04 | 憂愁の一言に盡きる 何で英米の走狗たりしかと歎く チ元蘭印總督の心境 |
05 | 高松宮同妃兩殿下 張特派大使を御招待 |
06 | 錚錚たる南方通 各氏の抱負を聽く |
07 | 獨空軍、ソ聯機七十機擊墜破 |
08 | 圖像:舟艇に乘り込みまさに敵前上陸に移らんとするわが陸戰隊勇士(ミンダナオ島作戰) |
09 | 重慶政權の掛聲 軍官民耳を藉さず 敗戰厭戰氣分橫溢軍紀弛緩 |
10 | 土國誤爆自認 イギリス當局 |
11 | 死傷十二名 負傷者廿一名 |
12 | 敗戰米の狼狽ぶり 兩海戰の壓倒的損害 |
13 | ジヤバ島の復興へ 建設の槌音高らかに |
14 | 國民會議派領袖 ガンヂーと協議 成行、各方面關心の的 |
15 | 獨軍司令部發表の戰況 |
16 | 九施行規則改正勅令案決定 |
17 | 丁抹船四隻沒收を命令 ヴ伯國大統領 |
18 | マツカーサー大將 比島脫出、濠洲に逃亡 |
19 | 後任ウ少將任命 |
20 | 米、瑞典船傭船 外交官交換の為め |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 血に塗れた左手 邪魔とばかりに自ら切斷 水戶少尉阿修羅の奮戰 |
02 | 總督官邸の鐵扉 由緒深き數數の歷史を殘して “古鐵回收”に一役 |
03 | 保甲役員と壯丁團員が聖地參拜 |
04 | 花蓮港に兵事部 四月一日より事務開始 |
05 | 古山高等法院檢察官長來新 |
06 | 日本語學校開設 佛印政廳自身の手で |
07 | 定例軍官連絡會議 |
08 | “立派な日本人になれ” 二號表國民學校の終了兒童に 藤村市長激勵の言葉 |
09 | 鍛へる白衣の天使 (三)本社主催・看護助手座談會 質素な生活が第一 お洒落は時局に合はぬ報社消息 |
10 | 債權者に告ぐ 愛婦臺灣本支部 |
11 | 技藝指導所講習生募集 |
12 | 鬪ふ銃後臺灣の姿 「朝の國民の誓ひの言葉」と題し (下)山本奉公會事務總長錄音放送 |
13 | 志願兵狀況を報告 井野拓相・定例閣議席上で |
14 | 新竹州警察官武道大會 |
15 | 無敵海軍へ献金 十七日武官府取扱 |
16 | 基隆書道會全國書道展 |
17 | 淨土宗別院で 戰歿英靈法要 |
18 | 箕山事務官 總力戰研究生として內地出張 |
19 | 來た來た、戰車が 皇軍の奮戰偲ぶ生生しい彈痕 戰利品展目白押し |
20 | 太平青年學校生徒募集 |
21 | 興南詩苑漢詩 “與鶴亭社長灌園社丈同作”/莊幼岳、一星/莊幼岳、元宵潛廬讀舍漫作/黃景南 |
22 | 鮮魚購入證 近く配布する |
23 | 在モロツコ英人 約二千を拘禁 佛の報復手段 |
24 | 商況 十八日前場 |
25 | 興南案內報社消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 各宮家に伺候 張特派大使の動靜頭條新聞 【東京發同盟】滿洲國 皇帝陛下の御親書奉呈を滯りなく濟ませた張滿洲國謝恩特派大使は多忙な日程にも些かの疲れも見せずけふ十八日大宮御所始め秩父高松三笠各宮家伺候後、明治神宮、靖國神社に參拜した宿舍帝國ホテルに滯京第二夜を過した大使はこの日午前九時には中華民國大使を始め駐日フインランド公使、松平宮相の訪問を受けた後同十時日滿最高勳章を佩用威儀を正して大宮御所に伺候滿洲國 皇帝陛下よりの御傳言言上の手續きを濟ませ次で秩父三笠兩宮家に伺候し正午には 高松宮家に伺候滿洲國 皇帝陛下の御傳言言上をなしたが宮家では特に李滿洲國大使夫妻を御招待の上御內內の午餐を賜はり張大使は感激して退下した、かくて一旦宿舍に臨還後隨員全員を伴ひ午後二時明治神宮同二時五十分靖國神社に參拜して歸還した、午後三時半には芳澤佛印特派大使が訪問次で駐日ハンガリー、ルーマニヤ各公使が訪問する等一刻の休みもない日程の連續である、一方阮首席隨員は張大使代理としてこの日午前午後に亘り湯澤內相始め各大臣、企畫院總裁、貴眾兩院議長等を訪問し挨拶を述べ又午前中隨員植田貢太郎氏は阮大使代理として本庄、菱刈、植田三大將等歷代關東軍司令官を訪問、滿洲國政府よりの贈物日本刀一振宛を贈呈次で歷代總務長官を訪問して豆稈パルプ製縮緬二匹宛を贈呈した、かくて張大使は今夜六時半から首相官邸における首相の晩餐會に臨み午後九時二十分からは約二十分に亘り「日本國民への挨拶」をラジオ放送する |
02 | 皇帝陛下より御答電御發出 |
03 | 親邦の仗義援助に深謝 張特使、今後の協力を要望 |
04 | 日滿は一體不可分 東條首相、歡迎晚餐會で挨拶 |
05 | ミンドロ島を確保 カラパン、サンホセ占領 |
06 | ソロモン島に於る 我が戰鬪機の活躍 英米驚歎に日も足りず |
07 | 圖像:皇軍が敵前上陸したニユーギニヤ |
08 | セーヤー辦務官も拖出 |
09 | ジヤバ在住各民族 擧つて復興に協力 |
10 | 風浪を衝いて突進 ラエ、サラモア無血上陸 |
11 | 徹底的に破壞された ウオヌサリ油田 晝夜兼行で復舊作業に努力 |
12 | 蘇州河口の戰果 |
13 | 珠江デルタ地帶の 匪團肅清を開始 |
14 | ル大統領非難の聲高まる |
15 | 國際電話の取扱を開始 我國とア國間 |
16 | 英米依存から醒めよ 和蘭國家社會黨首ム博士演說 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 中小炭坑の統合が急務社說 一 本島に於ける石炭業者は現在約二百五十名に上り全體の出炭高から見れば頗る小規模の經營が大部分を占め、從つて鑛區の位置が互に相錯綜し、採掘、搬出等の諸設備を施すに極めて不便不利を來してゐる狀態にある。殊に斤先といふ本島特有の請負制度が發達してゐるため、炭況が多少なりとも有利となれば直ちに坑夫の爭奪を開始し、近年となつて自ら勞銀激騰の原因を招來したのである。其の上、最近漸く資材の入手難となり、當局としては石炭業の重大性に鑑み極力優先的に其の配給の圓滑を期せんとしたが、何しろ經營主體が多數なるが故になかなか合理化に行はれる事が出來ない。從つて各炭坑間に於ける資材の融通も為し得ざるを以て勢ひ資材の偏在を惹起し、一方に於て生產コストの騰貴を來し、他方に於て生產擴充の障害となつて來た事は識者の齊しく指摘するところである。 二 斯かる情勢の下に大東亞戰爭が勃發し、島內の石炭業に多大な影響を及ぼす事となつた。卽ち準軍需品たる石炭の增產は何人も其の必要を認めてゐるが、從來本島炭の需要は約半額が島內用にして其の他はバンカー炭及び輸移出用であるから、輸移出及びバンカー用は船舶の不足を吿げてゐる現作戰階段に於ては頓かに緩和する事を豫想する事が困難であらう。それがため島內に於て稍もすれば滯貨を生ずる懸念が少なくないから、當局が其の對策として戰時に最も必要なる優良炭を重點とする增產を要望してゐるが、上記の如く中小炭坑業者が亂立してゐる狀態では斯かる編成替は到底合理的に行はれない事は明かである。 三 ところが今後建設さるべき東亞共榮圈內の需供を見るに依然石炭の增產を以て一大重要國策としなければならないから、臺灣石炭會社では眼前の困難を克服するために或は資金を融通したり、或は輸送の合理化を圖つたり、或は貯炭場の增設若くは南部取引先の貯炭慫慂等の方法を講ぜられてゐるが、斯くの如きは飽く迄も一時的方策に過ぎないのである。而して其の根本的對策といへば何んといつても生產力の維持增强以外にあり得ないが、それに達するには重點主義を以て邁進するより外はない。從つて島內多數の炭坑を三十乃至四十のブロツクに區分し其のブロツク內の合同を策しなければならないが、さうするには現在の石炭增產奬勵金を整理に伴ふ休止炭鑛へ廻し其の補償金として交付する方策を考慮すべきである。 四 上記の如く島內の炭坑は各地の事情に基いて僅少なブロツクに統合すれば、互に資材の流用が可能となり、更に勞力爭奪の弊を容易に矯正し、且つ重點主義の下に優良炭の生產を增强する事が出來る筈である。斯くて整理すべき炭坑と增强を要すべき炭坑を合理的に選定して整理を斷行すれば現下の難局を切拔け得られると共に將來一大飛躍の素地をも造り得るのである。此の問題に關しては殖產局鑛務課に於てモツト早く其の推進力となつてあらゆる困難を拂ふべきであつたが、これ迄は徒らに無為無策といはれても致方がない。然し今から實行しても決して遲くはないから、希くは善は急げといふ心構へを一日も早く確立して此の重點問題に向つて邁進せられん事を熱望せざるを得ない。 |
02 | 新商業道の確立へ 地域的に“奉公團”結成 |
03 | 皇太子殿下 昨日東鄉神社に行啟 |
04 | 圖像:大東亞戰爭特報 |
05 | 軍曹に二段躍進 野野村兵長の奮戰記 |
06 | 軍神の鄉土物語九 誇る傳統と歷史 育くむ大自然の偉力 |
07 | 宜蘭市米穀增產褒狀授與式 廿三日公會堂で |
08 | 臺大豫科の假校舍完成 來月より使用 |
09 | 赤誠の献金群 軍司令部へ昨日も陸續 |
10 | 月給生活者の妻よりの献金 感謝文を添へて |
11 | 衣料の切符制 臺灣には實施しない 活かせ古着・買溜は無用だ |
12 | 圖像:大東亞戰爭特報ミンダナオ作戰 |
13 | ときの声 |
14 | 九軍神に感謝 武官府に弔慰金續く |
15 | 心強い銃後決戰調 個人的、消極的な相談は殆ど皆無 “生活相談所”大好評 |
16 | 府報獨立刊行 來る四月一日から 總督府官報として |
17 | 本來の使命達成へ 西村官房文書課長談 |
18 | 防諜二少年 宜蘭署で表彰 |
19 | 創立總會公告/臺北州香花同業組合創立事務所 |
20 | 淡水魚增產へ |
21 | 農村青年講習會修了式 |
22 | 人事報社消息 |
23 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 目指す譽の志願兵 臺南州四月六日頃に試驗實施 係員、準備に轉手古舞 |
02 | 高雄州水產會豫算總會 |
03 | 全島市勸業課長 けふ臺中市民館で會議 |
04 | 甘藷の生產 調查を打合 |
05 | 故紺田憲兵准尉の市葬 來る廿四日に執行 |
06 | 圖像:日本の兵隊さん萬歲 |
07 | 圓山で更に腕を磨く 譽の臺南看護助手巢立つ |
08 | 大乘報恩會 臺灣に支部 |
09 | 作れよいお米を 高雄產米增殖品評會開催 |
10 | 高雄商工組合聯合會總會 |
11 | 臺南共學兒童廿五名許可 |
12 | 養豚增殖競技褒賞授與式 |
13 | 町の鑛脈は豐富 銅鑼庄に相應しい 古銅鐵の回收好績 |
14 | 屏東實踐商業卒業式 |
15 | 世界の寶庫・蘭印七 蘭商の日貨買溜 東亞經濟離脫の苦悶 |
16 | 住宅入用の方 廿五日迄嘉義市役所に申込め 住宅營團愈よ建設へ |
17 | 圖像:明朗昭南島市內の交通整理に街頭に立つマレー人警察官(昭南島) |
18 | 各地國民學校修了式 |
19 | 復興資金六百萬圓 嘉義復興建設組合から貸出開始 |
20 | 國講師修了式 |
21 | 海山郡醫師會長 |
22 | 【花蓮港電話】花蓮港市愛國婦女團 |
23 | 嚴格な鍊成終へ 奉公運動第一線に挺身 |
24 | そうだその意氣 大溪街農事推進青年好評 |
25 | 翼贊マメグラフ 第一號愈よお目見え |
26 | マ病根絕近し 臺南州下の防遏作業完し |
27 | 內湖庄管內種痘日割 |
28 | 社告/興南新聞社報社消息 |
29 | 臺中王了庵氏逝去 |
30 | 人事往來報社消息 |
31 | 地方便り |
32 | 今日の映畫 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 簡易保險 新年度募集方針 一戶一口增加が目標 保險課長會議で協議 |
02 | 臺南州下の稻作 正條密植を勵行 入鹿山府農務課技師談 |
03 | 電氣記念日の諸行事 |
04 | 臺灣產組聯合會 設立準備打合會 |
05 | 厚生工業會社 卅日創立總會 |
06 | 南方開發金庫 設立委員等を任命 |
07 | 產業戰士敢鬪の跡(八) 叺獎勵に精進 勤勞者鐘有敏氏 |
08 | 十八年間實直勤勉 勤勞者足立鐵藏氏 |
09 | 献身的に職域奉公 勤勞者張傳氏 |
10 | 臺灣鐵線總會 第二回拂込を可決 |
11 | 各州卸商統合を決議 臺灣砂糖卸商組聯總會 |
12 | 廢品類統制要綱 (上)各州廳へ通知實施 |
13 | 臺灣青果異動 今田氏昭和青果支配人へ |
14 | 臺灣パイン同組聯合會 來る廿六日創立委員會 |
15 | 鹽飽技師 特產課へ榮轉 |
16 | 照明燈 |
17 | 湯河管理局長官近く空路來臺 |
18 | 商況 十八日後場 |
19 | ラジオ |
20 | 水滸傳(637)/黃得時;榎本真砂夫 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大東亞建設緒につく 敵勢力を完全一掃 重要資源、我管制下に |
02 | 圖像:ラングーン占領第一報 |
03 | セイヤー辦務官 桑港に着く |
04 | パダンに進入 スマトラの西海岸 |
05 | ミンドロ島完全占領 |
06 | ポートダーウイン低空爆擊を敢行 |
07 | フロリダ島を爆擊 |
08 | 我艦上の望遠鏡に 映る・感激の日章旗 皇軍既にクタラジヤに突入 |
09 | チモール島の 戡定終了 |
10 | メダン在留邦人 救出に向ふ |
11 | 邦人百六十三名 無事に救出 |
12 | 大亞細亞萬歲 バンドンの空にアドバルーン |
13 | バンドンの華僑 協力を誓ふ |
14 | スマトラ着着新生 油田復活、近く採油 |
15 | 日本標準時間 ジヤバで採用 |
16 | 肅清戰戰果擴大中 珠江下流デルタ地帶 |
17 | 米穀七千餘萬石 十七年度の生產目標 |
18 | マツカーサー司令官に就任 |
19 | ビーヴアプルツク 近く渡米す |
20 | 拓南俱樂部 會長に海軍大將 |
21 | トルコ政府の 嚴正中立的態度 大統領再確認聲明 |
22 | 立候補者推薦 特別委員會設置 |
23 | 選擧期日告知 四月四日に行ふ |
24 | 內閣辭令 |
25 | 石川廈門總領事新京へ |
26 | 日銀國債局長の後任 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 散る大和魂の精華 兵は肉彈、部隊長は腹一文字 壯烈・比島戰線奮戰錄 |
02 | 氣候風土の認識 南方進發に必要 齋藤少將視察感想談 |
03 | 鍛へる白衣の天使 (四)本社主催・看護助手座談會 本島女性のため 必ず頑張ります報社消息 |
04 | 故稻田天來氏遺家族を弔問 けふ藤村市長が |
05 | 海軍武官府に 赤誠溢るる献金群 |
06 | 少年保護強化に 多彩な行事展開 十七日は少年法實施記念日 |
07 | 圖像:ラングーン占領第一報 |
08 | 古鐵を回收して献金 川端町區民の燃ゆる赤誠 |
09 | 米英擊滅祈願東西對抗大繼走 愈よ廿一日から強行 |
10 | 九軍神に感謝 基隆憲兵分隊に弔慰金陸續 |
11 | 俘虜監督志願者の 第二次銓衡 全島三區に分けて實施 |
12 | 內藤氏が講演 |
13 | 藤村市長が激勵 一號表修了國民學校兒童を |
14 | 古鐵献納者への感謝狀屆く |
15 | 養兔業を獎勵 臺北市で農家の副業に |
16 | 不要不急の電報 差出しを遠慮されたし |
17 | 寺島市商工課長臺中へ |
18 | 興南詩苑漢詩 皇軍戡定蘭印爪哇疆域喜賦/謝汝銓、重修先考佳城感賦/施江西、祝獻堂先生還曆/可軒 |
19 | 人事消息 |
20 | 商況 十九日前場 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 各宮殿下始め奉り 恩賞の光榮に浴す 第三十七回生存者行賞頭條新聞 【東京發同盟】畏き邊りでは二十日支那事變生存者第三十七回論功行賞(陸軍關係第卅一回)の御沙汰あらせられ同日午前零時陸空軍省並びに內閣賞勳局より發表された。今回恩賞の光榮に浴したのは各宮殿下をはじめ奉り支那における技術部隊、陸上輸送隊、補給諸□の三種部隊、支那における各集團の直轄部隊長及び軍屬或ひは戰地において功を樹てその滿洲または內地の部隊に轉屬しその轉屬部隊より上申せられたる支那事變地關係者の全部、滿洲における馬廠、及び補給廠支那、滿洲、內地における日本赤十字社救護班及び內地において事變□□從□したる各官衙及び解隊の全部に屬する軍人及び軍屬でその內金鵄勳章を授賜されたものは下村定中將以下九百六十□名で右の內功績抜群にして殊勳甲の御沙汰を拜した者は原田鶴吉大佐以下二十九名である。また 秩父宮雍仁親王殿下をはじめ各殿下が尊き御身をもつて前線或は內地において御活躍、赫赫たる御勳功を擧げさせられこの度の論功行賞に金鵄勳章を受賜遊ばされてゐる、尚今回日本赤十字社の救護看護婦及び內地における各工廠の工員などが相當多數敘勳の恩典を忝うしてゐる、又爆擊中隊長として支那各地を連續攻撃昭和十四年二月の蘭州攻撃においては數十機より成る敵戰闘機の猛攻を受けたるも激戰を交へてその十八機を撃墜或はノモンハンの激戰に敵空軍基地タムスクを急襲敵飛行機を悉く爆碎するなとの偉功を樹てた栗原賀久大尉或は十三年十二月十四日重慶飛行場最初の搜索飛行を敢行その他各主要地の偵察に赫赫たる殊勳を樹てた大□盂大尉ら空の勇士として偉名を馳せた人人が殊勳甲としてその名を列ねてゐる、尚今回をもつて生存者に對する第一次行賞は、一部の將官と文官功績を有するなどのため尚調查を要する若干の保留者及び部外者を除き全部發令せられその總數數百萬人の多きに達した 功 三 少將 李王垠 同 大佐 恒憲王 同 同 雍仁親王 功 四 中佐 春仁王 同 大尉 恒德王 同 中尉 盛厚王 |
02 | 各宮殿下の赫赫の御武勳 |
03 | 中島少佐の放送 南方開發の成否は 國家興廢の分歧點 經營は軍一本の力でやる |
04 | 三笠宮殿下台臨 張特使の招待晚餐會 |
05 | 張特派大使招待午餐會 陸軍三長官の合同主催 |
06 | 多摩陵に參拜 きのふの張特使 |
07 | 海軍主催晚餐會にも出席 |
08 | ウエ島に日章旗飜る 故國よりスエズに近い |
09 | 圖像:ニユーブリテン島東方ブカ島附近の掃海に向ふ我が掃海艇隊の勇士 |
10 | バタアン半島は 孤立無援に陷る |
11 | わが海鷲の大戰果 |
12 | 米艦の損失 米海軍の發表 |
13 | トルコが各國と新通商協定交涉 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 南方經營と言語問題社說 一 大東亞戰爭によつて米英の桎梏から解放された南方圈の今後の經營を如何にすべきかは、各方面から種種論議されてゐるが、その內で第一に取上げなければならぬものの一つとして言語問題がある。言語は、個人と個人の意志を疎通させる重要な機關たるのみならず、國家と國家、民族と民族の接觸融合を容易ならしめ、相互間の文化を交流し、向上させる重要な橋渡しとなるものである。殊に東亞十億民が、今後東亞本然の姿として一大飛躍をなすには、益益東亞人が東亞人としての新しい結びつきをつくらなければならぬが、この結びつきには、言語が最も强く要請されるものである。今共榮圈內の言語を見渡すと、實に種種雜多あるが、系統的に分類すれば大體南洋諸島の「マレオ・ポリネシヤ語系」、印度地方の「印度語系」、支那、泰國、緬甸、安南、西藏地方の「支那語系」、日本、朝鮮、滿洲、蒙古地方の「ウラル・アルタイ語系」の四つに分かれる。これ等の內「ウラル・アルタイ語系」に屬する日本は「支那語系」に屬する支那とは同文の國として大昔から文化的に交流してゐる以外に、この四系統は、殆んど交涉がなく、夫夫の言葉を元にして夫夫の民族を作り上げてゐる。 二 斯く考へて來た場合、共榮圈內の各民族を結びつける通用語が、どうしても必要になつて來た。その通用語としてまづ取上げるべきは、日本語である。それは、日本が軍事的にも、政治的にも文化的にも、大東亞の指導者であり、盟主であるからである。勿論、日本語を大東亞の通用語とすることは、何も各民族本來の言葉をなくしてしまふ意味でなく、各民族の言語は、そのままにして、その上に東亞十億民を結びつける言葉として、日本語を通用させることである。そして日本語を通じ、東亞の諸民族が一つに總結集して各民族の共榮を計るべきである。 三 これと同時に、考へなければならぬのは、對華僑の言語問題である。南洋の華僑は、總數に於て八百萬の多數に上り、その內、福建省出身が大部分を占めてゐるので、彼等は福建語を常用語として使用してゐる。從つて福建語さへ解れば南洋はどこへ行つても不便を感じない事實は、引揚邦人の等しく語つてゐる處である。臺灣の所謂臺灣語も、その實は、福建語そのままであるから、南方進出には、極めて都合がいい譯である。從つて臺灣に於ても、大に國語を獎勵し、島民をして一人殘らず、國語を理解し、常用せしめると同時に南方圈に於ける福建語、卽ち臺灣語の役割を認識し、特に奬勵する必要を認めないまでも、使用する機會を絕無ならしめないことを賢明とする。大東亞戰爭を契機として臺灣がより大きく發展するためには、凡ゆる方面に再檢討を要請されてゐる時本島に於ける言語問題に對しても考へ直さなければならぬ點があるのではなからうか。 |
02 | 若宮樣方御六方 御作品の詩を御發表 |
03 | 喊聲擧げて突進 戰友の遺骨を胸に抱き |
04 | 南方協力大構想 總督を中心に討議 |
05 | 皇后陛下 繃帶下賜の御沙汰 陸軍の戰傷病將兵に |
06 | 高松宮殿下 東大航空研究所へ御成 |
07 | 軍神の鄉土物語十 先輩武人の氣骨 軍神育くむ精神力 |
08 | 慰問袋の山 基隆市五百廿箇集る |
09 | 二種訓練終了式 きのふ六結集會場で |
10 | 入場者廿一萬突破 戰利品展、きのふ閉幕 |
11 | 百粁の強步跋涉 四月十八、九の兩日 |
12 | 無敵皇軍へ献金 十九日軍司令部の受付 |
13 | 一高入學者 |
14 | 防犯に“健全娛樂” 鹽田府警務課刑事係主任語る |
15 | 陸軍病院に献納 戰利品展の兒童畫 |
16 | 沖繩に放送局 十九日に開始 |
17 | 新人形劇試演會 けふ臺北州會議室で |
18 | 献身的な親日家 ジヤバ王族のスカンダール氏は 臺北帝大の聽講生 |
19 | ときの声 |
20 | 卒業記念の献金 目に見えて增加 |
21 | 高木農博來高 |
22 | 志願兵スタンプ 四月一日から四日間使用 |
23 | 第七回決算公告/臺灣鐵線株式會社 |
24 | 新聞配達員募集報社消息 |
25 | 新竹州支部で禊講習會 |
26 | 學位を授與 盧萬德と陳景崧兩氏に |
27 | 人事消息 |
28 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 異彩放つ興亞青年 臺中奉公青年隊隊員銓衡開始 何れも逞しい體格 |
02 | 大眾奉拜式擧行 春季皇靈祭當日に |
03 | 殉難警察官招魂祭 |
04 | 銃後後援會發會式 |
05 | 三峽神社候補地 所有者赤誠の献納 |
06 | 戰爭と衣料 總力戰の時間本多商工課長放送 |
07 | 十萬箱のトマト 甲當り二萬斤を目標に增產 高雄州・來年度の計畫 |
08 | トマト出荷事務を打合 |
09 | 新化郡志願兵數六千三百名 |
10 | 臺南市廿三日臨時市會開く |
11 | 兩市議任命 |
12 | 藤村臺北市長大和村視察 |
13 | 廣谷廳長歸廳 |
14 | 濱崎高雄州地方課長市內巡視 |
15 | “家庭の鑛脈” 掘り出して献金 |
16 | 花蓮港廳農會通常總會 |
17 | 圖像:ラングーン占領第一報 |
18 | “櫻の國”上映 花蓮港市の遺家族慰問會 |
19 | 三分子道路起工式 |
20 | 各地國民學校卒業式休了式 |
21 | 新化郡農務打合會開催 |
22 | 思はぬ唐辛子景氣 滿洲で高值一箱七十圓 |
23 | 義務教育に備へ 新化郡各校增級 |
24 | 優良店員を表彰 |
25 | 光南寫真會例會 |
26 | 北港華僑公會 第四回總會 |
27 | 明朗部落の建設 名間庄で研究會開催 |
28 | 屏東師卒業式 |
29 | 鶴產業部長新化郡を巡視 |
30 | 善化の劉醫師百圓を献金 |
31 | 國民劇場として 嘉義市、南座買收 |
32 | 高雄市吏員大量募集 |
33 | 敬老會催す |
34 | 收賄發覺 |
35 | 鐵道自殺救はる |
36 | 人事 |
37 | 地方便り |
38 | 今日の映畫 |
39 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 米穀局各係の 事務分掌決定 本日の訓令で公布 |
02 | 屑ゴム配給規則 近く公布實施 |
03 | 廢品類統制要綱 (下)各州廳へ通知實施 |
04 | 代用ガラ及び コークスの用法 |
05 | 電氣新料金規準 電力審議會で決定 |
06 | 日糖竹山工場壓搾終了 |
07 | 港灣運送業統制令 施行規則改正施行 |
08 | 木材生產配給統制 近く規則を公布 |
09 | 經理令に基き 家族手當を改正 |
10 | 臺銀人事異動 |
11 | 日糖竹南工場製糖終了 |
12 | 臺北商議所機構 三課一所に整備確立 |
13 | 商況 十九日後場 |
14 | ラジオ |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ポートモレスビーに刻刻と接近 ニユーギニア上陸の皇軍西進 |
02 | 又もモレスビー猛爆 |
03 | 滿載の船團を護衛 敵の潛水艦を退治 索敵の尖兵驅逐艦の奮鬪 |
04 | 爪哇東端に無血進駐 |
05 | 圖像:リマイ飛行場爆擊の陸鷲 |
06 | 建設の槌音高らか 完全に破壞された タンジヨンプリオク港 |
07 | 南總督閣僚と懇談 |
08 | 着水中の我飛行艇 飛來の敵機を見事擊墜 |
09 | わが航空部隊又も ポートダーウイン空襲 |
10 | 反樞軸聯合軍司令官に マツカーサーが就任 皇軍の完全な勝利を承認 |
11 | ミンドロ島の上陸戰況 |
12 | 市民は全く親日 カラパン市皇軍に協力 |
13 | 地獄の責苦に喘ぐ バタアン戰線の米比軍 |
14 | 防禦攻勢の言葉 敗殘米英の苦境を物語る |
15 | 英蔣間意見對立 ビルマ戰線指導問題で |
16 | 敵二爆擊機を擊墜 我が一小警備船捨身の戰術 |
17 | 張群印度に派遣 蔣政權對印合作方策を決定 |
18 | 泉大津市誕生 |
19 | 張特派大使 横須賀訪問 |
20 | けふ翼贊支部結成特別委員會 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 「擊て」の號令一下 魚雷は獲物に喰入る 潛水艦Y艦長の土產話 |
02 | 天覽に供する鳥貝類 古賀園長を昭南に派遣 |
03 | 鍛へる白衣の天使 (五)本社主催・看護助手座談會 心は早くも現地へ 結婚は後の後のこと報社消息 |
04 | 大須賀司令官 金瓜石を初巡視 |
05 | 齋藤少將講演 けふ市民講堂で |
06 | 海の子、餘裕綽綽 艦隊勤務の零れ話二つ |
07 | 圖像:武士の情 |
08 | 武勳をお土產に 諸勇士懷しの我が家へ |
09 | 感謝週間に 赤誠の恤兵金 |
10 | 基隆市の簡閱點呼 |
11 | 傷病兵勇士に慰問献金 |
12 | 感謝の献金群 軍司令部十九日の受付 |
13 | 南の幸どつさり 帝都に又も寶船入港 |
14 | 臺北州下の志願兵 四月七日から身體檢查 十二日から學科試驗開始 |
15 | 支部總務部長會議 けふ中央本部で開かる |
16 | 州下戰病歿警察職員招魂祭 來る一日に執行 |
17 | 馬產獎勵に曙光 產駒の敵“媾疹”發見 吉富技師の苦心に凱歌擧る |
18 | 圖像:昭南島プラカンコーチ陸軍要塞砲前で捕虜英兵激戰當時を語る |
19 | 臺北中一學級增 |
20 | 白衣の勇士慰問 州聯合青年團が感謝慰問會開催 |
21 | 奉公會が贈る 健全娛樂好評 南進座、高砂劇團人氣を呼ぶ |
22 | 桔梗俱樂部員の懇親競技會 |
23 | 古鐵献納者への感謝狀屆く |
24 | 興南詩苑漢詩 晴園雅會席上/尾崎古村、晴園卽事/神田鬯盥、晴園雅集漫句/魏潤庵、晴園雅集席上/黃可軒、晴園觀梅/黃春潮 |
25 | 總數八千七百餘 島都新年度の入學兒童 |
26 | 小豆割當配給 來月中旬に實施 |
27 | 增產獎勵の陣頭へ 丸木郡守草鞋がけで指導 |
28 | 皇民行進曲試演會開催 |
29 | 觀音山ハイク |
30 | 中壢に流腦 蔓延防遏に全力 |
31 | 商況 二十日前場 |
32 | 興南案內報社消息 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 高松宮殿下を始め奉り 生存者に輝く恩賞 海軍關係の生存者死歿者論功行賞頭條新聞 【東京發同盟】畏き邊りでは二十一日第三十八回支那事變生存者論功行賞(海軍關係第十回)並に第四十九回支那事變死歿者論功行賞(海軍關係第二十四回)の御沙汰あらせられ同日午前零時海軍省より發表された、今回の光榮に輝く勇士は生存者關係においては 高松宮殿下を始め奉り支那各地において力戰奮闘赫赫たる武勳を擧げた海上部隊、陸戰隊及び航空部隊の將士(昭和十五年五月以降の死歿者若干名を含む)で右の內金鵄勳章を授賜されたものは宇垣纏少將以下五百八十五名でその內功績抜群にして優賞せられた勇士は佐藤義雄空曹長以下八十六名である。又死歿者行賞においては昭和十五年四月二十九日附旣に第一次賞賜を受けその後更に事變勤務に從事し功績ある者及び同日以後始めて事變勤務に服し功績ある者の內昭和十六年五月九日までの間における戰死者及び戰傷死者三十名で主として中南支に奪戰した陸戰隊の勇士であつて第二次行賞の光榮に浴したものである、右の中金鵄勳章授賜の聖恩に浴したものは上原辰五郎三等兵曹以下二十名である、尚今回の生存者行賞中には畏くも金枝玉葉の御身をもつて親しく第一線に御活躍赫赫の御武勳を樹てさせられた 高松宮殿下の御名も記されてゐる、また名軍務局長として海軍部內に重きをなす岡敬純少將、死歿者においては過ぐる昭和十五年六月援蔣ルート遮斷狀況視察のため監視員として現地に赴任翌七月七日南支で重要任務遂行中佛印監視員初の犧牲者として名譽の戰死を遂げた根木純一大佐或は昨年二月戰線視察中の大角大將に隨行飛行機事故により南支に散華した立見忠五郎大佐等がその名も連ねてゐる 功四 賜金 少佐 宣仁親王(御寫真は高松宮殿下) |
02 | 將兵齊しく 恐懼感激 |
03 | 畑、寺內、岡村の三將軍 初の功一級金鵄勳章 梅津、板垣、安藤、後宮四將星は殊勳甲 |
04 | 各將軍赫赫の戰歷 |
05 | 功一級金鵄勳章 制定以來茲に五十有餘年 授賜の光榮僅かに廿五名 |
06 | 我無敵艦隊基地に凱旋 大東亞海上に大偉勳 スラバヤ沖海戰、大勝の詳報 |
07 | スラバヤ港を接收 わが海軍陸上諸部隊一齊に 步武堂堂の進駐!! |
08 | 卑怯、欺瞞、米の喜劇 マツカーサー、セーヤーの逃亡 比島派遣軍當局談 |
09 | 日本海軍に感謝 海軍主催の午餐會席上張大使が挨拶 |
10 | 印度各派の動き 頓に活潑化 クリツプス着印を前に |
11 | 廿二日に全國支部長會議 |
12 | 佐藤駐ソ大使ソ聯に向ふ |
13 | 比島海軍司令官も 濠洲に脫走 |
14 | ソ聯大軍集結 ア、イ兩國境に |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 本島食糧政策の新方途社說 一 近代戰爭に於ける銃後食糧政策運用の責務は一段と加重されて來た。如何に優秀なる兵器や裝備を有しても、食糧政策にしてその運用を誤まる事があれば最後の勝利を獲得出來ない事は幾多の戰史の教へる處である、殊に近代戰爭は武力戰であると共に經濟戰であり總力戰であるこの見地よりして大東亞戰爭勃發以來政府當局は極力國內に於ける食糧確保の為めに總ゆる手段を傾注し、その整備に努力して居る。大東亞共榮圈內の食糧資源は豐富であ□自給自足の現狀を示して居るも、多年米英蘭の搾取政策に禍されて地域別には未だに過不足の地方があり、我が指導下に入つた各地域をして有無相通じ、生產の增加と配給の平衡を計る為めには、實にリーダーたる我が國の科學的調查と指導に俟つ所が多いのである。卽ち我が大東亞共榮圈建設の根本理念である東亞民族十億をしてその生活を安定させるには、今後の經濟建設の目標は食糧の確保を第一義とせねばならない。從つて我が國としては如何にして東亞共榮圈內の食糧政策を確乎不動たらしめるかが與へられた重要課題である。 二 飜つて本島の南方共榮圈建設に對する食糧政策達成の使命より之を見るに、氣候的には熱帶圈にあり、多年の研究と尊い經驗を活用して、未開發地域の食糧增產に協力せねばならない。その具體的方策としては、島內に於ける優秀なる農業技術者を養成して、南方各地域へ派遣すると共に、耕作に尊い經驗を有する本島農家を各地域に移植し食糧增產に協力させるのが最も捷徑である。現在東亞共榮圈內の食糧生產狀況より見るに、泰佛印、ビルマは幼稚なる農耕を為して居るも、年年巨額の輸出力を有して居り、それに反し、東印度を始めマレー、ボルネオ、比島は米を主要食糧として居るにも拘らず、產額が少く輸入米により賄つて居る。廣大なる大東亞海を中心として、食糧資源が偏在して居るので、今後の經濟建設は各地域をして、一時も早く自產自足を為すべく促進せねばならない。かかる樣相よりしても、本島は從來の如き消極的食糧政策から一步を進めて、南方共榮圈の食糧指導政策に對しても、その尊い技術と經驗を活用すべき秋である。 三 本島に於ける食糧政策の運用を回顧するに、昭和十四年度までは自由取引時代であり、その後島內農業の調整發達を目的として移出米管理法が實施され、引續き島內消費米をも統制し、更に本年度に入つてからは、米以外の主要食糧品をも管理する事となつたが、その目標は島內食糧の確保と內地への供給使命を果すにある。大東亞戰爭勃發して以來本島の食種國策達成への使命は一段と加重され總ゆる惡條件を克服しても增產へ邁進せねばならないと共に、地理的關係よりして內外地への食糧供給任務を果す事となつたのである。生產、配給、消費の各部門に對し官民一致の努力に依り、戰時食糧庫としての使命を完遂しつつあるが、その組織に於いては改善を要すべき點が少くない。特に痛感させられるのは、生產及び配給機構の有機的連絡であると共に、國防國家建設の上から食糧政策を樹立する事である。本島は動かざる航空母艦であり、食糧の戰時貯藏及び保管と配給機構を確立する上から納入配給組合に代り食糧營團を作り、積極的方針のもとに食糧政策達成の為めに新方途を拓く事を期待する。 |
02 | 本島青年を登用 徒食させるのは國家の損失 梁井文教局長中央で力說 |
03 | ス氏は語學の天才 河合新竹商業校長談 |
04 | 三內親王樣 遞信、鐵道兩博物館御巡覽 |
05 | 白衣の天使 最後の磨き 看護助手第一班團體訓練 大直で鍊成開始 |
06 | 軍神の母校訪問記十一 渦卷き起つ感激 盡きず學友の懷古談 |
07 | “勇氣と霸氣” 官邸訪問の臺北高校生に 長谷川總督が訓話 |
08 | 實施要綱を決定 臺北州勞務協力會 |
09 | 時計眼鏡商工組合聯合會の總會 |
10 | “南方を語る”講演 臺北市奉公壯年團社會に贈る第一聲 |
11 | 音樂部と演劇部 桔梗俱樂部に設置 |
12 | 九軍神へ弔慰金と慰問文 |
13 | 農村に娛樂の饗宴 新人形劇試演會好評 |
14 | 東大教授に榮轉 北山臺大助教授 |
15 | 桶柑の山を献納 臺北青果同業組合が |
16 | ときの声 |
17 | 宜蘭市參事會 |
18 | 鄉軍基隆郡分會 きのふ晴れの發會式 |
19 | 宜蘭市共學兒童 |
20 | 花蓮港昭和國民校の卒業式 |
21 | 基隆郡下菓子商組合創立總會 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 光る!破邪の劍 鵬翼下に敵米英を制壓しつつ 三原中尉壯烈な戰死 |
02 | 「民情の明察」行脚 臺中州高等警察課各地で懇談會 |
03 | 時局懇談會 竹山信組で開催 |
04 | 興亞の礎兩英靈を弔ふ きのふ吉野校で嚴かな慰靈祭 |
05 | 若人待望の日! 高雄州志願兵試驗日割 |
06 | 工業徒弟巢立つ |
07 | 部落振興に驀ら 國語の普及は老幼を網羅 新化郡の研究發表會 |
08 | 震害復興慰勞會 |
09 | マグロ初漁 |
10 | 戰捷祝賀大演藝會 田中國民學校で |
11 | 女子國講師講習修了式 |
12 | 奉公女青訓練 廿四日より屏東青年鍊成道場で |
13 | 農業指導員近く出發 |
14 | 臺東艀舟溜 廿六日起工式 |
15 | 花蓮港署定期召集 |
16 | 烏日庄民の熱誠 恤兵献金に大童 |
17 | 家庭の鑛脈を採掘 烏日庄金屬回收好成績 |
18 | 同僚は大親日家 蘭印膺懲に從軍する馬來語先生 高雄商岩石教師語る 印度ネシヤの志士 スカンダール氏 |
19 | 中等選拔野球 昨日臺中で開催 |
20 | 集團保險詐欺 二十日公判さる |
21 | 軍國乙女敢鬪の姿 逞しき奉公運動の推進力 臺南州女青代表の猛訓練 |
22 | 茄走寮溪橋 初渡式擧行 |
23 | 大東亞戰記念 澎湖博物展盛況 |
24 | 員林市制期成同盟企畫委員月例會 |
25 | 潮州郡下の國民貯蓄成績良好 |
26 | 大溪公會堂で慰靈祭執行 |
27 | 北部優良組合の視察團あす出發 |
28 | 人事報社消息 |
29 | 地方便り |
30 | 新刊紹介 比島戰線從軍記 |
31 | 今日の映畫 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 農機具の移入 前年通り確保 府農務課伊勢田技師歸來談 |
02 | 工業用皮革製品 配給統制要綱 |
03 | 列車安全週間 來月三日より實施 |
04 | 臺灣土地制度沿革 (三)/陳逢源 |
05 | 日糖竹山工場製糖終了 |
06 | 同沙鹿苗栗工場も壓搾終了 |
07 | 臺灣砂糖貿易組合長交迭 |
08 | 拭布類統制要綱 |
09 | 產業戰士敢鬪の跡(九) 米種改良增產及造林に協力 勤勞者李火來氏 |
10 | 移民の模範 農耕に精勵 勤勞者由良周一氏 |
11 | 綠肥の增產に銳意努力 勤勞者劉興標氏 |
12 | 外局職員待遇改善に 新年度より年功加俸支給 |
13 | 昨年十一月中生保事業概況 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況 二十日後場 |
16 | ラジオ |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 生存者の論功行賞 陸軍關係、第卅一回頭條新聞 【東京發同盟】去る二十日陸軍省並に內閣賞勳局より發表された支那事變生存者第三十七回論功行賞(陸軍關係第三十一回)受賞者左の如し 功三 少將 李王垠 同 大佐 恒憲王 同 同 雍仁親王 功四 中佐 春仁王 同 大尉 恒德王 同 中尉 盛厚王 △殊勳甲 功四小綬 大尉 梅本文夫 岐阜 同 旭五 同 片山滿雄 香川 功三中綬 大佐 原田鶴吉 佐賀 功六旭七 軍曹 見酉公夫 大分 功三中綬 中佐 本田和助 鹿兒島 功四旭五 大尉 汶陽光文 同 同 旭四 少佐 廣瀨 茂 長野 功三中綬 大佐 貴島次郎 東京 功四旭四 大尉 森本重一 廣島 同 同 同 栗原賀久 福岡 功三旭三 中佐 池谷半二郎 靜岡 功四旭五 少佐 加藤建夫 北海道 功三旭四 同 寺西多美彌 神奈川 功四旭五 大尉 田中 堯 京都 同 小綬 少佐 牧野靖雄 神奈川 同 旭四 大尉 古林忠一 山口 功四小綬 少佐 島田千三郎 福岡 同 旭四 同 下村兵一 佐賀 功三小綬 同 神崎 清 福岡 功四旭六 中尉 代永兵衛 山梨 同 旭五 大尉 岩橋讓二 和歌山 功五旭六 准尉 蟹 鉦一 愛知 功四旭五 大尉 鈴木秀英 福島 功三小綬 少佐 平松順一 京都 功四旭四 大尉 福田林治 栃木 功五旭七 曹長 原口佐利 鹿兒島 功三旭三 中佐 荒尾興功 高知 功四旭六 中尉 相澤寅四郎 長野 同 旭五 大尉 大室盂 鹿兒島 △一般殊勳者 (佐官以上) 功三旭二 中將 下村 定 高知 功四旭三 大佐 稻田正純 鳥取 同 — 少將 □□半二 兵庫 功四 大佐 今田俊夫 奈良 同 小綬 中佐 佐野直太郎 秋田 同 同 同 中尾策郎 東京 同 旭三 同 小林五市 香川 同 大佐 野澤 廣 東京 同 少佐 橋詰利龜 高知 同 中綬 中佐 富山武雄 滋賀 同 同 同 溫井親光 山梨 同 少佐 杉野俊三郎 岡山 同 中綬 中佐 加藤忠義 東京 同 同 大佐 岩城庄助 同 同 同 同 江橋道晴 同 同 同 中佐 小笠原勝國 愛知 功五小綬 少佐 鹿毛 貢 福岡 功四 大佐 青柳三郎 東京 同 中綬 同 出田剛介 北海道 同 同 鋤柄政治 愛知 同 中綬 同 山田 茂 茨城 同 同 中佐 鍛治川學 廣島 功四中綬 大佐 小池愛雄 東京 同 旭三 中佐 加藤正次 山梨 同 中綬 同 小金澤福次郎群馬 同 同 同 鬼塚義淳 鹿兒島 同 同 同 松井謙之 兵庫 同 大佐 森川 清 東京 同 中綬 中佐 高澤健兒 石川 同 同 大佐 楠瀨正實 高知 同 小綬 少佐 森田豐秋 同 同 同 同 藤岡 勇 青森 同 中綬 中佐 吉松喜三 佐賀 同 旭四 少佐 澤地玉爾 宮城 同 中綬 中佐 町野一雄 北海道 同 小綬 少佐 鈴木直壽 千葉 同 中綬 中佐 石井榮次 同 同 少佐 野中喜四郎 東京 功四中綬 大佐 堀川清省 三重 同 旭三 中佐 堀場一雄 愛知 同 旭四 少佐 井本熊男 山口 同 旭三 中佐 梶松次郎 廣島 同 同 同 川口精一 鹿兒島 同 同 同 小林吉二 兵庫 功五小綬 少佐 佐籐正次 埼玉 功四同 同 橫田武夫 熊本 同 旭三 中佐 久保正基 愛知 同 旭四 同 清水孝太郎 東京 同 中綬 大佐 中村 肇 宮崎 同 同 中佐 平野鍵一郎 静岡 功五旭四 少佐 石井好夫 岡山 功四小綬 少佐 岩橋一男 和歌山 同 中綬 大佐 丸山八東 長野 同 同 中佐 岡部英一 兵庫 同 小綬 少佐 今野喜久造 宮城 功五同 同 吉澤倉次郎 埼玉 功四小綬 中佐 上田正歲 東京 同 旭四 少佐 瀧波幸助 新潟 功五ー 同 三田清四郎 新潟 功四中綬 大佐 木下 滋 佐賀 同 同 同 長屋朝生 群馬 同 同 中佐 寺田貞助 愛知 功四旭四 少佐 大沼 清 東京 同 中綬 中佐 早瀨秀夫 岡山 同 小綬 少佐 南庄五郎 熊本 同 中綬 大佐 二宮滿治 岩手 同 小綬 少佐 吉村藏五郎 東京 同 同 中島美光 廣島 同 中綬 中佐 東 真六 佐賀 同 同 同 山下信夫 山口 同 旭三 同 依知川庸治 千葉 同 同 同 福井義介 山口 功五旭四 少佐 於保多三 佐賀 同 同 同 古川次郎 佐賀 功五旭四 少佐 三島武雄 山口 功五小綬 同 阿南 貢 大分 功四旭三 中佐 松山初之 京都 同 同 同 青木規正 鹿兒島 同 同 同 白崎嘉明 福井 功三中綬 大佐 塚田理喜智 石川 功四同 同 矢內晴治 群馬 同 旭四 中佐 佐藤 直 山形 同 小綬 少佐 恩田謙藏 廣島 同 旭三 大佐 光成省三 廣島 功四中綬 中佐 弘中孫六 山口 功五旭四 少佐 遠藤 操 廣島 同 同 同 糀 卓次 福岡 同 同 同 黑田要司 岐阜 功四中綬 大佐 安達三郎 東京 同 同 同 三好康之 廣島 同 同 同 川上清志 鹿兒島 同 同 中佐 石原勘一郎 滋賀 功四旭四 少佐 橫山八男 新潟 同 小綬 同 坂口 正 兵庫 同 旭四 中佐 榊原主計 東京 同 同 同 二宮義清 愛媛 功五同 少佐 倉橋武雄 東京 同 同 同 大賀時雄 岡山 功四同 同 田中賢治 新潟 功五同 同 大西 一 兵庫 功四旭三 中佐 石井秋穗 山口 同 同 同 大內 競 東京 同 同 同 鈴木 京 東京 同 同 同 本鄉忠夫 兵庫 同 旭四 同 八野井宏 石川 功五同 少佐 □田弘志 岡山 功四旭三 中佐 二神 力 愛媛 同 中綬 大佐 岡田重一 東京 功五旭五 少佐 高山信武 鹿兒島 功四旭三 中佐 櫛田正夫 栃木 功四小綬 少佐 種村佐孝 三重 同 旭三 中佐 村澤一雄 石川 同 旭四 同 尾川勘治 兵庫 同 中綬 大佐 安達與助 山形 功五旭四 少佐 奧野一雄 石川 功四同 中佐 折田正男 鹿兒島 同 中綬 同 工藤勝彥 青森 同 旭三 同 林太平 鹿兒島 同 中綬 同 住谷 悌 茨城 功五旭五 少佐 細田 熙 東京 功四旭三 大佐 鵜澤尚信 東京 同 中綬 中佐 中尾留次 東京 同 小綬 同 安藤尚志 岡山 同 同 少佐 加藤運平 靜岡 同 旭四 中佐 牧野文一 香川 功五小綬 少佐 竹內秀三郎 秋田 功四旭三 中佐 久門有文 愛媛 同 中綬 大佐 大塚寅雄 東京 功四旭四 中佐 下山俊作 東京 同 同 同 河村孝三郎 福岡 同 同 少佐 內田厚生 熊本 同 旭三 中佐 中山寧人 熊本 同 旭四 同 花谷 浩 岡山 功五小綬 少佐 濱田要 鹿兒島 功四旭三 大佐 田中誠三 石川 同 旭四 少佐 菊池繁 神奈川 同 小綬 少佐 唐原勘治 大分 同 同 同 千田静飛虎 鹿兒島 同 中綬 中佐 永山喜一 青森 同 旭三 同 中濱吾祐 廣島 同 旭四 少佐 幡川鍊治 神奈川 同 中綬 大佐 大川□介 東京 同 小綬 少佐 福田光威 大阪 同 旭四 同 山本源一 山口 同 中綬 大佐 磯矢伍郎 三重 功五旭四 少佐 田中 茂 山口 功四旭三 中佐 吉田 豐 德島 功四— 少佐 八木 茂 岡山 同 小綬 同 白樫收次 和歌山 同 — 同 菅原秀吉 香川 同 中綬 大佐 田坂專一 愛媛 同 ー 少佐 服部 一 岡山 功五旭四 同 鈴木啓之 滋賀 同 小綬 同 田中九太郎 廣島 同 同 同 中西次八 佐賀 功四中綬 大佐 福田一也 山口 同 小綬 中佐 加籐守敏 東京 同 旭四 少佐 菅野 良 山口 同 — 同 古市迪哉 茨城 同 小綬 中佐 高橋克己 岐阜 功五旭四 少佐 村山誠一 新潟 功四中綬 大佐 北村可大 熊本 同 旭三 中佐 大午秀雄 香川 同 同 同 小沼治夫 東京 功五旭四 少佐 吉橋戒三 埼玉 功四旭四 中佐 吉川 猛 東京 同 旭三 大佐 吉永 朴 熊本 同 同 同 小畑信良 大阪 同 同 中佐 友近美晴 廣島 功五旭四 少佐 廣石權三 大分 功四旭三 大佐 高田清秀 富山 功五旭四 少佐 目賀田惠太郎東京 功四旭三 中佐 米本勝男 德島 功五旭四 少佐 立花四郎 東京 同 同 同 鹽田 要 福島 同 同 同 高柴辰雄 新潟 同 旭五 同 倉持善之助 茨城 功四旭四 中佐 星駒太郎 山形 功五旭五 少佐 青木武夫 三重 同 小綬 同 栗山清藏 山形 同 同 同 高橋 武 東京 功四同 同 押目音治郎 岡山 功五旭四 少佐 野中俊雄 大分 功四旭四 同 田中倭文 高知 功四小綬 少佐 河島慶吾 茨城 功四 大佐 中井若松 神奈川 同 中佐 篠原直夫 福岡 功四小綬 少佐 西田俊行 福岡 同 中綬 大佐 佐々木省三 岩手 功四旭四 少佐 橋本正統 和歌山 功四同 少佐 太田卯吉 岐阜 功四 少佐 濱地喜代太 福岡 功四中綬 大佐 岩畔豪雄 福島 功四旭三 中佐 西浦進 和歌山 功四中綬 大佐 芳村正義 奈良 同 同 同 中山貞武 高知 功四小綬 少佐 釘宮清重 大分 功五旭五 少佐 谷川清彥 山口 功五旭四 少佐 加藤 正 愛知 功四小綬 少佐 青木二郎 佐賀 功五旭四 同 香田清猛 佐賀 功四中綬 中佐 石崎申之 富山 功五旭四 少佐 鬼頭將方 愛知 功四中綬 中佐 吉村周平 岐阜 同 少佐 小泉義純 石川 同 小綬 少佐 杉本守德 熊本 同 旭三 中佐 松野菊仙 岐阜 功五旭四 少佐 赤山源三郎 埼玉 同 旭四 少佐 堀江重雄 福井 功五旭四 少佐 服部征夫 愛知 功四旭三 中佐 笹島太郎 石川 功四小綬 少佐 上田信夫 廣島 功四小綬 少佐 塚本萬治郎 岐阜 少佐 金子陽介 山口 功四旭三 中佐 高月 保 長崎 功三旭三 大佐 西村敏雄 山口 |
02 | また二回に亘り猛爆 ポートモレスビーを |
03 | 彈雨以上の集中砲火 バタアン半島、肉彈戰に終始 |
04 | 落下傘部隊の奮戰 大東亞戰に不滅の一頁 |
05 | 滿洲歷史の創造者 世界歷史の推進力 建國功勞者招待晚餐會張大使が挨拶 |
06 | 歷代關東軍司令官の 各私邸を訪問 |
07 | 圖像:樞軸國日本駐在大使館付武官香港を視察 |
08 | 英、濠の對立激化 マツカーサー總司令官任命と ケーシーの英戰時閣員を繞り |
09 | けふ支部長會議 適正候補者選定の基準 推薦運動の方法を指示 |
10 | スラバヤ市 全部開店、頓に殷賑 |
11 | バタビア市長代理に任命 アブツラ氏を |
12 | 濠洲緊急閣議 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 天皇陛下御親拜 春季皇靈祭の御儀 |
02 | 梨本宮殿下台臨 昨日晴の結成式擧行 大日本武德會 |
03 | 軍神の母校訪問記十二 六號艇神社に參拜 一同軍神を迎へる光榮を奉告 |
04 | 春季國語演習會 あす北門校で |
05 | 聖恩獄窓に洽し 模範囚百二名に假出所の恩典 |
06 | 慰安舞踊會 若柳吉清會の主催で兩日間開催 |
07 | 市街庄吏員養成所卒業式 |
08 | 臺大に經濟學部の 增設が絕對必要 近く引上げる烏賀博士談 |
09 | 小葉榕樹を献納 臺灣神社迄一中生運搬奉仕 |
10 | 臺灣遺兒部隊着神 昨日午後發帝都へ |
11 | 東亞旅行社 南方圈に案內所新設 |
12 | 鍛へる乙女達 桔梗俱樂部員の懇親競技會 |
13 | 米英擊滅の意氣物淒し 祈願東西對抗繼走大會昨日火蓋切らる |
14 | 我が三大節を新祝日に 日比の家族的結合に新たに設定 |
15 | 赤誠の献金群 武官府二十日の受付 |
16 | 宜蘭市役所 扱の恤兵献金 |
17 | 優良警防團と 團員の表彰式 廿三日內務省で擧行 |
18 | 西軍斷然リード |
19 | けふ午前六時發 第二日コースに |
20 | 大相撲夏場所 五月十日から開催 |
21 | 文政、理農學部長 新學年から更迭 後任岡野、青木兩教授に內定 |
22 | 板倉貞壽氏醫博に 論文東大教授會を通過 |
23 | 南洋行記者募集報社消息 |
24 | 全國一齊に臨時常會開催 來る四月一日 |
25 | 軍屬募集 |
26 | 音樂學校入學者 |
27 | 齒科醫師會總會 |
28 | 櫻花觀賞ハイク |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大眾遙拜式擧行 臺南市の春季皇靈祭 |
02 | 陸軍墓地慰靈祭 森田知事外官民多數列席 |
03 | 高雄州蔗耕改善競技會 出品三千四點 |
04 | 窄き門を睨んで 愁眉展かぬ父兄の顏、兒童の顏 臺南市の入試始まる |
05 | 本島治安の礎石 殉難警察官招魂祭執行 |
06 | 傷痍軍人を招いて懇談 高雄軍援會主催 |
07 | 圖像:出擊に向ふ我が潛水艦 |
08 | 花蓮港軍援會評議員會開催 |
09 | 模範世話役ら褒賞 |
10 | 臺東の兵志願者四、六六九名 |
11 | 勤續店員表彰 臺中商議所から |
12 | 甲當62萬斤 蔗作界の驚異!! 農民の努力結實 |
13 | 青年演劇研究會 屏東市近く設置 |
14 | 世界の寶庫・蘭印(八) 現實無視の經濟策 日貨杜絕で東印人悲鳴 |
15 | 楊梅庄の米穀供出成績良好 |
16 | 感激!皇軍の奮鬪 正に國民必見の大ヂオラマだ 臺南大東亞戰展盛況 |
17 | 圖像:大東亞戰爭特報 |
18 | 新化郡獸肉組合 貯蓄報國に邁進 |
19 | 北工、嘉農勝ち殘る けふ南北の兩雄大接戰? |
20 | 唐、宋、元の古錢 澎湖島で六千餘枚發掘 考古學の珍資料 |
21 | 斗南專修農業 廿五日開校式 |
22 | 俘虜監督指導者銓衡試驗 |
23 | 屏東農業專修卒業式 |
24 | 臺南州北部地區青果物配給組合は |
25 | 就職率九十パーセント |
26 | 曾文家政女卒業式 |
27 | 故王了庵氏告別式 |
28 | 地方便り |
29 | 今日の映畫 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 文藝 ジヤバ更紗談義/芹葉輝夫 |
02 | 南十字星 一致協力の源/古谷綱武 |
03 | 閑人免進の立札 大連の春 子供便り/原勝 |
04 | マズラ島の競牛 とても勇しい |
05 | 推薦認定圖書 臺灣圖書館協會 |
06 | 圖像:田園畫譜(其六)/藍蔭鼎 |
07 | 音樂博物館建設準備會 本格的活動へ |
08 | 翼贊選擧の紙芝居 六大都市一齊進擊 |
09 | 華爾と戈登 |
10 | ラジオ |
11 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 海軍關係の論功行賞頭條新聞 【東京發同盟】二十一日海軍省並に內閣賞勳局より發表された第三十八回支那事變生存者論功行賞(海軍關係第十回)並に第四十九回支那事變死歿者論功行賞(海軍關係第二十四回)の受賞者左の如し ◇生存者行賞 △功績抜群にして優賞せられたる者 橫須賀鎭守府 功五旭七賜金空曹長佐藤義雄北海道 同青色同一空曹嶺岸平十郎宫城 同旭七同同佐佐木才治秋田 同同 同同 平久江通英 栃木 同同 同同 安田大助 神奈川 同同 同同 赤津辨藏 茨城 同青色同同 神崎 保 神奈川 功五旭七賜金一空曹 大澤要 茨城 同同 同 同 大塚喜男 同 同同 同 同 鷲田光男東京市 同同 同 同 兒玉金四郎長野 同同 同 同 田口光男 茨城 同同 同 同 小川六三 靜岡 同同 同 同 渡邊忠三 東京府 同青色同一整曹鈴木清秀北海道 同同 同 同 阿佐見正 群馬 同旭七同 同 天野安明 山梨 同同 同 同 菊地武夫 岩手 同同 同二空曹大久保林次茨城 同同 同 同 角田信七郎栃木 同同 同 同 氏家粂助 福島 同同 同 同 森作新造 茨城 同同 同 同 三井豐治 山梨 同同 同 同 籔崎 坦 千葉 同同 同 同 內藤治吉 神奈川 功六旭七賜金二空曹勝田重治秋田 同同 同 同 小林二司郡山市 同同 同 同 內藤千春山梨 同同 同 同 乙訓菊江東京府 功五同 同二整曹 武石義男 茨城 同同 同 同 多田丈仲 千葉 同同 同 同 加藤敏朗 静岡 同同 同 同 栗原文哉 山梨 同同 同 同 小林貫 茨城 功六同同 同 飯野喜德 栃木 同同 同 同三空曹八卷嘉朗山梨 同同 同 同 白土一 福島 同同 同三整曹 平瀨喜博 長野 吳鎮守府 功五旭七賜金空曹長板村肇山口 同青色同一空曹大田正一山口 同旭七同 同 八十島恒治大分 功五旭七賜金一空曹林源山口 同同 同 同 關口一三 吳市 同同 同 同 野田卓夫 三重 同同 同 同 松村春一 山口 同同 同一整曹德田忠男 山口 同同 同二空曹大原 猛 東京市 同同 同 同 久緊一登 廣島 功六同 同 同川上三代治山口 同同 同 同佐々木美雄 島根 同同 同 同 服部孝藏 大阪市 同司 同 同 岸田軍次 山口 功五同 同二整曹說田好朗岐阜 功六同 同三空曹尾茂田幸一廣島 同同 同 同 岡崎宗雄 山口 同旭八同 同 尾關行治 愛知 佐世保鎮守府 功五旭六賜金空曹長札元清三鹿兒島 同旭七同 同 立花正二 熊本 功五青色賜金一空曹鬼塚光男熊本市 同同 同 同 矢野廣秋 高知 同旭七同 同 清水佐市 八幡市 同同 同 同 室園忠雄 福岡 同同 同 同 蝶野仁郎 愛媛 同青色同 同 今村重志 鹿兒島 同同 同 同 福井義男 香川 同旭七同 同 大串 均 長崎 同同 同 同 上村緊雄 德島 同同 同 同 王子野隆男鹿兒島 同青色同 一整曹福山勝 長崎 同旭七同 同 長友吉雄 延岡市 同同 同 同 田中親 福井 同同 同 二空曹三好美一郎大分 同同 同 同 松崎精一 熊本 功六同 同 同 菅原英男 大分 同同 同 同 近藤政市 愛媛 同同 同 同 中島三教 大分 同同 同 同 今宮 保 大分 功五同 同二整曹後藤貢 大分 功六同 同 三空曹別宮和光 宮崎 同同 同 同 江原萬吉 佐賀 同同 同 同 內田二三雄佐賀 同同 同三整曹野村 博 大分 同同 同一空安河內槌五郎福岡 功五旭七賜金一空曹佐藤進山形 同同 同 同 關根 實 新潟 △一般殊勳者(佐官以上) 功三旭二賜金少將 宇垣 纏 岡山 功四瑞三同 同 岡敬 純 東京 功四同 少佐 宣仁親王 ◇死歿者行賞 △一般殊勳者 (佐官以上) 木組 賜金 大佐 根木純一 新潟 旭三 同 主大佐 立見忠五郎 水戶市 |
02 | 近く重大聲明發表 東印度諸島統治に關して バタビアで地方行政官會議 |
03 | 要衝パダン(スマトラ)を占領 トバ湖附近を掃蕩 |
04 | 圖像:全蘭印降伏の歷史的會見 |
05 | マツカーサーの逃口上 |
06 | 濠洲陸相の談 |
07 | 米側に暗殺されたか ケソン前比島大統領の死因 |
08 | ケソン前比島大統領死亡 |
09 | 荒鷲ブルームダービーを空襲(濠洲發表) |
10 | 我荒鷲不撓の氣魄 六對一の空中戰で敵機を擊墜 悠悠と危機を脫す |
11 | 海空本部總務部長更迭 後任は大西海軍少將 |
12 | 大西海軍少將の略歷 |
13 | 沿途住民歡呼の嵐 美しい風土と溫和な氣候 スマトラ中央山脈縱斷記 |
14 | 建川大使モスクワへ 歸國挨拶をなす |
15 | 清新有為の人材を銓衡 支部長會議、阿部會長が挨拶 |
16 | 征戰完遂の為に 挺身實踐する者 推薦候補銓衡の基準 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 魂で結ぶ“母と母” これぞ日本女性最高の榮譽 九軍神永に安かれ |
02 | 岩佐中佐の遺族 嶋田海相が親しく訪れ |
03 | 海戰の成功に基く 日泰軍事同盟の成立は 二見前泰國駐在公使談 |
04 | 軍神の母校訪問記十三 江田島の人情風物 鳳雛を育くむ第二の家庭 海軍兵學校の卷 |
05 | 綜合研究が必要 共榮圈內の熱帶農業に 奧田九大教授語る |
06 | 推進員の鍊成會 奉公會新竹州支部で |
07 | 東西對抗繼走 第二日成績 |
08 | 島民感激の献金 廿二日軍司令部取扱 |
09 | 象君には甘蔗を 獅子公には鷄を 動物園の自給自足振り |
10 | 憧れの帝都入り 臺灣遺兒部隊十一名 |
11 | 一同元氣旺盛 岩本主任語る |
12 | 基隆同風國講所證書授與 |
13 | 九軍神への弔慰金 |
14 | 交通機關が復舊 昭南島及びマレー半島 |
15 | 宜蘭郡教育會總會 |
16 | 宜蘭醬油株式會社 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 六百萬圓投じて 土地改良に着手 第一期工事鍬入式 高雄州下 生產擴充に拍車 |
02 | 鍛へる乙女部隊 |
03 | 屏東鄉軍の射擊會盛況 |
04 | 竹山銃後後援會 發會式を擧行 |
05 | 產協臺中州支會 廿六日に總會 |
06 | 時局講演會 |
07 | 鍜ふ乙女の心身 皇奉臺中市支會で |
08 | 武道爭霸戰 新竹署が優勝 |
09 | 產業戰士敢鬪の跡(十) 自給肥料增產に貢献多し 勤勞者邵棟氏 |
10 | 職域奉公で顯著な成績 勤勞者中村與平氏 |
11 | 產業振興に盡瘁 勤勞者許糧氏 |
12 | 忠魂碑招魂祭 嚴肅裡に執行 |
13 | 臺南市臨時市會 |
14 | 堆肥增產を推進 高雄州運動週間閉幕 |
15 | 南方進出鍊成會 四月一日より高雄で |
16 | 嘉義國民劇場開場式擧行 |
17 | 屏東郡教護團 けふ結團式擧行 |
18 | 粉炭ガラ登場 火持ち火力強し |
19 | 隔意なき意見交換 南投郡時局懇談會 |
20 | 演劇挺身隊成る 白衣勇士慰問が目標 |
21 | 嘉農再度の榮冠獲得 春季中等校野球大會 |
22 | 豐原街火災 損害十萬圓 |
23 | 救火團體に感謝の醵金 |
24 | 昭和幼稚園修了式 |
25 | 明糖社線が 本島人女を轢殺 |
26 | 地方便り |
27 | 乙女の田植 |
28 | 今日の映畫 |
29 | 南洋行記者募集報社消息 |
30 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 文藝 戰爭とスポーツ 團體行動と運動神經 |
02 | 乳幼兒の始洗期/森脇要 |
03 | 黃金に輝く佛塔 ビルマはお寺の國です 子供知識 |
04 | 南十字星 “惡運黑猫軟禁” 獨英戰下の珍談 |
05 | “元祿忠臣藏”に文相賞 |
06 | 圖像:田園畫譜(其七) 夫耕婦作/藍蔭鼎 |
07 | 性質の荒い 熱帶の動物 |
08 | 今週の歷史 |
09 | ラジオ |
10 | 大東亞戰手帖 |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日ソ漁業暫定協定 効力延長議定書に調印 |
02 | ポートダーウインに 第六次空襲を敢行 |
03 | 我が空軍の優秀性 フ少佐、ル大統領に報告 |
04 | 東條首相參內 |
05 | 米の對蔣五億弗借款內容 |
06 | 圖像:バタアン半島に砲門を開く我○砲隊陣地 |
07 | マホメツトハンタ氏 無事皇軍に救出さる |
08 | 優先割當制で 全米商船武裝 |
09 | 滿洲の留學生達に 激勵の言葉を送る 張特使きのふの動靜 |
10 | 張謝恩特派大使 各方面に暇乞ひ |
11 | クリツプス一行カラチ着 |
12 | 請願分科聯合會と 建議委員會を開く 眾院廿五日の本會議を控へて |
13 | 貴院廿五日に本會議開く |
14 | 智國新大統領就任式 山縣公使を特派 |
15 | 佛印全學校に日本語を課す |
16 | 獨軍最大の充實振り 冬眠狀態から大攻勢に出でん |
17 | 獨潛水艦の戰果 |
18 | ル大統領と會見 濠洲エ外相 |
19 | 支部長會議の應答 |
20 | 翼贊協議會 選擧後の解散問題 阿部會長含蓄ある發言 |
21 | 銓衡基準と內申の員數 |
22 | 推薦候補者銓衡の基準 |
23 | 推薦候補者內申の員數 |
24 | 皇軍の努力で 無意味に終る 蘭印軍の破壞戰術 |
25 | 西亞は全世界の 關心の焦點 |
26 | 印度の微妙な動き |
27 | 米の鋼鐵生產 豫定より低減 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 圖像:彈雨中敵陣觀測 |
02 | 米艦イの一番に遁走 ジヤバ海戰・俘虜英少佐談 |
03 | 一瞬・大空は花畑 パレンバン奇襲成功に 秘められた不時着勇士の協力美談 |
04 | 鍛へる白衣の天使 (六)本社主催・看護助手座談會 若い本島青年の課題 もつとつと訓練せねばならぬ報社消息 |
05 | “もう駄目だと覺悟” 日本の潛水艦と聞いて震へ上る 救はれたチルタ號事務長の感激 |
06 | 定例局部長會議 |
07 | 俘虜監督者第二次銓衡 けふ公會堂で實施 |
08 | 庶務課長會議 |
09 | 警防協會表彰式 |
10 | 白衣勇士慰問 長谷川總督蜜柑を贈る |
11 | 市民榮養食講座を開催 |
12 | 志願兵學課試驗 羅東蘇澳兩郡の日割變更 |
13 | 動物園に驢馬がお目見得 軍部の厚意でお隣りから |
14 | 臺北醫專合格者 |
15 | 感謝の献金群 海軍武官府に續續 |
16 | 大須賀要塞司令官 廿五日着任披露會開催 |
17 | 紙芝居で乳兒保護宣傳 新竹州で講習會開催 |
18 | 兵營內にこれは 赤坊のおむつ 降伏英蘭兵バタン兵營の異聞 |
19 | 坂木氏スケツチ展 |
20 | 興南詩苑漢詩 志願兵制度施行賦祝/謝汝銓、春日草山/黃景南、敬步献三芸兄歸來原玉/郭茂松、過種苗園口占/郭茂松 |
21 | 商況 廿三日前場 |
22 | 興南案內報社消息 |
23 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | ポートモレスビー 未曾有の白晝猛爆 各所に大火災を起す頭條新聞 【リスボン二十三日發同盟】メルボルン來電によれば日本航空部隊は廿三日午後ポートモレスビーに對し未曾有の白晝大爆擊を敢行前後二回に亙つて痛な烈る銃爆撃を加へ諸軍事施設に甚大な損害を與へ各所に大火災を生ぜしめた |
02 | 世界全土に放送擴大 敵國デマ宣傳爆碎へ |
03 | 甘粕中將參內 中支、北支方面より歸還 |
04 | 圖像:皇軍ジヤバ島上陸、バンドンへバンドンへと銀輪部隊の進擊 |
05 | 日、ソ漁業交涉史 過去の日ソ關係を反映 |
06 | 交涉妥結の經過 |
07 | ソ聯側も發表 |
08 | 張特派大使一行 歡送交驩會 きのふ東京府主催で |
09 | ゴムの產地サラワク 皇軍指導下に經濟建設 |
10 | 烈烈・我荒鷲の氣魄 不死身の若鷲の生還 |
11 | 米比軍に降服勸告 |
12 | 爪哇島の米作 非常な豐作 |
13 | 米の對重慶五億弗借款 援助の指標 |
14 | 究む“南方科學” 臺大に三研究所新設 |
15 | 統制會へ權限移讓 相當廣範圍に及ばん |
16 | 建川大使 廿五日歸國の途へ |
17 | 推薦候補者銓衡特別委員 兩三日中に指名 |
18 | 米船、大西洋で四十隻沈沒 |
19 | 米、新たに三飛行基地を新設 |
20 | マツカーサー 濠洲軍事會談に出席 |
21 | 拓南俱樂部 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 學科試驗廢止の考查始まる 協力して新制度を活かせよ社說 一 いたいけな兒童を入試地獄、準備教育の重壓から解放し、明朗闊達な心身の發達を促し、躍進日本を背負つて立つべき將來有為なる國民の基礎的鍊成の完壁を期する趣旨から、文教當局に於ては今年から中等學校の入學試驗には斷然學科試驗を全廢し、入學者の選拔方法として國民學校長の內申證明、中等學校に於ける人物考查、身體檢查及び口頭試問に代るべき極めて簡易なる筆答試問の四者を綜合判定の上、合否を決定することとなつた。本來すべての志願者に均等の機會を與へ、中堅國民としての高等普通教育を施し、頭腦體力の優れたるものは益益之を優れしめ、劣れるものは出來る丈その水準を高めて、國家社會に少しでも多く役立しめるのを理想とせねばならぬが、それが一時に早急に實現出來ないとあらば、從來の如くむやみに詰込んだ知育の量と棒暗記の力とに秀でた兒童のみを收容したり、或は上級學校への入學率を誇らんが為に、畸形的準備教育を施すことを能事とする樣なことは、發育盛りの兒童に取つて時には一種の社會問題とも見らるるものがある。だから學科試驗の全廢は單に入試地獄の緩和と云ふ角度からばかりでなく、中學教育の本義、兒童愛護の上からももつと早く實現さるべき筈であつたのである。 二 內地では昭和十五年の春から既に實施を見、その結果種種の異論も行はれてゐるが、文教當局に於ては內地の新制度を詳さに檢討した上に、內地にない筆答試問の一項を加へ、問題は全教科に亘り極めて簡易なものを選定するのであるから、準備教育の餘地を與へず、而もこの成績に依つて內申成績の學校差と云ふものを或る程度判定することが出來、その上稍稍もすれば興奮狀態にある受驗兒童達に落付いて問題を考へる餘裕を與へるから、單なる口頭試問の缺陷をも是正することが出來る。當局苦心の跡がありありと見え、今の所では殆んど理想に近い方法であると稱してよいであらう。只如何に理想的な制度でも運用にその人を得なければ、一層の弊害を生じないとも限らないのである。 三 殊に本島は內地より競爭率が一層激甚であり、子供を人學させたい一念から如何なる情實の手を差し伸ばさないとも限らない、又第一號表國民學校と第二號表國民學校とがあつて、その內申が果して如何に取扱はれるかは一般父兄の重大關心事でもある。兎に角今年は最初の經驗であるから、兒童達や父兄の間には色色の不安や疑問を持たれることは否定し得ない。又內申する國民學校側も、審查する中等學校側も、具體的問題の判斷に當つて相當迷ふことがあるであらう。例へば內申書を作製する國民學校側は各各可愛い教へ子を合格させたい氣持は一般父兄に近いものがあるであらう。審查する中等學校側は席次のない優良可のみでは判定するに相當の困難を感ずるであらう。兎に角いたいけな兒童一生の分岐點を決定するものであるから、內申する國民學校側も、考查する中等學校側も、虛心坦懷、至公至平、聖なる心持で臨まなければならない。而して父兄達も學校當局に信賴して平靜な氣持で結果を待つべきであらう。かくして一致協力して新制度を活かし、今年初經驗の結果及び入學後の兒童の成績を今後一箇年間慎重に檢討して、新制度に缺陷があれば來年度から是正すべきであらう。 |
02 | 朝香宮殿下が台臨 遺兒達に御激勵の御言葉 軍援會主催の式典に |
03 | 譽れの遺兒達に 各方面から寄贈品殺到 |
04 | 兩式典代表決定 |
05 | 上野動物園見學 けふは日光へ |
06 | 商工業者誓ひの日 全國に奉公精神強調運動展開 來る大詔奉戴日に |
07 | 軍神の母校訪問記(十) 傳統の江田島精神 憶ひ出の望鄉臺・古鷹山 |
08 | 圖像:俘虜監督指導者の第二次銓衡 |
09 | 米穀增產の褒狀授與式 |
10 | 西軍に輝く榮冠 東西對抗繼走大會終幕 |
11 | 續く赤誠献金群 目立つ子供部隊と奉公會員 軍司令部 |
12 | 一圓銀貨三百枚 子供部隊の献金と慰問文等 武官府 |
13 | 防空打合會 大須賀要塞司令官も臨席 |
14 | 誓つて先頭□挺身躬行 桔梗俱樂部鍊成會修了式 |
15 | 申分なき健全娛樂 人形劇・奉公會本部で試演 |
16 | 持て“必合格”の信念 新考查法に依る中等入試けふ一齊に實施 |
17 | 新竹市春季國語演習會 |
18 | ときの声 |
19 | 蘇澳臺北間の直通線復活へ 地方民に要望の聲 |
20 | 新竹市 銃後後援會 廿六日に發會式 |
21 | 市議協議會の出席者と議案 月例會で決定 |
22 | 防毒マスク 隣組等に配給 |
23 | 大甲帽手編み 一般家庭に呼掛く |
24 | 南洋行記者募集報社消息 |
25 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 新考查法の運用 臺中各中等校とも慎重な態度 喜の發表は二十八日 |
02 | 九軍神に弔慰金 |
03 | 臺南市會開かる 各議案とも異議なく可決 |
04 | デマ防止の完璧陣 近く婦人保甲團を結成 |
05 | 特志看護助手 第二班訓練開始 |
06 | 常會指導者講習會 |
07 | 志願兵の選拔試驗 臺南州は來月六日から |
08 | 志願書を進達 |
09 | 圖像:大東亞戰特報 |
10 | 水稻競作褒狀授與式 |
11 | 米增收等競作會 褒賞授與式を擧行 |
12 | 臺中奉公青年隊合格者 |
13 | 慰問金を恤兵金に献納 譽の出征軍人家族の赤誠 |
14 | 甘藷增產競作褒狀授與式 |
15 | 大越府防空兵事課長來高 |
16 | ヨイ子供部隊 軍人家族に奉仕 |
17 | 事業運營に市長 郡守の協力要請 臺南市勞務協會評議員會 |
18 | 中壢農業學校卒業式を擧行 |
19 | 高雄州の共學兒童 八六名許可近く通知 |
20 | 防空映畫を上映 |
21 | 南方知識を公開 高雄圖書館の南方文庫 |
22 | 高砂族青少年を鍛ふ 國□會奉公隊結成查閱等を行ふ |
23 | 臺中署召集 |
24 | 叺製造競技會 |
25 | 時局講演會 斗六で開催 |
26 | 先生補充は大丈夫 高雄州の教員對策なる |
27 | 吏員講習會 |
28 | 藤の花の沙鹿丘 觀賞者で大賑ひ |
29 | 主婦の聲を聞く 臺所に寄せる市役所の親心 |
30 | 高雄貿易實務員養成所入所許可者 |
31 | 嘉南大圳組合會 |
32 | 仲仲の出來榮えだ 堂に入つた臺南魁演劇隊の藝能 |
33 | 中壢教育大會 |
34 | 皇軍將兵慰問金第廿二回(敬稱略)領收報告報社消息 |
35 | 員林郡產組役員 本社を見學報社消息 |
36 | 農民の煩惱 苗が伸過ぎそうだ |
37 | 勞水坑斗六道路 部落民の奉仕で開鑿 |
38 | 拓南漁業公司重役陣決定 |
39 | 中師附屬校高等科生募集 |
40 | 高雄春競馬 |
41 | 地方便り |
42 | 今日の映畫 |
43 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | “臺銀の大使命は 南方進駐にあり” 和田副頭取語る |
02 | 新設直接稅懇談會 卅一日市公會堂で |
03 | 湯河食糧局長官來臺視察日程 |
04 | 臺灣土地制度沿革 (四)/陳逢源 |
05 | 本期の產糖豫想 千九百萬擔を割るか |
06 | 產組聯設立準備 協議會を開催 |
07 | 日糖沙鹿苗栗 兩工場製糖終了 |
08 | 產業戰士敢鬪の跡十一 增產運動に日夜奮鬪 功勞者謝慶氏 |
09 | 鐵工業に貢献 勤勞者林維椿氏 |
10 | 職域奉公に挺身 勤勞者本田常平氏 |
11 | 產業開發に精勵 功勞者林春木氏 |
12 | 灣糖恒春工場壓搾終了 |
13 | 交通局運輸規定 鐵道船舶通シ運送規則改正 四月一日實施 |
14 | 菊元經濟相談所 皇奉生活相談所內に移轉 |
15 | 臺中小麥初檢收 成績頗る良好 |
16 | 臺灣電氣協會講演會 |
17 | 照明燈 |
18 | 商況 廿三日後場 |
19 | ラジオ |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 果敢な敵前上陸敢行 ソロモン群島の北端に 最初の軍艦旗を飜へす |
02 | ブカ島上陸に成功 |
03 | ウインダムを猛爆 西部濠洲の軍事要地 |
04 | 猛烈な大爆擊 濠洲政府の發表 |
05 | 圖像:母艦を離れてポート・モレスビー攻擊に向ふ海鷲 |
06 | 人口約七千 皇軍上陸のブカ島 |
07 | ニユージーランド 女子強制登錄 |
08 | 北支の劃期的飛躍 作戰、治安、建設、經濟の各方面 安達部隊長談 |
09 | べ、ア島居住の英國人引揚ぐ |
10 | 兵務部長更迭 後任藤岡少將着任 |
11 | “臺灣は念願の處” 藤岡新兵務部長語る |
12 | 勇名を謳はれた武將 |
13 | 明朗ジヤバ島再建 大東亞共榮圈の傘下に |
14 | 戰陣訓三則を訓示 今村陸軍最高指揮官 |
15 | 隨所に殲滅戰展開 スマトラ島の殘敵を |
16 | コレラ猖獗 英印軍中に |
17 | 張大使一行離京 大任を滯りなく果し |
18 | 中山縣一帶の 剿匪戰終了 |
19 | 獨の婦女子 百卅餘名救出 |
20 | 奮戰記念碑 除幕式 ゲツペル高地で |
21 | シンガポール總領事館閉鎖 |
22 | クリツプス一行 ニユーデリー着 宣傳味たつぷりの談話 |
23 | 中央農業協力會 定例理事會 |
24 | 諾威の船舶に 待避を指令 |
25 | 邦人に對し移住を要求 カナダ國防相 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇太子樣第二學年御修了 學習院卒業證書授與式 |
02 | 皇后陛下 廿六日女子學習院へ行啟 |
03 | 皇太子樣御參內 |
04 | 本島に畏し大御心 歸臺した兩知事謹話 |
05 | 內地の人は真劍 決戰の覺悟に燃えて |
06 | 英靈凱旋 戰友に護られて |
07 | 火野、松內兩氏 彈雨下に挺身活躍 |
08 | 香港の復興目覺し 寄臺した松本前香港副領事談 |
09 | 我が皇軍に深謝 エ亞國領事語る |
10 | 赤誠の献金群 軍司令部廿四日の受付 |
11 | 圖像:島都中等入試風景 |
12 | 各州廳支部の經濟部長會議 あす本部に招集 |
13 | 納稅期日迫る 目指せ完納を |
14 | 新竹州公醫會 けふ州會議室で |
15 | 島都中等入試風景 輝く榮冠目指して 少年少女達の喜憂交交の顏・顏・顏 |
16 | 試驗問題は俄然 大東亞共榮圈建設の一點に 北二中 |
17 | 目指す未來の豆產業戰士 應援部隊で非常な混雜振り 北工 |
18 | 新考查に戶惑ふ 父兄達に一抹の不安の色 北三女 |
19 | 水產會第十九回總代會 州會議室で開催 |
20 | 興南詩苑漢詩 □虎行/鶴亭 |
21 | 通信料金值上 四月一日から實施 ハガキ据置、封書は五錢に |
22 | 佐佐波遞信部長談 |
23 | 商況 廿四日前場 |
24 | 興南案內報社消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 爪哇島暫定取締方針 我軍政部當局が布告頭條新聞 【バタビヤ二十日發同盟】わが軍政部當局はジヤバ島における產業、金融、通貨、物價、貿易、為替及び交通各部門におけるわが暫定的取締方針に關し左のごとく布告した △產業一、水利灌漑の諸設備、鑛工業設備、倉庫、栽植物その他一切の生產製造設備を破壞、毀損することを禁ず 一、一切の官民は速かにその職場に復歸し夫夫その業務の繼續に努むべし 一、輸出入業、卸賣業、製造工業(精米業を含む)栽培企業(砂糖企業を含む)、運輸業及び倉庫業の代表者は左記の品目につきその在庫品、在庫場所を速かに大日本軍軍政部に申告しこれが移動處分に關しては許可を受くべし 織物、絲糸、織糸、鐵製品(亞鉛板、釘、薄鐵板、金屬線)、セメント、燐寸、合燐肥料、醋酸、米、玉蜀黍、規那皮、キニーネ、蓖麻子、タンニン劑、牛皮、コプラパソム油 △金融一、銀行その他金融機關の保持する通貨、地金銀、有價證券、帳簿等の搬出、煙滅、隱匿その他一切の金融攪亂行為を禁ず 一、銀行の業務は一時これを停止す、各銀行の代表者は速かに大日本軍軍政部に出頭、業務再開に關する指示を仰ぐべし 一、當分の間大日本軍の許可を受くるに非ざれば不動產及び有價證券、銀行預金等一切の無體財產權の成分を為すことを得ず △通貨一、大日本軍占領地域における使用通貨は軍用手票及び在來の盾貨とす、軍用手票の區別左の如し 十盾、五盾、半盾、十仙、五仙、一仙 一、軍用手票及も盾貨以外の通貨の流通を禁ず但し大日本帝國發行補助貨十錢、五錢、一錢は當分の間夫夫十仙、五仙一仙として流通せしむ 一、左記行為を禁ず イ軍用手票及び盾貨流通の妨害 ロ軍用手票及び盾貨以外の貨幣の支拂ひ又は受領 ハ軍用手票及び盾貨の偽造、變造又は廢毀 ニ軍用手票と盾貨との間に打歩を附し又は營利の目的を以てする交換 ホ政府紙幣及び公貨並に一盾貨の軍用手票(日本政府發行補助貨を含む)合せて百盾以上の退藏又は隱匿 △物價、賃銀一、物價、賃銀、地代及び家賃は千九百四十二年一月一日における價格を越えこれを契約し支拂ひ又は受領することを禁ず 一、暴利を得る目的を以てする買占め及び賣惜み並にかかる取引の媒介行為を禁ず △貿易及び為替一、物資の輸出入は當分の間これを禁ず 一、當分の間通貨、外國通貨、地金銀及び有價證券の輸出入を禁ず 一、外國為替外國居住者に對する債權、債務若くは外貨證券(預金證書を含む)の取得及び處分は一時これを禁ず △交通一、各種船舶、鐵道、電氣軌道、車輛、自動車道路、橋梁、港灣設備、發電設備、水道、瓦斯、電話、電燈施設、ガソリンスタンドその他水陸空一切の交通に關する機關及び施設並に電氣通信施設を破壞毀損することを禁ず 一、交通及び通信の業務に從事する一切の官民は速かにその職場に復歸し各各その業務を繼續すべし 一、交通及び通信事業の代表者は速かに大日本軍軍政部に出頭しその事業に關し申告すべし |
02 | 我が海鷲、連日猛躍 濠洲本土、北部ニ島等を爆擊 |
03 | 濠洲北部への壓迫 ますます猛烈を加ふ |
04 | ソロモン群島各地の概觀 |
05 | 圖像:任務終了して○○艦上に歸還した海鷲 |
06 | 懷しい日本式座敷 南方開發に挺身の同胞偲ばる ブカ島上陸從軍記 |
07 | ウルグアイ政府對獨抗議提出 |
08 | 圖像:敵彈を潛つて步兵第一線に擴聲機を備へて進む宣傳放送隊(比島戰線) |
09 | 湯澤內相の報告 |
10 | けふ掉尾の本會議 請願、建議案を採擇 |
11 | 焦土戰術に反對 ガンヂー翁意向表明 |
12 | 204ji3 |
13 | 英國は人類の敵 前大戰の歷史を忘却するな 印度志士ボ氏本國に呼掛く |
14 | 戰時海運管理令 けふ公布即日施行 |
15 | “翼贊選擧訓”制定 各地方支部へ發送 |
16 | 翼選協議會 本部で總會 |
17 | ブラジルの樞軸國人壓迫 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 西洋思想から日本思想へ社說 一 大東亞戰爭はその性格と云ひその規模と云ひ、實に我が國にとつて有史以來の大戰であり、また世界戰史上に於ても比類のない世紀の戰ひであることは言を俟たないが、戰爭開始以來の赫赫たる大戰果に至つては、まさに全世界を驚倒せしめる底の殆んど言語に絕するものがあることを强調しなければならない。開戰以來僅僅四箇月にも足らざるに、早くも米英蘭の太本洋海軍主力を覆滅せしめ、濠洲、ニユージランドを除く大東亞共榮圈を制壓した皇軍の偉力は、確かに世界戰史上空前の一大驚異たるを失はず、全世界を驚愕させるに足ることと云はねばならぬ。そして今更の如く日本の偉大さ力强さに壓倒させられて、急に日本の强さに依つて來る原因を探究し出した西洋諸國は、到底理解の行く筈がなく唯唯不思議だ謎の前に右往左往するばかりである。洵に日本の偉大さ力强さの依つて來る原因は、西洋人には凡そ把握の出來るものではないのである。 二 そして日本國民自身も改めて自らの强さを想起し、真の日本の姿を思ひ描かねばならない。何故ならば、西洋人いな西洋思想では到底解らない日本の强さをば、餘りに西洋の教育或ひは思想に依つてゆがめられた多數の知識人こそ真摯に探究する必要があるからである。換言すれば世界に無比の日本民族精神の精華を明確に把握しなければならぬ所以なのである。かねて日常云云される八紘一宇の大精神、殉忠報國の犧牲的精神、或は滅私奉公、七生報國等等の言葉は動もすれば單なる空虛な美辭麗句として云云され或は聽き流されがちであつたが、日支事變以來特に今次の大東亞戰爭に入つてからといふもの、我が陸海軍勇士の日日に展開する幾多の生生しい記錄が如實にこれ等の言葉の決して單なる美辭麗句でも空虛な文字でもないことを實證したのである。無言の裡に血肉を以て記錄した之等の貴重な教訓は、我民族精神の精華を探究する聖なる資料と云はねばならない。 三 日本の偉大さ力强さは要するに我民族精神の精華に由來するものであることは云ふまでもないが、これを理解するためには餘りにも其れは實踐であり、理解せんよりは體得であり、頭で解るのに非ずして心で行ふところに深遠な哲理が在るのである。そして理解するしないに拘らず。一朝事有れば敢為挺身默默の裡に臣節を盡すところに筆舌で說明し難い精神が存するのである。皇紀二千六百有餘年の光輝ある歷史を流れるもの、一小島國たる日本の躍進發展を推し進ませたる力は此處に在るのである。だから此の力は歷史の中に在り、脈打つ血の中に在り、そして日本思想の中に見出すことが出來るのである。日本精神の精華換言すれば日本の强さを探究するの捷徑は、だから先づ歷史の中に求め日本思想の哲學にあらねばならない。同時に世界が西洋の沒落から東洋の興隆へ移行しつつある秋、日本思想の開明普及は實に喫緊の要事である。洵に西洋思想にとつて代代日本思想の把握は世紀の要求でなければならない。 |
02 | 敵中へ死の徬徨 重傷の身でジヤングル突破 マレー戰線の插話 |
03 | 一萬圓御下賜 帝國發明協會に |
04 | 圖像:靖國の遺兒第一陣臺灣部隊入京(於東京驛) |
05 | 激增一路の聽取者 ラジオから見た時局熱 |
06 | 學資金を貸與 新竹至誠會規定を設く |
07 | 九軍神の弔慰金 武官府へ續續殺到 |
08 | 軍神の母校訪問記(完) 諸動作は凡て駈足 就寢前に“五省の訓” |
09 | 設立發起人會 宜蘭商議所 |
10 | 無事出產を祈る 俘虜達が爭つてマイクに立つ |
11 | “通過!後車に願ひます” 五十分も待たされて一度に三臺來る けふこの頃の市バス |
12 | 四小說家が來北 全島各地で講演會 |
13 | 歷史的な大繼走 盛會裡に幕を閉ず |
14 | 臺陽展近づく 四月二十六日に搬入 |
15 | ヨイコドモの恤兵金献納 |
16 | 無敵海軍への献金 武官府受付に大童 |
17 | ときの声 |
18 | 皇民奉公女子訓練所を設置 |
19 | 山本事務總長 蘭陽、東臺灣へ |
20 | 臺灣興行統制會社 二十六日愈よ創立 |
21 | 岡山醫大合格者 |
22 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 蓄へよ・感謝の貯蓄 漲る高雄州民の熱誠 |
02 | 追加割當をも突破 高雄市民の國民貯蓄 |
03 | 偲ぶ故人の武勳 故紺田憲兵准尉の市葬執行 |
04 | 圖像:大雪原に鍛へる關東軍 |
05 | 一番ヶ瀨知事歸任 |
06 | 花蓮港軍援會評議員會 |
07 | 先づ工業地帶選定 運河南方の魚塭に白羽の矢 臺南市工業化に汲汲 |
08 | 學術の鍊磨へ 臺中州看護助手第二班入所 |
09 | 白衣天使の壯行會 屏東市第二班近く技倆修練へ |
10 | 三浦臺南州農務係長着任 |
11 | レガスピーを語る座談會 ダンスの好きな比島人 (上)建設は着着進む |
12 | 山元臺南州理蕃課長初巡視 |
13 | 和合の精神で 部落の指導は有言實行 |
14 | 喜の共學兒童 高雄市四五名 |
15 | 生擴に各議員とも真劍 嘉南大圳組合通常組合會 |
16 | 夏味覺の王座 阿里山腹を彩る青物 嘉義の蔬菜山岳栽培 |
17 | 綜合的優秀者が勝 學科偏重の弊解消 高雄州の入試風景 |
18 | 受驗兒童の洪水 寄宿舍、食堂皆試驗場 中一中 |
19 | 圖像:我が艨艟堂堂セレター軍港へ入港 |
20 | 屏東郡教護團結成さる |
21 | 油斷は禁物 臺中市準備管制を實施 |
22 | 大東亞戰展 係員打合せ |
23 | 三分子道路起工式 |
24 | 自轉車販賣組合創立總會 |
25 | 竹東、北村少尉 名譽の戰死を遂ぐ |
26 | 防犯映畫會並に講演會 |
27 | 高雄州パイン同業組合總會 |
28 | 水裡坑國講所聯合修了式 |
29 | 奉公醫師團新高分團總會 |
30 | 詩作を募集 |
31 | 牛小屋の火事 |
32 | 地方便り |
33 | 今日の映畫 |
34 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 硫安工場設置決定 資材獲得に成功 |
02 | 電氣記念日に當り 佐佐波遞信部長談 |
03 | 本島、十七年度 貯蓄增加額決定 |
04 | 南開金庫總裁に 佐佐木謙一郎氏 |
05 | 產業戰士敢鬪の跡十二 篤農部落を築く 勤勞者陳得龍氏 |
06 | 本島工業化促進に 製鐵所設置を計畫 |
07 | 三發電所とも 年末に落成せん |
08 | 米穀管理外區域 漸次管理內に編入 |
09 | 臺鐵閑散期解消 ダイヤ編成方針一變 |
10 | 臺灣土地制度沿革 (完)/陳逢源 |
11 | 產組聯設立準備打合會□了 |
12 | 砂糖小賣商組合定期總會 |
13 | 照明燈 |
14 | 特殊農產物增產に 近く農林課長會議 |
15 | 戰時金融金庫設立委員任命 |
16 | 商況 廿四日後場 |
17 | ラジオ |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | コレヒドール島要塞を猛爆擊 封鎖強化・今や孤立無援 |
02 | 米當局、大損害を認む |
03 | モレスビーを空襲 |
04 | 錫の年產額一萬七千噸 蘭印總生產額の六割以上占む バンカ島の見聞記 |
05 | 圖像:濠洲領に猛威を揮ふ我海鷲の大編隊 |
06 | スマトラ殘敵殲滅戰 |
07 | 儼然と北邊を護る 國境部隊の勇士を訪ふ |
08 | 馬匹飼養管理輓曳競技會 |
09 | 敵性企業の管理方法 上海陸海軍當局が布告 |
10 | 藤岡報道部長 各方面に新任挨拶 |
11 | クリツプス 特使と問答 |
12 | 統制會の運營問題 重產統制團體、商相と懇談 |
13 | 二年餘の幽閉生活 スマトラ在留の獨人婦女子 わが軍に發見され救出さる |
14 | 米、脫走外人船員を搜查逮捕 |
15 | 日本は作戰宣傳に優秀 ロンドン消息筋歎ず |
16 | 船舶運營會の創立總會 四月一日に開く |
17 | 來る三十日に 記念祝典擧行 國府還都二周年迎ふ |
18 | 伊軍雷擊機 英護送船團を急襲 |
19 | ソ聯の對獨軍備 武器の缺乏深刻化 |
20 | 伊軍陸海空に 英軍を擊破 |
21 | ブラジルの樞軸國人壓迫 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 濱田彌兵衛に長政 國民學校用新教科書に見る 共榮圈色いろいろ |
02 | 漢口の還都記念 二十五日より六日間 |
03 | 基隆郡警察官招魂祭 |
04 | 高校教育の劃期改革 臨時學科課程の全貌 |
05 | 廿八日社頭對面 臺灣の遺兒部隊が |
06 | 美しい子弟愛 驛頭の人人の淚を唆る |
07 | 誇る“健實豫算” 新竹州各街庄借入金なし |
08 | 巢立つ“白衣天使” 鍊成終つて近く現地へ |
09 | 太平天國の亂に 日本刀が大活躍 村松氏“新水滸傳”を語る |
10 | 頑張れ!頑張れ 中等入試けふは體力考查 |
11 | 緊張を促す 宮木知事、全職員を集めて |
12 | “兵隊さん有難う” 献金部隊で賑ふ軍司令部 |
13 | 牛車に山積 富田町から錫燭臺を動員 けふ軍司令部に献納 |
14 | 一戶五錢を献金 新竹西門婦人保甲團員 |
15 | けふの地震 震源東海岸海底 |
16 | 臺北市畜產組合 |
17 | 興南詩苑漢詩 搏虎行/灌園、搏虎行/雲鵬 |
18 | 支部經濟部長會議 奉公會本部で開かる |
19 | 山林中で少女縊死 |
20 | 人事消息 |
21 | 商況 廿五日前場 |
22 | 興南案內報社消息 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | マテに敵前上陸・占領 我驅逐隊、敵船を拿捕頭條新聞 【マニラ二十四日發同盟】艦艇より派遣せられたわが陸戰隊は去る十五日朝ダバオ東南四十哩のマテに敵前上陸これを直ちに占領同地に監禁中の邦人十九名の救出に成功した一方比島方面哨戒中のわが驅逐隊はシブヤン海ビサヤン海スル海などを索敵中十六日プリンズ、オブ、ネグロ(五一三噸)及び三百噸級一隻の敵船をそれぞれ拿捕した |
02 | 遙かマニラを震撼 コレヒドール要塞猛爆で |
03 | 文字通り火の海!! 殘存米比軍に最後の鐵槌 |
04 | 掉尾の眾院本會議 議事全部を終了し |
05 | 首相以下兩院議長 議員に酒饌を賜ふ |
06 | 天皇陛下あす行幸 陸軍航空士官學校卒業式に |
07 | 洋上大遠距離飛行 濠洲北部の敵全基地を蹂躪 蘭印○○基地、我が勇士達談 |
08 | 米艦二隻沈沒 |
09 | 圖像:大東亞戰下初の陸軍記念日當日新生昭南島にて鹵獲砲を視察する山下マレー方面陸軍最高指揮官 |
10 | 判斷は國民にある 總選擧問題首相內相の答辯 |
11 | 請願外十八件採擇 最終の貴族院本會議 |
12 | 印度人の印度建設 東條首相の溫き聲明に感激 獨立運動本部談話 |
13 | 又モレスビー猛爆 |
14 | 地方國民貯蓄職員制を制定 |
15 | セイロン島に深刻な米缺乏 |
16 | 印度懷柔案 クリツプス携行 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 共榮圈建設と本島の農業社說 一 大東亞戰爭の輝しい驚異的戰果によつて、茲に本島を基地とする南方諸地域を含んだ南方共榮圈が確立され、之に伴つて共榮圈經濟の構想は着着と具體化され、今や建設戰の第一段階に入らんとする時、從來熱帶圈內に位し、自らその地理的優位を誇る本島の南方に對する協力、指導的立場に立つて如何にその重大な使命を果し、又今後の建設經營に對處すべきであるかが論議せられ、總督府に於ても先般來、殖產局が中心となつて所謂南方經營に關する雄大なる構想を練り、既に成案を得たので、近く長谷川總督が之を携行上京し中央へ大に建議することになつてゐる、今や東亞の天地から、米英の勢力は全面的に驅逐され、今まで米英によつて壟斷されてきた南方の豐富な資源は、その本來の姿に立還つて、大東亞自身の手によつて大東亞民族の幸福繁榮のために開發さるべき時機が到來したのである。この機運の推進力となつた我が國、殊に南方基地として本島に課せられた任務が、愈愈重且つ大となつて來た。 二 然るに現在本島に於る產業の現狀、先づ農業方面より之を見るに、勿論過去數十年來官民の指導努力によつて、築上げられた技術と經驗は、我が國中でも本島以外には、得難き尊い結晶であるが、併し一步進めて自ら顧みるに全體的に尚足らざるを憾むものである。殊に今後南方に對する農業移民を本島より送るとし、而も量に重點を置くよりも、披術者を送ることによつて南方諸地方に於ける農產物の增產を强行せしめるとすれば、本島農民が一人殘らず、指導的役割を果し得るまでの水準に引上げしめなければならない。而して南方農業に對して本島は確固たる指導地位に立ちその地位を永遠に保持すべく、本島の農業を理想的經營形態に引上げしめなければならない、之には直ちに現在の粗放的經營から集約的經營へ、單純農業から多角農業へと轉換せしめ、現に最高度に發展發達しつつある內地農業に、漸次近づかしめることが何よりも必要なことである。之がため從來の如き低き知識では、斯る高度技術を體得し消化し得る筈がないので、此際本島農民諸君は、一層奮勵努力して自ら知識の習得と技術の鍊磨に、更に一段と努力勉勵しなければならないことは申すまでもない 三 所謂內臺一如或は內地延長主義が本島の根本統治方針である以上、本島の經濟開發も之と密接不可分の關係に立つものであつて、從つて本島產業經營の伸展を圖り、民生の發展を期することは、今迄當局の取つて來た確固たる方針である。この方針に基き、本島の工業化促進が暄しく唱導せられ、一方又皇民化運動が實施られつつある、本島に於て今後農業の經營形態が、更に高度に發展すれば、本島の工業化は自然と促進され得るからである。斯る見地より農業の高度的發達と工業化運動とは、表裏一體をなすものといふべきである。真の南方進出或は南方農業の技術指導者たらしめるには、今後一層技術の鍊磨に努め、本島に於て理想的產業形態を現出せしむべきである。現下の時局に對處する本島としては、一粒の米、一本の甘蔗をより多く增產し、立體的增收乃至作付の轉換によつて食糧の增產確保を圖ることは勿論、本島の農業に對しては、漸進主義により現狀から集約化、多角化へ進展せしめるべく、官民總力を擧げて硏究し以て南方協力に對處することが急務であると信ずる |
02 | 行幸の鹵簿を奉拜 譽れの遺兒達の光榮 |
03 | 皇后陛下の御懿德 參列の全遺兒に御紋菓御下賜 |
04 | お土產の包裝に 女學生等が感激の奉仕 |
05 | 兩式典の次第發表 |
06 | 圖像:長驅インド洋の波濤を越えて大活躍の帝國潛水艦 |
07 | “空の步兵”大奮戰 パレンバンに奇襲降下 |
08 | 日本軍は手厚く われわれを遇す 捕虜濠洲紙記者手記 |
09 | 兩州議死亡に伴ふ補缺選擧 五月上旬に實施 |
10 | 陸軍勇士の英靈 昨日帝都に無言の凱旋 |
11 | 香爐類等三百餘箇 富田町保甲民が献納 軍司令部 |
12 | 無敵海軍に感謝 武官府に續く献金群 |
13 | 給料全額を献金 一奇特な入營勇士から |
14 | 圖像:サンボアンガ掃蕩の陸戰隊勇士 |
15 | よい子供二人組 無言の戰士慰問に茶殼献納 |
16 | 大須賀司令官の新任披露會 昨日市公會堂で |
17 | 譽の志願兵銓衡 新竹州十日より實施 |
18 | 國民歌謠と舞踊指導會 |
19 | 防火用水の準備 平素に心掛けませう |
20 | 全警察職員に“戰陣訓” 保甲役員壯丁團員にも配布 |
21 | 文藝家一行 けふ新竹で講演 |
22 | 東大第二工學部 今春から授業を開始 |
23 | ときの声 |
24 | 花蓮港廳支部桔梗俱樂部 二十八日晴れの結成式 |
25 | 兩褒賞授與式 昨日宜蘭郡で |
26 | 米多收競作等の褒狀授與式 花蓮港市 |
27 | 花蓮港市第一種の青年訓練 廿九日より實施 |
28 | 軍屬を募集 臺北憲兵分隊で |
29 | 花蓮港廳拓士道場の修了式 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 看天田から美田へ 二萬甲步の改良を計畫 曹公水利組合の五ケ年繼續事業 |
02 | 貯蓄成績上上 屏東郡民の赤誠 |
03 | 南投神社上棟祭 廿八日に執行 |
04 | 圖像:我が戰車隊に大破された敵重戰車(ラングーン郊外) |
05 | 市から區に一任 嘉義の魚肉配給方法 |
06 | 森田知事出府 |
07 | 合宿訓練始む 屏東奉公女子 |
08 | 青年訓練修了式 |
09 | 俘虜指導者銓衡試驗 |
10 | 臺中署定期召集 |
11 | 景氣のいい話 胡瓜が高值一箱四十餘圓 但し滿洲でのこと |
12 | 待遠しい發表日 喜憂去來する幼き胸 |
13 | 學齡兒童の七六% 嘉義市入學難緩和に力瘤 |
14 | 生鮮魚類の配給法を改善 |
15 | レガスピーを語る座談會 十六人位はざらに(下) 出產率の高い比島 |
16 | 圖像:ベンクレンで日本軍に協力し監視するインドネシヤ人(スマトラ) |
17 | 時局講演會 屏東奉公壯年團 |
18 | 南投郡出荷組合 馬事協會總會 |
19 | 養豚の團體競技 清水で褒賞授與式 |
20 | 烏日產業組合 巡廻講演會開催 |
21 | 組合費を徵收せぬ組合 臺中州自轉車販賣修理組合創立 |
22 | 大金窃盜犯檢擧さる |
23 | 圖像:リンガウに入つた皇軍自動車部隊に慕つて群る住民(スマトラ) |
24 | 竹南宮前校で學議會開催 |
25 | 田植の乙女部隊 |
26 | 赤誠を具現 下坪部落民 |
27 | 東石郡諸競作會 卅日に褒賞授與式 |
28 | 地方便り報社消息 |
29 | 今日の映畫 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 貯蓄目標三億圓 島民の協力を要望 |
02 | 泰國貿易の分析(上) 米は全輸出額の過半 |
03 | 青果物需給對策 昨日公會堂で打合 |
04 | 灣糖恒春工場製糖終了 |
05 | 臺灣山林會總會廿七日公會堂で |
06 | 日拓配當据置 |
07 | 二期籾蒐荷量 販賣可能量の78% |
08 | 拓南窯業會社 新竹で事業經營 |
09 | 臺灣農會卅一日に總會 |
10 | 產業戰士敢鬪の跡十三 米增產等に盡瘁 勤勞者劉阿嚴氏 |
11 | 農事に貢献 功勞者陳總鎮氏 |
12 | 鮮魚介配給改善を 新營郡民が要望 |
13 | 臺灣畜產會 卅一日に總會 |
14 | 東亞貿易聯合會 本日總會開催 |
15 | 照明燈 |
16 | 商況 廿五日後場 |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(638)/黃得時;榎本真砂夫 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 南アンダマン島敵前上陸 ポート・ブレアを奇襲 英軍を無條件降伏せしむ |
02 | アンダマン島占領(英側公表) |
03 | わが印度洋制壓完璧 |
04 | 英蔣軍一兵も許さぬ 緬甸獨立義勇軍大閱兵式擧行 |
05 | クリツプス 印度での動靜 |
06 | 全スマトラ島 力強く更生 |
07 | 閉院式擧行せらる 第七十九議會閉幕 |
08 | 優渥な勅語賜はる |
09 | 御慰勞の酒饌を賜ふ 議會關係の諸員に |
10 | 繰上閣議 |
11 | 技術院官制改正案可決 樞府審查委員會 |
12 | 內務省技術官の異動 |
13 | わが軍政部に軍政部長訪問 バタビヤ市長代理 |
14 | 治安全く回復 ビルマ再建へ巨步 |
15 | 圖像:バタアン半島敵據點爆擊に向ふ我が陸鷲 |
16 | 選擧對策に關する 首、內相(連名)の答辯書 安藤氏の質問趣意書に對し |
17 | 伊勢神宮に參拜 きのふ張特派大使一行 |
18 | 歐洲一の壯麗さ わが駐獨の大使館 |
19 | 豫算實行方針決定 けふの繰上閣議で |
20 | “東亞本然の姿へ” 沙面英租界行政移管に當り 南支派遣軍最高指揮官聲明 |
21 | 獨軍の戰況 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇后陛下行啟 女子學習院卒業式へ |
02 | 誇る增產鐵壁陣 大陸に推進隊を派遣 |
03 | 總督さんが陣頭へ 二十八日二重埔の田植狀況を視察 |
04 | 外地遺兒部隊を 井野拓相が招待 |
05 | 圖像:マンダレー街道を猛進する皇軍部隊 |
06 | 天文資料展 博物館で開く |
07 | 指導者鍊成に“根基” 青少年團運動振興へ |
08 | 輝く戰果に感謝 軍司令部に献金群殺到 |
09 | 子供部隊の赤誠 武官府に九軍神へ弔慰問金 |
10 | 建築規則改正 防火構造を強化 |
11 | 戰友愛の奇蹟歸還 目を失つた海鷲二機 ブルーム爆擊行 |
12 | 兩軍神が四段に 廿五日講道館から發表 |
13 | 慰問袋はお早く 締切り月末に迫る |
14 | 慰安觀劇會 |
15 | 奉公會に南方部 愈基地の真價發揮へ |
16 | 鹽魚大量仕入れ 近く配給所で自由販賣 |
17 | 防空施設を點檢 指導班各家庭を巡回 |
18 | 臺灣興行統制會社創立總會 役員を夫夫指名 |
19 | サイレンの機能試驗を實施 大詔奉戴日に |
20 | 青年團を改組 近く區單位に結團式擧行 |
21 | サラリーマンの春 家族手當增額申請 いよいよ四月一日から實施 |
22 | 勞務調整令解說座談會 |
23 | 優良部落を表彰 けふ苗栗で褒狀授與式 |
24 | 監理課を新設 厚生省勞働局に |
25 | 太平洋岸、日本移民 ロツキー山中へ送らる |
26 | 聯合戰時生產參謀本部新設 敗戰の英政府 |
27 | 興南詩苑漢詩 敬和江西芸兄瑤韻呈諸芸友/楊木、謹和江西詞兄瑤韻呈諸芸友/蕭玉衡、柬覺齋/嘯霞、次韻酬嘯霞兄/覺齋、題所獲青花蕉葉硯/莊玉坡、題所獲蘭陵保仁郁古畫菊花圖/莊玉坡 |
28 | 廈門特別警官一行本社來訪 錦衣歸鄉を前に報社消息 |
29 | 落盤 |
30 | 商況 廿六日前場 |
31 | 訃文:新村國元 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 靖國の社に神鎮まる 光榮の合祀新祭神頭條新聞 【東京發同盟】大東亞戰下に始めて迎へる靖國神社の春の臨時大祭は來月二十三日の招魂式に次いで翌二十四日から五日間軍事參議官及川古志郎海軍大將を臨時大祭委員長として嚴かに執行はれるが新たに合祀される英靈につき陸海軍兩省より手續中のところ、この程御裁可あらせられ合祀仰せ出だされたので二十六日午後その氏名が陸海軍兩省から發表された、今回祭神の列に加はる護國の英靈は支那事變及び滿洲事變の戰歿者中昭和十四年十二月下旬までに戰死、傷病死、公傷死を遂げた陸海軍人及び軍屬で陸海軍合して將官十五、佐官八十九、尉官七百三准士官二百四、下士官五千二百四十三、兵八千六百八十八、軍屬七十五、陸海軍合計一萬五千十七柱である、その中陸軍側は一萬四千五百六十三柱で、滿洲事變關係合祀者宮本己之助陸軍步兵大尉外六十四柱同特別合祀者內藤正一陸軍中將外百八十柱支那事變關係合祀者阿部規秀陸軍中將外一萬一千四百二十六柱同特別合祀者沼田德重陸軍中將外二千八百八十九柱、又海軍側は奧田喜久司少將以下四百五十四柱で支那事變において戰死または戰傷後死歿した者海軍少將奧田喜久司外二百七十二名、支那事變に關する勤務に服し傷痍疾病などにより死歿した者海軍大佐有田貢外百七十八名、昭和六年乃至九年事變に關する勤務に服し疾病により死歿した者海軍一等水兵柳澤橘夫外一名であり、今春までに靖國神社に合祀された祭神は二十二萬三千七百八十九柱、今回の第六十回臨時大祭の新祭神を加へて祭神の總數は二十三萬八千八百六柱に達する譯である、尚今回の合祀者中には朝鮮出身軍人一、軍屬六合計七名も含まれてゐる |
02 | 合祀者臺灣關係 |
03 | 印度洋に敵艦影なし 苦難に滿ちた索敵攻擊 |
04 | 直接英の據點を睥睨 印度に對し前褌を取つた形 |
05 | セイロン島の脅威昂まる |
06 | 今やベンガル灣も 日本の湖水となる 大英帝國の寶冠全く半身不隨 |
07 | 天皇陛下 けふ陸航士官學校に行幸 |
08 | 圖像:西南太平洋を壓す我が艨艟 |
09 | 陸軍司政官 更に六氏を決定發令 |
10 | 北部スマトラ攻略戰果 |
11 | 建川大使一行 歸國の途へ |
12 | 印度國民會議派 運用委員會開く |
13 | 印度洋の前衛基地 アンダマン列島 |
14 | 支那大陸を完全に 米英侵略から解放 租界移管支那派遣軍報道部長談 |
15 | けふ移管式を行ふ |
16 | 米英商船二隻沈沒 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 生產戰としての大東亞戰爭社說 一 「近代戰は消耗戰なり」といふ通念は、大東亞戰爭によつて見事に訂正せられた。支那事變はある意味から云へば、消耗戰であるかも知れぬが大東亞戰爭は明かに一つの生產戰である。それは、過ぐる眾議院豫算總會に於て、東條首相が、對南方經濟對策の方針として「重要資源の需要を充足して當面の戰爭遂行に遺憾なからしめると共に、併せて大東亞自給自足體制を確立することを主眼とする」と述べまた、その具體的施策として(一)資源獲得、特に戰爭遂行上緊要な資源の確保(二)南方資源の敵性國家に對する流出阻止(三)作戰軍の現地自活確保(四)在來企業の我が方に對する協力誘導の四つを擧げてゐるのに徵して見ても資源の獲得が、大東亞戰爭窮極の目的を達成せしめる上に、如何に絕對不可缺な要件であるかが判るのである。 二 然らば、南方共榮圈內には、如何なる資源があらうか。まづ馬來半島には世界に冠絕するゴム及び錫の二大資源を始め、鐵石炭、マンガン、タングステン螢石、ボーキサイト等を多量に產出してゐるのは、周知の通りである。殊にゴムは、一九三九年には、三十六萬噸を產出し、世界總產額の四割を占め、さらに四◯年には米國の大量買付により一躍七十七萬噸に增加してゐる。また錫も一九三九年には五萬五千噸、世界の三割餘を占めてゐるが、これも米國の買付增加に伴ひ、四◯年には輸出額が十三萬噸となり、前年に比し實に五萬噸の增加を見るに至つた。その他、馬來には、金と石炭と鐵をも產出するが、鐵は累年增加の傾向を示し、一九三九年には約二百萬噸を產し、鐵の少い我が國にとつては重要な資源供給地となつて來た。またフイリツピン群島には、鐵、麻を始め、石炭、クローム鑛、マンガン鑛等を產出し、就中麻は早くより邦人によつて栽培せられ世界的に名聲が高かつた。 三 さらに眼を蘭印に轉ずれば、そこには、石油あり、錫あり、ゴムあり、砂糖あり、石炭あり、鐵鑛ありで、世界植民地中でも印度と並び稱せられる寶庫であるまづ石油は十六億乃至三十億バレルの埋藏量があると稱せられ一八九三年はじめて統計上七萬七千トンと記錄されて以來著しく躍進し、最近では年產六千二百萬バレルに及び、ルーマニヤを追ひ越して世界第五位となつた。そして今後開發の宜しきを得れば、共榮圈內の石油自給は、期して待つべきものがあるのである。錫も馬來に次ぐ世界第二位であり、年產額三、四十萬噸に及んでゐる。ゴムも一九一◯年以後の世界的ゴム景氣に便乘して、ゴム栽培が驚異的發展を遂げ、到頭馬來に次ぐ世界第二位を占め、年產三三、二二七萬四千盾に達してゐる。また砂糖も「ジヤバ糖」として世界的に知られ第一次世界大戰當時の好況に刺戟されて矢鱈に擴張したため一時苦境に陷つたが、一九三七年から漸く恢復に向ひ、一九四◯年には輸出額が五、二四九萬一千盾に達してゐる有樣であるその他、既に大東亞共榮圈の一環として盟約した佛印、タイには米、鐵、石炭、ゴム、チーク等があり、我が國の自給自足經濟に寄與しつつある。さらに濠洲と印度を勘定に入れば、物資の豐富なことは正に世界一となるのである。これ等の南方資源が、米英の支配と搾取とから解放されて、我が支配下に入り、日本否東亞經濟力の增强は云ふまでもなく、世界何れの國にも劣らぬ實力を有することとなり大東亞戰爭の生產的意義を考へると前途實に洋洋たるものがある。 |
02 | 英靈永に神鎮る 靖國社頭に合祀の新祭神 感激に咽ぶ遺族達 聖恩の有難さに唯唯感泣 故黑石大尉嚴父談 |
03 | 全く勿體ないで胸が一杯 故鶴長大尉未亡人談 |
04 | 光榮に唯感激 故田谷大尉遺族談 |
05 | 一家の光榮 故吉村大尉未亡人談 |
06 | 夫の靈に感激を傳へたい 故古田大尉遺族談 |
07 | 柔道の達人 故橋本軍醫大尉 |
08 | 感激で胸一杯 故小川中尉遺族談 |
09 | 武漢攻略に偉勳 故池田中尉 |
10 | けふ懷しの對面 遺兒部隊靖國社頭で |
11 | 北白川邸に伺候 臺灣の遺兒部隊一行 |
12 | 對面を待佗ぶ 故佐佐木上等兵嚴父の感激 |
13 | 北滿に散華 故佐藤中尉 |
14 | 無上の光榮 故吉田伍長遺族談 |
15 | 身に餘る光榮 故柳本上等兵の嚴父語る |
16 | 評判の親孝行 故安田伍長 |
17 | 是非上京して會つて來たい 故木村伍長母堂談 |
18 | 喜びの二重奏 故渡邊伍長遺族 |
19 | 不滅の勳功 故德富伍長 |
20 | 明朗な性格 故橫山上等兵 |
21 | 讀書が好き 故前田兼光氏 |
22 | 皇恩に感泣 故和田上等兵母堂談 |
23 | 我が家の名譽 故松山上等兵母堂談 |
24 | 誠に感謝感激 故國島上等兵實兄談 |
25 | 天職に生き拔け 戰爭と島民不斷の心構に就き 樋口軍參謀長語る |
26 | 來れ“海國男兒” 海洋訓練所生募集開始 |
27 | 鄉軍宜蘭市分會教練查閱 |
28 | ときの声 |
29 | 臺灣軍副官部で軍屬を募集 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 九百餘學級增確定 十八年度の義務教育實施を控へ萬全の對策成る |
02 | 就學率が九四% 島都の二號表國民校 |
03 | 花蓮港兵事部 開廳式は部長着任後に |
04 | 皇太子殿下 御登山記念碑 壽山館前に御移轉 |
05 | 圖像:我が猛攻にたまりかね燒き拂つて逃げた敵陣の戰跡(ビルマ戰線) |
06 | 旬日の後に迫る 若人待望の日 來月五日より志願兵銓衡 臺中州 |
07 | 第二回主婦鍊成會 けふ終了式を擧行 |
08 | 國講師講習會 |
09 | 臺灣理化工業會社創立準備捗る |
10 | 爪哇の規那樹皮(上) マラリアと遠征軍 |
11 | 產組功勞者と優良職員表彰 |
12 | 苗床等品評會褒賞授與式 |
13 | 大東亞戰爭文藝講演會 |
14 | 花蓮港米穀會社役員會 |
15 | 島民感謝の献金 廿六日武官府受付 |
16 | 奉納武道大會 豐原神社祭典日に |
17 | 圖像:伊勢─二重橋間米英擊滅繼走 |
18 | 結核菌の殲滅へ 豫防日を控え臺中署防遏陣を強化 |
19 | 爆彈の爆破演習 けふ午前九時練兵場で |
20 | 廣谷廳長木瓜山視察 |
21 | 自給肥料增產品評會授賞式 |
22 | 出荷割當不公 嚴重取締を要望 |
23 | 良い子を多く 嘉義市の銓衡基準 子供の日に多兒家庭表彰 |
24 | 自給肥料增產審查會 |
25 | 擧州完納の好績 納稅に示す臺南州民の熱誠 |
26 | 竹北奉公班常會 指導者講習會 |
27 | 牛籍事務の移管 派出所から市街庄へ |
28 | 青年の鍊成終る 竹山公會堂で修了式 |
29 | 臺中州警察幹部異動 |
30 | 九軍神への弔慰金 |
31 | 新竹市銃後後援會發會式 |
32 | 新竹州擧州完納の凱歌 |
33 | 宜蘭警察官招魂祭 |
34 | 宜蘭驛前道路擴張工事竣工 |
35 | 宜蘭市食糧雜貨組合の總會 |
36 | 地方便り |
37 | 今日の映畫 |
38 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 貿易新體制確立に 機構を改革整備 |
02 | 貿易機構整備で 貿聯發展的解消か |
03 | 臺灣パイン同組聯 創立總會を開催 |
04 | 泰國貿易の分析(下) 米は全輸出額の過半 |
05 | 十五瓲標準型機關車 近く全私鐵で運轉 |
06 | パイン原料の 買收價格を打合 |
07 | 之に先立ち 理事會開催 |
08 | 臺灣東亞貿聯 定時總會終了 |
09 | 產業戰士敢鬪の跡十四 產業方面に挺身努力 勤勞者許助氏 |
10 | 產業戰士の體位向上 榮養士協力會議開催 |
11 | 第一・四半期起債額 七億一千萬圓と決定 |
12 | 中南部三州の 米需給計畫を協議 |
13 | 湯河管理局長官あす南方へ |
14 | 商店から工場へ 轉業運動に邁進 |
15 | 照明燈 |
16 | 商況 廿六日後場 |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(639)/黃得時;榎本真砂夫 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵本據に一齊殺到 魯東共產軍に大鐵槌 |
02 | 戰鬪力の旺盛に驚異 東部蘭印軍司令官と一問一答 |
03 | バリ島の八王樣 皇軍に協力を申出づ |
04 | 圖像:印度洋上に敵を求めて活躍する我が勇士 |
05 | ガンヂー ニユーデリーに向ふ |
06 | 日、ローマ教王廳間に 近く外交關係を設定 |
07 | バリ島治安全く回復 |
08 | 北部スマトラ殘敵に 降伏勸告傳單を撒布 |
09 | 轉廢業者の心情に 誠實懇切に處せよ 內閣訓示號外を發す |
10 | 官吏の心構へが大事(岸商相談) |
11 | 翼贊の重責果した 議員各位に深謝 東條首相語る |
12 | “ほつとした氣持” 田子議長感慨を語る |
13 | 貴眾兩院議員に 慰勞お茶の會 |
14 | 日英外交官の交換問題進捗 |
15 | 駐佛大使後任 三谷スイス公使を起用 |
16 | 強制的軍事服務制を否決 印度の上院 |
17 | わが海軍の艨艟 堂堂蘭貢內港に入る |
18 | 邦人宛郵便物の取扱開始 比島馬來在駐の |
19 | 四ケ條より成る 對英要求を決定 印度國民會議派中の急進黨 |
20 | 印度各首腦と會見 クリツプス |
21 | カ濠洲首相 マツカーサーと會見 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 一一御會釋を賜る 北白川宮邸に伺候の遺兒部隊 御仁慈に只管感激 |
02 | 女より男が派手 紺碧の空・南海の彼方に浮ぶ “踊りの國”バリー島 |
03 | 芳醇な酒・妙齡な美人 華やかな音樂に絢爛な踊り 贈る刀も親日一色 |
04 | 圖像:準備成る靖國神社 |
05 | 感心な防諜少年 彰化楠國民校褒美を献金 |
06 | 敵に隙間を與へるな 四月の常會指導目標 |
07 | 田植狀況を視察 總督、あす二重埔へ |
08 | 市郡農務主任會議 |
09 | “全く勿體ない” 故陸軍上等兵永峰氏母堂 さき刀自感激を語る |
10 | 葬費を節約献金 |
11 | 全面的に親心 官吏の家族手當支給 內地に準じて行ふ |
12 | 臺北市區長會議を開催 |
13 | 農事功勞者表彰 けふ島都公會堂で |
14 | 拓務省に榮轉 河野前警務課長 |
15 | 新竹州參事會 |
16 | 新竹州警民協會評議員總會 |
17 | 興南詩苑漢詩 還曆感賦/莊玉坡、還曆感賦 其二/莊玉坡、漢詩習作會課題 辛已除夕讀韓愈送窮文/紉秋、漢詩習作會課題 辛已除夕讀韓愈送窮文/步初、漢詩習作會課題 辛已除夕讀韓愈送窮文/步初、漢詩習作會課題 辛已除夕讀韓愈送窮文/伯偉、漢詩習作會課題 辛已除夕讀韓愈送窮文/伯偉 |
18 | 新竹市文藝講演大盛況 |
19 | 島內の講演日程 |
20 | 城西技藝指導所修了式 |
21 | 新竹州市街庄吏員養成所卒業式 |
22 | 臺北二中合格者發表 |
23 | 商況 廿七日前場 |
24 | 興南案內報社消息 |
25 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 聖上陸軍航空士官學校に行幸 若鷲の妙技を天覽頭條新聞 【所澤發同盟】陸軍航空士官學校第五十五期生徒卒業式は畏くも天皇陛下の行幸を仰いで二十七日埼玉縣豐岡町の同校で行はれた、この朝 天皇陛下には御軍裝に大勳位並に功一級各副章を御佩用、蓮沼侍從武官長陪乘、松平宮相、木戶內府、百武侍從長など側近供奉の略式自動車鹵薄にて午前八時五十五分宮城御出門、宮城外苑凱旋道路東側步道に整列、奉拜する靖國の遺兒達の可憐な姿に御目をとどめさせられ畏くも御いつくしみの御會釋を賜はり九時十五分宮廷列車に召され、原宿驛發御、同十一時五分武藏高萩驛御着、陸軍航空士官學校へならせられた、御先着の 三笠宮殿下を始め奉り東條陸相湯澤內相、土肥原航空總監以下諸員奉迎裡に同校修武臺飛行場に着御、飛行場正面に設けられた玉座につかせ給ひ、大東亞戰下の大空に巢立つ光榮の新卒業生らによつて展開された飛行演習を天覽遊ばされた此日狹山平野一帶に瑞氣滿ち滿ちて若鷲等の翼は榮光に照り映え下田大佐の指揮刀一閃鵬翼を並べてゐた空の精銳は一機また一機、大空に鮮かに離陸、この時通信班は空地連絡を開始し、整備班は飛行機の地上誘動、戰闘、整備など、各種の作業についで田北候補操縱の練習機と村上候補生操縱の新銳戰闘機が特殊飛行を行つて妙技を示す頃、編隊群百機は空中分列式の態勢を整へて無敵荒鷲の威容を遺憾なく發揮陛下には畏くも約二十五分間に亘り木下校長の御說明にて若鷺達の妙技を御熱心に叡覽あらせられ、かくて正午同飛行場發御同校本部に行幸、便殿にて木下校長の書類捧呈を受けさせ給ひ御書餐の後午後零時五十分校長の御先導にて講演場に出御、譽れの優等生中崎日出男士官候補生(兵庫縣加古郡加古川町木村)の「任務の完遂について」と題する講演を御感深く聽召され、續いて吉成喜七郎候補生(福島縣東白河郡高城村)らの劍術を天覽、一旦便殿にて御休憩の後、午後一時三十分卒業證書授與式場に臨ませられ卒業證書は木下校長から中隊長を經て各卒業生に授與され、畏くも侍從武官を經て優等生に賜品を傳達せしめられ、同一時五十分式を終了、陸下には再び便殿に入御、御少憩の後、午後二時天機麗はしく同校發御、午後四時十分原宿驛着御、宮城へ還幸あらせられた なほ優等生は御前講演の中崎日出男候補生始め家弓正矢(鹿兒島縣出水郡出水町上智□)名和田雄(山口縣宇部市中宇部)長峯勝彥(弘前市富田町)上村一夫(熊本縣飽託郡河內村大字河內)の六候補生である |
02 | アンダマン群島の 殘敵は漸次退却中 |
03 | 印度今や重大脅威 アンダマン島失陷の意義英米頗る悲觀的態度 |
04 | アンダマン島失陷 英下院で政府を追究 |
05 | 海軍經理學校長に 片岡主計少將 |
06 | 所期の成果を收む 中山一帶肅清戰の綜合戰果 |
07 | 原田氏初代公使に ローマ法王廳に外交使節派遣 |
08 | 最も機宜の處置 駐日法王廳使節館發表 |
09 | 原田氏の橫顏 澤田廉三氏談 |
10 | ピオ十二世は 親日的な法王 |
11 | 土井大司教喜びを語る |
12 | マレラ使節感激して語る |
13 | フランスで歡迎 |
14 | 天津英租界移管 けふ正式に引渡す |
15 | 圖像:バタビアに於て記者團と語る 今村陸軍最高指揮官 |
16 | 永代借地權を撤廢 四月一日限りに けふ勅令公布 |
17 | 不平等條約の殘滓 大東亞戰爭下に消滅 |
18 | スル州知事に任命 ホロ島のサルタン・アミルバンサ |
19 | 比島人大忿懣 ケ前大統領への米側の非道 |
20 | 重要物資輸送に集中 戰時輸送強化期間を設く |
21 | 日鐵株主總會 |
22 | 重慶政權は相手にされぬ ローマ法王廳に |
23 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 產組聯合會の進むべき道社說 一 久しく待望された產組聯合會の設立は昨年九月十六日律令第七號に依る臺灣產業組合規則の改正に基いて始めて法的根據が與へられ引續いて昨年十二月廿九日を以て同施行規則が公布されたので目下關係者に於て資本金二百五十萬圓の聯合會を組織すべくいろいろと手續中であるから、來月匆匆に愈愈誕生する事となつたのである。而して本島に於ける產組聯合會の組織は內地と異つて中央金庫、中央會全購販聯、及び監查聯並び府縣聯を一括統合せんとするもので從つて現在の產組協會が之に包含せらるると共に本島唯一の事業聯合と指導機關たるべき性質のものとなり、本島の實情より見て誠に當然な行方である。尚其の傘下に集まる島內組合數は昨年六月末の現在に於て四百九十七、關係組合員は六十二萬九千名に上つてゐるから、今後若し此等の下部組織をよく活用すれば本島に於ける農村の中樞經濟機關たる實績を擧げ得るのみならず、又市街地に於ける金融部門として中小商工業者と深き關聯を結び得るものと考へられるのである。 二 さりながら組合指導方面は今後餘り困難な問題はなからうが事業方面に於ては容易ならざる制約ある事を率直に認めなければならない卽ち聯合會の目指す共同購買と共同販賣は現在の如く各種の統制が强化され且つ各種統制團體の存する以上は殆ど驥足を展ばす餘地がなくなつたといへよう。勿論各地產組の組織を活用すればモツト合理的に圓滑に物資統制を行へる筈であるが他の團體の讓步がなければ到底產組主義の徹底が至難となつた狀態にある。從つて殘る事業といへば先づ信用組合の聯合會のみであり、これ丈は比較的に無難に經營し得るであらう。卽ち現在各組合の銀行其の他に對する預金が五千萬圓內外に達してゐるから、大體其の三分の一を聯合會へ切替しさへすれば約二千萬圓の貯金を直ちに獲得し得る豫定である。ところが昨年末各信組の貯金が一億九千萬圓に對し、銀行借入金が僅か二千六百萬圓しかなく而も大藏省の低利資金をも含んでゐるから現在各組合に於て聯合會の資金供給を仰ぐ金額が至つて少ないため、今後聯合會の資金運用は相當困難を來すであらう事は明かである。尚聯合會と銀行とは可成デリケートな關係にあるが若し聯合會で吸收した資金の一部を更に銀行へ預金すれば當面の摩擦は除去され得るであらう 三 唯此處に殘る一つの分野は從來各組合に於て經營してゐる產倉を聯合して米穀納入の機能を發揮せしむる事である。今のところ各州米穀納入組合は單なる中間介在機關として莫大な利鞘を取つてゐる事は米穀增產を急務とする今日に於て何うしても之を合理化しなければならない問題である。之に代はるべき最もよい方法としては聯合會に於て其有する產倉を中心とし、各地土礱間の工場を或は買收したり、或は賃借したり、又は委託經營したりして所謂產組の委託主義を發揮して農民の籾を受け入れ之を玄米に製造して米穀局へ納入する機能を果す事である。さうなれば農民は單なる製米賃と手數料を拂つて自己の生產する籾を玄米の形で供出する事が出來るのである。唯此の機能を果すには米穀局の諒解と協力がなければなし得られないが、既に聯合會會長は總務長官に、副會長は財務、殖產兩局長に內定したから、督府の方針一つで此の問題が解決し得られない事はない、かくの如く聯合會が今後若しく此の問題を解決すれば現在農民の負擔してゐる米の納入費用の約三分の一位で立派に經營し得るのみならず、之に附隨する米穀資金の立替に依つて難なく資金の消化が期し得られる譯である。これこそ聯合會の使命を最もよく果し、益益存立の意義を顯現され得るものと信じて疑はない。 |
02 | 待佗びた日ぞ來る けふ感激の社頭對面 |
03 | 龍顏奉拜の光榮 五千の遺兒達有難さに打ち震ふ |
04 | 晴の兩式典に參列 |
05 | 忘るなこの感激 小泉厚相諄諄と諭す |
06 | 英靈九段に還る日 三將軍遺族の感激談 |
07 | 臨時中等教員養成所 四月から臺北高校に新設 |
08 | 護れ“譽れの家庭” 島都軍援會新規事業決る |
09 | 方委助成會理事會 |
10 | 感激の献金群 武官府廿七日の受付 |
11 | 廣九鐵道開通式 |
12 | 九軍神への赤誠の弔慰金 |
13 | 磨く“主婦の魂” 第二回鍊成會修了式擧行 |
14 | ときの声 |
15 | 從來より明朗 中等入試の新制度 志波北四中校長談 |
16 | 見事完納の凱歌 州下各種納稅の成績 |
17 | 恤兵献畫油繪展 廿九日より三日間市公會堂で |
18 | 人事消息 |
19 | 第七回決算報告/臺北州自動車運輸株式會社 |
20 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 神と祀られる辱さ 死所を得て大和男子の本懷だ 感激を語る譽の遺族 |
02 | 賞賜物件傳達式 臺南市會議室で擧行 |
03 | 高雄の傳達式 |
04 | 高雄市の志願兵銓衡日繰下げ |
05 | 屏東の空訓良好 |
06 | 藤田臺中市長明治溫泉視察 |
07 | 皇軍の奮鬪に應ふ 臺中銃後後援會發會式 |
08 | 增產戰士を表彰 高雄州產米增殖品評會 |
09 | 花蓮港の水稻競作會褒狀授與 |
10 | 圖像:大東亞戰爭特報 |
11 | 二期作で取返す 嘉義郡殖產完遂へ |
12 | 農民水に惱む 米植附三百餘甲 |
13 | 土光警察部長來中 |
14 | 圖像:バタアン半島の山路を前線へ前線へ征く精銳 |
15 | 皇軍將兵慰問金第廿三回(敬稱略)領收報告報社消息 |
16 | 東區の俘虜 指導者銓衡 |
17 | 落花生の栽培 抑壓から獎勵へ |
18 | 魂の道場日輪舍 近く忠靈塔南側に竣成 |
19 | 喜びの合格者 嘉義高女發表 |
20 | 慰問藝能會 |
21 | 苗代品評會 |
22 | 苦力頭制を廢止 高雄港灣荷役機構の改革 |
23 | 南投稅務管內所得稅等完納 |
24 | 北斗家政女學 四月十日開校 |
25 | 諸競作會の褒賞授與式 |
26 | 香奠返しに献金 |
27 | 埔里銃後後援會 發會式を擧行 |
28 | 娘が自殺 |
29 | 健氣!その心意氣 弟の死をよそに技倆の修練へ 鍛へる白衣の天使文屏さん |
30 | 三芝共榮茶業株主總會開催 |
31 | 南投管內の模範部落を視察 |
32 | 文藝講演會廿九日臺中で |
33 | 家庭の鑛脈を採掘 士林街民の熱誠具現 |
34 | 防諜映畫を上映 |
35 | 部落競進會褒賞授與式 |
36 | 南進青年を養成 マレー語講習會開催 |
37 | 地方便り |
38 | 今日の映畫 |
39 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 貿易機構整備案 近く具體化せん |
02 | 產組聯來月創立 貯金豫定額二千萬圓 |
03 | 淡水港利用協議 臺北商議所部會で |
04 | 產業戰士敢鬪の跡十五 國策作物栽培等に協力 勤勞者久我龜次郎氏 |
05 | 生產擴充に率先垂範 功勞者篠崎喜代吉氏 |
06 | 臺灣山林會總會 十七年度豫算決定 |
07 | 臺灣の增稅に就て (一)財務局稅務課發表 |
08 | 臺灣住宅營團 事業計畫を打合 |
09 | 濠洲貿易の現況 (上)輸出の大宗は羊毛 |
10 | 市バス財政狀態 アルコール化で好轉 |
11 | 臺北州自動車 配當七分を可決 |
12 | 家庭運動用具製作に 臺灣木工會社新設 |
13 | 臺灣米穀納入協會 合同運送に移轉 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況 廿七日後場 |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(640)/黃得時;榎本真砂夫 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 又モレスビー急襲 軍事施設に巨彈の雨 |
02 | 印度喪失の第一步 アンダマン島失陷、英紙自認 |
03 | 英の老獪手段暴露 印度各派、早くも不滿 |
04 | ガンヂー翁の 機嫌とりに汲汲 クリツプス本格的活動 |
05 | 圖像:スラバヤ市へ堂堂入城する皇軍部隊 |
06 | 肉彈血達磨の奮戰 テ飛行場奪取の血路を開く シンガポール攻略戰の一齣 |
07 | 我制壓下の印度洋 わが潛水艦大膽不敵の索敵 |
08 | 伊潛水艦活躍 米沿岸水域で |
09 | 米、介入を企つ 斡旋役を買つて出るか |
10 | 文登營占領、戰果擴大 山東作戰、今や最高潮 |
11 | 東京日日特派員柳重德氏戰死 |
12 | 濠ブ大將就任 聯合軍地上部隊の司令官に |
13 | 伊軍赫赫の大戰果 開戰以來、廿七日まで |
14 | 戰時輸送強化期間 四月一日から三ケ月間 |
15 | 模範的地域に育成 天津英租界行政移管に當り 天津防衛司令官談 |
16 | 大東亞石炭統制協議會 卅日、第一回準備委員會を開催 |
17 | 簡易保險法の一部改正實施 |
18 | 內外地宗教行政の緊密化へ 連絡協議會開く |
19 | 昭南放送局 放送を開始 |
20 | 伊軍參謀總長洪牙利訪問 |
21 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 誓つて“ヨイ子”に けふ社頭對面第一日 |
02 | 皇太子殿下 多摩陵に初の御參拜 |
03 | 警察招魂祭 港都水陸兩署で |
04 | 軍援に萬全の對策 けふ評議員會開かる |
05 | 轉ばぬ先の杖 入學兒童の親の必携書 |
06 | 教員の補充成る 入學率も一躍八七%に |
07 | 增產の戰士を激勵 “南方民族を指導する心算で” 總督さん田植狀況視察 |
08 | 圖像:長谷川總督の田植視察 |
09 | 盤石・銃後の底力 素晴らし新竹州の國民貯蓄進軍 目標を遙かに突破 |
10 | 續く赤誠献金群 軍司令部廿六日の受付 |
11 | 五錢切手と封緘葉書を發行 |
12 | “野菜消毒”に奉仕 醫專學徒部隊街頭に進出して |
13 | 慰問袋作製に 靜修の乙女汗の奉仕 |
14 | 瞬く間に鐵の山 新竹市の回收好成績 |
15 | 防諜劇を公開 利益金を献金 |
16 | 比島への郵便物 書狀と官制葉書の取扱開始 |
17 | 元町國講修了式 |
18 | 適格者銓衡終る きのふ州當局に內申 譽の志願兵 |
19 | 北一女合格者 |
20 | 興南詩苑漢詩 劍窓社弟五十壽詩/其美、劍窓芸兄五十壽慶/鷺村、漢詩習作會課題 辛已除夕讀韓愈送窮文/柏樑、漢詩習作會課題 辛已除夕讀韓愈送窮文/春懷、漢詩習作會課題 辛已除夕讀韓愈送窮文/春懷、漢詩習作會課題 辛已除夕讀韓愈送窮文/灌園、漢詩習作會課題 辛已除夕讀韓愈送窮文/灌園、漢詩習作會課題 辛已除夕讀韓愈送窮文/耳順、漢詩習作會課題 辛已除夕讀韓愈送窮文/耳順、漢詩習作會課題 辛已除夕讀韓愈送窮文/旭東 |
21 | 商況 廿八日前場 |
22 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | サマリンダ(ボルネオ)一帶の 敗殘兵無條件降服 我軍直ちに武裝解除を行ふ頭條新聞 【ボルネオ島◯◯基地二十八日發同盟】去る九日のジヤバ島方面敵軍の完全壓制に呼應してボルネオ方面のわが海軍特別陸戰隊はサマリンダを中心に敗敵を急追、十日にはマメタルハム河上流地區にその大部隊を捕捉降伏せしめ更に二十日にはサマリンダー帶の敗殘敵兵團も無條件降伏を申し入れて來た、よつてわが軍は直ちに敵將校二百七十五名同下士官兵一千四十九名の武裝解除を行つた、なほ主なる鹵獲物は左の通り、 舟艇百五十噸以下のもの七十隻、高角砲六門、迫擊砲六、銃器類約千五百挺、 |
02 | クタヂヤネを占領 北部スマトラ中央山脈敵本據 |
03 | 香港への出入、居住、企業 營業等の取締令を制定 |
04 | 非常事態を布告 北部濠洲全體に |
05 | マツカーサー カンベラ到着 |
06 | 圖像:大東亞海を制壓する我が艨艟 |
07 | 在印全英人引揚げよ ボース氏、クリツプスに對し 公開狀を發出し放送を行ふ |
08 | 日本に代表派遣 東亞印度人會議に出席 印度獨立聯盟事務總長聲明 |
09 | 英の妥協案を痛擊 |
10 | 對印提案の內容 |
11 | 片肺で死の洋上飛行 |
12 | 天佑神助、敵地脫出 二晝夜も南海の洋上に漂ふ 海鷲奇蹟の生還記 |
13 | 和平統一の完成促進 汪主席當面の問題を語る |
14 | 二司政官を任命 前田、宇佐川兩氏 |
15 | 政治的謀略 ケソン暗殺否定 |
16 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 轉廢業者の救護と運用社說 一 政府では去る三月二十七日附內閣訓示號外として、產業再編成に伴ふ中小商工業者の轉廢業者に對し、全官吏が和衷協力、誠實懇切を以て產業の負傷兵を充分に救護し、官民が一體となつて未曾有の難局を突破すべきを通達した事は、最も適宜の處置である。言ふ迄もなく、大東亞戰爭を遂行し、高度國防國家を建設して行く為には、國內に於ける中小商工業の再編成を斷行する事は、真に已むを得ない重大國策である。國家としては、彼等業者の精神上の苦惱を考へ、その扱ひ方法に對しては嚴正であると共に、親心を以てその轉廢業を考慮し、出來る限り救護策を講ずるのが急務である。卽ち近代戰爭は總力戰であり、國內に於ける中小商工業を統制し、國家の必要とする物的及び人的資源を活用せねばならない。從つて政府が產業の再編成を行ひ、中小商工業者の職業轉換を促進するのも實に重大國策遂行の前提である。業者に於いては父祖傳來の業を廢し、或ひは生計の基礎を改編する事となるので、國民生活上の重大問題である。 二 かかる重大問題に對し、政府が產業再編成を行ふ所以のものは、一に大東亞戰爭の遂行に依り、戰爭力の擴大强化を計る上から、萬難を排除して之れが遂行を為さんがためである。その遂行任務を擔當する官吏に於いては、よくその重大使命を理解し、その運用に對しては懇切なる態度を以て、善處すべきであると共に、轉廢業者の立場に對し同情し、彼等をして潑刺たる精神と希望を以て、奉公に邁進させるべきである。かかる觀點よりして產業再編成擔當の行政當局の責任は、重且つ大なりと言ふべきである。その間には私心や私情を挾んで、不公平なる處置や運用があつてはならないのである。政府當局が本問題に對し、內閣訓示として號外を以て通達したのも、實に圓滑なる國策を期待せんが為めである。實施の衝に當る官吏がその運用に當つては、よく政府の意を體し、責任者が自ら率先その衝に當り、和衷協力、誠實懇切なる態度を以て推進すべき事が大事である。 三 飜つて本島に於ける產業再編成より之れを見るに、督府の方針も政府の指示に從ひ、中小商工業者の再編成に着手し、大東亞戰爭遂行の一翼を擔ふ本島の使命に邁進しつつある。特に考慮を拂ふべき事は、轉廢させられる業者の立場を充分に理解し、その處理に對しては嚴正であると共に、懇切であらねばならない。然るに一部には政府の真意を充分に理解せず、特權を利用する傾向があるから、施策の責任當局である督府に於いては、その重大性に鑑みて善處すべきである。祖先傳來の營業であり、生計の基礎である營業を一朝にして失ふことは、家族を路頭に迷はせねばならないから其運用に對しては、業者をして政府の意圖せる國策を說明し、理解せしむると共に公平なる態度を以て臨むべきである。轉廢業を餘儀なくさせられた業者に對しては產業の負傷兵として溫い心を以てその生計の途を考へてやる必要がある。徒らに產業再編成の機會に全然關係のない考朽者をして高祿を食ますが如き事は。嚴に慎しむべき事である。 |
02 | 譽の臺灣遺兒部隊 けふ感激の社頭對面 |
03 | 明治神宮に參拜 |
04 | 無敵海軍に感謝 武官府に赤誠の献金 |
05 | 圖像:夢も圓どかに |
06 | 九軍神へ赤誠の弔慰金 |
07 | 北商の出身 鈴木二等兵戰死 |
08 | 有難さで胸が一杯 臺灣遺兒部隊の日記を覗く |
09 | 臺灣奉公壯年團 四月晴れの結成大會 |
10 | 圖像:先生におんぶで九段へ |
11 | 野球の選手 故坪井二等兵 |
12 | 十日間に五千袋 慰問品展の成果 商議所主催 |
13 | 擧島一政、臺灣の 實力をつけよう 須田府企畫部長歸臺談 |
14 | “電力消費を制限” 佐佐波遞信部長語る |
15 | 教職員の異動 三十一日に發令 |
16 | 必勝食生活の實行 來る奉戴日の常會に呼び掛く |
17 | 日本人として最高の榮譽 故山本大尉遺族談 |
18 | 誠に有り難い 故深津上等兵遺族談 |
19 | 譽の軍國の家 故福田上等兵遺族談 |
20 | 石炭の稼行狀況視察に 田口企畫院技師來臺 |
21 | 宜蘭商議所の創立總會 來月十三日開催 |
22 | ときの声 |
23 | 島內敵產管理人 けふ府報で告示 |
24 | 宜蘭市銃後援護會の結成式 四月一日に擧行 |
25 | 支會長打合會 |
26 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 家門の譽れ! 對面の日待つ遺族 |
02 | 賞賜物件を傳達 河野高雄市助役から |
03 | 喜びの合格者 |
04 | 增產報國の農民道 森田品評會長強調 |
05 | 十八萬圓の豫算で 社務所等新築を計畫 桃園神社 |
06 | 本島治安の礎 殉職警官を合祀 |
07 | 故津田陸軍伍長 斗六街葬を執行 |
08 | 小遣錢節約の献金 花蓮港のヨイ子 |
09 | 士林方委例會 |
10 | 花蓮港桔梗俱樂部 きのふ晴れの結成式擧行 明日から早速鍊成 |
11 | 山本奉公會事務總長來花 |
12 | 臺東桔梗俱樂部けふ結成式 |
13 | 臺中商工業組合總會 |
14 | 多收穫競作會 竹東で褒賞授與式 |
15 | 豐原銃後後援會けふ發會式 |
16 | 莉桐庄助役某訓導に內定 |
17 | 嘉南大圳の組織變更 水利組合令に準據して |
18 | 竹山街銃後後援會の豫算を可決 |
19 | 松山臺中州警察部長霧社巡視 |
20 | 高雄春競馬第六日目成績 |
21 | 草屯龍泉圳減水 田植不能・農民愁ふ |
22 | 大園國民校の高等科實現 |
23 | 時局優良商店出品者表彰 |
24 | 新化郡警職員異動 |
25 | 不良少年窃盜を働く |
26 | 士林の模範隣組 甲長未亡人を勞はる |
27 | 中央會員林支會定期總會 |
28 | 【高雄電話】高雄市春季庭球個人選手權大會 |
29 | 地方便り |
30 | 今日の映畫 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺灣の增稅に就て (完)財務局稅務課發表 |
02 | 精製油所の設置 資材獲得に成功 |
03 | 硫安は日窒で計畫 電解法にて企業化か |
04 | 島內纖維品配給 近く再編成斷行 |
05 | 新增稅の說明 當局の講演者決定 |
06 | 臺灣石炭會社 昨日重役會開催 |
07 | 山田三井支店長 纖維部長に榮轉 |
08 | 炭業の全面的刷新に 臺灣石炭振興會を組織 近く總督府より認可されん |
09 | 大麥、麥粉、大豆等 近く大量移入に決定 |
10 | 照明燈 |
11 | 臺灣化成工業 蘇澳工場建設終了 |
12 | ラジオ |
13 | 水滸傳(641)/黃得時;榎本真砂夫 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇軍に無條件降伏 北部スマトラの殘敵頭條新聞 【メダン二十八日發同盟】北部スマトラ島中央山脈中に敗退し執拗な抵抗を續けつつあつた殘敵は二十七日午後五時五十分わが軍に無條件降伏を申出たので二十八日夕刻クタチアネ北方においてこれら降伏兵の武裝解除を行つた |
02 | モレスビーを連爆 殘存軍事施設を粉碎 |
03 | ポートダーウイン爆擊 |
04 | 國府還都二周年記念日 日華協力態勢完成 大東亞戰爭完遂へ 支那派遣軍總司令官談 |
05 | 軍事色豐かな慶祝 けふ南京で盛大な行事 |
06 | 國府の治績擧がる 還都二周年の概觀 |
07 | 清鄉工作進む |
08 | 圖像:バンドン市で感激の萬歲を叫ぶバタビヤ總領事館員 |
09 | 第二次軍管理工場返還 華北政務委員會二周年記念日に |
10 | キユーバ當局突如邦人拘禁 |
11 | 山東半島の掃蕩戰 陸鷲、敵上空より巨彈 |
12 | 獨軍、英軍上陸を擊退 英軍部隊を殲滅、英船全部を擊沈 佛大西洋岸のサン・ナセール灣で |
13 | 兒戲に類する企圖 獨軍事消息通冷笑 |
14 | “マイスキー攻擊” ソ聯に踊らされた 英軍の拙劣な作戰 |
15 | 在墨樞軸國外交官を米に移送 |
16 | クリツプスに覺書を手交 サ自由聯盟總裁 |
17 | 各派硬化の印象 クリツプス策動の結果 |
18 | 重慶壓迫を益益強化 北中支を視察して後宮總參謀長談 |
19 | 東部ジヤバに 軍政を施行 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 電波で感激の報告 參拜した遺兒から母へ 本社・東京支局間內臺電話 懷しの社頭對面 |
02 | 立派な日本人に “誓ひ”を健氣に報告 |
03 | 熱い感動に咽ぶ きのふ遺兒の日第二日 |
04 | 臺灣遺兒部隊 全日程を終へけふ離京 |
05 | 慈愛と激勵の言葉 諸名士各宿舍を訪ねて |
06 | 立派な日本婦人に 熊本縣少女部隊を訪ねた本庄大將 |
07 | 喜びの鹿兒島部隊 お國の大臣東鄉さんが招待 |
08 | 鄉土の將軍現る 岡田大將福井縣遺兒を犒ふ |
09 | 東亞醫學會を結成 共榮圈の醫學振興へ |
10 | 鄉軍七星分會總會 |
11 | 續く赤誠の献金 軍司令部廿八日の受付 |
12 | 敬神思想の涵養へ 新竹市全島に魁け神道鍊成會開く |
13 | 香港有力全華僑 協力態度を表明 何東の態度表明で |
14 | 動物園に珍客 我等の總督さんが奇襲 |
15 | 司牧者として 喜びに堪へぬ モンテロ師の感想談 |
16 | “海の勇士”を慰問 北二女生一行馬公へ |
17 | 物品賣上稅の 引上げを認可 比島派遣軍司令官 |
18 | 東京市青少年團結成一周年 記念大會を開く |
19 | 銃後援護會發會式 |
20 | 道家專修總長逝去 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 奉公の至誠を披瀝 州下高砂族青年奉公隊晴の結成式擧行 |
02 | 賞賜物件傳達 屏東郡守から |
03 | 南投神社上棟祭 奉納餘興に模型グライダー競翔 |
04 | 喜びの合格者 |
05 | 甘藷の裏作獎勵 花蓮港廳一期作から糊仔法採用 |
06 | 員林銃後後援會發會式 |
07 | 屏東市奉公會女子訓練修了式 |
08 | 世にも珍しい矮人兄弟 スマトラの皇軍○○隊長訪問 |
09 | 第二種青訓實施 花蓮港奉公會 |
10 | 大屯煙草耕作組合總會 |
11 | 昂まる“作業能率” 囹圄の人人に燃える必勝の信念 |
12 | 赤誠の慰問袋 埔里奉公會から |
13 | 高雄州商工組合 鳳山郡支會總會 |
14 | 爪哇の規那樹皮(中) キニーネの歷史 |
15 | 圖像:田植をする皇軍勇士 |
16 | 浮び上る住宅 危險家屋の再鑑定で |
17 | 衛生事務打合會 |
18 | 屏東奉公會三月市常會 |
19 | 花蓮港市養豚者組合を組織 |
20 | 農事小團體綜合品評會 |
21 | 一ケ月に一人一回の勘定 臺中州のバス乘客調べ |
22 | 勤續店員表彰 臺北被服商組合總會 |
23 | 高雄春競馬 第五回迄の成績 |
24 | 地方便り |
25 | 今日の映畫 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 完遂せよ!大東亞戰爭!! 臺北市の近郊地帶 風光明媚な桃園 誇る!山の幸・海の幸特輯 桃園郡は臺北州に隣接してゐる關係上經濟的にも文化的にも島都との關係が深い又その刺激を受けることも強く新竹州內に於いては他郡に比し、凡ゆる部門に於いて進步的色調高く、人心又頗るを呈してゐる。 桃園大圳を動脈として郡下の農業はすばらしい發展を遂げてゐるが就中水產方面に於いては竹圍海岸に州下唯一の船揚施設を完成、臺灣海峽の漁業資源に率先着手して來たが近く更に同海岸に船溜り施設を為し一層之が積極化を計るべく計畫する一方桃園大圳の貯水池に魚苗を養殖して全島民に鮮魚を配給する為め積極的に乘出してゐる。尚桃園街並に近郊一帶は元來風光明媚にして之を遊覧地化するか、或ひは住宅地化する時は臺北市の生活者に依つて活潑に利用されることとなるべく、又は附近の山地から產出する燃料等の地下資源を利用して工業化すべく郡守以下は孰れも真剣に考究中である。 |
02 | 米・茶の名產地として 賴もしき產業郡 米穀增產に一大飛躍特輯 農業生產 當郡下は氣候溫和雨量豐潤にして農耕に適するも大正年間は赭土の茶園を主とする地帶となりしが桃園大圳の完成に依り水田地帶となり全島に屈指の米產地となりたるも赭土地帶瘦地比較的多く又大園蘆竹の海岸地方には冬季期節風強く之が對策として州計畫に基き飛砂防止保安林の完成を觀たる次第なり尚一面州及本部の農產物增產計畫に依り之等水田地帶に亘り耕地防風林の完成を遂げつつあり乍而桃園大圳通通水後日尚淺く以て耕地改善其の他獎勵施設等の餘地誠に大なるものあり依つて當郡は戰時下諸政策に順應すべく官民一致協力、耕地の改良堆肥者舍の建設自給肥料の增產(堆肥綠肥)水田面積の確保、水稻優良品種の普及、改良苗代の獎勵正條密植の勵行模範の設置、稻多收穫競作會の開催優良農具の使用農村婦女子の勞働獎勵其の他畜產等徹底的獎勵農村中堅人物の養成等に依り銃後の物的資源の生產擴充に一路邁進中なり 生產擴充と婦女子の勞働獎勵 戰時下食糧問題は極度に要望せられ農村勞力は年に缺乏を告げ適期作付及自給肥料の增產等に支障を來たし憂慮すべき狀態にあり、翻へつて本島婦女子勞働の實情を觀るに南部地方に於いては稍重勞に服するの例を見るも、全島的に觀る時は專ら男子に依存し婦女子は苗取、稻刈籾產業等概ね簡易なる作業に從事するに過ぎず之も一部にして福建族にありては、蔬菜園の手入れをも男子になさしめ、勞働をなさざる者は高貴たるものの如くへ之を卑しむの慣習あり為に農家の單位耕作面積稍多き當郡にありては耕鋤、田植除草等は自家男子の外雇傭人夫による關係上の粗放の域を脫せざるのみならず、適期を逸し增產推進上遺憾の點不尠內地農村婦女子の一家を一身に引き受け涙ぐましき活動を續けつつある狀況に鑑み本島農村婦女子は戰時氣氛に缺くる處多く、之舊來の陋習の然らしむる處なるも此の際舊慣を打破し生產方面に婦女子の活動を一層增進し刻下緊迫せる勞力並食糧問題の解決に資せんとす、當郡下に於いては、米を筆頭に、茶、柑橘、蔬菜、林產物、畜產物、淡水養魚等其の生產額觀るべきもの多く、副業に於ける叺の製造は州下唯一の生產地とも言ふべく其の產額四十萬枚價額十萬圓の生產を上げつつあり 農事小組合指導統制 時局下農業對策上部落農事小團體の活動に期待する處極めて大なる實情にあり故に本部郡下全般に小組合の設立を昭和十四年完了したるを以て極力內容の充實並事業の圓滑なる進行を圖りつつあり 耕地防風林獎勵 當地方は九月下旬頃より翌春に亘り強烈なる北東季節風を受け農作物の生育を阻害し其の收量品質を劣惡ならしむること尠からざるものあり、部下に於ける耕地防風林完成面積は昭和十五年度迄に〇〇、〇〇〇甲にして延長すれば〇、〇〇〇米、〇〇〇米に達せしも尚之れが設置を要するもの尠からず故に極力之れが獎勵に努めつつあり。 茶業獎勵 當郡下に於ける茶園面積は約〇〇〇〇甲にして米作に次ぐ重要產物たり、然れども、荒廢茶並に在來品種の面積〇〇〇甲にして之れが更新改良に努力し來り昭和七年以降五八〇甲の更新を見たり。 造林事業 本郡の林野面積全地積の一割六分を占む 民行造林 本郡は所謂桃園平野にして比較的山林地帶尠しと雖も年年人口の增加により開墾は次第に山地に及び從前の綠山は赤土山と化し林野の荒廢甚だしく國土保安並に產業經濟上放任する能はざる狀態に至りたるを以て近年民造林の獎勵に努めつつあり、之に對し養成をなしつつあり 林產物 本郡は山林面積尠く僅かに臺北州と山岳高臺を以て境するのみなれば林產物として特記するものなしと雖も薪炭材、竹材、木炭生荀等年約三十萬の生產をなしつつあり 畜產 當郡下に於いて現在〇〇頭の馬を飼養しあるも農馬〇〇頭乘馬〇〇頭輓馬〇〇頭にして殆ど農馬として使役せられ其の成積極めて良好にして一般農民も農耕上水牛に比し有利なる悟り本年度既に〇〇頭購入申込あり、當郡馬匹普及に於いて國庫購入獎勵馬以外に對し獎勵金を交付し、其の飼育を獎勵しつつあり。每月一回の農乘馬鍛鍊會を開催し集團的調教をなすの外飼育上の缺陷を注意し愛護の念を深からしめ一般飼育上の指導をなすの他駒生產の獎勵役馬利用講習會、馬品評會の開催等をなし馬匹普及に努めつつあり 養豚畜牛 養豚に就いては古來桃園豚の名を以て全島に有名なりしも現在約〇〇を飼育するに過ぎず之れが計畫增殖に一意努力しつつあり。畜牛に就いては水牛約〇〇〇頭を頭に黃牛雜種約〇〇頭飼育し居れり 家畜 鶏の約〇〇萬羽を筆頭に鶩鵞七面鳥約〇〇萬羽を飼育し居り本年度家禽業組合を設立し家禽の要求調整の圓滑に努めつつあり 水產 郡下海岸線の延長長く臺灣海峽に面し到る處に富なる底着洄游魚族を有すると共に、陸上に散在せる埤池がありて地理的に水產業に惠まれたるにも拘らず、漁撈幼稚なると漁船の出入に便なる港灣及漁業者の經濟的施設を缺くるが為め斯業の發達を防ぐこと尠からず故に之が振興を策すべく昭和三年六月桃園郡漁業組合を創設し漁村の維持經營の為經濟的施設を中樞として其の活動と相俟つて斯業の發達逐年見るべきものありと雖も今後大いに其の指導獎勵に俟つべきものあり、近年海洋漁業の根據地たる船揚場築造の機運促進を圖りつつあり、之が實現の曉は躍進的の發展期して待つべきものあらん |
03 | 郡下各街庄の 新體制と陣容特輯 都の行政區劃は一街四庄に區分され、更に五十二大字に小分れる、行政中心地たる桃園街を基點として南に八塊庄北に蘆竹大園の二庄あり、東に龜山庄があつて臺北州にしてゐる、各街庄とも逐年交通、產業、教育、土木、衛生等各般に亘り漸次整備され健實なる進展を遂げてゐるが時勢の推移に伴ひ幾多の改善施設を要すべき事業尠からず、街庄經濟は逐年膨脹の餘儀なき情勢にあつて街庄事務は其の範圍擴大すると共に複雜を極め、殊に時局關係事務として生產擴充、國民貯蓄の獎勵、公債消化、消費節約、國民防空の徹底、其他萬般の事務益益增加の傾向にある。 一般住民もよく自活觀念強く理解し最近に於ける納稅思想の徹底に依り諸稅は舉郡早期完納を見せ、十萬郡民は銃後國民としていやが上に赤を誠を披瀝漸次地方行政の改善整備の一途を辿つてゐる。 ◇各街庄の特色 桃園街 イ 社會事業(公會、公共浴場、消費市場圖書館、桃園公園、辨天池)ロ 產業(丸糯作、洋傘、竹笠、疊表) 蘆竹庄 イ 社會事業(盧錐學會文庫)ロ 產業(養豚業、丸糯作、西瓜) 大園庄 イ 社會事業(桃園海水浴場、消費市場)ロ 產業(米、畜產業、黃麻、西瓜、水產業) 龜山庄 イ 產業(茶、桶柑、レモン、石炭) 八塊庄 イ 社會事業(八角亭制度記念門、正朔塔、銀婚記念塔庄設運動場)ロ 產業(茶、養豚業) △都市計畫事業 桃園街は新竹州北部の咽喉を抱し地方商工業の中心地且つ又郡役所の所在地にして街勢逐日發展の趨勢にある。 桃園街に於ける市區改正は明治三十七年及大正十二年の二回に亘り施行されたるも是等は何れも消極的なる小規模の工事にして街路狹隘迂餘曲折し現代都市としての形態を成さず、保安交通、衛生並に商工業發展上支障尠からず而も人口は年近增加の一途を辿り最近十五年間に於いて約四八、六%の激增を示し地方商工業の中心地として其の前途を期待すべきものあるを以て茲に都市計畫を樹立し、既成市街の改良を計ると共に將來發展せんとする郊外地の區劃を定め豫て其の筋に對し之が決定方申請中であつたが、去る十六年十二月愈愈其の決定を見桃園市としての前途をされるに至つた 桃園街 街長 成瀬與三郎、助役 相澤卯三郎、會計役 柳村逸人 蘆竹庄 庄長 池田要女、助役 曾明、會計役 松永逸次 大園庄 庄長 馬場儀次郎、助役 林清隆、會計役 陳□□ 亀山庄 庄長 古賀政雄、助役 辻井隆治、會計役 陳仁義 八塊庄 庄長 山本宗平、助役 梅村和正、會計役 岡村常吉 |
04 | 州民の足を務め 運輸報國に邁進 桃園軌道株式會社特輯 桃園の名士綠野竹二郎氏(舊氏名簡朗山氏)は全島地名の紳士にして、桃園軌道株式會社の經營に專念せられ、この非常時局下の運輸交通に多大なる貢献をなしてゐる。同氏は總督府評議會員、皇民奉公會中央本部奉公委員其の他多數の公職にあつて社會公共事業に盡瘁し、その功績は枚舉に遑がない、同社は本社を桃園街に置く州下屈指の大會社にして、中壢街に支社あり、第一代支社長に國武定治氏を迎へ、大溪、鶯歌の各所に出張所あり、今や新竹州北部及臺北州鶯歌地方民にとつてなくてならない足としてその乘合バス線は網の如く整然と備はつてゐる。 同社常務取締役清水保勝氏(舊名劉梓勝氏)は社長のよき女房役として活躍してゐる。同氏は元桃園街助役、現在桃園街協議会員、皇民奉公桃園支會參與其の他の重職にあつて社會公共事業に貢献をなしてゐる。支配人綠野長夫氏(舊名簡長春氏)は元桃園街助役としてその敏腕を揮つて來たが現在に於いても皇民奉公會桃園街分會奉公委員、生活部長の重要な地位にあつて公私共にその非凡な才□を傾け、同社內外の事務を鮮に切盛りしてゐる。 經營バス路線は次の如し 大溪線―――桃園大溪間 大園線―――桃園大園間 竹圍線―――桃園竹圍間 外社線―――桃園外社間 觀音線―――中壢觀音問 青埔線―――中壢大園間 霧裡線―――中壢更寮脚間 大中線―――大溪中壢間 新屋線―――中壢新屋間 龍潭線―――大溪龍潭間 鶯歌線―――大溪鶯歌間 取締役社長兼專務取締役綠野竹二郎、常務取締役清水保勝、取締役(支配人)綠野長夫、趙德霖、吉市米太郎、篠原榮、范姜萍、監查役林呈□、陳炳俊、江木修三、曾安勳、鄭祿生(寫真は社長綠野氏) |
05 | 躍進の氣みなぎる! 文化高き桃園郡特輯 桃園の沿革 桃園地方は清朝朝乾隆十年頃即ち皇紀二千四百五年廣東人の移住に依り始めて開拓せられたる所にして當時移植したるの桃樹の花の見事なりしより「桃仔園」と呼ばれ遂に「桃園」と稱さるるに至れりと云ふ乾隆十六年始めて官制を施き三快外館を置き桃潤海山二堡を管理し總理を任命して一般民事を掌らしめ光緒二十年皇紀二千五百五十四年國防分局を設け地方の秩序を維持せしめたり 明治二十八年我版籍に入るや民政布かれ官制發せらるるに及び臺北縣新竹支廳に屬し桃園街外十四庄を區域とし事務取扱所を置かる同九年軍政に變更され憲兵屯所置かれて桃潤、海山二堡を鎮制し三十年五月官制改革に依り桃仔園辧務署を設け臺北縣に屬し、三十四年十一月桃園廳の所轄となり、大正九年新制度施行さるると共に廢廳置郡と成り桃園、中壢、大溪の三郡及臺北州の一部に分割され新竹州に屬し今日に至る 地勢及氣候 本部は新竹州の北端に位し東北は臺北州海山郡及新莊郡に山岳又は高臺を以て境し西南は中壢郡の平原に接し南は大溪郡に隣接し北は臺灣海峽に臨み地形稍菱形を呈す地勢は自然南西より北東に傾斜し高原の觀あるも龜山の稜峰を除く他は概ね水田及茶園にして桃園大圳の滿滿たる貯水池點在し又河川の主なる南崁溪は其の源を龜山に發し老街溪は大溪郡龍潭に發し中壢部を經て何れも北流して海に入り灌溉の便を與ふ 氣候は極めて良好にして本島稀に見る健康地と稱せられ氣溫は盛夏に於いて華氏九十度に昇ること尠く冬季に於いて氣溫五十度を下らず溫暖なり夏季は雷雨多く農作物を益すること大なり冬季の季節風は北方の坪頂高原に遮られるども海岸地方は風力強烈にして砂丘を形成せるものあり 學校教育 本郡は島都臺北に近きのみならず大正九年の新制度施行以前は桃園廳の心臓部なりし為め一般に文化の程度高く教育に對する理解と熱意を有し教育教化の振興著しきものあり △州立桃園農業學校 昭和十三年四月郡民は三十萬圓の巨資を寄附して同校を郡に誘置したるものにして其の規模の宏壯なるは他に其の比を見ざる所なり目下年度計畫に基き着着工事を續行中にして昭和十七年度を以て完成の豫定なり。職員二〇名は生徒三七七名と共に猿渡校長を中心に一心同體となり建設の勞を勵みつつあり △家政女學校 男子中等教育の施設なるや女子教育振興の要望昂り昭和十六年度郡民の寄附により桃園街立として當校を創設し三年制の女子補習教育を施すこととなれり 現在二學級にして中西校長外職員四名生徒一〇八名は桃園街公會堂を假校舍として日本女性たるの婦德鍊成に精進中なるも新學年までに校舍の一部竣功し移轉の豫定なり。 △國民學校 學校數二三にして他に分教場二あり其の內高等科併置一、農業專修學校併置一あれども來年度は更に高等科併置一分教場一を新設するに決し義務教育實施を控へ遺憾なきを期しつつあるのみならず各校共年度計畫に基き國民學校實施と共に其の施設を充實して教育の刷新改善を圖るべく銳意研究努力中なり 社會教育 △國語講習所 所數八八にして各各專任講師を置き國語普及に懸命の努力を拂ひつつあり尚講師の資質向上の為め每年長期の講習を開催し來れり郡下に幼稚園二あり其の實績良好なるに鑑み各庄に於ては國語講習所に幼兒部の附設を考慮し幼兒の躾に意を拂ひつつあり △青少年教育 新訓令により從來の青少年團を改□の上運營すべく考究中なるも現在郡聯合青年團の外に街庄聯合青年團五、單位青年團一三ある外蘆竹庄に魁挺身隊ありて何れる時局下青年訓練の重要性に基き定期訓練の外動員訓練を實施するのみならず皇民奉公會の各種訓練と表裏一體となり、有事則應の體制を整へつつあり尚桃園街壯年の結成を契機として各庄とも壯年團を結成すべく準備を急ぎつつあり 社會事業 △軍事援護 軍人援護會郡支部の分會として關係方面と連絡を保ち軍人軍島の遺家族並に傷痍軍人に對する援護事業に努め更に都內在鄉軍人會愛國婦人會、方面委員、青年團、學校兒童等と一體となり、軍人をして後顧の憂なからしむる樣萬遺憾なきを期しつつあり △巡回診療 貧困者に對する醫療救護施設たる巡回診療の實施に當りては特に精神的方面の指導に考慮を拂ひ應診者に對し報恩感謝の念啓培に一層の努力を拂ひつつあり △方面委員 方面委員設置街庄三にして各各助成會を設置し財政的援助をなし制度の圓滿なる發展に努めつつあり △窮民救助 各街庄とも窮民救助の施設をなし多額の經費を計上して老幼不具廢疾病傷者等に對し生活救助をなしつつあり |
06 | 郡下の金融機關 逞ましき產組の現況特輯 郡下の商業中心地は桃源街にして需要者の大多數は農家である地勢は島都に接近せる關係上一般商業の經營は困難を思はしめるところがあるが、農村經濟は割合に好調を示し桃園街內には臺銀、商銀、彰銀、無盡の各支店があつて商工業者の金融機關は完備すると共に產業組合は軍營一、兼營八あつてその活動は農村振興に寄與するところが甚大である、 一般農民又共の存在を認識し、產業組合の使命は異常なる躍動を遂げてゐる。左にその各組合の陣容を覗いて見よう 有限責任桃園信用組合 組合は大正六年に創立市街地の組合として州下でも屈指の組 合であり、今回組合長に街內の大實業家陳希達氏を迎へ、專務理事に溫健篤實な吳太平氏と云ふ名コンビで業績は日增に向上しつつある。 組合長理事 陳希達 專務理事 吳太平 理事 簡江、丸山繁三、李榮芳、陳文科、邱魏牙、鐘番 監事 鄒永山、張溫流、竹村景忠、島村波雄 保證責任埔仔信用購買販賣利用組合 本組合は大正七年の創設、桃園街內にあつて、米產地桃園を背負つて農村金融、農業倉庫經營は郡下隨一である。組合長黃全發氏は地方の名隆家で德望高く一般農民より慈父としてあがめられ、女房役專務理事星村憲政氏(舊名黃乾生)の敏腕と相俟つて組合の業績は著しく向上してゐる。(寫真は黃組合長) 組合長理事 黃全發 專務理事 星村憲政 理事 陳慶同、呂木盛、蕭興起、福田義雄、吳川 監事 簡秀江、呂周南、柳村光洋 保證責任南崁信用購買販賣利用組合 本組合は大正六年に創設したる農村組合である。組合長王傳房氏、專務理事翁賜雲氏は共に地方の名家にして德望高く、農村金融に貢献する一方、農業倉庫を經營して好成績を舉げてゐるが昭和十六年度に於いて王組合長の英斷により叺製造を開始して好評を博してゐる 組合長理事 王傳房 專務理事 翁賜雲 理事 蔡伯棕、徐藍吉、徐新居、劉旺生、王傳烈 監事 張福來、游貽德、陳火旺 (寫真は王組合長) 保證責任大園信用購買販賣利用組合 本組合は大正四年創設したるものにして郡下に於て最も古く組合長福山長旺氏(舊名游旺水)と專務理事林崇基氏の清新なる才腕に依り、米產桃園を擔つて農村經濟又は米穀增產に邁進し現在の大をなしてゐる 組合長理事 福山長旺 專務理事 林崇基 理事 蕭振明、蔡義、黃仁坤 監事 梁萬基、李桶厚、清谷富弘 (寫真は福山組合長) 保證責任竹圍信用購買販賣利用組合 本組合は大正八年に創設したるものにして大園庄竹圍にあつて農村經濟のために貢献するところが多い、組合長理事陳全福氏と專務理事陳登鳳氏は共に地方の有力者である 組合長理事 陳全福 專務理事 陳登鳳 理事 加錫藩、徐□生、蘇呈祿、溫□連 監事 林秋風、陳祺福、陳添發 保證責任龜山信用購買販賣利用組合 本組合は大正十四年に創設し、農山村の金融に多大なる貢献をなす外に最近大陸各地に亀山名產の桶柑並レモンを輸出して頓に聲價を高めてゐる。組合長理事呂新進氏と專務理事呂中等氏は共に地方の名望家にして兩氏の敏腕に依り業績は日增しに向上してゐる 組合長理事 呂新進 專務理事 呂中等 理事 山中務、郭大水、謝俊秀 監事 曹培昌、游春喜、杜承家 保證責任八塊信用購買販賣利用組合 本組合は大正七年に創設したるものにして同地方の農村經濟の中心をなしてゐる。組合長理事葉泉清氏と專務理事岡村連興氏(舊名邱連興)は孰れも地方の名望家にして兩氏の敏腕に依り業績は向上の一途を辿つてゐる 組合長理事 葉泉清 專務理事 岡村連興 理事 山本宗平、呂博本 監事 邱□盛、呂還浦、李永昌 保證責任桃園建築信用購買利用組合 本組合は昭和十一年に創設したるものにして市街地產組合として大いに特色を發揮してゐる。組合長理事陳登旺氏と專務理事陳天送氏は孰れも地方有力者にしてその敏腕に依り將來は洋洋たるものがある。 組合長理事 陳登旺 專務理事 陳天送 理事 丸山繁三、竹村景忠、李榮芳、謝春木、林添富、星野善恒 監事 森清一、小野讓之助、津田亮顯、尤見義、吳黃傳 保證責任桃園倉庫信用利用組合 本組合は昭和十一年に創設したるものにして市街地中小商工業の金融に寄與するところが多い 組合長理事 陳登旺 專務理事 陳天送 理事 鐘番、張溫流、李榮芳、陳新田、竹村景忠、陳四海、星野善恒 監事 小野讓之助、島村波雄、津田亮顯、許春木、森清一 |
07 | 臺灣唯一の 葡萄糖製造工場 大東興業株式會社特輯 桃園地方は風光明層にして豐穰な土地を擁し古來農產物の主產地としてその名聲を博して來たが、米以外の農產物は未だに擧げて數へるものがないのに鑑み桃園街青年有志相計り、大東興業株式會社を組織し農產物の栽培に之が加工事業を起せり。即ち桃園街大樹林(大溪道路鐵道踏切)に二千坪の土地を求め昭和十五年より工場建設に着手同十六年初頭操業の運びに至れり主體事業としては、本島に於いて豐富に產するタピオカ又は甘藷澱粉を科學處理して葡萄糖製造を為すにあり澱粉も自家工場に於いて製造し直ちに葡萄糖を製造する樣最新化學機械の設備をなしここに臺灣唯一の葡萄糖製造工場として新たに登場したわけである。 尚葡萄糖製造の際生する殘滓の中に糖分の含有量あるを以て食酢を製造せんと昭和十六年夏頃より準備し同年十月頃には之が製造開始を見るに至れり同所の主任技師は吳文讚氏にして大阪帝大工學部釀造科を卒へたる新進氣銳の青年技術家である。此葡萄糖は最近に於いては合成酒製造用に多量消費され、又は醫療用の精製葡萄糖(葡萄糖注射液)の原料として缺くべからざるものであり、其の他本品は皮革に柔軟濕潤性を附與する為タンナーシュガーとして盛に用ひられて居る。之迄臺灣では此の葡萄糖を得るために原料澱粉を內地に供給して該品を移入して來た狀態であったが、躍進桃源街街に於いて斯る新規工葉が出來て茲に新製品を市場に送ることが出來、將來本島に於ける自給白足が期待されてゐる 取締役社長吳川、專務取締役吳文全、取締役石川八郎治、同徐清祿、同中川則行、同簡如恒、監查役島村波雄、同吳復鶯 姉妹會社として大成商事健鬪 尚姉妹會社たる大成商事株式會社は同じく桃園街青年有志に依つて昭和十四年四月創立されたるものにして、不動產買賣及賃貸借、食料品及雜貨販賣、又は農產物販賣並加工事業を行ひ、製繩部(大樹林三七八)と青果部(中南一二五)に分かれ熱烈な青年は一意產業報國に邁進してゐる。 取締役社長楊錦、專務取締役楊金成、取締役林秋煊、同徐清祿、同星村憲政、監查役島村波雄、同黃萬來、同吳正、(冩真說明)大東興業株式會社及大成商事株式會社事務所と葡萄糖工場 |
08 | 製米に全力傾注 玉福精米所桃園工場特輯 全島的に米產地として令名ある桃園地方では夙に土□間(籾摺精米業)の發達著し。基隆市玉福精米所では早くから地方に籾摺工場を持つことを計畫中のところ偶偶桃園街青年有志に依つて建設されたる精米工場を昭和十五年末に讓受け、茲に玉福精米所桃園工場を新設す。同工場は郡下隨一の籾摺精米調製工場にして郡下否州下第一の貯藏倉庫を持ち桃園街中路の一角にその偉容を見せてゐる經營者は本島米穀功勞者たる玉理三造氏にして裸一貫から現在の大を築き上げたる立志傳中の人である、氏は基隆市會議員、基隆消防組副組長その他の職にあつて社會事業公共團體に盡瘁してゐる。桃園工場主任には玉理幸平氏を迎へ、同工場の主な職員は徐清祿氏、簡如恒氏、黃萬來氏にして郡下農村の人望を一身に集めて米穀增產街道を驀進してゐる |
09 | 郡運送に貢献する 桃園小運送協會特輯 桃園地方の物產輸送に貢献する日本通運株式會社桃園出張所、桃園合同運送株式會社、臺灣倉庫株式會社桃園出張所の三店に依り組織されたる桃園小運送協會は日進月步健實なる巨步を進めて來たが、協會長たる日通桃園出張所長島村波雄氏は本島出身者隨一の副參事にして、その非凡なる手腕と才能に依つて、桃園運輸業は隆昌の一途をたどつて來てゐる。同氏は又地方青年實業家のよき指導者としてその貫祿を帶び桃園の逸材の士であり、皇奉公會桃園街分會奉公委員同企畫班長、或ひは桃園街防衛團幹部、其の他多數の要職にあつて輸送報國に向つて猛進してゐる 日本通運株式會社桃園出張所 所長 島村波雄 臺灣倉庫株式會社桃園出張所 所長 黃炮 桃園合同運送株式會社 取締役社長 謝春木 專務取締役 竹村景忠 |
10 | 醬油製造で報國 大同商事株式會社特輯 桃園地方隨一の醬油製造業者たる大同商事株式會社は創立以來專門的技術員を招聘し內地式醬油味噌の讓造を為し、銳意內容の充實と品質の向上改善に專念研鑽を重ねて來ただけあつて取締役社長鍾番氏の敏腕も加へて愈愈隆昌の一途を進みつつある同社では最近大根の味噌漬を市場に送り好評を博してゐる。 鍾番氏は新竹州會議員、皇民奉公會新竹州支部奉公委員、郡支會參事並生活部長として活躍して居る桃園街の大實業家である 取締役社長鍾番、取締役簡德旺、陳登旺、簡查某、竹村景忠、西本勝一、楊秋發、楊祥玉、吳宗銀、邱創忠、中林二郎、監查役森清一、李榮芳、謝俊秀、黃鄉 |
11 | 消費米配給に精進 穀類共精共販組合特輯 經濟國策に協力し消費米配器の圓滑を期すべく誕生した桃園穀類共精共販組合は組合長彭火樹氏、組合長楊錦氏外各役員の努力に依り今や基礎愈愈鞏固に向ひつつあるが分けても彭組合長の献身的な努力に依り今迄街內の米穀業者三十三名を糾合して昭和十六年四月十五日に本組合を創設直ちに業務を開始したものである總資本金は十二萬圓にして本部を桃園街中南二二番地に置き、街內には中南、長美、北門、小檜溪、埔子、中路の六箇所の配給所が設けられ一般街民の消費米又は代用食糧の圓滑なる配給を為し、銃後食糧配給の萬全を盡してゐる、同組合では今度新設されたる糠油工場に伴ひ增資を敢行して、產業報國に全組合員が猛進してゐる 組合長理事 彭火樹、副組合長理事 楊錦、理事 陳炎成 同郭李金、同莊明、同許三桶、同呂秀雄、監事 許能通、同廣田忠造、同宮田正雄、主事 曾秋慶、(寫真は彭組合長) |
12 | 水產食糧に貢献 臺灣水產開發會社特輯 同社は昨年八月創立され、臺灣に於ける唯一の水產養殖業を主體とする會社である、近時本島に於ける水產業は重油の規正並にその他漁業用資材不圓滑の為め水產生產の上に支障尠からず然るに內水面の利用は資材を要せず增產を為すこと容易なるべきを□つて同社は桃園水利組合所有の貯水池を利用して支那より鰱魚草魚の如き魚苗を輸入それに島內產鯉魚鰡魚の魚苗を放養して增產を圖らむとするものであり水產食糧資源の開發上時宜に適したる計畫として將又國策的なものとしてその前途は期待されてゐる |
13 | 生產擴充に貢献 飛躍的桃園水利特輯 沿革 桃園水利組合の灌漑施設はもと臺灣總督府の計畫の下に大正五年起工以來實に前後十三星霜を費し昭和三年度に竣功したるものにして當初は所謂官設埤圳であつたが、大正八年八月公共埤圳桃園大圳と為し、總督府の事業と相俟つて、工事完成に努め次で昭和五年十月臺灣水利組合令に基き組合組織に改め今日に至つたものである。 灌漑概況 新竹州桃園、中壢兩郡下の地域一帶は俗に桃園高原と稱し地勢上一般に水利を缺き僅に天水を利用し又は雨水若は附近の溪水を貯溜して其の用に供しつつあつたが、地方農民は頻りに適切なる灌溉施設を要望して已まざる狀態に在つたところ、大正十三年總督府工事の完成と共に通水を開始し組合工事竣功迄は在來の貯水池を利用して普遍的灌溉の策を樹て一面貯水池の築造を急ぎたる結果、今迄の茶畑等荒地は新開墾が著しく增加し昭和四年に至つて區域內灌漑可能地は殆ど墾成することが出來た、序昭和十五年度に於いて組合區域に隣接したる各私設圳は新竹州水統制要綱に基き之等全部を組合區域に編入し、本島水利組合に於いても其の比を見ざる設備と鞏固なる基礎を確立し一路水利報國に邁進し、組合員並區域住民も等しく此の恩惠に浴する幸福を感謝しつつ往時、不毛の原野であつた當時を想起し感概も新に各自其の生業に勵み大國策たる生產の一路を猛進中である現在の組合長は五郎靜輝氏である |
14 | 生產擴充に挺身 順興產業會社特輯 桃園街の素封家簡江氏は大正十二年順興產業合資會社を經營現在に至る。本社の支配人は同氏の長男簡潑氏にして新竹中學校を經て帝都に笈を買ひ後早稲田大學に學ぶ、新進氣銳、溫厚篤實なる青年にして、一般の人望厚く社會公共事業には献身的に努力する活動家である。同社は國策に順應し、生產擴充に日夜を別たず奮鬪を續けて居る。殊に土地の改良、多角形經營に沒頭し農村の改善に盡瘁し地方產業開發に貢献する所甚大である(寫真は支配人簡潑氏) |
15 | 喜びの合格者 |
16 | ラジオ |
序號 | 標題 |
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01 | 又モレスビー猛爆 港灣、軍事施設に大火 |
02 | 新中國の第二回建國祭 南京で嚴肅な式典 華かな慶祝繪卷を繰展ぐ |
03 | 麻布の大使館で內祝賀 |
04 | 華北綜合調查研究所を設く |
05 | 華北諮詢會議新設 在野元老七氏を聘任 |
06 | 大河內、井上兩提督 拜謁仰せつけらる |
07 | 翼贊總選擧に臨む 清新な議會の確立へ 國內展望 |
08 | 無投票が現出せん |
09 | 圖像:進擊に先つ腹ごしらへの勇士(ジヤバ戰線) |
10 | 荒尾市設置 |
11 | 山東半島の肅清進捗 鉅牙山覆滅愈よ目睫 |
12 | スラバヤに初入城 海上から歷史的に |
13 | 米太平洋岸の諸州 皇軍の活動に怯ゆ 加州ゲリラ部隊組織 |
14 | カ駐ソ英大使 ス議長と會談 |
15 | 瑞士通商清算協定調印 |
16 | 對印提案の內容 いつれ明かにされん 印度各派の動き微妙 |
17 | 第二次會談 クリツプスとガンヂー翁 |
18 | 教育會評議員會 |
19 | 土勃新通商協定調印 |
20 | ア、チ南米兩國 依然中立を堅持 弗外交に膝を屈せず |
21 | 銃後後援會設立委員會 一日市應接室で |
22 | ラングーンに 治安維持會結成 |
23 | 獨軍各戰線の大戰果 |
24 | 伊軍活躍 |
25 | 國難打開を神に祈れ 英皇帝國民に要請 |
26 | 社會事業助成會評議員會 |
27 | 新任教員に辭令を交付 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 心は早くも鄉里へ 遺兒部隊續續退京 |
02 | 白衣の勇士を慰問 けふ長谷川總督が |
03 | 新年度第一回青年團長會議 二日市民講堂で |
04 | 皇軍に捧ぐ赤誠 軍司令部に献金部隊 |
05 | 富久子女王殿下 けふ初の御參內 |
06 | 圖像:ビルマ戰線 |
07 | 局部長會議 |
08 | 續く赤誠献金群 武官府廿九日の取扱 |
09 | 圓滿妥結に到達 華北華中貿易連絡會議 |
10 | 就職戰線の新傾向 時局影響に三つの大波 |
11 | 內地視察狀況を知事が口演 官衙長を集めて |
12 | 米陸海軍の指揮統一化 |
13 | 圖像:更生昭南島 |
14 | 電力を節約しませう 使用制限について中村臺電營業部長談 |
15 | 島都銃後後援會 一日に公會堂で發會式 |
16 | 祝戰勝日本畫展 三日より島都公會堂で |
17 | 齋藤總務長官あす夜行南下 震災地復興狀況視察に |
18 | 晝興行を中止 島都の各映畫館 |
19 | 慰安舞踊會 |
20 | 北商合格者 |
21 | 園兒の身體檢查 |
22 | 金屬回收好成績 賣却金を其の儘献金 |
23 | 皇奉海洋訓練所生募集 希望者二日市へ |
24 | 興南詩苑漢詩 草山羽衣園賞花/南都、獄中寄祝灌園先生還曆/讓友、獄中懷少奇且喜其歸臺/讓友、偕訪玉廉君/洪元煌、壬午古元旦□元煌先生偕諸師友枉顧挹青山廬敬次瑤韻/讓友、大坑即景/洪元煌、林下小憩/洪元煌 |
25 | 北三高女合格者 |
26 | 藏元左兵衛氏 |
27 | 商況 三十日前場 |
28 | 興南案內報社消息 |
29 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 圖像:天皇陛下陸軍航空士官學校卒業式に行幸 |
02 | セレベス全島の戡定完了 殘敵無條件降服申出づ頭條新聞 【セレベス島○○基地三十日發同盟】海軍特別陸戰隊は艦艇と協力セレベス島中南部の殘敵掃蕩を行ひつつあつたが三月十七日に同島中南部の要衝エンレカンの殘敵は皇軍に對し降伏を申し出で次いでマリリ、パロプ兩地の殘存敵兵も一般□人と共に三月二十七日早朝無條件降伏を申出で來たりここにセレベス全島の戡定作戰は略終了するに至つた、セレベス掃蕩戰における戰果は次の通り、捕虜コールマン中佐以下五百六十四名、鹵獲品兵器小銃六百二十挺、同彈藥六萬七千三百發機銃(拳銃を含む)百、同彈藥三萬五千八百九◯、手榴彈七百八十、車輛二十五輛、その他多數 |
03 | 一日で作戰を終る アンダマン島の無血占領 |
04 | 市岡駛郎氏 陸軍司政官に |
05 | 鼠が猫を追ふ如く 驅逐艦が敵巡追擊 (上)海戰史に無類のバリ島沖海戰 |
06 | 推薦候補內申續續到達 三日總會を決定 |
07 | 第五戰區の李軍に 攻擊の火蓋を切る |
08 | ポートフレアの橫顏 流刑の島とは思はれない まるでお噺の島のやうだ |
09 | 大東亞中核として 新秩序建設に邁進 三國交驩放送東條首相の演說 |
10 | 友邦と艱苦を共に 汪主席の放送要旨 |
11 | 首相、外相より祝電 汪院長、褚部長宛に |
12 | 宣言を發表(王委員長) |
13 | 樞軸外交團 西國船エ號に乘船 |
14 | 對印度提案內容 クリツプスの發表 |
15 | 印度瞞されるか 老獪英の空手形に |
16 | 內務辭令 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 國府還都二周年を迎へて 新興中國の隆昌を祈る社說 一 大東亞戰爭下意義深き昨三十日、第二回建國祭國府還都二周年記念日を迎へた首都南京では、汪主席以下政府高官多數が大禮堂に參集し、華やかな、記念典禮が擧行された外、東西諸民族解放の聖戰に對處する國府の力强き決意と熱誠とを反映して、軍事色豐かな慶祝行事が盛大に行はれ、新中國全國を擧げて歡喜と慶祝の色に溢れ、我が國は勿論承認各國共に、新中國の還都第三年の門出に對し、心から慶び、その輝しき前途を祝したのである。 惟ふに汪主席以下國府要人が當時總ゆる萬難を排して非常なる決意の下に南京に還都して以來に爰二ケ年、爾來汪主席以下の真摯熱烈なる誠意と不撓不屈の努力の結晶が報ひられて今や軍事に政治に外交に、將又經濟に治績大に擧がり、新興中國としての基礎も固く、大東亞新秩序の一翼として、その建設の任務を分擔遂行しつつ生成發展の一路を辿り、特に中國民眾を最も惱す治安問題に力を注ぎ、內政工作として注目される清鄉工作が着着進捗し、實質的に政治行政が確立しつつあることは、寔に慶祝に堪へざるところである。 二 對日關係に於ては、去年汪主席が親しく訪日答禮して以來、兩國の親善關係は愈愈緊密化し、殊に大東亞戰爭勃發に際しては、之が目的完遂の為、全面的協力をなす旨聲明があつて、茲に日華協力態勢が完全に築上げられ最近に於ては帝國占領の天津、廣東兩租界の返還をつくるなど、永年租界に蟠居して支那大陸を侵略した米英勢力を一掃した外中國內政の癌たる宿年の問題を一擧に解決したところに深き意義を有し、中國再建に對する帝國の誠意と好意を示すものとして中國官民から多大なる敬意と感謝を以て表示されつつある事實は愈愈兩國の親善關係を不動ならしめるものとして誠に欣喜に堪へざるところである。次に外交に於ては日獨伊防共協定に加入して以來その國際的性格が明かにされ、更に樞軸側其他歐洲各國の逸早き承認に依つて、愈愈變轉極りなき國際情勢下に、その巨大な地步が進められ、斯く內治外交共にその堅實な成果を擧げつつあることは、實に喜びに堪へざる次第である。 三 然るに名實共に地方政權に轉落せる重慶は、今日も尚未だその迷夢から醒めず英米援蔣の最後の輸血路たるビルマルートが皇軍の遮斷によつて殆どその抗戰力を喪失し居るにも拘はらず米英に操られて中國民眾多數の幸福を犧牲として依然抗戰を呼號し居るは實に笑止の限りであり、中國國家國民の前途のために誠に悲しむべきことである。斯く思ひを致す時南京國府の責務甚だ重大なるを痛感するのである、殊に支那事變が既に一轉して大東亞戰爭となつた今日、汪主席の唱導する「中日合作、東亞和平」は、最早や理論から進んて實行に移さるべき時機となつて來たのである。我が既定の大方針に基き、益益國民政府の發展强化のため、進んで協力することは勿論であるが、國府としても自ら速に擴大强化し、堅固不拔の實力を養ひ、以て大東亞戰爭に對し、出來る限りの協力を致し、全力を擧げて米英の打倒、聖戰の目的完遂に一路邁進せられんことを切望する次第である。 |
02 | 新時代の息吹き “臺灣奉公壯年團”の結成式 四日盛大に擧行 |
03 | 生活相談所好評 更に委員十四氏に依囑 |
04 | 伊勢神宮に參拜 臺灣遺兒部隊が |
05 | 酒肴料を恤兵献金 |
06 | 地方駐在員決定さる 大日本青少年團 |
07 | 英靈に御菓子料 畏し秩父宮殿下が御下賜 |
08 | 行け南・この要領で一 學問的研究が第一 特にその經濟的發展に關し 臺大助教授今西庄次郎 |
09 | 辭令交付式 教員二百八名に |
10 | 各各の職責で輔導 陸軍職業輔導要領決定 |
11 | 島民の感激献金 軍司令部卅日受付 |
12 | 臺灣勞務奉公團 新竹州隊晴れの歸還 |
13 | 慈雨を待佗ぶ 新竹州下七千甲步植付未完了 |
14 | 洋畫小品展 “臺灣文學”主催で開催 |
15 | 圖像:長谷川總督が白衣の勇士を慰問 |
16 | マツチ值上 四月一日から |
17 | 中等學校長異動 |
18 | 圖像:臺灣遺兒部隊 |
19 | “指導要諦”を把握 青少年團指導者の鍊成會終る |
20 | 兒玉伯南方へ |
21 | 還都記念祝賀會開催 |
22 | 新竹州帽子同業組合の通常總會 |
23 | ときの声 |
24 | 人事 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 重任を□ 臺灣特設勞務奉□臺 |
02 | 臺南州團けふ解隊式 |
03 | 高雄州參事會 |
04 | 白衣の勇士を山の兄弟が慰問 |
05 | 圖像:ひた押しに敵陣に肉迫する皇軍部隊 |
06 | 新高郡の警察招魂祭 |
07 | 警官最高の榮譽 深澤氏等に輝く功勞賞 |
08 | 中壢馬匹普及會總會を開く |
09 | 喜びの合格者 |
10 | 臺中州新教員訓話を受く |
11 | 下級官吏に喜のボーナス |
12 | 農事實行組合にカンフル 嘉義郡下各庄に指導員配置 |
13 | 戰勝奉祝藝能を公開 |
14 | 復舊途上の嘉義 市役所が數字的調查 |
15 | 竹山郡山產組合總會 |
16 | 員林合同バス 全面的に事業刷新 |
17 | 圖像:□イラムに無血上陸 |
18 | 嘉義奉公壯年團役員會 |
19 | 村松氏一行霧峰を訪問 |
20 | 皇奉潮州分會常會を開催 |
21 | 擧動すっかり一變 六十日間の鍊成でこの成果 臺中州青年鍊成終る |
22 | 埔里街農組等評議員會 |
23 | 潮州銃後後援會 盛大な發會式擧行 |
24 | 新高郡氷業者販賣人組合第一回組合總會 |
25 | 國語講師合格者發表 |
26 | 竹山勞水坑道路 廿一萬圓で開鑿着手 |
27 | 杏雲堂診療所 |
28 | 新竹州下の教職員異動 |
29 | 地方便り報社消息 |
30 | 今日の映畫 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 舊法幣と中央儲備券の 等價交換停止發表 國府還都二周年記念日に |
02 | 能ふ限り援助 大藏大臣談 |
03 | 一般民の打擊緩和を期す |
04 | 臺北州香花同組けふ創立總會 |
05 | 茶共販を解散 昨日の總會で決議 |
06 | 茶共販は一通任務を果した 鈴木常任理事語る |
07 | 鐵道運賃割引制 四月一日より實施 |
08 | 雜穀係食品係の 取扱品目決定 |
09 | 日拓總會 監查役二名重任 |
10 | 臺南永康間複線 四月一日より開通 嘉義民雄間は中旬より |
11 | 島內銀行預金躍進 二月末四億四千二百萬圓 |
12 | 玉里外三ケ所に 米穀出張所創設 |
13 | 灣糖大寮工場壓搾終了 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況 三十日後場 |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(642)/黃得時;榎本真砂夫 |
18 | 廣告 |