興南新聞1942年2月
序號 | 標題 |
---|---|
01 | ボルネオ二要衝占領 サンバス(蘭領)サンガウ(英領) |
02 | 海の荒鷲が猛活躍 新嘉坡とスマトラ島で |
03 | 新嘉坡の危機強調 英東亞軍司令部率直に發表 |
04 | 國民最低生活費 總計百五十億圓見當 |
05 | 農業團體統合 と町村 |
06 | “軍教”の真髓徹底に 偕行社で教練研究會開催 |
07 | 株式取引所 大改革の要なし |
08 | 英國民不安 |
09 | 地方財政強化の 稅制改革せず |
10 | □ 非常時狀態宣言 |
11 | 技術院初代總裁 井上子親任さる |
12 | □ モールメインで激戰 |
13 | 敵の半島放棄迫る |
14 | 英野戰軍全く混亂 捕虜のチ大佐陳述 |
15 | 一般勞務者にも 臨時家族手當 |
16 | 圖像:マレー戰線○○にて鹵獲した敵高射砲 |
17 | 米比軍を總攻擊 米陸軍省發表の比島の戰況 |
18 | 俘虜救恤委員部 既に事務を開始 |
19 | 南方諸地域の インフレ抑止 |
20 | 錦江を敵前渡河 豐城附近の敵を殲滅 |
21 | けふから一齊に 各分科會を開く |
22 | ブラジル更に 反樞軸處置 |
23 | 對英米戰の 決議を披瀝す ヒ總統卅日演說 |
24 | 時局費總額 五億二千百萬圓 |
25 | 英、ソ、イラン三國 同盟條約の內容 |
26 | 華府に設置か 西南太平洋軍事 會議の本部 |
27 | 石油增產に盡力 國內と南方諸地域で 岸商相答辯 |
28 | □に 法的根據を 町內會、隣組等 |
29 | 米派遣軍總司令官 チエニー少將派遣 |
30 | 商船專門學校の 入學資格特例 |
31 | 英首相の言明に 濠洲多大の反響 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 島都の全壯丁團員 擧つて志願に一決 榮譽に起つ青年の意氣 |
02 | 男子は志願兵へ 女子は看護婦へ 港都市署職員の申合 |
03 | 圖像:全員志願の北署壯丁團 |
04 | 本社主催 南進のしるべ 南方引揚邦人 座談會 有り餘つて困る 石油王國スマトラ報社消息 |
05 | 赤誠の看護婦 新竹市から廿七名 |
06 | 志願決意を表明 勤勞奉仕終へた新竹州隊 |
07 | 愈よ增加の一途 島都の特志看護志願 |
08 | 苦學力行の人 故三ケ島二等兵 |
09 | 子供思ひ 故石原二等兵 |
10 | 臺灣に非常な關心 層一層の努力を 山本事務總長歸臺談 |
11 | 常會で“防空研究” 隣組長を模範家屋に |
12 | 一層の御奉公 榮轉の六車□高雄州□警□長談 |
13 | サイレンの試驗吹鳴 二月一日州下一齊に |
14 | 大過なく勸め 得た事を喜ぶ 榮轉の宮崎署長談 |
15 | 香港宛電報 一□から取扱開始 |
16 | 見よ!興亞少年の意氣 島都少年團の合同訓練 |
17 | 力強い銃後の姿に感激 桔梗俱樂部員の奉仕體驗 |
18 | 赤誠の献金群 廿九日軍司令部受理 |
19 | 現金取扱時間延長 大詔奉戴日の郵便局 |
20 | 羅東郡道路品 評褒賞授與式 羅東公會堂で |
21 | 水產講習所生募集 |
22 | 中辻支店長榮轉 |
23 | 都市對抗桌球 十五日臺中で |
24 | 興南詩苑漢詩 他鄉除夕/步初 |
25 | 中小企業整理 應召家族は除外 |
26 | 大審院檢事局 思想部を強化 |
27 | 人事 |
28 | 商況(三十一日前場) |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | ニユーブリテン島ビスマルク諸島掃蕩終る 敵陣營合作の動脈を切斷頭條新聞 【東京發同盟】カヴイエンにて猪伏、難波海軍報道班員三十一日發、去る二十三日ニユーアイルランド島カヴイエンの無血占領に成功したわが海軍特別陸戰隊は同地の上陸占領と共にニユーアイルランド島の敵主要地區の掃蕩を完了、次いでカヴイエンを中心とする附近の大小諸島嶼の掃蕩を完了夫夫丘上高く軍艦旗を飜へし居殘つた住民に、大日本軍司令部布吿文の趣旨を告げてニユーアイルランド島その他の附屬全島嶼凡てわが軍制下に置かれる事を明示し安んじて生業を營む標諭告した、かくてラバウルの占領に依るニユーブリテン島その他の諸島嶼と共にニユーギニアのビスマルク諸島は今や全くわが手に歸し米、英、濠、蘭合作の南方動脈戰切斷の端緒を開く事に驚異的成功を收めた |
02 | 住民達に告示 |
03 | 無血上陸だ萬歲! 乘組員の聲海面に谺す |
04 | 新嘉坡に快心の爆擊 |
05 | 二機を擊墜、敵船一隻を擊破 |
06 | 敵輸送船に果敢なる爆擊 |
07 | アタラン河を突破(緬甸戰線) |
08 | 遂に任務を果す |
09 | シ港に絕大な脅威 殊勳・陸軍獨自の舟艇機動で |
10 | 大東亞戰の全般戰況 |
11 | 圖像:□港在留印度人の獨立聯盟結成式 |
12 | スクダイを突破 |
13 | クライ奪取、猛進を續く |
14 | ポンチアンケチル占領 |
15 | 九法案を可決(眾議院本會議) |
16 | 歐洲樞軸國との 連繫を強めたい 外相の答辯 |
17 | 惡虐の焦土戰術 米比軍漸次退却開始 |
18 | 臨時軍事費數度に區分編成 |
19 | けふの兩院 |
20 | 南米諸國の 宣戰布告 わが方の態度 |
21 | パマンカは敵の 重要海軍基地 |
22 | 技術首腦人事 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 南方文化の常 識を習得せよ 進出する前に社說 一 大東亞戰の躍進的な進展に伴ひ、本島青年の南進熱も異常な昂調を見せ、各地方に馬來語講習會、南方事情講演會、或は南方硏究會等の諸會合が續續開催され澎湃として全島を蔽ふに至つた。これは南方進出の前奏曲として誠に嬉ばしき現象であると云はなければならぬ。進出する前に先づ一通り南方の經濟的事情、政治的常識を知つて置くことは何れも現實の問題として極めて必要であるが、それよりも更に一步根本的な南方諸民族の心弦に觸れた言語、思想、宗教、風俗、習慣等所謂南方文化の常識を習得して置くことが何より大切である。先づ言語は吾吾人間の意志又は思想の傳達機關として如何に重要であるかは今更贅言を要しないことである。言葉が通じなければ日常の行動は勿論如何に高遠な理想或は思想を持つて居ても相手を納得させることは出來ない。歐米の基督教傳道師が布教するに當つて必ずその土地の言葉を覺え、深くその土地の生活風習に入り込んで巧妙に人心をキヤツチして行く遣方は吾吾に多大な示唆を與へるものである 二 次に民族文化のバロメータとも言はれる宗教信仰についても或る程度の槪念を知つて置くことが必要である。南方圈の宗教分布狀態を槪觀するに大體に於て佛印の安南人は儒教と道教、タイ、緬甸は佛教、比律賓は基督教、其他の英領マレー、蘭印諸島は回教徒である。その中の佛教と儒教は吾吾と密切な文化的關係にあるからよいが、回教民族については特に研究を要するものがある。元來馬來民族は萬有神教と云ふ所謂アニミズム思想に育成せられ、住民はどんな宗教でもそれをうまく取入れて行くと云ふ非常に殉教性が多いと云はれてゐる。その為に大體西歷紀元前後から印度のヒンヅー教が印度の文化を齎らして入り十世紀末には印度宗教の絢爛時代を爪哇に描き出し、全土を風靡するに至つた。その後十四世紀の中葉に至り、回教がスマトラ、英領マレー方面から入り、ヒンヅー教のスタラム王朝、モジヨバイト王朝を滅して爪哇全島を歸依せしめ、外領ボルネオ等の諸島にもその勢力を及ぼし現在の樣な一大勢力圈を作つて了つた。だから馬來民族の思想と云ふものは印度宗教に依つて本來の萬有神教が一つ色づけられ、その上に又回教思想がカバーしてゐると見なければならぬ。その後白人の支配時代に入り、十五世紀にはスペインとボルトガルに依り基督教が傳播され、英蘭の政治的進出に依つて彼等の自主的政治思想も征服されて了つた。その他多數華僑との接觸に依つて漢文化も非常な影響を及ぼしてゐる。 三 以上槪觀せる如く各種の宗教思想の影響に依り、彼らの風俗習慣も吾吾のと非常に違ふ所がある。豚を食ふ吾吾がうつかりコーラン(聖書)に觸れたり、或は向ふの娘を冷かしたりすると毆られる。又物を渡す時には左手で渡してはいけないさうである。だから之を心得ずして接觸すると非常な誤解を生じたり、民族融和の阻害を來さないとも限らない。是南方文化習得の必要を强調する所以である。 我國も古くより大陸文化を吸收し之を日本化し、近年に至つて歐米文化を吸收して長足の進步を來したが、それに伴ふ弊害も相當大きいものがあつた。而るに支那事變を楔機として敢然英米文化の模倣から脫却し、日本本來の姿に歸り、今迄で攝取した英米文化を血肉として新しい民族文化の確立に努力しつつある。だから吾吾は彼等と接觸するに當つて、徒らに彼等の文化の低度を蔑視せず、寧ろ彼らの固有の文化を尊重し、我が新しく確立された優秀な國民文化を示しつつ、彼らをして兩者を比較對照せしめ、以て我文化に對して自然に憬憧せしめる樣仕向けることが必要である。これ吾吾が南方進出に伴ふ重要な文化工作の一使命と云はなけれなばらぬ。 |
02 | 志願兵募集けふ開始 “待望の日”は遂に來た 奮然と起て・臺灣健男兒 |
03 | 毛布抱へて待機 ゆふべの六時から市民講堂で 一番乘りを狙ふ四君 |
04 | 待侘ぶ“午前九時” 寒い夜氣をついて續續と 押掛く籠城部隊 |
05 | 徹夜で願書作成 係員捻り鉢卷の態 |
06 | 基隆市の一番乘り |
07 | 本島に「憲兵補」制新設 けふ願書受付を開始 |
08 | 昂る“女性の意氣” 新竹から更に十六名 |
09 | 基隆市から更に二女性志願 |
10 | 起て・有為の青年 速かに志願せよ 石田臺北憲兵隊長談 |
11 | 新竹市から五 青年が志願 |
12 | 蘇澳志願兵 指導者打合 |
13 | 圖像:競つて皇軍の一兵に |
14 | “巢立つ若人” 全員志願 |
15 | 憲兵補募集要綱 |
16 | ときのこゑ |
17 | 入營、應召者の歡送 嚴肅且つ盛大にやれ |
18 | 基隆商工信組總會 |
19 | 新竹州製茶同 業組合の總會 |
20 | 本社定期總會報社消息 |
21 | 荒木元京大 總長遙弔式 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 心は銃執る心 歷史の日を迎へて青壯年雀躍 臺中州下の志願統計 |
02 | 競うて御國の楯に 各地志願兵殺到 |
03 | 献穀畑地鎮祭 |
04 | 輝く勳章傳達式 臺中市公室で |
05 | 挺身隊訓練終了 即日つはもの志願 |
06 | 醫療關係者徵用令(上) 施行規則公布に當りて 荒木警務局長談 |
07 | 全員志願の誓ひ 壯丁團員感激に勇み立つ |
08 | 能武水上署長 榮轉の言葉 |
09 | 遺家族慰安會 |
10 | 家門の譽れです 故福岡二等兵の母堂語る |
11 | 伜は孝行者 故入江二等兵 を語る母堂 |
12 | 赤誠の献金品 廿九日海軍武官府受付 |
13 | 純真な童心 遙遙宜蘭から 震災慰問金 |
14 | 昂る看護婦熱 血書志願者續出 |
15 | 戰死は本望 故小田村兵長 の遺族語る |
16 | 婦人の自覺喚起 本島人婦人の時局講演 |
17 | 三十日の志願者 |
18 | 高雄市受付 の志願者 |
19 | 宣傳委員委囑 花蓮港奉公會 の機構改革 |
20 | 臺中健兒の 夜間強行軍 |
21 | 臺中曙女青總會 席上で志願申出 |
22 | 晴の採用を待ち 女給から看護婦へ |
23 | 係員を總動員 志願書の受付 陣營なる |
24 | 一月中の献金 臺中市受付け |
25 | 人事報社消息 |
26 | 消息 |
27 | 地方便り報社消息 |
28 | 今日の映畫 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 將來性に富む(上) 泰國各種商品市場 機械類等を歡迎 |
02 | 家族手當の擴充 來る四月より實施 |
03 | 陸上小運搬業取扱 近く地方廳に通牒 |
04 | 臺北州澱粉雜穀卸 賣組合創立總會 |
05 | 局營バス下旬 頃ダイヤ調整 |
06 | 臺北近郊バス驛前 用地貸與內申中 |
07 | 臺灣炭業總會 一割配當を可決 |
08 | 臺北州澱粉製販 組合總會 |
09 | 臺北鹽乾魚小賣商 配給組合創立さる |
10 | 臺灣體育運動 用品會社總會 |
11 | 白水事務官上京 |
12 | 鐵道部判任 官大量任命 |
13 | 臺灣澱粉工組聯 役員會を開催 |
14 | 貨物自動車組合 役員改選さる |
15 | 臺灣古錻力組 合總會終る |
16 | 化成工業總會 利息配當五分續行 |
17 | 企業許可令の 解說懇談會 |
18 | 蔘業公司 けふ開業 |
19 | 照明燈 |
20 | 兜町前場況 |
21 | ラジオ |
22 | 水滸傳(600)/黃得時;榎本真砂夫 |
23 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 我陸軍部隊の大戰果 廿四日より三十日まで各方面の戰況頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(一日午後三時三十分) 帝國陸軍部隊の一月二十四日より同三十日迄における各方面の戰況次の如し 一、マレー方面 (一)西海岸方面、西海岸方面を進擊する我が部隊は一月二十日ムアー河左岸バクリ、パリスロン附近において敵獨立第四十五旅團を殲滅し赫赫たる戰果を收めたる後一月二十三日以來要衝バトパハ及びセンガラン附近に據る約四千の敵に對し猛烈なる攻撃を開始す敵はバトパハセンガラン間約二十數粁の縱深地帶に堅固に陣地を構築しその抵抗靱強を極めたるもわが地上部隊は航空部隊と緊密なる協同の下に包圍と突破を併用し一月二十六日バトパハを完全に占領すると共にその突破部隊は一擧にレンギ附近に進出し約四千の敵に對し潰滅的打撃を與へ敵戰車三十九輛、中小口徑火砲百六十四門、自動車二百四十三輛及びその外多數の兵器資材を鹵獲し多大の戰果を收め爾後敗敵を急追しつつ主として海岸道に沿ふ地區を前進し二十九日ポンチアナケチル附近において敵の抵抗を擊碎して三十日夕プライ南側の線に達し引續き敵を追擊中なり (二)中央方面、中央方面を進擊中のわが部隊は一月□十四日午前□ンペン及びパロー附近の敵を撃破したる後強力なる航空部隊支援の下に同日夕アエ□イタム及びクルアン附近に據る敵に對して攻撃を開始す、敵は頑強に抵抗せるものが航空部隊の猛襲と皇軍獨特の夜襲とにより遂に退却を開始し二十五日夜半アエルイタム、クルアンの線を占領せり、爾後わが軍は有力なる部隊をカハンを經てゼマランの方向に轉進せしめ以て東海岸方面を進擊する部隊を策應せしむると共に主力を以て各所に敵の破壞せる橋梁及び道路を修理しつつ執拗なる敵の抵抗を擊碎して追擊を續行し二十六夕にはシンパンレンガム、レンガムの線を通過し二十八日午後三時にはラヤンラヤンを三十日にはクライを攻略し引續き南方に向ひ追擊中なり (三)東海岸方面、東海岸方面を進擊中のわが部隊は一月二十四日來メルシン西北方地區において渡河を準備したる後二十六日メルシン河を渡河し同日メルシンゼマラン間の地區に進出し引續き敗敵を南方に向つて追擊中なり (四)陸軍航空部隊はその全力を擧けて果敢なる地上追擊作戰に協力し、その前進を容易ならしめつつあり、又戰爆聯合の大部隊を以て屢屢シンガポール大空襲を敢行し同市周邊の飛行基地に對し大損害を與へると共に英マレー空軍に對し致命的打撃を與へ、その再建企圖を徹底的に擊碎せり、又一部兵力を以てエンダウ附近上空において、わが船團の掩護に任じ來襲する敵秀の多數を擊墜し赫赫たる戰果を獲得せりその間における戰果左の如し 擊墜六十四機(內不確實十一機擊破十一機、計七十五 二、緬甸方面(一)一月二十一日ミヤワヂ附近において泰緬國境の山岳地帶を突破し緬甸に進攻せるわが部隊は同日夕カジヤン及びシンガニナウ附近の敵陣地を奪取しコーカレーに突入、二十三日同地を完全に占領せり、爾後引續き連日の惡天候と嶮難なる山地とを克服し且つ大規模に破壞せられたる道路を踏破しつつ隨所に敵を撃破し二十八日その先鋒部隊を以てキヨウンドを通過西進せり (二)陸軍航空部隊は一部を以て地上進擊作戰に協力すると共に主力を以て屢屢ラングーン附近の敵航空基地に進攻し執拗な敵空軍の再建企圖を覆滅すベく航空擊滅戰を續行中なり、その間における戰果左の如し 擊墜七十機內不確實二十四機擊破八機、計七十八機 三、比島方面 (一)バタアン半島の敵を攻擊中なるわが部隊は一月二十五日夕主力を以てバランガ附近の數線に設備せられたる堅固なる陣地を奪取したる後二十八日オリオン南側に進出しカマツサ山麓の敵を引續き猛攻中なり又西海岸方面においてはバカツク以南の嶮峻なる地形による敵に對し攻撃を續行中なり (二)□□航空部隊は地上部隊の戰闘に直接協力すると共にリマイ飛行場を急襲し巧みに隱匿せる敵戰闘機一機を墜破せり 四、英領ボルネオ方面 陸軍作戰部隊は一月二十四日新銳部隊を以て北方海岸の要衝サンダカンを占領し在留邦人を救出せり、その戰果左の如し 鹵獲品重機關銃二挺、銃器三一八九挺 五、蘭印方面 蘭領ボルネオ方面帝國陸軍部隊は一月二十四日未明陸海緊密なる協力の下に蘭領ボルネオ東方海岸の要衝バリツクパパン附近に上陸し直ちに飛行場を攻略してこれを奪取確保すると共に主力はバリツクパパンに進撃し二十五日完全にこれを占領引續き殘敵を掃蕩中にして敵は續續われに投降中なり、西部ボルネオ方面においては二十七日午前七時有力なる海上機動部隊を以て西海岸パマンカ附近に上陸し直ちに一部を以てサンバ、□□すると共に主力は長驅西部ボルネオ州の首都ポンチアナに向ひ二十九日完全にこれを占領せり、又英領ボルネオより進攻せる部隊はビサン攻略後引續き急進し一月二十七日シルアス及びサンガン附近の敵を撃破し同日午前十時レダ飛行場を攻略せり、サンガウ附近において火砲六門、その他多數の兵器を鹵獲し俘虜百二十遺棄死體三百の戰果を得たり 六、ビスマルク群島方面 一月二十三日ウナカナウ飛行場を占領せるわが部隊は一部の舟艇機動部隊と相呼應し主力を以てアンダリクリクン灣東岸道路に沿ひ敗敵を急追中なり、二十九日までに判明せる戰果左の如し 鹵獲品飛行機四機、火砲十六門(內要塞砲二門)、戰車(輕裝甲車を含む)三輛重機關銃五挺、銃器三百十二挺、自動車四十輛、その他各種兵器、燃料等多數俘虜約二百 |
02 | 新嘉坡市の對岸に進出 帝國陸軍部隊の先鋒 |
03 | ジヨホールバール突入 |
04 | 憲兵補制實施の感激 純真な青年を希望 森井臺北憲兵分隊長談 |
05 | 職責重大 林獻堂氏語る |
06 | 青年よ蹶起せよ 香久忠俊氏語る |
07 | ジヨホール・バール市街 |
08 | 要塞攻略戰將に展開 |
09 | メルシンを完全占領 |
10 | ポンチアナ完全占領 西部蘭領ボルネオの要衝 |
11 | 大擧蘭貢を猛爆(卅一日朝) |
12 | 敵敗走列車を爆擊 |
13 | バタアン半島南部を猛爆 |
14 | コーズウエー橋 完全破壞は不可能 |
15 | シンガポール防衛 軍事專門家の意見 |
16 | 開戰以來五十五日目 大戰鬪九十二回、一日廿粁の猛進 |
17 | 西南太平洋一帶を 「大東亞海」と呼稱 注目・平岀大佐の提倡 |
18 | 比島臨時政府の 各機關組織發表 |
19 | 英軍シ島に撤退 |
20 | 大マニラ市長に ギ前勞働相就任 |
21 | 中南米十九國 外交關係斷絕 |
22 | 大島堀切兩大使 ム伊首相訪問 |
23 | けふの兩院 |
24 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 感激の志願兵應募第一日 赤誠の軍國譜展開 全島一齊に受付開始 |
02 | 押かく志願者の群 島都受付七百五十名 |
03 | 魁挺身隊から百餘名 廣畑君の四十八才が最年長 |
04 | 萬世に薰る遺烈 芝山巖例祭昨日嚴かに執行はる |
05 | 花蓮港一番乘 李目燦青年 |
06 | 見よこの意氣 初日で二千七百四十名 譽れは高し七星郡 |
07 | 基隆郡は 一四二名 |
08 | 流石は新竹健兒 大學出のインテリー次次と名乘り 第一日で八八四名 |
09 | 圖像:志願者應募第一日の島都 |
10 | 小柳宜蘭郡守志願 郡民に示範・イの一番に |
11 | 感激の萬歲三唱 志願者を送つた區會員 隊伍堂堂軍司令部へ |
12 | 瑞芳志願青年大會 |
13 | 憲兵補志願 基隆李煥城君 |
14 | 磨く“婦人決戰魂” 第一回婦人鍊成會開催 |
15 | 憲兵補へ憲兵補へ 臺北憲兵分隊に續續志願 |
16 | 押すな押すな の體格檢查場 |
17 | インテリー續續 基隆第一日の志願者 |
18 | 三五〇名志願 淡水の健兒ら |
19 | 兄弟揃つて應募 率先起つ林田兩青年 |
20 | ヨイコドモ部隊 卅日も武官府に押掛く |
21 | 蘭陽志願者數 |
22 | 瑞芳奉公壯年團 結成式を擧行 |
23 | 故顏國年氏の 長男次男志願 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 軍旗の下へ! 志願に勇立つ臺中青年 |
02 | インテリ多數志願(嘉義) |
03 | 忽ち志願者の洪水(臺南) |
04 | 丹誠の願書を做成(高雄) |
05 | 圖像:若人感激の志願 |
06 | 石底聯合壯丁團 全員志願を申合 |
07 | 豐原健兒の意氣 |
08 | 屏東市卅一日の 嘆願者 |
09 | 見よ!此の健脚 一夜に悠悠六十粁を踏破 臺中青年の強步大會 |
10 | 鳳山乙女の赤誠 |
11 | 皇民奉公推進員 四日・臺中支部から任命 |
12 | 志願兵制打合會 |
13 | 兩女教員志願 |
14 | 志願兵制講演 |
15 | 員林の講演會 |
16 | 醫療關係者徵用令(下) 施行規則公布に當りて 荒木警務局長談 |
17 | 各地組合總會 |
18 | 醫師會發展的解消 奉公醫師團の誕生により |
19 | 三峽奉公 壯年團結成式 |
20 | 優良保甲表彰 高雄署保甲會議 |
21 | 借家狀況調查 臺南署不良 家主を取締 |
22 | 屏東女青に第三 種訓練實施 |
23 | 芝山巖精神 を振作 旗山郡教育大會 |
24 | 艀建造を斷行 港灣機能の向上を圖る |
25 | 屏東愛婦大會 |
26 | 籠球競技會 |
27 | 志熊檢察官長 恒春郡を初巡視 |
28 | 臺中州醬油、豆腐 兩組合總會 |
29 | 志願兵志願者に 無料で眼病治療 |
30 | 鹿港自動車總會 |
31 | 奉公班世話役 陳連科君殉職 |
32 | 今日の映畫 |
33 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 遺烈燦として輝く 芝山巖合祀者二十氏の功績 |
02 | 牛運堀模範部落 成績審查終了 |
03 | 恤兵金を献金 |
04 | 烏牛欄住民 三百餘圓献金 |
05 | 豆腐賣が 卅圓献金 |
06 | 大東亞講習所 所生募集を開始 |
07 | 地方便り |
08 | ラジオ |
09 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 新嘉坡の立體的攻略戰 交錯の十字砲火熾烈 砲聲殷殷絕え間なし |
02 | 正に世紀の猛進擊! |
03 | 阿鼻叫喚の巷 新嘉坡第二のダンケルク |
04 | 英政府確認 |
05 | 市民の立退き 我が軍布告す |
06 | アンボンに敵前上陸 |
07 | 蘭印軍司令部發表 |
08 | 大要塞攻擊將に開始 幅一粁半の水道を挾んで |
09 | シ島の住民引揚 |
10 | 英軍、籠城を準備 最後の足搔きに狂奔 |
11 | 浮ドツク完全沈沒 |
12 | 雄渾な氣魄の發揚 平出大佐の講演要旨 |
13 | モールメイン指呼の間に望む |
14 | 南側の小丘陵に突入 |
15 | 本島青年の意氣發揮 憲兵補志願に示す熱意に感激し 石田臺北憲兵隊長談 |
16 | 濠洲政府 緊急閣議開く |
17 | 八十七億總豫算案 あす眾議院を通過 |
18 | 世襲農地制度の 確立を研究 井野農相の答辯 |
19 | バマンカ地方 ダイヤモンドの產地 |
20 | 樞軸國人退去 地域更に擴大 |
21 | ボンチアナ 蘭領西ボルネオ の首府 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 初日で一萬三千餘名 志願兵熱愈よ急速調 |
02 | 早朝から詰掛く 新竹、正午迄二一〇名 |
03 | 警察部本島人 全職員が志願 |
04 | 興亞の英靈 あす無言の凱旋 |
05 | 圖像:志願兵へ志願兵へ |
06 | 本社主催 南進のしるべ 南方引揚邦人座談會 象群の通つた後 密林に道路が出來る スマトラの卷報社消息 |
07 | 島都の受付總 數八百八十名 初日と合せて |
08 | 基隆郡受付第二日 |
09 | 志願兵應募者調 |
10 | 有明青年團の 志願講演會 |
11 | 二十四名志願 第二日の基隆 |
12 | 城北地區防衛團 第二分團の講演會 |
13 | 願書の不完備が四百五十通 要綱熟讀を希望 |
14 | 憲兵補に若人の群 けふも續續と志願 |
15 | 竹山のヨイ子供部隊 軍司令部へ感謝献金 |
16 | 產業戰士に純 護謨足袋特配 六月頃迄に實現 |
17 | 叫ぶ將兵の萬歲 ジヨホール丘上感極まつて |
18 | 星港の外廓陣地 千田氏ジヨホールバールを語る |
19 | 基隆から二名 |
20 | 定例局部長會議 |
21 | 緊急用乾麵麭 配給要綱決定 |
22 | 興南詩苑漢詩 他鄉除夕/步初 |
23 | 家庭用米穀配 給券を訂正 |
24 | 商況(二日前場) |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 敵甲巡一隻を爆破 飛機十一機を擊墜 マーシヤル群島方面に敵艦見ゆ頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(二日午後七時三十分)二月一日未明航空母艦、甲巡、驅逐艦などより成る敵部隊がマーシヤル群島方面に出現したるも我は直ちにこれを反擊擊退せり本戰闘に於て敵甲巡一隻を爆擊大火災を生ぜしめ敵飛行機十一機を擊墜したる外他の艦艇に若干の損害を與へたり、我が方は小型特設艦船一隻中破したる外其の他の艦船並びに陸上施設に輕微なる損傷を被り合計二十八名の死傷者を生じたり |
02 | 敵輸送船團を攻擊 バンダ海方面で七機を擊墜破 |
03 | 敵機十三機を擊墜(シ島空襲) |
04 | 各要塞の心臟部を衝く(荒鷲部隊) |
05 | 軍港の價值を喪失 シ港今や全く風前の燈火 |
06 | 一般政務奏上 きのふ東條首相 |
07 | 新嘉坡非戰鬪員 に集結命令 |
08 | モールメインを完全占領 緬甸方面の帝國陸軍部隊 |
09 | 蘭貢飛行場を夜襲 |
10 | 戰略的優位を獲得 モールメインの占領に依り |
11 | 全長一千呎の 浮船渠沈沒 |
12 | 金中佐(半島出身)に殊勳甲 生存者の論功行賞 |
13 | シ島の兵力頻りに移動 |
14 | 英、マレー半島放棄を確認 |
15 | アンボン飛行場を占領 |
16 | チモール島ク飛行場を空襲 |
17 | モールメイン 陷落英側認む |
18 | わが鐵環の包圍に 米比軍殲滅を待つ |
19 | 總豫算案を可決 眾院豫算總會全會一致 |
20 | けふの兩院 |
21 | 比島物價調整 對策決定 |
22 | シ港陷落の 感激の日を待つ 要塞攻擊の困難堀田中佐語る |
23 | ビルマ第三の大都會 モールメイン |
24 | 重慶側法院を 國府接收 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 新嘉坡陷落迫る社說 一 マレー戰線に於ける皇軍部隊は、密林と酷暑をついて疾風怒濤の猛進擊を續け、上陸以來、僅か五十五日にして全マレー半島を席卷し、三十一日夕刻にはつひにシンガポールの對岸ジヨホール・バールを占領し、今や水道一つ隔てて、英國が世界に誇る金城鐵壁を目睫の間に望んで皇軍の士氣まさに天を沖くものがある。ジヨホール・バールはマレー半島の最南端に位置する人口一萬の小邑で、シンガポールとの間に僅か二十粁を隔てて居り、シンガポールの前衞線として軍事上極めて重要な處である。普通ジヨホール海峽と呼ばれる狹くて長い水道の略真中あたりに花崗石とセメントで出來た堤道があり、千九百二十四年(大正十三年)六月に竣工した長さ千五百米の陸橋があつて、複線鐵道が敷設せられ、自動車を始め、一般用の車馬道も設けられてシンガポールと連絡してゐる。そして昨年六月には、幅十二哩もある防衞陣地を作るためジヨホールのゴム園から日本人の立退きを命じたことがあり、日本人にとりては永遠に忘れることのできない緣りの深い地である。 二 ジヨホールは、また、シンガポールに水を供給する源泉として重要な役割を演じてゐる、却ちシンガポールは孤立した島で飮料水がないため、臨時に三つ軍港に別に一つ、計四つの貯水池を設けてゐるが、これだけではどうしても全島の需要を賄ひきれないので、ジヨホールから水を引いてゐる。しかるに、この大事な飮料水の源泉も皇軍の鐵蹄下に收められたので、全市は忽ち大混亂を來すことは想像に難くない處である。斯くの如くシンガポールの咽喉ジヨホールバールが我が軍によつて完全に攻略された以上、マレー半島防衞の英軍は、今後總退却してシンガポール死守に全力を注ぐものと思はれるが、シンガポール防衞のため、軍事的に、經濟的に最も重要なマレー半島の本土を失つてしまつた後、英軍は果してこれをどれだけ持ち耐へるかが問題である。それにシンガポールは、その地理的關係や軍事施設から見て、海上よりもマレー本土から受ける攻擊の方が遙かに容易であるから、前衞線たるジヨホールバールを失つた今日、難攻不落のシンガポールも、士氣益益旺盛な皇軍進擊の前に、一溜りもなく消え去ることは火を見るよりも明かである 三 勿論、シンガポールには、有名なセレタ海軍根據地や優秀なテムガー飛行場を持つてゐることは世界各國の認める處である英國は、ワシントン會議の五年前、卽ち千九百十六年(大正五年)に日英同盟廢棄を見越して早くもシンガポールの要塞化を計畫し千九百二十一年(大正十年)の同會議で五、五、三の比率を作ると共に米國はハワイの真珠を、英國は、マレー半島のシンガポールを西大西洋防備現狀維持の埓外に置き總經費一億一千萬弗といふ尨大な豫算をもつて築城を開始し、千九百三十八年(昭和十三年)二月十四日全世界驚異の瞳を集めて誕生し英はここに東洋艦隊を集結させて東亞に飽くなき侵略の魔手を伸ばしたのである。しかるに、その東洋艦隊のプリンスオブウエルスやレパルスの主力艦も、開戰僅か二日にして荒鷲の餌食となつてしまつた。また、テムガー飛行場を始めその他の重要な軍事施設も、皇軍の屢次に亘る猛爆によつて再起不能の痛手を負ふてしまつた。從つて、シンガポールの英軍が、今後、如何に死守しようとも、結局は斷末魔の最後の足掻きを意味する以外の何ものでもないのである。 |
02 | 銃後の治安確保に 戰時犯罪處罰法 臺灣は去る卅一日實施 |
03 | 英國侵略基地新嘉坡を語る(一) 交通の一大要衝/松尾弘 |
04 | 憧れの“憲兵補”へ 若人續續志願申出で |
05 | 武官府へ献金 一日も續續押かく |
06 | 書留速達で憲 兵補志願 |
07 | 憲兵補志願 宜蘭から二名 |
08 | 安んじて職域奉公 どんな事態が生じても動搖するな 中村法務局長語る |
09 | 白衣勇士に羽布團 國婦臺北支部が献納 |
10 | 違反者は斷乎嚴罰 古山高等檢察官長談 |
11 | 係員轉手古舞 新竹市二百九十五名 |
12 | 新竹市から更 に七女性志願 |
13 | 志願熱火と燃えて 第二日・二千三百四十名 |
14 | 臺北市米穀配給組千圓寄附 |
15 | ときのこゑ |
16 | 二日間で千八名 島都受付の志願兵 |
17 | 基隆市から 三十名 |
18 | 基隆郡の志願兵 |
19 | 基隆市常會 |
20 | 蘭陽三郡の志願者 |
21 | 宜蘭市晝食拔の受付 |
22 | 羅東郡上乘の 足取 |
23 | 愛婦有功章 傳達式を擧行 |
24 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 志願を競ふ若人達 各地に繰展ぐ軍國繪卷 |
02 | 榮冠は竹山郡へ 臺中州の志願者記錄 |
03 | 志願者愈よ殺到(臺南) 願書の書方に御注意 |
04 | 嘉義郡志願者 都市に劣らぬ 好成績 |
05 | 新東亞の礎石 名譽の戰死者發表 |
06 | 包み切れぬ喜び 吳氏素賢さん特志看護婦に合格 |
07 | 熱誠遂に爆發 花蓮港市係員願 書整理に忙殺 |
08 | 南國青年の意氣 屏東市郡の志願者 |
09 | 念願を叶へて 上げよう 乙女達の純情 に警官感激 |
10 | 馬公青年の 志願兵熱 |
11 | 內湖庄職員全部 大擧して志願 |
12 | 外埔信組常務 許氏等が志願 |
13 | 貢寮から 七名志願 |
14 | 譽れの憲兵補 志願手續の問合せで 高雄憲兵分隊雜沓 |
15 | 臺中の志願者 |
16 | 物淒い志願兵熱 お山に奏でる軍國譜 |
17 | 神前に赤誠誓ふ サンテイモン社 |
18 | 感激の乾杯 マガツン社 老人の快氣焰 |
19 | 男子に呼應して乙女達志願に赤誠 |
20 | 血書に赤誠 籠めて志願 |
21 | 南港壯丁團 全員志願 |
22 | 農は國の本 高雄州祈年祭行事を打合 |
23 | 臺中市醫師 奉公分團結成 |
24 | 皇軍將兵慰問金第九回領收報告(敬稱略)報社消息 |
25 | 志願兵制講演會 |
26 | 志願兵促進 青年大會 |
27 | 震災義捐金 本社臺中支局扱報社消息 |
28 | 看護助手志願 |
29 | 勇士にアンマ 盲人從軍志願 |
30 | 潮州郡五塊厝 家長會議 |
31 | 志願兵講演 即座に志願 |
32 | 志願兵制講演會 |
33 | 一番ヶ瀨知事 復興狀況視察 |
34 | 三百圓を献金 昭和の鹽原多助 |
35 | 紙芝居講習會 |
36 | 臺中市議補缺選擧 |
37 | 臺南魁挺身隊 九日に第二回 隊員の身體檢查 |
38 | 島民皆兵の宣傳 宣傳班の初仕事 |
39 | 地方法院大溪 出張所開廳式 |
40 | 龍潭米共 組合總會 |
41 | 常會運動研究會 來る五日に開く |
42 | 桃園農業校生 徹夜の強行軍 |
43 | 龍潭國民校 父兄常會 |
44 | 地方便り |
45 | 今日の映畫 |
46 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 輸送力を增強 貨車停留時間短縮旬間 二月十一日より實施 |
02 | 植付後の成績良好 入鹿山技師語る |
03 | 生ゴムの申請 三月廿日迄に |
04 | 農村產組良績 去年五月末貯金一億三千餘萬圓 |
05 | 海南製粉總會 配當八分据置 |
06 | 茶園三千甲撤退 甘藷其他を植栽 |
07 | 感謝貯蓄運動 實施要綱を決定 |
08 | 第三回豆債券抽籤 一等四四〇五三番 |
09 | 新竹州米納入組合 剩餘金過多で問題 |
10 | 茶樹から強心劑 含有量判明さる |
11 | 臺北勸業信 組通常總代會 |
12 | 日東拓殖農林 南方開發部設置 |
13 | 八堡圳排水工事 起工式を擧行 |
14 | 朝日製粉總會 初配當五分可決 |
15 | 照明燈 |
16 | 商況(二日後場) |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(601)/黃得時;榎本真砂夫 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 敵船十四隻を擊沈破 スマトラ島沿岸方面 |
02 | 敢鬪又敢鬪五十五日 ○○部隊長元氣に語る |
03 | 大東亞戰の全般戰況 |
04 | 敵殘部隊の遁入 避難者でごつた返す 新嘉坡島 |
05 | 狂亂の新嘉坡 末梢的な享樂を追求 |
06 | 圖像:ビルマ戰線 |
07 | 我が海鷲魂の真髓 海の親鷲○○部隊長語る |
08 | セレベス島○○爆擊 |
09 | 北進部隊の勞苦言語に絕す |
10 | 自國の不正義悔悟 英兵捕虜の態度一變 |
11 | 泰國の新しい役割 ピブン首相所信披瀝 |
12 | シ港在留邦支人 カルカツタ着 |
13 | 住民兵を後手に括つて 皇軍の標的代りとす 惡辣極まる米軍の暴虐行為 |
14 | アンボンの失陷 敵側の打擊甚大 |
15 | 近代的な港町 有名な香料產地 |
16 | 翼贊會關係者 立候補差支ない 東條首相の答辯 |
17 | 總豫算案 眾院本會議に上程 |
18 | 重慶、陳介を 印度に特派 |
19 | 貴族院本會議 |
20 | 資金動員計畫 賀屋藏相方針を闡明 |
21 | 市汊街、胡村を奪取 |
22 | 三法案委員會 可決 |
23 | 課稅人員增加 と稅增收額 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | “起て!全青壯年 畏き大御心に應へ奉れ” 井上軍報道部長語る |
02 | 武勳の英靈凱旋 軍官民に迎へられて |
03 | 本社主催 南進のしるべ 南方引揚邦人 座談會 雄飛せよ!青年 共存共榮の理念で報社消息 |
04 | 迫る新嘉坡の陷落 島都の祝賀行事決る |
05 | 銃後生活の決戰化 島都婦人鍊成會開始 |
06 | 根井警察部長 講演會場を巡視 |
07 | 看護婦助手訓練 四週間みつちり鍛へる |
08 | 時代の母であれ 田中訓練部長語る |
09 | 保育世話や調理奉仕 桔梗俱樂部員がお手傳 |
10 | インテリ蹶起 「譽の志願兵」の歌を高唱しつつ 島都の團體乘込む |
11 | どしどし出願 憧れの憲兵補へ |
12 | 志願兵推進隊 結成 |
13 | 知識層の志願陸續 港都で斷然異彩を放つ |
14 | 總數四十二名 新竹市三日受付 |
15 | 憲兵補の志願 者五名となる 新竹分駐所受付 |
16 | 赤誠の國防献金 軍司令部へ續續 |
17 | ヨイ子供部隊献金 武官府へ!武官府へ |
18 | 漁船平安丸 濃霧の為坐礁 乘組員全部無事 |
19 | 基隆市の金屬 類回收愈開始 |
20 | 人事・消息報社消息 |
21 | 商況(三日前場) |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 新嘉坡埠頭を急襲 バンカ海峽で敵大型商船爆沈 海鷲活躍頭條新聞 【東京發同盟】◯◯基地井關海軍報道班員發バンカ海峽北口の輸送船團を虱潰しに連續爆擊しシンガポールとの航行を斷つて敵の心臓を寒からしめてゐる海軍航空部隊は三日も亦同方面に出動午後一時頃バンカ海峽に大型商船(約八千噸)一隻を發見しこれを痛爆商船は忽ち大火災を生じ沈没した、他の有力部隊はシンガポール商港の埠頭を急襲巨彈の雨を降らせて甚大なる損害を與へた、埠頭附近には數日來大小無數の船舶が慌てふためいて出入しつつ遁走の機を狙つてゐるがわが荒鷲の空からの爆撃に身動き出來ず、又火災を起した重油タンクは熾んに燃え上り黑煙はシンガポール南方百哩位の所まで空を蔽ひ凄壯を極めてゐる |
02 | 陸鷲群も夜間爆擊 |
03 | 皇軍入城三日目も ジヨホールバール 早くも再建の第一步を踏出す |
04 | 總豫算案を可決 眾議院本會議一致で |
05 | 敵機鳴りを潛む その後の新嘉坡要塞 |
06 | 英軍、北側海軍基地と 三飛行場を放棄 ロイターシンガポール情報 |
07 | 圖像:ダヴォイに入城 |
08 | 現地某要職に就任 德川侯、永田、村田、砂田の四氏 |
09 | 審議の中心貴院へ |
10 | マルタバンの敗敵を猛爆粉碎 モールメインの對岸 |
11 | モールメイン 治安完全に回復 |
12 | 敵、ン島外に 基地を移すか |
13 | 貴院豫算總會 の質問順位 |
14 | 強制貯蓄を行はぬ 國民の愛國心に待つ 藏相闡明 |
15 | 戰時民刑事 特別法案 委員會を通過 |
16 | 現地軍指揮官の輔佐役 |
17 | 綜合生產力は向上 賀屋藏相、疑惑を一掃 |
18 | 英軍の薄弱判明 |
19 | 無上の名譽 永田氏は語る |
20 | 緬甸の英軍 サ河の反對側に 防禦陣を布く |
21 | 米の單獨艦隊で 兩洋守備は至難 ノ長官率直に意見開陳 |
22 | 新銀本位制採用 英磅為替本位制を廢止 泰國政府 |
23 | 濠洲飛行機增產 |
24 | けふの兩院 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 產組役員の 官選と運用社說 一 今般改正臺灣產業組合令及び其の施行規則の發布と共に從來組合員の公選した役員の內任期滿了後常任理事のみ官選する事となつた。從つて組合長を始め實務に當る理事が凡て官選となつたので他の理事監事も多くは監督官廳の指名になるべきは明かであるから實質上に於て產組役員の官選主義となり此處に於て組合員自活を以てモツトウとする協同組合の精神が否定される事となつた。これも戰時下に於ける產業統制の强化と同樣に誠に已むを得ざる成行であるが、役員官選の最大理由とするところは從來島內に於ける產組役員の選擧が稍もすれば地方の黨派關係に支配されて紛糾を生ずる事多くこれがため役員も公正に其の業務を執行する事が出來なかつたからである。斯かる弊害は何人も認めざるを得ないが、昭和十二年日支事變勃發以後擧國一致の風潮に乘つて現在では最早斯かる弊害が殆どなくなつた事は爭はれない事實である。此の次は勿論官選に依つて人格公正な適任者を選任する事も一つの理由となつてゐるが、これも近年來に於ける各產組の內容充實から見て大體現役員の多くは適任者である事を示してゐる。それ故督府に於ても甚だしき不適任でなければ猥りに現任者を交迭せしめない方針を持つてゐる事はこれ又當然な事であると思はれる。 二 ところが最近各組合に於て定款改正と共に現任役員に對する待遇を著しく向上する事となつた。尤も從來產組常任役員の報酬は其の責任の重大に反し頗る薄く寧ろ氣の毒な位であるから待遇の改善は物慣騰貴と睨合せて當然なさなければならないが、最近では一躍して五六割乃至倍額に增俸する組合もあつて却つて他の職業に比し優遇する事となり、此の氣風が漸次普遍化する事となつた。組合員の共存共榮を標榜する產組としては現在役員の高級化は決して當を得たものではない。殊に全島產組に對しては如何に剩餘金が多くとも年五六分の配當しか認められてゐない現在に於て役員の特殊階級化は凡そ產組の根本精神と背反するものと信じて疑はない。卽ち役員の優遇は或る程度迄は大に必要であるが、度を越せば會社經理令の精神をも蹂躙する事となるから、此の點に關しては直接の監督官廳たる州當局に於て決して輕輕しく看過してはならないのである。次に現任役員に對する過多な優待は勢ひ官廳に對する運動者の續出を招來しこれがため萬一にも役員の闇取引を惹起しては折角公正な官選主義に汚點を殘す事となるから、此の點は監督官廳の責任重大を加はると共に其の自重自肅を望まざるを得ない。 三 最後に一言すべきは役員官選制を運用する上に於てなるべく退官者を任命しない事である。此の事は全島各產組に於て內心最も懸念してゐる事であるが、役員公選卽ち退官者優遇と勘違ひする者も少なくない。云ふ迄もなく產組の精神は飽く迄も相互扶助的協動にあるので其の官僚化程恐ろしい敵はないから、退官者の內餘程の適任者であらざる限り單に優遇の意味を以て天降りする事は絕對に避けなければならない。東大教授東畑精一氏が曾て「統制の美名によつて今日の產業組合や聯合會を官廳化せしむる事は統制するものに便宜で□□ても自ら統制の創意と實とに缺くる他動的集合物を作るに過ぎないであらう。現在の組合運動をして自己創造的に全面的統制の訓練を為さしむる所に補助政策の存在理由があり、統制といふ孫を生み得る資格を獲得出來るのである」と云はれたが、若し退官者の大量移入を行へば產業組合は勢ひ官僚化ならざるを得ず、從つて相互扶助的精神が後退するに違ひないからである。要するに產組役員の官選は各州廳監督者に對する責任が加重するだけ今後須らく大局的見地に立脚して合理的に運用せられん事を强調せざるを得ない。 |
02 | 星港陷落の祝賀前哨戰 蓋開けして吃驚 奇想天外の催し物いろいろ 象君も戰勝に鼻捲く |
03 | 三笠宮殿下 眾議院に御成遊ばさる |
04 | 英國侵略基地新嘉坡を語る(二) 苦苦しい人種差別/廣瀨辰之助 |
05 | 再び來る“あの日の感激” 第二回の大詔奉戴日近づく |
06 | “形”よりも“心”だ 無理に全員を集めるな |
07 | 陸海軍へ献金 新起町第二分 區奉公班 |
08 | 興亞の若人蹶起 光榮の“憲兵補”志願が激增 臺北憲兵分隊受付 |
09 | 防空監視哨へ 官民から恤兵金 |
10 | 志願兵の往昔譚 譽れの護鄉兵五名を集めて ラジオ常會開催 |
11 | 基隆郡保甲民 の赤誠献金 |
12 | 米穀配給挺身 隊適格者志願 |
13 | 一萬九千突破 全島の志願者累計 |
14 | 赤誠の感激献金 海軍武官府の受付 |
15 | 臺北州下各郡 の志願者 |
16 | 日支親善に一役 看護婦助手募集の對象は 本島人の女子青年 |
17 | 志願兵受付一覽 |
18 | 不合格者は南へ 奉公會で具體策を練る |
19 | ときのこゑ |
20 | 新竹市の志願者數 |
21 | 府扱ひ臺南州 下震災義捐金 |
22 | 新任齋藤宜蘭 署長着任 |
23 | 宇部市長生炭 鑛海水進入 百八十一名行 方不明 |
24 | 人事消息報社消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 感激と希望を胸に 軍旗の下に急ぐ若人達 最高記錄は彰化郡の七四九名 |
02 | 志願者愈よ募る(臺南) |
03 | 殺到する屏東 市郡の志願者 |
04 | 有識者斷然多い 高雄の憲兵補志願者 |
05 | 圖像:ボンチヤナク |
06 | 花蓮港では 出足多少遲る 地理的關係で |
07 | 袈裟を軍服に 佛教護國團主事志願 |
08 | 純情溢るる念願 彰化高女山本さん看護婦志願 |
09 | 金屬回收に 戶別訪問 國婦愛婦高雄州 支部の打合せ |
10 | 花蓮港の志願者 |
11 | 露營の思出も深く 團員常會に愉しき夜の一と時 臺南州少年鍊成大會 |
12 | 各地志願者殺到 |
13 | 衛生課に 志願書の山 |
14 | 不急事業見合せ 嘉義市豫算けふ內示會 |
15 | 屏東市聯少團 非常鍊成大會 |
16 | 戲獅甲の大勝橋 きのふ盛大な竣工式 |
17 | 企業許可令講習會 |
18 | 區每に講演會 志願兵制の 主旨を徹底 |
19 | 女子衛生看護團 華華しく結成式 |
20 | 女子衛生看護團 講習會を開く |
21 | 感激身に滿ちて 山の青年猛訓練 |
22 | 早期納稅獎勵策 各街庄稅務係協議 |
23 | 山上庄協 補欠選擧 |
24 | 皇軍將兵慰問金第拾回領收報告(敬稱略)報社消息 |
25 | 花蓮港奉公會 役員會 |
26 | トマト出荷打合 |
27 | 人事報社消息 |
28 | 消息 |
29 | 地方便り |
30 | 今日の映畫 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 食糧增產へ總進軍 作付轉換一萬四千八百餘甲 |
02 | 食糧營團の組織機能 委員會で農相等答辯 |
03 | 戰時經濟道德作興に 臺灣商議所經濟懇談會を計畫 |
04 | 將來性に富む(下) 泰國各種商品市場 機械類等を歡迎 |
05 | 臺灣產組聯合會 機構、人事、決定 |
06 | 米生產獎勵金 十七年度千四百餘萬圓 |
07 | 大成火災增益 契約激增、四分配當に復活 |
08 | 米の小賣價格 不合理を是正 勞働者等の增配考慮 |
09 | 內地バス事業 組合の運營 加賀山專務談 |
10 | 照明燈 |
11 | 商況(三日後場) |
12 | ラジオ |
13 | 水滸傳(602)/黃得時;榎本真砂夫 |
14 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 英領ボルネオ要衝 タワオ完全占領 邦人五百八十七名救出 |
02 | 新嘉坡を長時間猛爆 隨所に火災が起る |
03 | 防衛は至難 英紙、至大憂慮を表明 |
04 | 圖像:ジヨホールへ肉薄 |
05 | ジヨホールバール 市民安全地帶へ |
06 | シ港陷落せば 影響甚大 英上院議員演說 |
07 | 蘭貢、トングー空襲 地上敵機五機を爆碎 |
08 | 中部緬甸飛行場空襲 |
09 | 工兵隊、衛生隊の殊勳 馬來戰線不朽の一頁 |
10 | 白刃□して敵陣へ 比島作戰鐵牛部隊の奮戰記 |
11 | 敗戰糊塗も無效 英國一般の空氣沈痛 |
12 | 食糧增產に邁進 重政局長、三千萬農民に呼びかく |
13 | 藏相が財政演說 けふの貴族院本會議 |
14 | 濠洲防衛の 急務を說く メンジス前首相 |
15 | 選擧肅正の專 門委員會特徵 眾議院各派で |
16 | 地方制度の改革 近く法律案を提出 |
17 | 大體十六日より 自然休會に入る 貴院、會期短縮に努力 |
18 | マニラ市內の 不逞分子一掃 軍當局布告 |
19 | 比島臨時政府 各部門指導官等任命 |
20 | 英米援蔣借款 物資輸送は不可能 |
21 | 重慶米人義勇 飛行隊解散 米本國へ召還 |
22 | 對蔣借款可決 米下院外交委員會 |
23 | 恩給受給者 と金額 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 臺灣神社上棟祭 あす嚴かに執行 |
02 | 櫻花綻ぶ九段へ 第四回の遺兒參拜三月廿八、九兩日 |
03 | 正午まで百三名 インテリ層志願增加の島都 |
04 | 志願者總數五百九十名 憲兵補に更に四名志願 新竹市 |
05 | 圖像:大東亞戰爭 |
06 | 虛弱青年の決意 大溪街志願兵美談 |
07 | “憲兵補”志願續續 |
08 | 志願手續案內 所を設置 |
09 | 強くあれ軍國の母よ 伊藤海軍武官が放送 |
10 | 基隆市十一名となる |
11 | 基隆市の總數百五十名 李市議、蘇畫家兩氏も志願 |
12 | 基隆市の親心 看護婦志願者に 豫備試驗を實施 |
13 | 武官府に献金 |
14 | 大の日本贔屓 我が德川義親侯とは無二の親友 ジヨホール王近況 黃文賢氏談 |
15 | 兄弟四人揃つて 島都志願兵の明朗篇 |
16 | 馬にも大和魂の血 櫻糸號奇蹟的に生還 |
17 | 軍司令部に献金群 |
18 | 敵戰鬪機二機擊墜 勇士僅か六名小銃で |
19 | 比律賓資料展 八日から博物館本館で |
20 | 翼贊壯年團 部務分掌決定 |
21 | 生れる烏來村 蕃社名改稱に 臺北州乘出す |
22 | 興南詩苑漢詩 途上作/高惠然、感懷/曾木德憲、感懷 其二/曾木德憲、感懷 其三/曾木德憲、感懷 其四/曾木德憲、感懷 其五/曾木德憲 |
23 | 商況(四日前場) |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 我が鐵牛部隊の 果敢な奮戰振り 死しても尚敵陣を睥睨 嗚呼佐藤中尉、淒絕な最後頭條新聞 【東京發同盟】マレー進撃五十五日わが精銳はシンガポールを指呼の間に望むジヨホールバールに集結今や正に敵最後の牙城を一擧に葬り去らんとする態勢を示しその意氣早くも敵を吞んでゐるがこの皇軍赫赫の進撃の陰には幾多不滅の武勳が秘められてゐる、內にも步兵部隊に魁け酷暑を冐してジヤングルを分け河を渡り總ゆる惡條件を克服して進擊し敵の心膽を寒からしめよく友軍の作戰を有利に展開したわが鐵牛部隊の活躍は目覺ましいものがあり就中去月七日敵が一個師の兵力を以て堅固な陣地を構築せるスリム攻撃に際し果敢な奮戰の後マレー戰線の華と散つた佐藤中尉以下の戰車隊の奮戰振りがこの程マレー戰線を視察して歸つた大本營報道部員によつて齎された、以下その鬼人をも泣かしむる報告 カンバルに突入して元旦を迎へたマレー中央進擊隊の先鋒部隊ははるかに故國の空を仰いで天皇陛下の萬歲を絕叫し心ばかりの新春を祝つた、次に目差すは敵が一個師團の兵力を以て堅固な陣地を占領してゐるといふスリムである、先鋒部隊に挺身して進擊中であつた○○中尉の指揮する戰車十餘輛の戰車中隊は一月七日午前四時四十分突如前方道路上から射撃を受けた早くもスリム陣地の第一線トロラクの堅壘に打突かつたのだ、明方の薄靄を透して見れば敵との距離二百米道路の兩側はゴム林が鬱蒼と茂つてゐる、更にその兩側にはジヤングルが氣味惡く闇黑の光を投げてゐる、隊長車に連なる十餘の戰車からは一樣に車長が掩蓋から頭を出して隊長の氣配を窺つてゐた、中隊長の右手がさつと擧つて前進を命じた、この時中隊長、中隊長と連呼しながら先頭の隊長車に駈けつけて來た步兵中尉があつた、見れば尖兵戰車隊に續行してゐた步兵の中隊長だ「おい二人で行こう、貴公は遮二無二突込んでくれ、俺は貴公の戰車に續行するから」「よしやらう、後から尾いて來いよ」こんな會話を部下はにこにこしながら聞いてゐた、二人が親しみ深いのも道理この戰車中隊長と步兵中隊長は共に士官學校五十四期の同期生だ、二人とも年も同じ二十三歲、その眉宇には烈烈たる攻撃精神が漲つてゐた 戰車隊と步兵隊のこの精神的結合そして僅か十餘輛の戰車で一個師團の敵中に突進しやうといふのだ次の瞬間もう戰車は白い煙を噴きながら轟音勇ましく前進を始めてゐた、步兵中隊長は右手を振つて「第一小隊前進」敵の彈丸は雨のように飛んで來る小銃や機關銃の彈丸は先頭の中隊長の戰車に集中されたが戰車はびくともせず進んで行く、中隊長を先頭の步兵中隊はゴムの木に見え隱れつつ栗鼠のやうに戰車の後にくつついて前進した、中隊長の戰車が瞬間停止した、敵の第一線鐵條網に打突かつたのだ、然しこれを蹂躙するのに三十秒とはかからなかつた、中隊長の戰車、二番目の戰車の砲口から火を吐いたと思つた瞬間道路のすぐ右側にあつた敵のトーチカが吹飛んだ、走つてゐる間に中隊長は戰車の中から道路の兩側に更に幾つかのトーチカを見た、ゴム林の中でがやがや騒いでゐる敵兵の怒號も耳にした、然し頭の中にあるのはスリムの陣地を蹂躙することだけであつた、最初の鐵條網を突破して日米も突進した頃だらう前方に真白いコンクリートの橋梁を發見した、橋梁を爆破されたことに依つて今までわが戰車部隊はどんなに苦勞したか判からない、咄嗟に中隊長の頭には後續の主力部隊のために是が非でも敵の橋梁破壞を未然に防がねばならぬといふことが稻妻のやうにぴーんと來た、橋脚には爆藥が裝置してあるのが見える、そして電線が後方に引かれてある、電氣爆破の裝置である、最早一刻の猶餘も許されぬ、 中隊長は戰車から跳降りるや軍刀を抜き放つて電線に沿つて突進して行つた、果然前方から側方から敵の彈丸が中尉目蒐けて集中された隊長殿危い部下の制止を聞かばこそ中隊長は軍刀を振つて電線を切斷した、そして莞爾と笑ひながら前進と號令一下全戰車は無事第一橋を通過した、前進三粁にして又復橋梁にぶつ突つた、第二の橋でも三番目の橋梁でも同じやうな中隊長の鬼人の如き行為が繰返された、敵中深く突進した頃四番目の橋梁でも同じく同中隊長は戰車の外側に出ようとした途端手首をやられたので戰車から飛び出すことは思ひ留つた代りに戰車の機關銃射撃によつて電線を切斷したはるか後方には步兵中隊の健在を示して豆を煎る樣な銃聲に混つて砲聲も聞へる十餘輛の部下戰車はがつちりと隊長車に從つてゐる、時に午後四時スリム陣地の末端近きを知った 中隊長は敵狀偵察の為め佐藤中尉以下東堤軍曹、飯田上等兵、長谷一等兵の四名乘組の戰車と外一隊に先行を命じた、この先行隊がスリムの部落を過ぎて三粁餘りを進んだ頃佐藤中尉は前方に重砲兵の陣地を發見しその方向に戰車を向けて三十米の直前に迫つた途端立續けにその三發を喰つたこれより先東堤軍曹はこの砲兵に向つて引金を引いてゐた命中一門はひつくり返つた隊長を先頭とする戰車隊が駈けつけた時には佐藤中尉の戰車は敵の十二榴三發の直撃彈を受けて凄絕な最期を遂げてゐた吹き飛ばされた掩蓋の中でしつかり機關銃の銃把を肩にした儘長谷一等兵が壯烈な戰死をしてゐた、銃身はひん曲つてゐる、胸には十餘の彈片が當つて鮮血凛凛血達磨のようだ、といふには餘りにも神神しい姿だ、東堤軍曹は砲を抱きかかへるやうにしてうつ俯してゐた、飯田上等兵は生ける人のように泰然と戰車の底に座つてゐる、佐藤中尉は軍刀の柄を握り敵陣を睥睨した儘最期を遂げて居り戎衣は鮮血に染め上げられたようであつた、最後まで守地を離れん旺盛なる責任觀念火の如き攻撃精神、部下の雄雄しい死を齒を食ばつて見守る中隊長の眼からは涙がとめ度もなく流れた夕陽は早くも落ちて視界が狹くなつて來た、 中隊長は部下戰車を集めて長方形の圓陣を作つて友軍を待つべく決心した、餘りの電擊的突破に膽を奪はれたのか逆襲して來る敵もゐないらしい、然し遠卷きにした敵は戰車群目蒐けて盲目射ちに銃彈を集中して來るこうして夜を迎へて一地に停止して見ると中隊長始め戰車兵の胸には明方別れて來た步兵中隊の來着が待たれ一刻一刻近づいて來る後方の銃聲と喊聲をどんなに待つたことだらう、戰車の突進に續いて敵陣に突撃した步兵中隊の敵陣突破は大なる時間と努力を必要とし一陣地繰每に數線の散兵壕を構築し鐵條網を張り繞らした敵陣は繰返し返し突撃を敢行した戰車が然も同期生の戰車中隊が前方を進んでゐると思へば步兵中隊も氣が強かつた、部下の步兵も誰一人遲れるものもない、先を爭つて突撃して行く步兵中隊と一緒に來た工兵中隊や步兵と共に突撃してゐる「今度は橋梁が破壞されないから俺等は本當の敵と戰へるぞ」今まで來る日も來る日も橋梁の修理に追はれてゐた工兵もけふばかりは步兵になつて心□くばかり暴れ廻つてゐるやうだ、この鬼人のやうな戰車隊と□兵隊の奮戰に敵兵は陣地を捨ててどんどんジヤングルの□に逃げ込んで行く、一つの陣地の敵が逃げ出すと次の陣地も動搖を始めたそこへ阿修羅の如く突撃して行つたわが步兵中隊のために敵陣には見る見る死體の山が築かれて行つた 攻撃開始以來實に十九時間半、遂に步兵中隊は戰車中隊の後に追及した、期せずして步兵隊、戰車隊から萬歲の聲が擧つた、ジヤングルに逃げた敵も蛭に吸はれ虫に嚙まれ命からがら再び道路に出た所をわが後續部隊に或ひは射たれ或は捕へられて一個師團の敵は殆んど撃滅されてしまつた、敵の遺棄死體三百、捕虜千五百、鹵獲兵器十二榴、對戰車砲等各種火砲六十八門、裝甲車五十輛、各種自動車五百輛の赫赫たる戰果を擧げた、スリム殲滅戰の蔭には斯くの如き身を死地に投じた紅顏若武者を中隊長とする戰車中隊、步兵中隊の旺盛なる攻擊精神、機宜に適した獨斷專行更には又各兵種の密接なる協同動作全兵に漲る必勝の信念が與つて大なる力があつた |
02 | 外地官民協力一致 必勝の信念に燃ゆ 貴院豫算總會 井野拓相答辯 |
03 | 圖像:我が陸戰隊ニユーアイルランド島上陸 |
04 | 南海に散る護國の華 小川中佐以下五將校 |
05 | 首相請願委員會に出席 議會開設以來第二回目 |
06 | 全英領ボルネオを近く占領 |
07 | 造船の劃期的增加 遞相海運對策を闡明 |
08 | 米、邦人漁夫五百名 奧地へ強制移轉 |
09 | 巧みに擬裝された トーチカも見える 斷末魔のシ港を望遠鏡で覗く |
10 | 南方航路新設 海軍兵務局長言明 |
11 | 清楚にはためく 日章旗下に着着復興 平穩に還つたマレー半島 |
12 | 豫算案は十六日ごろ 貴族院を通過せん |
13 | 渦河の敵を殲滅 |
14 | けふの兩院 |
15 | 日銀法案外二案 委員會を通過 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 南方研究所 を活用せよ社說 一 皇軍一度起つや流石に頑强なる米英も僅か二箇月足らずでその重要據點を擊破され英が誇るシンガポール要塞も烈風枯葉の樣相を呈し陷落の迫る日も近いのである、東亞民族の永遠の平和と幸福を圖る為に起つた大東亞戰爭の完遂に對し一億國民が一心となつて火の玉と化し第一線は勿論我が忠勇なる將士の奮戰に依り米英勢力の完全掃蕩も近きつつある今日銃後建設に對し朝野とも非常なる熱意を以て具體的に檢討を加へ實行に移して居るのである南方基地としての本島は其地理的關係よりして夙に南洋地方の產業、經濟文化、教育の各部門に對し數十年の長年月を費して貴重なる資料の蒐集に成功し大東亞戰爭に役立つて居る更に臺北帝大が創立して以來全國より斯界の權威者を招いて南方學術の振興に多大なる貢獻を為して居る事は本島統治史上に一大光彩を添えるものである、言ふ迄もなく歷代總督と督府首腦部が先見の明があつた結果であり島民の均しく感激する所である。今後は更に與へられた重大使命の達成に向つて官民が一致協力し南方國策遂行の為めに奮起せねばならない 二 本島最高學府である臺北帝大では南方研究に完璧を期し數年前より南方文化科學硏究所を計畫し創設費を計上したが督府豫算の關係で實現せず、漸く昭和十七年度に於て創設を承認された事は多少遲延の嫌ひがあるが其創設に依り南方文化の研究機關として機能を發揮する日も近いであらう、從來米英勢力下にある南方各地の調查研究には種種なる困難が伴ふたのでその真價を發揮し得なかつたので單なる机上研究に終始した事は南方研究家の均しく遺憾とする所である。然るに我が皇軍の果敢なる奮戰に依り米英勢力を東亞の天地より驅逐しつつあるから我が南方文化研究も本格的境地に立入る日も遠くないのである、大東亞共榮圈建設の為めには實に我が國權威者の献身的なる調查と研究に依り科學的に根本的對策を樹立するのが捷徑であるかかる見地よりしても臺北帝大に依つて創設せんとする南方文化研究所の使命職責は重且つ大なりと言ふべく督府當局に於いては南方施策に對し雄大なる構想に依り同研究所をして充分にその機能を發揮させるべきである。 三 由來學術研究機關は行政機關と異り短日月の間に華かな成果を擧げられないので稍稍もすれば經費その他で閑却され勝ちである。然るに大東亞戰爭に依る大東亞共榮圈の建設は肇國以來の大事業であり、その成否は我が國運の隆興にも重大關係を有するものであるから建設方策に對しては朝野の權威者がその精力を傾注し、總ゆる科學的研究と檢討と考察を加へた基礎資料に依つて始めて完璧なる建設プーランが立てられるのである。如何に迅速に米英勢力を東亞の天地より驅逐してもその銃後建設にして誤りがあつては東亞民族に對して申譯が立たないのである。かかる意圖よりしても南方文化研究所の創立に對しては督府として一大英斷を以て天下の權威者を招聘し研究する成果に依つて東亞共榮圈の建設に貢獻させるべく總ゆる助長策を取るべきである。南方研究は何と言ふても本島が先進地であり今後ともその輝く歷史と權威を保持して行く為めに活用せん事を期待する。 |
02 | タワオ占領に湧く歡喜 紅雀で稻育たぬ 木船浮べてジヤングル地開發 在住十三年・苅米義氏語る |
03 | 武勳千載に輝く 山口部隊戰死者發表 |
04 | 英國侵略基地新嘉坡を語る(三) 恰も人間の動物園 全身針で刺すヒンヅー教徒の贖罪/山口勝 |
05 | “日本の殖民地” ボルネオの總督府までが承認 タワオを語る管村三良氏 |
06 | 憲兵補に智識群 きのふ卅七名出願 |
07 | 國民徵用令改正 施行規則・府令けふ公布實施 |
08 | 四日目の志願者數 臺北州下三、四八四名 |
09 | 蘭陽地方の志願者 |
10 | 累計六七一名 新竹市志願者 |
11 | 新竹州下の 志願者 |
12 | 志願兵受付一覽 |
13 | 乙女血書の從軍志願 |
14 | 前線へ“心の彈丸” 慰問雜誌を送りませう |
15 | 改修事業に止む 石川鐵道部長歸任談 |
16 | 港町壯丁團卅 四名が志願 |
17 | 六十一の爺さん 老骨に鞭つて志願 |
18 | 迸る赤誠の献金 |
19 | ときのこゑ |
20 | 綠町の各保甲 申合せて献金 |
21 | 人事消息 |
22 | 訃文:許李氏幼 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 一括志願の方針 青年挺身隊等は願書取纏め中 高雄各團體の志願兵熱 |
02 | 志願に率先垂範 臺中州農林課の職員 |
03 | 志願熱愈よ高潮 記錄ホルダーは嘉義郡 |
04 | 花蓮港の志願者 |
05 | 江草臺南憲兵 隊長來高 |
06 | 興亞の若人起つ 各地で奏でる軍國譜 |
07 | 藤田臺中市長出府 |
08 | 臺中警察署 の射擊會 |
09 | 志願兵熱昂揚に 廈門至誠會居留民に呼かく |
10 | 譽れの憲兵補へ 屏東憲兵分遣隊 志願者で雜沓 |
11 | 推進員任命式 臺中奉公會 |
12 | 廈門の嘆願者 |
13 | 父兄對象に講演 志願兵熱に拍車 |
14 | 娛樂問題協議 臺中奉公會 文化班員 |
15 | 嘉義奉公壯年團 志願兵趣旨講演 |
16 | 花蓮港の憲兵補 志願者 |
17 | 適格者の 志願兵座談會 |
18 | 志願兵制に咲 く美談三つ |
19 | 看護婦に憧れて 乙女達續續志願 |
20 | お山の乙女達 血書志願 |
21 | 農務打合會 市郡勸業課長 |
22 | 奉公醫師團 新化分團結成 |
23 | 奉公醫師團 嘉義分團結成 |
24 | 女給が血書志願 |
25 | 臺南の公醫 十六、七日に會議 |
26 | 企業許可令 解說講演會 |
27 | 在來甘藷を一掃 新たに臺農卅一號獎勵 |
28 | 誇るべし 東勢郡民精勵ぶり |
29 | 高雄鮮魚仲買人 組合改組を協議 |
30 | 赤堀氏に記 念品贈呈 水野愛國婦 人會長から |
31 | 幸運の五百圓 豆債券に當籤 |
32 | マ病防遏作業 二十日より 審查開始 |
33 | 馬來語開講 臺南市開山區で |
34 | 竹山華僑公會 總會を開催 |
35 | 時局講演 映畫會 |
36 | 警民協調で 犯人を逮捕 |
37 | 貨車追突して 便乘者即死 |
38 | 人事 |
39 | 消息 |
40 | 地方便り |
41 | 事務員募集/興南新聞社報社消息 |
42 | 今日の映畫 |
43 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 鮮魚介類公定 七十種類を追加 樂滿物價調整課長談 |
02 | 南方共榮圈の 諸民族と華僑(一) 佛領印度支那 |
03 | 災害被害の免稅 律令第一號昨日公布 |
04 | 嘉義震災減免稅 府令で遡及適用 |
05 | 南方進出商社を調查 臺灣商議所緊急會議 |
06 | 鹽糖高雄酒精 工場新營へ移轉 |
07 | 臺北州澱粉組合 役員指名さる |
08 | 臺灣興業信託 廿一日に總會開催 |
09 | 臺北近郊バス 十六日より假營業 |
10 | 照明燈 |
11 | 商況(四日後場) |
12 | ラジオ |
13 | 水滸傳(603)/黃得時;榎本真砂夫 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 新嘉坡島攻擊開始 地軸搖がす砲擊戰 砲聲殷殷全島を制壓 |
02 | シ港、蘭貢等大爆擊 戰爆聯合の大編隊で |
03 | 新嘉坡防備と兵力 |
04 | 圖像:陷落迫る新嘉坡 |
05 | 要衝パアンを占領 モールメイン北方五十粁 |
06 | トングー飛行場奇襲 |
07 | 皇軍サ河渡河成功 倫敦市民に異常な衝擊 |
08 | 英側の死傷 一萬二千 |
09 | 我爆擊の蹂躪に委す シ港最後の相貌を露呈 |
10 | 食糧難と水飢饉で シ島に騷動起らん 一印度人の脫出談 |
11 | 送り得るもの同情のみ 英各紙がシ港戰況を悲觀 |
12 | タイ國を育成強化 石井參事官事務打合に歸京 |
13 | 英內閣改造 を斷行 |
14 | 新嘉坡死守せよ ウ司令官の勝手な嚴命 |
15 | 召集の公平化 田中兵務局長が答辯 |
16 | キユーバ船員罷業 |
17 | 選擧肅正委員會 四日初會合開かる |
18 | 墨國兩洋岸に 砲壘を構築 |
19 | 濠洲の內紛 激化 |
20 | 部落會翼贊會 の關係を明示 |
21 | 造船所管事務 戰時特例勅令 けふ公布實施 |
22 | 膃肭獸獵獲に 統制會社設立 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 古式床しき上棟祭 けふ劍潭の聖域で嚴かに執行はる 臺灣神社 |
02 | けふは團體志願日 島都第五日目の受付 |
03 | 萬里がトツプ 基隆郡の志願者 |
04 | 軍司令部へ軍司令部へ 感激の献金群續く |
05 | 市議がよき垂範 基隆から五人名乘る |
06 | 全島で第二位新竹 憲兵補志願更に十一名 |
07 | 家庭死藏金屬の回收 八日各常會で申合せを希望 |
08 | 適格青年再訓練 一人でも多く出す新竹州 |
09 | 皇民青年訓練 所訓練開始 |
10 | 一月中の軍援 保護會寄附者 |
11 | 軍援分會に献金 |
12 | 几帳面で活潑 故向井二等兵 |
13 | 憧れの憲兵補へ けふも陸續と志願 |
14 | 圖像:臺灣神社上棟式 |
15 | 實直な青年 故伊舍堂二等兵 |
16 | 彈雨中に仁王立ち 比島戰線の華と散つた 川崎隊長「進め」を怒號 |
17 | 赤誠の特志看護婦 港都から尚志願者續出 |
18 | 醜の御楯を象徵 青年學徒制服本決り |
19 | 宮崎中辻兩 氏の送別會 |
20 | 中華航空機 上海號遭難 事件の一部解禁 |
21 | 俘虜の念願成る 我大國民的襟度に感謝 |
22 | 藥莢の掘出し 山の兄弟達が汗だく |
23 | 味噌增配を 考慮 |
24 | 高商南方經濟 研究會講演會 |
25 | 拾得金の謝禮 を國防献金 |
26 | 基隆旭區區長に太田氏任命 |
27 | 基隆市の金屬 類回收愈開始 |
28 | 米陸軍關係の 人員擴張 |
29 | 人事消息報社消息 |
30 | 商況(五日前場) |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 大擧爪哇島を大空襲 主要航空基地を猛爆擊 敵機八十五機を擊墜破頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(五日午後三時十五分)マカツサル海、ジヤヴア海、フローレス海、モルツカ海、バンダ海の全海面を制壓中の帝國海軍航空部隊は二月三日大擧ジヤヴア島の主要航空基地スラバヤ、マラン等に對し大空襲を決行敵機八十五機(內不確實六)を撃墜破し所在敵航空兵力の大半を擊破せり本攻撃に於いて我方自爆一機未だ歸らざるもの三機なり又一方二月一日より三日間に亘りジヤヴア海西部を索敵攻撃し敵船六千噸級、三千噸級二千噸級各一隻を撃沈せり |
02 | 爪哇本土戰に進展 |
03 | 北支汾西作戰の 諸部隊に感狀 畏くも上聞に達せらる |
04 | 「被害甚大」蘭印軍司令部公表 |
05 | 我海鷲赫赫の業績 爪哇を鵬翼下に慴伏 |
06 | 恒久性の增稅(藏相答辯) 昨日の貴院豫算總會 |
07 | 蘭貢放送局沈默 |
08 | 米下院援蔣案可決 |
09 | 死相のシ港 英紙特派員の報道 |
10 | 國語の整備普及へ |
11 | 論功行賞の受賞者 |
12 | サ河を挾んで激戰 |
13 | 新嘉坡砲擊愈よ熾烈 |
14 | テンガー飛行場急襲 |
15 | 我が猛攻壯烈を極む |
16 | タイ國の財政 建直しに努力 |
17 | 先議法案を 全部議了 貴眾兩院とも |
18 | 米、樞軸國外人 出制限令發す |
19 | 日本新聞會 設立許可さる 會長・田中都吉氏 |
20 | けふの兩院 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 南方共榮圈と 本島茶業問題社說 一 世界戰史に輝く赫赫たる大戰果を收めた大東亞戰爭の戰局の進展に伴ひ、日滿支三國を樞軸とし、南方各地方を包含する大東亞共榮圈確立の巨步は着着と進められ、之に則應し我が國としては產業經濟の各方面に於て全面的に再編成を餘儀なくされるので、本島としても同樣の方針に基き、總督府に於て種種對策を講じてゐるが、就中茶業問題については本島と密接な關係があるため曩に臺灣茶業協會主催の下に臺北市公會堂に於て茶關係官民多數の參集を求めた上本島茶業と佛印、泰、馬來、蘭印を含む南方共榮圈茶業並に內地及中華民國茶業と、本島茶業との生產並貿易關係調整方策等に關し種種協議されたが、就中南方共榮圈に於ける生產茶の過剩問題及び將來印度が共榮圈內に加入した時に於ける印度、セイロン茶の問題並に之に關聯して、將來に於ける本島茶業問題が最も論議の花を咲かせたと傳へられてゐる、惟ふに大東亞戰爭は長期戰となることは必至であるから、この儘押進めば本島茶は過剩となることは勿論、更に南方共榮圈內の生產茶を加へば愈愈茶は過剩物資となることは申すまでもない。 二 卽ち昭和十六年中に於ける臺灣茶の輸移出計畫としては、內地向三百八十萬斤、滿關向五百五十萬斤、中華民國向四百五十萬斤第三國八百五十萬斤、合計二千二百三十萬斤であつたに對し、輸出申吿數は僅かに一千五百萬斤に過ぎず、勿論之は獨ソ開戰其他に依る第三國向輸出の減少もあつたが昭和十七年に於ける臺灣茶の生產數を假りに二千萬斤として之に十六年の持越數五百萬斤を加へれば、合計二千五百萬斤を算することとなり之に依つて輸出計畫を樹てるとすれば、包種茶は大體千五百萬斤、紅茶は五百萬斤、合計二千萬斤に上る見込みであるが、併しそれにしても尚五百萬斤の過剩を來すこととなるので之を如何に處分するかが卽ち將來に殘される本島茶業の大きな問題となる、更に內地、臺灣、中華民國、佛印、馬來、蘭印を含めた共榮圈內の生產茶は、現在六億五千三百萬斤であるに對し、消費量は四億六千萬斤結局共榮圈內に於て約二億斤の過剩を見るわけで、更に之に印度を加へば優に四億斤の生產過剩となる計算である。 三 故にとの過剩茶を今後如何に處理すべきかとの問題が擡頭して來るのであるが先づ臺灣茶の過剩茶に就ては前記五百萬斤の過剩乃至全生產高の二千萬斤を共榮圈內の過剩數乃至生產高から見れば實に微微たるものであり、殊に獨ソ關係が好轉することあらんか五百萬斤の處理問題は直ちに解消するとの樂觀說を唱へてゐるものがある、之に對し一方では臺灣茶の生產高は僅僅二千萬斤であるから、之を潰すことは、共榮圈の理念から當然であり、又全體に影響するところも少ないとの說をなすものもあるが、併し臺灣茶の生產高は僅か二千萬斤に過ぎないがために、共榮圈が確立した後に於ても必要缺くべからざるものであつて、包種茶の如きは寧ろ增產さすべきである、殊に臺灣茶は過去に於て外貨獲得に少なからざる貢献をなしたばかりでなく、現に滿關支に對する交換物資として重きを置かれ又華僑の生活必需物資として之が供給は支那茶の現狀から本島に俟つ外なく、更に島內三十萬人に上る茶關係業者の生活問題等から本島としては今後包種茶の增產を獎勵すべきであると思ふ |
02 | 植民政策を清算 本島人は南進の國寶的存在 大田外事部第二課長談 |
03 | “承詔必謹”の精神 ラジオを通じて解說 |
04 | 英國侵略基地新嘉坡を語る(四) 誇る“難攻不落”も 結局西洋流の考へ方/中山義信 |
05 | 噫尊し護國の英靈 今井、山口兩部隊支那事變戰歿者慰靈祭 十三日谷本部隊で嚴修 |
06 | 日拓林熊徵氏 海軍に五千圓献金 |
07 | 臨時教員養成 所を增設 |
08 | 帝都へ砂糖の山 南海から寶船入來 |
09 | 蘭印の潰滅近し 皇軍のジャバ初空襲を聞き 廖父子萬歲を絕叫 |
10 | 高校の“窄き門” 一對七の競爭率 |
11 | 皇軍の活躍一堂に 大東亞戰展あす開幕 |
12 | スキー大會 けふ開幕 |
13 | 早くも四萬に肉薄 四日迄・全島の志願者累計 |
14 | 月給全額を支給 譽れの志願兵合格者に對し 本島人料理組合で決定 |
15 | 宜蘭郡が最高 蘭陽地區の志願熱 |
16 | 志願兵受付一覽 |
17 | 新竹市志願者 |
18 | 三千四百十三名 臺北州第五日の志願數 |
19 | 群を拔いて第一位 島都志願者千五百餘名 |
20 | ときのこゑ |
21 | 齋藤宜蘭 署長着任 |
22 | 新竹市の看護 婦助手志願 |
23 | 小川元鐵相逝去 |
24 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 志願手續を急ぐ 臺中市の壯丁四五〇名 |
02 | 五千名臺に肉薄 臺南州四日間の志願者 |
03 | 筆頭は鳳山郡 昨日の高雄州の志願調 |
04 | 志願者千名突破 |
05 | 報國推進隊員も 一括志願 |
06 | 祭粢料傳達式 臺南市長公室で |
07 | 蹶然、軍旗の下へ 各地熱血青年起つ |
08 | 身體檢查日割 大屯郡の志願者 |
09 | 花蓮港市の壯 丁團全員志願 |
10 | 圖像:殘敵掃蕩に活躍する軍用犬(マーレ戰線) |
11 | 志願兵熱と共に 昂まる憲兵補志願熱 |
12 | 群る女性の赤誠 看護婦志願者千三百餘名 |
13 | 興亞の信念胸に 我れ等が道場よ!いざさらば 臺南州聯少團鍊成會終了 |
14 | 詰め掛かる 憲兵補志願熱 |
15 | 志願手續を周知 適格女性が座談會 |
16 | 鳳山郡產婆會 結成式を擧行 |
17 | 青年心身を鍊成 仙境日月潭畔で |
18 | 安心した御奉公 市街庄に銃後後援會を設置 |
19 | 蔬菜增產に積極策 嘉義市豫算に獎勵費計上 |
20 | 企業許可令 講習會 |
21 | 花蓮港市豫算 近く職員に內示 |
22 | 貯蓄運動を強化 高雄州各市郡に通牒 |
23 | 興亞女性に育兒知識 高雄女で福井博士講義 |
24 | 州民に志願兵 制度を徹底 遊說隊の日割 |
25 | 皇軍將兵慰問金第拾壹回領收報告(敬稱略)報社消息 |
26 | 臺中市振興會 の車庫地鎮祭 |
27 | 臺灣奉公醫師團 豐原分團成立 |
28 | 臺灣奉公醫師團 鳳山分團成立 |
29 | 適地に適作を “州農是八則”揭げて增產 |
30 | 製繩製叺機 指導講習會 |
31 | 多子家庭調查 十三人が一組 |
32 | 農具爭ひ から殺人 |
33 | 消息 |
34 | 今日の映畫 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 臺拓、干拓を繼續 新港第二期工事概況 |
02 | 局營バス運賃值上げ 距離比例法を採用 |
03 | 南方共榮圈の 諸民族と華僑(二) 佛領印度支那 |
04 | 臺灣家畜防衛團 七日華華しく結成 |
05 | 高雄着砂糖輸送に 專用車を設定 |
06 | 石炭ガス發生爐 局營バス取付 |
07 | 稅關係法案 委員會可決 |
08 | 臺拓、東拓、南拓ら 合併談進捗か |
09 | 昨年度手形交換高 遂に十億圓突破 |
10 | 各種營團國策 會社出資額 |
11 | 澎湖へ蔬菜增配 近く對策を講究 |
12 | 臺北市氷菓子 組聯定時總會 |
13 | 華南銀行總會 來る廿日に開催 |
14 | 酒類生產者小賣 抑制の要なし |
15 | 照明燈 |
16 | 經濟手帳 金融事業整備令 |
17 | 商況(五日後場) |
18 | ラジオ |
19 | 水滸傳(604)/黃得時;榎本真砂夫 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 新嘉坡崩潰の兆 わが彈着愈よ正確 |
02 | 皇軍の蘭貢殺到近し 既にサ河渡河に成功 |
03 | 圖像:メーピンの流を渡河する我が○○部隊勇士 |
04 | 首相堂堂所信表明 官紀肅正に關して 貴院本會議 |
05 | モールメイン 早くも復興 |
06 | 又ラングーン空襲 |
07 | ビルマ市民防衛本部發表 |
08 | 對日協力の一本槍 緬甸住民豫想以上の親日振り |
09 | 民刑事特別法案 眾議院本會議に上程 |
10 | オラニエ號擊沈 蘭印軍婉曲に確認 |
11 | ポンチアナ占領 唯一の赤道線上の町 |
12 | 比島臨時政府 正式に行政事務開始 |
13 | 蘭領ボルネオ 西部管區の首都 |
14 | 山西の殘敵を掃蕩 陸鷲精銳、作戰に協力 |
15 | 印度、危機に直面 英國も現在の段階を認識し 對印融合の論議活潑 |
16 | 下級官吏の待遇 人員を減少、改善考慮 |
17 | 懷柔に躍起 |
18 | 援蔣の具體化 疑問視さる |
19 | 國民の決意を 表現する標語 臺北市支會募集 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 紀元節を壽ぎ奉る 島都の奉祝行事決定 |
02 | 遂に一萬人突破 憲兵補志願五二名に上る 新竹州 |
03 | 大丈夫合格する 基隆看護婦助手志願者の 學力考查成績上乘 |
04 | 圖像:蘭印の中心地スラバヤ |
05 | 累計二九二名 基隆五日間の志願 |
06 | 光る“銀旭”の憧れ 憲兵補志願殺到 |
07 | 基隆郡の累計 一〇四五名となる |
08 | 壯丁團を強化 一派出所に一團 |
09 | 前線部隊で引張凧 臺灣勞務報國團活躍 |
10 | 戰爭と献金 飛躍的この數字 事變以來軍司令部取扱 |
11 | 遺族を懇に弔問 陸相代理山本兵事部長が |
12 | 赤誠の献金美談 員山庄の貧者の一燈 |
13 | 看護助手募集締切 十二日から銓衡開始 |
14 | 遺族を慰問 鄉軍基隆分會 |
15 | 圖像:技術院愈よ店開き |
16 | 戰爭に強いおぢさん 軍司令部にヨイ子供の慰問文 |
17 | どうぞ採用して下さい 大和撫子又二名願出づ |
18 | 蘭印全島の中心地 バラビヤに次ぐ第二位の都會 スラバヤを語る吳守權氏 |
19 | 基隆華僑公會總會 |
20 | 全島刑務所長會同 明日總督府で開く |
21 | 書籍雜誌の山 基隆市民の赤誠 |
22 | 商況(六日前場) |
23 | 興南詩苑漢詩 次渭雄剃髭韻/笑儂、次渭雄剃髭韻/說劍、次渭雄剃髭韻/雪峯、次渭雄剃髭韻/克明 |
24 | 日新町のボヤ |
25 | 新公園音樂堂 で紙芝居公開 臺灣藝術社主催 |
26 | 興南案內報社消息 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 蘭印敵艦隊主力潰滅 敵艦船五隻を轟沈破! 爪哇沖、我海鷲の大戰果頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(六日午後四時) 帝國海軍航空部隊は前日の蘭印空軍擊滅戰に引續き敵艦隊を索敵中二月四日驅逐艦數隻を伴ふ敵艦隊主力をジヤヴア海カンゲアン島南方三十浬海上に發見、機を失せずこれに猛攻を加へ戰闘數刻にして敵蘭巡ジヤバア型一隻を轟沈、蘭巡デ・ロイテルを大破間もなく沈没、蘭巡ジヤヴア型一隻並に米巡マーブルヘツド型一隻を中破し五千噸級敵船一隻を擊沈せり本海戰により開戰以來西南太平洋に策動しつつありし敵艦隊就中蘭印艦隊主力はここに事實上殆んど潰滅するに至れり本海戰において我方一機を失へり 註、本海戰をジヤヴア沖海戰と呼稱す |
02 | 空軍に依る艦隊擊滅 正に海戰常識を超越せるもの |
03 | 敵護送船團を爆擊 |
04 | 陸鷲も果敢な爆擊 |
05 | 蘭貢の寢込みを襲ふ |
06 | 轟沈破各艦の性能 |
07 | わが渡河成功 英軍當局も確認 |
08 | 敵七機を擊墜 |
09 | シ島火焰の坩堝 |
10 | 英大型潛水艦 沈沒 |
11 | 圖像:敵の遺棄せる戰車で猛進する○○部隊(マレー戰線) |
12 | 造船量世界第三位 貴院豫算總會遞相が答辯 |
13 | 海軍軍政顧問を委囑 藤原、竹內、大野、山崎、藤山五氏に |
14 | 五氏の略歷 |
15 | 壯絕な海空戰展開 パマンカ敵前上陸狀況 |
16 | 敵逃げ腰 |
17 | 桐﨏鎮(山西)に肉薄 |
18 | 于學忠軍に鐵槌 |
19 | 敵據城○○に殺到 |
20 | けふの兩院 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 南方發展と 志願兵社說 一 昭和十六年十二月八日は、日本國民の否大東亞諸民族の永久に忘れられぬ記念の一日である。長年の間其の壓制と搾取をほしいままに委せてゐた米英勢力を敢然と擊碎し、人類の正義と平和のため奮然蹶起した意義深き日なのである。蓋し東亞をして本來の姿に返へらしめ、新しき理念と構想の下に共存共榮の大東亞新秩序を建設せんとする今次の大東亞戰はまさに世界史上に偉大なる一頁を飾るべき世紀の聖戰といふべく、開戰以來の赫赫たる大戰果も決して故なきことではないのである。洵に全世界を驚倒せしめたハワイ空襲、米英兩艦隊の擊滅、香港マニラの攻略、或はビルマ蘭印の進擊、しかも今や文字通り風前の燈火となつたシンガポールの攻略等、世界戰史上空前の大戰果を收めつつある帝國の武威は、遺憾なく中外に宣揚せられて、帝國國民の榮譽を彌が上にも高めたのであるが、日本國民として臺灣に生を享けた本島民も共共に此の榮譽を荷へるけふが日を感謝感激せずには居られないであらう。 二 大東亞戰爭は一面武力戰であると同時に一面建設戰である。武力戰は我が皇軍の在る限り、些かの心配もなく勝利は絕對に我方にあることは云ふまでもないが、唯建設戰にしてもし遺憾ありとすれば、折角の輝く大戰果も一朝にして水泡に歸せざるを得ないのである。斯るが故に今後の建設戰には、まさに慎重にして周到なる用意と施策を必要とするが、茲に於て本島民が其の有する特殊性に依つて建設戰士たるの使命役割を持つことを自覺せねばならない。南方進出と云ひ南方發展と云ふもいづれも斯る意味に於ける進出發展でなければならない。其れは決して直ちに以て私利私慾を追究せんとする性質のものではなく、大東亞共榮圈を建設せんとする盟主日本の國民として指導者として、興亞建設の一翼を荷ふ者でなければならない。從つて南方に適格と云はれる本島民の特殊性なるものも、優れた日本國民の有する特殊性たる限りに於て、始めて國寶的存在となることを知らねばならぬ。 三 思ふに、本島在住民の南方發展は一の宿命ではないかと思はれる。大東亞共榮圈を確立するに際り、六百萬島民の建設戰士としての人的資源の價値は決して過小評慣を許されないものがあらう。茲に島民一般は大いに譽れの自覺と充分なる備へを持つべき所以があるのであるが、特に本島人は此の自覺と共に其の備へとして、更により一層の鍊成を要請されねばならぬことは云ふまでもないことである。此の意味に於て本島人就中青年層の鍊成はより一段の拍車をかけなければならない。志願兵はまさに此の鍊成の一大機關であり、最後の仕上げとも云ふべき一大道場であるのである。尤も南方へ進出すると否とを問はずいやしくも國民たる以上何んと雖も不斷に皇民鍊成を怠つてはならないが特に本島民にして興亞の聖戰に參劃するの榮譽を荷ひたい者は、真摯熱誠なる皇民鍊成に努めなければならないのである。志願兵はまさに本島人就中青年層に開かれた皇民鍊成の大道であると云はねばならない。 |
02 | 御下賜金を賜る 防空從事者死傷の際に |
03 | 二百億圓內外か 明年度の國民貯蓄 |
04 | 防空研究會打合せ あす開く隣組常會で |
05 | 五穀豐穰を祈念 國民運動として展開 |
06 | 圖像:ジヨホールバールから シンガポール市を望む |
07 | 代表馬二百粁繼走 新竹州南北班に分けて |
08 | 腕組んで建設へ 印度人軍七千名の投降歸順 呪ふ英の去勢政策 |
09 | 奉公醫師團新竹分團創立 |
10 | 南山號の献納式 けふ軍司令部で擧行 |
11 | 圖像:路なき山中に砲車引上げる我が砲兵部隊 |
12 | 體格檢查所 基隆市會議室に |
13 | 憧れの“憲兵補”へ 特に注意すべき事項 |
14 | 蘭女出身更に 十名が志願 |
15 | 宜蘭市累計 五五七名 |
16 | 臺北州下志願兵 二萬九百五十八名 |
17 | 新竹市の累計 八百十七名 |
18 | 宜蘭から更に 二名志願 |
19 | 四百名突破か? 島都の看護婦助手志願 |
20 | 御成町聯合壯 丁團の志願報社消息 |
21 | 志願兵受付一覽 |
22 | 基隆志願兵推進講演 |
23 | 宜蘭郡の志願者數 |
24 | 社會教育功勞者 紀元の佳節に表彰 |
25 | ときのこゑ |
26 | 海軍武官府に献金 |
27 | 祝戰勝日本畫展 三月上旬華華しく開催 |
28 | 聖戰の一部に 和蘭人ハツサン氏が献金 |
29 | 人事・消息報社消息 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 到る處志願者の群 臺南州下に繰り展ぐ軍國繪卷 |
02 | 斷然他郡を壓倒 感激・竹山郡民の赤誠 |
03 | 推進隊長志願 |
04 | 奮然・御國の楯に 各地志願兵熱昂る |
05 | 李家三兄弟 揃つて志願 |
06 | 長男と次男 仲よく志願 感激を語る 徐乃庚氏 |
07 | 愈よ高潮する 譽れの憲兵補志願熱 |
08 | 憲兵補志願 者續出 |
09 | 奪はれ行く財源 畜產會が家畜市場、代行魚市を直營 嘉義市喰ひ止め腐心 |
10 | 近く身體檢查 臺南、嘉義で 十一、二日實施 |
11 | 姉妹肩を並べて 看護婦志願 |
12 | 兩齒科醫師 醫療從軍を懇願 |
13 | 高雄奉公會地方 推進員を鍊成 |
14 | 志願熱を促進 花蓮港奉公會 側面より協力 |
15 | 排水工事起工式 彰化郡福興社現場で 八堡圳 |
16 | 志願者相談所 報國挺身隊 進んで一役 |
17 | 南方建設の尖兵 高雄の土木建築業者會合 |
18 | 屏東奉公醫師分 團結成式 |
19 | 常會指導講習會 |
20 | 志願兵促進 講演會 |
21 | 標語三點選定 花蓮港廳 宣傳委員會 |
22 | 農民に朗報! 高雄市に肥料配給所建設 |
23 | 人事 |
24 | 地方便り |
25 | 社告/興南新聞社報社消息 |
26 | 今日の映畫 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 臺灣の糖業は 飽迄、保護育成 國內自給の確保に |
02 | 二期米檢查成績 合格率極めて良好 |
03 | 第一回戰時債券 八千萬圓を發行 島內割當額二百萬圓 |
04 | 映畫配給社總會 資本五十萬圓に決定 |
05 | 三井小異動 中尾氏雜貨課長に |
06 | 南方共榮圈の 諸民族と華僑(三) 英領マレー |
07 | 臺南大圳組合會 十二日に開催 |
08 | 臺灣清掃具組合 けふ創立總會 |
09 | 臺灣澱粉工組聯 會長等決定 |
10 | 臺北商議所 日貨進出懇談會 |
11 | 小出氏を中心に けふ座談會 |
12 | 南方進出商社選擇 會議所慎重に銓衡 |
13 | 照明燈 |
14 | 海外短信 星港、蘭印は 豚肉饑饉に陷る |
15 | 商況(六日後場) |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(605)/黃得時;榎本真砂夫 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 日本海鷲入神の技 ステフアニ通信の評 |
02 | ABDA陣營の危機 紐育タイムスの悲鳴 |
03 | 南方圈に一身捧ぐ 顧問五氏情熱を語る |
04 | 圖像:モールメン市街を堂堂進軍する我皇軍部隊 |
05 | 緬甸政府マ市に移す 英蔣必死の防衛も空し |
06 | ジヤングルからの 進擊には驚いた 捕虜ペインター旅團長の談 |
07 | 米船擊沈さる |
08 | 皇軍將兵訓練中の 殉職者優遇建議案 けふ眾議院に上程 |
09 | 次次に本據(山西共匪)を粉碎 |
10 | 米首腦協議 |
11 | パリックパパン占領確認 |
12 | 興亞教育の刷新 十三項目の決議案提出の方針 |
13 | 緬甸戰況を 英軍發表 |
14 | 國民職業指導 所監查規定 |
15 | 恩給金庫利用 趣旨の徹底化 |
16 | 日ソ漁業條約の 進行情態 內容は例年と大差ない |
17 | 選擧肅正委員會 留保事項はけふ議員側と懇談 |
18 | 遺家族援護事 業に特別待遇 資材の配給等に |
19 | 中小商工業者の中から 必要勞務の補充を計劃 |
20 | 農村金融の改善 綜合的に解決の方針 |
21 | 農業團體の 統合法案 次の議會に提出 |
22 | 恩給累增對策 |
23 | 水產行政機構 の擴大強化 |
24 | 豫備兵を召集 新西蘭政府 |
25 | 兢兢の米布哇 陸軍司令官 避難に關し指令 |
26 | 伯國、米に基地提供 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 偲ぶ皇軍奮戰の跡 大東亞戰展覽會 けふから公會堂で開幕 |
02 | “鐵石の決意”強調 發會式に續き公會堂で講演會 |
03 | 默默と實行せよ 古川參謀が大獅子吼 |
04 | 高砂族青年大會 三月二日島都で開催 |
05 | 一億火の玉となれ 白水補佐官參謀熱辯 |
06 | 大型擴聲機更に六ケ所 島都市民に時局認識 |
07 | 新竹州警察部 非常召集 |
08 | 正午迄千名に肉薄 新竹州下の志願者激增 |
09 | “家庭は引受けた” 一家を支へる青年の志願に 庄長さんが激勵 |
10 | 赤誠の献金品群 軍司令部へけふも陸續 |
11 | 補充兵訓練 城西分會で實施 |
12 | 亡き子の心盡しに 徵兵保險金を献金 |
13 | 臺灣家畜防衛團 けふ結成式を擧行 |
14 | 子寶家庭五百組 建國祭當日表彰 |
15 | 感謝献金を募集 城北地區青年團が 八日の大詔奉戴日に |
16 | 軍報道部主催 病院船を上映 大詔奉戴日に |
17 | 保健上から見 た南方事情講座 十六日より市民講堂で |
18 | 煙草は嗜好品 切符制になりません |
19 | 全島刑務所長會同 けふ督府貴賓室で開く |
20 | 興南詩苑漢詩 勅題 連峯雲/莊玉坡、瓊花吟/莊玉坡、遙祝 小倉簡齋詞長新任藏相/莊玉坡、祝林獻堂先生還曆榮壽/張德□、祝鶴亭先生古稀大壽/張德□ |
21 | 青年團員の時局認識 島都五會場で調查實施 |
22 | 商況(七日前場) |
23 | 興南案內報社消息 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 各方面赫赫の戰果 帝國陸軍部隊の戰況頭條新聞 【東京發同盟】大本營發表(七日午後五時四十五分) 帝國陸軍部隊の一月三十一日より二月六日までに於ける各方面の戰況次の如し 一、マレー方面 一、開戰以來五十五日海上機動六百五十粁、陸路一千百粁を踏破して一月三十一日タシンガポール對岸に進出せる我が陸軍部隊は所在の殘敵を掃蕩しつつ更に爾後の行動を準備中なり 二、陸軍航空部隊は其の主力を以て地上作戰に密に協力すると共に晝夜を分たずシンガポールに進攻して大爆擊を反復し地上軍事諸施設を爆碎すると共に殘存敵機十七機を撃墜破せり、開戰以來シンガポールに進攻すること實に六十四回に及べり 二、ビルマ方面 一、サルウイン河に沿ひ西進せる我が部隊はモールメイン南側高地に據る敵を撃破し一月三十一日夕モールメインを完全に占領し二月二日タヴオイ方面より北上せる部隊を合せ引續き爾後の行動を準備中なり、モールメイン攻略戰の戰果左の如し鹵獲品、飛行機一機、戰車(裝甲車を含む)七輛、火砲四門、機關銃七挺、自動車二百五十六輛、鐵道車輛二百五輛またサルウイン河中流の要衝バアン方面に作戰せる部隊は二月四日拂曉パアンを急襲し約五百の敵を一擧に擊破して同市を完全に攻略し引續き戰果を擴張中なり二、陸軍航空部隊は地上作戰に協力してモールメイン、マタパンなど要地攻撃を容易ならしむると共に屢屢戰爆連合の大部隊を以てラングーン周邊の敵飛行基地を強襲しビルマ英空軍再建企圖を破碎しつつあり、この間に於ける戰果左の如し 擊墜確實なるもの十七機、擊破三十二機計四十九機、開戰以來ビルマに進攻すること實に四十五回に反べり 三、比島方面 一、パタアン半島西海岸方面の我が部隊は二月一日パガツク東方の敵第一線陣地を突破したる後引續き密林內の縱深陣地に對し戰果を擴張し且つ舟艇機動部隊を以てカナス岬方面に上陸を敢行して同地附近の敵を攻撃中なり、又東海岸に於ける我が軍は依然當面の敵陣地を猛攻中なり、一月二十一日マウパン(モロン南方八粁)附近の戰闘に於いて火砲十五門、機關銃十一挺、各種銃砲彈十二萬一千五百發を鹵獲せり 二、陸軍航空隊は主力を以て地上作戰に協力すると共に敵の有する唯一の飛行場リマイを爆撃し戰闘機二機を擊破せり 四、蘭印方面 蘭印ボルネオ方面に作戰中なる帝國陸軍部隊は一月三十一日夜有力なる部隊を以てボルネオ島東岸の要衝タナーグロゴトに上陸しこれを占領せり又遠くバンダ海方面に作戰せる帝國陸軍部隊は海軍部隊と協力して一月三十一日未明アンボン島に上陸し所在の敵を掃蕩なり 五、ビスマルク群島方面 ラパウル上陸後引續き島內の戡定作戰を續行中なる我が部隊は二月二日以來舟艇機動により東海岸ワイド灣北岸一帶の北區を掃蕩せり、其の戰果左の如し、 俘虜四十一、遺棄屍體百九十一、機關銃其の他兵器資材多數、尚同島副總督は我に投降せり 六、英領ボルネオ方面 北部英領ボルネオ方面に作戰中なる我が部隊一月二十四日要衝タワオを急襲してこれを占領し同市に監禁中の邦人五百八十七名を救出すると共に二月四日其の一部を以てラハツドダツ(タワオ北方百粁)を占領せり、斯くて英領ボルオの戡定作戰は概ね完了せり 七、占領地の狀況 占領地の治安は着着回復せられ建設は漸く其の緒につきつつあり住民は皇軍の真價を認め治安維持及び其の他の復舊工作に從事しつつあり、又開戰と同時に英軍官憲に強制連行せられ或ひは自ら山中に逃避しありたるマレー各州サルタン及びラジヤは皇軍の真意を誤解し今や積極的に歸來して我が軍政統治に協力しつつあり 「註」ラジヤは回教徒に非ざる小王樣、サルタンは回教徒の王樣 |
02 | 輝く我陸海軍の大戰果 敵機擊墜破九一四機 擊沈破艦船は九二隻 陸軍部隊 |
03 | 擊沈敵潛水艦廿九隻 敵船舶累計五十二隻 海軍部隊 |
04 | 敵驅逐艦(大型)一隻擊沈 |
05 | 圖像:我が陸鷲新銳機新嘉坡曉の 爆擊行 |
06 | 近く學制一般改正 文相答辯貴族院豫算總會 |
07 | 米英合同參謀 本部設置 |
08 | パレンバン(スマトラ)急襲 |
09 | ムントク飛行場強襲 敵機廿八機を擊墜破 |
10 | 國民政府の強化育成 |
11 | 陸鷲大編隊蘭貢急襲 空中戰を展開敵機十二を擊墜 |
12 | 發表以上の大戰果 ジヤヴア沖海戰戰果の詳報 |
13 | 大破米甲巡は九〇五〇噸 |
14 | 蘭印艦隊機能を喪失 |
15 | 反樞軸諸國の 太平洋軍事會議 |
16 | タナーグロゴトと ラハツドダツ占領 蘭領ボルネオ 東海岸の要衝 |
17 | 米、強がり宣傳 援蔣の道ありと |
18 | 陸海軍將兵訓練中の 殉職者優遇案 全會一致で可決 眾院本會議 |
19 | 相續稅の物納範圍 更に二割方擴張 |
20 | 鹽の輸出能力 年に約十萬噸 |
21 | 在鄉將校の 就職を斡旋 |
22 | 私立學校の 職員の恩給 近く提案せん |
23 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 海鷲部隊又も不朽の大戰果 爪哇基地空襲と 同□海戰の意義社說 一 大東亞海全海面を制壓中の帝國海軍航空部隊は去る三日大擧してジヤヴア島の主要航空基地スラバヤ、マラン等に對し初の大空襲を敢行、敵機八十五機を擊墜破し敗殘敵航空兵力の大半を破碎せしめたが續く四日にはジヤヴア沖に於て又も大型驅逐艦數隻を伴ふ巡洋艦より成る蘭印艦隊と米巡洋艦マーブルヘツド號一隻の聯合艦隊を發見、我が海鷲部隊は時を移さず之を急襲的確無比の雷爆擊を集中忽ちにして轟沈一隻、沈沒一隻、中破二隻、計四隻の敵艦隊の主力を完膚なきまでに擊碎し、偉大なる大戰果を擧げた。航空兵力のみに依る艦隊擊滅は世界の海戰常識を超越したもので、曩のハワイ大空襲、マレー沖海戰の赫赫たる戰果に加へて、更に燦たる海鷲の威容を全世界に發揚せしめたものである。而して從來の所謂外地攻擊戰からジヤヴア本土戰に進展し、制空、制海、兩權を失つた大スンダ諸島の運命は寧ろ憐憫の情を禁じ得ない 二 シヤヴア、スマトラ諸島の所謂大スンダ列島は濠洲と新嘉坡とを繋ぐ紐帶をなし兩者連絡の通路に當つてゐる。濠洲より運命旦夕に迫つてゐるシンガポールへの救援はどうしてもこの通路を通らねばならない。故にボルネオ、セレベス、モルツカ諸島からビスマルク諸島、ニユーブリテン諸島に至る防備線を失つた敵陣營は此處を最後の根據地として、英米蘭の聯合軍最高司令部をスラバヤ附近に設置し殘存兵力を算段して敢果ない抗戰策源地たらしめ、以て無敵皇軍に對して蟷螂の斧鉞を揮はんとしてゐた。然るに我が精銳海鷲部隊の凱袖一觸の下に敵陣營には取つて置きの最新銳機群の大半を喪失し、殘存艦船を糾合して餘喘を保つてゐる米蘭聯合艦隊は數刻にして潰滅し去つた今や東西三千浬、南北一千浬に亘る大スンダ諸島は勿論、アラフラ海をも含む廣大な地域の制空、制海兩權は全く我が手中に歸し大東亞海全水域を制壓するに至つた。 三 茲に我我は今次兩度の大作戰に於て次の三つの大きい意義を發見するものである。卽ち第一は大戰勃發以來彼のハワイ大空襲に次ぐ赫赫たる海鷲の大偉業である。ボルネオの我が占領地域から一千餘キロ、セレベスのそれからは遙かに遠く一千五百キロ然も季節風吹き荒ぶジヤヴア海を越えて敵基地に突進し、その聯合艦隊を襲擊するとは彼等の夢だに思はなかつたことである。これ不可能を可能とする我が海鷲精神が茲にも再び大戰果と共に發揚されたのである。第二は蘭印の咽喉を扼して居た皇軍が更に一步を進めて敵心臟部に銳利な匕首をグサツとつきつけた事である。ジヤヴアの制空權と制海權を失つた敵陣營は今後如何にもがいた所で風前の燈である。第三は濠洲に與へる影響の甚大なる點である。濠洲が陷落寸前のシンガポールに與へんとする救援の唯一の道は完全に杜絕した。中繼基地なき救援は單なる掛聲のみにすぎずやがてはアメリカの南方航路を失つた濠洲も西方よりの援助を失ふと云ふ結果を招くものである。かくて西はマラツカ海、ジヤヴア海、フロレス海、アラフラ海に到る西南太平洋の重要海面は悉く我制壓下に歸し新生大東亞海は日に日にその本來の名の如く面目を一新されるのである。 |
02 | けふは大詔奉戴日 “あの日の感激”新た 各自所在で詔書奉讀 承詔必謹 |
03 | 島民の覺悟や壯 勇躍最後の勝利へ |
04 | 高松總裁宮殿下 冬季會場にお成り |
05 | 事變以來國防献金 三億五千餘萬圓 陸海軍の使途を表明 |
06 | 訓練から“戰鬪”へ けふ一齊に防空常會 |
07 | 戰場の香り飄ふ 鹵獲品の山又山 けふ大東亞戰に陳列 |
08 | 羅東郡體力章 檢定會 |
09 | “南山號”の献納式 きのふ軍司令部で擧行 |
10 | “戰捷第一次祝賀大會” 新嘉坡陷落の祝賀行事 各稱正式に決定 |
11 | 憲兵補の志願者 一部身體檢查を開始 |
12 | 志願兵受付一覽 |
13 | 臺灣青少年 團歌と團章 入選者發表 |
14 | 憧れの“大空”へ 模型航空機製作講習會 |
15 | 奉公醫師團宜蘭分團結成式 |
16 | 體格檢查につ いての注意 |
17 | 增えるインテリ 島都の志願兵申込 |
18 | 志願兵受付 臺北市八日と十 一日行はず |
19 | ときのこゑ |
20 | 九百七十二名 新竹市の志願兵 |
21 | 新竹市の志願女性 |
22 | 陸海軍に献金 臺北南カフヱ ー組合か |
23 | 主婦生活講習會 |
24 | 專賣品利益金 國防献金へ |
25 | 華僑總公會定期總會 |
26 | 燦めく鈎十字 の試寫會 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 若人の血は滾る 再入學して志願資格を獲得 兵志願に綴る珠玉篇 |
02 | 物淒い志願兵熱(臺南) 六日間で七千名突破 |
03 | 志願者倍加 嘉義市七日受付 |
04 | 志願兵へ驀進 屏東の熱血青年 |
05 | 怒濤の如く殺到 各地志願兵熱沸騰 |
06 | 四千名を越ゆ 花蓮港の志願者 |
07 | 理事を先頭に 從業員五七名志願 |
08 | 身體檢查日割變更 臺南州の興亞女性待佗ぶ |
09 | 卒業を控へ 高工生志願 |
10 | 知識層が多い 憲兵補志願者 |
11 | 義教準備の總仕上 就學率七六%目標に大增級 各中等學校も增募 臺南州 |
12 | 更に十四名 花蓮港廳下から |
13 | 臺中鄉軍組織替へ |
14 | 綠園地帶を增設 復興計劃に嘉義市三思 |
15 | 州民一齊に 必勝を祈念 大詔奉戴日に |
16 | 十六學級增加 旗山郡下教育進展 |
17 | 高雄鄉軍 合宿訓練 |
18 | 興亞の意氣昂る 岡山郡聯青查閱 |
19 | 若鮎の意氣潑剌 旗山郡聯青查閱 |
20 | 優良青年團 紀元節に表彰 |
21 | 演劇公演の日割 |
22 | 大溪推進員 指名式 |
23 | 各地醫師團 分團結團式 |
24 | 農民魂を振起 三輪知事陣頭に立ち |
25 | 全島珠算競技會 |
26 | 大大的に奉祝 紀元節行事 |
27 | 臺南親友會献金 |
28 | 不埒詐欺漢 遂擧げらる |
29 | 豚を盜んで密屠殺 |
30 | 地方便り |
31 | 事務員募集/興南新聞社報社消息 |
32 | 今日の映畫 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 木材統制法施行令 一部改正、閣議で決定 |
02 | 去年六月末現在島內農村產組良績 貯金一億三千余萬圓 |
03 | 南方共榮圈の諸民族と華僑(四) 英領マレーの續き |
04 | 戰時債券三百五十萬圓 廿一日より賣出 |
05 | 全國出炭量增加 昨日企畫院より發表 鶴嘴戰士 努力の結晶 |
06 | 重要物資輸送圓滑に 近くトラツク讓渡制實施 |
07 | トラツク車輛確保に 組合、中央と折衝 |
08 | 南洋經濟講演會 |
09 | 水產食糧を確保 委員會で水產局長言明 |
10 | 臺灣清掃具組合 雄雄しく誕生 |
11 | 照明燈 |
12 | 商況(七日後場) |
13 | ラジオ |
14 | 水滸傳(606)/黃得時;榎本真砂夫 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 又も三十四機擊墜破 第二次スラバヤ大空襲頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(八日午後五時十五分) 帝國海軍航空部隊は二月五日第二次スラバヤ大空襲を敢行し蘭機十五機、米機十一機を撃墜破又バリ島ヂンバラン飛行場を攻擊し敵機八機を撃墜破せり |
02 | 百十九機を粉碎(二回の大空襲) リラ的蠢動を潰滅 |
03 | バリ島は風光 明媚の樂園 |
04 | 山西峻岳の殲滅戰 いよいよ熾烈を加ふ |
05 | 大晴旺(魯南地區)に突入 |
06 | 敵機十二機を擊墜 陸鷲ミンガラドン飛行場反復進攻 |
07 | 地上に火花が散る 敵飛行場に一彈又一彈 |
08 | 征戰二ヶ月戰果莫大 愈よ建設階段に入る |
09 | 東北鐵道幹線 の增強に努力 |
10 | 渦河地區戰果擴大 |
11 | 赤軍二師團を殲滅 獨軍司令部戰況發表 |
12 | 圖像:北半球と南半球から赤道標を見上げる勇士達 |
13 | 電力需給狀況 |
14 | 戰略的配備確立 越冬陣地戰への轉換終る |
15 | 先議案全部を議了 兩院とも未曾有の快速調 十四日より自然休會に入らん |
16 | 司法制度改善 大森次官、見解を表明 |
17 | 青年學校の 獨立 橋田文相說明 |
18 | 功勞ある海外 事業家の行賞 井野拓相の答辯 |
19 | けふの兩院 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 承詔必謹の總進軍 擧島鐵石の誓ひ一入固し きのふ大詔奉戴日 |
02 | 六百萬民の大家族 大澤宣傳部長が放送 |
03 | 亂舞する模型機 航空少年團の競技大會 |
04 | 建功神社に參拜 臺北帝大の職員學生 |
05 | 武勳の海軍將校 大東亞戰に散華 |
06 | 兄弟三人が志願 昂る新竹市の志願熱 |
07 | 模範常會を覘く 石田憲兵隊長宅で |
08 | 二千名を突破 宜蘭郡の志願者 |
09 | 國語家庭認可 證書授與式 |
10 | 悠悠たり“陣中閑” 武夫にしきしまの道 |
11 | 九日迄取扱ふ 基隆市の特製看護 婦志願願書受付 |
12 | 六千名を越ゆ 高雄州の志願者 |
13 | 壯者を凌ぐ元氣 老護鄉兵の座談會 |
14 | 窄き門“臺大豫科” 一對十一の競走振り |
15 | 入場者一萬突破 大東亞戰爭展盛況 |
16 | 大詔奉戴日の献金 軍司令部と武官府に |
17 | 街頭の献金 部隊 |
18 | 大東亞少國民 大會 |
19 | 模型航空機作 製講習日程 |
20 | 紙芝居師 養成講習會 |
21 | 客語放送開始 每晚十時半より |
22 | 入學案內 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 必勝の決意新た 感激の日に祈願 大詔奉戴日臺南市民の熱誠 |
02 | 獻穀畑地鎮 播種祭擧行さる |
03 | 燃ゆる精誠、具現 各地の志願兵殺到 |
04 | 驚く程立派になつた 本島代表兩少年 興亞十人塾訪問記 |
05 | 滾ぎる志願兵熱 山の青年にも反映 |
06 | 市では青壯年五 十五名を指名 |
07 | 臺中州下志願數 七日現在六、五八一名 |
08 | 八日だけで 二千五百名突破 |
09 | 締切迄には二百名突破か 嘉義地方憲兵補志願熾烈 |
10 | 憲兵補志願 更に十一名 |
11 | 臺南市から 更に十七名 |
12 | 奉公醫師團 高雄分團成る |
13 | 甘黨、期待せよ 嘉義菓子製造統制懇談會 |
14 | 鮮魚配給を合理化 高雄市鮮魚仲買人組合解散 新組合組織、陣容整ふ |
15 | 豐年節、田植唄 入選者決定さる |
16 | 調教師制度を確立 競馬事務打合會で決定 |
17 | モールメインは ダバイ美人の產地 |
18 | 昭和町壯丁團 二百八十名が志願 |
19 | 人事報社消息 |
20 | 今日の映畫 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 文藝 臺灣語について/張文環 |
02 | 婦人苑說 日婦の發足/山高しげり |
03 | 南十字星 まかなひの語源 マレー語から來てゐる |
04 | 歌 つはもの/秋子 |
05 | 詩 旅情/陳千武 |
06 | 大東亞戰手帳 |
07 | 推薦認定圖書 調查委員會決定 |
08 | 新着普通圖書 臺灣總督府圖書館 |
09 | ラジオ |
10 | 米穀增產を促進 屏東實踐要項決定 |
11 | 臺灣奉公醫師團 北港分團結成式 |
12 | 義教實施を前 に教育研究會 |
13 | 企業許可令、勞務 調整令講習會 |
14 | 星港陷落祝賀 行事決定 |
15 | 新嘉坡陷落祝賀 行事決定 |
16 | 桃園防諜劇 大好評裡に公演 |
17 | 林園奉公壯 年團結團式 |
18 | 新埔防諜講演 映畫會 |
19 | 地方便り |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 七十八機を擊墜破(七、八兩日) 陸鷲スマトラ、緬甸に進攻 |
02 | 蘭貢、マルタバン爆擊 |
03 | 敵大型商船を擊沈 |
04 | 我が制空權の獲得 幾多淚ぐましい勇士の活躍 |
05 | 圖像:我が軍の砲擊に依り燃上するポンチヤイナク市(蘭領ボルネオ西部) |
06 | 多彩な建設的論議(一) 七十九議會の回顧 |
07 | 米油槽船擊沈さる |
08 | 獨伊春季攻勢を準備 英外交筋事實を指摘 |
09 | 圖像:タヴオイ占領後更に進擊を續ける我が精銳 |
10 | ウ總司令官 第一線陣地を 觀察 |
11 | 日本海鷲の戰果 イタリー各紙が絕讚 |
12 | 反樞軸聯合國 艦隊統帥系統 |
13 | ス前作戰部 長起用か 駐米大使に |
14 | 兩院の審議狀況 成立法案廿三件、豫算案四件 |
15 | トツト獨軍需相航空事故で死去 |
16 | 米國內諸港に 妨業事件頻發 |
17 | 大政翼贊會の運動と 選擧運動との關係 湯澤內務次官の聲明 |
18 | 南方との物資交流 商相言明 |
19 | 酒類業者の 一割を整理 |
20 | 航空技術の 躍進に主力 井上總裁強調 |
21 | 町村を單位 經濟行為行ふ 湯澤內務次官言明 |
22 | 伯、樞軸國人 の彈壓を開始 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 譽の臺灣遺兒代表 櫻の三月、社頭對面に上京 |
02 | 若人の熱意に感謝 憲兵補志願の真劍な心構へ 石田憲兵隊長感想談 |
03 | 紀元の佳節を卜し 鄉軍聯合分會大會 興亞聖業の完遂へ |
04 | 軍人傷痍記章 傳達式 |
05 | 州下庶務課 長視學會議 |
06 | 南方協力を協議 けふの局部長會議 |
07 | 決戰經濟への協力 大詔奉戴日岸商相放送 |
08 | 勤續勞務者表彰 |
09 | 大詔奉戴日の感激 軍司令部武官府に献金部隊 |
10 | 後藤文夫氏放送要旨 |
11 | 島都の志願熱高潮 城東地區防衛團大擧志願 |
12 | 一萬七千名突破 目下各市郡で身體檢查實施 新竹州 |
13 | 一千名に肉薄 市民皆兵目指す基隆 |
14 | 勞務調整令に 關する講習會 多數聽講を希望 |
15 | “戰鬪のない戰爭” 軍需部に聞く苦鬪談 |
16 | 志願兵に 無料散髮 華僑の美談二つ |
17 | 國語家庭認定 一一四 十二日認定式擧行 |
18 | 遺族宅を弔問 和知國婦本部長らが |
19 | 總數七百四十四名 十二日より銓衡開始 新竹州下の 看護婦志願 |
20 | 國婦本部の感 謝狀授與式 光榮の兩氏感激 |
21 | 運輸業者に福音 變性アルコール增配 |
22 | 商況(九日前場) |
23 | 興南詩苑漢詩 次渭雄剃髭響/守愚、次渭雄剃髭響/守愚、次渭雄剃髭響/啓南 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 新嘉坡島に敵前上陸 ジヨホール水道より渡過 要塞に對し攻擊を開始!頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(九日午後五時五分)マレー方面帝國陸軍部隊は昨八日以來敵の抵抗を排除してジヨホール水道の渡過に成功し堅壘シンガポール島要塞に對し攻擊を開始せり 【ジヨホールバール九日發同盟至急報】九日午前零時十六分わが軍はジヨホールバール前面よりシンガポール島敵前上陸に成功した |
02 | 世紀の輝しい凱歌 シ要塞の一角に巨步 |
03 | 隱密裡に我舟艇突進 我大掩護砲擊の彈幕を利し |
04 | 山下奉文中將 マレー方面陸軍最高指揮官 |
05 | 豪傑肌な武人 英軍にとつて苦手中の苦手 |
06 | コーカレイ市 に隣組を組織 |
07 | 北部海岸の 整個所に上陸 英軍當局の發表 |
08 | わが陸鷲連續猛爆 |
09 | 皇軍の行動 ロイター軍報道 |
10 | ジ水道を無血渡過 |
11 | 豫算全案可決 貴院豫算總會一致で |
12 | サ河右岸の敵を爆擊 |
13 | 歷史的直擊の巨彈 我が砲擊愈よ熾烈 |
14 | 總豫算案けふ成立 國家總支出二百四十三億餘萬圓 |
15 | 敵陣地を薙倒す |
16 | 比島の戰況(米軍發表) |
17 | 黑煙天に沖す 潰滅迫る新嘉坡 |
18 | 園里を完全占領 沂水の北東四十粁 |
19 | けふの兩院 |
20 | 洒造米消費量 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 和蘭の東亞 侵略社說 一 マカツサル海、ジヤバ海、フローレス海、モルツカ海、バンダ海の全海面を制壓中の帝國海軍航空部隊は、去る三日大擧してジヤバ島の主要航空地スラバヤ、マラン等の初空襲を敢行して敵機八十五機を擊墜擊破し、翌る四日にはこの赫赫たる空軍の大戰果と相平行して、ジヤバ沖海戰に於いて、驅逐艦數隻を伴ふ敵艦隊主力に猛攻を加へ、巡洋艦ジヤバ型一隻を轟沈、同じくデ、ロイテルを擊沈の外、二艦を中破し、蘭印艦隊の主力を潰滅せしめた。さらに五日には又も第二次スラバヤ空襲を敢行し、米蘭機廿六機を擊墜擊破の外、バリー島のヂンバラン飛行場をも襲ひ、敵機八機を擊墜した。これで去る三日の初空襲の戰果を合せると二日間で百十九機といふ多數の敵機を屠つた譯である。特にバリー島の飛行場はスラバヤと共に新嘉坡とダーウインの中間に位置し南は印度洋、北はジヤバ海、プロレス海に臨む重要基地である。この赫赫たる空海の大戰果によつて、濠洲と新嘉坡との聯絡が完然に切斷されたことは勿論であるが、蘭印自身の蒙つた打擊も亦極めて大きい。從つてABCD包圍陣の一構成分子たる和蘭が、米英と共に大東亞の天地から總退却する日も刻刻迫つて來たのである。 二 思ふに、和蘭が今の蘭印方面に盛んに出沒したのは、十六世紀の末頃からであつた。當時、和蘭と一緖に英國も乘出して來たが、英國は、單に通商を目的としたのに反し、和蘭は、蘭印地方の通商を獨占しようとして一六◯二年には、和蘭東印度會社を設立し、經濟的侵略から公然と政治的侵略にその第一步を踏み出したのである。そして一六一一年には、その侵略政策の總本部をパンタムからジヤカトラに移し、一六一九年には、これをバタヴイヤと改名した。以來二百餘年間の長い間、和蘭は同會社の手を通じて、東亞の天地を我が物類に振舞つた。これと相呼應して、一六◯◯年同じく東印度會社を設立して印度に侵略の魔手を伸ばした英國が、時時蘭印地方にも出沒したので和蘭は、これと利害を爭ふこととなり、蘭印に關する爭奪戰まで演じたといふ始末であつた。その結果、一六一九年には、英國との間に蘭印地方の共同防衞に關する意見一致の條約が結ばれたが、右條約の任期が滿了すると共に、和蘭はますます露骨に東亞侵略を開始したのである 三 斯くてポルトガル人と衝突して、一六四一年には、今回皇軍が占領したマラツカを、また一六六三年には、コチンをそれぞれ占領し、さらに、支那にも手を伸ばさうとしたが、ポルトガル人に妨げられて果されず、つひに澎湖島を占領しようとしたが、これも、當時の澎湖島巡撫南居益に擊退されたので、仕方なく、その矛先を臺灣に向け、一六二四年には、鹿耳門から上陸し、一六三二年には、安平のゼーランジヤ城を築き、續いて一六五◯年には、臺南にプロビンシヤ城(赤崁樓)を設け、また、北部のサン、サルバドル城(基隆)やサン、ドミンゴ城(淡水)を取りイスパニヤ人を臺灣から驅逐して本島を占領した。其後一六六一年には、鄭成功に逐はれて臺灣を去つたが(和蘭の本島領有は卅七年間)一六七四年には、蘭印問題に關し、再び英國との間に條約が成立し、英國は印度の和蘭は蘭印の組織的侵略を務めることとなり、十八世紀後半に至ると、和蘭は、公然とスマトラ、ジヤバ、セレベス、モルツカ、ボルネオ、スンダ、ニユーギイニマ等を次次に手中に收めた。 以上の如く、和蘭も、米英に劣らない東亞侵略を敢てなして來たが、今や大東亞十億民の解放を目ざして雄雄しく起ち立つた帝國の前には、一溜りもなく消え去り、その代り、數百年間彼等の桎桔と搾取に惱まされた所謂インドネシヤ民族は、自由と希望に滿ちた空氣に息づく日も遠くはないと信ずるのである。 |
02 | “我・解放されたり” 皇軍の星島上陸に馬來人狂喜 在住十年張洪南氏喜びを語る |
03 | 祈願參拜行軍競走 參加學校十五校に達す |
04 | 生存者に輝く恩賞 陸軍關係第廿五回 |
05 | 價格が六十萬弗 英國がジヨホール王から星島割讓 原田臺銀臺中支店長談 |
06 | 宜蘭市の紀元 節奉祝行事 |
07 | 奉公會新竹支會 推進員の任命式 |
08 | 臺灣語で結構通用 住民の大部分は福建系華僑 シンガポールを語る王江漢氏 |
09 | 殊勳甲大和田重綱曹長 裝甲列車の活動に大貢献 |
10 | 海軍へ献金品 愛婦宜蘭支部が |
11 | 遂に三千名突破 島都の志願兵受付 |
12 | 圖像:我軍の鹵獲爆彈の山(比島戰線) |
13 | 新竹市看助志 願三百六名 |
14 | 入學難緩和方策 橋田文部大臣の答辯 |
15 | 日本刀供出運動 九地區に分けて實施 |
16 | 偲ぶ“超凡訓練” 故加藤大將の慰靈祭 |
17 | 新竹市累計千 二百五名 |
18 | 陸海軍へ献金品 池坊華道會支部會員 |
19 | 宜蘭市千三十 二名に達す |
20 | 香港に本社支局設置報社消息 |
21 | 人形芝居大好評 高雄市壽星座で上演 |
22 | 宜蘭市國語家庭認定 |
23 | 映畫、演劇一元化 興行統制會社近く設立 |
24 | ときのこゑ |
25 | 中支從軍通譯を募集 |
26 | 第二回決算公告/集大產業株式會社 |
27 | 第四回決算公告/文山製茶株式會社 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 一路志願兵へ! 臺中臺南兩州の受付 |
02 | 猛烈な激增ぶり 花蓮港の志願者八千突破 |
03 | 相携へて譽れの志願兵へ 兄弟の連袂志願に當局感激 |
04 | 全員合格を期し 屏東報國挺身隊執銃訓練 |
05 | 勳章を傳達 古澤中尉外二氏に |
06 | 迸る島民の精誠 各地志願兵熱沸騰 |
07 | 憲兵補へ 花蓮港の志願者 四十名臺肉薄 |
08 | 懇ろに遺族慰問 陸相代理中村中佐來中 |
09 | 銃後後援會 創立を協議 市長郡守十 四日に會同 |
10 | 嘉義市の島人 有志講演 |
11 | 晴の合格者は? 臺南州の從軍看護婦銓衡開始 |
12 | 屏東女性の熱誠 |
13 | 大詔奉戴日に 潮州で戰勝祈願 |
14 | 星港陷落祝賀 行事定まる |
15 | 本紙の記事に感激 看護婦に憧れて、七少女嘆願 |
16 | 大東亞建設の先驅 (一)故荒尾精氏の卓見 |
17 | 北斗時局映畫會 大好評を博す報社消息 |
18 | 紀元節を奉祝 忠靈塔廣場で建國祭擧行 |
19 | 紀元節奉祝 行事決定 |
20 | 厚生課を獨立 臺中市の豫算內示會 |
21 | 滿洲の豆粕 近く高雄に入荷 |
22 | 謹んで皇室の 彌榮えを壽ぐ 臺中市の奉祝行事 |
23 | 國講所の專任 講師鍊成會 |
24 | 南投草屯橋竣工 けふ渡初式擧行 |
25 | お山に映畫の夕 |
26 | 全島都市對 抗桌球大會 |
27 | 文山製茶總會 |
28 | 新高藥業 組合總會 |
29 | 明朗銃後の建設 民眾娛樂の改善普及へ |
30 | “興亞の魂”を鍊成 旗山郡聯青の鍛鍊 |
31 | 「我が家は樂し」 あす國際館で上映 |
32 | 人事 |
33 | 消息 |
34 | 地方便り |
35 | 今日の映畫 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 昨年末銀行金融 預金貸出共新記錄 貸出遂に五億圓突破 |
02 | 拓南工業協會 けふ理事會を開く |
03 | 船員養成機關設立 當局、中央と折衝 |
04 | 臺灣家畜防衛團 實施要領決定 |
05 | 臺拓技術懇談會 |
06 | 貨車停留時間を短縮 總動員で現場督勵 |
07 | 酒空壜リンク制 十一日より實施決定 |
08 | 輸移出白米標準米を決定 昨日の查定會で |
09 | 產組聯合會 近く具體化 |
10 | 高雄、東部沿岸を連繫 近く戎克船運行決定 |
11 | 昨年二期糯米 一般消費米に混配 |
12 | 照明燈 |
13 | 商況(九日後場) |
14 | ラジオ |
15 | 水滸傳(607)/黃得時;榎本真砂夫 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 新嘉坡要塞を猛攻擊 テンガー飛行場を占領 引續き前面の敵を攻擊中 |
02 | 十字に綾なす白襷 ぱつと上る渡過成功の信號彈 |
03 | 飛行機十機を鹵獲 |
04 | 後續部隊も續續上陸 |
05 | コースウエー橋確保 |
06 | 我が勇士達早くも 晴れの入城への心組 |
07 | 砲艦三隻を 無償讓渡か 英、重慶政府に |
08 | 英軍發表 |
09 | 新嘉坡要塞の 防備施設 |
10 | 最後の日迫る 新嘉坡の姿 |
11 | サ河敵前渡河決行 敵の抵抗を排除、○○に上陸 |
12 | 亞細亞人の亞細亞建設 ア比島內務部長所信を放送 |
13 | 伊空軍 ア軍港を爆擊 |
14 | 食糧の綜合配給 辻食品課長の言明 |
15 | 獨軍が猛砲擊 レニングラードを |
16 | 獨伊軍の行動 次第に活潑化 北阿戰線で |
17 | 田邊讀賣特派員重傷 |
18 | 徵用船員、報道戰士の 殉職者優遇案 十二日頃提案せん |
19 | 比島戰況 米陸軍省の發表 |
20 | 米の駐ソ大使 スタンドレー退 役提督を任命 |
21 | 南方諸地區との 為替相場決定方針 |
22 | 米、蘭貢市民に 撤退を勸告 |
23 | 米、戰時海運局を新設 |
24 | 泰佛印國境劃 定事業進捗 |
25 | 米、愛蘭親善 使節を派遣 |
26 | 大西洋岸に警戒的措置 伯、亞の兩國が |
27 | 官學、私學の 差別を撤廢 學閥の弊を矯正 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 護國英靈の慰靈祭 第五部隊營庭で十三日嚴かに執行 |
02 | 一擧に三千名蹶起 高鳴る胸に若人の感激爆發して 城北の全防衛團員志願 |
03 | 老外交員の赤誠 支那事變以來五十餘回匿名で 武官府に連續献金 |
04 | 圖像:島都城北地區全防衛團員志願 |
05 | 午前中に三百名を突破 |
06 | 軍司令部に咲く 銃後島民の献金佳話 |
07 | 島民の献金群 武官府へけふも陸續 |
08 | 自稱“難攻不落” 新嘉坡の軍備を衝く |
09 | 祝新嘉坡陷落 用の赤飯小豆 臺北市で配給 |
10 | 早くも祝賀前奏曲 港都市民準備に大童 迫る新嘉坡陷落 |
11 | 全力捧げて奉公 泰國大使館書記官に 榮轉した櫻井氏の喜び |
12 | 大東亞戰展 戰線全域に亘る 寫真三十餘枚を陳列 |
13 | 南方衛生讀本 督府情報課で發行 |
14 | 煙幕戰術で大戰果 石油タンクの黑煙を利用し |
15 | 桔梗俱樂部の赤誠 武官府に純情慰問書 |
16 | 軍馬に御馳走 好物の甘薯で |
17 | 家事教育研究會 |
18 | “不撓魂”の鍊磨へ 桔梗鍊成會申込殺到 |
19 | 陸海軍に榮町 區會赤誠献金 |
20 | 宜蘭で出征遺 家族座談會 |
21 | 高砂族會館 十二日に地鎮祭 |
22 | 臺北州國語 家庭認定 總數四六〇 |
23 | 臺北市國語家庭 證書授與式 十二日市正廳で |
24 | 興南詩苑漢詩 近事有感/南都、近事有感 二/南都、近事有感 三/南都、近事有感 四/南都 |
25 | 新竹州金屬特別回收日程 |
26 | タイピストと事務雇員募集 軍司令部で |
27 | 人事消息 |
28 | 商況(十日前場) |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 戰捷に輝く紀元節 天皇陛下御親祭 けふ嚴かに行はせらる頭條新聞 【東京發同盟】神武天皇都を大和に奠め給ひ橿原神宮に御即位あらせられた佳き日御稜威燦として皇軍の赫赫たる戰果の裡に迎へた紀元節の十一日宮中にては賢所、皇靈殿、神殿において 天皇陛下御親祭の下に嚴かなる紀元節祭の御儀を行はせられる、この日森嚴限りなき賢所の御幄舍には 高松宮殿下を始め奉り各皇族方御參列、東條首相以下文武百官着床、三條掌典長恭しく祝詞を奏し奉り斯くて午前十時天皇陛下には黄櫨染御袍の御束帶を召されて內陣の御座に進御、御親拜御告文を奏せられ次いで皇太后陛下の御代拜を室町祇候が奉仕し皇族方、諸員の拜禮あつて御儀を終へさせられ又この時刻橿原神宮には勅使として庭田掌典を參向、奉幣せしめられる、尚この佳辰を壽がせ給ふ御恒例の賀宴は時局下行はせられないが午前九時より午後四時迄の間に有資格者の參賀を差許され又賢所には午後零時半より文武官等に參拜を差許される、斯くて夕刻よりは御神樂を行はせられ皇祖の神靈を御慰め遊ばさると拜承する |
02 | 更に戰果を擴張中 左右兩翼各各進出 |
03 | 不落の要塞を爆破 全島に巨彈の雨降らす |
04 | 十哩の地點に迫る(新嘉坡へ) |
05 | 輝やく勳章親授式 卅八將軍、十三提督に |
06 | 肇國の大理想顯現 本島負荷の使命貫徹に邁進 長谷川總督謹話 |
07 | ウ總司令官 蔣介石と會見 ニユーデリーで |
08 | “胸がスーとします” 要塞の攻擊に印度人投降部隊も一役 |
09 | 英軍に致命的打擊 テンガー飛行場失陷 |
10 | 皇軍に酬ひ奉る 山本警備府司令長官謹話 |
11 | 皇軍猛進擊 |
12 | 前面の敵軍(緬甸)を猛爆 |
13 | 必ず勝ち拔く自信 共榮圈の基礎確立海相抱負披瀝 |
14 | 總豫算案完全成立 貴院本會議で全員一致可決 |
15 | 蒙城を占領 |
16 | 緬甸南部戰線 退却を認む 英軍司令官 |
17 | けふ兩院とも休み |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 戰捷に輝く 紀元節社說 一 過去一世紀に亘り英國東亞侵略の據點、世界制霸の牙城であつた新嘉坡の運命旦夕に迫つたとき、光輝ある紀元節を迎へ謹みて寶祚の無窮と皇室の彌榮を壽ぎ奉るは何といふ國民的感激であらう。何といふ國民的歡喜であらう聖代に生を享け日本國民たるの榮譽と難有さを犇犇身を以て感じないものはないであらう。新嘉坡の失陷こそ、七つの海を支配し、日沒なきを豪語した英の沒落の挽歌であり、惹いて物力の强大に心驕り世界攪亂の放火犯たる米の運命が峠を越して下り坂に入つたことを意味する。彼等の沒落は同時にわが大東亞建設の第一期基礎工事が完了して新に第二期建設戰に入る契機を為すものといはねばならない。 二 伏して惟みるに建國悠久二千六百二年、上は萬世一系の聖天子宏大無邊の御仁慈を以て蒼生を撫育し給ひ、下は萬民忠誠を一にして皇運を扶翼し奉り一君萬民、生生不息、國難を經る每に國勢いよいよ伸長、强大を見たのは、實に金甌無缺、宇內に冠絕するわが國體への國民的信仰に基くものであつて洵に感激に堪へない、回顧すれば明治維新回天の偉業は日本國內に於ける一種の解放運動であつた、而して滿洲事變を以て火蓋が切られ、四年半に亘る、日支事變を經た大東亞戰爭こそは、歐米人の東亞をして亞細亞の亞細亞たらしむる一大解放戰である。換言すればこれ實に神武創業の皇謨であり、八紘を以て宇と為す肇國の大理想顯現の一大聖戰である、 三 今や皇師百萬、大陸に、南方諸地域に、赫赫たる世紀の大戰捷を博しつつあるは慶祝と感謝に堪へない。而して聖戰の一段階を劃すべき新嘉坡攻略が紀元の佳節に近く完了せんとすることは、意義まことに深いものがあるといはねばならない。然れども今次聖戰の趣旨が深遠であり、其規模が雄渾極まりなきだけ、終局の結實を見る迄には前途なほ幾多の難關が豫想される其一は英米の復仇である、一敗地に塗れたりと雖も鬪志なほ滿滿、ルーズベルト大統領の如きは、天文學的豫算を要求して來るべき機會を狙ひつつあり、緒戰の戰捷に醉ふが如きは深く戒心せなければならない、その二は戰後の經營である、赫赫たる戰果に有終の美あらしむるは實に戰後の經論その宜しきを制するにある、由來わが國は戰爭に勝つて最後の仕上げに失敗を演じたことは一再にして止まらない國民的一大努力、國民的一大覺悟が要請せらるる所以で、真に臥薪嘗膽、さらに不退轉の決意を以て奉公の誠を新にするところがあらねばならない。ここに本日の佳節を壽ぐと共に征戰に勇戰奮鬪、尊き興亞の礎石となつた英靈に對し滿腔の感謝を捧げ皇軍將兵の武運長久を祈る |
02 | 社會事業に大御心 紀元節に御下賜金の御沙汰 |
03 | 褌一つで泳ぎ渡る ジヨホール水道を死の偵察 彼我二間離れて對峙 |
04 | 島都建國の夕盛況 廣野中將が獅子吼 |
05 | 醫學士部隊が志願 臺大から百五十名 |
06 | 產業戰士を表彰 光榮の四十三氏決定 |
07 | 在學生も志願申出 安藤臺大總長語る |
08 | 磐石の強み 井上報道部長語る |
09 | 御仁慈に感激 長谷川總督謹話 |
10 | 千三百餘名 宜蘭市の志願者 |
11 | 謹嚴と寬容を兼ね備ふ 皇道精神に徹する山下將軍 |
12 | 治安維持に挺身 警官練習生修了式 |
13 | 全國で九百二十三團體 |
14 | 遺家族を弔問 百瀨少佐らが |
15 | 山の若人蹶起 憲兵補志願に初名乘り |
16 | 垂範者に“不撓魂” 奉公委員と參與の鍊成會 |
17 | 島民の献金群 軍司令部に殺到 |
18 | 優良青年團を表彰 特に八團に獎勵金交付 |
19 | 奉公醫師團宜蘭分團結成式 |
20 | ときのこゑ |
21 | 瑞芳街慰問演藝會 |
22 | 林業報國に邁進 新竹州の植林週間行事 |
23 | 傷痍軍人功勞 章授與式 臺灣關係一人 |
24 | 高砂族角力大會 |
25 | 新聞配達員募集/興南新聞社販賣部報社消息 |
26 | 訃文:林曾氏進 |
27 | 市葬謹告:井上亨等人 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 譽れ高し志願兵 嘉義郡依然第一位を確保 臺南州の志願者 |
02 | 進め!志願兵へ 九日臺中州の受付 |
03 | 一萬名突破近し 躍增する花蓮港の志願者 |
04 | 譽の志願兵へ 屏東市、郡民 赤誠の總進軍 |
05 | 緣談道中に咲く 志願兵美談 |
06 | 聖恩に遺族感泣 賞賜物件傳達さる |
07 | 大東亞建設の先驅 (二)故荒尾精氏の卓見 |
08 | 花蓮港の志願者 |
09 | 白衣奉仕を誓ふ 締切際まで 志願者の群 |
10 | 憲兵補志願者 更に十五名出願 |
11 | 銀旭仰いで 健兒張切る |
12 | 廿八名推薦 百二十八名から |
13 | 元氣者ばかり 開隊を待つ臺南魁隊第二期隊員 |
14 | 屏東の孔子祭典 |
15 | 「感謝貯蓄」を勵行 |
16 | 各功勞者を表彰 街庄治の功勞者 |
17 | 警察官皆勤者 |
18 | 優良青年團及び 教育功勞者 |
19 | 社會事業功勞者 |
20 | 任は重し「軍國の母」 強く育てよ皇軍の一員を 志願兵講演會長谷德和女史熱演 |
21 | 昂る若人の意氣 各地から大擧志願 |
22 | 高雄市役所 常會開催 |
23 | 桃園奉公壯 年團結成式 |
24 | 援護事業の完璧 各市街庄に銃後後援會設置 |
25 | 婦人宣傳班 員講習會 |
26 | 鍛へたり健脚!臺南青年團強步大會 |
27 | 皇民道場進捗 員林聯青が奉仕作業 |
28 | 各地醫師團 分團結成式 |
29 | 烏日庄常會運營 研究會開催 |
30 | 金瓜石保正 簡深淵氏の美擧 |
31 | 各地推進員 指名式 |
32 | 鳳山推進員 指名式 |
33 | 恒春推進員 指名式 |
34 | 橫山國民學校 創立卅年行事 |
35 | 今日の映畫 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 南方共榮圈の諸民族と華僑(五) 比律賓 |
02 | デリス栽培擴大 百斤百七十四圓に公定 |
03 | 小運送統合進捗 弊害除去に努力 山下日通支社長談 |
04 | 豫算等を可決 拓南工業協會創立總會 |
05 | 臺南水飴組合 改組創立總會 |
06 | 島內各製糖工場 崁子脚工場以外全部壓搾開始 |
07 | 臺北市米配組合 あす定時總會 |
08 | 簡保及年金良績 |
09 | 重役全部辭任 臺灣青果重役會で決議 |
10 | 一期米の蒐荷 大部分完了 |
11 | 米獎勵金交附高 一月末現在で廿四萬圓 |
12 | 灣糖臺北工場 壓搾開始 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況(十日後場) |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(608)/黃得時;榎本真砂夫 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | シンガポール市街突入 隨所に敗殘英軍を捕捉 壯烈なる市街戰を展開頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(十一日午後八時三十分) 本日早朝來執拗なる敵の抵抗を擊碎しつつ進擊を續行中なる帝國陸軍部隊は午前八時新嘉坡市街に突入敗殘英軍を隨所に捕捉蹂躙しつつあり 【サイゴン十一日發同盟】英國側の放送によれば十一日午前日本軍はシンガポール市の西端に突入壯烈な市街戰を演じつつあると 【シンガポールにて十一日發同盟至急報】ジヨホール水道を渡過三方面より縱貫道略兩側高地帶に據る三萬の敵を東方へ包圍壓迫しつつ猛進を重ねること茲に五十數時間十一日午前六時現在左翼○○部隊は新嘉坡市を東方に望む○粁の地點を通過先鋒鐵牛部隊は早くも同日市街突入態勢を示し主力部隊も又新嘉坡直接防衛主陣地を西南方より包圍線を形成し茲に新嘉坡島中央地帶に於て大殲滅戰が展開せられんとしてゐる |
02 | 市西北郊外に達す |
03 | 新嘉坡街道を猛進 |
04 | ブキテマ要衝奪取 |
05 | シンガポール 爆擊日誌 わが猛爆百次突破 敵機百七十機擊墜破 |
06 | 急降下爆擊 |
07 | 紀元節に落せ 皇軍の合言葉 |
08 | 完全に制空權確保 |
09 | 皇軍作戰の妙 |
10 | 敵、市內へ逃込む 完全潰亂狀態に陷る |
11 | 英兵の死體散亂 |
12 | 淒絕・サ河敵前渡河 マルタバン山峽突破 |
13 | 英國崩潰の契機 |
14 | ハワイ近海で 米船一隻沈沒 |
15 | バタアン半島猛攻 |
16 | 豪華船ノ號 發火沈沒す |
17 | 大東亞戰爭の尊い人柱 壯烈・南海に散華 高塚中佐等の氏名青史に留む |
18 | 米比軍の運命 旦夕に迫る マ司令官報告 |
19 | 反樞軸太平洋 軍事會議開く |
20 | けふの兩院 |
21 | 蔣介石夫妻を 公式訪問 印度總督夫妻 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 輝く大捷を御親告 宮中紀元節の御儀 |
02 | 聖業に挺身を誓ふ 全島告地で建國祭式典擧行 |
03 | 皇太子樣を御中心に 皇子、皇女樣方が御團欒 |
04 | 圖像:島都の建國祭式典 |
05 | 御威儀一入晴やか 萬民齊しく恐悅申上ぐ |
06 | 御真影奉拜式 都府正廳で擧行 |
07 | 軍司令部遙拜式 |
08 | 海軍關係論功行賞 |
09 | マニラ陸海各 部隊の祝賀式 |
10 | 海軍武官府遙拜式 |
11 | 光榮の野村、井上兩中將 留守宅で令孃と令兄は語る |
12 | 臺北憲兵隊の奉拜式 |
13 | 島都の建國祭式典 新公園で嚴かに擧行 |
14 | 三月の常會徹底事項 四項目を決定、內務省から通牒 |
15 | 北一中に輝く榮冠 島都學徒祈願行軍競走 |
16 | 固む“殉國の覺悟” 島都鄉軍聯合分會開かる |
17 | 基隆署遙拜式 |
18 | けふより三日間 全島一圓に空訓實施 |
19 | けふ銓衡を開始 赤誠の看護婦志願者 |
20 | 奉祝武道大會 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 必勝の意氣に燃ゆ 覺悟新た・各地の建國祭 |
02 | 勳章傳達式 |
03 | 圖像:日比の乙女達皇軍勇士を慰問 |
04 | 赤誠の「兵」志願者 高雄州十日現在の調べ |
05 | 斗六郡下の 志願者調べ |
06 | 見よ女性の意氣 白衣奉仕を誓ふ |
07 | 鄉軍の組織強化 本島青年の入會に備へて 臺中市聯合分會發會式 |
08 | 華僑青年も志願 |
09 | 紀元の佳辰 憲兵補志願 |
10 | 大東亞建設の先驅 (三)故荒尾精氏の卓見 |
11 | 志願兵講演會 |
12 | 戰捷の信念罩めて 臺中州下三千の健兒驛傳捧持 各神社に記念旗奉納 |
13 | 生む家庭を表彰 子福者は孰れも酒嫌ひ |
14 | 南投奉公壯 年團結團式 |
15 | 圖像:コースウエー橋 |
16 | 輝やく表彰式 高雄州下の被表彰者 |
17 | 嘉義市の勤續店員 |
18 | 輝く產業戰士 臺中奉公會支部から表彰 |
19 | 優良部落も表彰 |
20 | 譽の國語家庭 臺中州本年度の 認定件數 |
21 | 高雄州下青年團 奉祝角力大會 |
22 | 高砂族青年團 十五日查閱 |
23 | 防諜映畫州下巡映 |
24 | 旗山推進員 指名さる |
25 | 竹東時局講演 會盛大に開催 |
26 | 倉庫信組總會 |
27 | 新化郡警察 實彈射擊會 |
28 | 臺南州醫療品 共販組創立總會 |
29 | 能高郡鮮魚介 小賣組合成立 |
30 | アマチュア 寫真展 |
31 | 濱野平七氏逝去 今日葬儀執行 |
32 | 今日の映畫 |
33 | 訃文:濱野平七 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 文藝 現代詩と朗讀/長田恒雄 |
02 | 時局下に於ける 國民の覺悟 廣野太吉氏講演 |
03 | 南十字星 國民學校教員 かくの如く叫ぶ |
04 | 圖像:ビルマ作戰 |
05 | 本年初の推薦 介紹レコード |
06 | 地方便り |
07 | ラジオ |
08 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 新嘉坡市街に深く楔入 けふ拂曉來貯水池周邊の 敵主力殲滅戰を展開 |
02 | 我主力部隊續續市內へ |
03 | 降伏勸告文を投下 英軍から何等の回答なし |
04 | 得意の中央突破敢行 |
05 | 圖像:陷落直前のシンガポール(空中撮影) |
06 | 英首相への信 賴消え去らう |
07 | 英婦女子市街 撤退を繼續 |
08 | 悽烈を極む市街戰 敵自ら海軍施設破壞 |
09 | 敵軍撤退に大混亂 |
10 | 市內敗敵を猛攻追擊 |
11 | 新嘉坡放送局 遂に沈默 |
12 | 新嘉坡失陷の 覺悟を促す チヤーチル首相 |
13 | 山下最高指揮官 市民に布告投下 |
14 | 死の樣相新嘉坡 爆擊機に同乘空からの觀戰 |
15 | 空陸より猛攻 |
16 | 我軍の飛行機 絕對優勢 英軍も率直に告白 |
17 | 英國朝野呆然自失 各紙端的に苦惱證言 |
18 | ルソン島防衛の 最後近づく マ將軍、中央に報告 |
19 | 圖像:敗走する敵に猛擊を加へる 我○○部隊勇士(於ベランガ前方) |
20 | サ河渡河成功 英當局を認む |
21 | 香港華僑協力を誓ふ 林國府宣傳部長の視察談 |
22 | 新嘉坡攻略せば 直ちに本會議 陸海兩相が戰況報告 |
23 | 各法案可決成立 けふの貴族院本會議 |
24 | 蔣介石訪印の 主目的二點 |
25 | 貝塚海軍大佐 大湊警備府 參謀長に補す |
26 | 日本新聞會の役員決定 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 聖上の御感御一人 御恩ひ出深き新嘉坡 |
02 | ヨイ子供に紅白饅頭 新嘉坡陷落お祝ひに |
03 | 千百餘萬圓に落着 二十五日に市會召集 臺北市豫算 |
04 | 臺北市葬 十四日新公園で執行 |
05 | 迫る新嘉坡の陷落 抑留邦人留守宅に聽く感激談 |
06 | 十五萬兒童 に饅頭 臺北州通達を發す |
07 | 軍馬を慰問 人參と茶殼で |
08 | 暖い贈り物 文山郡燃料組合から 白衣勇士と軍司令部へ |
09 | 南の天地に逸る心 永年星港在住邦人の抱負を聽く |
10 | 少年團訓練研究會 |
11 | 紀元節に千四百名 島都の志願兵熱高潮 |
12 | 基隆郡から百四十名 |
13 | 千六百名に上る 基隆市は團體續續 |
14 | 志願軍屬は 十四日集合 |
15 | 心は早くも前線へ 白衣天使の銓衡始まる |
16 | 叺繩製造講習會 |
17 | 志願兵と看護婦 新竹州けふ銓衡を開始 |
18 | 港都子寶家庭 八十一名を表彰 |
19 | 兄弟三人が憲兵補志願 |
20 | 特志看護助手 基隆市郡試驗開始 |
21 | お小遣を節約献金 一師女子部の乙女らが |
22 | 南方總進軍 講演會 十四日夜ホテルで |
23 | 新竹州下の街庄協議會 けふ後龍庄をトツプに夫夫開催 |
24 | 臺總購買組合 配給挺身隊 昨日結成式擧行報社消息 |
25 | 港都の產業戰 士表彰式 |
26 | 港都國語家庭の 認定證書授與式 |
27 | 商況(十二日前場) |
28 | 興南案內報社消息 |
29 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 敵愈よ逃亡準備を開始 港內に船舶が右往左往頭條新聞 【シンガポール郊外十二日發同盟】わが軍は十一日朝シンガポールの北西方一角に突入今やシンガポールの運命を完全に掌握するに至つたが敵はなほ東側ブキテマ背面の貯水池附近一帶の高地及び西側ブキ・ゴムバと本街道兩側の山地に潜み執拗に抵抗を續けつつある又シンガポール市に逃げ込んだ敵は郊外周邊に押し寄せたわが軍に對し最後の抵抗をなさんとする態勢をとりつつあり彼我の銃砲聲は殷殷とシンガポール市郊外に轟いてゐる、敵はこの最後の足搔きを續ける一方シンガポール英軍最高統帥部は切迫せる自己の命脈を察知せるもののごとくシンガポール港內碇泊中の敵汽船は十日朝來俄に煙を吐き出しいよいよ逃亡準備を開始又港外に待避中の敵船艇は十一日未明戰局全く絕望と見るやシンガポール要塞軍事施設及び市內重要建築物に對し自ら砲擊を浴せて焦土戰術を開始した、これがため各所のオイルタンク、火藥庫等が猛烈に炎上しつつある |
02 | 猛烈な砲擊戰を展開 |
03 | 敵をじりじりと壓迫 一齊突擊の機は迫る |
04 | 新嘉坡背後の抵抗線を制壓 |
05 | 北方より敵に強壓(我が新銳部隊) |
06 | 陸鷲縱橫無盡の活躍 |
07 | 海軍關係の論功行賞 |
08 | 比島の戰況(米軍發表) |
09 | 濠洲に退く外ない 米權威筋の意見 |
10 | 遁走船を用意 |
11 | マルタバン(緬甸)を占領 |
12 | 既に蘭貢を吞む氣慨 |
13 | バタヴイア大空襲 敵機二十機を擊墜破 |
14 | パンジエルマシン(ボルネオ)占領 |
15 | マカツサル(セレベス)占領 |
16 | セレベス島唯一の良港 |
17 | ウ總司令官 歸還 |
18 | 退路を遮斷 捕捉殲滅 本攻略戰の特色 |
19 | 揚子江下流 の綜合戰果 |
20 | けふの兩院 |
21 | 興亞教育建議案 眾議院本會議で可決 |
22 | 貴院本會議 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 新嘉坡陷落 の意義重大社說 一 大本營の發表に依れば帝國陸軍部隊は去る十一日午前八時敵の執拗なる抵抗を擊碎して新嘉坡市街に突入したのであるから、新嘉坡の陷落は既に時間の問題となつた。昨年十二月八日帝國が大東亞戰爭を開始した際に難攻不落と稱せられた新嘉坡は二三個月位で陷落するだらうと一部より見越されたが、帝國陸空軍は斯くも神速に斯くも的確に其の戰爭を遂行して來た事は國民の內にも豫想外に思はれる者もないではない。周知の如く新嘉坡軍港は英國がワシントン軍縮會議後、日英同盟を廢棄して間もなく一九二三年に十個年計畫千五百萬磅の豫算を以て築造に着手し、爾來十五年の久しきに亘り巨費を投じて建築工事を進められ一九三八年の大乾ドツクの竣工を以て一應の完成を見たが其の設備と規模の宏大は真珠灣、ヘリゴランド、ジブラルタルと共に世界四大要塞の一つに數へられてゐたのである。 二 斯くして築造された新嘉坡軍港の持つ戰略的位置は背後にスエズ、喜望岬と呼應し、前面にハワイ、パナマと相對し、且つ東亞と印度以西の交通を扼してゐるのみならず、曾て我が貿易の約五割がマラツカ海峽を通過して行はれた事は此の要塞の日本に對する脅威が如何に直接的であるかを知り得るのである。然しながら此の要塞は現在のところレパルス及プリンスオブウエルスの擊沈後全く收容する艦隊がなくなり、且つ後背地を缺除してゐるから、如何に金湯鐵壁を誇つても我が忠勇果敢な陸海軍の前には遂に風前の 灯火とならざるを得なくなつた。英國が此の要塞の威力を以て曾ては隣接する佛印、タイ、蘭印を威服し、且つビルマ、印度、濠洲、ニユージランド、カナダ等の自領植民地と連携して太平洋制壓の姿勢を取つたのであるから、此の要塞の陷落は東亞に於ける英國勢力の崩壞を招來するであらう事は明かである。 三 のみならず新嘉坡は商港としても重要な位置を占め一九四◯年其の輸出入の貿易額が合計二十億海峽弗に肉薄し、中にもゴムの如きは馬來の生產額三十六萬瓲に對し輸出額五十五萬を超え、錫も馬來產四萬三千瓲に對し輸出額八萬二千瓲を超え、いづれも全世界貿易額の過半を制した。其の上蘭印の石油も此處で集散せられ此の三大商品丈で新嘉坡商港總貿易の八六%を占め、斯くして南洋地域の貿易が此處で仲繼して一體化され、且つ英國が東洋進攻の軍事經濟基地としての役割を盡して來たのであるから、新嘉坡の持つてゐる意義が極めて重大であると共に、其の喪失は英國の東洋からの全面的退却と印度の獨立と濠洲の孤立化を齎らす事とならうとしてゐる。 斯くの如く新嘉坡の陷落は全南洋に對する帝國の制壓を意味するものであるから大東亞戰爭も之を以て一段階を劃する事とならう。今後蘭印一帶に對する軍事行動も之に依つて急速に展開するであらうし、愈よ一面戰爭一面建設の時代に入るものと見る事が出來よう。依つて新嘉坡は從來の敵性を清算し東西交通の要衝として大東亞の新らしき新秩序の下に新生する日も決して遠くはないのである |
02 | 五穀の豐穰を祈る 十七日臺灣神社で祈年祭 |
03 | 七爺八爺微笑む 喜べ晝酒もよろしい 大東亞戰戰捷第一次祝賀行事 |
04 | 日本商船も世界一 この自負心を持つことが大事だ 前遞相村田省藏氏談 |
05 | 誇る“空の鐵桶陣” 臨時空訓・緊張裡に開幕 |
06 | 妲さん達の赤誠献金 |
07 | 產業戰士表彰式 きのふ市民講堂で |
08 | 米英俘虜監督者 皇民奉公會で募集 |
09 | 島都國語家庭の 認定證書授與式 |
10 | 愛婦國婦解散式 輝やかしき歷史を殘して |
11 | 來れ本島青年 山本事務總長語る |
12 | 總額六十四萬圓 宜蘭市の豫算 |
13 | 擧市“一錢貯金” 張切る基隆市民 |
14 | 志願兵受付一覽 |
15 | 陸軍への献金 赤誠溢るる奉公班員 |
16 | トラツク百臺 島都愛婦の廢品回收 |
17 | 紀元節に献金 海軍武官府へ殺到 |
18 | 臺北州齒科醫師會 |
19 | 憲兵補の志願 臺南から百五十名 |
20 | 遂に五千名突破 島都の志願兵申出で |
21 | ときのこゑ |
22 | 宜蘭市總計千 六百八名 |
23 | 宜蘭志願兵 座談會 |
24 | 新竹市は累計千 四百余名 |
25 | 查閱日割決定 新竹奉公會青 年第一種訓練 |
26 | 二萬圓の献金 土木建築協會員 |
27 | シ港陷落の日 に献金 |
28 | 南支南洋經濟 研究講演會 |
29 | 訃文:劉氏梅 |
30 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 股肱の誇は高し 若人感激の總進軍 |
02 | 熱誠溢る志願者 臺中州十一日の受付 |
03 | 佳節を壽ぐ 各地建國祭盛況 |
04 | 島民皆兵を 意氣込む 花蓮港の志願者 |
05 | 北斗郡下千三百餘名 內看護婦助手八十名志願 十日現在 |
06 | 完璧の燈管 臺南の空訓第一日 |
07 | 森田知事の動靜 |
08 | 竹東の曾君志願 |
09 | 東亞の黎明は來た(上) ジヤバ人は日本が大好き 神秘的な爪哇人の風習 ムイナ・ゲボンさんに聽く |
10 | 義教計畫調查要項を說明 各市郡視學に |
11 | 臺中市壯丁團 二十一日查閱 |
12 | でかい銅鐘献納 ヨゼフ神父の赤誠 |
13 | 大東亞建設の先驅 (四)故荒尾精氏の卓見 |
14 | 感謝貯蓄打合會 |
15 | 模型飛行機 製作講習會 |
16 | モンペ姿の花嫁に 國民服の新郎 高雄神社に描く結婚風景 時局色百% |
17 | 龍目團優勝 高雄、屏東間 リレー競爭 |
18 | 臨時公醫を囑托 志願者に臺中市の親心 |
19 | 臺中二女上棟式 |
20 | 北斗心身鍛鍊 會強行軍實施 |
21 | 三峽國語演習 會けふ開催 |
22 | 恒春郡警射擊大會 |
23 | 竹東推進員 指名式 |
24 | 地方產業に貢献 南投草屯橋渡初式 |
25 | 七星郡蔬菜品評 會褒賞授與式 |
26 | 北露店行商組合 通常總會を開催 |
27 | 臺南バス總會 |
28 | 山畑の甘蔗 發育良好 |
29 | 南投正條密植 競技會開催 |
30 | 石底礦業所 從業員を表彰 |
31 | 劉永耀氏夫人逝去 |
32 | 臺灣機械製作所林舜日氏 |
33 | 地方便り |
34 | 今日の映畫 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 砂糖の海上輸送 特殊事情を反映せよ 青木中組囑託歸臺談 |
02 | 短冊形揚床苗代 全農村に普及設置 小麥の試作成績上乘 新莊郡の增產譜 |
03 | 戎克船運航の 經營經濟的諸問題 |
04 | 砂糖輸送懇談會 十六日鐵道ホテルで |
05 | 食糧管理局各課分掌 近く決定、訓令で發表 |
06 | 斗六地方土地改良等を議決 嘉南大圳臨時組合會終る |
07 | 亂袋割增金 納入組合が負擔 |
08 | 南部機帆船合同 近く百萬圓の會社設立 |
09 | 鰯絞粕入荷 |
10 | 商銀人事異動 |
11 | 入鹿山技師 昨日蘭陽へ |
12 | 大成火災保險 四分配當內定 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況(十二日後場) |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(609)/黃得時;榎本真砂夫 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 敵の艦船群を襲擊 陸鷲地上部隊に協力 |
02 | 隨所に肉彈突擊戰 攻防ますます熾烈化 |
03 | 西方地區の英軍撤退 |
04 | 圖像:敵の破壞せるコースウエー陸橋より對岸シ ンガポールを望む○○部隊 |
05 | ヒ總統祝意を 表明 |
06 | 邦人の南方進出(當分禁止) 將來嚴選主義で實施 南方根本策、兒玉委員長報告 |
07 | 南支南洋經 濟講演會 |
08 | ル大統領當分の 守勢作戰を示唆 |
09 | 宛ら生地獄の慘狀 斷末魔の新嘉坡市 |
10 | サルウイン鐵壁陣 今や完全に崩壞 |
11 | 首相、陷落の所感發表 兩院感謝敬弔決議を行はん |
12 | 圖像:マルタバンに突入する○○部隊 |
13 | 陸鷲ビルマで活躍 |
14 | 木造船の建造計畫 |
15 | けふ全議案可決 十四日から自然休會 |
16 | 引揚同胞の援護狀況 |
17 | 聯合軍の士氣沮喪 米放送局特派員か暴露 |
18 | 敵國在留邦人の 解放問題 西次官、對應策闡明 |
19 | さらば新嘉坡よ 米通信員訣別の電報 |
20 | 內外地連絡協議 會準備懇談會 |
21 | 正に火煙地獄の形相(英米通信) |
22 | 推薦會の行為は 選擧運動に非ず 成田地方局長答辯 |
23 | 中小商工業 對策建議案 眾院本會議で可決 |
24 | バタヴイア近 郊各飛行場 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 偲ぶ英靈の武勳 今井、山口兩部隊戰死勇士の 告別式嚴かに執行 |
02 | 勳章傳達式擧行 十六日臺北市役所で |
03 | 伊勢大廟御造營 全國青少年團が奉仕 |
04 | 圖像:英靈の告別式 |
05 | 蘭女學藝會 |
06 | 遺族を激勵 長谷川總督の挨拶 |
07 | 譽を子子孫孫に 軍司令官代理の挨拶 |
08 | 燈管の完璧を期せ 兵事防空課長談話を發表 |
09 | 鬼神も拍手喝采 “山田でかしたぞ、その調子だ” 一人で千の敵を擊退 |
10 | 祝賀根本方針 情報局が發表 |
11 | 必勝に燃えて志願 臺北州下四萬人突破 |
12 | 大學卒業生 徹宵志願 |
13 | 軍國に捧ぐ純情 北三高女・慰問ブツク献納 |
14 | 百圓を献金 |
15 | 滿洲建國十周 年の記念切手 |
16 | 時局常識 米國の建艦計畫 機上の空論に過ぎぬ |
17 | 紀元節に献金 赤誠部隊軍司令部へ |
18 | 百六十萬七千圓 新竹市の十七年度豫算 |
19 | 服部報公會の 研究費補助 |
20 | 大東亞教育態勢 眾議院に上程可決 |
21 | マレー協會發 會式擧行 |
22 | 高校教育に“斧” 全國學校長會議に提案 |
23 | 加藤駐佛大使 の奇禍 |
24 | 興南詩苑漢詩 敬祝灌園先生水心夫人還曆壽誕/少奇、偕諸友過稻香村呈元煌先生/少奇、東亞戰口號(豁荃國江泉源)/少奇、東亞戰口號(豁荃國江泉源) 其二/少奇、東亞戰口號(豁荃國江泉源) 其三/少奇、東亞戰口號(豁荃國江泉源) 其四/少奇 |
25 | 加藤大使略歷 |
26 | 公電入る |
27 | 告別式は十四日 |
28 | 商況(十三日前場) |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 海鷲縱橫に索敵飛翔 我海軍艦艇シ島周りを遊弋 敵の脫出企圖を全封頭條新聞 【◯◯基地十三日發同盟】我が海の荒鷲は陸軍諸部隊のシンガポール島要塞總攻撃に呼應して連日附近海面一帶の上空を縱橫に索敵飛翔し命からから既出を企てる敵將兵を滿載した敵船舶を空襲し三日から十一日迄に敵一萬噸級商船八隻同七千噸級、同五千噸級各一隻合計十隻の敵大型商船其の他小船舶、多數を擊沈した一方我が海軍艦艇は一兵たりとも逃さじと同島周りを虎視耽耽と遊弋ここに敵脫出の企圖は全く封ぜられダンケルクを遙かに凌ぐ大殲滅が展開されんとしてゐる尚海鷲の主なる戰果は次の通りである 三日一萬噸級敵船をシ島南方洋上で爆撃同船は火災を生じ坐礁三日間燃へ續けて遂に沈没 五日シ港內を奇襲し敵一萬噸級商船六隻を爆擊し大火災を生ぜしめいづれも航行不能に陷る 八日シ島南方洋上で一萬噸級商船一隻を爆沈 十一日バンカ海峽において七千噸級商船一隻を發見これに巨彈を浴せ大火災を生ぜしめ他の五千噸級商船にも直擊彈一發を浴びせ大火災を生ぜしめた |
02 | 敵最後の逃亡開始 わが荒鷲、巨彈の雨を注ぐ |
03 | 巨砲咆哮、海峽に谺す |
04 | 壯烈・肉彈戰を繰返す |
05 | 圖像:ビルマ作戰 |
06 | 英軍司令部 焦土戰術命令 |
07 | 大東亞建設審議會 昨日閣議で機構決定 |
08 | 宜蘭市北國民學校 けふ落成式 |
09 | 濛濛たる黑煙 淒慘の新嘉坡 |
10 | 我勇士の白刃、銃劍 一米、二米と近づく |
11 | 我が鐵牛猛然前進 ただ炸裂音の嵐! 新嘉坡攻略戰戰車中から觀戰 |
12 | 急降下爆擊 |
13 | 現在の戰況十三日午前十時 |
14 | 獨英大海戰 ドーヴアー沖で |
15 | 委員卅七氏 |
16 | 政府提出の法案 全部兩院を通過 |
17 | 渦陽を占領 敵將何柱國の堡壘 |
18 | 一生懸命に勉強 委員、小林前總督語る |
19 | 貴眾兩院本會議 |
20 | シ港陷落の 議事方法 |
21 | けふの兩院 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 本島の使命愈よ重大 南方經濟建設に勇躍參加せよ社說 一 大東亞戰爭勃發して以來二ケ月、無敵皇軍の進擊する所流石に頑强を誇る米英軍も鎧袖一觸で擊破され、今更ながら紙上包圍陣の脆弱性を世界に暴露して居る。數百年の久しきに亘り東亞の天地を我が物顏にして、弱少民族を搾取壓迫して豪華な生活を續け貪慾を擅にして來た米英蘭三國に對する天罰であり、東亞民族の黎明の秋である。卽ち米が誇る日本包圍のルートであるハワイ、グワム、ウエーキー島を始めとしてヒツリビン群島は我が日章旗の下にその堅壘を粉碎され、英が東亞侵略の根據地として誇稱した香港が皇軍に降服し、最後に殘されたシンガポール島も既にその大半を占領され陷落も目睫に迫つて居る更に世界の食糧庫であるビルマも皇軍の鐵蹄下にある、米英を唯一の救護主と信じて居る和蘭も、我が荒鷲のの爆擊に最早風前の灯にある、濠洲も打續く米英軍の敗戰に悄然として焦慮の日を送つて居る、多年英國の壓政に喘いで居る印度三億の大眾も我が呼聲に應へて起らんとして居る、世界戰史に曾つてない赫赫たる大戰果を擧げた事は一に御稜威を奉體した我が將兵が果敢奮戰の賜であり、一億國民の心から感激する所である。かかる大戰果に應へて銃後經濟に思ひを致す時、その責任の重大さを痛感する。 二 大東亞共榮圈を包含する廣大なる地域と十億民族に對し我が國が指導者として起たねばならない。この重大時期に於いて經濟建設事業を完遂する為めには全國民とも雄渾なる構想と萬難を排除して突進する覺悟を持たねばならない、殊に南方共榮圈內にあり主動的地位を務めて居る本島の使命は重且つ大なりと言ふべく、產業上では局部的には多少の重複があり、再編を成さねばならない部門もあるが、人的にも、物的にも、本島が先進地であり、我が南方施策の上から指導的立場にある事は、何人と雖も之れを疑ふ所がない、殊に熱帶圈內にある本島は氣候風土とも南方進出に最も好適した自然の育成を受けて居るから南方の經濟建設に對しては絕對に忘却されない存在である。更に島內は於ける豐富なる水力電氣の開發に依つて、各種工業を興すに惠まれた條件を有して居る、この見地よりして南方施策に協力する為めには、工業化を促進する事が急務である、卽ち無盡藏なる南方各地域の工業原料を對象として、本島の工業化を高度化すべきである、これが本島に與へられた南方經濟建設の指標である。 三 南方共榮圈の天然資源は豐富であるも、多年米英蘭の飽くなき搾取と壓政に依つて、民心が極度に萎縮して居るから、短兵急なる振作は難しく、我が國の溫情に依つて氣長な氣持で指導し育成せねばならない、特に經濟權を掌握して居る華僑に對しては、我が雄大なる東亞共榮圈建設の真精神を理解して貰はねばならない。その連絡には同一言語を解する本島青年を活用するのが最も捷徑である。かかる重大なる使命を有する本島青年は、國策の尖兵として立つ氣槪と犧牲的精神を持たねばならない、從來の如く一矍千金の夢を抱いては南進の勇士とはなれない。最早英國が誇るシンガポールも皇軍の果敢なる猛攻擊に依つて第二のダンケルクの悲劇を現出せんとして降服の一步前にあり、戰捷に續く經濟建設を思ふとき、容易ならざる多難なる大事業であるだけに、單なる大言壯語のみでなく、真に大東亞共榮圈の建設を完遂するこの重大使命に對し全國民の絕大なる協力に期待する所である。最早區區なる功名爭ひではなく、如何にすれば曠古の聖業に翼賛する事が出來るかを、恐懼するのみである、本島の南方國策に協力する方策もかかる目標でなければならない、 |
02 | 歷史的入城式の日 島都の祝賀行事決る |
03 | 生存者に輝く恩賞 陸軍關係第廿五回 |
04 | 翼贊奉公に挺身 桔梗俱樂部第四回鍊成終了 |
05 | 譽れの故川崎 少佐宅を弔問 總督代理清水內 務局長代理が |
06 | 擧島瞬間に黑一色 執拗なる敵機遂に無為退散 空訓第二日 |
07 | 故陳海軍軍屬 無言の凱旋 |
08 | スラバヤ上空の奮戰記 我が荒鷲の威力遺憾なく發揮 |
09 | 一部有識者階級に 非協力的態度 地方防空視察員の報告 |
10 | 笹川大佐ら五勇士 壯烈な戰死遂ぐ 南洋群島・ボルネオ方面で |
11 | 婦人層に志願兵の趣旨 島都で四日間講演會開催 |
12 | 赤誠罩る乙女心 北三女慰問ブツク献納 |
13 | 司法保護事務 擔任者打合會 十四日公會堂で |
14 | 島民感謝の献金 十二日海軍武官府受付 |
15 | 昨日二百十七名 續く島民の志願者 |
16 | 宜蘭市郡の 志願兵累計 |
17 | ときのこゑ |
18 | 大吊鐘を献納 新嘉坡陷落のお祝ひに |
19 | 志願兵熱高潮 新竹市累計一千四百餘名 |
20 | 員山信組職員 全員志願 |
21 | 陷落記念スタンプ |
22 | 愛婦新竹支部 六千圓を献金 |
23 | タイピスト孃 軍司令部で募集 |
24 | 輝やく戰果に 感激の献金 |
25 | 臺北檢番より の赤誠の献金 |
26 | 和隆木材會社 從業員の献金 |
27 | 趣味登山會ハイク |
28 | 大崠山行ハイク |
29 | 人事消息 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 譽に胸躍らせて 熱血青年各地から續續殺到 昂る・高雄州の志願熱 |
02 | 志願熱愈よ高潮 率先志願に臺中健兒雀躍 |
03 | 全員志願決議 高雄皇民鍊 成會協力 |
04 | 十數倍の應募者 看護婦募集に赤誠示す乙女達 |
05 | 一死奉公の決意 張家三兄弟志願 |
06 | 水社道場の集ひ 奉公委員幹部の鍊成會 |
07 | 東部では瑞穗 溫泉で鍊成 |
08 | 市部より高い 屏東郡部の志願熱 |
09 | 銃後赤誠の結晶 冗費を節約して飛行機資金献納 |
10 | 國運隆昌を祈念 |
11 | 兵事課長、主任 志願兵事項打合 |
12 | 東亞の黎明は來た(下) 爪哇の女はよく働いて信仰深い 稻の神にも結婚式 ゲボンさんに神秘を聽く |
13 | 龍潭の男女青年 蹶然志願書を提出 |
14 | 空への備へ完し 螢光をも洩らさぬ燈管ぶり |
15 | 途端に闇の一色 鐵桶陣を布く嘉義市の空訓 |
16 | 三峽街防空訓練 好成績收めて終了 |
17 | “皇軍感謝の夕” 產組記念日の行事決定 |
18 | 圖像:ゴム林よりシンガポール敵陣を觀る |
19 | 龍潭庄下空訓 好績裡に進行 |
20 | 花蓮港壯丁團查閱 |
21 | 適格者を持つ 父兄集めて座談 |
22 | 牛運堀模範部落 一等の榮冠を獲得 |
23 | 豐原鄉軍の 銃劍術大會 |
24 | 星港陷落近し 新奇や競ふ 奉祝行事 |
25 | 南投女青訓練終る けふ閉會式を擧行 |
26 | 港灣協會月例會 |
27 | 皇軍將兵慰問金第拾壹回領收報告(敬稱略)報社消息 |
28 | 各地紀元節 祝賀式典 |
29 | 勞務功勞者を表彰 |
30 | 防諜カレンダー 近く配布さる |
31 | 鳳山華僑公會 通常總會終る |
32 | 地方便り |
33 | 今日の映畫 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 酒精の代燃價值 特殊裝置で增大 |
02 | 各種蔬菜類價格 近く公定されん 昨日關係官民が協議 |
03 | 自然ダムを利用 小發電所を計畫 |
04 | 臺北市米配組合 通常總會終了 |
05 | バナナ輸移出 百九十萬七千餘籠 昨年中 |
06 | 南方進出等を懇談 臺北商議所部會で |
07 | キヤツサバ澱粉價格 近く府令で制定 |
08 | 貨車停留短縮旬間 第二日二千噸增送 |
09 | 島茶の對策審議 各州農林課長會議で |
10 | 臺電、社債 發行條件發表 |
11 | 電話交換器等の 最高價格を決定 |
12 | 經濟手帳 大東亞の食糧政策 |
13 | 全島經濟 警察會議 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況(十三日後場) |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(610)/黃得時;榎本真砂夫 |
18 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 敗殘英軍脫出に汲汲 我陸鷲、敵輸送船猛爆 |
02 | 敵軍の最後迫る |
03 | コ橋完全に復舊 |
04 | 包圍殲滅戰最高潮 |
05 | 圖像:ビルマ作戰 |
06 | 生地獄 英負傷兵街路に 晒さる |
07 | 英軍の脫出至難 |
08 | 英軍の暴虐非人道 一般市民の生命財產を犧牲に 最後まで殲滅を免れんと焦る |
09 | 州議員選擧 |
10 | 絕望的氛圍氣漲る 新嘉坡敗戰に英國民暗憺 |
11 | 五千萬磅の要塞 僅か一週間をも支へ得ぬか 英政府不信任の聲熾烈 |
12 | 手の下しやうなし 戰くバタヴイア市 |
13 | 同盟と朝日の 連絡員戰死 |
14 | 一機又一機と擊墜 |
15 | 從軍者へ感謝決議 けふ眾院に上程可決 |
16 | 月末に初顏合せ 大東亞建設審議會 |
17 | 英帝國構造に缺陷 英國民狼狽寶庫印度を凝視 |
18 | 獨艦隊脫出成功 ロンドンの各紙も認む 獨英大海戰の詳報 |
19 | 濠洲陸相、外 人の外出禁止 |
20 | 海戰の真相 獨軍當局公表 |
21 | 山西地區掃蕩の 綜合戰果 |
22 | 濠洲政府 臨時會議召集 |
23 | 反樞軸陣營 全面的改組か |
24 | 無事基地歸還 英海軍省も確認 |
25 | 女學校の正科 に看護法を |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 殘骸さへも殘さぬ 慘澹たる焦土振り バリツクパパン從軍記蘭軍非人道暴露 |
02 | 圖像:舊に倍し賑かになつた香港市 |
03 | 臺灣の“南方協力” 長官へ具體事項指示 局部長會議 |
04 | 基隆神社に大 太鼓を献納 國婦會員の赤誠 |
05 | 軍司令部に献金群 輝く戰果に感激して |
06 | 兒童製作大東亞戰展 けふから基隆で開く |
07 | 前線へ內地から“凱歌” 軍國の母の手紙に泣く我等の勇士 |
08 | 累計六千名突破 島都の志願熾烈化 |
09 | 水上署職員志願手續を完了 |
10 | 在北神職會幹 部赤誠の献金 |
11 | 二萬圓献金 |
12 | 內地からわざわざ歸臺 文山郡下に咲く志願兵美談 |
13 | 遺家族を弔問 陸軍大臣代理が |
14 | 綴る赤誠の嘆願 白衣の天使の第一次銓衡 百六十八名選拔 |
15 | 譽れの遺族宅を 總督代理が懇に弔問 |
16 | 保護事務擔任者打合會 けふ市公會堂で開催 |
17 | 榮の第一次合格者 基隆市十七名、基隆郡一名 |
18 | 待つ・歷史の日 新竹で特別配給 |
19 | “市民への贈り物” 新嘉坡陷落のお祝ひに |
20 | 酒類の地區制 配給を考慮中 大藏次官が答辯 |
21 | 引揚げ同胞の 職業指導斡旋 |
22 | キヤベツとト マトが欲しい 川上、中西兩氏談 |
23 | 米穀配給組合 一萬圓を献金 |
24 | 魚類の公定 價格を訂正 |
25 | 商況(十四日前場) |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 英海軍鎮守府を占領 わが海軍先遣隊きのふ セレター軍港に進入頭條新聞 【東京發同盟】セレター軍港十四日齋藤海軍報道班員發わが海軍部隊先遣隊は十四日拂曉英國東洋艦隊根據地たるシンガポール島セレター軍港に進入し殘敵を掃蕩しつつ同日正午英國海軍鎮守府を占領し屋上高く軍艦旗を揭揚した |
02 | 三方面より猛攻開始 |
03 | 我巨砲陣の威力發揮 |
04 | 南部○○要塞に進擊 |
05 | 敵互相の連絡斷たる |
06 | 我陸鷲猛活躍 |
07 | 全蘭印海面で索敵 海鷲、敵機八機を擊墜 |
08 | 敵秘密基地を奇襲 |
09 | わが後方攪亂 を企圖 |
10 | 慘澹たる破壞の跡 酸鼻・死相のシ港 |
11 | 圖像:日本軍常勝す比島戰線 |
12 | 敵の砲兵陣地 漸次窒息 |
13 | 天晴れな「陣頭指揮」 世紀の構想を練る東條首相 |
14 | けふから自然休會 皇軍の大戰果に呼應 記錄的快速審議振り |
15 | 捕虜米船員 上海へ護送 |
16 | 從軍者感謝決議 全會一致で可決 眾院本會議 |
17 | 選擧肅正委員 政府懇談會 |
18 | 米軍の食糧難深刻 住民兵の投降逃亡續出 |
19 | 英巡洋艦大破 マルタ島附近水域で |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 南方進出と 嚴選主義社說 一 大東亞戰爭が開始されて以來僅か一ケ月を出でずして香港、マニラが相次いで陷落し、老獪英國が東亞侵略最後の牙城と恃む新嘉坡の陷落も、今や時間の問題と言ふよりその發表を待つと言ふまでに差迫つて來た。此皇軍の擧げられた赫赫たる大戰果に應へて最近我が國民間では猫も杓子も南方へ南方へと南方進出の熱が彌が上にも昂揚しつつあるに對し、政府としては果して如何なる方策を取るであらうかと各方面より頗る關心を持たれてゐる折柄、去る十二日午前の貴族院本會議に於て、南方開發金庫法案委員長兒玉秀雄伯は、特に南方施策に關する政府の根本方針として、委員會を通じて明瞭にされた諸點を要約し說明した上、我我も亦政府の根本態度に協力し、緖戰の戰果をして有終の美をなさしめねばならないことを强調し、各方面から頗る注目されたが、爰で吾人が特に指摘せんとするところは、その中の「邦人の南方進出は當分これを禁止し、將來の事態の發展に卽應して嚴選主義によつて實施する」との一事である、 二 今更改めて申すまでもなく、邦人の南方進出は最も喜ぶべきことであり、且つ將來に於ては大に奬勵すべきことに屬するが、唯嚴選を要することは、既に識者に依つて指摘されたところである。支那事變勃發と同時に大陸の占領地帶には利權漁りの商人が蝟集し、中には一攫千金を夢見る我利亡者が我も我もと押寄せたがため、如何に平和工作を阻害し、惹いては宣撫工作に尠なからざる障碍と弊害とを來しめたかは、現實が證明する如く、實に苦苦しき限りであつた。これがため、一時邦人の大陸渡航をさへ嚴禁した位であつた。前車の轍を再び踏むまいといふのが今度の政府の南方に對する根本方策と解すべきである。既に政府の屢次に亘る聲明に依つて明かにされてゐる如く、今次の大東亞戰爭の究極の目的とするところは、永年に亘り東亞人を搾取吸血して來た英米の勢力を全面的に驅逐し、爰に亞細亞は亞細亞人の手に依つて我が日本を盟主に仰ぎ日滿華の三國を樞軸とし、南方諸地方を含めて、十二億の東亞民族の共存を理想とする大東亞共榮圈の確立に在ることは申すまでもない。 三 從つて之がためには、先づ各民族の共存共榮の理念を心に銘じ、飽くまでこの國策の線に沿ふて日本國家のため、日本民族の發展のために身命を捧げる人士でなければ、南方へ進出する資格を具備したとは言ひ難いのである。斯る見地より吾人は今後南方へ進出せんとする人人、特に本島の青年諸君の注意を喚起したい。もとより地理的に民族的に見れば、今後南方各地方に於ける平和宣撫工作、殊に華僑に對する經濟工作の戰士として、本島人が最適任者であることは異存がないのである。並乍ら一步を進めて之を考へる時、南方へ進出せんとする青年諸君は、一人殘らず皆南方民族をよく研究し理解し、華僑工作に對して十分に準備し、訓練されて居るや否や、又よく日本精神を體得し、自ら進んで國策の線に沿ひ南方地方に骨を埋めるの覺悟を有するや否や、之等を十分に檢討するのでなければならない。殊に嚴選主義を以て臨む以外に吾人は之等に對し或期間と機關を設けて篤と訓練をなすべきであることを特に强調したいものである。 |
02 | 武勳永しへに薰る 臺北市葬昨日嚴そかに執行 |
03 | 南海に迎ふ紀元節 “海の兵”感激一入深し |
04 | 圖像:臺北市葬 |
05 | 日比軍感激美談 渾然融け合ふ感情 |
06 | 實戰防空の心構へ 內務省警報傳達を統一 |
07 | ジヤングル地帶に徬徨三日間 ボルネオ人小兒の案內で 救出された海鷲の生還記 |
08 | 海軍へ赤誠献金 十四日武官府の受付 |
09 | 圖像:激戰を終へ戰塵を洗ふ皇軍 |
10 | 再起奉公に萬全策 軍人援護會・多額の經費計上 |
11 | 五千圓を献金 臺北市米穀配給組合 |
12 | 十七日豫備檢查 新竹州下の憲兵補志願 |
13 | 戰車兵を志願 恤兵金添へて申出で |
14 | 內臺女性魂の集團“桔梗の記” 明晚八時卅分に放送 |
15 | 俘虜時間を新設 AK海外放送陣強化 |
16 | 高等女學院 新年度から刷新 |
17 | 新竹市千五百 名を突破 |
18 | 宜蘭市累計千 七百九十八名 |
19 | 軍事協定成立 シ港攻略祝賀 |
20 | 臺灣神職會員 五百圓を献金 |
21 | ときのこゑ |
22 | 宜蘭で防諜劇 を上演 |
23 | 臺大の祝賀式 |
24 | 宜蘭郡の水害豫 防組合評議員會 |
25 | 大東亞戰爭 第一輯發刊 |
26 | 宜蘭市北國 民校落成式 |
27 | 奉公會募集標 語當選發表 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 遂に一萬三千突破 赤誠迸る臺中州下の志願兵 きのふは五七二名 |
02 | 競ふ我が郡の誇 嘉義郡依然首位を占む |
03 | 一萬名台を拔く 花蓮港の志願兵熱沸騰 |
04 | 六百名擧つて志願 豐原防衛團大會で決議 |
05 | 兩神社で祈念 |
06 | 圖像:皇軍の入城と共に續續と我家へ歸へる市民達(モールメイン) |
07 | 屏東市、郡の志願者 |
08 | 志願兵看護婦に 島民の赤誠示現 |
09 | 屏東高砂族青年 奉公隊結成式 |
10 | 空訓の成績檢討 高雄市防衛團幹部を集めて |
11 | 臺南州下の第 三種空訓日割 |
12 | 女子奉公の契り 各地の桔梗クラブ續續誕生 |
13 | 白衣勇士慰問 中村一座を招聘 |
14 | 屏東市議 三名官選發令 |
15 | 航空思想を涵養 三月十日模型機競翔大會 |
16 | 義教、生擴費で何れも增加 屏東郡下各街庄豫算案なる |
17 | 義教計畫協議 高雄州視學合同 |
18 | 臺南市奉公 推進員指名式 |
19 | 臺南共榮建 築信組總會 |
20 | 朴子奉公壯年團 結成式を擧行 |
21 | 巢立つ二萬の兒童 向學熱目に見えて高潮 |
22 | 奉公壯年團役員會 |
23 | 屏東奉公女青 訓練を終了 |
24 | 皇軍將兵慰問金第拾貳回領收報告(敬稱略)報社消息 |
25 | 部落改善に拍車 沙坑住民の總親和 |
26 | 高砂族青年 初の角力大會 |
27 | 星港陷落祝賀 行事を決定 |
28 | 講演會も催す 花蓮港の祝賀行事 |
29 | 能高郡下國民校五學級增加 |
30 | 溪南兒童聯合 大學藝會開催 |
31 | 奉公推進員 を鍊成 |
32 | 美容組合總會 |
33 | 紙芝居講習會 |
34 | 臺中州警察異動 |
35 | 高雄秋競馬 初日の成績 |
36 | 地方便り |
37 | 今日の映畫 |
38 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | “砂糖運送船腹 四月より緩和か” 糖聯支部內海主事歸來談 |
02 | 帽子編を講習 失業救濟の目的で 內需向帽子に轉換 |
03 | 南方共榮圈の諸民族と華僑(五) |
04 | 感謝貯蓄 星港陷落當日より一ケ月 |
05 | 橫濱青果社長 一行來臺視察 |
06 | 私鐵運賃調整に 收支內容を檢討 |
07 | 新竹米穀事務所 新廳舍落成式 |
08 | 貸車留置料徵收 實施基準各驛に通牒 |
09 | 臺銀總會 來る三月二日 |
10 | 高橋益雄氏 府食堂で講演 |
11 | 鍬の戰士五十名 近く來臺、本格的に訓練 |
12 | 乙女、田植の競技 正條密植を條件に |
13 | 臺北菓子組合 あす通常總會 |
14 | 經濟手帳 南方石油開發と人 造石油事業 |
15 | 照明燈 |
16 | 兜町前場況 |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(611)/黃得時;榎本真砂夫 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 英軍無條件降服!! 十五日午後七時五十分頭條新聞 【東京發同盟至急報】(大本營發表十五日午後十時十分) マレー方面帝國陸軍部隊は十五日午後七時五十分シンガポール島要塞の敵をして無條件降服せしめたり |
02 | 昨夜十時全線に停戰 降服までの交涉經過 |
03 | 英侵略の牙城・新嘉坡陷落 パレンバン奇襲降下に成功 我陸軍落下傘部隊 |
04 | 着着戰果を擴大 |
05 | 大東亞戰の金字塔 今後作戰に重大意義をもつ 喜びを語る・長谷川總督 |
06 | 海軍落下傘部隊 メナド攻略戰に參加 |
07 | 土肥原航空 總監の祝電 |
08 | 三十二隻を擊沈破(海軍の大戰果) |
09 | 南方最高指揮官寺內大將 總參謀長塚田中將 |
10 | マルタバンの戰果莫大 |
11 | 敵編隊を全部擊墜(バンカ島上空) |
12 | 南北呼應○○を擊碎 |
13 | ド佛印總督に 旭日大綬章傳達 |
14 | 五大要塞殆んど沈默 |
15 | 陸鷲縱橫に活躍 |
16 | 米陸軍省の 戰況發表 |
17 | スマトラを空襲 |
18 | 濠洲の不安 いよいよ慕る |
19 | 蘭印司令部の 發表 |
20 | 濠洲北部の 住民避難 |
21 | 日獨兩外相の 祝謝電を交換 |
22 | 獨伊空軍活躍 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 世紀の感激・新嘉坡陷つ 揚る十億民の勝鬨 夢に迄見た“日”來る 祝へ今日ぞ東亞の夜明け |
02 | どつと湧く歡聲 號外に、ラジオに、貼出しに 三十萬市民狂喜 |
03 | 祝電を發す 臺灣軍司令官から |
04 | 一路勝利と建設へ 齋藤情報委員部長談 |
05 | 我に活殺自在の鍵 包圍線茲に全く逆態勢化 井上軍報道部長談 |
06 | 鄉軍臺北市 分會の祝賀 |
07 | 艦船充實が急務 伊藤海軍武官語る |
08 | 圖像:萬歲!!萬歲!!新嘉坡陷落 |
09 | 献金の一番乘り |
10 | 米英侵略に終止符 林獻堂氏感激を語る |
11 | 東亞解放の時だ 許丙氏喜びを語る |
12 | まづ神社に額く 世紀の偉業を漢詩に表す 黃純青氏一家に喜び |
13 | 記念報國切 手を發行 |
14 | 記念貯蓄債券 けふより賣出 |
15 | 衛生看護團を結成 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | シンガポール島從軍記 結べぬ“露營の夢” 走つて伏せ伏せては走る 冷雨下・闇の總進擊 |
02 | 大東亞建設の先驅 (五)故荒尾精氏の卓見 |
03 | 聖戰完遂の尊き礎 田甲大尉外五氏壯烈な戰死 |
04 | 南方經營の方式 新しい理念と構想で 寄臺した德川義親侯爵談 |
05 | 憲兵補志願者 身體檢查終了の者は けふ臺北憲兵分隊へ |
06 | 三三七名志願(新竹) 憲兵補の受付きのふ締切 |
07 | 先づ華僑問題ぢや 永田秀次郎氏語る |
08 | 蘭女學藝會 |
09 | 作戰上重大使命 失敗したら再び繰返せぬ決死隊 落下傘を語る航空本部員談 |
10 | 處分に困る石油 パレンバンを語る紀贊枝氏 |
11 | お山の訓練譜 井上修鍊所初入所式 |
12 | 花蓮アミ族 壯丁團查閱 |
13 | 二千名に肉迫 宜蘭市の志願兵熱 |
14 | 南方講座 けふより開幕 |
15 | 今日の映畫 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 文藝 福建語放送/孫祖派 |
02 | 詩 風の日/坂原新一 |
03 | 南十字星 文學の不易性 人間の皮膚の如し |
04 | 求めんとするもの/坂原新一 |
05 | 田園畫譜 戴月而歸/藍蔭鼎 |
06 | 婦人說苑 新しき發足/村岡花子 |
07 | 婦人の職業選擇 母性を損はぬ仕事を/朝岡稻太郎 |
08 | ラジオ |
09 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 聖上殊の外に御滿悅 戰果赫赫たる戰況を刻刻御聽取 |
02 | 隊伍堂堂市內に進駐 市政廳に日章旗翩飜 仰ぐ勇士達感激一入 |
03 | 兩指揮官劇的會見 |
04 | 暫し感極まって無言 遂に男泣きに泣く 陷落のシ港 見る勇士達 |
05 | 南海紺青の大空に 絢爛豪華大輪の花 ○○少佐落下傘部隊を語る |
06 | 杉山參謀總長祝電 |
07 | 皇軍パレンバンに上陸 |
08 | 感激、賞讚の祝辭 盟邦各國大公使 |
09 | 圖像:マリべレス攻略に向ふ戰車隊(バダン半島○○にて) |
10 | 最後の勝利我にあり 陷落の意義大平報道部長強調 |
11 | 東亞十億の喜び 谷總裁、鐵石の結束を要請 |
12 | 貴族院の感謝決議案 |
13 | 運營方針と日程 臨時中央協力會議 |
14 | 地方長官會議 三月上旬に開催せん |
15 | チ英內閣糾彈の聲 俄然各方面に高まる |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 東亞の黎明・星港陷落 劍潭の曉闇ついて 市民續續神社參拜 鐵石の誓ひ一入堅し |
02 | 交す“世紀の勝盃” 總督と軍司令官 |
03 | 戰捷祝杯を擧ぐ 軍司令部の感激 |
04 | 圖像:臺灣神社參拜の長谷川總督 |
05 | 祝賀電を發す 長谷川總督が |
06 | 武運長久を祈願 總督臺灣神社參拜 |
07 | 感激の神社參拜 軍司令部・幕僚を從へ |
08 | 萬事工榮圈確立へ 本島の青年達よ“南へ伸びよ” 磯谷香港總督寄臺談 |
09 | 祝辭の雨!官民多數續續と 長谷川大將訪問 |
10 | 星港陷落の喜びか それは前線將士に云つてくれ 覆面脫いだ寺內將軍 |
11 | 新竹神社に感 謝參拜 |
12 | 港都の感激風景 市內隨所に歡喜爆發 |
13 | 決意を新たに南へ伸びよ 山本馬公警備府司令長官談 |
14 | 總ては打合せの上で 寄臺した泊氏言葉少なに語る |
15 | 飛行機を献納 基隆保甲民の赤誠 感激の日に資金献納 |
16 | 星港陷落二標語 |
17 | 繰り出すぞ太平龍 世紀の大捷に全島華僑感激 入城式當日祝賀に參加 |
18 | 感激の献金群殺到 軍司令部と武官府へ |
19 | 臺北市民赤 誠の献金 |
20 | 祝賀の一色 宜蘭市民の歡喜 |
21 | 祝へ“世紀の大捷” 鄉軍分會祝賀式擧行 |
22 | 宜蘭市 |
23 | 傷痍軍人慰安會開催 |
24 | ニユース紙芝 居を配布 |
25 | 感激の献金續續(新竹) |
26 | 桔梗の記放送延期 |
27 | 入城式當日迄 每日國旗揭揚 |
28 | 定例府局部長 會議 |
29 | 商況(十六日前場) |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 優渥なる勅語賜ふ 南方陸海最高指揮官に頭條新聞 【東京發同盟】大本營發表(十六日午前十一時四十分) 大元帥陛下には本日陸海軍幕僚長を召させられ南方方面陸軍最高指揮官並に聯合艦隊司令長官に對し左の勅語を賜はりたり 勅語 馬來方面ニ作戰セル陸海軍部隊ハ緊密適切ナル協同ノ下ニ困難ナル海上護衞並輸送ト果敢ナル上陸作戰トヲ斷行シ炎熱ニ耐ヘ瘴癘ヲ冐シ長驅霆擊隨所ニ勁敵ヲ破リ神速克ク新嘉坡ヲ攻略シ以テ東亞ニ於ケル英國ノ根據ヲ覆滅セリ 朕深ク之ヲ嘉尚ス |
02 | 東條首相、祝電を發す |
03 | 參謀總長、陸相の祝電 |
04 | 新嘉坡軍港を接收 帝國海軍が全面占領 |
05 | 市の接收、協議を遂ぐ |
06 | 東條首相 決意闡明 帝國大東亞建設の 雄渾な經綸と抱負 |
07 | 軍令部總長、海相の祝電 |
08 | 總領事館破壞せず |
09 | 我作戰、米沿海に及ぶ 制海制空權、印度洋へ 海相戰況說明 |
10 | 米英の聯合作戰困難 重慶軍正に孤立無援 陸相戰況說明 |
11 | 市內掃蕩に移る 不逞分子、敗殘兵清掃 |
12 | 附近一帶を掃海 |
13 | 市民百萬 新嘉坡に踏み留る |
14 | 英軍降服の 細目協定 |
15 | 牟田口中將戰傷 依然陣頭で指揮 |
16 | ジヤヴア沖海戰で ハート大將戰死か 後任にヘ蘭印海軍長官任命 |
17 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 英侵略の牙城 新嘉坡の陷落社說 一 英國の東亞侵略最大の牙城シンガポールは、遂に我が軍門に無條件降伏となつた。百二十餘年間に亘り、東亞制壓の中樞據點として搾取をほしいままにして來ただけに、東洋のジブラルタールとして難攻不落を誇る金城鐵壁の要塞ではあつたが、我が忠勇果敢なる皇軍の鎧袖一觸に依つて脆くも陷落したことは英國の崩壞の末路を物語る宿命的歸結と云はねばならない。とはいへ大東亞戰始まつて以來僅かに七十日、シンガポールを攻擊してから僅僅七日目に早くも斯くの如き驚異的大戰果を收めたのは、實に御稜威の然らしむるところ、我が皇軍の作戰の妙と將兵の忠誠勇敢とに依る賜であつて、國民の齊しく感激措く能はざるところである。我我は今次の大戰果に對して深く慶祝の意を表すると共に熱暑と瘴癘を克服し密林と濕地の天嶮を排除して進擊する皇軍の勞苦に對し、衷心から感謝の誠を捧げ、以て武運のいよいよ長からんことを祈念してやまないものがある 二 シンガポールの陷落は、今後の作戰上に重大なる意義を有するものであることは蓋し想像に難くないが、殊に英米に與ふる致命的な影響を考ふるとき、邦家のため洵に慶賀に堪えないものがある。英米の所謂對日包圍陣なるものが、香港陷ちマニラ落ち今またシンガポールの陷落に依つて、完全に一場の迷夢と化し去つたのみならず、今や逆に東西兩洋の連絡活動を遮斷され、南洋熱帶資源の逆封鎖を受ける英米の苦境は蓋し想像以上のものがあるのである。西南大平洋は勿論、ベンガルも印度洋も制海、制空共に今や悉く我が皇軍の掌握するところとなり大東亞から米英勢力を完全に驅逐し去る日も近いのである。大東亞の新天地に輝かしき共榮圈を確立する世紀の大偉業も今や現實の日程に上つたのである。東亞黎明の曙光を仰が見る大東亞十億民眾の本望これに過ぎるものはあるまい。シンガポールの陷落はこの意味に於て東亞十億民眾の齊しく喜びとするところでなければならぬ。 三 全世界を驚倒させたシンガポールの完全占領は我が武威を中外に宣揚すると共に、大東亞戰爭の勝利は絕對に我に在りとの炳乎たる證左を物語るものである。しかしながら大東亞共榮圈の確立は唯單に武力戰のみにて達成し得るものではなく、之に伴ふ建設戰の成否に懸るものであるは云ふまでもないことである。武力戰に於ける絕對の勝利を以てしても、もし建設戰に於て缺くる所があれば、まさに九仭の功を一簣に虧くるものと云はねばならない。況んや唯徒らに赫赫たる大捷利に醉ひ或は驕つて、勝つて兜の緖を締めることを忘れる者あらば其の非も甚しいと云はねばならぬ。英米これにて屈伏するものではなく、作戰の前途も尚遼遠なるものがあり建設戰も容易簡單なものではない筈である。大東亞戰が世界史的な意義を有する大規模の作戰であることを思ひ、大東亞百年の大計を確立具現せんとする長期戰であることに深く思ひを致して、益益結束を堅め必勝の信念を以て戰ひ拔く覺悟と決意を新たにするこそ緊要なことと云はねばならぬ |
02 | 聖上殊の外御滿足 大內山に慶色滿ち充つ |
03 | 待佗ぶ“あすの日” 大東亞戰第一次戰捷祝賀會 十八日全國一齊に擧行 |
04 | 島都の祝賀行事 |
05 | 輝く・勳章傳達式 笹岡少尉以下六十九氏に |
06 | 陸軍關係論功行賞 生存者第三十二回 死歿者第三十五回 |
07 | 新竹市の祝賀行事決る |
08 | 街頭に溢れる歡喜 市民祝賀準備に大車輪 |
09 | 島都祝賀會場 府表玄關に變更 |
10 | “秘密戰”に備へよ 石田臺北憲兵隊長談 |
11 | 相次ぐ献金部隊 罩る感激感謝の赤心 軍司令部 |
12 | 圖像:軍記者俱樂部主催の 大東亞戰戰勝第一次 祝賀會 |
13 | 譽の故村井上 等兵遺族弔問 昨日總督代理が |
14 | 基隆通常市會 二十日に開催 |
15 | 蘭陽一市三郡 受付の献金 |
16 | 志願兵熱に拍車 世紀の感激の日陸續 |
17 | 羅東郡から二 百六十九名 |
18 | “邪”は正に勝てず 十一年在住大內博士の喜び |
19 | 感謝を貯蓄に 昨日一齊に運動展開 |
20 | 宜蘭郡から三 十八名名乘る |
21 | 赤誠の軍國乙女 看護婦合格者卅三名決定 |
22 | 保甲民の赤誠 飛行機献納資金を募集献納 |
23 | マイクに嚙りつき 歡喜、感激に咽ぶ二家庭 |
24 | ときのこゑ |
25 | 要路に感謝電 容臺灣華僑總 公會長感激談 |
26 | 基隆市豫算編 成完了 |
27 | 新聞配達員募集報社消息 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 銃後を一層強固に 風早澎湖島要塞司令官談 |
02 | 祝へ祝へ新嘉坡陷落 歷史の快報發表の日 各地に湧く歡喜感激 |
03 | 山本長官を訪問 川添廳長三浦街長から祝辭 |
04 | 野戰料理に偲ぶ大戰果 新妻司令官主なる官民招待 |
05 | 知事以下が街頭へ 感謝貯蓄陣頭指揮に |
06 | 全賣上そつくり 快報に感激の献金 |
07 | 輝やく世紀の偉業 新嘉坡の攻略(上) 皇軍の主なる綜合戰果と作戰經過 |
08 | 夜陰ついて 臺中神社參詣 霧峰庄民の喜び |
09 | 森田知事講演 遺家族慰安會で |
10 | 大捷に昂る感激 大東亞戰債券忽ち賣切れ |
11 | 憲兵補志願者に 昨日身體檢查を實施 |
12 | 星港陷落の日 高雄で感激の献金熱爆發 |
13 | 壯年團鍊成會 |
14 | 累計百九名 花蓮港廳下の 憲兵補志願者 |
15 | 各地志願兵點描 |
16 | 皇軍將兵慰問金第十四回領收報告(敬稱略)報社消息 |
17 | 盤安氏献金 |
18 | 旗山農業祭 豆力士の競技 |
19 | 志願兵志願 打合會開催 |
20 | 淡水郡各街庄 豫算略完成 |
21 | 放送局設置を 花蓮港廳民熱望 |
22 | 花崗山で 市民祝賀會 入城式當日に |
23 | 臺北市團の三年連霸成る 都市對抗卓球 |
24 | 地方便り |
25 | 今日の映畫 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 青果の南方進出 根本對策を協議 昨日青果懇談會開催 |
02 | 旭電化高雄工場 近く全能力で操業 |
03 | 祈年祭に當り 石井局長放送 |
04 | 祈年祭典 けふ建功神社で |
05 | 南方共榮圈の諸民族と華僑(六) 蘭印 |
06 | “蘇澳は米の產地 本期は相當增產せん” 入鹿山技師歸來談 |
07 | 基隆地區バス 合同正式許可 |
08 | 空車の廻送活潑 南送炭の增送顯者 |
09 | 砂糖輸送懇談會 十八日に延期 |
10 | 照明燈 |
11 | バス事業組合 けふ役員會開催 |
12 | 鹽乾魚卸商組合 十八日に創立總會 |
13 | 商況(十六日後場) |
14 | ラジオ |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 暴慢不正の英を掃蕩 マレーの永遠發展策を講ず 山下最高指揮官聲明 |
02 | 來たり見たり勝てり 南方派遣軍、次期への準備に 滿滿たる自信と戰備で精進 |
03 | 圖像:黑煙天に沖す陷落直前のセレター軍港 |
04 | 英の屋臺骨崩壞 新嘉坡陷落、戰局に重大影響 獨紙、大大的に報道 |
05 | 新戰術新記錄出現 世界戰史上に燦たり |
06 | 東條首相祝電 現地の海軍へ |
07 | 內務大臣を專任に 湯澤內務次官に決定 |
08 | 對日戰爭は 愈よ困難 米消息筋落膽 |
09 | 米朝野に大痛棒 |
10 | 避難民の大群歸る 新嘉坡早くも甦生へ |
11 | 獨伊空軍活躍 英艦船を擊墜破 |
12 | 陸軍落下傘部隊 最初の實戰記錄 我編隊中の一機、壯烈な自爆 |
13 | 脫出英船も袋の鼠 |
14 | 邦人廿八名救出 |
15 | 引揚に成功 イ號第六十一潛水艦 |
16 | 樞軸外國人救出 |
17 | カリブ海で獨潛水艦活躍 |
18 | 工場鑛山勞務者の 家族手當增額 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 天皇陛下御親拜 宮中祈年祭の御儀 |
02 | 五穀の豐穰を祈る 沸き立つ歡喜の最中にけふ祈年祭執行 |
03 | 感激・感謝の坩堝化 繰展ぐ帝都の祝賀繪卷 |
04 | 綠濃き大內山に 二重橋橋燈彌彌輝かに照り映ゆ |
05 | 圖像:臺灣神社祈年祭 |
06 | 入城式前夜に當り 長谷川總督祝賀放送 |
07 | 憲兵補學科試驗 十九日北一中で實施 |
08 | 榮華百年・一朝の夢 英の牙城茲に終焉 |
09 | 基隆神社祈年祭 |
10 | 祈年祭に放送 石井經濟部長が |
11 | 新嘉坡島を 「昭南島」と呼稱 |
12 | 水防組合評議員會 |
13 | 順番待つ献金 武官府に感激の群殺到 |
14 | 軍援支部に寄附 |
15 | 罩る乙女の感謝 軍司令部に赤誠の慰問料理 |
16 | 英靈に戰捷 奉告 |
17 | 優良部落表彰 |
18 | 一日で一萬三千圓 新竹州民感激の献金 |
19 | 基隆市の献金 |
20 | 祝賀圖畫展 |
21 | 圖像:バンザイ・バンザイ 幼稚園兒が旗行列 |
22 | 陸海軍に各五百圓恤兵献金 |
23 | 即死者三名 建築地盛石垣の崩れで |
24 | 新竹米穀事 務所落成式 |
25 | 陸海軍に□百圓献金 |
26 | ヨイ子供献金 お八つ代を節約 |
27 | 興南詩苑漢詩 漢詩習作作品 壬午元旦夜對月有感/灌園、漢詩習作作品 壬午元旦夜對月有感/灌園、漢詩習作作品 壬午元旦夜對月有感/春魁、漢詩習作作品 壬午元旦夜對月有感/蒲園、漢詩習作作品 壬午元旦夜對月有感/蒲園 |
28 | 商況(十七日前場) |
29 | 市兵事課に 献金部隊陸續 |
30 | 花蓮港憲兵分遣 隊に献金群陸續 |
31 | 興南案內報社消息 |
32 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | わが精銳の進駐に 驚歎の瞳を見張る 昭南市街は敗殘英兵で氾濫頭條新聞 【昭南島十六日發同盟】感激の昭南島進駐の日十六日人城第一陣大石、竹本、中村、權田の各部隊はブキテマ地區を出發大縱陣を連ねて市部へ向ふプキテマ南方で二尺四方の大白旗を揭げ二臺の自動車に分乘した英軍接收委員とすれ違ふ時陽を浴びた白旗の鮮明な輝きは却つて哀れを唆る疾走すること十分もう敵陣最前線に達する一帶は英人住宅街で深い植え込の壕が赤土をのぞかせ砲門が到る所の葉蔭からのぞいてゐる英兵が一人二人と現はれて來るいづれも疲れきり泥だらけの服裝だ「英軍は結局破れたではないか弱いことを認めたか」の問に對して英本土兵は「日本軍の昭南島敵前上陸に際し濠洲兵は逸早く退却したこれが敗因だ」と云ふまた濠洲兵は「氣取屋で口先ばかりの臆病な英本土兵と一緒では勝てぬ」といつて敗因のなすり合ひしてゐる進むに連れて英兵の數は增すラツフルス大學前に出るここの庭は敵の砲兵陣地であつたなんと見事なわが砲擊の著彈であらう庭の隅から隅まで打貫いた砲彈の穴で綠の芝居はすつかり赤く掘變へされてゐる各部隊は市街に一步を印した砲彈の嵐に吹き荒れては雲霞のごとき兵士、市民の大群が渦を卷いてゐる七十日の戰線で友軍以外にこんなに人間の大群を見なかつた目には頗る異風景だ何ものをも恐れぬ勇士達もなんだかちよつと、てれくさいやうな顏である日章旗をはためかして通むわが精銳の進駐に生とし生けるものはみな驚歎の瞳を見開いてゐるではないか晴がましい勝利感が勇士等の胸を一杯にふくらました大石部隊は直ちに中央警察署に入り警察權の接收を開始する取敢ず從來の警察官そはのまま皇軍に脇力せしむることを決定一方未曾有の混亂に沸騰する街の治安確保に活動を開始する市街の電氣、水道その他公共諸施設は破壞されずにそのまま皇軍の手に無事に接收された六萬の英軍の武裝解除はどんどん進捗し百萬市民の歸來も順調に進む英軍の權威はただ一夜にして地を拂つたのだ中央停車場附近は英軍の氾濫で身動きも出來ない驛の大時計は五時二十分で止まつてゐる大きな爆擊の穴がぶすりと屋根を貫いてゐる直ぐ南側のバイアードツクの中に一千噸級の汽船が二隻隱れてゐる傍らの倉庫は炎炎と燃え續けてゐる。波止場の正面には五千噸級の汽船が一隻汚れた橫腹を見せ、外港にはジヤンクが數隻浮かんでゐるだけ電話局、郵便局、市會議所、銀行などはいづれも赤十字の旗を出して野戰病院と化してゐる。大ビルデイングの破壞の跡も酷熱の陽光に輝いてゐるが、その南側にはわが砲擊を避た自動車の大群が密集して居り街といふ街に溢れる敗戰英軍の列の中に日章旗は進む |
02 | 敵機銃彈雨を潛る 壯絕な降下着陸 落下傘勇士の言葉に只感激 カカス占領 |
03 | 烏合英軍の反目 英濠印三者間の面白い言分 |
04 | 蘭印、大威脅に直面 新嘉坡陷落とパレンバン占領 |
05 | 英の無力に痛憤 濠洲自力防衛に悲鳴 |
06 | 圖像:バタン半島に活躍の我が 機關銃隊 |
07 | 責任轉嫁の泥試合 敗戰に喘ぐ英米の醜態 |
08 | フ濠州陸相 危機を強調 |
09 | 緬甸戰局の進展に 英印軍が戰戰兢兢 |
10 | 印度獨立運動に蹶起 在日印度人、東條首相の宣言に呼應 |
11 | 當面の問題は選擧對策 湯澤新內相抱負を語る |
12 | 北支軍の綜合戰果 |
13 | 濠洲兵の敗戰日記 |
14 | 英側は只一人 出席 降服處理委員會に |
15 | 湯澤氏昇格は當然 |
16 | イ號殉職者 |
17 | 內務畑の秀才 湯澤新內相略歷 |
18 | 內務次官の 後任 山崎嚴氏發令 |
19 | 山崎新內務 次官の略歷 |
20 | 新舊內相の 事務引繼 |
21 | 定例閣議 |
22 | 泰內閣改造 ピ首相更に 文相兼攝 |
23 | 內務省辭令 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 東亞諸民族の 蹶起すべき秋 新嘉坡陷落の 意義認識して社說 一 歷史的な日!去る十二月八日畏くも宣戰の大詔渙發せらるるや開戰劈頭、忽ちにして米英艦隊の主力を屠り、僅か二旬にして香港を、三旬にしてマニラを、而して七旬を出ずしてシンガポールを攻略し、茲に米英兩國の多年に亘る東亞侵略の三大據點は、擧げて我が占領する所となつた。他方ボルネオ、セレベス、ニユーブリテン等の諸要衝も悉くわが掌中に落ち、更に蘭印艦隊の主力はわが擊滅する所となり、皇軍は歷史上未だ曾つて見ざる赫赫たる大戰果を擧げ、今や渺茫廣大なる東亞の地域を制壓してゐる。過去數世紀に亘つて英米蘭の武力的支配と經濟的搾取に晒らされて來た十億に上る東亞諸民族は、この客觀的事實に對して須らく正當に認識し、我が米英驅逐戰に協力して蹶起すべき秋である。我が大東亞戰の目標とする所は既に政府に於て屢屢闡明されてゐるが如く「我肇國の大理想に淵源し、大東亞の各國家各民族をして各その所を得しめ、皇國を核心として道義に基く共存共榮の新秩序を確立せん」とするにある。十六日に於ける東條首相の詳細な具體的宣言にもあるが如く東亞諸民族の希望と傳統を尊重し米英蘭の搾取的支配から解放するにある。だから東亞諸民族は東條首相の宣言に呼應して今こそ蹶起すべき秋である。 二 英米の誇る最大にして最後の據點たる新嘉坡の陷落は先きのマニラ失陷と相俟つて、米英兩國の政戰兩略の連絡線は真二つに遮斷され、その勢力は必然的に東亞より退却せざるを得ない。茲に新嘉坡陷落の劃期的意義が存するのである。全世界に跨がる米英一連の戰略線の相次ぐ切斷と共に彼等の作戰上の共同、連繫兵力及び軍需品の輸送などに絕大な障害を與へるものである。政略的には英國は東亞に於ける國策遂行の基地を失ひ、引いては英帝國の結合的團結に龜裂を生ぜしめることである。卽ち英國の戰爭遂行力は政戰兩略上、全世界に跨る自治領乃至植民地の結合的綜合力による所大であり、而もこれら自治領植民地の中軸をなしてゐるのは西のスエズと東の新嘉坡であつたが、その新嘉坡の失陷は英帝國の東亞に於ける結合力の中心を失つたものであり、その結果印度、ビルマは孤立に陷り英國の支配下から解放される日も遠くはないであらう。 三 かくて米英が絕對不拔を豪語したABCD包圍陣はその最左翼ハワイの粉碎、要衝マニラの占領に次いで、今又最右翼たる新嘉坡を失つたことにより、完全に擊摧せられたのみならず、わが方に依りて逆包圍に陷るに至つた。就中蘭印はわが完全な包圍圈內に入り、同方面に對するわが作戰が進められる時、新嘉坡は逆にその重要な根據地となるのである。從つて我が軍の對蘭印制壓態勢は茲に完成したものである。それのみならず英帝國の兵站補給基地たる印度、濠洲も直接我が脅威下に晒らされることとなる。英國は今後印度に退いて之を護り、米は濠洲を作戰基地とするとしても之ら兩基地の戰略的連絡は既に我が脅威下にあるから印度、濠洲の受ける恐怖感と精神的動搖は蓋し想像するに餘りがある。要するに新嘉坡の失陷を楔機として東亞に於ける英米の勢力は崩壞の一途を辿るが、之に反し我が方は南方の軍需資源と生活資源を獲得することが出來、長期自給態勢を確立し得ると共に、多正面作戰に依り、兵力分散の不便を感じて居た我が方も兵力に餘裕を生じ、所期の方向に轉用出來、爾後の作戰は極めて容易となるのである。故に東亞諸民族はこの劃期的な重大意義を認識して今こそ起つべき秋である。この機會を失へば永久に解放されたいであらう。 |
02 | 祝へ・一億世紀の感激 けふぞ歡喜爆發の日 豪華絢爛・繰展ぐ祝賀繪卷 |
03 | 靖國神社臨時大祭 擧行の儀勅許あらせらる |
04 | 四條天皇七百 年式年祭 |
05 | 御聖旨を奉戴して 翼贊の誠を捧げよ 長谷川總督昨夜放送 |
06 | 叫ぶ世紀の大萬歲 正午東條首相の發聲で |
07 | 花蓮港の祈年祭 |
08 | 舢舨の海上宣傳 基隆署の祝賀催し |
09 | 飛行機からビラ撒布 正午より島內各都市に |
10 | 基隆市豫算內示會 |
11 | 基隆市の行事 |
12 | 總額十萬六千餘圓 十七日軍司令部扱の献金 |
13 | 花蓮港高砂族 國語講習會 |
14 | 心盡しの慰問袋 北一女生が陸海軍に献納 |
15 | “世紀の子”生まる その名もなんと昭南 |
16 | 古鐵の山を献納 大梵鐘外百四十九點を トラツクに積んで |
17 | 十萬圓宛献金 合同パインが陸海軍に |
18 | ときのこゑ |
19 | 基隆華僑公會献金 |
20 | 宜蘭市民献金 |
21 | 譽の志願兵へ 本社から四十三名志願報社消息 |
22 | 新興國民校献金 |
23 | 香奠返し献金 |
24 | 饅頭一萬個 士林街兒童に分つ |
25 | 奉公委員參 與鍊成會 |
26 | 人事報社消息 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 祝へ・皇軍の歷史的入城 感激に漲る臺南の祝賀行事 |
02 | 胸は愈よ高鳴る 臺中の健兒達感激に勇躍志願 十六日一日で千七百餘名 |
03 | 五穀豐穰を祈念 臺南、開山兩神社の祈年祭 |
04 | 臺中神社の祈年祭 |
05 | 新嘉坡陷落を祝す 敵英の蛭的存在に終止符 森田臺中州知事談 |
06 | 湧き上る喜び 高雄の行事いろいろ |
07 | 各地志願狀況 |
08 | 船津農林課長 農作奉仕作業 祈年祭當日に |
09 | 飛出す大口献金 狂喜する市民から續續 |
10 | 星港陷落の報に 各地に歡聲沸く |
11 | 譽れの從軍 看護婦合格者 |
12 | 星港占領の喜 に感激の献金 |
13 | 青年幹部訓練 水社道場で |
14 | 屏東部の高砂 族青年團查閱 |
15 | 星港陷落の報に 邱氏感想を語る |
16 | 臺南華僑狂喜 各要路に祝 電を送る |
17 | 市民の協力望む 復興策に論議集中 嘉義市會 |
18 | 通辯黃來富君 無言の凱旋 |
19 | 興亞の意氣沖天 鳳山郡聯青查閱 |
20 | 紅毛港信組 總代會終了 |
21 | 魚池奉公壯年團 及び青年隊結成式 |
22 | 皇軍將兵慰問金第十五回領收報告(敬稱略)報社消息 |
23 | 臺南州の 公醫會議 |
24 | 高雄鄉軍訓練 |
25 | 臺中青果組總會 |
26 | 中等校卒業日割 |
27 | 羅東郡各街庄 協議會日程 |
28 | 砂糖の闇の 被疑者を檢擧 |
29 | 地方便り |
30 | 今日の映畫 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 外米に依存せず 自給策を講ぜよ (上)石井殖產局長放送 新年祭 に當てり |
02 | 小麥配給統制規則 近く公布實施せん |
03 | 小麥粉等の配給統制 目下規則を制定中 |
04 | 海員養成機關設置 會議所交通部會で協議 |
05 | 建功神社に參拜 五穀の增產を誓ふ |
06 | 增稅か證券界に 齎らした影響 |
07 | 高雄州農會總會 來る廿六日に |
08 | 貯蓄債券の賣行 二日間で一萬圓 |
09 | 二期米需給推算 各州別に打合會開催 |
10 | 星港陷落記念に 貯蓄債券を發行 |
11 | 南方電氣工業設立 社長は田端幸三郎氏 |
12 | 臺中州一期作稻の植付 近く最盛期に入る |
13 | 赤堀氏來高 |
14 | 戰時債券に 申込殺到 |
15 | 照明燈 |
16 | 商況(十七日後場) |
17 | ラジオ |
18 | 水滸傳(612)/黃得時;榎本真砂夫 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | ビ河の敵前渡河成功 頑強に抵抗する敵を擊破 |
02 | 蘭貢への威脅增大 皇軍○○要衝に殺到 |
03 | 英も總退却を確認 |
04 | ビリン河に新防禦線 |
05 | 敗戰の詰問續出 チヤーチル首相當惑 |
06 | 圖像:我軍の分捕つたトラクター |
07 | 早くも復興の曙光 ほのぼのと昭南市に輝く |
08 | 帝國の艨艟○○隻 昭南軍港に平和入港 |
09 | 樞軸國人を救出 |
10 | パレンバン戰鬪狀況 逃亡英人一飛行士談 |
11 | パレンバン完全占領 |
12 | “飛行機が恐かつた” 英投降兵の遠慮ない話 |
13 | 田邊盛武中將 參謀次長に補す |
14 | 田邊中將の 略歷 |
15 | 三月二日に招集 全國地方長官會議 |
16 | 魯中の包圍殲滅戰 |
17 | 在米被逮補 樞軸國人數 三千四百餘人 |
18 | 依然增產に邁進 井野農相國民に警告 |
19 | 內務行政の整備 手際よく運ばれん 湯澤・山崎コンビ |
20 | 交す世紀の祝杯 總督官邸祝賀午餐會 |
21 | 總督府祝賀式 長谷川總督激勵の辭 |
22 | 戰捷祝賀記念式 軍司令部で嚴かに擧行 |
23 | 獨軍戰況發表 |
24 | 中央勤勞協議 會を設く 廿七日創立總會 |
25 | マルタ島の浮 ドツクを破碎 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 圖像:大東亞戰戰捷第一次祝賀大會 |
02 | 萬歲の嵐東亞に爆發 擧げる喊聲に締める腹帶 今ぞ十億の總進軍 |
03 | 天機殊の外御麗し 清酒と鴨を下賜せらる |
04 | 米英粉碎を奉告 臺灣神社で祈願祭 |
05 | 海陸呼應祝賀 港都基隆の繪卷 |
06 | 繰出す市民五萬 島都戰捷祝賀大會 |
07 | 一億の萬歲奉唱 首相放送に唱和 |
08 | 長谷川奉公會 總裁告辭 |
09 | 大空に咲く祝賀譜 飛行機からビラ撒く |
10 | 新竹市祝賀 大會 |
11 | 高鳴る若人の感激 島都學徒武裝行進 |
12 | 寺寶の大梵鐘 軍司令部に献納 |
13 | 憲兵補學科試驗 あす北一中で施行 |
14 | 圖像:歡呼爆發の島都 |
15 | 萬歲萬歲萬萬歲 どよめく旗の流れ |
16 | 長谷川總督夫人來臺 |
17 | 興南詩苑漢詩 破虜歌(以堂旗正鼓爲韻)/嘯霞 楊仲佐 |
18 | 商況(十八日前場) |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 蘭貢の前衛據點攻略 敗敵を急追、快走進擊頭條新聞 【ビルマ前線○○十八日發同盟】灼けつくような炎熱を冐してマルタバン山糸に沿つて破竹の進撃を續けてゐたわが精銳部隊は英軍がラングーン防衛の前衛據點と恃む○○、○○を攻略後敗走する敵を急追意氣天を衝く概をもつて快走進擊を續けてゐる |
02 | ビルマ英軍大動搖 |
03 | マレー縱貫鐵道 近く昭南港まで全通 |
04 | 大平陸軍報道部長戰況報告戰捷祝賀國民大會 帝國不敗の態勢確立 米英擊滅街道に邁進 |
05 | 昭南港更生近し |
06 | 華僑系各紙復興 皇軍に協力の意を示す |
07 | 圖像:島都の戰捷祝賀 |
08 | 國旗揭揚昨日迄 |
09 | 總選擧對策決定 翼贊選擧貫徹運動を展開 |
10 | ソ聯驚嘆 我が神速の戰果に |
11 | スマトラ島制空權 我が陸鷲の手に歸す |
12 | 重慶打倒あるのみ 戰捷第一次祝賀會畑總司令官談話 |
13 | 大業翼贊に邁進 臨時閣議終了後首相談を發表 |
14 | バ半島戰況 米陸軍省の發表 |
15 | 天津廣東英租界行政を 國民政府に移管 |
16 | 深谷少將ら 壯烈な戰死を遂ぐ |
17 | 中國の敵性租界 完全に一掃 兩租界の移管に依り |
18 | 感謝措く能はず 國民政府聲明を發表 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 東亞再建へ輝 く首途社說 一 英國の陸軍總司令官故ロバーツ元帥は、その生前曾つて「世界の歷史が新嘉坡で決せられる日が來るであらう」と豫言したことがあつたが、その豫言が見事に適中し、さしも難攻不落を誇つた新嘉坡が陷落したのだ。英國の東亞侵略の牙城が双手を擧げてわが軍門に下つたのだ。開戰以來僅か七旬餘りにして、米英が金城鐵壁と賴む要地といふ要地を、まるで書物の頁でもめくるかの樣に次次に屠つて陷した。東亞再建の希望に燃える日章旗は、翩飜として南海の風にはためいてゐる。これこそ世界戰史始つて以來、始めて見る大戰果であり、敵軍の餘り脆いのに驚く前に、精銳無比な皇軍に只唯頭が下るばかりである。支那事變は、云はば兄弟喧嘩のやうなもので、早晚、解決されなければならぬ問題である。處が大東亞戰爭は、その名稱の示す通り規模が大きく、戰域が廣いばかりでなく、相手が世界の最强を誇る米國であり、英國であるだけに、そのもつ意義は到底支那事變の比ではない。そしてその結果によつて東亞の新秩序は勿論のこと、世界の新秩序も帝國によつてやがて確立されるのを思ふ時、帝國の背負はされた世界史的意義は、愈愈重大さを加へて來るのである 二 新嘉坡が、地理的に如何に卓越した位置を占めてゐるかは、地圖を一目見ればすぐ判るが、まづ亞細亞洲と濠洲の二大陸を繫ぐ一大關門たると同時に、太平及び印度の兩世界的海洋の咽喉を扼してゐる點にあることは何人も認めてゐる處である。從つて新嘉坡を失ふことは、英國の東亞に於ける足場を失ふこととなり、その世界征霸の野望も全く一場の夢と化してしまつたのである。さらに經濟的立場から見れば、新嘉坡の陷落は、英國の南洋に於ける資源の喪失を意味し、引いては英の抗戰力を弱らしめるのである。卽ち新嘉坡を中心とする英本國と外南洋の貿易は、馬來、緬甸が過半を占め、總體で英國の對外貿易の二・五%、特に輸入は二%の少數に過ぎないが、質的に見れば、ゴム、錫、コプラその他重要物資が大部分を占め、英國はこれによつて年年三、四億弗の外貨を獲得してゐる。又ボルネオの石油資源の喪失も、英本國に基大なる打擊を與へ、對獨伊の作戰にも一大頓挫を來し、反樞軸國家群の抗戰力を弱らしめる點も赤見逃せない事實である 三 一方、民族解放の點から見ても、新嘉坡の陷落は極めて重大な意義をもつ。卽ち、過去數百年の間、英國や米國の侵略を受け、その前に雌伏を餘儀なくされてゐた東亞の諸國は、この機會に敢然と立ち上つて自由を呼び戾し、東亞本然の姿に還元することができるのだ。既に泰國は、開戰間もなく、英國の飽くなき壓迫を蹴飛ばして毅然と帝國の傘下に馳せ參じ、新東亞建設に全面的協力を申し出た。比律賓や緬甸も東條首相の聲明通り、もしもその住民が我が國と協力することを條件とするならば、獨立の榮譽を與へてやると云つてゐるから、これ等も、早晚、新東亞建設の自覺に燃えて立ち上るものと思はれる。最後に重慶政府に與へる打擊も亦極めて大きく、日支の平和を紊す癌とも云ふべき「遠交近攻、米英依存」の念頭が如何に馬鹿馬鹿しいものであるかを自覺せしめ、併せて帝國の威力を眼のあたりに見せてその抗戰の無意義を悟らしめるのである。かくの如く米英勢力の總失墜に引きかへ、帝國は、燦と輝く旭日の如く、樞軸國家との決戰態勢を益益强化し、同時に南海に展開する無盡藏の寶庫をそのまま新東亞建設の兵站基地として共榮圈を確立し、東亞十億民をして各各その處を得せしめ、世界新秩序建設に寄與するものである |
02 | 拜し奉る大御姿 民草の感激茲に極まる |
03 | 天機並に御機嫌 殊の外に御麗はし |
04 | 皇太子殿下も 祝賀行事に御參加 |
05 | 恩赦復權の御沙汰 戰捷祝賀の佳き日に |
06 | 藤村支會長式辭 祝賀市民大會 |
07 | 天恩の優渥に感激 東條首相謹んで語る |
08 | 擧る世界の凱歌に 大東亞十億の諸民族擧つて唱和 |
09 | 一人の遺漏もなきやう 岩村法相訓示 |
10 | 少年劍舞の慰問行 軍司令官からお褒めの言葉 |
11 | 聖慮洵に無邊 中村法務局長謹話 |
12 | 港都は陸海共に祝賀一色 |
13 | 絢爛・百花亂れ咲く 人氣の中心街頭宣傳行列 |
14 | 圖像:戰捷を祝ふ街頭宣傳行列 |
15 | 應募者が殺到 俘虜監視に挺身 |
16 | 陸軍通譯募集 |
17 | ときのこゑ |
18 | 花蓮港下の 志願兵 |
19 | 基隆郡下各 街庄協議會 |
20 | 昭南島在住邦 人廿四名救出 臺灣關係三名 |
21 | 臺銀拂込徵收 再增資の氣運濃化 |
22 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 渦卷く歡呼の流れ 勝利の譽れは高し 感激一色・各地の祝賀行事 |
02 | 阿緱神社祈年祭 |
03 | 星港陷落に沸る 島民の歡呼感激 |
04 | 鳳山神社で 祈年祭執行 |
05 | 雪崩れ込む志願者 晴の入城式に感激して |
06 | 斷乎戰ひ拔け 臺南鄉軍の 祝賀講演會 |
07 | 遺族を弔問 新竹州軍援會 |
08 | 感激の爆發だ! 高雄署に記錄破りの献金 |
09 | 祝賀銃劍術大會 |
10 | 楊梅奉公壯年 團誕生 |
11 | おお“君が代”だ! 獄中で聞く日本婦女達の合唱 感激に咽ぶ中村氏 |
12 | 大東亞戰爭展 廿二日より三日間新竹市で |
13 | 漁業共同組總會 |
14 | 飛行機がトツプ 武官府に献金群殺到 |
15 | 桃園國語講習會 盛況裡に終了 |
16 | 圖像:少休止の一と時をビルマの子供達と 交驩する勇士 |
17 | 赤誠の祝賀献品 軍司令部、武官府へ陸續 |
18 | 軍司令部ヨイ子 供部隊で大賑ひ |
19 | 基隆市受付の献金 |
20 | 壽、末廣、築地、濱 町各區會の献金 |
21 | “臺灣赤道會”結成 南方進出の健全發展へ |
22 | 桃園街豫算 會議終了 |
23 | 臺北常設興行 協會員の献金 |
24 | 血書添へて献金 板橋匿名の士より |
25 | 桃園共精共販 五百圓献金 |
26 | 臺南太平境教會 教友に時局講演 |
27 | 今日の映畫 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 外米に依存せず 自給策を講ぜよ (下)石井殖產局長放送 |
02 | 漁船の代燃に 木炭瓦斯の獎勵 四十馬力以下漁船に獎勵金を交付 |
03 | 戰時下臺鐵輸送と 主要貨物の動き |
04 | 局營自動車 輸送回數增加 新市臺南間丈減少 |
05 | 高雄州畜產會 豫算編成終る |
06 | バナナ堆肥の 增產を獎勵 |
07 | 東株立會 寄引二本に變更 |
08 | 照明燈 |
09 | 商況(十八日後場) |
10 | 水滸傳(613)/黃得時;榎本真砂夫 |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | パレンバン進入 我艦艇ム河を遡航 |
02 | 我が砲擊益益猛烈 比島戰況 |
03 | 川波機の殊勳 |
04 | 蘭印の危機增大 濠洲政府に援助要請 |
05 | 印度の英勢力 非常な恐慌 |
06 | 圖像:山西大行地區戰 |
07 | 排日華僑逮捕 葉、曾ら一味を |
08 | 豫想時間の半分位 新嘉坡陷落、ヒ總統大喜び |
09 | 擧國的の一大運動 翼贊選擧貫徹を期す |
10 | 蔣、ガンヂー 會談か |
11 | 魯中作戰最高潮 于學忠麾下を殲滅 |
12 | 最適人材を動員 翼贊會が中心となり 啟蒙運動などを展開 |
13 | 圖像:皇軍常勝す比島戰線 |
14 | ル米大統領 記者團と會見 |
15 | 英米蘭の勢力驅逐 帝國南方作戰の真意 マニラで堂堂放送 |
16 | 自給經濟を完遂 泰國內閣改造の目的 |
17 | 住民は全く見物人 新嘉坡失陷の一原因 英が住民搾取の天罰 |
18 | 議員同盟總會 |
19 | 外交團交換協 定締結 既に一部を實行 |
20 | 大規模反抗約束せず 王重慶宣傳部長言明 |
21 | 翼贊壯年團の 初團長會議 對選擧方針を協議 |
22 | 米、アラスカ間に 道路建設計畫 |
23 | 宮木知事上京 地方長官會議 出席の為 |
24 | 帝國の對支方針 一步前進 |
25 | 敗者の悲哀が 滲む パ總司令官訪問 |
26 | 防諜劇競演會 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 敵彈幕中に全彈投下 “大成功だ”隊長會心の微笑 スラバヤ猛爆 同乘の記 |
02 | 皇后陛下けふ 皇太子樣と御對顏 |
03 | 眾望一世を蔽ふ 我等の陸の名將 寺內最高指揮官橫顏 |
04 | 初めての戰捷特赦 恩命に浴し得る對象 |
05 | 拓南戰士一行着臺 けふ嚴そかに宣誓式 |
06 | 白衣勇士に戰勝の感謝 各病院分院に蜜柑を贈る |
07 | 華僑公會祝賀行事 |
08 | 殖產局長訓示 |
09 | 堅實な“沈默將軍” 塚田總參謀長の橫顏 |
10 | 戰捷祝賀の感激 軍司令部に献金群殺到 |
11 | 微笑む人情宰相 日の出高女生の祝賀奇襲に |
12 | 罐詰類を配給 各奉公班を通じて |
13 | 兵隊さん有り難う ヨイ子供部隊の献金 |
14 | 圖像:飼犬に牛を嚙まる |
15 | 白衣の天使献金 |
16 | 武官府に献金 |
17 | 生活部打合會 |
18 | 基隆市受付の献金 |
19 | 小麥の生育順調 下旬頃より收穫に着手 |
20 | 大陸の食糧 は外米で 江藤氏寄臺談 |
21 | 州下のチフス 患者頓に增加 州民に注意要望 |
22 | 宜蘭市受付の献金 |
23 | 基隆郡取扱 の祝賀献金 |
24 | 興南詩苑漢詩 余戰傷病臥聞星港陷落喜賦/牧野兼久、祝新嘉坡陷落/竹東 詹昭河、漢詩習作作品 壬午元旦夜對月有感/耳順、漢詩習作作品 壬午元旦夜對月有感/耳順、漢詩習作作品 壬午元旦夜對月有感/靖海、漢詩習作作品 壬午元旦夜對月有感/靖海、漢詩習作作品 壬午元旦夜對月有感/靖海 |
25 | 商況(十九日前場) |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | ビリン市北方に進出 空陸呼應の猛進擊頭條新聞 【ビルマ前線十九日發同盟】十六日午後ビリン河を渡河したわが軍は同日午後十時には同河西岸ビリン市の北方◯◯粁地區に進出、敗敵を追つて猛進擊を繼續してゐる 【◯◯基地十九日發同盟】ビルマ方面陸鷲部隊は十九日數次に亘り大編隊を以て北部ビルマ地方の要衝◯◯及び◯◯を攻擊、後退しつつある英軍後方に一大痛擊を與へた |
02 | 海鷲大東亞海で活躍 |
03 | スラバヤ港灣を爆擊 |
04 | 敵艦船四隻を擊沈破 殘存敵機卅二機を擊墜 |
05 | 湯澤內相參內 |
06 | 翼贊選擧貫徹要綱 一大運動を展開せん |
07 | バタム島サンボ島占領 |
08 | ウ總司令官負傷 我がジヤヴア島初空襲で |
09 | 翼贊政治態勢 協議會を設置 候補者銓衡に獨創的意見期待 |
10 | 圖像:海軍落下傘部隊初の活躍 |
11 | 全線に激戰展開 バ半島米軍を猛攻 |
12 | 敵の後方連絡を完封 |
13 | バタアン戰線の危機 軍事評論家悲觀的觀測 |
14 | 選擧の倫理化運動 翼贊會、政府と協力 |
15 | 印度の防衛 バ司令官演說 |
16 | 閣僚自らの 立候補あり得ず |
17 | 印度洋に重大威脅 新嘉坡陷落米官邊の見解 |
18 | ミナハサ地區 皇軍が完全占領 蘭印軍司令部の發表 |
19 | ワシントンは流言の巷 |
20 | 藥業整備の具體策 |
21 | バ王の行政執 行權剝奪さる |
22 | 議會解散を要求 英下院各派の領袖 |
23 | 官僚政治の腐敗 UP、英軍の無能指摘 |
24 | 蘭貢市民に 避難命令 |
25 | 米英人俘虜を 勞役に服さす 條約に基いて |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 東洋調和精 神の高揚社說 一 東亞共榮圈建設の理念としては我が肇國の大精神たる八紘一宇に外ならない事は既に一般國民の常識となつたが、之を以て東亞の天地に生息する十億の民族を包含光被するには東洋民族も之と共感する精神がなくてはならない。周知の如く古來東洋の思想は自ら西洋的と異なる特質があり、之がために岡倉天心が東洋は一なりと道破し東洋民族に共通する理念ある事を明かにした。吾人の見るところに依れぼ東洋思想を通じて一貫した特色は調和精神であると斷ずる事が出來やう。中にも我が八紘一宇の精神は凡ての民族をして各其の所を得せしめやうとする大調和精神以外の何物でもない事は極めて明白な事である。 二 之に對して西洋精神の特色は爭鬪にあるといへやう。一時我が思想界を風靡したマルキシズムの階級鬪爭說は其の代表的なものであるのみならず、民主主義の本家たる英國に於ては立憲政治を施行するに當つて先づ血を以て購はねばならなかつた事は史上に於て歷然たる事實である。盟邦の指導者たるヒツトラー氏の「我が鬪爭」に於て猶太人を排擊し血の純潔を神聖視する思想も東洋的調和精神と凡そ其の基調を異にしてゐる事は免かれないのである。 三 支那精神の本流は大體に於て儒教から最も影響を受け、儒教の精神は孔子の謂はれた仁の一字で現はされてゐる。而して仁の字は「人」の字と「二」の字を組合せて作られた文字であつて人と人とが互に相親しみ合つて平和な社會生活を送る事を意味してゐる。孔子が曾て「禮之用、和為貴」と謂はれた和と彼の思想を汲んで發展した中庸の思想と共に社會生活の調和を理想としてゐる事は爭はれない。尚老子の唱へた「無」も佛教の「空觀」も其の內容に於てそれぞれ異つた哲理を含んでゐるが、齊しく調和精神と一脈相通ずるところがあると謂はねばならない。 四 上記の如く東洋の調和精神は東亞共榮圈の共通理念として誠に相應はしき立派なものであり、之を古今に通じて謬らず、中外に施して悖らざる真理であるから、斯かる東洋的道義精神の復興こそ東亞の新秩序が建設され得るのである。今や東亞の天地に新らしき明日が約束されんとしてゐる。指導者たる日本國民は勿論の事東亞の諸民族が此の際從來の人為的障壁を撤回し、より濶達により包容的氣持を以て東洋精神の真髓を發揮せられると共に西洋の唯物的爭鬪精神を一日も早く清算克服しなければならない。 |
02 | “土の戰士”に榮光 有難や敘位、敘勳の途開かる 食量增產に・國家的な感謝 |
03 | 各州、廳の豫算決定 總額五千六百餘萬圓 |
04 | 金一封と蜜柑 總督樂生樂山兩院に贈る |
05 | 宜蘭市會 廿七日に招集 |
06 | 情報局移轉 參謀本部跡に |
07 | 宮木知事上京 地方長官會議 出席の為 |
08 | 生活費を節約 して献金 |
09 | “寫真撮す有難い” 忽ち群る捕虜の目白押し 判らぬジヨンブールの心境 |
10 | 宜蘭市民の献金 |
11 | 志願兵の訓練所 本月下旬工事始る |
12 | 圖像:星港周邊に於いて擊 沈されたアレスサー 型輕巡洋艦 |
13 | 五千圓献金 臺灣水產販賣が |
14 | 可愛らしい献金 昭南島生れ坊やが |
15 | 七千名を突破 島都の志願兵熱昂る |
16 | 宜蘭市の志願兵 |
17 | 學科試驗施行 新竹州下の憲兵 補志願者 |
18 | 共益社の献金 |
19 | 甲種醫師試驗 四月中旬に施行 |
20 | 無敵海軍へ献金 終日武官府を賑はす |
21 | 譽れの白衣天使 全島の應募者五千六百七十七名 トツプは臺中州下 |
22 | “手縫に”を建前に 新婦人國民服本極り |
23 | 宜蘭郡正條密 植競技會 |
24 | 晴れの合格者達 臺北州下六十五名 |
25 | 續く“白線の惱み” 高校の受驗競爭率激甚 |
26 | 人形芝居の團員 廿三日より鍊成會 |
27 | 專檢を施行 |
28 | ときのこゑ |
29 | 春開く七星山へ |
30 | 新竹州小麥の 生育順調 |
31 | 故加藤駐佛 大使の葬儀 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 二萬名の壘を摩す 臺中州下の志願者 |
02 | 憲兵補志願二〇二名 嘉義で第一次考查開始 |
03 | 立派な體格 |
04 | 星港陷落に感激 赤誠の献金群陸續 |
05 | 爆發する歡呼 各地戰捷第一次祝賀行事 |
06 | 桃園郡警職員廿六 名志願兵志願 |
07 | 臺南署員の 實彈射擊 |
08 | 嘉義市の献金群 |
09 | ほんとにヨイ子供 郵便貯金をそつくり献金 |
10 | 拓士と座談會 屏東移民協會主催で |
11 | 南へ南へ 高雄州鐵工業者 南方進出を懇願 |
12 | 感激の快報に 貳百圓献金 |
13 | 鹿谷廳長夫人 勤報訓練所見學 |
14 | 新高郡射擊大會 |
15 | 高雄州下一期米 氣候順調、發育頗る良好 |
16 | 造船技術員 養成所を設立 |
17 | 圖像:臺中市の祝賀繪卷 |
18 | 豐里青年校 經營研究會 |
19 | 屏東郡警察 課非常召集 |
20 | 南方の引揚民に親心 市社會課で就職斡旋 |
21 | 家具類を 大量生產 木工會社の 設立を準備 |
22 | 素晴しい流暢さ 花蓮港廳高砂族國演會 |
23 | 文化班座談會 けふ臺中で開く |
24 | 高雄州人事異動 |
25 | 惡癖改まず再び 豚箱へ |
26 | 李珪璋氏逝去 |
27 | 地方便り |
28 | 今日の映畫 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 砂糖の輸送難境 特殊船の休閑利用で打開 官民海上懇談會で協議 |
02 | 糖業の南方進出 岡田鹽糖社長談 |
03 | 臺灣雜纖維價格 規格品等を查定 |
04 | 南方共榮圈の諸民族と華僑(七) |
05 | 物品取扱者會議 鐵道部會議室で開催 |
06 | 臺中州小麥作 前年より減收 |
07 | 臺北組合銀行(一月末) 預金遂に貸附を超過 |
08 | 驛務表彰式 昨日行はる |
09 | 十六年二期米の 需給推算打合 |
10 | 臺北州鹽乾魚 卸商組合創立 |
11 | 臺北州種子商 組合創立總會 |
12 | 窪田商船マニラ 支店長近く赴任 |
13 | 十一月分局營 バス運輸成績 |
14 | 臺灣砂糖元賣商 組合近く總會 |
15 | 中平府稅務課長 律令制定に上京 |
16 | 照明燈 |
17 | 商況(十九日後場) |
18 | ラジオ |
19 | 水滸傳(614)/黃得時;榎本真砂夫 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | チモール島に上陸 陸海軍部隊協同して |
02 | 敵廿七機を擊墜破 バイテンゾルグを強襲 |
03 | 昭南港へ晴の入城 山下マレー軍最高指揮官 |
04 | 力強き新生へ 昭南港の復興狀況 |
05 | 圖像:ビルマ軍用路を進む我が自 轉車隊(ビルマ戰線) |
06 | 鹵獲品莫大に上る 昭南島捕虜收容終る |
07 | 新竹州下視學會議 |
08 | 總選擧後新黨の 具體的結成を見ん 國內政治漸次活潑な動き |
09 | 圖像:我が陸軍落下傘部隊が降下確保したパレンバン精油所 |
10 | 工兵隊の苦心功績 サルウイン河輸送渡過 |
11 | 候補者當落に影響 協議會の推薦有無に依り |
12 | 地方協議會も結成か |
13 | 大東亞戰爭 國債發行要綱 |
14 | 英佛海峽突破作戰 獨報道隊員の從軍記 |
15 | 重慶軍を矢面に立たす ビルマ防衛英の老獪なる魂膽 |
16 | 敵無條件降伏まで |
17 | デイリー放送 |
18 | 獨軍戰況發表 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 事變以來 皇軍に捧ぐ赤誠 千七十萬圓突破 献金、慰問に島民の感謝 |
02 | 戰死將兵慰靈祭 ○○部隊本部で執行 |
03 | 圖像:バタビヤア市 |
04 | 蔣政權に終止符 緬甸ルート砂上樓閣化 |
05 | 優に三倍を突破 俘虜監督の應募者が殺到 早くも九百廿九名 |
06 | 空を仰いで嘆息 爆擊のない日は手持無沙汰 天下一品・我が海陸荒鷲 |
07 | 幼稚で面も貧弱 壞滅愈よ時の問題 |
08 | 二足草鞋は穿かぬ 寄臺した砂田重政氏語る |
09 | 銃劍道振興會 臺北分會發會式 |
10 | 時局常識 空中に全山飛舞 ジャヴアの火山 |
11 | 藝能刷新運動開始 |
12 | 住宅營團を設けよ 基隆市會で議員が絕叫 |
13 | ジヤズ曲を全廢 輕音樂の肅正懇談 |
14 | 植物園と博物館 星港陷落と共に接收 |
15 | 馬來殘留邦人 消息判明さる |
16 | 興南詩苑漢詩 祝星港陷落/洪鳳雛、祝星港陷落/黃才樹、祝星港陷落/陳皆成、贈花月痕/三都、次韻/市隱、次韻/夢華、次韻/雲鵬 |
17 | 馬の增產計畫 新竹州下に六種付所 |
18 | 商況(二十日前場) |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 海鷲、濠洲を初の大空襲 ポートダーウイン猛爆 敵廿六機艦船多數擊墜沈頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(二十日午後四時三十分) 帝國海軍航空部隊は二月十九日濠洲本土北岸敵最大の海空軍基地ポートダーウインに對し大擧大攻擊を敢行し所在敵航空兵力並に在港敵艦艇船舶を覆滅し更に陸上重要軍事施設の大半を爆破せり戰果左の通り(一)擊墜破機、所在敵機全部(二十六機)(二)擊沈艦艇船舶、六千噸級特設巡洋艦一、驅逐艦二、驅潜艇一、輸送船九、驅逐艦一、(大破)(三)爆破又は炎上せる陸上施設東西兩飛行場格納庫全部(三棟)兵舍(二棟)海軍司令部、官廳衙、棧橋、本攻擊においてわが方二機を失へり(註)同港在泊中の病院船には攻擊を加へず |
02 | 軍事施設被害甚大(濠洲軍の發表) |
03 | 濠洲輸血路斷つ |
04 | 前中支方面海軍最高指揮官 小松中將參內 昨日帝都に晴れの歸還 |
05 | ワシントンでも公表 |
06 | カ濠洲首相 特別法令發布 |
07 | 爪哇島兩飛行場猛爆 敵機四十六を擊墜破 陸鷲の大戰果 |
08 | 敵空軍力殆んど潰滅 |
09 | 戰時債券 廿一日全國一齊 に第一回賣出し |
10 | BBC放送の 空襲詳報 |
11 | バ半島の敵大混亂 陸鷲、マ要塞後方陣地に巨彈 |
12 | 濠洲北部樞要の 海空軍根據地 ポートダーウイン |
13 | 陸鷲マンダレーピンマナを空襲 |
14 | 圖像:陸軍落下傘部隊の活躍 |
15 | 英蘭軍兵力を驅逐 葡國に何等他意なし 帝國政府聲明 |
16 | 磯谷香港總督 嚴肅裡に就任式擧行 |
17 | 明朗香港建設へ 磯谷總督就任第一聲 |
18 | 廿七日初顏合せ 大東亞建設審議會 |
19 | 陸軍事務囑託發表 現地の要職に就任 |
20 | 正式に任命 會員幹事、幹事補佐 |
21 | 緬甸公路を廢棄 重慶側聲明を發表 |
22 | 蘭貢港閉鎖 港口に機雷敷設 |
23 | 定例閣議 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 南方協力と 本島の施設社說 一 大東亞戰爭勃發以來二箇月餘を以て米英二大强國の東亞に於ける蟠踞據點を擊破して世界を驚倒させ赫赫たる戰果を收めた事は、我が忠勇なる將兵が御稜威のもとに果敢奮戰した賜であり去る十八日全國で盛大に擧行した戰捷祝賀は第一回であり、引續き第二回第三回の祝賀式が約束されて居るのは一億國民の聖代に於ける感謝感激である、最早米國が東洋侵略の據點であるヒリツピン群島は我が鐵蹄下にあり英國の誇る堅壘シンガポールには日章旗が高く飜つて居る、和蘭が三百餘年の間豪華の夢に醉ふたスマトラには皇軍が上陸し逐次戰果を擴大して居り、ジヤバ本島も皇軍の進擊に風前の灯となつて居る、ビルマと印度及び濠洲に於いても我が勝鬨に戰戰兢兢として居るなど、最早米英の大東亞に於ける勢力の驅逐される日も迫つて居る、我が雄渾なる大東亞建設は十億民族の協力に依り、着着として進捗して居る、殊に世界一の有用資源を包藏して居る南方共榮圈內の今後の產業開發と經營に對し、我が政府が主體となつて具體的に開拓方策を樹立しつつある。從來米英兩國に依つて蠶食された天然資源も、我が國の指導に依り、アジヤの資源はアジヤ人の幸福の為めに開發される日が來たのだ。 二 南方共榮圈に於ける無盡藏なる天然資源は、米英蘭に依り一部は飽くなき搾取を受けて居たが、尚多くの天然資源が未開發の儘に放置されて居る、卽ち石油や砂糖、ゴム、錫、鐵は或る程度開拓してゐるが其他の農林產業や、水產業並に地下資源は冬眠狀態を續けて居る、大東亞共榮圈を建設する為めには我が指導下に入つた廣大なる地域に亘る天然資源を、計畫的に且つ科學的に開發せねばならない、その開發には實に百年の遠大なる計畫に依り、炎熱と鬪ふ決意と努力を要するのである。從つてその開發方策は飽く迄も個人の利益や一部の投資家の利殖對象を排除し、東亞民族の幸福と我が國全體の發展を目標として邁進せねばならないのである。政府に於いては南方の戰果擴大に則應し、朝野の權威者を集めて大東亞建設審議會を創設し、大東亞建設に關する重要事項に對し調查及び審議と建議を為す事となつて居るなど、我が南方施策は東亞民族真の幸福と平和の為めに寧日なくその具現に邁進して居り、我が一億國民も曠古の聖業に翼賛すべく起ち上つて居る。 三 飜つて帝國の南方施策の重要地位にある本島に課された使命は、總ゆる部門よりして、その職責の極めて重大である事を痛感するものである。卽ち產業的には熱帶產業の先進地として、多年の經驗と優秀なる技術者及び農家を有して居り、經濟的には豐富なる水力電氣を有し、各種工業は漸次整備して居る、文化機關として臺北帝大を始め各種學術研究機關が備つて居る、保養施設としては避暑地として阿里山を始め北投、草山の如き天然の條件を具備して居る、南方共榮圈の建設には優秀なる我が人材の進出に待つ所が多大であると共に、その心身を保養する施設も閑却されない施策の一つである、かかる意圖よりしても本島に於ける南方施策に協力する課題は多大であり、現在の施設のみにては充分にその使命を果し得ないのである。大東亞建設は東亞民族の百年の大計であり、急速なる施策は至難であるも、本島としては南方共榮圈內に地位を占めて居るだけに、島內のみを對象とせず、廣く南方施策を對象として、島內施設の擴充と整備が急務であり、これが南方國策に協力する基幹でなければならない |
02 | 賴母し・本島青年の動向 好成績收めた憲兵補志願 石田憲兵隊長感激談 |
03 | 喜びを語る皇國乙女 |
04 | 早く行き度い 氣持で一杯 陳氏秋子さん談 |
05 | 癩患者に慰問品 昨日總督官邸で贈與式 |
06 | 念願適つて 嬉しいわ 郭氏美智さん談 |
07 | 力の限り御 奉公したい 大內淑子さん談 |
08 | 報道戰士を讚へる 大本營海軍報道部富永少佐放送 |
09 | 小さい弟の代 りに働きたい 大澤壽美子孃談 |
10 | 產業戰士を表彰 三月三日督府正廳で |
11 | 島民赤誠の献金 武官府廿日の受付 |
12 | うんと働せて 戴きますわ 王氏彩霞さん談 |
13 | 嚴かに青年隊葬 初の犧牲者葉君の靈を弔ふ |
14 | 宜蘭市取扱献金 |
15 | 献金佳話二つ |
16 | 商業奉公團の要綱決定 皇奉本部定例部長會議で |
17 | 繰り返す“狹き門” 島都高專校募集締切り |
18 | 昂まる志願兵熱 島都累計七千四百餘名 |
19 | 宜蘭郡各庄協議會 |
20 | ときのこゑ |
21 | 壽國民校學藝會 |
22 | 基隆市翼贊會市 會閉幕 |
23 | 甘蔗耕種改善強化週間 新竹州で增產に一層の馬力 |
24 | 皇軍感謝電文 |
25 | 臺北州聯合保 護會懇談會 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | もつと筋肉を鍛へ 青年層の向上熱意は賴母しい 臺南憲兵隊濱野副官語る 憲兵補考查 |
02 | 高雄憲兵補試驗 きのふ體格檢查 |
03 | 一番ケ瀨知事地方 長官會議に上京 |
04 | 感激の日に 遺家族慰問 |
05 | 屏東郡民 赤誠の献金 |
06 | 世紀の感激 各地戰捷第一次祝賀行事 |
07 | 講師、科目決定 模型飛機講習會 |
08 | 激增する志願者 臺中州下の十九日受付 |
09 | はッけよい殘つた 鎬を削る高砂族青年の角力大會 |
10 | 榮譽を双肩に 山の若人敢鬪 |
11 | 花蓮港の志願者 |
12 | 大溪街協議會 |
13 | 各地志願兵狀況 |
14 | 團體志願續出 |
15 | 女青の中堅團 員合宿講習會 |
16 | 水利組合協議會 |
17 | 盛大な祝賀行事 |
18 | 苧麻栽培者に配肥 產組で二月中に完了 |
19 | 潮州郡官民 懇談會 |
20 | 武人の龜鑑 本內航空機關士散華 |
21 | 比島の經濟事情 松本氏臺南で講演 |
22 | 淡水建築組合總會終了 |
23 | 高雄市勸業課機構擴大 商工水產、農林兩課に分離 |
24 | 烏溪水害豫防 組合評議員會 |
25 | 能高華僑公會 定期總會終る |
26 | 皇軍將兵慰問金第拾六回領收報告(敬稱略)報社消息 |
27 | 新化郡では 堆肥を獎勵 |
28 | 豐原の愛婦 感激の献金 |
29 | 臺南奉公壯年團 二十一日總會 |
30 | 鮮魚の增產へ 拓南漁業公司 近く誕生 |
31 | 不正行為を封殺 豚肉配給方法改善 |
32 | 嘉義郡庄組合 評議員會を開く |
33 | 北斗時局映畫 大好評を博す |
34 | 新化記念講演 盛況を極む |
35 | 人事報社消息 |
36 | 地方便り |
37 | 今日の映畫 |
38 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 本年度の石炭增產獎勵金 近く各業者に交付 |
02 | キヤツサバ澱粉價格 本日の告示で指定 |
03 | 兩港倉庫整理で 砂糖輸送活潑化 |
04 | 近く產組大會 聯合會も同時に創設か |
05 | 解放を待望する(上) 南方諸民族の構成 |
06 | 貨車停留時間短縮 高雄驛好成績を擧ぐ |
07 | 華南銀行總會 年四分配當可決 |
08 | 石炭代燃を指向 局營バスの試運行 |
09 | 臺中州農會が 小麥用麻袋購入 |
10 | 滿洲大豆近く入荷 包裝麻袋漸く確保 |
11 | 臺北會議所臨時總會 盤谷見本市を報告 |
12 | 照明燈 |
13 | 臺銀小異動 |
14 | 商況(二十日後場) |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(615)/黃得時;榎本真砂夫 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 帝國海軍航空部隊 スラバヤを大空襲 我艦艇、敵艦船を擊沈拿捕 |
02 | 俘虜約七萬三千(將官級廿八名) 新嘉坡島要塞攻略大戰果 |
03 | 將官級の主なるもの |
04 | 各地方長官に 午餐の御陪食 大戰下初の奏上を御聽取 |
05 | 翼贊選擧貫徹へ 政府、各界代表卅三氏を招請 具體的方策につき協力を要請 |
06 | 援蔣連絡の 基地を變更 |
07 | 新ルート開拓 蔣、訪印の目的 |
08 | 協議員の創意に 委ねる方針 |
09 | 米蘭機廿七機擊破 カリジヤチ飛行場攻擊 |
10 | バンドン(蘭印)を空襲 |
11 | パレンバン市の 西精油所を確保 |
12 | 臨時小委員會 で審議 |
13 | 千葉公使 葡首相と要談 |
14 | 圖像:陸軍落下傘部隊の活躍 |
15 | 東部戰線戰況 獨軍司令部發表 |
16 | 皇軍更に猛進 緬甸戰線の攻防最高潮 |
17 | 蘭貢防衛を 絕望視 倫敦タイムス |
18 | 英軍は殲滅的打擊 ラングーン當局認む |
19 | ラングン防衛は シツタン河だけ |
20 | 重臣會同 廿六日行ふ |
21 | 大縱貫鐵道全通か バンコツク、昭南島間 |
22 | ヴエネズエラ政府怯ゆ |
23 | 總選擧對策の 地方徹底を強調 地方長官會議の日程 |
24 | 滿洲建國十周年 廿七日から三月三日まで 數數の祝典を擧行 |
25 | ア自治領首相 副首相を兼任 |
26 | 伯國の貨物船 魚雷攻擊を受く ドイツ潛水艦により |
27 | 伯國商船に 武裝を命ず |
28 | 臨時中央協力 會議の日程 |
29 | 東亞經濟懇談會 臨時會員總會 |
30 | 蘭陽輸入木材 統制組合結成 |
31 | 比島戰況 米陸軍省の發表 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 皇室を中心とする 獨特の日本精神 輝く戰果・西歐に思想的影響 |
02 | 軍人遺族徽章 の傳達式擧行 |
03 | 現地で合同慰靈祭 新嘉坡攻略に散華した尊い人柱 |
04 | 圖像:砂上樓閣のビルマルート |
05 | 日本の研究に躍起 變る歐洲人の東亞觀 |
06 | 感激感謝の献金 軍司令部に續續 |
07 | 町の鑛脈を掘れ 島都一日から金屬回收 |
08 | 遺家族慰安 聯合學藝會 廿三日壽國民校で |
09 | 臨時徵兵檢查規則の質疑 交部當局應答を發表 |
10 | 献金佳話 |
11 | 協和會献金 |
12 | 白衣勇士を慰問 けふ長谷川總督夫人が |
13 | 自然的の良港で 真珠養殖が盛ん 皇軍鐵蹄下のポートダーヴィン |
14 | 惠れない人達に溫い心 吾等の總督さんから金品を贈る |
15 | 市バス運轉手大擧志願 けふ正午締切で百九十一名 |
16 | けふの志願者 基隆市の受付 |
17 | 宜蘭郡の志願 兵累計數 |
18 | 二萬名を突破 新竹州下の志願兵 |
19 | 地租納期迫る 日曜日も午前中 徵收事務を取扱 |
20 | 來れ・南進の若人 基隆海外渡航協會 南方講座を開く |
21 | 陸海軍に献金報社消息 |
22 | シンガポール陷落記念 割引國債の賣行良好 |
23 | 興南詩苑漢詩 祝新嘉坡陷落/謝□明、祝新嘉坡陷落/張雲程、漢詩習作作品 壬午元日夜對月有感/幼岳、漢詩習作作品 壬午元日夜對月有感/幼岳、漢詩習作作品 壬午元日夜對月有感/雲鵬、漢詩習作作品 壬午元日夜對月有感/見龍、漢詩習作作品 壬午元日夜對月有感/見龍、漢詩習作作品 壬午元日夜對月有感/春盛、漢詩習作作品 壬午元日夜對月有感/春盛、漢詩習作作品 壬午元日夜對月有感/杏墻、漢詩習作作品 壬午元日夜對月有感/杏墻、漢詩習作作品 壬午元日夜對月有感/柏樑、漢詩習作作品 壬午元日夜對月有感/德賢 |
24 | 二月分家庭用 の木炭增配 |
25 | 遺家族慰安映畫とお話の會 國婦の主催で |
26 | 南方進出中小商工 業者の銓衡會開催 |
27 | 商況(廿一日前場) |
28 | 興南案內報社消息 |
29 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 陸軍生存者死歿者論功行賞頭條新聞 【東京發同盟】去る十七日發表された第三十二回支那事變生存者論功行賞(陸軍關係第二六回)並に第四十八回支那事變死歿者論功行賞(陸軍關係第三十五回)主なるもの左の如し 生存者行賞 △殊勳甲 功三中綬 中佐 棚橋真作 岐阜 功四 少佐 安藤修道 山口 同 小綬 同 平井 定 三重 功三中綬 大佐 中島安吉 佐賀 同 同 同 水野桂三 東京 功四旭五 大尉 真鍋次郎 香川 同 雙光 同 坂 清 兵庫 功三中綬 大佐 遠藤新一 福島 同 旭三 中佐 田中亮吉 三重 功四旭五 中尉 上田 均 兵庫 功三旭三 中佐 西島 剛 大阪 功四旭四 大尉 平井重文 福岡 功三旭三 中佐 平櫻政吉 石川 功四旭四 大尉 渡邊忠雄 静岡 同 旭六 中尉 二宮弘明 愛媛 功三 大佐 渡邊 勝 東京 同 中綬 中佐 坂田善市 島根 功六旭七 軍曹 安藤義信 德島 功三中綬 中佐 岡戶文一郎愛知 功四旭五 大尉 高橋清伍 石川 功三中綬 大佐 北川潔水 廣島 功六旭七 軍曹 坂上正人 鹿兒島 △一般殊勳者(佐官以上) 功四中綬 大佐 大久保一億東京 同 同 少將 金岡 橋 佐賀 功三重光 同 西村琢磨 福岡 同 大佐 佐藤 質 宮城 功四旭二 少將 木村經廣 京都 同 同 戶澤二郎 東京 功三 大佐 青村常次郎栃木 功四 同 高崎祐政 熊本 功四中綬 大佐 池田浚吉 福岡 同 同 同 矢ヶ崎節三長野 同 同 中佐 松山良政 鹿兒島 功五小綬 少佐 山縣秀文 東京 同 旭四 少佐 長谷部清 岐阜 同 同 同 馬杉一雄 兵庫 功四小綬 中佐 佐木佐木久鹿兒島 同 同 少佐 山口 進 東京 同 中綬 大佐 秋永月三 大分 同 旭三 中佐 藤田實彥 鹿兒島 同 旭四 同 向田宗彥 同 功五小綬 少佐 中島敏雄 熊本 同 同 同 小野美儀四郎佐賀 功四同 中佐 岡田重美 東京 同 同 少佐 湯淺正義 岡山 功五旭五 同 田邊俊雄 石川 同 小綬 同 莊司武夫 三重 功四旭四 中佐 大寺三郎 鹿兒島 同 旭三 同 瀨尾 浩 廣島 功五 少佐 山內清之 愛知 功四小綬 同 小栗軍二 岐阜 功五 同 本多菊治 福岡 功四旭三 中佐 植田 齊 廣島 同 中綬 同 志鶴林藏 福岡 功四旭三 同 小野 修 德島 同 同 同 西本義光 東京 同 同 新開長太郎福井 同 中綬 中佐 川上 護 新潟 同 同 大佐 一田次郎 福岡 同 旭四 中佐 山本 新 山口 同 同 少佐 小西健雄 福島 功五旭五 同 棚橋茂雄 岐阜 同 旭四 同 田卷和吉 鳥取 功四旭四 同 尾花義正 德島 功五同 同 臼井一雄 鹿兒島 功四同 同 松本 博 福岡 功四旭三 中佐 久重和吉 兵庫 同 旭四 同 櫻井敬三 山口 同 中綬 大佐 遠藤庄一 岡山 功五同 少佐 村上正一 山口 同 旭四 大佐 藤澤繁三 滋賀 同 中綬 中佐 藤本清市 兵庫 同 中綬 大佐 成田定之 青森 同 小綬 中佐 井美 猛 大分 同 中綬 大佐 山內 保 東京 同 同 中佐 羽島長四郎群馬 同 少佐 大迫信義 鹿兒島 同 小綬 少佐 山本末吉 靜岡 同 小綬 少佐 池田□ 鹿兒島 同 旭四 中佐 兒玉 徹 岡山 同 旭三 中佐 福留勇吉 鹿兒島 功四中綬 同 道下義行 大阪 功五旭四 少佐 金森義雄 富山 功四小綬 同 坂本 享 長野 同 同 前田房次 兵庫 功四旭三 中佐 一宮 基 大分 功四旭三 大佐 宇垣松四郎岡山 功四中綬 中佐 一木清直 靜岡 同 旭三 中佐 林田敬藏 熊本 同 中綬 同 安田 □ 岡山 同 同 同 岩根清夫 東京 同 小綬 同 中森恒二 愛知 功四中綬 大佐 小池昌次 愛知 同 旭三 同 宮本清一 三重 功四中綬 同 武田精一 香川 功五小綬 少佐 佐川武彥 愛媛 功五旭五 少佐 大橋武夫 愛知 功四小綬 中佐 二木榮藏 鹿兒島 功四 少佐 米川 浩 秋田 功五旭四 同 河村源二郎山口 同 小綬 同 船戶 東 東京 同 旭四 同 東 昇 長崎 功四小綬 中佐 外園進 鹿兒島 功四中綬 中佐 大久保精一石川 同 旭四 少佐 佐藤平秋 京都 功五同 同 森 裕一 東京 功四中綬 中佐 垣內 徹 岐阜 同 小綬 同 品部孝晴 愛媛 功四旭三 中佐 田中幸憲 高知 同 小綬 少佐 岩本東三 愛知 同 中綬 中佐 伊籐 章 宮城 功五旭四 少佐 大曾根義彥德島 同 同 同 原 準一 岐阜 功四同 中佐 清水 圓 福井 功四小綬 少佐 大島雅治 岡山 同 小綬 少佐 柴田享一 愛知 功四同 同 十一音次郎香川 同 同 藤田和孝 岡山 功四小綬 少佐 山崎孝三 廣島 功四旭四 少佐 須子正雄 山口 功五旭四 少佐 金田高秋 大分 同 少佐 三林定一 三重 同 小綬 少佐 薄井平次郎茨城 功四旭四 少佐 野地 弘 福島 同 小綬 同 大守忠俊 岡山 功四 少佐 前田孝夫 山口 同 旭三 中佐 島堅 輔 山口 功四中綬 中佐 渡邊綱彥 三重 功五旭四 少佐 堀尾四郎 兵庫 功五小綬 少佐 佐內不二生山口 功四中綬 大佐 栗栖猛夫 山口 功五小綬 少佐 原 博一 愛知 功四小綬 少佐 勝沼 勝 新潟 同 旭三 中佐 中村敏夫 熊本 功四旭三 中佐 桑塚 城 兵庫 同 同 同 古川 浩 兵庫 功四中綬 大佐 關很久太郎秋田 功五小綬 少佐 石橋忠雄 廣島 同 同 同 穗積松平 岩手 同 同 同 淺野不二雄岡山 同 旭四 同 河合 征 愛媛 功五旭五 少佐 喜多俊三 三重 功四旭三 中佐 福島久作 埼玉 同 中綬 大佐 中楯弘觀 新潟 功四旭三 中佐 吉富德三 福岡 功五小綬 少佐 伊藤平八郎長野 功四 少佐 馬場 進 熊本 功四小綬 少佐 浦野清治郎奈良 功四旭三 大佐 青津喜久太郎岡山 同 中綬 同 小松崎力雄東京 同 同 中佐 高階於菟雄東京 功五 少佐 內藤二三男熊本 功四 少佐 赤木喜代治廣島 功四中綬 大佐 笹路太郎 三重 同 旭四 少佐 高村經人 秋田 功四中綬 中佐 小林島司 新潟 同 同 同 德弘保衞 高知 同 同 布上照一 佐賀 同 同 齋藤勝壽 茨城 功四中綬 大佐 木原義雄 山口 功四中綬 中佐 田賀五男里福井 同 同 中佐 井之上晴藏鳥取 同 同 同 小林 漸 群馬 功五旭四 少佐 井上義一郎山形 功四中綬 中佐 平岩□彥 愛知 功五旭四 少佐 金澤義重 靜岡 功四中綬 中佐 大桑茂男 石川 功五旭四 少佐 白貝次郎 廣島 功四 同 山林寛行 富山 功四 中佐 佐々木慶雄福島 功四小綬 少佐 山本茂雄 鳥取 同 旭三 中佐 山本强雄 熊本 同 小綬 同 北河 齊 愛知 同 同 少佐 西岡公平 兵庫 功五旭四 同 井上 弘 廣島 功四 大佐 栗岩尚治 長野 同 旭三 中佐 太田幸衛 岡山 功五旭四 少佐 小川 清 廣島 同 同 同 小坂外茂吉石川 功四中綬 中佐 安永篤次郎東京 同 同 近森重治 高知 功四 少佐 間宮忠義 靜岡 同 小綬 同 野末一丸 長野 同 同 同 松平紹光 東京 功五旭四 同 今泉金吾 佐賀 功四中綬 中佐 山本信輝 山口 功五小綬 少佐 本臼與三治新潟 同 同 同 上村透一 同 功四旭三 中佐 林勇藏 鹿兒島 同 少佐 家村慎三 鹿兒島 同 中綬 中佐 山岡重光 高知 死歿者行賞 △一般殊勳者 (佐官以上) 賜杯 少佐 井上 實 大分 功五 少佐 清野 廣 青森 功四旭五 少佐 鈴木重止 鹿兒島市 功四 中佐 石上操 和歌山 賜杯 少佐 澁谷民雄 山口 賜杯 中佐 磯部芳衛 山口 功四 少佐 首藤信義 福岡 賜杯 大佐 市來政清 鹿兒島 同 中佐 黑光達藏 愛媛 |
02 | 敵驅逐艦三隻擊沈破 バリ島東方で我驅逐艦の大戰果 |
03 | 我敢鬪精神の發露 不斷の訓練の成果 |
04 | 濠洲既に孤立の運命 殘存敵機も到底我が敵でない |
05 | 圖像:昭南島に今ぞ輝く感激の日章旗 |
06 | バンドン市 北方にあり カリジヤチ |
07 | 陸鷲ジヤヴアを空襲 敵機の挑戰するものなし |
08 | 蘭印在住邦人 濠洲へ移さる |
09 | ビンタン島占領 |
10 | 昭南軍港の假面を剝ぐ 軍事的威力と價值に疑問符 |
11 | パナマ油槽船 擊沈さる |
12 | チヤンギ要塞 |
13 | オ號擊沈さる |
14 | 米の誇る“飛ぶ戰車” 一擧に十三機も擊墜さる 我海鷲の驚異的性能 |
15 | ハル米國務長官 懊惱憔悴 フロリダの避寒地へ |
16 | あす全國總務部長會議 |
17 | 翼贊政治確立協議會 二十三日初顏合せを行ふ |
18 | 磯谷總督 新見海軍最高指 揮官を訪問 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 濠洲最後の 輸血路遮斷社說 一 去る二十日大本營の發表に依れば、我が海鷲は十九日大擧濠洲本土北岸の敵最大海空軍基地ポートダーウインに對し、大攻擊を加へ敵の航空兵力並に敵鑑艇船舶を覆滅し、更に陸上重要軍事施設の大半を爆破せしめ、頑敵濠洲本土に對する初大空襲に依り斯く赫赫たる大戰果を擧げられた我が無敵海鷲の何時もながらの殊勳に對し、一億國民の齊しく感激措く能はざるところである、此ポートダーウインは、宿敵米國が企圖する所謂對日南方進攻路たるハワイ、カントン、エンダベリー、サモア、シンガポールの中繼基地として重きを置かれ、更に香港、シンガポールを三頂點として結ぶ老獪英國の東亞三角形陣地の據點として敵側の戰前より盛に誇示し居つたところであるが、今や香港、マニラに次いで敵側が東亞最大の牙城と恃んでゐたシンガポールも我が鐵蹄下の蹂躙するところとなり、今また敵が最後の避難所と目される、濠洲北部の最重要基地ポートダーウインも、我が海鷲の初空襲により一擧に覆滅されるに至つたので、之に依つて蒙る敵側の打擊損失は蓋し莫大なものがある。 二 殊に我が海鷲は、之と時を同じくしてチモール島に敵前上陸を敢行し、早くもクーパン、デリー方面を制壓したので、之に依つて大東亞海を中心とする制空制海權は一に我が手中に歸し敵側の唯一最後の逃場濠洲に對する輸血路は完全に斷たれ濠洲內に於る鐵道交通路による以外濠洲東岸のシドニー、メルボルン及び西岸のバースなどの要港も遠らず無能の港と化し、斯くて濠洲の運命も今や旦夕に迫り敵英米蘭が聲をからして呼號する最後の根據地も脆く潰滅するに至つたのである之に反し帝國海軍は新に昭南島の重要基地を得て、西南太平洋水域のみならず更に印度洋に對する制壓を愈愈倍加することとなり、その有する軍事的意義たるや、實に重且大なるものがある、軍事的のみならず濠洲は羊毛、小麥、金銀、鉛、銅、錫、石炭、果實其他の產地として經濟的に重要性を有することは申すまでもないのである。 三 元來濠洲は東亞の地政學上日滿支を樞軸とする大東亞共榮圈へ當然加はるべきであるにも拘らず、氣候其の他の關係からも到底我が東亞人とは競爭に堪へざる英人が永らく英濠主義を固守して來たがために、人口は至つて稀薄にして、米國に於ける處女地の驚異的發展に比し今日まで無為に彼の處女大陸の寶庫を長く保守せしめんとしたところに矛盾があり、自然の理に反するところであつた、地理的のみならず更に資源的に見れば日滿支と南洋地方とが合一體となつて始めて熱溫塞の三帶に跨り得るのであつて、南北に長く總ゆる資源に惠まれることとなり斯くて我我は東亞に於ては南洋と共に始めて自給自足の廣域經濟圈を確立することになるが、併しこの共榮圈に不足するものは尚棉花と羊毛とがある、而も羊毛はどうしても濠洲に依存しなければならないので、この見地から濠洲は當然に共榮圈に參加せしめるべく、又我が昭南島の占領に依つて英印濠ルートは遮斷され、斯くて濠洲は早晚自ら共榮圈に參加せざるを得ざるに至るのである、賢明なる濠洲當路者の英斷に依つて速に我に協力することを熱望して已まない。 |
02 | 眼下に“純白な花” 一輪パアツと咲いて又一輪 壯觀我が落下傘部隊 |
03 | 圖像:寺內大將覆面を脫ぐ |
04 | 夢の島、美人の島 バリ島は東洋の寶玉 |
05 | 注意!企業報告 あす一日で締切り |
06 | 怯える濠洲を衝く 羊毛、小麥の國(上) 英人獨占の別天地 |
07 | 羅東郡教育總會 |
08 | 羅東郡各街庄 協議會 |
09 | 基隆市壽國民校 記功碑改修竣功 |
10 | 春日少年團 戰捷祝賀に献金 |
11 | 赤誠の献金部隊 武官府に續續殺到 |
12 | 和蘭の壓政を衝く 我等も東亞共榮圈內の一員だ ラテイプ高商講師談 |
13 | 新陸軍記念日 二月十五日を記念して設ける 現地軍、中央へ具申 |
14 | 志願兵受付一覽 |
15 | 新竹州農會、畜 產會の通常總會 |
16 | 全國地方長官 會議への出席 臺灣から三名 |
17 | 鐵道部人事異動 |
18 | ときの声 |
19 | 時局並に軍事 講演會 |
20 | 羅東郡志願者 五千四百名を越ゆ |
21 | 男女川道場 近く創設決定 |
22 | 故葉君の合同葬 |
23 | 壽國民校學藝會 |
24 | 人事消息 |
25 | 訃文:林黃氏鶴 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 續く捷報に感激 必勝の意氣に若人赤誠の總進軍 志願兵熱愈よ高潮 |
02 | 日にざつと千名 臺南州の志願者調べ |
03 | 各地志願兵點描 |
04 | 各地感激の歡呼 |
05 | 臺中の志願者 |
06 | 示す壯丁の意氣 五百四十名全員出席 臺中署壯丁團檢閱 |
07 | 屏東市郡の 志願者 |
08 | 奉公運動の真髓を注入 臺南州支部推進員を鍊成 |
09 | 從軍看護婦 第一次教養實施 |
10 | 常會研究會 三月下旬頃 長興庄に開く |
11 | 南方建設の人材 養成機關設置□各議員強調 戰捷下の臺中市會 |
12 | 廳豫算を凌駕 花蓮港畜產會 の豫算 |
13 | 屏東市豫算 あす內示會開く |
14 | 危險家屋の再鑑定 復興委員會に嘆願書の山 |
15 | 巢立つ學徒に 森田知事講話 |
16 | 震災の後片附 を審查 嘉義奉公會主催 |
17 | 臺南漁業協同 組第二回總會 |
18 | 黃麻を積極獎勵 生產者の自家消費を認む |
19 | 海山郡の古鐵回收 三日間で八噸を突破 |
20 | 世紀の感激に 續續と献金 |
21 | 長興庄民の赤誠 |
22 | 馬匹飼養管 理品評會 |
23 | 買出し時間を決める 奧さん達に臺所の都合を聞 |
24 | 長興庄協議會 |
25 | 隣人愛の結晶 震災義捐金二十五萬 |
26 | 獵銃を盲目射ち |
27 | 皇奉潮州街分會 役員會を開催 |
28 | 體位向上論文 を募集 |
29 | 臺中美術展 |
30 | 馬來語の 講習會續開 |
31 | 本社林平讚君 の祖母逝去報社消息 |
32 | 人事 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 小麥配給統制規則 昨日公布即日實施 米穀局長談話を發表 |
02 | 全島各都市の中央市場代行機關を廢止 臺灣青果・一元的に統制 |
03 | 南進船舶石炭供給のため 塊炭の消費規正強化 山下府鑛務課長談 |
04 | 臺北中央市場の 代行會社近く廢止 |
05 | 燒ガラを製造 石炭會社で業者を指定 |
06 | 米以外の主要食糧買上げ 近く品目決定、告示されん |
07 | 建築技術研究會 |
08 | 日銀株主總會 |
09 | 臺灣紙業及大屯紙業の 操業一時延期か 企業許可の適用に觸る |
10 | 興業信託總會 配當は五分据置 |
11 | 臺灣バス事業組合 廿五日通常總會 |
12 | 臺灣農機具會社 廿四日に總會 |
13 | 南方進出希望商社 申込二月廿五日限り |
14 | 照明燈 |
15 | 商況(廿一日後場) |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(616)/黃得時;榎本真砂夫 |
18 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | バンカ島敵前上陸 帝國陸、海軍部隊協同下に パンカルピナン占領頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(二月二十二日午後三時) 帝國陸軍部隊はわが海軍部隊と緊密なる協同の下に二月十五日未明バンカ島ムントク附近の敵前上陸に成功し同日夕同島東岸の要衝パンカルピナンを占領し更に戰果擴大中なり |
02 | パレンバン完全占領 南部スマトラの要衝 |
03 | 油田地帶を確保 百年戰爭、必勝不敗の我態勢成る |
04 | 圖像:勇躍狀途へ |
05 | 我落下傘部隊の殊勳 電擊一閃、潮の勝鬨(上) パレンバン精油所我が手に落つ |
06 | マルタ島空襲熾烈 |
07 | 濠洲軍損害 一萬八千名 新嘉坡戰線で |
08 | 三浦駐墨公使以下 拘禁地に向ふ |
09 | マリべレス要塞空爆 敵高射砲陣地を粉碎 |
10 | 圖像:新嘉坡脫出敵船團攻擊 |
11 | ウルグアイ 議會を解散 |
12 | 大東亞海制壓完璧 わが海鷲、全域に鵬翼を伸す |
13 | 張り切つた臺灣の 實情と立場を說明 齋藤總務長官歸臺談 |
14 | 資源作戰に寄與大 佐渡ケ島よりやや大きい バンカ島 |
15 | 比島周邊方面の 制海權完し 帝國海軍鐵壁の警戒陣 |
16 | 獨艦三隻又も 北海向け出港 |
17 | 米油槽船マ號 又復擊沈さる |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 誓ふ“再生の感激” 門脇曹長奇蹟的の生還 |
02 | “ヨイこども”たれ 井上兵務部長が激勵 遺家族子供慰安會 |
03 | 田中訓練部長 あす羅東で講演 |
04 | 怯える濠洲を衝く 英米の消長を反映(下) 運命は次第に脆弱化 |
05 | 志願兵後援部 織物商業報國會 で設立 |
06 | 赤誠の献金品 軍司令部廿一日受付 |
07 | 圖像:シンガポール攻略戰 |
08 | 本島人唯一の成功者 爪哇で安否を氣遣はる林玉巽氏 消息を待佗ぶ老母談 |
09 | 宜蘭市志願兵累計 |
10 | 桃園軌道献金 |
11 | 命を一本の鐵繩に 斷崖で決死作業 二六〇呎の吊橋完成 |
12 | 農產加工業者 の指導講習會 |
13 | 初日に一萬突破 新竹市大東亞戰展盛況 |
14 | 銃劍道振興會 市分會發會式 |
15 | 種子、苗を頒布 一坪園藝に拍車 |
16 | 「人の道」教團 不敬事件判決 |
17 | 人事消息 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 進め!譽の志願兵 市郡別の志願者數 |
02 | 高調の一途辿る 臺南市の志願兵熱 |
03 | 明後日までに 全員志願申合 高雄州廳の職員 |
04 | 白衣勇士慰安會 保甲協會主催で |
05 | 共榮圈建設の礎 田中部隊名譽の戰死者發表 |
06 | 武勳昭南島に輝く 星港攻略工兵部隊座談會 |
07 | 「漫才と映畫」の夕 遺家族を慰安 |
08 | 衛生部落改善 表彰式 |
09 | 奉公運動に拍車 訓練部長田中大佐講演 |
10 | 臺南市會開幕 三百餘萬の豫算審議 |
11 | 壯丁團查閱 |
12 | 圖像:昭南島に感激の日章旗揚る |
13 | 護國英靈を弔ふ 臺中佛教奉公團、追弔法要を營む |
14 | 皇民精神の昂揚 中央舞臺を上演 |
15 | 大東亞建設の先驅 (六)故荒尾精氏の卓見 |
16 | 花蓮港市會 廿五日開く |
17 | 屏東青年第一種 訓練を實施 |
18 | 各街庄協議會 |
19 | 奉祝野球大會 |
20 | 躍動する軍國美 桃園郡青年團查閱 |
21 | 產婆會結成式 |
22 | 新財源を工面 先づ競馬場の拂下けから 貧乏嘉義市の窮通策 |
23 | 童心は微笑む! 南師生の紙芝居、一同うつとり |
24 | 臺中美術展 搬入を終る |
25 | 期限前に完納 桃園、大溪兩郡 |
26 | 大園消費米組合 三月一日開業 |
27 | 二千斤の大梵鐘 龍潭龍元宮献納 |
28 | 無理な求婚 |
29 | 高雄秋競馬 第三日目成績 |
30 | 今日の映畫 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 文藝 豐かな詩精神 臺灣文學と古本漁りなど/陳春德 |
02 | 圖像:英領ボルネオ、クチン街頭所見 |
03 | 南方と日本民族 特に言語學上から/新村山 |
04 | 南十字星 高まられた愛 母親としての底力 |
05 | 世界で一番立派 日本の落下傘部隊 |
06 | 東亞建設の譜/李清輝 |
07 | 今週の歷史 |
08 | 地方便り |
09 | ラジオ |
10 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 帝國陸鷲、連日猛躍 敵各飛行場を大擧攻擊し 米英蘭機卅九機を擊墜破 |
02 | 堂堂ケツペル港入港 帝國海軍の艨艟が |
03 | 東水道の掃海完成 |
04 | 本格的掃海開始 マラツカ海峽で |
05 | 我落下傘部隊の殊勳 電擊一閃、潮の勝鬨(下) パレンバン精油所我が手に落つ |
06 | 圖像:我荒鷲鵬翼下の北部濠州の要衝タ ウイン港及び市街 |
07 | バンダイ要塞 狼狽の跡 |
08 | 英船ス號擊沈 |
09 | 樞軸國人を 大量逮補 聯邦檢察局が |
10 | デリー飛行場占領 濠蘭軍に痛烈な打擊 |
11 | 全占領地域建設へ 刮目・昭南港軍事價值の發揮 |
12 | 圖像:ビルマ戰線 |
13 | 爪哇の事態緊迫 米國朝野、關心を集中 |
14 | ポートダーウイン 全市に戒嚴令 |
15 | スマトラの屬島 皇軍上陸のバンカ島 |
16 | 政府、各界代表 けふ初顏合せ 議會制度の劃期的刷新へ |
17 | 抗日華僑肅清 |
18 | 對ソ十字軍の 戰備着着進む |
19 | 東部戰線 獨軍の戰果 |
20 | 黨政軍の聯席 會議開かれん 蔣の歸國を待ち |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 滿洲國建國十周年 日滿一德一心の契り堅く 廿七日から慶祝行事展開 |
02 | 東亞經濟建設に關し 今後の具體案協議 けふの督府定例局部長會議で |
03 | 圖像:ビルマ戰線 |
04 | 新嘉坡攻略戰從軍記(上) 皇軍作戰の至妙座談會 敵前上陸の成功に決定的ポイント |
05 | 徽章傳達式 |
06 | 遺族徽章傳達式 |
07 | 十五萬人を突破! 志願兵熱益益昂る |
08 | 軍報道部で拾 つた献金佳話 |
09 | 白衣勇士の 慰問映畫會 |
10 | 戰勝感謝祈願と 支部大會を開催 廿四日新竹州國婦で |
11 | 圖像:バターン戰線 |
12 | 總額百萬圓を突破 大東亞戰以來武官府受付の献金 |
13 | 廿二日受付の分 |
14 | 兩知事と福田 長官夫夫上京 |
15 | 電話新設に付 大崎課長歸臺談 |
16 | 續く拍手喝采で大盛況 港都國民校聯合慰問學藝會 |
17 | 大東亞戰勃發で 重慶政權抗戰根據を全く失ふ 莊武漢報編輯部長來臺談 |
18 | 科學する心を涵養 藝能科費を增加 |
19 | 狂犬病豫防無料注射 |
20 | 紙芝居演出講習會 |
21 | 興南詩苑漢詩 祝新嘉坡陷落 一/新竹 張國珍、祝新嘉坡陷落 二/新竹 張國珍、祝新嘉坡陷落/新竹 張友石、時事感賦/可軒 |
22 | 築港協會總會 |
23 | 司法官異動 |
24 | 人事 |
25 | 商況(廿三日前場) |
26 | 興南案內報社消息 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | デンパサルを占領 バリ島南部に上陸頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(二十三日午後四時十分)帝國陸海軍部隊は緊密なる協同の下に二月十九日バリ島南部の要地デンパサルを完全に占領せり |
02 | バリ島は蘭濠 の連絡路 |
03 | 第四次爪哇島爆擊 わが陸鷲精銳の諸部隊 |
04 | 敵十六機を銃擊破 陸鷲バタヴイヤとバイテンゾルグを襲擊 |
05 | 戰時國民總力を集結 翼贊選擧貫徹運動各界代表懇談會 |
06 | 圖像:南方○○基地に待機する新銳海鷲の勇士 |
07 | 蘭印當局も上陸を認む |
08 | 恩賞に輝く生存者 第三十三回論功行賞 |
09 | 山下最高指揮官 海軍司令官と會見 |
10 | 最適候補者推荐へ 全國總務部長會議湯澤內相の訓示 |
11 | 貫徹運動實施要綱 |
12 | 印度解放戰に邁進 巨頭ボース氏が聲明 東條首相の聲明に感激 |
13 | 夜の肉彈戰で奪取 蘭印アンボン攻略戰 |
14 | 翼贊政治態勢協議會 會長に阿部大將を推す |
15 | 郵便業務の 再開を命令 比島占領地域內 |
16 | 新聞通信社の 幹部を招待 けふ內相官邸で |
17 | 倫理化に重點 選擧啟蒙運動の具體方針 |
18 | 壯年團地方幹 部講習會開催 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 戰時生活の 實踐 冠婚葬祭の 新しき基準社說 一 國民生活の戰時體制化は、現下の時局が要請する必然的な要求である。近代戰が國家總力戰の形態をとり銃後の區別を取り去つた現代に於ては、國民生活の戰時體制化は好むと否とに拘らず、戰爭遂行に欠くべからざる重要なる部面と云はねばならない。新體制運動が行はれ皇民奉公運動が發足して以來、國民生活は急速に戰時體制化せられた筈であるが、實狀を見るに未だ、他動的消極的な程度に止まり、真に意識的な自律性、積極性を持つ力强き實踐展開を見せるに至つてゐないことは、遺憾ながら事實と云ばねばならない。現實に於ける國民生活の消費部面に於て、まだまだ夥しき贅澤や無駄が橫行してゐるは吾人の日常目擊してゐる如くである。勿論贅澤無駄の排除や消費生活の自蕭自戒は、觀念的には何人も深く理解してゐる處であるが、實生活の上に未だ徹底的勵行を見ないことは、要するに長年の風習に馴染みこだはるからであらうと思はれる。 二 其の尤たるものに冠婚葬祭が擧げられるが、これは確かに長年の傳統と、風俗習慣に依つて培はれ來つた社會的慣例であるだけに、之が刷新改善は仲仲に困難なものがあるのである。しかしながら戰時生活下に於ては、假令其れが長年の社會的習俗であるとは云へ、其處にもし幾多の贅澤と無駄があり、しかも文化的見地から既に陋習化した幾多の不合理が發見されるとすれば、戰時下ならずとも斷乎として改革を行ふ必要があるは云ふまでもないことである。思ふに現下の時局が國民生活に要求する最も强き面は、消費生活部面であるかの如くである。贅澤無駄の排除、物資の節約愛護等等である。いづれも消極的な一面を强調してゐるかの印象を與へてゐる。しかしながら時局の要請する戰時生活體制は單に斯る消極的一面ではなくして、まことは新國民生活體制の確立に在ると云はねばならない。冠婚葬祭の問題も此の意味に於て理解されなければならないのである。 三 皇民奉公會中央本部が去る一月十五日に發表した冠婚葬祭の基準なるものは、まさに本島に於ける新國民生活體制の確立を企圖せんとするものと云はねばならない。尤も其らの基準については必らずしも批判の餘地がないではないが、兎も角其中に幾多のべからずが規定されてゐるとは云へ、新體制を確立せんとする高い文化的意義が存するを看過してはならないのである。從つて島民が其らの基準に依り冠婚葬祭の刷新改善を實踐躬行するに當つては、べからずの故に從ふのではなくして、新體制を確立するのだといふ高き文化理念を以て推進しなければならない。而して指導者有識者層の率先躬行が特に望ましいことは喋喋するまでもないが、最近某日刊紙に臺北某名士の媒妁に依る知名實業家の婚儀に官民百八十名を鐵道ホテルに招待披露した記事が麗麗しく揭載されて、心ある世人の顰蹙を買つてゐるが如きは、特に有識指導階級の深甚なる反省を促すものがあらねばならない。 |
02 | 踊に明け踊に暮る 赤ん坊までパツチリ目を瞠る 現世のエデン・バリ島 齋藤氏談 |
03 | 輝く勳章傳達式 靜岡中佐に功四旭四の恩賞 |
04 | 圖像:眾議院のシ港陷落祝賀會 |
05 | 東亞民族の權利 今や日本が見事に與へてくれる 回教の父大法官語る |
06 | 罵る“英人の暴政” 緬甸人、齒を喰ひしばる |
07 | 目・耳の體驗談星港攻略戰從軍記 |
08 | 象牙の塔“蕎麥匂ふ” 若き學徒・汗の結晶成る |
09 | 八千名を突破 臺北市の志願兵受付 |
10 | 宜蘭市の志願者 |
11 | 齋藤少將來臺 全島を講演行脚 |
12 | 海外同胞訓 海外同胞中央會で作成 |
13 | 海軍武官府員 の野外運動 |
14 | 捧げる“赤誠献金” 軍司令部廿三日の受付 |
15 | 迸る乙女の純情 北三女、陸海軍に献金 |
16 | ときの声 |
17 | 基隆稅務出張 所長に家村氏 |
18 | 法院司法部 の異動 |
19 | 屍體漂着公告 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 安平築港を陳情 臺南市會から各要路へ |
02 | 傳へる山の赤誠 高砂族の志願續續入電 |
03 | 岡山神社、鄉社 列格奉告祭 |
04 | 圖像:ボルネオ、パマンカツト警備の皇軍勇士とオランダ宣教師(ボルネオ) |
05 | 臺南州下の 街庄協議會 |
06 | 債券報國に赤誠 廿三日迄に早や賣切れ |
07 | 世紀の感激に 各地で献金 |
08 | 遺家族慰安映畫會 |
09 | 中一中生に 森田知事講話 |
10 | 花蓮港中卒業式 |
11 | 和蘭東印度 會社と臺灣(一)/國分直一 |
12 | 觀音庄協議會 |
13 | 國技角道に鍛ふ 全島高砂族青年相撲大會控へ 臺中州の選手猛稽古 |
14 | 新竹市會 廿五日に開催 |
15 | 復興作業に光明 資材どしどし着荷 |
16 | 皇奉新高分會主催 常會運營研究會 |
17 | 圖像:ホロ島の漁師 |
18 | 劇で志願兵激勵 竹山有志婦人主催 |
19 | 新化第八區部落 十九日諸稅完納 |
20 | 從軍記念會分會 總會を開催 南投 |
21 | 成績は順調 臺中州青果 同業組合總會 |
22 | 臺中署マ病防遏 狀況を巡視 |
23 | 皇奉大溪郡支會 第一種訓練查閱 |
24 | 戰鬪教練を實施 高砂族奉公隊を結成 |
25 | 皇軍將兵慰問金第拾七回領收報告(敬稱略)報社消息 |
26 | 中壢婦人保甲團 聯合會を結成 |
27 | 大溪纖維製品 組合定期總會 |
28 | 平溪庄商工業 組合定期總會 |
29 | 部落會長世話役 鍊成會開催 |
30 | 新竹郡衛生模範部落 及建設功勞者を表彰 |
31 | 臺中美術展 開催日延期 |
32 | 特科第四期製腦 講習始講式 |
33 | 嘉農優勝 祝賀野球大會 |
34 | 地方便り |
35 | 今日の映畫 |
36 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 臺灣米穀等應急措置令 施行規則公布さる |
02 | 日銀六十周年記念に 六分特配認可さる |
03 | 解放を待望する(中) 南方諸民族の構成 |
04 | 對南方臺灣農業の 指導方法に付協議 三月三日公會堂で |
05 | 各州產業部長會議 米穀の供出を促進 |
06 | 全島植付狀況 高雄州約九割終了 |
07 | 廣東西村發電所 臺電の手で近く復興 |
08 | 南方進出希望商社 殺到(高雄の分) |
09 | トマトの初出荷 種類檢定を打合 |
10 | 高雄港苦力頭制 勞務請負制として新發足 |
11 | 臺陽鑛業の石炭 新起業近く完成 |
12 | 內地より從業者雇人の 求人申込手續、發表さる |
13 | 臺灣染料製造 配給組合創立 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況(廿三日後場) |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(716)/黃得時;榎本真砂夫 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 爪哇島各飛行場を猛爆 廿三日終日に亘り |
02 | 蘭印總督も重大性を指摘 |
03 | ジヤヴア防衛不可能 UP電報ず |
04 | 濠州に深刻な脅威 |
05 | 敵飛行艇を擊墜 我が艦載機第三回目の記錄 |
06 | 逃げ迷ふ敵を挾擊 銃を握り伏せながら進む 落下傘部隊の奮戰 |
07 | デンバサルの 失陷を確認 蘭印軍司令部 |
08 | 比島各州知事 任命を認許 |
09 | 圖像:昭南島で武裝解除された英兵 |
10 | ヒユーストンで 樞軸國人を逮補 |
11 | バタアン半島猛爆 |
12 | 山西肅清戰最高潮 |
13 | 敵機の來襲を冒し 敢然とパレンバンへ驀進 黑煙下降下部隊と感激の握手 |
14 | 必勝目指す百鍊! 陸鷲爆擊演習を見る |
15 | カリブ海で 米船擊沈さる |
16 | あらゆる機關動員 一大國民運動を展開 翼贊選擧の確立へ |
17 | 中、小商工業の 再編成協議會 いよいよ設置に決定 |
18 | 特別委員會の推移 議會政治刷新の鍵握る |
19 | 重慶の親英米、親ソ兩派 互ひに自說を固執鬪爭 |
20 | 米沿岸防備艦 擊沈さる |
21 | 重慶、ソ聯に メツセージ送る |
22 | 芳澤大使近く 歸國せん |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | “東亞の神兵”來る スマトラ住民心底から歡ぶ 我が落下傘部隊に |
02 | 鬼畜も顏を反ける 蘭印軍の慘虐行為 敵敗殘の樣相物語る二插話 |
03 | 圖像:□□を祝ふ赤子 |
04 | 邦人の活躍に敬服 確乎たる地盤を築く |
05 | 踏出す“新生首途” 南洋華僑の元老林文慶博士 宣撫工作に大活躍 |
06 | 目標貫徹の凱歌 新竹州・貯蓄報國に大童 |
07 | 護鄉兵の生ひ立ち 討匪行にお手柄 見事な山岳斥候戰 |
08 | 臺灣青少年團歌 山田耕作氏作曲完成 |
09 | 演劇團を招聘 宜蘭座で演出 |
10 | “白衣天使”第一課 けふから日赤で合宿 |
11 | 並並ならぬ苦心 護送船團の攻擊には |
12 | 馨子さん献金 |
13 | 軍樂生徒募集 陸軍戶山學校で |
14 | 臺北州農會 廿五日に總會開く |
15 | 糞尿處理費 基隆市四月か ら徵收 |
16 | 一日一錢献金 員林郡東校のヨイ子供部隊 軍司令部に提出 |
17 | 希望も明るい首途 州下中等學校卒業日割 |
18 | 大東亞戰展 一日だけ日延べ |
19 | 大戰果に感激 武官府に献金續續 |
20 | 珠算能力檢定 試驗を施行 |
21 | 興南詩苑漢詩 皇軍攻落新嘉坡喜賦/謝汝銓 |
22 | 臺北州畜產會 廿六日に總會 |
23 | 人事・消息 |
24 | 商況(廿四日前場) |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | スマトラ、爪哇兩斷 タンジユンカランを占領 バンカ島全島占領を完成頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(二十四日午後五時四十五分)帝國陸軍部隊は二月二十日朝スマトラ島東南端要衝タンジユンカランを占領せり 【◯◯基地二十四日發同盟】スマトラ島バレンバンを占領せるわが落下傘部隊及びムシ河を遡江して地上進擊部隊の作戰に協力しつつある陸海諸部隊はパレンバン附近一帶を確實に掃蕩し一部は一路南下進擊遂にスマトラ島東南端の要衝タンジユンカランを占領したこれによつてスマトラ島東部地區はわが軍により完全に縱斷スマトラ島とジヤバ島は地上においても全く兩斷孤立することとなつた、なほスマトラ進擊と呼應して同島東北バンカ島に作戰中のわが軍は二十日中に略略全島の占領を完成した |
02 | バタヴイアへ二百粁 |
03 | タンジユンカランは スマトラ島南部の門戶 |
04 | 圖像:母艦を離れ敵を求めて出動するわが潛水艦 |
05 | 米本土に初の砲擊 樞軸國潛水艦カ州海岸に出現 大統領演說と同時刻に射込む |
06 | 芳澤大使 南部佛印視察 |
07 | クーパンに奇襲降下 |
08 | プトン飛行場占領 我海軍落下傘部隊神速な作戰 |
09 | バンカ海峽を制壓 英蘭の船舶卅余隻擊沈破 我無敵海軍の大戰果 |
10 | バタアン半島猛爆 |
11 | けふから開く(二日間) 臨時中央協力會議 |
12 | テコン島で(ジ州南端) 約六百の投降兵 |
13 | ル大統領吠える 敗戰で意氣鎖沈の米國民に 「爐邊談話」を放送 |
14 | 協力會議日程 |
15 | 雄渾無比の大作戰 世界新秩序建設の日迄斷乎戰ふ 田代中佐の講演要旨 |
16 | 協議會の成行 きを重視 議員同盟協議す |
17 | 山本中佐外三氏が出席 國婦新竹州支部大會けふ開催 |
18 | 華北四十工場 軍管理を解除 |
19 | 政府、言論機關 代表を招待 選擧に關し懇談 |
20 | 食糧增產實行 共勵委員激勵 體驗を發表さす |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 不合格者は 南方建設戰に 志願兵熱の 吸收策社說 一 本島統治史に劃期的な一線を描く陸軍志願兵制度の實施を契機として、四十餘年間日本精神に依つて薰育せられた六百萬島民の皇民意識は熾烈に燃え上り、歷史的な二月一日の受付開始と共に志願兵熱は怒濤の如く堰を切つて奔流し、全島の各都市は勿論、山間僻地の津津浦浦に至るまで志願兵へ志願兵へと受付所に殺到し、初日の受付だけでも一萬三千名を突破し、大東亞戰の赫赫たる戰果に感激して日を逐ふて益益高調の一途を辿つてゐる。二月二十日現在情報課に達した數は臺北州の五萬五千二百二十名をトツプに、新竹州の二萬一千三百九十四名は之に次ぎ、臺南州二萬一千二百五十七名、臺中州二萬九百十五名、高雄州一萬六千七百九十六名、花蓮港廳一萬五百五十名、臺東廳三千八十七名、澎湖廳八百五十名の順になつて居り、合計十五萬六十九名の尨大な數字を示し、三月十日の締切までには三十萬に達するものと豫想され、島民の熱烈たる意氣と赤誠を披瀝してゐる。 二 かかる全島より湧き出づる赤誠熱に應じて、為政當局は當然その熱量の一滴をも餘さず、吸收する樣對策を工夫すべきであらう。茲に去る三日の奉公會中央本部部長會議に於て、果然この問題を取り上げ、陸軍特別志願兵に對する本島青年の熱誠溢るる志願熱を相互に報告、この盛り上る熱烈たる意氣と赤誠を捉へ、一死殉國の義勇奉公精神を徹底强化すると共に、應募して合格しなかつた志願者に對し、南方進出の意慾を喚起すべく種種の企畫を協議し、着着具體的な話を進めることとなつた。これは督府と表裏一體の關係にある奉公會の當然講ずべき措置として敬意を表するが、「善は急げ」との諺もある通り一日も早くその具體化を希望して止まぬものである。殊に早ければ早い程、志願者の熱誠に輝く希望と光明を與へ、志願熱の一層の昂揚に拍車をかけるものである。それのみならず、一度に湧き上つた熱と意氣を今後長期に亘つて保持して行く上にも、絕大の效果と意義を有するものである。 三 今や國家は米英驅逐戰にも、南方建設戰にも、われわれの熱と意氣を要請すること無限である。殊に本島青年は熱帶生活に堪へ、南方に優勢な經濟的地位を占めてゐる數百萬の華僑達と類似の生活文化を有してゐるから、その融和劑として南方への進出には國寶的存在だとさへ云はれてゐる。だからわれわれ島民は、この天與の使命と適格性とを自覺し、大東亞共榮圈、特に南方の建設に尖兵部隊として、この熱と意氣を擧げて大東亞戰の目標の達成に捧げなければならない。同時に為政當局者に於ても、全島より湧き上つた島民の熱と意氣を一滴洩らさず吸收して火の玉と化し、長年大東亞に蟠居してゐる米英勢力を燒き盡さなければならない。卽ち各個人夫夫の事情に應じて、大東亞戰の前線に、南方共榮圈の建設戰に、又銃後にある者には工業化の促進に、食糧の增產運動に、島民一人殘らずに適當な役割を與へ今後永久に島民の熱と意氣を散逸、或は冷却せしめない樣に、すべての施策に創意と工夫を凝らすべきであらう。 |
02 | “臺灣の地位性格は 結局兩棲動物的だ” 齋藤長官の時局縱橫談 |
03 | 世界の寶庫・蘭印 面積日本の三倍(一) 四季の變化全然なし |
04 | 慰問金の事務の取扱に 皇軍將兵臨時慰問部委員會設置 |
05 | 明年度の貯蓄目標 二百卅億圓と決定 賀屋藏相國民の協力要望 |
06 | 三月までに後五十億圓 |
07 | 高砂族會館地鎮祭 |
08 | 新竹州下保甲民の赤誠 軍用機一機を献納 |
09 | “米英を屠ふる力だ” 軍司令部に大口献納陸續 金屬回收運動 |
10 | 青少年團指導幹部を養成 更に今回新たに訓練所設置決定 一日に晴れの開所式 |
11 | 昨日は四百餘名 續く島都の志願者 |
12 | ときの声 |
13 | “臺灣一家”の融合振り 總督夫人招待のお茶の會 |
14 | 島民赤誠の献金 武官府廿四日の受付 |
15 | 臺北市翼贊市會 けふ市會議堂で開催 |
16 | 二千名を突破 宜蘭市の累計數 |
17 | 物淒い南方研究熱 書店に聽く決戰臺灣の力強い姿 |
18 | 新竹州警察部 幹部異動發令 |
19 | 永樂市場のボヤ |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | □□□ 各市街庄に專任指導員を常駐 食糧生產に總力傾注 |
02 | 膨れる臺南市役所 兵事、鍊成兩課愈よ獨立 |
03 | 社會教育の 完璧を期す 鍊成課の創意 |
04 | 竹東神社上棟祭 あす現場で執行 |
05 | 和蘭東印度 會社と臺灣(二)/國分直一 |
06 | 名譽の戰死者 追悼法會 臺中佛教奉公團 |
07 | 軍人遺家族 懇談慰安會 |
08 | 軍用機献納を決議 星港陷落記念郡民大會 |
09 | 屏東市常會 |
10 | 花蓮港の桔梗 クラブ結成打合 |
11 | 奉公推進員鍊成 |
12 | 學ぶ・白衣奉仕の道 臺中州班晴れの講習へ |
13 | 肉が澤山出來る 大規模の種畜場を計畫 臺中畜產會豫算に計上 |
14 | 屏東市豫算 |
15 | 高雄州を綠化 大東亞戰記念植樹を獎勵 農會で樹苗無料頒布 |
16 | 銃後は磐石 一億一心納稅報國 |
17 | 鹽埔庄協議會 |
18 | 待望の肺疾特効藥 球咲葛藤調查に權威者入山 軈ては訪れる肺病患者の春 |
19 | 臺南市に一校新設 通學の便と義教への備へ |
20 | 青年藝能發表會 |
21 | 里港庄協議會 |
22 | 躍進高雄に盡ぬ名殘り 高嶺方美氏の榮轉談 |
23 | 鳳山街協議會 原案通り可決 |
24 | 紅毛港漁組 通常總代會 |
25 | 臺南建築 組合總會 |
26 | 森田知事 美術展へ |
27 | 地方便り |
28 | 今日の映畫 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 昨年二期實收高 四百廿萬九千石 |
02 | 解放を待望する(下) 南方諸民族の構成 |
03 | 肥料續續入荷 |
04 | 砂糖元賣商 組合總會 |
05 | 島內株式取引の 代行會社を計畫 |
06 | 臺北州麥粉組合 定時總會開催 |
07 | 臺中州農會豫算 一般會計百八十九萬圓 |
08 | 府屬宮武氏退官 高級硝子會社入り |
09 | 臺灣農機具製造 統制會社總會終了 |
10 | 照明燈 |
11 | 商況(廿四日後場) |
12 | ラジオ |
13 | 水滸傳(618)/黃得時;榎本真砂夫 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 米國の本土を初砲擊 カ州の沿岸に巨彈 帝國潛水艦の大戰果 |
02 | 沿岸一帶は戰戰兢兢 カ州攻擊目標は精油所 |
03 | 全米擧げて愕然 轟然!一彈また一彈 |
04 | 中央協力會議開く 翼贊政治態勢確立へ |
05 | 東條總裁挨拶 |
06 | 在米樞軸國人 を一齊檢索 四千五百名逮補 |
07 | 米油槽船擊沈 |
08 | オランダ船三隻猛爆 |
09 | 蘭船二隻を拿捕 |
10 | ニユーギニヤ島猛爆 ポート・モレスビーに巨彈 |
11 | 圖像:マルタバン完全占領米俵上感激の萬歲 |
12 | 米船八隻擊沈 |
13 | 壯烈な空中戰 スラバヤ上空で |
14 | 米、ア國上空自 由通過權獲得 |
15 | 發言者 |
16 | 高等學校教育の 百八十度の轉換 新學期を期して實施 |
17 | 英戰時內閣の 新閣僚 |
18 | ラハトを占領 |
19 | 昭南港海陸の 清掃略略終了 |
20 | 自由討議で懇談 翼贊政治體制協議會 初の特別委員會開く |
21 | 大東亞新秩序建設は 歷史的必然性に基く ナチス黨機關紙論說を揭ぐ |
22 | 最高審議會を 設置 |
23 | 協力會議の 各部會座長 |
24 | 獨軍の戰果 發表 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 闇夜浴びす命中彈 我が陸鷲の武勇物語 |
02 | 勳章授與式 けふ武官府で |
03 | 勳章傳達式 |
04 | 圖像:マニラから初列車 |
05 | 慶祝行事と事業 輝く滿洲建國十周年 |
06 | 各要路に感謝電 新竹市會開かる |
07 | 督府の人事異動 南方軍政要員の派遣に伴ふ 暫定的小範圍の發表 |
08 | 圖像:セレター軍港占領 |
09 | 斷然他州をリード 臺北州下の志願兵激增して 遂に六萬人突破 |
10 | 局部長陣頭に立ち 小數の精銳主義で 齋藤長官激勵談を發表 |
11 | 知事に採用嘆願 |
12 | 增加の一途 基隆市の志願兵 二千六百名突破 |
13 | 軍人援護打合會 |
14 | 逐年增加の一途 躍進大臺北人口待望の四十萬迫る |
15 | 兵隊さんへの 感謝遊戲會 樹心幼稚園で |
16 | 教科書編纂會議 |
17 | 榮轉の人人語る |
18 | 宜蘭郡支會の 推進員指名式 廿八日礁溪庄で |
19 | 三月中に大異動 少壯有能者を登用 |
20 | 興南詩苑漢詩 卦爻辭有引(一)/謝汝銓 |
21 | 信望の厚い人 松山警察部長 |
22 | 出發前に先づ“看護婦學” 白衣の乙女達の講習會始る |
23 | バス合同新會 社の創立總會 愈廿八日に開催 |
24 | 時局防空必携 實費で各家庭 に頒布 |
25 | 商況(廿五日前場) |
26 | 興南案內報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
27 | 廣告 |
01 | 社說 ビルマルートの壞滅社說 一 昭和十二年七月七日に勃發した所謂支那事變が、四年有餘を經た今日、尚も處理出來ないのは、蔣政權それ自身の頑迷不遜にも依ることであらうが、その背後にゐて、事每に彼等を援助し使嗾した米英の所謂援蔣工作が、その最大原因をなしてゐるのは、何人も認めてゐる處である、米國は重慶政權に對し借款貿易、直接的軍事援助等によつて、表面上、如何にも同情を寄せてゐるかのやうに見せかけ、その實、援蔣の美名に匿れて支那から旨い汁を吸つてゐる。試みに一例を擧げるならば、米國は、蔣政權に借款を與へ、蔣政權は、これによつて米國から武器を多量に購入し、その反對給附として、錫、タングステン等を米國に送つてゐる。しかしてこれが輸送路としては、從來海上を利用してゐたが、我が海軍によつて支那沿海を封鎖されてから、次第に南方へ移るやうになり、一時は廣東や香港を起點として盛んに利用したこともあつたが、これも我が國に占領されてからは全く駄目になり、今は、ビルマルートが唯一の輸血路として僅かにその餘喘を保つてゐるだけである。米國は、このルートの防衞にわざわざ軍事顧問團や義勇軍を派遣してゐるさうであるが、この點だけを見ても、ビルマルートの喪失は、如何に米國に大打擊を與へるかが想像されるのである。 二 ビルマルートの起點はラングーン港で、ここで荷揚げされた荷物の五分の一は、悉く支那奧地に向けて輸送されてゐる。輸送路としては 一、ラングーンから滇緬公路の起點ラシオに至るもの 二、ラングーンからイラワヂ河を遡上りマンダレーに至り、更に鐵路ラシオに至るもの 三、イラワヂ河の水運によつてラングーンから八莫に至り、更に公路によつて雲南國境の望丁に至るもの 四、ラングーンから鐵路でプローム、マンダレー或はカターに至り、更に水路八莫に至るもの の四つがあり、その內援蔣輸送路として最も頻繁に利用されてゐるのは第一路で、物資はラングーンから鐵道又は水路(イラワヂ河)によつてビルマ北部のバーモ或はラシオに達し、ここから自動車で昆明に持ち込まれる。米國は、このルートの强化を圖りさへすれば、武力を用ひるまでもなく、日本を屈伏せしめ、日本軍を支那大陸から撤退させることができると信じてゐたが、この虫のよい計畫も大東亞戰爭の勃發によつて物の見事に破碎されつつあり、ビルマは我が荒鷲の連續的暴擊によつて、忽ち大混亂を來たし、援蔣ルートも全く砂上の樓閣と化し去つたのである。 三 そこで重慶政權は新にインドルートを開拓しようと、過日蔣介石はわざわざ印度に出掛けてこれが交涉に奔狂したさうであるが、果してどういふものができるだらうか。今傳へられてゐる印度ルートは 一、重慶――成都――西康――ベンガル州――カルカツタ 二、重慶――西康――拉薩(西藏)――江孜――カルカツタ の二つで目下工事に着手してゐるとも云はれてゐるが、恐らく一種の宣傳に過ぎないであらう。卽ち此等のルートは、何れもヒマラヤの餘脈を突破せねばならぬし、西康から印度のベンガル州に出るまでには、二萬呎を上下する峻峰が幾十座もその行手を阻んでゐるので、幾億の資金と幾十年の歲月を要しなければならぬからである。又政治的に見ても、西藏の現達賴政權は、本質的に反重慶であり、印度も新嘉坡の陷落を契機に反米英氣運が濃厚になり、又印度洋の制海權も、我が海軍によつて掌握されんとしてゐる今日、この新ルートの計畫も結局、不可能に終つてしまふのは火を見るよりも明かである、從つて唯一最後のビルマルートの完全遮斷によつて重慶政權は孤立無援の情態に陷り殘る潰滅も時の問題となつたのである。 |
02 | 武勳永へに芳し 東久邇宮稔彥王殿下の下に 戰歿者慰靈祭執行 |
03 | 臺灣の經驗を盛る 南方協力の大構想 近く携行して上京 長谷川總督時局談 |
04 | 增產問題が中心 臺北州農會の通常總會 |
05 | 財政、工業委員會 各參與、設置を言明 島都市會 |
06 | 遺族を弔問 大越總督代理が |
07 | 小貫大尉青年 指導に盡瘁 |
08 | 二千名を突破 宜蘭郡の志願者 |
09 | 宜蘭郡志願者 |
10 | 巢立つ“海洋少年” 廿八日に晴れの修了式 |
11 | 武官府に“若草亭” 時ならぬ味覺に舌鼓 |
12 | 新竹築港を促進 工業立地計畫に呼應 |
13 | 青少年團結成大會 南方共榮圈青少年大會と共に 三月廿一、二日に開催 |
14 | ときの声 |
15 | 增產に大車輪 平面、立體兩方 |
16 | 中村法務局長上京 |
17 | 堀田元交通總 長逝去 |
18 | 新竹市議に石 川氏を任命 |
19 | 臺北南華僑公 會役區員會 |
20 | 人事・消息報社消息 |
21 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 敵機六十八機擊墜破 海鷲、爪哇島各飛行場を強襲頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(二月二十五日午後四時三十分)二月十九日以來西部ジヤヴア方面航空擊滅戰を續行中の帝國陸軍航空部隊は昨二十四日前日に引續き數次に亘りジヤヴア島主要航空基地たるバンドン、バイテンブルグ、チリリタン、バタビア各飛行場を反復強襲し敵機六十八機を撃破し殘存英蘭聯合軍に對し致命的打擊を與へたり本空襲間バタビア港を壞せる部隊は敵艦船群に猛襲を加へ一隻(三千噸級)汽船二隻に多數の命中彈を與へたり我軍の損害大破一機なり |
02 | 敵輕巡、船舶にも命中彈 |
03 | 合計百七十七機を擊墜 ジヤヴア島六次の空襲で |
04 | 豪膽勇壯な活躍振り 米本土攻擊敵潛水艦への感謝昂む |
05 | 翼贊選擧貫徹問題 各委員の發言內容 |
06 | 蔣介石重慶着 |
07 | 國民的情熱を昂揚 後藤議長の挨拶 |
08 | 各戰線順調に進展 大平報道部長說明 |
09 | 圖像:日章旗飜るパレンバン飛行場 |
10 | 皇軍に感謝決議 |
11 | 陸海軍の美しい協同 田代海軍報道部員說明 |
12 | 對選擧根本方針 湯澤內相の說明 |
13 | 山西匪軍殲滅戰果 |
14 | ジヤヴア島防衛 UP電絕望的見解を發表 |
15 | パ駐土獨大使 襲擊さる |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | □ 三月一日は稅制革新記念日 納稅精神を益益宣揚 |
02 | “兵”志願の豪華版 苓雅寮區から一擧七百五十名 |
03 | 斷然州下の首位 熱血滾る嘉義郡の志願者 |
04 | 知識青年層の 志願が目立つ |
05 | 蓄へよ長期戰だ! 三月より感謝貯蓄を實行 森田臺中州知事談 |
06 | 新化郡志願兵 一、六一八名 |
07 | 屏東の白衣天使 晴れの鹿島立ち |
08 | 青年訓練を強化 進む生擴の推進力 |
09 | 幟を先頭に合格祈願參拜 清水街高美郡部落の志願兵熱 |
10 | 超スピード審議 花蓮港市會一日で終了 |
11 | 森田知事出府 |
12 | 戰勝の感謝祈願 國婦新竹州支部大會 |
13 | 自給肥料の最高峰 堆肥の大大的增產に週間設定 坂口知事指導に出馬 |
14 | 結核撲滅へ 臺中州立療養所上棟式 馬力埔に築く 肺患者の樂園 |
15 | 感激の献金 續續殺到 |
16 | 破損農具の更生 修理班を各地に派遣 |
17 | 演劇收入を献金 |
18 | 復興木材の取扱 州經濟統制課で慎重考究 |
19 | 全島實業補修 教育研究會 |
20 | 高樹庄協議會 |
21 | 七學級增加 花蓮郡下に |
22 | 花蓮港壯丁查閱 |
23 | 高雄中卒業日 |
24 | 勞務會館竣工 |
25 | 淡水建築組合 組合長等決定 |
26 | 屏東市に 新郵便局 |
27 | 新化特種國講所 終了式を擧行 |
28 | 桃園農業學校で話方大會 |
29 | デリス根は 命をとる |
30 | 本社豐原出張所 移轉報社消息 |
31 | 地方便り報社消息 |
32 | 今日の映畫 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 南方へ蔬菜種苗 本島より供給計畫 近く根本對策協議 |
02 | 小麥等の買上標準を查定 三月四日米穀局會議室で |
03 | バナナ加工に着手 青果加工會社で準備中 |
04 | 臺灣電力總會 松木、中村、山本ら 理事候補に選出 |
05 | 臺灣工業化は 電源の增強が急務 增田臺電社長演述 |
06 | 臺北商議所 商業部會 |
07 | 清水東亞海運 社長近く來臺 |
08 | 昨年末信組貯金 一億九千萬圓に肉薄 |
09 | 米增產競技會等 褒賞授與式 |
10 | 蘭陽バス二 十五日免許 |
11 | 臺灣バス組合 第一回定期總會 |
12 | 桃園水利組合 評議會終了 |
13 | 照明燈 |
14 | 商況(廿五日後場) |
15 | ラジオ |
16 | 水滸傳(619)/黃得時;榎本真砂夫 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 南カリフオルニアに 國籍不明の怪飛行機 全米市民に深刻な衝擊 |
02 | 荒鷲モレスビー空襲 濠州空軍當局の發表 |
03 | ジヤヴア各地空襲(蘭軍發表) |
04 | 偵察機で戰闘機擊退 バ半島に於て我陸鷲の殊勳 |
05 | 地味な潛水艦作戰 想像の世界を越ゆる 乘員の苦心秘めらる |
06 | 山下最高指揮 官巡視 |
07 | 樞軸國人逮補 |
08 | 全國道府縣振 興課長會議 |
09 | 推薦會の積極的活動 有力に主張各部座長の報告 |
10 | 圖像:□の丸揚げた皇軍占領下の英領□ボルネオ ウエストンの街を進む皇軍勇士 |
11 | 一億總意の精髓 遺憾なく反映さる |
12 | 大東亞戰完遂決議 けふ全會一致で可決 |
13 | 昭南島の政治的建設 大達市長の着任待つて發足 |
14 | 候補者推薦會の性格 翼贊會側の意向を明かにす |
15 | 主なる意見の要約 |
16 | 立候補者に 紙を特別配給 |
17 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 有數の戰略戰術家 果斷にして豪放磊落な武人 樋口新軍參謀長着任 |
02 | 盡せ今ぞ奉公の秋 決戰下臺灣の職責は愈愈重大 和知參謀長離任の辭 |
03 | 圖像:樋口新臺灣軍參謀長着任 |
04 | 南方協力への構想(一) 本島の資產家よ 真劍な氣持をもつて南へ行け 三井支店長山田政治氏談 |
05 | 慰問品が九 百個 基隆愛婦が贈る |
06 | 銃劍術武道大會を開催 |
07 | 港都の人口總數 十萬五千四十八人 |
08 | “皇民われ”の榮光 翼贊情熱滿堂に滿溢る 中央協力會議開幕 |
09 | 共學生考查 一日建成校で |
10 | 南方の施策問題 齋藤長官を中心に協議 |
11 | 皇軍感謝の献金 軍司令部廿四日の受付 |
12 | 餘韻響く“サヨン”の鐘 神戶から床しい短歌を贈る |
13 | 應募者が六倍 俘虜監視者出願 |
14 | 遂に一萬人突破 臺北市の志願兵熱 |
15 | 南方語講習會 |
16 | 二百三十億と決定 明年度の貯蓄目標 |
17 | 草山ハイク |
18 | 皇奉竹南委員 時局懇談會 |
19 | 豚肉購買帳變る 三月一日から月四回 家庭用購入證使用 |
20 | 種痘を實施 三月二日より |
21 | 興南詩苑漢詩 特別志願兵志願有感/臺南 國江南鳴、特別志願兵志願有感 二/臺南 國江南鳴、特別志願兵志願有感 三/臺南 國江南鳴、特別志願兵志願有感 四/臺南 國江南鳴、特別志願兵志願有感 五/臺南 國江南鳴、特別志願兵志願有感 六/臺南 國江南鳴 |
22 | 山中榮氏送別會 |
23 | 宜蘭水利組合 の評議員會 |
24 | 人事・消息報社消息 |
25 | 商況(廿六日前場) |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 敵航空母艦を擊大破!! 軍艦一隻に大損害、敵十機擊墜 ニユーギニア北東方海上で我が海鷲の大戰果頭條新聞 【東京發同盟至急報】大本營發表(二十六日午後四時四十五分)帝國海軍航空部隊は二月二十日ニユーギニア島北東方數百浬の洋上に航空母艦を含む有力なる敵部隊を發見、機を逸せず敵上空に殺到、敵戰闘機群と壯烈なる空中戰を交へその一部は猛然機諸共體當りを以て敵航空母艦を大破大火災を生ぜしめ他の軍艦一隻にも大損害を與へ敵戰闘機十機を擊墜せり、本攻擊に於てわが方未だ歸還せざるもの九機なり 註右の航空母艦はその被害狀況などより察し撃沈せられたるものと認められるもその終焉まで見届くるに至らざりしを以て沈没確實ならず |
02 | 壯烈極まる體當り 敵の出擊企圖を未然に粉碎 |
03 | 殘存卅七機を擊墜破 陸鷲、第八次爪哇島を猛襲 |
04 | 米蘭空軍に最後の止め |
05 | 國內體制強化發言 協力會總會終る |
06 | 米英聯合國側の 船舶喪失莫大 |
07 | トルコ貨物船 ソ聯潛水艦の攻 擊を受け沈沒 |
08 | 悲觀觀測 米の軍事評論家 |
09 | 圖像:大東亞海縱橫に驅馳する帝國潛水隊 |
10 | あらゆる力を集中 協力會議總會鈴木總裁要望 |
11 | 大東亞戰爭完遂決議 |
12 | 東條總裁挨拶 |
13 | 海鷲、サ岬燈臺爆擊 |
14 | 第二回政府重臣懇談會 |
15 | 谷情報局總裁談 政府、重臣懇談會に關し |
16 | 推薦會が必要 湯澤內相重ねて闡明 |
17 | 後藤議長挨拶 |
18 | けふ初會合 大東亞建設審議會 |
19 | カ州沿岸砲擊 ル大統領、記者の問答 |
20 | 米太平洋岸上空に現はる |
21 | 戰前同樣に 秩序が回復 新納マニラ總 領事歸朝談 |
22 | 米陸軍省發表 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 皇民化に關 する諸問題社說 一 本島に對する統治政策が內地延長主義であり、就中五百餘萬の本島人をして皇民化たらしめようとする事は炳乎たる大方針である事は言を俟たないが、之に達成する方策として此の際再檢討を要すべきところがないではない。先づ考へねばならない事は現在の本島人は傳統、慣習及び性格が長い間に形成されて來たのであるから、之に對して日本精神を注入するには上記の諸點に關し深く堀り下げる必要があらう。丁度學校の教師が特殊の子弟に對して教育を施すには其の子弟の特殊性格を閑却しては到底教化の目的に達する事が出來ないのと同樣であらう。 周知の如く滿鐵の調查部が一般の產業調查以外に滿人の社會に關していくたの貴重な文献を發表したが、本島の第一線に立つてゐる為政者が果して何れ位一般本島人の社會心理を理解してゐるか何うかは疑問なきを得ない。 二 次に皇民化の如き精神事業は到底短日月の間に其の目的に達する事が出來ず、宜しく百年や百五十年の氣長さを要すべきものであるが、當局者の內には稍もすれば單なる形式さへ揃えれば後は何うでもいいといふ行方では魂を入れざる佛と言へなくはない。其の言譯を聞けば形式は或る程度までは精神な支配するといふが、然らば洋服着用者は凡て西洋的精神に支配されるかといへば決してさうではないから、形式的日本化も漸を追ふて無理なく之を指導すべきである。現に石原莞爾中將を主宰とする東亞聯盟の建設要綱に依れば帝國の外地指導方針に關し次の如く述べてゐる。卽ち「民族が存在する間は其民族感情を十分尊重せねばならない。此處に無理があれば自然の渾成を却つて妨ぐる事となる。此の意味に於て言語風俗等を政治の威力によつて急速に變革せんとするが如きは嚴に慎まねばならぬ。特に信仰問題は全く政治の力で强制し得る事ではない。民族の幸福のために風俗習慣の改革は其の心からなる理解の下に自發的に行はれなければならぬ云云」との主張は假令全幅的賛意を表し得なくても他山の石として一考を要すべき問題であらう。 三 尚皇民化促進の捷徑としてはより明朗的臺灣の建設と共に青年に希望を持たせる事である。此處で特筆する迄もなく長谷川總督の蒞任後臺灣の社會は頗る明朗化した事は心ある者の齊しく感知するところであるが、此の氣分を何處までも伸ばすべき事を切望して止まない。而して青年に希望を持たしむる方法として各各其の所を得せしむ事に外ならないから、今後人材の登用等に關しを當局に於て特に周到なる考慮を煩はしたい。現在の本島青年の中には真に愛國心に燃えてゐる者も決して少くないが、希くば彼等をして現實の悲哀を感ぜしめざるよう其の將來に光あらしめたい者である。此の意味に於て今後の南方進出に此等有為の青年を起用する事は當局としても出來る丈努力すべきである。 四 帝國が今後南方經營の進展と共に南方民族政策も愈愈具體化するであらうが、其の方針としてはなるべく在來の慣習及文化を尊重し、安居樂業たらしめたい事は略推知し得られるところである。誠に南方民族に對しては老子の言はれた「無為にして治まる」事を適用する必要があらう。而して無為とは何も為さざるのでなくよい政治と高い文化を以て徐徐に之を化する事を意味するのであつて、斯かる政治は大昔支那民族の理想たりし事もあり、所謂道教的思想も此處に淵源するのである。勿論臺灣統治と南方經營とは自ら其の行方を異にするであらうが、今後の皇民化運動も從來の潔癖性を清算して徐徐に化する事を適宜に加味せられるべき必要がなからうかと思はれる。 |
02 | 生存者に輝く恩賞 支那事變第三十三回 |
03 | 軍援精神の徹底へ 青少年團實踐を強化 |
04 | 比島人・心から協力 皇軍占領下のマニラ市新納總領事語る |
05 | 圖像:新嘉坡陷落祝賀 |
06 | 陸軍記念日の 諸行事を協議 昨日の定例局部長會議 |
07 | 擧州・完納の凱歌 力強い決戰下の納稅報國振り |
08 | 昨日七百餘名 島都志願兵熱愈よ高潮 |
09 | 怯える濠洲を衝く 馬來語が共同語(二) 豐富な人口と多數な人種 |
10 | 島都第一回 婦人鍊成會 けふ終了式擧行 |
11 | 大戰果に感激 武官府に献金群續く |
12 | 心強い銃後翼贊振 臺北通常市會第二日 |
13 | 宜蘭市五十名 |
14 | 羅東郡は八十名 |
15 | 圖像:漢口に於けるシンガポール陷落祝賀 行進 |
16 | 新竹州農會總會 昨日州會議室で開かる |
17 | ときの声 |
18 | 齋藤少將講演 四日臺南市で |
19 | 防諜兒童劇 一日礁溪國民校で |
20 | 雇員筆生募集 臺灣軍副官邸 |
21 | 第四十五期決算公告/臺灣電力株式會社 |
22 | 訃文:林□氏時 |
23 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 良港の使命を完遂 共榮圈建設に於ける高雄の役割 小島議長市會で強調 |
02 | 嘉義陸軍病院 三月七日開院式を擧行 |
03 | 屏東報國挺身隊 緊急評議員會 |
04 | 各地志願兵狀況 |
05 | 各街庄協議會 |
06 | 二萬四千に上る 臺中州下の志願兵 |
07 | 建國正に十星霜 盟邦滿洲國の發展を慶祝 |
08 | 由緒は深し禊橋 けふ莊嚴な渡初式擧行 |
09 | 高雄州農會 通常總會 |
10 | 花蓮港の志願者 |
11 | □ 組合評議員會 |
12 | 畜產會總會 |
13 | 偲ぶ・日露戰の大捷 大東亞戰下に意義一入深し 古都の陸軍記念日行事 |
14 | 圖像:ウエール□號□ |
15 | 花蓮港畜產會 來月四日總會 |
16 | お蔭げで隨分勉強した 田所前臺中州水產課長の榮轉談 |
17 | 鍛ふ乙女の心身 員林郡女青鍊成會 |
18 | 桃園郡漁組改組 三月匆匆總會 |
19 | 臺所にも大東亞戰 戰線、銃後一丸に戰ひ拔け 田中大佐、婦人に熱辯 |
20 | 感激の献金續く |
21 | 二萬甲を水田化 濁水溪取水工事に着手 |
22 | 砂金採取に新生面 自然選鑛法の改善に成功 町の鑛山師に凱歌 |
23 | 銃後食糧に寄與 遍く魚苗を配附 桃園で魚苗配給所竣功式 |
24 | 教員の意氣示現 澎湖廳教育總會 |
25 | 皇軍將兵慰問金第拾八回領收報告(敬稱略)報社消息 |
26 | 土光臺南州 警察部長着任 |
27 | 東部住民の赤誠 感激の献金將に十萬圓 |
28 | 大城庄地主 早期完納 |
29 | 感謝貯蓄を強調 潮州郡で座談會開催 |
30 | 潮州郡壯丁查閱 三月六日に執行 |
31 | 地方便り |
32 | 披露宴を中止 飛行機献納に |
33 | 觀音庄民古鐵を献納 |
34 | 今日の映畫 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 星港失陷と英經濟 濠州新西蘭は生ける形骸 巨額の投資は無價值に轉落 英東亞貿易壞滅 |
02 | 甘藷の販賣價格 近く改良、在來種の 二本建に改正實施 |
03 | 納稅報國運動 三月一日より實施 |
04 | 米穀局古袋 百萬枚拂下 |
05 | 基隆驛改良計畫 下打合會開かる |
06 | 泰國の通貨統制法 英磅為替本位制を離脱 |
07 | 華僑と提携が必要 盤谷見本市報告會で強調 |
08 | 高雄州青果組合 定時組合を開催 |
09 | 石油小賣人商組 合近く創立組合 |
10 | 海員養成機關設置を建議 臺北商議所總會で協議 |
11 | 小麥、麥粉等食糧 近く買入を開始 |
12 | 輸出桶柑好況 價格前月より三割高 |
13 | 鳳山郡料理屋組合 定期總會終了 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況(廿五日後場) |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(620)/黃得時;榎本真砂夫 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 敵艦七隻を擊沈破 バリ島沖海戰の詳報 |
02 | 敵機卅四機擊墜破 ビルマ方面陸鷲の大戰果 |
03 | 濠、蘭連絡遮斷 濠州空相の言明 |
04 | 圖像:大東亞海に猛進するわが驅逐艦隊の威容 |
05 | 政府の意圖は達成 協力會議二日間の跡を顧みて |
06 | 今度は華府空襲警報 真夜中の市民騷ぐ |
07 | マンダレー 蘭貢連絡斷つ |
08 | 樞軸國人拘禁 五千百五十一名 |
09 | マリべレス周邊 敵陣地を猛爆 |
10 | 銳意調查中 米陸軍長官說明 |
11 | 翼贊選擧達成へ 挾間組織局長が說明 |
12 | 圖像:□ンに敵前上陸の我が精銳 |
13 | 汎米防衛委員會を開催 |
14 | 比島の教育を刷新 教科書審查混合委員會を設置 |
15 | 護送□ |
16 | 襲擊潛水艦との交戰經過 米海軍長官言明 |
17 | 順調に懇談進行 翼贊政治態勢協議會 第二回の特別委員會 |
18 | 候補推薦制に贊成 議員同盟の態度決定 |
19 | 船舶喪失莫大 米英の打擊深刻 |
20 | 「潛水艦格納庫」を建造 獨、占領地域の大西洋岸に |
21 | 翼贊壯年團の 初團長會議開く |
22 | ヒマラヤ山脈 を橫斷 新援蔣ルート |
23 | 攻勢戰法□□ 實現困難 米陸軍中佐の新著 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 南方占領地渡航者 嚴選主義で臨む 督府外事部の方針 |
02 | 確乎たる信念で 大田外事部第一課長談 |
03 | 目標の一萬迫る 基隆郡志願兵熱愈高潮の一途 |
04 | 圖像:大東亞戰□ |
05 | 捧盡す翼贊の赤誠 一億の家族會議閉幕 |
06 | 納稅座談會 庶民信組階上で |
07 | 陸軍記念日 行事打合會 あす市議會室で |
08 | 銅鑼三面献納 子弟劇團から |
09 | 圖像:比島戰線だより |
10 | 赫赫の戰果に感激 軍司令部に献金群續續 |
11 | 農民訓練所第 一回生終了式 あす北投現地で |
12 | 南方協力への構想 大東亞の建設に 十億の一人人人銃執る氣持で 杉原產業社長杉原佐一氏談 |
13 | 日滿最初の報導演習 酷寒の滿洲國國境ホロンパイル草原で |
14 | 皇軍に感謝電 決戰下、宜蘭市會開く |
15 | 教科書調查會 |
16 | 寄附金募集市 長の承認要す 各區會に通達 |
17 | 親孝行で登山が好き 散華した中川兵長の母堂談 |
18 | 今日あるを覺悟 故小堀氏は壽國民校出身 |
19 | 記念事業決まる 司法保護の財團法人化 |
20 | 興南詩苑漢詩 寒夜讀書解悶/南都、聞皇軍占領新加坡喜賦/鶴亭、聞皇軍占領新加坡喜賦/鶴亭、敬和瑤韻/少奇、敬和瑤韻/少奇、祝皇軍連戰連勝/游嘯□ |
21 | 新莊郡を筆頭に 各市郡に完納の凱歌 地租官租納稅成績 |
22 | 商況(廿七日前場) |
23 | 興南案內報社消息 |
24 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 陸軍特別志願兵制實施 勅令案決定愈けふ公布 來る四月一日より施行頭條新聞 【東京發同盟】本年度から臺灣に特別志願兵令を施行することは昨年六月の閣議において方針を決定これに要する豫算は今議會の協賛を得たので二十五日の閣議において勅令案を附議決定二十七日上奏御裁可を仰いだ結果二十八日付の官報をもって 一、陸軍特別志願兵令中改正並びに 一、臺灣總督府陸軍兵志願者訓練所官制 を公布來る四月一日より施行せられることになった今回の臺灣特別志願兵令は全く朝鮮における志願兵令を踏襲し志願者は訓練所(臺北)に入所せしめて約六個月間內地人の生活樣式を修得せしめると共に訓練した上入營せしめるものである第一回は來る六月臺北の訓練所に入所せしめ十二月一日以降の十七年度徵集兵と一緒に入營せしめる豫定で人員は本年度は五百名宛二回一千名を採用することになってゐる。 |
02 | ベンクレンを占領 スマンカ灣掃蕩終る スマトラ島完全に掌握 |
03 | ベンクレンは古い開港場 |
04 | 天皇陛下 各地方長官に 午餐の御陪食 三月三日宮中に召され |
05 | 蘭印艦隊全く潰滅 |
06 | 殘存九十九機擊墜破 十八日以來廿五日まで我海鷲の大戰果 |
07 | 荒鷲の羽搏く所敵なし |
08 | 肋骨を痛めて 療養中 ウ聯合軍司令官 |
09 | バタヴイヤを空襲 敵機八機を擊墜破 |
10 | 幻影の空襲騷ぎ 米朝野の醜態ぶり |
11 | 豪膽勇猛、挺身突擊 パレンバン降下部隊の數數の奮戰振り |
12 | 帝國百年の長計確立 大東亞建設審議會初總會 |
13 | 審議會の議事規則 |
14 | 英下院ビルマ 印度問題應答 |
15 | 援英物資清算 協定內容 |
16 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 本島工業化の基本課題 港灣と輸送力の強化を促進せよ社說 一 南方共榮圈建設に協力する本島の重要課題は、各部門に亘つて居るがその中でも、特に重大性を有するのは工業化問題である。督府に於ては夙に本島の使命に鑑み、積極的方針のもとに電源の開發に努力して居り、逐年その目的を達成して居る。然るに大東亞戰爭勃發を契機として、廣大なる南方各地域の無盡藏なる資源を開發する為めには地理的條件よりして本島が最も經濟的にその位置を占めて居る。從つて電源開發計畫も再檢討を要し、出來る限り短期間に繰上げる必要がある。本島工業化への基本問題も豐富なる水力電氣を開發し、內地より工業企業家を招致し以て本島の工業化を促進せねばならない。島內に於ける工業原料としては、硫安工業や化學工業を起す程度であり、その他有用なる工業を起さんとすれば勢ひ南方各地より原料を輸入せねばならない。然るに島內に於ける現在の港灣設備より見るに、從來は單に島內產物及び島外貨物の吞吐を對象とした小規模な設備のみであり、工業化に則應して其設備を擴大强化するのが先決問題である。 二 工業化を圖る基本問題は、豐富なる動力を低廉に供給すると共に、工業原料及び製品の搬出入に支障のない港灣設備が必要である。この見地よりしても南北東西に大規模なる港灣施設を工業化に對應して擴大强化を計るべきである。更に陸上に於ける輸送機關もこの機會に一大英斷のもとに、その輸送力增大を目指して整備せねばならないのである。その他の課題としては工業地帶の指定から優秀なる技術者及び職工の養成も閑却されない重大問題である。工業技術者の養成に對しては工業學校及び臺南高工があり、近くは臺北帝大に工學部を併設する事となつて居る。然るに優秀なる職工の養成機關がなく、本島工業化を促進する上から職工の養成も豫め考慮を拂ふべき課題の一つである、工業化に必要なる資材に對しても、督府が中央と折衝して優先的に確保する必要があると共に、各種工業に必要なる機關を島內に於いて自產自給を圖るのでなければ、工業化を促進する事が出來ない。內地より遊休設備を移入する事もその對策の一つであるもそれも督府が積極的方針のもとに內地企業家に呼びかけるべきである。 三 本島の南方協力方策は多多あるも、その適應性よりしては工業化を促進する事が最も捷徑であるが、其促進方策に對しては官民が一體となつて真摯なる態度を以て檢討を加へねばならないと共に、速かに實行に移さねばならない時代である。廣大なる世界の寶庫を占める南方共榮圈內の資源を開發するのが我等一億國民の責任であると共にその有用資源を商品化して東亞民族の生活文化に役立せる事も大事である。かかる重大なる意義と使命を果す上から本島の工業化問題は、政府當局の奬勵助長に對應して六百萬島民が、全面的に協力と援助を為すべきである。本島工業化の基本問題も、督府當局の善處に期待すると共□□□工業の□□□□□□は□□□□奮起に待□□□□□□□□□□□南方圈(內容難以辨識) |
02 | 畏し率先御垂範 兩陛下並に皇太后陛下が 鐵銅製品を御下渡 |
03 | “おい!見えるか 敵陣が吹ツとんでゐるぞ” 戰友の遺骨を胸に比島へ爆擊行 |
04 | 樋口新軍參謀長 各方面に着任挨拶 |
05 | 九死一生の逃亡 濠州マレー派遣軍司令官 ウ副官の苦心談 |
06 | 讚へよ皇軍、捧げよ感謝 三月十日の陸軍記念日を期して 感謝週間を設定 |
07 | 司法保護實務 者鍊成會 |
08 | “異議なし”の連發 島都の市會終る |
09 | 一萬名を突破 島都の志願兵申込 |
10 | 青年學校指導 者講習會 |
11 | “醫は仁術”を昂揚 文相を中心に協議 |
12 | 聲の親善使節 盟邦タイと交換放送 |
13 | 新竹州畜產會 通常總會 |
14 | 高砂青年時局懇談會 來月二日警察會館で |
15 | 滿洲建國十周年 島都の祝賀行事決定 |
16 | 宜蘭市會閉幕 全部原案通り可決 |
17 | 記念切手と 特殊日附印 |
18 | ときの声 |
19 | 決戰下の“婦人魂” 第一回鍊成會終了式 |
20 | 皇軍に感謝し 華僑が献金 軍司令部に |
21 | 飯米配給事務 一日から各市 出張所で取扱 |
22 | 高商の東亞經濟 專修科生徒募集 |
23 | 人事・消息報社消息 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 特に公醫を派遣 遠隔不便の地北社尾に 嘉義市の志願熱高潮 |
02 | 一千名を突破 臺南市の志願者累計 |
03 | 献穀田の 田植祭 |
04 | 圖像:敵陣へヂリヂリ迫る皇軍勇士(於ビルマ戰線) |
05 | 在學生の志願 |
06 | 志願兵事務の 取扱ひを協議 |
07 | 兵隊さんに慰問袋 花蓮郡國民校兒童から三百個 |
08 | 臺南署射擊會 |
09 | 桔梗俱樂部愈よ誕生 撫子會發展的解消 |
10 | 張總領事列席 臺中華僑新民 公會總會に |
11 | 竹南社會館 三月一日竣工式 |
12 | 臺中州農會 總會を開く |
13 | 畜產會總會 |
14 | 和蘭東印度 會社と臺灣(三)/國分直一 |
15 | 從來の不評一掃 枡目から公平な重量計りへ 嘉義の飯米配給合理化 |
16 | 松山臺中州警 察部長着任 |
17 | なんと三倍の激增ぶり 嘉義市菓子屋愈よ統制會社設立 |
18 | 花蓮港市鮮魚 仲介人組合献金 |
19 | 能高女青鍊成會 三月一日より六日間 |
20 | 種痘義務者は 早く屆出でよ |
21 | 鳳山郡壯丁團 檢閱競技大會 |
22 | 小野田氏 赴任の途へ |
23 | 農務主任打合せ |
24 | 各地街庄協議會 |
25 | 圖像:時局郵便切手圖案 |
26 | 時局映畫會 廿六日中圳子で |
27 | 鐵道線路移轉交涉 新化街座談會で決議 |
28 | 屏東郡下壯丁 團三日に查閱 |
29 | 硫安近く入荷 |
30 | 北斗郡教職員研究 會、學校長打合會 |
31 | 蕃地必需品組合 總會を開催 |
32 | 模型航空機製作 講習會 |
33 | 曾文郡國民學 校卒業式日割 |
34 | 人事 |
35 | 地方便り報社消息 |
36 | 今日の映畫 |
37 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 石炭需要增に鑑み 各所に貯炭場建設 督府より損失を補償 |
02 | 郵便局賣出債券 事變後三千六百餘萬圓 |
03 | 島內郵貯現在高 六千八百四十九萬圓 二月廿四日 |
04 | 二期米納入 三百七十四萬袋 |
05 | 纖維製品配給 協議會創立總會 |
06 | 蠶糸業不安なし 共榮圈內へ供給の途開く |
07 | 貨物運賃の改正 近く最後決定 |
08 | 東部トラツク合同 近く具體化 |
09 | 荷役增強對策を 鐵道部で協議 |
10 | 臺灣製鐵界に福音 海綿鐵近く市場に |
11 | 海上輸送力增強 共同集荷制採用 |
12 | 商銀人事異動 |
13 | 大成火災總會 滿期重役重任 |
14 | 照明燈 |
15 | 商況(廿七日後場) |
16 | ラジオ |
17 | 水滸傳(621)/黃得時;榎本真砂夫 |
18 | 廣告 |