興南新聞1941年3月
序號 | 標題 |
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01 | 箇舊、滇緬公路を爆碎 |
02 | 斷乎たる決意を具現 佛印、第三國介入を期待せば |
03 | 河內邦人に引揚勸告 |
04 | 商船の引揚配船手順 |
05 | 佛印の態度依然強硬 |
06 | 佛印軍續續國境に集結 |
07 | 商船護送制の確立 有事即應の戰時立法 我が通商に萬全の備 |
08 | 東京和平交涉問題 ハル長官と記者團との應答 |
09 | 米陸軍極東へ輸送 米陸軍省當局は否定 |
10 | 比島空軍を增強 |
11 | 比島の軍備增強 ハル長官談 |
12 | 圖像:日獨陸軍首腦會談 |
13 | 米下院國防追加豫算を可決 |
14 | 兩院協議會開かる |
15 | 英土重要會談 |
16 | アラスカの 空軍を增強 米陸軍長官發表 |
17 | 法案八十七件成立 翼贊議會の真價を發揮 |
18 | 英商船十六隻を 獨軍一擧に擊沈 |
19 | 海洋航空路の 開拓試驗飛行 叢雲號パラオ出發 |
20 | 翼贊會を純化し 運動方向明瞭に 貴族院の希望決議 |
21 | 獨伊戰時經濟一體化 戰時通商協定調印さる |
22 | 重慶側參政會 共黨側出席せず |
23 | タンヂールの防備 英西協定成立 |
24 | 明日の天氣 |
25 | 水滸傳(349)/黃得時;榎本真砂夫 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 上海の抗日テロ團 徹底的に檢擧殲滅 我が出先當局經過を發表 |
02 | 祭粢料傳達式 故山村伍長の光榮 |
03 | 生活必需物資の 第一回國勢調查 三月一日全國實施 |
04 | 圖像:素手で敵兵六百名を捕ふ |
05 | 愛婦新竹州支部記念式 |
06 | 內水魚の增殖に 全國の湖沼總動員 |
07 | 防空打合會 けふ州廳で開かる |
08 | 白衣の諸勇士 內地へ懷しの歸還 |
09 | 市街庄下部組織懸賞論文 入選者發表さる |
10 | 主婦の職域奉公 (上)廚芥塵芥の利用更生 |
11 | 農村工藝品の南進 蘭印で展示會開催 |
12 | 茶道の新體制 皇國茶道協會を組織 |
13 | 臺北市材木商協會寄附 |
14 | 結核療養所 一日から開所 |
15 | 神岡氏講演會 |
16 | 元氣な勇士をスケツチ 造型美術協會の彩管報國 一日から教育會館で協會展 |
17 | 代用纖維が筆頭 特許出願激增の一途 |
18 | 豚肉の配給 新竹市で週二回 |
19 | 產米報國挺身隊 基隆郡近日中に組織 |
20 | 山本局長が訓示 |
21 | 鍋釜の泥棒檢擧 |
22 | 金の死藏・銃後の恥 一人殘らず賣りませう 三月一日から買上げ開始 これも臣道實踐 |
23 | 治安の徹底に 一行驚く 廣東教育視察團歸途寄臺 |
24 | 英本國工業 愈よ濠洲へ移轉か |
25 | 遞信部後援會 音樂舞踊會 |
26 | 臺北市役所に 印刷所出現 四月匆匆店開き |
27 | 豐原街協議會 質疑の後可決 |
28 | 未種痘者の種痘 五日から實施 |
29 | 偽刑事擧げらる |
30 | 今夜の放送 |
31 | 商況 廿八日前場 |
32 | 映画案內 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 亞細亞の旗(95)/小栗虫太郎;坂本仁 |
02 | 家庭・婦人 家庭生活の續き 親の氣遣は禁物 入園までの心得ごとは? この春幼稚園に 子供を出す親へ |
03 | 砂ホコリの音 衣類から除く方法 |
04 | 圖像:褚大使に贈る親善人形 |
05 | 婦人說苑 農村向上に婦人の手/阿部靜枝 |
06 | 魚豆腐 |
07 | 大寒を征服する 溫まる食物 野菜を煮るにも油を添へて |
08 | 赤んぼはナゼ泣くか 若き母親たちへの注意 |
09 | 圖像:英本土の危機切迫 |
10 | 職場案內(一) 製圖工の卷 |
11 | どんな玩具を 與へるべきか 運動的玩具を與へよ |
12 | 火傷の手當 大切な早急の處置 |
13 | 水藥の服み方 振つてから服む |
14 | 紙上病院 |
15 | 赤ちやんの保溫 |
16 | すぐとまる 小鳥の“下痢” |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語學習 口頭試問について |
02 | 綴方の文題 いよいよ三學期も後一ケ月になりました最後のこの月をみんな元氣でガンバリませう。 |
03 | 大政翼贊の歌 |
04 | ドロボウニカミツイタ カシコイネコノハナシ |
05 | これはべんりなぬの ひにももえない みづにもぬれない |
06 | 本當にゐたものか? “河童の研究”始まる |
07 | 心からスツカリ日本人に 躍進する北屯庄 |
08 | 藝を覺えた荒鷲 こまつたことには 一ケ月の食費百圓 |
09 | 「海のポスト」 |
10 | 笑ひ話 魚釣問答 |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | けふ外務首腦會議 帝國の萬全策を練る 佛側誠意頗る疑問頭條新聞 【東京二十八日發同盟】帝國政府のタイ佛印間國交紛爭に關する調停案に對するフランス政府の回答は我が方が二十八日中に期待する旨の期限を附してゐるにも拘はらず午後に至るも未だ到着せずフランス側のこれに對する誠意の程が疑はるるに至つた、然して二十八日深更に彼が應諾の回答を寄するも或ひは數日の猶豫を求むるにせよ何れにしても事態の切迫は問題解決の遷延をこれ以上許さざるに至つたので外務當局としても三月一日松岡外相、大橋次官各局長列席首腦會談を開催し萬全の對策を鳩首協議するものと見られる、然して去る二十七日フランス代表が內示し帝國調停委員の意向を打診せるフランス側對案の內容は 一九◯四年のタイ國の失地したるパクセ、ルアンプラスバンの返還には應諾し得るとしても一九◯七年の失地たるカンボヂヤ西部地區卽ちフランスがタイ國に於ける治外法權撤廢の代償として得たバツタンシムラツトシソホン一帶の地域の返還は佛印の民眾の意思に反し佛印の分裂を來す との意味の如くである、斯くてフランス側が徒らに佛印民眾の利害に藉口して第三國側の策謀に乘り停戰協定期間滿了日を來る三月七日に控へて徒らに蠢動を續ける事は東亞の指導勢力たる帝國政府の容認すべからざるものとして最惡の場合を豫想して萬全の對策を練つてゐる次第である |
02 | 海防邦人にも引揚勸告 |
03 | 引揚げ準備勸告文 |
04 | 引揚げ早急斷行か |
05 | 佛印當局のコムミユニケ |
06 | 刑法改正案再修正 兩院協議會で可決 |
07 | 八法案を可決成立 貴族院本會議 |
08 | 兩院協議會再修正案 |
09 | 眾議院本會議 |
10 | 貴院各派の 申合せ |
11 | 海鷲溉口鎮を爆擊 |
12 | 成行を嚴重に監視 我國一步も引けぬ |
13 | 我が現地各機關 緊急協議 |
14 | 圖像:興化城東門上を守る我が曉の步哨 |
15 | 寸土も讓らぬ佛國政府強硬態度 尚けふ閣議で問題を再審議 |
16 | 超スピードの審議 翼贊議會の面目躍如 |
17 | 野村大使、ウ次官と會見 |
18 | イラン國公使 入京 |
19 | 本多大使 上海に歸着 |
20 | ソ泰通商協定 交涉開始せん |
21 | タイ國使節 ベルリンへ |
22 | 義勇隊を募集 マニラ米人協力委員會 |
23 | けふ全議案終了 あすから休會に入る |
24 | タイ國に領事館を增設 邦人の進出增加 |
25 | けふの兩院 |
26 | 臨時地方長官會議 召集取止め |
27 | 機雷原を擴張 昨日マレー政廳發表 |
28 | 米、緊急國防調整局を新設 |
29 | 米統組合官選議員 |
30 | 今日の天氣 |
31 | 大阪商船基隆出帆 |
32 | 辰馬汽船 |
33 | 日本郵船基隆出帆 |
34 | 大連汽船 |
35 | 東亞海運 |
36 | 南日本汽船 |
37 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 島內石炭價格引上の要あり社說 一 昨年來島內石炭の出炭高が當局計畫數量に比し減少し、今後の增產が頗る困難の狀態となつた。其の原因は色色あらうが、石炭の價格が釘付けられてゐる□面に勞銀、資材、運賃其の他の諸支出が豫想以上に連續的に膨脹し、今や島內炭坑の約三分の二が採算不引合の苦境に陷つてゐる。就中勞銀の著しき向上に反し坑夫の能率が却つて低下して來たので、現在內地の炭坑に於て直面せる困難と全く同一の樣相を呈してゐるのである。現下の時局に際し石炭增產の急務は今後益益加はる許りであるから當局に於ても昨年度の豫算に夙に百七十萬圓の補助金を計上して增產奬勵に努力してゐるが、其の金額が生產費の向上に比し極めて少額であるのみならず、補助金支給の查定が頗る困難であるため今尚下附する運びに至らない狀態にあるから、其の效果は案外擧らない模樣である。有體を言へば補助金の合理的交付は中小炭坑の多き本島に於ては殆ど不可能だと言はれてゐる位であるから、此の際石炭價格を適正に改訂する事は極めて必要ではないかと思はれる。 二 現在島內販賣價格は各驛貨車渡しで塊炭一瓲の一級が十七圓二級十六圓七十五錢、三級十六圓五十錢、四級十五圓五十錢、粉炭一瓲の一級が十四圓、二級十三圓七十五錢、三級十三圓五十錢、四級十二圓五十錢であるが、島內出炭の約八割が價格の安い粉炭であり、且つ平均二、三級の品質しか產してゐないから、多くの炭坑では一瓲平均約二圓の赤字となつてゐるとの事である。內地に於ても石炭價格引上げの必要が夙に唱へられ、政府も議會に於て近く實行すべき事を言明してゐるが、島內の價格は內地炭に比し極めて割安である事は、一瓲七、八圓の運賃を加へて內地へ移出しても且つ引合つてゐる一事を見てもう了解し得るのである。然るに本島の炭坑は槪して二、三尺の薄層多く企業の條件は決して良好だと言へないから、寧ろ內地に比し引上げの必要がモツト痛切であると信ずる。 三 ところが價格の引上げは石炭に限らず政府の低物價政策と矛盾するのであるから、なりべくならば之を避けたいし又避けなければならないが、他の物價ならば或は企業の整理統合なり或は合理化を圖る事に依つて生產費の昂上を防止する餘地はあるが、石炭業の場合は今後深堀するに從つて生產費が益益髙む許りであるから、現在では勞銀以外に殆ど生產費を切下げる事が出來なくなつたのである。勞銀も島內に於ける各種事業の勃興等を鑑みれば之を極端に引下げれば直ちに他の方面へ逃避するであらうから果して一部の期待してゐる效果が現はれるか何うかは疑問なきを得ない。殊に石炭增產は旣に絕對的命題となつてゐる今日に於て事業の採算を惡化せしめた儘に放棄すれば苦しさの餘り切羽や坑口を放棄して兎もすれば亂堀に陷る危險があり、又一面前途見透難のため新規設備を行はなくなるから、今後の增產は全く困難となる許りでなく、稍もすれば却つて減產の恐れなしとしない。此の角度から見て適正利潤を含む適正價格の設定は不徹底な補助金制度よりも炭業對策の核心に觸れるものと思はれるから當局に於て一日も早く價格の改訂を斷行せられん事を切望せざるを得ない。 |
02 | 今日も一日銃執る氣持 第二學校義勇號 總督、軍司令官以下臨席 きのふ嚴かな命名式擧行 |
03 | けふは興雅奉公日 一億一心、勤勞增產へ |
04 | 圖像:第二學校義勇號命名式 |
05 | 飛んだ飛んだ僕らの飛行機 銀翼輝く進空式 |
06 | 新竹州水產會 通常總代會 |
07 | 國都新京は慶祝一色 けふ滿洲帝國建國祭 |
08 | 日滿蒙疆民族の 共和が必要 木庄繁大將の思ひ出 |
09 | 米食依存の清算へ (上)鄉土食の第一回發表 |
10 | 羅東郡冬山庄茶業組合總會 |
11 | 主婦連熱心に傾聽 食糧問題講演會盛況 |
12 | 總督府人事異動 きのふ發令さる |
13 | ときのこゑ |
14 | 婦人の進出目醒し 男の職工に伍して銃後の生產へ |
15 | 氣象代表に小笠原教授出席 汎太平洋學術會議 |
16 | 田中善之助畫伯の個展 |
17 | 羅東郡水利組合定時總會 |
18 | 新竹市勞務協會支會發會式 |
19 | 北區接客業者 自肅を申合せ |
20 | 羅東郡街庄長會議 |
21 | 日本棋院昇段權獲得者 |
22 | 本社異動(一日)報社消息 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 生食甘蔗栽培禁止により 砂糖卅二萬俵增產 農地管理令に基き府令で公布 |
02 | 臺灣家庭必需品會社成立 社長は馬場彥太郎氏 |
03 | 簡保契約漸增 一月末現在一億八百萬圓 |
04 | 日米危機と我が纖維の將來(上) 進むべき途ただ一つ 共榮圈の全衣料引受 |
05 | 青果組合聯合會 評議員會 |
06 | 簡易保險法、年金法 來る四月一日より施行 |
07 | 青果組合聯合會 評代議員懇談會 |
08 | 內地農業增產 報國隊の報告 |
09 | 保險業法施行 改正規則昨日公布 |
10 | 州下金製品の 賣却を更に徹底化 本日より一個月間猛運動 |
11 | 興業信託總會 配當は五分据置 |
12 | 物價調整會議 諸種提議事項を議了 |
13 | 臺電汕頭支店新設 支店長菊池氏に內定 |
14 | 新高水利組合評議會 |
15 | 從業員移動防止令で 港灣荷役力に異變 |
16 | 皮膚藥「ケンビ」 中島洋行で賣出 |
17 | 照明燈 |
18 | 經濟手帳 營團 |
19 | 市價及商況 廿八日 |
20 | バナナ相場 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 見よ愛國心の發露 小遣錢を儉約して銀翼献金 埔里北公少女團の美擧 |
02 | 軍屬陳氏の庄葬 嚴かに執行さる |
03 | 臺東街協議會 質疑の後原案可決 |
04 | 臺東街豫算內容 |
05 | 正條密植を獎勵 北斗郡の米增產進捗 |
06 | 北港街豫算會議 |
07 | 十街庄共完納 南投出張所管下 |
08 | 豐原街外四庄組合 豫算會議終了 |
09 | 內地增產挺身隊 前期班の實踐報告(四) |
10 | 有益な意見開陳 板橋街協議會終る |
11 | 一時間半で議了 溪湖街協議會 |
12 | 員林街黃姓 廣田と改姓決定 |
13 | 模範防空壕を構築 竹東消防組の計畫 |
14 | 國語家庭門標交付式 |
15 | 十五分間で議了 竹塘庄協議會 |
16 | 芎林糖廍失火 一棟燒失、損害八百圓 |
17 | 臺東製油工場失火 損害約八千圓程度 |
18 | 司法特高主任會議(臺東) |
19 | 伯岡信組總代 當選者發表 |
20 | 質疑の後可決 魚池庄協議會 |
21 | ローカル・セクシヨン報社消息 |
22 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 納稅は 御國を守る鐵兜! けふは稅制革新記念日 臺中州の行事色色 |
02 | 鞏む“大地の武裝” 臺中州、防空群指導要項を通牒 |
03 | 產業組合記念日 高雄州下の行事 |
04 | 臺南州會に謝電 西尾總司令官から |
05 | 增產一路(9) 世界一の產卵記錄 年に三百六十二個を生む 臺北州種畜場種鷄部(中) |
06 | 花蓮港壯丁團檢閱 |
07 | すくすく伸びる野菜 臺中憲兵分隊の閑地利用が實を結ぶ |
08 | 圖像:「生めよ殖やせよ」 |
09 | 八卦山の植樹 奉仕作業で近く實施 |
10 | 笑止、脫走兵續出 戰爭に怯えるアメリカ |
11 | けふ興亞奉公日 花蓮港市の行事 |
12 | 射擊大會大盛況 きのふ鄉軍臺南支部で |
13 | 高雄州農會 きのふ總會開催 |
14 | 國防献金と恤兵金(下) 一月中臺北武官府馬公要港部取扱ひ |
15 | 高雄州の畜產會 二十八日に通常總會 |
16 | 總督宛の意見書 屏東市會で決定 |
17 | 歌ふ“螢の光” 學童果立つ日近し |
18 | 彰化郡下各小公學校卒業式 |
19 | 臺南長榮中卒業式 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 陸軍定期異動けふ發表 支那派遣軍總司令官更迭 |
02 | 劃期的な人事行政 銓衡方針の二重點 |
03 | 西尾大將最初の凱旋 嚴肅な儀禮を以て待遇 |
04 | 全面的刷新 |
05 | 佛側、妥協回答通達か U・Pヴイシー電に依る |
06 | ド政權の強がり |
07 | 西貢の空氣頓に緊迫 佛人重大性を知り狼狽の色 |
08 | 佛政府緊急閣議 |
09 | 佛側は小心翼翼 我方、依然嚴重監視 |
10 | 目覺しい 獨機の戰果 |
11 | 對バルカン實力行使 獨、平和工作を放棄か |
12 | 圖像:來栖大使歸任挨拶にヒ總統訪問 |
13 | 辰已駐英武官 マ陸相と會談 |
14 | 九廻の念に堪へぬ 小山議長感慨を語る |
15 | 日獨提携につき會談 大島大使信任狀奉呈 |
16 | 皇民鍊成讀方研究發表 八、九兩日建成小で開催 |
17 | 食用油が出廻る |
18 | 明日の天氣 |
19 | 水滸傳(350)/黃得時;榎本真砂夫 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 豪雨を浴びて敢鬪 全島青年團強步大會 |
02 | 武勳の興亞英靈 內地へ無言の凱旋 |
03 | 皇軍の勞苦を犒ふ 小林前總督、海南島へ |
04 | 臺灣と同等或は 以上に發展せん 小林前總督の視察談 |
05 | 將來有望なのは 西北部の鐵山 廈門で再び海南島を語る |
06 | けふ廈門帆出 四日迄臺北滯在 |
07 | 神饌田正條植 青年團員が奉仕 |
08 | 皇軍に慰安所を 近く基隆市に軍人會館出現 |
09 | 橫山市長の話 |
10 | 城北地區防空打合會 けふ稻江會館で開催 |
11 | “少年保護記念日” 四月十六日に實施 |
12 | 中村法務局長談 |
13 | 各街庄に消防施設 七星郡で配置に決定 |
14 | 市民に防諜の協力方を要望 |
15 | 一大攻防戰を展開 警官練習所生新竹州警察部湖口で合同演習 |
16 | 基隆郡下献金二件 |
17 | 臺北州方委總會 十九日市公會堂で |
18 | 基隆商工會議所の十三回商業部會 |
19 | 一中卒業式 けふ擧行さる |
20 | 新竹中卒業式 |
21 | 雜纖維加工業を統制 |
22 | 恤兵金と茶殼を献納 |
23 | 基隆奉公班市常會 |
24 | 紡績業の權威 中旬視察に來臺 |
25 | 草山へ櫻ハイク |
26 | 廉窟尖へハイク |
27 | 瀧澤氏、交通會社入り |
28 | 經濟違反數 依然減少せず 一般の反省要望 |
29 | 列車に鑠かれ即死 |
30 | 人事・消息 |
31 | 今夜の放送 |
32 | 商況 一日前場 |
33 | 映画案內 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 亞細亞の旗(96)/小栗虫太郎;坂本仁 |
02 | 家庭・婦人 娘さんの態度に 隙が多過ぎます あの手この手ご存知ですか 近頃頻繁な不良行為 |
03 | 大人も一緒に 子供の心で遊ぶ ここに信□と愛が湧く |
04 | 圖像:興亞進行曲の舞踊化 |
05 | 鏝臺の作り方 |
06 | アルミの鍋に 磨き砂は禁物 鍋類の長もち法 |
07 | 百日咳とその療法 |
08 | 婦人說苑 全婦人一致して/村岡花子 |
09 | 盜汗はなぜ出る それを豫防するのに いろいろ方法がある |
10 | 子供の機と椅子 身長を標準にせず坐高で選べ |
11 | 真綿の洗ひ方 |
12 | 殘飯お料理 |
13 | 眼病の中には 先天性が多い 血族結婚も一因 |
14 | 紙上病院 |
15 | 年寄や子供と 道を步く時は |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語學習 護れ我等の大空を 防空訓練はじまる |
02 | 國語力だめし(二十二) 二千語讀方 |
03 | 圖像:問題の新嘉坡 |
04 | 青年室 戰備に狂奔する 英米の據點新嘉坡(一) |
05 | 青年常識 佛領印度支那(一) |
06 | 隨想隨筆 “吾呼ぶ聲”/水城正史 |
07 | 軍隊の渡れる氷の厚さ |
08 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 事態解決の曙光見ゆ 佛印側、強硬論を一擲頭條新聞 【東京一日發本社支局特電】佛印政府は廿七日深更迄ドクー總督モルダ軍司令官以下佛印軍間最高幹部參集の上重大協議を開催 一、東京會議決裂の場合日本の決意如何、二、對英米關係と佛印の將來 に關し佛印としての最後的腹を定めるべく熱心な協議を行なつたが廿八日午前十時に到りジユアン海軍大佐はドクー總督の命に依り官邸に我澄田少將を訪問一時間餘りに亘り會談を行なつた。其の結果澄田少將以下監視團幹部は林總領事を加へて直ちに緊急會議を開き二時間に亘り重要打合を遂げた、ジユアン大佐の澄田少將訪問は明らかに二十七日の總督府會議の結果を齎したものと見られるが佛印政府は東亞の平和維持の建前から今次調停の役割を買つて出た日本の決意が想像以上に頗る强硬なものなることを知り前日來の强硬論を一擲著しく軟化し「東南アジアへの戰火波及防止のためには大體讓步も已むなし」との結論に達したものと見られる尚佛印政府は廿八日早朝ヴイシー政府に對して長文の電報を發した模樣であるが、斯くて日本の斷乎たる解決方針に依り廿六日の緊迫せる事態は著しく緩和し解決の曙光が見えるに至つた |
02 | 回答未だ到着せず |
03 | 自ら墓穴を掘る英國 支那軍の緬甸進駐田中臺灣軍報道部長談 |
04 | 諸政策を強力推進 政府、構想實現に邁進 |
05 | 勃國三國同盟に參加 きのふ議定書に調印 |
06 | 非常な親日國 蜂谷督府外事部長談 |
07 | 西尾大將武勳の跡 |
08 | 我家に歸る樣な氣持 畑大將決意を語る |
09 | 畑大將以下四將軍の 親補式行はせらる |
10 | 和知少將の略歷 |
11 | 掉尾の兩院本會議 治維法改正、刑法改正法案等成立 |
12 | けふから自然休會 |
13 | 英、勃關係險惡化す |
14 | バルカンの形勢 依然一觸即發 |
15 | 議員俱樂部の申合せ |
16 | 滿國建設九周年 東京大使館で記念式典 |
17 | 本多駐支大使 一個月振りに歸寧 |
18 | 地方課長會議 十一日に招集 |
19 | カリ米特使香港着 |
20 | 中國駐滿大使館辦事處 きのふ開處式 |
21 | 商震等更に 印度に向ふ |
22 | けふの天氣 |
23 | 日本郵船基隆出帆 |
24 | 大阪商船基隆出帆 |
25 | 辰馬汽船 |
26 | 大連汽船 |
27 | 東亞海運 |
28 | 南日本汽船 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 打倒英國が先決條件社說 一 今更の如く打倒英國でもあるまいが、併し世界客觀情勢は打倒英國成らずんば世界に光明なしと斷言するもあへて誇張ではないのである、東亞新秩序建設においても、歐洲新秩序建設においても其の實現を期するには打倒英國が先決條件である事は最早くどくど論ずる迄もない。殊に東亞建設は日本の死活問題である以上打倒英國は日本にとつて何國よりも深刻にして切實な問題である。最近起つた新しい問題たる泰佛印紛爭に對する日本の居中調停に關しても英國の裏面策謀は實に露骨を極め茲調停の不調を策してゐる事は當事國の不和は勿論日本として其の面目にかけても默視し能はざるものであり、實力の發動に訴へても初志の貫徹に努めなければならぬ。日本の調停案に對するフランス政府の回答を二十八日迄と期限を附してあるに不拘言を左右にして未だ回答の誠意を示さず日本の誠意を裏切るに至つた事も英國の策謀によるものと解される點多多あるのである 二 ドイツの英本土上陸作戰はいまだ機熟さず、又地中海方面が幾分小康を保つてゐるに乘じイギリスは頃來以前にも增して惡辣なる策謀をめぐらし、極東危機說を强調流布してアメリカを抱込み、濠洲和蘭と組んで對日包圍陣の結成を急ぎつつあり、又最近において我松岡外相の言を逆用して恰も日本が歐洲戰亂に對し和平調停の意志を表示したかの如く言ひふらし日本與み易しの感を列國に與へんとする劣策を弄したのであつた、要するにイギリスとしては飽くまで米國の援助强化を計り、他方に日本の南方進出を阻まんとするの策であり、まだ迷學よりさめず日本の實力を輕視してゐるのである。一方米國も英國と步調を合せ對日敵性を刻刻と露呈してゐる事實より觀て、最早彼等の迷學さめざる限り日本は實力發動によつて彼等に對する以外に手がなくなつたのである 三 獨英戰局が稍小康を得てゐる事によつて英國は氣を好くしてゐるようであるが、これは所謂嵐の前の靜けさであつて、むしろ次の瞬間に襲ひ來る嵐の物凄さを思はせるのである、否吾人は世界平和確立のため全人類の幸福のために、嵐の一層强烈ならん事を望み且つ信ずるのである。英國は只管に米國の援助に賴り勝利をはくせんともがいてゐるのであるが、米國としても見込のたたない者に對しても尚且つ援助する程の代物ではなく萬事ソロバンをはじいての行動であるから來る四、五月の交をトして獨逸の英本土上陸作戰遂行が完遂されたあかつきにおいては、米國の對英政策は俄然一變するであらう事が豫想出來る。と同時に米國の對日政策、對獨政策にも一大變化が來るであらう。此の意味において打倒英國がすべてを解決するものであり、われわれとして此の際徒らに獨逸によつて打倒英國を欲するのは卑怯である。殊に東亞共榮圈確立を期する上において絕對的條件たる打倒英國であつて見れば日本として何等かの形において精神において積極的に打倒英國に向つてバク進しなければならぬ。若し歐洲戰亂において英國が勝利を得る事ありと假定しその結果を想像する時 、日本が最大にして最高の犧牲をはらひつつある東亞建設の聖業に如何なる影響がもたらされるであらうかはあへて論ずる迄もあるまい |
02 | 寶庫海南島では 本島青年の進出を期待 小林前總督の視察感想談 |
03 | 小林前總督 長谷川總督を訪問 |
04 | 實に名殘り惜しい 軌道に乘つた軍官民一致は愉快 上村前參謀長離任辭 |
05 | 最も愉快な勤務地 酒井前憲兵隊長語る |
06 | 憲警の協力に 努力して來た 杉原前憲兵分隊長語る |
07 | 戰死者遺族を 總督代理が弔問 |
08 | 岡村伍長市葬 八日宜蘭で執行 |
09 | 歡樂境の自肅自戒を強調 接客婦人に |
10 | 豚肉配給に札交付 |
11 | ラヂオドラマ講習會 放送局で開く |
12 | 真劍果敢な演習 北部三郡から開始 新竹州下の第三種空訓 |
13 | 生活の科學化へ 技術部面にタツチする人人 科學委員續續推薦 |
14 | 稅務課職員 神社に參拜 |
15 | 草履新販賣價格指定 |
16 | みつちり鍛へて 府拓士道場生近く歸臺 內地に於ける訓練を終へて |
17 | 遺家族に恒岡氏講演 |
18 | 造型美術展盛況 |
19 | 鷄も鶩も統制 販賣價格と配給機構を設く |
20 | 叢雲號 デリーに安着 |
21 | 田中畫伯の個展 |
22 | 北二中卒業式 |
23 | 防空壕を構築 花蓮郡職員が奉公日に |
24 | 恤兵展窓飾競技會規定 |
25 | 煙突に飛込自殺 |
26 | 蓬萊丸無電 |
27 | 人事・消息報社消息 |
28 | ときのこゑ |
29 | 宜農卒業式 |
30 | 淡水中卒業式 |
31 | 森日本肥料理事長 |
32 | 定期航空 |
33 | 映画案內 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 甘藷小賣價格決定 臺北、臺中百斤三圓六十錢 其他の州廳三圓以內 |
02 | 臺北市 米穀共精共販組合 補償方法を決定 三月中に結成せん |
03 | 林投帽編講習會 一日より四十日間臺南で |
04 | 本島を中心とする(上) 內外經濟界概況 總會席上に於る水津臺銀頭取演述 |
05 | 納稅報國に邁進 |
06 | 鮫皮檢查事務打合會 獎勵金其他に付協議 |
07 | 臺銀總會 配當は六分据置 |
08 | 鐵道輸送總力週間 近く實施、目下立案中 |
09 | 海南島水產座談會 三日鐵道ホテルで |
10 | 內地製機器發註 申請手續改訂さる |
11 | 本年一期米增產か 肥料安と施肥良好で 全島肥料會議 |
12 | 新龜山發電所 十三日竣工式を擧行 |
13 | 日用雜貨商組合 新化支會役員會 |
14 | 臺灣青果職制改正 池田專務を總務部長に |
15 | 新化郡水利組合評議員會閉幕 |
16 | 旗山郡水利組合評議會終了 |
17 | 照明燈 |
18 | 佛印會談好轉に 株式反撥 |
19 | 島內現株仲值 |
20 | 第八十三期(昭和十五年下半季)決算公告/株式會社臺灣銀行 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺東隣人愛の發露 罹災者に同情金消費組員に慰勞金 その他美談の數數 |
02 | 軍事援護資料展 昨日より南投に開催 |
03 | 霧峰庄協議會 和氣靄靄裡に散會 |
04 | 東港水利組合 評議員會終る |
05 | 正條植を指導 冬山產業報國挺身隊 |
06 | ローカル・セクシヨン |
07 | 各種組合の統合 竹山業者等が期待 |
08 | 馬公街協議會 平穩裡に終了 |
09 | 南投稅務管內 各稅期限內完納 |
10 | 質疑應答に花咲かす 集集街協議會終る |
11 | 新營街協議會 無事に終了 |
12 | 板橋節米供米運動 |
13 | 鹽水街協議會 原案通り可決 |
14 | 府米穀增產推進隊 南投郡の良績を稱讚 |
15 | 豐原米增產懇談會 入鹿山技師を中心に |
16 | 淡水水利組合 評議員會終幕 |
17 | 淡水街協議會 |
18 | 新化郡山上屠場近く改築 |
19 | 新營郡下小公學校卒業式日割 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 目標は百卅五億圓 うんと働いてうんと貯へよ |
02 | 奉祝!地久節 高雄で報國祭執行 |
03 | 軍人遺家族慰安學藝會 |
04 | 聖戰美術品 時局恤兵展に陳列 |
05 | 增產一路(10) 自給飼料で小養鷄 休閑地をうんと利用せよ 臺北州種畜場種鷄部(完) |
06 | 軍援事務打合會 |
07 | 兒童も節米 臺東公學校で |
08 | 社會教化委員大會 三日彰化郡花壇公で |
09 | 東洋式文化瓦を製造 |
10 | 平均二五%二四 臺南州下中等體力檢定 |
11 | 必ず申込め 臺東公兒童募集 |
12 | 嘉義珠算大會 |
13 | 百姓の“下情上通” 增產報國に一路邁進 |
14 | 臺東街の種痘 |
15 | 螢雪の功成りて 臺中第一中學 |
16 | 臺南一中卒業式(一日) |
17 | 花蓮港中卒業式 |
18 | 臺南州下中等學校卒業式 |
19 | 新化郡下小公學 卒業式日程 |
20 | 納稅功勞者表彰 きのふ花蓮港廳で |
21 | 期限內に完納 臺東街地租 |
22 | 愛國女給現る 賣上利益金を献金 |
23 | 臺東廳農會總會 一瀉千里原案可決 |
24 | 親を說いて献金 感心な東門公の王少年 |
25 | 板橋街國講所 學藝會を開く |
26 | 墓地使用合理化 臺南市で使用料改正 |
27 | 手に手に“箒” 奉公日の臺中奉仕隊 |
28 | 女給の檢診豫備檢查 |
29 | 憧れの新綠へ 臺南山の會の登山計畫 |
30 | 旗山街協議會 |
31 | 南港驛構內で 列車に轢死さる |
32 | 高壓線に觸れて即死 |
33 | 自轉車泥御用 |
34 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 圖像:裸婦(造型美術展)/藍運登 |
02 | 北京感想錄(五)/張深切海外遊記散文小說 |
03 | 二つの太陽/邱炳南 |
04 | ラヂオ |
05 | 心聲漢詩 草山七星莊為山本主人題/南都、於灌園姉丈海上唱和集讀翠竹外甥婦佳什喜而有贈/楊笑儂、漢詩習作第三期作品 迎年菊/高春梅、漢詩習作第三期作品 迎年菊/高春梅、漢詩習作第三期作品 迎年菊/莊幼岳、漢詩習作第三期作品 迎年菊/莊幼岳、漢詩習作第三期作品 迎年菊/林旭東、漢詩習作第三期作品 迎年菊/蔡柏樑、漢詩習作第三期作品 迎年菊/蔡柏樑、漢詩習作第三期作品 迎年菊/林鈍根、漢詩習作第三期作品 迎年菊/林鈍根、漢詩習作第三期作品 迎年菊/林陳琅、漢詩習作第三期作品 迎年菊/林陳琅 |
06 | 祝改題 南進の大業へ/林生財 |
07 | 南方に大飛躍/林爐 |
08 | 良き指導たれ/彭愧德 |
09 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 浙江省沿岸を爆擊頭條新聞 【上海二日發同盟】海軍航空部隊の精銳は一日大擧浙江省沿岸一帶を奇襲爆擊を敢行、次の如き戰果を收めて全機歸還した卽ち溫州においては港內棧橋及び甌江合流點に蝟集せる敵軍用大型舟艇約三百隻を又松門附近においては敵陣地及び航行中の敵軍用舟艇約三百隻を更に浪磯山島(松門北方)において敵軍用倉庫群並に舟艇群等を爆擊し何れも直擊彈に依り爆碎或は爆沈し甚大なる損害を與へた |
02 | 佛國の回答を手交 ア大使、松崗外相訪問 |
03 | 調停會議再び新展開 デリケートな段階に入る |
04 | 佛政府が重要協議 東京會談を中心に |
05 | 閣議の內容正式發表せん |
06 | 泰國は全幅的に 帝國を信賴 |
07 | 獨軍、勃國に進駐! 勃が同盟加入の日に |
08 | 英、勃に宣戰布告? 戰略地點を空爆せん |
09 | 國交斷絕を通告の模樣 |
10 | 英の勢力に終止符 バルカン情勢急變化 |
11 | 土國は阻止しまい 獨軍の希國進擊に對し |
12 | 獨、希に最後通牒 伊との急速媾和要求 |
13 | 圖像:煙幕下に敵前クリーク強行渡河決行の林田部隊勇士 |
14 | 受諾模樣の報に 西貢若干氣拔け 警戒は依然物物しい狀景 |
15 | 政府と統帥部の 臨時連絡懇談會 きのふ近衛首相の私邸で |
16 | 經濟機構の改編等 財界一般の要望 |
17 | ハル國務長官談 泰、佛印交涉バルカン情勢 |
18 | 米に特殊機關設置 英、米共同國防を強化 |
19 | 翼贊會の改組更新 休會中の實現は困難 |
20 | 人事刷新を要望 近く兩院有志が非公式會合 |
21 | 支那派遣軍報道部長 岩崎中佐が就任 |
22 | ドイツ海空軍 二月中の戰果 |
23 | 泰、緬甸國境線に 英軍部隊を配置 |
24 | 今回の參政會 全面的に拒否 中共の中央部 |
25 | 日、獨、伊、勃四國旗を揭ぐ 調印式當日のウイーン |
26 | ヒ總統列席 |
27 | 今日の天氣 |
28 | 日本郵船基隆出帆 |
29 | 大阪商船基隆出帆 |
30 | 辰馬汽船 |
31 | 大連汽船 |
32 | 東亞海運 |
33 | 南日本汽船 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 熱烈たる意見開陳 新總督蒞任後初府評懇談會開催 |
02 | 剛健敢為の意氣で 擧島・時艱の克服へ 長谷川總督の挨拶 |
03 | 清宮樣の御誕辰 |
04 | 總裁宮殿下御台臨 愛婦、四十周年記念式典を擧行 |
05 | 島都愛婦の記念式 |
06 | 新竹愛婦記念式 |
07 | 日本國民の幸福感 海外航路船員の述懷 |
08 | 汗の結晶一千圓北一女が献金 |
09 | 童謠常會生る 一日に晴れの結成式 |
10 | 島都各中等校志望者數 |
11 | 新竹女音樂舞踊會 |
12 | 電力制限を解除 五日より實施決定 |
13 | 花蓮港市の第三種空訓 |
14 | 島都共學兒童の考查 |
15 | 督府拓士道場生 きのふ東京發西下 |
16 | “これは美味しい” 代用食初研究發表好評 |
17 | 北商卒業式 |
18 | 飲食品規格展示會 昨日市公會堂で開催 |
19 | 花蓮港市小公校卒業式日割 |
20 | 臺灣產テツクス 比島への輸出を計畫 |
21 | 基隆港內の艀船沈沒二件 |
22 | 定期航空 |
23 | 人事・消息 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 緬甸では極度に怯え 防空壕構築に大童 ゼノア號の齎された情報 |
02 | 米增產強調週間 竹山街で設定、驀進 |
03 | 崙背商工會總會 終つて優良店員表彰式 |
04 | 稅制記念日 彰化稅務の行事 |
05 | 臺中水道擴張工事 七日現地で起工式 |
06 | 彰化神社總代會 |
07 | 龜山庄茶業會社誕生 |
08 | 新化第八區部振集會所近く着工 |
09 | 翼贊會議振りを示す 桃園街協議會終幕 |
10 | 綿製品配給會議 彰化郡各團體長參集 |
11 | 臺中州米穀商組合 總代當選者發表 |
12 | 臺南州青年團大會 終つて經營研究を發表 |
13 | 報國債券で一萬圓當籤 沙鹿信組献金等に充つ |
14 | 水田面積擴大を企畫 花蓮港米增產に必死 |
15 | 彰化砂糖小賣商組合定時總會 |
16 | ローカル・セクシヨン |
17 | 花蓮港自動車協會第三回總會 |
18 | 興亞奉公日 彰化郡行事 |
19 | 來る產組記念日 彰化市內の行事 |
20 | 臺中州青涼飲料水組合定期總會 |
21 | 彰化商業專修校 五日卒業式 |
22 | 南投の興亞奉公日 奉仕作業に精進 |
23 | 溪湖の賭博詐欺 事實漸次判明 |
24 | 彰化市春季孔子祭を執行 |
25 | 高雄州警官異動 |
26 | 嘉義秋競馬 第四日目成績 |
27 | 關山の小火 炊事場烏有□歸す |
28 | 桃園街定期種痘日割決定 |
29 | 人事・消息 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 學藝 北京感想錄(六)/張深切海外遊記散文小說 |
02 | 圖像:手鏡(造型美術展の作品)/陳德旺 |
03 | 新星と超新星 趣味の天文學講話 |
04 | 珊瑚樹 文部省推薦映畫 「みかへりの塔」 |
05 | 生活の記錄 (上) 一つの經驗/德田一穗 |
06 | 圖像:ブルガリヤ風景 |
07 | 春/王登山 |
08 | ラヂオ |
09 | 國技大相撲 國際館上演中 |
10 | 心聲漢詩 次芳菲兄韻/蒲園、席上呈步初兄/義勇、席上再呈步初兄/芳菲、即席次義勇兄原玉/步初、即席再次芳菲兄原玉/步初、遊四重溪山麓口占/高氏春梅、遊石門即景/高氏春梅、龜山舘樓上晚眺/高氏春梅、旅夜偶成/高氏春梅、佳冬道上/高氏春梅 |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 佛、遂に全面的受諾 泰、佛印紛爭調停案を |
02 | ギリシヤ國境に前進 獨軍機械化部隊續續南下 |
03 | 獨軍の勃國進駐 獨政府公式に發表 |
04 | 進駐の獨軍 各所に分駐 |
05 | 圖像:海の荒鷲、昆明爆擊に出動 |
06 | 江南、江北の大戰果(一、二月中) 三度敵軍に大鐵槌を下す |
07 | 時事評論 東亞問題重要性增加 日本の國際的地位に就いて/尾崎秀實 |
08 | バルカン安定確實 調印式に至るまで獨外交攻勢の巨彈 |
09 | 樞軸諸國の 勝利への進軍 |
10 | 圖像:興化城頭の華と散つた護國の英靈に默禱を捧げる柴田部隊の勇士 |
11 | 土國ダ海峽に機雷を敷設? |
12 | 獨軍進駐を許容 ブルガリア政府公表 |
13 | 伊、カ島を奪還 |
14 | 總動員法改正案 外九件を公布 |
15 | 興亞院華北連絡部長官更迭 |
16 | イーデン外相 アテネ着 希と對策を協議 |
17 | 獨軍へカメラ從軍 日本ニユース技師派遣 |
18 | 羅國油田地方に 一大爆發が突發 |
19 | 近衛首相快癒 |
20 | ソ聯極東第一軍司令官 エ將軍を任命 |
21 | 大日本生產黨 緊急全國大會 |
22 | 重慶の第二期國民參政會 |
23 | 話題の主林雄吉氏歸來 龍田丸神戶入港 |
24 | 明日の天氣 |
25 | 水滸傳(351)/黃得時;榎本真砂夫 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 強い政治力に敬服 盟邦獨伊視察をなした植村氏歸朝談 |
02 | 和知新參謀長 八日に着任 井上少將は十日の豫定 |
03 | 南飲食物仕出業組合が献金 |
04 | 基隆市內の小公學校卒業式日割 |
05 | 波愈荒き南太平洋 だが戰爭はさう簡單に起るまい 小西豫備海軍少將談 蓬萊丸入港 |
06 | 新竹市內の學校長會議 |
07 | 局部長定例會議 |
08 | 薄給俸給者に又も朗報 健康保險を更に家族に迄給付 |
09 | 故市川中尉の 傳記刊行さる 日露戰役當時の勇士 |
10 | 甘藷馬鈴薯も管理 米屋が抱合賣で配給 |
11 | 防水貯水槽を開設 南署管內で近く着手 |
12 | 米穀增產推進隊を組織 林本源各房農事打合會で決定 |
13 | 主婦の職域奉公 (二)廚芥塵芥の利用更生 |
14 | 重要農作物を獎勵 基隆郡で三月に表彰 |
15 | 造型美術展盛況 |
16 | 家賃制度の新體制 大家と店子の麗しい協同作業 |
17 | デマの粉碎に 警察當局協力を要望 |
18 | いざ拓かん 南の新天地 “南進の歌”懸賞募集報社消息 |
19 | 今曉大直に火事 官舍二戶建一棟全燒 |
20 | 郡署經濟警察、保安各主任事務講習會 |
21 | 丹後丸無電三日發 |
22 | 海上警報 |
23 | 定期航空 |
24 | 人事・消息 |
25 | 今夜の放送 |
26 | 商況 三日前場 |
27 | 映画案內 |
28 | 興南案內報社消息 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 亞細亞の旗(97)/小栗虫太郎;坂本仁 |
02 | 家庭・婦人 收入本位の轉職は 後で必ず後悔する 自己の心と外部社會を反省せよ |
03 | 毛絲編ものの 上手な洗濯法 揉むのは禁物 |
04 | 圖像:婦人綠色突擊隊(その一) |
05 | 公園よりも街上に 澤山ある紫外線 豫備知識なしの日光浴は無駄 |
06 | 香油の常識 家庭での作り方と見分け方 |
07 | 少年犯罪は增加した 家を離れて暮す學生 社會が協力して惡から守れ! |
08 | 圖像:チリー國より來朝した女教員團 |
09 | 紙上病院 |
10 | ビロード地の 上手な洗濯法 |
11 | 乳幼兒を襲ふ 中耳炎の流行期 中を決していぢらぬやう |
12 | セツトの髮にも 每日櫛を入れませう 清潔こそ簡素美の粹 |
13 | 壁の穴の修理 |
14 | ほうれん草の炒め |
15 | 馬鈴薯の芽 |
16 | 鱈のカレー燒 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語學習 空だ男の行くところ 第二回の航空日決定 盛り澤山の行事 |
02 | 綴方の文題 いよいよ三學期も後一ケ月になりました最後のこの月をみんな元氣でガンバリませう。 |
03 | 蔣介石と手を結び 泰國攻擊の準備 英國の惡だくらみ |
04 | 祖國再建を目ざして 驀進する新興タイ |
05 | 佛印の邦人引あげ |
06 | 今日はうれしい 桃の節句 |
07 | いざ火事の時には 淡水河の水を利用 實地訓練も大成功 |
08 | 青年室 戰備に狂奔する 英米の據點新嘉坡(二) |
09 | 盛んだつた命名式 私達の第二學校義勇號 |
10 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 浙江福建沿岸を連續爆擊頭條新聞 【上海三日發同盟】支那艦隊報道部發表 海軍航空部隊の一部は二月二十八日より三月二日の三日間に亘り浙江省及び福建省沿岸地區を大擧して連續爆擊し次の如き戰果を收めたり 一、二月二十八日溫州、瑞安間運河を航行中の敵軍用小型舟艇群を爆擊し一方甌江口北岸の沙頭山並に埼頭山の敵陣地を爆擊せり 二、三月一日再び溫洲、瑞安間運河上に群集せる多數敵舟艇を擊沈したる外溫州港附近に於て敵大型舟艇數隻を爆破炎上せしめ更に臺州南岸の河門、松門に於て敵軍用倉庫群を始め附近航行中の敵大型舟艇數百を攻擊してこれを擊沈又は顛覆せしめたり 三、三月二日厦門北方集美に於て敵機銃陣地及び兵舍を爆擊粉碎せり |
02 | 期限前に圓滿妥結か 今明日中非公式會議 |
03 | 我方、全面受諾を勸說 茲一兩日が最も重大時期 |
04 | 畑總司令官參內 |
05 | 松岡外相參內 外交經過を奏上 |
06 | 圖像:畑大將參內 |
07 | 泰に讓渡の部分 |
08 | 日米國交調整問題 野村大使暫らく靜觀熟視 |
09 | 圖像:嚴寒の海上に活躍の北支封鎖艦隊 |
10 | 援蔣鐵道建設の交涉挫折 |
11 | 來る廿四日から 全國司法長官會同 國保法、治維法の施行打合 |
12 | 印度兵と白人兵 衝突頻頻と起る シンガポール民心極度動搖 |
13 | 羅國駐日公使を更迭 新公使バ少將 |
14 | 四長官會議開く 翼贊會の改組を協議 |
15 | バルカン攪亂の 英の策動を完封 プルガリヤの三國同盟□入 |
16 | 勃國も軍隊動員 土國國境に配備の模樣 |
17 | 獨の先鋒部隊 希國境に到着 |
18 | 對希最後通牒 回答期限は僅か數日 |
19 | 畑總司令官 褚大使を訪問 |
20 | 佛租界內諸雜稅 南京政府に引讓 |
21 | 日本共同証券 設立發企人會開く |
22 | 地方部長級の異動發令さる |
23 | 樞軸國目標の 全面資金凍結令 米政府一部に意見擡頭 |
24 | 電波物理研究會を設置 |
25 | 今日の天氣 |
26 | 日本郵船基隆出帆 |
27 | 辰馬汽船 |
28 | 大連汽船 |
29 | 東亞海運 |
30 | 南日本汽船 |
31 | 大阪商船基隆出帆 |
32 | 祝改題 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 第七十六翼贊議會の跡社說 一 第七十六議會は未曾有の急ピツチで翼賛議會の使命を果し、全議案を議了し兩院共二日より長期に亘る異例の自然休會に入つたのであるが、兩院議員は緊迫せる國際情勢と自然休會の趣旨に鑑み議長請暇に依るもの以外は總て東京に待機して萬一の場合に備へることとなつた。翼賛會補助金の審議に關聯して多少の波瀾はあつたが、僅か三十七日間で百二十八億圓に及ぶ十六年度總豫算を始め、八十七件の戰時對應法律案を議了した本議會は、その成績をみれば戰時翼賛會としての面目を發揮したものと云へよう。政府は休會に入ると共に議會の成果の上に立ち、高度國防國家建設に向つて諸政策を更に强力に推進すべく、鞏固なる決意の下に早くもその準備に入り、早くも新年度に臨む體制を以つて事變處理に、外交の展開に、經濟體制の强化に、翼賛會を中軸とする翼賛國民組織の確立に向つて不退轉の決意をもつて前進せんとしてゐるが、國民は政府の決意に信賴し、その萬全なる運營に期待するものである。 二 今議會再開前から難航を豫想された翼賛會問題が一ケ月近くも揉みぬき、今議會唯一の波瀾、最大の紛糾を生じたのは遺憾であつた。その論議の跡をみると、多くの質問はかかる國民運動が發生して來る歷史的な必然性には何ら觸れようとせず、それに依つて生じた憲法論や法律論をかざしての觀念論に終始し、真に現實に卽した建設的立場からする育成的な質疑は殆んどみられなかつたのである。政府も又かかる議會側の觀念的法律論に對する法律論をもつて應酬するの舊弊に墮し、大所高所から國民組織の時代的所產といふ政治論をもつて擊破するの勇氣と氣魄がなく、從つてその論議は槪ね低調ならざるを得なかつたのである。卽ち時代の要求に應じて生じた新しい運動を、現在の法理論や觀念論をもつてのみ說明しようとするのが無理であつて、それを强ひてなさうとするから彌縫に終り、時としては破綻を生じて議會側から統一的答辯を要求されるに至つたのである。殊に政府が四參議を通じて議會側の宥和策を講じたことは、政府自らが舊體制に還つたかの觀を與へぬでもなかつたのは頗る不手際であつた。 三 更に翼賛會問題を繞り政府と議會の舞臺上と舞臺裏のかけ引きをみるに、それは餘りにも舊體制的なものであつた。今議會は無黨無派に依る劃期的な議會として待望され、國民はその實を擧げることを刮目したのであるが、しかし、翼賛會問題に關する限り敬服に値ひするところが乏しかつたことは否むことが出來ないであらう。これを議會側からみると、無黨無派とは表面だけであつて、議員俱樂部が一應統制機關にはなつてゐても、解消した筈の黨派が新情勢に應じて夫夫結合し、種種の思惑をもつて明動暗躍したのであるが、政府側も又其氣運を助長したかの手段を講じたのであるから、その罪は全部これを議會側に歸することは出來ないのである。これを要するに、表面上の成績よりみれば翼賛議會の面目を發揮したが、しかし政府側も議會側も未だ真に舊體制から完全に脫却することが出來なかつたといふ印象を國民に與へたのは殘念である。 |
02 | 產報運動の推進力 生產擴充第一線部隊 產報青年隊いよいよ組織 |
03 | 陸軍記念日 豪華、帝都の催物 大講演を中繼放送 |
04 | 本間軍司令官 けふ日月潭視察へ |
05 | 宜蘭甘藷配給量を調查 |
06 | 今井勸業課長談 |
07 | 圖像:蘇北の殘敵殲滅戰 |
08 | 商店街の節米 基隆商議で打合 |
09 | 日本發送電改正法案 四月から實施 |
10 | 產組の活動目標 六日の記念日に總動員 |
11 | 米食依存の清算へ (二)鄉土食の第一回發表 |
12 | 新竹信組敬老會 |
13 | 杉原前臺北憲兵分隊長 軍官民に送られて離臺 |
14 | 海軍武官府へ 大口献金續續 |
15 | 北區管內の飲食物規格品展 |
16 | 火災から絕緣 映畫完全防火裝置 一無名技師が見事完成 |
17 | 林府視學官が特別放送 |
18 | 官公立癩療養所長會議 |
19 | 笑顏で難局突破 得意の“笑和漫畫展” 四月から各地を巡廻 |
20 | 南二中卒業式 |
21 | 音樂舞踊の會 遞信部が桃の節句に 部內出征軍人家族を慰安 |
22 | 新竹州醫師會總會 |
23 | 甘蔗耕種競技會褒賞授與式 |
24 | “棋は如何です” 產業戰士の健全な娛樂に 棋道報國會乘出す |
25 | 學藝會豆選手 基隆で審查 |
26 | 東大副手桂公 藥學博士に 故桂公の愛孫 |
27 | ときのこゑ |
28 | 蓬萊物產の赤糖產糖高 |
29 | 市バス乘用者の注意 規則改正に伴ふ自動車課のお願ひ |
30 | ヘミングウエイの重慶行 |
31 | 定期航空 |
32 | 人事・消息報社消息 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 砂糖增產對策の 糖業協議會を開催 |
02 | 灣糖產糖豫想 三百五十萬擔か 配當は依然据置せん |
03 | 本島を中心とする(下) 內外經濟界概況 總會席上に於る水津臺銀頭取演述 |
04 | 滿洲大豆五千瓲 二月分として近く入荷 |
05 | 海南島漁業座談會 昨日ホテルで開催 |
06 | 臺東廳水產會 通常總代會を開く |
07 | 日米危機と我が纖維の將來(中) 共榮圈自給概して有望 資源研究ともに躍進 |
08 | 基隆、高雄兩驛に 發送量確保を通達 |
09 | 臺灣產組協會 座談會を開催 |
10 | トラツク運送事業研究會 昨日發會式を擧行 |
11 | 終つて初回例會 |
12 | 昨年バナナ出荷數量 高雄組合第一位を占む |
13 | 勞務協會 觀音分會誕生 |
14 | 海山自動車會社 株主總會 |
15 | 臺東街納稅功勞者表彰式 |
16 | 經濟手帳 豫備金 |
17 | 照明燈 |
18 | 市價及商況 三日 |
19 | バナナ相場 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 速成堆肥の製造に 新營郡官民乘出す |
02 | 大溪第三種空訓 好成績裡に終了 |
03 | 鹿港街協議會 無事に終幕 |
04 | 戰病死の武田氏に對し 麻豆公で慰靈祭執行 |
05 | 稅制記念日 內湖庄の行事 |
06 | 純真なる童心の現れ 竹東公 開校記念音樂舞踊會 |
07 | 愛婦埔里分會 創立四十周年記念式 |
08 | 祭祀公業の財產を處分し 家政女校建設費に充つ 中壢 |
09 | 興亞の健兒意氣衝天 潮州郡聯合壯丁團查閱 |
10 | 烏日庄協議會 |
11 | 觀音庄空訓 好績を收めて終了 |
12 | 板橋愛婦創立四十周年 盛大な記念式擧行 |
13 | 竹山□奉公日行事 |
14 | 麻豆大日本產業同榮合資會社成立 |
15 | 割當の十六倍 埔里の銀翼献金熱 |
16 | 旗山郡直轄派出所落成 |
17 | 麻豆直轄保正 當選發表さる |
18 | 新港庄協議會終る |
19 | 釋放者保護研究會 |
20 | 新營街助役 會計役重任發令 |
21 | 少年泥捕はる |
22 | ローカル・セクシヨン |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 商店の統合を慫恿 物資配給の單一化と圓滑化 花蓮港廳愈よ乘出す |
02 | 甲に卅二萬斤 甘藷「白和蘭」の苦心栽培 |
03 | 報國推進隊を結成 花蓮港市の本島人 |
04 | 遺家族を慰問 地久節の佳き日に |
05 | 圖像:未亡人解放運動 |
06 | 彰化郡小公學校長會議 |
07 | 古ペン先の回收 嘉義家政女學校で |
08 | 臺中二中卒業式 |
09 | 嘉義中學校 |
10 | 臺中一中卒業生 受賞者と志望別 |
11 | 增產一路(11) 妙な豚“バークシヤ” 今では全島的に最も歡迎 臺北州下の養豚界(上) |
12 | 彰化工科卒業式 |
13 | 滿洲向の蔬菜類 積極的輸出に邁進 |
14 | 收支報告役員會 |
15 | 圖像:勇士を招いて 賑かな雛祭り |
16 | 圖像:シリヤ土民兵 |
17 | 耕地の肥化に貢献 臺南州の防風林補植で |
18 | 住吉丸にコレラ(高雄) 海水の使用を禁止 |
19 | 不埒查定員 |
20 | ルード・ウイツヒ なんと超心臟型 |
21 | 實父を毆打致死 暴漢自首 |
22 | 胎兒遺棄 犯人脫走中 |
23 | 窃盜犯、縛につく |
24 | 嘉義競馬 (最終日) |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ブ國は戰時氣分濃厚 ユ國も樞軸國に接近 |
02 | トルコは絕對中立 ドイツ筋の見解 |
03 | 圖像:泰國無任所大臣着京 |
04 | 戰時翼贊議會を顧る(一) 國際危局對應の態勢成る 未曾有の好成績を示す |
05 | 資金凍結令けふ發布さる モ財務長官言明 |
06 | ブ國の政策 贊同出來ぬ ソ聯政府の公表 |
07 | ユ國攝政殿下 獨外相と會見 |
08 | 華北防共委員會 組織大綱既に成る |
09 | 圖像:褚大使池翁招待 |
10 | ダ佛副首相 パリを訪問 |
11 | 畑大將赴任の途に就く |
12 | 太平洋の平和を強調 メ濠洲首相、ロンドンで演說 |
13 | 米穀利用研究所を改革 食糧科學本部に擴充する |
14 | 泰ソ外交關係開始 |
15 | 重慶の參政會 中共問題を討議 |
16 | 定例閣議 |
17 | 地方長官會議 四月七日から開催 |
18 | 秘國最近の事情 歸國の邦人交交語る |
19 | 孫、馮の調停も極めて困難 國共の對立 |
20 | 明日の天氣 |
21 | 水滸傳(352)/黃得時;榎本真砂夫 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 蔣財政は“沒有法子” 見よ、米依存に喘ぐこの貧困 中華日報徹底的に暴露 |
02 | 和知新參謀長 來る八日着任 |
03 | 圖像:クリーク渡河 |
04 | 風雲孕む佛印へ 引揚げ邦人輸送のため らぶらた丸基隆に寄港 |
05 | 臺灣軍關係の 進級發表さる |
06 | 地久節に 陸軍病院慰問 |
07 | 小林前總督 あす離臺 |
08 | 酒井前憲兵隊長 惜まれてけふ空路離臺 |
09 | 衛生不良業者を取締り |
10 | 優秀部落は? 新竹州部落振興共進會 いよいよ審查開始 |
11 | 米食依存の清算へ (三)鄉土食の第一回發表 |
12 | 圖像:滿洲國建國九周年記念式典 |
13 | 幸運・一萬圓の正夢 報國債券當籤發表 |
14 | デマを飛ばすな 當局、注意を喚起 |
15 | 佛家屋の復舊 工事に着手 |
16 | 香港、高雄間の 魚類陸揚嚴禁 虎疫防遏に臺北州お布令 |
17 | アフリカ戰線と 密林の王者達 |
18 | “おいしさうだ” 飲食物公定規格展示會 |
19 | 北署本島人巡查 改姓名認可さる |
20 | 臺北中學卒業式 |
21 | 安いお薩 近く市民に供給 |
22 | 國姓爺合戰公開 |
23 | 定期航空 |
24 | 人事・消息報社消息 |
25 | これは經濟菓子 好評博す試食會 |
26 | 今夜の放送 |
27 | 商況 四日前場 |
28 | 映画案內 |
29 | 興南案內報社消息 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 亞細亞の旗(98)/小栗虫太郎;坂本仁 |
02 | 家庭・婦人 社會と自我の衝突 反抗兒とはにかみやの心理 三、四歲から感じはじめる |
03 | 榮養の多い切干 おいしく頂くには |
04 | 獨逸に於ける 母と子供の保護運動 |
05 | 圖像:立ち上る伊太利婦人 |
06 | 燒味噌汁 |
07 | 赤ちやん達は 淚で顏が荒れる そこで始終淚を拭いて 豫防法を講じて下さい |
08 | 質が落ちた“髮油” 却却萬遍なく附きません |
09 | 癌は遺傳するか 餘り濃厚では考へもの 優生結婚相談 |
10 | 口紅のお話し ばら色など無難 |
11 | 芥子泥の使ひ方 |
12 | 炒菜 |
13 | 保溫料理二種 |
14 | 鼻風邪に含嗽 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語學習 京漢沿線に散つた 大陸の君が代少年 墓前に輝く表彰狀 |
02 | 國語力だめし(二十三) 二千語讀方 |
03 | 馬公要港部司令官 山本中將に決定 |
04 | 愛國奉仕日の結昌を 海の勇士に贈る 臺東公兒童の美擧 |
05 | 滿洲國の建國祭 |
06 | これも世界一ですか 呆れた水兵さん 軍艦をすてて逃げ出す アメリカの水兵たち |
07 | 斷然戰つてみせると 佛政府強がり聲明 |
08 | 波荒き太平洋と(一) 空軍基地のはなし 油斷大敵備へよ常に |
09 | 青年の室 旅で拾つたユーモアー 春は孫平の家から/岡成志 |
10 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 會議進捗につき要談 佛大使、松岡外相訪問頭條新聞 【東京四日發同盟】アンリー、フランス大使は四日午後五時半外務省に松岡外相を訪問しタイ、佛印紛爭に關する東京調停會議の進捗方につき約四十分に亘り種種要談を遂げたが右に關し四日午後七時半情報局より左の如く發表した 情報局發表 アンリー佛國大使は本四日午後五時半外務省に松岡外務大臣を來訪しタイ佛印國境紛爭に關する我が調停案につき要談の後同六時十分辭去せり |
02 | 原則的に全部受諾(佛政府協議) |
03 | けふ妥結へ急轉回 |
04 | 及川海相參內 |
05 | 圖像:畑大將、褚大使歡談 |
06 | 商工省の機構改革 內定せる改組の方針 |
07 | 野村大使 紐育に到着 |
08 | 南方開拓の決意 督府道場生鄉土に呼びかく |
09 | 茲兩三日中に 終止符打たれん |
10 | 火藥庫のバルカン 希、土の態度次第に硬化の模樣 |
11 | 獨軍進駐兵力(對勃) 十八萬乃至二十五萬 |
12 | 英希重要秘密會談を行ふ |
13 | 共軍包圍圈を形成 國共の決戰は不可避 |
14 | ユーゴー政府 重要會談 |
15 | 圖像:山下中將一行動靜 |
16 | 米海軍、日本近海に 出擊する能力なし ウ議員斷言 |
17 | 外交經濟問題に 質問が集中 重慶の國民參政會 |
18 | 六百萬噸目標に 石炭增產へ |
19 | 險惡化のサイゴンに 商船バンコツク丸入港 |
20 | 大日本壯年團聯盟(假稱) 結成の方針決定す |
21 | 滿國の羊毛 十個年計畫 |
22 | 住宅營團法 兩三日中に公布實施 |
23 | 罷業防止機關 米、設置を考慮 |
24 | 空中氣象觀測 雁の巢觀測所、日航が提携 |
25 | 小川鐵相地方視察旅行へ |
26 | 軍需品百卅八點 米、英に輸出許可 |
27 | メ英領事 河內に派遣 |
28 | 軍事郵便物取扱上の注意 |
29 | 本日の天氣 |
30 | 日本郵船基隆出帆 |
31 | 辰馬汽船 |
32 | 大連汽船 |
33 | 東亞海運 |
34 | 南日本汽船 |
35 | 大阪商船基隆出帆 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 太平洋波瀾と島民の覺悟社說 一 大東亞共榮圈の建設は全國民の總力に依つてのみ達成する事の出來る一大聖業である。然るに茫漠たる太平洋を狹んでアメリカと相對して居る成が國に對し、同國が常に新秩序建設に對し無理解なる態度に終始してゐる、泰國と佛印の紛爭に對し、我が國が東洋平和の為めと正義人道の為に敢然調停に立つたに對し英米兩國は總ゆる妨害策略を為し、東洋危機說なるデマを放ち世界人心を混惑させる手段を弄せる事は苦苦しき限りである、東洋永遠の平和を企圖しつつある我が國に對し英米兩國が依然としてその真意を了解せず、南方資源の解放を肯せず、頑迷なる態度を取る限り不幸なる事態を招來する事があつてその責任は英米兩國に歸すべきである。東亞共榮圈の建設は我が國の負荷する一大使命であり國策であるその遂行に對しては總ゆる困難を克服して成就せねばならない。我が國の南方に求める要求は領土的でない事は政府の數次に亘る聲明に依つて周知の事實であり單に經濟貿易の自由解放を要求して居るに過ぎないのである。かかる平和を標榜した我が要求に對しては佛印及び蘭印とも漸次理解して來るものと期待されて居る。幾百年の永きに亘り英蘭治下に呻吟せる南方民族の解放の為めと東洋永遠の平和を確立する為めにも一億國民が一心となつて英米の威壓を粉碎して行く覺悟を持たねばならない。 二 歐洲よりバルカン方面に於ける情勢に則應して時局は一段と重大性を加へつつある際に東亞共榮圈を建設する事は我が國に對する天與の使命である、南方國策の第一翼を擔ふ本島の職責は重且つ大なりと言はねばならない、最近英米兩國が我が國の生命線である南方進出に對し、總ゆる謀略を用ひ阻止策に出てゐる事は不可解なる事である。言ふ迄もなく自由主義を振翳して居る兩國としては旣得權を飽く迄も維持する為めに世界新秩序建設に反對行動を取る限り、その前途には最後の解決策として實力の行使に依つてのみ決定するものと豫想せねばならないかかる情勢の推移に對しては我が國朝野とも慎重なる態度に依つて外交交涉に依つて相手方の理解を求めつつあるも頑迷なる兩國が果して我が真意を了解するかは後日に待たねば豫斷を許さないものがある。我が國として萬一の事態に對處する準備と覺悟を持つべきは最早議論の境から實行への時代に突入して居るのである、東亞六億民族の永遠の平和を樹立して行く為めには全國民が敢然として國難に向ふべき秋である。英米兩國が我が國に加へつつある經濟封鎖を突破して行く事は現下に於ける我が同胞の歷史的使命である。その為めには全國民が火の玉となつても乘り越へて行く位の覺悟と決意を要すべき事は言ふ迄もない事である。起つて東亞共榮圈を確立し、黃色人種の盟主としての職責を盡す為めに總ゆる困苦と障碍を排除して行くべきである。 三 太平洋の波穩かならざるこの秋に當り六百萬島民の持つべき覺悟は光輝ある日本國民として聖なる愛國心に燃え上らねばならない。常に國策遂行の第一線に立つ心構へを以て戰場に臨むが如き決意を持つべきである。長谷川總督の訓示の一節にある「準備のある者は最後の勝利者」である。國民の覺悟は、生產擴充に全力を傾注すると共に物資愛護の精神を發揮し消費規正に邁進すべきである、更に戰時體制に則應して全島民が指導當局の指示に從ひ防空施設の完遂に一段の努力を拂ふべきである、近代戰爭は優秀なる兵器と忠勇なる將兵に依つてのみ最後の勝利を得る事が出來ると共に銃後國民の援護に俟つものが重大條件である、更に近代戰は資材戰及び思想戰である事に對し一大關心を持つ必要がある。全島民としては指導當局を絕對的に信賴し、如何なる事態が發生しても不動の態度を取る準備と決意を堅持すべきである。その為めには日常の生活に於いて當局の指示を遵守し、個人の利害を忘れて國家の求める方向に生命を捧げる位の崇高なる理念に燃えるべきである、太平洋の波騷ぐとも島民の覺悟は泰山の如く動かない準備を進むべきである。 |
02 | “農業學校隊”が渡滿 一農年を通じて土の實踐教育 |
03 | 愈よ考查制を採用 青少年工指導に一轉機 |
04 | 本社宛に謝電 杉原前臺北憲兵分隊長報社消息 |
05 | 新竹市參事會 |
06 | “是非聽いて下さい” ラヂオ放送協會が近く大大的に宣傳 |
07 | 大和丸入港 |
08 | 圖像:東京青少年團結成 |
09 | 遺兒迎へる警視廳 防疫に萬全の對策 |
10 | 米食依存の清算へ (四)鄉土食の第一回發表 |
11 | 防空壕の構築は花蓮港市 隣組の勤勞奉仕で |
12 | 古本屋街の異變 |
13 | 上村前參謀長 各方面に離臺の挨拶報社消息 |
14 | 少女が贈る愛國詩集“軍靴の響” 一歸還勇士の手で出版 |
15 | 私大が“窄き門”化 早、慶共に激增の一途 |
16 | 中部地方民に朗報 今秋から新鮮な魚類が食膳に |
17 | 花蓮港市獸肉商組合總會 |
18 | 花見酒は自肅調で |
19 | 宜蘭市の献金美談 |
20 | ときのこゑ |
21 | 時局恤兵展 愈六日から開幕 |
22 | 防空の強化へ 宜蘭市で種種協議 |
23 | 松下督府技師來花 |
24 | 新竹州小公學校職員の補充 大體の見透しつく |
25 | 臺灣基督教青年會 |
26 | 宜蘭信用組合 |
27 | 某役所雇の惡事 |
28 | 偽重役遂に馬脚 |
29 | 惡德食料品商に斷乎鐵槌 |
30 | 少女の盜み |
31 | 六千圓をボる 洋服地の闇と脫稅の二重犯 |
32 | 人事・消息 |
33 | 定期航空 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺中州下の一期米 植付順調、發育良好 揚床苗代頗る普及 |
02 | 臺灣石炭會社 けふ創立委員會 |
03 | 糖業協議會 |
04 | 荷役の合理化に 水上運送組合機構を整備 |
05 | 優良農具獎勵で 農務打合會を開く |
06 | 二月分局營バス運輸成績 |
07 | 日米危機と我が纖維の將來(下) 科學導入の時代來る 最急務は技術の向上 |
08 | 肥料滯貨一掃に 近く海上輸送協議會開催 |
09 | 消費米用麻袋回收 臺灣米穀納入協會に指定 |
10 | 產組記念日座談會 |
11 | 港灣荷役關係で 砂糖專用車運行中止 |
12 | 米穀增產の大進軍 強調週間を設けて實施 大溪郡 |
13 | 內外地向青果菜類(昨年) 販賣價格八百六十萬圓 前年に比し十五割激增 |
14 | 臺北實業會總會 役員全部重任に決定 |
15 | 生豚配給統制打合會 昨日市公會堂で |
16 | 米穀增產懇談會 入鹿山技師を中心に 竹山 |
17 | 藁叺製造競技會 新埔 廿名の妙齡女選手參集 |
18 | 北斗郡白米業者 供出米の懇談會 |
19 | 國立公園切手 賣捌迫まる |
20 | 三芝共榮會社 株主總會を開く |
21 | 照明燈 |
22 | 市價及商況 四日 |
23 | 第一回決算報告書/建南商事株式會社 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | モンペ姿の活躍 特に目覺まし 新竹州北部空訓終る |
02 | 消火に救護に 勇敢に活躍 龍潭空訓 |
03 | 新化郡菓子商組合役員會 |
04 | 北斗郡各國講所 卒業式日割 |
05 | ローカル・セクシヨン報社消息 |
06 | 桃園郡各小公學校 卒業式日割 |
07 | 桃園家政女設立 助成會打合會開催 |
08 | 北斗郡下小公學 卒業式日程 |
09 | 能高郡下小公學 卒業式日割 |
10 | 臺東廳街庄長 四月一日會議 |
11 | 五結派出所管內 有志等が改姓名 |
12 | 潮州郡壯丁檢閱 一等は老埤壯丁團 |
13 | 能高郡下小公學五學級增加 |
14 | 宜蘭廣東語講習會 |
15 | 坡心庄奉公班員等が 永靖大村道路を改修 農村の臣道實踐現地報告 |
16 | 桃園時局講演會 けふ桃園小で開かる |
17 | 康龜山庄長安田新慶と改姓名 |
18 | 里港公學藝會 |
19 | 埔里南公學藝會 好評裡に終る |
20 | 國語普及研究 來る八日大溪で開く |
21 | 潮州華僑新民公會總會 |
22 | 臺東廳華僑公會創立三周年記念大會 |
23 | 大好評博して終會 淡水女子公唱歌會 |
24 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 港都に軍國繪卷 聖戰下に迎へる陸軍記念日 |
02 | 臺南州農會畜產會 けふ會議室で夫夫開く |
03 | 名譽の戰死者 原隊より發表さる |
04 | 嘉義市郡小公學校卒業式 |
05 | 圖像:瑞西の戰時色 |
06 | 意氣、天を衝く 屏東郡聯青の查閱 |
07 | 春季旌表節孝貞烈祭典 |
08 | 增產一路(12) 技術員を“現地”に 豚種改良と飼料確保が急務 臺北州下の養豚界(下) |
09 | 野野村陸軍憲兵少尉 臺中憲兵分隊長 代理として來任 |
10 | 南師普通科合格者(四十名) |
11 | 熱心に討議答申 彰化郡社會教化大會 |
12 | 流暢さに滿場魅了 高雄州高砂族演習會 |
13 | 敬老會と慰安會 嘉義座で盛大に開催 |
14 | 住吉丸のコレラ(高雄) 更に真性患者一名を檢出 沿海の漁撈を禁止 |
15 | 誰が自動車の犧牲になるか |
16 | 圖像:おつと危い |
17 | 青少年に綿布 嘉義市で配給斡旋 |
18 | 香奠返しに献金 |
19 | 臺中商業卒業式 |
20 | 記念映畫の夕 愛婦屏東分會 |
21 | 花蓮港市の清掃 市役所が愈よ乘出す |
22 | 臺東高女校舍建築費を公募 |
23 | 板橋街の陳登榮氏 新原匡登と改姓名 |
24 | 六千萬年前の「蝙蝠の骸骨」 |
25 | 配給の事から組合長の頭部をつく |
26 | 空中戰の元祖 支那の「飛車」からか |
27 | 水裡坑の火事 |
28 | 受驗の事から教員 父兄間が口論 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 北海に敵前無血上陸 敵輸血ルート遮斷に成功 |
02 | 北海、高德墟を占領 附近部落の殘敵を掃蕩 |
03 | 雷州半島要衝を占領 |
04 | 陽江縣城掃蕩を完了 |
05 | 北海地區に軍政布く 高島部隊長堂堂聲明を發す |
06 | 畑總司令官けふ 勇躍赴任の途へ |
07 | 獨の決意は牢固! ソ聯の別見解無影響 |
08 | 獨進駐部隊增加 續續希、土國境に集結 |
09 | 希臘の向背 情勢區區 |
10 | 駐土獨大使 イ大統領と會見 |
11 | ユーゴー攝政殿下 ヒ總統と會見の模樣 |
12 | 英公使館員等 ソフイア引揚 |
13 | 重光、チヤーチル會談 我が回答手交の模樣 |
14 | 圖像:東大中村和田兩博士 廣東大學生に講議す |
15 | 封鎖の鐵壁完成 南支軍けふ發表 |
16 | 支那側狼狽驚愕 一發も應射なく遁走 |
17 | 蜿蜒四百粁に亘る 西南の援蔣路を斷つ |
18 | 日蘭會商、圓滑に進捗 |
19 | 翼贊會問題動き活潑 各派靈犀相通じ、政府の態度で 合流の可能性濃厚 |
20 | 米の極東政策を非難 ホイラー上院議員が放送 |
21 | 近衛首相全快 あすから登廳 |
22 | 佛印邦人商社窮地へ 組合加入に實績が認められず |
23 | 地方事情調查班を設置 地方行政の萬全を期す |
24 | 明日の天氣 |
25 | 水滸傳(353)/黃得時;榎本真砂夫 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 活路を外貨獲得へ 轉業工場に春甦へる |
02 | 全國學童の赤誠 時局即應の教育實踐 一石二鳥 |
03 | 赤誠の海軍恤兵金と慰問品 基隆市に依賴續續 |
04 | 長谷川總督 あす竹東方面を視察 |
05 | 宮中月並歌會 |
06 | 大日本產業報國會の臨時理事會 |
07 | 圖像:陸軍記念日ポスター |
08 | 遺家族の慰安會を開催 新竹市愛婦で |
09 | 七星郡愛婦の 地久節奉祝行事 |
10 | 近く報國團結成 永樂町第一區區員で |
11 | 武德祭と演武大會 來月三日盛大に開催 |
12 | 伊十三歲少年の發明 石炭ガスから砂糖を製造 |
13 | 三重埔醬油製造業者が合同 七日に創立總會 |
14 | 觀たままの佛印南十字星 |
15 | 東京商工會議所の會頭 藤山氏を選任 |
16 | 多彩な行事決定 新竹市の陸軍記念日 |
17 | 島都青年團員の 國語不解者の一掃へ |
18 | 問題の競馬界の興奮劑 遺憾ながら現在の檢出は不正確 |
19 | 圖像:女子拓殖指導者會 |
20 | 花嫁衣裳が無地に 興亞型の新生活樣式 |
21 | 明日から三日間 時局講演を開催 大稻埕各公學校等で デマの粉碎へ報社消息 |
22 | 老人の輪禍 |
23 | 常習賭博犯十六名珠數繫ぎ |
24 | バス・水田へ顛落 乘客十數名が重輕傷 |
25 | 定期航空 |
26 | 人事・消息 |
27 | 今夜の放送 |
28 | 商況 五日前場 |
29 | 映画案內 |
30 | 興南案內報社消息 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 亞細亞の旗(99)/小栗虫太郎;坂本仁 |
02 | 家庭・婦人 恐しい結核の跳梁 風邪だとて油斷は禁物 子供は百日咳にご用心 |
03 | 主婦の職域奉公 (三)廚芥塵芥の利用更生 |
04 | カールのとかし方 |
05 | 貧血の原因と治療 日光浴は何故必要か |
06 | 口臭の必治法 |
07 | フエルト草履の扱ひ方 |
08 | 胃潰瘍防止の成分 發見とビタミンK |
09 | 圖像:新式自轉車サイドカー出現 |
10 | 節米料理三種 どんな片田舍でも出來る |
11 | 石鹼の量が 多すぎます 上手な洗濯法 |
12 | フケ止めの秘訣 |
13 | 身上相談 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 國語學習 今は蔣介石がたより あわれなイギリス ビルマで協同作戰 |
02 | 學童六千名に 體力調查 |
03 | 日・獨・伊三國同盟へ ブルガリヤも參加 |
04 | バルカンの新同盟國 ブルガリヤの話 われらはバルカンの日本だと 素晴しい親日國 |
05 | フランス側も遂に わが調停案を承知 |
06 | 國語力だめし(二十四) 二千語讀方 |
07 | 波荒き太平洋と(二) 空軍基地のはなし 油斷大敵備へよ常に |
08 | ゲンキナオバサン タイサウノセンセイノ シケンニガフカクスル |
09 | 世界知識 |
10 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 奇襲上陸の典型(敵の意表衝く)頭條新聞 【北海五日發同盟特派員】今回の北海作戰は極秘裡に計畫され秘密防衞の點に就いては萬全の注意が拂はれたため防諜上聊かの遺憾もなく支那側は本作戰に對し何等の豫想もなし得ず三日皇軍上陸當時の北海は平常通り僅かに六十名の保安隊に依つて警備されて居たに過ぎず疾風の如き皇軍作戰の前に呆然自失詭くも北海は我が手中に委ねられるに至つたのでる、四日正午迄に判明せる處に依れば我が軍の直接的戰果は保安隊員六名を捕虜とし彼等の遺棄せる武器彈藥を鹵獲せるのみにて戰果の僅少なる點よりすれば恐らくこの種作戰を通じて最初の記錄と云ふべきでこれに反して市中舍屋及び海岸の多數のジヤンク內に隱匿されて居る援蔣軍需品は夥しい量に上り目下續續と我が軍に押收されつつある有樣である、以上の事實は一方に於いて今次作戰が完全に敵の意表を衝き戰史上奇襲上陸の典型たる所以を遺憾なく物語ると共に他方に於いて自己崩潰の道を急ぐ蔣政權が軍需品の輸送に狂奔しつつある實狀を如實に示すものである |
02 | 援蔣輸送路遮斷に成功 |
03 | 陸鷲も空から協力 |
04 | 電白、水東一帶を制壓 |
05 | 臺山縣城、公益埠占領 |
06 | 南支艦隊上陸作戰に協力 |
07 | 南北部隊感激の握手臺山で |
08 | 對岸三省(浙江、江西、福建)を爆擊 |
09 | 妥結に到達の狀態 佛の最終回答に期待 |
10 | 近衛首相參內 |
11 | 陸軍將校分限令と 武官進級令の改正 |
12 | 昨日閣議で承認 近く公布實施せん |
13 | 英首相との往復文書 田代參事官語る |
14 | 英ブ國交斷絕 |
15 | オ駐日大使近く歸國 本國との連絡と極東情勢報告 |
16 | 來週から愈よ 具體的細目討議 日蘭會談豫備折衝終る |
17 | 米、墨會談 共同防衛に關し |
18 | 翼贊會改組の實行 議會閉會後の四月にならん |
19 | 獨軍の活躍 |
20 | 何應欽對共 強硬決意表明 |
21 | 獨と緊密聯絡 ダルラン副總理 パリ訪問の意義 |
22 | ル米國大統領 記者團と應答 |
23 | 今日の天氣 |
24 | 日本郵船基隆出帆 |
25 | 辰馬汽船 |
26 | 大連汽船 |
27 | 東亞海運 |
28 | 南日本汽船 |
29 | 大阪商船基隆出帆 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 時局克服と職域奉公社說 一 目下交涉進行しつつある泰、佛印の紛爭調停會議は、居中調停に立つてゐる我が國から提出された最後調停案に對し、佛印側も結局我が提案の正當公平なるを認め、全面的に受諾することに依つて近く圓滿妥結の方向に急轉回を示しつつあることは東亞共榮圈の確立に巨大な第一步を踏み出したものとして、誠に慶賀に堪へざるところである。屢次に亘る我が當局聲明の如く、我國が佛印、泰國、馬來、蘭印等の南洋地方を東亞共榮圈の一構成員として加入せしめんとする希望は、決して領土的野心を意味するものでなく、世界經濟の新事態に對應して、我が經濟的獨立性を保持するに必要とする諸物資が確保されると共に之等諸地方が必要とする商品の供給を、もつと好意的に自由に我が國から仰ぐことに依つて爰に相互依存の經濟的關係が愈愈緊密化され、東亞が名實共に一體となつて共存共榮民族協和の理想實現にあるのである 二 然るに依然として舊體制の殼に立籠り只管現狀の維持に汲汲としてゐる英米は、我が意圖を曲解して其間裏面に於て猛烈なる策動をなしつつ故意に我が國策の遂行に妨害を加へんと努めてゐることは明らかである、而も尚之に飽き足らずして先般來英米は、しきりに太平洋危機切迫を喧傳し、曩にワシントンに於ける英米濠蘭會談に基き四國共同の下に目下太平洋防備促進に狂奔しつつある現狀である、英米が殊更に極東危機說を强調する所以のものは、結局我が國の南進を危惧するの餘り之に對する一種の牽制とも見られ、或は例の國內輿論に對する政略であるかも知れない、何れにせよ、刻下の情勢に就て何人と雖も果して危機が何時の日に迫るかは斷言し得ないのである。真に危機を克服し、難局を突破せんとするには鐵の如き決心と不斷の備へあるのみであることは云ふまでもない 三 今や南方を繞る國際情勢は愈愈緊迫を吿げ、南進の據點、兵站基地としての重大使命を負荷されてゐる本島が愈愈その光榮ある尊き任務を果すべき時期が到來したのである、長谷川總督の府評懇談會席上に於る挨拶の一節に「今日こそ軍官民渾然一體進取潑刺たる意氣を以て國土の防衞に生產力の擴充に最高能力を發揮せしめるべく、擧島一致剛健敢為堅忍不撓の精神を以て相率いて時難を克服し本島に課せられたる使命達成に遺憾なからしめる樣云云」と全島民の協力と自重を促された、日進月步の近代戰は所謂科學戰、思想戰、經濟戰を含む總力戰である以上、島民は宜しく我が無比なる陸海軍備に對し充分なる信賴をなし、一朝有事の際には假令如何なる事態が起らうとも之に依つて動搖されず、又稍もすれば、起り勝ちな流言蜚語に惑はされることなく、更に長期經濟戰に對應するため、戰時食糧の確保を圖ることが焦眉の急とされるので、此際官民一致、全力を擧げて食糧增產の大運動に寄與すべく各自の職域奉公に專念することが時難を克服する最大急務であると信ずる。 |
02 | 皇后陛下 けふ御めでたく 第三十八回の御誕辰を 迎へさせらる |
03 | 遞信現業員に朗報 前途に光明輝く官制改正 腕次第で勅任官になれる |
04 | 小林前總督 盛大な見送裡に 昨日二見前警務局長と歸京 |
05 | 蓬萊丸出帆 |
06 | 米穀局廳舍竣工 十五日落成式を擧行 |
07 | 圖像:皇軍堂堂泰縣入城 |
08 | 森氏に位記追賜 |
09 | 教員補充に 基隆市大童 |
10 | 伴野高等法院長 新竹法院を視察 |
11 | 花蓮港の空訓 廿四日に延期 |
12 | 恤兵展開く 長谷川總督來場觀覽 |
13 | 炭の空俵や空箱で 造れ!簡易防空壕 |
14 | 大陸開發の尖兵 滿洲鑛工青少年訓練所設立 |
15 | 新體制下の經濟生活 統制經濟の出發點は 一億民の為の私生活 |
16 | 銃後の經濟磐石 事變債券全部消化 蘭陽の誇り |
17 | 隣保館本館 更に兩醫師を迎へ 施設內容充實 |
18 | 帝國學士院から 臺大へ研究費補助 |
19 | 北工卒業式 |
20 | 大大的に造林獎勵 臺中州山林會の計畫 四月三日は愛林日 |
21 | 干うどん これからどつさり出ます |
22 | デマを封鎖 派出所を單位に北署員が講演 |
23 | 臺北服裝商組總會 |
24 | 宜蘭市議月例會 |
25 | 新竹高女卒業式 |
26 | 工研見習生の出願締切變更 |
27 | ときのこゑ |
28 | 生田前臺灣軍經理部長 きのふ蓬萊丸で離臺 |
29 | 徐江蘇第二特區法院長 テロ團に拉致さる |
30 | 長榮中學卒業式 |
31 | 阿片吸食者を檢診 |
32 | 竹南公學藝會 盛況裡に終る |
33 | 勇士の前で 山の兄弟熱演 高雄高砂族國演會 |
34 | 山の若者溺死 |
35 | 定期航空 |
36 | 高千穗丸無電 |
37 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 臺灣石炭會社の 設立委員會開かる 趣旨と要綱を發表 |
02 | 產業組合記念日を迎へて/齋藤樹 |
03 | 島內郵便貯金漸增 現在高五千四百餘萬圓 |
04 | 擧國貯蓄運動 |
05 | 北支進出で在庫茶一掃 滿洲との契約品丈殘る |
06 | 潮州線芭蕉輸送打合會 |
07 | 雜品物價專委會 來る十一日開催 |
08 | 米穀共精共販組合創立總會 |
09 | 內外地物價連絡會議 四月中旬臺北で開く |
10 | 週間經濟展望 |
11 | 二月中煙草賣上激增 豫定に比し七萬餘圓增加 |
12 | 酒賣上成績 豫定に比し減少 |
13 | 臺南州農會農產物販賣斡旋 前年度に比し四割增 |
14 | 鳳梨の買收價格 百斤に付二○錢值上か |
15 | 茶業統制強化 目下特產課で立案中 |
16 | 照明燈 |
17 | 市價及商況 五日 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | けふは產組記念日 潮州信組の數數の行事 |
02 | 南投信組の行事 |
03 | 海山產組では 擴充強調週間設定 |
04 | ローカル・セクシヨン |
05 | 東港郡聯合壯丁團查閱 |
06 | 產組功勞者を表彰 けふ海山郡役所で |
07 | 新莊郡第三種空訓 良績收めて終了 |
08 | 軍人等遺家族 慰安學藝會盛況 |
09 | 優良模範部落を建設 舊港庄新社が |
10 | 洪姓は大澤、江原に改姓決定 |
11 | 淡水產米報國挺身隊 あらゆる方法で一路驀進 |
12 | 戰時食糧確保へ 新營郡の諸種計畫 |
13 | 淡水中卒業式 |
14 | 鶯歌街でも 米穀增產推進隊 |
15 | 若人の意氣高らか 東港郡壯丁團查閱 |
16 | 新營街借地借家 懇談會を開催 |
17 | 羅東工場の毛布を盜んで擧げらる |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 四千萬圓の豫算 臺南州農會・一氣に可決 |
02 | 圖像:高雄州高砂族の國語演習會 |
03 | 增產一路(13) “階段茶園”の設置 傾斜地の根本對策に腐心 臺北州・農會茶業指導所(上) |
04 | 本間臺灣軍司令官 四日彰化市を巡視 |
05 | 產組役職員懇親會 |
06 | 一門子孫四十六人 增產の春に“子寶閱兵” 覺切れぬ孫の顏・顏 |
07 | 時局大講演會 彰化市公會堂で |
08 | 高雄市陸軍記念日記念式 |
09 | 嘉義市の空訓 廿五日より一晝夜 |
10 | 嘉義中學卒業式 |
11 | 花蓮港高女卒業式 |
12 | 屏東農業卒業式 |
13 | 臺南州畜產會總會 |
14 | 高雄市小公學校卒業生數 |
15 | 圖像:日泰親善 メロデイ |
16 | 福建茶業公司創立總會 |
17 | 日支經濟提携 陳氏が廈門で懇談 |
18 | 雜貨□が第一位 臺南州下の荷拔き |
19 | 開く“禁斷の門” 改札係にも女性を |
20 | 黃麻栽培に拍車 技術の向上に重點 臺東廳 |
21 | 鶩の增產獎勵 臺中州畜產會大馬力 |
22 | コレラ疑似保菌者 更に三名を發見 |
23 | 記者募集/興南新聞社報社消息 |
24 | 小公學校武道大會 八日彰化武德殿にて |
25 | 懲役一ケ月を求刑 不正組長の詐欺 |
26 | お斷り報社消息 |
27 | 人事 |
28 | 試驗管中の生命の神秘 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 上陸部隊戰果を擴張 |
02 | 西南支の作戰戰果 |
03 | 南支艦隊全的に協力 |
04 | 海鷲、常德を爆擊 |
05 | 急轉直下圓滿に妥結 タイ、佛印双方が互讓 |
06 | 佛政府の訓令到着 |
07 | 帝國の立場を說明 重光大使、英首相訪問 |
08 | 圖像:北海に奇襲上陸 |
09 | 政府と統帥部連絡懇談會 |
10 | 劃期的意義を持つ 兩勅令の改正要旨と特異性 |
11 | 四十億圓に上る 本邦の對滿投資總額 |
12 | 對極東政策を公表 ハル長官暫くふりに |
13 | 獨軍のブ國進駐狀態 |
14 | ユ國の動き微妙 |
15 | 議會局の改廢 種種考究さる |
16 | ヴインソン案可決さる |
17 | 明日の天氣 |
18 | 水滸傳(354)/黃得時;榎本真砂夫 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | けふは地久の佳節 大內山に慶色滿つ |
02 | 新社員は 學生服で出勤せよ 巢立つ學士樣に晴天の霹靂 絕讚博す一流會社の申渡し |
03 | 時艱克服市民大會 時局色豐かな催物 基隆陸軍記念日の行事 |
04 | 天機並御機嫌奉伺電を奉呈 長谷川總督から |
05 | 新竹州下視學打合會 |
06 | 圖像:新著「尊い參謀の宮さま」 |
07 | 宅地建物價格統制令講習會 |
08 | 新體制下の經濟生活 統制經濟の出發點は (二)一億民のための私生活 |
09 | 國婦講演會 六、七兩日開催 |
10 | 圖像:小學生の體力檢查 |
11 | けふ產組記念日 臺灣神社に參拜 終つて記念座談會 島都の行事 |
12 | 加入、貯蓄を獎勵 新竹州支會の行事 |
13 | 奉祝婦人報國祭 新竹神社で嚴かに擧行 |
14 | 陸軍病院を慰問 地久節に愛婦の幹部が |
15 | 林田氏來新 |
16 | 長谷川總督 けふ竹東視察へ |
17 | 宮木知事案內 竹東方面を視察 |
18 | 新竹州炭等級 綱の色で區別 |
19 | 嗜好飲食物 規格品展示會 |
20 | いざ拓かん 南の新天地 “南進の歌”懸賞募集報社消息 |
21 | 日本室內樂作曲を募集 盟邦獨逸に我國音樂文化を紹介 |
22 | 真言宗大合同成る 全國の末寺を打つて一丸に |
23 | 白衣の勇士に慰問映畫會 |
24 | 時局講演會 けふ晝夜に亘り報社消息 |
25 | 不法請求露れて 運ちやん引張らる |
26 | 定期航空 |
27 | 今夜の放送 |
28 | 賭け圍碁で捲上ぐ |
29 | 第一劇場で孫悟空公開 |
30 | 邦人毆打事件に 遺憾の意を表す 佛印官房主事蓑田總領事を訪問 |
31 | 商況 六日前場 |
32 | 映画案內 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 亞細亞の旗(100)/小栗虫太郎;坂本仁 |
02 | 家庭・婦人 この春就學の兒童 家庭で準備しておく事は? |
03 | 圖像:新教科書はかうして出來る |
04 | 子供と睡眠の時間 通學鞄の重さにも限度がある 保健と計量 |
05 | 主婦の職域奉公 (四)廚芥塵芥の利用更生 |
06 | 圖像:米婦人綠色の突擊隊(二) |
07 | 風邪とヴイタミンC 蜜柑も豫防に效目がある |
08 | 體溫計の用ひ方 |
09 | 病氣見舞心得帳 入院中や恢復期には 特に氣をつけて下さい |
10 | 紙上病院 |
11 | 經濟相談 |
12 | 部屋に湯氣を立てる法 |
13 | かう寒くては 洗髮も億劫です 簡單なドライシヤンプーを |
14 | スフメリヤスの洗濯法 |
15 | 靴の濕氣を防ぐには |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 國語學習 皇后陛下御誕辰 奉祝歌完成 |
02 | 奉祝歌 |
03 | 讀者の作品集 僕等の友團/吳成章 |
04 | まりの身の上話 僕のすきな少年/周詩平 |
05 | スバラシイホンガ デキアガリマシタ 新學期カラ皆サンノオ相手 |
06 | 南支沿岸百里にわたる 大敵前上陸成功 忽ち敵陣全部占領 輝く海陸協同作戰 |
07 | 學舍を後に 卒業をひかへて/王得勝 |
08 | 夢のやうな思出/駱騰揚 |
09 | 蔣介石もやせ衰へ候 重慶のこのごろ まるで地獄の有樣 |
10 | 希望にをどる胸 臺北市の中等學校受驗者數 |
11 | 十四歲の支店長 人手不足をおぎなふ 銃後少年の意氣 |
12 | 世界知識 |
13 | ケナゲナヲサムチヤン オウチノクワジニ リツパナハタラキプリ |
14 | 豆知識 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 細目に關し會談す 松岡外相、ア大使訪問頭條新聞 【東京六日發同盟】泰佛印國境紛爭東京調停會議その後の經過に關し情報局では六日午後七時左の如く發表した(情報局發表午後七時)松岡外務大臣は本六日午後五時在京佛國大使官邸にアンリー大使を往訪し帝國政府の提示したる調停案に關し旣に佛泰兩國政府に依り同意成立せる主要なる點を除き細目に關する殘餘の點につき會談して同六時辭去したり |
02 | 三國共同聲明を發表 |
03 | 松岡、アンリー會談 尚引續き行はれん |
04 | 南京政府、慶賀を表明 |
05 | 佛側最後の粘り |
06 | 陸鷲、陽春鶴山急襲 |
07 | 北海海關內の援蔣物資を押收 |
08 | 判明せる戰果夥し |
09 | 敵遠く北方に潰走 |
10 | 敵、終始物資を遺棄遁走 |
11 | 一物も重慶に入れぬ 佛印進駐軍當局談 |
12 | 大島大使歡迎 午餐會 |
13 | 南方課等を新設 商工省、南方事務の繁忙に則應 |
14 | 圖像:皇軍に敬禮する泰縣警備の李軍哨兵 |
15 | 希國、對獨抗戰か 英希間に意見一致 |
16 | 波、白、希三公使 勃國から引揚に決す |
17 | ヒ總統の親書 土國の反響注目さる |
18 | 獨のブ國進駐豫定通り繼續 |
19 | 希に和平提議の 資格はない イタリア官邊聲明 |
20 | ブ國向けの物資を取締る 英經濟省布告 |
21 | 獨羅會談開始 |
22 | 獨軍なほ增強中 ソフイア來電に依る |
23 | ユ國在住英人に引揚を勸告 |
24 | ダ海峽に機雷敷設? 土國政府は否定 |
25 | 香港弗の下落顯著 今次の我が封鎖作戰で |
26 | 第三國人感動 我が軍紀の嚴肅に |
27 | 伊勢神宮に 正式參拜 大日本產業報國會 |
28 | 肥料配給報國運動の實踐へ |
29 | 次官會議 |
30 | ウエイガン將軍 突如ヴイシーに乘込む |
31 | 理科を加ふ 徵兵檢查の際の學力調查に |
32 | 十五億弗の追加豫算 米上院委員會通過 |
33 | 今日の天氣 |
34 | 日本郵船基隆出帆 |
35 | 辰馬汽船 |
36 | 大連汽船 |
37 | 東亞海運 |
38 | 南日本汽船 |
39 | 大阪商船基隆出帆 |
40 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 國民生活の均足を謀れ社說 一 支那に於ける經濟制度は民生主義を以て基礎となし、以て國民生活の均足を謀ることにあり、民生主義の內容は地權平均と資本節制にあつた、これは決して共產主義ではなく、國運廢頹の支那としてその起死回生の方途を民生の挽恢向上に求めることは當然否必然的の歸趨である。つまり孫文の中國社會觀によれば、支那の民生を窮之せしめてゐる根本原因は、幼稚なる農業生產と過去的手工業とが支那經濟の全部で、これに拍車を加へたのが不平等條約による列國資本の壓迫だと見てゐる。氏が第一に產業充實、第二に物質建設(實業計畫)を高調し、中國存亡の關鍵は實業發展の一事に存すると喝破した所以のものも茲にある、そこで實業計畫の充實は土地の兼併を抑制する地權平均と、資本の集中を調節する資本節制との二つであるとしたのである。 二 孫文の晚年の民生主義中に「農民問題の完全なる解決は耕者有其田でなければならぬ、斯くて始めて我等の農民問題の最終の結果と謂ふべきであらう」と說いてある、耕者有其田とは孟子の所謂井田法の實踐を覘つたもので私有地の沒收、土地の國有、或は土地の再分配などを企圖したものではない、大地主の輩出を防止したまでのことであつて現代のいはゆる「自作農創定」と謂ふべきものである。 三 又資本節制は個人企業と國家經營とに限界を置いて資本の集中を調節せんとするにあつた、それは彼の一全大會宣告に「凡ての本國人民及び外國人民の企業にして或は獨占的性質を有し或はその規模大に過ぎて個人の力を以てなし能はざるもの例へば銀行、鐵道、航路の如きものは國家自身これを經營管理し、私有資本制度をして國民の生計を操縱する能はざらしめざるベからず、是卽ち資本節制の要旨なり」とあるによつても明白であるが、その一面には個人企業を認めるばかりでなく、これを保護せんとすることはかの建國方略物質建設中に、「中國の實業を開發するには二方面から進まねばならぬ、第一は個人經營で第二は國家事業である。各種事業中で個人經營の方が便利であるものとか、又は國家事業とするよりも個人經營にした方が適當なものは之を個人に委せて國家の力を以てこれを奬勵し、法律で之を保護せねばならぬ」と說明してゐる。 四 隣邦支那は斯くして國民經濟の建直しを圖つたのである、我國は今や全國各界業者の統制によつて軍需並に戰時必要物資の確保と銃後國民の生活必需品の合理的配給並に適正價格の維持を企圖しようとしてゐる、固より統制のための統制ではなく、必要物資の生產增加に重點をおき、進んで配給部面に力を注いでゐるのである。統制が苟くも業界を委縮不振に陷らしめることがあつては由由しき問題である。彼の經濟新體制も國民經濟の構成部分たる企業に對して公共性が附與され、資本、經營、勞務の三位が打つて一體となつて國家最高目標の下に生產擴充を企圖するものであるから、統制の手段方法も亦國民の生計を基礎として實施すべきである。敢へて民主主義を謳歌するのではないが國民生活の均霑を謀ることが現下の急務であると信ずる。 |
02 | 聖域奉仕の尊き體驗 全國小學校長代表が宮城前で |
03 | “陸軍記念日の夕” 十日夜公會堂で開催 |
04 | 本間軍司令官歸北 |
05 | 祈願祭と慰靈法會 |
06 | 宜蘭愛婦の地久節奉祝行事 |
07 | 官民の協力を切望 山本馬公要港部司令官の第一聲 |
08 | 新體制下の經濟生活 (三)經は公益・緯は奉仕 織出す綾が統制經濟 |
09 | デマの粉碎へ 新竹市で時局講演開催報社消息 |
10 | 理數科教員拂底 名古屋、京都で養成所增設 |
11 | 新竹州參事會 |
12 | “大いに頑張るよ” 南方開拓挺身隊着臺 |
13 | けふ宣誓式を擧行 |
14 | 拓士道場訓練生 大直勤行報國青年隊に入隊 |
15 | 愛婦羅東分會の地久節奉祝行事 |
16 | 結成式を擧行 羅東產業報國推進隊羅東街支部 |
17 | 新竹信組敬老會 |
18 | 榮の當選者決定 精動募集の紙芝居脚本 |
19 | ときのこゑ |
20 | 鬱陶しい空模樣 氣の毒だが喜ぶのは未だ早い |
21 | 臺大農專入學許可者 |
22 | 記念式を擧行 昨日宜蘭信組で |
23 | 北一女で防空壕 きのふ鍬入式を擧行 |
24 | 謝姓有志改姓座談會 |
25 | 鈴木三井物產紐育支店員 墨市旅舍で墜死 |
26 | 人事・消息報社消息 |
27 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 青果組合の統合 秋頃迄に實現せん |
02 | 臺北州水產會 豫算五十二萬圓に激增 |
03 | 物價公定の適正を期し 學界民間の協力を求む 今西、有元兩氏を囑託に依囑 |
04 | 臺灣自動車事業組合 近く創立に決定 |
05 | ドイツの世襲農地制度 (上)民族更生に重要役割 |
06 | 魚肥移入確保に 近く狩野事務官赴鮮 |
07 | 夏帽統制聯盟 臺灣帽體部を設置 |
08 | トラツク會社間で 部分品の入手を畫策 |
09 | 價格の公定せる 物品二萬八千餘點 二月末現在 |
10 | 勞働手帳制を採用し 臺北州勞務協會近く設立 |
11 | 臺灣帽子興業會社 神戶で創立さる |
12 | 大豆粕の割當數 二萬一千瓲と決定 |
13 | 田中事務官 近く上京 |
14 | 經濟手帳 株式の抱き合ひ |
15 | 世界の鐵鋼生產高 |
16 | 一縣一行主義の改訂 |
17 | 照明燈 |
18 | 市價及商況 五日 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 桃園郡特殊防諜團 嚴肅なる發會式擧行 |
02 | 產組記念日の 板橋信組の行事 |
03 | 新營神社で祈願祭 產組記念日の行事 |
04 | 宜蘭信組の行事 |
05 | 宜蘭市防衛團 組織編成打合會 |
06 | 北陸中堅青年の搖籃(一) 模範道場を訪ねて |
07 | 防空打合會 臺東街で開催 |
08 | 第三回宜蘭市月例會 |
09 | 豐原郡醫師會 總會を開く |
10 | 利益の一部割いて献金 |
11 | 南投國民貯蓄組合 組織要項決定さる |
12 | 苗栗郡空訓 十七日に延期 |
13 | 能高社會教化大會 及び優良部落表彰式 |
14 | 豐原郡警察課員 甘藷を代用食に |
15 | 淡水郡薪炭杭木類出荷組合總會 |
16 | 飲食物公定價格 臺東郡業者に指示 |
17 | 新巷洪復吉氏 桂川復吉と改姓名 |
18 | 新營郡下小公學 郡守獎學賞受賞者 |
19 | ローカル・セクシヨン |
20 | 稅制記念日に 映畫會を開く |
21 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 祝へ地久の佳節 高雄神社前で報國祭 |
02 | 地久節奉祝式(花蓮港) |
03 | 共存同榮の徹底へ 產業組合記念日に當りて 高雄州星野產業部長談 |
04 | 圖像:笑和漫畫展初顏合せ |
05 | 神社前で祈願祭 高雄市內の十七產組 |
06 | 忠靈塔の建設 臺南州全職員が献金 |
07 | 增產一路(14) お次が“品種改良” アツサム種も結構伸びる 臺北州・農會茶業指導所(中) |
08 | 產業組合の歷史 產組中央會教育部植田實氏談 |
09 | 臺中市の產組記念日 |
10 | 民有林野を活用 臺南州積極的に獎勵 |
11 | ちらほら咲き綻ぶ阿里山の櫻花 |
12 | 臺南州も大警戒 沿海にコレラ防疫陣 |
13 | 一坪園藝種子無償配付 |
14 | 嘉農卒業式 |
15 | 總額二千二百餘圓 花蓮港廳民の献金熱 |
16 | 鮪から肝油 高雄に製造工場 |
17 | 百斤三圓五十錢 臺中州のキヤツサバ |
18 | 大新商事懇談會 |
19 | 臺南長榮中學卒業式 |
20 | 綿製品配給割當 五日彰化市で打合會 |
21 | 記者募集/興南新聞社報社消息 |
22 | 彰化商專卒業式 |
23 | 人事・往來 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 細目、技術的問題も 圓滿裡に意見一致 歷史的會議けふ大團圓 |
02 | 松岡外相、ア大使 昨夜重ねて會談 |
03 | 東亞の安定を促進 獨、歡迎の意を表明 |
04 | 德王參內 歸國に先立ち |
05 | 圖像:煙草を分け合ふ我が勇士と李長江軍の兵士 |
06 | 世紀の課題・英本土攻略(上) 淺海作戰に有利な性能 獨逸の四十餘萬噸艦艇 |
07 | 蘭印、米國間船舶頓に拂底 蘭印、對策を發表 |
08 | 水產の新體制 問題となる諸點 |
09 | 國防保安法 公布 |
10 | リビアの獨軍兵力 近く十五萬に達す |
11 | ユ國の動向注目 パ攝政は戰爭不介入主義 |
12 | 獨軍着着增強 土國の措置尚不明 |
13 | ヒトラー總統の 對土親書の內容 |
14 | パナマ共和國の 基地建設許容 ハル長官聲明 |
15 | 海兵增員法案を可決 米下院委員會 |
16 | 海軍軍務局長 委員會で證言 |
17 | 「東亞開拓訓練所」 近く東京近郊に創設 |
18 | 工場從業員の月給分割拂 大阪地方專賣局で |
19 | 墨國の防衛計畫 |
20 | 米、墨共同防衛交涉進捗す |
21 | 商洋拓殖社長更迭 |
22 | 明日の天氣 |
23 | 水滸傳(355)/黃得時;榎本真砂夫 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 嚴肅な宣誓式擧行 けふ總督府表玄關で 拓南の尖兵 |
02 | 大君の御鍬たれ 松岡殖產局長の訓辭 |
03 | 新竹警察部の事務刷新 不急不要事務を整理 |
04 | 臺北州指定の女青研究會 |
05 | 臺北州第二種空訓 愈今月中旬頃に實施 |
06 | 防空緊急對策を協議 けふ州會議室で開かる |
07 | 彈力性陶磁器登場 躍進日本化學工業界に又も凱歌 |
08 | 正條植を視察 高原農務課長が |
09 | 白衣勇士を慰問 十一日州下產組の幹部 |
10 | 邦人に對する 英官憲の過敏振り 米山丸の情報 |
11 | 上村前參謀長を圍んで 本島人有志等送別座談會開催 |
12 | 北署管內の奉仕日 保甲民が道路を清掃 |
13 | 恤兵展ラヂオ放送座談會 |
14 | さあ踊らう ほがらかに 大政翼贊の舞踊 愈よ出來ました |
15 | 基隆米穀共販組合近く創立 |
16 | お薩愈よ出廻る 市內で十斤が卅五錢 |
17 | 市內青年學校長打合會 |
18 | 日本精神神經學會 臺灣地方會例會 |
19 | 人事・消息報社消息 |
20 | 南署管內の 麻雀屋 今月一杯で廢業 |
21 | デマ粉碎の時局講演會 今夜が最後報社消息 |
22 | 今夜の放送 |
23 | 商況 七日前場 |
24 | 映画案內 |
25 | 興南案內報社消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 亞細亞の旗(101)/小栗虫太郎;坂本仁 |
02 | 家庭・婦人 學窓巢立つ女性へ 就職戰線の展望/山田辨信 |
03 | 圖像:新教科書はかうして出來る(二) |
04 | 婦人說苑 時代の母として/阿部靜枝 |
05 | 空樽に野菜 |
06 | 茶そば |
07 | 汚點拔き |
08 | 吹寄せ蒸 |
09 | 圖像:□なまつり |
10 | 榮養の高い貝□ 獸肉より蛋白質が多い |
11 | 機械生活に大切な音感 大音樂家の芽生は五、六歲から |
12 | 經濟相談 |
13 | 乳脚氣の時にも 輕率に斷乳するな 却つて消化不良を起すもと |
14 | 食料報國の王者 誰にも失敗のない ジヤガイモ栽培法 |
15 | 起しやすい結膜炎 眼の疲れにご注意 婦人も眼鏡は遠慮なく |
16 | 天ぶらの揚げ方 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語學習 譽れの家の遺兒達に 近づく社頭の對面 東京では歡迎準備 |
02 | 國語力だめし(二十四) 二千語讀方 |
03 | 呆れた蔣介石軍 盛んな仲間喧華 近く中支で大衝突か |
04 | 童話 遊ぶ子供たち (一)/村岡花子 |
05 | 日本語も上手 になりました 北京小學生王昆緒君の 近況をしらせるお便り |
06 | 兒童作品 納稅/王清貴 |
07 | 名國の失つた汽船 九百六十四隻以上 歐洲大戰勃發から昨年末迄 |
08 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵司令部等を爆碎 海鷲、宜昌西方を攻擊頭條新聞 【○○基地七日發同盟】中支艦隊報道部發表 海軍艦攻隊○○機は七日宜昌西方に於ける陸軍作戰に協力敵陣地上空を數時間に亘つて攻撃制壓し敵司令部その他重要施設を撃碎大なる戰果を擧げたり、敵より僅少の砲擊ありたるも我れに被害なく全機無事歸還せり |
02 | 敵第一線陣地を突破 |
03 | 隱匿軍需□續續發見 |
04 | 北□の鹵獲品莫大 |
05 | 相當の進捗を見る きのふの細目討議 |
06 | 情報局發表 |
07 | 折衝頻繁に行はる 佛代表再度本國に請訓 |
08 | 事務的問題處理に なほ數日を要せん |
09 | 圖像:畑總司令官の出發 |
10 | 改正總動員法 廿日より實施 |
11 | 翼贊會地方組織特別委員會 |
12 | 政府と統帥部の 臨時連絡懇談會 |
13 | 最大能率發揮せよ 東條陸相、陸軍豫算運營に關し 直轄部隊長、各局課長に訓示す |
14 | 世紀の課題・英本土攻略(中) 劣勢海軍と空軍が連合 英の世界一艦隊擊滅へ |
15 | 翼贊會の運動に 鄉軍加入差支なし 軍務局牧中佐言明 |
16 | 議會局改廢に伴ふ 貴院部の態度協議 |
17 | 尾高將軍晴の入京 |
18 | 經濟政策の根本的調整 日商議、關係政府當局に建議 |
19 | 產業團體令準備委員會設置建議 |
20 | 下士官全部を 營內に居住さす 服役令施行規則を改正 |
21 | 中野正剛氏 翼贊會總務辭任 |
22 | 今日の天氣 |
23 | 日本郵船基隆出帆 |
24 | 辰馬汽船 |
25 | 大連汽船 |
26 | 東亞海運 |
27 | 南日本汽船 |
28 | 大阪商船基隆出帆 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 不退轉の心構を堅持せよ デマ粉碎について社說 一 最近、臺北を始め二、三の地方に於て、いまはしいデマが飛んでゐるさうである。新聞の報ずるところに依ると、牛が話をしたとか、繼子殺しの鬼婆を見せ物にするとか、茶碗がどうかうしたとか、等との凡そ荒唐無稽のデマであつて、しかも一部愚眾を惑はせてゐるとのことである。勿論これらのデマは總てナンセンスであり、凡そ兒戲に類する噴飯物であることは言を俟たないが、併し此の超非常時局下に於て、殊に波浪高まりつつある太平洋の重要據點たる本島に於て、まさに緊褌一番、六百萬島民のより堅き結束を必要とするの秋、斯るデマが飛んで、併かも其れに迷はされるものの一人でも存在するといふことは、洵に情けないことと云はねばならぬ。蓋し斯種デマが、單純でありナンセンスの噴飯物であらうと、或は謀略であり惡性危險なものであらうとを問はず、一樣に戰時下銃後の結束を破壞し、民心を擾亂するものであることを我我は留意せねばならない。 二 今回のデマは、一見單純なるナンセンスかに見えるが、それが一部無學無智の眾愚に與へる影響を想到する時、決してこれを看過等閑に附することは出來ない、勿論デマなるものは、古今東西を問はず、又文化の高低に拘はらず、何處に於ても左程珍しい現象ではないかも知れない。唯それが一國社會の激動期或は轉換期、就中戰時に於て屢屢外敵方の宣傳謀略に依り、或は非國民の策動に依つて、デマが放たれ、特に銃後國民生活を混亂に陷れて、一國社會の破滅を招來するが如き實例は、殊に西歐の近代史に徵しても明らかなことである。單純なナンセンスに等しいデマといへども、デマの本質に於ては、些かも變りはなく、否却つて其れに迷はされる者共が、大方無智無學の眾愚である場合には、寒心に堪えないものがあらねばならない。何となれば、無智なる眾愚は盲信に陷りがちであり、又群眾心理に支配され易く、輕擧盲動に走り易いことは古往今來、東西共に軌を一にしてゐるからである。 三 如上の意味に於て現下の時局に、如何なるものにもせよ、一切のデマは斷じて許さるべきものではなく、官民一致協力して徹底的に之を粉碎せねばならない、其の際島民自體の理解ある協力が特に重要なのである。思ふに斯種デマに迷はされるのは、主として教育のない下層階級に多く、それの因つて來る處も、要するに無智なるが故と、時局認識の缺如乃至不徹底にあることを否めないのである。從つて一切のデマを粉碎せんがためには、デマの根源を追究摘發して、徹底的にこれを撲滅すると同時に、一般大眾のより深き時局認識の透徹を期するに非らざれば萬全とは云ひ難いであらう。此の點官廳は勿論、特に島民有識階級、指導階級の、より一段の努力が期待されねばならない、時局下臺灣の持つ使命役割については贅言を要しないが、六百萬島民のゆるぎなき堅き結束と翼賛奉公の誠を冀求されるの、今日程真劍なるはない、デマに迷はされるは旣に心のゆるみ、間隙の出來た證左である、大東亞共榮圈確立の推進力たる、皇國民にとつて、これは由由しき事でなければならぬ。全島民は如何なる流言浮說にも迷はされることなく、如何なる事態に當面しても常に儼然たる不退轉の心構へと覺悟を新たにして、固く之を堅持するものでなければならない。 |
02 | 一億一心貯蓄報國 百卅五億目指し三方法決定 全國的に運動展開 |
03 | 陸軍軍事功勞者 記念日に表彰狀傳達 |
04 | 臺灣の功勞者五名 |
05 | 白衣の勇士慰問演藝會 |
06 | 富貴市場を愈よ改修擴張 |
07 | 臺北市米穀配給組合 昨日創立總會を開催 |
08 | 本間軍司令官 きのふ恤兵展へ |
09 | 宜蘭市羅東郡小公學校卒業式日割 |
10 | 圖像:鹽澤長官記者團と初會見 |
11 | 羅東郡利澤簡信用組合 |
12 | 一高女卒業式 |
13 | 依託生制度を創設 農林省で技術者養成 |
14 | 新竹州農會總會 原案通り可決 |
15 | 日航の四機完成 近く大陸各幹線に活躍 |
16 | 上村前參謀長 九日高千穗丸で離臺 |
17 | 宜農は二倍の應募 |
18 | 蘭陽高女は八十二名超過 |
19 | “目から科學教育” 全國の隣組や部落常會に 幻燈教育の活用 |
20 | 齋藤、大塚兩畫伯 南支海軍從軍中に戰死 |
21 | 織物商青年隊結隊式 |
22 | 叢雲號 橫濱に向ふ |
23 | デマ粉碎講演 新竹で開かる |
24 | “十億弗の謎”解く 敗戰佛の保有金 マルチニク島に隱匿判明 |
25 | 老人の輪禍 |
26 | ときのこゑ |
27 | 我國の古代馬具 盟邦獨逸皮革博物館に陳列 |
28 | 日本びいき スマトラの土人達 |
29 | 米國の罷業擴大 軍需工場廿五に達す |
30 | 日華合辨華北墾業公司創立 |
31 | 九圓欲しさに 若者強盜を働く |
32 | 富士丸無電 |
33 | 人事・消息報社消息 |
34 | 虎疫を入れるな 基隆港鐵壁の防遏陣 |
35 | 前科二犯の宿屋荒し御用 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 最近の製糖步留 灣糖平均一割二分に恢復 他は概して不良 |
02 | 自動車事業組合及 同聯合會の解說(上) |
03 | 臺灣農會主催で 農事講習會を開く |
04 | 臺灣農會で 練習生を募集 |
05 | 島內農業機械化に 近く山根氏を招聘 |
06 | 州下藁工品販賣斡旋 昨日より州農會で直接取扱 |
07 | ドイツの世襲農地制度 (下)民族更生に重要役割 |
08 | 全島產組代表 十四日總督を訪問 |
09 | 臺灣貿易振興會社 設立委員會を開催 資本金五十萬圓に決定 |
10 | 臺北州故銅鐵屑組合總會 |
11 | 經濟手帳 臺灣の工業化 |
12 | 各種年度 |
13 | 特殊繭とセリシン定着加工 |
14 | 照明燈 |
15 | 市價及商況 七日 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 麗はし!・師弟の情 働いて得た金で鉢植を買ひ 病院に恩師を慰問 高砂族の人情美 |
02 | 斗六郡下改姓名 漸增の傾向を辿る |
03 | 改姓名の出願者續續出づ |
04 | 三重埔の改姓名熱昂る |
05 | 改姓名許可者 書類を提出の事 |
06 | 愛婦創立四十年記念祝典 |
07 | 竹山郡藥業組合定期總會 |
08 | 大溪街定期種痘 來る十日より施行 |
09 | 新化榮泰商店 楊正君が讓受 |
10 | 斗六神社に參拜 斗六郡の產組記念日 |
11 | 竹山信組の行事 |
12 | 更生農村 忠臣志士を偲ぶ關西・中・四國 (二)模範道場を訪ねて |
13 | 玉井のバス事故 重輕傷九名、一名絕命 |
14 | 植付督勵班を編成 大溪米增產に精進 |
15 | 新埔バス顛覆 乘客六名重輕傷 |
16 | 竹山二水間バス 橋梁流失の為不通 |
17 | 東寶新劇團 永樂座で開演 |
18 | 詐欺漢行方を晦ます |
19 | ローカル・セクシヨン |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 近づく陸軍記念日 臺南市多彩な行事 |
02 | 臺中市の行事 |
03 | 嘉義市の奉祝 |
04 | 花蓮港市 |
05 | 屏東市の地久節奉祝式 |
06 | 增產一路(終) 繞り來る“若芽の春” いざ歌へ、私たちの茶摘歌 臺北州・農會茶業指導所(下) |
07 | 養屯の大獎勵臺南州 |
08 | 神社に正式參拜 彰化市の產組記念日 |
09 | 屏東市の行事 |
10 | 戰歿者慰靈祭 十日屏東公園で |
11 | 國防献金□ 二月中臺□扱 |
12 | 水道擴張工事(臺中) きのふ起工式擧行 |
13 | 農村娛樂移動班 新文化聯盟が乘出す |
14 | 不幸救備厚生會の世話役依囑會 |
15 | 高雄港のコレラ 愈よ暴威を揮ふ |
16 | 全州下で卅七名(高雄) 恩給を受ける街庄吏員 |
17 | 山本馬公要港部司令官赴任 |
18 | 國語普及研究會 八日員林郡溪湖公で |
19 | 彰化市各學校の市長賞受與者 |
20 | “蠅”を驅除せよ 高雄州で繩取紙を配布 |
21 | 商工業組合彰化支會役員會 |
22 | 大根粕五萬斤 近く花蓮港へ移入 |
23 | 屏潮水利評議員會 |
24 | 畜產熱心家座談會 |
25 | 製炭六百俵積出し |
26 | “今樣項羽”出現 アリスや汝を奈何せん |
27 | 臺南州市郡畜產主任打合會 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 我決意を國民に披瀝 タイ、佛印正式調印直後 政府、議員と懇談會を開く |
02 | 佛政府、受諾に決定 |
03 | 西貢漸く明朗化 邦人引揚げ勸告撤回 |
04 | 米、佛印在米資金を凍結 |
05 | 圖像:和平建國旗を手に泰縣市街を行進の李長江軍 |
06 | 佛政界は滿足 |
07 | 佛側の回訓あらば あす正式會談開く |
08 | 獨軍愈よ對希進擊か |
09 | 土國近く態度表明 |
10 | 宜昌周邊の敵を爆擊 |
11 | 世紀の課題・英本土攻略(下) 長大な海岸線各所から 虛虛實實の上陸戰偽裝 |
12 | 翼贊意識□昂揚 地□織班の報告 |
13 | 德王歸國の途に就く |
14 | 英米濠三國會談 |
15 | 米墨軍事協定 必要あらば調印 墨外相上院で言明 |
16 | 親善強化聲明か ユ國攝政、ヒ總統と會見 |
17 | 海軍施設費一億百萬弗 米上院委員會採擇 |
18 | 州兵の召集期間延長 米陸軍省、議會に要求 |
19 | 汽船の同一船名を避ける |
20 | 駐米伊國官吏の 行動制限を通達 |
21 | 青木一男氏を外交顧問に |
22 | オツトー獨大使 けふ東京發歸國 |
23 | 明日の天氣 |
24 | 水滸傳(356)/黃得時;榎本真砂夫 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 陸軍記念日に描く 空のページエント 飛行隊主要都市を飛ぶ |
02 | 和知臺灣軍參謀長 けふ晴れの着任 |
03 | 羅店鎮攻略の勇將 |
04 | 和知參謀長語る |
05 | 圖像:和知新臺灣軍參謀長着任 |
06 | 臺北州國民貯蓄功勞者表彰式 |
07 | 讀方研究發表 けふ建成小で |
08 | 長谷川總督 十日淡水を巡視 |
09 | 保健政策の大轉換 生活樣式の科學的改善に重點 厚生省愈よ乘出す |
10 | 第三種防空訓練 新竹州下中部の日割決定 |
11 | 北三女卒業式 |
12 | 四青年學校 十八日卒業式擧行 |
13 | “必勝への道” (一)銃後國民の決意 輝く陸軍記念日 日露戰爭後四十年 |
14 | 新竹高女卒業式 |
15 | 好評博して 臺北市皇軍慰問團歸る |
16 | 合成ゴム見事完成 我產業陣に凱歌揚る 今秋大規模に中間試驗 |
17 | 兒玉元軍司令官 けふ富士丸で來臺 |
18 | 日本產婦人科學會 臺灣地方部會總會 |
19 | 明年の 東亞體育大會 滿洲國新京で開く 建國十周年を記念して |
20 | 香川縣人會 慰安演藝會 |
21 | 來れ・向學の女子 初の理學專門學校開く |
22 | 偽刑事檢擧 |
23 | 人事・消息 |
24 | 今夜の放送 |
25 | 商況 八日前場 |
26 | 映画案內 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 亞細亞の旗(102)/小栗虫太郎;坂本仁 |
02 | 家庭・婦人 案外多い發育不良 どんな子供が就學延期必要か |
03 | 電氣コードのよぢれ |
04 | 不眠症も藥なしで ぐつすりと眠れる 數息の法と足掌の法 |
05 | 近視豫防と 照明の改善 |
06 | 圖像:新教科書は斯うして出來る(三) |
07 | 主婦の職域奉公 (五)廚芥塵芥の利用更生 |
08 | 凡ゆる花花に含まれる ヴイタミンBと蛋白質 |
09 | 中國のお孃さんを招いて華かな日華交驩雛祭り |
10 | 板屑も立派な木炭に 簡單で失敗のない炭燒き法 |
11 | 春雨の空揚げ |
12 | 紅梅飯 |
13 | 火熨斗の火持ち法 |
14 | お漬物十訓 |
15 | 經濟相談 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 國語學習 海の荒鷲軍大活躍 對岸の三省を大空襲 |
02 | 羊毛も自給自足 滿洲國の十年計畫 |
03 | 百三十億めざして 貯蓄報國に邁進 |
04 | 近頃の出來事 二月二十七日──三月五日 |
05 | 童話 遊ぶ子供たち (二)/村岡花子 |
06 | 學窓から實社會へ 高雄の小公學卒業生 |
07 | ラヂオを 聞きませう! 放送協會が大活動開始 |
08 | 私達の手でつくる 模範的な防空壕 臺北第一高女の防空作業 |
09 | 青年 佛領印度支那(二) |
10 | 隨想隨筆 讀書と思索/林南良 |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 華福山、曹家畈占領 長江沿ひに銳鋒西轉頭條新聞 【○○前線八日發同盟】七日朝來宜昌對岸より銳鋒を長江沿ひに西轉して猛進中の我が立花、山本、鈴木の諸精銳部隊は峻嶮なる山岳陣地に據つて死物狂ひの抵抗を續ける敵に對し終日隨所に猛攻を加へてこれを捕捉殲滅し八日未明遂に敵防衞陣の據點たる華福山(宜昌北方、西壩島西岸)を占領、算を亂して敗走する敵に痛烈なる砲擊を集中して潰滅的打擊を與へ陸海空軍の緊密なる協力下に引續き西方に戰果を擴張しつつある、一方昨七日夕大橋邊(宜昌西南二十粁)の敵據點を奪取した北村、三井、得平、島田、工藤の諸部隊は堅固なる旣設トーチカの陣地に據る敵に猛砲火を集中して敵陣地を逐次潰滅し八日正午遂に敵最右翼據點たる曹家畝(大橋邊西方十粁)を奪取、引續き敗敵を猛追中である |
02 | 事變處理の方針不變 畑總司令官きのふ着任中外に闡明す |
03 | 回訓けふ着電せん 帝國委員準備を整ふ |
04 | 圖像:廣東全省第二回警務會議は六日午前十時より警務處會議室に於て擧行された |
05 | 泰、佛印國境は平穩 澄田少將、ドクー總督を訪問し 期限滿了後の問題に關し申入 |
06 | 十五日頃兩院本會議開く 政府の說明を求む |
07 | 小林前總督下關着 |
08 | 五十五歲まで(英人男子) 兵役の義務あり 新嘉坡政廳が布告 |
09 | 和やかな日、泰親善の會 泰側代表歡迎を兼ね |
10 | オ獨大使離京 歸國の途につく |
11 | 日本の優位を實證 調停會議の成功伊絕大な贊辭 |
12 | 對日為替決濟 用クレヂツト 聯銀、一箇年延長 |
13 | ユ國の現內閣 非常危機に直面 パ攝政、後任首相を物色中 |
14 | 「鐵鋼團體令」(假稱)を制定 五月中に公布實施 |
15 | 獨逸海空軍の戰果 英海軍の漸減作戰に |
16 | 圖像:中國記者團の入京 |
17 | 青木外交顧問 南京に駐在 |
18 | 本部の強力化要望 翼贊會地方組織特別委員會終る |
19 | 中小商工業者の 轉業大陸開拓民 應募數約一千名 |
20 | 鐵道報國奉公會結成 “大家族主義”の發揮へ |
21 | 內地滿洲に折半 教育施設に充富 山下汽船社長の献金 |
22 | 武器貸與案上院通過確實 現在の形に於て |
23 | 今日の天氣 |
24 | 日本郵船基隆出帆 |
25 | 辰馬汽船 |
26 | 大連汽船 |
27 | 東亞海運 |
28 | 南日本汽船 |
29 | 大阪商船基隆出帆 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 米穀增產への一考察社說 一 銃後の固めは先づ國民生活の安定にあり、又之れを期する為には國民生活上一日も缺く可からざる食糧の確保が緊急なるは今更ら贅言を要しない、時局が逼迫すればする程其の必要がより痛切に感じさせられる、本島に於ても之の非常時局下の食糧確保に積極的に協力する意味に於て、十六年度豫算に巨額の米穀增產助成費を計上したのみならず、長谷川總督自から田圃に乘出して農民を激勵、其他松岡殖產局長及各州知事も率先陣頭に立つて米穀增產運動に從事して本年中に於ける本島の產米高を一千二百萬石迄に引上げるべく非常な意氣込みで馬力をかけてゐる 元來米の生產は天候地力に依つて其の增減が左右されるも、人間の心構へ並に農業經營機構及び制度の良否如何も多大なる關係を有する、天候は人間の力を以てしては如何ともし難きも地力に至つては、土地の改良、水利の開設並に施肥を以てすれば之れが維持强化を期し得らるべく、更らに農業經營機構制度及人の心構へに及んでは凡て人力を以て解決し得る事許りである、要は自然の天候に俟つよりも人の力に賴る方がより大なるものがある、從つて米增產の可否は人間の決心一つに依り決定されると言ふても過言ではあるまい 二 本島は尚ほ農業經濟の域を脫し得ず農民は永年の訓練と因習に依り米作に慣れ、何よりも米を好んで作る習癖を持つてゐる之の上に當局が政策的に更らに米增產の積極的指導奬勵に乘出せば本島の米穀增產は必ずや豫期の成績を擧げ得ること請合である、領臺以來本島農業の長足的發展を觀てもその原因の一半は一般農民が好んで米作する處にある故に吾人は本島農民が之の非常時局下に於ける米穀增產國策に協力を怠る事を心配する必要は毫もなく寧しろ農民の好む米作に阻害を與へる障害の存在を恐れる、 臺中州の輪栽式耕作法は之の非常時局下に於ける米穀增產の國策的見地より見て之れが再檢討を叫ばれる所以も實に此處にある、同案の內容に深く立ち入つて此處で詳細に議論する餘裕もなく又しようとは思はないが只だ全島に於て最も良き米產地であり而も時局柄之れが米增產を熱望してゐる現在に於てその耕地を他方面の利用に供する處に同案の持つ性格を再檢討されなければならぬ、 三 嘉南大圳の三年輪作に付ても然り、水量に尚ほ餘裕ある限りに於ては之を二年輪作に改正すべきに拘はらず、輪作より除外して米作に供せられる特殊地帶迄も甘蔗作をなさしめてゐる處あるに於ては全く時局に對する認識を疑はざるを得ない嘉南大圳の二年輪作は某權威者が之れが可能なるを保證してゐる故之の米增產を熱望する現時局を好機に之れを二年輪作に改正し、以て當局の期する米增產に一層の拍車をかける事を望むものである 砂糖も亦生活必需品である、之れが增產は又米に次いで必要であるは申迄もないただ甘蔗は畑地又は山地に於ても栽培し得るに於ては、水田は出來得る限り米作に讓る可きであると强調したい、之の意味に於て若し臺中州の輪栽法を撤廢し嘉南大圳を二年輪作に改正すれば之れが時局の要求する米增產に如何許り貢献するか茲に指摘するものである |
02 | 戰傷勇士に血を献納 北京で「皇軍掩護組合」結成 |
03 | 日獨伊三國將兵感謝會 きのふ九段軍人會館で開かる |
04 | “必勝への道” (二)銃後國民の決意 輝く陸軍記念日 |
05 | 基隆市豫備役將校の懇談會 |
06 | 驛辨も代用食で 全國で百廿九種に達す |
07 | 無双の精銳 臺灣軍の歌發表 |
08 | 岡村伍長の市葬 宜蘭市公會堂で執行 |
09 | 臨時教員養成 講習會會期變更 |
10 | 半島の農民道場(上) 赭土に挑む農業戰士 |
11 | 臺電の防空會議 鐵壁の防衛陣成る |
12 | 新竹州畜產會總會 |
13 | 內臺航路客に快報 來夏一萬二千噸の巨船四隻就航 |
14 | 基隆家政女卒業式 |
15 | 宜農卒業式 |
16 | 伊藤郵船基隆支店 副長歸任 |
17 | 電氣バス五臺御目見得 近く基隆市に |
18 | 臺北高商入學許可者(出願順) |
19 | 皇民鍊成讀方研究發表大會第二日 |
20 | ときのこゑ |
21 | 新竹州豆腐商組合總會 |
22 | 豚肉の闇取引 現行犯御用 |
23 | 王吳明氏令尊逝去 |
24 | 人事・消息 |
25 | 映画案內 |
26 | 訃文:吳乞 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 機械油の配給強化で 規格及價格を統制 |
02 | 日滿支經濟建設 委員會を設置 |
03 | 小口扱貨物集約輸送順調 近く配車替の模樣 |
04 | 鐵道全線の關係運送店 倉庫不足を愬ふ |
05 | 自動車事業組合及 同聯合會の解說(下) |
06 | 鍾紡系の化學工業 本島進出を企圖 アセチレン工業に着眼 |
07 | 鹽の優先輸送を 鐵道部に要求 |
08 | 蓬萊醬油合同會社 昨日創立總會 |
09 | 第五回糖業懇談會 昨日開かる |
10 | 未だ開發不充分の 佛印の鑛產資源 |
11 | 農地價格の統制で 投機賣買殆ど一掃 |
12 | 臺灣農機具製造統制會社 發起人會を開催 |
13 | 高雄の滯貨捌かず 野積肥料品傷を發生 |
14 | 經濟手帳 豫算外契約 |
15 | 照明燈 |
16 | 市價及商況 七日 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 甘藷王國、新化郡 甲當廿三萬五千四百斤收穫 時局柄快ニユース |
02 | 農事講習會 新化郡で開催 |
03 | 更生農村 四國・九州・半島青年の意氣 (三)模範道場を訪ねて |
04 | 地久節奉祝學童演藝大會 |
05 | 臺東中學志願者 早くも願書殺到 |
06 | 甲當收量西部に劣らず 臺東廳甘藷多收競作會審查終る |
07 | 稻の裏作として 馬鈴薯栽培に成功 甲當千五百圓收入 |
08 | 來る陸軍記念日 竹東で記念講演會 |
09 | 防諜防犯浪曲會 |
10 | 改姓名促進座談會 大甲郡大肚趙姓が開催 |
11 | 砂糖小賣商組合總會 |
12 | 圖像:訪日留學生の報告會 |
13 | 白晝に窃盜 曲者捕はる |
14 | 臺拓第三回拂込金を徵收 |
15 | 竹棒で毆打 |
16 | ローカル・セクシヨン報社消息 |
17 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 一戶當り十五羽 臺南州・鷄增產に大車輪 |
02 | 表彰狀傳達式 |
03 | 高雄で招待午餐會 高橋前司令官が |
04 | 高雄州民に感謝 高橋前司令官の挨拶 |
05 | 彰化商議懇談會 |
06 | 臺南市の常會 八日會議室で開く |
07 | 圖像:晝夜を分たぬ皇軍步哨 |
08 | 花蓮港廳經濟懇談會 |
09 | 鳳林報國推進隊 愈よけふ結成式 |
10 | 彰化工科學校卒業式 |
11 | 農機具配給組合を結成 |
12 | 彰化高女卒業式 |
13 | 荷役の整備擴充 高雄水上運送組合が |
14 | 時局講演會 彰化公會堂で報社消息 |
15 | 國防献金と恤兵金(下) 二月中臺灣軍司令部扱 |
16 | 嘉義市新高公強步大會 |
17 | 八人に一人 彰化商業入試競爭率 |
18 | 新生廈門だより/一記者海外遊記 ◇……廈門在留同胞の金融機關たる廈門金融組合は陳長福蘇嘉和兩氏の肝煎入にて無事に復業することとなりその役員は領事館より組合長陳長福、副組合長陳學海、陳基、專務理事顏得金理事呂紅毛、施添壽、黃錦海、陳木土、潘助、劉歲和、蔡培楚、林木土、彭武曲、王歸、蔡世興、楊漢、陳五賢、楊連樹、監事陳裕乞、林濟川、王水儀、蘇水秀、莊龍溪、胡自瓶、鄭炳根諸氏に指名された ◇……いよいよ役員の陣容も整ふたので豫定通り三月一日より開業、この開業の第一日より預金者殺倒し盛況を極めたこれで在留民待望の庶民金融組合は更生したわけである尚一般の在留民にして獨立生計を營む人に對し大いにその組合加入を歡迎してゐるので將來は名實共に廈門在留民の金融機關としての役割を演ずることは推して知るべしである ◇……廈門金融組合の專務理事顏得金氏は三日の香港丸にて臺灣より着任、同氏は華南銀行勤續廿三年の模範行員で今後同氏の努力により廈門金融組合は必ずや在留民の為めに大いに貢献するであらうまた期待して然るべきであらう尚前專務理事蘇嘉和氏はその復業を見たので重荷を下した如くわが事の樣に喜び五日出帆の香港にて惜まれて離廈した今回の金融組合の復業は實に同氏の努力に待つところ多いからである ◇……廈門旭瀛書院は新生廈門になってから入學生の激增によって教室の不足と講堂の狹隘を感ずるやうになったので曩に臺灣總督府文教當局よりの補助金によって教室などを新築したけれども講堂の方も是非この際新築すべきと云ふことになりその新築費は約六萬圓の一般在留民の寄附に仰ぐ豫定であった ◇……この新築費六萬圓の捻出に關し在留臺灣人の主なる者を先般日本民會第二部事務所に參集を願ひ協議をなした結果陳學海氏を委員長に陳長福、施添壽、陳基、郭發諸氏を委員にして積極的に募集するととなったが一般居留民有志は大いにこの擧に賛同し自發的に同委員に寄附を申込んで來た者が相當に多い ◇……その篤志者の氏名は左の通りで如何に教育事業に關心を持つかは推して知るべしであらう、福裕公司代表者陳長福銀二萬元、陳學海金一萬元、金參千元施添壽、陳基金一千五百圓、建和公司、泰茂洋行、東協興洋行金一千圓通孚行、永豐洋行、東和洋行、廣發全記洋行、黃錦海諸氏の大口の寄附申込がありその他數百圓の小口も相當に多い近く豫定の六萬圓に達するものと見られてゐる |
19 | 臺南州下一齊搜查 |
20 | 臺中高女卒業式 |
21 | 圖像:南支軍管下各部隊の射擊競技大會 |
22 | 笑止!英國のデマニユース |
23 | 爆擊目標を鑑別 美しい紅蓮の焰で |
24 | 電氣自轉車 敗戰のパリに現はる |
25 | VA不足の米國防計畫 |
26 | 青髯再來に戰く 佛國のソンム河畔に |
27 | 中學生、人を殺す |
28 | 偽警官捕へらる(彰化) |
29 | 禍福は糾へる 繩の如し |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 平善を指呼に望み 我が軍猛攻を展開頭條新聞 【○○前線九日發同盟】八日朝來より終日曹家販(宜昌西南約三十粁)一帶の谿谷沿ひに雪崩れを打つて潰走する敵を猛追中の北村、三井、德平、島田、工藤の諸部隊に呼應して長江沿ひに華福山より更に西方へ銳鋒を進めつつあつたわが橘、山本、鈴木の各精銳部隊は九日未明敵最左翼防衞據點平善(宜昌對岸西方約十二粁)を指呼の間に望みつつ峻嶮地帶に據る頑敵に對し猛攻を展開中で又海陸空軍も浮足立つた敵後方部隊に九日朝來痛烈なる巨彈の雨を集中して潰滅的打擊を與へつつある尚八日までに判明せる戰果左の如し 抗線敵兵力二五、○○○敵遺棄死體七九六、捕虜一七、重輕機六、小銃五七 |
02 | 宜昌西方の敵を猛攻 |
03 | タイ側回訓先づ到着 佛側の回訓到着すれは直ちに假調印 |
04 | 紛爭の再發を防止 佛印總督、全軍に命令 |
05 | 時事評論 バルカンの新風雲/伊藤正德 |
06 | 德王一行動靜 |
07 | 佛の回訓も續續到着 |
08 | 李長江將軍 和田中將と懇談 |
09 | 米陸軍增強 |
10 | 米國防關係工場 罷業愈よ擴大 |
11 | 圖像:佛大使外相訪問 |
12 | 翼贊會支部の活動方針 地方長官會議で說明 |
13 | 所期の目的を達成 南支沿岸の駐兵を撤收 |
14 | 南支軍發表 |
15 | 武寧附近も自主的に整理 |
16 | 嚴重監視を續く 南支軍報道部長談 |
17 | 土國新聞紙が對獨攻擊 |
18 | オランダ外相 蘭印へ向ふ |
19 | 對外經濟協定締結に 獨伊の統制に同意 羅國首相言明 |
20 | 武器貸與案の要點 米兩院混合委員會で審議か |
21 | 十二日頃成立か |
22 | 土、英と協同行動 獨が對希攻擊せば |
23 | 最後まで抗戰 ギリシヤ政府言明 |
24 | 米バ議員の暴論 |
25 | 今日の天氣 |
26 | 日本郵船基隆出帆 |
27 | 辰馬汽船 |
28 | 大連汽船 |
29 | 東亞海運 |
30 | 南日本汽船 |
31 | 大阪商船基隆出帆 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | けふは輝く陸軍記念日 固めよ長期戰の覺悟 意義深き帝都の催物 |
02 | “忘られぬ鼓笛隊” 胸を打つ感激の一曲また一曲 純情・咽ぶ蓬萊公の惜別演奏 上村前參謀長無限の感慨 |
03 | 臺灣とのテスト 氣象圖放送最後の試驗 いよいよけふから開始 |
04 | 上村前參謀長 軍官民の見送裡に離臺 |
05 | 青年隊結成 織物商業報國會 |
06 | 羅東郡の木炭生產擴充順調 |
07 | “必勝への道” (三)銃後國民の決意 陸軍記念日の回顧 |
08 | 三線道路を巡廻競爭 京町青年團の體鍊 |
09 | 圖像:本社の“興南報國隊”結成式報社消息 |
10 | 國民貯蓄功勞者 けふ記念日に表彰 |
11 | 感激を胸に 戰歿者未亡人第一陣入京 |
12 | 本社の“興南報國隊” 昨日結成式を擧ぐ報社消息 |
13 | 臺灣にも恩典 電氣通信技術檢定試驗 臺灣に試驗場設置 |
14 | 產組新竹州支會總會 |
15 | お巡りさんに朗報 待望の物價手當 十圓程度四月から支給 |
16 | 全島水道會議 廿五日から基隆で |
17 | 第七回臺陽展 本年より新たに雕刻部を設置 來月下旬島都で開催 |
18 | アメリカを解剖 歸朝した川添氏に 聽く“土產話會” |
19 | 人事・消息 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 節米と混食實施 臺南市當局張切る |
02 | ヒゲで行かうよ 日滿華の親善は |
03 | 高雄州製麵業組合 けふ創立總會開催 |
04 | 臺東公卒業式 |
05 | 十五日迄に通水 卑南大圳の復舊工事 |
06 | 水源確保に萬全 紅毛埤貯水池きのふ起工式 |
07 | 嘉義高女卒業式 |
08 | 空襲處置の指導講話 |
09 | 豪雨中を行軍 鄉軍彰化分會員 |
10 | 高雄市會事三則 |
11 | バナナ出荷豫想(三月) |
12 | 春狹き門憂鬱 臺中州下各學校競爭率 |
13 | 圖像:恤兵展飾窓入賞者授與式 |
14 | 四六二籠積出し |
15 | 彰化市參事會 |
16 | 綿製品近く配給 臺南州下の配給方法 |
17 | 肥料配合所增設 臺南州下の北部に |
18 | 樹林公卒業式 |
19 | 夜行列車顛覆(臺東) 奇蹟、負傷者なし |
20 | 千歲村購買組合創立 |
21 | 公務中の殉職 中學生に殺害された壯丁 |
22 | 保菌者又一名(高雄のコレラ) |
23 | 馬耕競技會 十二日臺東郡で |
24 | 孔子、朱文公の祭典 |
25 | 競作褒賞授與式 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 巴東、三斗坪を猛爆 |
02 | 海鷲、昆明を大爆擊 |
03 | 政府の說明を聽取 十五日に兩院本會議 |
04 | 日本に滿腔の感謝 ピ泰首相信念を披瀝 |
05 | 松岡外相參內 |
06 | 圖像:獨逸軍の春季英本土攻擊に備へて守りを固める英國沿岸防備隊 |
07 | 多大の援蔣物資を鹵獲 十二分に作戰目的を達成 |
08 | 戰時翼贊議會を顧る(二) 國際危局對應の態勢成る 未曾有の好成績を示す |
09 | 企畫院・全面的改組 軍官民の政治的ブレーン新設 |
10 | 五法律公布 |
11 | ロンドンを大爆擊(八日) |
12 | 伊軍兵力損失 |
13 | 大小軍艦四百八十隻 英、建造を完了せん |
14 | 武器貸與の効果を強調 ノ海軍長官 |
15 | 北シベリヤの航空路を開設 ソ聯政府が |
16 | 明日の天氣 |
17 | 水滸傳(357)/黃得時;榎本真砂夫 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 難局突破を誓ふ陸軍記念日 南方守護の精銳 けふ臺灣神社に參拜 臺灣軍の歌高らかに市內行進 |
02 | 偲ぶ奉天大會戰 軍國調濃かやかな島都 |
03 | 一齊に默禱 記念日の滿洲國 |
04 | 故竹田宮昌子內親王 御靈代奉遷の儀行はせらる |
05 | 國民貯蓄功勞者 臺北州廳で表彰式擧行 |
06 | 十三日に變更 總督の淡水巡視 |
07 | “必勝への道” (四)銃後國民の決意 |
08 | “一億一心で當れ” 山縣司令官、大會で激勵 |
09 | 祈願祭を執行 終つて時艱克服市民大會 新竹の記念日行事 |
10 | 陸軍墓地に參拜 臺北州市の記念日行事 |
11 | 時艱克服市民大會を開催 嚴肅、基隆の記念日行事 |
12 | 基隆の記念日 |
13 | 局部長會議 |
14 | 陸軍記念日の夕 臺灣軍の歌を合唱 今夜公會堂で |
15 | 赤ちやんを護れ 調製粉乳の品質規格改良に 厚生省が親心の心遣ひ |
16 | いざ拓かん 南の新天地 “南進の歌”懸賞募集報社消息 |
17 | 宜蘭土地建物 發起人會開催 |
18 | 福智少佐十六日赴任 |
19 | 惱みは深し憧れの白線 臺北高校尋常科試驗開始 |
20 | 官廳オーバ泥棒檢擧 |
21 | 少年保護事業の紙芝居入選發表 |
22 | 臺灣映畫總會 |
23 | 人事・消息 |
24 | 今夜の放送 |
25 | 商況 九日前場 |
26 | 映画案內 |
27 | 興南案內報社消息 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 亞細亞の旗(103)/小栗虫太郎;坂本仁 |
02 | 家庭・婦人 防空壕なぜ必要か (一)家庭防空壕の作り方 |
03 | 手輕に出來る 堆肥の作り方 家庭の廢物を利用して |
04 | 圖像:米婦人の綠色突擊隊(その三) |
05 | 四月から實施される 子寶育英資金の給與 獨逸では四年前から實施 |
06 | 職場案內 明日の產業戰士のために 製鋼作業の卷 |
07 | お台所の殘物で 鷄を飼ひませう 食料は自給自足を |
08 | 罐詰を求める時 |
09 | 經濟相談 |
10 | 青葉雜炊 |
11 | お茶の藥效 |
12 | 燒うどん |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語學習 聖戰の春四度迎ふ 輝く陸軍記念日 輝く皇軍の偉業を偲び 銃後を益益固めませう |
02 | 圖像:東鷄冠山の砲臺爆破 |
03 | デンシヨバトノテガラ テキダンヲウケテモ リツパニツトメヲハタス |
04 | 不意をうたれて 支那サンびつくり この策戰この大成功 世界無比の敵前上陸 |
05 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | けふ假調印を行ふ 三國會議を開いて頭條新聞 【東京十日發同盟】タイ佛印紛爭東京調停會議はわが調停案に對するタイ佛兩國の意見一致し完全妥結を見るに至つたので愈よ十一日午後四時(豫定)首相官邸に三國會議を開き松岡外相以下日佛タイ三國代表出席の下に調停條項に關する假調印を行ふこととなつた |
02 | 正式署名を餘すのみ 調停條項の 最後的仕上げに着手 |
03 | 共榮圈確立の具體化 我國と兩國の貿易頓に明朗 |
04 | 佛大使、外相を訪問 種種打合せを行ふ |
05 | 圖像:西尾前總司令官別れの宴を催す |
06 | 蚌埠地區の綜合戰果 |
07 | 江上飛行隊鄱陽を攻擊 |
08 | バルカンの形勢 步一步最後の大詰へ ソ聯の打つ手、依然大きな疑問符 |
09 | 地方行政事務 監查を嚴格化 專任職員を設置 |
10 | 商相、首相を訪問 鐵鋼、石炭の增產計畫に關し 種種懇談を遂ぐ |
11 | 改組に慎重な態度 有馬總長、會首腦の意見を徵し 近く近衛首相に提示 |
12 | 後藤、小林兩總務 首相を訪問 |
13 | 共同金融を實施 農村金融の不合理 產組、清算に乘出す |
14 | 圖像:鹽澤新任連絡部長官、王揖唐政務委員長を訪問 |
15 | 小林前總督 きのふ歸京 |
16 | 岸本軍醫大佐門司着 |
17 | 道府縣經濟部長 事務打合せ會 木炭の生產、消費割當を決定 |
18 | 近東、南洋方面への 我が輸出頗る好調 |
19 | 商船船員の 下船禁止 蘭印政廳が布告 |
20 | 十五銀行取締役會 |
21 | 東奧日報從軍記者 南良一氏戰死 |
22 | 銅精鍊の鍰から 石綿の代用品製造 |
23 | 遞信省、國策會社の 定例連絡會議 |
24 | 米、豫備航空兵を增強 |
25 | 三井鑛山 化學工業を分離 新會社を設立 |
26 | 鐘ケ淵紡績 東洋紡、毛織工業を正式合併 |
27 | 今日の天氣 |
28 | 日本郵船基隆出帆 |
29 | 辰馬汽船 |
30 | 大連汽船 |
31 | 東亞海運 |
32 | 南日本汽船 |
33 | 大阪商船基隆出帆 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 閑院若宮兩殿下を迎へ奉りて |
02 | 閑院若宮兩殿下 昨日空路御來臺 本島實狀の御視察に |
03 | 市民赤誠の奉迎 御泊所に向はせらる |
04 | 御機嫌奉伺資格者 |
05 | 和知參謀長恤兵展へ |
06 | 次の開催地と日割 |
07 | 聽眾に非常な感銘 島都“陸軍記念日の夕” |
08 | “必勝への道” (五)銃後國民の決意 |
09 | サイダー壜を ピアノ代りに作曲 全海南島軍民齊唱歌に當選 |
10 | 知事以下が督勵へ 新竹州植付強調週間 |
11 | 防衛團を改組 宜蘭市で近く結團式を擧行 |
12 | 時局色豐かな各種行事 基隆市の陸軍記念日 |
13 | 帝都の記念日 |
14 | 記念日に献金 |
15 | 宜蘭市の陸軍記念日 |
16 | 田菁□の增產へ 高雄州の一石二鳥策 |
17 | ときのこゑ |
18 | 家庭防空群關係者の講習會 宜蘭市で開催 |
19 | ここ暫らくの御辛抱 天氣はこれから次第によくなる |
20 | 皇民塾好評 |
21 | 躍進高雄州下の總人口 |
22 | 基隆日新小献金 |
23 | 海上警報 |
24 | 人事・消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 證券取引所設置は 今最も時期が惡い 筧商工課事務官語る |
02 | 圓滑な配船を要望 海上輸送懇談會で 簽口氏談 |
03 | 經濟新體制の礎石(上) 低物價政策の進路/山地八郎 |
04 | 新龜山發電所 竣功式順序 |
05 | 臺灣植物油移入組合 最近業者に依り設立 |
06 | 武田藥品會社設立 資本金百萬圓全額拂濟 島內各地にて規那栽培 |
07 | 新埔茶業懇談會 |
08 | 三月分砂糖輸送量 十九萬噸に改訂 |
09 | 霧峰消費米組合 機構陣容既に整ふ |
10 | 集團貯金獎勵に 遞信部が乘出す |
11 | 郵貯の最高額 三千圓迄引上げ 七月實施か |
12 | 照明燈 |
13 | 經濟手帳 動く鐵鋼新體制 |
14 | 市價及商況 十日 |
15 | バナナ相場 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日本婦道の體得に 本島人婦人の講習會 旗山 |
02 | 臺中州指定の 國語普及研究會 |
03 | 去る產組記念日 霧峰信組の行事 |
04 | 烏日產業組合の產組記念日行事 |
05 | 東港では祈願祭 |
06 | 新埔水稻多收競作會 褒賞授與式を擧行 |
07 | ローカル・セクシヨン |
08 | 大溪業態別組合 聯合會創立さる |
09 | 佳里街の 陸軍記念日行事 |
10 | 七十二歲の爺さんも 熱心に國語で演習 大溪國演會 |
11 | 臺東郡下小公卒業式日割 |
12 | 中壢街內茶農 中部へ視察旅行 |
13 | 國講所修了式 |
14 | 陸軍記念日 南投街の行事 |
15 | 空訓實施座談會 |
16 | 竹山保甲會議 |
17 | 北斗郡華僑新民公會總會 |
18 | 新高郡下小公學 卒業式日割決定 |
19 | 中壢納稅座談會 |
20 | 曾文郡下小公學卒業式日割 |
21 | 宜蘭署廳舍敷地 寄附金募集良績 |
22 | 板橋で卓球大會 郡下產組職員が |
23 | 忌明けに寄附 |
24 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 偲ぶ“三十六年前” きのふは輝く陸軍記念日 各地に奉祝繪卷 |
02 | 颯爽・武裝行進 臺中市の中等學生 |
03 | 嚴肅な慰靈祭執行 終つて高雄市民大會 |
04 | 時艱克服に邁進 花蓮港市の記念日 |
05 | 武運長久を祈願(嘉義) |
06 | 山と積む慰問袋 大和婦人會が贈る |
07 | 蘭領印度の現狀(一)/翁鐘賜海外遊記 ……筆者は臺南州東石郡義竹庄生れ、昭和三年慶應義塾大學經濟學部卒業後、直ちに爪哇に渡り、貿易に從事し、其間有志と相談謀って南東商事を起したが、後加藤に轉じ、パタビヤ、スマラン、スラパヤの各地に駐在すること十三年、南洋通の一人である。(寫真は翁氏) 一、華僑の勢力 蘭印には百二十萬人の華僑が在留し、事變後二百萬人乃至二百五十萬人に增加したとさへ謂はれてゐる、蘭印に於ける華僑の勢力は過去幾度か繰返された排華政策による彈壓にも拘はらずその勢力は漸次增大し、その地位の強固さは他の何のによっても置き換へられぬほど有力なものとなってゐる、彼等は大は大資本家、買業家、製糖業者、銀行經營者、大借地權者、卸賣商から小は小賣商、行商人零細なる金貨、苦力等に亘って蘭印の各地に散在し領內で華僑の居住し、又は足跡をしない處俺はなく、更に生業に至っては華僑の携ってゐないものは恐らく見出せないであらう、蘭印では他の南洋の諸地方でも略同樣であるが如く華僑は幾何かの利益がありさへすれば、如何なる生業でも携ってゐるので、歐米人や土着民が出来ないことや為すととを欲しない仕事がありとすれば、それは必ず華僑がやってゐるものと見れば間違ひない、唯土着民の日常生活に深く喰入った華僑をして泰國に見るが如く土着民の經濟生活を壟斷せしめなかったことは、蘭印政府の土着民保護政策の結果である、併し蘭印華僑の特質は仲介業小賣商として土產品の買付及輸入、日常生活品の販賣に絕大なる勢力を占め、領內に於ける土產品の小生產者と輸入、日常生活品の小消費者との間に介在して之等の小生產者と小消費者とを世界市場に於ける大消費者と大生產者とに結び付ける役割を果してゐる點である、而してこの華 僑の役割は蘭印が未だ工業國の域に達してゐないため特に顕著であるが、蘭印が他の南洋の諸地方と異り、廣大なる領域を擁し且つ天然の資源に惠まれてゐるため、世界に於ける工業原料品の大生產であると同時に全南洋總人口の過半に相當する六千萬の人口を抱擁する世界の一大消費市場を構成する關係上蘭印華僑の世界經濟界に於ける地位は頗る重要なるものがあり、從って其の向背と動向とは世界市場を動すに足るものとして絕えず注視せられつつあるのであるこの蘭印華僑の世界市場に占むる地位と相並んで注目すべきは曾ては近代文化に無關心にして只管營利に汲汲たりし華僑の近代文化の侵潤するに伴って漸く質的變化を遂げつつあることだ、今日では富の運用は漸く建設的となり、各種の事業や銀行保險、信託事業の方面へも進出し、蘭印の開發に積極的に參加しつつあるのである 二、貿易より見た華僑 蘭印の華僑を貿易より見る時は蘭印の貿易が殆ど歐人殊に和蘭人の手によって行はれ、此の方面に於ける華僑の貿易商の勢力は微微たるも米の輸入と砂糖の輸出方面には支配的勢力を有してゐる、米は主として西貢、盤谷、蘭貢、印度から輸入されるが、華僑商人は其の九割までを取扱ってゐる、又華僑糖業の爪哇糖買付輸出は主としてスマラン郭河東、建源等の如き糖商が當ってゐるが、買付數量四十萬瓲以上に上り、全買付數量の四割近くに當ってゐる其の外蘭印に於ける輸入商品の卸賣及土着人に對する小賣並に土着人の生產物を買付けを毆人輸入商へ賣込む買集仲介業者の役割は華僑が獨占してゐるので、間接的に蘭印の對外貿易に及ぼす影響は大なるものがある、華僑の普通蒐集する土着人の生產物は米、玉蜀黍、コプラ、落花生、キヤッサバ、カポック、檳榔、煙草、ゴム、砂糖、珈琲、家畜、獸皮手工業製品(バテック、藳帽、バスケット、土器、陶器、マット等)である、ゴム、カポック煙草等は輸出されるのであるが、米、ココナット、煙草、果實等は住民の消費に充てられる、尚之等の蘭印の華僑輸出業者と新嘉坡の華僑卸賣業者との間に密接なる連絡があることは謂ふまでもない、 華僑は支那事變に對しても少からず影響を及ぼしてゐる殊に華僑の本國に對する經濟的寄與は年年多額の送金を通じてなされてゐるのであるが、實に輕視出来ないものがある、汪精衛氏の新中華中央政樹立と共に蘭印華僑の動向は注目すべきのがある故今後この華僑に對する工作は極めて重要なるものとして特に慎重なる研究を要するものであると信ずる(冩真はボルネオの土人) |
08 | 軍事講演會盛況 |
09 | 造船スピード世界記錄 |
10 | 貯蓄組合功勞者 きのふの佳節に表彰 |
11 | 千歲村購買組合の創立 |
12 | 打下す鍬・香る大地 聖域奉仕の校長部隊 |
13 | 報國推進隊結成 花蓮港昭和記念館で |
14 | 高雄州製麵組合創立總會 |
15 | 古新聞と王樣 空襲のヘツドライン |
16 | 夜店小賣人の献金報社消息 |
17 | 俳優學校を新設 菊池、岸田氏らが計畫 |
18 | 卒業日割變更 |
19 | 北斗のバス事故 重輕傷數名 |
20 | 書類と共に送局さる 臺灣織布專務 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 學藝 時代と政治と文學 (下)/暉峻康隆 |
02 | ラヂオ |
03 | 心聲漢詩 敬和尊五社兄七十書懷雅韻/許梓桑、尊五先生以七十壽詩見示次韻奉呈正之/魏清德、尊五先生以七十壽詩見示次韻奉呈正之/林佛國、和尊五翁七十書懷/黃純青、和尊五社兄七十書懷/李碩卿、敬步謝尊五先生七十書懷韻並乞郢政/賴子清、敬步謝尊五先生七十書懷韻並乞郢政/陳清秀、漢詩習作々品 迎年菊(二)/周定山、漢詩習作々品 迎年菊(二)/周定山、漢詩習作々品 迎年菊(二)/林春懷、漢詩習作々品 迎年菊(二)/林春懷、漢詩習作々品 迎年菊(二)/楊雲鵬、漢詩習作々品 迎年菊(二)/楊雲鵬、漢詩習作々品 迎年菊(二)/林灌園、漢詩習作々品 迎年菊(二)/林灌園、漢詩習作々品 迎年菊(二)/林金生、漢詩習作々品 迎年菊(二)/林金生、漢詩習作々品 迎年菊(二)/張小石、漢詩習作々品 迎年菊(二)/張小石、漢詩習作々品 迎年菊(二)/莊負人、漢詩習作々品 迎年菊(二)/莊負人 |
04 | 新刊紹介 |
05 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | けふ歷史的調印式 最終公式會議開いて |
02 | 喜びの事務總長會議 |
03 | “チヤイヨー”爆發 泰對日信賴愈深まる |
04 | 帝國の南進堂堂開始 今後平和的、經濟的に 調停妥結の世界的影響 |
05 | タイ國歷史に 一新紀元を劃す |
06 | サイゴン明朗化 |
07 | 成功を禮讚 ローマ外交消息筋 |
08 | 政府と統帥部の 臨時連絡懇談會 |
09 | 醍醐侍從武官歸來 |
10 | 在留邦人雄雄しい再出發 あすの新建設に |
11 | 松崗外相歐洲へ 明晚離京壯途に上る |
12 | 外相きのふ參內 |
13 | 翼贊會改組の方針 政府、今月一杯に決定 |
14 | 引續き昆明を空襲 |
15 | 首相が臨時外相 事務管理を行ふ |
16 | 新嘉坡附近の住民に 萬一の際の準備を通告 |
17 | 呂宋飛行場 完成 |
18 | 明日の天氣 |
19 | 水滸傳(358)/黃得時;榎本真砂夫 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 幾度か敵陣地に飜る 譽れの千人國旗 和知參謀長に贈られた美談 |
02 | 署名した 一高女生の赤誠 贈り主、小園江氏の感激談 |
03 | “必勝への道” (六)銃後國民の決意 |
04 | 諸勇士に傷痍軍人記章傳達 基隆市長公室で |
05 | 大日本航空婦人會の新發足 晴の改組式擧行 |
06 | 現地訓練を實施 滿洲國委託醫學生に |
07 | 貸與案、上院を通過 米政府、發動を準備 タイムス電 |
08 | 圖像:臺北高校入試第二日 |
09 | “國防青年隊を組織” 帝都で街の機械化部隊長を養成 |
10 | 聯銀傘下の各銀行を增設 民族資本を導引 |
11 | 何れも三人に一人の窄き門 新竹市內中等校 |
12 | 映畫戰士を養成 今秋九月から開設 |
13 | 婦人服をも統一 近く各方面の權威者が大評定 |
14 | 基隆市献金二件 |
15 | 七人に一人窄き門 官公立藥專の志願者發表 |
16 | 國民學校解說のラヂオ講座 教師時間に放送 |
17 | 抽籤馬十頭を愛好者に配 臺北州畜產會 |
18 | 漁船第七東盛丸が坐礁 |
19 | 靜修女卒業式 十五日に擧行 |
20 | 艋舺幼稚園修式 |
21 | 海上警報 |
22 | 又も養女の虐待 |
23 | 京町東陽製菓部主人周大乞氏 |
24 | 人事・消息 |
25 | 今夜の放送 |
26 | 商況 十一日前場 |
27 | 映画案內 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 亞細亞の旗(104)/小栗虫太郎;坂本仁 |
02 | 家庭・婦人 防空壕なぜ必要か (二)家庭防空壕の作り方 |
03 | 驅除の困難な 絛虫の知識 剌身やビフテキは御注意 |
04 | 圖像:米婦人の綠色突擊隊 |
05 | 教育相談 よく喧嘩する兄弟 弟のはうが正しい場合 |
06 | 職場案內 明日の產業戰士のために 製銑作業 |
07 | 有合せの布で 丈夫な鼻緒を作りませう |
08 | 扁桃腺の氷のあて方 |
09 | 革手袋の洗ひ |
10 | 絹靴下の永持ち方と保溫法 |
11 | うどん鍋 |
12 | 經濟相談 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語學習 聖戰はまだつづく 畑總司令官のお話 |
02 | 國語力だめし(二十五) 二千語讀方 |
03 | 和知新參謀長着任 |
04 | 國によつて大變違ふ 食物のあれこれ 鰻を見て氣絕する米國の女 |
05 | “お前はなんさいか” “五十五であります” 兵隊不足の英國軍 |
06 | 魔法杖をついて 無駄なし散步 |
07 | 黑船防備の文獻 鳥取縣倉吉町から發見 |
08 | よき日の大空に仰ぐ 無敵陸の荒鷲 |
09 | “おやツ日本の歌だ” 旅人もビツクリする親日ぶり バルカンの日本「ブルガリヤ」 |
10 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 調停條項に署名終る 和平確立に相應しい光景展開頭條新聞 【東京十一日發同盟】大東亞共榮圈を指導すべき帝國外交の試金石として世界環視の中に月餘に亘つて續行されたタイ佛印國境紛爭東京調停會議は遂に十一日の最終公式會議を以て完全妥結の手續きを完了し固き紐帶に結ばれた日、タイ、佛印三國は堂堂東亞共榮圈確立の巨步を踏み出した、卽ちこの日午後四時の開會に先立ち、歷史的會議場に選ばれた首相官邸大廣間の各テーブル正面には松岡外相を挾んで松宮大使、齊藤事務總長が着席、續いて向つて右側にタイ國側主席全權ワンワイ・タイヤコンワラワン殿下、ピア・シ・セナ駐日タイ國全權公使、ナイ・タウイ・タウエチクン事務總長、向つて左側にはフランス側全權アンリー駐日大使、全權ロバン名譽總督、ゴーチエ事務總長が其れ其れ着席、其の後方に三國側隨員も夫夫肅然と控へれば正午後四時齊藤事務總長立つて嚴かに開會を宣し、次いで松岡外相立つて別項の如き挨拶を行ひ、終つて重要內容を持つ公文を日、タイ、佛三國間に交換した後愈愈日本語を正文とし、タイ佛兩國語を副文とする國境紛爭調停條項に松岡外相、ワラワン、タイ國首席全權アンリー佛國全權が夫夫署名して、茲に調停會議成功の嚴然たる事變を確立した、この間議場は一沫の緊張感の裡にも靄靄たる和氣が充ち滿ちて真に和平確立に相應しい光景を呈した斯くて所要の手續きは總て完了したので松岡外相は再び立つて「今次調停會議が兩當事國の互讓の襟度に依り茲に圓滿結實を見たるは調停役を引受けた帝國としても真に欣快に絕えない」旨の演說を行ひこれに對しアンリー佛國全權及びワンワイタイ國首席全權交交立つて帝國の斡旋努力に滿腔の謝意を披瀝し最後に事務總長より閉會を宜し滯りなく議事を終了した、時に午後四時五十五分、右終つて三國關係者一同大ホールに參集盃を上げて會議成功を心から祝福した |
02 | 兩國全權の答辯 |
03 | 三國共同聲明を發表 |
04 | 共榮の紐帶を強化(外相演說) |
05 | 指導國家として 地位確立さる 獨政界消息筋の觀測 |
06 | 心から嬉しい ワラワン殿下語る |
07 | 敵據點鷹潭を爆擊 |
08 | 津浦淮南中間地帶を肅清 |
09 | 世界平和への一礎石(外務當局談) |
10 | 滿洲國、大阪に總領事館設置 |
11 | 定期敘勳 |
12 | 樞軸強化に貢献せん 松岡外相の訪歐 |
13 | 滿腔から歡迎(獨逸政界) |
14 | 松岡外相の渡歐重視 獨海外通信の報道 |
15 | 米各紙も重視 |
16 | 神宮、御陵に外相奉告參拜 |
17 | 去年から行かうと 思つてゐたよ 松岡外相は語る |
18 | 佛印も安堵の色 |
19 | 佛情報局の發表 |
20 | 米の意向をタイに申入る |
21 | 定例閣議 |
22 | 閣議申合せ事項 |
23 | 中華民國と泰の 通信協定成立 |
24 | 臺灣關係の敘勳 |
25 | 伊希停戰を否定 イタリー官邊 |
26 | 全國地方課長會議 |
27 | 今日の天氣 |
28 | 日本郵船基隆出帆 |
29 | 辰馬汽船 |
30 | 大連汽船 |
31 | 東亞海運 |
32 | 南日本汽船 |
33 | 大阪商船基隆出帆 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 勞力不足と農業機械化社說 一 最近島內勞力不足の狀態が益益激化してゐるが、其の主因は從來本島勞働力の供給が農村の餘剩勞力と、一部の小作を放棄した出稼人しかなく、固より大量の產業豫備軍を存してゐないところへ、日支事變の長期化と共に各種生產力擴充及特殊方面の需要が激增して來たためである。就中鑛業の開發及び發電所の建設に依つて莫大な人夫を需要するに反し、支那勞働者の供給杜絕と相俟つて愈愈勞働力補充の困難に當面して來たのである。これがため今後臺灣工業化を促進する上に於て、至大な障害となつてゐるのであるから、今やかかる勞力對策は一日も遷延する事を許されなくなつた。 二 固より本島勞力不足の緩和策としては農村の婦人を動員するとか、集團的移動耕作を奬勵するとか、鑛山の合同を促進するとか、其の他幾多の方法はあらうが、此の際本島農業の機械化を圖る事が少なくとも其一大對策たるを失はないであらうと信ずる。蓋し本島の農家人口は總人口の約半分を占め農業經營の規模は大體一戶當り二甲步に滿たないが、內地農家の一戶當り二步町に滿たない戶數が總農家戶數の九割一分に比すれば槪して大規模である。然るに內地では近年來農業機械化が相當普及されてゐるにも拘はらず本島に於ては殆ど閑却されてゐるのであるから、勞力節約の見地及農業勞働の肉體的苛烈よりの解放から之を早急に取上げなければならない問題であらうと思はれる。 三 本島の農業機械化は本島の事情に適合する機械の使用を先づ硏究する事を先決問題としなければならないが此の點に關しては從來各地の農事試驗場に於て今尚之を顧みてゐない事は誠に遺憾に堪へない。過去の事は致方がないが、此問題は督府を中心として先づ真劍に獎勵に乘出すべき事を提唱したい。目下內地出張中の佐藤米政課長が岡山縣鹿兒島縣で數千町步の海面地の干拓に成功した農業機械化の權威者山根省三氏を招聘し近く來臺する事となつたことは、農業機械化の認識を深める上に於て逸すべからざる機會であらう內地では耕耘過程の機械化として最近盛んに自動耕耘器所謂日本型トラクターを採用してゐるが、其の作業能率は馬耕の二倍人耕の十二倍に當り、而も反當經費は馬耕の二圓六十錢、人耕の四圓五十三錢に比し僅かに一圓九十五錢(岡山縣立農事試驗場の報吿に依る)で濟むのであるから、本島に於て第一着に採用して然るべき種類のものであらう。尚一期米の收穫時期は丁度雨期に當つてゐるから、若し籾の乾燥機を普及せしめれば早刈に依る增收以外に品質の向上をも期する事が出來るであらう事は明かである。 四 最後に本島の如く農家の資力が未だ充分ならざるところでは高價な機械よりもなるべく簡易な機械を採用すべきである。更に進んで農村產業組合の利用部に於て之を購買して組合員に利用させる事こそ大に必要であらう。さうなれば多少高價な機械でも購入し得る事となり、之を共同に使用せしむれば農村の共同作業化をも促進する事が出來ようと思はれる。此點は特に產業組合關係者の一大關心を喚起せざるを得ない。要するに本島農業の機械化は單に本島農業の質的進步を圖る上に於て大に獎勵しなければならない許りでなく、又之に依つて勞働力の供給を多からしめる一石二鳥の良策であるから、當局に於ては直ちに此の問題に對する硏究調查を遂行し速かに奬勵及實行に移されん事を熱望して止まない者である。 |
02 | 閑院若宮兩殿下 市內各所に御成り |
03 | 傷病兵を御慰問 小雨降る植物園に成らせられ 御徒步で御巡覽遊ばさる |
04 | 圖像:臺北陸軍病院御慰問の閑院若宮兩殿下 |
05 | 國民學校施行規則 從來と異る事項 |
06 | 南支の第二世 入試に續續來臺 |
07 | 故北白川宮永久王殿下の 御英靈に奉仕 梅田氏が蒙疆神社神職に |
08 | 泰全國に歡喜爆發 一齊に祝賀繪卷を繰展ぐ |
09 | 世紀の興奮 ごつた返すバンコク |
10 | 俳句に託して 調停圓滿妥結の日 松岡さん“心境”を語る |
11 | 物淒いこの南進熱 拓南塾志願者締切つて廿倍 “肚の人間”重點に試驗 |
12 | 臺南州視學會議 |
13 | 月餘の苦心酬らる 中繼役、齋藤事務總長の喜び |
14 | 町會聯合會結成 新竹市あす最後的の打合 |
15 | 羅東郡下保甲家長會議 |
16 | 防衛團後援會 城南地區で發會式擧行 白衣の勇士を招待慰問演藝 |
17 | 川村臺北州知識が特別放送 |
18 | 新竹第二小 孔子廟を使つて 四月から開校 |
19 | ときのこゑ |
20 | 一路米の增產へ 雨の基隆市も蹶起 |
21 | 全島の白衣勇士を慰問 麻生高野山大師教會本部長一行 |
22 | 羅東郡道路協會總會 |
23 | 基隆郡下の小公學校卒業式日割 |
24 | 新竹市小公學校卒業式日割 |
25 | 高雄商工專修卒業式 |
26 | 泰國に大屠場 我が國の設計と技術で |
27 | 常磐線で列車衝突 |
28 | 重慶參政會閉會 |
29 | 金から阿片 密輸の副產物 基隆で檢擧 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺灣戰時交通統制草案 目下關係方面で協議中 |
02 | 臺灣石炭會社の 第二回設立委員會 |
03 | 經濟新體制の礎石(下) 低物價政策の進路/山地八郎 |
04 | 貯蓄獎勵の新手 愈愈切手貯金實施 |
05 | 臺灣石鹼齒磨 化粧品移入組合 近く設立計畫中 |
06 | 華南銀行、海口に 出張所を設置 |
07 | 神岡組合清算結了報告會 |
08 | 蔬菜及菓實の價格 近く各州廳で決定 |
09 | 我國貿易の 基調と見透し(上) |
10 | 食糧增產の尖兵 農林技術者養成に委託學生制度 |
11 | 照明燈 |
12 | 市價及商況 十一日 |
13 | 圖像:羅東郡產業報國推進隊羅東街支部の正條植實況 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 州立甲種農業學校 岡山で設立方を要望 |
02 | 歸還軍夫林君が國防献金 |
03 | 去る陸軍記念日 島內各地の行事 |
04 | 桃園家政女學校 設立助成會總會 |
05 | 燃ゆる銀翼献金熱 東港郡頗る良績 |
06 | 節米料理(集集) 調製講習會 |
07 | 司法保護要旨 宣傳講演會 |
08 | 物心兩方面より 婦人報國の誠を竭さしむ |
09 | ローカル・セクシヨン |
10 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 路面電車を敷設 近く積極的に調查 高雄→臺南 高雄→屏東 |
02 | 增產期成會 嘉義郡で結成 |
03 | 民警協力一步前進 高雄に水上警察後援會 |
04 | 目的達成に邁進 田畑水上署長語る |
05 | 彰化郡街庄長 產組長打合會 |
06 | 守れ、南進の空 臺南州・廿五、六日に空訓 |
07 | 孔子祭典時間變更 |
08 | 蘭領印度の現狀(二)/翁鐘賜海外遊記 日蘭貿易の消長 蘭印の日本貿易は逐年と躍進的に進展を續けてゐることは次に揭げた表に依って明かされるのである 年次 輸出 輸入 合計 出超▲入超 一九二八年 七三、四一四圓 一一二、九一七圓 一八六、三三一圓 ▲三九、五○二圓 一九二九 八七、一二五 七七、三四五 一六四、四七一 九、七七九 一九三○ 六六、○四七 五九、九八三 一二六、○三一 六、○六四 一九三一 六三、四五○ 四六、○八○ 一○九、五三○ 三六九 一九三二 一○○、二五一 四○、四○九 一四○、六六○ 五九、八四一 一九三三 一五七、四八七 五五、七○九 二一三、一九七 一○一、七七七 一九三四 一五八、四五○ 六三、四六四 二二一、九一三 九四、九八七 一九三五 一四三、○四一 七八、一八六 二二一、二二七 六四、八八五 而して右表示せる如く蘭印の輸入貿易中、日本商品の占める割合は、一九三一年に一六%三八一九三三年に三一%一、一九三四年に三二%四七と飛躍し、このために和蘭本國と英國の部分が主として犧牲になった樣な觀を呈した、一方、輸出について之を見るに一九三一年は四%四、一九三二年は六%二、一九三三年は四%九を示し差程變化を見なかったので、これが即ち蘭印側の對日輸入超過の累年的增加となって表はれ、一九三三年の對日入超五○%を示すに至って其の極に達した、斯る我が國から蘭印への輸出の急激な增加は、結局本邦品が蘭印六千萬の住民の需要に最も適應してゐる證左であるそれにも拘はらず蘭印當局は當時和蘭本國並に蘭印の產業保護及世界的不況其の他の原因に依って沈滯の狀態とある和蘭商人を保護する目的の下に日本よりの輸入を制限するために、一九三三年九月十二日非常時輸入制限令を制定し、之を適用して更に個個の商品に對する輸入制限令を公布實施したが、之が第一着手としてセメントの輸入が制限され、次いで麥酒輸入制限令陶磁器輸入制限令鑄鐵製フライ鍋輸入制限令非常時織物輸入制限令と矢繼ぎ早に公布實施され、現在之等輸入制限令の適用を受けつつある商品は セメント、麥酒、鑄鐵フライ鍋、硝子類、琺瑯鐵器類、自轉車及部分品、人造肥料、電球、齒刷子、刃物類、石油ランプ類、浴用タオル、綿毛布衛生用陶磁器、縞物類、晒綿布、未晒綿布、家庭用陶磁器包裝紙、石鹸、綿縫糸、自動車並自動自轉車、タイヤ及びチューブ、衣服類、硫安、各種金物類、各種織物類 等數十種の多きに達し、我が國から輸入する主要商品にして、殆ど之が適用を受けないものはない有樣である從って之が打開策を講ずるため日蘭會商が一九三四年に交渉が開始されたのである。 石澤ハルト協定 日蘭會商後に成立を見た石澤ハルト協定には、輸入制限及日本商人の取扱比率につき現在以上特に不利なる取扱を受けることがないといふ保障付はあるが然し其の當時に於いては既に日本商品及商人は、極度に不利な制限を受けざるを得ざる狀態にあったのである、從って將来に於いてた以上に不利なる取扱を受ける事がないといふ保障は結局實際上効果のないものである蘭印當局は日本の經濟的進出を抑制するために斯る輸入制限や日本商人の取扱量の制限を實施したばかりでなく、更に企業的進出や營業的進出を抑制する方法を採用するに至ったのである即ち一九三四年十月には營業限令を公布し、この結果、新規營業開始、新企業の經營等は、悉く蘭印政府の許可を得なければならなくなった茲に於いて外國人の蘭印進出は阻止され、殊に日本人の如く當時始めて種種の新企業に乘出さんとして居ったものにとっての打撃は實に甚大なものがあった。 而も蘭印側の主として日本を目標とする制限措置は尚之に止まらずして、此外人的に日本の進出を抑制すべく、一九三三年十一月に外國人入國制限令が制定實施され、引續き其の翌翌年八月二十三日に非常時外國人勤勞條令が制定施行された、以來邦人が勤勞のため、入國する事は極度に困難となり、在留邦人は從業員を制限されるために、事業の擴張は勿論、事業の現狀維持へも困難となり勿論新規に店舗を構ふるが如き事も不可能に陷り、此制限令によって邦人の受ける打撃は極めて深刻なるものがあった、 蘭印當局の斯る態度に對し、一九三四年以來我が國は長岡代表をバタビヤにして特派して日蘭會商を進行せしめたが、結局之は失敗に終り、其の後前記石澤ハルト協定が成立したものの、結局之も先づこれ以上の不公正が行はれないやうにして置いて然る後に徐ろに機會を見て過去の不公正を是正せんとした當時の日本の立場であった、第二次歐洲大戰を契機として世界の趨勢も變り、更に蘭印の立場、日本側の事情、其の他周圍の情勢は、相互に相交錯して當然に日本と蘭印との間に必要な會商が行はるべきことことなったので、去年我が小林商工大臣は現職の儘、態態ジャワまで乘込んで日蘭の經濟的聯繫を促進せんとした外更に代って芳澤特派使が目下同地で專ら之が交涉に當ってゐることは既に周知の通りである |
09 | 臺中州各中等學校願書締切 |
10 | 嘉義高女卒業式 |
11 | “一日二食”で翼贊 健康と節米の一石二鳥 |
12 | 臺中州青年道場 新に團員六十一名を訓練 |
13 | 圖像:本庄將軍戰傷兵激勵 |
14 | 業態別組合長懇談會 |
15 | 榮冠を目差して 臺比交驩水上選手合宿 |
16 | 高雄のコレラ 保菌者更に一名 |
17 | 自轉車ドロ捕縛さる |
18 | 新田菁普及獎勵 臺南州・採重圃を設置 |
19 | 花蓮港商工會定期總會 |
20 | 綠肥種子の島外流出を防止 |
21 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 南方へ輝かしい第一步 タイ、佛印の調停成功 |
02 | 河內、落付を取返す |
03 | 嚴正なる履行を監視 澄田停戰委員長談 |
04 | 蘭印朝野は比較的冷淡 調停成立に對し |
05 | 米の援英各種計畫 |
06 | 武器貸與案成立 |
07 | 廣範圍な權限 大統領に附與 |
08 | 圖像:オツト大使歸國 |
09 | 松岡外相 明治神宮に參拜 |
10 | 松岡外相の訪歐 伊紙熱誠に歡迎 |
11 | けふから具體的細目交涉 日蘭會商進行を續く |
12 | 畑總司令官 汪主席を訪問 |
13 | 官廳事務の再編成を企圖 |
14 | 最近の一週間に 十五萬噸も擊沈 獨の封鎖強化 |
15 | 地方長官會議 四月七日に招集 |
16 | 日濠友好關係の 確立を強調 河相公使ブ港に到着 |
17 | 陸海軍委員を華府に常駐 墨國恒久的に |
18 | 羅馬尼內閣 大改造を見ん |
19 | 國軍の新體制を 國民政府が確立 |
20 | 共軍大擧南下 重慶軍と衝突の形勢 |
21 | 佛の屬領は佛軍で防衛 |
22 | 明日の天氣 |
23 | 水滸傳(359)/黃得時;榎本真砂夫 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 擧州一體大空護れ 臺北州第二種空訓下令 川村統監、州民に注意喚起 |
02 | 貯蓄に新手の秘策 二圓の小型報國債券 五月末全國一齊に賣出し |
03 | 圖像:北支封鎖艦隊の勇姿 |
04 | 一燈でも洩らすな 模範管制個所を設け 基隆市完璧を期して訓練 |
05 | 本間軍司令官 けふ基隆視察へ |
06 | 廈門の僧侶 臺灣經由內地へ |
07 | 高橋前要港部司令官 けふ歡送裡に離臺 |
08 | 新任臺北陸軍病院長 大坪中佐あす着任 |
09 | “必勝への道” (七)銃後國民の決意 |
10 | 總督淡水視察 十九日に延期 |
11 | 中村法務局長上京 |
12 | 圖像:陸軍記念日を祝ふ日比谷の大演奏會 |
13 | 勤行報國隊の 臺北州隊 あす霧社から歸北 |
14 | 新竹の恤兵展 十九日から開く |
15 | 賴母しこの愛國熱 陸軍記念日に軍司令部宛 數數の麗しい献金 |
16 | 世界平和の第一步 手が震える三國の代表 歷史的調印の一瞬 |
17 | タイ國の喜び ピ泰首相全國に放送 |
18 | 定期船夏季ダイヤ 一船繰上げて卅一日から實施 甲乙船とも午前十一時出帆 |
19 | 北二高女卒業式 |
20 | 臺北家政女卒業式 |
21 | デマ粉碎に南署乘出す あすから講演會 |
22 | 市バスとタクシー衝突 |
23 | 山西丸無電 |
24 | 人事・消息 |
25 | 今夜の放送 |
26 | 商況 十二日前場 |
27 | 映画案內 |
28 | 興南案內報社消息 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 亞細亞の旗(105)/小栗虫太郎;坂本仁 |
02 | 家庭・婦人 學齡兒童と耳鼻の病氣 (上)中耳炎もこぢらせると生 まれもつかぬ不具になる |
03 | 圓形禿頭病の話 數日で丸坊主になつた例あり |
04 | 赤ん坊の肌着 おむつの取換へ 柳葉きよ子氏談 |
05 | ふはふは汁 |
06 | 手を挾まれた時 |
07 | タオルの代用品 |
08 | 經濟相談 |
09 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語學習 參謀長さんさやうなら 上村少將おくる 蓬萊公の鼓笛隊 感激の惜別演奏 |
02 | 國語力だめし(二十七) 二千語讀方 |
03 | 上村前參謀長離臺 |
04 | クヒシンボノザウクン オナカヲコハシテネル タベモノハパントバナナ |
05 | ヘイタイサンノタメ オホキナニモツヲモツ カンシンナニセウネン |
06 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 共榮圈將來を卜す 往復の書翰我外交の勝利を實證頭條新聞 【東京十二日發同盟】タイ、佛印國境紛爭東京調停會議の最終公式會議に際し調停國たる帝國と當事國たるタイ、佛兩國の間に交換されたる重要公文は松岡外相とワンワイタイ國首席全權及びアンリー佛國全權との間に往復した書翰の形式を取つたものであるがその內容は今次調停會議の核心的重要意義を有し大東亞共榮圈の將來を卜するに足るものである卽ち松岡外相より兩國全權に宛てられた書翰は先づ帝國政府が大東亞平和維持を祈念する精神に基き兩國間紛爭調停に乘出した立場を明かにし且つ帝國政府が提示した調停案を兩國が無條件受諾するに於いては帝國政府は兩國紛爭の解決は決定的にして絕對變更し得ないものであることを兩國政府に保障する用意あることを闡明したものである更に兩國政府が今後 帝國との間に善隣友好關係を樹立し特に經濟的緊密關係の增進に努力すべきことを要請しその具體的措置として日本國に對し直接にもせよ間接にもせよ對抗するが如き性質の政治上經濟上又は軍事上の協力を豫見する如何なる協定又は諒解を兩國政府は第三國との間に締結する意思なきことを宣言すべきことを期待する旨の意向を表明したことは外相書翰の最重要點である右最重要點に對しワンワイタイ國首席全權及びアンリー佛國全權は外相宛て復翰に於いて夫夫兩國府は帝國に對抗する如き如何なる政治、經濟、軍事上の協定又は諒解を第三國との間に締結する意思なきことを聲明したものであつたこの重要公文の內容こそは帝國外交の勝利を儼然物語るもので最も高く評價さるべき所であらう |
02 | 各宮家の御慰問品 中支艦隊麾下の各部隊 恐懼感激して拜受 |
03 | 宜昌對岸の敵陣擊破 我が空陸相呼應して |
04 | ベルリン、羅馬が王 皇道外交の真義を傳へる 渡歐を前に松岡外相談 |
05 | 外相一行鹿島立ち 萬歲の聲に送られて |
06 | 最大級の歡迎 獨政府が着着準備 |
07 | ピ泰國首相鄭重な謝電 近衛首相宛に |
08 | 重要交換公文(書翰) きのふ情報局發表 |
09 | 調停申入れの 法的根據 |
10 | 圖像:歷史的調印式 |
11 | 佛大使より 外相宛 |
12 | 兩院の本會議(十五日) 公開的儘、調停經緯說明 |
13 | 松岡外相より ア佛國大使宛 |
14 | 兩國全權ら居殘る 本條約作成を行ふ |
15 | 翼贊會改組の試案 四參議が協議打合 |
16 | 八中全會延期 |
17 | 拓務辭令 |
18 | 外務辭令 |
19 | 今日の天氣 |
20 | 在米佛印資金凍結 米の日、佛印經濟提携妨害 米、佛印の折衝注目 |
21 | 日本の新目的は 經濟的のもの UPサイゴン電 |
22 | 非常事態に對處 府臨時局部長會議で慎重協議 |
23 | 辰馬汽船 |
24 | 大連汽船 |
25 | 東亞海運 |
26 | 南日本汽船 |
27 | 大阪商船基隆出帆 |
28 | 日本郵船基隆出帆 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 松岡外相の訪歐の意義 その活躍に期待社說 一 松岡外相は泰佛印紛爭東京調停會議が完全妥結したので、かねての希望を實現すべく、日獨伊樞軸强化を目指して自ら訪歐の壯途に上ることに決定、昨日東京を出發したが、滯歐中はヒトラー獨總統、ムツソリニ伊首相の獨伊兩巨頭を始め兩國の當路と會見して、樞軸國家の提携强化に關し重大會談を遂げる筈であるのみならず、その歸途モスクワにも立寄る豫定であるから、ソ聯當局とも當然會談するものとみられてゐる。 歐洲に於ては珍らしくないが、しかし現職外務大臣が自ら重大使命を帶びて歐洲に出かけ、而して列國當路と膝を交へて會談することは、我國としては小村外相の訪米以外、全く空前のことである。しかも獨英決戰を前に控へての重大時局の真只中に乘り出したのであるから、その政治的意義及び世界外交界への影響は頗る大きいものがある。從つて歐洲に於ける松岡外相の一擧手一投足は世界の重大關心の的となることは云ふまでもなく、松岡外交は一躍して世界注視の的となつたのである。 二 松岡外相は就任してより未だ一年足らずであるが、從來の英米追隨外交の型を破り、積極自主外交の真髓を發揮して昨年九月電光石火的に日獨伊三國同盟を締結し、以つて敵性を有する英米兩國の反省を促すと共に我國外交の方針を明示し、この外交轉換と對應して民間より適材を簡拔し或は革新的人物を拔擢して第一線の外交陣容を整備し、次いで我國指導斡旋の下に泰佛印紛爭調停會議を開き、しかも英米側の執拗なる妨害策謀を排除して輝かしき成果を收め、もつて東亞に於ける帝國の指導的地位を確立することに成功したことは、微妙なる現下の國際情勢上その世界的影響及び政治的意義の重大性は蓋し筆舌に盡し難い程絕大なるものがあると云へよう。松岡外交が如斯成果を收めることが出來たのは、その外交的手腕に依るといふよりも、むしろ我國の實力に負ふところが多かつたことは何人も否むことが出來ないのである。外交は力であると外相が云つた如く、我國の實力がなければ、如何に外交的手腕があつてもそれを揮ふ餘地がないであらう。松岡外交の成功は我國實力の成功であり、一億一心の賜であるとも云へるのである。 三 最近に於ける樞軸外交は歐洲及東亞に於て英米側を壓倒して着着と成果を收めてゐる。バルカンに於ける獨外交の成功、東亞に於ける我國外交の成功はその好適例である。樞軸國の進出とその外交の成功に依り、その理想とするところの世界新秩序が着着建設せられるその反面に於て、英米側の現狀維持勢力が續續後退しつつあるのである。がしかし、樞軸國は之をもつて滿足とせず、今回我松岡外相の歐洲訪問に依つて益益樞軸の强化を圖り、もつてその究極の目的である世界平和の確立に邁進せんとすることは明らかである。 松岡外相は調停成功の餘勢をかつて、世界外交の檜舞臺に進出し、その持論である八紘一宇の精神に基く世界平和論をもつて、世界外交を若しリードすることが出來たならば、それは單に松岡外交の成功のみならず、實に我國威を世界に宣揚することが出來るのである。かくみれば松岡外相の今回の訪歐は實に國運を背負つてゐるのだ。從つてその意義も責任も頗る重大であるだけ、我等はその活躍に期待すると共に、切にその自重を要望するものである。 |
02 | 閑院若宮兩殿下 昨日御南下遊ばさる |
03 | 油井現場へ御成り 新竹州農產物を台覽 |
04 | 兩殿下の御仁慈 臺中で畏くも譽れの遺家族の 住宅等具さに御視察 |
05 | 西尾壽造大將 昨日長崎着、一路神戶へ |
06 | 圖像:帝都の陸軍記念日 |
07 | 西、北兩分團結團式を擧行 宜蘭市防衛團 |
08 | 葬儀費を節約して献金 |
09 | 遺兒輸送に萬全 廿五日に先陣が着京 |
10 | 恩賜・學士院賞決定 岩生臺大教授に學界の最高名譽 |
11 | 增收競技會の 晴の褒賞授與式 新竹市業佃會で擧行 |
12 | 基隆市米穀配給組合の創立總會 |
13 | “何處からでも來い” 敵機擊退の態勢整ふ 臺北州第二空訓 |
14 | “必勝への道” (八)銃後國民の決意 |
15 | “鍬部隊”一千名動員 學徒の勤勞奉仕運動 |
16 | 一年に三、四千人 基隆市人口の增加調べ |
17 | 宜蘭署管內の家長會議 |
18 | 防犯にラヂオ利用 警視廳の初試みとして |
19 | 全國道路、河川を整備 國土計畫の方向に基き |
20 | 河の中に畑出現 全國で七千餘町步 |
21 | ときのこゑ |
22 | 自動車が橋の欄干に激突 乘客一名遂に死亡 |
23 | 謝姓は「安東」に 島都宗親會の申合 |
24 | 私立臺灣商工學校卒業式 |
25 | 香取丸無電 |
26 | 人事・消息報社消息 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | コークス製造の餘熱で 海綿鐵製造に乘出す 南海興業の劃期的事業 |
02 | 再生タイヤの獲得 關係方面で計畫 |
03 | 日糖の步留向上 海岸地方概して不良 |
04 | 我國貿易の 基調と見透し(下) |
05 | 帝人社長等 十九日來臺 |
06 | 新營郡堆肥 集團積込競技會 |
07 | 待望の工業鹽 愈よ初出廻り 高度國防國家に寄與 |
08 | 食用鹽は在庫豐富 デマに迷されるな |
09 | 臺北州水產會通常總會 |
10 | 臺灣產組協會 本日事務打合會開催 |
11 | 盤谷見本市報告會 十四日鐵道ホテルで |
12 | 合格證なき夏帽買ふな |
13 | 一期米用の肥料 豐富に手當さる |
14 | 臺灣染料移入組合 近く創立總會 |
15 | 照明燈 |
16 | 市價及商況 十二日 |
17 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 挺身の軍國乙女 正條密植の講習 板橋農民に多大な感銘 |
02 | 貯蓄割當額完遂に 潮州郡當局乘出す |
03 | 桃園街の 陸軍記念日行事 |
04 | 臺東林產物豐富 各企業家漸次進出 |
05 | 潮州郡下小公學 卒業式日割 |
06 | 產組卓球大會 海山郡で開催 |
07 | 海山郡下小公學校卒業式日程 |
08 | 新湖口公卒業式 |
09 | 節米料理品評會 萬斗六公で開かる |
10 | 集集の陸軍記念日 |
11 | 臺中の尚武館 會員漸次增加 |
12 | 臺東醫院で 看護婦生募集 |
13 | 臺中の郭金城氏一家全員改姓名 |
14 | ローカル・セクシヨン |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 甘藷愈よ出荷決定 臺南州から各地方向に |
02 | 嘉義專修商業卒業式 |
03 | 屏東實踐商業卒業式 |
04 | 進め、食糧確保に 臺中市民の注意を喚起 |
05 | 追加豫算を審議 臺南州の參事會 |
06 | 蘭領印度の現狀(三)/翁鐘賜海外遊記 蘭印貿易の近狀 最近二ヶ年の國別貿易表を見れば、次の如く蘭印の貿易が著しく米國依存に傾きつつあることが見出されるのである◎蘭印の相手國別貿易(單位百萬盾)輸出 國名 一九三八年 一九三九年 比較增▲減 和蘭 一三○ 一○七 ▲二三 新嘉坡 一○八 一二四 一六 米國 八九 一四五 五六 英國 三四 三四 ―― ドイツ 二三 一四 ▲九 ◎輸入 和蘭 一○六 九六 ▲一○ 米國 六○ 六七 七 英國 三八 三三 ▲五 新嘉坡 三六 三二 ▲三 ドイツ 四八 四一 ▲八 差□出超一七六 二一八 五二 米國の對蘭印輸出(單位千圓) 年次對蘭印輸出 輸出總額 比率 一九三七年 二五、○五○ 三、三四九、一六七 ○%八 一九三八年 二七、五一八 三、○九四、四四○ ○%九 一九三九年 三五、四七○ 三、一七七、三四四 一%○ 米國の對蘭印輸出額がその總輸出額に對して占める割合は右表示す通りであるが對蘭印貿易の飛躍的增加を見た一九三九年でさへ輸出總額の僅かに一%を占めるに過ぎなかったのである。從って米國の輸出市場としての蘭印の意義は極めて微微たるものと云ふことが出來る、併しに爰に最も注意を要すべきは第二次歐洲大戰に依って惹起された蘭印市場の貿易情勢の變化である即ち獨逸の電撃的進駐に依る和蘭本國消滅ドイツとの關係の切斷英國も亦平常的な貿易には多くの力を割き得ない現狀に乘じて米國の進出が特に目覺ましいものがあることは前掲の表で示す如く一九三九年の米國對蘭印輸出が著しく增加したのを見ても判明されるのである、殊に綿製品に於ける我が國の進出及び機械、鋼鐵類に於ける米國の進出が最も目立ってゐる。併し米國の蘭印輸出の增大は左表に見るが如く一九四○年に入って更に著しいものがある 一――五月對蘭印輸出量 (單位千盾) 國名 一九四○年 前年同期 和蘭 四八、七八○ 三六、九○三 英國 一八、五九五 一三、二八七 獨逸 一六、九四五 八、七○三 米國 四六、六三六 二五、五九三 既ち昨年一月から五月までの累計で約二倍に近い急膨脹を示してゐる之は濁逸の和蘭進入以前の數字であるが現在では和蘭本國及び獨逸からの輸入が殆と杜絕され英國からの輸入も激減してゐるので米國の占める地位は更に增大してゐると想像され得る。 斯如く米國の進出が著しいと共にその輸出の重心が機械類、鐵鋼等の重工業製品に置かれてゐることは國際政治的に見て頗る重要性を持つものである既ち本國を失った蘭印は自己の獨立性を補強するために今後益益航空機、兵器などの輸入を急ぎ、以て自家軍備の充實を計るばかりでなく領內の諸工業の強化を圖る上にも機械類の需要を增大させるであろう、日本が斯る種類の製品を供給し得ない限り、蘭印は必然的に之を米からの供給に仰がなければならない、このことは蘭印の米國に對する依存性を益益濃化し、蘭印をして東亞共榮圈から離反せしめ、惹いては米國の傘下に走らせる危險性が多分に含まれるからである他方蘭印からの輸出相手國として米國は一九三九年の輸出總額七億三千九百萬盾の中、一億四千五百萬盾(一九%七)を占め第一位となって、新嘉坡、和蘭本國、豪洲、英國が之に續き、日本は漸く第六位を占める狀態にある、即ち顧客としても米國の地位は閑却し得ないものがある、蘭印の最重要物產たるゴム及錫について昨年の米國の買付は急激な增加を示したが、本年に入ってからの米國の對蘭印輸入額は前年同期に比し二倍以上の急膨脹を見せてゐる、この點から蘭印の米國に對する依存性は強化される可能性が多分にある、自國がその最大の顧客である蘭印に對して、米國が商品市場としてもそれだけの分前を要求するであらうことは自明の理である、斯くして米國の蘭印に對する働きかけは、今後益益積極性を加へるものと見てもよいであらう 英米との關係 単に資源獲得の點から見ても蘭印には持てる國と謂れる米國にさへ生產されない錫及びゴムの世界的生產地として知られそしてゴムの企業經營は之がために主として英米資本に依って押さへられ、又錫は米國と特別協定を締結してゐる實情である 錫の如きは罐詰工業、自動車工業などの一般工業にとっては必要物資であるが、戰略資源としてのニッケル、クローム、タングステン等に比すれば軍事的に絕對必要といふものではないといふ事情もある、從って錫の供給地としての蘭印の米國に對する意義は比較的小さいといふ人もある、然るにゴムとは之全く事情を異にして周知の如く世界最大の自動車工業を持つ米國としては、また世界最大のゴム消費國であるため、米國のゴム需要は世界消費高の七割餘に達し、國內消費の四割二分以上に上る輸入額を蘭印其の他から仰いでゐるのである南洋に於いてゴム及び錫の生產地を植民地に持つ英國程はこれ等の資源についての蘭印に對する依存度は米國程には大きくない、戰略的見地からすれば蘭印の英國にとっての重要性は、米國の見るところと同樣である、それは蘭印が一たび敵國の勢力下に置かれたならば、英國が極東に於ける前哨基地としてのシンガポール、マレー半島及び命の綱と頼む濠州などとの聯絡が遮斷され、更に印度との聯絡する危險に瀕するからである、 殊に米國支配下のフイリッピン群島は蘭印と地理的に一體を成す現狀にある、 假りに蘭印が日本の手に押さへられることがあるとすれば、米國はその極東政策の生命線たるハワイ、グアム、フィリッピンなどとの聯絡をも脅かされるかも知れぬ斯くして英米兩國の蘭印に對する關心は軍需資源供給地としての意味と同時により多く戰略的な見地に出發してゐるのである。 國際關係が極度にまで緊迫る現下の情勢に於ては現狀に對する僅かの變更ですら、國際間の均衡を破ることとなる、蘭印に於ける權益に對する制約は、假令それがいかに輕微なるものであって、英米にしてその意思さへあれば決定的な行動をとるための口實にならぬとは何人も保證しえないのである (寫真はスラバヤ港) |
07 | 嘉義郡下の保甲役員改選 |
08 | 生れる新校名 彰化市で協議內定 |
09 | 土居稅關長歸高 |
10 | 旗山水害豫防組合評議員會 |
11 | 大豆粕大量入荷 臺南州の養豚界に朗報 |
12 | 基督長老教大會 |
13 | 圖像:伊太利部隊の活躍 |
14 | 精白程度の嚴守 花蓮港市業者に通達 |
15 | 彰化女公卒業式 |
16 | 禍根絕滅を陳情 高雄市の青果業者が |
17 | 嘉義市中等入試の競爭率 |
18 | 四割增收正條植 中和庄の女子挺身隊 |
19 | 勞力獲得運動 高雄商議所乘出す |
20 | 代用食を利用 嘉義市當局が要望 |
21 | 花蓮港商議所 基礎的事項を協議 |
22 | 屏東師範附屬公の卒業式 |
23 | 自動車小學生を轢く |
24 | 世界一の藏書家 |
25 | 瑞穗庄報國推進隊 きのふ發會式を擧行 |
26 | 人事・往來報社消息 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 再び三斗坪を爆擊 敵重要施設を粉碎 |
02 | 改組問題を檢討 翼贊會局部長會議で |
03 | 改組の成行重視 貴院、共同審查機關設置せん |
04 | パナマ、イラン兩國大使 けふ參內、信任狀捧呈 |
05 | 要求豫算七十億弗 武器貸與法に依り |
06 | 武器貸與表の大部分 英國へ引渡される |
07 | 艦齡超過驅逐艦 對英貸與艦中に百十九隻 |
08 | 貸與法案豫算 本年度は七十億弗 |
09 | 佛のウ將軍 北阿に歸還 |
10 | 獨の戰時經濟成功 フンク經濟相が演說 |
11 | 西尾大將凱旋 けふ神戶着故國に第一步 |
12 | 外相事務管理 けふの官報で發令 |
13 | 杉山參謀總長 首相と要談 |
14 | 大島駐獨大使 レ大將を訪問 |
15 | 松岡外相の動向を注視 中南米國民が |
16 | 米國政府の軍用船徵用 |
17 | 圖像:畑、西尾新舊總司令官の事務引繼 |
18 | 四法律を公布 |
19 | 日、滿、華の貿易會議 廿五日天津で |
20 | 日本の地位強化 調停成功、赤軍機關紙論ず |
21 | 千古のジヤングル 新泰領となつた地方 |
22 | ソ、泰兩國間に 公式覺書交換 |
23 | 東方會當面の活動方針 |
24 | 厚生省內に人口局を新設 |
25 | 獨軍の戰果 |
26 | 臨時總會開催 全國肥料商業組合聯合會 |
27 | 明日の天氣 |
28 | 水滸傳(360)/黃得時;榎本真砂夫 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺北州第二種空訓 敵機遂に無為退散 島都防空陣に一分の隙もなし |
02 | 海陸相呼應して 真劍な各種猛訓練展開 |
03 | 徹底した實戰則應 新公園內の訓練指導 |
04 | 圖像:閑院若宮兩殿下臺中へ御成り |
05 | 香取丸入港 大坪臺北陸軍病院長着任 |
06 | 英靈に捧ぐ赤誠 十年間續けた點灯奉仕 |
07 | 長谷川總督 十七、八兩日蘭陽方面を初巡視 |
08 | 齋藤總務長官 廿一日に歸任 |
09 | 有田前外相 廿一日視察に來臺 |
10 | 臺灣にも試驗場 電氣通信技術者の檢定 |
11 | 基隆高女卒業式 |
12 | 派出所單位に家長會議開催 基隆署のデマ粉碎 |
13 | 最近漸次軌道に 新竹州下の改姓名熱 |
14 | 新竹州下各郡署の保正會議 桃園郡を皮切り |
15 | 今夜は月蝕 肉眼でもよく見える |
16 | 文相の名團長振り 青少年團本部職員連の鍊成會 |
17 | 圖像:島都の空訓 |
18 | 人事・消息 |
19 | 今夜の放送 |
20 | 商況 十三日前場 |
21 | 映画案內 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 亞細亞の旗(106)/小栗虫太郎;坂本仁 |
02 | 家庭・婦人 ビール箱を利用して 簡單な半地下式防空壕 (三)家庭防空壕の作り方 |
03 | 主婦の職域奉公 (六)廚芥塵芥の利用更生 |
04 | 榮養と值段の比較 高價な鯛と安い鰯 榮養分は同じです |
05 | 經濟相談 |
06 | 真の料理上手は 食物のもち味を生かすにある |
07 | 代用食献立(一) 臺北北區料理屋飲食店組合 |
08 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語學習 閑院若宮兩殿下 御來臺遊ばされました |
02 | さあ元氣よく步きませう |
03 | 示す興亞の底力 來年の秋滿洲國で 東亞體育大會開催 |
04 | タイ、佛印の調印式 十一日行はれた |
05 | 戰雲におほはれた歐洲へ 松岡外務大臣出發 |
06 | 海の荒鷲 昆明を襲ふ |
07 | 春休みを利用して 青少年訓練生を慰問 東京の各醫大生達が |
08 | 近づいて來る 入學試驗 |
09 | 焰の色で見別ける 軍需工場の種類 獨空軍勇士の體驗談 |
10 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 武庭麟軍の大殲滅戰頭條新聞 【晉南○○十三日發同盟特派員】南部大行山脈の西側を突走る歷山山脈の峨峨たる峻嶮內に進入我が後方を攪亂せんと企圖せる蔣直系武庭麟麾下第十五軍第六十四師六十五師及び第六縱隊の合計二萬に斷乎膺懲の鐵槌を下すべく我が有留、池田、江口の各精銳は九日夕刻突如壯烈な殲滅戰を開始續いて十日竹田(鼎)山口、野枝、大谷の各部隊も一齊に猛擊を開始し瞬く間に鐵壁の包圍殲滅陣型を完成我が奇襲に狼狽せる敵部隊を隨所に擊破しつつ十一日以來逐次包圍圈を敵最大據點曹家山苗家山周邊地區に壓縮多大の戰果を擧げてゐる 【晉南○○十三日發同盟】特派員武庭麟軍大殲滅戰は十三日に至り最高潮に達し各方面よりする我が包圍圈は直形僅か十六粁にまで壓縮され退路を求めて右往左往する敵は到る所我が包圍網中に蹂躪粉碎されつつあり特に垣曲方面に逃走せんとする敵第六十四師の一部は終日に亘る陸鷲の猛爆と地上部隊の猛擊に殆んど殲滅的打擊を受けるに至つた |
02 | 敵の堅陣を逐次奪取 |
03 | 望江周邊の敵を猛爆 |
04 | 范軍の殲滅戰果 |
05 | 日本への感謝の印 三日間日、タイ兩國旗を揭揚 |
06 | 日、泰首外相間の 謝電と返電 |
07 | 泰首相、二見公使を訪問 |
08 | 感慨無量の佛印政廳 |
09 | 圖像:松岡外相神宮參拜 |
10 | 凱旋の挨拶 西尾大將神戶着 |
11 | 翼贊會自體の改組案 有馬事務總長に一任 |
12 | 武寧、通城の自主撤退 中支軍當局談を發表 |
13 | 河相初代公使シドニー着 |
14 | 俳人不息の面目躍如 車中の松岡さん一句隨員を煙に卷く |
15 | 外相の旅程 一部を變更 |
16 | 航空青少年隊結成 端午の節句を期し |
17 | 土の實踐教育に挺身 鍬の一千萬學徒部隊 |
18 | 對英援助の豫算細目 |
19 | 重慶の事態救ひ難し カ米特使、匙を投ぐ |
20 | ユーゴー首外相 ベルリンを訪問せん |
21 | 定例次官會議 |
22 | 國防豫算の審議を開始 比島豫算委員會 |
23 | 各製糖會社 結局減配か |
24 | 今日の天氣 |
25 | 辰馬汽船 |
26 | 大連汽船 |
27 | 東亞海運 |
28 | 南日本汽船 |
29 | 大阪商船基隆出帆 |
30 | 日本郵船基隆出帆 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 東亞共榮圈確立に輝く一石社說 一 泰國と佛領インドの國境紛爭は久しい間繼續的に或は斷片的に行はれ來つた問題で容易に解決する術もなく遂に外交手段から戰爭手段に入り兩軍の國境戰鬪が開始されるに至つたのであつた。紛爭の內容は相當多岐にわたり複雜を極めてゐるが其核心をなすものは領土問題であり卽ちかつて泰國の領土であつたカンボチヤ等の返還を泰國が佛印に要求してゐるのであつた。併し佛印としては理由がどうであつたにせよ現に自己の領土であるものを易易と反還すると云ふ事はそう簡單に出來るものでない。此處に兩國國境紛爭の深刻性があつたのである。紛爭は刻刻惡化の一途を辿り武力行為も日を逐ふて增大し遂に收拾出來ない狀態に入つた時わが帝國が居中調停の擧に出たのであつたが兩國は帝國の真意を諒とし之を受諾するに至りサイゴン附近にある我帝國軍艦內に於いて調停の第一步が踏み出され停戰協定の調印を了したのである。 二 調停會議は現地より東京に移され兩國代表及隨員は東京に集り二月七日第一回東京會談が行はれるに至つたのであつたが爾來一ケ月間會議が續行された。此の間英米側の妨害工作が相當露骨に行はれ幾度か暗礁に乘り上げんとした事はわれわれの記憶に新なるところである、一時在留佛印邦人の引揚を準備し何時如何なる事態が起つても帝國としては遺憾なきを期し、一方會談に對しては飽く迄信念と正義に立脚し成功を期して努力し來つたのであつた。日本としては單に面子上から出發した問題ではなく、大東亞共榮圈確立の上から當然其の必要に迫つたのであるが、更に居中調停申入れの法的根據があるのである、卽ち一九四◯年六月十二日バンコツクで調印された日タイ和親友好條約があり、又佛印との間には昨年我軍進駐をめぐり兩國間に取りかはされた協約がある。それは一九四◯年八月二十日東京において松岡外相とアンリー佛國大使との間に取り交はされた佛印の主權並に領土權尊重に關する協定である。此の意味において兩國紛爭に對し日本が居中調停を申入れる事は國際信義上の義務であり又權利でもあり、法的根據も此の點に懸つてゐるのである 三 調停會議が東京で行はれて以來約一箇月此の間英米側の策謀其他によつて一時暗礁に乘り上げたものの日本の毅然たる態度によつて佛印の反省するところとなり茲に調印妥結を見るに至つたのであるが、事此處に至る迄には幾多の曲折を經、調停國たる日本がタイ佛當事國と交換した公文も旣に發表された如く日本政府は飽くまで大東亞平和維持を祈念する精神に基き兩國間紛爭調停に乘り出した立場を明かにし且つ帝國政府が提示した調停案を兩國が無條件受諾するにおいては、兩國紛爭の解決は決定的にして絕對變更し得ない事を帝國政府は兩國に對し保障するの用意ある事を闡明してゐる、尚交換された公文の內容中帝國政府が要請した次の一項目は公文中最重要點と云へよう「兩國政府は今後日本との間に友好善隣關係を樹立し、經濟的には緊密關係の增進に努力すること、其のためには日本に對し直接的或は間接的において對抗するが如き性質の政治上、經濟上又は軍事上協定等を第三國と締結しない事を宣言すること」右松岡外相の書翰に對し兩國全權は全面的に日本政府の要請を受諾する旨公文を以つて返事してゐるが、此の重要公文の內容こそ實に帝國外交の劃期的勝利とも云ふべく、殊に南進日本の輝しき第一步であり、ひいては大東亞共榮圈確立の輝く一石として高く評價してよからう |
02 | 閑院若宮兩殿下 水社に向はせらる |
03 | 青年團指導訓練功勞者表彰 |
04 | 空睨んで敵機何物ぞ 黑一色の下、目覺し猛訓練 臺北州下の空訓第二日 |
05 | 果敢な動作展開 圓環で消火訓練 |
06 | 井田副統監以下 市內の狀況視察 |
07 | 賴母しい 蘭陽の訓練 |
08 | 初日から本格的 基隆の猛訓練 |
09 | 矢野副統監 基隆を視察 |
10 | 圖像:新竹へ御成の閑院若宮兩殿下 |
11 | 臺灣工業協會 十七日例會開催 |
12 | 和知參謀長 在北各部隊を初巡視 |
13 | 一期米增產打合 |
14 | 海軍航空機 臺灣北部で遭難 殉職三氏けふ海軍葬 |
15 | ヘルシンキ大學日本學講座 愈今秋より開講 |
16 | 配給部門の戰士 新竹で青年店員講習會 |
17 | 弘法大師奉贊會 昨日盛大に結成式擧行 |
18 | 狂ふ怒濤と戰ふ 記念の遠洋航海を終へて 府水產練習船南鵬丸歸港 |
19 | 臺北高等商業卒業式 |
20 | 私立淡水高女卒業式 |
21 | みつちり鍛へて 勤行報國臺北州隊歸る |
22 | 臺大農藝化學科雜誌會論文發表會 |
23 | 漫畫家連の傷病兵慰問 |
24 | 醫專合格者 |
25 | ときのこゑ |
26 | 臺東廳下の蕃害 移住を嫌つて兇行 三名即死三名負傷 |
27 | 兇行容疑者 ハイシヨル一家 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新店溪上流の電源 順次開發されん 企業條件頗る有利 |
02 | 新龜山發電所 竣工式を擧行 |
03 | 港灣荷役力の增進へ 關係當局、具體案を考究 |
04 | 米穀局廳舍落成式 終つて食糧展示會 |
05 | 生鮮魚□の配給 改善座談會を開催 |
06 | 郵便貯金法の改正 貯金總額を三千圓に引上 |
07 | 臺灣貿易振興會社 あす第二回設立委員會 |
08 | 臺灣東亞貿聯 近く總會を開催 |
09 | 臺灣テツクス貿易組合總會 |
10 | 鐵鋼統制會 平生氏の會長就任は確實 |
11 | 文旦、白柚の增產に 曾文郡乘出す |
12 | 水稻增收競作會等 あす褒賞授與式 南投 |
13 | 府水產講習所 練習生一行無事歸還 |
14 | 日本曹達の機構改革目標 |
15 | 轉業者資產評價中央委員會 きのふ初總會 |
16 | 臺灣バス運送事業組合 廿日發起人打合會 |
17 | 照明燈 |
18 | 臺東廳の國民貯蓄 五十萬圓割當 |
19 | 臺北州トラツク會社 近く補助金を申請 |
20 | 市價及商況 十三日 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 北門郡農事組合 運營機構大改革 四月中新生へのスタート |
02 | 北斗迄輕鐵延長 有志近く陳情 |
03 | 時局講演會報社消息 |
04 | 海洋に挑む漁民魂 農村工場に精進する處女群 模範道場を訪ねて(四) |
05 | 淡水時局講演會報社消息 |
06 | 巢立つ 東石農業卒業生 奉職口既に約定濟 |
07 | 苑裡帽子の耳組改善講習會 |
08 | 朴子太和公卒業式 |
09 | 溝子墘保正當選發表 |
10 | 時局修養講習會 桃園小で開催 |
11 | 圖像:二林街の女青 正條密植に精勵 |
12 | 新化小學卒業式 |
13 | 宜蘭市防衛團 分團結團式 |
14 | ローカル・セクシヨン |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 民營林業の促進 臺南州・獎勵金を交付 |
02 | 來月四日は愛林日 臺中州の行事決定 |
03 | 瑞西から入注 合同パインの罐詰 |
04 | 蘭領印度の現狀(四)/翁鐘賜海外遊記 蘭印と和蘭本國 飜へつて和蘭本國と蘭印の關係のを見るに貿易上から見れば和蘭は蘭印の最大輸出先ではあるが輸入については一九三九年が第一位、三八年は日本に次いで第二位を占めてゐる、勿論その輸出の中には本國を通じて再輸出される商品が少くない、和蘭本國は蘭印との通商經濟關係を改善するため、一九三六年に公式委員會を設けて本國及植民地の輸入商品に一定の比率を定めたのである、本國からは食料品、化學製品、纖維品、金屬類、機械類等を蘭印に出し、之に對して蘭印からは砂糖、珈琲、錫鑛コブラ、椰子油、煙草、玉蜀黍等を移出するとの規定をなし以て之等の農產物の耕作を確立せんと企てたのである、特に砂糖は日本に於いて自給自足の策が樹立されたので、從來重要な輸出市場であった日本への販路を失ふこととなり且つ世界的な不況の影響に依り糖價が下落したため、蘭印の糖業は重大な打撃を受けたのである、 蘭印の工業は現在のところいふに足るものがなく、寧ろ今後の問題に屬するのである、僅少の輕工業を除き殆ど目星しい工業はないといってよい位である、このことは本國の和蘭が未發達の國であることにもよることであるが結局蘭印は現在技術的にも經濟的に農業國の範疇より一歩も出でてゐない之が工業化は本國にとっても蘭印にとつても重要な課題である、和蘭本國は蘭印との間に輸出入總額の上に於いては第一位であるが、蘭印に必要なる工業製品の輸入はとして英米及び日本に依存せざるを得ないのである。 日蘭の相互依存性 併し乍ら今日英米が蘭印に對して望むところのものは蘭印が彼等の現狀を維持せんとする舊體制の一つの支點となることであり、その恐れるところは新興勢力たる日本が蘭印との係を密接化することに依って一層強力となることである、 之に對し日本にとっては、東亞共榮圈の確立といふことが結局強國として生きて行くための唯一の途である、日本が蘭印を東亞共榮圈に包含せしめようといふ希望は決して領土的野心を意味するものではない、日本が經濟的獨自性を保持するために必要とする物資の蘭印からの供給が確保され、蘭印に眠ってゐる殆ど無盡藏の資源を開發する機會が日本にももつと自由に與へられることにあり、そしてその反面蘭印がその必要とする物資の供給を、もっと好意的に日本から仰ぐことになれば、それで日本の意圖するところは、十分に達せられるわけである、蓋し、斯る相互依存の經濟關係が日蘭双方の完全な政治的諒解の上に成立するならば、それだけ東亞の一體としての安定と共榮が實現されるからである、今冷靜に現下の日蘭關係を見るならば、之を双方の利益に於いて進展させることを可能ならしめる條件が既に多く成熟しつつあるのを見ることが出来るであらう之が歐洲戰爭の進展に依って日蘭關係の上に齎された新しい情勢の惡化である。 日本の企業的進出 然らば現在日本の蘭印に對する投資は如何であらうか、臺灣總督府の調查に依れば、蘭印に對する投資額は總計四千六百十二萬圓に上り主に栽培事業を中心とし、林業、鑛業、水產業などが之を續いでゐるのである然し之を列國の投資額に比較すれば和蘭本國は勿論、英米と對比しても頗る遜色のある狀態である而も日本の企業的進出に對しては蘭印土着民に餘り大きな就業の機會を與へず、小賣商や小企業が多いため寧ろ土着民の分野を侵触するといふ點から常に蘭印側に不滿の聲があった一九三三年の入國制限や三五年の外國人勤勞條令の目的が主として日本人の入國、營業の制限にあったことも、かうした事情に起因したものである、併乍らこの點に關しても現在では事情が餘程變化して來た、日本は今や輕工業國か化學重工業國への編成替へを急ぎつつあり、蘭印の有する石油、錫を始め石炭、ボー キサイト、ニッケル等の原料資源を要求すること切なものがある、若し蘭印にしての之などの資源の開發の機會を日本に許すだけの量があるならば、日本はその熱意と能力とを十分に持ってゐるのである、廣大な原始林の中に眠ってゐるこれ等資源の開發をなすことは地理的に見ても經濟的に見ても日本の資本と技術に待つことが最も捷徑であり最も合理的である 日蘭貿易の現狀 從來の日蘭間の貿易は日本が蘭印から主として油脂類藥品材料鑛及金屬、穀物類などを輸入し日本から布帛類、系繩類、衣類などの消費財を主として輸出する關係にあった 右輸出入額の比較によって判明する如く日本の對蘭印輸出額は蘭印からの輸入額を遙かに凌駕し從って日蘭間の貿易は例年日本側の出超を記録して来た 斯る片貿易の狀態は前に述べた如くの蘭印の國別貿易に於いて入先としては日本が和蘭本國に次いで第二位を占めてゐるに反し蘭印からの輸出相手國としては第六位に在るに過ぎないとい事實にも反映してゐるのであるが之は蘭印側から日蘭關係を論ずる場合には常に不滿の對象となったのであるこの不滿は日本商品が金再禁止後の圓為替安に乘じて洪水の如く蘭印市場に殺到し、遂に和蘭本國の輸出分野にまで喰込むに至って極點に達し、それが遂に一九三三年以降の數數の對日輸入防遏措置となって現れたことは前述の通りである蘭印としては日本の進出に依って和蘭本國の利益は甚しく侵害されてしまったといふのである 俳乍らこの樣に和蘭本國のために蘭印を輸出市場として留保して置かなければならないといふの事情は今や和蘭本國の消滅によって全く意味をなさなくなってしまったさうして日本が蘭印に對して求めるところの物資の量も今や急激に增加しつつあるのである(寫真はバタビヤの支那人街) |
05 | 募集を打切る 臺南警援の基金 |
06 | 黃麻作割當面積 新豐郡下決定さる |
07 | 各工場に報國隊 張切る高雄市產業界 |
08 | 鶯歌街繃帶巷講習會 |
09 | 司法保護講習會(十七日) |
10 | 高雄商議所役員會 |
11 | 女子田植挺身隊 鶯歌街で大活躍 |
12 | 春に戰く童心 高雄州下各校の競爭率 |
13 | 臺南市中等學校願書締切 |
14 | 臺中家政卒業式 |
15 | 臺中師範卒業記念演奏會 |
16 | 鄉土國民食の研究 高雄新體制研究會で |
17 | 屏東高女卒業式(十七日) |
18 | 山林栽培地擴張 嘉義郡五百甲步擴張 |
19 | 春季演奏大會 五月頃に開く |
20 | 馬車君暴出す |
21 | 昂る銃後奉公熱 花蓮港の學童たち |
22 | 墓地使用を禁止(嘉義山子頂) |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | あす兩院共本會議 秘密會で外交說明を聽取 |
02 | 團體統制令 小林商相の方針 |
03 | 何等驚くことなし 對英援助案の成立獨外務當局闡明 |
04 | 國民更生金庫 いよいよ活動開始 |
05 | 陸航整備學校修業式 |
06 | 松岡外相下關へ |
07 | 西尾大將國府津着 |
08 | 滿鐵と華中鐵の聯絡運輸 十五日から實施 |
09 | モ外相を招待 建川大使晚餐會を開く |
10 | 山下中將一行午餐會に招待 伊軍當局が |
11 | 清水主計少將晴れの歸還 十九日臺灣へ赴任 |
12 | 獨軍、英本土を猛爆 |
13 | 英の損害深刻 |
14 | 圖像:野村大使華府着 |
15 | 紅海のバ海峽危險地帶 |
16 | 操業停止防遏法を制定せよ ヴ委員長要望 |
17 | 米海軍增強計畫 ロ機關局長の證言 |
18 | 二月中の米飛行機生產總量 |
19 | 七十億弗豫算審議開始 米海軍長官、作戰部長の證言 |
20 | 米の第四次國防追加案 ル大統領署名 |
21 | 本年中に百隻 讓渡の計畫 米官邊が洩らす |
22 | 國共兩軍隨所に衝突 |
23 | 鐵鋼統制會長 平生氏が就任 |
24 | 汕頭電力管理處 國民政府へ移管 臺灣電力に委任經營 |
25 | 洪に對しても 在米資金凍結 |
26 | 港灣行政の統一 東亞經濟懇談會の要望 |
27 | 明日の天氣 |
28 | 水滸傳(361)/黃得時;榎本真砂夫 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 實戰氣分愈よ高潮 細雨衝いて各種訓練 臺北州第二種空訓 |
02 | 三團協力の活躍 基隆の訓練今や酣 |
03 | 長谷川總督の 燈管狀況視察 今夜デパート屋上で |
04 | 川村統監けふ 基隆を視察 |
05 | 南洋巡錫から 大谷法主歸朝 |
06 | 皇太子殿下には けふ葉山御用邸に行啟 |
07 | 圖像:島都の空訓第二日 |
08 | 齋藤總務長官 二十一日歸臺 |
09 | 犬飼技師來新 一期米植付を督勵 |
10 | 新竹州隊歸る 汗の鍛鍊を終へて |
11 | 初の裝蹄競技會を開く |
12 | 溫い訓示に淚する 萩洲將軍と在京舊部隊員 亡き戰友と社頭對面 |
13 | 臺北憲兵隊長 石田大佐あす着任 |
14 | 藝能相談所開設 |
15 | 蘭印に關する映畫講演 十六日國際館で開催 |
16 | 中等學校入試迫る 志願者をもつ父兄の必讀ニユース 教護聯盟親心の注意 |
17 | 銀座に幌馬車 愛馬家牧山代議士 都大通りをカツポツポ |
18 | 十時閉店に 戾つてもよい 厚生省から通達 |
19 | 石本善通寺師團長逝去 |
20 | 臺北州青年歌を募集 |
21 | 在外同盟特派員 現地報告放送 |
22 | 第三高女の卒業式 |
23 | 燈管中不謹慎 擧げられて お目玉頂戴 |
24 | 燈管中の捕物 お尋者逮捕 |
25 | 人事・消息 |
26 | 今夜の放送 |
27 | 商況 十四日前場 |
28 | 映画案內 |
29 | 興南案內報社消息 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 亞細亞の旗(107)/小栗虫太郎;坂本仁 |
02 | 家庭・婦人 家庭防空壕の作り方(四) 簡易半地下防空壕も 板と機だけで作れる |
03 | 主婦の職域奉公 (七)廚芥塵芥の利用更生 |
04 | 學齡兒童と耳鼻の病氣(下) 成績も低下するアデノイド |
05 | 經濟相談 |
06 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語學習 正義の世界を築くため 大いに話して參ります 松岡外相の御挨拶 |
02 | 國語力だめし(二十八) 二千語讀方 |
03 | 受驗部隊海越えて 南支那から續續來臺 |
04 | 笑話 問題は易しいが |
05 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵最大據點を占領 晉南地區の最高峰頭條新聞 【晉南○○十四日發同盟】我が竹田部隊の精銳は前日に引續き猛烈な黄砂と峻嶮を犯し十三日拂曉曹家山一帶を連ねる敵堅陣に背後より迫り猛擊を浴せ逐次これを奪取し、同日夕刻には敵最大據點の一たる同地區最高峯(標高三千米)の堅陣に據る敵を猛攻、折柄鵬翼を連ねて出動せる瀨戶部隊と密接な連繫の下に壯烈なる肉彈戰を敢行、遂に同陣地を完全に占領した |
02 | 陸鷲、果敢な低空飛行 敵陣地を次次に爆碎 |
03 | 殘敵掃滅戰を開始 |
04 | 翼贊會の改組並に 內閣政治力の強化 內相、首相と重要懇談 |
05 | 河相駐濠公使 信任狀を捧呈 |
06 | 質問は行はぬ模樣 けふの兩院本會議 |
07 | 委員會を設置 政府支拂の圓滑化へ |
08 | 圖像:山西戰線 |
09 | 學務部長會議開く 國民學校令の趣旨徹底を圖る |
10 | 橋田文相訓示の要旨 |
11 | 真劍なる質問續出 |
12 | 地方豫算運營の 萬全對策を講ず 內務省で計數整理完成 |
13 | 佛印當局の 邦人商社排斥 三井の米輸出組合加入を拒絕 |
14 | 圖像:松岡外相伊勢神宮に參拜 |
15 | 興亞運動の統合へ 幹事會原案を決定 |
16 | けふの兩院 |
17 | 外務辭令 |
18 | 眾院側希望三點 翼贊會の改組に對し |
19 | 米海軍豫算案 下院に提出さる |
20 | 豫算小委員會審議開始 |
21 | 定例閣議 |
22 | 寺院境內地處分審查會 十三日初總會 |
23 | “人の馬事訓練” 一段と指導普及に努力 |
24 | 國民政府三市 特別市とす |
25 | 海運關係連絡會議 |
26 | 彈丸列車計畫實現を急ぐ |
27 | 今日の天氣 |
28 | 辰馬汽船 |
29 | 大連汽船 |
30 | 東亞海運 |
31 | 南日本汽船 |
32 | 大阪商船基隆出帆 |
33 | 日本郵船基隆出帆 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 新式製糖業と減配問題社說 一 本島二大產業の一端を擔ふ新式製糖業が、打續く原料甘蔗の不作に依り產糖高が一擧にして二千三百萬擔より一千四百萬擔に減產した事は、戰時下に於ける食糧對策上寒心すべき事であり、本島產業の發達上輕視すべからざる一大問題である。本島の砂糖は單に國內の需要を充すのみでなく、遠く滿洲及び支那大陸に對して供給して居る現狀より見てもかかる減產は天災被害に依るとは言へ、製糖業者の損失のみでなく蔗作農家としても一大打擊であり、國家經濟の上から見ても遺憾至極と言はねばならない、それが為めに國內に於ける砂糖消費に對し配給制度を實施し、消費規正を斷行せねばならなくなつたのである企業者としての新式製糖會社が遂ひに多年の高率配當を一擲し減配に轉向せねばならなくなつた事は、投資家として損失であると共に國家收入の上から見ても一大影響である。由來本島は暴風圈內にあり、每年八、九月の天災期には一回又は數回の暴風雨の襲來があり、年年農作物が被害を受けて來て居る。その對策として天災被害を輕減すべき優良品質の育成に對し官民とも多年硏究して來て居るが、未だに大した成果を收めて居らない、本島糖業の發達を企圖する為めには更に一段の努力を拂ひ優良品質の育成に邁進する必要がある 二 新式製糖會社が打續く減產の為めに收益率が減退し、遂ひに減配せねばならない事となつた事は、企業家として苦痛なるもこれも天災の為めであり、人力では如何とも為し難い事である過去に於ける製糖業の經營狀態より見るに自由主義經濟時代に於いては糖價の制限がなかつた為に儲けるだけ儲けて高率配當を為して來たが、統制經濟時代に入つてからは急に糖價の釘付けとなり、その上に減產となつたので一擧にして企業收益を減退させたのである。糖業黃金時代も最早過去の夢となつたのを見て、業者や株主の中には未だに新時代の推移を知らずして慌てる者が居る、新體制經濟機構下に於ける糖業の進路は最早高率收益を擧げ得られない時代となつたのである。その主因は言ふ迄もなく天災に依る原料甘蔗の減收を始めとして勞賃及び買收費の昂騰や、諸物價高に依る生產原價の引上げに對して、製品の販賣價格は低物價政策に依つて引上げる事が出來ないところに存する、 三 糖業者も時代の推移を察知し逸早く督府の計畫した糖業協議會に參加し、糖業新體制の編成に協力する事となつた事は喜ぶべき事である。卽ち今後の臺灣糖業は單なる自由營利企業ではなく、國策を推進して行く國策企業として方向を轉換して行くのでなければ最早時代より取り殘されるのである。新式製糖會社が多年の高率配當を放擲して減配を為す事となつた事は時代の要求であり、企業家の無能ではない事に對して投資家及び株主も了解するであらう、糖業協議會が臺灣糖業の再編成に着手せんとして居るが、その具體的內容は未だに窺知を許さないが新時代の要求としては食糧國策に則應して、米の增產を阻害しないで增產を為すべきであり、更にその營利企業精神を公益優先理念に轉換し、國策企業として經營して行くべきを提唱するものである。更に大會社は中小會社を擁護して行くべきである糖業新體制は經營の合理化であり經費の節約であるとは言へ、單に中小會社の合併のみではその目的を達成する事が出來ないのである。投資家や株主に對しては適正なる配當率を確定し、歐洲第一次大戰の如き黃金時代を夢見るべきではない |
02 | 閑院若宮兩殿下 きのふ嘉義に御安着 |
03 | 新高築港を御視察 絕好の奉迎日和に臺中市民歡喜 |
04 | 日月潭へ御成り 穩かな湖面を御巡航 |
05 | 化蕃の杵の歌を 御興深げに台覽 |
06 | 真劍味愈よ加はる 臺北州第二種空訓第二夜 |
07 | 蘭陽地方の空訓第二日 |
08 | 燒夷彈の消火演習 |
09 | 白衣の勇士 けふ內地へ歸還 |
10 | 長谷川總督、昨夜 燈管下の島都を視察 |
11 | 實戰宛らの防火訓練展開 |
12 | 島都の甘藷配給 區長家庭班を通じて |
13 | 羅東街米穀增產挺身隊 近く實地指導へ |
14 | 新竹州下の新年度貯蓄目標 各市郡の割當決定 |
15 | 奧地蕃の動搖を 未然に防止 タ頭目の献身的美談 |
16 | 來場歡迎 時局講演映畫會 臺中州を皮切りに開始報社消息 |
17 | 臺灣出身の陸鷲 異彩を放つ松岡君 |
18 | 優勝額を奉納 第十回神宮大會優勝者 |
19 | 圖像:臺北州第二種空訓 |
20 | 南支南洋視察中の神田氏 廈門發臺灣へ |
21 | 水產講習所卒業式 |
22 | 蓬萊丸無電 |
23 | ときのこゑ |
24 | 蕃情の內偵へ 旗山郡マ社勢力者 |
25 | 隊員の食糧提供を申出で |
26 | 宜蘭郡農業推進挺身隊 廿日に結成式 |
27 | 人事・消息 |
28 | 訃文:陳□氏淑女 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 重大時局に直面し 產組使命の完遂を期す 產組協會評議員會で決議 |
02 | 十五回產組大會で 決議せる事項の實行を陳情 |
03 | 臺灣產組役職員 共濟會實施に決定 |
04 | 一月末市街地信組の 貯金貸付とも增加 |
05 | 新高消費米配給場所決定 |
06 | 農村產組業績向上 貯金一億三千萬圓 前年に比し二千三百萬圓增 昨年八月末現在 |
07 | 食料品物價專委會 來る廿日開催 |
08 | 東港郡煙草組合通常總會 |
09 | 二月下旬の步留 鹽糖平均一割二分臺 |
10 | 龍潭正條植競技會 |
11 | 十一月末火保契約高 八億八千餘萬圓 |
12 | 十一月末現在運送保險概況 |
13 | 十一越末現在海上保險概況 |
14 | 龍潭堆肥製造 獎勵抽籤當選發表 |
15 | 纖維品物價專委會 來る十八日に開く |
16 | バスの合同問題 漸く具體化せんとす |
17 | 臺北州下ハス業者 十九日公會堂で懇談會 |
18 | 見本市報告會 盛況裡に終了 |
19 | 照明燈 |
20 | 市價及商況 十四日 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 苗栗報國同志會 神前で結成奉告祭 別に宣傳隊を組織して講演 |
02 | 國民貯蓄座談會 鹿港街で開く |
03 | 淡水公卒業式 |
04 | ローカル・セクシヨン |
05 | 旗山蕉農懇談會 |
06 | 淡水女子公卒業式 |
07 | 西螺保甲役員改選終了 |
08 | 淡水飲食店組合 通常總會 |
09 | 中壢醫院の美擧 |
10 | 謎の美人屍體 果して自殺か、取調中 |
11 | 諸品評會授賞式 |
12 | 草漯信組總代員 當選發表 |
13 | 惡德醫師に鐵槌下らん |
14 | 南投公卒業式 |
15 | 西螺公卒業式 |
16 | 朴子公卒業式 |
17 | 惡質のデマに迷されるな |
18 | 泥棒に毆打され 重傷を負ふ |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 高雄市から四柱 靖國社頭に合祀の英靈 |
02 | 時局恤兵展覽會 十六日より高雄で開く |
03 | 瀧澤少佐歸還 赫赫たる武勳を樹て |
04 | 國民貯蓄強調週間 彰化郡の行事 |
05 | 彰化料理屋飲食店組合總會 |
06 | 臺南春競馬 廿一日より |
07 | 彰化商業が筆頭 臺中州中等校入學競爭率 |
08 | 國史展覽會 嘉義市で開く |
09 | トマト生產過剩 立毛のまま腐敗 |
10 | 共學兒童廿四名入學許可(嘉義) |
11 | 蘭領印度の現狀(完)/翁鐘賜海外遊記 今後の日蘭關係 斯くして日本と蘭印の通商關係を繞る環境は歐洲戰局の進展に伴って根本的な變化を遂げたのである日本からの輸出が輸入額を遙かに凌駕し從つて日蘭貿易が例年片貿易の狀態にあったといふことは蘭印側が日本商品の進出を忌避する有力な一つの原因であったが、この點に關しても新に調整を加へる可能性が生じて來たそれは日本の國防國家體制の完成東亞共榮圈確立への努力に伴って石油、ゴム、錫、ポーキサイド等の軍需資源其の他蘭印の特產物に對する需要は增加の一途を豫想されるからである、然るに日本が蘭印から輸入する物資の量は必ずしも日本自身が必要とする分量のみに限定されるわけではない、蘭印の入超尻を相殺する點までの日本の買付量を增大しその物資を更に日本の手で他の經濟圈に振り向けることも考へられるゴム、錫、石油などの國際的商品や砂、糖、茶、コーヒ、コブラ、椰子油、規那などの熱帶性產物はその自給圈內に熱帶地方をもたない獨伊やソ聯によって双手を舉げて歡迎されるであらう斯ることに依って東亞經濟圈と世界の他の機濟圈との密接な聯繫が實現され斯くて蘭印は新秩序下の世界經濟に積極的に參加し得るのである。 蘭印よ賢明であれ 今や第二次日蘭會商が進められつつあるが此會商に於いて如何なる問題が取扱はれて居るかは全く吾人の窺知し能はざる所である併し今次の會商に於いては少く共日本の蘭印に對する經濟的進出を阻止するが如き各種の制限措置の廢除、東亞共榮圈にある日本と蘭印との共存共榮を促進するための經濟上の諸問題の協定が、當然に行はなければならない筈である。即ち日本が現在蘭印に求めんとするものは政治的情勢に於いては歐洲戰場とは隔離された現狀の維持、經經濟關係に於いては、英米兩市場に代替する處の緊密化を圖るべしといふことである、日本商品の輸出市場としての蘭印を確保するためには之が代償として輸出農產物の買付けをなさなければならない、加之今日本が蘭印側に要望せんとする蘭印產の買付の如きは、曾て蘭印側から日本に向って要望したる所のものである、さうして現に蘭印がその實現を切望しつつある所のものである、更に歐米各國の對蘭印の輸出割當制との衝突の解決には、日本對蘭印との關係も協定貿易の方向を強化せねばならない、更に軍需資源としてのゴム、石油、ニッケルは假令英米資本の手に押へられるにしても蘭印當局さへ意向があるならば真の權限に依って日本へ賣るとのことが指示されるのである、故に蘭印當局がよく今日の世界壯勢を理解するならば此際過去に於いて日本の通商に加へた諸制限を悉く自ら撤廢し、日本と堅く手を握り所謂共存共榮の實を舉げしめるとの精神を以て協力するならば今次の會商は必ずや滿足すべき成果に到達するものと確信する、然らずして蘭印當局が今歐洲戰爭に對し希望を繋ぎ、期待すべからざるを期待し、或ひは英國の最後の勝利を盲信して之に全幅的信頼をかけ、或ひは之を前提として徒らに英米依存の下に我が國に抵抗するが如き態度を取らんか、それこそ自らを危地に陷らしめる以外に何ものもなく、愚の甚しきものとして世人の潮笑を受けるや必至である、希くば蘭印よ、賢明であれ、而して大東亞共榮圈の一員として速に我が國に協調協力し、共に相携へて東亞民族協和共榮の理想たる大東亞共榮圈の確立に邁進せられんことを希望して己まない次第である。 臺灣青年と蘭印進出 最近南進論が再び擡頭し、大東亞共榮圈の一翼を負荷されてゐる臺灣が南方經濟進出の據點として益益重要視され、特に事變以來內外一般に認識されつつあることは臺灣のために實に喜ばしいことである、殊に臺灣が將來我が國南進工業地としての出務を果すためには、現在の樣に米と砂糖の生產に偏することなく敢て蘭印ばかりでなく、距離の近い南洋各地に埋藏される無盡藏の資源、原料を臺灣に輸送して之を製品化しそれを南方に再輸出するが如き方法を探るならば、臺灣の工業化の可能性は十分に期し得られるのである、之は原料を內地に輸送する場合に比較して運賃は遙かに割安であり、それに臺灣には電力も比較的豐富であって石炭も自給して餘りがあるからである。次に茲で特に一言したいのは本島人の印出問題である、本島人と南支人とはもとより南洋各地に於いて絕對勢力を有する華僑とは同文同種で、而も深い因緣がある從って今後本島人青年は自ら南の先鋒として臺灣で體得した經驗と技術を以て同じ熱帶の地である蘭印で大に活用すると共に自ら南進先驅の體驗者となり、永久に蘭印で骨を埋める覺悟を以て國家のために働との念願の下に我が南進政策に寄與することが臺灣青年に課せられた唯一の重大且つ光榮なる使命であると確信する(終) 寫真は蘭領東印度で有名なボロボデールの佛跡內二階目の納神所 |
12 | 臺南州水產會 十六年度豫算編成終る |
13 | 檢診回數を增加 |
14 | 勤行報國青年隊 高雄州隊きのふ歸還 |
15 | 屏東市地主懇談會 |
16 | 國講講師免許狀授與式 |
17 | 自動車運轉に アセチレン瓦斯を |
18 | 契約金一千萬圓 高雄市の不正賴母子講會事件 |
19 | 託兒所二ケ所 三塊厝と大港埔に |
20 | 鐵橋より飛下 精神病者負傷 |
21 | 花蓮港市自動車販賣會社創立打合會 |
22 | 臺南市のボヤ |
23 | 木炭配給統制 花蓮港市銳意研究中 |
24 | 枕木泥棒押へらる |
25 | 藝子雲隱れ 十五日間お目玉 |
26 | 一時に二人を轢く(小川町) |
27 | 本社マーク圖案懸賞募集/興南新聞社報社消息 |
28 | 臺南高工合格者 |
29 | 人事往來 |
30 | 消息 |
31 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 海鷲、成都恩施空襲 敵機廿一機を擊墜 |
02 | 猛烈な空中戰展開 |
03 | 兩院秘密會を開く 紛爭調停會議の經緯を闡明 |
04 | 貴族院本會議 |
05 | 江陰に基地司令部 國民政府、楊司令を任命 |
06 | 圖像:畑總司令官、本多大使を訪問着任の挨拶をなす |
07 | 河相新駐濠公使 信任狀を捧呈 |
08 | 神兵隊事件大團圓 全被告に「刑免除」の言渡し |
09 | 異例の判決 法廷に劇的情景展開 |
10 | 東路線全く貫通 けふ全通式を華華しく擧行 山西資源開發に一大エポツク |
11 | 英船舶省次官 近く米に派遣 |
12 | 軍事契約高は 三百億弗の巨額 ロバート・マホーニ氏言明 |
13 | 圖像:入洛した西尾大將 |
14 | 滿、獨貿易支拂協定 調印を了す |
15 | 五千四百九十九人の 印度獨立主義者 英官憲に逮捕さる |
16 | 獨機、リヴアプール グラスゴー大空襲 |
17 | 宗教を通じて 日、米親善に貢獻 日本基督教聯盟、代表を派遣 |
18 | 七品目の新販賣價格 |
19 | 明日の天氣 |
20 | 水滸傳(362)/黃得時;榎本真砂夫 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 閑院若宮兩殿下 芭蕉畑を御熱心に御視察 |
02 | 林業試驗地へ御成 ゴム液採取狀況台覽 |
03 | 殿下の尊き御德 御旅先で特に北山前御附武官に 拜謁を仰付けらる |
04 | 長谷川總督 蘭陽地方初巡視の日程 |
05 | 御寫真ハ彰化八卦山北白川宮能久親王御遺跡所前ノ閑院若宮兩殿下 |
06 | 和知軍參謀長の 披露茶話會 けふ鐵道ホテルで開催 |
07 | 一分も隙を與へず 最終日の臺北州第二種空訓 |
08 | 多大の効果 州市團も猛活動展開 |
09 | 某要職榮轉の福智義雄少佐 あす香取丸で離臺 |
10 | 島田中佐臨席 桃園中壢愛婦の家庭強化婦人大會に |
11 | 物騷・水雷が漂流 ラングンの沖合に |
12 | 第十回日本柔道選士權大會 來月初旬に擧行 |
13 | 高工の人氣依然 實專校志願者の決定數 |
14 | 御詠吟記念碑 十七日に除幕式 |
15 | 嚴かな修祓式を擧行 米穀局新廳舍 |
16 | 臺灣大亞細亞協會 宣言並に決議を發表 |
17 | 大陸に大和櫻 中支に一萬本 |
18 | 日佛印文化交流 双方から觀光客を派遣 |
19 | “居中調停に兩國共 非常に喜んでゐる” 視察の歸途に神田正雄氏寄臺 |
20 | 臺灣電氣協會總會 |
21 | 靜修女卒業式 |
22 | 傷痍軍人修養座談會を開催 廿五日基隆市で |
23 | 下村督府保安課長が特別放送 |
24 | 川の中に近く甘藷畑が出現 羅東郡の食糧增產 |
25 | 櫻花觀賞ハイク |
26 | 人事・消息 |
27 | 今夜の放送 |
28 | 外電 |
29 | 映画案內 |
30 | 興南案內報社消息 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 亞細亞の旗(108)/小栗虫太郎;坂本仁 |
02 | 家庭・婦人 家庭防空壕の作方 (五)板と杭で作る橫穴防空壕 床下利用も一つの方法 |
03 | 主婦の職域奉公 (八)廚芥塵芥の利用更生 |
04 | 職場案內 明日の產業戰士のために 電線被裝工 |
05 | 鯖のつけ燒き |
06 | 獨活の成分 |
07 | 代用食献立(二) 臺北北區料理屋飲食店組合 |
08 | 毛皮の手入れ ドライクリニーング禁物 |
09 | 圖像:最近ロンドン便り |
10 | 切干の胡麻 酢かけ |
11 | ゴムと鐵から 木と竹の玩具へ 事變の影響は子供へも |
12 | ガス開閉器の開き加減 |
13 | 盆栽の取出し |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語學習 世界平和の第一步 タイ・佛印の仲直り 世界に示す日本の力 |
02 | 國語力だめし(二十九) 二千語讀方 |
03 | みんな心を合せて 空をまもりませう |
04 | 奄美大島の 毒蛇退治 |
05 | 我が國の 常會のはじまり |
06 | 防備に大さわぎしてゐる シンガポールのこの頃 ここでも日本人が活躍してゐます |
07 | 戰地への郵便物には 「軍事郵便」と忘れずに |
08 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 武勳輝く西尾大將 あす帝都に凱旋 直に參內軍狀を奏上頭條新聞 【東京十五日發同盟】前支那派遣軍總司令官西尾壽造大將はいよいよ十七日帝都に凱旋、直ちに參內して 天皇皇后兩陛下に拜謁仰せ付けられ詳らかに軍狀を奏上するこの日西尾大將は午前九時九分國府津驛發の凱旋列車で幕僚土橋少將以下を隨へて東上同十時四十八分東京驛着、畏き邊りより御差遣の侍從武官を始め各宮家御使、陸軍三長官、閣僚、陸軍官衙各代表者その他陸軍將星多數の出迎へを受け歸還の挨拶をした上正面出口を出て此處で驛前廣場に堵列する乘馬の東部第四部隊一個小隊から成る儀仗隊の敬禮を受ける、嚠喨競たるラツパ「海行かば」の曲が三回吹奏され西尾大將は今次事變に於ける始めての凱旋將軍として嚴肅な陸軍禮式を以て迎へられる終つて大將並に幕僚は宮內省差廻しの二臺の馬車に分乘二重橋より參內天皇陛下に拜謁仰せつけられて軍狀を奏上し次いで皇后陛下に拜謁仰せつけられて歸還の挨拶を言上、宮中儀式終了後陸軍三長官に軍狀を報吿し夕刻陸相官邸に於ける三長官の歡迎晚餐會に臨んで凱旋第一日の行事を終り一年六個月振りで麻布の自邸に戎衣を解く事になつてゐる 【東京十五日發同盟】支那派遣軍總司令官として赫赫たる武勳を樹てた西尾壽造大將は十七日午前十時四十八分東京驛着凱旋將軍としての禮を受けて帝都に歸還直ちに參內軍狀を奏上するが畏くも天皇陛下には軍狀御聽取の御後豐明殿に出御西尾大將を召され閑院梨本兩元帥宮朝香東久邇兩大將宮各殿下にも御臨席其他杉山參謀總長、寺內、山田岡村、土肥原、尾高各軍事參議官、阿南次官、塚田參謀次長等の各將星、松平宮相、百武侍從長、蓮沼武官長以下側近等を召され御慰勞の思召を以て午餐の御陪食を仰付けられる旨十五日御沙汰あらせられた |
02 | 春季靖國神社大祭 四月下旬嚴かに擧行 大祭委員長は永野大將 |
03 | 天皇陛下 廿六日學習院に行幸 |
04 | 福州方面沿岸を封鎖 嶋田司令長官宣言 |
05 | 封鎖線を擴大強化 福建省東岸、海口を中心に |
06 | 晉南殲滅戰は最高潮 |
07 | 晉南山嶽の敵陣を爆碎 |
08 | 北江上の戎克を擊沈 |
09 | 吳山廟附近を銃爆擊 |
10 | 成都攻擊海鷲部隊に祝電 |
11 | 芳澤、モーク會談 具體的細目交涉も續行 |
12 | 畑總司令官 着任披露晚餐會を催す |
13 | 翼贊會の改組を繞り 議員俱樂部分裂せん |
14 | 近衛首相廿日 四參議と懇談 翼贊會問題に付き |
15 | 久原氏きのふ首相と要談 |
16 | 外相一行新京へ |
17 | 貿易統制會設立 綜合的貿易政策を樹立 |
18 | 眾議院本會議 |
19 | 貴院本會議散會 |
20 | 十六日以後の兩院の日程 |
21 | 貸與法豫算の處理 華盛頓官邊筋は語る |
22 | 國民學校令施行で 小公學校の區別解消 歸臺した森田府學務課長談 |
23 | 國鹽情報官談 |
24 | 上川樂生院長談 |
25 | 月末拂制を復活 關係當局對策を樹立 |
26 | 今日の天氣 |
27 | 辰馬汽船 |
28 | 大連汽船 |
29 | 東亞海運 |
30 | 南日本汽船 |
31 | 大阪商船基隆出帆 |
32 | 日本郵船基隆出帆 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 青少年運動とその自覺社說 一 日支事變起つてより旣に三年八箇月を經過し、此間我皇軍は御稜威の下克く皇軍の真價を發揮して到る處連戰連勝、今や北支、蒙疆、中支、南支、海南島等を席捲して武威克く四百餘州を摺伏せしめ、戰果の大なる歷史上未だ嘗て見ざる所である。而して今日に於ては事變の處理を完遂せんがために、又東亞の新秩序並に大共榮圈を確立せんがために大陸に巨大なる地步を占め、蔣政權を奧地に壓迫して漸次抗戰力を殺き、又兵を遠く佛印に進駐せしめ、海軍の沿岸封鎖と相俟ち、援蔣ルートの遮斷と第三國の策謀排除に依る戰果の確保を期し、更に又蘭印との經濟交涉等を進めつつあるが一體この偉大なる建設事業は何人の手によつて成し遂げつつあるか?無論極めて少數を除いては悉く日本青年の中堅たる皇國將兵であることを斷言して憚らないのである。卽ち彼等はその血潮を以て大陸の曠野を染め、その血潮の一滴一滴を以て輝しき世界歷史を書き綴りつつあるのであつて、東亞新秩序の偉業は正に彼等の足跡に打ち樹てられつつあるのである。又銃後に於て一億一心搖ぎなき護りを固くして居るのもその中心たる實踐力は悉く青年に在ると云つても過言ではない、青年こそは實に戰線銃後を通して國の寶であると叫びたいのである。 二 然し乍ら方今の青年は真に現下の重大時局を認識し、且つ自覺してゐるかどうか?この認識と自覺とに基き、我等は各職域に於て最善を盡しつつありや否や、省みて自ら認識ありと稱し又は最善を盡しつつありと言ふも尚今後幾多なすべきことの存すべきは勿論、之を完遂せんが為めに國民精神總動員運動が强調され、又大政翼賛運動が國民の聲として起つた所以である。本島に於ても中央の大政翼賛運動に呼應して皇民奉公運動の展開を見んとしてゐることもその由て來たる所は全く同一の事情に基くものである。青年の真の使命を徹底的に果し終へんがためには旺勃たる愛國精神に基き青年の團結を固くし、之に組織あらしめ、統率宜しきを得て一糸紊れざる指導の下に整然たる行動に依る實踐を必要とするのである。言ひ換へれば青年團運動の力强き發展を必要とするのである。 三 彼の獨逸青少年運動所謂「ヒツトラー、ユーゲント」の最近數年間の發達に鑑み、又今次歐洲戰爭に際し、彼等青少年團が如何に國策に協力して偉大なる功績を擧げつつあるかを見、更に又世界新秩序建設のために東西呼應して起てる日本と盟邦獨逸との友好關係を思ひ、世紀の偉業遂行に參畫しつつある獨逸青少年と同樣我等日本青少年も亦起つて我曠古の回天の偉業を翼賛し、相携へて世界新秩序の建設に寄與し得るやうその體制を整へねばならない。我國最近の青少年運動は劃期的の發達を遂げ、活潑なる運動を展開してその業績も亦大いに見るべきものありと雖もその組織、その指導方法、將又その訓練、活動に於て未だ必ずしも充分滿足すべき域には達してゐない。故に我國としてはこの際獨逸青少年團及び勞働奉仕團の制度を參酌して青少年團に關し法令を定め、男女共に一定年齡に達した者は特別の事由なき限り總て之を青少年團員に編入し、國庫の負擔を以て訓練所を設け、指導者を養成し、國家奉仕を第一義とする指導訓練を施し、以て其活躍を期すべきものと考へるのである。特に本島の如き教育の充分普及せざる現況に於ては制度の整備を俟つまでもなく、教育を受けたると否とを問はず男女青少年を糾合して、彼等の體力を鍊成し、その心田を開發し、真に自覺ある日本青年として臣道を實踐せしめ、青年の本分を盡さしめたいものである。 |
02 | 閑院若宮兩殿下 昨日阿里山に御安着 作業現場を台覽遊ばさる |
03 | 經濟事犯處罰強化 懲役十年、罰金五萬圓に 總動員法と、臨時措置法改正 |
04 | 臺灣軍經理部長 清水主計少將廿一日着任 |
05 | 坂部臺北憲兵分隊長 廿六日に着任 |
06 | 新竹州下水利組合長會議 |
07 | 保甲修練所修了式 |
08 | 代用食展示會 菓子商組合主催 |
09 | 第十回日本柔道選士權大會 來月初旬に擧行 |
10 | 燈管下壯丁團の献身的協力 |
11 | 白衣勇士內地へ |
12 | 江川、東兩氏を各州下に派遣 紙芝居の指導に |
13 | 松岡外相 新京着後ハルビンへ |
14 | 南進臺灣の認識に 內地の大學生視察團を招聘 |
15 | 模範的な生活を見學 島都の青年團長大直へ |
16 | 飲食物菓子類公定價格展 けふ新竹家政女で開く |
17 | 米穀局新廳舍成る 昨日盛大に落成式擧行 |
18 | 食糧展を開く けふ一般に公開 |
19 | 好成績を擧げ 宜蘭の防空訓練終る |
20 | 基隆市三日目の空訓 |
21 | 「美の祭典」試寫會 |
22 | 內亂罪を構成せず 神兵隊事件判決理由 |
23 | 宇野裁判長談 |
24 | 天野辰夫氏談 |
25 | 臺灣商工卒業式 本年度を最後に發展的解消 |
26 | 臺北家政女卒業式 |
27 | 親日熱沸騰 運轉手も日本の歌を唱ふ盤谷 |
28 | ときのこゑ |
29 | 豚肉購買證 宜蘭市で配布 |
30 | 寢臺券發賣を一日延長 |
31 | 經濟統制諸法令講習會 |
32 | 郵便局長異動 |
33 | 人事・消息 |
34 | 映画案內 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 島內郵便年金普及に 遞信省が力瘤 |
02 | 臺灣貿易振興會社 來る廿二日創立總會 |
03 | 米國軍需品生產 上昇傾向を辿る 注目すべきソ聯十五ケ年計畫 歐米經濟 |
04 | 日本アルミ增產 割當十對八見當 五月半額を徵收 |
05 | 日糖二分減配せん 產糖五百萬擔を維持 |
06 | 日糖のパルプ事業 近く具體化せん |
07 | 十一月中の傷害保險概況 |
08 | 臺灣製鹽增資遲延 優先株發行に決定 |
09 | 生鮮魚類の 配給改善座談會 |
10 | 島產シトロネラの 價格統制を協議 |
11 | 砂糖積取船舶 三月中 七十二隻と決定 |
12 | 草漯信組總代 選擧一部終了 |
13 | バナナ輸移出激減 二月迄六萬七千餘籠 |
14 | バンカー用炭輸送に專用車を增配 |
15 | 照明燈 |
16 | 商況 十五日前場 |
17 | バナナ相場 |
18 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 米穀增產の大進軍 大溪正條植競技會 成績は十九日に發表 |
02 | 臺東公學卒業式 |
03 | 中壢郡諸品評會 及競作授賞式 |
04 | 竹山公卒業式 目出度終了 |
05 | 林邊初出荷の芭蕉 良價の通知到來 |
06 | 南投芳美公學校卒業式終了 |
07 | 沙山保甲民が 食糧增產に奉仕 |
08 | 岡山信組新築 工事入札に付す |
09 | 臺東小卒業式終る |
10 | 米增產懇談會 竹南保甲會議所で |
11 | 楊梅公卒業式 |
12 | 楊梅防衛團員 強行競技を擧行 |
13 | 岡山書畫展覽會 來る廿三日廿四日に開く |
14 | 社告/興南新聞社報社消息 |
15 | 埔里小學卒業式 |
16 | ローカル・セクシヨン |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 銀行預金に手數料 蘭印最近の珍現象 |
02 | 前年度の五倍 總額實に二百八十四萬圓 高雄水產會の豫算 |
03 | 臺中師範音樂會 |
04 | 模擬動員演習 十六日彰化郡鄉軍で |
05 | 屏東畜產助成會總會 |
06 | 繫ぐ動亂の歐亞 鵬程實に一萬二千キロ 空から見る近東の諸國(上)/大屋久壽雄 |
07 | 圖像:板橋街防衛團活躍 |
08 | 高雄州參事會 |
09 | 奉祝事業の資料 臺中市提出方を通達 |
10 | 臺南二高女卒業式(十四日) |
11 | 屏東實踐商業卒業式 |
12 | 彰化一公卒業式 |
13 | 繃帶卷講習會盛況 十四日鶯歌街公會堂で |
14 | 彰化方委月例會 |
15 | 地方試作を實施 水稻、甘藷、落花生の品種改良 |
16 | ラヂオ |
17 | 來場歡迎 時局講演映畫會 臺中州を皮切りに開始報社消息 |
18 | 彰化高女卒業式 |
19 | 四月から國民學校 嘉義市の校名變更 |
20 | 競作會褒賞授與式 |
21 | 彰化市の無理心中 |
22 | 勞働、家庭、祖國」 「自由、平等、博愛」生變り |
23 | 巢立つ若き技術者 臺南高工きのふ卒業式 |
24 | 彰化愛婦打合會 |
25 | 彰化市議月例會 |
26 | 臺中水利協會總會 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 淮南線西北へ進擊 空陸呼應して猛擊頭條新聞 【上海十六日發同盟】津浦淮南兩鐵道線中間地區の敵三個師を覆滅した我が筒井、田川、安澤の各部隊は引續き去る十二日夕刻より淮南線西北方地區に進擊を續行十五日には盧州西北方三十粁吳山廟及び土山一帶にあつて我軍に抵抗せんとする第百七十二師、百三十八師等約三千の敵に空陸相呼應して總攻擊を加へ殲滅的打擊を與へてこれを西南方へ潰走せしめたが我が各部隊は尚も敗敵を急追して戰果を擴張中である右戰鬪に於ける戰果は左の如し 敵屍は第百七十二師第五十五團長以下二四七捕虜一○鹵獲品多數 |
02 | 陸鷲・惠州、蘆苞墟攻擊 |
03 | 遭遇敵を猛擊(銷石嶺で) |
04 | 西尾大將愈よけふ 帝都に晴れの凱旋 |
05 | 內閣政治體制を強化 翼贊會の改組を斷行 |
06 | 圖像:西尾大將國府津の旅館國府津館に戰塵を洗つて休息 |
07 | 最大限援英を開始 ギリシヤ、支那をも援助せん ル米大統領演說 |
08 | 時事評論 翼贊會を守れ/室伏高信 |
09 | 米の太平洋基地 防備資材輸送 |
10 | 民主主義の兵器廠(演說要旨) |
11 | 參戰、獨裁的政治へ 二つの危險具體化 |
12 | 松岡外相 滿洲里へ向ふ |
13 | 抗日運動から手を引く 陳嘉庚聲明、南洋華僑に大衝動 |
14 | 德王一行歸還 |
15 | ヒ總統も重大演說 |
16 | 佛印側專門委員 あすハノイを出發 |
17 | 獨空軍續續進駐 ブルガリヤ全基地に |
18 | 七十億弗の援英豫算 十九日下院本會議通過せん |
19 | 英本土空襲を續行 |
20 | 獨本土の爆擊 英空軍省發表 |
21 | 五法律を公布 |
22 | 香港總督歸任 |
23 | 英軍、希臘に上陸? |
24 | ハ駐米英大使 ハル長官會談 |
25 | けふの天氣 |
26 | 辰馬汽船 |
27 | 大連汽船 |
28 | 東亞海運 |
29 | 南日本汽船 |
30 | 大阪商船基隆出帆 |
31 | 日本郵船基隆出帆 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 閑院若宮兩殿下 阿里山から嘉義驛に御安着 |
02 | “難關突破に邁進” 石田臺北憲兵隊長着任 |
03 | 軍官民出迎裡に島都入り |
04 | 圖像:御寫真は林業試驗所嘉義試驗地御巡覽中の閑院若宮兩殿下 |
05 | 柔、劍道の講道館 日本柔、劍道振興會誕生 |
06 | 皇軍の生活を體驗 臺灣魁隊員の熱心な希望が叶ひ |
07 | 臺灣工業協會主催の講演會 今夜鐵道ホテルで |
08 | 泰國に日語大威張り 盤谷丸が齎した情報 |
09 | 日本醫學を極力に紹介 京城帝大醫學親善使節團寄臺 |
10 | 福智義雄少佐 昨日香取丸で離臺報社消息 |
11 | 先づ兩派を認可 宗教團體法規定に依り |
12 | 翼贊會と表裏一體 全日本科學技術團體聯合會翼贊の徹底へ |
13 | 盟主日本の姿 紹介寫真移動壁畫 佛印に發送 |
14 | 高野山大師教會本部長一行 昨日香取丸で離臺 |
15 | 日滿首都を結ぶ 定期航空愈實現 當分一週に二回往復 |
16 | 晴れの一番機 けふ羽田空港から出發 |
17 | 海軍機獻納式 廿一日羽田で擧行 |
18 | お少さい方の白衣勇士慰問 |
19 | 「蘭印採訪記」招待試寫會 |
20 | 石炭から合成纖維 科學日本に凱歌の擧る日近し |
21 | 昨日一齊に火蓋 全國高校、實專校入試 |
22 | 香取丸出帆 |
23 | 北一師附屬公卒業式 |
24 | 佛教で日華親善 初の僧侶留學生內地へ |
25 | 臺北市內各學校卒業式一束 |
26 | 土地をネタに 舌三寸で詐欺 |
27 | 宜蘭市防衛團 東分團結團式 |
28 | 好成績を收めて閉會 飲食物菓子類公定價格品展 |
29 | 基隆署本島人巡查の改姓名 |
30 | 喧嘩の仲裁役が 側杖で遂に死亡 |
31 | 大和丸無電 |
32 | 人事・消息 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 探ぐる“南海の幸” 高雄水產會積極的に乘出す |
02 | 嘉義の中央噴水 六年振りに吹出す |
03 | 各種褒賞授與式 南投郡に盛大に擧行 |
04 | 組合員數十七萬餘 躍進途上の臺南州產組界 |
05 | 臺灣珈琲總會 |
06 | 彰化和洋雜貨商の總會 |
07 | 彰化醫師會無料診療累計 |
08 | 本社主催時局講演映畫會 今夜七時豐原街で報社消息 |
09 | 三峽產組役員會 |
10 | 臺東郡馬耕競技大會 |
11 | 石當り十五圓 亞麻種子購入に補助 |
12 | 彰化家政女學校製作展 |
13 | 南部の基督長老教大會 |
14 | 叺の增產に全力 臺南州製繩機の半額補助 |
15 | 玉里街報國推進隊 きのふ輝く發會式 |
16 | 北港實踐卒業式 |
17 | 來場歡迎 時局講演映畫會 臺中州を皮切りに開始報社消息 |
18 | 屏東尋常高小卒業式 |
19 | 嘉義家政卒業式 |
20 | 彰化旭公卒業式 |
21 | 彰化大竹公卒業式 |
22 | 彰化華僑國講修了式 |
23 | 一億圓を突破か 高雄の賴母子講事件 |
24 | 訃文:楊珠 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 第九戰區の覆滅戰 虱潰しに敵堅壘粉碎 |
02 | 敵は十個師八萬餘 |
03 | 敗敵を西方に壓縮 |
04 | 羅卓英軍を猛攻 |
05 | 事變初の凱旋將軍 西尾大將晴れの入京 |
06 | 尾高中將參內 軍狀を具さに奏上 |
07 | 恭しく軍狀を奏上 午餐の御陪食賜はる |
08 | 今年中に勝利獲得 英援助、戰局を左右し得ぬ ヒ總統演說 |
09 | 獨空軍の活躍 |
10 | 八中全會の日取を決定 |
11 | 貴院請願分科會 |
12 | 伊、ユ益益緊密化 通商實施、調印を了す |
13 | 土國高官ベ氏ソフイア着 |
14 | 米艦六隻 オークランドに入港 |
15 | 單な親善訪問 米海軍省の發表 |
16 | 米新型巡洋艦 近くアジア艦隊に編入の說 |
17 | 大臣列車海拉爾に着く 興安嶺颪切つて驀進 |
18 | 圖像:濠洲緊急閣議 |
19 | 日、蘭印文化協會 爪哇・バンドンに設立 |
20 | 英、ソ教授を米に派遣 |
21 | 松岡外相一行 滿洲里着 一路莫斯科へ |
22 | 日、墨人絹協定 正式成立までの經緯 |
23 | 新タイ領 四月一日、行政事務開始 |
24 | 外務辭令 |
25 | 明日の天氣 |
26 | 水滸傳(363)/黃得時;榎本真砂夫 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 高砂族にも御慈愛 引率者に種種御下問 閑院若宮兩殿下 |
02 | 化學工場に御成り 場內を御熱心に御巡覽 |
03 | 圖像:文相步けの實踐 |
04 | 石田臺北憲兵隊長 着任挨拶の為關係各方面を歷訪 |
05 | 定例局部長會議 |
06 | 市長から“處世訓” 巢立つ小公學校兒童に |
07 | 初巡視の總督一行 珍しく晴れた宜蘭に着 |
08 | 花蓮港市の第三種空訓 廿四日から實施 |
09 | 北二師卒業式 |
10 | 嚴かな除幕式を擧行 南菜園の御詠吟記念碑 |
11 | 臺北州主催防空展 廿九日より市公會堂で開催 |
12 | 私設社會事業從事員慰安會 今夜市公會堂で |
13 | “金を賣りませう” 基隆市隣組活躍を開始 |
14 | 體操學校昇格 體育專門學校に |
15 | 晴の一番機「白根號」 けさ歡呼裡に羽田出發 |
16 | 米子に安着 |
17 | 產組協會新竹支會 けふ通常總會を開催 |
18 | 常宮丸入港 サンクリランの近況を齎して |
19 | 市內兩青年學校の生徒募集 |
20 | 米穀の立體的增產へ 新竹州で近く改善競技會を開催 |
21 | 年一人に付五百圓以內認可 華僑の本國送金 |
22 | 人事・消息 |
23 | 今夜の放送 |
24 | 商況 十七日前場 |
25 | 映画案內 |
26 | 興南案內報社消息 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 亞細亞の旗(109)/小栗虫太郎;坂本仁 |
02 | 家庭・婦人 新入學の子供 學校嫌ひの原因となる 仲間はづれを防ぐには |
03 | お乳だけでなく 果物や野菜の汁も大切 |
04 | 代用食献立(三) 臺北北區料理屋飲食店組合 |
05 | 圖像:南京の「日支親善雛祭」 |
06 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語學習 大陸に輝く勳をたて 西尾大將晴の凱旋 |
02 | 珍らしいおいも祭 甘藷先生まつる 昆陽神社で行ふ |
03 | 臺北高等學校 尋常科入試問題 |
04 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 高安城の陷落迫る頭條新聞 【◯◯十七日發同盟】奉新より西南進せる櫻井、菊池、原田、、中田等の諸部隊は十六日午後十時奉新西方二十粁の孫桐羅並に西南方上江陳の敵の高安防衞主力陣地を攻擊遂に同地帶を奪取し引續き敗敵を隨所に捕捉しつつ高安西方地區に戰火を擴大中である、一方これに呼應して錦江北岸沿ひに高安の敵據點を衝いて猛進中の小川、長野、大賀の諸部隊は十六日午後二時黃埔、白七里(何れも高安東方八粁)等の敵高安防衞據點に肉薄動搖せる敵に猛攻を繼續して敵陣の一角を潰滅痛快極まる追擊戰を展開高安東北地區一帶に戰果を擴張しつつあり今や高安城の陷落は目睫に迫つてゐる |
02 | 驚異的戰果を擴張 |
03 | 敗敵の猛追擊を續行 |
04 | 彼我の攻防今や酣 |
05 | 所在の敵を粉碎擊破 |
06 | 鄧埠驛を爆擊 |
07 | 事變解決は今一押し 西尾大將見透を語る |
08 | 及川海相參內 |
09 | 天皇陛下 廿八日陸航士官學校へ行幸 |
10 | 圖像:各宮家より御下賜の御慰問品を支那方面海軍各部隊將兵に傳達 |
11 | 翼贊會豫算審議の 青票組微妙に動く |
12 | 芳澤、モーク會談 極めて友好裡に行はる |
13 | 米の輸出許可制 一層政治的融通性を加ふ 適用權限を統制官に一任 |
14 | 外相滿洲里出發 盛んな見送り裡に |
15 | 日滿支連絡機關設置 東亞經濟重工業委員會で決定 |
16 | 獨機大擧英蘭空襲 |
17 | 全國稅務課長會議 |
18 | 齋藤總務長官 けふ神戶出帆 |
19 | 產報全國評議員會 十六年度豫算を可決 |
20 | 產報の劃期的 事業計畫 |
21 | 白根號新京着 |
22 | 翼贊會改組案 來週閣議に提出せん |
23 | 地方專賣局の整理統合 |
24 | 賠償金問題解決 秘露の反日暴動事件 |
25 | 情報局發表 |
26 | 今日の天氣 |
27 | 辰馬汽船 |
28 | 大連汽船 |
29 | 東亞海運 |
30 | 南日本汽船 |
31 | 大阪商船基隆出帆 |
32 | 日本郵船基隆出帆 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 東亞貿易の再編成と本島社說 一 泰國佛印兩國間の紛爭を調停する東京會議は、我が公正妥當なる最後的提案が佛印側の全面的承認受諾に依つて、めでたく圓滿解決、爰に年來の我が提唱たる大東亞共榮圈の確立に巨大なる第一步を踏み出したことは大に意義深きものがあると共に一方我が芳澤特派使節と蘭印當局間に於て進められつつある日蘭會談も好調を傳へられ、近き將來に於て佛印、泰國を始め蘭印、馬來等を含む南洋地方が、我が主唱たる東亞共榮圈の一構成員として一步一步その地均らしを初めつつあるは邦家のため東亞諸民族のため誠に慶賀に堪へざるところである、飜つて世界に於ける經濟運營の趨勢を見るに、歐洲、米洲、蘇聯、東亞の四大經濟ブロツクを形成せんとし、其計畫も現に着着と實行に移されつつある 二 しかしながら世界經營の新事態が右の如く四大地域に區分されたならば、各指導國は夫夫自己の廣域經濟圈に對し封鎖的經營を强化することは必然であり之に伴つて貿易も著しく制限されることは明白であつて從つて從來の我が貿易政策も之を契機に根本的に再檢討されなければならないであらう東亞共榮圈が確立されると共に東亞貿易が再編成さるべきの急務であることは旣に識者に依つて指摘されたところである、卽ち今度の歐洲大戰を契機とする國際情勢の變化と各國の貿易面の變革とに依つて、我が國も之に伴ひ從來の古き傳統を有する舊市場、乃至其後開拓された新市場をも、此際悉く一應清算して出直すべき時代に逢著したのである、換言すれば、舊態依然として飽くまでも現狀を維持せんとする英米に依存せんとする貿易政策は放擲さるべき時期と變つて來たのである 三 斯る新事態に對應するがために從つて國內に於て經濟新體制の確立、我が經濟的獨立性の保持が着着進められつつあるが、貿易政策としては從來の如き輸出本位の市場開拓を排除し、我が國家的要請たる高度國防國家の建設に重要なる資材の輸入確保を圖るを以て主眼とし、東亞共榮圈に編入さるべき諸地方が必要とする商品を、もつと圓滑に、自由に、我が國から供給し之に依つて共榮圈內に於ける相互依存の經濟的關係を愈愈緊密化せしめ、以て東亞が名實共に一體となつて共存共榮、民族協和の大理想の實現に向つて、擧つて邁進せしめなければならないのである 四 然らば東亞共榮圈の一翼を荷ひ、南方經濟進出の據點としての臺灣の使命は如何であらうか本島工業化は夙に唱導されるところであるが、之を促進する一方途として南洋各地に未開發の儘埋藏される無盡藏の資源並に原料を本島に供給し、島內に於て之を製品化して後更に之を南洋各地に再輸出する等が考慮されてゐる、之は本島が地理的に之等南洋各地方に接近し、運賃其他が割安であるばかりでなく、豐富なる電力、低廉なる勞銀、自給に足る石炭の產出等の條件が具備されてゐるに於て十分の强味があり、從つて今後東亞共榮圈內の貿易再編成については當然本島が有する經濟的優位を十分に發揚せしむべく關係官民の硏究と檢討とを怠つてはならない |
02 | 閑院若宮兩殿下 臺南に向はせらる 途中烏山頭貯水池を御視察 |
03 | 白衣の勇士を激勵 宜蘭巡視の長谷川總督 |
04 | 臺灣興業視察後 礁溪樂園に向ふ |
05 | “忠魂”大和櫻 三百本發送 |
06 | 服部報公會から 臺大へ研究費補助 |
07 | 潛水艦映畫を製作 海軍記念日に公開 |
08 | 竹南郡衛生部落表彰式 |
09 | 圖像:石田臺北憲兵隊長 |
10 | 木炭配給理想案 あすから家族數で配給 |
11 | 皇民鍊成の大飛躍 青年學校令一部改正を斷行し 青年學校を統一 |
12 | 常越線開通 |
13 | “臺灣は初の見參” 武裝のまま前線から一直線に 井上少將昨日着任 |
14 | 英兵と印度兵が 食糧問題で亂鬪 |
15 | 大和丸入港 精動講師佐藤中將と 臺灣視察の學生先發隊來臺 |
16 | ときのこゑ |
17 | 神田正雄氏 松岡正男氏 時局講演會報社消息 |
18 | 清浦奎吾伯 數日來より風邪氣味 |
19 | 伊病院船を爆擊 英空軍の暴擧に非難 |
20 | 婦女子徵用を發表 英の勞力不足深刻化 |
21 | 本社マーク圖案懸賞募集/興南新聞社報社消息 |
22 | 臺高尋常科合格者發表 |
23 | 人事・消息 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 島內河川の水量豐富 電力建設費頗る割安 |
02 | 東臺灣電氣建設の 發電所近く竣工 年末に半額增資せん |
03 | 臺灣東亞貿聯 きのふ第一回總會 |
04 | 國民貯蓄優績者 新竹州の表彰を受く |
05 | 週間經濟展望 |
06 | 草漯信組總代 當選一部發表 |
07 | 臺灣青果會社 廿九日に臨時總會 |
08 | 飲食物及菓子の 規格品展示會 |
09 | 屑、粉末ゴム配給 統制規則近く公布 |
10 | 海山郡產組專務が研究會開催 |
11 | 砂糖積取船不足 高雄の倉庫遂に滿腹 |
12 | 生鮮魚類配給 改善を要する諸點 |
13 | 照明燈 |
14 | 帝糖最近の步留 平均一割二分二厘強 |
15 | 帽子編講習會續續開かる |
16 | 市價及商況 十七日 |
17 | 第貳期決算公告/臺灣映畵株式會社 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 家庭防空群の活躍 大に見るべき點あり 羅東空訓 |
02 | 新莊郡空訓終了 |
03 | 臺東廳下の献金 |
04 | 田尾の地下水 掘拔井戶より噴出 |
05 | 各地學校卒業式 |
06 | 臺東街愛婦が慰問袋を作製 |
07 | 愛婦に千圓寄附 |
08 | ローカル・セクシヨン報社消息 |
09 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 首の廻らぬ香港 食糧不足で政廳悲鳴 |
02 | 勇士の遺骨三柱 きのふ無言の凱旋 |
03 | 瀧澤少佐出發 |
04 | 五人に一人 高雄商業入學競爭率 |
05 | 嘉義實業補修生徒募集 |
06 | 隨所に英國暗躍 援蔣の輸送、日を逐うて低下 空から見る近東の諸國(下)/大屋久壽雄 |
07 | 一千圓を献金 |
08 | 肥料の滯貨(高雄) 漸次減少の見込 |
09 | 圖像:北京の陸軍記念日 |
10 | 戰歿者慰靈祭 |
11 | きのふ切符交付 臺南市の綿製品配給 |
12 | 臺南師範卒業式 |
13 | 藝能協會を組織 農村娛樂影繪芝居の實演 |
14 | 彰化市會議員月例會 |
15 | 時局恤兵展近づく 主要出品物の數數 |
16 | 不德醫者が背後 北門郡の保險詐欺事件 |
17 | 北門郡で小公學校名稱改正 |
18 | 來場歡迎 時局講演映畫會 臺中州を皮切りに開始報社消息 |
19 | 倫敦の交通事故 一向減らない |
20 | 寫真肖像士養成講習所生を募集 |
21 | 恤兵タンク現る 戰時のイタリヤに |
22 | 社告/興南新聞社報社消息 |
23 | 完全な泥棒 |
24 | 鹿港第二公學謝恩會 |
25 | 戰爭と聖書 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 高安縣城に入城! |
02 | 大擧防城、企沙を爆擊 |
03 | 要衝惠州にも巨彈 |
04 | 歸州、巴東を猛爆 |
05 | ル大統領の演說に 獨は冷笑的な態度 |
06 | 「橫柄な聲」伊紙が反擊 |
07 | 濠洲訪問の米艦 シンガポール訪問せず |
08 | 濠洲訪問の米艦 廿四日頃拔錨 |
09 | 時事評論 世界情勢の展望 世界戰爭への可能性/加田哲二 |
10 | 英潛水艦大半擊沈さる |
11 | 圖像:畑總司令官汪主席訪問 |
12 | 西尾將軍 靖國の社頭に額づく |
13 | 英海軍ギ中將を近く濠洲に派遣 |
14 | 閣議決定事項 |
15 | 官吏に總力戰教育 高等官七等から五等まで |
16 | 平和克復の事態に備へ 公共事業計畫を樹立 米大統領發表 |
17 | トルコの回答 獨政府に手交 |
18 | 後任佛印總督 バーヂエス氏擬せらる |
19 | 佛印總督更迭說 ヴイシー政府否定 |
20 | 佛大使、米大統領と會談 |
21 | 英軍、ベルベラを奪還 |
22 | 明日の天氣 |
23 | 水滸傳(364)/黃得時;榎本真砂夫 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺灣軍報道部長 井上少將が專任 萬鈞の重きを加へる活躍陣 |
02 | 北方澳港灣を巡視 海洋少年團を視閱して 總督金瓜石へ向ふ |
03 | 防空展覽會 九日臺北市を皮切りに開催 |
04 | 軍人援護會臺北州支部評議員會 |
05 | 名古屋の調查團 懇談會を開く |
06 | 全島水道會議 二十五日から基隆で開く |
07 | 圖像:荻洲中將十三日會 |
08 | 新竹市の將兵慰問 南北兩班に分れて出發 |
09 | 畜產指導員の試驗 |
10 | 落花生種子心配無用 八十萬斤近く入荷する |
11 | 海南島は健康地 傳染病調查の任務を終へて 緒方博士けふ寄臺 |
12 | 圖像:和知參謀長本社來訪報社消息 |
13 | 高校入試大轉換 暗記から應用に 一科目主義から綜合主義へ |
14 | 晴れた晴れた 珍らしいお天氣 二三日續きます |
15 | 有田前外相夫妻 本島視察に廿一日來臺 |
16 | 神田正雄氏 松岡正男氏 時局講演會報社消息 |
17 | 綿布商の脫稅 嚴重取調中 |
18 | 真夜中の殺人 僅か六時間で犯人を逮捕 |
19 | 荒木警務局長の嚴父逝去 |
20 | 人事・消息 |
21 | 今夜の放送 |
22 | 商況 十八日前場 |
23 | 映画案內 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 亞細亞の旗(110)/小栗虫太郎;坂本仁 |
02 | 家庭・婦人 疲勞と休憩の科學 是非行ひ度い適當な疲勞恢復法 子供に騷音は大毒です |
03 | 一粒の米死なずば 秋には七千二百粒 無駄に流さぬ御注意を |
04 | 圖像:家庭用品にも國策標語(一) |
05 | 電氣用語の解說 ヴオルトとワツト |
06 | 職場案內 明日の產業戰士のために 非金屬精鍊工 |
07 | 家族と住宅の廣さ |
08 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語學習 此處にも湧きあかる 興亞のよろこび 堤を築く支那の人達 |
02 | 國語力だめし(三十) 二千語讀方 |
03 | 白衣の勇士に 真心の贈りもの 新竹峨眉公の皆さん |
04 | 增える基隆の人口 一年間に四千人餘 |
05 | 笑ひ話 |
06 | ベンキヤウシタイタヌキ ケウシツニハイツテ セイトニイケドラレル |
07 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 潰走敵を捕捉殲滅 高安西方據點に肉薄頭條新聞 【江西○○前線十八日發同盟】第九、百七兩師の一部約五百を伍橋河(奉新、幸庄中間)一帶に捕捉殲滅引續き西方に戰火を擴張してゐた我が原田、濱田、菊池、川村並に福家、長野の諸部隊は十八日午前十時頃陸鷲森玉、遠藤兩部隊の誘尊に早くも上富鎭(高安西南約三十粁)、董萬瑕、田林、白水街の線に到達更に潰亂する敵を隨所に捕捉殲滅しつつ西方に猛進を續行中である、又一方十七日午前高安防衞據點祥符觀を拔いて夕刻高安縣城に肉薄した小川、大塚、田中、大賀の諸部隊の一部は十八日未明同縣城に突入主力は高安南方三粁を迂回して雪崩れを打つて潰走する敵を徹宵猛追十八日午前早くも高安西方○○、○○の據點に肉薄しつつある |
02 | 敵は總崩れ西方に潰走 |
03 | 海鷲、巴東を猛爆擊 歸州市內に全彈命中 |
04 | 陸鷲、宜豐を空襲 |
05 | 長驅重慶を急襲 |
06 | 翼贊會の理念不變 現狀維持諸勢力の妨害を克服す 佐藤軍務課長 軍の所信強調 |
07 | 翼贊會の改組方策 政治力強化も表面化 |
08 | 朝香宮殿下台臨 陸豫士官學校卒業式 |
09 | “皇國に生き皇國に死す” 大政翼贊會「推進の誓」 |
10 | 四長官試案を作成 今月下旬、閣議に附議 |
11 | 改組に關し 意見を開陳 議員俱樂部の定例理事會で |
12 | 首相、四參議の 改組意見を徵す 裁斷如何頗る注目 |
13 | 國共は事實上決裂 愈よ武力衝突へ突進 |
14 | 剿共總司令 何、李、顧を夫夫任命 |
15 | 中共、重慶當局に 恫喝的通牒發す |
16 | 圖像:貴眾兩院本會議開かる |
17 | 日、蘭交涉新局面へ 今後專ら芳澤モーク會談で進む |
18 | 和蘭外相、植民相 四月一日バタヴイア到着 日蘭交涉の進捗を助けん |
19 | 定例閣議 |
20 | 佐佐木中將 晴れの歸還 |
21 | 佛側專門委員 空路河內出發 |
22 | 親ソ派の文士 續續重慶脫出 |
23 | 日本ヴヱネズエラ間に 貿易調整の新諒解成立 |
24 | 經濟犯罸則強化 けふ勅令を公布 |
25 | 預金部十六年度の 國債引受買入 豫定額は廿憶圓 |
26 | 全國稅務監督局長會議 附議の諮問事項 |
27 | 今日の天氣 |
28 | 辰馬汽船 |
29 | 大連汽船 |
30 | 東亞海運 |
31 | 南日本汽船 |
32 | 大阪商船基隆出帆 |
33 | 日本郵船基隆出帆 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 佛作つて 魂入れよ 皇民奉公會の組織に當りて社說 一 皇民奉公會は、いよいよ近く組織されることとなつた。目下督府事務當局に於て、銳意準備中であり、本月下旬頃齋藤總務長官の歸任を俟つて、準備委員會を開催し、一氣呵成に結成する手筈になつてゐる模樣である。で、本月末、遲くとも來月初めには、皇民奉公會が誕生するわけであり、皇民奉公運動といふ一大國民運動が、本島にも展開されることとなつたのである。故に、島民大眾はこれに對し、異常なる注目と關心とを持たねばならないにも拘らず、事實は甚だ以て熱が擧らないわけは何故であらうか。一の國民運動である以上、國民たるもの誰しも關心を持ち、期待を懸けて、或る程度の熱と氣勢を擧げるのが普通であり、之をさきに內地に於ける新體制、大政翼賛運動の例に徵して見ても、本島の場合の無氣力さは思ひ半ぱに過ぎるものがあると□はねばならぬ。殊に一の國民運動を喚起せんとする場合、決して等閑には附し得ない問題と考へるのである。 二 高度國防國家體制建設の必然性から新體制が行はれ、大政翼賛會が生れて來たことは周知の通りであり、これに順應して本島にも、皇民奉公會が組織されんとし、皇民奉公運動が行はれんとすることは大方熟知の如くである。それでゐて、內地に見るが如きそれに對する島民大眾の熱意と氣勢の足らないのは如何なるわけであらうか。これについては種種の理由があるであらうが最大の理由は、奉公會の性格にあると云はれる。卽ち皇民奉公運動は要するに翼賛運動でありその推進體たる皇民奉公會は、翼賛會と本質を同じうするものであるにも拘らず、奉公會には政治性が否定せられ、結局は精動の强化にしか過ぎない、從つて專ら上意下達に主眼を置き、下意上通の政治的一面を沒却せんとする本島の場合には、敢へてその組織を必要とないのではなからうか何となれば、本島位、上意下達の徹底してゐるところはなく、又新體制の冀求する處も、本島に於ては、旣に或る程度實踐されてゐる狀態であるからと云ふのである 三 島民大眾の無反響、無氣力さに對する一應の說明として、如上の理由は、相當肯綮に値ひするものと思はれるがそれだからと云つて、奉公運動の不必要を正當化することにはならないのである。本島が大東亞共榮圈建設の重要據點であり、帝國を守る南方生命線たる使命役割の重大性に鑑みて、全島民の渾然一體化、鋼鐵の如き堅き結束は絕對に必要なことである。故に之を推進する皇民奉公運動の必要性は言を俟たない處であるが、併乍らそれが一の島民運動である以上、島民の心からなる協力自ら盛り上る實踐力がなければ完き效果は得られないことも多言を要しないのであるこの意味に於て、島民大眾の無反響、無氣力は一面吾人の反省を促し、再檢討を要求する無言の聲として耳を傾けねばならないであらう。勿論本島は內地と自ら事情を異にするものがあるため、運動自體も自ら特殊性を帶びるは止むを得ないことであるが、唯併し徒らに特殊性を强調して、所謂佛作つて魂を入れぬことのなきやう、特にこれから準備に當らんとする當局者に一言注意を喚起する次第である |
02 | 閑院若宮兩殿下 きのふ臺南市內御視察後 高雄へ向はせらる |
03 | 御遺跡所に御成り 御遺勳を偲ばせ給ふ |
04 | 畏くも嘉義市で 本島人家屋を御視察 |
05 | 圖像:御寫真は烏山頭貯水池放水路御視察中の閑院若宮兩殿下 |
06 | 十五名を許可 宜蘭小共學志願者 |
07 | 道路が好くて愉快 蘭陽地方初巡視を終へ長谷川總督語る |
08 | 日鑛、臺陽鑛を視察 |
09 | 總勢五千七百名 第一陣は早くも來月初旬出發 滿洲建設奉仕青年隊 |
10 | 知事が督勵行脚 新竹州一期作米植付に |
11 | 聽眾に多大の感銘 神田松岡兩氏が大獅子吼 本社主催時局講演會報社消息 |
12 | お役人も國民服 府から勸獎の內訓 |
13 | 宜蘭市愛婦の慰問品 近く本部に發送を委託 |
14 | 松岡正男氏 明日中南部視察のため南下 |
15 | 一師卒業式 |
16 | 映畫配給の一元化へ 會社設立の準備着着進捗 |
17 | 全臺灣軍用犬展 來月十三日臺北新公園で |
18 | 本島から真柄教授等が出席 日本婦人科學會 |
19 | 坂本俊篤男 |
20 | 告別式は二十日 三橋町葬儀堂で |
21 | 三菱美唄鑛業所の椿事 |
22 | 九十二名救出 |
23 | 豆腐行商人仲間の傷害 |
24 | ときのこゑ |
25 | 窃盜二件 |
26 | 高千穗丸無電 |
27 | 訃文:荒木矩 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | バガス殘滓を利用し 飼料製造に成功 鹽糖糖試の科學陣に凱歌 |
02 | 石炭節約の見地で 烏來發電所を開發 本年年末頃より着手 |
03 | 糸價の前途に 全然不安なし |
04 | 週間經濟展望 |
05 | 帝蠶買上資金 第二回融資諒解成る |
06 | 臺北市業佃會 評議員會 |
07 | 農機具統制會社 株式割當等決定 |
08 | 東株營業概況 |
09 | 富士絹外五百餘點の 最高價格を決定 |
10 | 赤糖生產費昂上 第二回豫想より減產 |
11 | 保險事務主任會議 けふより遞信部で |
12 | 島都の金融基調 引續き硬化を辿る 二月末預金減、貸出增 |
13 | 鹽糖今期の產糖 二百九十萬擔か |
14 | 臺灣石炭會社の 株式割當決定 |
15 | 臺灣貿易振興會社 來る廿日迄に拂込み |
16 | 乾元藥行株主總會 |
17 | 照明燈 |
18 | 經濟手帳 納付金制度の改正 |
19 | 市價及商況 十八日 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 募集百名に對し 四百餘名の應募 州立桃園農業學校 此處にも窄き門 |
02 | 消費米合同販賣會社、目下計畫中 |
03 | 潮州街 國民貯蓄組合 盛大なる結成式擧行 |
04 | 新化荒物商組合役員會を開く |
05 | 淡水諸競作會 來る廿二日授賞式 |
06 | 沙鹿の男女青 正條密植に精勵 |
07 | 各地學校卒業式 |
08 | 中壢郡木下課長デマ粉碎に乘出す |
09 | 關仔嶺洗心館の火事 林館主が放火を自白 |
10 | 各種デマの粉碎に 竹山で巡回講演會 |
11 | 牛小屋の牛窃盜犯縛につく |
12 | 挾間元內務次官 十六日關仔嶺泊 |
13 | ローカル・セクシヨン報社消息 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 送る“萬雷の拍手” 豐原街を皮切りに開幕 本社主催時局講演映畫會報社消息 |
02 | 米海軍西へ行く(上) 慢性になつた擴張熱 |
03 | 屏東大宮公卒業式 |
04 | 貯蓄報國に驀進 高雄州・近く管下に通達 |
05 | 譽れの遺兒部隊 臺南州下から四君 |
06 | 第一回厚生體操 きのふ臺南南門小で |
07 | 銃劍術基本練習(彰化鄉軍) |
08 | 嘉義專修工業卒業式 |
09 | 春季陸軍墓地祭 二十一日臺中旭町で |
10 | 來場歡迎 時局講演映畫會 臺中州を皮切りに開始報社消息 |
11 | 天國から“地獄”へ 棺木の寄贈申込みが殺到 香港街頭の珍風景 |
12 | 水產振興に全力 臺南州水產會張切る |
13 | 產業獎勵館(花蓮港市) 四月早早に店開き |
14 | 臺中師範卒業式(十八日) |
15 | 輝やく功勞者 臺中水利協會で表彰 |
16 | 花蓮港小卒業式 |
17 | 洩れなく申込め 適齡兒童の入學 |
18 | 花蓮港市第八區會結成 |
19 | 華僑日本語講習會の修了式 |
20 | 作家モーロア ヘルツオーグに歸る |
21 | 砂糖專用車を配付 |
22 | 變つた家政婦 |
23 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 委員會制度設置問題 翼贊會改組の重點 |
02 | 大宮御所に伺候 凱旋第三日の西尾大將 |
03 | 敵大軍需工場に巨彈 悠悠重慶上空を旋回 |
04 | 敗敵を猛追擊(高安の西方に) |
05 | 定例樞府本會議 上程各案を可決 |
06 | けふの眾院決算委員會流會 |
07 | 總動員法改正法 小畑企畫院次長の談あすから施行 |
08 | 圖像:海鷲、成都を大空襲 |
09 | 森林計畫生產の 第一步を踏出す 町村單位に組合設立 |
10 | 各產業統制會の 橫の連絡機關 近く具體化せん |
11 | 一元的法規を要望 產業團體令に關し 重產統協議會申合す |
12 | 體力被管理者 範圍を擴張 |
13 | 科學技術翼贊大會 きのふ盛大に開催 |
14 | 獨逸の春季攻勢 大西洋全海面に計畫 |
15 | 在佛米人に引揚げ勸告 |
16 | 英への食糧輸送等 ル大統領、記者團に言明 |
17 | 詳細情報を蒐集 獨潛水艦米沿岸に向ふ情報 ウエルズ次官の談 |
18 | カンベル英公使 ユ國首相と會談 |
19 | 第四次國防追加豫算 米大統領署名 |
20 | ダ佛副首相 獨大使と懇談 |
21 | 理研コンツエルンを再建 七社を合併す |
22 | 明日の天氣 |
23 | 水滸傳(365)/黃得時;榎本真砂夫 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 白衣勇士を御慰問 光榮の臺南市に早くも初夏 |
02 | 光榮の至り 高麒麟氏謹話 |
03 | 譽れの遺兒部隊 愈あす上京の途に就く |
04 | 戰歿英靈供養祭 樺山町淨土宗臺北別院本堂で |
05 | 圖像:二十粁耐久行軍競走 |
06 | 物資難に喘ぐ重慶 急場凌ぎの對策に對しても 民心一向に反應なし |
07 | 橋田文相の メツセーヂ手交 訪獨青少年團一行の動靜 |
08 | 復航の白根號 羽田に無事歸還 |
09 | 電報規則改正 四月一日に實施 |
10 | 警察全般打合會 各州刑事、特高、經濟課長招集 高等法院檢察局で開催 |
11 | 圖像:街頭スケツチ |
12 | 新竹市の恤兵展 愈よけふから蓋開け |
13 | 防空精神を昂揚 市內各所で講演會開催 |
14 | 臺大卒業式 廿四日に擧行 |
15 | 臺北臨床座談會 |
16 | 本島工業化促進に 大阪實業團一行來臺 |
17 | 基隆市助產婦看護婦講習所 |
18 | 吉田元厚相長男浩氏の遺骨 廿一日無言の凱旋 |
19 | 臺北州方面委員總會 |
20 | 臺北市物故方面委員慰靈祭 廿一日に執行 |
21 | 高等體育學校の生徒募集 |
22 | 南方鮪出漁組合誕生 十七日創立總會 |
23 | 約半數の府縣 代表選士決定 全日本柔道選士權大會 |
24 | 成淵學校卒業式 |
25 | 人事・消息 |
26 | 今夜の放送 |
27 | 商況 十九日前場 |
28 | 映画案內 |
29 | 興南案內報社消息 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 亞細亞の旗(111)/小栗虫太郎;坂本仁 |
02 | 家庭・婦人 お米の割當制は 過食の惡習を改めるによい機會 |
03 | 電髮の上手なお手入れ 乾き過るのはよくない |
04 | キモノの保存 |
05 | 甘藷羊羹の作り方 |
06 | 電球の知識 能率的なガス入りや眼の 疲勞恢復に役立つもの |
07 | 婦人說苑 娘常會の提唱/金子しげり |
08 | 經濟相談 |
09 | 牡蠣の變り汁 |
10 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語學習 この春結成される 日本航空青少年隊 青空の戰士を養成 |
02 | 洋服の着初め 七十五年前の二月 |
03 | 敵機の來襲などの 音を聽きわける力 正しき耳の訓練“音感教育” |
04 | 七月から改められる 郵便貯金の規則 切手貯金も復活 |
05 | バナナの花蕚で 革代用品が出來る |
06 | 理科勉強に幻燈を 文部省が全國に配る |
07 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 鷹澤の倉庫群猛爆頭條新聞 【○○基地十九日發同盟】中支艦隊報道部發表 十八日午前海軍江上飛行隊は連續第三次鷹潭攻擊を實施せり、卽ち戶澤部隊長の率ゆる○○機は浙贛線に沿ひ午前十時半敵輸送物資集散地點たる鷹潭市上空へ進入し東北方に點在する迷彩を施せる倉庫群に對し爆擊を敢行、倉庫數棟を大破せしめた、別に池田隊長指揮の一隊は同日午後上石牌(安慶西方六十粁)に於いて家屋に據れる敵集團を發見、これを爆擊潰滅せしめたり、我に損害なし |
02 | 潰亂せる敵に銃爆擊 |
03 | 花門樓を拔き西北に猛進 |
04 | 戰時統制經濟法規の 嚴然たる體制整備 三法律けふ實施 |
05 | 泰國全權殿下 軍令部總長宮殿下に謁見 |
06 | 近衛首相參內 |
07 | 總動員法の違反 懲役十年、罰金五萬圓以下 刑法の改正けふ實施 |
08 | 憲政功勞者の慰靈會を設立 |
09 | 經濟新體制を促進 重要產業連絡懇談會 |
10 | 八田日商會頭の要望 |
11 | “大西洋上の死鬪” 新任駐英米大使歡迎會席上 英首相と大使が演說 |
12 | 激戰、依然繼續中 東アフリカ戰線で |
13 | けふの兩院 |
14 | 眾院側の改組希望 今夜四參議から首相に開陳 |
15 | 巨大な建設功績 國府還都の一年間 |
16 | 圖像:我砲艇隊の活躍 |
17 | 抗戰陣營の分裂 陳嘉庚の引退聲明 |
18 | 米艦シドニーに入港 |
19 | 濠洲首相 アメリカ訪問 |
20 | 外務辭令 |
21 | 泰、佛印全權を招待 首相、午餐會を催す |
22 | 武器貸與法案に 修正條項を附加 |
23 | ハル國務長官以下の證言 |
24 | 市民防衛案を協議 セ比島辨務官等 |
25 | 今日の天氣 |
26 | 辰馬汽船 |
27 | 大連汽船 |
28 | 東亞海運 |
29 | 南日本汽船 |
30 | 大阪商船基隆出帆 |
31 | 日本郵船基隆出帆 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 北部電源開發の重要性社說 一 本島工業化の基礎條件として先づ電源開發から始めなければならないが、幸に本島主要河川が槪して急流であり而も各種流量も內地に比し頗る優位を占めてゐるので、比較的に低廉豐富な電力を供給し得る特色を持つてゐる。然しながら從來の開發狀態は尚朝鮮及び滿洲國に及ばざる狀態であるから、今後南方國策の基地たる本島の使命遂行上に於て一層電源開發を中樞とする工業建設に向つて邁進しなければならない。現在臺灣電力では主として大甲溪流の電源開發に努力し、東臺灣電氣興業では東部に於て數個所の發電所を建設してゐるから、數年を出でずして現在に倍する發電能力を發揮する事が出來るであらう。 二 唯此處で考慮すべき事は、東部水電を別として大甲溪流域の開發は其の電源が豐富である丈大規模の發電所を設置しなければならないが、それには長い期間と夥しき資材を要するので現在の事情下にありては急速に發達しつつある本島工業の需要に間に合はざる懸念がある。そこで本島北部電源開發の重要性が前景に押し出されたのである。本島北部は周知の如く雨量の多い地方であり、殊に冬季の渴水期には丁度其の雨期に當つてゐるから北部發電所の第一特色は渴水期の電源不足を填補する火力發電所と同一機能を兼有し得るので石炭節約の立場からも再認識の必要がある。第二の特色は冬季渴水期がないため發電の負荷率が極めて高い事である。第三の特色は臺北及基隆に近いため長距離の送電設備を要しないから、送電上に於けるロスが至つて少ない。第四の特色は中部偏重の弊を矯めこれがため單に送電線の節約丈でなく發電所の分散に依つて國防上の安全感を確保する事が出來るのである。 三 上記の如く北部電源の開發は企業採算の上から見ても、資材節約の上から見ても、工業促進の上から見ても、將又國防上から見ても現在急迫せる國際情勢下に於ては益益その重要性が加つて來たのである。從つて臺灣電力としては大甲溪水系の電源開發を中樞とする中間階級に於て短期間に完成し得る北部發電所の建設を織込ませた綜合的企業方針を樹立すべきである。然らざれば大甲溪流の發電所が竣工する迄其の間に於ける電氣の需要を充分に應ずる事が出來ない事は明かである。此の點に關しては當局者に於て更に萬全な計畫を構想し以て從來の大甲溪中心の旣定方針に再檢討を加へ、之に依つて資材獲得の分配等に對しても再編成の必要があらうと思はれる。尚一口に北部の電源と言つても新店溪、宜蘭濁水溪、大嵙崁溪、大南澳溪等あつていづれから先に着手すべきかはいくたの點から考慮しなければならないが、差當り先づ新店溪流の開發に重點を置くべきであらう。 四 現在新店溪の上流にある南勢溪には旣に二月十二日より臺灣電力の新龜山發電所が運轉を開始したため基隆八斗子の火力發電所を運轉中止せしめたので、之がため約七八十萬圓の石炭代を節約したのである。同發電所の運轉に依つて新店溪上流の水量が意外に豐富である事を發見し、現に夥しき餘水を棄てねばならない狀態を呈してゐる。尚新龜山の上流にある烏來の外に二個所の發電好適地點があり、北勢溪(新店溪は南勢、北勢二溪の合流せしもの)にも二個所の地點があつてこれらの發電所はいづれも僅かな資材を以て短期間に完成する事が出來、而も其の企業條件は頗る有利であるから、之を悉く開發すれば所謂低廉豐富な電力が始めて北部に於て自給し得るのである。さればこそ督府當局及臺灣電力に於ては一日も早く新店溪流の電源開發方針を具體化せられん事を希望して止まない。 |
02 | 閑院若宮兩殿下 高雄市內各所を御視察 |
03 | 本島國民學校實現 臺灣教育令改正樞府を通過 |
04 | 砂糖配給座談會 |
05 | 農耕地管理令の趣旨を說明 |
06 | 青年隊員を激勵 大直の國民精神研修所を巡視 長谷川總督訓示 |
07 | 一路淡水へ 海軍墓地に參拜し 展望臺で淡水港を眺む |
08 | 圖像:長谷川總督の淡水巡視 |
09 | 白衣勇士を慰問 夕刻北投から歸邸 |
10 | 高千穗丸入港 |
11 | 新任軍醫部長 堀口大佐きのふ着任 |
12 | 興亞ダイヤの編成 關門トンネルの完成と共に 國鐵の時間割大改正 |
13 | 基隆消防組表彰 |
14 | 芭蕉・パインの 纖維に期待 關西實業團今村團長談 |
15 | 石山ダイヤモンド社會長談 |
16 | 關西實業家視察團日程 |
17 | 宗教翼贊統一へ 國防國家建設を第一義に 足並揃へて總進軍 |
18 | 防空群基本訓練 完璧を期して 羅東街で實施 |
19 | 國婦も握る “增產の鍬” 空閑地利用に動員 |
20 | お安い學生服を 學生服裝配給組合あす結成 |
21 | 農事組合指導講習會 |
22 | 街庄吏員養成所卒業式 |
23 | ときのこゑ |
24 | 衣服泥棒捕はる |
25 | 映畫慰安會盛況 皇道宣揚會主催 |
26 | ガソリン盜む 運轉手御用 |
27 | 乘り合せの船を荒らす |
28 | 甘藷を召上れ 羅東に大量入荷 |
29 | 臺灣炭業組合發會式 |
30 | 神明會不正事件 新竹刑事課で摘發 |
31 | 水の江瀧子一行 昨日本社を訪問報社消息 |
32 | 藤根吉春氏遙弔式 |
33 | 長山丸無電 |
34 | 羅東郡聯合業佃會 |
35 | 人事・消息 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 合同方針に關し 官廳が縷縷指示 全島バス業者懇談會 |
02 | 評價と解散課稅が バス合同の難點 |
03 | 時事經濟の解說 濠洲の戰時經濟 (上)物價統制と工業育成 |
04 | 合成樟腦の製造に 近く本島も企業化 |
05 | 金屬鑛物の增產運動 聯合會、意見書提出 |
06 | 米穀局新廳舍に 廿二日より移轉執務 |
07 | 大型客船賀茂丸 愈愈高雄東京間に就航 |
08 | 諸取扱事務を協議 保險主任會議終了 |
09 | 冷壓ヒマシ油の販賣價格を指定 |
10 | 華銀海口所長は許斐林太郎氏 |
11 | 特殊用材販賣機關として 南方林業會社創設 |
12 | 潮州產米品評會 廿二日褒賞授與式 |
13 | 照明燈 |
14 | 島產シトロネラ油の 生產價格を統制 |
15 | アラビアゴム及膠の 需要者は申請されたし |
16 | 旗山郡砂糖小賣商組合定期總會 |
17 | 市價及商況 十九日 |
18 | 第三回決算公告/株式會社乾元藥行 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新營郡小脚腿部落 優良部落に選獎 その顯著なる事跡 理想鄉の建設 |
02 | 北支の食糧問題 小麥を中心として |
03 | 來る四日愛林日 新高郡の行事 |
04 | 新埔公卒業式 |
05 | 節米の一助として 潮州街で干饂飩配給 |
06 | 甘蔗運搬車に轢かれて右手切斷 頭部負傷 |
07 | 新營壯丁團員が魚窃取者を逮捕 |
08 | 楊梅公高等科の 學級增加を陳情 |
09 | 集集高等小學 十七日に卒業式 |
10 | 楊姓を柳元に改姓決定 |
11 | 旗山第一檢查所 十六日出荷數 |
12 | 流言の撲滅に 淡水では懇談會 |
13 | 屏東公卒業式 目出度終了 |
14 | 二林春季招魂祭 同所警官招魂碑前で |
15 | 臺東中入學願者 三百名以上に達す |
16 | 三重埔公卒業式 |
17 | 臺東醫院二月中 諸患者數 |
18 | ローカル・セクシヨン報社消息 |
19 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 二千の聽眾肅然 本社主催時局講演映畫會 十八日石岡公校庭で開催報社消息 |
02 | 工場防空を實施 臺南州の防空陣強化 |
03 | 報國推進隊 瑞穗庄白川で結成 |
04 | 神饌田田植祭 けふ樹林公脇で |
05 | 圖像:歌ひませう“翼贊の歌” |
06 | 警察招魂祭 廿一日嘉義で |
07 | 高麒麟氏感激 一千圓を献金 |
08 | 漁船隊勢揃ひ 高雄港急に活氣付く |
09 | 米海軍西へ行く(中) 正攻法と對日包圍 過少評價は大禁物 |
10 | 臺南州の國民貯蓄割當額 |
11 | 圖像:平田女使に感謝の會 |
12 | 花蓮港の“空訓” 廿四日朝より實施 |
13 | 川添煙草課長 嘉義で講演 |
14 | 大市街地出現せん 高雄新驛を中心に |
15 | 各地卒業式 |
16 | 安平漁港愈愈竣工 州水產會で魚市場を施設 至れり盡せりの設備 |
17 | 來場歡迎 時局講演映畫會 臺中州を皮切りに開始報社消息 |
18 | 豚肉增產に邁進 高雄州・積極的に乘出す |
19 | “狹き門”けふ開く 臺中州下の入試開始 |
20 | 臺南州水產會 けふ總代會を開く |
21 | 彰化崇文社 |
22 | 臺中郵便局員 白衣勇士慰問 |
23 | 板橋公慰靈祭 |
24 | 高雄州下の壯丁團檢閱 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵十萬潰滅に瀕す |
02 | 敗敵進退谷まる |
03 | 逐次敵陣を突破(江西作戰) |
04 | 陸鷲、縱橫に大活躍 |
05 | 官橋街で激戰を展開! |
06 | 英本土上陸作戰は 最早や時間の問題 岡本少將の土產話 |
07 | 圖像:陸鷲防城、企沙を爆擊 |
08 | 土國大統領特使 對獨回答を手交 |
09 | 佛印在米資金 封鎖解除さる |
10 | イーデン英外相秘かに トルコ外相と重要會談 |
11 | 詰問されて尚哀願 カ米特使の重慶內情打診 總べて悲觀材料 |
12 | 公債消化力調查委員會設置 翼贊會財政部 |
13 | 一分間十七萬圓 英國の戰費支出 |
14 | 米軍艦塗り替へ 淡灰色を濃灰色に |
15 | ル大統領週末旅行へ |
16 | 勞働調停委員會を設置 米の爭議對策に |
17 | 米艦シドニー入港 米海軍省正式發表 |
18 | 航空機生產狀況 米國航空商業會議所の發表 |
19 | ペタン元帥の放送 |
20 | 獨軍需省の活動 |
21 | 英の戰時財政 資金運用情況 |
22 | 農產物病害虫の發見情報網 全國的に完備 |
23 | 明日の天氣 |
24 | 水滸傳(366)/黃得時;榎本真砂夫 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇太子殿下 學習院卒業式に台臨 |
02 | 三內親王樣 多摩御陵に御參拜 |
03 | 照宮樣 中國地方を御見學 |
04 | “遺兒に榮光あれ” 對面の一瞬・感激無量 本間軍司令官淚の激勵 |
05 | 臺灣遺兒代表出發 對面の感激を胸に |
06 | “遺兒の日”迫る 宿泊旅館に警視廳萬全の衛生陣 |
07 | 圖像:譽れの本島遺兒代表 |
08 | 軍人援護會臺北州支部 評議員會開催 |
09 | 本間軍司令官 竹東郡下を視察 |
10 | 重慶の米饑饉深刻 當局施すに術なし |
11 | 暑さには一寸 面喰らつたよ 堀口新臺灣軍醫部長談 |
12 | 不安、焦燥に戰く 臺北州下中等學校入試 愈よ明日から開始 |
13 | 玉蜀黍種子大量入荷 臺北州農會から市郡に發送 |
14 | 帝大生一行を文教局が招待 本島事情を說明 |
15 | 基隆臨時市常會 |
16 | 馬匹使用管理品評會 廿五日羅東で |
17 | 半島同胞の赤誠 內地在住者から 五十三萬圓献金 |
18 | 挾間前內務次官けふ來新 |
19 | 初のタオル配給 區長さんから受け取つて下さい 各家庭への割當枚數決定 |
20 | 青島實業家 近く視察に來臺 |
21 | 農山村文化協會 各府縣に支部設置 |
22 | 溺死體に打撲傷 他殺の嫌疑濃厚 |
23 | 印度に暴動勃發 學校、商店、銀行悉く閉鎖し 漸次擴大、武裝警官出動 |
24 | 基隆自動車小賣商組合 |
25 | 基隆商議役員會 |
26 | 廈門教員留學生 みつちり東亞事情を勉強して けふ修了式を擧行報社消息 |
27 | 原生林社の月例短歌會 |
28 | 共學兒童 許可者發表 昨年より卅名增 |
29 | 新竹市春季國演會 |
30 | 人事・消息 |
31 | 今夜の放送 |
32 | 商況 二十日前場 |
33 | 映画案內 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 亞細亞の旗(112)/小栗虫太郎;坂本仁 |
02 | 家庭・婦人 聾啞の兄を持つ男 子孫に遺傳するか 優生結婚相談 |
03 | 經濟相談 |
04 | 榮養の攝り方が 違つて行きます 年齡によつて |
05 | つるなの藥效 |
06 | 冷凍魚はなぜまづいか |
07 | はねる炭を使ふ時 |
08 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語學習 なつかしい學び舍を後に 巢立つ皆さん お目出たう!!! |
02 | 卒業生をあつめて 木原市長さんが お諭しになりました |
03 | 國語力だめし(三十一) 二千語讀方 |
04 | 圖像:うららかな春陽をあびて |
05 | 米國の空威張り 見ると聞くとは大違ひ 米國人はまるで支那人 |
06 | トラガリノメイジン ミゴトニ三トウイトメル |
07 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵包圍態勢を完了 藏帝確保、大殲滅戰へ頭條新聞 【江西○○二十日發同盟】十九日夕刻高安北方約三十粁上富鎭西南一帶に戰果擴張中の荒木、原田各部隊は同日午後七時上富鎭南方六粁附近において敵約五百と遭遇これを北方に潰走させ息つく遑もなく猛進、同夜深更上富鎭並に羅坊市(上富鎭東方約十粁)中間地區潦水河沿岸に進出、敵第十九師の側背面を突き一方上富鎭西南地區より十九日夕突如反擊した川村、福家の各部隊は急遽奉新西方約十八粁賀山羅附近に進出、また濱田、中田の諸部隊は伍橋河西方約二十粁丁庄附近より迂回、上富鎭、奉新を繋ぐ潦水河南岸藏帝に突入、これを確保し茲に敗敵第五十八、十九、及び九の三個師の包圍態勢を完了し今や豪快なる殲滅戰が展開されんとしてゐる |
02 | 棠浦河を敵前渡河 |
03 | 泗溪を占領、敵を猛追 |
04 | 贛北作戰戰果 |
05 | 南支陸鷲、大擧出動 |
06 | 聖上大會場に行幸 畏し・馬事の祭典を天覽 東條陸相、石黑農相謹話 |
07 | 圖像:首相、三國代表招待 |
08 | 閣議決定事項 |
09 | 西尾大將 傷病兵を慰問 |
10 | 翼贊會改組の方向 來月早早實現の意向 |
11 | 內閣三長官に意見を開陳 有馬事務總長 |
12 | 首相、四參議に 積極協力を求む |
13 | 議員俱樂部の 改組も考慮 |
14 | 會本來の性格強化 有馬總長が強調す |
15 | 政事結社に關し 質疑應答行はる 眾議院決算委員會で |
16 | 治安強化運動を展開 華北政務委員會主導の下に |
17 | 全くの捏造 獨艦米沿海出現說に對し ドイツ側否定す |
18 | チタ驛に到着 大臣列車一路莫斯科へ |
19 | 鐵鋼、石炭增產に關し 首相に意見具申 平生、鮎川兩氏官邸を訪問 |
20 | 土國、戒嚴令を布く ユ國の豫備兵召集に對處して |
21 | 獨公使、ユ國外相と懇談 |
22 | 貴族院請願委員會 |
23 | ワンワイ殿下の 妃殿下と令孃 あす東京御着 |
24 | オランダ外相 ル大統領と會談 |
25 | 滿國の經濟顧問制設置 |
26 | 褚中國大使けふ南京へ 記念式に參列 |
27 | 青木顧問歸朝 |
28 | 蠶種改良の功勞者を表彰 |
29 | パリ株式取引所再開 |
30 | 外務辭令 |
31 | 今日の天氣 |
32 | 辰馬汽船 |
33 | 大連汽船 |
34 | 東亞海運 |
35 | 南日本汽船 |
36 | 大阪商船基隆出帆 |
37 | 日本郵船基隆出帆 |
38 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 南方政策遂行と華僑の動向社說 一 新嘉坡に絕大な勢力を有する南洋華僑の親玉陳嘉庚が、今後凡ての抗日運動から手を引く旨を聲明したので、南洋華僑界に一大センセーシヨンを捲起してゐるさうである。陳嘉庚引退の報が傳はるや、各地華僑の動搖は勿論、重慶政權は大いに狼狽しその對策に腐心してゐると傳へられてゐる。彼が抗日運動の第一線から引退するに至つた動機は、重慶政權の弱體化とその欺瞞政策を看破したこと、國共の正面衝突に依る抗日陣營の崩壞必至、英米の援助は實質的效果なし、日本の南方進出に對し英國は完全に無力なることを暴露し南洋は早晚日本勢力下に陷ること等であると云はれてゐる。彼の引退は今後の成行を注視せねば今俄かに信じ難いが、しかし斯る空氣が華僑間に漸次濃化されつつあることは蔽ふべからざる事實であるとみて差支あるまい。これ卽ち蔣政權を中心とする抗日陣營分裂の一面を示したものとして、今後の成行は頗る注目に値ひするものがあらう。 二 陳嘉庚引退が若し事實だとすれば、傳へられてゐる其引退動機は、何れも當らずとも遠からずで、蔣政權の最も弱點とする處を衝き或はその欺瞞政策を看破したものであるが、しかしその中でも彼等にとつて最も關心を有するものは、我南進政策の遂行であらうと思はれる。彼が指適した如く、我國の强力なる南方進出に對し英國は完全に無力であることが暴露されたので若しこの調子で我國が進出した場合、南洋一帶は遂に我國の勢力圈內に入ることは免れないとみたのである。これは今回の泰、佛印の紛爭に關し、英國が凡ゆる妨害工作を施したにも拘らず、我國は敢然その阻害を排除して調停が成功したため、南東亞半島に於ける我國の勢力が强化され、東亞の指導的地位を確立したことに刺戟された所が多いと思ふ。更に英國製東洋危機說が流布され、マレー半島を中心に英國は軍備を强化する一方、我國を威嚇、我南進を牽制せんとしたが、少しもその效果がなかつたばかりでなく、却つて逆效果を來して南洋一帶の民心に動搖を來たしたことも影響してゐるとみるべきであらう。 三 かくみれば、我が南方政策の遂行は南洋華僑に甚大な影響を及ぼすであらうことは明らかであり、更に一步押せば、その動搖分裂も推測するに難くない。南洋華僑は蔣政權の支柱とも云ふべきものであり、又抗日陣營の有力なる構成分子でもあるのだから、華僑の動向は蔣政權に影響せぬ筈はなく、若し彼等が蔣政權を見放して寢返りを行つたならば、蔣政權は陸に上つた河童の如く、その屋臺骨が搖らぎ、やがては崩壞せねばならぬ運命に陷るであらう。蔣政權の欺瞞や英國の無力が暴露した今日、我が南方政策の遂行に依つて、利に敏い華僑が寢返るかも知れないといふことは强ち希望的意見とは云へまいと思ふ。かくみて來ると、南方政策の遂行は我國の生存上絕對必要であるのみならず、事變處理の上から云つても又實に絕對必要なのである。南方政策と事變處理とは如斯離れることが出來ない、關連性を有するのであるから、今後更に南方政策遂行に努力を拂はねばならぬことは云ふまでもないのである。 |
02 | 閑院若宮兩殿下 きのふ屏東を御視察後 四重溪へ向はせらる |
03 | 高雄州重要物產を台覽 |
04 | 港內を御巡航 アルミ工場を御巡覽 |
05 | 臺南の御視察 |
06 | 白衣勇士を御慰問 有難き御言葉を賜はる |
07 | 天皇陛下御親拜 けふ皇靈祭の御儀 |
08 | 各地區共逐年向上 臺北州第二種空訓臺北州統監講評 |
09 | 御下賜品の傳達式を擧行 戰歿勇士遺族に |
10 | 井上軍報道部長 昨日挨拶の為本社來訪報社消息 |
11 | 齋藤總務長官 けふの便船で歸臺 |
12 | “心は早くも九段に” 臺北基隆間の遺兒部隊同乘記 |
13 | 清水軍經理部長 けふ入港の便船で着臺 |
14 | 長谷川總督夫人 きのふ白衣勇士を慰問 |
15 | 高等法院北川檢察官 昨日南署を巡迴 |
16 | 今年も變らぬ“窄き門” 公立中等校入試けふ一齊に開始 |
17 | 廈門教員留學生修了式 終了後懇談會を開催 |
18 | 大仕掛けの無盡詐欺 被害延人員四千餘名 |
19 | ときのこゑ |
20 | 各陸軍病院に 許丙氏蜜柑を寄贈 |
21 | 臺灣電氣協會 第八回通常總會 |
22 | 昨日創立打合會を開催 臺灣纖維製品工業組合 |
23 | 荒木警務局長 嚴父の告別式 |
24 | 新竹市修禮堂 あす開堂式擧行 |
25 | 野口州總務係長を召喚取調 |
26 | 富士丸無電 |
27 | 人事・消息 |
28 | 今日の映畫 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 簡保年金募集方針決定 十六年度の豫定激增 |
02 | 簡保集金の合理化 遞信部で考究中 |
03 | 青果組合聯合會 きのふ評議員會 |
04 | 臺灣柑橘月例會近く開催 |
05 | 麵類外二十五點の最高價格決定 |
06 | 時事經濟の解說 濠洲の戰時經濟 (下)物價統制と工業育成 |
07 | 化學工業品物價 來る廿二日決定 |
08 | 烏塗子工場 壓搾終了 |
09 | 臺灣茶業會社 あす役員會 |
10 | 石炭專用車增配 |
11 | 新興壓搾終了 新式工場で第一着に |
12 | 臺灣石綿近く創立 資本百萬圓全額拂込 |
13 | 南邦林業會社 發起人會を開催 |
14 | 鹽糖七旬の步留 新營岸內とも良好 |
15 | 來期の砂糖生產 二千萬擔に增產せん |
16 | 照明燈 |
17 | 日拓一分增配 |
18 | 臺灣バス事業組合 發起人打合會 |
19 | 經濟手帳 改正無盡業法 |
20 | 消費規正 |
21 | 市價及商況 二十日 |
22 | バナナ相場 |
23 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 桃園郡下の正條植 八割以上に達す 郡守が先頭に立つて指導 |
02 | 米增產へ驀進 大湖郡の諸強調週間 |
03 | 民林振興座談會 春麗かな水社涵碧樓で |
04 | 臺東街の衛生日 奉公班員が清掃奉仕 |
05 | 桃園小學校卒業式終る |
06 | 林邊公卒業式 |
07 | 鹿港幼稚園修了式 |
08 | 卑南埤圳復舊工事完成 この程假通水 |
09 | 蘇澳公學校卒業式終了 |
10 | 北斗郡の製菓業者 林某脫稅を摘發さる |
11 | 隱匿米發見者に 潮州では獎勵金交付 |
12 | ローカル・セクシヨン報社消息 |
13 | 娘子軍も蹶起 桃園の女子報國團 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 高めよ“皇民の榮譽” 本社主催時局講演映畫大會 霧峰庄で盛大に擧行報社消息 |
02 | 一擧に九千甲步 臺南州の黃麻耕地 |
03 | 代用食料品展 けふ板橋公會堂で開く |
04 | 圖像:北京スケツチ |
05 | 兵隊さんに慰問袋 |
06 | 鄉軍花蓮港分會 四月三日に大會開催 |
07 | 屏東鄉軍射擊會 |
08 | 臺南州防空訓練 二十五日より一晝夜 |
09 | 貯蓄組合を統合 嘉義市で近く實施 |
10 | 米海軍西へ行く(下) 正攻法と對日包圍 過少評價は大禁物 |
11 | ゴミ箱三個 各家庭に必ず備へよ |
12 | 來場歡迎 時局講演映畫會 臺中州下の開催日割報社消息 |
13 | 海豐公卒業式 |
14 | 嘉義中の入試始まる |
15 | 昭和公卒業式 |
16 | 彰化女子卒業式 |
17 | 臺南州水產會 全部原案通り可決 |
18 | 黑岩元彰化市衛生課長勇退 |
19 | 南光藥局開業 |
20 | 快官公卒業式 |
21 | 獨逸空軍の贈物 |
22 | カルネラ斷られる |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 學藝 春ところどころ(下)/長見義三 |
02 | ラヂオ |
03 | かくれん坊(一)/瞳兒 |
04 | 心聲漢詩 因事負約南都邀游草山/夢周生、赴京於香取丸作/怡庭 李金柯、入關門作/怡庭 李金柯、步文樞詞兄留別原韻二首/羅烱南、步文樞詞兄留別原韻二首 二/羅烱南 |
05 | 祝改題 郡勢紹介(其一) 躍進の氣漲る 彰化郡の趨勢 立體的農業に山地開發に擧郡一 帶產業報國の實績を他郡に誇る特輯 |
06 | 圖像:郡役所勸業課職員役場職員實地指導正條密植狀況特輯 |
07 | 圖像:生黃麻檢收狀況特輯 |
08 | 圖像:秀水庄下の黃麻裁培狀況特輯 |
09 | 圖像:肥料叭製造盛況特輯 |
10 | 廣告特輯 |
序號 | 標題 |
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01 | 空陸呼應の大殲滅戰頭條新聞 【漢口二十一日發同盟】潦水沿岸を席捲し敵第十九師の側背面を衝く原田、荒木の各精銳部隊は遂に二十日午後三時敵要衝上富鎭を占領、雪崩を打つて潰走する敵を猛追しつつ隨所に敵を捕捉殲滅し更に午後四時には上富鎭東方十粁羅坊街に進出潦水の兩岸に沿つて一路東方に戰果を擴張中である、一方濱田、中田の諸部隊も二十日正午奉新西方二十粁埠東側地區に銳鋒を進め潰亂する敵側面を衝き、更に川村、福谷の各部隊は牙山羅(奉新西方十八粁附近)を潰走中の敵十九師を擊破しつつ一路潦水盆地中心部に戰果を擴張しつつあり、斯くて二十數粁に亘る我が半月形包圍陣內の敵は周章狼狽しつつ唯一の退路たる北方山岳地帶に算を亂して潰走中で我が荒鷲は此の公路に痛快なる銃爆擊を敢行空陸相呼應して壯烈な大殲滅戰が展開されつつある |
02 | 潰亂狀態の敵を猛襲 |
03 | 第七十四軍の全滅迫る |
04 | 太湖西南の敵にも膺懲 |
05 | 海鷲各地を猛爆 |
06 | 門口塘を急襲 |
07 | 首相、四參議と懇談 單に意見の陳述に止まる |
08 | 來月早早に政府の 改組案を正式決定 |
09 | 初一念を貫徹せん 翼贊會地方支部有志協議會 |
10 | 會社局新設 大藏省機構改革 |
11 | 在米獨人の調查を開始 獨逸大使館 |
12 | 地方行政機構と 制度の改正事項 |
13 | 國民關心南方に集中 齋藤長官の歸臺談 |
14 | ユ國の樞軸接近 近日中に實現か |
15 | 今年最大の猛爆擊 ロンドンに攻擊集中 |
16 | 國內確執を惹起か 三閣僚辭職說 |
17 | 電力と生產擴充 關係者協議會で討議 |
18 | 新法幣の流通促進 妨害新法幣治罪條例を公布 |
19 | 佛の軍艦四隻 本國から佛印に向ふ |
20 | 我が接收財產 廈門市に讓渡 來る三十日に |
21 | 平生鮎川兩氏首相を訪問 鐵鋼業現狀說明 |
22 | 鑛工業總力發揮委員會官制 廿日公布實施 |
23 | けふの兩院 |
24 | 今日の天氣 |
25 | 辰馬汽船 |
26 | 大連汽船 |
27 | 東亞海運 |
28 | 南日本汽船 |
29 | 大阪商船基隆出帆 |
30 | 日本郵船基隆出帆 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 春季皇靈祭の御儀 畏くも天皇陛下御親祭 |
02 | 閑院若宮兩殿下 きのふ臺東へ成らせらる |
03 | 有田前外相來臺 夫人同伴・本島の視察に |
04 | 臺灣神社に參拜 總督、軍司令官を訪問 |
05 | 圖像:有田前外相來臺 |
06 | 歡迎晚餐會 總督官邸で開かる |
07 | 臺灣軍經理部長 清水主計少將着任 |
08 | 憧れの若鷲に 模範二少年合格 新竹の內山二郎君と楊青山君 |
09 | 州指定部落振興實績發表會 廿八、九兩日宜蘭市で |
10 | 富士丸入港 きのふ賑やかに |
11 | 春季皇靈祭に 假出獄の恩典 |
12 | 宜蘭市米穀增產競勵品評會 廿四日褒賞授與式 |
13 | ワンワイ妃殿下 東上の途次空路寄臺 |
14 | 圖像:中等學校入學試驗風景 |
15 | 齋藤總務長官きのふ着任 |
16 | 海上警報 |
17 | “父兄入るべからず” 試驗場內必死の緊張! 我子案ずる門外の焦燥 恨めしや禁斷の校門 |
18 | 中等學校入試點描 |
19 | 神戶商大庭球選手 對全島學生軍試合 から臺銀コートで開く |
20 | 米穀配給十九箇所決定 |
21 | これは感心 煙草の空箱献金 |
22 | 野口總務係長 遂に留置さる |
23 | 飛込自殺 |
24 | 人事・消息報社消息 |
25 | 訃文:呂水山 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 南方の海上では 英蘭の警戒嚴重 サンクレメンテ丸の齎らした情報 |
02 | 防空實地研究會 モンベ姿の活躍特に目立つ |
03 | 食料特產品品評會 昨日板橋で開催 |
04 | 圖像:本社主催時局講演會報社消息 |
05 | 岡山書畫展 愈愈あすから |
06 | 臺南專修工業學校卒業式 |
07 | 濱田彌兵衛記念碑 あす除幕式を擧行 |
08 | 新巷公卒業式 |
09 | 大埔公卒業式 |
10 | 綠肥「田菁」の栽培に 高雄州農會乘出す |
11 | 來場歡迎 時局講演映畫會 臺中州下の開催日割報社消息 |
12 | 高雄の愛國爺さん 節約した金を献金 |
13 | 全島市議大會に 提出の議題を打合 |
14 | 甘藷三萬斤を 新竹州向發達 |
15 | 臺中春季陸軍墓地祭 昨日嚴肅に執行さる |
16 | 各種デマの撲滅に 竹山では巡回講演會 |
17 | 嘉義警官の招魂祭終了 |
18 | 不安に戰く童心 高雄州下中等學校入試 昨日より開始 |
19 | 臺南州水產會に 仲介斡旋部設置 |
20 | 新社公學校卒業式擧行 |
21 | 臺南水利講習會 けふ開かる |
22 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵十萬を包圍壓迫 太湖の西南地區で |
02 | 大平溪、藕池口を猛爆 |
03 | 海南島奧地を討伐 陸戰隊戰果を擴張中 |
04 | 松岡外相の訪獨 各方面の關心を集中 |
05 | 國賓として待遇 獨、大大的な歡迎準備 |
06 | 外相一行頗る元氣 |
07 | 國民勞務手帳法 七月一日より施行 |
08 | 圖像:泰佛印國境紛爭調停東京會議成立に際し、ピプン首相帝國公使館へ答禮に訪問 |
09 | 米陸軍豫算の內容 卅七億七千八百萬弗 |
10 | パナマ運河の改造案を提出 民主黨議員マ氏 |
11 | 米の飛機製作 年產二萬一千機 |
12 | 司法官會同 國防保安と改正治維法の 施行準備打合せ |
13 | 泰、墨兩國の 友好關係 |
14 | 獨、洪兩國外相會談 廿一日ミユンヘンで |
15 | ハンガリー外相 ヒ總統訪問 |
16 | 泰、佛印陣歿勇士 追悼法要行はる |
17 | ユ國三相の辭表却下さる |
18 | 獨機、プ港を空襲 |
19 | 港灣施設を木葉微塵に |
20 | 政府資金收支調整 協議會を設置 |
21 | ドイツ海軍の英商船隊襲擊 日を逐ふて激化 |
22 | 褚大使廿一日 歸國の途へ |
23 | 米、機械化兵團增強を計畫 |
24 | 英海軍、米海軍の ドツク使用を申込む |
25 | 米海軍豫算を修正附で承認 |
26 | 米、極東南太平洋に軍事專門家を常駐 |
27 | ダレ獨農相伊農相と會見 |
28 | ウ駐米ソ聯大使 ウ次官と會見 |
29 | 明日の天氣 |
30 | 水滸傳(367)/黃得時;榎本真砂夫 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 人口戰に敢然立つ 大東亞に築け!民族の樂園 增產聯盟高かに產聲 |
02 | 本間臺灣軍司令官 廿六日より東部地方を初度巡視 |
03 | けふ竹東油業所を視察 |
04 | 勳章傳達式 新竹市長公室で |
05 | 新竹の恤兵展 好成績を擧ぐ |
06 | 皇后陛下 廿七日女子學習院に行啟 |
07 | 御下賜品傳達式 御仁慈に勇士遺族感激 |
08 | 皇道宣揚會 白衣勇士を慰問 |
09 | 井上軍報道部長 記者團に新任挨拶 |
10 | 產組協會臺北州支會總會 廿八日に開催 |
11 | 市議月例會 |
12 | 全國防空大訓練 九月下旬一齊に展開 |
13 | 有田前外相の視察日程一部變更 |
14 | 全島教育課長會議 あす教育會館で開催 |
15 | 拓南塾生 銓衡試驗 |
16 | 全國國民學校に 映寫機を整備 五個年計畫の下に |
17 | 防空思想普及へ 基隆市で講演映畫會 |
18 | 青年學校生徒體力檢定會 愈よあす建成小で實施 |
19 | 藥理學會に杜博士等出席 一行けふ出發 |
20 | 島都・夏へ一足跳 明日の日曜大體快晴 |
21 | 全國中等野球 試合番組決定 |
22 | 皮革盜品で千餘圓只儲け |
23 | 州下材木商に一齊手入 |
24 | 北京語講習會生の募集 |
25 | 臺北女子高等學院卒業式 |
26 | 壯四產報挺身隊の活動視察 下斗米、三宅兩技師 |
27 | ハイク二つ |
28 | 自轉車乘りに傍杖 |
29 | 人事・消息 |
30 | 今夜の放送 |
31 | 商況 廿二日前場 |
32 | 映画案內 |
33 | 興南案內報社消息 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 亞細亞の旗(113)/小栗虫太郎;坂本仁 |
02 | 家庭・婦人 絹の認識を深めよ (一)外國輸出が減じても平氣 續續生れる絹の新製品 |
03 | 科學日本躍進の勇姿 少年少女發明工夫製作品募集 兒童にも科學する心 |
04 | ガスの節約法 煮立つたら火を弱めよ |
05 | 病人とスープ |
06 | 白魚の海苔卷 |
07 | 胡桃味噌汁 |
08 | 簡單に染料を知る法 |
09 | 辨當のパン食 |
10 | 洋風すゐとん |
11 | 鹽鮭のかれー汁 |
12 | 經濟相談 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語學習 赤い夕陽の大陸に 薰る皇國の忠魂櫻 第一回分を近く發送 |
02 | 臺北州三市で防空展覽會 |
03 | 獨軍活躍 四ケ月間に擊沈した敵の船 |
04 | 國語力だめし(終り) 二千語讀方 |
05 | 半島に寶の山 解氷期を待つて調查 |
06 | 職工達が怠けて 武器も作れない ル大統領も泣き顏 |
07 | イギリスの潛水艦 獨軍に半分以上擊沈された |
08 | オヒゲデ ナカヨク |
09 | 密林には猛獸もすむ タイ國の新領土 貴重な寶石や銀も產します お米や果實も澤山とれます |
10 | 世界の注目をひく バルカンの動き ギリシヤの運命は |
11 | カウツウセイリノ ヤサシイヲヂサン マイアサ一ジカン 九ネンモツヅケル |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 淒壯な潰滅戰を展開頭條新聞 【江南○○前線二十二日發同盟特派員】新四軍江南撤收の間隙に乘じて勢力を伸張せんと海南線遮斷を夢見つつあつた第三戰區顧祝同軍は二十日夕刻斷乎下された我が膺懲の鐵錘に周章狼狽大混亂に陷つた我が部隊は疾風枯葉を捲くの勢ひで猛進擊を續行しつつあり二十一日漂陽を手中に收めた○○部隊は二十二日朝四個師の敗敵を追つて漂陽西南方の岳陵地帶に入り地形の利を恃んで屢次の反抗を試みつつあつた敵軍に果敢なる猛砲擊を加へつつあり又宜興方面より進發二十一日張渚鎭を屠つた○○○○部隊は白峴嶺の峻嶮に退き抵抗を試みる第五十二師の主力に對し痛擊を加へつつあつたがこれに呼應して白峴嶺南麓より敵背を衝いた○○○○部隊と協力二十二日曉闇を利して一擧にこれを挾擊淒壯なる潰滅戰を展開し我の銃砲聲は殷殷江南の山野を壓してゐる |
02 | 江南の敵四分五裂 |
03 | 敵屍累累潦水河を埋む |
04 | 上高の陷落迫る |
05 | 敵の春季反抗虛勢 脆くも全面的潰滅 派遣軍報道部發表 |
06 | 泰國全權殿下 議事堂を訪問 |
07 | 眾議院決算委員會 福田氏と阿南次官の質疑應答 |
08 | 阿南陸軍次官言明 |
09 | 米國の對日敵性と 我が陸海軍の態度 |
10 | 阿南次官岡局長の答辯 |
11 | 翼贊會地方支部代表 富田書記官長を訪問 |
12 | 地方支部代表 有馬總長訪問 |
13 | 翼贊會の改組 斷行を監視 有志議員團 |
14 | 山脇、稻川兩將軍 きのふ歸還 |
15 | 在外凍結財產調查規則 廿四日に公布實施せん |
16 | 凍結財產所持者 正確に報告せよ 大藏次官談を發表 |
17 | 食糧增產陣の活躍 技術指導方針決る |
18 | ク駐日英大使 大橋次官と要談 日英間問題について |
19 | 鐵鋼の增產計畫に 無任所相の設置必要 小林商相談 |
20 | 米商船五十隻 英國に讓渡せん |
21 | 全島市議總會に提案 臺北市から五項目決定 |
22 | 護衛船團七萬噸を擊沈 獨潛水艦隊 |
23 | 學術研究會 臨時總會 |
24 | 今日の天氣 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 民營バスの統制と希望社說 一 陸上運送の監督當局である鐵道部が、民營バスの統制に乘り出した事は、戰時下に於ける一大懸案であるだけにその實現を希望し、圓滑なる運用に期待するものである、言ふ迄もなく科學の發達した現代に於ける戰爭は資材戰であり、國家の全經濟力を擧げて戰ふのでなければ最後の勝利を獲得する事が出來ないのである。陸上輸送機關として自動車事業の重要性に鑑み、一時も早く企業の合理化を圖ると共に國防機關としての機能を發揮させる事の急務を痛感するこの見地よりして島內の民營自動車事業は國防的資材を銃後に於いて消耗する事業であるからその經營の適否と運用の遲速に依つては、直ちに國防國家建設に重大影響を及すや論議の餘地がない。本島に於いては夙に陸上運送の統制に着手し、官鐵沿線の並行民營バスの買收を斷行し、局營バス事業を開始したのを始めとして、民營トラツク事業を各州廳別に統合した事など運送統制は着着として進步して來たのである。この度各地方に分散せる民營バスを統合する事となつた事は、戰時體制を整へる上から必要なる對策である。 二 民營バスの統制に對する當局の方針に依れば、高度國防國家建設の上からバス事業に對しては實績主義に依りガソリン及びタイヤの配給を行ふ事が出來ず國策の運用上必要なる線路に對し重點主義を取り、最少量の物資を以て最大の輸送力を圖らねばならない。之が為めにその機能を發揮させる為めには全島の交通體形を整備し、集約的經營に依つて物資の完全利用を期待すべきで、地域的には各州廳別に、經濟的には合理的に區劃する必要がある。その具體案として臺北州下を三、新竹州下二、臺中州四、臺南州三、高雄州二とそれぞれ民營バスの企業合同を斷行し、上記の如き統制の目的を達成する事となつたのである。更に統制に依りガソリンの消費規正を實施すると共に、代用燃料車の普及を計る事となつてゐるから、島內業者としても時勢の推移と國家の要望に應へて、多少の犧牲を拂ふても當局の指示に從ひ企業合同を實行し、陸上輸送機關としての使命を完遂すべきである。これは戰時下に於ける民營バス業者の責務と言ふべきである。 三 企業合同の國家總力戰を達成する上から緊急を要すべきであり、單にバス事業のみでなく、その他の事業に於ても着着として實施を見て居る。自由主義時代に於ける企業合同は獨占利潤の追求に重點を置いて居たので、種種なる弊害があつたが統制經濟下に於ける企業合同は國策の要求に應へて行ふ事であるから、その運用は更に一段と國家の威信を高揚し、少しも不公平なる處置があつてはならないのである、然るに舊體制經濟に慣れて居る一部業者に於ては統制を惡用し、却つて自己利益の追及手段と誤認し、國策の運用を阻害する實例もある。この見地よりして島內に於ける民營バスの統制に對しては、指導當局が飽くまでも嚴正なる立場に立ち、國策達成を目標として運用すべきである。殊に企業合同は弱肉强食の弊があり、公正なる立場に於て經營業者の過去の實績を尊重し、合同統制後に於てもその經營運用を監督し、徒らに高給者を雇傭して負擔を加重すべきでない。真に國策としての交通統制を具現して行く事を希望するものである。 |
02 | 閑院若宮兩殿下 臺東から花蓮港へ御成り |
03 | 蕃屋を御視察 小公學校授業を台覽 |
04 | 屏東に御成り |
05 | 臺灣製糖を御視察 |
06 | 蕃產品を台覽 |
07 | 石門戰跡に御成り 征臺軍の苦戰を偲ばせ給ふ |
08 | 高雄御泊所で 記念撮影遊ばさる |
09 | 遺兒に賜物の光榮 感激の社頭對面次第決定 |
10 | 遺兒達に寄贈品 全國から續續と集る |
11 | 南近臺灣は 日本の中心 挾間元內務次官の感想 |
12 | 皇后陛下 陸軍病院に行啟 |
13 | 宜蘭都市計畫 いよいよ實施 |
14 | 新入女學生に純綿白制服 文教局親心の服地入荷 |
15 | 敢鬪精神に燃ゆ 神洲男兒の氣慨發揮 “魁隊”の野外軍事訓練 |
16 | 精神的體得偉大 田中高級參謀語る |
17 | 武智部隊長談 |
18 | 陳團長談 |
19 | けふ士林で設營演習 廿六日除隊解散 |
20 | 圖像:魁挺身隊の初演習 |
21 | ときのこゑ |
22 | 部落振興研究會 新竹郡舊港庄で開かる 優良部落を表彰 |
23 | 映画案內 |
24 | 辰馬汽船 |
25 | 大連汽船 |
26 | 東亞海運 |
27 | 南日本汽船 |
28 | 大阪商船基隆出帆 |
29 | 日本郵船基隆出帆 |
30 | 訃文:張汪氏璧 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺滿華間のもしもし 愈愈四月一日實施 |
02 | 臺北商工會議所主催 工業臺灣振興展覽會 來る四月下旬頃開催 |
03 | 液化炭酸外十三點の 最高價格を決定 |
04 | 前年より一割五分增加 高雄州の肥料配給 |
05 | 先進地產業視察 |
06 | 簡保年金集金日單一化 來る四月より實施 |
07 | 勸銀支店長會議 |
08 | 和田副頭取 南部及東部視察 |
09 | 昨日府企畫部が 米穀局の跡へ移轉 |
10 | 臺灣鐵線改組 內地の財閥を重役に |
11 | 米優良品種を選定 農民に配付試作 高雄州 |
12 | 灣糖上旬の步留 旗尾工場が最高 |
13 | 米諸調查講習會 |
14 | 正條植を視察 新竹州知事以下が |
15 | 耕地防風林品評會授賞式 |
16 | 彰銀職員異動 |
17 | 砂糖積取船遲延 在庫漸增の狀態 |
18 | 北斗郡氷業者組合結成式 |
19 | 施合發高雄支店長に陳樹木氏任命 |
20 | 照明燈 |
21 | 市價及商況 廿二日 |
22 | 島內現株仲值 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 北斗郡 米多收競作會 各街庄で授賞式 |
02 | 鹿港第一教化區 國語講習所卒業式 |
03 | 各地卒業式 |
04 | 潮州街管內清潔法日程 |
05 | 高雄州下鄉軍大會 來る四月三日屏東で |
06 | 埤頭公學藝會 |
07 | 中壢の古姓は古家に改姓 |
08 | 臺東國講修業式擧行 |
09 | 斗六郡改姓名 續出の有樣 |
10 | 愛婦東港分會あす總會 |
11 | 餞別をその儘軍人援護會に寄附 |
12 | ローカル・セクシヨン |
13 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 時艱克服へ邁進 本社主催時局講演映畫會 大盛況の南投講演會報社消息 |
02 | 米增產と職域奉公 草屯で大獅子吼 |
03 | 大湖神社鎮座祭 廿六日嚴肅に執行 |
04 | 蛇の藥理學的研究(上)/杜聰明 |
05 | 臺南州參事會 |
06 | 臺南州警察會議 |
07 | 誇る“大空の鐵桶陣” 高雄第二地區の防訓 |
08 | 關西實業視察團來嘉 |
09 | 鹽分地帶千餘甲步 北門郡で水田化に力瘤 |
10 | 來場歡迎 時局講演映畫會 臺中州下の開催日割報社消息 |
11 | 臺中市營住宅 きのふ地鎮祭執行 |
12 | 保育園兒行方不明 修了證書を手にした儘 |
13 | 物資輸送懇談會 |
14 | 人事往來 |
15 | 消息 |
16 | 訃文:卓登桂 |
17 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 學藝 廣東の春(上)/大智勝觀海外遊記 デルタ地帶 孫文がゐた頃だから今からもう三十年前にもならう。私は蘇州、杭州、楊州と遊歷した。別に目的があったわけではなく、強いて目的といへば、中支に於ける風物に接して、スケッチを心ゆくばかり試みたいからであった。 それが今度はからずも好都合に、南支を觀ることが出來たのである、年來の宿望が達せられたのであった。南支の、殊に皇軍が活躍してゐる最中を、軍の斡旋で、隅なくといふではなくも、戰備多忙を極める中を思ひの外多くの場所に、牛歩を運び得たのは近年にない快心事であった。歸って見ると、來年は今度は北支の方に脚をのばして見たいなどの野望を抱くやうにさへなった。 南支に來て、といっても南支は廣く、私のいふ南支は珠江を中心にした廣東一帶を指す南支であるが、これは日本畫になるわいと思ったのは、デルタ地帶であった。 珠江をさかのぼって、四通八達の、網の目のやうに支流が交叉してゐる。この三角地帶は日本流にいへばこれは全くの水鄉で、廣東の入口を複雜に塞いでゐる。この水鄉は支那でも最大のものらしく、揚子江にもあるといふが、到底珠江のそれに比すべくもないといふことである。 亞熱帶地方特有の、あのギラギラした光線もなく、三月は、南支でも矢張り春らしく、檳榔樹の花が咲き、陽炎が立ちのぼるといった、駘蕩たる陽氣である。ただ、都市にある南國風な色彩の濃い建物だけが、さうした色彩に相應しい強い陽光を、二ヶ月か三ヶ月先きにはうけとるのであらうと想像される位のものであった。 水鄉だけに、田面は薄綠の水稻で蔽はれてゐたが、畔を流れる小川には悠悠と家鴨がいでいかにも平和な境涯に見えた。 見はるかすこの水鄉のどこに一體住民は居るのであらうか。家鴨はそも誰の所有にかかるのであらう。田圃の綠をぬひ取ったやうに生えた芭蕉などの熱帶樹の間から窺っても、土民の住民らしいものは一向に發見出來なかった。太古のやうなしづもりで、家鴨の外は小鳥の羽音さへ聞くことが出來なかった。 然るにこのデルタ地帶には、彼の皇軍を惱した中山縣城もあり、大小無數の都邑が、この水鄉の中に散在し、生生の日を送ってゐる。偉なる哉、大なる哉の感慨を催させる。 私は、南支、殊にこの洗江のデルタ地帶が日本畫の素材になるといったのは、かうした風致を讚嘆して云ってゐるのである 關西地方に見るやうな、茶褐色も濃い地の色、明るいのでない、くろずんだ茶褐色の持つ落ちつき、それに配した茶色の水すべて詩韻はゆたかにたゆたふた風景であった。 支那全土で穫れる米の幾割かを、この水鄉のデルタ地帶で舉げてゐると說明されて、私は驚嘆の瞳を、もう一度渺渺としたデルタ地帶の上に馳せたのであった。 (筆者は美術院同人日本畫家) |
02 | ラヂオ |
03 | 心聲漢詩 次韻和謝尊五翁七十書懷 其一/黃純青、次韻和謝尊五翁七十書懷 其二/黃純青、次梅樵先生韵/陳雲翔、次韵/施天福、疊前韵贈天福/施梅樵 |
04 | 新刊紹介 |
05 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 上高縣城指呼の間 砲聲贛北山野を壓す頭條新聞 【江西○○二十三日發同盟】敵の牙城上高縣城を中心に二十二日朝來開始された殲滅戰は愈愈最高潮に達し上高を死守すべく死に物狂ひの抵抗を續ける羅卓英麾下約一萬五千は我が至妙なる包圍に刻刻その命脈を斷たれ同日夕刻我が精銳部隊は上高五粁の線に夫夫肉薄縣城を指呼の間に臨みつつ最後の猛攻を展開これに呼應して敵の頭上に銃爆擊を加へる陸鷲の協力と共に上高縣城の陷落は今明日中に迫つた、卽ち小川、長野、大塚の諸部隊は二十二日夕刻上高西北五粁下華家山並に上高東北五粁下陂橋の敵堅陣に肉薄二十三日朝來彼我の攻防戰は愈愈激烈を極めつつある一方二十日上高東方十三粁泗溪の敵陣に迫つた佐藤、田川、大賀の各精銳部隊は敵五十七師の意表を衝いて猛攻を續行一部は二十一日敵堅壘の側面を衝き二十二日終日に亘り頑敵を猛攻又二十日錦江南岸地區に忽然と現はれ敵第七十四軍主力の退路を遮斷した坂本、野村森重等の諸部隊は錦江北岸進擊部隊の猛攻に呼應して二十一日午前九時盧家墟(上高東方十五粁)に進出二十二日には敵の堡壘を相次いで潰滅して同日夕刻上高西南十粁溪樹嶺を占據名狀し難い大混亂に陷つて上高周邊に潰亂する敵に痛烈なる猛攻を繼續地軸を撼がすわが砲聲は贛北の山野を壓し淒絕極りない |
02 | 上高北側高地に進出 |
03 | 殲滅戰を續行中(江南作戰) 廿三日までの我が軍進擊概況 |
04 | 江南作戰の戰果 |
05 | 海南島內掃蕩の戰果 |
06 | 翼贊會改組の斷行 四月上旬實現不能か |
07 | 議院俱樂部は當分現狀存續 |
08 | 豫期以上の成果 翼贊會地方支部長有志協議會 |
09 | 增產協力體制へ 翼贊會、道府縣協力會議に對し 指示事項を傳達す |
10 | 汪主席と一問一答 還都一周年愈よ近し |
11 | 獨の英通商破壞戰 主力艦を出動させん |
12 | 全島教育課長會議 |
13 | 新不可侵協定 ソ、土間に締結されん |
14 | 松岡外相 滯ソ中日程 |
15 | 青木顧問歸朝 船中にて語る |
16 | 駐日洪國公使ヴ氏を任命 |
17 | 米艦隊七隻 ブリスベーンへ |
18 | 「拓南青年訓練所」 拓南塾と並んで誕生 南への人材を養成す |
19 | ソ聯極東正面軍 司令官を更迭 ア大將任命さる |
20 | 一千萬米弗の起債を行ふ 蔣政權、米市場で |
21 | 新石油法案 墨國上院を通過 |
22 | 今日の天氣 |
23 | 大連汽船 |
24 | 東亞海運 |
25 | 南日本汽船 |
26 | 大阪商船基隆出帆 |
27 | 日本郵船基隆出帆 |
28 | 辰馬汽船 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 閑院若宮兩殿下 砂金採取の實況を御視察 |
02 | 移民狀況を御聽取 瀨川氏宅に御立寄あらせらる |
03 | 群山に初夏の色 花蓮港へ御成りの沿道 |
04 | 本島人兒童劍舞を台覽 |
05 | 戰歿勇士慰靈供養 昨日嚴かに執行さる |
06 | 堂堂大稻埕を行進 榮えの隊旗を先頭に 魁挺身隊 |
07 | 臺灣神社に參拜後 士林で天幕野營訓練 |
08 | 是非お國の為に 一隊員の祖母の感激談 |
09 | 自家保有米を献納 農民の健氣な運動に農林省感激 |
10 | 青年校生徒體力檢定會 |
11 | 總督官邸に弓道場 昨日盛大に弓場開き |
12 | 長谷川總督夫人 廿五日に上京 |
13 | 中等校入試 けふ第二次考查 |
14 | 鄉軍新竹市分會の射擊大會 |
15 | 新設の臺大工學部 部長、教授陣容の整備と 校舍敷地の決定を急ぐ |
16 | 新嘉坡の危險水域擴大 英人の對日通信も警戒 |
17 | 羅東郡分會武道大會 |
18 | 薄給街庄吏員に朗報 臺北州共濟組合近く誕生 |
19 | 羅東郡街庄視察團出發 |
20 | 東大醫學部入學者 |
21 | 神戶商大全勝 對全島學生選拔庭球試合 |
22 | 警官練習所卒業式 |
23 | 基隆の共學 四十八名許可 |
24 | 新竹州戰病歿警察職員招魂祭 四月一日に擧行 |
25 | 廿四日創立總會を開催 白粉製造組合 |
26 | 臨床座談會 |
27 | 選拔中等野球 昨日より開幕 |
28 | 岐阜商、海南中勝つ |
29 | 落成式を擧行 新竹市修禮堂 |
30 | 學生服配給組合で一手扱ひ 生徒兒童の服地 |
31 | 創立總會開催 臺灣石鹼齒磨藥粧品小間物統制組合 |
32 | 日糖新竹製糖工場內のボヤ |
33 | 人事・消息 |
34 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 最近の南洋華僑 親日氣分が濃厚 陳嘉庚も愈よ轉向か |
02 | 臺南市區劃變更 來月一日より實施 |
03 | 時局恤兵展あすより臺中市で |
04 | 民心安定に重點 臺南州警察會議で協議 |
05 | 臺南市參事會 |
06 | 東大學生一行 廿三日來南 |
07 | 出ない“銀の首” 若き史家一行失望 |
08 | 來場歡迎 時局講演映畫會 臺中州下の開催日割報社消息 |
09 | 水稻多收競作會 大溪郡で審查會 |
10 | 皇軍に絕對信任 本社主催時局講演映畫大會 埔里街で大熱演報社消息 |
11 | 彰化青年學校卒業式 |
12 | 豚肉に切符制 嘉義市四月一日から |
13 | 大量船腹を廻船(高雄) |
14 | 教化紙芝居指導會(臺南) |
15 | 行方不明の保育園兒發見 |
16 | 消息報社消息 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 學藝 廣東の春(中)/大智勝觀海外遊記 蛋民族 デルタ地帶の蔭に、スイスイ櫓の音をきしませてよきる蛋民族の舟、蛋民族は、支南特有のものらしく、珠江には到るところこの蛋民船が群集してゐる 蛋民船の中には頭領船といふのが必ずある。その親舟を中心に蝟集してゐるのである。船ごと料理屋に造ってあるのもあれば、遊廓になってゐるのもある。冠婚葬祭、一生のすべてをこの船の中に過ごす彼等の生活は一種のボヘミアンの生活である 廣東に近いほどこの蛋民船も多く、珠江だけでもその五萬から十萬はあらうといふ遠く我が太平時代の因果にある型のものや弘法大師入唐當時あった、櫓を組んだのもあった。 野菜などを積んで遙遙やってくる大型のになると、水車がある廣東へ出たがる男を無料で乘船させる代り、水車を踏ませるといふ。野菜や薪炭を賣り歩く小型のが、大型の中をひ潜って交易をしてゐる。 蛋民族のうちでも、珠江の下流にゐるのは住居を持ってゐる。どんな增水にも堪へるやうに三角洲の橫に、水中高く作られたその住居はシンガポール邊りにも見る士人の住居と軌を一にしてゐるが、ここの蛋民族は風流韻事を解するとでもいふのであらうか、蘭の鉢植などを持って丹誠をこめてゐる。 三月は、廣東さくらが真盛りである。この花は遠くで望むと、櫻のやうで、近づくと躑躅の花に似てゐる。 洲濱型の葉がついてゐた。日本流に廣東ざくらとはいったものの、支那でのほんとうの植物名は何といふのであらうか、同行の飛田山岡美彦も知らなかった。廣東周邊になるとこの花が非常に多く、蛋民船に搖られながら珠江をさかのぼり、遠くこれを眺めたらどんな感興が湧くか、私はこの趣をいまだ解するに至ってゐない。政治上軍事上大變重大な意義を持つ南支であるといふが、南支の文化方面に於けることには全くの素人である私はもう少し下調查をした上で來るのであったにと殘念に思った。 丹色の花をつけるスピカツラは南方の陽にもしぼまず、屋根や竹の四ツ目に這ふ憂草で、この頃ではこれを花としての觀賞や暑熱よけの代りに重用するよりむしろ防空の用を果させるため植ゑてゐるのだといふ。皇軍によって完全に治安の保たれてゐる昨今、防空用といへば差しづめ蔣軍の空爆にそなへてのカモフラージであらうが、それさへこの頃では氣力がなく敢行出來ないといふから、この美しい自然の憂草も、また本來の花に還ってベランダや窓を飾るであらう。そして平和な美しさが三月の廣東を一層引立たせるであらう。 |
02 | かくれん坊(三)/瞳兒 |
03 | ラヂオ |
04 | 海外豆ニュース |
05 | 心聲漢詩 養疴北投奉答覺齋贈句/夢周生、次可軒先生瑤韻 栽樹/嘯庵、尋梅/嘯庵 |
06 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 紅海灣(北岸)に奇襲上陸 ○○方面に猛進中 |
02 | 小林部隊汕尾を奇襲 |
03 | 潮陽縣城を確保 |
04 | 南支方面作戰宣言 |
05 | 海軍部隊の大戰果(三月中旬) |
06 | 松岡外相、莫斯科着 日程を終へて今夜一路伯林へ |
07 | ユ國、樞軸接近確實 パ攝政、內閣改造成功 |
08 | 獨の新物價政策 飽く迄も民間資本の イニシアチヴを許す |
09 | 三國同盟の重要性 歐洲に偉大な貢献 獨紙の論說 |
10 | 英に惡性インフレ 尨大な戰費の支出で |
11 | 日、獨、伊三國の 在鄉軍人團體 相互連絡提携を約す |
12 | 臨時司法長官會同 兩法施行に關し懇談 |
13 | 圖像:西尾大將白衣の勇士慰問 |
14 | 飛行機は充分 英航空機製作相 ラヂオ放送 |
15 | 獨機、マルタ島攻擊 英護送船團を襲ふ |
16 | 海空兩軍猛活躍 |
17 | 伊首相大演說 フアシスト結黨廿二周年記念日 |
18 | 造船所建設を 研究中 墨國內數ケ所に |
19 | 重慶當局、米に使節團を派遣 鐵路建設のため |
20 | 物價統制協力會議 中央、地方を通じて再組織 |
21 | 大サワラ沙漠 橫斷鐵道建設 佛政府、法令公布 |
22 | 英に貸與する商船四百隻 建造を計畫中 |
23 | 明日の天氣 |
24 | 水滸傳(368)/黃得時;榎本真砂夫 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新四軍問題を繞り 國共の摩擦深刻化 重慶政權愈よ最後の斷崖へ |
02 | 晴の社頭對面迫る 鈴木大將が說く遺兒達の心構へ |
03 | 臺大卒業式 |
04 | 總督の訓示 |
05 | 閑院若宮兩殿下 御歸北後の御機嫌奉伺 |
06 | “護れ!吾等の大空” 基隆市の講演會盛況 |
07 | 四氏の講演要旨 |
08 | 魁隊の射擊訓練 大半甲の部の上成績 |
09 | 盲啞教育事業に 親子三代が盡瘁 木村校長に輝く表彰狀 |
10 | 同風國講修了式 |
11 | 本社林主筆が特別放送報社消息 |
12 | 神戶商大對全臺灣選拔軍庭球試合 |
13 | 女給の鐵道自殺 |
14 | 人事・消息 |
15 | 今夜の放送 |
16 | 商況 廿四日前場 |
17 | 映画案內 |
18 | 興南岸內報社消息 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 亞細亞の旗(114)/小栗虫太郎;坂本仁 |
02 | 家庭・婦人 教育相談 智能の低い早產兒 氣分に張りを持たせるには |
03 | 運動競技を重視する 中等學校に入れなさい |
04 | 圖像:正しい慰問品の送り方 |
05 | 圖像:春の更生服(一) |
06 | 春と精神病 狂人ばかりか普通人でも 心が不安定に噪ぎたがる |
07 | 經濟相談 |
08 | 魚を用ひたお汁 美味しい作り方 |
09 | 鰯の空揚 |
10 | 新入學生の服 |
11 | 白菜の豆乳煮 |
12 | 草花の水揚法 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語學習 安平のお城跡に建つ 快傑濱田彌兵衛の碑 蘭人を震え上らせた 三百餘年前の思ひ出 |
02 | 公學校を卒業した 全島の諸君に!/谷垣藤三郎 |
03 | 旅路の夢にさへ見る お父樣に對面の日 靖國の遺兒束京へ |
04 | 近頃の出來事 三月十三日─三月二十日 |
05 | 本島人少年最初の 陸の若鷲巢立つ 兵長の肩章輝かして |
06 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇軍部隊續續入城 潮陽民眾の歡迎裡に頭條新聞 【廣東省○○二十四日發同盟】現地軍報道部發表 南支派遣軍大部隊は廿三日夜半闇夜を衝いて達濠水道附近の敵前上陸を敢行し同地點に集結後陸鷲櫻田部隊の協力下に黎明を期し一齊に潮陽の總攻擊を開始し我奇襲に周章狼狽敗走する敵を各所に擊滅しつつ二十四日午前七時四十分潮汕地區密輸援蔣の一據點潮陽縣城に突入、これを確保せり坂本、岡崎、北川柏原、大石、古函、高橋、淺野、笹野の各部隊も潮陽民眾の歡迎裡に續續と入城目下殘敵掃蕩中なり更に主力大部隊は市內及び附近の陣地より潰走する敵を追つて將軍山、塔山に猛進擊を續けつつあり |
02 | 海軍部隊、陸軍を援護 |
03 | 遮斷線百粁に及ぶ 第四次航行遮斷宣言の効果 |
04 | 目的を達成 洪國外相歸國 |
05 | ガソリン千五百鑵を押收 |
06 | 隨所に敵を殲滅(江南戰況) |
07 | 西方に戰果を擴張 |
08 | 郎溪並に敗走集團軍に巨彈 |
09 | 上高を完全に占領 |
10 | 敗走の敵を猛擊 |
11 | オルドスにも肅清戰 |
12 | 東條陸相歸還 華北、蒙疆視察を終へ |
13 | 陸相立川着 |
14 | 第一線までもよく 中央の意圖が浸徹 陸相視察談 |
15 | けふ最後の本會議 政府、議會一體化の實を擧げて あす閉院式を擧行 |
16 | ソ聯當局の歡待に感謝 外相西伯利亞橫斷の感想 |
17 | 警防協會代議員會議開かる |
18 | 月末準備委員會 來月早早發會式 皇民奉公會愈發足へ |
19 | 軍部側の意見聽取 改組案の成立を急ぐ |
20 | 陸軍側の意向 近日中政府に提示 |
21 | 副總裁を置くか |
22 | 農業團體の統合 連絡協議會に落着かん |
23 | 有志議員間 微妙に動く |
24 | けふの兩院 |
25 | 大連汽船 |
26 | 東亞海運 |
27 | 南日本汽船 |
28 | 大阪商船基隆出帆 |
29 | 日本郵船基隆出帆 |
30 | 辰馬汽船 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 東亞資源の確保と臺灣社說 一 世界の新經濟情勢に卽應し、事變の處理乃至我が國是たる東亞新秩序建設の前提として、國家が要請する國防國家體制の確立が、刻下の國際情勢から見ていよいよ急務であることは、今更論を俟たざるところである、殊に太平洋の波が漸く高からんとし、南方を繞る國際情勢亦愈愈緊迫を吿げる秋に當り、之に對應して我が國が速に經濟新體制の下に國內重要產業を飛躍的に進展せしめ、且つ經濟的獨自性を保持せしめるには、少く共東亞共榮圈內に於て戰時資源は勿論のこと、其他の基礎的資源の自給自足を期することの重大なることは、旣に識者に依つて指摘されたところである、近代戰を以て國家總力戰となし、而も總ゆる資源が戰時に於ける戰力決定の一大要因なりとするならば、資源獲得の重要は今日以上に切實なるはないのである。 二 然らば今日我が國に包藏する資源の分布狀態は如何であらうか、一一點檢するまでもなくその種類甚だ多く、而も所謂多種多樣ではあるが之を近代工業の發展動力としてより以上に飛躍せしめ、或は近代戰を賄つて行かんとするには、未だ之を以て十分なりとは稱し得ないのである、卽ち戰時資源と謂はれる金屬類、非鐵金屬類、織物用纖維類、脂肪類、食料及工業用原料としての農林、水產、畜產物等が重點中の重點であると云はなければならない、之は主として今後に於ける日滿支一體經濟の運營と、東亞共榮圈の確保に依つて解決さるべき問題であり、換言すれば斯る意味に於ける日滿支一體經濟の培養領域として東亞共榮圈をしつかりと把握することこそ今後我が國に賦課された重大な使命である 三 日滿支一體經濟の運營上、躍進途上に在る滿洲國に課せられた當面最大の役割は、產業の開發、特に鐵、石炭、大豆其他の特產物の增產に全力が注がれ、東亞共榮圈確立の中核たる日本のために、その求める物資を能ふ限り供給することであらうし、又支那に最も期待するものは今のところ石炭、アンチモニー等あるがこの外タングステンマグネサイト、鐵鑛、棉花等の確保が可能とされてゐるので今後に於ける治安の維持、開發の進展に依つて更に多種多數の資源の自給度が高め得られることは明白である、次に南方共榮圈の資源に至つては、石油、ゴム錫、鉛、ボーキサイト、棉花、羊毛、鐵鑛、米、砂糖、纖維類等一一枚擧する遑もなく實に豐富にして多種多樣でありその中には我が國防上、產業上、是非共確保すべき資源が甚だ多く從つて之に對する期待も大きく愈愈以て大東亞共榮圈の使命役割の重大さが一層切實に痛感されるのである 四 飜つて東亞共榮圈の一翼を負ひ、南進經濟基地としての重大使命を有する本島に包藏する資源狀態を見るに、農林、工業、水產、鑛物其他見るべきもの多く、而も企業として有望視されてゐるのが多多ある、之に着眼して最近內地に於ける有力なる實業家が續續と踵を接して來臺し、本島又は南方共榮圈の資源を利用して企業化し、又は工業化せしめんと企圖しつつあるは島內に於て豐富なる電力、低廉なる勞銀、自給に足る石炭等の條件が具備されてゐるためである、而して今後我が國として南方を市場とすべきものであるとすれば、南方資源の確保も結局は本島に於ける經濟的優位を利用して、十分に活用すべきであるとの結論が下され、この點本島工業化を念願する官民に於て周到なる硏究調查が進められなければならぬと確信する次第である |
02 | 閑院若宮兩殿下 花蓮港から海路御歸北 工研と熱研を御視察 |
03 | 神鎮る新合祀英靈 一萬四千九百七十六柱發表 |
04 | 臺灣關係の合祀者 |
05 | 鄉軍大會 三日宜蘭で開く |
06 | 宜蘭市聯合青年團查閱 |
07 | 偲ぶ不滅の偉勳 兄の手で育む 故清水喜代美少將宅 |
08 | 長男は見事幼年校合格 喜び重なる小林少佐の家 |
09 | 漢口を前に戰死 兄の武勳を語る煙草大尉の家庭 |
10 | 南京に散る 孝行息子永富上等兵 |
11 | “僕も軍人になる” 故筒井上等兵の遺兒 |
12 | 故松田上等兵の遺族宅 |
13 | 盆栽愛好家 合祀される 故岩崎上等兵 |
14 | 本間軍司令官 宜蘭を初巡視 |
15 | 防空思想普及 講演會 一日市公會堂で |
16 | 新竹市春季國演會好成績 |
17 | 譽れの遺兒達に 嚴格な生活 宿舍食事に萬全の準備 |
18 | 臺灣炭業組合 新竹支部誕生 |
19 | 本島軍事功勞者 軍司令部で授贈式擧行 |
20 | 無斷出入禁止 臺北州廳防諜規程 四日一日から實施 |
21 | けふ電氣記念日 臺灣電氣協會から 小冊子電氣心得配布 |
22 | 少年保護記念日行事 昨日公會堂で關係者が打合 |
23 | 全國的に最優位 健康地新竹州の出產率 |
24 | 巢立つ海の戰士 府水產講習所卒業式 |
25 | 羅東街繁榮策 協議會員が評定 |
26 | 圓環露店移轉 日新公前空地に |
27 | 州下各私立中等校の入試 |
28 | ときのこゑ |
29 | マニラ邦人第二世 母國訪問の為近く寄臺 |
30 | 宜蘭品評會 褒賞授與式 |
31 | 新竹州肥料配給事務打合會 |
32 | 白絞油を配給 基隆市に多量入荷 |
33 | 東邦勝つ |
34 | 鐵道部人事異動 |
35 | 人事・消息 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | クラフトパルプと 包裝紙製造を企圖 灣糖、本年中に着手 |
02 | 臺北市 米穀配給組合 四月一日より開業 |
03 | 臺中州柑橘組合 青果菜組合と合併 來る廿八日の總會で附議 |
04 | 北斗郡獸肉商組合總會 |
05 | 滿炭の發展的(上) 解消方針決定 劃期的增產實現のため |
06 | 自給肥料增產 審查會授賞式 |
07 | 臺灣炭組海山郡支部 廿八日發會式を擧行 |
08 | 臺灣炭業組合 近く第一回協議會 |
09 | 富榮證券重役 三木、藤本兩氏來臺 |
10 | 臺北州自動車運輸配當六分据置 |
11 | 水上聯合組合で 荷役合理化に着手 |
12 | 大汽壽山丸愈愈就航 卅一日基隆へ初入港 |
13 | 員林郡產組通常總會日割 |
14 | 屏東諸競作品評會 褒賞授與式擧行 |
15 | 新興製糖減產 產糖十五萬二千餘擔 |
16 | 臺灣木材移入組合 四月下旬頃設立 |
17 | 代用食並標語繪畫展覽會 |
18 | 新營郡農事實行組合長會議 |
19 | 養豚增殖競技會 新高で打合會開催 |
20 | 臺北州自動車運輸會社社屋落成 |
21 | 日糖崁子脚工場 壓搾終了 |
22 | 淡水諸競作會 盛大なる授賞式 |
23 | 臺東市場の青物消費量漸次增加 |
24 | 照明燈 |
25 | 市價及商況 廿四日 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 特に待避動作に 主眼置いて訓練 北港街空訓終る |
02 | 麻豆街の空訓 廿五、六日に施行 |
03 | 在鄉軍人會 員林分會行事 |
04 | 臺東公校の愛國奉仕日 |
05 | 溪湖街諸國講所聯合修了式 |
06 | 龍井の指導階級 正條密植を獎勵 |
07 | 烏日庄主催 國民精動大會 |
08 | 東石實踐女校で 謝恩會を開催 |
09 | 改姓名記念に献金 |
10 | 新化神社御造營に 郡職員が作業奉仕 |
11 | 三峽街納稅表彰 廿二日街公會堂で |
12 | 東石報國興農會 廿三日總會を開く |
13 | 蘇周連三姓は武富に改姓決定 |
14 | 竹田公訓導李氏改姓名 |
15 | 新竹郡カフエ業者組合□る |
16 | 新化砂糖小賣商組合定期總會 |
17 | 牛馬飼養管理競技會授賞式 |
18 | 臺東市場の金庫 錠前破らる |
19 | ローカル・セクシヨン |
20 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 官民一つの立場で 時局講演會を開催 臺南州下の各市郡で報社消息 |
02 | 白衣勇士を慰問 臺中つぼみ會を招き |
03 | 金鵄勳章傳達式 |
04 | 高雄州商聯總會(三十一日) |
05 | 蛇の藥理學的研究(中)/杜聰明 |
06 | 鄉土防空に萬全 高雄州下で綠化計畫 |
07 | 社會教化大會 廿七日彰化市で |
08 | 彰化鄉軍強行軍實施 |
09 | 臺中州物價委員會 州會議室で開催 |
10 | 貯水槽を設置 高雄市の四小公學校 |
11 | 彰化紙芝居講習會 |
12 | けふ愈よ開幕 臺中の時局恤兵展 |
13 | 高雄州商聯會館を建設 |
14 | 完納市郡續出 頰笑しい臺南州納稅 |
15 | 嘉義地方も好成績 |
16 | 林產振興座談會 彰化郡役所で開催 |
17 | 全島市議員協議會 來月廿六日、屏東高女で |
18 | 時局關係映畫會(彰化) |
19 | 臺中第二高女 近日中に生徒募集 |
20 | 新化郡藥業組合役員會 |
21 | 軍馬に御馳走 茶殼を集めて献納 |
22 | 花蓮港市の空訓 廿四日より緊張裡に開幕 |
23 | 來場歡迎 時局講演映畫會 臺中州下の開催日割報社消息 |
24 | 彰化市青年學校卒業式 |
25 | 特設國語講習所講習會 |
26 | 香奠返しに献金 |
27 | 高雄州街庄職員共濟會成立 |
28 | 臺中市營住宅 廿二日地鎮祭 |
29 | 養豚增殖打合會(彰化市) |
30 | 屏東公館公卒業式 |
31 | 河川の浮覆地 食糧增產に一役 |
32 | 彰化市の兩組合解散 |
33 | 消息 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 學藝 廣東の春(下)/大智勝觀海外遊記 端溪 折角だからといって私達は珠江上流の端溪にまで赴いた。端溪は硯の產地で、支那の名硯はすべてここから出てゐる。日本にも昔から紹介されてゐた。今は入手が却却困難になった。 端溪のものは、少し黑味勝った小豆色を呈してゐるが、持ち歸ったものは大したものではないと思ふ。この地方には墨もとれ、二、三ヶ所名產地がある。事變直後その最も良質のものの產地を故意に廣東の中央軍が爆破したため全く產出しなくなったといふ。焦土戰術上かかることを敢てしたのであらうが、古い文化を誇る支那のためには全く痛嘆事であると思った。 墨はもとより、柔かくなく硬くないのがよい。殊に硬いのは硯を減らし、おりがよくないものである。その點では矢張り何といつも萬曆(明墨)ものがよく年號の入ったそれらに越すものはない。ほんとうは南支のものより、中支によいのがある筈で、明墨なども中で多くとれたやうだ。日本に古來から渡來したものも、その種のものだった。橫山大観氏は、大變よい墨を持ってゐられると聞いてゐるが、矢張り明墨などであらう。大名華族や名家には、今も猶さういった名墨が残ってゐる筈であるが、それが、そんなにも貴いものかといふことは、一般には知られてゐないやうである。支那の大官達も、矢張り昔の墨を珍藏してゐる。今後は殆ど產出しない輸入もされないから明治初期前に大量に輸入されたそして今も所所方方に散らばってゐるこれらの名墨を徐徐に用ひてゆくことより他に手はないと思ふ。 これは墨ばかりに限ったことでなく、紙やその他にも通じて言へる。人間が文化的になると、高い鑑識眼を持つものが尠くなる。名墨で描いてもまた書いても、世の人はそれを高く評貸したり珍重がつたりしなくなったゆっくり味ふ人がゐなくなって來たのである 廣東附近から出る墨も、その點では譯のわからないものばかりで粗製のものが多かった印材なども、ろくなものはない有樣で、かういった方面のことは、廣東では、私達は大きな失望を持って歸っただけであった。 南支は前にも書いた通り、矢張り文化的には意義を喪失しつつあるといへる。軍事的、政治的に、大きい意義を持ちはぢじめたこの頃であるから、當分は止むを得ないに違ひないが、然し遠く端溪をほこった時代は再びやって來ないであらうことは、云ひ得ると思ふ ただ畫家として、墨が決定的な役割を持ってゐない昨今、さう痛痒とはなってゐない。これは不幸中の幸であるかも知れない。 水銀が非常に拂底してゐる為め或種の畫家には朱の不足が痛感されてゐると思ふが、私にはそれさへない。一體日本畫家は、今度の支那事變でも、洋畫家のやうに繪具不足に惱まされることはなかった、釜泥や金箔の使用が大變窮屈になったとはいへそれはそれなりに別の趣向で過ごせるものである。日本家畫といへども、高度國防國家建設の為めには、大に職域奉公をしなければならない。 洋畫家にカンパスが不足してゐるのに對し日本畫家にはこの頃繪絹より洋紙が不足して困ってゐることは事實である。特殊の紙屋に漉かしてゐたものが、この頃ではそれが充分にゆかなくなった。然しこれとて日本畫家にとって根本の問題ではなく、致命的問題と言ふほどのこともない。 |
02 | ノートルダムの傴僂男 廿八日より大世界館で |
03 | 南洋を踏破して(上)/竹下康國 |
04 | 新着圖書 臺灣總督府圖書館 |
05 | 珊瑚樹 流る、廣津 改造の失望作 |
06 | 圖像:難民行(獨立展)/清水登之 |
07 | ラヂオ |
08 | 家鴨/邱炳南 |
09 | 學藝消息 |
10 | 心聲漢詩 晴園落成移居戲作/黃純青、次韻和謝尊五翁七十書懷 其三/黃純青、漢詩習作作品 迎年菊(三)/吳步初、漢詩習作作品 迎年菊(三)/吳步初、漢詩習作作品 迎年菊(三)/林漱石、漢詩習作作品 迎年菊(三)/肖嵓、漢詩習作作品 迎年菊(三)/肖嵓、漢詩習作作品 迎年菊(三)/丹丘子、漢詩習作作品 迎年菊(三)/丹丘子、漢詩習作作品 迎年菊(三)/丘石莊、漢詩習作作品 迎年菊(三)/丘石莊、漢詩習作作品 迎年菊(三)/洪元煌 |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 翼贊會の改組大綱 各方面の意見聽取終る |
02 | 翼贊會改組斷行の 主體手續きに苦慮 |
03 | 圖像:堂堂宜豐爆擊に向ふ陸の荒鷲 |
04 | 委員會制に反對 翼贊會中堅層態度強硬 |
05 | スターリンと會見 松岡外相の滯露動靜 |
06 | 外相一行露都を出發 |
07 | 議員俱樂部理事會 |
08 | 敵最後の防禦線を猛攻(江南) |
09 | 獨空軍の猛活躍 |
10 | 兩院とも議事終了 愈よあす閉院式擧行 |
11 | 最後の貴院本會議 |
12 | 翼贊會の政府聲明 富田翰長眾院で說明 |
13 | 靜かな最後の翼贊議會風景 |
14 | 國府の總兵力四十萬 第一次全國軍事會議招集 陸海空軍の再建へ邁進 |
15 | 比島、アラスカに 二海軍基地增設 |
16 | 七十億弗の豫算案 米上院で可決 |
17 | 肥料配給問題 重政部長言明 |
18 | 生活資金の科學研究 翼贊會公債消化力調查委員會 |
19 | 資金局長中村氏 北支開發に轉出 |
20 | 破損英艦を米國で修理 |
21 | ユ國の樞軸接近に英が抗議 |
22 | 佛護送船團の通過を默認 ヂ港の英軍艦 |
23 | 明日の天氣 |
24 | 水滸傳(369)/黃得時;榎本真砂夫 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 閑院若宮兩殿下 甲板に出でさせ給ひ 奉送者に御會釋を賜ふ 花蓮港御出發の御模樣 |
02 | 基隆に御上陸 御遺跡所に御成り |
03 | 金瓜石を御視察 全山の感激一人 |
04 | 松本記念館に御成 |
05 | 臺北に御歸還 各地を御視察遊ばされ |
06 | 工研、熱研を御視察 |
07 | 新考查法の 非難は當らず 學力低下は出題不適切 文部省實地考查で指摘 |
08 | 光榮の貴州丸 佐佐木事務長の感激 |
09 | 富士丸出帆 |
10 | 新竹水道擴張工事の起工式 廿九日に擧行 |
11 | 遺兒部隊續續入京 沖繩部隊を先頭に |
12 | 遺家族慰安映畫會(卅一日公會堂) |
13 | 白衣勇士內地へ けふ出帆の便船で |
14 | 新竹州地方吏員養成所卒業式 |
15 | 神宮大會出場者 體力檢定合格者に限定 |
16 | 乳幼兒保育所 全國に四千五百個所增設 |
17 | 警察官甲科修了式 けふ練習所で擧行 |
18 | 熊工、下關勝つ |
19 | 調停成立の報に 泰國人は大感激 貨物船玄山丸けふ基隆に寄港 |
20 | 石田臺北憲兵隊長 廿七日臺中臺南初度巡視へ |
21 | “正常步”練習會 廿七、八兩日建成小で |
22 | テロ行為封鎖に 重慶側銀行員大量拘引 |
23 | 上海にテロ頻發 中國銀行、中央銀行襲擊さる |
24 | 中央銀行上海分行一時閉鎖 |
25 | 清水經理部長 けふ本社を訪問報社消息 |
26 | 日獨鄉軍の活動 相互に情況交換 |
27 | 臺灣水道總會 けふ基隆で開かる 次回開催地屏東に決定 |
28 | 改姓名虎の卷 一般の參考に 龍山寺事務所に備付 |
29 | 豆產業戰士 特別列車で帝都入り |
30 | 人事・消息 |
31 | 商況 廿五日前場 |
32 | 映画案內 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 亞細亞の旗(115)/小栗虫太郎;坂本仁 |
02 | 家庭・婦人 家庭防空群に就て (一)/三木秀三 |
03 | 春先の憂鬱 胃腸障害の人に多い 季節の食品に御注意 |
04 | 圖像:ロンドンにアラモード |
05 | 美味しい調理と 燃料の經濟に 落し蓋を利用しませう |
06 | 人生第一課 新入學を前に 家庭で注意したいこと |
07 | 經濟相談 |
08 | 榮養ホツトケーキ |
09 | 鮪のほうれん草卷 |
10 | 洗ひ粉の作り方 |
11 | ちり蒸し |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 國語學習 海軍省が指導して 潛水艦映畫を作る 輝く海軍記念日に 全國各地で初公開 |
02 | 給仕しながら勉強つづけ 美事“陸の若鷲”に 新竹の楊青山君 |
03 | 人間の真似をする チンバンヂーの話 |
04 | 功績をたたえて 新領土に首相の名 タイ國民の感謝 |
05 | 三月十一日を 國祭日に 泰國のよろこび |
06 | 春をうたつた名句 |
07 | 四十キロノオホダコ 二マイノタタミニ 一パイニナリマシタ |
08 | 食べ物もなくなつた 香港の今日此頃 |
09 | 河原や河の中に 素敵な空地發見 美事な畑になります |
10 | 讀みにくい所の名 |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 要衝海豐を攻略す 城內の掃蕩を完了頭條新聞 【廣東二十五日發同盟】南支軍報道部二十五日午前十時發表 昨二十四日未明紅海灣に奇襲上陸を敢行せし我が中島部隊は忽ちにして汕尾を占領、又北方に挺身せし板倉、小林、小島等の諸部隊は微弱なる敵を隨所に殲滅しつつ同日午後二時半早くも同方面の要衝海豐を攻略し各所に多數の利敵物資を鹵獲、一方二十四日朝潮陽縣城を奪取せる遠藤及びその他の諸部隊は敗敵を急追して多大の戰果を收め目下嶺東の各地に空陸相呼應して猛進擊を續行しつつあり二十四日早朝汕尾攻擊と相呼應して鮜門港等より夫夫敵前上陸した小林、小島、板倉の諸部隊は左右兩翼より海豐に向け並進天嶮難路を突破して猛進擊を續け微弱なる敵の抵抗を排除しつつ同日午後三時部隊の一部は海豐縣城に突入續いて小林、板倉、倉林の諸部隊も雪崩の如く進入し午後四時城內の掃蕩を完了した |
02 | 水景山を確保 |
03 | 江南の殘敵を掃蕩 |
04 | 綜合戰果 |
05 | 陸鷲の甚大な戰果 |
06 | 蘆樓の頑敵を潰滅 |
07 | 上高東南山岳で殲滅戰 |
08 | 奉新西方で索敵機動戰 |
09 | 江西殲滅戰の戰果 |
10 | ユ國、三國同盟に參加 バルカン大勢一段落 ウイーンで調印を了す |
11 | 圖像:御寫真は花蓮港吉野庄役場に於て同地產馬台覽中の閑院若宮兩殿下 |
12 | 五度目の調印式 ユーゴ代表決意披瀝 |
13 | ヒ總統も參列 |
14 | 樞軸外交の勝利! ユーゴ加盟の經緯 |
15 | 久邇宮朝融王殿下台臨 海兵、海潛兩校の卒業式に |
16 | けふ閉院式を擧行 翼贊議會任務を終了 |
17 | 眾院決算委員會(最終) 附帶決議を採擇 |
18 | 最終の眾院本會議 小山議長、謝意を表す |
19 | 翼贊會に副總裁制 無任所相に大體內定 |
20 | 重慶側四銀行 上海撤退は必至 |
21 | 褚民誼氏歸寧 |
22 | 翼贊會改組軍部案 けふ兩軍務局長、翰長に提示せん |
23 | 四參議ら會合 改組に關し協議 |
24 | 今日の天氣 |
25 | 大連汽船 |
26 | 東亞海運 |
27 | 南日本汽船 |
28 | 大阪商船基隆出帆 |
29 | 日本郵船基隆出帆 |
30 | 辰馬汽船 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 魁挺身隊の責務重大 晴の除隊に當りて社說 一 帝國南進の據點本島の重責に其の名も相應しき魁挺身隊は、十日間の兵營生活、軍隊訓練を滯りなく了へて、本日晴れの除隊を行ふ、本島青年の輿望を荷へる隊員一同の本懷、感激は云はずもがな、絕大なる關心と期待を懸けたる一般島民も、自ら感激と欣懷を禁じ得ないのである、何となれば、魁挺身隊の組織、訓練、就中空前の營內軍隊訓練は、獨り魁隊それ自體のみの問題たるに止まらず、大東亞共榮圈建設の兵站基地として、其の使命達成の重任を擔へる島民一般の問題であり、特に尖兵たるべき本島青年の問題でなければならない、換言すれば、時局下國民の最大義務である兵役の免除に對し、齊しく陛下の赤子たるの皇民意識に於て、云ひ樣なき脾肉の歎と、遣る瀨なき肩身狹さを感ずる一般島民に取つては、來るべき志願兵制度の試金石とも云ふべき魁挺身隊の重大意義を、深く認識してゐるからである 二 魁挺身隊は、もと臺北市大稻埕の青年團にして、今次事變の勃發を契機に、血稅の義務なき脾肉の歎から、愛國の熱誠の中より生れたもので、彼等の大部分は旣にかのバイヤス灣上陸の際に於て、或は其後の南支各地に於て無敵皇軍に伍し、天晴れ魁挺身隊の名に恥ぢざる輝かしき武勳を樹てて、應召軍夫通譯等と共に、本島青年のため萬丈の氣焰を吐いたのみならず銃後青年として血湧き肉躍るの感あらしめたものである、しかも斯る名譽ある魁挺身隊は、さきに本間軍司令官より譽れの隊旗を戴き、今回更に本島青年運動乃至本島青年の挺身實踐の趨嚮を指示する、最初の魁隊たる榮譽をも獲得したのであつて、今次の劃期的營內訓練の重大意義も、實に茲に存すると云はねばならない、本島青年にとつて空前とも云ふべき今次の營內訓練は、勿論皇民たるの心身鍊磨、換言すれば神州男兒の氣槪を養ひ無敵皇軍の敢鬪精神を體得せしめると同時に軍隊訓練を施すに在るが、併し乍らそれは決して單に軍隊の規律や技術的教練を修得させるだけに終るのではなく、真の目的は田中高級參謀の云はれる如く遙かに「大きなもの」でなければならない 三 此の「大きなもの」の目的とは何か、平時に於ては完成せる皇國民として職域奉公の誠を致し一朝有事の際には渾然一體となつて、第一線であると銃後であるとを問はず、命令一下迅速果敢、國家の要請、指向するところに敢為邁進することであらねばならない、從つて斯る場合には、制度云云は最早二の次ぎの問題であつて、何よりも大切なことは、忠誠迸る挺身敢為の實踐力と云はねばならぬのである魁挺身隊の入營生活は僅僅十日間とはいへ、この「大きなもの」に觸れ得て、貴重なる體驗をされたことと思はれる、而して營內訓練の成績が相當良好なることも、頗る吾人の意を强うする處である、同時に本日除隊となる隊員諸君は、今回の貴重なる體驗と大いなる精神とを基として、今後更に之を鍊磨向上せしめ、常に同胞青年の指導推進力となつて「大きなもの」の目的に向つて、真に魁けの先驅者たる使命を遂行しなければならない斯くすれば、第二の魁隊、第三の挺身隊、果ては全島の青年を打つて一丸とした魁挺身隊の出現を誘掖し、延いては志願兵制度、兵役法の實施を促進するに至るは疑ひを容れない處である茲に魁隊員並に全島青年のより一層の奮起と努力を希望して止まないと共に、終始一貫之が指導に當られた軍部當局の熱意と絕大なる努力に對し、深く敬意を表する次第である |
02 | 閑院若宮兩殿下 市內各所を御視察 |
03 | 靖國神社合祀者 本島關係として外に十二柱 |
04 | 譽れの臺灣遺兒部隊 昨日帝都に一番乘り |
05 | 皇太子殿下御還啟 |
06 | 感激を語る譽れの遺族 次男も遺兒部隊で對面 加川少佐未亡人語る |
07 | 同區內で評判の仲好し 中村、原田兩海軍少佐の遺族 |
08 | 雄雄しくも更生の道に勵む 谷口曹長未亡人 |
09 | 一生を獨身で病者に捧ぐ 光榮の島崎看護婦 |
10 | 留學生廈門市政府警察官修了式 |
11 | 坂部臺北憲兵分隊長 けふ晴の着任 |
12 | 坤山丸の情報 ポートレトン近況 |
13 | 訴願審查會 廿七日に開催 |
14 | 名實共國際港都に 基隆市愈市域擴張へ |
15 | 昨日晴の查閱受く 總督、軍司令官同席で 魁挺身隊 |
16 | “要は信念の把握” 和知參謀長力強く激勵 |
17 | 將來の見透つく 田中高級參謀語る |
18 | 北一中合格者 |
19 | 基隆中合格者 |
20 | 桃農合格者 |
21 | 基隆女合格者 |
22 | ときのこゑ |
23 | 香取丸無電 |
24 | 人事消息 |
25 | 祭祀公業派下人員申出催告 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 食料の重要性に鑑み 全島水產打合會 來る廿八日市內協和會館で |
02 | 改正總動員法適用 奸商擊滅に邁進 |
03 | 滿炭の發展的(下) 解消方針決定 劃期的增產實現のため |
04 | 臺北州 自動車會社總會 配當年六分を可決 |
05 | 滿獨間國際電話 獨當局、所信を通告 |
06 | 新茶の走り出廻る 長雨で多少遲延 |
07 | 國民食の眼目 廿七日に放送 |
08 | 自動車運輸會社の 代燃車、約二割を占む |
09 | 紡聯新機構決定 五月一日から實施 |
10 | 石炭陸上荷役 協定賃金實施 |
11 | 石炭艀船協定賃金 廿五日より實施 |
12 | 農機具工業組合結成式 |
13 | 島內の澱粉確保上 近く對策を講ぜん |
14 | 經濟手帳 國土計畫 |
15 | 會議所改編の方向 |
16 | 為替取引の正金集中 |
17 | 照明燈 |
18 | 市價及商況 廿五日 |
19 | 第五回決算報告/臺北州自動車運輸株式會社 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 生產擴充に驀進 諸競作會授與式 廿九日朴子公學校で |
02 | 鄉軍大甲郡支會查閱を實施 |
03 | 豐原公學校は豐原國民學校に |
04 | 水裡坑の火事に際し 美談逸話のかずかず |
05 | 斗六郡公民訓練所 各街庄で修了式 |
06 | 觀音諸品評會授賞式本日擧行 |
07 | 今議會の特質と收穫 本性を暴露した舊政黨勢力 |
08 | 社會事業研究打合會 |
09 | 營林所水裡坑駐在員 蕉農のバナナを伐採 |
10 | 沙鹿街教化聯合會評議員會 |
11 | カード階級を調查 救助の萬全を期す |
12 | 米穀增產突擊隊 龍井庄で編成さる |
13 | 迷信、陋習打破に 豐原布教所で彼岸會 |
14 | 燃料商業者組合 創立總會を開く 斗六郡下 |
15 | 東多美子さん 東京音樂に合格 |
16 | 斗六農業傳習所 發展的解消となる |
17 | 犯人、要保護者の 生活扶助性格陶冶 |
18 | ローカル・セクシヨン |
19 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇民の指針を闡明 本社主催時局講演映畫會 竹山街で大熱演報社消息 |
02 | 蛇の藥理學的研究(下)/杜聰明 |
03 | 甘蔗種植改善競技會 きのふ高雄市役所前で |
04 | 審查員、舌を卷く |
05 | 山地開發實行案 臺中州近く作成審議 |
06 | 屏東市營診療所店開き |
07 | 產組功勞者表彰 けふ高雄州會議室で |
08 | 地方物價委員會 廿七日臺南州會議室で |
09 | 有田前外相夫妻來屏 |
10 | けふ嘉義へ |
11 | 高雄州軍援打合會 |
12 | 肥料指導講習會(廿九日) |
13 | 陸續と詰めかく 臺中の恤兵展蓋開け |
14 | 芬園庄下茄荖保育園修了式 |
15 | 來場歡迎 時局講演映畫會 臺中州下の開催日割報社消息 |
16 | 水も洩さぬ警戒 臺南州下の空訓開始 |
17 | 壯烈な攻防戰 一糸亂れない嘉義空訓 |
18 | 有終の美を收む(花蓮港) |
19 | 高雄州水產會 あす州會議室で |
20 | 彰化隣保館の保育園修了式 |
21 | 臺北高校高等科合格者 |
22 | 臺北一高女 合格者發表 |
23 | 臺南獸組の獸魂祭 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 閉院式擧行せらる 第七十六通常議會 |
02 | 勅語を賜はる |
03 | 獨、四條件を承認す ユーゴー政府に對し |
04 | 軍隊通過許可を ユ國に要求ぜす チ伊外相の通達文 |
05 | 英米の攪亂は失敗 ユーゴーの同盟加入獨外務當局談 |
06 | 無人の野を行く如し 粵東作戰の綜合戰果 |
07 | 公平新墟を占領 |
08 | 圖像:宜豐爆擊行に出動せんとする遠藤部隊勇士 |
09 | 對日航空機燃料の 禁輸も實効なし 英經濟戰爭相の言明 |
10 | ユーゴーの在米資金凍結 |
11 | 翼贊會の副總裁に 林銑十郎大將有力 |
12 | 樞軸側の決定勝利 歐洲戰局に大影響 |
13 | 古來武勇の國 ユ國の事情、井上公使談 |
14 | 伯林に日章旗氾濫 松岡外相歡迎に大童 |
15 | 同盟は一層強化 松岡外相の訪歐に關し 伊紙、崛切大使談を揭載 |
16 | 伊軍首腦部の 更迭 |
17 | 海軍基地豫算 ル大統領署名 |
18 | 全國地方長官會議 日程を正式決定發表 |
19 | 獨軍の海上封鎖 アイスランド迄延長 |
20 | 監察委員會を 司法省內に設置 檢察の適正化を圖る |
21 | 國府初めての全國軍事會議 |
22 | 蘭印情報部長 諸紙論陣に答ふ ク外相の言明に關し |
23 | 厚生次官後任 兒玉九一氏を起用 |
24 | 新厚生次官は兒玉伯の令弟 |
25 | 明日の天氣 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 閑院若宮兩殿下 けさ空路で內地へ御歸還 |
02 | 天皇陛下が親臨 けふ學習院の卒業式 |
03 | 皇太子殿下御參內 |
04 | 御救恤金を御下賜の御沙汰 美唄炭礦爆發被害に |
05 | 勳章傳達式 あす州會議室で |
06 | 臺灣水道研究會總會閉幕 |
07 | 時艱克服大會 三日、基隆市鄉軍分會で |
08 | 昭和國講修業式 |
09 | 保甲修鍊所に保正收容 けふ入所式擧行 |
10 | 魁挺身隊除隊式 けふ嚴肅裡に擧行 |
11 | 太平公で終了式 |
12 | 坂部憲兵分隊長 けふ夫人同伴着任 |
13 | 改姓名熱愈よ急ピツチ |
14 | 大相撲夏場所 初日は五月九日 |
15 | 母親に懷しい便り 遺兒部隊の入京第一夜 |
16 | 州下卓球選手權大會 六日北一女で |
17 | 臺北市自動車課の修理工場 一日に工場開き |
18 | 臺灣齒科醫師會總會 |
19 | 食糧增產へ大進軍 學生、生徒青年團奉公班等を動員 文教局の實施要項決定 |
20 | 北二中合格者 |
21 | 北三中合格者 |
22 | 蘭陽女合格者 |
23 | 中風患者の縊死 |
24 | 妻女の口論から 亭主同志大喧嘩 |
25 | 人事消息報社消息 |
26 | 今夜の放送 |
27 | 商況 廿六日前場 |
28 | 映画案內 |
29 | 興南案內報社消息 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 亞細亞の旗(116)/小栗虫太郎;坂本仁 |
02 | 家庭・婦人 家庭防空群に就て (二)/三木秀三 |
03 | 代用食献立(四) 臺北北區料理屋飲食店組合 |
04 | 圖像:春の更生婦人服(二) |
05 | 外米輸入を防ぐ 全國民の時局認識 節米すれば丈夫にもなる |
06 | 職場案內 明日の產業戰士のために 撚線作業 |
07 | 剝身入り お浸し |
08 | 魚の豆乳饀かけ |
09 | 新生活樣式の婦人洋裝(上) スカートに代るパンツや勤勞型のスーツ |
10 | 唐辛子の成分 |
11 | 經濟相談 |
12 | 淺蜊雜炊 |
13 | 春の珍味 「土筆」と「蕗」 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語學習 若草の戰場をつつむ 敵軍殲減の硝煙 猛進續ける皇軍部隊 |
02 | 圖像:春の陽を浴びて |
03 | 七十年の歷史を步んで いよいよ“國民學校” 小學校よさようなら |
04 | コクゴ講習生ノヨミモノ ナツトウヲウツテ コクバウケンキン カンシンナコドモトナリグミ |
05 | グンバニゴチサウ オコヅカヒデカツタ カンシンナニセウネン |
06 | 日本人潛水夫の引揚げで 會社もぺしやんこ 大弱りのイギリス人たち |
07 | 產業戰士の第一線に 熱氣退治の贈り物 移動冷却器いよいよ完成 |
08 | 苦しい中にも勉強に精出す 佛蘭西の子供達/井上勇 |
09 | 銃後のお婆さん ドイツで評判なお話 |
10 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 十萬の敵は潰滅(錦江流域の掃滅戰)頭條新聞 【江西○○基地二十六日發同盟】去る十五日來錦江流域に展開された第九戰區の敵掃蕩戰は二十三日我が軍の上高占領に依り所期の目的を達したが、今次作戰開始以來今日までの狀況を概略すれば左の通り 十五日夜我が攻擊開始と共に第一線旣設陣地を打破られた敵第百七師は高安附近に於いて我が長野以下諸部隊のため慘慘に打のめされ四分五裂となつて潰走した、又第九師は伍橋の附近に於いて櫻井以下各部隊の包圍攻擊に遭つて潰滅、續いて十九日棠浦河の線に布陣する敵第五十八師及第五十七師が官橋街に破れたのを機とし全線崩潰し始め棠浦、泗溪、上高を結ぶ三角地帶の到る所に於いて我が軍のため各個擊破の憂き目に會ひ二十三日午後第十九集團軍の本據上高の陷落を最後として徹底的に擊滅せらるるに至つた、これより先第一線警備より後退した蔣直系第五十一師は突如錦江南岸に現はれ覆面池田部隊のため打のめされ其の一部は吉安方面に、一部は上高西南方に遁走、斯くて第七十、七十四の二軍六個師十萬の敵は潰滅の狀態となつた譯である |
02 | ○○方面へ猛進擊 |
03 | 粵東作戰の大戰果 |
04 | 隱匿品を續續發見 |
05 | 鷹潭、堯渡街を爆擊 |
06 | 副總裁は柳川法相(內定) 就任受諾は殆んど確定的 |
07 | 副部長以上は辭表提出 改組を圓滑且つ容易ならしむ |
08 | 一般職員も辭表提出せん |
09 | 四參議の改組大綱 |
10 | 常任總務は自由意思に任す |
11 | 本部長は岡田文秀氏が有力 |
12 | 內相と法相 意見を交換 |
13 | 軍部共同改組案提示 兩軍務局長、翰長と會見 |
14 | 川崎外五議員 首相を訪問 |
15 | 兩院議員招待慰勞午餐會 |
16 | 池田成彬氏 首相を訪問 |
17 | 松岡外相伯林着 歡呼の嵐に迎へらる |
18 | 外相一行 獨ソ國境驛着 |
19 | 世界舊體制を粉碎 大島大使のステートメント |
20 | 獨主力艦出動 英側に新たな脅威 |
21 | 英勢力驅逐を完成 伊政府のコンミユニケ |
22 | 獨ユ兩外相の挨拶 |
23 | ソ土相互不可侵 條約を再確認 |
24 | ウ米國務次官 記者團と會見 |
25 | 米國の罷業擴大 ベ製鋼會社にも飛火 |
26 | 米軍需工業の負擔總額 四百廿六億弗 |
27 | 軍需物資の輸出を禁止 比島政府が用意 |
28 | 勅任級廿名の勇退を求む 司法部人事刷新 |
29 | 厚生辭令 |
30 | 今日の天氣 |
31 | 大連汽船 |
32 | 東亞海運 |
33 | 南日本汽船 |
34 | 大阪商船基隆出帆 |
35 | 日本郵船基隆出帆 |
36 | 辰馬汽船 |
37 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 ユ國が三國同盟に參加 樞軸外交大勝利社說 一 バルカンに於ける樞軸外交は着着奏效し、ブルガリアの樞軸參加、次で獨軍のブルガリア進駐に依つてバルカンの大勢は殆んど決定的となつたのであるが、殘されたギリシヤとユーゴ兩國に對し、英國側の恫喝策謀に依りその去就を迷つてをつたが、ユーゴは種種な曲折を經て遂に斷然三國同盟に參加することに決定、廿五日調印を終つたのである。ユーゴの加盟に依りバルカンはギリシヤを除き完全に樞軸一色に塗り潰され、樞軸外交は更に輝かしき勝利を收めたわけである。イ英外相が南船北馬、文字通り東奔西走しつつ策謀したにも拘らず、ブルガリア先づ英國より去り、ユーゴ去り、殘されたギリシヤは樞軸陣營に包圍されてその窮境は益益深刻の一途を辿ることは明らかであるから、これ又近い中にその去就が明確とならざるを得ないであらうから、バルカンに於ける英國勢力は近く完全に一掃され、バルカン工作は結局樞軸國家の絕對勝利の下に一段落を吿げることとならうことは云ふまでもないのである。 二 ユーゴは民族的に非常に複雜な國であるためその政治經濟の指導者に多少親英的分子があつたので、その同盟加入が今日まで遷延されて來たのである。しかしユ國の執る道は戰爭か、樞軸參加か、中立嚴守かの三つより外ないのである。だが、樞軸國家に包圍されてゐるユーゴが國を賭してまで獨伊と戰ふことは到底できない話である。又中立維持に關しては若しユーゴが長く中立を續けることは歐洲の新秩序に於ける分前を失ふこととなるので反對論多く、結局は親英一派を退けて樞軸參加以外には途がないのであるが、しかし急速に三國同盟に加入すれば却つて國內不安を釀成する恐れがあるため、親英分子を一掃し國內體制を調整した後、茲に漸く樞軸との提携が實現されたのである。ユ國の參加遲延理由は上述の複雜な國內事情の外、最近の東地中海、南アフリカに於ける伊軍の敗戰或はソ聯の牽制等もあるが、更に英米側の恫喝をも見逃せないのであるが、歐洲戰局の動向を達觀せるパ攝政以下が遂にこれを一蹴したのである。 三 ユーゴの樞軸參加に依つて獨軍はバルカンに於ける英國勢力を一掃して軍事上、政治上、外交上の絕對的優位を確立し、更に經濟的にも最近締結された伊ユ經濟緊密關係を繼續して行くことが保證されたばかりでなく、之を作戰的見地よりみても獨軍のギリシヤ進擊に不可缺の一前提條件が具備されるに至つたことを意味し、バルカン外交戰の終結を待つて豫想される對ギリシヤ武力戰の新展開こそ注目すべきものがあらう。形勢がかくなつた以上、事實上樞軸勢力に包圍されたギリシヤが、尚英國の煽動と恫喝に乘ぜられて今後も反樞軸的態度を固執するならば、ギリシヤは間違いなく和蘭や白耳義の前轍を踏むであらうことは明らかである。これ卽ち歐洲新秩序の建設を阻む英國を屈服させる為に外ならないのである。ともあれ、獨伊のバルカン工作が一段落を吿げば、地中海からアフリカにかけての戰局が著しく有利となり、延ては獨逸の對英春季攻勢を有利に展開する重大な要因となることは疑ふ餘地がないのである。 |
02 | 閑院若宮兩殿下 福岡御安着、東上遊ばさる |
03 | 奉送裡に御離臺 |
04 | 臺北市內最後の御視察 |
05 | 六百萬島民の光榮 長谷川總督謹話 |
06 | 待望の國民學校令 四月一日から本島に實施 諸準備に文教局大車輪 |
07 | 皇太子殿下 初等科二年に御進級 |
08 | 教科書の相異 公學校側國民學校は 全部府編纂を使用 |
09 | 小公學校さよなら 一日を期し看板塗換へ |
10 | 本間臺灣軍司令官 宜蘭各所を初度巡視 |
11 | 香取丸入港 西田京大教授寄臺 |
12 | 從來の價格公定 今後は各州廳で決定 廿八日連絡會議で打合 |
13 | 臺灣から出て 臺灣に歸る 坂部臺北憲兵分隊長談 |
14 | 北方班等續續入京 |
15 | 爆發を未然に豫知 氣壓と乾濕で立派に分る 一技師の世界的研究 炭鑛界に朗報 |
16 | 食糧に心配なし 歸臺した佐藤米穀課長談 |
17 | 有田前外相夫妻 臺南を視察 |
18 | 新竹州理蕃事務打合會 |
19 | 總會二つ |
20 | 全市黑一色 新竹州中部の第三種防訓 |
21 | 宜蘭畜產と業佃會總會 |
22 | 見事完納 新竹州、臺南州、宜蘭市 |
23 | 一ノ宮中勝つ |
24 | 東邦勝つ |
25 | 岐阜勝つ |
26 | 新竹商業學校合格者發表 |
27 | 北二高女合格者 |
28 | ときのこゑ |
29 | 臺中つぼみ會 公會堂で公演報社消息 |
30 | 山本臺銀理事夫人 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 戰時食糧の確保に 米穀の配給所決定 市內全體で三十二ケ所 |
02 | “業者の協力で進捗 愈愈四月一日から開業” 吉岡組合長等語る |
03 | 生豚配給統制規則 四五月頃公布か |
04 | 商銀機構改革 總務部を新設強化 |
05 | 空爆下の英綿業(上) 空襲に戰くマンチエスター |
06 | 三菱臺北支店次席 坂口清氏近く着任 |
07 | 臺銀臨時總會 四月一日東京で |
08 | 島內業者 有價證券取締規則 近く府令で公布 |
09 | 茶共同販賣所 卅一日に通常總會 |
10 | 朝鮮郵船北鮮、上海線 四月一日より基隆高雄迄延長 |
11 | 右延長關係で 大阪商船最大關心 |
12 | 拔荷防止懇談會 けふ市公會堂で |
13 | 內外地物價懇談會 五月二三日臺北で開催 |
14 | 帝糖上旬步留 平均一割二分九毛 |
15 | 二月中臺灣茶檢查數 百六十三萬餘斤 |
16 | 川添煙草課長 四月六日歸臺か |
17 | 森川覺三氏等 座談會を開催 |
18 | 石炭海上荷役賃金 廿五日より實施 |
19 | 鹽糖の玉里工場 近く許可されん |
20 | 照明燈 |
21 | 市價及商況 廿六日 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 生產擴充推進隊として 地主產業報國會を組織 霧峰庄で結成式 |
02 | 圖像:民主主義國家群の軍需工場 |
03 | 今議會の特質と收穫(下) 本性を暴露した舊政黨勢力 |
04 | 豐原神社例祭 廿七、廿八日擧行 |
05 | 耕地防風林品評會授賞式 |
06 | 國講所講師を集め 講習會を開く |
07 | 臺東高女合格者 |
08 | 一坪園藝を獎勵 模範部落三十張犁で |
09 | 真性腦炎發生 岡山郡彌陀庄に |
10 | 圖像:體位向上は釣から |
11 | 食糧の確保に 餅の製造を禁止 |
12 | 北斗郡の藝妁婦達が 三百圓を献金 |
13 | 彰化郵便局員の強行軍 |
14 | 竹田管內國講所 廿三日修了式 |
15 | 子とぐるで 媳婦を虐待 |
16 | 豆粕不當利得 口湖庄役場係員追究さる |
17 | ローカル・セクシヨン |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 流言蜚語を爆破 未曾有の盛況を極はむ 集集街の時局講演會報社消息 |
02 | 嘉南大圳組合會 あす臺南公會堂で |
03 | 時局恤兵展 來月二日嘉義市で |
04 | 有田前外相夫妻來嘉 |
05 | 海外の長波短波 動亂の世界を描く |
06 | 街庄職員共濟會(高雄) きのふ發會式擧行 |
07 | 產組高雄州支部常議員會 |
08 | 臺中州落花生胡麻卸商組合の創立 |
09 | 高雄新民公會 第三回の總會 |
10 | 國際聯盟脫退詔書捧讀式 |
11 | 花蓮港の空訓 敵機脆くも擊退さる |
12 | 看板の書替へ 臺中市の小公學校 |
13 | 廿八日に變更 彰化社會教化大會 |
14 | 臺中州食糧問題打合會 |
15 | 花蓮港勞務協會評議員會 |
16 | 撮影を嚴禁(屏東) 蕃人をモデルにして |
17 | 本島初の工場防空 廿五日三崁店製糖所で |
18 | 來場歡迎 時局講演映畫會 臺中州下の開催日割報社消息 |
19 | 嘉義高女合格者 |
20 | 新竹女合格者 |
21 | 花蓮港畜產會總會 |
22 | 嘉義中合格者 |
23 | 新竹中合格者 |
24 | 臺北工業合格者 |
25 | 臺中高女は臺中一女と改稱 |
26 | 花蓮港廳農會總會(廿九日) |
27 | 犯人逮捕協力者を表彰 |
28 | 奉公班事務研究會(彰化) |
29 | 社告/興南新聞社報社消息 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 背景に就て(中)/石上玄一郎 |
02 | 南洋を踏破して(下)/竹下康國 |
03 | 珊瑚樹 墨國文化の誹謗 僧侶追放さる |
04 | 新ロビンソン漂流記 廿八日大世界館で |
05 | 歌 春の新公園/李廷猷 |
06 | ラヂオ |
07 | 劇映画 大日本映畫協會の改組 |
08 | 心聲漢詩 冠首次韻於祝宴席上呈鷺村君/李悌欽、謝尊五先生古稀即用其書懷原玉以祝/青蓮、漢詩習作迎年菊(四)/元煌、漢詩習作迎年菊(四)/李春盛、漢詩習作迎年菊(四)/李春盛、漢詩習作迎年菊(四)/連德賢、漢詩習作迎年菊(四)/連德賢、漢詩習作迎年菊(四)/游見龍、漢詩習作迎年菊(四)/游見龍、漢詩習作迎年菊(四)/許文葵、漢詩習作迎年菊(四)/許文葵、漢詩習作迎年菊(四)/傅伯偉、漢詩習作迎年菊(四)/傅伯偉、漢詩習作迎年菊(四)/呂曉村、漢詩習作迎年菊(四)/呂曉村、漢詩習作迎年菊(四)/林培英、漢詩習作迎年菊(四)/林正昌、漢詩習作迎年菊(四)/林正昌、漢詩習作迎年菊(四)/張篁川、漢詩習作迎年菊(四)/張篁川、漢詩習作迎年菊(四)/王寶書、漢詩習作迎年菊(四)/王寶書漢詩習作迎年菊(四)/友芬、漢詩習作迎年菊(四)/友芬、拜讀諸作罵者居多寃哉迎年菊姑爲辯之/鶴亭 |
09 | 新刊紹介 |
10 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 副總裁の人選如何が 翼贊會の方向を決する |
02 | 副總裁制決定の經緯 |
03 | 議會關係者一同に 御慰勞の酒饌賜はる |
04 | 山脇、飯田兩中將歸還 直ちに參內具に軍情を奏上 |
05 | 八紘一宇の精神 松岡外相、獨國民に聲明 |
06 | 國賓として待遇 伊政府、歡迎準備を整ふ |
07 | 松岡外相の宿舍を檢分 ヒトラー總統 |
08 | 議會局役員も全部辭表提出 |
09 | 松岡外相の渡歐と 英政府方面の意向 |
10 | 圖像:東條陸相張家口着 |
11 | ヴイシー佛政府 松岡外相の訪問を歡迎 |
12 | 英外務次官の嫉言 |
13 | 支那人の居住區域を制限 泰國各縣に通牒 |
14 | 駐日伊大使 大橋次官を訪問 |
15 | 獨の封鎖水域擴張 ウ米國務次官談 |
16 | 中央農業協議會設置 農業團體の連絡を強化 |
17 | 鐵鋼對策問題 平生、鮎川兩氏の手で 案を作成するに決定 |
18 | ヒトラー總統 ユ國首外相を引見 |
19 | 對英援助豫算 正式に成立 |
20 | ソ聯貿易人民委員次長 ベルリンに向ふ |
21 | 米陸軍所管の三億弗を可決 |
22 | 郵便貯金利子 三分に利下げ |
23 | 明日の天氣 |
24 | 水滸傳(370)/黃得時;榎本真砂夫 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 南方の開發には 本島の經驗活用が第一 星野企畫院總裁視察感想談 |
02 | 星野企畫院總裁 本島視察に來臺 |
03 | 海南島を視察 |
04 | 明日空路歸京 |
05 | 皇后陛下行啟 女子學習院卒業式 |
06 | 勳章傳達式 州會議室で擧行 |
07 | 圖像:來臺した星野企畫院總裁 |
08 | 國民學校趣旨徹底 文相地方長官會議に訓令 |
09 | 石田臺北憲兵隊長 けふ新竹を訪問 |
10 | 臺北州市議員懇談會 |
11 | 銃後婦人の心構 島田中佐桃園で講演 |
12 | “虛弱兒を丈夫に育てた實話” 臺灣社會事業協會で募集 |
13 | 國際聯盟脫退詔書奉讀式 |
14 | 帝都は快晴か 社頭對面の兩日 |
15 | 藝術院初總會 新體制に即應して再出發 |
16 | 臨濟宗大會同記念式 |
17 | 武德祭を執行 三日武德會本部で |
18 | 臺大豫科生徒募集 |
19 | 基隆水陸兩署 警察招魂祭 |
20 | 好成績を收めて 新竹州中部の防訓終了 |
21 | 故石本中將の葬儀 |
22 | 保育園修了式 |
23 | 聖地勤行奉仕を見學 市內青年團の顧問が |
24 | 臺北商業學校合格者 |
25 | 北三高女合格者 |
26 | 臺銀人事異動 |
27 | 今夜の放送 |
28 | 商況 廿七日前場 |
29 | 映画案內 |
30 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 亞細亞の旗(117)/小栗虫太郎;坂本仁 |
02 | 家庭・婦人 家庭防空群に就て (三)/三木秀三 |
03 | 婦人說苑 空閑地の利用/石島菊枝 |
04 | 圖像:隣組の樂しい空地開墾 |
05 | 春の料理のおぼえ書 かうすれば美しく頂ける |
06 | 圖像:春の更生服(三) |
07 | 絹への認識を深めよ 重大な蠶糸政策への協力は 家庭婦人の絹製品愛護で |
08 | 年年ふえる近視眼 豫防する方法いくらもある |
09 | お茶を飲むと色が黑くなる これはうそです |
10 | 蕗のとうの頂き方 |
11 | 豆腐の支那風揚物 |
12 | 納豆雜炊 |
13 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語學習 若芽萌えいづる春 靖國に祀る忠魂 新祭神一萬四千九百七十六柱 臺灣關係は廿四柱 |
02 | 南支に飜る日章旗 皇軍各地に猛進擊 |
03 | 紅海灣に敵前上陸 汕尾を攻略更に猛進擊 |
04 | 平海占領 瀨川郡隊の猛進 |
05 | 陸鷲と協力して 潮陽占領 遠藤部隊 |
06 | 鐵のやうな心と體 鍛ふ獨逸の少年少女 |
07 | 春淺き蒙古平原に 壯烈な敵殲滅戰 |
08 | 食糧增產への突擊準備 學生に勤勞手帳 農學校長協會から願ひ |
09 | 國によつて大變違ふ 食物のあれこれ 鰻を見て氣絕する米國の女 |
10 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 江上飛行隊、玉山奇襲 機關車、貨車を爆破頭條新聞 【○○基地二十七日發同盟】▲中支艦隊報道部發表 船田部隊長指揮の海軍江上飛行隊は二十六日午前浙贛線の要衝玉山(廣信東方四十粁)を奇襲驛附近にありたる機關車及び貨車數輛を爆擊大破せしめたり攻擊の際機關車附近より猛烈なる小型機銃の射擊を受けたるも被害なし尚本年初頭以來連續數十次の浙贛線攻擊に依り驛倉庫等の多數は潰滅車輛は著減し同線に依る輸送は最近大なる支障を來しあるを認めらる |
02 | 陸海軍共同案を提出 兩軍務局長、翰長訪問 |
03 | 圖像:議會閉院記念撮影 |
04 | 今後、一尖兵として 辭表提出有馬總長談話 |
05 | 末次議長も近く辭表提出 |
06 | 地方支部長地方長官兼任 地方の表裏一體關係 |
07 | 軍管理工場を返還 國府還都一周年慶祝の贈物 |
08 | 史蹟文物を移管 |
09 | 舊國民政府財產を 廈門特別市政府に讓渡 |
10 | 滿國治安大臣 訪日の途へ |
11 | 職員の皆さんに 非常にすまぬ 有馬さん感想を語る |
12 | 改組を機會に 首腦部總辭職 |
13 | 中島參議 首相を訪問 改組案を傳達 |
14 | 眾議院部の部長、副部長 經めて辭表提出 |
15 | 翼贊會一本槍で進む 政治力強化問題と關聯せず |
16 | 有志代議士會の 翼贊會改組意見 |
17 | 取敢へず柳川法相を 現職の儘副總裁任命 長官會議までに無任所相轉出 |
18 | 全常任總務の辭表を取纏む |
19 | 日本は獨逸と共に 步むより他にない 松岡外相談 |
20 | 同盟國政治家と 知り合ふ |
21 | 部內役職員參集 翼贊改組の態度決定に關し 報告諒解を求む |
22 | 今後の運動方針 世話人會に一任 職員總□決議 |
23 | 歸趨見てから 副總裁就任を 正式受諾せん |
24 | 性格歪曲絕對反對 局部副部長會議の申合せ |
25 | ソ聯首腦との會見 松岡外相模樣を語る |
26 | 英地中海艦隊 大西洋に出動せん |
27 | 總力戰研究所 初の參與會 |
28 | 南洋拓殖總會 |
29 | 松岡外相一行 伯林着の狀況 AKから全國中繼 |
30 | 添田氏が就任 住宅營團理事長 |
31 | 今日の天氣 |
32 | 大連汽船 |
33 | 東亞海運 |
34 | 南日本汽船 |
35 | 大阪商船基隆出帆 |
36 | 日本郵船基隆出帆 |
37 | 辰馬汽船 |
38 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 製糖會社の減配と糖價社說 一 昭和十五、六年期島內新式製糖會社の甘蔗壓搾作業は漸く終末期に近づきつつあるが、これ迄の經過に徵すれば昨夏二回に亘る暴風雨の被害に依る蔗莖折損及步留低下の影響を受けて意外な減收を來し其の產糖豫想は千三百四十萬擔しかなくなつた。之を第一回豫想千八百八十萬擔と比較すれば實に三割の減收を示し之がために各社とも其の生產費が增大し一流會社たる灣糖及明糖でさへ赤字を出してゐる位であるから、二三流會社の打擊が如何に甚大であるかといふ事が蓋し之を推測するに難くないであらう。斯くの如く各社の業績が天災のために惡化して來たため最近株式市場に於ても專ら減配說を流布されてゐる事は故なしとしない 二 然しながら灣糖、明糖並に日糖の如く夥しき、蓄積を有する一流會社では假令一個年の減收に遭遇しても內部蓄積又は後期繰越金及配當平均積立金を以てすれば今後引續き一割二分の現行配當を維持する事は固より易易たるものであり、又日糖以外の灣糖及明糖に於ても依然配當据置の意向を有してゐるとの事である。ところが殖產局特產課では先般各社に對してなるべく減配すべしとの意向を洩してゐる模樣であるが、今後內容充實せる一流會社が如何なる態度を以て此の問題を處理するか、蓋し見物であらう。今吾人の意見を率直に述べさせれば此の際各社とも其の利益減(勿論赤字を出してゐる會社もあるが)に應じて減配を斷行すべきである。卽ち一流會社の現行一割二分の配當は一般配當標準から見れば相當高率であるのみならず今後南方方面に對して製糖業の發展を大に期待されてゐる今日に於て內部蓄積が多多益益辨ずるのであるから强ひて株主のために配當維持を講ずる事は時節柄決して好ましい現象ではない。殊に日糖の如きは株價が旣に八十圓臺を割り灣糖明糖とも百圓臺を割つてゐるから、假令二分の減配を斷行しても最早株價に差したる影響がなくなつたから、尚更である。 三 尚此處で言及したい事は現在の糖價が諸物價に比較して頗る割安であるから他物價と調合上當然引上げしなければならないが若し主要三大會社が依然一割二分の高率配當を持續すれば糖價引上の根據が極めて薄弱となる今昭和十二年六月卽ち支那事變前を基準として臺銀の調查に依れば昨年十二月平均物價指類一四◯に對し砂糖指數が僅か一一三しかない許りでなく、支那事變以來四回に亘る消費稅改正引上げの結果であつて若し稅拔を以て指數を算出すればモツト低下する筈である。殊に糖價の引上げは一般國民生活に殆ど影響なく假に百斤一圓引上げても五人家族(家庭消費一個月三斤一個年三十六斤)の家庭消費代金が一個年僅か三十六錢しか負擔が加はつてゐないからである。勿論家庭消費以外の加工用品を消費する場合はそれ丈負擔が加はつて來るが、他の物價騰貴に比較すれば因より御話にならぬ少額な負擔であらう 四 尚現在の如く砂糖の公定價格を抑壓してゐるために製糖會社としては糖價に準じて原料甘蔗買上價格を決定して居るから、其の結果米を始め甘藷、バナナ豆類等の他の競爭作物との均衡が取れなくなり、從つて蔗作の獎勵は常に政治力を藉りなければならなくなつて來る。糖聯臺灣支部最近の調查に依れば本島に於ける甘蔗買收價格と對抗作物價格との不均衡化は益益甚だしく割增金及獎勵金の增額を行つても尚對抗作物の騰貴率に及ばない事を指摘してゐる。斯くして今後島內各種農作物の價格を更に抑壓せざれば甘蔗の獎勵が益益困難となる許りであるから一般農作物の適正物價の客觀的標準が之がために紊亂される恐れなしとせず、且つ內地との貿易關係に於て島內經濟に惡影響を與へるであらう事は明かである。かかるが故に督府に於ては出來る丈早く大藏省と折衝して砂糖の適正價格を決定すると共に、島內各種農作物價格の合理的調整に再出發しなければならない。其の前提として吾人は此の際各製糖會社の減配斷行を要望せざるを得ない。 |
02 | 皇后陛下の御仁慈 遺兒に御菓子を下賜 |
03 | 金光厚相謹話 |
04 | 皇太后陛下行啟 護國の英靈に御拜禮 |
05 | 武勳の興亞英靈 あす內地へ無言の凱旋 |
06 | 大角大將の遺骨 昨日鄉關に喪の凱旋 |
07 | 照宮樣御西下 中國地方御見學の為 |
08 | 圖像:遺兒を待つ靖國神社 |
09 | 遺兒達續續入京 對面の喜びを胸に |
10 | 外地の遺兒 昨日秋田拓相を訪問 |
11 | 臺北南飲食物商業組合 |
12 | 田中高級參謀が講演 防空思想普及講演會 |
13 | 新竹州遺族會館 廿七日に上棟式を擧行 |
14 | 校名を改稱 宜蘭市各小公校 |
15 | 從來の四年制公學校 六年制に改正 國民學校令の施行に依り |
16 | 成人教育の指針 教審で要綱案決定 |
17 | “正しく步かう” 昨夜建成小で青年團員猛練習 |
18 | 白絞油が入荷 一日より配給 |
19 | 市役所の出張事務所 愈よ四月早早から事務を開始 |
20 | 週に一回“肉なし日” 肉類の出荷配給統制に先立ち 大都市大口消費者に實施 |
21 | 港口に機雷敷設 蘭印の過敏症愈よ募る 滿洲丸情報 |
22 | 南進の歌懸賞募集 締切・月末に迫る報社消息 |
23 | 目標・月六十萬斤 蘇澳郡、木炭增產に馬力 |
24 | 北二商合格者 |
25 | 拔荷防止懇談會 |
26 | 海上警報 |
27 | 校閱課員募集/興南新聞社報社消息 |
28 | ときのこゑ |
29 | 廈門警察官留學生修了式 |
30 | 丹後丸無電 |
31 | 蓬萊丸無電 |
32 | 人事消息 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺灣炭の販賣價格 近く值上斷行せん |
02 | 財務關係の打合で 上京中の鹽見課長歸來談 |
03 | 郵便貯金利下 捨置は年三分三厘に |
04 | 臺電第二回拂込金を徵收 |
05 | 臺北米粉組合 けふ創立總會 |
06 | 空爆下の英綿業(下) 空襲に戰くマンチエスター |
07 | 松尾技師大連へ出張 |
08 | 日糖大湖工場壓搾終了 |
09 | 月眉工場も壓搾終了 |
10 | 十六年度豫算を可決 臺灣炭組初回協議員會 |
11 | 炭價の引上げ 及び配車を要求 臺灣炭組協議員會で |
12 | 炭業一新會の決議 |
13 | 週間經濟展望 |
14 | 島內及南方に活躍せる 南海興業の事業 山內社長に頗る期待 |
15 | 屏東郡煙草耕作組合總會 |
16 | 經濟手帳 勸銀の時局金融 |
17 | 照明燈 |
18 | 市價及商況 廿七日 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 北港の防空陣完璧 第二種空訓終る |
02 | 麻豆街の空訓 第一日良績で終る |
03 | 臺中商業合格者 |
04 | 彰化高女合格者 |
05 | 高雄中合格者 |
06 | 高雄高女合格者 |
07 | 潮州郡煙草組合 通常總會終る |
08 | 增產運動に乘出す 淡水拓殖會社 |
09 | 草屯堆肥競作會 褒賞授與式を擧行 |
10 | 東港郡諸品評會 廿六日褒賞授與式 |
11 | 紙芝居指導會 集集で開かる |
12 | 永靖の甘藷配給所決定 |
13 | 田尾庄では臨時家長會 |
14 | 臺中州落花生胡麻卸商組合創立 |
15 | ローカル・セクシヨン報社消息 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 消費用の綿製品 彰化市の配給要項 |
02 | 本間臺灣軍司令官 きのふ花蓮港初巡視 |
03 | 名譽の戰死者 原隊より發表さる |
04 | 街庄吏員養成所修了式 |
05 | 臺中州參事會 |
06 | 賞賜物件傳達式 あす臺南州會議室で |
07 | 晴れの合格者 |
08 | 臺中華僑新民公會總會 |
09 | 資源調查委員會(高雄) あす第一回委員會開く |
10 | 臺中を訪問 石田臺北憲兵隊長 |
11 | 鄉軍臺中分會查閱 |
12 | 食糧問題を討議 臺中州市長郡守署長會議 |
13 | 聯合壯丁團檢查 高雄市役所前廣所 |
14 | 彰化畜產組協議會 |
15 | 基隆丸遭難 新港庄小馬沖合で |
16 | 臺南署管內の春季清潔 |
17 | 彰化市農組評議員會 |
18 | 來場歡迎 時局講演映畫會 臺中州下の開催日割報社消息 |
19 | 近く組合結成 嘉義郡養鶩業者 |
20 | 今度は大阪商船 高雄、東京を結ぶ直航路 「南國」「南都」が就航 |
21 | 金密輸團を檢擧 臺南署で十數名 |
22 | 競作褒賞授與式(彰化) |
23 | 自給飼料增產競勵會 けふ板橋で褒賞授與式 |
24 | 巨額の脫稅 不埒な印刷屋 |
25 | 好成績裡に閉幕 花蓮港の第二種空訓 |
26 | 屏東高女合格者 |
27 | 花蓮港水產會總代會 |
28 | 高雄水產會總代會 |
29 | 消息 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 壯烈な殲滅戰展開 敵は全く支離滅裂(上高北方) |
02 | 隔意なく意見交換 松岡外相、ヒ總統會見 コムミユニケ |
03 | 當面の重要問題(會談內容) 約二時間半に亘る |
04 | 兩外相の會談 當外務省コムミユニケ |
05 | 獨都に於ける 外相の動靜 |
06 | 獨佛協調の方針 兩者の意見完全一致 |
07 | 熱誠な支援に感謝 山脇、飯田兩中將共同聲明 |
08 | 圖像:江南戰線陸上部隊に協力する陸鷲遠藤部隊の活躍 |
09 | 南京の飛躍的復興 還都記念日を目前に全市歡喜の坩堝 |
10 | 軍票の確たる基調 大內主計中將談話 |
11 | 事務總長中心主義 軍部共同案に對する 近衛總裁の統裁注目 |
12 | 協力會議を存置 地方組織を變更せぬ |
13 | 中支振興定時總會 |
14 | 米の罷業擴大惡化 アイ・オー・シー首腦部に對し 米國政府即刻就業令を發す |
15 | マー・O・C會長 斷乎、反駁的態度 對立關係愈よ表面化 |
16 | 碣石灣に奇襲上陸 ○○方面に猛進擊中 |
17 | 海軍護衛隊が協力 |
18 | 無血上陸に成功 |
19 | ユーゴー物情騷然 內閣の更迭強行さる |
20 | ユ國新內閣の 顏觸れ |
21 | 獨、前閣僚の釋放を要求か |
22 | 明日の天氣 |
23 | 水滸傳(371)/黃得時;榎本真砂夫 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 伯林・感激の坩堝化 松岡外相の歡迎熱最高潮へ |
02 | 驛頭に歡呼の大旋風 |
03 | 上海の援蔣四銀行 突如新規預金を拒否 重慶の印刷機財政禍 |
04 | 朝香總裁宮樣から ありがたい御言葉 譽れの遺兒達の兩式典 |
05 | 圖像:遺兒部隊臺灣代表神戶到着 |
06 | 勳章傳達式 故劉軍屬遺族に |
07 | けふ竣工報告祭 勅使街道の擴張工事 |
08 | 新竹州理蕃事務打合會 |
09 | 濠洲兵の闖入で 新嘉坡の空氣惡化 アルグン丸情報 |
10 | ビルマの近況 船客の齎す情報 |
11 | 時艱克服大會 三日鄉軍市聯合分會で |
12 | 中等學校ならぬ 高等科に窄き門 今年も入れぬ基隆の惱み |
13 | 街庄職員共濟組合 新竹州では來月創立 |
14 | 星野企畫院總裁 けさ臺北發、空路歸京 |
15 | 臺北市社會事業助成會理事會 |
16 | 州下の優良衛生部落決定 |
17 | 佐佐波遞信部長上京 |
18 | 臺北氷販賣人組合 |
19 | 純國產錄音裝置 苦心の四年遂に成功 放送技術に一新紀元 |
20 | 趣味登山會懇談會 |
21 | 張清港氏母堂告別式 |
22 | 各州物價調整連絡協議會 |
23 | ダイナマイト 無理心中 |
24 | 樓主の虐待に耐へ 兼ね娼妓自殺未遂 |
25 | 宿屋泣かせの 伊志嶺に求刑 |
26 | 人事消息報社消息 |
27 | 今夜の放送 |
28 | 商況 廿八日前場 |
29 | 映画案內 |
30 | 興南案內報社消息 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 亞細亞の旗(118)/小栗虫太郎;坂本仁 |
02 | 家庭・婦人 食合せの科學根據 暴食や不消化が原因の大半 |
03 | 小兒を侵す ヂフテリア 免疫の有無を反應で調べ |
04 | 流行性感冒の原因 (上)このごろの最新研究 |
05 | ヴイタミンEの缺乏 不姙、早產、流產の原因 胚芽米、七分搗米、モヤシ類をうんと召上れ |
06 | 圖像:靖國の遺兒にお土產 |
07 | 肥り過ぎの方 日日の心得 |
08 | 新生活樣式の婦人洋裝(下) お母樣がたに便利な前開き型 |
09 | アイロン臺にカバーを |
10 | ネクタイの 選び方と手入れ |
11 | 薪の科學と その燃し方 若木は老木よりも損 |
12 | 經濟相談 |
13 | 恐しい智齒難症 早い內の手當が何より大切 |
14 | 新鮮な魚肉は |
15 | 肺炎に伴ふ脚氣 |
16 | 紙上病院 |
17 | おムツの洗濯 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語學習 閑院若宮兩殿下 空路內地へ御歸還 |
02 | 臺灣代表遺兒部隊 父の御靈と晴れの對面 |
03 | 松岡外相の一行 無事伯林に到着 |
04 | 職業報國の歌/上月彬照 |
05 | 童話 へびぎらひ くもぎらひ (一)/神戶雄一 |
06 | “我我もさむらひだ”と 尚武の氣風に富んだ 友邦ユーゴスラビヤ |
07 | 南支那各地の 皇軍部隊更に猛進 |
08 | 哀れな重慶 役人の狩出しに懸命 |
09 | ユーゴスラビヤも 三國同盟に參加 |
10 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大元帥陛下行幸 陸軍航士の卒業式に頭條新聞 【東京發同盟】陸軍航空士官學校第五十四期生徒の卒業式は二十八日畏くも大元帥陛下の行幸を仰ぎ奉り埼玉縣豐岡町の同校で擧行されたこの日大元帥陛下には陸軍御軍裝を召され蓮沼侍從武官長陪乘、松平宮相百武侍從長以下側近供奉の略式自動車鹵簿にて午前八時五十五分宮城御出門、同九時十五分原宿驛より宮廷列車に召させられ同十一時五分武藏高萩驛御着再び略式自動車鹵簿にて御順路を先づ入間飛行場に向はせられ同十一時三十分御先着の閑院若宮殿下を始め奉り航空總監代理鈴木率道中將、航空士官學校長寺倉正三中將以下諸員の奉迎裡に同飛行場に着御、玉座に着かせられ校長以下に拜謁仰付けられた御後光榮の新卒業生等に依つて行はれた實戰さながらの飛行演習を親しく天覽遊ばされた、先づ寺倉校長の指揮刀一閃陛下親臨の光榮に勇み立つ若鷲達は若草を蹶つて次次に離陸地上には通信並びに整備班が夫夫の位置に着き空、陸相呼應して單獨機に依る特殊飛行と通信並びに整備演習が展開され續いて浦中大尉指揮の六十四機に依る大編隊飛行が繰展げられたが畏くも陛下には寺倉校長の御說明で終始御熱心に若鷲達の妙技を天覽遊ばされた終つて陛下には正午飛行場御發豐岡台の學校本部に臨幸航空總監代理鈴木中將侍立の下に寺倉校長より敎育に關する書類を奉呈御晝餐の後午後零時五十分大講堂に出御あらせられ優等卒業生山口文治候補生の御前講演を熱心に聽取遊ばされ續いて軍刀術、銃劍術を天覽、御少憩の後午後一時三十五分卒業證書授與式場に臨御あらせられ畏くも陛下には侍從武官を經て左記優等卒業生に對し御賜品を下賜あらせられ斯くて式を終了陛下には一旦便殿に入らせられて御少憩の後午後二時諸員の奉送裡に同校發御同二十分武藏高萩驛より宮廷列車に召されて同四時十分原宿驛着御、天機麗はしく宮城へ還幸あらせられた、優等卒業生 山口文治(石川縣)原田豐(東京市)池田照雄(鹿兒島縣)田中保壽(滋賀縣)中富輝夫(福岡縣) |
02 | 修武臺の名稱を賜はる 陸航士校所在地 |
03 | 歐亞の根本問題を 爼上に長時間會談 日獨兩巨頭 |
04 | 日本一色に塗潰さる 廿七日の獨逸各紙 |
05 | リ獨外相の 招待宴に出席 |
06 | 松岡外相の 滯伊日程 伊政府より發表 |
07 | 南方共榮圈を痛感 花蓮港を視察した本間軍司司官談 |
08 | 發展性に富む 主なる官民を招待して軍司令官強調 |
09 | 政府の改組原案 一日の閣議に附議せん |
10 | 理念變更は斷乎反對 末次協力會議長談 |
11 | 橋本常任總務 辭任を聲明 |
12 | 當初の理念變更 各支部とも絕對反對 |
13 | 敵要衝陸豐を占領 陸鷲の精銳も協力 |
14 | 全總務の辭表 提出に決定 |
15 | 後藤組織局長 進退總長に一任 |
16 | 徹底的節約勵行 十六年度の豫算實施 |
17 | 兩三日の推移重大 ユ國軍部のクーデター |
18 | 國民の協力を ユ國王が布告 |
19 | 連絡協力機關を設置 農業團體統合までの暫定措置 |
20 | 傳へらるユ國 新內閣の政策 |
21 | 獨軍續續ユ國國境向け急行 |
22 | 大軍を國境に集結 ユーゴ新政府 |
23 | 國防計畫に大影響 米軍需工業の罷業 |
24 | 議員俱樂部理事會 |
25 | 北支開發總會 |
26 | 今日の天氣 |
27 | 大連汽船 |
28 | 東亞海運 |
29 | 南日本汽船 |
30 | 大阪商船基隆出帆 |
31 | 日本郵船基隆出帆 |
32 | 辰馬汽船 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 食糧增產とバーター制社說 一 食糧國策を確立し、銃後國民生活を安定させる事が刻下に於ける一大責務である。本島の如く天惠に富んだ地域に於いては全島民六百萬が一心となり、この負荷された重大使命を果す為めに最善の努力を傾注し、國策遂行に協力せねばならない、本島としては國家の必要とする食糧である米を始め砂糖、甘藷その他の食糧品の增產に向つて全精力を拂ふべき時代である、上記の主要食糧增產の緊急對策としては耕地面積を擴大し、平面的に增產を計ると共に、立體的增產を計る為め化學肥料の施用並に育成に一段の努力を為さねばならない、耕地面積の擴張は急激に期待することが出來ないから計畫的農業制度を採用し、國家が必要とする農作物を出來る限り奬勵し、不急不要の農作物に對してはその栽培を制限せねばならない。更に農作物の育成上必要である水利施設及び防風林を築造する事の急務である事を痛感するものである、技術的には優良品種の育成に對しても島內の農業技術員を總動員するのが捷徑である。 二 然るに食糧增產は刻下に於ける急務であり、悠長なる對策に依つて遂行するを許されない、卽ち耕地の擴大や水利施設並に防風林の築造は、短期日に於いては到底實現を見る事が難しいから急速方策としては立體的に增產を企圖する事が最も大切な事である。その為めには化學肥料の圓滑なる配給が現下に於ける唯一の對策である、本島に於ける化學肥料の生產は微微たるもので僅かに過燐酸石灰並に石灰窒素より生產して居らず農產物の增產對策上最も大切である硫安の生產がない實情にある督府當局に於いては一昨年以來化學肥料の本島輸移入量の增加を計るべく百方手を盡して確保に全力を傾注して居るが內地を始め朝鮮滿洲とも農產物の增產に大童となつて居るので本島に對する供給量は要求額にはナカナか達せず、折角全島が增產に邁進すべく張り切つて居るにも拘らず、化學肥料の確保が出來ない為に農產物の增產も豫期の如く進捗しない狀態に置かれて居る如何にして化學肥料の確保を圖るかが刻下の緊急事である。 三 本島に於ける食糧增產の目標は單に島內に於ける充足を圖る為めのみでなく、殆どその大部分は內地及び外地へ供給する重大使命を負荷して居る事より見ても、この際督府が內地及び外地に對して食糧增產を達成する為めにバーター制を要求しその實現方を期待するものである。卽ち本島に生產の少ない化學肥料並に雜穀類の本島輸移入量を確保する為めに內外地當局に對し、米及び砂糖を供給するその代價として肥料と雜穀及びその他の必要物資の供給割當を强調することである、朝鮮に於いては夙にバーター制度を採用し內地に米を移出する代價として內地より雜穀及びその他の必要物資を移入する制度を實施し兵站基地として增產に邁進して居る國內に於いてバーター制度を採用する事は平時に於いては不必要であるけれども戰時增產對策としては萬已を得ない事である。本島の如く全國中最も農作物の增產に適合して居る地域に於いては食糧增產國策を達成して行くと共に南進基地として使命を果す上にも一考を要すべき問題である。 |
02 | “神と子”の聖き再會 昨日感激の社頭對面 |
03 | 朝香宮殿下 有り難き御言葉を賜る |
04 | 遺兒代表答辭 |
05 | 遺兒代表奉答 |
06 | 皇太后陛下 明治神宮に御參拜 |
07 | 國民學校令施行に伴ふ 臺灣教育令の改正要綱 |
08 | 長谷川總督諭告 |
09 | 國民學校の教育指針 |
10 | 實に劃期的な改正 齋藤總務長官語る |
11 | 梁井文教局長談 |
12 | 刑事課長會議 治安確立對策を打合 |
13 | 晴れの社頭對面感激談 ありありと浮ぶ父の顏 故林中佐の遺兒、茂夫君語る |
14 | 初めて知る感激 故晴間伍長遺兒登美子さん談 |
15 | 產協臺北州支會總會 |
16 | 臺北州司法保護事務打合 保護事業強化に努む |
17 | 實戰即應の演習 新竹州南部の防訓 |
18 | 蓬萊丸入港 名士を多數乘せて |
19 | 張中國總領事談 |
20 | 部落振興實績發表會 宜蘭公會堂で開かる |
21 | 時艱克服大會 鄉軍新竹州聯合分會主催 三日新竹小で開催 |
22 | ときのこゑ |
23 | 經濟開發が急務 泰國から寄臺した 外務省囑託堅山氏談 |
24 | 臺灣から又 女醫博 富士村佐代子女史 |
25 | 苦心實に八年 佐代子さんは北一女の出身 |
26 | 訃文:張汪氏璧 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 拔荷防止對策は 內外地一貫が必要 懇談會で意見一致 |
02 | 拔荷と荷造の關係 及防止施設を協議 拔荷防止懇談會 |
03 | 增產對策等を協議 全島水產打合會で |
04 | 新興製糖步留 平均一割一分強 |
05 | 實業團一行を中心とする時局座談會(上) 時局下本島官民の 努力に深く感激 |
06 | 日糖上旬の步留 竹山工場が最高 |
07 | 日月潭湖畔に 松木氏胸像建立 |
08 | 日糖月眉工場產糖十九萬七千擔 |
09 | 日糖崁子脚工場 產糖五萬二百擔 |
10 | 高雄蔗作懇談會 けふ第一回の會合 |
11 | 臺北州自動車運輸社屋落成式 |
12 | 飼料配給機構要綱 昨日の打合會で決定 |
13 | 滿洲大豆着荷 近く各地に配給 |
14 | 局鐵配車技術を變革 鐵道增送を圖る為め 四月一日より |
15 | 金屬品物價專委會けふ開かる |
16 | 大阪實業團一行を中心に 鐵道ホテルで座談會 |
17 | 臺北州米粉組合 卅一日創立總會 |
18 | 照明燈 |
19 | 經濟手帳 鐵鋼統制會 |
20 | 市價及商況 廿八日 |
21 | バナナ相場 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 郡民熱誠の結晶 大湖神社御竣成 嚴かな鎮座祭を執行 お祭り氣分溢る |
02 | 北斗產業懇談會 郡下產組役員參集 |
03 | 國民貯蓄功勞者表彰式 |
04 | ローカル・セクシヨン報社消息 |
05 | 埤頭公父兄常會 盛況裡に終了 |
06 | 竹塘庄農業組合 評議員會を開く |
07 | 東港民風作興會 評議員會を開く |
08 | 曾文郡下小公學 四月一日より改稱 |
09 | 南投稅務管內諸稅完納 |
10 | 民報商事臺北支店 四月一日開業 |
11 | 岡山書畫展終る |
12 | 東港郡 優良團體を表彰 一等は大潭新農事組合 |
13 | 小玉新高郡守 新任披露宴 |
14 | 桃園稅務管下諸稅完納 |
15 | 觀音庄諸品評會 盛大なる褒賞授與式 |
16 | 北港信組組織を變更 兼營事業を決議 |
17 | 臺東公高等科にも入學難 |
18 | 臺東醫院看護婦講習生合格者 |
19 | 草漯分教場 近く竣工 |
20 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 國體理念の具現へ 田中街の時局講演盛況報社消息 |
02 | 北斗街でも超滿員報社消息 |
03 | 瑞寶章傳達式 |
04 | 臺中州山林會總會 けふ州會議室にて |
05 | 皇軍慰問書道展 六月十三日臺北市公會堂で |
06 | 喜びの合格者 |
07 | 圖像:集集の時局講演映畫會報社消息 |
08 | 高雄市參事會 |
09 | 赤堀知事上京 三十一日夜行で |
10 | 嘉南大圳組合 通常總會を開催 |
11 | トンネル式に 劃期的な芭蕉積付法 |
12 | 臺中州小公學校長 二十九日附大異動 |
13 | 來場歡迎 時局講演映畫會 臺中州下の開催日割報社消息 |
14 | 洩れなく受けよ 鄉軍の特別教育に |
15 | 都市計畫地方委員會 |
16 | 彰化神社總代交迭 |
17 | 多收競作褒賞授與式 |
18 | 煙草小賣人指定書交付式 |
19 | 嘉義專修商業工業生徒募集 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 副總裁は柳川法相 事務總長は石渡氏 正式決定 |
02 | 改組と人的更改は 急速實行に移さる |
03 | 關東各縣代表募集 一致結束を圖る |
04 | 柳川、石渡兩氏 富田村瀨兩長官と會見協議 |
05 | 科學振興の兩答申 調查會總會で決定 |
06 | 十五年度の國庫現計 |
07 | クレタ島を砲擊 伊艦隊、英艦一隻を擊沈 |
08 | 圖像:還都一周年記念日を前に建國の大業への決意を記者團に語る汪主席 |
09 | 獨經濟、外兩相と會談 松岡外相の滯獨動靜 |
10 | 世紀の饗宴開かる ヒ總統、松岡外相一行を招待 |
11 | 南太平洋の米艦隊 無期限に留まるか |
12 | ユーゴー新政府の 對樞軸態度未だ不明 |
13 | 樞軸側から 脫落すまい 伊太利樂觀 |
14 | 三國同盟加入 批准せず 新ユ國首相獨に通告 |
15 | 獨、ユ國に要求 回答は不滿足か |
16 | 全國に戒嚴令 新ユーゴー首相布告 |
17 | ペーター二世 親政を宣誓 |
18 | 明日の天氣 |
19 | 水滸傳(372)/黃得時;榎本真砂夫 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 感激の對面濟んで けふ明治神宮に參拜 ほつとした遺兒達あす離京 |
02 | 臺北に第二空港 淡水水上飛行場の 地鎮祭盛大に擧行 |
03 | 傷痍軍人記章傳達式 |
04 | 學習院も學制改正 國民學校制度に準據し |
05 | 圖像:淡水水上飛行場地鎮祭 |
06 | 臺北州參事會 |
07 | 臺北州警察招魂祭 一日嚴肅に擧行 |
08 | 節米徹底へ 宜蘭市通達を發す |
09 | 興亞の英靈 內地へ譽れの凱旋 |
10 | 聯合少年團 評議員會 |
11 | 百萬圓目指して 基隆郡の貯蓄打合 |
12 | 滇緬鐵道建設は 重慶の白晝の夢 米弗公債發行は前途なほ遼遠 |
13 | 中央儲銀券 流通高增加の一途 |
14 | 馬利用指導者 十二名巢立つ |
15 | 防空用井戶 基隆で開鑿に着手 |
16 | 還都一周年祝賀 あす中國領事館で祝賀會開催 |
17 | 新竹州教員 卅一日に大異動 |
18 | “我等の興亞生活” 入選發表延期 |
19 | 外地の國民學校 四月一日から一齊に實現 |
20 | 植林報國に邁進 四日は愛林日臺北州の行事決定 |
21 | 安南人を極度に警戒 協定成立後の佛印 |
22 | 國民服着用注意 府人事課各官衙に通達 |
23 | デマ粉碎に 新竹有力者起つ |
24 | 基隆の米配給も 米穀組合から |
25 | 文盲を一掃 國語不解者を調查して 全部國講所に收容 |
26 | 臺灣齒科醫師會總會 |
27 | 尖崠山へハイク |
28 | 東邦優勝 |
29 | 張清港氏寄附 |
30 | 輪禍一つ |
31 | 市民講演會 |
32 | 人事・消息 |
33 | 今夜の放送 |
34 | 商況 廿九日前場 |
35 | 映画案內 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 亞細亞の旗(119)/小栗虫太郎;坂本仁 |
02 | 家庭・婦人 休暇中のしつけ方 殊に新入學の子供に 大切な整頓する習慣 |
03 | 職場案內 明日の產業戰士のために 鑄造作業の卷 |
04 | 圖像:春の更生婦人服(四) |
05 | 鯨肉と白菜の煮込み |
06 | 子供のカラーの洗濯 |
07 | 味噌汁の旨味 長く煮ると失はれる |
08 | 果實酢の製法 |
09 | 嫌ひな食物も 好きにするには 最少量から與へ始めること |
10 | 流行性感冒の原因 (下)このごろの最新研究 |
11 | 圖像:興亞新劇團入京 |
12 | 經濟相談 |
13 | 虛弱兒童の日光浴に セロフアン障子の利用を |
14 | 紙上病院 |
15 | 人工榮養と果汁 |
16 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語學習 外國に咲く櫻花 日本から送つたもの |
02 | 職業報國の歌/寺田禮子 |
03 | 大成功をおさめた 錦江附近の殲滅戰 十萬の敵目茶苦茶 |
04 | 完全に封鎖された 廣東省の援蔣路 沿海の町町全部占領 |
05 | 童話 へびぎらひ くもぎらひ (二)/神戶雄一 |
06 | 山の樣な戰利品 英人の家にもかくしてあつた |
07 | 御存知ですか? 內地と違う臺灣の國民學校 |
08 | 懷しい小公學校の 呼名も今月かぎり |
09 | 空と海の話題二つ 高雄から東京へ 四月から直通定期航路開く |
10 | 東京から新京へ 五時間で飛ぶ新航空路開く |
11 | 新中國海軍 基地可令部新設 |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 陸豐より更に急追 ○○方面に向つて頭條新聞 【廣東二十九日發同盟】二十八日未明碣石灣沿岸南海頭奇襲上陸に成功し陸豐に向つて猛進擊を開始した我が新銳部隊は陸豐東北方一粁南山附近に於いて反擊する敵を忽ちにして擊碎、同十一時四十五分陸豐を完全に攻略、更にその一部は○○方面に向つて敗敵を急追中である、尚陸豐には豫て約三百の敵が駐屯してゐたと云はれるが我軍の奇襲上陸の報に怯え一戰も交へず北方に退散したことが判明した |
02 | 大安墟陷れ戰果擴張 |
03 | 錦江北岸の殘敵掃蕩 |
04 | 中支艦隊今週の戰果 |
05 | 新中國の前途洋洋 板垣總參謀長談話 還都一周年 |
06 | 近衛首相から祝電 汪主席、王委員長宛に |
07 | 翼贊運動今後の展開 柳川副總裁は語る |
08 | 日、米は戰爭しまい 米が掛つて來たら斷乎應酬 友好國記者團を引見松岡外相斷言 |
09 | 米、平然を裝ふ 對日空氣尚餘裕を殘す |
10 | 中央協力會議 大體存置 |
11 | 地方組織は 何等變更なし 近く總裁談發表 |
12 | 陸軍は全面的支持 柳川副總裁、石渡事務總長 |
13 | 副總裁、事務總長 正式に任命 |
14 | 圖像:畑總司令官の乘馬姿 |
15 | 改組と人的更改 五點につき意見一致 |
16 | 局部長會議開く 辭表を一括、聲明を發す |
17 | 役職員全部の辭表提出 |
18 | 英側援蔣の新樣相 南太平洋新ルートを開放提供 重慶第五列分子、泰に潛入暗躍 |
19 | 南太平洋訪問の 米艦今後の行動 各種の觀測行はる |
20 | リ獨逸外相 日本記者團と懇談 |
21 | 石澤總領事 蘭印通商局長と協議 |
22 | 星野總裁歸京 |
23 | 有馬前總長 首相を訪問 總務等の辭表提出 |
24 | 議案全部を議了 國民政府初の全國軍事會議 |
25 | 日高參事官全權公使へ 中華民國に出張 |
26 | 國防追加豫算 米上院で可決 |
27 | 今日の天氣 |
28 | 大連汽船 |
29 | 東亞海運 |
30 | 南日本汽船 |
31 | 大阪商船基隆出帆 |
32 | 日本郵船基隆出帆 |
33 | 辰馬汽船 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 臺灣教育令の劃期的改正 國民學校令愈施行さる社說 一 待望の國民學校令に依る臺灣教育令の改正は遂に公布された、內地と同樣、來る四月一日から全島一齊に實施されるが、本島初等教育史上劃期的の大改正であり、本島教學の刷新に一大進展を齎すものとして、邦家のため、頗る同慶に堪えない、固より本島に於ける教育方針は、一視同仁の御聖旨に恪遵し教育勅語の御趣旨を奉體して、皇國臣民の育成に終始一貫、渝るところなきは、申すまでもないことであるが、唯時代の進運、文化の向上に順應して、常に教育の刷新を怠るべからざるは言を俟たぬところである。故に本島に於ても、夙に初等教育の刷新に意を用ひ、旣に來る十八年度から義務教育制度を實施する方針を決定したのであるが、計らずも今回國民學校令の施行に依り、義務教育制度の實施に先立つて、內地と等しく國民學校令による教育の全面的刷新を斷行し、以て皇國民の基礎鍊成の大本を確立せられたるは、聖慮宏遠誠に恐懼感激に堪えないところである。 二 今回臺灣教育令改正の主要點は本島の初等教育も內地と同樣に國民學校令に依ること及び從來の小學校、公學校の別を廢して齊しく國民學校とすることの二點である。而して之に伴ひ、師範學校に於ける小學師範部、公學師範部の區別規定、或は小公學校の共學規定等も廢止されるわけである。以上は形式的に見た主要點であるが、之を實質的に見た場合、其れは皇國の道に則つた國民の基礎鍊成といふ根本的本旨でなければならない。このことは、特に國民學校令第一條に明示されてゐるところで、我が國民教育の歸趨を明らかにし、教學の本義を明徵にせられた重大意義を有するものと云はねばならない。□に國民學校の教育指針の第一は教育勅語の御趣旨を奉體して教育の全般に亘り、皇國の道を修鍊せしめ、特に國體に對する信念を深からしむるに在るのであつて、從來の個人主義、功利主義的觀念は、凡て一掃さるるに至つたのである。茲に我我は教學新體制の力强き發足を看過してはならない。 三 斯の如き國民學校令の施行に依り、從來の小學校、公學校の教育機關別が廢されたことは、實質的には、內臺一如の精神を顯現した劃期的改正といふべく、又本島の地位使命に鑑み、南方發展に資すべき人的資源涵養の一助として、特に內地よりも實業科に意を用ひたことは、頗る當を得た適策と云はねばならない。要するに本島に於る教學の根本は、國民學校の本旨に則り、第一に我國體に對する信念を深からしめ、第二に內臺一如皇運扶翼の實を擧げ、第三は國民的情操を醇化し心身を鍛鍊して、革固なる献身奉公の實踐力を鍊成することに在るのであつて、そのためには、全島の教育關係者が總督吿諭を體し自ら拮据勉勵して、今回の改正の真精神を把持し、之を教育の實際に具現すると共に、一般島民に於ては、家庭の子供が同時に國家の子供であるとの觀念の下に、學校と緊密なる聯絡を取つて、家庭教育の萬全を期し、以て今次改正の真精神を把握し、教學の本義に徹して制度の運用を愆らず、內臺一如の精神を□揚して國運の進展に寄與する□がなければならぬのである。 |
02 | 三笠宮樣の御婚約 きのふ正式に勅許 今秋に晴れの御婚儀 |
03 | 宮內省發表 |
04 | 三陛下・殊の外の御滿悅 |
05 | 質實剛健な御日常 三笠宮殿下の御近狀 |
06 | 多惠子女王殿下 近く御降下 故北白川宮永久王殿下の御妹宮 |
07 | 圖像:秋田拓相遺兒を激勵 |
08 | きのふ御參內 兩陛下に御喜びを言上 |
09 | 陸軍大學幹事 四手井少將謹話 |
10 | 今春學習院出の才媛 光榮の高木百合子姬 |
11 | “淑やかで優しい方” 學友小松幸子さん語る |
12 | 本間臺灣軍司令官 きのふ臺東を視察 |
13 | 時事解說國民學校とは?(一) |
14 | 學生生徒を動員 食糧增產に邁進 一般市民の協力を期待 |
15 | 勇士遺族を優遇 春の臨時大祭に專用列車運轉 |
16 | 州下水田の正條密植 九六バーセント植付を完了 |
17 | 關西實業家視察團の歡迎宴 昨夜蓬萊閣で開催 |
18 | 特殊防衛團を整理 一體的統率目指して 總督府近く各地方長官に通牒 |
19 | 花蓮港廳勞協總會 |
20 | 佐藤中將が講演 |
21 | 新竹市上水道 擴張工事起工式 |
22 | 宜蘭郡部振實績發表會第二日 |
23 | ときのこゑ |
24 | 宜蘭署新設廳舍 建設實行委員會 |
25 | 大和丸無電 |
26 | 人事・消息 |
27 | 醫學界の大研究 心臟病の外科的治療を繞り 近く兩氏の論爭に斷 |
28 | 宜蘭郡道路協會總代會 |
29 | 惡辣な客引御用 |
30 | 映画案內 |
31 | 廣告料定價改正/興南新聞社報社消息 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 夫夫の分野から 視察の感想を述ぶ 關西實業團にきく座談會 |
02 | 時事經濟の解說 議會の重要問題 其後の經濟新體制(上) 曰く公益優先、曰く適正利潤 |
03 | 本島の簡保年金法 四月一日より正式實施 |
04 | 神臺成商事會社 創立總會開かる |
05 | 實業團一行を中心とする時局座談會(下) 高山脈を擁せる高雄は 電氣製鐵が有望 |
06 | 臺灣帽子興業會社 神戶で創立總會 |
07 | 臺灣通信工業會社 創立總會を開催 |
08 | 臺灣茶輸出組合 卅一日通常總會 |
09 | ゼラチン需要者 申請を要す |
10 | 照明燈 |
11 | 電球外九百餘點の 最高價格を決定 |
12 | 臺灣炭組海山郡支部成立 これで五支部全部整備 |
13 | 島內現株仲值 |
14 | バナナ相場 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 集集米增產督勵班 各地を巡回、指導 特に正條密植に留意 |
02 | 貢寮正條植講習會 庄長先頭に立つて指導 |
03 | 楊梅各種品評會 盛大なる褒賞授與式 |
04 | 總動員法どう改正したか (一)禁止の消極法から命令の積極法へ |
05 | 防空鐵壁陣成る 曾文郡空訓終了 |
06 | 價格表示展覽會 四月一日より潮州で |
07 | 北投街管內の 改姓名熱昂揚 |
08 | 伯林に春の訪れ |
09 | 東港米穀消費配給所成る |
10 | 竹山時局講演會 多大なる感銘を與ふ |
11 | 大激戰を豫想 新設の臺南工業志望者 |
12 | ローカル・セクシヨン報社消息 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 米穀增產と農民道 本社主催時局講演映畫會で 二林街民に呼掛く報社消息 |
02 | 米增產への近路 嘉南大圳堤外地六百二十甲 |
03 | 瑞寶章傳達式(高雄州) |
04 | 社會教化大會 廿八日彰化市會議室で |
05 | 圖像:北斗街の時局講演會報社消息 |
06 | 高雄州軍援事務打合會 |
07 | 高雄市の共學者二十七名 |
08 | 臺南州市長郡守會議 |
09 | 彰化郡の奉公日行事 |
10 | 鄉軍聯合分會大會 三日臺中市公會堂で |
11 | 鄉軍臺中市分會查閱 |
12 | 前線に慰問袋 彰化市の愛婦が作成 |
13 | 彰化市長大井出府 |
14 | 防空壕入口に蚊帳 蘭印街頭の珍風景 |
15 | 三浦特派使節歸朝 |
16 | 一日は警察記念日 臺中公園で招魂祭 |
17 | 警察招魂祭 四月一日彰化郡で |
18 | 資源調查委員會 |
19 | 經濟視察團一行來嘉 |
20 | 高雄州蔗作懇談會 |
21 | 臺中州山林大會 全部原案通り可決 |
22 | 花蓮港廳農會 きのふ公會堂で開催 |
23 | 來場歡迎 時局講演映畫會 臺中州下の開催日割報社消息 |
24 | 自給飼料增產競勵會 板橋公會堂で褒狀授與 |
25 | 嘉義濟美會理事會 |
26 | 十八公學校分教場 一日から一齊に國民學校に獨立 |
27 | 彰化市米統總代會 |
28 | 內惟國民學校(高雄) 四月一日より開校 |
29 | 炭業組合海山支部 廿八日に發會式擧行 |
30 | 花蓮港廳畜產會總代會 |
31 | 觀眾廿四萬人 盛況だつた臺中恤兵展 |
32 | 不倫、祖父を毆打留置さる |
33 | 各種褒賞授與式 廿八日屏東市會議室で |
34 | 大埔楠西道路 本月末請負入札 |
35 | 全市を五區に 彰化市防衛團強化 |
36 | 人事・往來 |
37 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 內閣政治力の強化 急遽實行に移す決意頭條新聞 【東京發同盟】政府は一日の定例閣議において大政翼賛會の改組案及び柳川法相の翼賛會副總裁兼任並に元藏相石渡莊太郞氏の事務總長就任を正式に承認しこれが改組斷行は事實上柳川副總裁並に石渡事務總長に一任することとなつたが一方翼賛會改組とともに議會後の重要政治問題となつてゐる內閣政治力の强化問題に關してもこの際政府として積極的にこれを取上げ近衞首相、平沼內相を中心に東條陸相、及川海相の意向を聽取して內閣政治力强化に關する具體的對策を新に樹立して急遽實行に移すべきであるとの決意を固めるに至つたやうである、卽ち近衞首相、平沼內相としては 一、緊迫せる內外の情勢に鑑み高度國防國家體制の確立强化は一日も忽せに出來ないのは勿論これが體制の强化確立に必要なる政治經濟文化方面に對する戰時諸方策は急速に實行せねばならぬこと 一、然も戰時諸方策の强行に先立ち內閣政治力の强化を圖ることなしには到底これが方策實施の效果を收め難いこと 一、また政府と表裏一體關係を明確にした新生翼賛會をして國策の貢献協力機關たるの實を發揮せしめる為にも內閣政治力の强化が絕對的に必要であること 等の意向を有して居り、この點に關しては近衞首相始め內閣首腦部の意向は大體一致してゐるから政府の內閣政治力强化に關する根本對策樹立の具體化工作は比較的順調に進捗し出來れば來月七日招集の地方長官會議前に實施を見ることとならう |
02 | 翼贊會改組の具體案 けふ最後的に決定せん |
03 | 新人事銓衡に着手 新陣容が構成されん 翼贊會問題 |
04 | 輝かしき業績を闡明 汪主席の記念放送 |
05 | 襄安の剿滅戰開始 |
06 | 役職員全體會議を開催 |
07 | 副總裁の抱負を聽く |
08 | 有馬事務總長 訣別の言葉 |
09 | 擧國一致を亂す 結社は斷乎取締る 政府の方針 |
10 | 一英艦を擊沈 伊軍司令部發表 |
11 | 南京で記念典禮 きのふ國府還都一周年 |
12 | 重要且つ廣汎に亘る 日獨兩外相の會談內容 |
13 | 松岡外相の動靜 |
14 | 松岡外相と會見の豫定 ローマ教皇 |
15 | 最惡の事態切迫か 獨伊英三國民ユ國から引揚 |
16 | 獨の對ユ態度硬化 |
17 | 地方行政事務 簡易化を企圖 |
18 | 伊艦三隻に打擊を與ふ 英海軍省發表 |
19 | 內務辭令 |
20 | 今日の天氣 |
21 | 大連汽船 |
22 | 東亞海運 |
23 | 南日本汽船 |
24 | 大阪商船基隆出帆 |
25 | 日本郵船基隆出帆 |
26 | 辰馬汽船 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 圖像:靖國の父に社頭對面する遺兒 |
02 | 南京還都一周年 昨日臺北總領事館で 盛大な祝賀會開催 |
03 | 上海の祝賀式 |
04 | 臺灣華僑の祝賀會 きのふ臺北新民公會で |
05 | 南京は歡喜の坩堝 |
06 | 東京大使館の祝賀 |
07 | 廣東は終日 慶祝行事で賑ふ |
08 | 新京大使館で 慶祝式擧行 |
09 | 三笠宮殿下 御慶事を御奉告 明治神宮、多摩陵に御參拜 |
10 | 臺中州派遣の皇軍慰問團 重責を果して歸臺 |
11 | 皇軍慰問團を 新竹州が派遣 十日、現地向け出發 |
12 | “お父樣さよなら” 無事對面を濟ました 遺兒部隊夫夫離京 |
13 | “土地改良を促進” 大和丸入港太田府土木課長談 |
14 | 圖像:南京還都一周年祝賀會 |
15 | 時事解說國民學校とは?(二) |
16 | 臺灣齒科醫師會總會 三日新竹市で |
17 | 「國防護身道」 師範蔡氏歸臺 |
18 | 皮肉!英船が沈沒 新嘉坡の沖合の機雷に觸れて 引揚邦人乘せてみらん丸寄港 |
19 | 少年乘馬練習所入所式 |
20 | 新竹州下の小公校長異動 |
21 | 人事・消息 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 八紘一宇□□を說き 州民の覺悟を促す 溪湖・本社主催時局講演映畫會報社消息 |
02 | 海埔地三千甲を開拓 臺南州 魚塭化を計畫 |
03 | 圖像:溪湖街の時局講演會報社消息 |
04 | 高雄警察招魂祭 |
05 | 高雄の內地視察團四月四日出發 |
06 | 臺南市內小公學全部改稱 |
07 | 耕地防風林品評會 二林で授賞式 |
08 | 未教育青年の指導 高雄州で具體案樹立 |
09 | ターキー一行を 迎へ傷病兵を慰問 |
10 | 高雄州の愛婦 慰問袋を募集 |
11 | 臺東教員養成講習會修了式 |
12 | 各校晴の合格者 |
13 | 東石郡各競作會 盛大な褒賞授與式 生產擴充に拍車 |
14 | 來場歡迎 時局講演映畫會 臺中州下の開催日割報社消息 |
15 | 國民食講習會 四日より高雄市で |
16 | 臺中市春季清潔法日程 |
17 | 花蓮港廳下小公學全部改稱 |
18 | 臺南市區名改正 區長氏名も決定 |
19 | 臺中商工業組合中央會總會 |
20 | 烏日自給肥料審查會 褒賞授與式を擧行 |
21 | 師範卒業生 辭令交付式 |
22 | 廣告 |