臺灣新民報1940年8月
序號 | 標題 |
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01 | 獨の本格的英本土 進入作戰は切迫か 佛西北海岸に盛に軍事移動 |
02 | 伊、西兩國も相呼應 ジブラルタル攻擊せん |
03 | 獨空軍又も英を襲擊 |
04 | 伊空軍も英船隊急襲 |
05 | ソ聯に領土を割讓 バルカン平和維持に |
06 | 在英佛空軍も 對獨爆擊に參加 |
07 | 小磯大將樺太へ |
08 | 獨瑞國境を閉鎖 |
09 | 重光大使、英外相と會見 |
10 | 浙贛線要地を空爆 |
11 | 陸鷲も洛陽を猛爆 |
12 | 山崎永井兩氏 懇談 |
13 | 滿洲農產物統 制を再強化 |
14 | 陸軍軍事參議官會議 |
15 | 專任拓相近く實現か |
16 | 外務省に 強硬申入れ 英人逮捕事件 |
17 | 圖像:英航空母艦イ號擊沈さる? |
18 | 大橋氏結局 受諾せん 外務次官就任 |
19 | 米艦隊(ハワイ)頻りに出沒 |
20 | 鈴木氏鐵道 次官に昇格 |
21 | 勝田、鶴見兩氏 近衛首相と要談 |
22 | 新體制建設 準備會を組織 解黨後の政友中島派 |
23 | 鈴木次官の略歷 |
24 | 重慶政權物資の 輸送聯絡に腐心 |
25 | 木炭の原木に 標準價格を設定 |
26 | 久原派幹部 午餐會 |
27 | 明日天氣 |
28 | 水滸傳(187)/黃得時;榎本真砂夫 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 兩陛下葉山に行幸啟 長期戰下御玉體を御鍛鍊 |
02 | 猛訓練に元氣一杯 團長から力強い激勵の辭 航空少年團訓練中了式 |
03 | 一萬圓の幸運は誰に いよいよあす報國債券の抽籤 |
04 | 圖像:航空少年團訓練終了式 |
05 | 抽籤實況を 放送 |
06 | わが當局が示した 日本武士の情 コックス自決の顛末 |
07 | 基隆臨時市會 六日に召集 |
08 | 防空座談會 五日基隆で開催 |
09 | 臺北州水產會 臨時總會を開く |
10 | 新竹市に百戶割當 借入金で今年中に建築 住宅難幾分緩和 |
11 | 大宜蘭市建設の 隣接十部落編入決定 關係庄の協議會原案可決 |
12 | 森岡愛婦本 部長一行來基 白衣の勇士慰問 |
13 | ばら撒く一萬圓 北署管內の飲食調べ 筆頭は矢張り商人 |
14 | 多大の功績を殘し 臺北州警務部長に 榮轉した根井氏 |
15 | 教育は全く白紙 石渡新臺北州教育課長談 |
16 | 稅關は始めて 土居新高雄稅關長談 |
17 | 土井氏の感 想談 |
18 | 取締りの徹底へ 價格表示の成績不良 |
19 | 馬草を刈る あすの奉公日に 永樂町第一區青年團が奉仕 |
20 | セメント荷役業者 組合創立總會 |
21 | 市民に率先して 奉公日の範 臺北市職員の申合事項 |
22 | 十六箇所で開催 高雄のラヂオ體操 |
23 | 模範作業に 青年團を動員 |
24 | 人力車夫試驗 |
25 | 故李澤祁氏葬儀 |
26 | 國共軋礫の解 決案成立か |
27 | 大藏異動 |
28 | 役所裏で奉仕 作業 彰化市の奉公日行事 |
29 | コソ泥御用 |
30 | 變死三則 |
31 | 人事‧消息 |
32 | 今夜の放送 |
33 | 商況(卅一日前場) |
34 | 今日の映畫 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 七色の空(141)/邦枝完二;三浦杏介 |
02 | 家庭と婦人 新商工大臣に望む/村上秀子 |
03 | 圖像:夏の濱邊「スケッチ」 |
04 | 電髮のご婦人も 泳ぎ中は頭を濡らすこと |
05 | 夏やせ、不眠症には 冷溫交互浴がよろしい |
06 | 生節の料理 |
07 | お乳を吐く 赤ちゃんに |
08 | お客の席上下 |
09 | 土用には何故に 鰻や鰌を食べるか ヴィタミンA、Dの補給に適す |
10 | 圖像:疊める陶枕 |
11 | ヒス夫人や幼兒の 海水浴は禁物です その効果と方法は? |
12 | 徬徨ふ王者達 |
13 | 背廣の壽命伸ばし 裾の切れぬうちに裏返しを 夏中は仕立代も格安 |
14 | 簡單に出來る 蠅取紙の作り方 |
15 | 季節野菜 サラダ |
16 | 馬鈴薯入り 蒸しパン |
17 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語學習 戰爭にいる石油や屑鐵など 日本には賣らない アメリカが決定した |
02 | 圖像:佛印國境より |
03 | 敵前渡河で 西瓜殲滅戰 |
04 | 全島に奉公班を! |
05 | 輝ク校旗樹立式 東港郡新園公ノ喜ビ |
06 | 戰友へ贈る花束 |
07 | 天然色寫真を完成 世界の難問題をとく 科學日本のちから! |
08 | 夏休國語力だめし(10) |
09 | おしゃれをやめて からだをきたへよ 基隆で婦人水泳講習會 |
10 | 連載マンガ へへのの.モ平君(29)/石原みのる |
11 | さびしい「青い鳥」 お氣の毒なメーテルリンク翁 |
12 | 讀者作品集 |
13 | 今日の智識(10) |
14 | 樂しい夏だ元氣に遊べ 地雷火遊び 夏のあそび(六) |
15 | 一分間に下駄七足 超スビート下駄工場 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 基本國策案文脫稿 けふ閣議に附議決定の上 正午首相談と同時に發表頭條新聞 【東京三十一日發同盟】政府は去る二十六日の閣議において決定せる基本國策に關しこれを中外に闡明すべく內閣三長官の手許において案文調整中であつたが漸く脫稿を見たので一日の閣議に附議決定の上同日正午發表することになつた而してその骨子は曩に近衞首相が內閣記者團との會見並にラヂオ放送においてその所信を闡明した如く高度國防國家建設と新政治體制の二點を重要指標とし外交の刷新並に國內政治經濟その他施政全般に亘つて今後の改革を具現せんとするもので先づその前文において世界的大變革期に處して肇國の大理想たる八紘一宇の精神に基き大東亞建設の苦難を克服し世界の新秩序確立に道義國家としてその指導的役割を努める皇威の大理念を顯示すべく國民の時局認識を強調その協力を求め次に根本國策の重點として高度國防國家の建設、外交の飛躍的刷新に關し日本將來の優位的世界的地位を確保する上において絕對的重大性を強調最後に左の如き近衞內閣の具體的施政の方向を體系づけることになつてゐる 一、實踐諸要領 ィ、政治新體制の確立 ロ、經濟新體制の改革 ハ、國民生活の刷新とその最少限の確保 ニ、教學の根本的刷新 尚右と同時に近衞首相談を發表することになつてゐる |
02 | 新外交基本方針を闡明 外相第一聲、注目さる |
03 | 憲兵隊管區、配置と 憲兵分隊管區改正 けふ陸軍省令を公布 |
04 | 圖像:(上)鎮海砲台占領榎本部隊勇士の萬歲(下)海軍旗を先頭 に堂堂進擊する西林部隊 |
05 | 間諜には假借せず 英の抗議は我を誣ふるもの |
06 | 大麻、櫻井兩氏留任 |
07 | 陸軍燃料廠を新任 けふから業務を開始 |
08 | 英國諜報機關の 侵犯事例 |
09 | 救世軍の活動を調查 北京憲兵隊、防諜の完璧を期す |
10 | 肉類、味噌、醬油の 最高販賣價格 |
11 | 伊、大軍を沿岸に集結 一擧英本土に殺到せん |
12 | 羅國マ外相 強硬態度を表明 |
13 | 日支國交調整の 第八回會議 次回は五日開く |
14 | 海南島の電氣通信事業 着着と整備擴張さる |
15 | ト氏の光榮 |
16 | 國鐵關係の 節米 |
17 | 少年飛行兵の 修業期間 けふ官報で告示 |
18 | 聖貫聯盟幹事會 |
19 | 東亞建設國民聯盟の 常任委員會 有馬伯來訪の下に |
20 | 陸軍服制改正 實施さる |
21 | 鐵道人事を刷新 空前の大異動あらん |
22 | ハヴァナ會議終る |
23 | 中央電訊社 廣東に分社 |
24 | 大藏省人事 |
25 | 六分半利附の 米貨公債償却 大藏省發表 |
26 | 總督府辭令 |
27 | 今日の天氣 |
28 | 株式名義書換停止 |
29 | 大阪商船基隆出帆 |
30 | 日本郵船基隆出帆 |
31 | 東亞海運 |
32 | 辰馬汽船 |
33 | 大連汽船 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 東亞解放と 英國の敵性社說 一 日支事變の目的とするところは周知の如く東亞新秩序の確立であり、決して支那の獨立自主を犯すのでない事は近衞三原則に依って今や帝國の一大國策となった。東亞新秩序とは南洋を含む東亞の民族的解放と經濟關係の連繋を圖らんとするのであって、汪精衛氏の唱へる大亞細亞主義と一脈相通ずるものである事は既に一般國民の常識にまで高められたのである。從って支那及東亞に於て莫大な權益と領土を有する英國とは宿命的に對立せざるを得ざるは明かである。即ち帝國の真の敵は勿論支那ではなく、蘇聯でもなく、又米國でもないが故に、帝國の進むべき道は專ら英國打倒でなければならない 二 現在帝國が蔣政權膺懲と共に汪精衞氏を中心とする新國民政府の健全な發達を援助してゐるのは、歐米依存の支那より親日の支那に改造せんがためであり、言はば東亞解放の第一歩である事は言を俟たない。從って支那は決して永久の敵でなく寧ろ永久の善隣たる事を念願してゐるのである。蘇聯とは國體及主義こそ異ってゐるが、彼が若し滿洲國の國防を脅やかさなければ、強ひて敵として求める必要はない。個人間に於ても其の奉ずる主義が相異っても互に交際する事を強ひて拒否する必要はないと同樣に考へられない事はない。米國とは東亞新秩序建設途上に於て多少利害が相反してゐても、之を敵として廻はしてまでも深刻な對立がない筈である。それ故帝國としても自ら好んで多數な敵を作る事は決して得策ではないし、此の際真の敵性を認識して英國の勢力を東亞より驅逐さすべく一路邁進すべき事を最大の目標としなければならない。最近第二次歐洲戰爭に於ける英佛の敗北は天よりかかる絕好の機會を與へられたと言はねばならない。 三 蓋し日支事變を契機として帝國の演じつつある世界史的意義は東亞の解放に之を求めたい。だが東亞民族を支配しほしいままに搾取してゐる英國を盟主とする白人の覇權を打倒せんとする事は、決してそんなに生やさしい問題ではない。今後帝國の前途には荊棘の道が長く續けられるであらうが、帝國としては飽く迄も真の敵は誰であるかをハッキリと認識し、歩武堂堂として着着大理想の實現に國民が一體として努力するより外はない。具體的に言へば支那本土は勿論の事南洋の天地をも英佛等白人の支配から解放して新東亞の建設に確乎不動な目標を確立しなければならない。之を達成せしめるには政治外交上に於て如何なる手を打つべきかは近衞內閣に課した一大使命であるが此の際少しも小節に拘泥する必要なく自由濶達に隨時應變の大經綸を實行せられん事を切望して止まない。 |
02 | 家庭用米節約強化 全國の米屋を推進班に編成 近く二割天引配給へ |
03 | 戰火の歐洲へ 筥崎丸悠悠と航行 刻刻濃くなる戰時色 |
04 | けふは興亞奉公日 |
05 | 島內視察日程 王廈門高等法院 長一行 |
06 | 今秋に學生も參加 農村の勞働力補給案 |
07 | 高雄丸現場に着 七星丸の引下し作業困難に付 漁夫を收容して引上 |
08 | 臺北器物商組 合の創立總會 初役員會も開催 |
09 | 白衣勇士慰問 宗藤高雄市尹 |
10 | 黃大偉將軍が 軍官民を招待 昨日鐵道ホテルで |
11 | 黃大偉將軍 を長官招待 |
12 | 臺北市內は 十五日より 自轉車鑑札引換 |
13 | 中央文壇のお歷歷 今秋文藝講演に來臺 菊池、久米、吉屋三氏等が |
14 | 地域編入の件を 滿場一致で可決 宜蘭街臨時協議會 |
15 | ビールを數百打 不埒‧元庄協が買溜め |
16 | 發會式を擧行 防犯協會基隆水 上署支部 |
17 | 編纂草稿決定 國講用の教本 |
18 | 興亞奉公講演會 |
19 | 新竹消防組 創立紀念式 |
20 | 基隆市目拔き 通のボヤ騷ぎ |
21 | 新竹州水產會 臨時總代會 昨日州會議室で |
22 | 壽町にもボヤ |
23 | 石井內務局長 高雄市內を視察 |
24 | 人事‧消息報社消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 上半期末の銀行貸付金 遂に四億圓を突破 預金三億二千七百萬圓 いづれも新記錄へ躍進 |
02 | 島內簡保貸付金(第二回) 百卅三萬圓に決定 利率四分一厘に引下 |
03 | 七‧七禁止令 本日より本島に實施 |
04 | 消費を規正し 生活を簡素に 松岡府殖產局長談 |
05 | 管理米內地移出 八月百萬袋の豫定 |
06 | 興銀の債券發行 地方銀行に引受さす 貸付引續き激增の為 |
07 | 市內消費米十錢引上げ 法的根據なし 米穀局不當と認定 |
08 | 圓滑な鋼材配給に 島內機構改革を要望 府では近く係官を派し折衝 |
09 | 本年一期米 四百廿萬石が 全島視察後入鹿山技師語る |
10 | 一期米の移出 船便の都合で多少遲延 |
11 | 證券懇談會開催 |
12 | 南邦自動車總會 配當は繼續可能 |
13 | スチール社の業績 |
14 | 臺電人事異動 |
15 | 市價及商況(卅一日) |
16 | 照明燈 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 講演 思想戰の新樣相/野村重臣 |
03 | 戰況月報 おサキさんの戰況メモ/堤真佐子 |
04 | 浪花節/本家三樂 |
05 | 物語 支那近代史(一) 政治外交の卷/出石誠彥 |
06 | 料理 |
07 | ラヂオヴァラ エティ 進め南の海へ |
08 | 十分間演藝 小父さん/中村他 |
09 | 圖像:全國高校陸上競技大會 |
10 | 一日、二日兩日間の披露興行 支那の夜 けふから國際館で |
11 | 新興東京の お盆映畫 「狂亂の娘藝人」 |
12 | 新興東京特作 太平洋行進曲 五日より太平館で |
13 | 井上正夫の 大船映畫 伏見晁の創作物 |
14 | 新興東京特作 娘たづねて三千里 黃金道中と同時上映 |
15 | 「當世五人男」 開始 |
16 | ターキーの 大船映畫 原延吉が演出 |
17 | 工場街に早變り 新興東京スタヂオ |
18 | 「嵐に花は散 ず」 クランク開始 |
19 | 海外映畫短信 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 物資調整の波に乘じ 各商人の合同成る 新化公會堂で創立總會 |
02 | 圖像:南米航路豪華船 報國丸橫濱入港 |
03 | 砂糖配給統制 打合會を開催 終って小賣人組合創立總會 |
04 | 新營郡某方面で 賭博の風評高し |
05 | 內臺融合の楔子 新營に神苑會誕生 內臺婦人を以て組織 |
06 | 瑞芳街協議會 原案通り可決 |
07 | 臺灣體協主催 全臺灣團體長距離 競泳大會近く開催 八月十八日クルーペ濱で |
08 | 三芝庄協議會 戶稅賦課率審議 |
09 | 新營郡下 金銀紙燒却額 年一萬餘圓に上る 陋習打破の要あり |
10 | 國姓信組長 彭富來氏が當選 |
11 | 新營驛殷賑 貨客共に激增 |
12 | 瑞芳街で一番乘 訓導が改姓名 |
13 | 新莊公同窓会 四日に開會 |
14 | 大肚庄助役に 荒井氏を任命 |
15 | 圖像:訪伊使節團歸る |
16 | 新營郡の業佃協調 好績、契約濟小作面積九〇% |
17 | 泥棒捕はる 被害千餘圓 |
18 | 臺東築港促進に 關する資金寄附標準決定 期成同盟會理事會で |
19 | 漳和公同窓会 四日同校で開催 |
20 | 國講所の先生が 生徒になって講習 |
21 | 北港街で砂糖 配給統制打合會 |
22 | 總延長八キロの 產業道路竣工 墘溝保甲民の奉仕作業で |
23 | ローカルセクション |
24 | 訃文:許梅舫 |
25 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 義教の基本調查 臺南州十一日より開始 |
02 | 歸還の白衣勇士 多數の出迎裡に陸軍病院へ |
03 | 隈元上等兵の 臺南市葬を嚴修 きのふ臺南南門小で |
04 | 觀光協會を設立 嘉義市、立案を急ぐ |
05 | 近衛內閣の特異性 新政治體制への發足 |
06 | 國勢調查協力 の通達 |
07 | 屏東自轉車 組合の總會 |
08 | 新豐郡聯合青 年團來彰 |
09 | 彰化郡國講講 師講習會 |
10 | 圖像:屈辱の森、榮光に輝く |
11 | 本社主催臺灣護國神社御石献納 乾燥期を俟って 本格的採取開始 高雄州、打合會で決定報社消息 |
12 | 農業學校の設置 員林街有力者が陳情 |
13 | 臺東街のボヤ |
14 | 勞力不足に親心花蓮港 廳外から百名の勞務者を移入 |
15 | 總戶數五十戶の アパートを建設 高雄の獨身者よ喜べ |
16 | 福本物產總會 |
17 | 榮轉に微笑む人人 臺南は懷しい 鶴新澎湖廳長語る |
18 | 愉快に仕事した 白仁新竹州警務部長語る |
19 | 一生懸命に やる 塚本臺北市助 役語る |
20 | 漁夫卅一名を收容 高雄丸から水產會に入電 |
21 | 神社參拜と除草 彰化郡の奉公日行事 |
22 | 豫防注射を受けよ 花蓮港のチフス防遏に |
23 | 慰問會大盛況 花蓮港移民協會主催 |
24 | 石井內務局長 けふ臺中へ |
25 | 生豚の入荷良好(屏東) 日に四十頭乃至六十頭 |
26 | 自轉車の鑑札(臺中) 忘れずに必ず引換へよ |
27 | 體操講習會 高雄中學にて |
28 | 衛生聯合組合 花蓮港近く設立 |
29 | 日赤愛婦の巡回診療日程 彰化郡下に於ける |
30 | 屏東容器 組合總會 |
31 | 人事往來報社消息 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 水鬼(1)/中山ちゑ |
02 | 紙芝居の演出法(七)/KY生 |
03 | 三十代の作家/古澤元 |
04 | 珊瑚樹 英國の裸體問答 戰時下の法庭光景 |
05 | 圖像:高雄號遭難現場 |
06 | 歐洲大戰徒然草 卷二十二 |
07 | 圖像:ハノイ通信 |
08 | 心聲漢詩 敬步植亭先生見贈瑤韻/東京 陳少鵠、贈燕生女士/東京 黃氏桂華、憶西湖/東京 賴氏紉蘭、飲灌園表兄於東京旅次/吳小魯、次小魯表弟招飲原韻/林灌園、沁園同社輓辭 一/傅鶴亭、沁園同社輓辭 二/傅鶴亭、次教堂兄遷居瑤韻/楊子青、次教堂兄遷居瑤韻 其二/楊子青、感懷用若泉先生韻/友芬、陳炳添君招飲賦呈景南映西二君/王水源、次水源君贈韻並似炳添詞友/黃景南、偶感/若夢、畵蘭/若夢 |
09 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇道の大精神に則し 大東亞共榮圈を確立 帝國外交の基本方針外務大臣談話 |
02 | 第廿四次重慶爆擊 陸、海荒鷲が協力して |
03 | 陸鷲、四川に進攻す きのふ快晴を利して |
04 | 豐城、樟樹鎮を爆擊 |
05 | 陸軍異動けふ發令 |
06 | 梅津、山田兩 大將らの略歷 |
07 | 白衣勇士慰問 宗藤高雄市尹 |
08 | 利潤統制を再檢討 立法の具體化に着手 |
09 | AP東京支局長 デマ放送を自白 東京憲兵隊嚴重戒告 |
10 | 日本向け軍需資材の 輸出を阻止の方針 マ加納陀首相が言明 |
11 | 二百餘億圓の 米國防豫算 下院通過、上院に廻附 |
12 | 陸軍航空通信 學校を創設 |
13 | 近衛內閣初の 精動理事會 |
14 | 中共側が不當要求 蔣の態度煮え切らず 何、張ら苦境に立つ |
15 | 明日の天氣 |
16 | 水滸傳(188)/黃得時;榎本真砂夫 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 中等學校卒業生を 銃後產業に動員 來春‧積極地指導斡旋 |
02 | 武勳の諸勇士歸還 |
03 | 牛嶋軍司令官 けふ急遽上京 東條陸相の招電で |
04 | 圖像:海の荒鷲重慶爆擊行 |
05 | 「社頭祈世」 神宮詠進歌 兼題發表さる |
06 | 清潔消毒法施行 五日より指定地域に |
07 | 瀨谷前基隆要 塞司令官來北 各方面に挨拶 |
08 | 防衛團員の“龜鑑” 高熱を押し切って勤務、遂に殉職 |
09 | 日郵が誇る 豪華船八幡丸 八月廿一日處女航海 |
10 | 近衛新內閣と世界 悅こぶ南京窮する重慶 最大の關心を示す獨伊 |
11 | 筆頭は自轉車 の無燈火 昨夜の一齊取締 |
12 | 交通安全確保へ |
13 | 高雄丸の到着を待ち更に救助船派遣 |
14 | 舞踏場の閉鎖斷行 歡樂鄉にも七‧七禁令 |
15 | 一萬圓當籤番號 |
16 | 聲の代用品現る! 流行歌手ペチャンコが |
17 | 一日一食で結構 十八年も實行した齒醫者談 |
18 | 愛婦各市郡の 分會長打合會 三日州會館で |
19 | 不良飲料水を お客さんに出す 臺北州衛生課斷乎たる態度 |
20 | 臺中市鐵工業 組合創立總會 |
21 | 臺北州下女子中等 校庭球選手權大會 |
22 | 南署壯丁團員 奉公日に勤勞奉仕 |
23 | 南署全署員の 水泳講習會 |
24 | 臺南州の實施案 國民心身鍛鍊週間 |
25 | 新竹州內務部 の異動發令 |
26 | 大和丸入港 |
27 | ゴム專門泥檢 擧さる |
28 | 高千穗丸無電 |
29 | 定期航空 |
30 | 人事‧消息報社消息 |
31 | 街で拾ふ |
32 | 今夜の放送 |
33 | 商況(一日前場) |
34 | 今日の映畫 |
35 | 民報案內報社消息 |
36 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 七色の空(142)/邦枝完二;三浦杏介 |
02 | 家庭と婦人 兔唇、多指症の遺傳 問題は結婚する相手だけ 優性より劣性が怖い |
03 | 常備したい藥草 虫齒によいあざや つわり輕くする半夏 |
04 | 夏休みの暮させ方 家庭指導心得書を御紹介 |
05 | 圖像:氷の話(一) |
06 | 鮪の鐮倉和へ |
07 | 鞄類の手入れ法 汚れや黴をふせぐには 生活改善中央會 |
08 | 圖像:百花園所見(スケッチ) |
09 | 溶けやすい バターの保存 |
10 | 榮養研究所調 子供は蛋白質を多く 老人には野菜がよい 年齡に依り異る食品の選び方 |
11 | 夏向きは青と綠 肥り型に禁物の赤 染め直すにはこの色で |
12 | 入浴中、飲酒時 は美聲が出る |
13 | 身上相談 |
14 | パラソルにも ブラッシを |
15 | 鬚をやはらか くするには |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語學習 全國でスパイ退治 憲兵隊が大活躍 英國の一スパイが自殺 |
02 | 潭子公の誠心献金 |
03 | 圖像:援蔣都市を續續占領 |
04 | 全島遠泳大會 今月十八日基隆で |
05 | 蔣介石の命のつな 重慶と第三國をむすぶ 援蔣ルートのお話 |
06 | 今日は興亞奉公日 明るくただしく 元氣一ぱいですすめ |
07 | イチマン五センノ オサカナゼンメツ |
08 | 月三千臺の飛行機を 米國から英國へ あたらしく約束した |
09 | 夏休國語力だめし(11) |
10 | 連載マンガ へへのの.モ平君(30)/石原みのる |
11 | 鯨の脂肪から着物 石田博士の新發明 |
12 | 今日の智識(11) |
13 | カタカナらん クモノコガ コヘビタイヂ |
14 | 牛の胃袋で代用皮 |
15 | 樂しい夏だ元氣に遊べ 水遊び二種 夏のあそび(七) |
16 | 第二回童謠募集報社消息 |
17 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 近衛內閣の基本國策 閣議で正式可決の上 昨日、中外に公表闡明頭條新聞 【東京一日發同盟】東亞新秩序を建設しつゝ政治の轉換期に對處せんとする近衞內閣基本國策は大命降下直後去月十九日荻窪の四相會議に於いてその基調を決定し組閣は完了するや翌二十日より一週間に亘る連續閣議に於いて國策大綱を決定し二十七日の大本營及び政府の連絡會議に於いては統帥府との間に完全なる意見の一致を見るに至ったのでは內閣三長官の手許に於いて案文調整を行ひつゝあつたが愈々一日の閣議にこれを附議して公表案文を正式に可決し同時にこれに關聯する近衞首相談を承認し午後零時三十分を期してこれを中外に公表闡明した而してこれは近衞內閣が世界新秩序創造の劃期的事態に直面して光輝あるその歷史的使命を敢然遂行せんとする決意を表明らせるもので近く結成さるべき所謂新政治體制の目標並に動向下を□すべきものである。 (政府發表)世界は今や歷史一大轉機に際會し數個の國家群の生成發展を基調とする新たなる政治經濟文化の創成を見んとし皇國亦有史以來の大試鍊に直面す、この秋に方り真に肇國の大精神に基く皇國の國是を完盗せんとせば右世界史的發展の必然的動向を把握して庶政百般に亘り速かに根本的刷新を如へ萬難を排して國防國家體制の完整に邁進することを以て國家緊喫の要務とす、依つて基本國策の大綱を策定すること左の如し 基本國策要綱 一、根本方針 皇國の國是は八紘を一宇とする肇國の大精神に基き世界平和の確立を招徠することを以て根本とし先づ皇國の核心と日滿支の鞏固なる結合を根幹とする大東亞の新秩序を建設するにあり之が為め皇國自ら速かに即應する不拔の國家體制を確立し國家の總力を舉げて右國是の具現に邁進す 二、國防外交 內外の新情勢に鑑み國家總力發揮の國防國家體制を基底とし國是遂行に遺憾なき軍備を充賞す現下の外交は大東亞の新秩序建設を根幹としまづその重心を支那事變の完遂に置き國際的大變局を達觀し建設的にして且つ彈力に富む施策を講じ以て國運の進展を期す 三、國內盤制の刷新 內政の急務は國體の本義に基き庶政を一新し國防國家體制の基礎を確立するにありこれが左記諸件の實現を期す (一)國體の本義に透徹する數學の刷新と相侯ち自吾功利の思想を排し國家奉仕の第一義とする國民道徳を確立す、(二)強力なる新政治體制を確立し國政の綜合統一を圖る イ、官民協力一致各その職域に應じ國家に奉公することを基調とする新國民組織の確立 ロ、新政治體制に即應し得ベき議會翼賛體制の確立 ハ、行政の運用に根本的刷新を加へその統一と敏活とを目標とする、官界新體制の確立 (三)皇國を中心とする日滿支三國經濟の自主的建設を基調とし國防經濟の根基を確立 イ、日滿支を一環とし大東亞を包容する共同經濟の確立 ロ、官民協力に依る計畫經濟特に主要物資の生產、配給消費を賞く一元的統制機構の整備 ハ、綜合經濟力の發展を目標とする戰政計畫頭に金融統制の確立強化 ニ、世界新情勢に對應する貿易政策の刷新 ホ、國民生活必需物資特に主要食糧の需給方策の確立 へ、重要產業等に重化學工業及び機械工業の劃期的發展 ト、科學の劃期的振興並に生產の合理化 チ、內外の新情勢に對應する交通運搬施設の整備推充 り、綜合國力の發展を目標とする國土開發計畫の確立 四、國是遂行の原動力たる國民の施設 體力の向上並に人口增加に關する恆久的方策特に農業及び農家の安定發展に關する根本方策を樹立 五、國策の遂行に伴ふ國民艤性の不均衡の是正を斷行し厚生的諸施策の徹底を期すると共に國民生活を刷新し真に忍苦十年時艱克服に適應する質實剛健なる國民生活の水準を確保す |
02 | 八方美人外交を放棄 松岡外交の根本方針 |
03 | 圖像:英軍根據地を爆擊に向ふ 伊空軍精銳 |
04 | 世界平和の確立へ 新體制の目標と動向 |
05 | 近衛首相談 |
06 | 生產原價を引下げ 物資の增產を圖る 小林商相、國策要綱を敷衍 |
07 | 中央電廣東分社 の招待披露宴 |
08 | 米の石油輸出許可制 業者の影響へ紙の所論 |
09 | 大東亞經濟圈の確立 財界方面も積極協力 |
10 | 大橋忠一氏 外務次官を受諾 |
11 | 飛行機用輕油の 西半球外輸出禁止 ア大統領秘書發表 |
12 | 官界新體制確立 第一回委員會 きのふ首相官邸で開かる |
13 | デマ放送の根源は 英國大使館 APモ記者の陳述 |
14 | 國境劃定委員會 八月三日に延期 |
15 | 海運再編案の大綱 統制協議會で承認 |
16 | 英封鎖範圍 を擴大 |
17 | ハヴァナ協定 の解釋 |
18 | 對獨和協派チ樞相 國外に追放せよ 米國が英に慫慂 |
19 | 前例のない著增 七月の郵便貯金 |
20 | 何れも適任者 今次の陸軍異動 |
21 | 政友中島派の 新體制準備會 世話人初會合 |
22 | 鐵道人事の 大異動 |
23 | 總督府辭令 |
24 | 今日の天氣 |
25 | 日本郵船基隆出帆 |
26 | 東亞海運 |
27 | 辰馬汽船 |
28 | 大連汽船 |
29 | 大阪商船基隆出帆 |
30 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 市營バス問 題について社說 一 去月臺北市會において市內パス乘替券廢止を決議した。市民側から反對の聲が起ってゐる、併し市當局が此の案を市會に提出する迄には幾多の研究を行った結果であらうし、市民からの反對も豫期しての事であらう事が想像出來る。其の目的とするところは乘替券を發して收入の增加を計ると云ふのではなく、乘客數の增加に伴ふ車體の增車を計る事が資材統制其他の關係で困難であり、此の不圓滑なる需給關係を如何に調和すべきかの問題に直面して案出したのが乘替券廢止と路線の改正である。市當局の狙ひどころは乘客は近い距離でも乘替券を要求するから廢止すれば歩くようになる、それだけ乘客の減少となり需給を緩和する、一方統計によると乘替後の乘車距離は極めて短距離であるから多少の例外はあっても乘客としては大した苦痛とはなるまい。と云ふのである。併し市民側から云へば人口三十萬以上の都市において電車がなくバスのみであるのは日本で臺北のみである、此の唯一無二の公眾交通機關に對し乘替券廢止は市民の負擔增加であり料金の値上と同樣である、低物價政策の折柄公營營業が値上げするのは矛盾である、と云ふ事になる。只此處に最も考慮を要すべき點は、客多くして車足らずと云ふ經濟的に解決出來ない變態現象から來てゐる問題である事を理解しなければなるまい。 二 市當局として該案が最善のものとも考へては居ないであらう、要は變態現象がもたらす苦肉の策と見てよからう。だから市民も此の點充分市當局に對し理解をもってやる義務がある。一方市當局としては該案を絕對的とせず將來更に適切なる方策を講すべきである。 此の現象は獨り臺北のみならず全島的否日本全體的の間題であるが臺灣に於いては臺北が其のトップを切った形であるが、やがて他へも波及するは必定であるから一層慎重なる研究を要する問題である。一方バス運營上の實際について見るに、車掌も乘客も內地に於ける臺北程度の大都市に比較して實に公眾交通訓練はゼロに近いものがある。先づ車掌の働きブリで見ると、乘客が奧へ詰めず前半にいっぱいかたまってゐるのに對し徹底的に整理を行はず、之れを滿員と誤認して各停留場を素通りして行く場合が極めて多いのである。筆者は每日幾回かバスで來るが必らず之れを目撃し公憤もするが、それよりも車掌指導の親心が出て其都度車掌に注意する事は屢屢ある。君は滿員だと云ってゐるが僕の周圍はガラ空きだよ、十人位ひは十分乘れるではないか、もう少し注意しないといけない。と云ってやっても車掌の表情には反省の色が見えない、反對に不愉快な顏をする。勿論年若な女車掌に對し十分の同情はもってゐるが、職務は職務である。尤も車掌も奧へ詰めて下さいと努力してゐる事實は認めるが實に不徹底であり、むしろ無責任と思はれる。此の點車掌のみを責めるべきでなく、市當局の指導不足の責任は免かれないのである。當局は單に事務的のみでなく、車體不足等の根本的觀念から指導すべきである。若し現在採用中の資格程度では其の能力無しと見るならば大いに改善すべきである。 三 客側も車掌同樣訓練は極めて稀薄である。車掌が聲を限りに奧へ詰めて下さいと云っても頑として動かない。入口ばかりを塞いでゐる又自分が降車する停留場が、近づいても停車する迄一向降車準備をしない。吞氣な客になると停止をまって悠悠腰を上げ乘合客の知人に丁寧な挨拶をしてから、降車行動を起し出口で乘替券を求めると云った調子である。たとへ滿員の場合でも後方に居る者は自分の降車停留場が近づけば席を他へ讓り入口へ近づき停車と同時に降車出來るよう備すべきである。 東京などのバスは如何に超滿員であっても實に此の邊の訓練が行き届いてゐる、今日の臺北も日本の中流都市としての外觀は十分備ってゐるのであるし、市民も都會人としてのプライトを持ってゐるのであるから、バス乘降訓練も都會人たるの資格がなくてはなるまい。如何に吞氣な農村通ひのバスでも今日では運行中に小便をしたいから待ってくれと云ふ吞氣君は居ない筈である。 此の未訓練狀態は勿論臺北だけではない。他の市街地は一層ひどいのである。今後益益來客の增加を來たすであらうし一方車體、ガソリン等の入手も困難になる事を豫想しなければならないのであるから、主客共にバスに對する訓練を徹底しなければならぬ。 |
02 | 三宮殿下御昇進 只管軍務に御精勵 |
03 | 世は大非常時だ 癒ったら又大いに働く 瀨谷中將いよいよあす離臺 |
04 | 圖像:蘭州飛行場爆擊(軍貸下) |
05 | 教學刷新の根本方針 けふ文相談で闡明 |
06 | 岐阜陸軍飛行學校 けふ官報で創設公布 |
07 | 物價問題が筆頭 滿員に係員が嬉しい悲鳴 經濟相談所大好評 |
08 | 西村氏送別會 |
09 | 道路補修に奉仕 臺北州の勤行報國運動 |
10 | 基隆のラヂオ體操 十六ヶ所で開催 |
11 | 生產地と直接談判 “生豚を送って下さい”と 業者、配給圓滑化に乘出す |
12 | 羅東郡道路 協會總會 |
13 | づるい英船佛山號 廣東で停船立往生 規定の水先料金を支拂はず |
14 | 果報者の職工二人 |
15 | 臺北春競馬 愈よけふから蓋開け 興味の勝馬豫想 |
16 | 北二中同窓会 |
17 | 軍人家族洋裁 講習會終了 六日終了式擧行 |
18 | 白仁新竹州警 務部長着任 國弘警務課長も |
19 | 神社に參拜して 勤行奉仕作業 羅東の興亞奉公日 |
20 | 食糧品配給 組合の總會 |
21 | 家屋賃貸報告 書提出期日 基隆市の日割決定 |
22 | 十五で惡の團長 末恐しいチンピラ團を 新竹署が徹底的取締 |
23 | ライオンに 引搔れて重傷 矢野サーカス團の椿事 |
24 | 雷公暴れて 各所で出水騷ぎ 昨日島都の大夕立 |
25 | ピント第六感に 密輸犯の片割逮捕さる |
26 | 飛行家に轉向 各コンダクター |
27 | 養女自殺未遂 |
28 | 定期航空 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 消費米最高價格 七月十五日より實施と告示 市以外の郡部凡て嚴守 |
02 | 中部三等米でも 一圓以上の利益あり 某產倉專務語る |
03 | 市內への配給米 四等が三分の一 |
04 | 臺灣汽船愈よ 八月末に創立總會 泊總長其經過を語る |
05 | 本島の郵便貯金 四千八百餘萬圓に上る 八月中に五千萬圓突破か |
06 | 臺灣汽船持株割當 商郵船各四萬株か 外五社各三千株 |
07 | 帽子直輸出を企圖 茶、青果等の輸出方策に關し 貿易協議會で決定 |
08 | 三等以下の籾銘柄 制定を陳情 臺北籾摺業組合が |
09 | 特殊な用途に限り 尺貫法使用を許す 度量衡規則一部改正 |
10 | 調查會で研究の 結果、斯く改めた 度量衡所長談 |
11 | 管理米の買入數 二百廿九萬袋に達す |
12 | 南支への輸出には 府出張員と連絡されたい 府商工課で要望 |
13 | 照明燈 |
14 | 來年春季競馬 各地日割決定さる |
15 | 市價及商況(一日) |
16 | バナナ相場 |
17 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 若人の血は躍る 炎天下で猛訓練 南投郡聯青查閱式 |
02 | 歐洲政局の進展に鑑み 南北の 辯士が大獅子吼 四日彰化市公會堂で 時局大講演會を開催 |
03 | 圖像:安藤南支軍司令官よりカトルー總督に 軍刀を贈る |
04 | 涼味百%の海濱で 若人達が受講 彰北男女青年團幹部講習會 |
05 | 北港消防組が 盛大なる發會式 卅日同地公會堂で |
06 | 新高郡蕃地郡坑 近く行政區域に編入されん 管內を三保に分ち保正を選擧 |
07 | “航空ベビー” 一萬五千哩を飛ぶ |
08 | 身體內にホル モン銀行 |
09 | 築港景氣 驚く勿れ?大甲 清水方面土地暴騰 甲當四萬圓以上 |
10 | 三時間に亘る議論 遂に原案可決 淡水街協議會 |
11 | 壜流しクラブ綺譚 |
12 | 圖像:南投郡聯合青年團查閱式 |
13 | 體育運動を通じ 剛健なる身體鍊成 屏東市に於て一日より實施 |
14 | 八割の暴利とかで 彰化署が闇摘發 |
15 | 犬の輸血 |
16 | 浴槽程もある 大獸の足跡 |
17 | 竹東郡職員が 耐熱行軍 終って崎頂で清遊 |
18 | 鮎釣りで 南庄非常なる景氣 |
19 | ローカルセクション |
20 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 懷しの營門を後に 一部將兵召集解除 軍官民多數に見送られ |
02 | 神社に歸還奉告參拜 高雄市出身の諸勇士 |
03 | 慰靈祭を擧行(花蓮港) ウィリ事件犧牲者 |
04 | 更に一段の緊張 各地の興亞奉公日 |
05 | 圖像:人馬一體水馬の妙計 |
06 | 七‧七禁止令 懇談會(高雄) |
07 | 龍眼愈よ登場 中部一斤廿錢前後 |
08 | 彰化市臨時市會 一瀉千里に原案可決 |
09 | 經濟打合會 けふ彰化署で |
10 | 決死隊將兵の覺悟 肉迫攻擊班員の遺言 陸軍省情報部 |
11 | 中堅青年農事 講習會(新豐郡) |
12 | 輪作法實施に當り 奧田臺中州知事談 |
13 | 土居、石渡兩氏 送別會(花蓮港) |
14 | 本社主催臺灣護國神社御石献納 數日前より採取開始 臺中州下‧各郡で打合會報社消息 |
15 | 臺南木材 組合總會 |
16 | 共同計算に決定 臺南各市場の豚肉業者 |
17 | 落花生の公定價格 花蓮港‧至急決定を要望 |
18 | テクシーで通勤 知事を始め全員ラヂオ體操 國民心身鍛鍊運動で張切る高雄州 |
19 | “國策のためだ” 銀細工屋さん‧喜んで轉業 |
20 | 築地氏送別會 |
21 | 今は昔女の喫煙 何時頃から始ったか |
22 | 飛行消防夫 出現せん 山火事撲滅に |
23 | 臺中州稅務異動 |
24 | 勞働者の怠業 どうすれば鼓舞できるか |
25 | 高雄旭建築 組合の總會 |
26 | 和蘭職業軍人 お巡りさんに |
27 | 人事‧往來報社消息 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 水鬼(2)/中山ちゑ |
02 | 紙芝居の演出法(八)/KY生 |
03 | 紀行 夏山だより(上)/黑田初子海外遊記 八月XX日 伊那の舊城下町高遠から、山麓の市野瀨村へ入り、久し振りで雜誌の附錄なんかが壁の裝飾になつてゐるやうなわびしい旅館へ泊りました。村の雜貨屋で草鞋を買つてゐますと子供達は輪になつて取り圍み、何處へでも從いてきます。物珍らしさうな人なつこい顏をしてゐます。東京の子供みたいに「パーマネントは止めませう」とか「きたねエ帽子」などと大人を揶揄ふやうな生意氣なのはゐませんでした。 翌朝早く一人の案內を連れて市野瀨を發ち桃木、戶草を通つて小瀬戶へ行きましたが、馬方や魚釣りや百姓達から「スフは駄目です」といふ泣き言をサンザン聞かされました。小瀬戶には沸し湯ながら鑛泉があるので、お盆休みで在鄉の人達が一杯です。それで私共は小瀬戶の林野局事務所へ泊めてもらひました三峯川淵には魚を釣る人々の姿が動いて見えました。 此處が人の住んでゐる所では一番奧ですが翌十五日からは全山に入つた氣持になりました。三峯川は南アルプスの名山仙丈岳と鹽見岳の山懷から源を發し、蜿蜒と流れ流れてその遡行は頗る平和な山旅です。小瀬戶から二時間ばかりで巫女淵といふ名勝があります南畫のやうな感じがしました。對岸は切り立つた岩壁が川の水面から直立して空をつき、こちら岸は奇岩が組み合つて重なつてゐます、その岩の一角に立つて走り行く水や淀む水を眺めてゐると全く飽きる時が來さうにも思へません 澄んだ水が濃藍色に岩蔭にたただずむかと思へば、日向では派手なコバルト色に輝いて走る水。又岩にぶつかつて白い玉と碎け散るかと思へば、大きな淵となつて氣味惡いに迄にトロンと靜まつてゐる所もあるのです。寫真を此處彼處と寫しては見ましたが、到底眼で見るやうな大きな景色を一枚繪にすることは出來ません。自分に繪の描けないのが殘念でした 繁る草木と川水ばかりに慣れた眼に安倍荒倉の山容が映じた時は嬉しうございました 此處が北荒川と南荒川との合流です。其處から靜かな河原を一時間あまり步いて豫定の露營地に着きました。三人が漸く並べる位の岩の下です。木の葉や草を敷き並べ、ドツカリと腰をおろして「山に來たなあ」と泌々思ひました(筆者は登山家として著名、料理研究家) |
04 | 珊瑚樹 ヒ總統大滿悅 ニュース映畫前觸 |
05 | 夜の巷/秋子 |
06 | 心聲漢詩 挈眷宿浄業堂禪室/覺齋、次教堂兄遷居瑤韻 其三/楊子青、次教堂兄遷居瑤韻 其四/楊子青 |
07 | 府‧州‧市公報輯錄 |
08 | ラヂオ |
09 | 國民學校講座 國民學校教則總論/倉林源四郎 |
10 | 講談 無慾の出世/寶井馬琴 |
11 | 婦人の時間 朗讀親心 |
12 | 子供時間 お話 軍犬も興亞の戰士 |
13 | 料理 |
14 | 物語 支那近代史政治外交の卷(二)/出石誠彥 |
15 | エンタツ一行來臺 大世界館で公演中 |
16 | 「血煙神田祭」 |
17 | 南旺の 「煉瓦女工」 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國民各層代表を招集 首相の新任奉告參拜後 新體制運動愈よ本格化 |
02 | 議會制度選擧法 愈改正斷行 |
03 | 計畫經濟の完遂へ 商工當局の具體的施策 |
04 | 橫斷的聯繫を強化 各省中堅課長を企畫院に吸集 |
05 | 參議制存置に決定 |
06 | 和戰問題を討議 重慶首腦部會議で |
07 | 末次大將 首相と要談 |
08 | 重慶財政部布告 |
09 | 生糸用途の 新分野を開拓 スフ糸と混織 |
10 | 圖像:憲法實施委員會成立典禮、於廿九日國民政 府大禮堂、寫真は汪主席代理の演說 |
11 | 古戰場マヂノ線 佛領に入り戰線視察 |
12 | 米のガソリン禁輸 歐洲向も一樣適用 |
13 | 米の對日牽制策が 但し日本への影響尠し |
14 | 海南島の殘匪に鐵槌 陸海軍協同で潰滅 |
15 | 英獨空軍が大激戰! |
16 | 中立國の歐洲行貨物 英許可制を宣言 許可證無ければ拿捕 |
17 | 對日國交を調整 モロトフ外相演說 |
18 | ソ聯の外交政策(モ外相の演說) |
19 | 十萬磅の使途 近く具體的檢討 北支難民救濟資金 |
20 | 明日の天氣 |
21 | 水滸傳(189)/黃得時;榎本真砂夫 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺北州指定街庄の 防訓と施設查閱 愈愈六日から開始 |
02 | 蘭印の上層支那人 續續と廈門へ復歸 來臺した中堂氏語る |
03 | 第三部隊 名譽の戰死者 けふ原隊より發表 |
04 | 圖像:明治天皇祭 |
05 | 石川鐵道部長 新竹を初巡視 |
06 | 最近の蘭印狀況 さまらん丸の船客談 |
07 | 基隆の清掃奉仕 |
08 | 機械製麵組 合創立總會 |
09 | チフス發生地 社寮町の大清掃 |
10 | 白衣の諸勇士 花蓮港から臺北へ轉療 |
11 | 近衛內閣と世界(中) 當惑蔽ひ難きアメリカ 日米對立を望むソ聯 |
12 | 基隆稅務出張所 けふ盛大に開所式擧行 |
13 | 汪廈門高等法院長一行 本島の司法行政視察に けふ香港丸で來臺 |
14 | 日泰航空松風號 河內南方で不時着 尾輪を破損して乘客無事 |
15 | ガソリンに不審 多量の水混入 目下銳意原因調查中 |
16 | 廈門を出發 |
17 | 圖像:來臺した汪廈門高等法院長 一行 |
18 | 各青年團に土俵 指導員を中心にして 新竹州で國技の練磨 |
19 | 新竹果菜市場 いよいよ近く店開き |
20 | 全島市議協議會 九月新竹で開催 |
21 | 理想區の建設に 青年團美化奉仕 市內五ヶ所で實施 |
22 | 山中に白骨死體 自殺か他殺か皆目分らず 基隆郡警察課活躍 |
23 | 列車內のスリ 七つ道具持った少年 張込み中の南署刑事が檢擧 |
24 | 大穴で熱狂 臺北春競馬開始 |
25 | 山西丸無電 |
26 | 定期航空 |
27 | 人事消息報社消息 |
28 | 街で拾ふ |
29 | 今夜の放送 |
30 | 商況(二日前場) |
31 | 今日の映畫 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 七色の空(143)/邦枝完二;三浦杏介 |
02 | 家庭と婦人 幼兒の體重に注意 寢冷えをさせぬことが第一 暑中の心得いろいろ |
03 | 殿方の夏服に 換氣裝置を 工夫して見ませう |
04 | 圖像:一萬圓の幸運は誰に? |
05 | 若いお孃さんの口紅 廿歲前の方は贊成出來ない 唇のお化粧方法 |
06 | 圖像:氷の話(二)「ブライン冷却機」 |
07 | 癲癇治療法の發見 |
08 | 虫よけの秘訣 |
09 | 梅の實の加工法 |
10 | 海邊のSOS 溺れた人を蘇生させる 人工呼吸法の上手なやり方/大橋りゆ子 |
11 | 耐久スポーツの食糧 日本古來のものに限ります 登山には道明寺燒米が最適/富塚清 |
12 | 鰺の紫蘇壓し |
13 | 夏はフケが多い 病的なものは胃腸障害から |
14 | 板張を手際 よくする方法 |
15 | 塗卓子の修理 塗料の作り方と塗り方 |
16 | 胡瓜の變り漬 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語學習 ノモンハンの國境確定する 國境確定委員會 昨日からチタで開會 |
02 | 圖像:岩山地帶をゆく |
03 | 航空少年團初の 猛訓練が終了した |
04 | 抗戰か‧降伏か? 岐路に立つ重慶政權 |
05 | 懸賞金で人を釣る 英國式の國防計畫 |
06 | 市になる宜蘭街 |
07 | 夏休國語力だめし(12) |
08 | 日本一の偉人町 鹿兒島市の加治屋町 |
09 | しくじった蔣介石 うっかりドイツ船擊沈 |
10 | とりやめになった 獨軍の英本國進擊 一ぱい食はされたイギリス |
11 | 今日の智識(12) |
12 | 連載マンガ へへのの.モ平君(31)/石原みのる |
13 | 樂しい夏だ元氣に遊べ 盲ら劔術遊び 夏のあそび(八) |
14 | カタカナらん イケドラレタ オホキナコヒ |
15 | 揭示板 |
16 | おたより |
17 | 編輯室より |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 我國文政の根本三點 所謂學問と道德の一體化 教學の刷新橋田文相談頭條新聞 【東京二日發同盟】文部省では一日政府が發表せる基本國策要綱中の教學の刷新に關し政府聲明の趣旨を敷衍說明する為二日橋田文相談の形式をもつて左の如く發表した、而して文政刷新の重點は 一、國體の精華發揚 一、國家奉仕を第一義とする國民道徳の確立 一、科學の普及發展 の三點にあり所謂學問と道德の一體となるべきを說いて真の日本精神に立脚した教學刷新の實を舉げんとしてゐるものである 文部大臣談 現下內外の情勢に即應して國內體制を刷新し東亞新秩序を建設するに當つて我國文政の根本とすべきものは左の三點に歸着する 一、國體の本義を明かにし國體の精華發揚を期すること 一、自我巧利の思想を絕對に排し國家奉仕を第一義とする國民道德の確立を期すること 一、科學の真諦を普及發展せしめ國家奉仕實現の實踐的基礎を確立すること 國家興隆の基は教と學との充實と振興とにある、然して教學は本來一體であるべきである、即ち學は教を侯つて其の本義が明かになり教は學を其の內容とする時其の真諦が確賞となる教學と科學とは根本において歸一すべきものである從來動もすれば教學と科學とを互に分離對立せしめてゐる傾向があったために教學と科學とが真に日本的に振興せられなかつた嫌びがある、今この時局に當つて文政の根本たる三つの點を實現し國家百年の大計を確立するが為めには教學一體の本義に徹して教學の刷新興隆と科學の振興發展とを圖らねばならない ◇教學の刷新 現下時局に於ける教學の刷新は前述の三點に基き制度、施設を刷新し國民生活から遊離してゐる學術思想を排し個人主義、自由主義の残滓を洗ひ去って國民一體國家奉仕の賞を具現するの體制を確立し博大なる知識、旺盛なる氣力、強韌なる體力を有する國民を鍊成することを主眼としなければならない、これ啻に國家當面の時局を突破するに必要なるのみならず無窮の皇運を扶翼し奉る所以である、其の方策とし凡そ 一、日本教學研究の振興 一、學制改革の實施 一、師道の昂揚 一、青少年心身鍛瞬の強化 一、社會教育の充賞一 一、思想國防の強化 等に力を致さなければならない ◇科學の振興 現下の時局に當り科學振興に二途ある、一は基礎的科學の振興一は國防科學をはじめ現下時局面の需要に應ずるための科學總動員である、この両者は互に相俟って其の實現を期すべきである、又科學を振興するには研究施設の增設並に擴充整備と研究者及技術者の增加並に素質向上とが必須の要件である、これは科學研究と科學教育との一體的運營に依って其の効はじめて完きを得るものであつて現下の時局に際しては殊に有為なる技術者の養成を急務とする、以上の觀點に基き差當り自然科學の振興の為め實施せんとする諸方策左の如くである 一、科學研究の擴充整備 一、科學研究の連絡の統合 一、科學研究者、技術者の養成充足 一、科學教育の刷新作 一、科學功勞者の表彰 然して所謂科學振興に際して最も重要なることは其の基礎的たると應用的たるとを問はず必ず國家奉仕、日本文化興!隆を其の第一義諦とすること即ち日本科學の樹立にある、これに向つて所謂科學振興に從事する科學者將來科學者たるべき青少年學徒に向つて國體本義發揚と科學の振興とは一にして二ならざる旨を實踐的に徹底せしむることを要する、即ち日本科學の振興は國體の本義の發揚を離れて期すべからざる所以を識得せしめなければならない |
02 | 教學刷新の具體策 |
03 | 圖像:政府の聲明發表 |
04 | 專任拓相急速設置か 駒井德三氏有力視さる |
05 | 新體制結成具體化 近衛公側近者の動き活潑 諸準備着着進めらる |
06 | 遞信次官更迭 |
07 | 各派の世話人 會合 |
08 | 練習艦隊 練習航海の途へ |
09 | 文部編修課長更迭 |
10 | 東條陸相福岡へ 牛嶋軍司令官らの參集を求め 中央の指導方針を說明 |
11 | 獨軍突如行動を開始 對英總攻擊の態勢に入る |
12 | 外相、首相訪問 |
13 | 蘭印への特派使節に 小磯大將を起用せん |
14 | 獨空軍宣傳を撒布 英蘭南部一帶に |
15 | ソ聯最高會議 クレムリン宮で開く |
16 | ガソリン禁輸(米國) 日本は困らぬ 東燃料部長官語る |
17 | 大東亞經濟圈建設に 南洋包含は當然 歸京の小磯大將談 |
18 | 浙東戰の戰果 |
19 | 重要肥料價格 据置に決定 |
20 | 近衛首相が 白鳥氏と會見 松岡外相輔佐の 役割を果すか |
21 | 首相、西原少將の 說明を聽取 |
22 | 在外武官異動 |
23 | 重慶政府 統制レートの 切下げを斷行 |
24 | 重光大使 英外相と會談 |
25 | 日英親善關係の 回復を希求 |
26 | 生糸用途の 新分野を開拓 ス‧フに混紡 |
27 | 大阪商船基隆出帆 |
28 | 日本郵船基隆出帆 |
29 | 東亞海運 |
30 | 辰馬汽船 |
31 | 大連汽船 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 軍政兩略の 一體化具現 發表された近衛 內閣の基本國策社說 一 東亞新秩序を建設しつつ、政治の轉換期に對處せんとする近衞內閣の基本國策要項は、一日の閣議で正式決定を見たので、同日これに關する近衞首相談と共に發表、これを中外に闡明した。公表された基本國策は、對外的には、國防の充實と外交の自主積極的刷新、對內的には強力なる政治體制確立の三大要綱が揭げられてゐる。三大要綱の中國防外交は、今後日本の進むべき最大の指標であり、國內體制の刷新は、國防國家體制の基礎を作らんがためであることは喋喋するまでもないことである只ここに注目すべきは、新內閣の基本國策決定が、從來の內閣とその行方を異にしてゐることである。即ち基本國策は、大命降下直後四首腦會議に於て基調を決定、組閣完了するや、一週間に亘る連續閣議で大綱が決定され、廿七日の大本營と政府の連絡會議に於て審議の結果、完全なる意見の一致を見たとこである。政府の基本國策が、大本營運絡會議に附議されたと云ふことは、首相が談話の中で強調してゐる樣に、近衞首相が理想とする軍政一體具現化の第一歩であり、國民の大いに意を強うするところである。 二 發表された基本國策は、國防充實を第一の重點に置き、國家の總力を、この大目標のもとに綜合統制すること、外交を刷新して、東亞新秩序を作り上げること、このためには、國內の政治體制を刷新せん事を企圖せんとするものである。基本國策の發表によって國民の進むべき方向は示されたが、しかしながら基本國策は、飽くまで施策の大綱であり之が實施のためには、速かに具體的方策を樹立して實行に移さねばならぬ。新しい政治體制は、新しい基礎の上に打建てねばならぬ。國民の近衞內閣に期待するところは、國民と共に強力なる政治を行ふことである。國策の發表は國民に向ふべき方向を示すと共に、これが實行を公約することである。全國民を打って一丸となす新政治體制を確立するためには、權力を以て國民を引きずって行かうとするのでなく、國民の正しき理解と認識によらねばならぬ。過日の閣議に於て、國民に實相を率直に披瀝して、國民の心からなる協力を求むる事を強調された。これは國民をして政治を知らしめることであり、又國民をして政治を信ぜしむることである。依らしむべく知らしむべからざるは真に國民の協力を求むる所以のものではない。 三 東條陸相は全將兵に對して「今日一日の偸安は平時百年の懈怠に匹敵する、千萬の議論は、唯一の實踐に如かず」と訓示されたのは、誠に味ふべき至言でてる。第二次近衞內閣は、急轉せる世界情勢に即應しつつ、事變處理と東亞新秩序を確立するところにその組閣の重大意義がく。國の內勢が、久しある情外欲して出來なかった日本の內外に對する必然的な措置を急速にあり、理論よりも實行に迫られとゐる時である。凡そ政策は實際にこれを實行し、國民をして納得せしむるにある。國防の充實と云ひ、外交の刷新と云ひ、何れも歷代內閣が力說して來たことである。が常に掛聲に終って實績が伴はなかった憾なしとしない。その然る所以は、抽象的な題目を掲げて具體的方策なく、また具體的方策は樹立しても、これを實行する力と勇気に缺けてゐた為である。國民待望の裡に、未だ曾って見ない清新にしてしかも用意周到なる第二次近衞內閣が出來上った。今度こそはテキパキと問題を處理して、從來の內閣が斷行し得なかったところを斷行すべきであるこれが國民の期待であり、且つまた第二次近衞內閣に課せられた唯一の重大使命だと思ふ。 |
02 | 東亞新秩序建設に 挺身の決意を披瀝 全國青年教師大會 |
03 | 軍人精神を注入 鄉軍臺北州東部聯合分會で合宿訓練實施 |
04 | 軍報道部を新設 初代部長に田中大佐 |
05 | 近衛內閣と世界(下) 米國の強がりと火遊び 要は英米の出方次第 |
06 | 廈門に商業校の 新設を要望 居留民會が近く陳情 |
07 | 鹽島莊夫大佐 四日空路で出發 |
08 | 五千圓に當選(報國債券) 專賣局の臺南支局員 |
09 | 臺灣は朝鮮と對抗 都市對抗野球組合決定 |
10 | 市當局、實績を調查 國民心身鍛鍊運動 |
11 | 新竹市ラヂオ 體操會場決定 市民洩れなく參 集を要望 |
12 | 石黑農政に協力 新農相招待會席上 有馬會長より挨拶 |
13 | 高千穗丸入港 |
14 | 臺北春競馬 降雨の為後半は中止 二日目も已むなく順延 |
15 | 圖像:第一回報國債券抽籤 一萬圓大當り報國債券第一回抽籤は 愈よ一日午前九時より日本勸業銀行內 に行はれた |
16 | 十餘名が重輕傷 トラックがもんどり打って |
17 | 高雄丸昨夕歸着 遭難漁夫等を乘せて |
18 | 無軌道街長 各方面から疑惑の眼 |
19 | 童話、舞踊の會 けふ鐮倉保育園 |
20 | 豪雨で停電騷ぎ |
21 | 李厚慶氏が寄附 |
22 | 錢湯の開業披露 |
23 | 定期航空 |
24 | 人事‧消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | バナナ輸移出高(上半期) 遂に二千萬圓を突破 平均價格十一圓卅二錢 |
02 | 六月末市街地信組 貯金貸出とも增加 金融基調依然緩慢 |
03 | 臺灣製菓聯合會 けふ創立總會 |
04 | 臺灣鐵工所良績 利益率五割に上り 臺銀岸氏を取締役に |
05 | 貿易新體制の確立(下) 第三國より輸入激增 絕對必須の計畫貿易 |
06 | 落花生輸移出商 近く統制組合創設 打合會で持分決定 |
07 | 竹筍罐詰其他の 生產數量決定 外貨獲得に貢獻せん |
08 | 本年度の精洗麻 生產額一千六百萬斤か |
09 | 黃麻多收競作會 愈愈本格的審查 |
10 | 小運搬力統制の為 組合組織を企圖 州當局の援助を要望 |
11 | 週間經濟展望 |
12 | 帝糖中部工場(上) 原料代九十錢 乃至一圓十錢引上 |
13 | 競馬打合のため 畜產會理事會を開催 |
14 | 市內白米價格 十錢引下決定 本日より實施 |
15 | 照明燈 |
16 | 市價及商況(二日) |
17 | バナナ相場 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 講演 勞力不足の克服/美濃口時次郎 |
03 | 國民學校講座 國民學校教則總論(一、二、三)/倉林源四郎 |
04 | 物語 支那近代史 政治外交の卷(三)/出石誠彥 |
05 | 料理 |
06 | 圖像:滿洲へライオン寄贈 |
07 | 日活「牢獄の狼」 配役決定 |
08 | 狂亂の娘藝人 新興の浪曲映畫 |
09 | 留守中の 植木鉢 枯らさぬ秘法 |
10 | パ社に新映畫入荷 パシフィック鐵道 |
11 | 朝鮮民謠「アリラン」 松竹大船が映畫化 |
12 | 新興の幾山河 配役成る |
13 | 東寶島津監督の新作 「二人の世界」 |
14 | ターキー 映畫決る 「娘に凱歌あがる」 |
15 | 「幼き情炎」 |
16 | 海外映畫短信 |
17 | 夏は大いに汗をかけ 體內の老廢物を排出する 水分の補給も大切 |
18 | 今は無きリタ孃のデスマスクと ロイド君とリタ孃の試作模型像出來上る |
19 | 登山智識 靜流の石はすべり易い 強い者が上流へ(完) 溪谷徒涉の諸注意 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 中等學校又は商專 設置運動等を協議 南投燒の名聲挽回策も審議 南投街商工協會委員會で |
02 | 圖像:伊皇太子妃御出征 |
03 | 銃後の守強化のため 家庭主婦を訓練 潮州郡直轄聯合保甲で |
04 | 南投郡で一番乘 王飛英君改姓名許可 |
05 | 組合長の許可を 無視、職權濫用 斗六畜產組合職員 |
06 | 巡回診療の件 その他を打合せ 集集街方委月例會 |
07 | 時局重大に鑑み 教化事業を企畫 東港青年團第二分團が 經費千餘圓を計上して |
08 | 灣糖埔里製糖所で 優勝盃贈呈式擧行 |
09 | 新營信用組合で 籾摺精米機を据付 |
10 | 神社、市內の清掃 美化作業に奉仕 潮州公學校兒童が |
11 | 二養女行方不明 虐待に堪へかねてか? |
12 | 竹田庄役場 事務監察を受く |
13 | 統制經濟の線に沿ひ 臺南州業態別組合聯合會 虎尾郡支會誕生 |
14 | 專賣局南庄收納所 改築落成式 |
15 | 新營郡下農倉 籾受寄托數量 |
16 | 一千餘名の街民 一齊にラヂオ體操 竹東街 興亞奉公日の行事 |
17 | 青果の出荷數量 前年度に比し大飛躍 竹田青果出荷定期總會を開く |
18 | ローカルセクション報社消息 |
19 | 斗六消防組の改革 既に軌道に乘る 組員を定員迄補充 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺中神社十月下旬遷座祭 慶祝委員、諸般事務決る |
02 | 橿原神宮奉納武術大會 譽れの出場選士 來る八日臺南を出發 |
03 | 高雄の簡閱點呼 きのふより始まる |
04 | 全體主義へ再出發 屈服後のフランス |
05 | 彰化市の興亞 奉公日 |
06 | 本格的採掘調查 ドチェンとホホッスの砂金 豫算を遣繰、本年中決行 |
07 | 嘉義市のラ ヂオ體操 |
08 | “結實を見ずに 去るのは殘念だ” 築地新桃園郡守語る |
09 | 中間作の虫害は 早植に基因せず 臺南州勸業當局語る |
10 | 陋習の改善を 通達(高雄) |
11 | 嘉義區長會議 |
12 | 一萬圓の當選者は 日本鹽業の南鹽會 一千圓は國債購入、殘りは恤兵金に |
13 | 十ヶ年の計畫で 三千圓を國防献金 長男と娘聟の召集解除を機に |
14 | バナナ一萬籠 花蓮港生產に全馬力 |
15 | バナナ仰向けに顛覆 重輕傷十一名を出す |
16 | 三棟六戶を新築 高雄市の住宅難應急策 |
17 | 梧棲街協議會 原案通り可決 |
18 | 長田氏一行來彰 |
19 | 青年一萬人に 臺中州第二回身體驗查 |
20 | 彰化郡經濟警 察協議會 |
21 | 高雄州聯合保 護會協議會 |
22 | 京都市教育視 察團來中 |
23 | 西勢子保育園 |
24 | 人事往來報社消息 |
25 | 訃文:陳春 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 水鬼(3)/中山ちゑ |
02 | 佛印印象記(上)/前田雄三海外遊記 筆者が思ひ立つて香港から佛領印度支那視察に向つたのは、恰度、ヨーロツパでは北佛戰の大勢すでに決まつて、佛國が凋落の第一步を踏み出した時、東洋では、佛印當局に對し日本の强硬な援蔣禁絕申入れが行はれんとする直前だつた。從つて、その印象はまだ生生しく、日本の監視員團が派遣されてなほ日の淺い昨今でも之らは殆ど變りはないと信ずる、以下その折に見たままの佛印の情況を綴つてみよう。 英系バターフイールド汽船で香港出發、普通二日の航程なのだが、この船は途中廣州灣と海南島に停つたので、四日かかつて海防に着く。船がトンキン灣から紅河に入り可成り遡江すると海防だ。佛印援蔣ルートの基點として有名ではあるがたいした港ではない。亞熱帶の妙に蒸し暑い空氣の中で、埠頭には支那人と安南人と、ごく少數のフランス人が船の橫付けになるのを待つてゐる。檢疫が濟むと汗臭い身體の貧弱な安南人の苦力達が奇妙な調子の高い叫びを發しながら、一齊に船內に侵入して旅客達のトランクを奪ひ合ふ船から降りると先づ稅關──三十分も待たされてトランクの中をひつくり返される。その揚句寫真器とタイプライターに文句がつく 「これは何時何處で買つた?」 「香港で去年買つた」 「まだ新しいではない」 「俺は新聞記者だ。この二つは商賣道具だ」 新聞記者と言ふ言葉に稅關吏の眼が神經質に動くが、それでも無事通過した。佛印は日本の新聞記者が餘り好きではないのだ。援蔣ルートだとか、海防碼頭に積まれた軍需品の山だとか安南人の親日感情などとろくなことは書かないからだらう。 私は先づ石山ホテルへ行く。海防唯一軒の日本人ホテルで、岸田國士氏の「牛山ホテル」のモデルになつた家だ。岸田氏はその昔海防の三井支店に働いてゐて常常このホテルに出入してゐたのだが、今でも海防の日本人達は、このホテルを中心に街の噂話や、新しいニユースや、日本の話などを傳へ合つてゐる 荷物を置くとプス・プス(人力車)に乘つて街を一巡する。如何にも南國植民地の港らしく雜然として、物憂さとでも言つた樣な雰圍氣に充ちてゐる。高層建築は一つもなく二階か三階造の街だ。チマチな映畵舘、薄汚い酒場、活氣のある佛蘭西人のホテル。それに支那人街と安南人街、ハツキリした目貫きの通りはなくただ雜然と商店が軒を並べてゐる問題の碼頭、重慶行き物資の積載場の方へプス・プスを走らせる碼頭から紅洋沿ひの空地は、全部これら物資の積載場になつてゐる仲仲大したものだ。それでも昨年に比べると大部減つて地面が露出してゐる所もあるが槪して鐵材、架橋材料、得體の知れない長方形の箱などが文字通り山をなして積まれてゐる。鐵材は長い間置きつ放しになつてゐるので赤く錆てゐる。これらの外にトラツクが大變なのだ。殆ど全部米國製フオードで道路附近の空地及び大小五つの組立工場にギツシリ詰め込まれてゐる。尤もこのトラツクも昨年に比して約五分の一に減つてゐるとか、何でも昨年は市內到る所の空地といふ空地、道路といふ道路にズラリと並ぶといふ壯觀を呈してゐたのだ。これらドラツクは解體されたまま雲南鐵道で昆明へ運ばれるのと、組立てられ、鐵材その他を積んで廣西ルートによりそのまま奧地に運び込まれるのと二通りある譯だ。 海防驛でパスポートの檢查を受けて汽車に乘る、支那とよく似た感じの廣漠たる平野を二時間程走ると河內だ。 河內は實に綺麗な街だ。道幅が廣く、街路樹は豐富で青青して居り、市內所所の花園や小公園には、赤、青、黃の花花が目が覺めるやうな鮮かさで群れ咲いてゐる。典雅な大學、博物舘、劇場等には如何にも文化の國フランスの面目がしのばれる。總督の官邸はまるでお城の樣に廣壯で安南人の兵隊が番をしてゐる。市の中央にはプチ・ラツクと呼ぶ湖があり、これを圍んで贅澤品を賣る店などが並んでゐる店の賣子はフランス人か合の子の日本人好きのする綺麗な娘達だ。 合の子──佛印ではこの合の子が非常に多い、血の混合を圖るといふのがフランス植民政策の一つで、當局はフランス人と安南人との結婚を獎勵し又フランス兵等の安南婦人との同棲を獎勵した結果、合の子の私生兒が非常な數に上るに至り、現在ではこの合の子問題が一つの社會問題になりつつあるのだ。 ハノイは暑い。それもカラツとしない、濕氣の多い暑さで、煙草でもマツチでもすぐ濕つてしまふ。四月頃からはもう夏の氣候になるので、日中は家家は鎧戶を閉ざし戶外の熱氣を入れないやうにして、天井の大煽風器を廻し始める。お役所や會社商店等は午前九時から仕事をはじめ十一時半には午前の仕事を終へ、晝休みの時間に入る。食事が濟むと町中全部晝寢だ。午後は三時から六時迄仕事をすると終りで、六時から八時迄はアベリテイフ(食前酒)の時間、晚食が八時からで、九時になると、映畵、ダンスホール、キヤバレー等夜の世界が一齊に開く |
03 | 紀行 夏山だより(下)/黑田初子海外遊記 十六日は鹽見に登る日です。南荒川の廣い河原の砂の上に朝の六時半には旣に草鞋の跡を印してゐました。北澤と南澤の落合に着いたのは八時でした。三峯の源まで遡行し、愈々急な草つきを只管攀ぢ登り、十二時には尾根に出ました。急な草つきは登るには仲々骨が折れましたが、大好きな山の花達が美しい粧ひをこらして迎へてくれるので私は花園に遊ぶ蝶のやうな輕い氣持でした。鹽見岳は大正十五年に弟と登つて以來、十四年ぶりなので、愈々鹽見岳の山稜を登り初めた時は、舊師に逢ふやうな又亡き父に逢ふやうな不思議な氣持が致しました。 頂上に立つたのが一時四十分、ほんとに嬉しうございました。頂上から本谷山へ下り三伏峠までの略は十四年前を思ひ出す所が多く今は旣に二人の子の父となつてゐる弟の學生姿を思ひ、少しも變らない大自然と其の中に生れ死んで行く人間のことを考へずには居られませんでした三伏小屋へ着いたのが六時で掃き清められた小屋には一人の同宿があつただけで、それも都からの登山者ではなく、年とつた藥草採りでありました。私共とちがつて下生えをかき分けて藥になる草を探し廻つて山を步く一種特別の職業の人です。見れば普通の綿入和服を着て、一本の冷酒に舌をならしてゐるのです。六十越したと言つてゐましたが元氣のいいのには驚きました。 私など何の氣なしに見てゐた「トリトマラズ」の根が非常な效力のある藥草だといふことも教へてもらひました。静岡でもらつて來たといふ香り高い新茶も分けて吳れました。 十七日は何といふ眺望に惠まれた日だつたことでせう。鳥帽子の中から中上河內、奧上河內へ縱走して行く間、富士山を初め東岳、荒川岳さては聖岳、兎岳、大澤岳などの一萬尺の岩山が雲を足下に從へて陣取つてゐる樣は、寔に壯觀之に優るものは無いと思ひました。 七釜の上の邊りは盆景に使ひ度いやうな美しい砂地で、這松が波のやうに砂の上に這ひ出し其向ふに青空が無限に廣がり思はず「こんな美しい所を知らない人はお氣の氣だ」と獨り言を言つてしまひました。出征した愛弟の上を思つて暑熱の東京に働いていらつしやるあなたに、此景色だけはお土產に持つて歸り度いと嘆きました。小西又の水源では久し振りの水に夢中になつて、犬のやうに鼻や口を湧き出る水に押しあてて飲んで飲んで飲みました。すつかり水腹が出來てしまひ、お辨當も咽喉へ通らなくなりました。所が此水が後で大祟りをして共の夜は荒川小屋で大變な苦しみをしました。 身體をこはしての山登りがどんなにつらいものかといふことを今度は沁々感じました。荒川岳の登りは美しい草つきの急傾斜ですが、胸がムカムカするのをこらへて登るのですから、美しい花にも苦しい笑顏しか向けることが出來ませんでした。然しあの廣々した草つきと空との境の美しい線は忘れ難い印象です荒川西岳を經て小屋迄下るうちには、すつかり夕陽も沈んでしまひました。 暮れゆく頃に見た荒川岳の岩峰と、岩に忍びよる夕霧との釀い出す景色は疲れた私にも冷たい美の極を感じさせました。寢しづまつたやうな赤石岳の下に小さく燈のついた荒川小屋を見て、一散にかけ下りたのは七時も過ぎてをりました。思ひがけなくも、この小屋で知合つた七十一歲の老婆と翌日は東岳へ登つたのです。息子の凱旋御禮のお山詣でだといふことです。若い登山家も二の足を踏む荒川東岳へ、よくもよくも登つたものです。精神力でせうね。頂上まで一緒に步いたのですが、非常な脚であり、上手な登攀者なのには感心しました。 法悅といふことは、あのお婆さんが東岳の頂上で神を捧げたやうな時にこそ感じられるものだちうと思つて見ました。この先は午後便にゆづります。ごきげんよう |
04 | 珊瑚樹 飜譯文學論 「新潮」八月號 |
05 | 圖像:歐洲大戰より |
06 | 暑さの漫錄(上) 夏向きの科學智識 |
07 | 圖像:ハノイ通信 |
08 | 認定圖書 臺灣圖書館協會 |
09 | 文化消息 |
10 | 心聲漢詩 七月二十七夜會筑客夢周/覺齋、觸熱/覺齋、次錦簪族叔遷居瑤韻/一鳴、次錦簪族叔遷居瑤韻 其二/一鳴、次錦簪族叔遷居瑤韻 其三/一鳴、次錦簪族叔遷居瑤韻 其四/一鳴 |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 重慶周邊要地に巨彈 國防最高會議中の 敵首腦を震駭せしむ |
02 | 陸鷲も壁山を襲ふ |
03 | 在鄉軍人の 身の上移動 屆出を要す |
04 | 條約案文を爼上へ 日支交涉第九回會議 |
05 | 圖像:外交新政策の動向を發表する松岡外相 |
06 | 佐藤監視委員長代理 佛印總督に重大申入 |
07 | 寫真機、鉛筆等 の公定價格 |
08 | 玉野市生る |
09 | テロ行為を防遏 上海領事團會議で決議 |
10 | 獨逸の對英進擊は 九日までに決行か 英軍事專門家の觀測 |
11 | 圖像:東部軍司令部の新看板 |
12 | 廣州灣は密輸の巢窟 監視本部で日高少佐談 |
13 | 英空軍も大擧して 獨重要都市を爆擊 |
14 | 米聯合艦隊 真珠港に歸港 |
15 | 米ソ通商協定 更新交涉を進む |
16 | 我基本國策發表に 米には多大の反響 對極東政策硬化か |
17 | 日本の南進に拍車 英政界、我外交政策注視 |
18 | 伊軍、埃及國境に 行動を開始 |
19 | 芬蘭の國內不穩 |
20 | 重要會談 ウ駐米ソ聯大使 ウ長官代理訪問 |
21 | ドゴール將軍 死刑宣告さる |
22 | 山下中將 福岡着 |
23 | 明日の天氣 |
24 | 水滸傳(190)/黃得時;榎本真砂夫 |
25 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 愛馬の鼻面撫乍ら マサさんほろりと一雫! けふ軍司令部で献納式 |
02 | 新設の 軍報道部 國防思想の普及へ 田中部長は暫定的 近く長大佐が赴任 |
03 | 瀨谷中將けふ 盛んな見送裡に離臺 |
04 | ライオンに裂か れた少年死亡 |
05 | 混雜緩和を計る為 食堂車を廢止 東北本線‧一日から |
06 | 航空無電送信 所竣工 八日に開所式 |
07 | 宗教の美名の下に 恐可きスパイ行為 當局最近一年間の檢擧 |
08 | 放送文藝一般 より懸賞募集 |
09 | 槇原、田邊兩氏突如 英官憲に逮捕さる |
10 | 逮捕理由 |
11 | 英外務省に嚴重抗議 |
12 | 砂糖、燐寸の切符制 六大都市の成績上上/太田園 |
13 | 內山總領事岡 本參事官協議 |
14 | 農業指導員 四名を選拔 臺南州から派遣 |
15 | 藁科技師の 視察報告會 |
16 | 汪院長、北署を視察 |
17 | 量水器の鐵蓋を 片っ端から盜む 厄介なモヒ患者0捕る |
18 | 浮華な服裝も搶玉 新內閣精動初理事會 |
19 | 指輪、耳飾を廢止 稻江の女給等が申合せ |
20 | 出所して献金 塗物職として更生 |
21 | 石川島造船所 燒く |
22 | 大和丸出帆 |
23 | 新公園の音樂演奏 |
24 | 臨時大清潔 法臨時日割 |
25 | 高橋水產課長が 特別放送 |
26 | 市民の慰安 納涼巡廻映畫 |
27 | 按摩市バスに 跳れ飛ばさる |
28 | 定期航空 |
29 | 人事消息 |
30 | 街で拾ふ |
31 | 今夜の放送 |
32 | 商況(三日前場) |
33 | 今日の映畫 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 七色の空(144)/邦枝完二;三浦杏介 |
02 | 家庭と婦人 良家の子女へ魔手 まだ子供だと思ってゐると 不良の虫がつく |
03 | 婦人說苑 贅澤全廢運動/金子しげり |
04 | 物資愛護時代の 土用干し 色のさめぬものは 陽に干すとよい |
05 | 圖像:日光調節眼鏡 |
06 | キャペツの 紫蘇卷漬 |
07 | 子供は午睡が必要 夜だけは睡眠は不充分 眠れぬ子供は缺陷がある |
08 | 香水の買ひ方 と使用法 |
09 | 西瓜の皮利用法 ちょっと工夫さへすれば おししく頂けます |
10 | 日焦けを防ぐ法 水を浴びた後の手當 |
11 | 圖像:氷の話(三) |
12 | 夏帽子の手入法 汚れや型のくづれ さうした場合の心得帳 |
13 | 油斷は出來ない 夏の皮膚病 ひどくなると體內の 病氣にまで進みます |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語學習 邪魔物はとり除き 新東亞建設へ突進む わが外交方針の根本 |
02 | 引あげた英東洋艦隊 |
03 | 英國便り |
04 | 圖像:すすむ鐵かぶと |
05 | 童話 仔犬のお家(一)/橫山美智子 |
06 | 陸‧海荒鷲が また重慶爆擊 これで二十四回目 |
07 | 夏休國語力だめし(13) |
08 | 豆荒鷲の修業期間 一日の官報で告示 |
09 | シナへウリダス ナイチノヘビ |
10 | 蚤の大學者近況 |
11 | 連載マンガ へへのの.モ平君(32)/石原みのる |
12 | 元首相達を 全部捕へた 佛本國へ護送 |
13 | ソ聯邦の新領土 バルト三國のお話 |
14 | 今日の智識(13) |
15 | ボンテチオ マルコニの記念碑 |
16 | 良いご本の紹介 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 財政經濟政策の樹立 金融統制政策の遂行 藏相車中談所信を披瀝頭條新聞 【静岡三日發同盟】河田藏相は伊勢神宮、桃山御陵に親任奉告のため三日午後三時東京驛發富士で西下したが車中左の如く大轉換期に當面してゐる現下の我國財政、經濟政策に關する抱負經論を述べ特に事變處理、新東亞建設の大事業完遂のため國內體制整備强化、高度國防國家建設の目的に沿ふ財政經濟政策の樹立、金融統制策遂行に關し所信を披瀝した 藏相談 一、一般方針、事變の完遂新東亞建設の大事業の推進には國民各層を打つて一丸とし國內新體制を整備強化することが必要であり財政經濟政策もこの新體制に照應せしめて時勢に取残されぬ用意が肝要である、然し突飛な飛躍は危險を伴ふものであるからこの點には充分の注意をなし荷しくお決定し公約した政策は必ず實行する心構へで進みたいと考へてゐる 一、豫算編成方針、本年度の豫算の節約並に明年度の豫算編成については先般の閣議に於て取敢へず前內閣の豫算編成方針踏襲を決定したが內容については現內閣獨自の性格に則って編成し基本國策の線に沿つて豫算の內容を決めるべきである、本年度の豫算も節約出來るものは既定經費と雖も徹底的に手をつけ國防國家建設のため一層重點主義を強化する、前內閣で決定した補助金政策は物質問題とも關聯するので慎重に考究し根本的に再檢討しなければなるまいと考へてゐる 一、行政機構改革、新體制運動の進展に應ずる行政機構の改革は當然やらねばならぬが最近一部に唱道されてゐる大藏省主計局を企畫院に移管し大企畫院を創設すると云ふが如きは現在は出來ないだらう、唯將來現在の機構を全面的、根本的に大改革する場合には考慮しなければならぬであらう、各省間の行政事務の調查は一日も早くやらねばならぬから大藏、商工兩省間の共管事務の調整等も考慮すべきである 一、公債政策、一月以降七月まで公債消化の成績は九割八分に相當するが今後も公債は發行總額の消化を期するばかりでなく更に進んで今日まで日銀手持となつてゐる公債までも減少せしめ通貨の收縮を圖る意氣込みである、消化策については法律に依る強制保有とか強制貯蓄とか云ふ說もあるがこれについては目下の所その必要はあるまい 一、資金統制計畫、十五年度の資金統制計畫は先般の閣議で一應決定したが今後の調整方針は高度の重部主義に基くことは勿論であり又會社の經理統制に對しても積極的に指導監督を實行する、貯蓄組合の普及等にも努力し資金の蓄積とその運營の兩方面に亘つて全面的且つ綜合的な各種手段を講ずる、尚今後の資金調整の重要なる一前提として預金五千萬圓以上を保有する銀行に對して半期每に預金の吸收並に貸出しの見込み額に關する報告を提出せしめるやうな方策を執ることにした 一、日滿天綜合經濟、日滿支を打って一丸とする綜合經濟政策を一日も早く具體的に確立することは最も緊要である、今後一層對滿支收支を調整し滿洲及び支那に於ける堅質なる經濟の發蓬、通貨の安定に協力することが肝要であると考へてゐる(寫真は河田藏相) |
02 | 圖像:農相招待懇談會 |
03 | 當面の諸問題內相の車內談 |
04 | 銀行の新規蓄積資金 增加額と運用計畫 大藏省、報告書を提出せしむ |
05 | 滿洲中央銀行 の株主總會 |
06 | “新體制促進同志會”(假稱) 解黨各派の議員を以て構成 加盟議員二百六十名に及ばん |
07 | 圖像:新任の山田、豐島兩將軍 |
08 | 第二回世話人會 解黨、脫黨、小會派 |
09 | 拓相秘書官決定 |
10 | 鐵道局部課長 級の異動 |
11 | 敵倉庫群に巨彈 浙贛線鷹潭附近で |
12 | 西安飛行場を爆擊 |
13 | 陸鷲、重慶附近の 敵軍事施設を爆碎 |
14 | 地方分與稅の 分與額を決定 |
15 | 參議は改めて人選 新體制との關係を考慮 |
16 | 閣議日を火金の 二日に決定 |
17 | 生糸買上げの 制限強化 |
18 | 科學行政調查機關を設置 |
19 | 日泰機に 信濃號を使用 |
20 | 廈門で日銀券 流通を禁止 八月十日までに 臺銀券と交換 |
21 | 山下航空總監 きのふ大阪に着く けふ空路にて東上 |
22 | 獨空軍の活躍 |
23 | 東京鐵道局長 高田氏を起用 |
24 | 配合肥料の 販賣價格 |
25 | 北洋漁業の 一元的統制へ |
26 | 州下女子中等 庭球大會 けふ新公園で |
27 | 今日の天氣 |
28 | 富士丸無電 |
29 | 大阪商船基隆出帆 |
30 | 日本郵船基隆出帆 |
31 | 東亞海運 |
32 | 辰馬汽船 |
33 | 大連汽船 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 東部開發と 交通の整備社說 一 最派數年の間に東部臺灣は工業化輿論の聲に乘せられ時代の寵兒としてクローズアップして來た。遂年開發の斧を加へられて居るが西部臺灣より甚しく遲れてゐる關係で今後一大英斷を以て開發方針を立てない限りその前途は期待する事が出來ないものであらう。即ち東部臺灣の面積は全島の殆ど四分の一近くを占めて居るがその中山嶽地帶と未開墾地が大部分であり開墾地は未だに微微たるものである。人口の上から見ても花蓮港廳と臺東廳では僅かに二十餘萬人より居住して居らず交通機關としては北廻りに臨海バスと基隆よりの定期航路があり、南廻りに臺東バス、鐵道には臺東線定期航路が就航して居るも何れも不完備であり夏期の如きは暴風雨の被害に依って一週間近くも交通杜絕の狀態に陷り、孤島化した定例が珍しくない狀態である、その為めに東部臺灣の開發が舊態依然として進まないのも實に交通機關の不整備が最大原因を為して居る。東部の開發を行ふ為めには先決問題として、交通機關を整備するのが急務である。 二 東部地方を實地に旅行した人人のム體驗に依れば東部地方の交通機關は現在の如く營利を主眼として居る民間經營では整備を期待する事は難しい事であり出來る事であれば一時も早く非營利事業として國營に移行せねばその整備は勿論改革も不可能であると斷定されて居る。殊に西部と東部の產業開發には連環性があり從來の如く西部臺灣の開發のみを以て滿足する事が出來ず東部臺灣の開發をも同一歩調のもとに開發せねば新時代に於ける臺灣產業政策の達成が出來ないのである、この見地よりしても東部臺灣の開發は目下の急務であり、その目的を達成せんとすれば第一着手に交通機關の整備を行ふ事にあり、民營より國營に移行するのでなければならない事を強調するものである。東部臺灣の水力電源が如何に豐富であってもその開發に從事する為めに交通機關が整備されない限り工業化が難しいのは火を睹るよりも明かである、工業化を促進せんとすれば實に交通機構の整備が捷徑である。 三 工業化を促進する為めには豐富にして低廉なる水力電氣に依存すると共に工業原料の輸送に便利であり更に勞力が容易に獲得出來るのを三大條件として居る。現在の如く營利を目的として經營して居る民間機關に任せて置けば公共機關としての使命を沒却して打算に依って運行する為め利用者の便益を考慮する前に儲かるか否かを判斷する為めに交通機關としての職責を没却し去る虞れがある。殊に東部の如く開發途上にある地方に於いては物的又は人的資源の獲得が出來ない所では交通機關を整備して西部との經濟的條件の均衡化を企圖すべきである。最近米崙築港の完成や臺東築港の促進運動が白熱化して來て居る事は東部開發を促進する上に重大役割を果す事となるがその第一條件としては、前述の如く交通機關の整備を斷行する事である。本島開發の為めには尚幾多の重要懸案があるとは言へ、東部臺灣を水平線上に引上げ時代の脚光を浴せる為めには交通對策を根本的に檢討し再建すべきである |
02 | 贅澤品の時局活用 海外へ輸出外貨獲得 實用にも立派に役立つ |
03 | 一人一個の赤誠! 羅東郡下の小公學兒童 御石の採取に着手報社消息 |
04 | 皇太后陛下 御服喪 |
05 | 臺灣展覽會を 李王殿下が御覽 二日に「臺灣の夕」開催 |
06 | 槇原田邊兩氏逮捕事件 老獪なる英の謀略 外務省に公電到着 |
07 | 阪神名士を招待 本社浮田支局長が出席報社消息 |
08 | 英に嚴重抗議申入 重光大使英外相訪問 |
09 | 香港丸火夫が 金密輸出で檢擧 |
10 | 愛婦臺北州支部 事務打合會を開催 |
11 | 精動に積極的協力 在鄉軍人會臺北支部 率先して國民に示範 |
12 | 大阪株式不振 |
13 | 田邊氏母堂の談 |
14 | コックスの遺書を 英側で再確認 |
15 | 南庄收納所 落成式を擧行 |
16 | 生めよ殖せよ 厚生省が乘出す 人口問題の解決に一策 |
17 | 工業化に備へて 勞動省募集規則 警務局で立案中 |
18 | 槇原氏との面會 非法十日間を禁止 |
19 | 槇原氏夫人母堂談 |
20 | 鑛山機械工養成所 臺陽鑛業で開設 きのふ開所式を擧行 |
21 | 槇原氏略歷 |
22 | 確報を待ち緊 急重役會開催 三井物產の對策 |
23 | 島都の豪雨禍 雷公が大暴れ 幸ひ人畜に被害なし |
24 | 昨日落成式擧行 南署三階の增築竣工 |
25 | 四日は決行 臺北春競馬 |
26 | 人事消息報社消息 |
27 | 謎の白骨判明 |
28 | 今日の映畫 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 化成工業との關係で 電化の擴張行惱み 督府は合併を慫慂 |
02 | 地銀投資の新目標 興債買入豫約制 金融當局の方針纏る |
03 | 全島製菓聯合會 昨日創立總會 臺北市公會堂で |
04 | 新內閣に要望する 經濟政策の前提要件(上)/田沼征 |
05 | 本島茶對滿輸出 近く取引開始か 價格の不利免かれん |
06 | 解說 外貨獲得の再檢討 |
07 | 海運統制機構再編 輸送組合案有力 集荷引受一元化が問題 |
08 | 滯貨現象に鑑み 鐵道部で對策考究中 |
09 | 上期大成火災の 島內成績良好 契約高が九千萬圓 |
10 | 委員會成案 |
11 | 帝糖中部工場(下) 原料代九十錢 乃至一圓十錢引上 |
12 | 市價及商況(三日) |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 本社主催臺灣護國神社御石献納 炎熱濁水溪畔 護國神社御石採取 集集青壯年隊小公兒童報社消息 |
02 | 減收同情 慈悲深模範業主 廿萬斤租谷減免 七十五名小作人感激 |
03 | 七、七禁止令等に關し 所感意見を聞く 能高郡經濟警察座談會 |
04 | 能高木材會社 定期總會 |
05 | 國語家庭會 設立事決定 蘇澳國語家庭懇談會 |
06 | 新營郡下各組合 昨年購買高 |
07 | 廈門篤農家一行 新營視察 |
08 | 二千餘名動員 神社清掃作業 奉公日北斗街行事 |
09 | 大甲郡外埔庄 米穀倉庫火事 損害二萬圓以上 |
10 | 興亞任耐 剛健心身鍛鍊 羅東街民對實施 |
11 | 小遣錢節約 國防献金充 竹東番社子部落民 |
12 | 岡山街住宅難 緩和貸家建築 岡山郡獸肉組合 |
13 | 新舊大屯郡守 送迎會 |
14 | 海山文具商組合 創立打合會 |
15 | 羅東郡自轉車 組合總會 |
16 | 高雄州下於 臨濟寺映畫傳道 五日十二日迄 |
17 | 姦夫婦相手 告訴提起 |
18 | 員崠子―上坪 時局資源搬出為 道路擴張計畫 竹東街勢振興懇談會決議 |
19 | 竹南郡土木協會 七日發會式擧行 |
20 | ローカルセクション |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | メキシコ丸某船客語る 歐戰の餘波を受け 神經極度に過敏! 最近のフィリッピン |
02 | 各位の協力を仰ぐ 甘蔗耕種改善競作會開催に就き 臺南州當局語る |
03 | 臺灣神社參拜 團 三日高雄出發 |
04 | 圖像:成都爆擊行 |
05 | 臺中市を視察 廈門篤農家一行が |
06 | 知事より表彰 人命救助の保甲民 |
07 | 新體制への驀進(上)/福田一 |
08 | 彰化稅務出張所 きのふ盛大な開所式 |
09 | 慰問會を開催 エンタツ一行を 招き |
10 | 臺南のダンスホール 自發的閉鎖を要望さる |
11 | 甘蔗改善競作 打合會 |
12 | 派出所を增設 高雄市の北野町 前金方面に |
13 | 林邊溪岸の砂 千五百米流失さる |
14 | 肥料配給は公平に 臺南州下の農民が要望 |
15 | 廈門臺灣居留民會 第二回總會を開催 |
16 | 品評會と褒狀 授與式(新營郡) |
17 | 恐喝で起訴さる 北斗の司法書士と某行員 |
18 | 意外な處に波及し 關係者八名送局 花蓮港の不正事件 |
19 | 經濟警察職員 講習會 |
20 | 花柳病豫防打合會(高雄市) |
21 | 彰化郡道路協 會協議會 |
22 | 避難兒童救濟資金 英國は五百萬弗 |
23 | 國講講師講 習會(彰化) |
24 | 築地氏送別會 |
25 | 一平方呎四千結び ペルシャの代表絨縀 |
26 | 庄內體育選手 權大會(福興) |
27 | 中部布靴 同業組合 |
28 | 合象國憲法の 雛型發見 |
29 | 人事‧往來報社消息 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 水鬼(4)/中山ちゑ |
02 | 佛印印象記(中)/前田雄三海外遊記 民情視察と勿體ぶつた譯ではないが、ハノイの盛り場を見に出る──映畵舘はみな小さいものだが、籐の肘掛椅子などに腰かけて煙草を吸乍らのんびり觀て居られる。ダンスホールやキヤバレーも皆小さい極く庶民的な感じのする氣のおけない所ばかりで、酒を飮んでワイワイ騷ぎながら上衣もネクタイもなしで愉快さうに踊つてゐる。面白いのはダンサーで、支那人と安南人の二種族だが、支那人の方が遙かに格が上、席も中央のいい所に坐り、安南人は隅の方にかたまつてゐる。極端な所では支那人は普通にホールの中に坐つてゐるが、安南人は廊下で立ち乍らお客を待つてゐるといふ有樣だ。その上支那人は一回二十錢のテイケツトだが、安南人は普通ただでテイケツトは要らないテイケツトをとる所でせいぜい五錢だ。安南人ダンサーは月給制で雇はれてゐるのだが、支那人との待偶が餘り違ひ過ぎるのは驚かされる。尤も支那人と安南人では實際智能的に文化的にそれだけの相違はあるのだが、それにしても安南は自分の國ではないか。 安南人といふのは可愛い民族だ支那人の顏には癖があるが安南人には癖がない一般土民は未開で問題にならないのでインテリを取りあげて言ふのだが、丁度日本人の弟と言つた感じのする顏客だ。性質は非常に柔和で溫順しい。 その代り霸氣もなければ鬪爭心もなく、ごくイージーゴーイングな賴りない性質だ。長い間のフランスの壓政に向上心を奪はれ、野心を失ひ、享樂のみを覺え、全く去勢されたといつた感じだ。この安南人が極端な日本びいきなのだ、拜日といつてもいい程、日本を尊敬し、日本を救世主でもあるかの樣に殆ど盲目滅法な信賴を寄せてゐる。佛印に居る日本人は僅か二百五十人程度だし、日本に關する硏究書、新聞等は佛印當局の禁制で入らないので、安南人の日本に關する知識は皆無といつてもいい位なのだが、日本が支那を相手にして戰爭を始め、北支を取り、上海、南京、漢口を收め、廣東を押さへ、海南島更にお隣の廣西に迄入つたといふ事實だけは嫌でも連中の目に入り耳に入る。だから安南人の親日感といふものは、かういふ日本戰勝の事實のみに起因し、日本は途法もなく强い國だといふ一種の英雄崇拜的な感情なのだ。といふのは安南人は支那に反感を持つてゐる。安南の歷史は支那とフランスに如何に侵略されたかといふ歷史であり、又現在に於いても支那人、華僑の勢力は壓倒的で、あらゆる經濟的商業的利益は全部支那人の手に握られ安南人は其順使に甘んぜねばならない狀態なのだ。自分達の生活を樂にし、自分達の經濟的發展を圖ることは華僑の居る限り不可能なのだ。一方フランスに對する反感、これはいふまでもなくフランスの支配下にある限り印度支那には自由がなく、何時迄もフランスの壓政、愚民政策に甘んぜねばならない。かくフランス及び支那人の下で喘いでゐる安南人の前に現はれたのが「新しい力」日本なのだ。自分達の及びもつかない强國支那を片つ端から攻略してゆく日本こそは、佛印の現狀を更べてくれる唯一の國だ。而も自分達と顏容の似てゐる同じ東洋の民族で文化の進んだ國だから思想機構の違ふ歐洲民族よりどんなにいいか知れない、といふのが安南人の考へ方なのだ。 かういふ安南人の親日感情には佛印を旅行する日本人は誰でもぶつかる。ホテルに泊るとボーイが日本のことを聞きにくる。店で買物をすると賣子が聞く、汽車に乘ると列車ボーイが、カフエーに居ると隣席の青年が、といふわけで、彼等の日本熱は寧ろ一つの流行のやうにさへ見える。 市の中央のプチ・ラツクといふ大きな湖がある。このグラン・ラツクに張り出した「サン・スー・シー」といふダンシングは夜の遊び場の中で一番綺麗で氣持がいい。人人は湖の微風に吹かれながらビールを飮み、星空の下で輕快なワルツを踊つてゐる。時時アコーデオン彈きがテーブルの間に廻つて來ては愛嬌をふりまいて行く。黑ん坊や、フランス人や、安南人達が夫夫獨特の恰好で踊るのを見てゐるのは面白い。午前一時から三時迄に之等遊場が閉まると人人は寢苦しい南國の夜を眠りに引揚げて行く。 |
03 | 暑さの漫錄(中) 夏向きの科學智識 |
04 | 珊瑚樹 科學動員と新體制 注目すべきその將來 |
05 | 心聲漢詩 張希舜先生令媛出閣詩以誌喜/辜菽廬、張希舜先生令媛出閣詩以誌喜/李金柯、張希舜先生令媛出閣詩以誌喜/施教堂、張希舜先生令媛出閣詩以誌喜/可軒 黃洪炎、張希舜先生令媛出閣詩以誌喜/蔣培中、喜希舜芸兄令媛蘭芬孃出閣賦正/曹秋圃、謝諸君子惠詩/張希舜 |
06 | 府‧州‧市公報輯錄 |
07 | ラヂオ |
08 | マンドリン合奏 ツインガロ‧グル□プ/石川寅次 |
09 | 子供座談會 「初めて內地に來て」 司會村岡花子 朝鮮學童綴方使節團員 |
10 | 連續講談 笹野權三郎 (第一夜)/大島伯鶴 |
11 | 支那スター汪洋孃 愈よ東寶映畫へ出演 |
12 | 智性美の新星 日高悅子 「再會」に出現 |
13 | 海外映畫短信 |
14 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 新體制結成氣運熟す 十二日頃準備委員會を開き 近衛首相第一聲を擧げん頭條新聞 【東京四日發同盟】政府は基本國策に基く□□政策の決定を見た□□□□懸案の新政治體制確立に乘出すこととなり過搬來近衞首相を中心に閣內に在つては風見法相、安井內相並に富田書記官長又部外に在つては有馬伯等を中心に新體制結成の時期方法に關し研究を遂げ一方政黨方面に在つては新體制研究會を中心に解黨諸派が同樣具體案の研究を進め現實性の氣運が熟しつゝあるので豫定通り來る十二日近衞首相の親任奉告よりの歸京を待つて第一聲が舉げられることとならう而してその順序は先づ近衞公が個人の資格に於いて軍部、官界、政界、學界、言論界、財界、農村、社會、文化、教化團體等各方面の代表的指導者を招き一堂に會して近衞公より自由主義、民主主義に基く既成政黨を拋棄して大政を翼賛し奉り政府と合體協力して國民の政治指導の任に當り以て萬民輔翼の實を舉げる事を大方針として議院中心の選勢黨でなく日本的世界觀に基く新政治體制の結成を提唱しその目標、方向、組織、順序等に關して所信を披瀝しこの會合を直に新體制準備委員會となし近衞公自ら委員長となり列席者が準備委員として新體制の具體化に進むこととならう而してこの場合列席者の顏觸れ如何が新體制の性格を決定するので慎重な人選が進められるものと思はれる斯くて準備會に於いては解黨諸派を新黨として個別に結集するか新組織の一部に包含するか解黨された議會勢力の取扱ひが先づ問題となり次で新組織は直に各種國民組織を包含した廣汎な國民再編成の形で結成されるべきか又は國民組織と一應切離して先づ強力な政治指導體が結成されるべきかが問題とならうが議會勢力の取扱びに就いてはこれを獨立組織とすることには各方面とも反對して居り指導體結成の問題に就いては新體制研究會方面が面に於て議會勢力を中心に政治性を有する外廓團體(聖貫聯、黨研聯)等の勢力を包含しこれを推進力たらしむべしとの見解を持して有馬伯のかつて主張した興亞國民組織結成に反對してゐる而し□新組織は大體左の如き方向を執るものと思はれる 一、準備會は極めて少數の革新分子を以て構成し新體制の輪廓、構成を決定する 一、新體制は議會勢力を統合して一本建とする 一、新體制は先づ一應國民組織と切離して強力な政治指導體とする從つて新體制は議會勢力並に政治性ある團體勢力を中心として構成される 一、これ等の分子が議會、文化組織、宜像等の各活動部門を擔當する 一、行政部門との連絡機關例へぼ行政分科委員會の如きものを設置して政府との緊密なる連絡を保持する 斯して新體制當面の任務は何と云つても來議會對策並にこれと關聯して選擧法、議院法の改正で新政治勢力強化のためにこの點に全力が注がれることゝならう |
02 | 週間評論 政變と經濟/太田正孝 |
03 | 受諾は最早約定的 小磯大將蘭印を語る |
04 | けふ首相と會談 首相、蘭印政策を說明 |
05 | 山下總監入京 |
06 | 圖像:山下航空總監東上 |
07 | 佛印に重大な申入 全面的協力を要望 佐藤、ドクー會談で |
08 | 海鷲が連日大活躍 江西、安徽兩省を偵察攻擊 浙贛沿線の列車を爆擊す |
09 | 三相前後して 兩宮に參拜 |
10 | 根本海軍中佐 壯烈な戰死 |
11 | 差別的禁輸を抗議 堀內駐米大使、ウ次官と要談 |
12 | 帝國アルミ統 制會社を設立 |
13 | 典型的な武人 新瀉縣出身 |
14 | 星野企劃院總裁語る 親任奉告參拜に西下 |
15 | 瓊崖華僑協會 盤古に駐在員を派遣 |
16 | 新民會會長に 王揖唐氏推戴 活躍期待さる |
17 | 米、太平洋空軍の 前進基地を建設 契約完了の旨を發表 |
18 | ブ、ル兩國交涉 七日頃より開始 |
19 | 今日の天氣 |
20 | ペタン政府を 否認 佛領カレドニア |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | けふから十日間 ラヂオ體操の會 元氣よくやりませう |
02 | 島民赤誠の献金 海軍武官府の取扱 |
03 | 街民多數の 參加を要望 羅東街のラヂ オ體操 |
04 | 事件何等進捗せず 重光大使英外相會談 |
05 | 宜蘭街の實踐 要項 |
06 | 澁谷少佐 壯烈な戰死を遂ぐ |
07 | 邦人大量檢擧を豫報(英紙) |
08 | 新團員男女各 四十名を獲得 五日に再編成 |
09 | 江口臺銀支店長も逮捕さる |
10 | 監獄に拘禁中(槇原田邊兩氏) |
11 | 共に無罪を確信 槇原、田邊兩氏の留守宅 |
12 | 更に邦人逮捕を示唆 |
13 | 槇原氏は元氣 江森社員三日に面會 |
14 | 內臺船路に目立つ 學生さんの一等客 豪勢、多い時で六、七人 |
15 | 白衣の勇士 懷しの內地へ歸還 |
16 | 富士丸入港 |
17 | 榮冠は桃園團に 新竹州軟式野球爭霸戰 |
18 | 銃後自肅の新體制 事變前に比べ暑中見舞は八割減 |
19 | 臺南州產組 算盤講習會 五日より開催 |
20 | 州下女子中等校庭球選手權大會 靜修女又も優勝 複式選手權は郭、田中兩孃が獲得 |
21 | 臺北春競馬 第二日目の成績 |
22 | 李澤祁氏告別式 |
23 | 定期航空 |
24 | 總督府辭令 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 本社主催臺灣護國神社御石献納 護國神社御石採取の 下檢分を具さに為す 員林郡當局一行が報社消息 |
02 | 護國の華と散った 勇士無言の凱旋 臺南驛で軍官民の出迎を受け |
03 | 列車のタンク發火 重輕傷五名 臺南糖業試驗所附近で |
04 | 夏休みを利用 兒童の心身鍛鍊 高雄市內小公學校 |
05 | 新東亞建設の礎石として 健全なる心身練磨 彰化市で色色畫策 |
06 | 新高雄稅關長 七日赴任 |
07 | 改姓名許可に付 披露宴を開く |
08 | 員林市制促進の為 近く街民大會開催 陳情委員が協議 |
09 | 圖像:彰化稅務出張所開廳式 |
10 | 出征軍人遺 家族慰安會 |
11 | 臺中市衛生課の 清掃人夫怠慢 |
12 | 度量廣い專務 使用人の惡を許す |
13 | 彰化文具商組合 近く結成されん |
14 | 商銀支店設置 運動の為委員上北 彰化市の有志活動 |
15 | 曾文郡第三種空訓 良好なる成績で終了 |
16 | 林南投信組長 改姓名を願出 |
17 | 臺南トラック統制會社 計畫の一部變更 四日業者を集めて協議 |
18 | 青年の意氣軒昂 合歡山突破 員林郡青年團の壯擧 |
19 | 臺中州下ミシン 同業組合創立總會 |
20 | 土居、石渡兩課長の 送別會盛況 |
21 | 涼を追ふ遊客で 日月潭は人の山 バス、旅客超滿員 |
22 | 家賃の值上げは 物價等統制令違反 臺中某家主取調べらる |
23 | 花蓮港に又も 腸疫二名發生 |
24 | 臺中市村上公 昨日同窓会 |
25 | 花崗山コートで 熱球譜を奏づ 體協花蓮支部主催 |
26 | 新桃園郡守 本日赴任 |
27 | 新營青年團一行 關仔嶺へ耐熱行軍 |
28 | 列車蕃人を轢傷 生命危篤 |
29 | 壽生藥局 開業披露宴 |
30 | ローカルセクション |
31 | 人事往來報社消息 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 水鬼(5)/中山ちゑ |
02 | ラヂオ |
03 | ラヂオスケッチ 夏の夜(伊馬鵜平作)/千石規子他 |
04 | 子供の時間 お話 良寬樣と月 |
05 | 和洋合奏 |
06 | 連續講談 笹野權三郎 (第二夜)/大島伯鶴 |
07 | 新映畫 松竹大船作品 再會 坪内美子主演 |
08 | 府‧州‧市公報輯錄 |
09 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日伊關係頗る好調 歡迎づくめで非常に愉快 佐藤大使の歸朝談 |
02 | 外交轉換の實踐へ 松岡外相の手腕注目さる |
03 | 近衛首相 葉山に伺候 |
04 | 圖像:海鷲、鷹潭東部の敵倉庫群を爆擊 |
05 | 專任拓相は人選中 うはさに上る顏觸れ |
06 | 議會本來の翼贊體制 まづ選擧法議院法改正 |
07 | 臺北市少年團 指導者打合會 |
08 | ドイツ空軍活躍 偵察飛行などを敢行 |
09 | 民政黨の解黨大會 大體廿日前後とならん |
10 | 新體制促進同志會 結成準備會開かる |
11 | 日滿合同開拓 明年度豫算編成の方針 |
12 | 獨空軍の活動に 何等損害なし 英空軍省發表 |
13 | 獨、ソ一段と短縮 新ドニエプル運河完成 |
14 | イギリス艦隊 ジ港に歸る |
15 | 青年教師 精動懇談會 各地方の代表が出席 |
16 | 海軍兵學校の 優等卒業生 |
17 | ユ、ス兩國間に 通商協定成立 |
18 | 鐵道人事異動 |
19 | 人を喰った 英國の宣傳 |
20 | オランダ軍の 損害實情 |
21 | 汪院長、川村知事 を訪問 |
22 | 明日の天氣 |
23 | 水滸傳(191)/黃得時;榎本真砂夫 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 在英邦人の逮捕事件 陸海軍と打合の上 帝國の態度を決定 けふ外務緊急首腦部會議 |
02 | 報復的企圖であり 今後も逮捕を續行 英國政府意圖を闡明 |
03 | 在英邦人悲壯な覺悟 |
04 | 緬甸で邦人三名逮捕 |
05 | 小林同盟新嘉坡支局長逮捕さる |
06 | 明朗快活の人 同盟社對策を攻究 |
07 | 外務省に公電 |
08 | 臺北州參事會 |
09 | 島都第三種防訓 都合に依り豫定を延期 |
10 | 白衣の諸勇士 懷しの內地へ轉療 |
11 | 少年犯罪防止の為 “街頭相談所”を開設 東京少年審判所の初試み |
12 | 高千穗丸出帆 |
13 | 帝都の興亞奉公日 婦人推進班の報告書 |
14 | 根井警務部長 着任 |
15 | 新竹州產組役職 員の實務研究會 |
16 | けふからラヂオ體操 全島津津浦浦でオチニ |
17 | 臺北春競馬 第三日目の成績 |
18 | 臺北州で豫備訓練 勤行報國青年隊員七十名參集 草山眾樂園で實施 |
19 | メータク料金の 闇征伐に監察隊 お上りさんの投書頻り |
20 | 北署職員の碁會 |
21 | 定期航空 |
22 | 人事消息 |
23 | 街で拾ふ |
24 | 今夜の放送 |
25 | 商況(五日前場) |
26 | 今日の映畫 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 七色の空(145)/邦枝完二;三浦杏介 |
02 | 家庭と婦人 劣等兒もつ家庭へ どうやら一人前にするには どんな注意が必要か |
03 | 圖像:氷の話(四) |
04 | 流行の髮型も お顏無視は禁物 顏型による注意を お教へしませう |
05 | 海老の鹽 ふり燒 |
06 | 命を取る朝顏の種 |
07 | ヒステリーや神經症は 幼い頃に芽生える 母親の育兒讀本 |
08 | 農村の榮養改善 米は完全榮養食品ではない |
09 | 泡雪味噌汁 |
10 | 內科病の外科的 治療著しく進步 |
11 | トマト‧スープ |
12 | 女工さん達の 健氣な爆國運動 その緊張ぶりこそ 一般婦人への警鐘 |
13 | 模樣物の洗濯 |
14 | 小旅行と化粧品 不自由しない程度に 少し持って行きませう |
15 | 野菜ソースか けうどん |
16 | 胸燒によい 胡麻鹽 |
17 | 野菜のスープ煮 幼兒向の食物 |
18 | 空襲警報は お茶を消費す |
19 | 十歲の天才 狩獵家 |
20 | 民報案內報社消息 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語學習 間諜に遠慮は無用 だんぜんやつつけると わが國の態度を表明 |
02 | 圖像:上海だより |
03 | アメリカ艦隊がまた 太平洋でうろうろ |
04 | 無禮!英國大使館 わが國の惡口を流布 |
05 | シャウイグンジンガ ゲンキデフジトザン |
06 | 圖像:ハイキング(夏のスケッチ) |
07 | 松風號が不時着 ガソリンに多量の水 |
08 | 童話 仔犬のお家(二)/模山美智子 |
09 | チェンバレンを 國外に追ひ出せ 米國が英へ忠告 |
10 | 夏休國語力だめし(14) |
11 | 瀨戶物の飛行機 代用品の豪華版 |
12 | 連載マンガ へへのの.モ平君(34)/石原みのる |
13 | 內閣のはなし 二度以上內閣を作った人人 近衛さんこんどで二回目 |
14 | 今日の智識(14) |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 英の出方を嚴重監視 双務的解決希望せず 外務首腦慎重に協議頭條新聞 【東京五日發同盟】英國官憲に依る邦人不法逮捕事件はロンドンのみならずラングー、シンガポール、香港等の海外植民地にまで波及し逮捕された邦人は九名に達し事態は極度に重大化するに至ったが外務省では五日午後一時より首腦部會議を開き松岡外相、松宮次官心得、西歐亞局長外各局部長參集し重光駐英大使のハリファックス英外相に對する交渉經過及び岡本參事官とペネット極東部長との會見內容に關する公電を基礎として約二時間に亘り慎重對策の協議を遂げ更にこの結果に就き陸海軍兩當局と打合せを行ったが外務當局としては差當り次の如き方針の下に外交處置を講することとなった 一、我方の英人スパイ檢舉事件は純然たる國內的措置であるに反し英國側の措置はこれに藉口せる陰險なる報復手段であり且つ政治的謀略なることは明かであるが然し英國側のこの不法措置に對し更に我方が報復的措置に出るが如きことは一先づこれを避くべきこ 一、英國側が今後如何なる程度まで報復をなし來るかを暫く冷靜に監視すること 一、その結果に鑑みて英國側の出方如何に依り適切效なる有手段をとるべきこと 依って松岡外相は一兩日中にクルーギー駐日英大使を招致し本事件に關する正式說明を要求すると共に嚴重抗議を行ふ筈であるが我方としては玆數日間英國側の出方を嚴重監視することに重點を置きたとへ英國側にして不法行為をこの程度で中止するにおいても双務的解決の如きは斷じて希望せずとの強硬決意を固めてある |
02 | 英の不遜なる態度 我が朝野極度に憤激 |
03 | 英下院で事態を聲明 相當な論戰を見ん |
04 | 積極的に歐洲と協力せよ リンドバーグ大佐が獅子吼 米國內の反獨熱に頂門の箴 |
05 | “米にもこの人あり” 英國筋の失望甚し |
06 | 英大使上海發 |
07 | 大場氏の逮捕 中央會では驚愕 |
08 | マレー政廳非常措置 日、英の緊迫に備へて |
09 | 兩名に追放命令 江口氏とミレーさん |
10 | 圖像:二日朝門司入港の日滿聯絡船吉林丸で使命 を終えて歸朝した訪伊使節團一行(前列右佐 藤團長) |
11 | 山口氏の略歷 |
12 | リ上院議員が 對抗演說 |
13 | 米の焦慮頂點に達す |
14 | きのふ香港でも 一名逮捕さる |
15 | 薄田美朝氏を 群馬縣知事に |
16 | 山口氏逮捕の 理由を嚴重質問 黃田香港組領事代理 |
17 | 英國は對日關係を 彌縫する希望失ふ ローマ政界の觀測 |
18 | 非承認國の官憲が 滿洲で特權を濫用 斷乎國內法規發動か |
19 | 小磯國昭大將 近衛首相と會見 |
20 | 新體制促進同志會 對英強硬外交を決議 |
21 | 海鷲、中支で活躍 |
22 | 獨の空軍待機中 |
23 | 國鐵乘車賃の 割引更に制限 旅客混雜を緩和 |
24 | 總督府辭令 |
25 | 今日の天氣 |
26 | 大阪商船基隆出帆 |
27 | 日本郵船基隆出帆 |
28 | 東亞海運 |
29 | 辰馬汽船 |
30 | 大連汽船 |
31 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 國民性と 政治方策社說 一 近代の政治家は動もすれば我國の國民性を忘却して政治を行ひ、政策を樹てる傾向がある眼前の間題にのみ没頭し、その善處方法にばかり苦慮し、且つ努力するを以て完しとするが、この重大なる日本の國民性を無視しつつあるは寒心に堪えない凡そ地球上に住む人類はその居住する土地の氣候、風土、食物等によって長い年月の間にその性質も異って來るものである早い話が濕氣の多い蒸し暑い日には誰もがだるくて動くのがいやになる。この生活が一年の大半を占めればそこの住民が自然と懶惰な性情を持つやうになる又北陸地方の如く冬季積雪が多く、暗爵の時期の長い地方に住む者は自然と忍從的な氣風になるのである。更に食物についても甘いものと辛いもの、油ってい物とサッパリしたものを食べたとでも違ふ。殊に食物の性質迄が常住的に違ふと例へば小麥常食と米常食、肉類主食と野紫主食とで精神の常態に大きな相違の現はれて來ることは言ふまでもない。 二 斯樣にして夫夫國家なり、民族なりは夫夫に違った特性を持って生れて來てゐる。そこへ更に傳統的な風俗習慣によってそれぞれ特色づけられ、そこに他の國家なり、民族なりと異るものを持て來てゐるのである。即ち我が國には我が國民としての特性があり、支那には支那の、獨逸には獨逸の、イギリスにはイギリスのそれがある。この特性を十分に認識してこそ其の國その國民の幸福と發展に對して有効適切なる國策が建てられるのである。例へばその國民性は數理的であるか?感情的であるか?又は物質的であるか?精神的であるか?或は現實的であるか?空想的であるか?冷靜にして隱忍であるか?情熱的にして進取であるか?を一つ一つにつき檢討を加へてから之を政治の上に應用して政治、外交政策に持って行くことは見逃し得ない重大事である。 三 自分の國を世界一であると思ひ、その國民を世界一の民族であると考へるのは世界人共通の概念であり、人情である。イギリス人はイギリス人が一番傑れてゐると思ってゐるし、獨逸人もアメリカ人も夫夫自國民は一番偉いと思ってゐる。今は左程でもないが昔の支那人は東夷、西戎、南蠻、北狄と云って自分の民族を一番優秀な民族と思ってゐた。所謂お國自慢がよい惡いは別として大國でも小國でも各各相應に自慢がある。しかし世界は獨り善がりではいけない虛心坦懐、公平に自國民族性の長短優劣を見極めた上で、凡ての政治を施し、政策を樹てるべきである。然らば我が國最近の內外地に於けるあらゆる國家恒久的企畫は果して日本固有の民族性とその深度とを研究し判然と見定めて立案されつつあるかと反問したいものである。自國を平けく治むるにも隣邦を幸福に導くにもその民族性に對して真摯なる研究と重大なる關心とをもち、それに立脚せざれば、到底その完き効果は期し難いことを內外政治の衝に當るものの常に心に銘記すべきことであると思ふ |
02 | 膺懲せよ、暴戾英國を 大阪市會、神戶商議蹶起 政府に強硬外交を鞭撻 |
03 | 自肅自介を申合す 愛婦本部の評議會で |
04 | 奉仕作業に 防空壕を築造 臺北市の國策的勤勞奉仕 |
05 | 警察職員並 家族慰安會 |
06 | 戰歿英靈法會 |
07 | 海口事業會社に 登記公告を適用 府外事部から發表 |
08 | 勇壯なリズムに 滿場の聽眾恍惚 高雄の軍樂隊演奏 |
09 | 光榮の入選を競ふ 奉讚美術展を目指して 畢生の傑作、本島の畫家精進 |
10 | 正に後進國の模範 視察中の汪廈門高等法院長 本島司法機關の完備を稱ふ |
11 | 鳳林郡衛生聯合會 盛大な發會式を擧行 |
12 | 通勤者引越せば 臺北も大助かり 百戶位か、基隆の住宅建設計畫 |
13 | 圖像:帝都の自肅風景 |
14 | 素晴しい廣東の復興 寄臺した廣東省保安副司令 鄭洸薰少將絕讚 |
15 | 花蓮港廳教員 精神文化講習 十三日より開始 |
16 | 少女團訓練の 理論と實際 臺南州で講習會開催 |
17 | 奇特な行為 防犯保正に金一封 基隆狩野氏等の感激 |
18 | 市バスの事故 |
19 | 時局を惡用し 寄附金騙取 不埒者宜蘭で檢擧 |
20 | 花蓮港廳 砂糖卸商組合 發會式を擧ぐ |
21 | 都市對抗野球 昨日から開幕 撫順滿俱大聯實業勝つ |
22 | 川崎勝つ |
23 | 市場標語募集 新竹州畜產會で |
24 | 臺北競馬 第三日の成績 |
25 | 後藤朝太郎氏 留置さる |
26 | 早田博士開業 |
27 | 高砂丸無電 |
28 | 定期航空 |
29 | 人事消息 |
30 | 訃文:謝王景 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 本島茶の對滿輸出 數量及び價格決定 滿洲國との假調印了る |
02 | 獨軍の壓倒的勝利と ドイツの證券市場 |
03 | 輸出の恒久性より 業者自肅を望む 玉手特產課長歸來談 |
04 | 各關係業者等が 香料輸移出組合を組織 |
05 | 七月迄の本島貿易總額 六億五千萬圓を突破 出超一億二百八十萬圓 |
06 | 灣糖埔里製糖所 獎勵規程發表 |
07 | 第三國との貿易 輸出不振、輸入增加 |
08 | 湖口產組に於ける 全戶加入運動 |
09 | 麻豆文旦の改善に 立毛品評會開催 九月上旬曾文郡下一圓 |
10 | 新營郡下の棉作 五百八十五甲に上る |
11 | 島內舊式糖廍に 採收區域制實施か 近く行政處分に依り決定せん |
12 | 七月局營バス 業績躍進 |
13 | 照明燈 |
14 | 市內白米值下 十五日まで延期 八月三日の州報で |
15 | 臺電社債二千萬圓 九月中に發行 來年から新株徵收 |
16 | 市價及商況(四日) |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 物語 支那近代史 政治外交の卷(五)/出石誠彥 |
03 | 浪花飾/木村若衞 |
04 | 農家の時間 農業增產と農作時期の改善/水野武夫 |
05 | 料理 |
06 | 管絃樂 |
07 | 圖像:全國青年教師大會 |
08 | “國姓爺合戰に” 本物の虎を使用 新興京都の撮影餘聞 |
09 | ターキー映畫の 豪華キャスト |
10 | 映畫界の急轉に脅へる 教育映畫と小配給業者 |
11 | 石松供養追分あらし 松竹京都撮影所作品 |
12 | 真山くみ子 再契約 |
13 | 夏の味覺の王者 西瓜の良否見分方 |
14 | 小出、沼波が 新境地開拓 「漫才タクシー」 |
15 | 海外映畫短信 |
16 | ロッパと長谷川 「彥左と家光」 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 本社主催臺灣護國神社御石献納 能高郡で廿叺を採取 各小公學校に割當實施報社消息 |
02 | 新營郡郡勢振興 調查會近く認立されん |
03 | 國民的氣魄昂揚に 鐵の心身を鍛ふ 岡山街の鍛鍊運動要項 |
04 | 埔里で商事組合を組織 去る三日創立總會 |
05 | 大溪街民每朝 早起して一、二 昨日からラヂオ體操 |
06 | 東港船溜築造問題 經常費の負擔略決定 十六年度に實現可能か |
07 | 曾文郡空訓第二日 好成績裡に終了 |
08 | 關係業者を集め 暴利規則を說明 四日羅東公會堂で |
09 | 東港郡道路協會 三日通常總代會 |
10 | 埔仔信組長 黃全發氏に當選 |
11 | 元桃園郡守 庶務課長送別會 |
12 | 水裡坑郵便局出張所 愈愈三等局に昇格 |
13 | 湖口驛前で 移出米の初檢查 |
14 | 活動強化を圖る為め 五結庄部振會長會議 本社主催御石献納の件をも附議報社消息 |
15 | 改正令による記號表示 新化郡成績良好 |
16 | 新化小火 牛小屋及牛燒死 |
17 | ローカルセクション |
18 | 湖口米穀檢查所 消費米を檢查 |
19 | 古坑庄長の 重任を陳情 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 工業志望が七割 高雄職業紹介所取扱 |
02 | 時局講演會大盛況 四日彰化市公會堂で |
03 | 圖像:獨逸次期作戰は? |
04 | 鳳山で豫備訓練 勤行報國參加の青年團員 |
05 | 花蓮港水產 會臨時總會 |
06 | 國民精神文化 講習會 屏農で開催 |
07 | 體力證檢定會 嘉義市郡好成績を擧ぐ |
08 | “青年の家” 竣工 八日に落成式 |
09 | 五里の強行車 臺中州警官練習 所生 |
10 | 新體制への驀進(下)/福田一 |
11 | トラック統制 會社(臺南州) 來月二日に創立 |
12 | 業態別組合聯合會 きのふ臺中市で結成式 |
13 | 蘭陽高女の校舍 二學期迄に全部竣工 |
14 | 屋賃值上で 取締らる |
15 | 青年劇と音樂會 來月中旬‧臺南市で開く |
16 | 臺中州市郡庶 務課長異動 |
17 | 後悔しない 民族 |
18 | 解剖學會會員 一行來花 |
19 | 鐵道團が全勝 花蓮港の庭球大會 |
20 | 中部布靴組合 の創立總會 |
21 | 近く市制を布く 宜蘭街の北門通 |
22 | 圖像:迎產婦人科病院開業 |
23 | 高雄魚市七月中 取扱高六十六萬瓩 |
24 | 臺南、東石の漁況 六月分は前年に比し增 |
25 | “曙”犯人の手先 高雄で安賣中を御用 |
26 | 彰化市新舊 助役送迎會 |
27 | 無實な罪を負 はされて縊死 |
28 | 人事往來報社消息 |
29 | 消息 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 水鬼(6)/中山ちゑ |
02 | 佛印印象記(下)/前田雄三海外遊記 河內驛から西貢行き急行列車に乘込む。私は二等寢臺車だ。一つのコンパートメントに寢臺が四つなのだが、私の部屋は男は私一人であと三人とも女だ。知らない男と女を一つの部屋に寢かせるなんて相當亂暴な話だ。急行で西貢まで二日二晚なのだが、汽車は真南へ走るので次第に氣溫が高くなる。窓を全部開放し室內の煽風器をかけツ放しにしてゐるのだが、どうにも暑くて耐へられず、食堂車に避難して冷たいものを飮んで過す。 二日目になると汽車は椰子の林を通り、グロナスクな巨大な實をぶらさげたナンカの林を拔け、支那海の紺碧を左に見ながらひた走る暑すぎてまるで拷問にかけられてゐるやうな二晚目も過ぎると汽車はゴム林を走つてゐるそしてその日の午前西貢に着いた、亞熱帶から熱帶に入つた譯だが、その陽光の强さは實に激しい、河內では皆ヘルメツトを冠つてゐたのにここでは誰もがソフトを冠つてゐる。餘り光線が强すぎて最初は光と影の印象ばかりで色彩がないといふ風に視覺が麻痺する―西貢驛でパスポートの檢查を受けてホテルマヂエステイクに入る、早速裸になつてバスに入らうとしたら肝腎のお湯が出ない。ボーイを呼んで訊すと、立つて頭の上のシヤワーを浴びろといふ、お湯などに入つたら汗が止まらないで大變だとのことだ。 兎に角着替えて食堂に出るとまるで海水浴場の食堂のやうに、男はシヨーツに半袖のシヤツ、勿論ネクタイなし。女はこれもシヨーツで上は色彩の强烈なブラウス。裸の腕、裸の脚で如何にも熱帶地らしい食堂風景だ。メーン・ストリートは實に綺麗な街でこれはハノイ以上に整つたヨーロツパ風の美しさを持つてゐる。然し街全體としては不統一な無趣味さで、ハノイに美しさが全市に溢れてゐるとすれば、西貢のよさはメーン・ストリート一本に限られてゐると云へる。一流ホテルのマヂエステイクもコンチネンタルもこのリユ・キヤチノにあるのだがアペリテイフの時間になるとホテルのナラスで音樂が始まる。私の行つた時は若いマドモワゼル達のバンドで真白な輕快な服裝の金髮の娘達が、ヴイオンやピアノを彈きセロを抱いて居る姿は美しいものだつた。熱帶の夜はいつまでも街のサンザメキが絕えない。 私もベツドにつくのは午前一時、その日四度目のシヤワーを浴びて、天井の煽風器を廻しつ放しにしてやつと眠りに入つた 佛印華僑六十萬、そのうち五十萬が西貢、シヨロンを中心に集つてゐる、シヨロンは昔からの華僑街で西貢市とは殆どくつついて居り人力車では十五分走れば行ける。 これは完全な支那人街で歐洲風な建築は一つも見られず、ちよつと廣東市を小さくした樣な感じだ、私が街頭に立つて寫真を撮つてゐると、支那人達が集つて來て聲高に支那語で惡口を云ふ。私が其奴らの顏を見ると露骨な敵意を見せてペツと足下に唾を吐いたりする。これら華僑達の一番大きな商賣は米だがシヨロン市の傍を流れてゐる西貢大運河は奇妙な箱のやうな形をした米船の上り下りで非常な活氣を呈し、支那人といふものの根强い發展力を眼前につきつけられる思ひがする。 西貢驛から再び河內行きの汽車に乘り、途中安南の首都ユエ(順化)を訪れる。海防、河內西貢とも何れもヨーロツパ化した都會だが、このユエは本當の安南の町だ。ユエでこそ安南の空氣、安南の色彩、持味を見ることが出來るのだ。王城があり王樣がゐる。王樣はフランスで教育を受けた近代的な青年で本年廿五歲。スポーツが好きで、よくスカールを漕いたり馬に乘つたりドライヴをしてりする姿が見られるといふ。女王樣が大變な美人だ。二つ違ひの廿三で、安南の豪商の娘だと云ふが、典型的な安南美人として有名だ。王樣は內閣を持つて居り、その內閣が猫の額ほどの王領の行政を行つて居る。陸軍もあるが兵員二百名で主として王城の警備に當つてゐる。警備といふより寧ろ見物人案內係と云つた方がいいかも知れない。全く王樣といふのは形式だけのもので、何の權威もなく、佛印總督の云ふがままになつてゐる哀れな存在だつた。 王城を中心に街が出來てゐる。何か街全體から角のない圓つこい感じを受ける。家は黃色い土造で町はしつとりと古びて落着いてゐる。といふより氣力のない、精氣を失つた衰顏の空氣に滿ちてゐる。實に靜かで人間の數も少く、大きなユエ河を上下する舟も稀れだちよつと郊外に出ると昔からの王陵がある。これら王宮にしろ、王陵にしろ、支那文化の影響が强く殊に明時代の色彩が多い。ユエには時時附近の山岳地帶に住んでゐるモイ族といふ未開の土人が出て來ては獸皮等と食糧を交換して歸つて行く、丁度十人程の一群が出て來るのに逢つたが、筋骨隆隆に褌一本の裸で髮を長く伸ばしてゐる。髮を伸ばしてゐるので遠くから見ると女に見間違へが、實に精悍な面構へをしてゐる、彼等は未だに近親者が死ぬとその肉を食べるといふ食人の習慣を持つて居るのだといふ。 夜になるとユエ河に歌妓の舟が浮かぶ。支那の畵舫のやうなもので、舟中の寢臺に寢轉んで歌妓の唄ふ哀調切切たる單調な安南の歌を聞いてゐると、虐げられた安南の歷史が眼底に浮かび、自己の運命への安南人の悲しい諦めが胸をうつ。 再びハノイへ歸る。東洋の小巴里と云はれる美しい町。うまい佛蘭西料理、豐富な美酒化粧に浮身をやつす若い娘達。さうした中で安南のインテリ青年達は無為懶惰な生活を送り、輕快なワルツに乘つて南國の夜を踊り明してゐるのだ──唯一つの希望、日本がフランスを安南の土地から追放する日を待ち望みながら。 |
03 | 夜汽車の夫婦 エチケット三題(一)/北原武夫 |
04 | 珊瑚樹 菊池の素人、玄人觀 文春の「話の屑籠」 |
05 | 圖像:海軍省へ獻納の日本畫 |
06 | 文藝書の氾濫/池島重信 |
07 | 詩 遠い過去/T‧S‧トウ |
08 | 圖像:建設一路(中支スケッチ) |
09 | 文化消息 |
10 | 心聲漢詩 鹿江晚眺/莊幼岳、感事/莊幼岳、月夜憶鴻飛兄/吳醉蓮、月夜憶鴻飛兄 二/吳醉蓮、月夜憶鴻飛兄 三/吳醉蓮、月夜憶鴻飛兄 四/吳醉蓮 |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 我國と本格的折衝 英側ここ數日中に |
02 | 香港英側の不法曲解 邦船の寄港を拒否す |
03 | 圖像:東條陸相出席の下に西部、朝鮮、臺灣各軍 司令官並に管下部隊長懇談會(福岡偕行社に 於て寫真中央東條陸相) |
04 | 槇原氏釋放さる 證據不十分の理由で |
05 | 釋放は當然 三菱人事部で語る |
06 | 岡本、ベネット會見 |
07 | 適宜の方針を講ず 外相、閣議で經緯報告 |
08 | 東條陸相、 首相と要談 |
09 | 槇原氏釋放 三菱へも入電 |
10 | 綽綽たる餘裕發揮 槇原氏の出獄情況 |
11 | 總務會の解黨決定 町田總裁同意を表明 |
12 | 新體制の腹案成る 各方面代表人物に 意見聽取工作始る |
13 | 官界新體制の確立 本格的檢討に移る |
14 | 江口、吉井兩氏は 戰爭繼續中拘禁 |
15 | 北支艦隊の戰果 |
16 | 聖貫聯は解消 新體制同志會に合流 |
17 | 栗山大使歸朝 |
18 | 明日の天氣 |
19 | 水滸傳(192)/黃得時;榎本真砂夫 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 英の暴戾募る 我が在倫敦銀行の 資金吸收放出を妨害す 不法‧極東向貨物も引受拒絕 |
02 | 人口卅萬を目指す 梧棲大都市を建設 都計委員會で原案を可決 |
03 | 圖像:浙贛援蔣ルート要地貴溪爆擊 |
04 | 神饌田田植祭 大安公で嚴かに執行 |
05 | 基隆商議商業部會 |
06 | 廈門の篤農家 一行新竹を視察 |
07 | 牛嶋軍司令官 けふ空路で歸臺 |
08 | 新任臺灣軍 高級參謀 田中清大佐けふ着任 |
09 | 二萬の青年團員を 動員して勤行奉仕 島都の奉仕作業日割決定 |
10 | ポリヴィアの 錫合戰 |
11 | 茶業視察報告會 市郡關係者が參集して けふ新竹で開かる |
12 | お相撲さんの點呼 |
13 | 比島の英米人 極度に獨伊人壓迫 居たまらず歸國者相□ぐ |
14 | 石渡教育課長着任 |
15 | 基隆市民の赤誠 忠靈顯彰會醵金を 近く献金手續き |
16 | ソ聯が極東に 新航空路開設 |
17 | 簡易飲食店 業者組合組織 |
18 | うだる米國 |
19 | 下級官吏臨時手當 最高限度は十圓以下 百圓以下のものに支給 |
20 | 高砂丸入港 船客千餘名乘せて |
21 | 中等野球の 廿二代表校決定 臺灣は北一中 |
22 | 臺北競馬減收 天氣になれ當局氣をもむ |
23 | 飼料不足で 家畜は減產 |
24 | 人力車夫に 賃金表持たす 九日から一齊に實施 |
25 | 釘類の暴利 關係者百餘名を摘發 |
26 | 木炭供出事 務打合せ會 |
27 | けさの地震 |
28 | 自轉車屋が 闇で不當所得 近く送局 |
29 | 定期航空 |
30 | 人事消息報社消息 |
31 | 街で拾ふ |
32 | 今夜の放送 |
33 | 商況(六日前場) |
34 | 今日の映畫 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 七色の空(146)/邦枝完二;三浦杏介 |
02 | 家庭と婦人 八月の家庭曆 一齊に國民鍛鍊運動 暑さに負けぬご用心 |
03 | 圖像:田町に出來た防空壕 |
04 | 非常時お臺所の 切拔けに野草利用/松崎直枝 |
05 | 莢隱元の 信田卷 |
06 | 風の種類 |
07 | 米不足で增產される 合成酒のいろいろ 案外おいしいお芋の酒 理研酒販賣會社調べ |
08 | スルスルッと 食べてはいけません “夏の人氣者”メン類の消化力 |
09 | 陽やけも程度越せば 皮膚のために危險です |
10 | 古いメリアス、銘仙で 新流行の水着を!/松崎こと子 |
11 | ヘチマを活用 手拭代用に敷皮に 網狀纖維の作り方 |
12 | アパートを 涼しくする法 簡單な換氣扇で |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語學習 大密林の殘敵退治 海南島で陸海軍が活躍 |
02 | あやまった米艦隊 青島事件が解決した |
03 | 花火の話 |
04 | 蔣介石を貯金でつぶせ!! 本島の郵便貯金 五千萬圓を突破! |
05 | 支那軍捕虜を釋放 |
06 | 對日國交を 改善する モロトフ外相の演說 |
07 | 平氣!平氣! 燃料に不自由せぬ |
08 | 連載マンガ へへのの.モ平君(35)/石原みのる |
09 | 圖像:團畫の宿題(夏休日記より) |
10 | お願ひ |
11 | 米國學生團が 疊の生活 |
12 | 第一回作品募集を終へて |
13 | 夏休國語力だめし(15) |
14 | 第一回募集作品入選發表 |
15 | □イーノ カウクウバウヤ |
16 | 編輯室より |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新體制問題その他 風見法相西下車中談頭條新聞 【靜岡六日發同盟】風見法相は親任奉告參拝のため日午後三時東京驛發西下したが車中新體制問題其の他に就き大要左の如く談話した 新體制確立問題、我國の現段階において國家新體制の建設が必要であることは何人も疑はざる所で今更言を用ひない然して舊體制を捨てて新體制に移らんとする動きは各方面より爵勃として起りつつありこの情勢を組織化して行くことは近衞內閣に託された重要な任務である、言ひ換へれば今回の政變は國家の新體制を建設せんがために行はれた政變だったのである、然も新體制賞現の必要は愈々緊迫しつつあり近衞首相はこの間の狀勢を察してその具現方策に就き日夜、想を練ってゐるのであるが 新體制の根本理念は要するに上御一人の下、萬民が一體となって世界新秩序建設の真唯中に乘出し凡ゆる技能を揮ひ得るやうに國家の仕組を建直すことである、勿論これに至るまでの過程は近衞首相の所謂荊棘の道であり種々の困難を覺悟しなければならぬ、新體制の根本は自己批判から出發するといふことが出來るそしてこの困難な建設を完了せねば大東亞新秩序建設の重責を果すとは斷じて不可能だ故に國民の一人々々が悉く「吾こそは時代を指導するのだ」といふ自尊心と熱意と氣魄とを以てその力を存分に發揮せねばならぬ、斯くして新體制を完整せしめることは銃後國民に課せられた責任と信ずる、但し政治は必然の運命として闘爭を伴ふ また現實を無視して政治を行ふことは出來ないのだから建設の道程に於ては一歩前進二歩退却、二歩前進一步退却といふ狀態を繰返すこともあらう、然し乍ら事をあせらず飽まで彼岸を目指して一歩一歩全身の努力を拂ふ心構へが必要だ新體制の建設は遠からず準備委員會の組織に依ってスタートを切る譯だがその組織の方法並に內容について言及することは今の所差控へたい、只プロセスが非常に重要であるといふことだけは言ひ得る 選準法改正問題新體制建設に順應して現行の眾議員議員選擧法に改正を加へなければならないことも定說となつてゐる、司法省も選擧法の改正に關係を有するのでこの問題が具體的に取上げられる場合には新體制に則應するやう積極的に協力したいと考へてゐる 司法省所管事項過般起つた外人スパイの檢舉は 憲□當局と檢察當局との緊密な連繋の下に行はれたもので司法當局としては犯罪ありとの確信の下に十分な責任を以て行つた檢舉である、これを以て政策的な措置だと誣ることは我國に於る檢察裁判の嚴正公平な運行を辦へぬ者の言で取調べの経過に伴ってその懷疑が自ら氷解する時期が遠からず到來するであらう、その場合英國政府も初めて我が司法權の運用の正義を監督することとならう、政治新體制の樹立に伴って司法はどうなるかと克く人に聽かれるが如何なる事態如何なる國でも裁判制度の備らないものはなくその裁判が正義に基いてなさるべきことは何人も疑ひのない所だと思ふ、從つて政治新體制下にあつても國民に對し又政治諸機關に對して 常に反省肅正を求める機關の存在は必らずこれを必要としなければならない、唯現在の民刑裁判制度は前時代の下に制定されたので新らしい時代の實際に必らずしも適合しない所があるかも知れない、この點に就ては事務當局において既に再檢討に着手してゐるからその成果を期待してゐる、唯現在のやうに國民に犧牲を求める政治をなす時代に於ては官吏の反省が切に要求されなければならない、官吏の責任感は往時に比して甚だしく稀薄になつてゐる、これには法制の改革も必要かも知れないが主たる所は官吏その人の心構への問題だ、司法省には鹽野法相時代に設けられた司法研究所の施設があって司法官の心構へを鍛鍊し時代に適應する 學問識見を涵養して着々効果を舉げてゐることは喜ぱしいことである、これは一般官更の教養の充實の叫ばれる今日克き試みであるから自分もこの施設の進展に注意を佛つてゐる、經濟事犯は現時の段階に於ては最早單なる一の法規違反ではなくして戰時經濟體制に對する反逆行為で!あるから斷乎としてこれが絕滅を期するのが緊急の時務である、唯經濟事犯は唯刑罰を科すればよいといふのではなくその源を質すことが第一である事勿論で今日に於ては法令も一般に行渡り國民もその取扱に通じて來たのにそれにも拘らず惡質な大規模の犯罪が增加することは實に憂ふべきことでかかる事犯の增加に對し適切な防遏の為には特殊な手續を制定する必要があると考へてゐる、尚思想犯の對策に就ても目下研究中で遠からず何等かの成案を見るであらう【寫真は風見法相】 |
02 | 畏し‧大御心 “酷暑の折柄通常服の必要なし” 各大臣に有難き御沙汰 |
03 | 煮え切らぬ佛印當局 なほ多數の援蔣滯貨が散在 南支軍某有力幕僚の視察談 |
04 | 當面の諸問題 村田遞鐵相の車中談 |
05 | 鷹潭驛附近を爆擊 海鷲、炎熱を衝いて活躍 |
06 | 橋田文相西下 |
07 | 下級官吏優遇案 定例閣議で可決 |
08 | 雇入れ制限令を改正強化 九月中に公布職工移動を防止 |
09 | 保障令撤廢など 大體意見が一致 官界新體制確立第二回小委員會 |
10 | 公吏にも適用 |
11 | ク英大使外相訪問 邦人不法逮捕事件に關し 外相、正式說明を聽取 |
12 | 邦船の郵便物を 不正陸揚げ臨檢 コロンポ、新嘉坡で |
13 | 小林氏及時釋放 マレー政廳に嚴重交涉 |
14 | 總力戰研究所新設 近く閣議に附議す |
15 | 厚相秘書官 筑山氏に決定 |
16 | 印度政界の不安 漸く深刻化 團體演習を嚴禁す |
17 | 民政黨解黨大會 十五日東京會議で |
18 | 全國支部長會議 |
19 | 雲南緬甸公路 の近況 重慶交通部發表 |
20 | ブ、羅協定調 印されん |
21 | 新體制研究委 員會 當分連日會同 |
22 | 今日の天氣 |
23 | 大阪商船基隆出帆 |
24 | 日本郵船基隆出帆 |
25 | 東亞海運 |
26 | 辰馬汽船 |
27 | 大連汽船 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 自由主義と 自由精神社說 一 自由主義排撃の聲は漸次高まりつつある。戰時下の日本に於て、殊に資本主義の成熟しつつある日本に於て、自由主義は既に昨日の夢となった。即ち自由主義は資本主義の初期に於て、封建主義の桎梏より解放し其殘存物と闘ふために個人の自由、營利の自由等を強調せられ、それと同時に人人に自己に覺醒し、潑剌たる進取的精神を刺撃した。その時代に於て自由主義が革新思想であり、又日本として世界の工業國の一つに仕上げられ、日清、日露の二大戰役に於ける經濟的基礎となし、そして今日の大帝國を作るために寄與して來た。然るに資本主義が獨占階段に入り、自由競爭の分野が著しく狹められ、自由主義は少數資本家の自由となり又世界に於る持てる國の自由となったのである。即ち自由主義は少數資本家及少數資本國の自由であり、然らざる者、及然らざる國家の不自由となったのであるから、此處に於て自由主義は反動的となり、從って自由主義を否定しなければならなくなったのである。 二 然し此處で注意すべきは、自由主義は主として資本主義を辯護するところの一つの經濟思想であり、政治的には政黨の華やかなりし時代を指して言ふのであるから、自由主義の否定は決して自由精神其ものの否定ではない。即ち自由主義は發達した一定の經濟階段に發生した思想であるが、自由精神は人類が創造的革新的意氣に燃える時代に必ず橫溢するところの人間的要求である。古代のギリシャ時代、我が大化革新の基調は自由精神の發揚であり、中世歐洲の暗黑時代はかかる精神の萎縮と見るべきものであらう。それ故自由主義の否定は現階段に於ける內外政治的經濟的情勢を知る者には何人も左袒せざるを得ないであらうが、さうかといって自由精神まで否定すべきでない事は殆ど疑ふ餘地はなからう。勿論自由主義的經濟組織の中にも尚統制經濟若くは計畫經濟の時代に於て利用し得べき何物があり、例へば利潤の追求を利潤の純化にまで高める事等も必要であらうが、最早往日の如き放恣な營利思想に立脚すべからさるは言を俟たないのである。 三 近來自由主義の否定から稍もすれば自由精神の否定にまで度を過ぎたる反動的風潮がないではない。現在の如く新體勢が未だ確立せざる狀態では新なるべく眾智を集めて合理的新秩序を建設しなければならないのであるから自由精神を自由主義と混線して之を無差別に排撃すべきものではない要するに自由精神は人間の自由創造な衝動に驅られて生起した精神であって、日日又新たにする革新的要素を具たるものであるから、此の精神の芽を摘むが如きは到底あらゆる新秩序の建設が不可能とならざるを得ない。從って此の精神を頭から否定するよりも、之が健全な光大發揚に導く事が如何に重要であるかを知らなければならない。 |
02 | 政府要路に激勵電 英大使館宛にも反省を促す 臺灣時局同志會から |
03 | 十日頃に市民大會 基隆に排英氣分橫溢 |
04 | 五結庄、けふから 御石採取に着手 小公兒童と青年團を動員して報社消息 |
05 | 白衣の勇士 武勳を土產に歸還 |
06 | 追加豫算可決 基隆市臨時市會 |
07 | 圖像:豆飛行機の試驗飛行 |
08 | 植村救世軍司令官外幹部等を 防諜上容疑で引致 陸軍省當局談を發表 |
09 | 支給財源は 既定經費から |
10 | 南進日本大演講會盛況 昨夜大阪中央公會堂で |
11 | 汪氏等を招待 臺灣油脂株氏會社 劉金清氏 |
12 | 南支點描(一) 不可解な軍事施設/竹內生海外遊記 事變以來香港がどんな役割を果して來たかと云ふに、大體三つに別ける事が出來ると思ふ。 一、蔣政權の對外的工作の策源地として 二、蔣政權への軍需其他一般物資の移入港として 三、支那有產階級及知識階級の避難地として 此の三つの內で一、二は積極的敵性行為であり二は消極的敵性行為である事變に對し第三國であり、しかし支那領土內にある英領香港が白晝堂堂と此の敵性行為を持續し現在も行ひつつあるのだ。中立國たるオランダベルギーでも戰爭目的遂行上真つ先に血祭りにあげた程の獨逸であるから、若し 支那事變に獨逸が日本の立場に立つてゐたら、北京よりも上海よりも、廣東よりも一番先に香港を占領し次に佛印ルートを押へ、しかる後に全支の總攻擊に移つたであらう。併し日本は獨逸ではないから日本には日本流があるのであらう。何れにしても香港は事變と極めて直接關連を有する重要地點である事は論ずる迄もない。併し最近に至つて第一第二の行動はめつきり薄らぎ第二の如きは表面停止する約束になつたが、血が通つてゐる間は親子の緣切りと同樣さつぱりと切れるものでもあるまい。こつちでパツさり切つてやるならとも角も さて先月一日から五日迄に敢行した香港在住英人家族引揚げも軍事施設の一つとも云へようし港口の一部や港岸の一部に機雷を浮設してある事も、丘上其の他鐵條網を張り、バリケードを作つてゐる事も、重用建物の入口に土囊陣を作つてゐるのも軍事施設なのであらう。それよりも港口其の他の丘上に砲臺を設け、又港岸の所には水雷發射口を作つてある。一體日本の要塞を通過する者は無數であるが、砲臺を見た者は一人も居るまい若し見たと云ふ者があれば、それは砲臺でなく燈臺の間違ひである。それでも見たと云ふなら砲臺は砲臺でも香港の砲臺だらう。それなら僕も十日間每日見てゐた。しかもホテルの部屋の中からでも見へるのだから確かだ。此の間 四度港口を出入したが、各所に設けてある砲臺は禿山のてつぺんに荒鷲でもとまつたように餘りにもハツキリしてゐる。又機雷を何十となく珠數つなぎにしてあるそばを通つた。之れもブイの如くハツキリ浮かしてあるから見るなと云つても見える。真物であるのか僞物であるのか、それは僕には解らない。正體を知るにはブツかつて見るのが最も早わかりだが、そんな物好きはアメリカ人には居るらしいが日本には居ない。尤夜半に支那ジヤンクが一度引つ掛つて沈んだそうな。丘上をドライヴしたがバリケードや鐵條網を乘り越える勇氣はなかつたが、若し戰車なら平地を行くより多少障害物のある方が馬力が出るだらう、と思つた。裁判所とかの土囊陣も見たが少し氣のきいた泥棒なら譯なく乘り越える程度のものだつた。此等重要の 軍事施設を見て氣弱な僕でさへ何等の衝動も受けないのだから日本の軍人から見れば子供の兵隊ごつこ以下にしか踏まないであらう。併し軍事施設である事に間違ひないのである。只不可解なのは軍事施設とは戰爭に備へる施設である筈なのに香港の之等軍事施設は一體何に備へるのであらうか。家族引揚げの目的は軍事行動に備へたのであらうが、本當に場合によつたら一戰まじへるつもりなのだらうか、と云ふ事である。假りに軍事施設を本格的にして見たところで、直ぐ近所に我南支大軍が陣列をしいてゐるし、沿岸を海の精銳が確保してゐるし、飛行機は三十分も要しない。丘上の砲臺が真物であつても海南島で擊つた 秀英砲臺よりも無力のように思はれる。機雷も真物であるにしても誰の目にも見えるのだから別に始末はしなくてもヨケて通れば何んでもない。それに晚になると港口を探照燈が晝を欺くばかりに終夜港面を照してゐる。アレが殺人光線ならば多少效果もあらうが、電燈の光りでは夜でも明るいと云ふ以外何等の效能もないようだ。口の惡い男が、電力の賣り場がないから燈臺代りをしてゐるのだらうと云つた。それなら大いに話はワカる。軍港と云つてもおもちやみたいな軍艦が二隻居るだけだ素人の僕でさへ一見して之だから、如何に血迷つたからとて之れで戰爭しようなどと考へてゐるとは思はれない。然らば何んの施設ぞ、である、僕の常識的觀察では、支那人に對するゼスチユアに過ぎないと思はれる英國だつてやる時はやるぞツと──尤もやる時はやるが、やる氣がなければやらないのである香港などやらうと思へば 朝飯前の一仕事にも足りない事は誰よりも彼等が知つてゐる筈だ。それであればこそ、砲臺も、機雷も、發射口も見世物的にさらしてあるのだらう。英國は此の調子で百年來支那人をあやつつて來たのだと思ふと、憎いと云ふより頭が好いナと感ずる。併しもう其の手は古くなつた。清算期は來た、清算は香港からやりましよう。 |
13 | 交通難の緩和と 事故防止へ力瘤 州保安課改善案を攻究 |
14 | 教育報國に挺身 全國青年教師の 夏季大學開始 |
15 | 臺中州下小麥豐收 漸次島內自給自足へ |
16 | 近く島民の食膳に 美味な醬油が登場 府工研で完成を急ぐ |
17 | 終了式を擧行 愛婦主催の洋裁 講習會 |
18 | 山岳會員有志が 入山‧勤勞奉仕 登山道路の開鑿に |
19 | 青少年群の犯罪 帝都で著しく增加 |
20 | 高雄中で練習 青年團競技大會 の出場候補選手 |
21 | 八幡大勝す |
22 | 救はれた恩 を仇で返す |
23 | 仙大が勝つ |
24 | 定期航空 |
25 | 總督府辭令 |
26 | 人事‧消息報社消息 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 廣東省政府が 統稅實施決定 公署布告を以て公布 |
02 | 緊密な連絡により 運輸の完璧を期す 日滿支運輸會議歸來の丸岡運輸課長談 |
03 | 日糖彰化工場の 甘蔗買收價格 五十錢乃至一圓引上 |
04 | 臺灣木材輸出組合 近く創立總會 島內廿七店で組織 |
05 | 七月中酒類賣渡高 二百七十三萬圓 前年に比し一一%增 |
06 | 經濟手帳 |
07 | 臺灣木炭會社 殖產局設立を慫慂 臺拓で半額を出費 |
08 | 鐵道部七月中貨物輸送 前年に比し減少 船腹不足等による |
09 | 島產サイダー類 不良品なし |
10 | 臺北手形交換高(七月) 四千四百萬圓に上る |
11 | 上期茶檢查合格 五百三十四萬斤 前年に比し百六十五萬斤減少 |
12 | 市內豚取引機構 未だ決定せず |
13 | 照明燈 |
14 | 市價及商況(六日) |
15 | バナナ相場 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 剛健な風潮を作興 興亞生活を推進 旗山郡精動部計畫 |
02 | 產組全戶加入運動 九四%の好成績 東石郡守銳意努力中 |
03 | 圖像:南投郡聯合青年團查閱式 |
04 | “荖濃溪兩岸の 草生山岳は至急造林の要あり” 蕃地巡視歸來の米山旗山郡守談 |
05 | 國講所講師講習 十三日より北斗、二林で |
06 | 新營郡通信事務 年を逐ふて激增 |
07 | 輪栽式耕作法 宣傳講話會 |
08 | 生產者本位の組合に 變更以來業績躍進 新竹州柑橘同業組合會 |
09 | 新營郡の自給肥料 益益豐富になる |
10 | 能高郡で二名 改姓名を願出 |
11 | 泰安禪寺の住職 風俗改善を絕叫 |
12 | 竹山公同級會 十一日開會 |
13 | 新營郡の蕃藷簽 年產額二千萬斤 |
14 | 舅、毒殺を企つ 惡婦取調らる |
15 | 刑事のまねを して檢擧さる |
16 | ローカルセクション |
17 | 自轉車ドロ 逮捕さる |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 行政區域に依らず 配給所へ自由搬入 彰化市郡‧一期米偏在解消 |
02 | 國防献金と恤兵金 |
03 | 圖像:興亞學生の勤勞奉仕 |
04 | 米國の對日動向(上) 世界四分の形勢と米國 |
05 | “民眾の聲”を聽く 鳳山公會堂で座談會 |
06 | 遺家族授產講 習會發會式 |
07 | 京都教員視察 團來高 |
08 | 屏東ラヂオ體操 多數の參加者を希望 |
09 | 屏東市防空訓練 九日より一晝夜に |
10 | 彰化郡道路協會 五日に發會式擧行 |
11 | 圖像:城壁を修理する支那良民 |
12 | 纖維製品價格 打合會 |
13 | 彰化に經濟相談所 判らぬことは遠慮なく申出せ |
14 | “至急實行せよ” 花蓮港商店の價格表示 |
15 | 物憂い真晝に 血腥い殺傷事件 臺中市“きみのや”で |
16 | 彰化郡の簡閱點呼 廿八日‧彰化小にて |
17 | 砂糖配給準備整ふ 臺南州‧七日打合會 |
18 | 花蓮港水產會 六日に臨時總代會 |
19 | 汪廈門高等法 院長一行來高 |
20 | 屏東郡守披露宴 |
21 | 花蓮郡砂糖小 賣組合創立 |
22 | 纖維品の規格外 價格對策懇談會 |
23 | 彰化麥粉加工製 造業者組合總會 |
24 | 自轉車泥豚箱へ |
25 | 靴ドロ御用 |
26 | 法の裁きを待 つ外なし 旗山の公金橫領 |
27 | 人事往來 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新體制準備委員會 革新的分子で構成 各活動部門から嚴選 |
02 | 獨の對英本土攻擊 一、二週間後に切迫 |
03 | 伊の埃及總攻擊切迫 約五十萬の兵力を動員 |
04 | ソマリランドに突入 |
05 | バルカン國境問題 完全落着近し |
06 | 電擊作戰 準備全く成る |
07 | 東南歐新秩序建設 獨伊、土國に共同申入 |
08 | ヒ總統伯林歸還 首腦と重要會議 |
09 | 天羽大使 チ伊外相と會見 |
10 | 近衛首相十日西下 |
11 | 民營貨物戰時 保險料率引上 |
12 | 滿洲國政府 彩票を發賣 購買力を吸收 |
13 | チ英首相の 報告演說中止 日英關係緩和の理由で |
14 | 圖像:我輜重兵の活躍 |
15 | 重大方針を決定 重慶の黨政軍首腦會議 |
16 | 鄧埠驛貨車群を粉碎 海鷲、多大の戰果を收む |
17 | 米も徵兵令準備 五日委員會を通過 |
18 | 聯ソと聯米に 親獨政策を加ふ 和平交涉に備ふ |
19 | 「對日融合意味なし」 不遜、米紙の對日強硬論 |
20 | 海王丸、日本丸 廈門港外着 兩船長交交語る |
21 | 攻勢、反擊を差控ふ 今後の戰略を決定 |
22 | 米、ソ通商協 定調印を了す |
23 | 舊協定の効力を 一個年延長 |
24 | 東洋窒素株 滿鉄住友に肩替り |
25 | 明日の天氣 |
26 | 水滸傳(193)/黃得時;榎本真砂夫 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | “暴英を斷乎擊て” 要路に激勵電發送 新竹市會議員けさ緊急打合會 |
02 | あす起工式執行 二千六百年奉祝式場 |
03 | 茶殼が馬糧になる 小石川愛婦が二百貫を回收して 近く陸軍へ献納 |
04 | 神饌田田植祭 けさ大安公で執行 |
05 | 「青年の體力檢查」 十六歲以上の中等校生徒から 臺北州で九月一日から實施 |
06 | 栗橋少將けさ 便船富士丸で赴任 |
07 | 富士丸出帆 |
08 | 協定價格の申 請は十五日迄 今後は斷乎取締る |
09 | 稻作成育狀態 日本米穀會社の調查 |
10 | 綿糸生產數量 十一萬捆と決定 |
11 | 松山小地鎮祭 |
12 | 新竹浦地羅紗 組合創立總會 |
13 | 英領土內にある 我同胞三萬餘名 外務省安否を氣遣ふ |
14 | ドイツの防諜網は 科學的に全く完璧 |
15 | 圖像:岡山から怪童入京 |
16 | 生花科を新設 城西技藝指導所に |
17 | 六日に大半納入 共榮納稅組合好成績 |
18 | 臺灣代表高雄惜敗 全國都市對抗野球 |
19 | 好成績を收めて 板橋街防訓終了 けさ川村知事が視察 |
20 | 現地短篇報告 AKから放送 |
21 | ヒ總統の 敬稱一覽表 |
22 | 北工生、水泳 中に行衛不明 |
23 | 定期航空 |
24 | 人事‧消息報社消息 |
25 | 街で拾ふ |
26 | 今夜の放送 |
27 | 商況(七日前場) |
28 | 今日の映畫 |
29 | 民報案內報社消息 |
30 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 七色の空(147)/邦枝完二;三浦杏介 |
02 | 家庭と婦人 寢冷えが誘因で 熱性感冒に罹る 豫防に換氣調節を |
03 | 圖像:銀盤の女王結婚 |
04 | 洗濯には日向水を 一時間で四十度も上る |
05 | 腕のお化粧 露出部の皮膚を生生と 彈力をもたせる |
06 | 紙上病院 |
07 | 干うどんの けんちん煮 |
08 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 國語學習 外務、陸海軍が相談して 斷乎たる態度決定 在英邦人は決死の覺悟 英國の日本人逮捕續く |
02 | 圖像:朝早く 新鮮な空氣 を吸て元氣に ラヂオ體操だ もっとしっ かり一二 三! |
03 | 廢止された 陸軍の襟‧胸章 |
04 | 繪の樣に美くしい 帆船の智識 |
05 | 友邦スペインで開く 輝く日本文化展 |
06 | 夏休國語力だめし(16) |
07 | 連載マンガ へへのの.モ平君(36)/石原みのる |
08 | お年寄部隊の 富士登山大成功 部隊長は九十八歲 |
09 | 豚君のプール |
10 | 編輯室 投書のこと |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 浙江省の要衝を猛爆 海鷲、三日間の戰果頭條新聞 【○○基地七日發同盟】小倉部隊長の指揮する海軍航空部隊の精銳の三日間に與へた戰果左の如し 一、八月五日浙江省の中央に位し水陸交通の要衝たる永康を急襲同地軍需品荷揚げ場倉庫群を爆碎炎上せしめた 一、八月六日余姚及び溫州の軍事施設を爆破潰滅せしめた 一、八月七日浙江省の中央部浙贛鐵道沿線の要衝義烏及び金華を爆擊し兩驛附近の軍需倉庫群を灰燼に歸せしめたる外義烏に待機中の軍用列車を顛覆破壞した |
02 | 科學技術團體を結成 八日學士會館で發會式 |
03 | 佐藤訪伊使節團長 歐洲視察狀況を奏上 |
04 | 海軍兵學校卒業式 久邇宮朝融王殿下台臨 |
05 | 圖像:印度人協會上海に結成 |
06 | 米大使、外相を訪問 佛印に關心を示す |
07 | 香港、南洋への 正常輸出を促進 貿易統治令を發動 |
08 | 興亞外交の質的轉換 (上)松岡新外相と我外交の進路 |
09 | 司法辭令 |
10 | 木炭も切符制度 下旬より七大都市に施行 |
11 | 小麥粉も配給統制 二十日より實施せん |
12 | 日銀と滿銀の間に 特別融通契約成立 |
13 | 第二回價格形成委員會 速かに適正價格公定 全面的物價統制へ 小林商相の挨拶要旨 |
14 | 圖像:山下新航空總監都入り |
15 | 松風號の不時着 外交交涉に移る 狀況報告に中委機長臺北出發 |
16 | 中等教員の 國精研修講習會 廿二日から開催 |
17 | 伊軍今後の作戰 |
18 | 英、伊が激戰中 |
19 | 郵便局長異動 |
20 | 蒙古政府 企畫統制委員會を設置 |
21 | 今日の天氣 |
22 | 大阪商船基隆出帆 |
23 | 日本郵船基隆出帆 |
24 | 東亞海運 |
25 | 辰馬汽船 |
26 | 大連汽船 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 陋劣なる英國 の報復手段 斷乎膺懲せよ社說 一 英國政府の邦人不法逮捕事件は倫敦のみならず、蘭貢、新嘉坡、香港等の海外植民地にまでも波及し、我が朝野の憤激の的となり、事態は愈愈重大化するに至ったことは外電所報の通りである。この不法行為に關する我國の抗議に對し、英國外相及び極東部長は、日本の英人スパイ檢擧事件に對する報復手段であり、今後更に英本土及び海外植民地に亘って大量邦人逮捕を行ふと放言し、頗る不遜の態度を示してゐるが、英國のかかる態度は我國の純然たる國內法に基く英人スパイ事件に藉口する陋劣なる英國一流の報復手段を更らに越えて、事變以來我國に對する執拗なる敵性を遺憾なく暴露したものであることは云ふまでもなく、英國側が今後尚不法逮捕を繼續するに於いては事態は更に惡化の一途を辿るのみで、今後如何なる不測の事態が勃發するやも圖られず、異常の關心をもって注目されてゐるのである。 二 英國政府が強硬なる態度に出で、陰險なる報復手段をとるに至った原因は、ビルマ援蔣ルート閉鎖以來英國の示した對日友好態度に對し日本が尚英國を敵國として扱ってゐるとて非難攻撃されるであらうことを見越しての強硬報復手段に外ならないが、しかしこの外に、又米國と連携して我が外交政策轉換を牽制せんとする意圖があることをも見逃してはならない。英國內の輿論が激化してるといふがそれは見當違ひも甚だしい。大體ビルマルートの閉鎖は我國の要求なくても友誼上當然閉鎖すべきものであり、更にその暫定的措置に至っては實にインチキ極まるものと云はねばならぬ。それは英國の好意でも讓歩でもなく、三ヶ月間の雨期に依る自然的不通を利用して、我國に恩をきせようとするに至っては言語道斷である。その暫定的妥結に對して、不服を唱へるのは英國ではなく、むしろ我國でなければならぬのである。然るに却ってそれを根にもち、我國の英人スパイ檢擧事件に對して激化したとは、獨逸に依る英本土攻撃を眼前に控へて戰戰兢兢したる結果、遂に逆上して事實を判斷することが出來なくなったのだと評するより外ないのである。 三 米國はガソリン及び屑鐵の輸出禁止をもって經濟的手段に依り、又英國はインチキ好意及び今囘の不法報復手段に依り、兩國相提携して我國の外交轉換を索制せんと策謀してゐるものの如くであるが、しかしこれらの恫喝に依って、我國が英米に接近すると思ってゐるとすれば、實に甚だしき錯覺であると云はねばならぬ。英米の對日恫喝、牽制は對日敵性を益益暴露し、我國論を激昂せしめ、而して我國をして益益英米より離れさせるより外何ものもないのである。これに依って我國從來の親英米の空氣を一掃し、從來の腐緣を解消することが出來ようから、今回の英國の報復手段は轉換せんとする我國にとっては却って好都合と云へぬこともない。しかしながら、今後の日英關係が益益尖銳化するであらうし、英國の出方如何に依っては斷乎最も有効適切なる手段をとるべきであることは覺悟せねばならぬのである。とに角、本件を契機として、我國が斷乎たる態度に出でざる限り、英米が連携して今後益益我が新東亞建設を妨害するであらうことは明瞭であるから、萬難を排してその暴戻を膺懲せねばならぬことは云ふまでもないのである。 |
02 | 國防體制の完備に 萬難を排して進む 歸臺した牛嶋軍司令官語る |
03 | 軍人援護分會を 州下各市郡に設置 臺北州、援護の完璧に邁進 |
04 | 全島少年團合同野營 愈よあすから實施 五百名の健兒が參加 |
05 | 南支點描/竹內生海外遊記 動搖深刻化 金持連行き場に迷ふ 事變が始まると支那有產及智識階級の內でも抗日鬪志の所有者は蔣政府に直接從屬し蔣介石と運命を共にしてゐるが、日和見派生命財產の安全のみを考へる無思想派、親日傾向派は大體上海租界と香港に其安住地を選んだ。其の內でも大物は香港へ落ちのびた、殊に南京以南と南支に勢力を張つてゐた連中は大半香港へ避難した。だから香港は彼等有產、有能階級の集團村となつた。一方 廣東攻畧となれば香港は廣東あつての香港だから、直ちに廢都と化す、と云つた觀察は可なり多方面に行はれた、然るに廣東攻略後の香港は廢都どころか香港其のものとしては反つて繁昌し出した。之れは廣東方面の有產階級が一時にどつと香港へ流れ込み、勿論無產階級にして救濟を要する者も多數に上つたが、香港の人口は一擧に倍加したのである。關東方面への取引は杜絕したが市中は俄に購買力が增したのは必然的である。僕は廣東攻略直後香港を視察して此の現象に驚いた。併し香港其のものとしてはそうであつても、所詮廣東攻略前の香港で有り得る筈はない。只程度の問題である。 さて占領地域の建設進捗に伴ひ香港より復歸する有產有能階級も多少あるが未だ其の大半は香港に居住してゐる。ところが昨年南支軍の一部が英支國境へ進出した時、香港政廳も婦女子引揚準備をしたのであるから、誰よりも動搖したのは香港在住の支那人であつた。殊に蔣政府關係の要人共や抗日新聞關係者は逃げ出す譯にも行かず死を決心したと云ふ事である。併し其の後我軍は一時國境を撤退したのでホツと一息ついた形であつたところが今度南支軍は再び深圳一帶に進軍し完全に 英支國境を封鎖した。しかも歐洲戰況はイギリスに取り極度に惡化して居り、あれや之れやで遂に香港在住外人婦女子の引揚げ敢行となり俄然香港は旋風に襲はれたのであつた。銀行取付騷ぎ等については旣に報道したので此處には書かないが、香港在住支那人の動搖は全く深刻化した。併し外面的には銀行に殺到した位ひで街は案外冷靜であり混亂的現象は一つもなか見られつた。僕は婦女子引揚げを終る迄滯在してゐたが表面的とは云へ其の冷靜な表情には、いささか失望したくらいであつた知人某氏の紹介で古くから香港に住む實業家C君(支那人)と一夕雜談したが彼曰く、香港に居る有產階級としては香港が戰亂化する事を一番氣にしてゐるが、平和的に日本の支配下になる事は少しも嫌つてはゐない。と云つて英國の支配下にある事も嫌つてゐない。要するに香港が生命財產が安全でさへあれば其の支配者は誰でも好いのである。事變後各地から來た殊に廣東から避難して來た者も大體我我と同樣な氣持ちで只彼等は日本の 占領地域へ復歸しても自由に事業をやる事を日本が認めてくれないだらう。と云つた不安と疑念をもつてゐる。と云つて香港が斯んな情態になつたからには安心して落ちついてゐる氣持ちにはなれない。併し街の一般中小商人は事變以來自然に一種の訓練をされてゐる、去年日本軍が國境へ來た時でも一番落ちつきを見せてゐたのは彼等であつたが、現在でも比較的街の商人は落ちついて居る、彼等は愈愈と云ふ場合になれば、其の時は其の時だ、と云ふ諦めをもつてゐる。何んと云つても金持階級と抗日的仕事に從事してゐる者が一番不安が深い。旣に向ふの島へ避難した金持ちも居るし、マニラへ行く準備をして居る者も可なり多い。マカオ(澳門)も相當多いが、廣東、汕頭方面へ流れる連中は槪して中流以下の者である。と語つた。 |
06 | 動搖深刻化 金持連行き場に迷ふ |
07 | 排英市民大會 十日基隆で開催 |
08 | 汪院長一行 高雄を視察 |
09 | 商銀新舊頭取 更迭披露 |
10 | 米國に輸血 部隊 |
11 | 馬產の大擴充 農業畜產業者を網羅し 新竹市馬匹普及會員二千名に大飛躍 |
12 | 市營バスの 合理的線路變更 自動車課で立案中 |
13 | 鐘つき坊主大 恐慌 |
14 | 獨學の少年戰士に 技師登龍門を開く 工業學校卒業檢定科目を擴張 |
15 | 日比青年文化協會 臺灣支部を創設 けふ高商で發會式擧行 |
16 | 愛婦各市郡 分會長打合 あす新竹で開く |
17 | 新國產旅客機 近くデビュー 年度內に五十臺作製 |
18 | 圖像:看護婦採用臨時試驗 |
19 | 國講專任講師の 指導講習會 十八日から開始 |
20 | 筋金なしの骨拔き 禁令の豪華衣裳も日の目を見る 商工省物價局の親心 |
21 | 蘭陽三郡の 未入營兵教育 十一日終了式擧行 |
22 | 前喜劇俳優 タービン死去 |
23 | 土居稅關長着任 |
24 | 丹後丸無電 |
25 | 營業局事務員募集報社消息 |
26 | 名古屋勝つ |
27 | 香取丸無電 |
28 | 總督府辭令 |
29 | 人事‧消息報社消息 |
30 | 訃文:陳尚 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 投機買の反動で 中南支の物價激落 綿絲布は約五割安 |
02 | 帝國農會時局對策審議 特別委員會開催 九日帝農事務所で |
03 | 臺灣木材商聯より 輸出組合の參加を要望 近く商工課へ陳情せん |
04 | 證券智識 擧って國債を買へ! それは安く賣るな /福田千里 |
05 | 木製ペタル出現 自轉車界の革命 |
06 | 米國輸出水產物 罐詰の規格統一 府で取締規則立案中 |
07 | 貿易機構の 一元化(上) |
08 | 煙草需要激增で 當局が補給に大童 |
09 | 彰化市に商銀の 支店設置を要望 同市有志が上北陳情 |
10 | 自給を圖る為め 魚肥製造を計畫 東部水產會社で準備中 |
11 | 照明燈 |
12 | 市價及商況(七日) |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 物語 支那近代史 政治外交の卷/出石誠彥 |
03 | 連續物語 鹽原多助一代記/島田正吾他 |
04 | 吹奏樂 星櫻吹奏樂團 指揮辻順治 |
05 | 落語 三百植木/蝶花樓馬樂 |
06 | 料理 |
07 | 婦人の時間 朗讀、曾我物語/和田アナウンサー |
08 | “浪花女”のテーマは 溝口監督が狙う三人女 |
09 | 聖林スタアの 桃色騷ぎ 時節柄が最近は下火 |
10 | スターの病氣に 惱む撮影所 |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 肇國の大理想に基き 國民精神を振作 精動旗山分會發會式 |
02 | 司法保護記念日に 各地に於て講演會 事務打合會で決定 |
03 | 小、中、大學生等が 家族的學藝會 竹東街蘇家出身の者 |
04 | 圖像:安井厚相第一聲 |
05 | 皇民化の促進等に 關し熱烈な答申 竹東郡街庄長會議 |
06 | 臺中信組總會 原案通り可決 |
07 | 馬公の陸海軍に 對し慰問演藝會 |
08 | 前竹南郡庶務課長 送別會盛況 |
09 | 砂糖小賣人指定 北斗街で廿三名 |
10 | 澎湖砂糖小賣人 組合の創立總會 六日澎湖廳會議室で |
11 | 北斗郡下各料理店の 献金箱‧頗る好成績 六月中旬以來八十八圓餘に上る |
12 | 砂糖配給統制 周知懇談會 六日旗一公講堂で |
13 | 設計する ヒットラー |
14 | 輪作式耕作法 打合會、北斗で開催 |
15 | 元素八五號 發見さる |
16 | 展南拓殖代表 四日上京 |
17 | 沈默部隊 彈壓さる |
18 | 羊毛の永久的 耐蟲處理法 |
19 | 竹東のラヂオ體操 各方面の參加を要望 |
20 | ローカルセクション |
21 | また現はれ た怪力線 |
22 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 武勳千古に燦たり 護國の華に忠靈塔 高雄市‧十萬圓で建立 |
02 | 愈よ督府の手へ 旗山郡の姜黃統制問題 |
03 | 屏東公園に畜魂碑 八日地鎮祭を擧行 |
04 | 米國の對日動向(下) 兩長官の更迭と大統領選擧 |
05 | 山本上等兵の 臺中市葬 けふ齋場で |
06 | 產組事務講習會 |
07 | 刑事講習會 花蓮港廳で |
08 | 蓖麻四百三十萬本 全州下に栽培獎勵 高雄州下の割當決る |
09 | 汪廈門高等 法院長來中 |
10 | 人物考察と 身體檢查 |
11 | 石灰原石の滯貨 高雄驛に五萬噸 空軍の至急廻送を要望 |
12 | 臺中倉庫組合 創立發起人會 |
13 | 嘉義研武會の 土用稽古 |
14 | 國際聯盟の運命 事務員近く解雇 |
15 | キャツサバの偏在(臺中) 至急對策を講究せよ |
16 | 臺南州砂糖配 給查定會 |
17 | 生產額と砂糖 配給量の調查 |
18 | 甲當り二頭を飼育 臺南州‧養豚を大獎勵 |
19 | マッチ詐欺一味 屏東署に擧げらる |
20 | 嘉義市職員 ハイキング |
21 | 砂糖切符制事 務講習會 |
22 | 金肥使用を廢止 花蓮港の高砂族が |
23 | 水產試驗船を建造 花蓮港‧卅萬圓を計上 |
24 | 臺中州纖維 組合の總會 |
25 | 織物價格對策 懇談會 |
26 | チフス豫防に 行商人檢查 |
27 | 陳尚翁逝く |
28 | 自轉車の檢查 證取付(屏東) |
29 | 人事往來報社消息 |
30 | 消息 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 水鬼(8)/中山ちゑ |
02 | 歐洲大戰徒然草 卷二十三 |
03 | 現代の紳士氣質 エチケット三題(下)/北原武夫 |
04 | 珊瑚樹 世界經濟新體制 東亞自給圈の確立へ |
05 | 圖像:明治神宮體育大會參加章 |
06 | 文化消息 |
07 | 心聲漢詩 送水戶中將榮歸紀念/汪祖澤、送水戶中將榮歸紀念 其二/汪祖澤、送水戶中將榮歸紀念 其三/汪祖澤、感賦/黃景南、次景南侄感賦韻/逸園老人、和景南生感賦之作二/林述三、和景南生感賦之作二/林述三、次韻和景南兄感賦/莊幼岳、步景南世弟原韻/林錫麟、次潜廬主人感賦原玉/陳炳添、次景南君感賦瑤韻/王水源、和景南君感賦原韻/周耀東 |
08 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | アフリカ戰線俄然 大規模作戰を展開 伊軍は三方より猛襲 |
02 | 伊軍、ゼイラ海港占領 |
03 | 伊軍は挾擊作戰か |
04 | 西班牙の參戰氣分 政府も抑制出來ない アリバ紙の論說 |
05 | 圖像:小磯大將歸京 |
06 | 英ソ通商交涉 再開か |
07 | ソ聯、ア國の 通商協定內容 |
08 | 國際聯盟勞働局 カナダに移轉 米參戰誘導に英策謀 |
09 | 山東で國共激戰 |
10 | 獨三占領地域 民政を布く |
11 | 全國を八區に分け 配電管理を行ふ 統制會社を設立せん |
12 | 國策の具體化に力瘤 奧村毛里兩氏企畫院調查官を兼任 |
13 | 圖像:佐藤大使歸京 |
14 | 印度に英領經濟會議開催 |
15 | アラスカの防備強化 ノ米海軍長官發表 |
16 | 官廳の新設擴充案 一廳法制局で再檢討 |
17 | 滇緬禁絕品外の 輸送に保證金制 |
18 | 重慶政權、佛印に 泣訴、恫喝に躍起 |
19 | 圓域貿易を調整 更に細目的に再檢討 |
20 | 米ソ協定成立 米は滿足 |
21 | 孫科辭職を電請 連ソ派元老派の對立 |
22 | 明日の天氣 |
23 | 水滸傳(194)/黃得時;榎本真砂夫 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 結婚式の費用は 二十圓以下で濟ませ 新生活體制の規準試案 |
02 | 桃園航空無線 送受所見事に完成 けふ盛大に開所式擧行 |
03 | 圖像:河田、安井、星野の各相西下 |
04 | 奉祝海の祭典 神宮海洋競技あす開幕 |
05 | 邦品が完全に制霸 タイ國最近の事情 |
06 | 日比青年文化協會 臺灣支部發會式 高商で盛大に擧行 |
07 | 臺北市第一回 青年團長會議 あす樺山小で開く |
08 | ツーロン空爆の伊空軍(丸の中は英國軍艦) |
09 | 帽子が斷然多い 七月中臺北驛構內の忘れ物 |
10 | 士林の空訓 炎熱下に猛訓練 |
11 | 豚肉新小賣值 を協定 |
12 | 松山小新校 舍地鎮祭 |
13 | 六萬圓の出所 金塊密輸と判明 藷蔓式に關係者檢擧 |
14 | 臺北が四百五十戶 全島各市の建築申請 內務局に集る |
15 | 御婦人達は 泳ぎがお嫌ひ 淋しい基隆の講習會 |
16 | 家庭用を優先に 臺北市砂糖切符制施行注意 |
17 | 信濃號出發 日泰航空の臨時機 |
18 | 受驗地獄一掃に 新入試「虎の卷」絕版 |
19 | 畜產主任會議 十二日州會議室で開く |
20 | 人事‧消息 |
21 | 街で拾ふ |
22 | 今夜の放送 |
23 | 商況(八日前場) |
24 | 今日の映畫 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 七色の空(148)/邦枝完二;三浦杏介 |
02 | 家庭と婦人 建設的か破壞的か 餓鬼大將二つの型 特徵を正しく導け |
03 | 疊の更生法 |
04 | 草花にも 敷藁を |
05 | 鐵錆の汚點を 除く法 |
06 | 歐洲では婦人の 飛行家か殖える 實戰參加はソ聯だけ |
07 | 身上相談 |
08 | 鰹節の削り方 |
09 | 幼兒の下痢は 母親の不注意 粉ミルクも腐敗する |
10 | 鷄肉の田樂 |
11 | ハンケチの使ひ方 夏は少くも二枚は心要 |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 國語學習 一日一言 |
02 | 日本と仲直りできず 英國愈愈獨りぼっち 伊太利ではかうみてゐる |
03 | 趣味と實益をかねた 面白い傳書鳩 その智識と飼ひ方 |
04 | 圖像:真黑な子供が並ぶ川の岸 |
05 | 臺北市役所に 模範防空壕 勤勞奉仕で作り上る |
06 | 軍馬「宮松號」に 金鵄の譽れ |
07 | 日本で最初の ギリシャ語辭典 九十六歲の老學者が完成 |
08 | 夏休國語力だめし(17) |
09 | 連載マンガ へへのの.モ平君(33)/石原みのる |
10 | カタカナらん 四ホンアシノ ニハトリサン |
11 | 世界ニュース |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 溫州附近の敵軍事據點 溫州角、崎頭村等攻擊 臺州灣、三門、松門嚴重監視を開始頭條新聞 【○○基地八日發同盟】支那方面艦隊報道部發表 一、溫州方面封鎖に從業中の海軍艦艇は六日七日に亘り溫州附近の敵軍事據點溫州角、崎頭村、池潭葉村、坎門、玉環縣城を攻撃せり 二、封鎖艦艇の一部は浙江沿岸に對する封鎖強化の徹底を期する為更に臺州灣、三門、松門に對して七日嚴重なる監視を開始せり 三、一部艦艇は十日午前鎮海南關附近に陣地構築中の敵を攻撃せり 四、海軍航空部隊は七日午前浙贛線の要衝金華驛及び義烏驛を攻擊せり附近にありし列車及び軍需品倉庫に對し甚大なる損害を與へたり |
02 | 筆答試驗廢止は不變 調查會を作り最良法を研究 入試方針橋田文相が言明 |
03 | 圖像:凱旋後總統官邸バルコニー から市民の歡呼に答禮 |
04 | 廣野中將 晴れの歸還 |
05 | 滿洲國民籍 法を公布 |
06 | 蔣介石雲南に 飛來 |
07 | 興業債券三億五千萬圓 地方銀行へ特別割當 |
08 | 眾院各派の團結に依り 新體制促進同志會が成立す きのふ大懇親會を開催 |
09 | 新體制問題 首相、考慮を繞らす 各方面と意見交換 |
10 | 圖像:三期出馬決定のルーズベルト大統領 (左)と同じく民主黨指名副大統領候補 ウォレス農務長官 |
11 | スラバヤの抑留 獨人三千に達す サマラン丸の土產話 |
12 | 特殊銀行法再檢討 金融の新體制整備へ |
13 | 陸軍兵器學校創設 將來の活躍を期待さる |
14 | ソ聯には許可 我國には拒否 米國、石油輸送を |
15 | 英機二八五を擊墜 伊軍の大戰總戰果 |
16 | 「全科技聯」結成式 具體的實踐方策を決定 |
17 | 不祥を繰返さぬ樣 佛印當局が警戒 松風號不時着に鑑み |
18 | 機關、經理學校 の優等卒業者 |
19 | 中尾機長空路歸京 |
20 | 比島の排獨 熾烈を極む |
21 | 今日の天氣 |
22 | 大阪商船基隆出帆 |
23 | 日本郵船基隆出帆 |
24 | 東亞海運 |
25 | 辰馬汽船 |
26 | 大連汽船 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 新體制と皇 民化の徹底社說 一 新體制確立の使命を背負って近衞內閣が出現し既に其の基本政策も決定した。併し未だ具體的方法については目下審議中であるが、其目的とするところは、明らかである。新體制とは過去の體制を捨てて新しい體制を作る事であるが、過去の體制がすべて惡かったのではなく現在の諸情勢が新たなる經濟機構、社會機構、政治機構を絕對必要とするに至ったのである。即ち新體制のための新體制でなく現實的必要に迫られた新體制なのである。其根本となるものは國家總力の最大限度の發揮にあり、言葉を替へて云へば、個人的にも國家的に最大限度の能率發揮が必要となったのである。そのためには過去の如く各政黨が自己の黨本位とした政治活動であってはならぬし財界も亦自己の利益を本位とする活動であってはならない、個人においても個人の利益を第一義とするようであってはならぬ。すべての活動が國家本位となり國民全部の活動が國力增進へ集中されると云ふ機構が新體制なのであり新體制確立の目的である。 二 新體制は其の形態其のものも極めて重要であるが、併し根本となるものは何故に新體制を必要とし如何にして新體制の目的を完遂するかと云ふ精神である。形態が如何に完備しても國民の精神が之れに打ち込まれない限り新體制の意義は半減されるのである。即ち國民全體が過去の自由主義的思想をきっぱりと精算し新體制の目的に對し深い理解と熱意をもって臨まねばならないのである。 國民精神總動員運動も過去の如く形式や枝葉末節に捉はれず只管新體制の目的完遂に集中されるであらうが特殊事情下にある臺灣には日本全般的の國民精神總動員運動の他に所謂皇民化運動なるものが存在する、尤も皇民化運動も國民精神總動員運動とは共通點があるから精動運動の線に沿ふべきは勿論であるが皇民化運動は更に特殊なものである以上、本島民としては二重の努力を要するのである。從って皇民化の徹底のみでは新體制の線より遲れる事になる、皇民化徹底と同時に新體制の線に沿ふべく一層の努力を要するのである。 三 皇民化徹底と云ふ事だけでも容易な事ではないのに、更に新體制の線に沿ふ事は一層容易な事ではない。其處に皇民化運動に對する充分なる心構へが必要となる。 近衞內閣の聲明にもある如く東亞新秩序建設は日滿支の他に南洋を包含してゐる事を見逃してはならぬ。從って臺灣は南方據點として愈愈重要性を加へて來た。最早過去の臺灣である事が許されなくなった。臺灣のみの事に一っぱい費すようでは到底南方據點としての重要使命を果す事が出來ない。斯樣に臺灣の重要性と共に臺灣の使命が加重されて來たのであるから理想としては皇民化運動などは現に既に完成してゐなければならないのである。併し現實的には仲仲そうは行かない迄も、本島民としては此の過度期にある臺灣を十分認識し皇民化運動に對し貴重な當局の力を消費させる事なく各自の自覺によって完成するの意氣と熱意が必要である。對外的一大飛躍の現在において、まだ皇民化運動の必要である事は獨り國家の不利のみならず、現に領臺四十數年を經たる本島民として自ら恥辱としなければならない。兎も角も理想は理想とし現實的に見て今や本島民の覺醒は文字通り劃期的であらねばならぬ、此期にのぞんで尚遲遲たる進歩であっては、時代の流れより取り殘される危險が多分にある。當局も亦此の點に對し枝葉末節的なものはあと廻しとして此の際新體制に沿ふべく極めて有効適切なる新指導方法を講ずべきである。 |
02 | 大會の劈頭を飾る 海洋競技けふ開幕 海上で晴れの開會式 |
03 | 全島奉祝體育大會 九月二十日頃開催 空前の豪華版展開せん |
04 | 本年度中に 四千萬突破せん 滿洲國の人口總數 |
05 | 身も心も鍊えられ 乙女達スクスクと(上) 北一女臨海學校訪問記 |
06 | 奉祝會場と式屋 嚴肅に起工式擧行 |
07 | 晴れの祝典參列者 昨日事務局から發表 |
08 | 南支點描(三)/竹內生海外遊記 昇降機內の哄笑 情勢は確かに一變 香港通のT氏と一緖に或日香港の代表的社交機關である香港ホテルへ晝食を喰べに行く事にしたT氏は僕に次の如く忠吿した君はどうも軍人と疑はれる容貌をしてゐるから今日はセーラパンツなどはかないで、背廣を着てネクタイもつけ、頭髮もキレイに油をつけて行きたまへ。と云つたのでガラにもなくポマードなどをつけ見合ひにでも行くような氣分でスマートな紳士を氣取つて乘り込んだ。廣い一階ホールは家族連れの外人で滿員だつた。引揚げ家族を伴つた亭主共である。僕等は三階の支那料理を喰ふべくエレベータに乘ると五十歲前後のデツプリ肥えたインテリらしい 支那紳士と三十歲位ひの青白い小柄な支那青年と四人が乘り合せた。スート運轉が開始されるや、紳士に微笑しながら僕とT氏を顧み英語で「此のホテルも間もなく君達の物になるんじやないか」と云つて哄笑した、青年も僕を仰ぎ見ながら笑つた。僕等も期せずして笑つた。突如として意外な放言に對し此の際哄笑以外に答へる言葉がなかつたのである。紳士の態度にも毒氣や皮肉は感じられなかつた。僕等は三階で降りたが彼等は降りなかつた。ホールの片隅のテープルを占領しカクテルを呑みながらT氏曰く、香港の支那人が一面識もない日本人にあれだけのお世辭を云ふのは珍らしい。本心がどうであらうと 香港の情勢はたしかに變つて來た。支那酒と支那料理を喰ひながらコソコソ二人で話し合つてゐると一つ向ふのテープルにT氏の知人である中年の英人が居た。T氏と彼は席を立ち窓際で何か立話をしてゐたが歸つて來て氏の云ふには、アノ男は警務局の役人で自分とは懇意にしてゐる男だが、君を軍人とにらんでゐるのだ。そうじやない、新聞人で一寸廣東へ行く途中立寄つた自分の友人なのだと云つたら、そうかと云つてゐたが何んと思つてゐるか解らない、ひよつとすると君に尾行がついてゐるかも知れない。香港の尾行は露骨にやらないが、中中好妙らしい、君は何んと思はれようが、さつさと 廣東へ行つて仕舞ふのだから好いが、僕等みたいに香港で仕事をしてゐる者が疑はれると仕事が出來なくなる。君と一緖に步くのは考へものだ。兎も角食後アノ男に紹介するから然るべく云つておいた方が好い。成る程ナーと思つた。 食後社交室で氏は例の男に紹介したので先づ握手した。僕の手も優しい方ではないが、彼の手は地獄の灰ならしみたいだつた彼はお愛想よく儀禮を述べてから今夜一緖にダンスに行かふ、と云つたので、僕は無器用で駄目だと斷つた。實際ダンスはやれないのである。彼にはダンス以外の目的があつたらう。それにしても上陸の際も軍人關係じやないかと疑はれホテルでも 此の調子だと香港に長くウロウロして居られないような氣がした。T氏の氣持ぢや僕の心境など日本に居る者から考へると、誠に意氣地ないように思はれる事であらう。僕だつて始めは僕と一緖に步く事を斷つたT君に對し不愉快を感じたが香港に滯在してゐると彼等在住邦人の氣持ちが好く解るし、むろ同情の念が起る。と云ふのは日本の勢力と云ふものは少しも無い。殊に抗日分子の巢窟である。街頭を步いてゐる時、一寸來いと引ぱられても誰にも解らない。殺されても行衞不明と云ふ事になつてしまう。斯んな所で働いてゐる日本人として其處迄考へるT氏とも此れ切り一緖になるまいと考へ、ホテルで別れてやつた。一人で步いてゐると立派な 婦人服屋の戶口に立つてゐるフランス風なスマートなヒゲを生やした中年の外人が僕にシヨウインドにかけてある女服地を指差しながら「紳士よレデイのお土產に如何」とやつた高買や色戀の前には敵性も抗日も無い。併しレデイにお土產を買ふ程の熱意も餘裕もないので買はなかつた。服地屋を通り過ぎると、二十歲位ひのトテモ美しい金髮娘と行き合つた瞬間彼女は僕に物凄い秋波を投げかけた瞳は憎惡に燃えてゐた。若し美人でなかつたらお岩以上に凄いであらうが美人なるが故に一層美しく感じ今でも印象に殘つてゐる。所詮薄命であつても女は美しく生れる事が幸福の第一條件らしい。アトできいた話であるか。婦女子引揚を繞り俄に結婚する者が多かつた 想思相愛の彼等は愈愈引揚が發表されるや、何時の日に合へる事やら、永遠に合へないかも知れないと云ふ、悲痛な氣持から、又合ふ日を樂しみにはかない送別結婚をしたのである。此邊の氣持ちは日本人的だと感心した。僕に深刻な秋波を送つた娘も其の一人だつたのだらう。お前の國のために妾は彼氏と送別結婚しなければならないと── |
09 | 司法保護事業の 實際運營を檢討 けふ實踐要領を附議 |
10 | 大久保兵器部長 昨日家族同伴にて着任 |
11 | 古麻袋同業組合 創立總會開催 |
12 | 昇降機內の哄笑 情勢は確かに一變 |
13 | 國防婦人會で 懇談會を開催 各方面を招待 |
14 | 臺北市役所の火事 土木課修理工場全燒、衛生課半燒 |
15 | 西原少將寄臺 けふ空路にて 任地へ |
16 | 洵に恐縮至極 木原臺北市尹語る |
17 | 日本の經濟狀態 想像以上の底力 西班牙經濟使節團ヒ中將の感想談 |
18 | 歐洲行の伏見丸 昨日基隆に寄港 福田船長覺悟を語る |
19 | 八幡製鐵勝つ |
20 | 第一期蓬萊種 標準米查定會 新竹產業會館で |
21 | 三輪專賣局長 東部巡視日程 |
22 | 創立總會開催 新竹州纖維品卸小 賣商組合聯合會 |
23 | 人事‧消息報社消息 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 資源確保の為め 藁及藁工品配給規則を公布 種類、叺、莚、繩、菰に限定 |
02 | 新政治體制と(上) 經濟團體の動向 |
03 | 臺灣汽船會社 重役陣決定 社長は後宮信太郎氏 |
04 | 全島產組大會 來る十月十二、三日花蓮港で 各組合一名限り出席 |
05 | 臺南州トラック會社 資本百廿萬圓に切下 業者の意見尚纏らず |
06 | 商工課午前中 面會を謝絕 |
07 | 上等紅茶好況なるも 一般の茶況ヂリ安 |
08 | 貿易機構の 一元化(下) |
09 | 島內各蔗苗養成所 植付面積三百五十四甲 |
10 | 七月迄本島對外貿易 落花生、鹽魚輸出激增し 輸入肥料等概して不振 |
11 | 本年度上半期 對滿洲國貿易 記錄的入超示現 |
12 | 照明燈 |
13 | 市價及商況(八日) |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 本社主催臺灣護國神社御石献納 大肚庄の採取計畫 青年團、兒童の奉仕で報社消息 |
02 | 重要資源の開發に 產業道路の完璧を期す 竹南郡土木協會發會式 |
03 | 農業義勇團員 無言の凱旋 六日東港驛着 |
04 | 竹南郡街庄長 傷病兵將士を慰問 |
05 | 砂糖小賣商組合 華華しく結成式 七日南投公會堂で |
06 | 敵機執拗に襲來 我が機勇敢に擊退 北門郡空訓好成績で終了 |
07 | 新營郡家畜、家禽 年產廿六萬圓 |
08 | 新營郡納稅義務者 一萬九千餘人 |
09 | 新營郡青年團員 無報酬で國民塾講師に |
10 | 南投團對北斗團 去る四日卓球戰 南投團の快勝に歸す |
11 | 國語保育園の 指導者講習會 十二日より東港公で |
12 | 石田武太郎氏 戰地より歸還 |
13 | 竹東郡芎林產組 今一息で全戶加入 戶別訪問勸誘の結果 |
14 | 竹山部振の整備に 競勵委員を設置 九月中旬に初顏合せ |
15 | 竹北三郡の 武道爭霸戰 桃園郡榮冠を獲得 |
16 | 新高郡で 改姓名の一番乘 |
17 | 榎本秋治氏 歡迎會 |
18 | 霧峰信組 常務理事異動 |
19 | 松山信組長 潘廼賢氏當選 |
20 | 黃好樹君 國防献金 |
21 | ローカルセクション |
22 | 泥棒の行方 を搜查 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 第三種防空訓練 高雄州下の日割決定 |
02 | 日本の最南端で 重責の完遂に邁進 江草臺南憲兵隊長語る |
03 | “身體は至極丈夫だ 大に頑張って行かう” 鶴新澎湖廳長語る |
04 | 山本上等兵の市葬 きのふ臺中齋場で嚴修 |
05 | 所管事務聽取 伊藤臺南州內務 部長 |
06 | 高雄州の部振表彰式 十二月頃に行ふ |
07 | 本社主催臺灣護國神社御石献納 全島一綺麗な御石 花蓮港廳‧九月匆匆に採取報社消息 |
08 | 彰化商庶組 役員會開催 |
09 | 二年間缺かさず 白衣の勇士に感激奉仕 嘉義の天理教婦人會 |
10 | 準備萬端整ふ 高雄州商工組合聯合會 |
11 | 高雄市內小公 學校長會議 |
12 | 一路‧銃後奉公へ(高雄) 十月上旬に民風作興大會 |
13 | 小賣人と配給量 彰化燐寸配給組合で決定 |
14 | 臺中州下自轉 車鑑札引換 |
15 | 婦人教化指導者 高雄州で講習會開催 |
16 | 教化會館で豫備訓練 臺中州の勤行報國青年隊 |
17 | 彰化南門振 興會委員會 |
18 | 產業狀況視察 赤堀州知事が |
19 | 歸省學徒團大會 廈門旭瀛書院講堂で |
20 | 馬三頭を一單位に 臺中州で馬匹運送計畫 |
21 | 彰化市砂糖小 賣商組合創立 |
22 | 臺南のダンスホール 八月一杯で閉鎖 臺南署‧業者を招致懇談 |
23 | 宿舍荒し泥坊(彰化) 一味三名檢擧さる |
24 | 臺中市內の砂 糖卸賣值 |
25 | 砂糖配給座 談會(屏東) |
26 | 五十錢を強奪して 懲役五ヶ年の求刑 二林の強盜被疑事件 |
27 | 主人を誣告 |
28 | 部落振興現地 研究會(高雄) |
29 | 營業局事務員募集/臺灣新民報社報社消息 |
30 | けふ創立總會 高雄市砂糖小賣 商組合 |
31 | 愈よけふ公判 北斗の脅喝事件 |
32 | 精神文化講 習會(花蓮港) |
33 | 人事‧往來報社消息 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 下級官吏の優遇案 けふの閣議で決定す |
02 | 家族手當支給範圍 「百五十圓」以下に擴大 |
03 | 惠まれる御役人 百三十萬人 |
04 | 圖像:民政黨全國支部長會議 |
05 | 海鷲、金華を痛爆! 軍需倉庫群に命中彈 |
06 | 日佛交涉進む 佛印問題を中心に |
07 | 英が發表 印度に完全自治權 但し戰爭終局後 |
08 | リ印度總督聲明 |
09 | 農相あす西下 |
10 | 東亞文化協議會 全體評議委員會 |
11 | 英米が共用する 標準型戰車製作 米國が計畫を立案中 |
12 | 興亞院異動 |
13 | 獨、英佛海峽を攻擊 各所で空中戰を展開 |
14 | 米郵政長官 辭表を提出 |
15 | 國民會議派は 即時獨立を主張 |
16 | 圖像:小磯大將首相官邸入り |
17 | 判明した戰況 |
18 | 領土割讓已むなし 羅國首相ラヂオ聲明 |
19 | 伊の埃及攻擊 八月中旬決行されん |
20 | 外米依存を改め 國民總協力で解決せよ 農林振興議員同盟代表 星野企畫院總裁に要望 |
21 | 明日の天氣 |
22 | ソマリーランド 英は放棄の意向 |
23 | ソ聯最高會議 人事等を採擇可決 |
24 | 國境改訂交涉 近く開始 |
25 | 全特務科長會議 滿國治安部で開催 |
26 | 水滸傳(195)/黃得時;榎本真砂夫 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 結局自發的解散か 問題のロータリ俱樂部 |
02 | 島內放送陣を強化 花蓮港、臺東兩街に放送局を設置 來年度に豫算を計上 |
03 | 臺北州司法事業 事務打合會 けふ刑務所俱樂部で |
04 | 圖像:今秋擧行される紀元二千六百年記念奉 祝式典式殿完成圖 |
05 | 天然ガスの 消費節約運轉 新竹自動車協會で |
06 | 算術講習會 |
07 | 瀧前兵器部長 けさ官民見送裡に出發 |
08 | 烏尖連峰ハイ ク 趣味登山會主催 |
09 | 火焰の真只中で トラック四臺を押出す これで三萬圓浮かぶ |
10 | 執務に差支なし 火事の後仕末大半完了 |
11 | 勤勞大眾の家計調 十月から一ヶ年間十大都市で實施 |
12 | 樂しい林間學校 けふから草山で開始 |
13 | 全島少年團の野營 けふ草山山猪湖で開場 健兒五百名が參加 |
14 | 新竹市營プールに溺死體 |
15 | けふから再就航 馬公間との定期航空 |
16 | 慶大山岳部員 大森君が急逝 八日八通關で |
17 | 圖像:外相へ卵を贈る女青 |
18 | 軍人援護會に寄附 |
19 | 自轉車乘りの輪禍 |
20 | 內港施設充實 其他を附議 基隆商議所役員會で |
21 | 臺北春競馬 第四日の成績 |
22 | 島都の就職戰線 時局を反映して 利用者次第に減少 |
23 | 音樂堂演奏曲目 |
24 | 定期航空 |
25 | 人事‧消息報社消息 |
26 | 街で拾ふ |
27 | 今夜の放送 |
28 | 商況(九日前場) |
29 | 今日の映畫 |
30 | 民報案內報社消息 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 七色の空(149)/邦枝完二;三浦杏介 |
02 | 家庭と婦人 胸を病む人達の 夏の鬪病法 病室は努めて開放 |
03 | 圖像:東京第四區域の防空訓練 |
04 | 教育相談 獨言を言ひながら 泣く真似をする娘 |
05 | 共に語り得る 友達を作ること/田中寬一 |
06 | 目立つ汚れ 壁の修繕 水性ペイントが便利でせう |
07 | 鯰のあらひ |
08 | 毛髮をいためぬ オイルシャンプー 正しいやり方は? |
09 | 此丈のカロリーは 必ず確保しませう 慎しみたい無計畫の節食 |
10 | 身上相談 |
11 | 夏の漬け物 ラッキョウの漬け方 |
12 | 夏使はない 革靴の保存 ヒマシ油を塗る事 |
13 | 鳴蟲に嚴禁 蚊取り線香 |
14 | カットグラス の遊び方 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語學習 一日一言 |
02 | 蕃地の畑を荒す 野鼠も時局に一役 皮の代用品として大評判 |
03 | 圖像:今度は大きいぞ! |
04 | 日本一の大賽錢箱 一千人で曳いて運ぶ |
05 | 珍しい鹽の沙漠 滿洲のダブス湖 |
06 | 皆さんの步き方で 成績が判ります 踵で步くのは劣等生 |
07 | 南進日本の姿みに 校長先生方が來臺 |
08 | 海底は砂金の寶庫 タツキリ溪谷下流 |
09 | 十八年めに 父や兄弟と會ふ 關東大震災の迷子 |
10 | いよいよつくられる 國語講習所用教本 臺北州の方針決定 |
11 | 連載マンガ へへのの.モ平君(37)/石原みのる |
12 | 今日の知識(15) |
13 | 夏休國語力だめし(18) |
14 | ム首相ばんざい! 五十七の誕生日 |
15 | 世界ニュース |
16 | 綴方募集報社消息 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 條文調整、字句修正 技術的問題を討議 日支國交調整會議(第十回)頭條新聞 【南京九日發同盟】日支國交調整交渉第十回會議は九日午前九時より兩國交渉員全員出席の下に開催され前回に引續き既に條約案文の審議を終つて居る基本事項並に之に附隨する事項以外の各種の細目事項に關する審議を續行主として條約案文の調整、字句の修正等技術的問題に就き慎重なる討議を重ね正午散會した交渉は引續き順調な進捗振りを示して居り更に議事の促進を圖るため十四日の次回會議迄に尚數回非公式會談を開催し、下工作を進める筈である尚同日の會議散會後午後三時三十分帝國大使館より左の國府宣傳部との日支共同コンミュニケが發表された △コンミユニケ 九日午前九時より非公式會談開催引っゞき第十回會議を開き細目事項につき慎重番議し正午散會せり |
02 | 銓衡任用の範圍擴大 官界上層部全部一般に開放 官吏制度改革案成る |
03 | 圖像:松岡外相葉山伺候 |
04 | 官吏制度改革要綱 閣議で正式に決定 |
05 | 海面封鎖を一段強化 臺州灣、溫州灣を砲擊 |
06 | 文政刷新案を 討議 文部首腦會議 |
07 | 定例閣議 |
08 | 政府、各種委員會の 整理、更新に着手 |
09 | 公益優先、國家奉仕 新經濟體制を樹立小林商相西下談 |
10 | 圓域の一員として 佛印は發達せん 米國ト女史が論斷 |
11 | 農業の再編成問題 帝國農會で意見交換 |
12 | 閣議決定事項 |
13 | 北支、上海駐屯の 英國軍隊引揚ぐ |
14 | 香港へ移駐か |
15 | 我國に通告し來る |
16 | 米から重慶に對し 大量軍需品を發送 援蔣封鎖でマニラに陸揚げ |
17 | 農會法の一部 を改正 |
18 | 米、對ソ關係の 改善を意圖 |
19 | 新體制促進同志會の 第一回世話人會 きのふ日比谷で開く |
20 | 一地區一組合 商工省織物業者に通牒 |
21 | 國民服裝の 合理化問題 官吏率先示範せよ |
22 | 獨、英兩空軍活躍 |
23 | 英政界對日 妥協策に不滿 |
24 | 大橋氏勅任官 に任命 |
25 | 新竹州警務部 異動發令さる |
26 | 今日の天氣 |
27 | 大阪商船基隆出帆 |
28 | 日本郵船基隆出帆 |
29 | 東亞海運 |
30 | 辰馬汽船 |
31 | 大連汽船 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 志願兵制度の 實施を要望 島民は熱誠を 披瀝せよ社說 一 事變勃發以來、既に三年餘を經過し世界戰史上未曾有の偉大な戰果を收め得たことは、御稜威の然らしむるところでありまた前線に於ける我が忠勇無敵なる將兵の力戰奮闘によることは勿論、銃後一億國民が真に擧國一致、全國民が一つの大きな火の玉となって興亞の聖業完成に向って勇往邁進しつつあるがためにほかならないのである。 この一大事變を契機として本島民の精神方面に及ぼした影響は相當刮目すべきものがあった領臺四十五年間に培って來た國民精神の顯現、熱烈なる愛國心のほとばしりを各方面に亘って發揚し得たことは欣喜に堪えざるものである。國防、恤兵金の寄附等をはじめ軍用品の調達、血書して軍夫を志願する等枚擧に遑ないものがある。ことに本島出身の軍夫が勇躍前線に從軍して我が皇軍の手足となり砲煙彈雨の中を臆せず目覺しい働きをして內外地人士の絕讃を浴びたことは未だに耳底に新しいことである。 二 事變來、皇民化運動の促進、強化により一段と本島民の精神方面の訓練が徹底したことは一般に認むるところであるが、然るに帝國臣民となって將に半世紀に垂んとする今日、本島に未だ兵役法の實施を見ないことは誠に遺憾な事である。兵役制度を實施するに民情はもとより一般に精神と體格の如何が考慮されるが、精神方面については前述の如く本島の現狀を具に觀察するときは時期尚早であるとは云へないと確信するものである。只體格については尚ほ疑問の餘地ある如く思はれる。氣候風土と常食物の關係に加へて過去餘り青年の體位向上に就いて顧みられなかったことに起因するものと思ふが、近年當局の指導により國民の體位向上が叫ばれ實際に學校、各團體等が率先して範を垂れ實績を擧げてゐるやうであるから、本島青年の體位もここ數年を出でずして見直されることであらう。併し現下の時局を充分認識し國家意識に燃ゆる多數の本島青年をして國家有事の際皇軍の一員として君國のため銃を執って戰はんとする烈烈たる滅私奉公の精神を發揮せしめ、特に志願兵制度を實施し、國家に對する奉公の道を新に開いてやることが時局下に於て最も意義あることであると確信するものである。 三 我が帝國臣民たる者は兵役、教育、納稅の三大義務を果さねばならない。現在本島人は單に納稅の義務を負はされてゐるのみであり漸く初等教育も來る昭和十八年度より義務教育が施行されることに決定したのは寧ろ遲き觀あるも當局の意のあるところに對しては大に感謝すべきである恐らく本島人有識者は帝國臣民としてこの國民の三大義務を負ひたい、果したいといふ熱意は誰しもが持ってゐるのである。例を納稅成績に徵しても、每年國稅地方稅其他數種の稅金を完納してゐる市街庄はその過半數に達してゐる狀態を見ても察知出來ることである。 志願兵制度の實施に對しては本島人有識者、指導者階級たるものは須らく積極的態度を表明し力強く當局に向って要望すベきである。昭和十三年より朝鮮に實施された特別志願兵制度も二千萬鮮民の熱烈なる要望によってその宿願が達せられたものである。本島の現在の諸條件は朝鮮に於いて實施された當時より優るとも劣るものではない。朝鮮に一歩先んじられたことは島民の熱意に缺くるものがあるためであることは言を俟たない六百萬島民の希望を率直に披瀝し、臺灣當局は勿論、中央當局にも充分島民の熱意のあるところを認識してもらふことが臺灣特別志願兵制度が一日も速く實施される捷徑であり、目下の緊急事であると信ずる。 |
02 | 躍る、海國日本の若人 神宮國民大會の劈頭を飾る 海洋競技の豪華版開幕 |
03 | 外人の學校經營禁止 文部當局監督取締を強化 |
04 | 式典奉祝神樂舞 作曲、振付の謹作完成 |
05 | 第一日の成績 |
06 | 圖像:海洋競技選手明治神宮參拜 |
07 | 黃麻纖維を 內地に密移出 名義詐稱基隆署で檢擧 |
08 | 南支點描(四)/竹內生海外遊記 清算の時機が來た 事變中我管理に移せ 事變解決とは所謂東亞新秩序建設が完成される事であるから今後何十年を要するか解らない、併し解決方法としては多種多樣であり現在の段階として最も必要な事は蔣介石政權の壞滅である、次は支那民族の自覺であり民族資本の復歸である、日本が神の意志であつても物資的には限度がある。 建設には物資と金と技術と人と精神が絕對必要條件である、何も彼も日本でやれる筈のものではない、此の現段階にあつて最も必要である、蔣政權壞滅と支那民族の自覺及資本復歸に對し少しでも邪魔になるものは何をおいても先づ排除しなければならぬ、然るに事變以來餘りにも露骨に邪魔をしてゐる香港に對し日本の手入れが行はれてゐない事は、むしろ不思議である、旣に述べた如く現在香港に在住する支那資本家は香港が現狀にある間はたとへ不安焦燥はあつても新秩序建設には乘り出さうとはしない、彼等は香港當局より必要以上の保護を受けてゐる、一方香港で安逸をむさぶつてゐるだけでなく、蔣政府への献金を强請されてゐる、一方有力華僑は事變後故鄉を香港に移し蔣政權へも多額の献金を繼續してゐる、香港に居る金持と云つても 大小の差はあるが一億圓以上の者でもザラにあり千萬圓程度の者は大金持ちの內には入らないらしい、南洋華僑の內には三井、三菱級が何人も居ると云ふ事である。 尤も事變後香港へ避難した資本家や知識階級の內で旣に汪新政權下へ戾つた者もあるが、大物は依然として復歸しようとはしない。本稿の始めに述べた如く香港の敵性に對し事變當初において斷乎たる處置をとるべきであつたと思はれるが、今や三年有餘に亘り、日本は十萬の同胞を失ひ、數百億の國帑を費し日本として最大にして最高の犧牲を拂つて事變と戰ひ現在尚皇軍は血を流して戰つてゐるのである。此の犧牲の上からも最早香港をして現狀にあらしめる義理は毫も無いと思はれる。彼等は領土權をたてにタカをくくつてゐるのであるが、戰亂下地域において第三國の地位を忘れ軍事行動以外においての最大限度の敵性行動を敢てしてゐるのであるから何んの遠慮も要しない筈である。敢て 軍事行動によつて手入れする必要もない。汪政府と共同利益關係による外交交涉によつて事變中汪政權或ひは日本の管理に移すべきである。若し外交交涉に應じない場合は仕方がないから別な方法によつてやれば好い。 僕等が何を考へたところで何にもならないかも知れないが、事變を通じ、又歐洲戰を通じて考へさせられるのは日本は餘りにも正直過ぎる、謀略が無さ過ぎる。平面的過ぎる。と云ふ事である、之れはすべてにあてはまると思ふ。獨逸のフランス作戰などは十分な最後の見透しのもとに行はれた事が想像される、獨逸だつて中立國を敵國の前にやつつける事が好い事だとも思はないであらうし、又國際道義上の苦情も起る事は十二分に豫期したのであらう。併しフランス攻略と云ふ大目的の前にはオランダ、ベルギー等中立國の攻略は問題でなかつたのだらう。要するに目的の前には成程手段を選ばないと云つた態度である 褒めた事ではないが、獨逸としては十分の見透しと自信があつたればこそやり得た行動であらう。いやしくも一國が生きんとするためには或程度の手段はやむを得ない。個人は己を滅して國家に盡すべきであるが、國家は己を捨てて香港のためにつくしてやると云ふ國は出來ないのである。此處に國家と個人の道德上、實際上の違ひがあるのだから新體制が目指す全體主義なるものは國家の前には區區たる個人の問題は大した問題でなくなる事を我我は十分自覺すべきである、併し個人の存在が否定されるのではなく、むしろより以上個人の能力を發揮させ、しかもその能力が全面的に國家へ集中される組織なのだと僕は考へてゐる。しかも主義や物好きで此の種新體制が必要なのではなく、真に國家が生きんとする手段として絕對要求されてゐるのであるから、われわれとして望むと望まざるに不拘國家が生きんとする手段である以上 最大限度之れに協力しなければならぬ。 何れにしても新體制が絕對必要となる程內外諸情勢が變化したのであるから政府は對內政策と共に對外關係については十分の見透しと自信をもつて思ひ切つてやつてほしいのである。香港ぐらいは物の數でない筈である時機は來てゐる。 |
09 | 清算の時機が來た 事變中我管理に移せ |
10 | 宜蘭郡砂糖 小賣商組合 創立總會を開催 |
11 | 臺北州部課長 會議 |
12 | 認可なくして 運賃值上げ 自動車運輸に南署の眼光る |
13 | 赤堀知事が 屏東を視察 |
14 | 水泳大會 十七日新竹で開催 |
15 | 無心の境地に泳ぐ(中) 北一女臨海學校訪問記 |
16 | 自動式モシモシ 港都の面目にかけて 基隆商議實現に邁進 |
17 | 佛教で日華親善 廣東省の名剎花塔の住持 親日和尚さん鐵禪師來臺 |
18 | 新竹州文房具商 組合創立總會 |
19 | 鐵禪和尚は 能筆家 飛行場で揮毫攻め |
20 | 先づ三軒に廿 日間營業停止 茶店仔の肅正 |
21 | 臨時經濟相 談所を開設 宜蘭商協會 事務所で |
22 | 臺北競馬 第四日の成績 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 自給を圖る為め 殖漆會社を設立 內臺資本家で計畫中 |
02 | 營利事業出資は 產組の精神違反 產協の意向を表明 |
03 | 落花生增收で 價格遂に激落 移出よりも輸出增進 |
04 | 國策會社の現狀 戰時經濟の統制方式 |
05 | 胡麻も增收 相場廿八圓に低落 |
06 | 蔗園基本調查に 府技手を派遣 |
07 | 飛ぶ樣に賣れる 煙草の增產計畫 幼兒迄吸ふ勘定 |
08 | 新政治體制と(下) 經濟團體の動向 |
09 | 米作農の協力で 積極的增產を要望 南部は植付略完了 |
10 | 海の日本 生活展覽會に 臺灣の特產を出品 |
11 | 內地の木炭補給に 島內で大增產計畫 獎勵費七萬圓を計上 |
12 | 挿秧完了九〇% 臺中州下二期作順調 |
13 | 經濟手帳 |
14 | 市價及商況(九日) |
15 | 照明燈 |
16 | バナナ相場 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 傷病將士慰問の夕 歌謠曲 (イ)月の故鄉/玉野小花他 |
03 | 月島陸軍病院 より中繼 |
04 | 漫才 月島陸軍病院より |
05 | 對話 をぢさんとをばさんの話 |
06 | 子供時間 童話劇 松葉杖を つく少年 |
07 | 物語 支那近代史 政治外交の卷(九)/出石誠彥 |
08 | 料理 |
09 | 義太夫 |
10 | 圖像:都市對抗野球大會始まる |
11 | 映畫評 小島の春/飯島正 |
12 | 近衛首相の放送 大命を拜して ビクターが錄音 |
13 | 圖像:ヴァリエテの乙女 國際館に上映中 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 自給肥料を目標に 逐年努力の跡顯著 新營郡堆肥增產 品評會褒賞授與式 |
02 | 竹東神社の造營に 青年團員が奉仕 先づ宿營生活で整地作業 |
03 | 菁寮地方民の 向學心旺盛 學級增加を要望 |
04 | 竹南郡で 空訓實施 |
05 | 麻豆商工協會 役員會を開く |
06 | 時代の線に沿って 義民廟祭典改善 打合會で大綱決定 |
07 | 虎尾郡煉瓦製造業者 履物業者の結合成る 七日同業組合結成式 |
08 | 新營郡下產糖高 二百三十四萬擔 昭和十三、四年期實績 |
09 | 生めよ殖せよ 生產まで國策型 之は之は一胎三兒 北斗郡溪州の快ニュース |
10 | 米穀配給組合 理事會を開催 |
11 | マラリヤ撲滅の為 防遏組合を設置 新營郡下各派出所每に |
12 | 改良豚舍利用 競技會 東港郡が榮冠を獲得 |
13 | 菁寮產業組合 精米機を据付 |
14 | 竹山郡藥業組合 七日創立總會 |
15 | 窃盜した自轉車 なんと六十餘臺 斗六郡刑事が檢擧 |
16 | ローカルセクション |
17 | 臺灣芝居開演に 斗六郡で制限を加ふ |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺中梧棲間の道路 開鑿調查愈よ完了 近く本格的成案を得る |
02 | 八紘一宇の大燈籠 高雄市內の小公學校職員兒童が 高雄神社に献納 |
03 | 皇軍慰安學藝會 十三日屏東劇場にて |
04 | 豫備訓練と調查 彰化市各公學校で |
05 | 彰化市文具商 組合創立總會 |
06 | 非常時と心身鍛鍊 新東亞の建設は何よりも (一)剛健の氣魄から |
07 | 定期事務監查 新豐郡五日より |
08 | 意氣沖天の氣慨で 敵性國家群を屠る 十五日‧臺南で市民大會 |
09 | 國語專修學校(大屯郡下) 本年度の卒業式日割 |
10 | 高雄州シロッ プ業統制組合 七日に創立總會 |
11 | 家庭防空群大活躍 屏東市の空訓好成績 |
12 | 高雄で講演會 宮女史が |
13 | 僅か一ヶ月間で 二百七十戶の增 七月末の高雄市戶數 |
14 | 海邊で月例會 彰化市會議員 |
15 | 十三日より切符配付 高雄市の砂糖配給 |
16 | 嘉義玉川公同窓會 |
17 | 拔打ち臨檢(高雄) 意外にも反則車多し |
18 | カード階級を調查 高雄市‧近く救濟に乘出す |
19 | 臺南州米穀研 究會(嘉義) |
20 | 四里の耐熱行 軍(屏東署) |
21 | 彰化方委月例會 |
22 | 臺南州下の蕃地に ワツル樹の本格的植栽 |
23 | 青年身體檢查打合會(彰化郡) |
24 | 期日內に報告せよ 小作料統制令施行規則取扱手續公布に就き 臺中州‧青木勸業課長談 |
25 | 七‧七禁令の 主旨を說明 |
26 | 屏東畜魂碑 地鎮祭 |
27 | 銅門、タツキリ等 行政區域に編入 花蓮郡が當局に申請 |
28 | 材料不足で工 事停滯 |
29 | 更に數名を 取調 東海バス不正 事件 |
30 | 土木不正事件發覺 臺南競馬場工事に絡み |
31 | 彰化和美公同窓會 |
32 | 屑米の闇取引 高雄州で秘密裡に搜查 |
33 | 惡德商人に鐵槌 タイヤ其他でボる |
34 | 北斗恐喝事 件の公判 |
35 | 人事往來報社消息 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 水鬼(10)/中山ちゑ |
02 | 大自然に心躍る/素琴 |
03 | 文學と文學精神 (上)/寺崎浩 |
04 | 珊瑚樹 世界大戰と肝油 どういふ關係があるか |
05 | 圖像:深山幽谷を訪ねて |
06 | 原子エネルギー 前途洋洋たるその利用 |
07 | 圖像:“おい、とれたぞ”(水邊スケッチ) |
08 | 心聲漢詩 次辜菽廬先生養病山中雜詠韻/怡庭 李金柯、次辜菽廬先生養病山中雜詠韻 其二/怡庭 李金柯、次辜菽廬先生養病山中雜詠韻 其三/怡庭 李金柯、次辜菽廬先生養病山中雜詠韻 其四/怡庭 李金柯、次辜菽盧先生養病草山雜詠韻/錦簪 施教堂、次辜菽盧先生養病草山雜詠韻 其二/錦簪 施教堂、次辜菽盧先生養病草山雜詠韻 其三/錦簪 施教堂、次辜菽盧先生養病草山雜詠韻 其四/錦簪 施教堂、自題小照/施瑞庚、偕同學諸友趨訪三屋舊師賦呈/施瑞庚 |
09 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 海門(汕頭南方)を急襲 陸戰隊を揚陸敵を攻擊中 |
02 | 海鷲、重慶を大空爆 曾家河等をも爆擊 |
03 | 駐兵權事實上の放棄 日、英關係改善の為めの犧牲 英支那駐屯軍引揚げ |
04 | 帝國大使館に通告 重光大使、バ次官と意見交換 |
05 | 米、守備隊を增強 約七百名ホノルル出發 |
06 | 米の立場は不變 ウェルズ國務次官談 |
07 | 總力戰研究所 設置案 來週閣議に附議 |
08 | 西原委員長歸任 交涉の前途重視さる |
09 | 對英攻擊開始は 廿日過ぎらなん |
10 | 黃海海戰記念日 |
11 | 檢事異動 |
12 | 米陸空軍の 擴張計畫遲延 |
13 | 英機四十九機擊墜 ドイツ軍司令部發表 |
14 | 圖像:最初の刑事座談會 |
15 | 新體制確立 積極的段階に進む 首相は來週匆匆各方面の 代表的人物の意見を聽取 |
16 | 勅任文官銓衡委員會設置 民間知識を廣く官界に取入れる 官制案作成に着手 |
17 | 伊軍ハルゲイサを占領 |
18 | 洪、羅關係一層惡化 獨伊の斡旋も効果薄 |
19 | ガソリン禁輸に關し 米、堀内大使に正式回答 |
20 | 專任拓相早急實現へ 建川中將有力視さる |
21 | 新現役兵の 比島派遣は當然 ル米大統領が示唆 |
22 | 一大海軍飛行基地 米布哇に建設 |
23 | ルーマニア 獨伊接近強化 |
24 | 明日の天氣 |
25 | 水滸傳(196)/黃得時;榎本真砂夫 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ガソリンに濁水注入 松風號の不時着原因 何人かの妨害行為と判明 |
02 | 獨逸の青年に倣へ 少年團合同野營を視察して 上村參謀長激勵訓示 |
03 | 海軍機關學校 けふ卒業式を擧行 |
04 | 圖像:河內郊外に於ける松風號の不時着事件 |
05 | 赤誠感謝の印に 鄉軍後援會を結成 基隆本島人有志が協議 |
06 | 白衣勇士內地へ あす出帆の便船で |
07 | 新竹市防空訓練 十五日から實施 各家庭でモンベ一着調整 |
08 | 暴英討つべし けふ基隆で排擊第一聲 |
09 | 臨時大清潔終る |
10 | 船艙保險率改訂 けふ官報で公示 |
11 | 圖像:富士山頂に記念額 |
12 | 柔劍道講習會 十七日から基隆で |
13 | 新竹の住宅建築 資金借入れ 十四日の臨時市會に附議 |
14 | 勞力と賃銀を統制 近く苦力組合を組織 |
15 | また釘の闇 南部から來たブローカー 南署で一味を檢擧 |
16 | 市バスの循環線 自動車課で計畫 |
17 | 火災その他に 對する緊急措置 兩助役から各課に注意 |
18 | 自轉車泥棒逮捕 |
19 | 金瓜石の殺人 事件 |
20 | 老後の生活安定に 勞務大眾へ年金 いよいよ來議會に提案 |
21 | 藝者娼妓連に アイウエオ 臺南で講習開催 |
22 | 周章乘客が 飛降りで負傷 |
23 | 臺北競馬 献金競走大人氣 |
24 | 代金を拐帶 米穀仲介業者の惡事 |
25 | キ印發作して 實母を毆殺す |
26 | 定期航空 |
27 | 臺北食料品雜貨卸商組合 |
28 | 人事‧消息 |
29 | 街で拾ふ |
30 | 今夜の放送 |
31 | 今日の映畫 |
32 | 民報案內報社消息 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 七色の空(150)/邦枝完二;三浦杏介 |
02 | 家庭と婦人 油斷が出來ない 巧妙なスパイ跳梁 注意事項いろいろ |
03 | 女の榮養に必要な 銅と“愛情の素” 妊娠時には大豆や海苔 お餅でなぜ乳が出る |
04 | 髮に鹽分は禁物 殊にパーマネントは 台なしになります |
05 | “奢侈品の閉出し”も 結局身から出た罪 商人の苦境には同情するか |
06 | お顏 豫防法とこん がりと焦く法 |
07 | 圖像:夏のスケッチ「海面を滑べるモーターボート」 |
08 | ヒマシ油の使用法 一日に三回も四回も飲ませないこと |
09 | 到るところで 女中さんヤーイ どんな家庭が好かれるか お互に理解と協力が必要です |
10 | 石鹼の節約に 灰汁を使ひませう その場合の洗濯法 |
11 | 病氣見舞は 病人には大迷惑 疲れさせて惡化する 見舞品にも御注意 |
12 | 腰をかけるにも 洋裝では足に御注意 とても見苦しいです |
13 | 紙上病院 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語學習 一日一言 |
02 | さあいらっしゃい 軍需品の大安賣! 苦しまざれの重慶政府 |
03 | 盲目のお婆さんを中心に 仲好し愛國小年團 |
04 | すばらしく增える 張家口の日本人 二萬六百人を突破 |
05 | 上海事件の思ひ出 支那事變はこの為に 遂に長期戰になった |
06 | 圖像:いざ太平洋へ!無敵艦隊のスケッチ |
07 | 火星には運河があり 動物も棲息する |
08 | 夏休國語力だめし(19) |
09 | 連載マンガ へへのの.モ平君(38)/石原みのる |
10 | 世界ニュース |
11 | 圖像:元氣一ぱい一二三 |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大東亞共榮圈確立に 凡ゆる障碍敢然排除 松岡外相の西下談頭條新聞 【名古屋十日發同盟】松岡外拓相は親任奉告參拜のため十日午後一時東京驛發西下したが車中帝國の外交基本方針即ち大東亞共榮圈の確立、國防友邦への積極的提攜、支那事變處理の三點を根幹とし之等を皇道精神に則って推進せしむべき皇道外交の真義を明かにすると共に緊迫複難の度を加えつあゝる世界情勢に對處すべき東亞民族の覺悟に關し大要次の如く所信を語った我國の外交基本方針は八月一日に發表せられた基本國策要綱及び同日の私の談話によって明瞭にされたと信ずるが凡ゆる突發性の機會を包藏して居る現下の複雜なる國際情勢に處するには內、速に新體制を整え高度國防を強化し國力を培養しその皇道の精神に則り先づ東亞諸國諸民族をして各々其處を得せしめ相共に大東亞共榮圈の確立に向って邁進せねばならぬと思ふのである、而して大東亞共榮圈確立に當つては我方とその所信を同じくする國々と提携し左樣なる國を一國でも多く作りつゝ他方凡ゆる障碍は敢然之を排除する覺悟てめる、それにつけても出來る事なら支那事變を一日も速に處理しなくてはならぬと思ふが併しそれも世界全般の情勢から切り離して出來るものではなく又姑息なる處理の斷じて不可なることは申すまでもない、其處理に急なるとやゝもすれば焦り氣味になる危險のある事は朝野等しく戒めねばならぬ、南京に於ける阿部大使と汪精衛氏との間の交涉は順調に進歩し遠からず結末に到達するであらうと思ふ、重慶政權は末だに迷夢さめず抗日の道を辿つて居るが皇軍陸軍將士の勇猛果敢なる徹底的武力討伐によつて今や彼等は最後關頭に立到つて居る、私は蔣介石を始め若し真に中國を愛し東亞諸民族の將來を憂へそして歐米や世界空前の大動搖、大轉換の機を察するだけの聰明さと真劍味を持つならばその中皇國の真意を覺るの日が到來するであらう事を期待するものである彼等が今日迄餘喘を保ち得た主たる所以は佛領印度支那或は英領ビルマ等を通する諸外國よりする物資供給にあつたが佛印に關しては佛國側が近來漸次我方の公正なる要求に應ずる姿勢をとつて來て居るのである、目下現地に於ては我軍外務官憲は佛印官需の協力を得て物資輸送路の監識に大努力を續けて居り又ビルマを通ずる對重慶物資輸送に關しても既に世人周知の通り之が禁壓實行に就き一時的ではあるが兔も角英國も讓歩し我方も目下最善を盡して居る次第である尚歐米に於ける情勢は日に緊迫複雜の度を加え來つて居るのであるがその推移はもとより我國策遂行に重大なる影響を及ぼすので我方としては絕えず歐米諸國の動向を注視し此間に善處せん事を期して居る次第である、また通商貿易の部面に於ても斯の如き世界の情勢がこれに及ぼしつつある影響は真に輕視すべからざるものがあるが今後における經濟情勢には一大變革が來るものと豫想せられるのでこれに則應して臨機應變の策を講じてゐるのである、我方が重點を置いてゐる東亞經濟圈の建設といふことも亦右に述べた世界經濟情勢の變革に處するものに外ならないのである、私は東亞民族相攜提しまづ以て大東亞秩序の建設を完整し引いて公正なる世界恒久平和の達成に寄興することこそ大和民族否東亞諸民族全體に課せられた大使命と確信するもので固よりこれが達成は一日にして成るものではなく又その前途幾多の困難を覺悟しなければならぬが一億一心これに邁進せば必らずやこの大理想を實行し得ることを信じて疑はざるものである【寫真は松岡外相】 |
02 | 圖像:我が猛爆に炎上する「金華驛」 |
03 | 農相車中談 米穀の集配、消費に 高度の統制を實施 |
04 | 突込んだ意見を交換 重光、バトラー會談 |
05 | 興亞外交の質的轉換 (下)松岡新外相と我が外交進路 |
06 | オランダ公使 西歐亞局長と會談 |
07 | 事變公債更に 四億圓を發行 |
08 | 滿洲國施政全般の 具體的新方策樹立 武部總務長官梅津軍司令官重要會談行ふ |
09 | 英軍の撤退は當然 佛伊も結局追隨せん |
10 | 沿岸入港禁止を擴大 島田司令長官各國に通告 |
11 | 大擧衡陽、鷹潭を猛爆 |
12 | 北京、天津の英兵 引揚げを準備中 |
13 | 野村大將歸る 南洋視察を終へて |
14 | 義務的軍事訓練法 米上院で審議を開始 |
15 | 澤村駿甫中佐 大佐に昇進 某要職に轉出 |
16 | 非常時對處 法案 比島議會で可決 |
17 | 岡谷乾繭取引所 取引員會を開く |
18 | 今日の天氣 |
19 | 大阪商船基隆出帆 |
20 | 日本郵船基隆出帆 |
21 | 東亞海運 |
22 | 辰馬汽船 |
23 | 大連汽船 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 乘換廢止は 是か非か社說 一 過日臺北市會で、決議された市營バスの乘換廢止問題は、可なり市民に大きなショックを與へてゐる。もとより市當局が、本案を案出するに至った動機は、資材統制により車體が減少してゐるところへ、乘客がますます增加したため、どうにかして混雜してゐる乘客を緩和せんとする窮餘の一策である。即ち乘換を廢止することによって乘客を減少させ、これによって現在の混雜狀態を幾分でも緩和しようとするのが、市當局の狙ひどころであらう。全くのつぴきなら、現在の狀態では困るが、さりとて車に乘換廢止によって乘客を減少せんとするが如きは、只市民の足をバスから締出す苦肉の策だと云はれても仕方がない。混雜緩和のため、市當局も少なからず苦心して來た。ガソリン節約のための停留場減少と云ひ、或はタイムレコーダーによる運轉の規則化と云ひ、又は路線の合理化等手を換ヘ品を換へて來たが、思ふやうに行かず、已むを得ず最後の切札として乘換廢止を思ひ立ったものと思はれる。 二 市當局が乘換廢止案を市會に提出するまでには、研究に研究を重ねたに違ひない。乘換を廢止するからには、當然技術的に先づ、路線の改正が行はれなければならぬが、市當局のなした跡を見るに、乘換廢止を先決して然る後路線の改正に着手せんとする。ここに當局の事務的な過誤はないだらうか。乘換廢止決定に先んじて、路線の改正を行って運轉系統を合理化すれば、自然乘換も自ら減少するであらうし、假令乘換全廢同樣の効果は得られないにしても、市民をして乘換せずにすむと云ふことを納得せしむることが出來よう、現在市バスの運轉系統に再檢討を加ふれば、もっともっと乘換せずに濟まされる餘地がないとは云へない。殊に出勤時間登校時間、又は退勤降校時に於ける混雜緩和のため近距離のノーストップ廻送、或は規則正しい運購(車と車の間)など、配車宜しきを得れば、現在の混雜を幾分緩和することが出來ると思ふ。この點市當局の十分な研究が望ましい。 三 凡そ市政は、市民の福利增進が第一の目標でなければならぬ。パスの問題またしかりである。常に市民大眾の便利と云ふことを念頭に置かねばならぬ。乘換が廢止されるとすれば、それは事實上の料金値上げとなる。從來八錢で濟んだのが、一度乘換すれば二倍の料金、三回乘換すれば三倍の料金を支拂はねばならぬ。しかもその値上げたるや、大幅の引上げであり、低物價政策に逆行するのみならず、これが先例となって、他に影響して好ましからぬ遁環的値上げを招來する惧れなしとしない。如上の理由によりこの際乘車賃の値上げは遠慮してしかるべきだと思ふ。乘換廢止を止め乘換へによる手數料金一回一、二錢程度のものを徵收した方が賢明な策ではないだらうか。さもなくば區間制を採り、一區間の料金を現在よりずっと値下げすることも考へられる。また囘數券廢止の如きも中等學校生徒、小公學校兒童、幼稚園兒をもつ市民大眾の負擔を加重し、就中薄給生活者には打撃が大きく、歩け運動を奬勵しても、通學距離によって一概に云へず、市民生活擁護のため從來通り割引券制を存續せしむべきだと思ふ 四 要するに市バスは市民のためのバスであり、市民をより便利に利用出來る樣に考慮するとが根本の建前でなければならぬ。只混雜するからとて單に乘換を廢止するが如きは、市民の為に執るべき對策でないと思ふ。乘換廢止によって、必然的に現在の混雜はいくらか緩和されよう。しかし斯る對策は利用と云ふ交通本來の使命を沒却したものと云はねばならぬ。市當局の改善案とはなっても、市民のための改善案とはならない。利用したいものが利用されないため却って改惡となってしまふ。乘換廢止は一般市民に影響するところ極めて大なるに鑑み、吾人は市當局の慎重なる再考慮を要望したい。 |
02 | 人道の敵英國を擊て 昨夜基隆で市民大會 |
03 | 圖像:神宮海洋競技第一日 寫真は聖恩旗入場 |
04 | 海軍經理學校卒業式 |
05 | 不滅の武勳輝やく 張鼓峰に表忠塔 きのふ盛大な除幕式 |
06 | 商船嘉義丸 鹿兒島沖で坐礁 救助に大東丸急航 |
07 | 船客全部救助さる |
08 | 白衣の勇士 懷しの內地へ轉療 |
09 | 蓬萊丸入港 |
10 | 奉祝水上競技大會 九月七、八兩日東門プールで |
11 | 創立總會開催 漬物卸商組合 |
12 | ニセ庭師を檢擧 兩州下で數千圓を稼ぐ |
13 | 海洋競技成績(第二日) |
14 | 財團軍人援護會 臺北市分會を設立 各種援護事業に邁進 |
15 | 夜は篝火の集ひに 古來の神秘を偲ぶ (下)北一女の臨海學校訪問記 |
16 | 轢死體に外傷 或は他殺後の偽裝か |
17 | 八百名に減少(在英邦人) |
18 | 都市對抗野球延期 |
19 | 早田醫院の 開業披露宴 |
20 | 獸肉加工商組合創 立總會 |
21 | 臺北競馬 第五日目の成績 |
22 | 今日の映畫 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 顏家、日鑛と共同で 臺陽鑛業を經營 三毛、村上兩氏重役に就任 |
02 | 島內の油粕肥料 配給統制を強化 近く價格數量等を指定 |
03 | 輸出入とも著減 生糸、木材等輸出減 |
04 | 最近の動向と(上) 東亞新體制の進展 |
05 | 上旬貿易 出超千四百餘萬圓 |
06 | 重要品輸出入額 |
07 | 專賣事業の發展に伴ひ 特殊技術工を養成 近く技術工養成所設置 |
08 | 第四回報國債券 發行高六千萬圓 島內割當百廿萬圓か |
09 | 臺灣茶七月中の 輸移出減少 特に第三國向は甚し |
10 | 島內で無電機の 製作修理工場建設 資本金三百萬圓で |
11 | 宇野技師 臺灣產金入り |
12 | 臺電が昨日正式に 合同電氣の事業を引繼ぐ 林社長聲明書を發表 |
13 | 圓域向物資價格を調整 近く打合會を開催 |
14 | 照明燈 |
15 | 市價及商況(十日) |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 闇、絕滅の方策等 忌憚なき意見開陳 新高經濟警察協議會 八日郡會議室で座談會 |
02 | 統制經濟に對する 具體的意見を陳ぶ 北斗經濟警察協議會座談會 |
03 | 能高郡でも 經濟警察座談會 |
04 | 圖像:新貨アルミ五錢出づ |
05 | 社會教化打合會 十四日北斗に開催 |
06 | 砂糖小麥商組合 八日に創立總會 |
07 | 拾得金を献金 |
08 | 軍事援護思想 普及の為映寫會 |
09 | 白衣の勇士清遊 淡水有志心から歡待 |
10 | 吉森大屯郡守 初巡視日程 |
11 | 圖像:日本青年黨各省歷訪 |
12 | 除草で得た金を 悉く國防献金に 竹東上坪國講所員が |
13 | 產組精神を宣揚 湖口驛前で映寫會 |
14 | 業態別組合聯合會 新營郡支會成立 |
15 |