臺灣新民報1940年1月
序號 | 標題 |
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01 | 竹の園生の御繁榮頭條新聞 皇室の御繁榮は、支那事變第四年の新春を迎へて愈々めでたく天皇陛下には寶算御四十 皇后陛下には御年三十八 皇太后陛下また御年五十七 日嗣の 皇子皇太子殿下には早くも御八ツ 第二皇子義宮樣の御六ツ、また、學習院御在學中の照宮樣にに御十六歲 孝宮樣には御十二歲 順宮樣には御十歲、昨春御誕生の 清宮貴子內親王樣には御二歲にならせられ御揃ひにて御迎春□ばされたのである。 皇國戰捷の報頻りと到着し、新中央政權生れて興亞の大業漸く緒についた昭和十五年は、かくて大內山のほとりより瑞雲たなびきさざれ石のいはほとなるめでたさの象徵か、黎明まこと壯大であつた。 國を舉げ、臥薪嘗膽を期して迎へた支那事變第四春、皇室の御近狀について承るに、おそれ多くもその御有樣、御日常は、一般國民、一市民と何ら異らせらるることなく、つとめて御質素に、御簡單に遊ばされる御かたほら、また御一方に於ては、嚴肅なるべき御儀式、皇祖皇宗御尊崇の思召しによる御祭典などにいたらせられては、炎暑の帝都に還御、御親祭遊ばされ、霜凍る夜を徹して、御拜□遊ばされるのである。 事變、年を經るに從ひ、御政務御軍務愈々御多端を加へさせられ、昨今は御寸暇も拜せぬ御容子と承る。昨春は、一月早々近衛內閣の總辭職、平沼內閣の成立といふ政界の變動あり、超えて八月には阿部內閣の成立を見るに至るなど、支那事變處理の大方針については微動だも與へなかつたとはいへ、御政務御總攬のことは日一日と繁激を加へさせられそのたびまた宸襟を惱まし奉つたことも一再ならず、湯淺內府、百武侍從長以下の側近者も、ひとしく恐懼し奉つたのである 陛下の玉體に御障りなきやうにと常に御祈念申しあげてゐる側近者の恐察も、さこそと存ぜられるのである。 事變以來 陛下にはわが勇武なる將士の奮闘力戰に對しては常に御嘉賞遊ばされ、歸還の將官上り軍狀と將兵の士氣について御下問あり、職線の勞苦を偲ばせられる為には去る三月德永侍從武官を朝鮮軍へ、醍醐武官を聯合艦隊に、山澄武官を南支に夫々御差遣、御慰問、野戰病院にある傷病勇士に對しては御菓子を賜るなど、重ね重ね優渥なる恩令を賜つたのである。 御親らも、陸軍第三病院に行幸名譽の戰傷病者に對する施□狀況、近代的施設の數々を御巡覧殉國の將士の冥福を祈らせられる為には春秋二度の靖國神社臨時大祭に行幸御親拜遊ばされたのであった。 陸軍航空士官學校、わが太平洋精銳聯合艦隊、陸軍士官學校卒業式、富士裾野における近衛師團秋季演習御統裁、裁判所構成法施行五十年記念當日の大審院初め七法衙行幸など、文武關係の行幸も相當多く、ために士氣鼓舞と官紀振肅の上に垂れ給ふた大御心には關係者いづれも皇恩の宏大なるに感泣したのであつた。 漁船の漕難、炭坑の爆發、火薬庫の惨事、セルロイド工場の大火災に次ぐ伊六十三號潜水艦の沈没、天津の未曾有の大水害、朝鮮及び中國、北九州各地の旱害に對しては或は侍從を御差遣夫々御救恤の御內帑金を賜つたり、具さに惨狀を視察せしめたり遊ばされ御仁慈は一億赤子の上にあまねく垂れさせ給ふたのであつた。 屢次にわたる今事變關係者の論功行賞、地方長官よりの民狀御聽取、土御門、順德兩天皇を御祭神とする水無瀬宮を御昇格せしめられたり、後鳥羽天皇七百年、宣化天皇千四百年の兩式年祭に際せられては、その都度東京帝大板澤武雄助教授を召され兩天皇の御事績などを御聽取遊ばされ、御治政の資に遊ばされその御精勵のほど、まことに畏を極みである。 ◇ 昨春 內親王殿下を御分娩遊ばしてより皇后陛下の御健康舊に復させ給ひ、御日常 天皇陛下の御身邊に何くれと御留意遊ばされ、その間にも、傷病軍人の上に優しき御歌を腸つたり、皇后宮事務官を傷病軍人療養所に御差遣、御苑の草花を腸り、御慰問、また亡國病にしで國民病ともいふべき結核豫防と治療に對しては、つとに御心をかけさせ給ひ、昨春四月平沼首相を召され、右事業の獎勵補助にと御內帑金五十萬圓を賜り 令旨として、國民體力の向上は國本に培ふ所以にして、現下特に心を致すぺき所なり。而して近時結核の蔓延甚しく、その國力に及す影響の大いなるに鑑み誠に憂慮に堪へざるなり。茲に內帑を頒ち之が豫防並に治療に關する施設の一助たらしめむとす。官民克く力を戮せ之が目的の達成に努めむことを望むと賜つたのであつた。靖國神社に行啓、護國の英靈の前に御親拜、御日常も傷□軍人賜る繃帶を卷かせられ、また外國使臣に謁見を賜る外に、御幼少の親王 內親王樣の御養育に御心を碎かせ給ふはまことに 國母陛下の御仁慈と拜し、感激するところである。 ◇ 皇太后陛下の御日常は、御つつしみ深く、御静謐に渡らせられるが、出征軍人やその遺家族傷痍軍人に寄せ給ふ御仁慈一入深く、また戰敗國の國民苦惱の上を思召されては、財團法人同仁會が遠く事變地に診療と防疫班を送つて支那民眾の救護に當つてゐる趣聞し召され、右事業に盡瘁せる人々の勞を犒はせられまた救濟事業を御終生の事業と遊ばされてゐる 陸下には、右に携はる職員にして應召、戰死戰傷病死の人々には特に菓子料を賜るなど、數々の御やさしい思召しによる御沙汰があり、側近者はじめ恩寵にあづかつた人々はいづれも恐懼國民齊しく感激するのでめつた。 ◇ 皇太子殿下には、御發育愈御美事に、御天稟御豐に、今春に御待ちかねの學習院初等科に御降學、日嗣の皇子としての、正式に御就學遊ばさる 天皇 皇后皇太后三陛下の御愛育のもとに日每御成人遊ばされ、御資質若竹の如く伸びさせ給ふ昨今の御容子、まことにめでたき限りであらせられる 義宮樣 清宮樣は御兩親陛下の御膝下にて 照宮 孝宮 順宮の三內親王標樣には宮中吳竹寮にて、女子學習院に御通學、御女性としての薰陶を積ませられてゐる。 秩父宮 高松宮 三笠宮三殿下の軍務御精勵を始じめ奉り 閑院參謀總長宮殿下伏見軍令部總長宮殿下 の事變以來の御活躍 東久邇 朝香兩大將宮殿下の全國陸軍病院の御慰問、軍人援護會總裁の御資格による全國各地御視察、北支に、ノモンハンに、中支南支に、金枝玉葉の御身を以て御奮戰遊ばした御軍籍の 皇族殿下の御活躍は今更謹記するまでもい、今事變史を飾る御功績であらせられた。 |
02 | 光輝ある國史に顧み 肇國の理想を顯現 內閣總理大臣阿部信行 |
03 | 南方の門戶着着啟開 島民は必要なる人を準備せよ 臺灣總督小林躋造 |
04 | 全軍一致練武に精進 海軍大臣吉田善吾 |
05 | 臺灣の使命は益益重大 總務長官森岡二朗 |
06 | 銃後亦戰場の心を以て 新秩序建設に邁進 陸軍大臣畑俊六 |
07 | 聖戰の前途尚遼遠 臺灣軍司令官牛島實常 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 榮光輝やく 二千六百年社說 茲昭和十五年の輝やかしき興亞の新春を迎へ、謹んで聖壽の萬々歲と竹の園生の彌榮を壽ぎ奉り、皇國民たるの感激を新にすることは洵に慶祝に堪へない。仰げば建國正に二千六百年、皇統連綿として萬邦無比の燦たる生成發展の歷史を展開□現に大聖業に邁進しつつあるは、我等國民のこよなき光榮である。生を昭和の聖代に享けしかも榮光輝やく二千六百年に遇ふ。國民の歡喜感激如何ばかりぞ。聖戰將に二年有半、御稜威の下皇軍將士の勇鬪奮戰により前古未曾有の大戰果を收めて武威全支に振ひ、同憂具眼の士出で新支、中央政府の樹立又近く、日滿支三國を以て樞軸とする東亞新秩序の建設は着々として進捗し、年改まると共にいよいよ燦然たる光輝を加へつつあるのは、より御稜威の然らしむるところであるか、これ一に護國の華と散つた純忠無比の英靈、忠勇果敢なる皇軍將士の腸であり、銃後國民の感謝に勘えないところである。 顧れば過ぎし昭和十四年、歐洲にあつては新秩序と舊秩序の相剋により國際情勢頓に惡化し、獨逸の波蘭進撃を機に英佛對獨逸の第二次歐洲戰事となつた。虎視耽々たるソ聯の魔手は遂に芬蘭に延び、英、佛、獨、ソ、その他バルカン諸國を繞る歐洲の天地は亂麻の如く觀れ、米伊もまた望機耽々たるものあるなど、今や國際情勢はいよいよ怪奇微妙を極め、情勢の赴くところ、真に逆睹を許るものがある。一方極東に於ては、滿ソ國境の妖雲は一時皇軍によつて一掃されたとは云ふものの樂觀出來ず、また支那國內に介在せる列強の權益錯綜し、殊に第三國の執拗なる援蔣政策を思ひ合せる時、新東亞の建設は實に容易ならざるものであると云はねばならぬ。これが完遂には尚相當の歲月と幾多の困難があるべく、從つて國民は過去に數倍の試練に耐え得る不拔の一大覺悟がなければならぬことは云ふまでもない。 事變以來本島では、皇民化運動が著しく促進され、舉島一致、諸般の國策に順應して至誠奉公、或は國防に献金に、或は慰問に勤勞奉仕に、銃後の赤誠を披瀝しつつあることは誠に力強い限りである。また昨秋には教育方面には多年の懸案たる義務教育制が確立し、產業方面には工業臺灣の建設も着々と進み最近には特筆大書すべき有望なる砂金層が發見された等、非常時下本島の飛躍的發展は約束されてゐると云つてよい。而して事變處理の進步につれ、南進國策の據點としての本島に課せられた特殊使命は愈々加重ぜられ、島民の責務は一層重大である。內臺一如舉島一致皇國民たるの自覺を深め、益々總動員體制を強化し、國家の求むる處に勇往邁進せねばならぬ。茲に千載一遇意義深き皇紀二千六百年の元旦を迎へ皇國民たるの喜びを慶ぶと同時に、時局認識を深くして盡忠報國の赤誠を致し感謝と報恩に生きんことを誓ふものである。 |
02 | 四方拜、歲旦祭の御儀 陛下御親ら御祈念 |
03 | 御稜威輝く拜賀式 |
04 | 皇室の彌榮え 宮內大臣謹話 |
05 | 政界の往來頓に活潑 首相私邸の訪問者が相次ぐ 今後の動向注目さる |
06 | 陸、外、拓三相が 阿部首相を訪問 種種要談を遂ぐ |
07 | 高砂丸出帆 |
08 | 長江遮斷一場の夢 敵第三戰區弱體を暴露 |
09 | 羅卓英贛州に遁入 |
10 | 英德縣城完全占領 ○○の敵抵抗の術を失ふ |
11 | ○○盆地を占領 頑敵の退路を遮斷 |
12 | 敵百五十四師を 捕捉激戰中 |
13 | 國民奉祝の時間 |
14 | 有志代議士會の實行委員會開く 經過を陸相に說明 |
15 | 翰長陸相訪問 首相の心境を傳ふ |
16 | 壯烈な攻略繪卷 |
17 | 官渡を占領 |
18 | 各部隊の戰果 |
19 | 宜昌を猛爆 |
20 | 令孃演劇團を組織 白衣の勇士を慰問 |
21 | 珠海航行禁止を解く 深圳、寶安兩守備隊撤收 |
22 | 軍は隨時適當な行動 再び利敵の策源地とならば |
23 | 川村知事着任 |
24 | 松の內は お天氣か 雨港には 珍らして |
25 | 御斷り/臺灣新民報社報社消息 |
26 | 桑港稅關に指令 日本品に無差別關稅 |
27 | 砂金調查團歸京 |
28 | 觀音山へ出登山 |
29 | 蓬萊丸便り |
30 | 定期航空 |
31 | 人事消息報社消息 |
32 | 本日の天氣 |
33 | 今日の興行 |
34 | 謹賀新年/株式會社臺灣新民報社報社消息 |
35 | 大阪商船臺灣出帆 |
36 | 辰馬汽船 |
37 | 日本郵船基隆出帆 |
38 | 大連汽船 |
39 | 東亞海運 |
40 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 輝やく興亞の新春 中央政權の產聲近し 支那派遣軍總司令官西尾壽造 |
02 | 戰局は最終段階へ 馬公要港部司令官高橋伊望 |
03 | 蔣政權打倒に 一意邁進す 支那派遣軍總參謀長板垣征四郎 |
04 | 共同目標に向つて 共同前進 汪兆銘氏が聲名 |
05 | 時局柄粉骨碎身 事業の遂行に邁進 專賣局長三輪幸助 |
06 | 米穀政策の完遂に 遺憾なきを期 米穀局長山本真平 |
07 | 責務の重大を自負 邦家の興隆に寄與 興亞院廈門連絡部長官水戶春造 |
08 | 謹賀二千六百年春 |
序號 | 標題 |
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01 | 世界の方向は和平 ル大統領が斡旋? 歐洲の和平運動と米國の底流 |
02 | 日本今後の立場 東亞と太平洋の平和を強調 |
03 | ソ滿蒙國境を確保 極東ソ領を建設 ソ聯、次の極東政策(上)/茂森唯士 |
04 | 謹賀二千六百年春 |
序號 | 標題 |
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01 | 長期建設に邁進 殖產局長松岡一衛 |
02 | 天業を翼贊し奉る 高雄州知事赤堀鐵吉 |
03 | 報恩に生きよ 臺東廳長藤田敦教 |
04 | 清新の意氣を培ひ 南進の使命に邁進 臺中州知事奧田達郎 |
05 | 內臺一知となり 肇國の大理想達成 臺北州知事川村直岡 |
06 | 躍進新竹を具現 新竹州知事一番ケ瀨佳雄 |
07 | 覺悟を新に 臺北市尹木原圓次 |
08 | 謹賀二千六百年春 |
序號 | 標題 |
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01 | 二千六百年の感懷 二千六百年に 一貫した日本思想 保守主義と進步主義の綜合 |
02 | 二千六百年の食物通史 驚くべし、邦人の米に對する執著(上)/岡存 |
03 | 謹賀二千六百年春 |
序號 | 標題 |
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01 | 文藝 獨特なものの存在 今年は大いにやらう/張文環 |
02 | 新年徵詩 新東亞 |
03 | 珊瑚樹 臺灣文壇の建設/黃得時 |
04 | ひとつの回憶 文運ふたたび動く/龍瑛宗 |
05 | 短歌 |
06 | 俳句 |
07 | 川柳 |
08 | 俚謠 |
09 | 賀正興亞日本萬歲 |
序號 | 標題 |
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01 | 日ソ漁業暫定協定 正式に調印を了す 北鐵讓渡問題も解決頭條新聞 【モスクワ一日發同盟】東郷大使とモロトフ外務人民委員との間に交渉中の日ソ漁業暫定協定は卅一日午後十一時正式調印を了した、右は現行漁業協定の期限を更に一ヶ年間延長することを約定せるものであるが本條約は兩國間の折衝を待ち本年中に締結することになつてゐる。 【東京二日發同盟】日ソ漁業條約暫定協定はモスクワにおいて東郷大使とモロトフ外務人民委員との間に無事調印を完了したので外務省情報部では二日午後一時四十分左の如く發表した 日ソ間の漁業暫定協定は昭和十四年十二月卅一日午後十一時<モスクワ時間>署名を了し同時に北鐵代償金最終割賦金支拂問題に關し誤解を遂げたり 【東京三十一日後同盟】日ソ漁業條約暫行協定は三十一日夜モスクワで東熱大使とソ聯モロトフ外務人民委員間に調印が行はれ同時に北鐵讓渡金問題も圓滿解決を見ることとなつたので右に關し外務省では三十一日午後八時左の如く發表した 外務省情報部發表 先般來政府は日ソ間長期漁業條約解決のため東京及びモスクワにて折衝してゐたがソ聯邦側の回答遲延し到底本年中に交渉を纏め得ないことが明かとなったので取敢へず明年限りの暫行協定を取結ぶこととし交渉を進めた結果三十日の東郷大使、モロトフ外務人民委員間の會談にて政府の承認を條件として暫行協定に三十一日署名することに話が纏まった、協定の內容は大體昭和十四年の通りであるがソ聯邦側は昭和十五年中に長期本條約を締結して本暫行協定に代らしむる趣旨の規定を設くることにも同意した、從つて長期漁業條約交渉は今後繼續して行はれる次第である、尚昨年來漁業條約締結交渉と關聯して問題となつてゐた北鐵代價金最終割賦金六百萬圓弱の支拂方に關しては政府は今次交渉と並行してこれが解決のため積極的に滿洲國、ソ聯邦間に斡旋を行ひ種々折衝の結果右割賦金に利子及び金約款增金を附したるものより滿洲國側が北鐵讓渡協定に基き有する明確なる對ソ債權額百三十萬圓弱を控除して滿洲國側の支拂を了することとし右支拂に付てはソ聯邦側はその三分の二を下らざる金額まで日滿兩國より物資を購入することとして茲に本問題の解決を見るに至つた。【寫真は上東郷大使下、モロトフ氏】 |
02 | 北鐵殘金の支拂 近く細目交涉 |
03 | 敵輸送船團を檢束 |
04 | 圖像:中支戰線の遙拜式 |
05 | 森岡長官歸臺の途に就く |
06 | 一段の緊張を要す 南支派遣軍最高指揮官安藤利吉 |
07 | 米、敷設機雷の利用を計畫 |
08 | 政府は既定方針で 再開議會に臨む 情勢に應じ適當な對策 |
09 | 日米問題は滿足な 解決點を見出さん ブ米夏院外交委員長談 |
10 | 平和再來を切望 ハル長官の新年聲明 |
11 | 蘭州を大空爆 敵機六機を擊墜 |
12 | 大和丸無電 |
13 | 新國交調整基本要綱 汪氏側と我現地當局意見一致 |
14 | 余軍に決定的打擊 南支派遣軍發表 |
15 | 英德より引續き猛進 翁源、河頭の敵に大打擊 |
16 | 三華鎮の敵を覆滅 |
17 | 鮮血で彩る魂の歸還 壯烈限りなき岩田、平山機 |
18 | 本日の天氣 |
19 | 大阪商船臺灣出帆 |
20 | 辰馬汽船 |
21 | 日本郵船基隆出帆 |
22 | 大連汽船 |
23 | 東亞海運 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 宮中元旦の諸御儀 嚴かに行はせらる |
02 | 元旦の奉祝攻擊!! 武漢地區の第一線 |
03 | 皇太子殿下 御八歲の御正月を迎へさせられ 四月から學習院に御通學 |
04 | 圖像:無敵海軍の威力 |
05 | 高齡參拜者に 延壽杯授與 聖地橿原神宮の元旦 |
06 | 建設へ力強い誓ひ 輝やく武漢三鎮の元旦 |
07 | 本島地理使命の達成に邁進 小臨總督、ラヂオで放送 |
08 | 貯金貸付金利率を改正 臺北庶民信組 |
09 | 島都の新年交禮會 前線の皇軍へ慰問金 |
10 | 神社參拜者が激增 自肅一色、島都のお正月 |
11 | 專賣局對記者團 交驩野球試合 |
12 | 富樫選手が五千米に新紀錄 |
13 | 本社見學報社消息 |
14 | 大和號ローマ着 石川機長、フ大將と握手 |
15 | 本社の祝賀式報社消息 |
16 | 慰問演藝會 公會堂で開かる |
17 | 川村知事赴任 |
18 | 石井知事批露宴 |
19 | 今日の興行 |
20 | 賀正興亞日本萬歲 |
序號 | 標題 |
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01 | 輝やく興亞の新春 邦人雄飛の天地を 南方に向つて開拓 臺灣拓殖會社社長加藤恭平 |
02 | 確たる決心で事變處理の 一翼に微力を盡す 臺灣銀行頭取水津彌吉 |
03 | 二千六百年の食物通史(下)/岡存 |
04 | 銃後の護りに 一段の精進 基隆市尹橫生竹男 |
05 | 謹賀興亞奉公新年 |
序號 | 標題 |
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01 | 各種業態別組合を 統合して一元化へ 聯合事務所近く店開き |
02 | 酒に浮かれ布く 醉客影を沒す 高雄市の元旦自肅一色 |
03 | 新年祝賀會 臺南神社外苑で |
04 | 花蓮港街の新年 自肅の空氣に包まる |
05 | 圖像:勅題「迎年祈世」 |
06 | 米穀の初荷式 |
07 | 滅私奉公の真髓を發揮 臺南市尹藤垣敬治 |
08 | 元旦にお詣り 曾文郡下の部振會員 遙る遙る臺灣神社へ |
09 | 圖像:鎮江甘露寺の朝景 |
10 | 對支認識論/石濱知行 |
11 | 高雄州御用始 あす州廳で擧式 |
12 | 恒例の紛擾劇は 時局柄自肅せよ 高雄州下各產組へ通達 |
13 | 全島中等學校野球大會 きのふ臺中水源地にて |
14 | 名刺交換會 高雄市廳前の廣場で |
15 | 高雄市職員の滿足 |
16 | 人事消息 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 講演 今年への期待/永田秀次郎 |
03 | 講談 田沼父子出世譚/神田伯龍 |
04 | 東寶新春爆笑篇 金語樓親爺三重奏 けふより國際館で |
05 | 新年徵詩 新東亞 |
06 | 家庭醫學 肺結核の寒冷療法 寒氣は患者の滋養物 |
07 | 姙娠中の諸病は榮養の不足から 姙娠病理學の新研究 |
08 | 實話 體力を增し抵抗力を強めて 結核を早期に克服/古田豐 |
09 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵兵力の大半を失ふ 余漢謀は單身奧地に遁走 廣東前面を一掃さる頭條新聞 【廣東二日發同盟】蔣介石は昨年來春季攻勢をはじめ四季を通じて攻勢を呼號しこれが我が反撃に遭つてあへなく失敗に終るや益々焦慮して冬季攻勢の無暴を繰返し南支において南寧失陷後最後の足掻きとして廣東前面においても又復蠢動をはじめた、この敵は第四戰區の精銳と豪語し兵力は十個師十餘萬に達しまた白耶土灣敗戰以來一個年を費して構築した陣地に據つてゐたが滿を持してゐた皇軍はこれに對して斷乎その殲滅を決意し反擊の軍を進めるや晝夜を別たず山嶽地帶を踏破し突如梅坑附近に現はれ更に急進して翁源三華鎮附近において敵を捕捉覆滅し所在の敵軍事施設を破壞した後反轉し敵の背後を奇襲した迂回覆面部隊と協力、滬江口附近において北江を渡河し所在の敵を追つて英德附近に進出、更に反轉し最左翼部隊と相俟つて大鎮墟、英德、大平墟、佛岡等の地區に敗殘の敵を追ひ目下刻々その包圍圈を縮少しつつあり余漢謀軍主力の潰滅も時間の問題となつた、今次の作戰の目的は廣東前面に蠢動する敵の捕捉殲滅にあり既に莫大な戰果を收めたが引續き包圍殲滅戰においては更に大なる戰果が豫想せられこれに依つて敵は一年を費して廣東前面に構築した陣地と集積した軍需品を失ひその兵力の大半を失つたのである、敵將余漢謀はこの敗戰に部下を捨てて單身五十里後方の奧地に遁走して支那軍の無統制ぶりを示し廣東前面にはその勢力を一掃されるに至つたが我皇軍將士は皇紀二千六百年の新春を迎へて更に戰果を擴大すべく健闘してゐる |
02 | 到る處で敵を殲滅 廣東東北山岳地帶で |
03 | 支那軍の慘虐行為 鬼神も面をそむく |
04 | 意氣を新に邁進 時局下電氣通信事業の展望/永井柳太郎 |
05 | カー大使來香 近く重慶へ |
06 | 圖像:汪兆銘氏の新年試筆 |
07 | 敵兵に手厚い看護 皇軍の恩威に負傷者達感激 |
08 | 蔣軍の振舞ひ 良民怨嗟の聲 |
09 | 青山山嶺(南昌、奉新中間)の敵の 殲滅の火蓋を切る |
10 | 全支を鵬翼下に 海鷲が大戰果を擧ぐ |
11 | 周俊傑將軍が蹶起 晉南和平同盟を結成 |
12 | 香港港を閉鎖 英海軍當局が發表 |
13 | 揚子江の英砲艦 二隻廢艦さる |
14 | 定期航空 |
15 | 本日の天氣 |
16 | 敵部隊を猛爆 陸鷲大別山に飛ぶ |
17 | 大阪商船臺灣出帆 |
18 | 辰馬汽船 |
19 | 日本郵船基隆出帆 |
20 | 大連汽船 |
21 | 東亞海運 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 總督府來年度豫算 大體、二億六千萬 米と金で臺灣は大持て 歸臺した森岡長官語る |
02 | 第二次紐育萬博 我國も參加協力に決定 |
03 | 建國式年の元始祭 宮中三殿で行はせらる |
04 | 臺北消防組出初式 けふ新公園で |
05 | ヒ總統の溫い 思ひ遣り |
06 | 南北兩署御用始式 |
07 | 新春第一船 大和丸きのふ入港 |
08 | 圖像:臺灣神社元始祭 |
09 | 時局の新段階と國民の覺悟(上)/松井石根 |
10 | 耐久性ペンキ創製 |
11 | 「鐵の肺」から赤ん坊 |
12 | 宜蘭街の市制 十五年度に實施 豫算大藏省の查定通過 |
13 | 白山丸紐育着 松倉照國丸船長が 遭難狀況を放送 |
14 | 潮州街小運送店 合同組織に成功 六店打つて一丸に |
15 | 貨車と電車衝突 死傷七十八名出す 輪禍に血塗る武藏野線 |
16 | 東寶スターアトラクシヨン 國際館で大好評報社消息 |
17 | 美人が服毒自殺 |
18 | 大屯山ハイキング |
19 | 肉を軟くする方法 |
20 | 人事消息報社消息 |
21 | 今日の興行 |
22 | 訃文:林岱全 |
23 | 訃文:林岱全 |
24 | 訃文:余周氏阿妹 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 圖像:迎年祈世伊勢大廟 |
02 | 小我を捨てて 大我に生さる 嘉義市尹大越隆三 |
03 | 實力を涵養し 高雄躍進に貢獻 高雄市尹宗藤大陸 |
04 | 中部臺灣の中心 都市建設に邁進 臺中市尹安詮院貞熊 |
05 | 食糧生產確保と產業組合/千石興太郎 |
06 | 圖像:昭和十五年絵ごよみ |
07 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 神社參詣激增 三日間四萬餘人に上る 敬虔な臺中市民の祈願 |
02 | 民眾體育會 二日潮州公にて開催 |
03 | 馬公消防組 出初式を擧行 六日公會堂前で |
04 | 竹東郡土木協會 創立總會を開催 |
05 | 高雄大競馬 あす華華し開幕 |
06 | 出征軍人家族の參拜姿をカメラに 高雄神社のお正月風景 |
07 | 臺南州籠球大會 來る十四日開催 |
08 | 左鎮庄各部振役員を改選 |
09 | 人事 |
10 | 圖像:初日の出 |
11 | 北一中、嘉農決勝へ 新春を飾る中等野球選拔戰 |
12 | 愛國蓖麻を植栽 楊梅庄民元旦の行事 |
13 | 賀正興亞日本萬歲 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | ラヂオ |
02 | 講演:日本道德の特質/小西重直 |
03 | 朝の修養 御歷代詔勅謹解(一)/河野省三 |
04 | 寄席中繼 |
05 | 子供の時間 童話劇 |
06 | 新年徵詩 新東亞 |
07 | 謹賀新年 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 國境確定紛爭防止の 處理委員會を設置 滿ソ蒙國境全般に亘り頭條新聞 【東京三日發同盟】帝國政府は滿洲國建國以來滿ソ、滿蒙國境に頻發した國境不祥事件を根絕すべく滿ソ、滿蒙國境における紛爭を防止し且つこれを平和的に處理する使命を持つた委員會を設置することを適當なりと認め客年末より東京並にモスクワにおいて野村、スメターニン、東郷、ロゾフスキー四者間で協議を進めた所この程に至り大體帝國政府の提案を基礎とした國境確定並に紛爭防止及び處理委員會を設置するに決した委員會設置の具體的要綱については更に日ソ間に協議が進められる筈であるが滿蒙兩國境に新しく紛爭防止並に平和的處理の機構が創設されたことはわが國交調整外交の一大躍進と見られてゐる右に關し三日午後四時外務省情報部では左の如く發表した。 外務省情報部發表 帝國政府は曩に滿蒙國境における國境紛爭を防止し且つこれを平和的に處理するため滿ソ、滿蒙兩國境全般に亘る國境確定委員會並に紛爭防止及び處理委員會を設置すべきことになりソ聯政府と話合つた所ソ聯政府も右に同意したので右に關する條約案を客年十一月十五日野村外務大臣よりスメターニン、ソ聯大使に提示しモスクワにおいても東鄉大使よりモロトフ外務人民委員にこれを傳達して置いた。然るに客年十二月三十日ロゾフスキー外務人民委員部次長は東鄉大使に對しソ聯側の意向とて若干の修正並に追加を求むるとともに大體において日本案に同意を表して來た依つて更に本問題につき折衝を續けることとなつた。 |
02 | 漁業條約暫定協定 十日の樞府本會議に上程 |
03 | 皇軍獨特の穴拔戰法 粵漢線地區に行動起して 僅か旬日で敵を根こそぎ |
04 | 一兵も餘さず |
05 | 圖像:靖國神社の英靈に祈る |
06 | 三民研究會に入會 |
07 | 翁源周邊□ 手中に收む |
08 | 敵戰鬪力漸次萎縮 九塘方面前面の三、四個師 |
09 | 中央政權樹立近し わが對汪援助の具體的事項 兩者の意見が一致 |
10 | 歐洲情勢の見透 戰局の前途は依然渾沌模糊 アメリカでの論議 |
11 | 一般教書の要旨 米大統領、議會で朗讀 |
12 | 清遠附近で 銃砲聲轟く |
13 | □地を攻擊 □力據點を潰滅 |
14 | 新春初の閣議 政局問題に觸れず |
15 | 各特別會計豫算 あす臨時閣議で決定 |
16 | 貿易斡旋所を十一ケ所新設 |
17 | ブタペストで大公使會議 來栖大使柏林發 |
18 | 海洋征霸へ 新春の我新造船 |
19 | 本日の天氣 |
20 | 大阪商船臺灣出帆 |
21 | 辰馬汽船 |
22 | 日本郵船基隆出帆 |
23 | 大連汽船 |
24 | 東亞海運 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 政始の御儀 宮中で嚴かに御擧行 |
02 | 二千六百年式典に 海外移住功勞者を招待 敘位緒勳も奏請準備 |
03 | 聞くべきを聞き 身を以て眾を率るよ 政始式に於ける小林總督の挨拶 |
04 | 三高を屠つて 臺高決勝戰へ 全國ホツケー大會 |
05 | 臺大農專はラグビーで一勝 |
06 | 臺北工業は一回戰で敗北 |
07 | 全國主要都市に 綠地を建設 二千六百年記念事業 |
08 | 比島ゴルフ大會に 我九選手が參加 |
09 | 根津嘉一郎翁逝去 |
10 | 防毒面をつけて 堂堂と分別行進 臺北消防組出初式 |
11 | 株式の大發會 諸株とも引返し 日曹大減配で低落 |
12 | 人事消息報社消息 |
13 | 商況 四日 前場 |
14 | 高千穗丸無電 |
15 | 定期航空 |
16 | 今日の興行 |
17 | 賀正興亞日本萬歲 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 南投郡民率先して 五分搗き米を食用 地主座談會に於て決議 |
02 | 彰化市隣保館で 新年奉賀式擧行 |
03 | 南港公の同窓會 |
04 | 潮州經濟警察協會 華華しく結成さる |
05 | 圖像:皇紀二千六百年史 |
06 | 楊梅の吳服商 六店合同組織 |
07 | ローカルセクシヨン |
08 | 謹賀新年 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 臺南州新年度豫算 前年より百餘萬增 教育費斷然筆頭を占む |
02 | 臺南陸軍始觀兵式 八日盛大に擧行せん |
03 | 高雄市、市御用始 それそれ擧式さる |
04 | 奧田知事歡迎會 彰化市獨自で開催 |
05 | 基隆米穀事務所懇談會を開催 |
06 | 新生廈門だより/一記者海外遊記 ◆......新生廈門に於ける日本居留民會並びに臺灣居留民會の昭和十五年度議員選擧は去る二十三日午前十時より午後三時までの間に行はれた日本民會側は定員十三名で全部民選十三名の運記式による選擧であるが臺灣民會側は定員二十名で官選民選折半五名の連記式選擧であるしかも立候補制度でないから表面は極く平静で選擧風景として取立てて言ふ程の事はない ◆......日本居留民會の有權者は五○九名あり投票者三七八名その棄權率二割餘りで開票の結果當選者左の如し 票數 氏名 一 一八五 古澤勝之(舊) 二 一八三 堀江佐武郎(新) 三 一七八 飯田甲子郎(舊) 四 一六六 三溝文八(新) 五 一六四 宮崎武夫(新) 六 一四八 高橋近信(舊) 七 一三五 尾辻信親(新) 八 一三三 鈴樹忠信(新) 九 一三二 中津賢一(舊) 十 一二六 綿引光一(新) 十一一二二 澤重信(舊) 十二一一五 庄田德太郎(舊) 十三一○五 松岡忠毅(新) 次 九九 大久保新市(新) ◆......臺灣居留民會の有權者數は八四六名あり投票者僅かの三六四名その棄權率五割以上に上る極めて成績不良であるその當選者次の如し 票數 氏名 一 一七一 郭發(舊) 二 一六六 林冬桂(舊) 三 一三七 郭盈來(舊) 四 一○五 林益興(新) 五 八八 楊慶珍(新) 六 六三 蘇水秀(舊) 七 五二 張文雅(新) 八 四四 施添壽(舊) 九 四三 陳全水(新) 十 三九 楊依(新) 次 三七 周肇春(新) ◆......尚臺灣居留民會の官選議員は內田總領事より左記十名に指名された即ち黃六、陳鹽、劉壽棋、陳基、李魁奇、黃談根、蘇嘉和、江重槐、陳陽山、林平城の諸氏で新顏は李魁奇、江重槐兩氏のみであるこれで在廈門日本臺灣兩民會の昭和十五年度の議員が全部確定したのである ◆......內田總領事は右につき左の如く語る 今回の改選の結果については內地人側に於ては舊議員六名に對し新議員七名の割で相當新顏の出たのは刷新のため喜ばしい現象であるが地元の實業方面の人が少ないのは甚だ淋しく感せざるを得ない。もとより選擧と云ふものは理想的のものではないそこに六ヶ敷しい點が發見せられ日本でも議會政治の凋落したのもこゝに關聯して居る然しながらその缺陷の補救策として新舊議員共に手を携へて堅き團結をなすことで徒らに新舊相反目するが如きことなき樣切望して止まない。 ◆......尚臺灣居留民會議員に付ては舊議員十一名に對し新議員九名で相當新人の加はったことは偉大なる進歩である兩民會議員共益々多事ならんとする民會及居留民のため一層の御盡力を煩はす次第であると ◆......それより二十六日午後二時日本居留民會は總領事館會議室に於て新議員會を催し互選の結果會長高橋近信氏副會長中津賢一氏が當選また二十七日午後四時臺灣居留民會は同事務所に於て同じく互選によって會長劉壽棋氏副會長陳陽山氏が當選これで兩民會の新陣容が全く整へたこととなった今暫らく批評を差しひかべて御手並を拜見することにしよう御健闘を切望して已まない |
07 | 圖像:北支戰線の元旦 |
08 | 新春の空に描く 巧妙な梯子乘り 手に汗を握ぎる觀眾 |
09 | 基隆和洋雜貨業者組合店員表彰式 |
10 | 高雄消防出初式 きのふ華華しく擧行 |
11 | 高雄市少年團員 自轉車の遠乘り 行程二十餘里を突破 |
12 | 彰化消防組 けふ出初式 |
13 | 基隆の出初式 けふ公會堂下で |
14 | 新年奉祝野球大會 臺南市野球場に於て |
15 | 嘉農再び優勝 全島中等學校野球大會 三日間に亘る試合終る |
16 | 發火攻防演習 基隆郡警察課の非常召集 |
17 | 淵ノ上事務官赴任 |
18 | 旗山郡下番地降雪 一帶の冷氣頓に加はる |
19 | 消息 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 高級幹は皆逃亡 敵軍は支離滅裂 我が包圍圈內で殲滅を待つ頭條新聞 【廣東四日發同盟】粵漢線東北山岳地帶の包圍殲滅戰に余漢謀の根據地三華鎮を拔き、更に反轉してその包園圈を小中であつた我軍は去る二日午後三華鎮南方約二十粁蒲菖附近に於て敵第百五十一及び百五十三兩師の一部が我包圍圈より脫出逃走せんとしてゐるのを察知しこれに攻撃を加へて殲滅的打撃を與へ敵は死體千三百を遺棄して潰走したが我軍は更に同地附近にあつた敵通信所を急襲し、敵第百五十三師の作戰命令書數種を押收、また逃げ遲れた敵通信係將校以下數名を捉へ諸種の調查を行った結果、左の如く支離滅裂を極める敵軍の狀況と敵高級幹部の無責任極まる行動が判明した、即ち敵第百五十三師の如きは余漢謀より攻撃前進を命ぜられながら我軍の猛攻に怖氣つきまた死傷者夥しく全く戰闘力を失つて遠く梁家堤方面に退却中であり、また敵第百八十六師も全く士氣を失ひ師長は大部分の部下を放棄僅かに自己の護衛兵約九百とともに三華鎮北方十里の山地に遁走し、この方間支那軍の將領張奎は樂昌に、余漢謀も始興に□を以て逃れたこと判明した斯くの如く我包圍圈內にある支那軍は指揮官を失った烏合の眾で何等統制もなく彈薬糧食を失ひ只拱手して我軍に殲滅せられるを待つのみとなった |
02 | 海鷲全支を翼下に蹂躪 |
03 | 新中央政權樹立問題 陸軍省部會議で意見一致 近く興亞院に移す |
04 | 國民一段の緊張と 覺悟を冀ふ/伍堂卓雄 |
05 | カー大使重慶着 |
06 | 圖像:國境確定第一回チタ會談 |
07 | 米の軍事關係豫算 廿三億三千六百萬弗に達す |
08 | ル大統領の豫算教書 |
09 | 四萬五千噸級の主力艦二隻含む 米の新艦艇造費 |
10 | 外地の豫算 六日の閣議で正式決定 |
11 | 反政府動向を靜觀 久原派常時顧問會 |
12 | 海軍擴充計畫案 ヴイ氏米下院に提出 |
13 | 陽春頃愈よ攻勢か ヒ總統、重要會議を召集 |
14 | 敵國の委任 統治權認めず 獨政府より通達 |
15 | 英、徵兵義務年限を擴大 |
16 | 少年劍道大會 あす花蓮港街で |
17 | 州市の政始式 |
18 | マニラ市長逝去 |
19 | 本日の天氣 |
20 | 大阪商船臺灣出帆 |
21 | 辰馬汽船 |
22 | 日本郵船基隆出帆 |
23 | 大連汽船 |
24 | 東亞海運 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 米穀取引失業補償 きのふ補償規定公布 長官を會長に委員會組織 |
02 | ソ滿蒙國境を確保 極東ソ領を建設 ソ聯、次の極東政策(中)/茂森唯士 |
03 | 陸軍始觀兵式 八日盛大に擧行 |
04 | 基隆消訪出初式 昨日盛大に擧行 |
05 | 五股庄山脈縱走 |
06 | 龍は動物學的に根據あるか/𨫢木外岐雄 |
07 | ライオンとキツス 人の情も百獸の王に通ず 圓山動物園人工哺育苦心談 |
08 | 臺北高校優勝 全國高校ホツケー大會 |
09 | 高專ラグビ 臺大抽籤で敗る |
10 | 多少增稅する 歸臺した中島財務局長談 |
11 | 新聞の使命 愈愈重大/莊泗川報社消息 |
12 | 九年振りで 東西制が復活 安藝ノ海の奮鬪期待 |
13 | 病苦の縊死 |
14 | 少年溺死 |
15 | 定期航空 |
16 | 人事消息報社消息 |
17 | 訃文:鄭林應 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | ラヂオ |
02 | 講演 日本藝術の特質/野口米次郎 |
03 | 朝の修養 御歷代詔勅謹解(二)/河野省三 |
04 | 連作童話劇 |
05 | 清元 |
06 | 圖像:スキー履飛行機出動 |
07 | 連續物語太閣記(上) |
08 | 心聲漢詩 庚辰年頭試筆/南都、冬日吟 六首/筑客、冬日吟 二/筑客、冬日吟 三/筑客、冬日吟 四/筑客、冬日吟 五/筑客、冬日吟 六/筑客 |
09 | 賀正興亞日本萬歲 |
10 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 彰化市の鄉軍分會 新年拜賀式を擧行 四日市公會堂に於て |
02 | 新竹消防組の出初め式 |
03 | 大肚庄の敬老會 |
04 | 萬丹庄の献穀田 十一日田植祭を擧行 |
05 | 街庄豫算編成の打合會を開催 十日臺南州にて |
06 | 煮沸工疲勞で 釜の中へ顛落 帝國製糖の椿事 |
07 | 旗山郡薪炭組合 創立總會を開催 |
08 | 奧田知事歡迎會 きのふ公會堂で開催 |
09 | 軍夫家族の美擧 從軍の弟に父の死を秘めて |
10 | 圖像:上海陸戰隊除夜の鐘 |
11 | 圖像:戰線の元旦 荒鷲の遙拜式 |
12 | 快晴に惠まれて 高雄秋競馬盛況 きのふ華華しく開幕 |
13 | 街庄吏員養成所 第三期生入所式を擧行 |
14 | ローカルセクシヨン |
15 | 消息報社消息 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 中央政權に對する 我方の基本的方針 けふ興亞院會議で可決 |
02 | 陸軍省部會議終る |
03 | 通城周邊で蠢動の 敵軍脆くも潰ゆ 全軍西南へ遠く敗走 |
04 | 蒙自飛行場雲南を奇襲 敵戰鬪機五機を一蹴 |
05 | 敵の死傷二萬八千餘 九塘北部の敵陣大動搖 |
06 | 閑院參謀總長宮殿下 西尾總司令官に御祝電 |
07 | 敵の兩師に 潰滅的打擊 |
08 | 三角地帶の戰果 |
09 | 清遠城內の掃蕩を完了 |
10 | 新日佛交涉を開始 澤田大使、ダ外相を訪問 |
11 | 圖像:英德へ入城した佐佐木、古賀部隊 |
12 | 韶關は全く 廢墟と化す 大公報記者目擊談 |
13 | 南京周邊の昨年中の戰果 |
14 | ソ蒙側委員 ハルビン着 |
15 | 北鐵最終支拂ひ完了 |
16 | ソ聯モ外相の訪獨談 異常な衝動を捲起す |
17 | 倫敦でも頗る重視 |
18 | ソ聯モ外相の訪獨談は無根 |
19 | 洪外相、訪伊の途へ |
20 | 松島駐瑞典公使 モ外務委員と會見 |
21 | 我が松井上等兵 米兵に射擊さる 目下原因を調查中 |
22 | 米兵不法射擊 近く圓滿解決 |
23 | ソ支通商條約 ソ聯の批准了る |
24 | 今日の天氣 |
25 | 英內閣突如 三閣僚を更迭 |
26 | 水滸傳(22)/黃得時;榎本真砂夫 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 懸案の四項即時實行 中共、蔣介石に要求 |
02 | お正月の興亞景氣 上野驛は開業以來の紀錄 |
03 | 二千六百年奉祝會へ 百萬圓下賜の御沙汰 |
04 | 新竹州下の第二種消防 |
05 | 鑛業報國精神講話會 |
06 | 田端、今川氏を總督が招待 |
07 | 北投消防組の出初式 |
08 | 圖像:東方遙拜式 |
09 | 石井知事披露宴 |
10 | 敵のデマ宣傳擊碎 支那派遣軍が闡明 |
11 | 基隆愛婦交禮會 |
12 | 基隆婦人會交禮會 |
13 | フランスの慰問袋運動 |
14 | 圖像:大日本騎道會初乘會 |
15 | 島民銃後の赤誠 十二月中の海軍献金二萬二千餘圓 |
16 | 學校體育と施設/小笠原道生 |
17 | クレゾール嚥下 |
18 | 煙突掃除中奇禍 |
19 | 上奎府町のボヤ |
20 | お正月に傷害 市內に數件 |
21 | 高雄競馬 第八回以後の成績 |
22 | 定期航空 |
23 | 人事消息 |
24 | 街で拾ふ |
25 | 今夜の放送 |
26 | 商況 六日 前場 |
27 | 今日の興行 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新民報國語學習新聞 海南島の小學生は 皆さんが大好き どうぞお便りを下さいと お禮はライチや椰子 |
02 | 圖像:二千六百年記念新切手 |
03 | “ものなし”主義 なるほどこは面白い |
04 | 圖像:昭和十四年史 |
05 | 正月童話 仲よし五人(上)/伊福部敬子 |
06 | よい年を迎へて/頴川たけし |
07 | イヌヲヤシナフ オカアサンザル |
08 | 世界異聞 |
09 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 明年度の各特別會計 總額十六億餘萬圓 きのふの閣議で決定頭條新聞 【東京六日發同盟】六日の臨時閣議は午前十時二五分より開かれ青木藏相より總額十六億餘萬園に達する昭和十五年度外地特別會部及び鐵道通信各特別會計豫算內容の說明を聽取し審議の上これを決定し阿部首相は支那新中央政權樹立問題につき 昨五日陸軍省部聯合會議で現地報告を基礎として協議の結果完全なる意見の一致を見た、依つて本日午後一時より臨時興亞院會議を開き現地報告に對する最後的協議を行ひその結果場合によつては八日午後一時より臨時閣議を開催したい 旨を述べさらに 米、石炭、電力、肥料などの國民生活必需品については今後なほ全閣僚協力し單にこれが應急策のみならず恒久對策をも至急確立し國民生活の安定に全力を集中せられたいと要望し午前十一時二十分散會 |
02 | 臨時軍事費追加豫算財源 |
03 | 明年度の公債發行 合計五十六億餘萬圓 |
04 | 敵の遺棄死體二萬 投降者三千に達す |
05 | 新政權の樹立問題 擧國一致の國是を決定せん |
06 | 日ソ漁業協定 樞府御諮詢の手續を執る |
07 | 政黨方面の情勢 必らずしも悲觀的ならず 政府更に努力を續く |
08 | 政局擔當を決意 首相の發言注目さる |
09 | 畑陸相きのふ 首相と會見 |
10 | 我が進擊反轉戰法 輝やく凱歌を奏す 南之派遣軍報道部長談 |
11 | 四散する敗敵を猛攻 |
12 | 潮州西方地區でも 冬季攻勢を擊敗 |
13 | 長子(山西)南方の敵殲滅 |
14 | 景芝鎮の匪團を空爆 |
15 | 再度滇越鐵道を猛爆 |
16 | ル大統領の政策に米議會反對の聲 |
17 | 英政界に大衝動 陸、情報兩相の辭任 |
18 | 伊國着着對戰 措置を強化す |
19 | 瑞典の國防 強化を援助 倫敦各紙の報道 |
20 | 濠洲空軍充實 |
21 | 洪伊會談の課題 |
22 | 獨逸、羅國に融資を行ふ |
23 | 本日の天氣 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 明年度督府豫算の檢討社說 一 昭和十五年度の臺灣特別豫算案は中央政府との折衝に依つて未曾有の膨脹を示し大藏省の查定をパスした結果二億六千萬圓の新記錄を樹立する事は非常時局下の本島財政の發展の一段階である、若し米管事業の特別會計二億四千萬圓をも加算すれば本島豫算案は實に五億圓を突破する盛況である、戰時財政を確立し、諸般の施設を行はんとすれば豫算の膨脹も已む得於い事である督府の編成方針としては中央政府の方針に準據し、更に時局下本島に負荷した重大使命の達成を期した事が伺はれる。殊に歲出の新規事項は戰爭目的達成上之れに對應する諸施設を全面的強化擴充し本島の特殊事情に立脚したる諸方策の具現に努力して居る跡が見られる。歲出の增加を賄ふに歲入財源と して六百萬圓の事業公債を發行する事となつた事は從來の消極的豫算より一轉して積極的豫算を編成したものとして財務當局者の努力を多とせねばならない本島各般の施設が未だに不備であり產業、經濟、文化各部門の發達に副はない原因は言ふ迄もなく過半の責任は豫算編成方針の消極化であつた為めである。 二 督府十五年度の特別豫算案を見るに、總額二億六千萬圓を突破し、前年度よりも更に五千餘萬圓の增加を示したが、その主要計畫事業として舉げられるのは戰時財政を具現する為めに全幅の努力を傾注した事である。卽ち國防關聯軍事施設を始めとして軍事援護及び其他銃後施設に力を入れた事である。次ぎに注目すべき事は島民文化の為めに義務教育制度を實施する準備費が計上された事である。南方基地としての地理的關係よりして南方施設の擴充を始めとし、島內に於ける各種產業の生產力擴充を圖る目標を立てた事であ る。その他の點としては國際收支の改善と共に戰時經濟統制の強化を加味して豫算を編成した事でめる、その為めに例年よりも一週間を遲れて大藏省の查定を通過した財務局の努力は少くない。新規事業で豫算查定に通過した項目は例年よりも多くそれだけ來年度の督府施設も期待されて居る。 三 支那事變第四年を迎へ、光輝ある皇紀二千六百年を有意義に活用する為には十五年度の豫算の運用に慎重なる態度を以て臨まれん事を要望するものである、由來植民地の財政計畫は動もすれば放慢に流れる嫌ひがあるが、十五年度の督府豫算案から檢討して見るに大して新規計畫は見當らないが戰時下に於ける本島の重大使命を遂行する為めに交通機關の整備に對し一段と努力を拂ふた事である。更に島民の文化向上策として教育機關の充實に意を用ひた事である、產業開發と工業建設の為に歲出豫算を割愛して居る事が伺はれる。總じて十五年度の督府豫算から見るに物資調節の關係もあるので不急事業は一般に手控へられて居るが緊急を要すべき事業は殆ど大部分を認めた事は中島新財務局長の努力の賜である、本島財政は由來健全財 政を誇りとして居るから不急不要の豫算は宜しく削除すると同時に緊急を要すべき豫算は出來る限り支辨すべきである。 |
02 | 新春の朗話 街に拾ふ“二千六百番” 大當り電話の持主 島都では三井の武田さん |
03 | 久邇宮朝融王殿下 きのふ輝く御歸還 |
04 | 圖像:バリケード□した欽州城 |
05 | 新竹署主催 防諜意識喚起 |
06 | 基隆郡鑛業報國會 講演映畫會開く |
07 | 戰亂の歐洲で 幾度か危地に陷つた 酒匂前駐波大使歸へる |
08 | 大和丸出帆 |
09 | 「結核に就て」 高雄州懸賞論文 當選者決定さる |
10 | 城西防毒班 士林で訓練 |
11 | 農村青年職業指導講習會 督府主催で開く |
12 | 基隆白米組合創立總會開催 |
13 | 詐欺漢が就縛 |
14 | 富士丸無電 |
15 | 悲運の照國丸 乘組員白山丸で歸國 |
16 | 陳清水氏がマニラに出場 |
17 | 基隆はお天氣續き 二十數年來の好現象 |
18 | 笠井拓務參與官 七日來臺、島內視察日程 |
19 | 定期航空 |
20 | 人事消息報社消息 |
21 | ときのこをゑ |
22 | 大阪商船臺灣出帆 |
23 | 辰馬汽船 |
24 | 日本郵船基隆出帆 |
25 | 大連汽船 |
26 | 東亞海運 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 明年度總督府の豫算案五億元突破 一般と米管を合せん |
02 | 時局對應が目標 中島財務局長語る |
03 | 現地を視察し 經營方針を樹立 藤山福大公司社長談 |
04 | 中央物價委員會改組と戰時低物價政策の將來(一) |
05 | 時局と不動產金融(上)/石井光雄 |
06 | 米管補償委員會 近く第一回開催 |
07 | 福大公司異動 |
08 | 大承信託 新春より□業 |
09 | 英國の卸賣物價 廿二ポイント暴騰 |
10 | 照明燈 |
11 | 紐育砂糖市況 |
12 | 局營バス 十二月分は增收 |
13 | 市價及商況 六日 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 比島派遣陸上選手權大會開催 五日臺中で銓衡さる |
02 | 各地消防組の出初式 |
03 | 傑作藤田中佐の胸像 |
04 | 滿洲の民族と土俗 支那、滿洲の正月 |
05 | 彰化郡警察、庶務兩課の野球大會 |
06 | 角樹脚農事實行組合總會 |
07 | ローカルセクシヨン |
08 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 講演 日本產業經濟の特質/高田保馬 |
03 | 趣味講演 國史を描いた畫家/結城素明 |
04 | 亡命者結婚 |
05 | 歐洲戰爭 エビソード |
06 | 燻蒸消毒水 |
07 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 明朗な献金五件 新春劈頭に高雄署へ |
02 | 高雄署に消防隊 消防手の定員不足を補ふ |
03 | 嘉義の出初式 きのふ華華しく擧行 |
04 | 圖像:勅題「迎年祈世」 |
05 | 大陸に活躍する 我が財界の人人 |
06 | 加藤警務部長 旗山番界へ巡視 |
07 | 奧田臺中州知事 新任披露茶話會 |
08 | 各業態別組合 新高郡下に結成さる |
09 | 中等學校野球大會 けのふ嘉義公園で開幕 |
10 | 臺中市の初火事 セルロイド工場燒かる |
11 | 彰化郡鄉軍分會新年行事式 |
12 | さはらの豐漁で 臺南の漁民大喜び 小賣は相變らず高い |
13 | 圖像:內閣參議久源房之助氏筆 |
14 | 動かぬ獨船ヱ號 支那船員二十餘名歸國 |
15 | 嘉義郡武道始め |
16 | 窃盜と詐欺 二人組檢擧さる |
17 | 松の內の初檢擧 臺南署で窃盜二件 |
18 | 羅山信組の總會 |
19 | ダイナマイト所持者を檢擧 原因は單純 |
20 | 石井臺南州知事 事務聽取の日割 |
21 | 消息報社消息 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 学芸 素材主義文學の動向 今年度興隆する文學(上)/河上徹太郎 |
02 | 各國龍玩具物語(一) |
03 | 隨筆 冬風/黃貴元 |
04 | 珊瑚樹 二つの文學論 福原氏と中野氏 |
05 | 圖像:祝皇紀二千六百年/蘇嘉和 |
06 | 文化消息 |
07 | 初日のぼる/佐佐木信綱 |
08 | 「あきれた」新ダンス 倫敦で大流行 |
09 | 心聲漢詩 晚酌北投 (與春潮癡雲夢周同作)/筑客、晚酌北投 (與春潮癡雲夢周同作)/筑客、筑客寄冬日吟六首短和代柬並酬覺齋/翕庵、十月二十九日携春煌三男炳銓四男遊北投四首/杜仰山、十月二十九日携春煌三男炳銓四男遊北投四首 二/杜仰山、十月二十九日携春煌三男炳銓四男遊北投四首 三/杜仰山、十月二十九日携春煌三男炳銓四男遊北投四首 四/杜仰山 |
10 | 賀正興亞日本萬歲 |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 汪氏の運動を支援 臨時興亞院會議で基本方針決る頭條新聞 【東京七日發同盟】支那新政權樹立に對する帝國の基本方針を決定すべき臨時興亞院會議は六日午後一時より首相官邸に開會 阿部總裁を始め副總裁畑陸相吉田海相、野村外相、青木藏相、柳川總務長官、鈴木政務部長以下各部長、陸海兩軍務局長、大藏省關係官出席 現地側の報告に基き柳川總務長官より詳細な說明を行ひ前後四時間に亘り慎重討議の結果茲に汪精□氏を中心とする新政權の活動は帝國の意圖する所とその方向を一にするものであることを確認し右新政權運動を強力に支援することに意見の一致を見五時散會した |
02 | けふ廟議を決定 臨時閣議を開いて |
03 | 書記長官談 |
04 | 五黨首を會見 首相、諒解を求む |
05 | 汪派に多大の感銘 中央政府樹立工作進度 |
06 | 圖像:皇軍部隊、曉の進擊 |
07 | 石炭增產對策 獎勵金制度を採用に決定 |
08 | 米國聯合艦隊司令長官の就任式 |
09 | 傅作義以下各師長 近く嚴罰に處せらる |
10 | 董其武監禁 銃殺八名に上る |
11 | 阿部內閣の善處要望 贊成署名二百七十四名 第四回世話人會より發表 |
12 | 內務省に地方行政 聯絡委員會をく 關係各省次官を委員に |
13 | 大和號ミラノへ向ふ |
14 | メキシコの遣日文化使節 |
15 | 臨時政府の明年度豫算 |
16 | 敵を捕捉して殲滅 江南通城地區でも |
17 | 蘇北各地の戰果 |
18 | 海鷲‧中南支で活躍 滇越鐵道全く杜絕 |
19 | 鹵獲擱坐の敵戰車 約百臺に達す 廣西軍全く士氣沮喪 |
20 | 蔣自ら昆明へ 龍雲の說得に當らん |
21 | 英北支駐屯軍の口司令官香港へ |
22 | バルカン新平和機構 伊國を盟主に建設 |
23 | 英內閣の改造 政界が不快視 |
24 | 伊洪兩外相意見一致 引續いて第二次會談 |
25 | 米海軍省の改造 新海軍分科委員會を任命 |
26 | ソ軍はカ地峽に 攻擊を擊中せん 外國軍事專門家の見透 |
27 | 更に大型に 建造を變更 米海軍當局言明 |
28 | 回印兩教の統一を要望 ボ前國民會議長 |
29 | 米亞通商協定 成否は數日中 |
30 | 本日の天氣 |
31 | 大阪商船臺灣出帆 |
32 | 辰馬汽船 |
33 | 日本郵船基隆出帆 |
34 | 大連汽船 |
35 | 東亞海運 |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新春の朗話 またも臺灣に凱歌 今度は無盡藏のゴム樹 橫濱護謨會社か發見 |
02 | 海軍協會の發展 伏見宮博恭王殿下を 總裁宮として奉載す |
03 | 我が大陸開發の現狀と將來/賀屋興宣 |
04 | 本年の試掘百廿坑 日石の油田開發計畫 |
05 | 婦人新年交禮會 きのふ島都公會堂で |
06 | 忠靈塔圖案 當選者發表さる |
07 | 宜蘭消防組の出初式 |
08 | 多彩の話題 富士丸ニユース 笠井參與官、小泉塾長ら來臺 |
09 | 小泉慶大塾長歡迎會盛況 |
10 | 宮本選手二位 比島オープンゴルフ豫選で |
11 | サハラの大漁 通霄海岸で三萬斤 |
12 | バナナ會議 けふ月例會 |
13 | 電話線を切斷 タクシー事故 |
14 | 戰時經濟展 島都公會堂で |
15 | 北京語講習會 商工學校で開講 |
16 | 對滿事務局次長 荒川氏に內定 |
17 | 人事消息報社消息 |
18 | 定期航空 |
19 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 本年度の國講は 一九七ケ所を增設 臺南州國語普及に力瘤 |
02 | 石井臺南州知事 巡視日程決まる |
03 | 圖像:東京禁酒會婦人部結成 |
04 | 彰化商專地鎮祭 |
05 | 射擊場竣工式 鄉軍大屯分□の |
06 | 二對零で嘉農優勝 中南部中等野球大會 |
07 | 釘の圓滑配給を陳情 |
08 | タロコへタロコへ 砂金と正月の二重奏で |
09 | 立板に水の流暢さ 北斗街の國講學藝會 |
10 | 門松の御火焚祭 |
11 | 大陸に活躍する 我が財界の人人(二) |
12 | 建築技術者講習會開講式 |
13 | 各地の出初式 |
14 | ローカルセクシヨン |
15 | 高雄競馬(第二日目) |
16 | 書道展に入選 |
17 | 人事往來報社消息 |
18 | 消息 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 首相、政局轉換に努む 新政權問題の措置を終り 五黨首との會見を機會に |
02 | 臨時內閣參議會 |
03 | 斷末魔の敵冬季攻勢 我軍は空陸協力して猛攻擊 孫連仲軍等を剿滅 |
04 | 傅作義軍進退極まる 自己の本據をも喪失 |
05 | 圖像:チタ會議に功績を殘し日滿代表ハルピン歸着 |
06 | 事變處理の重大段階/須磨彌吉郎 |
07 | 海軍辭令 |
08 | 英船二隻沈沒 一隻が大破 |
09 | 重慶政府狼狽の極 中央政權樹立に關し 特別緊急會議を召集 |
10 | 孔祥熙攻擊電報を 中共が重慶に發す |
11 | 日‧米通商條約失効後も 通商關係繼續を期待 堀內大使ハル長官會談 |
12 | 圖像:ヘルシンキ市中の慘狀 |
13 | 和國首相ローマへ 和平調整の意向打診か |
14 | 伊洪會談終る 共同コムミユニケ發表 |
15 | 獨土通商交涉 近く再開せん |
16 | 今日の天氣 |
17 | 日、洪兩民族を調查研究 兩國の學者を動員 |
18 | 水滸傳(23)/黃得時;榎本真砂夫 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大元帥陛下御親臨 輝く陸軍始觀兵式 燦!無敵皇軍の威容 |
02 | 島都の大觀兵式 けふ練兵場で擧行 |
03 | 日本一の大武德殿 二千六百年記念事業の東京府で建設計畫 |
04 | 小泉慶大塾長 一中で講演 |
05 | 勝利丸漁船行方不明 救助船五隻搜查に出動 |
06 | “金を使はないで 仕事をせねば噓だ” 川村知事の抱負を叩く |
07 | 福建丸出帆 |
08 | 理蕃座談會あす新竹州で 全島に魁けて開催 |
09 | 土耳其在留邦人 見舞金三千圓を寄附 |
10 | 宮本選手惜敗 比島ゴルフ大會 |
11 | 知事、市尹の新任披露會 |
12 | 劉少年、健氣な遺言 小遣錢を蓄めて皇軍慰問 |
13 | 笠井參與官を總督が招待 |
14 | 濠選手も參加 |
15 | 基隆俱樂部總會 |
16 | 定期航空 |
17 | 人事消息報社消息 |
18 | 府部局長會議 |
19 | 獨逸放送の聽取 フランスで御法度 |
20 | 地方巡業大改革 相撲協會で統制 |
21 | 基隆信組總會一束 |
22 | 禁制の鮎獵 |
23 | 今夜の放送 |
24 | 街で拾ふ |
25 | 商況 八日 前場 |
26 | 今日の興行 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 愛の凱歌(120)/戶川貞雄;松田文雄 |
02 | 家庭婦人 一月の家庭曆 興亞の聖春にこの覺悟 敬神崇祖に一段の精進 |
03 | 圖像:中支のお正月 |
04 | 魚の燒き方秘訣 火加減は強火の遠火 崩れる魚は酢を塗るとよい |
05 | 鰯の洋風蒲燒 |
06 | 生花の代用 劍山の作り方 |
07 | 木炭の見分け方 これだげ辨へてる□ば 絕對買ひ損はね |
08 | 赤ちやんに 吸入をさせる時 |
09 | 惡脂肪やニキビを去り 白粉のりの良い美肌にする 素肌の整へ方 |
10 | ニキビと脂顏も美しく 化粧崩れのたい豔肌に/伊藤都志 |
11 | 惱みの色黑い顏が 肌目細かな色白肌に/中田咲子 |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新民報國語學習新聞 汪精衛におくる 寄せ書と祈願針 男子、女子各各十萬人 |
02 | 踏切のをぢさん 親切な貸傘奉仕 賞金で傘を買つて |
03 | 圖像:皇軍部隊の進擊 |
04 | 百十二歲の婆さん 病氣で同情が集る |
05 | 僕達の校歌 海山郡樹林公學校/剛準市郎 |
06 | 獨佛國境に挾る ルクセンプルク どんな國でせうか |
07 | 正月童話 仲よし五人(下)/伊福部敬子 |
08 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 凡ゆる努力を傾注 新政權の成立發展を支援 我基本方策の廟議決定頭條新聞 【東京八日發同盟】汪精衛氏を中心とする支那新中央政權樹立に對するわが基本方策を決定すべき臨時閣議は八日午後二時より首相官邸に開催阿部首相以下全閣僚出席六日の興亞院會議において一致を見た基本方策を附議し阿部首相より右方策について說明し更に畑陸相より補足的說明を行つてのちこれを決定茲に事變處理に一段階を□すべき支那新中央政權樹立に對するわが基本方策は廟議決定し國內手續きを完了するに至つたので政府は閣議散會後內閣書記官長談の形式をもつて次の如き聲明を發表したかくてわが協力支援の下に支那中央政權樹立工作は十一日より南京に開かれる興亞院連絡部長官會議並に近く開かるべき汪精衛、王克敏、梁鴻志氏等の三巨頭會談により急速に進展し支那中央政權は近く輝しき誕生を見ることにならう 內閣書記官長談 事變處理に關する帝國の方途については屢次中外に聲明されたるところにして特に昭和十三年十一月三日の政府の聲明次いで同年十二月二十二日近衞元總理大臣の談話において聖戰窮極の目的を明かにし爾來政戰兩略一貫してこの目的の追及に努力し來りし次第なるがこの間支那における同憂具眼の士にして帝國の意圖に響應する者逐次增加し來り遂に昨年春季に入り國民黨の指導的地位にある汪精衛氏及びその同志は公然反共親日和平教國を主張し帝國との協力的活動を開始し爾來日々その勢力を加へ最近に至り新たなる中央政府を樹立するの氣運となれり而してその志す所を詳察するに時局收拾の方向概ね帝國の企圖するところに合致するものあるに依り帝國としては今後凡ゆる努力を傾注してこれが成立發展を支援することとなりたり。 |
02 | 阿部首相けふ參內 |
03 | 新政權成立後の支援方針を打合 柳川長官渡支せん |
04 | タイ國華僑も支援 |
05 | 圖像:酒匂波公使歸朝 |
06 | 支那事變公債 四億圓を發行 |
07 | 拓相の歸鄉取止め |
08 | 督府關係勅令公布 |
09 | 揚子江下流方面 十二月中の綜合戰果 |
10 | 山西省內の戰果 |
11 | 河口村の敵殲滅 |
12 | 白髮三千丈のデマ 笑止すべき敵軍の宣傳 |
13 | 全國學務部長會議 十一日霞ケ關放送會館で開く 滿洲開拓民政策の實施を協議 |
14 | 陸相、杉山寺內兩大將と會見 阿部首相に重要進言か |
15 | 陸海兩相の意向聽取 首相、遞厚兩相とも要談 |
16 | 政局の轉換注目さる |
17 | 米濠兩政府 外交關係を結ぶ |
18 | 英佛の對芬援助 赤軍機關紙が攻擊 |
19 | 米ア通商交涉遂に決裂 |
20 | 日立取締役會 |
21 | 白羅磯方面を爆擊 滇越鐵道をも襲ふ |
22 | 滿蒙國境の確定委員會 哈爾濱で最初の會議 |
23 | 新國民學校令 文部省で起草を急ぐ |
24 | 本日の天氣 |
25 | 大阪商船臺灣出帆 |
26 | 辰馬汽船 |
27 | 日本郵船基隆出帆 |
28 | 大連汽船 |
29 | 東亞海運 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 物資の增產と消費節約勵行社說 一 支那事變第四年に當り、茲に光輝ある二千六百年を迎えた我が國民は、事變の將來性と國內の物資食糧問題とを思ひ合せた時、一層の緊張と真劍味とを以て意義深き本年を我國に有利に展開せしむべきである。今や政府は米を中心とする生活必需品の價格值上げを絕對抑制し、その配給についても不圓滑を來たさぬやう萬全の策を練つて、生活必需品の值上り、配給の不圓滑から釀し出される國民の生活不安の聲を絕滅しようと不斷の努力を拂つてゐる。その結果政府當局の低物價基本方策として發表された石炭、電力の消費規正の對策、米穀問題、米以外の生活必需品に對する價格騰貴の絕對阻止策等々實施して、以て生活費の昂騰を極力?止めようと?めてゐる。これ中央政府當面の重要問題である同時に、その效果如何は國民の一大關心事たるを失はない。 二 我が本島でも內地のそれ等諸情勢に押されて、昨秋來兎もすれば生活必需品の配給不圓滑を來たし生活の不安を募る一方である。是に於て總督府では戰時下に於ける島內の物資需給の現狀?に將來に鑑みる所あつて、舊臘二十七日本島の物需給と物價の對策案として台灣物價委員會長森岡長官より小林總督に答申したのである。卽ち價格等統制令運用上留意せらるべき點、島內品の積極的增產、代用資源の探究及び使用勸獎、島內物資の無制限流出防止、消費節約運動の徹底及び買溜賣惜み防止等がその骨子であつた。本島に於ける生活必需品の大部分は從來より之を內地に仰いで來たが、現下內地の實情より見て、之が根本對策としては戰時經濟維持上必要なる物品に付ては島內に於て積極的に增產計畫を樹立し、民間業者に向つて之を指導獎勵することは時宜に適した處置である。 三 吾々は物資の增產計畫に呼應して、消費節約の勵行をせがむものである。當月が國民一年中の一大消費季節たる舊臘師走の月を狙つて、經濟戰強調運動を開始したが、年末に於ける各□店の賣上高は決して前年より減じてはゐない。殊に興行遊興界の好況は他界□望の的になつてゐる。之を率直に證明してゐるものは彼の遊興稅興行稅の激增である。而も支那事變が年を重ねる斯種の稅が逐年增加し行くこと誠に寒心に勘えない現象である。當局の吹く自肅の笛も馬耳東風、遊興方面益々繁昌とは餘りにも皮肉である。昨年までの自肅運動は聲のみで實が入つてゐない。戰時下國民生活の緊張を促す講演會も聽講のみに終つた。本年こそは實賤躬行の年である。本島の役人も笛吹く役をすてて自ら範を島民に示されたいものである然らば島民もまた之れに追隨するであらう。上行へば下之に倣ふが常で、國民に自肅をせがむ前に先づ槐より始めよ、國民に行け行けと勸めるよりは役人親ら先頭に立つて來い來い呼びつけ方が、國策の遂行捷徑であると考へ、島民の真の自肅を促すと共に上に立つ者の垂範を要望するものである。 |
02 | 國共兩軍の相剋 漸次惡化の一途 隨所で武力衝突惹起 |
03 | 增員、百八十七名 府官制と臨時職員改正官制 きのふ公布實施さる |
04 | 南京の觀兵式 皇軍の威武を發揮 |
05 | 圖像:皇太后陛下宮城へ行啟 |
06 | 私財寄附表彰 十三日打合會 |
07 | 川村知事と市尹歡迎會 けふ公會堂で |
08 | 事變第三年(上) 難局外交の回顧 |
09 | 新竹州警務部武道始式 |
10 | 圖像:廣東北部殘敵掃蕩 |
11 | 社會事業と軍事援護講習會 明日から關子嶺で開催 |
12 | 軍事扶助會に寄附 |
13 | 米國警官の大味噌 |
14 | 六中等學校を新設 三實業學校創設にも補助 本島文教行政の大飛躍 |
15 | 防空懇談會 あす高雄で開く |
16 | 比島遠征陸上選手 來月十日壯途へ 月末臺中で合宿練習 |
17 | 宜蘭男女青年團第二回查閱 きのふ盛大に擧行 |
18 | 笠井拓務參與官の視察日程 |
19 | 文教局の招請で 二荒伯が來臺 |
20 | 竹園公學校上棟式 |
21 | 澤田重雄氏逝去 |
22 | 高砂丸無電 |
23 | 人事消息報社消息 |
24 | 總督府辭令 |
25 | ときのこゑ |
26 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 本島貿易の新記錄 昨年度十億圓突破 出超額一億八千餘萬圓 |
02 | 對內地貿易が激增 八億六千萬圓示現 |
03 | 臺灣清涼十三日に役員會 |
04 | 對外國貿易躍進 一億三千萬圓を示現 |
05 | 中央物價委員會改組と戰時低物價政策の將來(二) |
06 | 興業信託利下 配當一分增配か |
07 | 臺拓株暴騰 砂金經營で樂觀 |
08 | 時局と不動產金融(下)/石井光雄 |
09 | 本島の東西結ぶ 連帶運輸が實現 |
10 | 臺灣瓦斯發生爐會社 燃料木炭を確保 |
11 | 第一回補償委員會 來る十二日府正廳で |
12 | 日本發送電債 募集條件を發表 |
13 | 照明燈 |
14 | 臺灣證券取引所 設立促進會の創立 十一日に總會を開催 |
15 | 經濟メモ |
16 | 市價及商況 八日 |
17 | 謹賀新年 |
18 | 事業報告/臺南庶民信用組合 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 家庭法律講座/草薙晋 |
03 | 朝の修養 御歷代詔勅謹話(三)/深作安文 |
04 | 講演 時局と宣傳/川面隆三 |
05 | 子供の時間 |
06 | 青年の時間 青年の諸君に望む/荒木貞夫 |
07 | 料理/野田千鶴子 |
08 | 圖像︰阪大工學部に於て發明の電子顯微鏡と發明者菅田氏 |
09 | 圖像:白衣の勇士の風揚げ |
10 | 坂東好太郎主演 雪之丞變化闇太郎懺悔 松竹京都新映畫 |
11 | 大船新春の第三巨陣 「新女性聯盟」 |
12 | 成瀨原作の「化粧雪」 |
13 | 靖國社頭のロケ特別許可 「雲月の九段の母」 |
14 | 「仇討どよみ」 配役一部を變更 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 二十餘里を走破 五神社詣りの自轉車隊 七日‧彰化神社出發遂行 |
02 | 彰化郡婦人交禮會 |
03 | 斗六街賈氏美擧 |
04 | 各地の出初式 |
05 | 弓道射初會 |
06 | 湖口庄北勢保聯初役員會 |
07 | 日本炭酸總會 |
08 | 旗山郡特產姜黃 配給割當本極り |
09 | 澎湖物資配給會社 發起人會をあぐ |
10 | 田邊新藥部駐在所設置 |
11 | 竹南の溫氏献金 |
12 | 三峽の黃景南君 泰東書道展入選 |
13 | 世界に始めてる 藥用酵母培養設備 |
14 | ローカルセクシヨン |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 緊迫の歐米 暗黑下の第二年(上)/久野茂男海外遊記 一 英國ロンドン市民の暗黑生活もすでに三箇月の經驗を經て今ではすっかり板について來たやうだ。 最初は極端に嚴□だった燈火管制(ブラックアウト)も、チェンバレン首相の「所謂奇怪極まる」戰局の進展につれ、一向に空襲らしいものもありさうにないと判ると、漸次緩和されて來た。先づその時間が短縮され、商店、劇場、バー、飲食店等の營業時間も、一時間乃至二時間延長され、自動車のヘッドライトも少しづゝ明るくなって來た交通事故による死傷者の激增、營業上の不平を始めとして、各種の不便や不愉快さは、言論の自由を表看板とする國だけに、議會や新聞紙上で公然と議論され、開戰當初の行過ぎを漸次調整して、興へられた環境の內で最大限度の自由を保持しようとする努力が不斷に續けられてゐる。 それでも、そこは要心深いイギリス人のことだから、パリ等に比較すれば遙かに嚴重で、夜間の通行は、懷中、燈なしでは絕對に歩けない。晴れた空の夜ならば星明りでほのかに道ぐらひは判別がつくが、天氣の惡いことで有名なロンドンでは、そんな夜はめったにない。おかげで樣々な珍劇や、また危險な事故などが頻發する。街角の防空壕(シェルター)の入口に立って老婆がしきりに道を訊いてゐる三度同じことを繰返しても、相手は返事をしない。お婆さんはあきらめて、 「それでは外の人に聞きませう」と立去った。よく見ると、お婆さんは防空壕(シェルター)の入口に積み重ねた十囊(サンド.パッグ)に道を尋ねてゐたのである。臺數の減ったバスを停留場で待ってゐると、ドスンと通行人がぶつゝかる。慌てゝ双方で「ソーリイ」とあやまる。深夜の街を歩いてゐると、軒下や街角で、港の入口の航識燈のやうに一定の間隔をおいて、物言ひだけにチカチカと光る灯がある。文字通り闇の女の流し目ならぬ、サーチライトだ。 ロンドン人が片時も手ばなさぬかうも傘の外に、戰爭後は今一つ持物が增えた。まさかの時のガス.マスクがそれだ。フランスでも一時、マスク必携令が出たが、いつとはなしにパリ市民は、この邪魔くさい持物を、戶棚の奧へほうりこんでおく者が多くなった。そこへ行くとイギリス人は慎重且つ凡帳面である。一つには英國では、內外人を問はず、警察や公會堂へ行くと、無料でガス.マスクを配給してくれるせひもある。それも最初のうちはホテルやレストランの外套預り所で、マスクだけは預ることを拒否してゐたが、この頃では外の荷物と一緒に預るようになった。十人のうら四人位はマスクを持たぬ物ぐさもあり、着飾ったレイディのマスク袋の中からお化粧□□ばかり出て來たといふやうな話もあるが、中には大きな鞄の中に、非常時用具一切を入れ、肩からぶら下げて歩いてゐるような用心家も相當に多い。 二 銃後の英國にとって最も大きな腦みの一つは、國民の食糧問題である。英國人の食慾を滿すものは、その大部分を海外自治□植民地及び外國からの輸入に仰いでゐる結果、一朝戰爭とたって、若し敵國海軍に海上制霸權を握られゝば、全國四千五百萬の國民は、半年を出でずして干ぼしになって了ふ。戰時に入ると共に政府がいち早く食糧の統制問題に手を染め、いはゆる食糧品割□問題が每日のやうに新□紙面を賑はせてゐる所以である。だが幸ひにして今次の戰爭では、海軍力に於ては英佛側が壓倒的に優勢であり、ドイツは僅かに潜水艦によるゲリラ戰術をもって脅かしてはゐるものゝ、今□までの所、今直ちに英國民の胃袋にこたへるやうな直接的脅威にはさらされてゐないこの點は前の世界大戰當時に比し、遙かに餘裕があるといふイギリス側の宣傳は事實だと思はれる。二十年前の大戰の時には馬鈴薯、バター、ミルク、ハムベーコン、砂糖の著しい缺乏を告げ、それに商人の不當利得をむさぼる者が多くて、食糧品物價は非常な昂騰を示した。然るに今度の戰爭では、割□制は今迄の所バターとベーコンの二種に限られてゐる。 英人一人當り一週間のバター消費量は二分の一ポンド、全英一年間の消費量は五十二萬トンであるが、現在英國に貯藏されてゐるバターの總量は十八萬トンだから、四ヶ月以上の供給力があり、しかもオーストラリア及びニュージーランドよりする輸送能力は今の所それほどの打撃を受けてゐない、といふのは割當制反□論者の言分だ。ベーコンは主としてデンマークから輸入されるが。この方はかなり供給が制限されてゐる模樣である。その他の食糧品としては卵、砂糖等が□れも騰貴してゐるが、しかし、勞働者の發表によれば今年九月末現在の食糧品物價指數は、一九一四年當時に比し、五○即ち約半分であり其他の一般物價指數も一九一四年に比して六五にしか相當せず、全般的に言って、前大戰當時よりも遙かに有利な狀況におかれてゐると言ふ事が出來る食糧品以外の統制物品としてはこゝでも御□分に洩れぬガソリンと石炭とがある。ガソリンはすでに切符制が實施され、石炭も亦今のところ大した制限ではないが、割當制が行はれてゐる 三 戰時のロンドンには子供が見られない。それだけに、時たま地下鐵の中などで、子供の姿を見ると、實際珍らしいものを見たやうで、とても可愛い。 開戰と同時に空爆の被害を恐れて、十五歲以下の兒童は殆んど大部分、近郊の田舍へ分散して避難させられた為である。恰度日本の兵隊さんが、秋期演習などで各家庭に割當てられて宿泊するように、都會の子供が田舍の家へ預けられてゐる。父親は大低職に留らねばならぬので、母親だけが子供と一緒に避難したものもあり、中には子供たちだけが、兩親と離れて避難してゐるものも多い。 ところが最近、燈火管制の緩和や、食糧制限の延期と同樣に、ボッボッ避難地先から子供が呼びかへされて來る傾向がある。何分、兩親の手許から離れてゐると、兒童の監督、教育はとかくおろそかになり、又上流家庭の子弟が、下層階級の家へ預けられたり、或はその反對であったりすると、保守的で階級差別を重視する英國人だけに、色々と面倒なトラブルを生じ、親たちの惱みの種のなってゐるらしい。一時は慌てゝ避難させてみたものゝ、現在の樣な調子なら呼びかへしても大丈夫だらうといふので、最近十一歲以上の小學兒童約七萬がロンドンへ歸って來ることとなり、同時に教員約二千名も引返して來ることになった。 市內の中等學校や大學なども、多くは郊外に臨時移轉し、有名なケンブリッヂやオックスフード大學は、もともと郊外にあるから問題なく授業を續けてゐるが、前の大戰當時と違って、今度は學生軍を前線に送り出すやうな必要もなく、こゝにも奇怪なる戰爭の一斷面がうかゞはれる。 第一、フランスに出征してゐる英國部隊にしてからが、主としてベルギー國境方面の防備に當り、未だ殆んど干戈を交へたことがない位で、辛うじてR.A.F(英國空軍)が時々ドイツを偵察してゐる程度の戰爭だから、戰爭の慘禍による悲慘な空氣は全然感じられない。 しかし乍ら、出征兵士の慰間及びその家族の優待には政府、國民ともに最善を盡すための努力が拂はれ、兵士の妻子に對する國家の補助金は、最近の議會で討議の結果、その增額が決定された。兵士の妻の受くべき補助金額は、すでに昨年四月、從前の一週七志より同十七志に引上げが行はれてゐるので、今回はそのまゝとされたが、子供に對するそれは、從來、第一子每週五志、第二子三志、第三子二志以下一志となってゐたのを、今回の改正で、第二子四志、第三子以下三志と增額されることになった。 その他、汽車賃の割引案とか、戰線への手紙及び慰問品發送手續熱心に唱へられ有名な俳優や藝術家たちが、前線將兵の慰問に出かけたりするあたりは、日本の銃後にもよく似てゐる。 |
02 | 圖像:戰時下の獨逸 |
03 | 圖像:飛行船で救□作業 |
04 | 宿命の巴里/井上勇 |
05 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 朝霧深き練兵場に 繰展げた軍國繪卷 臺南陸軍始觀兵式盛況 |
02 | “臺中市銃後通信” 第一回既に戰線へ發送 |
03 | 花蓮港廳協議會 來る十八日より開催 |
04 | 圖像:廣東北部殘敵掃蕩戰 |
05 | 嘉義署の武道始 |
06 | 高雄漁業組合 遠洋漁業に付き けふ打合會開催 |
07 | 婦人交禮會 彰化市公會堂で行はる |
08 | 臺南州の木炭增產 來年度百五十萬斤增し |
09 | 經濟統制協議會 高雄市で發會式を擧行 |
10 | 渡邊軍醫少尉 名譽の戰死を遂ぐ |
11 | 宗藤高雄市尹が 白衣勇士を慰問 |
12 | 躍進高雄州の豫算 八百餘萬圓に上る 赤堀知事編成方針を說明 |
13 | 紅毛埤貯水池建設 豫算愈よ閣議通過 嘉義市民歡聲を擧ぐ |
14 | 臺中食料雜貨商 同業組合を組織 |
15 | 產業開發に努力 臺東築港に邁進 新廳長藤田氏語る |
16 | 小作料統制令の主旨徹底を圖る 關係者を集めて說明 |
17 | 大陸に活躍する 我が財界の人人(三) |
18 | 橫領犯人ご用 副產物に賭博團を檢擧 |
19 | 學校荒し泥棒 臺中署に檢擧 |
20 | 人事往來 |
21 | 消息 |
22 | 順風耳 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 首相自ら陸相訪問 政府の意向を表明 政局の推移愈よ注目 |
02 | 首相けふ陸相と會談 陸相重ねて善處を要望 |
03 | 阿部首相參內 |
04 | 花山新店等を痛爆 |
05 | アラスカの根據地案 米議會に突出されん |
06 | 米の海軍擴張案 公聽會を開く |
07 | 米の本年度商船建造 數十隻に上らん |
08 | 伊洪防守同盟を結成 近く條約に正式調印 |
09 | 駐濠米公使任命 |
10 | 圖像:臨時閣議 |
11 | 洪の失地回復 伊は支持を明かにす |
12 | 工業クラブ理事長 井坂孝氏に決定 |
13 | 英內閣重大な危機 ホ陸相辭任問題縺る |
14 | 伊洪會談結果に 獨、一安堵の態 |
15 | 日、ソ通商交涉 十日頃から開始か |
16 | 日、ソ漁業暫定協定 十三日の樞府本會議に上程 |
17 | ソ聯軍の損害十萬 ソ芬戰最初の五週間で |
18 | 汪派に多大の好感 中華日報の社說論ず |
19 | ソ軍一個師團を殲滅 芬蘭軍司令部發表 |
20 | 日粉聯合會から 日清製粉が脫退 |
21 | 一月中の臺米移出 合計五十五萬石に上る |
22 | 生糸にも配給 統制規則制定 |
23 | 橫濱生絲市場大爆發高 |
24 | 明日の天氣 |
25 | 水滸傳(24)/黃得時;榎本真砂夫 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 流腦魔の正體發見 恐るべし、蚊が謀介する 苦心の三田村博士に凱歌 |
02 | 泰國記念博出品の臺灣物產大好評 歸臺した代表の土產談 |
03 | 臺高ホツケー優勝祝大會 來る十四日開催 |
04 | 御兼題“軍營の花” 大御心の程畏し |
05 | 臺北州通常州會 廿五日から開催 |
06 | 新竹州會は二十二日から |
07 | 荻原鐵藏氏が寄附 |
08 | 高砂丸入港 多彩の船客を乘せて |
09 | 圖像:梅坑入城 |
10 | 夕張炭礦爆發 五十二名が生埋め |
11 | 島都青年團查閱 來る十四日實施に決定 終つて大會を開催 |
12 | スリの體驗披露 大親分政太郎來臺 各地で實演行脚 |
13 | 萬華遊廓附近で斬らる |
14 | 山分で爭ひ斬られて即死 |
15 | 鼓浪嶼にテロ事件 黃、劉兩氏狙擊さる |
16 | 千餘圓盜む 懲りぬ大工又御用 |
17 | 山西丸無電 |
18 | 臺彎刀で渡合ふ チヤムバラ映畫を地で行き 一名即死一名重傷 |
19 | 女子の迷子 |
20 | 戰爭ごつこ |
21 | 定期航空 |
22 | 人事消息報社消息 |
23 | 街で拾ふ |
24 | 今夜の放送 |
25 | 商況 九日 前場 |
26 | 今日の興行 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 愛の凱歌(121)/戶川貞雄;松田文雄 |
02 | 家庭婦人 護れ!赤ん坊の冬 血清注射に御注意 無暗に行ふと心臟衰弱になる 麻疹、ヂフテリーの卷 |
03 | 厚化粧のコツ 下手にすると感じが 不自然になりますよ |
04 | 萬年青の藥效 |
05 | 鰯のさつも揚 |
06 | 新しいぺンの使ひ方 |
07 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 新民報國語學習新聞 獨空軍が英首相に カウモリ傘の贈物 のんびりした戰爭ですね これこそ世界一の皮肉 |
02 | 圖像:若鷲少年航空兵(一) |
03 | 世界異聞 |
04 | 家庭醫學 食べ過ぎ飲み過ぎから起る 胃腸カタルの手當法 |
05 | 老人の食物には 特にこんな御注意が必要 |
06 | 一家四人の愛用する腸胃藥/湊川賛江 |
07 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 政黨の空氣を打診 最後的決斷下すか 閣內の動き慌し!頭條新聞 【東京九日發同盟】微妙に展開しつつある政局は八日畑陸相より首相になされた陸軍の總意傳達に依つて一段緊張の度を加へ九日は定例閣議前後二回に亘つて阿部首相は秋田厚相と會見しまた閣議散會後首相、陸相は前日に引續き重要會談を行ひこれと前後して秋田厚相、永井遞相永田鐵相、金光拓相等關係閣僚は協議を遂げ閣內は慌しき動きを見せた、然して最も注目されてゐる首相、陸相の會見においては首相より陸相に對し前日の進言內容に就いて重ねて、真意を質し、首相の抱懷する意圖を披瀝し兩相間に忌憚なき意見の交換を遂げ政局に對處する方途を策した、然して閣內においては永井、秋田等政黨出身閣僚は首相に對して依然として強硬方針をもつて議會に臨むことを進言した模樣であるが首相としては四圍の情勢殊に軍部方面の動向に鑑み態度を決する必要ありとし在野五檔首との會合も支那新政權樹立基本方策說明の名に依つて一兩日中に開き其際政黨側の空氣を婉曲に打診したる上最後的決斷を下すものと思はれる。 |
02 | 首相、內府と會談 刻下の政局につき報告 |
03 | 五黨首會合を開く 政局には關聯せずに |
04 | 定例閣議 |
05 | 佛も內閣改造か 詳細未だ判明せず |
06 | 米海軍の追加擴張 ス作戰部長が力說 |
07 | フランスの通常議會開く |
08 | 戰時食糧統制へ 英が第一步を踏出す |
09 | 圖像:輝やく陸軍始觀兵式 |
10 | 衣服其他の割當制を實施 |
11 | 英佛と土國間の新財政通商協定 |
12 | 對米為替公定レートを減少 インケゲンド銀行 |
13 | 和平實現の諸問題を研究 米國國務省が特別委員會を設置 |
14 | 聯盟を通じての芬蘭援助に協力 米國より總長に通告 |
15 | ブラジルの關稅墻壁低下 |
16 | 北、中、南支に活躍 我が海鷲の大戰果 |
17 | 翁源、英德奪回のデマ宣傳を行ふ 笑止‧重慶で提灯行列 |
18 | 敵混合部隊を奇襲殲滅 |
19 | 覆面の將軍 七田中將歸京 |
20 | 白鳥大使待命 |
21 | 承德鑛業會社設立 |
22 | 日本と同一步調で 新政權樹立に對處 內治外交の諸問題張國務總理談 |
23 | 滿洲國愈愈農工 併進政策實現へ |
24 | 本邦の對外貿易 七億四千四百餘萬圓出超增 |
25 | 外國貿易內譯 |
26 | 上海在留邦人 事變前の兩倍 六萬四千八百餘名 |
27 | 鮮米增產計畫 三千五百萬石確保 |
28 | 日本電力工事場に 突如雪崩來襲 行方不明廿四名 |
29 | 重慶政府、佛大使に 對日抗議方を要請 滇越鐵道爆破に對し |
30 | 小谷代議士が久原派に復歸 |
31 | 內務辭令 |
32 | 本日の天氣 |
33 | 大阪商船臺灣出帆 |
34 | 東亞海運 |
35 | 日本郵船基隆出帆 |
36 | 辰馬汽船 |
37 | 大連汽船 |
38 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 聞くべきを よく聞け! 小林總督の明快な訓示社說 一 去る四日、小林總督が新年政始式に於ける府內高等官一同に對する訓示の中、「私共官僚は其の職責の益々重大を加ふるに鑑みて、自肅自戒、苟くも官僚獨善に墮する事なく、能く聞くべきを聞き、身を以て眾を率ゆるの覺悟が特に肝要と存ずる」といふ一節があつた。古來為政者として自ら慎みて心得べき為政の要□は此の數言で殆ど盡きるわけであつた。洵に稀にきく明快な名訓示である。然しこれを自ら行ふ身になつてゐる官僚等は果して幾人か能くこれを實踐して、獨善偏見を持たず、聞くべきをよく聞く雅量を有つてゐるでせう?特に本島の官界異動每によく新任者から拜命の新職務に對し、未だ何等の經驗を有せず、全く白紙で臨んで、能く實情をきいてから方策を樹てや感想を多くきくのであるが、新任官僚の聞かうといふ所は槪ね部下官僚の机上報告であつて、一般の輿論、民眾の聲を聞かうとするものが餘り見當らないやうである。まして舊い官僚等に至つては果してよく虛心坦懷を以て、聞くべき有らゆる方面の聲を聞く胸量を有つてゐるでせうか。 二 然るに小林總督の訓示されたる聞くべき聞けと一言はその官僚獨善に墮することを戒める觀點より見て、當然民眾の輿論をも聞くべき真意を含まれてゐると認めざるを得ない。古聖賢にも「眾號之、必察焉 眾惡之 必察焉」と云ふ如く、また「左右皆可と曰ふ、聽く勿れ、諸大夫皆可と曰ふ、聽く勿れ、國人皆可と曰ふ、然る後之れを察し、其の可なるを見て然る後之れを行ふ、此くの如く以て民の父母と謂ふべきである」と云はれたのである是れはすなはち、民眾の好む所と惡む所をよく審察し、為政者がその裁斷の權を行へば、民の父母たる如く、真の理想的な政治が行はれ得ると云ふ意味である。そして小林總督の意圖する聞くべきを聞き、身を以て眾を率ゆる云ふ官僚の守る信條も求められるべく、また古今を通じて為政者の心得べき政治の真諦もこゝに見出さねばならないのである。 三 我が本島官界の實情を見るに從來多くの官僚は机上で立案してる唯一の理想と固執し、現實に聞くべき所をも聞かないのみならず聞かされる機會をさへ避けやうとする傾向がないでもないである。斯くの如き特殊な雰圍氣の中にある島內官僚に對し、小林總督の諄々として說かるゝ名訓示が果して從來の官僚獨善たる態度を改め、虛心坦懷によく聞くべき所聞くが如き氣風を馴致し得るかはこゝに彼れ此れ豫測したくもないが、唯現在の官僚をして從來よりはいさゝかたりとも、徒らに官權を藉らず、また聞くべき聲を厭はず、よく民の好き嫌ふ所を審察する如き氣持ちだけでも持たしてもらへば、先づ以て新東亞建設に協力すべき重大任務を負荷せる新臺灣建設者としての新しい心構へだけが用意出來たといつてよからうと思ふのである。 |
02 | 生きた里蕃秘史 新竹の功勞者座談會 |
03 | 總裁宮を奉載して 海軍協會當局感激 |
04 | 基隆礁溪道改修 十日現場で起工式 |
05 | 臺灣米增產對策1 稻の耕種法改善に就て/磯永吉 |
06 | 知事、市尹歡送迎會 きのふ島都公會堂で |
07 | 圖書館週間 十一日から開始 |
08 | 嚴重なる交通制限 鼓浪嶼テロ事件搜查 |
09 | 黃氏は親日要人 |
10 | 三卷氏「在臺卅年」祝賀會 |
11 | 江花高等課長 大分縣へ榮轉 |
12 | 高雄州警察警察武道始 |
13 | 川村知事が蘭陽初巡視 十二日から三日 |
14 | 宜蘭農林の農業祭 |
15 | 海上警報 |
16 | 矢野氏尹披露宴 |
17 | 殺人犯逮捕に嚴重を手配 |
18 | 定期航空 |
19 | 人事消息 |
20 | ときのこゑ |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 本年は未曾有の出荷 三百八十萬籠の豫想 臺灣青果組聯の出荷統制委員會開かる |
02 | 青果關係者が協議 各船會社とも輸送懇談 |
03 | 業佃一體の實と 農地問題の調整 今回の官制改正で佐佐木農務課長談 |
04 | 蘇澳洋灰工場 年內竣工の豫定 臺灣洋灰も擴張決定 |
05 | 臺灣貯蓄銀行良績 配當は六分に据置 總會は來る廿六日 |
06 | 三五公司壓榨開始 |
07 | 農事講習會 十五日から六日間臺灣農會主催 |
08 | 晴天續きのため 北部發電所に異變 日月潭の貯水で補供 |
09 | 米穀問題一般で 十三日‧各州內務部長會議 |
10 | 泰國進出の好機 本島人が最も有望 臺北商工會議所員顏必從氏歸臺談 |
11 | 飲料水組合の主事更迭 |
12 | 泰國博覽會で 臺灣物產が好評 見本市關係者一行歸臺 |
13 | 官鐵收入良好 二千四百萬圓を突破 |
14 | 臺灣米穀取引事業 補償委員會職員決定 |
15 | 第六回管理米輸送 三十萬袋を計畫 |
16 | 照明燈 |
17 | 市價及商況 九日 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 殷殷たる銃聲砲火 曉の空に轟き渡る 鄉軍臺中分會の陸軍始記念演習 |
02 | 興亞の意氣を顯揚 南投郡聯合青年團が 長距離驛傳競技會 |
03 | 齋藤氏壯途へ |
04 | 彰化市內各組合の總代會日割 |
05 | 新化郡警察課の寒稽古 |
06 | 彰化郡下の保甲生擴狀況視察 |
07 | 國產興業開業披露 |
08 | 埔里街婦人交禮會 |
09 | 圖像:迎年祈世 |
10 | 遺家族至極滿悅 淡水の慰安會盛況 |
11 | 苑裡庄の出初式 |
12 | 圖像:一月の繪ごよみ |
13 | 役馬利用競技會 けふ臺中州畜產會 北斗郡支會で開く |
14 | ローカルセクシヨン |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 林產資源の擴充に 愈よ山林會を創立 近く臺中州で創立委員會開催 |
02 | 高雄市新年度豫算 五百萬圓を降らぬ 當局通過に大童の工作 |
03 | 勇士の遺族住宅 三月末までに完成せん |
04 | 圖像:觀兵式豫行演習 |
05 | 徵兵適齡者の在留地檢查 嘉義市へ屆出よ |
06 | 體位向上時局展 來る廿五日花蓮港街で |
07 | 未編入の私設埤圳 臺南州下に三百餘ケ所 |
08 | 高雄の市民病院 預算追加して近く實現 |
09 | 大陸に活躍する 我が財界の人人(完) |
10 | 圖書館週間 十一日より一週間 臺中圖書館で開催 |
11 | 經濟警察協議會 臺中州下の各市郡 本月末迄全部結成 |
12 | 魚類の肝臟で大儲 漁師連思はぬ拾ひ物でニコニコ |
13 | 役馬利用講習會 臺南州主催東石郡下で |
14 | 人事往來 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 政局複雜微妙に推移 荏苒時の經過を許さぬ |
02 | 二、三週間を出ずして 獨軍、和蘭に進入せん テレグラフ紙特派員の報道 |
03 | 斷乎戰ひ拔く チエ英首相決意表明 |
04 | 圖像:輝やく陸軍始觀兵式 |
05 | 陸軍軍事參議官 初會議を開催 |
06 | 矛盾極まる敵の內情 投降營長との一問一答 |
07 | 柳川長官南京へ |
08 | イギリス皇室も 食料統制御實行 |
09 | 英船バ號爆沈 |
10 | ス部長の軍擴論に 早くも反對論擡頭 グワム島防備案も |
11 | 五萬噸以上の主力艦を建造 米海軍作戰部長が證言 |
12 | バルカンの動き活潑 伊國を中心として |
13 | 濠洲は帝國とも 正式外交關係を確立 公使の派遣を考慮中 |
14 | 大統領權限擴張案 非難を招き實現斷念 |
15 | 米、ウ通商交涉 遂に決裂 |
16 | 無條件絕對援助 伊、洪軍事同盟の內容 |
17 | 古原農教課長を休職處分 |
18 | 明日の天氣 |
19 | 水滸傳(25)/黃得時;榎本真砂夫 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 宇垣さんその日ご機嫌 政界の風雲を他處に ぶらり本取りに東上 |
02 | 世界隋一を目指す 砂町の模範飛行場 竣工後は帝都に偉觀 |
03 | 懸賞附で犯人嚴探 廈門工部局、萬全の策 |
04 | 工部局の無力暴露 |
05 | 海上一帶も嚴戒 |
06 | 奉祝式典や旗行列 島都の建國祭行事 |
07 | 州下中等學校武道大會 廿一日武德殿で |
08 | 白衣の勇士 內地へ歸還 |
09 | 臺北高等課長 高野氏が榮轉 |
10 | 府主催の都市計畫講習會 十五日より開催 |
11 | 教授グルーブ有罪 治維法違反と認定 |
12 | 青年團大會 新竹洲各郡の日取り |
13 | 昭和十四年度の全日本庭球順位 |
14 | 基隆愛婦新年交禮會 |
15 | 勝利丸救助さる 彭佳嶼の沖合で |
16 | 北大山岳部員八名 大雪崩で生埋め |
17 | 惡家主に鐵槌 基隆署が一齊調查 |
18 | 洋服專門の怪盜御用 南署に初半炳 |
19 | 擧動不審の男 果して六犯の強か者 |
20 | 基隆は雨 本來の姿に戾る |
21 | 教員と兒童の劍道大會 |
22 | 二千六百年記念ポスター入選者發表 |
23 | 地區振興會の設置座談會 |
24 | チフス發生二八八名 昨年中南署管內 |
25 | 彌陀庄の火事 |
26 | 泥棒逮捕さる |
27 | 人事消息 |
28 | 定期航空 |
29 | 街で拾ふ |
30 | 今夜の放送 |
31 | 商況 十日 前場 |
32 | 今日の興行 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 愛の凱歌(122)/戶川貞雄;松田文雄 |
02 | 家庭婦人 護れ!赤ん坊の冬 着物の上から火傷 恐ろしい湯タンポ |
03 | 僕ら、わてらの鳩 幼稚園の軍鳩獻納式 |
04 | 家庭で美味しい 納豆を作る法 |
05 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新民報國語學習新聞 危險な英吉利海岸 水雷がふわりく 一箇見つけた御褒美に 二百圓もらへる |
02 | 圖像:若鷲少年航空兵(二) |
03 | 百圓札や債券 物すどい東京の落物 |
04 | カタカナ欄 |
05 | 僕等の校歌 鹿港第二公學校/久保文喜 |
06 | ドイツの豆戰艦と英國巡洋艦の海戰 シユペー號は何故自沈したか (上)子供の世界ニユース |
07 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 近衛樞相、內府と會見 政局に關し意見を交換頭條新聞 【東京十日發同盟】近衞樞密院議長は十日の樞密院初會議散會後內大臣府において湯淺內府と會見し九日の內府阿部首相會見の內容を聽取し政局問題に關し種々意見の交換を行ひ樞相は午後零時二十分退出華族會舘に入った。 |
02 | 沖龍附近の敵を急襲 欽縣、南寧の交通路確保 |
03 | 久邇宮朝融王殿下 橫鎮附に御轉補 |
04 | 圖像:哈爾賓會議第一日 |
05 | ソ聯大使 外相と要談 |
06 | 紐育の砂糖 現物市場低落 |
07 | 魯東の敗殘匪を掃射 |
08 | 海軍軍事參議官會議 |
09 | 井關、七田兩中將 けふ宮中へ參內 |
10 | 南洋空路就航の大型飛行艇 最初の一臺が完成 |
11 | 國債二百十五億突破 前年より約五十三億增し |
12 | 五萬二千噸の巨艦建造計畫 スターク作戰部長發表 |
13 | グワム島防備強化 ス部長が執拗に說く |
14 | 反對の氣勢を擧ぐ 米下院海軍委員會 |
15 | 結局否決されん ヴ委員長が言明 |
16 | 管船局に二課を增設 |
17 | ソ聯軍の攻勢失敗 遠征軍編成替を斷行 |
18 | ソ軍敗退を確認 芬蘭中部戰線で |
19 | バルカン協商國常任 理事會定例會議を開く ル―マニア政府より發表 |
20 | 大利根の治水計畫 パナマ運河を凌ぐ大放水路と 世界隨一の臨海工場地帶建設 |
21 | 對芬新借款を供與 米大統領、意圖を表明 |
22 | ル米大統領 宗教家と懇談 世界平和問題に付 |
23 | 戰爭不參加を堅持 山口氏、印度の印象と語る |
24 | 不可解な香港 英字紙の編調 |
25 | 大陸派遣空軍 總軍司令部新設 英海軍省の發表 |
26 | 全國學務部長會議始まる |
27 | 總督府辭令 |
28 | 本日の天氣 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 洋灰供給不足の善後策社說 一 從來本島に於けるセメント供給は大部分內地より移入し一部は高雄淺野系の工場にて生產してゐる狀態にある。試みに昭和十二年中の移入高は約二十萬瓲に對し島內生產高は約十五萬瓲しかなく、昨十四年中は淺野系の高雄第二工場の修繕を完成したので漸く年產二十萬瓲の能力を發揮して來たが、年々需要增加のため今や需要高四十萬瓲乃至四十五六萬瓲に達し其の半分さへ供給する事が出來ないのである。殊に昨秋□來偶々關西地方に渴水によつて電力の供給不足を惹起し、內地に於ける石炭も豫定通り增產が出來ない上に石炭を以て火力電氣を起す必要上より益々石炭饑饉の情勢を作つたので、軍需工業ならざるセメント工業に對して石炭の供給が著しく制限されたのである。此の結果內地に於ける供給でさへ不充分である到底本島へ移出する餘裕がなくなつた。從つて今後島內に於けるセメントの不足に對して何かの對策を講ずる必要あるは餘りにも明かな事である。 二 蒸しセメントの不足對策は島內の自足自給を圖る事が最も根本的であるし、又島內に於けるセメント原料たる石灰山も少なくないので當然かかる方面に對して着手すべきは言を俟たない。それ故督府殖產局で昨年臺灣化成工業會社を組織せしめ目下能力十萬瓲の工場を蘇澳に建設せんとしてゐるが、いくら早くて事が出來ない狀態である假りに來年より年產十萬瓲の新供給が出來ても依然足らざるは明かである淺野系の臺灣セメント會社が高雄に於て年額約十萬瓲の新工場を擴張せんとしてゐるが、假令工場建設の許可を得ても製品の出る迄は更に一二年を待たなけらばならないであらう。從つて今後更に第二第三の新工場を目論せしむべく當局に於て之を誘導しなければならないと思はれる。 三 然るにセメントの不足に今年匆々の燃眉の問題であり、殊に今後建築方面の需要は勿論の事特種用途の外に梧棲の築港、臺灣工業化による新工場の建設、米穀增產のための埤圳の新築造□によつて其の需要が益々增加しつつあるので、當局としては先づ商工省と折衝して移入の確保を圖るべき必要があるのである。尚內地に於けるセメント工業は尚操業短縮してゐるので、石炭の供給さへなせば增產の餘□が多くあるであらうから、或は本島より石炭を供給し其の代りセメントの移入を確保する方法もあらう。要するに島內に於ける供給不足は眼先□か方法を以て移入を促進せしめなけらば臺灣產業の進展に□して支障を來す恐れがあるから此の問題は特に督府當局の善處を要望して止まざる次第である。 |
02 | 皇后陛下の大御心 哺育所、訪問婦事業御獎勵に 御內帑金七萬圓御下賜 |
03 | 仰ぐ無敵皇軍の威容 燦たり馬公海軍陸戰隊觀兵式 |
04 | 金融懇談會 十四日宜蘭で |
05 | 遭難の兩氏を 水戶長官代理見舞ふ 金一封を贈る |
06 | 笠井參與官來高 |
07 | 竹園公上棟式 昨日盛大に擧行 |
08 | 軍人援護會臺灣本部 設立準備全く整ひ 來月發會式を擧行 |
09 | 陸海軍に献金 |
10 | 太陽に大黑點二つ 地球の五倍大もある |
11 | 臺灣米增產對策2 稻の耕種法改善に就て/磯永吉 |
12 | 川村知事木原市尹 新任披露宴 官民七百名を招待し |
13 | 帝都は本格的の冬 きのふ零下五度四分 |
14 | 勿體なやこの資源 島都の火災逐年激增 市民の注意を要望 |
15 | 日新町の火事 |
16 | 性病を撲滅 新竹州下の講演會、座談會日割 |
17 | 基隆埠頭に 木炭滯貨の山 船腹不足のためで |
18 | 細川流盆石作品展 |
19 | 愛育幼稚園同窓會 |
20 | 「禁酒報國の歌」を募集 |
21 | 江花氏十五日赴任 |
22 | 石井知事歡迎會 十六日嘉義市で |
23 | 大相撲春場所 初日の取組 |
24 | 人事消息報社消息 |
25 | 定期航空 |
26 | ときのこゑ |
27 | 大阪商船臺灣出帆 |
28 | 東亞海運 |
29 | 日本郵船基隆出帆 |
30 | 辰馬汽船 |
31 | 大連汽船 |
32 | 訃文:張溪泉 |
33 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 物價對策のため 督府に物價調整課新設 地方廳に經濟調整課 |
02 | 酒類需給の調整 可及的善處する 江口酒課長談 |
03 | 米穀業者への補償 昨日幹事會開かる |
04 | 勸銀年末貸出高 一億五百四十萬圓 債還多き為增加せず |
05 | 肥料同業組合が 解散案を上程か 注目される定期總會 |
06 | 濱糸暴落 |
07 | 本年度臺灣產糖の 減產見込量報告 糖聯より現地に電命 |
08 | 鶯歌驛の滯炭 五萬瓲に上る |
09 | 三和銀行一分增配 |
10 | 丸糯割高の為め 石三圓引下要望さる |
11 | 常議員會を開催 重要議題を審議 來る十三日臺灣商議が |
12 | 臺灣商工會議所 役員會を開催 |
13 | 支那重要市場調查 大阪市の經濟視察團 |
14 | 支那炭の輸送 遞信省が命令 |
15 | 大豆粕の統制收買 特產專管公社で實施 |
16 | 商銀一分增配 總會は來る廿七日 |
17 | 臺灣證券取引所 促進に打合會開催 |
18 | 上旬貿易 |
19 | 照明燈 |
20 | 市價及商況 十日 |
21 | 謹賀新年 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 家庭法律講座/草薙晋 |
03 | 講演 列國戰時經濟の動向/木村禧八郎 |
04 | 圖像:勅題「迎年祈世」 |
05 | 大都の新家庭防空讀本 |
06 | 原作久米正雄‧大每東日聯載 白蘭の歌(前後篇) 國際館上映中 |
07 | 大船清水宏の次回作 「私には夫がある」 |
08 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 圖書館週間 旗山郡で十一日から |
02 | 圖像:舊消防組の木遣行列 |
03 | 紙幣偽造豚箱へ 前科二犯の強か者 |
04 | 圖像:昨年の時局史 |
05 | 鑛業助成會講演會 |
06 | 物資使用‧收用令 徵發令の擴大全面化 |
07 | 江崎屏東署長着任 |
08 | 英ネル窃盜屏東署へ |
09 | 命の安賣三件 新春匆匆屏東市で |
10 | 慌て者二百四十圓を忘る 旗山郡刑事の手で懷に返る |
11 | 旗山郡下の產組總代會日程 |
12 | 豐原街烏牛欄の火事 |
13 | 空巢專門 基隆署に擧らる |
14 | ローカルセクシヨン |
15 | “團員生活四ケ年”の放送 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 高雄州の防空懇談會 赤堀知事司會の下に開催 全市の各官衙長等參集 |
02 | 圖像:支那方面艦隊陸戰隊觀兵式 |
03 | 難航の戰時金融界(上) 事變第三年の回顧 |
04 | 福田大佐來彰 青年學校を視察 |
05 | 奧田新知事 彰化郡市初巡視 |
06 | 臺南州の山手方面 階段式畑地を開墾 初年度四百甲に獎勵金 |
07 | 高雄宵の口の大火 料亭「御園」灰燼に歸 |
08 | 赤堀知事出府 |
09 | 奧田知事歡迎會 あす彰化公會堂で |
10 | 嘉義市政十周年 來る廿日記念祝賀式 |
11 | 武德會臺南支部 きのふ武道始 |
12 | 公學校の學級增加 財源の關係で意の如くならず 花蓮港廳對策として國講を擴張 |
13 | 高雄市に流腦 |
14 | 船腹不足の為め 砂糖の滯荷山積 緩和せざる限り遂に產地止か |
15 | 高野新高等課長 けふ臺北州へ赴任 |
16 | 彰化署初定期召集 |
17 | 圖像:“コロンブス號”の最後 |
18 | 臺灣電灯製氷工場 試運轉中に爆破の椿事 |
19 | 五十名の大賭博團 彰化署に擧げらる |
20 | 時局童話大會 けるから臺中圖書館で |
21 | 彰化郡の產組總會 |
22 | 衛生苦力の輪禍 トラツクと衝突 |
23 | 臺南州警察異動 |
24 | 林仲衡氏逝去 |
25 | 人事往來 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 政局一新の決意を 十三日に表明せん 首相、あすの閣議で決意披瀝 |
02 | 在野五黨首の會合 十三日首相官邸で開催 |
03 | 畑陸相以下重要協議 |
04 | 松井、久原兩參議 首相と會見 |
05 | 若松總領事 ニユーデリーに向ふ |
06 | 敵の遺棄死體三萬餘 武漢周邊の綜合戰果 |
07 | 山東地區の綜合戰果 |
08 | 崇陽附近の敵を粉碎 |
09 | 井關、七田兩中將と 桑原海軍少將參內 |
10 | 蔣、桂林で督戰 |
11 | 興亞院長官會議 南京で開かる |
12 | 英商船二隻沈沒 |
13 | 日ソ通商交涉始まる 東鄉大使とり案文を提示 |
14 | 大同炭礦創立總會 |
15 | グワム島の武裝は 對日挑戰的行為 ボラー議員が非難 |
16 | グワム島武裝の重要性を更に強調 スターク作戰部長が |
17 | 米政界の諸情報 |
18 | 圖像:獨ソ修交條約調印式 |
19 | 明日の天氣 |
20 | 英、獨の空軍 北海で激戰 |
21 | 武裝商船及び 哨戒艇を擊沈 ドイツ空軍が |
22 | 佛國內で亡命 波國軍を編制 |
23 | 米海軍の平時兵力 十四萬五千に增員提案 |
24 | 造艦技術上の 缺陷は是正さる 米艦政部長の證言 |
25 | 羅、洪の懸案解決 ルーマニラ乘出さん |
26 | 水滸傳(26)/黃得時;榎本真砂夫 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 世は技術者黃金時代 新設された七高工の外 實業專門も大量增募 |
02 | 親族、親續兩編の 最後的檢討 けふ第二回取調委員會 |
03 | 保甲民を動員 麻病防遏作業 北署管內けふから |
04 | ローゼン伯 芬軍に從軍 |
05 | 柒田中塚兩氏 新竹を視察 |
06 | 白衣の諸勇士 けふ內地へ歸還 |
07 | 富士丸出帆 |
08 | 地主を集めて 小作統制令說明 |
09 | 大西洋無着陸 往復飛行 米航空技術者間噂專ら |
10 | 地區振興會結成打合 |
11 | 圖像:日比谷ラヂオ體操記念大會 |
12 | 大大的に第二種防訓 來る廿九日から三日間 臺北州下一圓に實施 |
13 | 士林ナイフで 一突きに突殺す 泥棒呼ばばりの腹癒せに |
14 | 多年性の小麥 |
15 | 物淒い春場所初日 前日正午から押しかけて 午後五時遂に開門 |
16 | 市制實施十周年 新竹の記念行事決定 |
17 | 立教比島遠征軍惜敗 |
18 | 橫綱武藏山の斷髮式 |
19 | ポーランド 敗戰查問會 |
20 | 市尹官舍は惜物 八十圓貰つて府に返上 木原さん自宅で一休み |
21 | 犬の「鼻紋」登錄 |
22 | ビクトリヤ號(希臘汽船) 太平洋でS.O.S 小牧丸、豫州丸現場へ急行 |
23 | 機雷發見に 魚を使ふ 英國の一漁夫の發明 |
24 | 片腕で操帆 太平洋を橫斷 人人を驚かす老紳士 |
25 | 濱糸弱保合 |
26 | 檢事正異動 |
27 | 定期航空 |
28 | 人事消息報社消息 |
29 | 街で拾ふ |
30 | 今夜の放送 |
31 | 商況 十一日 前場 |
32 | 今日の興行 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 愛的凱歌(123)/戶川貞雄;松田文雄 |
02 | 家庭婦人 護れ!赤ん坊の冬 風邪氣の母親は マスクをかけて! |
03 | 褓襁の洗濯 |
04 | 豆腐のかき揚げ |
05 | 變つた湯豆腐 寒い季節に喜ばれます |
06 | 圖像:勅題「迎年祈世」の髮型 |
07 | 新稅制と家計(一) 國民の一人人人が担ふ これぞ納稅報國の赤誠 |
08 | 圖像:皇軍將兵慰問書初式 |
09 | 酒粕を使つて 暖い季節料理 |
10 | 食事作法の心得うた |
11 | 雜穀を利用して 榮養パンを作れ/筒井政行 |
12 | 指輪一個の提供 それが女性の國家 への御奉公です |
13 | お正月用の食器の手入れ |
14 | 紙上病院 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新民報國語學習新聞 飛行機で實驗する 世界一の大風洞 東京中央航空研究所が 七年掛りでつくる |
02 | 圖像:若鷲少年航空兵(三) |
03 | 死んだ娘に代り 百圓を献金 |
04 | 圖像:支那方面艦隊陸戰隊の市中行進 |
05 | 年に十二億圓 素晴らしい郵便貯金 |
06 | 鳴澤校の兔報國 今では全村戶每に飼育 |
07 | 僕達の校歌 臺中州北斗公學校/許永和 |
08 | ドイツの豆戰艦と英國巡洋艦の海戰 シユペー號は何故自沈したか (下)子供の世界ニユース |
09 | 綴方教室 娶紙媒(華麗島の民話)(上)/黃氏鳳姿 |
10 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 政局の早急收拾へ 內閣體制の強化に 重臣方面深く留意頭條新聞 【東京十一日發同盟】阿部首相の政局一新に關する決意に依り重臣軍部をはじめ政界各方面に於ては首相の決意表明後に處する方途に就いて夫々慎重なる考慮を廻らし爾後の策を攻究中で首相自身も十一日午前河原田文相と會談協議の後參議散會後荒木、松井兩大將と約卅分間に亘つて隔意なき意見の交換を行ひ態度表明に資し重臣方面でも問題が斯く表面化した以上一日も速かに政局收拾の方途を講ずる必要を痛感し事變處理の完遂並にこれと不可分關係にある國內問題の處理殊に國民生活の安定に萬全の策を施し得る體制を強化する點に深く留意しこの線に沿つて政局一新を具體化せんとして軍部並に政黨、財界各方面の情勢打診に努めつつあり重臣方面を繞る動きは極めて注目される |
02 | 有志代議士會を解散 首相の正式決意表明後 |
03 | 阿部首相 文相と會見 |
04 | 定例參議會 |
05 | 背後に使嗾者あり 審理は當然廈門地方法院に屬す 鼓浪嶼のテロ事件汪院長語る |
06 | 圖像:井關中將晴れの帝都入り |
07 | 英軍用機が ジ島を爆擊 |
08 | 敵中心據點を占領 廬州奪回の企圖を粉碎 |
09 | 米上院外交委員會は 日米會談を妨げぬ |
10 | 連絡部長官會議 第一日開かる 南京東亞俱樂部で |
11 | 圖像:柳川長官渡支 |
12 | 海鷲突如桂林を奇襲 敵機百四十機と交戰 廿三機を確實に擊墜 |
13 | 敵空軍の實力 著るしく低下 |
14 | 賓陽反覆爆擊 |
15 | 中立擁護國防強化支出案 米下院が承認 |
16 | 鐘ケ淵實業の總會 |
17 | 野村銀行の株主總會 |
18 | 敵同志が山西省內 三箇所で武力衝突 |
19 | 國境確定委員會 圖上確定の審議を續行 |
20 | 上海郵政管理局が 軍票受入れを認む 來る十五日より實施 |
21 | 濠洲政府の初代駐日公使 レ判事が有力候補 |
22 | 澳門政廳の違約 歷然たる抗日徒輩の集會を默認 邦人の旅行者に對し執拗に點檢 |
23 | 川崎第百銀行 |
24 | 神戶銀行重役會 |
25 | 我が民間航空 未曾有の活況 各線共國產機を使用 |
26 | 友原總裁が 外相を訪問 |
27 | 彩管部隊 二月五日勇躍 南支へ出發す |
28 | 滿洲國の砂糖 所用見込數量 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 政黨の反政府熱緩和されず 政局轉換せん社說 一 舊臘來低迷狀態を續けて來た政局は、阿部首相と畑陸相との再度の會見に依つて俄然緊張し、事態はもはや決定的と見られるに至つたが、政黨出身閣僚は依然時局乘えい切りを主張して、首相に強硬態度を進言して、首相は四國の情勢は樂觀を許さゞるものがあるのを認めてゐる模樣であるが併し、阿部首相としては昨年末行はれた五黨首懇談會席上に於て、各黨首が政府に協力することを明言してゐる關係があるので、この際更に五黨首會談を開き、各黨首の真意を質した上で態度を決定する遲からずとの意向を有し、尚一縷の望み抱いてゐる模樣である。然し、刻下の政局は一日も速かにその向ふべき所に向はしめ、不安動搖裡に荏苒時日の經過を許さぬ狀態にあるばかりでなく、政黨方面の反政府空氣は一向緩和されず、重臣方面の動きが活潑を加へて來たので、政局は複雜微妙な推移を經て、一兩日中に轉換されるではないかとみられるに至つたのである。 二 今回の政局動搖の原因は舊臘廿六日、開かれた有志代議士會に於ける政府不信任の狼火であつた。その參加人員は二百五十餘名の眾議院の過半數に達し、殆んど各會派を網羅して糾合されたのみならず、謂ゆる幹部級の有力代議士も多數參加して政府の不信任を決議し、その善處を要望したのである。政府は院內に於ける反政府的色彩の意外に濃厚活潑であるのに喫驚した開催した五黨首懇談の效果に期待して、事變處理邁進の決意を言明し、頰被り主義で議會に臨まんと局面打開に暗躍明動して來たものの、各政黨の態度はこれを抑壓せず、傍觀默認するため、各派の內閣彈劾的傾向は政府側の樂觀的觀測に反して、日一日と深刻濃化して行く勢にあるので、かく眾議院の大多數が內閣を信任せざることが明らかとなつては、到底このままで再開議會に臨むことが不可能となつて、遂に軍部がその總意を首相に表明したのである。 三 五‧一五事件殊に二‧二六事件以來の議會は名のみ存在して全くその實を有せざる無力さであつた。又事變勃發以來今日に至るまで近衛、平沼二代の內閣で迎へた議會も、云はんと欲して云ひ得ず、行はんと欲して行ひ得ざること否む出來ない事實であつた。この意味に於て廿六日の政府不信任決議は實に近來議會史上に劃期的一線を劃したのみならず、それが開院式當日になされたからしても我が議會史上に未だ先例をみざる所である。 阿部內閣が事件處理を標榜しながら、國內の政治經濟指導部面に於ける失敗、無能、脆弱性を餘りにも明らかに暴露したので、この客觀的事實を前提して、國民の感情と意思の動向を把握せんと登場した時局同志會が、政黨檯頭の氣韻に便乘して、數年來の鬱憤を吐出したものが、かく燎原の火の如く燃え擴つて行つたのである。 四 併し事態をここに至らしめた遠因は、全く阿部內閣の政治的確信の缺乏に在ることは云ふまでもないが、しかし現在の政治制度卽ち屬僚政治の弊毒をも見遁してはならないのである。內外共に多事多端の秋、徒らに政變を起すことの是否は今更云ふまであるが、しかも現在の屬僚政治の制度を根本的に改革しない限り、如斯失態を操返さぬと誰れが保障出來ようか。阿部內閣の施政に國民勿論滿足してはゐないが、しかし阿部內閣倒壞後、政黨政治が依然一場の夢であるとすれば、結局阿部內閣と大同小異のもの登場して來るのではないかと思ふとき、今回の倒閣運動はさして意義あるものではあるまい。それ故にこの際最も肝要なのは國家一體の體制を益々強固にし、內外の施政に注意を拂ひ、國民生活を安定する政治制度の根本的改善が必要であることを深く意識し、然る後にその態度行動を決すべきであると信ずるのである。 |
02 | 分頭相續制を存置 妾‧招夫‧招婿は將來廢止 親族‧相續法施行方針 |
03 | 海外放送を大擴張 在外邦人のために |
04 | 圖像:全島理蕃功勞者座談會 |
05 | 滿洲建國大學 本島は三名合格 |
06 | 海軍航空豫備學生募集 |
07 | 新竹市水道を擴張 二ケ年計畫で二倍に |
08 | 笠井參與官が講演(十六日公會堂で) |
09 | 臺灣米增產對策3 稻の耕種法改善に就て/磯永吉 |
10 | 圖像:春場所あす開幕 |
11 | 要求額千五百萬圓 臺北市の豫算出揃ふ |
12 | 小學校の入學申込受付開始 共學志望は既に 二百五十名突破 |
13 | 廈門神社建立に 府が技術的援助 八板、小川兩氏を派遣 |
14 | 花蓮港港の荷揚賃 更に低降する必要あり |
15 | 邦人進出目覺まし 潮汕地方に千百餘名 |
16 | 比島醫師試驗に 臺南の黃氏合格 開業準備に昨日歸臺 |
17 | 不德家主にお灸!基隆署總動員で取締 |
18 | 海山新舊郡守歡送迎會 |
19 | 大相撲春場所 初日の勝負 |
20 | 麻袋を盜む |
21 | 香取丸無電 |
22 | 定期航空 |
23 | 總督府辭令 |
24 | ときのこゑ |
25 | 大阪商船臺灣出帆 |
26 | 東亞海運 |
27 | 日本郵船基隆出帆 |
28 | 辰馬汽船 |
29 | 大連汽船 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺灣炭の消費規正 近く本島にも實施か 府が島內消費量調查中 |
02 | 產糖減に對應し 輸出制限實施せん 殖產局で目下考案中 |
03 | 增米六百八十萬石 昭和廿五年に完成(朝鮮) |
04 | 中央物價委員會改組と戰時低物價政策の將來(三) |
05 | 臺灣證券興業 配當一割に決定 |
06 | 米庫組合代表者 移出失業補償を陳情 |
07 | 十二月步留低下 產糖豫想減少せん |
08 | 大東信託一分增肥 信託財產千萬圓突破 總會は廿七日に決定 |
09 | 二期米減收說起る 當局では之を否認 其の成行注目さる |
10 | 經濟語解說 |
11 | 五船會社連名で 貨車增配を陳情 焚料炭不足で悲鳴擧る |
12 | 最高記錄を更新 新年初の手形交換高 |
13 | 物價政策の推進 物動‧生擴計畫改變 近く關係當局で檢討 |
14 | 全島各驛の滯貨 十四萬四千瓲突破 出廻增加で逐增傾向 |
15 | キヤツサバ澱粉 愈愈統制に決定 十三日は府令を公布 |
16 | 照明燈 |
17 | 市價及商況 十一日 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 管絃樂 |
03 | 對話 |
04 | 子供の時間 |
05 | 圖像:金光拓相の試筆 |
06 | 細川俊夫が二大作に活躍 |
07 | テレビジヨン日本 |
08 | 幸福の窓 日活多摩川の新作品 |
09 | 日本映畫への希望/飯島正 |
10 | 「エノケンの彌次喜多」 |
11 | 「男は度胸」 セツト入り |
12 | わが子の結婚 |
13 | 新銳高木の自信作 「花園の結婚」 |
14 | 圖像:近江三井寺金堂の龍(國寶) |
15 | 「奧村八百子」の字幕 小笠原伯が指揮 |
16 | 「沃土滿洲」 |
17 | 海外映畫短信 |
18 | 米國の發明品紹介 |
19 | 米國チユーインガム禍 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 無敵皇軍の勞苦を 兒童にも偲せより 三峽公の道路改修“石運び” |
02 | 潮州郡聯青團 廿日までに各團查閱 |
03 | 昭和十四年の財政經濟を顧る(上) |
04 | 防衛團聯合查閱 廿日、員林街で行はる |
05 | 內湖庄青年團檢閱 |
06 | 旗山神社に淨水を引く |
07 | 韶和吹奏樂團の慰問演奏 |
08 | 馬事練習生修了式 |
09 | 教化事務打合會 員林郡主催十五日開く |
10 | 湖口庄商業者組合設立さる |
11 | 割當米供出打合會 海山郡會議室で開かる |
12 | 員崠子十六號井 俄然!瓦斯噴出 |
13 | 團員七千四百名 永靖庄報國團結團式 |
14 | 埔里消防組 晴れの出初式 |
15 | 屏東斯文會 書道展覽會 |
16 | 姜黃生產組合 旗山郡に創立さる |
17 | 荖濃へ移民 |
18 | 豐原消防組出初式 |
19 | “興亞杓子”が登場 豐原街黃氏製作に成功 |
20 | 溫厚理髮師殺さる |
21 | 斗六郡下各產組總代會日割 |
22 | 苑裡庄商業組合創立 |
23 | ローカルセクシヨン |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 緊迫の歐米 暗黑下の第二年(中)/井上勇海外遊記 四 戰時に入ると共に、防諜の目的で、各種の檢閱制度が強化されることは、何處の國でも同じである。第一、外國人の入國が頗る困難となり、外交官や新聞記者等の特殊職業者以外は、殆んど禁止的と言ってよい。次に電信及び郵便物の發受信に嚴重な檢閱が行はれ、ローマ字による日本語電報は、一定の時間を限って受付けるが、これにはローマ字の外に、同文の正文を添付して檢閱官の便宜に供せねばならない。郵便物の檢閱は、本部をリヴァプールにおき、檢閱官の總數一千七百名。その中には各國語の語學の權威を總動員して網羅してゐる。小包類の發送及び書籍の持込み持出しにも許可を要する。クリスマスカードの發信だけは、同盟國及び中立國の大部分向けのものには無檢閱といふ事になったが、中立國の中でも、日本、支那及びシャム向けのものに對してはやはり檢閱するといふ例外が規定された。 この外、為替管理による內外貨の持出しが制限されてゐること勿論で、英貨は一人二十五磅に限り國外に持出すことを許可されてゐる。 以上のような制限は、スパイ戰の激烈な今日、何國と雖も實施する最底限度の拘束であらうがその他の社會生活の部面においては流石に個人の自由をやかましく言ふ國柄だけに、何と言ってもまだ可成り寛大な半面が殘されてゐる。たとへば平和主義者たちは、今日と雖も尚、堂々と戰爭反對の言論を發表し得る機會を與へられてゐるし、檢閱制度の不合理な苛酷さや、燈火管制、貿易統制等に對する不滿の聲等は每日のやうに議會の論壇を賑はせ、チェンバレン首相はじめ、政府當局者は、機會ある每に、その已むを得ざる事情の陳辯と徹底にこれ努めてゐる一方、言論の自由と共に、ラヂオ聽取の自由も殆んど何等の制限を受けておらず、ヒットラーの演說であらうとゲベルスの宣傳であらうと、何でも聽くことが出來る。この點はドイツが逸早く、國內の短波受信器を取り上げて、國民の耳を外國から蔽って了ったのと對蹠的である。ラヂオ屋の新聞廣告には、「聽くことの自由!」と大書して、ヒットラーやムソリーニの寫真が出てゐる。勿論、これには反對論も時々出る。しかしその理由は、「我々はドイツの英國に對する罵聲誹謗が、如何に出鱈目であるかをよく知り、我國の正當さを確信してゐるから、ドイツの宣傳放送によって惑はされるやうなことはない。しかしあの樣な放送を耳にすることは少くとも不愉快千萬である」といった調子だ。ラヂオで面白いのは、最近英國放送會社(B.B.C)が獨佛戰線マチヂノ.ラインからラヂオで砲聲の實況放送をやらうと企てたことに對し、猛烈な反對投書が一新聞紙上に揭載された。「B.B.Cは果して戰線にある兵士の父母兄弟、妻や戀人たちの氣持をどう思ってゐるのか。これらの人々にとっではこの上B.B.Cに手傳って貰はなくても、恐るべき戰爭がすでに充分、家庭にまで襲ひ來ってゐるのだ。」 こゝにも戰爭に對する英國人の感情の一端が窺はれる。 伊太利としては獨乙から來ない石炭なり鐵なりの手當てをせねば、今年の冬も越せない事情にある。仍て、獨乙は、伊太利が英佛からこれらの物資を得ることを厭でも承諾せねばならぬといふことゝなったのである。ナポリの港へ行ってみると、英國船が盛んに石炭の陸揚げを行ってゐる。之等の船は、伊太利から魚と肉類の罐詰、果物野菜、マカロ―ニ、オリーブ油其他多種類に亘る食糧品を滿載して自國へ歸るのだ。 今年の冬は、各アパートメントの石炭使用量を、二十日分丈節約せよとの布告が發せられ昨年十一月二十五日にならなければスチームのか)に一塊の石炭一滴の鑛油(ナフタをも入れることが出來なかった。伊國民に寒さに慄えてゐるのだが、英國から石炭が相當量來るらしいので、大した困難な嘗めずに濟みさうである。 伊太利の政治的立場を云々する前に先づこのやうな經濟事情の複雜性を檢討することが必要であらう。物資移動の變相圖が戰局外國の伊太利にも大きなスケールで顯現してゐる。儲けるためだとか、食ふためだとか、一言で片づけるには事情がもっともっと複雜してゐるのだ。伊太利が戰時體制を緩和し得ないのは將来の急變事態(エヴェンチュアリティー)に備へるといふ用心の外に物資獲得のための節約といふ目的があるからである。 獨伊貿易の異變 獨乙との貿易が止まったことは前述したが之は一切も動いてゐないといふ意味では勿論ない。現にスパゲッチー、マカローニといふ麺類の對獨輸出は開戰後却って增加した位だ。數字が發表されないので比較は出來ぬがこれら麺類工塲の操業は一日十八時間にも及び獨乙向けとして荷造りされるものがグッと殖えたと工塲主たちが語ってゐる。 去る十一月上旬獨乙は伊太利に特別經濟代表團を送り、交易品目の改訂、機械類の共同製造等協議せしめてゐる。この結果開戰直後のやうな停止狀態は解消されたであらうが獨乙が物資の出し惜しみをしてゐるのと、バランスの清算を澁ってゐるので伊太利から充分の物資をもって行けないといふのが現狀である。 獨乙は或る程度の正貨を握ってゐるのだがこれは將來戰局が進展して國內の物資が窮乏を告げバーターが不可能となった際に海外から物資を購入するために嚴重に保留されてゐるのだと、獨乙政府當局も云ひ一般にもその通り信ぜられてゐる。 獨乙は新たに手に入れた波蘭とルーマニア其他のバルカン諸國から今は主として安價な物資の入手を計畫實行し更にソ聯からも經濟協定によって若干入手してゐるらしい。 イタリーに關する限り、對獨經濟補給は、一部の食糧品を除いては、一と休みといふ處である伊は絕對參戰せず 伊太利は今後何處へ行くか。獨乙に味方するか、或は英佛に寢返りを打つか。開戰後論じ盡された問題だが、而も依然として未解決であり、興味も失はれてゐないトピックで、政治的にも軍事的にも最も重大重要な問題である。 率直に言って、伊太利は獨乙側にも英佛側にも參戰の意志は無い。中立國として他所の戰爭を觀望し、之を樂しみ之を利用するといふことも考へてゐない。然らばどうするといふのか?―せっかちな日本人は右か左かの分別を直ぐつけたがるのだが、伊太利の真意はそのどちらでもない。歐洲に於て戰爭が行はれるといふことを絕對に欲してゐないといふ處にある。戰爭をやめて貰ひたい。一刻も早く今日の狀態を無くしてしまひたいといふのが本来の念願である。 何故か?伊太利は戰爭に參加することによって得る健がないからである。エチオピア戰爭でたところのものを活かして使ためには、まだまだ多くの金が要る。フワシストの各般に亘る建設事業も未だ漸く半ばの成功を收めたといふ道程にある。今にして參戰するならば、今日までに建設したもの、蓄積した或量の資材、そんなものを一切使ひ果してしまねばならぬ。伊太利としては戰爭をする時機に未だ達してゐない。――之がファシスト黨幹部の一致した意見であり、又ムッソリーニ首相の不動の見解でもある。然るが故に、今回は戰局外に殘ったのである然し乍ら現在の戰爭が長期に亘れば、伊太利が參戰を餘儀なくされる危險が多分に生じて來る。バルカンの爆發もその一つであるし、獨乙から軍事協力を強制されて之を拒否すれば獨乙との決裂といふことも容易に考へられるのである。 ヴェルサイユ體制の改革は本來の主張ではあるが、今次の英佛獨戰爭に便乘してまで事を急ぐ程の短慮はもち得ないのであるヴェルサイユ體制の更改は、國力增進のためである。その為に滅國の危險を冐して猪突猛進することは、事の本末を顛倒するものである――さふいふ氣持が伊太利為政者の強力な根本觀念となってゐるやうである。 であるから、伊太利は「絕對に參戰せず」といふ立場を現在採ってゐる。 さて、然らば現在の戰爭は近き將來に終熄するであらうか。この見透しは寧ろ非觀的である。現在の英國の態度をもってしては、頗る悲觀的たらざるを得ない。米國でも英國說得に成功しない以上、先づ戰爭の中止といふことは考へられない。 この狀勢に對して、伊太利としては當然第二のプランを考慮せざるを得ない。戰爭が繼續するものとして、伊太利の善處しなければならぬ次善の策を考慮しなければならぬ。であるから現在のイタリーは 一、戰爭を中止に導く手段 二、中止せしめざる時の次善策 この二つを並行的に考究し、努力してゐるのである。第一は適當の時機を待つ以外に格別の名案もない。 第二は戰爭の擴大を防止することにより伊太利の參戰を余儀なくせしむる事情の發生を阻止すること、そして案外早い機會にイタリーが他國へ交戰國たると第三國たるとを問はずの攻撃を受けるか、又は參戰の余儀なき事態に至った秋に處するための一切の準備をなすこと。伊太利は戰火のバルカンに波及するを極力防止するために大努力をしてゐると共に、いつ參戰を余儀なくされても狼狽せずに濟む丈の準備の整備に大童となってゐる。而もそのエヴェンチユアリティーの絕無ならんことを祈念しつゝ之が今日の伊太利の實相である。 |
02 | 圖像:獨軍の活躍 |
03 | 圖像:波驅逐艦活躍 |
04 | ドイツ現地報告/江尻進 |
05 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大屯郡の防聯檢閱 きのふ盛大に舉行 臺中水源地原頭に於て |
02 | 臺中署の初召集 きのふ好成績裡に終了 |
03 | 抽籤付きで 實棉を買收 臺棉嘉義工場近く操業 |
04 | 献穀田田植祭 きのふ萬丹庄で執行 |
05 | 圖像:軍官學校生徒出發 |
06 | 臺南州下各產組總代會の日割 |
07 | 彰化署壯丁團 來る卅日に檢閱 |
08 | 小ダムの築造計畫 臺南州愈よ調查費獲得 |
09 | 難航の戰時金融界(下) 事變第三年の回顧 |
10 | 圖像:哈爾濱會議のソ蒙代表一行ハルビン着 |
11 | 特用作物增產に 農業技術員配置 臺南州新年度より實施 |
12 | 彰化市の白米 在庫品なほ豐富 |
13 | 嬰兒の胴體漂着 原因は野犬の惡戲 |
14 | 配船操作不如意で 砂糖積出憂慮さる 小船主臺灣航路を忌避 |
15 | 肥料同業組合高雄支部 當分存續に決定 きのふ總會で申合せ |
16 | 吾妻春枝一行を 迎へ慰安演藝會 臺中軍事扶助會が主催 |
17 | 豚剝皮競技會 高雄三塊厝屠場で |
18 | 小泉氏來彰 |
19 | インチキ婆さん 高雄署からお目玉頂戴 |
20 | 彰化市の雇員 覺悟の自殺 原因頗る複雜 |
21 | 未剝皮の想思樹を 搬出して販賣 違反者擧げらる |
22 | 消息報社消息 |
23 | 謹賀新年 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 近衛樞相を繞つて 上層部の動き活潑 政界の往來注目さる |
02 | 首相、閣僚に決意披瀝 更に湯淺內府と重要會見 十四日朝に臨時閣議招集 |
03 | 原田男けふ興津へ 內府、樞相、首相の意向を傳ふ |
04 | 西部國境の空中戰 ドイツ軍司令部發表 |
05 | 戰況が活潑化 |
06 | 英東南岸を獨機が襲擊 |
07 | 潛水艦建造に 獨全力を擧ぐ |
08 | ジ駐支米大使 重慶へ赴く |
09 | 努力を傾注して 新政權樹立を支援 現地長官會議で決議 |
10 | 遭難伊人無事 |
11 | 任援道氏 大將に任せらる |
12 | ソ軍の敗戰覆ひ難し 遂に先出將校を召還し 政府一部改造を行ふか |
13 | ソ聯領內で戰鬪 ソ聯政府も確認す |
14 | 圖像:伊政府バチカン宮と協調 |
15 | 新巡洋艦は 米獨自の設計 |
16 | 新年度の米國建艦 百二十隻に上る |
17 | 印度は印度人の手で 總督の協力要請に ネ氏が反對を表明 |
18 | 互惠通商計畫の擴張を要請 ハル長官下院て |
19 | 米の重要人事異動 |
20 | 明日の天氣 |
21 | 水滸傳(27)/黃得時;榎本真砂夫 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 長江流域の米作調查 近く大調查隊を派遣 |
02 | ロボット戰鬪機出現 米國で實驗の域を脫す |
03 | 獨に婦人互助會 出征家族の家政婦役 |
04 | 圖像:欽州を攻略して |
05 | 飛行士と市長 ミツクス氏二役兼任 |
06 | 英國もガソリン飢饉 |
07 | 高野高等課長けさ着任 |
08 | 遣家族慰安會 |
09 | 市營住宅更に百戶 經費六十萬圓、市が計上 |
10 | 事變第三年(下) 難局外交の回顧 |
11 | 香取丸入港 「愛染かつら」野村監督來臺 |
12 | 小作料統制令州關係官打合 |
13 | 基隆警察寒稽古 |
14 | 全島鄉軍射擊大會 建國祭當日、臺南で |
15 | 彰銀愈よ增配 年六分、重役會で決定 |
16 | 濱糸慘落 |
17 | 內地の名士百餘名 「文藝臺灣」を支持激勵 |
18 | 賭博と闇の華 十數名珠數繫ぎ |
19 | 鹿窟尖ハイク |
20 | 野菜仲買組合 二百圓が献金 |
21 | 開導所歸り また傷害 |
22 | 山東丸無電 |
23 | 三日目取組 |
24 | 定期航空 |
25 | 人事消息 |
26 | 街で拾ふ |
27 | 今夜の放送 |
28 | 商況 十二日 前場 |
29 | 今日の興行 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 愛の凱歌(124)/戶川貞雄;松田文雄 |
02 | 家庭婦人 紀元二千六百年の新春を迎へて 限りなき天惠を感謝 |
03 | 「迎年祈世」に因む |
04 | 新稅制と家計(二) 源泉納稅と控除率の增加 勤勞所得稅の新味 |
05 | 圖像:大阪府の優良兒表彰式 |
06 | 雜煮のいろいろ |
07 | 燒芋には必ず 鹽をつけよ |
08 | 猩紅熱の豫防と手當 |
09 | 溫泉の利用法(一) 天與の恩惠を正しく受けよ/松山慎三 |
10 | 一寸風變りな 人參のお漬物 |
11 | お手製のドーナツ お子さん方のあやつに好適 |
12 | 新春化粧讀本 お正月疲れの肌の 生生と美しくする お化粧法と美肌法の話 |
13 | 雪焦けも心配ない 色の白い健康美に/河野春江 |
14 | ニキビは次第に消え 生來の色黑も美白に/小林榮 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 新民報國語學習新聞 お山の子供達にも 國語保育員を設置 四月頃に開講の豫定 |
02 | 圖像:若鷲少年航空兵(四) |
03 | 留守店を守る 感心な十六歲の少年 |
04 | 日本の為に役立 立派な人になりなさい/河原田稼吉 |
05 | 圖像:海の新女王ぶらじる丸 |
06 | 一萬五千枚の 一錢銅貨を貯金 新潟の自轉車屋さん |
07 | 女生徒の作業奉仕 手間賃は缺食兒童に |
08 | 綴方教室 娶紙媒(華麗島の民話)(中)/黃氏鳳姿 |
09 | カタカナ欄 |
10 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 政局は十五日より 新形態に轉向せん 十四日に臨時閣議頭條新聞 【東京十二日發同盟】阿部首相は政局一新に關する具體的手續きを執るため十四日午前九時首相官邸に臨時閣議を招集して全閣僚の出席を求め席上更めて首相としての決意を披瀝して全閣僚の同意を求め一旦閣議を休憩して、首相は宮中に參內天皇陛下に拜謁仰付けられ政局一新に關し內閣首班としての決意を奏上するとになつた依つて政局はこれを機會として急轉回し湯淺內府は同日中にも興津坐漁莊に元老西園寺公を訪問することとなるべくその結果時局收拾策は順調に進めば十五日より新たなる形態をとるべく新展開を示すことにならう |
02 | 近衛公の出馬要望 國內各方面が一致して |
03 | 圖像:宮中より退出の右より七田、井關、桑原の三將軍 |
04 | 前田氏近衛公訪問 |
05 | 首相、遞內相に決意を述ぶ |
06 | 勅選の補充 |
07 | 海相、首相と會見 |
08 | 原田男けふ園公に 各方面の情勢報告 |
09 | 芳澤氏、近衛公を訪問 |
10 | 臨機の措置は總裁に一任 久原派の總務會 |
11 | 強力な內閣の 出現を望む 社大黨中央常任會議 |
12 | 興業債券の發行要綱 |
13 | 中支の驚異的進展(上) 維新政府の業績を顧る |
14 | 定例閣議 |
15 | 議會再開日は 繰下げられん |
16 | 對芬クレジツト案を審議 米上院委員會で |
17 | 米穀の出廻は順調 更に生產者側の協力を求め けふ連絡協議會を開く |
18 | 北支軍十二月の戰果 |
19 | 「紙上艦隊」を現實の 艦隊たらしめよ ウ米上院海軍委員長の軍擴論 |
20 | 佛の抗議を反駁 滇越鐵道の爆擊に關する 帝國政府の見解 |
21 | 米、伊の接近顯著 |
22 | 全く豫想を裏切る 駐日英武官の廣東視察談 |
23 | 文部省直轄學校長の異動 |
24 | 本日の天氣 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 米穀政策に就 き當局に望む社說 一 長期事變下に於ける米穀問題が極めて重大化して居る事は今更論ずるまでもないのであるが我臺灣が米產地としての使命は實に切實なるのがあり總督府 當局としては萬全の策を講してゐる。卽ち增產政策の徹底と配給制度の完璧を期して居るのである臺灣米の內地移出が內地市場に脅威を與へ臺灣米移入を阻止せんとした時代は全く夢となり今や內地では臺灣米の一袋で多く移入されん事を熱望して居るのである。幸ひ臺灣は內地、朝鮮の昨年度に於ける天災による大減產の憂身を見る事なく、併し水害其他によつて多少の減產を見たのは事實であり、第一期米は前年同期に比し約八十五萬石の減收となつて居る。然るに第二期米に於いては當局の發表したところによると五百六萬三千石で前年同期に比し十三萬一千五百六十六石の增收豫想となつて居る。 二 當局に於いては此の豫想に基いて移出計畫を樹て着々實施しつつあるのであるが、最近各地方の實收成績を見るに總體的には品質良好であるが、場所によつては二割或は一割の減收を示してゐるようである。大體に於いて平均一割の減收と見て居る向きもあるが、當局としては發表した豫想額と實收額の差については之れを否認して居るので當局を信頼すべきであらう。併し豫想必らず實際と異らないと云ふ事は神ならぬ當局である以上絕對とは言へない。若し當局の豫想が實際よりも高額であつたとすれば豫想額に基いての移出に無理を生ずるのは當然である。吾人は勿論當局を信頼して居るのであるが一抹の不安を抱かざるを得ない。臺灣は米の產地であるから臺灣目體として米の不足すが如きは絕對に有り得ないであらう、とは臺灣島民の常識であり安心である。併し產地必らずしも不足を來たさないとは誰が保證出來るか。現に米產地であり早產地である北陸地方の或縣下に於いて縣當局の實收豫想に基き最大限度の縣外輸出をしたのであつたが實收と可なりの開きを生じ端境期には縣外より逆輸入をしなければならないと云ふ羽目におちいつた實例もあるのである。 三 必要以上の不要を感ずる事によつて買溜め賣惜みの弊害が生ずる今日、吾人は特に此の點に反省を要する、從つて當局を信賴すべきであらう事は勿論である。最近臺灣米產地の主要たる臺中州下に於いて地主、農民等が相集り自發的に米の賣惜しみを排し增產配給政策に貢献しつつある事は偏に當局を信頼し時局を認識するの現れであり誠に同慶に堪へないのである。併し其れだけに吾人は一層米穀政策に對し當局の慎重を期待するのである。若し見透しを誤り端境期卽ち(臺灣)四、五月に至り移出超過による島內消費米の不足を見るが如き事あらば內地の一地方と異の孤島たる臺灣の苦痛は實に由々しきものとなる。此の點に關し吾人は特別の注意を拂ふのである。內地の生活に比し臺灣は木炭、石炭、米等生活必需品に對しては誠に惠まれた環境にある事を感謝すると同時に、尚一層督府當局の「善政」に對する努力を期待してやまない次第である。 |
02 | 廣東に和平救國軍 總司令は呂春榮中將 |
03 | 珍しや八十七年前の 日米親善寫真發見 野村外相の鄉里で |
04 | 廣東廈門の警官練習生 新竹を視察 |
05 | 北白川宮多惠子女王殿下 德川國禎氏と御婚約 |
06 | 臺灣米增產對策4 稻の耕種法改善に就て/磯永吉 |
07 | 臺北州文書課長に大西氏 |
08 | 獨逸から我國へ 圖書二千四百冊 昨日寄贈式を擧行 |
09 | 臺南州文書課長 |
10 | 新竹市內產組總會日割 |
11 | 笠井參與官の日程一部變更 |
12 | 續く島民の赤誠 海軍武官府取扱の献金 |
13 | 圖像:大鐵傘どよめく初日 |
14 | 遭難ギリジヤ船 曳航されて橫濱入港 |
15 | 宜蘭の豆腐關係者 同業組合を組織 |
16 | 古くて新しい彰化 建設に一段の苦心 初巡視の奧田知事が訓示 |
17 | 宜蘭家庭防空群 十五戶を單位に組織 |
18 | 葬儀は佛式で 基隆の道士を集めて講習 |
19 | 珍聞が續出 英の避難兒童雜景 |
20 | 臺北市寫真業者 けふ組合を結成 |
21 | 高雄市經濟警察協會 廿日設立擧行 |
22 | 金瓜石の二人殺し 山を包圍して逮捕 |
23 | 盜んで遊興 |
24 | 二日目勝負 |
25 | 總督府辭令 |
26 | 人事消息 |
27 | 定期航空 |
28 | ときのこゑ |
29 | 大阪商船臺灣出帆 |
30 | 東亞海運 |
31 | 日本郵船基隆出帆 |
32 | 辰馬汽船 |
33 | 大連汽船 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 米穀補償委員會 昨日府正廳に開かる |
02 | 砂糖の出盛期で 六千萬擔の滯貨 配船增加を要望さる |
03 | 世界生糸需給豫想 紐育ウオーカー商會發表 |
04 | 臺灣米輸出組合 創立總會を開く |
05 | 中央物價委員會改組と戰時低物價政策の將來(四) |
06 | 三菱の上村氏 名古屋支店へ榮轉 |
07 | 全國砂糖生產豫想高 百五十三萬四千擔減少 |
08 | 七分搗實施で 糖が三四倍暴騰 豚の飼養に大打擊 |
09 | 昨年末國債發行高 二百億臺を突破 大藏省十日發表 |
10 | 管理米買上總數 二百八十三萬餘袋 |
11 | 植村狀況を聽取 次期計畫を樹立 府が製糖幹部と懇談會 |
12 | 島內の食鹽賣價 据置の方針に決る |
13 | 滿洲特產輸入組合 島內で創立さる |
14 | 興業債券三千萬圓を發行 割引步合を引上ぐ |
15 | 豚割皮競技會 二十九日から二日間臺北市屠場にて |
16 | 經濟語解說 |
17 | 花蓮港青果組合 廿六日創立總會を開催 |
18 | 南方汽船會社 創立事務が進捗 |
19 | 紐育砂糖市況 |
20 | 照明燈 |
21 | 市價及商況 十二日 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 前線將士に送る夕 講演 心からなる 銃後の感謝/丸山鶴吉 |
03 | 浪花節/梅原秀夫 |
04 | 歌謠曲 |
05 | 講演 黎明期の我が外國語研究/勝俣銓吉郎 |
06 | 朝の修養 御歷代詔勅謹解(八回)/二荒芳德 |
07 | 圖像:宮內省の消防出初式 |
08 | 圖像:勅題「迎年祈世」 |
09 | 「母に捧ぐる歌」姉妹篇 母戀ひ千鳥(新映畫) |
10 | 「風雲大江戶繪卷」 |
11 | 新興東京が上野驛撮影 |
12 | 小石榮一の第二作 「熱情の翼」 |
13 | 大船演技研究會 新人七名を表彰 |
14 | 海外映畫短信 |
15 | 伊藤大輔監督の「寺田屋事變」 |
16 | 新興山彥變化 |
17 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 物價政策に協力 郡下一丸となり 業態別組合結成 |
02 | 產業道路竣工 一萬七千人汗の結晶 |
03 | 圖像:寒風をきる旗の波 輝く年の入營風景 |
04 | 臺東街街債を起すか |
05 | 臺東廳の豫算 總額百四十六萬に上る |
06 | 職員身體檢查 彰化市の日割 |
07 | 大武山麓に奇特な慰問團 |
08 | 火事現場が出初式場に早變 坡心庄で三棟六戶燒く |
09 | 昭和十四年の財政經濟を顧る(下) |
10 | 溪湖‧西螺間の道路完成 |
11 | 滿洲國委任官に合格 |
12 | 岡山郡下產組の總代會 |
13 | 臺東高女愈よ開校 地元民各方面に感激電報 |
14 | 衛生展覽會 臺東醫院で十三日より十六日まで |
15 | 臺東廳警務課異動 |
16 | 空巢狙ひ專門の少年賊捕はる |
17 | 臺中市燃料組合創立總會を開催 |
18 | 石井絹治郎氏令息 新春早早の歸朝 |
19 | 苑裡商組役員決定 |
20 | ローカルセクシヨン |
21 | 青物相場表 十二日 臺北市中央市場 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 中支經濟の復興 支那民族資本の便乘が必要 |
02 | 圖像:竣工近き東鄉神社 |
03 | 參戰せぬ伊太利/下條雄三 |
04 | 圖像:來栖駐獨大使一行ヒツトラー總統訪問 |
05 | 復興著し武漢地區 重慶政府に重壓 |
06 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 一部落に一國講 高雄州の普及策成る 州下に七百七十五ケ所 |
02 | 嘉義市の圖書館週間 |
03 | 高砂族の節約献金 高雄州下の快ニユース |
04 | 市街庄豫算の編成打合會 十七日臺中州で |
05 | 豫算編成懇談會 きのふ高雄市で開催 |
06 | 臺東廳協議會 來る廿四五日に開催 |
07 | 中南部陸上競技 愈よ十四日開幕 |
08 | 花蓮港廳第一回 道路品評會を開催 各郡とも必勝を期す |
09 | 圖像:勇躍敗敵を追擊するOO部隊 |
10 | 國民保健の實踐期 血液の反逆に備へよ/古屋芳雄 |
11 | 圖像:“我等の精神” |
12 | 山手方面の飯米不足に一肌 林烈堂氏持米を供出 |
13 | 臺中州會 來る廿七日より |
14 | 安平船溜場の擴張 市民新知事に期待 初巡視の結果を注目 |
15 | 嘉義は煙草饑饉 兩切は何れも品切れ |
16 | 漁業移民の初漁 カジキ四千餘斤の豐漁 |
17 | 藤田臺東廳長 管下を初巡視 |
18 | 海外小話 |
19 | 消息 |
20 | 人事往來 |
21 | 訃文:林一信 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 對米樂觀論を一擲し 根本的再檢討が必要 日米無條約不可避の情勢 |
02 | 近衛公出馬を固辭 今一段の強力工作を要す 下馬評に上る顏觸れ |
03 | 近衛公、內府と會見 重要意見の交換を遂ぐ |
04 | 厚相とも會談 |
05 | 松平秘書官長が 西園寺公を訪問 內府の代理として |
06 | 阿部首相 文相と協議 |
07 | 英船又も沈沒 |
08 | 政府、五黨首會合 豫定通りけふ行ふ |
09 | 蔣の桂林出馬は 全くの謀略的デマ |
10 | 蔣介石昆明着 龍雲らと協議 |
11 | 日ソ漁業暫定協定案 政府の原案を可決 樞密院臨時本會議で |
12 | 旗障山(崇陽南方)を占領 信陽北方と大洪山脈中の 敵を猛攻潰亂せしむ |
13 | 南寧、欽州間で 數百の敵を擊滅 |
14 | バルカン國際關係活潑 伊、洪會談を契機に |
15 | 汪政權との和平締結 上海總領事館鶴見情報部長談 |
16 | 橫濱生糸清算 市場立會停止 |
17 | 中立擁護國防強化支出案 米下院で可決 |
18 | 明日の天氣 |
19 | 水滸傳(28)/黃得時;榎本真砂夫 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日本固有法に呼應 司法部內の中堅判檢事が 外廓運動を卷起す |
02 | 汕頭市政府を創設 着着と準備を進む |
03 | 商務官を大增員 廿四名から一躍八十名に 非常時通商陣を確立 |
04 | 廣東丸入港 西村企畫部長ら歸臺 |
05 | 森岡總務長官 十五日上京 政府委員として |
06 | わが國貿易の將來/向井忠晴 |
07 | 新竹州下庶務課長會議 |
08 | 高砂丸出帆 |
09 | 渡邊健氏當選 茨城一區再選擧 |
10 | 武道寒稽古と昇段試驗 二十五日から開始 |
11 | 教育勅語を臺灣語で謹釋 |
12 | 遮光の完璧を期し 管制用電球を普及 月末の燈管までに |
13 | 壯絕‧大空中分列式 第十一聯合海軍航空隊總發行 |
14 | 南署廳舍 三階建に增築 けふから工事着手 |
15 | 一萬倍の顯微鏡 純國產の製作に成功 |
16 | 感激の手紙添へ 海軍に献金 新竹一公の詹訓導 |
17 | 南鄉三郎氏に決定 中南米派遣貿易使節 |
18 | バード探險隊 南極に米の新基地建設 |
19 | 四日目取組 |
20 | 定期航空 |
21 | 人事消息報社消息 |
22 | 街で拾ふ |
23 | 今夜の放送 |
24 | 商況 十三日 前場 |
25 | 今日の興行 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 愛の凱歌(125)/戶川貞雄;松田文雄 |
02 | 家庭婦人 護れ!赤ん坊の冬 治つても結核に罹り易い 百日咳の豫防を |
03 | 溫泉の利用法(二) 病氣と泉質との關係/藤浪剛一 |
04 | 新稅制と家計(三) 享樂消費面は高率增稅 單元化する酒の課稅法 |
05 | メザシの稻荷卷き |
06 | 感冒豫防 マスクと含嗽の心得 |
07 | 火傷に三通り 手當も夫夫違ふ 湯たんぼの御注意 |
08 | 生鮭で和洋二種 |
09 | 寒いのは痣に禁物 大抵の人にあるが 自覺なさらぬだけ |
10 | お餅と大根 消化を助けます |
11 | 肥れる秘訣 やせてるる人のために |
12 | 知つてあきたい ス・フの買ひ方 優良品には組合の責任證 |
13 | 鯖の丸あげ |
14 | 絹の上光りを消す法 |
15 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 新民報國語學習新聞 お伽の國のやうに 賑やかな今年の空 光輝ある二千六百年を お星樣もお祝ひ |
02 | 海洋少年團 全國各地につくる |
03 | おとなしいお友達 龜はどうして飼ふか 日本人道會しらべ |
04 | 勇士の忠魂碑 學童たちが建てる |
05 | 果して芽が出るか 六十年も前の稻穗 |
06 | 圖像:雪、山を壓して |
07 | 綴方教室 娶紙媒(華麗島の民話)(下)/黃氏鳳姿 |
08 | 加藤清正の鈴 滋賀縣妙立寺で發見 |
09 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 內閣總辭職に決定 けふ臨時閣議で表明 戰時體制を強化再編成頭條新聞 【東京十三日發同盟】第三次戰時內閣として平沼內閣の後を承け折柄勃發せる歐洲大戰と平行して複雜微妙なる國際情勢の中に支那事変處理遂行に挺身しつつあつた阿部內閣は過般廟議決定を見たる支那新中央政權樹立に關する基本要綱の確立に伴つて事變處理は茲に一新段階を劃するに至つたのでこの際人心を一新して新らしき發展過程に對處する我が戰時體制を強化再編成を行ふ必要ありとの理由の下に總辭職することに決し十四日午前九時首相官邸に臨時緊急閣議を開き阿部首相より正式に全閣僚へ總辭職の決意を表明し一同これに同意し首相は直ちに全閣僚の辭表を取纏めて宮中の御都□を伺つて後 天皇陛下に拝謁を仰付けられ總辭職を決行するに至つた事情を具さに言上して全閣僚の辭表を捧呈し闕下に骸骨を乞ひ奉ることになつた 【東京十三發同盟】阿部內閣は十四日午前九時臨時閣議を開いて全閣僚の同意を求め愈々總辭職を決行することになつたが後繼內閣首班に關しては同日阿部首相が參內し辭表を捧呈せる後天皇陛下には湯淺內府を召させられて後繼內閣首班に就き御下問あらせられるものと見られており御下問を拜した內府は謹んで暫くの御猶豫を乞ひ奉つた後御前を退下して松平宮相と重要協議を遂げ情勢を見極めた上で更に西園寺老公の意見を聽取し現下の時局に對處し得る最適任者を選んで後繼內閣首□を奉薦奉答する筈である。 |
02 | 近衛公引き出した 最後の努力を試む 陸軍の總意を重ねて傳達 |
03 | 近衛公引出しを支持 園公の意味深な一言 |
04 | 極力近衛公を推輓が 內府の態度重視さる |
05 | 近衛公拒否の心境 |
06 | 四百の敵を擊滅 |
07 | 中支の驚異的進展(下) 維新政府の業績を顧る |
08 | けふ中決定困難か 次期政局の擔當者 |
09 | 圖像:興亞院連絡部長會議 |
10 | 島田參議 近衛公と要談 |
11 | 再度近衛公の出馬を懇請 阿部首相が |
12 | 畑陸相、教育總監と協議 |
13 | ソ聯汽船香港で 英艦に抑留さる 積荷の檢索を受く |
14 | 我が基本方針を說明 昨日五黨首會議開かる |
15 | 食糧不安排除に努む 第二回聯絡協議會 |
16 | 新型巡洋艦と航空母艦建造案 米作戰部長が發表 |
17 | 文部辭令 |
18 | 獨機連續的に 英國を空襲 |
19 | 國民學校教科調查委員會を設置 |
20 | 本日の天氣 |
21 | 大阪商船臺灣出帆 |
22 | 東亞海運 |
23 | 日本郵船基隆出帆 |
24 | 辰馬汽船 |
25 | 大連汽船 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 新內閣と政黨の更生工作社說 一 政局一新、言換へれば阿部內閣の挂冠は愈よ今明日中に實現されんとしてゐる。阿部內閣の退陣に依つて、果して政局が一新されるか否かは、勿論新內閣のお手並を拜見せねば、俄かに論斷するを許さない。然し阿部內閣が成立して僅かに數箇月何一つ政績らしき政績を仕遂げてゐないに拘はらず、閣僚補充、貿易省新設、物價對策等失策に失策を重ねて來たことは確かに國民の信頼を全面的に失つてしまった。殊に物價問題を始め國民生活に關する諸政策の失敗は痛く輿論の排撃を受け、遂に政黨の攻勢を誘致したことは周知の事業である。滿州事變以來內閣は頻々として更迭されたが、輿論に依つて倒された內閣は恐らく阿部內閣を嚆矢とするであらう。十數年來窒息狀態に在る國民の輿論を蘇へし、かすか乍らも、それを政局の上に反映せしめたことは逆說的に言へば、阿部內閣の唯一の功績と稱して差支ヘあるまい。 二 勿論阿部內閣は獨り異論の反撃に依つて倒れたと見るのは短見であらう。當面の事變處理や國際問題に關して新たるら構想を必要とする內外の政情の然らしめたところが寧ろその決定的原因であつたかも知れない。にも拘はらず、輿論の力強き反撃と政黨の公然たる攻勢は阿部內閣の退陣を彩る壓倒的色調であつたことは爭はれない事實である。斯くて政黨政治の復興が云為される到たつたことは故なき業ではない。今日の政局に於て政黨政治の復興が直ちに實現するものと見ることは恐らくナンセンスに終るであらう。然し當面の二大問題たる事變處理と國民生活の安定は何れも國民全體の協力なくして出來るものではない。旣に國民の協力を必要とする以上、國民の意志の機分かを尊重せねばならないであらう。今後如何なる內閣が現はれたにせよ、恐らくこの建前を取らざるを得ないと想像される。この意味に於て政黨政治の復興が全然根據のないのではない 三 政黨員は國民の選出したものであるから、理窟の上では政黨が國民を代表することになるべき譯である。然し實際上の問題として今日の政黨が國民の意思を代表してゐるとは誰も思つてゐたい。勿論今日の政黨は國民の代表然として振舞つてゐるがそれは虛勢に過ぎない。國民は自からの代表者によつて政治を運用せしめたいことは山々であるが、今日の政黨に政權を託することは思ひもよらぬことであらう。ここに政黨の惱みがあると同時に國民の惱みがある。政黨の質的變化が叫ばれる所以もここにあると云はねばならない。今や政黨政治復興の機運が漸く熟せんとしてゐる際、益々政黨の更生問題が真劍に考慮さるべき狀勢に立至つたのである。來るべき內閣が若し真に民意を尊重し政黨の活動を希望するならば、先づこの問題に就て誠意ある工作を施すべきである。 |
02 | 藥品にも協定價格 差當り化學製品四十種の 中央卸賣值を決定 |
03 | 大型船の就航は困難 河田東亞海運社長談 |
04 | 双目攻略の大部隊 又も島都に“砂糖行列” |
05 | 女子學習院から 第一線將兵へ慰問袋 |
06 | 臺灣米增產對策5 稻の耕種法改善に就て/磯永吉 |
07 | 酒井憲兵隊長 中南支視察から歸隊 |
08 | 林部隊名譽の戰死(傷)者 きのふ原隊から發表 |
09 | 川村知事初巡視 きのふ宜蘭地方で |
10 | 盛大な披露宴 |
11 | 臨時教員養成講習會 二月一日から開催 |
12 | 商船練習船大成丸 遠洋航海の途に上る |
13 | 學術講演會 |
14 | 支那事變映畫をブラジルで上映 |
15 | 宜蘭農林學校農業祭 品評會も開催 |
16 | 新竹洋服商同組發會式 |
17 | 天龍君お目出度 |
18 | 三日目勝負 |
19 | 觀音山の梅林 見頃はやや過ぎたが 一目一萬本の清香薰る |
20 | 蓬萊丸無電 |
21 | 定期航空 |
22 | 總統府辭令 |
23 | 人事消息報社消息 |
24 | ときのこゑ |
25 | 今日の興行 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 甘藷及キヤツサバ 配給統制の件公布 來る廿日より實施 |
02 | 島內工業の根基を培養 佐佐木農務課長談 |
03 | 十四、五年期產糖減少 輸移出制限は必要 當局の善處要望(懇談會の意見綜合) |
04 | 中央物價委員會改組と戰時低物價政策の將來(五) |
05 | 昨年中の圓域貿易 十億六千萬の大出超 |
06 | 佐藤米政課長上京 |
07 | 臺灣米輸出組合 きのふ創立總會 |
08 | 臺北手形交換高(昨年) 四億圓に肉迫 前年に比し二七%增 |
09 | セメントの配給 一時差止めらる 當局で配給計畫を立案 |
10 | 臺肥輸移入組合 昨日總會で存續決定 |
11 | 臺灣商工會議所 廿九日定期總會 常議員會で原案可決 |
12 | バナナ輸移出數量(昨年) 三百萬籠を突破 賣上金額とも新記錄 |
13 | 臺灣飲料水組合 役員會を開催 組合員割當金を決定 |
14 | 紐育砂糖昂騰 |
15 | 米穀の諸問題繞る 各州內務部長會議 結論に至らず局案進行 |
16 | 高雄漁市取扱高 數量金額共に增加(十二月中) |
17 | 照明燈 |
18 | 市價及商況 十三日 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 能樂 「翁」 |
03 | 料理/野田千鶴子 |
04 | 圖像:工場の安全を祈願 |
05 | 思ひ出の活動寫真大會 |
06 | 寶塚新作「むらさき部隊」 |
07 | 圖像:大角力初日大眾デーの賑ひ |
08 | 日活多摩川の作品 大地に咲く(新映畫) |
09 | お正月の活花 水揚げの秘傳 竹は一番難かしい |
10 | 大船撮影現況 |
11 | 大都オールスタアの「疾風紅騎隊」 |
12 | 花園の結婚 |
13 | これぞ本當の「男は度胸」 |
14 | 「小島の春」 |
15 | わが子の結婚 |
16 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 防空の徹底期し 十五日‧麻豆街で空訓 |
02 | 青年團長會議 能高郡會議室で開かる |
03 | 圖像:皇后陛下大宮御所行啟 |
04 | 婦人講習會 彰化市主催‧十五日から |
05 | 日用雜貨商協會 中壢郡に結成さる |
06 | 新營信組利率引下 |
07 | 農民生活の確立/千石興太郎 |
08 | 四道路の擴張 彰化市で愈よ着手 |
09 | 武道講習會 廿四日より屏東公で |
10 | 上旬貿易 高雄稅關扱ひ |
11 | 北斗街に流腦發生 |
12 | 名騎士老人を斃す |
13 | 南郡守湖口庄視察 |
14 | チンビラ二人組 臺中署にご用 |
15 | 新營郡下產組總代會日割 |
16 | 身元不詳の男縊死 |
17 | 東港青果組總會 |
18 | 種籾の消毒講習會 |
19 | 殺人鬼林進財 きのふ捕縛さる |
20 | ローカルセクシヨン |
21 | 青物相場表 (十三日) 臺北市中央市場 |
22 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 左營、小港兩庄が 近く高雄市に編入 大高雄の貫祿愈よ完備 |
02 | 軍隊慰安會 五月信子一座を招き けふ嘉義座にて開催 |
03 | 高野氏あす赴任 |
04 | 臺南州聯青團 神饌田を奉耕 あす地鎮祭を執行 |
05 | 石井知事管內巡視 州下到る處に新興氣象 |
06 | 笠井參與官 臺南市を視察 |
07 | 防犯スライド配布 臺中州刑事課のヒツト |
08 | 東部信組總會 きのふ滯りなく終了 |
09 | 大震災弔慰金の 費消事件發覺か 沙鹿街役場に手入れ |
10 | 日本文化の志向/津久井龍雄 |
11 | 圖像:土の戰士合同結婚式 |
12 | 臺南州內務部異動 |
13 | 高雄市民待望の 陸橋建設は取止め 操車場は舊城楠梓間へ |
14 | 燃えぬ都市を建設 全國の家主に呼掛けて 內務省宣傳に躍起 |
15 | 關節式電車を建造 國鐵の全電化を計畫 |
16 | 高雄秋競馬 劈頭から大穴 |
17 | 消息 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 米內海軍大將に 組閣の大命降下 昨夜參內して拜受頭條新聞 【東京十四日發同盟至急電話】米內光政海軍大將は十四日午後七時十五分御召しの電話により宮中に參內、後繼內閣組織の大命を拜受した(號外再錄) 【東京十四日發同盟至急報□後繼內閣首班に關して御下問を拜した湯淺內府は十四日午前十一時より宮中に重臣の參集を求めその意向を聽取した結果軍事參議官海軍大勝米內光政氏を推すことに決意し同日午後二時廿三分東京驛發列車で松平內大臣秘書官長、興津に派し同秘書官長は同五時四十七分静岡着自動車にて坐漁荘を訪問湯淺內府の意向を傳へた同公の意見を聽取その結果を電話をもつて內府に報告したかくて內府は同六時四十分天皇降下に拝謁仰付けられ後繼內閣の首班として米內大將を最適任者と認める旨謹んで泰答した依つて天皇陛下には百武侍從長を通じて電話をもつて米內大將御召しの御沙汰あらせられ同大將は同七時十五分宮中に參內天皇陛下に拜謁仰付けられ後繼內閣組閣の大命を拜し暫時の御猶豫を乞ひ奉り八時五分御前を退下した |
02 | 宮中で重臣會議開催 |
03 | 後繼內閣問題で 陸軍首腦部が協議 |
04 | 早くも組閣に着手 石渡前藏相と會談 |
05 | 強力內閣を期待 財界方面の意向 |
06 | 後繼內閣に對する 農村團體の要望 |
07 | 次期政權に對する 產業界方面の要望 |
08 | 金融界の要望 |
09 | 總辭職に對する 米紙の所報 |
10 | 佛外交界觀測 |
11 | 本戶侯が平沼男訪問 |
12 | 新內閣決定に對し 臨時政府至大の期待 |
13 | 廣瀨元厚相 組閣本部に入る |
14 | 產業界で協力 |
15 | 畑陸相が參內 |
16 | 小栗一雄が 海軍官邸に入る |
17 | 原田男が 園公を訪問 |
18 | 湯淺內府が 宮中を退出 |
19 | 西岡政務次官 海相官邸訪問 |
20 | 總辭職決定の 臨時閣議開かる |
21 | 辭職の理由 |
22 | 日ソ通商交涉 第二次會議終る |
23 | 日ソ漁業暫定協定 |
24 | 勅選補充決定 |
25 | 米國の外糖輸入割當 |
26 | 米、伊新航空路の開設協定成立 米伊兩國の接近顯著 |
27 | 日本との間に 暫定協定を締結 リ氏がス氏を反駁 |
28 | 本日の天氣 |
29 | 大阪商船臺灣出帆 |
30 | 東亞海運 |
31 | 日本郵船基隆出帆 |
32 | 辰馬汽船 |
33 | 大連汽船 |
34 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 明眸のミス・タイ孃 三月‧本島に立寄る 櫻の內地訪問の途次 |
02 | きのふの首相官邸 落着拂つた阿部さん |
03 | 厚生資金より表彰 羅東街陳氏の光榮 |
04 | 埃及經濟使節團 三月初旬、我國に派遣 |
05 | 圖像:臺北市青年團查閱 |
06 | 森岡長官上京 十七日に變更 |
07 | 配合肥料製造組合を設立 |
08 | 州下學校職員兒童劍道大會 |
09 | 青年學校調查を岡田大佐が視察 |
10 | きのふの湯淺內府 大內山は巨星の往來繁し |
11 | 蓬萊丸きのふ入港 岡田畫伯ら來臺 |
12 | 蘭陽初巡視終る 川村知事、けふ歸北 |
13 | 島都の青年團查閱 きのふ快晴の新公園で |
14 | 新竹に果菜市場 需給圓滑を圖るため |
15 | 臺灣米增產對策6 稻の耕種法改善に就て |
16 | 大相撲 四日目の勝負 |
17 | 五日目取組 |
18 | 狙擊された 黃蓮舫氏逝去 |
19 | 笠井氏講演會中止 |
20 | 悟道軒圓玉逝く |
21 | 定期航空 |
22 | 訃文:莊氏秀薇 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 高雄市、學級を增設 全適齡兒童を收容 “義教”實現に邁進 |
02 | 巨額の國防献金 嘉義憲兵分遣隊(十二月中の扱) |
03 | 五萬圓に肉迫 旗山郡十四年末迄の献金 |
04 | 臺中神社上棟式 來る廿六日に擧行 |
05 | 圖像:バチスタ氏大統領候補に立つ |
06 | 鄉軍彰化郡分會武術會 |
07 | 經濟警察協議會 けふ南投郡に創立さる |
08 | 尨大豫算を爼上に 愈愈けふ高雄州會 |
09 | 道路網の完成に 十橋梁を架設 臺南州が十八萬圓餘を計上 |
10 | 彰化輕鐵廿一日に總會 |
11 | 操縱なき自動車 獨りでに驀走す 花蓮港街での事故 |
12 | 復も事故發生 バスとトラツク 丁字型に衝突 |
13 | 奧田知事初巡視 十三日、員林北斗兩郡へ |
14 | 石井知事初巡視(第二日) |
15 | 西澤基一氏 高雄市民に惜まれて轉出 |
16 | 舊惡續續と暴露 弔慰金事件擴大 某街長の身邊も危し |
17 | 大岡山の山火事 保甲民四百出動 火事騷ぎ續く高雄州下 |
18 | 圖書館週間 臺中で閱覽者大會 山中氏も來中講演 |
19 | 和興バス來る廿日に總會 |
20 | 屏東署初召集 |
21 | 4-2對厚生團野球試合本社勝つ報社消息 |
22 | 臺南興信社總代會 全部原案可決 |
23 | 高雄秋競馬 第八回以後の成績 |
24 | 彰化市のボヤ |
25 | 彰化署壯丁團檢閱延期 |
26 | 消息 |
27 | 人事往來 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 学芸 創作 をかしな家庭(下)/丹羽文雄 |
02 | 圖像:聖蹟巡り(三) |
03 | 新映畫 小島政二原作 岩に咲く花 逢初夢子主演 |
04 | 花柳小菊が 鶴龜を踊る |
05 | 「花園の結婚」 |
06 | ラヂオ |
07 | 講演 通商條約問題をめぐる 日米經濟の展望/山田文雄 |
08 | 母の講座 幼兒の遊ばせ方/熊谷綾子 |
09 | 落語 |
10 | 連續講談 次郎長本傳 秋葉の仇討(上) |
11 | 料理 |
12 | 子供の時間 雪國の子供達 |
13 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 本格的人選に入る 決定閣僚と有力顏觸 |
02 | けふ中組閣完了せん 組閣工作は順調な進捗振り |
03 | 三位一體擧國一致 特に經濟閣僚銓衡に留意 |
04 | 畑陸相優諚を拜す |
05 | 六代目の海軍宰相 岩手縣れの逸材 |
06 | 米內大將の現役を希望 海軍、手續を研究 |
07 | 野村外相が 留任を固辭 |
08 | 石渡、廣瀨兩氏 組閣本部へ |
09 | 擧國新內閣に期待 |
10 | 陸軍の要望 |
11 | 新中央政權に多大の好感 |
12 | 組閣方針 閣僚の兼任なし |
13 | 陸軍三長官會議 畑陸相の留任を決定 |
14 | 日滿は不可分 張國務總理談 |
15 | 米國は安堵 |
16 | 元大臣の書記官長 石渡氏を以て嚆矢とす |
17 | 民政と中島、久原兩派 新內閣支持の方針 入閣の有力な候補者 |
18 | 民、政各兩名づづ 黨首の入閣を希望 |
19 | 有志代議士會解散 |
20 | 全參議辭表を提出 |
21 | 小磯國昭大將 交涉を受く |
22 | 藏相候補に 結成總裁有力 |
23 | 親任官待遇か |
24 | 明日の天氣 |
25 | 水滸傳(29)/黃得時;榎本真砂夫 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 暗黑吹飛ばす第一聲 テキパとして賴母し 米內新宰相の初印象 |
02 | 自動車群を出拔く その日の米內大將の兩邸 |
03 | 四時間密議を凝らす 大臣官舍組閣本部の第一夜 |
04 | 圖像:潑刺とした作文、圖畫を伊太利のお友達へ |
05 | 白衣の勇士 快癒して明日內地歸還 |
06 | 防訓打合會 具體的計畫を協議 |
07 | 羅東郡下の產組總會日期 |
08 | 根本氏來中 |
09 | 新竹州自轉車商工組合十八日に創立 |
10 | 花札賭博檢擧 |
11 | 北署の懇親庭球戰 きのふ北署コートで |
12 | 讀書座談會 十七日新竹で開く |
13 | 感電して重態 |
14 | 家庭用電燈制限 十一燈以上は二割 |
15 | 臺南の籠球大會 きのふ南師運動場で |
16 | 立教雪辱 |
17 | マラリア庄香山 防遏所を設けて根絕 |
18 | 百五十九學級增加 生徒募集や教員補充問題で 臺北州視學協議會開かる |
19 | 機械に卷込れ 職丁慘死 |
20 | 加害の一味就縛 金瓜石の殺人事件 |
21 | 田端副社長 中部を巡視 |
22 | 不穩華僑追放 |
23 | 基隆市の異動 |
24 | 定期航空 |
25 | 人事消息 |
26 | 街で拾ふ |
27 | 今夜の放送 |
28 | 商況 十五日 前場 |
29 | 今日の興行 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 愛の凱歌(126)/戶川貞雄;松田文雄 |
02 | 家庭婦人 護れ!赤ん坊の冬 洗ひ晒しの浴衣があり |
03 | 新稅制と家計(四) 日用品には高級品重課 |
04 | 重曹の利用法 |
05 | 國策代用品 繭表の草履 耐久力もあり溫い |
06 | あかぎれ綠茶 傷口と乾かし細菌を防ぐ かみつぶして詰込むのです |
07 | 圖像:戰線兵士のクリマス・ブレゼントを作るヒツトラー女子青年達 |
08 | 食膳の寵兒 大豆の多い新用途 食糧學校井舟靜水氏談 |
09 | 木炭の經濟的使用 鹽水に浸して使ふとよい 粉も粗末にせぬやう |
10 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新民報國語學習新聞 十七の少年技師 木製の引皮を發明 皮製より強くて值段も安い 戰時代用品に凱歌 |
02 | 日本海軍が強いのは 猛訓練のたまもの(上) 遠洋航海から歸つた 澤本中將閣下のお話し |
03 | 圖像:海山郡鶯歌青年團/劉潭木 |
04 | 兒童用運動場 全國に廿餘ケ所 厚生省本年度の計畫 |
05 | 軍神廣瀨中佐のはがきと弔慰文 海軍兵學校へ寄贈 |
06 | 家庭醫學 強い子を生む秘訣 母體の榮養不足が 虛弱兒童をつくる |
07 | 身心の榮養/市村延晃子 |
08 | 子供に間食は必要か? 正しいオヤツの與へ方 |
09 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 全閣僚の顏觸を決定 けふ親任式行はせらる頭條新聞 【東京十五日發同盟】米內大將の組閣工作は着々□捗を見せ十五日□十時四十分に至つて全閣僚決定組閣を完了した、依つて米內大將は十六日午前宮中に參內天皇陛下に拝謁仰付けられ謹みて大命を拜受する旨を奉答し閣員名簿を奉呈して一旦御前を退下、斯くて新內閣の親任式は十六日に行はせられることとなつた、決定せる閣僚顏觸左の如し 總理大臣 海軍大將正三位 勳一等功四級 米內光政 外務大臣 從三位勳一等 有田八郎 內務大臣 從二位勳一等 伯爵 兒玉秀雄 大藏大臣 從三位勳一等 櫻內幸雄 陸軍大臣 陸軍大將從三位 勳一等功五級(留任)畑俊六 海軍大臣 海軍中將 正四位勳一等(留任)吉田善吾 司法大臣 從三位勳一等 木村尚達 文部大臣 樞密 顧問官 從二位勳一等 松浦鎮次郎 農林大臣 從三位勳二等 島田俊雄 商工大臣 勳三等 藤原銀次郎 遞信大臣 正四位勳二等 勝正憲 鐵道大臣 正五位勳三等 松野鶴平 拓務大臣 陸軍大將從三位 勳一等功二級 小磯國昭 厚生大臣 從四位勳三等 吉田茂 內閣書記官長 從三位勳二等 石渡莊太郎 法制局長官 正三位勳二等 廣瀨久忠 企畫院總裁 滿洲國總務長官 星野直樹 |
02 | 米內大將、各政黨に 代表入閣を懇請 町田總裁との交涉經過 |
03 | 米內大將結局 豫備役に編入 |
04 | 日本の地位は強化 重慶機關紙大公報述ぶ |
05 | 獨政界、新內閣に 余り好感寄せず |
06 | 有田外交の指針 躍進的成果を擧げん |
07 | 阿南次官 米內大將と會見 |
08 | 參議制存續 |
09 | 木村新法相は 部內の腕利き |
10 | 政友兩派にも 入閣を求む |
11 | 圖像:阿部內閣最後の記念撮影 |
12 | 檢事總長後任 急速に行はれん |
13 | 阿部前首相の敘位 |
14 | 荒鷲OO機の 壯烈な空中分列式 橫鎮の海軍始觀兵式 |
15 | 駐支ジ米大使 廿九日漢口へ |
16 | ソ機、瑞典領に投彈 |
17 | 英も休暇中止 |
18 | 長官の上京 十七日に變更 |
19 | 總督府辭令 |
20 | 中央政權樹立工作 著しく進展す 近く三首腦會談を開く |
21 | 崇陽地區の敵總崩れ 我が空陸の猛攻で |
22 | 龐炳勛軍五千を包圍 最後の攻擊を開始 |
23 | 錢塘江北側侵入の敵掃蕩 |
24 | 米穀顧問會議 米穀局長より出荷狀況報告 |
25 | 柳川長官歸京 |
26 | 本日の天氣 |
27 | 大阪商船臺灣出帆 |
28 | 東亞海運 |
29 | 日本郵船基隆出帆 |
30 | 辰馬汽船 |
31 | 大連汽船 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 指導性の缺如が招く 阿部内閣の退陣社說 一 混沌たる政局更新のため、阿部內閣は遂に總辭職を決行した。平沼內閣の後をうけ組閣して以來、僅か四ヶ月で退陣してしまつた。事變處理を高調して來た阿部大將として、新支那中央政權に對する帝國の根本方針決定のみで臣節を明らかにしたのは同情に値するが、しかしながら政治は一個の客觀的施策の問題であるから己むを得ない。毀譽褒貶はもとより政治に携はる者の避け難き運命であり、成敗もまた人意のよく左右しうるところではない。實際阿部內閣の場合、阿部大將自身の忠節と誠實は、國民として疑ふものはない。しかしながらこの忠節、誠實の心境事は、そのままでは政治に於ける客觀性を強制しえない。國家國民のためによかれかしと思ふことも、その施策が旣に國民の支持を失ひ、結果に於てその意圖を根底から裏切るものがある以上、自決の途を選ぶ以外に方法はないのである。 二 阿部內閣は何故に斯くも早く瓦解したか、組閣後間もなく歐洲動亂が勃發し、これで前內閣以來の懸案たる對歐策を決定するに當つて豫想された問題が解消された形となり、かくて歐洲不介入一意事變處理の大方針を立てたが、その具體化に當り政治技術の不手際から、諸般の施策は殆ど黑星の連續となり國民の支持を失つてしまつた。凡ゆる對策は後手々々に出で、「問題が起つて後の政治」であつたこれが阿部內閣の失政の根本原因を作つたものであり、國民の信望を失つた所以である。戰時內閣は少くも積極的に、指導性をもつた強力な政治でなければならぬ。一國の國民を一方向に指導するためには、新しき構想がなければならぬ。こことに強力なる內閣が要望されるのである。強力內閣と云つても、國民壓迫を意味するものではない。國民を政府の協力者たるべき對象となし、真に舉國一致の體制で進むことである。多難なる財政經濟問題の多いことを思ふ時、特にその必要を痛感せざるを得ない。 三 阿部內閣の失政は組閣時、政黨を輕視したところにその原因の一半がめると思ふ。內閣成立後少數閣僚主義を取つて來たが、事實に於ては敢えなく崩壞 してしまつた。種々の失政に非難高まり行詰りを生ずるに及んで、町田總裁に入閣を懇請したが遂に失敗した。政黨輕視は近衛內閣も同樣であるが、真に舉國一致の體制で進むには如何せん、眾議院に絕對多數を持つ政黨無視することは出來ない。今は政黨自身、大いに反省を加へ更生の道を開くべきであるが、今迄の政府が無視して來た考へ方是正すべきである。一國の興亡に於ける匹夫も責めありである。政黨も須く事變處理、內政問題等具體的研究の上、政府を指導鞭撻して建設的努力をなすべきである。かくしてこそ國一致の實を舉げ、また政黨更生の道を拓く所以である。事變處理と云ひ、外政と云ひ、內政と云ひ、今後に於ける政府當局と政黨の政治的責任は、この一點に集中されなければならたいと思ふ。 |
02 | 大命を拜した以上 堂堂と所信に邁進 米內新首相の心強い一言 |
03 | 地味な組閣本部 |
04 | 手廻し早い畑さん 既に七分通り引越し |
05 | 高齡顯官華族を御優遇 宮中杖を差許され天杯を御下賜 |
06 | 臺灣米增產對策7 稻の耕種法改善に就て |
07 | 香取丸出帆 |
08 | 軍事援護事業に森田氏寄附 |
09 | 靜岡市大火 全市黑煙に包まる |
10 | 全燒一千戶以上 東海道線も不通 |
11 | 消火の見込なし 重なる燒失町名 |
12 | 西北風に煽られ 目下破壞消防中 |
13 | 靜岡市に向け 救援列車を派遣 |
14 | 少年團指導者の實修所を開設 二荒伯來臺を機に |
15 | 二荒伯の島內視察日程 |
16 | 基隆市區振興會 けふ結成打合會 提出の強調諸事項案 |
17 | 砂金の分布狀況を 全島的に調查 |
18 | 收益を献金 新竹軍事後援會が |
19 | 三重埔の火事 |
20 | 新竹市の洋服商同業組合發會式 |
21 | 金塊大秘輸團か 福建丸乘組員のトランクに札束 |
22 | 高校優勝祝賀 ホツケー大會 |
23 | 大和丸無電 |
24 | 定期航空 |
25 | 人事消息報社消息 |
26 | ときのこゑ |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 昨年度の島產茶 輸移出總額は新記錄 總量二千百萬金突破 |
02 | 臺灣證券總會 一割配當可決 |
03 | 本島鋼材配給機構 近く一元化に改革 會社と大口の比率は實績で |
04 | 赤糖產糖減の為 配給割當を變更 輸出向數量を削減か |
05 | 中央物價委員會改組と戰時低物價政策の將來(完) |
06 | 臺北米穀會社 創立總會を開催 |
07 | 糖聯支部幹事 永井氏に當選 |
08 | 水津頭取上京延期 |
09 | 新興泰國への 臺灣茶販路は有望 臺灣茶商公會書記長朱阿西氏談 |
10 | セメントの配給は 生產擴充用を優遇 近く差止を解除せん |
11 | 照明燈 |
12 | 管理米割當方針等 各州內務部長で決定 |
13 | バナナ輸移出量(十二月中) 前年同期より一萬籠增 |
14 | 市價及商況 十五日 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 講演 第一次歐洲大戰の回顧と銃後國民の覺悟/小林順一郎 |
03 | お話 |
04 | 子供の時間 |
05 | 連續講談 次郎長本傳 秋葉の仇討(中) |
06 | 料理 |
07 | ビアノ獨奏 |
08 | 家庭法律講座/草薙晋 |
09 | 圖像:慶應對同志社ラグビー戰 |
10 | 東寶映畫吉屋信子原作 “花つみ日記” けふより國際館で封切 |
11 | 新興「熱情の翼」 洲崎飛行場にセツト |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 海山郡部落振興の實績發表會を開催 郡下關係者が多數參集 |
02 | 百三十家族招致 臺東拓殖公司の移民運動 |
03 | 員林郡下信組總代會 |
04 | 彰化同志利用□用 |
05 | 苑裡庄では |
06 | 選擧成績優良庄 臺中州知事が表彰 |
07 | 三泰肥成素株式會社 |
08 | 屏東郡長興 |
09 | 中壢郡聯青團 十九日に大會を開催 |
10 | 北斗郡經濟警察協議會 去る十二日開催 |
11 | 庄政懇談會 田中庄で開催さる |
12 | 圖像:伊太利反共を益益強調 |
13 | 圖書館週間の催 鹿港街立圖書館 |
14 | 大溪青年團 十三日、聯合大會開かる |
15 | 物價抑制につき 員林郡警察課主催で協議 |
16 | 淡水郡下產組の通常總會 |
17 | 蔬菜品評會 斗六郡で賞品授與式 |
18 | 優良部落視察 高橋主事北斗へ |
19 | 性病豫防座談會 大溪郡警察課主催 |
20 | ローカルセクシヨン |
21 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 世界の歷史的轉換 (一)本年の國際情勢回顧 |
02 | 圖像:危機に立つスンヂナビヤ |
03 | 圖像:プルガリア總動員へ |
04 | 戰時下の紐育/大竹貞雄 |
05 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 高雄州會開かる 劈頭に感謝電可決 議員連は緊張の面持ち |
02 | 神饌田地鎮祭 きのふ嚴肅執行 |
03 | 管理米買上げ 臺東廳下で四千袋 |
04 | 臺中市の經濟警察協議會 きのふ盛大に發會式 |
05 | 戶稅率を引上げん 花蓮港街の財政難を緩和 |
06 | 產組研究會を設立 臺南市に於て發會式 |
07 | 新高港の大動脈 梧棲沙鹿間の五十米道路着工 每日二千名の保甲民を繰出す |
08 | 高雄州豫算 一般會計の大綱 |
09 | 花蓮港と高雄州 道路幹線で結ぶ 臺東廳廿四萬圓計上 |
10 | 臺南州參事會 きのふ州會議室で開催 |
11 | 林烈堂氏献金 |
12 | 彰化方委月例會 |
13 | バス停子脚の柱に衝突 乘客□數負傷す |
14 | 彰化二水間に 產業道路を開鑿 愈よ本年度內に施工 |
15 | 沙鹿の不正事件 前大甲街長に發火か |
16 | 馬公街に流腦 隔離室なく困却 |
17 | 人事往來 |
18 | 消息報社消息 |
19 | 訃文:林仲衡 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 米內內閣成立 宮中で親任式御擧行 |
02 | 鮮かな組閣振り 穩健な政黨內閣的色彩 |
03 | 圖像:米內大將記者團と會見 |
04 | 香港丸入港 |
05 | 大物網羅には成功 雜然諸勢力の雜居 革新的性格を缺く |
06 | 本島人巡查採用問題 鼓浪嶼參事會で大論戰 |
07 | 島田新農相に期待 農村團體が積極的意思表示 農村輕視傾向の清算を要望 |
08 | 日米通商條約交涉 ハル長官が言明東京で進行中 |
09 | 新中央政權の 備準工作進展 |
10 | 內田總領事 工部局に要望 |
11 | 當面の財政經濟政策 勝、石渡兩氏の協力の下に 櫻內新藏相の手腕に期待 |
12 | 金融界は好評 |
13 | 當分の間は 連日閣議 |
14 | 明日の天氣 |
15 | 水滸傳(30)/黃得時;榎本真砂夫 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | “強力內閣が出來で 慶賀に堪へない” 米內內閣成立に就き小林總督語る |
02 | 臺北州下の防空訓練 廿九日から二晝夜に亘り 實戰に則する綜合訓練 |
03 | 圖像:徐州の觀兵式 |
04 | 植田、木村兩勇士 廿日我家へ無言の凱旋 |
05 | 大仕掛な密輸團 五百罐の阿片煙膏を 上海方面から持込む |
06 | 白衣の勇士 內地へ歸還 |
07 | 公學校一校 新竹市で新設 |
08 | 靜岡市の大火 約三分の一灰燼に歸す |
09 | 基隆水上署 の武道始め式 |
10 | 軍人遺族住宅に 記念文庫設置 藤田元知事の美擧 |
11 | 新竹保甲會館竣工 |
12 | 臺北築港協會 來月總會を開く 積極的活動を開始 |
13 | 公學生の美擧 お禮を慰問金に |
14 | 臺北州の繁榮策は 產業道路開鑿から 初巡視を終へて川村知事語る |
15 | 五日目勝負 |
16 | 小公學校にプール 市が設置に乘り出す |
17 | 曹洞宗講習會 第二回の終了式 |
18 | 臺北製茶同業組合 通常組合會を開催 |
19 | 旅館で自殺を企つ |
20 | 南支問題に就き 意見を交換 けふ軍司令官官邸で |
21 | 渡邊支局長夫人逝去 |
22 | 定期航空 |
23 | 人事消息報社消息 |
24 | 街で拾ふ |
25 | 今夜の放送 |
26 | 商況 十六日 前場 |
27 | 今日の興行 |
28 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 愛の凱歌(127)/戶川貞雄;松田文雄 |
02 | 家庭婦人 傳染病菌は冬も 決して油斷出來ぬ 殊に多いのはチブスです 警視廳防疫課長井口乘海博士談 |
03 | 奇拔な紐育の 流行婦人帽 だが日本婦人には向かぬ |
04 | 鼻をかむな 中耳炎患者も多い 風邪流行について |
05 | 戰時下主婦の常識 代用品の特徵を生かしませう 近く全國で代用品展 |
06 | 圖像:轟夕起子が軍馬獻納 |
07 | 溫泉の利用法(三) 正しい入湯と飲み湯の方法/松尾仁 |
08 | 蜜柑羊羹の作り方 |
09 | 紙上病院 |
10 | 葱鮪汁 |
11 | 八つ頭の季節 美味しい料理法 |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新民報國語學習新聞 二百米以上離ると 見えなくなる軍艦 米國の奇術師ダニングが製作 噓のやうなお話し |
02 | 圖像:淨米奉獻リレー |
03 | 圖像:歐洲大戰より |
04 | 鯨の油糟から 立派な毛織物 |
05 | 僕等の教室は 僕等の手で溫る |
06 | 僕等の校歌 新竹州立桃園農業學校/加藤春成 |
07 | 日本海軍が強いのは 猛訓練のたまもの(上) 遠洋航海から歸つた 澤本中將閣下のお話し |
08 | 一郎さんの玉子(上)/伊福部敬子 |
09 | 廣告 |