臺灣新民報1939年7月
序號 | 標題 |
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01 | 英の反省ない限り 隔絶の手は緩めぬ 現地當局一段と強硬 |
02 | 東京日英會談の重點 日、英關係基本的問題を討議 英の援蔣拋棄、認識是正が必要 |
03 | 明年度豫算編成方針 事變目的達成と新秩序建設 緊要經費を中心に臨む方針 |
04 | 佛出先當局は親日 英國集團外交の破綻を物語る 田中領事、加藤參事官談 |
05 | 外交手段では 事態緩和できぬ 英居留民は日本の要求を容れ 檢問檢索より脫却したい氣運 |
06 | 豫算運用委員會 大藏省內に設置 |
07 | 精動常務理事決定 |
08 | 外蒙ソ聯空軍の損害 合計二百八十機 我方は僅か九機のみ |
09 | 外蒙ソ聯空軍が ガス彈を投下 我方幸ひに被害なし |
10 | 外蒙國內政情不安 反革命叛亂が蜂起 |
11 | 金口木舌/林正享 |
12 | 英は掛引の一點張り 英獨海軍協定の再興無意味 覺書を獨は問題にせぬ |
13 | 羅田を空襲潰滅 敵游擊匪の本據 |
14 | 魯南地區の 綜合戰果 敵遺棄死體 七千五百四十 |
15 | 通貨權限法案 米兩院委員會で 妥協案が成立す |
16 | 下旬貿易 出超三千六百餘萬 |
17 | 北、中支の製鹽 計畫着着進捗 |
18 | 明日の天氣 |
19 | 總動員(163)/長田秀雄;夏口醇 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大臣もノー.タイ開襟 厚生省生活刷新運動 |
02 | 國民の體位向上へ 一大調查機關を新設 |
03 | 勅語奉讀式 興亞記念日.新公園で擧行 |
04 | 圖像:廣東訪日婦女團動靜 |
05 | 汕頭攻略の吉報に 廣東市民は大歡び 節句の祝が戰勝祝賀に早變り |
06 | 喜びに堪へない 廣東治維會委員長彭東原氏談 |
07 | 高砂丸入港 |
08 | 太い支那人 ガラス玉で詐欺 |
09 | 基隆神社祭典 Z奉納能樂大會 で開催 |
10 | 日本と北支との 聲の連絡出まる けふ祝賀開通式 |
11 | 待望の臺北競馬 八日から華華しく擧行 |
12 | 對日經濟封鎖困難 英國自治領の實情 |
13 | 營業稅と雜種稅 臺南州の調定終了 |
14 | 華中北、蒙疆間 航空郵便開始 |
15 | 臺南市のチフス 內地人側に罹病者多し |
16 | 鐵道自殺 病苦の本島青年 |
17 | 真性腦炎 けふ二名發生 |
18 | 寫真懸賞募集 臺灣放送協會 |
19 | 落盤で即死 |
20 | 人事.消息 |
21 | 今夜の放送 |
22 | 商況 三十日前場 |
23 | 今日の興行 |
24 | 民報案內報社消息 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日本の母(161)/新述節;瀧伸二 |
02 | 家庭婦人 おやつや食事の時を 利用して話しませう 乘物や鳥、彈丸のスピート比べ |
03 | 無駄なし野菜料理(上) 營養を逃さず一石二鳥 水洗ひや煮方の注意 |
04 | 一般無關心な ハンドバック 持ち方や型、質等に就て |
05 | 素人でも大丈夫 安全なマッサージ法 |
06 | 圖像:ムッソリーニ首相と赤ちゃん |
07 | 夏の食品と營養價 どぜうや鰻を時時食べよ 蕪は葉の方が優れてゐる |
08 | 早く手當すれば 長生きも出來 かうして亢進を防ぐ |
09 | 膿を持つオデキ 今頃は特に御注意 |
10 | 營養價を失はぬ 正しい茹で方 よい味と色は仲仲難しい |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新民報國語學習新聞 露國機二百七十五機 我空軍に擊墜さる 世界の戰史に燦と輝やく 荒鷲隊の偉力を見よ |
02 | 圖像:世界一小さいワン公 |
03 | 榮螺のとげ 和歌山縣から東にはあるが 內海產にはない |
04 | 天津の租界をなぜ 我國が封鎖したか(下) 英國をかさに着る抗日隊の隠家 |
05 | 圖像:各國の軍備 |
06 | 僅か一年間 四萬圓の貯金 兒島郡の玉小學校 |
07 | 圖像:風景/周龍炎 |
08 | 往復四粁の道を 每日お墓參り 亡くなった先生を慕ひ |
09 | 綴方教室 相撲/周文元 |
10 | お洗濯の出來る 紙製マント 島根縣商工獎勵館で發明 |
11 | 自由詩 |
12 | 童謠 |
13 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 交涉の如何に拘らず 檢問檢索は一層強化 けふ一般に布告實施頭條新聞 【天津三十日發同盟】現地軍當局では今次東京交渉の如何に拘らず□問檢索は一層強化することゝなりその具體的方策につき關係方面と協議中であるが愈々成案を得たので一兩日中に左記方法に依り之を實施するに決定し七月一日を期し一般に布告する 一、一般通行許可時間は現在午前六時より午後十時までとなつてゐるが之を午後七時三十分までとす、即ち一時間半縮少する。但し萬國橋附近に限り交通頻繁のため特に從來通りとす 一、山口街通りは全然通行を禁止す 一、旭街往復通行中日本租界よりフランス租界への通行を禁止し一方通行とす 一、芙蓉街は特に乘用車に限り通行を許可す 一、萬國橋上流に於て白河を上航する船舶及び日本橋附近を下航する船舶は山口街檢問所附近において停船して檢查を受けること |
02 | 鼓浪嶼租界の英人 なほも迷夢覺めず 近く反英大會を開催 |
03 | 滿洲移民大綱を決定 日滿連絡準備委員會で |
04 | 南方拓殖上機宜の 方策を講じたい 小磯拓相の車中談 |
05 | 廈門特別市政府 首腦部きのふ發表 |
06 | 我攻擊精神の旺盛 訓練の猛烈、器材の優秀が 赫赫たる勝利の原因 |
07 | 定例閣議 |
08 | 最後の援蔣路 溫州福州の兩港を閉塞 封鎖作戰の從軍記 |
09 | 神社行政と 防空事務刷新 內務官制改正 |
10 | 野口、松村兩部隊に 感狀を授與さる |
11 | 總動員業務追加案 閣議で正式決定 |
12 | 出征將兵慰問新聞七 けふの本紙寄贈者報社消息 |
13 | ダンチッヒ市內に 獨義勇兵(四千名)が到着 波國海軍グ港に集結 |
14 | 侵略阻止の誓約實行 ハ英外相の外交演說 |
15 | 獨逸に對する 英政府の警告 |
16 | 獨、六十萬人の 豫備兵を召集 パリ政界神經を尖らす |
17 | 澄海を無血占領 潮州より韓江を南方に下江 |
18 | 福州の軍事施設を爆破 |
19 | 上海駐在公使 加藤外松氏に決定 |
20 | 從化附近の 敵を擊滅 |
21 | 本日の天氣 |
22 | 大阪商船臺灣出帆 |
23 | 近海郵船基隆出帆 |
24 | 辰馬汽船 |
25 | 大連汽船 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 新時代建設への認識 思想的飛躍へ社說 一 「總親和」が平沼內閣の標語的なものになってゐるが實は餘り評判が好くないようである。評判が好くない理由の第一は現狀維持的臭ひがする事、第二は弱弱しい印象を與へる事、第三は新鮮味が無い事等である。今次事變は世界史的大規模の事變であり、今日客觀情勢は其の好むと好まざるに不拘世界歷史に新たなる東亞を建設するに非ざれば事變の意義が達しないと云ふ絕對的にして、しかも宿命的な現實下に有る事を先づ誰よりも東亞建設の指導者たる日本人の全體が之れを確然と認識する事が根本問題である。 東亞建設と云っても從來提唱された如き觀念的な、そして部分的、一方的なもので無く真に世界史の變革となる實踐的正義の遂行でなければならぬ。 二 政府としては既に其の根本方針は牢乎として決定してゐるのであるが、國民的に觀察すると未だ統一ある熱情と理想と實踐に缺くるものがある。事變解決の根本條件は事變目的の把握と思想的情熱である。目的の把握あっても之れに向って邁進するところの熱情的理想と實行力が無くてはならぬ。然るに此の根本條件が國民的に徹底して居らないと云ふ事は勿論政治の貧困であるが國民的自覺が不足してゐるのである。併し吾人は如何に國難的大事變であり複難多端を極める長期事變であっても敢へて悲觀するものでは斷じて無いのであるが、解決の一刻も早からん事を欲するのは當然である。從って之を早からしめるには國民全體の熱情と實行力が必要である。 三 今次事變は世界史的東亞新時代の建設である以上國民の思想的一大飛躍が絕對的に要求されてゐる。現狀維持的思想は事變目的に逆行するもので斷じて許されない事の認識の上に立って全國民が再出發しなければならない。過去の時代を鎧兜とするならば事變後の時代は飛行機である。飛行機の時代に於いて尚鎧兜を着けて居るとすれば如何に其の意氣天を衝くの慨ありと雖ども所詮意氣のみ高くして實戰的には一應へもないのである。過去時代は日本其のものの防備と日本そのものの經濟的發展に設頭すれば足りたのであるが今次事變による新時代建設は日本のみの防備と經濟發展より飛躍して大東亞全體の防備と經濟的發展を期さなければ事變意義を徹底する事が出來ない。しかも此の大飛躍の主役が日本である以上、我我日本人全體が一人一人、大政治家たるの自覺が無くてはならぬ。大東亞を率へる日本人は十億の東亞民族を抱擁するだけの雅量と實力と德望を具備しなければならぬ。臺灣統治に於いても此の飛躍が實踐されるべきは勿論である。本島人だ、內地人だと末梢神經をピクピクさせるようでは新時代建設陣の落伍者となるのみだ |
02 | 中央に即應して 新に企畫部を設置 國家總動員の完遂に |
03 | “金を賣りませう” 臺北州の金賣却運動 いよいよけふから開始 |
04 | 官民體力審議會 官制公布 七月中旬頃の模樣 |
05 | 第二水源地の 工事實施を陳情 夏の水饑饉に惱む基隆 |
06 | 御下賜品傳達 |
07 | 基隆の營養展 好成績を收む |
08 | 守屋氏講演會 あす臺南で開く |
09 | 青年生徒大陸派遣 人員を倍加して恒久化 |
10 | 羅東青年學校 けふ開校式を擧行 |
11 | 新竹市漢藥種組合總會 |
12 | 臺灣婦人慈善會が 寄附 |
13 | 北京の開通式 さながら市內電話 |
14 | 衛生設置完成 |
15 | 盗んだ金で高利貸 トーチカ心臟の女御用 |
16 | 事務分掌規定改正 米穀局企畫部新設に伴ひ |
17 | 青年團を動員し 興亞の耐熱行軍 七月七日羅東郡の行事 |
18 | 臺灣紅茶會社 再製工場新設 |
19 | 臨時職員設置制改正勅令 |
20 | 慰問新聞寄贈者 三十日受付の分報社消息 |
21 | 學習院の ホッケー選手 十二日遠征に來臺 |
22 | 音樂堂演奏曲目 |
23 | 銅、真鍮で大量の 裝身具密造 國策逆行金銀細工商鐵鎚 |
24 | 青春に背いて 女が鐵道自殺 魔の若竹町踏切で |
25 | 定期航空 |
26 | 人事.消息 |
27 | ときのこえ |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 米穀局の官制 勅令で發布 |
02 | 新組織の要項 |
03 | 當限の一期蓬萊 嘉南、昨夜大買占 米價不當の暴騰を目論み 非國民の行為歷然 |
04 | 輸出貿易の實情と 具體的振興方策 (十)府商工課主催貿易振興協議會 |
05 | 島內製麻工場の新設 內地側は反對表明 小泉氏督府意向を打診 |
06 | 米穀局開局式 本日午後督府正廳で |
07 | 島內島外に 各種事業を遂行(下) 加藤臺拓社長總會演述 |
08 | 硫安の引上を要望 製造組合で協議 |
09 | 一期蓬萊漸く 反動時代に入る 檢查米近く兩港に殺到 |
10 | 南支資源開發の 圖南協會結成さる 臺拓、杉原等も參加 |
11 | 下級鐵道部員の 昇級率を引上ぐ 從來の規定を大改正 |
12 | 新興製糖成績順調 配當は一割据置 總會は來る十一日 |
13 | 五月出炭高 二十二萬瓲 |
14 | 內地麥粉は 品質不良で低落 |
15 | 煙草試驗場を改組して 品質改良に邁進 |
16 | 市價及商況 三十日 |
17 | 臺北州柑橘組合 評議員會終了 |
18 | 三菱黃及時氏 天津支店に榮轉 |
19 | 日鑛臺灣支社に 名稱變更 |
20 | 照明燈 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 廈門特別市政府 成立祝賀典禮實況 |
03 | 寄席中繼 |
04 | 講演 歐米農學土產話/春日井新一郎 |
05 | 講演 最近朝鮮の經濟的發展/萩原彥三 |
06 | ラヂオ.ドラマ 賢夫人の一例 |
07 | 國民歌謠 |
08 | 料理 |
09 | 物語 日本の偉人 坂本龍馬 |
10 | 子供の時間 |
11 | 圖像:上野の東亞音樂文化展 |
12 | 中田製作部長出發 風見章子を伴って |
13 | 新興七月の強力陣 |
14 | 「胸に咲く花」 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 竹南に忠魂碑 二千六百年記念事業として 鄉軍分會が建設 |
02 | 臺東廳郡守打合會 |
03 | 東港郡金賣却 百萬圓突破 |
04 | 新港沖珊瑚漁場 愈よ本格的に調查 |
05 | 東港信用組清算總會 波瀾裡に閉會 |
06 | 廈門特別市組織條例 |
07 | 中壢郡米は凶作 稻熱病、豪雨、強風と不順續き |
08 | 住宅難緩和に 當局の努力待望 臺東建築組合の創立に關聯して |
09 | 無許可で亞鉛版使用 |
10 | 郡當局に陳情 龍眼林の信組出張所設置で |
11 | 平溪庒の金献 好成績を擧ぐ |
12 | 圖像:五大臣極洋丸見學 |
13 | 肥料配給打合會 三峽警察會館で |
14 | 高雄市の事變二周年 記念實施要綱 |
15 | 歸還勇士慰勞會 來る九日竹山で |
16 | 觀音庄の窃盜犯 |
17 | 姦夫を毆倒す |
18 | 社告/臺灣新民報社報社消息 |
19 | ローカル.セクション |
20 | 青物相場表 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 東亞新秩序の 攪亂者英國を葬れ 排英屏東市民大會で高調さる |
02 | 勇士慰安映畫會 彰化郡の主催で開催 |
03 | 臺中商工會議所總會 きのふ市民にて開催 |
04 | 金献運動の功勞者 夫夫感謝狀を贈呈さる |
05 | 臺南竹園公の新校舍 敷地買收に一頓挫 建物の買收問題視さる |
06 | 海の勇士へ慰問袋 高雄市小公學校から |
07 | 土壟間業者の代表 補償金に關し陳情 當局考慮する旨返答 |
08 | 高雄市畜產事務 打合會を開催 |
09 | 慰問學藝會 堀江小學童の奉仕 |
10 | 大屯郡國勢調查 きのふ打合會を開催 |
11 | 醉漢大暴れ 氣が着いたら豚箱 |
12 | 全島武道大會 來る十一日より高雄で |
13 | 大膽、一本道で晝寢 巡查殺し遂に逮捕 苦鬪の搜查陣に凱歌 |
14 | 彰化商工會議所 議員總會を開催 廿九日市會議室にて |
15 | 高雄市に真性流腦 興亞博を前に當局恐慌を來す |
16 | 統治法令違反と 虛偽の價格表示 臺南署で數件摘發 |
17 | 無許可の鉛使用 |
18 | 高雄州警察會議 きのふ第一日の事項を終了 |
19 | 旭公開校記念 けふ盛大に擧式 |
20 | 養豚部落を指定 花蓮郡の豚增產計畫 |
21 | 神饌田の奉仕 清水青年團を選定 |
22 | チフス豫防標語 當選者發表さる |
23 | 國語常用聯盟 結成期日變更 |
24 | 花蓮港倉庫信組 創立總會を開催 |
25 | 臺中洋雜貨業者が 自發的に值下げ |
26 | 防諜講演會 |
27 | 自動車檢查 |
28 | 花蓮港鄉軍分會長 小川氏が勇退 |
29 | 鈴木府地方課長來嘉 |
30 | 高雄州定期昇給 |
31 | 皇紀二千六百年 記念事業委員會 |
32 | 榮轉諸警官送別會 |
33 | 人事往來 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大陸一代娘(87)/小栗蟲太郎;中島喜美 |
02 | 音樂雜筆 父の音樂修養(上)/中谷孝雄 |
03 | 鄉土隨筆集 詩の中の夢 現實的の夢(下)/王昶雄 |
04 | 龍骨車 永井荷風研究 「新潮」七月號 |
05 | 圖像:濟度の光を求めて |
06 | 漫畫や繪本 どんなものを選ぶべきか/松葉重庸 |
07 | 圖像:夏山を招く(スケッチ) |
08 | 少年少女に讀ませたい 推薦認定圖書/臺灣圖書舘協會 |
09 | 學藝消息 米國の外語教育と國際關係 |
10 | 訴訟を提起 エーヴ.キューリ孃 |
11 | ディートリッヒ 米に歸化 |
12 | マール.オペロン孃 結婚を發表 |
13 | 心聲漢詩 雨後卽事/陳鐓厚 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大日本忠靈顯彰會 秩父、高松兩宮殿下台臨 七日に盛大な發會式 |
02 | 保停を完全に占領 海南島殘敵の本據 |
03 | 福州の完全閉塞は 四、五日以後となる 英の延期申入れと |
04 | 福州市內泥海と化す |
05 | 南陽を奇襲爆擊 |
06 | 自治より管理統制へ 田邊遞相の海運國策 二大方針が登場せん |
07 | 羅田、立煌を 陸荒鷲猛爆す |
08 | 滹沱河河谷 の掃滅戰果 |
09 | 值上を當局に申請 石灰窒素製造組合 |
10 | 祝廈門特別市政府成立 |
11 | 經濟的餘力を殘し 日本着着成果收む ドイツ新聞の論說 |
12 | 金口木舌/林正享 |
13 | 援蔣計畫は撤回せよ 事變は世界戰爭擴大の懸念 佛のタン紙論說 |
14 | 司法研究所官制案 閣議で決定 |
15 | 上半期對外貿易 斷然出超を示現 歐洲大戰以來初めて |
16 | オランダ內閣 總辭職 |
17 | 明日の天氣 |
18 | 愛の凱歌(1)/戶川貞雄;松田文雄 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 米穀局晴の開局式 けふ府正廳で擧行 |
02 | 圖像:米穀局開局式 |
03 | 米穀局と企畫部 設置で總動員完璧 森剛總務長官語る |
04 | 中學四年修了者の 上級學校受驗廢止 教審特別委員會で決議 |
05 | 十一月三日を期し 全國一齊體操 明治神宮國民體育大會競技種目決定 |
06 | 多摩御陵參拜 團體行軍競爭 から五十組參加 |
07 | 國民登錄好成績 新竹市、豫定數に迫る |
08 | 廿五萬圓突破か 基隆市の金動員成績 |
09 | 私立國民中學校 開校式を擧行 |
10 | 督府人事異動 一日附で發令さる |
11 | 國事調查要項打合 |
12 | 每月の七日を “日の丸辨當日”に 事變二周年臺北州廳の行事 |
13 | 地方課、學務課 事務官補充 |
14 | 臺北州の異動 |
15 | 臺拓の異動 |
16 | 定期航空 |
17 | 今夜の放送 |
18 | 商況 一日前場 |
19 | 今日の興行 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日本の母(162)/新述節;瀧伸二 |
02 | 家庭婦人 戰時下國民生活の 夜の消費面調查 盛り場花街等の自肅不足 男子には酒に代る娛樂を 河野なつ女史談 |
03 | 無駄なし野菜料理(上) 馬鈴薯は皮ごと蒸す |
04 | 夏は化粧くづれのせぬ 白粉なしの紅化粧を 手數もかからず經濟です |
05 | お洗濯に鹽 |
06 | 圖像:新橋の姐さん達國策の金を賣る |
07 | 齒列が惡いと 健康に障る(上) 容貌ばかりではない |
08 | お菓子の後で 酵母を攝るべし 人體と砂糖量の關係 |
09 | 縫糸と蠟印紙 |
10 | ギザ板洗ひを 全廢しませう 摑み洗ひ、手揉み先刷毛本位に/山下榮三氏 |
11 | 網窓に古い 蚊帳布を |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新民報國語學習新聞 前線の兵隊さんへ 每日慰問文を贈る 卒業後は第二代に賴む 賴母しい慰問娘 |
02 | 圖像:各國の軍備スペインの卷 |
03 | 愛國蓖麻少年/吳紹武 |
04 | 聞いてゐてとても愉快 臺灣の鳥の啼聲 川村先生が學術會で發表 口まねして如何 |
05 | 今日の歴史 |
06 | 日本の商船は 世界で第三位 昨年は五百三十萬噸 |
07 | 圖像:なんと珍しい猿でせう |
08 | 白色の動物は 色素の不足から 白孔雀や白蛇など |
09 | 自由詩/許氏秀泱 |
10 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 會談は六、七日頃から 外務次官官邸で開く 關係者は續續東上頭條新聞 【東京一日發同盟】 日英東京會談は愈よ目睫に迫り我が現地側代表たる加藤新任公使は田中天津首席領事、與謝野北京大使館書記官及び川上興亞院書記官を帶同二日午前七時十分東京驛着列車で入京現地軍當局代表もこれに續いて入京することとなつたので外務、陸軍兩當局では現地側の顏が揃ふのを俟ち直ちに東京會談に臨む我方の具體的態度に關し聯合準備會議を開催し飽まで我が所期の目的貫徹を期すべく萬全の對策を協議決定することとなつた、一方英國側の現地代表たるハーバート天津首席領事も關係官を隨へ同國驅逐艦デコイ號にて二日午前九時橫濱着直ちに東上し英國大使館に入りクレーギー駐日大使に會見現地の情勢を報告協議を遂ることとなつて居るかくて天津問題は今や漸く東京に移り各方面注目の裡に双方の準備全く成るを俟ち日英東京會談は遲くも六、 七日頃より裏霞ヶ關の外務次官官邸において開催の段取となつた |
02 | 援蔣を放棄せねば 隔絕強化するのみ 田中領事の歸朝談 |
03 | 廈門市民待望の 特別市政府成立式 きのふ嚴肅に擧行さる |
04 | 天津の各團體指導者 反英最高委員會を組織 |
05 | 留日華僑から 激勵文を發送 張會長の名で |
06 | 租界內の綿糸布商 日租と華街に移轉 金融の中心も移行 |
07 | 英が依然非を悟らぬ 檢問檢索強化の理由 |
08 | 萬事諒承 三浦總領事のテロ取締要求に フ議長、書翰で回答 |
09 | 七十五議會より 休會明け繰上げ 一月十日より再開 |
10 | 兩院とも好感 議會尊重の現れ |
11 | 歐洲危機爆發點へ 英ソ、日英交涉の動きを見詰め 步一步惡化を辿る |
12 | 出征將兵慰問新聞八 けふの本紙寄贈者報社消息 |
13 | 國境の住民動搖 ソ聯、戰況秘密保持の為に 全外蒙に戒嚴令布告 |
14 | ソ空軍の弱體振り 滿洲國に脫出を企てた ソ聯機械化兵將校の手記 |
15 | 獨飛行機の 越境事件頻發 |
16 | 四川省梁山、巫山空襲 福州附近五虎島を占據 |
17 | 通貨權限延長 法案は失効 |
18 | 今日の天氣 |
19 | 大阪商船臺灣出帆 |
20 | 近海郵船基隆出帆 |
21 | 辰馬汽船 |
22 | 大連汽船 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 亞細亞の敵を排擊せよ 東亞に漲る排英熱社說 一 天津英租問題を契機として澎湃として擡頭し來った反英熱は、我國は勿論、地元の天津より各地に瀰漫擴大し、既に北支各主要都市に於て反英大會が擧行され、その白熱點に到達したかの觀がある。積年に亘る英國の東亞侵略の毒牙を徹底的に粉碎すべしとの反英氣運が東亞の天地に橫溢してゐることは、英國の從來の侵略政策よりみて當然の結果であるとは云へ、その成行は注目に値ひするものがある。 本島に於ても既に排英同志會が結成され、來る七日の事變二周年記念日を期して、全島各地一齊に排英大會を開催することに決定し、東亞新秩序建設の敵である老獪英國勢力を驅逐せんとする空前の大民眾運動が起りつつあるのは、島民の忿懣が激化して來たことを物語るものである。 二 今次事變の對手が一蔣介石政權ではなく、その背後に躍る國際反日國家群をも含んでゐることは周知の事實である。對手が若し一蔣政權であったならば、或は事變が勃發しなかったかも知れないし、假りに起っても既に解決したかも知れないのである。この反日國家群あるが故に事變が勃發し、今日まで永延いて來たのである。だから我對手は蔣政權と共に、この反日國家群であり、事變の困難も此處にあるのだ。 而してこの國際反日陣營の頭目はソ聯と英國であることは云ふまでもなく、ソ聯の反日態度が當初から旗幟鮮明であるに反し、英國は終始巧妙に迷彩されて來たが、皇軍の連勝に依り今や水落ち石現れて、英國は出るべくして地表に出て來たのである。即ち天津、上海、鼓浪嶼等の租界の政治的反擊、法幣支援、河川開發問題等を繞る經濟的攻勢にピストルを擬して、元兇英國は遂に我國の正面に現れたのである。 三 英國の極東政策は事變勃發以來、援蔣を通じて日本の進撃を阻止し、九國條約的東亞舊體制を飽くまでその支配下に堅持しようと云ふにあった。英國は宣戰布告なき戰爭であるといふ國際法の合法性を楯に、武器物資の供給、借款の供與、敵性通貨の支援、租界の對蔣開放等等の如き援蔣行為を公然と行ひ、又日支兩軍が砲火を交へてゐる戰塲に於てすら、英國は我軍の作戰を妨害し、敵を掩護した歷然たる事實は枚擧に遑がない位ひである。 最近に於ける上海罷業鎮壓に藉口して英國陸戰隊の我警備地域侵犯事件、佛米を誘っての三國陸戰隊鼓浪嶼上陸事件等は今まで見られなかった旗幟鮮明な反日行動であり、又それは明らかに援蔣の域を越えて來たものである。 四 今次事變は上述の如く英國の援蔣を決定的條件として起ったものである。それ故に、大陸に華と散った我勇士の生靈は、かって印度を奴隷とし、海賊的阿片戰爭に支那植民地化の手を染めた老獪慘忍なる英國の見えざる砲火の犧牲であると云へよう。 我國を利用して露國の進出を抑へせしめた曾っての盟友英國は、今や敵となって我國の正面に現れて來たのである。降りかかる火の粉は拂ねばならぬ。我國は此非友誼的な老獪慘忍なる而して亞細亞をその奴隷化せしめんとする英國を斷乎排擊せねばならぬ秋が來たのである。假令倫敦が我空爆圈外にあるとしても、確固たる我が決意を披瀝し、有効適切なる手段を講じてその反省を促さねばならぬのである。これ又聖戰の目的たる東亞新秩序建設のために踏まねばならぬ一道程でもあるといふことを覺悟せねばならぬのである。 |
02 | 廈門は空前の賑ひ 全市旗の波、灯の海 |
03 | 鷺江今や百花漫爛 祝賀會.李市長挨拶 |
04 | 同業組合を通じて 物價抑制に乘出す 臺北州で懇談會開催 |
05 | お祝儀拾壹萬餘圓 連絡部で傳達式 |
06 | 六分值下げ 臺北織物商同盟會 |
07 | 擊てよ!暴戾英國 意氣擧る基隆市民大會 |
08 | 金動員の 保正會議 |
09 | 新嘉坡防備を強化 某船の齎した情報 |
10 | 根津嘉一郎翁を 親善使節に あるぜんちんな丸披露を重ね |
11 | 大に光榮 加藤警務部長談 |
12 | 今後も宜敷 矢野總務課長談 |
13 | Y.M.C.A 廣東へ進出 |
14 | 慰問新聞寄贈者 七月一日受付の分報社消息 |
15 | 慶谷社會課長 皇軍に慰問 きのふ汕頭へ |
16 | 外地も府縣單位に準ず 明治神宮競技 |
17 | 新竹市に於る 巡廻診寮 |
18 | 東亞傳道會 牧師を派遣 |
19 | 基隆豆腐商が 同業組合結成 |
20 | 業態別同業組合 宜蘭の創立日割 |
21 | 米穀局新設の 勅令公布さる |
22 | 八里ヶ濱浴場 設備萬端整ふ |
23 | 微生物學會大會 約五十題の講演、示說 |
24 | 市營バス事故 |
25 | 基隆の珊瑚市 歷年より好成績 |
26 | 旅館の玄關で 卒倒往生 |
27 | 勸銀人事異動 |
28 | ○○丸出帆 |
29 | 交驩庭球試合 |
30 | 新竹春競馬 第五日の戰績 |
31 | 富士丸無電 |
32 | 定期航空 |
33 | ときのこえ |
34 | 今日の興行 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 米管實施の利益で 種種新計畫を考慮 今後の殖產行政に關し 上京前の田端局長語 |
02 | 輸出貿易の實情と 具體的振興方策 (十一)府商工課主催貿易振興協議會 |
03 | 臺北州米穀納入會社 設立氣運漸く濃厚 各地關係者を說得中 |
04 | 宅地建物と 產組利率を輕減 勸銀下期利率發表 |
05 | 貿易數量增加豫想 船腹全面的に不足 |
06 | 小島勸銀主事 長崎支店に榮轉 |
07 | 古袋の價格を 當局が抑制 |
08 | 海產物輸出統制は 既得商全を確保 企畫院斡旋で妥協 |
09 | 本島の貿易數量(五月迄) 前年に比し 十五萬噸増加 |
10 | 出廻増加で 一期蓬萊軟調 宜蘭米愈愈初檢查 |
11 | 硫安公定價格は 改正の必要あらん |
12 | 高雄バナナ出荷數 百廿萬籠に上る |
13 | 大連行船腹拂底 茶商でスペース爭奪 |
14 | 過燐酸石灰 公定價格引上は 絕對容認せぬ |
15 | 一期米出廻の 逐日增加 |
16 | 郵便貯金 四十九億四千三百餘圓 |
17 | 臺陽商行が 金買入に努力 |
18 | 東京砂糖取引所 九月末解散か |
19 | 市價及商況 一日 |
20 | 照明燈 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 前線將士慰問の夕 歌謠曲 |
03 | 講演 戰史雜話/千代田讓 |
04 | 琵琶 |
05 | 子供の時間 |
06 | 圖像:「ひかり」も貯蓄標語入り |
07 | 圖像:英潛水艦慘事 |
08 | 樂しき我が家 |
09 | 海外映畫短信 |
10 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 銃後の心意氣 斗六鄉軍が劍術演練 |
02 | 常本氏の英靈 桃園の移轉先へ |
03 | 興亞の日 旗山街の行事 |
04 | 東石神社献穀田 けふ湖底で田植祭 |
05 | 圖像:愛國十八機命名式 |
06 | 臺東廳耕地 防風林造成 完成期限を繰上 |
07 | 山手線を增發 三地方民の熱望成る |
08 | 嘉南大圳實行小組合表彰 廿九日東石郡で |
09 | 平鎮米穀商協會總會 |
10 | 斗六郡兩主任着任報社消息 |
11 | 八塊庄納稅功勞者表彰 卅日盛大に擧式 |
12 | 堆肥豚舍を獎勵 畜產、衛生の一石二鳥策 豐原郡、十一月迄に完了 |
13 | 借用證書を偽造して 軍夫留守宅を騙る 銃後の蟲、旗山に現る |
14 | 山崎校長近作 |
15 | 幼駒育成場 臺東街に新設 |
16 | 觀音庄の癩豫防 |
17 | 新巷奉天宮總會 |
18 | 溪湖街に流腦 |
19 | 仕隆教化區 講師研究會 |
20 | 楊梅米穀商協會總會 |
21 | ローカル.セクション |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語州の建設に 七萬の青年を動員 高雄州の國語普及十ヶ年計畫 |
02 | 國民道場を建設 臺南州の皇紀二千六百年記念事業 調查委員會に於て決定 |
03 | 渡邊部隊勇士 一部晴れの歸還 |
04 | 白衣勇士歸還 けふ○○岸壁着 |
05 | お祭騷ぎを廢し 全職員ハイキング 床し高雄稅關の記念式 |
06 | 新生廈門だより/郭發海外遊記 ◆......臺灣居留民有志及び一般市民間には支那事變に於ける老獪なる英國の態度は全く人をして切齒扼腕し憤激禁じ得ざるものがあるのに鑑み排英反英の氣運が漸次旺んとなりつゝあり今回の事變に於て內面非人道をなしつゝ表面的には紳士面を裝ふてゐる英國に對し積極的に排斥すべきである ◆......今回の支那事變に於て老獪なる英國の取りたる態度は何んでも事態を歪曲した宣傳を行ひ武器の供給に財政の援助軍の行動の阻害にあらゆる術策を□じてゐた彼英國は蔣政權を使嗾し益々抗戰を續けしめてゐる今や支那全土を擧げて焦土と化せんとし、四億の無辜の民は塗炭の苦しみを嘗めつゝある。欺ざむかれた抗日政權は實に愚の極みである ◆......老獪なる英國のやり口は一應檢討して見よ平和を叫びつゝ獨逸伊太利を排斥し米國に媚を賣りソヴィエートまで引込んで全世界の到る所にある自國我が方の保守を圖る又支那をして我が方の勢力と抗爭せしめ自家藥籠中のものとして處理しようとする彼英國は實に東亞平和を亂すもの支那を侵略するものゝ張本人である。 ◆......最近に發生せる鼓浪嶼上海天津等の租界問題に想ひを致す時老獪なる英國の魂膽が一層判明して來るであらう租界をして排日抗日の巢窟に化せしめ抗日分子の跋扈を放任させて良民を不安に陷れつゝあるのでないか。これわが方の東亞新秩序の建設を阻害せんがための仕打ちでなくしてなんであらう。我が國はかゝる措置に對して斷乎たる態度に出でなければならぬのであるわれわれも排英反英をなすのに躊躇しないものである ◆......英國は如何にして香港を捥ぎ取ったかを想起するがよい。英國はこの香港を根據にして支那に於ける凡ゆる資本主義的な侵略をなして來たか想像するに餘りあるのだ前世紀の始め英國は多量の阿片を廣東に輸入した阿片が如何に害毒を流すかは更に贅言する迄もない支那にとって英國は人道上大いに憎むべきであると斷じて然るべきだ ◆......支那の當局者並びに識者は大反對をなしたるにも拘らず英國としてはこの阿片を支那に賣りつけることによって尨大なる利益を擧げてゐるので如何に人道問題と叫ばれても一顧しようともしないこの阿片の輸入を止めようともしない實利主義の英國としては當然の措置であるかも知らない利益の前には人道問題のあらう筈はない ◆......支那の官憲は英國が遂ひに堪り兼ねて英國商人の手持阿片の提出を求め全部燒却したので英國は之を英商人の財產を支那官憲が沒收したと藉口して阿片戰爭を敢行したことは餘りにも有名である遂ひに香港を支那より捥ぎ取った英國の正義人道の正體は實にかくの如くである阿片に中毒して死んで行く者は英國人でなくして支那人であることは云ふまでもないのだ ◆......由是觀之今回の事變は單にわが國と支那との問題でなく日本と英國との對立にもなったと云って過言ではなからう若しこの現狀を以て推移すれば或は英國を敵とせざるを得ないかも知れない然しながら今回の事變を通じて東亞新秩序の建設の大理想を期せんとするならばこの際に吾々は斷乎として英國を膺懲し東亞より彼英國の勢力を驅逐するに邁進せねばならない(六、二七) |
07 | 献穀地ぼ整地 七日より着手 清水青年團の手で |
08 | 興亞記念日の 行事を協議 あす高雄公會堂で |
09 | 廈門市政府へ祝電 高雄新民公會より |
10 | 屏東體協評議會 |
11 | 統制の機運濃厚 臺南州下のトラック 合同會社を結成せん |
12 | 臺中梧棲高速度自動車路 市當局實現運動に躍起 |
13 | 屏東市議月例會 |
14 | 彰化郡主催の 白衣勇士慰安會 臺中座で盛大に開催 |
15 | 臺南徵兵合格者 訓練始式を擧行 きのふ臺南神社大前で |
16 | 高雄市では けふ訓練始 |
17 | 長榮中編入試驗 審查の結果發表 |
18 | 神社所有地の贌耕問題 遂ひに訴訟沙汰 堪りかねた新契約者より提出 |
19 | 傷痍軍人懇談會 近く高雄州にて開催 |
20 | 小店員輔導講座 廿九日目出度く修了式 |
21 | 國民登錄開始 臺中市の成績不良 約半數は書類不備 |
22 | 低學年學事研究會 |
23 | 臺南靴商組合 |
24 | 吉田巡察殺害の 犯人一切を自白 問題の灣刀も盗み物 |
25 | 高雄州警察會議 きのふ全日程を終了 |
26 | 產組青年道場 あす晴れの開所式 |
27 | 社告/臺灣新民報社報社消息 |
28 | 興亞展の濟む迄 せめて居たかった 榮轉の高橋氏語る |
29 | 綿布の配給 |
30 | 美田四十甲浮く 田畑の中の墓を整理して |
31 | 現金買賣の標語 高雄商工會議所より當選者發表 |
32 | 人事往來 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大陸一代娘(88)/小栗蟲太郎;中島喜美 |
02 | 音樂雜筆 父の音樂修養(中)/中谷孝雄 |
03 | 時局と讀書界(一)/帝國圖書館 |
04 | 龍骨車 英譯「麥と兵隊」 米誌で非常な絶讚 |
05 | 圖像:牧場物語(一) |
06 | 滿洲國の古事記 「老檔」の邦譯 三博士の苦心で完成 |
07 | 學藝消息 「狂人の運動神經」 |
08 | 米國婦人界 サンダル排擊 |
09 | 廿日間生魚を 食って漂泊 |
10 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 臨時政府の斷乎たる 決意を中外に闡明 英佛の不誠意を痛擊頭條新聞 【北京二日發同盟】臨時政府は天津英、佛租界問題に關し二日午後五時聲明を發し□に同政府が英佛兩大使館に提出した要求四項目に對し英、佛兩當局が未だ何等の回答をなささる不誠意極りたき態度を痛擊し斷乎たる決意を有する旨中外に闡明した 聲明 天津に於ける英佛租界の現狀並に租界當局の臨時政府に對する態度に鑑み臨時政府に於ては六月二十三日在北京英彿兩大使館に對して夫々公文を送附すると共に天津市長をして在天津英佛總領事に對して右公文と同樣の趣旨を照會せしめ置きたるが英彿側より未 だ何等の回答に接せざるは臨時政府の深く遺憾とするところなり□つて茲に前記公文の內容を發表し以て臨時政府の意の存するところを明かにす 在天津租界問題に關する臨時政府の英佛大使館宛書翰要旨 一、臨時政府は成立以來大眾の安居樂業を以て施政の根本方針となし東亞新秩序建設のため努力し來れるところ在天津英、佛租界當局は今尚東亞に於ける新事態を認識せず天津租界をして重慶政權に依る北支治安破壞の前衛經濟謀略の策源地たらしめこれがため北支二億の民眾に對して治安上經濟上不當の苦痛を招来せしめをるは臨時政府斷じて漠視せざる所なり 二、租界は絕對的行政の自由を有するものではなく同租界を包含する地域を支配する行政權の施策に順應ずべきものなるを以て若し租界が周圍の治安、經濟その他一般秩序攪亂の根源地となり久右攪亂者に庇護を與ふるに至りては租界の本質を□脫するものである 三、北支の安寧秩序は一に本政府に依つて維持增進せしめある現實の事態を無視し前述の如き態度を繼續するに於ては本政府並に民眾に對し敵意を有しその福祉を廢して顧みざるものと云はざるを得ず本政府は北支の治安維持及び大眾の福祉增進のため茲に應急的措置として英、佛租界當局に對して左記四項目の要求を提出す而して本件四項目は現下急迫せる事態に鑑み臨時政府として要求すべき最少限度の條件なるところ租界當局に於て右を受諾せず依然として蔣政權に依る北支攪亂行為を容認し臨時政府の施政に背馳する行動を繼續するに於ては本政府は問題の根本に遡り所要の措置を講ずるの止むなき を得ざるべし 一、租界內テロ及び共產黨分子を速かに臨時政府に引渡すこと 二、臨時政府の通貨政策に對する協力特に租界內に於て法幣の流通禁止並に現銀搬出に關して臨時政府に協力すること 三、臨時政府に依る租界內支那側銀行錢莊及び商社の檢查取締りに協力すること 四、臨時政府の政策に違反する施設言動、出版物を嚴重に取締ること 以上の四項目の事項を確認し且つ今後に於ける取締りの實効を期するため租界內に於て協同取締りを實施すること |
02 | 英、弱體暴露の瞬間 ダ市の獨立を宣言 獨、熟柿主義で行く |
03 | 正當痛切なる要求 北支軍、臨時政府聲明を支持 |
04 | 英、是正せねば 東京會談失敗せん 第三國人の見解 |
05 | ナチスの突擊隊員 續續ダ市へ乘込む |
06 | ヒ總統は廿日頃 ダンチヒへ 倫敦、巴里の有力情報 |
07 | 獨驅逐戰隊 諾威諸港巡航訓練へ |
08 | 檢問強化方針を協議 天津軍首腦部會議開く |
09 | 根本問題も觸れるか ク英大使、記者に示唆 |
10 | 國民徵用令の發動 四日の閣議で決定 七月下旬最初の適用 |
11 | 英佛、強硬な 決意を披瀝 ダ市問題に關し |
12 | ノーブル大將 香港に歸着 更に北上せん |
13 | 加藤公使等一行 東京着、外相と重要協議 |
14 | 瓊人治瓊の實踐へ 新政權樹立を促進 海口民眾大會開く |
15 | 出征將兵慰問新聞九 けふの本紙寄贈者報社消息 |
16 | 水戶長官の祝辭 廈門市政府成立式 |
17 | 敗戰の名譽回復に ソ兵、前線に起つか 我方、出擊態勢を持す |
18 | 海鷲、海南島で活躍 |
19 | 汕頭郵政局 我手に接收 即日事務開始 |
20 | 本日の天氣 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | おお!懷しの祖國 萬歲の歡呼を浴びて 武勳の勇士輝く歸還 |
02 | 基隆神社大祭 奉納催し物で賑ふ |
03 | 不在中に榮轉 木園企畫部長歸る |
04 | 圖像:武勳の勇士歸還 |
05 | 垣曲地方敵匪驅逐の 絕大な綜合戰果 |
06 | 米陸軍新式砲製作 |
07 | 盲聾啞教育義務制 一萬三千に特種技能 いよいよ準備に着手 |
08 | 獨新銳巡洋艦進水 |
09 | 滿支に活躍の 別働學生隊 その主なもの |
10 | 酒井憲兵隊長歸北 |
11 | 稻江の排英大會 五日第一劇場で大講演會 |
12 | 一部落單位に一つ 農事組合を組織 宜蘭郡の三ヶ年計畫 |
13 | 連絡部を新設して トラック紛爭解決 臺北新竹兩州協定成る |
14 | 嘉義羅山信組 金融狀況 |
15 | 工場新設許可 臺灣鐵工場 |
16 | 六十八年後に 卒業證書授與 待望の老婦人嬉泣き |
17 | 國鐵幹線調查會 いよいよ設置に決定 |
18 | 轉校七十二回 |
19 | 長沙丸出帆 |
20 | 無賴の徒に 肅清のメス 金瓜石で八十餘名檢擧 |
21 | 奇!空から贈物 なんと豪華な指輪 |
22 | 皮膚病の原因は何か |
23 | 府の定期陞等 |
24 | 蓮沼氏一行 來る八日來臺 |
25 | 總賣り上高 六十六萬五千圓 新竹春競馬好成績 |
26 | 定期航空 |
27 | 人事.消息報社消息 |
28 | 總督府辭令 |
29 | 大阪商船臺灣出帆 |
30 | 近海郵船基隆出帆 |
31 | 辰馬汽船 |
32 | 大連汽船 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 農業臺灣より 工業臺灣時代來る 新興工業勃興の全貌 |
02 | 輸出貿易の實情と 具體的振興方策 (十二)府商工課主催貿易振興協議會 |
03 | 船腹對策 海運統制案成る |
04 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 講演 勞務の強化と 體位の向上/森耕二郎 |
03 | 國民歌謠 |
04 | 三絃主奏樂 |
05 | 講演 河村瑞軒 |
06 | 講演 最近に於ける 我海運界の情勢/澤井謙吉 |
07 | 料理 |
08 | 圖像:碧眼の先生お別れに琴 |
09 | 全國の藝者に 呼びかける 「海棠の歌」主人公綾子の 「時局下藝者の時代思想」 |
10 | 圖像:駿河丸揚揚と凱旋 |
11 | 松竹京都撮影所作品 勤王歌侍 |
12 | 新興東京 こぼれ話 |
13 | 油田爆破のクライマックス 「炎え上るバルカン」お盆第一陣へ |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新豐郡下一圓に 棉花競作會 來年三月に褒賞授與 |
02 | 彰化倉庫信組總會 |
03 | 海外短信 潛水艦內で白鼠飼育 |
04 | 結婚を賭けて大西洋を冒險旅行 |
05 | 鳥と衝突して飛行機不時着 |
06 | 流行は身を燒く |
07 | 金魚喰ひ後日譚 |
08 | 拾得屆出珍話 |
09 | 米國自動車道路の發達 |
10 | 宜蘭果菜荷受 出荷組合創立 卅日總會を開催 |
11 | 旗山國婦分會の總會 |
12 | 配給純綿布 旗山に到着 |
13 | 臺東郡の鄉軍 後援會總會 卅日臺東劇場で開催 |
14 | 沙山海水浴場 一日から開場 |
15 | 北斗警察異動 |
16 | ローカル.セクション |
17 | 圖像:滿蒙國境紛爭事件 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | “鄉胞は大團結して 英國を排擊すべし” 臺中華僑新民公會で決議 |
02 | “假面の曲者英國を 東亞から抓み出せ” 彰化の排英市民大會 |
03 | 圖像:日華電話開通式 |
04 | 臺南市立青年學校 一日華華しく開校式 |
05 | 千五百萬圓突破を 目指して驀進 高雄州の第二次金運動 |
06 | 金運動功勞者 臺南州、百廿名を表彰 |
07 | 赤堀知事出府 |
08 | 新生廈門だより/郭發海外遊記 ◆......比律賓華僑たりし廈門島禾山西潘社門牌三十一號吳水掬君は六月廿七日日華親善機關の共榮會を訪問特別會員に加入を申込み百圓を提出した、同氏は語る、共榮會の如き機器の設置は實に時宜に適した措置であるこれから華僑の間に共榮會の使命を宣傳し近き將來に於て必ず多くの華僑を會員として入せしめるであらうこんな會員が澤山居れば共榮會の目的が達成せられる ◆......更に語を續ける蔣政權は蔣政權支持の機關として閩族華僑(福建出身)を第一部とし奧族華僑(廣東出身)を第二部とし巧みに之等華僑を操縱しつゝあるので華僑間に於ては今尚蔣政權支持の意志が相當に強いやうであるだが福建省に○○○の如き人物を新政權と合作せしめたならば華僑は必ずや一轉して新政權を支持することとならう新政權により好き人物がほしいものだ ◆......廈門は素晴らしい勢ひで明朗化しつゝある一日に廈門特別市政府が樹立されたが新政府に望む所は治安を確保し法を嚴にして盜賊の橫行を防ぐことである禾山方面に於て墳墓を發かるゝが如きは祖先崇拜の念強き華僑は忍び得られざる所である廈門市內は相當に申分なきまでになったが禾山方面には更に警察廳の嚴重取締りを要望するであらう。 ◆......共榮會は木村主事荻原郭盈來兩書記その他の職員の努力に依って日華親善機關の機能をせしめつゝあり社會教化社會事業授產工作華僑對策などの各種文化施設の創設助成に努め共榮會設立以來僅か八箇月と雖も早や見るべきものあり共榮會館の設立、日本語學習施設の補助指導施療施設授產事業など盛り澤山のことを擧げ得るであらう ◆......共榮會館には現在八十八名の會員あり日本人六二名中國人二六名である五月末日迄に於ける會館利用者延人員一、七七七名にして日本人一、六三二名中國人一四五名であるそうだこの統計によれば日本人の利用者は或る程度までの數になったが中國人の利用者の少きことは當局者は更に努力を要するであらう ◆......廈門に於いては排英反英運動が日を追ふて表面化せんとする東亞の各地に熱烈な運動が開始せられた今日廈門に於ても遂ひにその表面化を見るは火を賭るより明らかである今回の事變は單にわが國と支那との問題でなく究極するところ支那を操作する英國と日本との對立となりこの現狀にして推移するならば英國を敵とせざるを得ぬであらう ◆......老獪なる英國に對しこの際膺懲の當頭棒を揮ひ東亞の天地より彼英國の勢力を驅逐するに非らざれば東亞新秩序の建設が百年河清を待つが如き困難なことであらう廈門は南方支那に於ける東亞新秩序建設の前進據點だ、東亞永遠平和を確保するためには廈門在住市民は英國の排擊に立たざるを得ないのであらう ◆......一同元氣である在廈門各社の記者と第一代市長李思賢氏を公室に訪問李市長は張秘書の通譯にて市長としての抱負を語った新生廈門市政府の市長の貫祿が充分に持ち溫篤實の人格者ではあると思はれた ◆......廈門特別市政府が成立して廈門治安維持會が解散されたこの廈門治安維持會一ヶ年の經過と特別市政府の組織と陣容また新生廈門に於けるわが居留民及び各團體の活躍振りを紹介せんとする廈門特別市政府成立紀念號の計畫を立て近く發刊する豫定であるこの紀念號を一讀すれば新生廈門の實情が判然するであらう御待ちを願ひます。(六、三○) |
09 | 宣傳標語を貼出 高雄の經濟警察當局 |
10 | 時局講演大盛況 一日嘉義市公會堂で |
11 | 守屋議員來高 四日廣東へ |
12 | 稻尾神社遷座祭 |
13 | 本格的調查開始 臺南州の堆肥豚舍獎勵 |
14 | 高雄州興亞展 豪華な番組決定 |
15 | 梧棲臺中 高速度自動車道路 建設を陳情 市尹一行、知事を訪問 |
16 | 學校職員體育大會 松岡臺中州知事臨席の下に きのふ盛大に開催 |
17 | 各州陸上競技大會 高雄州の出場選手と種目 |
18 | 死者一名につき 千五百圓の慰藉料 嘉義のバス衝突事件 |
19 | 興亞行進歌試聽會 けふ高雄高女で |
20 | 高雄州第一回水上競技會 來る十一日開く |
21 | 臺中州定期昇給 |
22 | 人事往來 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 四原則を容認せねば 東京會談も解決不能 臨時政府聲明英現地解決案を峻拒 |
02 | 會談は今週中に開始 我現地軍代表の入京を待ち |
03 | 福州、溫州兩港の封鎖 迅速に成果を收めん |
04 | 海門港、興化等を爆擊 |
05 | 勞務動員の計畫大綱 近く閣議附議決定せん |
06 | 天津英總領事歸京 |
07 | 越境外蒙ソ聯軍に 反擊の火蓋を切る 隨所に敵を擊滅 |
08 | 圖像:滿蒙國境事件 |
09 | 金口木舌/林正享 |
10 | 空陸一體の進擊 |
11 | 外蒙ソ軍益益暴戾 國境方面再び情勢緊迫 |
12 | 文昌市に東部治安維持會 委員大會を開く |
13 | ハ河岸に陣地構築 ソ軍、二渡河點を設く |
14 | 中立法修正案 辛じて下院通過 中立法精神を一層強調 |
15 | 明日の天氣 |
16 | 愛の凱歌(2)/戶川貞雄;松田文雄 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新東亞建設發足點 北支の興亞記念週間 意義深き行事開始す |
02 | 王道樂土建設に邁進 中國新民會宣言を發す |
03 | 物淒い大陸進出熱 南支進出者養成講習會に 臺北州から希望者殺到 |
04 | 正午一分間默禱 興亞記念日基隆の行事 |
05 | 根井警務部長 巡視日程 |
06 | 臺北市葬 十一日新公園で執行 |
07 | 事變勃發以來の 陸鷲部隊の戰果 擊墜爆破四百餘機 |
08 | 東北の地底に眠る 寶庫開發に調查團 夏休中.學生部隊を派遣 |
09 | 無理は禁物 横切って重傷 |
10 | 鷄泥棒御用 |
11 | 排英同志會を結成 七日結成式を擧行 |
12 | 獨の鐵生產額增大 |
13 | 蓪草紛爭解決 日本商品から違約金一千五百 三年越の爭いケリ |
14 | 圖像:玉環島坎門鎮敵前上陸 |
15 | 跳ね飛ばされた 不運の老人即死 |
16 | 少年團實修所 大屯道場を開設 廿四日から竹子湖で |
17 | 洗濯代を橫領 外交員檢擧さる |
18 | 猫臭ガスで 故障探知 |
19 | ナチス女性も 勞働第一線に |
20 | 行商人が客を毆る |
21 | 定期航空 |
22 | 人事.消息報社消息 |
23 | 今夜の放送 |
24 | 商況 三日前場 |
25 | 今日の興行 |
26 | 民報案內報社消息 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日本の母(163)/新述節;瀧伸二 |
02 | 家庭婦人 夏の海山は招く 登山も國策型で 高騰した用具の代用に 草鞋ばきこそ理想的 |
03 | 容貌美を生かす 帽子の選び方 落ち着くトーク型 若若しいアミダ型 |
04 | 包み紐の利用 |
05 | 家庭婦人の常識集(一) |
06 | 圖像:伊太利婦人移民隊 |
07 | 早咲きの花 早熟の兒童 導き方を誤るな |
08 | ビタミンの多い トマトの頂き方 砂糖をかけて果物代りに |
09 | 壞れた玩具 |
10 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新民報國語學習新聞 自分の手で作った 下駄を履いて通學 市價の四分の一位出來る 秋田縣の大曲小學校 |
02 | 圖像:各國の軍備スペインの卷 |
03 | 百歳を越えた 四人の爺.婆さん 長命田の田植 |
04 | 人種の色は場所や 氣候によって變る 有色人種は白色人種に劣らぬ |
05 | 今日の歴史 |
06 | 圖像:ジャワの旅 |
07 | これはをかしい 雌が雄に變る |
08 | 綴方教室 僕の傷/林茂榮 |
09 | 食物の好き嫌ひ |
10 | 健康いろは唄(い) |
11 | 童謠 目ざまし時計/頴川たけし |
12 | 笑話 ラヂオ/陳信良 |
13 | ポスト |
14 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 英の根本的認識是正 英租界の敵性を完全芟除 天津問題に關し陸軍情報部長談頭條新聞 【新京三日發同盟】陸軍では天津問題に關する日英東京會談につき三日午後七時左の如き情報部長談を發表し軍中央部の態度を明かにした 今國英國の申入れで東京において日英會談を開くことになつたが右は天津における局地問題を主とするものであつて從つて現地における治安維持並に軍の生存上必須の事項につき現地英國側の態度變換を求めんとするものである、然れども如上の如き現地英國側の態度變換は畢竟英國の今次事變に對する根本的認識並に現事態に卽應する如く態度の是正を見ざる限りその實現は不可能であつて茲に 本會談の重大性が强調せられる所□である、曇に陸軍當局が自衞上緊急の必要に基き英租界に對し斷乎たる措置を執るに至つたことは周知の事であるが帝國陸軍中央當局としては出先軍當局今次の適當なる措置に對し積極且つ全面的にこれを支持する次第である、然るに英國側においては帝國の措置に對し或は英國の正當なる在支權益をも全面的に排除せんとするが如く思惟し或は更に進んではこれは他の 第三國權益にまでも及ぼさんと企圖しあるが如く宣傳しあるも今回軍が直接に目標とする所のものは當然援蔣的態度を繼續し多分に敵性を發揮しある現地英國側を對象とするものにして現に我軍に協力し或は我に好意を表しある他の如何なる第三國に對しても絕對に他意なきは勿論である、要するに今次會談の目的は 天津英租界の敵性を完全に芟除せんとするものにしてこの事は英國自らが進んで旣往の援蔣態度を拋棄し東亞の新秩序建設に協力するに至ることに依つて實現せらるるものと確信しある次第である從つて英國にして以上の如き態度變換を示さざる□り今次會談は何等の意義をも認め得ざるものであつてその成果如何に依つてては獨自の所信に從ひ更に施策を繼續强化するの已むなきに至ることあるべきを豫想せられる次第である |
02 | 皇后陛下には畏くも 尊き範を垂れさせ給ふ 金製品を御下渡あらせらる |
03 | 現地軍代表は あす着京 太田、大田兩氏東上 |
04 | 越境外蒙ソ聯軍の 包圍陣を漸次縮小 敵の運命は全く風前の燈火 |
05 | 又も一英人が 皇軍に侮辱言辭 |
06 | 陸鷲、敵砲兵陣地を潰滅 |
07 | 將軍廟西方高地の 敵を擊退 戰車二十を鹵獲 |
08 | 二回に亘り 來襲 |
09 | 哈拉哈河畔の 敵砲陣地沈默 |
10 | 加藤參事官 公使に昇任 |
11 | タンク數臺鹵獲 |
12 | 抗戰財政愈よ末季 重慶政府、廣汎に輸入品禁止 國際收支の惡化防止に躍起 |
13 | 共產軍二千を潰滅 定陶の西方徐庄で |
14 | フイ高地を占領 敵を哈爾哈河壓迫 |
15 | 敵の挑戰を根絶し 國境の平和を期す 加藤報道班長談 |
16 | 出征將兵慰問新聞十 けふの本紙寄贈者報社消息 |
17 | 樞軸國家遥かに強力 獨伊包圍陣は必らず失敗す 列國はこの事實を認識せよ |
18 | ○○部隊長は 自ら陣頭へ 大に士氣鼓舞 |
19 | 敵戰車の擱坐算なし 敵陣は黑煙に包まる |
20 | 會計事務協議會を設置 豫算の圓滑を期す |
21 | 犠牲を覺悟 ダンチッヒナチス黨指導者 フェルスター氏演說 |
22 | 我が伊勢部隊 河を隔て猛射 |
23 | 七五四高地を奪取 |
24 | 上海兩租界當局が 租界內戒嚴を實施 我が軍も警戒陣を布く |
25 | 南昌の表玄關 中正橋復興 |
26 | 英國金保有高 |
27 | 本日の天氣 |
28 | 大阪商船臺灣出帆 |
29 | 近海郵船基隆出帆 |
30 | 辰馬汽船 |
31 | 大連汽船 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 政治に於ける 文化性の喪失社說 一 政治の根本原則は國民の福祉を增進し、社會の文化を向上せしむるにある。この原則に叶った政治の高揚された時は國家の興隆を意味し、政治が人類究竟の理想に合致する然らざる時は即ち國運の後退を來たし、政治の貧困が指摘される。國家が非常時局に遭遇した場合、人民の生活は著しく國策達成の為めに制約されることは勿論である。然し國策は政治から生れたものである以上、政治の根本原則から逸脫することを許さない。故に國策による制約が若し政治の根本原則を超越せんか、その國策はつひに國民の支持を失ってしまふであらう。支那事變は我が全國民のみならず、支那四億の民眾否!全亞細亞人の究竟の幸福を齎らさんが為めに起った事實であるから、政治の根本原則に照して絕對に妥當であり且つ必要である。然るに若し非常時局の國策の名に於て非文化的事實が行はれてゐるとすれば、それは政治の根本原則に違反するものであり、政治に於ける文化性の喪失であって誠に由由しき問題である。 二 人間が禍患を忌避し、幸福を希求する本能が嚴存する以上、迷信は科學と共に生活態度の一部として絕滅することがなからう。迷信が原始人の專有物であると思考するのは現代人の迷信に過ぎない。若し科學の進歩に比例して迷信が消滅するものであるとすれば現代人は最早何等の迷信をも有しないであらう。蓋し迷信は常に時代と共に活動し生滅するものであるから、古い迷信が消えてなくなると同時に、新しい時代に適應した迷信が登場して來るものである。ただその內容と形式は時代と共に遂次變化してゐる事は明かなる事實である。即ち古い迷信に比べて新生の迷信は人智の進歩に伴って、その有害なるものや非健康的な屬性が揚棄され、より健康的なより弊害の少ない迷信になって來たと云ふとだけが云へるであらう。故にこれを絕滅することを期待するよりも、その有害なる屬性の除去に努力するのが妥當であり必要でもある。 三 近時各地に於て金賣却運動が勵行され、地方官憲が熱心の餘りに、各戶に對する強制割當など、ややもすれば行過ぎの憾なしとしない。就中人民の金の申告の正確を期せんが為め、神明の前に於て誓ひを立てしめ、甚だしきは既に本島の社會から消滅しつつあるものであり且つ迷信の中でも甚だ惡質で毒毒しいものとされてゐる「斬鷄」即ち生きた鷄の首を刎ねて誓ひを立てる非文明的な方法を執らせてゐるところもあるやに傳へられ、人をして未開時代への逆轉を思はしむるのである。人間社會に迷信の存在するのは止むを得ないことであって、決して喜ぶべき現象ではない。況して斯る惡質なる迷信は一日も早くこれを消滅するやう指導すべきであるにも拘らず、折角本島人の習慣から消え失せんとする惡質な迷信を蘇して、これを政治の手段に利用することは甚だ遺憾に堪へないと言ふ外はない。 四 若し人民がこれを信じてゐるとすれば、これを行はしめた當局は目的の為めに手段を選ばず、政策達成の為めに迷信を獎勵したと云ふ譏りを免がれないであらう。勿論斯る非文明的事實は一部分の地方官公吏の行き過ぎた脫線行為であって、これを以て本島政治の良否を云為するのは當らないであらう。然しこれは一地方の小事であっても、その影響するところ頗る大にして、且つその行為の含む非文化的性質は現代政治の根本原則に違背するのみならず、興亞の大理想に燃ゆる我が大國民的氣魄に照して島民をして非常なる恥辱を感ぜしむるものである。切に暖い親心を以て正しく子を導くやう望んで已まない。 |
02 | 國產機で世界一周 五大洲歷翔、鵬程六萬キロ 東日、大每社が計畫 |
03 | 興亞記念週間 北支一齊に開始さる |
04 | 宜蘭の排英大會 華僑も參加、氣勢を擧ぐ |
05 | 對日經濟封鎖困難 英國自治領の實情 |
06 | 勤行報國打合會 五日島都公會堂で |
07 | 米穀納入會社 設立懇談會 きのふ宜蘭で |
08 | 新竹文昌公會 臨時總會 |
09 | 反英運動爆發して 遂に直接行動誘發 形勢、北支全土進展の兆 |
10 | 圖像:歐洲の風雲再び險惡化 |
11 | 督府の部屋替え 米穀局は元營繕課跡 |
12 | 社金拐帶犯人 小倉で取押らる |
13 | 憲兵司令部總務部長 竹內少將來臺 六日入港の蓬萊丸で |
14 | 慰問新聞寄贈者 三日受付の分報社消息 |
15 | 物價抑制 當局に協力せよ 臺北州で懇談會 |
16 | 奉納催物で賑ふ 基隆神社大祭第二日 |
17 | 奉納劍道試合 |
18 | 新竹共榮信組 念週年紀念式 |
19 | 驛長の異動 |
20 | 高千穗丸無電 |
21 | 定期航空 |
22 | 總督府辭令 |
23 | ときのこえ |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 東部水產開發に 振興會社を創設か 日本水產が中心で計畫 |
02 | 砂糖増產見越で 石炭早期輸送始る 鹽水港製糖がトップ |
03 | 輸出貿易の實情と 具體的振興方策 (十三)府商工課主催貿易振興協議會 |
04 | 臺北、新竹兩社の トラック統制成る 近く當局へ許可申請 |
05 | 一期丸糯米が 新高值へ反騰 |
06 | 臺北州下の 新米出廻る |
07 | 內地漁業移民を 五箇年計畫で入植 花蓮港築港完成後に |
08 | 戰時經濟解說 |
09 | 太發木材會社 株主總會を開催 |
10 | 高雄稅關管內の 上半期外國貿易 三千五百萬圓に激増 |
11 | 臺中州の南送米 運賃割引を實施 米穀商組合の陳情奏効 |
12 | 臺灣底曳網水產組合 正式に創立さる 組合長以下役員決定 |
13 | 出廻米增加で 萊蓬米價が反落 |
14 | 東邦產業が ブライニウムを發明 包裝代用品として入賞 |
15 | 造船材料の 島產自給を建議 南臺灣造船組合が陳情 |
16 | 地方金利が 第二次平準化 |
17 | 市價及商況 三日 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 青年の時間 傷兵護って 明るい日本/本庄繁 |
03 | 管絃樂 |
04 | 產業講座 勞働災害の原因とその防止/武田晴爾 |
05 | 歌謠物語 |
06 | 家庭經濟講座 支那事變と國民經濟(三) 生產力の擴充/東嘉生 |
07 | 料理 |
08 | 圖像:地上軍艦 |
09 | 圖像:健康へ |
10 | 心臟の強さは滿點 新スタア原不二雄が淒い! 新興東京問題作「結婚問答」 |
11 | 「早春」と 「バルカン」 SYセカンド お盆映畫へ |
12 | 真山くみ子創案の 新流行髮型 「海棠の歌」への期待 |
13 | 松竹京都撮影所作品 小栗栖の長兵衛 |
14 | ギャバンの 南海物「珊瑚礁」 滿映經由で 東和商事へ |
15 | 東和商事宣傳部 人事異動 |
16 | 海外映畫短信 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 米穀納入會社に 產組倉庫が合流 美濃信組、第一聲を擧ぐ |
02 | 想起せよ七月七日 大屯鄉軍が模擬動員 |
03 | 圖像:荒鷲の父を圍み遺族感激 |
04 | 金献成績躍進 臺銀南投支店取扱 |
05 | 臺東の排英同志會 來る七日盛大に結成 |
06 | 黃麻栽培地は 小作料を減免 湖口庄の業主決議 |
07 | 大安溪復舊工事 竣成迄あと一週間 |
08 | 神像十五體を燒却 去廿八日名殘りの祭典と芝居 紅毛庄の積極的皇民化 |
09 | 宴會場で喧嘩沙汰 元庄助役と書記 |
10 | 職權濫用を肅正 苑裡某巡察手配さる |
11 | 蘭雨に竹風 泣くに泣かれぬ農民 |
12 | 臺東自動車協會 總會を開催 |
13 | 卓蘭局簡保勸誘 |
14 | ローカル.セクション |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 木炭自動車普及の 三ヶ年計畫を實施 高雄州下全車數の五割 |
02 | 臺中州の產組青年道場 きのふ盛大に開所式 |
03 | 馬事競技會に 補助金を交付 臺中州畜產會の獎勵策 |
04 | 圖像:擊墜ソ聯飛行士を捕虜した殊勳の城中尉一行 |
05 | 臺中愛婦支部の 事變記念日行事 |
06 | 仕入價格申告 座談會を開催 臺中署業者を招集 |
07 | 軍國大繪卷を展開 高雄興亞展の陸軍デー |
08 | 高雄署の一齊招集 |
09 | 圖像:忠靈顯彰打合せ會 |
10 | 國專經營研究會 霧峰吳厝公にて |
11 | 傳染豫防法の 施行細則を制定 花蓮港廳警務課で立案 |
12 | 國勢調查の 事務訓練會 けふ高雄公會堂で |
13 | 嘉義同志會 愈よ結成に邁進 |
14 | 精動の方針決定 臺南州三度び部課長會議 |
15 | 豚肉の值下げた 彰化署の快ヒット 中間搾取機關出荷組合を解散 |
16 | 献穀田拔穗祭 來る十八日擧行 |
17 | 保險金欲しさに 隣家へ放火 菓子店主人の惡事 |
18 | 教育關係者 陸上競技會 十三日花蓮港で |
19 | 履物商も自肅 |
20 | 社告 慰問には新聞を!/臺灣新民報社報社消息 |
21 | 高雄州軍事扶助會 六日理事會を開催 |
22 | 交通運輸機關の 一齊臨檢を實施 高雄興亞展の前哨戰 |
23 | 人妻の縊死 死因に不審の點 |
24 | 教員病院で縊死 |
25 | 國貯を協議 きのふ高雄市で |
26 | 防空訓練を實施 臺南嘉義兩市に於て |
27 | 人事往來 |
28 | 消息 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大陸一代娘(90)/小栗蟲太郎;中島喜美 |
02 | 音樂雜筆 死兒の枕頭で歌ふ(下)/中谷孝雄 |
03 | 時局と讀書界(三)/帝國圖書館 |
04 | 龍骨車 ディートリッヒ 出帆間際に差押らる |
05 | 圖像:牧場物語(其三) |
06 | 茶摘の歌(一)/陳水寶 |
07 | 圖像:さあ!船出だ |
08 | 學藝消息 語學達者な ロボット現る |
09 | 心聲漢詩 懷恩師林月潭先生並磺山諸同學/張賴玉廉、懷恩師林月潭先生並磺山諸同學 二/張賴玉廉、懷恩師林月潭先生並磺山諸同學 三/張賴玉廉、懷恩師林月潭先生並磺山諸同學 四/張賴玉廉、懷恩師林月潭先生並磺山諸同學 五/張賴玉廉、懷恩師林月潭先生並磺山諸同學 六/張賴玉廉 |
10 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 天津英側の一部が 附近の匪軍を煽動 暗に後方攪亂を企圖 |
02 | 樂觀も悲觀もせぬ 東京會談を前にク英大使談 |
03 | 太田、大田兩氏 一路東京へ |
04 | 石油石炭漁業の不法壓迫 ソ聯側は何等反省せず 我方重大決意を固む 東郷、ロゾフスキー會談 |
05 | 英、佛大使に 回答を手交 モ外務人民委員 |
06 | 汕頭日に日に明朗化 我軍民と市民の感情は圓滿 |
07 | 二機を擊墜 |
08 | 獨軍艦相次いで 北歐諸國巡航へ |
09 | 金口木舌/林正享 |
10 | 敵戰車隊擊破! ○○前線方面に於いて |
11 | 敵陣地を爆擊 |
12 | 高橋機單機で 九機と空中戰 |
13 | 哈拉哈河上空で 敵十機と空中戰 敵二機を擊墜、八機を擊退 |
14 | 太平洋利害持つ國の 國際會議を招集 モスクワ各紙が力說 |
15 | 豫算編成方針の要綱 豫算の全機能を擧げて 綜合國力の發揮に努む |
16 | ブルガリア首相 伯林を公式訪問 |
17 | 潮州車站近く 敗敵が來襲 我反擊で潰走 |
18 | 南支に於ける 興亞記念事業 |
19 | 伊新聞使節團 九月初旬來朝 |
20 | 外貨制限の 公告を發す ダンチッヒ銀行 |
21 | 明日の天氣 |
22 | 愛の凱歌(3)/戶川貞雄;松田文雄 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 盟邦獨逸の黨大會に 寺內.大角大將が參列 國賓として招聘さる |
02 | 皇太子殿下 葉山御用邸に行啟 |
03 | 圖像:鍬の戰士壯行會 |
04 | 世上の誤解を一掃 “大日本國防婦人會提要”五百部 軍司令部より地方團體に寄贈 |
05 | 新竹州下國講講師講習會 近く一齊開始 |
06 | 廈門の各界心から 臺灣の官民に感謝 二見警務局長談 |
07 | 名譽の戰死、傷者 四日原隊より發表 |
08 | 松永氏講演會 |
09 | 新竹市葬 十一日新公園 で執行 |
10 | 白衣の勇士還る 感激の出迎裡に |
11 | 基隆郡金動員 豫想の廿五萬圓を突破 |
12 | 舌三寸の詐欺漢 箱入娘を毒牙にかく |
13 | 一萬數千圓の 取込み詐欺 |
14 | 北二中生合歡越登山 |
15 | 開南商業合格者 |
16 | 虛弱兒童を集めて 草山に夏季學園 學校衛生會の初事業 |
17 | 開南工業合格者 |
18 | 盆提灯を贈る 愛婦の記念日行事 |
19 | 長者未亡人孕む 相手は家庭教師 |
20 | 萬華の排英大會 五日夕萬華俱樂部で |
21 | 保稅建糖取引 當分の間休止 |
22 | 國民階泳全國學童水泳大會 八月六日一齊に行ふ |
23 | 白石誠夫逝く |
24 | 定期航空 |
25 | 人事.消息報社消息 |
26 | 今夜の放送 |
27 | 商況 四日前場 |
28 | 今日の興行 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日本の母(164)/新述節;瀧伸二 |
02 | 家庭婦人 事變二周年の意義 山、海は身心鍛鍊の場所 七月の家庭暦 |
03 | 一日から全國安全週間 生產力擴充時代に 激増した工場災害 家庭の不和が過失を招く 警視廳工場課金谷初太郎氏談 |
04 | 形が大きくなった 婦人持ちの扇子 良否の見分けは紙質と骨で |
05 | 圖像:花嫁學校生徒自動車練習 |
06 | 齒列が惡いと 健康に障る(下) 容貌ばかりではない |
07 | 軍服軍帽の 取締り強化 軍人への憧れから着る 七五三の子供服はよい |
08 | 紙上病院 |
09 | 古割箸の使途 |
10 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新民報國語學習新聞 今度は朝鮮海峽に 海底鐵道トンネル 今月鐵道省が調查に乘出す 夢物語の實現近し |
02 | 圖像:各國軍備 |
03 | 戰國時代の勇士 山中鹿之介の銅像 出生地の少年團が建てる |
04 | 山や野を探せ 大鑛山の八九割までは 素人が發見 |
05 | 今日の歴史 |
06 | 圖像:少女部隊、土を蹴って |
07 | 童話:落ちた帽子/神戸雄一 |
08 | 健康いろは唄(ろ) |
09 | 東京の色は紫 |
10 | 全級が團結して お友達の病氣見舞 |
11 | 笑話 非常時/郭章淡 |
12 | 懷中電燈/陳信良 |
13 | ポスト |
14 | カタカナ欄 センセイモカナハヌ チカラモチノセイト |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 緊要經費の重點主義 明年度預算編成方針 きのふの閣議で決定頭條新聞 【東京四日發同盟】政府は四日の閣議において明昭和十五年度豫算編成方針を決定した要旨左の通りで戰時財政に對應すべき緊要經費の重點主義を強調した外今回は特に單價の切下げ、勞務需要調書の提出などを明示し更に目下立案中の稅制整理にも論及して來るべき增稅に對する覺悟をも促してゐる點並に明年度豫算の議會提出を來年一月十一日に繰上げ變更したことは近衛內閣時代における議會制度審議會の答申を採用したものとして注目される 一、新規經費の要求についてはこの際特に緊急已むを得ざるものに限ることゝし且つその金額はこれを最少限度に止むること。 イ、新規經費の所要額は出來得る限りこれを既定經費の節約に求むること ロ、各種經費の增加は原則としてこれを差控へること 二、既定經費についても銳意檢討を加へ事業の繰延べを行ふとともに企畫の低下、能率の增進など各般の措置を工夫し努めて節約を行ふと 三、物資勞力資金及び物價などに關する經濟諸方策との調和を計り戰時經濟の運營に支障を及ぼすことなきやう留意すること イ、土木、營繕事業など及び外國出張旅費、海外物資購入費など海外拂ひとなるものについては努めてこれが要求を見合せること ロ、重要物資の需要は成るべくこれを少量に努むること ハ、新規要求に伴ふ物資の單價については昭和十四年度豫算單價の範圍內において極力その引下げに努むること 四、稅制を改正し租稅收入の增加を計るの要ある情況なるに鑑み各省においても普通歲入の增加に努め又各特別會計においては臨時軍事費特別會計又は一般會計に對し出來得る限り多額の繰入れをなすなどの方法を講ずること 五、各省概算書は昭和十四年八月十日限り各特別會計概算書は同年八月三十一日限りこれを大藏省に送附することゝし昭和十四年度豫算の帝國議會提出はこれを昭和十五年一月十一日としたき計畫なるをもつて右送附期限は必らずこれを嚴守すること |
02 | 國民徵用令決定す 今週中に公布、十五日實施 外地にも適用する |
03 | 獨大使館附シヨル武官に 勳章贈與の御沙汰 |
04 | 勞務動員、資金計畫 閣議で正式に決定 |
05 | 曹州を完全占領 |
06 | 六月に於る戰果 南支派遣軍發表 |
07 | 日本新聞協會 北京で大會開く |
08 | 殲滅戰は刻刻近づく 外蒙ソ聯軍を完全に包圍 |
09 | 淒絶!立體的攻防戰 |
10 | 定例閣議 |
11 | 閣議決定事項 |
12 | ソ聯機九機を擊墜 三日滿蒙國境で |
13 | 汕頭海關 圓滿に接收 |
14 | 滿洲開拓審議會 內閣に設置に決定 |
15 | 會談地は變わっても 我が要求は不變 軍は不退轉の決意 |
16 | 光行、入江兩氏 勅選奏請決定 |
17 | 出征將兵慰問新聞十一 けふの本紙寄贈者報社消息 |
18 | 英、米、佛側の不誠意 鼓浪嶼問題、交涉が進捗せず 我方は既定方針遂行 |
19 | 米價漸騰の一途 最高價格に依り 無制限に賣應す |
20 | 外蒙諸君反省せよ 興安局總裁札噶爾氏が ステートメントを發す |
21 | ダンチッヒ參議院 市民徵用令を發す |
22 | ダンチッヒの再武裝に抗議 ポーランド政府 |
23 | 本日の天氣 |
24 | 大阪商船臺灣出帆 |
25 | 近海郵船基隆出帆 |
26 | 辰馬汽船 |
27 | 大連汽船 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 英佛兩國は何處へ行く社說 老英佛兩國が何處へ行くか?、最近の國際情勢より見れば更に一層痛感される事である。ソ聯邦を引き入れねば戰爭に勝てないと藻搔いて居る英佛の弱體振りは見る者をしてハラハラさせて居る。狡猾なるソ聯邦はどんなチャンスをも逃さないで自己の營養素として利用するのを常套手段として居る。ソ聯に依頼して居る英佛も最早世界最強國として誇示されない時代である。ソ聯邦との提携に依って安全に自己の權益を守護せんとして居る兩國の錯誤は未だに自覺して居らない。英佛ソ協定がスラスラと進捗して行くと考ヘたのは大きな觀測違ひである、ソ聯が英佛兩國の足元を見透して居るから協定の條件としてエストニア、ラトヴイア、フインランドの三國保障に對する要求を交換條件として持出して居る。ソ聯としては若し三國がドイツの支配下に入れば、直接ドイツと國境を接すればソ聯の東部ウクライナ地方不安となり、更にポーランドの運命も危くなるので、英佛兩國に對してその保障を求めて居る。 二 然るに英佛兩國としては獨伊防共ルートの強化に依って從來持って居った世界的覇權を喪失せんとして居るので、飽く迄も過去の夢を追ふ為めにソ聯と結びその地位を守らんと策動して居るが本心としてはソ聯を利用して中歐に於ける獨伊兩國の進出を阻止せんとの魂膽であり、真にソ聯と結ぶ為めではない。更に東洋に於いても英佛兩國はソ聯を利用し、兩國の地位を守るべく策動を續けて居るが果して老衰期に入った英佛兩國が何時迄もその餘喘を保持するかは時日が之れを解決すると思るべきである。更に眼を轉じて米國の立場から見るに、歐洲及び東洋の紛爭に對して同國は豫ねて聲明して居る如く、何を好んで火中の栗を拾ふ危險な遊戱に參加する必要があらうか?、英佛兩國の期待して居る米國の援助も期待外れである。 三 英佛兩國が新秩序下にある世界情勢を理解せずに飽く迄も過去の夢を追ふのであれば、英國が誇示して居ったユニオンジャックの飜へる所日沒がないと豪語した領土も安全に保持されないであらう。佛蘭西としても何時迄も老英國の庇護を受けて安逸の夢を貪れるか?甚だ疑問とせねばならない。最近ソ聯の動向から見るに實に一筋繩ではいかぬ狡獪な行動を續けて居る。即ちソ聯は英佛兩國の弱體國暴露に對して早くもそれを利用して國際外交戰場で新戰術を立てて居る。その一例として英彿との協定を遷延しながら獨伊兩國に秋波を送り、その反面には外蒙を使嗾して日滿兩國に挑戰を試みるなど變轉極まりのない行動を續けて居る。ソ聯の真意としては、英佛兩國のために自らを戰禍に投ぜんよりも英佛と日獨伊とを嚙合せて高見の見物で行く肚である、この見地よりしても英佛兩國は迷はされる事がなく、世界の新情勢に自覺して過去の誤謬を清算し潔く日獨伊と提携して行くのが賢明なる對策であらう。 |
02 | 新公園で市民大會 續いてデモ大行進 七日島都の排英大會 |
03 | 新竹州排英同志會 七日結成式を擧行 |
04 | 名譽の戰死者に 御菓子御歌御下賜 明日傳達式を擧行 |
05 | 高千穗丸入港 |
06 | 熱帶醫專の新設 早急には實現困難 醫學專門部を擴大強化の方針 |
07 | 白衣の勇士 昨日內地へ歸還 |
08 | 講演會で呼掛け 別働隊で各戶訪問 宜蘭の金賣却運動 |
09 | 圖像:白衣の勇士歸還 |
10 | 米增產講演會 今日高雄で開く |
11 | 在臺華僑の慰問 誠意に當局感謝し 南支各方面へ慰問品發送 |
12 | 市民代表一行 廈門から歸臺 |
13 | 低物價勵行懇談會 各業者の協力を求む |
14 | 廣東姑娘哀話 泥棒市の硯が緣 曹洞宗護國團慰問團土產話 |
15 | 慰問新聞寄贈者 四日受付の分報社消息 |
16 | 新竹市の異動 |
17 | 佐佐木龜雄氏 興亞院入り |
18 | 事變二周年 記念スタンプ |
19 | 事變二周年 蘭陽三郡で大講演會 |
20 | 人事.消息報社消息 |
21 | ときのこえ |
22 | 弓道大會 |
23 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 本島貿易飛躍 上半期が新記錄 五億五千萬圓肉迫 出超額一億五千萬圓 圓ブロック輸出入激增 |
02 | 戰時體制下の 臺灣經濟と法令(一) 井田商工課長演述 |
03 | 本島の郵便貯金 三千五百萬圓を突破 貯蓄獎勵全面的に徹底 |
04 | 商工省令で 輕銀の配給統制 |
05 | 皮革の代用品に 鱶の腸皮が新登場 綜合的企業化を期待 |
06 | 臺灣蓄產會で 馬事講習會主催 |
07 | 一期蓬萊米の 在庫が十一萬袋 |
08 | 大日本米穀が 臺灣に兩支店新設 某高官が重役に就任か |
09 | 戰時經濟解說 |
10 | 臺灣畜產會 異動發表さる |
11 | 專賣局小異動 |
12 | アメリカ生糸 需給統計 |
13 | 臺灣農會の 人事異動 |
14 | 茶葉傳習所 生徒募集 |
15 | 市價及商況 四日 |
16 | 照明燈 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 講演 支那の黃土の話/脇水鐵五郎 |
03 | 童話劇 |
04 | 子供の時間 おとぎ唱歌劇 |
05 | 浪花節 大石と池田/末廣友若 |
06 | 講演 チェコスロバキアの崩壞を招來したる國內及び國際情勢/藤井啓之助 |
07 | 料理 |
08 | ラヂオ小說 緣談やつれ |
09 | 圖像:三八會の祝賀會 |
10 | 趣味.娛樂 可愛い虫が嫌ふ 鹽氣、煙、強風と日向 鳴虫の種類と飼ひ方 |
11 | 圖像:顧林權助男葬儀 |
12 | 「戰國喧嘩武士」 |
13 | 上原病氣の為 佐分利に變更 「素晴しき哉彼女」 |
14 | 海外映畫短信 |
15 | 新興高木の第二作 「暴風の姉妹」 |
16 | 野村浩將の作品 大船のお盆映 「素晴しき哉彼女」 |
17 | 「母を讚へる歌」 主演級決定總配役なる |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 事變記念日に 市內大行進を決行 高雄市盛り澤山の行事 |
02 | 海外短信 サンガ―夫人桑港 萬國博から閉出さる |
03 | ペッディコート命拾ひ |
04 | 收穫期には都市住民を農村へ動員 |
05 | 伊小麥豫想收穫高 |
06 | 第二の「ローレンス」出現 |
07 | 狂犬病の新療法 |
08 | メモフォン |
09 | ツオーグ廢帝英國に永住か |
10 | スイス人はレヴューが大嫌ひ |
11 | スペイン戰に於ける伊海軍の功績 |
12 | 竹東街の記念行事 打合會を開催して決定 |
13 | 事變此に二周年 興亞記念日.蘇澳庄の行事 |
14 | 圖像:安全週間 |
15 | 觀音庄金賣却 頗る好成績擧ぐ |
16 | 榮冠は一公へ 恒春小公學校の試合 |
17 | 經濟警察陣強化 住吉巡察拔擢さる |
18 | 湖口庄方委打合會 |
19 | 湖口庄けふ 區總代會 |
20 | 蘇澳郡守送迎會 |
21 | ローカル.セクション |
22 | 青物相場表 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 鼓浪嶼は薪饑饉 配給を繞って大騷ぎ 高雄に入ったニュース |
02 | 街庄長懇談會 臺南州自協の主催 十日嘉義公會堂にて |
03 | 梧棲築港に伴ふ工業港の 位置變更に就いて(一)(附、同港の名稱問題について)/宮原武熊 |
04 | 乳幼兒の保健宣傳 臺中市內各所で講演會 |
05 | 彰化市臨時市會を開く あす公會堂にて |
06 | 又不祥事發覺 州刑事課が活動開始 |
07 | 市街庄吏員養成所 耐熱強行軍 來る七日に決行 |
08 | 事變記念日行事 嘉義市の實施要項 |
09 | 臺南實踐女學校 保護者會を開催 |
10 | 取締規則の違反 百五十餘件に及ぶ 高雄署價格表示の一齊臨檢 |
11 | 圖像:加藤公使、田中天津領事着京 |
12 | 青年團員の 製作品展覽會 高雄州で開催計畫 |
13 | 夏休み中の兒童は 身心鍛鍊に專念 高雄州から各校へ通達 |
14 | 沖商人泣かしの 不良調理人退治 高雄の水上署乘出す |
15 | 竹山の干筍同業組合 不正事實發覺さる 某元勸業主任に波及か |
16 | 七日、酒無しデー 臺南州勵行方を通達 |
17 | 金買上げ巡回班 花蓮港で取扱ひ開始 |
18 | 自轉車有料預り所 高雄市に近く設置 |
19 | 嘉義の新民公會 公債買入好成績 |
20 | 體協支部對抗 陸上競技大會 十五より臺中で |
21 | 人事往來 |
22 | 消息 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 英の怪放送を一蹴 我主張容認の場合のみ 封鎖緩和が問題となる |
02 | イ、ブ兩國に 公使館設定 樞府本會議で可決 |
03 | 圖像:滿蒙國境紛爭事件 |
04 | 壯烈言語に絕する 大空中戰を展開 敵機六十餘機を擊墜 |
05 | ク英大使 有田外相訪問 |
06 | 我が空軍の精銳機 儼として制空權を確保 |
07 | 三菱商事 五千萬圓に增資 |
08 | 包圍殲滅目睫に迫る 日滿軍空陸相呼應し |
09 | 重戰車裝甲車 數十輛を擊破 |
10 | 金口木舌/林正享 |
11 | 福清、三溪を爆擊 |
12 | 東亞燃工會社 けふ創立總會 九社共同出資で |
13 | 掃蕩戰の重點 魯西地區に移行 肅清戰も近く終了 |
14 | 首、陸、海三相より 談話を發表 支那事變二週年紀念日 |
15 | 敵の重爆機 草原に投彈 |
16 | 水利事務研究會 あす臺中教化會館で |
17 | 北支華商との 商談三十萬圓 我商品の進出期待さる |
18 | 彰化國語常用聯盟 來る八日發會式を擧行 |
19 | 米買受申込み 本年度の新記錄 |
20 | 明日の天氣 |
21 | 愛の凱歌(4)/戶川貞雄;松田文雄 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵陣真只中に着陸 奮戰の隊長を救出 外蒙ソ聯軍を尻目に離陸 絶讚の的、柵田曹長の豪勇 |
02 | 事變二週年紀念日 歡樂や娛樂を全廢 賴母し南署管內の自肅休業 |
03 | 北署管內も一期休業 |
04 | 瑞寶章傳達式 遠藤壽三氏の光榮 |
05 | 圖像:殊勳の我空軍幹部 |
06 | 夏季休暇に 教員の體力增進 新竹市の士氣振作 |
07 | 文字通りに皆入學 飛躍!義務教育の先驅 臺北市本年度の就學狀況 |
08 | 華僑代表歸臺 |
09 | 市バスに撥ね飛ばさる |
10 | 躍動の日本を紹介 政治、經濟、文化の三部曲を製作 對支映畫外交の新生面 |
11 | 漢文擔任教師に 支那時文の講習 けふから帝大で開催 |
12 | 各地へ應援特派 七日の排英大會に |
13 | 撞球の天才林春生氏 世界的選手松山氏に挑戰 |
14 | 棉織物輸出 頗る好調 |
15 | 野外武道大會の 參加團體決定 市中行進の順路も定る |
16 | 基隆高女生の 遠泳大會 あすクルーベ濱で |
17 | 合鍵卅二本 學校荒らし就縛 |
18 | 蓬萊丸無電 |
19 | 定期航空 |
20 | 人事報社消息 |
21 | 今夜の放送 |
22 | 商況 五日前場 |
23 | 今日の興行 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大陸一代娘(92)/小栗蟲太郎;中島喜美 |
02 | 家庭婦人 金額は些少でも 積れば大きくなる 必ず實行出來る貯蓄の仕方 |
03 | 家庭教師の常識集(二) |
04 | モダンな戰時型 パーマネント禁止時代に 自分で結へるお髪 |
05 | 足の疲れを直し 脚線美を作る法/芝山みよか氏 |
06 | 圖像:銃後の赤ちゃん審查 |
07 | 頭髮の色を 變へる方法 |
08 | 紙上病院 |
09 | 發育期の子供に 大切な無機值の効用 |
10 | モダンな 空箱の更生法 |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新民報國語學習新聞 陸の猛牛「戰車」は 木村德三郎の發明 四十九年前「無限軌道」で 特許の認可を得た |
02 | 圖像:各國軍備 |
03 | 日本は世界で有數な トンボの國です 珍しい「昔蜻蛉」もある |
04 | 今日の歴史 |
05 | 小學生の三人姉妹 出征家庭のお手傳い |
06 | 圖像:張家口市民運動會 |
07 | 劍道の先生五人 宮城縣の五橋小學校 最高四段二人 |
08 | 綴方教室 一年に入學した弟/古藤美代子 |
09 | カタカナ欄 ヘビニノマレタタマコ リッパニカヘル |
10 | 小學生の藥草採 |
11 | 健康いろは唄(は) |
12 | 海の中からも 溫泉が湧く 和歌山縣勝浦海岸 |
13 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 檢問檢索は緩めぬ 要は英側の根本認識更改 杉山北支最高指揮官記者團に答ふ頭條新聞 【天津五日發同盟】杉山北支軍最高指揮官は昨四日午後天津防衞司令官官邸において在天津新聞通信記者團と會見、租界問題に關し左の如き質問應答を為した 問 檢問檢索所視察の御感想を伺ひたし 答 檢問檢索の實施經過については大體報吿を受けてゐる今朝二箇所の檢問所を實施に視察し將兵が非常に熱心に且つ冷靜公平に任務に服してゐるのを見て欣快に堪へない又當地における日華官民が一致團結して熱烈に軍事行動を支援してゐるのを目前に見て力强く思ふ今後非常な力と熱とをもつて進むなら今回の目的は達成し得ると確信する 問 近く開かれる東京會談に對する御期待如何 答 元來天津租界の檢問檢索は北支軍の指導に基き發動したもので軍はイギリス側從來の態度卽ち援蔣政策抗日共產分子の庇護を改めるまでは如何なることがあらうとも目的達成に向つて進む考へである日支事變始つて以來イギリス租界は抗日分子策謀の根據地として軍の行動を妨害するのみならず政治、經濟金融界の攪亂工作を企ててゐた、これに對しわが方では總ゆる機會を捉へ租界當局へ屢屢反省を促したのであつた殊に軍は本年春以來占領地域內の治安肅清に力を用ひ幾多の犧牲を拂ひつつ北支の明朗化に努力して來たこれに對しイギリス租界では抗日共產分子を庇護煽動して妨害を試みつつあつた軍は斯る行動が租界內にあるならば北支を明朗化すには百年を待つに均しいのでこれが防衞のため今回の如き態度を採るに至つたのであるこれがため第三國人並に善良なる支那人には大變氣の毒だがこれは大局より考へ東亞新建設のために採つた手段だからこの點はよく諒解して貰へることと思ふ今度東京會談が開かれるとも毫も檢問檢索は緩めない東京會談に對し軍の考へてゐるのはイギリス側が根本認識を改めることだ卽ち援蔣政策と東亞新秩序建設の妨害行為を捨て新たに出發して行くところの會談でなければ意味をさない以上の如くにしてイギリスが會議を進め東京會談が解決するならば真に喜ばしいことと思ふ 問 臨時政府が英佛大使舘に要望した四項目の條項についてどう思はれるか 答 旣に北支軍で發表した通りである卽ち軍が目的遂行のため自發的に活動してゐる時偶偶臨時政府で英佛に要求を提出したがこれは至極尤もなことだ軍はこの要求に全幅の支持を與へその實現を期する次第である |
02 | 事變二週年紀念日 帝都は享樂を排し自肅一色 數數の意義深い催し |
03 | 中支戰線より歸還の 吉住中將參內 |
04 | 杉山最高指揮官來津 隔絕狀況を視察 兩代表の出發を見送る |
05 | 我主張を貫徹せよ 社大黨、政府を鞭撻 |
06 | 精動中央聯盟主催で 記念大講演會開催 內容はAKが全國中繼 |
07 | 婦女子多數が 福州より退去 |
08 | “禍根を除去すべし” 日英東京會談を前に 東京府、市議員が奮起 |
09 | 我が神技と攻擊精神 敵再建空軍夢と化す ホロンバイルの大空中戰果 |
10 | 擊墜總數三六五機 一日平均八機を擊墜 |
11 | 次次と敵據點奪取 立體的殲滅戰に入る |
12 | 華北交通會社總裁 宇佐美氏歸朝 |
13 | 物資統制の諸法令 商工省で立案中 |
14 | 中等學校の目的 中等教育整備委員會で決定 |
15 | 出征將兵慰問新聞十二 けふの本紙寄贈者報社消息 |
16 | ソ聯又も新問題提出 英ソ交涉再び困難逢着 |
17 | 英首相の地位を 轉覆させる陰謀 英政府部內の意見 |
18 | 樞府顧問官の補充 首相、樞相と會見 |
19 | 興亞委員會 官制公布さる |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 義務教育施行の先行條件 國庫半額補助の實現を期待社說 國家總力を擧げて長期建設に邁進しつつあるの今日教學の刷新、教育教化の普及徹底を圖ることは洵に緊要事である。殊に國民精神を昂揚しこれを不拔に培ふがためには、國民教育を普及する義務教育の施行に俟たねばならぬ。皇民化が強く叫ばれ又皇民化しつつある今日、國民教育の徹底策を樹立せずして單なる皮相の國語普及にのみ汲汲たるは、その本を揣らずしてその末を齊しうせんとするの類に外ならぬ。本島義務教育の施行問題は、寧ろ時局下に於てその急を痛感するものである。本問題は今日では最早や論議の域を離れ、現實的な當面の實際的要求となって來た。既に地方に於ては義務教育に近きものが實施され、又は計畫が進められてゐるなど義務教育の實施は機既に熟せりと云ふべく、その成否は一にかかって文教當局の斷にあると云ってよい。 二 文教當局の調查したところによると、義務教育を實施せんとすれば、增加學級は四千七百餘學級、これに要する臨時費が千二百萬圓、經常費が六百萬圓を要すると云ふ。この莫大な臨時費を一年間に支出することは到底不可能なことであるが、四箇年繼續事業とすれば年額三百萬圓で足る。既に臺北市にあっては市費を計上して特別學級を增加し、義務教育に近き皆入學の飛躍的好成績を擧げてゐる戶稅が既に市街庄に移管され、其の他の附加稅も增徵しうることになってゐるので、年額三百萬圓程度は優に賄ひうると思ふ只問題なのは經常費の六百萬圓である。これに就ては數年來初等教育費國庫半額補助が熱烈に要望されて來た。本年度の州會に於ても國庫半額補助が中心議題となり、滿塲一致の可決を以て意見書を提出するなどその要望たるや切なものがある。蓋し初等教育費國庫半額補助は、義務教育施行の先行條件であるからである。 三 初等教育費の國庫補助が初めて要求されたのは、昭和十年度の十一萬九千餘圓が最初であるそれ以來文教當局の努力により遂年增加し、昭和十一年度廿二萬一千餘圓、十二年度三十六萬一千餘圓、十三年度五十六萬二千餘圓、十四年度七十五萬六千に累增し、昭和十五年には百萬圓を突破するものと見られてゐるが三百萬圓に到達する迄には更に文教當局の努力に俟たねばならぬ。本島に於る教育費を見るに、各州の年年の歲出總額の內、教育費は約四割乃至五割を占め更に其內の約八割は殆ど小公學校費(教員俸給費)になって殆ど行詰りの狀態にあり、義務教育施行のための國庫半額補助要望は妥當な要求と云はねばならぬ。 四 文教局に於ては義務教育に關し調查を進め、昭和十八年實施、二十年實施、二十年以後實施の具體研究を進められてゐると云ふが、義務教育の先行條件たる國庫半額補助の實現が當面の問題でなければならぬ、府當局では曩きに內臺人共に入學出來る青年學校の設置を見、次いで中等學校入學緩和の私立中等學校の認可となり、着着本島教育界の懸案か漸次解決されつつある。從來動もすれば產業施設に比し、本島初等教育が輕視され勝ちな傾向にあるが、吾人は皇民化の名に於て本教育の大懸案たる義務教育の早急實施を當局に要望するにのである。 |
02 | 小公學校に武道科 第二學期から實施 |
03 | 武漢の青年學生が 航空聯盟を結成 |
04 | 總統の胸像を贈る 日獨醫學提携の絆に |
05 | 畏し.宮中月並歌會に 國策關係の御題を賜ふ 一同恐懼して詠進申上ぐ |
06 | 記念日の行事 |
07 | 圖像:滿蒙國境事件 |
08 | 不正新馬を發見 齒を拔いて誤魔化す |
09 | 楓港臺東道路の 一部交通を制限 |
10 | 國勢調查事務打合 |
11 | 百日咳が流行る 豫防と手當に付 黃朝清博士語る |
12 | 戰地の兵隊さんに 手紙を出しませう 七日から一週間軍事郵便週間 |
13 | 火星に挑む 天體觀測同好會例會 |
14 | 憂國の熱辯 暴英打つべし 新東亞クラブ排英講演會 |
15 | 萬華の排英大會 多大の感銘を與ふ |
16 | 物價抑制懇談會 第三日は食料品其他 |
17 | 公休日を設定 臺北織物商組合 |
18 | 慰問新聞寄贈者 五日受付の分報社消息 |
19 | 日本臺灣兒童繪畫展 四日から羅馬で蓋明け |
20 | 北投花街も 一齊休業 興亞記念日當日 |
21 | 新竹市周回 リレー大會 西門青年分團 |
22 | 人事.消息報社消息 |
23 | 定期航空 |
24 | ときのこえ |
25 | 大阪商船臺灣出帆 |
26 | 近海郵船基隆出帆 |
27 | 辰馬汽船 |
28 | 大連汽船 |
29 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 內地資本を引入れて 積極的經營に乘出す 高砂麥酒の打開策決る |
02 | 全島各州廳の 勸業課長會議 來る十一日臺北で開催 |
03 | 戰時體制下の 臺灣經濟と法令(二) 井田商工課長演述 |
04 | 米價更に奔騰せば 統制法發動せん |
05 | 印度產アッサム種茶 北部栽培にも好適 平鎮茶業で試驗の結果 |
06 | 戰時經濟解說 |
07 | 出廻增加で 一期蓬萊不味 |
08 | 一期米の麻袋供給 減產で不足なし 叺の使用は後廻し |
09 | 公共的金融に主力 勸銀の營業方針轉換 |
10 | 野州米に比し 蓬萊米は割高 |
11 | 照明燈 |
12 | 各驛兩港とも 米山時代を現出 貨車船腹とも拂底 |
13 | 不需要期ながら セメント供給不足 秋頃から更に拂底せん |
14 | 鐵、石炭等の 一貫的統制 商工省、研究を進む |
15 | 市價及商況 五日 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 講演 新支那の俠商 寶井馬琴作片岡貢脚色/寶井馬琴 |
03 | 家庭經濟講座 事變と國民經濟(四)/東嘉生 |
04 | 俚謠 正調追分節/梅下碧波 |
05 | 料理 |
06 | 歌物語 |
07 | 子供の時間 |
08 | 圖像:名譽の應召を受けた大谷光照伯 |
09 | 趣味.娛樂 トマトを殖やす法 玉挿しと砂挿し |
10 | 母の死を秘し 撮影を續行 宇佐美純感激佳話 |
11 | 圖像:映畫「若い花」 |
12 | 海棠の歌 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | バス乘客を襲ひ 鈕釦をどしどし切斷 龍井の服裝改善“鋏”部隊 |
02 | 譽れの臺農團員 屏東郡下の人選決定 |
03 | 軍人家族慰問の夕 |
04 | 白衣に咲く美談 歸還見舞金を寄附 |
05 | 圖像:輸出向罐詰展示會 |
06 | 事變記念日 屏東市の實施要項 |
07 | 馬公物產委託 販賣組合成る 一日より營業を開始 |
08 | 從業員講習會 南投商工協會で開く |
09 | 湖口庄雜貨小賣商 組合けふ創立總會 |
10 | 彰化軟式庭球懇親大會 來る十六日開く |
11 | 內紛の楊梅信組 組合員は總親和を希望 |
12 | 鐵橋上で立往生 交通妨害の四名捕はる |
13 | ローカル.セクション |
14 | 青物相場表 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 廈門特別市政府成立記念號 新生廈門の紹介一 廈門市民待望の 特別市政府誕生 過度使命を果して 治維會解消さる特輯 |
02 | “新廈門の建設”(上)/李思賢特輯 |
03 | 福建第一の貿易港 面目一新.廈門の現勢特輯 |
04 | 圖像:廈門市內各學校の祝賀旗行列特輯 |
05 | “新廈門建設論” 市政府で懸賞募集特輯 |
06 | 廣告特輯 |
序號 | 標題 |
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01 | 大埔=楠西間道路 三ヶ年計畫で開鑿 臺南州の道路網愈よ完備 |
02 | 興亞展けふ開會式 |
03 | 圖像:防空訓練講習會ひらく |
04 | 協贊大賣出し あすより華華しく開幕 |
05 | 臨時列車運行 |
06 | 不埒な現職刑事 ○○を掛けた上婦女を○○ |
07 | 梧棲築港に伴ふ工業港の 位置變更に就いて(二)(附、同港の名稱問題について)/宮原武熊 |
08 | 軍司令官南下 きのふ高雄へ |
09 | 壯丁の訓練計畫 徵兵合格者に對し每月實施 |
10 | 肅正途上の高雄署 再び泥を塗らる 同僚は切齒扼腕の態 |
11 | 吉田巡察警察葬 きのふ嚴肅に執行 |
12 | 遺家族の學童に 學用品代を贈呈 |
13 | 臺南州の 部課長會議 きのふ開催さる |
14 | 山下季重に斷罪 懲役二ヶ年を言渡す |
15 | 馬匹品評會 每月一回宛開く |
16 | 林業試驗場の 設置に就いて 松岡臺中州知事談 |
17 | 嘉義東門女青團 慰問演藝會を開催 |
18 | 花蓮港街の 事變記念日 |
19 | 關廟歸仁間道路 愈よ鋪裝に着手 |
20 | 高雄市書道會 あす創立總會 |
21 | 阿片密吸者が 尿桶で溺死 |
22 | 人事往來 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 港のある街(1)/翁鬧;榎本真砂夫 |
02 | 龍骨車 頂門の一針 長谷川の日本藝術論 |
03 | 文藝時評(2) 真の戀愛小說と 井上の「殘夢」/川崎長太郎 |
04 | 茶摘の歌(三)/陳水寶 |
05 | 友邦の街に神社 |
06 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 英側誠意を示さねば 會談不成功已むなし 陸軍側嚴然たる態度 |
02 | 軍の決意は牢固! 凡ては英國側の出方にかかる 現地軍の四代表下關から東上 |
03 | 英總領事當局が のデマを報告 故意に我方を中傷 |
04 | 殲滅戰を展開 山西省中部に於いて |
05 | 中、南支方面で 海鷲活躍 |
06 | 又重慶を空襲 |
07 | 金口木舌/林正享 |
08 | 新竹市參事會 |
09 | 中華民國政府 聯合委員會會談 青島に於て開催 |
10 | 哈拉哈河到る處に 日章旗が飜へる! 立體的殲滅戰に敵は支離滅裂 |
11 | 日、支の提携以外に 支那を救ふ途なし 和平贊成者激增に呼應汪氏本格的行動へ |
12 | 和平救國運動の烽火 汕頭に大大的に擧る |
13 | 英內閣の改造 チャーチル、イーデン兩氏入閣 |
14 | 敵退路を失ふ |
15 | スソ聯大使 歸國の途に |
16 | 邦人の馬來入國に 制限を加ふ 英國海峽殖民地 |
17 | 明日の天氣 |
18 | 愛の凱歌(5)/戶川貞雄;松田文雄 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 暑さ寒さ自由自在 “人工氣候室”が出現 人體の順應力を實驗 |
02 | 暴英打倒の雄叫び 出演辯士及び演題 |
03 | 御下賜品傳達式 けふ市尹公室で擧行 |
04 | 排英街民大會 淡水で氣勢を擧ぐ |
05 | 興亞書道聯盟 きのふ發會式を擧行 |
06 | 武運長久祈念祭 全島各神社で執行 |
07 | 軍人援護會に 一萬六千圓寄附 臺南州下產組より |
08 | 南署の行事 二周年紀念日 |
09 | 督府の記念式 二周年記念日に |
10 | 廈門から歸高 兩市議ら一行 |
11 | 三輪遞信部長の巡視日程 |
12 | 石炭、鐵の價格を檢討 公定價格設定せん 池田會長、第十九條發動を要請 |
13 | 大每世界一周機 成員及使用機決る |
14 | 炎天下に下水工事 青年學徒の意氣も高らかに 高商生が汗の奉仕 |
15 | 空瓶賣買上ったり 市民が賣却を澁る為め |
16 | 大日本青年團大會 今秋九月京城で擧行 |
17 | 高雄の慰靈祭 |
18 | 產組役職員の 實務講習會 |
19 | 橫領會計係に 懲役一年 |
20 | 市バスに撥ね飛ばさる |
21 | 臺中州異動 |
22 | 定期航空 |
23 | 今夜の放送 |
24 | 商況 六日前場 |
25 | 今日の興行 |
26 | 民報案內報社消息 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大陸一代娘(93)/小栗蟲太郎;中島喜美 |
02 | 家庭婦人 新しい花嫁讀本(上) 三つの箱を用意、不用品を分類 電燈を使ふ時の注意 |
03 | 家庭婦人の常識集(三) |
04 | オリーヴ油の 代用に胡麻油を 陽燒けを防ぐ美容術も出來る |
05 | 圖像:今夏の海水着 |
06 | 味を生してのむ 夏のビール 家庭での御注意は? |
07 | 電氣アイロンが毀れた時 |
08 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新民報國語學習新聞 こんどは地中の壺から 金貨、銀貨ザクザク 大小合せて一千枚 |
02 | 圖像:各國軍備 |
03 | 叔父の御恩に酬いる 「女.二宮金次郎」 土堂小の大福さん |
04 | 戰爭はまだ峠まへ これからが本格的 掛聲勇しく坂道を乘越えよう 事變二週年を迎へ(上) |
05 | 今日の歴史 |
06 | 圖像:兵隊と坊さん |
07 | 鯉の子が汽車の旅 朝鮮の南端から平壤迄 二十萬尾が |
08 | 健康いろは唄(に) |
09 | ヘビトクモガ タイガクトウ |
10 | 前線の勇士へ 銃後の小國民より/康啓明 |
11 | 自由詩/蘇景山 |
12 | 笑話 一番の年寄/林其英 |
13 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 事變二周年を迎ふ 外力の干涉妨害は 敢然これを排除す 平沼首相聲明を發表頭條新聞 【東京六日發同盟】支那事變二周年を迎へた本日平沼首相は談話の形式を以て左の如き聲明を發表し事變に對處する我が國民の總意を披瀝した 顧みるに一昨年の本月本日蘆溝橋に於ける事端の突發以來皇軍の收め得たる偉大なる戰果は世界戰史上末だ曾つて見ざる所であつて今や近代支那文化の中心たる廣大なる地域は既に概ね我方の占據に歸し抗日容共の蔣政權は事實に於いて一地方政權に墮すると共にこれに代つて各地には親日政權の成立發展を見るに至つたこれ偏に 天皇陛下の御稜威の下忠勇なる皇軍將兵の奮闘と熱烈なる軍後國民の努力との腸から示したる所であるが殊に護國の英靈となられた多數の戰歿者及び負傷者に對する感謝の念は到底言辭を以て盡し得ない所である申すまでもなく日滿支三國相携へ互助連環の關係を確立することは東亞永遠の平和を確保すべき新秩序の基礎であり同時に世界の平和と文化とに貢献する所以であるこれ實に我國不動の國策であり且つ又國民不拔の信念でめつて支那事變處理の究極の目的も亦茲にあるのである、我國の支那及び列國に對して希求する所は速かに□見を去り猜疑を除き虛心坦懐真に我國の意圖する所を理解し現實に即したる東亞の新秩序建設に協力し□て世界人類の福祉に寄與する一事である今や支那に於ける具眼の士は漸次東洋人としての自覺に奮起し更生支那を率いて東亞保全の共同 使命の達成に邁進しつつある北京南京其他各地に樹立せられたる新政權とは幾多の困難なる障害を排除して着々その 基礎を固め□て新中央政權の誕生が期待される情勢にある而して各政權治下に於ける產業經濟等も亦復興の氣運に溢れ新支那に相應しき體制を整へつつあるのである我國としてはこの復興支那に向つて加へらるゝ外力の干涉妨害に對しては敢然としてこれを排除すると共にその健全なる發達に對し全幅の支援と協力とを惜まないものである。然るに彼の蔣政權は今日に至るも尚抗日容共の迷夢より醒めず依然として第三國の援助を頼み長期抗戰を呼號して執拗なる策動を續けてゐる。我國としては蔣政權がその頑守しつゝある政策の非を悟り、抗日容共の態度を改めざる限り飽くまでもこれが潰滅に邁進するの一途あるのみである。□つて世界の大勢を見ますれば不安と焦躁とは到る所に漲ぎり列國競つて軍備の擴充に奔走しつゝあるのである。この間に處し我國としても國防の安全と東亞の安定とを保持する為め萬全の施策を講じなければなりません。固より我國は真に我國の立場を理解し好意と友情とを以て臨み來る者に對しては進んでこれと積極的なる提携協力を希望するものであつて特に防共協定の強化に對しては重大なる關心を置 くものである。これと同時に東亞の新事態に對する明確なる認識を缺き歷史の必然性に目を蔽ひ徒らに蔣政權援護に沒頭して直接又は間接東亞新秩序の建設を妨害するものある時は自主獨往の斷乎たる決意を以て適切有効なる自衛手段を講ずること申すまでもない吾々は列國が正義に立脚する真の世界平和を確保する為めには東亞新秩序建設の缺くべからざる所以を早晚理解するに至るべきを固く信するものである斯く觀じ來れば現在我が國民の双肩に繋がる責務は極めて重大なりと申さなければならぬこれこそ將に現在日本人の上に課せられたる一大試煉である吾々はこの責務を遂行し、この試練を克服する為めに更に一層の決意と實力培養の急務とを忘れてはならぬ即ち國民精神を作興し國內諸般の改革を斷行し軍備の充實生產力の擴充、貿易の振興國家總動員體制の完備等物心兩面に亘り愈々國力の飛躍的增進とその綜合的運用の完璧とを期せねばならぬ斯くてこそ始めて現下の複雜、微妙なる國際情勢に對處し東亞新秩序の聖業を完遂し事變の目的を達成し賴つて以つて國家長久の進運と東亞永遠の平和との實現を期し得る次第である惟ふにこのことたる誠に曠古の大業である從つてその前途は遼遠であり內外幾多の障害あることを覺悟しなければならぬが東亞に於ける新秩序の建設こそは我が肇國の皇謨に淵源し道義日本の本領發揮と世界平和の確立の上から避くべからざる使命であることを銘記し敢然としてこの難局を突破せねばならぬ私は支那事變二周年に當り國民各位と共に事變の經過と將來の推移とを深察し愈々一億一心堅忍不談所期の目的貫徹に邁進し以て天壤無窮の皇運を扶翼し奉らんことを期する次第である |
02 | 東亞の妖雲を一掃 今一段の努力を望む臺灣軍當局談 |
03 | 內外全般の問題 首相所信 |
04 | 第十二回論功行賞 |
05 | 援蔣第三國を粉碎(陸相談) |
06 | 出征將兵慰問新聞十三 けふの本紙寄贈者報社消息 |
07 | 鐵石の心で貫徹(山田最高指揮官談) |
08 | 本島人軍夫に 畏し論功行賞 |
09 | 沁縣(山西)を占領 |
10 | 戰車百餘臺を擊破 わが鐵甲軍猛爆擊 |
11 | 敵機十二機を擊墜 |
12 | 敵陣を猛擊 |
13 | 喜多長官も 會議に出席 |
14 | 本日の天氣 |
15 | 大阪商船臺灣出帆 |
16 | 近海郵船基隆出帆 |
17 | 辰馬汽船 |
18 | 大連汽船 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 聖戰二周年を迎へて社說 一 昭和十二年の今日──七月七日の夜北京郊外盧溝橋の附近で演習中の我が北支駐屯軍に對し、支那第二十九路軍の不法射擊に端を發して、今次支那事變の幕は切って落された。それが次第に擴大して、今日の如く、國を擧げての總力戰となり、その間我が無敵皇軍は陸に海に空にと奮戰し、千古未曾有の戰果を收めつつ茲に滿二周年を迎えたのである。事變後一周年にして首都南京を陷し、金城鐵壁と頼む徐州、敵が死守を誓った武漢三鎮を攻略し、今及二周年を待たずして南支唯一の牙城廣東、厦門、海南島、汕頭を占據し、更に福州、溫州兩港を封鎖する等皇軍の向ふ所敵なく、破竹の勢で奧地に向って進展しつつあり、實にや懸軍萬里の大聖戰を展開してゐる一方、蘇滿國境に於ては不法越境せる蘇聯空軍と未曾有の大空中戰をなし、孰れも多大の戰果を收めてゐる中に、月日は流れて茲に感激深き日を再び迎へたわけである。 二 然るに事變全局から見れば、尚未だ峠を越えてはゐない。これからが寧ろ本格的の長期戰であり、國家總力戰である。固より今次事變は表面的には國府支那軍と交戰してゐるが、其裏面は東亞の侵略並に赤化を企圖するソ聯及び其他の西歐列強と抗戰してゐるのである。彼のコロンスに於ける英米佛の陸戰隊揚陸問題、天津、上海租界のテロ事件、越境外蒙蘇聯軍の挑戰、支那各地に於ける英兵の暴行事件等いづれも支那事變の背敵と將來性を如實に物語るものである。今や東京日英會談を前にひかへて東亞の空に漲る排英氣運が急轉直下、排英大會又は排英示威運動と具體化し、天津租界に於ては既に膺懲の鐵槌を下したのである。一方北支皇軍では挑戰し來た外蒙蘇聯軍を完全に包圍し、殲滅戰も刻刻と近づきつつあるが、之を以て支那事變の背敵が終焉したと考へるのは勿論早計である。況や今次聖戰の終局目的は東亞積年の禍根をなしてゐる歐米列強の東亞侵略ソ聯の東亞赤化、隣邦支那の遠交近攻政策を徹底的に芟除して一變せしめ、以て八紘一宇の聖訓に則り、政治經濟、文化其他各般に亘って、日滿支の提携共助を實現せしめ、之を樞軸として東亞諸民族の共同更生を謀るべきに於てをやである。 三 今日事變二周年を迎えるに當り、吾吾銃後國民はこの聖業の成否は皇國の興廢の岐る所、日本民族の盛衰問題であり、延ては東亞諸民族の興廢と死活を決するものたることを深く認識し、之に對處する銃後國民の覺悟を新にすべきである。聖戰最後の勝利は國家總力戰の戰力が強大で、しかも長續きする方に歸するのが原則であるから、吾吾銃後に立つものは職業の如何を問はず、老幼男女の區別なく、皇國の臣民たるものは總て忠良なる總力戰の戰士として、聖戰のため進んで立ち働かねばならない。今日の意義深き記念日を期し、全國各都市では享樂を排して自肅一色に塗り潰され、島內各都市でも內地同樣に娛樂を全廢して自肅し、全島各神社では同日を期し一齊に興亞の大業に奮闘努力せる前線皇軍將兵の武運長久祈念祭を執行する外、勅語奉讀式の擧行、暴英打倒の排英大會の開催等孰れも現時局下に適はしき國民の總意に基く催にして、之により吾吾は戰局の前途尚ほ遼遠にして、今後幾年に及ぶも之にひるまず、聖業の成就するまで全心血を捧げて政府に協力するの覺悟を新にすべきである。 |
02 | 戰捷に輝く聖戰二周年 勅語奉讀式を擧行 午後は市中大行進 |
03 | 大本營發表制 海權を確保 赫赫たる海軍の戰果 |
04 | 擊墜破八六八機 支那全土を翼下に蹂躪 輝く陸空軍の戰果 |
05 | 聯合武道大會 けふ新公園で開催 |
06 | 事變以來の献金は 六千三百四十萬圓 慰問袋は千四百萬個 |
07 | 時局講演會 熱辯に聽眾が感銘 |
08 | 臺北市燈火管制 明日全市に實施 |
09 | 農業義勇團 軍屬慰靈祭 九日東本願寺別院で嚴修 |
10 | “日本の國力に驚嘆” 廣東婦人團昨日寄臺 |
11 | 社告 第三回皇軍慰問金募集/臺灣新民報社報社消息 |
12 | 竹內少將來臺 昨日入港の蓬萊丸で |
13 | 慰問新聞寄贈者(六日受付の分)報社消息 |
14 | 公學生溺死 |
15 | 死藏金一掃 北署管內の實施方法 |
16 | お豆腐値上げ 八日から一個五錢に |
17 | 借家買賣爭ひ 家主と借家人 |
18 | 定期航空 |
19 | 人事.消息 |
20 | ときのこえ |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 中部各驛の停滯米 十萬八千袋に上る 斗南及宜蘭線にも貨車不足 輸送陣の強化要望さる |
02 | 內地米商團體が 込米受渡を忌避 產地側、強硬に反對 |
03 | 陸揚げの際の 漏米の問題も回避 移出商が反對を表明 |
04 | 戰時體制下の 臺灣經濟と法令(三) 井田商工課長演述 |
05 | 農會及びの產組 現物出資は考へ物 米穀納入會社設立に關し 再檢討の要あらん |
06 | 帽子檢查 事務打合會 |
07 | 臺南製麻總會 配當八分据置 |
08 | 戰時經濟解說 |
09 | 本年の黃麻產額 二千五百萬斤か 昨年に比し二倍增加 |
10 | 鐵道部人事異動 |
11 | 石炭輸送緩和に 外國船利用許可か 但し五萬噸を限り |
12 | パイン罐制限 緩和を折衝 |
13 | 商工業者の自肅要望 年末、中元其他の大賣出に關し 商議所より通知を發す |
14 | 山本屬上京 茶の輸出に關し 內地と折衝の為 |
15 | 高雄州下の バナナ檢查數 二日四萬九千籠 |
16 | 照明燈 |
17 | 市價及商況 六日 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 事變二周年を迎へて 興亞聖業の現地報告特輯 |
02 | 北支の現勢 伸び行く北支の姿 漲る總力的建設戰特輯 |
03 | 圖像:廣東中華北路の賑ひ特輯 |
04 | 北支の占領地域 着着と擴充さる特輯 |
05 | 圖像:事變發生地蘆溝橋特輯 |
06 | 南支の現勢 各地治維會成立 明朗な新秩序建設着着進行特輯 |
07 | 廣告特輯 |
序號 | 標題 |
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01 | 興亞記念日 巡る事變二周年 思ひ出新た、各地の行事 |
02 | 國策作物は三割減租 黃麻作は小作料全免 農業報國集集の地主連奮起 |
03 | 嚴そかな慰靈祭 けふ海山神社にて |
04 | 臺東街協議會 七案件を可決 |
05 | 竹南神社奉贊會結成 總工費は五萬五千圓 |
06 | 海山郡第五次金献 本月中の猛運動 |
07 | 旗山郡水防演習 龜山堤防に於て擧行 |
08 | 狩野課長赴任 |
09 | 竹北三郡刑事 事務打合會 |
10 | 銃後の弛禈? 東港の賭博團一網打盡 |
11 | 臺東廳警察異動 |
12 | 病弱の母を種に保險詐欺 外交員崩れに天誅 |
13 | 乘客の迷惑 |
14 | ローカル.セクション |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 高雄州の興亞展 華華しく開會式 官民百餘名參列して |
02 | 第二次排英市民大會 今夕高雄湊小に於て |
03 | 精神文化講習會 屏東農學校に於て 十七日より十日間 |
04 | 圖像:高雄興亞展 |
05 | 國講講師講習會 二部に分けて開催 |
06 | 生產者の怨府たる 乾筍組合の手入れ 內容の徹底的改革を待望さる |
07 | 明治青年學校 開校式を擧行 |
08 | 臺南市軟式庭球爭霸戰 來る十六日開催 |
09 | 花蓮港開港祝賀會 絢爛のプログラム決定 |
10 | 臺中店員講習會 きのふ盛大に開講式 |
11 | 暴行刑事は狂人? 近來の行動は常軌を逸し勝 |
12 | 金献運動の功勞者 きのふ表彰式を擧行 |
13 | 臺中市花柳界自肅 |
14 | 港口土砂堆積 漁船出入困難 市民急速浚渫を要望 |
15 | 洋雜貨一齊に 值下げを斷行 臺中市業者の自肅 |
16 | 東臺灣運送店の 合同問題進展か 近く鐵道部で懇談會 |
17 | 嘉農の夏休行事 |
18 | 作付面積五千甲 年產三千五百萬斤 中寮庄蕉界の進展振 |
19 | 遊興なしデー 嘉義花柳界自肅 |
20 | 嘉義醫院の改築 愈よ工事に着手 |
21 | 不正炭屋を摘發 |
22 | 順風耳 |
23 | 水利事務研究會 六日臺中で開催 |
24 | 高雄興亞展 けふの催し |
25 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 港のある街(2)/翁鬧;榎本真砂夫 |
02 | ラヂオ |
03 | 事變二周年記念の夕 講演 支那事變二周年を迎へて/板垣征四郎 |
04 | 講演 興亞建設の大道/鈴木貞一 |
05 | 講演 聖戰二周年を迎へて 所感を述ぶ/酒井周吉 |
06 | ラヂオ風景 |
07 | 吹奏樂 |
08 | 子供の時間 童話劇 |
09 | 料理 |
10 | 圖像:牧場物語(其四) |
11 | 日活多摩川作品 美しき首途 |
12 | 心聲漢詩 苦雨/洪元煌、次居仁君移居韻/蔡梓舟、同次韻/李少白、同次韻/陳泰山、同次韻/張德豐、同次韻/尤人鳳、同次韻/張子民 |
13 | 新刊紹介 講談俱樂部 八月號 |
14 | 新刊紹介 キング 八月號 |
15 | 新刊紹介 富士 八月號 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 學術振興に大御心 各帝大總長に種種御下問 三田臺大總長謹話 |
02 | 新中央政權誕生せば 帝國は率先して承認 平沼首相、決意を表明 |
03 | 護國の大任を完遂 米內海相語る |
04 | 聖戰目的達成に邁進 安藤最高指揮官談 |
05 | 金口木舌/林正享 |
06 | 第十二回論功行賞(朝刊續き) |
07 | 敵都重慶を空襲 |
08 | 第三國一般船舶の 汕頭入港を禁止す 香港總領事館より發表 |
09 | 廿四機を確實に擊墜 きのふ又復滿蒙國境で |
10 | 海軍省への献金 三千餘萬圓に達す |
11 | 加令坡を急襲 雷鳴を占據 |
12 | 明日の天氣 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 事變二周年 誓って聖戰を遂行 嚴かな勅語奉讀式 誓詞朗讀滿場肅然 時局克服の覺悟新た |
02 | 橿原神宮奉納の 献穀田決定 で記念式典擧行 |
03 | 圖像:勅語奉讀式 |
04 | 府の奉讀式 小林總督以下祈願參拜 |
05 | 基隆の奉讀式 |
06 | 新竹の奉讀式 |
07 | 繰展ぐ武道繪卷 燃ゆる銃後青年の意氣 |
08 | 帝都は正に自肅一色 賴母し、戰時日本の一日 |
09 | 奉讀式に參加 稻江の各組合 |
10 | 基隆の自肅 |
11 | 青年團を強化 新に六百餘名を編入 羅東で入團式擧行 |
12 | 新竹州排英同志會 けふ華華しく結成 示威行進して氣勢を揚ぐ |
13 | 北署全職員 臺灣神社に參拜 |
14 | 廣東の記念日 |
15 | 排英同志會結成 昨日基隆で打合せ |
16 | 前年より激増 所得、營業、利得稅の集計 |
17 | 內臺航路依然混雜 門司折返しも燒石に水 |
18 | 府評議會員 重任と新任發令 |
19 | 新府評の略歷 |
20 | 興亞聖業成就 祈願參拜 同風會婦人講習生 |
21 | 全島材木商 |
22 | 定期航空 |
23 | 今夜の放送 |
24 | 商況 七日前場 |
25 | 今日の興行 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 大陸一代娘(94)/小栗蟲太郎;中島喜美 |
02 | 家庭婦人 新しい花嫁讀本(下) 石鹼の經濟的な使ひ方と 電熱器の取扱ひ |
03 | 圖像:獨身婦人の抗議 |
04 | 身體の缺點を目立たせぬ 洋裝の秘訣 背の低い人はハイネックを |
05 | 桃の變った食べ方 |
06 | 不快な黄色い 齒の磨き方 |
07 | 夏みかんの 化粧水 |
08 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 新民報國語學習新聞 今日は事變二周年 全國一齊に記念式 聖戰の目的と意義をよく考へ 一生懸命に勉強しょう |
02 | 大鯉を仕とめる 自己發明の水中鐵砲で |
03 | 圖像:お手つないで |
04 | 戰爭はまだ峠まへ これからが本格的 掛聲勇しく坂道を乘越えよう 事變二週年を迎へ(下) |
05 | 今日の歴史 |
06 | 圖像:殘月を浴びて/劉昌傳 |
07 | 健康いろは唄(ほ) |
08 | 模範生の三つ兒 揃って賞狀を貰ふ |
09 | 前線の勇士へ 銃後の小國民より 日本の兵隊さん/沈財庫 |
10 | 自由詩 |
11 | 笑話 |
12 | 家庭醫學 肩凝りの原因は こんな病氣が多い 推獎される豫防と手當法 |
13 | 人工榮養兒の 便秘と衰弱が/朝倉日出子 |
14 | 赤ちゃんの泣き方で 病氣が分ります |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 工部局參政權を與へ 英國の重なる不法を排擊 臺灣居留民が蹶起時局大會開く頭條新聞 【廈門七日發 本社支局特電】在廈門臺灣居留民有志は最近の時局に鑑み鼓浪嶼工部局を新事態に副ふやら改組並臺灣人に工部局參政權を與へよ!と崛起し七日午後五時鷺江戲院に於て時局大會を開催、參加者千餘名に達し極めて盛會を呈し午後七時散會したが同大會に於いて我が居留民の有志が約十名登壇、英國の援蔣行動を拋棄せしめよ!我が帝國要求の貫徹に邁進せよ!臺灣人に工部局參政權を與へよ!英國商品を使ふな!と絕叫獅子吼し又左の宣言を決議した 宣言 英國が東亞の新秩序建設を殊更に曲解し中國到る所に帝國と摩擦衝突を惹起しつゝある は吾人の深く遺憾とする所なり、廈門に於いても吾が正當なる要求を頑強に拒否して今尚誠意を示さず、廈門鼓浪嶼を一帶とする新しき關係を阻害しつゝあり殊に吾が臺灣居留民の工部局參政權を飽く迄剝奪し差別待遇を與へんとするは吾人の忍ぶ能はざる屈辱なり一昨年吾が總領事官引揚 げるや英國領事は當時度門駐在廣東軍の要求を容れ残留同胞八十餘名に拘引狀を發したために數十名の犠牲者を出したるはこれ又英國の不法行為にして吾人の忘れ得ざる痛恨事なり斯くの如き相重なる英國の不法行為は東亞新秩序建設に對する重大なる障碍と認め吾入は此に英國の猛省を促しその認識を徹底的に是正せんとを期す 右宣言す |
02 | 武漢新政權誕生近し 、興亞記念日、和かな親善風景 |
03 | 第三國の策謀を衝く 近衛公が大獅子吼 |
04 | 意義深い第二周年 盟邦と合作、興亞の大道を邁進 王行政院長談話を發表 |
05 | 漢口佛租界の 奇怪な挑戰態度 一時は險惡な狀景 |
06 | 伊は日、獨とともに 新中央政權を待望 |
07 | 一切の障碍を一掃 梁行政委員長談 |
08 | 中小產業調查會 官制案正式決定 |
09 | 黃梅縣城を占領! 敵は五祖山山麓で殲滅を待つ |
10 | 敵大軍の運命 今や風前の燈火 |
11 | 銃砲擊の雨を降らす 潮州附近で逆襲の敵を潰滅 |
12 | 篠原准尉が 廿九機擊墜 |
13 | 擊墜敵機四百五機 滿蒙國境陸鷲の戰果 |
14 | 定例閣議 |
15 | 敵三千を擊滅 澁谷少佐壯烈な戰死を遂ぐ |
16 | 出征將兵慰問新聞十四 けふの本紙寄贈者報社消息 |
17 | 鐘紡今期配當 年二割据置 |
18 | 市內は極めて平穏 上海兩租界水も洩らさぬ嚴戒 |
19 | 花田准尉が 無事歸還 |
20 | ハルハ河畔の戰鬪 順調に進捗 |
21 | 佛ソ相援協定 廢棄せよ 佛紙が敦圉く |
22 | 重慶夜間空襲 七日未明、海鷲が活躍 |
23 | 支那軍の高射砲 一發も命中せぬ |
24 | 周恩來負傷 主和派の狙擊說流布さる |
25 | 國民徵用令公布 外地は十月一日施行 |
26 | 現地軍代表 入京 |
27 | 蔣、又も嘯く 七.七記念日に |
28 | 輸出綿糸布の 滯貨增加對策 |
29 | 東京砂糖取引所 臨時會員總會 |
30 | 本日の天氣 |
31 | 大阪商船臺灣出帆 |
32 | 近海郵船基隆出帆 |
33 | 辰馬汽船 |
34 | 大連汽船 |
35 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 日英會談の成否 英國の態度一つ社說 一 天津英租界間題を解決するため、英國側の申出に基いて、來週早早から東京に於ける現地交涉が開かれることになった。元來、我現地當局は、該問題を外交交渉に依って解決しようとし、問題發生以來英國租界當局の反省を促して來たのであるが、英租界當局は頑強に我が現地當局の妥當なる要求を拒否し續けた為め、遂に英租界隔絕の非常手段をとるに至ったのである。英國側が遲蒔ながらその非違を悟り、更めて外交交渉に依り本問題の解決を希望し、東京會談が開かれることになったのであるが、英國が經濟制裁といふが如き恫喝的態度を一應清算して、進んで外交交渉に問題を移したところは我國力と我が硬き決意を察して、その打開を講ぜんとする實利外交の片鱗を現したものであると云へよう。 二 我が政府當局は東京會談に就き「天津に於ける現下事態に關聯する各種問題の解決を圖る」と公表して、天津問題の根源たる英國の援蔣政策是正の問題まで討議する態勢を示してゐるが、ク英國大使は「原則的には天津問題に限るつもりだが、天津問題と關聯して極東問題の根本的分野にも觸れることとなるかも知れない」と仄めかしてゐるものの、英本國ではチ首相は「會談は局地的問題に限定されるだらう」と言明し、又「英國はその外交政策に關して他國政府より命令されるが如き立場に立つことは斷じて承服し難い」と演說したところより觀れば、双方の態度に相當の懸隔があるので、本會談に對しては多くを期待することが出來ないのである。 三 東京に於ける日英會談の重點及びその成否は、我當局が數次言明した如く、英國の現にとりつつある反日援蔣政策を、根本的に清算するか否かにあるのである。英國の極東政策が援蔣政策を根幹とし、尚暫く反日政策を持續して事態の推移を見ようといふが如き機會主義に終始する限り、來るべき日英會談からは何等の収穫をも期待することが出來ないであらう。日本との外交交涉に依って、只天津に於ける英租界の目前の窮境を打開するといふのが、若し英國側の希望の全部であるならば、日英會談を殊更に東京に於て開いてみても、結局は徒勞に終るであらう、といふことを知らなくてはならないのである。 四 英國側は東京會談を牽制せんためか、盛んに種種なデマを放送し、或は匪賊團を煽動して後方攪亂を企ててゐるようであるが、しかしかかる小細工で我が根本方針が動搖すると思ふならば、それは大きな錯覺であると云はねばならぬ。我方は飽くまで英國の援蔣抗日態度の是正を要求し、若し英國側の態度に誠意を認むべきものなき塲合は、會談の不成功に終るも已むなしとの嚴然たる態度を堅持してゐるのである。 それ故に會談の成否は一にかかって英國側の反日援蔣態度を改めるか否かにあると云へよう。若し纏まるものならば豫想外に短時日をもって纏まるであらうし、之に反して英國側の術策に依って會談が長びかされるときは、絕對に日英間の意見一致は不可能であり、交渉は決裂の外はあるまいとみられてゐる。 |
02 | 英の援蔣反日政策 全面的破碎を期す 島都の排英市民大會 |
03 | 畏し.三陛下御默禱 英靈の冥福を祈らせ給ふ |
04 | 圖像:島都の排英市民大會 |
05 | 帝都の記念日 嚴肅な記念行事 |
06 | 淡水の英國領事に 宣言決議文を手交 |
07 | 橫山基隆市尹 きのふ着任 |
08 | 感激の拍手湧く 昨夜の排英講演會 |
09 | 享樂街の自肅完し |
10 | 華僑も參加 |
11 | 廣東婦女團 けふ急行で南下 |
12 | 基隆市防衛團 非常召集 |
13 | 慰問新聞寄贈者 七日受付の分報社消息 |
14 | 臺北春競馬 第一日番組 |
15 | 高砂丸無電 |
16 | 人事.消息 |
17 | ときのこえ |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 品名別より見た 上半期貿易 本島の對外輸出品 砂糖が斷然首位! 輸入の大宗は依然肥料 |
02 | 戰時體制下の 臺灣經濟と法令(四) 井田商工課長演述 |
03 | 正米市場の思惑で 一期蓬萊產地高 內地の買氣意外に不振 |
04 | 市街中心地の地價 鰻上りに昂騰 金融緩慢と物價騰貴で |
05 | 戰時經濟解說 |
06 | 瓦斯發生爐 宣傳打合會 |
07 | 定置式瓦斯發生爐の 性能試驗を實施 十五日より臺北帝大で |
08 | 船匠講習會 昨日修了式 |
09 | 農村の金融緩慢 信用並信用兼營組合の 預金約三千萬圓增加 |
10 | 市街地信組の 預金も著增 |
11 | 買人氣強く 債券類は強調 續いて品薄狀態 |
12 | 照明燈 |
13 | 市價及商況 七日 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 講演 事變二周年と 今後の國民の覺悟/岡部長景 |
03 | 詩吟 |
04 | 物語 赤軍と戰ふ十四日間/汐貝洋外 |
05 | 子供の時間 戰場の華(十)熱血鐵兜隊 |
06 | 料理 |
07 | 赤ん坊と兵隊さん/山口充一 |
08 | 圖像:社會教育專門學館ひらく |
09 | 監督スタアの動揺說を 松竹大船報道部が反撥 |
10 | 色の變化を愛でる 優艷な紫陽花 切り口は燒いて挿しませう |
11 | 暴風の姉妹 淡島、宇佐美、草島 高野總出演 |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 臺東街排英同志會 きのふ盛大に結成 各要路へ激勵文を打電 |
02 | 事變二周年 記念講演會 覺悟固し神岡庄各部振 |
03 | 勝馬の研究 臺北春競馬に於ける |
04 | 歸還勇士感謝祭 七日苗栗街の催し |
05 | 人命救助に表彰狀 |
06 | 香奠返し献金 |
07 | 東港の興亞記念日 |
08 | 大溪街の金賣却 好成績を擧ぐ |
09 | 時局講演盛況 竹東公に於て |
10 | 部落動員座談會 新莊郡の金献貯蓄運動 |
11 | 西螺米穀商組合 米の值下げ斷行 創立記念に献金を提出 |
12 | 優良納稅組合 朴子街で表彰 |
13 | 勞力の不足 臺東廳下は加速度的 |
14 | 朴子街區總代會 |
15 | 專賣規則違反者 屏東支局で摘發 |
16 | 暴利商人に戒告 |
17 | ローカルセクション |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 覺悟を新たに迎ふ 事變二周年紀廿日 きのふ各地嚴肅に擧行 |
02 | 梧棲築港に伴ふ工業港の 位置變更に就いて(三)(附、同港の名稱問題について)/宮原武熊 |
03 | 第一線への慰問は 文書と新聞が第一 歸還勇士の隔意なき意見 |
04 | 勇士の病床に 七夕祭りの飾り 湊小兒童の床しき心遣い |
05 | 新高登山會 彰化郡の街庄職員 |
06 | 初日から大入り 高雄興亞展きのふ開幕 |
07 | 新秩序の再建を期す 高雄市民排英大會の決議 |
08 | 排英の氣氛橫溢 花蓮港街民大會氣勢大いに擧る |
09 | 嘉義時局同志會 きのふ盛大に結成さる |
10 | 嘉女は新高登山 |
11 | 夫人の加勢を得て 校長壁切盜を逮捕 郡防協から表彰さる |
12 | 彰化市臨時市會 議案何れも可決さる |
13 | 高雄州の金賣却 第二次運動ヘ猛進 |
14 | 防諜團を結成 高雄州の撞球營業者 |
15 | 各娛樂機關休業 きのふの高雄市 |
16 | 石見丸の入港 テストは滿點 |
17 | 戰歿勇士追悼法要 |
18 | 彰化市郡肥料商同業會 |
19 | 人事往來 |
20 | 消息 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 東京會談に臨む わが不動の態度 現地代表を交へて あす外、陸聯合協議會 最後的調整を加ふ |
02 | 軍部案を附議決定 けふ再び省部首腦會議 |
03 | 英は屈服の外なし イタリア各紙が示唆 |
04 | 東亞新秩序を創造 斷乎第三國の態度是正を要求 近衛樞相の重要講演 |
05 | 周到な檢討を行ふ 交涉は十二日から開かれん |
06 | 鐘ヶ淵實業 決算重役會 |
07 | 蔣政府の苦悶の種 汪派の和平運動と 日英會談の成行き |
08 | 汕頭稅關を接收 きのふ手續を完了 |
09 | 青島會議は十日から 和平統一の線に沿ふ強力な 時局收拾の新法則を要求! |
10 | 榆社を占領 |
11 | 金口木舌/林正享 |
12 | 沁縣北西地區の 肅清戰は一段落 |
13 | 包圍網を縮小 外蒙軍の殲滅迫る |
14 | 獨、ブ兩國會談 コムミユニケ發表さる |
15 | 敵二十機中に 單機で突入 壯絕なる激戰 |
16 | 臺灣關係の 勅令公布 |
17 | 明日の天氣 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 勤勞奉仕の制度化 實情に鑑み御破算 青年團強化に轉向 |
02 | 大上海建設 着着進捗す 江灣附近の土地 八十萬坪を分讓 渡邊汕頭警察署長談 |
03 | 基隆市葬 十二日双葉小齋場で |
04 | 傷痍軍人の美擧 葬儀費を節約寄附 |
05 | 新竹產倉代表者懇談會 |
06 | 圖像:島都の武道大會 |
07 | 遺家族慰問の 映畫大會(基隆) |
08 | 眾議院議員 皇軍慰問團 島內視察日程 |
09 | 臺北春競馬蓋明け 出場三百頭空前の豪華版 |
10 | 國勢調查事務講習會 來る八月一日より |
11 | 郡守を先頭に 時局講演會 |
12 | 大日本忠靈顯彰會 七日嚴かに發會式 |
13 | 羅東青年團 きのふ壯烈な分列式 |
14 | 排英郡民大會 あす士林公で開催 |
15 | 教育會館の フィルム室半燒 |
16 | 下奎第三區の 興亞の夕 |
17 | 自轉車泥棒 大追擊戰 |
18 | 不潔な製菓業者 南署、片端から摘發 |
19 | ス米海軍長官逝く |
20 | 新公園演奏曲目 |
21 | 所在不明者 簡閱點呼關係の |
22 | 署長課長會議 |
23 | 蓬萊公保護者會 |
24 | 今夜の放送 |
25 | 商況 八日前場 |
26 | 今日の興行 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 大陸一代娘(95)/小栗蟲太郎;中島喜美 |
02 | 家庭婦人 輝やく興亞記念日 全國民が戰場へ出た氣持で 自肅生活しませう |
03 | 暑い夜は赤ちゃんの寢つきが惡い 水枕をさせて眠らせよ |
04 | 女子薙刀道の精神/森美惠女史 |
05 | 子供に與へて よい夏の果物 消化の惡い水密や生梅 |
06 | 圖像:寶塚振袖使節歸る |
07 | 血壓の高い人の 夏の食餌療法 豐富な果物と野菜を利用 氷物よりも麥湯や牛乳を |
08 | 小皺がとれる トマトバック 中年御婦人への福音 |
09 | 暗い日は明るく 雨どきのお化粧 |
10 | お菜には主と副を 一皿でも附合せがあれば充分 |
11 | 下馱や草履の手入れ |
12 | ズボンの膝や お尻の繕ひ |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新民報國語學習新聞 古い新聞を賣って 一萬圓を積立てる 廣島市七十二小學校 |
02 | マラリヤ征伐に 目高軍が一役 我が國から米國へ |
03 | 圖像:各國の軍備 |
04 | 暑くなって來ました 氷菓子に御注意 アイスキャンデーやクリーム等 信用のある店で買へ |
05 | 今日の歴史 |
06 | 圖像:新民少年團市中行進 |
07 | 猫が狸を育てる 福島縣の裁縫女學校 |
08 | 綴方教室 朝/嚴守真 |
09 | 健康いろは唄(へ) |
10 | 自由詩 書物/葉清年 |
11 | カタカナ欄 イヌズキナオバアサン 五十八ビキヲカウ |
12 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 純真な民眾運動に 佛租界(漢口)が不法干涉 我方斷乎たる態度に出でん頭條新聞 【漢口七日發同盟】七日の興亞記念日當日武漢を中心とする占領地區內青年層を以て組織する華中青年協會では漢口佛租界在住中國人に新中國建設に協力を呼びかけるべく會員數名が前夜佛租界內大東飯店に宿泊し七日朝代表者が租界工部局を訪問日支國旗及び宣傳ビラの配布に就いて折衝したところ奇怪にも佛租界工部局は右折衝中武裝せる安南人警官約四十名を以て同飯店を包圍し居殘つた青年協會員の檢問を行ひ日支國旗約五十枚宣傳ビラ約四千枚を押收會員の一人楊鐸を檢束した華中青年協會では中國青年並に中國民眾に對すら純真なる民眾運動に不法干渉するものとして佛租界當局に嚴重抗議し一方我が現地局でも日支兩國旗を沒收するが如きは國旗を侮辱するものとして問題を重視し工部局側の出方如何に依つては斷乎たら措置に出る模樣である |
02 | 佛工務局に陳謝要求 出方如何に依り租界隔絕か |
03 | 蔣政權、危機に惱む 和平運動の擡頭と 財政が加速窮乏 |
04 | 天皇皇后兩陛下 十二日葉山御用邸に行幸啟 |
05 | 軍首腦の最後案決定 昨日會議で詳細檢討 |
06 | 聖上、御祝電を御發送 伊皇族ス公殿下の御結婚に |
07 | 民間献納式の命名式 昨日霞ヶ浦で擧行さる |
08 | 主和派某要人 けふラヂオで所信披瀝 |
09 | バ、ノ兩高地を奪取 敵昨朝來退却を開始 |
10 | 圖像:東京會談に列席の現地軍代表 |
11 | 中立法修正に反對 反對派議員が會合 連署聲明書を發す |
12 | 滿洲國軍の勇敢奮戰 今や全軍稱讚の的 |
13 | ア國が對日 ラヂオ放送 |
14 | 多數のソ聯人 を捕虜 |
15 | 出征將兵慰問新聞十四 けふの本紙寄贈者報社消息 |
16 | 事變公債四億圓 來る十日より發行 |
17 | 金牌門砲臺を砲擊 |
18 | 維新政府三氏 飛機で東上 |
19 | ブルガリやは 獨、伊側に立たん 訪獨使節團、歸國へ |
20 | 外國為替聯銀集中 全品目に擴張す 十七日より實施に決定 |
21 | 喜多長官等 青島に向ふ |
22 | 梁溫陳三氏 青島に赴く |
23 | 名古屋の交通 協議會に出席 前田鐵相が |
24 | 本日の天氣 |
25 | 大阪商船臺灣出帆 |
26 | 近海郵船基隆出帆 |
27 | 辰馬汽船 |
28 | 大連汽船 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 米穀納入會社の再檢討社說 一 來る十一月一日の二期米より愈愈米穀管理の實施に伴ひ、殖產局では其の蒐集機關として米穀納入會社設立の案が一度發表されるや、全島各關係者より一齊に反對の聲を擧げた事は周知の通りである。然るに其の後各州當局が極力勸誘に努力した結果、高雄州を皮切りに各地關係者が漸次賛成に傾いて來た模樣であるが、此の會社案に對して幾多再檢討を要すべき重要問題を包含してゐる事を知らなければならない 二 先づ此の會社の目的とする所を探聞するに、其の資本構成の大部分は土礱間業者の籾摺工塲を始め、產業組合の農倉並びに農會の農倉等を現物出資とし、移出米商よりは一部の現金出資を以て設立せんとするもので、政府へ納入せしめやうとする輸移出米は全部此の會社をして取扱はしめる許りでなく一般の消費米も此の會社から白米商に對して玄米を一手に供給せしめようとする案であって、殊に後者の如きは一種の米穀專賣と稱すべき性質のものである事は明かである。 三 かくの如き米穀納入會社案は在來の取引機構を根本的に變革を加へようとするものにして先づ當局が議會に於て明言した移出米商を除く現米穀取引機構を其の儘利用する事と牴觸せざるを得ない。次に土礱間業者の現物出資に對しては固より問題なきも、產業組合の農倉を現物出資させる事は產業組合規則の認めてゐる四大事業の利用及び販賣の大部分を取り上げられる事となり、單なる一營利會社をして產業組合の精神を蹂躙せしめようとする事は果して許すべき問題であるかどうか?若し何うしても產業組合の重要業務を取り上げねばならない必要あらば、先づ產業組合規則を改正して朝鮮の如く金融專門の金融組合に改組すべきものであると信ずる。 四 更に考ふべき問題は、從來本島の產業組合は公債及び債券以外に株式の所有を許してゐない事である。即ち組合員の財產たる貯金を取扱ってゐる信用組合に對して危險率多き株式を持たせない事は方針として誠に當を得てゐるにも拘はらず、今回特に米穀納入會社の株式に限り持たせようとする事は自ら矛盾撞着も甚だしい事ではないか。殊に公法人の農會事業までも取り上げねばならぬとは、法的に果して許すべきものか何うかは疑問なきを得ない。 五 最後に一般消費米までも此の會社に全部取扱はせ以て米穀專賣を島內で施行するのと同一機能を持たせようとする事は、果して法的根據なくしてなし得る事か何うか?當局がかかる米穀取引機構の大改革をなさんとするには今少し充分に再檢討の必要があり、又かかる大問題に對して法的根據なくして之を為さうとする事は世人の到底納得し得ざる所であるから、希くは當局として功を急がず、各方面より慎重に研究を重ねられん事を熱望して止まない。 |
02 | 全國防空連絡會議 十月頃島都で開催 防空展も同時に開く |
03 | 故藤原少佐以下の 英靈告別式 あす藤重部隊で嚴修 |
04 | 光榮の杵淵義房氏 著書“臺灣社會事業史”に 金一封御下賜の御沙汰 |
05 | 圖像:總督府慰問一行 |
06 | 小公學校職員 夏季講習會 羅東郡教育會 |
07 | サイレン響くや 全市黑一色 島都の燈火管制好成績 |
08 | 文化戰士一番乘り 廢墟の汕頭日本人小學校に 二年振り、感激の復歸 |
09 | 恤兵金寄附 常盤愛國女子團 |
10 | 汕頭の皇軍を慰問 府慰問使、使命を果す |
11 | 復興に忙殺の 臺銀支店 興亞の經濟戰士活躍 |
12 | 圖像:待機の防衛團本部 |
13 | 興亞青少年大會 全國代表一萬が參加 十七日から大キャンプ |
14 | 合同慰靈祭 毒酒の犧牲兩氏 |
15 | 臺北團勝つ 都市對抗野球豫選第一日 |
16 | 口論して家出 若人鐵道自殺 |
17 | 中支忠靈顯彰會 十三日に發會式擧行 |
18 | 高砂丸入港 和田中將が來臺 |
19 | 英國打倒を絕叫 羅東の排英市民大會 |
20 | 大穴續出す 人氣沸騰臺北競馬第一日 |
21 | 海上警報 |
22 | 今日のメモ |
23 | ときのこえ |
24 | 今日の興行 |
25 | 市葬謹告:藤原龜雄等 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 重要產業の調整に 畑地七萬甲を擴張 本島農政の劃期的改革 |
02 | 上半期の移出貿易 遂に三億圓臺突破 躍進臺灣產業を反映 |
03 | 新南群島の 燐鑛量は頗る豐富 調查團長牧山鶴彥氏語る |
04 | 基隆港の滯炭 近く一掃されん 外國船利用許可等で |
05 | 各新式製糖工場 買收價格表を提出 十五、六年期蔗作獎勵規程も |
06 | 海外輸出目覺し 島產茶輸移出高(六月中) |
07 | 丸糯は買占高 蓬萊は強保合 兩港在庫十五萬袋 |
08 | 鐵道用炭の契約 未だ成立せず 關係業者悲鳴を擧ぐ |
09 | 臺北手形交換高 二千餘萬圓增加 前年上半期に比し |
10 | 水產化學工業 會社創立總會 |
11 | 市價及商況 八日 |
12 | 照明燈 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 童話劇 深堀大尉 |
03 | 邦樂名曲選 清元 |
04 | 浪花節 |
05 | 料理 |
06 | ラヂオ見學 |
07 | 圖像:戰盲勇士の慈母 |
08 | 日曜特輯 ニュース演藝 |
09 | 戀愛結婚か、見合結婚か 結婚問答座談會開催 新興東京スタアが語る心の秘密 |
10 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 東港船溜築港は 街民の死活問題陳情委員近く再度出府 |
02 | 新莊郡下の 金献運動 で講演會 |
03 | 金献と國貯 瑞芳街に描く國策双曲線 |
04 | 勝馬の研究(續) 臺北春競馬に於ける |
05 | 城隍爺を擔ぎ出し 金保有量を呪誓 中壢郡、金献に猛運動 |
06 | 聖業成就を祈誓 七日の興亞記念日 各地で勅語奉讀式 |
07 | 恒春商人組合 創立總會を開催 |
08 | 中壢に中等學校 地元負擔四十萬圓で 期成同盟會を結成 |
09 | 時局を描く紙芝居 斗六女公の試み盛況 |
10 | 金製品盗まる 泥棒は隣の老人 |
11 | 記念講演會盛況 決意固む楊梅庄民 |
12 | 南投聯青自轉車強行軍 昨日、臺中神社へ參拜 |
13 | 新營郡の三組合 六日合同創立總會 |
14 | 草屯派出所 設置實現か |
15 | 南投信組役員會 新監事初顏合せ |
16 | 鳳梨罐詰密造か 北斗郡下で被疑者檢擧 |
17 | 觀音庄區總代會 |
18 | ローカルセクション |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 全州下青年を 動員して奉仕作業 合宿して修練を積む |
02 | 十三萬市民起って 我政府當局を鞭撻 排英臺南市民大會の決議 |
03 | 渡邊部隊將兵 一部分晴れの歸還 |
04 | 梧棲築港に伴ふ工業港の 位置變更に就いて(四)(附、同港の名稱問題について)/宮原武熊 |
05 | 防空懇談會 花蓮港廳にて開催 |
06 | 林高雄要塞司令官 恒春にて講演 |
07 | 「防衛群」結成さる 郡守夫人が采配を揮ふ |
08 | 大屯郡鄉軍分會 献穀田の播種祭 |
09 | 待望の「陸軍の日」 けふ華華しく開幕 高雄興亞展の呼び物 |
10 | 人氣愈よ高潮へ きのふ入場者二萬人 |
11 | 時局講演會 四日臺東で熱演 |
12 | 興亞記念日 彰化市嚴肅に擧行 |
13 | 軍司令官 興亞展へ |
14 | 嘉農對嘉中 けふ二回戰 |
15 | 長榮中開校式 來る十五日擧行 |
16 | 教職員の劍道大會 來る十三日臺中武德殿に於て |
17 | 米崙に海水浴場 近く開場豫定 |
18 | 高砂族の生產指導に 警官技手を配置 臺中州理蕃課で決定 |
19 | 樟樹造林 頗る好成績を擧ぐ |
20 | 南方進出の魁 南進商行旗擧げ |
21 | 少年劍道大會 來る十三日に開催 |
22 | 彰化青年學校 來る十一日開校式 |
23 | 廣東訪日婦人團 けふ高雄へ向ふ |
24 | 高砂族青年講習會 |
25 | 高雄市のボヤ |
26 | 日傭人夫 傷害致死 |
27 | 三輪部長四重溪へ |
28 | 加藤警務部長着任 |
29 | 能高郡下の 警察異動 |
30 | 兩氏慰勞會延期 |
31 | 彰化郡花壇公學校 |
32 | 第三回皇軍將兵慰問金 第一回分報社消息 |
33 | 人事往來 |
34 | 消息報社消息 |
35 | 高雄興亞展 けふの催し |
36 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 港のある街(4)/翁鬧;榎本真砂夫 |
02 | 茶摘の歌(五)/陳水寶 |
03 | 文藝時評(4) 兵火に淨化された 戰爭文學の諸作/川崎長太郎 |
04 | 龍骨車 小姑的女流論 今日の批評界 |
05 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 英の根本的認識是正 中間的妥協解決は之を排除 東京會談陸軍不動の方針頭條新聞 【東京九日發同盟】日英東京會談に臨む陸軍不動の方針は八日午後の中央現地聯合會議において決定を見たが軍としては今次會談に臨むに當つては飽まで天津問題を契機として東亞新事態に對する英國側の根本的認識是正を要求し將來に禍根を貽すが如き中間的妥協解決はこれを排除して左の如く所期の目的貫徹に邁進することに決定した 一、東京會談に於ては英國側の 東亞新事態に對する根本的認識を是正せしむべき原則的問題と共に暗殺犯人引渡その他天津租界における局地的問題を並行的に折衝する 一、英國側が會談の題目を單に所謂局地問題に限局し當面を糊塗せんとするが如き態度を固守する限り軍としては今次會談の妥結を敢て希望せぬ 一、天津英租界に對する封鎖の如きは現地軍局か自衛の必要上實施せるものでこれを解除又は緩和するや否やは全く現地軍當局の認定如何に依るぺきものである、然るにも拘らずこれが解除又は緩和を東京會談開催の條件となすが如き策動は絕對に排除する |
02 | 綿密な聯絡打合せ 陸、外兩現地當局間で |
03 | 日華合同興亞民眾大會 異口同音に反英を絕叫 |
04 | 涉縣(武安西方)を占領 百四十度の炎熱を冒しつつ 隨所に敵を粉碎す |
05 | 第十九條を發動 地代、家賃を事變前の價格に引下 |
06 | 陝西軍百六十九師 包圍殲滅 |
07 | 稅制整理案大綱 恒久稅制と臨時稅制 |
08 | 敵機一機擊墜 |
09 | 圖像:事變二周年を迎へて |
10 | 越境ソ聯軍の全滅 目睫の間に迫る! 敵軍、巨大な損害を受く |
11 | 一大殲滅戰を展開 ハ、ホ兩河の合流に敵を追込む |
12 | 出征將兵慰問新聞十六 けふの本紙寄贈者報社消息 |
13 | 擊墜二十七機 |
14 | 地方稅制改革 兩省の折衝具體化 |
15 | 敵戰車殆んど全滅 燃える戰車で蒙古大草原は火の海 |
16 | 銃砲擊激烈 次次に敵據點を占領 |
17 | 又復敵機を 二十五機擊墜 |
18 | 反覆爆擊 |
19 | 英-南佛間の 無着陸訓練 英空軍で計畫 |
20 | 廈門市政府で 東洋文化講習會 佐藤、山中氏招聘さる |
21 | 姬路市會に 解散を命ず |
22 | 本日の天氣 |
23 | 大阪商船臺灣出帆 |
24 | 近海郵船基隆出帆 |
25 | 辰馬汽船 |
26 | 大連汽船 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新海南島建設 瓊崖民眾自衛軍が 皇軍に協力大活躍 總司令は早大出の熱血漢 |
02 | 熱烈な宣言を可決 士林の排英郡民大會 |
03 | 我等の勇士歸る 旗の波に迎へられて |
04 | 馬糧献納 宜蘭公の全兒童が 炎天下に草刈奉仕 |
05 | 汕頭市は全く平穏 香港丸ニュース慶谷慰問使語る |
06 | 橫山矢野兩氏の歡送迎會 |
07 | 乙種巡察募集 新竹州警務部で |
08 | 竹內特派員歸る報社消息 |
09 | “農村青年の龜鑑” 殉職鍬の戰士の慰靈祭 きのふ嚴に執行さる |
10 | 新竹市周回 リレ-大會 |
11 | 慰問新聞寄贈者(八日受付)報社消息 |
12 | 金賣却を說く 婦人辯士が婦人連に |
13 | 新竹共榮信組 きのふ廿周年記念式 |
14 | 3A-0 臺東勝つ 都市對抗野球第二日 |
15 | 苗栗團が優勝 新竹市軟式野球 |
16 | 機械に卷込まれ 油差夫即死 |
17 | 鈴木弘家氏逝去 |
18 | 春競馬 第二日成績 |
19 | 大和丸無電 |
20 | 定期航空 |
21 | 人事.消息報社消息 |
22 | 市葬謹告:菅鎮夫等 |
23 | 訃文:洪成敷 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺中州台灣バナナ產業特輯号 其一 中部は臺灣の寶庫 芭蕉年產額約千萬圓 近年稀なる高值を示す 生產者に蘇生の思あり特輯 臺中州青果同業組合は大正四年十二月に設立せられたもので、最初移出仲買人を以て組織せられ、中部臺灣青果物移同業組合がその前身であつた。大正十年七月臺灣青果物同業組合と改稱され、同十三年四月には南投果物同業組合を併合してより組合地區を臺中州一圓に改め、生產者全部を組合に加入しめると同時に臺中州青果同業組合と改稱せられた最も古き歷史をもつた組合である。爾來長足の發達を遂げて今日に及び、組合員數一萬一千三百六十五名、檢查所は三十二箇所、十三年十一月末現在の栽培面積一萬五千七百四十二甲にして出荷數量は百五十七萬二千七百九十一籠、その金額實に九百四十八萬八千四百三十圓に上つてゐる。 組合の栽培指導 バナナ生產量が逐年低下の一途を辿りつつあるはその生產地域の大部分が山地傾斜地なると舊套を脫し得ざる粗放掠奪栽培に依る地力の減耗に基因するものである。故に生產向上を圖るべく一面に於て新植栽培を獎勵し且つ耕作改善、獎勵規程を設けて合理的傾斜地栽培を弼調し、關係方面とも協力の上、銀合歡の栽植其他に依る表土流失防止施設の獎勵に努めた結果漸次生產者の自覺を促し、著々成果を收めつつあり。肥培管理は本年度の蕉價好調に伴ひ、生產者の金融圓滑にして遺憾なく實施せられ、金肥施用も調合肥料の効果を認め、硫安單用は一部生產者に限られ、組合完全調合肥料の施用日に增加の趨勢にある。 青果組合の生產諸施設 一、バナナ苗配附 二、更新獎勵 三、增收競作會 四、綠肥種子配付 五、委託模範園 六、檢查所擔當園 七、表土流失防止事業 八、害虫驅除 九、適地調查及贌耕斡旋 一〇、肥料購買斡旋 一一、腐敗原因調查 一二、バナナ纖維探取 一三、活動寫真宣傳講話會開催 十三年度の販賣狀況 本年度は概して天候に恵まれ、順調なる出荷を豫想したるに日支事變勃發以來船腹極度に不足を告げ輸送に危懼を懷き一面相場の見透付かざる為め早切出荷せるもの、或は氣象關係又は國策作物に轉耕せるもの等あつて所期の出荷を見なかつたが內地他果物の風水害に因る減產と事變下に於ける軍需景氣に煽られ各地共始終品不足を訴へてゐる有樣で高東線缺航に際しては京濱仕向を基神線積神戶揚陸送となし、出荷の調節を圖る等相場維持に努力した結果近年稀に見る高値を持續した。而して本年度の出荷を見るに移出一、三五〇、〇二八籠(平均六圓二五)輸出一〇一、四五八籠(平均八圓三六)計一、四五一、四八六籠(平均六圓四〇にして前年度に比し一九〇、三一二籠を減じ單價に於て金一圓五十一錢の騰貴をしてゐる。 |
02 | 郡下芭蕉の產額は 全州下の三割五分 南投郡バナナの展望特輯 南投郡は臺中州の中南部に位し東方に樟湖山、中心山、集集大山等の諸山嶽連互し西は八掛山脈を以て圍み、北には烏溪、南には濁水溪兩端に流れ、中央部に猫羅溪、平林溪貫流し所謂南投盆地の平野を形成してゐるが山地畑は約三分の二を占め、就中東部の山嶽地帶は最もバナナ栽培に適し現在の栽培面積は凡そ五千六百餘甲を算し、年年の出荷籠數は五十萬籠に上り此の價格三百萬圓を超え、米に次ぐ大宗產物にして益益發展途上に在り全州下總生產高の三割五分を占めてゐる。 昔バナナと云へば員林バナナとの定評で通つた時代もあつたが南投產が進出してからは人氣忽ち南投產に集り、いつの間にか員林バナナの稱を打消して南投新高のバナナに變つてしまつた之れは山地產バナナは香氣高くて美味しかも貯藏や輸送に耐え田地產の如く水ぼくないし色工合も上品であるので聲價目に高まり、內地は勿論滿鮮方面にも絕大の人氣を博し、他より比較的高價に取引されて居る。 郡下には南投、中寮、龍眼林、名間、双冬、草屯、二重溪の七檢查所ありて每航海六千龍內外を內地、樺太、北海道、朝鮮、滿州各地に移輸出せられ、月々莫大な金を地方に吸收し殊に中寮の如きは全くバナナのお蔭で急激の發展を見、バナナ景氣で蕉農はホクホクの有樣である。バナナの栽培は比較的簡單にして山野を開墾れば直ちに栽培し得る關係上動もすれば山野を荒し一旦降雨の際は表土忽ち流失するを見、國土保安上由々敷問題となつてゐるので郡當局では数年前より被覆作物や階段畑の獎勵を為し一面合理的栽培、增肥獎勵等に力を入れ、殊に松村產業郡守を迎へてからは之れが獎勵趣旨の徹底を期する為め、郡主催バナナ增收競作會を開催し青同業組合協力の下に表土流失の防止、肥料管理の合理化を圖り以て品質の向上收量の增加等に力を注ぎつつあるので將來の改善發達を大に期待されてゐる。 |
03 | 更生徒上にある 南投山地の芭蕉特輯 南投街は南投郡の中部に位し西は八卦山脈の稜線を以て員林街に界し東は蜈蚣崙砂崙等を以て中寮庄に隣し北は草屯街、南は名間庄に連り山地畑としては僅かに東方中寮庄に接する一部と西方八卦山脈の稜線以東の一小部に過ぎない。しかも八卦山脈一帶は赭土にしてバナナ栽培に適せず、單に東方の山地畑の一部と平地畑の僅少部分しか栽培して居らない。昔は一時平地畑にも相當栽培せられてゐたがその後は殆んど甘蔗、キャッサバ、鳳梨等に壓倒せられ、遂に見るべき程のものもない現狀に至つてゐるが現在の栽培面積は凡そ二二五甲餘にして年產額六萬一千餘圓に止まり、主要農產物の第六位に位し農業生產高の千分の二七に過ぎない狀態にあるが將來鳳梨の減少に伴ひ、漸次增加するものと見られてゐる。 街當局では街農業組合並に關係方面と協力して經營の合理化と生產擴充につき極力指導しつつあるのでその發展は相常期待されてゐる。 |
04 | 蕉界の大立物 田中一郎氏特輯 熊本縣の產、大正八年渡臺、三年有餘を官吏生活で過したが逸早くバナナ界の有望性に着眼し鴻圖の志を抱いて蕉園經營に乘り出す。大正十二三年頃には三十餘甲步のバナナを栽培し、州下屈指の大生產者として大に蕉界に貢献せり。斯くて一般の信頼頓に高まり一躍して蕉農大眾の顧問格として崇めらる。大正十四年臺灣青果會社設立せらるるや荷受組合組織等所謂組織改善に對し其方法が最初の目的に反したので之が反對の急先鋒となり時の大立物を向ふに廻はして大に奮戰力鬪したが大眾生產者の支持も空しく遂當局が會社支持の旨を發表したるに依已むなく鋒を納めたが雨後も業界の革新、改善に大に力を致し芭蕉界の重鎮として畏敬せらる。 氏は豪膽にして英邁、群雄を暉睨するが如き概あり。【寫真田中一郎氏】 |
05 | 圖像:中寮の芭蕉山特輯 |
06 | 名間庄の芭蕉は 獨特の風味あり特輯 南郡名間庄の芭蕉は夙に其の聲價が高まり內地に於て既に定評を博しをり從て價格の高いことも州下に於て常に上位を占めてゐる。之は栽培者の熱心なる栽培研究と適當なる肥培管理が施されてゐる事に基因するものである。一般庄民も芭蕉に對する栽培熱が旺盛で殊に本年の價格の破格的に高くなった為に增植又は新植する者が增加しつつある。昭和十三年末の現在では栽培面積が四三六甲、生產額が五二三二千斤、その價格が(生產者の手に入った金額)一六七、四二四圓(一年を通じて百斤に付平均三圓二〇錢)の多額に上り當庄主要農產物の一として水稻鳳梨甘蔗の次に位してゐる。 惟ふに芭蕉品質の良惡は肥培管理如何にも係るが適地なりや否やにも大に影響するもので昔旺盛なりし水田產の芭蕉が土質の關係で段々山地の芭蕉に追拂はれて現在尚僅かに殘存してゐる狀態であるが我が名間庄は此點非常に好條件に惠まれ品質の極上等なものを多量に生產してゐるわけである。現在では番子寮が一番多くて三〇一甲步にも達し濁水の八八甲步が次で名間、新街、頂新暦がその次であつて松柏坑、赤水は甚だ尠ない。今後此の地方の栽培者が綠肥の栽培に努めて堆肥を多量に施す等一層の研究を勵んで栽培經營に努力したならば必ずや近き將來に於て全島に冠たる美味にして品質の極上等な芭蕉が我が名間庄から多量に產出して市上を賑はせ嗜好者を歡ばせることであらう |
07 | 模範的篤農家 廖燃氏特輯 南投街下の模範的篤農家にして拮据黽勉今日の富を致した立志傳中の人なり。大正二年大目降糖業試驗場を畢へ、爾來父志を繼いで農事開發に身を投ず、夙にバナナと甘蔗の有望に眼をつけ、率先栽培して鄉人に範を垂らし、品質改良、增收研究、施肥改良、土壌愛護等の研鑽に犧牲を惜まず、その得たる體驗を以て懇切に村民を指導するので村民は氏を仰ぐこと恰も慈父の如く、氏もまた徹頭徹尾行を砥ぎ義を重んずるのであらゆる公職を一身に荷ひ、地方振興の為めに盡瘁しつつあり、斯くて產業開發や增收競作其他公共事業等に貢献した廉を以て其筋より授興された表彰狀、感謝狀山積する有樣で以て氏の功績を物語るに足る、氏は謙遜辭讓の士、しかも氣宇酒々然として毀譽褒貶を超越した逸人である、(寫真廖燃氏) |
08 | 中寮檢查所產額 州下のピカ一 作付面積五千甲 年產三千五百萬斤特輯 芭蕉は當庄產物の大宗にして遂年發展途上に飛躍しつつある狀勢にして日東拓殖農林會社の社有地を前後四回に亘り約二千甲步開放せられたるに依り益益增產しつつあり、今や臺中州下街庄區域を單位とする時は首位を占むるに至り其の品質亦優良にして內地反朝鮮滿洲等より非常なる稱讚を博してゐる。 昭和十三年度に於ける作付面積五、〇〇九甲其の生產數量三四、九二、八〇〇斤に上り價格も著しき高價を示し農家は之が為經濟的に好況を呈してゐる。 斯の如く芭蕉は當庄の重要產物にして本產業の盛衰は直に庄經濟の消長に影響する處尠からざるを以て庄當局では全力を傾注して當業者を指導督勵し之が栽培法の改善をなし品質向上を圖ると共に一面表土の流失を防止するため關係方面と協力し極力本產業の發展並國土保全の完璧を期すべく努力しつつあり。 |
09 | 芭蕉大生產者 李玉銘氏特輯 龍眼林屈指の大生產者にして資性溫順篤實、切言誠意を以て人に接するので大眾みなその信義に服しその德を慕ふ。芭蕉界に對しては品質の向上、生產の增加等に努むるは勿論、地方公益事業に對しても率先範を示し、その貢献する所多大なり、昭和九年より眾望を負ふて臺中州青果同業組合代議員となり現在に至る、 |
10 | 公益事業貢献 劉金生氏特輯 中寮庄の新進有為の青年にして義俠心に富み、一度不平事を見聞せば自己利害得失に意を介せずに、概然として蹶起し、弱を助けて強を挫くを快とするが平素人に接するに溫和寛量を以て遇するので村民はよく其信義に服し、其德望を慕ふ。昭和七年庄役場を辭してバナナ栽培に從事し、旁ら產業の開發、公益事業の助成に盡瘁せられ、就中芭蕉界に貢献せる功績は枚擧するに邊なき程夥し。その功空しからず昭和九年青果同業組合代議員に、昭和十一年同評議員に當選昭和十四年には更に芭蕉信購利組合の監事になり、同時に青果同組聯合會代表員に指名さる。尚其他には庄協議會員、教化委員、中寮信組監事等數多の公職を有し、將來中寮圧を背負ふ一人なり(寫真は劉金生氏) |
11 | 膽略縱橫の吳善全氏特輯 名間庄望族故吳群英氏の四男にして明治三十八年生れの若紳士である。膽氣□豪、常に機を見て大功を成さんとし、彼の爽快なる雄辯と巧妙なる論理は以て胸中萬丈の虹氣橫はるを知るべし。氏は常に地方の產業開發に念願を置き、殊にバナナに對しては特に意を用ひて研究し、品質の改良、生產の擴張、交通の開發、生產者の啓蒙等に盡せる功績多く、或は名間檢查所の移轉、或は二重溪分場の設置、或は山地の軌道敷設等には氏の力になるもの夥し。現在でも濁水の自營農園には表土流失防止方法たる階段式經營を率先生產者に範を示して居る。殊に生產品の輸送研究は地方唯一の權威者と稱せられ、一般の信望また厚し。昭和九年青果同業組合評議員に選ばれ、今日に至る。 |
12 | 芭蕉栽培の先驅者 李文遠氏特輯 龍眼林地方のバナナ開發功勞者なり、即ち大正十年頃、氏は山地開發にはバナナ栽培が最も有望なるに着眼し、幾多の難關を踏破して營林所より內樟湖の造林間作地百七十餘甲の貸下を受け、それより極力栽培者を募集し、自覺を以て霧峯庄方面より芭蕉苗を買入れ、之れを栽培者に貸付ける等して只管地方產業の啓發に邁進した甲斐あつて同地方のバナナが今日の如き隆盛を見たのである。氏は溫厚寬和の人格者にして慈愛心に富み、殊に社會公益事に對しては常に率先躬行精勵して鄉黨に範を垂らすを以て村民皆其德に浴し好んでその頤使に從ふ。現在は中寮庄協議會員の外幾多の公職を背負ふて活動する外明糖原料委員、土地整理委員として活躍しつつあり。 |
13 | 青果代議員 廖田元氏特輯 中寮庄の資產家にして模範篤農家なり、卓越なる識量と溫和な性情を兼備し、多年農事に從事する傍ら公共事業に盡瘁し、地方民の信望厚し、嘗つて中寮庄協議會員として庄政に參畫し現在は臺中州青果同業組合代議員、部落振興會長、保正、中寮信用組合役員として活躍しつつあり、昭和八年二月多年農事の改善進步に努め、率先以て鄉黨に其の範を垂るを以て臺中州知事より表彰されし外褒狀、賞狀表彰狀等を受くること數十回に及び、益益地方民の福利增進に献身的努力を續けつつあり |
14 | 寶山醫院主 張秋長氏特輯 氏は大正四年豐原街張汝山氏の次男として生る。昭和十三年三月東京日本大學醫科を抜群の成績にて卒業してより一箇年間臺中市辻保順醫院に於て臨床の實地研究を為し昭和十四年三月聘せられて中寮庄鄉親寮に竇山醫院を開業して一般患者の診察に從事してゐるがその將來は大に期待されてゐる。 |
15 | 中寮の大生產者 申錦珠氏特輯 鄉親寮首位の大生產者にして溫厚篤寳、謹直寛言を以て聽え、勤勉力行專心農事に勵む旁ら公益方面にも大に力を致し各方面の人氣頗る好し。元は新竹州大溪郡三層尾寮溪底に於て茶の栽培をしてゐたが、昭和三年中寮庄に來て芭蕉栽培をなし、現在十二甲步の芭蕉を有し、中寮庄に於ては一、二を爭ふ大生產者であり、その施肥管理は頗る合理化されてゐると云はれてゐる |
16 | 蕉界の功勞者 廖木氏特輯 中寮庄協議會員、臺中州青果同業組合評代議員、同芭蕉信購利組合部落委員、總代、評定委員社會教化委員等の諸公職を帶びてゐる。氏は溫厚寛和の人格者にして慈愛心に富み、常に地方の開發を念頭に置き、いやしくも地方公益の事業は何事を間はず、常に率先献身的努力を為すに依り一般官民の信用厚く、中寮庄になくてはならない人物である。氏は東勢郡の產れ、今より十八年前の芭蕉產業未だ盛んならざりし時よりバナナの有望に着望し、率先中寮庄に乘出して芭蕉栽培を為し、爾來品質の改良、增收の研究等に盡せる外或は南投中寮間の社線及自動車道路開鑿委員、中寮派出所建築委員、蓬萊橋及洞天橋の建設委員長として努力し、或は山本農場問題の和解に奔走し、或は教化事務に盡瘁する等その貢献する所頗る多し、昭和九年には青果同組の創立二十周年功勞者として表彰されしことあり、 |
17 | 龍眼林有數の大生產者 邱阿應氏特輯 龍眼林有數の大生產者にして資性怜悧なるを以て芭蕉關係に根ざして多角的に事業の手を伸ばし、大眾の信望厚かりし為め何れも滿帆順風を受けてトントン調子に着着成功を收め、生產者中の人氣者なり、芭蕉開發の為に盡瘁せらるる外地方の產業啓發、公共事業にも貢献する所多く、一般官民の信用頗る厚し、臺中州青果同業組合代議員として生產者のよき指導者として活躍しつつあり。 |
18 | 蕉界の先覺者 陸春氏特輯 氏は高風清節の士にして人に接するに謙遜禮讓を以てするので生產者大眾の信頼頗る厚し。大正三年よりバナナ栽培に從事し專心斯界の發達に盡瘁せられ、大正八年には臺灣青果同業組合の移出商として丸ルを經營し、制度變更後は丸日のマーク團體を組織してバナナの海外移出に盡せしことあり、氏は堅忍不抜の精神に富み、千辛萬苦に遭ふても始終不撓不屈の精神を以て勤勉力行し事成らずば倒れて後已むの氣概あり。昭和八年には二重溪檢查所建設の為めに大に力を致し、嘗つて青果同組より功勞者として金杯を贈られたることあり、昭和九年より青果同組代議員に當選、今日に及ぶ(寫真陸春氏) |
19 | 信望厚き 傅榮泉氏特輯 氏は鄉親寮バナナ生產者中の元老格にして平時に於ては溫柔なれども非常時に際しては勇猛にして才略あり、毀譽褒貶などは氏の問題とせざる所なり。芭蕉產業開發に盡すの外山本農場問題の紛糾に際しても率先之が和解に導き、一面中寮派出所の建設、明治線の延長、其他交通開發等の如き地方公共事業に盡瘁せる所多く、一般の信望頗る厚し。青果同組の二十周年記念功勞者として表彰せらるる外各方面の表彰狀感謝狀山積の有樣なり。現に青果同組代議員、同信用組合部落委員、中寮庄防衛團分長として活躍しつつあり(寫真傅榮泉氏) |
20 | 機智に富む 何崑南氏特輯 氏は明治三十五年の寅年生れ、容貌魁偉、豪膽勇壯の士にして抜山蓋世の氣概を備へ、滿胸の韜略は奇絕にして凡人の豫測を許さず、懸河の議論は嶄新獨創にして鬼神も三舍を避く程の勇氣と機智に富む。大正十三年より鄉親寮に於て芭蕉栽培に從事し、爾來只管業界の進展に邁進し、傍ら地方開發、生產者啓蒙道路開鑿、橋梁架設等の如き社會公共事業にも大に盡瘁せられ、數多の功績を殘しつつあり經營順調を辿るに伴ひ、信用益益堅固に、中寮檢查所建設委員共榮公司理事を歷任し、昭和二年には保正に選擧せられ、續いて中寮派出所建設委員、哮猫橋架設委員長、中寮庄協議會員、臺中州青果同業組合代議員、臺中州畜產會議員と旭日昇の勢ひで愈愈佳境に入り、益益地方民の福利增進に献身的努力を續けつつあり【寫真何崑南氏】 |
21 | 蕉界に貢献多し 張賊氏特輯 氏は資性濶達怜悧にして才智人に勝れ英邁眾に超え、事に當りては百折不撓の忍耐力を以て一意邁進し、業に對しては臥薪嘗膽の勤勉力を以て專心精勵したのでよく今日の成功を收め、白手にて家を成した立志傳中の人なり、大正五年芭蕉栽培に從事し、大に品質の向上、生產の擴充に努むる外地方の開發に盡し一面(二重溪檢查所建設其他)公共事業に貢献せる所勘らず一般の信望日に高まるの兆あり現在は青果同業組合代議員の外中寮庄協議會員、愛林組合組代、部落部長等の公職を有し、益益敏腕を發揮して地方の為めに努力しつつありて前途洋洋たるものがある。 |
22 | 勤勉力行の 沈天里氏特輯 臺中州芭蕉信販利組合部落委員同組合肥料查定委員、臺中州社會教化委員、三峯部落振興會副會長、防衛團大坑分團副團長、芭蕉品質向上促進會常務幹事、金運動實行委員氏は埔里の人、埔里郵便局、臺灣製糖埔里製糖所、商船組等に奉職せしことあり、大正十三年より中寮庄に來り、山本農場の土地を贌耕して芭蕉栽培に從事し、爾來專心斯業の發展進展に努め、傍ら前記の通り數多の公職を背負ふて社會公共事業の為めに貢献しつつあり、氏は勤勉力行の模範者にして今や鄉親寮檢查所屈指の大生產者として信用を高めつつありて昭和七年には青果同組の代議員及調查委員、同信購利組合の第一代總代を歷任したることあり、其將來大に期待さるる有為の士なり。(寫真沈天里氏) |
23 | 廣告特輯 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺中州台灣バナナ產業特輯号 其二 發展性に富む 新高郡下の芭蕉 蕉價は州下第一 前途尚ほ洋洋たり特輯 新高郡下は昔時交通不便な阪僻の地にして產業方面として何等見るべきものはなかつたが大正五六年頃東勢郡下のバナナ栽培者が集集庄水里坑に來り、專賣局の造林豫定地約二百步を貸下げて之を栽培し、大正七八年頃には南投果物同業組合の手を經て年六千餘籠を內地に移出したが搬出の便惡く從て運賃其他諸掛意外に過重のため、收支相償はず一時頓挫を來たし不振狀態に陥つたがその後集集線の開通により水里坑井上氏の所有地六十餘甲步に再び栽培され、一時さびれたバナナが再興の氣運に向ひ仲買人の自由買賣により內外地へ轉移出され、集集バナナとして相當の聲價を博した。大正十三年南投果物同業組合の併合により臺中州青果同業組合が結成された。同年七月集集檢查所が設置され、それより本格的に栽培されたが當時財界の變動で內地に於ける香價暴落し當時の大生產地員林地方は著しく不振に陥つたに拘らず獨り集集方面はその優秀な品質を以て內外各地に大好評を博し、集集バナナとしての聲價を維持し向上せしめたのである。昭和三年五月水里坑及郡坑口に、同十年三月隘寮に、同十一年三月魚池に、同十三年六月新山に夫夫市場が開設され、それより栽培面積は擴張され、生產高は著しく增加した。即ち昭和八年面積一千六百六十五甲、生產高二十六萬九千籠であつたが昭和十三年末には栽培面積三千五百四九 甲、生產高四十三萬三千籠に激增し、今や生產數量は州下全體に對し二七・六六%を占め、新高山登山沿道に地味肥沃な山即ち新興郡坑口、新山、內茅埔に本年更に百餘甲の新植あり其他各地共新植目覺ましく、數年を待たずして州下一のよき値と相俟て數量も州下一たることは疑ふ餘地はなく、實にやバナナ王國の偉觀あり、その洋洋たる前途は他の羨望の的になつてゐる。現在第一線に立つて指導活躍されてゐる檢查所主任は左の通りである。 △集集檢查所主任 中村國太郎氏 △水裡坑同 綱戶豬助氏 △郡坑口同 陳金水氏 △隘寮同 佐藤義孝氏 △魚池同 藤川外二郎氏 |
02 | 芭蕉業界への 貢献極めて大 集集信販購利組合特輯 本組合は大正三年十二月二十八日の創立にして爾來役職員其他關係者の不眠不休の努力に依り現在組合員二、三七四名口數四二二五口を擁し、頗る順調に發達を遂げつつあり昭和十年三月三十日產業組合協會臺中州支會長より優良組合として、又現任組合長、吳常務理事は昭和十三年三月二十五日臺灣產業組合協會臺中州支會長より產業組合として、又現任石組合長、吳常務理事は昭和十三年三月二十五日臺灣產業組和資協會臺中州支會長より產業組合功勞者として表彰を受けた。當地方はバナナの主產地として夙に全國各地に知られ生產高は臺中州下の一位を占め、庄內農業者は殆どバナナ栽培業者である、處が數年前バナナ價格暴落に依り生產者の一部は極度に困惑し居るに□み、組合本來の使命に立脚し、栽培者に對しては特別に經營資金の融通肥料の共同購入、白米の販賣、農具の利用等に便宜を與へ、農民の福利增進を圖り、生產改良に努め、組合員亦よく組合精神を理解し役職員と協力して共存共榮の實を舉げ、只管地方民福の為めに貢献したのである就中組合員の利便を圖る為め日曜祝祭日がバナナ檢查日に當る時には平常通り肥料、白米、各種貯金、農具の利用等の事務を取扱ふ等バナナ界のためには至れり盡せりの勞をとつたのである。尚昭和十三年度末には遂に未加入農家を解消し次に五箇年間の肥料賣却高を調べて見ると。 昭和九年度 三八、六五五圓二五錢 同十年度 八八、六三五圓五三錢 同十一年度 五六、三六八圓七五錢 同十二年度 七二、六七四圓一三錢 同十三年度 一〇五、一三二圓一〇錢 殊に事變以來組合事業の重大使命を自覺し、銃後の護りに遺憾なきを期すべく、皇道產業組合精神の涵養、各種貯金の獎勵、愛國貯金の勸誘、公債の消化、金報國運動、馬產獎勵、防衛施設及道路改修の寄附其他國防献金、出征軍人軍夫家族の慰問に夫夫相常額を醵出し又社會事業や銃後施設にも大いに協力したのである。 |
03 | 人望厚き 青年組合長 評代議員石條金氏特輯 氏は集集の生れ、若年の頃中寮集集各地で教鞭を執られたが昭和六年春迎へられて集集信用組合の青年組合長として活躍されよく役職員組合員間の和を保ち眾望の歸する所遂に重任に重任今日に至るまで組合長として地方產業の開發に盡瘁されたが昭和十三年更に集集庄助役を兼任されて地方產業の外庄政に貢献することになり、實にや風雲を乘切つた寵兒として集集青年羨望の的になつてゐる。氏は其他南亞製粉の監查役、臺中州青果組合評代議員、青果聯合會代表員、芭蕉信用組合監事、漁業組合監事等所有產業界の要職に在り、最近鑛業方面に着眼して活躍中であるが其將來を囑望されてゐる。【寫真は石條金氏】 |
04 | 山地バナナの 熱心な研究家 陳萬氏特輯 氏は集集の出身にして昭和五年三月末東洋大學倫理文科を卒業して歸臺し、田園生活に親むべく集集鶏籠山及坑口の二箇所に於てバナナを栽培してゐる中に同年八月臺灣新民報社に入社しそれよりバナナの經營は全く友人親戚に委託管理せしめて今日に至つたが氏は其間臺南、高雄、臺中各支局長を歷任して昭和十三年八月一日本社社會部長に補せられて今日に至る。氏はこの外臺中州青果同業組合議員、集集蕉友互助會及同事業公司の顧問として山地バナナの熱心な研究家である【寫真陳萬氏】 |
05 | 蕉界の成功者 黃萬生氏特輯 十年前雜草芒々と茂げる未開の集集水裡坑の山畑は將來バナナ栽培に有利なるとに着眼し、新植に對しては理想的栽培を施し當時バナナ栽培に無智な農民を啓發し、除草中耕結實中の紙包裝等數年を經ずして品質の向上並に增收上實に顯著なる効果を舉げ抜擢されて集集檢查所代議員となり、第一回內地視察を命ぜられ歸臺後は益益バナナ販路の有望なるを確信し、水裡坑檢查所設立の議起るや氏は設立委員として活躍し、同地方のバナナ功勞者葉雲琳氏と協力盡瘁された。又郡坑口檢查所設置に就いても氏は苦痛を辭せず努力せられ今日の如き聲價を舉げたのである氏は確かに水裡坑、郡坑口に於ける蕉界の大功勞者である。(寫真黃萬生氏) |
06 | 蕉界貢献大 新高集榮公司特輯 新高郡集集に本事務所を置き、金融、生筍罐詰及竹箸製造販賣を事業とする新高集榮公司は昭和十二年四月二十五日創立され資本金拾四萬圓(拂込四分の一)の事業公司である。今事業內容を見るに金融はバナナ生產者に最も利用されて居り昭和十二年當時の蕉價暴落時代には犠牲的貸付を斷行し、克く今日の如き更生發展を見るに至りたるは全く同公司の積極的活動に依るものである。次に生筍罐詰は鹿谷庄坪子頂に第一工場を有し更に今年竹山庄東埔蚋に第二工場を設立し、大量製造に着手せんとしてゐる。次に竹箸は竹山に於て大規模な工場を設け昨年來製造方法の研究と製造技術と相俟つて品質の向上を計り今や名實共に知られ內地、島內各地で大好評を博してゐる。同公司はバナナ生產に對し助長するは勿論事變下に於ける事業公司として其の躍進する前途たるや洋洋たるものがあり別記役員諸氏の活躍を一層期待されてゐる。尚同公司專務理事張富氏はバナナ界の老練家で地方に於ける保正、區總代其他の要職に在り、バナナ界へ貢献した功大なるものがある。 專務理事 張富氏、 理事 黃厚年氏、蕭玉振氏、莊舞雲氏、王水氏、陳錦文氏、 監事 林振中氏、王友樹氏、石再成氏 |
07 | 集集一の理財家 口も手も八丁の 評代議員吳茂火氏特輯 氏は集集の生れ、大正十一年北師を卒へてより昭和三年三月末迄集集公學校にて教鞭を執られたが氏の人格と識見とが認められ懇望されて集集信用組合の專務となつた。果して克く組合の躍進的發展を遂げしめ、今日の如き州下でも優良組合と認めらるるに至つたのは全く氏の腕きに與ること大なるものがあつた。氏は又集鹿の社長、庄協議會員、青果同業組合評代議員、芭蕉信用組合役員等の要職にあり、バナナ界では內外地の販賣狀況を詳さに研究されて業界に貢献する所大きかつたのである氏は一面青年實業家として稀に見る理財家にして克く今日の巨萬の富を造り上げ、今や集集を 狹として外地發展をなすべく待機の姿勢をとられ、その前途殆んど豫測を許さない發展性を持たれてゐる。(寫真吳茂火氏) |
08 | 圖像:芭蕉の荷造狀況特輯 |
09 | バナナの功勞者 張大江氏特輯 氏は明治十四年集集に生れ、幼少克し、漢學を勉學し、十四歲にして商業に手を伸ばし、後明治三十三年臺中郵便局通信事務員を拝命し集集郵便局に二十八年間勤續した。大正三年には早やバナナの有望に着眼し之を栽培し始めた。大正九年仲買人となり、又新高興產株式會社を創立その社長となる。大正十年臺果利用組合代理店主となる。集集仲買市場設立當時氏は場屋の建設をなし南投果物同業組合に貸與した。大正十二年南投容器組合理事に選ばれ集集出張所長となる。同年より仲買人代表代議員として組織變更に至るまで就任した。大正十四年臺中州青果會社運輸部代理店主となり同十五年取引組織變更と共にバナナ功勞者として同業組合長より感謝狀を受けた。因に氏は昭和七年バナナ栽培島內品委託販賣をなし、同九年二甲步增植同十三年更に三甲步新植し今では專門にバナナを經營してゐる。【寫真は張大江氏】 |
10 | 公共事業にも盡瘁 張振輝氏特輯 新高郡郡坑社にその人ありと知られた新山きつての大生產者として將又バナナ界の先覺者であり成功者である。氏は竹山郡鹿谷庄の生れ、內茅埔に轉居してゐたが、バナナの將來の發展性に目をつけ、現住所たる郡坑社新山に居を移し、專心バナナ栽培に没頭し、同地方のバナナを今日の如き殷盛に指導した功勞者である。氏は現在郡坑部落振興會副會長として地方公共事業に盡瘁し交際も廣く同地方の人格者として尊敬されてゐる(寫真は張振輝氏) |
11 | 芭蕉の仲買業 劉榮茂氏特輯 新高郡集集庄社子一八劉榮茂氏は員林郡の生れ、當年四四の働き盛りである。氏は大正十二年より南投、集集方面に於てバナナ仲買業を營み當時(天)マークの主であつた。大正十二年屏東に於て青果の卸賣商を經營し昭和九社子に來り島內品の買賣と青果の委託問屋を經營し、業績頗る良好である。氏は島內品の販路開拓に大なる役割を演じたが今後は生產方面に力を傾注すると力んでゐる。 |
12 | 前途有為な青年 何森氏特輯 新高郡蕃地郡坑一四〇番戶何森氏は彰化の生れにして若年より農業に没頭して來たが、臺灣バナナのあるに着眼し、昭和二年初めて水裡坑に於て栽培し、昭和五年新興郡坑社に居を移し雜木雜草芒々たる未開の山地を開墾し、幾多の困苦と闘ひ克く辛抱し、年を重ねると共に酬られ、今日の成功を見るに至つたのである。氏は性正直にして勤勉、前途有為な青年である【寫真は何森氏】 |
13 | 堅實なる 新進實業家 代議員何春銀氏特輯 氏は集集の生れ、貧困と克く戰つて獨學以て乙種訓導の職をかち得た青年にして集集公學校に教鞭をとること十有餘年、昭和十年集鹿拓殖會社の專務に迎へられてよく社運を挽回し同十三年末退いてバナナ、甘菜の栽培、木材製造等時局の波に乘つた產業に着眼して活動中であるが氏の堅實な步みに地方民の信賴厚く、青果組合の代議員として集鹿拓殖時代には濁水溪の向岸のバナナ新植獎勵に努力し業界に隱れた功勞者であつた。 |
14 | 奮鬪家の 葉坤氏特輯 新高郡郡坑葉坤氏はバナナ界の古參成功者である。氏は大正十二年甘蔗の經營をして居たがバナナの將來性に望みをかけ同十四年よりバナナ栽培に着手したものである。同十五年には黑板農場の耕作者代表となって惡戰苦闘を續け、全耕作者のためには寢食を忘れて一部利權屋と闘爭して遂に今日の郡坑口の耕作地盤を獲得したのである。氏は公の為めには身を殺して仁を成す程の人格者で同地方生產者の信望を一身に集めてゐる。長男葉水枝氏は二十年間育英事業に勤續し現に二水公鼻子頭分教場主任を勤め、同夫人も二水公の女教員であり、三男は自動車業を營んでゐる多幸な老翁ではある(寫真葉坤氏) |
15 | 業務頗る順調 郡山共榮公司特輯 新高郡郡坑社郡山共榮公司は昭和十三年四月大半愛林組合管理地の小作人を以て組織したもので組織の動機は從來小作料の納附成績不良に因り、年年滞納者の簇出するを遺憾とし、折角の恩惠に浴する小作地を小數の滞納者の為め全體に迷惑を掛けることあつては申譯なく、寧ろ共存共榮の精神を以て金融機關を組織するを先決問題とし、農事施設に關する一切の資金を融通し、永遠愛林組合管理地の荒廢を防止する目的である。現在公司長は劉阿反氏、專務理事は胡煥彩氏、理事は陳猫喜、陳明發、張添立、林茹築、賴章、劉水托、蔡敬宗、劉阿享の諸氏で尚劉阿發、彭榮開兩氏を顧問に推してゐる、現在公司員九三名にして四萬四千圓の資本金があり、設立以來業務は頗る順調であると。經營目録としては金錢貸付、物品販賣(バナナ栽培に必要なる用具及肥料、包裝用新聞紙、白米、麴其他)の購買等で將來益益發展を豫想されてゐる |
16 | 獨學、開業醫試驗に合格 周自收氏特輯 新高郡郡坑社五六全生醫院主周自收氏は大甲郡清水街大槺榔の富翁周火灶氏の長男として明治三十四年に生れ、生來數、理、科學が趣味で且勤勉努力家である。大正十一年三月臺灣総督府臺北師範學校本科を優秀なる成績を以て卒業され、公立公學校訓導として七年間教鞭を執り、育英事業に多大な功績を遺して昭和四年三月教職を辭し、沙鹿街博濟醫院主李克明氏を師とし專ら醫學と醫術を研究し、その後四星霜の努力報いられて昭和八年限地開業醫檢定試驗に見事合格、同年より現住所で醫業を開業し特にバナナ經營者の保健に多大なる貢献をなし、大いに仁術を施した。昭和十三年同地方に農事實行組合が創立さるるや常務理事に推され、實に同地方不可缺の中堅人物である。同氏夫人は清水街名望家蔡竹如氏の長女杏村女史にして、十七歲の長男を頭に、男子五人、女子二人の子寶あり同部落羨望の家庭である(寫真周自收氏) |
17 | 蕉界の老練家 鄧阿根氏特輯 郡坑社白不子の鄧阿根氏は東勢の生れ、大正九年公學校卒業後は專らバナナ事業に力を注ぎ、斯界で大いに活躍した老練家である。大正十二年バナナ栽培に必須なる金融公司を經營し、自作農家にバナナ事業を援助し、多大の犠牲を拂はれた。同十五年には丸云印バナナ仲買人として取引をなし、昭和十二年新興地白不子に於て孜孜として經營に勵み今日に至る。其の經營振りは集約的であるので他の模範とされてゐる。氏は一般業者に信用厚く來る組合代議員の選舉には出馬を期待されてゐる。(寫真は鄧阿根氏) |
18 | 蕉界の功勞者 劉阿享氏特輯 氏は郡坑口に於けるバナナ界の功勞者であり、又大成功者である。東勢生れにして昭和三年末開拓の郡坑社にバナナ栽培の有利を認め、萬難を排して經營に努め、昭和八年內地販路視察歸臺後更に一段と拍車をかけ其の勞報いられて昭和十年同業組合創立二十年紀念には篤農家として表彰された。 尚氏は社會事業、或は國語普及事業等に莫大の犠牲を拂はれ、地方の先覺者として尊敬されてゐる。(寫真劉阿享氏) |
19 | 庄政功勞者 山本岩吉氏特輯 氏は集集庄長として永年庄政に貢献をなし其傍ら臺中州青果同業組合評議員としてバナナ界の為め集會每に有益な熱辯を揮つて青果組合又は青果會社當局を鞭撻し、殊に水里坑、隘寮檢查所設立委員長としての功勞は多とすべきである。氏は最近郡坑社方面にバナナの經營を始めてゐるが今後は山地大生產者としての將來を囑望されてゐる。 |
20 | 篤農家として 表彰さる 劉阿反氏特輯 氏は永年バナナ栽培の辛酸を嘗めた老經驗家である東勢の出身で昭和三年郡坑社の土肥沃にしてバナナ栽培の好適地に着眼して居を同地に構へ、バナナ栽培に着手昭和十年バナナ增收競作會に於て二等賞を受け、同業組合より篤農家として表彰された。氏は又育英事業に理解を有し長男長女を東京に留學せしめ郡坑に於ては國語講習所を設立して社會教育に盡瘁しつつあり尚昭和十一年內地青果界を視察されたこと有り現在郡坑共榮公司長、郡坑部落振興會長の要職に在り、地方の為め奮闘しつつある。【寫真は劉阿反氏】 |
21 | 新進實業家 沈振乾氏特輯 氏は臺北高商の出身にして集集庄助役として多庄政に盡瘁し一昨年□みる所あつて助役を辭し、直ちに共和株式會社社長に就任して今日に至る。氏は現に臺灣青果同業組合聯合會代表員臺中州芭蕉信用組合理事、臺中州青果同業組合代議員等バナナ界の要職にあり有為の青年實業家として將來を待望されてゐる |
22 | 地方の元老格 陳世錦氏特輯 氏は集集庄柴橋頭の生れ當年六十三の地方元老である。明治三十年壯丁團長に推され、大いに地方青年の訓練に力を致し其後警察界に入り奉公十六年餘、當時蕃匪の討伐に献身的奮闘をな其の功勞に依り表彰せられる事數回に及ぶ。後實業方面に雄飛し篤農家として昭和八年州知事の表彰と銀牌を授けられ、集集信用組合專務理事(二年間)集集大圳水利組合評議員(十二年間)集集庄協議會員(十一年間)集集保甲聯合會長(四年間)を歷任し現在集集第十保保正、區總代、集集信用組合監事、其他の要職に在り。バナナ事業は大正七年より兼營して來た老練家であり、溫厚篤實にして地方公共事業及產業發展の為め身を惜しまず貢献したのである。 (寫真は陳世錦氏) |
23 | 芭蕉界最初の金融事業 集集蕉友互助會公司特輯 本公司は昭和五年春集集蕉友互助會より派生されたもので、當時バナナ業界は年年の暴風被害と蕉價續落とで生產者は疲弊その極に達し、相互扶助の機關を要望されてゐたのを有識蕉農の提唱により全生產者を以て集集蕉友互助會を結成されたのである。同會は固より業者間の親睦並に相互扶助により業者の福利增進を圖るを目的とするが當時金融關係でバナナの立木買賣、場外現金賣する者多く、其害亦尠しとしない。そこで之が金融圓滑を圖るべく昭和八年に蕉友互助會の附屬機關として創立されたのが同公司であった。昭和十年規模を大にし、事業を擴張する方針を定め、資本金二萬圓を以て經營したが近年蕉價の好調につれて同公司も漸次發展し、一昨年來バナナ包裝用竹皮事業にも手を伸ばしたのである斯くしてバナナ界に貢献する所尠くなかつたのである。因みに現在の役員は左の如く地方の有力者を網羅してゐる。 顧問 陳萬、專務理事 陳清圳、理事 劉恒、同石錫烈、同石條金、同簡汝標、同石土、監事張錫九、同何春銀、同柯芳元 |
24 | 廣告特輯 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺灣バナナの 唯一の販賣機關 年取扱高千六百萬圓 臺灣青果株式會社特輯 臺灣青果株式會社は大正十三年十二月臺灣バナナの販賣統制機關として在臺移出業者と內地問屋とを以て組織されたもので資本金百五十萬圓、臺中に本社を置き、內地、朝鮮、滿洲北支中支、厦門、臺北各地に出張所を設けて販賣及市場調查、販路擴張に全力を注いで來たが近年腕ききの役職員が適所に配置されて活躍してゐるので業務益益順調に發展し、內外地共新販路開拓に邁進しつつある。 青果會社の事業概況 十三年期バナナの生產狀態は天候氣溫等の自然的條件大體例年に比し些したる異狀なかったが時局下に於ける船腹難の懸念、勞働力の不足、肥料の騰貴等の影響を受けた為めか、前年に比し生產高は著しく減少した。一面輸送上にも船腹難を告げ、出荷上時時順調を缺いたが關係方面の對處宜敷きを得又販賣方面に於ては內外地共重工業の殷盛に依る好景氣に惠まれ、一般物價高騰の波に乘りバナナの相場は連續高値を維持し、賣行亦良好であった為、販賣高は壹千七百五拾九萬七千六百四拾六圓八拾九錢を示し、反て前年よりも增加した結果となり、斯業創始以來の最高記録を示した次に本期のバナナ阪賣數は內地貳百六拾八萬五千壹百九拾五籠金額壹千五百五拾四萬五千六拾四圓四拾錢にして、之を前期に比すれば數量に於て四拾四萬四千四百七拾貳籠の減少を來したが、金額に於ては參拾萬四千六百七拾五六拾錢の增加を示し籠當平均値五圓八拾錢にして九拾貳錢の高値を示してゐる。 又外地は貳拾七萬九千五百壹籠金額貳百五萬貳千五百八拾貳圓四拾九錢にして之を前期に比すれば數量に於て九萬九千貳百九拾六籠金額壹萬八百六拾六拾八錢の夫夫減少を來したるも籠當平均値は七圓參拾四錢にして壹圓八拾九錢の高値であつた要之內外地を通算すれば總體に於て前期に比し數量五拾四萬參千七百六拾八籠の減少を見たるも幸に金額は貳拾九九萬參千八百拾參圓九貳錢の增加を示してゐる。 |
02 | 臺灣バナナの 外地進出有望特輯 臺灣青果では現在の臺灣バナナ生產狀態即ち三百五十萬程度では到底今後の滿洲、北支、中支の需要をみたすことは困難であると見、今後もつともつと積極的に增產計畫を樹て更に百萬籠までは十分消化できる見透しの下に滿洲、北支、中支に販賣網を布き、新販路開拓に血眼になつてゐる。即ち滿洲奉天市の人口百萬を目指して相當の消化力がある上に滿洲五ヶ年計畫が完成された曉には百萬戶乃至五百萬戶の日本移住民が行く事になるので將來最も有望な市場の一である。又北支では從來十五六萬籠しか仕向けてゐないが北支一帶が今次事變に依り面目一新された日には五十萬籠の消費は遠からず實現出來るものと見てゐる。 中支即ち上海南京地方は在來廣東バナナの端境期を狙つて出荷してゐたが將來は廣東バナナを日滿支經濟ブロツクの中に入れて即ち臺灣バナナの統制下に於て販路を開拓すべく同社では力んでゐるので今次事變を楔機に臺灣バナナの中北支出は蓋し大きな期待をかけられてゐる。 |
03 | 兄弟協力して 芭蕉栽培に精進 林東山氏特輯 氏は故勳六等林榮泰氏の五男にして公學校卒業後內地に留學し當年二十七歲の快活な青年にして現萬斗六壯丁團長として活躍してゐる。數年前から自己所有の山畑數甲に兄林分氏、弟林祿山氏、甥林武河氏、林舜庭氏と協力してバナナ栽培に努めつつあるが昭和十一年中臺中州青果同業組合の代議員に選抜され、大にバナナ界に貢献してゐる。家族揃つて芭蕉界に熱心でお互に和合協力をしてゐるので將來の進展を大いに期待されてゐる。【寫真東林山氏】 |
04 | 蕉界の先驅者 彭阿在氏特輯 彭阿在氏は大正十三年以來の芭蕉栽培業者の先覺者にして水底寮檢查所創設委員の一人として蕉界に相當盡力し來たりたる功勞者であり今では數萬の富を築き上げ昭和十一年同業組合より篤農家として內地視察に派遣され以來一意專心芭蕉に就て研究し自ら進んで模範蕉園經營に没頭し一般組合員の龜鑑たり。現に十甲步の蕉園を有し水底寮檢查所管內唯一の大量生產者にして將來當地方のバナナ產業の發展は大に同氏の力に俟つべきものがある。(寫真彭阿在氏) |
05 | 霧峰庄の芭蕉は 品質、色澤共に佳 霧峰庄助役 臺中州青果代議員林戊己氏談特輯 霧峯庄助役 臺中州青果代議員 林戊己氏談 米糖に次ぐ主要產なる臺灣バナナとして二十餘年前の新興時代に輝かしき歷史の一頁を飾り且つ當時より今日迄幾多經濟界の變化に依り昔日程の出荷數を見る事が出來ないけれども消費地に於ける信望は昔と同樣に持續せられてをる事は當地方のバナナ業界の最も喜ばしき現象である。惟ふに東洋永遠の平和確立を圖る我が帝國の大方針に基き聖戰勃發以來此處に三年目を迎へ日一日と東亞の新秩序が建設せられつつあるは之れ全く御稜威の然らしむる所であると共に無敵皇軍の第一線に於ける日夜奮闘によるもので其の苦勞に對し感謝感激に絕えない次第である。此の際に當り我が重要果物たるバナナは新東亞の地に進出し大市場に販路擴張の實現を見ると共に國策線に副ふべく貴重なるバナナ繊維も採取せられる事になりましたので之より益益增產獎勵を計るの急務である事は關係各方面皆同感である尚ほ將來の增產計畫に於て第一に適期出荷を充分指導し、高雄州出盛期前に多量出荷し得る樣講究を要するのである。第二は栽培方法の改善促進である。第三は山地地力維持增進である。平地の經營よりも困難なる山地の經營に對しては過去の掠奪式では絕對に許されません、其れ相當の施設をなし大切なる表土を愛護し荒廢に至らざる樣一段と留意を拂ふ事が緊要である。以上の諸點に就ては我等組合員の自覺と努力を要すべき事は勿論であるが組合當局よりの栽培經營上の積極的指導と共に聯合會青果會社と連絡協調をなす事が必要である(寫真林戊己氏) |
06 | 幾多の肩書を 有する中堅青年 賴平進氏特輯 賴氏は少年時代から實業方面に趣味を持つてゐたが公學校卒業後バナナ界の將來の發展性に目をつけ、バナナ栽培に乘り出し栽培方法を熱心に研究した結果芭蕉品會とか芭蕉園競作會品評會に數回出品して皆優等賞を獲得した事あり、氏は當年三十六歲の働き盛りで霧峯庄有為の壯年實業家で昭和五年帝國運輸株式會社霧峯、萬斗六兩出張所長に任じ其他霧峯信、購、販利組合監事、萬斗六保甲聯合會長、庄協議會員、方面委員、區總代、霧峯果菜出荷組合長、臺中州青果同業組合評代議員等幾多の肩書を有する中堅人物で前途洋洋たるものがある。【寫真賴平進】 |
07 | 地方の中心人物 王烈嗣氏特輯 氏は大正十三年霧峯檢查所設置當時バナナ界に身を投じ熱心に斯業に没頭したのでやがて臺中州青果同業組合代議員評議員に選ばれ、代議員選擧制度改正後と雖も每回選代議員に當選した。王氏は芭蕉栽培だけでなく三年前より甘蔗栽培にも乘り出して甘蔗原料採取委員となり、現非常時下霧峯保甲聯合會長として銃後の保甲指導に盡力の外霧峯產組監事、庄協議會員、區總代、保健組合長等外多數の公職を帶び地方の中心人物として活躍してゐる【寫真王烈嗣氏】 |
08 | 芭蕉產業實 隔世感 青果代議員東勢廖阿霖氏特輯 一、今日の事變に於て吾吾の生產したるバナナが順調に販賣され然かも相當なる値段で內外地に取引されて居ることは吾吾生產者等が深く感謝せねばならない次第である。 自分は臺中州青果同業組合の制度改革以來代議員又は聯合會の代表員を兼ねて今日に至つたものであるが最低保證價格制度中止會議の時には二日間かかつても決まらなかつた事があつた。當時の組合は百三十萬圓程の借金を持ち職員の給料さへ支拂ふ事が出來なかつたと云ふ混沌たる時代であった。今からみれば實に感慨無量である。夫れで各地の檢查所は生產者等が金を醵出して建てねばならなかつたが東勢檢查所もその例にもれず自分は東勢檢查所建設委員の一人となつてその建設に携はつた又麻竹坑檢查所を建設する時も自分は□宵ながら其建設委員長となり微力を盡して邁進したのである。又川の中の檢查所として機關車を構內に引入れてバナナを運び出す設備をして居ることは本檢查所の誇とする所である。同地方では益益優良なるバナナを產出するに至つたことは實に同慶に勝へない次第である 二、自分は山地栽培に對し傾斜地の表土流失防止と地方增進とは最も緊要なる事□であると考へ常に機會がある每に獅子吼して來た次第である。今後州下のバナナ栽培は立體的に收量增加を圖らざれば逐次衰微に陥る憂があると□ずる。故に今年の如く稍稍好調であると云つて氣を緩むことがあつてはならない。須らくの餘裕を以て益益耕作改善に力を入れるべく就中傾斜地の表土流失防止即完全なる排水溝の設備と地力增進に最も必要なる綠肥栽培に力を入れるべきである。實際山地蕉園の經營管理としては少くとも目下魚池方面に新興して居るアツサム茶園の經營管□に則應して然るべきものと□ずる(寫真廖阿霖氏) |
09 | 競作會の一等賞 林秋氏特輯 集集庄隘寮の有力者として知られてゐる林秋氏は南投の生れ、昭和三年隘寮に來り陶器製造工場を設立經營の傍らバナナ栽培に意を用ひ、昭和十三年州同業組合主催の南部蕉業視察員に選抜され視察中組合調合肥料の有効性を認め、爾來自から施肥し且つ其の宣傳に努め生產者の增收を圖るべく努力した結果、其効顯著なるものがあつた。現在氏は約一萬本栽培して居り、昨年度增收競作會に於ては一等賞の榮冠を獲得し、其の模範を示した。作會の成績は甲當り生產二萬六百十一斤、甲營り收入一千百六拾三圓の優秀なる成績であつた。尚氏は保正、保甲聯合會長等の地方要職に在り、來る代議員選には見逃せない候補者である |
10 | 蕉友共濟公司長 汪清氏特輯 集集庄隘寮汪清氏はバナナ栽培に對しては頗る熱心にして、常に研究を怠らず現在壹萬四千餘本を有し、今や業界の寵兒として羨望の的になつてゐる。又隘寮星蕉友共濟公司長の重職に在り、バナナ栽培資金の融通に大なる便宜を與へ三年前の如き、値段暴落時代には特に金錢貸付けをなし、小資本生產者に數多の便を與へて復興させる等同地方バナナ界の重鎮として一般の信用厚く今後共地方公盆の為め大いに期待されてゐる。 |
11 | 蕉界の模範 奮鬪家林端氏特輯 新高郡集集庄鶏籠山一一七番地林端氏は明治二十六年六甲郡龍井庄に生れ、バナナ事業に先見の明を有し、大正十二年現住所に移居專らバナナ栽培に身を投じ今日に至る迄十七年間業績一進一退なるも克己忍耐して研□經營し、近年業績意の如く進展し、鶏籠山での大生產者として知られてゐる。氏は非常に交際廣く、人情味があつて一般に信用が厚い。殊に氏の如き奮闘努力振りは一般蕉界の模範とすべきである。 |
12 | 頭腦明敏の 柯芳元氏特輯 柯氏は幼少より聰明にして公學校卒業後漢方藥種商たる嚴父故許有坤氏を輔佐し漢藥種商を經營したが、昭和六年集集信用組合書記に任命同十二年まで六箇年間組合事業に盡瘁した青年で頭腦極めて明敏組合在職中實務競技會等には常に一等賞を獲得し、他の模範となつてゐた程である。氏の蕉界入りは尚日淺しと言へども品質の改良や增收計畫、養豚をして自給肥の研究等非常なる努力を續けてゐるのでその將來は期して待つべきものがある。又次期の代議員改選には有力な候補者として見られ、集集バナナ界の代表的青年である。 |
13 | 新聞の愛讀者 林廷竭氏特輯 氏は秀才出の名望家の一族に生れ、幼より漢學を好み長じて農に親む。現在集集に於ける有力なバナナ生產者として知られてゐる。氏のバナナ栽培は大正十二年に始りその傍ら樟と相思樹の造林をも兼ね營み、就中バナナに對する施肥管理等集約的栽培法に依り業績蒸蒸如として向上してゐる。其の證據には昭和十二年度、十三年度に於けるバナナ增收競作會に於ては何れも二等賞の榮冠を獲得したのである。尚氏はバナナ施肥の為め養豚業を營み、その水肥、堆肥を以て充ててゐる。特に氏は新聞を三食より重く見、十年一日の如く愛讀して世界の新情勢に精通してゐる。 |
14 | 青年鬪士 謝欉氏特輯 氏は南投郡南投街の生れ、當年四十三の働き盛りの闘士である大正三年南投公學校を卒業し、同年南投廳區書記を振り出しに明治製糖株式會社雇、名間庄書記、南投輕鐵株式會社集集發着所主任、新高青果共利公司專務、集集保甲聯合壯丁團長等の要職を歷任し現在は集集庄協議會員臺中州青果同業組合代議員、謝德良興產合資會社代表社員、集集第二區部落振興會長、社會教化委員國民精神總動員參與、新高郡道路協會評議員、集集防衛團警報班長の榮職に在つて奮闘しつつあり、地方でも定評ある紳士として將來を矚目されてゐる。氏はバナナ栽培にも相當古き經驗を有し、バナナ界のため相常盡力した現任代議員にして本年春內地青果界の視察出張を命ぜられたのである【寫真は謝欉氏】 |
15 | 業績愈愈發達 鄭思聰氏特輯 集集水裡坑の鄭思聰氏と云へば誰も知る如く水裡坑に於ける大實業家にして、雜貨商とバナナ經營してゐる。氏は臺北工業應用化學出身後專賣局に奉職すること數年間、後進の途を拓く為め業界に飛出したが就中バナナ栽培に趣味を持ち、昭和八年着手以來その理想的經營に依り業務蒸蒸として發達し、氏の溫厚篤質な人物と相俟て昭和十年青果組合代議員に當選し今日に至る迄蕉業界に貢献するところ尠からず、バナナ界としては重要な役割を課せられてゐる氏は又第十二保保正として保甲民のため活躍し、長男鄭得仁君は臺北工業在學中である。 |
16 | 前途有為の青年實業家 評代議員蔡鐵龍氏特輯 臺中州青果同業組合評代議員としてバナナ界に多大の貢献をなしつつある新高郡水裡坑蔡鐵龍氏は員林郡二水庄蔡端の五男として生れ、昭和四年臺中商業學校卒業後直ちに實業に就き集集庄水裡坑に於て、運送業を經營し、昭和八年水裡坑合同運送店專務理事、昭和十三年集集庄第十一保保正に當選し地方の為め大に活躍しつつあり。又臺灣運輸業組合常議員として業界の合理合同に奮闘中である。氏は性極めて純にして頭腦明晰、事業に對する研究心厚く、前途有望の青年實業家として地方民の信望が厚い。 |
17 | 業績愈愈盛 隘寮星蕉友共濟公司特輯 新高郡隘寮星蕉友共濟公司はバナナ生產者の金融の圓滑を圖ると共に蕉業振興と業者相互間の福利增進を圖る主旨の下に昭和九年五月創立されたものである 事業は公司長汗清氏監事林秋氏事務員劉守岳氏と株主の理解ある協力に因り、漸次發展し、金融事業の外店舗家屋の貸家業並にバナナの栽培を大規模に經營してゐる。現在十四甲步を有する農場は合理的經營に依り成績良好であるが本公司は更に農村更生の為め積極的施設を計畫し以て部落蕉農を指導せんと力んでゐる將來の發展は期して待つべきものがある。 |
18 | 蕉友公司專務 陳清圳氏特輯 陳氏は大正七年三月臺灣総督府農事試驗場獸醫科卒業と同時に南投廳蓄牛保健組合技手を拜命し、同八年五月新高郡に轉勤昭和十一年三月まで、滿十七年間畜產事務に從事し、畜產界の功勞者として信頼を受けてゐたが感ずる所有つて先年職を辭して集集蕉友互助會事業公司專務理事に就任して現在に至る。氏は又バナナ栽培に趣味を持ち集集蕉友互助會事業公司の事務に精勵の傍はらバナナを栽培し今後は有力生產者として活躍するが來る十月の代議員改選期には有力なる候補者として刮目されてゐる。 |
19 | 謹嚴清廉な人 代議員陳金龍氏特輯 氏は明治三十九年三月國語學校師範部を卒業して本島初等教育に從事すること二十有餘年を經て大正四年魚池信用組合創立と共に理事に推され組合長に數回歷仕したり。其の學識經歷事務的才幹は當局に認められ昭和四年魚池長に任命されて以來庄治不動の方針を確立すべく庄是を作製し之に向つて努力しつつあり。謹嚴實直清廉を以て聞え良く庄民の和睦を圖り庄治の運用宜しきを得てゐる。氏は多忙な身にも拘はらずバナナ栽培獎勵にも寢食を忘れ、檢查所建設委員長となり、今日の如き地方產業の基を造り上げたのである尚現在青果代議員其他の公職に在り地方發達の為め不斷の努力を續けてゐる。(寫真陳金龍氏) |
20 | 郡坑バナナの二大功勞者 陳主任と劉代議員特輯 郡坑は大正十三年頃現生產者張火城、葉坤、蔡全鎮、黃一諸氏が率先蕃界不毛の地を開拓しバナ栽培を始めたのが嚆矢で昭和三年現代議員劉阿發氏を始め東勢のバナナ栽培の經驗者多數入山し、それよりバナナの栽培が盛になつた。當初は集集檢查所に搬出したが昭和五年水裡坑檢查所郡坑社駐在所に改め、昭和九年四月本檢查所に昇格し、昭和十二年現主任陳金水氏が就任してより生產者が本格的に栽培され、新設當時年產僅か六千籠であったが陳主任劉代議員及地方大生產者の協力により今日の如く植付面積七百甲出荷數量十二萬三千八百四十四籠に躍進し州下有數の檢查所となり、內地各消費地より漸次聲慣を認められつつあり、去三月より「郡」のマークの外に「坑」のマークを增設し益益好評を博してゐる 新高登山沿道の開拓と渺茫未植適地三、二七五甲の新植により今後は增產を辿る一方で氣候風土地質誠にバナナ栽培適地にして將來の發展は尚豫測を許さない位前途洋洋たるものがある【寫真右檢查所主任陳金水氏左代議員劉阿發氏】 |
21 | バナナ界の 鬪士蔡全鎮氏特輯 氏は大正十四年郡坑に居を移し本格的に芭蕉界の鬪士として活躍し、タマタマ同地黑板農場問題紛糾に逢ひ、生產大眾のため多大な犠牲を拂つて闘爭した勞報ひられて生產者に榮冠が飾られた。是今日の郡坑社バナナの殷盛を來した所以である。氏は又子弟教育に熱心で同地國語講習所の設立者として活躍し、又社會教化のためにも非常なる努力を拂つた篤志家である。(寫真蔡全鎮氏) |
22 | 郡坑芭蕉界の 花形黃一氏特輯 氏は田□の出身で若年より實業界で活躍し、大正十二年鑑みる所あつて華かな人生活を後に蕃地郡坑社に入り、甘蔗作に從事したが、「天不從人願」と云はうか氏の不眠不休の努力は遂報られなかったので大正十五年斷念して全財產をバナナ栽培に投げ出した。時恰も黑板農場問題に出會し、蔡葉諸氏と協力して一部利權屋を排除し、今日の郡坑バナナの地盤を築上げたのである。氏は昭和三年頃より內茅埔楠仔脚萬の高砂族に對し芭蕉栽培を指導し苦心慘憺して本年辛く成功の緒に就いたのである。氏は人となり忠實にして廣く交はり、部落振興會副會長青果同業組合部落委員として地方のため尠かず盡瘁してゐる。【寫真は黃一氏】 |
23 | 蕃地開發に貢献 陳尾氏特輯 新高郡內茅埔陳尾氏は豐原の生れ明治四十二年公學校卒業後、臺中輕鐵株式會社に入社、大正三年組頭に任ぜられ、同十五年新高拓殖軌道會社に轉じ、工夫長となる。昭和三年內茅埔に於て副業としてバナナを栽培してゐたが、昭和五年蕃產品バナナ生產請負人として指定され、理蕃當局に信用厚く、一般よりも畏敬されてゐる。氏は此の間山の同胞に對し、よく栽培指導をなし、其の功顯著なるものがある。同山地バナナ發展のため活躍を期待されてゐる。(寫真陳尾氏) |
24 | 蕉界の成功は 折紙付き 許振明氏特輯 氏は本年三月末迄集集信用組合の優良書記として重用されてゐたが蕉界好況の波に乘ずべく永年の懷しの職場を後に蕃地郡坑社に一族同薫を移し、專らバナナ栽培に身を投げ、既に一萬本近くのバナナを買收經營中である。氏は當年二十六の春秋に富む前途有為の青年にして、昭和七年より組合に奉職の片手間にバナナを經營して來たが今回はその體驗と持前の明敏なる頭腦と熱烈なる性格とを以てすれば氏のバナナ業界に於ける成功は折紙付きと云つてよい上に背後に有力なる資本家を控へてゐるので氏の前途正に洋洋たるものがある。(寫真は許振明氏) |
25 | 青年奮鬪家 陳連池是特輯 氏は社子豪農故陳糖氏の次男として生れ、現水里公學校訓導陳連鴻氏の令弟にして集集公學校の出身、昭和六年臺灣電力會社發電所建設部に勤務すること四年間、同九年サラリーマンから轉じてバナナ栽培に專念し克く勤勞に耐へ夫妻共稼ぎの勤勉家である。氏は各方面に交際あり同地方に於ける信用厚く人望もあり、青年奮闘家としての前途刮目に値するものがある。(寫真は陳連池氏) |
26 | 蕉界の奇傑 張錫九氏特輯 臺灣バナナ界の奇傑張錫九氏は清朝時代臺灣巡撫唐景崧氏より試驗を受け秀才に合格し、日清戰役に當り、□□五百名を統率して衛隊營の警官となり帝國領臺後臺中師範學校教員を囑託され兼ねて同校の舍監となり、其他臺中縣囑託や學務委員や庄の協議員等常に公務に力を盡した其後東京に十餘年間滯在し貴族院議員伊澤修二先生の推薦により泰東同文局に數年間奉職し、又東京神田に毓英學院を開設して六年間教育に盡瘁する傍ら明治大學法科校外生として試驗に合格し其業を卒へた。現在古稀の年を越へて尚矍鑠たり。集集山麓に隱居して綠蕉陰下半藝半讀娯樂自由なり。長男張祖蔭氏は豐原博濟醫院を開業し、二男張明印氏は臺北州に奉職して十餘年勤續し、三男張柏齡氏は臺北宮前公學校勤務となつてゐる |
27 | 水裡坑の顏役 葉水樣式特輯 新興水裡坑の顏役葉水樣氏は明治三十六年東勢に生れ、新社學校を卒へて大正十四年先見の明あつて水裡坑に來りバナナ栽培と材木商を經營、昭和四年水裡坑保甲聯合會書記に、昭和六年壯丁團長に選ばれ、堅忍不抜の精神を以て奮闘努力、昭和十三年保甲書記を辭して專らバナナ栽培に全力を打ち込んだ。バナナ園は隘寮に在り隘寮檢查所建設當時委員として山本庄長(建設委員長)に協力した功勞者である。氏の蕉園は昭和十三年度增收競作會に於て二等賞を受け、集約的栽培に依り昭和十二年度州農會の模範指導園として指定さる。尚十三、四、五年度は青果同業組合の指定模範園となる。氏はこの他方面委員、司法保護委員、水裡坑防衛團救護班長幾多數の公職を持つてゐる多忙の身である。 |
28 | 新進實業家 石土氏特輯 氏は將に不惑の年を迎へんとする新進氣銳の士にして公學校卒業後區役場に職を奉じ、大正十年集集信用組合書記として働き組合專務に精通し且つ地方民の信頼厚く、認められて庶務信用農倉の主任、主事に歷進し、同組合の為めに永年盡瘁して來たが、昭和十三年感ずるところ有つて十七年間の古職場たる組合を辭して實業界に轉向した。組合奉職の傍らバナナの栽培に意を用ひ、其の經營手腕大いに酬ひられた。辭職後は專ら山產品取引商の大石商店を創業尚同業組合竹皮納入商人として指定され、頗る多忙の身である。尚集鹿軌道株式會社監查役集集事業公司理事等の事業會社に關係し新進實業家として愈々其の活躍を期待されてゐる。(寫真は石土氏) |
29 | 經營、理想的 賴宗源氏特輯 氏は竹山郡牛轀轆の生れ、當年三十二才の少壯實業家で殊に山に對する趣味を有し造林造竹、バナナ、キヤツサバ栽培等の經營に經驗を持たれ、就中バナナ栽培が最も得意とするところで其の經營も又實に理想的である現在では水裡坑檢查所內の有力生產者である外斗六に大きなキヤツサバー丁場を有し來る十月の青果組合代議員選舉には出馬を豫想されてゐる(寫真は賴宗源氏) |
30 | 青果聯合會代表員 葉雲琳氏特輯 氏は東勢郡東勢の出身でバナナ栽培の為め昭和二年水裡坑に轉任し、栽培を始めて以來隣接の生產者に對し、其の栽培指導をなし、殊に芭蕉に對する研究深く、常に其の蘊蓄せる經驗と識見とを以て生產者を啓蒙し、生產獎勵に盡瘁した功績尠からず 氏は又水裡坑、隘寮等の新設檢查所建設委員として活躍された代表員組合評代議員に選任され現在に至る。氏は組合評代議員として常に熱を揮つて組合或は曾社當事者を鞭撻し、バナナ界の立志傳中の人である。庄協議會員、青果聯合會代表員等の公職を有し、地方發展のため努力しつつある。 |
31 | 斯界重 代議員杜瑞玉氏特輯 臺中州青果同業組合代議員杜瑞玉氏は竹山郡鹿谷庄坪子頂の生れ公學校卒業後直ちにバナナ事業の有望なるに着眼し、栽培以來十數年間數多の難闘を突破し今日の如き有力なる生產者として斯界に重きをなしてゐる。本年度は尚部落民に新植を獎勵し大發展を期待してゐる。又氏は雨期增水の時には率先して橋の架設に協力し、バナナの搬出と地方交通の便を計る等實に隱れたる地方功勞者である。本年三十六歲の努力家で前途洋洋たるものがある。(寫真は杜瑞玉氏) |
32 | 廣告特輯 |
序號 | 標題 |
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01 | ローカルセクション |
02 | 臺中州下バナナ產業特輯号 其三 芭蕉輸送を擔當する 青果組合聯合會 運賃低減輸送改善に盡す特輯 臺灣青果同業組合聯合會は大正十四年十二月の設立にかかり、臺中、高雄、臺南の三州青果同業組合を組合員とし、各組合間の統制、全般的施設の改善に努めてゐたが昭和十三年十一月臺青果よりバナナ輸送權を移管されてより專ら之が輸送の任に當り、運賃低減、輸送改善に盡すと共に月一回の例會を開催して各同業組合及び青果會社幹部と協議の上、その協定に基いて生產消費の狀況及び前年の實績に照して出荷數量及仕向地別數量を決定することになつてゐる |
03 | 東勢郡下の芭蕉 高值で蕉農大喜び 臺中州青果同組評代議員 東勢郡新社庄長 詹明樹氏談特輯 バナナ產業を復興し山地開發を誘致することは東勢郡下產業振興の第一義である。 往昔に於ける東勢郡下バナナ產業は臺中州下バナナ產業發祥地として廣漠なる栽培面積と產額多大に驚かないものはなかつたが昭和九年一度營林所樟樹栽培地を官に返還するや產額は頓に減少郎ち最近五ヶ年の栽培面積は千五百七十六甲餘每年產額平均十三萬八千三百籠、此の手取金三十四萬二百十八圓餘を算郡下の經濟力に資する所甚大するも栽培地の七十五%は官有造林地であるから造林木の生に伴ひ其の壓迫に依って自然減衰退の一途を辿りつつある 將來郡下のバナナ生產量は半減又は全滅の運命に陥るやも測り難いから甚だ寒心に堪へないのである。それで關係當局は新植地の獲得及肥培管理改善指導獎勵に多大の關心を以て銳意增產を期して居るがバナナ生產者も之れに協力し郡下バナナ產業の復興に一段の研究と努力を致されんことを切望する。尚時局の影響に依り貨車船舶等の不足あるもバナナ輸送のみは極めて順調且現在內外地共高い値段で取引して居て生產者はほくほくして居る。バナナ產業發展の為め誠に喜ぶべく私共一同の最も感謝に堪へない所であります。願くば郡下官民とバナナ生產者が打つて一丸となってバナナ產業の興隆に寄與せられんことを切望して止まない次第である。【寫真詹明樹氏】 |
04 | 圖像:初鄉檢查所と職員特輯 |
05 | 初鄉檢查所の沿革 現狀並びに將來 主任賴木通氏談特輯 當所は昭和七年より地方民及びバナナ栽培事業者三四十名の發起に依り約二百甲を栽培し始め出荷を竹山檢查所に搬入してきたが僻陬地とて交通便ならず運搬上幾多の弊害あるに鑑み出張檢查所設置方の要望高まりたるに依り熱誠なる生產者が委員十四名を選出し臺中州青果同業組合組長に懇願した處組合の大英斷に依りて昭和九年七月初鄉出張檢查所の設置を見昭和十二年七月本檢查所に昇格したのである。爾來一般生產者は一層蕉作を認識し逐次增產の實を上げつつある好現象にして輸送路を完全にせしめ一面に於ては耕作改善、肥培管理、品質向上等を專心研究したるを以て內外各都市の信用を得たるは勿論、昭和十三年度の蕉價騰貴と相俟って本年度組合耕作改善獎勵甲數三十甲他五十甲程增植をなし合計栽培面積約五百甲にして向後相場の好調を保てば適地數百甲を有するを以て將來大いに發展の可能性があると思料する。尚昭和十年以降の出實實績數及十四年度向後豫想數は左の如し 記 年度別實績籠數 昭和十年度 三三、六七九龍 同十一年度 四二、三六九 同十二年度 三五、九九一 同十三年度 四〇、二八九 同十四年度 五五、〇〇〇 豫想數なり 同十五年度 六五、〇〇〇 同 同十六年度 七〇、〇〇〇 同 同十七年度 八〇、〇〇〇 尚ほ初鄉檢查所のマークは「山」である。 |
06 | 竹山郡鹿谷庄初鄉 李丙寅氏特輯 氏は當年三十九歲でバナナ界に活躍すること十數年間にして昭和十二年末本居地南投より初鄉に來たり專らバナナ栽培に從事して居る農家でその將來を期待されて居る。(寫真李丙寅氏) |
07 | 東勢街長 賴雲清氏特輯 氏は臺北國語學校國語部を卒業東勢物產株式會社取締役を振出しに實業方面に進出し大正八年東勢信用組合創立と同時に常務理事として十七年間勤續昭和八年一月懇望されて庄長に就任、同十二月街昇格と共に街長に就任す。幾多の公職を帶びながらバナナ產業方面に對しても力を致した。同郡下に於けるバナナ產業の今日あるは氏の努力に預かるところ亦大なるものがある昭和四年產業功勞者として表彰せられたのも決して偶然ではない。【寫真賴雲氏] |
08 | 初鄉檢查所主任 賴木通氏特輯 氏は明治二十九年員林郡大村庄蓮花池に生れ大正五年より巡查に職を奉すること十一箇年間、後辭職して昭和二年臺中州青果同業組合に職を奉じ州下各檢查所に歷任本年六月一日初鄉檢查所主任に榮轉したもので、性來溫厚篤實、榮轉日尚ほ淺きも同檢查所管內の生產者より信用厚く今後の氏の活躍に依り同檢查所の發展を豫想されて居る(寫真賴木通氏) |
09 | 圖像:美人と芭蕉特輯 |
10 | 管內の大生產者 廖秀氏特輯 鹿谷庄初鄉八〇四廖秀氏は當年三十六を迎へた篤農家で昭和七年東勢より現住所に來たり昭和九年七月初鄉檢查所設置運動並に建設委員として活動し現に三十四甲步のバナナ栽培に從事してゐるが以來品種改良に努め專心バナナ栽培に没頭し一般に功勞者と稱讚されてゐるが昭和九年同業組合より銀杯を授與され昭和十一年優良生產者として約一箇月間內地視察にいつた事がありその前途や實に洋洋たるものがある。(寫真廖秀氏) |
11 | 南部蕉田作禁止に就きての管見 詹望陸氏談特輯 米穀五十萬石增產の為に高雄州下に於ける芭蕉田作は或は禁止せらるるやも知れずとの事が近頃の臺灣諸紙上で見たが國防上必要なる菎麻、黃麻、蔗糖、綿等增產の即ち非常時產業國策遂行の為に臺灣に於ける元來の稻作面積が狹められたる上、此度更に農務省よりの命令割當で臺灣は來年度より米穀を五十萬石增產せねばならぬと云ふ立場にあるが故に、南部蕉の田作禁止は或は其實現を見るに至るかも分らぬ。然る時にはかなり多額生產の南部蕉が內外の市場に其姿を消し內臺芭蕉界に打撃を與ふること甚大である事は言ふ迄もない。今南部蕉の田作禁止に就きての私見を申述べて當局の參考に供したいと思ふ。 一、南部蕉田作の勃興源由の特異性と其海外輸出向の商品としての經營的價值 輸移出向の商品としての臺灣芭蕉作は中部の山地に起り而して大正六七年頃の大戰景氣時代に之を田作しても尚利益の多大あるべき事を見て高雄州下に芭蕉の田作が試みられ爾後其景氣時代去りたるも尚、(1)山作よりは小作料多大なるも開墾費を要ざるのみならず栽培、手入、運搬等の費用は山作よりは僅少にして、(2)大經營即ち廣面積の經營に便利なること、(3)熱量雨量等の天惠に富み、(4)灌漑をなし得るに依り豫定期間內に全作物を一時に收穫し得、依て、(5)圃場を設けて個人名義に對外販賣をなし得るのみならず暴風の害を避け得る等の特異的好條件に惠まれ山作よりも尚其收益の少なからざるを知りて年年其栽培が加速度に增加し而して此度の支那事變の好景氣に出遇ふて今日の隆昌を見るに至つたのである 二、輸出貿易振興、米穀增產兩國策と南部蕉田作禁止の可否時局柄重要國策の一つたる輸出貿易の振興を圖るべく政府が多大なる闘心を持つてゐるが元來本島に於ては大體內地の需要を滿すべく其方針の下に各種產業が獎勵されて來た關係上海外輸出向の商品が極めて少なくその結果輸入超過を續け來たる狀態であるが故に爾後臺灣としては國策の線に沿ふて輸出貿易の進展を圖る事は特に極めて重要なる問題となつて來たのではなからうか、この際、米穀增產の機牲として前述海外輸出向の商品的價值多大なる南部蕉の田作を禁止すると云ふ事に就きては尚相當に考究せねばならぬ所があるではなからうか。國防上必要なる菎麻、黃麻、蔗糖、綿等の栽植獎勵に依る豫想上の米穀減產は稻種改良耕作改良灌漑施設、河川整理等の如き立體的增產方法に依り之を補ひ得べく而して我が臺灣に於ては灌漑新施設に依て水田となり得るもの約壹萬甲、河川整理に依つて水田となり得るものも約壹萬甲あり而して五十萬石の增產に對しては其內の一萬甲にて足るからである。故に南部蕉の田作を禁止させねば米穀の增產に支障を來たすといふ樣な餘裕のない我が臺灣ではないのである。要するに米穀增產と國策であり輸出貿易振興も國策である以上米穀米穀增產に支障なければ南部蕉の田作禁止が單に一の風評になり終ることを望み、且つ輸出貿易振興の重要國策に資し得る樣當局よりこの加速度に發展しづづある南部蕉の田作に更に一層の指導と保護の力とを與へられむ事を望むものである。 |
12 | 初鄉檢查所設置の 功勞者葉歪氏特輯 初鄉五二一葉歪氏は明治十六年の生れで初鄉に檢查所設置の必要を感じ昭和九年七月發起人として大いに活躍したるのみならず建設委員の一人として芭蕉界に盡した功績は大なるもので現に十餘甲步栽培して居るが初鄉檢查所の本日の如き發展は全く氏の力に待つ所が少なくなかつたのである。(寫真葉歪氏) |
13 | 山地の保護管理に 永久の策を講ぜよ 鹿谷庄長邱進益氏談特輯 本島のバナナは今や臺灣の重要產業の一つとして重要視され臺灣の經濟界に大なる貢献を致しつつあることは誠に喜ばしき次第であります。此重要產業の一つに入つて居るバナナの產額は全島で我が臺中州下が其の大部分を占めて居ることは吾吾の最も愉快に存する所であります。我が州下のバナナの生產の當初は平地に生產の多數を占めて居つたのが近時漸次山手に發展し平地は米作のためバナナ作が漸次荒廃になりつつあるは經濟的現象から見て止むを得ないことと存じます。今や州下のバナナ大生產地は新高、東勢、南投能高竹山各郡下に在ることは我我山地の生產者にとりましては心強く存するのであります。山地の農作物は概して收益少くバナナ作が最も收益が良いやうに思ひますが現在の生產者各位の經營狀態を見るときは尚考へなければならない點が多多あるやうに存じます。現在のバナナ作の土地は大部分官有地(無斷開墾地)が多く又民有地でも借地が多くバナナを植ゑて値が高くなると直ぐ賣り飛して轉業してしまひます。又自己の土地でない關係から土地の將來を考へず表土流失保護のことを殆ど考へて居ないから蕉園は數月ならずして荒廢してしまひます。高値のときに賣つてしまうことは個人から考へると儲るから之れに越したことはないやうに思ひますがバナナ生產者として何時までもそれに依つて生活して行くと云ふ考へが薄いから從つて保護管理に永久の策を施さない。それで蕉園の表土は年年流失され軈ては蕉園としては勿論他作物をも作ることが出來ない荒廢の地と化することは國家的見地から見た場合は大變なる損失であります。幸ひ我が竹山郡下のバナナ作は州下で他郡に比し運れて興った事業ですから今からでも遲くないからバナナ作の永久策を講じて蕉園の保護管理に當らして現に殘されたる空いて居る山地のバナナ作を盛んならしめるやうにしたいものであります。(寫真邱益氏) |
14 | バナナ功勞者 郭忠氏特輯 バナナ功勞者として尊敬されて居る鹿谷庄初鄉郭忠氏は當年四十八才、十八年前東勢郡石岡庄より鹿谷に來り將油工場を經營したのが始まりで昭和七年より芭蕉界に轉じ初鄉の山地二十四甲步を開發し內十二甲步に直營でバナナを栽培し大生產者の一人として相當名が知れてゐる(寫真郭忠氏) |
15 | 初鄉の大生產者 謝水德氏特輯 氏は北斗街の出身で當年四十九にして大正九年北斗街書記に任じ大正十三年六月十五年以上本島地方事務に從事したる廉により表彰を受け昭和三年十月北斗街會計役を命ぜられ昭和十一年九月任期滿了に付勇退、昭和十二年九月バナナの將來性に目をつけ竹山庄初鄉に約十五甲步のバナナを栽培し芭蕉界に一大活躍をして居る【寫真謝水德氏】 |
16 | 初鄉の老練家 林逢時氏特輯 氏は當年七十三歲、同部落に於ける老練家で十一年間鹿谷庄協議會員として庄政に盡瘁し昭和九年七月初鄉檢查所設置運動委員の一人として大いに活躍し現に六七千本のバナナを有して居るが三十數年間鹿谷庄の保正を勤め本日に至る、【寫真林逢時】 |
17 | 廣告特輯 |
序號 | 標題 |
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01 | 荒鷲の妙技に接し 觀眾しきりに感嘆 興亞展「陸軍の日」大成功 |
02 | 興亞展の第三日目 入場二萬五千人に上る |
03 | 興亞行進曲 今夕BKより放送 |
04 | ドライアイス 賣場を開設 |
05 | 梧棲築港に伴ふ工業港の 位置變更に就いて(五)(附、同港の名稱問題について)/宮原武熊 |
06 | 歸還將兵感謝會 七日竹東公會堂に於て 諸勇士その厚意感激 |
07 | 屏東大宮男女青年團 勅語奉讀式を擧行 |
08 | 歸還將兵○○着 多數官民の出迎を受く |
09 | 老獪英國を吾が 東洋より叩き出せ 淡水街民大會で絕叫 |
10 | 斗六神社神饌田 地鎮祭を擧行 |
11 | 菓子商同業組合 る十四日發會式 |
12 | 南部中等學校武道大會 きのふ華華しく開催さる 嘉中柔劍道共に優勝 |
13 | 船溜築港の陳情 東港街の委員けふ上北 |
14 | 節婦の赤心 表彰記念指輪を金献 |
15 | 勞働力不足の惱み 愈よ解消に乘出す 花蓮港廳に勞務係新設 |
16 | 愛婦能高郡分會 歸還軍人等を慰問 |
17 | 竹山郡警察課 非常召集を實施 |
18 | 西林技手召喚さる 官有林拂下げに絡る不正發覺か |
19 | 東海バス 延着頻頻 |
20 | 彰化國語常用聯盟 華華しく結成さる 同時に門標交付式擧行 |
21 | 水防功勞者表彰 斗六郡會議室にて擧行 |
22 | 農事懇談會 七日溪湖街にて |
23 | 早植-增產 恒春郡の銃後風景 |
24 | 部落整頓品評會 褒賞授與式を擧行 |
25 | 彰化市郡肥料商同業會 |
26 | 廣東訪日婦人團 きのふ歸途に就く |
27 | 新莊郡直轄壯丁團 土俵式を擧行 |
28 | 郡茂德氏寄附 |
29 | 屏東自動車献金 |
30 | 防衛團員卒倒 その儘往生 |
31 | 暴利商人を摘發 東港郡で三件 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 港のある街(5)/翁鬧;榎本真砂夫 |
02 | ラヂオ |
03 | 講演 東亞の經濟を建設す/毛里英於菟 |
04 | 漫才 |
05 | 料理 |
06 | 子供の時間 新支那旅行(七) 徐州より西安まで |
07 | 國文學講座(第一講) 夏の生活と文學(一) 季感と季語/松村一雄 |
08 | 圖像:牧場物語(其五) |
09 | 大船撮影狀況 |
10 | 大都小崎作品 「潮」完成 |
11 | 大船が夜間 徹夜廢止 |
12 | 新興東京 こぼれ語 |
13 | 新興東京便り |
14 | 海外映畫短信 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 陸軍案を全幅承認 けふ外、陸正式會議 最後的態度を決定 |
02 | 舟山列島各島嶼占領 陸戰隊と艦艇が活躍 |
03 | 敵、包圍圈內足搔く 我挾擊態勢、刻刻縮小 |
04 | 嘗ってなき痛烈さで 汪氏、蔣介石を批判 中華日報復刊第一號で |
05 | 排英大會 青島に於いて |
06 | 敵の後方聯絡 絶つ 陸鷲が反覆爆擊 |
07 | 物淒い戰場繪圖! 砲聲哈拉哈河畔を震撼 |
08 | 外人記者團が 我戰果に驚歎 更に前線の視察へ |
09 | 金口木舌/林正享 |
10 | 哈拉哈河上空一帶 制空權を完全掌握 |
11 | 敵機戰意喪失 わが士氣旺盛 |
12 | 敵の戰車裝甲車 百臺以上擱坐炎上 遺棄死體六百餘に上る |
13 | 二十九機を擊墜 陸鷲又復大戰果を收む |
14 | 甘珠爾廟上空で 廿二機を擊墜 |
15 | 中華日報が復刊 和平救國に貢献す |
16 | 明日の天氣 |
17 | 日、ヴ兩國間の 通商關係改善 |
18 | 上旬貿易 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 軍陣醫學に又凱歌 壞疽病免疫血清完成さる 傳研細谷教授の輝く業績 |
02 | 本島物動計畫成る 督府企畫部長談 |
03 | 頂双溪御舍營所 保存施設落成式 |
04 | 壯丁團に活を入る 合宿して心身を鍛鍊 臺北州保安課の試み |
05 | 故藤原少佐以下の 英靈合同告別式 藤重部隊でけさ嚴修 |
06 | 醫專設置を陳情 臺中市實行委員らが |
07 | 女子青年修練場 十四日新竹高女で入場式 |
08 | 一萬八千餘圓に上る 稀代のペーパー詐欺 |
09 | 故荒木伍長の英靈凱旋 南署に安置 |
10 | 幼女溺死 |
11 | 基隆の豆腐 值上見合せ |
12 | 反英打倒蔣介石 神戶市民大會開かる |
13 | 樂しい夏休み 愈愈明日から始まる |
14 | 糖聯支部落成式 十二日に延期 |
15 | 又も新稅徵收 財政難の蔣政府 |
16 | 高等科設置を陳情 |
17 | クルーベ濱大賑ひ 浴客に上る |
18 | リッグス選手 優勝 |
19 | 全選手權を 米國が獨占 庭球選手權大會 |
20 | 長岡中將 豫備役へ |
21 | 若人が鐵道自殺 |
22 | 戶川秋骨氏逝く |
23 | 定期航空 |
24 | 人事.消息 |
25 | 今夜の放送 |
26 | 各地商況 十日 |
27 | 今日の興行 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大陸一代娘(96)/小栗蟲太郎;中島喜美 |
02 | 家庭婦人 銃後の生活刷新 先づ迷信、淫祠の打破から 殊に治療や丙午に關して/鴨志田利雄 |
03 | 家庭婦人の常識集(四) |
04 | 夏の外出化粧 人前でコンパクトを 使ふ癖ばよしませう |
05 | アスパラガスの藥効 |
06 | 水晶の實印 偽造が出來ぬ |
07 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 今日は第一學期の終り あすから樂しい夏休 勉強も運動も怠らずに うんとやりませう |
02 | 萬里長城の長さは 三千九百二十七粁 支那の城壁の話 |
03 | 健康いろは唄(と) |
04 | 圖像:虎/簡滄州 |
05 | 自由詩 |
06 | オバアサンガ クマニサラハレタ |
07 | 世界一の日本麥藁 福山へ各國から注文 |
08 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 日支提携こそ初めて 孫總理の遺志を完成 汪氏のラヂオ演說頭條新聞 【上海十日發同盟】去る六月十二日香港において抗戰の真相と題する聲明を發表し對日抗戰とその見透しに關する蔣介石の根本的な誤謬を指摘し中國とその種族の繁榮のために蔣に最後の反省を促した汪精衛氏は九日午後十時突如某地より北京及び廣東語に依り堂々一時間に亘りラデオ放送を行ひ全支民眾に對して烈々たる愛國の誠情を吐露し今次事變の趣旨、新東亞建設の搖ぎなき信念を闡明した、即ち汪氏は 日支兩國はその民族的必然性に依り共同生存、共同發展をとるべき運命を持つものであり緊密なる日支提携に依つてこそ初めて孫總理の遺志は完成されるであらう と述べ蔣介石の誤まれる抗日方策に對し再三再四反省を促したにも拘らず蔣は依然その非を悟らず共產黨に聽從し國家と民族を犠牲にして徒らに抗戰を續けつくゝあるので遂に蔣に對し絕緣を聲明し 今や真に日支共存を目指す近衛聲明に添ひ中國の復興東亞の建設に邁進すべきである ことを強調した、尚廣東語の放送では 自分は廣東人なるが故に同鄉人に對し特別に自己の所信を訴へたい と冒頭し 蔣介石は抗戰到底を今尚主張してゐるが既に多數の軍隊を失ひ抗戰力も無く廣大な土地を失ひ明かに敗戰してゐる、余も事變當初は抗戰を主張した、其後和平を提唱したことに對し或者は矛盾せりとの言を吐くが和平すべき時機到來した際これを提唱するに何の矛盾があらう、重慶政府は現在遊擊戰で辛ふじて日本に對抗してゐるに過ぎぬがこの遊擊戰たるや良民を□らに殺傷し或は掠奪を強行するのみで日本に對する抗戰とは言へまい、海外の華僑等よ君達は國を離れて蔣の逆宣傳に踊らされてゐるからこの真相を知るまい一度本國へ歸つて見給へ如何に蔣の遊撃隊のため蹂躙されてゐるかが判るであらう蔣は中國民眾を瞞してゐる、余は決して騙されぬ、余はあらゆる壓迫障礙を排除して自 己の所信に向つて邁進せんとする決心である。 と結びこの歷史的獅子吼を終つた |
02 | 汪氏聲明を全面支持 中支軍報道部長談 |
03 | 我が朝野も全く贊意 |
04 | 動揺セル民眾に 進むべき道を指示 抗戰陣營に重大打擊 |
05 | チアノ伊外相 バルセロナへ |
06 | 維新政府も滿腔同意 |
07 | 臨時政府も共鳴 |
08 | 重慶政府は大狼狽 |
09 | 三項目の嚴重抗議 武漢市長、佛租工部局提出 |
10 | 馬鞍嶺附近の 敵匪を掃蕩 |
11 | 中國復興に前進 汪精衛氏の聲明(夕刊續き) |
12 | 第二次攻擊を敢行 我軍渡河點に達す 文字通りの殲滅打擊 |
13 | 司法研究所の開所式 |
14 | 出征將兵慰問新聞十七 けふの本紙寄贈者報社消息 |
15 | 反英熱昂揚の中に 聯合委員會開かる かふより正式豫備談會 |
16 | 南洋派遣學徒研究團 きのふ壯途に上る |
17 | 判官、檢察官の 補充異動 |
18 | 本日の天氣 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 民事調停制度の根本的改正 一日も早く其の實現を期待社說 一 我が本島に於ては明治三十七年二月律令第三號を以て民事爭訟調停の制を發布し、州知事又は廳長をしてその管轄區域內に於ける民事爭訟調停及びその執行を取扱はしめ、そして調停成立したる爭訟はこれと同一事件に付ては法院に訴訟を提起することを得ないことになってゐる。これは領臺後、各種の法令未だ備はず諸般の舊慣も漠然たる間、民事諸問題の爭訟を法院の嚴格なる裁判に依らず、成るべく地方行政官の簡易なる調停に依って解決せしむる便宜的制度であるが、爾來三十餘年の歲月を閲し、法令慣習も殆んど明確になり、また民智文化も著しく向上してきた今日、猶ほ各州廳に一名づづの調停官を置いて裁かしめることは甚だ時勢遲れの變則的な舊式調停制度と謂はねばならない。 二 內地に於ては十數年前より借地借家、小作、商事、金錢債務臨時の各調停法が制定實施されて居り、又今春の帝國議會で通過した人事調停法も本月一日より施行されたのである。これら五つの調停制度はすべて裁判所で取扱ひ又調停の任に當る調停官はいづれも老練なる判事を以で之れに充て、調查委員には法律事務に流通せる者又は民間の有力者名望家を任命し、それぞれ相當な成績を擧げてゐる。吾吾はこれら各種の調停法を臺灣にも施行するやう希望するものであるが然し、上述の如く、わが本島には地方行政廳に於ける包括的民事調停制度が夙くより行はれて居り、その取扱件數は近年漸次遞減する傾向があるが現在尚ほ年に七八千件を裁決してゐるのである。斯くの如き簡易なる當事者合意の調停方式に依り訴訟を少なからしむる方策として今まで相當の功績を擧げて來たことは認めざるを得ないが、唯地方行政官の即決方法に依って各種の民事爭訟を解決せしむることは極めて變則的な制度であって、從ってこれに伴ふ弊害もなかったとは云へないのである。 三 今や庶政刷新を要すべき新時代に際會し、司法方面に於ては親族相續篇の施行、戶籍法の制定などを着着準備しつつあるから、民事爭訟調停制度の如きも一大刷新を行ふ必要あるを認めねばならない。前述の如き內地の五つの調停法を本島に施行することは他に幾多の困難な事情があるとすれば、結局從來の調停制度に根本的改正を加へねばならない問題に歸着するのである。そして從來の調停制度に根本的改正を加ふべき要點として伴野高等法院長の私案に依れば(一)本來此の制度は裁判に對して例外的のものであるから之れを行政廳たる州廳の仕事とせずして法院に移管されねばならぬのこと、(二)調停官は特に老練なる判官を以て之に充てること、(三)調停の執行は之を強制執行法に據らしむること等を擧げられてゐるのである。勿論內地の如き五つの部門に分けて取扱ふとに改正出來なくても、上記の三要點だけはどうしてもその改正を實現せねばならない。幸に司法當局に於て既に改正の必要を認めらるるのであるから、一日も早く內地に劣らぬ完全な民事調停制度の實現を期待してやまないのである。 |
02 | 七日の記念日を期し 英租界に不賣買實行 天津市商人一丸となり |
03 | 東亞經濟懇談會 創立總會と發會式を擧ぐ 日滿支一體化に邁進 |
04 | 戰歿諸勇士の略歷 けふ臺北市葬執行 |
05 | 英靈の于蘭盆法要 十三日岡本部隊で嚴修 |
06 | 古木上等兵と 陳軍屬街庄葬 |
07 | 菅伍長以下 無言の勇士凱旋 あす基隆市葬を執行 |
08 | 吉田上等兵 昨日無言の凱旋 |
09 | 金の一掃に 保甲と主婦會議 で連續開催 |
10 | 大和丸入港 歸省學生で滿員 |
11 | 日滿華競技 參加希望者 申込は十五日迄 |
12 | 汕頭日本語學校 子供も爺さんも一堂に 昨日開校式を擧行 |
13 | 深夜の速達廢止 「時間外配達」の外は 午後十時迄です |
14 | 農產物檢查員 實務講習會 あすから新竹で開く |
15 | 基隆市文書課長 船洞會計課長に決定 |
16 | 纖維品市價調查 織物卸商近く提出 |
17 | 慰問新聞寄贈者 十日受付の分報社消息 |
18 | 小南澳溪に いよいよ架橋 羅東と三星を結ぶ |
19 | 大島に颱風襲來 通信機關杜絕、被害甚大 |
20 | 臺北團制霸 都市對抗野球豫選終る |
21 | 臺北競馬 第三日の成績 |
22 | 海上警報 |
23 | 定期航空 |
24 | 人事.消息 |
25 | ときのこえ |
26 | バナナ特輯號訂正 |
27 | 大阪商船臺灣出帆 |
28 | 近海郵船基隆出帆 |
29 | 辰馬汽船 |
30 | 大連汽船 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺灣硫安配給組合 總會で存續を決議 一元的統制に邁進せん |
02 | 臺灣茶輸出統制案 東京で最後的に決らん 山本屬が空路で上京 |
03 | 夏茶の相場 天井知らずの好調 烏龍の輸出引合はず |
04 | 商銀株主總會 來る廿七日に決定 預金六千萬圓を突破 |
05 | 私鐵業務研究會 明日總會を開く |
06 | 鐘紡拂込徵收か 多角的事業擴充の為 |
07 | パパイヤに對し 移出檢查を實施 植物取締法の改正で |
08 | 臺灣麻袋會社 新に創立さる |
09 | 貯銀の成績向上 今期利益率七割強 預金貳千萬圓を突破 |
10 | 六月物價指數(臺銀調查) 生計費中心に騰貴 前月に比し二.七二高 |
11 | 貯銀人事異動 |
12 | 臺灣王冠配給組合 創立準備が進む |
13 | 東京電氣が 芝浦製作所を合併 |
14 | 市價及商況 十日 |
15 | 照明燈 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 青年の時間 青年と海外發展/小磯國昭 |
03 | 講演 所謂「倭寇」に關する一つの所見/青山公亮 |
04 | 家庭經濟講座(十六講) 事變と國民經濟(五) 「金」の調整/東嘉生 |
05 | 料理 |
06 | 圖像:機械水雷爆破裝置機 |
07 | 圖像:前線勇士の草刈部隊 |
08 | FOXの 「挺身掃海隊」 |
09 | 松竹京都秋の大作 「殘菊物語」の配役 |
10 | 高瀨實乘も 上京參加 「新婚お化け屋敷」 |
11 | 中等生徒も引かかる 年少者の映畫觀覽制限 これは一寸油斷出來ぬ |
12 | 森永が文化 映畫製作 |
13 | 新婚お化屋敷 川田義雄も出演 |
14 | 長谷川一夫の新作 越後獅子祭 |
15 | 映畫法の登錄制度 委員會はどんな顏觸か |
16 |