臺灣新民報1939年6月
序號 | 標題 |
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01 | 支那軍の佛國旗亂用 佛側適切な方法を講ぜよ 駐支佛大使宛の覺書 |
02 | 圖像:明朗廣東の親善風景 |
03 | 石井海軍武官 モスクワ着任 |
04 | コ佛大使宛てに 我方、覺書を送る |
05 | 反戰秘密工作機關 四川省主要都市に連絡あり 中央對四川の關係惡化 |
06 | ヒ總統、感謝の返電 平沼首相の祝電に對し |
07 | ソ聯軍の劣弱を暴露 敵飛行機はここに殲滅さる 越境事件とわが觀測 |
08 | 物動計畫實行に伴ふ 各省見積提出を要求 次官の名で依命通牒 |
09 | 敵第百五師を撃滅 石頭子附近は屍山血河 |
10 | 獨、丁不侵略協定 正是調印されん |
11 | 駐支英、佛兩大使 早くも會談を行ふ 卅日、佛大使が英大使を訪問 |
12 | 新中立法修正案 愈米下院委員會に提出 |
13 | 藏重姬路市長 奮然辭表提出 前市長派と衝突 |
14 | 明日の天氣 |
15 | 總動員(142)/長田秀雄;夏口醇 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 明治神宮體育大會を競技界の最高峰へ 外地の出場も認む |
02 | 鼓浪嶼問題は持久戰 水戶聯絡部長官談 |
03 | 女子供の専用バス 愈よ帝都にデビュウ |
04 | 臺北州產倉協會總會 |
05 | 燃えぬ都市の 建設遲遲 心細い帝都の新築届 |
06 | 森岡長官南下 |
07 | 米管打合せ けふ新竹州で |
08 | 資源の島海南島 南支視察記(一)/秦巖夫海外遊記 二月十日海口の敵前上陸から數へて見れば僅か三ヶ月餘であるが、更生海南島の新らしい出發は既に全く軌道に乘った感がある。 嶺門に本據を置いた抗日軍の頭目王毅も漸く三千そこそこの手兵を率いて更に奧地に逃げ込むことを餘儀なくされ、北からする○○部隊の討伐と、南海岸一帶の太田部隊の遊撃隊掃蕩戰に依って全島の治安は日に日に恢復し、海南島に新らしい平和の甦るのは、南支兩廣地方よりまさに一歩を先んじゃうとして居る。 周圍を海に取卷かれた海南島は、永らく瘴癘の地として經濟開發の外に取殘されて居たが、日支事變勃發以来、國民政府は此處にも援蔣抗日の手を伸ばし、本島最大の重要產業である製鹽業を總動員して百六十萬ピクルから百七十萬ピクルを大陸に移出させて居た。 然し今や我が完全なる海上封鎖に依って大陸との援蔣ルートも完全に遮斷され、抱日國民政府の霸絆を脫して、南支に於ける新秩序建設の平和的礎石たらんとして居るのである。 海南島の中で最も文化の進んで居る東北岸の文昌縣は宋子文の出身地でもあり、抗日教育も徹底して居るがそれだけに一面よりすれば文昌縣の治安さへ完全に恢復すれば、全島の治安も確保されるものと期待されるのである。 海口は勿論、瓊山、文昌、定安、燈邁、三亞、崔縣その他嘉債、那大等にも續々治安維持會が結成され、海口には統一連絡機關として維新俱樂部も出來、近く治安維持會の全體會議まで召集されやうとして居る。 又民眾の手に於て警察の制度も整備され、詹正年を司令として、民眾自衞團も海口に設置された。 治安の恢復と共に經濟開發の第一歩として考へられるのは交通の建設である。既に三年前宋子文は、鐵道道路の建設及び港灣の改良に就て投資計畫を樹て日支事變後道路工事は一層急速に進められんとしたが、之等は全部今後の實行に俟つことになった。 從來海南島の開發が全く行はれなかった理由としては、海南島の行政を司る廣東省が常に政治的變動の中に置かれ、海南島まで手の届かなかったことや、支那大陸の經濟が特に海南島の資源開發を切實に必要とするもののなかったことや、海南島が炎熱瘴癘の地で防疫施設が皆無であったことなど多くの理由が擧げられて居るが、その最も大きな原因の一つは確□に島內に港灣施設がなく、交通機關が不備であったことである。 殊に廣東省の經濟に依存して居た海南島は地理的に海口をその門戶として來たのであるが、海日は魔の海と船乘りさへ恐れる海南海峽にのぞみ、その港內は沙洲多く遠淺で、荒天の時は數日間も荷役が中止されると言ふ有樣で、今後海南島が日滿支經濟ブロックの一環に入った開發されることになれば當然大きな觀點の下に新らしい港を發見しなければならないであらう。 我軍は各地に於ける果敢なる討伐の續行と共に、良民と協力して新らしい經濟發展の基礎確立に向って各種の調查を科學的に進めて居るが、記者の見た所でも、東海岸の清瀾港は最も有望であり 現在の船の通路は百米位で兩側に暗礁が多いから、此の珊瑚礁の一部を取除いて築港を行ったには□らくその面目を一新することが出來やう。 尚海南島の行政の中心も、文化教育思想の進んだ文昌縣に之を置くのが當然であって、清瀾港の新發展を見た曉は、瓊山、海口方面より此の東海岸附近に移るのではないかと想像される |
09 | 新竹州下の 事務監察 |
10 | 邦人二世が大活躍 布哇の水上競技大會 |
11 | 江戸ッ子のなげき 燃料節約で朝湯廢止 |
12 | 自動車運搬賃高し 當局が適正化を企つ |
13 | 女子の郵便屋さん 時局の腳光浴び登場 |
14 | 國防献金一萬餘圓 桃園大圳組合から献納 |
15 | 從業員指導の 講習會開催 自動車運輸が |
16 | 元園町に流腦 |
17 | 保健組合設立可決 臺南警察會議で |
18 | 美人車掌謎の失踪 |
19 | 第三船妙義丸 上海航路に就航 |
20 | 重臣等卅二名を 證人として申請 神兵隊事件(第六十三回)公判 |
21 | 臺資新竹支店移轉 |
22 | 老婆轢かる |
23 | 高雄州自動車 講習所の試驗 |
24 | 製冰同業組合 祝賀會を開催 |
25 | 小型映寫機 取扱講習會 |
26 | 現業員表彰式 |
27 | 今夜の放送 |
28 | 商況 卅一日前場 |
29 | 今日の興行 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日本の母(135)/新述節;瀧伸二 |
02 | 家庭婦人 時局と母の力(終) 總督府情報部 |
03 | 家庭で出來る パン燒き テンピがあれば便利 |
04 | 家庭婦人の常識集(二) |
05 | 圖像:盲人用字轉車 |
06 | 高價な夏の婦人靴 ズック製でも六、七圓 |
07 | 光を採入れた 新しい化粧法 これこそ現代人向き |
08 | 水虫の豫防は 却却難しい 惡化しない内手當を/金子榮壽 |
09 | 空壜の利用法 |
10 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新民報國語學習新聞 日本が生んだ世界的學者 野口博士の記念館 故郷の福島に建設 |
02 | 圖像:日本丸遠洋航海(十一) |
03 | 火吹きと怒鳴で 防共協定を締結 犬と猫の親和振り |
04 | 各國の建艦競争(下) 最も目覺しいものは驅逐艦 海の荒鷲の根城は航空母艦 |
05 | 今日の歷史 |
06 | 童話 水くみ(下)/坪田讓治 |
07 | 圖像:默禱 |
08 | カタカナ欄 ヘビガネッシンニ ガクタイヲキク |
09 | モノシリ小辭典 |
10 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 我正當な要求に對し 英、米、佛三國漸漸諒解 あす具體的に懇談 租借改革問題頭條新聞 【厦門卅一日發本社支局特電】鼓浪嶼租界に對する我方の機構改革五ケ條要求に關する外交交涉は愈よ第二次懇談に入り、我が內田總領事は卅日フランス、卅一日イギリス領事と懇談を遂げたが、我方の正當なる主張を多少理解して來たものの如く協調的空氣が頗る濃厚となつて來た模樣である、內田總領事は卅一日夕刻更に參事會長と懇談、引續き艦隊長官と之れに對する對策を打合せする模樣である、各國領事は一堂に集つて懇談することを希望してゐるので內田總領事は來る二日英米佛三國の領事を招集して積極的に具體的事項につき懇談を試みることとなつてゐる、 因みに我方の要求中各國領事並に工部局參事會に於いて難關視されてゐるのは、第二條の警視總監及び秘書長を日本人とし、巡查內地人八名、臺灣人十二名の增員要求である、この豫算は七萬圓を要し年十七萬圓の總豫算から見れば莫大な增加で捻出財源がなければ實行不可能であり、日本が補助するとの話に對し貰ふべきものではないと主張してゐるものの如くである。 |
02 | 及川司令長官 四國海軍提督を招待 けふ交驩午餐會催す |
03 | 低物價政策貫遂に 政府自ら範を垂れ 樞府、首相の決意表明を要請 |
04 | 圖像:經濟係判檢事會同 |
05 | 世界の危機と (五)列國の經濟政策 |
06 | 京大法學部長の後任 石田博士に決定 |
07 | 滿國對獨借入金 更新協定に調印 |
08 | 英佛ソの三國協定 又も難關に逢着 モ委員、發動不明確點を指摘 |
09 | 我海軍の作戰行動 一月一日より五月卅日まで 戰果の概要を公表 大本營海軍報道部發表 |
10 | 下旬貿易 出超三千九百餘萬 |
11 | 輝く航空章の授章者 安部操縱士以下十名に |
12 | 伊空軍の躍進振り ズレ將軍上院で演説 |
13 | 南頭羅村を占領 |
14 | 八百の敵を潰亂せしむ 安陸西北方で |
15 | 伊國建艦計畫も 滿足に遂行さる 海軍次官上院で闡明 |
16 | 英海軍香港司令官更迭 |
17 | 同文書院航空 研究會 發會式を擧行 |
18 | 本日の天氣 |
19 | 大連汽船 |
20 | 大阪商船臺灣出帆 |
21 | 近海郵船基隆出帆 |
22 | 辰馬汽船 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 二期米買上價格と其の基準社說 一 今般總督府に於て來る十一月一日より米管法の實施に伴ふ買上價格を愈愈發表し、就中北部蓬萊三等米の買上價格が十圓八十二錢、中部米十錢格上げ、南部米十錢格下げせられてゐるが大體に於て本島經濟界に對して多大な波紋を起す程の安値でなかつたが、然しながら當局が議會に於て公約した一石二圓の利益から見れば、低きに過ぎるではないかと思はれる。卽ち目下一期蓬萊米七八月物の時價は一袋十二圓十錢にして一袋一圓二十八錢の差益となり、之を一石二百四十三斤に換算すれば三圓十一錢の利益となる筈であるから、議會に於ける公約を其の儘實行してゐないと言へるのである。 二 蓋し當局がかかる價格を決定するに至つた經緯は、旣に石二圓の利益でないとすれば、果して如何なる基準を以て算出したかといふ事である。周知の如く米買上價格の如何は農家の生殺與奪の權を握つてゐるのであるから、そこには客觀的に妥當な標準がなければならない。例へば米穀法の實施に伴ひ率勢米價及び公定最高最低價格等も一定した方法を以て算出したのであるが、今回の二期買上價格は少しも其の標準を示されてはゐない。從つて今後とも一に當局者の常識的裁斷を信賴するより外なく、萬一にも其の裁斷を誤らんか如何なる惡影響を本島經濟界に與へるであらうかは之を想像するに難くない。 三 尚、二期丸糯米と二期蓬萊米との差格は僅か七十五錢だけでは、餘りにも丸糯米を虐待し過ぎてゐる事は明かである。卽ち七八月物の一期丸糯の時價は十三圓七十錢、一期蓬萊の十二圓十錢に對し、現實に一圓六十錢の上鞘であるから、少なくとも一圓乃至一圓二十錢の上鞘でなければならない。若し二期丸糯米が平均十三圓七十錢にて賣却するとすれば一袋二圓十七錢、一石五圓二十七錢の利益となる。議會に於ける公約の一石二圓とは餘りに其の差額が大き過ぎるではないか。殊に丸糯米は蓬萊米より生產費が著しく割高であり、天候の如何によつて二三割の減收を來す事往往あるのものであるから一袋僅か七十五錢の鞘だけでは勢ひ其の減產を招來すると共に益益價格の上昇を招來するに違ひない。我等は何う見ても丸糯米を不當に虐待してゐるとしか考へられない。 四 其の他、在來米及び長糯米とも蓬萊米に比較して不當に格付せられてゐるが、在來米は主として島內消費米に充當せられてゐるから固より問題はない。長糯米の數量が多くないから、大した惡影響はなからうが、要するに今回の買上價格は蓬萊米優遇主義である事は爭はれない。上記の如く島內經濟界の各方面に多大な影響を及ぼすべき米買上價格に對して一定した公正妥當な標準なき事は我等の常に危懼を抱かねばならない事であると此處で表明せざるを得ない。 |
02 | 排日思想を一掃する 支那人用教科書脫稿 督府文教局の手で |
03 | 皇太后陛下に 鋁刺の額を献上 白服十二勇士の赤誠 |
04 | 臺灣の九團體に 褒狀下賜 私財寄附者表彰 |
05 | 御上陸記念祭典 澳底御遺跡所で執行 |
06 | 石本部對 名譽の戰傷者 きのふ原隊から發表 |
07 | 女子衛生看護團を 各郡署にも設置 新竹州の銃後衛生強化策 |
08 | 簡易保險事務 上海でも取扱ふ |
09 | 金の賣買處分禁止 金製品愈愈影を潛む |
10 | 新臺灣蓪草會社 持株再割當を打合 七月上旬創立總會 |
11 | 臺北州下中等 學校庭球大會 十七日から開く |
12 | 臺北州下の 經濟警察議會 いよいよ組織に着手 |
13 | 國士館軍事優勝 全臺北軍と試合 |
14 | 吳服類を大幅値下 基隆市の業者が自粛打合 けふから新值段實施 |
15 | クリッパ機 全く消息絕ゆ |
16 | 臺南ブリキ商組合 |
17 | 泊總長在廳時間 |
18 | 灤河、白河大水電 發開可能明らかとなる |
19 | 府博物館に實驗室を設く 家庭科學の實驗を公開 |
20 | 可愛い小鳥も携へて 馬公の皇軍を慰問 臺北市の一行出發 |
21 | 羅東道路協會 盛大に發會式擧行 役員、事業を決定 |
22 | 北商に支那語科 上級生に正課として |
23 | 定期航空 |
24 | 蓬萊丸無電 |
25 | ときのこえ |
26 | 訃文:槙哲 |
27 | 三疊溪遭難合同慰靈祭謹告 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 籾摺工場の買収を 納入會社案で計畫 中間機關の創設に續出 |
02 | 自動車用タイヤ チューブ配給統制規則 |
03 | 米穀納入會社の 設立に反對陳情 代表者が府、州を訪問 |
04 | 產業組合代表も 反對意見を表明 臺北州產倉協會總會で |
05 | 臺灣炭輸送に 外船一部を利用 石炭聯合委員會近く陳情 |
06 | 本年度鐵鋼配給 鐵道部が八○% 民間用僅かに二○% |
07 | 買占、闇取引を防止 適正な配給を期す タイヤ、チューブ配給統制規則公布 井田府商工課長語る |
08 | 市價及商況 卅一日 |
09 | 大日本製糖も終了 產糖高五百卅七萬擔 平均步留低下を示す |
10 | 照明燈 |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 講演 經濟の變遷と商法/中川正 |
03 | 義太夫 傾城反魂香 |
04 | 料理 |
05 | 子供の時間 童話 辻占を賣る娘 |
06 | ダニエル・ダリュウ 渡米第一回主演映畫 「巴里の評判女」 六月二日國際館で封切 |
07 | 家庭經濟講座(第五講) 金融機構(その一)/東嘉生 |
08 | 「水鳥の習性」 理研で制作に着手 |
09 | 十年振りの「浪人街」 お盆映畫の前に着手 |
10 | 新興東京盆映畫 「男一匹」 |
11 | 「宵祭り千兩婿」 |
12 | 藝術映畫社で 「工作機械」を製作 |
13 | 日活富岡捷次回作 『若い花』(假題) |
14 | 「國旗の下に 我死なん」 |
15 | 東寶文化映畫 六月の二作品決定 |
16 | 文化映畫上映 工場災害の危 險防止に |
17 | 好太郎の「花曇」 |
18 | 海外映畫短信 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國策作物增產助成會 卅日東港郡で創立總會 |
02 | 貧者の一燈 橘子頭献金美談 |
03 | 金献を慎重打合 魚池庄自治組合會議 |
04 | 金賣却獎勵 委員の打合會 西湖街に於て |
05 | 創立委員を指名 埔里新實業團體愈よ組織 |
06 | 慰問梅干献納式 員林愛婦等赤誠の結晶 |
07 | 五百圓献金 永靖信組落成計念 |
08 | 海山郡軍事援護會 發會式を擧行 |
09 | 國語不解者は退團? 崁頂各團體の討議會 |
10 | 北門郡防犯協會 廿九日盛大に發會式 |
11 | “乃木總督と旗山” 石母田翁の懷舊談 |
12 | 馬偕博士記念 圖書館、胸像竣工 廿九日淡水中で落成除幕式 |
13 | 大村庄各部振 家長、青年部會 |
14 | 北屯庄の教聯 役員會を開催 |
15 | 國語解者に限る 中壢郡の保甲改選 |
16 | 大溪街經濟講演會 |
17 | 三峽專賣品 小賣人組合 卅日總會を開催 |
18 | ローカルセクション |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 家賃地代は釘付け 家屋税は家主負擔 臺南市の家主連申合せ |
02 | 市伊郡守參集 米穀買入を協議 |
03 | 高雄州 市郡視學會議 愈よ來る三日に開催 |
04 | 遺家族を見舞 彰化市伊夫人らが |
05 | 藤本軍曹ら 白衣の歸還 昨午後臺南に安着 |
06 | 眺望絕佳の競馬場に 白衣の勇士を招待 快晴待望の臺中競馬 |
07 | 曾文溪の治水事業(一) 臺灣總督府內務局 |
08 | 「時の記念日」 高雄市の行事 |
09 | 地主懇談會 彰化公會堂にて開催 |
10 | 名譽の家へ真榊 月二回扶助會より贈呈 |
11 | 「國語の家」 彰化市で表彰式 |
12 | 森岡長官 嘉義市を視察 |
13 | 停子腳崩落して 子供多數負傷さる 岡山郡橋子頭の樁事 |
14 | 執務は午後二時迄 高雄州けふから |
15 | 東部臺灣の運送屋 合同問題混線 臺灣運輸が俄然登場 |
16 | 詐欺あの手この手 惡ブローカと買主の計畫的犯罪 |
17 | 加藤尺堂師講演 |
18 | 天然結晶鹽の 採取者を檢擧 恒春郡下海岸から多數 |
19 | 志保田氏歡迎會 あす嘉義市にて |
20 | タイヤの盜難 犯人は工場主任 嘉義振協の自動車工場 |
21 | 彰化市第三次 金賣却好成績 |
22 | 大屯郡學校職員 體育大會豫選會 |
23 | 高雄市對記者團 軟式野球試合 |
24 | 觀音庄視察團 |
25 | 高雄市に流腦 患者直ちに隔離さる |
26 | 雜貨同業組合の 價格調整委員會 |
27 | 左官墮落 |
28 | 消息 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 英佛の努力は不充分 ソ聯、共同提案を拒否 モロトフ氏の外交演説 |
02 | 新外交政策を承認 |
03 | 英政府の面目丸潰れ |
04 | 將來の豫見は危險 ドイツ政府筋の見解 |
05 | 第十一條(總動員法)に基く 命令貸付の條件 融資審查委員會で決定 |
06 | 英租界全く不誠意 呈氏狙擊犯人引渡を遷延 我がほ方期限付回答を要求 |
07 | 第五回兩政府 聯合委員會 七日から北京で |
08 | 英陸軍教育 總監制を復活 |
09 | 金口木舌/林正享 |
10 | 新開鐵道の 一般營業開始 |
11 | 極東赤軍の軍政に 大規模な改革斷行 改變の意圖注目さる |
12 | フリック獨內相 洪國公式訪問 |
13 | 外蒙機影を潛む 我荒鷲餘裕綽綽を示す |
14 | 遺棄死體のみで四百 滿、蒙國境の戰果莫大 |
15 | “何の為の出動か判らぬ” 外蒙、ソ聯兵の捕虜交交語る |
16 | 新中立法修正案 米上院に反對論濃厚 |
17 | 真珠灣附近に 防禦海域を設定 |
18 | ユ國攝政殿下 御訪獨の途へ |
19 | 獨、丁不侵略 協定正式調印 |
20 | 獨逸義勇軍 ハ港に凱旋 |
21 | 總督府辭令 |
22 | 明日の天気 |
23 | 總動員(143)/長田秀雄;夏口醇 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大陸との交通遮斷は 鼓浪嶼明朗化のため 興亞院廈門聯絡部當局談 |
02 | 公民訓練の素地に 高砂族自助會 長官名で設立標準を通牒 |
03 | 圖像:帝都の海軍記念日 |
04 | 故洪立勳氏告別式 廈門で盛大に執行 |
05 | 國民精神作興會 有志が發起人となって 五日臺北で發會式擧行 |
06 | 本島人官公吏の 國語家庭完成へ 臺北州調查に乘出す |
07 | 努力が酬られ 國語不解者一掃 酒工場で終了式擧行 |
08 | 白山丸寄港 |
09 | 基隆同風會の 國旗揭揚式 終って美化作業奉仕 |
10 | 藤田内務部長 の巡視日程 |
11 | 禁制品の 綿布密輸發覺 基隆から臺北へ輸送中 |
12 | 製冰記念日 員林街業者の行事 |
13 | 定期航空 |
14 | 今夜の放送 |
15 | 味覺の王座登場 躍る若鮎解禁! 豐漁だ、太公望連の待望ニュース |
16 | 六月十日は 時の記念日 基隆の宣傳行事決定 |
17 | 臨時國勢調查 事務打合せ |
18 | 臺北州下學童 相撲大會 |
19 | 麻袋を盗んで 阿片を密吸 |
20 | 遭難の太平號 修繕成り明日桑港向け出帆 |
21 | 自轉車泥棒御用 |
22 | ABC洋品店移轉 |
23 | 商況 一日前場 |
24 | 今日の興行 |
25 | 民報案內報社消息 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日本の母(136)/新述節;瀧伸二 |
02 | 家庭婦人 七月一日を期して 金の國勢調查 一物餘さず動員に應じよう |
03 | 見るからに可愛い リヴアース・ロール 自分でまとめる法を御傳授 |
04 | 家庭婦人の常識集(三) |
05 | 圖像:流線型自轉車 |
06 | お料理の素 煮出汁の取り方 動物性と植物性のものを 混ぜてお用ひください |
07 | おやつ三種 營養豐富で美味しい 非常時お菓子です |
08 | 紙上病院 |
09 | 初夏の野菜と藥効 胃腸の惡い人は 大根とトマトを |
10 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新民報國語學習新聞 可憐な空の戰士 軍用鳩に金鵄勳章 陸軍省が各部隊を通じ 手柄を調べ中 |
02 | 圖像:自動車工廠完成近し |
03 | 麥藁の着物 ドイツで製作に成功 |
04 | 義務か?志願か? 各國の兵役制度(上) 國民皆兵が絕對多數 |
05 | 今日の歷史 |
06 | 童話 おつかひ(上)/青柳瑞穗 |
07 | 圖像:無心に動く繪筆 |
08 | シャムの國名 「タイ」と改む 來月廿四日から |
09 | 圖像:日本丸遠洋航海(十二) |
10 | 毒蛇に十七回も 嚙まれた男 パナマ動物園の管理者 |
11 | カタカナ欄 ワンワンチャン オサツヲヒロフ |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 四國領事會議開かる 我が要求及時實行の必要を 内田總領事が協調頭條新聞 【厦門一日發本社支局特電】鼓浪嶼工部局改組に關する日英米佛四國領事非公式會議は愈よ一日午後四時より日本總領事官邸に於いて慎重裡に開かれたが約二時間に亘り互ひに議論を鬪はしたが意見纒まらずして散會□この會議は今後尚相當の波瀾曲折ありと豫想され結論に至る迄には尚數回の會議が開かれるものと見られ、二日も引續き開催される豫定である今回の會議は主に我が方の要求事項の第二條の警視總監以下廿一名の日本人新採用につき協議したが各國領事はそれに要する豫算七萬圓の捻出難を理由に豫算が許せば考慮する、豫算の許す時を待つて實行する、或ひは豫算の可能の範圍內に實行すると樣樣の意見あり我が內田總領事はその卽時實行の必要を强調して各國の承認を求め、その上七萬圓の豫算難に對し日本の補助より銀行より無條件借金を以て充てることを提議したるも各國の承認を得るに至らず、尚增稅の案もあるが納稅者大會の承認を必要とするのですぐに決定することが出來ないとのことだがしかし會議の空氣は各國共我方を理解したものの如く好轉してゐると云はれてゐる。 【厦門一日發本社支局特電】我が內田總領事對英米佛各國領事の鼓浪嶼問題に關する個別的懇談は三十一日最早一段落を吿げ、二日開催する豫定の四國領事の非公式會議は一日午後四時より日本總領事舘官邸に於て開催することに變更した、この會議に臨む英米佛側は緊張の空氣が漂ふて居り、內田總領事は一氣に各國の承認を獲得すべく意氣軒昂でラストヘビーを盡すものと見られてゐる問題の難關と稱される警視總監以下二十一名の日本人新規採用豫算七萬圓の捻出につき意見百出するものとみられ、如何に落付くかは我が現地軍官民は頗る重大視してゐる。 |
02 | スロバキヤ國を承認 有田外相の書翰で正式に通告 情報部長談を發表 |
03 | 佛政府筋で愕然 モロトフ委員の演説で |
04 | 新銳軍艦「翔鶴」の 輝く命名進水式 昨日橫須賀で擧行さる |
05 | 北海道二區補缺選 松浦、村上兩氏當選 |
06 | 敵二千に對し 猛爆を敢行 |
07 | 五箇國提督の 懇談午餐會 及川司令長官が招待 |
08 | バレスチナ統治に關し 英の提案を全的拒否 アラビア人最高委員會 |
09 | 河道を變へた大黃河 濟南附近では歩いて渡れる |
10 | 主和派取締に狂奔 廣東省內の支那側 諸團體の内容を吟味 |
11 | 滿獨の貿易益益緊密 協定更新滿國經濟部當局談 |
12 | 我海軍航空隊 萊陽を銃爆撃 |
13 | マ米海軍大佐 來朝 四日歸國の途へ |
14 | 正式中立法修正案の 起草を要請す 米上院外交委員會 |
15 | ジ駐支米大使 香港、海防へ向ふ |
16 | 判檢事合計 六十名を增員 辯護士中から登用 |
17 | 東安北安兩省 盛大な開廳式 |
18 | 外蒙空軍は 再建に躍起 わが空軍、動靜を監視 |
19 | 國境警備の華 村上少尉の奮戰 |
20 | 比島產物輸入 割當制實施 米上院で可決 |
21 | 于右任爆死 我重慶大爆擊で |
22 | 名古屋地方に 海軍人事部を開設 |
23 | 昭和電工の創立總會 |
24 | 臨汾、運城に 電報局開設 |
25 | 社頭部落振興會の業績 |
26 | 本日の天氣 |
27 | 大阪商船臺灣出帆 |
28 | 近海郵船基隆出帆 |
29 | 辰馬汽船 |
30 | 大連汽船 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 租界問題の解決策 實力以外になし社說 一 皷浪嶼租界改革に關する現地の外交交涉は我が强硬態度に依り、英米佛三國共同戰線の一角が崩れ、外國領事團も漸次協調的態度を示すに至り、一日より具體的懇談に移ることとなつたので、交涉は好轉し、解決の曙光が見へて來たかの如く傳へられてゐるが、しかし三國側の根本的方針及び問題の重要性よりみれば、之が解決までには尚相當な時日と幾多の波瀾曲折があるであらうと思ふ。皷浪嶼問題は支那全租界に反映するものであり、旣にその影響は上海租界に於ける反日的强硬態度に現はれ、皷浪嶼問題を中心に、支那の租界問題は全面的に重大化して來たのである。然かもこれが對策は、我國が擧國的犧牲を拂つて推進しつつある事變處理と緊密不可分の關係を有してゐるものであることは云ふまでもないのである。 二 租界問題の重大化に鑑み、我外務當局は過日、租界に對する我が根本方針を闡明し、以つて嚴然たる我態度を明らかにしたのである。 卽ち、租界の件質は支那主權が關係國の行政的制限を受けてゐるに過ぎない。租界は領土に非らず、從つて支那の主權が失はれたものでなく、其範圍內で主權が不活動狀態に陷つてゐるのである。その土地が各國の行政權內にあつても主權は消滅したのではない。現在戰爭狀態にあつて、支那主權は占領地域內は我國の支配下に存するのであつて、租界は何れも我が支配下にあることは當然であり、抗戰支那が租界にあつて我方に對し攻撃的行動に出た場合、これを排除するのは何等不思議とするに足らない。又抗日テロ行為、排日文書宣傳等は現下に於ける支那の軍事行動の一部であることは明瞭である。要するに我國が直接軍力を加へてこれ等の抗日勢力を排撃するのは當然の處置であつて、外國の容喙干涉は斷じて許さないところである云云と發表したが、我が對策は要するにこの主旨に基き之れを實行するに盡きてゐるのである。 三 租界問題に對する我が決意に鑑みてか、蔣政權の內部情勢を具さに打診して來たカー大使を中心に、英米佛三國大使及び三國の極東艦隊長官が上海で會談を行つてゐるが、租界問題は勿論更に極東問題の全面的に亘る對策を練つてゐるであらうことは推測するに難くないが、今後果して如何なる態度に出るかは知る由もない。 歐洲情勢の推移と相對應して米國の威をかつて、我國に强力な威壓を加へんとする英國の企圖が、我が反撃に依つて粉碎されつつあるとき、果して如何なる手を變へて、我國に對抗せんとするかは注目に値ひするものがあらう。難航中の英、佛、ソ三國軍事同盟が若し成立した場合、彼等の對極東策がより積極□され、一層活潑になるであらとうみられてゐる。 四 しかし英、米、佛三國の態度が如何であらうとも我國の租界に對する方針は不變である。我國が擧國犠牲を拂つて遂行しつつある事變處理の大業を骨幹として、我租界對策はもつと積極的に邁進すべきであり、之れを根本的に解決せねばならぬのである。 租界問題は列國の對日感情の惡化にからんで重大なる政治問題化してゐるのだから、列國の對蔣態度が變らぬ限り、而して東亞の新事態を認識する事にならぬ限り、理窟や口先だけの應答だけでは、之れを解決する事は到底困難であらう。頑迷なる彼等の反省を求め、又蔣政權の第三國依存の夢を粉砕し、而してその抗戰氣勢を叩き潰すには結局實力以外には對策がないであらう。 |
02 | 興亞勞働報國隊を 滿蒙北支方面へ派遣 大陸認識と勤勞奉仕に |
03 | 專賣品小賣人 組合總會(宜蘭) |
04 | 本島青年訓練制は 純教育的のもの 島田文教局神戸で語る |
05 | 雙溪御宿營記念祭 |
06 | 白衣の勇士見舞ふ 家族に旅費を補助 軍人援護會から |
07 | 公民塾蓋名け(宜蘭) 昨日からアイウエオ |
08 | 獨逸新聞使節團 橫濱發「さよなら!」 |
09 | 南支臺灣間 運輸機關の整備 會議で力說した 日滿支實業大會華南代表 楊吉祥氏の感想談 |
10 | 中里介山氏渡米 |
11 | 新觀バスの お家騒動ケリ 一件書類のみ送局 |
12 | 集金一千圓橫領 |
13 | 新東亞聯結の役目 本島人が適役 太平洋協會 調查部長山田文雄來臺 |
14 | 地下資源をピタリ 新探鑛機完成さる |
15 | 廣東省語通譯募集 |
16 | 紙の屋根が出現!甲子園の假設國際館に使用 |
17 | 全島中等學校 辯論大會 |
18 | 石灰統制組合 創立總會 |
19 | 南寮ヶ濱で 浴場開き |
20 | 高商雪辱 高專野球決勝戰 |
21 | 母を讚へる「母の日」 十七日公會堂 |
22 | 定期航空 |
23 | ときのこえ |
24 | 訃文:槙哲 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 買上米價の格差 三等米以下が過酷 受納檢查制度重視さる |
02 | 來期甘蔗買收價格 大體据置に決定 當局、行政的手段で指示 |
03 | 島內の官廳用炭 割高で共同申入れ 最初の共同購入を見ん |
04 | 營林所材拂下直段 据置に決定さる |
05 | 拓洋水產會社 臨時株主總會 |
06 | 勸業、保安課長會議 タイヤ規則實施を打合 |
07 | 製糖終了 |
08 | 日本樟腦招宴 吉岡專務が披露 |
09 | 鐵道部要求豫算に 一千萬圓を計上 貨車千六百輛を新造 |
10 | 具體化せる(下) 配當制限の基準 |
11 | 苗栗工場壓搾終了 |
12 | 郵便貯金 五月末は激增 |
13 | 臺中州所得金額 及び納稅人員 |
14 | 二工場製糖終る |
15 | 高雄青果組合 廿七日檢查數量 |
16 | 東臺灣電力興業 五日に創立總會 |
17 | 農會需要硫安肥料 廿割の激增振 |
18 | 照明燈 |
19 | 市價及商況 一日 |
20 | 第四十二期決算公告 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 時局下に躍動する曾文郡 郡民崇敬の中心特輯 |
02 | 皇民化の尖端を行く 郡下の皇民塾運動! 部落振興會の實行細胞特輯 |
03 | 圖像:林郡守特輯 |
04 | 圖像:曾文郡役所特輯 |
05 | 圖像:西村警察課長特輯 |
06 | 圖像:森庶務課長特輯 |
07 | 農道と耕地防風林 近く第一期工事完了特輯 |
08 | 大和製粉公司特輯 |
09 | 圖像:皇民塾の實景特輯 |
10 | 街庄の躍進的施設特輯 |
11 | 圖像:麻豆街本通り特輯 |
12 | 麻豆協成自動 車合資會社特輯 |
13 | 柑橘類中の王座 麻豆の文旦と白柚特輯 |
14 | 廣告特輯 |
序號 | 標題 |
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01 | 郡下主要道路の マガダム式鋪裝 保甲民の勞力奉仕で特輯 |
02 | 麻豆專賣品 小賣人組合特輯 |
03 | 圖像:名果・文旦の由來特輯 |
04 | 明治製糖株式會社 連鎖的經營を實行特輯 |
05 | 郡下の金融機關特輯 |
06 | 嘉南大圳事業概要 數字が示す効果の實績特輯 |
07 | 麻豆街商工協會特輯 |
08 | 合名會社 金聚利商店特輯 |
09 | 廣告特輯 |
序號 | 標題 |
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01 | 產協臺中支部が物質配給に進出 產組織の威力商店界早くも恐慌 |
02 | 鹿島村の入村式 同時に小學校の開校式 |
03 | 能高郡警察異動 |
04 | 鼻下長連大怪我 |
05 | 初漁供養祭 大溪街で擧行 |
06 | 竹南米穀改善 協會けふ總會 |
07 | 上海租界について(下) 外務省情報部 |
08 | あはや溺死 危い兒童の水遊び |
09 | 蔗代を釣る富 籤賭博 |
10 | 婦女子に國語熱 吳厝婦人國講開く |
11 | 三峽庄農組聯合會 十八實行組合を統合 |
12 | 洪源卿翁 |
13 | 若妻縊死 |
14 | ローカルセクション |
15 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 曾文溪の治水事業 盛大に竣工式擧行 沿岸住民は歡喜雀躍 |
02 | 未教育兵の訓練 臺中州鄉軍聯合分會で實施 來る十一日より一週間 |
03 | 審議會を開催 |
04 | 屏東分會總會 |
05 | 圖像:東鄉元帥五周年祭 |
06 | 漁業權を饒って邦人比島で受難 船賃の送金方を依賴 |
07 | 曾文溪の治水事業(二) 臺灣總督府內務局 |
08 | 大屯郡分會の 後援會あす發會式 |
09 | 現從業員表彰式 きのふ專賣局 臺中支局にて |
10 | 軍事援護並に 社會事業の打合會 來る六日臺南州に於て |
11 | 犯罪なき市を目指して 防犯協會を結成 きのふ嘉義署で擧式 |
12 | 獸魂祭を擧行 屏東屠場に於て |
13 | 高利貸の魔術 四千圓の手取を渡して 二萬圓の債權を生出す |
14 | 志保田氏歡迎會 あす臺中市にて |
15 | 大臺中市の振興會 けふ市幹部が秘密協議 |
16 | 青年道場落成式 きのふ鳳山に於て |
17 | お國自慢の土產品 近く展示會を開催 花蓮港昭和會館に於て |
18 | 楓港バス道路 愈よ近く運行 三日修祓式を執行 |
19 | 釣の見物人 激浪に攫はる 西子灣真畫の椿事 |
20 | 母親の不注意 子供慘死を遂ぐ |
21 | 漢藥材專門の泥棒 |
22 | 臺中市の執務時間 午後三時まで |
23 | 消息報社消息 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大陸一代娘(58)/小栗蟲太郎;中島喜美 |
02 | ラヂオ |
03 | 講演 日本と伊太利 カルロ・フオルミツキ/有島生馬 |
04 | 琉球古典音樂 |
05 | 圖像:炎天下に張切る艦上生活(其三) |
06 | 子供の時間 お琴と童話/銀鈴會;鈴木貞子 |
07 | 幼兒時間 お話お母様方へ/山下松代 |
08 | 時局演藝 防火水道/鳴見近多;三益愛子 |
09 | 松竹京都撮影所特作 いざよひ峠 |
10 | 料理 |
11 | 「喧嘩鳶」 前後篇となる |
12 | 笠井監督の新作 「黑潮」の配役 |
13 | 新興更に引抜き |
14 | 田中重雄の 「結婚問答」 |
15 | 全集「愛染かつら」 |
16 | 東寶撮影所に 吉原花街 「樋口一葉」 クランク止 |
17 | 東寶「出征譜」 好評で續篇着手 |
18 | 「春の悲歌に着手」 |
19 | 大船吉村監督の 第三回作品 「明日の踊子」 |
20 | 理研科學の 第一改題 |
21 | 海外映畫短信 |
22 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 海南島の敗殘敵兵 續續歸順を申出づ 飜然、惡夢より覺醒! |
02 | ソ聯の援助は御免 モトフ委員の演説に エストニア官邊が反對 |
03 | 傷痍軍人五訓を制定 各地方長官宛てに通牒 |
04 | 圖像:新東河の敵を前にして最前線警備狀況 を視察する○○部隊長 |
05 | パ攝政殿下 ヒ總統と懇談 |
06 | 英新造大型潛水艦 試走中に故障沉沒 |
07 | 北京の大都市建設 本年度は先づ道路を |
08 | 物資輸送協力委員會(假稱) 中央統制機關として近く設置 |
09 | 金口木舌/林正享 |
10 | 白刃、銃劍を翳して 敵陣に雪崩れ込む 外蒙兵を完全に驅逐 |
11 | 一擧敵の主力粉碎へわが陸鷲活躍の詳報 |
12 | 哈拉哈河國境線 完全に確保さる |
13 | 廣東訪日經濟 視察團一行 門司着、神戸へ |
14 | 明日の天気 |
15 | 總動員(144)/長田秀雄;夏口醇 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 戰時稅制下に見る 長者番附の大躍進 多額議員互選迫る |
02 | 淡水神社鎮座祭 奉祝行事で全街湧く |
03 | 基隆神社大祭 御神幸祭は取止む |
04 | 御遺跡地記念祭 けふ嚴肅に執行さる |
05 | 臺北市農園擴張 |
06 | 故鈴木少佐の 慰靈祭を執行 四日篠原部隊で |
07 | 佛山から三水へ (上)/TK生海外遊記 陽春の候はや過ぎて廣東に南國の夏がやって來た、每日安閑としてオミオッケと睨みあひっこしてゐては戰地に來た意味をなさぬといふわけでもあるまいが昨今ややもすれば弛みがちなフンドシを締めなほさうと、去る日ボクは前線三水方面への飛び歩きを試みることにした。三水は廣州市を距る約四十キロの西北方 三水縣の縣廳所在地で東江、北江、西江の相會する交通上の要衝、河向ふは一面に敵の大部隊だ。いまはポンポンと彈の音こそ聽えぬが滿々と河水を溢へた西江の彼方には敵のトーチカ陣地があり、ゲリラ戰術で出没する敵の遊撃隊が蠢動してゐる、何ものかを求めやうとするボクの慾望と偶々おきた社のある用務が遂にボクの前線飛び歩きを可能ならしめた 戰ひはいづこ? 普通のセビロ服にカメラと手提鞄をさげた怪しげなイデタチで社を出たボクは先づの用務を足すべく滘口碼頭から福大のバスを拾ひ佛山へと向ふ、この日は驟雨後快晴、空は白雲微かに浮び小鳥の囀りさへ聞える長閑さだ、窓外を眺れば見渡す限り一尺餘に伸びた稻田が青々と擴ってをり初夏の陽ざしを浴びて日章旗が所々に飜翻とひるがへってゐる、思へば皇軍が廣東に入城僅か七箇月餘、既に廣東佛山間の自動車道路が我が軍の手によって開通され、今日中國製ならぬわが 國產自動車がこの坦々たる道路を疾走しやうとは誰が豫言し得たらう、クリークには顏を半分真黑にした廣東の子供達が全く戰爭とは無關係のやうに魚を獲ってをり田甫には唐傘を阿彌陀に被った百姓が草とりに忙しい、この風景は緊張と勇壯を求めやうとするボクの慾望とは凡そ反對な感傷をボクに與へむしろ詩になり繪にもなる平和鄉たるの感をボクはしみじみ味ったのだ、かくして疾走また疾走、午後一時すぎ車は佛山市內に入った 復興顯著な佛山 こゝ佛山は廣州市の西南十餘キロ珠江の上流に位し奧地への咽喉として交通上の要衝を扼してゐる、市の中央に南海縣專員公署あり、佛山、九江兩特別區の外八區、十鎮、八十二鄉九十三箇村を統轄してゐるといふ人口約廿餘萬。この地は三月下旬社の同人と共に見學に來たのだが二箇月後の今日ボクは更に一段と脈打つ佛山の顯著な復興の鼓動に驚かざるを得なかった、道行く人に大陸人獨特の鷹揚さあり、既に平時の落つきを取戻し闊歩する足取りも 賴母しく、店といふ店は店頭の裝飾もいと鮮かに平常と何ら變らぬ營業を續けてゐる、昨今は中國人でも夜の十二時一時頃まで平氣で市內を往來し二箇所で夜の十二時頃まで觀眾を喜ばしてゐるとか、勿論匪賊的な行為など全く見うけられない、この復興、この治安の狀況はある意味において本家ともいふべき州市よりも一歩先をいってゐるとボクは思った。 |
08 | 松月樓主が献金 |
09 | 固定給制度で 運ちゃんに春 最高月收三百兩 |
10 | 新竹の職能登錄 開始と共に申告者殺到 |
11 | 興亞の立志傳 圖書館勉強で 高文豫備試驗合格 謝永河君に榮冠 |
12 | 死藏金賣却を懇談 近く內臺婦人座談會 |
13 | 鐵觸媒の研究完成 ガソリン合成法に一新紀元 京大化學研究所で |
14 | 東洋電化工業 花蓮港に設立 創立總會開き役員決定 |
15 | 臺北第三高女耐熱遠足 |
16 | 蘭陽三郡下を荒し廻る |
17 | 車夫も衣換へ 五日から一齊白服に |
18 | 定期航空 |
19 | 今夜の放送 |
20 | 商況 二日前場 |
21 | 今日の興行 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日本の母(137)/新述節;瀧伸二 |
02 | 家庭婦人 斷然多くなって來た 結婚披露にお茶の會 形に捉はれず打ちとけて |
03 | 日本的になった 今夏の婦人服 外出向にはボレロ附が流行 |
04 | 酢はこんなに 利用法が多い |
05 | 家庭婦人の常識集(四) |
06 | 圖像:南昌攻略の皇軍へ演藝慰問隊 |
07 | 「女性美」爆擊の 雀斑に新療法 ヴイタミンC登場 |
08 | 肌をそこねない ドーラン化粧法 脂性の人にもよろし! |
09 | 梅雨時に大切な 蓄音器の手入法 |
10 | 今夏は蚊帳も オール・スフ製 木綿より却って丈夫です |
11 | 世界最初の 花の記念碑 |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新民報國語學習新聞 日滿支親善を強調する 支那小學校教科書 文教局が編纂、近く廣東へ 全十一科目八十三冊 |
02 | 圖像:そよかぜ號歸る |
03 | 義務か?志願か? 各國の兵役制度(下) 國民皆兵が絕對多數 |
04 | 今日の歷史 |
05 | 童話 おつかひ(下)/青柳瑞穗 |
06 | 珍木「世界翁」 天然記念物として保存 德島縣で發見 |
07 | 圖像:日本丸遠洋航海(十三) |
08 | 圖像:上海の海軍記念日 |
09 | 日本一の小さい 小學校ができた 瀬戶內海の小島に |
10 | 年に三億六千萬圓 プカプカと煙になる |
11 | カタカナ欄 オソロシイヘビ キラレテカミツク |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 歐洲情勢に對處の 帝國の具體的方策 五相會議で重要協議頭條新聞 【東京二日發同盟】歐洲情勢に對處すべき帝國の具體的方策に就ては去月二十日根本方針決定を見て以來引續き陸海軍間で檢討を遂げつつあつたが兩當局の意見は一致を見たので板垣、米內陸海兩相は二日定例閣議前、首相官邸で會見右事務當局の意見を基礎に重要協議を遂げその結果兩相の意見一致を見るに至つたので政府は同日午後五相會議を開き帝國政府の具體的態度に關する重要協議を遂げた |
02 | 我空軍の真實を發揮 滿盟國境事件空前の高效率擊墜記錄 |
03 | 天皇天后兩陛下 大宮御所に行幸啟 |
04 | 戰場の掃除も終る |
05 | 圖像:滿蒙國境ノモンハン事件 |
06 | 對ソ關係深入りは 極東の權益を失ふ 英國有力紙の論説 |
07 | 佛紙も不滿 |
08 | 依然無氣味な沉默 |
09 | 總戰果 |
10 | 文字通りの白兵戰 群る敵中に飛込んで 東部隊長、壯烈な戰死 |
11 | 齋藤機の一對廿一 敵も驚いたらう 可兒隊長、笑湛へて語る |
12 | 文昌に治維會 成立 |
13 | 沙頭山の敵陣を砲擊 海鷲、福建省要地を襲ふ |
14 | 敵遊擊隊を撃滅 江南各地に於いて |
15 | 山西南部の戰果 |
16 | 日獨醫學協會設立 協定昨日調印さる 外務大臣應接室で |
17 | 慶賀に堪へぬ 三谷部長、石橋協會長談 |
18 | 驅逐艦「磯風」 來る十九日進水 |
19 | ジ駐支米大使 香港に立寄る |
20 | 定例閣議 |
21 | 本日の天氣 |
22 | 大阪商船臺灣出帆 |
23 | 近海郵船基隆出帆 |
24 | 辰馬汽船 |
25 | 大連汽船 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 米穀納入會社の設立問題 全島各地より反對氣勢擧る社說 一 臺灣米移出管理案の實施に伴ひ、米穀の蒐集納入をなすため、督府米穀課に於て全島を打て一丸とする米穀納入會社を創設する計畫があると一度傳はるや、一般島民に大きなセンセーシヨンを捲き起し、殊に地主、農民及び米穀關係業者を焦慮せしめてゐる。之がため當局では過日の二期米買上價格發表と米穀納入會社創設に對する島民の聲並に地方經濟界に及ぼす影響如何を打診するため、去月末に全島各州に於てそれぞれ郡守市尹會議を召集したのである。流石は地方民に接觸してゐる第一線の郡守市尹だけに孰れも後者卽ち米穀納入會社の創設を重大視し地方民の意志を代表して其創設に反對意向を表明したと傳へられてゐる。 一方全島の農產倉及び土壟間業者では自分等の死活問題なりとして二日午後臺北蓬萊閣に於て米穀納入會社設立反對大會を開催し絕對反對の決議をした程問題は重大性を帶びてゐる。 二 今米穀納入會社創設に依る最も影響の大なるものは今まで地方經濟界を牛耳つてゐる旣存機關(農產倉、土壟間)を根本的に破滅せしめ且又組織上尚幾多の困難を伴ふものである。 第一に旣設の農產組合倉庫及土壟間業者の事業權を取上げることになるから、地方民心に動搖を與へること甚大である。第二に創立の前提たる倉庫、工場、諸設備等の評價は極めて困難である。第三に現下の經濟事情よりして其施設價値著しく增大せるを以て現金出資又は施設當時の經費を以て律することは不當である。第四に產業組合の參加の如きは法制上穩當ならず、況や產倉の身賣の如きは總代會に於て否決さるるは明かな理である。更に一步進んで考へるに現存各地の信用組合の預金貸付事業の八割は籾代金又は籾委託に依る貸付で同社設立は延て此種地方庶民金融機關の閉鎖を招來する虞もあるので、旣存機關に與へる打撃甚大なることは想像に難くはない。 三 尚ほ納入會社創設と生產者との利害關係を考察するに、(一)會社の經營、維持、配當等多額の經費を要し、從て新會社概算經費に依れば、一袋當八十錢程度にして、旣存機關の過去實績によれば袋當三十錢で足るべく、總計年六百萬圓の過分支出をなすこととなり、其の全部は農民の負擔に轉嫁し、農村經濟及び一般商工業に及ぼす影響大なるものがあらう。(二)一會社に統合した結果として事業は獨占的となり、籾買付、玄米步留查定、檢量等總て無競爭にして專橫に陷り易く、農民の蒙る不利不便夥しきものがある。(三)戰時下に於ける米穀增產上支障多く、卽ち農民の蒙る不利不安は米管實施と相關聯して必然的に農村經濟に急激なる變化を與へ、米作負擔加重は延て小作問題の惡化を誘致し、社會的に憂慮すべき狀態を惹起するかも知れぬ。之等の憂慮すべき事態及萬難を排して迄米穀納入會社を新設する必要がどこにあるか?旣往の實績に鑑み、旣存機關に委ねても十分米管案の運用は出來、且つ經費も安くあがり、農民の負擔も輕減できるではないか。上述の諸般の事情に對し敢て當局の慎重なる考慮を促すのである。 |
02 | 日米親善の豪華版 記念大晚餐會開かる 紐育萬博日本側主催 |
03 | 新竹庭球大會 十一日に開催 |
04 | 親善の絆を一層強化 堀内大使、傳統親善を強調 |
05 | 軍人援護會に二千圓献納 桑田剛助氏が |
06 | 職業能力申告開始 初日から殺到して 臺北市轉手古舞 |
07 | 森岡長官區府 |
08 | 續く赤誠の献金 基隆憲兵分隊へ持ち込まる |
09 | 佛山から三水へ (中)/TK生海外遊記 武士のなさけ 夕刻○○に○○を訪ふ、以下○○氏の話 最近廣州市との交通が開けるに從ひ佛山の物資需給は次第に圓滑となり日に日に與隆への一途を辿りつゝあるが、これに反して奧地は軍閥の苛歛誅求と物資缺乏のため目先の利いた商人達は昨今佛山に來て蔬菜類手工藝品、水牛、マッチ蠟燭などを買ひ集めて敵陣地で賣捌いて來る、これは大變儲かるやらうで商人はホクホクだ、事變前までは足溜りでしかなかった佛山がこの頃は物資の集散地になってしまた、戰爭が續けられてゐる限り敵に物資を供給することは恰も彈藥を補充してやるやうなもので作戰上許されぬのだがそこが武士の情でこの程主腦部で協議した結果日本軍は良民を苦しめぬ建前から住民に賣捌く物資にして警備隊の目を掠むることなく正直に願出たものはこれを許可する事に決定し近く○○部隊長の名を以て佈告を出す事になった 聖戰既に三星霜、日本の真意こゝにあり、世界に誇るわが國武士道の顯現たることを中國人は知るか知らぬか! 興亞の快速列車 攻略後間もなく店開きした日本人旅館で一夜を明したボクは翌朝早めに宿を出で佛山驛より廣三鐵道にて目的地三水に向ふ、廣三道は廣州市の對岸石園塘より佛山を經て三水に至る八十八キロの鐵道、一八九八年米國資本によって敷設せられ一九二ときのやうに獨りで囃ぎ好奇心がボクを驅って兵隊さんに色々四箇月振りに乘る列車であるからだ、待つこと十數分、やがて列車は白煙を吐いてプラットホームに入る、稍々舊式かと思はれる機關車に客車三臺の連結、東道の役をつとめたK氏が促すまでもなくボクは列車にとび乘った 「この機關車は舊式ですね」車掌兼列車ボーイの兵隊さんに訊くと「いやこの機關車が一番新しい、しかしこれでなかなかスピードは出ますよ」肩幅のひろい無精鬚の兵隊がキッパリと答へる 客車の天上を見ると○○席○○○席などと軍隊式に各々のを書いた木札がぶら下ってゐた恰もお上りさんが始めて乘る列車內をマゴマゴするうちに車掌が降りて合圖をすると氣笛一聲車が静かに動き出した、このときボクの耳に入った 氣笛の音は稍々神經質的な即ち日本の列車の氣笛が太く短くポーと響いて來るに反して中國のそれは細く長くピーに近く聞えたのだがそれは神經質なボクのせいか、併しこの廣東において而も戰爭の真只中にボクがかくも悠長に構へて氣笛の音を分解する氣持をボクは不思議に思った、そんな下らぬことを考へるのではない、朝の曉闇を裂いて天に響けとばかり 興亞黎明を告げる警聲と思はねばならぬ、前線と銃後を結ぶ一億の民がこの列車を走らしたのではないか?と周章てゝボクは否定するのであった。こんなことを考へて車は快いスピードで三水へ....... |
10 | 基隆社寮町に 彰銀出張所 水產業者が設置運動 |
11 | 百萬州民の體育 臺北州の原案成る 昨日關係者が再檢討 |
12 | 思想國防戰に備へ 宗教家團結を促す 世界の敵、共產主義に對抗 |
13 | 訪日廣東視察團神戶着 |
14 | 青年團を動員して 三郡に植林運動 二十五日から開始 |
15 | ソ聯の宗教 否認效力なし |
16 | 米大西洋岸向 比島砂糖運賃 据置に決定 |
17 | 鐵道部異動 |
18 | 資源國策に順應し 金銀紙製造廢業 陋習を打破し皇民化に一歩前進 |
19 | 九本入煙草 |
20 | 就職を種に詐欺 朦朧組合を作って 保證金、月給を橫領 |
21 | 全村加入と 金買上げ運動 員山信組乘出す |
22 | 定期航空 |
23 | ときのこえ |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 米穀納入會社設立に 全島大會反對決議 關係當局へ陳情打電 |
02 | 米穀納入會社設立は 農民の負擔を加重 全島大會反對理由發表 |
03 | トロール、底曳別に 任意組合を組織 近く創立總會を開催 |
04 | 潮州線延長工事 鐵材延着で遲る |
05 | 納入會社設立二對 スル反對理由 納入會社計畫試案 |
06 | 全島水產主任 九日に餐集協議 |
07 | 本年一期米用麻袋 六、七月分配給決る |
08 | 今後の肥料配給は 輸移入高別に指名 配給組合を創設さす |
09 | 亞鉛鐵板線材組合 役員選擧終る |
10 | 堂島期米は 最高値へ肉迫 |
11 | 壓搾終了 |
12 | 照明燈 |
13 | 市價及商況 二日 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 理科物語 海水浴と動植物/堀川安市 |
03 | 家庭醫事常識 六歲臼齒(第一次 臼齒)の養護/大橋平治郎 |
04 | 料理 |
05 | ラヂオ、コメディ マルマル玉の山 |
06 | 五百萬人の足並、交通量調查至って順調 |
07 | 趣味講演 千鳥の話 『千鳥笛實演』 |
08 | 子供の時間 探險英傑傳(第二回)マルコポーロ/澤田謙 |
09 | 蕃歌 |
10 | 松竹京都撮影所作品 若旦那ここに在り |
11 | 露を含むチューリップ コツの要る水揚げ法 |
12 | 花柳章太郎の初映畫 「殘菊物語」と決定 |
13 | 新興の虎造 お盆映畫 「男一匹」久松監督 |
14 | 原作者が張切る 大作「榮華繪卷」 |
15 | 新興東京 歌舞伎で特別 ロケ敢行 |
16 | 大都映畫異色篇 「子寶部隊」完成 |
17 | 海外映畫短信 |
18 | 珍しや浩吉の新喜劇 評判出世櫓 |
19 | ユナイトの問題映畫 デッド・エンド |
20 | 「金比羅詣り」に演藝部出演 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 萞麻栽培の積極化 大溪街で計畫を實施 |
02 | 新生海南島へ 製瓦部隊 熱砂の地に内地瓦輝やかさん |
03 | 圖像:行け新港郡へ |
04 | 曾文溪の治水事業(三)/臺灣總督府內務局 |
05 | “釘一本でも” 竹南郡屑物回收統治組合 けふ設立準備打合會 |
06 | 豐原郡金献實 行委員大會 優良委員を表彰 |
07 | 明るい竹南郡へ 防犯自警の模範部落を建設 |
08 | 双輪驅つて臺灣一周 豐原の廖君スタート |
09 | 內湖の胡瓜 今が出盛り |
10 | 干草の納入作業 集集庄民赤誠の總動員 |
11 | 特用作物に 關する打合會 林邊庄にて開催 |
12 | 國債を消化するバナナ 新植畑には黃麻を間作 生產者國家奉仕事項數數 |
13 | 北斗郡金献實 行委員大會 |
14 | 運動詐欺? |
15 | ローカルセクション |
16 | 社告/臺灣新民報社報社消息 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 特約割當を繞って 材木街に明暗兩流 隨所に悲喜劇を演出 |
02 | 遺族の親睦機關 「櫻の會」 高雄市公會堂で |
03 | 白衣諸勇士歸還 けふ高雄けふ分院へ |
04 | 臺陽美術展 けふより臺南市で |
05 | 潮恒バスの修祓式延期 來る五日に |
06 | 高雄神社神饌田 袚穗祭を執行 きのふ嚴肅に擧式 |
07 | 臨時國勢調查 事務打合會 きのふ高雄州で |
08 | 高雄州堀江小 保護者大會 |
09 | 高雄州の教育者大會 來る十一日盛大に開催 |
10 | 佐治廳長來高 |
11 | 帝都が誇る豆ポンプ |
12 | 鼓浪嶼は排日 抗日の策源地 枚擧に遑なき事實 |
13 | 圖像:上海に於ける海軍記念日。我海軍陸戰隊の精鋭堂堂市中大行進 |
14 | 國語強調週間行事 臺中州下一齊に實施 |
15 | 東園少年團 蕃會を開催 |
16 | 不心得の雇主 誇大な過失報告 憲兵隊でお眼玉を頂戴 |
17 | 臺中州工業研究所 來る十日に開所式擧行 |
18 | 臺中春競馬 第四日目の成績 |
19 | 花蓮港に豚肉饑饉 主婦連恐慌を來す 屠殺業者の半分は休業 |
20 | 美容術師の 試驗を實施 改正規則に基いて |
21 | 櫻井に執行 猶豫の恩典 |
22 | 純綿品の配給 高雄州を開催 |
23 | 臺南署防犯協會 來る五日に發會式擧行 |
24 | 高雄市教護聯盟 幹事會を開催 |
25 | トスカニーニ 奇禍 |
26 | 臺南州議に 出澤氏當選 |
27 | 社告/臺灣新民報社報社消息 |
28 | 消息 |
29 | 歐洲の情勢緊迫 英帝卸召艦變更の經緯 |
30 | 故槙鹽糖社長 遙弔世執行 |
31 | 花蓮港でも遙弔式 |
32 | 訃文:槙哲 |
33 | 訃文:黃經儀 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 豫算難を口實に(鼓浪嶼改革) 外交交涉頓挫か 各國領事依然不誠意 |
02 | 敗殘の顧祝同軍に 徹底的掃蕩を開始 陸の荒鷲も協力活躍 |
03 | 漢水東岸で 蠢動の敵人驅逐 |
04 | 北白川宮家に 白馬二頭を献上 張滿國總理から |
05 | 南昌南方戰線の 敵各據點を爆撃 |
06 | 烈樓海南島の自警團も 民眾自衛軍に加入 |
07 | 圖像:ノモンハン事件 |
08 | 司法保護委員總會 |
09 | パウル殿下 獨空軍の分列 式を閱兵 |
10 | 伊、亞貿易協定 調印を終る |
11 | ノモンハン事件は 外蒙兵の意志に非ず 彼等はソ聯の壓制離脫を熱望 |
12 | 日本海軍を禮讚 友邦獨逸のマ中佐 |
13 | 事變收拾の一助に 我事變國債を購入 留日華僑が感謝の印に |
14 | 近衛樞相 園公を訪問 |
15 | 圖像:獨伊兩國外相會談 |
16 | 新職制を可決 精動緊急理事會で |
17 | ソ聯は内亂を虞れ 異民族を極東戰線へ 捕虜により暴露さる |
18 | 西南軍閥間の 地盤獲得策動 著しく露骨となる |
19 | 統制法に依る$認可數 滿國の臨時資金 |
20 | ソ聯モ外相より 英佛兩國に回答 三國協定問題に付 |
21 | 英佛成逝去 |
22 | 明日の天気 |
23 | 總動員(145)/長田秀雄;夏口醇 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 後顧の憂を絕って 一意!忠誠を竭す 肅然!襟を正さしむる 應召・出征時の心得 |
02 | 紐育萬博日本デー 華華しく擧行さる 日米親善聖火の點火式も擧行 |
03 | 堀內大使の演說好感 月本孃の來着とともに 米各紙大大的に報道 |
04 | 圖像:世紀の驚異紐育萬國博 |
05 | 迂闊な牧師 小使にベンチを賣らる |
06 | 基隆神社大祭 けふ嚴かに擧式 一般市民の參拜續く |
07 | ボーナス袋の國債 斷じて賣るべからず 大藏省、各府縣に呼掛く |
08 | 海南島の治安進捗 寄臺した昌谷總領事語る |
09 | 北二女のバザー |
10 | 基隆の職能申告 團體多く個人は少ない |
11 | 惡ブローカ御用 |
12 | 闇取引連中に說諭 穿き違へ金献運動 |
13 | 明朗廣東を聽き 皇軍に華僑感謝 馮、方兩氏を迎へて座談會 |
14 | 產米改善座談會 六日高雄で開催 |
15 | 醫者泣かせの モヒ中檢擧 |
16 | 金の賣却に 部落婦人を動員 新竹郡舊港庄が乘出す |
17 | 定期航空 |
18 | 人事消息 |
19 | 今夜の放送 |
20 | 商況 三日前場 |
21 | 今日の興行 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日本の母(138)/新述節;瀧伸二 |
02 | 家庭婦人 一般家庭の廢物 紙と金物の整理 回收箱を用意して分類せよ 針やペン先も大事な鑛脈/關根康喜 |
03 | 家庭婦人の常識集(五) |
04 | クリームの 拭き取り方 無關心な方が多い様です |
05 | アップスタイルを應用 お嬢さん向きの髪型 衿あしの短い方にもよい |
06 | もみぢおろし |
07 | 鰯を主材料に 經濟料理三種 こんな類ひの物を |
08 | 手輕にできる オムライス |
09 | 圖像:ターキー、テムプルちゃん訪問 |
10 | 薄物のシミ抜法 これから愈よ目立つ 汗や果物汁等の汚れ |
11 | 蔬菜の調理 |
12 | 表札の掛け方 |
13 | 生大豆を利用し 家庭で豆腐製造 お殼が出ず榮養百% |
14 | 白髮染に かぶれぬ法 |
15 | 子供の飲料は 自家製を |
16 | 白粉と寫真 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新民報國語學習新聞 軍國日本のほまれ 三つ兒が甲種合格 光榮の故田原兄弟 |
02 | 圖像:遡江部隊を撃つ陸戰隊 |
03 | 相撲の行司の掛聲 「ハツケヨイニコッタ」 |
04 | 傳染病の媒介者 蠅、蚊、蚤の生立ち(上) 驅逐法はかうして |
05 | 今日の歷史 |
06 | 支那童話 大きな黑牛(上)/小田嶽夫 |
07 | つばめを可愛がる ハンガリー人 國中に高い巢が澤山 |
08 | 圖像:日本丸遠洋航海(十四) |
09 | 圖像:記念艦「三笠」の軍旗揭揚 |
10 | テニスの代りに グラウンド・ボール 長野縣の飯田女學校 |
11 | カタカナ欄 コレハオモシロイ ヒゲノアルバアサン |
12 | 年に三百六十の卵を生む 鷄四十五羽來る 臺北州の種畜場に |
13 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 我要求の最低限を決定 飽くまで承認を求む 我方は斷乎たる態度 四國會議 あす續開頭條新聞 【厦門三日發本社支局特電】鼓浪嶼工部局改革問題を解決すべき日英米佛四國領事會議は一時は三國側が我方の主張を理解したかの如き態度をとつたがその魂膽は依然日本勢力の伸張を喜ばず、狡猾にも我が要求第二條に對し豫算不能の口實を以て婉曲に拒否したので我方は痛く憤慨してゐる、この項の要求は我東亞新秩序建設にある程度その實現を必要とする以上問題の解決に對し重大視するので、我方現地長官は我正當なる要求の最低限度を決定、その承認を求めるものの如く、若し英米佛が尚不法にも拒否する態度を固執するならば要求貫徹の為め我方は飽くまで斷乎たる態度を堅持するものと見られてゐる、尚四國會議は來る五日續開される筈であるがその成行は重大視され各方面の視聽を集めてゐる。 |
02 | 近衛樞相初の 西園寺公訪問 靜岡に向ふ |
03 | ソ聯の要求實現難 共同保障問題尚幾多の波瀾 イギリス政界の觀測 |
04 | 英政府、莫斯科に 特派使節を派遣 ヴ外交顧問選ばれん |
05 | モ委員の主張は り國と關係なし リトアニア政府筋反駁 |
06 | 故山田大佐 少將に進級 |
07 | 圖像:ノモンハン事件 |
08 | 南工省機構改革と 各省行政との摩擦(上) |
09 | 我方鐵壁の陣を敷く 外蒙軍の動作を嚴戒 |
10 | 敵屍にも野生の 花を供へる 敵機無殘にも真黑焦げ |
11 | 對歐の實習方針と 我出先との聯絡問題 首相、外陸兩相と協議 |
12 | 造船計畫を再檢討 物動計畫と睨み合せて 新造計畫を嚴重查定 |
13 | 須磨子女史 ム首相を訪問 日本女性として 最初の會見 |
14 | 米國の大建艦發注 合計二十四隻に上る |
15 | 福建省各地を爆撃 海鷲北支南支で活躍 |
16 | 和縣縣城を占領 |
17 | 中井日鐵社長 辭任 後任は中松常務 |
18 | 日鐵の決算 重役會 |
19 | 川野中佐永眠 同時に大佐に昇進 |
20 | 日、支經濟提携 軌道に乘る 日高經濟部長の歸朝談 |
21 | 沉沒英潛水艦の 乘組員救助絕望 |
22 | 東株理事長 坂專務理事が 當分業務代理 |
23 | 本日の天氣 |
24 | 大阪商船臺灣出帆 |
25 | 近海郵船基隆出帆 |
26 | 辰馬汽船 |
27 | 大連汽船 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 小賣商の共同 仕入を提唱社說 一 本島の對內地貿易は領臺以來非常な飛躍的發展を遂げてゐるが、今試みにその統計數字を擧げて見れば、卽ち明治三十年の對內地貿易は僅か五百八十二萬八千圓しかなかつたが大正元年には一躍九千萬臺に上り、昭和元年には三億萬を突破し、昭和十三年には遂に七億五千萬になつたのである。之を領臺當時に比較すれば正に百五十倍の激增振りである。その內移出が四億二千萬圓餘、移入が三億二千餘萬圓になつてゐる。この三億二千餘萬圓は卽□本島の建設資材又は消費資材になるのであるがその中消費資材がその大部を占めてゐることは勿論である。而して普通一般小賣商人の手を通じて日日吾人の生活を維持して行く為に消費されてゐる所謂日用雜貨價格は優にその半分を占めてゐると見て差支へはなからう。 二 この一億數千萬圓の日用雜貨が小賣商人が直接製造元から仕入れて來るものもあるが、その大部分は問屋その他所謂中間機關の手を經て移入するものである。この間莫大なる利益がそれ等中間機關に依つて占められてゐる事は蓋し明白なる事實であらう。殊に本島人の小賣商人は小資本の哀しさ內地の問屋から直接仕入れるとが出來ず、その間更らに幾多の手を經てゐることは人の知らるる通りである。故に本島人の小賣商の擧げ得る利益は內地人の店よりも遙かに僅少であることは如何ともし難い宿命である。本島人小賣商が斯る不利なハンデイキヤツプの下に自からの商賣を維持して往くには勢ひその生活費や經營費を極度に切詰めて往くこと例の不愉快なカケ値を言つて萬一を僥倖すると云ふ極めて不健全な營業方法に依らねばならない破目になつたのである。 三 然るに一般本島人の生活同上につれて本島人の小賣商人の生活費や經營費は內地人の店に比べてその懸隔の幅は漸次狹められて來たし、一方從來智識階級の顰蹙を買つてゐるカケ値を言ふこともそれ自體旣に商賣の不振を來たす原因になつてゐるから、何時かは是正さるべき運命に在る上に、戰時下の低物價政策に基いて、正札賣を勵行せざるを得ないことになつてゐるから、本島人小賣商の存在は愈よ危機に瀕してゐると云はなければならない。茲に小賣商人の窮境打開策として當然考へられる問題は唯一つ商品のコストを引き下げることであらう。卽ち中間機關を排して共同仕入の方法を執る以外に、小賣商人の生きる道があるまいと想像されるのである。斯くすることに依つて正札勵行も始めて完全に遂行することが出來ると同時に、本島人小賣商の利潤も正しい基礎の上に確立するのではないかと思ふ。茲に敢へてその注意を喚起し、その實行を促がさんとするものである。 |
02 | 南方國策遂行には 綜合的機關が必要 神戸にて山縣內務局長談 |
03 | 防共オリムピック ウイン國際學生競技大會 十一國の參加で今夏開催 |
04 | 我國も斷然參加 山本陸聯會長語る |
05 | 全島中等學校 辯論大會 一位は北商の伊東君 |
06 | 曹洞宗護國團 皇軍慰問へ 慰問品を携行して |
07 | 明治神宮大會の 青年團陸競廢止か 首腦部會議で内定 |
08 | 國婦城西分會の總會 |
09 | 組合員の增加から 氷販賣組合が糾紛 當局の不信に憤慨 |
10 | 物價座談會 六日基隆で |
11 | 基隆特產を紹介 商工會議所が乘出す |
12 | 南支那海調查に 蒼鷹丸が出帆 謎の寶庫に科學のメス |
13 | 蔣政權を見縊って 華僑が續續と賦歸 新嘉坡邦人經營の農園に |
14 | 全島師範體育大會 きのふ雨の帝大ㄎで陸上競技 |
15 | 圖像:鷄代表展示會 |
16 | 蘭陽米商協會 總會を開催 |
17 | 屋鳥丸引揚に成功 サルベージ日本に凱歌 |
18 | 5A-0 慶大先勝す 霸權を賭けた早慶戰 |
19 | 慶大が北京に 學生宿舍を設置 暑修中に支那研究 |
20 | 三萬の家主を動員 報國運動に乘出す 北署で成案を急ぐ |
21 | 練習船進德丸出帆 遠洋航海の壯途に就く |
22 | 大和丸無電報社消息 |
23 | 定期航空 |
24 | 人事‧消息 |
25 | ときのこえ |
26 | 今日の興行 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 各地の小運河送合同 八月一杯に具體化 二百餘店に縮少統制 失業者救濟重視さる |
02 | 買上げ米價に缺陷 先物の値上げ過少 早くも改訂要望の聲 |
03 | 賣方の煎上で 蓬萊當限激騰 受渡か五十七車 |
04 | 電氣製鐵の試驗で 良質の銑鐵を製出 臺電の新企畫注目さる |
05 | 壓搾終了 |
06 | 督府特別豫算の 編成方針を通達 “森岡長官の名義で” |
07 | 製糖終了 |
08 | 輸出入手續を 愈よ簡便化 |
09 | 臺灣運輸組合 役員會を開催 |
10 | 米穀納入會社の 設立反對を陳情 昨日・代表者當局を歷訪 |
11 | 電氣製鐵の試驗は 新資源開發に寄與 後藤臺電理事談 |
12 | 照明燈 |
13 | 鹽糖の各工場 製糖全部終了 |
14 | 昭和の各工場も 製糖既に終る |
15 | 圓山、龜山發電所 近く起工式擧行 |
16 | 市價及商況 三日 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 講談 傷病將士慰問 濱松陸軍病院より中繼 |
03 | 漫才 |
04 | 浪花節 |
05 | 落語 |
06 | 歌謠曲 |
07 | 新滿洲音樂 |
08 | 園藝カレンダー 大蘭の插芽及摘芯/佐久間謙介 |
09 | 尺八獨奏と合奏 |
10 | 圖像:軍艦「翔鶴」進水前の勇姿 |
11 | 圖像:デ盃出場の比島選手來朝 |
12 | 映畫劇 松下村塾/伊藤松雄;高田稔外 |
13 | 松竹京都撮影所作品 花曇 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 棉作を集團栽培 本月の末頃に播種 |
02 | 竹南米穀改善 協會總會 |
03 | 北斗郡、街庄長視察 |
04 | 新營郡防犯協會 二日發會式 |
05 | 虎尾專賣品小賣人組合總會 |
06 | 保護事務打合會 二日竹東公會堂にて |
07 | 御親閱拜受記念の 阪大全學生分列式 |
08 | 畠中郡守巡視 |
09 | 愛國苧麻好成績 新庄子第四農組は折紙付 |
10 | 臺中州民に訴ふ 伊藤部長、彰化郡金献大會に熱辯 |
11 | “法衣を脱いで” 新竹檢察局全家族が けふ崎頂海水浴場に清遊 |
12 | 臺東街役場の 事務分掌決定 |
13 | 新坡保甲改選 |
14 | 臺東廳の徵兵檢查 |
15 | 貧弱な臨時竹橋 義憤を感じて?兩部落民が奮發 |
16 | 關西製腦講習所始講式 |
17 | 納稅優良區表彰 土庫庄一等は過港二區 |
18 | 臺東廳學校長 會議を開催 |
19 | 衛生展 六日より中壢で |
20 | 迷ひ子となった案内狀 目と鼻の庄役場迄三年三ヶ月 |
21 | 日月潭漁業協同組合總代會 原案を可決 |
22 | 陳團長が辭任 基金提出を命ぜられて |
23 | 農閑期の賭博 日に一件檢擧 小人閑居為不善? |
24 | ローカルセクション |
25 | 訃文:洪源卿 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 制海權の重要性 (九)海軍省海軍軍事普及部 |
02 | 高速度通信法の 發明と無線の關係/原口猷一 |
03 | 合成樹脂製飛行機 製造時間を大節約 |
04 | 圖像:大規模の人工氣候室 |
05 | 米國における 石油輸送の現狀 |
06 | 圖像:ニュートンの法則覆へさる? |
07 | 墜落飛行機から 自動SOS |
08 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 北支開發五子會社 日支折半出資で設立 鑛山工場は軍が管理 |
02 | 滿鐵と連絡して 大陸鐡道を一元化 華北交通の經營方針 |
03 | 大屯郡鄉軍後援會 創立發起人會を開催 |
04 | 新生廈門だより/郭發海外遊記 ◆......駐支英國カー大使は二十六日正午頃廈門入港の巡洋艦コーンウオル號に來鼓直ちに英國領事の官邸に入り在鼓浪嶼の關係軍官と會見懇談をなし同日午後六時バーミンガム號に搭乘福州經由上海へ向ったカー大使は今回重慶より香港經由にて上海へ赴く豫定でコロンスに立寄ったのは全くコロンス問題發生のために急に豫定を變更したのだと云はれてゐる。 ◆......在廈英國總領事はカー大使の來廈を前以って知ってゐなかったと傳へられてゐるがそんなに俄かに豫定を變更したとも思はれない。カー大使はコロンス租界問題の真相を知りたかったであらう。彼カー大使の來廈は示威の積りもあったであらう。兎角一擧兩得の何ものかを考へてゐる以上今度の來廈は香港からの豫定行動以外の何ものでもないであらう。 ◆......カー大使は自國軍官よりコロンス租界問題の內容の說明を聞いて如何に感じたかは聞漏らしたが定めし自國軍官の無謀な措置に憤慨したであらう。コロンスには英國に取って大した權益がないのだ、日本側は正當な理由を以って取った措置に對しては今更嫌がらせの行動に出でることは宜しくないと云ったかも知れない。實利主義者の英國人であるからかく想像しても當らずとも遠からずであらう。 ◆......バス工部局の布告に對する內田總領事の真意說明要求についてその回答は左の如し、本件布告はコロンス在住の支那民眾が日本陸戰隊について英、米、佛陸戰隊が上陸したとの目的を誤解する恐れあり此等民眾を平靜ならしめ不法行動を嚴罰すべく布告を發したのである日本側は既に陸戰隊上陸について布告を出しその理由を說明したるが故に日本側の憂慮するやうな意味合ひは一般民眾は解繹しないであらう。一寸苦しい辯明ではある。 ◆......世人の耳目を聳動せしめたコロンス租界問題は一時迅雷烈風の光景を呈したが今や大風一過の靜けさの有樣である。勿論各國の陸戰隊が未だ撤退せぬ限り重苦しい空氣が漂ふて居り本當に無氣味な靜けさではあるだが問題の山が見え出したと私が云ひたいわが內田總領事の最後五分間の努力によって暗雲低迷のコロンスをして再び天日を拜させるであらうと期して待つべきである。 ◆......要するに五ヶ條要求の內暗礁に乘り上げたのは第二條であるが方の要求は從來の工部局長兼警視總監バス氏を工部局長にして新たに日本人を警視總監として採用することを始めとしその他秘書長一名巡警八名を日本人、巡警十二名を臺灣人など新たに採用增員することであるこれによっても現任者を犠牲にする必要もなくに一ヶ年七萬餘弗人件費が增額するだけである。 ◆......この七萬餘弗の增額は年豫算十七萬弗のコロンスでは少し重き負擔であるかも知らないだがこの金の支出財源をわが方が心配してやるとの話も傳へられてゐるので若し彼れに誠意があったら決して反對すべき理由がないであらう警視總監の椅子は從來缺員のままだ巡警二十名の增員はコロンス治安確保のために喜ばしきものである ◆......この第二條要求が入れられたらわが方もコロンスの治安が保持し得るものと承認するに吝かでないかかるわが方の最小限度の要求に應して工部局の機構改革が斷行せらるるに至れぼコロンスに絡まる種々雜多の問題も漸次解消してコロンスのため新生廈門の明朗化のために慶賀に堪へない次第である。 ◆......だが問題は筆者の考へるが如くスラスラと行かないにしてもわが方はコロンスの治安確保の目星がつくやうにならざる限り安心して陸戰隊を撤退する氣にならぬのだ今後多少の波瀾曲折があるとは豫想に難くないが結局近く英米佛もわが方の正當な理由を諒とせられやうになり問題も急轉直下に一瀉千里解決するに至るであらうと見られてゐる。 ◆......總じて問題解決の鎖は茲に在るのだ治安の確保が出來次第萬事オーケーである。英米佛諸國は何のために餘計の干渉をするのかわが方に對する嫌がらせと云はれても仕方がない寧ろ英米佛の無謀の措置のためにコロンスの民眾は迷惑してゐるのである暗雲低迷の下に於て不安な生活を送らなければならないそれでコロンスの支那民眾は英米佛三國に對しいたく憤慨してゐるのであることを申し上げこの稿を終る(五月廿九日) |
05 | 白衣の諸勇士 きのふ高雄着 |
06 | 嘉義○○關係 防諜團發會式 |
07 | 女給のサービス 一人以上は御法度 臺南州取締規則を立案 |
08 | 廣東の新設工場は 年產十五萬トン位 淺野セメントの事務所長談 |
09 | 興亞展を控へ 衛生陣を強化 高雄署準備に大童 |
10 | 戶稅事務打合會 八日彰化郡にて |
11 | 圖像:渡邊博士發明の機械で 隻腕の勇士職業戰線に |
12 | 市郡視學會議 きのふ高雄州に於て |
13 | 羅山信組預金增加 |
14 | 金賣却關係者の 表彰式を擧行 |
15 | バス衝突の遭難者 合同慰靈祭を擧行 きのふ嘉義公會堂にて |
16 | 暴利と賣惜み それぞれ摘發さる |
17 | 暴利商人摘發 屏東郡で戒告處分 |
18 | 消防會議を開催 きのふ臺南州に於て |
19 | 道將圳の定期總會 |
20 | 臺中春競馬 第五日目も盛況 |
21 | 黃麻試作好成績 |
22 | 水車の輪に觸れて 少年慘死を遂ぐ |
23 | 「鐵の肺」男ス君 南佛で最後の治療 |
24 | 「臺中州民に訴ふ」 近日中に配布 |
25 | 前科者再び御用 |
26 | 花蓮港の赤痢患者 半ヶ月間に十六名發生 |
27 | 高雄美容業者の 防諜團發會式 きのふ華華しく擧行 |
28 | 防協發會式 きのふ嘉義郡で |
29 | 嘉義市產組研究會 創立總會を開催 |
30 | 彰化日用發貨同業者組合 |
31 | 消息 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大陸一代娘(60)/小栗蟲太郎;中島喜美 |
02 | 隨筆 春蛙秋蟬(上)/田淵正義 |
03 | 龍骨車 純文藝に肉薄 最近の日本映畫 |
04 | 支那の民情と民族性 三/村上知行 |
05 | 圖像:裏通り(第廿六回水彩畫展)/藍蔭鼎 |
06 | 感動性の強弱 遺傳か環境の影響か |
07 | 圖像:炎天下に張切る艦上生活(五) |
08 | 詩 六月の感慨/林精鏐 |
09 | 學藝消息 ドロシー・ラ ムーア離婚 |
10 | ダヴインチの發明展覽會 |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 帝國の歐洲對處策 けふ五相會議で 具體的大綱を決定頭條新聞 【東京四日發同盟】帝國の歐洲對處策は三日午前の首相、外相、陸相の三相會議、同午後の首相、陸相、海相の三相會議の結果一應の檢討を了したが更に陸海軍兩當局において右大綱の審議をなしその結果を俟ち平沼首相は五日五相會議に報吿の後宮中の御都合を伺つて參內上聞に達し茲に去る二十日の五相會議において決定せる帝國政府の對歐策具體化に關する大綱は名實共に本極りとなる譯である 【東京四日發同盟】歐洲情勢に對處すべき帝國政府の具體案については三日首相、陸相、海相の三相會議でその大綱を決定し陸海軍はこれを持ち歸つて細目に亘り審議を盡した結果太田內閣書記官長は四日午前十一時三十分週末靜養の為の武州金澤の東屋旅館に滯在中の平沼首相を訪問右經過を傳達旁旁今後の打合を遂げ太田書記官長は午後一時三十分同旅舘を辭去したが首相翰長打合の結果首相は豫定通り五日午後歸京首相官邸に入りこれが最後的打合の為め板垣陸相米內海相並びに有田外相に來邸を求めることになつた當日は今後の外交上の措置に關しても慎重打合を為す筈で茲に我が對歐策は完備することとなつた |
02 | 英國船が援蔣行為 我方斷乎容忍せず 嚴重に英國側に通告 |
03 | 圖像:ノモンハン事件 |
04 | 榮轉の西氏 歸朝 |
05 | 墨國の三港 自由貿易地域に |
06 | チュニス在住 の伊人 外國籍取得は僅少 |
07 | ソ機は到底優秀な 我軍の敵ではない 性能、技術とも格段の差 |
08 | 圖像:日獨醫學協定調印 |
09 | 外蒙軍の司令部 滿領內に開設 ノモンハン戰鬪開始迄 |
10 | 逃走を防ぐために 兩足を縛って固着 ソ兵捕虜との一問一答 |
11 | 江北作戰に於ける 陸鷲の活躍計數 出動延機、一千數百機 |
12 | 獅子山(杭州西北)を占領 敵の死傷、莫大に上る |
13 | 寧波附近を爆擊 |
14 | 稷王山附近の 肅清全く成る |
15 | ボルネオより 本多博士歸朝 森林調查を終へて |
16 | 大和丸入港 島田文教局長歸る報社消息 |
17 | 波國の不誠意難詰 ダ政府、強硬な覺書發す |
18 | ア國の外交關係 伊が一切を代理 |
19 | 關東學生競技 選手權大會 早大が優勝の榮冠 |
20 | 本日の天氣 |
21 | 大阪商船臺灣出帆 |
22 | 近海郵船基隆出帆 |
23 | 辰馬汽船 |
24 | 大連汽船 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 實際生活の指導に 轉向者一萬を動員 祖國の觀念叩き込んで |
02 | 正に世界的發明 絵畫音楽が出現 一無名作曲家が完成 |
03 | 東莞工場の外に 順德工場も經營 開發の方針大體決定 |
04 | 圖像:遺族に贈る修養誌 |
05 | ほまれを双肩に 豆力士が熱演 臺北州學童相撲大會 |
06 | 米穀納入會社設立 何等の決定を見ず 全島勸業課長會議 |
07 | 北二師が第一位 全臺灣師範體育大會 |
08 | 帝人製機工場 山口縣の工場 の一部に設置 |
09 | 強豪接戰して 北一中優勝 中等劍道臺灣豫選 |
10 | 圓盤投に 日本記録更新 |
11 | 洪水の被害防止に 水防隊を組織 鹽水溪流水口の安平に |
12 | 劇を通じて 皇民化促進 新竹州で脚本を募集 |
13 | 三星庄に建設する 臺電の新發電所 七日員山で起工式擧行 |
14 | 相撲選手權大會 双葉山に再び凱歌 |
15 | 商船新株拂込 九月に徴収 |
16 | 三ツ子溺死 |
17 | 早大雪辱 愈愈けふ決勝戰 |
18 | 三回見られて ファン大喜び |
19 | ヒ總統が英首相と 並んだ繪葉書法度 |
20 | 個人打擊率王 早大南村選手 |
21 | 早大が優勝 早慶對校水上競技 |
22 | ニュースは 第一面に |
23 | 喫煙の害は ニコチンに非ず |
24 | 故楊天送氏追悼會 |
25 | 定期航空 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 時局下の員林郡を行く よく時局に即應 諸般の施設に大童 一眸萬頃の膏田は羨望の的 躍進員林郡勢の概觀特輯 |
02 | 街民、協力一致 街勢の振興に邁進 員林街政の概況特輯 |
03 | 國策の線に沿ひ 大に其使命を果す 其一 郡下產組の活躍特輯 |
04 | 圖像:寫真員林神社特輯 |
05 | 永靖信用購買 販賣利用組合特輯 |
06 | 員林信用購買 利用組合特輯 |
07 | 社頭信用購買 販賣利用組合特輯 |
08 | 三笠自動車 合資會社特輯 |
09 | 保安醫院主 曾春泉氏特輯 |
10 | 業績顯著の高壽堂 主人は高有生氏特輯 |
11 | 慈生醫院主 謝如松氏特輯 |
12 | 廣告特輯 |
序號 | 標題 |
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01 | 郡下の金融產業に 多大なる貢獻 郡下の產組概況其二 溪湖信用購買販賣利用組合特輯 |
02 | 田中神社竣工 近く鎮座祭を擧行特輯 |
03 | 坡心信用購買 販賣利用組合特輯 |
04 | 大村信用購買 販賣利用組合特輯 |
05 | 見渡す限り 美田・沃土許り 溪湖街政の概況特輯 |
06 | 二水信用購買利用組合特輯 |
07 | 田中信用購買 販賣利用組合特輯 |
08 | 庄政順調に發達 郡中最大の埔鹽庄特輯 |
09 | 青田綠畝續き 土地肥沃なり 富裕な永靖庄特輯 |
10 | 全島に範を垂るる 公業組合 蕭德仁土地利用組合特輯 |
11 | 官民の信望篤し 州議蕭敦仁氏特輯 |
12 | 潁川醫院主 陳淑熙氏特輯 |
13 | 小兒科專門紫雲醫院 院長黃美玉氏特輯 |
14 | 田中建設に參畫 庄議蕭福傳氏特輯 |
15 | 立志傳中の士 庄議蕭波氏特輯 |
16 | 洪外科醫院主 洪耀堂氏特輯 |
17 | 埔鹽保甲聯合會長 陳下氏特輯 |
18 | 溪湖街溪湖 公醫陳萬居氏特輯 |
19 | 溪湖街協議會員 李功垂氏特輯 |
20 | 埔鹽庄保正 陳添進氏特輯 |
21 | 埔鹽庄名望家 施長溪氏特輯 |
22 | 瓦磘保甲聯合會長 施修蓋氏特輯 |
23 | 廣告特輯 |
序號 | 標題 |
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01 | 一ヶ年間製造能力 百萬俵を算す 社有地一千四百六十九甲 明糖溪湖工場の偉觀特輯 |
02 | 物資集散の要衝 治績も愈愈向上 田中庄治の概略特輯 |
03 | 教育の普及成績 最も良好なり 郡心臟部の坡心庄特輯 |
04 | 農產極めて豐富 天恵に富む社頭庄特輯 |
05 | 庄治日增に發達 二水庄の概況特輯 |
06 | 林東尚齒科醫院 林朝業氏特輯 |
07 | 臺員農園主 魏錫清氏特輯 |
08 | 蔡眼科醫院 院主は蔡欉氏特輯 |
09 | 惠山醫院主 吳侃達氏特輯 |
10 | 田中潁川バス 代表者陳步梯氏特輯 |
11 | 糖粉雜貨商源成發 主人陳再福氏特輯 |
12 | 皇民塾を中心に 國語運動に大童 大村庄管內概況特輯 |
13 | 二水信用組合長 醫師鄭鼎氏特輯 |
14 | 景崧醫生主 陳景崧氏特輯 |
15 | 圖像:名產鳳梨特輯 |
16 | 員林醫院主 吳海瑞氏特輯 |
17 | 灌溉面積 二萬餘甲 八堡圳水利組合特輯 |
18 | 二溪自動車公司特輯 |
19 | 廣告特輯 |
序號 | 標題 |
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01 | 不買品の處分に 關係者を頭惱ます 員林郡下の鳳梨生產者青息吐息 |
02 | 旗山郡道路協會 三日總會を開催 |
03 | 北屯庄大坑 部振の總會 |
04 | 淡水街稀有の賑ひ 鎮坐祭奉祝行列で |
05 | 岡山專賣品 小賣組合總會 |
06 | 旗山專賣品 小賣組合總會 |
07 | “金の絕滅を期す” 指導員大會で決議 南投郡の賣金運動 |
08 | 埔里北公保護 者會 |
09 | 皇民化研究懇談會 能高郡主催で開催 |
10 | 葬費を節約献金 |
11 | 員林郡の賣金運動 |
12 | 北斗の賣金 講演會盛況 |
13 | ローカルセクション |
14 | 北斗郡下小公 職員體育會 |
15 | 深川技師の講話會 |
16 | 失踪巡視員 死體發見さる |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 物價騰貴に喘ぐ 細民階級の生計 高雄市が調查に乗出す |
02 | 渡邊部隊所屬 名譽の戰死者 三日原隊より發表 |
03 | いたいけな少女達 純情に燃えて熱演 鮫島舞踊研究所主催「慰問の夕」 |
04 | 圖像:ドイツ・ベン使節歸國 |
05 | 岩崎警務課長 臺南州を初巡視 |
06 | 豐原信組上棟式 |
07 | 州下の切干芋の 販賣を斡旋 高雄州の農會が |
08 | 嘉義市の「時の記念日」 |
09 | 青年の身體檢查 彰化市の實施日程 |
10 | 新生廈門だより/郭發海外遊記 ◇......鼓浪嶼租界工部局の參事會は八名の會員から組織する。日本二名英國一名米國一名和蘭一名支那三名である。現在支那側三名は欠員となり五名しか居ない。その顏振れを調べて見ると日本側高橋近信(臺灣銀行支店長)中川陸三(海關副稅務司)和蘭側モーリハウス(安達銀行支店長)英國側ヒーチコック(香上銀行支店長)米國側ポペン宣教師國際教濟會長)である。 ◇......參事會議長はモーリハウスであったがコロンス問題勃發の後に賜暇を貰って香港へ旅立った。同時に參事會員をも辭任した。その後任にソルチャース(安達銀行支店次席)を以って補欠した尚議長はモーリハウスの推薦により各國參事會員の賛成を求めてヒーチコックを議長に推したのである。このヒーチュックは英人であることは更に贅言を要しないであらう。 ◇......ヒーチコックを議長の適任者だとは高橋參事會員の言葉で承知してゐるが、然しながらコロンス問題を中心に日本對英米佛間に國際紛□を捲き起してゐるしかもこの際日本總領事はコロンス領事團の首位に位してゐる工部局長や警視總監の何れを日本人にするとの要求を提出した今日に參事會議長もわが方が獲得すべく努力すべきである參事會員四名の內日本が二名占めてゐるのに單なる前議長の推薦からと云って鵜呑みに賛成する必要がないのである。 ◇......また最初內田總領事の要求五箇條に對する全面的拒絕の回答を決議するに日本側の參事會員は極力反對に努めて多數決によって通過になったものだと誰人も考へてゐるところであった。豈圖らんや反對の勇氣なく棄權したそうだ。高橋中川兩氏は反對しても少數のためにほうむられてふ考へで棄權したであらう?だが租界工部局の參事會員は日本の代表と見做すべきである。それで日本總領事が提出した要求に對し支持するのは當然である。棄權することは矛盾の譏りを免れぬであらう。 ◇......今更高橋中川兩氏の責任を追究しようと考へてゐない寧ろ居留民間にかくの如き意見を有してゐることを紹介し、兩氏と意見相違の點をわれわれの再檢討の資料に供したいとのほか他意はない。然しながら高橋と中川兩氏はヒーチコック議長がわが內田總領事の懇談を受けた後開催された參事會員會に於いて內田案の或る事項の否認に對する採決に關しては不賛成の意を表したことは及ばずながら兩氏の心情を諒とすべきであらう。 ◇......要するに問題は第一線に立つわれら居留民は一個人の考へで處理すべきでない。凡て大所高所より國家的見地に於て善處するがよい。勿論問題によりけりであるが際は正にこれに當てはまるものではなからうかわが方と利害相反する立場に在る英國人である個人が如何に適任者であらうとも國家本位に見れば賛成し兼ねるであらう。 ◇......われわれはこの絕好の機會に於て自ら議長たるべく一役買って出るべしである。少しも逡巡左顧右盼する必要がないのだ。個人はどうあらうとも日本と云ふ國の立場から取るべきものは萬難を排して善處しなければならぬと思ふものである。今更個人の心臓如何によって國際問題の處理に當ることは何んと云っても時勢遲れの觀なきを得ない。この一例によって他のことは推して知るべしである。 ◇......時は非常時である。個人は如何に莫大な犠牲を沸っても國のために盡そうと云ふ時代になった。しかもわが國は未曾有の東亞新秩序の建設の大事業を眼前に控へてゐる。茲に於てわれわれは心臓強く國策の線に沿ふて正々堂々に主張し目的達成に邁進することは今日の日本國民に課せられたところの義務である。日本國民たる各個人がそれぞれ義務を果すとになれば東亞新秩序の建設が如何に難事業であらうとも容易にその好成果を見るに至ると期待するものである。妄言多謝(五月廿九日) |
11 | 金瓜石鑛山で 高砂族を使用 |
12 | 埔里街長收容さる 高田檢察官が出張取調 |
13 | 臺陽展好評 今日が最終日 |
14 | 總面積二百餘甲の 浮覆地近く出現 彰化郡民の勤勞奉仕で |
15 | 支那事變貯蓄債券 賣出前人氣良好 |
16 | カフェや料理屋の 清酒量目を調查 高雄署、愈よ乗出す |
17 | 社會教化委員 辭令交付式擧行 三日彰化市會議室で |
18 | 彰化郡主催の 選手決定豫選會 四日鹿港一公で |
19 | 北斗水利の前會計 四萬餘圓を横領 近く書類と共に送局 |
20 | 何を思惱んでか 人妻無斷家出 二千圓を攜帶して |
21 | 自動車事故 運轉手、乘客負傷 |
22 | 力泳また力泳 臺南水上競技大會盛況 |
23 | 林烈堂氏夫人 逝去 |
24 | 臺中競馬 第五日目(續) |
25 | 日本產業會社開業 |
26 | 消息 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 正義の日本を知れ 英國の手先に踊るは 光輝ある傳統を污す 永井氏、米大統領に公開狀 |
02 | 圖像:文昌縣治安維持會發會式 |
03 | 裝備は益益缺乏し 物資補給は不可能 南支支那軍の近況 |
04 | 商工業者の大陸移住 救濟策として當局考慮 |
05 | 親族相續兩編 改正案 來議會提出に決定 |
06 | 柳林鎮を包圍 敵五千は袋の鼠 |
07 | 金口木舌/林正享 |
08 | 亞麻栽培を 邦人が獨占 アマゾン河全流域 |
09 | 獨逸がホリビアに 大飛行基地を建設 米にセンセーション |
10 | 大清河運航路復活 盛大な竣工式を擧行 |
11 | 全く事實無根 ボ政府が否定 |
12 | 德王、李將軍へ 名馬を贈る 板垣陸相の友情 |
13 | 國府の對立激化 何內政部長免職さる |
14 | 明日の天氣 |
15 | 總動員(146)/長田秀雄;夏口醇 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 御通題に「消費節約」 一同恐懼感激して詠進 |
02 | 收穫期の應召農家に 學生勤勞奉仕隊派遣 都下の學生汗の手傳 |
03 | 御遺跡地祭 嚴かに執行さる |
04 | 圖像:萬博の日本デー |
05 | 故鈴木少佐慰靈祭 篠原部隊で執行 |
06 | 諸勇士晴の歸還 赫赫たる勳功を殘し |
07 | 佛山から三水へ (下)/TK生海外遊記 天晴れ大和撫子 午前十一時すぎ三水驛で下車、三水は雨が降ってゐた。 「どちらに行かれますか。○○○○部ならこの道をすぐ行けばいゝですよ」 隊長らしい兵隊さんに教へられるまゝにボクは濶葉樹茂る並木道をテクテクと○○○○部へ歩いて行った。しかし雨は勢を增すばかり一向に歇みさうもない前方を見ると銃を擔いだ兵隊が十數人、歩武堂々と行軍を續けてゐる。雨なんか兵隊には問題でないらしく、軍服に降り注ぐ大粒な雨を莞爾と睨んで默々と目指す目的地に足を運んで行くその意氣天を衝くかに思はれたこれにひきかへて武裝せざるボクの淺ましさ、一調羅の洋服が氣になって街に入ると亭仔踋に雨をよけた。 このとき後から聲をかけたものがある。 「どこの新聞社ですの、お入りなさいよ」 見ると聲の主は割烹着をきた年の頃二十二、三と思はれる 日本娘だあまり突然なので心臓の弱い、ボクはギクッとしたが好奇心が手傳っていはれるまゝに○○食堂と書いてあった中國式門構の家に案內された。さうして好きでもないビールを命じ、まづいビールの間から左のやうな彼女の身の上話を聞き出すのであった 「ときどき子供の顏が見たい、しかしわたし達の働きが多少でも御國の為になりますれば......」かく語る彼女は真劍であった。銃後に多くの日本女性が街頭で千人針に献金に 慰問袋の募集に餘念がないと同じやうに、こゝ前線にも御國の為に雄々しく立ち上った立派な大和撫子が一輪大きく咲き出て雨に濡れてゐるのを眼のあたり見たボクは胸に何ものかゞこみ上って來るのを感じた最後に彼女がものしたとかいふ和歌を二首 △高砂の島をはなれて廣東へ旅立つ今日われのうれしさ △あだなど花と散りたるから人の靈安かれと立つる板文 【寫真は其の彼女】 醇朴な三水 夕刻○○部に○○副官を訪ふ。○○は滿々と水を湛へた西江の邊り、千米の彼方に敵の第一線を見下す風光明媚な地にあって三水市を俾倪してゐる。河上を渡る風もそよかに暑苦しい初夏の大氣は江面に立ち籠ってゐるが翩翻たる日章旗のもと、威風あたりを壓す。○○に來意を告げて社用を足したボクは軍の好意によって三水市內及○○方面を見學した。○○少尉の話によると三水は住民約八千、三水縣所在地で 事變の為め一時避難したものも最近は殆んど歸って來てそれぞれ生業についてをり大部分が農民であるといふ。既に治安維持會も成立し治安も確立されてゐるとの由であるが見るからに醇朴そのものゝ平和な村だ。縣內の治安維持會は新□地區二十八、西南地區十三、三水地區二十二箇所あって總人口が四萬五千あまりといふ。(完) |
08 | 名譽の戰死者 石本部隊から發表 |
09 | 陳明來氏献金 |
10 | 香港の華僑間に 親日反蔣の氣運 日本の威力と正義を認識 |
11 | “柏林・羅馬・東京” 第一號日本に來る 第三號は日本號か |
12 | 物價懇談會 あす基隆で |
13 | 三百萬圓を目標に 新竹州下貯蓄運動 愈愈六月から開始 |
14 | 基隆氷販賣人 組合を結成 |
15 | 今夜の放送 |
16 | 商況 五日前場 |
17 | クルーべ祭 |
18 | 臺北州視學打合會 けふ州會館で開かる |
19 | 試飲會 |
20 | 南署賭博檢擧 今後も嚴罰主義 |
21 | 今日の興行 |
22 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 日本の母(139)/新述節;瀧伸二 |
02 | 家庭婦人 六月の家庭ごよみ 絃歌の不夜城も肅正 ボーナス時期の自戒 |
03 | 家庭婦人の常識集(六) |
04 | 圖像:濠洲女學生の集團體操 |
05 | 肌の若返りに 胡瓜のマスク ニキビの多い人にも向く |
06 | アルミ製品の取扱ひ方 |
07 | 家庭で出來る 防水加工法 俄か雨にも之で安心 |
08 | 便秘を防ぐ 食物と方法 |
09 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 高砂族を指導して 豚や鷄を飼はせる 臺南州の理蕃課で |
02 | 天才ばうや |
03 | 圖像:日本丸遠洋航海(十五) |
04 | 牛窓沖の青島で 兔の放し飼 成績がとてもよい |
05 | 傳染病の媒介者 蠅、蚊、蚤の生立ち(下) 驅除法はかうして |
06 | 今日の歷史 |
07 | 富山縣の瓢簞石 |
08 | 圖像:動かぬ兵隊 |
09 | 支那童話 大きな黑牛(下)/小田嶽夫 |
10 | 炭燒ばあさん 二百俵も焼きあぐ |
11 | カタカナ欄 メヅラシイウシノオサン メス二ヒキヲス三ビキ |
12 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 我が對歐方策決定 首相が參內委曲奏上頭條新聞 【東京五日發同盟】平沼首相は五日午前十時半官邸に板垣陸相、米內海相の來邸を求め帝國政府の對歐策具體化に關する大綱並に陸海軍當局に於ける細目審議の經過に就き慎重打合せを遂げた、首相は更に十一時四十分有田外相を招致し今後の外交上の措置に關し打合せを行ひ茲に我が對歐策に伴ふ各般の措置は決定されるに至つた、依つて平沼首相は同日午後宮中の御都合を伺つて參內天皇陛下に拜謁仰付けられ委曲奏上することになつた。 【東京五日發同盟】平沼首相は五日午後三時五十分宮中に參內天皇陛下に拜謁仰付けられ帝國政府の對歐方策具體化に關する大綱決定につき委曲奏上種種御下問に奉答して退下した。かくて政府は對歐方策具體化の方針並に措置を完了することとなつたので六日定例閣議席上これが經過を說明すると共に有田外相をして必要なる措置を執らしめることとなつた |
02 | 就任當時と同心境 無任所相の進退問題につき 園公訪問を終へて近衛公車中談 |
03 | 簡易保險積立金運用委員會 融資額中臺灣關係の分 |
04 | 小磯拓相を訪問 “內地外交流人事を強調”/竹內清 |
05 | 北支軍慰問の 議員團出發 |
06 | 三國領事頻繁に往來 我正當な主張に鑑み 問題の分糾を憂慮す |
07 | 對獨包圍策を痛擊 “獨逸は如何なる國にも驚かず” ヒ總統、得意の獅子吼 |
08 | “上空に敵影なし” 滿ソ國境は「全き制空」 |
09 | 獨伊樞軸にリンク ユ國、新秩序建設に協力 |
10 | ソ聯兵又不法越境 我○○駐屯部隊直ちに出動擊退 |
11 | 全くソ聯側の 計畫的行為 我方、整備を完成 |
12 | わが監視の前に 目下侵入の模樣なし |
13 | 明年度豫算編成方針 物資、金額の適合を圖る |
14 | 泉州商船錨地を砲擊 我海鷲、艦艇が活躍 |
15 | 商工行政機構改革 あす樞府本會議で諸官制を可決 大異動の銓衡に着手 |
16 | コ佛大使 重慶へ赴かん |
17 | ユダヤ人三萬人 ミ島に収容 米國の救濟策 |
18 | 總督府辭令 |
19 | 本日の天氣 |
20 | 大阪商船臺灣出帆 |
21 | 近海郵船基隆出帆 |
22 | 辰馬汽船 |
23 | 大連汽船 |
24 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 英佛ソ協定 と國際情勢社說 一 國際政界の動向として注目されて居つた英佛ソ三國協定は一時英ソ間に於ける諒解が纏らないので暫く停頓狀態を示して居つたが、最近に至り獨伊兩國間の軍事同盟の調印成立に刺戟を受けたので英佛兩國とも一大脅威を痛感し、萬難を排してソ聯との提携を策し飽く迄も自國領地の侵略防止の戰線を强化せんとして居る、果して英佛ソ三國の協定成立に依つて期待して居る如く侵略防止戰線が强化されるであらうか?英佛兩國とも本心からしてソ聯と提携する腹がなく單に獨伊兩國の包圍陣營の結成に依つて、自國の軍事的弱點を陰蔽せんとする為めであるこの觀察よりすれば三國協定は自繩自縛であるソ聯が國是として居る目標は共產主義を世界に宣傳し國際革命を招來せん事を目標として居るから英佛ソ協定は却つて英佛兩國をして世界戰爭を惹起しソ聯の期待する世界赤化への方向に拍車をかけるものである真に世界平和を招來せんとすれば英佛ソ協定は一大障害となるものと見るべきである 二 英佛ソ三國協定の內容は未だに判然として居らないが、最近歐洲より傳へる消息に依れば、協定の目標として第一に英佛ソ三國中の一が歐洲に於いて侵略を受けた場合には直ちに協定の三國は自動的に被侵略國防衞に協力すること、第二目標としては歐洲に於ける侵略國に對しても三國は被保障國防衞に協力する事となつて居るから歐洲の現狀から見れば海中海方面ではギリシヤ、トルコであり中歐方面ではポーランド及びルーマニアを指すであらう、第三目標としてはその他歐洲諸國に對し、侵略行為が行はれた場合には英佛ソ三國は協議の上で取るべき手段を考慮する事となつて居る卽ち英佛ソ三國協定の對象としては飽く迄も獨伊兩國の國力の伸長を阻止し、包圍陣營の結成に依つて自國權益を擁護せんとの魂膽である、獨伊兩國ともかかる恫喝に依つて沈默するであらうか?英佛ソ三國とも本心では獨伊兩國の飛躍的國力の伸張に脅威を感じた為である。 三 歐洲最近の政情動向から見るに英佛ソ三國の協定は被侵略國を保護するが為めに結成せんとして居る事を表面的理由となつて居るも、その裏面に於いては協定三國とも各各異つた立場にある事を見逃す譯に行かれないのである。卽ち老獪なる英國としては獨伊兩國の國力伸張に依つてアフリカに於ける植民地を侵略される事を恐れて居る為めである、それに對しフランスとしては獨伊兩國と國境を接して居るのでその侵略に會ふ事を恐れて居る、更にソ聯としては獨伊兩國の國力伸張は自國の世界赤化に一大障害を與へるものとして居る、この見地上り見ても英佛ソ協定は單に獨伊に對する恫喝手段であり、根本的には歐洲平和に對しては何等の貢献を與へないものである、歐洲小國側が却つて三國協定の成立に依つて平和を亂すものと不安視し恐れて居るのも當然である、歐洲戰爭の危機は實に英佛兩國の決意に依つて決定されるべく、國際政情の動向は更に不安の一途を辿るものと觀察すべきであらう。 |
02 | 六ヶ年計畫をもって 義務教育制を實施 昭和十八、廿、廿年以後の三段に分け 文教局、調查を急ぐ |
03 | 皇后陛下の御仁慈 傷病兵に繃帶下賜 |
04 | 圖像:成績の良い轉職者の再教育 |
05 | 調查課を解體して 企劃部を新設 部局長會議で打合 |
06 | 國講講師の質的向上に 試驗制を樹立 臺北州、近く州令を公布 |
07 | 資源の島海南島 南支視察記 (二)/秦巖夫海外遊記 海南島の產業は一般に極めて始的で、農業も、山岳地帶に居住する黎族は火田民で、上空より島內を視察すれば、隨所に山火事が絕え間無いのである。その為亞熱帶地に見られる筈の密林も少く山は僅かに雜草で包まれて居る程度で、灌漑の便も惡い。殊に南海岸地方の農業が全く幼稚であることは、牛、水牛、豚、鷹、家鴨等を飼育し乍ら、農作物に肥料をやることを全く知らず、米の如き、三回作をし乍ら內地の一回作の量も取れないと言ふことで、吾々が三亞、崖縣地方で見た稻作は五月始めにすっかり實って居るに拘らず、一見立枯れの樣にその穗は真直ぐであった。 島民の主要食物である甘薯の如きも、勝間田老人に言はせれば薯を作らず蔓を作って居ると言ふ言葉通り、ふさくて品質は極めて惡い。 本島の特產物椰子は、東南海岸に多いが、近年椰子一本に五元の稅金がかけられる樣になってから栽培しても採算が取れず、コプラの生產額は全島で百萬元を上下する程度である。 ゴム樹は那大、嘉積方面に相當多く、今後栽培方法を研究することによって相當の增產が期待されて居る。 島內の鑛產物資源中錫は相當有望視されて居り、鹽業は前に述べた通り本島の重要產業で、事變前年額百五十萬ピクルの生產があったが、本島特有の炎熱は三亞港、楡林港を中心とする鹽田を改良すれば、生產額の飛躍的增加を期することが出來や海南島の經濟は之を兩廣地方とのみ結びつけて考へれば、さして重要性を持たず、從て今日まで強いて開發の必要も痛感されなかった譯であるが、之を日滿支經濟ブロックの一環として考へると、非常な重要性を持って來るのである。我々は重ねて考へて見る必要がある。海南島は支那大陸の海南島ではなく、東亞經濟の新らしいブロックの中の海南島である。これをもっと簡單に言へば、海南島の經濟は中支にも南支にも依存せず直接日滿支ブロックの一單位であるといふことである。 吾々は海南島に第一歩を印して海南島が最早や支那大陸のものでないことを見、何故に今迄一廣東省の經濟領域の中に放棄されて居たかを疑って見たのである。 吾々は最初に於て、海南島が南支より一足先に平和を取戻すであらうことを述べた。それは單に四圍が海であって、抗日政權と最も簡單に分離され得ると言ふ地理的條件だけからでなく、此の海南島經濟が、直接日本と滿洲國と、そして之等を通じて寧ろ間接に中支、南支とも結びつくものであるといふその經濟の持つ必然性に基くものである。我國の、東亞新秩序建設の一大事業の進行に伴ひ、列國の關心が此の南支那海の中の海南島に注がれてゐることは何よりも明瞭なことである。 然し此處には第三國の經濟權益といふものは殆ど無い。日支提携に依って新らしい海南島の經營を行はうとする大事業の前に之を阻まうとする第三國の支那に對する殖民地的支配の妨害はないのである。 それにつけても吾々は先づ駐屯部隊の辛苦と、之に相伴ひ如何なる奧地までも入って、マラリア、チブス、赤痢コレラ等の防疫に專念してゐる博愛會の人々の献身的努力に敬意を表して海南島を去ったのであった(續く) |
08 | 第十八回國策放送 |
09 | 興亞の國定教科書 戰時の職工さんへ 今夏から相つぎに發行 |
10 | 總動員本部で 寫真募集 |
11 | 赤堀知事と佐治廳長が 境界で歷史的、握手 楓港アロヱ道路修祓式擧行 |
12 | 都市の地區振興打合會 あす臺北州會議室で |
13 | 五月中に卅一萬圓 歡樂鄉へ消ゆ 臺北、基隆は全州の八割 |
14 | 式後臺東へ ドライヴ |
15 | 早大に凱歌 5A對4で慶大惜敗 |
16 | 佐藤昌介博士逝く |
17 | 高砂丸無電 |
18 | 阿部教授逝去 |
19 | 定期航空 |
20 | 人事・消息報社消息 |
21 | ときのこえ |
22 | 訂正 |
23 | 訃文:莊寬 |
24 | 訃文:黃水性 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 本島の貿易好調(上半期) 五億五千萬圓か 五月末で四億八千萬圓 |
02 | 圖像:臺電松山電氣製鐵工場で製造した良質銑鐵 |
03 | 臺灣化成工業愈よ 臺灣電化と合併か 社長は○○○氏に內定 |
04 | 臺灣化成工業 下旬に臨時總會 蘇澳工場の諸準備進捗 |
05 | 中部米は豐作 走米は七月頃 |
06 | 格外品の鳳梨生果 内地及島内で消化 同合鳳梨二千瓲を移出 |
07 | 今後の物價趨勢 物價指數を檢討 (下) |
08 | 戰時經濟解說 |
09 | 本島砂糖消費高(十三年度) 空前の記錄を示す 九十萬五千六百擔突破 |
10 | 官鐵五月中收入 貨客車共に增加 |
11 | 大連、臺灣兩航路を 積極的に擴充! 商船・優秀船六隻を建造 |
12 | 照明燈 |
13 | 旅客繁忙期を控へ 運輸關係者が協議 “具體的對策を講究” |
14 | 市價及商況 五日 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラジオ |
02 | 講演 經濟上より見た鷄の 產卵能力向上に就て/深川景義 |
03 | 圖像:神宮水泳場開き |
04 | 青年の時間 |
05 | 家庭經濟講座 金融機構(二)/東嘉生 |
06 | 國民歌謠 |
07 | 詩吟物語 吉田松陰/大空一郎 |
08 | 母に捧ぐる歌 |
09 | 料理 |
10 | 教師の時間 |
11 | 浪花節 隅田堤の仇討/早川辰燕 |
12 | 「女性開眼」 攝影終了 |
13 | 大船のお盆映畫 |
14 | 海外映畫短信 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國語普及の突擊隊 千四百餘名を養成 東石郡愈よ講習を開始 |
02 | 青年團入團式 麻豆大山脚公に於て |
03 | 竹塘献金講演會 |
04 | 圖像:航空賞授與式 |
05 | 狹い玄關「瑞芳驛」 ゴールドラッシュに擴張の聲 |
06 | 東港郡雜貨商 組合創立總會 |
07 | 水林產組長決定 |
08 | 朴子專賣品組合總會 盛會裡に終了 |
09 | 北港專賣品小賣人組合 定期總會を開催 二日北港公會堂に於て |
10 | 赤堀知事の訓示(上) 高雄州視學會議に於て |
11 | 魔の噴水池 又も子供が溺死 |
12 | 金献家長主婦會 北斗郡直轄で |
13 | ローカルセクション |
14 | 青物相場表 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 天然絹糸の強敵 ナイロン發明さる (上)工業化にも成功 |
02 | 圖像:バター饑饉解消 人造バターが登場 |
03 | 驚くべき 樹木の長壽 最高はザット五千年 |
04 | 八百萬弗を埋藏 ドイツのラヂウム |
05 | 米國のテレヴイ 一般放送を開始 |
06 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 蕃山を搖らぐ時代の嵐 ローマンスは消ゆ 結婚申込みは國策型へ |
02 | 「櫻の會」發會式擧行 きのふ高雄市公會堂で |
03 | 國民登陸打合會 きのふ臺中市民館で |
04 | 國民登陸座談會 きのふ花蓮港で |
05 | 歡呼に迎へられて 勇士達晴れの歸還 高雄驛頭に感激的シーン |
06 | 統制を無視する 問屋業者の跋扈 漁業組合當局に陳情 |
07 | 國民道場を建設 總工費四十萬圓を以て 臺南州幹部會議で決定 |
08 | 白米の値下げ 經濟警察愈よ動く 臺南署管內きのふ實施 |
09 | 嘉義專賣品小賣人 組合總會を開催 |
10 | 第十三回水上競技大會 四日臺南市營プールで |
11 | 紳士相撲 花蓮港で擧行 |
12 | 檜材拂下にも不正 埔里街長の事件進展 |
13 | 馬券を改竄して 配當金を騙かる 臺中春競馬に不正發見 |
14 | 圖像:海軍記念日行事展開 祝賀式と記念模擬演習 |
15 | 臺南州臨時州會 議案何れも可決さる |
16 | モグリ漢方醫者 斷乎肅清の鐵槌 嘉義市に閉店一軒 |
17 | 店員講習會 臺中市で開催 |
18 | 乘馬大會 近く花蓮港で開催 |
19 | 人妻縊死を遂ぐ |
20 | 時の記念日 臺中市の行事決定 |
21 | 彰化の賣藥夜市 近く開市せん |
22 | 消息 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 米國にも覺書手交 支那軍の米國旗濫用に關し 適切の對策を要請 |
02 | 開封占領一周年 驚嘆すべきその發展振り |
03 | 北・中支を一體とする 教育制度を確立 聯絡委員會で決定 |
04 | 貴院伯子男爵の 互選議員總改選 子、男爵議員の人選決定 |
05 | 興亞院引越し 新廳舍で事務開始 |
06 | 廣島稅務監督局長 武部氏退官 |
07 | 杭州市長は 吳氏に決定 |
08 | 日、滿、支綿業協議會 各關係團體間で意見一致 近く大阪で創立總會開催 |
09 | 金口木舌/林正享 |
10 | パウル攝政殿下 ヒ總統と重要會談 公式コムミユニケ發表 |
11 | 英士官のスパイ行為 我官憲が逮補、嚴重に取調中 皇軍は斷乎として追究 |
12 | ソ兵又不法越境 四日長嶺子附近に於いて 我方、直ちに反擊擊退 |
13 | 聯銀券の根本強化策 |
14 | 明日の天氣 |
15 | 總動員(147)/長田秀雄;夏口醇 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | わが荒鷲の秘術を 民間航空員に傳授 十二日から練習開始 |
02 | 輝く金鵄勳章 高橋軍曹遺族に傳達 |
03 | 朝香總裁宮殿下の 御召狀を傳達 光榮に浴する七氏 |
04 | 廣東の經濟價值 南支視察記(三)/秦巖夫海外遊記 珠江啓開の苦心は揚子江啓開にも增して困難な作戰であった、昨年十一月二十二日珠江遡江作戰開始以來、約半歲、その間各水路の啓開と、デルタ地域一帶の殘敵掃蕩戰に拂った我海軍の苦心と貴い犠牲とは、どんなに高く評價されてもいゝであらう珠江を遡って廣東に至る本流支流の各水路は、今でこそ滿々たる水にバナナや榕樹の影を落して平和な水鄉であり、事變前と同じ樣に水上生活者の蛋民族が江上をジャンクで埋めて居るが、之等珠江東江西江の各水路凡そ一千浬の中、我軍が啓開した水路は四百三十理、その四割に當る百七十浬の掃海に依って處理した機雷の數は實に○○個。(五月初旬現在)に達して居るのである。 三水以西、增城博羅以北に於て依然敵と對峙中であるが、廣東市及びデルタ地帶の治安は全く恢復し 住民も大部分復歸して廣東は相當の活氣を呈して居る北中支を經て南支に來て見ると廣東攻略戰は支那事變中に於ても極めて特異的の意義を持って居たものであり、今後の南支の經濟建設こそは最も複雜な問題を包藏して居ることを深刻に感じさせられる。 吾々は北支に於て日滿支經濟フロックの完成を目指して急速に進められて居る資源開踐の目覺ましい工作を見 中支に於ては揚子江經濟の再建と新上海建設の理想を目標として、必死の闘爭を行ってゐる苦難の大事業に接して來たのである。文字通り北支中支に於ては支那事變は長期建設の新段階に踏み込んで新秩序の建設を阻まんとする舊經濟勢力に敢然對抗する構へを取ってゐるのである。 然し廣東では大分情勢が異って居る、廣東は英領香港と共に南支經濟の心臓であり、廣東占領は、粵漢鐵道の喉元を壓へて抗日蔣政權の糧道を絕ち切らんとするものであった、此の作戰は豫想以上に效果を收め、漢口陷落を早めた許りでなく、今後に於ても一帶に對し新秩序建設の南方基地として極めて重大な役割を演ずる運命を擔って居る。 たゞこゝで注意しなければならないことは此の廣東占領が何處までも軍事的意義を第一として為されたものであるに拘らず、吾々は今や此の軍事的意義から轉じて、南支に於ける廣東の經濟的立場といふものを再檢討しなければならない時期に到達したといふことである。 廣東が嘗ての最大の援蔣ルートであった樣に、その役割を今では蘭州のコミンテルンルート、及び佛印ビルマ雲南のルートが活潑に動いて居り更に廣東附近に於ては、香港から我軍の占領地域を縫って、支那奧地への密貿易が行はれて居る。粵漢線は現在黎洞以北は開通して居り、又惠州附近起點として東江の上流は抗日軍の輸送路となって居る。之等の實情よりすれば廣東を中心とした封鎖作戰は既に新らしい段階に入った譯で、今日の塲合廣東占領は、援蔣ルートの遮斷と言ふ軍事的目的の上では最早や作戰的には小部分の效果しか擧げて居ないと言ふことが出來る バイアスの敵前上陸、果敢なる廣東突入そして困難を極めた珠江の啓開、之等の幾多の犠牲を確保した廣東とそのデルタ地帶を、今後吾々國民の所期する新秩序建設の基礎として效果あらしめるのには、何等かの方策がなければならない筈である。 廣東を中心とした兩廣地方を日滿支經濟ブロックの中に入れることが出來るか否か、之が先づ當面の最も大きな研究題目でなければならないのである。繰返して言へば廣東地方に對する經濟對策が考究されない限り、廣東占領の軍事的價値は相對的に低下するのではなからうかといふのが廣東に來ての第一の疑問であった。 |
05 | 全島憲兵分隊 長會議 |
06 | 水津臺銀頭取着任 高砂丸けさ基隆入港 |
07 | 青年の身體檢查 新竹州下は中旬頃 |
08 | ギャングと警官が 猛烈な拳銃射擊戰 白晝、香港の目拔きで |
09 | 礁溪信組張切る 組合中心から國策中心に |
10 | 大日本書道展 八月六日から開催 |
11 | “國精”作興普及會 盛大に發會式擧行 |
12 | 司馬懿の墓 改修除幕式を擧行 |
13 | 奇特な車夫 溺れた幼兒救助 |
14 | 時の記念日 島都の行事いろいろ |
15 | 貴族院慰問團 使命を果して寄臺 |
16 | 天體觀測同好 會發會式 |
17 | 鐵道部異動 |
18 | 男裝の麗人現はる 島都の盛り場に出沒 |
19 | 臺灣時計聯合總會 十日臺北公會堂で發會 |
20 | 株屋の外交員 證據金を横領 |
21 | 定期航空 |
22 | 今夜の放送 |
23 | 商況 六日前場 |
24 | 今日の興行 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日本の母(140)/新述節;瀧伸二 |
02 | 家庭婦人 女學生の自轉車通學 身體には惡影響を及ぼさぬ/門馬榮治 |
03 | 家庭婦人の常識集(七) |
04 | 暑い季節を控へ 溝、下水の手入れ 不潔な虫と黴菌を防ぐ |
05 | 白と青を基調に 夏の婦人雜貨品 ハンドバックは四角になった |
06 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新民報國語學習新聞 母校の譽を雙肩に 豆力士だちが熱戰 臺北州下の學童相撲大會 大盛況に終る |
02 | 圖像:紐育萬博會 |
03 | 內埔庄の全村學校 十日に開校式擧行 |
04 | 最近三十年間の 世界發明者の顏觸 日本人は外國人に劣らぬ |
05 | 今日の歷史 |
06 | 姿の見えない 透明飛行機 各國で盛んに研究中 |
07 | 圖像:各國軍備 |
08 | 圖像:漢口に誕生した鐵道村小學校 |
09 | 歸ってきた鳩/塚原健二郎 |
10 | バッタを好んで 食べる植物 カナダで發見さる |
11 | カタカナ欄 ヤリブタイガ ダイ一センニデキタ |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 重慶の物資缺乏深刻 我占領地域附近で邦品を買集め 市價の數倍で奪合ふ頭條新聞 【漢口六日發同盟】敵都重慶を中心とする奧地は最近物資の窮乏愈愈深刻を吿げてゐるが面目上表向きに日本製品を購入出來ないので重慶政府は窮餘の一策として貿易總隊と稱する軍事委員會直屬の武裝キヤラバンを組織し我占領接壤地帶に派遣して物資を蒐集しこれを重慶に持ち歸り辛くも餘喘を保つて居り皮肉にも抗日の首都重慶においては日本製品が市價の三倍四倍の高價を以て奪ひ合ひを演じてゐるといふ物資難地獄の實相が判明した、卽ち最近江南○○附近の戰鬪で捕へられた貿易總隊に屬する敵捕虜の言に依れば最近重慶を中心とする奧地の物資ストツクは旣に底を突き物資の深刻なる缺乏に惱まされ國府軍事委員會に直屬する貿易總隊を我が占領地域接壤地帶に派遣して物資買集めに狂奔せしめつつあり同貿易總隊の編成は一隊約二千名から成つて居り共產遊擊隊や土匪の襲擊掠奪に備へて五百名前後の護衞兵を附け輸送には主として驢馬を使用する大規模のキヤラバンで浙江省建德、安徽省南陵、江西省修水等が物資蒐集據點となつてゐるものの如く斯くて掻き集められた物資は一日重慶に輸送し政府の統制監督下に販賣されてゐる重慶で日本製の燐寸、蠟燭、綿布、雜貨、麥酒、砂糖等が市價の三、四倍、燐寸の如きは一箱十四、五錢、麥酒一本二圓五十錢から三圓といふ高價で奪合ひを演じてゐるといふ現象を重慶政府當局は長歎息をもつて眺めてゐる |
02 | 滿國政府が嚴重抗議 ソ軍の不法越境に對し |
03 | 兩總長宮殿下御參內 御所管事項を御奏上 |
04 | 英人、又も不法發砲 不遜・我が陸戰隊に對し 我方徹底的措置を講ぜん |
05 | 子、男爵議員 候補者顏觸れ |
06 | 我が對歐策を承認 きのふ定例閣議で |
07 | 獨・エ、ラ兩國とも 不侵略協定締結 |
08 | 柳林鎮を占領 敵の據點粉碎さる |
09 | 敵匪團の掃蕩戰果(五月中) |
10 | 閣議決定事項 |
11 | 定例閣僚參議 懇談會 |
12 | 英の大演習招待に ソ聯謝絕回答 |
13 | 事變處理と併行し 内政の懸案解決へ 政府、積極的に邁進 |
14 | 陌南鎮に猛火 我陸の荒鷲の猛爆で |
15 | 獨伊文化提携の 第一回協議會 ウイーンに開かる |
16 | 伊、ブ兩國間に 文化協定成立 |
17 | 山崎氏の協力を 中島革新總裁が懇請 兩派の合流進展せん |
18 | 庶民金融理事長 川越丈雄氏決定 |
19 | 弱體な國際 聯盟の改訂版 伊紙の三國同盟評 |
20 | 海州に新に 聯銀分行開設 龍口には辦事處 |
21 | 東株の理事長 副島氏に決定 |
22 | モスクワ訪問 は考慮せぬ 英首相が答辯 |
23 | 有末駐伊武官 歸國の途に就く |
24 | 香港の國民黨系 國民日報發刊さる |
25 | 外務人事異動 正式發令さる |
26 | 本日の天氣 |
27 | 大阪商船臺灣出帆 |
28 | 近海郵船基隆出帆 |
29 | 辰馬汽船 |
30 | 大連汽船 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 物動計畫の 運用に期待社說 一 長期建設の戰時體制を規律すべき基本計畫として、國民から重視されてゐた昭和十四年度の物資總動員計畫は、去る二十六日の閣議で最後決定、青木企畫院總裁談の形式を以つて發表された。右によれば物動計畫と共にその附帶計畫とも見るべき貿易計畫と交通電力動員計畫も決定されてゐる。同計畫は單なる基本的方針のみであつてその具體的內容を知ることは出來ないが、右計畫は當面の戰爭遂行上必要なる軍需品を迅速に充實して軍備を一層充實し、生產力擴充、貿易振興、滿支の經濟開發促進に必要なる資材の供給を確保し、以つて將來に於ける綜合國力の飛躍的發展の素地を作ることを主眼としたものである。卽ち國際新情勢に對處し、事變第三年目の戰時經濟に卽應するだけに、同計畫が重大性を帶びてゐることは云ふまでもない。 二 今回の物動計畫は特に輸出振興に重點を置かれてゐるが、そのためには輸入力を增强して輸出用品資材の確保に努める外、輸入原材料を以てする物資は勿論、國產品と雖も極力國內消費を抑制して輸出に振り向けられることになる。從つて本計畫實施に伴ひ國內消費が極力制限され、その結果一般民需品は昨年よりも一層統制され、國民生活の水準が一段と低下することを覺悟せねばならぬ。從來は為替決濟のため輸入資材を以つてする物質は極力消費節約が行はれ國產品はどつちかと云へば比較的放漫に置かれた形にあつた。しかしながら輸出振興を圖ることは、戰時經濟刻下の急務であり、その資材確保が優先となつて一般の民需が制限されることは當然のことである。吾吾はこの物動計畫の實施により、日常の生活が極力に低下されることがあつてもそれは、戰爭目的を達成し、新秩序建設と云ふ大使命に參與するものである以上、如何なる不便、苦痛も堪え忍ぶ覺悟がなければならぬ。 三 事變は何時解決するか、之れは何人にも分らない。一觸卽發の歐洲情勢、租界問題を繞る三國の動き等、むしろ時局は重大化しつつあると考へざるを得ない。歐洲の紛爭が極東に波及することは誰しも肯定するところであらう。吾人は事變解決の近道は國內に於ける戰時體制を最高度に整備するにあると云ひたい。これが最後の勝利であり事變を解決する唯一の道だと信ずる。これを措いて他に事變解決の道はないと思ふ。ここに隱忍持久の必要がいよいよ痛感される譯である。我我は過去二年の試煉を經て凡ゆる忍苦をして來た。そして我が經濟力の鞏固なものであることを立證して來た。天惠豐かな食糧に事かかぬ以上堪え忍ぶとは容易である。物動計畫は旣に出來上つた。もとより最少の犠牲で最大の効果を擧ぐる樣圓滑な運用を期待するが、それと共に國民も層一層忍苦の覺悟をせねばならぬ。 |
02 | 中國の治安工作に 農村の再建を圖る 合作社運動に全力 |
03 | 金と名のつく物 店頭から撤退 島都の兩組合が自發的に遠慮 全島業者に呼掛く |
04 | 圖像:廣東安民挺身隊聯合結成式 |
05 | 戰傷兵を慰問 宗藤市尹一行が |
06 | “上海陸戰隊” 基隆で試寫 |
07 | 滿洲工作會社 奉天に設立 |
08 | 別働隊を組織して 死藏金を一掃 宜蘭郡の第二次運動 |
09 | 勅語奉答 全國的行事制定 第一回委員會開かる |
10 | 物價懇談會 基隆商工會議所で開かる |
11 | 生活の刷新に 振興會結成 地域又は町會を單位に |
12 | 盟邦獨、伊の 二溫泉權威來朝 交交抱負を語る |
13 | タイヤも切符制だ 臺北州、十日から實施 |
14 | 英皇弟妃殿下の 自動車目がけて發砲 ロイヤル殿下邸にも |
15 | 店員にも經濟講習 臺北兩組合の計畫 |
16 | バナナ出荷高 |
17 | 廈門市政府の 組織委員を任命 李治維會長が委員長 |
18 | 時間尊重を強調 稻華時計眼鏡商組合の行事 |
19 | 和洋雜貨を値下げ 臺北の卸組合で實施決定 全島小賣商も順應 |
20 | 掛賣を現金制に 新竹で懇談會開催 |
21 | 聲の天才呂君 松竹の專屬歌手に |
22 | 臺北對抗臺灣 選手候補增員 男女を各各三名 |
23 | 國策に順應 組合長副組合長談 |
24 | 未教育兵訓練 |
25 | 故佐藤博士遙弔式 |
26 | 徐世昌氏逝く |
27 | 定期航空 |
28 | 人事・消息報社消息 |
29 | ときのこえ |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 本期の新式製糖は 豫想よりも大增產 二千二百八十九萬擔か |
02 | 肥料の供給不足で 二期米作に大打擊 市價暴騰に依り農家悲鳴 |
03 | 蓬萊米作柄恢復 移出力增加さる 六百萬袋を豫想 |
04 | “昭和製糖”と大日本の 併合說で株が奔騰 デマだと兩社共に否認 |
05 | 公定價格と 糖界の動向 |
06 | 新蓬莱米は強調 内地入注が一服 |
07 | 島產茶輸移出高(五月中) 躍進の一途を辿る 紅茶だけでは不振を示す |
08 | 戰時經濟解說 |
09 | 人絹及ス・フの 世界產額增加 |
10 | 石灰窒素需要增加 硫安豆粕に比し割安 |
11 | 船舶用マニラ麻 四月分割當決定 |
12 | 市價及商況 六日 |
13 | 照明燈 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラジオ |
02 | 特別演講 臺灣米穀移出管理 事業に就いて/田端幸三郎 |
03 | 國民歌謠 |
04 | 圖像:金髮のスター來朝 |
05 | 人形淨瑠璃 傾城阿波の鳴戸 |
06 | 子供の時間 戰場の華(九) 從軍記者日記 |
07 | 子役養成研究所 新興東京に誕生す |
08 | 我が家の大將 |
09 | 料理 |
10 | 幼兒の時間 かぶら抜き/熊谷綾子 |
11 | 明眸佐佐木信子再出發 第一回出演は「結婚問答」 |
12 | 美ちゃん活躍の 母に捧ぐる歌 |
13 | 日活野口監督の 「鋪道の戰線」 配役決定攝影に着手 |
14 | 大都時代劇部總動員の 「御存知高田の馬場」 |
15 | 「フアシスト の小學校」 伊太利から文 化振興會へ |
16 | 新興東京の 新人拔擢 「愛の踏切」映畫化 |
17 | 早くも注文殺到 「續愛染かつ ら」の續篇を |
18 | 海外映畫短信 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 汐止神社大祭並に 諸寺廟の合同祭典 空前の盛況を豫想さる |
02 | 朗らか二萬餘圓 強制なき竹山郡の献金 |
03 | 茶の增產計畫 冬山庄で懇談會 |
04 | 千二百餘甲を動員 東港郡國策作物に總努力 |
05 | 製茶競技會 |
06 | 茶摘み競技會 頭分庄茶葉組合の主催 |
07 | 青年體格檢查 埔里街の實施日程 |
08 | 圖像:荒鷲ノモンハンの空を壓す |
09 | 四色牌賭博 |
10 | 學甲庄の職員 防諜團を結成 二日華華しく擧式 |
11 | 東石郡防犯協會 華華しく發會式を擧ぐ |
12 | インチキ祈禱師 多額な保命錢を騙取 |
13 | 國講の研究教授 |
14 | ローカルセクション |
15 | 新營專賣品小賣人 組合總會を開催 |
16 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 天然絹糸の強敵 ナイロン發明さる (下)工業化にも成功 |
02 | 圖像:ノモンハン事件 |
03 | 日本地質學說の 一大異變 東京高師藤本博士の說 |
04 | ガラスに書ける 永久に消えぬインキ |
05 | ヴイタミンAの結晶 初めて分離さる |
06 | グライダーの 高度記錄 八千六百米に達す |
07 | 豆科學 |
08 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 花蓮港にも興亞博 開港祝に錦上の花 高雄の陳列材料を搬入 |
02 | 鄉軍臺中州聯分會 きのふ審議會開催 原案何れも可決さる |
03 | 污物取締規則 臺南州近く細則を公布 |
04 | 圖像:小賣商も免許制? |
05 | 高雄州米の買上價格 業者聊か拍子抜け 座談會で婉曲に不平透露 |
06 | 皇軍慰問の 臺北市演藝團 衛戍部隊を訪問 |
07 | 鶯歌農實總會 五日公會堂にて |
08 | 新生廈門だより/郭發海外遊記 ◆......參事會議長は英國人ヒーチコックで工部局長兼警視總監も英國人バスである、また君が僕の椅子(首席領事)を狙ってゐるではないか、この椅子もあの椅子も英國人が占めてゐるからにはあの警視總監の空椅子を日本人にやって惡いことはない筈だ、とわが內田總領事が英國總領事に向って攻め立てたところさすが狡猾なる英國總領事も一寸答ふる言葉に窮したそうナ ◆......ところが同じ席上に於いて成る程排日抗日分子の取締りには日本人の巡查を新たに採用任命する必要があらう、然らばコロンスにて不法なる行為をなす臺灣人の取締りにはわれわれも何とか考慮の必要もあらう、と英國總領事がわが內田總領事に對し奧齒に物を挾んたやうな調子で云ったそうだ、狡猾な英國どこまでも嫌がらせのことをやりたがるもんだその魂膽は察して知るべし ◆......コロンスに於ける日本の勢力伸長は英國にとって喜ばぬことである。コロンスの從來及び現在に於ける實權は英國が握ってゐると云っても差支へなからう、それでこの舊秩序の維持のために英國が今や死物狂ひになってゐる、その遣り方も目的のために手段を選ばないのだ彼と正反對の立場にある東亞新秩序建設に邁進の一途を辿りつゝあるわが方は注意第一だ。 ◆......彼國の前任領事がわが總領事館の引揚げ後にコロンスに居殘った臺灣居留民十數名を不法にも逮捕して當時の支那側に引渡した暴虐極まりなき蔣政權治下の支那軍のために鎗殺されたことを思へば彼國の非人道措置に對し憤慨せざるを得ないと同時に彼國が我が方に關する限りのことは毫も誠意がないと云ふことを知らなくてはならない ◆......去る五月廿九日英國船安順號入港の際に廈鼓間電話海底線が皆切斷されて遂ひに廈鼓間の連絡は悉くランチと舢舨を利用する外はなかったコロンス問題の發生以來わが方の各機關の連絡上大なる阻害を感じてゐることは勿論である辛辣極まりなき不法の行為をなす英國側の遣り口であるから故意にわが方を不利の立場に立たしめるためにせんがための行為と云はれても仕方がない ◆......內田總領事はいたく憤慨し三十一日英總領事に對し嚴重なる抗議を發し同時に之が復舊に關する一切合切の經費は英國側の船會社が負擔すべきことを要求しその回答を求めたところが同日英國總領事からわが方に對し太古碼頭南方に二隻の日本トロール船が居るがそれは英商太古汽船の出入に邪魔になり甚だ困るとかの公文を以て抗議して來た血迷ふた英國の面目□たるものがある ◆......英米佛三國の領事はわが方の重要視する改革要求第二條に關し財源がないの口實を以てその實現の阻止のために躍起してゐる一も金二も金その金の捻出が出來ないから問題にならないと云ふけれども金があったら承認するだらうと考へては早合點の譏りを免がれぬのだ相手は老狡なる英國です一歩進んで再檢討するがよい ◆......金の口實を以て徹頭徹尾わが方の要求第二條に對し全面的に拒否しようとはその魂膽であらうだからわが方の特別辦法による金の捻出具體案の提示を受けたに拘らず何れにしても彼等領事は頭を左右にふるのみであった金は拒否の口實にしようとするならばよき財源があっても反對せざるを得ないのだかやうな塲合に名案のあらう筈がないと信するものである ◆......英國には誠意がないのは當然である口實は豫算難と云ふがその內心は拒否する腹らしい而して交渉經過は大體に順調に行く如何にも其趣旨に賛同する如く見せて最後の五分間で停頓して了ふのが識者を待つまでもないのだ狡猾の英國反省せざる限り現地外交交渉も遂には暗礁に乘り上げるのであるこの重大關心を要する今日この頃のわが方は萬全を期して彼等の行動を監視すべきであらう。 |
09 | 圖像:照國徵兵檢查 |
10 | 工場監督殺害の 職工取調べ終了 一件書類と共に送局 |
11 | 集金人捨身の豪遊 臺中市で檢擧さる |
12 | これも物資愛護か 収穫間近くなった稻を 餘儀なく刈棄てる農民 |
13 | 高雄市大橋 工事を急ぐ 最近鐵筋が着荷 |
14 | 官紀肅正の為め 徹底的に糾彈せん 埔里街長事件に對する 檢查局の態度頗る強硬 |
15 | 新高登山 愈よシーズンに入る |
16 | 高雄州の社會 事業事務打合會 |
17 | 臺中州產倉協會 打合會を開催 |
18 | タイヤチューブ 配給統制打合會 けふ臺中州に於て |
19 | 軍事援護に 關する懇談會 きのふ高雄州で |
20 | 感心な人夫 |
21 | 博徒一網打盡 |
22 | 消息 |
23 | 海外小話 携帯用強力 電話發明さる |
24 | ガソリンに水 出力を增す發明 |
25 | ビートル遊び 英國の都鄙を風靡 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 我が海軍に對する 大なる挑戰的行為 英人不法發砲鶴見情報部長談 |
02 | 英、獨特な老獪振り 程氏暗殺犯人引渡要求に 英總領事の回答來る |
03 | 圖像:近衛公、西園寺公と會見 |
04 | オ島の武裝化問題 芬蘭國防相、瑞典國防相と會同 |
05 | 獨逸宣傳相 ダ市訪問せん |
06 | 紹興、吉安、泰和を猛爆 徹底的損害を與ふ |
07 | 金口木舌/林正享 |
08 | 日滿支經濟 大阪懇談會 きのふ委員會開かる |
09 | 日滿支青年團大會 九月京城で開催 臺灣からも卅名參加 |
10 | 滿洲國外務局 外交部に擴大 次長は田代總領事 |
11 | 獨・エ・ラ三國の 不可侵條約 けふ正式に調印 |
12 | 興亞院華北 連絡部 一割貯蓄實行 |
13 | 都市地區振興打合會 州會議室で開かる |
14 | 内地小麥は 大豐作 豫想収穫高發表 |
15 | 明日の天氣 |
16 | 總動員(148)/長田秀雄;夏口醇 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | “成程これはひどい”と 八田さんもびっくり 早速關係業者を集めて ス・フの名譽回復評定 |
02 | デマが亂れ飛んで 新嘉坡では大騷ぎ 避難準備や食糧貯藏を急ぐ |
03 | 聖旨奉體具體案 審議文部省委員會 全國から意見徵收 |
04 | 圖像:大陸の花嫁選び |
05 | 樂土臺灣に感謝し 華僑が公債購入運動 臺灣新民公會、全島に飛檄 |
06 | 皇民化佛教講習 十日から新埔で開く |
07 | 大好評を博して 臺北市慰問團歸る 感激感謝を土產に |
08 | 基隆神社の 始政記念祭中祭 |
09 | 大和丸出帆 |
10 | 申告を怠ったもの 隱匿する者は嚴罰 七月一日の金國勢調查 |
11 | 基隆市教育會 總會 |
12 | 狂戀の殺人犯 自宅に立寄って御用 |
13 | 山西丸無電 |
14 | 詐欺漢又御用 |
15 | 發破夫三名爆死 |
16 | 猪股氏逝去 |
17 | 今夜の放送 |
18 | 商況 七日前場 |
19 | 今日の興行 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日本の母(141)/新述節;瀧伸二 |
02 | 家庭婦人 母親だけの教育 愛し過ぎるな、干涉し過ぎるな 銃後の母は社會にも接觸せよ/今村正一 |
03 | 家庭婦人の常識集(八) |
04 | 文房具の代用品 紙の要らない吸取器等 |
05 | 花好きお嬢さん 食卓の花をとって 胸に挿すのは無作法 |
06 | 身上相談 |
07 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 新民報國語學習新聞 日米親善使として 秋田犬「劍山號」が渡米 死んだ「神風號」の代りに ケラー女史を慰る |
02 | 圖像:各國軍備波蘭の卷(2) |
03 | 歸ってきた鳩/塚原健二郎 |
04 | 今日の歷史 |
05 | 圖像:維新政府水巡學校開校式 |
06 | 皇軍の占領地域 日本全土の二倍弱 二箇年間でこの戰果 |
07 | 關門隧道の鐵道 複線にする 昭和十八年に完成する |
08 | 滅びゆく朝鮮犬 今では僅かに八十二頭 總督府で保護 |
09 | 知慧袋 人間の目方 半分以上は水 |
10 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 樞密院本會議開く 商工省官制改正案を可決 行政機構の全面改革に就き首相が答辯頭條新聞 【東京七日發同盟】商工省機構改革に伴ふ商工省官制改正案に關する樞密院本會議は七日午前十時天皇陛下親臨の下に宮中東溜の間に開會、先づ審查委員長鈴木貫太郞男より審查報吿ありこれに對し菅原顧問官より各省における臨時職員增加に關して質問あり更に金子顧問官より商工省に止まらず各省を通じて時局に卽應するやうその機構を改むべきではないかとて政府の所見を質し平沼首相より別項の如く答辯あり政府原案通り全部可決し天皇陛下入御あらせられ同十一時四十五分散會した 【東京七口發同盟】七日の樞密院本會議に於て菅原、金子兩顧問が各省臨時職員整理問題及び行政機構改革問題に關し政府の所見を質したに對し平沼首相は左の如く時局に卽應しこれが改革整理を斷行する決意あることを表明し注目を惹いた 一、各省の臨時職員は最近に於ける行政事務の輻輳に伴ひ著しく增加してゐるが臨時職員は飽まで臨時的性質のものたる事は言ふまでもなく政府としても現行制度に就ては慎重調查を行ひ臨時職員の整理可能のものから可及的速かに整理を加へ不合理なものは速かに改廢する方針である 一、時局に卽應せる行政機構の全面的改革に就ては政府もその必要を認め目下調查硏究を進めてゐるが只今回商工省機構の改正を急いだのは戰時經濟遂行上當面の問題たる物價問題、物動計畫の圓滑な運營等焦眉の急に迫られてゐるのでこれに對するため着手したのであつた各省全般における機構改革の必要を看過してゐるのではない 一、最近における農村勞働力の都市集中及び一部產業部門に於ける高賃銀が農村に惡影響を與へつつある虞れあることは遺憾である、政府としてはかかる惡影響の排除には十分注意し都市と農村の不均衡是正に努め銃後の施設に萬全を期してゐる將來とも十分留意して行く方針である |
02 | 于學忠軍大殲滅戰 山東中部の敵十萬に對し 我が包圍陣全く成る |
03 | 帝國軍隊に對する 英國人の反抗挑戰 艦隊報道部長談六日の綸昌紡織不祥事件 |
04 | 當然その場で 射殺すべきもの 負傷の不法英人遂に死亡 |
05 | 英人不法事件の經緯 我現地海軍當局發表 |
06 | 山東省全體を明朗化 經濟開發に成果甚大 |
07 | 龍泉關占領 |
08 | 敵大混亂 |
09 | 中條山脈の敵を猛攻 主要陣地を突破・包圍線を縮少 |
10 | 三國領事と個別懇談 交涉は一進一退を辿る 內田總領事は語る |
11 | 英總領事率直に謝る 三浦總領事の抗議に |
12 | 陸の荒鷲活躍 敗走の敵に巨彈 |
13 | 英側の狡猾回答 更めて重要提議 程氏暗殺犯人引渡要求 |
14 | 柳林鎮地區包圍戰 甚大な戰果を收む |
15 | 日濠通商協定 改訂交涉開始 |
16 | 小林總督歸任 十四日門司出帆の大和丸で |
17 | ソ聯兵撤退 長嶺子平静に歸す |
18 | 興亞院連絡會議 重要協議を遂ぐ |
19 | 日ソ戰爭は 起るまい 瑞西有力紙論說 |
20 | 本日の天氣 |
21 | 大阪商船臺灣出帆 |
22 | 近海郵船基隆出帆 |
23 | 辰馬汽船 |
24 | 大連汽船 |
25 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 義務教育の 實施計畫 遲くても六年 內に實現せよ社說 一 皇民運動の徹底は國民教育の普及にあり、皇民化方策の達成は義務教育を實施するに待つべきことは言ふまでもないのである。從來吾吾は屢屢義務教育實施の具體的計畫を要望したのも蓋し當局の皇民化政策に熱意ありやを打診し、進んでその積極的斷行を促進したいが為めである。今や澎湃として打ち寄せる皇民運動の急潮に推されて、臺北市の如きは本年度に於て旣に第一學年相當の學齡兒童を九十パーセントまで就學せしめ、以て義務教育へ邁進するの範を全島に示し、又高雄州當局に於ては義務教育促進に乘出して、來る昭和二十年度を期し、就學步合を百パーセントに躍進せしむべき具體的計畫を進めてゐるが如きは洵に喜びに堪へないとである。各地方當局に於てそれぞれ斯くの如き義務教育促進計畫を進めて行けば、義務教育令の制定を待たずして、義務教育と同一の實績を來る二十年度には必ず收むべく、是れ一に各地方當局の皇民教育に對する熱意の程度如何に繫るものであつて、もはや一種の机上論ではなく、旣に目前の現實問題となつたわけである。 二 上述の如く、義務教育促進の計畫は旣に全島各地方當局に於て着着その準備を進めつつあるが、傳へる所に依れば、督府文教局に於ては遲れ馳せながら、去年來大體六箇年計畫を以て昭和十八年實施、同二十年實施、同二十年以後實施といふ三段構の下に調查研究を進めてゐることは是れ固より吾吾の多年要望せる所であつて一日も早くその實施を斷行すべきものである。唯その三段構の中、昭和十八年實施の案は最も望ましい所であるが、今日より後四箇年で實施しさうもなく、又二十年以後實施の案は現實の進步よりも遲れて甚だ時勢遲れなものであり、そして昭和二十年實施の案は各地方當局の熱意ある計畫に依つて義務教育令を待たずとも實現し得べきことは高雄州當局の研究された結果に依つて明かなところである。 三 今や時局下に於ける島民の皇民運動熱と地方當局に於ける皇民化政策の强化とに依つて、各地方の市部に於ては年度に第一學年相當の學齡兒童を少くても臺北市の如く九十パーセント就學せしめ得べきを期待し、又文教當局の義務教育實施計畫案に依つて遲くても來る昭和二十年度を以て義務教育の實施を期待し得べきものであるが、若し夫れ義務教育實施に伴ふ財政の膨脹は當然國庫がその半額を負擔すべく、又地方團體に於ても力の出來る限り、之れを提出すべきは言ふまでもないが、要する所、今月に於ける義務教育問題は旣に思案議論の時代ではなく、遲くてもここ六箇年間に必ず斷行せねばならぬとであるから、假りに實施まで一千萬圓から一千五百萬圓を要するとしても、年割にして僅か二三百萬圓位しかないのである。わが本島の數年來に於ける財政膨脹の上より見れば、かくの如き僅かな國費は為政當局の氣持ちに依つても何等の困難なく編成出來るものであると認めざるを得ない。要するに本島各地の教育普及熱より見ても、又文教當局の實施計畫案より見ても、遲くてもここ六箇年內には必ず義務教育を實施すべきである。 |
02 | 豆慰問團を現地へ 臺北州が全國に魁けて 今秋特派に決定 |
03 | 汽車通車學生三千名 渦を卷く島都のラッシュアワー |
04 | 財團法人新竹至誠會 寺廟整理新に設立に決定 |
05 | 聖恩奉體 “國精”作興旗 臺灣青年團にも授與 |
06 | 空から地形を偵查 島都“都計”に新趣向 |
07 | 第二次の金動員 基隆市、郡大童の宣傳 |
08 | 南支新經濟と廣東 南支視察記(四)/秦巖夫海外遊記 廣東は勿論南支全體の經濟は今日迄香港に依存して來た。事變以來香港の貿易の增大は實に目覺しいものがあった一九三七年の貿易額は前年に對比し、輸出五割二分、輸入六割七分の增加で、一九三八年上半期は前年に比し、輸出は二億八千六百萬弗から三億四千萬弗に、輸入は二億一千八百萬弗から二億七千萬弗に夫々增加した。 然し昨年の廣東占領により、下半期から本年上半期にかけ再び減少の途を辿るに至ったが、之に反しシャム、佛領印度、フィリッピン、蘭領印度方面との動きは活潑になり、廣東占領に依っでもさしたる打撃を受けて居ない。 加ふるに八百萬華僑の送金は殆んど全部が香港銀行に集中し、之が為華僑預金は二億七千萬弗(日本金約四億圓)に上り、香港銀行の外貨手持は極めて潤澤になった。 香港は廣東との貿易を離れ支那沿岸封鎖の完全の中にあって、外國貿易と華僑送金によって充分に成立つのである。また香港銀行はその外貨の手持ちに依って、法幣援助の如きは極めて容易に行ひ得るのである。廣東占領の軍事的目的を達成するには、既に廣東を中心とする新らしい經濟建設に移らなければならない事を前に述べたのであるが、之は換言すれば香港との經濟戰を如何にして行ふかと言ふことに歸着する。 それには廣東は勿論南支一帶の貿易組織全體を變更し、凡てを圓ブロックの中に包含させることが一つ。 香港銀行に集中する華僑の送金を圓ブロック內の建設資金として利用することが一つ。 南支新經濟の方式とその具體的實行とは以上の二項目に之を要約することが出來やう。勿論仔細に就て見れば、廣東廣西の特產物 茶と生糸は日本製品と衝突の懼れが多分にあり、輸送關係に於ても考究されねばならぬ問題が幾多伏在する樣であるが要するに南支を圓ブロックに編入する決意が無い限り、南支の經濟對策は遂に不可能であり、廣東占領の軍事的効果も極めて薄弱たらざるを得ないことになであらう。 兩廣地方に對比すれば海南島の圓ブロック編入は極めて簡單であり、此の觀點に於ける海南島の經濟建設は、多少の障害はあっても結局に於て、中支、南支よりも早く日滿支經濟ブロックの一環となり、所謂新秩序の礎石として、急速な發展を期待し得ることになるのである。 □吾々は南支の圓ブロックへの包含策を以て唯一の經濟對策としたのであるが、そのことが簡單に行ひ得ないのであらうことは、各方面の悲觀說を聞く迄もなく、記者と雖も充分知悉してゐるのである。 たゞ我々は之だけの點をこゝに現地に於て明確に取上げて置きたい。 それは「南支を圓ブロックから除外するとが□て軍事的にも南支を放棄するに至るであらう」と言ふことである。 然し此の經濟的建設は內地の小資本家の進出や見透しのない華僑資金の獲得戰や、些細な日支資本の提携位では如何ともし難いのである。 之を更に端的に言へば、今日の儘を以てしては南支に對する對策は不可能であり、我國の事變處理の根本方針に新らしい決意のない限り今日の事態に於て南支經濟建設の實行案は樹立出來ないのである。然しそれにも拘らず新らしい經濟政策は南支に於て強行されねばならず、支那に關する限り、圓ブロックに關する限り香港の金融的支配からは離脫しなければならないのであって、此處に廣東に軍事的據點を持った我國の新秩序建設への強い決意とその實行が必要とされて來るのではなからうか。【完】 |
09 | 各業態別に 團體を結成さす ガソリン配給を適正化 |
10 | 圖像:全島憲兵分隊長會議 |
11 | 航研機一年振りに 羽田の空を快翔 藤田中佐葬儀當日、空から弔問 |
12 | 鈴木地方課長 全島視察日程 |
13 | 永井、高石兩氏 日本IOC委員承認さる |
14 | 漢口特別市政府 教員五十名 この夏視察に來朝 |
15 | 軍人傷痍記章 退院の際に交附 |
16 | 島田氏講演會 |
17 | 經濟統制座談會 宜蘭商工協會主催で |
18 | 基隆の試飲會 |
19 | 東臺灣電力の 創立發起人總會 |
20 | 定期航空 |
21 | 富士丸無電 |
22 | 係官も目をそむく 鬼養母に懲役一年 |
23 | 厭世縊死 |
24 | 人事・消息報社消息 |
25 | ときのこえ |
26 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 大日本米穀會社の 本島割當株百萬圓 關係筋の應募は不振 |
02 | 南支進出と工業化は 臺銀今後の使命 國策の線に沿ふ經營 水津臺銀頭取語る |
03 | 臺中州の走米 愈よ出廻る 六月中五十萬袋か |
04 | 戰時經濟解說 海運自治 統制委員會 |
05 | 高雄バナナの 島外積出數量 |
06 | 國際市場制霸の 本島樟腦躍進す 近く四十周年を迎ふ |
07 | 紅鮭罐詰の 對英賣約成立 六十五萬七千五百箱 |
08 | 重大性を增した わが南海漁業 |
09 | 赤糖も大增產 七十四萬擔突破か |
10 | 嘉南の買煽りで 一期蓬萊暴騰 其の成行注目さる |
11 | 照明燈 |
12 | 市價及商況 七日 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラジオ |
02 | 講演 上海租界の話/信夫淳平 |
03 | 講演 登山と教育/青木繁 |
04 | 圖像:バレー講習會 |
05 | 家庭經濟講座(第七講) 金融機構(三)/東嘉生 |
06 | 料理 |
07 | 物語 十三歲の頼朝/奈良島知堂 |
08 | 續・愛染かつら 八日よりタイゲキ |
09 | 子供時間 立體童話 壜のゆくへ |
10 | 大船秋の七大作 |
11 | 「忠臣藏」公開 八日より永樂座 |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 街昇格運動へ 墓地移轉、火葬場設置など 楊梅庄政懇談會乘出す |
02 | 銃後の美談 |
03 | 赤堀知事の訓示(下) 高雄州視學會議に於て |
04 | 郡民の汗の奉仕で 主要道路愈よ竣工 麻豆公會堂に於て擧式 |
05 | 海軍將士殉職 記念碑に參拜 石門庄民千餘民 |
06 | 黃麻栽培面積確定 |
07 | 御遺跡擴張 地鎮祭を擧行 五日北斗街にて |
08 | 東港郡道路協會 通常總會を開催 |
09 | 圖像:ノモンハン事件 |
10 | 員林肥料商協會 創立總會を開催 |
11 | 國債買受け本極り バナナ生產者責任額を決定 |
12 | 太公望を待つ五分池 內湖庄內溝の名勝 |
13 | 竹塘庄會計役決定 |
14 | 梅子脚保育員 |
15 | ローカルセクション |
16 | 嬰兒の屍體 遺棄と見らる 犯人を追究中 |
17 | 毆れて人事不省 聾、真夜中の災難 |
18 | 齒科醫開業 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | ゴムのやうな 最新安全ガラス 試驗の成績上乘 |
02 | マグネシウム 合金の進出 |
03 | 石油ガスから グリセリンの合成 |
04 | 鑛石粉碎機の耳 |
05 | 豆科學 |
06 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇民的公共生活の 實踐中心者を養成 臺中州下の中堅青年を集めて 日月潭の道場で訓練 |
02 | 事變公債一萬圓 花蓮港華僑が買入 報恩の一端として |
03 | 圖像:北中支經濟視察團出發 |
04 | 上江田伍長の 告別式を擧行 十三日中井部隊で |
05 | 臨時國勢調查 彰化郡で打合會 |
06 | 白衣の勇士慰問 愛婦嘉義市分會の主催 |
07 | 社會事業の 事務打合會 |
08 | 高雄州中等 學校長會議 來る十三日開催 |
09 | 生擴動へ員令 桃園郡下の業主座談會 |
10 | 全島學生桌球 選手權大會 今後の研究が肝要 |
11 | 臺南消防組員異動 |
12 | 金鑛發見さる? 時局柄新豐郡下に耳寄な話 關係者血眼で採掘準備 |
13 | 臺中州中等學校長會議 來る二十日に開催 |
14 | 寄附金の橫領も 遂に真相暴露か 名本の犯行追究愈よ急 |
15 | 標語入りマッチ 高雄州で配布 貯蓄宣傳の為 |
16 | 斡旋の押賣に 農民が大困り 蕃薯簽の販賣量を割當 |
17 | 彰化市菓子商組合 來る十日創立總會 |
18 | キ印老婆が白骨に 疲勞と空腹で仰臥の儘往生 |
19 | 彰化市營プール 十日より開場 |
20 | 「南廻り道路」 楓港道路名稱愈よ決定 |
21 | 職能登陸の申告 高雄市遲遲として不振 |
22 | 失踪巡視員 腐爛屍体の謎解かる |
23 | 時局映畫會 臺中州で巡映 |
24 | 土壟間業者 座談會を開催 十一日彰化市で |
25 | 消息 |
26 | 訃文:簡何氏媚 |
27 | 訃文:林陳氏甜 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵を黃河河畔に壓縮 山西南部の肅清作戰 愈よ終局に近づく |
02 | 魯南地區の殲滅戰 包圍陣刻刻に縮小 |
03 | 東里店、上高胡を猛爆 |
04 | 斷乎所信に邁進 英の回答現地當局甚だ不滿 |
05 | 法弊崩潰の緒に就く 香上銀行の外貨賣停止 |
06 | 英大使館に 勅使御差遣 英皇帝御誕辰祝日 |
07 | 獨とラ、エ兩國間 不侵略協定調印す |
08 | 隴海線鐵橋の 爆破に成功 |
09 | 萬縣を空襲 |
10 | 米の金融通貨 權限延長案修正か |
11 | 貿易省の設置 內外地の貿易一元的統制 貿易振興會で決議 |
12 | 金口木舌/林正享 |
13 | 廣汎な勞働行政の 再檢討が行はれん 生產配給にまでタッチ |
14 | 英佛ソ三國の 保障を希望せず 芬蘭等三國が英に通告 |
15 | 東亞精記懇談會 七月七日に創立總會 |
16 | 石油の共販 會社を設立 官民協議で決定 |
17 | 明日の天氣 |
18 | 總動員(149)/長田秀雄;夏口醇 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 老市長陣頭で奮戰 どうやら軌道に乘った 帝都の銃後經營 |
02 | 自肅だけで足らぬ 歸任した西村警務部長談 |
03 | 夏の夜の怪!人靈の正體 コソ泥の惡企み |
04 | 商況 八日前場 |
05 | 今夜の放送 |
06 | 支那唯一の陸上選手 符保蘆が戰死す わが荒鷺に擊墜され |
07 | 部落振興事業本極り けふの指導委員會て |
08 | 臺銀の物故職員慰靈祭 |
09 | 證據金吞んだ 株屋は別人 |
10 | 基隆のチンピラ 一昧檢擧さる |
11 | 國產豪華客船 アルゼンチナ丸 世界一周處女航海へ |
12 | 猫に徵兵令 |
13 | 鼓浪嶼問題解決を 支那人識者が要望 香港丸の對岸情報 |
14 | 近海郵船の機構 合併後もその儘 松本基隆之店長談 |
15 | 輝く勳章傳達式 けふ臺北州で擧行 |
16 | 鑛山事故 |
17 | カフェー百合の 屋上大庭園開園 |
18 | 定期航空 |
19 | 人事消息 |
20 | 會議の中心は 時局犯罪對策 富士丸入港伴野高等法院長談 |
21 | タイヤの割當て 新竹州下の業者安堵 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日本の母(142)/新述節;瀧伸二 |
02 | 家庭主婦 銃後を守る婦人の 家事の改善案 無駄を省能率を擧げる 國防婦人會上野シゲ子氏 |
03 | 蕗の筏煮 |
04 | 紙上病院 |
05 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 新民報國語學習新聞 大阪の愛國五人娘 放暇後に花を賣る 利益金は人知れずに献金 私達もやりませう |
02 | 圖像:各國軍備波蘭の卷(3) |
03 | 今日の歷史 |
04 | ライオンの子に 「興亞」と「大和」 非常時に相しい命名 |
05 | 烏と蛇の大喧嘩 二羽かかりで喰裂く |
06 | 楠公記念塔 誕生地の河內に建設 近く三年ぶりに竣功 |
07 | 石油の節約で 村中が真暗 山日縣の和田村 |
08 | 水の深さで違ふ 波の有樣いろいろ よせて來るのは形だけ |
09 | カタカナ欄 アカイドヂヤウ ナガノケンデトラヘラル |
10 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 敵軍の最後の據點 平陸に突入占領! 中條山脈大殲滅戰大成功裡に終る頭條新聞 【運城八日發同盟】中條山脈に蠢動する李興中の指揮する第十六軍、趙壽山麾下の第三十八軍の敵三萬を殲滅すべく六日拂曉を期し一齊に進擊を開始した我陸の精銳藤室、岩切、山崎、木越、重松、貴島、橋本、南部の各部隊は陸鷲山口部隊の密接な協力の下に猛暑を冒し峻嶮を踏破しつつ所在の敵擊破包圍陣を縮小しつつあるが八日午前九時半木越部隊を先頭に續いて岩切部隊は死物狂ひの抵抗を續ける敵を殲滅敵最後の據點たる平陸に突入、これを占領し茲に三日間に亘る中條山脈の大包圍殲滅戰は大成功裡に終り、引續き附近一帶の掃蕩を展開してゐるが敵の三日に於ける損害は頗□甚大なるものがある 【運城八日發同盟】中條山脈を南進中のわが精銳各部隊は徹宵猛擊を續行八日朝に至り愈愈三方面よりの包圍陣を壓縮黃河河畔によつて最後の抵抗を試みる敵密集部隊を急追しつつ壯烈なる殲滅戰を續けてゐる敵の遺棄死體は目算一千餘黃河に流れる敵屍は數知れず甚大なる戰果を飾る卽ち右翼の藤室部隊は平陸西南方十粁の常樂村、車村の線に進出すれば木越、山崎兩部隊は平陸東方三粁に迫り平陸にある敗敵を猛攻中である一方左翼の岩切部隊も八日午前三時卅分東□頭を奪取引續き南下平陸に肉薄中で平陸の陷落は愈愈目睫に迫つた又盤南村に入つた古賀部隊は敵の退路を確保暗夜を利して茅津渡方面に或は對岸に遁走せんとする約一千の敵を擊攘潰滅せしめ多大の戰果を收めた |
02 | 安詮院市尹初巡視 |
03 | 圖像:歧路に立つルーマニア |
04 | 商工機構改正諸敕令 十五日一齊に公布實施 同時に人事異動も發令 |
05 | 上海香港兩地の 法幣市價大暴落 |
06 | 新民學院の 訪日學生團 きのふ入京 |
07 | 手枷足枷で兵を固定 于學忠非人道の督戰振り |
08 | ダイビング爆擊 赤石機の驚異的奮戰 |
09 | 葛溝鎮河陽鎮を占領 我將兵の士氣愈旺盛 |
10 | 穆陵關に進出 敵を猛攻 |
11 | 運賃小委員會 海運運賃の引下を協議 |
12 | 獨、エ、ラ三國の不侵略協定 獨紙、意義を論ず |
13 | 蒙陰縣城を占領 |
14 | 皇軍將兵の奮闘に 滿腔の謝意を捧ぐ 東上の繆新民會指導長語る |
15 | 英佛ソ三國協定交涉の 協力方式發見を希望 英首相が下院で強調 |
16 | 英、行詰打開に努力 ス局長を莫斯科に派遣 携行する新訓令の骨子 |
17 | 三國は保障を 希望せぬ 英首相下院で言明 |
18 | 山崎達之輔氏 合流承諾を回答 中島革新派總裁を訪問 |
19 | 希望せぬ 英首相下院で言明 |
20 | 第二豫備金 支出 きのふ公示 |
21 | 本日の天氣 |
22 | 大藏省辭令 |
23 | 大東港の建設計畫 實施具體案成る |
24 | 大阪商船臺灣出帆 |
25 | 近海郵船基隆出帆 |
26 | 辰馬汽船 |
27 | 大連汽船 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 蓬萊米增產と 適作適地主義 割當は不合理社說 一 戰時中に於ける食糧品の重要性は今更ら喋喋する迄もなく準軍需品と講すべきものであり、殊に國民主要食糧たる米穀は戰爭長期化につれて益益供給不足を告ぐる恐れがあるので、農林省に於ては夙に內地米四百萬石、朝鮮米百五十萬石、臺灣米五十萬石の增產計畫を立てる事となつた事は周知の事實である。就中臺灣に於ては最も增產の可能性多く、此の際明年度に於て何うしてもかかる增產目標に達成せしめるには所謂適作適地主義を以て邁進するより外はない。 二 蓋し兩三年來、甘蔗の增收による砂糖の大增產は主として甘蔗水田進出の結果に外ならないが、今後臺灣米五十萬石の增產を圖る最も容易な方法としては水田蔗作より撤退して畑作へ轉換せしめる事に努力すべきである。又現在臺中州に於て實行してゐる米、甘蔗、黃麻、蓖麻の割當獎勵は最も適地適作主義に反し決して土地の生產力を高める所以でない事は明かである。例へば黃麻、甘蔗、蓖麻の適地は水利の豐富な水田よりも寧ろ多少灌漑の便ある畑作の方がより適地であり、且つ小作料の負擔も少なく、それだけ農家の經濟に寄與する事多き許りでなく、國家經濟より見ても利益である事は論を俟たない。 三 勿論各種農產物獎勵の適地適作主義は割當獎勵主義の如く簡易に行はれるものでなく、詳細なる調查と農民との理解ある協調なくては決して圓滑に行はれるものではない。從つて當局に於ては此の問題に關して必要なる調查と精力的指導を要すべきものであるが、長期戰體制下の今日に於ては米、甘蔗、黃麻等凡て增產を要求せられてゐるから、事面倒であつても之を遂行せしめる事に努力しなければならない。そこで督府に於ては須らく地方廳と連絡してなるべく此の方針の下に戰時農產物增產方法の一大改革を斷行すべきである。 四 此の問題は固より理想的に行はれる事は極めて困難である事を知らないではない。例へば水田地帶の製糖工場區域に於て嚴密に此の方針を以て遂行する事は出來ないであらう。だが旣に帝國製糖の新竹、竹南兩工場區域內に於て山畑の開發に着眼して水田よりも寧ろ此の方面に甘蔗の栽培面積を移動して來たため、生產費低下に多大な効果を齎らしたのである。此の問題に對して督府に於ては從來殆ど注意を拂はないため、例へば、パインアツプルの適地は何處かといふ事も未だ確認せられてゐるないのである。殊に臺灣米五十萬石を增產すべき秋に際し、吾等は特に當局の十全なる調查と斷行を拂はれん事は望まざるを得ない。 |
02 | 國民的疾患の撲滅の 結核豫防の一大運動 豫防會の對策成る |
03 | 中等學校蹴球 選手權大會 十七日から開催 |
04 | 防衛の完璧を期し 特殊防諜團を結成 宜蘭郡で各業態別に |
05 | 水津臺銀頭取 新任披露宴 官民二百名を招待 |
06 | 英皇帝陛下の 御誕辰祝賀會 きのふ英國領事館で |
07 | 商品券は現金制に 團體は購買券發行 新竹の縣金取引の前提 |
08 | 金賣卻前哨工作 團體を動員して宣傳 |
09 | 月本暎子孃 紐育市長と會見 |
10 | 小宮山校長 市學務課長に榮轉 |
11 | 米の支那進出有望 臺中州米穀商同組の視察談 |
12 | 勳章傳達式 新竹州廳で擧行 |
13 | 圖像:厚生運動大會 |
14 | アルバニアを開發し 自給自足 イタリアの尨大な計畫 |
15 | 島田文教局長南下 |
16 | 映畫觀覽者激增 事變前に比べて七割增加 目立つ女性フアン |
17 | 臺北市小公學校長會議 臨海教育を打合 |
18 | 空中撮影豫算 原案通り可決 近く專門家に依矚 |
19 | 常連よりお先きに 湘南の各地を占領 軍需工避暑地へ突擊 |
20 | 臺灣に撮影所 松竹が設置か 白井社長打合に渡臺 |
21 | 臺北高商創立 廿周年記念 盛の澤山の行事決定 |
22 | 魚泥棒檢擧 |
23 | オーウエンス破產 |
24 | 和蘭の新戰術 |
25 | 三上參次博士逝く |
26 | 畜魂祭 |
27 | ときのこえ |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 本期分蜜糖產額 二千三百六時萬擔 前期より大增產步留は低下 |
02 | 戰時經濟解說 |
03 | 帝糖の產糖高 百九十八萬三千擔 豫想より十七萬擔增加 |
04 | 島內需要增加し 洋灰饑饉を呈す 上半期の供給も激增 |
05 | 中部一期蓬萊米 初檢查成績良好 |
06 | バナナの輸移出 五月中減少す |
07 | 市價及商況 八日 |
08 | 事變國庫債券 近くル號を發賣 本島の割當額百廿萬圓 |
09 | 貯蓄強調週間は 營業時間を延長 島內各銀行が申合せ |
10 | 農業勞働力の問題 男子不足に現はれた(一) 戰時下農民の苦惱 |
11 | 五月中の移出高 五百萬圓增加す 米石灰木材は不振 |
12 | 照明燈 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 講演 日本・イラン親善飛行より 歸りて/大久保武雄 |
03 | 合唱 |
04 | 浪花節 噫!南鄉少佐/真木三 |
05 | 廿世紀フオックス 大ターザン 九日封切國際館 |
06 | 料理 |
07 | 子供の時間 海鳴り |
08 | 「國定忠治一家」 西原孝監督で 近日着手 |
09 | 大都の大眾娛樂篇 宵祭り千兩婿 |
10 | 大船スウキングガールス 明日の踊り子で活躍 |
11 | 「隼新七捕物帖」 撮影開始 |
12 | 「海南島戰記」 |
13 | 職業野球の 名審判 「青春野球日記」 |
14 | 大都映畫の異色篇 「土を燒く街」 |
15 | 島津保次郎監督の新作 「母の記錄」と決定 |
16 | 教科書映畫社の 第二作 |
17 | 海外映畫短信 |
18 | 圖像:體協全國體育主事招待 |
19 | 趣味娛樂 球根の掘上げと 腐敗させぬ貯へ方 梅雨前にすませたい |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 自肅值下げ正札 違反者を自治根絕 岡山郡吳服雜貨同組動く |
02 | “防空は家庭から” きのふ豐原街宣傳映畫會 |
03 | 彰化郡金献運動 好成績を擧ぐ |
04 | 高橋伍長慰勞會 西螺同志會の主催 |
05 | 警察官慰靈祭 |
06 | 羅東郡聯合 青年團總會 きのふ事業計畫案協議 |
07 | 街庄職員講習會 秀水公會堂にて |
08 | 好意の土產が 前科の烙印 愛煙家は 御注意專賣法違反 |
09 | 製茶競技會 七日南庄組合にて |
10 | 圖像:蛇を喰ふ毒蛇 |
11 | モ・ボ人妻を盜む 係官の前で戀愛論一席 |
12 | ローカルセクション |
13 | 圖像:龍崎庄青年團の奉仕作業 |
14 | 羅東郡教化 聯合會總會 |
15 | 新化郡防犯協會 華華しく發會式 |
16 | 淡水郡壯丁團檢閱 去る七日華華しく實施 |
17 | 牛籍屆出 怠ると違反 |
18 | 暴利摘發二件 |
19 | 牛泥棒 |
20 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 日本人と米食 すべて米あればこそ 陸軍糧秣本廠中佐島四郎氏彈談 |
02 | 神の御意は 白米にはない |
03 | 植物肥料に 關する新說 |
04 | 電子彈にて 原子の破壞 |
05 | 世界で最も 安全な商船 最近米國で進水 |
06 | 子供でも送れる 自動複寫電報器 |
07 | 毒ガスの 簡易な檢查法 |
08 | 銀河系の謎を解く 世界第三の望遠鏡 |
09 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ○○○○兩部隊の 勇士達情れの歸還 ○○埠頭に歡呼の嵐 |
02 | 青年團の充實強化 高雄州で計畫を樹立 |
03 | 圖像:ニカラガ大統領訪米 |
04 | マンゴー愈よ出盛 但值段は例年より高い |
05 | 嘉農隊嘉中 春季定期試合 |
06 | 豐原商專合 格者發表 |
07 | ナチス・ドイツの繪畫肅清 |
08 | 順風耳 |
09 | 消息 |
10 | 農林主任會議 けふ臺中州に於て |
11 | 池泳上等兵名譽の戰死 |
12 | 彰化市國講講師 打合會を開催 十三日市會議室で |
13 | 高雄州中等生徒 夏休中の勤勞奉仕 校長會議で具體案樹立 |
14 | 東臺灣の基督教徒 銃後の奉公に蹶起 奉公會を結成して邁進 |
15 | 防空家庭映畫會 |
16 | 教職員體育大會 彰化市の選手候補愈よ猛練習 |
17 | 臺灣學校衛生會 高雄市支會を結成 |
18 | 教員互助會聯合會總會 |
19 | 時のない町 |
20 | 暴利貪る商人 |
21 | 臺中警務部異動 |
22 | 圖像:杉山北支最高指揮官訪問の金光眾議院副議長 |
23 | 乘馬競走大會 きのふ華華しく擧行 |
24 | 野村事件愈よ進展 某庄助役の身邊危し? |
25 | 「時」の勵行を慫恿 臺南市の各種團體に |
26 | 竹南鄉軍審議會 |
27 | 高雄州警務部異動 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臣民徵用に關する 總動員法の第四條 いよいよ發動されん |
02 | 敵(魯南)全く潰亂に陷る わが緊密を包圍網中で |
03 | 沂水市內に突入す |
04 | 海鷲中南支に猛活躍 |
05 | 最早法幣の維持至難 英から多額の援助なき限り |
06 | 國府交通部 近く昆明に移轉 |
07 | 米國系某銀行 香上銀行に抗議 |
08 | 香港丸出帆 |
09 | ソ聯外務人民委員 部次長二名任命 |
10 | 支那視察の 地方官第一班 先づ中支方面へ |
11 | 反英感情愈よ昂る 天津租界の日支人續續引揚ぐ |
12 | 金口木舌/林正享 |
13 | 滿國、砂糖を統制 糖聯は所要數量 供給應諾に決定 |
14 | 第二條を全面的拒否 鼓浪嶼工部局參事會で決定 我方では滿足出來ぬ |
15 | 內田總領事 急遽上京 |
16 | ガソリン喰はぬ新車 |
17 | 高砂丸出帆 |
18 | 新竹州蕃務部異動 |
19 | 明日の天氣 |
20 | 總動員(150)/長田秀雄;夏口醇 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 汎太平洋國際競技 日本で開催計畫進む 二千六百年記念事業に |
02 | 銃後の使命を完遂 臺北州部落振興の方針確立 |
03 | 全滿の鑛產探查開始 第一班金原所長渡滿 |
04 | 圖像:玉突狂御用 遊興費に窮し 集金を橫領 |
05 | つはものの卵 戰時下の徵兵檢查開始 |
06 | 玉理三造氏 一萬圓を獻金 |
07 | 墨國名飛行家 サ氏慘死す |
08 | 今日の興行 |
09 | 玉突狂御用 遊興費に窮し 集金を橫領 |
10 | 切手賣上金を着服して豪遊 質屋通ひで御用 |
11 | 美人の女給 臺北橋から投身 藝者稼を強られて |
12 | 商況 九日前場 |
13 | 一萬圓を目標に 臺北華僑新民工會の 事變國債購入運動 |
14 | 圖像:武勳の勇士歸る |
15 | 親善押賣は考へもの 羅府在留邦人から警告 |
16 | 新竹合同運輸會社 三運送店組織に著手 |
17 | 青年團長會議 十三日に開く |
18 | 今夜の放送 |
19 | 定期航空 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日本の母(143)/新述節;瀧伸二 |
02 | 家庭婦人 登山シーズン來る 呼吸器皮膚を強化 山岳病の預防に注意 |
03 | 家庭で出來る 美爪料 |
04 | 圖像:夏山の魅力 |
05 | 子供の怪我や 毒虫に刺れた時 應急に正しい處置を |
06 | 圖像:小結玉の海結婚式 |
07 | 重寶な脂類の しみ拔き液 |
08 | お化粧崩れを 防ぐには? |
09 | 紙上病院 |
10 | 家庭婦人の常識集(九) |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 新民報國語學習新聞 現在の青年團以外に 部落青年團を結成 團數千四百八十團員十三萬 臺北州で計畫中 |
02 | 今日の歷史 |
03 | 圖像:世界一のつぼの英國兵 |
04 | 全山が貝の化石 |
05 | 蚯蚓食ひ競爭 米國の學生間で大流行 |
06 | 五つ兒の光榮 |
07 | 圖像:各國軍備ソ聯の卷(1) |
08 | 千數百年前の 古墳を發見 愛知縣の丸根で |
09 | グワイコクジンガ オレイノオテガミ |
10 | 圖像:英國皇帝北米ヘ |
11 | 夏の夜を彩る景物 ほたるのはなし 首飾りにまでされる |
12 | 趣味の數學童話 床しい龜井算哀話(一)/鏡淵捻 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 交涉は現在一頓挫 彼等の覺醒を期待 寄臺の內田總領事談頭條新聞 內田厦門總領事は上京の途次、九日夕刻○○にて寄臺□十一日臺北發航空便にて上京するが、九日午後八時臺北鐵道ホテルに氏を訪へばコロンス問題に關し大略左の如く語つた。 コロンスは要するに一の孤島で大陸との交通を遮斷されたらすつかり駄目になる、かういふ狀勢を知らぬものだからああいふ問題が起きるのだ。コロンスの繁榮策の為にはどうしても日本と協力し得るやうに機構の改革をせねばならない。コロンスが排日の中心地であることは周知の事實だ今交涉が一頓挫を來してゐるが併しやがて覺醒の日が來るものと期待してゐる今度の上京は事務打合の為で往復一週間の豫定であるが或は十日位になるかもわからない。 |
02 | 據點魯村占領 |
03 | 北石行頭と 小官莊を占領 |
04 | 北中支方面を爆擊 |
05 | 總動員法第四條は 逐次全面的に發動 關係當局で準備を進む |
06 | 犯人引渡要求は當然 面目固持は英の甚しい愚策 |
07 | 農商兩省間に 聯絡委員會設置 農相商相と會見協議 |
08 | 柳林鎮方面の敵に 最後の止め |
09 | 法幣の崩落 英各紙大大的に報ず |
10 | 倫敦の法幣相場 六片八分の七賣唱へ |
11 | 上海為替相場 |
12 | 紐育の相場十三弗六十二仙 |
13 | 新民會の一行着京 |
14 | 沂水縣城を占領! 馬站の敵陣地を突破 |
15 | 包圍作戰順調に進捗 |
16 | 于學忠沈鴻烈等の 運命今や旦夕に迫る |
17 | 物資節約の企畫性 物價局を中心に具體案作成 消費節約の強化徹底へ |
18 | 圖像:前チエッコスロバキヤ公使藤井啟之助 氏と家庭歸朝 |
19 | 獨との諒解拋棄せぬ 經濟問題解決方針討究に吝かでない 英外相方針を闡明 |
20 | 八片水準放棄 の理由 |
21 | 英皇帝皇后陛下 華府に御到着 |
22 | 商工省官制改正諸勅令案 閣議に附議正式決定 |
23 | 獨民族壓迫を續行 波蘭政府各地で |
24 | 獨に最後の呼かけ 英首外相議會で聲明 |
25 | 名產物展示會 今秋高雄で 開催せん |
26 | 滿洲國外務局 重ねて抗議 ソ聯側の逆捻的抗議に |
27 | 本日の天氣 |
28 | 大阪商船 臺灣出帆 |
29 | 近海郵船 基隆出帆 |
30 | 辰馬汽船 |
31 | 大連汽船 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 英佛ソ三國同 盟とその影響 我對歐策に期待社說 一 難航中の英佛ソ三國同盟案がソ聯の不滿表明に依り一時停頓したかの如き形を呈したが、しかしこれに依つて交涉が決裂したものではなく、英佛に一泡ふかして、その一層の讓步を求め以つて自己に有利に展開せしめんとするソ聯一流の外交的駈引に過ぎないと見るべきであらう。獨伊軍事同盟に恐れをなした英國は、ソ聯の協力なしでは當然獨伊に對抗することが出來ないことを自らよく知つてゐる。又ソ聯が自案を固持しつつ遷延を辭せないのは英國のこの弱腰を知り拔いてゐるからである。今後尚相當の迂餘曲折があるであらうが、ソ聯の駈引に引摺られて結局英彿が讓步、ソ聯に屈服して曲りなりにも三國同盟が成立するであらうとみられてゐる。が假令成立しても、お互ひに肚に一物も二物もある三國の寄合であるから、獨伊の如き强固な結合ではなく、從つて獨伊を脅威するに足らないであらうことは、今までの折衝經過に徵しても首肯出來るであらう。 二 此三國同盟に依るソ聯の英佛陣營參加がソ聯の對極東策に如何なる影響を有するかが、吾等の最も關心を有する問題である。 獨逸の目的は東方進出である。現にその進出を阻んでゐるものは英佛企圖の獨包圍陣である。三國同盟に依り獨伊に對する包圍陣を强化し、獨の東方進出を阻むことが出來れば、一時的にせよ、ソ聯の西方國境に於ける恐怖感の輕減を意味し、幾分でもその極東政策强化の可能性を齎らすことが出來るであらう。最近に於けるノモンハン事件、又は頻頻たる不法越境事件が傳へられてゐるのはこの邊の消息を物語るものではあるまいか。又ソ聯モ外相の先般の外交演說中、外蒙國境は自國國境防衞と同樣に防禦すべく、今後も援蔣政策を續行する旨等を公然表明してゐるのに徵しても、ソ聯の意圖が奈邊にあるかを推察することが出來るであらう。 三 ソ聯は血の肅清が行はれて以來國內的に依然尚多くの惱みがあると同時に、その東西同時作戰も色色强がりを放送してはゐるものの、未だ成算がないとみるのが妥當であらう。ソ聯が常に第三國の闘爭に引き込まれることを警戒しつつ、而して裏に廻つて第三國同士の抗爭を煽動し、もつて第三國が交互に疲弊することを企圖するのは之が為ではあるまいか。其常套手段よりすれば、その極東政策遂行は、數次の經驗に依つて我國の實力を知つてゐるから、正面から我國に喰つてかからずに、その後方に廻り、外蒙、蔣政權等の第三者を煽動して我國と抗爭せしめ、以つてソ聯自體に迫る壓力を弱化しようとするのではあるまいか。卽ち三國同盟が成立すれば、ソ聯はもつと積極的に英米、佛を煽動して我國との對立を激化せしめ、又外蒙、蔣政權を使嗾して我國と抗爭せしめて交互の疲弊を畵策し、もつてその間隙に乘ぜんとするのではあるまいか。 四 三國同盟適用地域が東洋に及ぶと否とに關せず、その成立は必然的に三國を驅つて對日强硬政策に拍車をかけ、又援蔣政策を更に積極化せしめるであらう。卽ちソ聯外蒙軍の執拗なる不法越境、コロンス問題を契機とする三國海軍長官の會談、英大使を主動とする援蔣策謀等、協同步調で漸次對日攻勢に出でんとしつつあるのは、三國同盟成立を見越しての前奏曲とみるべきであらう。殊にコロンス問題と時を同じうして不法越境を敢行した事は、極東に於ても英、佛と協同步調に出でんとするソ聯の態度が窺知され、適用地域の如何に拘らず、三國同盟が事實に於て偉大なる迫力を極東に作用するものであることを認識せねばならぬ。 複雜錯綜せる現下の國際情勢に鑑み、慎重に慎重を期して決定された我が對歐方策に對し、國民が重大なる關心をもつてゐるのは當然であるが、しかし政府が執つた方策は蓋し國民の期待に背かざる最善策であらうと信ずる。 |
02 | 自動車聯盟を結成 七大學自動車部が團結 |
03 | 北投公兒童が 汗の清掃奉仕 盛上る銃後の赤誠 |
04 | 仰ぐ劍潭映ゆる大屯 圖南の鵬の力あり 受期待たれる臺北州歌民謠 |
05 | 國鐵非常時ダイヤ 東海山陽線に定期急行 二往腹づつを增設 |
06 | 島都の夏空を覗く 臺北市天文同好會が公開觀測 |
07 | 白衣の勇士を 赤堀知事が慰問 |
08 | 伊太利總動員 十二日講演會 |
09 | 驛長異動 |
10 | 總督府辭令 |
11 | 人事消息 |
12 | 唐澤俊樹氏 きのふ歸北 十一日に離臺 |
13 | 小澤事務官逝去 |
14 | 愛書會懇談會 |
15 | 高雄專賣品小賣人組合總會 |
16 | 三木校長送別 ハイキング會 |
17 | けふ時の記念日 基隆同風會で非常訓練 |
18 | 米穀管理の全貌 宜蘭街で業者講話會 |
19 | 白衣の勇士 移轉 |
20 | 梨本元帥宮殿下 戰線から御歸還 博多驛御發御東上 |
21 | 南支派遣軍慰 問代議士團 十三日來臺 |
22 | 掃蕩戰の華 岩田隆雄君戰死 |
23 | 事變公債に放つ感激 安居樂業の新竹新民公會 |
24 | 海に鍛へて 蘇澳郡中堅青年が行的修養 |
25 | 洋服は現金で? 組合の申出を當局保留 |
26 | 斷種法への第一步 全國的遺傳調查 いよいよ近く開始 |
27 | 廓で亂鬪 十數名が入亂れて |
28 | ときのこえ |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 學校卒業者使用限制令 施行規則一部改正 昨日商工課談話を發表 |
02 | 中南部降雨で 蓬萊米が反騰 天井相場に近きか |
03 | 戰時經濟解說 日鐵鑛業 |
04 | 臺灣帽聲價維持に 生產販賣機關を設置 商工課既に調查に着手 |
05 | 本島產帽子輸出 歐米不況で漸減 上海への進出も難澀 |
06 | 夏茶の出迴僅少で 殆ど天井知らず 昨年より二割五分高 |
07 | 夏茶の販賣價格 平均四十五圓五十錢 |
08 | 本島の移入貿易五月 前年よりも躍進 肥料木材等卻って減少 |
09 | 石炭の滯貨緩和に 外國船利用を陳情 石炭聯合會委員督府へ |
10 | 臺南州下產糖高 千百七十六萬擔 前期より大增產を示す |
11 | 農業勞働力の問題 急約農耕と破綻の(二) 多角經營の萎縮 |
12 | 叺包裝米に對し 內地より苦情續出 五十萬枚の使用困難 |
13 | 市價及商況 九日 |
14 | 照明燈 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 夏の星座を觀る (臺北市公會堂上屋天體觀測所より中繼) 解說/窪川一雄 |
03 | 時計の座談會 |
04 | 松竹京都撮影所作品 荒潮に叫ぶ |
05 | 子供の時間 お話 昔の時計と今の時計 |
06 | 舞台劇 |
07 | 講演 文化の進步と 時の利用/林博太郎 |
08 | ラヂオ・スケッチ 時計の座談會 |
09 | 圖像:早慶一回戰 |
10 | 大船夏の豪華音樂映畫 コロムビアと提攜で製作 |
11 | 海外映畫短信 |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 白衣に包む喜び けふ豐原郡慰安演藝會 |
02 | 感謝の事變公債 桃園新民公會が購入 |
03 | 巨費を投じて 國講所を創設 平溪蔡氏の美擧 |
04 | 士林保甲會議 愛國貯蓄を申含 |
05 | ローカルセクション |
06 | 麻豆街商工會 月例會を開催 |
07 | 鼓腹の農村 北斗郡一期米は豐作 |
08 | 黃麻の發育良好 南投郡の栽植面積五百餘甲 |
09 | 豐原農實組合視察團 |
10 | 三峽信組員懇談會 |
11 | 植林報國運動 旗山郡下の青年團 準備を整へて指令を待つ |
12 | 臺灣鎌を揮ふ 縺れた三角關係 |
13 | 水島氏壯途へ 官民多數に送られ |
14 | 西屯金報國 實行委員會 七日盛大に開催 |
15 | 國語普及強調週間 能高郡の諸行事 |
16 | 白河庄煙草耕作組合 七日創立總會 |
17 | 緩んだか自肅 東石鄉の司法事件 減少から漸增の兆 |
18 | 日滿華書道展に 臺灣から中央審查員 萬丈の氣吐く补子の施氏 |
19 | 葬費を節約獻金 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 永雨が崇つて 切乾薯は全滅 南部の農民悲鳴を擧ぐ |
02 | 興亞行進歌 愈よけふ締切り |
03 | “第二期の築港 大いに必要だ” 嶺田財務局長の談 |
04 | 各商店は大賣出し 高雄の興亞展愈よ迫る |
05 | 戶稅事務打合會 |
06 | 高雄地方は豪雨 床下浸水の騷ぎを演ず |
07 | 降りしきる雨を 眺めて農民溜息 |
08 | 臺南州產組の獻金 全部約二萬四千圓 州より夫夫獻納の手續 |
09 | 麟洛橋の竣工式 きのふ盛大に擧行 |
10 | 校舍に迷ふ 豐原商專校 |
11 | 親子丼の中毒樁事 老母は死亡家族は重態 |
12 | 臺南州防範協會 近く聯合會結成 來る十五日州に於て |
13 | 全農家に 堆肥豚舍 臺中州で獎勵 |
14 | 土產品展示會 初日から好評を博す |
15 | 消息 |
16 | 臺中振興會 近日中に創立總會 |
17 | 書類の不備から 認可遲れる 嘉義の寺廟新財團 |
18 | 始政記念日 臺中市で祝賀會 |
19 | 畜產懇談會 彰化公會堂にて |
20 | 圖像:ノモンハン事件寫真 |
21 | 高雄市は旅館難 興亞展を前に當局頭を惱ます |
22 | 關口某收容さる 高田檢查官取調に能高へ向ふ 野村事件發展の一途へ |
23 | 昔執った杵柄 退職巡查二人合作捕物帖 |
24 | 料理店カフェーの 暴利取締に乘出す 高雄署愈よ徹底的に調查 |
25 | 北京語講習會 修了式を擧行 |
26 | 兄弟奔流に吞まる 不幸な遺族に暖い救護の手 |
27 | 雜貨商組合 巡迴役員會 |
28 | 消息 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 英は大乘的立場で 事態に對處せよ 我上海海軍當局談 |
02 | 租界出入一般人に 檢問檢索を行はん 天津日支當局告諭を發す |
03 | 小林總督離京 十六日臺北著 |
04 | 風光明媚の沂水縣 市民我將兵に懷しがる |
05 | 莒縣を完全占領 |
06 | 漢水渡河の敵急襲 |
07 | 北支產業三年計畫 十六年度の主要目標 |
08 | 灰山を奪取 梶上中衛戰死 |
09 | 當分重役合議 制で進む 鹽水港製糖 |
10 | 總動員(151)/長田秀雄;夏口醇 |
11 | 紐育の法幣相場 二十五仙安を示す |
12 | 北樺太問題 東鄉大使ソ聯 と折街 |
13 | 明日の天氣 |
14 | 南進を計るには 臺灣工業化が必要 歸任を前に小林總督語る |
15 | 英國の頑迷を非難 各國領事我立場を諒解 |
16 | 我荒鷲重慶を空襲 |
17 | 敵屍四千五百に上る 中條山脈の殲滅戰 |
18 | 西部作戰も大體完了 敵屍二千四百に達す |
19 | 金口木舌/林正享 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社長から小僧まで 機並べ支那語免強 新興亞學院の風景 |
02 | 臺灣刀を揮ふ 兇賊を取押ふ 壯丁團の應援を得て |
03 | 前借を踏倒し 娼妓雲隱れ |
04 | 第一回臺灣乘馬大會 あす川端競馬場 |
05 | 人事消息 |
06 | 今夜の放送 |
07 | 商況 十日前場 |
08 | 今日の興行 |
09 | けふ時の記念日 市民に時間の觀念を喚起 臺北市の催し |
10 | 輸出業者に登錄制 クレーム仲裁機關を要望 大商側で調查開始 |
11 | 自動車と心中 運ちゃん危く命拾ひ |
12 | 豪雨被害 新竹州下の |
13 | 社子ハイク |
14 | 基隆の記念日 |
15 | 民有林產資源の 經濟調查を實施 新竹州勸業課で |
16 | 學術協會支部を 臺灣に設けたい 太平洋協會山田氏談 |
17 | 臺北高商の 物故者慰靈祭 |
18 | 東京驛に新名物 日本一の跨線橋開通 |
19 | 金製品一掃申合せ 時計眼鏡商工聯合組合發會 |
20 | 家出少年 |
21 | 總督府辭令 |
22 | 新竹許延壽氏 一萬圓を献納 金仲買の益金 |
23 | 劇團に流腦 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日本の母(144)/新述節;瀧伸二 |
02 | 家庭婦人 年に四千萬圓も 消費する化粧品 婦人よ小麥色の白粉と紅を 太陽に當って獲得しませう/中谷重治 |
03 | 夏の帽子と持物 白と黑が主調 洋裝を快く引立てる |
04 | 夏の洗髮法 さらりとさせるには |
05 | 都會生活は辛い 初夏に多い自殺やヒス激發 |
06 | 圖像:看護婦會長等に防空知識 |
07 | 紙上病院 |
08 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新民報國語學習新聞 二十年間缺かさず 時を報らす少年團 出征遺家族のお手傅もする 時の記念日に因む美談 |
02 | 今日の歷史 |
03 | 圖像:各國軍備ソ聯の卷(2) |
04 | 米國の大建艦 合計二十四隻に上る |
05 | 男と女の仕事を 入換へて教へる |
06 | 時間尊重の標語 |
07 | 今日ぞ時の記念日 時間を守りませう その起りは大正九年 |
08 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵約四萬を包圍し 最後の殲滅戰展開 沂水南方地區に於て頭條新聞 【北京十日發同盟】沂水、莒縣の占領と共に魯南の戰局は愈愈急轉し痛烈無比なる最後の殲滅戰に移つた。卽ち南進の山田部隊は沂水占領後息つく暇もなく進擊を續け十日朝七時には早くも沂水北方十六キロの司馬店子に進出なほも猛進中である。又東進中の○○部隊は十日午前五時半沂西方四十キロの坦埠を占領し各敗敵を急追しつつあり、今や我が包圍圈は南北三里東西七里に壓縮され于學忠の全軍はこの網の中に投込まれてゐる。我が南進部隊に制壓された敵は沂水西南方地區の平地及び山地に敗走したがこれも追擊を受けて逃げ塲を失ひ大店鎭、河陽鎭方面で退路を開かんと必死の反擊を行つたがこれも十日午前七時軍部隊の奮戰に大店鎭附近に在つた常恩多師の一千は散散に擊破され河陽鎭一帶に窮餘の防禦を續けた。同師の主力二千も北川部隊の猛攻に耐へかねて敗走かくて敵は北部は我が急進に追捲くられ南部の堅陣に據つた敵大部隊も總崩れとなつて北西へ潰走今や北方沂水、莒縣東方坦埠南方河陽鎭を連ねる沂水南方地區に敵約四萬を包圍して壯烈極まる最後の大殲滅戰を展開殷殷岩嶺を我が荒鷲の猛爆音□沂水以西に轟き渡り壯絕を極めてゐる。 |
02 | 衡陽を空襲 |
03 | 第九戰區の敵軍 中央を極度に恨む 飛行機の急派を泣訴 |
04 | 上旬貿易 出超四百十六萬圓 |
05 | 對外貿易順調 入超額僅かに二千萬圓 |
06 | 蘇魯戰區總司令部所在地 坦埠に入城! |
07 | 山東南部の二大據點 莒縣沂水何れも我手に歸す |
08 | 重慶に大火災 |
09 | 敵を虱潰しに殲滅 中條山脈殲滅戰の判明せる綜合戰果 |
10 | 天津英租界は今や 無氣味な不安漂ふ 我方の態度ここ數日中に表面化 |
11 | 拓務省創立十周年 きのふ紀念式を擧行 |
12 | 河北省銀行 率先して移轉 外銀も追從せん |
13 | クレーギー大使 有田外相を訪問 程氏暗殺犯人引渡等に關し 約一時間に亘り要談 |
14 | 農林行政改革 企畫委員會の試案 |
15 | 主要軍需工業經營者 懇談會開かる 板桓陸相が激勵演說 |
16 | 壯烈な重慶爆擊行 敵機と入亂れて空中戰 |
17 | 敵機五機を擊墜 |
18 | 第五次重慶爆擊 海鷺中南支で活躍 |
19 | 英領事は面會拒絕 米佛愛嬌を振迴す 三國領事の心境打診 |
20 | 圖像:久原總裁西下 |
21 | ク中衛を釋放 ス中佐は調查續行中 |
22 | 英大使館に ク中衛を引渡 同時□嚴重抗議 |
23 | 三國干涉排擊 國民興支大會 對支同志會主催で |
24 | 配船の統制 愈よ具體案を得 |
25 | 支那公債も 倫敦で續落 |
26 | 法幣慘落を 支那紙が默殺 |
27 | 大阪商船臺灣出帆 |
28 | 近海郵船基隆出帆 |
29 | 辰馬汽船 |
30 | 大連汽船 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 戰時經濟の 特質を摑め社說 一 戰時下に於ける各部門全般の一切の經濟が戰時經濟である事は勿論である。併し戰時經濟の觀念としては單に戰時であるから一切の經濟が戰時經濟であると言ふのでは無く、戰時と云ふ特別の事態に於いて特に戰時のために特別の經濟が必要となつて來る、此の特別の經濟が戰時經濟の本質であり觀念でなければならぬ。しかし此の觀念に於ける戰時經濟方策には自ら中心がなければならぬ。卽ち戰時下今日の經濟方策の中心觀念は、經濟力の集結增加と經濟破綻の防止である事を吾人は確然と把握する事が戰時經濟に處する根本である。此の戰時經濟方策の中心觀念の把握なくしては戰時經濟に對する理解と真の協力か出來ないのである。 近代戰は國家總力戰であるが總力の中心は經濟力である、從つて經濟力の消費量は古代戰とは比較にならぬ尨大なもので、今時事變以來旣に我國に在つては百二十億圓と云ふ事變當初に於いては豫想だにしなかつた多額に上つてゐる。百二十億圓は大體二年半に費す豫算であるから一年に約五十億圓と見てよからう。 二 戰爭には巨額の物資と資金を要するのであるから急激なる經濟力の全面的增加を計らなければならぬ。併し戰爭は過去に蓄積した資金と物資によつて行ふ譯のものではないから、急激な全面的經濟力の增加を計る事は實際上困難である。此處に於いて戰時經濟の特質卽ち戰爭に必要なる方面に對し集中增加を計るためには戰爭に直接必要でない部門の生產、需給等に於いて減少萎縮するも已むを得ないのである、現に我我はガソリン、純綿、ゴム、鐵亞鉛、銅、建築資材等の制限を受けてゐるのは不自由ではあるが戰時經濟方策の法則に順應せざるを得ない所以である。獨り物資の制限のみならず、國民精神總動員其他精神的方面に屬する行事も直接的戰時經濟方策ではないが、間接的戰時經濟方策の實踐である。 三 併し戰爭に必要な經濟力集中增加のみで戰時經濟方策の萬金を期する事は出來ない。生產擴充の半面に於て一般的經濟原則から生ずる經濟の破綻を防がねばならぬ。卽ち一年間に五十億圓と云ふ多額の特別戰時費が消費者である政府から軍需工業家の懷中を通じて街頭へ流れ出すのであるから、經濟原則として物價の暴騰を來し國民生活の混亂となる危險が多分にあるので、先づ國民の貯蓄を强制し消費節約を促し、一方物價の昂騰を防がねばならぬ。 經濟破綻は國內的現象よりも國際收支の不適合によつて依り以上の危險を釀すのである。日本は平時に於いても鐵類、ガソリン、重油、ゴム、皮革等は國內生產では不足を生じ此等の國外よりの輸入金額は七、八億圓に上つてゐるのであるから戰時資材である此等物資が戰時に於いて如何に多額を國外から輸入しなければならぬかは論ずるまでも無い。若し之れを平時の如く自由經濟に放任するならば、たちまちにして在外正貨の不足となり國際收支の適合を失ひ、為替の暴落が起り輸出は減少の一路を辿り、輸入品を先頭として國內物價は騰貴するばかりである之れが惡性インフレに陷ち行く道程である。此處に國際收支の適合が絕對必要となる。 四 戰爭に必要な資材は何をおいても輸入しなければならないのであるから、戰爭に必要の無い物資の輸入は極力之れを停止し其の資金を最大限度に戰爭資材購入に當てなければならぬ。此處に為替管理や輸入統制の絕對必要が生ずるのである。 斯樣に戰時經濟の特質を把握する事によつて、吾人は不自由を忍び真に物質的にも精神的にも國策に順應し得られる事になるのである。併し戰時經濟の特質として軍需工業のみの殷賑を招來する結果、富の分配が均衡を失ふ危險を生ずるので、為政者は此の不均衡の合理化に努力すべきであると同時に、戰爭に必要なき部門の統制を行ひ、徒らに國民經濟の不自由を來すが如きは大いに戒心すべきである。 |
02 | 天皇陛下畏くも御田植 農民を勞苦を御體驗遊ばさる |
03 | 月給や賞與から 天引貯金を實施 天引率決定地方長官へ通牒 |
04 | 產組趣旨を宣傳 產協が發聲映畫で |
05 | 總督優勝旗を授與 けふの馬衛大會優勝團體に |
06 | “書物の敵を 退治する座談會” 愛書會主催で開かる |
07 | 中辻氏の榮譽 私財寄附者表彰 |
08 | 競馬ポスター 入選者 |
09 | 今日の興行 |
10 | 臺灣ダービーを 目指して新計畫 新竹競馬近づく |
11 | 事變二周年を迎へ 國民精神の總動員 七日を興亞記念日に |
12 | 第三十迴夏期五輪大會 倫敦で開催 九日の委員會で決定 |
13 | 芬蘭が防備隊を強化 學生の勞働奉仕で |
14 | 始政記念日祝賀會 十七日市公會堂で |
15 | 羅東バヌン社で 忠魂祭を擧行 |
16 | 島都中等學校の 野球リーグ戰始る 初日臺北商業に凱歌 |
17 | 新舊遞相が空の漫步 そよかぜ號で鄉土訪問飛行 上空から夫夫通信筒を落す |
18 | 作品賣上代を 恤兵金に獻納 臺陽展同人の彩管報國 |
19 | 本日のメモ |
20 | 人事消息報社消息 |
21 | 高千穗丸無電 |
22 | ときのこえ |
23 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 旅客繁忙期を控へ 對策協議會を開催 配船を增加して善處す |
02 | 工業資源開發に 臺銀廿萬圓寄附 開業滿四十周年を機に |
03 | 戰時經濟解說 |
04 | 本島の輸出貿易(五月中) 六百八萬圓に達す 前年同月より大激增 |
05 | 本島の漁船船型の 標準化を極力獎勵 全島水產主任官會議終る |
06 | 本年度官廳用炭 二十一萬三千瓲 鐵道部購買數量が首位 |
07 | 農業勞働力の問題 勤勞奉仕運動と(三) 移動勞働の組織 |
08 | 金融良好で 債券類強含み |
09 | 市價及商況 十日 |
10 | 新式工場來期蔗作 遂に十六萬甲を突破 |
11 | 照明燈 |
12 | 本月中の高雄魚況 前年よりも良好 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | “本島教育教化の 大任に盡瘁せん” 竹東郡教員大會の決議 |
02 | 教育者大會 十八日期山郡で開催 |
03 | 國講經營の理論と實際 能高郡完璧の國語普及陣 |
04 | 國語常用聯盟 阿兼城部落で組織 |
05 | 故菅生上等兵慰靈祭を執行 臺電宜蘭營業所で |
06 | 文旦と白柚の 聲價發揚座談會 六日曾文郡に於て開催 |
07 | 冬山庄の時の記念日 |
08 | 十割の暴利 時局を外の行商五人組 |
09 | 旗山郡校長會議 來る十九日に開催 |
10 | 三峽公保護者會 |
11 | 金報國運動の實行委員大會 埔里北公に於て |
12 | ローカルセクション |
13 | 青物相場表 臺北中央市場 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 廣東名流訪日婦人團 けふ高雄に第一步 同日夜行にて臺北へ |
02 | 圖像:蒼鷹丸出帆 |
03 | 記錄破りの豪雨 嘉義地方に被害續出 |
04 | 臺中工業試驗所 きのふ盛大に開所式 |
05 | 樟樹の植栽獎勵 三十五年後に三千申歩 臺南州苗木を無償配布 |
06 | 鹽田驛長壯行會 嘉義公會堂にて |
07 | 若葉小の献金 |
08 | 時局映畫會 今夜臺中公會堂で |
09 | 嘉義市の時記念日 |
10 | 花蓮港街庄議員 補充任命發令さる |
11 | 圖像:北白川宮家に獻上の滿洲馬到著 |
12 | 橋と共に押流され 哀れ集配人が殉職 急流に阻まれて屍體收容出來ず |
13 | 棉作集團栽培 高雄市に十三甲步 |
14 | 高雄バナナの 各地仕向數量 |
15 | 刺は多過ぎる 高雄の闇の化 檢黴の結果半數は有毒 |
16 | 料理屋の值下げ 高雄署で言渡し 酒一合は四十五錢以下 |
17 | 花蓮港は北鮮の 事情に類似 |
18 | 圖像:女流文士招待座談會 |
19 | 海岸防風林を 田端局長が視察 |
20 | 蕃地自助團體に 光榮ある交付金 來る十七日高雄州より |
21 | 掛金の請求から 相手を毆り殺す |
22 | 沙山に停子腳 |
23 | 末恐しい十五少年 不敵極まる竊盜を働く |
24 | 統制法規一覽表 臺中署から業者に配布 |
25 | 五年後に櫻の名所 庄名の努力で二千本を增值 |
26 | 林烈堂氏夫人 きのふ告別式 |
27 | 民營バス 五月分運輸成績 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 天津英國租界に對し 我自主方策實行迫る 愈斷行の上は決意を中外に闡明頭條新聞 【天津十一日發同盟】對英國租界自主的方策實行は愈愈茲一兩日中に緊迫したので我總領事舘當局では十一日田代總領事以下首腦部參集、關係各方面と詳細な打合せ協議を遂げたが愈愈斷行することに決定の上は我方として曩に英國側が齎らした回答に對する意志表示をも兼ねる重大聲明を發表し我方の斷乎たる決意を中外に闡明することとなつた。 |
02 | 正金支店は 日本租界へ 外匯局も引越 |
03 | 庸懲の火蓋を切る 事態は愈緊迫狀勢を呈す |
04 | ソ聯舊領事館の 赤旗を引降す 白系露人防共委員會が占據 |
05 | 茅津渡を占領 |
06 | 貿易省創設に代り 貿易委員會を設置 八田商相の代案 |
07 | 第八條は近く發動 物資輸送統制を強化 |
08 | 瀨戶新市長 水野氏に決定 |
09 | 本日の天氣 |
10 | 調查審議機關を 商工省內に創設 產業政策の根本方針を確立 |
11 | 泰山山脈の險嶺 雲蒙山を攻擊 沈鴻烈も同山に潛伏 |
12 | 英側の誤れる認識 不法發砲に對しなほ陳謝せぬ 我方徹底的猛省を要求 |
13 | 海鷲南寧を空爆 溫州海門等を偵查攻擊 |
14 | 小林總督 廣島へ向ふ |
15 | 蕭河南省省長 辭任に決定 |
16 | 法幣相場暴落 アメリカ經濟紙の觀測 |
17 | 各地の氣溫 |
18 | 大阪商船臺灣出帆 |
19 | シェブア占領 英當局が計畫 |
20 | 近海郵船基隆出帆 |
21 | 辰馬汽船 |
22 | 大連汽船 |
23 | 臺灣統治の新方針 小林總督が關係方面と意見交換を遂ぐ |
24 | 東里店附近の敵を 猛攻殲滅中 |
25 | 莒縣南方の 大店鎮を占領 |
26 | 石龍口附近 敗敵を掃蕩 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 事變下に意義深き 全島乘馬大會 川端競馬場で擧行 |
02 | 街立青年學校 羅東に設立 七月上旬から開校 |
03 | 映畫から言っても 臺灣は南進の基地 高千穗丸ニュース白井松竹社長談 |
04 | 西江水路の啟開作業 著しい成果を收む 敵軍に大脅威を與ふ |
05 | 紅頭船の運賃 值上を見合す 業者が自肅決定 |
06 | 全島中等學校 陸上競技大會 中二中が第一位 |
07 | 新目標は一千萬圓 新竹州第二次金動員 |
08 | 高商開校記念式 數數の記念行事を實施 |
09 | 圖像:乘馬大會寫真 |
10 | 機雷處分○○個 軍艦旗は一帶を壓す |
11 | 中等學校野球 第二日の戰績 |
12 | 店員經濟講習會きのふ興亞會館で |
13 | 革新派との合流工作完了 山崎氏と行動を共にする諸氏 |
14 | 富士丸出帆 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 本島の輸入貿易(五月中) 二百九十四萬餘圓 前年同月より減少 |
02 | 臺銀四十周年記念 物故者の慰靈祭 引續き祝賀式を擧行 |
03 | 臺灣諸株仲值 |
04 | 芭蕉相場 |
05 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 子供の時間 お話子供召集令/佐藤慧澄 |
03 | 國民歌謠 |
04 | 料理 |
05 | 空箱で摘菜作り |
06 | 樋口一葉/飯島正 |
07 | 圖像:實戰の勇士と銃後の若人の對抗相撲 |
08 | 新興浪曲映畫の配役 |
09 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 改隸一貫の方針 國語普及強調週間 能高郡常用聯盟を結成 |
02 | 幹部獨善に火の手 東臺小運送業合同糾紛 |
03 | “自肅”正札 新埔吳服組合が值下げ |
04 | 東港郡警察課の 定期召集好成績 |
05 | 新高郡の金賣卻 實行委員大會 集集公にて開催 |
06 | 彰化郡防衛協會 來る十七日に發會式 |
07 | 能高郡金運動 實行委員大會 未曾有の盛況 |
08 | 員林郡醫師會總會 “譽の家”にサービス |
09 | 竹山二水林內間の 交通遂に杜絕 豪雨の為め橋梁流失 |
10 | 無許可で理髮 彰化署に檢擧 |
11 | ローカルセクション |
12 | 神田竹五郎氏 |
13 | 豪雨の為め 通行人溺死 |
14 | 青物相場表 |
15 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | “日支兩國の婦人は お互に握手すべし” 廣東の訪日婦人團着臺 |
02 | 圖像:臺北高商の開校廿周年記念式の式場 |
03 | 砂糖の劃期的增產 鐵道輸送力が心配 交通局の一奮發を待望 |
04 | 花蓮港廳各郡の 庶務課長會議 十五日公會堂で |
05 | 殉職の集配人 盛大に局葬執行 惜まるまる故人の半生 |
06 | 百億貯蓄強調 高雄州宣傳の要綱決定 |
07 | 臺中工業試驗所 記念獎演會 第二日目も盛況 |
08 | 埔里街の有力者 數名收容さる 名本事件の波紋愈擴大 |
09 | 文化戰士育成に 努力を傾倒せん 高雄州教育大會の宣言 |
10 | 深谷一等兵 名譽の戰死 |
11 | 彰化市方委例會 |
12 | 山下元市議公判 けふ臺中法院で開庭 |
13 | 豪雨の為め山崩れ 母子四名壓死さる 彰化市快官の慘事 |
14 | 國講講師打合會 期日を變更 |
15 | 又も銅貨の饑饉 臺南市の怪現象再發 |
16 | 彰化菓子商組合 創立總會を擧行 |