臺灣新民報1939年5月
序號 | 標題 |
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01 | 臺灣を中心とした 南方行政の一元化 小磯拓相の企圖頭條新聞 【東京卅日發同盟】邦品の海外市塲として南洋方面への經濟的進出を要望する聲昂まるにつれ現在の拓務省、臺灣總督府、南洋廳の機構組織を再檢討すべしとの意見が起り拓務省でも昨年來南方連絡會議を開催し種種發展策を硏究中であつたが小磯拓相は就任以來特にこれが根本的對策樹立の必要を痛感し先般滯京中の森岡總務長官とも種種協議する所あつたが更に近く小林總督の上京を俟つて同問題に關し懇談することとなつた然して小磯拓相は臺灣總督府、南洋廳はじめ關係各方面に充分な有機的聯絡を確立することが根本要件なりとなし南方行政機關の一元化を目標に具體案を練りつつある模樣で南方總督設置論の如きも傳へられてゐるが拓相としては機構改革よりも寧ろ人的强化に依つて現機構の機能發揮を目指してゐるものと見られ、從つて南洋長官の如きも今後親任官級の大物を据へ大長官制を確立し臺灣を中心として拓相、臺灣總督、南洋長官の三位一體の下に所期の一元化を圖るべく企圖してゐるものと見られる。 |
02 | 敵機十一機を擊墜 南鄭上空で大空中戰 |
03 | 殘機討伐益益峻烈 驚異的戰果を擧ぐ |
04 | 臺州、溫州を偵察攻擊 海の荒鷲二次に亘り |
05 | 陸鷲も西安、洛陽爆擊 |
06 | 南部山西の 敵據點を爆擊 |
07 | 寧波を攻擊 |
08 | 全國地方長官會議 愈よあすから始まる |
09 | 圖像:杉山北支最高指揮官○○視察 |
10 | 南朝鮮總督上京 |
11 | ソ聯海軍 首腦部 頻りに更迭斷行 |
12 | 中支の復興建設 躍進の第二段階へ 各種會社續續成立 |
13 | 民主主義國家との 協力は一切を拒否 伊、國防十ケ年計畫案を審議 |
14 | 扉はまだ一寸程 開いてゐる ル米大統領の言明 |
15 | 華中鐵道會社誕生 けふから營業を開始 |
16 | 伊國空軍豫算 廿一億リラ |
17 | ポーランド大衝擊 獨波不可侵條約破棄を重視 |
18 | ハンガリー首外兩相 獨政府首腦と會談 ス國の洪領編入を協議か |
19 | けふダ自由市回復か 同地ナチス黨で豫想 |
20 | 獨陸軍總司令 羅馬に到着 伊軍首腦と協議 |
21 | 華興商業銀行 我國も出來る限り援助 |
22 | 政友兩派の抗爭 果然大混亂に陷る 砂田幹事長議員辭任 |
23 | 政友革新同盟 反中島派を除名 |
24 | 汪精衛密かに 佛印南方に避難 |
25 | 米聯合艦隊 パナマ運河通過 |
26 | 本日の天氣 |
27 | 大阪商船臺灣出帆 |
28 | 近海郵船基隆出帆 |
29 | 辰馬汽船 |
30 | 大連汽船 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 建功神社例祭 きのふ嚴に執行 |
02 | 訪日ガブレンツ男機 あす愈よ飛來! きのふハノイに安着 |
03 | 靖國神社例大祭 敕使參向嚴かに執行 |
04 | 戰歿者慰靈祭 きのふ南支派遣軍で |
05 | 白衣の勇士團 大勝 對高雄市野球戰 |
06 | 大洋丸出帆 |
07 | ソ聯機不時着 |
08 | 煙る春雨の中を 窄き門に突入 豆技術者の入試始る |
09 | 石井總裁に 物を聽く會 三日ホテルで |
10 | 基隆防諜聯盟 きのふ委員總會開催 |
11 | 櫻咲く日本を憧れ シヤム學生團來朝 西貢丸で昨朝基隆に寄港 |
12 | 前線に圖書慰問 基隆市の有志者が |
13 | 遊覽ヨツトで 太平洋を橫斷 時化にもめげぬ比島百萬長者 |
14 | パリ‧サイゴン間を 五十時間で翔破! コ機昨朝二時パリを出發 |
15 | 死骸は醫學部に 遺書を殘して壓世自殺 |
16 | “農業の分野は大きい” 農業試驗所に榮轉の 劉庶務課長語る |
17 | 小林總督きのふ 臺陽美術展へ |
18 | 榮冠は北二中へ 奉納蹴球戰閉幕 |
19 | 双葉山結婚式 |
20 | 殿木砂糖貿易同組長が辭任 |
21 | 本社陳經濟部長令孃結婚式報社消息 |
22 | ホツケーの高校 成年、中等兩部に唱霸 |
23 | 陸上競技 |
24 | 十四A對五で 立教快勝 |
25 | 一對零で 慶應再勝 |
26 | 高砂丸無電 |
27 | 山西丸より |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 來朝糖も大增產か 作付面積が新記錄 三月末で十五萬甲肉迫 |
02 | 物價統制に 國民は協力せよ 池田物價委員長語る |
03 | 內地に於ける 金利平準化 最近一年間の實績 |
04 | 全國產業組合大會 近く東京で開催 反產運動對策硬化せん |
05 | 島內燃料對策に 木炭車を強制使用 督府で積極的に考究 |
06 | 滿洲國で電力料の 全面的引下を企圖 八年末迄に實施せん |
07 | 豆粕肥料暴騰で 統制を要望さる |
08 | 鐵鋼價格も 近く引下げか |
09 | 芭蕉相場 |
10 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 實話に聽く 失明勇士の光となつて/村田美禰子 |
03 | 講演 臺中州の產業/白仁寳一 |
04 | 室內樂 |
05 | 講演 百億貯蓄/大野龍太 |
06 | 常磐津 花舞臺霞の猿曳 |
07 | 國民歌謠 |
08 | 料理/野田千鶴子 |
09 | 圖像:春の花 |
10 | 感激の美鳩と淡島が 「家なき娘」で初共演 |
11 | 趣味‧娛樂 五月の花花を語る 水揚げの 難かしいのは花の王者牡丹 雪州流家元中村如遊氏談 |
12 | 「雅樂」映畫化 |
13 | 日活多摩川の非常時體制 三監督が共同擔當で二本製作 |
14 | 松竹大船の 新人活躍 |
15 | 伊豆の女達 |
16 | 大河內傳次郎の 極め付映畫 「丹下左膳」績篇 |
17 | 海外映畫短信 |
18 | 雪から櫻へ 一足飛び 「血の歡喜」珍ロケ |
19 | 豪華大作「春雷」 |
20 | 「我らの友」 遂に中止 |
21 | 『女の教室』 東寶が映畫化 |
22 | 「松下村塾」 配役一部變更 |
23 | 機關車の消費 する蒸汽 |
24 | 新元素の發見 |
25 | 魚の蛋白質で 羊毛代用品 |
26 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 聖壽萬歲を壽ぎ 皇恩の感激新た 戰時下再び迎ふ天長節 |
02 | 圖像:靖國神社臨時大祭 |
03 | 二百二十萬圓運動 獎勵委員六百餘名を繰出し 員林郡第三次金献へ |
04 | 大甲街全國講生 清水神社參詣 |
05 | 北斗郡綿布商組合創立總會 |
06 | 申告から賣却へ 朴子街勸誘に大車輪 |
07 | 各地產組總會 |
08 | 國語は皇民の義務 大村庄教化大會で決議 |
09 | 三峽庄防衛團 盛大な發團式 |
10 | 彰化郡吳服商同業會發會式 |
11 | 南投街獸肉組合發會式 |
12 | 豐原街各部振 併せて映寫會開催 |
13 | 麻豆專賣品組合役員會 |
14 | とんだ龍穴 甘蔗畑に埋葬 |
15 | ローカルセクション |
16 | 黃嘉文君開業 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 友邦イラン國(下) 御婚儀慶祝を契機に 我國といよく親交 |
02 | 臺灣蕃地の 藥用草根木皮 効用とその用途 |
03 | 圖像:南洋群島の甘蔗栽培狀況(一) |
04 | 人體と金屬 絕對に必要な榮養素 |
05 | 海底沈積土新研究 ピ博士の發表 |
06 | ダイアモンド鋼の發明 |
07 | 有効な木材防腐藥 |
08 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺中州の山地開發 着着計畫を進む 東勢內埔の山地調查完了 |
02 | 開山神社大祭 川村幣帛供進使參向 |
03 | 建功神社遙拜式 きのふ臺南神社外苑で |
04 | 鳳山郡道路協會總會 |
05 | 地中海制海權は? 英佛、獨伊開戰の場合 (下)英佛艦隊と獨伊空軍の爭霸 |
06 | 高砂族の信教指導 花蓮港廳積極的に乘出す |
07 | 高雄白米商組合の 羊頭狗肉非難さる 當局の取締を要望 |
08 | 圖像:廿八日開通した社子橋 |
09 | 花蓮港では 值下げに決定 低物價策に順應して |
10 | 彰化賣藥業組合役員決定 |
11 | 臺南州指定部振研究會 來春二月曾文郡で發表會 各種施設事項決定さる |
12 | 鄉軍が金動員に協力 大屯郡既に百萬圓を突破 |
13 | 高雄の金賣却好績 第一日は五萬餘圓 |
14 | 大屯郡防衛團 聯合會發會 廿九日、盛大に擧行 |
15 | 曾文金總動員暴國團 保甲協會を主體に結成 |
16 | 彰化市春季 清潔日割 |
17 | 棉花から油 栽培者の福音 |
18 | 高雄圖書館 新着圖書 |
19 | 消息 |
20 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 大陸一代娘(26)/小栗蟲太郎;中島喜美 |
02 | 鄉土隨筆集一 新しき村(下)/郭水潭 |
03 | 病床日記五/王昶雄 |
04 | 龍骨車 長篇小說バツコ だがお寒い話 |
05 | 圖像:風景(第五回臺陽展)/山田東洋 |
06 | 春滿乾坤(3) 山家/藍蔭鼎 |
07 | 小說の雜感 試驗官を試驗せよ(上)/木山捷平 |
08 | 學藝消息 「忠臣藏」の上演禁止か ハンガリヤで |
09 | 鄉土人形 八才の少女が蒐集 |
10 | 心聲漢詩 風月樓卽事/小維摩、和朝綸賢侄重遊淨業院依指薪原韻/吳蔭培、次鵬程君再渡攝津留別原韻/拱五、鵬程君以小兒振煌新婚賦詩見賀謹次原韻/拱五、追憶/林劍芳、追憶 二/林劍芳、秋柳─用漁洋原韻/林劍芳、秋柳─用漁洋原韻 二/林劍芳、秋柳─用漁洋原韻 三/林劍芳、秋柳─用漁洋原韻 四/林劍芳、弔某航空將士殉難/郭鷺僊 |
11 | 新刊紹介講談社の繪本 最近號三冊 |
12 | 骨の髓まで軍人氣質 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國民徵用令愈よ發動 關係各當局に於いて 今週中に最後的調整 |
02 | 江南の敵、一齊に敗退 皇軍、更に西南に向け猛進擊 |
03 | 白宋を包圍占領! 前後八時間に亘り激戰 |
04 | 獨‧伊重要軍事會議 ブ獨陸軍總司令、ム首相訪問 列國重大關心を拂ふ |
05 | 英、ソ相互援助協定 極東を包含せず ソ聯側遂に要求を撤回 |
06 | 南呈鎮、南嶺を 空襲 |
07 | 極東除外に ソ聯が同意 タイムス紙報道 |
08 | 小公武道大會 五日樺山小で |
09 | 政友會長期抗戰へ 實質的に黨勢を折半 |
10 | 黨內一部の策動 所謂中島總裁を相手とせず 三代行が聲明を發表 |
11 | 華中鐵道將來の 擴張計畫 |
12 | 圖像:ヘンダーソン大使歸英 |
13 | 華興商業銀行創立 近く新銀行劵發行 津田長官聲明書發表 |
14 | 軍鐵道局の大部分 新會社に引繼 |
15 | 銀行の內容 |
16 | 明日の天氣 |
17 | 總動員(116)/長田秀雄;夏口醇 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 絢爛!天長の佳節に 桑港萬博日本デー 蜿蜒長蛇の繪卷を繰り展げ 開催以來の賑ひを呈す |
02 | ル大統領臨席の下に 紐育萬博きのふ開幕 朱塗りの日本館‧人氣を浚ふ |
03 | 海軍記念日を卜し 一萬人の大行進 盛り澤山の競技決定さる |
04 | 蓪草會社愈よ誕生 近く拂込を開始す |
05 | 御下賜の御紋菓と御歌 けふ傳達式を擧行 基隆市役所貴賓室で |
06 | 愛心幼稚園開園式 |
07 | 臺北州茶出荷組合通常總會 |
08 | 自動車協會總會 昨日新竹公會堂て |
09 | 臺北州の健康週間 諸行事夫夫決定さる |
10 | 流感の病原體を發見 皮下注射で免疫 北里研究所越後博士の研究 醫學日本に 凱歌又一つ |
11 | 南支の建設には 本島人の役割重大 南支視察の北、岡野兩氏談 |
12 | 大陸の宣撫に協力 東亞善隣婦人會 昨日發會式を擧行 |
13 | 經濟戰に於ける 臺所の重要性を說く 鈴木代議士高砂丸で來臺 |
14 | 又も水雷か 基隆沖で黑色球を發見 |
15 | 一兩日中に進退決定 青木新竹商議會頭 |
16 | 定期航空 |
17 | 新竹家政女學校志願者 |
18 | 天體觀測望遠鏡寄贈式 今朝市公會堂て |
19 | 人事‧消息報社消息 |
20 | 今夜の放送 |
21 | 商況 一日前場 |
22 | 今日の興行 |
23 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 日本の母(109)/新述節;瀧伸二 |
02 | 家庭婦人 益益遲る結婚年齡 原因の一つは結婚費の過重 節約して新家庭の生計に 高良富子女史談 |
03 | 家庭婦人の常識集(七) |
04 | 埃つぽい春の 風から眼を守る 生生とした明眸を保つ法 |
05 | 圖像:職業輔導所を覗く(二) |
06 | まごつき易い 支那料理の讀方 |
07 | 漢方藥の葛根湯 副作用なく風邪に利く |
08 | 健康な子供の 脈搏呼吸の標準 |
09 | 剃刀まけ かうせば防げる |
10 | 齒痛の應急手當 |
11 | 蛤の時雨煮 おいしい作り方 |
12 | 身上相談 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新民報國語學習新聞 上級生と青年團の 國語報國突擊隊 三萬人の不解者一掃に 高雄市が愈よ力瘤 |
02 | 圖像:捕鯨船畫報(其一) |
03 | 日本の軍艦を 派遣して下さい 紐育萬博が日本に願ふ |
04 | 綴方教室 二時二十分の汽車(五)/蕭氏碧玉 |
05 | 今日の歷史 |
06 | 圖像:飛んだぞグライダー |
07 | 昔の軍馬碑 熊本で發見さる |
08 | 關東州の總人口 百二十三萬一千三人 |
09 | 圖像:憧れのサクラに唇をつける |
10 | 趣味の數學童話 芝居の觀覽料/鏡淵稔 |
11 | カタカナ欄 オヂイサンガ イニカミツク |
12 | 日本人の使ふ鹽 年に八十萬噸 |
13 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 敵空軍の攻勢企圖も わが精銳に粉碎さる いよく潰滅近づく頭條新聞 【北京一日發同盟】去る二月下旬我が陸空軍の精銳が敢行した三次に亘る蘭州大空襲に依り徹底的大打擊を受けた支那空軍はソ聯其他から新機購入に依り再建に狂奔すると共に地上部隊の所謂四月攻勢に呼應して空軍四月攻勢を企圖しつつあるものの如くであつた、然るに去る八日海軍空軍が敢行した昆明空襲に依つて日本空襲企圖は無殘に挫折したため北支進出に專念し凉州、蘭州、成都、昆明を繋ぐ航空赤色ルートを設置しテイピー輕爆、改造イー十五戰鬪機等ソ聯製機を輸入し前進基地を求めつつあつた所西安及び洛陽飛行塲は我が空襲で全く使用不可能に陷つたため兩地に比して距離の點で著しく不利な陝西省南鄭飛行塲を新根據地として戰鬪機隊を督勵して山西進出を强行せしめた、これは勿論我が遠距離爆擊に對する防備强化を主目的とするものであるが輕爆擊に依る進攻の護衞をも兼ねた唯一の敵の攻勢企圖であつたと言ひ得る□然も南鄭はその距離からして我が○○機に依る攻擊を不可能なりとし空襲に對しては安堵してゐた如くである、然るにこの情報を得た我が鈴木部隊の精銳は二十九日午前敢然として挺進攻擊を行ひ最惡の條件を克服して十一機擊墜といふ大戰果を擧げてしまつた□之に依り敵は洛陽、西安を封ぜられ南鄭飛行塲にも戰鬪機を配置すること能はず長距離飛行に堪へない敵空軍の攻勢企圖は完全に破壞され空軍四月攻勢は地上のそれと共に全く畵餅に歸したるのみか秘藏の戰鬪機十一機を失つて益益潰滅に近づくに至つたのである |
02 | 米英の國際干涉權否定 吾等の最も共鳴する所 ヒ總統の演說に對する我見解 情報部長談 |
03 | 外村中尉機 原田軍曹機 南鄭の華と散る |
04 | 中南支敵要地猛爆 |
05 | 圖像:輝く天長節觀兵式 |
06 | 敵死體六千餘 南支の我戰果 |
07 | 敵の猛逆襲も空し 慘敗して退却 |
08 | 政治的結社を禁止 上海工部局、方針を告示 |
09 | 價值の安定性を確保 華興銀行の創立に當り維新政府が聲明 |
10 | 華興商業銀行の 創立總會開かる |
11 | 華興券の特質 世界にも稀な貿易通貨 |
12 | 獨、洪兩國の意見一致 關係愈よ強固を加ふ |
13 | 正式開業は 十日か十六日 |
14 | 中支經濟の復興土 寄與する所多大 柳川總務長官は語る |
15 | 日、伊の商品にも 特別關稅を課す? 米財務當局で攻究 |
16 | 對立は益益露骨化 政友兩派夫夫幹事長を任命 |
17 | ソ聯艦隊司令官 異動を發表 |
18 | 左樣な事實なし 米財務當局否定 |
19 | 海口總領事に 昌谷氏を任命 |
20 | 勸銀人事異動 |
21 | 繰上閣議 |
22 | 全國參謀長會議 けふより五日間 |
23 | 本日の天氣 |
24 | 大阪商船臺灣出帆 |
25 | 近海郵船基隆出帆 |
26 | 辰馬汽船 |
27 | 大連汽船 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 義務教育の 目標に邁進 地方長官の執意 ある教育方策社說 一 先般全島地方長官會議に於て森岡總務長官が『國家の總力を擧げて長期建設に邁進しつつあるの秋に當つて、教學の刷新、教育教化の普及徹底を期することは真に緊要である』と訓示されたし、また各地方長官の答申の中にも國民精神の昂揚と皇民化の促進の方法として初等教育を擴充したいとか、義務教育の目標を定めて邁進したいとかいふやうな國民教育の普及徹底に關する積極的方策を表明されたのは從來の公式會議に於て滅多に聞かれない熱意ある意見である、勿論督府文教當局に於ても近年來國民教育の普及に關し、銳意調查研究してきたが、最近島民の熱烈なる就學要望と今度地方長官の痛切なる教育意見とに依つて、一層義務教育實施の具體的方策を確立せざるを得ない機運に到達したと痛感せらるるであらう。 二 最近本島人學齡兒童の就學率を見るに、昭和十一年度四一・一○%、同十二年度四三・七九%、同十三年度四六・六九%であり、本年度の統計が未だ出來ないから正確な數字は示されないが、然し從來の年に三%近くの增率より見れば、本年には例年よりも全島的に力を入れたので多分五○%には達したことと思はれる。斯くの如き每年三%づつの增率を以て進めば、今後尚ほ十六箇年を俟たねば、義務教育と同一の實を擧げ得ないが然し各地方當局の熱意と努力次第に依つては、この十六年間かかるべき教育施設を十年なり、又は八年なり、更に力を入れて五年位に促進し得ないことはないのである。臺北市の如きは今度市當局の熱意ある積極的擴充に依つて、滿六歲の學齡に達した第一年に該當せる兒童の就學率は昭和十二年度六四%、十三年度六七%に比し、本年度は一躍して九○%に達したといふ著しい好成績を擧げたさうである。この意氣込みで行けば、これから一二年後は100%近くとなり義務教育實施と同一の實績を收め得ることは豫測に難しくない。是れは洵に全島各市街庄當局の大に採つて範とすべき所である。 三 本島の過去に於ける國民教育の不徹底を咎めずとしても、今後に於ける國民教育を拒否することは為政當局の不面目であり、皇民化政策の矛盾であり、また島民全體の恥辱であるから、大にそれを責めねばならない。督府當局の義務教育實施に關する具體的目標を樹立するを待つまでもなく、地方長官並に各市街庄當局の熱意ある努力に依つて、義務教育制に近く、又は略ぼそれと同一の實績を擧げ現得ることは上述の如き島□たる臺北市當局に依つて旣にその先例を示されたのである。故に吾吾は從來の如く督府當局に義務教育制の實施計畫を要望すると同時に、又各地方長官並に市街庄當局に對しても就學希望兒童は勿論のこと、希望せざる兒童をも獎勵督促して、一人たりとも不就學兒童の少からしむるやう大に努力して貰ひたいと切望する。又吾吾島民方面に於ても大に地方當局の教育施設に協力して、義務教育と同一の實績を一日も早く擧げ得るやう最善の努力を拂はねばならないのである。 |
02 | 島民擧げて鍛へよ けふから健康週間 興亞日本は體位向上から 二見警務局長語る |
03 | 御下賜の內帑金で 結核豫防會を社立 きのふ閣議で決定 |
04 | 日本の偉大に驚嘆 日本歷史を印度語で譯した パ辯護士憧れの來朝 |
05 | 結核豫防協會の行事 |
06 | 地代家賃值上せず 地主、家主懇談會で 自肅自戒に意見一致 |
07 | 擧郡一體 部落振興に邁進 きのふ宜蘭で打合 |
08 | 聯合青年團結團式 宜蘭郡下の各街庄 |
09 | 總督長官の 訓示傳達式 |
10 | 北署管內の 行事決定 |
11 | 新竹州郡守 市尹署長會議 |
12 | 南支派遣軍報道部 雜誌「兵隊」發行 兵隊さん達大喜び |
13 | 港都の子供デー 諸行事決定さる |
14 | ドニー機 カラチへ向ふ |
15 | 壁のない幼稚園 細民階級の兒童に福音 精華幼兒國語報國所開く |
16 | 小公學校相撲大會 六月四日建成小で |
17 | 颯爽!白一色に 基隆水上署白衣の警官 今夏から白靴も自由 |
18 | 戰時下のお節句 幼稚園聯合「子供の日」 三日新公園で唱歌遊戲 |
19 | 精華第二國講 五日開所式擧行 |
20 | 右手首を切斷 貨車に挾まれ |
21 | 看板は裁縫屋 夜なく荒稼ぎ 今樣仕立屋銀次御用 |
22 | 秋田地方に地震 船川線、奧羽本線不通 |
23 | 無賴漢に編入 |
24 | 臺中署長がラヂオ體操 |
25 | 定期航空 |
26 | 人事‧消息報社消息 |
27 | 大橋國講研究會 |
28 | ときのこえ |
29 | 訃文:王天榮 |
30 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 高雄港の停滯糖 遂に百萬擔に肉迫 製糖中止は不可避か |
02 | 砂糖の船腹不足 上旬配船十四隻 停滯糖の緩和望なし |
03 | 火災保險契約高 五億七千餘萬圓 十二月中の事業好況 |
04 | 臺灣畜產總會の 本年度豫算說明(上) |
05 | 肥料資源開發に 大探險部隊を派遣 日本學術振興會が躍起 |
06 | 海上保險 前年より減少 |
07 | 米管案實施の 主旨を徹底さす 田端殖產局長南部へ |
08 | 運送保險概況 |
09 | 北支開發會社の 社債引受し團(上) |
10 | 傷害保險減少 |
11 | 各驛の運送業者 近く合同を促進 “第二回委員會”で具體的に決る |
12 | 官營農業移民 中南部へ入植 |
13 | 臺灣商工會議所 豫算成立祝賀會 |
14 | 鬼鼠の皮を 軍需品に活用 |
15 | 臺銀券發行限度 八千萬圓に擴張 臨時株主總會で決定 |
16 | 鮮銀も臨時總會 發行限度の擴張を可決 |
17 | 專賣局異動 |
18 | 市價及商況 一日 |
19 | 清涼飲料水組合 創立一周年記念式 |
20 | 昭和玉井工場 製糖既に終了 平均步留低下す |
21 | 臺糖恒春工場 豫想より增加 |
22 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 特別講演 國力と保健衛生/廣瀨久忠 |
03 | 教師の時間 低學年兒童の心性とその指導 とについて/力丸慈圓 |
04 | 國民歌謠 |
05 | 青年の時間 青年と健康報國/小泉親彥 |
06 | 管絃樂 |
07 | 講演 非常時局と 健康問題/加藤重喜 |
08 | 家庭法律講座 (第三十二講) 離婚の法律(六) 裁判離婚の原因(下)/草薙晋 |
09 | 吹奏樂 |
10 | 連續ラヂオ小說 青年(上)/林房雄;八木隆一郎;御橋公 |
11 | 產業講座 農村工場について/大河內正敏 |
12 | 料理/野田千鶴子 |
13 | 松竹京都撮影所作品 月夜鴉 |
14 | 圖像:春の花 |
15 | 春、果物界の寵兒 「莓」の選び方扱ひ方 類のない石垣栽培 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 甲乙ない流暢さ 總花的に賞品授與 曾文郡の皇民塾國演會 |
02 | 田中北斗米穀商協會總會 |
03 | 圖像:協和少年團鐵道大臣訪問 |
04 | 中壢神社地鎮祭 去る卅日盛大に擧行 |
05 | 頭分信組總會 |
06 | 七星郡團快勝 對淡水郡團野球戰 |
07 | 各寺廟を廢合し 三元宮廟に整理 財產は整理委員長に一任 湖口庄打合會で決定 |
08 | ムシ齒豫防デー とライオン齒磨 |
09 | 學童溺死 |
10 | ローカルセクション |
11 | 圖像:愛婦有功章授與式 |
12 | 陳駱式孺人告別式 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 報國の精神彈藥 見よ!この盡忠‧この純情 支那事變愛國美談集/海軍省海軍軍事普及部 |
02 | 廈門攻略の華 鐵條網切斷決死隊 |
03 | 志賀部隊の鐵條網 切斷決死隊 |
04 | 勇猛の十七勇士 將校斥候阿修羅の武者振り |
05 | 南澳島山岳戰 山上で戰死した勇敢なる水兵 |
06 | 單身敵地に日章旗を揭ぐ |
07 | 醫務隊の奮戰 |
08 | 海上戰線の最南端 海南島に散つた二勇士 |
09 | 正に空前絕後 破天荒の快擧 南昌飛行場に着陸、敵機を燒却 |
10 | 感狀 ○○航空隊 |
11 | 敵中着陸の勇士 小川正一中尉の手記 |
12 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | “海南島”は鑛物多く 將來は頗る有望だ 廣東丸ニユース北代議士語る |
02 | 歐洲の情勢險惡で 英領は籠城準備 ボルネオは日本に好感 |
03 | 健康週間 臺中市の行事 |
04 | 主婦の協力を望む 勤勞と休養との均衡が肝要/加藤重喜 |
05 | 豫想以上の好成績 高雄‧旬日で四十五萬圓 |
06 | 中商の日本精神講習會 |
07 | 臺南の金動員奏効 續續臺銀支店に持込む |
08 | 圖像:獨記者團神社參拜の感激 |
09 | 臺銀支店員が 買上げに忙殺 嘉義、十二貫餘を申告 |
10 | 高雄の優良乳兒 五日の子供デーに表彰 |
11 | 經濟取締新法規 臺中州普及徹底を期す |
12 | 新豐郡部振 實行強調大會 臺南公會堂で開催 |
13 | 內地の視察團 十五日來中 |
14 | 吉野庄長留置さる 背任、橫領事件發覺か |
15 | 臺南署のお手柄 三時間餘で犯人檢擧 |
16 | 遺產關係で反目 兄弟が傷害沙汰 臺南署から送局 |
17 | 麻袋泥棒御用 大屯郡方面を荒らす |
18 | 臺中商專入試 |
19 | 森前保安課長挨拶報社消息 |
20 | 消息報社消息 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 山西中南部に蠢動の 敵今や全く沈默す 我部隊に機先を制せられ |
02 | 武漢西北の敵を壓迫 我軍一齊に攻勢に轉ず |
03 | 清化鎮附近の 敵三千敗走す 我猛攻に堪へ兼ね |
04 | 圖像:德王主席蒙疆聯合委員會總務委員長に就任 |
05 | 豐縣附近に 敵匪一千來襲 反擊して殲滅 |
06 | 新嘉坡の華僑 抗日大會□開く |
07 | 外村、原田兩機も 五、六機を擊墜 敵機操縱者は全部外人 |
08 | 地方長官會議開かる 宮中に參內地方狀況奏上 正午には御陪食を賜はる |
09 | 岡本部隊所屬の 英靈內地へ |
10 | わが海軍機の猛爆で 汕頭の人心極度に動搖 |
11 | 敗將蔣介石、今度は 八、九月攻勢を嚴達 四月攻勢の慘敗を隱蔽 |
12 | 圖像:南支戰線に於ける陸海兩部隊長感激の握手(十六日樂會にて) |
13 | 陸軍參謀長會議第一日 |
14 | 四月中の米國 生糸需給統計 |
15 | 稅革四大目標を決定 經濟諸政策との調和を考究 |
16 | 日銀人事異動 |
17 | 獨の正式回答とは 見做し難い ハル國務長官の談 |
18 | 損害保險會社 公債保有制度を採用 |
19 | ブ獨陸軍總司令 空路リビアに向ふ |
20 | 明日の天氣 |
21 | 我が要求に對し 未だ十分ならず 工部局漸く回答し來る |
22 | 總動員(117)/長田秀雄;夏口醇 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 軍事援護の完璧陣 社會事業對策とともに 總督府で打合會を開催 |
02 | 晉北滅共大會 盛會、三萬の民眾參加 |
03 | 我が-OC委員 永井氏に決定 嘉納翁の後任として |
04 | 產組大會決議を 總督長官に陳情 陳情書を添へて |
05 | 御下賜品傳達式 市尹公室で擧行 |
06 | 鹽水港製糖が 北滿に產業會社 六月下旬に創立總會 |
07 | 廣東婦人維持會 臺灣見學團を派遣 日本の姿を知るべく |
08 | 國婦南分會 六日總會を開催 |
09 | 優良國語講習所 文山基隆兩郡に指定 |
10 | 船員の喧嘩 |
11 | 新竹市の優良兒 十名を表彰 五日の子供の日に |
12 | 訪日ガブレンツ機 あす臺北に飛來 けふハノイ發香港へ |
13 | 子寶を轢殺され 哀れ兩親狂ふ けふ臺北驛前の慘劇 |
14 | 秋田縣の地震被害 倒壞家屋五百餘戶 |
15 | 銃後の護り固し 初めての月給を割いて献金 軍國の學生と乙女 |
16 | 基隆の火事 土木課建築材料倉庫一棟燒失 |
17 | 本社主催洋裁 無料講習會 けふから講習開始報社消息 |
18 | 言語道斷の 養女虐待 吸血鬼の養母豚箱入り |
19 | 定期航空 |
20 | 人事‧消息 |
21 | 今夜の放送 |
22 | 商況 二日前場 |
23 | 今日の興行 |
24 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 日本の母(110)/新述節;瀧伸二 |
02 | 家庭婦人 樂しい旅行季節 守れ!公眾道德 鐵道省旅客課談 |
03 | 學校兒童のお辨當(上) 惣菜は一品では不足 發育盛り時特に大切 |
04 | 圖像:櫻の日本へ比島から珍客 |
05 | これから多い 化粧くづれ クリームの亂用氣孔を塞ぐ |
06 | 手輕にガラスをみがく法 |
07 | 風呂敷や袱紗に 文字の白ぬき または色を變へたい場合 |
08 | 子供の營養 偏食を矯める法 都會と田舍は違ふ |
09 | 筍の南蠻漬 |
10 | 胚芽米の炊き方 ビタミンBを失はぬやう |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 新民報國語學習新聞 軍隊でとても必要な 野菜物をつくる 東京の學生が空地を利用して 夏休から農場を營む |
02 | 圖像:日本の兵隊さん萬歲 |
03 | 高雄市の一部となつた 「新南群島」のお話 海產物や燐礦の產地で (上)九十六の島より成る |
04 | 今日の歷史 |
05 | 圖像:オヂサンノ出セイ |
06 | 童話 拾はれた兔(上)/塚原健二郎 |
07 | 奈良人形が洋行 七月に桑港萬博へ |
08 | 捕鯨船畫報(其三) |
09 | 小學校を出て 働く少年少女 東京で二萬二千人 |
10 | カタカナ欄 タマゴカラ タマゴガウマル |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 各長官に御陪食賜はる 畏し‧適切なる御下問を賜ふ 最後に松岡知事、狀況を奏上頭條新聞 【東京二日發同盟】天皇陛下には二日地方長官會議に會同中の半井北海道長官以下各府縣知事を召され豐明殿で御陪食を賜つたがその前後四時間に亘つて各長官の奏上を聞召された、畏くも陛下には長期聖戰下銃後の生產擴充とこれに伴ふ諸施設、農山漁村の生活狀態、工業都市に於ける市民の緊張等について深く御軫念、各地方の狀況に應じて殆んど全部の長官に對し極めて適切なる御下問を賜り、半井北海道長官に對しては北洋漁業狀況に付き留岡秋田縣知事に對しては特に一日の震災被害について御下問あり、小河三重縣知事の事變下伊勢神宮參拜者の增加狀況の奏上には畏くも陛下には態態御起立遊ばされ終始御直立の儘御聽取遊ばされたと承はる、最後に松岡臺中州知事に對し臺灣事情につき御熱心に奏上を聞召され御豫定を二十分過ぎ午後四時二十分漸く全長官の奏上を終へたが陛下にはこの長時の間、御疲れの御模樣もなく御精勵あらせられたことは真に恐れ多い極みで一同恐懼感激して退下した |
02 | 只管恐懼感激 松岡臺中州知事謹話 |
03 | 聖戰の目的達成へ 地方長官會議、平沼首相の訓示 |
04 | 山西軍の申譯的蠢動 各所で我警備隊に粉碎さる |
05 | 經濟統制の實効確保 鹽野法相の演說要旨 |
06 | 寧波江碇泊中の敵軍用戎克を爆擊 |
07 | 幣原垣氏に 敘勳の御沙汰 |
08 | 古縣鎮を空襲 北平鎮をも襲ふ |
09 | 久保健部隊長 名譽の戰死 |
10 | 傅市長の要求を支持 租界の反日行動取締に關し 我が陸海軍當局が共同聲明 |
11 | 圖像:華興銀行創立さる |
12 | 滿洲國軍管區 司令官異動 |
13 | 訪日宣詔記念 興亞國民動員中央大會 新京で盛大に擧行 |
14 | 物價統制の大綱 五日、閣議に附議決定し 商相が同夜全國に放送 |
15 | 近く租界當局と折衝 租界內取締の徹底へ |
16 | 汪氏今後の運動方針 當分ハノイには歸るまいが 香港、上海へは行かぬ |
17 | 反ソ分子十數名 旅客列車を襲擊 政府要人多數の死傷 |
18 | ヒ總統、ゲ空相演說 民主主義國家を攻擊 波蘭については一言も觸れず |
19 | リ國軍總司令 近く波蘭を訪問 對獨共同動作についき意見交換 |
20 | カリブ海防衛事務統監の新局を設置 |
21 | 本田氏が當選 長崎縣一區再選擧 |
22 | 新設三高工の初代校長發令 |
23 | 富士丸無電 |
24 | 大阪商船臺灣出帆 |
25 | 近海郵船基隆出帆 |
26 | 辰馬汽船 |
27 | 大連汽船 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 社說 時局下の臺灣株式取引所社說 一 日支事變を契機とする現下の時局が遂に蔣政權との長期應戰及び支那に於ける長期建設となり、我戰時體制が益益强化するに至るであらう事は明かである。今後物價の抑壓及び配當の制限等一聯の統制が愈愈具體化するに從つて株式市場に於ける株式の波瀾が著しく極限せらるるに至る事も最近の動向から之を洞見する事が出來る。殊に我が株式市場の特質は東新とか、鐘紡等の投機株の取引が七八割を占めてゐる現狀からして今日の如く株式市場の漸次淋れ行く事も、之を想像するに難くないのである。 二 此の時に當つて臺灣株式取引所が正に產れ出でんとしてゐるから、其の組織も時局下の株式取引所に相應はしい新制度を案出しなければならない。卽ち清算本位の市場よりも實物本位の市場に重きを置かなければならない。然らば如何にすれば投資賣買を主とする實物市場の振興を圖り得るかと言へば、我等は次の如き案を提出したい。 第一は內地に於ける實物本位の如く契約後十五日に必ず實物を受渡せねばならない制度はとかく取引の不便を來す事と思はれるから、何かの方法を以て乘換の出來るようにして多少清算味を加へる必要がある。 第二は實物受渡の圓滑を圖るために取引所の附帶業務として實物の金融を開くべきである。從來實物取引が發達しなかつたのは雜株に對する金融が殆ど附かなかつたためである。金融の道さへ附けば相當取引の增加及び其の圓滑を圖る事が出來る事は火を睹るよりも明かである。 第三は實物取引の手數料を出來る丈低減すべき事である。其の他いくたの實物取引振興策もあらうが、要するに投機本位の取引所よりも投資本位の取引所に作り上げ以て生產力の擴充といふ使命を遺憾なく果さなければならない。 三 言ふ迄もなく臺灣取引所は單に內地の投機株の上場によつて島內の場外取引を收容せんとする許りでなく、寧ろ島內の事業株の實物取引を圓滑にし以て株式の資金化及び新規事業の振興に資するところがなければならない。若し地方取引所の機能から言へば後者は特に力を注がなければならないし、上記の如く取引所自身が投機本位から實物本位へ轉換するにあらざれば旣に更生する道がなくなつた今日に於て今後設立さるべき臺灣取引所はかかる大勢を豫見し、此の際時局の要求に基くところの理想的取引所から出發しなければならない。然らざれば臺灣取引所も必ずや內地取引所の轍を踏んで取引の閑散化と機能の硬化に苦まざるを得ない。此の問題は切に督府當局の一考を煩はさんとするものである。 |
02 | 獨男爵機けふ島都入り 盟邦に空の第一步 |
03 | 香港に到着 |
04 | 出雲大社の聖火を 紐育の萬博に送る 日米親善。世紀の緣結び |
05 | 圖像:聖戰下二度目の徵兵檢查 |
06 | 傷兵慰問笑ひのステーヂ 臺中州聯青、愛婦、教聯主催 慰安の夕に爆笑沸く |
07 | 島都に大綜合運動場 文化都市への躍進譜 |
08 | 相川部落海中に陷沒 秋田縣下の震害狀況(午前八時現在) |
09 | 男鹿半島方面 最も被害甚大 全壞家屋五百六十戶 |
10 | 廈門の天長節 官民合同奉祝會を開く |
11 | 羅東郡道路協會(愈よ結成) 產業の動脈、交通網の完備へ |
12 | 正午現在の被害狀況 增大ない見込み |
13 | 簡易保險健康相談所の開放 |
14 | 野球決勝戰 豪雨に祟れ引分 |
15 | 小國民に巢喰ふ結核 臺北市の撲滅策第二陣 近く各校へ醫師部隊 |
16 | 丁抹遭難汽船の 引揚に成功 曳航部隊、神戶を出發 |
17 | 相撲協會長に 竹下大將就任 |
18 | 銑鐵泥 老若コンビ |
19 | 臺北州教育大會 廿一日公會堂で開く |
20 | 社會事業打合 |
21 | 盜んだ氷券で 每晚豪遊 |
22 | 福建丸入港 |
23 | 船艦を溶解する硝酸發明 |
24 | 新竹專賣品小賣人組合總會 |
25 | 總督府辭令 |
26 | 定期航空 |
27 | 婦人服地專門の ヒシ屋開業 |
28 | ときのこえ |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 運送店の合同統制 島都で率先斷行 內地人業者會社を創設 |
02 | 產組聯合機關の 設置方等を陳情 產組大會委員督府を訪問 |
03 | 臺灣畜產會總會の本年度豫算說明(下) |
04 | 新南群島を根據に 南支漁業に從事 拓洋漁業近く創立總會 |
05 | 明治製菓增資 子會社を合併 |
06 | 北支開發會社の 社債引受し團(下) |
07 | 帝國鐵道協會近く 臺北で定期總會 二百六十五名が來臺 |
08 | 本島の工藝品を 近く米國へ紹介 |
09 | 新航路開設に 郵船脅威を受く 商船、船舶消化策に腐心 |
10 | 新蓬萊米の先約 三十萬袋を突破 南部米の出廻期近し |
11 | 東臺灣電力會社 資本金二千萬圓 |
12 | 照明燈 |
13 | 恒春工場製糖終了 |
14 | 市價及商況 二日 |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | ラヂオ |
02 | 講演 稅制改革の目標/牧野輝智 |
03 | 探險英傑傳(一) 物語、白瀨中尉/南敬次 |
04 | 講演 健康增進と 口腔衛生/小林靜夫 |
05 | 獨唱 |
06 | 國民歌謠 |
07 | 子供の時間 兒童劇 かぐや姬 |
08 | 連續ラヂオ小說 青年(下) |
09 | 尺八 「下野虛靈」/木村士童 |
10 | 圖像:明立一回戰 |
11 | 趣味‧娛樂 春蒔きの草花 土の良否で決る發芽率 |
12 | 松竹京都撮影所作品 三ツ角段平 |
13 | 大船の 國策文化映畫 |
14 | 「愛憎の書」 心理描寫へ 久松監督張り切る |
15 | 「伊豆の女達」 |
16 | 日活監督補に 昇進六名 |
17 | 「血の歡喜」の 激戰ロケ |
18 | 五十鈴の句二つ |
19 | 病氣全快の 花岡と天野 |
20 | 海外映畫短信 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 鼓山に仰ぐ雄魂 卅三士祭典の盛儀 春雨に競ふ奉納競技 |
02 | 圖像:“婦人と献金” |
03 | 纖手結ぶ日支親善 閩南女子中學教員に 員林邱孃拔擢さる |
04 | 金賣却運動 新豐郡は好成績 六十五萬圓を突破 |
05 | 獎勵金を献金 集集腦丁の赤誠 |
06 | 麻豆街皇民塾 功勞者表彰式 天長の佳節擧行 |
07 | 遺烈永遠に香し 集集憲兵殉難者慰靈祭 建功神社祭當日に嚴修 |
08 | 健康週間 湖口庄の行事 |
09 | 葬費を節約寄附 |
10 | ローカルセクション |
11 | 玉井の王孟冬氏表彰さる 星製藥大會で |
12 | 香奠返し献金 |
13 | トラツクに 轢れて危篤 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 生產擴充に即應し 農產五個年計畫 各市郡の答申を待つて協議 臺中州の產業大飛躍 |
02 | 選ばれた金太郎 臺南州で百卅四名 五日知事賞を授與 |
03 | 白衣の勇士歸還 きのふ盛大な出迎裡に |
04 | 圖像:百疊敷の大日章旗 |
05 | 彰化商業開校式 卅日、假校舍で擧行 |
06 | 總督訓示傳達 |
07 | 臺中の傳達式 |
08 | 大屯郡社會教化事務打合會 |
09 | 故銅鐵屑配給統制組合創立 一日花蓮港で |
10 | 臺南州保甲 協會聯合會 五日發會式を擧行 |
11 | 一日で十二萬餘圓 高雄州金献運動のトツプ 素晴らしい岡山郡の成績 |
12 | 揮發油購買申請 五日まで提出せよ |
13 | 鈴木氏、臺中で講演 |
14 | 給水船新造打合 きのふ高雄で開かる |
15 | 健康感謝祭 昨日高雄神社で執行 赤欅隊市內を行進 |
16 | 嘉義の健康週間 |
17 | 紙芝居講習 社會教育擔當者を集め 臺南市南門小で開く |
18 | 宮原判官一行 實地檢證に來花 |
19 | 結核豫防デー 嘉義の諸行事決定 |
20 | 彰化市部振 會長打合會 春季總會等を協議 |
21 | 西子灣臨時休業 九日から十三日まで |
22 | 丸山氏が寄附 |
23 | 和美公四十年記念 |
24 | 臺南の實弟殺し 傷害致死事件として 一件書類と共に送局 |
25 | 釣錢詐欺御用 島內各地を荒らす |
26 | 元花蓮港郡屬 起訴さる 橫領罪として近く公判 |
27 | 趙巡查表彰さる |
28 | 彰化華僑役員會 |
29 | 作業苦力が 拔荷 一味檢擧さる |
30 | 臺灣清涼飲料水統制組合 |
31 | 溪州信組總會 |
32 | 貨車顛覆 卅日鹽糖線で |
33 | 消息報社消息 |
34 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 兵學の定石外れの 支那軍の攻擊宣傳 民心緩和、雜軍整理の苦肉策 大本營陸軍部の觀測 |
02 | 圖像:アルバニア、伊軍を歡迎 |
03 | ○○(應山北方)を擊破占領 敵は李品仙麾下の廣西軍 |
04 | 蔣介石最後の足搔き ソ支協定案を承認可決 內部抗爭愈よ激化 |
05 | 真茹無電臺開所式 |
06 | 古縣鎮、老令を占領 潰走の敵、徹底的に擊滅さる |
07 | 航空技術研究は ドイツが世界一 リンドバーグ大佐語る |
08 | 伊、ル會談の內容 ローマ消息通の觀測 |
09 | ア洪國經濟相 ローマ到着 |
10 | ユ國攝政パ殿下 正式羅馬御訪問 |
11 | 獨新聞使節團 東京驛發西下 |
12 | 東亞共同組合 聯絡協議會設立 日滿支を打つて一丸 |
13 | 過燐酸廿萬噸 製造業組合て引受く |
14 | ローマ、ソフイア間 定期航空開設 |
15 | アルゼンチン丸 竣工近づく 七月南米航路へ |
16 | 淮南炭礦を開發 近く株式會社を設立 |
17 | 明日の天氣 |
18 | 總動員(118)/長田秀雄;夏口醇 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 盟邦機島都へ 熱狂的歡呼裡に安着 |
02 | 島都官民と交驩 |
03 | 祝辭 |
04 | 郡守市尹會議 諮問事項に答申 |
05 | 臨時保甲會議 基隆郡で開催 |
06 | 大大的に宣傳 北署の結核豫防行事 |
07 | 經濟警察に後見役 警視廳に專門家を依囑 |
08 | 蘇澳神社建立 六日頃に鎮座祭 |
09 | 公學生轢かる 頭分の輪禍 |
10 | 市民のハイク 新綠の白鷺山へ |
11 | 新竹でも決行 |
12 | 末恐しい少年 稼いでは豪遊 |
13 | 富士丸入港 廣東製紙廠復舊の 王子先發隊が來臺 |
14 | 六犯の詐欺漢 出所して又惡事 |
15 | 闇の臺灣刀 基隆に殺傷沙汰二件 |
16 | 杉野東株理事長逝去 |
17 | 鳳山街民風作興會評議員會 |
18 | 南投專賣品小賣人組合總會 |
19 | 春眠、家屋倒壞 を知らず |
20 | 幼女溺死 |
21 | 青木岩雄氏逝く |
22 | 白井氏母堂逝去 |
23 | 人事‧消息報社消息 |
24 | 定期航空 |
25 | 今夜の放送 |
26 | 商況 三日前場 |
27 | 今日の興行 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
---|---|
01 | 日本の母(111)/新述節;瀧伸二 |
02 | 家庭婦人 二日から健康週間 仰げ陽光、親しめ大氣 國民病結核を除きませう 厚生省豫防局長醫博高野六郎氏談 |
03 | 初夏に盛る尚武の催し 猫の手も欲しい農繁期を思へ 五月の家庭曆 |
04 | 躍動的な表情美 春から夏への化粧 手順を少し變へて |
05 | 野菜の茹方 |
06 | 身上相談 |
07 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新民報國語學習新聞 健全なる精神は 健全なる身體に宿る きのふから八日迄健康週間 鍛へよ身體、銃後の務 |
02 | 高雄市の一部となつた 「新南群島」のお話 海產物や燐礦の產地で (下)九十六の島より成る |
03 | 圖像:輝く天長節大觀兵式(代代木練兵場にて) |
04 | 今日の歷史 |
05 | リンドバーグ大佐 再び現役に 空軍の監督として |
06 | 童話 拾はれた兔(下)/塚原健二郎 |
07 | 圖像:捕鯨船畫報(其四) |
08 | 天橋立が太る 六メートル幅が廣くなる |
09 | カタカナ欄 テングザメ ナント七五○キログラム |
10 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 上海共同租界の機構 全く現情に適應せず 我方斷乎改革を決意 英米兩大使に通告頭條新聞 【東京三日發同盟】東亞新體制の進展に伴ひ千八百六十六年に制定された土地章程に基く上海共同租界の機構及び制度は全く現情に適應し得ざるものとなつたので政府では外務、陸軍、海軍各省並に各出先機關をしてこれが根本的改革に就き硏究せしめつつあつたが 一、共同租界參事會員の選擧制度に重大缺陷あること 一、工部局主要職員の地位が今日に於ても依然英國人に襲斷され彼等の恣意に委ねられてゐること 一、工部局豫算が極めて不公平に配分されてゐること 等の事實に依り土地章程の改正の必要を痛感するに至つた結果共同租界と事變後に生れ出た更生上海特別市との關係が全く現實に卽せずここに租界の特別地位を利用して不逞分子跳梁の餘地を與へつつある事實が愈愈明白となつたので帝國政府は斷乎これが改革を決意し現地當局をして同問題に關する折衝を開始せしめることとなつた。依つて澤田外務次官は三日午後クレーギー英國、グルー米國兩駐日大使に來訪を求め外務省において口頭をもつて我方の上海共同租界制度の改正に對する見解を述べ本國政府への傳達方を求めた、而して外務省では目下我が現地當局が工部局に對して要求中の上海治安問題の解決も右租界制度の根本的改正に依り始めて滿足な結果を齎らし得るものとなしてゐる。 |
02 | 「廣東奪回」は一場の夢 四月攻勢完全に挫折し 敵軍、支離滅裂の慘狀 |
03 | 海の荒鷲連日大活躍 |
04 | 共產黨の勢力增大 軍、政兩機關に參加 中央職員の共黨への轉身續出 |
05 | 蘭印砂糖組合 賣值を引上げ |
06 | 布哇以西の防備費 第一年度の支出を否決す 米下院委員會で |
07 | 米國領海權 三浬より十二浬に擴張 ピ上院外交委員長提案 |
08 | 地方長官會議二日目 各長官明治神宮、靖國神社に參拜 |
09 | 駐支米大使 愈よ歸任の途へ |
10 | 吏道の確立を切望 木戶內相の訓示要旨 |
11 | 双務的保障協定の 締結交涉を開始 獨、北歐諸國との間に |
12 | 相戶援助條約成立か 英、佛、ソ三國の外相 近く倫敦かパリに會合 |
13 | 山崎常吉氏 當選無効確定 |
14 | 新に七部會を設置 物價大綱具體化に邁進 |
15 | 東北團體は大動搖 志賀氏議員辭任、川村氏傳統派へ 兩派攻防戰を展開 |
16 | 帝室博物館 總長異動 |
17 | 日本の經濟界は 大磐石の如し サン紙特派員の印象記 |
18 | 興亞青年代表の 交驩大會開かる きのふ新京協和會大講堂で |
19 | 宮內省辭令 |
20 | 本日の天氣 |
21 | 大阪商船臺灣出帆 |
22 | 近海郵船基隆出帆 |
23 | 大連汽船 |
24 | 辰馬汽船 |
25 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 歐洲の危機 益益緊迫 獨の強硬態度で社說 一 全世界の視聽を集めたヒ獨總統の國會演說は、ル米大統領の平和要請メツセージに對する反駁が主であらうとの一般の豫想に反して、その重點を英國及びポーランド難詰に置いたやうである。 卽ち英國に對しては、英獨海軍協定の廢棄を聲明し、舊獨植民地の返還を要求し、ポーランドに對しては、ダンチツヒ自由市の返還要求に對する波國の拒絕を發表し、波國の非協調的態□並に條約違反を指摘して獨波不可侵協定を廢棄する旨を言明し、米大統領のメッセージに對しては拒否的演說をなしてそのお節介を一蹴し更に日獨伊樞軸堅持を述べ、三國の協調は正義世界の秩序維持の必須條件と考へる旨を强調し、例に依つて明快率直にその所信を披瀝したのである。 二 獨の要求又は宣言は何れも當然のことである。舊植民地返還は英彿が反省して掠奪したものを返還すべきであることは云ふまでもない。英佛が反省しなければ今後何度でもその要求を繰返すであらう。英獨海軍協定に就ては、英國がその改訂申出を拒絕したばかりでなく、事每に艦隊で獨伊を脅かす態度に出たので、この協定は今や獨を壓迫するだけの效果をもつこととなつたので、獨がその廢棄を聲明し、その脅威から脫出せんとするのは當然である。 獨波不可侵條約の廢棄も又當然である。獨は同條約成立以來五年間、未だ曾つて波國に脅威を與へたことなく、兩國間の懸案解決に對しては波國に誠意がないばかりでなく、佛につき、英に賴り、ソ聯と結ばんとして公然と獨に楯つくので、たまり兼ねた獨は遂に同條約の廢棄を宣言したのであるが、しかし隣國の誼みとして尚その反省の餘地を與へてゐるのである。 三 米大統領の平和要請は豫期の如く完全に藪蛇に終つたかの觀がある。尤も英佛は始めからこの要請に對して平和的かつ建設的な期待などは持つてゐなかつたやうであつた。英彿はヒ獨總統の演說に對しては寂として聲なく、一言も批評を發しないが、獨が强硬態度を表明してからも依然として獨伊包圍陣强化に狂奔し、ソ聯の抱き込みに躍起の策動を續けてゐるやうである。英佛が事態の根源に觸れることをしないで、飽くまで現狀維持の方針に依る獨伊包圍陣結成の策動は、獨伊の現狀打破方針と到底相容れることが出來ないことは、獨總統の演說でも明らかである如く、今後の歐洲の形勢は更に激化の一途を辿るであらう。米大統領の平和要請は獨の强硬態度の表明となり、兩陣營の對立抗爭に油を注ぐ結果となつて、歐洲の危機は益益緊迫して來るであらう。 四 獨伊のバルカン政策は着着奏效し、伊がバルカンに乘り出してそれを抑へてゐるから、獨は今後對波工作に力を集中することが出來るであらう。英紙は旣に獨が近く二週間の猶豫期間附で波政府に對しダンチツヒ自由市返還要求を提出するであらうと報道してゐるが恐らく事實であらう。ダ市返還を中心とする獨波關係の再調整は一に波蘭の為政者の態度如何にかかつてゐる。若し波蘭が依然反省せず、自國の權益擁護以外何ものもない英國の使嗾に乘つて、現在の如き方向へ進むならば、何時かはチエコの二の舞を踏むであらうことは推測するに難くないのである。しかもこれを機會に歐洲を再動亂に導く危險が十分孕んでゐるのである。 かつてチエコを亡ぼしたものは英佛であつた如く、波蘭を累卵の危機に瀕せしめたのも英國である。而して歐洲危機の緊迫の責任も、又若し再大戰が勃發した場合、それを惹起せしめた責任も一に英佛が負はねばならぬことは言を俟たないのである。 |
02 | 軍費六億元の起債に 廣東治維會不買佈告 蔣財政日にく窮乏 |
03 | けふ未明出發 昨日臺北着の盟邦機 夕刻には東京着 |
04 | 伯林。盤谷間に 六月から航路開設 らブレンツ男語る |
05 | 邦人の郵便物も 一切、郵政局で扱ふ 五月一日から開始 |
06 | 商船西阿丸 西アフリカへ初航海 |
07 | 頭圍商工會 總會を開催 |
08 | そよかぜ號 十五日發歸還飛行 |
09 | 吳服を一割引下げ 新竹市小賣商組合が自肅 けふから改正值段實施 |
10 | 布哇邦人の赤誠 飛行機建造資金と慰問袋を 特務艦○○が輸送 |
11 | 海軍記念日を前に 小冊子十萬部發行 記念日讚歌も載せて |
12 | 基隆氷菓子組合結成 |
13 | 臨床座談會 けふ江山樓で開く |
14 | 石井勸銀總裁に 佛籍を訊く 臺灣愛書會の催し |
15 | 五十名入選 臺北市の乳幼兒 |
16 | 模寫電送機が出現 文字や寫真等を簡單に送受 大橋博士らが實驗 |
17 | 櫻の苗木千二百 石家莊に移植 |
18 | 損害五百萬圓 秋田縣下の震災禍 |
19 | 大稻埕六常設館の 宣傳ビラを制限 映寫中の呼賣も禁止 |
20 | 基隆消防組 令旨奉讀式 |
21 | 臺中資源國策會社披露宴 |
22 | 陳清汾氏の結婚披露宴 昨日盛大に開かる |
23 | ドニ機不時着 ミドナプール附近に |
24 | 淡水產業株式會社 |
25 | 定期航空 |
26 | 青木岩雄氏逝く |
27 | 總督府辭令 |
28 | 人事‧消息 |
29 | ときのこえ |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺灣黃麻工業の 新設に波紋起る 同業者間で早くも反對 |
02 | 本年の閑散期は 依然貨物輻輳か 輸送量大增加の見込 |
03 | 株式市場は 投機より投資へ/上田辰卯 |
04 | 臺灣の資源開發は 朝鮮より遜色あり 石井勸銀總裁の視察談 |
05 | 需要益益增加する 島內用のセメント 自給策の確立が急務 |
06 | 物價統制と財界 生產擴充の並行實施に 產業、金融界成行を注目 |
07 | 臺中州農會 近く豆粕入札 |
08 | 臺灣貯蓄の預金 壹千八百萬圓突破 前年に比し約五百萬圓激增 |
09 | 臺北州故銅鐵屑 配給組合員會 昨日ホテルで開かる |
10 | 安座上日通重役 上海支社長辭任 中支事業一段落を機に |
11 | 標準運賃と傭船料 引下げ問題表面化 遞信省では反對的意向 |
12 | 臺灣畜產會が 騎手見習生募集 |
13 | 照明燈 |
14 | 市價及商況 三日 |
15 | 古銅鐵屑配給組合創立總會 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 講演 工業立地から見た 日滿支產業の將來性/小島精一 |
03 | 講演 臺灣の子供/飯沼龍遠 |
04 | 浪花節 最後の野田城/林伯猿 |
05 | 家庭法律講座 離婚の法律精神病と離婚(七)/草薙晋 |
06 | バラエイ 燕とぶ頃 |
07 | 子供の時間 手榴彈と迫擊砲/吉永義尊 |
08 | 料理/野田千鶴子 |
09 | 管絃樂 |
10 | 新內 不斷櫻下總土產宗吾住家の段 |
11 | 松竹京都撮影所作品 名月神田祭 |
12 | 圖像:七人制ラグビー |
13 | 伊賀山監督の次回作 「女性の力」映畫化 |
14 | 犬塚稔監督の 「唐燈籠」 |
15 | 川端康成作 「乙女椿」 新興沼波監督で |
16 | 海外映畫短信 |
17 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 漲る健康、銃後の護 けふは榮養改善日 健康週間、南投郡の行事 |
02 | 圖像:日に献金五萬餘圓 |
03 | “健康と美妓” 桃園郡健康週間宣傳隊 |
04 | 早曉、神棚に禮拜し いざ共同美化作業へ 內門庄の部落振興早起會 |
05 | 出る灣產双葉山 大甲桌君憧れの花籠部屋入り |
06 | 茶摘みの春 相場は昨年と同じく 天候不順で二割減收か |
07 | 死藏金を抹殺せよ 新化警察課宣傳に大童 |
08 | 北支文化人士視察團入京 |
09 | 鳳山は一萬六千圓 臺銀出張買上隊活躍 |
10 | 幽靈告知書 |
11 | 人‧家、空に舞ふ 鹽埔に未曾有の旋風來 |
12 | 流腦魔南投に侵入 |
13 | 能高郡北京語講習會 |
14 | 寫真嫌ひの 寫真屋さん |
15 | なんと金の代用品 十紋銅貨、一圓で引張凧 南投郡警察目を光らす |
16 | ローカルセクション |
17 | 青物相場表/臺北市中央市場 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 報國の精神彈藥 見よ!この盡忠‧この純情 (二)支那事變愛國美談集/海軍省海軍軍事普及部 |
02 | 普通試驗問題 昭和十四年度 |
03 | 圖像:南洋群島の甘蔗栽培狀況 |
04 | 壯烈な肉彈飛行艇 加藤海軍少將以下幹部の戰死 |
05 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 興亞展を興亞博に 規模を一段と擴大 高雄、着着準備を急ぐ |
02 | 臺中の皇軍慰問團 現地で好評を博す 伊藤團長は五日歸中 |
03 | 高雄の皇軍慰問團 十五日の使船で歸高 |
04 | 田中部隊長より 川村知事に感謝狀 慰問團派遣に對し |
05 | 新生廈門だより/郭發海外遊記 ◇......新生廈門に於ける居留民の一般商工業者はそれぞれ市內の各好きずきな家屋を借りて諸準備を進めて來たので今や各大通りの町には居留民の店舗がずらりと列らんでゐるそれらの店舗を覗いて見ると開店休業中のものもあるが概して多少の商品を仕入れてどうにかこうにか營業を開始したのである。 ◇......廈門に於いて營業する商店の店號は○○洋行と○○公司と附けるのが普通の樣であるそれで居留民の店號もそれに傚ふてつけたものばかりだ。市內を散歩するとペンキの臭がする新しき洋行の看板が到るところ見受けられてわが居留民の素晴しい進出振りを物語ってゐる。 廈門の復興はこの居留民の協力に待つところ尠しとしないのである ◇......之等居留民は復歸進出したものゝ為替管理のために資金は持って來られず或は資金窮乏の復歸者が復興資金貸付を當にしてゐるから遂ひに開店休業の已むなき狀態に陷ったのである。それで為替管理に對して適當な緩和を圖ること復興資金の貸付を早急になすことなどが肝要であり然らざれば居留民商工業の振興は遲々不進の嫌を免かれないであらう。 ◇......新生廈門の金融界を見渡せば未だ復興途上にあり臺灣銀行を營業を再開したけれども商工業の業態正常ならざるを理由に殆ど貸出をなさず預金のみを扱ってゐる林木土氏經營の豐南信託公司もその通りでゐるかくて居留民間に於いて中小商工業者の金融機關の設立を頻りに要望されてる ◇......臺灣銀行は復興に協力する一役割を演じてゐるとは云へ小商工業者との緣が遠い。豐南信託は兩替のみに力を入れてその他のことを考へる餘裕はない茲に小商工業者の金融機關たる信用組合を設立することは急務中の急務であると居留民は異口同音に叫んである ◇......從來臺灣總督府金融課の肝煎りで設立した廈門金融組合は即ち信用組合であった。ところが未だその復業が遲々として見透しが付かないのが遺憾千萬である。若しこの廈門金融組合が復業し更に擴大強化したならば信用組合の新設も必要としないが一體廈門金融組合の復業は何時になるか關係者が一言あって然るべきであらう。 ◇......廈門金融組合は當局の後援によって設立した組合であるから潰れて復業が出來ぬとは考へられたい。だが若し近く復業して擴大強化することになるなら更に信用組合の新設を今直ぐにやる必要がない。然らざれば信用組合の新設は時宜に適する措置であると思はざるを得ないのである。 ◇......新廈門に於いての通貨は支那法幣と金圓券(主として臺灣銀行券)の二種が流通して居り過度的の特殊現象を呈してゐる。然しながら法幣に對する不當な流通を一掃し之に代えるに臺灣銀行券を以って統一する方針に基いて着々その實現を圖り健全なる新生廈門の經濟活動に寄與せんと努力しつゝある ◇......臺灣銀行廈門支店は昨年六月六日より營業を再開して以來法幣の受拂をせずその上日本銀行券さへその受拂を拒絕するのであるこれらの措置は新生廈門の建設に協力する意義の他何ものもないが現實と理想とがなかなか一致する迄に至らず最近法幣の預金の取扱ひを開始することとなったのである。 ◇......新生廈門に於ては金圓券と法幣とが共に流通してゐるが軍、領事館が主として臺灣銀行券を使用□居留民の主なる商店も金圓建にて買賣してゐるが治安維持會に於いて公課金を法幣で徵收してゐるし支那側の商人は法幣建にて買賣する一方金圓券と法幣との間に約二割五分から一割の値開きあるので法幣の使用者が多いのである ◇......日本銀行券に對し臺灣銀行支店がそれを使用せぬので市上に於ける流通は臺灣銀行券の比ではない。しかも對法幣の相塲が臺灣銀行券に比し日本銀行券が一弗安い狀態になってゐる。 ◇......金圓券と法幣とが必要に應じて流通せざるを得ない關係にあり隨って當地に於ける兩替業が盛んである。豐南信託を始めとして居留民間にこの兩替をやるものは多い。殊に上海と香港と連絡を取る豐南信託は好成績を擧げてゐる。 ◇......この兩替業は現ナマの資金でもあれば大した準備も入らず電話に金庫、事務棹と椅子を整へぼ何時でも營業を開始することが出來る堅實にやれば利益が少ないが確實に儲かる商賣である在廈門總領事館の營業許可が必要である ◇......金銀兩替を堅實にやって利益が少ないと云っても賣りと買ひの差額は百圓に付き一圓以上ある樣である然らば一萬圓の資金を甘く回轉せしめたならば商賣が出來る程度の利益を擧げ得るものと見られてゐる。この商賣は國際都市でなければ見られぬ特殊事業で新生廈門に於ても相常に活氣を呈してゐる |
06 | 徵兵檢查 高雄市は十日から |
07 | 新豐郡の漆造林 豫期以上の好成績 庄の有力なる財源 |
08 | 臺中警務部が非常召集 |
09 | 黃麻浸水池 臺中市の割當 |
10 | 臺南州警察會議 きのふより開かる |
11 | 乳幼兒選獎の 賞品を寄贈 |
12 | 圖像:難民に施米 |
13 | 臺中州視學會議 きのふから開催 |
14 | 彰化商業創立祝賀會 六日公會堂で開催 |
15 | 臺中市の優良兒 五日、十名に賞品授與 |
16 | 嘉義競馬場竣工 七日落成式を擧行 |
17 | 嘉義春競馬 六日から開催 |
18 | 臺中專賣品小賣組合總會 |
19 | 臺陽展 六日から臺中で |
20 | 育兒衛生講演 五日彰化公會堂で |
21 | 活動映寫會 彰化郡下の日割 |
22 | 經濟規則を說明 彰化綿布商に對し |
23 | 列車衝突の 最中にお產 |
24 | 玉里に避病舍 經費の八割は廳補助 |
25 | 尿の無料檢查 |
26 | 鈴木氏、嘉義で講演 |
27 | 偽名で懲役を 受けた心臟男 自轉車を盜んで捕へらる |
28 | 產組講習會 |
29 | 若妻縊死 |
30 | 府工業練習生 合格者發表 |
31 | 消息報社消息 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大陸一代娘(29)/小栗蟲太郎;中島喜美 |
02 | 鄉土隨筆集一 淡水は滬尾る(上)/柯設偕 |
03 | 文藝時評 文學の魅力と 人間の魅力/古谷綱武 |
04 | 龍骨車 國語淨化の問題 美辭麗句と日用語 |
05 | 圖像:“軍備は市民の義務なり” |
06 | 行儀と茶道 社會評論(3)/上司小劍 |
07 | 圖像:淡水風景(第五回臺陽展)/陳清汾 |
08 | 學藝消息 ぺルー新聞 發刊百年記念 |
09 | パワーと ベラ結婚す |
10 | 心聲漢詩 題禮耕仁弟悼珠詞後/葉文樞、喜晤吳漫沙先生/曾文新、敬和原玉/吳漫沙、次韻/陳鏡如、次韻/李學樵、一、春時/希舜 張善、二、步謝曦先生元韻/希舜 張善、三、試作/希舜 張善、四、賀漢周芸兄令郎席珍君入中學/希舜 張善 |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新事態の下に不適當 機構改革が絕對必要 共同租界問題外務情報部發表 |
02 | 重慶を大擧空襲 本年初頭以來の大戰果 |
03 | 敵機十機を襲墜す 市內は慘澹たる光景 |
04 | 西部大別山系の敵 全軍退却を開始 我軍大追擊戰に移る |
05 | 伊皇帝陛下 シ島に向はせらる |
06 | 獨伊兩外相重要會談 英佛に對抗、兩國愈よ緊密 |
07 | 北歐の諸國と獨が 不可侵協定を締結 交涉開始をAPが確認 |
08 | ラ、エ兩國にも 不侵略協定締結 ドイツより申込む |
09 | 翁源南方爆擊 高等司令部を粉碎 |
10 | 獨は報復的に 九名の英人追放 |
11 | ソ聯リ外相突然辭職 後任はモトフ議長が兼任 外交轉換重視さる |
12 | 小郡中繼所の 搬送裝置工事 愈愈本月中旬に完成 |
13 | クレムリンの 忌避買つたか |
14 | 英はソ聯提出の 集團保障案拒絕 個別的保障案を提出 |
15 | 荷見馬政局長官 農林次官に起用 |
16 | 滿洲國外務局 外交部に昇格 初代大臣阮大使か |
17 | 沿海州を分割 |
18 | 明日の天氣 |
19 | 總動員(119)/長田秀雄;夏口醇 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 鐵材の代用品に 竹筋コンクリート 見事、實用化を完成 |
02 | 漆黑の夜を衝いて ガブレンツ機出發 官民の萬歲に送られて |
03 | 東京に安着 けふ午後二時三分 |
04 | 圖像:秋田縣の震災 |
05 | 輕氣球防空の實地演習 |
06 | 印度の王樣王子樣 一行賑やかに來朝 世界一周の途次に |
07 | スケートで 電報を配達 |
08 | 皇軍慰問書畫展 九月中旬基隆で開く |
09 | 郡守市尹會議(第二日) 指示、注意事項を協議 |
10 | 圖像:聖火を運ぶミス‧ニツポン |
11 | 高砂丸出帆 |
12 | 技術練習所 八日から開所 |
13 | 海軍軍樂隊演奏會 あす公會堂で開く 太平洋行進曲を處女演奏 |
14 | 新竹野球大會 二十日から開く |
15 | 無價值の株券で 深慾連を釣る 巧言の詐欺、新竹で檢擧 |
16 | 健康週間演講 六日日新公で |
17 | 臺灣商工會議所 第一回總會 皇軍慰問電を可決 |
18 | 精華第二開講所 五日開所式 |
19 | 今夜の放送 |
20 | 定期航空 |
21 | 商況 四日前場 |
22 | 今日の興行 |
23 | 民報案內報社消息 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日本の母(112)/新述節;瀧伸二 |
02 | 家庭婦人 建國にちなむ 端午の節句飾り 建國祭本部で推獎 |
03 | 學校兒童の御辨當(中) 献立の見本を數種御紹介 容器はアルマイト製がいい |
04 | 丈なす綠の黑髮 流行のロールに バーマネントの必要はない |
05 | 野菜の消毒法 |
06 | 圖像:双葉山のお芽出度 |
07 | 七輪に一杯 入れるのは損 木炭の經濟的使用法 |
08 | 牛乳の薄め方 人工榮養の場合 |
09 | 爽快な氣持で よく嚙みしめる 榮養食の効果はあがる |
10 | 筍の消化時 |
11 | 人蔘と蕪の葉は バタに匹敵 これこそ非常時食 |
12 | 紳士の作法 名刺の使ひ方 |
13 | 紙上病院 |
14 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新民報國語學習新聞 一年に一度は必ず 齒の診察を受けよ 幼稚園兒と小學生一年生 厚生省が命令を出す |
02 | 圖像:捕鯨船畫報(其五) |
03 | 世界各國の人形 百數十種を陳列 |
04 | バルカン半島は 「世界の火藥庫」 一處即發の危機を孕む (上)戰爭か?平和か? |
05 | 今日の歷史 |
06 | 僅か一箇年間で 七十三億八千萬圓 昂る國民の愛國貯蓄 |
07 | 圖像:花中に立つ我が步哨 |
08 | 珍しい梅の木 一つの花に實が三つ |
09 | 童話 案內鳥(上)/神戶雄一 |
10 | これは美味しい お菓子の博覽會 大分市で開く |
11 | カタカナ欄 コハレタトケイガ ガフニカチカチ |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 壯烈無比な大爆擊 一瞬‧重慶は黑煙に覆はる 我二機、壯烈な自爆を遂ぐ頭條新聞 【○○基地四日發同盟】滿を持し時期を狙つてゐた我が海軍爆擊隊は三日午前旋風の如く蹶起首都重慶に對し本年初頭以來曾つてなかつた大爆擊を敢行、軍事施設に大打擊を與へたるのみならず折柄秘密裡に招集中の最高國防委員會出席中の蔣政權最高首腦部を恐怖のどん底に陷れた、卽ちこの日中支一帶の天候は全く回復し見渡す限り一片の斷雲さへ浮ばぬ絕好な飛行日和に惠まれ基地に待機中の我が海の荒鷲隊は命令一下總指揮官增田少佐以下全員覺悟の日本刀を小脇に抱へてそれぞれ愛機に乘込み一機また一機砂塵をあげて離陸、湖北湖南の空を壓した堂堂○○機の精銳編隊は午後三時三十分遂に重慶上空に達した、この時早くも增田少佐直屬の第一爆擊隊○○機、續いて入佐少佐の率ゐる第二爆擊隊○○機は重慶市街中央部の軍事委員會行營を中心として揚子江對岸の水泥廠附近に亘り無慮○○個の巨彈を投じ投下爆彈は一彈また一彈の吸付けられたる如く目標に命中し落雷の如き轟音とともに紅蓮の焔が焔えあがり一瞬にして大重慶は濛濛たる黑煙に覆はれ去つた、然しながらこの間敵の防禦砲火もまた熾烈を極め更に小癪にも挑戰し來つた敵戰鬪機はソ聯製イー十五型及び大型機銃を有する新型カーチスホークを主として約三十機に及び彼我の間には忽ち壯烈無比なる大空中戰が展開された、我が荒鷲陣は獨特なる戰鬪隊形を崩さず實に二十五分間に亘つて交戰遂にその十機を見事に擊墜した、この間我が石機及び金井機の二機は不幸敵彈を受け地上目蒐けて壯烈無比な自爆を遂げた斯くて殘餘の敵機は餘りにも旺盛果然なる我が攻擊精神の前に戰意を失ひその快速を利して何れも遁走し去つたので我が荒鷲陣は再び銀翼を連ねて凱旋の途に就いた、歸途の偵察によれば廣楊壩(重慶の下流約十哩)飛行塲において滑走路、格納庫を認めたが着陸せる敵機の機影は一もなく重慶一帶の山野は我が完全制空權下に死せるが如き靜けさを湛へてゐた |
02 | 秋田縣下の震災に 聖上‧深く御軫念 御內帑金一封を御下賜 |
03 | 圖像:地方長官會議第一日 |
04 | 濟源を占領! 輝かしき戰果を收む |
05 | 軍令部次長より 祝電を發す |
06 | 敵の遺棄死體 二二、九四五 四月攻勢の戰果 |
07 | ソ聯內部の暗鬪と 英ソ交涉の行惱み リトヴイノフ辭任原因 米官邊の觀測 |
08 | 外務省辭令 |
09 | 英ソの交涉 根本的に挫折か |
10 | 陸鷲の藤田機 全員壯烈な戰死を遂ぐ |
11 | 消費節約、貯蓄獎勵 一層努力を拂ふ樣指導せよ 地方長官會議石渡藏相の訓示 |
12 | “我が國體に徹する” 時局認識、教育の本義に關し 荒木文が訓示 |
13 | 四月末現在の 郵便貯金 人員、金額共著しく增加 |
14 | 英佛獨三國大使 夫夫任地に歸還 |
15 | 地方長官會議(第三日) 午前は大藏所管事項 |
16 | 全軍將兵の自疆淬礪 參謀長會議て板垣陸相が口演 |
17 | 圖像:支那人移動床屋を利用する我勇士 |
18 | 文部省關係の 會議を終る |
19 | 兩次福州を爆擊 海の荒鷲二日の活躍 |
20 | 福州の動搖甚し 連日の我が空襲で |
21 | 獨、伊兩大使を招き 外相、情報を交換 |
22 | ソ聯檢事總長の監禁說 |
23 | 蒙銀辦事處を東京に開設 |
24 | 私財寄附者 表彰さる |
25 | 農林省異動 |
26 | 汕頭、潮州と揭陽をも爆擊 |
27 | 本日の天氣 |
28 | 大阪商船臺灣出帆 |
29 | 近海郵船基隆出帆 |
30 | 辰馬汽船 |
31 | 大連汽船 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 物價統制の急務と臺灣社說 一 支那事變の勃發を契機として銃後國民生活安定策として最も緊急を要すべき事は物資の圓滑なる配給と物價の調節である。物價は事變發生以來昂騰の一途を示して居る、若しも自由放任すれば我が戰時經濟の確立が圖られたいのみでなく國民生活を著しく脅すものである。卽ち戰時資材の調達の圓滑を計ると共に、外國への輸出貿易を促進して國民生活の安定を圖る事が戰時經濟對策の捷徑である。然るに物價の高騰は最も大きい障害となるのである。この見地よりして物質對策言ひ換へれば物價調節が戰時下に於いて最も緊急を要すべき對策である。その具體的對策として昭和十三年七月には物品販賣價格取締規則の制定に依つて公定價格制の登場を見た譯である。更に、その圓滑なる運用をなす為めに經濟警察機構と物價監視制度との創設に依つて强力なる物價管理時代の現出となり、戰時經濟對策の新段階に入つ□のである。これに一時物價は上昂を停滯したが、昨年末より本年に入つてから又も反騰を續けて居る。その原因は公定價格を有する商品の生產が減少して暗取引を形成した為めである。卽ち物價對策が一時的の應急策であり、その目的を達成する事が出來なかつたので、從來の物價對策では全く無力となり、その儘に放置を許さないので、物價對策を立てる為めに一步を進めて物價委員會を創設しリーダーシツプを取り、邁進する事となつたのである。 二 過去に於ける物價統制の不完全を是正し、新たに普遍恒久的對策として計畫的な性質を有して居る物價調節の前進が必要となつたのである。この對策は漸次强化された戰時物價の基本的動向を前にして我が國物價政策の果敢なる闘爭の展開を見るものである。新たなる物價政策とは八田商相が曾つて議會に於て聲明した如く、我國物價水準の全面的再形成である。卽ち適正價格の形成である。政府は之が斷行の目的を以て物價委員會の改組强化を為し、物價統制局の新設を計畫し更に總動員法第六條並に第十九條の發動をも見たのである。適正價格の形成に依つて表現される物價政策は從來の如き個個の商品價格の高騰を抑へるのでなく、全面的な物價水準の適正を期するのがその主要目的である。各商品の價格構成諸要素である原料價格、運賃、勞賃を明かにして、夫れに從つて各要素に就いて全面的な適正價格を決定せんとするものである。確かに此等の價格の構成の諸要素が明らかにされた場合には物質の合理化が期待されるものである。更に生產と需給の各部門に對して廣汎なる分析と檢討を行はねばならない。一步を進めて從來の生產配給の各過程に於ける混亂狀態を是正し、銃後國民生活の安定を圖るために極力インフレーシヨンを抑制せねばならない、これが物質統制の急務とする所である。 三 飜つて本島に於ける物價統制に對する動向から見るに、支那事變以來は各物價とも昂騰の一途を示して居り、銃後島民の生活を著しく脅威して居る。その為めに督府では內地に追隨して物價調節に乘り出す為めに經濟警察制度を創設し、適正價格の匡正に努力して居る。更に督府では物價委員會を創設し、內地と同樣に公定價格を制定する事はなつて居る。本島の物價統制は內地より著しく遲れて居るが、その實施は目下の急務である。この際當局に注意して貰ひ度い事は適正價格の形成に於ける過程である。確かに適正價格が形成された場合に於ける物價抑制の効果は從來に比較して多くを期待してよいであらう。第一に考慮せねばならないのは適正價格の標準である。卽ち適正價格の形成に於ける原料價格、運賃、勞賃の價格決定に對しても一段と考慮を拂ふべきである物價委員會に於いては原料價格から運賃と勞賃から諸稅金並に公課に對する負擔をも考慮に入れて適正價格の決定を見ねばならない。單に卸價格や小賣價格の抑制のみに依つて適正價格を決定する事は物價統制の目的を達成する事が出來ない事を警告して置くものである。 |
02 | 共濟組合と別箇に 吏員の年金制度 臺北市、立案を急ぐ |
03 | 御名代宮が台臨 日赤、愛婦兩總會 聖戰下に意義深し |
04 | 盟邦機帝都へ安着 壯擧!見事に完成 |
05 | 督府豫算成立祝賀會 臺灣商工會議所主催 ゆふべ鐵道ホテルで |
06 | 兒童體操大會 本年は宜蘭郡で |
07 | 金銀紙業者が 自肅廢業 製造も販賣も共に |
08 | 青年團を法制化 新竹州の具體案 |
09 | 娛樂設備完了 臺北興亞會館の |
10 | 本年は七星郡 國語保育園の 指導實績發表 |
11 | 御親閱式參列の 臺灣代表の行動豫定 |
12 | 臨時保正會議(基隆郡) 好成績を收めて閉幕 |
13 | 壯丁團も加へ 壯烈な攻防戰 基隆署の鍛鍊に |
14 | 定期航空 |
15 | 人事‧消息報社消息 |
16 | 總督府辭令 |
17 | 小公學校兒童武道大會 |
18 | 鈴木代議士講演會 |
19 | ときのこえ |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 砂糖の需給調整に 分割供給制を實施 けふ各社協議會で決定 |
02 | 南方國策を認識し 新市場開拓に努力 臺灣商工會議所總會に於ける 井田府商工課長訓示 |
03 | 臺北合同運送會社 創立總會開催さる 近く未加入者と交涉 |
04 | 南部地方の合同 十日頃協議せん |
05 | 朝鮮より赤糖を 十萬澹注文し來る 滿支輸出も極めて活況 |
06 | 本島の對外貿易(四月迄) 出超六千二百萬圓 輸移出共著しく躍進 |
07 | 臺灣炭格付の暫定的規格 評議員會て決る |
08 | 臺灣商工會議所 常識員會終了 日本商議加入方を可決 |
09 | 月眉工場壓搾終了 |
10 | 鑛山勞務委員會 勞働諸法令實施を打合 |
11 | 島內の郵便貯金(三月末) 三千三百餘萬圓 逐月激增の一途を迪る |
12 | 豐國興業の赤糖 滿支各地へ輸出 來期は五萬擔に增產 |
13 | 照明燈 |
14 | 市價及商況 四日 |
15 | 官鐵營業收入 四月中は好調 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 講演 アフガニスタン より歸りて/尾崎三雄 |
03 | 料理/野田千鶴子 |
04 | 圖像:明治神宮記念舞樂 |
05 | 日本短篇の躍進 正しき愛を |
06 | 大船深田監督の 心の太陽 |
07 | 趣味‧娛樂 アスパラガス栽培 十數年つづく收穫 |
08 | 新興「俠艷錄」完成 |
09 | 「愛憎の書」 水鄉潮來方面ロケ |
10 | 年中穫れる 廿日大根 ビール箱の園藝 |
11 | 海外映畫短信 |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 體位向上總動員 戰時下意義深き“端午の節句” 竹東街で假裝宣傳行列 |
02 | 健康報國 苗栗街の行事 |
03 | 白衣の勇士も眼を瞠る 勇し大猪の贈物 歸還軍夫が山の穫物 |
04 | 圖像:滿洲國鐵道愛護少年團入京 |
05 | 十萬圓を尻目に 埔鹽庄に金献熱上る |
06 | 公債消化を割當 鳳山郡經濟報國聯盟總會 |
07 | サバ豐漁 岡山郡漁民に春 |
08 | 時局下の產組經營 鳳山郡役員會で討議 |
09 | 昭和の桃太郎探し けふ優良乳兒選獎式 |
10 | 中鶯部振總會 |
11 | 岡山郡警察異動 |
12 | 大甲街雜貨商同業會總會 |
13 | 禁制の銅 黃金色の魅惑?淡水に又一件 |
14 | 臺南州下の 農務主任會議 |
15 | 孤島景勝琉球は招く 定期航路增配、日曜は二往復 |
16 | ローカルセクション |
17 | 亡國花柳病 楊梅で防止宣傳 |
18 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 國民訓練徹底の為 男女青年を總動員 臺中州報國團を組織 |
02 | 臺南郡守市尹會議 けふから開催 |
03 | 高雄州も開催 田端局長、米管案を說明 |
04 | けふ子供の日 各地優良兒を選獎 |
05 | 臺中州は八日から |
06 | 臺南鄉軍總會 |
07 | 六十五萬圓に達す 高雄州下の金買上げ |
08 | 防空標語及び 自由畫を募集 大屯郡防衛團で |
09 | 有功章を傳達 きのふ臺南愛婦總會 |
10 | 佐藤、門馬兩氏より電報 |
11 | 錻力商に鐵槌 暴利取締令違反で戒告 |
12 | 養豚飼料に 甘藷蔓栽培獎勵 臺中州畜產會乘出す |
13 | 臺南消防組 新幹部の顏處れ 組長は山本壽太郎氏 |
14 | 臺南州警察會議第二日 |
15 | 花蓮郡農事品評會表彰式 |
16 | 只松慶一の 第一回公判開く 事實を認めて悔悟の淚 |
17 | 彰化市各部振 春季總會日割 |
18 | 結核豫防デー(八日) 高雄市の催し |
19 | 彰化賣藥組合役員會 |
20 | 金賣却代金を すらる |
21 | 普通試驗の合格者發表 |
22 | 消息 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 我が軍の五月攻勢 江南でも猛進擊開始 江北新作戰に呼應して |
02 | 包圍殲滅戰を展開 李宗仁麾下敵主陣地線に殺到 |
03 | 應山西方の敗敵 今や殲滅を待つのみ |
04 | 海鷲、重慶を再空襲 デマ宣傳の中央通信社粉碎 |
05 | 壯絕!薄暮の空爆 |
06 | 羅卓英の第二次企圖 脆くも崩潰 |
07 | ア號タ艦長 田尻香港總領事を訪問 |
08 | 市內は未曾有の混亂 |
09 | 圖像:興亞國民動員中央大會 |
10 | 獨伊兩國軍事同盟 近く調印發表されん |
11 | 上海租界改革問題 帝國の態度を闡明 土地章程等の改革を提議 現地交涉の經過帝國總領事館發表 |
12 | 獨外相出發 |
13 | 國民徵用令の發動 敕令案要項の原案決定 六月中に公布施行せん |
14 | 大なる損害 十數個所に大火災起る |
15 | 破壞された 主なる建物 三日の空襲は大成功 |
16 | 獨、伊外相會議 六日コモにて行ふ |
17 | 明日の天氣 |
18 | ゲ獨逸空相 サンレモ到着 |
19 | 橋本日石社長 十萬圓を献金 |
20 | 總動員(120)/長田秀雄;夏口醇 |
21 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 海鷲汕頭を反復爆擊 全市は全く死の街 |
02 | 藤田機の弔ひ爆擊 |
03 | 戰地の皇軍將兵に 麗しい造花の贈物 全國女子青年團の美しい心盡し |
04 | 商業組合の化成肥料 製造禁止を斷行 全國地方長官に通牒 |
05 | 北京語講習會 廈門居留民會主催の |
06 | 汗の奉仕作業 北署の鍛鍊日行事 |
07 | 原油を猛噴日產卅石 出鑛坑八十九號井で |
08 | 赤ちやん選獎式 けふ島都公會堂で |
09 | 盟邦機滿洲へ 歸路は未だ確定せず |
10 | 二人斬り犯人 猴洞で逮捕 原因は舊怨から |
11 | 屑物最高價格協定打合せ會 |
12 | 育兒座談會 未來のお母さん達 |
13 | 双葉の王座搖がず 夏場所いよく迫る |
14 | 勳章傳達式 楊訓導の榮譽 |
15 | 洋裁手藝講習會終る 本社主催の報社消息 |
16 | 番附けふ發表 |
17 | 遺族子弟に 慰問金を贈る |
18 | 武田大朝特派員遺骨、無言の凱旋 |
19 | 定期航空 |
20 | 高千穗丸無電 |
21 | 人事‧消息 |
22 | 今夜の放送 |
23 | 商況 五日前場 |
24 | 今日の興行 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日本の母(113)/新述節;瀧伸二 |
02 | 家庭婦人 並大抵ではない 主婦の家庭勞働 炊事の為步く距離だけでも 平均九町廿六間です |
03 | 尋小三年生以上の 獻立のお見本(下) 新入學に際し家庭への注意 |
04 | 新鮮味を添へる ネツカチーフ 殘り布で簡單に作れる |
05 | 圖像:家庭の電器相談にサービスカー |
06 | 毛織物の 縮まぬ洗濯法 |
07 | 紙上病院 |
08 | 人工營養の牛乳 ビタミと砂糖を忘れるな 最も安價な大根汁 愛育研究所調べ |
09 | 今頃に多い眼病 結膜炎の豫防と手當法 |
10 | ネクタイの洗濯 |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新民報國語學習新聞 今日は五月五日 嬉しい端午の節句 立派な日本男兒となるやうに 心や體を鍛へませう |
02 | 圖像:捕鯨船畫報 |
03 | バルカン半島は 「世界の火藥庫」 一處即發の危機を孕む (下)戰爭か?平和か? |
04 | 今日の歷史 |
05 | 圖像:ぼくらの手で鯉のぼりをあげよう |
06 | 日本の兵隊さん 大好きです |
07 | 童話 案內鳥(下)/神戶雄一 |
08 | 熱田神宮の刀劍 國寶の外は前線に贈る |
09 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 聖上玉體益益御健か 軍人遺家族の救護に大御心 御近狀に付き、松平宮相謹話頭條新聞 【東京五日發同盟】松平宮相は五日午後六時から各地方長官を霞ケ關離宮に招き晚餐會を催ふしたが席上宮相は天皇皇后皇太后三陛下皇太子殿下を始め奉り御直宮樣方の御近狀につき左の如く謹話した 天皇陛下に於かせられましては御政務及び御軍務愈愈熾激を加へさせられ輻輳する戰況及び國際情勢を始め內政各般の奏上を聞召されて早朝より時には深更に及び給ふこともあらせられますが玉體益益御健かに渡らせられますことは誠に恐悅に堪へざる所であります 陛下には特に祭祀を重んじさせ給ひ宮中に於ける數多くの御祭典は申すに及ばず每月三回の御旬祭に至るまで寒暑を問はず御親祭御親拜あらせられ御躬ら敬神祖崇の大道を範示し給ふことは畏き極みであります出征軍人及びその遺家族の救護のことについては夙に大御心を注がせ給ひ昨年末內閣總理大臣を御前に召され軍人援護の資として優渥なる勅語と共に御內帑を下賜あらせられましたることは御承知の通りでありますが各位に於かれましてはこの有難き大御心の徹底につき篤に御配慮を願ひたいと存じます又先般は臨時東京陸軍病院に行幸の上親しく傷兵の醫療厚生の實情等を御覽あらせられ又遠く事變地に軍狀視察の為め侍從武官を御差遣に相成りその都度清酒、御紋付御煙草を陸、海軍の出動將兵に御下賜の上御慰問あらせられましたことは支那事變發生以來十二回の多きに及んでゐる次第でありまして聖慮の程唯唯感激する所であります。 皇后陛下に於かせられましては御慶事の御經過極めて順當にあらせられ昨今は宮城內に於かせられては殆んど御平常と變らせ給はぬ由に承ります 陛下が御自ら繃帶を卷かせ給ひ或は傷痍軍人を御慰問あらせられます等の數數の御仁慈につきましては屢屢申述べた所でありますが今般は又結核が國民の健康を損ひ國力の消長にも至大の影響を及ぼすことを御憂慮あらせられて有難度き令旨と共に結核豫防事業の資として御內帑金を賜はつたのであります尚この事業に對しては今後に於いても御獎勵あらせられます 思召の樣に拜しますことは誠に有難度き次第であります皇太后陛下に於かせられましては御機嫌御麗はしく渡らせられ引續き出征軍人の遺家族に對し又傷痍軍人に對し深き御仁慈を垂れさせ給ひますが先般は財團法人同仁會が遠く事變地に診療防疫班を送り支那民眾の救護に成績を擧げつつある趣を聞召され昨年末御手許金一封を賜はつて事業に盡瘁せる人人の勞を犒ひ賜ひましたことは感激に堪へぬ次第であります皇太子殿下に於かせられましては其後御心身の御發育極めて御良好にあらせられ明年は旣に御學齡に達せられ學習院に御入學に相成ますので御準備の為め一昨年末より引續き一週二回位幼稚園兒を御相手として東宮假御所に召されて御活潑に御心身を御鍛鍊あらせられ天津日嗣の皇子としての御敎養を受けさせられつつあらせられます 義宮殿下には近來益益御健康に渡らせらるる御模樣に拜します、又照宮、孝宮、順宮の三內親王殿下には御揃ひにて吳竹寮に住はせ給ひ照宮殿下には女子學習院本科中期第四學年に御在學御健かに御通學あらせられ孝宮、順宮兩殿下には夫夫前期第四學年及び第三學年に御在學あらせられますが御風氣後の御養生の為め目下沼津御用邸に御轉地中でありまして近く御歸還のことと拜します尚先般御誕生の清宮殿下には何の御障りもなく極めて御順調に御發育あらせられますかく竹の園生の御繁榮を拜しますことは限りなき喜びでありまして各位と共に衷心皇室の彌榮を祈念し奉つて已まぬ次第であります |
02 | 玉山、吉安を襲擊 神門口の戎克群を粉碎 |
03 | 圖像:陵水入城の我○○部隊勇士 |
04 | 南昌戰に於ける 敵敗將處分さる |
05 | チ國公使に 勳章を御贈與 |
06 | 米國輿論の動向 (上)中立法審議の跡 |
07 | 定例五相會議 |
08 | バルヂツク三國 中立ブロツク形成 獨との双務協定交涉進む |
09 | 米海軍豫算總額 七億七千餘萬弗 下院豫算委員會で可決 |
10 | 新開線開通式を擧行 北支の環狀ルート完成 |
11 | 海南島西部の都市 那大市を占領 末次部隊敵を擊破 |
12 | 英、米軍需原料 交換交涉を開始 英首相、下院で發表 |
13 | 滿洲自動車會社 十日に創立總會 |
14 | 參謀長會議第四日 |
15 | 定例閣議 |
16 | 地方長官會議第四日 |
17 | 農林次官發令 |
18 | 本日の天氣 |
19 | 大阪商船臺灣出帆 |
20 | 近海郵船基隆出帆 |
21 | 辰馬汽船 |
22 | 大連汽船 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 小作法規の 制定に就て社說 一 總督府では現在本島西部地方に於て行はれてゐる小作改善事業を東部地方にも實施すべく、愈よ本月中旬から東部地方に於ける小作慣行調查を本格的に開始することとなつた。同時に之が指導陣强化擴充のため、昭和十四年豫算に府農務課に小作官一、小作官補二、雇三、各州に小作官一、小作官補一、雇二、各廳に小作官補一、雇一名を夫夫配置し、更に一步を進めて現行の業佃會に關する規則を法制化するか、若くは小作調停法を施行するか、目下農務課に於て小作規定につき種種研究が進められてゐると傳へられてゐる愈よ本年十一月一日より米穀管理案が實施され、本島に於ける小作關係についても相當變化を來たすべく、これが對策を講ずることは當然な措置である。 二 米管案實施の結果、本島農村の直接受ける影響は、米一石につき二圓低下することによる收入減である。從つて石二圓の收入減を繞り、業佃が互にその損失を少からしめる關係上、收穫物分配を中心に摩擦相剋を起すことは豫測に難くない。又石二圓の收入減は、直接甲當りの增收によつてこれを補ふより他なく、これがためには從來よりも更に土地改良、施肥問題等經營がより合理化され高度化することは勿論、又これは本島農業の辿るべき道程でなければならぬ。その結果小作人に從來に比し、より多くの勞力を拂ふべく從來に於ける收穫分配率にも改善が行はれなければならない。又一方田作は小作料に對する保認金として一甲につき、五十圓から百圓乃至二百圓の磧地金問題も、米管案實施を機にして小作料問題と共に調整されるべき重大な問題でなければならぬ。 三 從來の小作慣行による小作料率は、普通五割乃至五割五分であるが、高きは六割、七割に上つてゐる地方もある。卽ち地主、小作人の分配が半半、又は六・四、七・三、の割合となり高率を示してゐる。以上小作料、磧地金其の他小作に關する諸條件は從來業佃の自由契約によつて結ばれ、何等法規上のものではなく小作人にとつて不利が多く不安定であり、これが改善を要することは本島全人口の七割を占めてゐる農民大眾の生活に安定性を持たせるばかりでなく、又本島農業政策の核心でなければならぬ。卽ち現行の自由契約を制限して小作條件を確立させ、或る程度まで小作人に對して合理的な經營を保障することは、緊要と云はねばならぬがこれが改正には。臺灣の現狀、特殊事情を考慮すべきは勿論漸を逐ふて改正すべきである。 |
02 | 商工業者を網羅して 經濟警察協議會組織 臺北州の統制鐵壁陣 |
03 | 真茹無電臺復興 昨日上海で竣工式擧行 大和田遞信次官からメツセージ |
04 | 臺北州社會教育事務打合 |
05 | 宮城を遙拜して 各官衙を訪問 空の友ガブレンツ男一行 |
06 | 出征軍人遺家族兒童に 慰安品を贈呈 宜蘭の乳幼兒選獎 |
07 | 女教員大會に 臺灣から代表派遣 |
08 | 可愛い拍手送つて 豆部隊が大喜び 昨日の軍樂隊演奏 |
09 | 八十三名を表彰 基隆の子供デー |
10 | 譽れの“優良な母” 羅東郡第一回の選獎 |
11 | 優良品種を 一般農家に獎勵 新竹州米の聲價高揚 |
12 | 大日本青年團兩幹部來臺 |
13 | 圖像:入京したガブレンツ機 |
14 | 興亞展中に 庭球大會開催 |
15 | 暴利に鐵槌! 貪つた吳服商ら六名を 嚴重な戒告處分 |
16 | 內地教育視察團を派遣 |
17 | 少年劍道大會 昨日樺山小で開かる |
18 | 故曾根原氏告別式 十四日高雄で |
19 | 正金羅府支店に 四人組のギヤング 七千八百弗を強奪逃走 |
20 | 新宮町に流腦 けふ豫防注射 |
21 | 陸軍病院に慰問金 本社から夫夫贈呈報社消息 |
22 | 鷄とダイナマイト |
23 | 海軍主計士官に 三選手が合格 山岸、風間、屬三君が |
24 | 本島人青年が 相撲入り 臺北市の卓詒約君 |
25 | 星製藥の臺灣 チエーン大會 |
26 | 島都の名物 高校の記念祭復活 十三日から開始 |
27 | 總督府辭令 |
28 | 定期航空 |
29 | 人事‧消息報社消息 |
30 | ときのこえ |
31 | 訃文:呂桶 |
32 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新式製糖の產糖高 二千萬擔を突破 五月中に壓搾終了せん |
02 | 綜合的物價對策で 新段階に對處す 平沼首相談話を發表 |
03 | 小林總督の經綸 豫算面で具體化 臺灣商工會招待會の 木村副會頭挨拶 |
04 | 物價統制の新段階(上) 統制目標と實行方法 |
05 | 新茶愈よ出廻る 包種茶は斷然優勢 相場昨年より三五圓高 |
06 | 國內供給調整と 砂糖の對外輸出 灣糖增と國內需給 |
07 | 東臺灣電力の 株式割當決定 下旬頃東京で創立總會 |
08 | 叺使用の運賃問題 近く懇談會を開催 船會社讓步で解決せん |
09 | 月眉工場製糖終了 |
10 | 砂糖の船積 依然不足の傾向 四月中移出二百卅萬擔 |
11 | 移出一巡し 島內米稍稍反騰 |
12 | 鹽糖岸內工場 豫想より減產 |
13 | 高雄の滯糖は 減少の見込薄し |
14 | 明糖總爺工場 壓搾既に終る |
15 | 照明燈 |
16 | 市價及商況 五日 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 講演 アメリカより歸りて/黑田清 |
03 | 料理/野田千鶴子 |
04 | 子供の時間 お話と音樂 |
05 | 寄席中繼 |
06 | 講演 榮養の改善/廣畑龍造 |
07 | 回教を語る |
08 | 圖像:「日本の歷史」完成に印度から老學者來朝 |
09 | 圖像:早、立二回戰 |
10 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 高雄州台灣バナナ產業特輯号 圃場制度制定以來 品質色澤頓に向上 光と熱に惠まれた高雄州下は バナナ栽培の最大適地特輯 高雄州下に於けるバナナ產業は其の光と熱に惠まれた氣候と地味肥沃な平原の天惠にもよるが今日の如き隆盛を見るに至つたのは高雄州青果同業組合當事者の並々ならぬ努力に負ふ處が多い。常組合は大正十三年高雄州青果同業組合として設立され七ヶ所の市場を經營して青果物一切を取扱つたが同十五年改組してバナナの共同出荷を行ひ高雄州青果同業組合と改稱したが越えて昭和八年十一月に至り更に改組してバナナ生產者のみの組合とした。高雄州下に於けるバナナの栽培は集約栽培により単位面積よりの收穫量大なるを以て特色とするが組合では圃場檢查出張檢查承認取扱規程を設けて檢查を嚴にすると共に圃場主の責任出荷を強調して來た結果近年に至つて取引先の信用がいよいよ加はつて來た。當組合では各マークの信用を高める為昭和十四年マークの統一を圖り茲にマークの改正を行ったので本紙はこの機會に內外地各バナナ取扱先は勿論全バナナ消費者の認識を深める為にバナナ座談會を開催し興亞の春、長期建設下に於けるバナナ產業の重要性を一般に紹介したが更に一步進んで高雄州下に於ける各マーク及びバナナ栽培者を紹介することとした。尚ほ同組合の役員の氏名左の如し。 組合長 江藤昌之 當任副組長 淺野安吉 副組長 蕭恩鄉 主事 川口長助 同 宮本繁造 顧問 櫻井芳之助 同 韓哲卿 評議員代議員高橋善二郎、同齋藤善次郎、同橋本安博、同吳見草、評議員代議員柯文起、同劉棟、同林綿順、同吳周騫、同邱潤寬、同龔天降、同林保郎、同李才祉、同林德玉、同林廉、同比良金之助、同洪約白、同阮朝倫、同鄭如南、同陳寄生 代議員陳萬興、陳清風、張簡忠、邱媽蔭、簡義、陳清己、吳靜、古桂來、陳金豹、張土錐、呂誅、周伋、李讚治、鍾潤生、李清輝、邱新榮、黃福連、陳杞郎、立野圓治、陳總鎮、藍家鼎、李新松、李徳郎、謝丁榮、陳龍生、鐘啓蒸、吳振豐、劉安紅、鍾清華、林富崙、蔡丁貢、林水順、羅上、洪吸、戴阿丙、謝順利、林清溪、李嘴、林丁 |
02 | 大寮庄潮州寮一〇九 甲 吳天喜氏特輯 公明正大、積德をモツトーとする篤農家吳天喜氏は明治卅八年の生れにして、永く雜貨商を營み、昭和十二年五月業をバナナ栽培に轉じて大なる活躍をなしこれに依つて巨萬の財產を築き上げたが本年より更にバナナー萬餘本を增植して大々的に青果の發達に力を注いでゐる。二面良く青果組合と連絡を取り本部の說明書に基いて栽培してゐるため、バナナの品質等夙に優良品として好評を博してゐる。昨年の出荷数は三千餘籠で郡下屈指の大生產者である。一方氏に對する地方民の信頼も一方ならず凡ゆる方面の公職をも帶びてをり地方のため奮闘しつつある |
03 | 福 簡才旺氏特輯 簡才旺氏は三二歲の壯年農業家で性敏捷にして從來蔗作に從事して來たが昭和十三年よりバナナ栽培を試み初め六千餘本を植え、成績頗る良好なるを以て今年更に六千餘本を增植する事となり、將來の發展は大いに刮目して待つべきものがある。 |
04 | 大寮庄赤崁七七五 辰 張簡振樂氏特輯 辰のマークで出荷してゐる張簡振樂氏は今年四二歲の堅實家で米商を經營してるが昭和十一年より芭蕉約四百本を栽培し昭和十二年更に一千二百本、昭和十三年より大々的に五千餘本を栽培、本格的にバナナ栽培に進出今年新しく辰のマークを設けたが日夜斯業の発展に向つて邁進しつつある。 |
05 | 大寮庄潮州寮一〇九 甚 吳甚氏特輯 吳甚氏は明治卅八年の生れ農業經營の老練家で漸次財產を築き上げつつあり、氏は昭和十二年よりバナナ界に進出して同年は二千餘本、昭和十三年から更に三千餘本を增植し今年は五千餘本のバナナが甚のマークを以て內外地各方面に捌かれる事になつてゐる。氏は爾來青果に關心を持ち其の趣味と體驗とに依つてバナナの品質改善、出荷の整備に至る迄細心の注意を拂つてゐる為め內外地各仲買人の信用を博するやうになった。氏は每年一回約一ヶ月間內地の販路狀況を視察し少からず臺灣バナナ界に貢献してゐる篤志家である |
06 | 大寮庄潮州寮一〇一六 宏 陳鼻氏特輯 陳鼻氏は昭和十三年四月よりバナナ栽培に手を染め最初の試みとして八千餘本を植え、爾來惠まれた天職として專ら斯業に精勵し肥培に品質改善に包裝に細心の注意を拂つてゐる為め今では「宏」マークに對する內外地の信用淺からざるものがある。氏は今年より更に增植する意氣込みでをり將來の發展は大に期して待つべきものがある。 |
07 | 大樹庄溪埔五六八 仕 吳泰山氏特輯 地方唯一の篤農家吳泰山氏は質溫厚、今年四三歲の働き盛りで地方民から少からず敬慕されてゐる。氏は昭和十二年青果界に進出克くバチ、栽培に力を注ぎ品質の改善出荷の完備は言ふ迄もなく今では完全に內外地に聲價を舉げてゐる。氏の出荷は昭和十三年度一千七百餘籠にして漸次增加の一途を辿り今年も四千餘本を增植して一萬三千餘本となったのである。尚ほ來年度はもう一マークを增設する豫定であるがバナナに對する一層の進展を計るべく內地の販路狀況を每年一回視察することになつてゐる。氏は又田畑三十餘甲步を所有している財產家で今後は段々發展の可能性を有してゐるといはれてゐる。 |
08 | 大樹庄姑婆寮二一一 島 黃陞階氏特輯 新進有為の南國農場經營者黃陞階氏は大正三年の生れ屏東農業補修學校農科を卒業後永らく大甲郡役所に勤務、同所辭退の後昭和十二年五月より姑婆寮に於いて南國農場を経營しバナナの栽培に心力を注いでるので將來の發展を約束されている。 |
09 | 大樹庄大樹四八 化 謝弄氏特輯 永年の經驗を有するバナナの栽培王、謝弄氏は明治十四年の生れ溫厚篤實の篤農家で昭和八年よりバナナ栽培に着手其の間の苦心は報いられ年を重ねると共に發展し、昭和十年より「化」のマークで各方面に出荷し大に信用を博してゐる。昨年出荷數は三千四百餘籠で郡下唯一の多量生產者である。又氏の自信あるバナナ栽培法はメキメキとその効果現はれたるのみならず、今年の收入全部を植替並新植の費用に充てる等其の熱心振りを物語るものがある。 |
10 | 大寮庄赤崁八四一 赤 張簡砂氏特輯 張簡砂氏は從來祖父の田畑を繼承して自營してをつたが昭和十三年四月よりバナナ栽培にも手を延ばし所有の田畑に一萬三千餘本を栽培し、大々的にバナナの進展に心血を注いでゐる。今年より鳳山檢查所に於て「赤のマークを以て出荷する事となつたが將來の發展を期待されてゐる。 |
11 | 大寮庄潮州寮一〇九 亘旺 吳騰氏特輯 バナナ栽培の成功者として知られてゐる吳騰氏は明治卅九年の生れ、性篤實にして專ら本業に精勵してをり、年を重ねるにつれ栽培本數を增加し今年から更に一マークを增設する事となり即ち「亘」「旺」の二マークの出荷は出荷期を漏さず盛んに內外地へ向つて聲價を擧げてゐる今年より更に五千餘本を增植し大々的にバナナ栽培に邁進しつつある |
12 | 大樹庄姑婆寮二二九 牡 莊明得氏特輯 青果栽培に趣味を持つてゐる莊明得氏は大正二年の生れ性溫厚にして兄弟舉つて鳳梨栽培に精進して來たが昨年五月より更にバナナ栽培にも手を伸し一路邁進しつつあり、今年より「牡のマークで各方面に出荷し好評叱嘖々たるものがある。 |
13 | 大寮庄赤崁八一五 出 傅吉氏特輯 堆肥を利用してバナナの品質改良に精進した傅吉氏は今年四〇歲の壯年者でバナナ栽培前臺中州方面の栽培狀況を視察の後昭和十三年三月より六千餘本を植え爾來專ら斯業に没頭してゐるが永年間の經驗者と何等のかはりなく良好なる結果を得つつあり、今年より「出」のマークを以て內地に出荷し大に聲價を舉げてゐる。 |
14 | 大樹庄溪埔六〇八 交 洪在情氏特輯 發祥地溪埔に於いて成功した屏東郡長興庄の洪在情氏は今年四五歲の働き盛りで當初溪埔に於いて米商を營み、昭和十一年より青果界に進出六千餘本のバナナを栽培し、年を重ねると共に增植し爾來漸次財產を築き上げつつあり現在「交」のマークが內地外に響いてゐるのは故なきにあらずである。氏は又經營に極めて忠實で益々發展の一途を辿つつある。 |
15 | 大寮庄赤崁七一八 申 張簡忠信氏特輯 張簡忠信氏は大正五年の出生、性質溫純にして學校卒業後父親と共に農業に從事してをつたが昭和抬年より最初の試みとして五〇〇本のバナナを栽培し昭和十一年七〇〇本十三年より更に五千本本年より二千餘本を增植して圃場設置を申請中の處昭和十四年より許可され「申」のマークを設けて出荷する事となった氏は各方面の栽培狀況を視察して研究に資したので昭和十二年度の暴風の被害の時にも落膽せず一途に邁進するので將來の成功を約束されてゐる。 |
16 | 大寮庄潮州寮九三 丸 邱媽蔭氏特輯 郡下に於けるバナナ栽培の先覺者として知られてゐる氏は明治三二年の生れ性質勤勉にして一からの信頼も厚く昭和十一年九月より青果同業組合代議員に選ばれて献身的にバナナ界に貢献をなしてゐる。氏は昭和九年新興製糖株式會社原料係を辭退バナナ界に身を投じ二千餘本のみを栽培し其の後漸次增植をなし現在では一萬本近くに上ってゐる。今年より鳳山檢查管內で「丸」のマークを設け出荷する事となったが從來の出檢代表「汐」のマークの出荷も各方面から頗る好評を博している。 |
17 | 大寮庄赤崁八一三 晃 張簡淦氏特輯 バナナ栽培の先導者で漸次發展しつつある張簡淦氏は今年四三才、青年を凌ぐ程壯健なる身體の持主である。昭和八年より七千餘本を栽培し今年は一萬四千餘本增植したので今年より大寮信用組合常務理事を辭退し本格的に本業に力を入れることとなつた。バナナに適切なる肥料を購入れバナナ風味の改良にその蘊蓄を傾けてるので大に消費者の滿足を贏ちつつあると云はれてゐる。 |
18 | 大寮庄新庄子一三四 祥 簡清守氏特輯 簡清守氏は今年三三歲の有為なる青年で從來父親から繼承した。田畑耕作を業として營んで來たが昨年よりバナナ界に進出、七千餘本を栽培し、爾來精勵恪勤心身を惜ます努力してるので將來の發展を大いに期待されてゐる。 |
19 | 大寮庄潮州寮一一三 云 簡媽云氏特輯 簡媽氏は今年五二才の忠實な篤農家でバナナ栽培も趣味を持ち、昭和十三年より五千餘本を栽培し、其の成績良好なる為更に增植する意氣込みで大いに斯業に力を入れてゐる。「云」のマークは今年より使用出荷する事となつた常に包裝の完備に意を用ゐて居るので將來の發展は期して待つべきものがある。 |
20 | 大寮庄潮州寮一三四九 〇丙 蔡炳登氏特輯 篤農家蔡炳登氏は明治卅一年の生れ、性剛直にして有為の農業成功者であり、且つ精力絕倫、地方民から敬慕されてゐる、昭和十年バナナ栽培に手を染め當初五千餘本を植え、漸次增植して今では一萬六千餘本に達し、昨年の出荷數は實に五千籠に上つてゐる大生產者である。氏は信用をモットーとしバナナの品質に付いては改良を重ねてゐる為、內外地市場に於いて少からず好評を博しつつあるが、氏はこれに尚ほ滿足せず每年一回內地の狀況を視察し、以てバナナ產業の改善に資してゐる等頗る熱心なるものがある。 |
21 | その出荷は 多大の歡迎を受く S 熱心な洪文發氏特輯 洪文氏は旗山が生んだ紳士にして圓滿な人格者として社會各界の人士より好感を以つて迎へられ旗山バナナ界に此人ありと誇り得る人物である。 幼より內地に遊學し後歸臺昭和八年よりバナナ界に身を投じ常に研究的態度を以つて栽培に從事せる結果氏の持つ「洪」のマークは各消費先に於いて歡迎せらるるも客年高雄州下マークの整理の際同マークを他に讓り自分は新マーク「S」に依り「S」の聲價を高めるべく品質、外觀共周到なる注意を拂ひつつあり。同マークが市場に於ける花形となるのも遠くないであらう。尚氏は本年はバナナ界の趨勢に呼應し增產を決心し、目下新圃場の計畫をして居る。同氏の今後の活動は見るべきものがある。【寫真洪文發氏】 |
22 | 大寮庄潮州寮一三四五 体 謝和尚氏特輯 謝和尚氏は今年卅九歲の壯者で昭和十二年よりバナナ栽培に手を伸ばし最初五千餘本を植え、年を重ねるにつれて增植をなし栽培に肥培に將又品質改良に研鑽怠らざりしため今では大に內外地の信用を博している。 |
23 | 大樹庄姑婆寮五八五 魚 蘇天玉氏特輯 地方の有力者蘇天玉氏は今年五三歲なれども鑠として壯者を凌ぐ程で良く一家を整頓し地方民の模範たり。氏は昭和十二年より滋養に富んでゐるバナナの栽培に趣味を持ち最初六千餘本を植えその苦心の結果は報ひられて內外地に於いて漸次聲價が高まりそれにつれて漸次增植をなしたので巨萬の財產を築き上げつつあり、氏はこれに滿足せず出荷に對しては一層鄭重に品質改良に封しては極力心を用ゐてゐるので、その將來は洋々たるものがある。 |
24 | 大寮庄赤崁七九八 仙谷 黃清連氏特輯 黃清連氏は三十九才の働き盛で地方民の信頼厚く凡ゆる公職を帶びてをり頗る多忙の身である氏は青果界に趣味を持ち、昭和十一年四月よりバナナ五千餘本を栽培し、爾來斯業の發達に心血を注いでゐるが同十二年より漸次增植し現在正に二萬餘本を算する樣になつた。氏は性質溫和にして暇ある每に地方民を指導しバナナの發展に貢献してゐる。昨年の出荷敷は三千五百餘籠で金額一萬三百餘圓に上つてをり郡下屈指の大生產者である。 |
25 | 大樹庄溪埔五五七 丁 吳考氏特輯 吳孝氏は性質真摯にして且つぶバナナ栽培に對し永年の経験あり地方民の信頼も淺からず、幾多の公職を帶びて地方の為努力しつつあり昭和十三年よりバナナ五千餘を增植し、今年より出荷マーク『丁』を設け堂々と內外地に出してをり、価格も他に劣らぬ成績を示してゐる。 |
26 | 旗山郡旗山街溪州九〇四 良 郭丁丑氏特輯 バナナ出荷優良マーク「良」は郭丁丑氏の使用せるもので昨年より內外地に於いて好評を博しつつある。氏はバナナ專業で良くバナナの品質改良前出荷の完備に意を注いでゐるのでその好評たるや、決して偶然ではない。氏は昭和十二年溪埔に來て七千餘本を栽培し、十三年より更に五千本、今年より六千餘本の增植をなし大々的にバナナ栽培に力を入れてをり、昨年の出荷數も二千五百餘籠を出し且つ最高價格を嬴ち得てゐるといふ。 |
27 | 大寮庄潮州寮七三 堂 孫文魁氏特輯 バナナ栽培に永年の經驗を有する孫文魁氏は今年廿七歲の青年で昭和十三年より大いに擴張して五千餘本を植え今年から「堂」マークを設けて堂々と出荷してゐる。氏は性活潑でバナナの品質改良に對してよく意を用いてゐるので將來の發展は刮目して俟つべきものがある。 |
28 | 旗山郡旗山街溪州五六七 郭 郭算氏特輯 永年バナナ栽培の為め一財產を築き上げた郭算氏は今年四五藏の働き盛りで昭和十二年本格的にバナナを栽培すべく大樹庄に來て土地を選定當初六千餘本を植え、昨年更に三甲餘りの土地を買收して栽培し其の經驗ある腕前に依つてメキメキ進展する一方で、その「郭」のマークの出荷は各方面の歡迎を受けてゐるので今年又一甲餘りの土地を買收すると共に增植をなした。氏は性質溫順にして仕事に熱ありその發展は實に素晴しいものがある。 |
29 | 崇高なる人格は 生產品にも反映 尙 溪州の周伋氏特輯 永年學校教育に盡瘁し人生の大部分を育英事業に捧げ、數多くの功績を残して實業界に身を轉じた氏は臺灣特產バナナの栽培事業に着手し、尚のマークの下に內地其他へ出荷して來たが氏の人格は生產品にも反映し、期せずして好評を博し荷受地より多大の信用受けつつあり。又氏は公事に對しても骨身惜しまず臺灣青果聯合會代議員、高雄州青果同業組合代議員、旗山街協議會員、旗山信用組合理事、溪州農事實行組合長、溪州衛生組長等幾多の要職を帶び、東奔西走席の溫まる暇もなく本年四月上旬より內地各バナナ仕向地へ視察旅行中で幾多の改善すべき點を摑み、バナナ界に多大なる貢献あるべきを盛んに期待されてゐる。 |
30 | 實際的栽培者 北勢の柯寶霧氏特輯 圃場主柯寶霧氏は着實なバナナの實際的栽培者にして大正十三年以來斯業に身を投じ昭和十年に至り一段と力を打込み旗山地方の大生產者の列に加はり着々と成績を擧げつつあり、目下同地方の農事實行組合長の要職にあり同組合に於いても臺灣特產バナナの生產に乘出し「力」のマークのもとに優良なるバナナを送り出しつつあり |
31 | 大樹庄溪埔一〇二三 伍 吳瑞榮氏特輯 青果栽培に趣味を持つ吳瑞榮氏は今年廿七歲、正に春秋に富んでゐる前途有為の青年で永年西瓜の栽培をなしてきたが昨年よりバナナ栽培にも手を出し當初六千餘本を植え、今年『伍』のマークで出荷する事となつた。今年より更に三千餘本を增植し大大的にバナナ栽培に没頭してゐるので將來の成功は量り知るべからざるものがある。 |
32 | 齒科醫學士樣の 百姓さん 旗山の吳阿其氏 弓 旗山街旗山三三六 圃場主吳阿其氏特輯 日本歯科醫學士の肩書を持ち學士樣の百姓さんとして有名な吳阿其氏は目下旗山に於いて開業してゐる。 氏は醫業に熱心であると共にバナナの栽培にも興味を覺え、熱心研究の結果良果を得るに至り氏の「弓」マークのバナナは各消費市場に於いて歓迎されて居る。 氏は本年は益々斯業の為盡力すべく增產を計畫し續々植付をして居るが前途益々飛躍を續けることであらう。 |
33 | 旗山郡美濃庄中坛四二四 身 林恩貴氏特輯 氏は大正二年三月臺灣總督府國語學校を卒業した秀才にして教育界にて人格を磨き上げ後美濃信用組合に入り間もなく抜擢されて美濃庄會計役に就任、爾來庄治に勉勵してその手腕を認められ杉林庄助役に昇進、昭和三年美濃庄助役に轉じ同六年美濃庄長に榮進庄治の為に寝食を忘れ庄民より慈父と仰がれるに至つた。氏は又美濃信販購利組合理事をも兼ね地方產業の發達に付常に研究を進め、殊にバナナの如きは自ら代表者となり品質の向上、栽培法の改善に付地方農民を指導し獎勵に務めた結果一時下火になつたバナナは再び猛烈な活動を開始し、現在圃場數僅かに十數個所であるが來年は四十個所に達する見込にして目下新檢查所設置の為力を惜しまず努力を續けて居る |
34 | 旗山街旗尾二七一 通 王柳木氏特輯 マーク「三」を以つてよく知られて居た王柳木氏は昨年マーク改新と共にマーク「通」を選定し新栽培法を取入れ施肥、排水等には常に意を用ひ就中施肥に於いては當局者の指導する儘に肥料を惜しげ無く行つた為最近の如きは見違へる樣な優良果を產出するに至つた。出荷に際しては選別するに當り特に圃場主自ら職工を督勵し特に意を用ひ極力マークの信用を高めるべく努力を避けつつあり。 氏はバナナ界に於いては十數年來の實際經營に當れる體驗者であるし、その上新方法を取り入れ常に栽培法に力を致したる為著々聲價を高めつつあり。 氏は更に新販路の擴張に呼應し來年は圃場を一箇所增設する豫定にして其前途は實に洋々たるものがある。 |
35 | 旗山街旗山二二八 正开 洪武發氏 電一二〇番特輯 圃場主洪武發氏は旗山に於ける屈指の資產家にしてバナナには經驗深く數多く栽培し大生產者である。 氏の正及び开マークは永年の體験と品質本位の出荷は期せずして好評を博して居る。殊に昨年マーク整理以前の和マークは廣く知られて居り本年より开に改め優良なる果實を內地其他に輸出しつつあり。 |
36 | 旗山街旗山五三〇 天 李天明氏特輯 天のマークを以つて廣く知られる李天明氏は旗山街に於ける篤農家にしてバナナばかりでなく甘蔗に於いても大生產者の一人でその經濟的手腕は一般より奇異の眼を以つて見られて居る。バナナ界への出發は仲買人に始まり經驗すること數年に及び昭和九年栽培に手を染め漸次研究を進め、一步々々と健實なる步みを進め確信を得て數年前より全力を舉げバナナ界に全生命を打込み今日の隆盛に及んだ。 氏の石橋を叩いて渡る性格は栽せるバナナにも反映して品質も良く滋養、美味を以つて好評を博し、常に水準線以上の價格を得て居る點は氏の最も強みとする所である。 氏は紀元二千六百年を期し增產すべく計畫を進めて居るが、躍進上にある氏の今後の活躍は大いに刮目に値するものがあるであらう。 |
37 | 廣告特輯 |
序號 | 標題 |
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01 | 滋養豐富のバナナ 年產廿萬籠を突破 旗山郡バナナ界の展望特輯 旗山郡は高雄州の東北隅に位し東、北、西三面は山岳を以つて圍まれ僅かに南方のみ開け產業としてはバナナ、米、甘蔗であるが就中バナナの生產は地味肥沃、水利に便なる上更に地形的に季節風の影響なく、暴風の被害を受ける事殆んど稀にして州下バナナ栽培地として最適と云ふべく之が生產は非常なる勢を以つて進み州下全生產量の三分の一を占めるに至つた。 當郡下の生產者の大部分は圃場經營の篤農家にして事業者多く肥培管理には頗る熱心にしてその精勵振りは全く賞讃すべきで春バナナを集中生產する點は絕對所の追隨を許さないのである。 郡下に於ける主要生產地を細別せば旗山、溪州、旗尾、美濃、吉祥、手巾寮、圓潭子、杉林庄、內門庄にしてこれらは殆ど美田を惜しげもなく蕉園にあて、旗山第一檢查所及第二檢查所指導のもとに栽培、管理、出荷をなして居る。 旗山第一檢查所は大正十三年七月廿六日旗山郡一圓の生產者の福利增進の為旗山街旗山に設置され桐田幸易氏第一代主任に就任しその間六代を經て現主任橋口敏雄氏に至つたのである。 現主任橋口敏雄氏は鹿児島の生れ大正二年圖南の志押へ難く渡臺し、一時學校教員として教育界に足蹟を印したが後安平稅關監吏となり大正十年臺中州屬を拝命稅務課に勤務すること久しく昭和八年彰化市政施行せらるるに及び彰化市稅務課長に抜擢され昭和十年の春官を辭し高雄州青果同業組合に入り屏東檢查所に勤務す。昭和十一年正月本部勤務を命ぜられ翌年九月潮州、萬巒檢查所主任に昇進愈々氏の力量表はれ、勤務すること一年餘にして本年二月旗山第一檢查所主任に選ばれた。氏は斯業に對し極めて熱心にして常に研究を惜しまず、旗山に着任して日向淺しと雖も管內の狀況に詳しく生產者と極めて折合よくその手腕を期待されて居る次席陳振賢氏は高雄州バナナ界の生字引と稱されよく新主任を補佐生產者の人望を一身に集めて居る。氏は高雄州鳳山の生れにして大正十二年今の臺中商業の前身たる實業學校に業畢へ暫く鳳山公學校五甲分教場に勤務し、やがて實業界に雄飛すべく大正十三年八月臺灣特產バナナの仲買事業に進出し相當經驗を積み、大正十五年仲買事業を止めて青果同業組合に務め、昭和四年鳳山檢查所主任に選ばれ鳳山檢查所に勤務すること八年に及び昭和十二年區內バナナ生產者に惜まれて旗山第一檢查所に轉任し今日に至る。氏こそ高雄州バナナ界の古き權威者であり功勞者である。 第一檢查所管內に於ける最近の生產狀態をあげれば 昭和九年一七三、七八四籠 同十年一八一、九六一籠 同十一年一八一、四五七籠 同十二年二六六、九七八籠 同十三年二一二、一七六籠 同十四年二三〇、〇〇〇籠(豫想) にして數字の示せる如く逐年增加しつつあり、同檢查所では來る昭和十五年の皇紀二千六百年祭を機としバナナ報國の一大念願のもとに大增產を計畫努力中にして其見當約五割增にして三十四籠の豫定である。 同檢查所は旗山郡下が大部分山地なるにより山手バナナの栽培につき銳意研究中であるが現在は約五十甲なるもこれが成功の秋は旗山郡民の裨益する事亦大なりと云ふべし。 目下同檢查所管內の圃場數を舉げれば本檢一、出張十一にして全圃場の三割を占め、殘七割は個人經營の篤農家にして向後共專業者大生產者盆々增加する一方にして益々躍進の一路を辿つてゐる。 旗山第二檢查所は旗山街溪州に位し、昭和四年旗山第一檢查所より分割獨立を見たもので歷史まだに淺しと雖も、現主任高梨氏及び永石次席以下職員熱心にして一致協力地方の為全力を擧げつつあり、生產も逐年增加し十三年の如きは栽培面積六一三甲株數九八一、〇〇〇株、籠數二三二、〇〇〇籠を產出し、本檢外出張十七個所篤農家個人經營圃場三十九個所を擁した大世帶となつた。兩檢查所に於ける主なる仕向地としては內地では東京橫濱、神戶、大阪、京都、名古屋、門司、下關、金澤、遠く函舘、小樽迄積出し、朝鮮方面は釜山、京城、平壤に、關東州では大連に移出し、滿洲國の新京奉天、安東、中華民國へは青島上海、天津、厦門に向けて輸出し、各地に於いて品質優良、滋養美味なる點に於て賞讚されて居る。 近時道路協會の活動に伴ひ各保甲の協力を得て郡下の產業道路著しく發達し、バナナ運搬上荷傷み少く、從來の如く各消費地に於て最も忌避される擦過傷も全く救濟され、其上從來殆んど交通便利の市街地の近傍に限られたバナナの栽培も郡下到る處皆可能となり、年を逐ふて產額益々增加しつつあり。美濃庄の如きは既に檢查所設置の必要を感ずる域に達し、今迄交通不便の為殆んど栽培不能と云はれた杉林庄や內門庄の處女地にも次々とバナナ畠が殖え今や郡下全體物凄い力を以つてバナナ大生產地としての躍進を續けて居る殊に旗山郡は產業組合の發達目覺しく各生產者との連絡緊密にして資金の融通、肥料の購買等に力を致し、概ね健實なる發達を遂げ逐年隆盛に赴きつつありその前途は洋々たるものがある |
02 | 旗山郡下一帶は 芭蕉栽培の適地 米山旗山郡守談特輯 バナナ紹介號發刊に際して米山旗山郡守を公室に訪れれば折柄職員を集めて、寺廟整理、國語普及、農事實行組合の改善、六龜庄の移民計畫、幹線道路の舗裝計畫、さては水防組合の創設、私設埤圳の統制、相思樹樹皮の供出金の買上徹底等や牛の增產計畫、役馬の傳習所創設等に大童となつて根本的計畫樹立中、特に寸暇をさいて『旗山郡とバナナ』に就き所感を求むれば、徐ろに左の如く語られた。 旗山郡とバナナ ○暴風とバナナ 全島一のバナナ適地は何處か?と投票させたら、旗山郡と投票する人は餘り無いかも知れないが、私は第一といふ確信を持つてゐる楠梓仙溪の流域一帶のバナナ生產地は豐富な水利に惠まれて、地質は砂質壤土であるといふ丈けでは別段の異色もない。林邊溪や隘寮溪流域と大差はない。バナナ生產の最大脅威は暴風である。近時幸に大きな暴風がないので、暴風とバナナの關聯が現實の問題として現はれないが、旗山郡の二大動脈楠梓仙溪、荖濃溪の流域は何れも兩岸に山岳を繞らして、其の間に細長い耕地を延々と抱いてゐる。從つて山は暴風壁となって、全島有數の無風地帶を為してゐる。故に旗山郡にチーク、バルサの造林が發達し又今後發達せんとしてゐるのである。要するに水に惠まれて、地質が適して其の上に暴風の脅威がない土地が最適地である、それは即ち旗山郡であると言ひ得るのである ○米穀管理とバナナ 議會を通じて、吾等の關心をそそつた米管の實施は本島の產業に一大劃期を齎らすことは必定であるが、さて細部的に、地方の農民の動向が如何に展開するかは深甚の關心事である。今の處特別の現象も見えないが、バナナの立場から言へは絕好の進出時と考へてゐる傾向も見える。來期一躍五〇〇甲の增植の如きも啻に價格の良好とばかり見る譯に行かぬ。愈々米管の實施の曉、甘蔗の水田進出は糖業令で許可制となるに反し、バナナの進出は今日の處天下御免の形勢である。旗山郡今期の生產は約四十七萬餘籠、來期は六十萬を突破七十萬籠を豫想せらるる情勢である。バナナの生產は主として高雄、臺中州で全島的の問題ではないが、地方的に、特にバナナ主產地の旗山郡としては、バナナの若苗畑が日に日に躍進又飛躍的に增加するのを見るにつけ、地方的にも又國策的にも之で好いのであらうか?と頭を傾けることが多い。 ○繊維とバナナ 國策線に登場した、バナナ繊維は未だ生產者の理解が不充分で軌道に乘らぬ恨みがあるが、何れは相思樹が、「タンニン」材として指定された樣な運命に遭つて始めて徹底化するのではないかと思はれる。現在臺灣拓殖が進出して、足踏式の採取器を生產者に貸付して副業的に繊維を生產せしめる方法と、臺灣纖維合資會社(本社旗山街)の動力探取機で自らバナナ畑に出動し採取する方法の二つが行はれてゐる。雨者夫々の特長がある前者は副業的に家庭工業的に、普遍的に生產を求めんとするかに見へ、後者はバナナの集團畑を覘つて、バナナ業者の努力不足を覘ふ點に特長を持つてゐる元來高雄州のバナナは圃場制度で今日の隆盛を來した如く、バナナ生產者は概して農村に於る資本家級の營む所となつてゐる概して大中地主である。從て農村勞力過剰でない今日、臺拓の覘ふ副業的方法は小生產者には有利であるが、圃場制度の發達した高雄州のバナナ生產者には理想としては滿點だが實際問題としては考慮の餘地がある。要するに兩者の特長を併せ行へば生產者の理解と共に圓滑なる進出が出來るのではないかと思はれる。 ○國債消化とバナナ 最近のバナナの價格は生產者を痛く狂喜しめてゐる。バナナの好況は農耕地(バナナ適地)の地價を彌が上にも暴騰せしめてゐる。之れは一般的に見て決して好い結果ではない。 溪畔の流失するかも知れぬ危險地が高價で取引される。理由に曰く、一箇年バナナを收穫すれば原質は回收出來る。二年續けば儲かる云々。蓋し第三者が想像する樣に利潤はないであらうが、どしどし增植せらるる大勢は有利を物語つてゐる。 飜つてこの好況の因つて來る所以を窮めたならば、生產者は進んで自ら其の利潤の一部で國債を求むべきである。然るに其の方面への關心は極めて冷淡であると敢て言はざるを得ない。本郡としては國債消化の一方法としてバナナが一定の價格以上に昂騰した場合は、其の利潤の幾割かは國債消化に協力する責任を持たしたいと目下方案を練つてゐる。生產者の自發的發動が望ましい。 ○交通とバナナ 旗山郡のバナナは作り過ると運輸能力に押へられて、あたら商品價值を失ふと言はれてゐる。生產業者の中には、鐵道運輸の經營者臺灣製糖會社、甘蔗作の強敵バナナと利害相反するから交通能力でバナナの進出を妨げてゐると、いふ者もある。一應理論的に肯ける節もあるが現に臺糖は社有鐵道の楠梓仙溪鐵橋の季節的架設を常時不斷に交通可能とすべく、永久工事に本年中に着手せんとして居り、又九曲堂――旗山間の軌道の擴大(本線同樣に)や列車の增發を決定し、運輸能力の擴大強化を實現すべく計畫してみる事實に鑑みても、該らざるや甚しいと言はざるを得ない。 バナナの高雄積出に自動車利用も一時旺盛であつたが、トラックの統制と、料金の昂騰で影をひそめたが、今年から郡道路協會で着手の豫定の主要幹線道路の全部鋪裝が實現すれば、汽車の補助的運輸機器として、亦復活するであらう。 |
03 | 幾多の公職を帶び 公共事業に盡瘁 名望家、吳見草氏特輯 臺灣青果組合聯合會評議員 旗山青果容器會社理事、高雄青果組合評議員、代議員高雄青果會社取締役、吳葛順博愛團理事、旗山信用組合長 氏は人格高潔にして旗山第一の資產家であり、永く教育界に於て育英事業にたづさはり、官を退りぞいてからは竹內氏の後を襲ひ、旗山信用組合長となり同組合經營に全力を舉げ、同組合をして郡下第一の優良組合たらしめたのは全く氏の經綸よろしきを得た為である。昭和十年街長に推され街政に盡瘁愈々氏の手腕を發揮しつつあったが、感ずる處あり、昨年十二月街長を辭退、組合事務に專念することになつた。 氏は精力絕倫とも言ふべく旗山の教化、慈善、實業各方面の事業とも氏の關係しないものは無く、幾多の公職を帶びながらよく之等をてきぱきと處理し、傍らバナナ栽培にも力を入れ「み」のマークを以て相當の大量出荷をなしつつあるが、氏の人格手腕により愈々その聲價を高めつつあり。(寫真は見草氏) |
04 | 斯界の第一人者 苦心十年酬いらる 着實な陳拋錠氏特輯 圃場主陳拋錠氏は高雄州バナナの大生產地たる旗山に於ける花形と云ふべく曩に甘蔗事業に携ること數年後臺灣特產バナナの栽培を思ひ立ち昭和四年芭蕉界に身を投じ、あらゆる困苦缺乏に耐へ常に栽培法に全力を傾注し研究すること十一年の長きに亘り漸く頭角を現はし品質優良施肥管理なることに於いて斷然群を抜き昨年の如きは移出先に於いて常に歡迎され最高價格を維持し、本年に於いても常に最高値を以って他を凌ぎ一段と光彩を放ち同業者の羨望の的となつた。 殊に昭和十年バナナを以つて旗山の如き山地多き地方の開拓を企圖し世人の嘲笑を尻目に旗山郡杉林庄字新庄の山手に二萬株に近い試植をなした所永年の體驗と品質本位の合理的經營法によつて頗る好結果を示し、同生產品は消費先に於いて旗山一の折紙をつけられ常に價格も最上位を維持せるは同氏の熱烈火の如き產業報國の信念に基くものそして特筆に値する。 氏は更に旗山街溪州黃天教所有の圃場を引受け新栽培地を求めて鳳山郡九曲堂に進出し既に植付も終り目下同氏の體驗に依る新管理法を以つて來年も優良なるバナナを提供すべく努力しつつあり前途益々飛躍の一途を辿るものとして頗る期待されて居る。 同氏は品質ばかりでなく數量に於いても屈指の大生產者で四萬株の大多數を擁し押しも押されもせぬ旗山バナナ界の第一人者となつたが少しも誇る所なく斯業に專念し研究に没頭し一步々々と健實な步みを進める等、同業界の好模範として特筆すべきである。(寫真陳氏とその荷造狀況) |
05 | 二人心を合すれば 其利、金を斷つ 呂水木兄弟の奮鬪特輯 幼よりバナナ園に育つた呂兄弟は長じてもバナナ栽培を專業とし、兄弟力を合し兄呂雍正氏は「界」のマーク、弟呂水木氏は「章」のマークを得て二人共旗山に於けるバナナ界の大生產者としてよく知られて居る。 氏は十數年の體驗を土臺として常に研究を續け、品質の向上は栽培法如何にあることを痛感し殊に肥料三要素の研究については特に力を入れ肥料を惜しまず屏東試驗園中村技師發表の方法により施肥を實行し相當の成績をあげてゐる。 出荷に當つては永年の經驗と信用をモットーとした經營振は選別に於いて過熟品又は若切品を絕對に無くし、荷受先より未だ不評を受けたことがない。 荷造りは特に氣を配り、技術優秀な熟練工を莫大な費用をかけて抱へ擦過傷の無を期し、斤量の充分に務め專ら信用の向上に努力を續けて居る。 殊に氏の栽培せるバナナは山地に近く、合理的栽培法によつて果軸強く果實しまり、長期の輸送に堪へ腐敗品を出したことなく、其上頗る美味しく各消費地よりの評判も頗る良い。此點臺中品に優るとも劣る所がないと專門家より折紙をつけられて居る。 氏は元氣潑刺る現代青年にして旗山第二青年團の幹部として重要な位置にあり、陸上競技界に於ては同團を代表するチヤムピオンとしてよく戰ひ明朗なスポーツマンとして周圍からの受もよく氏の前途は益々躍進の一路を辿るものとして將來を頗る囑望されてゐる。【寫真呂水木氏】 |
06 | バナナの纖維は 立派な人絹原料 バナナ纖維會社代表沈銀來氏談特輯 本島特產のバナナは從來果實を食用に供するのみで收穫後の廢莖は只僅かに畑の堆肥とし腐敗に委してゐた所、科學日本の躍進振りは遂ひに果實收穫後の廢莖より貴重なるバナナ繊維が探れ、人絹用バルブの原料となりマニラロープの代用品を製し、又製紙用パルブの原料として立派なることを立證するに至り、事變後繊維の輸入が極度に抑制されると共にバナナ繊維が斷然時代の寵兒として我が經濟戰の晴れの舞臺に登場するに至つたのである。 然るにバナナの廢莖より繊維を採取することは本島としては全く新規的事業にして臺灣纖維合資會社なるものが社長沈銀來氏、專務取締役沈瑞慶氏を以つて本年二月二十八日創立總會を開催し、愈々諸事萬端を整へ去る四月五日堂々と業務を開始したことは國策上慶賀すべき事で同社の發展は直ちに我國繊維界代用繊維發展に拍車をかける事となるので國家の為頗る期待をかけられて居る。 同社の目下の事業としては各生產者より收穫後のバナナの廢莖を買入れ現地に於いて同廢莖より國策繊維を抽出するのみでバナナ一本の廢莖は三十五斤乃至四十斤にして之より繊維を抽出すること僅かに〇、六斤に過ぎず殘滓は堆肥の原料として生產者に返却する故今迄もてあましてゐた廢莖が探繊器によつて細斷され、腐敗分解も早く堆肥としての利用價値も上り、この一石二鳥式經營法は期せずして生產者側より歡迎され業績逐日降盛に赴きつつあり。 同社沈代表は語る 支那事變勃發以來に第三年を迎へ、我が皇軍は破竹の勢を以つて支那の野に聖戰の戈を進め北支中支は勿論、南支各地の主要都市は我が占據する所となり廣たる土地は我が建設を待ち我日本は名實共にアジア興隆の盟主たるべく明郎支那建設の為國家の總力をあげて邁進しつつあるのであります。 銃後國民は聖戰の最後の目的達成にあらゆる不便をも忍び殊に近時叫ばれつつある經濟戰の最後の勝利者たるべく經濟國策に意を用ひるべきは蓋し當然なことで我社は今迄廢物として顧みられなかった臺灣特產バナナの莖より立派な人絹用パルプの原料及びマニラロープ代用品、製紙原料等の採取可能に鑑み、國策事業として之が企業化を計り同志相計らひ臺灣繊維合資會社を創設し、去る昭和十四年四月五日を期し晴れの處女營業を開始したのであります。 目下猛烈な勢を以つて採集に努力しつつあるが是れが成功の曉には我が國工業界に一大貢献をする事が出來ると確信致して居ります。 本社は芭蕉の廢莖より移動式探取機を用ひ、これより特種な纖維を採取するものであつて、この繊維は先に申上げた人絹及び製紙のパルプの原料及び年々マニラより輸入するマニラ麻の代用品となる故國策的に見て本事業は我國非常時經濟に寄興する所大なりと信ずる次第であります。社員一同相協力し総力をあげて本事業目的達成に献身的努力を續け著々と成果を納めつつあります。 本事業は全く新規的事業にしてバナナ生產者とは不可離の立場にあり特にバナナ生產者諸賢の絕對的支援を切望して止まない次第であります。 |
07 | 蕉界に身を投じ 精勵十四年 旗山の盧望彪氏特輯 盧望彪氏はバナナ界に籍を置くこと十四年、昭和元年栽培以來其性格の示す儘に一步々々と確實な步みを續け、不斷の努力が生產品にも表はれ品質、値段共に上位に位し好評を受けて居る |
08 | 理論と實地の 權威者盧老枝氏特輯 圃場主盧老枝氏は旗山の豪家盧家の長男として生れ長じて內地に遊學し、彼の關東大震災の折目の前に危險を控へ我が身を捨てて御真影を安全な所に御遷し申しその純忠の至誠、その勇敢無比の行動に世間から絕讚を受け後京都帝大農科に入り卒業後一時中學校にて教鞭を執つたが間もなく歸鄉、故鄉旗山信用組合專務理事の榮職を拋つて目下臺灣名果バナナ界の為に全精神を打込み理論と實地兩方面の權威者である。 氏のマーク『好』は字の示す儘好きものとして恥しくない成績をあげて居る。(寫真盧老枝氏) 旗山街旗山一七八 十 盧德樓氏 現圃場主盧德樓氏は幼時よりバナナ畑に育つた元氣潑刺たる生粹のバナナ青年で嚴父張盧新松氏は臺中州豐原の產明治末年山に移住して以來バナナ栽培に從事すること三十餘年其間內地移出を試み現在の青果同業組合設立以前に於て既にどんどん內地に向けて移出をなし仲買人迄務めた程で旗山バナナ界の最古參者であり威者である。 客年事業の全部を令息盧德樓氏に委ね自分は指導の立場に於いて參謀格となり永年の體驗に基き加ふるに盧德樓氏の不撓不屈の精神と相協力して營養果バナナの栽培に努力しつつありその前途は頗る有望である。 旗山街旗山一九二 牛 龔牛稠氏 龔牛稠氏は移出前より既にバナナの生產者として廣く知られ其後內地への移出始まるや二十數年の體驗を基として優良なる生產品を積出し好評を博し以後增產を計り、今日の如き隆盛の域に至つたものである。 又同氏は一家舉つてバナナ事業に從事し長男龔枝君及三男龔後來君も又嚴父龔牛稠氏の意を體し二十數年の經驗者たる嚴父龔牛稠氏の指導のもとに常に研究を怠らず自ら理想的經營を行ひ好評を受けつつある「牛」マークの聲價を高めつつあり。 美濃庄金瓜寮二四八曾友三氏 氏は美濃庄に於ける篤農家にしてバナナ事業には相當經驗を有し、かって「友」マークであつたが昨年マーク改正により「友」を「世」に改め、更に「智」を殖したが成績優良なる為本年三割增產を計畫して居る。 旗山街旗山二八五陳清己氏 高雄州青果同業組合代議員 旗山信販購利組合理事 旗山郡清心會保護委員 旗山街方面委員 旗山街第三區振興會長 氏はかつて「清」マークを以つて廣く知られ數多い公職を持ちながら忙しい中を良きバナナの生產に邁進しつつあり。 昨年マーク改正以來「己」のマークに改め目下該マークの信用確保に努力を續けて居る。 旗山街北勢陳福氏 陳福氏は祖先代々農を業とした純然たる農家にしてバナナ界に籍を置いたのが昭和四年で以來十年の間研究を進め昨年確信を得て斷然力を入れ「功」のマークを得て活潑な活動を續けてゐる令息陳見論氏は又父の意を體し一家揃つてバナナ界に奉仕して居る。 旗山街北勢九七楊福來氏 圃場主場福來氏は五ヶ年前よりバナナの栽培に力を入れ斯業に對しては常に研究をなし昨年より特に力を入れ品質優良の點は消費地に於いて大いに認められ評判も良い。 旗山街北勢楊新基氏 楊氏は少壯氣銳、バナナに對しては頗る熱心にして、常に研究を怠らずその生產品は消費地に於て頗る歡迎されて居る。 |
09 | 廣告特輯 |
序號 | 標題 |
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01 | 東港郡下の產額は 州下の約三分の一 地の利を占むるが重大原因特輯 近年來躍進に躍進を重ねるバナナは今や青果界の王座を占め米甘蔗に次ぐ主要產物となつた。顧るに高雄州青果同業組合創立以前は臺中州下の獨舞臺の觀があつたが大正十三年州當局の指導に依り高雄州青果同業組合を創立して以來極力獎勵に努め肥培管理その宜しきを得たのみならず天惠の利もあつたので年々之が飛躍的增進をなし曾ての首位臺中州を凌駕し年產百六十餘萬籠、金額にして一千萬圓を下らざる驚異的數字を示した。就中我が東港郡下は最も長足なる進步をなし今やその產額は殆んど同組合の三分の一を占め殊に本年度からはその栽培本數一層增加の趨勢を辿つてゐる。今その發展事由を見るに當郡は東經一二〇度二七分、北緯二二度二八分の間に位し高雄州東南の一部下淡水左岸の沃野を占め西南は東港溪林邊溪の二大溪流に挾まれ其沿岸は悉く土壤又は砂質壤土にして即ち風土氣候並に地理的關係からして芭蕉の栽培に適してゐるのである。加ふるに生產者の真劍なる經營即ち灌漑肥培管理等及び當郡下に於ける溪州、佳冬、林邊、新園四檢查所主任並に所員の合理的指導方法により果房の整備外皮の光澤殊に肉質の緻密と芬々たる風味は斷然他郡の追隨を許さないところであり、今やこれらよりの出荷は內外地とも非常なる好評を博してゐる。殊に本年度の商況を見るに當初より驚異的値段を示し業界に一脈の光明を興へ漸次擴大の氣運に惠れてゐるが當郡下のみでも或は二十萬籠近くの增產を來すのではないかと見られてゐる。今後の進展は實に洋々たるものがあると共に指導者の立場にある 溪州檢查所主任 藤橋賢一郎氏 佳冬同 坂本軍藏氏 林邊同 寺西久吉氏 新園同 葉高峯氏 (設立順) 諸氏に負ふところ亦頗る大なるものがある |
02 | 蕉界の大立物 恩 府評蕭恩鄉氏特輯 蕭氏は產業にありては高雄青果同業組合副組長、臺灣青果會社取締役、公職としては府評佳冬庄長その他の要職に就き多方面にわたる指導的立場に在る第一人者である。郡下に於けるバナナ栽培業の今日の大成は勿論檢查所員並に生產者そのものの力であるが併しその背後に存在する氏の努力に預かるところ亦大なるものがあり斯るが故に眾望を擔ひ組合副組長の要職に就く所以でもある。氏の一擧手一投足による今後のバナナ界は前途洋々たるものがあつて增產に增產を重ねる郡下生產品の聲價をどこまでも持するには一層の努力を必要とするものがある。氏は自ら模範を示すため「恩」圃場を經營し每期燦然たる聲價を內外地に輝かしてゐる。(寫真蕭恩鄉氏) |
03 | 中部の方法を 參酌して栽培 月 許龍川氏特輯 氏は臺中州員林郡二水庄の生れ、大正十四年高雄州青果同業組合創立後發展ぶりを見て將來臺中州下を凌駕するとの見透しをつけて直ちに現住所の溪州へ移居、芭蕉栽培に專念し克く勤勞に耐え肥培管理ともに中部の方法を參酌し理想的に經營したので各地とも「月」のマークの信用厚く、今では溪州檢查所管內の優良マークとして自他共に許し且つ年產五千餘籠の大生產者である。(寫真許龍川氏) |
04 | 中堅人物の 宇 李金祿氏特輯 氏は日本大學法科出の秀才にして人格信望共に厚く卒業後間も無く住冬信用販賣購買利用組合の專務に當選し地方の產業啓發に努め其他庄協、社會教化助成會副會長、農事實行組合理事、米穀統制組合理事等幾多の肩書を有する中堅人物で傍ら閑暇を利用して「宇」の圃場を設け林里香氏を專任監督にし肥培管理その宜しきを得て內外地とも信用を得てゐる優良マークである。【寫真李金祿氏】 |
05 | 壯年實業家の 名頗る高し 圃場主羅上氏特輯 ノ兩圃場は昭和十年以來、每年※…Rと云ふ兩マークで出荷して來たが、今年の州下マーク統制の結果…ノに變更されたのである。昭和五年より栽培を開始してから逐年栽培面積が擴張され、現在植付總面積十五甲餘、計二萬五千本であるが來年度より更に栽培面積の擴張を試み總計三萬本以上を突破する意氣込みである。圃場主羅上氏は當年三十九歲の働き盛り、新園庄唯一の壯年實業家で大正十四年臺灣總督府高等農林學校を卒業、同年五月高雄州農會技手を拝命、昭和三年抜擢されて新園庄助役に任ぜられ、一時は庄治の為め盡瘁するところありしが其の後業界に進出し一意バナナ栽培に全力を傾注することとなった。今は庄協議會員、信用組合理事、潮州凍氷冷藏組合長等の諸公職を有する外、高雄州青果同業組合の代議員である。【寫真羅上氏】 |
06 | 優良マークの 名高し 珍 林有才氏特輯 氏は年三十九にして父林賀氏の保正事務を補佐し公職としては農事實行組合理事、林邊信用組合評定委員、防衛團副團長、民風作興會委員の肩書を持つて居る。氏は公職の傍ら自己の良田を選んで昭和五年より「珍」圃場を設け肥培管理等其卓越せる栽培經營法と相俟つて選別荷造など殊に慎重を期したため今では內外各地到る處に歡迎され優良マークの名が頗る高い【寫真林有才氏】 |
07 | 公益事業に 盡瘁 林水順氏特輯 氏は溪州信用購買販賣利用組合專務理事、高雄州同業組合代議員、保正、方面委員、庄協議會員、水利組合評議員、馬事普及會理事、民風作興會評議員、東港郡蔬菜輪移出組合專務、其他幾多の肩書を持つ地方有力者にして酒末だ專賣局に歸せざる時は製酒業を營んで居たが其後廃業して爾來各事業に活躍し地方公益に又盡瘁する處少からざる為め夙に納稅功勞者、農事功勞者、教育功勞者、社會事業功勞者として屢々常局より表彰せられ前途洋々たるものがある。 |
08 | 四圃場の主人 真劍な陳寄生氏特輯 篤農家であり佳冬林邊兩庄を股に掛けてその敏腕を以てよく指導の任に當り自他共に許す開拓の第一人者である。殊にバナナ栽培の有望を自ら體得しそれこそ終始一貫の大精神を以て獨特の合理的經營をなしこれがため業界の伸展に寄與する處頗る大なるものがある。 今や左の三大圃場 善佳冬檢查所 見同上 弗林邊檢查所令弟名義ありて出荷每に品種の優良の名高く好評嘖々たるものがある。 本年度から今一圃場を竹子脚方面に增設してゐるのを見ても氏の經營の真劍さが窺はれる。(寫真陳寄生氏) |
09 | 早バナナの 生產者 姚笨氏特輯 氏は高雄州青果同業組合未創立以前既にバナナは將來有望の事業であるとの先見があり、當時より栽培に着手し幾度か蹉跌したが堅忍持久の精神があつた為め研究に研究を重ねた結果其勞空しからず年々歲々成績を舉げ本年の如きは實に佳冬檢查所管內一、二を爭ふ早やバナナ生產者として令名高く品質は勿論色澤芳味ともに非常に佳良なので內外地とも好評を受け前途洋々たる優良マークの持主である。(寫真姚秋冬氏) |
10 | 春秋に富む 德・わ 余德和氏特輯 溪州の青壯年を押し抜いて實業界に飛躍を試みた氏は弱冠であり乍ら今や眾望を一身に集めてゐる。曾つて東都に遊學したが歸鄉後十七歲の身を以て青果檢查所に就職、十九歲にして同職を辭し過去二年間に於ける十尊き體験により堂々とバナナ栽培のスタートを切った。昨年の生產高は約八千籠、本年度は約一萬籠の豫定で來年度は更に植付面積に一大擴張を行ひ、約四萬本に增加の豫定であると。 |
11 | 溪州檢查所 貞 林桂氏特輯 純然たる農村の指導者であり、所謂多角的經營者の範を垂る者である。改々として農村の開拓をなし部落民の先覺者として常にこれが指導を為し殊にバナナ栽培に至りては充分にこれが力を致され隣接部落の至る處に於けるバナナ畑の豪勢さは永年斯業に關係深き氏の賜物であることは今更いふまでもない。今後も引續き自らの生產品に從來の聲價を保存し一層緻密なる經營を發揮するものと思はる。 |
12 | 馳名の大生產者 旗山の吳靜氏特輯 旗山バナナ界の重鎮吳靜氏は臺北國語學校の出身にして永く公學校教育に盡瘁し、溫厚篤實稀に見る人格者にして、後實業界に轉じその經濟的手腕愈々光を發し旗山青果容器株式會社々長となり旗山バナナ產業に貢献すること尠からず、昭和六年バナナ生產者に伍し、臺灣名果バナナの生產に力を致し、氏の品質本位の經營法は直ちに生產品に反映し仕向各地より好評を受け之に力を得て益々增產に務め、間もなく高雄州青果同業組合代議員に選ばれ、地位の向上に從つて益々自重し斯業の為に全力を傾注し今や圃場四ヶ所を有し自他共に許す旗山第一の大生產者となった。氏は更に新耕地を求めて山手近き個所を選定し目下試植中なるが之が成功の曉は他に及ぼす影響も多く今より期待をかけられて居る。 |
13 | 飛躍的進展を 期待さる 阮 重鎮の阮朝吉氏特輯 林邊信購販利組合長兼專務理事として部落金融界を牛耳つてゐる氏は四年前よりバナナ界の前途に輝く何物かあるを心に書きこれがため自らの畑に植付け令夫人と共に散步と健康の二重奏を結び付けその成果たるや偉大なるものありて本年は初期出荷より斷然物凄い賈値を招來しホクホクの態である。植付本敷の少いのは惜しいやうな氣もするが多忙な身故、此亦止むを得ないところであらう。本年からは大々的に增植する企畫を立て即に着手し殆んどその植付を完了してゐる。來年度の出荷からは飛躍的增進をなすものと期待されてゐる。この阮マークの內外地に於ける聲價は常に羣を抜いてるのも決して偶然ではない【寫真阮朝吉氏】 |
14 | 檢查所創設以來の代議員 阮朝倫氏特輯 バナナ產業が郡下に勃興續いて檢查所が溪州に設置されてから氏は初代組合代議員として活躍しそれより業界のため啓發するところ頗る大なるものがある。本年度からは自ら圃場を持ちこれが經營に常るが以て生れた富なる合理的農業經營智識により來期に於ける出荷も恐らく當りを見るであらう。(寫真阮朝倫氏) |
15 | 將來を囑望さる 主 謝主裕氏特輯 氏は大武丁農事實行組合理事にして先嚴傳來の地方村落隅々迄に宣傳され好評嘖々たる醤油製造業を專業とし躍進せるバナナ界の一角にも眼を轉じこれが栽培をなし生來の努力と研究心に惠まれ怠りなく經營をなしたため生產品殊に優良にして賣出す每に高く買はれ「主」のマークたるや嘖々たる聲價を示してゐる年產三千餘籠を出荷し將來を囑望されてゐる圃場の一である。【寫真謝主裕氏】 |
16 | 產品優良 四大特色あり 卍寸 謝糖虎氏特輯 氏のバナナ栽培は組合創立前に部落消費として手を染め組合成立するや大々的に計畫を立て年產八千籠を算する程で「卍」圃場及び令長男涼君の管理である「寸」圃場を設け自づから肥培管理をなし多年の經驗により理想的の肥培をなし灌漑除草共に宜しきを得た為め左記の特色を有し內外地とも大好評を博するやうになつた。 一、果房形狀よく整ふ 二、果皮の色澤がよくて肉は緻密である 三、美味芳香他に比額なし 四、軸は堅く短く容易に腐敗せず。【寫真謝糖虎氏】 |
17 | 昨年の出荷數 二千八百籠 楊 楊沉氏特輯 昨年東京、橫濱、名古屋、大阪、神戶を始めその他內地の主要市場に於て品質の好評を博した、「楊」圃場出產のバナナは殊に名古屋人士の絕讚を受けた。昨年の出荷籠數は約二千八百籠本年度々は稍々多く三千籠の豫定であるが來年度からは更に三千本を增植し約四千籠出荷の見込である。尚同圃場のマークは新園撿查所開設の當初(第一年目)楊と銘打ち出したが翌年から松と變へ第年目を迎へた本年度から再び「場」として賣出したが從來の信用マークとして一層慎重を期してゐる。 |
18 | 昨年出荷籠數 三千籠を突破 代議員林清溪氏特輯 新園圧の實業家且つ斯界に對する豐富なる識見をもつ林清溪氏は新園撿查所の設置と同時に初代、代議員として推され業界のため多大なる盡力をなしたが昨年六月頃組合より選ばれて內地に於ける主要市場の視察をなし一層その經營に對し益する處があった。昨年の出荷籠數は三千籠本年度は約五千籠の豫定であるが來年度は一萬八千本以上の栽培をなすと云ふ |
19 | 荷受先の好評を博する事多年 信 陳文道氏特輯 永年の教育畑から身を退き新園撿查所管內に於けるバナナ栽培者の先覺者の一人として立つた「信」の圃場主陳文道氏こそは斯界に於ける先見の明を持つてゐるものであり教職を退いた昭和十年をさかのぼること二年即ち新園撿查所の設置された昭和八年からバナナ栽培につき深き研究をなし當時より「信」及び「螢」の兩圃場を經營し今日に及んでゐる其豐富なる栽培智識を以てなした氏の生產品は市場に於て好評を博し現在はおろか將來に於ても氏のマークに期待を掛けられてゐる。雨圃場現在の栽培本數は一萬五千餘本、來年度から二萬餘本になる見込である。 |
20 | 廣告特輯 |
序號 | 標題 |
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01 | 高雄州台灣バナナ產業特輯号 蕉界に對し 一見識をもつ 代議員謝順利氏特輯 青果組合代議員中最南端の枋寮庄北旗尾に居を構へてゐる氏は今後業界の發展に一役買つて出る時代の來ることを囑望されてゐる。氏曰く「水底寮を中心とする一帶殊に東西に沿ふ地質はバナナの適地と見られそれ相當の努力をして開拓すれば豫想以上の好結果をもたらすものと考へる。隣接佳冬林邊兩庄下の餘地少き今日當然南へ發展すべき可能性あるを充分に認識し近き將來獨立檢查所の水底寮附近に設置されむことを組合會議席上で意見を述べたことがあったが我地方の人士のバナナ界に對する今後の動向も或は案外に早く促進するものとも見られ微力乍らも努めて見たい云々。」【寫真謝順利氏】 |
02 | 品質色澤共に優良 台.森 陳甲寅氏特輯 氏は芳紀二十四の元氣潑溂とした現代青年にして五房州農事實行組合書記として務め地方農民より絕對の信頼を受けて居る。 將來有為の青年である。 昭和九年約八甲步に亘る栽培を始めたが組合の餘暇を利用し十分管理をした結果品質良く、色澤も增し氏の所有せる「台」及び「森」兩マークこそ新園撿查所に於ける優良マークと云へるであらう。 |
03 | 選別荷造嚴重 ハ.町 曾新丁氏特輯 氏は稀に見る勤勉家にして林邊信用組合に奉職する傍ら令弟水良、烏定兩君を指導し佳冬檢查所管內は「ハ」圃場、林邊檢查所管內に「町」圃場を經營し務め先の信用組合の信用二字をモットーとし常に選別、荷造を十分監督し、栽培に當つては特に施肥管理の合理化を計り品質の向上に努めた結果氏のマークは常に消費先より賞讃を受け東港郡下に於ける優良マークである。 氏は本年三十二と云ふ若さを持つて居り、斯業に對し頗る熱心故其前途を囑望されてゐる。(寫真曾新丁氏) |
04 | 地方蕉農の 代表的人物 山.三 李嘴氏特輯 新園撿查所の李嘴氏と云へば誰も知る如く新園圧に於ける豪農にして甘蔗、バナナ、養豚外請負業をもやり就中バナナは氏の最も得意とする產物にして新園檢查所選出の代議員であり地方生產者の代表的人物である、氏がバナナ界に身を投じたのは昭和八年で八甲餘を栽培し、得意の栽培法により聲價を高めるべく努力をしつつあり。氏のマーク「山」「三」は共に氏のまじめな經營振が期せずして好評を得內外によく知られてゐる。 |
05 | 年產萬餘籠品質優良 採.持 陳假黎氏特輯 氏は從前は鍊瓦製造業及び萬隆農場購買部を經營して居ったが十年程前より畑違ひの芭蕉に着眼し、直ちに栽培に着手し、研究に研究をかさね遂ひに今日の域に達し、氏の「持」「探」兩圃場よりは年產一萬餘籠を產し品質優良を以つて各消費地にて歡迎されて居る。 氏はバナナばかりでなく甘蔗の栽培も相當多く年產百萬餘に達し、實に當地方に於ける屈指の農家である。(寫真陳假梨氏) |
06 | 成績逐年向上 椿.昭 戴昭貴氏特輯 氏は幼少より漢學を修め地方の中心人物として保正、方面委員、區總代、庄協議會員外多數の公職を有してゐる。 氏がバナナ事業に着手したのは今より九年前の昭和五年にして良田九甲餘を惜しげもなくバナナ園に充て、栽培を始めた所地質の適地である上に熱心な管理により逐年成績向上し月下「椿」及び昭の兩圃場は內地各地共好評を博して居る。(寫真戴昭貴氏) |
07 | 屈指の優良マーク 六.百 佳冬の黃建懷氏特輯 黃氏は大正元年東港郡林邊庄林邊四五三番地黃允良氏の長男として將來の英雄を思はせるほど堂々と呱々の聲をあげ兩親を喜ばせ長じて公學校に學び卒業後父の經營せしが先見の明あつて臺灣バナナ界の將來を見通し昭和十年佳冬檢查所管內より自己所有バナナ適地十餘甲を選定し、「六」及び「百」の二圃場經營に從事したが、何れも屈指の優良マークとして良く知られ、各消費地よりも絕讚を受けてゐる。 氏は益々肥培管理、選別の適宜に留意し益々努力しつつあるを以つて將來益々聲價を高めるであらう。(寫真黃礁懷氏) |
08 | 美田を蕉園に 次.河 薛崁氏特輯 氏は當地方の長老にして甲長を二十餘年務め昭和十二年保正に選ばれよく地方の啓發に努力しマラリヤの防遏事業、部落の改善作業に盡瘁し、高雄州知事の表彰を受けた程で部民の為に常に力を致し部民の尊敬を受けてゐる。 昭和十年より芭蕉の栽培に着眼し十三甲餘の美田を蕉園に充て「次」及「河」の雨圃場を經營し、管理に熱心である上に常に研究を優良マークとして內外にその名を唱へられてゐる。 |
09 | 品質優良色澤美麗 司 曾阿興氏特輯 氏は先代より引繼いだ漢藥種商を營み、地方としては名望高き保正、區總代、芭代組合組合長等の公職を歷任し社會的に重要な役割を務めて居たが、老年に至りたる為一切を辭して專ら農に專念し、長男慶雲君を指導し甘蔗及バナナの栽培に努力しつつあり。 殊にバナナは圃場「司」を經營し栽培、管理に相常熱心なる為、自然生產品にも現はれ品質優良色澤美麗、中味充實を持つて優良マークとして絕讃を浴びてゐる。(寫真曾阿興氏) |
10 | 好評嘖嘖の 色 黃佳景氏特輯 氏は佳冬檢查所「色」圃場の管理者にして幼より內地に遊學し、昭和二年京都立命館中學を優秀の成績で卒業し、商業界に雄飛すべく歸臺後一時實業を營んだが昭和八年すすめられて信用組合書記となり、餘暇を利用して地方特產バナナの栽培を思立ち常に研究を惜しまない結果として肥培、管理宜しきを得た為、內外地共に佳冬檢查所の「色」圃場を知らないものなき迄に進み好評を受けて居る。 これ全く氏の信用本位の經營に依るものと云ふべきである。(寫真黃佳景氏) |
11 | 優良マークの 一に加へらる 隼 阮東格氏特輯 林邊檢查所管內屈指の優良マーク「隼」の圃場主阮東格氏は昭和五年氏の兄阮東立氏と兄弟協力のもとにバナナ栽培に着手し地力の旺盛なる栽培適地の大に兄弟の熱心な管理により終ひに優良マークの一に加へられるに至った。 氏は更にこの名譽を永く傳へるべく努力を續けつつあり將來益々有望な圃場として推奨するに値するものである。 氏は本年卅一の若さを持つて林邊派出所の壯丁副画長を務め地方の中堅人物として當局よりも相常認められ、益々躍進しつつある(寫真阮東格氏) |
12 | バナナの食べ方を 知つてゐますか特輯 バナナは手で皮をむいて口に頰張るのが一番うまいけれども食卓についた場合などには不體裁にならぬやうに一と通りその食べ方を心得て置くことも必要であらう。 先づナイフを使つて一本のバナナを橫二つに切り一方の一切れをとつてナイフで皮をむき皮は皿の向側に片寄せて置く。次にナイフとフオークを持つて適宜に切りフオークに刺して食べる。後の半分も同樣である。若しナイフだけの場合には半分にしたバナナを更に二つか三つに切り皮に縱に切目をつけ、一切づつ皮をむきつまんで食べる。しかし時には簡単な加工をして見るのも目先が整つて喜ばれ又別趣な食慾を唆るものである。殊に子供に奧へる時には薄く切つてミルクでもかけて氣の利いた料理にしてやるか、バナナの半面に縱に一線庖丁を入れ少量のバターと砂糖を入れたものを金網で燒いて燒バナナとして與へるとか、チヨツと工夫をすれば子供も喜ぶし衛生的にも非常によい食べ方がいくらもあるのである。 |
13 | 十餘甲步の 大圃場主 有 林有德氏特輯 年不惑に近き氏は、保正、共同苗代組合長等の公職を歷任し、現在は農事實行組合長、區總代社會教化委員、黎明會主事、水利組合評議員、米穀統制組合總代の要職にあり公益事業には率先してあたり庄長、郡守、知事より表彰を受けた地方の中心人物にしてバナナ事業も深く關係し昭和七年芭蕉の將來性を認識し圃場「有」を經營し、全く信用確保を期して來たが本年度よりは更に五甲餘を增植し總數十餘甲の大圃主となり肥培營理等に十分力を入れ氏の「有」マークは遂ひに業界の優良マークとして認められるに至った。(寫真林有德氏) |
14 | 三兄弟協力 芭蕉栽培に精進 田.乃.K 溪州の柯文起氏特輯 氏は旗山街溪州の生れ幼少より聰敏にして長じて學校教員となり育英事業に盡せしが昭和七年教員を辭し實業界に入りバナナ栽培事業を始め先づ旗山第一檢查所管內に於ては「田」の圃場第二檢查所管內に於いては「乃」の圃場を經營したが成績非常に良好なるに鑑み新耕地を求めて林邊檢查所にK圃場を增設し、旗山に於ける「田」及び「乃」兩マークは兄允得氏に監督せしめ林邊檢查所「K」マークは弟文財氏に管理せしめ柯文起氏はこの十數甲步に亘る大世帶の總指揮となり品質の向上、管理の改善に努力しつつあり。 氏こそはバナナ界成功者の頁を飾るべき人物である。氏は語る。 我が高雄州下のバナナは最初田畑の畦道や宅地の空地を利用して植ゑたもので其の數も極く少なく其の後組合の增產獎勵に依り田畑に集團的栽培をしたので今日の如く年產輪移出數量百五十萬籠を突破したのである。 其の急激なる發展の原因は監督官廳の御指導宜しきと我が組合の誇りとする集團圃場制度が然らしめたのである。圃場制度は我が組合の生命であり財產であると申しても過言ではないと思ふ。 圃場制度のものは栽培經營上及び荷造選別が頗る合理的に出來て居る。最近生產者の中で圃場マークを得やうと思つて無理矢理に密植をして居るやうな傾向がある。十質に依り乾燥土地でしたら或程度迄は密植してもバナナの品質に惡影響を及ばないが乾燥地でない濕氣土地には絕對密植を慎しむべきものである。品質を向上さすには密植栽培をしない事がこの條件と思ふ。(寫真柯文起氏) |
15 | バナナ料理の 作り方如何?特輯 バナナのサンドウヰツチ五人前の材料としてバナナ十二本、マヨネーズソース五勺、芝蝦百匁、食パン一斤半柚子一斤を用意して置きます。そしてバナナは皮をむいて薄く小口切として鉢に入れ柚子の酢を搾りかけて混ぜ合せて置き芝蝦を洗つて鹽少しを加へた熱湯に入れて七八分間茹でにあげて皮をむき、薄く切って置き、食パンは半斤を八枚づつに縱目に切つて置きます。 次にバナナを笟にあげて汁氣を切つて蝦と一緒にマヨネーズソースで和へそれをパンに塗りつけて挾み、二枚を合せて重しをかけ暫らく置いて後に適宜に切ります。 その別法、バナナの皮をむいて薄く輪切りにしパンを薄く切って芥子バタ引き、バナナを程よく並べパンを挾みます。又はマヨネーズソースで和へて挾めば尚結構です 出來上つたサンドウヰツチは二三枚づつ重ねて固く搾つた濡布巾で包み輕く押して置き、程經てから適當に切ります。 |
16 | バナナ戀の香、熱情の味特輯 |
17 | バナナ界の傑物 石 林邊の謝水養氏特輯 臺灣バナナ界の傑物謝水養氏は東港郡林邊圧の生れ、大正八年庄役場書記を拝命、同十年には一躍して會計役に抜擢され、庄政の為東奔西走地方の為大いに貢献、同十五年に職を辭してバナナ界に入りバナナ栽培を專業として肥培、管理に努力した結果、成果目に見えて向上し、其生產品「石」マークは荷受先に於いて第一の人氣者となり、頼る信用が厚い。 氏は此外に社會的事業にもたづさはり林邊信用組合監事外數多の公職を持つて居る。 |
18 | 郡下の大生產者 醫師阮忠性氏特輯 東港郡のバナナ大生產者及び名醫師として廣く知られた阮忠性氏は明治三十一年東港郡林邊庄竹子脚に生れ、幼少より頭腦明晰にして現住所林邊庄、林邊に於て開業してゐる。 氏は東港郡のバナナ大生產地たる竹子脚の產だけあつてバナナ栽培の趣味深く昭和二年より十數甲步に亘る美田にバナナを栽培し、醫術を農業に應用し、栽培管理に、改良を加へたる結果品質より等好評を得てゐる。氏はバナナに付左の如く語る(寫真阮忠性氏) 州下バナナの出荷期殊に東港郡下のバナナの出荷期は丁度內地の果物枯渇期に當るので此二年間聲價に於て好調を續けてゐるのは事實です。此枯渇期に當つて吾々生產者は如何なる犠牲をも顧ず、此靈果を供給するのを自分達の大きな使命と確信して大いに精進してゐるのです。バナナは榮養から言つてもカロリー高く色澤から見ても綠青黃色に輝き味は豐醇香り高きもので真に靈果の名に背かない果物です。乍併此靈果を產出するまでの生產者の苦心は並大抵ではありません。肥料代の倍加はもとより殊に乾燥期に於ける給水十數旬に亘る濛々たる霖雨に對する勞苦は生產者ならでは解し得ないと思ひます。 そうして收穫期に於ける惡天氣に依る不意の旋風から蒙るバナナの折損生產者の損害は決して僅少ではありません。 物質高の波に乘る運賃工賃小作料包裝材料等の騰貴も生產者にとつては少からざる負擔となるのです。云云 |
19 | 優良圃場の名高し 兄 長老の黃將氏特輯 氏は當年天命に一つを越した圓熟した實業家にして共同苗代組合長、保正、區總代其他數多くの要職を歷任し、現在林邊信用組合監事、林邊第二農事實行組合長の公職に就き地方人士より長老として尊敬されてゐる。 氏は數多くの公職を持ちながら忙しい中を州農會試驗田原種田の經營を引受け地方に貢献すること尠らず、又芭蕉に於いては昭和四年林邊檢查所內たる園に五甲餘の適地を選定しマーク「兄」を選定し、信用向上に努め常に優良圃場の名聲を博し、將來益々有望なマークと云はれて居る。(寫真黃將氏の圃場荷造狀況) |
20 | 年產萬餘籠 壹.白.春 謝情氏特輯 氏は澎湖廳白沙庄の生れ大正十二年現住所の東港郡林邊庄、溪州に移住し丸一運送店經營に專念せしが昭和六年よりバナナ事業をも兼營することとなり富春農園の名稱のもとに「壹」「白」「春」の三圃場を經營し年產一萬數千籠の大生產者となつた。 氏は事業が大きいだけに頭腦精密にして經營等も相當な研究土臺として施肥、管理、選別、荷造等詳細に渡り留意した為非常なる好評を受けて居る。 氏は公職としては庄協議會員溪州小學校幹事等を務め地方の中心人物である。(寫真謝情氏) |
21 | 廣告特輯 |
序號 | 標題 |
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01 | 業績大に擧る 今 信用厚き黃允可氏特輯 黃氏は幼少より聰明にして公學校卒業後叔父故黃添福翁を補佐して阿片煙膏賣捌、煙草賣捌、蕃人交易所等の經營に當り昭和元年佳勝材木商店を創設、材木商に轉じたが、昭和十一年バナナ栽培に進出し圃場「今」のマークのもとに努力を續けた結果業積日に昇り、內外各地の信用も厚く評判が良い(寫真黃允可氏) |
02 | 荷受先を視察 品質改善に努力 男ゆ 專業の尤松林氏特輯 氏は當年卅三歲を迎へた肚者にして公學校卒業後漢醫師たる父尤懷翁につき漢方醫學を研究する傍ら漢藥種商を經營せしが昭和九年に至り芭蕉界に身を投じ、藥種商を父と弟に委せ專心バナナの栽培に從事し、氏の研究心は彼をして現狀に滿足せしめず昭和十一年內地の販賣狀況と選別荷造の利害關係を研究すべく各荷受先を視察し、歸台後一層改善に努力した結果頗る好評を博し常に最高價格を保持して居る。 氏はバナナ經營法に就き次の如く語る 現在自分は「男」及び「ゆ」の二圃揚を經營し常に最高價格を得る事が出來たのは先般貴社主催の座談會の際中村技手の云はれた通り第一に肥料の配合と種類の選擇及び秋末に出た花は成る可く房數を減じ中味の充實を期し、開花三週監後には全部新聞紙を以つて包み、出荷に際しては等級の選別を嚴にし、月給制により技術優秀の選別夫及び荷造夫を傭入し一日百籠を限度とし專ら斤量の充實と信用の確實を期したお蔭と喜んで居ります 本年は稀にない十八圓臺を突破出來たことは私のバナナ栽培上今一層信用の確保を痛感させられました。(寫真は尤松林氏) |
03 | 蕉界に先着眼 お醫者さん洪吸氏特輯 北林邊檢查所 大佳冬檢查所 右二大圃場マークの經營者として將又「恒生醫院」の院長として令名嘖々たる洪吸氏はバナナ業の林邊地方に於る發展性多大なるを恐らく最初に着眼した所謂先見の明ある第一人者である、當初は聽診器の餘暇を見てはバナナ畑に足を運び孜々として努力し且つ指導にも當つた。蕉價の一進一退あるにも拘らず氏は堅忍不拔のイデオロギーを以て之に當り今や氏のマークの聲價常にトツプを切つてゐるやうな狀態である。林邊檢查所の設置も氏の力に負ふ所多く今尚ほ代議員として多端なる業界の改革に力を致してゐると共に他方林邊信組理事として農村開發に盡瘁してある。(寫真洪吸氏) |
04 | 庄長を辭し 蕉界に身を投ず 秋 鄭如南氏特輯 林邊庄の代表的紳士鄭如南氏は大正八年臺北師範學校卒業後母校林邊公學校に於いて教鞭を執ること久しく、庄民にその人格を慕はれ、育英事業に盡瘁し昭和三年當局に認められ、懇望されて林邊庄助役となる。同十年夏に庄長に昇進し、庄治にあらん限りの力をつくし本年四月感ずる所あつて庄長の榮職を去り、バナナ業界に全力を打込んで居る。氏は既に昭和六年より林邊檢查所管內に於いて「秋」マークの圃場を經營(元は南圃場)し明敏なる頭腦を以つて肥培管理の指導をなした為內外地共に好評を得て居る。氏は現在高雄青果會社監查役、臺灣青果聯合會代表員、高雄州青果同業組合評代議員の外公要職數多く繁忙の中を此度庄長勇退を機に愈々專業的に全力を傾注すべく計畫中であるがその前途たるや實に洋々たるものがある。 |
05 | 蕉界の成功者 庄民の信用厚し 高て 代議員林丁氏特輯 氏は東港郡下にその人ありと知られた郡下きつての大半產者として又郡下に於ける先覺者であり又大成功者である。 氏は大正十五年鹽水港製糖旗尾工場を辭して以來、臺灣バナナの將來の發展性に目をつけ現住所たる林邊庄濫頭に居を移し專心バナナ栽培に没頭し同地方のバナナを今日の如き殷盛に導いた功勞者である。 當局でも氏の功を認め氏に容器及藁繩の製造を指定し該地方のバナナ生產者に供給せしめて居る。 氏は「高」及び「て」の兩圃場を有し年產一萬五千餘籠を出し當地方切つての大生產者にして現在公職としては高雄青果同業組合代議員、溪州信組理事の要職にあり交際も廣く同地方に於ける地方人士の信用厚く、人望もあり、溫厚篤實の人格者として尊敬されて居る。 |
06 | 合理的經營法は よく効を奏す 刘 圃場主劉棟氏特輯 氏は大正六年三月總督府國語學校國語部を卒業、直ちに米穀及祖先傳來の酒造業に從事し大正八年選ばれて阿緱產業株式會社監查役を振出しに高雄拓殖株式會社監查役、阿緱醸造株式會社常務取締役等を歷任したが昭和八年一月屏東市興農信用購買販賣利用組合が創立されるや迎へられて組合長となつて大に敏腕を揮ひ同組合をして今日の規模をなさしめたのである。昭和十一年十一月には高雄州會議員に選任されて今日に至つたが氏は多忙な身であり乍ら餘暇を利用して芭蕉の栽培に從事し屏東檢查所管內に於て「刘」のマークの圃場を有ち品種改良に努めると共に氏の合理的經營法は効を奏し着々實績を舉げて居りこれからの斯界に於ける活躍を期待されて居る(寫真劉棟氏) |
07 | 食べるバナナ、味のよさ特輯 |
08 | 十圃場の 所有主 山岸長夫氏特輯 曾つてのバナナ王と稱せられ高雄州下のバナナ產業の発展に盡瘁し各地に於て絕對的信用を獲獲得し芭蕉界の大功勞者として尊敬された山岸幸太郎氏は去る昭和十一年十月に逝去したが同氏の死は一般から大に惜まれて居り、氏の死後は長男山岸長夫氏の名義で未亡人幸さんが專ら經營に當り女手ではあるが現在屏東檢查所管內に四圃場、麟洛檢查所管內に六圃場を有し、年々增產を見、バナナの品質も各地で信用高く賣上高もとび切り良好でありその芭蕉產業界に盡した功績は實に大なるものである |
09 | 絕對の信用あり 圳(出檢)屏東の鄭清榮氏特輯 氏はバナナの栽培に從事すること十數年に達し、その豐富な經驗を以てバナナの品種改良に盡力して大に功績を舉げ、現在芭蕉產業界の重鎮である。昭和七年長以來長興檢查所々屬出張檢查の代表者であるが、「圳」のマークは名義上こそ出張檢查であるが實質的には同氏個人の圃場マークと同樣であり、氏は特に品質と正味に重きを置き、マーク「圳」は絕對の信用を置かれて居る。バナナ移出數量は每年八千籠以上であり本年の如きは一萬籠を豫想されて居り、氏の芭蕉產業界に於ける地位は一層重きを加へその活躍は愈々期待されて居る。 |
10 | 年產一萬餘籠 斯界の權威者 リ貝巾 圃場主林綿順氏特輯 屏東市會議員林綿順氏は大正七年三月臺灣總督府國語學校國語部を卒業直ちに阿緱廳雇となり二年勤めたる後辭し、次で阿緱拓殖株式會社書記を二年屏東郡郡雇を一年勤めて實業界に入り、縱橫に活躍して昭和十年十一月には市會議員に當選し市會每に氏の理論整然たる質問は評判高く市政に寄異する所大である、氏は理論家としてのみならず實樂家としても知られ、園藝に造詣深く芭蕉の栽培に於ては屏東檢查所管內に三大圃場を有ちバナナの品質改良に意を用ひ、その科學的合理的經營法は年々增產を見せ實績顯著にして斯界に確固な地位を占めて居る。そのバナナ搬出數量は每年一萬餘籠を算し各地に於て絕大な信用を置かれて居る。氏は高雄州青果同業組合評議員と代議員を兼任し外に臺灣青果同業組合聯合會代表員、屏東商工會議所議員であり、氏は近年コーヒー、レモン、蜜柑の栽培にも乘り出して著々効果を納め斯界に於ける氏の活躍は各方面から頗る期待されて居る。【寫真林綿順氏】 |
11 | バナナ產業界に 貢献する事多大 寬 圃場主邱潤寬氏特輯 屏東郡長興庄長邱潤寛氏は本年三十二歲の州下第一の年少庄長であり逸才の評判高く其の手腕は大に謳はれて居る。地方屈指の名望家にして臺南師範學校四年修業中父玉梅氏の逝去により退學して家事に從事し昭和二年に長興信購販利組合專務理事に選ばれ弱冠乍ら大に敏腕を振ひで同組合長に選任せられ、昭和十年六月には長興庄長に任ぜられ其の外長興青年團長、長興庄民風作興會長、同社會事業助成會長等地方幾多の公職に在り多忙の身であり乍ら芭蕉栽培にも從事し品種改良に盡瘁しバナナ產業界に幾多の功績を印して居り昭和五年には早くも高雄州青同業組合代議員に選ばれ續いて同評議員、臺灣青果同業組合聯合會代議員に選任されて居る。氏は實業界にも錚々たる地位を有し高雄青果株式會社取締役、高雄州自動車運輸株式會社監查役等の要職にあり其他氏は國防献金や社會事業に盡瘁して表彰されたこと數ふるに遑がない程にして其の將來は益々囑望されて居る。(寫真邱潤寬氏) |
12 | 品質頗る良好 尃 傅運桂氏特輯 竹田檢查所管內に於て「專」のマークの圃場を有つ氏は明治三十七年生れの溫厚篤實の士で昨年初めて芭蕉の栽培に乘り出し檢查所當局の後援の下に幾多の犠牲を拂つて栽培に努力した結果バナナの品質が極めて良好なるため搬出先の到る處で評判が高く好成績を納めて居る。 |
13 | 嚴選主義の 丸一 鍾貴興氏特輯 氏は十年前に芭蕉の栽培に乘り出して以來檢查所當局の指導に基き努力を惜まず其の豐富の經驗に依つて增產を見、氏は又選別籠本位と共に常に良いバナナを生產することを目標とし努力の結果近來は到る處で評判高く大に効果を舉げて居る。 |
14 | 思へらくはバナナ 戀しき春の今宵特輯 |
15 | 同業組合評、代議員 玉・靖 圃場主林德玉氏特輯 氏は大正二年三月臺灣總督府國語學校師範部を卒業し同十四年四月まで初等教育に盡瘁したが當時芭蕉產業の前途多望なるを見て教壇を退き芭蕉園の經營に專念し其の栽培面積は高雄州下に於ても屈指の大生產者となり、潮州檢查所管內に於て「玉」と「靖」の二の圃場マークを有つて居り、氏の芭蕉改良に盡した功績は大である。氏はまた潮州街協議會員、潮州街卸賣市場株式會社々長の要職に在る。 |
16 | 功績顯著 ラ.官(出檢) 李才官氏特輯 竹田檢查所管內の「ラ」出張檢查代表者であると共に「官」の印の圃場主である李才官氏は十八年前に初めて芭蕉を栽培した篤農家にして學校庄役場と協力して部落民の教化指導、產業開發に盡瘁し功績を擧げて居る。芭蕉栽培に於ては檢查所當局の後援に基き多忙な職務の餘暇を利用し常に良いバナナの生產增加には寢食を忘れて大に努め其の實績は頗る顯著なるものがある。 |
17 | 年年增產 芳 圃場主方乞食氏特輯 竹田檢查所管內に於て「芳」のマークの圃場を有つ氏は明治十六年生れの溫厚篤實の土にして十年此の方芭蕉の栽培に從事し、檢查所當局の指導宜しき為めと氏の努力に依つて年々增產を見選別並に籠積に特に留意し常に良いバナナの生產に務めた結果昭和十二年の移出高は二千二百籠金額七千五百圓であったが昭和十三年には二千九百籠を搬出して一萬圓を得前年に比して籠數七百籠金額二千五百圓の增加を見せ竹田檢查所管內では第一位の賣上優良成績を舉げて居るが本年も增產を豫想されて居る |
18 | 施肥適宜 如 李明如氏特輯 氏は明治三十七年の生れ公職として保正區總代農事實行組合長の要職にあり、父故李富郎氏の後を引繼ぎ「元」「明」マークの圃場を經營して居つたが本年度組合當局のマーク改正に依り「如」と改稱し氏多年經験の施肥管理の方法を克く實行したので內外地とも非常な好評を博して居る【寫真李明如氏】 |
19 | 年產一萬籠 治 鍾啓蒸氏特輯 氏は前新埤信用組合長鍾慶德氏の長男にして地方の中堅層、昭和十二年父慶德氏の隠退に依り監事に當選し、翌年總選舉に當り信望厚き為め專務に選ばれ其他農事實行組合副組合長、潮州郡水利組合評議員、高雄州青果業同組合代議員の要職にあり、氏は高雄州青果同業組合未創立の前既に將來有望の事業と認めてバナナ栽培に着手し多年の經験に依り中味は勿論色澤芳味共に佳良なので「治」のマークは到る處に好評を博し年產一萬籠に近き大生產者である。【寫真【鍾啓蒸氏】 |
20 | 廣告特輯 |
序號 | 標題 |
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01 | 築港景氣本格化 勞働者を大募集 梧棲築港工事愈よ着手 |
02 | 納稅報國の實 龍井庄相次ぐ完納 近く盛大な表彰式 |
03 | 黃麻栽培を獎勵 島澤郡守、農民を激勵 |
04 | 圖像:健康週間大講演會 |
05 | 蘇澳漁業組合(近く設立) 漁業用物資を配給統制 |
06 | 冬山庄苧麻聯合會 四日初總會を開催 |
07 | 葬費を節約 四百圓献金 |
08 | 山子腳(鶯歌庄)に醫師饑饉 都會集中のお醫者さんやーい |
09 | 健康週間第五日 大相撲、乳兒選獎 板橋街の諸行事 |
10 | 各醫家に健康相談所 員林郡の選獎乳兒十七名 |
11 | 母性乳兒保健日 中壢郡で講演と映畫 |
12 | 圖像:吉岡彌生女史壯行會 |
13 | 旗山郡警察異動 |
14 | 國講講師打合會 十四日、鹿港一公で |
15 | ガソリン券を飲む 時局が生んだ珍犯罪 |
16 | 矢上郡守披露 |
17 | 草屯商工會總會 |
18 | 豐原郡學校長會議 來る十日開く |
19 | 社頭振英保育園 三日入園式 |
20 | 竹山專賣品小賣人組合總會 |
21 | 彰化兩振興會總會 |
22 | ローカルセクション報社消息 |
23 | 彰化署小異動 |
24 | 彰化署が 闇の花を檢擧 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 惡質の奸商に對し 斷乎‧鐵鎚を下す 十割以上の暴利を貪つて 高雄の鐵工場戒告さる |
02 | 乳幼兒選獎式 きのふ各地で擧行 |
03 | 褒賞傳達式(高雄) |
04 | 圖像:海軍記念日ポスター |
05 | 臺中州の馬產計畫 產組馬匹普及會を創立 |
06 | 白衣の勇士轉地 臺北と臺南へ |
07 | 高原廳長訓示傳達 |
08 | 總督長官の 訓示を傳達 |
09 | 新生廈門だより/郭發海外遊記 ◇......臺灣居留民會多年の懸案たる幼稚園の新設はいよいよ委員會に於て來る九月一日より開設することに可決確定した蔡會長と黃副會長兩氏も大いに賛意を表して居り近く實行委員を選出し直ちに一箇年間に要する經費三千圓の寄附金を募集することとなったその意氣たるやと云ふべく新廈門に於ける居留民の福音とも云って過言ではない。 ◇......幼稚園の校舍として過般庄司旭瀛書院長の努力に依り既に市教育會の建築物を借受けたし新設に關する諸事務も庄司氏が責任を以てやるそうである。幼稚園新設の趣意書やその他書類は庄司氏の手元で作製中で近く寄附金募集願と一緒に總領事館へ提出する豫定である多年の懸案たる幼稚園は遂ひにその實現の曙光を見るに至った ◇......新生廈門の復興は實にものすごいものがある、居留民の進出も素晴らしい勢で躍進的に增加してゐる、その數も日本、臺灣兩居留民管の統計を合計しでも七千名に達する程多數に上ってゐる。而して增加しゆく新生廈門の居留民子弟のための教育問題はこれを等閑に附すべきことではない。 ◇......從來廈門に於ては內地人子弟のために日本人小學校あり臺灣人子弟のために廈門旭瀛書院を設立した 何れも庄司氏の努力に依り他と比較して毫も遜色がないのである、それで一般居留民の父兄もこの小學教育に關する限り庄司氏を信賴し安心してゐる、然しながら學齢に達せざる子供を收容する幼稚園なきことは遺憾千萬のこととし一居留民は頻りにその新設を要望してゐた。 ◇......然るに幼稚園の新設に要する經費の捻出が困難であるとの理由にて臺灣居留民會は之を顧みる餘裕がなかった、今回會長蔡世興、副會長黃六兩氏を始めとし全議員賛成の下に遂ひに英斷を下し着々その準備を進めてゐる。永い間待望してゐた幼稚園の新設曙光が見えたと云ふので居留民は大喜びである。又感慨無量でもあった。 ◇......わが日本國民が飛躍的發展を期するにはこの飛躍に伴ふて之に役立つ教育施設が完備してゐなければならぬ、新生廈門に於て一層その必要を痛感するものである、勿論幼稚園だけでなく中學校や女學校或は實業學校の新設も遠からずその必要な時代が來るであらう。その時關係當局の一考を煩したいとは居留民の御願ひである。 ◇......蔣政權治下に於ける廈門の教育は抗日教育であることは云ふまでもない。この歪曲された教育によって支那事變の勃發を見たと云っても過言ではないのだ、新生廈門になって以来この教育施設に關して當局者が重大なる關心を持つことは當然な措置であった。 ◇......新東亞秩序の長期建設を有終の成果を擧げるためには支那第二國民の教育を過去の儘に殘されて良い筈はないのだ、即この歪曲された抗日教育を是正して真に東亞新秩序の建設に協力し今後の東亞に處するためのイデオロギーを新しき支那第二國民に植付けるべきである。 ◇......然らざれば東亞新秩序の長期建設は單なるスローガンとなりその目的たる成果を擧げ得ることがなかなか困難と見るべきであらう。新生廈門の教育について當局者もその點に關して特に意を用ひ最善の方法を以て學校の新設を東亞新秩序の建設に協力し得る人材を養成することに邁進しつゝある。 ◇......現在廈門に於ける教育施設は市立第一、第二、第三、第四、江頭の五小學校あり、その生徒數は第一小五四四名、第二小五二五名、第三小四○七名、第四小五三三名、江頭小一八四名合計二、一九三名である尚近く鼓浪嶼小學、市立中學、私立閩南女子中學なども開校することになってゐる。 ◇......これらの學校は臨時、維新政府の編纂したる教科書を使用し、新に日本語科を設けたのである、現在の小學校では每週日本語教授が五□間で教員は臺灣人ばかりである。これら日本語教員が東亞新秩序の長期建設に一役割を演ずるのであるからその責任は重大なりと云はねばならない。 ◇......市立小學校は今後どんどんと殖える、又中學校女學校もだんだん新設されるので、日本語の教員も益々殖える一途を辿るのだ、從來の採用は必ずしも教員免許狀の所持者に限ぎらない日本語を教授し得る者でも皆採用されるのである。廈門に於ては今後日本語教員の來廈を要望するであらう ◇......中華第二國民の教育は真に東亞新秩序建設の基礎工作であるから小學教員殊に日語教員たるものはこの貴き仕事を擴當し得るものを歡迎することは云ふ迄もない。この教員の希望者或は現職者は宜しく自ら反省しよく自重して中華民國に於ける第二國民のために最善の努力を拂ふが肝要である ◇......來る五月十日はわが海軍の精銳部隊が廈門島を攻略した一周年記念日である、この廈門攻略一周年記念日は或は廈門樂土建設一周年記念日と云へるであらう、在廈門のわが軍官民がこの日を記念すべく盛大な記念行事を種々準備を進められてゐたことは御承知の通りである、一方廈門樂土建設一周年記念の名に於て主催することであれば廈門治安維持會などの支那側も當然參加して然るべきであらうと主張する人もある ◇......しかしながら見ように依っては支那側を刺戟することゝなるので現地の軍官當局に於て慎重の研究をかさねた結果名目を五月十日一周年記念とし在留軍官民の內側の祝賀にとゝめるとにした、かくの如く盛大の行事を遠慮せざるを得なかったのは全くわが東亞新秩序の建設に多少なりとも惡影響を及ぼす恐れがあるからだ、在廈當局者の苦心察して知るべしである。 ◇......五月十日一周年記念行事委員は委員長高橋 副委員長蔡世興、高桑、庶務係古澤、黃六原、澤、鄭德和、魏根宣、施添壽、野畑、福士、會計係飯田、中村、林平城、餘興係澤、池本木村、今田、平山、余君河、郭發、陳鹽、江汝舟、野畑、奧村康、林書記、接待係古澤、庄司吳萬來、仁科、玉井、蘇嘉和、林冬桂、劉壽祺、周、吳、西村書記、設備係中津、陳陽山、曾文欣、奧村、江、劉書記で日本臺灣兩居留民會の役職員を總動員してゐる ◇......尚來る六月二十日は廈門治安維持會成立一周年記念日である、今回削除された提燈行列や餘興はその時に大々的に催し日華人とも之に參加して祝賀することになった、又廈門特別市政府もその後樹立されることとなってゐる、これも大いに祝賀すべきであらう。これより記念すべき日をつぎつぎに迎へる新生廈門の市民は頗る活氣を呈し祝賀準備に餘念がない ◇......興亞院夏門連絡部並に在廈門總領事館當局者はこれら記念行事の費用を出來るだけ節約して一般居留民に迷惑をかけない意向である、自らその一部の費用を負擔し在廈門臺銀支店、大阪商船、三井商事、福大公司の四大會社には多少寄附させりは日本、臺灣兩居留民會が折半負擔することになってゐる。 その意のあるところに對し居留民は感謝の意を表して然るべきである。 |
10 | 彰化商工協會 解散 七日最後の役員會 |
11 | 臺南郡守市尹會議 きのふから開催 |
12 | 家賃は值上げぬ 彰化家主懇談會で決定 |
13 | 十七歲の少年が 見事‧普文に合格 臺南州高等課の明山君 |
14 | 臺南州保甲協會 聯合會發會式 きのふ警察會館で擧行 |
15 | 臺中市に又も流腦 患家附近を交通遮斷 |
16 | 花蓮港郡守會議 十二日より三日間 |
17 | 圖像:ゲーリング元帥リビア視察 |
18 | 少年團等級審查 |
19 | 排球選手權大會 廿八日臺中一中で |
20 | 田端殖產局長 七日から三日間 臺中州下を視察 |
21 | 養鷄の改良增殖 臺中州の五ケ年計畫 |
22 | 財團法人濟美會 近く認可が下がる 諸寺廟の財產を移管 |
23 | 東臺灣電力會社 下旬頃創立總會を開催 |
24 | 白百合女學院 十五日に開院式 |
25 | 物好きな米人 |
26 | 消息報社消息 |
27 | 訃文:石游 |
28 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大陸一代娘(31)/小栗蟲太郎;中島喜美 |
02 | 龍骨車 讀書界の傾向 日本評論五月號 |
03 | 文藝時評 橫光利一と 室生犀星/古谷綱武 |
04 | 圖像:南國の新戰場(第五回臺陽展)/許聲基 |
05 | 學藝消息 空中、地上で 操縱士交替の離業 |
06 | 「幼き者の旗」 |
07 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 三度び重慶を痛爆 昨日午前、午後の二回に亘り 未曾有の大混亂に陷る |
02 | 再度成都に遷都か 敘州、昆明にも分散 國府深刻な政治的動搖 |
03 | 峻峰○○を確保 敵最大據點○○を睥睨 |
04 | 一大追擊戰に移る |
05 | デマ宣傳材料に使用 領事館區域に爆彈投下と |
06 | 布哇以西の海軍費否決 |
07 | 青天白日旗の揭揚 八記念日だけ許す 我方絕對禁止を要求 |
08 | 獨の要求、全面的否拒 波蘭外相、下院で闡明 |
09 | 拒絕の回答を 獨逸側に手交 |
10 | この種不幸避け難し 上海の海軍當局談 |
11 | 正義道義を基礎に 帝國外交を運用 有田外相方針を闡明 |
12 | 第二のチ國とならん 獨、波外相の演說に不滿 |
13 | 軍事協力を決定せん 獨伊兩外相第一次會談 |
14 | 近海郵船を吸收合併 日本郵船が |
15 | 上海の圓相場低落 中支への圓札持出額 さらに制限するか |
16 | 第三回ソ聯 最高會議 廿五日に招集 |
17 | 北支の石炭 開發 地域別に會社設立 |
18 | 明日の天氣 |
19 | 總動員(121)/長田秀雄;夏口醇 |
20 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | おお!懷しの祖國 鬚ぼうくの顏‧顏 武勳の勇士輝く歸還 |
02 | 海軍記念日に 祝賀短艇競漕大會 多數の參加を希望 |
03 | 高千穗丸入港 鐵道協會の先陣 七十名賑かに來臺 |
04 | 圖像:武勳の勇士歸還 |
05 | 砂糖の分割供給 規定最後案可決 |
06 | 世界一に強い輕い 航空機用合金完成 航研の石田、田尻兩氏に凱歌 |
07 | 經濟取締りは 嚴罰主義で臨む 黑澤保安課長語る |
08 | 公認昭和洋裁開所式を擧行 |
09 | 新竹專賣品小賣人組合總會 |
10 | 草山へ強行軍 臺北州警務部の鍛鍊日 |
11 | 稻の大敵‧稻熱病が 中壢郡下を襲ふ 新屋、觀音兩庄被害甚し |
12 | 樂しい「子供の日」 幼稚園の坊ちやん孃ちやんが 若葉の新公園でお遊戲 |
13 | 經濟座談會 あす臺中署で開く |
14 | 紐育萬國博の 入場料 |
15 | 從軍感想錄を 臺南州が募集 國民精神の作興に |
16 | 大統領夫人の忠告 |
17 | 定期航空 |
18 | 海上警報 |
19 | 人事‧消息 |
20 | 今夜の放送 |
21 | 商況 六日前場 |
22 | 今日の興行 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日本の母(114)/新述節;瀧伸二 |
02 | 家庭婦人 不良になる動機は ごく單純なもの 家庭と學校の連絡強化が必要 |
03 | 食物中毒の季節來る 一番多いのは仕出し屋の辨當 厚生省技師醫學博士秋葉朝一郎氏談 |
04 | 憂鬱なハタケを治す 新しい美顏術 材料はオイルと食鹽だけで |
05 | ス‧フはなぜ 汚れ易いか 洗濯やアイロンの場合 どんな注意が要る? |
06 | 新ワカメの魅力 |
07 | 圖像:大陸の花婿花嫁の集團結婚 |
08 | ナフキンの使ひ方 胸高に吊るのは見苦しい 家庭では半紙で代用 |
09 | 子供の服を 新調するとき |
10 | お盆と木目 |
11 | 味覺をそそる 蕗の青煮 |
12 | 紙上病院 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新民報國語學習新聞 赤ん坊や子供には こんな病氣がある 虫齒は九十パーセント 兒童愛護聯盟の調べ |
02 | 圖像:捕鯨船畫報 |
03 | ようこそ第二の訪日機 機長ガブレンツ男は (上)歐洲大戰の勇士です |
04 | 今日の歷史 |
05 | 映畫にして見せる 國技館の相撲 この夏場所から始る |
06 | 圖像:支那の子供に施寮(無料で治療する)する我勇士 |
07 | 童話 銀貨の行方(上)/塚原健二郎 |
08 | 非常時日本に 大臣用の飛行機 五月中頃に二機飛ぶ |
09 | 圖像:戎克の檢查 |
10 | カタカナ欄 ブンテウサン トテモオシヤレ |
11 | 桑の皮を剝いで 七萬圓を產出す 全部の小學生が總動員 |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 我空襲を回避する 遷都は全然意義なし 敵一步後退せば 我航空隊は二步前進頭條新聞 【東京六日發同盟】大本營海軍報道部長談六日午後四時發表 我が海軍航空部隊が去る三四の兩日に亘り矢繼早に決行した重慶大爆擊に依つて國府の狼狽、民心の動搖其の極に達し蔣が武漢喪失後牙城と恃んだ首都重慶も最早存續不可能となり又しても蔣介石の都落ちが取沙汰されてゐる、落ち行く先は四川□城成都に決定したと言はれ尚一部機關を昆明□叙州(一名宜賓、重慶上流約二百粁)に分散するとも傳へられてゐる、成都まで落ちのびた所で此處は重慶から直距離僅かに二百粁餘、奧地とは地上の人間の氣休めに過ぎず我が海軍航空能力から見れば重慶と何等選ぶ所はない、我が空襲回避を目的とするのならば全然意義をなさないのである、今となつては成都に限らず何處へ遁入して見た所で我が海軍航空隊の優秀なる爆擊機の能力を考へて見れば判る筈である、最早如何にしても我が空襲は免れやうがなく四百餘州廣しと言へども蔣の身を置くべき所無しといふ實狀である敵が一步後退すれば我が航空隊の基地は二步前進するといふことも考へねばらない、これまで敵が奧地と自稱する重慶や昆明が比較的我が空襲を受けることが尠かつたのは一に同地方の惡天候のお蔭を蒙つてゐたのである、恰かも夏季絕好の空襲シーズンを迎へて我が海軍航空部隊は愈愈支那全土をその鵬翼下に收めて蔣政權の在る限り何時如何なる所にあらうとも天が下に隱れ家もなしと歎ぜしめるであらう、それにつけても轉轉と遷都を行はれて幸か不幸か首都に選ばれた先先の善良なる市民達はいい迷惑であらう我が空襲部隊は嚴に軍事施設を唯一の空爆目標としてゐることは勿論であるがたまには爆彈炸裂の餘勢で市民も犧牲を免れないこともあるを覺悟するのが常識である、抗日政權の存續する限り首都に選ばれた各地の市民は迷惑千萬なことである序に特に所在第三國外交機關並に建築物に關して警吿して置きたいことは從來支那側が領事舘其他外國所屬の建物に接近して陣地を設けるのを常套手段としてゐる事實に鑑み第三國側に萬一にも被害を及ぼすが如きことの無いやうに豫め支那軍の陣地を前記地帶から遠ざけるやうにして貰ひたいことである遷都を前にして特にこのことに關して注意を喚起したいと思ふ |
02 | 敵都重慶の混亂振り A‧P特派員の報導 |
03 | 波、英の誘引に踊る 廻廊自由通過權は獨の死活的要求 獨外務省機關紙が強調 |
04 | 波の態度は不遜 イタリア政府非難す |
05 | 外人の被害皆無 |
06 | 中央通信社主幹 何思源重傷 我が大爆擊で |
07 | 獨、伊會談迫る |
08 | 首都衛戍總司令 劉峙も重傷 |
09 | 我軍、江南各地區で 敵を徹底的に擊滅 赫赫たる戰果を擧ぐ |
10 | 農林、水產物も 低物價政策強行 農相、長官會議で答辯 |
11 | 三巨頭が重要會議 ブ獨陸軍總司令官、リビア總督と パ伊太利參謀總長 |
12 | バツク外相の演說 フランスは不滿 |
13 | 地方長官會議(第五日) |
14 | 佛租界內法院問題で ゴ總領事に重要申入 三浦總領事が口頭で |
15 | チアノ外相 ミラノに向ふ |
16 | 英閣僚會議を招集 ソ聯の提案の回答を決定通達 著しい懸隔を示す |
17 | 六日外務辭令 岩手公使依願免 |
18 | ソ聯在外使臣、外務人事 近く異動 リ氏は中央委員の地位も失ふ |
19 | 臨時配合肥料の 最高配給價格 全國一齊に實施 |
20 | 汕頭、潮州、泉州爆擊 海の荒鷲四日の活躍 |
21 | 參謀長會議終る |
22 | 戰時公債強制保有法案 米國上院で可決さる 獨裁的傾向、非難沸く |
23 | 立川飛行機會社 從業員が献金 |
24 | 松浦代議士失格 |
25 | 龍烟炭礦開發 株式會社を成立 |
26 | 本日の天氣 |
27 | 大阪商船臺灣出帆 |
28 | 近海郵船基隆出帆 |
29 | 辰馬汽船 |
30 | 大連汽船 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 經濟警察協議會に期待社說 一 我が國は支那事變勃發に依り戰時體制に轉化して已に一年十箇月を閲し、長期戰に對處する一切の準備を整へ、總□る部門に亘つて强力なる統制を加へ、從來個人の自由に放任してゐた商人の活動も、聖戰の大目的遂行上必要なる銃後の經濟力確保の為には已むを得ず、いろいろの制限又は統制を加ふるに至つたのである。所謂經濟法令の發布となり、同時に右法令の遵守を確保するため、現行の經濟警察制度が生まれ、昨秋全島警察幹部を臺北に招致し經濟警察講習會を開催、經濟界の實情と經濟統制の緊要なる所以及び經濟警察の概念とを悉知せしめて、制度運用上遺憾なきを期して來たが、どちらかと云へば、從來餘り經濟問題に關心を持たなかつた警察が咄嗟に課せられた新法令の取締運用に當るものですから、見解の相違で行き過ぎたり、或は不行届ができたりして、法令發布の目標たる銃後の國民生活の安定並に經濟力確保の觀點からして寒心せざるを得ない節なきにしもあらずで、今後は此點に就き官民と一層の研究と關心とを要する問題だと考へるのである。 二 島都臺北州當局に於ても深く鑑みる所あつて、今回經濟警察の有効妥當なる活動を計るべく、全島各州廳に魁けて經濟警察協議會の誕生となつたが、同協議會についての詳細は未だ正式に發表されてゐないが、その目的は協議會を通じて一般商工業者への取締方針の徹底、經濟警察に關する知識の交換乃至は一般商工業者の意見を聽取して取締側の警察と商工業者との連絡を緊密にして、法令運用の圓滑を圖ることになつてゐる。業者としてもこの機關を通じて、自分等の持つてゐる意見又は苦情を訴へられるので、同協議會の誕生はこの意味に於て大いに喜ばれてゐるものと見るべきである。 三 臺北州當局で右機關創設の外に、更に經濟警察の教養卽ち素質の向上を圖るべく、曩に黑澤州保安課長をして東京、名古屋、大阪、神戶等の內地各先進都市に於ける經濟警察の活動實績につき視察せしめ、その結果に基き戰時經濟統制の圓滑を圖る方法も新に考へ出され、大いに進步的な行方が展開されるものと刮目期待されてゐる。 要は腹をぶちまけて業者に接近したい當局の親心が水泡に歸さぬ樣該協議會の成立を真に一般商工業者の福利を增進せしめる機關たらしめる事を切望して已まない次第である。卽ち此機關により官民が協力一致して戰時經濟統制の實を擧げ、銃後に於ける國家總力を百パーセント發揮して、長期聖戰の大目的貫徹に遺憾なからしめるやう官民お互に努むべきである。 |
02 | 我猛爆の跡を見て 蔣夫妻は茫然自失 死の重慶外人側の報道 |
03 | 五大根本方針下に 警察陣を指導強化 新竹州の實施要項 |
04 | 養蠶初の御儀 九日執り行はせらる |
05 | 軍事後援會 きのふ羅東で發會式 |
06 | ガブレンン男一行 遞相午餐會に臨む |
07 | 無料診療券千枚 宜蘭郡醫師會が配付 |
08 | 睡眠中に勉強 |
09 | 優しいエブロン姿 胸に銃後鐵の決意 國婦臺北市南分會の第一回總會 |
10 | 王仁喆氏醫博に |
11 | 米國空前の總罷業 坑夫組合、炭礦主の交涉決裂 石炭饑饉、恐慌を來す |
12 | 「全歐合眾國」を造れ 對立を解決する唯一の途と ベネシユ博士が主張 |
13 | 販賣擴張員募集/臺灣新民報社報社消息 |
14 | 島北產婆會けふ第二回總會 |
15 | 奉納水泳大會番組決定 |
16 | 建成小土俵開き |
17 | 中等劍道大會 六月四日臺灣豫進會 |
18 | 早、帝一回戰 早大が先勝 |
19 | 來るべき 流行玩具 |
20 | 人事‧消息 |
21 | 今日のメモ |
22 | ときのこえ |
23 | 今日の興行 |
24 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 租稅收入額(昭和十二年度) 六千八百五十六萬圓 前年に比し二七%增 |
02 | 一戶當の納稅額 六十一圓五十一錢 前年に比し十四圓七十二錢增 |
03 | 鐵屑配給統制の 規則を改正 六月一日より施行 |
04 | 物價統制の新段階(二) 統制目標と實行方法 |
05 | 貸出と預金利子を 近く同時に引下げ 產組の態度を見極めた上で普通銀行斷行せん |
06 | 溪洲工場製糖終了 |
07 | 高雄港の停滯糖 配給不圓滑で惱む 五月の船積豫定發表 |
08 | 夏物鳳梨買入價格 昨年同樣に決定 |
09 | 臺電の增資 原案通り認可 |
10 | 本島貿易の促進に 愈よ懇談會を開催 專門委員會をも組織か |
11 | 總爺工場製糖終る |
12 | 賣物薄で 丸糯米が反騰 |
13 | 戰時海上再保險の 國營大綱決定さる 商工省‧更に細目を研究 |
14 | 照明燈 |
15 | 市價及商況 六日 |
16 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 園藝カレンダー 大菊の插芽/佐久間謙介 |
03 | 新日本音樂 |
04 | 子供の時間 童話劇 太陽から生れた子 |
05 | ラヂオ風景 |
06 | 料理/野田千鶴子 |
07 | 圖像:早慶ボートレース |
08 | 趣味‧娛樂 金魚の飼ひ方 水の入れ加減、替加減 |
09 | 「脇坂部隊」の 原隊慰問 日活松田總務部長 |
10 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新豐郡の金動員 六十七貫突破 豫定の百萬圓に達す |
02 | 既に三十貫を突破 東石郡、豫定額超過の見込み |
03 | 新化郡、四十二貫 五十貫目指して猛進 |
04 | 霧峰は各戶に割當 |
05 | 圖像:盟邦獨逸ガブレンツ機 |
06 | 故內田氏の 慰靈祭 四日埔里で嚴修 |
07 | 榮養食の試食會 竹南の榮養改善日 |
08 | 鳳山街の選獎會 榮譽の乳兒に賞品 |
09 | 溝坪少年團 結團式 |
10 | 出征軍人子弟に 學用品を贈る |
11 | 九芎橋國講を建設 將來は瑞芳分校 |
12 | ローカルセクション報社消息 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 報國の精神彈藥 見よ!この盡忠‧この純情 (三)支那事變愛國美談集/海軍省海軍軍事普及部 |
02 | 衡陽上空大空中戰 野中大尉血淚の手記 |
03 | 圖像:修養團西日本大會 |
04 | 壯烈堤機の最期 軍人精神の極致 |
05 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 九ケ年の歲月結實 曾文溪の治水完成 近く竣工式を擧行 |
02 | 圖像:ヤシの葉蔭で我勇士の劍道猛練習 |
03 | 貧困者の樂園! 臺中市で建設に決定 |
04 | 身心鍛鍊日 臺中署で非常召集 |
05 | 臺南州郡守 市尹會議終る |
06 | 內地視察團 十五日出發 |
07 | 不德商人に嚴重戒告 臺中州暴利で二名摘發 |
08 | 社會教育講習會 十三日から三條崙で |
09 | 故銅鐵屑配給組合 きのふ創立總會 |
10 | 內地社會事業 視察團九日出發 |
11 | 彰化市の選獎會 五日‧盛大に擧行 |
12 | 臺南州立の 吏員養成所 十日に入所式 |
13 | 就職者の勤務狀態を調查 |
14 | 育兒衛生講話 |
15 | 東海バス橫領事件擴大 花蓮港次席留置さる |
16 | 彰化市校長會議 十三日に開催 |
17 | 國策協力のお產! 伊太利に四ツ子と三ツ子 ム首相大滿悅、產衣を贈る |
18 | 圖像:ポーランド空軍 |
19 | 彰化郡校長會議 |
20 | 臺中商專合格者 |
21 | 玉里熱帶農塾園 近く生徒を募集 |
22 | 鷄卵の代用品出現 獨、人造卵製造に成功 |
23 | 偽刑事は牛車挽 警察手帳を振り廻す |
24 | 溝坪肉豚肥育 褒狀授與式 |
25 | トラツクが 原料車と衝突 |
26 | 嘉義春競馬 第一日の成績 |
27 | 腕木で毆る |
28 | 十歲の女子 母と留置さる 果實を盜んで |
29 | チエコ館紛議 紐育の萬博で |
30 | 老爺厭世自殺 |
31 | ス‧フ補強劑 新興パラヂウム液出現 |
32 | 消息報社消息 |
33 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 空軍、地上部隊出動 豫備兵に待機命令 獨は對波包圍態勢頭條新聞 【ベルリン六日發同盟】ベツクポーランド外相の演說以來ドイツの對ポーランド態度は刻一刻惡化しつつある特に空軍地上部隊の精銳ゲーリング聯隊がポーランド國境方面に向け出動し又突擊隊、現役兵團も獨波國境方面乃至輸送基地方面へ移動し豫備兵に對する待機命令は第一線豫備兵にまで擴大されたと傳へられてゐる又獨波關係に關する新聞論調も極めて峻烈となりチエツコ事件當時の緊張□戰前夜を彷彿せしめるものがある他方對ポーランド外交も着着進み今では全く對波包圍陣成る態勢である卽ち 一、スロヴアキアに對する保護ハンガリーとの同盟□ルーマニアと友好關係樹立に依るポーランドの南方孤立 一、バルチツク諸國との目前に追つた不可侵條約並に北歐諸國との中立關係によるポーランドの北方遮斷 この間ヒトラー總統はベルヒテルガーデンの山莊□籠つて刻刻入り來る情報に基き策を練つてゐるが結局ゲーリング空相、ブラウヒツチ國軍總司令などがイタリアより歸還するを俟つてこれらと協議最後的決定を下すものと信ぜられてゐる、 |
02 | ム首相、國境(伊佛)を視察 ゲ獨空相とも會談せん |
03 | 歐洲の新秩序を建設 獨伊兩國外相會談共同聲明を發表 |
04 | 圖像:杉山北支最高指揮官新民會青年訓練所視察 |
05 | 英國兩陛下 加、米御訪問に向はる |
06 | 物動計畫の概要 けふの地方長官會議で 青木企畫院總裁が說明 |
07 | カー英大使 成都へ向ふ |
08 | ブ獨總司令 羅馬に到着 |
09 | 獨との不可侵協定 エ政府、締結に決定 |
10 | 我包圍圈に敵を壓縮 西大別山系の戰況進展 |
11 | 堅陣○○山を占領 |
12 | 洛陽、西安、南鄭を急襲 |
13 | 成都の人心極度動搖 遷都說や避難命令で |
14 | 遷都準備委員會設く 四川軍閥との摩擦起らん |
15 | 英、土の條約締結 兩國の意見一致 |
16 | 自衛且つ治安の為 適當の手段執らん 租界問題天津軍當局發表 |
17 | 共に和平に努力せよ 彭維持會長、張に勸告 |
18 | 外蒙兵の不法發砲 我警官隊應戰して擊退 |
19 | 民政、政調會內に 內閣部新設せん |
20 | 南朝鮮總督入京 |
21 | 本日の天氣 |
22 | 大阪商船臺灣出帆 |
23 | 近海郵船基隆出帆 |
24 | 辰馬汽船 |
25 | 大連汽船 |
26 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 皇軍の溫い保護下に 新秩序の建設を急ぐ 明朗、海口の親善風景 |
02 | 共匪の根絕に邁進 瓊崖自衛團雄雄しく誕生 |
03 | 圖像:暹羅の青年學徒來朝 |
04 | 定安治安維持會 盛大に發會式擧行 |
05 | 絕やせ!結核 銃後の奮起を要望 二見警務局長語る |
06 | せつせと働く 海口の婆さん達 市內に市場に農村に |
07 | 南支貿易調查團 基隆市議一行出發 |
08 | 鼻子頭社大祭 十日に擧行 |
09 | 市民の健脚部隊 颯爽、白鷺山に登山 昨日は心身鍛鍊日 |
10 | 新竹はハイキング 朗らかな一日を過す |
11 | 臺中の臺陽展 好評大入り滿員 |
12 | 枋寮公卒業生の美擧 |
13 | 圖像:建成小の土俵開き |
14 | 專賣小賣人組合總會 |
15 | 新竹市に專賣會館 皇紀二千六百年記念事業に 專賣關係者が計畫 |
16 | 國語家庭を委員に 常用化に力瘤 國語宜蘭の建設 |
17 | 若竹町踏切で 飛び込み自殺 |
18 | けふは結核豫防日 ビラや宣傳隊を繰出して 大大的に街頭宣傳 |
19 | 結核豫防映畫 けふ公會堂で |
20 | 樺山町の火事 近海郵船倉庫燒く |
21 | 豫備陸軍中將 武田氏逝去 |
22 | 海上警報 |
23 | 早帝引分け |
24 | 石醫院開業披露宴 |
25 | 蓬萊丸無電 |
26 | 訃文:廖承丕 |
27 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 講演 よき指導よき理解 よき協力/酒井菊雄 |
03 | 管絃樂 |
04 | 講演 轉業對策の目標/鹽谷狩野吉 |
05 | 俚謠 |
06 | 料理/野田千鶴子 |
07 | 國民歌謠 |
08 | 子供の時間 對話 新支那旅行(五) 山東省の卷 |
09 | 連續ラヂオ小說 蜜蜂マアヤの冒險(上) |
10 | 日活多摩川作品 純情の眸 |
11 | オツクス‧フオード敗る |
12 | 川端康成の 「女性開眼」 新興が「乙女椿」 と改題 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 東港郡佳冬庄に 奉仕作業團結成 每土曜日に汗の奉仕 |
02 | 林邊庄の奉仕隊 堤防補強工事に乘出す |
03 | 旗山郡下の 街庄長打合會 六日郡守公室で |
04 | 圖像:早大體育祭 |
05 | 北斗郡海岸に 防風林造成 來月から着手に決定 |
06 | 金刀比羅神社祭典 |
07 | 花柳病豫防講演會(東港) |
08 | 斗六郡獸肉營業組合總會 |
09 | 桃園の選獎會 入選十名を表彰 |
10 | 體力增進日に 徒步で草山へ |
11 | 花柳病の豫防講演と映畫會 |
12 | 埔里專賣品小賣組合總會 |
13 | ラヂオで 警察犬に指令 シドニーで成功 |
14 | 集集專賣品小賣組合總會 |
15 | 東港警察課異動 |
16 | 「黃金律」氏 |
17 | ローカルセクション |
18 | 廖承丕翁逝去 葬儀は未定 |
19 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 總經費四十萬圓の 嘉義競馬場落成式 田端殖產局長臨席の下に きのふ華華しく擧行 |
02 | 六日迄の金賣却額 八百萬圓を突破! 臺南州の第二次運動 |
03 | 圖像:ガブレンツ男機一行神宮參拜 |
04 | 純益金の一部を 陸軍病院に贈呈 本社主催兼子女史獨唱會報社消息 |
05 | 吳服商組合座談會 きのふ臺中警察署で |
06 | 彰化商業學校 創立祝賀會 |
07 | 結核撲滅は 豫防が第一 松山療養所長新免勝氏談 |
08 | 圖像:航研機の至寶大陸に散る |
09 | 正札制度の勵行に 試買券を發行 花蓮港の吳服洋雜貨商組合が |
10 | 臺南州部落振興會 指導者講習會 十八日より三條崙で |
11 | 婦人教化講習會 廿三日より關子嶺で |
12 | 新渡臺教員講習會 十九日より村上公で |
13 | 臨海道路に山崩 東海バス運行中止 |
14 | 黃麻栽培面積打合會 六日大屯郡會議室で |
15 | 溫き手をさし伸べ 惡から彼等を救へ 不良狩より見た對策 |
16 | 嘉義競馬 (第一日)續 |
17 | 臺南消防組異動 |
18 | 第二日目 |
19 | 消息 |
20 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 大陸一代娘(33)/小栗蟲太郎;中島喜美 |
02 | 龍骨車 「兵隊と共に」 記錄的優秀作品 |
03 | 圖像:天然記念物に蜀鷄を指定 |
04 | 文藝時評 女流作家の 華華しい活動/古谷綱武 |
05 | 詩 愁夜二篇/町田謙治 |
06 | 學藝消息 扶養料は收入の半額 |
07 | 新刊紹介 講談俱樂部 六月號 |
08 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 政、經‧軍事の全面に 高度の強化を圖る 獨、伊兩外相會談終る |
02 | 協定締結の共同聲明 |
03 | 伊軍續續東阿に增遣 英佛陸海軍增派に對抗 |
04 | 獨波問題の解決策 リ獨外相意向を吐露 |
05 | 洪國、西國に參加要講 包圍政策を實力で突破 |
06 | 英國朝野に大衝動 |
07 | 協定調印を發表 D‧N‧B通信が |
08 | 伊政府より正式發表 |
09 | ノーブル中將 大將に進級 英支那艦隊司令長官 |
10 | エ伊上院議員を 無任所大臣に親任 |
11 | 廖磊麾下の 遊擊隊敗走 |
12 | 通城南方の敵を粉碎 |
13 | 四川將領を招集 遷都の諒解を求む 蔣は成都に駐在せん |
14 | 圖像:噴火口上のポーランド |
15 | 空陸呼應して猛攻 ○○山高地を占領 |
16 | 敵二萬殲滅の悲運に 第五站區最前線の |
17 | 殲滅戰態勢を形成 |
18 | 南支支那軍は漸次 張の勢力下に統制 往年の軍閥再建の觀 |
19 | 京漢線西方の五日の戰果 |
20 | 高師長は重傷 陳團長は即死 |
21 | 蔣介石成都へ向ふ |
22 | ネ米人飛行士 重慶で墜死 |
23 | 明日の天氣 |
24 | 總動員(122)/長田秀雄;夏口醇 |
25 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 防毒用目張りには セロフン紙が最適 古新聞や和紙はゼロだ 工大の加藤氏の研究 |
02 | 日本軍と協力して 模範島を確立 毛海口治維委員長談 |
03 | 名譽の戰死者 けふ原隊から發表 |
04 | 學生乘馬大會 各種競技を熱演 |
05 | 從軍感想談(上) 海口で通譯、軍夫座談會 |
06 | 酒井憲兵隊長 高千穗丸で上京 |
07 | 青年團主事に 永田中佐を囑託 |
08 | 電話申請者激增 資材關係で豫定基數減少 當局割當に頭痛鉢卷 |
09 | 廣東の治安確立 支那紙のデマ粉碎 |
10 | 集團的兒童體操 岸本保育主事を迎へ 瑞芳‧双溪公で開く |
11 | 國民登錄制の 小冊子を配布 基隆市が各關係者に |
12 | 新竹家政女合格者發表 |
13 | 騙しも騙したり 四千六百九十圓 金張りの腕環で釣る惡の華送局 |
14 | 社金を拐帶して 會計係逃走 故銅鐵屑統制會社 |
15 | 神出鬼沒 スリの名人檢擧 末恐してやこの淒腕 |
16 | 蒙疆に大製鐵所 產業部で建設研究中 |
17 | 結核を撲滅せよと 宣傳隊街頭を練る 臺北市は豫防一色 |
18 | 故武田大朝特派員の遺骨 あす內地へ凱旋 |
19 | 臺北市大清潔 十三日から開催 |
20 | 山東丸無電 |
21 | 定期航空 |
22 | 香港丸入港 |
23 | 今夜の放送 |
24 | 商況 八日前場 |
25 | 今日の興行 |
26 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 日本の母(115)/新述節;瀧伸二 |
02 | 家庭婦人 結婚は男女の鬪爭? 互に優越を爭ふ結婚奇習俗 |
03 | 牛乳も買へぬ母達は 赤ん坊に豆乳を與へよ ビタミンを補へば榮養は十分 |
04 | 書籍、衣類の消毒 家庭で行へる方法 |
05 | 圖像:五月人形の飾り方講習 |
06 | 魚に大根卸し 肉類には野菜 お惣菜のつけ合せを重視せよ |
07 | 赤ちやんの入浴 時間は十分を越さぬこと |
08 | 赤靴を手輕に 黑靴にする法 |
09 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新民報國語學習新聞 日頃の努力が酬ゐられ 十七歲で普文合格 臺南州高等警察課給仕 秋山君のお喜び |
02 | 圖像:新式輕タンク |
03 | 護國の英靈に 貯金の銅貨二百枚 名を秘めた軍國少女 |
04 | ようこそ第二の訪日機 機長ガブレンツ男は (下)歐洲大戰の勇士です |
05 | 今日の歷史 |
06 | 英國にも徵兵制度 全國七十五萬の青年に |
07 | 圖像:捕鯨船畫報 |
08 | 圖像:世界最小のモーター |
09 | 童話 銀貨の行方(下)/塚原健二郎 |
10 | 不用クレヨンの 再製に成功 東京の一小學校生 |
11 | 茄子の枝に瓜 接木法に成功 |
12 | カタカナ欄 メスノオウマガ マヲイヒヲハク |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 現狀維持的方策では 事變解決は期し得ず 世界情勢と密接關係あり 長官會議に特に出席し首相が強調頭條新聞 【東京八日發同盟】平沼首相は八日の地方長官會議に特に出席して今次事變と國際情勢の連關性を說明し東亞新秩序建設の根本方針として現狀維持打破を强調せる極めて注目に値する次の如き挨拶をなした、(要旨) 今次事變は世界情勢と密接な關係を有するものでこれと切離しては解決し得ぬものである、從つて從來の觀念に依る現狀維持的方策を以てしては解決は期し得ない、國內における諸問題就中經濟問題に於ても同樣である外國からの物資の輸入は益益困難になつて來てゐるに拘らず國防力の充實、生產力の擴充を圖らねばならぬため自給自足の大方針を以て進んで行かなくてはならぬ、依つてこの際官民とも異常なる決心と覺悟が必要である從つて政府の諸施策に就ては中央と密接な連絡を取り實行第一主義で進まねばならぬ國民精神總動員運動も同樣の心構へが必要であるこの運動は時局の收拾と國家の存立の上からも極めて重要な事であるから議論を盡すことは結構であるが一度決つた以上は斷乎として實行に移して以て實效を擧ることに專念されたい、依つて地方長官はこの方針に則り中央で決定せる基本方策その他の方策を實施すべきである【寫真は首相】 |
02 | 獨、伊軍事協定成立 伯林各紙、その重要意義を強調 |
03 | 完全なる攻守同盟 世紀の二巨人の精神的結合 |
04 | 圖像:真茹無電臺開通式 |
05 | 地方長官會議(第六日) |
06 | 獨伊交驩の 大晚餐會 會談を終へ、兩外相コモ河畔着 |
07 | 廿個師の敵大軍に對し 壯快な討滅戰展開 襄陽を隔る廿粁に進出 |
08 | 我が第一線は七日 襄陽東南方に進出 |
09 | 海南島南西岸の要衝 黃流市を無血占領 六日も汕頭、潮州爆擊 |
10 | 陸鷲軍が協力 隨所が敗敵爆擊 |
11 | スペイン政府 動員解除を命令 |
12 | 第二次五臺作戰の 火蓋は切らる 共軍三萬完全に包圍 |
13 | 蘇子坡一帶を占領 ○○に向つて急進中 |
14 | 山西殘敵掃蕩 四月中で敵屍一萬六百以上 |
15 | 三度大編隊で 南鄭を猛爆 |
16 | 刑事實務家會同 |
17 | ジユルナール紙 彈壓に遭ひ廢刊 リトヴイノフ辭任と關聯 |
18 | 外務人民委員の後任 ボチヨムキン次長か モスクワ外交界で豫想 |
19 | 金谷憲兵隊長らが 工部局を訪問 言論取締に關し協議 |
20 | ミ‧ハ‧ジ三島の 海軍根據地建設費 ヴ氏、米下院に復活要求を提出 |
21 | 田尻香港總領事 上海に向ふ 基隆を經由 |
22 | 日本米穀會社設立委員會 |
23 | 汕頭に突如 暴風雨襲來 |
24 | 本日の天氣 |
25 | 大阪商船臺灣出帆 |
26 | 近海郵船基隆出帆 |
27 | 辰馬汽船 |
28 | 大連汽船 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 國民總努力の要件 島民をして所 を得せしめよ社說 一 去る二月、平沼首相が全國地方長官會議において皇道精神の發揚を計つて萬民輔翼の實を擧げ、物心兩體制の擴充强化を計つて東亞新秩序建設に勇往邁進すべき國民の覺悟を熱望した訓示があり、又先般本島の地方長官會議において、小林總督が益益國民精神の昂揚に努め、本島の總力を聖戰の目的達成に集中せしめ、國策の遂行上、物心兩面に亘り島民を擧げて全體的協力を吝まざらしむることが緊要といふ訓示があつたが、しかし新附の島民といへども、皇國の臣民として政府當局の示されたる如く、國策の遂行に全力を擧げて勇往邁進すべき熱意と覺悟とを持つてをることは、今度の事變以來に於ける島民の熾烈なる皇民化要望と出來る限りの國策協力に依つてその幾分を立證され得たのであると思ふ。 二 然るに島民が真心より皇民として國策に協力する熱意と覺悟を有つてゐても、政府當局が之れを受け容れる善意とその智能程度に應じて職場を與へる宏量とがあつて、始めて新舊國民の總親和、內外地人の總努力といふ擧國一致の美果を收め得ることは云ふまでもない。ただ從來國民の總親和總努力を求むる政府當局の根本方針に照應せざる幾多の事例が本島の官界にも民間にも見せつけられたのは甚だ遺憾の至りと謂はざるを得ない。例へば本島人の智識青年が官公署に於ても民間の銀行會社に於ても、特に本島人を使ふ必要のない職場にはそれを登用したくない一般の傾向の如きは卽ち總親和の實を十分に結ばれない一原因であらう殊に島都某官衙の給士纂集に內地人に限るとの但書を付ける必要あるが如きは皇民化した今日の小公學出の本島少年の純真な童心を傷つけはせぬかを憂へざるを得ない表面に現はれた一例である。 三 平沼首相の屢屢聲明せらるる國民總親和の根本主旨は天地の公道に基くにあり國民をして各各その所を得せしむるにありと云つて居るが、勿論これは內地に於て、又は內地人に限るといふ但書を付けてゐる筈がなく、また內外地に差別があつてはならないのであるが、唯外地たる本島に於ては內地人に限るといふ事例が屢屢見せつけられて、本島人をしてその適所を得せしめない感じを抱かしむることは決して政府當局の根本方針を體得した者の所為ではないと信ずるのである。近年本島に於ける皇民運動が顯著なる成績を擧げ、外形のみならず、內心も內地化せる青少年が處處に現はれ出たことは欣ばしい現象であるが、さてその適所を得やうとして職場を求める日になると、殆んど宿命的に惱まされざるを得ない一般の傾向は、政府當局の深く省慮を要するところではないかと思ふ。茲に於て政府當局が國民精神を涵養した島民の智識階級をして各各その適所を得せしむべく、官廳には勿論、銀行會社に於ても本島人を除外忌避するの傾向を改めて、真なる國民の總親和□努力の美果を本島にも早く收められむことを企望して已まないのである。 |
02 | 中學校上級生徒に 支那時文を教授 長官から實施方通牒 |
03 | 防共都市聯盟結成 伯林、羅馬の兩市長を 東京市長が正式招待 |
04 | 紐育萬博に送る 御神火鑽火式 出雲大社で嚴に執行 |
05 | 蓬萊丸入港 鐵道協會第二班來臺報社消息 |
06 | 從軍感想談(下) 海口で通譯、軍夫座談會 |
07 | 神社參拜激增 基隆市教育課調べ |
08 | 石器時代以降の 貴重な遺物發掘 橿原神宮外苑工事で |
09 | 廈門連絡部の 分課規定 各部各班の陣容 |
10 | 一日に患者六百人 博愛會醫院汗だく |
11 | 廣東の空に鯉幟 兵隊さんに大な慰安 |
12 | 農山漁村民に 純綿布配給 新竹州下の割當 |
13 | 部落每に青年團 社會教育打合會で決定 |
14 | 鐵道協會視察團一行來新 |
15 | 宜蘭街聯合 青年團發團式 きのふ盛大に擧行 |
16 | そよかぜ號 乘組員一行の動靜 |
17 | 映畫の市民 時局映畫に集中して 觀覽者が增加 |
18 | 夏朝大學講座 日本の真姿を紹介 |
19 | 基隆青年訓練座談會 |
20 | 姑娘を同伴 秋葉部長歸朝 |
21 | 交通事務打合會(十二、三日) |
22 | 曾根原稅關長遺骨乘船 大和丸神戶出帆 |
23 | 恤兵金五百圓 簡深淵が献納 |
24 | アルミ增產 各社の計畫出揃ふ |
25 | 突如行方不明 北署に搜查願 |
26 | 高雄政談演說會 |
27 | 三輪善兵衛氏逝去 |
28 | 人事‧消息 |
29 | 定期航空 |
30 | ときのこえ |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新南群島燐礦採取 一元的に統制せん 早くも三社督府へ出願 |
02 | 諸般の開發調查に 係員を實地へ派遣 |
03 | 公社債の利廻(四月) 買氣不振で微騰 |
04 | 浦口の肥料會社 硫安製造に着手 |
05 | 米穀管理法實施で 專屬運送店指定か |
06 | 中支那の經濟事情(上) 日本通運取締役兼臺灣支社長安座上真氏談 |
07 | 黃麻の自給策成る 二萬五千甲步栽培 五千萬斤を收穫せん |
08 | 食鹽專賣記念式 十五日に擧行 |
09 | 事變公債百萬圓 期間中賣盡さる 關係當局が大滿悅 |
10 | 前大埔製糖場 壓搾既に終了 |
11 | 東港工場壓搾終る |
12 | 局營バス 四月收入減少 |
13 | 照明燈 |
14 | 二期米買上價格の 決定資料を調查 きのふ打合會を開催 |
15 | 苧麻個人取引の 取締府令を公布 |
16 | 市價及商況 八日 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 人的資源を確保 衛生部落の成果多大 竹南、苗栗の健康週間 |
02 | 犯罪のない村 |
03 | 麻豆專賣品小賣組合總會 |
04 | 圖像:傷兵保護グラフ |
05 | 輕トラは殆んど全治 東港郡の施療効果擧る |
06 | 士林の衛生講演會 |
07 | “彈雨潛る幾度ぞ” 土庫庄歸還勇士慰勞會 |
08 | 鹿港稻作視察團 |
09 | 幽靈告知書の 張本人は校長 |
10 | 最近我國の 結核病の動向(下) 丸山方登氏談 |
11 | ローカルセクション |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 講演 農村勞力の現狀と 機械化の限度/野間海造 |
03 | 晝間娛樂時間 レコード演奏 浪花節 |
04 | 家庭法律講座 離婚の法律(八) 離婚訴訟不受理原因/草薙晋 |
05 | 教師の時間 低學年講座(三)/瀧政忠雄 |
06 | 連續ラヂオ小說 蜜蜂マアヤの冒險(下) |
07 | 筑前琵琶 ああ忠犬(櫻號) |
08 | 料理/野田千鶴子 |
09 | 圖像:カーネラ君の結婚 |
10 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日本は強くて廣い 母國の偉大に感激 高砂族の內地觀光談 |
02 | 吾等も海の勇士に 慰問袋を贈る 高雄市小公學校の赤誠 |
03 | 圖像:南支の高空く鯉幟 |
04 | 花蓮港‧開港は 九月一日の見込み 祝賀行事は十月か |
05 | 高雄市の點呼 夏休頃に執行 |
06 | 陸軍病院に 慰問金を贈呈 本社支局が手續き報社消息 |
07 | 慰問袋を發送 大屯郡愛婦が |
08 | 臺中州下小公 學校查閱方法 一校單位と數校單位に |
09 | 結核を撲滅せよ! 豫防デー‧臺南の催し |
10 | 嘉義特產品展示會 けふより西市場で |
11 | 方面事業視察の 高雄の兩氏出發 |
12 | ガブレンツ男一行招待午餐會 |
13 | 理髮料金を值上げ 嘉義の組合が署に申請 |
14 | タイヤは切符制? 配給圓滑を缺く為め 臺南州で調查を進む |
15 | 時局に即應して 兒童を訓練 大屯郡公學校長打合 |
16 | また山崩れ 花蘇間の交通 縮小して運行 |
17 | 彰化吳服類を值下げ 休業して正札を書換 |
18 | 賞金を献金 |
19 | 林氏、院長に就任 |
20 | 心身鍛鍊日 課員が強行軍 |
21 | 花柳病豫防講演會 |
22 | 屏東の本島人 報國會總會 |
23 | 彰化商工協會 存續に決定 七日の役員會で |
24 | 教化打合延期 |
25 | 自轉車賊が激增 一般の注意が肝要 |
26 | 臺中傳教師親睦會 |
27 | 田中、友野兩氏 十一日高雄で講演 |
28 | 中和公司總會 |
29 | 嘉義競馬 第二日の成績(續) |
30 | 消息 |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 大陸一代娘(34)/小栗蟲太郎;中島喜美 |
02 | 鄉土隨筆集一 音樂と國策(上)/陳運旺 |
03 | 文藝時評 久坂の「神聖家族」と 青江の「一葉舟」/古谷綱武 |
04 | 龍骨車 五月號創作評 富澤の「東洋」 (中央公論) |
05 | 圖像:姉妹(第五回臺陽展)/李梅樹 |
06 | 臺陽展評(一)/吳村人 |
07 | 學藝消息 傳記映畫流行 音樂映畫は下火 |
08 | 卵黃の色を 變へる方法 |
09 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 東亞新秩序の建設へ 自主的に國際情勢に對處 我行動の非難を解消さす 長官會議で 外相が說明 |
02 | 敵早くも潰亂狀態 五臺山東北の河北村に突入 |
03 | 李宗仁、湯恩伯軍 重圍に陷つたことを知り 雪崩を打つて北方に敗走 |
04 | 信陽西の敵を猛攻 次次に堅陣奪取戰果を擴大 |
05 | 敵の奉新奪回策 我が猛擊で挫折す |
06 | 江北戰線上空で 陸鷲が猛爆 |
07 | 四川中央軍大部隊 成都に向ひ大移動 |
08 | チ伊外相歸還 |
09 | ダンチツヒ問題解決に 獨、伊飽くまで提携 軍事同盟成立の最初の槍玉 |
10 | 防共の方針は不動 ソ聯との接近說、獨一笑に附す |
11 | 宜昌を爆擊 敵奧地の動搖甚し |
12 | 元老派、穩健派分子の 和平策動俄然擡頭 重慶潰滅で蔣政府動搖 |
13 | スペイン聯盟脫退 防共協定參加國は全部非聯盟國 |
14 | 支那側のデマ放送 外人記者團が九江、江門を視察 如實に見てびつくり |
15 | リ獨外相 ベルリン歸還 |
16 | 伊緊急軍事會議 皇太子殿下台臨の下に ヴエネチア宮に開かる |
17 | 興亞文化事業費の 支出を閣議で決定 |
18 | 圖像:スペイン駐佛大使 |
19 | 支那關稅の根本改正 日商から各當局に建議 |
20 | 無線通信の スピード化 遞信省、回路を新設 |
21 | 明日の天氣 |
22 | 總動員(123)/長田秀雄;夏口醇 |
23 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 女學生には總花! 男生の採點は辛い 文昌中學校視察記 |
02 | 廣東に日語同學會 近く盛大に發會式 |
03 | 廣東日本人小學校 感激裡に開校さる |
04 | 島田文教局長 彭委員長と會見 |
05 | 永井代表に「待った」 國際五輪大會委員會への 出席絕望さる |
06 | 運動競技の 海外紹介を加ふ 國際觀光局の事業に |
07 | 現在生徒は四十六名 |
08 | 學校學閥を超越し 純學術團體を結成 “國民學術協會”生る |
09 | 白衣の勇士 內地へ歸還 |
10 | 白衣へ諸勇士 基隆を出發 |
11 | 全臺灣社會人 桌球大會 廿一日帝大で |
12 | 新竹州知事へ 禮狀 慰問團派遣に付 |
13 | 香港の對日空氣 もの淒く敏感 宮澤代議士談 榛名丸便り |
14 | 故小島少佐等の 招魂祭を執行 けふ忠魂碑前で嚴修 |
15 | 使命を果して 青木氏以下歸還 けふ遞信部で歡迎會 |
16 | 湖南丸入港 船客二百十八名 |
17 | 新竹郡郡守市尹會議 けふから開催 |
18 | 英靈內地へ |
19 | けさ南港驛で 貨車顛覆 上下急行とも大遲延 |
20 | 日語講習所修了式 |
21 | 臺北州中等學校長會議 卅日州會議室で |
22 | “約束が違ふ” 四氏が市に陳情 新竹家政女入學に就き |
23 | 高千穗丸出帆 |
24 | 澱粉工場燒く |
25 | 十日の國策放送 |
26 | 定期航空 |
27 | 今夜の放送 |
28 | 商況 九日前場 |
29 | 今日の興行 |
30 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 日本の母(116)/新述節;瀧伸二 |
02 | 家庭婦人 大學生の七割は近眼 全く誤つた眼鏡崇拜の心理 眼と本の距離は必ず卅糎に 文部省體育課大西永次郎氏談 |
03 | 日華女學生の交驩 學生の役割はここに 市川源三氏談 |
04 | 正しい姿勢は 健康の基 男子より女兒に 多い脊柱の彎曲 醫博岡田道一氏談 |
05 | ケイリー監督とお馴 染のスター蜜月の旅 |
06 | 圖像:東亞善隣婦人會結成式 |
07 | 石鹼の經濟的 使用法二つ |
08 | 藥の注意がきは 嚴重に守れ オブラート濫用もよしあし |
09 | 正しい授乳 時間をきめて交互の乳房から/東京市小兒保險舘 |
10 | お菜いらず 竹輪御飯 |
11 | 汽車で買つた 茶壜の利用 |
12 | 鰯の片栗揚 |
13 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新民報國語學習新聞 アフリカで釣れた 五千萬年前の魚 今まで見たことない本物 コエラカントの遺族 |
02 | 水上小學校の生活(其一) |
03 | 今度は女飛行家 ドイツから來る 近くベルリンを出發 |
04 | 一億圓のお金 五圓札で數へると どの位になるでせうか |
05 | 今日の歷史 |
06 | 千人米を皇軍へ 白米二粒宛持寄つて |
07 | 圖像:夏場所迫り立浪部屋の猛稽古 |
08 | 馬鹿の舟助(上)/望月芳郎 |
09 | 圖像:珍型風除け器 |
10 | 漂流中の人魚を 小學生が發見 愛知縣野間燈臺附近 |
11 | 猫の髭と眉毛 なぜ長いでせうか |
12 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 京漢線西方戰線の 敵要塞線を蹂躪す 我軍快調の驀進を續く頭條新聞 【漢口九日發同盟】京漢線西方戰線北方正面の澤山、松枝、寺岡、山口、各部隊は去る一日以來夜を日に次いで激戰實に一週間七日遂に堅固を極める當面の敵要塞線を蹂躙し去り八日早朝應山を去る西方百二十キロの敵據點○○を占領した又同戰線南正面の加藤、愛甲、間宮、勝谷、金田、吉川の各部隊も浙河市北方の敵陣地線を完全に屠り早間田挺身部隊を陣頭に快調の驀進を續けており敵は八日朝來西北方へ雪崩を打つて敗走を開始した |
02 | 快速で敗敵を急追 投降證を持つて敵續續投降 |
03 | 對岸の軍事設施を 徹底的に爆擊粉碎 海鷲中支方面をも襲ふ |
04 | 圖像:新鄉開封間鐵道開通 |
05 | 大垣研氏を 滿鐵理事に拔擢 |
06 | 東村鎮に進出 |
07 | 加納部隊猛進擊 敵の退路全く絕たる |
08 | 屯昌(南定西安)を占領 更に南閭に向つて猛進 |
09 | 圖像:五百萬弗の米海軍航空隊根據地 |
10 | 南方拓殖政策の必要 地方長官會議で拓相が訓示 |
11 | 米海軍豫算 下院を通過 上院に回附さる |
12 | 廣東東莞工場 製糖作業完了 |
13 | 地方長官會議(最終日) 鐵道、拓務兩省の所管 |
14 | 武勳の漁船歸る 官民に迎へられて |
15 | 炭礦罷業の調停に ル大統領が乘出す 絕裂せば強制手段か |
16 | 鐵道運賃審議會 答申案を可決 速かに實現に移す |
17 | “對日認識は變つた” 日本訪問の米國事業視察團 桑港で交交語る |
18 | 寺田拓務次官 南洋視察へ |
19 | 加納久朗子 國際決濟銀行の 副會長に選出さる |
20 | 定例閣議 |
21 | 貯蓄債券四千萬圓 六月十五日賣出し |
22 | 維新政府派遣の 訪日視察團 南京を出發 |
23 | 外務辭令 |
24 | 本日の天氣 |
25 | 大阪商船臺灣出帆 |
26 | 近海郵船基隆出帆 |
27 | 辰馬汽船 |
28 | 大連汽船 |
29 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 社說 物價統制と臺灣社說 一 戰時中に於て物價の暴騰を抑壓し、銃後に於ける生活の安定を圖る事が極めて必要であると共に、又戰時經濟政策を有效に推進せしめる事ともなるのである。此の程中央物價委員會主查の物價統制の大綱も、かかる目的に達するため今迄應急的斷片的に行はれて來た我が物價政策を之によつて體系付けられ、綜合的に編成されたものである。然しながら之を臺灣に於て具體的に適用するには、又臺灣特別事情と睨み合つて之を有効適切に運用しなければならない。 二 第一擧げたい事は臺灣に於ては日用吳服雜貨品は大方內地より供給せられてゐるので、商人が暴利をなさざる限り其の價格を抑壓する事が極めて困難であるからである。從つて內地で決定された公定價格を臺灣に於て遺憾なく之を實行せしむるには、其の仕入價格は闇取引による高い原價を防止しなければならない。若し內地よりの供給が需要額より少ない場合には足らない部分は闇取引によつて之を補ふより外はないから、當局に於ても大體に於て臺灣に於て必要とする數量を調查し、なるべく其の數量の供給を確保しなければなりない。然らずして經濟警察に於て徒らに其の末梢現象たる正札の價格を干涉したところで決して有効な結果を招來する所以ではないのである。 三 第二は自由に購入する事の出來ない重要資材に對し臺灣として缺くべからざる必要な割當數量を確保する事である。最近の如く折角割當の切符を交はされても、之を購入する事が出來ない狀態では、これ又闇取引を發生せしめる餘地を與へられる事となる。例へば鐵とか、銅とかゴムとかブリキとか、さういつた物資の供給は島內の必要數量を割當てられると共に其の供給機關より必ず引取り出來得るよう當局として盡力すべきである。此の問題は特に殖產局商工課と商工省との間に於ける折衝を重視し、督府當局の一層の努力を期待せんとするものである。 四 其の他島內で供給する食料品等ほ商人の暴利を取締ると共に、其の供給量の增加を圖らなければならない。國民の主要食糧たる米は今後米管案の實施によつて其の價格が安定する事となつうが豚肉、鮮魚、野菜類等に對しては徒らに其の末稍價格を抑壓するよりか、寧ろ其の供給數量の豐富を圖らなければならない。卽ち豐富なる供給なくして其の價格の低下を圖らんとする事は、木に緣つて魚を求めんとする類に外ならない。最後に述べたい事は物價騰貴の一つの大なる因子は船運賃の騰貴である。特に臺灣の如き島國では輸移入、輸移出とも船舶による外方法なきところでは適正なる運賃を制定する事を大に考慮しなければならない。勿論臺灣航路のみを引下げれば一層配船の減少となる事は明かであるから此の問題は須らく中央政府と連絡して船賃並びに傭船料の輕減を圖るといふ事は物價統制の一つのポイントであると知らなければならない。 |
02 | 事變の七月七日を 「興亞記念日」と創定 國民一人一錢宛醵金し 飛行機献納運動を計畫 |
03 | 聖火の點火式擧行 日米親善の焰‧日比谷で盛大に |
04 | 御養蠶始の儀 昨日嚴かに行はせらる |
05 | 歸還勇士慰安會 けふ羅東で開く |
06 | 森田內務部長 蘭陽を初巡視 |
07 | 文化戰線の輕戰車 映畫とレコードを組合せて 愈よ新支那各地に近軍 |
08 | 花蓮稅務課長 十二日臺中から赴任 |
09 | バツチ快勝 世界庭球最高峰戰 |
10 | ガブレレツ機 歸途、十五日臺北に寄る |
11 | 全臺灣師範體育會 試合日割と種目決定 |
12 | 明朗軍國の好話題 個人の思立ちから全校代表 升用文子孃、廈門へ慰問行 |
13 | 中央市場で 野菜賣り亂鬪 |
14 | 大日本セルルイド工場爆發 隣接工場を全半燒 死傷者多數を出す |
15 | 軍隊も出動 猛火潛つて消火作業 |
16 | 色爺檢擧さる |
17 | 防疫助役に 知事から金一封 瀨尾巡查も近く表彰 |
18 | 元林鶴壽氏支配人 邱木に懲役三ケ年 きのふ判決言渡さる |
19 | 圓山動物園の 入口を改築 上野のそれに匹敵して |
20 | 牛太郎客引に鐵槌 稻江旅館に巢喰ふ風壞者 廿一名を北署が檢擧 |
21 | 死者十一名 重輕傷百五十一名 原因は煙草の吸殼から引火 |
22 | 釋放翌日からまた盜む |
23 | 廣東語通譯募集 十二日北第一高女で 運轉手も採用試驗 |
24 | 未成年者に 酒を飲ます 不德食堂擧げらる |
25 | 桃園郡衛生展 二十五日から |
26 | サクラカフエー 紀念サーヴイス |
27 | 定期航空 |
28 | 人事‧消息報社消息 |
29 | 總督府辭令 |
30 | ときのこえ |
31 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺灣米穀移出管理令 けふ律令を公布 實施は來る十一月一日 |
02 | 南京と南昌に 臺銀の駐在員 |
03 | 臨時配合肥料の 最高最低價格發表 |
04 | 買上價格の決定は 管理委員會に諮問 松野米穀課長語る |
05 | 帝國鐵道協會の 總會開催日迫る 交通整備の問題を附議 |
06 | 中和產組總會 |
07 | 和田臺銀副頭取 近く廈門より歸臺 |
08 | 高雄港の在庫糖 又も九十一萬擔 |
09 | 本島對外貿易の 振興策に就き協議 貿易振興懇談會開かる |
10 | 食鹽專賣記念式擧行順序決る |
11 | 補助金五十萬圓で 輸出の振興を圖る 井田商工課長挨拶 |
12 | 高雄の新蓬萊は 出廻りが遲れる 加藤商會李連春氏談 |
13 | 四工場製糖終了 |
14 | 三工場壓搾終る |
15 | 照明燈 |
16 | 市價及商況 九日 |
17 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | ラヂオ |
02 | 特別講演 最近世界航空界の情勢/南波辰夫 |
03 | 子供時間 獨唱と齊唱 |
04 | 廈門樂土建設 一周年記念の夕 |
05 | 場所前素描 |
06 | 講演 第一回國民黨 大會の思ひ出/橫田實 |
07 | 浪花節 慶長美談「武士と武士」 |
08 | 料理/野田千鶴子 |
09 | 記念講演 廈門島攻略一周年を迎へて 廈門根據地隊/宮田部隊長 |
10 | 廈門事變後 一周年の回顧/李思賢 |
11 | 趣味‧娛樂 小鳥の選び方飼ひ方 |
12 | 舞臺中繼 |
13 | 大船宗本監督の 「胸に咲く花」 佐分利、槇、三浦で配役決定 |
14 | 新興東京の 「愛憎の書」 勿來に大ロケ |
15 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 新渡臺教員座談會 彰化郡で開催 十三日郡會議室で |
02 | 新高鄉軍分會射場 十三日落成式と射擊會 |
03 | 田尾庄部振役員會 |
04 | 溪湖街の 結核豫防デー |
05 | 結核豫防デー 員林街の催し |
06 | 四十男色に惑ふ |
07 | 違反組合員を處分 岡山郡吳服雜貨同組 |
08 | トラツクが 自轉車を轢く |
09 | 員林街のハイク |
10 | 圖像:島都の結核豫防宣傳映畫會 (八日夜公會堂で) |
11 | ローカルセクション |
12 | 員林獸肉組合に 不正事件發覺 正副組合長留置さる |
13 | 闇の花を檢擧 |
14 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 讀書 總督府調查課平山勳著 海南島 南洋協會臺灣支部發行 |
02 | 六百年前南朝史の空白を 埋める貴重な資料發見 |
03 | 海南島特輯號 臺灣時報社發行 |
04 | 曾景來著 臺灣宗教と迷信陋習 臺灣宗教研究會發行 |
05 | 少年少女に讀ませたい 認定と推薦圖書 臺灣圖書館協會 |
06 | 戶水昇著 電波に乘せて 臺灣放送協會發兌 |
07 | 讀書力測定機 |
08 | 華麗島鄉土誌 臺灣風土記 日孝山房發行 |
09 | 臺灣總督府圖書館 普通圖書 |
10 | 北回歸線 |
11 | 廣告 |
序號 | 標題 |
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01 | 臺南中等學校生徒が 自發的に勤勞奉仕 開山神社 神苑の土盛り、地均し |
02 | 勤勞奉仕‧汗の結晶 甘藷が見事な出來榮え |
03 | 臺中製氷會社の 營業區域決定 六日州より許可さる |
04 | 圖像:海南島より |
05 | 御下賜教育敕語傳達式 |
06 | 臺中小公校長會議 十三日市役所で |
07 | 警察陣完璧の為 第一線に優秀者 臺中州で配置を強化 |
08 | 高雄魚市の 四月中水上高 |
09 | 故福原上等兵の遺族が献金 |
10 | 葬費を節約して國防献金 |
11 | 花蓮港の高物價に 廳當局が對策講究 關係業者を斡旋 |
12 | 新生廈門だより/郭發海外遊記 ◇......新生廈門になってから事變前わが居留民中に廈門臺灣間をしてゐた便利屋はこの事變の反映によってその存在は許されないことゝなった為替管理のために商品の自由輸出入が出來なくなり携帶物品まで制限を受ける。おまけに或る人が御土產の菓子五箱迄も關稅を取られたそう遂ひに便利屋も商賣あ上がったりだ。 ◇......これら便利屋は事變前六百名に上ると云ふが今やすっかり廢業してしまったであらう。假りに二三の便利屋が繼續的に商賣をやっても青息吐息の狀態に瀕し悲鳴を擧げてゐると察して差支ないのである。かくて新事態の下に於て利に賢い便利屋のことだから最早バラバラになって他の事業に轉向したと想ふ ◇......便利屋組合長の高樹發氏の經營にかゝる廈門思明西路の東協興が早くから福大公司雜貨部の看板を借りて金門島へ雜貨を輸送してゐるなかなか抜目がないホクホクと云ふ程ではないだらうが相當好成績を擧げつゝありと云ふ。便利屋は今でこそ認められなかったが事變前多少なりともわが輸出のために貢献があったと云へないこともないから皆が甘く轉向出來ればよいが...... ◇......新生廈門に於ける公益事業は悉く日支合辦にしやとの方針らしい山海製氷を皮切りに日支合辦に組織替したし廈門電氣及び廈門水道なども日支合辦にすべく着々準備しつゝあり近く創立總會の開催を見るのである。これの日支合辦會社の日本側の負擔すべき株式は福大公司が一手に引受して了ふので創立の事務は順調に行くことは勿論である。 ◇......その他各種石材の製造販賣を目的とする協榮公司も日支合辦で設立した。廈門は石山で有名なところで事前に於て遠く南洋迄盛んに輸出してゐたが今回林瑞火氏が在廈門總領事館の許可を受け支那側の石山所有者と斯界の技術者を盡く網羅して組織したものである。◇......この協榮公司は既に大阪商船の碼頭工事に要する石材を一手に引受けその他福大公司から長さ七十尺の大石材の注文を受け公司成立してより大多忙を極め轉□古舞の有樣である各種石材の注文に應することが出來ると云ふので今後南洋や臺灣などへ輸出するやうになるであらう普通の商事會社日支合辦のトップを切って組織したものであるから頗る注目されてゐる。 ◇......廈門に於ける三大姓の跋扈と十八大哥の勢力とは大したものであったが新生廈門になってからウンともスンとも云はせないやうになったすっかり影を潜めてしまってゐる、かくして新廈門は明朗化されたと云って過言ではないと市民が異口同音に喜んでゐる。 ◇......久し振りに渡廈して見ると廈門市の道路と云ふ道路は皆鋪裝されて居り三階四階建の店舗がズラリと兩側に列んでゐる又五六階の高層建築も到る處に見られ舊き廈門の面影が全くなくなった廈門の現代都市化は茲十ヶ年間の發達に依るものでその躍進振りは實に素晴らしい。 ◇......世界中不潔な市街で有名な廈門はかくして一躍に現代的都市になったそれは全く華僑の豐富な資金に待つところが多かったことは今更贅言を要しない廈門は福建省南洋華僑の出入りの門戶になって居るので廈門と南洋華僑とは密接な關係を有し新生廈門が明朗化されて行くに隨ひ今後益々發展の一途を辿るであらう。 ◇......試みに廈門港の外國貿易を調べて見る。最近一九二七年には全國四十五港の外國貿易額十九億三十餘萬兩中廈門は二千三百餘萬兩で十年後の一九三七年には全國四十港の貿易額十七億九千百六十四萬元中一千七百六十二萬元で第十一位に在る又內國貿易は全國二十二億八千七百萬元中廈門は二千萬元を越えてゐるこの數字に依って今後の大勢を窺ふに足るであらう ◇......福建に於ける華僑の出身地は泉州が最も多くその他漳州 興化 永春、仙遊、莆田、安溪 惠安、金門、同安、福清、長樂等の各縣である。又その移住地は英領馬來最も多く蘭領印度之に亞ぎ何れも五、六十萬人の多數に上るさうだ。この他比律賓暹羅などにも相當に多、いこれら福建華僑の送金は廈門などを經由した金額は平年五、六千萬元に達すると云ふ ◇......之れら華僑の送金は家庭の生活費から事業投資、家屋の建築に充てる。そのおかげで廈門の現代都市の建設が飛躍的に促進されたのである。かくて廈門に於ける投資額は相當に多額に達することは豫想に難くない新生廈門になっても皇軍の庇護の下にその不動產が完全に保存されてゐるので華僑達は大いに感謝せねばならないと思ふ。 ◇......廈門に關する限り福建出身の華僑は無關心で居られない廈門は更生してより理想鄉の建設に邁進しつゝあり從来の惡勢力や暗黑面が一掃されて明朗化した時遂ひに新生廈門に憧れて歸廈しわが東亞新秩序の建設に協力する時も遠からずであらう理想鄉たる新生廈門の建設はやがて華僑問題の解決となる廈門の前途は實に洋々たるものだと斷じてよいと想ふ。 |
13 | 薪炭材造林の 獎勵要望さる 後日缺乏に備ふる為 |
14 | 金物組合役員會 |
15 | 小賣漁具が不足 府よりの割當減少 |
16 | 寺廟修繕に寄附 |
17 | 總會を廢止して 各地で懇談會 臺中州自前車協會が |
18 | 盜難は油斷から 戶締に注意せよ |
19 | 玉蜀黍の賊を 毆り殺す 鐮を揮つて頑強に抵抗 |
20 | 少年、トラツクに轢かる |
21 | 流されて溺死 |
22 | 消息 |
23 | 訃文:王黃氏 |
24 | 訃文:徐江龍 |
25 | 訃文:甘承宗 |
26 | 廣告報社消息 |
序號 | 標題 |
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01 | 遷都問題で大糾紛 中共の蘭州誘引に 元老、文治派大不滿 |
02 | 湖北、河南省境を突破 敵の第一戰區に進入 |
03 | 大包圍戰愈よ最高潮 敵十五萬の命脈破滅へ |
04 | 湯軍全軍を擧げて わが作戰の術中へ 快報に接し皇軍意氣愈旺ん |
05 | 湯、李兩軍の 司令部所在地 我が鐵蹄下へ |
06 | 南昌奪還の敵企圖 全面的に崩壞す 敵屍二千二百餘殘して |
07 | 江南の掃蕩戰果 |
08 | 上旬貿易 |
09 | 五臺山へ猛進擊續く |
10 | 圖像:世界一周のインドの王樣來朝 |
11 | 商工省の機構改革 近く閣議に附議 八田商相の車中談 |
12 | 海相、省主腦部會議開く |
13 | 五輪日本委員 永井氏辭任 |
14 | 五相會議 |