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臺灣新民報1939年1月

日刊第1版
序號 標題
01 皇室の御近狀頭條新聞

有史以來の輝やかしい戰捷に明けた昭和聖春第十四年――翠色一際あざやかな大內山、宮居のほとりは、日每加はる勝報にどよもした赤子の聲に、國力推進のすがたのまま、おほらかな黎明を迎へたのであつた。ああ感激すべきこの新春――國威今や四海にあまねくこの新な聖代の春を讃へると共に、皇室の彌榮を壽ほぎ奉らねばならない。

天皇陛下には寶算御三十九皇后陛下には御年三十七皇太后陛下にはまた御年五十六の春を迎へさせられ、三陛下とも天機並に御機嫌いとうるはしく拜せられる昨年御着袴の儀を擧げさせ給ふた皇太子殿下にも、はや御七ツにならせられ、ともに御成人の第二親王義宮樣にはまた御五ツに亘らせらる。女子學習院に御在學中の照宮樣、孝宮樣、順宮樣の三內親王樣も御十五、御十一、御九ツとならせられ、今春拜する御母皇后陛下の御慶事のうえは、更に御姉宮とならせらるのである。

支那事變も長期建設に入り、宮中も早旦より夜おそくまで、文武顯官の參內、奏上相次ぎ、ために天皇陛下の御政務、御軍務一段と繁多を加へさせられ、御日常御愛好の御乘馬などの御運動も御日程を屢屢御變更または御取止め遊ばされるほどにて、真に御寸暇もあらせられないのである。

昨春一月早早宮中にて歷史的な御前會議開かれ、「國民政府を對手とせざる」旨の帝國政府の態度を中外に闡明してより、中南北支各方面の戰線頓に緊張、皇軍破竹の進攻が始まつたが、炎熱酷寒下に奮戰する皇軍將士の上を思召され、赫赫たる武勳を樹てて歸還する各戰線の最高指揮官、司令官、司令長官らより軍狀を具さに御聽取、將兵に對しては御慰勞の御言葉を賜はり、また侍從武官を第一線に御差遣、勞苦多い前線を視察御慰問の聖旨令旨を傳達せしめられた一方、昨秋十月三日近衞首相に勅語を賜はり、陸海軍將兵の家族並に戰死者傷病者、遺家族に對する援護事業の資にと御內帑金三百萬圓を下賜遊ばされ、戰線の將兵、銃後の遺家族に後顧の憂ひなからしむる聖慮を拜したのであつた。御仁慈一兵士のもとにもくまなく垂れさせ給ふたのであつた。

酷暑の宮中にて政務をみそなはせらるに扇風機、氷柱、冷房裝置を用ひさせられず、大本營の御障子も張り替へさせ給はず、御費御節約を旨とせられ、今年度の宮廷豫算の如きも聖旨を體し極度に御緊縮の御容子と承はる。

宮中に於ても政府の政策行政を圓滿遂行せしめらる思召で、御紋章金杯及び御紋付銀花甁らの下賜を御取止め遊ばされ、宮中御祕藏の金器は大藏省に御供託、金買上げの一助にとされたのである四大節の御賀宴は御廢止になつて久しく、これに反し各種の御救恤金は從來より更に御增額、また今次事變の戰果を物語る御府を宮中に新に御造營の御計畫があるなど聖慮のほどまことに恐懼感激に堪へないかくて皇室の御近狀とは申せ、ただ御政務御軍務に御精勵遊ばされるといふ一事よりなく、宮中御團欒の機會も少く御母皇太后陛下への御孝心深き天皇陛下には、大宮御所行幸の御事も極めて稀れに、また東宮假御所への行幸もまた絕えて久しいと承る。

かかる御日常の陛下の御身邊を、何くれとなく皇后陛下には御內助遊ばされると承る。

御參入の皇族妃殿下と御共共、前線傷兵ヘ賜はるべく繃帶を御手づから卷かせられ、又側近者を通じて戰傷病死者の家族遺族の模樣を御聽取、全國の陸海軍病院約二百ケ所に對しては夫夫皇族妃殿下を御差遣、病床に將兵を見舞はせしめられ、御女性の御嗜みとしては御養蠶を、御孝養をつくさせらるべく大宮御所行啓皇太子殿下をはじめ奉り、各御幼少の親王、內親王樣の御養育など、全く日本婦人の御龜鑑と拜し奉るのである。

大宮御所にゐます皇太后陛下の御近狀を承るに、御日常極めて御靜かに拜されるとは申せ、御終生の御事業として癩御根絕の思召でゐらせられるので、癩療養所長會議に臨んだ人人に對し或は療養院に移植するやうにと大宮御所の楓の實生百五十本づつを賜はり、光田長島愛生園長、上川臺灣樂生院長、周防朝鮮小鹿島更生園長に對し、その後の療養院における患者の生活、關係者の勞苦など三時間の長時間御聽取、また大宮御所內に子豚の形をした貯金箱を備へつけせしめられ哀れな癩患者の療養費にと大谷皇太后宮大夫竹屋典侍以下の職員の醵金、貯金を御獎勵、そのうちの金一對を岡山縣下長島光明園に寄付せしめられたのであつたまた戰線にある勇士並に新聞記者などの勞苦を偲ばせ給ひては「工兵」「從軍記者」などの御兼題にて、戰線彈雨下に身をさらす人人に遠く思を寄せ給ふ御歌を御詠み遊ばされたのであるそして野戰病院に靜養中の戰傷病兵に對しては、御菓子などを賜はつて御慰問せしめられるのである。

昨年日光田母澤御用邸にて一夏を御元氣に過ごさせられた皇太子殿下には、愈愈御成人美事に拜され、石川傅育官以下側近者は、御發育よく御智慧づき早く、天稟のひらめきを拜するにいたつたので御驚嘆申し上げてゐる。赤坂離宮の御一隅、東宮假御所に御一方御過ごしの殿下には、やがては皇統をつがせらる尊き御身分、明年の學習院御入學を控へて、御將來への御訓育御鍛鍊に御日常をすごさせられてゐると承る。早朝六時には御起床、お元氣にラヂオ體操も遊ばされ、選ばされた御學友達との御遊戲御運動などに嬉嬉と御打ち興じさせられ御資性殊の外御闊達に拜されるよしである。第二親王義宮樣も、ゆくゆくは皇太子樣と御起居を共にされるのであるが、いまだ御幼少のこととて兩陛下の御膝下にお過ごし遊ばされ、照宮、孝宮、順宮三內親王樣も女子學習院で、夫夫御女性としての薰育をうけさせられてをり、極めて御健やかにわたらせられると承る。

宮中御團欒とは申せ宮中におかせられては天皇陛下の御政務、御軍務、旣に謹記し奉つた如く御匆忙のため皇太子殿下が日曜日御參內遊ばされた御機會、內親王樣方御集りの上御語らひ遊ばされるのは、全く一週に一度乃至二週三週に一度にて、御親子の方方御集ひ遊ばされるのは極めて稀れにて、恐懼に堪へない次第である。

02 持久の陣を固め 興亞の大業に邁進/近衛文麿
03 圖像:瑞雲たなぴく大內山
04 堂堂の步武を以て 一途建設の大道へ/板垣征四郎
05 帝國海軍の責務 愈よ重大性を加ふ/米內光政
06 大眾指導は南方人/安藤中將
07 支那方面艦隊司令長官 及川古志郎中將年頭の辭
08 征戰に曆日なし/畑大將
第01頁
日刊第2版
序號 標題
01 東亞建設へ の新一步
02 四方拜、歲旦祭の御儀 東亞の和平、國家の安泰を 陛下御親ら御祈念
03 文武顯官に賜謁拜賀
04 圖像:勅題「朝陽映島」靜岡縣三津濱にて
05 感激の佈告文を發す 佛山の某親日教育家が
06 勸銀當期貸付利率 組合貸付に大福利下げ
07 赫赫たるわが戰果 聖戰第二年の海軍作戰
08 二百萬石の 米穀買入
09 臺中神社御火 焚神事
10 風見書記官長 首相と要談
11 末次內相歸京
12 荒木文相も 首相を訪問
13 晉西各地の敗殘兵 今や殲滅に瀕す わが各部隊、隨所に敵を擊破
14 共軍の山西遊擊路 完全に遮斷さる 晉西掃蕩戰の第一段階完了
15 “國を護った傷兵守れ” 全國の交通機關が 傷痍の勇士を優待
16 戰禍に呻吟する 國民の立場を代表 汪精衛の重大聲明
17 大和丸きのふ 神戶を出帆
18 白衣の勇士 內地へ歸還
19 廈門日本居留 民會議員選舉 會長は高橋氏
20 御斷り/臺灣新民報社報社消息
21 富士丸出帆
22 關屋氏三日着臺
23 榊原臺南署長着任
24 號外發行報社消息
25 人事‧消息報社消息
26 本日の天氣
27 今日の興行
28 廣告報社消息
第02頁
日刊第3版
序號 標題
01 聖戰の目的達成に 擧島時艱を克服/小林躋造
02 覺悟を新に 南方銃後の護りを固めよ/森岡二朗
03 長期建設の時局下 臺灣の產業使命重大/田端幸三郎
04 警民一如であれ/二見直三
05 非常時下の輸送陣/泊武治
06 廣告
第03頁
日刊第4版
序號 標題
01 我新東亞の建設と 英國の極東政策/神川彥松
02 新支那の政治體制/蠟山政道
03 支那資源開發と資本/木村增太郎
04 廣告
第04頁
日刊第5版
序號 標題
01 廣告
第05頁
日刊第6版
序號 標題
01 廣告
第06頁
日刊第7版
序號 標題
01 全國農村婦人に望む 家事を國策に關連して/有馬賴寧
02 ラヂオ
03 本年度の婦人の使命/窪川稻子
04 新年國策金儲大会
05 廣告
第07頁
日刊第8版
序號 標題
01 廣告
第08頁
日刊第9版
序號 標題
01 國民反省の時/藤田傊治郎
02 長期建設は正に 歷史的の大使命/內海忠司
03 建設に一路邁進/赤堀鐵吉
04 邦家興隆に寄與/石井龍猪
05 廣告
第09頁
日刊第10版
序號 標題
01 廣告
第10頁
日刊第11版
序號 標題
01 廣告
第11頁
日刊第12版
序號 標題
01 廣告
第12頁
日刊第13版
序號 標題
01 学藝
02 心聲漢詩

朝陽映島/張瀛洲、朝陽映島/高文淵、朝陽映島/林子惠、朝陽映島/鄭金柱、朝陽映島/李世昌、朝陽映島/李智仁、朝陽映島/張國珍、朝陽映島/旭民 葉天鐸、朝陽映島/李林氏素珠、謝雲滄惠畵/老蒼、寄香國/其美

03 廣告
第13頁
日刊第14版
序號 標題
01 廣告
第14頁
日刊第15版
序號 標題
01 今年こそは元氣で 勉強して下さい 皆さんは將來の日本を脊負ふ/荒木貞夫
02 兔の昇天/藤波美登里
03 いままでにない 芽出度いお正月/松浦鎭次郎
04 ミナサン! オメデタウ
05 廣告
第15頁
日刊第16版
序號 標題
01 廣告
第16頁
日刊第1版
序號 標題
01 汪の聲明速報さる 國府當局驚愕の態 一大動搖免れぬ形勢頭條新聞

【香港三十一日發同盟】重慶來電に依れば汪精衞の聲明は卽時蔣介石の香港駐在代表より重慶に速報された、國民政府當局は旣にこの事あるを察知してゐた模樣であるが唯その內容の極めて大膽且つ積極的なのに何れも驚愕の態で主腦部は寄寄對策を協議中であるが抗戰主流派は汪精衞の裏切に對して斷乎たる手段に出ることを主張してゐる、なほ該聲明の積極性から見て汪は當然和平解決の實際運動に乘出すものと一般に見られてをり武漢、廣東の陷落以來停戰氣分濃厚な資產階級の反戰和平への積極的動きは固より連戰連敗士氣阻喪且つ軍費不渡にて苦境に沈淪せる傍系部隊や雜軍の一大動搖は免れない形勢でこの點國民政府當局も深憂の色を示してゐる。

02 汪、秘かに九龍に入る
03 率直に和平を建議 臨時政府滿腔の同意を表す
04 圖像:元旦の近衛首相
05 廣東にも多大の反響 彭委員長感激の面持にて語る
06 新秩序の建設は 建國以來の大使命 (上)/池田成彬
07 獨、潛水艦建造に關し 對英均等の權利行使 英政府、カ少將を派遣獨と協議
08 內外地渾然一體/八田嘉明
09 監禁さる? 陳果夫も何處かへ
10 中央軍約五十萬 四川、貴州に移動中 第一線部隊に傍系、雜色軍を配す
11 桂林を襲ふ 海の荒鷲が活躍
12 吉縣へ突入
13 グ駐日米大使 澤田次官訪問 公文を手交
14 本日の天氣
15 大阪商船臺灣出帆
16 近海郵船基隆出帆
17 辰馬汽船
18 大連汽船
19 廣告
第01頁
日刊第2版
序號 標題
01 南支戰線のお正月 我が陸海軍の全將兵 嚴肅な遙拜式を舉行
02 「親日突擊隊」誕生 元旦の廣東市內を行進
03 お國言葉まる出し 朗かな兵隊さん 臨汾の新春風景
04 圖像:平田部隊の精銳(三水にて、先頭馬上は平田隊部長)
05 太原の新春風景 街頭に見る日支親善
06 濟南の新春 日支融合のお正月
07 雜貨業者組合 の店員慰勞
08 基隆消防組 五日出初式
09 本年の年賀狀激減 引受、配達共平年に比し八割減 緊縮節約徹底の為め
10 圖像:島都の新年交禮會
11 島都の新年交禮會 前線皇軍へ祝電
12 天津特別市商會長林氏 兇漢に襲はれ即死
13 新竹市のお正月
14 基隆の交禮會
15 總督府の新年式 正廳で嚴肅に舉行
16 石粉精米を禁止 桃園郡當局、業者に嚴達
17 救世軍の歲末 社會鍋の成績
18 純益金を寄附 中壢吳鴻森氏の美擧
19 長沙丸、福建丸出帆
20 榊原臺南署長 の送別會
21 大和丸無電
22 人事‧消息報社消息
23 今日の興行
24 廣告
第02頁
日刊第3版
序號 標題
01 廣告
第03頁
日刊第4版
序號 標題
01 ラヂオ
02 講演 「日本の文化的使命」/長谷川如是閑
03 武運長久神詣で 和歌……伊勢大神宮/川田順
04 哥澤/哥澤芝金;哥澤芝勢以
05 レヴユー 「防共の誓」
06 子供の時間 ラヂオ歌繪卷日本三大お伽噺(三) 猿蟹合戰()サトウ‧ーハチロー作 アタゴ子供會/西岡英夫
07 講演 「書初めに因みて」/神田喜一郎
08 ラヂオ小說 「津輕の野づら」
09 歌謠曲
10 ラヂオ聯曲 「軍國の春に歌ふ」 (北村喜人作中山晉平作曲並編曲)
11 廣告
第04頁
日刊第5版
序號 標題
01 長期建設の新春を迎へて 南方資源の開發 愈よ重大性を加ふ/加藤恭平
02 躍進の專賣事業/今川淵
03 國策に順應して 東亞大建設に邁進/保田次郎
04 廣告
第05頁
日刊第6版
序號 標題
01 廣告
第06頁
日刊第7版
序號 標題
01 戰捷の新春を壽ぐ 各地の祝賀行事 萬歲!お目出たう 初日に祈る皇軍への感謝
02 圖像:在滿皇軍將兵の皇居遙拜
03 戰勝の新春を飾る 全島中等選拔野球戰 元旦、嘉義球場にて
04 臺南秋季競馬會 三日より三日間續開 多額賞金で前人氣沸騰
05 斗六精米同業組 合役員會を開催
06 新高郡馬匹普及會 愈愈誕生の運び 廿日頃に盛大を發會式
07 全島軟式 庭球選手權大會 榮冠は一般ー柳‧張組中等ー許‧黃組
08 高雄市消防組 四日に晴れの出初式
09 臺南市の新正 戰時下の緊張自肅で 浮れ醉漢影をひそむ
10 ローカル セクション
11 ぜん息‧神經痛 高血壓中風 今津博士の素晴しい研究不治でない
12 洋畫小品展 彰化有志の
13 消息
14 廣告
第07頁
日刊第8版
序號 標題
01 暴風雨の女(95)/岡田三郎;三浦杏介
02 隨筆 野澤溫泉の想ひ出 (上)/田部重治
03 昭和十四年度は 如何に文學すべきか (上)/本多顯彰
04 龍骨車 農民文學の結實 多少の不安あり
05 圖像:初夏の朝(臺展)/鄭安
06 原子‧地球‧星界 (上)/竹內時男
07 心聲漢詩

雜感/路竹 栢園、時局雜感/吳蔭培

08 廣告
第08頁
日刊第1版
序號 標題
01 中支軍最高指揮官に 山田中將親補さる 畑大將軍、軍事參議官に頭條新聞

【東京三日發同盟至急報】大本營陸軍部午後三時發表

今回中支派遣軍最高指揮官畑俊六大將は軍事參議官に親補せられその後任として現地某要職にありし山田乙三中將が親補せられたり

02 首相、陸海兩相と會見 三相鼎坐、要談を遂ぐ
03 總長宮殿下に拜謁
04 重要協議を遂ぐ
05 圖像:勅題「朝陽映島」瀨戶內海鞆の浦にて
06 中島參謀次長 軍合部次長を訪問
07 池田藏相が 平沼議長訪問 要談を遂ぐ
08 鹽野法相も 平沼議長訪問
09 平沼樞府議長 きのふ歸京
10 公債總局發行高 四十三億四千五十萬圓
11 林男に宮中杖の 榮譽を賜はる由
12 新秩序の建設は 建國以來の大使命 (中)/池田成彬
13 汪精衛の黨籍 褫奪を決議
14 藏相、首相訪問
15 ソ聯の輕工業 人民委員部 二部に分割さる
16 圖像:畑(左)山田(右)新舊中支軍最高指揮官(○○にて)
17 連共抗戰派に對抗し 反蔣派の動き活潑 民心收攬理論を展開
18 門戶開放に關する 米國の通牒の要旨 日支問題の再檢討に協力の用意あるを表明
19 從化南方の敵に對し 元旦總攻擊を開始
20 佛、ソ通商協定 更に一年間延長
21 內憂外患の佛蘭西 政界不安何等解消せず
22 渡久雄部隊長卒去
23 本日の天氣
24 廣告
第01頁
日刊第2版
序號 標題
01 第二回東洋觀光會議 五月頃臺北で開催
02 二億突破は新記錄 事業公債て長期建設を遂行 歸任した‧森岡長官談
03 元始祭の御儀 宮中三殿に於て御執行
04 圖像:臺灣神社元始祭右は參拜の小林總督‧左は兒玉軍司令官
05 歡喜に明けた 元旦の帝都 神社參拜者三百萬人
06 戰敗を望んでねる 呆れた敵の心理 第一線から歸還した邱欽榮君談
07 招待宴 商議所主催で
08 新春第一船 大和丸入港 多彩の船客で賑ふ
09 太平洋航路に 三大巨船 建造案發表さる
10 谷口前署長送別會
11 臺北州下青年團の 長距離自轉車競走 昨日スタートを切る
12 嶺田局長乘船 高砂丸神戶を出帆
13 自肅の新春 基隆市の街頭風景
14 一九三八年の 世界航空界 新型機二百餘種出現
15 變死
16 坑夫重傷
17 新春に背いて 美人が投水
18 定期航空
19 人事‧消息
20 今日の興行
21 廣告
第02頁
日刊第3版
序號 標題
01 廣告
第03頁
日刊第4版
序號 標題
01 ラヂオ
02 特別演講 時局と自治指導精神/山縣三郎
03 晝間娛樂時間
04 武運長久神詣で 明治神宮より中繼/高濱虛子
05 子供時間 お話と音樂 「ボクラノオ正月」
06 室內樂
07 詩吟
08 「大陸進行曲」 變り種七福人
09 海外映畫短信
10 獨逸ウフア超特作 第九交響樂 四日より國際館で
11 廣告
第04頁
日刊第5版
序號 標題
01 長期建設の新春を迎へて 時局の前途尚遼遠 一日も偷安を許さず/岡本部隊長
02 前途洋洋たり 躍進花蓮港/高原逸人
03 一致協力して 國策に沿ふ/藤山愛一郎
04 一般の期待に副はむ/渡部慶之進
05 國策に順應/後宮信太郎
06 千載一遇の好機/大磬誠三
07 廣告
第05頁
日刊第6版
序號 標題
01 廣告
第06頁
日刊第7版
序號 標題
01 戰捷の新春を壽ぐ 各地の元旦風景 銃後の祈りで賑ふ社頭
02 彰化隣保館 保育園の元旦
03 9ー0 嘉農が大勝 中等野球決勝戰
04 ローカル セクション
05 臺南神社元始祭
06 師走に偽刑事 叩き起して暴行 片は就縛、片は逃走
07 臺中消防組出初式
08 臺中元始祭
09 吉野製糖會社 五日に披露宴
10 日滿華書道展 本島四十餘名入選
11 川上、福水組が 優勝
12 臺南競馬 第三日(三日)
13 消息
14 廣告
第07頁
日刊第8版
序號 標題
01 暴風雨の女(96)/岡田三郎;三浦杏介
02 隨筆 野澤溫泉の想ひ出 (下)/田部重治
03 昭和十四年度は 如何に文學すべきか (中)/本多顯彰
04 龍骨車 一月號創作評 楢崎の「芒原」(新潮)
05 心聲漢詩

詠事變/黃啓棠、巳卯元旦/林春懷、巳卯元旦/張揚善、春信/埔里 邱榮習、冶春詞/臺北 逸老、春日雜興/郭茂松、盆松/新竹 張國珍

06 廣告
第08頁
日刊第1版
序號 標題
01 近衛內閣總辭職す 首相、闕下に辭表捧呈 有難い御沙汰賜はる頭條新聞

【東京四日發同盟至急報】政府は四日午前十一時半首相官邸に初閣議を開き總辭職を決定、首相は全閣僚の辭表を取纏め宮中の御都合を伺つて參內、執奏することとなつた

【東京四日發同盟至急報】近衞首相は四日午前十一時半初閣議の結果に基き宮中に參內した(一部號外再錄)

【東京四日發同盟】近衞首相は四日宮中における政始めの御儀終了後午前十時四十分首相官邸に初閣議を召集し內外の諸情勢に照應して內閣體勢の根本的强化を必要とするに鑑み總辭職を決意するに至つた旨を述べて各閣僚の同意を求めた結果各閣僚とも首相の決意に異議なく賛同しここに總辭職を決行することに意見一致し首相は全閣僚の辭表をとりまとめて十一時半首相官邸を出て宮中に參內天皇陛下に拜謁仰付けられ總辭職を決意するまでに至りたる事情を奏上し骸骨を乞ひ奉り闕下に辭表を捧呈した天皇陛下には「なに分の沙汰あるまで事務に精勵せよ」との有難き御沙汰を賜り首相は恐懼して御前を退下した。

02 新內閣‧新事態に對處 總辭職理由、近衛首相語る
03 內府、園公を訪問 即夜歸京參內の豫定
04 後繼內閣首班に 平沼男有力視さる
05 緊張の平沼邸 靜中動の無氣味さ
06 參謀總長宮殿下 宮中に御參內
07 初閣議
08 三長官、政務官 辭表を提出
09 閑院宮邸に伺候
10 大命平沼男に降下せば けふ中內閣は成立 前閣僚大半は留任か
11 近衛內閣の功績 一年七個月は多事多難の歲月
12 中島參謀次長 閑院宮邸に伺候
13 勅選二名決定
14 汪、河內に靜養中 王寵惠も面會叶はず
15 陸、海、外三相は 大體留任に決定
16 次官、次長らを招き 陸相種種協議
17 滿洲國武官令 きのふ公布さる
18 汪精衛逮捕令 孫科その旨を發表
19 除名は黨章に違反 中國を共產黨の手から救へ 南華日報の社說
20 五度目の正月政變 總辭職當日の近衛さん
21 フランス銀行 割引步合引下
22 蔣に反旗を飜へす 汪の脫出廣東有力外人觀測
23 謹嚴剛毅な將軍 新中支軍最高指揮官山田中將
24 修水河畔て‧ 敵を潰走せしむ 敵遺棄死體計六百
25 陳立夫は最早 重慶に居らず
26 ダ佛首相 コルシカヘ
27 一九四○年度 砂糖生產高 蘭印政廳が發表
28 本日の天氣
29 大阪商船臺灣出帆
30 近海郵船基隆出帆
31 辰馬汽船
32 大連汽船
33 廣告
第01頁
日刊第2版
序號 標題
01 政始の御儀 宮中で嚴肅に行はせらる
02 畑大將晴れの歸還 顧みる偉大な足跡
03 六日朝入京
04 總督府政始式 きのふ嚴肅に擧行
05 臺北消防組出初式 きのふ盛大に擧行
06 上海東亞同文書院 商科大學に昇格 四月に華華しく開校
07 國民營養法の制度 體力考察委員會近く政府に建議
08 無犯罪部落を建設 遇怠金は善行褒賞に充當 新莊郡の家長が申合
09 圖像:島都の初荷
10 臺北州會 十九日から開催
11 軍司令部 勅語奉讀式
12 部落振興懇談會
13 財務局發表 米管案特別會計 六千六百餘萬圓
14 舊法幣を更に 三割方切下ぐ 流通禁止に至る辦法
15 支那兵が不法拉致 鹽見書記生を佛印內で
16 正米市場初立 會式を擧行
17 初代の伊國 情報官來朝
18 青年團の長距 離自轉車競走
19 國府系各銀行 漢口辦事處を閉鎖
20 藤田知事が模 範部落を巡視
21 萬華の初火事
22 人事‧消息
23 今日の興行
24 廣告
第02頁
日刊第3版
序號 標題
01 廣告
第03頁
日刊第4版
序號 標題
01 ラヂオ
02 前線將士に送る夕 新年鄉土だより/安藤正次
03 講演 「餅と國民性」/安藤正次
04 歌謠曲
05 趣味娛樂 羽根突きの由來(上) 支那や歐洲にも古へ行はれた 優雅吾にしくものなし
06 好太郎の新春作 「戡平の死」決定
07 右太衛們の新作 「錦江戶姿」決定
08 廣告
第04頁
日刊第5版
序號 標題
01 廣告
第05頁
日刊第6版
序號 標題
01 廣告
第06頁
日刊第7版
序號 標題
01 臺南州の豫算額(十四年度) 八百萬圓に膨脹 家屋稅附加稅を新設 州の財政尚餘裕あり
02 起債增稅許されず 結局百廿萬圓增加 高雄州會愈よ明日開幕
03 梧棲築港に就き 關係者へ感謝電 臺中市會議員等が祝盃
04 臺中消防組の 出初式擧行さる きのふ臺中公園で
05 譽れの軍夫歸還 盛大な出迎を受けて
06 嘉義郡下の流腦 二十五名に達す
07 皇民化の徹底に 舊正月を全廢 左營庄青年團員が勵行
08 南支防空施設 視察團廣東へ
09 高雄、臺南兩團の 籠球交驩試合
10 株式發會崩落 政界緊張のため
11 臺南競馬 第四日目盛況
12 傭主女工に斬らる
13 身元不詳の 縊死者發見
14 ローカル セクション
15 消息
16 廣告
第07頁
日刊第8版
序號 標題
01 暴風雨の女(97)/岡田三郎;三浦杏介
02 昭和十四年度は 如何に文學すべきか (下)/本多顯彰
03 龍骨車 娘一人に母親三人 コ州の難裁判
04 科學映畫 「大豆」獨乙へ
05 廣告
第08頁
號外第1版
序號 標題
01 平沼男に大命降下
02 書記官長は田邊治通氏
第09頁
日刊第1版
序號 標題
01 天皇陛下畏くも 深更まで政務に御精勵頭條新聞

【東京五日發同盟】近衞內閣が總辭職した四日畏くも天皇陛下には事變下に政局の速かなる安定を望ませ給ふ大御心から深更まで御政務を臠はせられた御由に承はる陛下には四日政始の御儀を終へさせられて間もなく閑院參謀總長宮殿下の御所管事項の奏上を御聽取あらせられ次で近衞首相に對し謁を賜ひ辭表を受けさせられると共に直ちに湯淺內府に對し後繼內閣に關し御下問を賜はり更に御下問を拜し西園寺公を訪問して午後九時十分再び參內した湯淺內府に對しては御待ち兼ねの御樣子にて直ちにその奉答を聽召され深夜にも拘らず平沼男を召させられ十時過ぎ同男に大命降下の御沙汰を賜はつたのであつた、畏くも陛下には終日御軍裝を解かせ給ふ御こともなく斯く御多端な御中に新春早早深夜まで御精勵あらせ給ふは畏き極みである

02 平沼內閣成立す! 首相、閣員名簿を奉呈
03 親任式擧行さる
04 平沼、近衛聯立內閣 近衛公、樞相無任所相を承諾
05 新內閣に提示せる 陸軍側要望の諸點
06 大藏次官には 大野理財局長有力
07 農相應內氏に 變更
08 內閣體制の根本強化 清新な實行力に待つ
09 平沼男の略歷 沈默嚴謹の代表的人物
10 木戶侯の希望で 廣瀨氏厚相に
11 田邊翰長は 親任待遇
12 町田總裁歸京
13 石渡新藏相に 財界極めて好感
14 新藏相の財政政策は 池田財政の延長 當面の問題、政策の展望
15 獨、伊駐在帝國外交管等 サンレモに會同
16 新藏相石渡氏は 純然大藏畑の育ち
17 組閣本部は 法相官邸
18 專任商相設置
19 廣東東南方の 敵約三千を掃蕩
20 親ソ派巨頭孫科 副總裁に就任
21 陳果夫、于右任ら 孫科を猛攻擊
22 六日にでも 事務引繼 池田前藏相語る
23 グ駐日米大使 今春歸國せん
24 號外發行報社消息
25 本日の天氣
26 大阪商船臺灣出帆
27 近海郵船基隆出帆
28 辰馬汽船
29 大連汽船
30 廣告
第01頁
日刊第2版
序號 標題
01 商店法の實施成績 店員は絕讚、店主もほくく 風呂屋さん大當り
02 圖像:國民奉祝
03 卅萬戶の工業移民 どっと大陸へ進出
04 高商と高農とに 大陸學科を新設 滿支開拓青年を養成
05 橫須賀鎮守府 けふ觀兵式擧行
06 年頭所感/本山文平
07 大陸の花嫁さん 農林省で大量生產
08 初献金(二件) 海軍武官室へ
09 臺北高校惜敗 高校ホツケ
10 陸の荒鷲大編隊で けふ帝都の空訪問 銃後の熱誠に答ふ
11 魔の野柳海岸で 戎克船が遭難 乘組員七名行衛不明
12 基隆消防出初式 豪雨を衝いて擧行
13 一層努力を致す/彬原佐一
14 七名は絕望か
15 大相撲春場所 番附發表さる
16 打倒双葉が 興味の中心
17 定期航空
18 人事‧消息
19 廣告訂正
20 廣告
第02頁
日刊第3版
序號 標題
01 廣告
第03頁
日刊第4版
序號 標題
01 ラヂオ
02 新日本音樂
03 廣告
第04頁
日刊第5版
序號 標題
01 本島の關門基隆 重要性を加ふ/矢野謙三
02 公私を通じて 戰爭第一主義/藤田淳教
03 隱忍自重し 明日の飛躍へ/吉田駛馬
04 國是遂行に協力/安詮院貞熊
05 非常決意の秋/藤垣敬治
06 國策と高雄/宗藤大陸
07 聖戰下に於ける 屏東市の將來性/高木秀雄
08 更に奮起を要す/梅原寅之助
09 廣告
第05頁
日刊第6版
序號 標題
01 廣告
第06頁
日刊第7版
序號 標題
01 高雄州通常州會 數多の議案を上程 山地、道路開鑿費は起債
02 非常時下の健兒 意氣軒昂なり 臺南州少年團合同野營 多大な効果を得て閉幕
03 臺南市防衛團の 武運長祈願祭 きのふ盛大に擧行さる
04 北京遊覽誌 旅行者のために/陳逢源海外遊記

北京城と紫禁城

北京は東洋文化の一大殿堂と稱せられてゐる程、見るべき所が頗る多い。私は今始めて北京へ旅行する人のために先づ何ういふ所を見物しなければならないかを出來る丈簡明に書きたいと思つてゐる。先づ世界に類なき北京城と紫禁城から叙述を進めて行きたい。元來北京城は遼、金、元、明の各代を經て來たが現在の城壁は大體明の永樂帝が南京から遷都されて以來、改修增築されたものである。其の城闕は內城と外城に分かち、外城の規模が內城に比しズツト小さく□外城といつても內域の南面に一城廓を連結してゐるに過ぎない。外城の城壁の高さは二丈餘、城根の廣さ二丈、壁上面の廣さ一丈四尺、東、西、南三面の長さを合計すれば二十八支里(日本の一里は約六支里)となり、今や古城といふよりは寧ろ廢墟見たような廢城である。

× × ×

然るに內城は實に宏壯を極め城壁の高さは三丈五尺五寸□壁根の廣さ六丈二尺、壁上面の幅五丈、四圍四十餘支里といふ尨大なものである。城壁は磚といふ灰黑色の煉瓦を以て築かれてゐるが、始めて北京城に接した時の印象は誰しも其の巨大さと其の偉觀に驚嘆せざる者はないであらう。而して內城の周圍に九つの門を有し、南面の三門は中央を正陽(前門)、東を崇文(哈達)西を宣武(順治)と稱し、東面の二門は南を朝陽(齊化)、北を東直といひ、西面の二門は南を阜成(平則)、北を西直といひ北面の二門は東を定定、西を德勝といつて清朝になつても明の舊名を其の儘踏襲した來た。

就中正陽門は特に雄大、華麗を極め、諸城門の內樓閣を有せざるものを除きいづれも門の直前に箭樓がある。此の箭樓の兩側面に半圓形の小城壁が城壁の方に向つて築かれ、これを甕城と稱していざ敵が攻め寄せたといふ塲合には此の中が警固の武士の溜りとなつて城を守つてゐたのである。尤も正陽門の甕城は民國四年交通の便宜を圖るために取除かれ、門のたたり城壁を穿つて新しく二條の通用門が開かれてゐる。

× × ×

內城の中央部に皇城があり皇城の內部の東に偏してゐる所に皇居、卽ち紫禁城がある。皇城は周圍十八支里、殆ど正方形をなし、黃瓦の赤い垣を以て繞らし、南の門を天安、北を地安東を東安、西を西安と稱してゐる。中にも天安門の巨樓に黃瑠璃の瓦が覆ふてゐる壯觀も他では見られない。其の前に外金水橋といつて其の石の橋が架せられ、欄干には龍の彫刻があつてなかなか豪奢を極めてゐる。橋の手前と向ふの西側に一對づつ都合四つの巨大な大理石の獅子があつて、其の優美さは世に稀れな逸品である。橋の手前に大理石の華表が二基立つてゐて之も見逃すべからざるものである。

天安門の外には更に長方形の垣があり、中央の門は中華門といつて明の大明門、清の大清門がそれである。而して東のは東長安門□西のは卽ち西長安門である。

× × ×

天安門を潜つて內側に出ると我等の步む道には一直線に巨石を以て何處までも敷きつめられてゐる。東西の兩側には各各二十六間の廡があり、正面には又も巨大な瑞門がある。瑞門の東側が太廟、西側が中央公園でいづれも鬱蒼たる古木の林と其の他の樹木が繁茂してゐる。瑞門に入ると、我等は紫禁城の本玄關たるすばらしく巨大華麗な午門の雄姿が橫はり、城門として世界最大の建物であるといはれてゐる。門樓下の正門には三つの門卽ち闕が穿たれ、中を帝后の御通用に充て、右を宗室王公、左の文武百官の出入に充てたものである。此の外東西にある左掖□右掖の兩門は、大朝に際し文武百官が左右の班次に分けて出入したものである。正門の三つの門樓と直角に折れた左右兩翼の城樓は恰かも鳳凰が思ふ存分に翼をひろげてゐるようなもので、一名王鳳樓とも稱せられてゐる。民國十六年からは門樓を歷史博物舘とし□開放されてゐる。

× × ×

紫禁城は山河千里國、城闕九重門、不覩皇居壯、安知天子尊と唐詩でうたはれてゐる通り四百餘州に君臨する皇帝の尊嚴を表徵するに最も相應はしい莊麗を極めたものである。紫禁城は高さ三十尺、周圍約六支里正門は卽ち午門で、東に東華、西に西華、北に神武の四門を有し、四隅には金碧燦爛たる角樓を設けてゐる。中には宏偉、莊麗な大和、中和、保和の三大殿を始め、昔日帝王の秘窟たる大小いくたの宮殿がある。

紫禁城の外には御溝があり、更に南海、中海、北海乃至十刹海と呼ぶ南北數哩に亘る大湖水があり、いづれも玉泉山の泉を引いて來たものである。かくの如く紫禁城の正門たる午門の前には瑞門、天安門、中華門、正陽門といふ四つの門があり、支那の天子は四重又は五重に取卷かれた要塞の中心に住んだといふ事が出來る(寫真は正陽門の城樓)

05 彰化市郡の 御用始め式
06 燈籠献納報告祭
07 臺南州献穀畑 地鎮播種祭
08 板橋の出初式 壯丁團が演習
09 高雄州の豫算(上)
10 外車埕萬大間の 臺電索道工事 三月迄に完成せん
11 虹口の復歸支那人 既に八萬人に及ぶ 更に希望者に許可證を發行
12 花蓮郡警察課 實彈射擊演習
13 花蓮港の電燈 電線切斷で消ゆ
14 臺東街防衛訓練 八日をトして施行
15 大屯郡主催の 庭球大會終る
16 臺南競馬 第四日成績續報
17 臺南消防組出初式
18 商況 五日
19 廣告
第07頁
日刊第8版
序號 標題
01 暴風雨の女(98)/岡田三郎;三浦杏介
02 讀書研學の苦心/小幡重一
03 音樂評論 期待される音樂家達 (上)/由根銀二
04 龍骨車 藝術家と精神病者 どこが違ふか
05 新春頌歌
06 學藝消息
07 心聲漢詩

游萊園賦贈老秋/老蒼、體仁醫院聽朔方筑客和奏胡絃洋琴/復瓿、哭妹夫張鴻棠/其美

08 廣告
第08頁
夕刊第1版
序號 標題
01 新內閣の所信を披瀝 初閣議を終へて平沼首相 記者團と初會見
02 事變處理の方針不動 新首相、談話を發表
03 帝國の外交も不變
04 連日、閣議を開いて 事變新階段に對處 平沼內閣愈よ驀進
05 近衛樞相の親任式 昨夜內閣から發表
06 國防會議設置の議 有力閣僚が提唱
07 組閣最初の 閣議を開く
08 國力を高度に發揮 京既統制も綜合的に 新藏相談
09 全幅的信賴で協力 財界では好感の意見
10 金口木舌/林正享
11 獨は新內閣を歡迎
12 米穀會社法案は 檢討の上態度決定 櫻內新農相の登場で
13 聯立內閣の成立 心強く考へる 梁行政院長語る
14 滿洲國財界では 好感を以て迎ふ
15 一段と強化せん 支那當局の觀測
16 大藏次官は 大野氏に決定
17 蔣介石頻りに 實力派を召集
18 明日の天氣
19 總動員(32)/長田秀雄;夏目醇
20 廣告
第01頁
夕刊第2版
序號 標題
01 新內閣の內政外交 大した變化はない 內閣更迭に際して小林總督語る
02 十八時間と十三分 新內閣のスビード組閣
03 若い!新內閣 當り年の閣僚が四人 緣起のよい平沼丸
04 銃後の完璧を期す/丸木末次郎
05 平沼首相今夜放送 「大命を拜して」と題し
06 初部局長會議 けふ開かる
07 臺北州豫算 十三日に發表
08 宜蘭消防組 出初式
09 デルタ地帶に躍る 殘敵を一齊に掃蕩 陸海軍が呼應して
10 代用品展(臺北商議所主催) 準備着着進む
11 花蓮港の大火事 黑金通り七軒を全燒し 損害は四五十萬圓
12 海上警報
13 臺北市國語家庭 起元節の佳辰に發表
14 臺北高商、北大 豫科を破る 高專ラグビー
15 高砂丸入港 嶺田財務局長歸臺
16 依然、行衛不明 搜查隊空しく引上ぐ 野柳沖の遭難事件
17 新竹の庭球大會
18 四五錢の通帳を 百十五圓に改竄 詐欺漢、新竹で御用
19 町田經宇大將逝く
20 比田井天來氏逝去
21 海關收入總額 海關總稅務司發表
22 水兵とゲ‧ベ‧ウ 深刻な對立 黑海沿岸に「肅清委員會」
23 商況 六日前場
24 內湖庄の火事 住家一棟を燒く
25 山西丸無電
26 今日の興行
27 廣告
第02頁
夕刊第3版
序號 標題
01 日本の母(15)/新述節;瀧伸二
02 六年生の親たちへ(上) 試驗と睡眠の問題に就いて 岡田道一氏談
03 お正月を機會に 寫真を撮る方へ 化粧と配色の注意
04 正月の食料品打診 (上)斷然高い數の子見分け方、食べ方
05 火の元に注意せよ 寒い冬は火災の季節
06 廣告
第03頁
夕刊第4版
序號 標題
01 見よ!この赤誠 献金五千萬圓突破 盡きぬ巨額の慰問品 當局痛く感激
02 人體の不可思議 血液の循環の話(六)/折井英治
03 オルガンを 諦めて献金 手紙を添へて
04 戰勝正月 コドモの新遊戲 (上)/三浦青波;櫻井紅風
05 カタカナ欄 ニッポンーナ オパケ‧ゴバウ
06 モノシリ 小辭典
07 廣告
第04頁
日刊第1版
序號 標題
01 國家總力の發揮こそ 新秩序建設の要件! 「大命を拜して」首相全國民に放送頭條新聞

【東京六日發同盟】平沼首相は大命を拜して重大時局擔當の任に當るにつきその決意と所信とを全國民に吿げるため六日午後七時半から首相官邸に特設のAKのマイクを通じ「大命を拜して」との題下にラヂオ放送を行つたその大要左の如し

支那事變は旣に第三年を迎へ着着戰果を收めて今や新しい段階に入つた是れ偏に御稜威の下忠勇なる將兵諸士の奮鬪と銃後國民の熱誠とに依るものであつて洵に感激の外ない殊に幾多の艱難を克服し連勝を重ねつつあるわが將兵に對しては心より感謝するとともに護國の英靈に對しては深く哀悼の意を表する支那事變に對處すべき帝國の方針は畏くも聖斷を仰ぎ奉つた確乎不動のものが存する前內閣はこれに基いて諸般の施策を進めたのであるが新內閣においても勿論この帝國不動の方針に基いて飽くまで所期の目的達成に一路邁進するのみである固より時局の前途愈愈多難なるべきは察するに難くないがこの難局を打開し光明ある前途を拓く為めには國家の總べての力をこの目的貫徹に集中すべきは言を俟たぬ從つて今後の政策の重點は綜合國力の擴充に置き廣く世界の情勢を注視してこれが運用に當りたいと思ひ專ら國家總動員態勢を强化し內外各般の國策遂行に當る心算である言ふまでもなくわが國政治の基礎は全國民が各各その分を盡して皇室を輔翼し奉ることにあると思ふ先般の開院式の御勅語の中に仰せられた如くこの傳統的國民精神の昂揚と國家總力の發揮こそ東亞における新秩序の建設といふ大業を完成する最大の要件である全國民諸君においてもこの心持ちを諒とし擧國一致協力せられんことを切望する。

02 政策決定の閣議 來週中頃から開かれる模樣
03 聖上に拜謁、軍狀奏上 畑將軍帝都に歸還
04 財政經濟の一體化 八田新商、拓相語る
05 皇后陛下の御慶式 御着帶の御儀は十三日 芽出度く擧げさせらる
06 厚生次官には 岡田氏を起用
07 圖像:(上)初閣議を終り首相官邸で新大臣記念撮影(下)平沼新首相記者團と會見
08 開戰前に徵發 米海軍議會に要請
09 駐日伯國大使 更迭 ヴ氏は伊國に
10 東京市教育局長 多久氏を起用
11 冷雨と寒氣を冒し 勇躍進擊を續行中 我デルタ地帶討伐隊
12 國府、金銀流出に苦慮 財政部より上海に於る裝飾用金 取引取締令を發す
13 外交諸問題に關し 英首、外兩相が協議 在支權益擁護に米と共同動作か
14 國民參政會 第三次大會 二月に延期
15 沙灣攻略に 陸軍部隊を掩護 海軍珠江部隊の一部
16 “佛ソ條約廢棄せよ”ソ聯不信の聲、佛國內に昂まる
17 歐洲の新情勢に付 情報を交換檢討 帝國駐歐大使會議續行
18 國民職業能力申告令 けふの官報で公布
19 共同政治委員會 設置の重大要求 共產黨が國民黨に對し
20 德川好敏中將 昨日廣島に歸還 大阪陸軍病院に入院の筈
21 公債四億圓を 發行に決定
22 本日の天氣
23 大阪商船臺灣出帆
24 近海郵船基隆出帆
25 辰馬汽船
26 大連汽船
27 廣告
第05頁
日刊第2版
序號 標題
01 社說 平沼、近衛聯 立內閣の出現 其實行力に期待社說

近衞內閣は去る四日の初閣議に於て總辭職を決定、闕下に辭表を奉呈したが、同日組閣の大命は平沼男に降下、同男の組閣工作頗る順調に進み五日夕親任式を擧行、茲に平沼內閣が誕生したのである。

今度の政變は新年匇匇突如起つたので、一般國民はいささか面喰ひ、その理由を發見するに、苦しんだようであつた。が、今度の政變は突如に起つたやうにみえるが實は然らず。近衞公は昨年六月の內閣大改造以來その機を狙つてをつた處舊臘二十二日に於ける第三次聲明發表の好機を摑み、退陣諸工作を施した結果、愈愈見透しがついたので、本年初閣議席上に於てこれを決定、斷行したのであつて、決して突如に起つた政變ではない。これこそむしろ豫定の退陣であると云へよう。ただ、これが內外に及ぼす影響を恐れて政府が今までヒタ隱しに隱して表面に現れなかつたといふに過ぎないのである。

然らば近衞內閣總辭職の理由は奈邊にあるか。樂屋裏を窺けば種種理由があるであろうが、結局は「新事態の下には新しい內閣」といふ意味深長な退陣聲明を玩味すれば、ある程度まで自ら首肯することが出來よう

舊臘の第三次聲明に依つて愈愈新支那建設への第一歩を踏出さんとし、事變收拾は愈愈本格的段階に入つたのだから、茲にもつと强い力を必要とするのだ。だから新段階に入れば、近衞內閣は改造を斷行して內閣を强化するか、若しくは總辭職に依つてこれを强化するか、事變收拾はこの何れかの一途に依る外ないのであることは、客年より傳へられて來た政界の常識である。これは例の國民再組織問題が爼上に上つた時更に痛感され、國民再組織よりは內閣の再組織が急務だと云はれた所以である。

近衞公は四圍の情勢よりみて强化の必要を感じ、今度は改造よりも總辭職の途を選んで之れが强化を行ひ、以つて事變收拾に乘出したのである、といふことは新內閣の閣僚の顏觸れをみれば諒解出來るであらう。

平沼新內閣は近衞內閣閣僚の一部解任、一部入れ替へ、一部新入閣、一部留任等等あるが、これを總體的に見るとき、要するに平沼首相を一枚加へて近衞內閣を强化し、その延長であると云へよう。平沼男が首相であり、近衞公が無任所相であるから云はば兩者共同責任の聯立內閣である。殊に近衞公は今後五相會議は勿論、興亞院會議に列席して事變の積極的處理に邁進するといふのだから、その實質上から云つても、又形態上から 云つても强力なる平沼、近衞聯立內閣である。從つて新內閣の施政方針は前內閣の方針を全面的に踏襲するであらうし、又支那事變に關しても御前會議の決定に基き確固不動の方針に依つて飽くまで聖戰の目的達成に邁進するであらう。特に舊臘廿二日の對支國交調整方針に關する聲明はそのまま之を踏襲するとは云ふまでもあるまい。

東亞新體制確立を目指す聖戰の前途はなほ遼遠である。物心兩方面に亘る國家總動員體制の整備强化、又政治、經濟、社會各方面に於ける諸般の庶政刷新而して益益複雜化すべき國際關係の調整等等、强力なる新內閣の清新なる實行力に待つべきものが多多あるのであるから、新內閣の諸施策は結局凡ゆる困難を克服し聖戰の目的達成に邁進すべく愈愈强化されるものとみられてゐる。

殊に平沼男は從來近衞公と共に有力なる首相候補として政變每に必ず下馬評に上つた名望力量共に優れた人物であり、しかも强固なる背影を有してゐるから、必ず國民の期待に副ふべくその手腕力量を十分發揮するとが出來るであろうと信ずる。

02 きのふ海軍始觀兵式 海の荒鷲群も參加し 橫須賀で盛大に擧行
03 陸軍始觀兵式豫行 きのふ代代木原頭で
04 天皇皇后兩陛下 野戰正月料理を召させらる
05 圖像:北支戰線の遙拜式(八達嶺にて)
06 防疫第三陣 小林元福州博愛醫院長一行を ○日、廣東へ派遣
07 定期種痘 十日から繰上施行
08 日鑛錦水油田 ガスを猛噴 深度千八百餘米で
09 二年越の蓪草悶着 やっと圓滿解決す
10 圖像:六日來臺した 女子陸上選手
11 流石は模範部落鷺洲庄 藤田知事も大滿悅
12 チフス濃厚地を 告示で指定 臺北洲で手續を改正
13 長距離自轉車 競走選手 五日高雄に到着
14 壯丁團副團長の 献身的な働き 花蓮港大火美談
15 宮內省もガソ リン節約
16 諸勇士の英靈 內地へ凱旋
17 慰問演藝會 住吉小兒童らが
18 基隆海外渡航 協會創立 十五日に發會式
19 南部中等生徒 軟式庭球大會
20 彰化市の 婦人交禮會
21 からすみ下落 二圓五十錢內外
22 人事‧消息
23 定期航空
24 ときのこえ
25 廣告
第06頁
日刊第3版
序號 標題
01 督府の戰時財政 五年振りに公債支辦 昨年默迄の總發行高 一億四千五百萬圓突破
02 生產力の擴充と 統制を本格的に 新內閣事變最終目的へ
03 農業體制の構造を 集約的に強化す
04 特殊リンク制の(上) 施行に絡む諸問題
05 臺電起債のため 臨時總會を召集
06 新春の商品界 環境不味で軟化
07 梧棲築港の全貌 工事費二千五百萬圓 昭和十八年開港の豫定
08 清涼飲料水組合 初荷盛況を示す
09 高雄の砂糖在庫 又も增加の一途
10 十二月中官鐵の 貨物輸送量增加
11 照明燈
12 市價及商況 六日
13 廣告
第07頁
日刊第4版
序號 標題
01 明朗の天地‧廈門 島民を先驅に進め新大陸へ/內田五郎
02 圖像:太平洋浪高し(海軍省貸下げ)
03 圖像:一月の繪ごよみ
04 廈門の今日あるは 臺灣に負ふ所多大 盧廈門治安維持會秘書長談
05 廈門の社會事業 福民俱樂部の活躍
06 廣告
第08頁
日刊第5版
序號 標題
01 行け、未開の南支へ 氣候風土總て好適 前線の蘇定松君より 銃後の友人への便り
02 造林地買收案を否決 旗山信組總代會にて
03 銃後の防火陣全し 各地で盛な出初式
04 ローカル セクション
05 葬費を節約して 床しの國防献金
06 吉野製糖 壓榨を開始
07 廣告報社消息
第09頁
日刊第6版
序號 標題
01 廣告
第10頁
日刊第7版
序號 標題
01 高雄州通常州會 緊張裡に開催さる 義務教育と共學問題を提げ 吳海水氏が處女演說に起つ
02 教育關係の豫算 積極化を期待さる 臺中州の新豫算一段落
03 傷痍軍人並家族の 優遇方法愈愈具體化 臺中州自動車協會で
04 北京遊覽誌 旅行者のために 二/陳逢源海外遊記

三大殿を中心に

紫禁城は明朝文明の遺物であり、清朝の手を以て多少重修を加へたが、元元滿洲族には未だ獨創的文化なく、其の儘漢族の文化に陶醉して之を踏襲したものと見るべきである。

午門に入ると五つの白石で架けられた內金水橋があり、之を渡れば一對の銅獅を前にして基壇の上に九楹重層の大和門がある、門に入れば其の突當りが俗に金鑾殿と稱する封建國家最高の聖所たる大和殿である、大和殿は明の皇極殿にして康熙年間に再興せられたもので、中和及び保和殿と共に白大理石の三段の基壇の上に立つてゐる、大和殿は國家の正朝にして元旦、冬至、萬壽節を始めとして國家重要な式典を擧ぐる所で、正面約二百十一尺、奧行約百十尺、高さ約二百尺、中央に寶座を設けてゐる。天井は格天井にして中央一段と高く中心に龍を刻し、內外富麗の裝飾と相俟ちて清朝藝術の爛熟期たる乾隆時代の特色を充分に發揮してゐる。殿前石陛の左右には十八個の寶鼎を設け、之を昇つた月臺の上には鋼龜、銅鶴各二個と共に東に日晷、西に嘉量を配してゐる。卽ち天子は民に正しき時と正しき量器を授ける事を以て施政の要諦とした古代の遺風である。

× × ×

大和殿の背後にある方錐形の屋蓋を有する小殿が卽ち中和殿で、天子が出御に先だち扈從の大官侍衞等の行禮を受け、又壇廟の祭祀に先だち祝版等を親閱した所である。現在殿中に陳列せられた兩個の鐵牌は、清世祖順治帝が前明宦官跋扈の弊を防ぐために下された詔勅を鐵に鑄て內廷十二個所に立てられたものの一つである。

中和殿の背後にある保和殿は每年の除夜に天子出御して外藩を饗宴せられ、又科擧の際殿試を行はれた所である。中和及び保和二殿はいづれも明の天啓七年(西曆一六二七年)に再興せられたもので、就中保和殿は中和殿より規模大きくて凡ての彫飾も又富麗を極めてゐる。

三大殿とも三段の白大理石の基壇の上に立ち、其の前後に各偉麗なる石陛三處を設けてゐる。就中保和殿後面の中央の陛は長さ五十五尺二寸、廣さ十尺一寸五分といふ世界一の白大理石の一塊から造られ表面には雲龍の高彫が施されてゐる。そして此の陛は天子の玉步を運ばせられる所として設けられ、侍臣は兩側の階段を步むのである文字で書く陛下及び殿下の名稱は三大殿を見て始めて其の實感が湧いて來る。

× × ×

大和殿の東にある文華殿は天子が春秋每に經筵を行はれた所で、現在唐宋元明清各代の書畵を陳列してゐる。尚殿內に米人福氏の集められた四五百萬圓に値ひする銅器、陶器、魏碑、唐宋明の書畵等五百餘件を此處に寄附し一般に公開されてゐる。文華殿の東にある傳心殿は元先師を奉祀してゐる所で、文華殿の後方の文淵閣は四庫全書を格納せられた所であるが、民國二十二年多數の古寶と共に南方へ遷されてしまつた。

大和殿西方の武英殿は清乾隆帝の世に經史書籍を校刋した所いはば宮廷御用の編輯室である此處には商、周、秦、漢各代の古器、銅器を始め各時代の琺瑯彫漆刺繡等あらゆる工藝美術品を陳列し一般に開放してゐる。元來舊宮廷の貴重品は二十四萬二千五百餘件といふ驚くべき數に上り其の後數次の政變により持出されて現在僅かに五千餘件卽ち全數の五分の一しか殘つてゐないが、これでも數億の金に上ると評價せられてゐる位に、如何に舊王朝は一大搾取機關であつたかを知るべきであらう。

× × ×

武英殿の西に浴德殿と稱する土耳古風呂を附設した一殿がある。此處は乾隆帝が曾て外藩の蒙古及び青海等に住む回教民族の美貌な王女を捕虜したために築いたものであつた。彼女は土耳古系の皮膚の淺黑い女性であつたらしいが、窈窕とか、嬋娟とか、さうした中華の麗人に飽いた乾隆帝が不思議な情熱を以て此の異國情調の王女を寵愛し後宮として迎へ入れ、香妃といふ名を賜はつた。併し香妃の恨は到底解け難いが、彼女の心を慰めるため、望家樓(中南海公園の入口にある新華門)を築いて回子營の回教王邸を遙望せしめたさうだが、其の後の香妃の運命は支那劇の「香妃恨」によれば帝の母たる太后に殺されたとの事である。殿內に藏せられてゐる二枚の香妃の畵像は伊太利より歸化した郞世寧の筆に成れるものといれはてゐる。

(寫真は紫禁城大和門全景)

05 高雄州の豫算(中)
06 慰問電文
07 臺南陸軍始觀兵式 八日華華しく擧行
08 壯丁團の初訓練 同時に表彰式を擧行
09 應召家族慰安の 劇と舞踊の夕ぺ けふ彰女講堂にて
10 松の內に初殺人 不貞の妻に對する夫の兇刃
11 關屋氏講演會 今夜臺南公會堂にて 特に島人識者の來聽を希望
12 谷口前署長出發
13 中南部陸上競技 明八日開催せん
14 臺中での講演 大好評を博す
15 嘉義市の出初式 昨日華華しく擧行
16 廣告
第11頁
日刊第8版
序號 標題
01 暴風雨の女(99)/岡田三郎;三浦杏介
02 ラヂオ
03 晝間娛樂時間
04 廣告
第12頁
夕刊第1版
序號 標題
01 東亞新秩序の建設 防共樞軸の強化! 帝國外交方針は不動
02 新內閣の長命を希望 イタリア官邊の批評
03 汪精衛は重ねて 第二次聲明發表? 蔣政府側に痛烈に反駁
04 汪の和平聲明 南洋華僑に大衝動 親日的傾向が擡頭
05 支那抗日政權今や 累卵の危機にあり フランス紙特派員の齎した情報
06 金口木舌/林正享
07 フランス增兵 ゲブケに向ふ
08 チ、洪兩軍再び交戰 兩軍とも現場に增援隊派遣
09 チエツコ兵 國境を突破 ハンガリー領內に侵入
10 對日經濟報復案を 英具體策決定か アヴアス通信の報道
11 ダラデイエ首相 アルゼーに到着 重大會議開かる
12 在滿領事館の 閉鎖及び格上げ
13 防共大使會議 終了
14 各特別會計 原案通り可決 七日の閣議
15 洪チ國政府に 嚴重抗議
16 厚生次官閣議決定
17 明日の天氣
18 總動員(33)/長田秀雄;夏目醇
19 廣告
第01頁
夕刊第2版
序號 標題
01 テレヴイ實用近し 四月から試驗放送 帝都市民に先つ公開
02 吳橋の本據へ入城 德縣東北方の共匪を擊滅す 元泉部隊新春の凱歌
03 新內閣閣僚一覽
04 各特別會計の 公債總額 臨時軍事費外の分
05 庶務課長會議 新竹州下各郡の
06 福建丸海上へ
07 臺北高商 遂に破らる ラグビー大會
08 高雄州會(第一日續報) 教育衛生問題で緊張
09 文壇人の大陸進出 ぺンの海外視察! 興亞の春賑やかな進軍譜
10 米の明年度國防費 十三億二千萬弗に達す
11 血書で軍夫志願 一命を皇國に捧げんと
12 優良壯丁團檢閱 十九日新竹小校庭で
13 臺北州女子青年團 臺灣神社を參拜 大屯登山決行前に
14 代用品展覽會 全般委員會 きのふ公會堂で開催
15 今晚の放送
16 商況 七日前場
17 廣告
第02頁
夕刊第3版
序號 標題
01 日本の母(16)/新述節;瀧伸二
02 家庭の婦人 六年生の親たちべ(下) 試驗と榮養、運動及び休養/岡田道一
03 革手袋はかうして 上手にお使いなさい/高野六郎
04 紅茶を語る 正しい入れ方など
05 初春の御旅行 溫泉入浴の心得
06 丈の足りない 着尺に妙案あり 古物の更生にも便利
07 南方よりも北方の 若人に多い近視眼 その原因のいるくに就いて
08 新年軍團笑話 髯
09 廣告
第03頁
夕刊第4版
序號 標題
01 新高山脈十三座に 新しい名前を付る 近く陸地測量地圖に公表 高雄州理蕃課の立案
02 戰勝正月 コドモの新遊戲 (中)/三浦青波;櫻井紅風
03 繪畫の報國 千枚をかいて献納
04 人體の不可思議 血液の循環の話(七)/折井英治
05 集めた銀紙 二千三百五十枚 偉いそ惠美子ちゃん
06 遺家族の住宅 高雄市が建設 四萬圓の經費で
07 「忠臣藏」 ドイツの役 者が演じた
08 廣告
第04頁
日刊第1版
序號 標題
01 蕪湖西方に蠢動の 敵一個師團を擊破 死體六百餘を遺棄頭條新聞

【南京七月發同盟】蕪湖警備のわが○○部隊は正月早早敵正規軍六十三師が再び蠢動を開始し九里山(蕪湖西方)附近に進出したとの報に接し二日より行動を開始し同三日九里山附近の敵約一大隊を擊破したのを手始めに四日には寧國西方團山舖附近の堅陣に據る敵六十三師一個團を擊破潰走せしめた五日までの戰鬪における敵の遺棄死體六百五十機銃七、チエツコ機銃十、小銃九十八その他彈藥手榴彈など多數を鹵獲捕虜も四十八名に上つた

02 隨所に敵を捕捉殲滅 陵縣附近の掃蕩戰
03 各特別會計豫算案 きのふの閣議で決定
04 國民總動員組織案 白紙に還元、內文兩相が再立案
05 參議制度存續に決定 新參議增員をも考慮
06 北雲臺山附近を掃蕩
07 蒙疆政府の豫算 總額一千三百餘萬圓
08 職業能力登錄 制の敕令公布
09 為替平衡勘定 の保有金增額 英大藏省發表
10 鐵相の秘書官 羽田氏に決定
11 貴院制度、選擧法、議院制度の 議會提案見合せ
12 書記官長の 輔佐役設置
13 職員、船員兩保險案 調查會より厚相に答申
14 獨波會談の內容 東北多年の諸懸案に付 重要意見の交換を行ふ
15 獨政府、事件を重視 洪、チ兩國の紛爭を繞り
16 現地交涉中に チ軍が砲擊
17 專任遞拓兩相は 議會後に補充
18 連日閣議は十日迄 以後は定制日を設く
19 政務官の割當 十日閣議で決定
20 農林經濟更生部長 石黑武重氏に決定
21 獨外相本月中 波蘭を訪問
22 洪國政府の 非公式發表
23 八新聞社幹部 を招待 平沼首相が
24 南支佛教協會を設立 防共反蔣運動に乘出す
25 英の首外兩相が ローマを訪問 途中佛首外兩相と會談
26 佛伊紛爭を調停か 英首相、羅馬訪問の際
27 洪國政府 緊急閣議開く 慎重對策を協議
28 フ軍の戰果擴大 占領地域逐次增大
29 國民を煽動するもの 米大統領の一般教書にハ氏が痛擊
30 洪國の通告を チ國外相反駁
31 ハンガリー側の 見解を支持 イタリア各紙の論調
32 汪、歐洲へ赴かん
33 歐米諸國の空軍 獨に及ぶ者なし リ大佐、米政府に報告
34 薛岳更に湖南 省主席を兼任
35 西南建設委員會 國府が設立せん
36 けふの天氣
37 大阪商船臺灣出帆
38 近海郵船基隆出帆
39 辰馬汽船
40 大連汽船
41 廣告
第05頁
日刊第2版
序號 標題
01 社說 國際環境に氣 を弱めるな 所銓は力で解決社說

日獨伊が防共協定によつて結ばれてゐるとは言へ、國際環境の大局から眺めて、日本は孤立的環境にある事は動かすべからざる事實である。吾人は先づ何故に孤立的であるかを具體的に把握する必要がある。松岡代表の雄辯も遂に彼等は認むるに至らず斷乎國際聯盟を脫退したのであつたが、日本の名譽ある孤立は此の日に生れたのではなく惟此の日に躍如として、しかも克明に世界史上に紀錄されたに過ぎないのである。斯くも世界史の一頁を劃した重大問題であるに拘らず、當時國民が微動だにしなかつたのは斯くあるべき事を充分覺悟して居つたからである。從つて「千九百三十五、六年の危機」なるものをも豫期してゐたのであつた、併し豫期した三五、六年は何事もなく經過したが、此の危機は遂に北支事變に形を換へ時機も少し遲れて千九百三十七年七月七日の夜半遂に來るべきものが來たのであつた。

北支事變が日支事變となり、更に支那事變として日支の全面的戰闘となるや、第三國との關係は事變の擴大に比例して深刻を增した。殊に支那に利害關係の多いロシア、イギリスの行動□事變頭初より明白であつたが獨りアメリカの動向が判然しなかつたのであつた。然るに戰果愈□擴大されるや漸く其の動向が明瞭となり、漢口、廣東、落城するや遂に牙をむき出し日本に迫つて來た。卽ち揚子江の航行を要求したり、九箇國條約を揮りかざしたり、全く出來無い相談である事を百も二百も承知しながら無理難題を吹きかけてゐるのみならず、蔣政權の借款に應じた模樣であり、愈愈露骨な援蔣行動に出てゐる。一方ソ聯の援蔣は國民黨の無力に乘じ其の地位を奪取するの形勢にあり、日ソ直接關係であつたソ滿國境問題が張鼓峯事件となり日ソ外交交涉によつて一段落を告げた折柄、北海漁業問題で又又不遜行動に出で、日本の尊嚴を無視するの擧に出てゐる。英國亦米國と共に益益あせり出し日本に對し不信の限りを盡し佛領支那より續續と武器を輸送しつつある事も掩ふべからざる事實である。

英米ソ等の行動は今次事變の解決を遲延させるのみならず、日支事變をして世界戰爭に導くのおそれ無しとしない。然し日本は今更の如く彼等の動向に對し氣を弱めてはならぬと云ふ事である。國際聯盟脫退の日に既に今日あるを覺悟した筈であるまして今次事變が愈愈全面的となるに當り、國際環境が如何に今事變に反映するかは餘りに明瞭であつた。極めて端的に觀ても支那に對し有する利害關係は日本を除けば、英米ソの三國が世界の何れの國よりも深いのである、殊に彼等は旣に百年前より支那大陸に野心を抱き來り、最大限度の經濟的に領土的に侵略を敢へて成してゐる半面に支那領土の保全と門戶開放政策をとつて來た、それが彼等に最も有利であるからである。今次事變の目的が領土を欲するに非ず代償金を要求するに非ざるとは云へ、日支の完全な提携が彼等に如何なる關係をもたらすかは誰よりも彼等が知つてゐるのであるから己の野望を滿たすために今日の如き行為に出づるはけだし當然であらう。一方日本としては彼等の行動は充分豫算に入れての事でなければならぬ。要するに一片の宣傳や口頭禪によつて解決されるものでは無く一言で盡せば、持つ國と持たざる國の戰ひで、所詮實力によつて解決する外道は無いのである我等國民は力の限りを發揮し東亞のために戰ふべきだ。英米ソ等の露骨なる援蔣行動は今次事變の解決上極めて不利なるは言ふまでも無い。然し彼等の行動に對し斷じて氣を弱めてはならぬ。

02 上海聯合陸戰隊觀兵式 きのふ堂堂と擧行
03 御下賜品傳達式 十日公會堂で擧行
04 石本部隊の 戰傷病死勇士 七日原隊より發表
05 戶稅の市街庄移讓と 戶稅規則の改正 臺北州稅務課長語る
06 師範二部入學 を獎勵 各地方長官に通牒
07 藤田知事の 模範部落視察
08 農會議員選擧 基隆は廿五日
09 戰傷癒えて大喜び 勇躍再び第一線へ 石森上等兵の美擧に當局感激
10 雨の大屯山を征服 女子青年團の健脚振り
11 模範の皇民化運動 漁撈して全戶に鏡餅を配布 輝やく戰捷の新春を奉祝
12 酒井憲兵隊長 東部初巡視 澎湖島分隊も
13 榊原署長着任
14 稻江商公會館 永樂市場に設置
15 和洋雜貨化粧品 商組合創立總會
16 憲兵隊武道始 紅白試合で妙技を振ふ
17 廣東丸けふ出帆
18 法務陣の擴大強化 法務課を部に昇格し 七月一日より實施
19 臺北市婦人交禮會 昨日公會堂で開かる
20 本島官民合同の 南支派遣軍慰問團 本月中旬頃に出發
21 四條貴族院 議員視察日程
22 葉金木氏の美擧報社消息
23 任意出頭で 河合教授取調べ 進退問題注目さる
24 豆腐製造業 者組合總會
25 州立臺中工業 地鎮祭を擧行
26 梶原仲治氏逝去
27 月田博士逝去
28 大江美智子逝去
29 けふのメモ
30 人事‧消息
31 ときのこえ
32 今日の興行
33 廣告
第06頁
日刊第3版
序號 標題
01 本島の對外貿易(十三年度) 遂に八億圓を突破 戰時貿易の強韌性現る
02 特殊リンク制の(下) 施行に絡む諸問題
03 臺灣貿易の躍進は 內地貿易に依存 過去四十年の分析
04 港灣及鐵道事業は 公債で賄ふべきだ 今年の豫算は軍事が主 歸臺した嶺田財務局長語る
05 臺電の顧問に 石井氏を囑託
06 野口財閥愈よ 本島へ事業進出か 大甲溪發電に注目
07 赤糖の移出に 糖廍が不安 島內糖商委託を希望
08 日銀兌換券發行高 廿八億六千萬圓 保證準備再擴張は必至
09 基隆炭礦一分增配
10 公社債の發行 六十億八千萬圓 國債四十三億圓を占む
11 市價及商況 七日
12 照明燈
13 廣告
第07頁
日刊第4版
序號 標題
01 ラヂオ
02 園藝カレンター 「家庭園の排水に就いて」/小林常夫
03 料理献立/柳原保案
04 廣告
第08頁
日刊第5版
序號 標題
01 新年の行事として 敬老會を盛大開催 後潭部振の床しき美擧
02 優良警官を表彰 旗山郡警察課に於て
03 臺東消防組 出初式を擧行
04 旗山青年團 查閱式日程
05 大安庄產組 未加入農家解消さる
06 自繩自縛の男 債權逃れの強盜狂言
07 淡水消防組 六日出初式
08 ニセ人蔘汁で 百餘萬圓を騙取 前科者再び刑務所入り
09 ローカル セクション
10 廣告
第09頁
日刊第6版
序號 標題
01 廣告
第10頁
日刊第7版
序號 標題
01 長期戰に備へて 防火訓練を實施 臺中州下各市街庄にて
02 防衛團訓練初め きのふ盛大に擧行 嘉義公園グランドで
03 屏東陸軍始觀兵式 けふ盛大に擧行せん
04 祭粢料傳達式 岡村少佐の遺家族に
05 高雄州の豫算(下)
06 臺南教員養成講習會 南師に於て十一日より
07 彰化神社の 昇格記念祭
08 エノケンの大陸突進に 白衣の勇士大滿悅 能高郡の慰安會盛況
09 彰化市出初式 六日盛大に擧行
10 宴會費を省いて 勇士慰問金に充つ 高雄州會緊張裡に終了
11 六十餘斤の大鱒 珊瑚潭の水乾で捕はる
12 營業範圍を擴大し 一般蔬菜をも取扱
13 大埔、楠西道路 愈よ開鑿に着手 臺南州山地開發本格化
14 皮革の買上げ 七日より檢查を開始
15 少年少女團の 研究發表を開催 十四日より臺南市にて
16 花蓮港公の 創立四十週年 各種行事を決定
17 花蓮港街大火 失火の原因 電の火の不始末
18 高雄市衛生組合 聯合會の發會式
19 消息
20 廣告
第11頁
日刊第8版
序號 標題
01 暴風雨の女(100)/岡田三郎;三浦杏介
02 龍骨車 一月號創作評 中里の「天國」(新欄)
03 音樂評論 期待される音樂家達 (下)/山根銀二
04 學藝消息
05 心聲漢詩

祛疾吟爲渭雄君作/覆瓿

06 廣告
第12頁
日刊第1版
序號 標題
01 萬民輔翼を基調とし 軍政兩略の一體化 平沼內閣の施政動向頭條新聞

【東京八日同盟】平沼內閣は支那事變處理を中心とする內外諸政策につき前內閣の方針を踏襲し名實ともに近衞內閣の延長たるの形體を整へ專ら時局收拾と休會明け議會に備へることとなつたが差當り政府の陣容整備に必要な政務官の顏觸參議の補充等も今週中に決定し閣議も逐次具體的問題を捉へて新內閣施政の方向と內容を明確にし議會を通じてその對內外諸政策の全貌を明かにする方針である而して新內閣に課せられた使命は一切を擧げて國家總力を聖戰目的達成に集中するを第一義とするの建前から專ら政策の重點を國防經濟の合一强化を中心とする綜合國力の擴充と國家總動員態勢の强化に置くこととなつてゐるので現實的立場から擧國一致態勢の强化に專念するものと見られ從つて平沼內閣施政の動向は萬民輔翼を政治の基調として軍政兩略の渾然一體化事變處理方策の積極化に向つて外交、財政、文化各般の施策を茲に集中し國家總力の發揮によつて今事變の理想貫徹に全力を傾倒するものと豫想さる。

02 租稅の改正、月末に 稅制調查會に附議 西下の石渡藏相車中談
03 圖像:親任式に參內
04 獨海軍の誇る シ號既に竣工
05 生產力擴充方策と 貿易の全面的振興 八田新商相、踏襲實施
06 陸の荒鷲重慶を空襲
07 四國會議を提唱か 英首相、羅馬會談で
08 重慶政府は事實上 赤色政府となる 何應欽は軟禁狀態
09 立法院立法委員@林伯生免職さる
10 西北各要地に 國黨支那を組織
11 南支經濟復興に炬火 廣州市商會の機能復活
12 兩新聞社の 內部を改組 汪精衛派を放逐
13 チエツコ軍再び ムーンカツチを砲擊
14 更に惡化の狀態 チ軍國境線に集結
15 日、鮮、滿合同の 移民懇談會開かる 從來の移民問題再檢討
16 近日中に歐洲 へ向ふ豫定 陳公博が言明
17 汪夫人陳璧君 香港に到着
18 廣州市商會の 幹部決定 會長は植子鄉氏
19 本日の天氣
20 波、チエ國境も 危機を孕む/草山土地株式會社
21 第一回決算報告
22 大阪商船臺灣出帆
23 近海郵船基隆出帆
24 辰馬汽船
25 大連汽船
26 廣告
第01頁
日刊第2版
序號 標題
01 仰ぐ無敵皇軍の威容 大元帥陛下親臨の下に 陸軍始大觀兵式擧行
02 國文學稀有の文献 平安朝時代の歌合稿本發見 京大圖書館に通ふ一國文科學生の手柄 國寶として文部省に申請
03 國文學研究上 多大の貢獻 安藤臺大教授語る
04 圖像:招聘選手陸上競技
05 防共國際觀光聯盟 十七日柏林で創立式
06 燐鑛輸入會社 設立具體化す
07 產組中央會頭 有馬伯就任か
08 鹿埤頭國報所 開所式を擧行
09 宗教團體を整理 財團法人を組織 鳳山郡で近く着手
10 臺北州下の 職員兒童劍道大會 三十團體が參加試合
11 在漢口各部隊 堂堂市中を行軍
12 戰傷病兵慰問に 藤田知事南下 馬公、高雄、臺南へ
13 投跳に好記錄 吉岡選手、張君に一着を讓る 招聘選手陸上競技
14 全市民に豫防注射 臺南市のチフス猖獗 當局、萬全の豫防陣
15 加藤陸軍政務 次官逝く
16 麗し內臺人情美談 死亡した店員、家族に救ひの手 竹東古承鼎氏の陰德
17 精神の彈藥 國精圖書館週間 十一日から一齊に開く
18 悲しさ着陸
19 各團鎬を削り 接戰を演ず 熱狂、高雄州排球大會
20 好運兒は誰か 臺北市酒煙草大賣出し けふ公會堂で抽籤
21 臺灣工業化の論文を募集 臺北商工會議所で
22 米のスバイ 事件判決
23 富士丸無電
24 定期航空
25 人事‧消息
26 廣告
第02頁
日刊第3版
序號 標題
01 米管法の實施に 米穀部を創設 山林部は十五年度に實現せん 上京前田端殖產局長談
02 輝く聖戰三年 米界の使命重大/貝山好美
03 計畫資本の總額(十三年度) 卅九億圓臺を超ゆ “社債も著しく增加”
04 臺灣諸株仲值
05 商況 八日
06 廣告報社消息
第03頁
日刊第4版
序號 標題
01 ラヂオ
02 講演 世界の大勢/神川彥松
03 料理献立/柳原保案
04 晝間娛樂時間
05 講演 親日家辜鴻鳴 どその夫人/鷲澤與四二
06 香水のシミ
07 唐人お吉 (焚身篇) 八日よりタイ ゲキで
08 廣告報社消息
第04頁
日刊第5版
序號 標題
01 軍人家族慰安の 劇と舞踊の夕べ 彰化高女愛國子女團の主催
02 斗六新民公會 第一回總會を開催
03 戰勝後の金儲秘訣/板橋直三
04 東港小公校長 初會議を開催 各種事項を協議す
05 彰化郡警察課 武術始め式
06 玉里歲暮大賣出し 景品常籤番號
07 圖像:第十一聯合航空隊總飛行
08 觀音庄出初式
09 東港青果輸出 組合定期總會 同時に座談會開催
10 許乃邦君の高文 バス祝賀會盛況
11 庄役場の會計役 病苦から自殺 臺東廳大麻里庄役場會計役陳義
12 ローカル セクション
13 廣告
第05頁
日刊第6版
序號 標題
01 廣告
第06頁
日刊第7版
序號 標題
01 劍光閃閃として 麗日に輝く 臺南の陸軍始觀兵式 參加總員一萬四千名
02 軍國の春を壽ぐ 屏東市の陸軍始 陸に步武堂堂の閱兵式 空に鮮やかな分列飛行
03 圖像:朝陽映島(南支那虎門附近に於て)
04 豫想さるる 國民黨の分裂/大川周明
05 献穀田地鎮祭 二崙庄現場に於て
06 高砂族青年の教化 劃期的強化を圖る 臺中州で從來の團則を改正
07 北京遊覽誌 旅行者のために 三/陳逢源海外遊記

故宮博物院一瞥

紫禁城の大奧に當る故宮を窺はうとするには、先づ城の背後に廻つて美しき北海の白塔の前より景山の前に出て來ると、其の向側にある大きな紫禁城の北門たる神武門から入つて行かなければならない。ところが此の大奧は素敵に大きく、廣く、且つ複雜なので今では外東路、內西路、外西路の三部分に分け、一日一區劃しか開放してゐないから、それを全部見物するには三日かかる譯だ。而もさうして分けられた一區劃を參觀するだけでも二三時間を要し、相當の脚力を要する。

細部に亘つて詳說すれば一册の本にもなる程尨大なものであるが先づ全體に就いての感想を述べて見たい。支那の建築は住むべきものでなく、見るべきものである事は故宮を一瞥して更に痛感する。とにかく紫禁城の色彩莊嚴な外觀は確かに世に類ひなき驚くべき存在である。だが故宮內に眼に餘る程集まつてゐる宮、殿、堂、齋、亭、廡、門等は大部分明朝の遺物であり清朝になつて處處に增築したが、人間の住家としてそんなに心持のいいものではないようだ卽ち建物や門牆等が矢鱈に大きくてデカデカした赤や黃の彩色を施してゐる感じは少しも澁いとか、幽靜等の趣きがない。

× × ×

支那帝王の後宮は三十六宮、七十二院と稱せられてゐる如く此の故宮の中にも后の居間たる坤寧宮と景陽宮、景仁宮、永和宮、長春宮等妃の居間らしい所以外に宮女の住居が數知れずに並んでゐる有樣を見れば、昔の帝王たる者は如何に荒淫に耽けてゐたかを想像するに難くない。白樂天の宮詞に淚盡羅巾夢不成。夜深前殿按歌聲。紅顏未老恩先斷斜倚熏籠坐到明。

といふ宮女の怨を歌つてゐた事は後宮の尋常茶飯事であつた事はいふ迄もない。何しろ相手の女性は何百、何千人もある事だから紅顏未だ老いずして恩が先に斷つ位の事は御茶の子さいさいだ。

殊に光緖帝の幼時に東太后慈安と西太后慈禧が所謂垂簾聽政と稱して兩太后が萬機を裁斷してゐた時に、權力爭ひから西太后が遂に東太后を毒殺したのも此處だと思へば、後宮生活は決して虹の如きローマンスを描くべき所でなく、寧ろ妖魔跳梁の窩窟ともいへる、其の最もいい例は光緖帝の皇后は西太后の姪を以て無理やりに押しつけられたが光緖帝は特に珍妃を寵愛したとて義和團の亂で熱河へ逃げ出す前に西太后が順貞門內の宮井に珍妃を突き落さした事は今でも悲慘な後宮生活の片麟を物語つてゐる。

×   ×

故宮を一瞥してもう一つ感じた事は到る所の宮殿にも扁額とか、對聯とか、さういつたもの以外に特に乾隆帝の御筆で多く飾られ、而も乾隆帝の詩は相當上達したもので彼は父祖開國の御蔭を受けて六十餘年間太平の位に卽いた結果、スツカリ漢族の文化を十二分に體得した幸運兒であつた。支那は文字の國だと殊更ら感ぜざるを得ない。

宮內に暢音閣の大舞臺と重華宮の小舞臺を設けてゐる事は支那人の劇狂を其の儘現はしてゐるのみならず、後宮へ通じ得るものは太監と稱する宦官以外に役者の一枚を加はつて□る事を知るべきである。とにかく順治帝が如何に鐵詔を下しても清末に於ける宦官の跋扈を除く事が出來なかつたではないか。

× × ×

餘談は扨て置き先づ主な所を簡單に說明して見よう。

御花園。神武門から入れば承光門內にあつて園內に奇石多く佳木鬱蒼、中に樓閣、臺榭點綴し、それ等の大部分は明代の遺物である。特に目を引いたのは連理の古柏と稱して二本の柏が一つの柏に連結してしまつてゐる事は一寸珍らしいが、工人的に作られたものらしい。大湖石で築いた□堆秀山は明代觀花殿の舊址である。

鐘粹宮。皇太子の居間で東六宮の一つである。東太后慈安が此處で崩じたさうで、現在は、宋、元、明、清の書畵を陳列してゐる。

景陽、永和、承乾、景仁宮。いづれも東六宮の一つで、景仁宮の門には白玉の石屛があつて元代の遺物だといはれ、康熙帝が此處で誕生され、後珍妃の寢宮となつた。

乾清宮。乾清門の內にあり、天子內廷の正廳で我が紫宸殿に相當するものである。大さは間口九楹百五十尺八寸、奧行五楹五十七尺九寸、殿宇は廣濶なる露臺卽ち龍墀の上に立ち左右に石欄を設け甚だ壯觀である。前面左右の陛の下には金でメツキした金釭が各各一箇ある。嘉慶二年火災に罹り翌年再建したもの中の寶座が「正大光明」の扁額の下に据え付けられてゐる。

交泰殿。乾清宮の後にあり、殿中に寶璽二十九個を藏し寶座の左に銅壺刻漏を安じ、左に自鳴鐘を安ず、刻漏の製作甚だ精巧にして自鳴鐘は歐羅巴傳來の大時計である。

坤寧宮。交泰殿の後にある皇后の正寢で乾清宮の樣式と大同小異である。

慈寧宮。順治十年に建てたもので康熙、乾隆、道光の三朝母后の崩□た所である。

皇極殿、殿內に乾隆御筆の「仁德大隆」の扁額あり、門外に琉璃瓦の九龍壁あり、北海公園のそれに匹敵する程の華麗さがある。

珍妃井。順貞門內にあり、珍妃の突き落された井戶。

長春宮。宣統帝出宮前淑妃の居所で四圍の廊下に紅樓夢の繪圖が描かれて□る。

承禧殿、殿中の設備は悉く西洋式、淑妃の書齋である。

雨華閣。三層の樓閣で、上層に觀喜佛五尊、中層に康熙大帝神位、下層に西大番佛を祀り、喇嘛教の法物たる髑髏の燈や人骨の笛等がある。

此の外寶華殿、上書房、太極殿、儲秀宮、暢音閣、齋宮、樂壽堂等一一叙述する暇がない程多い【寫真は乾清宮內の寶座】

08 激戰を豫想さるる 臺中州農會議員の選擧 被選擧議員五十九名に對し 有權者十萬八千餘人
09 高雄教育關係者の 排球選手權大會 きのふ華華しく開催
10 白衣の諸勇士 けふ高雄に晴れの歸還
11 高雄市市會 愈よ明十日開く
12 臺南市の抽籤會 八日公會堂にて執行 幸運を待つ市民殺到
13 高雄州警務部 武道始め式
14 國婦大屯分會 班旗の授與式 來る十四日に擧行
15 臺中州下酒煙草の 景品券あす抽籤
16 木炭自動車の 講習會に就て 高雄州保安課長談
17 廣告
第07頁
日刊第8版
序號 標題
01 暴風雨の女(101)/岡田三郎;三浦杏介
02 龍骨車 最近の綜合雜誌 本來の使命を失ふ
03 原子‧地球‧星界 (下)/竹內時男
04 學藝消息
05 心聲漢詩

冬夜讀書雜感/老秋、奉答羅葉諸君子/老秋、羽人/老秋

06 廣告
第08頁
夕刊第1版
序號 標題
01 國內の少數人を除き 和平解決に同意せん 汪精衛の書簡發表さる
02 汪精衛の和平通電 獨斷的ではない 今度の公開狀で明か
03 蔣一派の弱點を突く 香港の支那紙は默殺
04 滿洲國側提案に付 各代表意見を開陳 日滿移民懇談會(第二日)
05 金口木舌/林正享
06 德川中將東上
07 聯立內閣の實を擧ぐ 平沼、近衛兩相の間に 鹽野、木戶兩相が聯絡
08 被占領地區內で 幽靈人事を行ふ 民眾の眼を眩惑のため
09 安藤指揮官を訪問 佛のカスタン少佐が
10 チエツコ兵又も 洪國小邑を襲擊
11 濠洲に使節團派遣 英濠協同國防を計畫
12 心理的効果以外 餘り期待し得ず 英伊會談に付さ佛側の觀測
13 ユ國攝政ポール殿下 ルーマニアを御訪問
14 ウクライナ人 洪國領を襲擊
15 明日の天氣
16 總動員(34)/長田秀雄;夏目醇
17 廣告
第01頁
夕刊第2版
序號 標題
01 中等教育制度改革 年限、目標、連絡をどうするか 內容刷新の論議點
02 學用品節約規準 實施要項を各學校に配布 長期建設の國策に協力
03 ブロツク經濟の認識が 臺拓進出の要諦 歸臺した加藤社長談
04 親日突襲隊產生 元旦、廣東市內を行進
05 日本の力で回教徒を 守つで欲しい アラビャの王子廣東で語る
06 シャムの國王 英國に御遊學か
07 汪精衛の聲明は 重慶政府への爆彈 廣東丸の齎らす情報
08 大陸雄飛の機關 渡航協會を創設 臺北有志者で計畫
09 デマ放送局新設
10 高砂丸出帆 けふ賑やかに
11 愛婦新竹支部 婦人交禮會
12 短期徵兵檢查 二月四日から實施
13 無賴漢の刃傷
14 デ杯委員會を設置 我が庭球界に曙光
15 家鴨泥棒御用
16 隊員と汗と力て 見事な萞麻園 宜蘭驛報國隊の努力
17 街路上で斬る 盜癖を忠告され
18 英代理領事 フ政府に逮捕さる
19 ゴールト夫人 家族ど共に離臺
20 定期航空
21 人事‧消息
22 今晚の放送
23 商況 九日前場
24 廣告
第02頁
夕刊第3版
序號 標題
01 日本の母(17)/新述節;瀧伸二
02 家庭婦人 六年生の親たちへ(上) 金錢の教育について 金綱佐市民談
03 一個のリンゴは 百藥に優る
04 服裝委員會の實地勉強
05 洗顏の貯藏法
06 新年軍國笑話 代用品
07 揭示板
08 廣告
第03頁
夕刊第4版
序號 標題
01 とても速い列車が 東京‧下關間を走る 所要時間七時間四十分 道鐵省で計畫中
02 戰勝正月 コドモの新遊戲 (下)/三浦青波;櫻井紅風
03 圖像:我が世の春
04 轢かない自動車 いよよ登場 朝鮮の青年が發明
05 モノシリ 小辭典
06 カタカナ欄 センサウデツカツタ ラクダヤウマ
07 廣告
第04頁
日刊第1版
序號 標題
01 相當廣範圍に亘る 地方官の異動を斷行 異動の主なる顏觸れ頭條新聞

【東京九日發同盟】新任木戶內相を迎へた內務省では舘次官の留任決定とともに久しく沈滯してゐた中央地方を通ずる人事の刷新を期するため相當廣範圍に亘る地方官の異動を斷行することとなり來る十日夜木戶內相の歸京を待つて人事の銓衡を行ふこととなつた。今回の異動の主なる顏觸れば安倍警視總監の辭任並に多久千葉縣知事の東京市入りに伴つて警視總監には岡山縣知事萱場軍藏氏の呼聲高く又警保局長本間精氏も知事に轉出して土木局長安藤狂四郞氏が警保局長に土木局長には計畫局長松村光磨氏が有力視され、神社局長兒玉丸一氏は千葉或は岡山縣知事に轉出を見るべくその外厚生省との人事の交流を行ふとせば厚生省勞働局長成田一郞氏の知事轉出或は內務省大臣官房會計課長加藤於菟丸氏又は地方局振興課長木村清司氏の厚生省局長入りが傳へられてゐる

02 日滿共同 拓殖委員會を新設 拓殖委員會は近く解消す 移民は一元的機構下に統制
03 拓殖審議會を常設 移民世界會議をも計畫
04 鹽澤中將以下に 御陪食仰付けらる
05 長驅衡陽を空襲
06 石岐を爆擊
07 首相秘書官 平原氏發令
08 英皇帝皇后兩陛下 米國を御訪問
09 きのふの閣議
10 國民の貯蓄熱高まる 郵便貯金加入者は現在約七千萬 預金機關、猛烈な繁忙
11 圖像:各省新舊大臣事務引繼
12 國民職業能力申告令 (上)外地は六月一日施行
13 遊擊總局を設置 蔣自ら總局長に
14 近く桂林に於て 軍事會議を開く 最近盛んに反蔣氣運を煽る 蔡廷楷の動向注目さる
15 汪精衛の公開書翰 支那言論界に衝動
16 各省政務官は 來週早早決定
17 汪の聲明を一轉機に 南支知識階級大動搖
18 十三年度中の 對外貿易額
19 日本語學校 開校式を擧ぐ 廣東復活目覺し
20 大阪、天津間の 無線電話復舊
21 多久千葉縣知事 辭表を提出
22 南風・北風
23 縣元大阪府知事 名古屋市長當選
24 滿洲國馬政局長に 遊佐少將が就任
25 本日の天氣
26 大阪商船臺灣出帆
27 近海郵船基隆出帆
28 辰馬汽船
29 大連汽船
30 廣告
第05頁
日刊第2版
序號 標題
01 社說 團體氾濫の農 村を調整せよ 地方吏僚の大勢 順應心理を正せ社說

戰時に於ける農村の重要性は今更多言を要しないところである。殊に戰爭が長期に亘れば亘る程、食糧その他の供給の源泉として一層世人の關心を要請して止まない。近時資源確保と云ふ旗印の下に農村問題の調整が絕叫されてゐるのは蓋し當然の歸結である。本島の工業化は夙に唱へられて來たが、今日に於ても總べての點に於て本島の社會は尚農村に依存してゐることは嚴然たる事實である。茲に本島農村の優越性が强く主張される所以である。この意味に於て本島に於ける農村問題の調整は他の問題に先行する性質のものであると同時に、戰時に於てはその解決は正に急務中の急務と言はなければならない。本欄に於て屢屢農村問題を提起し世人の注意を促すに汲汲するのも實に斯る見解に基くものである

今日農村問題と云へば、小作問題あり、農業の多角的經營あり、耕地の擴張あり、水利の開發あり、中堅人物の養成あり、皇民化運動、衞生保健の問題等等枚擧に遑なき狀態である。これ等の問題は各當局の指導下に夫夫進行しつつあるが、その是非得失に就ては勿論種種異見があるべく尚檢討を要するものが多多あるであらうが、これは他日の機會に讓ることとして、今日の農村はこれ等個個の問題よりも、その個個の問題を指導する各種の團體を統合し調整して、その合理化を促すことが寧ろより重大な問題ではなからうか?換言すれば現在農村を指導してゐる各種機關の聯絡統一を圖り、その方針を確立し、矛盾を除去し、重複を整理して運營を効果的にならしめることが先決問題でなければならない。

試みに現在農村を指導してゐる各種機關を擧げて見れば、產業組合、米穀統制組合、土地整理組合、保健組合、農事實行小組合、農會、水利組合、道路協會、部落振興會、國民精神總動員、興農倡和會、農業組合、畜產組合、養豚組合、軍事後援會、國語講習所、全村學校、納稅組合、國防婦人會、愛國婦人會、青年團、處女團、少年團、保甲、壯丁團、方委助成會等等以上は一般的に普遍してゐる團體であるが、その他地方的に特殊の團體も尚尠なくない筈である、以上の分丈でも旣に三十に近い團體が農村に林立してゐるのである、これだけの團體名を覺えるだけでも一苦勞を要するのに、如何にして一一その運營に力を注ぐことが出來やう?その上に經費の增大、時間の浪費、摩擦の發生等の弊害は尚甚しきものがあるに於ておやである。

團體氾濫の農村は今や船頭多くして船が山に乘り上げやうとする狀態である。この危機を克服するには何よりも先きに地方吏僚の大勢順應主義を止揚せねばならない。大勢に順應ずることは無難であり又容易でもある。難きを避けて安きに就くのは人情の常である。殊にこの非常時下に於ては人間は得て無目的に無批判に大勢に押し流されるものである。その效果如何は別として、兎に角く形を整へて置かないと大勢に逆行することになり、やがては立身出世のさまたげになるから、遂ひさびしい氣持になつて人の真似をするものである。この歪められた心理を是正しない限り、今後も魂の入れない佛が續續造られるであらうし、農村に於ける團體の氾濫が愈よ手のつけやうがなくなるであらう。大勢順應主義を止揚せよ!これが農村を救ふ先決問題である。然る後に團體の整理統一や個個の體團の機能を發揮せしむることが始めて議論する餘地があるであらう。

02 次は速度と上昇記錄 頭腦と技術を總動員 航空研究所張り切る
03 代用品展けふ蓋明け 專門委員が夫夫說明
04 シドニー在留の 同胞古老が献金 每月傷兵保護院へ
05 比島ゴルフ 選手權大會 二名選手が制霸
06 文化的協力の精神 (一)/長谷川如是閑
07 消防會議 あす蘇澳演武場で
08 陸戰隊慰靈祭 盛大に擧行
09 五輪大會事務 所姿を消す
10 南支皇軍慰問に 市議七名を特派
11 基隆和洋雜貨 商組合創立
12 身體中に札束 地方有力者の計畫的ー為替管理法違反
13 松山線は超滿員 市バス、嬉しい悲鳴
14 基隆の歲末市況 業態別賣行の消長
15 白衣の勇士が 遺家族援護費を寄贈
16 苦力連の大賭博 百餘名珠數繫ぎ
17 炭礦事故
18 ブラジル人の 献金美談 英佛の援支を憤り
19 お菓子も大陸へ 名古屋業者愈乘出す
20 倒れて後已む決心 榊原署長所信を語る
21 席貸業者の 建物を改造 基隆署が示達
22 農業實習地の 生產物品評會
23 書初展覽會 小公學校兒童の
24 勤行報國慰勞 映畫會
25 學生射擊大會
26 溺死體漂着
27 手長外交員
28 國婦新年奉祝會
29 驛長の異動 きのふ發表
30 總督府辭令
31 人事‧消息
32 ときのこえ
33 廣告
第06頁
日刊第3版
序號 標題
01 明年度の鐵道歲入 四千萬圓を計上 前年度より七百六十萬圓增收 純收入が三千萬圓突破
02 農山漁村勞働者に 純棉布を拂下ぐ 臺灣の割當高百廿萬圓
03 貯銀五分配當据置 總會は來る廿六日 預金增加三百四萬圓
04 本年第一回の 肥料割當決定 島內の供給不足緩和か
05 南北兩港の 砂糖在庫が減少
06 昨年の貿易特質と 本年への希望/大久保利賢
07 干芋移出業者の 過去五年間の實績 杉原、三河、三菱で八割
08 大東信託順調 信託財產百萬圓增 配當は六分据置か
09 臺北手形交換高(昨年)遂に三億圓を突破 前年に比し二六%增加
10 砂糖の船腹(一月中)三百八十萬擔豫想 外國船チャーターで緩和
11 林熊光社長 大成火災を辭任
12 臺銀券愈愈收縮 舊臘卅日が最高
13 米國の實業團を 日本視察に招待 桑港渡邊日本貿易斡旋所長
14 照明燈
15 市價及商況 九日
16 廣告
第07頁
日刊第4版
序號 標題
01 ラヂオ
02 講演 東亞の新秩序 建設と帝國海軍/關根郡平
03 講談 一休和尚の智慧袋/邑井貞吉
04 子供の時間 兒童劇 長期建設の卷 金の城こども會
05 晝間娛樂時間
06 料理献立 臺北家政女學校 柳原保案並解說
07 青年の時間 いか生活を 樂しむべきか/末弘巖太郎
08 家庭法律講座/草薙晋
09 ユナイテツト作品 “再び戰場へ” 十日より國際館
10 廣告報社消息
第08頁
日刊第5版
序號 標題
01 戰勝の春を壽ぐ 中南部陸上競技大會 快晴に惠まれ好記錄續出
02 圖像:昭和十四年繪ごよみ
03 慰問の夕 愛婦白河分區の主催
04 出射會 東港弓道會の
05 第一線の勇士に 赤誠の餅を贈る 竹南郡有力者連の美擧
06 圖像:江戶火消の名殘りを惜む梯子乘り
07 纏の振りも勇し 戰勝下の出初式 七日豐原瑞穗公にて
08 私財を投じて 楠公銅像を建立 好修公施教員の美擧
09 霧峰の婦人交禮會
10 ローカル セクション
11 埔里の出初式
12 旗山消防組 晴れの出初式
13 木炭自動車講習會
14 廣告
第09頁
日刊第6版
序號 標題
01 廣告
第10頁
日刊第7版
序號 標題
01 臺中州新年度豫算 梧棲築港に呼應し 預算實質的に增加 松岡知事折衝に出府
02 高雄市新年度豫算 大體昨年度と同樣 新規事業に大斧鉞
03 勇士晴れの內地歸還 手厚い看護で目出度く全快
04 戰傷及病死者 平田部隊の勇士
05 兒玉軍司令官 臺南を巡視 明十一日歸北
06 田中上等兵 名譽の戰死
07 武德會臺南支部 武道始め式
08 臺南州農會の議員 二千人から一人選出 來る廿四日に選擧開幕
09 北京遊覽誌 旅行者のために 四/陳逢源海外遊記

景山、太廟、中央公園

北京の大體の輪廓を知りたい者は北京內城の中央に位する景山に登る事が最も近道だ。何しろ周圍二支里餘、五つの峯の中央の峯の高さが十一丈六尺であるが、目を遮ぎるものとてなく殊に紫禁城內の宮殿の樣子が一眸の內に鳥瞰する事が出來るからである。左右の小峯が各各七丈一尺と四丈五尺しかないが、北海の瓊島と同樣に中南北海を掘つた土を以て造られたものらしい。峯の上には五つの華麗な亭子があり、乾隆十六年に建てられたものである。中央のは萬春、左のは周賞と觀妙、右のは富覽と輯芳で、下から眺めれば鬱蒼たる草木と隣りの北海の白塔と相映じてゐる風景は一幅の畵の如しである。

東の麓に近い所には流賊の李自成が京師に攻め入つた時に明の崇禎帝が縊死せられた大きい槐樹が今でも明三百年の社稷と共に終りを吿げた哀史の古蹟として殘つてゐる。そこには「明思宗殉國處」といふ石碑がさびしく建てられてゐる。

山後の壽皇殿は清朝帝后の聖容を揭げて奉安した所で、今では一般に公開されてゐない。

× × ×

考古學の趣味を有する者は午門城樓上にある古物陳列所を見逃がしてはならないが、午門の廣場の左右にある太廟と中央公園も決して看過してはならない

太廟は歷代帝王の遺風を受け清朝帝后の神位を奉祀してゐる所で、前、中、後の三大殿及び東西兩廡が主たる建物である前殿は太祖以來の帝后の神位を奉祭し、中殿は此等神位の安息所、後殿は太祖以前の四祖の祭殿で、東廡は功王、西廡は功臣各各十三名を配享してあるが、此等の神位は旣に國民黨の官吏によつて搬出されてしまつた。茲で一言すべきは神位は椅子の上に奉安して祭つた後、之を中殿の床上に復して安置する等は全く生前と同一の取扱をなし、論語にある「祭如在、祭神如神在」なる支那古代の思想を其の儘受繼いだ所から見て、滿洲族は獨自の文化なき事を立證してゐる。境內の東南隅にある大きい古柏の林は北京に於ける奧床しい散策地の一つである。

× × ×

中山公園より改名した中央公園は全くいい所だ。境內には古柏、蒼松、楊柳、其の他の樹木がよく繁茂し、加ふるに池あり橋あり、亭榭等互に入り込んで支那庭園のよさを十二分に現はしてゐる。春ならば楊柳煙れる嫩綠と濃艷な牡丹の花とが相映じ、夏ならば池一パイに蓮の花が薰る香を漂はすさうだ私の行つた秋の中頃も丁度菊の花の盛りで、なかなか棄て難い風味がある。私は柯政和君と境內に設けられてゐる休息所で紅茶を啜つてゐた時、洋梧桐とかいふ高い木がスツカリ黃葉し、清冽な大氣に浸しながら夕日に輝いてゐた感じは古都らしい感興と共たものである。此の壇に壇上の推土と圍壁の色が四方とも相異つてゐる。漢時代よりの五行說に基づき五行の各色を四方に配し、中央を黃色として天子中央にあつて四方に君臨するに偶してゐる。紫禁殿の甍が黃瓦を用ひ、御衣を黃龍袍と稱し、其の他黃帝、黃榜、黃旗等いづれも黃色を尊んでゐたから、庶民の濫用を禁じられたのである。黃河の一角より興つて、空前の大帝國を造つた漢民族としては黃土地帶に居住した事を自ら尊ぶのはいいが、滿洲朝廷まで無批判に之を襲用した事は何うかと思はれる。

此の公園は北京の人士がよく散策に來るために時折ハイカラな麗人にも逢ふので、北京文化人の行樂場所として申分のない□である。民生堂といふ市民集□所たる瀟灑な公會堂も此の境□の奧にある(冩真は景山東麓□明思宗殉國處□刻した石碑)

10 高雄社會事業 視察團の一行
11 嘉義支局專賣品 抽籤會けふ擧行
12 社會時評 昨年度の回顧 深まりゅく事變色(上)/河上徹太郎
13 嘉義郡武道始
14 高雄湊小女生徒 奉仕作業
15 高雄州の金總動員 六百餘萬圓に上る
16 理蕃並腦務の打和會を開催 臺中州山手三郡の警察課長參集
17 森口船長以下の 生還愈愈絕望か
18 屏東秋競馬 來る十四日よ り開幕
19 少女の輪禍
20 高砂族の國演會
21 消息
22 廣告報社消息
第11頁
日刊第8版
序號 標題
01 暴風雨の女(102)/岡田三郎;三浦杏介
02 支那人の顏 滯支雜記 (上)/立野信之海外遊記

 中支那の前線に出るには、どうしても上海から南京まで、汽車を利用しなければならない。急行で六時間、普通列車で八時間かゝる。途中は山もなければ河もない、只だゝつ廣い、內地の名古屋附近や房總平野によく似た耕地が續いてゐるきりだから、その退屈さはお話にならない。もっとも途中には大小のクリークがあったり、農夫が水浸しの田圃の中で船に乘って何かしてたりするが、それとても一つ二つ見れば、あとは同じ風景である。

 私がはじめてこの汽車に乘ったのは、九月上旬で、皇軍は大別山から瑞昌、廬山の線、蔣介石軍の武漢防衛の第一戰陣地にひつかゝって、皆一箇月以上も苦戰を重ねてゐた時だった。その頃は上海南京間の列車はまだ二往復(現在は四往復)で、急行も勿論なかった。そして普通の旅客をはじめて取扱ひ出した頃である。普通の旅客といっても客は殆んどみな支那人で、上海から南京までの各所に歸るか、往くか、するのであらう、トランクや、バスケットや、蒲團や洗面器や、鶏や豚の足や――種々樣々な持物を持って、ガヤガヤ喚きながら「旅人用」と書いた客車の中へ雪崩れこむ。女や子供や、老人や、勞働者や、大人風をして立派な服裝をした、お供をつれたのや、幾多な階級の支那人が同じ車に壽司詰になるのである。列車はこの「旅人用」と「軍人用」と二つに分ってあって、我々從軍作家は「軍人用」に便乘することとなってゐたのだが最初の時は私はずぶの素人だったものだから「旅人用」の中に入って、納まってしまった。「軍人用」に乘るべきぢやないかな、と氣がついたが、見廻してみると同盟の記者や、漫談家の牧野周一君なども夫々の座席を占領して納ってゐる。その上海軍の武官のやうな白服に金モールの立派な日本人が二人はいって來たので、私も腰を落着けてしまった。すると其處へ支那人の普通旅客がワイワイ喚聲をあげて雪崩こんできた。網棚はトランクバスケットヤ蒲團や洗面器の類で忽ち埋ってしまひ載りきらない持物は通路を埋めてしまった。私の傍らに豚の黑い足が二本、籠の中からにゆっと突出てゐる。それを見て、私はあゝ矢張り「軍人用に乘るべきだった」と後悔した。

 だが、その時はもう車の中は支那人と荷物で身動きもできないほど詰ってゐたのである。私は觀念して、それまで二人分占領してゐた坐席をあげて、一人坐らせた。私の前には二人の勞働者風の支那人が坐った。つまり三方から支那人がはさまれたやらな恰好になってしまった。上海や南京にある支那人は、すっかり日本側に馴致してゐるとはいへ、矢張り敵國人にはちがひないので、その敵國人に三方からはさまれてゐる、と思ふとあんまりいゝ氣持ではない。それに何よりも三人共薄汚い風態で、風呂に入らないと見えて皮膚は垢がたまってゐる。その臭氣だけでも私は胸が詰まる思ひがした。

 他の人達――同盟の記者や、牧野周一君などはどうしてるだらう、と思って見廻すと、同盟の記者はすっかり馴れてゐると見えて、やはり私のやうに三方からはさまれながら娛樂雜誌に讀み耽ってゐる。牧野君はと見ればこれは何時の間に乘りこんだのか、若い中尉と差向ひで話込んでゐる。中尉の傍らにも、牧野君の隣りにもやはり支那人が腰かけてゐる。所でもう一つ眼を轉じて驚いたことには、白服に金モールの人物は、二人で悠然と四人分の坐席を占領してゐるのである傍らには數人の支那人が通路に置いた荷物に腰かけたり、立ったりして、白服の傍らの席に眼を落してゐる、白服に金モールの二人の人物は知らん顏を粧って、腕木に肘をつき、斜め橫にひろがった坐り方で、話しこんでゐるのである。

(つゞく)

03 映畫の新方向 記錄性の今日と明日 (上)/大熊信行
04 龍骨車 教育文學論 「文藝」の新年號
05 圖像:風景(臺展)/岩田清
06 學藝消息
07 ダ‧ヴインチ 記念展覽會
08 心聲漢詩

新春二日同人集於灌園別邸卽事/傅錫祺、新春二日同人集於灌叔宅此調不彈久矣喜而有作/林老秋

09 廣告報社消息
第12頁
夕刊第1版
序號 標題
01 總親和、總努力の 聲明を實踐に移す 木戶新內相の時局談
02 國府の最高當局も 遂に默殺し切れず 汪の公開狀を否定
03 圖像:平沼首相の墓參
04 蔣政權の共產化は 今や既に時の問題 毛が蔣に重大要求
05 國民職業能力申告令 (下)外地は六月一日施行
06 白鳥駐伊大使 信任狀を奉呈
07 西南建設委員會 けふ重慶で初會議
08 政府、貴院側を 十三日に招待 眾院側は十六日頃
09 金口木舌/林正享
10 日、滿、支に駐 在員を置く
11 洪、チ兩國の紛爭 解決の曙光見ゆ
12 貿易組合法制定か 貿易團體結成を行はす 滿洲國、銳意研究を進む
13 英外相、佛大使を招き 英伊會談に關し協議
14 伊埃兩國間 不可侵條約締結の交涉
15 「柏林、羅馬、東京」の 月刊雜誌を發行 獨外相が名譽發行者
16 損害賠償保障 の申入れ 洪國公使、チ政府に
17 雲南、緬甸の 輸送路は立派 ジ米大使バリ着
18 明日の天氣
19 廣告報社消息
第01頁
夕刊第2版
序號 標題
01 街頭から姿を消す あらゆる金屬製品 猛烈な新物動計畫
02 畝傍山陵一帶に 一大人工林を作る 全國からの献木で
03 總督、長官が來視 代用品展けふ蓋明け
04 御下賜品傳達式 けふ臺北市で擧行
05 種子苗木も分讓
06 蘭陽高女の校舍 卅萬圓で愈愈建設
07 昭和十三年度 全日本庭球順位 日本庭球協會の發表
08 白衣の諸勇士 けふ內地へ
09 新竹酒煙草の 常籤番號
10 兒童書き方展 締切愈よ迫る
11 臺南署の初捕物 官邸荒し難なく御用
12 農村の中間青年に 實際的智識を授與 新豐青年學校で講習會
13 視學打合會(新竹)
14 圖像:代用品展
15 “臺灣不動產”披露宴
16 南支皇軍慰問 臺北市派遣員報社消息
17 交通事故二件
18 美給服毒自殺 男の變心を悲觀
19 野球が比律賓の競 技どなる(?)
20 人事‧消息
21 商況 十日前場
22 今日の興行
23 廣告
第02頁
夕刊第3版
序號 標題
01 日本の母(18)/新述節;瀧伸二
02 家庭婦人 六年生の親たちへ(下) 金錢の教育について 金綱佐市民談
03 一月の家庭曆 輝やく戰捷の新春 銃後の緊張と意氣から 忘れてならぬ諸行事
04 ビタミンDに 富む魚の干物 感冒の豫防になる
05 圖像:愛育醫院開く(兒童の體位向上を目指して)(一)
06 虫齒の豫防法 偏食を避けて日光浴を 野蕃人には虫齒がない
07 冬と溫泉の効用(上) 病氣にょつて選擇を誤るな 醫博藤浪剛一氏談
08 老人や子供にょい 美味しい甘酒の作方 玄米で拵へれば榮養價滿點
09 シャツの買ひ方
10 新年軍團笑話 愛國行進曲
11 廣告
第03頁
夕刊第4版
序號 標題
01 鵝鑾鼻の燈臺が 六錢切手に登場 黑潮躍る帝國最南端を光被 來七月に發行
02 外國のお正月遊戲 獨逸の燈火管制
03 人體の不可思議 血液の循環の話(七)/折井英治
04 北滿移民のお正月(其一)
05 初網で二千斤 竹南の漁師達大喜び
06 乾人參を栽培 戰地の軍馬を慰問
07 カタカナ欄 ドウブツ□ンノ バウクウエンシフ
08 廣告
第04頁
日刊第1版
序號 標題
01 □本の方針に贊成 帝國の聲明の三要點 廣東治維會陳秘書長が 全民眾に通吿頭條新聞

□方針を全中國の同胞に敬吿する 陳紹唐

日本帝國政府は舊臘十二月二十二日日華國交の調整方針を發表した吾人は同盟社の電報によりこの內容を知つたその方針は旣に詳細に討究された整然たる意見である吾人はこの方針により日本帝國政府の中華民國に對する善意がありありと見へます、又日本が全然中國の權益を獨占する野心の無いことを了解するばかりでなく更にその度を增進すると云ふことを知つたのである小生は責を負ひ廣東の治安維持に協力し愛國愛鄉の念は他人には劣らないと信ずる依つて特に憶見を普遍して全粵及び全國の同胞に吿げる日本政府の國交調整の方針は實に善である例へそれが日本帝國一方の意見表示であると雖もその方針を綜合して列擧すれば主要點は次の三つである

一は日、華、滿三國が共同して東亞の新秩序を建設するを目的とするそれには中國の人民に滿洲に關することは心外に置くことを希望すると共に從來の偏狹たる觀念を放棄し又抗日の愚見を清除すべし抑日華の親善は時勢の要求であり他人の力で理解されることは勿論許るされない有識の人は皆この方針に賛成であらう唯蔣介石個人一個の私利により惡戲に滿洲國のことを理由にして世人を謬論に傾くやうに招き又無智の民眾はこの謬論に動かされたのである

第二の主要點は防共協定を締結して共產の赤化を防止することであるこの點は確に全中國民の共に賛成することであると信ずる唯少數の叛國共匪がこの機會を利用して私益を圖る者のみである唯日本が防共のため特定の區域に駐兵することは內蒙を以て日軍防共の駐兵區とすることに就いては個人の意見としては必要なることと思ふ

第三の要點は全然領土的野心を有せず苛斂の戰費、賠償の請求もしない又治外法權の撤廢租界の返還等のことも又積極的に考慮してゐる

と云ふことである我全中國の同胞は當然徹底的に之等の點を認識すべきで且つ最も感激すべき點もここにあるのであつて南京梁鴻志行政院長及び汪精衞等皆相次ぎ大呼して應援と喚起の聲明をしてゐる所以もここに在るのである。

02 □女維持會では □美齡に勸告を發す
03 近衛無任所相も 議會には出席す 答辯は實際上機會なし
04 興亞院文化部長 松村千葉醫大教授に決定
05 定例閣議
06 上旬外國貿易
07 火、金曜兩日が 定例閣議日
08 ハンガリー政府 滿洲國正式承認 チ外相、電報を通告
09 張國務總理が 聲明を發表
10 國共と英米の借款 斷じて許容し得ず 中華民國政府聯合委員會が聲明
11 萱場岡山縣知事 警視總監を受諾
12 生產力擴充三個年計畫案 議會再開前に決定せん
13 組閣後最初の五相會議
14 上海の支那新聞 汪通電の批判を避く 國府內の動搖を隱蔽
15 懸案漁區の競賣は 我が漁業權の侵犯 東鄉大使より嚴重警告
16 十六日眾院の代表を招く 政府、協力を要請
17 西南將領會議 却却足並が揃はぬ
18 汪精衛密かに 某所へ移居
19 汪の隱家更に 二名加はる
20 山西省の治安 全面的に確立 各地蠢動の敵影を潛む
21 衡陽軍事會議
22 三浦書記官 打合せに東上 南滿各地領事館 撤廢案を携行
23 米國軍需品 統制局の發表
24 南風‧北風
25 本日の天氣
26 近海郵船基隆出帆
27 辰馬汽船
28 大連汽船
29 大阪商船臺灣出帆
30 廣告
第05頁
日刊第2版
序號 標題
01 昨日帝都は入營日 新しい軍服に納まつて 華かな兵隊學第一課
02 張鼓峰に忠魂塔 早くも寄附を申出づ
03 天皇皇后兩陛下 福井縣の漁船遭難者へ 御救恤金を御下賜
04 東亞革命の家 孫文が謀議を凝した 鎌倉の義烈莊を保存
05 下條技師以下 防疫第三陣 愈よ○○日出發
06 圖像:廣東の復興
07 圖像:小林總督代用品展へ
08 賑ふ代用品展 第一日から入場者殺到
09 異彩を放つ 日の丸式木炭發生爐
10 廣東に市街バス 日支合辦で近く業務開始
11 短期徵兵檢查 全島の日割決定
12 陸軍幼年學校 生徒採用試驗
13 八田商相の 御曹子豐明君に 名譽の召集令 親子揃つて興亞奉公
14 知名の士續續來場
15 長江橫斷の猛者 西村氏渡支 皇軍慰問、泳法傳授に
16 新竹州通常州會 二十日から三日間
17 教化劇脚本 臺北州教化聯 合會で募集
18 普化堂認可さる
19 光榮に感激し 俸給を献金 通譯許振乾氏妻女提出
20 被保護者の赤誠 南署管內の四十九名が 感激の國防献金
21 行方不明の船員 死體どなって浮く
22 砂糖輸送の配船圓滑
23 柳川勝二氏逝去
24 平山泰氏の母堂逝去
25 宜蘭酒煙草の 抽籤發表
26 高千穗丸無電
27 總督府辭令
28 人事‧消息
29 ときのこえ
30 廣告
第06頁
日刊第3版
序號 標題
01 島內の電力料金 全面的に修正計畫 一業者一料金をモツトーに 臺灣電燈が率先實施
02 官鐵收入は良好 二千百萬圓突破 過去九箇月間の實績
03 總動員法第十一條(上) 敕令原案の解剖 原案に盛る三規定
04 環境の安定に 島內米が反撥 內地の買氣ボツく
05 代用品工業展 戰時對策を反映
06 一月中兩港の 砂糖出廻豫想 三百七十五萬擔
07 日本曹達一個年に 二萬五千噸を製造 工場敷地は臺南か高雄
08 株式界の展望/杉野喜精
09 丸糯米移出高 八十萬袋を超ゆ
10 農作物の收入 卅七億突破か
11 全島の信用組合(八月中) 貯金高一億圓近し 貸附高も遙かに超過
12 照明燈
13 市價及商況 十日
第07頁
日刊第4版
序號 標題
01 ラヂオ
02 讀書の夕 青少年と讀書/加藤春城
03 料理献立/柳原保案
04 幼兒の時間
05 講演 代用品使用は 銃後國民の務め/木村秦治
06 趣味講座 弓の話/石津重員
07 講演 代用品に就いて/井田憲次
08 子供時間 本をよんで偉くなった人の話/細野浩三
09 晝間 (レコード)
10 圖像:高杉早苗、段四郎結婚
11 趣味‧娛樂 羽根突きの由來(中) 描繪羽子板の發達
12 日活多摩川の人情喜劇 江戶前結婚 十一日よりタイゲキ
13 落語 凝リ相撲/橘家圓藏
14 「裁かるる女」 伊奈精一監督 ど決定
15 「戰ふ兵隊」一行歸る
16 廣告
第08頁
日刊第5版
序號 標題
01 波瀾を呼ぶ? 東港信組の總代會 新例作つた總代の留任 早くも巷間に議論百出
02 鶯歌庄圖書館が 新刊書籍を購入 けふより一般に供覽
03 圖像:埔里消防組の出初め式
04 油虫の捕獲懸賞 東港郡で積極的に實施
05 商銀誘致運動に 豐原街民乘出す 近く關係當局に陳情
06 特別採用巡查 合宿して講習
07 米管の懇談會 新園庄下で開催
08 マ病防遏狀況審查 旗山郡下の日程決定
09 三峽庄相撲大會 盛況裡に閉會
10 土砂降る雨中を 三里餘の強行軍 南投郡警官の非常召集
11 斗六消防組 の出初め式
12 大南澳拓殖 製糖を開始
13 苗栗郡壯丁團 初訓練を擧行
14 ローカル セクション
15 人妻の自殺
16 廣告
第09頁
日刊第6版
序號 標題
01 燈火管制規則解說 (五)/總督府內務局防空課
02 農業報國運動 (一)/農林省
03 廣告
第10頁
日刊第7版
序號 標題
01 上海へ鮮魚を供給 高雄州調查に着手 州の試驗船來月中に出發
02 南支皇軍慰問團 愈よ派遣に決定 高雄市臨時市會に於て
03 圖像:畑將軍入京直ちに參內
04 嘉義市臨時市會 追加豫算原案通り可決
05 島澤新彰化郡守 初巡視日程變更
06 臺南蹴球大會 來る二十一日開催
07 棄權は八割強 臺中市の農會議員選擧
08 北京遊覽誌 旅行者のために 五/陳逢源海外遊記

北海及び中南海

紫禁城の外側の西南から北の方へ亘る一帶の外苑は卽ち北海及び中南海にして、三海又は太液池とも稱せられ、玉泉山の泉水を德勝門から引いて來たもので長さ四支里、廣さ二百餘步といふ大きい澤なのである。北海と中海との界は金鰲玉蝀橋及び堆雲積翠橋にして、中海と南海との界は卽ち蜈蚣橋であり北海は建築を以て、中海は荷花を以て南海は湖水を以て優れるといはれ□が、北海の湖水と中南海の建物等も各各特色がある。私は紫禁城內の故宮よりも三海の景勝あつて始めて宮苑としての限りなき豪奢を知る事が出來る。

×   ×

先づ金鰲玉蝀橋と堆雲積翠橋上にある支那獨特の建築藝術たる牌樓を見よ。朱の丸柱の中央に大きな一闕、其の左右に小型の二闕があり、上に精巧な切組み細工を施した屋根があつて、目も醒むる許りの鮮かな色彩を呈してゐる、かかる牌樓は大通りの真中にもあるが、此の二つの牌樓程華麗なものは少ない。堆雲積翠橋の正面が卽ち北海の太液池中に突立つてゐる瓊島で橋を渡れば麓の永安寺に達し、更に進めば悅心殿、淋光殿及び慶霄樓等が隣合つてゐる。瓊島の頂邊に屹立してゐる喇嘛塔たる白塔の手前には千手千眼佛を祀つてゐる鎭海殿があり、白塔の後方にある細長い大理石の頂上には仙露を受けんとする承露盤がある。

瓊島卽ち瓊華島は白塔山又は萬歲山とも呼ばれた所で山に佈置せられた珍木奇石は金人が宋の汴京艮嶽のものを此處に運んで來たものといはれてゐる。白塔から後の石洞を降りれば漪瀾堂碧照樓を中心として左右に赤い長廊を繞らし、それが碧水に映じてなかなかいい眺めである。卽ち瓊島には阿房宮賦にある所謂「五步一樓、十步一閤」の形容詞の如くよくも各種の形の建物が處處に排置され、北京八景の一つである。「瓊島春陰」の名を少しも恥かしくしない。乾隆帝の御筆にかかる上記四文字の石碑が山の東北麓に建つてゐる。遼の蕭太后の梳粧臺も此の島にあつたし、金章宗の李妃の梳粧臺の遺址が白塔だといふので、遼、金、元、明、清、各代を通じて隨分宮殿內のローマンスのあつた所らしい。

×   ×

北岸の五龍亭は五つの亭子が池の岸に連り、中のは龍澤、左のは從祥と滋香、右のは湧瑞と浮翠とあつて天子が此處で群臣と魚を釣つた所である。此の附近には萬佛樓、闡福寺、小西天、大西天、九龍壁及び北門內の先蠶壇等あつていづれも一覽に値ひすべき塲所である。南門に連る小高い團城上にある承光殿前に大きい白皮の樹が五六本高く聳え其の葉が五つの針を以て成すものは松であり、三つの針は栝と稱せられ、乾隆帝の古栝行といふ詩が傳へられてゐる。殿內の白玉佛は白大理石で造られたビルマ式佛像にして、嘉慶帝の時西藏より貢いだもので、無價の寶といはれてゐる。

×   ×

中海は北海の南に連る細長い池である西南隔に近い大禮堂卽ちもとの勤政殿の裏から紅牆、綠葉の蔭に遠く景山の翠峰を望み、北海の白塔を仰ぐあたり、凉風荷葉を吹いて垂柳も徐かに搖曳するところは詩の如き趣きがある。北京八景の一たる太液秋風は此處を指し、乾隆帝御筆の石碑は池中にある水雲榭の中に建てられてゐる。

西岸には萬字廓といふ支那獨特の建築美を現はす一廓があり其の他居仁堂、懷仁堂、紫光閣、聽鴻舘、萬善殿等あつて一一見物するにはなかなか骨が折れる

×   ×

南海の正門たる新華門はもと寶月樓と稱し前には總統府の入口であつた。新華門は浴德堂と共に香妃のローマンスを物語る所として知られ、門內には回回營と稱する一巷が存してゐる。池の中に突出してゐる一島が三面水に臨み、五彩の琉璃瓦を以て葺かれた一團の樓閣亭宇が卽ち有名な瀛臺である。此處は光緖帝が康有為等の計を用ひて變法自强の政策を決行せんとして西太后の激怒にふれて幽閉せられた所である。帝の不遇な晚年は涵元殿の一室で終られたのである。涵元殿の東が綺思樟、西が藻韵樓、殿後に景星慶雲の兩殿を配し雕畵とも巧妙を極めてゐる。北岸に近く豐澤園があり、東岸には流觴曲水の遺址たる流□音があり、其の他雙連亭等の景勝がある。【寫真は北海の堆雲積翠橋と其の牌樓及び白塔】

09 年末同情金の 救濟手配終了
10 時局講演映畫會 高雄州臨時情報部の主催で けふから州下各都市で開催
11 張切る選士二百名 神社外苑で大熱鬪 臺南武德會の武道始め
12 花蓮港公の四十周年記念 きのふ盛大に擧行
13 待望の工業試驗場 盛大に地鎮祭擧行 臺中州の工業化愈よ軌道に乘る
14 大口の求人繪出 軍人の就職心配なし
15 臺中工業地鎮祭 きのふ盛大に擧行
16 チフス猛威を揮ふ 全市民に豫防注射 臺南市當局必死の防遏
17 臺南信組總會 來る十五日開催
18 臺南軟式庭球大會 來る十五日に開幕
19 高雄、香港間に “拓南丸”を廻航 臺灣海運が購入
20 彰化水利組合 評議員を選擧 十二區から廿名選出
21 消防組を強化 この前の大火に鑑み 新式のポンプを購入
22 彰化郡婦人交禮會
23 彰化署の寒稽古
24 彰化署武道始
25 四條貴族院議員 屏東から恒春へ
26 佐藤博士高雄視察
27 內海知事出府
28 臺中專賣品抽籤會
29 消息
30 廣告訂正
31 廣告報社消息
第11頁
日刊第8版
序號 標題
01 暴風雨の女(103)/岡田三郎;三浦杏介
02 支那人の顏 滯支雜記 (中)/立野信之海外遊記

 最初、私は白服に金モールの二人の男を海軍武官か、と思った。が、よく見ると、さうではなく、何處かの船會社の船の事務長と機關士であった。

 成る程、と私は微笑を禁じなかった。

だが、それにしても支那人を通路に立たせて、二人は四人分の坐席を占領してゐることが氣になるとみえて、なるべく支那人を見ないやうにしてゐる。たまたま見る塲合はさも汚らしいものを見るやうな、そこを退けといったやうな眼つきをする。がそれが虛勢である證據にはその眼をすぐ宙に泳がせてしまふのである。そのうちに二人は腕木を枕にしてゴロリと寢てしまった。考へたな、と私は思った。

 所で私の前の坐席にゐる二人の支那人――一人は額が狹く、顴骨が高く、眼は二重瞼で大きく、唇も厚く大きい、そして薄い口髭を生やしてゐて、よく繪にある的な支那人の顏である。もう一人はそれとは正反對に、額は抜けあがった樣に廣く眼は細く銳く、鼻は尖ってゐて唇は薄く、精悍そのもののやうな之も支那人の一方の典型な顏である。前方が北方型なら後方は南方型であらうところで、この北方型は眼をむき、厚い大きな唇をしめてゐる間もなく、ひっきりなしに喋ってゐる。何をいってるのか私には一向にちんぷんかんぷんだが、大聲で、五、六人を相手にして喋ってでもゐるやうに手振りで喋る。そして折々懷中から日本軍の憲兵隊で發行した通行證や、支那の紙幣を出して相手に見せたりする所を見ると、どうやら自分の働いてゐた塲所の樣子を相手に話してでもゐるらしい。相手は、と見ると、細い瞼を閉ぢるやうにして始終だまって聞いてゐる。北方型が懷中から何か出すと、眼をあけてちらりと見るが、すぐ物倦げに瞼を閉ぢてしまふ。

 所がこの二人が喋ってる方は喋る合ひ間あい間に、聞いてる方は聞きながら、五分間おき位に交互に唾液を吐く。そのうへ折々手鼻をかむ。どこでも構はない。

所嫌はずやる。見廻すと、私の前の二人だけではなく、方々でやってゐる。それを見て、二人の白服が、そこを退け!といったやうな、さも汚らしい物を見るやうな表情をしたのも、無理はないと思った。それに唾液を吐くのは勞働者風の男ばかりでなく 立派な服裝をして供をつれた大人もやるし、若い女もやるのである。

 後で九江へ行った時、街頭にぶらさがってゐる蔣介石の新生活運動の標語の中に「唾液を吐くな」といふのがあったのを見て、新生活運動がそんな卑近な所まで及んでゐたのを知って、感心した。そして若しも日本が支那と事を構へるのが三年後れたら、日本はこんどの事變何倍かの苦勞をしなければならなかったゞらう思った。

西洋人は、上海の市街を唾液を吐きちらしながらゾロゾロ歩いてゐる支那人を、まるで皮膚病のやうに汚いとは、いかにも西洋人らしい尊大ぶった表現だが、しかし仲々うがった表現でもある。

さて、そんな事を考へながらぼんやりと、寝てゐる白服達に眼をむけてゐたら、一人がムクムクと起きあがった。ガアッと喉の奧を鳴らし、キョロキョロ四邊を見廻してゐたが、そのうちに支那人の立ってゐる足許に、パッと吐いた。

私は思はず顏をそむけた。そして日本でも「唾液を吐くな」が法律になったのは、つい今年であることを、思出したのであった。

(つゞく)

03 映畫の新方向 記錄性の今日と明日 (中)/大熊信行
04 龍骨車 ヴイーナスの像 飛んだインチキ
05 圖像:秋光(臺展)/李宴芳
06 竹ものがたり 太古から婦人に愛された
07 圖像:風景(臺展)/新見棋一郎
08 學藝消息
09 心聲漢詩

萊園梅樹下放歌/老秋、歸中雜詠 與諸親友飲燕/少奇、元旦卽事/少奇、聽玉雲唱南曲/少奇、過綠川/少奇、遣內子率兒輩歸梓/少奇、歸北過大甲溪口占/少奇

10 お正月の衛生 惡醉、二日醉の 豫防と手當法 酒の害を除くフラビ ンの正體
11 實話 慢性胃腸病で便秘と衰弱/兒玉孝子
12 わか吉をと子 皇軍慰問/北園龍二
13 お正月の食物 榮養價調べ
第12頁
夕刊第1版
序號 標題
01 我が陸の荒鷲大擧 重慶の大爆擊敢行 敵都寂として聲なし
02 事變事務的處理は 興亞院を中心に 陸相、首相に進言せん
03 日銀保證準備の 再擴張を考慮 通貨膨脹の實勢を見て決定
04 ア、ユ、チ三國も近く 滿洲國を承認せん
05 內務省腦部と 地方長官異動 けふ臨時閣議で決定
06 金口木舌/林正享
07 企畫院總裁は 青木氏を起用
08 英首相等パリ着 佛首相以下と會談
09 グルー駐米大使 近く歸國せん 外相、帝國の見解披瀝か
10 ソ支間軍事援助の 諒解が存在す 孫科の聲明U‧Pが報道
11 寶成鐵道の完成に 支那躍起の努力 赤色ルート強化の為
12 日本米穀會社案 今議會提出延期を 全國米商聯が要望
13 防共陣營に接近 洪國の滿國承認の意義
14 汪精衛近く 香港に赴かん
15 廣東へ直航船
16 鐵鋼の增產を 促進 委員會で意見交換
17 明日の天氣
18 總動員(36)/長田秀雄;夏目醇
19 廣告
第01頁
夕刊第2版
序號 標題
01 我が定期航空路の 無線網陣近く完備 航空の安全感を確保
02 近海船腹緩和 三、四十萬噸の外國傭船を 滿期每に解雇決定
03 南支皇軍慰問團 臺北市議一行今夜出發
04 新規事業全滅か 新竹州の來年度豫算 愈よ本格的查定
05 經濟警察打合會
06 產業組合長會議
07 武道寒稽古 十九日より開始
08 沖繩漁民の重油 臺灣から供給 けふ許可決定さる
09 萬華信組總會
10 圖像:更生廣東の日語熱
11 鳥居子夫妻即死 令弟も重傷後死亡
12 卯年生れの英雄 (上)時局を語る座談會
13 圖書館長會議 あす臺中で開催
14 國際花卉品評會で 邦人三度ぴ優勝 園藝日本、南米を風靡
15 圖書館週間開幕 菊元デパートで 良書百選展を開く
16 五ケ月振りに 高千穗丸けふ入港 高校、北工の選手歸へる
17 落盤で即死
18 人事‧消息
19 今晚の放送
20 商況 十一日前場
21 今日の興行
22 廣告
第02頁
夕刊第3版
序號 標題
01 日本の母(19)/新述節;瀧伸二
02 家庭婦人 六年生の親たちへ(上) 魂を練る教育に就いて 久保田龜藏氏談
03 子供の生活と遊戲 田舍と都會ではどう違ふ? 厚生省兒童課大羽昇一氏談
04 金屬製品に代る 陶器の家庭用品 國策代用品展から
05 圖像:愛育醫院開く(兒童の體位向上を目指して)(二)
06 冬と溫泉の効用(中) 傷病兵にょく効く硫黃泉 醫博藤浪剛一氏談
07 新年軍國笑話 ス‧フ
08 色を白くしたい 藥や化粧品の効果
09 紙上病院
10 揭示板
11 廣告
第03頁
夕刊第4版
序號 標題
01 けふより十七日迄 「總動員圖書館週間」精神彈藥の威力を發揮せよ 一日一頁、侮り難し
02 圖像:北滿移民のお正月(其二)
03 富士山の頂で お正月を迎へる 元氣を子供四人
04 外國のお正月遊戲 伊國の吹きマリ
05 圖像:陸の荒鷲帝都訪問
06 紙芝居が愈よ 米國に洋行 二世教育の為めに
07 人體の不可思議 血液の循環の話(九)/折井英治
08 カタカナ欄 一マンビキノ イカヲトル
09 私設放送局から 日本精神を放送 感心な野澤氏夫妻
10 鳥の仕合を思ふ 郵便屋さん 態態餘分な路を步く
11 廣告報社消息
第04頁
日刊第1版
序號 標題
01 事變一年半の經過から 日本の真意圖を知る 汪の隱家訪問の記者に曾仲鳴は語る頭條新聞

【河內十一日發同盟】汪精衞の來越以來時局は頃に微妙となり殊に九日汪精衞が新隱家に入るに及び汪の積極的活動開始近きにあるを確信した記者(大屋特派員)は十日深更永らく躊躇してゐた汪の隱家の門を叩いた不安のうちに待つこと約廿分ダブルの瀟洒な服に身を包んだ一青年が現れた、汪の脫出以來常にその側近に在る最も忠實な腹臣の人前鐵道部次長曾仲鳴だ彼はにこやかに應接室に招じ入れ「先生は先日の和平聲明以外に今は語るべき時機ではないと考へまた寒氣と過勞のため目下風邪氣味に加へて右足が惡く醫者から當分絕對安靜を命ぜられてゐるので今日は殘念ながらお目にかかれぬとの事で惡からず」と叮寧に斷つた後自分が先生に代つてお話しますと申出た、以下は余(大屋特派員)と曾仲鳴との會談である

問、先生の容態如何

答、氣遣ふ程のことはないが何分心勞が嵩み極めて注意を要する數日すれば快復するであらう

問、香港との連絡はどうか

答、同志陳公博、周佛海、高宗武、梅子平、林伯生の諸君が彼の地に至り汪夫人も先日行かれた

問、汪氏の現在の心境如何

答、私から言はれない

問、重慶脫出までの經緯と動機を知りたい

答、それも私からは言はれない近く先生が健康を回復された時會見して直接聽いて頂きたい但し我我の信念については次のやうに言へる

「我我は過去一年半の事變の經過から日本の真の意圖□知るに至つた、また近衞聲明の真意を檢討する時真に東洋全體の平和を思ふならば吾人は速に日本の意思を窮めねばならぬと考へる、日本も支那も餘りに苦んで來た、真に支那を思ひ東洋平和を思ふならば日本と真劍に談ずべきであると思ふ」

問、では如何なる方法を執るか

答、まだ何も具體的には決つてない

問、日本へ行くか

答、多分行かぬであらう

問、歐洲へ行くか

答、多分行かぬだらう、まだ何日とも何處へとも決つてない今日はこれ以上聽かないで欲しい吾人は真劍に東洋の引いては世界の平和を考へねばならぬ時に立至つてゐる

かくて曾は汪の健康回復の曉は必らず面會出來るやう盡力することを約し溢るる熱情と共に余の手を固く握りしめ再會の日を約しつつ約二十分に亘る會見を終つた

02 天皇陛下 新舊閣僚を御慰勞 午餐の御陪食を賜ふ
03 沙灣より
04 政務官の割當決定 眾議院のみょり取る
05 首相の演說を重視 あす閣議で要綱につき意見交換
06 池田前藏相は 顧問に留まる 澤井氏の後任に 八代氏を任命
07 企畫院次長に 植村氏が有力
08 厚生省異動
09 湖南省芷江を急襲 敵機十五機を完全破壞
10 共軍と趙承綬軍の 反目ますく甚し 山西北部で我軍に擊破され
11 尖峰頂北側高地の(從化東側) 四、五百の敵を擊滅
12 內務部長級異動
13 氣象專用の無線局 遞信省、三ケ年繼續事業で着工
14 米兩院の各委員 各國の動向聽取 英、佛兩大使を招致
15 青木企畫院總裁 親任式執行はせらる
16 在滿公館一部を閉鎖 外務情報部長談發表
17 交戰五時間後に 敵を潰滅 鄉寧西南方赤厚上で
18 山西省臨汾西の 殘敵を一掃
19 洪國は一月中に 聯盟を脫退せん
20 手腕家 青木總裁の經歷
21 南風‧北風
22 本日の天氣
23 大阪商船臺灣出帆
24 近海郵船基隆出帆
25 辰馬汽船
26 大連汽船
27 廣告
第05頁
日刊第2版
序號 標題
01 社說 代用品工業 振興の急務 島內資源利用で 獎勵普及せよ社說

我國は未曾有の支那事變に際會し、全國民が相協力□て軍事目的達成の為に軍需資材の供給を確保し、更に皇軍の作戰に遺憾のない樣に急激なる軍需品の增加□輸入制限に依つて生ずる重要物資である原料品の不足に基く國民經濟上の不安を除去するのが目下の急務である。卽ち代用品工業の振興に依つて輸入增加の抑制と物資缺乏の補給に資さねばならない。此見地よりして代用品工業の振興は我が重要國策の一つであり、全國民を擧げてその獎勵と普及に邁進ねばならない秋である。殊に天惠に富んだ本島に於いては特に全島民が意用て斯業の發達に寄與すべきである。旣に各種の家畜並に水產動物の皮革を始めとして纖維工業が企業化されんとして居□事は今日の非常時局□於いては更に一層重大意義を加へたものである。

我が國工業の現狀から見るに近年來の發達□躍進□躍進を重ねて居り平時に於ける輸入貿易高の殆ど八割が原料品に依つて占められて居る事實から徵しても工業原料の輸入品に對する依存性は顯著であると言はねばならない。國際平和の唱へられた自田貿易主義時代に於ては、國內に於ける工業原料資源が乏しくても海外市場よりの供給に仰ぐ事も出來るが近年來の如く國際情勢の變化に依て列强各國とも自國の產業經濟を保護□る為めに關稅障壁を引上げる事となつて居るから何時迄も海外原料に期待する譯に行かない、卽ち自國產業を維持し發展を圖る為めには工業原料自給の途を講ぜねばならない、この情勢に於いて國際貸借の改善及び原料自給の確立□圖る為めには各種の對策を講ずる事となつたのである。最新科學の力と優秀なる技術との活用に依□て適當なる代用品□發見し、それを工業として育成すべきである。

代用品工業は我國に於いては國防上は勿論、產業上に於いても國際貸借の改善から見ても緊急を要すべき產業である、遠く歐洲方面に於いては獨逸を始めとして伊太利の我が防共同盟國に於いては夙に代用品工業の育成□助□に務めて居る。更に蘇聯に於ても代用品工業の重要性を認識し□の發達に全力を傾注して居る。飜つて我國に於ける代用品工業の發達を見るに世界各國より幾分出足が遲れて居るとは言へ現在の狀況ではその發達は列國に比し遜色□見ない程である、我が國に於いて多額の需要がある棉花や羊毛に代りステーブルフアイバーが發達した事は列國の注目を惹く所である、代用品工業の發達を促進する為めには科學の研究と技術の進步に期待せねばならないと共に全國民が代用品使用の普及に務める事が斯業の發達を促□原動力である。

この意味に於いて臺北商工會議所が督府と州市の後援とに依つて率先して商工省が內地六大都市で開催した代用品工業振興會を島都に催した事は全島民の代用品工業に對する認識を深める上に重大意義があると言ふべきである。本島の代用品資源は相當豐富であり、この機會に篤志家の手に依つて代用品工業を本島に於いて勃興させる事が出來れば一大貢獻を齎すであらう而して全島民が物資總動員の見地よりして今後は出來るだけ代用品を愛用し幾分でも斯業の發達を促進するのが島民の銃後の使命である。

02 體育にも全體主義 記錄萬能を大改革 厚生省の體位向上方針
03 臺北州消防會議第一日 蘇澳演武場で開催
04 有望な代用品は 何處にあるか/藤森良治
05 山縣局長が團長 南支派遣軍を慰問
06 建國大學入試 合格者 本島から三名
07 慶谷總督代理 遺族を弔問
08 入場者八千に上る 代用品展押すなく
09 圖像:陸海の勇士感激の萬歲
10 傷病全く癒え 內地へ歸還
11 水產座談會 木村技師を迎へ
12 南支經濟を中心に 地方改良講習會 二十五日から開催
13 市民講演會
14 春場所大相撲 初日の取組決定
15 市役所雇が恐喝 被害千數百圓に及ぶ
16 アメリカの妖女
17 臺南興信社總代會
18 柔、劍道昇段試驗
19 一番衣裳の美しい 女性
20 官舍町荒らし 新竹に盜難續發
21 總督府辭令
22 人事‧消息
23 ときのこえ
24 廣告
第06頁
日刊第3版
序號 標題
01 戰時下の島產茶 海外新市場を開拓 十三年度二千萬斤に肉迫 烏龍、包種が好調の兆
02 製糖會社聯合で 麻袋會社を計畫 資本金五百萬圓の豫定
03 島內米好轉か 丸糯米が續騰 蓬萊米も強調
04 滿化の硫安供給量 減產で激減か 先行市價強調化せん
05 砂糖市況不味 分蜜糖廿錢安 赤糖は買氣手控へ
06 總動員法第十一條(下) 敕令原案の解剖 原案に盛る三規定
07 臺南州下產組の 總會開催日割
08 米英の對日經濟報復
09 鐘紡株主總會 配當二割を附議
10 商銀預金激增 配當も一分增加 總會は來る廿七日に
11 市價及商況 十一日
12 照明燈
13 廣告
第07頁
日刊第4版
序號 標題
01 ラヂオ
02 講演 人口と國力/岡田謙
03 國民歌謠 「日の出島」
04 トーキー音樂 臺北市壽町國際館より中繼
05 ヴアイオリン 獨奏
06 講演 「最近米國の勤き」/大山卯次郎
07 料理献立/柳原保案
08 家庭講座 家庭法律講座(第二講)/草薙晋
09 子供の時間 童話劇、戰場の華(一) 身體もろとも/アタゴ童話劇團
10 圖像:少女歌劇團獨逸にて公演
11 圖像:早大カヌー部祈願參拜
12 海外映畫短信
13 廣告報社消息
第08頁
日刊第5版
序號 標題
01 盛況を豫想さるる 旗山の時局講演會 來る廿日公會堂に於て
02 東石郡壯丁團 晴れの出初式 九日東石神社外苑で
03 全國書道展に 出品全部入選 譽れの嘉義東門公
04 圖像:寫真
05 旗山郡各產組 總會開催日程
06 湖口庄區總代會 相思樹皮調達等を可決
07 圖像:卯歲の回顧
08 旗山郡農會 議員の選擧
09 淡水郡の 武道始め
10 今年活躍する(上) 女流選手達/高畠修三
11 組合總代の指名
12 東石郡の武道始
13 嘉義支局抽籤會 當籤番號發表
14 ローカル セクション
15 衛生 今までと違ふ治療法 慢性胃腸病に 新しい藥が でききした
16 胃腸の働きが 活潑となる! 一時的にあらず
17 胃腸が惡い
18 こんな症狀に
19 廣告
第09頁
日刊第6版
序號 標題
01 贅澤や無駄を省け 學用品調整と節約 決定された實施要項
02 圖像:川柳漫堂昭和十三年史
03 笑へぬ世相法律を知らぬ許りに 飛んだ悲劇を惹起
04 文を活かす 手紙の書き方
05 珠算が下手のため 他人の前で恥をかく
06 言葉の使ひ方
07 雄辯の力 公開された演說の秘訣
08 戰時の金儲けは今だ
09 正しい簿記のつけ方
10 廣告
第10頁
日刊第7版
序號 標題
01 八掌溪と北港溪の 治水工事愈よ着手 十ケ年繼續千餘萬圓の大工事 生產擴張に拍車をかく
02 國策の反應覿面 材木取引に異狀 嘉義營林所に丸太の山
03 彰化市新年度の 豫算查定を開始 大體本年度と回額か
04 安住の地を求めて 奧地の壯丁廈門へ 福建省政府の強制徵用を逃れて
05 圖像:寫真
06 小公學校の卒業生 四割まで就職希望 高雄市の調查に依る
07 神棚に禮拜して 出勤簿に捺印 高雄署の緊張振り
08 北京遊覽誌 旅行者のために 六/陳逢源海外遊記

天壇と先農壇

天壇を書く前に先づ天に關する支那思想を多少說明しなければならない。支那の上古から天は全知全能にして下界に照臨して賞罰を司どり、天意のある所は人力を以て如何ともすべからざるものとしてゐる。かかる天を人格化して上帝となし、天の命を受けて四民に君臨する者を天子と稱せられた所以である。孔子が堯を頌揚して「巍巍乎、唯天為大、唯堯則之」とある如く、真の天子は天に代りて道を行ふべき事をいつたのである。されば人の道は一に天意を知つてそれに從はなければならないかくて天は多分に宗教思想であると共に、實踐倫理の大本なのである。私はかくの如き空空漠漠な宗教思想を信ずる支那民族が四圍の他民族をよく包容する氣質を有すると共に天意だから仕方ないといふ沒法子の諦め心理をも早く生ぜしめた一つの原因ではなからうかと思はれる。

× × ×

私は柯政和君の案內で繁華の正陽門外の前門大街から一直線に行くと、外城の南門たる永定門內の東に蟠踞してゐる一大區劃が卽ち我等の目指す所の天壇なのである。此處は明の永樂十八年に築かれ、昔の天子が每年の冬至日に郊祭の大典を行つた所である。外垣の周圍十一支里餘といふ大地域を占め、境內に幾百年かの星霜を經た蓊蔚たる松柏森林が七千餘本もあつて流石は北京が古いと思はしめるものがある。

車を待たして門に入れば東に向つて一直線の道があり、其の內側にもう一つの垣がある。此の內垣は周圍だけでも七里餘もあるといふから其の厖大さに驚かざるを得ない。內垣から祈年門を通り拔ければ大理石の三段の基壇の上に圓錐形の三層の大殿堂が卽ちよく口繪に出される祈年殿なのである。此の建物は光緖十五年八月餘り高いためか電火によつて燒失し、同二十二年に工費百五十萬兩を投じて舊制に擬して再建せられたものである。

先づ三層の基壇の大さは

下層直徑二二五尺高さ六尺

中層同二九七尺同六尺五寸

下層同三七◯尺同六尺三寸

であり、正面の陛に嵌められた龍、鳳、雲波の刻石は誠に見事なものである。而して其の上に建つた殿堂には蒼天の色に象つた紺青色の琉璃瓦を葺き、秋の蒼穹を背景として放つ燦然たる美しさは譬へようがない。殿の內外に十二本の柱があり、更に中央に四本の龍井柱といふのがあつて高き約九十尺、直徑約八十尺といふ大殿堂を支へてゐる正面に□段高く神座があり、其の背後には金色の屛風がある。殊に其の天井は黃金と綠青の冴え冴えした色彩を見て龍雲を描いた鮮やな感じは一寸忘れられない印象を殘すであらう。床は凡て大理石で敷きつめられ、中央に一つの圓い斑入りの大理石が嵌め込んでゐる。素敵な代物であるに違ひはない

× × ×

祈年門から一直線に巨大な石板を疊んだ一條の道があり、其の盡くる所に祈年殿に比して規模の小さい一つの圓堂があり、其の屋上の金頂に眩く許りの擬寶珠の如きものを頂いてゐるのが皇穹宇である。明の嘉靖九年に建てたもので、皇天上帝以下の諸神を祀り、高さ一丈八尺の垣を以て圓くかこみ、殿前階下の敷石の上に立つて叫べば、極めて明瞭に反響するから、此の邊を反聲境と稱せられてゐる。皇穹宇の門を出て真正面に大理石で組まれた大圓壇が卽ち天壇の主體たる圜丘壇である。明の嘉靖年間に築造され、清の乾隆年間に大修繕を加へて今日に至つてゐる。大理石の三層壇で、各層の大さは次の如くである

上層直徑七八尺高さ六尺二寸

中層同一三◯尺同五尺四寸

下層同一八二尺同五尺四寸

全體が露臺で石板の數は上段に七十二、中段に百八、下段に百八十あつて、凡て九の倍數を用ひ以て天數に應じさせてゐる

壇は碧瑠璃の瓦で覆はれた方形の外垣と、圓形の內垣とに二重圍繞され、「天は圓形、地は方形」といふ支那の古代で勝手に決められた天地の形を表象してゐる。此の外に皇乾殿、長廊、齋宮、七星石等がある。

× × ×

天壇の西に當る先農壇は一名山川壇と稱し、周圍六支里、明の嘉靖年間に建てられたものである、神農壇は周圍四丈七尺高さ四丈四尺の露臺で每年春三月天子自ら先農の神を祀つた所だ藉田は先農祭祀の直後天子自ら耕がす所で傍に觀耕臺がある、

此の境內には雲雨風雪の神を祀つた天神壇及び山川の諸神を祀つた地祇壇の外に太歲の神を祭つた太歲殿等あるがいづれも荒廢に委せられてゐる。【寫真は天壇內の圜丘壇】

09 農實組合幹部を 集めて實地訓練 高雄州の皇民化工作
10 河川敷地の移管 緣故者は大恐慌 代表者知事に陳情せん
11 高雄市視察團來彰
12 大屯郡農會議員 當選者それぐ決定
13 牧野と建設 高雄州官有地拂下を申請
14 豫算案の折衝に 高原廳長きのふ出府
15 柑橘の品質向上 一般州民の協力を希望
16 明治溫泉バス 開通待望さる
17 圖書館週間 臺中州同協會の行事
18 花蓮港にポヤ 放火形跡あり
19 臺南庶民信組 十二月末事業成績
20 高雄市チフス 真姓患者更に一人
21 彰化劍友會寒稽古
22 彰化輕鐵株式會社
23 楊氏母堂逝去
24 本社社員異動報社消息
25 廣告
第11頁
日刊第8版
序號 標題
01 暴風雨の女(104)/岡田三郎;三浦杏介
02 支那人の顏 滯支雜記 (下)/立野信之海外遊記

 私の中支那滯在は僅々三ヶ月で、それも雜誌との約束で、見たり聞いたりをすぐ書かなければならなかったので、ほんの駈け廻りに過ぎなかった。だから私は支那について、知ったか振りを書く氣になれない、ばかりでなく事實三ヶ月やそこいらの駈け廻りでは、何も見ることも知ることも出來はしないのだ。

 だが、その僅かな期間だが、支那人の皮膚病のやうな汚らしさに、直接ぶつかればぶつかるほど、支那人の汚らしさが、それほど氣にならなくなった。といふのは、何も支那人の汚らしさに馴染んだのでも、好きになったのでもない。汚いのは、いつ如何なる場合でも汚いと思ふことに變りはない。が只きたない支那人に對する考へ方や、感じ方が違っただけである。私は支那人を知れば知るほど、そこを退け!といったやうな表情や感情も持てなくなった。むしろ西洋人が皮膚病のやうに汚い、といったその汚らしさに、親身な腹立ちを覺えるのである。

 火野葦平の「麥の兵隊」だったか「土と兵隊」だったかの中に、支那人の俘虜が日本人の知ってる者の誰に似てゝ、感情の持って行きどころに困る話があったが、あれは全く同感である。「麥と兵隊」や「土と兵隊」が傑作である所以のものは、實にさふいふ氣持の裏づけにあるのだと思ふ。實際支那人を見てみると何やら自分の身うちの者が汚なかったり、小狡かったり誰やらにちょろまかされたりしてゐるやうな、さういふ親身な腹立だしさを覺える。

 殊に今度の事變は、蔣介石の認識の誤算からひき起されたとはいへ、究極のところは、支那人を皮膚病のやうに汚いと思ってゐる歐米人や共產主義國家の尻押しにある所から推して、此事變が支那との戰爭ではなく、實は支那人及び支那の領土を通じての一種の世界戰爭であることを知れば知るほど、日本軍に銃口を向ける支那軍に、親身な腹立だしさを覺えるのである。

 私は上海の真ん中で、七、八人の支那人ギャングに取卷かれピストルをつきつけられて有金全部と、タバコケース、萬年筆手帖の類まで強奪されたが、私は彼等を憎む氣持になれなかった。何やら惡黨らしい面構へをしきりにしてゐたが、その性情を思ふと、何やら憐れな氣がして、俺を強奪したのはもうそれでよい。しかし二度とやりなさんな、とそんな氣がし、自分も一緒に悲しくなるやうな感情をもて餘した。後で考へて、支那人を皮膚病のやうに汚い、と尊大ぶった觀方を構へることのできない民族的な親身な氣持であることが解った。

殊にその氣持を激しく味はったのは、嘗って吳淞クリークや上海軍工路で日本軍を散々なやました程萬軍(隊長の名)が、その後日本軍に撃退されて太湖の湖畔に退き、第三戰區第六路遊撃隊司令を命ずといふ蔣介石からの訓電をうけてゐながら、中央との連絡はきれ、寒さに向って部下一萬の軍隊を養ふ術なく、刀折れ矢つきて遂に維新政府の軍隊に歸順した。その歸順をするかしないかの會談に、私は計らずも參加し、程萬軍の護衛兵の拳銃の襖の中で程萬軍と握手した時である。私は最初は吳淞クリークではご苦勞だったね――位の皮肉をいふつもりであったが、程司令の冷い、力のない掌を握って、私の死んだ叔父によく似た憂鬱さうな顏を瞶めてゐるうちに、不意に、悲しいだらう、君の憂愁はよく分るだが我慢しろ、その憂愁を嚙みしめた後に、君の胸に湧いてくるものが新らしい亞細亞にとって必要な力だ、それまで悲しみを嚙みしめてくれーと、そんな氣持が腹の底から湧いてきて、自分でも吃驚した私もまた亞細亞の子であるとを、其時はじめて強く意識したのであった(完)

03 映畫の新方向 記錄性の今日と明日 (下)/大熊信行
04 龍骨車 溫床の提供を望む 國策に沿うた評論
05 圖像:阿里山の男(臺展)/三島利一
06 賢なるが故に迷ふ/大平得三
07 圖像:「朝陽映島」(三重縣鳥羽灣にて)
08 學藝消息
09 心聲漢詩

一月二日灌園別邸雅集即事/王了菴、一月二日灌園別邸雅集即事/太公、一月二日灌園別邸雅集即事/陳秋逢、一月二日灌園別邸雅集即事/莊幼岳、春日喜舊友枉過/林灌園、一月二日同舊友過訪灌園卽事/呂蘊白

10 新刊紹介 講談俱樂部 新年增刊號
11 國策線に沿つて和服にも再も生法を考へ ませう
12 キンギ二月號
13 講談俱樂部二月號
14 廣告
第12頁
夕刊第1版
序號 標題
01 杭州附近の殘敵を‧ 鎧袖一觸これを擊退 劉建緒の小細工挫折
02 英首相、外相ロマ着 英伊第一次會談開く
03 英政界の觀測 伊のエチオピア開發に 英、財政的に支援か
04 歐洲情勢等の 大綱的意見交換
05 地中海における 伊の要求を支持 獨「政治外交通信」の論文
06 ル米大統領の 國防特別教書
07 汪と同意見のもの 國民黨に相當あり 梁行政院長の時局談
08 金口木舌/林正享
09 憲法修正案を提出 「米政府が海外に軍隊派遣の場合 事前に國民投票で可否を決せよ」
10 歐洲の危機去らず 駐英、佛兩米大使の報告要旨
11 失業救濟事業費 米下院分科會が削減承認
12 津浦線、徐州淮河間 旅客營業を開始 當分の間一日一往復
13 最後迄日本の味方 ム首相、白鳥大使に表明
14 明日の天氣
15 總動員(37)/長田秀雄;夏目醇
16 廣告
第01頁
夕刊第2版
序號 標題
01 代表的な國民服裝 宮內省中田技師が考案 經費も背廣の四分の一
02 國際的なお年玉 洪國の一親日婦人から 文化資料をどっさり
03 學習院が門戶開放 一般から兒童募集
04 國民再組織の問題(上)/新明正道
05 白山丸寄港
06 基隆署武德殿 來月初落成式 終って武道大會開催
07 新銳貨物船七隻 日本郵船で建造 崎戶丸は殆んど完成
08 基隆圖書館の 週間行事
09 恤兵金千圓 新竹酒煙草賣出 聯合會が献金
10 靈泉寺佛教講習會
11 石本部隊 名譽の戰死者 けふ原隊から發表
12 菜ッ葉服の春 收入は社長の二倍
13 兩組合創立總會
14 人氣總攫ひの 大相撲初日 人垣は兩國橋迄達す
15 部落振興會共進會 近く新竹州で主催
16 水上署寒稽古
17 瑞芳の火事 損害二萬六千圓
18 人事‧消息
19 今晚の放送
20 商況 十二日前場
21 今日の興行
22 民報案內報社消息
23 廣告
第02頁
夕刊第3版
序號 標題
01 日本の母(20)/新述節;瀧伸二
02 家庭婦人 六年生の親たちへ(下) 魂を練る教育に就いて 久保田龜藏氏談
03 顏を荒さぬ秘訣 肌の手入れを怠らず 化粧は生きくど
04 糧友會指導 買ふより作れの食料品(一) 經濟と營養に富む ソーセージの作方 兔肉、鷄、豚の細切れを利用
05 圖像:愛育醫院開く (兒童の體位向上を目指して)(三)
06 湯タンポの 上手な使ひ方 湯を入れてもすぐ蓋するな
07 身上相談
08 冬と溫泉の效用(下) 泉土はリウマチスにはいい 醫博藤浪剛一氏談
09 廣告
第03頁
夕刊第4版
序號 標題
01 郵便貯金加入者は 既に七千萬を突破 昨年で千八百萬口の增加 當局嬉しい悲鳴
02 圖像:北滿移民のお正月(其三)
03 北陸線地方に 猛吹雪が襲ふ 漁夫五十二名行方不明
04 外國のお正月遊戲 支那の足球遊び
05 女學校の四年生 一萬圓を貯金 貯金報國時代のお手本
06 臨時政府の五色旗 どんな意味をもつか
07 植物標本を送る 岡山博物趣味の會が
08 兔と兵隊(大阪天王寺動物圓で撮す)
09 珍しい山猫 ブラジルから日本へ
10 人體の不可思議 血液の循環の話(十)/折井英治
11 病の身を起して 教子の平癒を祈る ありがたい先生のお心
12 珍しい魚「ゆめ」 經ケ岬沖合で獲る
13 モノシリ小辭典
14 廣告報社消息
第04頁
日刊第1版
序號 標題
01 事變處理は確乎不動 伊勢神宮に參拜の平沼首相 當面の諸問題を語る頭條新聞

【東京十二日發同盟】平沼首相は十二日伊勢神宮に參拜、新任奉吿を終へて午後九時東京驛着歸京したが軍中事變處理問題並に當面の諸問題について大要左の如く語つた

一、事變處理の具體的方針

事變處理に關する根本方針は旣に前內閣時代において決定し確乎不動のものである、從つて內閣が變つたからとて變更はない然しこれを具體的に實行に移すことについては相手もあることだから豫めどうするといふことは今は言明の限りではないが大方針が旣に決つてゐる以上何處までもこの目的達成に邁進せねばならぬ近衞內閣に於て發した十一月三日の聲明と十二月二十三日の聲明が異つてゐるといふ向もあるが兩聲明とも目標とする所はかかつて新東亞の建設にあるのであつて全く同一のものである

一、第三國關係

事變を繞る對列國外交工作は新東亞建設の大目的に牴觸せぬやうに進めて行かなくてはならぬ英米を初め第三國關係を調整すべき必要は充分に之を認めてゐる、支那事變に關する限り我國は新東亞建設といふ新しい目標が決つてゐるのであるから之に大支障を來さぬ範圍において調整することが肝要である英米その他の國にも立派な政治家が居るのであるから真意が徹底すれば共に步調を併せて來るものと期待してゐる

一、五相會議及び興亞院會議

五相會議は重要な事項についてその所管大臣が相會して協議する建前から設けられたもので勿論必要であるから今後も存置し定例閣議にかける方針であるが之を以てインナー・キヤビネツトと見られることは困る五相會議として取上げるべき問題は國策の大方針を樹立する為で興亞院會議の議題以外の外交、財政、經濟等もその對象となる、而して興亞院會議は飽まで事變處理の大本に基き之を實行に移すため必要なる施設等について審議する從つて五相會議と興亞會議とはその性質において異なるから兩會議とも存續して隨時開きたい

一、國防會議

國防會議のことが新聞に出てゐる樣だが自分はこれを置くかどうか全く考へてもゐない

一、總動員法の强化と統制經濟の動向

總動員法の强化とか統制經濟强化とか世間で種種喧ましく云はれてゐるが事變處理の完璧を期すると云ふ目的の為めには或は情勢次第で統制經濟を更に强化し總動員法を一層强力のものにして行かなくてはならないかも知れぬが今の所考へてゐない要は民心を安定せしめると云ふことが肝要であるから何事も規則づくめでなく一般國民に不意討ちを喰らはせぬやう假令總動員法なり統制經濟なりを强化するとしてもかうした考方からやつて行く積りである總動員法第十一條については未だ聽いてゐない。

一、企劃院改組

企劃院の改組については軍其他の方面に色色意見もある樣だが考慮中である。

一、日、ソ漁業問題

日、ソ漁業問題については現在問題になつてゐる點について日本の主張を貫徹する為め努力すると云ふより外にない

一、無任所相問題

無任所相は元來所管省を持つてゐないので省務の責任がないのは勿論であるが內閣全體の責任については國務大臣と何等變りはない議會に於ける無任所相の發言については必ずしもこれをしないとは限らないが大體のことは首相が責任を以てするから答辯は必要ないであらう。

一、遞相拓相專任問題

兼任中の遞信、拓務兩相を專任にする考へは今の所ない議會中はこの儘やつて行く方針である。

一、國民組織再編成問題

言葉の使方は兎も角として國民再組織と云ふ樣なことは自分は考へてゐないが國民の總親和は大切なことだからこの考への下にこの方面に國民を導きたい從つて今取敢へずこれを實行に移すとすれば國民精神總動員中央聯盟をしてその目的達成の為め人的構成を考慮したいと思つてゐる

一、官吏制度改正問題

官吏制度改正案は前內閣に於いて一應案を立てた樣だが良く見てゐない、それについては多少考へねばならぬ點もあるので調べた上でどうするか決める積りであるが何れも規則を變更せずとも運用に依つて目的は達せられるのだからこの方が先づ大切だ最も任用制度については考へねばならぬ點もあるが身分保障についてはこれを改正する樣な意思はない

一、議會制度改正問題

議會制度審議會で答申を決定した選擧議院貴族院三制度改正案は今議會に提案するともせぬとも未だ考へてゐない

一、參議補充問題

參議は來週中に補充したい

02 丁抹公使に 勳一等御贈與
03 圖像:厚生省生れて一周年
04 平沼首相の施政演說 組閣當初の聲明を基調とし 十七日の閣議で決定
05 木材パルプの 三社の資本一億二千萬
06 ソ聯國防人民 委員部 四委員部に分割
07 總動員體制に即應 陸軍省の機構強化 十六日より改正實施
08 軍政單一化の下に 國府抗戰へ抗戰へ 光なき前途に狩立らる
09 米爆擊機四十八臺 ココス島に飛着 海軍大演習に參加
10 ヒューゲツセン大使 トルコ大使に 最近健康が全く快復す
11 省主席の權能擴大 國府の行政機構改革
12 滿洲の皮革 價格を公定 目下立案中
13 イタリアの主張は 歐洲新秩序に重要 デイタリア紙の論說
14 張群は中央の 某要職に轉補
15 武器輸送活潑
16 不逞徒輩の 一齊檢擧 武漢の我警備部隊
17 輸出入絹織物に 義務輸出期間設定
18 發砲事件を 洪國嚴重抗議
19 津島中佐 壯烈な戰死
20 弘報連絡會議を 滿洲國が設置
21 水陸運輸聯合 委員會を設置 主席委員宋子良
22 溫宗堯氏の聲明を 頻りに反駁す 國府スポークスマン
23 不干涉委員會の決議を廢棄 白、英佛に通告
24 總督府辭令
25 南風‧北風
26 「逆」の字使用を 陳立夫が抗議
27 本日の天氣
28 大阪商船臺灣出帆
29 近海郵船基隆出帆
30 辰馬汽船
31 大連汽船
32 廣告
第05頁
日刊第2版
序號 標題
01 社說 臺灣統治に 多大の期待 轉換期に立つ 昭和十四年社說

事變下第三年を迎えた我國の戰時經濟は「戰闘的」と「建設的」との兩面より並行的に進めて來たのである。然るに今や事變の進展は戰闘的戰時經濟から建設的戰時經濟へと推移しつつあり昭和十四年は寧ろ建設的戰時經濟第一年の發足點に立つたと考へたいのである。戰闘的戰時經濟は戰果を目標とし、必要に應じ全經濟力を擧げて戰爭に振り向け國民經濟に及ぼす影響はムシロ第二次的に考へられるが建設的戰時經濟にあつては建設的目標のために戰時態勢をとるのであるから國民經濟の圓滑なる運營を常に念頭に置かねばならない。

我國の建設的目標は誰人も知る如く東亞永遠の安定を確保すべき新秩序の建設にあり、此東亞の再建は擧國一致の要望に出たものであつて軍人のみならず政治家、經濟家、文化人の均しく參加する國民運動となつたのである。つまり新東亞の建設は經濟の問題であると共に東洋各民族を結ぶ政治の問題でなければならない。今や戰時日本經濟は正に轉換期に立つたと同じく我國政治も前記大目標に向ふべく一大轉換期に逢着してゐるものと思惟□るのである。

然るに獨り臺灣統治のみが前記諸情勢に超然としてゐられる筈はない。我が臺灣に於ては昭利十□年こそは日支事變の結算期である。卽ち中央に於ては東亞協同體なるものが事變解決の方策の不可缺な重點となつてゐる。それに向つて中央政府は國民總力を傾けて行くことは近衞前首相の聲明並にラジオ放送中に於てもその間の消息はうかがひ得る筈である。然らば歷代總督四十餘年の治績も南支との調整如何によつて決定されるではないか、卽ち臺灣に於ける糖業政策、產業政策□棉作獎勵、其他あらゆる產業政策は孰れも今後の南支との調整如何によつて左右されるものである。何となれば今日まで獎勵し來たつた米作も高は支那浙江省產米の三分の一にしか當らない。若將來同省で治安が維持され、米作が臺灣內地の如く發達を遂げしめたら臺灣米の將來は?更に臺灣中南部の一大宗產業たる糖業も將來南支に臺灣の糖業企業家が乘り出さなければ臺灣の糖業は支那人又は英人の企業による南支の糖業に必然的に壓迫されること疑ひなき事實である。殊に殖產當局が永年力瘤を入れて來た棉作獎勵も到底支那大陸の棉作に及ぶまい。其他臺灣で出來る作物は殆んど南支方面で出來るからその間を甘く調整をとらなければ長年苦心の臺灣產業政策も遂には水泡に歸する外はない。又貿易上の需給關係に於て將又文化事業に於ても然りである。故に臺灣の為政者は須らく新東亞の大勢に應して臺灣統治年の大計を立てて政治、產業□文化、貿易の諸政策を樹立すべきだと考へるのである。轉換宜しきを得れば臺灣は我が南日本の重要據點たり、下手に行けば臺灣の將來は第二の沖繩と化することを憂ふるものである

02 皇軍に信賴して 廣東の復興目醒し 治安も回復し日語熱溢る 森岡長官の慰問感想談
03 圖像:兒玉軍司令官、代用品展參觀
04 農具を大量給與し 北勢蕃に土の教育 新竹州理蕃史上の新紀元
05 日本丸‧海王丸兩船 遠洋航海の途へ
06 兒玉軍司令官來場 團體參觀殺到第三日の代用品展
07 花蓮港警察職員 三班に分れて臺中視察
08 廢物利用の王座 棄てた人絹製造液から 肥料界の寵兒硫安製造
09 圖像:スマートな國民服
10 滿場拍手裡に 皇軍感謝電を可決 臺北州消防會議終る
11 感謝電文
12 ス‧フ製造工業は 世界第一位 獨逸の二億磅を凌駕
13 富士丸出帆
14 東南獨逸日獨協會 來月二日維納て發會式
15 長官あす上京 政府委員どして議會に出席
16 工業化學會の 常會及講演會
17 臺南の防衛訓練 團員を總動員して 愈よ本月末に實施
18 皇軍慰問大演奏會 一行賑かに出發
19 五州華僑代表で 皇軍慰問隊組織 近く當局と具體的打合
20 大相撲春所 初日勝負
21 二日目取組
22 大東信託總會 廿一日臺中で
23 基隆俱樂部例會
24 愛育幼稚園同窓會
25 人事‧消息
26 ときのこえ
27 廣告
第06頁
日刊第3版
序號 標題
01 島內の移出商に 移出販賣權を附與 日本米穀會社案不成立に備へ 殖產當局第二案を練る
02 島內の郵便貯金 三千百萬圓を突破 前年より六百萬圓增加
03 人造樟腦の製造を 專賣局準備に着手 本春四月より開始 年產一萬瓲を計畫
04 公債の賣却高 二億六千萬圓 兌換券の收縮も順調
05 內地買進みに 丸糯米が續騰 蓬萊米も強調
06 世界經濟及び(上) 景氣の現地位/金原賢之助
07 計畫資本は激減 十二月中の日銀統計
08 昨年の新設增資 卅八億七千萬圓
09 臺灣肥料組合 總會を開催
10 砂糖輸送のため 專用貨車を增配 鐵道部全力を傾注
11 バンカー用炭 近く契約成立か 購買量六十五萬瓲
12 照明燈
13 市價及商況 十二日
第07頁
日刊第4版
序號 標題
01 ラヂオ
02 趣味講座 神社林の話/上原敬二
03 料理献立/柳原保案
04 お話 早起きょい子/川西久子
05 晝間娛樂時間 (レコード)
06 コドモの時间 武勇講談 少年劍士田宮坊太郎/桃川燕林
07 講談 吃の又平/榊田山陽
08 子供時間 ラヂオスケツチ
09 管絃樂
10 琵琶 屋島の譽/鈴木雷水
11 圖像:世界一の寫真完成近し
12 圖像:微笑む出世力士
13 趣味‧娛樂 羽根突きの由來(下) 佛のヴオラシ、英シャトルコツク
14 ポリドール專屬 上原敏、青葉笙子一行 十四日より國際館で公演
15 海外映畫短信
16 廣告
第08頁
日刊第5版
序號 標題
01 正廳改善を奇貨として 暴利を貪る指導員 庄民非難の聲囂囂
02 教化指導員打合會 諸議案を熱心に討議
03 家長會議を開催 部落改善に拍車 東港郡で積極的に實施
04 圖像:神田佐久間町一帶を史蹟に指定
05 東港郡警察課の 非常召集好成績 終了後に表彰式擧行
06 蔬菜品評會 來る廿二日斗六公にて
07 綿製品配給打合會 苗栗郡守公室にて
08 瑞穗公の講堂新築 父兄間で協議進む
09 南投郡產組長會議 十四日郡會議室にて
10 大溪郡警察課 寒稽古を勵行
11 白河分室管內 消防出初め式
12 湖口信購販組合の 議原指名發表さる
13 ローカル セクション
14 農會議員の選擧
15 土地公を全廢 湖口庄の申合せ
16 押賣を檢擧
17 青物相場表/臺北市中央市場
18 廣告
第08頁
日刊第6版
序號 標題
01 科學 高速度列車の車輪 鋼鐵の耐熱新研究
02 耳ざとくする エツキス線 キュラー博士の研究
03 圖像:第三回萬博の抽籤
04 ゴムの壽命を 延ばす油
05 氣球飛揚の 最高記錄 約十二萬呎に昇る
06 星の溫度を 測る寒暖計
07 シャポン球で 爆發の研究
08 農業報國運動 (二)/農林省
09 新年の祝詞/多木久米次郎
10 家庭医學 冬の結核療養法 病勢を惡化させる 感冒や胃腸病に御注意
11 肋膜炎から 結核になって/田村友四郎
12 結核性の多い 肋膜炎と腹膜炎
13 医學メモ 酒の害
第10頁
日刊第7版
序號 標題
01 我らが鄉土部隊 ○○港に晴の歸還 岩壁は出迎人で黑山
02 平田部隊の 勇士晴れの歸還
03 從來の不成績に鑑み 積極的に金を買上 高雄市保甲を總動員
04 圖像:在京各部隊の入營日
05 復興の廣東へ 多彩な船客を乘せて
06 屏東市青年團 查閱日程決定
07 寺廟整理から浮き上る 財產無慮五百萬圓 高雄州の處置注目さる
08 極東新情勢と 米國の態度(上)/木下半治
09 北京遊覽誌 旅行者のために 七/陳逢源海外遊記

雍和宮・孔子廟及び國子監

唎嘛廟たる雍和宮は北京內城の東北隅にあるので、私はそこまで行くには先づ舊皇の北門たる地安門より北へ一直線車の所からを走らし、鼓樓及び鐘樓東に一直線折れて北新橋より更に北上すればいい譯だ。

鼓樓は元の世祖忽必烈の創始にかかり、一名□政樓ともいはれ、明、清兩代に重修せられたものである。樓址に長さ約五十米、幅約三□四米、高さ約三十米、卽ち城壁□約三倍に當るから□巍然としてあたりを睥睨する所はなかなか壯觀である。此處は民國初年までは平時にありては大鼓を打ち鳴らして夜間の時刻を報じ、非常時に於ては城外への警報臺となつてゐた。鐘樓は鼓樓に比して規模こそ小さいが、雅致に富む異樣な形の健物で、前の空地は民眾の市塲として遊人の絕え間がない。

雍和宮が康熙朝の雍親王府であつたが、雍正帝が大統を繼がるるに及び龍潜藩邸□稱し、當り前ならば空邸として保存すべきものを內外蒙古及び西藏統治政策の見地からラマ僧に寄與して其の歡心を買つた。私は此處でラマ教に關し一應說明して置きたい。

× × ×

ラマ教は佛教の一派に外ならないが、印度のパミール高原の南方から西藏に流入し□主として西藏及び內外蒙古に信ぜられてゐる。其の起原は□樹菩薩の秘密思想及び無着菩薩の神秘思想より出發した多神的教理からシバ神(三目六臂の破壞を司る魔神)の兇惡にして强烈な威力を尊信する象徵として獸面人身の魔神が異性を抱擁する所謂歡喜佛を禮拜する秘密教が西藏固有の鬼神崇拜のボン教と混合融和して西藏佛教卽ちラマ教を形式したのである。此の宗教は單に其の佛像及び佛畵が怪奇を極めてゐる許りでなく、人の髑髏でこしらへた供佛の食器だの、又は人頭骨でこしらへた小鼓じみた樂器だの、或は異る人の頭蓋より採つたものをこしらへた一粒一粒の珠數だの、さういつたものを登祀勸行の器具として使用された殘忍とグロテスクな情緖には兜を脫ぐより外はないラマ教への惑溺が元朝を滅ぼし慄悍なりし蒙古民族を頹廢と衰亡の深淵に沈めた阿片の如きものである。

× × ×

雍和宮門に入れば東の一廓はラマ僧約一百人の住んでゐる僧房が並んでゐる、夜和門內にある天王殿には木製メツキの布袋尊者及び四大天王の塑像を祀り殿前の左右に一對の見事な銅獅と中央に乾隆御筆の石碑があつて滿、漢、蒙、藏の四種文字を刻んでゐる、溫度孫殿と東配殿には有名な觀喜佛がある、東配殿の歡喜佛は五つあつて中央の威德金剛は犬面と人身を以て一人の裸體女神を抱擁して交接してゐる現狀を露骨に現はし脊から腰まで男女二人の首を懸け、手が左右で十二本、各各凶器を持ち、足には男女□裸體像を踏みつけてゐる。左側の吉祥天母は馬上に橫つてゐる裸體の婦人を胸から腹まで刀を以て切開し、血跡淋漓たる慘狀を現はし、右側にある獸面の怪佛が裸體の女像を抱擁し□腰には人の首を懸けてゐて凶惡そのものの姿を極めてゐる。

法輪殿に□黃教の開祖たるチヨンアカ(支那語に宗咯巴と譯し)を祀り□萬福樓には高さ七丈二尺の大佛を祀つてゐるから大佛樓ともいはれ、乾隆朝に西藏より栴檀の大木一本を取□せて作つたものだと傳へてゐる。其の他各處の額にはいづれも滿漢□蒙藏の四體文字を用ひてゐる每年の陰曆の一月二十九日と三十日及び二月一日の三日に亘つて打鬼の儀式があつて數百のラマ僧が色色なグロテ□クな形に扮して鬼を清め□魔を降ると稱し、入場料を取つて一般の觀覽に供してゐる。

× × ×

雍和宮の西に當る孔子廟が一名文廟ともいひ、第一の正門たる先師廟門の內には元初以來の進士題名牌がいくつも立ち並んでゐる。第二の門たる大成門には支那最古の金石文字を刻した石鼓十個あつたが、民國二十二年南方に持ち運ばれたため今では其の模造の石鼓十個を門外に置かれてゐる。

大成門內には正殿たる大成殿があり殿內には普通の孔子廟と異らずして正面には「至聖先師孔子之神位」と記した木牌があり左右には四聖、十二哲の神位を配し、殿の兩廡が先賢七十二子を祀つてゐる。境內には古柏が森森として繁つてゐる外に、十數座の碑亭には清朝歷代皇帝の御□が建てられてゐる。

孔子廟の面隣たる國子監は元明、清の三朝を通じて幾多の人才を生んだ舊時代の最高學府だ境內の古槐樹は元の祭酒、許衡の手植したものと傳へられてゐる。彝倫堂の正面には康熙御筆の大學章句を刻し、もと□堂として用ひられたものである。東西兩廡にある數百基の石碑には乾隆帝の師たる蔣湘帆が十三年間の苦心を以て筆に成る十三經を刻したものである。かかる化石した學問の學府たる國子監と隣合ひの孔子廟とが新政府の手で重修せられつつある事は何を意味するであらうか。【寫真は雍和宮內法輪殿】

10 楮を栽植して 日本紙を製造 臺中州下の海岸地方に
11 東石郡の防風林 苗木九十萬餘本を栽植 來る廿八日品評會開催
12 珠算競技大會 臺中商業に於て
13 產組の青年道場 きのふ盛大に地鎮祭
14 花蓮港街に 三度目の火事 一棟二戶を全燒
15 關屋、四條兩氏 花蓮港を視察 關屋氏の講演會盛況
16 キャツサバ禍 少女遂ひに死亡
17 謎の送金 送り主判明して 大屯郡守は感激
18 知事官邸を襲ふ 怪盜遂ひに逮捕 殊勳の邱刑事表彰さる
19 賞金を國防献金 麻豆柯君の美擧
20 嘉義圖書館週間
21 流腦患者 嘉義市に發生
22 消息
23 廣告
第10頁
日刊第8版
序號 標題
01 暴風雨の女(105)/岡田三郎;三浦杏介
02 棺に哭く日 亡き建南の靈に告ぐ/郭水潭
03 娛樂映畫の製作 新春年頭雜感/飯島正
04 龍骨車 新友社の存在 注目すべきその將來
05 圖像:頌春譜(一)/山口誓子
06 長壽は遺傳か環境か 興味ある研究/佐藤正
07 學藝消息
08 心聲漢詩

新春游萊園/呂蘊白、和文樞詞兄病中雜感瑤韻/羅炯南

09 廣告
第12頁
夕刊第1版
序號 標題
01 軍需船二百隻を擊碎 日本晴れの中南支で 我荒鷲思ふ存分活躍
02 樞相兼無任所相と 憲法上の地位問題 首相その關係を言明
03 蔣も亦ゲンドンと 同じ運命に陷らん リユシコフ大將語る
04 四月下旬、東京に 大移民會議を開催 更に大委員會設置
05 新竹州參與會 十五日に開く
06 龍雲、汪とも一脈か 中央の詰問、冷淡に撥る
07 金口木舌/林正享
08 維新政府の治下に 治安委員會を設置 警察隊の整備防共青年團を結成
09 ヒトラー總統 ソ聯大使を招いて會談
10 粵海關監督を任命 近く治安維持會の手で
11 英伊會談の結果 ローマ外交通の觀測
12 明日の天氣
13 大砲卅潼關へ ソ聯の對支援助
14 總動員(38)/長田秀雄;夏目醇
15 廣告
第01頁
夕刊第2版
序號 標題
01 戎衣戰塵にまみれて 武勳の勇士晴の歸還 官民萬歲の歡呼裡に
02 廣東市の食料問題 我國に之が解決を要望
03 傷痍軍人相談所 東京に五ケ所設置
04 衛生映寫會 十四日新竹で
05 圖像:武勳の勇士歸る
06 ヴアンシツタート 顧問の新活動
07 空からのサンタ‧ クロース
08 鐵壁の科學搜查陣 出たぞ、犯罪照魔鏡 X線指紋採取と比較寫真顯微鏡出現し 迷宮事件を完全に掃滅
09 廣東の治安署 本格的活動を開始
10 臨時政府要人に(一) 物を聽く座談會 先づ舊曆禮讚一席
11 基隆郡武道始め
12 英空軍の新燒夷彈
13 殺人的高物價 玉葱一個三圓五十錢也 ウラヂオの食料缺乏
14 出所祝ひ席上 臺灣刀で斬る 採炭夫同志の登樓
15 叱られて自殺 小心男が服毒
16 施炙診療 新庄谷啟造師が あす公會堂で
17 定期航空
18 今晚の放送
19 商況 十三日前場
20 今日の興行
21 廣告
第02頁
夕刊第3版
序號 標題
01 日本の母(21)/新述節;瀧伸二
02 家庭婦人 寒さに惱む婦人へ 「冷え症」はどうして起る? 大抵は婦人科的疾患
03 敕題にちなむ 初初しい日本髮 若いお孃さんにょい
04 入浴時の ウエーブ
05 シューマイ
06 糧友會指導 買ふより作れの食料品(二) お豆腐のつくり方 寒さを利用、凍豆腐を作れ
07 蜂蜜の效用 心臟病にょく傷藥にもなる 貴重な葡萄糖が多い
08 圖像:愛育醫院開く(兒童の體位向上を目指して)(四)
09 齒が痛んだら この手當が一番 先づ穴のありかを確める
10 戰時下の衣類對策 なほ改善の餘地あり 暫く斯して我慢せよ
11 胃腸の惡い人 煙草、酒をのんでもいいか/平野偕司
12 紙上病院
13 新年軍國笑話 轉業
14 揭示板
15 廣告
第03頁
夕刊第4版
序號 標題
01 國語のお勉強に 懷しの日本へ歸る 南米ブラジル在留の 日本小學生廿六名
02 圖像:北滿移民のお正月(其四)
03 戰勝の春に因む 正月の樂み(上)/杉浦基史郎
04 真心の珠算報國 朝鮮青年のうつくしい努力
05 圖像:廣州婦女日語學校
06 人體の不可思議 血液の循環の話/折井英治
07 少年消防組 縣知事から表彰
08 カタカナ欄 ミカンドロボウノ オサルヲタイヂ
09 プールを持つ犬 故鄉は寒い北極
10 自轉車代用に お手製のスキー 滋賀湖北地方の子供
11 廣告報社消息
第04頁
日刊第1版
序號 標題
01 寒空に銀翼を連ね 韶關、新豐等を猛爆 我高橋陸軍航空部隊頭條新聞

【◯◯基地十三日發同盟】我高橋陸軍航空部隊は我南支軍の前面に在る敵を擊滅する目的を以て三隊に分れ十三日折からの寒空に銀翼を連ねて敵の上空を襲ひ敵に猛烈な爆擊を敢行した、卽ち◯◯機の一隊は午前八時半遠く粵漢線の要衝韶關の上空を襲ひ敵の猛烈な防空砲火の中を潜り市內の諸軍事施設に巨彈の雨を降らせ北江河岸の敵舟艇を粉碎し軍用建築物三箇所に大火災を起さしめた又他の一隊は午前八時五十分新豐(英德東方七キロ)市外の諸部落に蝟集する敵の有力部隊を爆擊、第三隊は同十時四十分湯塘(英德南五十キロ)に集結しある敵を猛爆何れも多大の損害を與へて全機悠悠歸還した

02 海の荒鷲も大活躍
03 政務官の候補者 政友、民政、第一議員俱樂部
04 東久邇宮稔彥王殿下の 軍事參議官親補式 昨日首相侍立の下に擧行せらる
05 企畫案全貌明白 來週の閣議で決定
06 首相演說草稿を 十七日閣議に附議
07 部長級異動
08 初の興亞院會議 種種協議を遂ぐ
09 南支糖業開發を目的に 調查團を組織派遣 臺灣より技術者を選拔
10 池田、八代兩氏 大藏顧問任命
11 健康保健法の 改正案の要點 今議會提出に決定
12 武漢西南方の敵 反擊の實力を喪失
13 英伊會談は事實上 本格的討議を終了 意見一致に至らず
14 反共の運動熾烈化 蔣、今や危機の關頭に
15 バルセロナを距る 四十哩に肉薄す! フランコ軍活潑に進擊
16 紅槍會匪續續歸順 盛大な宣誓式を擧行
17 フア市を占領
18 渡中將に對し 敘勳の御沙汰
19 西藏人戰政府 壯丁を召集
20 昨年十二月北支方面の 討伐戰果
21 堀內駐米大使 ハル長官と懇談
22 獨、洪兩外相が會談 洪外相歸國後聯盟脫退
23 英ハ外相 佛大使と會見
24 國民參政會 二月末に召集
25 重慶の行營を 成都に移轉決定 四川を武力で改組か
26 支那側又逆宣傳 「葉挺、共產分子を糾合廣東潛入」ど
27 ソ聯不法越境 井上局長、ソ代 理大使に抗議
28 漢口佛祖界を 開放 俄かに明朗化
29 重要肥料の 貯藏地點設置 三百個所を選定
30 南風‧北風
31 本日の天氣
32 大阪商船臺灣出帆
33 近海郵船基隆出帆
34 辰馬汽船
35 大連汽船
36 廣告
第05頁
日刊第2版
序號 標題
01 社說 親族相續法の 設くべき特例 島民識者より 示された論斷社說

最近本島に於ける皇民化運動の急激なる進展に鑑み□多年の懸案たる民法の親族相續兩篇を本島人にも適用する機運に到達し、督府當局に於ては目下法令取調委員會をしてこれに關する法令案を起草せしめてゐるがこれは本島人の家族生活に關する直接の利害關係を有する重大問題であるから本社では先月來島民輿論の歸趨を確めて立法當局の參考に供したい為め、全島の本島人智識階級に向つて、その率直なる意見を聽取したるところ各地の識者諸賢より□示されたる別項發表の如き結果は取り直さず島民を代表する真摯なる輿論の一端であり、またやがては督府當局の立法上最も好い參考資料となるべきものと信ずるのみならず、且つ本島に理想的な親族相續制度の確立を切望する本社の企圖を實現せしむる上においても熱意ある協力を與へられたものである。

茲に全島識者百餘名の真實なる意見を綜合して見るに、親族篇においては(一)現存する妾は慣習に依り存置せしむるも、將來は法律上の妾を廢止するの可否との質問に對し殆ど全部がこれを廢止すべしと應答し、唯中に一名が後繼の實子を得んが為めの場合に限り存置してもいいといふだけである(二)現存する媳婦仔は之れを養女と見做し、將來は媳婦仔の制を廢し民法の養女の制に依らしむるの可否に對しこれも殆ど全部が可と應答したるも、唯中に一人が無產階級の結婚難に鑑み、聘金制度の全廢する迄の間だけは存置せしめたいといふのみに過ぎす(三)現存する招夫、招壻は慣習に依り存置せしむるも、將來は招夫、招壻の制を廢し、民法の入夫婚姻又は婿養子緣組の制に依らしむるの可否に對し、大多數はこれを可と主張し、唯僅か四名だけがこれを暫く存置すべしといふのみである。故に以上の三問に對し島民識者の意向としては別に特例を設くる必要なく、將來は何れも民法の規定に依らしむべしといふ結論に到達したことは明かである。

次に相續篇においては、(一)被相續人の直系卑屬たる男子なくして、女子ある場合に女子は當然相續人たることを得るものとするの可否に對しては、殆ど全部が可と答へられたが、唯一名のみが不賛成だといふだけであるから、これも問題ではない□茲に最も議論の存するところは(二)分頭相續制に修正を加ヘ戶主權を相續する長子に次子以下よりも多くの相續分を與ふるの可否、並に之を可とすれば相續財產の總額と長子の取得額との割合は幾何を相當とするかの問題である。今約百名中の意見を觀るに、從來の分頭相續說は僅か□名、また內地の長子相續說も僅か六名だけで、何れも探るに足らず、その中比較的多數を占めてゐる意見は第一、長子は次子以下の者の倍額、卽ち二人分に相當する額を與ふべしとする者一九名、第二、長子に財產總額の半分、卽ち二分の一を與ふべしとする者二九名、第三、長子に財產總額の三分の一を與ふべしとする者一三名との三說に歸着するものである。ここにこの三說を檢討するに、第一の二人分說は舊來の慣習上長孫額を認むる分頭相續時代と大差なく、本家の維持を必要とする家族制度の根抵に强固ならざる感じがするし、また第二の財產總額の半分を長子に與へてその殘りを長子も均分するとすれば、兄弟多數あつた場合には長子と次子以下の者との相續分に格段の差を生じ、長子相續制に近くいろいろな不公平が起る虞があると思はれる、茲に於てか第一の財產總額三分の一を長子に與へ、その殘りの財產を長子も加へて全體の兄弟で均分するといふ說は第一と第二との折衷を探るやうな比較的理想に近いと認めざるを得ないのである

上述の如く、數においてこそ多からざるも、質においては全島各地の中堅智識階級の代表的意見であるから、これを綜合して見るに、內臺の文化著しく接近しつつある今日の本島人間に於て、民法の親族相續兩篇を適用するには、唯長子相續を加味した分頭相續の折衷制を特例として認むる必要あるの外□現存の事實處置に對する過渡的特例を認むるは別問題として、將來においては殆んど認むべき重要なる特例を見出さないといふ論斷を下し得るのである、これを督府當局に有力なる立法資料として提供し□一日も早く島民の總意に合致する理想的な親族相續制度を確立せられむことを切望して巳まないのである。

02 臺北州の來年度豫算 總額六百九十餘萬圓 主なる新規事業
03 皇后陛下きのふ 御着帶の御儀
04 本社の質疑に對し 識者は斯く答へる 親族相續兩篇實施に伴ふ舊慣の存否如何報社消息
05 學齡兒童全部を收容 豫算篇成方針鈴木內務部長談
06 本島產の代用資源 代用品展‧異彩を放つ
07 森岡總務長官が 南支派遣軍を慰問
08 領袖等笛吹けど 華僑踊らず 還債運動は不首尾
09 森岡總務長官 けふ上京
10 樹林信用組合 金利引下げ斷行
11 庶民金融の 要望が熾烈 香港丸入港 廈門視察の田邊氏談
12 平田部隊の勇士 晴れの歸還
13 庄長の異動
14 定期航空
15 蓬萊丸無電
16 七星郡聯合唱歌會
17 北署武道始式
18 人事‧消息報社消息
19 ときのこえ
20 廣告
第06頁
日刊第3版
序號 標題
01 日本米穀會社案 今議會提出を絕望 營業權賠償贊成せずぼ 議會通過の見込立たず
02 專賣收入が躍進 七千萬圓に肉薄 十四年度の歲入豫想
03 バカスの增產で 製糖用炭激減 關係業者の注目を集む
04 新一期蓬萊米 島內取引遲れる 長期で見送り人氣
05 島米の輸移出旺盛 時糧政策に貢献 十三年度に千百萬袋を突破 滿支新市場を開拓
06 砂糖移出數量 廿六萬二千擔 十一月中の統計
07 炭業組合愈よ 機構改善に邁進 總會に新規約を附議
08 世界經濟及び(下) 景氣の現地位/金原賢之助
09 局營パス 十二月營業成績
10 照明燈
11 市價及商況 十三日
12 廣告
第07頁
日刊第4版
序號 標題
01 ラヂオ
02 舞臺劇 元祿忠臣藏 (真山青果作、嚴谷參一脚色) 播州赤穗苅屋城內大廣間)
03 コドモの時间 傳說 童話劇、文福茶釜/臺北童話クラブ
04 料理献立/柳原保案
05 晝間娛樂時間 浪花節、花嫁人形(中田比良夫作)/梅原秀夫
06 歌謠曲/上原敏;青葉笙子
07 國民歌謠 「日の出島」
08 大船映畫、深田修造監督 第一線の人人 十四日よりタイゲキ
09 デイアナ‧ダアビンの アヴエ‧マリア けふより國際館で
10 廣告
第08頁
日刊第5版
序號 標題
01 歸還軍夫を迎へて 盛大に歡迎會開催 參會者二百餘名に上る
02 宜蘭の圖書館週間
03 玉里信組總代會 けふ組合會議室にて
04 圖像:東京救難所地鎮祭
05 豫算編成打合會
06 麻豆產組總代決定
07 農業教育研究會 臺中州主催‧北斗公にて
08 諸費用を節約献金 民雄庄吏員の美擧
09 埔里青年團 の柔道始め
10 北斗雜貨商組合 時代の波に乘って誕生 けふ晴れの創立總會
11 自動車事故
12 今年活躍する(下) 女流選手達/高畠修三
13 圖像:山田中支最高指揮官及川司令長官を訪問
14 彰化肥料商同業會 役員會を開催
15 善化庄の流腦禍 慘!一家三人死亡
16 農事打合會 彰化市會議室で
17 彰化警察署 武道始め式
18 快官婦人講習會 修了式を擧行
19 ローカル セクション
20 旗山郡の警官異動
21 春に背いて 人妻の自殺
22 青物相場表/臺北市中央市場
23 廣告
第09頁
日刊第6版
序號 標題
01 卯歲生れの名流/森住克堂
02 空中戰の射擊 練習に寫真の應用
03 子供飛行機 長距離記錄を破る
04 撮影の照明に 新電球を考案
05 地上に於ける 成層圈
06 米陸軍の 新銳戰鬪機
07 靴下の惱み
08 廣告
第10頁
日刊第7版
序號 標題
01 梧棲築港に備へて 臺中の商議所動く あす臨時議員總會開催
02 臺中州の金買上げ 八百萬圓に達す 舊年末まての推定金額
03 初年兵晴の入隊式 きのふ岡本部隊營庭で
04 北京遊覽誌 旅行者のために 八/陳逢源海外遊記

輪奐の美を競ふ萬壽山頤和園

水晶の如く、真珠の如く澄み透つた秋のある日、私は李□南君の案內で萬壽山を見物□る事とたつた。自動車が警戒頗る嚴重な西□門より出て大きい楊柳の並木の平平坦坦たるアスフアルト道路を西北に向つて走れば間もなく海甸といふ田舍町に着く。そこの出端れから左窓を透して西山の麓に驚嘆に値する巨大な殿閣を見るであらう。それが卽ち有名な萬壽山なのである車は暫くして丁字形に分かれた箇□に達し、此□から右へ行けば義和團事件の時英佛聯合軍に燒拂はれた圓明園の跡とか、清華大學、燕京大學等へ出るし、左折すれば一直線に目的地につくのである。

萬壽山は初め好山園と呼ばれ乾隆十五年清漪園と改稱されたが、光緖十四年西太后が海軍擴張費を流用して此處を大規模に改修してからは今の名前、卽ち萬壽山頤和園となつたのだ。

正門は東宮門といつて前に一對の堂堂たる雌雄の銅製獅子があり、境內に入れば西太后垂簾聽政の跡たる仁壽殿がある。其の南には元の世祖忽必烈を輔けて統一の大業を遂げしめた耶律楚材の墓があり墓前には乾隆帝御製の碑文が建てられてゐる。仁壽殿の北が德和園で、園內にある三層の大殿堂は恐らく支那最大の大舞臺であらう。仁壽殿の西北にある玉瀾堂は光緖帝の便殿で、光緖二十四年康有為の戊戌政變に因んで西太后のため一時幽閉された所で□今殘つてゐる兩廡內の煉瓦壁は當時外部との交通を杜絕するために設けられたものである。帝は後になつて此處から南海の瀛臺に移され不遇の一生を終らせられたのであつた。

× × ×

私は玉瀾堂前の昆明湖畔で李君夫婦と紀念寫真を撮り□そこから瀲灧たる湖光を眺めれば、右手にはこれから訪ねようとする排雲殿だの、佛香閣だの、さうした金碧の五彩を施した建築群が恰かも龍宮の如く浮んで來る。私は故宮を見て多少失望したが、此處だけは何人と雖も其の輪奐の美しさに驚かない者は少ないであらう。

更に石欄に沿ふて北行すると西太后の便殿たる樂壽堂に辿り着く。堂前の內庭に蘿葛で封ぜられた巨大な石が据つてゐる。此の泰山石が乾隆帝南巡の歸途に携へて來たもので、交通不便の時代に何うしてかかる巨石を運んで來るかと不思議でならない。堂內は洋漢折衷式で調度され、西の□室が西太后の寢室であつたが□大して贅澤だとは思はなかつた。

此處から西へ行けば有名な萬壽山の長廊だ。長さは二千尺以上に達し、右は山麓、左は湖畔に沿ふて東から西にかけて木立の間を縫つてゐる所は他に見られない光景であらう。卽ち東は樂壽堂より起り□排雲殿を中心として、西の石丈堂に終り、其の間東の廊下には留佳亭、對鷗舫、寄瀾亭、西の廊下には清遙亭、魚藻軒、秋水亭といつて各各二つの亭の間に一つの軒を挾んで附屬的に建つてゐる。而も此の長い長い廊下の梁欄とも、濃厚な彩色を施して花鳥山水を描いた一事だけでも大變な仕事だ。西太后の豪華振りは唯、唯驚く外はない。

× × ×

長廊の中央に位する排雲殿の前には湖水に臨んで大牌樓があり、排雲門內には東に玉華、芳輝、西に雲錦、紫霄の四つの殿堂が相對し、正面が卽ち排雲殿だ□排雲門から上の殿堂及び附屬建築はすべて山麓より山腹へ卽ち低きより高きへかけて建てられた綜合的一大群は一大豪華版を展開してゐるといつていい排雲殿の背後には德輝殿があり更に左右數十級の石階を登つて行けば、佛香閣に達する。此の佛香閣こそはよく萬壽山の口繪として寫された上下三層の六角形の巨大な樓閣で□其金頂が天際に高く聳え、中には法身丈餘の接引佛を祀つてゐる。其の西にある寶雲閣は約五米四方の小亭であるが、建物の全體は凡て銅を以て造られ、熱河離宮の銅亭と共に他に見られないもので曾てはラマ僧の讀經する塲所である。

西廊の右手の樹林の間に聽鸝舘があり、中には□層の戱臺がある。德和園の大舞臺と此處の小舞臺の二つを設けた所を見れば、清室は如何に劇狂振りを發揮したか解るのである。石丈亭で長廊から離れて寄瀾堂より萬壽山の石船として有名な清晏舫につづく。此處は大理石で造つたかの如く思はれてゐるが、實は船の形をした土臺だけが石で、樓は木造である。現在そこに於て一般遊人の食堂を經營してゐる。

× × ×

舫上に立てば右側の長堤には清秀な楊柳の並木がどこ迄もつづき、深碧を湛へた美しき湖水が一面に見渡され、西の方には玉泉山上の塔が夢の如く浮んでゐる眺めは何んともいへない、此の昆明湖は人工で造つた大きい池だと思へば、封建時代の帝王が如何に自己の享樂のために無限な勞力を動員したかを知り得るのである。

此處から舟を雇ふて南湖にある小さい島に上陸し、涵虛堂とか、月波樓とか、鑑遠堂等を大急ぎで一瞥し、畵の如き十七孔樓を渡れば半日以上もかかつたが、まだ見るべき個所が澤山殘り先づ此の程度で割愛する外なき位に實に贅を盡したものだ、

私は其の後或る友人に若し西太后が海軍擴充費を以て真面目に軍艦を造つたら、恐らく日本海軍に打ち沈められたらうが、萬壽山を經營したので我我は今でも一つのよき清遊の地を得たではないかと力說した事は決して西太后のために辯ずるのではない、結果から見て却つてよかつた事は誰しも之を首肯するであらう。【寫真は輪奐の美を盡した長廊】

05 竹崎の愛婦 解散の記念に献金
06 白藤伍長遺骨 內地へ無言の凱旋
07 臺中州州會 來る廿五日開く
08 高雄の新競馬場 秋競馬を期して開場
09 彰銀株主總會 來る廿七日開催
10 田中二等兵 名譽の戰病死
11 新しい優勝額見上げて六人目の双葉ニツコリ
12 極東新情勢と 米國の態度(下)/木下半治
13 圖書館座談會 明十五日に開催
14 屑物の回收愈よ 統制ある活動へ 當局の肝煎りで臺南資源會社 あす晴れの創立總會
15 米管講話會
16 彰化市產組 總代會日割
17 產駒品評會 吉野小學校に於て
18 叺製造業者簇出 臺南州當局指導に乘出
19 消防機關の整理に 座談會を開催 けふ昭和記念館に於て
20 圖書館週間 高雄市の行事
21 ハイヤど貨車衝突
22 幸運の當籤者
23 現金百餘圓入の 手提鞄盜まる 高雄堀江小にて
24 彰化郡農會譯員 當選者の氏名
25 公業派下申請催告/斗六街役場
26 廣告報社消息
第11頁
日刊第8版
序號 標題
01 暴風雨の女(106)/岡田三郎;三浦杏介
02 隨想 臺灣女性への公開狀 (上)/梧葉生
03 川霧(一)/武田麟太郎
04 龍骨車 百%の大轉回 新しい目的に向って
05 圖像:スエーデン皇帝陛下 ノーベル賞御自ら授與
06 學藝消息
07 ドイツ語の招 待狀
08 心聲漢詩

祝廷植夫子七秩壽慶/張揚善、祝廷植夫子七秩壽慶 其二/張揚善、同可亭芸兄登祝山/王獎卿、偕可兄宿鹿林山莊/王獎卿

09 廣告
第12頁
夕刊第1版
序號 標題
01 東亞を一單位として 航空、海運を整備擴充 鹽野遞相西下車中談
02 滿、ソ懸案の個個解決 更に一步前進を示す
03 東歐、バルカン諸國 柏林羅馬樞軸に接近
04 天皇陛下には けふ葉山に行幸
05 洪の防共參加は 當然の理論發展
06 司法省異動
07 馬山東省長辭任 後任は唐氏
08 圖像:新舊總監事務引繼ぎ
09 平沼首相西下
10 厚生辭令
11 漢口佛祖界明朗化 不逞分子隱れる家なし
12 國府又泣きつく 「援助するなら今が最好時機」ど 外交部某要人の談話
13 金口木舌/林正享
14 諸將領の活動頻繁 五中全會を控へ
15 國共一派に屈するな 救國の為め飽迄初志貫徹せよ 武漢治維會激勵電を發す
16 武漢に新政權實現 陽春の四、五月頃に
17 未曾有の國防費 米議會で激論あらん
18 滿支初等教員養成科を 十師範學校に設置
19 二年間に 陸軍機三千臺 米政府、民間から購入
20 佐藤軍醫少佐 壯烈な戰死
21 滿業、增資を 考慮中
22 明日の天氣
23 總動員(39)/長田秀雄;夏目醇
24 廣告
第01頁
夕刊第2版
序號 標題
01 愈愈油が乘って來た 臺農義勇團の活躍 近く分農場も設置
02 精神的聲援を乞ふ 歸臺した‧熊澤團長語る
03 米穀販賣會社 內地で出來ねぼ 獨自の機關を造る 森岡長官車中談
04 學校及青年團の 生產物品評會 きのふ褒賞授與式
05 小林總督が 奉伺電報
06 入場者九千名 きのふの代用品展
07 金瓜石の華僑 新民公會を組織
08 鄉軍宜蘭分會 廿九日に總會開催
09 國策線に沿うで 產めよ‧殖せよ! 結婚獎勵金制度を立案し 厚生省、人口增加に力瘤
10 教育演習會 十四日北二女にて
11 石本部隊の英靈 けふ無言の凱旋 將校集會所に安置
12 全島蹴球選手權大會 廿八、九日北二中て
13 淡水線で汽動 車を臨時增發 十五日から
14 中支の電話工事 復舊目覺し
15 高千穗丸出帆
16 燃料の一大研究所 千葉縣稻毛に建設す
17 香港丸廈門へ
18 運轉手、車掌募集
19 四日目取組
20 今晚の放送
21 商況 十四日前場
22 今日の興行
23 廣告
第02頁
夕刊第3版
序號 標題
01 日本の母(22)/新述節;瀧伸二
02 家庭婦人 今年の家計生活(上) 節約を表面に振りかざさず 主婦の狙ひどころを變へよ/氏家壽子
03 疲れた眸の 十分間美眼法/小幡惠津子
04 好みの香や色を使ひ 家庭で作れる化粧品 化粧水、クリーム、ポマード等
05 糧友會指導 買ふより作れの食料品(三) 入手のいらぬ「豆もやし」 冬季の營養補ふに最適
06 圖像:愛育醫院開く(兒童の體位向上を目指して)(五)
07 汚れた肩掛けの 手入にこの通り 布質で方法も異る
08 眼鏡のレンズの磨き方
09 紙上病院
10 揭示板
11 國策落語コント 貯蓄
12 廣告
第03頁
夕刊第4版
序號 標題
01 とても勇ましい 蒙古地方の狼狩 每年羊一萬頭喰殺さる 新春早早に行ふ
02 圖像:兔と兵隊
03 戰勝の春に因む 正月の樂み(下)/杉浦基史郎
04 人體の不可思議 血液の循環の話(十二)/折井英治
05 王樣鱒が出現 一匹六十三斤 烏山頭貯水池で捕へらる
06 是こそ一石二鳥 萞麻蠶を大飼養 南投郡で計畫中
07 大日本海洋少年團南洋へ
08 學校の給仕を しながらお勉強 感心な正子さん
09 天晴れ少女劍士 十三歲で劍道三級
10 廣告報社消息
第04頁
日刊第1版
序號 標題
01 滿洲大量農業移民の 根本的再檢討を行ふ 昨日首相官邸で移民會議頭條新聞

【東京十四日發同盟】東亞協同體結成を目指して滿洲大量農業移民の根本的再檢討を為すべき移民會議は十四日午前九時四十分から首相官邸に於て開催日本側より板垣對滿事務局總裁八田拓相原對滿事務局次長各省次官安井拓務局長滿洲國側からは星野總務長官岸產業部次長片倉關東軍參謀其他關係官約五十名出席原對滿事務局次長の開會の挨拶に次で星野總務長官から滿洲國に於いて移民國策案作製に至つた經過につき別項の如き全般的な說明を行ひ續いて片倉中佐から過般新京會議に於いて決定を見た移民國策の各具體的項目につき補足的說明を行つたこれに對し各省次官から種種質疑があつて後安井拓務局長から本案の今後の取扱方につき拓務省としては來る三月中に事務的硏究を完了四月東京に再び移民會議を招集して更に滿洲國側の意見を徵した上日本朝野の各專門家を總動員して移民國策の綜合檢討を行つた上八月までにその大綱を決定する方針である旨を述べ午後零時三十分散會した

星野總務長官說明要旨

移民國策を全般に亘つて再檢討した理由は現下の新事態に於いて滿洲國が東亞協同體の據點的意義を確立することが必要であり又滿洲國が民族協和の協同體國家なることを明確に實現することが必要であるに依る而してこの二方針實現の為めには日本移民の大量的移動とその移民に對する諸般の施設及び組織をこの二方針に順應して整備する必要があるので滿洲國の全能力を擧げて先般新京に於いて作製した本案の內容を決定するに當り第一に取上げたことは本移民國策を實現する為めには第一には日滿兩國に於いて各各責任の分野を明確にすること第二には日本よりの移民の滿洲國內に於ける地位を明確にすこと第三には本移民國策を取扱ふ諸般の機構を擴大充實することである最後に日本との關係に於いて夫夫の責任分野を明かにして事務の遂行に當つて經費の負擔を兩國間に均等にすることに特に考慮を拂つた

尚右に對する質問として文部省側から各種の移民に對して夫夫適當な敎育を施す方針であるがこれに對する現地側の希望はないか大藏省側より滿洲國の農業擴充計畫と北支方面よりの支那人移民の導入に關して遞信省より全的に見て日滿兩國政府の中央機關の連絡は良いが移民國產遂行に當つて可及事務當局の連絡を特に注意する必要はないか等の質問がありこれに對し片倉中佐より夫夫應答があつた

02 圖像:石渡藏相伊勢に奉告參拜
03 近衛樞相と議會關係 近衛、前田兩相が重要會談 意見の一致を見る
04 海軍機南支で大活躍
05 萬縣に巨彈
06 長驅肇慶を急襲 敵密集部隊に爆彈の雨
07 汪の意見尊重せよ 華僑有力者張永福黨部等へ打電
08 防共協定こそは 最重大の政治的存在
09 日、洪兩國の國交 愈よ緊密化せん
10 日、獨、伊三國公使 洪國外相を訪問
11 日本研究頗る盛ん 防共協定參加の洪國
12 所謂黃山談話の內容 某中央委員の談話
13 英伊會談失敗後の 歐洲情勢の展望 フランス側の見解
14 伊紙筆を揃ヘて 對佛敵意を煽る
15 興銀の貸出殘高 十一億圓を突破
16 ソマリーランド國境に 伊軍隊續續集結 ロイター通信の報道
17 黨籍除却で一段落 汪精衛に對する處分
18 新中國建設邁進 民眾大會を開催 十五、十七兩日武漢で
19 汪精衛を速かに 歐洲に遊ぼせ 蔣、宋子文を河內に派遣
20 生糸最高價格 政府原案通り決定
21 萬華信組總會 三十分で終了
22 部長級の異動 內定
23 大成丸、進德丸 遠洋航海の途へ
24 本日の天氣
25 大阪商船臺灣出帆
26 近海郵船基隆出帆
27 辰馬汽船
28 大連汽船
29 廣告
第05頁
日刊第2版
序號 標題
01 社說 臺灣青年の 就職問題社說

島內に於ける教育の普及が近年來特に長足の進步を來し、それがため本島人の青年は島內の學校に止まらず遙遙內地に於ける專門學校以上の教育を受ける者も增加しつつある事は聖代治蹟の一指標として誠に喜ぶべき現象なのである。併し最近となつて殊にかかる專門學校の卒業生が著しく增加するに反し、却つて高等遊民の養成に終るが如き事態を惹起しつつある事も否定すべからざる事實である。

一面輓近島內に於ける農工業の劃期的躍進に伴ひ勞働力の拂底が各方面に愈よ深刻の度を加へ、現に日鑛金瓜石鑛山の如きは數千人の支那勞働者を移住して之を使用せねばならぬ跛行的事實は決して健全な狀態とはいへないのである、勿論本島人經營の大規模な事業が極めて寥寥であるが故に、彼等を充分に收容する機會を與へなかつた事も一つの有力原因ではあるが、とにかく折角莫大な費用を傾けながら失業者の製造に成りつつあるが如きは甚だ好ましからざる現象ではなからうか。

幸に高等程度以上の教育を受けた子弟の家庭の多くは比較的に餘裕があつた為め、所謂家族主義の美點を發揮して彼等の生活に關しては未だ差したる窮迫を生じてゐないようだ、だが假りに衣食の道がついても政府が折角巨額な教育費を投じたにも拘はらず、其の結果彼等の修めた貴重な智識を運用する事が出來ない事は、人的資源の要素を無視した不經濟極まる話ではないか。中には窮すれば通ずるので支那で手際よく機會を摑んで最近相當な地位を獲得した人士がなきにしもあらざれど、かくの如きは固より九牛一毛の解決方法しかないのである。

申す迄もなく青年インテリ階級の失業は最も早く其の意氣をして沮喪ならしめ、遂には社會國家に對して謂れなき不平を釀す原因となつた事は過去幾多の事例によつて之を證明する事が出來る。それ故此の問題は決してしかく過少評價をなすべきものではない從つて此の問題の解決はどれだけ臺灣の天地を明朗化ならしめるかは今更ら喋喋するまでもない事柄だ。臺灣當局として皇民化徹底の立場からも此の問題を取上げる必要があり、折角畫龍點睛を缺かざるよう特に深甚な考慮を拂はれん事を望まざるを得ない。

時恰かも帝國としては東亞永遠の平和確立のため支那大陸經營の聖業に乘り出さうとしてゐる最中であるから、かかる人的資源の活用は決して左樣に困難な事ではなからうかと考へられる。殊に帝國の臺灣經營は南支經營のスタート・ポイントとして益益其の重要性を加へつつある今日に於て本島人材登用問題の如何は其の影響するところ昔日の比ではないのであるから、此の際臺灣官民は世界に誇るベき產業的、文化的施設と相並行して此の問題を根本的に再檢討し以て一日も早く其の對策を講究すべき重要事項であると我等は堅く信ずるのである。

02 日本の空爆は正確 警報より爆彈の方が先き 皇軍の廣東入城前支那側の對空感想
03 郵貯四十四億突破 銃後の意氣を如實に發揮
04 白衣の勇士歸還 兒玉軍司令官以下 官民に迎へられて
05 教育演習會 國語演習と青年訓練
06 宜蘭街各町の 振興會役員會
07 滿洲移民事業に 文藝家の協力要望 拓務省‧墾話會を結成
08 基隆市履物商 組合創立總會
09 南支地方誌展 和漢の珍籍三千餘冊を 府圖書館で開く
10 蓬萊丸入港 加藤外事部長歸臺
11 河合教授の四著書 出版法違反として 一件書類を送局
12 行方不明の船員 死體どなって現る
13 東西兩軍に分れ 拂曉、攻防戰を展開 鄉軍新竹州分會の演習
14 小澤事務官 興亞院入り 近く正式發令
15 購入コンドル機五臺 獨逸から堂堂空、輸
16 澁谷新橋間の 高速度地下鐵 けふから全線開通
17 入場者一萬五千 白衣の勇士が參觀 大人り滿員の代用品展
18 北三中道場 開き 作日盛大に擧行
19 熱球と肉彈戰 全島選拔ラグビー大會
20 ハワイから 慰問品千人袋 保護院に献納
21 三日目勝負
22 上原歌手一行 きのふ來臺報社消息
23 人事‧消息
24 ときのこえ
25 今日の興行
26 廣告
第06頁
日刊第3版
序號 標題
01 新電源の開發に 五個年計畫を樹つ 資金は株式、社債の兩建主義 臺電臨時總會に於ける松木社長の挨拶
02 我が經濟力の持久性/津島壽一
03 飼料配給統制に 殖產局が乘出す 豆粕と麬を對象に 臺灣畜產興業を利用
04 臺電臨時總會 原案通り可決
05 平和產業は將來 綿業を中心に/庄司乙吉
06 日曹鑛業愈よ 島內で鑛區を買收 石炭採掘計畫具體化
07 南日本化學工業 日曹近く臺灣に設立
08 石灰石加工會社 株式一部を開放 來月中に一般公募
09 臺灣肥料組合が 定期總會を開催 山下氏組合長に當選
10 店員表彰式 きのふ擧行さる
11 高雄市の 本期取扱高
12 市價及商況 十四日
13 照明燈
14 廣告
第07頁
日刊第4版
序號 標題
01 ラヂオ
02 支那事變回顧の午後
03 夕方の音樂 (レコード演奏)
04 子供時間 搖籃の歌の思ひ出(宇野浩 二原作西村音一脚色)/山本禮三郎
05 料理献立/柳原保案
06 愛馬進軍歌 發表演奏會
07 東西寄席中繼 漫才(大阪北新地花月俱樂部 より中繼) わらわし慰問日記/玉松一郎
08 東寶映畫浪人吹雪
09 圖像:春の景氣は兩國から
10 廣告
第08頁
日刊第5版
序號 標題
01 軍夫山本國男君 名譽の戰傷死を遂ぐ 將來を囑望さるる青年
02 小公學校長會議 桃園郡會議室で開催
03 映畫教育研究會 來る十八日鹿港女公で
04 州音樂會の豫選會
05 正廳を教室に 國語普及に邁進 旗山許保正の美擧
06 臺南州新年度豫算 編成方針と新規事業
07 藤黑朴子街長 の還曆祝ひ
08 新高郡警察課 の定期召集
09 社會時評 昨年度の回顧 深まりゅく事變色(下)/河上徹太郎
10 ニセ刑事と女給 お手手っないで逃亡 押へられて豚箱入り
11 豚の畸形兒 人に似てるとて 見物人押しかく
12 東石郡の武道始め
13 ローカル セクション
14 旗山の火事
15 青物相場表/臺北市中央市場
16 廣告
第09頁
日刊第6版
序號 標題
01 國民精神總動員 圖書館週間に際して/山中樵
02 漢籍六十萬冊 皇軍協力兵火から護る 是ぞ聖戰の戰果
03 遞八回圖書館週間 良書百選/臺灣總督府圖書舘
04 童謠雜誌 「ねむの木」 創刊號發行
05 廣告
第10頁
日刊第7版
序號 標題
01 學校少年少女團の 研究發表會を開催 きのふ臺南是商業專修にて
02 阿里山の献穀畑 盛大に地鎮播種祭擧行
03 臺中州保育研究會 來月四日教化會館にて
04 圖像:リユシコフ大將記者團と會見
05 土井大尉以下の 遺骨無言の凱旋
06 共學の門戶は 事實上の封鎖 高雄各小學の奇怪な態度
07 北京遊覽誌 旅行者のために 九/陳逢源海外遊記

西北郊外の玉泉山其の他

北京の西北郊一帶はピクニツクの好適地で□有名な萬壽山は旣に述べたが、そこへ行く途中西直門外にある天然博物院はもと三貝子花園又は萬牲園と稱せられ、西太后及び光緖帝が時折此處に立ち寄られた所である。現在は動物園兼農事試驗塲に充てられたが、園內には二つの蓮池を中心として小壕が縱橫に走り其の間築山とか、小亭とか、高い槐や楡や柳等の樹木が點綴してゐるので寧ろ氣持のいい遊園地といつた方が相應はしい。勿論試驗塲の事であるから、桑畑、棉畑、菜圃等があり、桑畑楓林、葡萄園もあつて頗る田園風趣に富んでゐる。西太后及び光緖帝の便殿だつた暢觀樓は西洋式の二階建でベツドだの、机や椅子だの□絨毯だの、特に眼に着くのは金の龍を刺綉した蒲團等も其儘一般觀覽に供してゐる。蓮池の中にある小さい島には日本式の茶亭もあつたが、今では荒廢の儘で少しも手入れされてゐない。

× × ×

玉泉山は萬壽山の西にあり、金の時代に於ける芙蓉殿の跡であつたが、清康熙十九年に靜明園を設けられた所である□正門に入れば勤政殿があり□青苔の小徑を辿つて行けば滾滾として清水の沸き出づる大きい池には玉泉の名に負かない青翡翠の色を湛へてゐる。石崖には乾隆帝の御筆に成る「天下第一泉」の石碑がある。此の泉は昆明湖に注ぎ、遠く北京城中の十刹海及び三海並びに紫禁城を繞る御溝の水源となつてゐるから、如何に豐富な水量であるかが解る。麓は樹木が頗る繁茂してゐるに反し、山そのものは全くの禿山である。それを攀ぢ上れば赤い建物がいくつもあるが□現在は凡てガラ空で夏の暑い時節に貸間に供せられてゐるさうだ。頂上の玉峰塔は高さ十丈に滿たざるひよろひよろした白い塔で、眼のあたりで見るよりか寧ろ萬壽山の方面から眺めるべく設計されたものらしい。併し山の上から見渡せば北には西山一帶の峰巒を控へ□南方には遠く北京城外の平原を展望し、近くには萬壽山昆明湖を瞰下する事が出來る北峰に妙高塔があり□山後に瑠璃塔があるから西洋人では塔の山と稱してゐる。燕京八景の一たる玉泉垂虹は泉水が虹の如く垂れてゐる事をいつてゐるとの事である。

× × ×

北京城內から萬壽山、玉泉山を經て香山までにはバスの便がある。香山は西山の一支脈で私の行つた日が丁度晚秋の陰曆九月九日の重陽節に當つたといつて郭柏川君と一しよにワザワザ頂きまで攀ぢ上つた。紅葉は旣に盛りを過ぎたが、尚眼を娛しむるに充分だつた。香山の後には八大處といつて長安寺、其の他八つの寺を總稱したものであるが、私共はかうした寺を一一巡る餘裕はない。

郭君は其の附近で寫生するといつたから私は獨り驢馬を雇ふてチリンチリンと先づ香山の東麓にある碧雲寺を訪れる。此の寺は元代の創設したもので、殿前には石を穿つた深い池があつて清冽な水を沸出してゐる殿內には五百八尊の羅漢を祀つてゐる事と大理石で築かれた印度風の金剛寶塔が特色なので、塔の頂上には孫中山の衣冠塚となつてゐる。卽ち孫中山が北京で逝つてより其の遺柩を此處に停められたため俄に有名になつた寺だ寺の左右及び背後とも西山の峯巒を以て抱かれ、寺門から段段高くなつて行く許りでなく、樹木もよく繁茂してゐるから、なかなか幽邃ないい所である。

× × ×

それから私は更に驢馬に乘つてうねうねした細い道を北の方ヘテクテクと辿つて行けば目指す所の臥佛寺につく。此寺は唐時代に草創され、後殿に安置された長さ二丈餘の臥佛は元の英宗時代に五十萬斤の銅を以て鑄込められたものである。前殿に植えられてゐる巨大な沙羅双樹は開基の當初遙遙西藏より運ばれ、旣に一千數百年を閱みした老木であるといふ。

僅かな日程しかないから西山方面の探勝はこれ位で打切り、尚北京として見物すべき名勝としては黃寺、東嶽廟等少なくないが、私はそれ等を實見しなかつたし、又大體に於てこれ迄巡回して來た個所だけで普通の旅客としては充分だと思はれる。尤も正陽門內の附近にある各國公使舘區域たる東交民巷は車だけでいいから一廻りすべき所であり、時間さへ許せば北京の東南郊外の永定河に架けられた日支事變で有名となつた蘆溝橋、卽ちマルコポーロ橋を一瞥する必要はあらうが、北京名勝の紹介はこれで筆を擱きたい。(寫真は萬壽山より玉泉山の遠望)

08 共學條件の具備者 そう澤山は居るまい 藤本市教育課長談
09 米管講話會
10 屏東秋競馬 きのふ華華しく開幕
11 嚴選に異存なし 楊金虎氏語る
12 長期建設に呼應し 國精の主旨を徹底 花蓮港廳來月中に參與會
13 模範腦丁の子女 一度に四人殺さる 能高郡蕃地の慘事
14 國婦大屯分會の 班旗授與式 きのふ郡會議室に於て
15 バナナ輸移出 十二月中は增加
16 嘉義市の流腦 真性と決定さる
17 臺中州下產組 總會日割決定
18 瑞典の防空 列車
19 消息報社消息
20 彰化肥料商同業會
21 廣告
第11頁
日刊第8版
序號 標題
01 暴風雨の女(107)/岡田三郎;三浦杏介
02 隨想 臺灣女性への公開狀 (中)/梧葉生
03 川霧(二)/武田麟太郎
04 龍骨車 人を喰った作家 ルイスの俳優組合加入
05 圖像:頌春譜(二)/佐佐木信綱
06 「馬上の水夫」と ジャツク‧ロンドの生涯
07 心聲漢詩

謹和文樞夫子病中雜感瑤韵/鄭指薪

08 家庭医學 便祕百害 胃腸、神經系、循環器、泌尿器 等に及ぽされる便秘の害
09 赤ちゃんの胃腸病
10 便通をつける藥劑 最も安全で効果の多い 微生物劑
11 療養實話 運動の不規則から 胃酸過多と便秘/福永いし子
12 わか吉をと子 皇軍慰問/北園龍二
第12頁
日刊第1版
序號 標題
01 花縣を包圍、攻擊前進 廣東軍殘敵の掃滅へ 敵早くも西北に退却頭條新聞

【廣東十五日發同盟】廣東北方流溪水右岸地區に在つて蠢動を續けてゐた廣東軍の殘敵を一擧に掃滅すべく十四日一齊に行動を起し流溪水の線に攻擊準備を整へつつあつた宮田、宮崎、古賀、乾の各部隊は十五日早朝を期し陸の荒鷲高橋部隊の空からの協力の下に敵の根據地花縣に向つて包圍態勢を以て攻擊前進を開始午前八時三十分宮崎部隊は早くも龍口庄附近に在りし百餘の敵を攻擊第百八十七師に屬する敵の大部分を殲滅し他の諸部隊も勇躍前進午前九時半頃には東北、東、南方の三方より花縣へ約六キロの地點に迫り同附近一帶の敵に猛攻擊を加へるや花縣の敵は早くも西北方に退却を開始した、我地上部隊の猛擊に敵が退却しはじめるや高橋部隊の荒鷲○○機は機を逸せず空中より猛烈な爆擊とともに果敢な地上掃射を浴せ折から快晴に惠まれた嶺南の沃野に空陸相呼應せる我軍の猛烈な大進擊戰が展開され同午前十一時頃には各地上部隊は一齊に前進して花縣を指呼の間に望み彼我の銃聲は尚殷殷として南支の天地を搖してゐる。

02 廣西省獨立の氣運 南支抗日戰線ブロツク崩壞
03 圖像:文相六帝大總長と會見
04 潼關に空陸の巨彈 敵陣は大打擊を受け狼狽
05 防空の施設に 重慶政府が躍起 我猛擊に多大の脅威
06 聯合委員會第三次會議 二十四日北京事務所で開催
07 東京バラオ間 定期航空路
08 商工行政上の重點 八田商相西下車中で語る
09 英の對日申入公文 外務省その全文を發表
10 農、山、漁村の 總力を發揮 櫻內農相の車中談
11 蔣は共產黨のとりこ 汪の聲明は全く和平論を代辯 曹班亭意見を發表
12 國府、南華日報の 郵便取扱を禁止
13 我當局、さして 意には介せず
14 世界產糖豫想
15 纖維配給協議會 十八日創立總會を開く
16 南拓、倍額に 增資せん
17 官制改正に伴ふ 異動發令さる 陸軍省發表
18 南風‧北風
19 けふの天氣
20 大阪商船臺灣出帆
21 近海郵船基隆出帆
22 辰馬汽船
23 大連汽船
24 廣告
第01頁
日刊第2版
序號 標題
01 全國の市區町村に 「銃後奉公會」を結成 軍事援護事業を強化
02 全國の市區町村に 「銃後奉公會」を結成 軍事援護事業を強化
03 圖像:東寺の宮中後七日御修法
04 昇る鑛脈探查熱! 國立公園の一部を解放 鑛山局、便宜を與ふ
05 臨時政府要人に(二) 物を聽く座談會 日本への注文
06 全庄を擧げ歡迎 北埔、峨眉の兩庄民
07 代用品展は超滿員 きのふの入場者二萬
08 靜波丸入港
09 州下一の折紙 衛生模範部落新庄子の施設
10 基隆海外渡行協會 きのふ華華しく發會
11 宜蘭郡下に 聯合青年團 各街庄にも夫夫設置
12 白衣の勇士歸還 けふ午後二時廿四分臺北驛着
13 白衣の勇士歸還 けふ午後二時廿四分臺北驛着
14 臺灣映畫會社 きのふ創立總會
15 華僑新民公會 金瓜石で盛大な發會式
16 農會議員改選 來る二十五日實施
17 全臺灣OB庭球大會 きのふ臺南竹園コートで
18 廣東市內で バスの運轉開始
19 四日目勝負
20 清水少佐戰死
21 五日目取組
22 新竹市聯合歲暮 大賣出當籤番號
23 大和丸無電
24 人事‧消息報社消息
25 廣告
第02頁
日刊第3版
序號 標題
01 臺灣工業の建設は 動力の開發が急務 本島進出の計畫はない 野口日窒社長談
02 日滿支ブロツク 經濟の擴充策/猪谷善一
03 國內物價を抑制し 對外貿易を振興/森廣藏
04 臺灣倉庫の 保管貨物山積
05 バカス‧パルブは 近く生產を開始/藤山愛一郎
06 臺灣諸株仲值
07 廣告
第03頁
日刊第4版
序號 標題
01 ラヂオ
02 趣味講演 浮生六記/西川滿
03 料理献立/柳原保案
04 晝間娛樂時間 (レコード演奏)
05 國民歌謠/孝子富藏;木村友忠
06 子供時間 お話(テキスト三十二頁)「誰にも出來る面白い奇術」
07 浪花節の夕 (東京)/忠島照世
08 子供の時間 幼兒童話「月の兔」
09 圖像:湯爾和氏の對日放送
10 新編丹下左膳 第一篇妖刀の卷/福士政一
11 圖像:帝都市民のラヂオ體操
12 城戶氏が 俳優募集
13 本年度上半期を飾る 松竹大船十大文藝作品
14 大船に三新人
15 ストーヴに 鉢植を寄せぬ事
16 海外映畫通信
17 廣告報社消息
第04頁
日刊第5版
序號 標題
01 南投の簡易保險 躍進又躍進 總契約額二百七十餘萬圓
02 國講指導經營 研究發表會 卅日、四結部落集會所で
03 圖像:故渡中將葬儀
04 金總動員講演會 海山郡下各街庄の日割
05 圖像:時は移って
06 卯年生れの英雄 (下)時局を語る座談會
07 歸還軍夫献金 劉孔時軍の美擧
08 員林郡下部落 振興會長大會
09 北斗郡の戶稅 稅務講習會
10 圖像:大西洋の女王
11 北斗消防組 十七日に發會式
12 北斗郡警察課 異動
13 麻袋を盜む
14 泥棒逮捕さる
15 ローカル セクショ ン